唯我独尊じゃじゃ馬娘 (コンスタンチノープル)
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第1球

「いいよ・・・でも入るからには・・・一緒に目指して欲しいっちゃけど」

 

「全国を」

 

全国・・・

 

「それから!白菊ちゃんには負けんけんね」

 

「えっ!?え~~~」

 

「人数も揃ったし」

 

「チームの目標も決まったな」

 

「よ~し」

 

「全国目指そ~」

 

「おーー」

 

みんなは、ヨミちゃんは・・・

 

「タマちゃんどうしたの?こっちおいでよ」

 

「う・・・うん」

 

「目指せ全国たい!」

 

「ばかにしとーと?」

 

「よかよか」

 

「使い方間違っとーし!」

 

「・・・・・・」

 

≪全国を、目指す『だけ』のつもり?≫

 

「え?」

 

「今の・・・」

 

何?今のボカシたみたいな声

 

≪誰だ!誰だ!誰だ~ 謎の一流アスリート しーろーいーほーたいーの マスクガール≫

 

どこからともなく音楽と年上のお姉さんの歌声が流れてくる。これ、アレだよね?プロや元プロが覆面を被ってスーパー中学生と対決するスポーツ番組のマスクガールの登場曲。あれ?外野から誰かやってくる。ウチのジャージを着てるけどマスクじゃなくて包帯を顔中に巻いている。それに口の所が異様に尖がっている。

 

≪しょーたーいひーみーつー、しょーたーいひーみーつー おーマスクガール!マスクガーール!!≫

 

≪ポチっとな≫

 

「いやスマホかよ!」

 

≪雰囲気よ雰囲気≫

 

口が尖がっているのは変声機を口元に仕込んでいるからだ。声がボカシたみたいになっているのもそれだ。

 

≪それよりも、全国を目指す『だけ』のつもりなのかしら?≫

 

「おい、目指すだけとはどういうことだ」

 

主将が食って掛かっている。大丈夫かな?

 

≪言葉の通りよ?私が入ってあげるから全国制覇を目指しなさい≫

 

「ぜ、全国制覇ぁ!?」

 

みんな、私も一緒に同じ言葉が出た。だってこのチームで全国制覇なんて・・・

 

「さ、さすがに全国制覇は来年、再来年になってみないと分からないよ?」

 

「芳乃ちゃん、来年再来年でも言い過ぎじゃない?」

 

芳乃ちゃんは来年なら全国制覇出来ると思っているのかな?

 

≪ほうほうほう、じゃあ今から見せてあげる。バッティングマシンをセットして≫

 

言われるがままにマシンをセットする。

 

≪最高速度にセッティングしなさい≫

 

さ、最高速度!?このマシンプロレベルのスピードまで出るけど分かってるのかな?

 

「わ、分かったわ。だけど慣らしで数球投げさせて。そうでないとマシンが壊れちゃう」

 

≪数球見れれば十分≫

 

数球投げたけど本当に大丈夫なのかな?あ、バットを出した。え?木のバット?

 

それを見て希ちゃんがちょっと嫉妬している・・・のかな?

 

リラックスした構えで彼女が構える、そこへ物凄い速度のボールが、彼女のバットが一閃!、ボールは・・・

 

あれ?イージーな内野ゴロ?

 

そのあとも何球か投げたけどイージーなセカンドゴロかファーストゴロ。マシンにボールを入れる菫ちゃんと稜ちゃんも拍子抜けした顔をしているけど・・・違う、これは。

 

「おい」「ねえ」

 

主将と希ちゃんも気が付いたみたい。希ちゃんが主将に目をやってどうぞとしている。

 

「どうしてわざとセカンドゴロとファーストゴロを打っているんだ?」

 

≪おーう、そちらの方と、そちらの金髪のお嬢さん方、それからそこの黒髪の娘も気付いたみたいね。なぁに、ちょっと試させてもらったのよ。4人も気付くなんて上々上々≫

 

4人、金髪のお嬢さん方って言ったから多分芳乃ちゃんも気付いたみたい。

 

≪今のはヒットでなくてもランナーを還すボテボテの内野ゴロを打っていたの。当てたご褒美に本気で打ってあげる≫

 

そういうと彼女は次のボールから事も無げに外野フェンスの上段まで持っていく。みんな唖然とその打球を見送っている。待って!あの構えあの・・・

 

「あのスイング・・・」

 

芳乃ちゃんも気が付いた!

 

「まさかっ!」

 

芳乃ちゃんのその声と共に乾いた打球音が響きボールがフェンスを越える。そして彼女がこっちを向いて包帯の結び目に手を掛ける。

 

シュルルと音がして浅黒い肌とともに彼女の顔が露わになる。

 

「私よっ!」

 

鱒川(ますかわ)・・・」

 

春李(はり)選手っ!!」

 

「よ、芳乃?あの娘凄い娘なの?」

 

「何言ってるの息吹ちゃん!?凄いなんてもんじゃないよ!前にも息吹ちゃんに話したでしょ!?家族全員超一流の5ツールプレイヤーの名門野球一族の4代目で『完全無欠のオールラウンダー』の呼び声高い天才っ!去年のU-15世界選手権大会で日本代表の3番レフト、攻守の要として大会打率3位、ホームラン数1位、打点数1位、盗塁数2位、フォアボール数1位、敬遠数1位、捕殺数1位、ノーエラーで大会ベストナインとMVPに輝いた私たちの世代じゃ知らない人はいないスーパースターだよっ!!」

 

「よ、芳乃ちゃんが物凄い早口になってる」

 

「ヨミちゃんようやく喋れたね」

 

「・・・ハッ!?」

 

「それにしても驚いたなぁ、あの鱒川春李がウチに進学していたなんて」

 

年上の主将でも知ってる、さすが

 

「なして、なしてココに進学したと!?」

 

希ちゃんが興味津々に聞いてくる。

 

「家族に唆されてよ。あんまり突っ込んでもらいたくないわ」

 

「わかった、歓迎するよ」

 

「家族というのはお母さまでしょうか?」

 

「主にシャーロット伯母さん」

 

「それって、鱒川シャーリー選手!?そういえば新越谷のOGだった!ぜひ会ってお礼を言いたいっ!」

 

「よ、芳乃」

 

「あ、あとそれから、ロッカー3つ貰うわ」

 

「どうしてだ?」

 

「すぐに分かるわ。それから・・・、みんなと同じように『春李ちゃん』でいいわ」

 

あの鱒川春李ちゃんが入ってくるなんて・・・




鱒川(ますかわ) 春李(はり)
ポジション:左翼手/中堅手/指名打者/右翼手。
在籍チーム:新越谷。
①学年:1年生。
②投・打:左投左打。
③誕生日:4月15日。
④身長:165cm。
⑤出身チーム:舟渡ガールズ(戸田橋中)。
⑥好きな動物:海賊。
⑦趣味:寝ること。
⑧進学理由:家族に唆されて。


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第2球

とうに練習開始時刻を過ぎた野球部部室、1人の女性と1人の少女が肌を重ねる。

 

「あぁんそこはだめ!そんなことされちゃ、もう」

 

「だめ!だめだめきちゃうきちゃうううぅ!」

 

「イク、イッちゃううううううう!」

 

「春李ちゃん!!?なんかとんでもない声が聞こえてくるけど何やってるの!?」

 

「そちらの方は、どなたでしょうか?」

 

私と息吹ちゃん、白菊ちゃんは部室からあられもない喘ぎ声がするのを聞いて中に飛び込んだ。

 

「誰って、私専属のマッサージ師よ?」

 

「春李専属のマッサージ師ぃ!?」

 

「私クラスになればこれくらい居て当り前よ?剣の道を極めた白菊だったいるんじゃないの?」

 

「自分の身体のことは自分で管理しなさいとお母さまから言われていたので、そういったことは自分でやっていました」

 

「うん、なるほど。そういう考え方もあるわね。でも、私は専門知識を持った人にやってもらうのが良いと思うわ」

 

「本当に春李ちゃん専属なの?それとも鱒川家の掛かりつけの所があって・・・」

 

「あぁ、ジョセフィン叔母さんの専属マッサージ師のお妹子(でし)さん。腕は確かだからこれから長い付き合いになるつもりよ」

 

「鱒川ジョー選手!連続試合安打の世界記録を持つスーパースター!!」

 

「叔母さん、引退してコーチになった今でも世間からの自分のイメージが崩れないようにトレーニングや節制をして、マッサージも欠かさないのよ。私も尊敬しているわ」

 

「さすが、牽引車(クリッパー)と言われ誰からも尊敬された大スター」

 

「芳乃あんたまた・・・」

 

「それで?何か私に用事?」

 

「うん」

 

私は息吹ちゃんと白菊ちゃんのことで春李ちゃんにお願いしたいことがあって、部室まで来たところでこの騒ぎだった。

 

「それならマッサージ受けながら聞くわ」

 

「えっ・・・」

 

息吹ちゃんと白菊ちゃんがちょっと困ったような顔をする。どうしたんだろう?

 

「何、なんか文句あるのかしら?」

 

「それは・・・」

 

「だって春李、あなたマッサージ受けたらまたさっきみたいな声出すんでしょ?」

 

「全部が全部そうじゃないわ、もう声出るような所は終わりましたよね」

 

春李ちゃん、ちゃんと敬語つかえるんだ・・・

 

「もう主だった所は終わったわ。できれば静かに受けてもらえるとこっちも助かるんだけど?いっつもいかがわしいマッサージをしていると間違えられてしまうんだけど・・・」

 

「それは、なんか我慢したら身体に悪そうだなって・・・は、始めてください」

 

「分かったわ」

 

春李ちゃんが座った状態でマッサージを受け始めた。

 

「それでね春李ちゃん。春李ちゃんにお願いしたいことがあるの」

 

「お願い?」

 

「息吹ちゃんと白菊ちゃんのコーチをしてほしいの」

 

「お願いしますっ!」

 

「頼むわ」

 

「2人のコーチ?」

 

「具体的には守備かな、バッティングは後回しにして大丈夫だと思う」

 

「怜ちゃんがいるじゃない?」

 

「主将も自分のメニューがあるからそうなると教えてくれる人が居ないの。私、外野ノックは力が無くて、それに・・・」

 

「それに?」

 

日本トップクラス(・・・・・・・・)の春李ちゃんから教えてもらったら、格段に上達すると思うの・・・ダメ?」

 

「日本トップクラス・・・分かってるじゃないの、確かに私が教えれば素人の2人でもいい線行くんじゃない?」

 

最近、春李ちゃんの操作方法が分かってきた気がする。

 

「分かったわ、この私が直々に2人に教えてあげるわ」

 

「ありがとうございます!」

 

「何だか癪に障るわね」

 

「何か言った?息吹」

 

「なんでもないわ」

 

「じゃあ早速これから主将にノック打ってもらうから、春李ちゃんは2人の今の実力を見て」

 

「ちょ、ちょっと待って。今から練習に出るの?」

 

「何言ってるの?当たり前でしょ?」

 

「練習するために、部室に来たんですよね?」

 

「冗談!今日はマッサージだけして帰るつもりよ。怜ちゃんがノックするんなら明日からでいいじゃない?」

 

「見るだけでもいいから出てもらっていい」

 

「分かったわ・・・全く、この私が無駄な練習に出るなんて」

 

「今、無駄って言った?」

 

「言ったわ」

 

「くぅ~!春李!あなたね、前から言おうと思ってたけど人より上手いからって何言ったっていいわけじゃないわよ!?」

 

「い、息吹ちゃん」「息吹さん・・・」

 

「2人は黙ってて!」

 

「上手い奴が上からもの言って何が悪いの?それにちょっと上から言われるくらいが特に息吹には調度いいみたいじゃない」

 

「きいぃ言わせておけば!一番上手いのが余計腹立つ!」

 

「私は息吹が今怒ってても全然腹立たないわ。上手くなればいいだけじゃない。そうでしょ?」

 

「今に見てなさい!絶対春李よりも上手くなってやるんだから!!」

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―

 

「ナイスボール、ラスト1球」

 

「私は内野ノック入るから・・・ヨミちゃんはダッシュね」

 

「うん・・・」

 

もう春李ったら腹立つことばかり言ってくれちゃって!見てなさい!

 

「息吹いくぞ」

 

「こい!!」

 

よし!捕れる!

 

「ナイスキャッチ!」

 

「お世辞は進歩の妨げ、今のどこがナイスなの?始動が遅いから難しい打球に見えるだけのイージーフライじゃない!」

 

「(アレをイージーというか・・・)次白菊!」

 

もう嫌になるわね!

 

「行き過ぎました!」

 

「白菊、見ないでも分かることを言わない!怜ちゃんも素人いきなり走らせたって時間の無駄!」

 

「よし、じゃあお前が打ってみろ。ほら」

 

「嫌よ、今日私に練習の予定は入ってないわ」

 

「自分が練習するじゃないんだからいいだろ?」

 

「それでも嫌」

 

「自分が言い出したことだろ。口は禍の元だ」

 

「分かったわ・・・怜ちゃん今度覚えてなさい。トス上げてくれるかしら」

 

何?なんか揉めてるみたいね?ノッカーが主将から春李に変わる?

 

「トスバッティングでノックするのか?」

 

「せっかくやるんだから実践的なことしたいのよ。息吹!白菊!」

 

私は白菊と顔を見合わせた。

 

「横に間隔を空けて一線に並びなさい、特別(・・)に私が打ってあげるわ」

 

「ありがとうございます!」

 

「きなさい!」

 

「いくわよ、息吹!」

 

きた!あれ?

 

「よし次、白菊!」

 

「お願いします!」

 

まただ。

 

「こら白菊!動かないの!」

 

まさか!

 

次から飛んでくるフライも全部、私と白菊が一歩も動かないで取れる簡単なフライだった。それでも私たちは数球落としてしまった。

 

「よし!あがりよ!!」

 

「ありがとうございました!主将のノックと比べて、あまり疲れませんでしたね」

 

「え、えぇ」

 

春李のやつまさか・・・

 

「春李・・・」

 

「どしたの怜ちゃん?」

 

「狙って打ったのか?」

 

「えぇ、勿論」

 

「どうなさったんですか?」

 

「白菊、春李は私たちのいる位置をピンポイントで狙い打ちしたのよ」

 

「す、凄いです!そんな芸当が出来るんですか?」

 

「現に今私がやったじゃない」

 

「私だってノックで打ったって数歩くらい誤差が出るぞ?それをトスバッティングで狙い打ちをやるなんて・・・」

 

「怜ちゃんのトスも良かったのよ。下手なトスじゃこうはいかないわ」

 

「でも、どうしたって一歩も動かないノックを打ったんだ?」

 

「まさか面倒だったからとか言うんじゃないわよね?」

 

「それは違うと思いますよ?」

 

「白菊?」

 

私と主将が同時に言う。

 

「剣道でも、ただ一点を狙い続ける極点集中は大変な集中力が必要です。春李さんはそれが二点、本当に狙い打ちをし続けたのであれば、並大抵の集中力ではとてもではありませんがやり続けられません」

 

「さすが白菊、分かってるう」

 

「それで、なんでそんな超精密ノックが必要だったんだ?さっき春李は素人2人にいきなり走らせても時間の無駄と言っていたが、走らせて身体で色々な打球を経験しないと意味がないんじゃないか?」

 

「怜ちゃん、それはちゃんと凡フライを百発百中で取れる人がやる事だと思ってるの。いくら走った所で捕るという成功体験が出来なければ経験に繋がらないと思うの。それにはまず基本の凡フライを捕る動作が必要になるからあのノックを打ったの。実際、2人とも何球か落としたでしょ?基本がまだなっていない証拠」

 

「確かに」

 

「ちょっと待ちなさいよ」

 

「何かしら」

 

「この前芳乃に春李の中学時代のプレーの映像見せてもらったけど、春李だって基本から外れたような派手なプレーばっかりじゃない」

 

「はぁ、分かってないわね息吹」

 

「なによ」

 

「いいか息吹、春李が言いたいのはな・・・」

 

「お、いいぞ言ってやれ怜ちゃん」

 

「茶化すな。春李が言いたいのは基本から外れた派手なプレーも、基本が出来ていればこそなんだっていう事なんだ。それは、私だった飛び込んだりスライディングで捕ったりもするぞ?だが、それらはちゃんとした基本的なプレーが出来てこそ出来る技なんだ。白菊だって剣道をやっている時そう教わったんじゃないか?」

 

「はい、何事にも基礎の積み重ねが重要だと教わりました」

 

それって・・・

 

「なによ、まるで私1人悪者みたいじゃない」

 

「そうでもないわ、息吹は次からは普通のノックで大丈夫よ。白菊はまだ私のノック受けたほうがいいわね」

 

やったっ!

 

「みたか!さっきはよくも言ってくれたわね」

 

「さっき?」

 

「勘違いしないの。まだスタートラインに立っただけ、これからよ?」

 

「まだ・・・ですか」

 

「怜ちゃんのノックの時に始動に迷いが見える所をみると、まだ打球の空間把握能力が身についていないのよ。変に普通のノック受けたら怪我の元になるわ。もう少し自分の所へ真っ直ぐ飛んでくるノックを受けてその感覚を磨きなさい」

 

「はい、わかりました」

 

「ほれ内野は休まず続けてるよ。水飲んだらトス打撃だ」

 

ひいぃっ!

 

「じゃ、私はあがるわ。マッサージ受け直さなきゃ」

 

「マッサージ?」

 

「あっ、主将聞いてくださいよ。春李のやつったら専属のマッサージ師が付いてるんですよ」

 

「専属のマッサージ師だって!?」



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第3球

「全く、この私に練習をさせるなんて、もう嫌になっちゃう」

 

もうマッサージ受けたし後は帰っちゃおう。

 

「さあ!片付け終わったら暗くなるまでトス打撃ね!」

 

「ヨミちゃーんいつまで走ってるの」

 

「自分で走らせて酷いなあ・・・」

 

「じゃあお詫びに今日は私の分も打っていいよ」

 

「やった!」

 

「ひいいいい」

 

あの2人は何妻婦(めおと)漫才やってるのかしら?

 

「春李ちゃん」

 

「芳乃?」

 

「この後ちょっとお話があるから残っててもらえる?」

 

「えぇ・・・この私を待たせようなんていい度胸じゃない。わかったわ」

 

芳乃の野球への造詣は私も驚くところがあるのでもしかしたらと思って残ることにしてあげた。

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―

 

夕暮れの部室に微睡む春李の姿が、そこへ練習を終えた希がやってくる。

 

「春李ちゃん、何しよーと?」

 

「ふぁああーあ、おはよ、もう練習終わり?」

 

「うん、しゃっき終わったとこばい」

 

「いやあ、芳乃からこの後話があるから残ってくれって・・・」

 

「私も芳乃ちゃんから自主トレに誘われとーっちゃけど・・・」

 

「えっなに芳乃二股?なによそれまったくm・・・」

 

鱒川春李ちゃん、私たちん世代ん野球女子ん間じゃ知らん人ば探すのが難しかスーパーヒロイン。バッティングも走塁も守備もけた外れん実力・・・。今も話すとき、ちょっと緊張してしまう。

 

「ねぇ、そうだと思わない?」

 

「ふぇ?」

 

「あ、話聞いてなかったわね?もう失礼しちゃうわ」

 

「ご、ごめん・・・」

 

芳乃ちゃんに嫌わるーとは絶対嫌だばってん、春李ちゃんにも嫌われとねえ。

 

「春李ちゃんが寝とーソファ、今日ん部活が始まる前には無かったけど」

 

「言っておくけど私専用よ。勝手に座ったら痛い目に遭わせるわよ」

 

「す、座らんばい」

 

「ならよろしい。よろしいついでに今は特別(・・)に隣に座らせてあげる」

 

「あ、ありがとう」

 

うわ、こんソファ私ん家にあるんよりもいっちょんふかふか・・・

 

「希って、いつも最後まで残ってバット振ってるらしいけどホント?」

 

「うん、いつもやっとーけんやらな気持ち悪うて」

 

私は、制汗スプレーば身体に吹きながら春李ちゃんと話す。そうでなかとなんかもうこんソファに座らしぇてくれなしゃそうな気がしたけん。

 

「一心不乱に振り続けるのも時には必要だけど、希クラスのバッターなら相手ピッチャーや場面の想定なんかしながら振らないとね。ってこんなこと希なら言われなくてもやってるか」

 

「あんまりうちんこと買い被らんで、まあ・・・やっとーばってん・・・」

 

「安心しなさい、希は自分が思ってるよりも良い選手よ。今日はこのまま帰り?」

 

「ありがとう。えっと、そん前に練習終わりやけんコレ飲んd・・・」

 

「ふぃ~~今日も楽しかったぁ」

 

「ねー」

 

芳乃ちゃんたちも部室に集まってきた。

 

「希ちゃん何飲んでるの?」

 

「プロテイン。のむ?」

 

「プロテイン?・・・」

 

春李ちゃん、機嫌悪そう。プロテイン、好きやなかとかな?

 

「なんか粉っぽい」

 

「わ・・・私も飲んでみたいです」

 

「白菊ちゃんはだめ」

 

今よりパワーついたら困るし・・・あーもうそんシュンとした顔は反則!

 

「わかった・・・じゃあ少しだけ」

 

「飲み方上品だね」

 

「そんなにのんだらムキムキに・・・」

 

「そういえば、春李ちゃんはどんなプロテイン飲んでるの?」

 

よ、ヨミちゃんそれは・・・

 

「私も気になる」

 

思わず私もヨミちゃんに乗ってしもうた。

 

「私は・・・」

 

ごくり・・・

 

「極力飲まないようにしているわ」

 

「えっ、特別なプロテインや鱒川家秘伝のブレンドがあったりするんじゃなくて飲まないの?」

 

「えぇ、栄養はなるべく食事から摂取したいの」

 

「大きなお弁当箱を持っていましたよね」

 

白菊ちゃん、そげんこと知っとーったい・・・

 

「姉貴とお揃いよ。練習前にもおにぎり食べてきたわ」

 

「やっぱり気になるの?」

 

芳乃ちゃん?

 

「気になるって?」

 

「鱒川(れん)選手。双子のお姉さんでしょ?」

 

そうやった!春李ちゃんのお姉ちゃんの鱒川恋も走攻守三拍子揃うたスラッガーで、世代最高って言われとーセンターやった!

 

「冗談!どうして私が自分よりレベルが低い野手のこと気にしなきゃいけないの?」

 

「だって今、春季北陸大会でホームラン量産してるじゃん」

 

「全く、母さんたちも母さんたちよ。私には新越に行けって言っておいて恋には自由に進学させるんだもん」

 

「福井航空は全国大会にも出れるレベルのチームだから全国まで行けば対戦できるかもね」

 

「それは向こうがコケなけりゃの話よ」

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―



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第4球

みんなと別れて、春李ちゃんと新しい練習スケジュールについてお話ししました。やっぱり選手目線の意見があると有意義なメニューが組める。その後、息吹ちゃんと希ちゃんの素振りとランニングにも付き合ってもらったんだけどやっぱりスイング1つとってもレベルが違う!それにしても、春李ちゃんみんなと一緒の練習はやらないけど、こういう自主トレはちゃんとやってるんだ。ちょっと安心した。

 

「・・・しの、芳乃」

 

「えっ?」

 

「さっきからボケっとした顔で私のこと見てるけどそんなにいい女かしら?知ってたけど」

 

「もう、違うよ。普段の練習には出ないのにこういう自主トレには付き合ってくれるんだと思って」

 

「しっつれいしちゃうわね。私だって練習くらいするわよ、私に必要な練習じゃなきゃやったって無意味なだけ、新越谷(ここ)の練習は無駄が多いのよ。でも安心したわ、芳乃のおかげで有意義な練習ができるんだもの」

 

「じゃあ」

 

「えぇ、明日から練習に出てあげる」

 

「ありがとう!好き!」

 

思わず春李ちゃんに抱き着いちゃった。

 

「ちょ、芳乃」

 

「芳乃ちゃんっ!?」

 

「全く芳乃ったら、あれ・・・ヨミと珠姫じゃない?」

 

「隠れて!」

 

「なんで隠れるのよ」

 

息吹ちゃんと春李ちゃんが同時に聞いてきた。

 

「なんとなく」

 

「私・・・最初はね、ヨミちゃんとなら、勝ち負けとか関係なく、楽しくやれればいいかなって思ってたんだよね」

 

「もし人数が集まらなかったら、キャッチボールするだけの部でもいいと思ってた」

 

「頑張っても頑張っても、上には上がいたり、レギュラー外されたり」

 

「誰より頑張った人が一回戦で消えてしまったり、そういうのは中学でやめたはずだったから」

 

「でもね、いざ人数が揃って本格的な部活をするようになって、全国制覇という言葉まで聞いちゃったら」

 

「なんでだろ・・・中途半端は嫌なんだ、いつの間にか本気になってる」

 

「それはタマちゃんが知ってるからでしょ」

 

「みんなで勝った時の味を」

 

「そうだね・・・勝ってみたい・・・このチームで、私も好きだから」

 

「とにかく!」

 

「これから練習時間増えていくだろうし、ヨミちゃんはついて来られるのって話だよ」

 

「まさか心配してくれたの?」

 

「ほんとは帰らずにずっと練習していたいくらいなんだよ、その上勝てたらどんなに楽しいんだろうね」

 

「だから」

 

「私を連れてってよ、きつい練習でもなんでもするから」

 

「うん」

 

「わかった」

 

「一緒に行こう」

 

「ついていけるかしら」

 

「安心しなさい、ヘタりそうになったら引っ張り上げてあげるわ」

 

「素晴らしいよ~混ざりたい~」

 

「明日からやることいっぱいあるよ、クイックとか守備とか」

 

「イエッサー」

 

「基礎トレも増やさないと二倍くらいに」

 

「えぇ!?」

 

「ふふっ、当然よ」

 

「春李ちゃん?」

 

「ようやく面白くなってきたわね」

 

「なんでもするって言ったよね」

 

「基礎トレって一人だからあんま楽しくない・・・」

 

「息吹ちゃんと一緒になるように調整するから、あの子も足腰足りてないし」

 

「ぎくっ」

 

「大丈夫よ、疲れた時は後ろからソッと押してあげるわ」

 

「春李ちゃん、引っ張らせたり押させたりごめんね」

 

「大丈夫よ・・・ふふふっ」

 

「春李ちゃん、楽しそう」

 

「そうかしら希?」

 

「うん、とっても」

 

「総合メニューは芳乃ちゃんと相談してから・・・」

 

「呼んだ!?」

 

思わず芝の斜面を滑り降りていく芳乃、ちょっと待ちなさい!

 

「この自転車どうすんのよっ!?」

 

「みんな・・・なんでここに?」

 

「ランニングしてたんだ、私たちの家すぐそこだし」

 

「へぇ」

 

ヨミが「はっ」とした顔をして珠姫の方を見る。珠姫はバツが悪そうに顔を赤くしている。

 

「どこから聞いてた!?」

 

「そんなの最sゲフっ」

 

息吹、何で肘を入れてくるのかしら?

 

「さあ・・・今来たばかりよ」

 

「そんなことより練習の話しよう!」

 

フッ、みんないい顔してるじゃない、せいぜい私の引き立て役に・・・いや、このままじゃ私が引き立て役になりそうね。ちょっと本気出してあげるわ。

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―

 

数日後のこと。

 

「みんな集まって~、新しい練習スケジュール配るよ~」

 

「文句がある人は遠慮なく言ってね」

 

「これはこれは・・・」

 

「なかなかハードね」

 

「やった!守備連携が増えてる」

 

「・・・・・・」

 

「練習内容はともかく・・・食事の献立まで決められてるんだけど」

 

「もし無理なら私が作ろうか?」

 

「食材が買えないんなら言って、鱒川家のルート使って私が提供するわ」

 

「そういう問題じゃなくて!」

 

「ふふ・・・1年生、頼もしいわね」

 

気持ちも新たに練習が始まる。

 

「ふたつ!」

 

「ナイッスロー」

 

「珠姫のやつ気合い入ってるじゃん」

 

「なんかあったのかしら、でもいい感じじゃない?」

 

「まぁ声は小さいけどな」

 

「はい集合」

 

怜ちゃんが手を打って集合の合図を掛ける。

 

「先生、お願いします」

 

「引き継ぎが遅れてしまいすみません、顧問の藤井(ふじい)です。みなさん自主的に練習されていて偉いです!」

 

「よかったやさしそう」

 

「家庭科の先生ですよ」

 

「あんちゃんおっそ~い!」

 

「あんちゃん!?」

 

「おい春李!先生なんだからあだ名で呼んだりするな。それからちゃんと敬語を使え!」

 

「私は私のしたいようにするだけよ」

 

「ふふ・・・構いませんよ。春李さんの他にももう授業で会った子もいますね」

 

「さて・・・」

 

「どうやら全国を目指しているようですね」

 

およ?

 

「そこで1週間後に練習試合を組みました」

 

「試合!?やった!」

 

「どこまでやれるか見せて下さいね」

 

「早速きたね」

 

「うん!」

 

「絶対勝とうね」

 

「ふふふっ遂にこの鱒川春李の高校野球デビュー戦よ!」

 

「あ、春李さん。春李さんはスタメンではなく控えを考えております」

 

「えっ!?」

 

「およよっ!?」



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第5球

川辺をランニングするヨミ、釣りをする1人の女性と1人の少女を見つけ声を掛けようと後ろから近づく、すると足音に気付いたのか2人ともヨミの方を振り返る。

 

「釣れますか?」

 

「・・・・・・」「・・・・・・」

 

「さっきニゴイが釣れました」

 

「私はまだ・・・」

 

「へぇすごい!ここ釣れるんですね。姉妹で釣りですか?」

 

「いえ、この子とは初対面です」

 

「このお姉さんが先に釣ってたので、失礼を承知で」

 

「へぇ、妹さんじゃなかったんですね。お嬢ちゃんは何年生?」

 

「この前中学生になったばかりです」

 

「じゃあ1年生か」

 

「はい」

 

「野球ですか?」

 

「はい!今日は初めての試合なんですよ。先発です」

 

「奇遇ですね、私のいとこのお姉ちゃんも今日初めての試合だって言ってました」

 

「へぇ」

 

「でも控えだってブー垂れてたんですけど、何日か前から機嫌がいいんですよね」

 

「そうなんだ、頑張ってね」

 

「あなたも頑張って」

 

「そっちも釣り頑張ってくださーい」

 

「・・・・・・」「・・・・・・」

 

「あっ、アタってる」

 

「こっちも初ヒットです」

 

「またニゴイね。ねぇあなた、さっきから私のあとつけてきてるようだけど誰なの?」

 

「私ですか、私は・・・」

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―

 

「さこーい」

 

「柳川大附属川越高校、通称柳大川越」

 

「以前は弱小だったけど」

 

「去年の夏は1年生エースの朝倉(あさくら)さんを中心に、1・2年生主体のメンバーで県ベスト16、秋大会はベスト8!」

 

「今年の夏一押しのチームだよ!」

 

「ひいい・・・初心者の相手じゃないわよ」

 

「試合・・・よく受けてくれたわね」

 

「今日はお越しいただき、ありがとうございます」

 

「いえいえこちらこそ」

 

「うちの大野(おおの)はまだ経験が足りないからね、夏までできるだけ投げさせてやりたい」

 

ブルペンで投球練習をする大野。

 

「左のサイドスローか」

 

「カッコイイ!」

 

「あの人がエースの朝倉さん?」

 

「違うよ、あの人は大野さんだよ」

 

「朝倉さんは怪我かなぁ、最近見ないね」

 

「代わりに春は大野さんが投げてるよ」

 

「28イニングを5失点!春はベスト16で惜敗、今のエースは大野さんだよ!」

 

「サインくれるかなあ」

 

「・・・・・・」

 

芳乃ちゃん・・・

 

1番(エース)か」

 

「ユニフォーム、芳乃ちゃんが発注してくれたんだよね」

 

「そだよ、これは練習試合用だけどね」

 

「気分一新ということで、新の文字をわずかに大きくしてみた」

 

「ほんとだ気づかなかった・・・」

 

菫ちゃんが稜ちゃんの胸ぐら掴む。稜ちゃんは困った顔をしている

 

「けどベースは全国に出た時と同じデザインだよ」

 

「情けない試合はできないな」

 

「みんな似合ってるよ」

 

「さあお待ちかね!打順を発表するよ」

 

「待ってました!」

 

「1番一塁手(ファースト)希ちゃん、2番二塁手(セカンド)菫ちゃん、3番捕手(キャッチャー)珠姫ちゃん、4番中堅手(センター)キャプテン、5番遊撃手(ショート)稜ちゃん、6番三塁手(サード)理沙先輩、7番投手(ピッチャー)ヨミちゃん、8番右翼手(ライト)白菊ちゃん、9番左翼手(レフト)息吹ちゃん」

 

「本当に春李は控えなのね・・・」

 

「練習したことは全部出せるようにしよう」

 

「声出して楽しくいこうね」

 

「キャプテン!何か掛け声を」

 

「ああ、そうだな」

 

「コホン」

 

「新越、絶対勝つぞ!!」

 

「おー!!」

 

なんでこんなチームと試合を・・・

 

「警戒すべきは4番の主将と・・・」

 

「あとは意識高そうなあの二人くらいかしら・・・ずっと素振りしてるし」

 

「ごめんごめん、遅くなったわ」

 

えっ!?何あの包帯グルグル巻きのミイラは!?この学校、暴力沙汰の停部が明けたばかりよね。それなのにまだ『やって』るの!?

 

「遅いぞ春李・・・なんでまた顔中包帯巻いてるんだ?」

 

「私は秘密兵器(・・・・)よギリギリまで秘密でいたほうがいいんじゃないかしら」

 

「春李ちゃん、それはそうだけど・・・」

 

「どしたの理沙っち、白菊?」

 

「向こうの方々、怯えているようなのですが・・・」

 

「どうして?これくらいで怯える必要無いじゃない?」

 

新越谷(ウチ)が暴力沙汰の停部が開けたばかりなのに、行動が改まってないと思ってるんじゃないかしら」

 

「それだったらこぉんな不祥事やってますってカッコの奴、出てくるわけないじゃないのに」

 

「それもそうだな、本当失礼しちゃうな」

 

「それだけの事があったんだ・・・」

 

「怜ちゃん・・・」「主将・・・」

 

「さぁ、気を取り直して声援を送ろう!よく見て行け、希!」

 

「そうだね、かっ飛ばせー希ちゃーん!」

 

「さ芳乃、私の出番は終盤だろうから今は寝てるわ、出てほしくなったら起こして」

 

「うん分かった。でも」

 

「ん?」

 

「グランド整備の時に1回起こすね、ずっと寝て身体が堅くなってるのを急に動かすのは怪我の元だから」

 

「さっすが芳乃、分かってるう」

 

まだ改心してないような意識の低い連中に、この私が負けるわけないじゃない。

 

「まあいいわ、堪能しなさい」

 

埼玉一右から放たれるクロスファイヤーを。



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第6球

試合序盤から中盤は原作と同じなのでバッサリカットします。気になる方は原作をご覧ください。


「・・・り、春李!」

 

「はぁあ、ふぁーああ、おはよ稜、結婚する?」

 

「はいぃ!?」

 

「冗談冗談。稜は菫のモノよね」

 

「ええっ!?」「ちょっと!?」

 

ボシュンという音でも聞こえてきそうなほど菫と稜の顔は一瞬で真っ赤になった。

 

「で、試合終わったのかしら?」

 

「いや、芳乃がもうすぐ春李の出番が必要になるから起こしてくれって」

 

「何よもう・・・練習試合くらい私抜きで勝ちなさいよ。状況は?」

 

「初回に新越谷(ウチ)が3点先制したけど4回と5回で引っくり返されて今3対4」

 

「しかも負けてるのっ!?ホントなにやってるのよもう!」

 

「お姉ちゃん!」

 

誰だこの子?春李のこと『お姉ちゃん』って呼んでるけど妹か?

 

「あれ?朝の釣りの女の子」

 

ヨミは知ってるのか?

 

「あ、その件はどうも。偶然だと思ったらお姉ちゃんのチームメイトだったんですね」

 

「いとこのお姉ちゃんって春李ちゃんのことだったの?」

 

「はい、春李お姉ちゃんの従妹で・・・」

 

「もしかして、鱒川舞選手!?」

 

「・・・はい、ねぇお姉ちゃん。この人、誰?」

 

「うちの主力よ、この子に惚れ込んでここの野球部に居てあげてんのよ」

 

「もう春李ちゃんたら・・・」

 

芳乃のやつデレデレしてるけど、芳乃もこの子知ってるのか?

 

「あの芳乃さん、こちらの子は春李さんの親戚なんでしょうか?」

 

「そうだよ!鱒川舞選手っ!やっぱり走攻守三拍子揃ったセンターで去年のU-12世界選手権大会で日本代表の攻守の要、3番センターだった次世代のスーパースター候補生だよ」

 

「マジかよ!?こいつそんな凄い選手だったのかよ」

 

「ただの釣りの子じゃなかったんだ・・・」

 

「釣りって・・・あんたまだあんな事やってんの?ホント何が楽しいんだか・・・」

 

「私が楽しいんだからいいじゃん!」

 

「あーそうね。正確にはいとこじゃなくて三従姉妹(みいとこ)ってって言うらしいわ」

 

「三従姉妹?」

 

私だけじゃなくてみんながハモる。

 

「ひいお婆ちゃんが姉妹なの」

 

「ひいお婆ちゃんってまさか!」

 

「そう、私のひいお婆ちゃんが鱒川クリスティーン、この子のひいお婆ちゃんが鱒川レジーナ」

 

「ううー、2人ともプロ草創期の看板選手で走攻守三拍子揃った名外野手!!」

 

「よ、芳乃が壊れた・・・」

 

「おい菫・・・」

 

芳乃のおさげが残像が残るぐらい物凄い勢いでブンブンいってる。

 

「もうお姉ちゃんそういう話はいいから・・・釣りしてたおかげで、面白い人にも会えたんだから」

 

「面白い人?」

 

そう言うと、舞はマウンドへ向けて手を振る。そうするとマウンドの投手も手を振り返す。

 

「あれ?、ピッチャー代わってるじゃない?」

 

「去年の夏1年生ながら、4試合でわずか3失点の速球派右腕!朝倉投手だよっ!」

 

「へぇ・・・で、その朝倉投手とやらは私より凄いのかしら?」

 

「それは・・・」

 

「もう、そこは嘘でも私の方が凄いっていう所でしょ?」

 

「ごめん。じゃあこれから証明してもらっていい。春李ちゃんの凄いとこ」

 

「分かったわ。代打よね?みんな見てなさい!」

 

「息吹ちゃんの所で代打行くから。早速用意しておいて」

 

「ふふふっ・・・」

 

全国レベルかぁ

 

「こい・・・!」

 

威力抜群の朝倉の速球が浅井のミットに突き刺さる。

 

「ストライク」

 

打席で見ると、さらにすごい・・・

 

「ここまで全球直球(ストレート)スか、朝倉さんて冬から変化球試しまくって、フォーム崩してたんスよね」

 

「そっか大島は知らないんだったね」

 

「朝倉なりに夏秋の敗戦に責任を感じてたのかな、直球(ストレート)だけじゃダメだって・・・」

 

「でもようやく本調子、決め球も完成してるみたいだよ」

 

「見たいスねえ」

 

朝倉が浅井のサインに首を振る。

 

・・・首振った?

 

新変化球の初披露か、追い込んだしいくか・・・

 

武田さん・・・外でずっと眺めてたけど、あの変化球は素晴らしかったよ。

良い投球(ピッチング)を見せてもらった、これはお礼の一球。

 

真ん中の速球が手元でストンと落ちワンバウンド、ヨミのバットはあえなく空を切る。

 

「スプリット・・・!?速い・・・!」

 

直球で打ち取れるのわかってて、見せてくれたんだ。

 

「あ」

 

「え?」

 

ベンチに下がった大島と彼女の代わりにセンターに入った大野、他の数名の選手もその異形の存在に気が付いた。

 

「大島どうしたの?」

 

「ミイラが・・・」

 

「ミイラが準備を始めた?」

 

「おい大島あんまりあの子のことミイラとか言わないの」

 

「だ、だって・・・」

 

準備を始めた顔中包帯グルグル巻きの少女がバットを2度3度と振るとグラウンドの空気が一変する。

 

「な、何あのスイング」

 

「驚いたな、あんなにバット振れる選手がベンチに控えてたなんて、やっぱりあの包帯は何か・・・大島、どうした?」

 

「あの構え・・・打撃フォーム・・・まさか!?監督、メンバー表見せてほしいス」

 

「いいけど・・・」

 

「全員カタカナで苗字だけ名前が書いてあるス、この控えの『10番マスカワ』ってまさか!?」

 

「バッターアウト!」

 

「ナイピ朝倉!」

 

「あと一人!」

 

「春李!頼んだわよ」

 

「練習を思い出せ」

 

「希ちゃんに回せ~~」

 

「回して」

 

「息吹、白菊っ!」

 

一塁のコーチャーズボックスに入った理沙にも聞こえるようにこの試合はじめて大きな声を出す春李。

 

「あーみんなも、バッティングの基本が何か今から見せてあげるわっ!見てなさいっ!」

 

そう言うと春李はみんなと出会った時と同じように包帯の結び目を解き、柳大川越の選手たちに見せつけるかのようにその浅黒い肌と顔を露わにした。

 

「私よ!」

 

「いけー!春李ぃ!」

 

「ま、鱒川春李!?」

 

「春李ちゃん!?」



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第7球

「私よ!」

 

「春李ちゃん!?」

 

「大島、あの子知り合いなの?」

 

「知り合いもなにも、鱒川春李スよ!」

 

「鱒川春李!?顔が似てるそっくりさんじゃなくて?」

 

「さっきの素振りの時の構えとスイング、紛れもなく私が知ってる鱒川春李ス。あんなのが何人もいて・・・そういえばいた・・・」

 

「大島?」

 

「大島はあの鱒川春李と知り合いだったの?」

 

「はい、少し」

 

春李はバットの先を持ち打席に入り、グリップエンドの部分をホームプレートにコツンと当て、反動で帰ってきたグリップを掴んだ。

 

「ふわぁああーあ。全く、この私を睡眠から引っ張り出すなんてみんないい根性してるわ。そうでしょ?」

 

浅井にまるで打席に立つのが嫌だと言わんばかりに話しかける春李。

 

「それに、試合に出てほしいんならグラウンド整備の時に一回起こすって言ったのに『試合に感動して起こすの忘れちゃった』なんて、酷いと思わない?」

 

「貴女、早く構えなさい」

 

「へーい・・・」

 

主審が私語を続ける春李に早く打席で構えるよう注意を促す。春李は不服そうに打席に入る。浅井が春李に一度目をやってから朝倉へ目配せをする。

 

まさかこんな所であの鱒川春李と対峙できるとは・・・朝倉、分かってると思うがこのバッターはとびきり特別な相手だ、コレ(スプリット)から入るぞ。

 

分かってます。と朝倉がサインに頷きワインドアップに入る。

 

鱒川春李ちゃん・・・野球をやってる人で知らない人はいない鱒川ファミリーの4代目・・・『完全無欠のオールラウンダー』・・・是非対戦してみたかった。今の私の球がどれだけ通用するかっ!

 

そう朝倉が投じた初球のスプリットを春李は事も無げに弾き返す。

 

「いった!」「あー!」

 

新越谷ベンチではヨミ、稜、菫が、柳大川越ベンチでは大島をはじめ数人が同時に声を上げた。

 

「いや、これは」

 

怜と大野がすぐに打球の行方に気が付く。

 

「ファール!」

 

春李の打球はライトのポールを割る特大ファールとなった。

 

「おっしいなぁもう!」

 

「でも・・・」

 

「思いっ切り引っ張ったよね!」

 

「やっぱり・・・」

 

「芳乃?」

 

「いつもの春李ちゃんと一緒だっ!」

 

「いつもの春李ちゃん?」

「いつもん春李ちゃん?」

「いつもの春李さん?」

「いつもの春李?」

 

ベンチに居た全員が同時に芳乃に聞き返す。

 

「春李ちゃんはね、相手が初対戦の時はいつもファーストストライクや捉えられる初球をライトに大きなファールを打つの」

 

「じゃあ今のファール、わざと打ったってことか?」

 

「でも、どうして?」

 

「『名刺代わりの一発』って中学時代に取材を受けた雑誌に書いてあったかな」

 

「わざわざストライクを1球あげてしまう、春李さんらしいですね」

 

「でもこれでようやく見れる!春李ちゃんの本気!!」

 

「だけど、さっきは打席に入る前『グラウンド整備の時に起こしてくれなかったからホームランは無理よ』って言ってたけど、どうするのかしら?」

 

「それはね息吹、その後打席に行く時に『バッティングの基本』って言ったのがヒントよ」

 

「菫?ねぇ芳乃、どういう事なの?」

 

「息吹ちゃん、2人が言いたいのはね・・・」

 

不味いな・・・と思った浅井が打席の春李を見ると目が合った。そして春李が少し冷たく言い放つ

 

「あの程度の変化球で私を打ち取ろうなんてムシが良すぎるわ。次投げたらフェンスオーバーにしてあげる。もち、今度はポールの内側のね」

 

朝倉が投じる直球もスプリットも春李はまるで打撃練習のでもするかのようにバックネットにファールを重ねる。

 

「春李ちゃんが、押されてる?」

 

「違うよヨミちゃん、真後ろに飛んでるからタイミングバッチリ・・・」

 

「じゃああれもわざと?」

 

「多分」

 

「でもどうしてわざわざ球数投げさせるのかしら?」

 

「球数を投げさせて相手を体力的や精神的に追い詰めているんじゃないかしら」

 

「うーん、息吹ちゃんの言ったこと、精神的には当たってると思うけど体力的には違うんじゃないかな?」

 

「そうか、リリーフの朝倉じゃ体力を多少削った所で大したことないな」

 

「そうよね」

 

「多分、朝倉さんの本来のボールを引き出して、ベストボールを打ち返そうとしているんだと思います」

 

「ベストボールを打ち返す」

 

今度は藤井教諭も一緒に芳乃に聞き返した。

 

「確かに、今の直球(ストレート)さっきより速いかも」

 

「私たちの時は手抜いてやがったな~~」

 

「違うと思うよ。さっき朝倉さんは投球練習をほとんどしてなかったからようやく肩が温まってきたんだと思う」

 

「タイム」

 

浅井がタイムをかけてマウンドの朝倉の下へかけ寄る。

 

「すまん、我ながらどうお前をリードしたらいいか分からん。スプリットは春李(あいつ)に『あの程度の変化球』とこき下ろされるし、もう一つ(カットボール)のほうはまだ実戦で使える段階ではない・・・」

 

「だったら、真っ向勝負しかないんじゃないですか?」

 

「真っ向勝負って・・・」

 

「大丈夫です。ちょうど肩が温まってきたところです」

 

「わかった、逃げていては勝ったとしても何も得られない。最高の直球を頼む」

 

浅井がマスクをかぶり直しホームの方へかけていく。

 

「私に打たれる打ち合わせは終わったかしら?」

 

「・・・お前を三振に打ち取った後、どうハイファイブをするか打ち合せしていたんだ」

 

「へぇ・・・言ってくれるじゃない」

 

朝倉がワインドアップに入る。

 

来る!春李がその感覚を極限まで研ぎ澄ませる。



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第8球

ちょっと短めです。


グシャリという鈍い打球音とは裏腹に火を噴くようなライナーが朝倉の左頬をかすめ、センター大野のグローブにワンバウンドで収まる。

 

「っ!」

 

「やったあ!」

 

新越谷ナインが同時に叫ぶ。

 

「ナイバッチ春李ちゃん」

 

「ナイスヒット!」

 

「ナイスセンター前!」

 

「センター前ヒット・・・芳乃さん、あれが春李さんのおっしゃっていた『バッティングの基本』ですか!」

 

「そうだよ!バッティングの基本はセンター返し、スイングも全く崩されていない!」

 

「果たして私たちが参考に出来る所があるのかしら」

 

・・・・・・

 

ともあれ、回った!希ちゃんに

 

「春李ちゃんすき・・」

 

「すまん」

 

「いえいえ、実はあの子とも勝負してみたかったんですよね」

 

これまで3打席いずれも初球を打たれてる、慎重にいくぞ。

 

「うって」

 

新越谷ナインが声を揃えて希に声援を送る。

 

朝倉がセットポジションに入るとともに春李が大きなリードをとる。

 

春李ちゃん、凄いリードとるわね・・・

 

このリード・・・1球牽制を・・・

 

あぁ、入れたほうがいいな。

 

浅井のサインで朝倉が一塁に牽制球を投げると春李は余裕をもって帰塁する。

 

「いいのかしらそんな事しちゃって?」

 

「春李ちゃん?」

 

「牽制すればするほど、手の内さらけ出すことになるわよ」

 

そう言うと春李は牽制される前よりも大きなリードをとってみせた。

 

浅井は再び牽制のサインを出すが朝倉が首を振る。

 

これ以上牽制したら、余計リードが大きくなると思います。バッター勝負でいきましょう。走られるようなら・・・浅井さんの肩、信用します。

 

分かった。

 

浅井はリードが大きくなっているとはいえ牽制を挟んだことから初球から走ってくることはないとにらみ、スプリットのサインを出し、朝倉も頷く。

 

「行くわよっ!」

 

朝倉が投球動作を起こすと同時に春李の頭の中でパァンとスターターピストルが鳴り響き、脱兎のごとく野性味溢れるストライドで塁間を駆け抜ける。

 

浅井は春李を刺そうとはしなかった。スプリットを要求したのもそうだが二塁送球に物理的に不利になる左打者の希が空振りをしたことにより最初から二塁に送球するのをやめた。

 

「凄い、今までセットじゃなかったのに完璧に盗んだ・・・」

 

「あぁ、塁を盗むとはまさにああいうことだな」

 

春李は脚についた土を払うと打席の希に大きな声をあげた。

 

「希ぃ!御膳立ては終わりよ!あとはあんたが決めなさい!」

 

「わかった!」

 

しかし希は次の直球を空振りし追い込まれてしまう。

 

「よし」

 

「希ちゃんがあっという間に追い込まれた・・・」

 

「珠姫ちゃんなら次どうする?」

 

「初球と同じところ・・・際どいSFF(スプリット)かな」

 

「普通の打者なら手は出ないだろうね。でも希ちゃんなら・・・」

 

希は次に朝倉が投じた球をカットする。

 

「スプリット」

 

「ナイスカット」

 

「さすが!」

 

芳乃がそのおさげをパタパタと動かす。

 

これは・・・と春李が希にブロックサインを送る。サインを盗んでいるわけではないがダミーのサインを送った方がいいと判断したのであった。

 

「ボール」

 

次の直球が外れる。

 

「ファール」

 

次のスプリットをファールにする。

 

「変化球で逃げてる・・・」

 

「でも合ってきた」

 

希が苛立ちながら足場を慣らし二塁塁上の春李に向けて叫んだ。

 

「春李ちゃん!いたらん(よけいな)ことしぇんでっ!」

 

再び二度三度足元を慣らす希。

 

直球勝負、して。

 

朝倉と浅井にもその心の声が届いたようで・・・

 

追い込まれてから何て集中力・・・次の打者は確実に打ち取れる。振ってくれたらラッキーくらいでスプリットのボール球続けるか・・・いや、

 

さっき逃げていては勝ったとしても何も得られないと言ったばかりじゃないか。空振りも取っている。また最高の直球を頼む。

 

サインの交換が終わり朝倉がセットポジションに入る。

 

「どうなっても知らないわよ」

 

朝倉がモーションに入る。

 

投じられた直球に希が少し笑いバットが一閃する。

 

「ジャストミート」

 

「右中間大きい」

 

希の表情が曇る。右手には押し負けた感覚が残る。

 

「終わった・・・」

 

センター大野の足が止まり、落下点に入る。

 

「何外野まで飛ばされてんのよ」

 

両サイド、悲喜入り混じる。

 

試合終了(ゲームセット)

 

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―



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第9球

「サインもらってもいいですか!」

 

試合終了後、芳乃が大野と大島の所にサインを求めにやってきた。

 

「別にいいけど」

 

「あっ、春李ちゃんどこにいるスか?」

 

「春李ちゃん?そういえばこれからグラウンド整備なのに見かけないですね」

 

「またマッサージ受けてるんじゃないスか?」

 

「大島さん、春李ちゃんに専属のマッサージ師さんがいること知ってるってことは前からの知り合いだったんですか?」

 

「えーっと、ちょっとスよ。それに・・・」

 

「?」

 

「春李ちゃんなら、グラウンド整備『なんか』って言ってやらないと思うスよ」

 

「確かに春李ちゃんなら有り得る・・・でもどうして春李ちゃんを探してたんですか?」

 

「1つか問いただしたい事があるス、下手したら・・・」

 

「はい、そのまま帰りますね」

 

芳乃と大島が話しているとサインを書き終え渡すタイミングを窺っていた大野が会話に入って来た。

 

「私が気に入らないのは・・・はい、書けたわよ」

 

「ありがとうございます!えっと・・・」

 

「どうして鱒川春李ほどの選手をスタメンで使わなかったのかってことよ!私だって対戦したかったわ」

 

「すみません、それは・・・」

 

芳乃が大野の疑問に答えようとすると部室でのマッサージを終えた春李が帰ろうと通りかかった。

 

「Oh~情けないぞるぅるぅ~。私がグラウンドに降り立つまでグラウンドに立っていられないとは~」

 

「春李ちゃん!」

 

春李の登場に柳大川越の選手たちが4人の周りに集まってあっという間に輪が出来上がった。

 

「ねぇ春李(アンタ)、どうしてスタメンで出なかったのよ?」

 

「おい、彩優美!」

 

春李に詰め寄ろうとする大野に輪の中から浅井が出てきて止めに入る。

 

「どうして貴女にアンタ呼ばわりされなきゃならないのかしら」

 

「!?」

 

場の空気が一瞬で凍り付く。しかし・・・

 

「ぷふっ、冗談よ!冗談。貴女良い選手ね、立ち姿で分かるわ。そうね・・・あゆみんって呼んであげるわ」

 

「あ、あゆみんっ!?」

 

当の大野だけではなく芳乃をはじめ、柳大川越の選手たちも一様にビックリする。

 

「この私にあだ名で呼ばれるなんてとても光栄なことなのよ?そうでしょ留々」

 

「春李ちゃんはそうかもしれないスけど大野さん2つも上なんスからもっと距離の詰め方ってものが・・・」

 

ここで先程から疑念に思っていたことを芳乃が聞く。

 

「あの、春李ちゃんと大島さんって前からの知り合いだったんですか?」

 

「それ私も気になった、ベンチで知り合いみたいな感じで鱒川さんの事話してたし、大島説明しなさいよ」

 

この声を合図に輪の中からも大島に説明を求める声が次々出てくる。

 

「えぇ・・・」

 

「何!?留々言ってないの?留々はね・・・」

 

「は、春李ちゃん!」

 

「何よ!留々の功績は十分誇るべきものよ?」

 

「だって・・・」

 

「あーもーじれったい!留々はね、去年のU-15世界大会の日本代表選考合宿で恋と代表のセンターを最後まで争ったの」

 

春李の一言に一同驚きに包まれる。

 

「はあっ!?」

 

「あの、鱒川恋選手と!?」

 

「大島、お前の口から今までそんなこと一言も言って聞かなかったぞっ!?」

 

「当然スよ!最後の最後で代表から落選したんスから!」

 

「だって、争ってたのはあの鱒川恋でしょ?十分凄いじゃない?」

 

「発表は最終メンバーだけだったから一次選考、二次選考、最終選考の時のメンバーは発表もされなかったしね」

 

「あぁもう隠してたかったス、これが控えでも代表選ばれてたんならカッコがつくから私だって言いふらしてたスよ!」

 

「仕方ないじゃない、紅白戦で右足に死球(デッドボール)もらって負傷離脱だったんだから」

 

「じゃあその死球がなかったら」

 

「えぇ、間違いなく代表メンバーに選ばれてたわ」

 

「留々ちゃんって、そんな凄い選手だったんだ・・・」

 

輪の中から柳大川越の1年生であろうか、そんな声が出てくる。

 

「これだから言うの嫌だったんスよ~。み、みんなこれからも変わらずに接してほしいス」

 

その言葉に最初に口を開いたのは主将の大野だった。

 

「分かってるわよ。過去がどんなだろうと今は柳大川越の一選手よ。何があろうと変わらないわ」

 

続けて浅井が喋りだす。

 

「ああ、それに大島本人が嫌がっていることを無理に掘り返したりしないさ」

 

「よ、良かったス~」

 

「ほら、言ってみるもんじゃないそれにしても、あーゆみん」

 

「な、何かしら」

 

「貴女、良い選手なだけじゃなくて、中々いい女じゃない」

 

「なっ!?何を言うのかしら突然、それはそうと・・・」

 

「なに?」

 

「話が逸れちゃったけど、どうしてスタメンで出てくれなかったのかしら?」

 

「そう!私もそれが気になって芳乃(この娘)に春李ちゃんがどこにいるか聞こうとしてた所スよ!」

 

「それは私も気になっていた所だ、君ほどの選手がどうして・・・もしかして怪我か?」

 

柳大川越の選手たちから心配のざわめきが聞こえ、芳乃がバツの悪い顔をしながら春李に小声で聞く。

 

「春李ちゃん、どうしよう・・・」

 

「別に言っても良いんじゃない?変に勘繰られるの、私は嫌いよ」

 

「分かった、えーっと春李ちゃんがスタメンで出なかったのは・・・」



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第10球

「私がスタメンじゃなかったのはね・・・」

 

ゴクリと息をのむ柳大川越の面々。

 

「だってまだ練習試合じゃない。ただの調整、私の出る幕じゃなかったからよ」

 

「なによ、拍子抜けしちゃうわね」

 

「とにかく、怪我ではなかったんだな」

 

「さすが、大物スね。私だったら試合に出られるだけでワクワクするスよ」

 

他の面々もホッとした面持ち。次いで芳乃が話す。

 

「春李ちゃんの代わりにレフトで出た子。私の姉なんですけど、本格的に野球をやるのは高校に上がってからが初めてなんで少しでも経験を積ませたかったんです」

 

芳乃の息吹は素人という言葉に大野と浅井が関心を見せる。

 

「ほう、彼女は素人だったのか。それにしては中々動きが様になっていたぞ」

 

「へぇ、野球経験が浅いくせにこの私の球に喰らいつくなんて、良いセンスしてるじゃない」

 

「大野さんが他の選手を褒めるなんて珍しいスよ。あの子に言っておいてほしいス」

 

「その言い方だとまるで私が自分のプレーに自惚れてるみたいじゃない」

 

そう言いながら大野は大島の両頬を引っ張り、浅井がなだめる。

 

ひ、ひはひフ~(い、いたいス~)

 

「まあまあ」

 

「それに私は秘密兵器(・・・・)だったからあの場面までどっしり構えてたのよ」

 

「い、痛かったス。それだから春李ちゃんあんな格好してたスね」

 

「そ、楽しんでくれたかしら?」

 

「楽しむも何も心臓が止まるかと思ったよ」

 

「私は甚だ遺憾よ」

 

「およよ?どして?」

 

「だって私だって天下の鱒川春李と対戦したかったわ!なんでこう朝倉ばっかり」

 

「いいじゃないの。あゆみんエースなんでしょ?公式戦で対戦する時を楽しみにしてるわ。それに・・・」

 

「?」

 

春李が浅井の方へ向き直る。

 

「かよちゃんとのコンビでかかってくるってなったら私もちょっと危ういかなぁ」

 

は、春李ちゃんが!

 

芳乃は驚くが声や表情には出さないようつとめた。

 

「わ、私か!?」

 

「他に誰がいるのよ?」

 

大野に続いて浅井もあだ名をつけて呼んだことで周りを取り囲む面々からざわめきが起こる。

 

「2打席目・・・」

 

「うん?」

 

「2打席目の最後の球。あの球が来ると頭で分かっていたのに対応できなかった。あれが君ならきっと打っていただろう。それに最終回、君には好き勝手やられてしまったし、はっきり言って私なんて大した選手じゃないと思うぞ」

 

「えーっとね、」

 

バツの悪そうな顔をする春李に芳乃が聞く。

 

「どうしたの春李ちゃん?」

 

「ごめん、私寝てたから2打席目とか見てないんだけど」

 

「あっ」

 

一同同時に「あっ」が揃った。

 

「だから立ち姿で分かるって言ったでしょ?現にあゆみんのピッチング1球も見てないし」

 

「そこは見てなさいよ」

 

「まあまあ」

 

今度は大島が大野を諫める。

 

「キャッチャーだから立ち姿ってよりは座り姿って言った方がいいかしら。あとサインの出し方とかも。あゆみんに相当鍛えられたんじゃないかしら?」

 

「ああ、今の私があるのは彩優美のおかげだ」

 

「花代子・・・」

 

「大野さん赤くなってるス~」

 

「赤くなんてなってない~」

 

大野は照れ隠しに再び大島の頬を引っ張った。

 

ひはひフ~(いたいス~)あふぁいふぁん(あさいさん)たふへへふらはい~(たすけてください~)

 

「ふふっ、今のは大島が悪いぞ」

 

浅井がクスりと笑った。

 

「あ、かよちゃんようやく笑った。やっぱり思った通りかよちゃんは笑った顔が似合ってるわ」

 

「な、何を言うんだ!?」

 

「ふふ、照れてる」

 

「春李ちゃんってやっぱり凄い」

 

芳乃は他校の上級生相手に対等に話す春李に凄みを感じ取っていた。

 

「なにがかは聞かないでおいてあげるわ、それと・・・」

 

春李が再び大野たちの方を向きながら話す。

 

「かよちゃん、『あの球』が来るの分かってて対応できなかったって言ったけどあのバッテリーは特別よ。再来年には今の2人を超えるバッテリーになるはずよ」

 

「あら、大きく出たわね。でも確かにあの子の球は凄かったわ。これは認めてあげる。でも、キャッチャーの子が花代子みたいになるのは想像できないわ」

 

「いや現時点でもあのキャッチングやスローイングの技術は流石と言わざるおえない。大きな怪我が無ければ素晴らしいキャッチャーになると思うよ」

 

「花代子、私が言いたいのはね。花代子みたいな4番打って違和感のない打てるキャッチャーになれるか?ってことよ。あの子3番だったけど見るからに打ちまくるタイプには見えなかったじゃない」

 

「確かに山崎は美南の時、中二の頃はレギュラー張って県代表の正捕手にもなってたスけど3年になると打てるキャッチャーにレギュラー取られてたからお世辞にも浅井さんみたいになるのは想像つかないス」

 

「でも、私は珠姫ちゃんを使うべきだと思ってました」

 

「芳乃・・・」

 

「それは同感ス、キャッチャーが山崎から変わって美南はダメになったス」

 

「へぇ、私だけじゃなくてみんなもヨミばっかりじゃなくて珠姫のことも見てるのね」

 

「だって春李ちゃんあんなプレーしてその凄さが分からないとか節穴・・・そうか春李ちゃんは試合中殆ど寝てたスね」

 

「バッテリーだけじゃないわ、他にも気になるのが何人か、特にあの中村なんて何者よ?」

 

「希も確かに良い選手よ、良い選手だけど・・・」

 

「だけど?」

 

「私の方が凄いじゃない」

 

「それは、また練習試合か公式戦で当たった時にスタメンで出た時に見せてくれれば」

 

「まぁ、その時は私が抑えるわよ」

 

「それにしても良いチームね。あゆみんにかよちゃん、ちかちゃんに留々、良い立ち姿の選手が4人もいて」

 

「当たり前のように朝倉のこともあだ名で呼ぶのね・・・」

 

「あの直球()大したものよ。直球()

 

「分かってるさ、帰ったら特訓だ」

 

「あ!帰る前にちょっと待って!」

 

「なによ」

 

「私の事なんだけど、秘密にしておいて欲しいの。ブログとかSNSで書かないで」

 

「どうしたんだ」

 

「もうしばらく、この野球にだけ集中できる環境でいたいのよ」

 

「そういえばいつもの番記者さんたち居ないスね」

 

「ば、番記者!?」

 

大島の一言に柳大川越の面々だけではなく芳乃も驚く。

 

「あいつらにも休みを与えないとね」

 

「は、春李ちゃん番記者って・・・」

 

「芳乃なら知ってたと思ってたんだけど、私クラスになればスポーツ紙や野球雑誌の番記者が何人もいるものよ。そいつらに新越谷に進学したこと隠してんの」

 

「分かったわ、柳大川越野球部主将のこの私が責任をもって箝口令を敷くわ。あんたたち、分かったわね?」

 

「はい!」

 

輪を作って取り囲んでいた柳大川越の選手たちが一斉に返事をする。

 

「あゆみんがキャプテンだったんだ。勝手にかよちゃんだと思ってた」

 

「何か不満でも」

 

「今のやり取り見れば何も」

 

「さぁ、みんな帰るわよ。準備しなさい」

 

「はい!」

 

柳大川越の選手たちの大移動が始まり芳乃と春李がその場に残る。

 

「春李ちゃん」

 

「どした?」

 

「この後、(うち)に来て欲しいんだけど」

 

「あら、今度は近くのハンバーガー屋じゃないのね。わかったわ」



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第11球

初の対外試合を終えた春李、ヨミ、珠姫の3人は芳乃と息吹に招かれ、2人の家で反省会を行う運びとなった。

 

「おじゃましま~す」

 

「邪魔するわ」

 

「川口家!近くていいなぁ」

 

「同感、私の家東京だから遠いのよ」

 

「飲み物取ってくるね。私の部屋、散らかってるから反省会は息吹ちゃんの部屋ね」

 

「私の分は持参してるからお構いなく」

 

「春李ちゃんその水筒、何入ってるの?」

 

「プロテインは飲まないようにしてるんだったよね。ジュースか何か?」

 

「これ?これ豆乳よ」

 

「と、豆乳!?」

 

ヨミと珠姫が同時に驚く。

 

「豆乳ってあまり美味しくないイメージが・・・」

 

2人が意外な飲み物に驚いていると息吹が補足を始めた。

 

「そうでもないわ、私も芳乃に勧められてたまに飲むけど最近のは結構美味しいわよ」

 

「そう、作る技術が上がってるの。それにヨミは『ジュースか何か?』って聞いたけど、ジュースだったら果汁100%のものを優先しないとね」

 

「それにしても意外ね、春李ってそういうの気にしなさそうなイメージだったわ。こっちよ」

 

「しっつれいしちゃうわね。全国の高校生の中で私が誰よりも飲食のこと気にしてるわよ」

 

「この前、芳乃と希と一緒にファストフードで練習メニュー考えた時にアメリカンサイズのハンバーガーを3つも食べておいてよく言うわ」

 

春李と息吹がやり取りしていると、ヨミが芳乃の部屋を発見する。

 

「あっちは芳乃ちゃんの部屋か」

 

「ちょっと、ヨミちゃん!」

 

「ちょっとだけ・・・」

 

「あ、私も気になる」

 

「春李ちゃんまで・・・」

 

珠姫が止めるも2人は芳乃の部屋へ。

 

「これはこれは・・・」

 

「すごい・・・ん?」

 

「どしたの?」

 

「あれ・・・まさか私じゃないよね」

 

「もしかしなくてもヨm・・・あれ?」

 

春李も『あるもの』を発見するが・・・

 

「人の部屋勝手に見ちゃダメだよぉ」

 

「ごめんつい・・・」

 

「そんな悪い子にはお仕置きとして・・・」

 

「試合後のマッサージしてあげよっか」

 

「いいの?ご褒美では・・・」

 

「私は嫌よ。専属のマッサージ師やトレーナーとか以外には自分の身体触られたくないわ」

 

「そんなこと言わないで。その春李ちゃんの専属のマッサージ師さんに色々教えてもらってるから」

 

「最近2人で何かやってると思ったらそんなことしてたのね」

 

「だから得意なんだ~。ねっ息吹ちゃん」

 

「そうね・・・」

 

芳乃のマッサージ、確かに最近上手くなってるけど痛いのは変わりないのよね・・・

 

ここまで沈黙を守っていた珠姫が春李に疑問をぶつける。

 

「ねぇ春李ちゃん」

 

「ん?なに?」

 

「前から気になってたんだけど、春李ちゃんてマッサージ師さんとかトレーナーとか、春李ちゃん専属の人って何人いるの?」

 

「私も知りたい!」

 

「えーっと今はね・・・マッサージ師でしょ、トレーナーでしょ、栄養士ってとこかな」

 

「メジャーの一流選手みたい・・・」

 

「私くらいになれば当然よ。あと、掛かりつけのスポーツドクター、整体師、鍼灸師もいるわ」

 

「本当、至れり尽くせりなのね」

 

「でもそれにコミットした成績も残さないとね。まぁ私ならわけないわ。あ、そうだ」

 

「何?」

 

「今度掛かりつけのスポーツドクター、整体師、鍼灸師を紹介してあげようかしら」

 

「本当!?春李ちゃんの掛かりつけなら腕は確かだよ!今度藤井先生と話してみるね」

 

「3人とも出張もやってるから新越谷(ウチ)に来てもらってってのも出来るわよ」

 

「私、ハリはちょっと・・・」

 

珠姫が申し訳なさそうに切り出す。

 

「タマちゃん?」

 

「だって・・・なんだか痛そう」

 

「ふふっ、珠姫って意外と子供なトコあんのね。安心しなさいそんなぶっといの打つわけないじゃない」

 

「それでもちょっと勇気いるよ」

 

「そうよね・・・身体に良いって言われても、身体にハリ刺すのよね・・・」

 

「珠姫も息吹もちょっと構え過ぎよ。確かに若い人だけど、とても腕のいい先生よ」

 

「それはそうだけど・・・」

 

「あっでも」

 

息吹があることが懸念されることに気付いた。

 

「どしたの?」

 

「・・・あっ」

 

芳乃もその懸念事項に気付く。

 

「学校が認めるかどうかよ。ほら、新越谷(ウチ)は不祥事から明けたばかりじゃない」

 

「そうだね・・・いきなりそんな贅沢は許されないかも」

 

「えー、楽しみにしてたんだけどなー」

 

「そのことなら私が話を通しておいてあげる。私の掛かりつけなんだし、最低でもスポーツドクターは認めさせるわ」

 

「スポーツドクターは多分大丈夫だと思うよ。生徒の健康に関わるから認めてくれると思う」

 

「珠姫のいた美南も掛かりつけのスポーツドクターぐらいいたでしょ?」

 

「うん、特にキャッチャーは怪我や故障の絶えないポジションだからその時の先生には物凄くお世話になった」

 

「はい、じゃあスポーツドクター、整体師、鍼灸師を紹介する!決定!」

 

「よし、じゃあ先にお風呂入ろうか!」

 

「うん」

 

「みんなで入りましょう」

 

「春李ちゃん・・・」

 

「そんなに大きくないわよ」

 

「ごめん、自分ちの基準で言っちゃった」

 

「流石鱒川家、春李ちゃんちにもいってみたいなぁ」

 

「タオルとかシャツとかここに置いとくね」

 

「ありがと~」



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第12球

ヨミの入浴中、4人は一足早く反省会を始めていた。

 

「勝てると思ったんだけどなぁ、まさか朝倉さんが出てくるとはね」

 

「ヤバかったわね」

 

「あの直球()私も認める所よ」

 

「まあ早めに見れてよかったよ」

 

「ねぇ、この白菊のセカンド内野安打だけど、どんな内容だったの?」

 

春李は試合中ほとんど寝ていたため、芳乃が書いたスコアブックと、ファインプレーなどスコアブックに書けない細かなプレーを書き記したノートを照らし合わせ、それでも分からない場面は3人に聞きながら自分が出場するまでの試合の流れを掴んでいった。

 

「バットの下側にかすった球がワンバウンドの高いフライになって、余裕の内野安打って感じかな」

 

「うんうん、じゃあ次の送りバントだけど丁度息吹もいるからやった息吹と外から見た意見が聞きたい。どんな球をどうバントしたのかやってみせて」

 

「この辺の球をこんな感じでしたわ」

 

息吹は立ち上がってジェスチャーでその場面を再現してみせ、珠姫が補足する。

 

「外から見ていても良いバントだったよ。ボールの勢いを上手く殺して転がしてたから」

 

「うん、ちゃんと膝も使えてるみたいだし、初めて試合に出たにしては中々じゃない」

 

「やった!春李に褒められた」

 

「よかったね、息吹ちゃん」

 

「まぁ、私ならセーフティ気味にやって一塁も生きてるけどね」

 

「一言余計なのよ」

 

「春李ちゃんって、他人(ひと)の事ちゃんと褒めたりできるんだね」

 

「しっつれいしちゃうわね、上手かったり良いプレーは良いってちゃんと言うようにしてるわよ。ただ私の方が凄いだけよ」

 

「それが鼻につくのよ。ねぇ春李」

 

座り直した息吹が春李に聞く。

 

「どしたの?」

 

「これいつまでやるの?いい加減疲れたんだけど」

 

息吹は真似(コピー)が上手であることから春李が気になったプレーを新越谷、柳大川越関係なく真似させられていた。

 

「そうね、じゃあ本題に入ろうかしら。芳乃、珠姫」

 

そう言うと春李は真剣な面持ちで2人の方へ向き直る。

 

「2人にどうしても、聞きたいことがあるんだけど」

 

「何かな?」

 

「大分神妙な顔してどうしたのよ」

 

「2人は今の新越谷(このチーム)、どう見てる?」

 

春李の問いに芳乃が先に答える。

 

「どう見てるって、良いチームだと思うよ」

 

「私は・・・」

 

「私が聞きたいのはね、どこまで勝てると思ってるかなの。珠姫は思う所があるようね。でも芳乃から聞くわ。どう?」

 

「そうだね、現状の戦力だったら、今年は県ベスト4くらいじゃないかな」

 

「うんうん、どんなプロセスでかしら?」

 

「予選までみっちりと練習してクジ運も良かったらの話だよ」

 

「なるほど、珠姫はどうかしら?」

 

「私は・・・」

 

珠姫が気まずそうに重い口を開く。

 

「芳乃ちゃんほど良いとは思えない。芳乃ちゃんが言うようにみっちり練習してクジ運が良かったとしても良いトコベスト16くらいだと思う」

 

「うん、珠姫には根拠を聞こうかしら」

 

「根拠って、第一投手(ピッチャー)がヨミちゃんしかいないから乗り切れないと思う。攻撃も希ちゃんと主将、春李ちゃん頼りじゃまだ強い所には太刀打ちできない。その内、希ちゃんと主将は今日の試合、朝倉さんに力負けしてたからまだ良い投手相手には厳しい戦いが予想されると思う」

 

「よしよし、捕手(キャッチャー)が悲観的な意見をもってることは重要よ。もし芳乃より上に行けると思ってたら張っ倒してた所よ。ご褒美にハグしてあげる」

 

「そういうのいいから。やめて!」

 

「珠姫ちゃん、投手(ピッチャー)のことについては私に考えがあるからそこまで心配しないでいいよ。でもその時になったら協力して」

 

「わかった」

 

「じゃあもっと踏み込んだトコ聞きたいんだけど」

 

「?」

 

芳乃と珠姫が顔を見合わせる。

 

「来年再来年、希が言ったような全国に出場できるか?私が言ったように全国制覇できるか聞きたい」

 

ここで話し合いから外れていた息吹が割って入る。

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

「息吹には聞いてない」

 

「聞いてないってなによ!そういう大事な話は全員揃ってる時に話すとか、せめてこの場だったらヨミがお風呂からあがった時に話すもんでしょ!?」

 

「私の考えは違うわ、正直息吹にも外れててほしかったくらいよ」

 

「どういうことか説明しなさい」

 

「まあまあ息吹ちゃん」

 

芳乃が息吹をなだめる。

 

「良いわ、まずヨミ、希、稜の3人。この3人にはそんなこと気にしないでプレーでチームを引っ張っていてもらいたいから。次に怜ちゃんと理沙っち、2年生の2人は私たちとは残された時間の長さが違うし特に2人は背負っている過去のことも考えて外させてもらった。次に菫、菫は何事も考えて慎重に事を運ぶタイプに見えたから内野でも負担の大きい二塁手(セカンド)という事を考えたら目の前のワンプレーに集中してもらいたかったから。最後に息吹(アンタ)と白菊、2人はまだ素人に毛が生えた程度だから色々なものを背負わせたくなかった。どうかしら?」

 

「それで、どうして芳乃だけじゃなくて珠姫にまでソレを背負わせたの?」

 

「芳乃には当然チーム全体の状態を把握していてもらいたかったし、珠姫は捕手(キャッチャー)というポジション柄、チームを俯瞰したシビアな視点でいてほしかったから。分かったら大人しくしててもらえる?」

 

「・・・分かったわ」

 

「安心しなさい。別にのけ者にしようって訳じゃないから。さぁ、2人の意見を聞かせてもらおうかしら」




ちょっと不格好ですがここで一旦切ります。


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第13球

春李が芳乃と珠姫に問いかける。

 

「さぁ、2人の意見を聞かせてもらおうかしら?」

 

「私からでいい?」

 

珠姫が先に口を開き、春李が頷いた。芳乃は、プレイヤー目線の意見が聞けると息をのむ。

 

「はっきり言って全国制覇なんて無理、全国出場も出来ないと思う」

 

「どうしてかしら?」

 

「芳乃ちゃんは、投手(ピッチャー)のことはどうにかするって言ったけど、それでもやっぱり投手はヨミちゃん頼りになっちゃうと思う。これは芳乃ちゃんのいう『考え』でどうにかなったり来年再来年、新入生で良い投手が入って来たとしてもエースがヨミちゃんじゃなくなるなんて想像できない」

 

「ふふっ、そこまでヨミのこと考えてんだ」

 

「べ、別に・・・でも今の高校野球、1人の絶対的エースだけじゃ勝ち進むことは厳しいと思う。2番手投手、欲を言えば1試合を2人か3人で乗り切れる3番手投手、4番手投手まで欲しい。そうでなきゃ、ヨミちゃんが絶対どこかでパンクしちゃう!」

 

「随分神妙な言い回しね、美南の時に何かあったのかしら?」

 

「中一の時、同級生に凄いピッチャーがいて、入ってからすぐに試合でバンバン投げてたんだけど、チームがその子に頼り過ぎて登板過多になって、それでひじを痛めちゃったの」

 

芳乃が話を付け足す。

 

「高校と違って、中学は成長期真っ只中の骨なんかもまだ弱い時期だからね」

 

「そう、それでその子、野球ひじになっちゃって・・・次の年には上級生の人にエース取られちゃって、野球もそのまま辞めることになっちゃったの」

 

捕手(キャッチャー)としてその子のこと、責任に感じてるんだね」

 

珠姫が深刻な顔で芳乃の手を握る。

 

「うん。だから芳乃ちゃんお願い、ヨミちゃんをその子の同じ轍を踏ませたくないの!中学と高校って違いはあるけど高校の方が公式戦の日程も段違いに厳しいから・・・だから、だから・・・」

 

「わかったよ、私に任せて。私もヨミちゃんにそんな辛い目に遭ってほしくないから」

 

「ちょっとちょっと、私にも任せなさいよ。言ったでしょ?私の掛かりつけ紹介するって。それに、私が打ってヨミに全試合全イニング全打者全球、全力で投げなくても良いように援護するわ」

 

「わ、私も及ばずながら力になるわ」

 

「芳乃ちゃん、息吹ちゃん、春李ちゃん・・・」

 

「さて、珠姫のヨミへの愛妻っぷりを聞けたところで・・・」

 

「ちょ、ちょっと春李ちゃん!?」

 

珠姫は一瞬で顔を真っ赤に染める。

 

「芳乃の来年再来年このチームが全国で戦えるかって意見を聞きたいんだけど」

 

「そうだね、希ちゃんにも言ったけど今でも私の意見は変わらないよ。そんな先のことはわかんない」

 

「でも、まだタラタラ身体動かしてるだけで私もいなかったあの時と違って、その『わかんない』の中身は違うんじゃないかしら?」

 

「うん、本格的な練習や今日の試合をみて、今の新越谷(このチーム)の強みはセンターラインがしっかりしている所、特に捕手の珠姫ちゃん、二塁手(セカンド)の菫ちゃん、遊撃手(ショート)の稜ちゃんの3人が1年で大きな怪我がない限り3年間固定で戦えるのが大きいと思う。あえて来年再来年のことを言うんだったら来年の秋以降、主将が引退した後の中堅手(センター)かな」

 

中堅手問題を聞き息吹が3人に疑問を投げかける。

 

「中堅手って、その時になったら春李がやればいいんじゃないの?」

 

その問いに先に反応したのは珠姫だった。

 

「うーん、それは・・・どうかな?」

 

珠姫は春李の顔を仰ぎながら唸る。春李は若干困ったような顔で微笑む。芳乃が次いで話す。

 

「私としては、春李ちゃんには中堅手よりも左翼手(レフト)のままでいてほしいかな」

 

「どうしてよ?普段の練習や今日の試合を見る限り、春李の力は中堅手向きなんじゃないかしら?」

 

「確かに春李ちゃんの守備範囲は『地球の70%は水、残りの30%は春李ちゃんの守備範囲』って言われるぐらいだけど・・・」

 

「でしょ?それに芳乃が前言ったような5ツールプレイヤーだっけ?だったら、外野なら中堅手か右翼手(ライト)を守るべきだと思うわ」

 

この息吹の言葉に春李の表情から笑顔が消える。

 

「息吹、それは左翼手の地位が中堅手、右翼手と比べて劣ってるって取っていいのかしら?」

 

「は、春李ちゃん!?抑えて抑えて!」

 

「息吹ちゃん謝って!」

 

「だ、だって、私もプロの試合観ることがあるけど、左翼手って中堅手と右翼手と比べて打撃優先って感じだし、守備力が落ちたベテランが守ったりするイメージがあるわ」

 

その言葉に春李は呆れながら更に語気を強める。

 

「ハァ・・・息吹、同じ外野を守る者として私は左翼手というポジションを誇りを持って守っているわ。だから言うわ、左翼手舐めないでっ!!」

 

「春李ちゃん、そのへんにしてあげて」

 

「ごめん、息吹ちゃんはまだ経験が浅いからポジションごとの大変さとかにまだ達してないんだよ」

 

「わ、悪かったわ。ごめん」

 

「この前怜ちゃんにも言われたわ。私が中堅手になって怜ちゃんが右翼手に回って息吹と白菊には左翼手を任せた方が良いんじゃないかって。しっつれいしちゃうわ」

 

芳乃が若干困り顔で話しだす。

 

「確かに、そういった意味じゃ世間もみんなも、まだ春李ちゃんの本当の凄さを理解していないのかも」



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第14球

「そういった意味じゃ世間もみんなも、まだ春李ちゃんの本当の凄さを理解していないのかもね」

 

「あら、その言い方じゃまるで芳乃は私の強みを理解してるって言い回しね。聞かせてもらおうかしら。ついでに珠姫にも」

 

「わ、私!?」

 

「キャッチャーの珠姫が私のことどう思ってるか、とても気になるわ」

 

「私から見た春李ちゃん・・・そもそも春李ちゃん中学時代に野球雑誌で『私の一番の武器はスピード』って書いてあるの見たからやっぱりスピードなのかな。キャッチャーとして対戦するってなったらクリーンヒットやホームラン打たれるよりも、セーフティバントや内野安打なんかでかき回される方が厄介だと思う。一緒に守るってなった時もやっぱり春李ちゃんのスピードを活かした守備範囲の広さは守りの組み立てが楽になるかな」

 

「さすがは珠姫ね、バッターとしてよりもランナーとして見てくれてるところが良いわ」

 

「バッターとして見てない訳じゃないよ。やっぱりバッティング練習とかでキャッチャーやらせてもらったけど本当に穴という穴がないんだもん。場面によっては厄介だけどセーフティしてもらったり内野安打だったりで儲けものって考えなきゃいけないと思う」

 

「それは買い被り過ぎ、私のような規格外の天才だって凡庸なピッチャー相手にノーヒットに終わる事はあるわ。さて、次は芳乃。褒めて褒めて!」

 

「生き生きとしてるわね」

 

「だって褒められるって分かってるのよ」

 

「春李が自分から聞きたいって言ったんじゃない。もう」

 

「私が春李ちゃんの一番の強みだと思う所は守備だよ」

 

その一言に春李は関心と少しの驚きをもつ。

 

「ほうほう、私、守備は2番目に得意だと思ってるんだけど」

 

「最低でも、私はバッティングと走塁よりも守備が凄いと思う」

 

「どんなところが凄いと思ったのかしら?芳乃のことだから漠然と守備範囲が広いとか肩が強いとかだけじゃないと思うけど」

 

春李は息吹に目をやりながらそう言った。

 

「悪かったわね。漠然とした凄さしか分からなくて」

 

「いいのいいの。それも持ち味だけどでも永久的な持ち物じゃないから」

 

「確かに足の速さと肩の強さっていった身体能力的な面はいつか衰えていくものでもあるからね。私が春李ちゃんの守備で凄いと思ったのはね」

 

「うんうん」

 

春李は爛々とした目で芳乃のほうに身を乗り出す。

 

「もう、春李ちゃん・・・」

 

「『サードの後ろにもう一人サードがいるようなもの』、『鱒川春李のグラブの中でツーベースが死を迎える』って言われた打球への対応能力!」

 

「ほほう・・・それ確か、大分小さかった記事のはずよ?」

 

「うん、でも去年のU-15を観た時に時に、普通ならツーベースになる当たりを、外野のフェンスに当たった打球がどう跳ね返ってくるかピタリと先読みしてシングルヒットに抑えたプレーを何度もやってのを観て、やっぱり同じ世代の選手とは思えないなぁって思った」

 

「さすが芳乃、見落としがちなプレーなのによくみてるわ。でも、私の守備におけるモットーとは、ちょーっと違うのよね」

 

3人とも興味が湧く、珠姫が質問する。

 

「それだけでもキャッチャーとしては助かるんだけど、春李ちゃんの守備のモットーってどんなことなの?」

 

次いで芳乃が。

 

「気になる気になる!」

 

最後に息吹も。

 

「同じ外野を練習してるから参考にしたいわ。教えて」

 

「私の守備のモットー、それはね・・・」

 

「ごくり・・・」

 

三人とも生唾を飲んだ。

 

「いかにクッションボールを正確に処理するかより、いかにクッションに入れないかってことよ」

 

「クッションに入れない?」

 

三人の声がハモる。

 

「そう、だからバッターのスイングから打球の方向を見極めて、常に最短距離で走ることを心掛けているわ」

 

「さ、参考にできないかも・・・」

 

「息吹ならもっと経験を積んでレベルアップしていけば出来るようになると思うわよ」

 

「本当!」

 

息吹ではなく芳乃のほうが嬉しそうに答えた。

 

「ええ、普段の練習の動きから大分様になってきてるから、いけるんじゃないかしら?短期間でここまで上達するなんて上々上々」

 

「やった」

 

春李が三人の方を改めて向き直り、微笑みながら言った。

 

「ホントに、このチームは良いチームね」

 

「あっ、話が逸れたけど春李の意見を聞いてないじゃない」

 

「なんのことかしら?」

 

「このチームが来年再来年全国行けるかって話よ。芳乃と珠姫に聞くだけじゃ不公平だと思うわ」

 

「確かに・・・」

 

「春李ちゃんの考え、聞きたい!」

 

「それもそうね。私の意見はね・・・」

 

「ごくり・・・」

 

再び三人が生唾を飲む。

 

「残念だけど全国制覇出来ない。全国大会出場も出来ないわ」

 

「えっ」

 

春李に言葉に三人の声が重なる。

 

「ちょっと、それどういうことよ!」

 

「い、息吹ちゃん」

 

「だって、春李から全国制覇を目指しなさいって言っておきながら、その春李が無理だってどういうことなのよ!説明しなさい!」

 

「わかったわかった。そう興奮しなさんな」




この話を書いたのはこのようなプレーの描写を書く場面が無いような気がしたからです。機会があれば書きたいです。


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第15球

「そう興奮しなさんな。私にもみなまで言わせなさい」

 

「分かったわ。聞かせてもらおうじゃない」

 

思わず立ち上がった息吹は座り直し、芳乃と珠姫は互いに顔を見合わせながら春李の話を聞く。

 

「でも、私の言いたいことは大体二人が言ってくれたかな。このチームの強みとしてはセンターラインが固まっているとこ、弱みはピッチャーがヨミ1人だけなとこ。そんでもって、私から付け加えるとしたら・・・」

 

「付け加えるとしたら・・・」

 

三度三人一緒に生唾を飲む。

 

「強みには攻撃陣のバランスが取れている所を上げたいわ」

 

「攻撃陣のバランス?」

 

「でも、私はまだまだだと思うけど」

 

「私もそう思う、でも珠姫は私と希と怜ちゃんだけっていってたけど他のメンツもなかなかいいセンスしてるわよ?特に息吹なんか・・・」

 

「私!?」

 

「ええ、バッティングは元のセンスが無いといくら努力しても無駄、が私の持論だけど初実戦で結構ファウルで粘ってたそうじゃない。それにバントが決められるのは良いバッターになる条件の一つよ」

 

「じゃあ!」

 

「私ほどじゃないけど、元のセンスから考えれば努力次第じゃ将来は希と張れるくらいのバッターになれると思うわ」

 

「あ、ありがとう・・・」

 

「でも意外だな。私、春李ちゃんは攻撃面についてはもっとシビアな意見かと思ってた」

 

「私も、でもバッティングはセンスっていうのは春李ちゃんらしいかな」

 

「希と怜ちゃんは勿論今の時点でも良いバッターだけど、珠姫と菫の状況に応じた堅実なバッティングは自分の打力をわきまえていて中々だし、稜のイケイケと白菊の強打もツボにハマればかなりの破壊力、理沙っちも下位は打っているけど隠れた実力者とみていいわ、さっき言った通り息吹のセンスは磨けば攻撃の起点にもポイントゲッターにもなれる。ヨミはピッチャーだからバッティングは二の次ってことで、みんな高校1年、2年なのにそれぞれ自分に合ったバッティングの方向性を見つけられているからもしかしたら私抜きだったと仮定してもそれなりに戦えるチームになってるんじゃないかしら?」

 

「それはちょっと買い被り過ぎじゃないかしら?」

 

「あら?私こういう時はお世辞を言わない主義よ」

 

春李は素っ頓狂な声で答えた。

 

「でも全国は厳しいんだよね?どうして?」

 

それも冷めぬうち、神妙な面持ちに表情が変わる。

 

「そう、それが私がこのチームが全国に遠い一番の理由。まだ足りてないのよ」

 

「足りてないって、何が?」

 

「言い出したらキリがないわ。暴力沙汰が明けたばかりだから練習がまだユルいのは当然だけど、全国行きたいんなら適度のシゴキがあってしかるべきだし・・・」

 

「ひぃ」

 

「適度のよ、適度の。それに、練習見てて思うけどセンターラインが固まっているけどまだ一歩目と球際に甘いのよ」

 

「それ、私も思った。春李ちゃんは寝てたから見てないけど、柳大川越は守備位置もカバーリングも良かったし、最初の一歩目も速かったから良い当たりが結構アウトになっていたよ」

 

「さすが、珠姫ちゃんもよく試合がみれてる」

 

芳乃は選手の中でもそのことを理解しているメンバーがいることに嬉しさを感じた。

 

「そうだったの・・・私としては菫と稜には一層のレベルアップを求めたい所よ。特に菫、堅実な守備を可能にするのは一歩目の速さとカバーリングよ」

 

「春李って、バッティングよりも守備のほうがこだわっているのかしら」

 

「あら、全てのプレーにこだわりを持って取り組んでいるつもりよ。ただ守備はバッティングよりも努力や積み重ねのレートが高いと思ってるだけ。野球に終わりはないけど特に守備における努力が占める割合は高いと思ってるわ。私の意見は以上よ。それで、芳乃には聞いておきたいことがもう一つあるんだけど」

 

「何かな?」

 

「今日の試合で私以外みんな課題があがったと思うけど、夏に向けて何から潰していくつもりかしら?」

 

「私にも聞かせて」

 

「私も聞きたいわ」

 

「今守備のこと言ったばかりだけど、今日の結果を踏まえて5月は打撃練習を少し増やそうと思ってるよ」

 

「できればこれからは毎週末練習試合を組みたいわね。できればレベルの高い所と」

 

「じ、自信なくしそう・・・」

 

「まだそこまでの努力はしてないじゃない。過信は早めに砕かれるべきよ、己を知ることで必要な時に実力以上の力を発揮することが出来るってもんよ」

 

「春李ちゃんが言うと説得力があるね」

 

「でしょ?私、来年再来年のために今年の夏は捨てて秋の新人戦、秋季大会から気い入れるくらいでもいいと思ってるわよ」

 

「それはさすがにやり過ぎだと思うよ。このメンバーのまま今年も来年も戦えるのが今の新越谷(ウチ)の強みだと思うから、夏から勝ちを取りに行こうと考えてる」

 

「あまり分に合わない勝利を重ねることも過信に繋がるわ、その辺の手綱さばきは任せたわよ」

 

「うん、任せて!」

 

「それで、練習試合の事だけど・・・うーん・・・」

 

春李は腕を組み困った顔をする。

 

「どうしたの?」

 

「練習試合の相手探す時、私の名前使っても良いよ」

 

「確かに、春李の名前使えば大抵の名門が受けてくれそうね・・・」

 

「そうだね、でもやんないよ。春李ちゃんがうーんって言ってたのって番記者さんのことでしょ?」

 

芳乃の一言に息吹と珠姫が同時に声を上げる。

 

「番記者ぁ!?」

 

「っさいなぁもぉ」

 

「春李ちゃんには、スポーツ紙や野球雑誌に春李ちゃん番の記者さんが何人もいて、今はその人たちに新越谷に進学したこと隠してるんだって」

 

「どうしてよ?」「どうして?」

 

「今の野球にだけ集中できる環境のまましばらくいたいんだって。春李ちゃん安心して、練習試合の事は私と藤井先生に考えがあるから。それで、またお願いがあるんだけど・・・」

 

「なにかしら?」

 

「その練習試合の間、春李ちゃんには今日みたいに控えでいてもらいたいんだ。もっとみんな経験を積ませないと」

 

「よく今日一試合もったものよね。分かったわ、でも私も終盤代打か守備固めで出番頂戴、さすがに何試合も出ないと勝負勘がなまるわ」

 

「うん分かった」

 

そこへ風呂から上がったヨミが戻ってきた。

 

「ふぃ~、いいお湯でした」



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第16球

風呂から上がったヨミが四人が今の今まで話し込んでいた息吹の部屋に戻ってきた。

 

「ふぃ~、いいお湯でした」

 

「顔赤っ」

 

「ヨミには入る前に、ぬるめのお湯で長湯するようにこっそり言ったからね」

 

その意外な進言のもとに珠姫が反応する。

 

「そうなの?」

 

「そうだよ」

 

「こういう時カラスの行水は怪我の元になりかねないわ。といっても、芳乃がお湯張ってくれたんなら最初からぬるめだったんでしょ?」

 

春李が芳乃の方を向きながら尋ねる。

 

「そうだよ、試合後のお風呂はぬるいお湯で長湯が鉄則」

 

そう言いながら芳乃はヨミに寝転ぶようジェスチャーで促す。

 

「柔らかくていいねぇ、故障もしにくいし。球速も上がると思うよ」

 

「ほんと?やったー」

 

「珠姫ちゃん、今日のヨミちゃんどうだった?」

 

一瞬、ヨミちゃんじゃなくて私に聞くの?と思った珠姫だったが冷静にヨミのピッチングを回想する。春李は再びスコアブックとノートに目を通す。

 

「4回の1点は余計だったね。あの球要求したのにただのカーブがくるし」

 

「アイタッ」

 

息吹の心配していた、『痛い』マッサージが始まる。

 

「序盤は好投してるように見えたけど、追い込んでからのあの球はイマイチだった」

 

「アイタタッ」

 

芳乃の『痛い』マッサージは続く。

 

「私が振り逃げでも許すと思ってたのかな。でも、終盤は良かったかな。あのままずっと受けていたかった」

 

マッサージの仕上げに芳乃と息吹から両肩を揉まれるヨミ。珠姫へと目をやると珠姫は恥ずかしそうに飲み物をすする。その脇で春李が不思議そうな表情で四人を見つめている。

 

「はいっできたよ!」

 

「すごい!軽くなった!さっそく投球練習しよう!」

 

「今日はだめだめだよ!それに、春李ちゃんのマッサージも残ってるし」

 

「ねぇ、ほんっとに私もアレ受けなきゃだめ?」

 

「だぁめ」

 

芳乃が屈託のない笑顔で答える。

 

「う~ん、わかった!その笑顔に免じて受けてあげよう!」

 

「ありがとう!」

 

「タマちゃんも受けたいよね」

 

「うん、ちょっとだけなら・・・」

 

「仕方ないなあ、10球だけだよぉ。ハイ、ボール」

 

「終わったら素振り500回ね。みんな無安打(ノーヒット)だし、その間ご飯作って春李ちゃんのマッサージやってるね」

 

「私は芳乃を手伝うわ。私は打ったしいいでしょ?」

 

「春李ちゃん料理できるの?」

 

「ちょっとくらいなら、普段はメイドさんにやってもらってるけどこういう時は自分の身体に入るものは自分で作らなきゃ」

 

「メイドまでいるとは流石鱒川家・・・」

 

「500・・・」

 

まあ毎日やってるけど・・・

 

苦い顔をしている珠姫と息吹に向けて春李が言った。

 

「私は毎朝500、毎晩1000振ってるわよ」

 

「せ、1500!?」

 

「さすが春李ね・・・」

 

近くの公園に五人が集まりヨミの10球だけの投球練習が終わるとヨミ、珠姫、息吹の三人は素振りを始め、春李と芳乃は料理とマッサージのため川口家へ戻った。

 

それは、料理中の事であった。

 

「ねえ、芳乃」

 

「なに?あっ、そこの棚にお塩入ってるから取ってもらっていい?」

 

「はい、これね。ヨミのことなんだけど・・・」

 

「ごめん、これお砂糖。お塩は隣の青いフタだよ」

 

「悪いのはこっちよ、これね」

 

「そうそう。で、なんだっけ?」

 

「ヨミのことなんだけど」

 

「ヨミちゃんが、どうかしたの?」

 

「昔、野球で何かあったの?」

 

その一言に芳乃が固まる。

 

「えっ?そ、それは・・・」

 

「だってさっき珠姫が『あの球要求したのにただのカーブがくるし』とか、『私が振り逃げでも許すと思ってたのかな』とか言ってたじゃない?」

 

春李が珠姫の声真似をしながらそう言うと、芳乃は静かに鍋に目を落とした。

 

「普段の二人の関係性を考えたら、ヨミは珠姫に全幅の信頼を置いてただミット目掛けて投げそうだと思ったけど・・・」

 

芳乃が自らの考察を交えながらその重い口を開いた。

 

「ヨミちゃんの『あの球』・・・春李ちゃんから見ても凄いんだよね?」

 

「?、ええ、ヨミの『あの球』はこの私の目から見ても一級品よ」

 

「ずっとトップでやってきた春李ちゃんには縁が薄いと思うけど、野球って一人じゃできないから」

 

「しっつれいしちゃうわね。さっきの話聞いてなかったのかしら?私だってチームのこと考えてるわ」

 

「そういうことじゃなくてね・・・野球をやるっていっても色々な野球があるから・・・」

 

そこまで芳乃が言うと春李がしびれを切らす。

 

「もう!どういうことかはっきり説明しなさい」

 

「私も詳しいことは聞いてないんだけどね、ヨミちゃんのいたチームっていつも1回戦負けで、多分チームの雰囲気も・・・」

 

芳乃がそう言うと春李はある程度話を理解した。

 

「ははぁん、なぁるほど。部活って形だけの草野球同好会で『あの球』捕ってくれるキャッチャーいなかったって訳ね?」

 

「本当に詳しくは聞いてないんだよ。だってもしそうだったらヨミちゃんに辛いこと思い出させることになりそうだから・・・」

 

「分かったわ。じゃあ、私もヨミに詳しいこと問いただすのはやめるわ」

 

そう言うと二人の間に沈黙が流れ、目の前の鍋やフライパンを見つめるだけの時間がしばらくすぎる。

 

「私も、」



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第17球

先に沈黙を破ったのは春李であった。

 

「私も・・・」

 

「春李ちゃん?」

 

「私も、ヨミの気持ち、分からないわけじゃないわ」

 

「でも春李ちゃん、いつもトップでやってたんじゃ・・・」

 

「完全に分かるってわけじゃないわ。ただ、チームの中で孤立するってのがね」

 

「そっか・・・詳しい話、はヨミちゃんに聞かなかったんだから春李ちゃんにも聞かないでおく」

 

「そうしてくれると助かるわ。その時が来たら私から話すつもりよ」

 

「分かった。さて!お待ちかねのマッサージの時間だよ!向こうに行こう」

 

「別に待ってないんだけど・・・」

 

二人はそのままキッチンからリビングのソファへ移動した。

 

「ささ、横になって」

 

「私はソファなのね・・・まあ、いいわ」

 

芳乃のマッサージが始まる。

 

「春李ちゃんの身体も柔らかいね。さすがだよ」

 

「持って生まれたものを大切にしてるだけよ」

 

しかし芳乃には疑問に思う所があった。

 

「でも、下半身に比べて上半身が小さいね。ちょっと筋力トレーニングの割合を増やした方が良いと思うよ」

 

芳乃がそう言うと春李は少しムッとした表情で答える。

 

「私、筋力トレーニングって嫌い、っていうか野球選手には必要ないと思ってるんだけど」

 

「それは極論だよ。バランスの悪い身体は故障の原因になっちゃうよ」

 

「大丈夫よ。私は身体の大きさよりも柔らかさを求めてるから無理して怪我するようなやわな身体じゃないわ」

 

「それなら、柔軟さを保ったまま身体を大きくする方法もあるはずだからやってみよう?」

 

「確かにあると思うけど量を増やすことに問題があるって言いたいのよ」

 

「どうして?」

 

「身体を大きくすると、それに比例して重量も増えるじゃない?」

 

「うん」

 

「増えた分の重さでヒザや足首、他の足腰に負担がかかって私の最大のセールスポイントであるスピードを失いたくないのよ」

 

「私は今マッサージして、春李ちゃんにはもっと上の選手になれる伸びしろがあるって感じたよ。ねぇ、挑戦してみよう?」

 

「挑戦ね・・・分かったわ、やってみようじゃない。でも・・・」

 

「何かな?」

 

「夏が終わるまで待ってほしい、急に始めるとそれこそ身体を壊す原因よ。それに野球選手なんだから体を鍛えるんなら野球のプレーでにしたいわ」

 

「分かった。じゃあそれまでに春李ちゃんのレベルアップ計画を建てておくよ」

 

「芳乃のこと、信用するわよ。あそうだ、聞きたいことがあるんだけど」

 

ふと、春李は先程芳乃の部屋で見た『あるもの』のことを聞くことにした。

 

「どうしたの?」

 

したのだが・・・

 

「さっき芳乃の部屋で見たんだけど、壁に私のサイ・・いったぁ!」

 

芳乃に思い切り『痛い』マッサージをされる。

 

「どうしたのかな?」

 

芳乃の声は冷たく、目はうつろである。

 

「よ、芳乃さん?怖いんですけd・・いったぁいいぃ!」

 

間髪入れずに春李の身体を強く揉む芳乃。

 

「ねえ、わざとよね!?これ絶対わざいったあいっ!」

 

「だってこれはお仕置きだよ?」

 

「そんなこと言ったって・・・」

 

「ただいまあ」

 

「芳乃、戻ったわよ」

 

ヨミ、珠姫、息吹の三人が500回の素振りを終えて帰ってくる。

 

「あっ、良い所に帰ってきた。息吹、芳乃を止めあいたあっ!」

 

「よ、芳乃?」

 

「芳乃ちゃ・・・さん?」

 

ヨミと珠姫はたじろぐ。

 

「三人ともおかえりー、素振り500回やってきたよね?」

 

芳乃は冷たい声とうつろな目のまま話す。

 

「は、はいいぃっ!」

 

三人の声が重なる。

 

「よかった。ご飯できてるからすぐに食べられるよ」

 

「わ、分かったわ。で、でも一旦部屋に、バット置かせて~っ!」

 

今の芳乃はダメ、二人とも一旦私の部屋に退避っ。

 

で、でも春李ちゃんが・・・

 

きっとああなったのも春李が悪いのよ!全部春李の自業自得だわっ!

 

「あっ、息吹待ってちょっと、私を見捨てないでぇ~」

 

「春李ちゃんはまだマッサージが残ってるよ」

 

「おーたーすーけーっ!」

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―

 

「いただきます」

 

五人そろってテーブルを囲む。

 

「もう、死ぬかと思ったわ」

 

「元はと言えば春李ちゃんが悪いよ。あ、このハヤシライス美味しい」

 

「カレー、ハヤシライス、ビーフシチュー、クリームシチューを4つに分けて盛り付けてみたのよ」

 

「ちょっと気をてらいすぎじゃないかしら?」

 

「面白いでしょ?それはそうと芳乃、どうしてサインのこと隠したのかしら?」

 

サインという言葉に芳乃と春李以外の三人の頭に?が浮かぶ。

 

「サインって・・・私が初めて芳乃ちゃんと息吹ちゃんに会った時に書いたやつのこと?」

 

最初に口を開いたのは珠姫だった。次いでヨミが口を開く。

 

「はむっ、タマちゃんの冷静に対応してたよね?もしかしてサインし慣れてた?」

 

「そ、そういうわけじゃ・・・はむっ」

 

「もきゅもきゅ、待ちなさいよ。なんで春李が珠姫のサインのこと知ってるのよ」

 

「そうよ、私が言ってるのは私のサインのことよ」

 

「春李ちゃんのサイン?」

 

「でも私が知る限り、芳乃が春李にサインねだったとこ、見たことないけど」

 

「はむ、そりゃそうよ。私、芳乃にサイン書いた覚えないんだから。覚えの無いものがどうしてあるのかしら?」



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第18球

「どうして覚えのないもの覚えのないところにあるのかしら?」

 

芳乃はすこし恥ずかしそうに答えた。

 

「あのサインね・・・ネットオークションで競り落としたの・・・」

 

ヨミが興味津々で聞く。

 

「へぇ、どれくらいしたの?はむ、もぐもぐ」

 

「えっとね(ピー)万円ちょっとだったの」

 

「す、凄い。さすが春李ちゃん。もぐもぐ」

 

そこで息吹がいぶかしげに芳乃に尋ねる。

 

「でも芳乃って、サインは本人から直接貰う主義よね?もきゅもきゅ」

 

「うん・・・だから部屋に入ってもらいたくなかったっていうのもある。はむっ」

 

春李は更に気になっていることがあるので芳乃にお願いする。

 

「でももしかしたらなんだけど。ねぇ芳乃、私のサイン持ってきてもらえない?あむっ」

 

「えっ?もしかして・・・」

 

「ええ、もしかしたら私の真筆じゃないかもしれない」

 

「す、すぐ持ってくる!」

 

芳乃は当て身を受けたように自分の部屋へ行った。

 

「春李ちゃんって、そんなにサイン書いてるの?」

 

「ええ、もちろn・・・」

 

春李が勿論と言いかけた所で芳乃がサインを手に戻ってきた。

 

「はぁ、はぁ、持ってきたよ。」

 

「ありがと、うーん・・・えーっとねぇ・・・これは」

 

春李が芳乃の持っていたサインをまじまじと鑑定する。

 

「ごめん、ちょっと分かんない。私が書いたものかもしれないし他人が似せて書いたものかもしれない」

 

「違う所があるの?はむっもぐもぐ」

 

「ちょっと細かい所が違うんだけど、私が書く誤差の範囲程度なのよね」

 

「もきゅもきゅ。どうせなら今書いてもらえばいいじゃない」

 

「私は良いわよ。てかどうせならさっき言ってくれたら舞と連名で書けたじゃない」

 

「舞ちゃんのサインはさっきの時にもらってあるよ。あと書いてもらったのはね、大野さんと朝倉さんと大島さんだよ」

 

「あら、留々も格が上がったわね」

 

「春李ちゃんの話を聞いたら、是非もらっておきたくなった!」

 

芳乃のおさげがピコピコと動く。

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―

 

「ごちそうさまでした」

 

五人同時に手を合わせる。

 

「さて、じゃあ洗い物の前にサイン書いてあげましょうか」

 

「いいの!?ありがとう」

 

芳乃はどこからともなく色紙とペンを春李に渡す。

 

「手品師?」

 

ヨミと珠姫の声が重なり息吹が答える。

 

「深く考えたら負けよ」

 

その間に春李はサラサラとサインを書き上げた。

 

「はい、私のサインなんだから家宝にしなさい」

 

「もちろんだよ~サインはみんな家宝だよ」

 

「しかし、春李のサインってプロのサインみたいね」

 

「子供のころから練習してたからよ」

 

珠姫が少し呆れた口調で言う。

 

「サインの練習って、春李ちゃんらしいといえばらしいね」

 

「母さんとか、おばさんたちが現役時代に色紙やボールの山にサインしてるの見て、真似して練習しだしたの」

 

「それは春李ちゃんらしいエピソードだね」

 

鱒川家(ウチ)の家訓にね、『サインは断るな、むしろ自分から書きに行く気概でいろ』ってあるくらいファンサービスを大切にしているのよ」

 

「うーん!こんなところで鱒川ファミリーのこぼれ話を聞けるとはっ!」

 

芳乃のおさげが再びパタパタと動く。

 

ここでヨミが話を切り出す。

 

「芳乃ちゃん、私も鱒川ティナ選手からサインもらったことあるけど、芳乃ちゃんは春李ちゃんのおうちの人からもらったサインってどれくらいあるの?」

 

芳乃が嬉々に答える。

 

「プロでプレーしてた人からは全員もらったよ、あと今社会人でプレーしている鱒川ヘティ選手と大学でプレーしている鱒川レイラ選手のもあるよ」

 

「あら、でも部屋には見当たらなかったけど?」

 

「大切にしまってあるんだよ。日焼けしないようにね」

 

「ありがとう、それ聞いたらみんな喜ぶと思うわ。オークションに流れてしまうことも多いから」

 

息吹が少し憤りをみせながら言う。

 

「それって本当に失礼よね」

 

「いいのいいの。それにひいお婆ちゃんから代々の教えで、『自分のサインの価値が0円になるまで書いて初めて超一流の選手』だって言われてるから」

 

ヨミが思った疑問を投げかける。

 

「サインの価値が0円になるまで?」

 

その疑問には春李ではなく珠姫が答えた。

 

「それだけ珍しくないものになるまで書き続けなさいってことだと思うよ」

 

「その通り、さすがは珠姫。だから私も求められたら断りはしないわ」

 

「高校生にサインを求めるなんて芳乃ちゃんくらいだと思うよ」

 

「あら、鱒川家のネームバリューってのがあって、今の内から欲しがってる人、結構多いのよ」

 

「なるほど」

 

「あと芳乃」

 

「なにかな?」

 

「言ってくれれば私から頼んで大判の色紙に(うち)の家族親戚一同のサインの寄せ書きとか書いてあげるわよ?」

 

「そ、それはっ!ぜ、是非欲しい」

 

「わかったわ、正月に家族親戚で集まるからその時に書いておいてあげる」

 

「ありがとう~」

 

「じゃ、洗い物しましょう。みんなも手伝って。あっ、ヨミはいいわ」

 

「どうして?私もやるよ」

 

「ピッチャーにとって指は命、何かあったら大変だわ。そこで待ってて」

 

「ぶー」

 

そうして夕日が沈んでいった。

 

―――――――

 ―――――

  ―――

   ―

 

それは初の対外試合翌日のこと




まさか川口家のくだりにここまでかけてしまうとは思わなかった・・・


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第19球

柳大川越と初の対外試合となった練習試合の翌日のこと。

 

芳乃、怜、杏夏、春李の四人は家庭科準備室で戦略会議を行っている。入口の窓には『首脳会議中 入室者は野球部入部希望者とする!』と書かれた紙が貼ってある。

 

最初に議題を切り出したのは芳乃だった。

 

「6月末の抽選会まで二ヵ月を切っていますが、毎週末の練習試合以外はこれまで同様のスケジュールです」

 

「ただし昨日の結果を踏まえて・・・5月は打撃練習を少し増やそうと思いますが・・・」

 

その提案に怜が答える。

 

「朝倉の投球には希すらショックを受けていたしな・・・みんなも望んでいることだろう」

 

「主将としてはその提案に賛成である」

 

芳乃は次に杏夏に質問する。

 

「ところで先生は、塁審してて何か気付いた点はありましたか?

 

「そうね・・・守備力の差を感じました」

 

春李が鋭い視線を向け、芳乃が前のめりに聞く。

 

「へぇどんな?双方無失策でしたけど」

 

「私も聞いてみたいわ」

 

「守備位置も良くてカバーも正確、最初の一歩も早い。良い当たりが(ことごと)く阻まれるシーンもけっこうありましたし」

 

杏夏がそこまで言うと春李は「フッ」と柔和な顔を芳乃へ向け、芳乃は杏夏にお願いした。

 

「監督!守備練習はお任せしますね」

 

「まあノックくらいなら・・・」

 

そこで杏夏ははたと気付く。

 

この子たち・・・今、私を試しましたね。

 

「さて!監督が合流して間もないですし、親睦も兼ねてということで、今週末のGW(ゴールデンウィーク)は合宿をしたいのですが?」

 

「親睦・・・ですか。まあ学校の合宿施設は問題なく借りられるはずですが・・・」

 

しかし怜の顔は優れない。

 

「主将・・・微妙な顔ですね」

 

「ああ・・・去年の合宿を思い出していた。あまりいい思い出じゃないものでな・・・それに」

 

「どうしたんですか?」

 

怜は春李に問った。

 

「春李はいいのか?あまりこういうの好きそうじゃなさそうだが?」

 

「確かに私は飲食や寝具も一流の物を使っているわ。だから出たくなかったけど・・・」

 

「春李ちゃんの野球に対する取り組みをもっとみんなに見てもらえば、取り組み方に変化が出ると思ってお願いしました」

 

「ええ、だからしばらくは誰が寝たとも分からないような煎餅布団で寝てあげる」

 

「それに、きっと楽しいですよ~。みんなもやりたいと思いますよ」

 

「わかりました。必要なものがあればなんでも言って下さいね」

 

「食材は私が鱒川家のルートを使って提供するわ」

 

「別にそこまでしなくていいんじゃないか?」

 

「あら?この私の身体に入るものよ、それだけはせめて私のワガママ通させて」

 

合宿が決まった旨を、他の面々にも伝える。

 

「合宿!?やったー」

 

「三泊四日!場所は学校だよ」

 

「合宿のシメには藤和(とうわ)高校および大鷲(おおわし)高校と試合を組みました」

 

杏夏のその言葉に希が反応する。

 

「藤和って去年の東東京代表やろ?」

 

「Bチームらしいけどね。大鷲も千葉の16強だし結構強いよ」

 

ヨミが先頭を切って声を出す。

 

「やる気出てきたぞ~」

 

「練習始めるか」

 

しかし春李が一同を止める。

 

「その前に、私からも話があるわ」

 

「どうしたの春李ちゃん?」

 

「これはさっきやった会議でも言わないで秘密にしたんだけど・・・」

 

「そういえば、どうして春李はあの場にいたんだ?」

 

「これを言うためよ、でももっと伸ばしたくなっちゃったの。ヨミと珠姫、息吹はもう知ってるわね」

 

「?」

 

ヨミと珠姫、芳乃と息吹以外の面々は杏夏も含め頭の上に「?」が付く。

 

「この度、私かかりつけのスポーツドクター、整体師、鍼灸師を部に紹介しようかって私が提案したわ」

 

稜がいち早く反応する。

 

「ホントか!?」

 

「私も聞いておりませんが」

 

「だって話してない、それで昨日試合終わりに芳乃と息吹の家で話したんだけど、学校の許可がネックだって話になりました」

 

そのことに気付いたのは菫だった。

 

「確かに、いきなりそんな贅沢は・・・ってことになりそうね」

 

「そこで、私一人でさっき理事長に直談判してきました」

 

「はぁい!?」

 

一同、驚きを隠せない。代表して理沙が口を開く。

 

「全く、春李ちゃんったら・・・」

 

「スポーツドクターは、生徒の健康に関わる大切なものでこれを認めないということはそれを蔑ろにするも同然と話したらすんなりと認めてくれたわ」

 

「そ、それって脅迫な気がするっちゃけど・・・?」

 

「希、細かいことはいいのよ。整体師と鍼灸師も交渉は難航しましたが条件付きでOKを貰ったわ」

 

「条件とは、どのようなものでしょうか?」

 

「いい事聞いてくれるじゃない白菊、整体師と鍼灸師は学校の運動部すべてのかかりつけになってくれることを条件にOKしてくれました」

 

稜が気付く。

 

「でもそれ、勝手に決めちゃってよかったのか」

 

「いえ、電話で整体師の先生と鍼灸師の先生と話したわ。二人とも大口の顧客が増えるって喜んで引き受けてくれたわ」

 

「これで、合宿やそれ以降へ向けてのバックアップも整ったというわけか」

 

「そういうこと。まあ、私がいる野球部なんだから当然よ。私からの話は終わり。さ、練習始めましょ」

 

「おー!」

 

その姿を、杏夏は嬉しそうに眺め、逆に芳乃は心配そうな顔で見つめていた。



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第20球

合宿初日

 

それは内野陣が杏夏のノックでのされている時の事だった。

 

「みんな~ちょっときいて!」

 

「やるのね?」

 

「うん。野手の面談するので希ちゃんから順番にベンチ裏に来てね」

 

「私からか・・」

 

芳乃と希がベンチ裏へ消えるとすぐ・・・

 

「あっ、ギャッ」

 

すわりの悪い顔で希がベンチに戻ってくる。

 

「次!菫ちゃん」

 

いぶかしげに菫が希に聞く。

 

「何されたの?」

 

「マッサージ?された・・・」

 

「なんで野手だけ・・・」

 

ヨミの疑問に怜が答える。

 

「すぐわかるよ」

 

そしてしばらくして・・・

 

「おまたせ!」

 

「何だったんだ?気持ちよかったけど・・・」

 

「上半身の可動域、やわらかさ、下半身の強さ・・・つまり投手(ピッチャー)の適正をみてたよ」

 

「ついては理沙先輩と・・・息吹ちゃん!それから春李ちゃんも、三人には投手(ピッチャー)のメニューもやってもらいます」

 

「ちょっと聞いてないわよ!一緒に暮らしてるのに!」

 

「投手用のグラブ持ってるくせに」

 

「とにかく投げてみよっ」

 

芳乃に強引にブルペンに連れられる息吹。

 

「わかったわよ」

 

ワインドアップで振りかぶる息吹。

 

「いくわよ」

 

豪快なモーションで白球を投じる。

 

「朝倉そっくりだ」

 

「でも・・・遅いわね」

 

受ける珠姫は何かを感じ取ったような顔をする。

 

「球速もコピーしろよ~」

 

稜が茶々を入れる。

 

「無理言うんじゃないわよ・・・」

 

「いや・・・意外と使えるかも・・・ノビがある・・・気がする」

 

「次理沙先輩!」

 

「ええ」

 

私が・・・投手

 

理沙はウエイトの乗った直球を投げ込んだ。

 

いい球・・・!

 

ヨミが驚く、と菫、稜、白菊が・・・

 

「重そう・・・」

 

「確かに重そうだ」

 

「重そうです」

 

理沙は表情にこそ出さないもの怒っている。そこに芳乃がとどめを刺す。

 

「思った通りどっしりしてる。私たちより一年分体づくりできてる!」

 

芳乃はおさげをピコピコとさせ興奮している。

 

「さあ、最後は春李ちゃんだよ」

 

「・・・ごめん、私パス」

 

「えっ・・・どうして?」

 

「投げたくないわ」

 

「投手の適正見た中では、春李ちゃんが一番だったんだけど」

 

「野手に集中させてもらいたいわ」

 

しびれを切らした怜が少し強い口調で迫る。

 

「チームのためだ、投げてくれないか」

 

「そのチームのためにならないから投げたくないのよ」

 

少し険悪な空気になりそうなところに芳乃が割って入る。

 

「と、とにかく投げてもらっていいかな?左投手(サウスポー)がいると助かるんだけど」

 

珠姫も駆け寄ってきて頼み込む。

 

「春李ちゃん、お願い」

 

「分かったわ、投げてあげる。でもガッカリするだけよ?ヨミ、ロジン貸して」

 

「はい」

 

「嫌がってた割にはロジン使うんだな」

 

「言い訳させないだけのものが必要なのよ」

 

そういうと春李はロジンを左手と左腕にまぶす。

 

マウンドさばきはもう形になっている・・・

 

芳乃はその姿になぜ投手をやりたがらないか更に疑問が募った。

 

春李はノーワインドアップからしなやかなフォームで直球を投じた。

 

「は、速い」

 

「なんちゅうスピード・・・」

 

「これだけの直球が投げられるのであれば、投手としても一廉の選手になれるのでは?」

 

一同春李の直球を絶賛する中、ただ一人全く違った意見を持つ者がいた。

 

「ダメ、全然使えない」

 

「珠姫?」

 

珠姫一人が春李のボールの球質に気付いた。

 

「全然使えないって、あの直球がか?」

 

「私、春李さんの球を簡単に打たれるとはとても思えないのですが?」

 

「さすが珠姫、1球で見抜いてくれたわね。みんなも打席か審判の所で見れば分かるわ」

 

そういうと一同キャッチャー側へ移動し打席や球審の立つ位置など思い思いの場所へ陣取る。

 

「みんな、準備はいいわね?いくわよ」

 

春李はそういうと再びロジンを左手と左腕にまぶし、投球モーションに入る。

 

放たれた直球に一同は大きな違和感を抱く。

 

「全然速くない?」

 

稜と怜が同時に春李へ話す。

 

「おい春李、手加減して投げるな!さっきと同じ直球を投げろ!」

 

ここで珠姫が、

 

「いえ、さっきの球と一緒です」

 

「い、一緒!?」

 

「はい、春李ちゃんの球には息吹ちゃんのようなノビも、理沙先輩のような威力も全くありません」

 

「で、でも変化球なら。春李、変化球投げられるか?」

 

「持ち球はスローカーブ、チェンジアップ、スクリューよ」

 

「ス、スクリューって鱒川家直伝のスクリューボール!?」

 

「ええ、でも直球から察してもらえるかしら」

 

「うん、わかった」

 

「これでわかったようね、私にはピッチャーの才能がカケラもないって」

 

「でもどうしてあの直球がこっちから見たらあんなヘボい球になったんだ?」

 

「私も知りたいです」

 

「言いたくないわ、自分の恥になるんだもん。それに・・・」

 

春李は珠姫と芳乃のほうに目をやる。

 

「珠姫と芳乃はメカニズムがわかっているようね」

 

「珠姫、芳乃わかるのか?」

 

「教えて」

 

沈黙を守っていた希も興味津々で聞こうとする。

 

「あー待って、他人の口から言われるくらいならいいわ。私が自分で話す」

 

ごくり

 

珠姫と芳乃以外の面々が息をのむ。

 

「私に無いピッチャーの才能、それはね・・・」



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第21球

「私にカケラもないピッチャーの才能、それはね・・・」

 

「ごくり」

 

一同息をのむ。

 

「この指よ」

 

「指?」

 

今度は声が重なる。

 

「そう、正確には指先の感覚。それがピッチャーとしての才能がカケラもない最大の訳」

 

「そうか、そういうことか」

 

「怜どういうことなの?貴女だけ分かってないで教えて」

 

「いい、いい、理沙っち自分で言うから。てか他のメンツは分かんないの?」

 

「いえ、どういうことなの?」

 

「私もさっぱり」

 

「私も、息吹さんと理沙先輩が普通に投げていたのにどうして春李さんがと」

 

「あぁ・・・白菊と息吹はまだ経験値足りてないから分かんなくても責めないわ」

 

そういうと春李は再びロジンに手をやりボールを握りながら静かに語り始めた。

 

「菫たち、私の球を速い球って言ったわよね」

 

「えぇ・・・」

 

「私の球、通称"棒球"っていうの。打撃投手(バッティングピッチャー)にはもってこいの、私がピッチャー続けてても恐らく中学止まり、プロはおろか野球名門高校からは鼻にも掛けられなかったハズよ」

 

「棒球・・・」

 

その言葉を聞いて野球経験の浅い息吹と白菊以外は納得した顔をする。春李は言葉を続ける。

 

「珠姫が言ったでしょ?明らかにノビもないし威力も無い、スピードはそこそこ出てると思うけど、打者にはそれほどには感じられない典型的な棒球よ」

 

息吹が口を開いた。

 

「でも、コントロールは。コントロールは悪くなかったじゃない。コーナーに投げ分けて変化球も混ぜれば・・・」

 

「手投げでコントロールするぐらいならね、私は母さんやおばさんたち、お婆ちゃんたちやひいお婆ちゃんたちの影響で小さい頃からプロを間近で見てきて、プロにもただ速い球を投げれたり、コントロールのいい野手ならいくらでもいるってことを教えてもらったわ」

 

そう言いながら春李はベンチに腰掛けた。

 

「だけど本当にノビ、キレ、威力のある速い球をコントロールできるのはほんの一握りにも満たないわ。それがピッチャーになれるヤツの条件。それはわずか0コンマ0何秒かの絶妙の時間差で球を切り(・・)ながら離すことができる神業的な指先の感覚の持ち主だからよ」

 

白菊が重たそうに口を開く。

 

「れ、練習すれば・・・」

 

春李は首を横に振り答える。

 

「うんうん、その研ぎ澄まされた感覚はそう簡単に補えるものじゃないわ。野球の前に剣道でその道を極めた白菊なら、なんとなく分かるんじゃない」

 

「そう・・・ですね・・・」

 

白菊は今にも泣きそうな顔でそう答えた。他のみんなもバツの悪そうな顔をしている。最初に口を開いたのは芳乃だった。

 

「春李ちゃん、それだけ詳しいってことは、ピッチャー目指していたの?」

 

「ええ、でもこの有様よ」

 

「ごめん、辛いことさせちゃって・・・」

 

「いいっていいって、会議で二番手ピッチャー作るって話出た時に覚悟はしてたわ。でも、」

 

「ばってん?」

 

「息吹と理沙っちがいきなりピッチャーの球投げた時はちょっと悔しかったのと、羨ましかったな・・・」

 

「私たち、そんなにいい球投げてたの?」

 

「ええ、もちろん。投げることはないけど、私が稽古つけてあげようか?」

 

「春李が?」

 

「そうよ、自分に投げる才能がなっくても受け売りで教えることは出来るわよ」

 

「受け売り?」

 

一同その受け売りという言葉が気になった。その言葉の意味に最初に気付いたのは芳乃だった。

 

「ま、まさか・・・」

 

次に珠姫、ヨミ、怜、稜、理沙、菫、白菊、希、息吹と順に気付いていく。

 

「そう、私にピッチャーの手ほどきをしてくれたのはキャロライン婆ちゃんとセオドラ婆ちゃんにマルティナ叔母さん」

 

「うーっ、3人とも二刀流で通算370勝、2,500奪三振、2,400安打、350本塁打、1,400打点以上を挙げた大選手たちっ!、中でもトニー選手はキャッチャーとピッチャーを兼任しながら通算503勝、4,364奪三振、4,137安打、420本塁打、2,073打点を記録したスーパースターっ!」

 

「芳乃の情報力にはたまに引くわ。そう、それで私にピッチャーじゃプロへ行けないと言ってくれた人たち・・・」

 

理沙が聞く。

 

「仲が、こじれてしまったの?」

 

「うんうん全然。むしろ私の進む道を明確にしてくれて感謝してるくらいよ。で、3人から教えてもらった技術なんかを三人に教えてあげる」

 

三人という言葉に最初に反応したのは珠姫だった。

 

「三人って、ヨミちゃんも?」

 

「わ、私も!?」

 

「そうよ?息吹と理沙っちって控えピッチャーが出来ても大事な所を任せられるエースはヨミ、あんたしかいないんだからね。そのためには一層のレベルアップが必要よ」

 

「そ、そうだよヨミちゃん。私も手伝うから」

 

「あ、ありがとう」

 

ヨミは二人からの思わぬ言葉に顔を赤らめる。

 

「そーれーとっ」

 

「?」

 

一同の頭に?が灯る。

 

「もう投げちゃったから隠すつもりはないわ。私の空いてる時に言ってくれれば打撃投手してあげる」

 

「よかと!?」

 

「もち、でも希には私の死んだ球じゃ満足できないと思うわ。遅くても活きた球投げる理沙っちか息吹の球打った方がいいと思うわよ?」

 

「ばってんマシンよりは活きた球やて思うけん打ちたか!」

 

「わ、わかったわ。さ、私のことはこれまでにして練習再開しましょ」



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第22球

「おお!アンダー」

 

息吹が投手の練習に入った。稜と春李がその様子を観察し、ヨミも後ろから見ている。

 

「まずまずね、もっと手首を立てて投げないと目が慣れたらただの打ち頃の球よ」

 

「わかったわ」

 

春李はジェスチャーを交えながらアドバイスを送り、息吹は春李に言われたポイントを念頭に置きながら次の球を放る。

 

「おっ?」

 

「ねっ?いい球行ったでしょ?アンダーでも投げるんなら手首(リスト)の強化は必須よ。これは打撃にも活きてくるハズよ」

 

後ろで見ていたヨミも「負けてられないなぁ・・・」と珠姫を相手に『あの球』を投げ込む。

 

「割と安定してゾーンに来るんだけど、アバウトなんだよなぁ」

 

ヨミには芳乃が質問する。

 

「ヨミちゃん、あの球ってどこめがけて投げてる?」

 

「もちろんミットだけど、無意識下ではたぶん打者の顔かなぁ」

 

「ひっ、やっぱり」

 

隣で投げ込んでいた息吹が怯んでしまう。

 

「こら息吹、集中切らさない。緩んでるとケガしかねないわよ」

 

春李がすかさず注意する。

 

「それじゃあさ、このイメージで投げてみよっか」

 

イラストに興味を持った春李が芳乃に聞く。

 

「それはいいと思うけど、どうして息吹の顔なのかしら?」

 

「ひぃ」

 

息吹はまた怯えてしまう。

 

「単に息吹ちゃんの顔はよく描いてるから描きやすいからだよ」

 

「そ、別に息吹を打席に立たせて試そうって訳じゃないのね」

 

今度は杏夏が興味を示してやってきた。

 

「面白いですね・・・私が実験台になってあげます。『あの球』・・・間近で見てみたかったんですよね。遠慮はいりませんよ」

 

一同の目には杏夏の顔に顔面4分割のイメージが浮かび上がる。

 

「じゃあ・・・内角高め」

 

「うん」

 

ヨミが『あの球』を投げ込むと杏夏はアウトステップし、スイングする姿勢を見せた。

 

「ナイスボール、内角高め・・・入ってますね」

 

「はい」

 

珠姫は驚きを若干顔に出す。

 

「さあじゃんじゃんいきましょう!」

 

打たれてた・・・

 

それは春李も感じ取っていた。

 

いい型してるじゃない・・・

 

でもこのくらい重圧(プレッシャー)があった方が練習になるな。

 

「外低め」

 

続けて外角低めに『あの球』を投げ込む。

 

「ナイボッ」

 

「けっこう使えるかも4分割(コレ)。先生~しばらく立って貰ってていいですか?」

 

「ええ」

 

3人をよそに黙々と投げ込みをしていた息吹とそれを見ていた春李だったが、

 

「よし、じゃあ投げ込みはその辺で。おーい理沙っちちょっと来てー」

 

「なにかしら」

 

春李は打撃練習に加わっていた理沙を呼び寄せた。

 

「2人にはこれから投手の基礎トレをやってもらうわ。ついてきて」

 

そういうと3人はグラウンドの片隅へ移動した。

 

「まずは軸足ジャンプ、私が手本を見せるからやってみて」

 

「わかったわ」

 

息吹と理沙の声が重なる。

 

「まずこーして、この体勢で静止」

 

春李は投球動作の右足を振り上げた姿勢で静止している。

 

「この体勢ね」

 

理沙がその場で春李の動きについていくと息吹も同じようにする。

 

「そう。で、こうして真上に高く飛んで着地で止まる」

 

2人もその場で飛ぶが春李のようにいかない。

 

「理沙っちはバランスが悪いから真上に飛べてないわね。息吹はまだ軸足が弱いから着地でフラつくか・・・これは言うまでもなく軸足の強化よ」

 

「春李ちゃんは当たり前のように出来てるわね」

 

「当然よ。さ、次は室内、ちょっと道具が必要になるわ」

 

3人は今度は室内練習場へ移動した。

 

「次はランジ&ターン、このダンベルが必要になるわ。はい、こう持って」

 

春李は2人にダンベル一つを両手で持つように渡した。

 

「今度は私が一通りやってから続けてやって」

 

春李は立った状態でおへそのあたりでダンベルを両手で持ち、前に左足を踏み出すとそこから骨盤を中心に身体を反転させた。

 

「こう?」

 

「どうかしら?」

 

「そう、息吹はスジがいいわね、理沙っちのほうも芳乃が選んだだけあって中々ね。じゃあ次」

 

「ちょっと待って」

 

次に行こうとする春李を理沙が止める。

 

「なにかしら?」

 

「2つとも一回しかやってないけど、あといくつメニューがあるの?」

 

「えーっと・・・6つかな」

 

「8つもあるの!?」

 

メニューの多さに息吹が驚く。

 

「これでも必要ギリギリの少なさよ?」

 

「わかったわ」

 

春李は次いで2人にダンベルトレーニング、チューブトレーニング、メンコエクササイズのやり方を教えた。

 

「さ、次はボールを使うわ、外へ行きましょ」

 

「や、やっと」

 

3人は再びグラウンドの片隅へやってきた。

 

「これは、これから時間がある時にやってもらいたい事なんだけど。まずこうやって寝て・・・」

 

春李はグラウンドで仰向けに寝転ぶ。

 

「こうしてボールを真上に投げる!」

 

投げられたボールは春李の左手目掛けて帰ってくるが春李は取り損ねてボールがおでこに直撃した。

 

「いったぁ・・・ボールの回転が悪いとこうなるから力まずにボールの回転を意識して。シンプルだけど指先の感覚をつかむには一番だから、部屋でやる時は天井ギリギリを狙って投げるのよ・・・じゃあ次」

 

「やらなくていいの?」



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第23球

「やらなくていいの?」

 

「これはいいわ、簡単だし。ちょっと待ってて」

 

春李は息吹と理沙を待たせると備品倉庫へ道具を取りに行く。

 

「待たせたわね。次と最後のは同じような目的よ。まずはネットスロー」

 

「投げるんなら珠姫に・・・」

 

「こら甘えんじゃない、今新越谷(ウチ)に捕手は珠姫しかいないんだから、珠姫個人の練習もあるわけだし、一人で黙々とやれなきゃ意味ないわよ」

 

「わかった・・・」

 

引き下がる息吹。

 

「距離は近くていいから、一球ずつ丁寧に投げなさい。フォームを固めるのよ」

 

息吹と理沙はそれから黙々とネットスローを行っていた。

 

「理沙っち、ボールが高いわ。それじゃ私なら場外よ」

 

「わかったわ」

 

「息吹はフォームを変えながらだから身体のあちこちがキテるでしょ?」

 

「ええ、なにか一つに絞ろうかしら」

 

「いや、大変だけど色んなフォームで投げれるようになって。期待してるわよ」

 

「期待・・・」

 

春李からの『期待してるわよ』という言葉に息吹は燃えた。

 

「じゃあ、それまで。最後のメニュー、これは家でやってもらいたいことよ、これを使うわ」

 

「タオル?」

 

「手ぬぐい?」

 

「どっちでもいいわ、丁度いい長さのものを使ったシャドーピッチング。これが最後のメニューよ」

 

「シャドーピッチング・・・」

 

「息吹は芳乃から形態模写をよくやらされてたそうだからその延長線上だと思って」

 

「なるほど」

 

春李は再び実演しながら2人に意識するポイントを説明する。

 

「いい?重要なのはグラブを持つほうの手よ」

 

理沙が質問する。

 

「右手じゃなくて?」

 

「そう、全身の力をいかに指先に伝えられるか。右投げの2人は左腕でカベを作るの。体重移動した身体を支える左足、その力を逃さず溜めておく左手のカベ、弓矢のようにギリギリまで身体のタメを作って、下半身から伝わるエネルギーを、一気に振り抜く!」

 

「おぉ・・・」

 

2人は驚きの声を漏らす。

 

「どう?さすがでしょ?」

 

「えぇ、やってみていいかしら」

 

「理沙っちからね。はいどうぞ」

 

春李が理沙にタオルを渡す。

 

「左手のカベ、身体のタメ・・・」

 

理沙は春李に言われたことを念頭に置きながら3、4回シャドーピッチングをすると。

 

「まだ、左肩が開くわね、ネットスローとシャドーピッチングの時はその辺を意識して。次、息吹」

 

「わかったわ」

 

息吹は色々なフォームでシャドーピッチングを何度かやる。

 

「うん、中々ね」

 

真似(アレ)の延長線上って意識したらそうでもないわね」

 

「2人とも、今言ったメニューについては芳乃に話しておくから詳しい回数やセット数なんかは芳乃から後で受け取って」

 

「わかったわ」

 

「まかせなさい」

 

3人の投手基礎練習メニュー説明が終わったところに希がやってくる。

 

「春李ちゃん」

 

「希?どしたの?」

 

「今から投げてほしかっちゃけど、よか?」

 

「いいわよ。一通り終わったところだし、早速のご指名とはありがたいわね。じゃ2人ともあとまかせたわ」

 

「ありがとう春李ちゃん」

 

「私は色んなフォームで投げる分大変・・・」

 

「弱音吐かないの」

 

「もう、わかったわ」

 

「じゃ希、肩作るからちょっと待ってて」

 

「わかった」

 

春李が肩を作っている間に出してあったバッティングマシンを芳乃が片付ける。一通り片付けと防護ネット・ボールケースのセッティングが終わったところでヘッドギアを着けた春李が希と芳乃のもとへやってきた。

 

「もう肩温まってきたから大丈夫よ。そっちも準備万端ってとこね」

 

「うん、マシンをしまって打撃練習用にネットとボールケースの場所を変え終わったところだよ」

 

「ごめん、できればマウンドから投げたいんだけど、また位置変えてもいい?私も手伝うわ」

 

「わかった。でもどうしてわざわざ?」

 

「私の練習でもあるからよ。肩の強化」

 

「なるほど、じゃあ私ボールをマウンドに持ってくるから春李ちゃんはネットをお願い」

 

「わかったわ。希も手伝ってもらっていい?」

 

「よかばい。私もなるたけ実戦に近かほうがよかけん」

 

そういうと3人でネットとボールケースを再び移動させた。

 

「これでよし。希ちゃん、後ろで見せてもらってもいい?」

 

「もちろん、私も芳乃ちゃんに見てもらいたかったけん」

 

この2人、中々・・・と思う春李であった。

 

「で希、何割くらいの力で投げてほしい?」

 

「八割から十割でよかばい。春李ちゃんの肩ん強化も兼ねとーんやろ?」

 

「あら、気にしなくてもよかったのに。でもお言葉に甘えて」

 

希の打撃投手・春李を相手にした打撃練習が始まる。数十球目打ったところでのことだった。

 

「ナイバッチ」

 

「ホント、私のヘボ球とはいえ結構難しいコースに投げてるつもりよ」

 

「希ちゃんってホームランは狙わないの?打てそうだけど」

 

「フォームが崩れるけん・・・それに・・・」

 

「?」

 

希が春李の方を見る。

 

「春李ちゃんとはレベルが違うけん・・・もっと自分の分ば弁えたバッティングばしぇな」

 

「でもまあ試合終盤・・・後がない時には狙うかも・・・」

 

「そっか・・・」

 

2人のやり取りをじっくり聞いていた春李であったが・・・

 

「それは違うわ希」



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第24球

「それは違うわ希」

 

その言葉に最初に反応したのは芳乃であった。

 

「春李ちゃん?」

 

「何が違うと?これでも私なりに考えてんことなんやけど・・・」

 

春李は心配しながら、諭すような口調で続ける。

 

「なにもかもよ、まず私とはレベルが違うから自分の分を弁えてる。っていうけど、確かに私と希じゃレベルが違うのは誰もが認めるところだけど、希は今の自分のレベルを見誤っている。自分のこと卑下しすぎ、まあ、私という規格外の天才と毎日一緒にプレーしてたら自信を失ってしまうのもうなずけるけど・・・」

 

芳乃が話の途中だが少し怒りながら食い気味に春李に迫る。

 

「春李ちゃん何が言いたいの?希ちゃんのこと励ましたいの?潰したいの?」

 

「そう怒りなさんな。ほら、こうやって芳乃は希の事思ってくれてるんだよ。芳乃だけじゃない、他のみんなもあんちゃんも、みんな希のこと頼りにしてんだよ。もちろん、私だって・・・」

 

希がおずおずと聞く。

 

「春李ちゃんが、私ん事ば?」

 

「ええ、私がいくら優れた選手でも、前に走者(ランナー)がいないんじゃ良くてソロホームランが関の山、希がリードオフで塁上にいてくれれば攻撃にも幅が出来るってもんよ。そうでしょ芳乃?」

 

「うん、場合によっては希ちゃんを1番、春李ちゃんを2番に置いて、2人で1点を取る攻撃パターンも考えているよ」

 

それを聞いた春李が少し驚く。

 

「そのプランは初耳ね。希、聞いてた?」

 

「少し・・・」

 

「あら、そんな重要なプランを希にだけ話してこの私に話さないなんて、お天気な話ね」

 

「春李ちゃんだったら直前になっても意図を理解してくれると思ったから」

 

「なぁるほど、芳乃はわかってるわね。あ、あとそれにね。今話したのは希が私の前打つ前提の話だけど、希が私の後ろを打つってなった時のことも考えてるわよ」

 

「私が、春李ちゃんの後ろば?」

 

「そ、これは芳乃も一緒に考えたから芳乃から言ってやって」

 

春李から説明を任された芳乃が答える。

 

「うん、希ちゃんにはまだ話していなかったけど、春李ちゃんくらい実力も名前も知れ渡っている選手になると、勝負を避けられることも多くなってくるだろうから、そういう時に必要なのは春李ちゃんに匹敵する打者の存在。つまり希ちゃんのことだよ。春李ちゃんとの勝負を避けて油断して、安パイだと高をくくっているところを思いっ切り叩いてほしいの」

 

「私が春李ちゃんに匹敵する打者だなんて・・・そげん大役・・・」

 

「のーぞーみっ、今私希は自分のこと卑下にしすぎって言ったばかりでしょ?いい?私こういう時お世辞は言わないからよく聞きなさい。希のバットコントロールは私とも向こうを張れるくらいのモノもってるわ。最低でも恋よりは上だと思ってくれて構わない、レイラ姉さんと比べてもいい勝負、ヘンリエッタ姉さんと比べるとちょっと分が悪いってくらいよ」

 

「私が、鱒川恋や鱒川レイラや鱒川ヘティと・・・」

 

「そうよ、どうして去年のU-15にいてくれなかったのかしら。いてくれたらもっと楽に勝てた試合もあったのに・・・」

 

「私がそげん大きな舞台に・・・」

 

「あら、全国行くんでしょ?全国の舞台で活躍すればU-18から声がかかるわ。まあ、今のままじゃ例え全国で活躍しても厳しいけど」

 

「ど、どこが!?教えて?」

 

「それが私の希に言いたいもう一つのこと、でも芳乃も勘付いてるだろうから芳乃に言ってもらおうかしら?」

 

と振られた芳乃であったが、

 

「いいよ、春李ちゃんが言って」

 

春李に言葉を任せた。

 

希は芳乃に言われたいと思ってるんだろうけどなあ。と思う春李であったが任された手前言葉を続ける。

 

「わかったわ。フォームが崩れるからホームランを狙わないってのは間違ってるわ。第一、後がない時には狙うかもって言ったけどホームランは普段そんな考えの打者が土壇場で急に狙って打てるような一朝一夕なものではないわ。これは私の持論なんだけど・・・」

 

「ごくり」

 

希と芳乃が息をのむ。

 

「真に怖い打者っていうのは必ずどこかにホームランを打てるツボを持ってるものなの。希はいい打者だけどその辺がまだ怖い打者になりきれてないわ」

 

最初に口を開いたのは希だった。

 

「えずか・・・打者・・・」

 

「そう、希のスタイルでズルズルこのまま続けてたら、いいs・・・」

 

「いい?」

 

春李は『いい』の後の言葉を口にするのをためらい、別の言葉で濁した。

 

「いえ、このままのスタイルでいたら、将来絶対壁にぶつかるわよ」

 

「わかった。ばってん、まだこれまで自分ば作り上げてきたスタイルでやらしぇて」

 

「勝手にしなさい」

 

頑固ね。と思う春李、その横で芳乃は、

 

春李ちゃん、何か言いかけて途中でためらって別のこと言った・・・何を言おうとしてたんだろう・・・?

 

芳乃は春李が本来言おうとした言葉を口出すのをためらい、別の言葉で濁したのを感じ取っていた。

 

3人が談義を重ねていると、そこへ杏夏がやってきた。

 

「すみません、ちょっと春李さんをお借りしても宜しいですか?」

 

「私?」

 

「春李さんに是非お手本(・・・)を見せてほしいことがありまして」

 

「手本ね、この私に求めるなんてあんちゃんもわかってるじゃない、でも今希に投げてるところなんだけど」

 

「いいよ春李ちゃん、こっちは一旦トスバッティングに切り替えるから、戻ってきてからまた投げてもらっていい?」

 

「わかったわ」

 

「希ちゃんもそれでいい?」

 

「よかばい」

 

「じゃ、行ってくるわ」

 

そういうと、杏夏は春李をベンチ前の稜と菫のもとへ連れてきた。



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第25球

杏夏は春李をベンチ前の稜と菫のもとへ連れてきた。

 

「春李?どうしたの?」

 

「今から春李さんにお手本を見せてもらいます」

 

「おぉ」

 

「ねぇあんちゃん、お手本お手本言うけど何すればいいの?」

 

「股割りです」

 

「ははぁん、わかったわ。この2人には特に必要ね」

 

「いえ、2人だけではないんです」

 

「およ?」

 

「とにかくやってみせてもらっていいですか?」

 

「わかったわ、でもいきなりできるとは思えないんだけど・・・」

 

春李はその場で両足を180度開き、地面にペタンと座ってみせた。

 

「はい」

 

杏夏がバツの悪そうに春李に話す。

 

「春李さん、股割りってその股割りではなく・・・」

 

「えっ、違うの?こぉんなこともできるけど?」

 

そう言うと春李は開いた両脚をウネウネと動かし移動してみせた。

 

「うわぁ・・・」

 

「キモッ」

 

「ちょっと、何言ってくれちゃってるのかしら。身体の柔らかさは野球だけじゃなくて全てのスポーツに必要とされるものよ?これくらいできるようになってもらわなきゃ困るわ」

 

菫が怖そうに言う。

 

「でもいきなりそれは・・・」

 

「無理にとは言わないわ、これも積み重ねよ。今の内からやっておけば2人も出来るようになるわ。こんなことだって」

 

春李は180度開脚した状態から上体も地面にペタンと着けてみせた。

 

「おぉ」

 

「体操選手みたいね」

 

「私、他人よりも胸が大きいから完全にペチャンコにはならないんだけどね」

 

そう、春李の胸は一般的な女性の胸よりもかなりの大きさである。

 

そう言われた稜が、

 

「それは私らへの当てつけかぁ?えぇっ?」

 

春李の背中を思い切り踏みつける。

 

「ちょやめっ!ねぇこの体勢反撃できないの分かっててやってるでしょ?」

 

「ちょっと(アンタ)やめてやんなさいよ」

 

「スパイクは脱いでやってんだからありがたいと思え」

 

「全くもう、ちっこくったって需要はあるわよ」

 

次は菫が春李のお尻をスパァンと叩いた。

 

「いったぁ・・・す、菫?」

 

「ごめん、私も叩きたくなった」

 

ここで見守っていた杏夏が、

 

「みなさん」

 

「いっ」

 

「うっ」

 

「ひっ」

 

冷たい声で話しかける。

 

「練習を始めましょう」

 

「は、はいぃ!」

 

3人の声が重なる。

 

「春李さん、股割りなのですが180度開脚ではなく中腰のをお願いしたいのですが」

 

「あっ、そっちの?なぁんだ言ってくれればいいのに」

 

「お願いします」

 

「はいはい、よいしょっと」

 

春李が立ち上がる。

 

「まず脚を肩幅よりも広く開く、次にお尻をひざのあたりまで落とす。空気椅子のイメージかな?はい、2人ともやってみて」

 

「こ、こいつは・・・」

 

「練習終わりにコレはきついわね」

 

すると杏夏が、

 

「そのまま脚を動かしてもらいます」

 

春李が聞く。

 

「ゴロ捕球のイメージかしら?」

 

「そうです」

 

「はぁい。2人ともついてきて」

 

春李が脚をうねうねと動かし、菫と稜もついてこようとするが・・・

 

「ほらっ、もっと腰落として」

 

「地味な割にきちー」

 

稜が早くも音を上げはじめる。

 

そこへ打撃練習を終えたヨミが通りかかる。

 

「何してるの?」

 

杏夏が稜の肩に手をやりながら答える。

 

「股割りですよ。練習終わりに最低100回、この動作を体に記憶させておけば、土壇場で効いてくるはずです」

 

「そっか・・・頑張って」

 

投手(ピッチャー)で良かった~ きつそ

 

と、その場を去ろうとするヨミだったが、

 

「あっ武田さん!マウンドに立たない時は三塁か一塁に入って貰います。つまり、今から内野の練習にも入るように」

 

春李は『2人だけではない』の意味を理解したようで杏夏に聞く。

 

「3人目はヨミ、内野の練習ってことはあと理沙っちと希もってトコかしら?」

 

「ひいいいい」

 

「欲を言えば春李さんにも」

 

「ようこそ」

 

春李が平然と股割りをしながら答える。

 

一塁手(ファースト)?希がいるしヨミにもやらすんでしょ?」

 

「今の人数だと使えるオプションを増やしておきたいんです」

 

「わかったわ、でも今は待って。また肩作って希に投げるから」

 

「わかりました。春李さんなら大丈夫でしょう」

 

(うち)じゃバット振ってるか下半身いじめてるかしかしてないからね」

 

「180度の開脚が出来るという事は初動負荷や関節の可動域を広げるトレーニングを中心にされているんですね」

 

「ええ、あんちゃんも中々ね。じゃ、3人ともお先」

 

「え、春李ちゃんもう行っちゃうの?」

 

「春李はお手本として呼ばれただけだからな」

 

「それに私たちよりも普段からやってるようだからね」

 

その後、再び希の打撃練習の打撃投手をやって合宿初日は終了。

 

「いただきまーす」

 

陽が落ちてから一同で食卓を囲む。

 

「ぱくぱく」

 

「もっ」

 

「もくもく」

 

一同、我先に箸をすすめる。

 

「う、うめぇっ!」

 

「見た目は家で作るものと変わらないのに・・・」

 

稜と菫が驚いていると・・・

 

「当然よ」

 

「春李!」「春李ちゃん!」「春李さん!」

 

割烹着姿の春李が現れた。

 

「その恰好、どうされたんですか?」

 

「どうされたもこうされたも、私と芳乃とあんちゃんで夕食(コレ)作ったのよ?」

 

「はいぃっ!?」



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第26球

「はいぃっ!?」

 

柳大川越との練習試合後に春李の料理の腕を見ていた芳乃、息吹、ヨミ、珠姫を除いた面々が驚きの表情と声を上げる。

 

「っさいなぁもぉ」

 

最初に口の中の物を飲み込み喋り出したのは菫だった。

 

「春李、あんた料理できたの?」

 

「普段は専属の栄養士とメイドに任せてるけど、いつも作ってもらえる状況ってわけにはいかないから一通り教えてもらってるのよ?このメニューの中にも栄養士の先生から送ってもらったものがあるわよ」

 

次に稜が口にものが入ったまま聞く。

 

「春李ってそういうことは面倒くさがってやらないと思ってた」

 

すぐに菫から注意が入る。

 

「ちょっと(アンタ)食べるか喋るかどっちかにしなさい。はしたないわよ」

 

「しっつれいしちゃうわね。この私の身体に入るものよ?信頼のおける人間に作ってもらえないんなら自分自身でやるしかないでしょ?」

 

「それは私が信用ならない人ってこと?」

 

普段着姿の芳乃が大量のエビフライを持ってやってきた。

 

「いっぱいあるからゆっくり食べてね」

 

芳乃は春李に疑いの目を向け、希も少し憤りを含んだ目で春李を見つめる。

 

「ちーがーうーわーよっ!この前、練習メニュー組んだ時の食事の献立は中々だったけど、それでもまだちゃんと専門知識を持ってる人を頼るべきって言いたいの」

 

「なんだ、安心した」

 

次に春李は白菊に目をやる。

 

「そういえばメシのことで白菊に聞きたいことがあったんだけど・・・」

 

「なんでしょうか?」

 

「白菊って自炊してるの?」

 

「はい。と申しましても、お昼のお弁当だけですが」

 

白菊は朝食と夕食は母親に作ってもらっていたが学校で食べる弁当は自分で作っていた。

 

「この前白菊と昼一緒になったときその弁当見せてもらったけど、ちょっと栄養が足りてないかなって」

 

「普段から素食を心掛けているので、芳乃さんの献立を参考にしながらも私の作り方でやらせていただいています」

 

「これなのよ芳乃、バランス悪いのや食べ過ぎはもちいけないけど白菊は食べなさすぎなのよ」

 

「そうなの?白菊ちゃん、食事も練習の1つだと思って」

 

「食事も練習・・・ですか」

 

ここで春李が全員に話す。

 

「そ、みんな食べながらでいいから聞いて」

 

一同茶碗やおかずの皿を持ちながら春李のほうを向く。

 

「芳乃は食事も練習のうちといったけど、まず練習で消費したエネルギーをしっかりと補給すること。そうじゃないとみるみるやつれて結果的に普段の練習や試合で力を出し切れなくなるわ。こういうとシンドくなってくるけど日々のメシもトレーニングメニューの一つだと思って目の前のメシに喰らいつきなさい。巡り巡って自分のためよ」

 

「わかったわ」

「おう」

「わかりました」

「そうやなあ」

 

一同が答えていく中で、

 

「そういうものかなぁ?」

 

ヨミは違った反応をみせる。

 

「およ?じゃヨミの含むところを聞かせてもらおうかしら」

 

「別に含むところがあるとか、そういうわけじゃないんだけど。別に食べるのが辛いとかそういうのは思ったことがないというか。そりゃ、不味かったらたくさん食べるのは辛いけど、コレみたいに美味しかったら無限に食べられるというか・・・」

 

芳乃と春李が顔を見合わせ、芳乃が答える。

 

「それも、ヨミちゃんの才能の一つだと思うよ」

 

「そうかなぁ」

 

次いで春李が答える。

 

「ま、まだ合宿が始まったばかりだし、この合宿自体短いし、今言ったことが続くかどうかね。珠姫と希だったら食べることの重要性は口酸っぱく言われたんじゃないかしら?」

 

2人ではなく稜が反応した。

 

「いや、二人がどうかは知らないけど私と菫も中学の時、言われたことあるよ」

 

「へぇ、意外ね」

 

芳乃が補足する。

 

「春李ちゃんは二人の後に入って聞いたから知らないと思うけど、菫ちゃんと稜ちゃんは南相模出身だから」

 

「強いトコ?」

 

「去年県大会出場だからそこそこ強いよ」

 

「ふぅん、どーりで」

 

春李は菫と稜に目をやりながらうんうんと2度3度うなずいた。

 

「うん、じゃあもう一つ。日々のメシもトレーニングメニューの一つだと言ったけど単に量食えばいいってもんじゃないわ。前に芳乃から献立渡されたけどバランスの良いメシで動ける身体を作んないと何の意味もないわ。身体や、選手としての才能や技術なんかを乗り物のエンジンやボディに例えるとしたらメシや睡眠は差し詰めバッテリーや燃料、私のように神が二物も三物も与えた超ド級の身体能力や溢れ出て留まるところを知らない才能があってもそのへんがなってなきゃ宝の持ち腐れよ。みんな、この私でさえここまでやってるんだから、あなたたちはもっと頑張んなきゃいけないってことぐらい・・・わかるわよね?」

 

うんうん、今の話を春李ちゃんから聞けただけでもこの合宿を組んだ意味があるよ~。

 

芳乃がそう心の中でつぶやいていると春李が芳乃に小声で話しかけた。

 

「芳乃、これで『私の野球に対する取り組みをもっとみんなに見てもらえば、取り組み方に変化が出る』って目標はひとまず達成かしら?」

 

芳乃も小声で返す。

 

「うん、でもまだ初日だから明日以降もお願い」

 

「わかったわ」

 

2人が話していると、

 

「ヨミ!あとで夜の学校探検しようぜ」



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第27球

芳乃と春李が小声で話していると、

 

「ヨミ!あとで夜の学校探検しようぜ」

 

「いいね~」

 

「!、私もお供させていただきます」

 

3人で夜の学校を探検する段取りが纏まったところで、

 

「寮がとなりにあるから静かにね。それと明日もあるし自主トレする人はほどほどにね」

 

「はーい」

 

「三人とも、今寝ることも練習の一つって言ったばかりじゃない。それをまあ芳乃まで・・・」

 

「これくらいはいいと思うよ」

 

「まったくもう」

 

「あれ?先輩方は?」

 

「先刻出て行かれましたよ」

 

「よし、じゃあ残りのメンバーで布団敷いておきましょ」

 

「春李ちゃん・・・」

 

芳乃と希が申し訳なさそうに切り出す。

 

「二人ともどしたの?」

 

希が芳乃に目をやって先にどうぞとする。譲られた芳乃が答える。

 

「私は、藤井先生と明日の打ち合わせやなんかがあるからできない」

 

「わかったわ。希は何?」

 

希が答える。

 

「私はこれからバット振りたかっちゃけど・・・」

 

春李が呆れてため息をつく。

 

「はぁ・・・希、今日は休みなさい。初日から張ってると体がもたないわよ」

 

「ばってん・・・」

 

「まあ確かに、いつもやってることを休むにはやる以上の勇気がいるわ。でも今はその勇気が必要な時よ。休むことも練習の一つだと思って」

 

「わかった」

 

「でも・・・」

 

今度は珠姫と菫が春李に話す。

 

「どしたの?」

 

珠姫と菫が顔を見合わせ、菫が話すことにした。

 

「春李からみんなの分の布団を敷こうって言いだすだなんて意外ね」

 

珠姫が続けて話す。

 

「私も思った。春李ちゃん、そういうのはみんなにやらせて自分はって感じに見えるから」

 

「しっつれいしちゃうわ。と言いたいところだけど全否定はできないわね。でもこういう時、自分から敷けば自分の好きな場所で寝れるってもんでしょ?」

 

「ああそういうこと」

 

「春李ちゃんらしい理由だね」

 

「じゃ早いトコ敷いちゃいましょ」

 

3人は夜の学校探検、芳乃は杏夏との打ち合わせのために別れ、珠姫、息吹、菫、希、春李の5人は大部屋へ移動し布団を敷き始めた。

 

「およ?」

 

春李が首をかしげる。

 

「春李どうしたの?」

 

息吹が春李に聞く。

 

「シーツの長さが足りない・・・」

 

「シーツん長しゃが足らんんじゃなくて春李ちゃんの敷き方が悪かっちゃん。代わって」

 

希が春李に変わって布団を敷く。

 

「ええ、任せるわ」

 

「上に折り込んだシーツが長すぎるっちゃん。ほら、こうすりゃ・・・」

 

「おぉ・・・」

 

菫が会話に入ってくる。

 

「春李ってこういうのあまり得意じゃないのね」

 

「ええ、うちはベッドだから布団敷いたのなんて何年ぶりかしら」

 

私んちもベッドだからあまり慣れないのよね・・・

 

息吹がそう思っていると菫が希に話しかける。

 

「菫ちゃん、となりで寝たっちゃよか?」

 

「ええ、構わないわよ。こっちは(アイツ)だから反対でいい?」

 

「うん、端っこがよかと」

 

2人が場所取りについて話している横で珠姫と春李が、

 

「あーもう春李ちゃん、それじゃあまた敷布団とシーツの長さが合わなくなるよ」

 

「ご、ごめん・・・」

 

「春李ちゃんの布団も敷いてあげるから春李ちゃんはそこで大人しくしてて」

 

「わ、わかったわ。場所はココで」

 

「はいはい」

 

戦力外にされる春李。その後なんともなく11人分の布団を敷き終える。

 

「終わり・・・よね?」

 

春李が申し訳なさそうに聞き、息吹が答える。

 

「ええ」

 

「じゃあみんなは一足早く寝てて、私芳乃とあんちゃんに布団敷き終わったって言ってくっから」

 

菫が答える。

 

「わかったわ、じゃあおやすみ」

 

珠姫がクギを刺す。

 

「春李ちゃん、自分がほとんど敷いてやったとか言っちゃダメだよ?」

 

「そんなすぐバレる嘘つかないわよ。じゃみんなグンナイ」

 

春李が大部屋を出て芳乃と杏夏のもとへ向かうと夜の学校探検を終えて帰ってきた3人と鉢合わせた。

 

「あら、おかえり」

 

「ただいま~」

 

ここで春李が少し3人をからかう。

 

「で、ユーレーとは会えたのかした?」

 

「おいおい、春李ってそんなもの信じてるのか?」

 

「冗談が通じないのね、まさかホントに出たんじゃないでしょうね?白菊?」

 

春李は3人の中で一番嘘がつけなさそうな白菊に聞いた。

 

「いえ、でも先輩方が話しているのを・・・」

 

そこまで喋ったところで稜が白菊の話を遮る。

 

「おい!」

 

「怜ちゃんと理沙っちがどしたの?」

 

「いやあなんでもない。なんでもないんだ本当に」

 

春李の頭にハテナマークが浮かぶ。

 

「もう布団敷き終わって、他のみんなは床に就いてるから部屋入る時は静かにね」

 

「はーい」

「おう」

「わかりました」

 

「さ、布団敷き終わった事、芳乃とあんちゃんに言わなきゃ」

 

「私達も戻ってきたっていうところだよ」

 

「じゃ一緒に」

 

そういうと4人は一緒に部屋に入る。

 

「ただいま~」

 

「おかえり~」

 

「こっちは布団敷き終わったわ」

 

「ありがと~」

 

「うんうん、全然。私敷き方がブサイクで途中から戦力外だったから」

 

稜が茶々を入れてくる。

 

「お?なんでもできる天才の意外な弱点ってとこか?」

 

「別に私は自分が万能だとは思ってないわよ。それより・・・」

 

「先生どうしたの?」

 

「大丈夫かよ~」

 

「ちょっと張り切りすぎたみたいで・・・」

 

「今から、整体の先生か鍼灸の先生呼んであげよっか?」

 

杏夏はもだえながら答える。

 

「い、いえ、こんな夜更け、それには及びません」

 

「埼玉四強時代のOGだからといって酷使しすぎたかも・・・すみませんねぇ」

 

「年には勝てないわね・・・」

 

芳乃から明かされた杏夏の素性に一同が驚く。

 

「OG!?新越の?どうりで上手いと思った!」

 

だ・・・大先輩・・・

 

稜は昼間の自身の言動、行動を振り返る。

 

「数々の無礼を・・・」

 

自然と土下座で詫びる稜。

 

「い・・・いいのよ」

 

「なるほどどうりで・・・」

 

あの顔面4分割の時の身のこなし、タダモンじゃないとはにらんでたけど・・・ふふふっ、ますます面白いことになりそうね。



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第28球

2巻の118ページの2コマ漫画からこの話を思い付きました。

とある登場人物のキャラが著しく崩壊しているのでご注意ください。ご不快に思われたら誠に申し訳ございません。


合宿初日の夜中のこと。

 

スピー スピー

 

一同合宿の疲れから深い眠りに就く中、1人眠れぬ夜を過ごす少女がいた。

 

甘いものが食べたい・・

 

菫は好きなスイーツが食べられず寝付けない。

 

「・・・みれ、菫、起きてる?」

 

暗闇の中で小声で菫を呼ぶ声が1つ。

 

「春李?どうしたの?朝練・・・なんて時間じゃないわね」

 

「しっ、静かに。ちょっと来て、みんなに気付かれないように」

 

2人は忍び足で大部屋を出てキッチンへ向かう。

 

「夜食にでもするつもり?」

 

「当たらずも遠からずってトコね」

 

春李がゆっくりと冷蔵庫の扉を開け、中から縦長の箱を取り出す。

 

「これって・・・まさか!」

 

「ふっふっふっ、じゃーん」

 

春李が箱を開けると中には8個のプリンが入っていた。

 

「この青い箱・・・このうつわ・・・まさか!蒼磨堂(そうまどう)の『塩プリン』!?」

 

「うーん、惜しい!」

 

「えっ!?もしかして『こだわりの塩プリン』!?」

 

「もう一声!」

 

「もう一声って、ま、まさか・・・あの幻の『特選こだわりの塩プリン』なの!?」

 

「せーいかーい」

 

蒼磨堂の『特選こだわりの塩プリン』とは何かというと・・・それについては菫がトリップしてよだれを垂らしながら説明してくれる。

 

「あの老舗超一流プリン専門店の蒼磨堂が材料選びに厳選に厳選を重ね作り方においても世界トップレベルの職人が1個1個手作りで作りそのレシピは完全門外不出でプリン作りに携わる時には誓約書まで書かされると言われその値段1個税抜1200円!そ、そんな特選こだわりの塩プリンが今目の前に」

 

春李が菫を揺さぶって落ち着かせる。

 

「ちょ、ちょっと菫、声声」

 

「はっ!?」

 

「誰も起きてこないようね、明日の3時にみんなで食べようと思って、私からの差し入れよ」

 

「さ、さすがは春李・・・でもなんで今私に見せたの?」

 

菫の目がキラキラと輝いている。

 

「そう、塩プリンの数かぞえてみて、こっちの箱もそうよ」

 

「はうにゃ!、いちにーさんしーごーろく・・・・・6個入りと8個入りが1箱ずつで14個あるじゃない、監督にも食べてもらうとしても2個多いわね」

 

「そ、2個あまるように買ったの、そして今ここにいるのは?」

 

「私と春李のふたr・・・も、もしかして!」

 

「二人で『味見』、しましょ♡」

 

春李の言葉に菫の瞳に大流星群が流れる。

 

「春李ぃ!らいしゅきぃ(だいすき)!」

 

「ひゃうあっ!」

 

菫が春李に飛びつく。

 

「ちょっと菫、抑えて抑えて、みんな起きちゃうから、どうどうどう」

 

「ご、ごめん」

 

「スプーンは・・・ココにあるみたいね、はい。じゃ食べましょ」

 

「いただきます」

 

2人はそっと塩プリンのフタのビニールをはがした。

 

「ふわぁ~、この立ち込める香りだけでもごちそう・・・」

 

菫の眼はウットリとしている。

 

「食べる前からソレじゃ食べたらどうなることやら」

 

「はむ」

 

菫が一口塩プリンを口にすると再び瞳に大流星群が流れる。

 

「ふみゅゃぁ~牛乳、生クリーム、卵黄、砂糖、バニラ、それぞれの調和による甘みが際立っていてそれを絶妙な塩梅の塩が更に引き立てていてこれはもう一つの芸術作品といってはばかられないわ。こんなの知っちゃったらもう戻れなくなっちゃう・・・」

 

「もう、大げさよ」

 

「大げさじゃないわ、むしろ私の語彙力じゃ表現が追い付かないくらいよ」

 

「じゃあゆっくり一口ずつ食べましょ」

 

「ええ、こんな逸品バクバク食べるわけにはいかないわ」

 

その後2人は時間を掛けながらゆっくりと塩プリンを食べた。

 

「ごちそうさま」

 

「お粗末さま。さて、問題はここからよ」

 

「問題って?」

 

「このうつわとフタに名前を書いておこうと思うの」

 

「そんな子供みたいなこと・・・」

 

「もしこの塩プリンを3時前に稜が見つけたら?」

 

「・・・全部食べるわね。わかったわ」

 

「はい、ここにペンがあるから菫のは私、私のは菫が名前書いて」

 

「まかせなさい」

 

2人が残りの12個の塩プリンに名前を書いていく。

 

「よし、じゃあ次は芳乃のを書くわ」

 

「うぃ、じゃ私は息吹のを」

 

2人で最初に誰の名前を書くか確認してちゃんと1人1個になるようにして名前を書き終えた。

 

「おし、これで全員分名前を書き終えたわね」

 

「ええ、これで争いは起きないはずよ」

 

「じゃあ次の問題、コレをどうするかよね」

 

春李は食べ終えた塩プリンのうつわ2個を持ちながら言う。

 

「あー・・・確かに見つかったら不味いわよね・・・」

 

「学校の近くのゴミ捨て場に捨てておくわ」

 

「そのままじゃ芳乃か監督が朝のゴミ出しをした時に見つかるわ。そうね・・・」

 

菫が台所を見回すとあるものをある物を発見する。

 

「これにくるんで捨てましょ」

 

「古新聞!ナイスアイデア!」

 

すぐに古新聞でくるんで春李が捨ててくる。

 

「遅かったわね」

 

「近くじゃ芳乃やあんちゃんに見つかるかもしんないんでしょ?ちょっと遠くのゴミ捨て場に捨ててきた。これで完璧よ」

 

「待って」

 

菫が待ったをかける。

 

「どしたの」

 

「ココどうするのよ?二個分空いてるのが不自然じゃない」

 

塩プリンの入っていた箱には2人が食べた分空きが出来ている。

 

「それは私に考えがあるわ。これよ」

 

「それって、保冷剤?」

 

「そ、それもちゃあんと蒼磨堂の保冷剤、塩プリンを一個こっちに移して空きを一つ分にするそこにこの保冷剤を入れておけば・・・」

 

「おぉ・・・自然に見える」

 

春李が塩プリンの箱2つを冷蔵庫にしまう。

 

「これでよし、じゃあ見つからないように布団へ帰りましょ」

 

「ええ」

 

翌日、菫と春李は他の10人にバレることなく3時の塩プリンにありついた。他の面々も驚きに包まれ、食べると瞳に大流星群が流れた。



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第29球

クーラーボックスを抱えた芳乃が汗を垂らしながらみんなに言う。

 

「プロテインジュースの時間まで、あと5分だよがんばれー」

 

GW(ゴールデンウィーク)合宿は、それぞれの課題をこなし、あっという間に・・・過ぎていきました。そして―――合宿最終日は移動しての練習試合、第一試合は対 大鷲高校戦

 

「あっ」

 

鋭い打球が遊撃手の稜のグラブを弾きセンター前へ抜けていく。

 

「すいません理沙先輩!」

 

「いいのよ。ていうかインプレ―中に謝罪しない!」

 

遂にチームの経験不足が露呈(ろてい)し始めます。

 

「たはは・・・」といった感じで戦況を見る芳乃と青筋を立てて戦況を見る杏夏。春李は勿論ベンチの後ろで寝ている。顔中に包帯を巻きながら。

 

でも先発の理沙先輩は急造ながら、大崩れすることなく淡々と投げてくれます。

 

今度はライト前の打球を白菊がバウンドを合わせることが出来ず後逸してしまう。

 

試合は1回裏に新越谷が2点を先制したものの、大鷲が2回に2点を入れ同点とし3回に3点を入れ勝ち越される。その裏新越谷が1点を返したものの5回に大鷲が1点を追加し突き放す。

 

「初登板おつかれ」

 

「6失点なら十分ですよ」

 

怜と芳乃が理沙に労いの言葉を掛けるが当の理沙はそれでも浮かない表情をしている。

 

6回からは息吹ちゃんが登板!頑張ってね!

 

またも鋭い打球が今度は息吹の顔の右横を抜けセンターを守る怜の前に落ちる。

 

「ひ~怖い~」

 

今度はサード横、三遊間寄りに打球が飛ぶ。

 

「サード2つ!」

 

「ほっ」

 

「5」

 

「はいっ」

 

「4」

 

「3 ゲッツー!」

 

これがビギナーズラックってやつね。

 

息吹とヨミが同じようなフィスト・パンプ*1をする。

 

最終7回の攻撃、1アウトとなった所で白菊が打席に立ちネクストバッターズサークルには春李が包帯を巻いたまま入る。

 

白菊は持ち前のフルスイングを魅せるもボールの下っ面をバットが「チッ」と掠るような当たりで、打球は大きな弧を描くフライが上がったもののフェンス手前で若干失速し外野手がフェンスの金網に手を掛け小さく跳躍するとそのグラブの中に白球は収まった。

 

「飛んだなー」

 

「おしい」

 

「よし、じゃあ」

 

「私が審判さんに交代言ってくるわ」

 

理沙が主審の下へ小走りに駆けていく。

 

「審判さん、バッター10番に代わります」

 

「分かった。バッターラップ!」

 

理沙がベンチに戻ろうとすると春李が声を掛ける。

 

包帯(コレ)取るからベンチに持って帰って」

 

「あー、わかったわ」

 

春李が一旦ヘルメットを外すと審判が早く打席に入るよう強めに促す。

 

「バッター!」

 

「へいへーい」

 

春李が審判に軽返事をしながら結び目に手をやりシュルルと包帯を解き浅黒い肌を露わにする。

 

「わぁたぁしぃよっ!」

 

「ま、鱒川春李っ!?」

 

グラウンドの大鷲高校の選手たちベンチ一同、次の試合の準備をしていた藤和高校の一同引っくり返らんばかりに仰天する。

 

ヨミと珠姫が話す。

 

「グラウンドの空気が一変したね」

 

「ヨミちゃんにもわかる?」

 

「うん、柳大川越との練習試合の時もそうだったけど空気がピリッと張り詰めた感じがする」

 

春李は初球の甘い球をスタンディングダブルにしチャンスを作るも、続く希の打球は一二塁間を抜けようかという鋭い打球であったが相手二塁手の好守に阻まれてしまう。

 

試合終了(ゲームセット)

 

希・・・

 

春李はこの時、塁間でヘルメットを脱ぎながら、合宿中に希の打撃練習の相手をした際にためらい別の言葉で濁した『ある懸案事項』が現実のものになりつつあると思った。

 

「凄いって!私なんて10失点が普通だったし!」

 

草野球同好会で10失点が当たり前ってのはやっぱりヨミは・・・と思う春李であった。

 

「ほら!すぐ次の試合できるんだよ!凹んでる暇ないよ!」

 

芳乃がナインを鼓舞する。

 

ホントはあんちゃんがこういうこという役目なんだけど・・・まだ処分明けで遠慮してるとこがあんのかな・・・?

 

春李はそう考え杏夏と話そうとするもその暇さえも無く次の試合が始まる。

 

続く第二試合。対藤和B戦。

 

希がヒットで出塁し、菫がバントで進め、珠姫がホームへ迎え入れる。

 

幸先よく1点先制!初回先取点はうちのパターンになってきたね。

 

この試合の先発は、エースヨミちゃん!好投を見せるも・・・小刻みに点を重ねられ、都合三連敗となりました。

 

Bチームとはいえヨミを格下の中学時代無名だとタカをくくってくれて勝てると思ったんだけどなぁ・・・スクイズで点を入れてきたあたり、ヨミの潜在能力を見抜いて他地区だけど脅威になる存在と踏んできたか・・・」

 

「それは違うと思うよ」

 

「芳乃?あれ私・・・」

 

「途中から声に出てたよ。ほら」

 

「あっ、ホントだ。でも違うってどゆこと?」

 

芳乃は若干呆れながら答える。

 

「さっきの試合で春李ちゃんが出たでしょ?『鱒川春李のチームでエースナンバーを着ける()』ってことで向こうのベンチが必要以上に警戒してきたからだと思うよ」

 

「そうかしら?まあそういうことにしておいてあげましょ。全く、私って罪な女ね」

*1
日本では一般的にガッツポーズと呼ばれている仕草ですが、ガッツポーズの由来が元プロボクサーのガッツ石松氏が由来とされ、ガッツ氏が1974年4月11日にボクシングWBC世界ライト級王座を奪取したときに両手を挙げて勝利の喜びを表した姿を当時、スポーツ報知の記者だった柏英樹氏が「ガッツポーズ」と表現して、ガッツポーズが広く知られるようになり、このことから4月11日が「ガッツポーズの日」と呼ばれていることから、球詠の作風上ガッツポーズという単語を用いることは不適切と筆者コンスタンチノープルが判断し、以降作中でもガッツポーズが登場する場面や原作内でガッツポーズと明言がある場面でもガッツポーズの英語圏での名称である「フィスト・パンプ(fist pump)」という単語を用いらせていただきます。ただし、ガッツ氏がガッツポーズを有名にする2年前の1972年11月30日に学研から発行されたボウリング雑誌「週刊ガッツボウル」において、ストライクを取ったときのポーズを「ガッツポーズ」と命名したとされることや、1960年代に米軍基地内のボウリング場で、ストライクのときなどに「ナイスガッツ」と言っていたのが由来ともいわれるボウリングが由来であるという異説も存在することをここに明記させていただきます。




大変申し訳ないのですが、創作意欲が別の方向に向いてしまっている状態に入ってしまったのでしばらくこの物語の更新はできません。

重ねて申し訳ございません。


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