Fate/Fiend Friends [フェイト/フィエンド フレンズ] (皇緋那)
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第1話「キャスター/宇宙からの贈りもの」

 その日、突如として日本に白夜が訪れ、人々は夜空に蒼い光を見た。

 

 星空を上書きするように、太陽を思わせるほどに強い輝きを放つその物体。直径数十メートルはあり、その材質は今の地球上の技術ではなんなのかさえわからないような代物だ。その日に輝きを見せるまで、誰にも観測されておらず、誰もこの日のことを予想だにしていなかっただろう。無論、どのコンピュータの計算も異常を示していなかった。

 

 けれど、確かにそれはこの星へと現れた。

 数時間ほどの短い光だが、白夜という現象は、眠っていた人々も夜を更かしていた人々も、科学者も魔術師も一般人も等しく、大いに驚かせた。

 

 そんな彼女は地上に凄まじい速度で迫り、やがて地表に降臨する。その巨体を支えるには細すぎる脚で建造物を踏み潰し、土砂を巻き上げながら、しかしその着地は穏やかなものだった。

 

 場所は静岡県熱海市の住宅街、その真ん中だ。特別な霊脈を宿しているだとか、そんな理由があったわけではない。けれど、不思議と彼女はその街を選んだ。その地が、とある映画に於ける怪物の襲撃を受けた街だと、人々に知られていたからだろうか。

 

 やがて、彼女は脚のみならず、本体を地に臥せる。下敷きとなった全てがその重量にひしゃげ、ついに彼女そのものが地球上に降り立った。

 今まで放っていた輝きはほんの1分もしないうちに失われていき、伸ばしていた鋭角の脚を折り畳み、後には地球外物質の巨大な球体だけが残る。熱海の街に夜の闇が戻り、隕石は最初からそこにあったかのように、月明かりを浴びていた。

 

 かくして、地球上にない物質の結晶体のようなモノが、一夜にして熱海市に現れ、鎮座するようになったのである。

 

 さて。その隕石が宇宙から来訪する瞬間を、胸を高鳴らせながらじっと眺めていた少女がいた。

 

 夜を塗り替えるほどの眩い色は綺麗な青で、街を覆い尽くすほどの快音は甘美な調べで、まるでそれは宇宙がもたらした祝福のよう。

 なんて、美しい光景なんだろう。一夜明けた今でも脳裏に焼きついて離れない。何度でも鮮明に思い出せる。

 

 少女は心を奪われていた。恐らくこの時、宇宙がもたらした災厄の種を、誰よりも歓迎していた人間だった。

 だからこそ、彼女が最初に運命を手繰り寄せたのは、必然であったのかもしれない。あるいは、彼女は既に隕石に導かれていたのか。

 

 熱海市に住む普通の少女──観伝寺(かんでんじ)風羽(ふうわ)は、いたって普通の高校生だ。

 クラスでは目立たない存在で、帰宅部所属。趣味は読書。優しい両親と三人で、一軒家で平穏に暮らしている。

 

 高校はもう夏休みに入っていて、部活にも入っていない風羽は登校する必要は無い。眠気に任せて二度寝することだって誰も咎めやしない。

 だけど、眠い目をこすりながら、風羽はベッドから飛び起きた。真っ先に確認するのは窓の外だった。

 

 枕元に置いてあった愛用の眼鏡を慌てて装着し、日光の眩しさに目を細めつつ、目的のものを視界に捉える。

 

 昨夜目撃したあの隕石は、住宅街の真ん中に鎮座している。瓦礫に囲まれたその姿は、まるで巨大な水晶玉だ。

 直径数十メートルもあるらしいそれを撮影すべく飛ぶテレビ局のヘリコプターに、調査にやってきた自衛隊の車両が行き来しているのも、小さくだがなんとなく見える。

 

「……夢じゃ、なかったんだ」

 

 風羽は頬をつねり、しっかり痛いことを確認すると、嬉しくなって、自分の部屋を飛び出した。そのまま大慌てで朝の身支度を開始する。

 長い茶髪を三つ編みにして、愛用の眼鏡を拭いて、パジャマから外行きの服に着替えたら、朝食も食べずに財布と携帯電話を引っ掴み、玄関に向かって駆け出した。

 母がどうしたの、と呼ぶ声がしたけれど、聞こえないふりをする。扉を開け放って、青空の元へ踏み出す。

 

「見てみたい、もっと、近くで……!」

 

 実の所、風羽は隕石だとか、そういう類のものが大好きであった。あれだけの巨大なものが空から降ってくるなんて、人生で二度とないに違いない。

 憧れを抑えきれず、思わず駆け出したくなる。

 

「おーい、風羽!」

 

 道を駆け出そうとしていた風羽を呼び止めたのは、隣の家の庭で家庭菜園に水をやっている、同年代の少年だった。

 彼の声が聴こえるなり、風羽は歯を食いしばって立ち止まる。その顔から高揚の色は消えていた。

 

「夏休みなのに、朝早いんだな」

 

 彼は隣家に住む同級生、芹沢(せりざわ)紘輝(ひろき)。小学校に入学する前からの知り合いだから、いわゆる幼馴染みというやつになる。

 だが、風羽の側からしてみれば、お節介で、察しが悪くて、どうしても苦手な相手だった。

 

 しばしの沈黙。彼からしたらただの挨拶のつもりだろう。それでも風羽は水を差された気分になり、顔を顰める。そして少し考えてから、取り繕うのもやめた。

 

「……ごめんね、急いでるから」

 

 いつもなら、ここまであからさまに冷たくあしらおうとはしない。隣人の芹沢一家とトラブルを起こすのは、普段目立たない存在でいようとしている風羽にとって不本意だからだ。

 けれど、せっかくこの道の先にあんな魅力的なものがそびえ立っているのに、こんなことで歩みを妨げられるのはどうしても癪に障った。

 

 紘輝の顔色を見ることもなく、その場から逃げるように走り出す。残された彼は首を傾げていることだろうが、関係なかった。

 

 普段の運動不足がたたり、道中で息を切らして公共交通機関を利用してしまったが、やがて風羽は結晶体のところに到着した。

 マスコミや近隣住民が多く集まっているところをくぐり抜けて、調査中らしい自衛隊の人達には見つからないように気をつけながら、隕石そのものに近づいていく。普段の学校生活でいつもやっていることだったから、息を潜めるのは得意だった。

 

 周囲に誰もいないことを確認してから、ようやく風羽は立ち止まる。ひとまず、目の前にそびえ立つ謎の塊を改めて観察する。

 

 宝石のように見えるけれど、風羽の知るどの宝石とも一致しない色彩と質感。それだけでも、本当に宇宙からやってきてくれたんだと嬉しくなった。

 

 どんな感触がするんだろう。硬いのか軟らかいのか、熱いのか冷たいのか、いろいろな想像を巡らせながら、思わず手を伸ばした。

 手のひらがゆっくり近づいていき、心臓の鼓動がどこまでも速くなっていって、そして最後には、風羽の肌と結晶体が触れ合った。

 

 その瞬間から、風羽の脳になにかが流れ込んでくる。

 

「──え? なに、これ……きゃっ!?」

 

 突如、隕石に触れていた右手に痛みが走った。それは静電気なんかよりずっと強い電撃で、跳ね返されて、瓦礫の上に尻もちをついてしまう。

 

「いったた……何が起きたの……?」

 

 土を払い落としながら、火傷にも似たひりひりという痛みが残る手を見た。だが、そこにあったのは傷口ではない。先程まではなにもなかったはずの右手の甲に、赤い痣が浮かびあがっていたのだ。

 

「……令呪」

 

 風羽はそのような現象を知らない。なのに、知らないはずのものを知っている。

 痣の名前は令呪。聖杯戦争へと参加する資格たる聖痕。その存在を認識した途端に、湧き上がる使命感が風羽を立ち上がらせた。

 

「召喚の儀式、やらなくちゃ。だって、聖杯戦争、だもんね」

 

 聖杯戦争。七人のマスターが七騎のサーヴァントを従え、願いを賭けて殺し合う儀式。

 それがなんなのか、本来魔術世界と全く関わりのないはずの風羽だというのに、はっきりと理解出来る。出来てしまうのだ。

 

 風羽は隕石から離れ、さっきまでの疲れも忘れて歩き回り、人気のない空き地を探した。見つけたのは寂れた公園で、多少近隣住民の目はあるだろうが、考慮しないことにした。

 

 それからは、自分のものじゃない知識に従って行動するだけだった。

 自分の手首を力任せに引っ掻き、できた傷から溢れた血で砂の上に図形を描き、それを魔法陣代わりにして、詠唱を紡ぎ始める。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には遥かなる伴星(ネメシス)

 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 小難しい言葉の群れを、一字一句迷うことなく連ねていく風羽。やがて彼女の血で描かれた魔法陣は輝きを放ち、その中に異様な気配を形作ってゆく。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 詠唱を進むと、風羽の両眼に熱く煮えたぎるような感覚が襲いかかってくる。同時に陣の放つ輝きが増し、視界はゼロになる。

 だが怯まない。止まろうとしない。

 

「──告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 風羽の肉体が軋み、手首の傷口から血が噴き出した。光の中の気配はより存在感を増し、シルエットは膨れ上がっていた。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 

 汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」

 

 詠唱の完了とともに放たれる一際強い輝き。姿を現すのは、三体の大きな影と、一人の女。

 

 彼女の綺麗に伸びた桃色の髪はこの世のものとは思えないほど美しく、儚げであった。だがそんな美しさよりも、人間とは決定的に違う『力』の気配こそが、風羽を惹き付けてやまなかった。

 

 女は静かに目を開くと、視界を取り戻してからただ呆然としていた風羽に微笑みかけた。

 

「貴女が、私のマスターですね」

 

 風羽は恐る恐る頷く。

 

「はい、ここに契約は成されました。

 私はキャスター。魔術師のサーヴァントです。この子達ともども、よろしくお願いしますね」

 

 伸ばされた女の手に、ためらいがちに手を伸ばす。助け起こしてくれるキャスターの手の感触は、暖かくて柔らかい。隕石の質感とは違っていた。

 

「……あ、あの」

 

 恐る恐る口を開く。

 

「あなたは、私と一緒に、全部壊してくれる人ですか?」

 

「もちろん。私はサーヴァントであり、この子達も同じです。主様が望むのなら、何もかも破壊してみせましょう」

 

 笑顔とともに放たれたキャスターの言葉に、風羽は胸が高鳴って、聖杯戦争が楽しみになってしまった。自然と笑みがこぼれて、彼女と繋いだ手をぎゅっと握りしめた。

 

 キャスターと共に召喚された三体の怪物は、キャスターと同様に強力な気配を放ちながら、誰かの指示を待っているようにじっとして動かない。

 拘束具をつけられた大狼は地面に伏せ、長い蛇体で公園を取り囲む大蛇は頭を垂れ、半身が腐肉である痩身の巨女は跪いていた。

 

 サーヴァントは神話や歴史に刻まれた存在をこの世に呼び戻すもの。であれば、彼らはきっと、ゲームや小説で目にしたことがある存在そのものなのだろう。

 

 大狼、フェンリル。

 大蛇、ヨルムンガンド。

 女神、ヘル。

 

 それらは北欧神話に於いて、世界を破滅へと導いた者達の名だ。そしてその母と言えば、キャスターの正体はロキと結ばれ彼らを身ごもったという女巨人に違いない。

 

 その強大な気配と現代の常識から外れた姿を見るたび、今すぐにでも彼らの力を試したくなる。けれど、風羽は首を強く振った。

 

「う、ううん。まだ、我慢しなくっちゃ」

 

 脳内にいつの間にか存在したカウントダウンが示す期限は1週間後。その時まで、お楽しみはとっておこう。

 

 ラグナロクが再び地上に齎されるまで──残り、7日。



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第2話「セイバー/隕石の落ちてきた日」

『今日未明、熱海市に落下したとされる謎の結晶体ですが、現在調査に当たっている陸上自衛隊によると、放射線量は基準値を超えるものではないとされており……』

 

「なんだよ、それ」

 

 少年、芹沢(せりざわ)紘輝(ひろき)は驚愕した。

 

 彼は熱海市在住の高校生である。今日も夏休みの真っ只中で、ヘリコプターの騒音で目が覚めて、なんとなく枕元のスマートフォンを手に取って、ニュースを調べてみた。

 

 すると、驚くべきことに、自分の住む街に昨夜隕石が落ちたと話題になっていた。しかも液晶画面に映っている謎の巨大球体を取り囲むのは、自分のよく知る景色だった。

 そんなもの、驚くに決まっている。

 

「いや、これウチの近くだろ? おいおいんなわけ……」

 

 紘輝はそんなまさか、と思いながら、寝室のカーテンを開いた。すると真っ先に、瓦礫と化した住宅街のど真ん中に鎮座する球体が目に飛び込んでくる。

 直径数十メートルもあるらしいそれを撮影すべく飛ぶテレビ局のヘリコプターに、調査にやってきた自衛隊の車両が行き来しているのも、小さくだがなんとなく見える。

 

 夢かと疑い、自分の頬をつねった。痛い。現実だ。現実に、有り得ないくらいの異変が起きている。

 

「嘘だろ……」

 

 あんなものが落ちてきていたのに、自分はまるで気がついていなかったのか。

 

 思わず呟いたその時、手元のスマホが軽快に通知の音を立てた。

 画面を見ると、スマホが知らせようとしたのは高校の先輩から届いたメッセージであり、内容は「隕石の近くで待ち合わせ」とのことだ。

 そこに記された時間は2時間後。ある程度はゆっくりできるだろう。

 

 紘輝はすっかり目が冴えており、いつものように寝ぼけ眼をこすることはなく、自室を出て階段を降りた。

 リビングではツインテールの少女がトーストをかじりながらソファに腰掛け、隕石の緊急特集が組まれたニュース番組を眺めていた。

 

「エミ、おはよう」

「……あ、お兄起きたんだ」

 

 彼女の名前は芹沢恵美里(えみり)。紘輝の妹で、あだ名はエミ。兄妹仲は良い方だと、紘輝は勝手に思っている。

 今日もまた夜更かししたのだろう。彼女はとても眠そうで、目の下には青っぽい隈ができている。

 

「またオールしたのか? 寝不足は肌に悪いぞ」

「いいの、お肌の平穏なんて栄光のマスターランクに比べれば安いものなんだから」

 

 紘輝より4つほど年下の彼女だが、いくら夏休みだからとはいえ、中学生の女子がこの調子で大丈夫なのだろうか。

 

 妹の肌を案じつつ、食器棚からあんパンを取ってくる紘輝。恵美里の隣に座り、一緒にテレビを見ながら朝食をとることにした。

 画面の中では、自称専門家があの隕石は滅びの前兆だとか宇宙人の侵略だとかわめいていた。

 

「父さんと母さんは?」

「父さんはもうお仕事行ったよ。母さんは隕石の野次馬しに行った」

 

 新し物好きの母は、あの隕石にも興味を示しているらしい。対して恵美里は冷めた目でテレビ画面を見ており、トーストを食べ終わると、ふわぁと大きな欠伸をした。

 

「……私、落ちてきた時も対戦してたから起きてたんだけど。夜中の2時とかだったっけな。

 あれ、すごい眩しかったよ。おかげで画面見えなくて負けちゃったもん。

 まあでも眩しいだけだったから、まだよかったけど。潰されちゃったらマスターもビギナーもないからね」

 

「あんな近所に落ちたのに、音とかしなかったのか?」

 

「寝てるお兄が起きなかったくらいだもん。ほとんど無音。家が潰れる時のメキメキって音と、多少の悲鳴くらいかな」

 

 当然35メートルもの塊が市街地に着地すれば、下敷きになる建物はいくつか出てくるだろう。

 運悪く着地された場所の住人は、死体が出てこないため行方不明者扱いされており、その数は現在判明しているだけでも10人以上と報道されていた。

 

 だが、あのサイズの巨大物体が街のド真ん中に落ちて、犠牲者がそれだけで済むのもおかしな話だ。本来なら、地面と衝突する際の衝撃波によって、辺り一帯更地になっているはずなのに。

 テレビの向こうのコメンテーターが宇宙人の侵略だと言いたくなる気持ちもわかる気がした。

 

「オリンピック真っ只中の日本に落ちてくるなんて、自転車競技でも観戦したかったのかな、この隕石。

 ふわぁ……どこ見てもこの話題ばっかでつまんないし、オール明けで眠いし、寝てくるね。

 お兄はこれからどっか行くの?」

 

「あぁ、先輩のところに」

 

「はいはい、例の先輩ね。想い人はとられないうちに告白しちゃった方がいいよ? それじゃ、いってらっしゃ〜い」

 

 恵美里にはいつもこんなふうにいじられるが、もう訂正するのも諦めている。

 頻繁に会う用事があるだけで、紘輝が彼女のことを恋愛的な目で見ているわけではないのだが。

 

 紘輝は恵美里が去った後、黙ってあんパンを頬張り、牛乳で流し込んだ。

 それで朝ごはんを食べ終わったことにして、テレビの電源を切る。

 

 まだ出発の時間には余裕がある。家族はみんな外出中か就寝中だ。

 ということは、どうやら家庭菜園の水やりは自動的に紘輝がやることになるらしい。

 

 紘輝はサンダルを履き、庭に出る。天気は良い。ヘリコプターが行き交っていなければ、もっと爽やかな朝だっただろう。

 なんてことを考えながら如雨露に水を溜め、家族みんなで育てている野菜たちに水をやっていく。夏野菜はもう収穫の時期で、トマトやナスの一部は鮮やかに色づいていた。

 

 紘輝が作業を続けていると、ふと、隣家から声が聞こえた。隣家の住人といえば、紘輝の幼馴染み、観伝寺(かんでんじ)風羽(ふうわ)だ。今のはそのお母さんが彼女を呼ぶ声だった。

 

 直後、観伝寺家の扉が勢いよく開け放たれると、風羽が飛び出してくる。何をそんなに急いでいるのか、大きな胸を揺らしながら、全力で走っているらしい。

 

 風羽とは何年も付き合いがあるが、家出をするような性格ではないと思う。

 紘輝は不思議に思い、挨拶代わりに声をかけることにした。

 

「おーい、風羽!」

 

 紘輝の声に、少し離れた場所で彼女の足が止まった。

 

「夏休みなのに、朝早いんだな」

 

 まずは世間話から。なにがあったのか聞くのはある程度落ち着いてからでいい。とりあえず、隕石の話題は避けつつ話をして──。

 

「……ごめんね、急いでるから」

 

 しかし、その戦略はまったくもって成功しなかった。紘輝は驚いた顔をして、走り去っていく風羽の背中を見送ることになる。風羽があれほど急ぐなんて珍しい。余程の用事があったんだろう。

 

「引き止めちゃ悪かったかな」

 

 空になった如雨露を置き、紘輝は頭を掻く。そこで待ち合わせの時間が迫っていることを思い出して、室内に戻り、今度は外出の支度を始めるのだった。

 

 ◇

 

 先輩との待ち合わせ時間よりも少し早めに到着するよう、紘輝は出発時間を早めにし、自転車で目的地へ向かった。

 自転車は近くのコンビニに停めさせてもらい、自分用のコーヒーと先輩の分の炭酸飲料を買っておいて、人がたくさんいる方に行ってみる。

 

 隕石の付近には多くの人が集まっており、この中に混じってしまうと、待ち合わせに支障が出そうだった。

 なんとなく、野次馬に行っているらしい実母の姿を探してみるが、当然見当たらない。諦めて、コンビニに戻って先輩を待つことにする。

 

 彼女にはコンビニで待つと連絡して、それから待ち合わせの時間が過ぎるまで20分ほど経ち、ようやく彼女が姿を現す。

 

「ご、ごめんね、遅くなっちゃって……」

 

 ぺこぺこ忙しなく頭を下げ、銀色のショートヘアを揺らす彼女。

 彼女の名前は古蛾(こが)(しずく)。紘輝と同じ高校に通っているが、学年は1つ上の3年生である。

 謝らなくていいと宥めるが、それでも自分が悪いと言って聞かないのはいつものことだった。

 

 彼女とは付き合いも長く、よく会う間柄だ。けれど、ただの先輩後輩や、友達関係というわけでもない。

 

「ちょっと、準備に時間がかかっちゃって。調査のために色々持ってきたの」

「調査、ですか?」

「うん。あの隕石、たぶん科学の外の存在だから、魔術師として色々調べたいことがあるの」

 

 そう言って、背負っていたリュックからいくつかの品を取り出して見せる雫。

 歯ブラシだの、カメラだの、一般人から見ればただの日用品にしか見えないものばかりだが、紘輝にはなんとなく魔力の気配でそれがマジックアイテムだとすぐに理解出来た。

 

 実のところ、紘輝も雫も魔術師の端くれだ。そのうえ、雫は紘輝の魔術の先生だったりする。

 

 魔術師はそこらの一般人ではなれない。生まれつき持っている魔術回路があって初めてスタートラインだ。

 その回路は遺伝する。よって、昔から魔術を使っている家系が主流である。雫が現当主の古蛾一族もそうだ。

 

 それでも、偶然一般家庭から魔術回路を獲得した者が現れることだってある。紘輝はそのパターンだった。

 見出してくれたのは他でもない雫であり、彼女の魔術研究を手伝いつつ、初歩から教えを受けているのだ。

 

「これはね、人工魔眼の一種なんだけど、新進気鋭の職人さんが作っててね。値段も高かったんだけど──」

「先輩、あんまり喋ると誰かに聞かれちゃいますよ」

「……あっ、そ、それもそうだよね。うん、出発しよう」

 

 改めて、雫と一緒に隕石のもとへと赴くことにする。歩幅が狭く早歩きになりがちな彼女を気遣って、ゆっくり歩くよう意識しつつ進んで、しばらくは他の人達がいない場所を探して回った。

 

「このあたりなら、誰も来ないんじゃないですかね?」

「そう、だね。この辺にしよう」

 

 やがて紘輝と雫が見つけたのは、隣家が廃墟で人気がなく、立ち入り禁止の処理もされていない裏側。つまり絶好の地点だ。

 二人で協力して人払いの結界を敷き、今度は調査のための作業が開始される。

 

 雫はリュックを下ろし、調査用の道具をいくつか紘輝に手渡し、自分もカメラを手に取った。そのカメラのレンズには赤いインクかなにかで細かく魔法陣が描かれており、写真を撮るよりも、魔術的な要因に使うものだろう。

 

 手渡された道具から、雫の指示通り歯ブラシと袋を構える。歯ブラシなんかでなにをするのかというと、実はブラシ部分が特別な素材でできていて、擦ることでどんな堅いものも表面を削れるという。

 これで微量でもサンプルを手に入れるという算段だ。

 

 確かにこれを持っていても魔術師には見えない。見えないが、隕石を歯ブラシで擦っている様をカメラで撮影している絵面は、どう考えても変人だ。

 その辺を指摘しようか悩んだが、自信満々な様子の先輩の顔を見ると、とてもじゃないが言えなかった。

 

 歯ブラシ片手に、隕石に近づいていく。瓦礫が多く、足場は不安定だ。気をつけて進まないと、と思いつつ、踏みしめた木の板が音を立てて崩れた。

 

「うわっ──!?」

 

 バランスを崩した紘輝は思わず、近くにあった壁に手をつく。しかし今の紘輝の近くにある壁といえば、当然ながらあの隕石である。透き通るその表面に触れてしまい、突如としてなにかの力が迸り、紘輝は弾き飛ばされる。

 

「きゃっ!?」

 

 飛んできた紘輝が激突し、短く悲鳴をあげた雫。彼女の取り落としたカメラが転がって、紘輝の手元にやってきた。

 

 そして、紘輝の手に浮かぶ紋様と、レンズに刻まれていた魔法陣が呼応して、更なる変化が巻き起こる。閃光があたりを埋めつくし、激しい魔力が吹き荒れる。

 光の内側には人影が現れ、やがて光が晴れて、傍らに立つ彼女の姿を確かに視認することになった。

 

「──これは……私、なのでしょうか」

 

 自らの体を見回し、なにやら驚いた顔をしている少女。その場にいる全員が目を丸くする中、少女がやがて紘輝と雫の存在に気がつき、話しかけてくる。

 

「私のマスターは……貴方ですか? サーヴァント、セイバー。召喚に応じ、参上しました」

 

 紫の長い髪が特徴的で、小柄な女の子。恵美里と同年代くらいだろうか。

 手には眩く黄金色に輝く剣を手にしており、服装は所々肌を露出した不思議な衣装だ。

 蛇のような鋭い瞳孔は、不安の色を浮かべながらも紘輝を見ている。とりあえず、なにか答えないと。

 

「えっと……召喚しちゃったのは、俺なのかな……? たぶん、俺です」

「では貴方がマスターですね。契約は完了しました。ですが、この召喚はいったい……」

「契約って……ちょっと待って、君は何者なの?」

 

 少女が質問に答えてくれるより先に、紘輝の下で雫が呻き声をあげる。

 

「うぅ……芹沢くん、重い……」

「あっ、す、すみません先輩!」

 

 慌てて彼女の上から退けて、二人で土埃を払って並んで立ち、改めて少女を見た。彼女はなにも言わず、変わらず感情のない瞳でこちらを見ているだけであった。

 

 そこで、小声で雫に話しかけてみる。

 

「そうだ、先輩。この子、なんなんですか? 使い魔?」

 

 返答はない。何故かと言うと、現在雫は目の前の少女の出現に対し、過呼吸気味になりながら思考を回している最中だったからだ。けれど、その独り言には、紘輝の質問の答えとなることも含まれていた。

 

「サーヴァントだなんてそんな……さ、最高位の使い魔、英霊の具現化よ……? そんな、こんなまともに儀式も行ってないのに……」

 

 ブツブツ呟いていたかと思うと、ふいに雫がいきなり走り出す。

 

「っ、し、知らせなきゃ……魔術協会に……っ! ありえない、こんなの、ありえない……!」

 

「先輩? ちょっと、どこ行くんですか!?」

 

「ごめんね芹沢くんっ、わ、私、先に帰ってるから!」

 

 雫は魔術道具を回収することもせずに行ってしまい、その場に残されたのは少女と紘輝の2人だけ。紘輝は仕方なく、彼女が残していった荷物を集め、ひとまずしまい込んだ。

 

「……とりあえず、俺も家に帰った方がいいのかな」

 

 だがそれだと、この少女はどうするのだろう。偶然とはいえ、召喚してしまったのは紘輝に違いない。紘輝の家に連れ帰るべきだろうか。

 

「あのさ……えと、名前は」

「名前……クラスはセイバーですが」

「じゃあ、セイバー。とりあえずだけど、うちに来るか? 

 君と同年代の妹もいるし、いきなり呼び出されて行き場もないだろうしさ」

 

 クラスがどうとかはよくわからないが、とりあえずセイバーにそう聞いてみたところ、頷いた。いきなり兄が幼い少女を連れてくるのはどう考えても異常な状況だが、背に腹は代えられない。

 最悪の場合、家族に暗示の魔術を使うことになる。そうならないといいが。

 

 紘輝が歩き出すと、後からセイバーが何も言わずついてくる。不安だらけだが、話が通じないわけではなくて助かった。帰り道は職質を受けないように気をつけないと。

 

「私……人間の世界のことはよくわからないので。よろしくお願いしますね、マスター」

 

 セイバーの言葉に首を傾げる紘輝は、彼女の存在こそが、これから巻き起こる運命の象徴であるなど、微塵も思っていない。



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第3話「新しい日常」

 突然の出会いから数十分。紘輝は一旦セイバーを連れて自宅に戻り、雫から連絡が来るのを待つことに決めていた。

 自転車の後ろにセイバーを乗せて、彼女に気を遣いながら漕ぎ、到着した自宅の扉をくぐると、丁度昼寝から目覚めたばかりらしい恵美里と鉢合わせた。

 

「あ、お兄おかえり……えっ!? な、何その幼女、もしかしてお兄犯罪者になっちゃった!?」

 

 兄が正体不明の少女を連れ帰って来たのを見るや否や、妹は常識的な反応を見せた。

 当然である。素性の知れない少女を連れ帰ってきたら、それはもう疑われるに決まっているだろう。初手で通報という手に至らないのは、恵美里の優しさと言うべきか。

 

「違うんだ、断じて誘拐じゃない。理由を聞いてくれ」

 

 勿論否定する。実際誘拐ではない。魔術とは関係の無い世界に生きる恵美里には真実を話すことはできない。それでも、誤解は解きたかった。妹からの冷たい視線には辛いものがある。

 

「これには深い訳があってだな……その、なんだ、ええっと……」

「あ、本気で犯罪者になったとは思ってないから。大方、例の先輩の親戚とかじゃないの」

「そう、それ。親戚なんだよ」

 

 咄嗟の言い訳には、恵美里の話した推測に乗っからせてもらうことにした。魔術を親族に使う羽目にはならず、一安心だ。

 

 さて、その妹はというと、あまり事情の話には興味がないらしく、セイバーの目の前に歩み寄り、彼女の顔をじっと見つめていた。寄られたセイバーはすぐさま目を逸らしており、その目線の先は何も無い床だった。

 

「すご、めっちゃ綺麗な肌……って、ご、ごめんね、見惚れちゃって。自己紹介しなきゃだよね。ええっと、私、芹沢恵美里。そこのロリコンのお兄の妹、やってます」

「ちょ、ロリコンって」

「あなたのお名前は?」

 

 紘輝を無視して、セイバーの返事を待つ恵美里。その目は激しく泳いでいる。次に言葉が発されるまでに数秒の沈黙があり、やっと、セイバーの口が開いて、か細い声が聴こえた。

 

「私のことは……セイバーと。そうお呼びください」

「うん、わかった。セイバーちゃんね。

 あ、えと、嫌じゃなかったらでいいんだけど、握手とか、してくれないかなって」

 

 そう言って恵美里が差し伸べてきた手に驚き、少し躊躇いつつも、セイバーは自分の手を重ねた。互いに触れた指をそっと握って、親愛の証が成立する。

 よく見ると、セイバーは不安げな表情をしており、恵美里の方は耳が赤くなっていて、お互いに目線が合う気配がない。普通の握手の光景とはかなり趣が違っていた。

 

「……エミリ。震えているようですが、私、なにかしてしまいましたか……?」

「き、気にしないで。なんていうか、すごい美少女と手繋いでるなって思うと、やば、手汗」

 

 どうやら、恵美里は緊張によってこうなっているらしい。セイバーの不安の原因はこれだろうか。紘輝は教えてやることにした。

 

「心配しなくていいぞ。昔から、綺麗な人が相手だとこうなっちゃうだけだから」

 

 恵美里の美人に対する耐性がないのは昔からのことである。小学生の頃は、先生の顔が良すぎて直視できないと相談を受けたこともあった。慣れるまではある程度時間を要したが、同居人ならそのうち平気になるだろう。

 それを聞いたセイバーは、真顔に戻るでもなく、小さな声でなにか呟き、また視線を床に落としてしまう。

 

「いえ……心配なのは……」

 

 それ以降の言葉は聞こえなかった。ぎこちないやりとりが目立つけれど、果たして、2人はうまくやっていけるのだろうか。

 それ以前に、両親の了承も得なければならない。いきなり幼女を居候させるとか、やっぱり異常事態では。

 

「……まあ、なんとかなるか」

 

 紘輝は魔術の素人であり、どう足掻いてもなるようにしかならないだろう。後で雫にいろいろ聞いて、そこから考えよう。

 

 まだお互いの手を握っているセイバーと恵美里を見守りながら、紘輝はその微笑ましさに頬を緩めるのだった。

 

 ◇

 

 キャスターの召喚の儀式を終え、彼らとの出会いに胸を踊らせた後、風羽は家路についていた。屋根から屋根へと軽快に飛び移る、巨躯の狼の背中に乗せられて、である。

 というのも、キャスターの召喚の直後から、体が原因不明の倦怠感に襲われていたのだ。日頃から運動不足の風羽には辛く、徒歩とバスでは途中で失神してしまいそうだった。

 

 そんな風羽をフェンリルに乗せ、自らもそのすぐ後ろに跨っているキャスターだが、話しかけてくる様子はなく、ただ微笑みながら見守っているばかりであった。

 風羽も、建物が目に映るたびそれが壊れる様を想像して気を紛らそうとするくらいで、わざわざ話しかけようとも思わなかったし、何よりそこまでの気力もなかったのだ。

 

 そうして倒れそうなのをこらえて家に戻り、キャスターの助けを得ながらフェンリルから降りて、扉を開く。すると、驚いた顔をした両親に出迎えられた。

 普段大人しい風羽が朝から飛び出していったことをとても心配した様子の2人は、風羽のことを見るなり、家出したかと思っただとか、無事でよかったとか、そういう言葉を浴びせてくる。

 いつもなら愛想良く答えて、彼らに合わせるところだった。けれど、今はキャスターがいる。

 

「ねぇ、キャスター」

 

 期待とともに彼女を呼ぶと、彼女の指が父と母に向けられた。そして宙に何やら不思議な紋様を描き、それが鈍い輝きを放つ。

 いったいどんな効果があるのだろう。その場で、彼らが爆発でもしてくれるのだろうか。

 

 期待して待っていると、結果はただ、2人の目から光が失われ、何事も無かったかのように居間に戻っていくくらいのものだった。

 

「……あの、今のって」

「簡単な魔術ですよ。おふたりが、私たちのすることに一切の疑問を持たないよう、暗示をかけました。一般人に邪魔をされては困るでしょう?」

 

 その通りだけれど、少し残念だった。両親がここで壊れたら、確かに色々と後始末が大変だし、不都合も多いかもしれない。

 1週間後までは息を潜めると決めたのだから、これで正解なんだとは思う。さすがに自宅を壊したら、どこに行けばいいかわからないし。

 

 居間を見ると、両親は新聞を読んだりスマホを触ったり、いつも通りの生活に戻っている。風羽がキャスターを家にあげても反応はなく、無視して部屋に戻っていこうとしても、こちらを一瞥すらしなかった。

 

 いつもはやたらと構ってくるから、これは楽でいい。風羽は両親を横目に階段を駆け上って部屋に戻ると、さっさと服を脱ぎ捨ててしまい、ベッドに飛び込んだ。愛用の布団に受け止められ、やっと休めるんだと強く感じて、深く息を吐く。ついでに眼鏡も外し、三つ編みもほどいてしまう。

 

 ふと振り向くと、当然のことながら、これまで家族以外を招いたことの無い自分の部屋にキャスターが立っている。そんな不思議な光景を前にすると、思わず頬をつねり、夢じゃないことを確認してしまう。しっかりと痛かった。

 

「……そうだ! 聖杯戦争って、魔術師同士の戦いなんですよね。じゃあ、私もあんなふうに魔術が使えるようになるんですか?」

 

 痛みで思い出したのは、キャスターに聞いておきたいと思っていたことだ。

 あの時から風羽の脳内に居座る知識によれば、聖杯戦争とは魔術師たちがマスターとなってサーヴァントを従え、戦わせる儀式である。他のマスターたちは、聖杯が目当てでやってきた元々魔術の世界で生きている者たちなんだろう。

 両親も一般人で、昨日までは魔術なんてものが実在するとは思わなかった風羽は、同じ土俵に立てるのだろうか。

 

 もし使えるのなら嬉しいし、便利だと思う。常識を外れた力があれば、風羽の欲望は今よりももう少し満たせるようになるかもしれない。

 キャスターの答えをわくわくしながら待っていると、しばらくの間じっと風羽の目を見つめていた彼女は、急に風羽の両肩を掴む。いきなりのことに驚くが、キャスターはまた笑顔を向けていた。

 

「私の見立てが正しければ、貴方には魔術回路が眠っている。それが開いたのなら、可能性は十分にあるでしょうね」

 

 夢のある話だった。まだ目覚めていないだけで、キャスターは風羽の体には素質が備わっているという。

 

「じゃあ、目覚めさせたいです、私」

「お望みなら、お手伝いさせていただきますね。私も魔術師(キャスター)ですから」

 

 風羽が召喚したのは魔術師のサーヴァント。つまり、師としてはこの上ない存在と言えるかもしれない。自分の運がいいことに感謝しながら、風羽は重い瞼を支えるのを諦め、枕に頭を委ねた。

 

「……明日からにしますね。今日はもう、なんか眠くて……」

「えぇ。私の召喚だけでなく、子供たちの顕現に多くの魔力を使ってしまったのでしょう。ゆっくりと体を休めてくださいね、マスター」

 

 そう言って、キャスターはそっと布団をかけると、そのまま霊体化によって姿を消した。

 さすがは母親だな、と思いつつ、風羽は眠気に負けて意識を手放していった。



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第4話「バーサーカー/渦潮の乙女」

 ぴしゃり、と乱暴に襖を閉める音がして、直後に愚痴の声が続く。

 怒りを露わにして悪態をつく女と、怯えた目で相槌をうつ女。和服姿の2人が旅館の廊下を歩いている。

 

「まったく……なんなのよ、あの使い魔は! いくらサーヴァントだからって……!」

「そ、そうですよね、あれはちょっと、ですよね」

「決まってるじゃない。私はこの家の当主よ。この街で一番偉いの。それを解ってないんだわ!」

 

 高慢に聞こえる言葉だが、それを否定する者はこの場にいない。

 

 熱海市には何百年もの昔から、とある魔術師の家系が居着いていた。かっこつけて言えば、影の支配者、というやつだ。

 実際にそれだけの期間、代を重ねながら土地を管理してきたのだから、支配者と言っても差し支えないだろう。

 

 熱海は霊地としてはそこまで突出していないものの、近代以前より将軍御用達の温泉地である。

 土地だけでなく魔術師の歴史も深く、共に生きてきた魔術師も何代も重ねた名家となっていた。

 

 その名家の表の顔が何かというと──江戸以前から営業を続ける老舗の温泉旅館『大栄館(だいえいかん)』の経営者一族。

 廊下に立つ女のうち、悪態をついている背の高い方はその現当主であり、旅館の女将である女『徳間(とくま)若葉(わかば)』である。

 

 ここ数日、若葉は情報と現実に振り回されっぱなしであり、ストレスが溜まっている状態だった。

 

 それもそうだ。今の熱海には根も葉もない噂が飛び交い、住宅街には宇宙から落ちてきた巨大物体が鎮座しているんだから。

 土地を管理する身でもある若葉は、それはもう頭が痛い。

 

「はぁ……しっかし、誰の許可があって隕石なんて落ちてきたのやら。しかもこの土地で聖杯戦争をやろうなんて、不遜にも程があるじゃない。ねぇ、姫螺璃(きらり)?」

 

 そう言いながらも、若葉は既にサーヴァントを召喚しており、聖杯戦争を勝つ気でいる。傍らの女── 『亀良(きら)姫螺璃(きらり)』は、そのプライドに満ちた言葉に、何度も頷くばかりだった。

 

「そ、そうですよ、こんな、聖杯戦争……なんて、勝手というか、なんというか」

「ふん、まあいいわ。そんな常識知らずにあげる聖杯はないもの。あのサーヴァントだって使いこなしてみせるんだから」

「で、ですよね、若葉様なら、そうなります」

「もちろん。聖杯を手に入れて、私の支配はもっと広がるの。この街だけじゃないわ」

 

 肯定を繰り返す姫螺璃に気分をよくして、若葉の行き場のない苛立ちは和らぎ、聞いてもいないことまで話していた。その様子に姫螺璃も、若葉より大きな胸を撫で下ろす。

 

「やっぱり、姫螺璃が一番私の凄さをよく解っているわね。あのサーヴァントも見習って欲しいわ」

 

 姫螺璃としては、そんなふうに褒められても嬉しいとは思わないのだが。

 

 なんて話しながら廊下を歩くうち、やがて廊下の奥から従業員が追いかけて来て、若葉になにかを報告すると、彼女は大きなため息をつく。

 呆れているというより、必要とされている自分に酔っているかのように。

 

「はぁ……あんた達、私がいないとなんにもできないのね。

 私はお客様の所に戻るから。姫螺璃、あんたはあの女の相手をしてなさい」

 

 若葉が従業員とともに、早足でその場を離れていく。 隕石が落ちてきても、旅館の宿泊客が大きく減ったわけではない。むしろオリンピックによる客の増加に加えてバーサーカーの世話をしなければならなくなり、彼女の業務は増えていた。

 だからこそ、若葉はお気に入りである姫螺璃を隣に置き、自分のストレスをケアしようとしていたのだが。

 

 一方、残された姫螺璃の方は、若葉の背中が遠ざかっていくのを見送ると、嫌そうに来た道を戻るしかない。

 

「怖いから嫌だけど……若葉様の言いつけだから……」

 

 姫螺璃は分家の子で、若葉の従者のようなものだ。彼女の命令には従わなくてはならない。

 声に出して自分に言い聞かせ、思い切って、先程若葉が乱暴に閉めたばかりの襖を開いた。

 

 この部屋は本来、従業員たちのための休憩室になっている。しかし、今では1騎のサーヴァントが使っており、とても心の休まる場所ではない。

 その向こうにいるのは、若葉を苛立たせている張本人。半透明のヴェールと華やかなドレスに身を包み、麗しい姿をした人外だ。

 つまらなそうに己の金髪を指でくるくると弄んでいたが、姫螺璃を見るとそれを辞め、悪戯っぽく微笑む。

 

「あら、もう戻ってきたの。まあいいわ、わたくし、退屈で仕方ないの。なにかしてみせて頂戴な」

 

 くるくると巻いた鮮やかな金の長髪をかきあげ、青い瞳で見下してくる。

 彼女こそが、若葉が召喚したサーヴァント。クラスは狂戦士(バーサーカー)

 彼女が召喚されてからすでに3日目であるが、姫螺璃はこの瞳にも態度にも慣れずにいた。

 

「そ、それじゃあその、舞を……披露させて、いただきます」

 

 姫螺璃ができる芸といえば、昔から家の人達にやらされている、呪術儀式に使える舞くらいのものだ。演目は違えど、昨日もバーサーカーに見せた。

 まだバリエーションがあるからいいものの、残りのレパートリーは日に日に減っている。いつまで姫螺璃は彼女の暇つぶしとして機能していられるだろうか。

 

 バーサーカーの欲望はたいてい底無しだ。まだ足りない、もっと出せと何度も催促して宿泊客に出す分の食料まで食い尽くそうとするし、退屈を持て余せば脅迫付きでなにかしろと言う。

 実際、使い魔のくせにと彼女の要求を拒否した使用人の中には、彼女が巻き起こす海水の渦に呑み込まれて死んだ者もいる。

 そうはなりたくない以上、魔術師たちはバーサーカーの機嫌を損ねないようにするしかなかった。

 

 心底では激しく怯えながらも、震えずに細かい動作まで演じていく姫螺璃。バーサーカーはそれを笑顔で見守っている。

 

「ふふ、昨日も見たじゃないとか思ったけれど、意外と色々あるのね。

 なかなか面白いわ。もっとやってみせなさい。ほら、もっともっと」

 

 演目がひとつ終わるたび、相変わらずにも満足せず次を求めてくるバーサーカー。姫螺璃の体力と集中力も削られていくが、殺されるよりマシだと踊り続けるほかない。

 

 若葉が苛立っていたのは、彼女のこの性質のせいだ。

 数日前、徳間家はとある魔術協会への報告を傍受した。それはあの巨大隕石に触れた魔術師が、サーヴァントを召喚したという報告だった。

 それから若葉たちは必死で聖杯戦争について調べ、若葉は隕石に触れて令呪を授かり、さらに大枚をはたいて触媒を用意した。

 

 狙ったのはギリシャの大英雄、オデュッセウス。一族の資産の多くを費やしたことで、彼の船に使われていたといわれる木片を触媒として用意し、万全の状態で召喚の儀式に臨んだのだ。

 しかし結果として、召喚できたのは大英雄ではなく、その英雄を苦しめた試練の方だった。

 

 ──『カリュブディス』。

 オデュッセウスが旅路の中で出くわした渦潮の魔物であり、彼と共に旅をしていた仲間達を皆飲み込んでしまったという怪物だ。

 並外れた大食も、元々人間でないのだから仕方がない。若葉も姫螺璃も、彼女はこういう存在だととうに諦めてきた。

 

 しかしこのカリュブディスにはもう一つ、厄介な性質がある。

 

「あぁ、その踊りはもういいわよ、貴女」

「へ、あ、はいっ、わかりました」

 

 集中していたのがぷつんと切れて、突然バーサーカーの興味が自分から離れていったことに、姫螺璃は恐怖を覚えた。

 気まぐれで飽き性。いつ殺されてもおかしくないのがこの女の相手をするということだ。

 

「……あの、わ、私、どうすれば」

 

 最悪このままむしゃむしゃと食べられることも覚悟して、姫螺璃は恐る恐る尋ねる。すると、振り返ったバーサーカーにはくすりと笑って返された。

 

「せっかくだし、お話でもしましょうか」

 

 バーサーカーは長い髪の毛を触手のように伸ばし、押し入れの引き戸を器用に開けると、座布団を取り出して自分の目の前に置いた。

 そのまま座れと促され、姫螺璃は恐る恐るその通りにする。どうしても向かい合う形になるが、目を合わせるのは怖すぎるため、バーサーカーの髪の毛ばかり見ていた。この世のものとは思えぬ艶を宿した麗しさが、むしろ不気味だった。

 

「あのつまらない女って、上下関係の話と聖杯戦争の話しかしないんだもの。わたくしを楽しませようと努力する貴女の方がずっと、見ていて面白いわ」

 

 バーサーカーの手が伸びてきて、姫螺璃の髪をそっと撫でた。背筋が凍るものの、黙って受け入れるしかない。

 愛玩動物に構うような手つきは、彼女が人間と自分を同列に扱っていないことを感じさせる。

 

「わたくし、貴女が気に入ってるの。

 あの踊りはもういらない、って言ったら、貴女は次に何を見せてくれるのかしら。ふふ、明日も明後日も、楽しみに待ってるわね」

 

 バーサーカーの細い指が姫螺璃の喉に触れる。

 もっと違う方法でバーサーカーの機嫌をとらなければ、姫螺璃は簡単に切り捨てられるのだ。お気に入りだと言われても、それは最悪の寵愛。若葉がやたらと姫螺璃を側に置きたがるのと同じくらい迷惑なことだ。

 

 聖杯戦争とはまた違う、姫螺璃の生存を賭けた戦いは、彼女とバーサーカーの間で静かに始まっている。



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第5話「アーチャー/綺麗な花には虫がつく」

 日本・熱海市にて、サーヴァントの召喚が確認されたことが、つい先日魔術協会日本支部へと報告された。

 謎の巨大隕石の来訪に次いで届いたその報告は、時計塔上層の魔術師のみならず、情報を抜き出した在野の魔術師たちにも急速に広まっていった。

 

 日本では既に幾度となく聖杯戦争が行われてきた土地。

 隕石の内部には聖杯に匹敵する魔術炉心があるだろうと噂され、東京オリンピックが開催される影で、近日中に熱海を舞台とした聖杯戦争が開幕することが推測されていた。

 

 それを鵜呑みにして日本への渡航を始めたり、触媒漁りを始める魔術師は少なくなかった。

 大抵の魔術師はそのような都合のいい話があるかと切り捨てるが、一定数は噂を信じる者がいる。

 特に、思うように成果を得られず燻っている者や、頭のネジが外れた者の中には、真偽を確かめようともせず飛行機に乗り込む者さえいた。

 

 その女──ローリエ・ユカレプトは前者だった。衰退しつつある一族に生まれ、魔術の研鑽もうまくいかず、聖杯に一縷の望みを賭けるしかないとロンドンを飛び出してきたのだ。

 覚悟を決めるため、他の魔術師を殺して聖遺物を奪い取って、単身日本に乗り込んだ。

 

 奪い取ることができたのは1本の古い矢。鏃には血液がこびりついており、何かの逸話を感じさせる。

 それに、聖杯戦争に参加するつもりの魔術師が大事に持っていたということは、英雄との縁が存在するはず。

 ローリエは人生の逆転を確信し、つい数時間前、噂通り例の巨大隕石に触れ、幸運なことに令呪を授かることに成功していた。

 

 召喚の儀に選んだ場所は、山林の一角に見つけた小さな洞窟。召喚の陣は通りがかった獣を仕留めてその血液で描き、時間帯は自分の魔力の高まる深夜を選んだ。準備も万全で、詠唱も一字一句違わずに紡いでいく。

 

「──汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」

 

 最後の一節が洞窟に響いた時、魔法陣が眩く輝き、そこからサーヴァントがこの世に招かれる。その使い魔こそがローリエにとっての救世主であり、運命を共にする存在となるのだ。

 

 期待を胸に、光の中に希望を見るローリエ。しかし、その向こうから這い出してきたのは、大量の小さな黒い影。ひとつひとつは数センチしかない何か──恐らくは、昆虫の群れだ。数は恐らく、万はくだらないだろう。

 

 一斉に湧いてくるその大群をかわすことなどできず、もろに浴びてしまった。

 咄嗟に目を閉じたおかげで眼球への激突は避けられたが、衣服の中に入ったものもおり、想像するだけで気持ち悪い。魔術師といえどローリエは年頃の乙女、当然虫に飛びかかられたら生理的な嫌悪感を覚えるのだから。

 

 なんとか振り払おうともがいて、特に服の中に入ってきた虫を捕まえて外に捨て続け、夢中でそうしているうちに、ふと昆虫の飛来が止んでいることに気がつく。

 

 目を開くと、まだ少しだけ周囲を先の昆虫が飛び交う中、佇む白髪の青年の姿が目に入った。その姿は暗い洞窟の中でも不思議と神々しく、美しい。きっと、彼こそが、ローリエの召喚したサーヴァントだ。

 

 息を呑んでその姿に見惚れていたローリエに対し、青年は彼女の存在に気がつくと、近くに歩み寄ってくる。いきなりのことに怯み、後ずさるローリエ。

 だが青年に容赦はなく、ローリエの顎はくいっと持ち上げられ、強制的に見つめ合わされることとなる。

 

「っ、あ、あの、私、貴方のマスターで」

 

 照れてしまって目が泳ぎ、なんとか話しかけようとするが返事はない。ただじろじろと顔を見られ、やがて、ようやく青年は口を開く。

 

「うん、なるほどね。なかなか可愛い、私好みの顔だ」

 

 顔……? 顔立ちを褒められた、のだろうか。青年の意図が読み取れず、首を傾げるしかない。それを見ての反応なのか、青年の言葉が続いた。

 

「まあ……君には立派な仕事を与えるよ。光栄に思うといい」

 

 ようやっと、ローリエの顎から青年の指が離れた。かと思うと、一気に周囲の羽音が大きくなり、直後にはローリエの両脚に虫どもがまとわりついている。それだけでは飽き足らず、大群は次々とローリエの体を覆い尽くそうと集ってくる。

 

「あ、あのっ! この虫って、貴方の使い魔とかだったりするのかな。だったら、離して欲しいんだけど」

 

 青年からの返事はない。うまく身動きが取れず、ただ虫の大群になすがままにされている状態だ。中には衣服を食いちぎっていく個体もいて、既に服はぼろぼろにされていた。

 しかし、止めてくれというローリエの言葉には耳を貸さず、彼は背を向けて洞窟の外へと歩いていってしまう。

 

「ま、待って、わ、私が、貴方のマスターだからっ、行かないで、ここから出してっ、ねぇ──」

 

 一体何が起きているのかわからないまま群がられている。全身を羽と脚にまさぐられて気持ち悪い。どうにかできないかと、ふと目に止まったのは己の右手の甲にある聖痕だ。令呪の力なら、彼を止められる。

 

「れっ、令呪を以て──きゃっ!?」

 

 手首に鋭い痛みが走った。見ると、大量の蝗がローリエの手首に噛みつき、皮を引き裂いていた。傷から血が滴り、それを虫たちが舐めている光景に、身体を覆う全ての虫がこの手段に出たらどうなるかを想像してしまう。

 

「っ、わ、わかった……わ、私、なんでもするから、だから」

「魔力袋も苗床も、神官の立派な仕事だよ。頑張って」

 

 青年は最後に一度だけ振り返って、その一言を残して、洞窟を出ていってしまう。彼が去った後の洞窟には、ローリエのうめく声と、千を超えるイナゴの羽音だけが響いていた。

 

 ローリエは幸運であり、そして不運だった。彼女が召喚したのは神に近い存在であり、強大な力を持ち、そして人外ゆえに人と全く異なる思考回路を有していたのだから。

 

 ◇

 

「おはようございまーす……」

 

 合鍵で開けた扉をそっと開いて、少年は恐る恐る薄暗い室内に顔を出す。彼の他には誰もおらず、返事を返す者はなかった。

 

 ここは市内某所にある喫茶店『ふらんけんしゅたいん』。人造人間を作り上げた博士の名を冠した、観光客向けのお店である。

 時刻はまだ開店前であり、いつも店長すら来ていない時間帯。彼はここで働くアルバイトなのだが、店長に相談して合鍵をもらい、毎朝一番乗りで出勤しているのだ。

 

 なぜ、わざわざ合鍵を貰ってまで一番乗りを死守しているのか。

 その理由は、彼──『本郷(ほんごう)つかさ』が抱える秘密にある。

 

 つかさは薄暗い中をロッカールームまで赴き、自分の名前が書かれたロッカーの前で背負っていた大きめのリュックを下ろすと、中から白黒の衣服を取り出した。

 誰かが来る前に済ませてしまわなければと、早速取り掛かる。

 

「よいしょ、っと」

 

 誰もいない空間でひとり、少年はそれまでの地味な衣服を脱ぎ捨て、せっせと制服に着替えていく。

 

 リュックから引っ張り出したパンプスを履き、フリルのたくさんあしらわれたメイド服に袖を通した。髪は縛ってツインテールにして、お気に入りの向日葵の髪飾りを着けておくのも忘れない。

 それから、脱いだ衣服は入念に隠しておく。別の袋に入れてファスナーを閉じ、念の為南京錠のロックをかけて、リュックの底にしまってロッカーを閉じるのだ。

 

 次はいつもの通りに鏡の前に立ち、お化粧をして、つかさの思う一番可愛い自分になる。丁寧に、昨日よりも可愛くなるように。

 

「……よし! 今日も可愛いよ、ボク……ううん、()!」

 

 完成したら、姿見の前でスカートの裾を持ち上げ、くるりと一回転。そんな最終確認を行って、今日もうまくやれていることに安心する。これでいつ店長と鉢合わせても大丈夫だ。

 

 いつも通りの開店時間の一時間前になると、眠たげな目をした店長が出勤してきて、他のメイドたちも顔を見せ始める。

 

「おっはよー、ひまわりちゃん。今日も早いね」

 

「あはは、おはようございます、店長。まあ、それだけが取り柄みたいなものですから」

 

 店長の挨拶に、なんでもない言葉で返す。『ひまわり』と呼ばれているのは、つかさがこのお店でいる間はそう呼んでほしいと頼んだ芸名だからだ。制服についている名札にも同じ名が書いてある。

 

 さて──つかさの抱える秘密。それは、両親にも内緒でメイド喫茶で働いているということ。しかも、性別を偽って、である。

 つまり、つかさは両親にも喫茶店側にも、双方に後ろめたさを抱えて過ごしている。幸い、今のところどちらもバレていない。

 

「それじゃ、今日もみんな頑張ろー」

 

 店長はつかさが朝早いことにだけ言及すると、着替え終えるのが早いメイドたちを連れ、開店の準備を進めていく。

 

 隕石が落ちてからも、熱海市には変わらない日常が流れている。元々オリンピックの影響もあって、観光客が増えていて忙しいけれど、コンビニも飲食店も、もちろんメイドカフェも通常営業。

 業務内容も変わりなく、ご主人様探しとそのお世話である。

 

 今日のつかさは外回り担当であった。宣伝の看板とチラシを持って、通りに出ていく。

 店舗の場所は本郷家の自宅から結構な距離があるし、化粧もしている。メイド服のままならまずばれることはない。以前のチラシ配りでも知っている顔が何度か通りがかったものの、その誰もがつかさに気が付かず通り過ぎていった。

 

 よって、外回りそのものへの抵抗はなかったし、むしろご主人様との距離が近くないため気楽な方だ。

 

 しかし今日、つかさが不運だったのは、むやみやたらとメイドに絡んでいくような人間が街を通りがかったことだろう。

 

「お、可愛い子見っけ」

「この辺にメイドカフェなんてあったっけ?」

「わかんね。でもどうせ行かないし関係ないっしょ」

「君ひまわりちゃんって言うんだ。仕事なんてもういいからさ、むしろ俺たちと遊びに行かない?」

 

 大学生くらいだろうか。現在高校生のつかさより歳上の男性4人組に声をかけられた。

 ナンパにしてももっとやりようがあるだろうに。心の中でだけため息をついて、ご主人様候補には笑顔で応対する。

 

「えへへ、ご主人様にお誘いいただけるのは嬉しいんですけど……私たちの館に来てくれたら、もっとたくさんお世話できるんですよっ」

 

 流れるようにチラシを渡し、お店の宣伝に持ち込もうとするつかさ。男たちは渡されたチラシに軽く目を通し、仲間内で何か相談し、周囲を確認すると、それを見せつけるように破り捨て、つかさの腕を掴んでくる。

 

「わっ、ちょっと、お触りはだめですって」

 

「いいから行こうぜ? こんな喫茶なんかよりホテルの方が絶対楽しいからよ」

 

「えっ!? ま、待って、ちょっ……!」

 

 抵抗するつかさだが、女性と偽ることができる程度の筋肉量である彼が歳上の男性に勝てるはずもなく、振り払うことは叶わなかった。

 周囲の人々は、知らん顔をして足早に通り過ぎていく。助けてくれる白馬の騎士が現れるわけもなく、そのまま路地裏に引きずり込まれた。壁際に追い詰められて、男の顔が近づけられる。

 

「アイツまだ時間かかるってよ。先やっちゃう?」

「街中でコスプレして突っ立ってるような痴女なんだし、どうせ慣れてんだろ。やっちまおうぜ」

 

 ……まずいことになった。このままだと衣服を剥ぎ取られ、つかさが男性だとわかってしまう。それだけは避けないと。

 でも、どうやって。助けは来ないし、なんとか助かったとしても、性別を知られたら終わりだ。

 

 せっかく、ひまわりでいる間は男であることを忘れられたのに。どうして、こんな奴らに居場所を奪われなくちゃいけないんだ。

 

 悔しさにひ弱な拳をぐっと握り、奥歯を噛み締めた。

 

「んじゃ、さっさと脱がして……」

「……ん? なんだこの虫?」

 

 ──その時のことだ。黒雲のような何かの群れが、羽音の不協和音を伴って、つかさの元へとやって来たのは。

 

「お、おい、なんだよこれ!?」

「やめろこの虫ケラどもっ、この、このっ……!」

 

 路地裏へと大量になだれ込んでくる謎の昆虫。真っ黒なイナゴ、だろうか。

 彼らは群れが意思を持っているかのように蠢き、抵抗する男たちに覆いかぶさり、つかさから引き剥がしてくれる。だが彼らにも何かの基準があるのか、1匹もつかさには止まってこない。不思議に思いながら、つかさは呆然とその光景を眺めるばかりだった。

 

 やがて、地面に倒れ込んだ彼らはしばらくもがき苦しむと、痙攣するだけになり、動かなくなっていく。最後には蝗が皮膚を食い破って飛び出してくるその様子は、あまりの悪夢に現実と思えない。気がつけば絶えず吐いていた汚い言葉も止んでおり、路地裏には一瞬だけ静寂が戻った。

 

「え……?」

 

 この昆虫の群れに助けられたのだろうか。受け入れ難い異常な状況に、つかさは首を傾げた。

 

 その直後、イナゴたちは一斉に飛び立ち、1ヶ所に集うと、それが1つの人影となっていく。現れるのは地面に転がっている死体たちと同年代だろうが、ずっと麗しく、ずっと輝かしい容貌の青年だった。

 

「──見つけた。私好みのかわい子ちゃん。君なら退屈しなそうだ」

 

 この出会いこそが、ただの女装少年だった本郷つかさを、血みどろの世界へと連れ込んでいくことになる。



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第6話「ライダー/先輩の悩み」

 住宅街の一角、古蛾雫の自宅の地下室にある魔術工房にて。

 古蛾雫が芹沢紘輝がしたのと同じように隕石に触り、突然の衝撃波に吹き飛ばされ、令呪を発現させたつい数時間後の話である。

 この日、両親とは別居しており雫の一人暮らしであるはずのこの家に、彼女ではない人影が現れることになった。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」

 

 雫が詠唱の最後の一説を高らかに唱えるとともに稲妻が迸り、閃光が地下室を満たした。その直後、雫は確かに儀式が成功したことを知ることになる。光の中より出でた者が、低い声で呟いたからだ。

 

「──わざわざ我なんかを呼ぶとは、とんだ物好きめ」

 

 彼女のその声で、雫の背筋が凍り、鳥肌が立つのがわかった。まだ見下されてもいないのに、格上であることを思い知らされたような感覚に囚われる。

 

 魔法陣の中央に現れたのは、英霊らしい勇壮な戦士ではなく、雫よりも矮躯の幼い少女であった。

 黒い髪は肩のあたりまで伸び、褐色の肌は艶やかで、顔立ちからは相当気の強い性格であることが窺えた。

 

 だがなによりも目立つのは、両肩に備わった2匹の漆黒の蛇の存在だ。

 恐らくただの蛇ではない。あれに威嚇されるだけで、雫では気絶してしまいそうだ。それほど強い神秘を宿しているのが見るだけで理解出来る。

 

 少女はため息をつき、雫をその鋭い金色の眼で睨めあげると、契約の問いを投げかける。

 

「で? 我のマスターは貴様でいいんだな?」

 

「う、うん。わっ、私が、あなたのマスターだよ」

 

 サーヴァントといえど、相手は使い魔だ。召喚した主として嘗められるわけにはいかないと、雫は持てる限り気丈に振舞うため、その細い瞳孔を見つめ返した。

 残念ながら、金色の虹彩に映る自分の顔は、ひどく怯えていた。

 

 品定めするような視線は、雫に痛いほど向けられ、それは10秒ほど続いた。冷や汗が何滴も垂れて床に落ちて、ようやく少女の品定めが終わる。

 

「まあ……下の下ではないか。我が現界する機会がまずないからな。いいだろう、契約してやる」

 

 雫の評価はと言うと、最低ではないからまあいいか、というものだった。使い魔のくせに、主に向かって有り得ないくらい横柄な態度である。

 けれど、雫はそう見下されても仕方がないの弱小当主である。ここで噛み付いてサーヴァントに敵うはずもなく、不満は忘れることにした。契約してくれたことを素直に喜ぼう。

 

 ともあれこれで目的は達成だ。このサーヴァントとともに、紘輝の手助けをしていこう。

 雫は決意を新たに握りしめ、自分の工房を見回した。

 

「……あれ、いない」

 

 霊体化して姿を消している、というわけではなさそうだ。雫は地下室の出口を潜り、階段を登ると、普段全く使っていない応接間の照明がついているのを見つけた。

 応接間に赴くと、やはりそこに少女がいる。見た目の幼さゆえに、ソファにちょこんと座る姿は可愛らしいが、肩から伸びた蛇がしきりに体をくねらせている様は、やはり恐ろしい。

 

 彼女は後からやってきた雫の顔を見るなり、ふんと鼻を鳴らして顔を背けた。

 

「あんな足の踏み場もない場所で我を召喚するなど、不敬にあたるぞ、不敬。

 それにその家、我のものとなるには貧相すぎるな。一番まともなこの家具は埃をかぶっていたぞ」

 

 この家に来る訪問者なんて、出前の人、配達の人、それと紘輝くらいのものだ。雫が生活する上で要らない場所の掃除は全くしていない。

 そのはずだが、どうやらソファの埃に関しては少女が拭き取ったらしく、本来の革の色を取り戻していた。

 

「……なんだその目は。我だって掃除用具くらい使えるぞ。小間使いがおらんのだ、自分でやるしかないだろう」

 

 それはそうなのだが、この態度からは少し意外であった。てっきり、雫に対してもっと理不尽にあたってくるような性格だと思っていたのだけれど。

 

 雫はひとまず、少女と向かい合うようにソファに座る。そして、今後のために話し合っておかなければならないことを話すと決めた。

 

「あの……」

 

 そうして呼びかけようとして、ふと、真名どころかクラス名すら聞いていないことを思い出す。触媒も用意していないのだから、このサーヴァントに対する情報は見た目によるものしかない。

 マスター権限でステータスを覗き、そこから彼女が『ライダー』であるという情報を得て、改めて声を出した。

 

「らっ、ライダーは、聖杯に何を願うの?」

 

「そういう貴様こそ、なにゆえに我を喚んだのか話すべきであろう。貴様は聖杯に何を願う。富か、権力か?」

 

 聞き返されるのは予想外で、目を丸くした。けれど、雫だってなんとなく召喚の儀を行ったわけじゃない。そこにある理由を、雫はいちから全部ライダーに話した。

 

 ──8月6日、弟子である紘輝が偶発的にサーヴァントを召喚してからというもの、雫はずっと悩んでいた。

 大慌てで魔術協会へ報告してから5日が経過していたが、その間も頭を抱え、どうすれば紘輝の力になれるかを考え続けた。

 

 令呪の発現とともにサーヴァントが召喚されたということは、聖杯戦争が始まるということ。

 1年前にも日本のどこだかの街で開催されたと噂には聞いていて、そんなものは眉唾だと思っていたが、目の前で英霊の召喚という奇跡が起きてしまっては仕方がない。

 紘輝は魔術師同士の殺し合いに巻き込まれるだろう。彼は弱小の雫なんかの弟子であり、素質があったとしても実戦では素人同然だ。殺し合いなんてできるわけがない。

 

 どうにかして、弱い自分でも、彼の助けになれないか。その結論が、自分も令呪を手に入れ、聖杯戦争に参加するということだったのである。

 

「だ、だから、私はあなたの力を借りたいの。聖杯なんかいらない。芹沢くんが生きていてさえくれれば……」

 

 そんな経緯を話すと、ライダーは雫に冷ややかな目を向け、ため息混じりに吐き捨てた。

 

「生きてさえいてくれれば……だと? くだらん嘘をつくものだな。我がそのセリザワとやらを見事守り抜いたとして、貴様がそれで満足する保障がどこにある。

 感謝されたいのか、娶ってほしいのか。欲望の源泉がなんであれ、貴様には根が見えていない。自分の欲望を見誤れば、取り返しのつかないことになるぞ」

 

「娶っ……!?」

 

 雫はどうして紘輝を助けたいと思っているのか。そこに男女の感情が混じっているとか、そんなはずがない。ただ純粋に、助手を失いたくないだけだ。

 それ以前に、彼は魔術師として大成するべき人間だ。雫なんかの貧弱な母体を選ぶわけがないし。

 

 それに確か、彼には幼馴染みがいる。家も隣で、ずっと付き合いのある相手。名前は確か、観伝寺風羽だったか。

 雫と紘輝が出会う前からの関わりである彼女に、雫が勝てるなんて、到底思えなかった。

 

 あぁ、でも、ライダーと一緒なら、可能性はあるのか。魔術という二人だけの秘密が、聖杯戦争という命を賭したフィールドで、もっと深い繋がりになるかもしれない。

 それなら、まだ、雫にも──。

 

「おい、聞いていたのか。頬が緩んでいるぞ」

「へ!? あ、な、なんでもないっ、から!」

「……貴様、我の話聞いてなかったな」

 

 そういえば、何の話だったっけ。

 ライダーに言われてきょとんとした雫に対し、彼女は呆れ返った顔を見せると、肩の蛇を片方掴んで捕まえた。

 

「我の願いはこいつらを引き剥がす事だ。どうやっても殺せないこの呪いを解きたい。聖杯の力ならば簡単だろうが、我にはこの通り不可能だからな」

 

 そう言って、ライダーの手に力がこもる。驚くべきことにそのまま蛇の首をねじ切ってしまった。千切られた蛇の首は、断面から黒い液体を溢れさせ、魔力の塵となってたちまち霧散していく。

 しかし、その直後、残った胴体の側から新たな蛇の頭部が形成され始め、すぐに再生は完了してしまった。元のように舌を出し入れしてうねりはじめ、ライダーは舌打ちをする。殺せない、とはこういうことらしい。

 

「……わ、わかった。聖杯を手に入れたら、ライダーに譲る。私には、元から願いもないし」

 

「ふん、いつまでそう言っているものだか。

 まあいい、最後に我が願いを叶えられればそれでいいのだから。気は乗らないが、貴様の方針にも、ある程度は従ってやろう。セリザワとやらを守るのも含めてな」

 

 それから意外なことに、ライダーは雫の頼みを聞いてやると言い出した。高圧的だがどこか甘いというか、不思議なサーヴァントだ。

 彼女なら、紘輝ともうまくやっていってくれるだろうか。

 

 彼が召喚したあの少女サーヴァントとライダーとの共闘を想像し、ついでに2人並んで戦場に立つ自分と紘輝の姿も思い浮かべて、雫はまた頬を緩ませた。

 

「──して、マスター。飯を作ってくれないか。我は腹が減った」

「あっ、うん」

 

 ライダーの要求で、雫は自分も夕食を食べていないことを思い出す。儀式の準備に夢中だったせいだ。冷蔵庫になにがあっただろう。ライダーの分だけじゃなく、自分の分も作れるだろうか。

 

 ライダーを連れて、雫は台所へと歩き出す。その足取りは軽く、この先に待つ戦いを楽しみにしているようでさえあった。



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第7話「ランサー/調査開始」

 多くの人々が行き交う街の通りを、長身の女性と中性的な出で立ちの少年の2人組が歩いてゆく。双方共格好は黒のきっちりしたスーツであり、整った顔立ちも相まってなにかの撮影か、要人警護のようにも見える。

 女性は不安げに周囲を警戒しているが、少年はむしろ目を輝かせながら辺りを見回し、気になるものが見つかる度に女性の方に声をかけていた。

 

「やはり僕のいた世界とは大きく違うようですね。人混みも大きいし、何より加工品のレベルが段違いだ」

「……遊びに来たんじゃないから。これは調査、でしょ」

「はい、わかっています。けれど、これほどの目新しさに満ちた世界、高揚してしまいますよ」

 

 まるでこの時代の人間ではないかのように話す少年。だが、彼は時代のどころか、人間でさえない存在だ。

 この街で行われる聖杯戦争のために呼び出される従者、即ちサーヴァント。

 彼はそのうちの1騎、『槍兵(ランサー)』。異なる時代から呼び出されたことにより、現代に心躍らせているのだろう。遥か過去の時代の存在にとって、現世の食事は未知の世界なのだから。

 

「どうしてこうなったのやら……」

 

 ランサーの隣でため息をつく女性こそが、昨日彼を召喚したマスター。時計塔に属していないフリーの魔術使い『カシオペア・トリスケリア』だ。

 魔術使いとは魔術師とは違い、真理へ至る手段ではなく、都合のいい技術として魔術を使う者である。日本へは、聖杯戦争によって起こるだろう混乱を最小限で食い止めるために入国し、例の隕石から令呪を授かり、戦うことを決めた。

 

 なのだが、今はランサーの要望を受け、調査と称して観光に出向くこととなっていた。

 地理は把握しておくべき、というのがランサーの言い分だが、それならランサーは姿を消した状態でもいいのではないだろうか、と思う。

 幸い、国際行事の時期と重なっていることもあって外国人が多くなっており、カシオペアやランサーも群衆に紛れることができていた。右手の令呪は、手袋で隠せばいい話だ。

 

「マスター。あの給仕の方は何をしていらっしゃるのですか?」

「あれは……確か、客が主で店員が給仕って設定の飲食店の宣伝、なんじゃないか」

 

 ランサーが指したのはメイド服を着た少女が広告を配っているところだった。彼は率先して受け取りに行き、もらってきた紙を見せてくる。カシオペアは日本語はほとんど読めないが、ドイツ語の記述があり、それは簡単に読めた。

 

「『フランケンシュタイン』……?」

 

 カシオペアが事前に調べて知っていたメイドカフェの知識とは繋がらない名前だった。もしかして、フランケンシュタインの怪物が出迎えてくれるのだろうか。それはもうお化け屋敷ではないだろうか。どちらにせよ、今はカシオペアたちがメイドカフェに行く余裕はないけれど。

 

 広告から目を離し、カシオペアはランサーの姿を探す。すると、今度は彼は道端の屋台で売り子のお婆さんと話し込んでいた。仕方なく、人混みを通り抜けて彼を迎えに行く。

 

「……あのさ、ランサー」

「あぁ、マスター。このドーナツとやら、食べてみたいです。マスターも間食はまだですよね?」

「まだだが……」

 

 サーヴァントに食事は必要ないが、これは純粋な興味から来るものだろう。ため息をつき、仕方なくランサーに日本円を渡した。

 カシオペアだって女の子、甘いものは好きな方だ。なにより、ランサーが目を輝かせているのを見ていると、弟みたいで拒めない。兄弟がいた経験はないが、いたらきっとこういう感覚なのかもしれない。

 

 ランサーがいくつかのドーナツを注文し、対価を支払うと、フードパックに詰めて渡される。ドーナツは茶褐色からピンクや黄色まで、色とりどりであった。

 

「どこか、休憩できそうな場所を探しましょうか」

 

 別に食べるのは宿泊先に戻ってからでもよかったのだが、ランサーに先導されて行くと、そのうちに空いたベンチが見つかった。

 運が良かったのだと、ランサーとカシオペアは並んで座り、ドーナツに手をつけることにする。ランサーが最初に手に取ったのは茶褐色のもので、一口かじり、しばらく咀嚼して、頬を綻ばせて感想を述べた。

 

「なるほど……輪の形にすることで火が通りやすくなっているのでしょうか。可愛らしい形状ですし、愛されるのも納得ですね。

 マスターもどうぞ。美味しいですよ」

 

 カシオペアは薦められるままに、ピンクのものを食べてみる。これは苺味だろう。ほんの少しの酸味と、健康に良くなさそうな甘味のバランスが脳に心地いい。

 そのまま欠けた輪の残りを食べ進めていく。ランサーもカシオペアも、しばしの休息を続けていた。

 

 その結果、警戒が少し疎かとなり、背後から近づいてくるその気配には気が付かなかった。

 

「お姉さんたち、とっても美味しそうに食べるんだね」

 

 いきなり声をかけられ、咄嗟に身構えながら振り向いた。ランサーも同様で、声の主をじっと見つめている。

 その先にいたのは真っ赤なツインテールの少女だ。童顔だが、歳は成人手前といったところか。彼女は警戒されていることに気がつくと、可愛らしく人懐っこい笑顔で謝った。

 

「あ、邪魔しちゃったよね。ごめんね、ちょっと気になっちゃって」

 

 そこに敵対の意思は感じられなかったが、相手は慣れない土地の知らない人間。信用しきるのも危険だろうと判断し、カシオペアは警戒体勢を解かず、少しだけ緩めるに留めた。

 異邦の地で、わざわざ観光客相手に英語で声をかける日本人は珍しい。その分、彼女が能天気なのか、あるいはなにか思惑があるのか。

 

 対してランサーの方は、少女と同じようにフレンドリーな微笑みで応対していく。

 

「そう見えたのなら、そうなのでしょう。美味しいものを美味しそうに食べるのは、原材料や製作者に対する礼儀と言えるのかもしれませんね」

「あはは、ならマナーばっちりだね。見てた私もちょっと食べたくなっちゃったもん」

「では……おひとつどうですか? 僕の分を差し上げますよ。いいですよね、マスター」

 

 カシオペアは、好きにするといいとしか答えられなかった。それを受けたランサーと少女は喜び、彼女の手に緑のドーナツが渡った。さらにランサーは自分の隣のスペースに彼女を誘い、3人で並んで座る形になる。

 それから全員の手元のドーナツがなくなるまで、とりとめのない談笑をするランサーと少女のことを眺めながら、ゆっくりと食事を楽しむことになる。

 

 その中でふと、名も知らぬ少女が気になる事を口にした。

 

「はむっ、もぐもぐ……そういえば、昨日、この近くの通りで四つも変死体が見つかったらしいよ。隕石といい、なんだか怖いよね」

 

 少女の世間話を聞いて、カシオペアとランサーは顔を見合わせる。聞けば、変死体とは少しの外傷しかないのに、内臓が物理的に破壊されているという異常な状況らしい。

 聞く限りでは、魔術師やサーヴァントの仕業である可能性はゼロではない。

 

 仮に魔術師だと考えて、そんな風に殺す意味はないかもしれない。ならばサーヴァントだったとして、人を食らうことで回復できる魔力はたかが知れている。たった四人を喰らうかと言われると疑わしいところだ。

 それでも、例外はいくらでも考えられるだろう。

 

 だが、カシオペアの勘は告げている。これは聖杯戦争に絡んだ事件である、と。

 

「……詳しく教えてくれないか。そういうの、見過ごせないんだ」

 

 超常の存在が人々を脅かしている可能性を捨て置くわけにはいかなかった。カシオペアは、力なき者を守るために魔術の世界へと飛び込んだのだから。

 

「えっと、そう言われても、私もニュースで見た以上のことはよく知らないかな。あ、近くの通りで、ってのは、あっちの角を曲がった先だね」

 

 場所がわかれば十分だ。そこへ赴けばいい。現地の警察はいるだろうが、魔力の残り香くらいは感じられるだろう。カシオペアは立ち上がり、まだ残っているドーナツを袋にしまい込んだ。

 

「休憩はこの辺にして、現場に向かおうか」

「……えぇ、そうですね。ドーナツはホテルに戻ってからも食べられますから」

 

 一気に調査へと動き出す2人組を見て、なんか刑事ドラマみたいだね、とこぼす少女。カシオペアにもランサーにもその意味はよくわからず、気の利いた言葉を返すことはできなかったが、代わりに休憩を一方的に終わらせることへの謝罪を口にした。

 

「すまないな。もっとゆっくりできただろうに」

「ううん。楽しかった。あ、そういえば、名前も名乗ってなかったっけ」

 

 少女はくすりと笑って、自らの名を告げた。

 

「私、マドカ。マドカ・ペトラっていうの。ドーナツ、ありがとね。それじゃあ、また会えたら、その時はよろしく」

 

 最後に小さく手を振って、それから彼女は背を向け歩き出す。人混みの中に紛れると、たちまちマドカの姿は見えなくなってしまった。

 

「では行きましょうか、マスター」

「あぁ。平和を乱す奴がいるのなら……私が止めてやる」

 

 犯人が人間だろうがそうでなかろうが、人を脅かすのなら滅ぼすべきだ。まだ見ぬ敵と、いまだ目覚めぬ戦いに向けて、2人は並んで歩き出す。



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第8話「アサシン/幽霊幼女」

 市内の葬儀場の一画で、椅子に腰掛けて項垂れる青年がいる。短髪を金色に染めている彼は、似合わない喪服に身を包み、暗い顔をして、周囲の泣き崩れる大人たちの輪に入ることはなく、ただ床を見つめていた。

 

 彼の名は大仁田(おおにた)銀吾(ぎんご)。一人暮らしの大学生だ。今日は、数日前に不審死を遂げた友人4人のうち1人の葬儀だった。通夜が終わり、今は告別式の最中である。

 同席しているのは彼の遺族だ。皆、まだ若いのに亡くなってしまったことを深く悲しんでいる。

 彼は決して真面目な人間ではなかったが、面白い奴だったし、親族には愛されていたんだろう。

 

 銀吾には、まだ実感がわいていない。一緒にバカ騒ぎしてきたはずの奴らがいきなり死んだなんて聞かされて、信じられるだろうか。涙の一滴も出てこないのはそういう理由だ。信じたくない、という気持ちが強い。

 

 一方で、漠然とした不安が胸を押さえつけているようにも、思えてならなかった。どうしても、銀吾だけが生き残っていることを怨んで、誰かがこちらを指さしているふうに感じてしまう。

 その居心地の悪さに耐えられず、花をいくつか手向けた後は、こうして離れて座っていた。

 

「なんでこんな事に……」

 

 銀吾は彼らが不審死であったことくらいしか聞いていなかった。司法解剖が行われたそうだが、犯人が捕まるどころか、事件か事故かさえも不明なままだ。事実はまだ警察しか知らない。いや、警察にもまだわからないのかも。

 ため息混じりの呟きは、やりきれない思いに満ちていた。もし今すぐ願いが叶うのなら、アイツらの死が、なかったことになってくれればいいのに。

 

 銀吾はそんな荒唐無稽なことまで考えている自分に対して、もう一度ため息をついて、外の空気を吸ってこようと立ち上がった。

 棺を迎えにやってきた霊柩車が待つ出口とは別方向、葬儀場の裏庭の方に歩いていく。

 

 すると、ふとした瞬間、頭の中に声が響いてきた。

 

『誰か──助けて──』

 

 初めて聴く少女の声だ。助けを求めて、誰かを呼んでいる。しかも鼓膜ではなく頭の中に直接響いてきているようだが、声の主のいる方向は不思議と推測がつく。ここが葬儀場であることも相まって、どこか霊的なものを思わせる声だった。

 

 幽霊の類か、それとも何か事件性のあることなのか。銀吾はなんとなく興味がわいて、声に釣られて葬儀場の別の部屋に行くことにする。居心地が悪い思いをずっとしているよりは、幽霊でも探した方が気分転換にもなる。

 昨日の通夜の間には使わなかった通路や階段を通り、奥の方にある薄暗い部屋まで行くと、それは鎮座していた。

 

「……棺にしちゃ、小さめだな」

 

 部屋の中央に安置されている木製の棺。蓋には複雑な魔法陣のようなものが書かれており、ぼんやりと光を放っているのがわかる。

 

 また、それはさっきの友人が入っていたのとは大きさの違う、子供用の棺であった。さっきの声も少女のものだったし、声の主はこの中にいる者の可能性が高い。

 試しに、話しかけてみる。

 

「呼ばれて来たけど、どうすりゃいいんだ?」

 

 どうせ幽霊と話すなんてできるはずがない。返事は来ないだろうと思っていた。が、意外にも返事はすぐに返ってくる。

 

『──蓋を開けてくれぬか。内側からでは開けられんのじゃ』

 

「……のじゃ?」

 

 随分と変な喋り方の幽霊だが、言われた通り、蓋を開いてやることにする。棺桶を勝手に開けるなんて罰当たりだが、中身がそう言うんだから仕方ない。

 

「おわっ!?」

 

 そうして木製の蓋に触れると、突然魔法陣が強く発光を始める。右手の甲が火傷したみたいに痛み、反射的に手を離した。見ると、直接蓋に触れた掌ではなく、どういうわけか手の甲に変な赤黒い痣ができている。なんとなく、人の目にも見える形をしていた。

 

『どうした、なにがあったのじゃ』

「いや、なんでもないよ。なんか光っただけ」

 

 改めて、蓋を取り外しにかかると、今度はなにも起こらなかった。重量もそう重くなく、簡単に取り外すことができた。

 

 そうして蓋をどかし、露わになった中身を見ると、たくさんの花が詰まっている。その中央に眠るようにして、ひとりの幼い女の子が入っていた。

 

 彼女の格好は死装束からは程遠く、むしろ昔の王様が着ているような豪勢な格好であり、右目を隠す眼帯は特に細かな刺繍が施してある。

 それに、血色はむしろいい方だった。死人とは思えない。ということは、生きているのだろうか。考え事をしつつ、銀吾はまじまじと彼女の顔を見つめていた。

 

 するとある時突然、眼帯で隠れていない左目が開かれる。すぐさま少女は勢いよく立ち上がり、収まっていた花を散らかし、頭の中に直接ではなく、喉から声を出す。

 

「はぁー、狭かった! 身動きが取れんほど狭かった! なにをどうしてこんな狭っ苦しい空間に召喚されてしまったのじゃ? まぁ良い、人間よ、よくやった! 褒めて遣わすぞ!」

 

 腕を組み、偉そうに銀吾を見上げる少女。銀吾が呆然としていたため、その言葉から数秒間、部屋には沈黙が戻った。そしてすぐまた、彼女が沈黙を叩き壊す。

 

「……ん? 人間、おぬしやたらと大きいな。わたしより大きいとか、何メートルじゃ?」

「え、1.6メートルだけど」

「は? そんなはずは……って、なんじゃあこの体!? これではわたしが幼児みたいではないか!? わたしの威厳は何処へ……」

 

 幼児みたいどころか、どう見ても幼児である。小柄であることもさることながら、髪型のツインテールとか、あどけなさの残る顔立ちとか、むしろ大人要素の方が皆無である。

 この変な騒がしい幽霊は、その事実が今の今まで認識できていなかったらしく、頭を抱え始めている。

 

「あの……あんた、何者? 幽霊じゃないの? あ、棺桶で寝てたってことは吸血鬼か」

「む、わたしをそのような低級な化け物と一緒にするでない。というか棺桶って、うそ、わたし棺桶入ってたのじゃ!?」

 

 どうやらこの少女にも状況はまったくわかっていなかったらしく、驚いては騒ぐばかり。なぜ棺桶に入っていたのか試しに聞いてみても、まるで分からずじまいであった。何にせよ、こんなに元気なのに火葬場に送られてしまうより前に銀吾が気づいてよかったというものだ。

 

「明らかに通常の召喚式ではないな……人間の死体を依代にしたとでもいうのか? ではこの幼子はいったい誰なのじゃ? ええい、わからないことが多すぎる! おぬしがわたしを召喚したんじゃろ、教えんか!」

「召喚って……俺はあんたに呼ばれたから、ここに来て蓋を開けただけなんだけど。むしろこっちのが教えてほしいよ」

 

 お互いにわかっていることが少なすぎる。というか、このままだと、出棺に置いていかれることになる。幽霊の正体もわかったわけだし、戻った方がいいだろう。そうと決まれば、すぐにでも会話を切り上げようと、銀吾は背を向けた。

 

「じゃあそういうことで、俺戻るんで!」

「あ、待て! 待つのじゃ! まだ何があったかもわかっとらんじゃろうが!」

 

 引き止める少女の方を振り返らず、あるべく早足で戻っていこうとする銀吾。すると、廊下を走る途中で顔がなにかに激突した。前をよく見ていなかったせいで壁にぶつかったかと思いきや、見上げると人の顔があり、銀吾は間髪入れずに謝罪する。

 

「あっ、す、すいません! すぐ戻りますから」

「貴様、その手の痣は……」

「あ、これっすか? これならさっきその棺触った時に」

「まさか無関係の人間に発現するとはな。だが、奪えばいいだけの事」

 

 葬式にはいた覚えがないその男は、銀吾の謝罪には反応を示さず、むしろ彼の右手の甲を見るなり掴んできた。姿の見えない銀吾を呼び戻しに来たのかと思いきや、まさか関わっちゃいけないタイプの人だったか。

 驚く銀吾には興味を示さず、ただ掴んだ右手にばかり視線を向ける男。あろうことか、彼はコートの内側から短剣を取り出し、いきなり銀吾の腕に突き立てた。

 

「いったぁ!? おいオッサン、なに考えて──!」

「貴様のような一般人には過ぎた玩具だ。私が有効活用してやる」

 

 男には話が通じず、傷つけられた銀吾の手首からは血が滴り落ちる。その光景を見ると、嫌でも思ってしまう。もしかして、自分も友人たちのように死んでしまうのか、と。それは嫌だ。天国でアイツらが待っているとしても、まだまだやりたい事はたくさんあるのに。

 

「や、やめてくれ! オレはまだ、死にたくないんだ! くそっ、誰か、誰か──!」

 

 振りほどこうと暴れる銀吾。だが、男は妙に力が強く、逃れることはできなかった。そして、短剣が骨を切り取りにかかり、痛みに悲鳴をあげそうになった、その瞬間だった。

 

「人間よ、恩を返してやろう。死にたくないのであろう」

 

 切り落とされたのは銀吾の手ではなく、男の腕の方だった。銀吾のことを掴んでいた左手が叩き斬られて地面に落ち、男はパニックに陥り、銀吾は拘束から解放される。

 見ると、先程の少女が身の丈ほどはある大剣を手にして立っており、どうやら彼女が助けてくれたようだった。

 

「何が起きて……」

「さ、無事な方の手を出すがよい。こういう時は逃げるが勝ちじゃぞ」

 

 銀吾は言われるがままに左の手を出し、彼女に手を引き先導されて走り出す。階段を駆け下りながら後ろを振り返ると、腕を奪われて悶え苦しんでいたはずの男が、今度は何かの呪文を唱えて炎を放とうとしている所だった。

 

「お、おいあれ……!」

 

 銀吾が叫んだ瞬間、火球がこちらに向かって放たれる。しかし少女はそれを振り回す大剣で両断し、いとも簡単に防いでみせた。そして裏庭から道路に飛び出し、急ブレーキを踏む車の目の前を横切り、いくつかの通りを突っ切り、川辺に出てようやく少女は止まってくれた。

 

「はぁ……はぁ……なんなんだよ、あいつ」

「大方、おぬしの令呪を狙う魔術師であろうな。こうなった以上、ああいうのに頻繁に追い回されることは覚悟した方がよさそうじゃな」

「マジかよ……」

 

 魔術師だかなんだか知らないが、わけのわからないことを言っていきなり人を傷つけ始めるなんて、明らかに普通じゃない。なんか炎も出てたし。

 

「気休めにしかならんが、軽い手当はしてやろう。どれ、見せてみるのじゃ」

 

 少女に今度は右手を差し出し、手当をしてもらうことになる。彼女は自分の豪華な衣装の一部をちぎりとって包帯の代わりにし、手首の傷に巻いてくれた。

 その時、ありがとうを言おうとして、銀吾は彼女の名前も知らないことに気がついた。

 

「あ、あのさ。俺、大仁田銀吾ってんだけど、あんたは?」

「アサシンじゃ」

「……ありがとう、アサシン。あんたがいなかったら、俺死んでたよ」

「それはわたしも同じじゃな。たぶん、あのまま焼却炉じゃったわ」

 

 冗談めかして笑うアサシン。幼い見た目のくせに妙に頼もしく、信頼のおける相手のように思えた。

 

 そんなアサシンも、そういえば、自分の状況に混乱していた。外国語っぽい名前だから外国人なんだろうが、迎えに来てくれる家族とか、いるんだろうか。これから彼女はどうするんだろう。

 思い切って、聞いてみることにする。

 

「……なぁ。アサシンって、帰る場所とかあんのか?」

「ないぞ?」

「え、な、無いの!? じゃあさ、俺があの変な奴らの仲間に追いかけられてる間、護衛になってくれねえか」

 

 銀吾の頼みに、アサシンは目を丸くして、それから少し考えて、仕方なさそうに言う。

 

「……いいじゃろう。部下はもう持ちたくなかったが……わたしも無為に消えたくはないしな。契約成立としよう、マスターよ」

 

 川の畔で、銀吾とアサシンは互いの顔を見て、頷きあった。

 

 ──かくして、7組目の陣営が誕生する。英霊は7騎が集い、7人のマスターが揃ったのだ。

 

 よってその瞬間、聖杯は覚醒を開始する。住宅街の真ん中で、今は動かない巨大な結晶の内部にて、誰にも知られず、蠢き始める魔力の渦が存在していた。



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サーヴァントステータス

8話までのサーヴァントステータスです。


【CLASS】セイバー

【真名】??? 

【性別】女性

【身長・体重】134cm/30kg(自己申告)

【属性】混沌・善

【ステータス】

 筋力B+ 耐久C 敏捷A

 魔力C 幸運C 宝具A-

 

【クラス別スキル】

 対魔力:B

 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。

 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

 騎乗:B

 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

 

【固有スキル】

 神性:C

 神霊適性を持つかどうか。魔物ではあるが、神霊としての属性も持つためある程度の神性を持つ。

 

 ▇▇の魔眼:A+

 ▇▇▇▇▇の魔眼。ランクや効力はオリジナルよりも低下している。

 相手に全てのステータスを1ランク低下させる重圧の効果を与える。この効果はセイバーから距離を置けば薄くなる。

 

 怪力:A+

 一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。

 使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間は“怪力”のランクによる。

 

 鮮血抵抗:A

 血液を媒体とした武器の展開や結界の生成を行うことを可能とするスキル。

 

【宝具】

『▇▇▇▇・▇▇▇▇』

 ランク:A-

 種別:対軍宝具

 

『▇▇▇▇・▇▇▇▇』

 ランク:C+

 種別:対軍宝具

 

【マスター】芹沢(せりざわ)紘輝(ひろき)

【性別】男性

【年齢】17歳

【身長・体重】172cm/69kg

【所属等】魔術師見習い

 

 ◇

 

【CLASS】アーチャー

【真名】??? 

【性別】男性

【身長・体重】176cm/73kg

【属性】混沌・悪

【ステータス】

 筋力B 耐久A+ 敏捷A+

 魔力D+ 幸運D 宝具A

 

【クラス別スキル】

 対魔力:A

 A以下の魔術は全てキャンセル。

 事実上、現代の魔術師ではアーチャーに傷をつけられない。

 

 単独行動:A

 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。

 ランクAならば、マスターを失っても一週間現界可能。

 

【固有スキル】

 神性:E-

 神霊適性があるかどうか。怪物として限界しているため微弱なものに留まっている。

 

 群体:A

 群を以て個とする存在定義。

 

 ▇▇▇の眼:A++

 直感・第六感による危険回避。虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。

 

 ▇▇▇▇▇:EX

 詳細不明。

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

 ランク:A

 種別:対▇宝具

 レンジ:1〜10

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

 ランク:EX

 種別:対城宝具

 

【マスター】本郷(ほんごう)つかさ

【性別】男性

【年齢】15歳

【身長・体重】156cm/41kg

【所属等】メイド喫茶『ふらんけんしゅたいん』アルバイト

 

 ◇

 

【CLASS】ランサー

【真名】??? 

【性別】男性

【身長・体重】151cm/45kg

【属性】秩序・善

【ステータス】

 筋力C 耐久B+ 敏捷A+

 魔力A 幸運B 宝具A

 

【クラス別スキル】

 対魔力:A++

 A++以下の魔術は全てキャンセル。

 事実上、魔術ではランサーに傷をつけられない。

 

【固有スキル】

 獣のカリスマ:C

 知性を持たない獣を統率する技能。動物会話とはまた異なる意思疎通の形。

 

 ▇▇の仔:A

 ▇▇から産まれた者への特攻。

 

 ▇▇▇▇▇:A++

 詳細不明。

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

 ランク:A

 種別:対人宝具

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

 ランク:A++

 種別:対軍宝具

 

【マスター】カシオペア・トリスケリア

【性別】女性

【年齢】26歳

【身長・体重】174cm/59kg

【所属等】フリーランスの魔術使い

 

 ◇

 

【CLASS】ライダー

【真名】??? 

【性別】女性

【身長・体重】150cm/42kg

【属性】混沌・悪

【ステータス】

 筋力C 耐久A+ 敏捷B

 魔力C 幸運E- 宝具EX

 

【クラス別スキル】

 対魔力:B

 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。

 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

 騎乗:B

 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。

 

【固有スキル】

 ▇▇▇▇:A+

 詳細不明。

 

 暴王特権:B

 本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。

 該当するスキルは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、等。

 ただし、発動時には魔力消費が跳ね上がるため、乱用は不可能。

 

 カリスマ:E

 軍団を指揮する天性の才能。統率力こそ上がるものの、兵の士気は極度に減少する。

 

【宝具】

『▇▇▇▇』

 ランク:B

 種別:対人(自身)宝具

 

『▇▇▇▇』

 ランク:B+

 種別:対人(自身)宝具

 

『▇▇▇▇』

 ランク:? 

 種別:対人(自身)宝具

 

【マスター】古蛾(こが)(しずく)

【性別】女性

【年齢】18歳

【身長・体重】159cm/44kg

【所属等】魔術協会所属、古蛾家当主

 

 ◇

 

【CLASS】キャスター/アルターエゴ

【真名】アングルボザ

【性別】女性

【身長・体重】158cm/50kg

【属性】混沌・悪

【ステータス】

 筋力C++ 耐久B++ 敏捷C++

 魔力A++ 幸運B++ 宝具A++

 

【クラス別スキル】

 陣地作成:D++

 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。自身の周囲を塗り替え、凍土に変えることが可能。

 

 道具作成:C++

 魔術的な道具を作成する技能。

 

 ハイ・サーヴァント:A

 複数の存在が合成されて誕生したサーヴァント。母たるアングルボザを中心として、大狼フェンリル、世界蛇ヨルムンガンド、冥界の支配者ヘルが融合している。

 

【固有スキル】

 女神の神核:E

 生まれながらに完成した女神であることを現すスキル。精神と肉体の絶対性を維持する効果を有する。

 

 ラグナロクディザスター:EX

 イデス。アルターエゴの特殊スキル。スキル『神殺し』が進化したもの。

 神性を持った相手への特攻能力のみならず、神の祝福、あるいは神代の存在たる事実に反応して追加ダメージが発生する。

 

 破滅羨望:A

 イデススキル。ステータス、クラススキルのランクに++の補正を付与する。また、自分の周囲に存在する存在の攻撃能力に反応し、キャスターの攻撃性が上昇する。

 

 狡知の寵愛:A+

 ロキに愛されたことを証明するスキル。キャスターにさまざまな加護を授けるが、彼女は周囲に対して破滅を撒き散らす存在となる。

 

【宝具】

九界の神々に三相の結末を(ロプトル・ギフト)

 ランク:EX

 種別:対神宝具

 レンジ:1〜

 最大捕捉:不明

 ロプトル・ギフト。

 アングルボザがロキとの間に産んだ三体の巨人を由来とする宝具。フェンリル、ヨルムンガンド、ヘルを出現させ、使役する。

 

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

 ランク:B

 種別:対人宝具

 

【マスター】観伝寺(かんでんじ)風羽(ふうわ)

【性別】女性

【年齢】17歳

【身長・体重】153cm/42kg

【所属等】一般人

 

 ◇

 

【CLASS】アサシン

【真名】??? 

【性別】女性

【身長・体重】148cm/48kg

【属性】秩序・悪

【ステータス】

 筋力A 耐久B- 敏捷B+

 魔力A 幸運D 宝具EX

 

【クラス別スキル】

 気配遮断:C

 サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。

 完全に気配を断てば発見する事は難しい。

 

【固有スキル】

 神性:EX

 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。

 

 ▇▇▇▇る瞼:EX

 アサシンの着用している眼帯。眼球を起点とした魔術の使用を可能とするスキル。

 

 軍略:B-

 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。

 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

 

 魔術:B

 オーソドックスな魔術を習得。

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇▇』

 ランク:EX

 種別:対人宝具

 

【マスター】大仁田(おおにた)銀吾(ぎんご)

【性別】男性

【年齢】21歳

【身長・体重】165cm/59kg

【所属等】一般人

 

 ◇

 

【CLASS】バーサーカー

【真名】カリュブディス

【性別】女性

【身長・体重】163cm/54kg

【属性】混沌・悪

【ステータス】

 筋力E 耐久A+ 敏捷E

 魔力A+ 幸運E 宝具B

 

【クラス別スキル】

 狂化:B

 理性と引き換えに驚異的な暴力を所持者に宿すスキル。Bランクだと全能力が上昇するが、理性の大半を奪われる。カリュブディスは意思疎通は成立するものの、あらゆる欲望に対して抑えがきかない状態となっている。

 

【固有スキル】

 神性:E-

 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。

 カリュブディスはポセイドンとガイアの子であり、神霊であるが、怪物へ変えられたことでほとんど消失している。

 

 領域作成:A

 自分に有利な領域を作成するスキル。陣地作成とは性質が異なり、自分の周辺環境を自分にとって好条件となるようカスタマイズする能力。

 

 嵐の捕食者:EX

 航海者にとっての畏怖の象徴。嵐の航海者や騎乗のスキルを無効化し、船のみならず生物や旅客機であろうとも乗機という概念に反応する特攻能力。

 

 魔力放出(水):B

 武器ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出することによって能力を向上させる。

 

 悪魔と悪魔の狭間に:A+

 詳細不明。

 

【宝具】

『▇▇▇▇▇▇』

 ランク:C〜A

 種別:対船宝具

 

『▇▇▇▇▇▇▇』

 ランク:B

 種別:▇▇宝具

 

【マスター】徳間(とくま)若葉(わかば)亀良(きら)姫螺璃(きらり)

【性別】女性

【年齢】23歳(若葉)・21歳(姫螺璃)

【身長・体重】154cm/47kg(若葉)・144cm/40kg(姫螺璃)

【所属等】徳間家当主・従者



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第9話「監督役」

「突然の話だが、母国に帰りたくはないかい?」

 

 熱海市に7騎のサーヴァントが揃う日より、少し前のロンドンでの出来事。

 学部長にいきなり呼び出しを受けて来てみれば、それは突拍子もない話から始まった。

 

 少女──雪村(ゆきむら)委子(いこ)は、この魔術協会に来てから1年も経っていない、まだまだ見習いの魔術師である。生まれは日本だし、生粋の日本人のはずだが、時計塔から来た魔術師と色々あった結果、こうして時計塔に入学することが決まり、それ以来現代魔術科で面倒を見てもらっている。

 

 呼び出してきたのは、その現代魔術科の現学部長にしてエルメロイの当主、ライネス・エルメロイ・アーチゾルテだ。彼女は困惑する委子に対し、話を続ける。

 

「再び日本でサーヴァントが確認された、という情報が飛び込んできてね。しかも、巨大隕石が落ちた街でだ。君も聖杯戦争を経験した身として、見過ごせないだろう」

 

 聖杯戦争──。

 

 委子はかつて、聖杯戦争に巻き込まれたことがある。戦乱の中で死にかけただけじゃなく、居場所や親しくなれた人を失って、なんて経験をした。ライネスの言う通り、見過ごせないものがあるのは事実だった。

 それに、サーヴァントの現界なんて現象、そう簡単に起きるものではない。聖杯に相当するものが存在するとの推測は恐らく間違いない。

 

「私に熱海に行ってほしい、ってことですか?」

「あぁ。既に聖堂教会からは代行者が派遣されている。彼女と合流して、聖杯戦争の調査、及び巻き込まれた人間の保護を頼みたい」

「わかりました。すぐ、準備します」

 

 委子の頭の中に、ライネスの頼みを拒む選択肢は初めから無い。エルメロイ教室やその卒業生には多くの聖杯戦争経験者がいるが、中でも委子が選ばれたのは、家や組織のしがらみが無く動けるからだろう。

 それに、ライネスは委子に期待してくれている。彼女は委子たちを引き取ってくれた恩人なのだ、応えなければなるまい。

 

「頼もしい返事をありがとう。よろしく頼んだよ」

 

 ライネスの言葉に、委子は深く頷いた。そして強く拳を握りしめ、決意する。

 1年前、あの出会いと別れがあったからこそ委子はここにいるけれど、本当ならもっと生きていられたはずの人は大勢いるのだ。

 そういう人たちを助けるためにも、自分が頑張らないと。

 

 学部長の部屋を出て、自室で旅支度をする間にも、委子はずっと自分に言い聞かせていた。

 

 ◇

 

 ライネスに話を聞き、英国を出発した委子は、空港から乗り継いで目的の街へと到着したところだった。

 聞いた話によると、隕石のところで待ち合わせをすることになっているという。委子は紙の地図とにらめっこしながら歩き、住宅街へと向かった。

 

 久しぶりの日本だが、以前いた街とはだいぶ趣が違い、故郷に戻ってきた感じはしない。観光客も多いらしく、耳に入ってくるのは英語が多い。日本語の割合はさすがに英国よりずっと多いものの、委子にとってはどちらも異邦に変わりなかった。

 

 また、隕石が落ちたという場所へ向かう途中の道のりで、委子には警察車両が何度も目に付いた。聞けば、付近で不審死事件まで発生したとのことで、パトロールが強化されているらしい。

 その事件が聖杯戦争に関係するものだったとしたら、防げなかったことに心が痛む。一方で、魔術師にとっては、警察が目を光らせている現状は動きにくい環境になっているとも言えるだろう。

 

「……そういえば。隕石の傍とは言われたけど、外周のどのあたりなのかしら」

 

 隕石の付近に到着したはいいものの、それらしい人物の姿はなく、立ち入り禁止のテープが張られているだけだった。

 詳しい位置まで聞いておかなかったのを軽く後悔しつつ、外周をぐるっと1週歩けば見つかるだろう、と思い立ち、委子はまた歩き始めようとした。

 

 その瞬間のことである。

 

「だーれだっ!」

 

 突然、何者かが両手で委子の目を覆い、委子の視界が閉ざされた。それを知覚した瞬間、委子は一気に迎撃の体勢に入る。意識の外から行われた襲撃に対し、防衛のための植物魔術を起動し、委子のポケットの中から硬化した枝が射出される。同時に委子自身も、正体不明の手を振り払って、全力で飛び退き振り返った。

 

 ──襲撃者はひらりと枝を躱すと、委子に向かって、敵意ではなく、人懐っこい笑顔を向けてくる。

 

「わわっ、と。もう、久しぶりの再会なのにつれないなぁ、委員長(……)!」

 

 真っ赤なツインテールに、フレンドリーな態度。そして何より、彼女が委子を指して使ったそのあだ名。知っている者は、1年前の聖杯戦争の中で出会った者だけ。思い浮かぶ人物は、たった1人だ。

 

「なんだ、マドカだったのね……全くもう、驚かせないでよ」

 

 聖堂教会のシスター、マドカ・ペトラ。彼女は委子が時計塔に引き取られる以前、教会で委子たちの面倒を見てくれていた女性である。

 ロンドン行きが決まって教会を離れてから、約1年の間、顔を合わせていなかったのだが。

 

「また会えて嬉しいな。生き物係くんとエリちゃんも来てるの?」

「いいえ、彼らは連絡がつかなかったみたいで。世界一周ライブツアーに行くって言い残して、それっきりだわ」

「あはは、エリちゃんらしいや。いてくれたら、心強かったんだけどね」

「状況がややこしくなることは間違いないと思うわ……」

 

 マドカと委子は7つも歳が離れているが、接し方は仲のいい友人のようなものだ。再会を喜び、かつて一緒に過ごした友人の話に花を咲かせ、近況を話すだけでもこのまましばらく立ち話をしていられそうだ。

 

「あぁそうだ、安心して。教会のみんなは、信頼出来る友達に任せてあるから。ソフィアちゃんならめいっぱい愛してくれるよ!」

「それはよかった……あら? そういえば、なんでマドカがここにいるのかしら」

「エルメロイの姫様から話、聞いてなかった? 代行者が派遣されてるって」

「えぇ、聞いていたけれど」

「それが私のこと。委員長が来るって聞いた時は嬉しかったよ」

 

 さらりと言い放つマドカに、言葉を失う委子。代行者とは、天におわす主に代わって、魔を討ち滅ぼす悪魔殺しだ。友人がそんな物騒な職業だったなんて、今の今まで知らなかった。

 

「というわけで、一緒にお仕事だね、委員長! 

 ほらこれ、霊器盤もあるよ。どれだけサーヴァントがいるかわかるやつ」

 

 ごそごそと何かを取り出して、見せてくれるマドカ。霊器盤とは、確か冬木の聖杯戦争で、監督役の神父が所持していたものだったはず。

 そこには、既に聖杯によって7つの霊基が召喚されていると表示されていた。

 

 ともあれ、仕事のパートナーが気の合う顔見知りで助かった。魔術師を忌み嫌うような堅物だったらどうしようと、内心ヒヤヒヤしていたのは委子の方なのだから。

 

「それじゃあ、まずはこの隕石を調べてみなきゃね」

「えぇ。どう考えても、一番怪しいのはこれだもの」

 

 隕石を待ち合わせ場所にしたのは、やはりそのまま調査に入れるように、ということのようだ。まずは立ち入り禁止のテープの内側に堂々と入っていって、近くで観察するところからだ。

 噂通り地球上の物質ではないのか、少なくとも委子の知っているどの素材とも違う質感をしており、金属にも見えるし硝子や宝石のようでもある。

 

「うーん……見た感じだけじゃ、よくわかんないね」

 

 マドカも首を傾げている。1年前に見た聖杯とは全く違う姿をしており、また魔力の気配も感じられないため、これが魔力炉心を含んだ物体だと断言することはできないだろう。

 なんて考えていると、マドカはさらに1歩前に出て、隕石に手を伸ばした。感触を確かめるように触って、首を傾げている。

 

「触り心地は……硬いけど、柔らかいみたいな……なんだろうこれ……」

 

 ──その時、マドカは気がついていなかったが、委子は確かに目撃する。隕石の表面がどくんと脈打ち、その瞬間、霊器盤に新たな反応が出現したのを。

 

「わっ、眩しっ!?」

 

 突如として放たれる妖しい輝き。それは眠っていた彼女が起動したことの印であり、そして、ここに『8騎目のサーヴァント』が召喚される前兆であった。

 

『遂に、聖杯を求める者が出揃った。令呪を授けられた人間が8人……令呪に縛られた怪物が8体。さあ、始めようか、願いの潰し合いを!』

 

 響いてくる何者かの声。魔力が吹き荒れ、委子は踏ん張って風圧になんとか耐える。マドカは光の中におり、状況がわからない。無事を祈って耐え続け、やがて風が収まるとともに、光も晴れ、彼女の無事は確認された。

 

 ただし、傍らに見知らぬ女を伴って。

 

「──聖杯を求めるのは、アナタのようね。我がマスターよ」

 

 大きな2本の角を生やし、真っ白な髪を地面に引きずりそうなほど伸ばした彼女は、先程どこからか響いた声と同じ声色で、確かにマドカのことをマスターと呼んだ。

 そして、マドカの右手には、竜巻のようにも竜のようにも見える赤い痣が浮かび上がっているのが見えた。

 

 マドカが8人目のマスターとして選ばれたことは、もはや疑う余地がない。それならと委子は霊器盤に目を向ける。示された8つ目の反応は『復讐者(アヴェンジャー)』。

 目の前の女は、1年前にも召喚された、例外たるクラスに属する英霊だ。委子はその強烈な存在感を前にして、冷や汗をかき、警戒態勢をとらずにはいられなかった。

 

 そんな委子は眼中にないと言わんばかりに、アヴェンジャーは己のマスターに語りかける。

 

「我がマスター。アナタにも願いがあるでしょう。特別に、この怪物の王が力を貸してあげるわ」

 

 微笑みとともに手を差し伸べる彼女の姿は、毒婦のようにも、優しき母のようにも、恐るべき獣のようにも見えた。



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第10話「8騎目のサーヴァント」

 己を怪物の王と語ったサーヴァント、アヴェンジャー。委子はその姿を見た時、かつての聖杯戦争で死を覚悟した時と同じ感覚に囚われた。

 纏う神秘は恐らく神代のもので、相対するだけでも背筋が凍りつく。並大抵の英霊ではないことは明白だ。

 

 彼女自身の言う通り、正当な人間の英霊ではなく、圧倒的な力を持って誕生した怪物がその正体なのだろうか。

 数多く神話に現れる怪物の中でも、王と称されるものだとすると、幻想種の中でも最上の神獣クラスとなるに違いない。

 

「さあ、私に命令を、我がマスター。手始めに魂食いでも始めようかしら? なんでもいいわ、従ってあげる」

 

 穏やかでありつつも、聴いているだけで威圧されてしまうような声で、妖しげに笑うアヴェンジャー。そんな相手を召喚してしまった、マドカはどうしたかというと──。

 

「そっか……それなら、せっかくだし、この街の案内してあげよっか。委員長も初めての土地だしさ。監督役として、現状は知っておかないと。

 あ、安心して。この3日くらいは色んなとこ行ったし、ある程度は把握してるんだよ。ドーナッツの美味しいお店とか〜」

 

 ──特に、対応を変えることはなかった。少し間を空けて考えたものの、元々委子を相手に予定していた観光デートをアヴェンジャー含めた3人でのものに認識を改めた程度だ。呆気にとられたのは委子だけでなく、アヴェンジャーの方もであった。あんなふうに契約を迫った直後で、こうも明るく返されるとは思わなかったに違いない。

 

「ちょっと待って、我がマスター。そんな呑気な……っていうか、私をこの姿で連れ回すつもり?」

「怪物の王なんだし、角隠して現代風の服装になるくらいはできると思って。それとも私の着替え、使う? 胸がすごいキツくなると思うけど……」

「できるわ、その程度」

 

 アヴェンジャーはそう宣言するとともに、両角を霊体化させて不可視にし、全身から分泌した黒泥のようなものを身にまとってワンピースのようにしてみせた。

 こうも豊満なボディラインがくっきりだと、長身や引きずるほど長い白髪ともあわせてまだまだ目立つとは思うのだが、先程までの露出の多い格好よりはマシかもしれない。

 

「うん、それじゃあ出発だね!」

 

 マドカもそれでいいのだろうか。委子が一番不安がっているが、監督役が気にしないなら、これでいいのか。マスターに先導されて出発する後ろ姿を見ていると、なんだかんだアヴェンジャーも乗り気なようだった。

 

「それでそのドーナッツが美味しいお店とはどこなのか、気になるわね」

「きっとアヴェンジャーも気に入るよ」

「私の眼鏡にかなうかしらね。まあ、人間の食べ物なんて食べたことないからわからないけれど」

「あはは、怪物あるあるかな?」

 

 いつものような人懐っこい笑顔を崩さないマドカ。けれど彼女のその横顔は、委子の目にはどこか影が差しているように見えた。

 

 聖杯は己を求める者にこそ資格を与える。マドカにも、なにか叶えたい願いがある。アヴェンジャーはそれに呼応して召喚されたのだろう。根拠はないが、委子はあれを事故ではないと思う。

 

「やっぱり、あの人のことなのかしら」

 

 2人に聴こえぬよう、小さな声で呟いた。

 委子の知る限りで、マドカの中に影を落とすとしたら──それは1年前の聖杯戦争のこと。その中で、マドカの大切な人は命を落としている。

 

 無論、委子はマドカの心が読めるわけじゃない。だから断言はできないけれど、気丈に振る舞う彼女の中に、傷ついた心があるのかも。

 

「……考えすぎよね」

 

 今までだって、マドカが委子にそんな素振りを見せたことはなかった。今だって、サーヴァントを召喚してしまっても、変わらず監督役としての仕事を完遂しようとしている。そこに嘘はないと信じたい。

 

「あ、委員長ってば、あんまり歩くの遅いと置いてっちゃうよ〜」

「えぇ、今行くわ!」

 

 アヴェンジャーと並んで連れ立つマドカの後を追いかけて、委子も踏み出した。先を行く2人に置いていかれないよう、慌てた駆け足で。

 

 ──それからというもの、マドカに連れ回され、アヴェンジャーは次第に積極的に自分用の食品をねだるようになり、最も幼いはずの委子がブレーキ役にならなければならなかった。

 マドカが教会から渡された資金が、湯水のように土産物屋で溶けていくのは、さすがに見ていられない。

 

 それでもアヴェンジャーの手元にはお菓子や海産物を初めとした大量の食品類が溜まっていった。ただでさえ目立つアヴェンジャーが爆買いで両手いっぱいにレジ袋を持っている姿は、通りがかる人々の多くが二度見していった。

 

「……いいの? 神秘の秘匿的には、あんまり人目に触れない方がいいんじゃ」

 

 マドカに向かってのつぶやきのつもりだったが、それはもちろんアヴェンジャーにも聴こえており、予想外に振り向き見下ろしてくる。

 

「委員長……だったかしら。私に姿を隠して歩けと言いたいのかしら」

「提案よ。サーヴァントとばったり出くわしたらどうするのって話」

 

 監督役としては、市街地で戦闘が始まるのはなんとしても避けたいはず。アサシンじゃあるまいし、アヴェンジャーに気配遮断の能力はない。となると、街中で偶然ばったり、なんてことになったら困るだろう。

 

「別に、私が勝つからいいのよ」

 

 アヴェンジャーとしてはその辺りは最初から考慮にないようで、堂々とした態度で、袋の中からドーナッツを引っ掴んで取り出すと思いっきりかぶりついた。およそ3分の1が一気に齧り取られ、O型はC型になった。

 

 そして委子がため息をつきかけた、その時のことだ。

 

「あっ、お姉さんたち、また会ったね!」

「……ん。貴女は確か、ミス・マドカだったか。今日は連れがいるのか」

「そうそう、マドカだよ。今は友達と散歩中」

 

 誰かを見つけたマドカが手を振り駆け寄ったのは、スーツを着た男女2人組のところだ。日本語ではなく英語でのやり取りだったが、時計塔に留学していたおかげで、委子は盗み聞きしても意味を理解出来る。

 話しかけられた瞬間は身構えていたものの、どうやら2人組とマドカとは知り合いであるらしく、彼らも親しげに応えてくれているらしかった。

 

「ドーナッツ、また買ったんですね」

「どれだけ食べても美味しいからねぇ」

「2日連続は……私は遠慮しておくかな」

 

 一方、マドカの隣まで悠々と歩いて赴いたアヴェンジャーはというと、2人組の長身の女よりも、その隣の少年にずっと視線を向けていた。

 女の淡い色とは大きく違う深緑の髪を結んだ彼は、アヴェンジャーからの視線に首を傾げ、どうしましたか、と穏やかに問いかけてくる。対するアヴェンジャーの答えは、マドカに対する態度とはうってかわって、静かな言葉で紡がれる。

 

「別に。少し、懐かしい相手だなと思っただけ」

「そうですか? 私は貴女を知りませんが……貴女が私の同類、ということは理解(わか)りますよ」

 

 少年の向けた視線に、アヴェンジャーはくすりと笑って応えた。ということはつまり、少年もまたサーヴァントということになる。

 

 当のアヴェンジャーが隠そうともしていないのだから当然だが、こうもばったりと出くわしてしまうとは。先程の懸念が現実になってしまった状況に、委子の頬を冷や汗が伝った。

 マドカと話していたマスターらしき女も、彼女を睨み、静かに殺気を放っている。

 

「……まったく。菓子を分け合った相手がマスターだったとは、驚きだ」

「私はどっちかって言うと、自分がマスターになったことの方が驚きだな」

 

 空気が張り詰める。マドカだけはそんな素振りを見せなくても、サーヴァントの間には互いの出方を窺う沈黙が続いている。

 委子はせめて民間人への被害を減らそうと、ポケットの中で種を握りしめていた。植物魔術で対処できることなんてたかが知れているが、何か少しでも切っ掛けがあれば、この道の真ん中で戦闘が始まってしまう。それは委子も、マドカも望まないことだ。

 

「今はやめましょう。人間を巻き込む趣味はありませんし、マドカさんからは敵意を感じませんから」

 

 その沈黙の終わりは、意外にも少年の言葉でもたらされた。それを受けてアヴェンジャーも、相手のマスターも戦闘態勢をやめる。けれど彼女の目はいまだにマドカを睨みつけていて、冷たい声色で問いかけてくる。

 

「どういう訳だ、ミス・マドカ」

「えっと……まず、場所、変えよっか」

 

 当然ながら、往来で魔術世界の話をするのはまずい。人気のない建物の陰に移動して、改めて答えた。

 

「私は代行者で、今回の聖杯戦争には監督役、及び監視役として派遣されたんだ」

 

 マドカは答えとして、自分の事情を説明していく。隕石を調査しようとしたところ、召喚の儀式を行ってすらいないのに、事故でサーヴァントが召喚されてしまったとか。現状、聖杯戦争に積極的に参加する気はないとか。女性の方は目を丸くしてマドカから視線を一切逸らさず、少年は頷きながらそれを聞き届けると、先に少年が応えた。

 

「では、目的そのものは似たようなものですね。こちらのマスターも、目的は聖杯ではなく、そこに(たか)ってくる怪物どもから人々を守ることなのですから」

「……あぁ。貴様が代行者だとは気が付かなかったが、悪い人間ではないように見える」

 

 どうやら、委子の心配は杞憂に終わってくれたようだ。出会ったのが頭のネジの外れた者だったら、この場で戦闘が始まっていたに違いない。胸を撫で下ろし、引き続きマドカたちのやり取りを見守ることにする。

 

「えへへ、ありがと〜。ま、あんまり派手に仕事したこともないし、全員の顔覚えてる変態じゃなきゃ私のことなんて知らないから、そっちの方は気にしないでよ」

 

 委子が先程聞いた話でも、1年前の時点ではまだまだ見習いだったらしく、あの後『ソフィア』なる人物と共にいくつか大きな仕事をした結果、彼女の推薦で、こうして1人で任務に出ることになったとか。

 

「私自身はともかくとして……今は、我がマスターと同じことを考えているでしょうね。私の方は別に、今すぐ殴りあったっていいのだけれど」

「そんな言い方しなくたって、これからも私は正義のために戦うってば。あ、この子、アヴェンジャーね。エクストラクラスの」

「ふん。ま、ほどほどに手を貸すわ」

 

 紹介されてもあまり友好的に振舞おうとはしないアヴェンジャーだが、対する向こうのマスターの態度も似たようなものだった。こちらも必要以上に馴れ合うつもりはない、と念を押すような視線を向けながら、ぽつりと呟く。

 

「名乗っていなかったな……カシオペア・トリスケリア。フリーランスの魔術使いだ」

 

 カシオペアは長身で、その色の抜けたような淡い桃色は、きつい顔立ちとは正反対の柔らかな印象だった。

 さらに、アヴェンジャーも背が高いが、改めて見るとカシオペアの方がいくらか長身である。170センチは超えているんだろう。

 ただし、アヴェンジャーの胸の目立つ双丘のような存在感を放つものはなく、スレンダーな体つきだった。

 

「私はマスター・カシオペアのサーヴァント、ランサーです。正当な英霊ではありませんが、よろしくお願いしますね、皆さん」

 

 カシオペアにもランサーにも、協力に対する異存はないらしく、味方してくれそうだ。思わぬ協力者を得たことに、やはり委子の心配は無用だったと思い、遠巻きに眺めながらもほっとしていた。

 

「マドカさん。そちらのお嬢様は?」

「あぁ。雪村委子だよ、私の友達で、魔術協会から調査に来てるの」

 

 そこへいきなり委子のことが話題にのぼり、全員の視線がこちらへ向いた。

 

「こんな子供まで……すまないな、こんなことに付き合わせてしまって。本当は、私たち大人で片付けるべきなのに」

「……そんな謝らなくったって、いいわ。私だって、自分がやりたくて引き受けたんだから」

 

 委子はまだ12歳。一般に子供、と言われることはわかっている。それを言ったら、マドカだってまだ20歳未満なわけで。経験でいえば、そこらの魔術師が一生かかってもできないものをしてきたつもりだ。そんな風に謝られる筋合いはない。

 

 カシオペアに対して返す委子の視線は少しきつく、謝る前よりも気まずくなる。それを察してか、マドカが声を出す。

 

「そいや、昨日は不審死の調査に出てたっけ。成果はあった?」

 

 話題が変わったところで、委子は目を逸らしてカシオペアから離れようとした。子供扱いが嫌だった、というより、カシオペアの報告に邪魔だと思ったから。そんな委子の背中を、ランサーが受け止めてくる。

 

「あまり気を悪くしないでくださいね。あの人は、優しいだけですから」

 

 委子もそれ以上はなにも言わなかった。ランサーの言う通りで、委子が勝手に、子供っぽく拗ねただけなんだから。

 一方のカシオペアは、委子が口を固く結んだのを見て、ようやく話し出す。

 

「……目撃情報によると、犯人は虫らしい。使い魔かなにかだろうが、生贄や魂喰いにしては不自然だ。よって、私たちは調査を続ける。無論、聖杯戦争の方に手を抜くつもりはない。安心して欲しい」

「うん、わかった。私たちにも、出来ることがあったら呼んでね。カシオペアお姉さん」

 

 かくして、ランサーとアヴェンジャーは手を結ぶことになる。誰かを害する者を追いかけるため、そして誰かを助けるために、だ。

 もしかしたら、この時点で既に、自分の底にある願いには互いに目を瞑っていたのかもしれないけれど。



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第11話「先輩からのお誘い」

『一緒にお食事に行きましょう』

 

 音信不通であった雫から、1週間ぶりに紘輝のもとへ送られたメッセージの内容は、予想外にも食事の誘いであった。

 普段、用事がある時は、大体普通に家に呼び出してくる雫だが、何か気分の変化でもあったのか。

 何にしても、ずっと待っていた先輩からの連絡である。直接会って聞きたいことはいくつもあるし、部活に入っていない紘輝の夏休みは実際予定がない。承諾とともに場所を提案する文面を打ち込んで、送信のボタンを押した。すると、すぐさま返事が来る。雫も紘輝の反応を待っていたようだ。

 内容は紘輝の提案を受け入れるというものと、もうひとつ最後に付け加えられていた。

 

『あのサーヴァントの女の子も連れてきて』

 

 サーヴァント──セイバーのことだろう。勿論、彼女の素性も雫に聞きたいことの中に含まれている。今は恵美里の部屋で一緒に遊んでいるはずだが、呼んでこよう。

 

 紘輝は雫に了解した旨を送ると、恵美里の部屋へ向かった。扉の向こう側からは、画面の中の相手に文句を言う恵美里の声が聴こえるが、いつものことだ。2回強めにノックして、はーいと返事が聞こえてから、扉を開いた。このノックは、兄妹間で決まっているルールである。

 

「なあ、エミ」

「お兄どしたの? 私たち、今忙しい……あーっ、そこ! 必殺技出して!」

 

 カーテンの締め切った薄暗い部屋で、大きなモニターに向かう少女たち。

 恵美里の買ったゲーミングチェアに座っているのは、持ち主ではなく、格闘ゲームを操作するセイバーだった。両親公認の居候となった彼女は現在、彼女に操作方法などを教えられ、恵美里のゲーム友達として仲良くやっている。純粋な人間ではないからか、その動体視力と反射神経はすさまじく、めきめきと上達しているんだとか。

 

「いや、これから先輩と用事があるんだけど、セイバーも連れてきてくれって言われてさ」

「だってさ、セイバーちゃん、大丈夫?」

「はい、大丈夫です。ですが、あと1戦だけやらせてください。この試合に勝ったら昇格なので」

 

 どうやら、恵美里の代わりにランクを賭けた戦いに挑んでいるらしい。

 出会った初日のセイバーはほとんど喋らないし、何を考えているかよくわからなかったが、なんだかんだ馴染めているようだ。兄としては一安心である。

 

 紘輝はセイバーの操作するキャラクターが続く戦闘に見事勝利を収めるのを見届け、恵美里とセイバーがハイタッチで喜びを分かち合うのを見守り、それから出かける準備に取り掛かった。

 

 向かう先は先輩との待ち合わせ場所、よく利用するファミレスだ。連れて歩く妹がちょっと静かなくらいで、目新しいこともなく、いつも通りの気分で外へ出る。

 

 そこでふと、隣の家が目に入って思い出した。

 

「……そういえば、最近風羽どうしてるかな」

 

 ちょうどセイバーと出会った日以来、風羽の姿すら見ていない。どころか、その両親である観伝寺夫妻ですら見ていないのだが、旅行にでも行ったのだろうか。1週間も家を空けているなら、海外旅行なのかもしれない。

 

「……マスター?」

「あぁ、悪い。ちょっと考え事してた」

 

 そのうち帰ってきたら、いつも通り、お土産を持ってウチに来るだろう。どこへ行ったかの答え合わせはその時だ。

 紘輝は気を取り直し、セイバーと一緒に歩き始めた。

 

 ◇

 

 雫はドキドキしながら、紘輝の到着を待った。その隣で、夏だといつのに冬のコートを羽織らされたライダーもまた、不満げに腕を組んでいた。

 見るからに暑そうなこのコートは雫の使っているものだ。ライダーのあの蛇は、自分の意思で霊体化させることができないらしく、隠すためにこんな格好なのだ。コートの内側では、ライダーのお腹のあたりで、両肩の2匹を堅く結んで動けないようにしてある。

 

 紘輝が到着する30分は前に待ち合わせのファミレスに到着していた雫は、10分早く来た紘輝をライダーと共に出迎える。

 

「すみません、先輩。待たせてしまったみたいで」

「う、ううん、いいの。私が来るのが早すぎただけだから。それより、ちゃんと連れてきてくれたみたいだね」

 

 紘輝の隣には、あの日に召喚された紫髪の少女が立っている。サーヴァント同士で気配がわかるのだろう、ライダーの方を見るからに警戒しており、深く被ったフードの奥から鋭い眼光を覗かせていた。

 紘輝に促されてようやく頭を下げて挨拶するが、一言も喋ろうとしない。思いっきり敵視されているようだった。

 

「セイバー、この人は俺の魔術の先生で、恩人なんだ。そんなに警戒しなくても大丈夫だ」

「……いいえ。警戒を解くのは不可能です。いつ襲撃を受けるか、わかりませんから」

 

 こうして従わないのも、彼女がマスターを思っているからだろう。サーヴァントとしては正しい選択だ。

 

「あ、先輩。その子は?」

「この子もセイバーと同じ……だよ。詳しくは、入ってから話そうか」

 

 ライダーを指した紘輝の質問に答えるのは先延ばしにして、先に店内に入っていくことにした。4人が向かい合って座れる席に案内してもらい、マスター同士、サーヴァント同士が顔を合わせることになる。

 それから店員が水を置いていき、離れていったのを確認してから、メニューを広げつつ先程の質問に答える。

 

「紹介するね。この子はライダー。セイバーと同じサーヴァントで、私が召喚したの」

「あ、そうだったんですね。初めまして、俺、芹沢紘輝です」

 

 自己紹介とともに頭を下げた紘輝。ライダーはそんな彼に返事をすることはなく、雫に向かってだけ口を開いた。

 

「……この男がセリザワか。貴様の男の趣味をとやかく言うつもりもないが、随分とつまらん面構えの男だ」

「お、男の趣味って、そ、そ、そういうのじゃないから……っ」

「……はぁ、全く貴様は我の話を聞く気がないな……」

 

 雫の返答に、付き合っていられないとでも言いたげなため息をつくライダー。それ以降、彼女は紘輝を見ようとせず、目を向けるとしてもセイバーの方ばかりだ。

 

「……何ですか?」

「いやなに、貴様からは我と同じ匂いがするのでな。蟒蛇と……腐臭だな。死体の匂いだ。それに、我好みの顔をしている。貴様のような美女とは是非、仲良くしたいものだな」

 

 冗談めかして話すライダーに、セイバーは相変わらず警戒している様子であり、睨み返すだけで返事はしなかった。そのせいで立ち込めた気まずい雰囲気に、気を使って紘輝が声を出す。

 

「あはは……そうだ、セイバーは何頼むか決まった?」

「……グリルチキンです。鶏肉が食べたいので」

「じゃあ、俺もそれにしようかな。先輩たちは決まりました?」

 

 雫が頷き、ライダーには確認をとらずに呼び鈴を鳴らした。ライダーも不満を漏らさず、和気あいあいとはいかないものの、各々食べたいものを注文していった。

 そして、再び店員が去っていったことを確認すると、雫は本題に入ろうとする。

 

「あ、あのね、芹沢くん。今日呼び出したのは、同盟の提案をしようと思って」

「同盟?」

 

 紘輝が理解出来ていない顔をしたのを見て、雫は言葉を付け足す。

 

「これから聖杯戦争を戦っていくと思うんだけど……私は、芹沢くんに危険が及ぶようなことは避けたいの。聖杯は芹沢くんに譲るよ。だから」

「待ってください先輩、まず聖杯戦争とか、サーヴァントってなんなんですか?」

 

 紘輝の制止に驚く雫。てっきり、そのあたりは当然把握しているものかと思ったが、そこからとは。

 

「聖杯戦争っていうのは、万能の願望器を賭けた戦いで……って、セイバーからなにも聞いてないの?」

「聞いてないです」

 

 サーヴァントには聖杯から一通りの知識が与えられる。巻き込まれたとしても、その辺りの基本は教えてくれるはずだけれど。

 

「……なにも聞かれなかったので」

 

 雫がセイバーの方を見ると、彼女はそうとだけ呟いた。大丈夫なのだろうか、この主従は。不安になるが、雫は紘輝の師匠なのだから、そこはちゃんと教えてあげないと。

 雫は1週間の間に調べ回って手に入れた情報をあらかた話し、途中で料理が運ばれてきた時は一旦中断して、また店員がいなくなってから再び同盟を持ちかけた。そうして返ってきた答えは、イエスともノーともつかなかった。

 

「そう言われても……俺、別にそんなに叶えたい願い事があるわけじゃないですよ。他の人はみんな、本当に叶えたい願いがあるんでしょう? それなら、俺が参加する意味なんてないんじゃないですか」

 

 紘輝ならすぐ首を縦に振ってくれると思っていただけに、雫は煮え切らない答えがじれったく感じた。素直に雫を頼ってくれればいい話だというのに。

 

 ライダーもその返答は気に食わなかったらしく、注文したハンバーグを頬張る手を止め、口に含んだ分を全部嚥下して、紘輝に向かって言い放った。

 

「それならさっさと令呪を使ってしまえ。隣に座っている女を自害させてしまえば、簡単に聖杯戦争から降りられるぞ。ま、貴様がその女を踏み躙って後悔しないなら、だが」

「それは……」

 

 紘輝は黙り込み、セイバーの方を見る。彼女は夢中で鶏肉と米を交互に食べており、その視線には気がついていない様子だった。その姿を妹に重ねてでもいるのか、言葉に詰まっている。

 

 紘輝が聖杯戦争に巻き込まれないでくれるなら、雫だってそれでいいと思う。けれど、彼がセイバーを自害させることを簡単に受け入れるような、冷たい人間であってほしくなかった。

 

 なんとか助け舟を出せないかと、雫は考える。そして、正義感の強い彼を駆り出す方法を、なんとか思いつく。

 

「……あの、聖杯戦争に参加する人が、みんながみんな、善人ってわけじゃないと思うんだ。悪いことに使おうとする人もいるかもしれないし、戦いに巻き込まれて街がめちゃくちゃになっちゃうかも。そういう事態にならないよう止められるのは、私たちみたいにマスターになった人だけじゃない、かな」

 

 そんな雫の話を聞いて、紘輝も考え直してくれたらしい。ようやっと、雫の言葉に頷いてくれた。

 

「……そう言われると、黙っていられないのかもしれないですね……わかりました。戦わなくちゃいけないときは、俺でよければ力を貸します」

「ほ、ほんと!?」

 

 雫だって、昔からこの地に住んでいる魔術師一族、古蛾家の当主だ。街の平穏を守るのは、雫の責務と……言えないこともない。

 そんなことより、これで何より紘輝が雫を頼りにしてくれる。間違いなく、芹沢紘輝と誰よりも秘密を共有しているのは古蛾雫だ。

 堪えきれないほど嬉しくなって立ち上がり、付近のテーブルを片付けていた店員の視線が向けられたのに気がついて、雫は耳を赤くして再び座った。ライダーが隣でため息をついている音が聞こえてきた。

 

「……と、とにかく、同盟は成立、ってことで……!」

「そうですね、先輩。よろしくお願いします」

 

 雫は強く頷いた。その様をライダーが不安げに見ていることに全く気が付かないまま。



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第12話「悪夢の襲撃」

 メイド喫茶『ふらんけんしゅたいん』は今日もたくさんのご主人様で賑わっている。そのご主人様たちのお世話を、声変わりしてなお高い声で猫なで声を出し、女の子らしい振る舞いを意識しながら、つかさはこなしていくのだ。

 

「ま、また来るからね、ひまわりちゃん」

「はい! いってらっしゃいませ、ご主人様! またのお帰りをお待ちしております!」

 

 笑顔を作るのにも慣れたもので、見送られる太った男は名残惜しそうに何度も振り返り、手を振っていた。勿論振り返して、その背中が見えなくなってから店内に戻る。

 

 その一生懸命な努力が実を結んでか、本郷つかさ改めメイド『ひまわり』は、今日も多くのご主人様からの指示を集めている。他のメイドからはあまり好かれていないが、それはそれ。ご主人様からの指示があれば苦じゃないのだ。

 

 だが、全てのご主人様が店にとって歓迎されるべき存在ではない。中には、メイドたちに迷惑をかけるような者も、全くいないとは言いきれない。

 

「っ……お、お帰りなさいませ、ご主人様」

「あぁ、ただいま」

 

 本当に自宅へ帰ってきたかのように平然と返すこの青年も、最近つかさに付きまとってきている者の1人だ。最近といっても彼はまだ3日目だが、つかさにとってはあまり顔を合わせたくない相手だった。

 理由は単純だ。彼が、一昨日起きた、大学生4人の不審死事件の犯人だからである。彼はどういう原理か、虫たちの群れに変身し、被害者たちを食い殺した。そんな相手を前に、なんとか平静を保っているつかさは、きっと頑張っている方だ。

 

「本日はどのメイドに……」

「もちろん君だ」

 

 今まではどんな男に言い寄られても耐えられたが、この時だけは、当店に指名システムがあることを恨んだ。彼をテーブルに連れていくが、その道中でのつかさの表情は、メイドにあるまじき引き攣りようであった。

 

「……ご注文は」

「コーヒーとオムライス。昨日も食べたけれど、あれは中々だったからね」

「かしこまりました」

 

 笑顔のクオリティが落ちているのは自分でもわかっている。だが、彼はそれを全く気にすることもなく、厨房にオーダーを伝えて戻ってきたつかさに対し、昨日も一昨日もしてきたのと同じ話を口にした。

 

「さて……ひまわりちゃん。なんでも願いが叶うとしたら、何がいい?」

「またその話題ですか? 私、もっと他の話も聞いてみたいなあ」

「私と契約してくれたら、もっと楽しい話を聞かせてあげられるんだけどな」

 

 色んなご主人様がいても、わざわざ連日店に出向いてまで、何かの詐欺を仕掛けようとしてくるご主人様は初めてだ。その契約が何を意味しているのか知らないが、願いが叶うなんてそんな美味しい話が転がっているなら、まずこの男が使っているだろうに。

 

 怪訝な目で見るつかさに対し、青年は言葉を続ける。

 

「君がどう考えるかは勝手だけど……そうだね。ヒトの肉体を作り替えるくらいは、簡単にやってのけるだろう。私の知り合いにも、そういうことをした奴はいるしね」

 

 その言葉を聞いた瞬間に、つかさの背筋が凍る。この男は、つかさのことに気がついているのではないか、と思い始めてしまう。呆然と見つめたまま言葉を失っていると、青年はつかさに視線を向け、そのまま平然と話を続けた。

 

「君が何を願おうと自由だし、私は君の今の生活を壊しに来たんじゃない。君にチャンスを運びに来たんだ」

「ッ……ほ、本当、ですか」

「あぁ。私が君に嘘をつく意味はない。君には私の傍で、行く末を見せてくれるだけでいい」

 

 口先ではなんとでも言える。自分が脅されているのかどうかも定かではないけれど、つかさは目の前の相手が怖かった。今まで必死で隠し通して、守ろうとしてきたものを、彼は一瞬で破壊できる。居場所も、生命も脅かせるのだ。それが怖くて、つかさは従おうとする素振りを見せるしかなかった。

 

「……わかりました。その、契約とやら……受けますから。お店が終わってから、また──」

 

 また後で、と言おうとした瞬間だった。突如として地面が大きく揺れ、バランスを崩したつかさは転びかけて、青年に支えられてなんとか耐えた。

 

「地震……!?」

「ご主人様! 机の下にお隠れください!」

 

 店舗内の客たちは当然ながら驚いており、ドリンクが溢れたり、食器が落ちて割れたことで取り乱す者もいる中、落ち着いている先輩メイドは対処を指示する。つかさも青年と共にテーブルの下に隠れ、揺れが収まるまでやり過ごそうとする。

 

 だが、それがただの地震でないことは直後にわかる。収まったかと思った途端、また次の揺れが襲ってきたのだ。今度も建物ごと大きく揺れて、店の外からは建物が崩れるような音と、人々の悲鳴が聞こえる。

 

「お、おい、あれ……っ!」

 

 窓の向こうを指して言う者に釣られ、皆が彼の指す方に目を向けた。まず飛び込んでくるのは、高層ビルに巻き付く目を疑うほどの巨躯を持つ蛇の姿。今まさに、その蛇によってビルが()し折られ、地面に落ちようとしている場面であった。

 

 響き渡る破壊音に、窓ガラスがビリビリと揺れるほどの衝撃波が駆け抜ける。メイドの1人が甲高い悲鳴をあげ、先程まで落ち着いていた先輩メイドも絶句していた。

 

「もう始まっちゃったか……しかし、派手にやるものだ」

 

 つかさの隣で破壊の現場を眺める青年は、まるで事情を知っているかのように話す。彼は本当に何者なのだろうか。もしかして、このテロの首謀者、とか。

 

「貴方は……」

「私のことはアーチャーと呼んでくれたまえ。さて、それより、ここも数分後には危ないかもね。死にたくない人間は避難すべきだと、私は思うよ」

「あっ、せ、先輩! 避難指示を!」

 

 青年の言葉に、つかさは立ち上がって飛び出し、絶句していた先輩に声をかける。彼女はその声で我に返ると、店の避難マニュアルに沿った指示を開始する。

 

「どうなってんだよ、この街は!」

 

 誰かが吐き捨てたその言葉に、つかさは心から同意した。

 巨大隕石は落ちてくるし、虫の群れがナンパ男を殺すし、巨大な蛇がビルを壊すし、どうなっているんだ──。

 誰も答えてくれない叫びを心の中にしまって、つかさは先輩の避難指示に従うのであった。

 

 ◇

 

 メイド喫茶が混乱に陥る数分前のこと。観伝寺風羽は、ビルの屋上に立っていた。傍らにはキャスターが控えており、並んだ2人は街を眺めている。けれど、決して街並みの景色を楽しみにやって来たわけではない。

 

 これよりも高い高層ビルはいくつか存在し、街を見下ろすことはできないが、それでもいい。あまり高すぎると、地上の様子がよく見えないからだ。

 ここで、風羽は自分の聖杯戦争を開始すると決めていた。既に聖杯は目覚めており、全てのサーヴァントは集結していることだろう。キャスターの従える彼らと同等の怪物たちを釣り出す為にも、これは必要な破壊活動だ。

 

「カウントダウンはもうゼロになってる。だから、もう我慢しなくていいんだよね。ふふ、ふふふふふ……キャスター、お願い」

 

「えぇ、わかっています。さあ、出番ですよ、可愛い我が息子よ」

 

 キャスターの宝具── 『九界の神々に三相の結末を(ロプトル・ギフト)』。北欧神話に於いて神々を襲い、主神や軍神をも死に追いやった怪物を使役する宝具である。

 その怪物こそが、召喚の際に共に現れた狼と蛇と女であり、この場所に来るための移動にもフェンリルには乗り物になってもらった。

 

 だが、今回は目的が違う。隠れて行動するのではなく、できるだけ大規模に行わなければならない。

 キャスターもその目的をわかってくれているんだろう。彼女の刻んだルーンから、現れようとする霊基は一気に肥大化していき、数十秒であの隕石を超えるサイズまで成長していった。

 

 同時に、風羽の肉体からも生気が奪われる。1週間という期間を経て何度も彼らを実体化させ、魔力が奪われる倦怠感にもある程度慣れてきたつもりだったが、これ程の負担は初めてだ。倒れそうになるのをキャスターに支えられながら、地面に降り立つだけで局地的な地震を起こすヨルムンガンドの姿を見る。

 

「さ、さあ、行って! 日常なんて、叩き壊しちゃえ!」

 

 ヨルムンガンドは風羽の声を聞き届けたのか、大きく口を開き、天に向かって吼えるような仕草を見せると、手近な高層ビルへと巻きついた。そのまま、鉄とコンクリートの塊を、締め上げる力によっていとも容易く破壊してしまう。

 

 砕かれたビルの上部は、当然地面に落ちていった。衝撃波がつまらない生活音を上書きして、街が非日常で満ちていく。

 

 地上を見ると、人々はパニックになって逃げ惑い、しかし逃れきれずに降り注いだ瓦礫の犠牲になる者の姿も見える。

 しかし何よりも、地上に落ちたことで、粉々にされてしまったビルと、その中にあったであろう物品の残骸の群れを見ると、風羽は胸が高鳴った。

 

「すごい……すごいっ、すごいよ、キャスター! これが怪獣、これがサーヴァントなんだ……!」

 

 このぐらいのことを簡単にやってみせるのがサーヴァントだと、風羽は脳では理解していた。それでもこうして目の前にすると、心臓がどきどきして、腹の底がふつふつと煮え立つような、そんな感覚がやってくる。

 

「もっと見せて……私に、怪獣のいる世界を……!!」

 

 傍から見たら、今の風羽はひどい顔をしていただろう。我ながら、まるで情事の最中のような、蕩けきった雌の顔だったと思う。気がつけば、自分のスカートの中に手を差し入れてしまっている。

 快楽で脳と思考を甘やかしながら、視界の中でヨルムンガンドが破壊の限りを尽くしているのを眺めるのは、風羽が今まで味わった中で最上の悦びであった。

 

「はぁっ、はぁーっ……あ、あれ……?」

 

 ふと、自分の中で、なにかが目を覚ましたような気がした。求めていたものを目にしたからか、心地よい痛みが、どの臓器でもない領域から伝わってきたような。

 思わずキャスターの顔を見ると、彼女にもそれがわかったのか、くすりと笑い返してくれた。

 

「どうやら、回路を開くことができたようですね。魔術師の世界へようこそ。歓迎しますよ、マスター」

 

 キャスターが言うには──今のが、魔術回路だったらしい。けれど、今はそんなことよりも、もっと気持ちよくなりたい。

 

「ヨルムンガンド……ねぇ、次はあの辺り……電車、壊しちゃおうよ」

 

 風羽の意のままに、熱海駅の襲撃に乗り出す世界蛇。その移動によっても、人々は為す術なく轢き潰され、車がひしゃげているのが見えた。



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第13話「管理者の心労」

 熱海駅周辺で突然発生した大規模な災害。犯人はビルより大きな蛇で、巨体で巻きついてビルを壊したという。目撃者・死傷者ともに多数であり、先程から街中に何種類ものサイレンが鳴り響いている。

 都心から離れた旅館である大栄館でも、その活動による揺れや衝撃波の一部が観測されていた。

 

 そんな大事件が発生した結果、この地を影から支配している徳間家の魔術師──とりわけ当主である若葉は、ひどく対応に追われることになっていた。

 一体何者が、誰の許可を得て、若葉の支配する街を荒らして回っているというのか。本当に腹立たしい。

 

「全く……これじゃ聖杯戦争どころじゃないじゃない……!」

 

 まさに破壊活動を行っている巨大蛇に対しても、情報の拡散に対しても、手を打たなければならない状況だ。セカンドオーナーとしての責任に直面し、若葉は親指の爪を噛みながら考える。

 隣では、パニックになった姫螺璃や報告に現れる従者たちがあちこち行ったり来たりでやかましかった。

 

「ど、ど、どうしましょう、若葉様! 街がっ、その、大変なことに!」

「うるさいわ、姫螺璃。それを今から話すの。ちゃんと聞きなさい」

 

 若葉が重く見るのは情報の方だ。焼け石に水だろうが、まず通信障害を起こし、魔術師どもに周辺の人々の記憶を消して回る準備をさせる。今のうちから、記録の抹消にも人員を割いておく必要がある。インターネットのある現代において、神秘が人々に知れわたるのは時間の問題だ。放置すればたった30分でも取り返しが付かなくなる。

 

 だからといってもう一方の、あの大蛇を止めるのが簡単かと言われれば、当然そんなはずはない。サーヴァント本体か、宝具による召喚かは不明だが、纏っている強い神秘は魔術師程度では太刀打ちできないほどだ。こちらも最高戦力、つまりサーヴァントを駆り出さなくてはならなくなる。

 そのサーヴァントだが、徳間家が従えているのは、よりにもよって気まぐれなバーサーカー。魔力供給については旅館の人間全員に分割してやらせているため問題は無いが、まず言うことを聞くかがネックとなる。

 

 いくら緊急だとしても、聖杯戦争はまだ始まってもいないようなもの。ここで令呪を使うのは浪費と言う他にないだろう。

 

「バーサーカーについては……姫螺璃、貴方に任せるわ」

「え……そ、そんな、マスターは若葉様じゃ」

「悔しいけど、あいつは私の言葉には耳を傾けないわ。でも、貴方ならまだ可能性はある。いい? 姫螺璃、貴方にかかってるのよ」

 

 姫螺璃を彼女と最も親しい者として、その気にさせる役に指名して、若葉はさっさと作業に取り掛かることにした。連絡は取れるだけ取っておかなければならない。部下どもがうろつく部屋を出て、若葉は廊下を駆け足で急いだ。

 

 一方の姫螺璃はというと、またバーサーカーの相手をさせられるということで、今にも泣きそうな表情をしながらも、若葉とは逆方向に駆けていった。若葉の命令に逆らうなど姫螺璃にできるわけがないのだ。

 そんな彼女だったが、その途中で足をもつれさせて転んでしまう。そして生じた大きな音を聞きつけて、彼女のところに駆けつけたのはまた別の少女だった。

 

「きら姉、大丈夫!?」

「うぅ、い、痛いだけですから、大丈夫です……」

「きら姉ってば、いっつも転ぶたびにそう言うけどさ。そのうち骨とか折れちゃいそうで怖いよ、ボクは」

 

 彼女は若葉の妹である徳間浅黄(あさぎ)。使用人に過ぎない姫螺璃のことを気にかけてくれる数少ない徳間家の人間だ。幼少期からの愛称で、きら姉と呼んでくる。

 彼女も魔術師ではあるのだが、姉ほど魔術世界に染まっていない。姫螺璃にとって、若葉やバーサーカーほど怖い人ではないが、立場は明らかに彼女の方が上だ。

 

 そんな相手に無用な心配をかけるのはいいことじゃない。床に打ちつけて赤くなってしまった鼻を隠しながら、姫螺璃は先を急ごうとする。

 

「待ってよきら姉。そんなに急いだらまた転ぶって」

「で、でも、早くしないと若葉様が」

「いやいや……焦って痛い思いするより、落ち着いて歩いた方が絶対いいって」

 

 浅黄はそう言いながら姫螺璃の手を取り、ゆっくり歩くように促した。その間、なぜか彼女は目を合わせてくれなかったが、お陰で落ち着いて部屋に到着する。

 

 だが問題はここからだ。バーサーカーの相手をするのはどうしても怖くて、襖に手をかけたまま何度か深呼吸して、ようやく勇気が出て一思いに全開にする。

 部屋の中で退屈そうにしていたバーサーカーがこちらを向き、目が合って、姫螺璃は硬直してしまうが、後ろで見ていた浅黄が背中を押したことでなんとか一歩踏み出した。

 

「あら。最近、貴女が姿を見せないから退屈で仕方なかったのだけれど、ようやく顔を見せてくれたわね」

「あ、あの、その、今日は頼みがあって」

「頼み? そんなのどうでもいいわ。そんなことより、わたくしの暇つぶしに付き合ってくださらない?」

 

 案の定、バーサーカーには話が通じない。彼女には全く姫螺璃の話を聞く気がないのだ。かと思いきや、部屋の入口に立っていた姫螺璃を、触手のように蠢く髪の毛で捕まえると、自分のところに引き寄せて顔を近づけてくる。

 

「ひっ……あ、あの、街が、大変で」

「人の営みなんていつか水底に沈むんだから、どうなろうが一緒だわ。それに、どうせあのつまらない女の差し金でしょう。わたくしは、貴女の言葉が聞きたいの」

 

 耳元で甘い声が囁いてくる。そんなことを言われても、姫螺璃にそんな権限はないのに。このままでは、若葉に怒られる。怒られるどころか、始末されてしまうかもしれない。それは嫌だった。

 

「あの。他のサーヴァントが街に堂々と現れていて、破壊活動に及んでいるんです。ボク達は街の管理者だ。放置してはいられないんです」

 

 口を挟んだのは浅黄だった。姫螺璃が遮られて伝えられなかったことを代わりに言ってくれた。姫螺璃は彼女の言葉に激しく頷いて、バーサーカーに受けいれて貰えないかアピールしようとした。しかし彼女は首を傾げるだけで、受け入れてくれる気配はない。

 

「わたくしが欲しいものは物じゃないの。ただ、満たされたいだけ。聖杯なんかで得られるモノに興味はないわ」

 

 聖杯戦争に呼ばれたサーヴァントとは思えない発言だった。彼女は怪物に堕ちたとはいえ、元々は神霊の娘。人間よりも高位の存在だ。それなのに、わざわざこうして召喚に応じたということは、何か理由があるはずなのに。

 

「だけどね。今は貴女に興味があるわ。姫螺璃、貴女が欲しいの。貴女の望みになら、触手を貸してあげてもいいわ」

 

 バーサーカーの手が姫螺璃の頬を撫でた。突然の感覚にぞわっとして、鳥肌が立つ。けれど、姫螺璃が望むとさえ言えば、彼女は動いてくれるのか。それなら、姫螺璃は若葉に捨てられない選択肢を選ぶ。

 

「わ、私は……聖杯が、欲しい、です」

 

 心にもない言葉だ。聖杯なんて手中に収めても、姫螺璃には願うことなんてない。魔術師の家にいるくせに、根源に辿り着いたからなんなのかと思ってしまう姫螺璃には、そんなものは手に余る品だ。万が一聖杯戦争に勝ってしまったとしても、若葉に渡すしかできることはない。

 だけど、こう言ったら、バーサーカーは戦ってくれる。それなら、いくらでも嘘をつく。今までだって嘘をついてきたんだから。

 

「ふふふ……いいわ。貴女に聖杯を掴ませてあげる。その代わり、その言葉を取り消すなんて言ったら食べてしまうわよ」

 

 バーサーカーが、ずっと座っていた水でできた玉座から立ち上がる。そして、髪の毛で絡めとった姫螺璃のことを抱えたまま、傍らで唖然とする浅黄のことは眼中にも無い様子で、部屋の外まで歩いていく。

 

「さて、飛びましょうか」

「飛ぶって……っ!?」

 

 バーサーカーは手のひらから水流を噴射し、凄まじい勢いで押し返されるのを利用して宙に飛び上がった。姫螺璃は想像だにしていなかった空中散歩に、壊された街を一望しながら、恐怖に顔を歪ませていた。

 

「……姉上には、黙っておかなくちゃ」

 

 姫螺璃の聖杯を欲しているという言葉を聞いた浅黄が、それを反逆の表明であると受け取りながらも黙殺しようとしていることなど、姫螺璃は全く知らない。



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第14話「聖杯戦争初戦・壱」

 ヨルムンガンドによる破壊活動が開始されてから10分ほどが経過した。熱海市内は大パニックに陥ったまま、逃げ惑う人々でいっぱいだ。だが他のサーヴァントや、あるいは戦闘機が来る気配はまだない。

 もう少し待てば誰か来てくれるだろうか。その間、風羽は息を荒くしつつも、SNSで混乱する人々の反応を調べながら待つことにしていた。

 

「……あれ」

 

 だが、突然SNSの読み込みがされなくなり、次々と書き込みが削除されていっているのが確認された。この異常事態に対し、情報を抹消しようとしている誰かがいるらしい。

 

 だが、別にそんなことはどうでもよかった。スマホはポケットに放り込んで、相変わらずヨルムンガンドが暴れている市街の方に目を向ける。ヨルムンガンドも主の視線に気がついたのか、こちらを一瞥すると、舌をちろちろと出して見つめ返してくれる。こうして見ると、可愛い奴なのかも。

 

 ──そんなヨルムンガンドの側頭部に、突如として透明の球体が叩きつけられる。それは破裂するようにして彼の顔を濡らし、激突の衝撃によって一瞬ながら彼を怯ませることに成功する。

 

 その球体の飛来した方向によく目を凝らして、うまく見えないのでスマホのカメラで拡大して見たところ、どうやら逃げようとしていない2人組がいるらしい。豪華なドレスの女と、その傍らにいる着物姿の小柄な女だ。恐らくは、ドレスの方がサーヴァント、着物姿の方はそのマスターだろう、と風羽は推測する。

 

 事実、そこに立っている女、姫螺璃とバーサーカーの間には魔力供給のパスが繋がっている。とはいえ、彼女は令呪を持っておらず、正式なマスターではなかったが。

 

 風羽は結論として、何だっていい、と推察をやめた。この場で倒せば変わらないことだ。それよりも、やっと敵陣営が釣れてくれたのだから、歓迎してやらなくては。

 

「その人たちも、壊しちゃって」

 

 その命令を聞き届けたヨルムンガンドは体をくねらせ、尾を振りかぶって2人めがけて叩きつけた。

 巨体による一薙ぎは、特別な神秘を纏わずとも凄まじいダメージを発揮する。矮小な人影ふたつ程度、ただの人間なら跡形もなく吹き飛んでいたことだろう。

 

 しかし、その尾は彼女らを叩き潰すことはなく、サーヴァントの手から放たれる渦巻く水の塊によって受け止められていた。そのまま二度、三度と繰り返し繰り出される攻撃だが、バーサーカーには届かない。

 

「随分と大きな蛇さんね。全部丸呑みにしたら、少しはお腹が満たされそうだわ」

 

 水流が吹き荒れ、巨大な尾が跳ね返された。傍らにいた姫螺璃を長い髪の毛で保護するように包み込んで抱きしめると、すかさずバーサーカーは反撃へと転じていく。小手調べに圧縮した水の弾丸をいくつも撃ち込み、それらに続いて、無謀にも自ら地面を蹴って飛び出した。

 

 着弾した水泡はヨルムンガンドの鱗を穿つには威力が足りない。ヨルムンガンドは口を開け、バーサーカーを飲み込んでやろうと迫ってくる。するとバーサーカーの髪の毛が彼女の意のままに蠢き、付近の無事だった電柱に縛り付けられた。引っ張って自分を引き戻すと共に、去り際に放つのは先程よりも高速の弾丸だ。ヨルムンガンドの口内を狙い何発も一気に射出し、狙い通り蛇は血を流す。

 

 しかし、バーサーカーがつけた傷口は直ぐに塞がってしまい、そのままの勢いでヨルムンガンドの牙が地面に突き刺さった。その後頭部をバーサーカーの放った水の刃が切りつける。細く圧縮された刃は鱗を削るが、これも有効打には至らない。

 

「さすがにあの硬さは面倒かしら」

 

 呟くバーサーカー。電柱に髪の毛でしがみついたまま、体勢を立て直そうとする蛇に何度か水刃を放つものの、やはり効果がなかった。

 再び身体を叩きつけることで攻撃としてくるヨルムンガンドに、バーサーカーは防御と回避を強いられる。巻き添えをくらって建物は倒壊していくが、互いに傷を受けることはほとんどないままだった。

 

 一方で、戦いを眺める風羽はというと、その進まない戦闘に退屈を覚え始めている。

 

「っ、キャスター! なにか、ないんですか!? もっと派手な、熱線とか!」

「あることにはありますが……更なる宝具の展開はマスターが干からびてしまいます。現在のマスターの魔力では不可能かと」

 

 せっかく目覚めた魔術回路だというのに、まだまだキャスターたちに全力を出させるには足りないという。風羽は歯噛みして、仕方なくこのままヨルムンガンドを戦わせることにする。

 

「えぇ、膠着しているということは、より多くの者の目につくということ。あの水のサーヴァントのように、手の内を明かしに来てくれる者が他に現れるかもしれません」

 

 あくまで今は釣り餌を垂らして、水中で踊らせている段階に過ぎないというキャスター。決着を急くのはよくないと諭され、風羽は落ち着こうと深呼吸して、なんとか興奮をおさめようとした。

 

 そこへ、バーサーカーの動向が目につく。ヨルムンガンドに対する防御の手は休めていないものの、彼女から伸びた髪の毛がなにかの魔法陣を形作り、周囲に広がっていくのが見えたのだ。

 なにかの準備だろうか。風羽は興味がわいて、彼女を観察することにする。

 

 よく見ると、どうやら髪の毛の中にいる姫螺璃も、バーサーカーの行動に首を傾げているようだった。

 

「あ、あの、これ、一体何を」

「決まってるじゃない、反撃の用意よ」

 

 バーサーカーが短く答えると同時に、髪の毛で描かれた魔法陣が輝いた。そしてバーサーカーの足元に広がっていくのは、今までと同じ水だった。魔力を水流にして放出するのなら、先程までもやっていた。けれど、今度はその挙動が違う。溢れ出す水が瓦礫を押し流して、周囲を沈めてゆく。

 

 洪水を起こしたからとて、大蛇の脅威は変わらない。ヨルムンガンドは身をくねらせ、一気にバーサーカーを呑み込みにかかった。毒の滴る牙が迫る光景に、姫螺璃は言葉もなく失神しかける。しかし、バーサーカーは退こうとはせず、迎え撃つことを選びつつ、姫螺璃にくすりと笑いかけた。

 

「大丈夫よ。水上で、渦潮(わたくし)が負けるはずがないもの」

 

 水面に魔力の渦が吹き荒れ、一気に四つの竜巻が発生する。激しい風を吹かせながら、それらは迫り来るヨルムンガンドへと叩きつけられていく。

 まず1つ。下顎にアッパーカットのように一撃が入り、ヨルムンガンドの軌道がずれた。2つ目はさらに横から喉を狙い、残る2つも間髪入れずに衝撃を叩き込んで、彼を地面にまで追い詰めた。押し負けて倒れた大蛇が倒れ込んだことで、建物が潰れ、道路は割れて、自転車が宙を舞った。

 

「あぁっ……」

「大丈夫。彼があの程度で死ぬことはありませんから」

 

 眉一つ動かさずに見守るキャスターの横で、風羽は思わず声を出し、彼女に宥められた。それよりも、あの水を操るサーヴァントの方が考えるべきことだ。周辺が水場であれば、彼女はその性能を増すのだろう。元々が川や海に関わる怪物だったと推測できる。

 だからといって、風羽の対応は変わらない。より多くのものを壊せるのならそれでいいし、今戦っているヨルムンガンドは元の神話からして海底で暮らしてきた存在だ。風羽の魔力さえ間に合えば、彼は負けない。

 

 風羽は拳を握り直し、その時ちょうど肩を叩いてきたキャスターの指さす方に目を向けた。そこには、逃げ惑うのではなく、戦場と化した市街地に向かっている人影が確認できた。

 

「心配よりも……ほら。新しい獲物がかかりましたよ、マスター」

 

 次の獲物は4人組だ。季節外れのコートを着せられた少女。どこかで見た覚えのある銀髪の女。フードを被った紫髪の少女。そして──風羽の見知った男の姿。

 

「芹沢紘輝……」

 

 彼もまた風羽と同じように、遥かなる伴星(ネメシス)によって聖杯戦争へと導かれたのだろうか。

 だとしたら、彼も、壊してしまってもいいのだろうか。

 

「……いいよ。飛び込みは歓迎だもん。私の最終戦争(ラグナロク)、もっと盛り上げて欲しいな」

 

 風羽が笑ってみていることなど露知らず、瓦礫だらけの路上を紘輝たちが駆けていく。



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第15話「守るため」

 突如として現れた巨大な蛇の大暴れによって、熱海市街はほぼ壊滅状態。同時にネットは繋がらない現象も発生しており、民間人は助けを呼ぼうにも呼べない状況だ。戦闘も通信障害もいまだ続いており、街はまだ混乱の中にある。

逃げ惑う人々の波は収まりきったとは言えず、まだまだ取り残された人間は多い。

 

カシオペアたちもまた、街中で話している最中にこの騒ぎに巻き込まれていた。ビルの倒壊による衝撃や目を疑うような光景に人外の仕業だと判断し、相談する間もなく行動を開始する。

ここまで大規模に人々を巻き込む災害が起きては、調査や交渉をしている場合じゃない。最優先は人命の救助だ。

 

逃げ遅れた生存者を探すため、カシオペアは避難する人の波に逆らって進んだ。群衆を抜けると、破壊の限りを尽くされた結果の風景が見え、傷ついた人々の姿も多く見える。真っ先に目に付いた頭を怪我した男性を治癒魔術によって簡単に治療し、助け起こした。なんとか意識はあるようで安心するが、被害者は彼ひとりではない。

 

カシオペアは強く拳を握りしめ、遠くに見える災害の姿を見据えた。あの大蛇を放置すれば被害者が増える。だが、この場にいる人々は今すぐ手を尽くさなければ命を落とすだろう。

 

こんな時、自分が選ぶべきは、どっちなのか。苦しむ人々を見ると、足が止まる。余計なことを考えている暇はないのに、被害を食い止めるために来たくせに、情けない。

 

「──お姉さん。私とアヴェンジャーでアイツを止めに行く。だから、委子ちゃんとランサーと一緒にみんなを助けてあげて」

 

マドカに言われて、ようやくカシオペアは我に返る。そして、彼女の言葉に頷き、目の前の命を繋ぎ止めるために、己も立ち上がろうとする。カシオペアとは言語も人種も違うが、どうでもいい。助けられるなら助けたい、それがここに来た理由なんだから。

 

カシオペアが顔を上げると、マドカと目が合った。その瞳は鋭く、先程まで人懐っこい笑顔を見せていた少女とはまるで別人のようだった。

 

「止めに行く……って」

「あいつのマスターを探す。それで、話が通じないようなら殺す。大丈夫、なんとなく見当はついてるし。

さ、行くよ、アヴェンジャー」

「いいでしょう。人命救助なんてつまらない作業、私には似合わないものね。もっと派手にいきましょう!」

 

マドカとアヴェンジャーは大蛇の暴れていた方向へ、迷わず飛び出していった。その背中は勇壮であり、きっと成し遂げて帰ってくるだろうと、不思議とそう思えた。昨日出会ったばかりの彼女のことなんて、よく知らないというのに。

 

「任せるぞ、ミス・マドカ」

 

自分たちも自分たちで、やるべきことをやらなければ。気合いを入れ直し、生存者の捜索をはじめる。

 

 

委子の目の前で、街並みが壊れていった。

マスターではなく、サーヴァントでもない委子は、大蛇を前にして己の小ささを突きつけられている。かつて私の中にいたあの子がいれば、と叶わぬ仮定を思い浮かべ、拳を強く握った。あんなの無理だ、なんて絶望が脳裏に浮かんで、一生懸命振り払った。

そのまま、ビルの倒壊によって起きた衝撃波を食らって、委子は小さく吹き飛ばされた。道路に尻餅をついて、痛みでようやく正気を取り戻す。

 

「っ……無理、じゃない」

 

気付けに自分で頬を叩き、自分の目を覚ます。向こうに見える災害を見据えて立ち上がり、なにか出来るはずと言い聞かせて頭を回す。

 

「……あれほどの巨体で、サーヴァントとやり合うだけの強大な神秘……これで多頭ではないとしたら、第一候補は……」

 

思い浮かぶのは──世界蛇、ヨルムンガンド。ロキの息子であり、軍神トールと相討ちとなった怪物ならば、反英霊のサーヴァントとしても召喚されうるだろう。あるいは、その模倣品を作り出す宝具だとか、そういう可能性だって捨てきれない。

 

「それとも……ヒュドラ、ヴァースキ、アジ=ダハーカ……? ヒュドラやアジ=ダハーカだとしたら、頭部の数はもっと多いはず……ナーガのような理性ある存在には見えないし……ううん……」

 

伝承にあるような竜ならば、大抵は神や英雄によって殺されている。神話の再演は弩級の魔物であっても概念的な弱点と言えるだろう。しかし、それが絞りきれなければ打つ手も用意できない。

 

思考がまとまらないうちに、地震は止んでいだ。委子にできることは──あれを倒す方法を考えるんじゃないんだと、マドカの後を追うように歩き出そうとする。

 

「カシオペアさん! 私、向こうを見てきます!」

 

委子の言葉に頷いて応え、駆け出す彼女を見送りながら、すぐさま救助に取り掛かろうとするカシオペア。そんな中で委子を引き止め、2人に声をかけたのはランサーだった。

 

「お待ちください、イコさん。マスター、僕に宝具を使用する許可をください。必ず役に立ちましょう」

「……あぁ、構わない。なんだって使ってくれ」

「ありがとうございます」

 

真名の露呈だろうが、人命には代えられないと判断したのだろうか。カシオペアの言葉を受け、ランサーは礼を言いながら、霊体化させていたらしい本来の肉体を可視化させる。背中には鳥類の翼が、腰からは紫に鈍く光る蠍の尾がそれぞれ現れて、彼が人間ではないことを示す。

 

「愛しき兄弟たちよ。どうか、私に力を貸してくれ。宝具、限定展開──生命の海を、此処に」

 

ランサーがその蠍の尾を地面に突き刺すと、魔力の気配が膨れ上がり、コンクリートの奥から黒泥のようなものが噴き出した。

あれは泥だが、ただの泥ではない。生命を産む原形質だ。そこから猛獣や竜、触手が溢れ出て、この世に生態系から外れた存在がいくつも呼び出されていく。

 

「ウリディンム。ムシュフシュ。ムシュマッヘ。イコさんとマスターを手伝ってあげてください」

 

到底、英語も日本語も通じるとは思えない存在だが、ランサーに命じられるまま、そのうちの数体が委子のところにやってくる。そして、狂犬ウリディンムのうち1頭は委子の傍に駆け寄ると、背中を見せるように振る舞い、すぐ隣で伏せた。乗れ、と言われているらしい。

 

「……信じて、いいのかしら」

 

ウリディンム、ムシュフシュ、ムシュマッヘ。それらの名で思い出されるのは、バビロニアの原初の女神・ティアマトが、神々と戦うために生み出した11の魔物だ。その中には、鳥類の翼と蠍の尾を併せ持つ聖獣も存在する。蠍人間『ギルタブリル』だ。

普通であれば、彼らは人類に仇なすもの。神話に於いても、キングゥに率いられた彼らの目的はバビロニアの神々の打倒だった。

 

だが、今は違う。呼び出したのはランサー。善良で、裏の見えない少年だ。

彼がティアマトの産んだ怪物だったとしても、その性質は変わらない。それはわかっているつもりだ。

委子は彼の方に視線を向け、既にカシオペアや魔獣ともども瓦礫の除去や負傷者の輸送を開始しているのを目にして、ようやく意を決した。彼らも、ランサーの命令によるものかもしれないが、同じ方向を向いているのだ。

ウリディンムの背に跨り、その硬い毛皮に身を預ける。

 

「と、とりあえず、向こうの脱線した電車のあたりを見に行こうかしら……っ、きゃあっ!?」

 

委子の言葉を理解しているのか、委子を乗せたウリディンムたち魔獣の一団は前進を開始する。さすがは魔獣、瓦礫をものともせず、自動車並かそれ以上の速度で道を駆け抜けていく。邪魔な障害物は解体し、人間では動かせない重量のものも魔獣なら簡単に動かせる。大蛇の行動により地面が揺れても

、彼らはびくともしない。確かに、これは頼もしい。

 

「……これなら」

 

委子1人では、必死に手を伸ばしても決して届かない手を、握りに行ける。

ランサーには心の中で感謝しながら、委子はウリディンムに揺られて急行する。マドカもカシオペアもランサーも、志は同じだ。委子の戦いは、1人でのものじゃない。

 

「行きましょう、みんな! これが、今私に出来ることなんだから──!」



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第16話「聖杯戦争初戦・弐」

真っ先に食べ終わったライダーを除いた皆が食事中だったにも関わらず、何者かがサーヴァントを白昼堂々暴れさせたせいで、紘輝たちはファミレスを飛び出していく羽目になった。食い逃げにはならないよう、代金はテーブルの上に置いていった。

 

混乱に乗じて店を抜け出したあと、現在は被害の起きている中心地点へと真っ直ぐに向かっている真っ最中だ。

ちょうど先程街の被害について話したばかりの時に、より多くの人を攻撃したいかのようなやり方を見せられては、紘輝だって怒らずにはいられない。

 

雫は紘輝のその怒りに頷いてくれ、セイバーやライダーも手を貸してくれるという。あれだけの脅威に対抗できるのは、同等の脅威を秘めた存在、即ちサーヴァントでしか有り得ない。紘輝は彼女らに託すことを決め、足は止めず走りながらセイバーに呼びかけた。

 

「……頼む。この街のこと、守ってくれ」

「マスターのご指示とあらば」

 

紘輝は彼女が頷いてくれたことに安心しながらも、前を向く。セイバーの行く手では、既に何者かがあの蛇と戦っていた。

 

「……あれ、って」

 

雫が呟き、息を飲む。続けて彼女の視線の先を、紘輝も認識した。

その女──バーサーカーは水面に立つ麗しきものであった。彼女の指示によって何度も叩きつけられる渦潮や水流は、大蛇を怯ませ後退させている。優勢であるようにさえ見えた。

 

蛇が大きく吹き飛ばされて地面に叩きつけられた時、余所見する余裕が生まれたためか、その女が紘輝たちの方に振り向く。そしてセイバーの姿を見ると、くすりと笑い、口を開いた。

 

「あら、同郷の相手と出会うなんて、奇遇だわ。でしょう? その眼、私も知っているわ」

 

大蛇と戦っていたということは、紘輝たちと考えていることは同じだろうか、なんて淡い期待はバーサーカーが言い終わると同時に裏切られる。セイバー目掛けて渦潮が飛来し、彼女は黄金の剣を抜かざるを得なくなったからだ。

間一髪で渦潮は切り裂かれセイバーも紘輝も無事だったが、敵対はもう避けられないだろう。

 

「……残念ですが、私は貴方の言うようなモノじゃありませんよ」

「あら、そう。なんでもいいわ、貴方もここで呑み込んであげるだけだから!」

 

敵の言葉に答えることはなく、セイバーは姿勢を低く構え、一気に飛び出した。迎撃に放たれる水流は黄金の剣が引き裂いて、建物の外壁の残骸を足場に飛び回り、俊敏に相手を翻弄していく。まだ互いに様子見のようだが、視覚を強化する魔術をかけてなんとか視認できるような速度の世界だった。

 

その最中で、ふと遠くの建造物に焦点があった。そこに、見慣れた人影があったような気がしてしまったのだ。

紘輝の歩みが止まる。あれは──風羽、だろうか。隣に誰かがいるみたいだが、なんであんな場所に立っているんだろう。

 

「芹沢くんっ!」

 

背後から雫の声が聞こえ、太陽が陰った。見ると蛇が起き上がり、こちらを狙い始めた様子であり、巨大な尻尾をまさに振り上げた瞬間だった。その尾が影を作っていたのである。

紘輝が走って逃げようと構え、しかしあれほどの巨体から逃げるには時すでに遅く、駆け出したところで瓦礫に足をとられ、そして紘輝は自分の服に噛み付く小さな蛇の姿を見た。

 

その蛇が紘輝を引っ張り、安全圏へと避難させてくれる。目の前で蛇尾が地面に叩きつけられるものの、紘輝は怪我を負わずにすんだ。

 

「……ライダー」

「マスターの頼みだ、勘違いするなよ。感謝するならシズクにしておけ」

 

コートを脱ぎ捨てたライダーの両肩からは、1匹ずつ蛇が伸びていた。これが先程紘輝を助けてくれたのか。牙を剥き出しにした彼らは絶えず威嚇を繰り返していたが、同様にライダーも歯を見せて笑っており、ここでも戦いが始まろうとしていた。

 

「完全に安心とはいかないけど……私が守るから、紘輝くんは前に出ないで」

 

雫が寄り添い、結界を展開してくれたことで、紘輝は破片や攻撃から守られることになる。

 

「マスターの言う通りだ、下がっていろ人間ども。ここからはヘビ同士のじゃれ合いだ。巻き込まれても知らんからな」

 

するとライダーは己の両肩の蛇を掴むと、あろうことか、ありったけの力をこめて引きちぎり始めた。断面からドス黒い液体が溢れるが、彼女は気にせず、片方の蛇を放り投げ、もう一方は強く握り締めた。

放り投げられた方は肥大化し、黒馬の姿となり、握りしめられた方は伸長し、馬上槍の形となる。ライダーはその黒馬に跨ると、大蛇に向かって走らせる。黒馬は高い身体能力を持つようで、建物から建物へと飛び移り、大蛇の方へ接近してゆく。

 

対する大蛇は尾を器用に使い、もぎ取ったビルの上部をライダー目掛けて投げつけてくる。だがライダーは槍を突き出し、突進することを選んだ。コンクリートを槍が黒馬と共に貫き、そのまま大蛇の方にまで突貫してゆく。

 

「はァッ──!」

 

そのまま放たれた槍の一撃が、大蛇の鱗に突き刺さる。だが、貫くまでは至らず、血を流すこともなかった。大蛇の体に到達したライダーは、馬にその鱗を蹴らせて跳躍し、離脱を試みる。

大蛇はそれを口を開けて追うが、ライダーが振り向きざまに投げつけたランスが舌に刺さり、怯んだ隙に体勢を整えられてしまう。いつの間にか再生していた両肩の蛇が再び引きちぎられて弓と矢を形成し、その矢を既に彼女は番えていた。

 

「弓兵の真似事だが……精々刮目しろ、なんてな」

 

大蛇の眼球めがけて放たれた矢は真っ直ぐに迫り、突き刺さると同時に膨れ上がり、小規模ながら爆発を起こす。当然目の損傷は大きなダメージとなり、大蛇の体液が飛び散る。

鱗は確かに分厚いが、口内や舌、眼窩であれば攻撃は通るらしい。

 

反撃に尾で地面を薙いで飛ばした無数の瓦礫で攻撃してくるが、弓を振り回して弾き、大きな塊は新しい矢で打ち砕いた。

 

「こいつ……まともに魔力が入ってないな。毒も吐けんとは、貴様本当にロキの息子か?」

 

恐らくはマスターの問題によって、今のこの大蛇は真価を発揮できていないとライダーは感じる。巨体に対し、威力がなさすぎる。何の神秘もない物を壊すだけなら足りるかもしれないが、サーヴァント戦では外面だけのハリボテに近いだろう。

この大蛇が本当に、クラスを与えられたサーヴァントなのかは怪しいところだ。

 

「まあ、どちらでもよいことか。潰しておくに越したことはない──!」

 

今度番える矢は先程よりも強く魔力を込めた代物だ。雫には負担を強いて悪いが、これ以上長引かせれば街はもっとずたずたになる。早期決着のため、ありったけをこめて弦を引く。

大蛇が口を開き、ライダーを攻撃する姿勢に入り、今だと確信して指を離す。飛び出した矢は膨張し、向かってくる大蛇と交差する瞬間に爆裂する。溜め込まれていた魔力が激しく放出され、炎が噴き上がり、音が響いた。

 

だが──手応えはない。爆炎が晴れた時、そこに大蛇の姿は跡形もなく、しかし消滅したようには思えなかった。

 

「逃げられた、か」

 

出来ることならこの場でトドメを刺しておきたかったが、逃がしてしまったものは仕方がない。ともあれ、これでマスターも満足だろう。

次にすべきことはセイバーの救援だと、ライダーは振り返り、肩の蛇で作った鞭で黒馬を叩き、走らせた。

 

そのセイバーはというと、水を操るバーサーカーに対し、接近戦に持ち込むことで有利に戦況を運ばせていた。

水流は規模こそ大きいが、あまりに自分自身に近すぎる場所には発生させられない。接近すると今度は水流のカッターや触手のように使われる髪が立ちはだかるが、剣を振るうセイバーには届かない。バーサーカーは歯噛みする。

 

「……あなたの体、傷つけます。ごめんなさい」

 

そう小さな声で呟いて、振り上げた黄金の剣を振り下ろす。その先は──セイバー自らの手首だった。だが無為な自傷でも、敵に操られたのでもない。溢れる血潮、その全てが彼女の武器となるからだ。

溢れた血液はバーサーカーの髪と同様に硬化して自在に動き、互いに攻勢と防御を同時に開始し、相殺し合う。バーサーカーの毛先は赤に染まり、金色の髪の切れ端は宙を散った。

 

これでセイバーにまとわりついてくる相手が減っている。これを好機とみて、すかさず背後に回り、髪の向こうから心臓を狙いにかかった。だがその途中で水の防壁が出現し、そこから一気に散開して取り囲むように攻撃しても、刃はわずかしか届かない。

バーサーカーが切り裂かれたのは薄い皮膚や衣服の一部だけで、深刻なダメージには至らなかった。

 

「ふふ、その程度で、致命傷になるものですか!」

 

反撃に放つ水流は多量の魔力を纏っており、破壊力はあの大蛇の一撃に勝るとも劣らない。セイバーは俊敏な動きによって彼女を翻弄しているものの、いつまでもつかわからない。

そんな膠着した状態の中で、ふと、バーサーカーの視線が逸れる。マスターを狙おうとしたのか、紘輝と雫がいる場所に向いた。紘輝も雫の魔術の補助に入り、致死級の水飛沫をどうにか耐えていたところをその目に捉えられる。

 

「ッ──貴女、は」

 

バーサーカーの攻撃を繰り出す手が一瞬止まって、その隙にセイバーが仕掛ける。血の槍は瞬時に彼女を狙い、その肩の肉を抉り、ついに大きな傷をつけることに成功する。

 

「くっ、そろそろ、潮時かしら」

 

さすがのバーサーカーも撤退を選ぶようだ。置き土産に放たれた渦潮はセイバーに対する目眩しとして十分に機能し、切り裂いて無力化した時にはもうバーサーカーは視界にはいないようだった。

 

代わりに、辺りを見回すと、黒い馬に乗ったライダーが戻ってくるのが見えた。彼女の到着はすぐで、セイバーとライダーはそのまま合流する。

 

「戻るぞ、セイバー」

「……はい。ありがとうございました、向こうの敵を引き受けていただいて」

「同盟相手だ、礼は要らん。が、我の女になると言うのなら、喜んで受けるぞ」

 

女同士とはいえ、ライダーからのこういった言葉と視線は、セイバーには理解できないものだ。返答が思いつかず、面倒になってそのまま会話を終わらせることにして、セイバーはマスターを置いてきた方向に戻ることにする。

 

「おーい、セイバー! よかった、無事で……って、手首! こんなに怪我してるじゃないか」

「いえ、それは、自分で……」

 

駆けつけた紘輝は安心した様子から一気に心配の表情になり、初歩的なものながら治癒魔術をかけはじめる。セイバーは自傷だったのだと説明しようとするが、途中で面倒になり、話すのをやめた。

 

「とりあえず、一旦はこれで街は守られた……のかな」

「わ、私たちが来なかったら、もっとひどいことになってたよ。だから、自信もって!」

 

雫に励まされながら、紘輝はセイバーたちと帰路につく。昼に外出した時からは想像もつかない、瓦礫だらけの帰路だった。

その間、ずっと黙っていた紘輝の頭の中には、戦いが始まる中で目にした幼馴染らしき姿が何度も浮かんでは消えていった。



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第17話「聖杯戦争初戦・参」

 バーサーカーとヨルムンガンドの激突に、紘輝の連れたサーヴァントという乱入者があり、風羽の気分は高揚し続けていた。

 バーサーカーのように派手な戦闘を見せてはくれないものの、剣の少女も黒馬の少女も、今まで暴れていた怪物と渡り合うだけの実力を見せている。

 

 恐らく剣を振るう少女はセイバー。あの黄金色の剣こそが彼女の宝具に違いない。

 そして黒馬に乗っていた彼女も、まずライダーとみていいだろう。ただ馬を連れてくるのではなく、蛇から生成していたのも、英霊固有の力であることを感じさせる。

 

「これで4騎……」

「えぇ、私も含めて、4騎の姿が判明しましたね。どうですか、満足はできそうですか?」

「……うん。もちろんキャスターさんだけでも、十分だと思うけど」

 

 キャスター以外のクラスは推定だが、セイバー、ライダー、バーサーカーが姿を見せた。残るはアーチャー、ランサー、アサシンということになる。

 弓兵や暗殺者はそうそう姿を見せてはくれないだろうが、できることなら同格の力を見せて欲しい。その方が、もっともっと色んなものが壊れてくれるだろうから。

 

 そうして目の前の戦闘に夢中になっている風羽。キャスターもその隣に寄り添って、にこにこしているばかり。

 彼女達は、自分たちに迫る刺客の存在に気づかない。

 

 サーヴァントたちが激闘を繰り広げるのを横目に、まだ無事なビルを伝って、戦場から離れたこの場所へとやってきた赤いツインテールの人影。彼女はどこからともなく長剣を抜き放ち、構え、2つ離れた建物の屋上から、風羽に狙いを定めて投げつけた。数は3本。それぞれが異なる軌道を描き、風羽を三方向から挟み込むように飛んでゆく。

 

 次の瞬間、電撃のような音がすぐ近くで鳴り響き、風羽は慌てて振り返った。見ると、キャスターの張ったルーンの結界に何かが激突し、突破しきれなかったらしく、床に長剣が3本転がっていた。

 

「どうやら、こちらにも敵襲のようですね」

 

 キャスターがそう言い終わった直後、続けて結界にぶつかってきたのは榴弾らしき球体であり、魔力によって押し止められた状態のまま炸裂していった。今度は破裂音が響き渡る。それも1度では済まず、何度かに渡って長剣と榴弾が防壁と激突する。

 

 それでも結界の防壁は割れず、何者かの攻撃は無為に終わった。当然だ、魔術師のサーヴァントであるキャスターの魔術を破るのは、人間ではおよそ不可能だ。

 ──人間なら、の話だが。

 

「あんなにやったら……どれが合図かわかんないわよ」

 

 吐き捨てるような呟きに、振り向く時にはもう遅い。側頭部から角の伸びた女が、魔力障壁に爪を立て、そのまま無理やり引き裂いてみせたのだ。

 キャスターもこうなることは想定外だったのか、ルーンを編み反撃を放つまでに隙が生まれ、その隙にまたしても長剣が飛来する。あまりにも正確な軌道で、風羽の心臓を狙った一投だった。

 

 目で見て、それが一般人にとって必殺の一撃だと理解しても、避けられるかどうかは別の話だ。風羽は身体能力に関しては並の女子高生以下。避けられるはずもなく──。

 

「ッ、マスター!」

 

 覆いかぶさってくれたキャスターが自らの体で受け止め、刃は彼女の肉体を傷つけるに留まった。背中に深く突き刺さったが、さしたるダメージもないのか、キャスターは平然とそれを引き抜き、投げ捨てる。傷口から血が溢れても、お構い無しだ。

 

「これはただの剣ではなく……摂理の鍵? 単純に考えれば、投擲物である以上アーチャーでしょうが」

 

 結界を素手で破ってみせたサーヴァントに向かって、キャスターはそう話しかける。だが、女は笑い、見下したような目で言った。

 

「あら、残念ね。それね、私のじゃないの。我がマスターのよ」

 

 わずかに聴こえた風を切る音。今度こそはと慌てて身をかがめる風羽の頭上を、先程飛来したものと同じ刃が通り抜けた。続けて風羽を襲う突きや投擲が気がついたキャスターの簡易の障壁によって防がれると、襲撃した女は飛び退き距離を取る。その手には既に次の刃が握られており、冷たい眼光は風羽を獲物として認識している。

 

 風羽は動揺していた。周囲を見回し、目に付いたのはヨルムンガンドがライダーに押され危機に陥っている様だった。キャスターは傷ついており、目の前には2人の敵対者。今までにないほど鋭く向けられた殺意に、ただの女子高生は狼狽えるしかできない。

 

「さあ、余所見してる暇はないわよ」

 

 間髪入れず、サーヴァントの側が攻撃を仕掛けてくる。角の女が指先からいくつかの細い熱線を放ち、キャスターは防御に追われ、その間に赤髪の女が風羽を殺しに来る。予備動作を見て、喉を狙う1度目はなんとか避けたが、そのすぐ後に右肩を負傷し、襲ってきた痛みに思考が真っ白になる。

 

 だが思考が途切れても世界は待ってくれない。キャスターはヨルムンガンドを霊体に戻し、代わりにフェンリルを現界させた。フェンリルは指示されるまでもなく風羽を咥え、母を背中に乗せ、その場からの脱出を試みる。

 

 足止めにはフェンリルが持つ氷の力を使い、相手の足元を凍らせ、時間を稼ごうとした。投擲武器と熱線は止められず、フェンリルの体は傷つけられ、風羽を咥える口元から呻きが漏れた。

 それでも、なんとかその場から離脱することには成功して、あの2人組の姿が遠ざかっていくのを、風羽は茫然自失として眺めていた。

 

「……私、生きて、る?」

「えぇ、生きていますよ。想定以上の相手でしたが、逃げおおせてよかった」

 

 生きた心地がしないとはまさに今の風羽のことだった。命に関わるものでこそないが、フェンリルやヨルムンガンドだけじゃなく、キャスターも風羽も傷ついた。刺された右肩にはまだ剣が有って、じくじくと痛んでいる。

 

 脳みそに流れ込んできた情報で、殺し合いだとは理解していた。目の前で起こさせた破壊行動で、聖杯戦争が人命など簡単に失われるものだとも知っていた。

 だけど、風羽はそれを他人事だと思っていた。そうじゃない、肩の傷は現実だ。今だって、キャスターが尽くしてくれなかったら死んでいた。

 

「私も……戦えるように、ならなきゃ」

 

 死んだらもう何も楽しめない。殺す前に殺されるわけにはいかないのだ。

 自分に突き刺さっている長剣の柄に触れながら、風羽は力を欲した。魔術が使える才能が眠っているのなら、早く揺り起こさなくちゃ。

 

 ◇

 

「あーあ、逃がしちゃったな」

「えぇ、逃げられてしまったわね。ま、贔屓してあげてるんだから、ここで脱落するようじゃ困るんだけれど」

 

 マドカは折角発見したマスターを取り逃してしまった。街を攻撃していた元凶は彼女らだとみて、全力で攻撃を仕掛けたつもりだったのだが、耐え抜かれてしまった。

 

「相手もサーヴァントなんだから、そう残念がる必要はないわ。いずれまた出会えるでしょう」

 

 アヴェンジャーはそういうが、マドカにとってはそれが一番避けたいことだった。

 大蛇はどこかへ消えて結果的に被害は食い止められたものの、あの少女たちが命令して動かしていたのなら、再び怪獣襲来なんて事態になる可能性は極めて高い。

 

 その災厄の芽を摘みきれなかったのが、マドカの失態なのだ。埋葬機関レベルの人外なら簡単に仕留めてみせたのだろうが、マドカではまだそこまで至れない。

 

「でも、いきなり襲いかかってよかったのかしら? 見るからに、相手マスターは一般人だったじゃない」

 

 にやにや笑いを浮かべ、マドカをからかうように言うアヴェンジャー。もちろん、聖杯戦争に一般人が巻き込まれるケースが多くあることくらい、マドカは把握している。その上で攻撃を判断したのは──。

 

「あんな惨状を見て、笑ってるんだもん。人間じゃないと思うよ、あれ」

「……ふぅん。なるほどね」

 

 マドカがさらりと返した答えに、アヴェンジャーは少しつまらなそうにして、ビルから街を見下ろす。

 戦う者はいなくなった。だが爪痕は凄まじく、完全に日常が奪われた風景が広がっていた。

 

「……あー、ところでなんだけどさ。これ、どうやって隠蔽したらいいと思う?」

「私に聞いてもわからないとしか言えないわ。というか、無理でしょう」

「アヴェンジャーもそう思う? だよねー、私もそう思うんだよ」

 

 過去の聖杯戦争では、使い潰すためのガス会社をあらかじめ用意しておいて、しっかりスケープゴートにした……なんてこともあったと聞いている。

 けれど、今回は完全に突然の出来事だった。さらに白昼堂々と巨大蛇が出現し、多くの被害を出した。爆発ならまだガス会社のせいにできようが、実行犯があまりにも多くの人間の目に触れている。教会の力を以てしても、とても隠しきれるものじゃない。

 

「怪獣災害として処理した方が早かったりして……っとと、そうだそうだ」

 

 苦笑いしつつ、マドカは去り際にふと思い出して、腰のボディバッグから試験管と注射器に似た道具を取り出して、ビルに遺された血痕から少量の血を採取し始めた。アヴェンジャーは首を傾げる。

 

「敵の血なんて拾って、どうするの? 戦利品?」

「まさか、吸血種じゃあるまいし。個人特定に使えるかなぁ、と思っただけだよ。警察には、さすがに頼れないけどさ」

 

 試験管に少女の血を閉じ込め終わると、道具は袋に仕舞ってきっちり縛って、改めて背を向け歩き出した。

 

「それじゃアヴェンジャー、ちょっとお願いね!」

「はぁ……仕方ないわね」

 

 ビルから立ち去るため、アヴェンジャーに抱えて飛び降りてもらう。さすがはサーヴァント、マドカくらいなら平然と抱えてくれる。

 先程の戦闘での緊張感を忘れるように、生温く鉄の匂いのする風を浴びて、マドカは無理やり、その顔に笑顔を取り戻すのだった。



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第18話「最初の日没」

 アサシン──暗殺者の名を冠するクラスを与えられた英霊と、そのマスターになってしまった銀吾。奇妙な出会いをした2人が、聖杯戦争が開幕したその時、なにをしていたかというと──。

 

「なぁ、なんで顔隠してるんだ? 泥棒じゃあるまいし」

「その……なんじゃ。太陽には当たりとうなくてな。なんというか、見られている気がして、目の奥がキュッてなるのじゃ」

「なんだよそれ……」

 

 暗殺に出るわけでもなく、河川敷の橋の影から聖杯戦争の初戦を見届け、一度戦火が飛んできた後はそこから逃げ出していた。

 銀吾は逃げようと言い続けていたのだが、引っ張っていこうとしてもアサシンの方が力が強くて微動だにせず、銀吾が幼女を引っ張る絵面も通報されそうなので諦めた結果、今更こうして走っている。周りの人々は皆避難してしまったようで人の気配もなく、破壊音ばかりが飛び交っていた。

 

 そうこうしている間にも、向こうの方では映画みたいな大暴れが繰り広げられている。蛇がうねり、ビルや渦潮が飛び交い、よく見ると少女が飛んだり跳ねたりしているのだ。

 隣に棺桶から蘇った謎の少女がいるわけで、他に戦える女の子が現れても思考を停止して受け入れるしかない。銀吾は時折後ろを振り向きながら、どうしようもない嘆きをこぼす。

 

「一体なんなんだよ……アイツらも、アサシンも」

「奴らもわたしと同類じゃろうな。魔力の気配を隠そうともしておらん」

 

 アサシンの口から飛び出した魔力という言葉を、銀吾はよく知らなかったが、火を放つ人間がいたくらいだし、魔法の力というものがこの世界にもあるのか。納得も理解もできないが、それ以上深追いはしない。幽霊パワーみたいななにかがあるんだろう。

 代わりに、アサシンのことを聞こうとした。

 

「同類ってんなら、アサシンもあんなふうに戦えるのかよ」

「無論じゃ。わたしを誰だと心得る」

 

 顔を隠したまま胸を張るアサシンだが、説得力はない。さらに後方から轟音がもう一度聞こえてくると、びくっと大きく震え、結局自信なさそうに言葉を続けた。

 

「……今は、ちょっと無理じゃが」

 

 ただ見栄を張っただけなのか。もし戦えるのなら、あの大暴れしているものをどうにかしてほしいと、思わないでもなかったが。銀吾にとっては、慣れ親しんだ街なわけだし。

 

「とにかく、わたしは戦わないからな。おぬしを守るので精一杯じゃから──」

 

 銀吾の顔を見上げるアサシンの言葉が止まる。銀吾の後ろに、なにかがいるのか。彼女の視線の先を確かめるために振り向くと、なるほど確かに、視線を奪われるような美女が、なぜかびしょ濡れで涙目の和服美人を伴って歩いていた。その肩には大きな傷があって、明らかな血の跡がある。

 さっきまで戦場で超常的な力を見せつけていたうちの1人──金髪の美女、バーサーカーだ。

 

「な、なあアサシン、あれって」

「ばかもの! 今クラスで呼ぶやつがあるか! サーヴァントの眼前なのだぞ!」

 

 目に見えて焦る二人がいれば、当たり前のことながら通りすがりの美人も足を止める。しかもその口から聖杯戦争に関係する者としか思えぬ言葉が聞こえたとすれば、なおさらだ。

 

「ごきげんよう、お嬢さんにお兄さん。アサシン、だとか、サーヴァントだとか……とっても気になる単語が聴こえたのだけれど。少し、お話しましょう?」

 

 バーサーカーが浮かべる笑顔は、まるで珍しい虫を見つけた子供のようだった。無邪気で、残酷で、これから何をされるかわからない。アサシンが銀吾をかばうように立ってくれるが、不安は拭いきれない。

 

「あの、ここで戦うのはやめた方が……若葉様の命令外ですし……これ以上バーサーカーになにかあったら、私が怒られることに……」

 

 そこへ割って入ったのは、バーサーカーの隣にいた和服の女性だった。バーサーカー相手に強気には出られないらしかったが、早く帰ってシャワーを浴びたいとか、そんな感じの顔をしている。

 

「あら、貴女に口出しされるなんて。せっかく運良く出会えたのに、見逃すってことかしら」

「えっ、そ、それも怒られそう……そ、そうだ、若葉様に判断を仰ぎましょう! そ、その、お二人とも、できたら、一緒に来ていただけませんか……? そ、その、おもてなし、するので」

 

 アサシンと銀吾は顔を見合わせる。逃げ切れる保障はないし、先程の渦潮が飛んできたら終わりだ。さらにアサシンは今は戦えないと言っていたわけで、歯向かうことはまずできそうになかった。

 

 大人しく銀吾が頷いたのを見て、女性はほっとした様子で胸を撫で下ろし、こちらです、と案内を始める。アサシンの顔に視線を向けると、警戒レベルは最高のままだったが、頷いて応えてくれた。

 

「罠だったら、わたしがなんとしてでもおぬしを逃がす。あとは街の外にでも逃げて、わたしのことは忘れろ。いいな?」

「……わかった」

 

 銀吾は頷きたくなかったけれど、アサシンの目は本気で、普段の幼女のそれとは違う強さを宿していた。だから、彼女を信じると決めた。

 女性に続いて銀吾とアサシンが再び歩き出す頃には、もう背後から轟音は聞こえてこなくなっていた。

 

 

「おさまった……の?」

 

 避難して逃げ惑った先の道の真ん中で、つかさは大蛇が消失するのを目撃した。確かにさっきまで起きていた災害が、ぴたりと止んだのだ。破壊音がなくなり、一転して熱海の町は静寂に包まれた。そして、安堵と戸惑いが入り交じった、人々の生活音が戻ってくる。その中には、多くの客やメイドと共に避難した、店長の姿もあった。

 

 そして、不安になっているつかさのもとへと歩み寄ってくる男がいる。アーチャーと名乗ったあの男だ。彼はつかさに対し、相変わらず理解できない話を振ってくる。

 

「見たかい、あの力を。あれが願いを果たすために殺すことを選んだものの力だ」

「……なんの、話ですか?」

「もちろん、聖杯戦争さ。君が願いを叶えたいなら、あんな大物と戦わなくちゃいけないかもしれない。だが心配はしなくていい。私がついているからね」

「そ、そうなんですか……?」

 

 アーチャーはつかさに話しかけているようで、自分の言いたいことを話すばかりで、こちらの言葉は聞いてくれようともしていなかった。だが、つかさの秘密を知ったかもしれない相手に下手な対応はできなくて、相槌だけは打とうとしていた。

 

「想像してみるといい。もう後ろめたいものを背負わなくていい未来を。ありのままの自分が、憧れた自分である日常を」

 

 そこへかけられたこの言葉に、つかさは接客用の笑顔を途切れさせた。あぁ、やはり、この男はつかさの秘密に気がついている。そして、それを書き換える方法を知っているんだ。これで何度目かの同じ誘惑で、冷静に見ればただただ怪しい誘いだったけれど、やはり今のつかさにとってそれ以上に欲しいものはない。

 

「……あの。教えてくれませんか、その聖杯戦争ってもののこと」

 

 つかさの返事を聞いたアーチャーは笑って、手招きをする。つかさはそれにつられ、頼りない足取りで歩き出す。視界の隅で黒い蝗が跳ね、瓦礫の中に消えていった。

 

「待って」

 

 だがそこで、つかさの元へ駆け寄ってきて、引き止める者がある。彼女はつかさが立ち止まり、振り返ったのを見ると、無事でよかったとため息をついた。

 

「うちのメイドに店外で絡むのはご法度ですよ、お客様。ひまわりちゃんも、大変な時につけこんでくる大人ってのは少なからずいるんだから」

 

 引き止めたのは店長だった。アーチャーは肩をすくめ、店長に対してただの親切心だったと軽く釈明すると、さっさとどこかに去っていった。店長はつかさに傷がないか見て、無事だと確信すると、大きく頷く。

 

「よしよし、ひまわりちゃんも無事みたいだね。みんな息災でなにより!」

 

 彼女の言葉には、つかさもそう思う。あの蛇がつかさ達の方に迫って来なくてよかった。お店が壊されたら、『ひまわり』はどこにもいなくなってしまうから。

 

「あぁ、そうそう。こんな状況だし、今日はもうお店閉めるね。戻ってちょっと後片付けしたら、帰っちゃってもいいから」

「はい、わかりました」

「あ、でも交通機関も止まってるよね。今日ずっと帰れなさそうならうちに泊まっていくといいよ。こんなこともあろうかと、個室はいくつか空けてあるんだ」

 

 さすがは店長、ここまでの事態を予測して、一時的に人を泊められるようになっているとは。

 メイドさんたち、つまり多数の女性たちと同じ屋根の下で一晩なんて、バレずにやり過ごせるか不安だが、最悪の場合は店長を頼るしかない。つかさは交通機関が復旧してくれることを願った。聞こえてくる話だと、駅が襲われて電車が横転したとか、不安な情報しか耳に入ってこないけれど、せめて家に帰りつきますように、と。

 

 ──その後結局、つかさが普段帰りに使っているバスは案の定運休で、つかさは気の抜けない夜を過ごすことになる。



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第19話「主と蛇の夜」

 聖杯戦争最初の戦いが終わり、雫は帰宅すると、さっさと外行きの服から部屋着に着替え、すぐさまベッドに飛び込んだ。接触冷感のシーツに包まれ、一息ついて安心する。

 続いてライダーも部屋に現れて、普段通りに腕を組んで壁にもたれかかった。

 

「とっても、疲れちゃった」

 

 その呟きの声色は、本当に疲れている者のそれではない。喜びの色を隠そうともしていなかった。

 古蛾の家は戦場からはまあまあな距離があり、魔術防護もあったおかげで家は無傷。

 派手に戦ってはいたもののライダーの魔力消費は少なく、雫の体調も好調だ。肉体的疲労は多少あっても、一晩休めばいい範疇である。

 

 気になることは残っていた。バーサーカーのこと、あの大蛇のこと、色々と処理しきれないくらい。けれど、なによりも優先したい事柄がうまくいっていた。

 

「……っ! 芹沢くんからかな!?」

 

 安堵に包まれる中、ぴろりん、と鳴り響いた電子音に、雫は慌てて携帯を手に取る。速攻で起動して、紘輝の誕生日である『1216』を入力してロックを解除。携帯に届いているメッセージを確認する。

 

 未読は、父親からの安否を確認するものと、もう一つ、『今日はありがとうございました』の文字。予想通り、紘輝からのものだ。

 

 雫はそれを読んでいる最中から、今まで紘輝の前では抑えていた喜びの表情を解放した。読み終わったらすぐさま返信する。

 そのゆるみきった笑顔を見るライダーの視線はやはり冷たく、そんなににやついている暇があるなら飯を作れと言わんばかりだった。

 

「……へへ、えへへ。えへへへ……」

「そんなに嬉しいのか、あの小僧との同盟が」

「だって。芹沢くんが、私を頼りにしてくれるんだもん」

 

 敵は強大だった。あんな大怪物を相手にして、いつ誰が死んでもおかしくなかった。実際、巻き添えをくらって、なにもできずに死んでいった人々は大勢いるんだと思う。

 英霊──セイバーとライダーが力を尽くしてくれたから、誰も脱落しなかったのだ。そのライダーがここにいるのは、雫が召喚したからに他ならない。

 

 環境が変わっても、雫なんかより遥かに強い神秘の使い手が現れても、まだ雫は彼の『特別』なんだ。

 

 そう語る雫の瞳に、やはり冷たい表情のままライダーは返す。

 

「……あまりその快楽に依存するなよ。そう遠くないうち、取り返しのつかないことをしでかすぞ」

 

 まただ。また、ライダーは雫を諌めるようなことを言う。今はただ、生き残った喜びに浸らせてくれたっていいのに。

 拗ねた雫は枕に顔をうずめ、そこでちょっとした仕返しを思いついた。ライダーの方を振り向いて、笑顔で話しかける。

 

「そういえば……ライダーってセイバーのことが気に入ってるみたいだったけど、どうして?」

 

 紘輝のことはつまらないとか言うくせに、セイバーには我のものになれとか言い寄っていた。当のセイバーには初めは警戒され、後からは無視され、好感度は低そうだったけど。

 

 聞かれたライダーは少しの沈黙の後で、こう答えた。

 

「その通り、我は彼奴が気に入っているが……理由か? 顔が好みだと言ったであろう。それとまあ、そうだな。彼奴は我と同類のようで、そうではないからか」

「……それって、どういうこと?」

「奴は怪物でありながら、偶像でもあるということだ。偶像なら、手に取って愛でたくなるだろう」

 

 要約してもらっても、ライダーが何を言っているのかまるでわからず、雫は不服な顔でまた枕に頭を預けた。ライダーもそれ以上を語る気はないようで雫から目を離す。その時ちょうど、ライダーの腹がぎゅるると鳴って、彼女は用事があったことを思い出したように歩み寄り、雫の頬を軽く叩いた。

 

「夕飯の支度をするぞ、マスター。思いっきり戦ったから腹が減った」

「え……う、うん。言われてみれば、私もお腹空いてるかも」

 

 さっきまで睡眠欲に傾いていた欲求がライダーの催促で今度は食欲に傾いて、雫も台所に向かうべく起き上がる。先に軽く伸びをしてから、空腹の英霊を連れて。

 

 ◇

 

 その日の夜も、セイバーは恵美里と一緒にお風呂に入った。同居を始めた初日に恵美里から恐る恐る提案されてからというもの、仲良く背中を流しあったり、こうして一緒に湯船に浸かったりしている。

 おかげで現代の入浴にも慣れ、セイバーはすっかりくつろいでいた。

 

 湯船では、恵美里よりもセイバーの方が小柄だから、彼女に抱かれるような形での入浴になっている。向かい合える広さはあるのだが、他ならぬセイバーの要望だ。数日前、緊張していた恵美里は緊張のあまり鼻血を出しかけたりしたが、なんとか慣れてくれた。

 

 現在、体の洗いっこを無事に終えたセイバーは、恵美里の少しだけ膨らんだ胸に身を預け、落ち着いた表情で湯を堪能している。思わず、ため息と独り言が漏れた。

 

「……ふぅ。やはり、ゆっくり湯船に浸かるのはいいですね」

「対戦疲れは水溶性だもんねー……」

 

 恵美里の言う対戦と、セイバーの思う対戦の意味は少し違う。確かに朝はゲームで戦っていたが、午後には現実でも剣を振るった。

 セイバーの体力は何も問題はないが、精神的には全くの別問題。疲れた心を癒すなら、こうして休むのがいいと、セイバーはこの1週間で学習した。

 

「セイバーちゃん、肌綺麗だよね、ほんと」

 

 恵美里の言う通りだ。セイバーは頷いた。この肉体は偶像であるために生み出されたもの。人間が美しいと思えるようになっている。それをセイバーは勝手に(・・・)使っているのだ。

 

 戦闘中に傷つけたはずの手首には、もう傷跡は影も形もない。紘輝の治癒魔術のお陰だった。けれど、この先きっと、もっとこの体を傷つけることになる。これは聖杯戦争で、セイバーはそういう英霊なんだから。

 水面の向こうで揺らぐその手の姿を黙って眺めて、漠然とした不安のような、そんなことばかりを考えた。

 

「……大丈夫だよ」

 

 そんなセイバーの手に、ふと恵美里の手が重ねられて、優しく握られた。思わず彼女の方を振り返って、恥ずかしそうに笑いかけるその笑顔を見る。

 

「あ、ご、ごめんね。ちょっと不安そうだったから、つい」

 

 恵美里の手は温かく、柔らかくて、そして──少しひねっただけで折れてしまいそうだった。もし、今すぐに、本当にこの手をへし折ってしまったら、恵美里はどんな顔をするだろう。そんな意味の無い想像をして、思わず目を逸らす。

 

「……やっぱり、迷惑だったよね」

「そういうわけでは……不安だったのは、本当です」

「あっ、あぁ、そっか。慣れない環境だもん、仕方ないよ。この街、何か起きてるみたいだし。でも、私やお兄はセイバーちゃんのこと傷つけないから、安心して」

 

 セイバーだって、恵美里や紘輝を傷つけるつもりはない。かつて、ギリシャにいた時とは役割も霊基の構造も違う。

 そう、今のセイバーは紘輝のサーヴァント。彼の意思に従うものだ。戦うのなら、この身に何度も刃を突き立てることになるだろう。大切なあのひとのくれた、この体に。

 

 それから恵美里とセイバーの間に会話はなかった。何も言わずとも、のぼせないうちに湯船を出て、髪はお互いに乾かしあった。さすがに服は自分で着た。

 最後にお風呂上がりの牛乳を飲んで、自室に戻る。自室といっても、今は恵美里とセイバーは相部屋だ。彼女と並んで廊下を歩き、その中で、俯いて歩くマスターに出会った。

 彼はセイバーのことに気がつくと、聖杯戦争のことを切り出そうと、自室にセイバーを呼んだ。

 

「……セイバー。少し、話があるんだ」

 

 紘輝の部屋で床に正座して、その話を待つ。

 

「今日戦った時……少し離れたビルに、俺の知り合いの姿が見えたんだ。隣に住んでる、魔術とは関係の無い一般人のはずなんだけど」

 

 その少女、観伝寺風羽は見知らぬ女性を連れ、目の前で起きる災害に対して逃げようともしていなかったらしい。まるで、自分の方には飛んでこないと確信しているかのように。

 それだけじゃなく、その戦闘中の一瞬を除いて、紘輝は隕石が落ちてきたあの日以来、隣家に住んでいるはずの彼女の姿を見ていなかった。

 

「明日、風羽に話を聞きに行こうと思ってる。風羽のことだから、大丈夫だとは思うけど……もしかしたら、また戦いになるかもしれない。一緒に来て欲しい」

 

 セイバーは何も言わず、すぐに頷いた。どれだけ不安が付き纏っていても、傷つくのが嫌だったとしても、マスターの指示には従う。従わない方が面倒だから。

 

「……もちろん、セイバーの出番がない方がいいんだけどさ」

 

 風羽が聖杯戦争に関わる者であってほしくないという願望をこぼす彼に、セイバーは声をかけようとはしなかった。

 その風羽のことは知らないけれど、何となく、その願望が裏切られるような気がしてならなかったから。



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第20話「一日目、終幕」

 サーヴァント同士の交戦が落ち着き、怪獣騒ぎが収まると、委子とカシオペアは救助隊が駆けつける前にその場を離れた。向かった先は、カシオペアが隠れ家としているホテルだ。後は人間社会の力に任せることにして、魔術師はさっさと姿を隠すことにする。

 案内されたカシオペアの部屋はしっかり結界による防護や隠匿が行われており、ホテルの一室なのにほぼ別の建物と化していた。

 

「ここまで来ればもう大丈夫ですね。弟たちよ、お疲れさま」

「……ありがとう」

 

 委子が救助に赴いた先の横転した列車には、手遅れだった人もいたが、助けられた人も多かった。一緒に頑張ってくれた魔獣たちに礼を言って、彼らが光の粒となって退去するのを見届け、ランサーにも頭を下げた。

 

「ありがとうございます。力を貸してくださって」

「こちらこそ、ですよ。私だけでは、弟たちをうまく扱えませんから」

 

 結果的に、被害を減らすことができたのだろうか。きっとできたはずだ。助けられた人が安堵した表情をしていたのを思い返しながら、委子はそう思うことにした。

 

「ナイスファイトだ、ミス・ユキムラ」

「……そう、でしょうか? ありがとうございます。あの、でもちょっと」

 

 カシオペアは労ってくれるけど、その呼び方は少しむず痒くて、出来れば委員長と呼んで欲しいとお願いした。

 委子にとってその姓は、大事な人から勝手に受け継いだものだ。それを呼ばれ続けるのは、なんだか違う気がしてしまったのだ。

 

「イインチョウ……委員長、か。わかった。そう呼ばせてもらうよ」

「はい、委員長です。そっちの方が、私って感じがするんですよね」

 

 何年も親しんできた呼び名だから、委員長の方が馴染むというか、すぐに反応できる。そういうわけで、委子の呼び名は決定した。

 

「さて、後はミス・マドカが帰っていないわけだが……」

 

 戦禍の方へ飛び込んでいったマドカとアヴェンジャーは、まだ戻ってきていない。ホテルの場所は別行動する前に伝えたはずだが、迷子にでもなっているのか。

 

 それとも、最悪の可能性として、敵サーヴァントとの交戦で傷つき、動ける状態にない、とか。

 マドカもアヴェンジャーも、簡単にはやられないだろうが、相手に何が飛び出してきてもおかしくないのだ。委子もカシオペアも、少なからず心配していた。

 

「よっ、と! ただいま!」

 

 その心配には及ばず、どこかから風を切る音がしたような気がして委子が振り返った瞬間、ちょうど窓の外にマドカが姿を現した。

 アヴェンジャーに抱えて運んでもらってきたらしく、お姫様抱っこ状態である。その相変わらず奔放な姿を見ると、委子とカシオペア、2人揃って表情が明るくなる。

 

「無事だったか」

「うん、平気。でも、敵さん殺し損ねて来ちゃった」

 

 申し訳なさそうに話し、アヴェンジャーの腕の中から降りたマドカ。それから、ちゃんと入口から入り直すと言い残してまたどこかへ走り去り、少しして部屋の扉を勢いよく開け放って戻ってくる。

 

「改めて、ただいま。さっきの話の続きだけど、残念ながら、ちょっとの手傷しか与えられなかったんだよね。

 せっかく油断してる感じだったのにさ」

「相手が多少はできる奴だった、ということよ。まあ、私に比べれば大したことはないんだけれど」

 

 マドカはこの怪獣騒ぎの元凶らしき人物を発見したものの、取り逃したという。つまり、再びあの大蛇が現れる可能性は十分にある。委子はランサーに目配せし、ランサーは頷いてくれる。

 

「いつ襲撃があってもいいよう、弟たちに警戒にあたらせましょう。あくまで目立たないよう、小規模に、ですが。マスター、魔力は大丈夫ですか?」

「あぁ、私のことなら問題ない。気を抜くには早いからな、魔獣を哨戒に使うのは私も賛成だ」

 

 曰く、ランサーと魔獣たちは、魔術師でいう使い魔のような関係で、感覚を共有することもできるという。彼が協力者で助かった。

 

「あ、それなら、人探しも頼まれてくれないかな。ほら、これ」

 

 マドカがそういって懐から取り出したのは、赤黒い液体の入った試験管だった。委子はそれが血液だと一瞬でわかってしまう。一体なんの血だというのか、聞くまでもなく、マドカが続けて話す。

 

「これ、さっき殺し損ねた獲物……この騒動を起こしたであろうマスターの血なの。魔犬なら、魔力の匂い辿れるかなって思って」

 

 試験管はランサーに渡され、彼が尾で地面をとんとんと叩くと、少しだけ黒泥が展開され、そこから小柄なウリディンムが1匹這い出た。その1匹は大きな鼻を動かして、栓が開けられた試験管の血液の匂いを嗅ぐと、しっかり覚えた合図にワンと吼える。

 

「よしよし、それじゃ、茶髪の少女とピンク髪の女の2人組がいたら、報告して。今度こそ仕留めるからさ」

 

 マドカの言葉を理解しているらしく、ウリディンムは頷き、それからランサーが開け放った窓からぴょんと飛び出して、捜索へと出発していった。なんだか、普通に賢い大型犬みたいだ。

 

「よし、ここはあの子に任せて……委員長、ライネスさんに報告したらどうかな」

「あ、えぇ、そうよね。ロンドンからの応援も頼まなくちゃ」

 

 言われて思い出す。エルメロイ派からのバックアップを約束して、カシオペアとの同盟を取り付けたんだった。

 ポケットからスマートフォンを取り出して、素早くロックを解除。ライネス宛の電話を起動する。

 

 わざわざ魔術を使わなくても、委子には携帯機器がある。魔術師のたまごと言えども、便利なら使う。というか、そんなに高度な通信魔術を使えないのが、本当のところなんだけど。

 

 流れるような操作の後、何度かコール音がして、少し待って、ライネスからの返答はない。不在着信の文字だけが残って、委子は首を傾げた。

 

「ちょっとご用事なのかしら。後でかけ直しましょ」

 

 時差を考えると、ロンドンは今昼時だろうか。相手は時計塔のロード、当然忙しいだろう。気がついていないとか、そもそも通話出来る状況にないのも、別段おかしいことじゃない。

 仕方ないことだと切り替えて、通話アプリを落とし、代わりにSNSを覗いてみた。

 

「うわ、案の定すごいニュースになってる」

「そりゃあ……あれだけ被害も大きかったし、ねえ。あーあ、カバーストーリーどうしよっかな。やっぱり正直に怪獣って言っちゃうべきだと思うんだけど」

「……その、何。頑張って」

 

 今までの秘匿された儀式としての聖杯戦争とは違い、今回起きたのは巨大生物による無差別な破壊活動。監督役として派遣されたマドカにも、前例のない大きな災いへの対処が求められてくる。

 計り知れないその苦労に、委子は自分のことでもないのにため息をつきかけた。

 

「ま、明日のことは明日の私に任せちゃえばいいか」

 

 対するマドカはとても楽観的だった。自分にはとても真似出来ない。

 これ以上SNSを見ていると、もっとため息をつきそうなので、スマートフォンの画面を消して、ポケットに放り込んだ。

 

「そういえば、だが。2人とも、宿泊先は決まっているのか? 安全のためにも、ここに泊まるのもありだと思うが」

 

 ふと、カシオペアが提案してくれる。言われてみれば、委子は予約をすっかり忘れていた。ライネス側からはそういった連絡はされていないし、それならカシオペアの提案を受けた方がいいかも。

 マドカの方を見ると、彼女も「あ、やべ、忘れてた」の顔をしていた。

 

 とはいえ確かに、この部屋はカシオペアによってしっかりと工房になっている。委子が単独でここまで作れるかというと、たぶんやろうとすると建物ごと樹海になる。

 

「ごめんなさい、何から何までお世話になってしまって」

「私は構わない。ホテルの人も……まあ、一般人は入れないようにしてるし、わからないだろう」

 

 わからなければオッケー、なんてのもめちゃくちゃだ。とはいえ他人が取ったホテルに泊まるなんてマナー違反、1年前もやっていたような。あの時は、もっと多くの人がいた。大事な、もう二度と会えない人もいた。

 

「委員長、どうかした?」

「……ううん。小夜とも、こんなことしたなって」

 

 それをマドカに伝えると、彼女は微笑みを返してくれた。



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第21話「二日酔いの朝」

 翌朝、銀吾は普段使っているものよりも明らかに上等な布団で目を覚ました。隣に敷いてあるもう1つを見ると、そこで眠っていたのは幼い少女──アサシンだ。

 部屋の内装は落ち着いた和風のものであり、普段の銀吾の一人暮らしのアパートとはかけ離れている。掛け軸や花瓶など、絵に描いたような旅館の一室だった。

 

「おい、起きてくれ」

「むん……なんじゃ、もう朝か……?」

 

 眼帯を着けたまま寝ているアサシンを揺り起こしつつ、銀吾はどうしてこんなことになっているのか思い出そうとした。

 まず、昨日の夕方、銀吾とアサシンは傷ついたバーサーカーに遭遇した。彼女はこちらを攻撃してくるかもしれなかったが、同行していた和服の女性がそれを止めてくれた。そして、銀吾とアサシンをこの旅館まで連れてきた。そこまではいい。

 その後は記憶がおぼろげで、さらにめちゃくちゃ頭が痛い。これは何かがあったに違いないが、確信しても思い出せないものは思い出せなかった。

 

 銀吾が頭を悩ませ、アサシンが眼帯の上から目をこすり、朝の客室は静かだ。そのうちに、戸を叩く音がする。返事をすると、ゆっくり開いて、昨日の和服の女性が現れた。

 

「大新田さま、アサシンさま……その、昨晩はよく眠れましたでしょうか……?」

「は、はい。えっと、確か」

「亀良姫螺璃か。わたしはよく眠れたぞ、おかげでこの通り良い目覚めじゃ」

 

 姫螺璃は2人の返答にそれはよかったと胸を撫で下ろし、そこから続けて口を開くと、朝食の準備ができていると話した。ひとまず彼女についていくことにした。

 通されたのは、本来なら宴会に使われるような広間だ。そこで待っていたのは偉そうな出で立ちの女と、周囲に控える従業員らしき人々、そして美味しそうな料理だった。アサシンは見た目相応に無邪気に目を輝かせ、姫螺璃の指示に従って食卓についた。

 

「おぉ……なんと食欲をそそる匂いか」

「当館の自慢の料理です。どうぞ、心ゆくまでお楽しみください」

 

 銀吾の普段の朝ごはんは多くても2品であり、その3倍以上の品数、しかも手の込んだ料理ばかりのこの朝食は豪華と言わざるを得ない。

 こんなの頂いちゃっていいのか、ふと偉そうな女性の方に視線をやると、彼女は答えてくれた。

 

「えぇ。貴方達は大事な同盟相手。これから、街のために手を貸していただくんですもの。当然のことです」

 

 銀吾は彼女がなぜそう言ってくれるのかまるでわからず、アサシンの言葉を待った。アサシンもそれを察したらしく、呆れたような視線を向けた後、女性の方に発言する。

 

「徳間若葉殿。言ったはずじゃぞ、わたしには戦うつもりはないと。わたしはサーヴァントである前にこやつの」

「彼の護衛、だったかしら。であれば尚更でしょう。聖杯戦争とはつまり、彼も暮らすこの街の危機に他ならないのですから」

「……じゃが、それ以上のことはせんからな」

 

 若葉と呼ばれた女とアサシンの会話はよくわからなかったが、とにかく美味しそうなご飯を粗末にはできないので、いただきますの手を合わせ、大人しく口に運ぶことにする。

 旅館らしい繊細な味わいは、銀吾の貧乏舌かつ体調不良な現状でも、伝統とこだわりを感じるものだった。

 

「お飲み物、おつぎいたします」

 

 姫螺璃がとっくりからグラスにお茶を入れてくれる。それを見てようやく、昨日も彼女がこうして注いでくれたことを思い出した。

 

「……あっ、そうだ、晩飯振舞ってもらって……確か勧められるままにお酒飲んで……潰れて……だから何にも覚えてないんだ」

「なんじゃ、そんなことも気がついてなかったのか。二日酔いじゃろ、二日酔い」

 

 到着した時には日が沈んでいて、腹の虫が鳴った銀吾は、姫螺璃と若葉に夕食を食べさせてもらった。その時もらった日本酒を呑みすぎて、こういう状況になっているに違いない。

 アサシン曰く、酔って泣き崩れた銀吾では話にならないため、自分が若葉と話をした、らしいのだが。

 与えられた朝食を食べ進めながら、ふと、自分だけすごく重要そうな単語を知らないという状況だと気がついて、訪ねようと口を開く。

 

「なあ、その聖杯戦争って」

「おぬしはそこまで知らんでいいじゃろ。おぬしは巻き込まれただけ。それを無事に帰すのが護衛の役目じゃ」

 

 アサシンの答えは遮るような言葉だった。彼女は知らない方がいいこともある、という。

 ふと、亡くなった友人や襲ってきた魔術師の男、そして壊れた街で暴れる怪物どものことが脳裏に過ぎって、そういうものもあるのかもと、銀吾は会話を続けず、白米を口に運んだ。

 

「あまりにもなにも知らされないのは不安でしょう。少しは教えてあげるわ。

 聖杯戦争はあの大蛇やバーサーカー、アサシンのような、人間を遥かに超えた神秘を宿した存在同士が生き残りを賭けて戦うもの。

 私はこの旅館の女将だもの、聖杯戦争によって街が壊れたら、当然困るわ。だから、愛する街を守るため、アサシンさんに力を借りようとしてるってわけ」

 

 堂々と胸を張って、おおげさなジェスチャーを交えて話す若葉。ふと目が合った時、逸らすのではなく、思いっきり見つめ返してきて、恥ずかしくなった銀吾の方が目を逸らすことになった。

 ごまかすために、姫螺璃の注いだお茶を飲む。先程の自信を見るに、たぶん嘘はついていない。ついているとしたら、相当な詐欺師かもしれない。

 

 そのうち朝ご飯も食べ終わって、なかなかお腹も膨れたところで、銀吾たちのいる部屋の戸が開く。

 

「お腹が空いたわ。美味しそうな匂いがしたのだけど、私のは?」

 

 そこに立ったのはバーサーカー。変わらぬ恐ろしさと美しさを漂わせ、しかし話している中身は食いしん坊のそれであった。若葉はさっきも食べたでしょうと呆れながらも、その肩に巻かれている包帯を見ると心配そうな表情に変わり、バーサーカーのもとへと駆け寄った。

 

「バーサーカー。傷はもう大丈夫なのかしら?」

「えぇ、ある程度は。あまり動かすと傷口が開くだろうけど、私、殴り合いは元からしないもの」

 

 彼女の左肩には包帯が巻かれ、血が染みて赤くなっている部分もあった。昨日、血を流していたあの怪我だ。

 

「そうね……利き腕が動かせないと不便でしょう。姫螺璃、彼女についてあげて」

 

 黙って片付けを続けていた姫螺璃の手が止まる。他の従業員たちが彼女の作業を引き継ぎ、姫螺璃はバーサーカーの隣に歩み寄り、彼女と視線を合わせる。その拳は強く握られて震えていて、若葉の命令を怖がっているようにしか見えなかった。

 

「わかりました」

 

 彼女自身の声は震えてなどおらず、簡潔だった。用意された座布団に堂々腰掛けるバーサーカーの隣に、黙って控えている。

 銀吾に声をかける勇気はなく、若葉も次はバーサーカーの朝食を用意するよう指示をはじめたため、アサシン共々その部屋を出ていくことにした。一番の理由は、なんとなく居心地が悪かったからだった。

 

「どっか行こうか、ここにいちゃ邪魔だし……」

「うむ。無理に手を出したら、皿を全部割りそうじゃもんな。他人の仕事に口出しするものでもない」

 

 アサシンがそんなに果てしない不器用とは思っていないが、ジョークの一環だとスルーして、並んでその場を後にする。廊下は長く、そういえば自分たちが寝泊まりした部屋までの道がわからないことを思い出した。

 

「えっと……どっちだっけ」

「なんじゃ、迷子か?」

「来る時は寝ぼけてたんだよ。そういうアサシンは」

「わかるに決まっておろう。確か……こっちじゃろ」

 

 アサシンに誘導される通り、誰もいない廊下を歩いて回り、階段登って、降りて、曲がって、また曲がって──。

 

「……うむ、これでわたしも迷子になったぞ」

「覚えてなかったんじゃん!」

 

 辿り着いたのは全然違う部屋の前だった。それでも、ツッコミはしても怒る気にはならない。どこか抜けているアサシンといるのは、気が楽になる。二日酔いの頭はまだ痛いが、不安は薄らいでいた。

 

「一旦戻って、従業員さんに聞いてこようか」

「そうじゃな。それがいい」

 

 用のない部屋の前にいても仕方がない。道順のわからないマスターとサーヴァントはさっさと来た道を戻ろうと話し、そのまま背を向けようとした時、そっと目の前の襖が開いた。顔を出したのは、若葉や姫螺璃より年下の少女だった。

 

「……ッ!? あ、貴方達は、どうしてここに?」

「いやぁ、俺たち迷子で。丁度良かった、案内してくれませんか」

「は、はぁ……迷子……ですか」

 

 少女は廊下に出ると、慌てて襖を閉める。この時、初めて見えた胸元の名札から、彼女は『徳間浅黄』ということがわかる。見た目と苗字からして、若葉とは姉妹かなにかだと思われた。

 

「……見ましたか?」

 

 浅黄の問いかけに、銀吾もアサシンも首を振って、部屋の中は暗くてよく見えなかった、と正直に伝えた。その返答に胸を撫で下ろした彼女は、案内を快く了承し、すいすいと廊下を進んでいく。

 あんなことを言われると部屋の中身が何だったのか気になるところだ。だが、そのことを浅黄に聞いても無視されてしまった。答えられないのか。しばらく無言で歩いたところで、浅黄の方から話しかけられる。

 

「あの……お2人って、お姉様の言っていたマスターとサーヴァントのお客様、ですよね」

「そうだけど」

「お願いが、あるんです」

 

 銀吾とアサシンにだけ聴こえるように小さな声での言葉だった。そのまま立ち止まり振り返った彼女の真剣な眼差しが銀吾たちに向けられる。

 

「きら姉のこと、どうか守ってあげてほしいんです。きら姉は……聖杯戦争に巻き込まれていい人じゃない。本当なら、ただ普通に暮らしているべきなんです」

 

 きら姉、とは恐らく姫螺璃の愛称だろう。返答に困り、アサシンの方を見る。彼女は浅黄のことをじろじろと観察するように見つめ、銀吾からの目線には気がついてくれない。

 銀吾は少し考えて、自分で答えることにした。

 

「わかったよ。できる限りは頑張るから」

「お人好しの答えじゃな……どうせ協力相手なんじゃから、勝手にそうなるだろうが」

 

 アサシンも続けて、頷きや肯定ではなく、半ば諦めに近い言葉で答えた。浅黄も感情を表に出すことはなく、ただ静かにありがとうございますの礼を言うと、また案内に戻った。

 道案内の末、寝泊まりした部屋に辿り着いたのは、若葉たちのいた大部屋を出てから実に数十分後の話だった。



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第22話「戦いたいわけじゃない」

 聖杯戦争最初の日が終わり、芹沢家にも再び朝が来た。

 紘輝は一週間前のようにヘリコプターの音に起こされる。恐らく、隕石ではなく、派手に破壊された市街地を映しに来たものなのだろう。案の定、SNSでは隕石に乗ってやって来た宇宙怪獣説一色になっており、苦笑いするしかなかった。

 

 それからスマホはポケットに入れて、眠い目をこすりながら、朝食をとるために階段を降りる。リビングまで行くと、先に恵美里とセイバーが仲良く食事中だ。

 母特製の野菜炒めに目玉焼き、そしてトースト。和風なのか洋風なのかよくわからないが、うちの朝食はだいたいこの組み合わせだ。

 

「セイバーちゃん、野菜もっと食べたかったりする……? 私のぶんのピーマン、あげるね」

「いただけるのですか、ありがとうございます」

「いや、嫌いなもの押し付けてるだけだからなそれ」

 

 母の作った野菜炒めには、いつもの如く恵美里の嫌いなピーマンが、少なめに入っている。少しずつ慣れて欲しいという気遣い母のだが、恵美里はどうしても苦手であり、一口でやめてしまう。

 一口食べるだけ偉いとは思うし、いつも残したぶんは紘輝が食べているのだが、セイバーが善意だと思って受け取っているのをみると、さすがに訂正せずにはいられなかった。

 

「うっ、だ、だって、いつもお兄は受け取ってくれるし……それにセイバーちゃんだって喜んでるもん、ね?」

「……? 嬉しいですよ、エミリの贈り物」

 

 妹を甘やかしすぎたか。ため息をつきながら、紘輝も椅子に座って、その朝食をしっかり食べることにする。紘輝はピーマンを避けるようなことは必要ない。手を合わせて「いただきます」の後に、まず野菜炒めを口に運んだ。

 そこで、テレビが置いてある方を振り返って、そういえば何の番組をつけていたのか確認する。当然といえば当然だが、情報番組は揃って熱海市の災害について報道していた。

 

「やっぱりこの話か……」

「1週間前の隕石の時と同じようなことになってるね。今日はテレビ全部が同じ中身。あ、でもここはいつも通りアニメやってたか」

 

 毎週放送のアニメを除いて、多くのテレビ局が食いついた結果、番組表を見ると、朝のニュース全てが熱海駅付近の破壊痕について言及しているらしい。

 被害規模や現在の死者・行方不明者の数に、自衛隊による救助活動の様子が放映されているものも多く、日本中が怪獣が出たことに驚いているのがよくわかる。

 

 また、丁度そのことについて議論していたこのチャンネルでは、コメンテーターには宇宙や生物の専門家が駆り出されており、あることないことを色々と話していた。

 その話を神妙な面持ちで聞いている芸能人の顔を見て、紘輝はふと、恵美里に尋ねていた。

 

「……なあ、恵美里。このニュース、怖いか?」

「えっ、急にどしたの?」

 

 いきなり聞かれた恵美里は不思議そうな顔をした。それから、そりゃあ死にたくないもん、怖いでしょと続けた。

 至って当たり前の感情だ。誰だって死ぬのは怖い。今回亡くなってしまった人達だって、怖かったはずだ。

 

 紘輝は白米の最後の一口を飲み込み、ごちそうさまの言葉と共に、意を決して立ち上がった。食器はいつものように片付け、セイバーに目配せすると、彼女も気がついてくれたようで、黙って後ろをついてきてくれる。

 

「悪い、セイバーのこと借りてく」

「あ、うん。セイバーちゃんがいいなら、私も文句はないけど……」

 

 その言葉に続く、恐らく紘輝の行き先を聞こうとしたであろう言葉が出るより先に、丁度インターホンの音が鳴った。

 紘輝は返事をして扉を開き、その鳴らした当人の正体を確認する。それは2人組の女性で、紘輝のよく知る相手──雫とライダーだった。

 

「雫先輩? どうして家に」

「えっと、せっかく会うなら、早い時間の方がいいよねって思って。迎えに来た、って感じかな?」

 

 確かに今日また会って話がしたいとは伝えていたが、こんなに朝からやって来るなんて。いきなりのことで、とても驚いた。

 確かに、聖杯戦争について、知らないことはまだまだある。先輩から教わるべきことは数え切れないだろう。いっそのこと、風羽のことでさえも、先輩に相談してしまった方がいいのかもしれない。

 

 紘輝はそのまま風羽のことを話そうかと考え、躊躇い、しかし心配そうに首を傾げている雫の姿を見ると、頼ってしまってもいいように思えた。

 

「あの……実は、これから行こうと思っている場所があって」

 

 その先には恵美里に聞こえないよう、皆で外に出ようと促した。靴を脱ぎもせずに再び扉をくぐることになった雫とライダーだが、そう不満そうな顔はしておらず、雫は紘輝に、ライダーはセイバーに嬉しそうな視線を向けていた。

 

「その場所っていうのは?」

「家の隣……なんですよね」

 

 紘輝が話の続きとして隣家を指し、その表札に『観伝寺』とあるのを見ると、雫は風羽のことを思い出してくれたようで、成程と頷いた。続けて、それなら、家の方で待っていようか、とも言ってくれる。

 

 彼女は、風羽という幼馴染みがいることは以前話したから知っている。だが、戦場で見かけたことはまだ話していない。聖杯戦争絡みだとは思っていないらしい。

 

 一方でライダーは、いまだセイバーに視線を向けたままに、雫とは別の意味で合点がいったようにくすりと笑ってみせていた。

 

「必死に気配を殺しているようだが……昨日浴びた血と同じ匂いがするな。なあ、セイバーよ」

「……はい。恐らくは、昨日の大蛇と同じ相手でしょう」

 

 ライダーのみならず、セイバーもその言葉を肯定し、紘輝がそれに驚愕する。あの怪獣がこの近辺に──恐らくは、風羽の元に潜んでいる。信じ難い可能性だが、紘輝が今最も疑っている可能性だ。

 

「セイバー、気付いてたのか?」

「はい」

 

 話してくれなかったのは、聞かれなかったからだと話すセイバー。自分から話すことはしないのが彼女なのか。信頼されていないようで不安になりつつも、ライダーが気を回してくれ、行くなら行ってしまおうと声をかけてくれた。

 

 隣の家なのだから、徒歩では数秒で到着だ。紘輝がインターホンを鳴らして、誰かが出てくれるのを待つ。出来れば、本当に旅行に行っていて、紘輝が見たものは幻覚であってほしかった。

 

『はーい』

 

 けれど返事は聞こえてくる。この声は、風羽ではなくその母・朱音さんの声だ。紘輝ですが、と名乗り、彼女に門を開けてもらえないかと話した。

 

『いいですよ』

 

 返ってきた言葉に、紘輝は首を傾げる。これまで、朱音さんが紘輝に敬語なんて使ったことがあっただろうか。

 そんな違和感を覚えつつも、すんなりと承諾された。それから少し経って扉が開き、朱音さんが姿を見せた。前に見た時よりやつれているというか、生気のない顔をしていた。そして閂を外し、門を開いてくれた後、その後は何も言わずに家に戻っていってしまう。

 

「あ、あの、僕たち、風羽さんに会いに来たんですが」

 

 紘輝が声をかけて、やっと朱音さんは振り返る。その拍子に、紘輝と目が合った。やはりその目には生気がない。もっと、明るい優しい印象の人物だったはずなのに。

 

「……風羽なら、いませんよ。帰ってください」

 

 そんな紘輝の不安が的中する。風羽の名を出した途端に、彼女は勢いよく扉を閉めて、さらにカチャ、と鍵をかける音も聞こえてきた。

 

 門は開けてくれたはずなのに、いきなり鍵をかけ始めるとは、どういうことなんだろう。

 紘輝は呆気にとられてただ立っていた。その横を通り抜けて、雫が扉に手を伸ばし、三節ほどの詠唱とともに何らかの魔術を行使した。

 

「鍵、開いたよ」

 

 雫は躊躇いなく扉を開け、玄関に踏み込んでいく。さすがに無理やり鍵を開けてまで家に入るのは人としてどうなのか、と紘輝の足は止まるが、ライダーがその背中をその小さい手で押してきた。

 

「街をあれだけ派手にぶっ壊した相手に、今更礼儀など気にする必要もなかろう」

 

 その通りだとは思えなかったが、サーヴァントに力で勝てるわけもないので、そのまま屋内に入ってしまった。

 靴はちゃんと脱いで揃えて、控えめにお邪魔しますと言っておく。リビングを見ると、風羽の両親の姿があったが、紘輝たちが入ってきたことは気にも留めていないようだった。

 

「その子の部屋は?」

「あ、2階の突き当たりです」

 

 雫を先頭に、紘輝たちは階段を駆け上った。ライダーとセイバーは集中しているのか、何も言わずに着いてきながらも、周囲を見回していた。

 

 そして同時に、ここに来て紘輝にもセイバーたちの言う『匂い』に気がついた。ここに漂う異様な気配こそが、風羽の隣にいたあの女のものなのだろう。一段上がる度に強くなり、上りきるとともに、ライダーが紘輝を庇って前に出る。

 その時既に狼が紘輝たちに向かって飛びかかっていたらしく、ライダーの服の下から飛び出した蛇が盾となり、紘輝は少量の返り血を浴びるが、紘輝も雫も無事だった。狼はライダーが蛇を食いちぎられつつも繰り出した蹴りで突き飛ばされ、廊下の奥で陽の光を背にしながら待ち構えていた少女の、すぐ隣に着地した。

 

「……芹沢くんも、マスターだったんだ」

 

 こちらを見てそう呟いた少女は、間違いなく風羽だった。肩に包帯が巻かれている他は、いつも通りの彼女に見える。

 そして襲ってきた狼の他にも、彼女の傍らには女が立っている。昨日も見かけた、桃色の髪の女だった。

 芹沢くんも、ということは、風羽がマスターであることは確定だ。あの女がサーヴァントなのか。

 

 セイバーは刃を抜き放ち、ライダーも身構え、雫が風羽を睨んでいる。狼は威嚇し、桃色の髪の女は不気味に笑顔を浮かべてこちらの出方を窺っている。状況は一触即発だ。そこへ、紘輝は言葉を飛び込ませる。

 

「風羽! 俺は君と戦いたいわけじゃない!」

 

 もしこのまま殺し合いが始まってしまったら、言葉を交わす暇なんてない。そうなる前に、話し合っておきたかった。

 けれど、紘輝のその言葉を聞くなり、風羽は鬱陶しそうにため息をつき、低い声で続けた。

 

「人の家に押し入っておいてよくもそんな……じゃあ、教えてあげる。昨日の熱海駅周辺の怪獣騒ぎ……私とキャスターの仕業なの」

「──え?」

 

 あまりにも衝撃的な発言に、耳を疑った。直後、風羽の首元に昨日の巨大蛇と全く同じ姿をした小さな蛇が現れて、次に目を疑った。

 

「街を派手に壊して、人もたくさん壊しちゃった大悪党。それが私たち。芹沢くんはそれでも話し合いたい?」

 

 言葉が出ず、答えられなかった。呆然とするうちに、風羽はおもむろに背を向けて、何かの合図をすると、連れていた狼が冷気を放ちながらバイクほどの大きさにまで巨大化し、その背に乗った。

 その時点でライダーの蛇が伸びて攻撃を仕掛けるが、キャスターのルーン魔術に切り刻まれて届かない。

 

「聖杯戦争をする気もない人に用はないけど。これからまた、どこか壊しに行くから。追いかけるなら、早くした方がいいよ」

 

 前に風羽を、後ろにキャスターを乗せ、窓を突き破って狼は外に飛び出していってしまう。置き土産に放たれた氷の弾は全て紘輝目掛けて放たれており、ライダーとセイバーが叩き落としてくれたが、紘輝はいまだ状況を飲み込めずにいた。

 

「芹沢くん、ここは私に任せて。落ち着くまで、家で休んでて」

 

 雫は既に動き出している。ライダーに声をかけると、彼女が黒蛇から作り出した馬に同乗し、風羽とキャスターを追うために駆け出していった。

 その場にはセイバーと紘輝が取り残され、砕け散った硝子と氷の破片だけが散らばっていた。



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第23話「臨時営業中!」

 瓦礫まみれの駅付近にて、救助活動が盛んに行われる中で、奇跡的に無事だったメイド喫茶『ふらんけんしゅたいん』は臨時営業を行っていた。災難に遭った人々に対して炊き出しを行うのである。

 店長はメイドたちにこの炊き出しの手伝いを強制はせず、あくまで任意であるとした。だが、つかさを含めた前日に出勤していて店舗に一泊したメイドふたりはお手伝いに奔走し、その他にも来てくれるメイドさんが多かった。動機はそれぞれだが、ほとんどが店長への恩だろう。恐らく、他のメイドカフェではこうはならなかっただろう。

 

 迷彩服とメイド服が忙しなく行き交うのは奇妙な光景だったが、そこで働くつかさはそれでも楽しんでいた。

 普段のメイドカフェとも違い、自分は『ひまわり』として誰かの助けになっている。その感覚は心地よかった。

 

 これから活動を始める隊員さんに朝食用の軽食を渡し、笑顔と女声を作り続けて、やっと列がなくなった。一息ついたところで、先輩メイドに声をかけられる。

 

「ひまわりちゃん! 昨日、ありがとね。ひまわりちゃんが声掛けてくれなかったら、ちゃんと避難指示できてなかったと思うし」

 

 彼女は頭に(あざみ)の花の髪飾りをつけている。メイドとしての名前はそのまま『あざみ』。あざみ先輩は、大蛇が出現した時、避難指示をしてくれたメイドである。

 

「いえ……私、そんな大したことは」

「大したことだよ! ああいう状況で冷静でいられるの、すごいよ」

 

 あの時、咄嗟にそう言えたのはアーチャーのおかげだ。つかさの力じゃない。褒められても、愛想笑いを返すばかりだ。

 1つ幸いなのは、あざみ先輩も昨日はカフェに一泊していたものの、つかさのことが気づかれている気配はないということ。

 突然の事で店長や先輩の服を借りることになったのが、逆に功を奏したのかも。

 

「列も途切れたし、番は私がやるから。ひまわりちゃんは休んでていいよ。はいこれ、コーヒーあげる」

「え、あっ、ありがとうございます」

 

 先輩から受け取ったコーヒーを手に、お言葉に甘えて一旦店の中に引っ込んで、適当な椅子に座らせてもらった。

 まだ先輩たちの目につく場所だから、気を抜けるわけじゃないけれど、動きっぱなしは当然疲れる。休ませてもらえるのはありがたい。

 

 ため息をついてコーヒーに口をつけようとして、熱くて反射的に離し、もう少し冷めるまで置いておくことにした。

 何気なく、窓から外の景色を見る。店の入口の方にあった非日常とは違って、窓から見える景色は変わっていなかった。空だって、ただ雲が流れているだけで、何も変わりはない。それをぼんやりと眺めて、つかさは体と頭を休めようとする。

 

 そこへ、さっき配膳に出ていったはずのあざみ先輩が帰ってきて、こちらを呼んだ。

 

「ひまわりちゃん!」

「……先輩? どうしました?」

「ひまわりちゃんにどうしても会いたいって人が来てて……ほら、あの最近よく来てた人。アーチャーとか名乗ってたけど」

 

 間違いなくあの男だと認識し、つかさは強く拳を握る。彼には一番の弱みを握られているのだ。まだ熱いコーヒーも放って、慌てて外に出ていこうとする。

 

「わわっ、ちょっ、ひまわりちゃんってば……もう、何かあったら私か店長に相談しなよ」

 

 あざみ先輩は心配してくれている。それを尻目に、つかさはメイド服の裾を持ち、全力を出さない程度に走った。アーチャーは炊き出しの列から離れたところでつかさを待っていたようで、こちらの姿を見つけると軽く手を振ってきた。

 

「今日も会えて嬉しいよ」

 

 つかさは彼の下へと駆け寄った。昨日の夕暮れ時、今から彼が聖杯戦争について話してくれるという時に、店長が割り込んだ。今度こそは、その聖杯戦争とやらのことを聞いておかないと。

 

「あの虫といい、蛇といい……なんなんですか、何が起きてるんですか?」

 

 アーチャーは快く答えてくれた。願いを叶える者を決めるための儀式で、アーチャーやあの大蛇のような化け物同士を戦わせ、最後に残った1人に願いを叶える権利が与えられるという。契約とはつまり、アーチャーを従え、その願いを叶える権利を奪い合う者の1人として参加者になるということだ。

 

「正直、全然よくわかりませんけど……戦うのはアーチャーさんで、私は……」

「見ているだけでいいさ。私は見た目より強いからね、心配はいらない」

「それなら……お願い、します。私、契約しますから」

 

 人を殺す蝗の群れも、街を壊す大きな蛇も目撃している以上、もはやこんな突拍子もない話でも、受け入れるしかなかった。もはや、つかさの理解を超えているのだから。

 

「あぁ、もちろんだとも。そう言ってくれると思って、契約の証も用意してあるんだよ。ほら、これだ」

 

 渡されたのは本だった。豪華な装丁がされていて、大きめの図鑑くらいの大きさがある。しかし、開いてみるとなにが書いてあるわけでもなく、よくわからない本だった。

 念の為によく調べるが、白紙のページたちの中にはもちろん、表紙や裏表紙にも、盗聴器が仕込まれているというわけではもなさそうだ。

 

「なんですか、これ?」

「そいつは偽臣の書……なんて、名前だったかな。私と君の契約の証さ。軽い命令くらいなら、私を従わせることだってできる」

 

 偽臣の書だかなんだか知らないが、なんだってそんなものをわざわざ渡してくるのか。ただ、こういうものは捨てた方が嫌に粘着されてしまいそうで、つかさは仕方なくその本を抱えて持つことにした。

 

「それでいい、大事にしてくれたまえ」

 

 アーチャーは満足そうな顔を見せると、さっさと背を向けてしまう。契約したから何をしろとかそういうこともなく、むしろ不安になってつかさは彼を呼び止めた。

 

「ちょ、アーチャーさん……!」

「安心するといい。虫を監視につけておくから、君のことは助けるさ。マスターになったからといって、無理に何をする必要も無い。君はただ、願いを抱いていればいい」

 

 そうとだけ言い残し、彼の姿は解け、たくさんの蝗となって、ばらばらに飛び去っていってしまった。残されたつかさは、わけもわからぬまま、偽臣の書を手にカフェの中に戻る。

 

 つかさの頭の中は不安でいっぱいだった。アーチャーの口振りでは、聖杯戦争はまだ始まったばかり。これから災害が街を何度も何度も襲ったっておかしくない。

 せめてこのメイドカフェは、ひまわりの居場所は、何事もありませんようにと、祈るばかりだった。

 

「……? なんだろう、あの大きな犬?」

 

 ふと目を向けた窓から茂みの中に見えた、犬のような大型の獣。つかさは見たことの無い種類で、匂いにつられてきた野良犬かな、と気にしないことにする。

 その獣──ウリディンムが、つかさに平穏を奪い去るなど、思いもよらなかった。



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第24話「追い詰められた少女」

 風羽を乗せた狼が、ビルの上を次々と飛び移り、駆け抜ける。その傍らにキャスターが付き添い、追手を警戒してくれている。

 同時にフェンリルの氷の魔力は弾丸となって撒き散らされ、周囲の建物は無差別に撃ち抜かれていた。昨日より規模は小さく、聞こえる悲鳴や破壊音も地味なものだ。それでも多少は風羽の心を癒してくれる。気休め程度ではあるけれど。

 

 風羽にも、キャスターとその子供たちにも、昨日受けたダメージが残っている。無傷なのは使っていないヘルだけだ。本当はこの日、息を潜めて体を休めるつもりだった。

 あの男が……芹沢紘輝が余計な相手を連れてきたおかげで、こうして逃げる羽目になっている。

 

「伏せてください」

 

 キャスターの言葉を受けて、風羽は体をフェンリルに密着させた。頭上を黒い矢が通り抜けていき、その他にも迫る矢があったが、キャスターがルーンを刻んで撃ち落とした。

 

 どうせ追ってきても、紘輝の味方をしているような人間だから、お人好しかと思っていた。どうせ、巻き込んだ大勢を助けようとして、追跡を中断すると。しかし、あの女は違う。周囲から聞こえる悲鳴など気にも留めていないらしく、あの女を乗せた黒い馬は真っ直ぐ、風羽とキャスターを追いかけてくる。

 

 それでも、サーヴァントの強さならばキャスターは誰にも負けないはず。問題は、ただでさえダメージが残っていることに加え、風羽が魔術をろくに使えない一般人だということだ。キャスターの子供たちを維持するだけで精一杯で、彼らに全力で宝具を使わせてやれない。

 

「キャスター! ヘルを!」

 

 キャスターは返事の代わりに、指示通りに巨人を出現させて答えた。半身の腐った女──死の女王ヘル。その魔力は土や建物の壁からゾンビを生成し、すぐさま追手は彼らに群がられた。それでも馬は先に進むことをやめず、蛇が暴れて数を減らし、どうにか突破しようと足掻いている。

 そこへ追い討ちに氷の弾丸とルーンの魔術を放ってやった。しかし黒い蛇が馬の騎手を庇うように動き、その身を砕かれながらも防ぎきった。直後、蛇は即座に再生し、ゾンビの迎撃に戻る。

 

 さらに驚くべきは、先程砕かれた蛇の肉片でさえ、蠢き膨れ上がり、複数体の大蜥蜴となってこちらへ向かってくることだ。

 ヘルに指示を出し、ゾンビを壁にして蜥蜴の追撃は免れた。それでも、それを踏み越えて今度はあのサーヴァント自身が追ってくる。彼女は再び矢を番えて放ち、ヘルの腐肉がえぐれる嫌な音がした。

 

「ライダー。マスターの方は私がやる」

「あぁ、そうするがいい。足止めならばやってみせよう」

 

 その言葉の直後、ふと攻撃が止んだかと思うと、魔力の流れが一変する。ゾンビを大量に展開して向かわせ、フェンリルの氷、キャスター自身のルーンを重ねて総攻撃を試みるが、止められない。マスターの女はゾンビの中をすり抜け、既にこちらに駆け出しており、ライダーはそれを通すべく詠唱を開始する。

 

「とうに過ぎた栄光だが……使えるものは使うのが私だ! 殖えろ、『王馬絢爛(ペイヴァルアスプ)』!」

 

 光に包まれたのはライダーの肩にある蛇だった。注ぎ込まれた魔力からその細い姿が膨れ上がり、いくつにも枝分かれして、乗騎と同じ黒馬がヘルの使うゾンビ以上の速度で量産されていった。その数は百をゆうに超え、なおも増殖を続けていた。

 彼らは鼻息を鳴らし、先導するライダーと共にゾンビを蹴散らして迫ってくる。氷弾もルーンも間に合わない。一頭を倒したところで、それ以上に新たな黒馬が現れるのだから。

 これがあのサーヴァントの宝具か。数で勝っていると思い込んだところを完全にひっくり返された。ヘルの姿を探したが、黒馬に飲み込まれ、あの巨躯が見えなくなっていた。キャスターの方を見ても、この無尽蔵とも思える馬の軍団は彼女の魔術で捌ききれておらず、風羽の助けを求める視線は誰にも気づかれなかった。

 

 それでも、フェンリルの脚ならなんとか逃げ切れるかもしれない。周囲を氷結させ、足場を滑らせれば、なんとかなってくれないか。

 そんな希望的観測は、フェンリルの脚がライダーの放つ黒い矢に射抜かれたことで有り得ないと悟る。フェンリルはバランスを崩して倒れ、風羽は放り出されて宙を舞う。運良く街路樹に引っかかって土の上に落ちたが、全身を衝撃が襲い、うまく呼吸ができなくなる。

 

 だが、これで周囲に味方は1人もいない。追いつかれれば終わりだ。なんとか立ち上がろうと地面を這いずって、標識の柱を掴んでようやく両足で地に立つ。

 

「はぁ、はぁっ、な、なんなの、あの女──」

「何って、同じ魔術師でしょ?」

 

 肩を掴まれた。振り向くまでもなく、追手の女だと確信する。振り払って逃げ出そうとして、足をかけられてそのまま倒れ込んでしまう。

 

「何の目的があってのことか知らないけど……あなたがいると、紘輝くんが安心できないの」

 

 向けられた殺気で、風羽は今自分が狩られる側であることを実感する。その時、視界に入った右手の令呪に助けを求めようとして、風羽は背中を踏みつけられる。口から、蛙の潰れたような音が出た。その後に言葉は続けられなかった。

 

「……逃げようとしないでよ。今、ここで、殺すって決めたんだから」

 

 宣告とともに始まる詠唱。彼女の狙いは首か、頭か。向けられた指先を見て、紡がれる言葉に恐怖を抱く。咄嗟にキャスターの教えてくれたことを思い出し、苦し紛れに指差しの呪い──ガンドを放ち一瞬相手を怯ませるものの、どうにか脱出できただけで逃げられるほどの時間は勝ち取れない。

 詠唱は一節、また一節と紡がれる。魔力の気配は高まって、彼女の指先にはシャボン玉のように水が漂い圧縮されてゆく。恐らくは高圧の水流、まともに食らえば人体に穴を空けるくらい造作もない代物に違いない。それを強く意識してしまい、息が詰まって、声が出なくなる。

 

 まだ死にたくはない。まだ見ていないものがある。まだ、風羽の願いは叶っていない。

 

 脚は動かせなかった。言葉は出なかった。ただ出来たことは、相手を見つめるだけ。突きつけられた指先を前に死を意識して、そして再び魔術詠唱が完成し、高圧の水流が一瞬で風羽の──横を、通り抜けていった。

 

「ごめんね。これも、紘輝くんのためだから」

 

 そこで敵の攻撃が止む。どういうことかわからないまま、相手はなにもない場所を見下ろし、まるで風羽がそこで死んでいるかのように言葉を残し、簡単に背を向けた。

 

 意味がわからず、立ち尽くす風羽。周囲を見回し、慌てて物陰に隠れる。そして少し息を整えると、右手をかざしてしっかりと言葉を紡いだ。

 

「……令呪を以て命ずる。キャスター、私のところに戻ってきて」

 

 光とともに1画目の令呪が消費され、直後には風羽の目の前に、傷ついたキャスターの姿が現れる。彼女は驚いた表情で風羽の顔を見ると、すぐさま満面の笑みになって、風羽のことを抱きしめた。

 

「あぁ、ご無事でよかった、マスター! 申し訳ありません、私が至らなかったばかりに、このような……しかも、令呪で私を助けていただけるなんて」

「あ、あの、子供達は」

「傷は深いですが、私は彼らとの複合サーヴァント。先程の令呪の奇跡によって、ここに呼び寄せられております」

 

 傷ついたフェンリルとヘルが一瞬だけ実体化し、その後すぐに見えなくなった。完全に破壊されてはいないらしく、まだやり直せる。

 

「それよりも……マスター。その瞳は、まさか」

 

 キャスターが指した先には、フェンリルの氷が解けたものだろうか、水たまりができていて、そこにひどく怯えた顔の自分が映る。その瞳は普段からすれば有り得ない赤色に輝いており、一筋の血涙が頬を伝っていた。

 

「これ、って?」

「『魔眼』に違いありません。恐らくは、ノウブルカラーの。

 どこかでまた魔術の授業をしましょう。その眼があれば、あのような魔術師に負けることはなくなるでしょうから」

 

 どうやらあの時、追い詰められて開眼したこの魔眼が、風羽を助けてくれたらしい。水たまりの水面に映った自分を見つめ、風羽は生まれて初めて、自分の眼球に感謝した。

 それから、キャスターに肩を貸してもらいながら、どこか身を隠せる場所に動こうと、よろよろと歩き始める。



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第25話「戦いの跡地で」

「連日、元気なことね。ふふ、さすがと言っておこうかしら」

 

 委子を小脇に抱えて運びながら、くすりと笑うアヴェンジャー。彼女と併走するマドカの表情を見ると、既に普段の彼女の明るさではなく、仕事の際の鋭い目付きに変わっていた。

 

 マドカとアヴェンジャー、委子、そして1頭の獣は、市街地のある場所へ向かっている。カシオペアは数日前から追いかけていた相手の手がかりを掴めそうだといい、別行動だ。委子たちと同行している獣は、緊急連絡のためのウリディンムである。

 

 さて、委子たちが急いでいる理由は単純だった。誰かがそこで戦っていると推測されるため、その後始末、または一方への加勢のためだ。

 またしても、この熱海の街で騒動が起きた。昨日に比べれば小規模かもしれないが、氷を撒き散らす狼や黒い馬の目撃が相次いでおり、なによりその狼を写した写真には、茶髪の女とピンク髪の女の二人組が映り込んでいた。つまり、マドカの殺し損ねたサーヴァントとマスターがそこにいる。

 

 現場に到着すると、既に戦闘は終わっているようだった。どちらが勝ったかは不明だが、街への被害があまり広がらないうちに終わってよかった、といったところか。

 幸い負傷者も多くなく、救急車が運んだ後であるらしい。他に救助を必要とする人を探しに、委子たちは動き出すことにする。

 

「私とアヴェンジャーは死体探してくるね。マスターが欠けてるか、確認しないと」

 

 ホテルを出る時、霊器盤にはまだ8つ反応があった。今もまた取り出されているが、その8つは変わっていない。サーヴァントは消滅していないのだろう。まだまだ油断はできない状況だ。

 

「ねぇ、私は」

「委員長は無理しないで。ウリちゃんと人助けでもしてなよ」

 

 昨日もランサーの兄弟に手助けしてもらったが、このウリディンムへの命令権は委子に託されており、実質的に使い魔となっている。昨日の活躍からして、確かに役に立つだろうけれど。

 そうしてマドカとアヴェンジャーは建物を駆け上がり、すぐにその姿は見えなくなっていった。こちらに気を遣わない方が、彼女もやりやすいのだろう。別れたあとは、まずは瓦礫が多少散乱している道路を一通り見回ってみる。

 

「今回はみんな無事……かしら。ウリちゃん、貴方はどう?」

 

 マドカの真似をしてニックネームで問いかけてみると、彼は周囲の匂いを嗅いで確認した後、ワンと大きな返事をした。どこかへ誘導する様子もないし、異常なしと捉えていいだろう。ひとまず安心する。

 

「じゃあ、他にすべきことは……」

 

 人命は何においても優先されるべきだと思うが、それが大丈夫となると、委子の使命は聖杯戦争の調査、だろうか。マドカの補助……は、今から行っても追いつけないだろうし、万が一追いつけてもただの足手まといになるだけだ。調査となると、何をすればいいのかよくわからないけれど──。

 

「はぁ、はぁっ、先輩っ! 風羽っ! どこだ、返事してくれ!」

 

 考えているうちに、現場に駆けてきた男女の2人組を見つける。高校生くらいの少年と、委子と同年代だろう少女だ。少女の方は涼しい顔をして彼の傍らに立っているだけだが、少年は息を切らし、誰かに向かって呼びかけている。

 彼らは確実に困っている。迷ってるくらいなら、誰かの力になった方がいい。委子はウリディンムを一瞥し、一緒に2人の下に駆けていった。

 

「あの、よければお手伝いしましょうか?」

 

 そう話しかけた途端に、少女の目つきは鋭くなり、明らかに警戒する。いきなり話しかけたんだから警戒されても仕方がない。害をなすつもりはないという証明のつもりで両手を開いて見せつつ、少年の方の返答を待つ。

 

「……あぁ。気持ちは嬉しいけど」

「マスター。そこの犬……サーヴァントに連なるもののようですが」

 

 迷う素振りを見せた彼の言葉に間髪入れず、少女の口から「サーヴァント」という単語が飛び出した。委子は目を丸くし、相手も同様に驚きの顔を見せるが、そこから明確な敵意には転じない。

 相手が攻撃を仕掛けてこないのをみて、話の通じる相手かもしれないと思い、痣のない手の甲を見せた。

 

「マスターは私じゃなくて、他にいます。この子は同盟相手に借りているだけですよ。聖杯戦争に関わりがあるのは、間違いないですが」

 

 サーヴァントらしき少女はそれを聞いても警戒態勢のままだったが、少年は委子と一度目を合わせ、それからウリディンムが利口にも大人しく座って待っているのを確認して、頷いてくれる。納得したようだ。

 

「俺はこの子……セイバーのマスターだ。名前は芹沢紘輝。

 たぶん、俺の学校の先輩と幼馴染みがこの騒ぎを起こしたんだと思うんだ。だから2人を探してる」

「そうだったんですね。じゃあ、私のことも話さないと」

 

 早くもこちらを信用し、情報を明かす紘輝。委子もそれに合わせ、自分は時計塔から派遣された魔術師見習いだと明かし、探し人の特徴を訊ねた。聞いたところ、銀髪少女・雫と褐色黒髪少女の主従と、茶髪眼鏡少女・風羽にピンク髪女性の主従の2組だという。

 前者には覚えがなかったが、後者は確か、マドカが言っていた獲物の特徴と合致していた。

 

「その……もしかして、その風羽さんが昨日も大蛇を使役してたってことに……」

「そうだよ。話をつけなきゃいけないのは、そういうことだ」

 

 苦々しい表情だった。良くない言い方だったと自分の言葉を反省し、思わずごめんなさいと小さな声で口にして、それから行動に出るべく、自分の頬を叩いて気合いを入れた。

 

「それじゃあ! 私とウリちゃんで必ずや探し出してみせます!」

「お、おう、ありがとう。犬の使い魔ってことは、警察犬みたいに匂いとか辿るのか?」

「できますよ。雫さんや風羽さんの私物とかあれば、たぶん一発です」

「いや、さすがにそこまでは持ってないんだが」

 

 持ってないんだが、と言いつつ、服に付着した黒い血の痕に気がついて、紘輝はこれでも大丈夫かと尋ねる。その血はライダーの肩にある蛇のものであり、その魔力が溶け込んだものだという。それなら、気配が残っているかもしれない。

 

 ウリディンムは紘輝に駆け寄り、彼の上着の匂いを嗅ぐと、確かに覚えたと言うように短く吠えた。そういえば、マドカも風羽の血を渡して調査を頼んでいた。体液を魔力供給に使うこともあるというし、血にはやはり濃い魔力の匂いがついているのかもしれない。

 

「案内、頼むわね」

 

 委子の言葉に返事して、ウリディンムが走り出す。人間も駆け足でついていき、現場から紘輝の歩いてきた来た方向を戻るように遠ざかっていく。本来なら小学校に通っている歳の委子の脚でも追いつけるくらいの速度だった。

 

 そして走ること数分後に委子の体力は限界を迎えた。ウリディンムに少し大きくなってもらい、犬の中でも最大級の品種くらいのサイズで委子を背負ってもらう。走ると揺れるが、肩で息をしながらへろへろになって走るより遥かに良い。

 それからは委子を乗せたウリディンム、心配そうな紘輝、相変わらず無表情のセイバーで併走していった。するとそのうち急に吠え声があがり、揺れがおさまる。

 

 見上げた先の建物の上には、黒馬に乗った2人組の姿がある。彼女らはこちらに気がつき、屋根の上から馬ごと飛び降り、静かに着地してみせた。

 

「芹沢くん! よかったぁ……ごめんね、家に戻ってないみたいだったから、探し回っちゃって」

「先輩が謝らないでください。何も言わないで探しに行った俺が悪いですから」

 

 どうやらあの女性が雫先輩のようだ。ということは隣にいる委子と同じくらいの大きさの少女がライダーだろう。

 ライダーといいセイバーといい、サーヴァントが幼い少女の姿をしているのは、1年前の聖杯戦争でもそうだった。

 

「なんだ小娘。我の体がそんなに珍しいか? それはそれは珍しいだろうがな」

「え、えぇっと、そうですね。珍しいというなんというか」

「小娘……ほう、貴様はどちらかと言えばこちら側だろうに、適当をいいおるわ。まぁ、人間でいた方が幸せだろうがな」

 

 委子がなにを言っているのかよくわからないライダーの言葉を相槌でごまかしている間、当然ながら紘輝と雫も話を続けている。その中で、ふと、雫が委子のことについて尋ねた。

 

「芹沢くんが私のことを探してくれてたのは……ちょっと嬉しいけど。その子は?」

「あぁ、彼女は雪村委子。さっき偶然会ったんだ。マスターってわけじゃないが、この歳で、時計塔の魔術師なんだってさ」

 

 紹介されて照れくさくなり、委子は頭を軽く下げ、雫の反応を待った。すると、彼女は少しの沈黙と、拳を強く握った後、委子の方に歩み寄ってくる。

 

「あの」

「は、はい」

「二度と関わらないで貰えますか」

「は……え?」

 

 いきなり飛び込んできた拒絶の言葉を飲み込めず、しかけた返事を引っ込めて、聞き返した。けれど雫からの返事はなく、一方的に背を向けられる。

 

「行こう、芹沢くん」

「先輩? さすがにお礼とか」

「芹沢くんには私がいるんだから。得体の知れない相手と関わらないで」

 

 そういう雫は紘輝の手を引いて、さっさとその場を去っていこうとしてしまう。追いかけようとする委子だったが、その行方をライダーが阻んだ。彼女と目を合って、それ以上踏み出せばお前の身が危険だぞと警告するその視線に、次の一歩を躊躇った。

 

「小娘。マスターではない貴様が、なぜこの聖杯戦争に首を突っ込んでいる?」

「それはっ、調査のためで」

「調査、か。確かに我が喚ばれる時点でこの聖杯戦争は狂っていると言えるだろうが……それはともかく、だ。

 調査とは誰に命じられたことだ。其奴の真意は知っていると言えるのか」

 

 ライネスとは連絡がつかなかった。けれど、彼女が何かを企んでいるとは考えにくい。いや、ただ考えたくないだけなのだろうか。

 委子が動かしやすかったからだと、数日前は思っていた。だが、改めて考えればおかしいことだ。彼女はなにを思って、保護下においていたはずの委子をこの聖杯戦争が巻き起こった熱海に遣わしたのだろう。

 

「……そこまで言葉に詰まるとは思っていなかったが。それなら小娘、もう少し見つめ直してみるといい。最も、見つめ直したとて、我が主は貴様のことは嫌いだろうがな」

 

 そう笑ってみせたライダーは、言いたいことを全部言い終わったのか、完全に足を止めた委子の前から離れていく。既に雫や紘輝、セイバーの姿はなく、残されたのは委子とウリディンムだけだった。

 

「……ウリちゃん。私、大丈夫なのかしら」

 

 急激に襲ってきた不安を紛らそうと、委子はウリディンムを撫で、彼に話しかける。たてがみのような毛は委子の手をふわりと受け止めてくれたが、彼は返事をするでもなく、ただ座って指示を待っていたのだった。



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第26話「メイド走る」

 聖杯戦争2日目、昼過ぎ。空模様は曇り。他所でもまた怪獣騒ぎが起きたらしく、遠くから大きな音が聞こえてきた。つかさはその音が自分の方に近づいてこないよう祈りながら、自分の仕事を続けていた。

 

 第二の怪獣騒ぎのせいか、メイド喫茶『ふらんけんしゅたいん』の炊き出しに訪れる人数は、昼時になってもむしろ減少していた。多くの先輩メイドはもう大丈夫だということであがってもらい、居残ったのは泊まりがけだったつかさとあざみ先輩、それと当然店舗に自宅がある店長くらいだった。

 現状、つかさ達は余裕を持ってご主人様たちに対応できてはいる。しっかり、ご希望のご主人様の料理には萌え萌えパワーを注入しつつ、笑顔を絶やさずに食事を渡していく。

 隣の列では、先程まであざみ先輩が次々とご主人様をさばいている様子がみられた。さすが先輩である。彼女はまた少し休憩すると言ってこの場を離れたが、その時彼女の担当していたチキンライスは空になっていた。

 

 そうして対応を続けていき、つかさは自分の担当するミネストローネの列がなくなったため、ふと顔を上げた。当然、あざみ先輩が休憩しているのだから、残っていたのはつかさ1人だ。

 目に映る景色は相変わらず昨日の破壊の爪痕が濃いけれど、その中に、一際目を引く人影がある。

 彼女はスーツ姿の綺麗な女性だった。ギターケースを肩にかけており、バンドでもしているのかな、という印象だ。その目線はこちらに向いている。

 

 その傍らには知らない種類の大型犬と、女性と同じくスーツ姿の少年が随伴している。次の客を待つ間、ぼんやりと彼女らの方を眺めていると、そのうち、彼女らがこちらに向かってきていることに気がついた。

 もしかして、空くのを遠巻きに待っていたご主人様だったのだろうか。対ご主人様用の笑顔を用意すべく心を持ち直し、つかさは彼女らを待つ。

 

 女性の歩調は早く、進む先は真っ直ぐつかさの方で、到着はすぐだった。隣のあざみ先輩の列ではなく、やって来たのはつかさの目の前。身長の高さと顔立ちの凛々しさに気圧されつつ、つかさは彼女にメイドの笑顔を向けた。

 

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 

 いつもの挨拶に対し、女性の返答は英語だ。少年が通訳なのか、こっそりと女性に耳打ちし、女性は首を傾げた。

 もしかして、メイドの挨拶を直訳したのだろうか。メイドカフェの前提を理解していなかったら、確かに意味がわからないと思うけど。

 

 それから、女性はまた英語で何か話し、聞き取れないで困っているつかさに、今度は少年が和訳してくれた。

 

「3日ほど前の事件なのですが……この辺りで、変死体が見つかったこと、ご存知でしょうか」

 

 3日前、事件、変死体──つかさの脳裏に、目の前で虫に食い尽くされた男たちの姿がフラッシュバックする。吐きそうになるのをぐっと抑え込んで、聞いたことはありますよ、怖いですよね、とだけ声を絞り出した。

 

「そうですね。ですから、その原因を調べて回っているのですが──貴女から、現場と同じ匂いがしたもので」

 

 少年がそこまで話した瞬間、女性はギターケースから瞬時に何かを取り出すと同時に、その先をつかさに突きつけた。視界に、鈍く輝く銀色が映る。

 

 女性が手にしていたのは、およそ現代日本で使われることの見たことの無いはずのもの。長い柄に、鋭い刃──薙刀である。

 刃物を突きつけられたと認識するまでに思考が途切れ、つかさから仕事用の笑顔が消えたのは、自分の頬を伝った冷や汗で我に返ってからだった。

 

「っ、お、お金なら、持ってないです」

「いいえ、貨幣ではありません。ただ、この聖杯戦争から悪を断ちたいだけなのです」

「聖杯戦争……って」

 

 少年が口にしていたのは、あのアーチャーが言っていたものと同じ言葉だった。

 

 恐怖に後退りするつかさを、大型犬の吠え声が威嚇する。気がつけば、大型犬はつかさのすぐ隣で唸っていた。鋭い牙を剥いた獅子ともとれるその姿には、ただの獣というより、昨日の大蛇と同じ怪物という言葉が似合う。

 そういえば、先程休憩中に見かけた犬が、この怪物犬だったかもしれない。しかしそれを思い出したとて、状況は変わらない。

 

 刃物を持った暴漢相手には逃げるのが最善だというけれど、怪物を連れ薙刀を持った相手に対してはどうすればいいのだろう。逃げ道を探して周囲を見回していると、さらに刃が頸に近づけられ、つかさはもっと強く死を意識してしまう。

 

「あ、あのっ、あの事件は、私じゃなくてっ」

「人間の仕業とは元より思っていませんよ」

 

 あれはアーチャーの虫がやったことだ。つかさは、死んでしまった彼らには襲われていただけなのだ。自分の目から涙がこぼれるのを感じながら、必死で説明しようとして、うまく声が出せない。

 駄目だ、わかってもらえない、なんて諦めが浮かんで、涙がいっそう強くなったところで、覚えのある羽音が聴こえた気がした。

 

「──やれやれ。私のつかさちゃんをいじめるなんて」

 

 それは幻聴ではなく。飛蝗の塊は怪物犬を包み込んで瞬時に食い尽くし、女性と少年に対してもぶつかって怯ませると、アーチャーの姿となって降り立った。

 対する少年は、飛来する蝗を自らの腰から伸びたサソリの尾で迎撃し、刺し貫かれた1匹の蝗が霧散する。

 

「現れましたね、虫のサーヴァント」

「君だって蠍だろ? 蠍、虫じゃないか」

 

 アーチャーは冗談の直後に指を鳴らし、その合図によって飛来する蝗が少年と女性を攻撃する。1個体が小さく、そして物量のある相手に、薙刀や尻尾だけでの対処は苦戦しているらしい。

 その様を見て呆然としていたつかさに、ある時アーチャーが目配せする。視線で初めて逃げることを思い出し、つかさは慌ててメイド喫茶の建物内に駆け込んだ。

 

 このままだと、先輩たちも巻き込まれてしまう。巻き込まれたら『ひまわり』の居場所はなくなってしまう。連れ出さなくちゃ。

 大急ぎで飛び込んだ休憩室では、あざみ先輩が1人でお昼ご飯を食べながら、スマホをいじっていた。彼女は勢いよく開け放たれた扉に驚き、つかさの方を見ると、心配そうに声をかけてくれる。

 

「どうしたの、ひまわりちゃん」

「あざみ先輩っ! か、怪物がっ、怪物が出てっ! 早く、逃げないと……!」

 

 必死で伝えようとしながら、せめて彼女だけでもと、思わず彼女の腕を掴んで走り出す。店長を探してる余裕はないのだ。

 呆気に取られてなすがままのあざみ先輩だったが、少しして口にしたのは、抵抗の言葉ではなかった。

 

「もしかして、昨日の蛇みたいなのが出たってこと?」

「は、はい、だから避難しないとっ」

 

 廊下の窓から先程までいた炊き出しの場所を覗く先輩。確かに、そこでは少年と女性が薙刀や蠍の尾を振り回し、何度も魔獣がアーチャーに飛びかかっていっているのが見える。対するアーチャーも徒手の格闘で一歩も譲らずに立ち回り、さらに蝗の群れが彼に襲いかかる魔獣を迎撃しているらしい。

 

 今はアーチャーが押しているように見えるけれど、あんな化け物同士の争いなんて、いつどう動くかわからない。

 廊下に視線を戻して、また走り出そうとしたところで、今度は別の窓を破って室内に乱入する魔獣が現れる。ヒトデのように、放射状に触手を伸ばした魔獣で、サイズは人間と同じくらいある。

 

「ひっ……!?」

 

 その見るからに異様な姿にあざみ先輩も小さな悲鳴をあげた。そうだ、あざみ先輩を助けなきゃいけないんだから、つかさが怯えていちゃ駄目だ。

 そうして再び走り出そうとした時、触手が行く手を塞ぐように伸びて、廊下の道は使えないと悟る。つかさは逃げ道を探し、付近の部屋に飛び込んだ。

 

「わ、一体なんの騒ぎ? さっきからどたばたしてるけど……」

「ごめんなさいっ、説明は後でしますから……!」

 

 ここは厨房。中にいたのは調理中だった店長だ。彼女と合流できたのは幸いだが、触手はさらに伸び、つかさ達を捕まえようと厨房の中まで追いかけてくる。このままだと、壁際に追い詰められて終わりだ。

 

「よくわかんないけど……なんかやばそうだね」

「っ、ま、窓! 先輩、店長! 窓開けてください!」

 

 つかさの言葉に、2人はすぐさま頷いて行動に移ってくれたが、触手は逃すまいとその窓の施錠を開けようとする手を狙って伸ばされる。咄嗟につかさは近くにあった包丁を拾い上げる。そして、思い切って触手に向かって振り下ろす。ざくりと嫌な感触がして、極彩色の体液が漏れ出て、触手のうち1本はそれっきり動かなくなった。

 

 けれどそれでは足りない。触手は無数にあって、1本封じたところで焼け石に水だ。もっとうまく対処できるものを探して振り返り、見当たらないまま向かってくる触手に包丁を振り回す。

 そのうち窓が開いたことで店長に呼ばれ、先にあざみ先輩と店長を行かせ、つかさは最後に窓を潜っていく。その最中で触手に足を掴まれ、靴が片方脱げてしまうが、構わずに屋外へ逃げ延びた。なおも触手は追いすがるが、用意していた店長がポリタンクから灯油をぶっかけたことで怯み、その間に遠ざかることができた。

 そのまましばらく周囲から視線を集めながらも走って、息が切れて、振り向いても触手が着いてきていないことを確認して、ようやく立ち止まった。

 道の脇に避けて、胸を撫で下ろす。

 

「よ、よかった……生きてる……!」

「う、うん……ひまわりちゃんのおかげだよ」

 

 あざみ先輩は感謝の印に手を握ってくれた。少し冷えていたけど、その気持ちは暖かかったと思う。

 

「ひとまず良かったけど、ねぇひまわりちゃん。あの人は大丈夫なの? なんか、戦ってるみたいだったけど」

 

 店長が言っているのはアーチャーのことだ。彼は置いていく形になってしまったけれど、そうするしかない。間に入っても、なすすべがないんだから。逃げろ、というアイコンタクトもあった。つかさはこうするのが正解のはずだった。

 

「それに……これからどうしようね。まだまだ狙われてるかもしれないし、というか周りの人に被害が及ぶかも」

 

 本当に無差別に暴れているんだったら、他の怪獣騒ぎ同様にもっと建物や人間に被害が出る。当然メイド喫茶兼店長の自宅は壊され、他の人が巻き込まれる心配もあった。だからといって、大きな声でまた怪獣だと喧伝すると、かえって混乱を招くと思う。

 

「どうしよう……」

『心配いらないさ、我がマスター』

「……え?」

 

 いきなりアーチャーの声がして、聞こえてきた方向を見ると、1匹の蝗が柵の上に止まってこちらを見ていた。虫を操っている、ということで、虫を介して話してもおかしくはない……の、だろうか。

 

『私だ、アーチャーだよ。安心して欲しい。恐らく相手は私と君だけが標的のようだからね。こちらは引き受けておくから、君は好きな場所に逃げるといい。万が一嗅ぎつけられても、また駆けつけるさ』

 

 アーチャーらしきこの蝗が伝えたこのメッセージを、つかさは信じてもいいのだろうか。周囲を見回すと、あざみ先輩や店長にもこの声は聴こえていたようで、あざみ先輩は耳を疑い頬をつねり、夢じゃないことを大いに驚いていた。店長は目を丸くしつつも、冷静に言葉を続けた。

 

「この際、バッタがしゃべったのは置いといて……ひまわりちゃん、家に帰る? 店舗に荷物は取りにいけないけどね」

 

 そこにある普段着がないと困る。両親には、昨日は電車もバスも動かなかったため友達の家に急遽泊めてもらったと説明していた。それに、元々バイトのことは全く伝えていないのだ。

 メイド服で帰宅して、秘密でバイトをしているうえにそれがメイドカフェだなんて知れたら、両親はどんな反応をするだろう。つかさには想像もつかなくて、それは避けたかった。

 

「ちょっと、うちの親も大変みたいで……」

 

 嘘をついた。つかさの自宅は怪獣騒ぎには巻き込まれていない。医者である父親はもしかしたら怪我人が多くて大変かもしれないが、それにしたって家には母親がいるだろう。

 

「じゃあ……うちに避難します? 店長も、よければ。一人暮らしなんで、3人だとかなり狭いと思いますけど」

 

 あざみ先輩からの提案はありがたかったが、それはつまり、またしても女性2人とひとつ屋根の下、しかも今度は一人暮らしの女性の部屋で過ごすということになる。それはそれで危険まみれで、ノーリスクの選択肢ではなかった。

 

「ひまわりちゃんはそれでもいい?」

「はい、あざみ先輩のご好意ですし」

 

 下手に動揺したり拒否した方が怪しいと思い、店長の確認にはすぐに答えた。それならと店長も頷き、行先はあざみ先輩の自宅に決定する。

 

 今日を乗り切れば、あの襲ってきた相手はきっとアーチャーがなんとかしてくれている。歩き出した時、つかさはそう自分に言い聞かせて、今日だけはどうにか頑張ろうと決意したのだった。



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第27話「魔獣対魔蝗」

 メイドたちが店舗から離脱していく一方で、アーチャーとランサーの戦闘は本格化していく。

 

「チッ……!」

 

 ウリディンムに現場の匂いから探させた、アーチャーのマスターらしき少女を取り逃してしまったことに、カシオペアは舌打ちをする。最小限の犠牲に抑えるためのマスター狙いのはずが、このままでは周囲を巻き込みかねない。

 最も、目の前に立つ蝗のサーヴァントはクラススキルに単独行動を持つアーチャークラスであり、成功したとしてその効果は十全ではなかったものの、カシオペアにはそれを知る由がない。

 

 同時に、サーヴァント同士の戦闘において前線に立とうとしたカシオペアには、それ相応の動きが求められ始めていた。魔術師との戦闘は経験のあるカシオペアだが、獲物がサーヴァントなのは初めてだ。想像以上の速度を前に、魔力を総動員して強化を行い、致命傷を避けるので精一杯だった。

 

 なによりもアーチャーの放つ蝗が厄介だ。ランサーの魔獣は召喚されると同時に潰されていき、カシオペアが切りかかれば弾丸のように射出されて回避を余儀なくされる。

 その蝗が一度だけ頬に掠り、肉を食いちぎられた傷はひどく痛んでいた。あれをまともに食らえば顔面がぐちゃぐちゃになっていたことだろう。

 一方でランサー自身はどうにか食らいついているが、それでもアーチャーの格闘術を破れない。何度も貫かんと繰り出される蠍の尾をいなされ躱され、打撃によって的確に反撃を加えられていく。さすがに不利だと判断し、ランサーは咄嗟にカシオペアを抱えてアーチャーから距離をとる。

 

「ッ……マスター。先程向かわせたムシュマッヘですが……どうやら目標を見失ったようです」

 

 同時に、追跡を担ってくれた魔獣が撒かれたと聞くことになる。これ以上、民間人に被害を出すやり方はしたくない。目の前の相手を仕留める──それが今できる最善に違いない。

 雑念を捨て目の前の敵に集中すべく、ランサーの腕の中でカシオペアは深く息を吐いた。手にした薙刀は、カシオペアの中に流れる妖魔の血を励起させるための魔術礼装だ。人外に対抗するのなら、こちらも人外の力に手を出す他にない。

 その刃に刻んだ魔術式を起動させようと、詠唱の冒頭を躊躇いながら口に出そうとしたところで、ランサーに止められた。

 

「お待ちください、マスター。ここは私達に任せて撤退を。偵察は十分です」

 

 カシオペアにとって、前線に立って戦わないのは嫌だった。自分の手を汚さずに平和を手に入れようなんて甘いと、マスター狙いもわざわざ自分で行おうとした。だが、もはや戦う相手がサーヴァントとなっている今、カシオペアは足手まといなのだ。

 直後、呼び出されたウリディンムの1頭に乗せられ、カシオペアは戦場から離されていった。カシオペア自身も余計なプライドは捨て、自らの強化に使うはずだった魔力を代わりにランサーに回し、さらなる使い魔に状況を託す。

 

「来い、我が弟よ!」

 

 ランサーが地に尾を突き立て、毒針より染み出すように黒泥が展開される。その黒泥を通って、彼の弟、つまりティアマトの産んだ毒竜が這い出でる。彼は毒を撒き散らし、恐ろしき牙を振りかざしてアーチャーを襲撃する。その体躯は容易にメイドカフェの屋根を越え、アーチャーとは圧倒的な差がある。虫で包み込むとすれば、今までの数百倍は必要だ。

 

「へぇ、今度はバシュムか。蠍人間に獅子に毒蛇の魔獣とは、兄弟勢揃いと言ったところかな?」

 

 さらに彼の吐き散らす毒は、アーチャーが操る虫にも有効らしく、毒のブレスを直撃させた群れを1つ全滅させることに成功する。敵の表情は崩れず、むしろ興味深そうにバシュムを観察し、当然のように回避を続けていた。

 

 そのうえで、ランサーは弟たちの召喚を続けながら、自らもアーチャーに接近戦を仕掛けていく。アーチャーにバシュムへの対応を考えさせる隙を与えないための追撃だ。バシュムの攻撃に合わせた突きや蹴りを放ち、着実にダメージを与えていく。

 一気に優勢になっていくのを見るカシオペアは拳を握った。このまま行けば、きっと勝てる。アーチャーを撃破し、この街の平和を守る手助けができる──と。

 

「……全く。いい加減に鬱陶しいな」

 

 カシオペアの期待を裏切るように、今度はアーチャーも動き出す。彼は飽きたとでも言いたげに、心底面倒そうに呟くと、大きく跳躍してバシュムとランサーのもとから離脱する。そして、ため息をつきながらも、その手に散っていた蝗たちを集結させはじめた。

 蝗の姿は変換され、現れるのは美しく装飾された弓。当然もう一方の手には矢を握り、番え、カシオペアの方に狙いを定め、引き絞る。

 

「ッ、バシュム! マスターを頼みます!」

 

 ランサーは攻撃を阻止すべく、全速力でアーチャーの下へ向かう。さらにバシュムもランサーの声を受け、その巨体をアーチャーとカシオペアの間に割り込ませる。その瞬間、アーチャーが矢から手を離す。

 

 瞬きするほどの間に戦闘は進んでゆく。蠍の尾が伸び、アーチャーを貫こうと動いた。突き刺さる直前に肉体を蝗の群れに変化させてかわされた。アーチャーが番えた矢を叩き落とすのは間に合わず、残った弓で殴りつけられてランサーはよろめいた。

 そのままアーチャーの放つ矢は真っ直ぐ進み、当然バシュムの巨体に突き刺さる。巨体からすればかすり傷だが、その矢はそれでは終わらなかった。

 

「かは……っ!?」

 

 外傷は全くない状態であるにも関わらず、ランサーは吐血し、バシュムが苦しみ悶えはじめる。すぐさま感覚共有を断ち切り立て直すランサーだが、切り捨てられたバシュムはそのまま全身を蝕まれてゆく。その鱗の隙間からは、何度も愛らしい花が這い出ては、瞬く間にセピア色に萎れて消える。

 

「私に力を貸しておくれ、かつて愛しかった花たちよ──『生き苦しき蝗翳の一矢(アポリュオン・アンティ)』」

 

 それは病毒の矢にして、枯死の概念を宿した宝具。現れる花々と、すぐさま訪れるその死が宿主を滅びへと導く。バシュムはその通りに、霊体を構成する魔力を死にかけの花に書き換えられ、存在を奪われ枯れていってしまう。

 

 目の前で毒竜の巨体が倒れ伏し、消えていくのを前に、カシオペアは言葉を失った。魔獣は怪物だといえるが、それを相手取るサーヴァントもまた怪物だ。バシュムが盾になってくれなければ、枯死するのはカシオペアの方だった。アーチャーから離れるべく足を引き、そのまま逃げる体勢になろうとした時、ランサーの声がした。

 

「マスター! 相手は弓兵です! 弟たちが守れない距離の方が危険です!」

 

 そう言われて踏みとどまった瞬間、迫り来る矢から召喚されたムシュマッヘが庇ってくれ、カシオペアはまたしても守られた。さらに何度も何度も矢は放たれて、

 龍種に迫るとされる幻想種バシュムでさえ死した一撃必殺の宝具があると解った以上、カシオペアもランサーも回避に尽力するしかない。主導権は向こうに握られている。逃がすわけにはいかないのに──。

 

 歯痒い思いに薙刀の柄を強く握り、必死で食らいつくランサーの姿を見る。カシオペア自身の魔力にはまだ余裕があるといえるが、向こうも涼しい顔をしている。ここでランサーが消えてしまえば、守れるものも守れない。

 またしてもカシオペアを庇った魔獣が消えていったのを切っ掛けに、カシオペアも心を決める。魔力を己の手にした薙刀に通し、アーチャーに向かって構え、飛び出していこうと踏み出した。

 

 ──その瞬間、踏み出したその足元で嫌な感触がする。脹脛(ふくらはぎ)が熱くなって、それが許容量を超える痛みから来るものだと気がついて、己の脚を見る。

 想像した通りだった。ちょうど一歩目に待ち構えていた蝗たちは、カシオペアに集り、脹脛の肉を食いちぎっているところだった。

 視界がスローに見えて、熱いとか痛いよりも思考を回そうとする。もう左脚は駄目だと、割り切るしかない。

 

「ランサー……ッ!」

 

 精一杯の抵抗としてサーヴァントを呼び、自ら左脚の膝から下を思いっきり切り落とした。痛みは切断面だけに変わり、瞬間、状況を把握したランサーが駆けつけ抱き上げてくれる。蝗が傷口に迫ろうとするのを何匹か叩き落とし、そこからは逃亡が始まった。

 

 アーチャーの相手は魔獣に任せ、一気に離脱を試みるランサーとカシオペア。抱えられながら、左脚の止血は布で適当に縛って済ませ、追撃に放たれる矢はランサーが尾で対処する。やがてその矢の攻撃も止み、逃げ切ったと判断したところで、ようやくしっかりと手当をしようと路地裏のビールケースに座り込んだ。

 それから、薙刀を仕舞っていたケースからスキットルを取り出し、中の酒を傷口にぶちまける。

 

「……すまない、ランサー。私は不甲斐ないマスターだ」

「いえ、貴方を止めなかった私に責任があります。勇壮な貴方に甘えていたのがいけなかった」

 

 結局、カシオペアはただサーヴァントを舐めていたんだろう。自分は強いと思い込み、英霊の戦いに余計な手出しをしようとした。その結果がこのざまだ。

 

「マドカたちの所に戻ろう。次こそは……あいつを仕留めないと」

 

 カシオペアの言葉に、ランサーは頷き、再び彼女を抱えた。



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