琉球エージェントの死遊戯紀行 (アヤ・ノア)
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1章 閉ざされた地獄小学校
0 エージェント出陣


この物語のプロローグです。
メインとなる、オリジナルキャラクターが登場します。


 殺鬼軍 心得 三箇条

 一つ、任務は出来る限り遂行すべし

 二つ、人喰い鬼は滅ぼすべし

 三つ、能力の乱用は控えるべし

 

 ここは、沖縄県にある、小さな小さな、政府にも存在を認知されていない島。

 この島には、「殺鬼軍」と呼ばれる、異能力を持つ者――能力者による組合がある。

 ただ、そもそも能力者の数が極めて少ないため、「軍」という名は有名無実となっている。

 

 要するに、簡単に言うと「悪に対抗する正義の秘密組織」といったところだろう。

 

「今日が、初めての任務か?」

 黒髪をポニーテールにしている女は、No.6こと島袋(しまぶくろ)織美亜(おりびあ)

 元は黒い瞳の持ち主だが、能力に目覚めたため瞳の色は金色に変わっている。

 彼女が持つ能力は「治癒」。

 その名の通り、ありとあらゆる傷を癒す事ができ、

 また治癒の力を逆に使って攻撃する事もできる。

 茶髪のショートヘアーの男は、No.8こと玉城(たまぐすく)狼王(ろぼ)

 織美亜同様に元々黒い瞳だったが、能力に目覚め、赤い瞳に変わっている。

 彼が持つ能力は「力」。

 常人を遥かに上回る驚異的な腕力を誇り、身の丈ほどもある戦斧を振るって戦う事ができる。

「うむ」

 車椅子に座っている幼い少年は、No.0こと糸村(いとむら)(はじめ)

 彼が持つ能力は「知能」。

 沖縄県で最初に見つかった能力者で、IQ600を超えると言われており、

 その天才的な頭脳から殺鬼軍の司令官をしている。

 肉体的には相応で戦闘力も皆無だが、存在感は殺鬼軍一と言われている。

「今回、そなたらが向かう場所は、桜ヶ島と呼ばれるここより遠い島じゃ」

「そんな遠い島にどうやって行くのよ?」

「心配無用。能力を用いて作成した転移装置がある。それを使って、桜ヶ島にゆくがよい」

「分かりました」

「御意」

 織美亜と狼王は一に敬礼した後、転移装置に向かって歩き出した。

 二人の背中を見送った一は、呟く。

 

「まぁ、大きな心配は無用じゃろう。この能力者は、儂が見出したのじゃからな」

 

 転移装置に辿り着いた織美亜と狼王は、腕輪を見ながらごくりと唾をのむ。

 これから、二人は沖縄から離れた場所に行くのだ。

 緊張しないわけがないだろう。

 扉を開けようとする織美亜の手は、震えていた。

「どうした、織美亜? 怖いのか?」

「いいえ、これは武者震いよ。どんな敵が待ち受けているか楽しみだわ。

 たとえ傷ついたとしても、アタシが治してあげられるから」

「そうだな。

 どんな敵であっても、この力さえあれば、オレ達エージェントは必ず、任務を遂行できる」

 狼王は織美亜の手を握ろうとしたが、彼の能力を知っている織美亜は慌てて離れた。

「アナタが手を握ったら、アタシの手が潰れちゃうでしょ?」

「ふぅ……まったく、織美亜は神経質だな」

「それに、目的はあくまでも任務なのよ。余計な事をしたら任務に関わるわ」

 織美亜は真面目な性格だ。

 任務を遂行するためだけに行動していると言っても過言ではない。

「それもそうだな。さて、任務を始めよう」

 織美亜と狼王は転移装置の中に入り、スイッチを押す。

 転移装置は作動し、大きく揺れていく。

 

「待ち受ける敵は、果たしてどんなものかしら」

「相手が誰であろうと、オレ達の目的はただ一つ。任務を遂行し、この島に戻ってくる事だけだ」

 織美亜と狼王は、待ち受ける敵にわくわくしながら、桜ヶ島へと向かっていくのだった。

 

 桜ヶ島で開かれるは絶望の鬼ごっこ。

 

 それに立ち向かうは二人のエージェント。

 

 今、エージェントと小学生、そして鬼による三つ巴の物語が、始まろうとしていた。




某小説を見て、特殊な力があれば鬼に対抗できるんじゃないかと思い、
この小説を書く事にしました。
ちょうど、昔の逃走中で、ハンターに対抗できるアイテムがあったように。


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1 鬼ごっこの始まり

閉ざされた小学校の中で、鬼ごっこが始まろうとしています。

まぁ、エージェントはそんなものは無視できるんですけどね。


『子供は、鬼から逃げなければならない』

 

 顔を上げると、最初に目に飛び込んできたのは、その一文だった。

 黒板に大きく、太い文字で書き殴ってあるのだ。

 チャイムの音が鳴り響いている。

 

 少年、大場大翔は欠伸を噛み殺しながら、周りを見回した。

 見慣れた6年2組の教室だった。

 皆が机に伏せて、寝息を立てている。

 それを見て、何だか変な光景だと思った。

 授業中に眠ってしまう奴はよくいるけれど、教室中の全員が眠っているなんて。

(なんで教室にいるんだっけ?)

 大翔は瞼をこすりながら、まだぼんやりとした頭で、考え込んだ。

(なんで、俺達、教室で眠ってるんだっけ?)

 

『ことろことろのルール』

『ルール1:子供は、鬼から逃げなければならない』

 思い出そうと首を捻りながら、黒板に書かれた文字を、読むともなしに読んでみる。

 

『ルール2:鬼は、子供を捕まえなければならない』

『ルール3:決められた範囲を超えて、逃げてはならない』

『ルール4:時間いっぱい鬼から逃げ切れれば、その子供は勝ちとなる』

 

(……なんだ、これ?)

 大翔は瞬きした。

(『鬼ごっこ』のルールじゃないか。

 なんでこんなものが、黒板にずらずらっと書いてあるんだ?)

 ようやく、しっかりと目が覚めてきた。

 さっぱり訳が分からなくて、大翔は何度も黒板に書かれたその文章を読み直した。

 ことろことろ、という言葉はよく分からない。

 けれど、書いてあるのはただの鬼ごっこの事だ。

 なんでわざわざこんなもの書いてあるんだろうか。

 誰でも知ってる事なのに。

 

 いや。

 ルールは全部で七つ、書かれている。

 その最後の三つのルールだけは、大翔の知っている鬼ごっこのルールには、ないものだった。

 

『ルール5:親は、子供を守らなければならない』

『ルール6:能力者は、鬼と戦わなければならない』

『ルール7:鬼に捕まった子供は、――』

 

「ふあぁぁ……。もう朝? 嫌だ。運動会嫌だよう」

 隣の席で声がした。

 眠っていた桜井悠が、目を覚ましたのだ。

「……あれ? ヒロトじゃないか」

 顔を上げて大翔と目が合うと、キョトンとした顔をする。

 ぐるりと教室を見回すと、不思議そうに首を傾げた。

「僕、どうして学校にいるんだっけ? 寝ながら歩いてきたんだっけ?

 なんでみんな寝てるんだっけ?」

 寝ぼけているのか、まだとろんとした目を閉じ、考え込む。

「分からないや。……よし、夢という事にして、もう一度寝よう」

「悠、起きろよ」

 肩を掴んで揺さぶると、悠はようやくきちんと目を覚ました。

 悠と大翔は幼馴染だ。

 同じマンションに住んでいて、幼稚園も同じ。

 6年生までずっと同じクラス。

 何でも言い合える親友だと大翔は思っている。

「悠。俺達、何してたか、覚えてるか?」

「何って……? うーん……覚えてないなぁ……」

 まだ眠たそうに、むにゃむにゃとあくびを一つ。

「……思い出さなきゃいけなさそう?」

「様子がヘンじゃないか? どうして、みんな眠ってるんだ?」

 その時、窓の外で、大きな音が鳴った。

―パンパンパンッ

 銃声のような音だった。

 眠っていたみんなが、それで目を覚ました。

 顔を上げて、口々に喋り始める。

「あれ? なんで寝てたんだ?」

 大翔は窓の方へ駆け寄った。

 鳴っているのは、打ち上げ花火だった。

 窓の向こうに見える空は、血のように真っ赤に濁っている。

 そこで火花がぱらぱらと散っている。

 それで、思い出した。

 今日は、運動会の日だったんだ。

 6年生の各クラスから選ばれた、大道具係の6人。

 準備のために、朝から学校の教室に、集まる事になっていたんだった。

 大翔も係だったから、学校に向かった。

 集合の時よりも、うんと早く。

 叩きつけるように玄関のドアを閉めて、家を出てきた。

 だって、母さんと顔を合わせたくなかったから。

 

「さて、と」

「ここが桜ヶ島のようだな」

 桜ヶ島にやってきた、織美亜と狼王。

 見たところ、普通の島のように見えるが、その中に一つだけ、ぼやけた場所があった。

 織美亜には、あそこが目的地である事が分かっていた。

「……合図が来たら、行くのよ」

「ああ……」

 織美亜と狼王は慎重に近づく。

 罠にかかったりしたら、能力者生命が絶たれる可能性がある。

 ゆっくりと織美亜がぼやけた場所に触れると、突然、吸い込まれるような感覚に襲われた。

「な、何!?」

「織美亜!」

 狼王は慌てて織美亜の腕を掴む。

 織美亜が引き込まれるのを防ぐためだ。

 だが引き込む力はどんどん強くなっていき、やがて二人は、その中に吸い込まれた。

 

 窓の向こうに広がった真っ赤な空に、黒い雲が蛇のようにぐるぐるととぐろを巻いている。

 校庭に人の姿はなかった。

 昨日、みんなで立てておいた入場門や、玉入れのカゴが積んであるのが見えるだけだ。

 遠くの方は濃い霧が立ち込めていて何も見えない。

「俺達、どうしてみんな寝てたんだ?」

「やばいな。準備、サボっちゃった事になるのか?」

 教室の中、みんなが口々に話し始める。

「確か、先生を待ってたんだよな?」

 運動会当部の最終設営は、体育教師の指示で、大道具係の生徒達がやる事になっていた。

 早朝の教室に集まって、教師が来るのを待っていた。

 どうして、全員が眠ってしまうような事になったんだろう。

 

「……なんなのかしら、この空模様」

 窓の向こうを見ながら言ったのは、大翔と同じクラスの宮原葵だ。

 悠と同じく大翔とは幼馴染で、集団下校の班も同じ。

 学年トップの秀才で、「ガリ勉宮原」と言われている。

 頭が良く、可愛いと評判だが……言いたい事をズケズケ言うのが玉に瑕だ。

 良く言えば正直者、悪く言えば毒舌な少女、それが宮原葵である。

 

「……午前9時」

 葵は時計を見上げた。

「運動会、どうなっちゃったのかしら。もうこんな時間なのに、校庭に人が一人もいないなんて」

「ひょっとして、中止になったのかなぁ?」

 ちょっぴり嬉しそうな声で、悠が答えた。

 運動音痴な悠にとって、

 運動会は『この世からなくなってしまえ行事ランキング』ぶっちぎりの1位に輝いている。

「何かトラブルがあって、中止になった、とか……」

「トラブルって何よ?」

「学校に保管してあった睡眠ガスか何かが漏れちゃった、とか。

 それで、騒ぎで運動会も中止になった、とか。そう考えれば辻褄が合うと思わない?」

「思わないわ。睡眠ガスを保管してる小学校ってなんなのよ。

 運動嫌いの希望的観測は大概にしてよね。0点」

「0点かぁ……」

 葵に一刀両断されて、悠がしょんぼり肩を落とす。

 彼女は、いつもこんな感じだ。

「なんで鬼ごっこのルールなんて書いてあるんだ?」

「おかしいわよね、しかも能力者ですって?」

 と、声を上げたのは、金谷章吾と彼の双子の姉、金谷だ。

 二人とも運動神経抜群で、弟はクラスリレーのアンカー、姉はムカデ競走のリーダーを務める。

 成績も、葵に次いで高く(国語は姉、算数は弟が上)、何をやっても上手くこなす。

 当然、二人とも異性にモテるが、弟は興味がないようだった。

 姉の周りには男子達もよく子分みたいに集まっていて、慕われている。

 弟は誰とも仲良くしない、深く付き合わない。

 姉は誰とでも仲良くなれるか、もしくは拒否されるかのどちらか。

 それがこの双子、金谷姉弟だ。

「書いた人はいないの?」

 みんな、伺うように互いの顔を見合うだけだ。

 誰も、この状況の謎は分からないみたいだった。

 ふと、大翔は、教卓の上にあったタブレット端末に、妙な画面が映っているのに気がついた。

 文部科学省推進の情報教育だとかで、各クラスに配られているものだ。

 教師達はいまいち使い方が分からないらしく、いつもは放っておかれている。

 今、画面には、何やら見取り図らしいものが表示されていた。

「ともかく、先生を呼んでくるよっ!」

 そう言って、男子が1人、教室を飛び出していった。

 ガタンと勢いよくドアを開くと、あっという間に廊下の向こうへ消えていく。

 

「……どうしたの? 大翔」

 画面を覗き込む大翔に気がついて、葵が声をかけてきた。

「何これ?」

 タブレットの画面を見ると、眉をひそめた。

 脇から悠が覗き込んで、うわお、と声を上げた。

「うちの学校じゃん!」

 表示されているのは、この学校――桜ヶ島小学校の、見取り図なのだった。

 3階建て2棟の校舎。

 その中に並んだ、1年生から6年生までの4の教室。

 図書室、理科室、音楽室、保健室、給食室、その他の各室。

 校庭、体育郎、体育倉庫、プール、ウサギ小屋、校庭の隅にある池まで全て。

 小学校の敷地がまるごと、タブレットの画面の中に映し出されているのだ。

「誰が作ったんだろー? すっごいな~」

 悠が面白そうに画面に指を走らせる。

「おかしいわ、これ。どうしてあたし達の位置が分かるの?」

 見取り図の3階東棟。

 6年2組の教室の中に、小さな子供のアイコンが16個ある。

「凄いじゃん。僕達の動きが表示されてるの? あ、これは伊藤君かな」

 画面の中で、子供のアイコンが一つ、1階に降りたところだった。

 そのまま廊下を進んでいく。

 職員室は西棟の1階の端っこにある。

 アイコンは一直線にそこに向かっていた。

 

 そして。

 職員室の中には、また別の種類のアイコンが、表示されていた。

 文字を象ったアイコンだ。

 職員室の中を、ぐるぐると動き回っている3文字。

 

 鬼 能力者 能力者

 

 能力者の字が手から光を放ち、もう一つの能力者の字が鬼に斬りかかる。

 鬼の字が、あっという間に消えた。

 誰からともなく、黒板を見た。

 

『能力者は、鬼と戦わなければならない』

 

 静まり返った教室の中。

 チャイムが鳴り響いた。




有栖は、オリジナルキャラクターの一人です。
章吾にきょうだいがいないのは「う~ん」と思ったので、姉を作りました。

次回はいよいよ、本格的な鬼ごっこが始まります。


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2 地獄になった小学校

地獄小学校に潜入したエージェント。
地獄小学校に閉じ込められた生徒達。
そこで待ち受けるのは……。


「大丈夫かしら?」

 狼王と共に鬼を撃退し、子供を助けた織美亜が、子供を優しく保護する。

「あ……あなたは……」

「アタシは、No.6よ」

「オレは、No.8だ」

 織美亜と狼王は偽名、というよりもコードネームを名乗った。

 殺鬼軍に属する能力者は正体を隠し、鬼と戦うのが任務である。

 なので、本名は島以外では名乗らないのが普通だ。

 子供は震えて、逃げようとしていたが、足をくじいていて動けないようだ。

「いたた……さっき鬼に追いかけられて、怪我をしちゃって……」

「まぁ、大変! 今、治してあげるわ」

 織美亜はそう言って、逃げようとする子供を優しく宥めて、子供に手をかざした。

 光が現れ、子供の傷口に触れると、傷が瞬く間に消えた。

「痛くない……」

「うふっ、お姉さんに任せなさい」

 妖艶な声で織美亜が言う。

 この子供は男の子なので織美亜は誘いたいようだ。

「……そろそろこいつを連れていくぞ」

 狼王は呆れながら、子供の手を引いていく。

 織美亜は子供を見つめながら、彼の後ろについていった。

 ちなみに、性的な理由は全くなく、純粋に子供を守りたいためである。

 

「そういえばアナタの名前を聞いていなかったわね。アナタ、名前はなんていうの?」

「……伊藤孝司」

「よろしくね、伊藤君」

「オレについてこい」

 笑顔の織美亜と、頼もしい狼王に、孝司の不安が和らいだ。

 この二人なら、鬼から守ってくれると、孝司は二人を信頼するのだった。

 

 その頃……。

 

「……」

 しばらく、皆、黙り込んでいた。

 誰も何も喋らなかった。

 

「今の光はなんだよ!?」

 沈黙を破ったのは、1組の関本和也だった。

 普段はお調子者で、しょっちゅう他の子をからかって遊んでいるのだが今は声が上ずっている。

「一体何があったんだよ?」

 職員室に向かった生徒は、伊藤孝司。

 和也とはよく一緒に遊んでいる友達だったはずだ。

 誰も何も答えられない。

 分かるわけがなかった。

 

―ガタッ

 その時、教室のドアが揺れた。

 全員、ビクっとして入り口を振り返った。

 そろそろと静かにドアが開いて、ぴょこんと何かが入ってきた。

 見た事のない生き物だった。

 全身がふわふわした真っ白な毛並みに覆われていながら、いくつか傷がついている。

 見た目はウサギっぽいが、頭から生えているのは耳ではなく、小さな2本の角だった。

 くりくりとしたつぶらな瞳。

 背中にはちょこんと、コウモリみたいな翼。

 足はやたら短い。

「……なんだ? こいつ」

 皆、顔を見合わせた。

 角の生えたウサギみたいなその生き物は、

 短い足を懸命に動かし、とことこと教室に入ってきた。

 唖然として見守る皆の輪の中心に、トテンっと座り込んだ。

 つぶらな瞳で子供達を見上げ、キュウン、と口を閉じたまま鳴いた。

「な、なんだ……? おい、誰のペットだよ?」

 和也がうろたえている。

「何これ! かっわいーっ!」

 声を上げたのは、3組の杉本優花。

 可愛い生き物が大好きで、ウサギの飼育当番をやっている。

「何か餌、食べるかな?」

 机の横にかけたビニール袋をごそごそやった。

 飼育当の餌が入れてあるらしい。

 ニンジンを取り出すと、ツノの生えたウサギみたいな生き物――ツノウサギに差し出した。

 ツノウサギは、ぷるぷるっと首を振った。

 口を閉じたまま、またキュウンと鳴いた。

「これは嫌い? じゃあ、こっち?」

 ツノウサギは、またぷるぷるっと首を振った。

 そして、つぶらな瞳で子供達を見回すと……ボソリと口を開いた。

 

「食いたい」

「………………え?」

「お前らの肉を食いたい」

 ぱかっと口を開けた。

 ノコギリのようにギザギザの牙が、口の中にびっしりと生えている。

 大小長短バラバラで、好き勝手な方向に突き出している。

 細く伸びた舌が先っぽで二又に分かれ、ちろちろと不気味に揺れた。

「キュウン」

「きゃあっ」

 その姿のまま鳴き、ツノウサギが優花に飛びかかった。

 手を引っ込められて、勢い余って椅子に激突する。

 そのまま、大口開けて、椅子をかじり始めた。

―ガジガジ、ガジガジ、ミリミリッ、バキッ、ベキッ、ゴクン

 みるみる椅子を噛み砕き、飲み込んでしまった。

 

「……まじぃ」

―ペッ

 折れ曲がった椅子の脚が床に転がった。

「お前らの肉を食いたい。ガキの味は美味い」

 また大口を開けると、子供達に飛びかかってきた。

 といっても足が短いので、動きは鈍かった。

 教室の仲を逃げ惑う皆に飛びかかるのだが、もたもたとまるで追いつかない。

「……疲れた」

 しばらく飛びかかり続けていたが、諦めたのか、ぺたんと床に座り込み、毛繕いを始めた。

 遠巻きに様子を伺う子供達を見上げると、不満そうに言った。

「逃げるのは、よくない」

「いや、よくない、って言われても困るような……」

 悠が呟いた。

「どうせお前ら、ここで皆死ぬ。お前ら、ここから出られない」

「……」

「ここは地獄の支配下となった。オレの仲間の鬼達が、お前ら全員、食っちまう!

 せっかくだから、オレに食われちまえよう。おいしーく、食ってやるからよう。

 キャキャキャキャキャ」

 パタパタと翼をはばたかせながら、また椅子をがじがじとかじり始めた。

「ま、能力者の奴が邪魔に入ったけどな。大人は本当に嫌な奴だ。今度こそ……」

 ツノウサギはふわふわした毛の中からナイフとフォークを取り出すと、

 チャンチャンと打ち鳴らした。

「せっかくのごちそうどもだ! 他の奴らに取られる前に……オレがお前ら、全員、食っちまう!

 いっただっきまーす!

 ナイフとフォークを構えると、また子供達目がけて飛びかかり始めた。

 だが、足が短いので、誰も捕まらない。

「皆、外へ!」

「あっ! 逃げるのはよくない!」

 葵が勢いよくドアを開けると、全員、教室から飛び出し、廊下を走った。

 みるみるツノウサギを引き離していく。

――もうちょっと足長く生まれたかったあぁぁぁぁぁ!

 恨めしそうに叫ぶツノウサギの声が、背中越しに響いて消えていった。

 構わず皆、階段を駆け降りた。

 一目散に昇降口に向かうと、遮二無二外に飛び出した。

 

「な、なんなんだよ、これは!」

 校舎の外に出た子供達は、周りを取り囲むものを見上げて悲鳴を上げた。

 桜ヶ島小学校の敷地は、回りを背の高いフェンスで囲われているが、

 そのフェンスにベタベタと、奇妙な文字の書かれたお札が貼りつけられているのだ。

 フェンスの向こうには道路があるはずだが、

 煙のように濃い霧が立ち込めていて、何も見えなくなっている。

 フェンス下の地面には、鋭い針がびっしりと突き出していた。

 隙間なく、学校の敷地まるまる1周分。

 校庭の隅にあった池は、すっかり変色していた。

 普段はザリガニが釣れるような澄んだ池なのに、今は血のように赤く濁っている。

 プールからは、湯気が経っていた。

 ぐつぐつと沸騰しているのだ。

「なんなんだ、誰がこんな事しやがったんだよっ!」

「でも、よく能力者は平気で入ってきたわね」

 真っ青な顔で、和也が叫んだ。

 有栖は冷静に呟く。

「校門から出るわよ!」

 葵が叫び、皆走った。

 校庭には、3m以上ありそうな大きな穴が開いていた。

 深くて暗く、底が見えない。

 叫んでも、声が穴の奥にすっぽりと吸い込まれ、返ってこない。

「地獄まで続いていそうな穴だな……」

 穴の縁に立って、章吾が呟いた。

 

 敷地の南端。

 毎朝、数百人の子供が通り過ぎていく桜ヶ島小学校校門。

 校門は今、封鎖されていた。

 閉ざされ、ぐるぐると太い鎖が巻かれて、赤銅色の巨大な錠前がかけられている。

 門の上側には、真っ赤に熱せられた鉄の棒が何本もあり、乗り越えて出る事を阻んでいる。

 能力者はそれも、能力で突破したのだろう。

 

「おっまえっらこっこで、皆死ぬっ! おっまえっら、こっこから、出られなーいっ!」

 校舎の方から、ツノウサギがキャキャキャと笑う声が聞こえてくる。

「さあ、ガキども! オレらが鬼だ! 鬼ごっこしようぜええええっ!」




デスゲームものに超人を入れたいけど、
強大な敵を単独で倒すのは私のプライドが許さないので、パーティー制にしました。
要するにチートキャラはいらないという事です。


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3 子供を守れ

(児童書であるというメタ的な理由以外で)鬼は何故子供を狙うのでしょうか?
でも逆に言えば、大人は狙われない……のでしょうか?


「……いたた!」

 織美亜が孝司を連れていこうとすると、彼が足を痛めて動けなくなった。

「どうしたの、伊藤君!」

「ちょっと、駄目、肩と足が痛い……」

「見せてちょうだい」

 織美亜が孝司の傷を見ると、まだ塞がっていない箇所があった。

 まだ治癒が足りなかったのね、とがっかりする。

「ちょっと待って。……あぁ、鬼のせいで呪いを受けちゃったのね。

 ただの怪我じゃないから、治すのは難しいと思うけど……やってみるわ」

 鬼の傷を受けたとしても超能力なら治せるはずだ。

 織美亜は目を閉じて精神を集中し、「治癒」の力を発動しようとした。

「……狼王、先に行ってちょうだい。アタシは伊藤君を治すから」

「ああ」

 孝司を織美亜に任せた狼王は、子供達を助けるために行くのだった。

 

 その頃……。

 

ふざけんなよ! 一体なんなんだよ!

 堪え切れなくなったように、和也が喚いた。

「テレビのドッキリ番組……なわけないか。流石に、こんな事できるわけないわね……」

 口調こそ冷静だが、流石の葵も口元がひきつっている。

「きっと神様の仕業なんだ。

 僕が昨日、運動会中止にしてくださいって祈ってたから、叶えちゃったんだ」

 悠は、本当の本気で運動会が嫌だったみたいだ。

 

「……やれやれ。鬼、ね」

「ちょっと面白くなってきたわ」

 章吾と有栖が、ぱしんと拳で掌を打った。

 怯え切った皆の中で、章吾と有栖は、落ち着いていた。

 ちっとも怖くない……むしろ、面白がっているみたいだ。

 

(大翔、それで本気か、って弟が言ってたわよ)

 運動会の練習で、大翔は一度、章吾に聞かれた事がある。

 トラックを一周競走して、最初から最後まで章吾に追いつけなかった時だ。

 章吾は不満そうに、唇を尖らせていた。

 大翔はムカつき、それから練習量を倍に増やした。

 章吾に勝てるはずないだろと、皆には笑われたが。

 ……ちなみに、有栖はというと、大翔に期待をかけていたという。

 

 そして、やはり大翔は章吾に勝てなかった。

 走り終えて息を荒らげる大翔を、章吾は遠くからじっと見ていた。

 有栖は「ごめんね」と大翔に声をかけていた。

 

「助けを呼びましょう。学校から出られない以上、外に助けを呼ぶしかないわ。

 ケータイ持ってる子は?」

 葵の言葉に、何人かがポケットを探った。

 桜ヶ島小では、親の適切な指導・監督を前提としてケータイを持ってくるのが許可されている。

 大翔も自分のケータイを出した。

 母の番号が登録してある。

 手分けして、電話をかけた。

 

『今、オレ達は職員室にいる。子供を保護しているから、大丈夫だ』

 そこから出てきたのは、男性の声だった。

 大翔達を安心させたいようだが、

 閉ざされていたはずの小学校に知らない人の声が聞こえたのは、逆に不気味だった。

「な、なんだ、今の声は……!?」

 大翔が男性の声に怯えると共にケータイは切れた。

 

 以前は廊下のドアからも入れたのだが、低学年の間で、

 校長室はかくれんぼの穴場スポットと広まってしまって以来、カギがかかるようになった。

 今では、職員室経由でしか入れない。

「……誰が行くんだ?」

 答える者は、誰もいなかった。

 皆、誰とも視線が合わないように俯いてしまう。

 大翔も、俯いていた。

 ふと、彼が視線を感じて顔を上げると、章吾と有栖と目が合った。

 章吾と有栖は、じっと大翔を見つめていた。

「それで本気なのかよ?」

「あなたは何をやりたいの?」

 不満そうに言ったあの時と、同じ目で。

 結局、ジャンケンで決める事になった。

 こういう状況になった時、行き着く先はいつもこれだ。

 ジャンケンは運勝負で、公平だ。

 皆、そう思ってるから。

 ただ……世の中には、とてもジャンケンに弱い者、というのもいたりして。

 

「どうしてこんなにあっさり負けるんだよう……」

 ジャンケンを終えると、悠は半泣きになった。

「普通こういうのって、徐々に人数が減っていくものだろ。

 どうして一回目で全員に負けるんだよう。どうして全員グーで、僕だけチョキなんだ。

 学校中のみんながグーを出して僕に襲い掛かってくる悪夢を見る勢いだよ……」

 悠はよく分からない事を言いながら、「やだよ、やだよ」と頭を抱えている。

 流石にみんなも拍子抜けしてしまって、顔を見合わせた。

 悠は足が遅い。

 体育の成績は常に、もう少し頑張りましょう。

 おまけに、大の怖がりだ。

 大翔と一緒に町内の肝試しに参加した時も……。

(僕は見ないよ。嫌なものは見ない主義なんだ)

 と、最初から最後まで目を閉じたまま歩こうとして、

 躓いて転んで大翔を巻き込んで池に落ちたほどだ。

 悠はこの役に、一番向いていない。

 「鬼」に追いかけられたら、ひとたまりもない。

 でも、じゃあ自分が行く――だなんて、誰も言い出せるわけがなかった。

 

「みんながそんなに困ってるなら、私が代わりに行くわよ」

 困り切った皆の中、言い出したのは有栖だった。

 大翔は、ハッと顔を上げた。

「桜井君は正直、向いてないでしょ? 私なら、追われても逃げ切れる自信があるわ。

 それに、私には特別な力があるみたいだし」

 笑顔で有栖は皆に言った。

 有栖は少しだが超能力を使う事ができ、軽い物体を浮かせたり本を開かずに透視したりできる。

「ほ、本当? 金谷さん、代わってくれる?」

 悠がまだ涙目のまま、助けを求めるように有栖を見た。

「ええ、本当よ。私達は仲間、友達だもの」

 それを聞いて――大翔は体の横で拳を握り締めた。

(何を迷っているんだ。悠は、俺の友達なのに……。

 今、声を上げなかったら、これから一生、友達だって名乗れない。

 あんなチンケな鬼なんかより、そっちの方がずっと怖いだろ。

 しかも、有栖には嫌味がない。これだから……)

 

「……俺が行く」

 大翔が声を張り上げると、皆が驚いた顔をして大翔を見た。

 震える足を押さえつけて進み出ると、有栖を睨むように見据えて、大翔は言った。

「ヒロトは僕の、親友だもん」

 それを聞いて、足の震えなんて止まってしまった。

 なんでガクガクしてたのか、分からないくらい簡単に。

「……分かったわよ」

 有栖は素直にその場から身を引いた。

 愉快そうに笑う章吾と、大翔を見守る有栖。

 双子だが、正反対だった。

「あたしも行くわ。電話の件を言い出したのはあたしだしね。

 自分だけ待ってるわけにもいかないわ。ちょうどいいんじゃない?

 いつもの帰りの班で行くって事で」

 葵が手を挙げた。

 話はそれでまとまった。

 三人は頷き合うと、皆に向き直り、背筋を伸ばして声を張り上げた。

 

「桜ヶ島小学校6年2組、チームB班。校長室まで行ってくる!」




有栖は「女版出木杉」をイメージして描写しました。
差別化するために気を強くしましたが、やっぱりいつものうちの子です。
強い女の子、大好きですからね。


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4 潜入、職員室!

大翔達が職員室に行きます。
この原作を初めて読んだ時、結構熱い小説だな、と思いました。


 校舎の中は、ひっそりと静まり返っていた。

 三人の息遣い以外、何の音も聞こえない。

「大翔、悠。いい? 油断しちゃ駄目よ」

 昇降口に入ると、葵は油断なく廊下を見渡してそう言った。

「といって、あまり怖がっていても仕方ないわ。油断せず、されど恐れず。

 慎重かつ大胆に行動しましょう。いいわね?」

「……言ってる事、威勢がいいけど、アオイ、これ流石に怖がってるよね?」

「何の事?」

 盾にするように葵に背中を押し出されて、悠がぼやいた。

 葵は、分からないふりだ。

 悠は悠で、大翔の背中に隠れるようにしている。

 桜ヶ島小学校の校舎は、大きな凹の形をしている。

 東棟と西棟が並んで伸び、それを前廊下が繋いでいる形だ。

 北には中庭が広がっていて、芝生が植わっている。

 校舎は3階建て。

 昇降口は、1階の廊下の真ん中にある。

 昇降口を入ると、左右に廊下が伸びている。

 右は東棟。

 2年生の教室が四つと、保健室、放送室、体育館への通路。

 左は西棟。

 1年生の教室が四つと、資料室、給食室、職員室、校長室。

「まずは、東棟に行ってみない? ひょっとしたら、事務室にも電話があるかも」

 頷いた。

 タブレットで、東棟に鬼の表示がない事は確認済みだ。

 大翔を先頭に、一列に並んで廊下を歩く。

 静まり返った校舎の中に、三人の足音が妙に大きく響き渡った。

 教会の中を覗いてみる。

 三人で顔を見合わせ、頷き合うと、素早くドアを開け、中に飛び込む。

 どの教室も、異常はなかった。

 床から針が生えたり、血の池が広がったりしている事もない。

 がらんと片づいた、いつもの教室があるだけだ。

「ふん、鬼なんていないじゃないの。

 それとも、この葵さんの前に恐れをなしたのかしら? ふっ」

「まぁ、この僕を前にしては、流石の鬼も形無しって感じかな」

 何回もやっていると緊張が解けてきたのか、葵と悠が調子に乗り出した。

(お前ら、俺の背中に隠れずにそれ、言えよ……)

 事務室には、カギがかかっていた。

 カギがあるのは、結局、職員室だ。

 どうしたって職員室に行かなきゃいけないらしい。

 昇降口に戻って、西棟に向かった。

 角を曲がると、廊下の奥から声が聞こえてきた。

 

「……うわ、何、このオンチ」

「音感ゼロ……」

「しかも、男の人の声まで……」

 三人が顔をしかめる。

 伸びた廊下の突き当たりにあるのは、給食室だ。

 手前には、『イタズラはダメ!』と張り紙つきで消火器が一つ置いてある。

 その反対側にあるのが、職員室のドアだ。

 職員室の中から、歌声が響いてくるのだ。

 

むっかしい、むっかしい! 浦島はぁっ! たっすけた鬼に

『つっれられない! 地獄の底に来ていない! 絵にもかっけずに食っべらっれない!』

 音が割れ、音程も滅茶苦茶だが、『浦島太郎』の替え歌だ。

「これは酷いセンス」

 葵が駄目出しした。

「大翔。確認したい事があるわ」

 葵はじっと二人を見やると、真面目な顔で頷きかけた。

「……何?」

「二人は、強い男の子。そして、あたしはか弱い女の子。……ここまではいい?」

 悠が唸った。

「……なんか、すっごく都合のいい事、言われそうなヨカンがするんだけど……」

「あたしはここで見張りをしてる。後は頼んだわよ」

「……やっぱりか……」

 悠ががくりと肩を落とす。

「あたし、この鬼とはセンス合わないと思うの」

「いや、鬼とセンス合う奴はいないよ」

「ぶっちゃけ、こういうのは男子の役目じゃない?」

「そういうの、男女差別っていうんだ」

「あたしも行きたいとは、思ってたの。でも、やっぱり……怖くって……くすん」

 葵が俯いて目元を拭った。

 え、え、と悠が慌てる。

「二人ほどの勇気はあたしにはなかったみたい……。

 やっぱり男の子って、いざという時、頼りになるのね。

 こんなに勇気があって、カッコいい二人の足を引っ張りたくないの……」

「え、そ、そう? 僕、かっこいい? 勇気ある?」

 チョロすぎだな、悠。

「……と、まあ、そんな感じだから。ちゃちゃっと行ってきてよ、ちゃちゃっとさ。

 本当に危なくなったら、ちゃんと助けてあげるから。葵さんを信じなさい。ね?」

 あっさり泣きマネをやめると、信頼度0のテキトーさで、葵。

 これで信じられる奴の方がどうかしてると思う。

 結局、二人で行く事になった。

 葵を残し、大翔と悠で奥へ向かった。

 

 その頃、狼王は学校に侵入した鬼と戦っていた。

 狼王は能力で取り出した斧を振り回し、鬼を斬る。

 その後は、斧を叩きつけて鬼を気絶させた。

 あっさりと勝負は片付いた。

(どんな鬼も能力者の前には無力……なんて言うわけにはいかないな。

 慢心すれば鬼に殺されるからな)

 いくら超能力があっても、油断すれば鬼に倒される可能性は高い。

 狼王は気を引き締め、探索を続けるのだった。

 

 職員室の前まで辿り着く。

 ドアの小窓は曇りガラスになっていて、はっきりとは中が見えないが誰かが戦っているようだ。

 二人はタブレットに視線を落とした。

 職員室の形は、縦長の長方形。

 その真ん中に、先生達のスチール机が、向かい合ってずらりと並んでいる。

 しばらくすると、鬼の文字が消える。

「よし!」

 すぐに、大翔は職員室の中に入った。

 職員室の机の高さは、大翔の腰の位置くらいだ。

 どの机にもファイルやプリントがごちゃごちゃと山のように積まれているので、

 身を隠すのは簡単だった。

(俺達には整理整頓ちゃんとしろっていう癖に……でも、おかげで助かった。

 悠。オーケー、大丈夫だぞ)

 机の陰に隠れながら、廊下の悠に目で合図する。

(了解。……ところでヒロト。僕も、これはただの確認なんだけど)

 悠は、テヘ、と頭を掻いた。

(いってらっしゃい、頑張って……なんて言ったら、やっぱり、怒るよね?)

(おい、親友)

(じょ、冗談だってば。場を和ませようと思って)

 この状況で場を和ませてどうするのかと思う。

 悠はふうっと深呼吸すると、意を決したように駆け込んできた。

 机の陰に走り込む。

 足をもつれさせて転びそうになるのを、大翔が受け止めた。

 

 その時、大翔と悠は、ある人物を発見した。

 大きな斧を持った、茶髪の少年だ。

(……誰だ?)

(しーっ、鬼に見つからないように……)

 大翔は少年の言う通り再びそろそろと進み始めた。

 机の下の隙間を確認し、向こうがよく見えるところで止まった。

(……どうしたの? ヒロト?)

 悠が背中を叩き、狼王が彼を見守る。

 大翔は息を吸い込み、手足を動かした。

 速度を上げて、部屋の中を進んだ。

 職員室の一番奥。

 校長室のドアは、重々しい木製だった。

 ドアノブにとりつくと、慎重に回した。

 ゆっくりとドアが向こうへ開く。

 

「……鬼が回復した」

「回復?」

 その時、かすかに音が鳴った。

 ドアが軋んだのだ。

「入れ!」

 悠が転がり込むように校長室に飛び込んだ。

 大翔と狼王も続くと、もう音を気にする余裕もなくドアを閉め、カギをかけた。

 

 二人で顔を見合わせると、ほっと息を吐いた。

 バクバクと暴れる心臓を深呼吸して落ち着かせる。

 狼王は、じっくりと様子を見ている。

 鬼は、牛とも蜘蛛ともつかない化け物だった。

 歪なほど巨大な牛頭に、にょっきり2本の角が生えていた。

 胴体は蜘蛛で、八本の長い脚先には、槍のように鋭い爪が生えていた。

 狼王が倒したとはいえ、あんな爪で襲われたら、ひとたまりもない。

 捕まったら、最後だ。

 

(油断も隙もないな……)




相手が鬼であっても物怖じしないのがエージェントです。
次回はエージェントが活躍します。


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5 エージェントと共に

鬼とまともに戦えるのは、今のところはエージェントのみ。
それをこの小説で表現しました。


 校長室の探索は、エージェントがいたものの思うような成功に至らなかった。

 大きな机に、真っ白い電話機が置かれている。

 受話器を取って耳に当ててみるが、何の音も聞こえない。

 自宅の番号や、110番を押しても反応なしだ。

「メールはどうかな?」

 悠が、机の端に置かれたパソコンを指差した。

「悠、操作分かるか? 俺、パソコンよく分からないんだけど」

「任せてよ。

 お母さんが仕掛けた子供用ネット制限ソフトを解除して、

 無料ゲームをしまくっている男だよ、僕は。

 ……『東方』みたいな弾幕シューティングは、苦手だけど」

 胸を張って言うような事ではない気がするが、とりあえず気にしない事にする大翔だった。

 

 電源をつけると、悠は慣れた様子でマウスを動かした。

 ブラウザソフトが立ち上がり、エラーメッセージが表示される。

『インターネットに接続できません 再試行してください』

「……むう。ネットに繋がってないみたい」

「よくわかんないけど、繋げられないもん?」

「ちょっと待ってね」

 悠はかちゃかちゃとキーボードを操作しながら、楽しそうに口笛を吹いた。

 彼はパソコンやゲームが好きで、自分でホームページを作ったり、

 RPGツクールなどでゲームを自作したりしている。

 黒いコンソール画面が表示された。

 悠が何やら打ちこむのに合わせて、ずらずらとメッセージが流れていく。

 悠は唸りながらそれを見やって、言った。

「無線のインタフェースが刺さってない。

 有線はいけるけど、通信パケットが全部切れちゃってるみたい。ピング応答が全然ないんだ。

 ルータのポートでジャミングされてるのかもしれない」

「つ、つまり、どういう事なんだ?」

「ネットには繋がらない。メールも送れない」

 深刻そうに、付け加えた。

「当然、無料ゲームもできない」

 これで、学校の外と連絡を取る手段は、完全になくなった事になる。

 ケータイも固定電話も、ネットも駄目だ。

「大丈夫だ。オレ達がいる。連絡できればいいのだろう?」

「……」

 エージェントの通信は、超能力によるものなので、あらゆる妨害が通じない。

 それは鬼にも人間にも隠している。

 

 気がつくと、ブラウザのエラーメッセージが、さっきと変わっていた。

『学校の外に接続できません 鬼ごっこ、もしくは戦闘してください』

 大翔はパソコンの電源を切った。

 だんだん腹が立ってきた。

「ともかく、戻ってみんなと合流しよう」

 頷き合うと、再びタブレットで鬼の位置を見計らって、職員室に滑り出た。

 大翔達は机の陰に身を隠し、そろりそろりと移動する。

 狼王は斧をしまっているので、問題ない。

とぉーりゃんせぇ とぉりゃんせぇ こーこはどーこの細道じゃぁ 天神さまの細道じゃぁ

 鬼の動きに変化はない。

 調子外れな歌を歌いながら、ぐるぐる歩き回っているだけだ。

 とおりゃんせの歌に導かれるように、三人は床を進んでいく。

 外との連絡手段は、なくなったけれど……。

 それほど恐れる事は、ないのかもしれない。

 

「……安全だな」

 この鬼は、部屋から出る様子がない。

 職員室にさえ近づかなければ、危険はなさそうだ。

 ツノウサギにしたって、あんな短足に捕まる奴はいない。

 こっちはタブレットで、鬼の居場所を知る事ができる。

 学校の敷地は広いのだ。

 きちんと確認していれば、でくわす事なんてないはずだ。

この子の七つのお祝いにぃ お札を納めに参りますー

 さっさとみんなのところへ戻って、鬼と距離を取って隠れていれば、危険はない。

(そうだ……そうしよう。それで、安全のはずだ)

行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも とぉーりゃんせぇ とぉりゃんせぇ……

 

 突然だった。

―キーンコーンカーンコーン

 

 チャイムが鳴り響いた。

 職員室のスピーカーから、爆弾のように音が響き渡った。

 

「!!?」

 死ぬほど驚いたが、声を上げるのは堪えた。

 大翔は、悲鳴を上げかけた悠の口を、慌てて押さえつけた。

 拍子にタブレットを取り落としそうになったが、指でぎりぎりキャッチした。

 二人でもつれて転びかけたが、何とか踏ん張った。

 もちろん、狼王は平気だ。

 

 鬼の歌声が止まった。

 さらに起こった変化に、大翔は今度こそ泣きたくなった。

「なんなんだよ、いい加減にしてくれよ」

「それはオレが言いたい事だ」

 タブレットの画面の中に、「鬼」の字がまた一つ、追加で現れたのだ。

 それも、大翔達が通ってきた、昇降口に。

 こちらへ向けて、移動を始める。

 大翔は青ざめた。

「ふ……ふぁ……ふぁ……」

 大翔が顔を上げると……悠がヘンな顔をしていた。

 鼻をひくつかせて口を開けたり閉じたりしている。

 大翔はもう祈るしかなかった。

「駄目だ。ガマンだ。ガマンしてくれ。一生のお願いだ。くしゃみ、ガマンしてくれ!」

「ふぁ……ふぁ……ふぁ」

 どうしようもなかった。

 

ぶわ~~~っくしょん!

 悠は、大砲のようなくしゃみをした。

―ガッターン バサバサバサバサバサバサ

 勢いそのまま、腕を引っかけて、派手な音を立ててイスが倒れた。

 その振動で、ぎりぎりバランスを保っていた山積みの書類がぐらりと揺れて、

 凄く賑やかな音と共に崩れ落ちた。

 

「うわぁ」

 悠は、倒れたイスと書類を見降ろし、ついで大翔を見ると、

 この世の真理を悟ったように、深く頷いて親指を立ててみせた。

「なんかもう、寝てていい?」

「永眠になるぞ」

……行きはよいよい……

 屈み込んだ三人の上に、フッと影が差した。

 恐る恐る見上げると……でかい牛面が三人を見降ろし、爛々と目玉を輝かせていた。

……帰りは……こっわあああああああああいっ!

 超っ! こっわあああああああああああああああいっ!

 叫ぶように歌う鬼の口の端から、ぼたぼたと大粒のよだれがこぼれ落ちてくる。

「うう……」

「距離が近いな……」

 この距離じゃ逃げられない。

 動いた瞬間に飛びかかられる。

 鬼は床に飛び降りると、三人の逃げ道に立ち塞がった。

怖いながらも とおおぉぉぉりゃんせぇえ! とおぉぉりゃんせえええええっ!

 羽の生え揃ったた大口をでかでかと開き、ゆっくりと爪を伸ばしてきた。

 大翔はぎゅっと目を閉じた。

 

「息を止めて、伏せて!」

 突然、少女の声が響いた。

 ドアを乱暴に叩き開ける音がした。

―ブシュウウウー

 激しい音と同時に、視界が一面真っ白に染まった。

 目を庇いながら顔を上げると、入り口のところに葵が立っていた。

 消火器をまるでバルカン砲のように抱えて、鬼に向けて噴射している。

「離れなさいっ、この化け物っ!」

「今だ! いくぞ、悠っ、そこの男!」

「……オレはNo.8なんだがな……」

 鬼は怯んだのか、爪を引っ込め、目を覆っていた。

 腰が抜けた悠の手を引っ張って、大翔は立ち上がって床を蹴った。

 白煙の中から伸びてくる爪を狼王は斧で受け止め、三人は鬼の脇をすり抜ける。

「こっち! 早く!」

 葵が叫んだ。

 消火器の中身を使い果たすと、ボンベを振りかぶった。

「先生! ママ! パパ! 近所の皆さん! 乱暴な事をしますが、あたしはおしとやかでマジメな女の子なので、誤解しないでください! ごめんなさーいっ!」

 誰に言っているのか叫ぶと、白煙の向こうの鬼に向けて、砲丸投げのように放り投げた。

とおぉぉりゃんせえええ! とおぉりゃんォーー、グゲエエェェェェッッ!

 鬼の悲鳴がした。

 職員室のイスやファイルが、今度こそ完全に崩壊した。

 後で掃除する人は、きっと頭を抱えるだろう。

「オシトヤカでマジメな女の子のシワザです……」

 

「逃げるぞっ!」

「ここはオレに任せろ!」

 大翔の掛け声と共に、三人は弾けるように走り始めた。

 西棟廊下を金力疾走する。

 体育の50m走なんて目じゃないくらい全力で。

 

 

グゲェェェッ!

 狼王は勢いをつけて斧を鬼に叩きつける。

 「力」の能力により強化された腕力による一撃は、頑丈な鬼の肉体を易々と打ち砕いた。

 鬼は鋭い爪で狼王に掴みかかるが、狼王は怪力で振りほどく。

「喰らえ!」

グオオオォォォッ!

 そして、斧が鬼の頭に命中し、鬼は気を失った。

 

「よし、これで大丈夫だな、後は合流するだけだ」

 

「――そっちはダメだ!」

 二人が昇降口の方へ走っていこうとするのを、大翔は慌てて止めた。

 昇降口からは、追加された鬼が向かってきている。

「二人は二階へ! 鬼に出くわさないように隠れてろっ!」

 葵にタブレットを押しつけると、大翔はぐるりと反転した。

「大翔はどーすんの!」

「もう一体の鬼を撒いていく!」

「無茶よ!」

「大丈夫! 後から追っかける! 先に行ってて!」

 睨みつけた廊下の先から、力限りに歌いつつ、一目散に鬼が追いかけてくる。

「二人とも行って!」

「無理しないでよ!」

「おい、鬼! こっちだ!」

 大翔が叫ぶと鬼はぎょろりと目玉を大翔に向けた。

 葵と悠がわわわと悲鳴を上げて、階段を駆け上がっていく。

 大翔は腰を落として構えた。

 もう一匹の鬼が、廊下の向こうから走ってきた。

「大翔!」

 

しっずかっなこっはんっの森の陰からっ』』

『『もう起きちゃいっかがと 鬼が鳴くぅ』』

『『かっこうっ かっこうっ』』

『『かっこうっ かっこうっ かっこううぅ』』

 

(輪唱始めやがった、滅茶苦茶うぜぇ)

 大翔は廊下を蹴った。

(こちとら運動会の練習で鍛えてるんだ。あんな鬼どもに負けてたまるか)

 足を振り上げ、腕を振り抜く。

 大翔は職員室から追いかけてくる鬼を引きつけながら、昇降口側の鬼に向かって駆ける。

 走ってきた鬼が、1、2、3本と爪を振り上げた。

 

「危ないっ!」

 その時、狼王がやってきて、斧を振って鬼を吹き飛ばした。

 その隙に、大翔は東棟を奥まで走る。

 三段抜かしで階段を駆け上がった。

 二階廊下を一直線に駆け戻り、南廊下を全力疾走し、手近な部屋に飛び込んだ。

 真っ暗な部屋を走り抜けると隅の机の陰に隠れた。

 息が乱れるのを、必死に我慢して耳を欹てる。

 大翔は体を縮こませ、見つからないよう祈った。

 

―ぽん

 その時、背中に手をかけられた。

わあああああああああああああああああっ!

って、うわああああああああああっ?

 それは、悠だった。

 そして、葵もやってくる。

 葵はしばらくタブレットを見ていたが、ややあって、うん、と頷いた。

「……大丈夫みたい」

 それで、やっと三人とも緊張が解けた。

 へなへな力が抜けて、べたんと床に座り込んだ。

 深呼吸して、荒くなった息を整えた。

 部屋に三人の息遣いだけが響いた。

 

「……今まで、聞いた事なかったんだけど」

 ふと思い出したように、葵がそう口を開き、真面目な口調で問いかけた。

「大翔は、どんな歌が好きなの?」

 大翔は、ちょっと考え込んだ。

 しばらく迷った後……結局、こう答えた。

 

「……俺、歌、嫌いになりそうだ」




この作品の女性キャラって、他のホラー作品と違って強いですね。
まあ、完全なホラーじゃないのが理由だと思うのですが。


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6 競技の名前は鬼退治

葵が鬼について話します。
多分、成績順としては、葵>>>悠>>>大翔だと思っています。
ちなみに、一応、織美亜と狼王は最低でも中卒です。


 夢中で飛び込んだその部屋は、理科室だった。

 黒い長机が並び、宙を埃が漂っている。

 壁際の棚には、薬品の入った瓶や骸骨の標本が並んでいた。

「あのオンチ鬼、なんだったんだよう……」

 怖いなら見なければいいのに、わざわざ骸骨標本に近づいて顔をひきつらせながら、悠が言う。

 

「……多分、ギュウキ、だと思う」

 答える葵の声は冷静だ。

「ギュウキ?」

「なんだ、それは?」

「牛の鬼と書いて、牛鬼。色んな昔話の中で語られてる、メジャーな鬼の妖怪ね」

 葵は腕を組んで言った。

 ぱちぱちと瞬きする大翔達に、テストの答えでも解説するように続けた。

「一口に鬼、といっても、色んな種類のものがいるのよ。

 赤鬼、青鬼、みたいな有名どころから、餓鬼、邪鬼、夜叉、羅刹……様々ね。

 中でも牛鬼は有名なものの一つで、牛の頭を持った鬼の妖怪よ。

 人間を襲って食べると言われているわ」

「へええ。……ってアオイ、どうしてそんなに詳しいの?」

 悠が不思議そうに首を傾げた。

「作り話の妖怪の事なんて、頭のいい子は、馬鹿にしてそうなのに」

「ふっ。本当に頭のいい人間は、作り話を馬鹿になんてしないものよ。

 伝承や逸話というものには、人間の知恵や時代時代の世相が込められているのだもの。

 何事も、素直に学び、吸収する。

 この姿勢こそが、学問を志す者として最も大切な事であると、あたしは思っているのよ」

「ヘー。よく分かんないけど、やっぱりアオイは凄いんだなぁ……」

 大翔は、葵が一時期妖怪もののギャグアニメにハマりまくって、

 妖怪の閲連本を片っ端から集めていた事を知っていたが、口に出すのはやめておいた。

「そもそも『おに』っていうのは『おぬ』が転じたもので、

 姿の見えないものや、この世ならざるものを意味したの。

 そこから人の力を超えたもの、災いの象徴となっていき、

 さらには陰陽思想や浄土思想など色々なものが混じり合っていって……つまりは……」

 「ガリ勉宮原」の本領発揮だ。

 大翔と悠がうんざりする中、葵は得意そうに鬼のうんちくを話し続けた。

「さらには……。ついでに言えば……。もっと行ってしまえば……」

 狼王は、真剣に葵の話を聞いていた。

 

「……とまぁ、そんなわけで、一口に鬼と言っても、色々いるわけなのよ」

 ようやく長い長い話が終わり、大翔と悠は時計を見上げた。

「……悠、何分経った?」

「20分。これだけ長話を続けられるって、女子の口は一体どうなってるんだ。鬼より怖いよ」

「デリカシーがないな、女にそんな事を言うのは禁句だぞ」

 二人がぼそぼそ言い合うのと、狼王が突っ込むのに構わず、葵はうーんと腕を組んだ。

「後、話してないのは、牛頭鬼(ごずき)の事かなぁ」

「まだあるの?」

 悠が涙目になる。

「短く終わる?」

「泣くほど嬉しい? そんなに聞きたいなら話すけど、牛頭鬼は地獄の獄卒なの」

「獄卒って何?」

「……地獄の檻から人間が逃げ出さないように見張る、看守の事」

「……」

 四人は窓から、外を見やった。

 周囲を囲うフェンスと針山。

 固く閉ざされた門。

 子供達を捕らえた、地獄の檻。

「牛頭鬼は地獄の獄卒のリーダーなのよ」

 低い声で、葵は続けた。

「獰猛で残忍、怪力と性質(たち)が悪いわ。出会えば必ず理由なく人を殺すって言われてる。

 伝承の中では、何人もの人間が牛頭鬼の犠牲になっているわね……」

「……」

 大翔、悠、狼王は、ごくりと唾を飲んだ。

 葵はしばらく青くなった三人を見つめていたが、やがて、ふっふっふー、と満足そうに笑った。

(……葵、怪談話で人を怖がらせるの、好きだな)

「そんな顔しない。人間がそうした鬼を退治する話だって、たくさんあるんだから」

「退治する話も?」

「もちろん。伝承にいくつも残ってるわ。『太平記』では、源頼光が牛頭鬼を退治してるわね。

 愛媛県では、修行僧がホラガイを吹いて真言を唱え、鬼を怯ませて退治した話が残ってる」

「ホラガイかぁ……」

 悠がうーむと唸りながら理科室の棚を漁り始める。

「……これかな?」

「それはホラガイじゃなくてアンモナイトの化石。0点」

「0点かぁ……」

 その時、ガラッと理科室のドアが開いて、三人は飛び上がった。

 狼王は斧を取り出そうとしている。

 慌てて振り返ると、大きな人影が立っていた。

「大場、宮原、桜井、無事か!? ……そして、高校生も来ているのか!?」

「オレは高校生ではない!」

 高学年担当の体育教師、荒木先生だった。

 朝、みんなで待っていた先生だった。

 まだ学校に、大人が残っていたようだ。

 荒木先生は部屋に飛び込んでくると、立ち尽くす三人と、身構えた狼王を、

 がばっとまとめて抱え込んだ。

 見上げる体は熊のように大きく、がっしりと広い肩幅。

「怪我はないか! 大丈夫だな?」

「ああ、問題ない」

 部屋の入り口に、もう二つの人影があった。

 伊藤孝司と、島袋織美亜だ。

 孝司は眼鏡はきちんとあるし、怪我もしていない。

 職員室で鬼に襲われた後、織美亜が傷を癒してくれたのだ。

「へへっ、どうだ!」

「うふふ、ただいま」

 織美亜は鬼を撃退できたようで、笑みを浮かべる。

 孝司は三人を見て、荒木先生を目で示すと、にっと笑って親指を立ててみせた。

 ピンチに駆けつけた、正義の味方のように。

「三人とも、よく頑張った。怖かったろう」

 荒木先生は、力強く頷きかけた。

「もう大丈夫だぞ。安心しろ。後は先生が、何とかしてやるからな」

「アタシも力になってあげるわ。狼王、協力してね」

「……ああ」

 安堵に足から力が抜けて、三人はぺたんと床に座り込んだ。




先生は頼りになりますが、デスゲームものでは……。

でも私はひねくれものです。


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7 荒木先生

ここから、鬼退治が始まります。
子供でも鬼に対抗する事ができるんだ、と表現しました。


 鬼のうろつく昇降口を避け、東棟の体育館通路を通って校庭に出た。

 大翔達が校長室に行っている間、皆は何とか脱出しようと悪戦苦闘していたようだった。

 針山に土をかけて埋めようとして諦めた後や、

 フェンスに玉入れカゴの棒を立てかけ、渡ろうとして折った後。

 校門の錠前は、壊そうとしても傷一つつかず、

 門の上側の熱せられた鉄棒は、水をかけてもまるで冷えない。

(『元素』の能力で水を操って凍らせれば、何とかできるがな……)

 能力者ならばあっさり解決できるだろうが、今は脱出できる能力を持つ者はいない。

 げんなりしていた子供達は、大翔達が荒木先生、孝司、織美亜、狼王を連れて戻ると、

 歓声を上げて出迎えた。

 電話が通じない事だけは残念な知らせだったが、

 それよりも、孝司の無事と、先生が仲間に加わった事が、皆を元気づけた。

 

「みんな、遅くなってすまなかった。怖い思いをさせた」

 校庭の隅、砂場の傍。

 荒木先生を中心に、皆で円になって座り込んだ。

 体育座りで先生を囲んでいると、今が体育の授業中のように錯覚しそうになる。

 先生は一人一人の顔を、じっと見回した。

 怯えていた生徒達の目を、しっかりと覗き込んだ。

「正直、今、この学校で何が起こっているのかは、先生にも分からない。

 だが、お前達の事は、先生が守る。お前達を鬼に食わせたりしない。約束だ」

 ――もう、大丈夫だ。

 そう言って、勇気づけるように頷いてみせた。

 学校は不思議な力で地獄のようになってしまった。

 だが、先生の言葉にも、不思議な力があるような気がした。

 聞いてると、勇気が湧いてくるのだ。

 荒木先生はそういう先生だった。

 子供達の人気者だった。

 先生は皆を勇気付けると……今度は一転、険しい顔で見据えた。

 その迫力に、織美亜と狼王以外はビビって俯いた。

「……だからもう絶対、あんな無茶な事をするな。させるんじゃない」

「でも、先生……」

「でもじゃない。何考えてるんだ。子供だけで、勝手な事をするな」

 あの後、大翔達が鬼の存在を知りつつ校長室まで行った事を話すと、

 荒木先生は「馬鹿野郎」と怒鳴った。

 日頃優しい荒木先生にそんなに怒られて、三人は鬼よりむしろそっちの方がショックだった。

 褒めてもらえると思っていたのに。

「もちろん、大場、宮原、桜井……校長室まで行った勇気は、凄い事だ」

 先生は、しゅんと俯いた大翔達を見ると、口の端でちょこっと笑った。

 慌てて口元を引き締めると、こう言った。

「だが、お前達がしなければいけないのは、自分の身を守る事だ。

 危ない事は、先生達に任せていろ。大事な教え子を失ったら、俺は耐えられん」

「……はい」

「分かればいい」

 顔を上げると、荒木先生は、ふうっと一仕事終えたように息を吐いていた。

 彼は、本当はこういう説教をするのは苦手なのだ。

「お疲れ様」

「ああ、お疲れ様」

 能力者は、そんな荒木先生を優しく慰めた。

 

「でも、先生、凄かったじゃない! 先生がいれば、鬼なんてイチコロだよ!」

 静かになった皆の中、声を上げたのは孝司だった。

 孝司は日頃は大人しいタイプだ。

 女子からの評判が、決まって「孝司君って、優しいよね」というタイプ。

 孝司は、いつになく興奮しているようだった。

 勢い込んで話し始めた。

「あの時さ。僕、職員室に入ったら、いきなり牛鬼のヤローに襲われたんだ!

 飛びかかられて、必死で逃げようとしたんだけど、爪で引っ掻かれてさ。

 あ、すぐにお姉さんが治してくれたけど」

「うふふ、どういたしまして」

 織美亜は口に手を当てて笑う。

「そして、茶髪のお兄さんが鬼と戦ってた時、荒木先生が飛び込んできたんだ。

 で、こう叫ぶわけだよ。

 『俺の大事な生徒に何をする! この化け物めっ! 生徒は俺が、命に代えても守るっ!』」

「茶髪のお兄さんは、オレか」

 ピュウッと和也が口笛を吹いた。

 すっげー、かっこいー、熱血教師だー、と声が続いた。

「おい、そんな事を言った覚えはないぞっ。話を盛るな、伊藤っ」

「えー、いってたよー」

 厳しい顔をしていた荒木先生は一転、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

「言ったっけ……」

 自信なさそうに首を傾げた。

 聞けば、先生も生徒達と感じく、知らないうちに眠っていたらしい。

 目が覚めた時には、体育館にいた。

 不思議に思いながら職員室に戻ると、変な鬼が変な歌を歌っているし、

 生徒は襲われているし、で――ぷっつんキレた。

 一直線に牛鬼に突っ込んでいくと、そのままブンッと一本背負いで、床へ叩きつけてしまった。

 このおかげで、弱っていた牛鬼はばたんきゅ~したらしい。

「……なんだよ、先生。オレ達には無茶するなって言っといて、自分はムチャクチャじゃん。

 鬼に一本背負いって」

 和也が言うと、みんな噴き出した。

 そうだ、そうだ、と囃し立てる。

「先生はいいんだ。大人だからな」

 言っている事と裏腹に、子供のように唇を尖らせている、荒木先生。

「えー。ずりぃよー」

「先生、そんなに強かったんだ。知らなかったなー」

「私、聞いた事がある。学生時代に、柔道と剣道の大会でベスト8に行ったんだって」

「マジで?」

「凄い! 先生、超かっこいいー!」

 女子達が黄色い声を上げ、荒木先生はますます居心地悪そうにそっぽを向いた。

 ややあって、ぼそりと訂正した。

「……剣道の方は、ベスト4な」

「ま、鬼なんて、大した事ないって事だよ。先生の一本背負いで、伸びちゃってたもんね。

 お兄さんも大きな斧を振り回して、かっこよかったな」

 何故だか自分が得意そうな顔で、孝司が言う。

「マヌケな顔してやがったしさ! 牛面だぜ」

「そのマヌケな鬼に、あんだけ悲鳴上げてたのはどこのどいつだっつーの」

「驚いただけだって!」

 和也が茶々を入れ、皆がどっと笑った。

 孝司は、顔を赤くした。

 さっきまでの張り詰めた空気は、すっかり軽くなっていた。

 先生がいるだけで、皆、緊張がほぐれて笑顔になっている。

 大翔も同じだった。

 胸の奥に沈んでいた塊が消えたみたいだ。

 元気が湧いてくる。

 やれる気がする。

 

(能力者は絶望を希望に変える事ができるわ)

(それがエージェントの役目だからな)

 

 はしゃいでいる皆の中で。

 様子の違う人物が二人いるのに気づいた。

 章吾と悠だ。

 章吾は、緊張を解いていなかった。

 一人、じっと真剣な顔で校舎の方を見やっている。

 皆笑っていても交じらないのは、孤高の天才の章吾らしい。

「まったく、章吾ったら……」

 そんな弟を呆れた目で見ていたのは、彼の双子の姉の有栖だった。

 そして……悠は、不安そうに、はしゃぐ皆を見つめていた。

 その顔色は青ざめていて、抱えた膝が、かたかたと震えている。

「……どうしたんだ?」

 大翔が聞くと、悠はふるふると首を振った。

「何だか……嫌な予感がするんだ……」

「……嫌な予感?」

 悠は頷いた。

 それきり、黙りこくってしまう。

 悠は気が弱いし、肝試しも大の苦手。

 だが……直感は、妙に鋭いところがあった。

 

 大翔と雄が一緒に遊んでいた時の事だ。

 「ここ、嫌だ」と悠が突然言い出した事があった。

 ずっと昔、そこは近所の裏山で、それまでも何度も遊んでいた場所だった。

 遊びに夢中になってた大翔が何を言っても、悠は「嫌だ、ここいたくない」と聞かなかった。

 仕方なく、場所を変える事にした。

 

 大きな崖崩れで、その辺りが土に埋まった事を知ったのは、しばらく後の事だった。

 悠の嫌な予感に、大翔は命を助けられている。

「へぇ、悠ってある程度の予知能力があるのね。アタシ、見直したわ」

「初対面に言うんじゃない」

 

 と――男子達の間で歓声が上がった。

「俺も行くぜーっ」

 何人かが騒いで、荒木先生が慌てている。

「おい、お前ら、遊びじゃないんだ!」

 周りを取り囲む男子達に注意するのだが、今度は全然迫力がない。

「相手は未知の化け物なんだ! 子供に退治なんてさせられるか!」

「えー。ずりぃよー」

「子供差別反対!」

「さっきも言ったろう! お前らにケガでもさせたら、親御さん方に申し訳が立たん!

 これは先生の仕事だ!」

「先生の仕事に鬼退治があるなんて、みんな聞いた事ないよなー?」

「先生、大学で鬼退治習ったのかよー? 習ってないなら、オレらと同じじゃんー」

「屁理屈をこねるなっ!」

「先生が怪我しちまったら、俺らだって、先生の奥さんに申し訳立たねー。

 あ、先生、結婚まだだっけ。おーい女子、誰か結婚しねー?」

「うーん、荒木先生はカッコいいけど……歳が違いすぎるからパスかなぁ……」

「かっこよすぎて彼氏ができなかったら考えちゃおっかなー」

 わいわい盛り上がる皆に囲まれ、哀れ、荒木先生は泣きそうになっている。

 

(……鬼退治、か)

 大翔は体の横で拳を握り締めた。

(そうだ、逃げ回っているだけじゃない。鬼ごっこなんて終わりにしてやれ。

 俺達で、鬼どもを、やっつけてやるんだ)

「こんな大事な事、先生一人に任せておけるかっつーの。な? みんなっ」

「だよなーっ!」

「お前ら……」

 荒木先生は、懇願する皆を鋭い視線で睨みつけた。

 じっと、視線だけで射抜くように。

 みんな、じっと、その視線を受け止めた。

 

「……はぁ」

 目を逸らしたのは、荒木先生の方だった。

 諦めたように溜息を吐いた。

「……無茶だけはするなよ」

 よっしゃあ、と歓声が上がった。

「鬼なんてぶちのめしてやろうぜ!」

 みんなが騒ぐ。

 

「……駄目だ……」

 悠だけは、その輪に加わらなかった。

 青ざめたまま、口の中で何度も呟いていた。

「駄目だよ……。鬼に手を出しちゃ駄目なんだ……」

「なんで駄目なの?」

 それが気になった織美亜は、悠に声をかける。

 まるで、そんな事など全く気にしないように。

「たとえ鬼を倒したとしても、別の大きな鬼がやってくるかもしれないんだ。

 RPGで例えるなら、雑魚の後にボスが来るみたいな……」

「安心しなさい、能力者に不可能はないわよ」

「そ、そうだよ……ね……」

 織美亜は悠を元気づける。

 これは、死亡フラグでもなんでもなく、彼女が能力者であるための「強者の余裕」なのだ。




荒木先生は本当に頼りになる男です。
怪狩りのキユウ然り、ダイの大冒険のアバン然り、逆転裁判の綾里千尋然り、
師匠キャラは途中退場するのがお約束ですが……。


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8 鬼退治の準備

文字通りの回です。
能力者と一般人の違いを、ここでも表現してみました。


 校庭の南西端。

 体育と運動会の用具が詰め込まれた、桜ヶ島小第一体育倉庫。

 学校で武器探しといったら、ここしかないだろう。

「各自一つ、自分の身を守れるものを探せ。あ、そこにいる二人は必要なさそうだな」

(能力者は万能だと思っているのね)

(実際は、できる事とできない事があるんだがな)

 荒木先生が指示すると、男子達は倉庫の中を探し始めた。

 今回の作戦では、女子達は別行動だ。

 能力者は男女の差が小さいので除外する。

 改めて見てみると、体育倉庫の中は、色んなものがあるものだ。

 サッカーボール、バスケットボール、バレーボール……各種ボールの詰まった箱。

 バドミントンとテニスのラケット、走り高跳び用のマット、白墨を引くラインカー、角コーン。

 この辺りは、普段の体育の授業でも見覚えがある。

 さらに、今は運動会の用具でごった返している。

 綱引きの綱、長縄の縄、長い竹の棒は棒倒し用。

 大玉転がしの声もあった。

「これで鬼を引いちゃうか?」

 誰かが言って、みんな笑った。

 スコップ、土を均すトンボ、ブルーシート、フラフープにピコピコハンマー。

「オレの武器、ピコピコハンマーっ」

「アホか。そんなもので鬼と戦えっかよ。俺はこの長縄の縄で、鬼を跳ばしまくる」

「くらえっ、必殺・フラフープ光線っ」

「――こらっ! お前ら、真面目にやれっ!」

 ふざける皆に、先生が怒鳴る。

 まだまだあった。

 メガホン、マイク、スピーカー。

 棚には、今日使う予感だったゼッケンが、綺麗に畳まれて重ねられていた。

 みんなでやる予定だった、騎馬戦のハチマキ。

 クラスリレーのバトン。

 探っていくうちに、ふざけていた声は徐々に静まっていった。

 みんな黙りこくって、用具を漁る音だけが響いた。

 

「……オレ、許せねえよ」

 ぽつりと、誰かが言った。

「運動会、今年で最後だったんだぞ。もう、みんなとはできないんだぞ。滅茶苦茶にしやがって」

 みんな、それぞれに体育倉庫の中を見回した。

 大翔も見回した。

「……鬼なんて、ぜってぇ、ぶっ倒してやるんだ」

 武器になりそうなものは、それほど多くなかった。

 手頃な長さのスコップが数本。

 棒倒し用の竹棒が数本。

 これは長すぎるので半分に折る事にした。

 テニスラケットが数本。

 野球のバットが2本。

 全員、それぞれ武器を分け合った。

 一番威力がありそうなバットは、荒木先生と章吾が持った。

 大翔はスコップを手に取った。

 悠は竹棒を手にしたまま、まだ青ざめた顔をしている。

「なんで暗いのよ。ボス鬼はアタシ達が倒すのに」

「……」

「ま、アナタが黙ってるなら、深く追求しないけど」

「オレ達は鬼と戦うためにここに来た。だから、不安になるんじゃない」

 狼王は悠の肩に手を置いた。

 悠はようやく立ち直ったのか、顔を上げる。

「確かに、鬼は単独では強いかもしれない。でも、皆で戦えば、必ず鬼を倒す事ができる」

「そのために、能力者がいるのよ」

「……ありがとう」

 二人のエージェントのおかげで、悠はようやく本来の表情に戻った。

 

「お前ら、これをつけろ」

 武器が行き渡ったのを確認すると、先生はみんなに1枚ずつゼッケンを配った。

 能力者は、あえて断った。

 数字がいい、これがいいとちょっと揉めたが、先生が一喝して黙らせた。

 ゼッケンをつけると、何を言われたわけでもないのに、

 みんな、互いの顔を見合って、頷き合った。

 

「お前達はチームだ」

 皆を見降ろし、腕組みすると、荒木先生が言った。

 体育の授業や部活で指示を飛ばす時と同じ、生徒達を励ますような、叱咤するような口調だ。

「これから運動会競技、鬼退治を行う。昼休憩前に行われる悪い鬼をみんなでやっつける競技だ。

 勝利したチームには、大ボーナス、500点が与えられる」

「他の競技、意味ねーじゃん、その点数」

 和也が茶々を入れる。

「俺からの指示は二つだけだ。一つ、周りの仲間に気を配れ。

 危ない奴がいたら、声を掛け合って助けろ。

 一つ、自分の頭で状況を判断しろ。自分に自信を持て」

 皆、頷いた。

 荒木先生は続けた。

「……そして、これが一大事だ。一つ、誰一人、欠けるな。みんなで帰るんだ」

「先生、指示、三つになってます」

「気のせいだ。検討を祈る」

 

 一同は体育倉庫を出ると、円陣になった。

 誰からともなく、手を重ねていった。

 みんな、頷き合った。

 声を張り上げた。

 

「行くぞっ! みんなっ!」

「おうっ!」




超能力は確かに強いけど、それだけで鬼ごっこを乗り切れるわけではない。
それを、私は伝えたかったのです(ぶっちゃけて言うとチート無双嫌いアンチ)。


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9 いざ、鬼退治!

いよいよ鬼退治を始めます。
能力者がいるし、原作とは違う展開になっていますが、ご了承ください。


 一旦、女子達と落ち合った。

 男子達が出ている間、女子達は待機して、脱出手段や外への連絡方法を練る事になっている。

 何の気なしに持ってきたメガホンやマイクを渡すと、

 これがあれば近所に声が届くかも、と話し合い始めた。

 タブレットは、女子達に預けた。

 男子達が出ている間に、襲われたらまずいからだ。

 

 キーン コーン カーン コーン

 

 響いてきたチャイムの音が、そのまま戦闘開始の合図になった。

 皆が固唾を呑んで見守る中、タブレットの画面に、「鬼」の表示が加わった。

 3階、南廊下、体育館横、西棟1階男子トイレ内。

 2階、理科室前、2階4年3組教室内、校舎中庭。

 3階、5年2組教室前。

 2階、音楽室校庭体育倉庫前×2。

 

「一気に湧き過ぎだろうがっ!」

「……」

 和也が悲鳴を上げる中、狼王は冷静だ。

 今にも斧を出そうとしている。

「先生、あっちから来るっ!」

 つい今し方までいた体育倉庫の顔に、2匹の鬼が現れていた。

 牛鬼が1匹と、また別の奴。

 角が生えているが、見た目は人間に似ている。

 やたら太ったまんまるな体で、腹がでっぷりと突き出している。

 ごはん、ごはん、と喚き立てている。

「……あれは、餓鬼かな」

「餓鬼?」

 葵が冷静に解説する。

「餓鬼は生前に贅沢をした鬼が生まれ変わった鬼よ。

 常に食べ物に飢えていて、普通は、ガリガリにやせ細った姿をしているものなんだけど……。

 あの餓鬼は、メタボね。地獄も飽食の時代、って奴なんだわ」

(中性脂肪の採り過ぎには注意しなきゃだね)

ごはぁんんんんんっっ!

 餓鬼は子供達を見つけると、ずしずしとこっちへ向けて走ってきた。

 動きは鈍いが、突進力がある。

お前ら、散れっ! 作戦通りに動け!

 叫ぶと、荒木先生は餓鬼に突っ込んでいった。

 バットを剣のように構えると、ふっと一呼吸。

 餓鬼がぶんっと腕を振り下ろすのをかわしざま、胴にバットを叩き込んだ。

 バランスを崩した餓鬼が、地面へひっくり返る。

 太りすぎて起き上がれないのか、足をバタバタ動かしている。

「今だ! 捕獲班! ネットだっ!」

「おっす!」

 バサッ、と大きな網が翻って、ひっくり返ったままの餓鬼を覆った。

 体育倉庫にしまわれていた、障害物競走用のネットだった。

 四方をペグで打ちつけてあっという間に固定する。

「一丁上がり!」

「これも頼む!」

 先生の足下に、牛鬼がひっくり返っていた。

 さっすが、と有栖が手を叩く。

 先生は振り抜いたバットを腰に戻すと、剣道の試合のようにお辞儀してみせた。

 ムカデ競技用の紐が、何本も宙を飛んだ。

 前右脚、後ろ左脚……たくさんの輪っかが、牛鬼の脚にバラバラに嵌った。

 逆側を引っ張って、地面に固定する。

 障害物用のネットとムカデ用の紐で、餓鬼と牛鬼は校庭に繋ぎ留められた。

 

「運動会の日になんて出てくるから、こういう事になるんだっつーの! 準備係、舐めんなっ!」

「二人で障害物競走とムカデ競走でもしてろっ!」

 ピュイッと誰かが口笛を吹いた。

「大玉転がし、したきゃさせてやるぜっ!」

「お前ら、怪我はないかっ?」

「よーしっ!」

「大丈夫!」

「ゼロッ!」

「それじゃ、行くぞ! はぐれるな!」

 一同は荒木先生を先頭に、校舎の方へ向かっていった。

 大翔も続いた。

 昇降口に踏み込もうとしたところで、次の奴らが出てきた。

 マヌケな面、あのオンチ鬼2匹だ。

 今度は『ハト』を歌っている。

 レパートリー豊富な奴らだ。

「お前ら、無理するな! 一旦下がれ!」

「だいじょーぶ! 全員、せんせーと章吾と有栖を援護っ!」

ポッポッポォッ! 鳩ポッポォ! まぁめがほしいか

「「「「そっらやっるぞおおおーっ!」」」」

 全員で叫ぶと、持っていた物を投げ始めた。

 サッカーボールが飛んだ。

 バレーボールが飛んだ。

 フラフープも飛んだ。

 ともかく色々飛んだ。

 突っ込んできた牛鬼が、雨霰と受けて怯んだ。

 ピコピコハンマーがピコッと音を立てて行った。

みっんなをなっかよく食っべたっいようううっ!

「はぁぁっ!」

 有栖が念力を操り、牛鬼の動きを一時的に止める。

「やったれ、章吾!」

「我らがエースっ!」

「我が双子の弟!」

「……やれやれ」

 皆の声援を受け、章吾が進み出る。

 突っ込んでくる牛鬼へ向けて、ぐっとバットを構えた。

「9回裏!」

「ツーストライク、ツーアウト!」

「そこからのぉー」

「――奇跡の逆転サヨナラホームランッ!」

 よく分からない皆の掛け声を背に、綺麗にフルスイングする。

 クリーンヒット、ホームラン。

 ぶっ叩かれて、どさりと牛鬼がひっくり返った。

 ふん、と章吾が得意そうに笑った。

 章吾がみんなと一緒に笑うところなんて、大翔は初めて見た気がした。

「――危ないっ!」

 大翔はとっさにスコップを振るった。

 章吾の背中に伸びた牛鬼の脚を、寸でのところで打ちつける。

「早く捕獲っ!」

「こっちもーっ!」

 素早く地面に固定され、2匹の牛鬼が捕まった。

 長縄の縄で両方の脚同士を結び付けてやると、

 牛鬼達は迷惑そうに目玉をぎょろぎょろさせて、『蛍の光』を歌い始めた。

 

「これぞ、金谷流鬼捕獲術!」

「……くそ。詰めが甘かったか」

 有栖が胸を張る中、章吾は大翔をじっと見やると、悔しそうに唇を噛んだ。

「借りは返すからな」

「……待ってるぜ」

 

「中庭から行くぞ!」

 先生が叫んだ。

 昇降口を抜けると、一同は中庭に雪崩れ込んだ。

 凹の字をした校舎の北側、桜ヶ島小学校中庭。

 三方をすっぽりと校舎に囲まれた中庭は、普段はみんなの遊び場だった。

 一面芝生で覆われた地面。

 真ん中には大きな木が生えていて、その周りを花壇が囲んでいる。

 先生や生徒達が植えた、たくさんの花が咲き誇っている。

 中庭は、ひっそりと静まり返っていた。

「いないのか……?」

 皆は庭の中に踏み込んでいくと、きょろきょろと周りを見回した。

 大翔は、木の脇の地面に、赤銅色の何かが突き刺さっているのに気づいた。

(あれは、もしかして……)

 

「お、おい……」

 と、誰かが息を呑む音が聞こえた。

 木の向こうにある、聳えていた何かが、ゆらりと音もなく、立ち上がったのだ。

「いけない……」

 隣で悠が呟いた。

 その顔は、真っ青になっている。

 見上げるように大きな化け物が立っていた。

 牛の頭部に漆黒の兜。

 2本の角が、天を突くように伸びていた。

 巨大な体に、これも真っ黒な鎧を身に纏っている。

 腰には戦利品のように括りつけられた無数の髑髏。

 丸太のように太い腕が体の横にぶら下がっている。

 

「ご、牛頭鬼だ……」

 震える声で、悠が呟いた。

 地獄の獄卒のリーダーは、虚ろな穴の奥のガラス玉のような瞳で、囲んだ皆を睨みつけた。

「逃げて!」

 悠が叫んだ。

 迷いのない、明確な指示だった。

 じりじりと牛頭鬼を睨んでいた皆は、顔を見合わせた。

「みんな、逃げて! 今すぐここから離れるんだ!」

 牛頭鬼が吠えた。

 天に向けて、一声。

 ビリビリと、空気が震えた。

 生徒達は、その一声で……動けなくなった。

 この世のものとは思えない雄たけびに、全身が竦み上がった。

「お前ら、逃げろ! 撤退だ!」

 青い顔で荒木先生が叫んだ。

 それでも、皆は動けない。

 ゆったりとした足取りで、牛頭鬼が近づいてくる。

 

「だから、アタシ達が来たって言ったじゃない」

「覚悟しろ、牛頭鬼」

 その時、織美亜と狼王が牛頭鬼の前に転移した。

 狼王の手には、戦斧が握られていて、織美亜の手は光を纏っていた。

「No.6……No.8……!」

 悠の「予知」を聞いた時、織美亜と狼王は力を温存していた。

 ボス鬼が出るのを想定していたからである。

 結果は予想通りだった。

 能力者はボス鬼と戦うために、雑魚鬼と戦わなかったのだ。

「一つ、任務は出来る限り遂行すべし」

「二つ、人喰い鬼は滅ぼすべし」

「三つ、能力の乱用は控えるべし」

 織美亜と狼王は、殺鬼軍心得三箇条を言った。

 普段は能力を使わず、いざという時に能力を使うのが、殺鬼軍エージェントの心得なのだ。

「……後はオレに任せろ!」

「牛頭鬼! アナタの相手はアタシよ!」

「あ、ありがとう!」

 織美亜と狼王に見送られながら、一同は大急ぎでその場を立ち去っていった。

 

 牛頭鬼はのそのそと動きながら、織美亜と狼王を追いかける。

「はぁぁぁぁっ!」

―ガキィィィィィン!

 狼王は力を溜め、牛頭鬼に向けて斧を振り下ろす。

 だが、牛頭鬼は太い両腕で斧を受け止め、一度距離を取った後、狼王を拳で殴った。

「ぐあぁっ!」

「ヒーリング!」

 出血したところに織美亜が近づき、「治癒」の能力で傷を癒す。

 狼王は「力」の能力による強い腕力で牛頭鬼の頭を思いっきり殴った。

 おかげで牛頭鬼にダメージを与える事ができたが、それでも牛頭鬼が倒れる気配はない。

 牛頭鬼は太い腕で織美亜と狼王に攻撃を仕掛ける。

 二人は攻撃をかわし、再び能力を使って攻撃した。

(……想像以上にタフね)

 牛頭鬼は、織美亜の想像以上に体力が高かった。

 同じ事の繰り返しになると察知した織美亜は、額に脂汗を掻きながらこう言った。

 

「……一旦、撤退するわよ」

「ああ……」

 

 能力者すらも、逃げざるを得ない強敵。

 大翔達は、絶望した。




いくら能力者でも、逃げざるを得ない時はあるのです。
特殊な力を持っても、能力者は人間なのですから。

次回は鬼ごっこの起源を調査します。


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10 ことろことろ

鬼ごっこの起源についてを調査します。
自然災害や流行病、それは避けられない災い。
昔の国はどういう方法で例えたのか、その違いが分かります。


 能力者であっても牛頭鬼を倒す事はできなかった。

 学校はまだ地獄のままだ。

 しかも、鬼は増え続けている。

 葵はタブレットの画面を示した。

 3階建ての校舎の各階を、何匹もの鬼の字が動き回っていた。

 その数は、とっくに子供達の数を上回っていた。

 廊下を悠々と往復し、逃げようとする子供がいないか監視している鬼。

 教室に無数の針を植えつけて、校舎を針地獄に改造しようとしている。

「能力者は、万能じゃない……」

 荒木先生が呟く。

 いくら超能力を使える者でも、エージェントは人間である。

 キリがない敵と戦い続ければ、身が持たないだろう。

さあ、桜ヶ島小のガキんちょのみんな! お待ちかね!

 鬼さんダーツの旅の時間だぜええええっ!

 スピーカーからツノウサギの声が響き渡った。

オレ達鬼さんが、校内に隠れてるみんなを捕まえて食べにいくこの企画!

 楽しんでくれているかな? 今度の鬼さんの旅先は……HEY! 家庭科室だZE!

 隠れてるガキんちょ君、いっるかな!? 今、食いに行くから待っててねえ!

 遠くで、慌てふためく子供の悲鳴と、走る足音が響いた。

 ツノウサギは楽しそうに、キャキャキャと笑い転げている。

 ……もう、学校は自分達の場所じゃない。

 桜ヶ島小学校は、鬼の手に落ちたのだ。

 

「……今が限界よ」

 スピーカーを睨みつけ、タブレットの画面に目を落とすと、葵が言った。

「……手遅れになる前に、学校から逃げ出さないと。あなた達は戦えるわよね?」

「ええ」

「じゃ、援護をお願い」

 葵は織美亜と狼王に援護を頼んだ。

「……だが、外には出られないぞ?」

 荒木先生が言うと、葵は首を振った。

「校門からなら出られるわ」

「校門も閉まっていたぞ?」

「閉まってるものは、開けるためにあるって思わない?」

「確かに」

「あたしの計画はシンプルよ。

 1、校門の錠前のカギを探す。2、カギで校門を開く。3、校門から外へ逃げ出す」

 葵はニヤリと笑った。

「完璧なプランでしょ?」

「……うん。ほんと、完璧だねぇ……。ははは」

「はっはっは、宮原らしい計画だな!」

 悠は口元を引きつらせ、荒木先生は大笑いした。

「まぁ、やるしかないけどさ」

 大翔は開き直ったように肩を竦めて、笑った。

「まあ、肝心のカギがどこにあるか、分からないんだけどね」

「カギ。カギか。あれ? なんか、どこかで見かけたような……」

「大翔はどう思う?」

 葵が声をかけたが、大翔は振り向かなかった。

「大翔。……ちょっと、大翔ってば。さっきからだんまりじゃない。何か言ってよ」

 じれた様子で、葵が足を踏み出した。

 ふと、気づいた様子で立ち止まった。

 ぐるりと部屋を見回した。

 探し物をするように顔を巡らせて、部屋の中を歩き回り始める。

「どうしたの、アオイ?」

「……ずっと気になってた事、思い出したの」

「気になってた事?」

「うん。教室で、黒板のルールを読んでから、ずっと気になってたの」

「ルールだと?」

「『あ』、『い』、『う』、『え』……あった、『お』の段。

 本は人類の知恵の実なり。あたしの好きな言葉よ」

 ようやく、大翔は顔を上げた。

 それで初めて、この部屋が、図書室である事に気がついた。

 東棟3階。

 桜ヶ島小学校図書室は、絵本から百科事典までたくさんの本が揃えられた、本の要塞だ。

 本好きな司書の先生が、色んな本を入れてくれている。

 ずらりと並んだ書架の一つ一つに、ぎっしりと並べられた本の数々。

 並んだ本の背表紙を、葵は食いいるように見つめていた。

 

「……あったわ」

 棚から抜き出したのは、臙脂色の表紙の本だった。

 高学年向けの資料本だ。

 社会の調べ物学習でしか借りられなそうなもの。

 時代がかった筆文字で、表紙にタイトルが書かれている。

 

『鬼ごっこの歴史』

 

「……ずっと気になってたの」

 本のページをぱらぱらとめくりながら葵が呟いた。

「何を?」

「どうして、『ことろことろ』なんだろう、って」

 後ろからページを覗き込んでいた悠が、ぱちぱちと瞬きをした。

「……ことろことろ?」

「黒板に書いてあったじゃない? 『ことろことろのルール』、って。

『鬼ごっこのルール』、じゃなく」

「……そういえば」

 確かにそうだった。

 黒板には、ことろことろのルールと書かれていた。

 内容が鬼ごっこの事だったし、あのパニックの中で、そんな細かい事を忘れてしまっていた。

「あえてそう書かれてたって事は、何か意味があると思うのよね」

 葵はページをめくりながら続けた。

「鬼ごっこではなく、ことろことろである意味。

 ……ひょっとしたら、この事態を打開するヒントが、そこにあるかもしれない」

 ぱらぱらとページをめくっていた手が、止まった。

 まじまじと覗き込んだ。

 ふふっと得意そうに笑うと、ばっと本を広げてみせた。

 

「……ビンゴ」

 広げられたページには、こう書かれていた。

 

 ことろことろについて。

 ことろことろとは、現代の鬼ごっこの元となった、最古の鬼ごっことされる遊びである。

 

 『鬼ごっこの歴史』より抜粋

 

 小さな子供が成長して、最初に覚える遊びは、なんだろう。

 色々な遊びがある中で、鬼ごっこほど明快なものはないだろう。

 逃げる、追いかける……たったそれだけのシンプルな動作で、

 この遊びは日本全国で長く親しまれてきた。

 そんな鬼ごっこだが、その起源は意外に知られていない。

 鬼ごっこの起源は古く、平安時代に五穀豊穣を願うために行われていた宮中行事だ。

 「鬼事」というそれが遊びとなったものが、最古の鬼ごっこだと考えられている。

 名称は「鬼ごっこ」ではなく、「ことろことろ(子を捕ろ子捕ろ)」と呼ばれていた。

 

 「ことろことろ」のルールは、現代の鬼ごっことは少し違っている。

 「鬼」が「子」を捕まえるというところは同じなのだが、

 「鬼」と「子」以外に、もう一つ役が存在し、それが遊びを違ったものにしているのだ。

 その役は、「親」である。

 親は両手を広げて、子供達を鬼から守る。

 それによって、鬼は簡単に子を捕まえる事ができなくなる。

 鬼が苦手とするのが、子を守る親の存在なのだ。

 

 何故こうした遊びとなったのかは分かっていない。

 だが、一般的に「鬼」というものは、

 人々にとっての災厄や困難を表す象徴として語られるものだ。

 鬼という災厄に、親と子が協力して立ち向かう。

 人々は、この遊びを通して、親子の絆の大切さを、伝え残そうとしたのではないだろうか。

 

「鬼ごっことは、そんな昔からあったんだな……」

「琉球王国だった時代に、あったのね」

「ふん、鬼ごっこで災いを乗り越えるのか。

 ここではそうかもしれないが、違う国ではそうでないかもしれない」

「どういう事?」

「日本では、災厄や困難を鬼のせいにして、人が協力して立ち向かうんだろう?

 だが、外国、特にヨーロッパでは悪魔と契約した魔女の仕業とされて、

 数多くの力なき人が処刑されたんだ」

「うぅ……」

 狼王の呟きは、悠に軽い吐き気を催した。

 災いを何かのせいにするところは日本も西洋も変わらないが、

 そもそも宗教が違うと考えも変わるのだ。

 まぁ、ここでは宗教の事は明かさないが。

「ことろことろは、子を捕ろ子捕ろ、か。漢字にするとなかなかエグいわね」

 本から顔を上げると、悠、葵、荒木先生は感想を漏らした。

「そういえば、黒板にもあったね。『親は、子供を守らなければならない』って。

 あれが、ことろことろのルールだったんだ」

「俺達親が、鬼から子供を守るのは、感動だよな」

「時代を経て、ルールが変わっていって、今の鬼ごっこになったって事ね。

 昔の人達は、今よりも、親子の絆をとても大切なものだと考えていたのかもね……」

「ああ、身に染みるよ」

 親として、荒木先生は感動しているようだ。

 学校を脱出し、平穏な日常を取り戻す。

 それが、大翔達に与えられた『指令(ミッション)』だった。




私が思うに、災いに対する教訓は「人のふり見て我がふり直せ」だと思います。
誰かのせいにしないで、まずは自分から反省せよ、と。


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11 脱出作戦

鬼から逃げるための作戦を考えます。
原作とルートを変えているので、そこら辺の辻褄合わせに少し苦労しました。


「脱出しましょう」

 本を閉じると、葵は五人に頷きかけた。

「このままここにいても、どうしようもないわ。隠れてるみんなと合流しましょう。

 力を合わせて、学校から抜け出すの」

「うん!」

「ああ!」

「ええ!」

 悠、荒木先生、織美亜が頷いた。

「……ムリだよ」

「無理ではない。消耗しているとはいえ、能力者がいるんだぞ?」

「それはそうだけど、カギがなければ、校門は開かないんだろ?」

「だから、まず探そうって言ってるんじゃない」

「場所は分かってる。俺、見たんだ、カギ。……多分、あれが校門のカギだ」

「なんだ」

 葵は、ほっと胸を撫で下ろした。

 得意そうにピンと指を立てた。

「それなら話は簡単ね。今すぐ、取りに――」

「あの鬼の! 牛頭鬼のいる中庭の地面に! 刺さってるのを見たんだよ!」

「……はぁ」

 堪え切れずに、大翔は叫んだ。

 悠が青い顔をして黙り込み、ごくりと唾を呑む。

 葵は難しい顔をして腕を組んだ。

 荒木先生はふむぅ、と唸り、織美亜と狼王は溜息をつく。

 牛頭鬼と戦ったが、撤退したからだ。

「……それはちょっと、厄介そうね」

「厄介とかいう話じゃない! 葵はあいつを見てないから、そんな事を言えるんだ!」

 もう声を抑えられなくて、大翔は叫んだ。

「あんな奴のいるところから、カギを奪えるわけない!

 あの二人でも歯が立たなかっただろ? ……ムリなんだよ」

「……それでも、まずはみんなと合流しましょう。

 隠れてる男子達に、鬼の位置、伝えてあげないと」

 怒鳴る大翔に、葵は冷静な声で応じた。

「このタブレットの情報が、今のあたし達の命綱なの。

 闇雲に動き回って鬼に捕まっちゃう子が出る前に、合流して情報を共有しないと」

「……」

「校庭の方も、もう安全じゃないの。

 女の子達も武器を持って頑張ってるけど、そんな鬼がいるならどうしようもないわ。

 一刻も早く、脱出しないと」

 葵は何気なくタブレットを見下ろし……。

 あっ、と声を上げた。

 

 タブレットの画面表示が、変わっていた。

 前面に乾電池のようなアイコンが表示されて、ちかちかと点滅している。

 

『バッテリーを充電してください。充電しない場合、まもなく電源が切れます』

 

「………次から次へと……」

 葵は舌打ちした。

「先に充電しないとダメね。充電器探しから始めないと」

「『雷鳴』の能力者、この場にいてほしかったわ」

「タブレットの傍にケーブルがあったぞ。まだ6年2組の教室にあると思うぞ」

 荒木先生が答えた。

 こういう時、荒木先生は頼りになる。

「なら、一旦教室へ戻りましょう」

「時間は、大丈夫かな……」

 チャイムの音は、ほぼ1時起きに鳴っている。

 次に鬼が追加されるまでに残された時間は、あと40分もない事になる。

 やる事はたくさんだ。

 6年2組の教室まで戻り、タブレットを充電する。

 校舎の中でバラバラになった男子達と合流する。

 中庭のカギを奪って、校門から逃げ出す。

 充電の時間なんて、ほんの少ししか取れない。

 校舎から出てしまえば、充電のためのコンセントもない。

 タブレットの電源が切れたまま、数の増えた鬼に襲われたら……。

「……なんかもう、頭で考えても仕方ないわね」

 もうどうにでもなれみたいに、葵が肩を竦めた。

「出たとこ勝負だわ。葵さん、腹くくりました」

 くすくすと悠が笑った。

「ガリ勉宮原が、そんな事言うの聞けるとはね」

「長生きはするもんだな」

「12年だけどねぇ」

 苦笑いだが、三人で笑い合った。

 

 顔をひきしめると、五人はドアへ向かった。

「さあ、行くぞ、大場」

「……俺は、いい」

 大翔は首を振った。

 すると、荒木先生は大声で怒鳴った。

このままここにいるのは愚策だと宮原が言ってるだろ!

 次のチャイムで、お前らは鬼に食われるんだぞ!

 俺はみんなに、誰も死んでほしくないんだ!

 それが、荒木先生の本心だった。

 生徒も能力者も、誰一人死なずに脱出する。

 先生らしい、力ある言葉だった。

「……荒木先生……俺……」

 荒木先生に助けられた大翔は、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、悠、葵、織美亜、狼王と共に歩き出した。

 

 教卓の上には、電源タップとケーブルが、置かれたままになっていた。

 タブレットに繋ぎ、電源に差し込むと、充電中を示すアイコンが表示された。

 6年2組の教室。

 幸い、鬼はこの近くにはいないようだった。

 次のチャイムまでに残された時間は30分強。

 10分前には行動開始。

 それまでは充電を待つ事にして、四人とも黙って席につき、荒木先生は教卓の前に立つ。

 教室は、いつもと何一つ変わらない。

 それがなんだか、不思議な事のように思えた。

 訳もなく教科書を引っ張り出して開いてみると、以前描いたラクガキが目に飛び込んだ。

 また授業を受ける事ができたら、今度は真面目に聞こうと決めた。

 

「……ん?」

 ふと、大翔は違和感に気づいて、瞬きした。

 小さな違和感だった。

 最初は、何に引っかかったのか、自分でも分からないくらいだった。

 机は、いつも通りだ。

 隅っこに彫り傷がついている大翔の机。

 上でプリントに字を書こうとすると穴が開く。

 机の横には、掛け金がついている。

 そこに、靴袋がかけられている。

 

 何年か前に、母さんに買ってもらった靴袋だった。

 黒の生地に一点だけ、スポーツメーカーのロゴマークが入ったもの。

 それまで使っていたアニメ柄のものが、急に恥ずかしくなったから。

「何が気になるんだ?」

 自分に問いかけてみる。

 袋の紐が、いつもと違う。

 紐を締める時、大翔はいつも適当に引っ張っただけにしておく。

 いちいち結ぶの、面倒くさいから。

 大翔の母は、靴が転がり落ちないように、丁寧に結ぶ。

 ちゃんとしなさいと、大翔を注意する。

 

 今、袋の紐は、丁寧に結ばれているのだった。

 昨日、大翔は靴袋を玄関に出しておいた。

 ボロボロになったシューズを突っ込み、いつも通り、適当に紐を締めて。

 朝、出掛けに手に取ると、玄関を出た。

 紐の事なんて気にしなかったが、思い返すと、

 その時にはもうきちんと結ばれていたような気がする。

 

 大翔は靴袋を手に取ると、紐をほどいた。

 中身を取り出した。

 出てきたのは、真っ白なシューズだった。

 ぴかぴかの新品だ。

 見覚えがあった。

 以前、母とデパートに行った時に、大翔が気に入ってずっと見ていたものだ。

 物欲しそうに見ていたら、怒られた。

「そんなに高い靴、いらないでしょ」

 

(どうして、こんなものが入ってるんだろう?)

 靴袋から、ぽろっと何かが転がり出て床に落ちた。

 四角く折りたたまれた、紙切れだった。

 大翔は紙を拾い上げると、手の中で広げた。

 紙には、たった一文、こう書かれていた。

 

 ごめんね。

 

 ちょっと角ばった字。

 見慣れた字だった。

 家の中に溢れている。

 冷蔵庫に貼りつけられたホワイトボードに。

 壁掛けカレンダーに並んだマス目の中に。

 大翔の母の字だった。

 

「……大翔?」

 悠、葵、織美亜、狼王、荒木先生が不思議そうにこっちを見ている。

 視界が滲んだ。

 ぽろっと涙が頬を伝った。

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、止まらなくて、雨が降ったように紙が濡れた。

 

 母が、買ってきてくれたんだ。

 喧嘩して、大翔が部屋に引っ込んだ後、街に飛び出して。

 もう遅い時、店は閉まりかけてただろうに、

 置いてる店だって多くなかっただろうに、何軒も店を走り回って。

 母が用意してくれたんだ。

 約束、守ろうとしてくれた。

(『母さんなんて、母さん失格だ』。俺、あんな事、言ったのに。俺のために)

 

 大翔は乱暴に涙を拭うと、履いていた靴を脱ぎ、真新しいシューズを床に置いた。

 右足を入れ、紐をぎゅっと結び付けた。

 左足を入れ、ぎゅっと結んだ。

 痛いくらいに。

 

 シューズはぴたりと足に合った。

 立ち上がると、葵と悠に力強く頷きかけた。

「……家に帰ろう」

 二人も強く頷き返した。

 もう時間だ。

 行かなくちゃいけない。

 

 6時間目のチャイムが鳴る。

 それが終われば、もう下校の時間だ。

 いつまでも学校に残ってたら、きっと荒木先生とかの先生に叱られる。

 きっと親達が心配してるから暗くなる前に帰ろう。

 

(家に帰ろう。帰って、母さんに謝らなくちゃ)




次回はいよいよ、鬼の看守との戦いです。
といっても、一般人である大翔達は基本的に逃げる事しかできませんが、能力者ならば……。


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12 大脱走

地獄小学校編のクライマックスです。
有栖は、章吾をぐいぐい引っ張るキャラが欲しいし、
大翔にきょうだいはいるのに章吾にきょうだいがいないのは……と思ったので、作りました。
まあ、性格はいつも通りの私クオリティですが。


「僕は断然、優花ちゃん派だな~」

「オレは可愛い子より強い子が好みなんだよな。前から宮原、結構いいと思ってた」

「章吾は誰派?」

「……有栖にお前ら、何故。今恋バナなんだ……」

 西棟2階、音楽準備室。

 金谷章吾、金谷有栖、関本和也、伊藤孝司の四人は、

 狭い部屋の中に潜んで……恋バナをしていた。

 隣の音楽室では、鬼がのそのそと歩き回っている。

 カギをかけたから入ってはこられないようだが、一向に出ていく気配がないので、

 準備室に閉じ込められてしまった。

 スピーカーから、時折、ツノウサギのはしゃぐ声が聞こえてくる。

 有栖なら超能力で何とかできるだろうが、無闇に使えないので、身動きが取れなかった。

「章吾、何冷めてるのよ! 私達、ここで死んじゃうかもしれないのよ?」

 悲痛げな顔で、有栖が言う。

「死んだら、恋バナはできないのよ?

 今、好きな子の事を語らないで……いつ語るっていうのよ?」

 流石に姉には逆らえないと、章吾は頭を抱えた。

「……どこからツッコんでいいかすら分からん……」

「こんな事になっちゃうなんて。こんな事なら、優花ちゃんに告白、しておくんだったわ。

 好きだ、優花ちゃん、愛してる、って……。あ、私は女子だから無理ね」

「……そんなに生きて告白したけりゃ、ちっとは考えろ。あのカギを取る方法を」

 章吾は、窓の向こう、眼下の中庭を指差した。

 大きな金属棒が地面に突き刺さっている。

 恐らく、あれが校門のカギだ。

 その脇には牛頭鬼が腰を落ち着け動く気配がない。

 地獄の檻のカギを守る番人だ。

 あいつとまともに戦っても、能力者でなければ勝ち目はない。

 何とか盗み取る方法を考えなきゃいけない。

 

「あ、忘れてたわ」

「何か考えはないか?」

「え?」

「……どうした?」

 孝司と和也が驚いたようにじっと自分を見つめるので、章吾は眉を上げた。

「いや、なんというか。章吾が姉ちゃん以外に意見を聞くなんて、初めてだなーと思ってさ」

 和也は準備室の中に転がっていたリコーダーをくるくると手の中で回しながら答えた。

 そうだねー、と孝司は木琴を叩いている。

 そんなぁ、と有栖は照れている。

 こいつら、ぜってぇ状況を理解してねぇ、と章吾は危機感を覚える。

「…そうだったか?」

「うん。章吾って姉ちゃんだけに意見を聞く。姉ちゃん以外眼中にねぇって感じだったし。

 ま、スカしたシスコンだって思ってた」

「僕らが遊ぼうと思っても、金谷くん、露骨につまんなそうだったしね」

「少なくとも俺はシスコンではないぞ……」

 孝司と和也に口々に言われて、章吾は呆れてしまった。

「まあいいや。で、誰派なんだよ? 杉本? 宮原? それとも他の子? 教えろよ、章吾」

「バラさないから教えてよ、金谷くん」

「ね?」

「有栖、お前ら、そのお泊まり会の夜みたいなテンションやめろ」

「紳士ぶるなよ。どうせ死んじまうかもしれねえんだ。ゲロっちまえよ。好きな子の名前を」

「声を限りに叫ぶんだ。好きな子の名前を」

「死亡フラグになりそうね……」

 その時、スピーカーからガタガタと物音が響いた。

 四人は身構えた。

 

『なんだ、お前は! 何しにきた!』

 ツノウサギの声が響き渡った。

 放送室で、何かあったらしい。

 言い争う声が聞こえる。

 誰かが放送室に踏み込んだのだ。

 相手の声は遠くて聞き取れない。

『ほう? 学校を取り返しにきた、だと? バカめ。

 ひ弱な人間が、しかも女の子風情が、地獄の悪鬼たるこのオレ様の前で、

 一体何ができると……って痛っ! やめてっ!

 ラケットや斧で角、叩かないで! 痛い、痛いからっ!』

 バキン、ドカンと音が響いた。

 四人は顔を見合わせた。

 音はしばらく続いて、治まった。

 ツノウサギがぜぇぜぇ言うのが聞こえる。

「……ふ、ふん。セリフの途中で攻撃とは、いい度胸だ。

 そういうルールやマナーの守れない人間の、行き着く先こそが地獄というわけだ。

 ふふ、泣くがいい、叫ぶがいい。このオレ様が、貴様を地獄の業火で……あっ、やめて!

 だから角、叩かないでっ! そこ凄く痛いからっ!」

 バキン、ドカン、ガタンと音が響いた。

 

『えーっと……これがマイクかな? はろー。男子諸君、元気? 聞こえる?』

『いるー?』

 ややあって、声が切り替わった。

 スピーカーから響いてきたのは宮原葵の声だった。

『ツノウサギさんには、平和的な交渉の末、マイクを譲ってもらったわ。

 これからしばらくあたしの放送を聞いてね』

「いやあぁんっ! 角を縛って吊り下げるの、やめてええっ! 痛いからぁっ!」

 後ろでツノウサギの泣き声が聞こえるが、一切スルーし、葵は続ける。

『……さて、みんな。

 今から、あたし、宮原葵と、大場大翔、桜井悠、荒木先生メインプレゼンツによる、

 スペシャル競技、奇跡の脱出大作戦! を決行するから、みんなも参加してね。

 脱出するわよ。全員で』

 ピュウッと和也が口笛を吹いた。

『これからあたしが一人一人に指示を出します。みんなそれに従って、校舎を脱出してね。

 1階事務室に隠れてる君。今からきっかり5分後に、南廊下へ抜けて昇降口から外へ出て。

 次、2階3年2組の教室に隠れてる君。8分後。

 部屋を出て、北階段から1階に降りて、昇降口に向かって。

 4組の教室を通る時は、音を立てないように。ファイト』

 流れるような口調で、葵はどんどんと各自の避難経路を告げていった。

 章吾と有栖も舌を巻いた。

 鬼の位置と子供達の位置を全部把握して、鉢合わせしないように指示を飛ばしている。

(葵ちゃん、流石は学年1位ね。凄い情報処理能力だわ。

 でも、校舎を脱出できたところで、カギがなければ学校から出られないでしょ?

 どうするのよ……)

 有栖がそう考えていると、見下ろす中庭の入り口に、人影が現れた。

 大翔、織美亜、狼王だ。

 章吾と有栖は息を呑んだ。

 大翔は、南廊下のガラス戸をくぐり、ゆっくりと中庭に足を踏み入れた。

 織美亜と狼王も続く。

 隠れる様子はない。

 選手宣誓の挨拶をするように、堂々とだ。

(あいつら、一体何を……)

 牛頭鬼が大翔、織美亜、狼王に気づき、のそりと立ち上がった。

 威嚇するように吠えた。

 あの、聞く者を竦み上がらせる雄たけびだ。

 窓がビリビリと震えた。

 章吾は震えを抑えつけ、有栖は超能力で防ぐ。

 牛頭鬼がにじり寄るように三人の方へ歩いていく。

 今度は大翔も、体が竦んでいなかった。

 応じて、距離を取るようにじりじりと後ろへ下がった。

 六人と一匹。

 同時に、地面を蹴った。

 背を向け、校舎の中へ走り始めた。

 

「……流石、大翔だわ。しかも、あの二人……強そうな雰囲気だったのに」

 有栖は素直に呟いた。

 鬼だらけの校舎の中、どうやって脱出ルートを確保するのか疑問だったが。

 校舎内の鬼を引きつけて回るつもりらしい。

 空っぽになった中庭に、きょろきょろしながら悠が出てきた。

 荒木先生も生徒を見守りながらやってくる。

 地面に突き刺さったカギをよいしょと引き抜くと、ぐいっと頭上に掲げてみせた。

 校舎の中に隠れている皆に、よく見えるように。

 得意げにピースした。

 みんな、何となく、グーを出して答えた。

 

――どうして僕だけチョキなんだあぁぁっ!

 叫びながら、一目散に逃げていった。

 

「……ったく。バカな奴ら」

「でも楽しそうじゃない」

 言葉と逆に、章吾の顔は、何故だかニヤニヤしてきてしまった。

 大翔はそういう人物なのだ。

 運動会なんて、つまらないって思っていた。

 有栖以外は早々に章吾のトップを受け入れて、金谷君には敵わないと笑うだけ。

 いつも通り、退屈で、面白くない運動会になると思っていた。

 彼だけが、負けまいと、章吾の背中を追ってきた。

 

(バカな奴。俺の方がずっと足速いのに。なのに、なんでだろ。

 あいつが追っかけてくると、負けるかって思う。走ってて、初めて楽しいって思ったんだ)

「章吾……?」

 

『はい、皆さん! 脱出ルートは分かりましたか?』

 葵の声が響いた。

『えー。では最後。音楽準備室にいる四人についてですが……』

「はいはいはーい、オレらでーす!」

 和也がハイテンションで手を挙げる。

『三人については……テキトーに逃げてください! 死にゃーしない!』

扱いがテキトーだあああ!!!

和也フラれたあああ!!!

『以上、葵さんの校内放送でした! 後で会いましょ! グッドラーック!』

あぁ!

愛が届かなかったあああ!!!

 ブツッと音を立てて、放送は切れた。

 孝司と和也はおいおいと抱き合いながら、カスタネットとタンバリンを打ちまくっている。

 章吾は拳を握り締めると、立ち上がった。

 有栖もシンバルを持って、立ち上がった。

(大翔があのでかい鬼を相手にしてんのに、この俺がいつまでも隠れていられるかっつーの)

「行くわよ、あなた達! 私に続きなさい!」

「あっ、なんか金谷さんスイッチ入ってる! レア! レア!」

「もうどうでもいいよぉぉ。宮原酷いよぉぉぉ」

「後で残念会してやる! 今は行くぞ!」

「よし、行こう! 優花ちゃん、待っててくれ。僕は、僕は……」

「もうお前もフラれちまえよおおおぉぉ!」

 楽器片手に、もうよく分からないテンションになって、恋バナ野郎達が立ち上がる。

 鬼の待ち受けるドアに手をかけた。

 

「結局さあ!」

 カギを開けた。

「章吾の好きな子は、誰なんだよおおおお!」

「それはなああ……。絶対、絶対、言うなよぉぉぉ……!」

 バシンと準備室のドアを叩き開けた。

 すぐ目の前に、凶悪な顔つきの鬼がいた。

 

隣のクラスの、高橋彩矢ちゃんだああぁぁっ!

アヤヤあああァァァァァ!!!

アーヤヤぁ! アーヤヤぁっ!!!

「彩矢ちゃん!!!」

 好きな女の子の名を叫びながら、シンバルとタンバリンとカスタネット鳴らしつつ、

 飛び出してきた男子三名と女子一名。

 鬼はそんな四人と目が合うと……。

 

ヒイイイッ!

 

 物凄い勢いで、逃げ出していった。

 きっと、愛の力だ!




次回は牛頭鬼からの逃走劇です。
どんなに強い敵にも立ち向かう、そんな勇気を見る事ができるでしょう。


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13 逃げ切れ

地獄小学校編はこれで終了です。
なんだかんだ言って、鬼の一番の弱点は「アレ」ですよね。


(逃げ切れる。大丈夫だ)

 廊下を走りながら、大翔はちらりと後ろを振り返った。

 ドスドスッと太い足を動かして、牛頭鬼が後ろをぴったり追ってくる。

 足を床につくたびに、校舎が震えるようだ。

 図体の割に、牛頭鬼の足はかなり速かった。

 だが、大翔もまだ全力ではない。

 この程度なら逃げ切れる。

 中庭から西棟へ抜けて、うろついていた鬼をかわして走った。

 階段を上がり、3階から南廊下を渡って、東棟へ。

 鬼達は大翔と牛頭鬼を見つけると、囃し立てるように追ってきた。

 何匹になったか分からないが、かなりの数を引きつけた。

 追い詰められていた子達も、抜け出せたはずだ。

 

 校舎のスピーカーから大音量で、天国と地獄が鳴り響いている。

 葵が放送室を去り際にかけていったらしい。

 古い人なら、カステラ一番、電話は二番、とか言いそうだ。

 

―ピイイィイイイイィ!

 校庭の方から、笛の音が聞こえてきた。

 合図だ。

 みんなが集まって校門のカギを開けられたら、鳴らす事に決めてあった。

(よし、俺も逃げないと)

 大翔は速度を上げた。

 階段を一気に駆け降り、1階に降りた。

 他の鬼達の気配は遠くなったが、牛頭鬼だけは執念深いのか、まだ後ろについてくる。

 

 昇降口を出ると、グラウンドが広がった。

 あちこちに、みんなが戦った跡や、作った罠。

 ボールが転がり、落とし穴が掘られ、鬼がネットで捕まり固定されている。

 ずっと向こう、校門の前で、悠、葵、荒木先生、織美亜、狼王が手を振っている。

 他の子達は、校門の外へ避難完了したようだ。

 最後に大翔が出たら、門を閉めてカギをかける。

 地獄の檻に、逆に鬼達を閉じ込めてやる。

 

 ラストスパート。

 大翔は全速力で走った。

 このスピードなら、最速タイムでゴールできる。

 どこまでだって走れる気がする。

 オリンピック選手にだって負けやしない。

 

 ……はずだった。

 

 がくっ、と体が揺れた。

 ずっと動いていた足が、突然、カクンと折れ曲がった。

 あ、と思った時には遅かった。

 

「ヒロトッ!」

 バランスを崩して、大翔は前のめりにグラウンドに倒れ込んだ。

 鼻の奥がつんとなる。

 顔を打ちつけたらしい。

 

「大翔、逃げろ!」

「……荒木、先生……」

 荒木先生の声だ。

 立ち上がろうとしたが、足がもつれて、上手く動かなかった。

 じんじんと痺れるような感覚。

 走りすぎたのか、力が入らない。

 もがいていると、体がふわっと浮き上がった。

 ぐるんと天地が逆になった。

 視界を埋めているのは、牛頭鬼の顔だった。

 ドクロのような目の穴の中の瞳が、爛々と三日月形に輝いて大翔を見ている。

 追いついた牛頭鬼に左足を掴まれて、逆さ吊りにされているのだと理解するのに、

 しばらくかかった。

 

(……くそう。走ってる最中にこけるなんて、サイテーだ。練習中にも一度、やったんだ。

 それでリレー、負けたんだ)

 牛頭鬼の口元の牙が、にゅいっと伸びた。

 獲物を捕まえた喜びに溢れている。

 みんなが自分の名前を呼ぶ声がする。

 100kmも遠くからに聞こえた。

 ぶらり、ぶらり、と大翔の体は、振り子のように宙を揺れた。

 鬼が、大翔を玩具にして遊んでいるのだ。

 なすがまま宙を揺らされながら、大翔は両手で牛頭鬼の腕を叩き、顔も叩いた。

 右足を振り上げ、脛を叩き込んだ。

 牛頭鬼は蚊ほどにも感じていないようだ。

(くそう。くそう)

 大翔の目の端に涙が溜まった。

(こんなところで食われたくない。まだ遊びたい。勉強したい。母さんに謝りたいのに)

 ひとしきり揺らすと、牛頭鬼はぐったりとした大翔を高々とぶら下げた。

 自分は上を向いて、口を開けた。

 バカみたいな大口。

 鋭い牙が、何本も何本も、凶悪に突き出している。

 ゆっくりと、口が近づいてくる。

(くそう。くそう。結局、能力者に頼るのかよ)

 

「お母さん!」

―ブンッ

 繰り出した右足の爪先が、牛頭鬼の鼻面を掠めた。

 ……掠っただけだった。

グエエエエエエエエエエッ!

 牛頭鬼は絶叫した。

 耳をつんざくような叫び声を上げると、苦しそうにのたうった。

 

「……なんだ?」

 唖然としながら、大翔はもう一度、蹴りを繰り出した。

 靴裏が、今度は牛頭鬼の右瞼に当たった。

 当たったところの皮膚が、ジュウッと焼けるような音を立てた。

 牛頭鬼はまた絶叫した。

 たまらず大翔を放り出し、顔に手をやった。

 大翔は地面に大の字に投げ出され、顔だけ上げて牛頭鬼を見つめた。

「……なんなんだ?」

 さっきまで、ビクともしなかったのに。

 靴が触れただけで、なんでこんなに怯んでるんだ?

 ふと、大翔は、自分の足を見下ろした。

(母さんが、俺のために、くれたシューズ)

 鬼に対抗できるのは、能力者だけではない。

 子を守る、親の存在なのだ。

 

グオオオオオオオオオオオオオオォォン!

 牛頭鬼が吠えた。

 右目を押さえたまま、額に青筋立てて、怒りまくりながらこちらへ歩いてくる。

 大翔は、まだ足がもつれていた。

 

どっせえええええええええええっっいっ!

 叫びながら横から飛び出してきたのは、章吾と有栖だった。

 章吾は牛頭鬼の身体に、サイコキネシスで勢いを強めたタックルをぶちかました。

 不意を打たれた牛頭鬼が、ぐらりとバランスを崩して倒れた。

 土煙が上がった。

 

――何、転んでやがんだ、バカッ!

心配したのよ、私!

 倒れたままの大翔を見下ろすと、腕を伸ばし、章吾と有栖は叫んだ。

「今のがリレーの本番だったら、うちのチームはビリだ、バカ!」

 章吾は大翔の腕を掴むと、強引に引っ張って立ち上がらせた。

「走れバカ!」

「バカバカ言うなよ!」

「バカにバカって言って何が悪いバカ!」

「うるせーバカ!」

「バカバカしいわね、二人とも」

 背中で牛頭鬼がまた吠えた。

 弾けるように、三人は走り始めた。

 グラウンド上のコースを走る。

 毎朝やってた運動会の練習のように、一直線に駆け抜ける。

 みんなの声援が響く中を走る。

 腕を振って。

 大きく足を振り上げて。

 

 気がつけば。

 

 鬼の事は、忘れていた。

 

(隣を章吾が走ってる。競走だ、負けるもんか。他の事なんて、どうでもよくなってた)

 ゴール前には、大穴があった。

 深い、地獄の底の底に繋がっている穴。

 章吾が大翔を見て、大翔も章吾を見た。

 二人で同じ事を考えた。

 三人は一直線に穴に向けて走った。

 後ろを牛頭鬼が吠えながら駆けてくる。

 穴の縁で、三人は振り返った。

 左右に分かれて、飛び退いた。

 牛頭鬼が表情を変えた。

 あっ、という感じのマヌケな顔だ。

 慌ててブレーキかけて止まろうとするが甘い。

 三人はぐいっと足を振り上げ、叫んだ。

 

「闇に染まりし者よ!」

「地獄へ……」

「帰れッッ!!」

 牛頭鬼の足へ、勢いよく爪先を叩き込んだ。

 牛頭鬼の巨体がぐらりと揺れた。

 前のめりに倒れ込んでいく。

 倒れる先には、底なしの穴。

グオオオオオオオオオオオオオオォォン!

 牛頭鬼は絶叫しながら、穴の底へと落ちていった。

 

「今のうちに!」

「早く! 来るよーっ!」

「ほら、脱出しろ!」

 悠、葵、荒木先生の声が響いた。

 後ろを見ると、校舎の中から、たくさんの鬼がわさわさと湧いて出てきていた。

 三人はよろよろと校門へ向けて走った。

「早く! 早く!」

「――オーケー! 閉じろっ!」

 三人が校門を潜ると、待機していた他の子達が、すぐさま音を立てて校門を閉め、

 荒木先生が素早く鎖を巻きつけた。

 巨大な錠前を通し、ガチャンとカギをかける。

 

―キーン、コーン、カーン、コーン

 途端、チャイムが鳴った。

 スピーカーから、辺り一帯へ響き渡っていく。

 皆、身構えたが、鬼はもう現れなかった。

 代わりに――光が差した。

 どんよりととぐろを巻いていた雲が、さらさらと消えていく。

 血のように赤く濁っていた空が、夕暮れの色に変わった。

 校門の向こうにいた鬼達の姿が、薄くなり始めた。

 光の粒子のようになって、宙に消えていく。

 辺りを覆い隠していた濃い霧が、風に吹き散らされるようにさあっと晴れた。

 車の音が聞こえてきた。

 道ゆく人達の話し声が聞こえてきた。

 いつも通りの街並みの風景が広がっていた。

 どこか遠くで、ゆうやけこやけが流れている。

 

「終わったな……」

 荒木先生が呟いた。

 

 17人の子供達は、校門の前に座り込んだまま、じっと学校の方を見つめていた。

 道を行き交う人達が、なんだろう、という目でジロジロと彼らを見た。

 大翔、章吾、有栖は、ぜえぜえ息を切らしていた。

 もう走れない。

 しばらく呼吸を整えた後、大翔と章吾は顔を見合わせ、同時に口を開いた。

 ……きっと他にももっと言う事があったんだとは思うが。

 真っ先に出てきた言葉は、こんなだった。

 

「「俺の方が、早かったよな?」」

 

 有栖は、ぶっと吹き出し、げらげら笑い始めた。

 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。

 どこかの家の夕食の匂いが漂ってきた。

 ぐうっと腹が鳴った。

 

「「任務完了」」

 そして、織美亜と狼王は、転移装置を使って、島に戻るのだった。




普通の人間は、本物の鬼から逃げる事しかできない。
だけど、エージェントは力があるから、鬼と渡り合う事ができる。
それが、一般人とエージェントの違いなのです。

次回は、新たなエージェントが仲間になります。


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2章 暗闇の地獄ショッピングモール
14 正義のエージェント


新たなエージェントが加入します。
鬼であっても彼のスピードには敵わないのです。


 ルール1

 鬼に襲われた子供の皆様は速やかにお逃げください

 

 ルール2

 鬼は、逃げる子供の皆様をお捕まえください

 

 ルール3

 能力者は、鬼と戦ってください

 

 ルール4

 決められた範囲を越えて逃げるのはご遠慮ください

 

 ルール5

 時間いっぱい鬼から逃げ切れれば、その子供は勝ちとなります

 

 ルール6

 鬼に捕まった子供の皆様は、――とさせていただきます

 

 よいこのみんなへ 鬼ごっこのルール 解説CM

 

 沖縄県の小さな小さな島。

 そこには、鬼に対抗できる組織「殺鬼軍」がある。

 特殊な力を用いて鬼と戦い、日本の平和を守るのがこの組織の概要なのだ。

 

 ただし、ただ能力を使うだけではいけない。

 この三箇条を守ってこそ、殺鬼軍のエージェントと言えるのだ。

 

 殺鬼軍 心得 三箇条

 一つ、任務は出来る限り遂行すべし

 二つ、人喰い鬼は滅ぼすべし

 三つ、能力の乱用は控えるべし

 

「No.6、No.8、先程の任務はご苦労だった」

「運動会は開催されました」

「誰一人、鬼に殺される事はありませんでした」

 一は織美亜と狼王の報告を聞いて、頷く。

 強力な鬼がいたが、誰も死なせずに任務を遂行した事に、一は安心する。

「うむ、もう一度言うが、ご苦労だった」

「No.0、どうすればよいのですか?」

「そなたらは休むがよい。エージェントには休息も必要じゃからな」

 エージェントは超能力を持つが、人間だ。

 ずっと戦っていれば、疲れてしまうため、一はエージェントに休息を与えた。

 地獄とは正反対の、ホワイト企業だ。

「ありがとうございました。休ませていただきます」

 織美亜と狼王はゆっくりと身体を休めるのだった。

 

(力には、力で対抗する。

 月並みではあるが、桜ヶ島を守るためには、こうしなければならぬ……)

 

 そして、三日後。

 

「では、そなたらに新たな任務を出そう。じゃが、その前に新たな仲間を呼ぼう」

 一は次の任務のため、織美亜と狼王を呼び出した。

 金髪碧眼の、背が高い青年が姿を現した。

 制服の色は黄色く、ネクタイの色も黄色。

 ただ、顔立ちは成人済みでありながら童顔だ。

「俺は喜友名(きゆな)阿藍(あらん)。No.11、『栄光』の能力者」

「よろしく頼むわね、阿藍。アタシは島袋織美亜よ」

「オレは玉城狼王だ」

 織美亜と狼王は互いに自己紹介をした。

 『栄光』は士気を高める能力であり、希望を象徴するだけあって光での攻撃もできる。

 目には見えないが重要なもの、それが光なのだ。

「光はこの世の全てのものの中で最も速きもの。

 鬼がいかなる力を持っていようと、光の速さの前には何もできない」

「というらしい。ま、俺はとっても強いってわけだ」

「それで、司令。アタシ達はどこに行けば?」

「ここじゃ」

 そう言って一が指差したのは、ショッピングモールだった。

 ゲームではゾンビが出てくる事もあるという、ある意味で危険な場所だった。

「理不尽な罠も仕掛けられておるが、そなたらならば必ず突破できるじゃろう。

 では、三人とも、行ってくるがよい」

「はい!」

「承知しました」

 三人は転移装置によって、ショッピングモールに向かった。

 

 次の舞台となるのは、ショッピングモール。

 そこには、たくさんの罠があった。

 エージェント達は、襲い掛かる鬼を退け、子供達を守る事ができるだろうか。




次回はくらやみの地獄ショッピングモール編です。


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15 地獄ショッピングモール

2巻「くらやみの地獄ショッピングモール」編、開始です。
ショッピングモールは、ホラーゲームの舞台になった事もありますよね。
エージェントは相変わらずです。


『ルール1 鬼に襲われた子供の皆様は、すみやかにお逃げください』

 

 突然響いてきた声に、大場大翔は立ち止まった。

 ポケットに両手を突っ込んだまま、辺りを見回す。

 隣では悠と葵が、何だろうと顔を見合わせている。

 織美亜、狼王、阿藍は真剣な表情をしている。

 10時ちょうどだった。

 

 週末のショッピングモール。

 その最上階の、映画館の入っているアミューズメントエリア。

 六人はしばらく顔を見合わせた後、声の聞こえてくる方を振り返った。

 チケットカウンターの横に備え付けられた、大型液晶モニタだった。

 いつもなら、新作映画の予告編や、映画鑑賞のマナーCMが流れているものだ。

 画面には今、CGで描かれたキャラクターが二人、映っていた。

 一人は、馬のマスクを被った馬男。

 一人は、ランドセルを背負った子供。

 可愛く描かれたキャラ達が画面の中で踊っている。

 画面の端には、こう書かれていた。

 

 よいこのみんなへ! 鬼ごっこのルール解説

 ルール2 鬼は、逃げる子供の皆様をお捕まえください

 

 モニタの中で、馬男が子供を追いかけ始めた。

 二人はぐるぐると円になって走り回っている。

 

 ルール3 決められた範囲を越えて逃げるのは、ご遠慮ください

 

 子供が逃げようとした先に、ニョキニョキと壁が生えてきた。

 子供は慌てたように汗を出すと、別の方向へ走り始める。

 

 ルール4 時間いっぱい鬼から逃げ切れれば、その子供は勝ちとなります

 

 画面の隅に目覚まし時計が表示されて、ジリジリと鳴った。

 子供は嬉しそうにバンザイをして、馬男は残念そうに肩を落とした。

 

(……また、鬼ごっこ、か……)

 六人は、黙ったまま、映像の流れるモニタをじっと見つめていた。

 大翔は、やけに喉が渇いてくるのを感じた。

 人の気配のないフロアに、ナレーションの声だけが流れ続けている。

 

 やがて、馬男は少しずつ距離を詰めて、子供の背中に追いついた。

 逃げる子供に飛びかかり、後ろからドンッと突き飛ばす。

 子供は前のめりに倒れて、ランドセルからころころと縦笛が転がる。

 馬男はジャンプして、子供の上に飛び乗った。

 子供は助けを求めるように、右腕を伸ばした。

 画面のこちら側、大翔達の方へ向かって。

 

 ルール5

 

 馬男が口を開いた。

 全体的に可愛い絵柄の中で、口の中だけがやけにリアルだった。

 鋭く尖った牙が、口の上下から無数に突き出している。

 牙の間に詰まっているのは食べカスだ。

 だらだらヨダレがこぼれ落ちる。

 

 鬼に捕まった子供の皆様は、――とさせていただきます

 

 子供の首すじに――ガブリと喰らいついた。

 子供が「HELP」とフキダシを出し、必死にこちらに手を伸ばす。

 馬男はガツガツと子供の体を貪り食う。

 腕を食いちぎり、足を噛み裂き、頭を飲み込む。

 ……子供は右腕を伸ばした格好のまま、みるみる骸骨の姿になってしまった。

 

 YOU DIED!!(きみはしんだ)

 

 血で書いたような真っ赤な文字が、画面にじわじわと浮かび上がってきた。

 

 それでは、楽しい鬼ごっこを!

 

 馬男と、骸骨になった子供が立ち上がると、丁寧にペコリとお辞儀をした。

 

 そこで映像はピタリと止まった。

 停止ボタンを押したように。

 

―ブツッ

 鈍い音と共に、画面が真っ赤に染まった。

 そのまま、もう何も変わらなかった。

 

「ここが、問題のショッピングモールだな」

「ええ、司令官は危険だと言っていたけど……」

 午前9時58分。

 大翔、悠、葵、織美亜、狼王、阿藍がショッピングモールのエレベーターに乗り込んだ。

 最上階まで上がるのは、大翔達とエージェントだけだった。

 ドアが開くと、そのフロアには人の姿がなかった。

 ……静まり返っている。

 いつもだったら週末のこの時間は、人でごったがえしているはずなのに。

 5階のアミューズメントエリアには、映画館とゲームセンターが入っている。

 ひっそりと静まり返った中で、クレーンゲームやメダルゲームの機械だけが、

 単調に動きつづけている。

 人の気配はない。

 チケット売り場には、誰もいなかった。

 ポップコーンやジュースを売っている売店にも、ソファもがらんとしている。

 

「……どうして、誰もいないんだ……?」

「あ、これ……」

 悠が、壁を指差した。

 一面に大きく貼られているのは、目当ての映画の宣伝ポスターだ。

「あ、あれ? 感動する映画って話じゃなかった……? これじゃあ、まるで……」

 ポスターに描かれているのは、角の生えた化け物が、子供を食べているところだった。

 大翔達は、ホラー映画なんて観に来たわけじゃないのに……。

 

『ただいまより、鬼ごっこのルール説明を始めます。

 ルール1 鬼に襲われた子供の皆様は、すみやかにお逃げください』

 

 突然響いてきた声に、大翔は立ち止まった。

 ポケットに両手を突っ込んだまま、辺りを見回す。

 ……時計の針は、午前10時ちょうど。

 鬼ごっこは既に、始まっていた。




次回は、本格的な鬼ごっこの始まりです。


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16 再びの鬼ごっこ

ショッピングモールに着いた大翔やエージェントを待っていたのは?
織美亜(ヒーラー)、狼王(アタッカー)、阿藍(万能型)と、
エージェントのロールはなるべくバランスを良くしています。


「な、なんだったのさ、今の……」

 真っ赤に染まった液晶モニタを見つめて、少年、桜井悠が口元をひきつらせた。

 彼と大翔は幼稚園から小学校の6年生まで、ずっと一緒の親友だ。

 性格はのんびり屋で、運動は苦手。

 怖がりで、ホラー映画は間違っても観ない。

 大翔の背中に隠れるようにしながら、恐る恐るモニタを見つめている。

 もう画面には、馬男の姿も子供の姿もない。

 真っ赤に染まったまま、時折波のようなノイズが入るだけだ。

「鬼ごっこのルール……。これって……」

 睨むように画面を見つめていた少女、宮原葵が、ようやく声を出した。

 悠と同じく、大翔の幼馴染で、学年トップの秀才で、ガリ勉宮原と呼ばれている。

 可愛いとの評判だが、非常に勝気で、男勝りな性格だ。

「……何だか、似てない? あの時に」

「ええ……」

 葵の言葉に、大翔と悠はごくりと唾を呑んだ。

 織美亜と狼王も、頷く。

 大翔もちょうど、そう思っていたのだ。

 唯一、阿藍だけは平常心を保っていた。

 

―バチンッ

 

 音が響き、三人はびくっとして天井を見上げた。

 三人のエージェントは身構える。

 フロアを照らしていた照明が、一斉に全て消えていた。

 薄暗がりに包まれたフロアの中で、真っ赤なモニタの光だけが浮かび上がっている。

「やだ。停電かしら……?」

「あ、あれ、もう夕方……?」

「……始まったのか?」

 窓から差し込む太陽の光が弱々しい。

 電気が切れただけなのに、もう夕暮れみたいな暗さになっている。

 大翔は窓に駆け寄った。

 窓の向こうに広がっているのは、さっきまでの青空ではなかった。

 一面に絵の具をぶちまけたような朱。

 そこに、濁った黒で暗雲を描いて、太陽を半分塗り潰したような空だ。

 ショッピングモールの敷地の外には、煙のように濃い霧がもうもうと立ち込めていた。

 周囲の家も、道路も、何も見えない。

 

「やっぱり、あの時と同じだ……」

 大翔は、そう言う自分の声が震えるのが分かった。

 以前、大翔達が巻き込まれ、そしてエージェントがやって来た、事件の日の朝と同じなのだ。

 地獄と化した学校に閉じ込められた、あの日と。

 

『ぴんぽんぱんぽん』

 突然、声が響き渡った。

『本日は、当ショッピングモールへお越しいただき、まことにありがとうございます。

 ご来店中のお客様へお知らせいたします』

 あちこちにある天井スピーカーから流れ始めたのは、ショッピングモールの館内放送だった。

 丁寧な口調、落ち着いた声音……そして、それに全く相応しくない内容を告げた。

『当ショッピングモールは、午前10時をもちまして、地獄の支配下となりました。

 皆様には、引き続きご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます』

(……くそ、また鬼か……)

 三人は立ち尽くした。

『ただいまより、リニューアルオープンを記念して、「鬼ごっこ」を始めさせていただきます。

 既に精鋭の鬼が一匹、皆様を目指してモール内の移動を開始しております。

 素敵な鬼と追いかけっこできるこのチャンス。どなたさまも、奮ってご参加くださいませ』

 

グオオオオオオオオオオオオオオオォォッ!!

 ビリビリと空気を震わす雄たけび。

 人間のものではない、いくつもの声が、スピーカーの向こうから響き渡ってきた。

 

 しばらく、三人は放心していた。

 鬼達の発した雄たけびに、竦み上がっていた。

(……くそ、また鬼か……)

 任務のために来たとはいえ、狼王の中に静かな怒りが立ち込めていた。

 

「……に、逃げなきゃ……」

 カラカラに乾いた話を動かして、大翔は何とか声を出した。

「今すぐ、ここから逃げ出さなきゃ……。でなきゃ、また閉じ込められちまう……」

 悠と葵は、ぶんぶんと頷いた。

 三人のエージェントは、あえて何も答えなかった。

 急いでエレベーターまで取って返し、逆三角のボタンを押した。

 ……反応がない。

 スイッチが光らないのだ。

―カチッ、カチッ

 何度も押すが、変わらない。

「こっちも駄目だわ」

「こっちも!」

「彼女さえいれば、簡単に付くのに」

 エレベーターは電源が切れていた。

 三基のどれもボタンが反応しない。

 阿藍が言う「彼女」とは、電気を操る能力者の事なのだ。

「エスカレーターへ!」

 エスカレーターは、フロアの中央を貫くように、上りと下りが一つずつ設置されている。

 六人は走った。

「あれ、あれ……。なんで二つとも上りになってるの?」

 エスカレーターは、何故か両方とも下から上へ流れていた。

 黄色い線のついたステップが、大翔達の方に向かって、ぐるぐると勢いよく流れこんでくる。

「構わない。降りよう!」

 足を掛けようとした途端、グンと速度を増した。

「うわぁっ!」

 全く進めない。

 踏み出した先から押し戻されてしまう。

「こ、これじゃ降りられないよ……」

「階段を使うぞ」

―ガガガガガ……

 後ろから、音が響いてきた。

 振り返ると、フロアの端の天井から、分厚いシャッターが降りてくるところだった。

 火事の時に火が広がるのを防ぐための防火シャッターだ。

―ガシャーン!

 見る間に床まで降り切って、道を閉ざした。

 

「こんなもの、壊してやる!」

 狼王は「力」の能力を使って、シャッターを破壊しようとした。

―ガシャァァァァァァン

 シャッターは跡形もなく破壊された。

 これで、脱出する事ができるようになった……と思いきや、

 シャッターは破壊される前の状態に戻った。

「くそっ!」

「あっち……階段のあった通路だわ!」

―ガガガガガ……

 今度はフロアの逆側の端から、同じような音が響いてきた。

 あっちには、もう一つの階段がある。

「やばい! 走れ!」

 六人は弾けるように走り始めた。

 幸いこちらのシャッターが降りる速度は遅かった。

 のろのろと、少しずつしか進まない。

 間に合いそうだ。

 大翔は、シャッターの下へ飛び込もうとした。

「危ない、ヒロトっ!」

 ぐいっ。

 悠に力いっぱい裾を引っ張られて、大翔はバランスを崩して倒れた。

―ガシャーン!

 鼻先を、銀色に光るものが掠めた。

 特大の刃だった。

 何かの本で見た事がある。

 何百年も前に、西洋の斬首刑に使われていたという、ギロチン台。

 狼王の斧と似ているが、遥かに巨大なギロチンの刃がシャッターの代わりに落ちてきて、

 床にざっくりと突き立っている。

 ひりひりとした痛みを感じて手を当てると、鼻の皮がすりむけて、血がにじんでいた。

 あと、ほんの10cmずれていたら……。

 

「これで大丈夫?」

「……ああ」

 大翔は、織美亜に傷を癒してもらった。

 シャッターの音が止まると、フロアはまた、しん、と静まり返った。

 窓から差し込む赤い陽が、フロアの中に六人の影を落とす。

 大翔は、へなへなと床に座り込んだ。

 これで、逃げ道は塞がれた。

 

『やあ、こんにちは。初めまして。地獄ショッピングモールへようこそ』

 声が響き渡った。




次回は、本格的な鬼ごっこの始まりです。


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17 迷子のお知らせ

大翔の家族が、ここで登場します。
「鬼ごっこ」の犠牲者って、こうなっちゃうんですよね。
絶対に出したくありませんね。


『初めまして、みんな。突然だけど、地獄って一体なんなのか知ってる?』

 天井スピーカーから流れてきたのは、先程の放送の音声とは異なる声だった。

 子供の……男の子の声だ。

 恐らく、大翔達とそう変わらない年齢だ。

 唖然とした三人をよそに、喋り続ける。

『地獄っていうのはね、罪を持った人間が死後に送られて、

 ムゴイムゴイ罰を受ける世界の事なんだ。色んな鬼やゴーモン方法で、堕ちた人間を苦しめる。

 例えば、鋭い刃で殺し合いをさせられる等活地獄。焼けたノコギリで体を切られる黒縄地獄。

 鉄串に刺されて炎で焼かれる焦熱地獄。

 いわば、人間を苦しめるっていう、ただそのためだけに作られた空間、それが地獄なんだ』

 声は何だか楽しげだ。

 お気に入りのオモチャでも紹介するような口調だった。

 三人は顔を見合わせ、エージェント達はごくりと唾をのむ。

 なんなんだ、こいつ……。

『でもさでもさ、そんな地獄、もう古くさいよね。だって大昔と変わらないんだよ。

 何千年も同じ事やってちゃ、鬼も人間も飽き飽きさ。

 ……それで作ったのが、このショッピングモール地獄というわけなんだ』

 声は得意そうに続けた。

『この地獄に、きみ達を招待したくてたまらなかったんだ。大場大翔。桜井悠。宮原葵』

 三人はびくっとして、周囲を見回した。

 エージェントの名は、呼ばれない。

『だってボク、感動したんだ。きみらの持ってる、友情と勇気に。

 まさかあの小学校地獄から逃げられてしまうとは思わなかった。自信作だったのに。

 せっかく地獄を作ってもね。

 大抵みんな、ぼろぼろ泣いたまま、鬼に食われちゃうだけなんだよね。つまんないよ』

 声は不満そうに続けた。

『そんな子達と遊んでもつまらないじゃない?

 地獄クリエーターとしての、ボクの腕が鳴らない。

 そこへ行くと、きみ達には見どころがあるよ。

 ホントなら、ギロチンで一人くらい死んじゃうと思ってたんだけどなー。カンいいなー』

 悔し気な声を出した。

『そうそう、きみらの前に遊んでた子が、チケットカウンターの陰に隠れているよ。

 一人で寂しいと思うから、よければ挨拶してあげてね。

 それじゃあ、ボクの作った地獄を、是非楽しんでいって。

 少し難しくしたから、きみらが逃げ切れるか分かんないけど。

 ま、死んじゃったらまた地獄で会おうね。じゃあね、大翔、悠、葵。バイバーイ』

 そこで、ブツッと放送は切れた。

 

「やるしかない。お前はここで待ってろ」

「……狼王?」

 狼王はすくっ、と立ち上がった。

 チケットカウンターを睨みつけ、中へ入って屈み込み、奥を覗き込んだ。

 そこには、白骨化した骨があった。

 大きさからいって大翔達と同じくらいの歳だろう。

 落ち窪んだ目の穴。

 必死に助けを求めるように、左腕を伸ばした姿勢のまま死んでいる。

 脇にはカビの生えたランドセルと、縦笛が転がっていた。

 

「どうやら、あの映像は幻ではなかったようだな」

 こんな恐ろしい光景を見たにも関わらず、狼王は平然としていた。

 彼の後ろには、織美亜、阿藍、大翔、悠、葵が立っている。

 大翔、悠、葵は青い顔をして泣きかけている。

 大翔は涙を流しかけており、悠はくしゃっと顔を歪めて、葵は表情をなくして。

 悠と葵は、大翔の服の裾を、ぎゅっと握り締める。

「安心しろ。お前達が小学校に閉じ込められた時も、オレ達が助けた。絶望するにはまだ早い」

 狼王がそう言うと、二人ははっとして泣くのをやめた。

 気持ちが伝わったように、頷いた。

(地獄ショッピングモールだかなんだか知らないが、負けるもんか。みんなで生きて帰るんだ)

「そうよ、アタシ達はエージェントなんだから」

 織美亜、狼王、阿藍も決意した。

 この三人を守るのが、エージェントの任務だから。

 

『ぴんぽんぱんぽん。ご来店中のお客様に、迷子のお知らせをいたします』

 また館内放送が流れてきた。

「迷子のお知らせ……?」

 重ねた手を放すと、三人は顔を見あわせた。

 織美亜、狼王、阿藍は真剣な表情をしている。

『大場結衣ちゃんのお連れ様。大場結衣ちゃんのお連れ様。

 結衣ちゃんが、お連れ様を探してお待ちでございます。至急、お迎えにお越しください。

 お連れ様がお迎えにいらっしゃらない場合、結衣ちゃんは鬼達一同で、美味しくいただきます。

 ぴんぽんぱんぽーん』

―おにーちゃああんっ

 泣き声が響いて、放送は途切れた。

 

「みんな、覚悟はいいかしら?」

「ああ……必ず、鬼を倒すぞ」

「俺達はエージェントだからな」




次回は新たな鬼が登場します。
だけど、エージェントだって、負けてはいませんよ。


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18 馬頭鬼

新たな鬼が登場します。
ちなみに、私は今年も1歳年を取りましたよ。


「……」

 大翔は頭が真っ白になった。

 今のは、結衣の声だった。

 聞き慣れた、妹の泣き声。

 何故、結衣が……。

「考えるのは後よ」

「ああ……何か来る」

 葵と阿藍が強張った声を出し、エレベーターのランプを睨みつけた。

 見ると、エレベーターの一基のランプが点いて、B1からぐんぐんと上へ昇ってきている。

「鬼が出るか蛇が出るか、ね。碌な予感しないけど」

 開き直ったように、葵が言った。

 さっきまで放心していたのが、嘘のように落ち着いている。

 エージェントはもちろんだが、流石は、葵だ。

「オ、オニとヘビしかいないのかな? もっとこう、可愛いの出て来ないかな……」

 悠も、怖がってはいるが、いつも通りだ。

 大翔はふうっと息を吐いた。

(そうだ。今はまず、このフロアから抜け出す事を考えなくちゃ。

 今の放送だって、敵のトラップかもしれない。

 録音しておいた結衣の声を流しただけかもしれない。

 それに、エージェントだって、自分から入って来たんだし……)

 

―ピンポン

 音と共にエレベーターのドアがのろのろと開いた。

 中にたっていたのは、警備員だった。

 紺色の制服に、臙脂色のネクタイ。

 制服はアイロンがかかってピシッとしていて、胸と肩にはワッペンがついている。

 ただし頭は……どう見ても、人間ではなかった。

「オ、オニでもヘビでもなかったね……」

 馬だった。

 ふさふさとした鬣に、ちょこんと乗っかった制帽。

 赤いガラス球みたいな瞳が、顔の両側に離れてついている。

「いいえ、れっきとした鬼よ」

 額から生えた一本角を見ながら、葵が言った。

「馬頭の鬼……馬頭鬼は、地獄の獄卒の一つよ。

 亡者達を責め苛んで、残酷な拷問にかけると言われてるわ」

 後ろへ一歩後ずさりながら、解説する。

 織美亜、狼王、阿藍は既に身構えている。

「そ、そんな事言って。じ、実はいい鬼の可能性も、あったりしない……?」

 後ろへ二歩下がりながら、悠が言う。

 織美亜、狼王、阿藍は、今にも馬頭鬼を迎え撃とうとしている。

「ゲームだと、大抵、悪いヤツらの中にも一匹くらい、いいヤツがいるもんなんだ。

 ほら、残酷な鬼が、楽しくショッピングなんて、しないでしょ?」

「鬼は鬼だ」

 狼王は冷徹に言い、悠は馬頭鬼の足下を指差した。

 「どんなものでも揃う!」がキャッチフレーズの桜ヶ島ショッピングモールでは、

 モールのロゴの入った、店舗共通の買い物袋がある。

 馬頭鬼の足下には、下のフロアでショッピングでもしてきたように、その紙袋が置かれている。

 詰め込まれているようでパンパンになっているが、何が入っているのかは見えない。

(中には、斧、鉈、鋸、草刈り鎌、出刃包丁が入っている。鬼に金棒とはよく言ったわね)

 織美亜は袋の中を超能力で透視した。

 武具が見えたため、織美亜はこの鬼がこちらを攻撃しようとする、と見破った。

「ああ見えてきっと、いい鬼なんだと思うな、僕は」

 うんうん、と一人頷く。

「ショッピングが趣味の陽気な鬼なんだ。

 きっと、買い物中に僕らのピンチを知って、颯爽と助けに……」

―バタン

 紙袋が床に倒れた。

―ゴロゴロゴロ……

 中に入っていた品物が、床に転がった。

(よしっ、武器を……しまった!)

 阿藍はその中で使えそうなものがないか、光の速さで盗みに入ろうとしたが、

 馬頭鬼に気づかれてしまい盗むのを諦めた。

 

「……日曜大工が趣味……とかじゃないよね、やっぱり……」

「ああ……」

 織美亜、狼王、阿藍はエージェントの誇りからか下がっていない。

 悠は半泣きでもう一歩下がった。

 葵はさらにそれより一歩下がる。

 悠はさらに一歩下がる。

 どんどん後ろへ下がっていく二人を背に、大翔はぐっと腰を落とした。

 馬頭鬼は、ひょいと紙袋を持ち上げると、ごそごそと中を探った。

 取り出したのは、細長い木の棒だった。

 レシートのような紙片がくくりつけられていて、

 『地獄ショッピングモール・ハンティング用品店』と書かれている。

 

【商品No.10 木の棒。軽くて壊れやすいただの木の棒。ハンティング初心者はまずこちらから。

 威力・極低】

 

 右手に木の棒、左手に紙袋。

 馬頭鬼はぐいっと頭を逸らすと、高らかに一つ、嘶きを上げた。

ヒイィィィッッッン!

 ブルルッと顔を戻し、六人を見た。

 歪んだ馬面の口元から、大粒のよだれがぼたぼたと床に垂れ落ちていく。

『ぴんぽんぱんぽん。ご来店のお客様にお知らせいたします。

 当ショッピングモールの警備員は、大変食欲旺盛となっており、

 保護したお客様を食べてしまう事がございます。

 ご了承のほど、お願いいたします。ぴんぽんぱんぽーん』

「そんな警備員は今すぐクビにしてよううううっ!」

「逃げろ! 隠れるんだ!」

「分かったわよ!」

「!」

 大翔が叫ぶと同時に、阿藍が超能力を使って身体能力を上げ、悠達が駆け出した。

 大翔も全速力で走り出し一直線にフロアを横切る。

 馬頭鬼は、背を向けて逃げていく三人と、迎え撃とうとする三人を、ただ眺めていた。

 やがて、ゆっくりと腰を落とした。

 木の棒と紙袋を持ったまま、床に両手両膝をつく。

 そして、陸上のクラウチングスタートのように、片膝を持ち上げた。

 用意、どん。

―ビュウウッ

 大翔の耳元で、風が唸った。

 走る大翔の斜め後ろを、馬頭鬼が追いかけてくるのだ。

 綺麗なフォームで、サラブレッドだ。

 だが、超能力のおかげで、大翔と阿藍はギリギリで追い抜かれない。

「悠! 後ろっ!」

 馬頭鬼は先を走っていた悠を追い越し、ブレーキをかけて、さらに数mかけて止まった。

 悠へ向けて、木の棒を振りかざす。

わ、わああぁぁぁぁっっ!

 慌てた悠が、足をもつれさせてコケた。

 悠は学年一の運動音痴なのだ。

「光の盾!」

 木の棒は阿藍の超能力で防がれ、馬頭鬼の後ろに吹き飛んだ。

「あわわわわ……。さ、流石馬だね。足、速すぎだよ……。競馬とか出なよ……」

 床に手をついたまま、悠は涙目で馬頭鬼を見上げている。

 腰が抜けたのか、立てずにいる。

 馬頭鬼は悠を見下ろすと、紙袋にがさごそと手を突っ込んだ。

 取り出したのは、今度は弓と矢筒だった。

 また紙片がくくりつけられている。

【商品No.9 弓矢。原始時代からある、由緒正しい飛び道具。

 離れた獲物を狩りたくなったらこちら。威力・低】

 馬頭鬼は矢筒から矢を一本抜き取ると、弓に番え、悠の胸に狙いを定めた。

「やめてようぅっ……!」

「ふざけんな!」

 狼王は超能力で斧を取り出す。

 一直線に飛びかかり、馬頭鬼に力いっぱい斧を打ちつける。

 放たれた矢は、ばきっと折れた。

「悠、逃げろ!」

「ありがとぉっっ!」

 悠が這うように逃げていく。

 織美亜、狼王、阿藍は、なおも身構えている。

 大翔は手近なクレーンゲームの陰に転がり込んだ。

―ガスガスガスッ

 頭上で矢がゲーム機に突き刺さる。

 ガラスの破片が飛び散って、大翔は頭を抱えて床に伏せた。

 ゲーム機が揺れ、ころころとぬいぐるみが落ちてくる。

 しばらくすると、馬頭鬼は弓を放り捨てた。

 矢が切れたらしい。

 大翔は様子を伺った。

 葵は映画館ロビーのソファの陰に、悠はお菓子を落とし、

 ゲームの陰に隠れて、不安そうにこちらを見ている。

 エージェントは、狼王、阿藍、織美亜の順に、前に出て身構えている。

(ど、どうする……?)

【商品No.8 石斧。威力が気になってきたあなたにはこちら。パワーで獲物も一撃必殺だ。

 威力・中】

 大きな石のついた斧を袋から取り出し、馬頭鬼がカツカツと歩き始める。

 大翔は考えを巡らせた。

 脱出ルートは、馬頭鬼が乗ってきたエレベーターだけだ。

 三基あるうちの中央の箱だけ、電源が生き返っている。

 今飛び出したところで、すぐに追いつかれる。

 それに、エレベーターまで逃げ切れたとしても、ドアが閉まりきるのに何秒かかかる。

 その間に追いつかれればアウトだ。

 何とか、馬頭鬼を遠くへ引き離す必要がある。

 できれば、エージェントに倒してもらうのが理想だが、牛頭鬼は倒せなかったのだ。

(……みんな、エレベーターに乗って準備してて。俺が引き離してくる)

 目で作戦を伝えると、悠と葵はごくりと唾を呑んで頷いた。

 織美亜、狼王、阿藍も自信たっぷりに頷く。

 大翔はふうっと一つ深呼吸すると、床に転がったぬいぐるみを拾い上げた。

 転がすように、投げる。

―トンッ、トンッ、トン……

 物音に馬頭鬼が振り返った。

 のしのしとメダルゲーム機の方へ歩いていくと、石斧を叩きつけた。

 ガラスが粉々に砕け散った。

 機械が壊れ、メダルが滝のように溢れ出す。

―トンッ、トンッ……トンッ、トンッ、トン……

 あちこちから響くぬいぐるみの転がる音に、馬頭鬼は迷うように首を巡らしている。

(今だ)

 大翔はぬいぐるみを投げるのをやめると、一目散に走り出した。

 馬頭鬼をエレベーターから引き離す。

 映画館の入場口のなかへ駆け込んでいった。

 馬頭鬼は、にっ、と歯を剥いて笑った。

 慌てず、ゆっくり歩いて、大翔の後を追っていく。

 映画館内の廊下の左右には、一番シアターから七番シアターまでずらりと入り口が並んでいる。

 どれかの部屋の中に隠れたのか、大翔の姿は見当たらない。

 馬頭鬼は、紙袋に手を突っ込んだ。

【商品No.7 タブレット。情報化社会の必需品。狩りをするなら、地図アプリが便利。

 情報収集力・大】

 馬頭鬼はタブレットの画面を見降ろしながら、歩き始めた。

 一番シアターを通り過ぎ、二番シアターも素通りする。

 三番、四番、五番……六番シアターの前で立ち止まった。

 迷いのない足取りで中へ入った。

 シアター後方、左隅の座席へ向けて、一直線に歩いていく。

「ううっ。なんで分かるんだよ……っ?」

 大翔はたまらず、隠れていた座席の陰から飛び出した。

 タブレットの画面には、アミューズメントエリアの見取り図が表示され、

 六番シアターの中に子供のアイコンがくっきりと表示されている。

 エージェントのアイコンは、ない。

 認識を阻害する超能力で、防いでいるからだ。

【商品No.6 日本刀。由緒正しき、サムライの武器。和の心を持つ方におすすめでござる。

 威力・中】

 馬頭鬼は紙袋から、長い刀をするすると取り出し、バサッと振り下ろそうとした。

 阿藍はその刀を盗もうとしたが、馬頭鬼にギリギリで気づかれ、盗むのを諦めた。

 座席のシートが三つまとめて斬れた。

 体を投げ出した大翔の脇に、ゴトリと転がる。

 さらに一閃、大翔は弾き飛ばされた。

 段差に躓き、シアターの床にうつぶせに倒れる。

 立ち上がろうとすると、左足首に、電流のような痛みが走った。

 日本刀は座席に食い込み、抜けなくなった。

 馬頭鬼は慌てず、倒れた大翔を見降ろし、ニヤニヤと口元を歪めた。

「くそぉ……」

 紙袋に手を突っ込むと、ごそごそ探って中身を取り出した。

 取り出したのは、小指ほどの長さの棒。

【スカ。マッチ棒。補足て折れやすい、ただのマッチ棒。

 火はつけられるけど、武器としてはちょっと……。着火力・中】

 馬頭鬼は怒ったように、ブルルッ!と鼻息を漏らした。

 警備服の胸ポケットに乱暴にマッチ棒を押し込むと、また紙袋に手を突っ込んだ。

【スカ。アイスのハズレ棒。クジつきアイスで、ハズレちゃった棒。

 残念。アタリが出たらもう一本だったのに。がっかり度・大】

 馬頭鬼は額に青筋を立てて、アイスの棒をへし折り、力任せに放り投げる。

「へっ……。ば、ばーかっ」

 その隙に、大翔は立ち上がり、走り始めた。

 シアターを飛び出し、廊下を全速力で走って戻る。

 五人の援護に賭けるしかない。

「大翔、こっちよ!」

 入場口を出ると、フロアのずっと向こう、エレベーターの箱の中から悠と葵が叫んでいた。

 織美亜、狼王、阿藍も、大翔を待っている。

―ギュルルルルルルルルル

 後ろで、大きな音が響いた。

【商品No.5 チェーンソー。ホラー映画でお馴染み。血みどろなハンティングにおすすめ。

 威力・大】

 チェーンソーを構え、馬頭鬼が追いかけてくる。

 50m、40m、30m、みるみる距離を詰められる。

 速すぎる。

「伏せて!」

 悠が構えていた弓矢を放った。

 馬頭鬼が捨てたのを拾ったものだ。

―ヒュン

 矢は姿勢を低くした大翔の頭の上を越えて、馬頭鬼の胸元へ突き立った。

 馬頭鬼が苦しげにいななき、チェーンソーを取り落とす。

 大翔はエレベーターの中へ転がり込んだ。

 タイミングを合わせて、葵が【閉】のボタンを押している。

 ピンポン、と音が鳴り、ゆっくりとドアが閉まり始める。

 馬頭鬼がチェーンソーを拾い上げ、走ってくる。

 五人が乗ったエレベーターの箱へ。

 みるみる、近づき……。

 

 その鼻先で、ドアが閉まった。

 

―ドンッ

 ドアに衝撃が走った。

―ガリガリガリガリッ

 音と火花が散った。

 馬頭鬼がチェーンソーの刃をドアに突き立てているのだ。

 大翔達は息を詰めた。

 万が一、またドアが開いてしまったら終わりだ。

 しかも、この狭さでは、阿藍も武器を盗めない。

―ガリガリ、ガリガリ……

 馬頭鬼はしつこくチェーンソーを回し続ける。

 

 気が遠くなるような長い時間の後。

 エレベーターは、ゆっくりと下降を始めた。

 チェーンソーの音が小さくなっていき……聞こえなくなった。

 

「……5までで済んで、よかったわね」

 座り込んで息を荒らげる大翔の横で、織美亜が呟いた。

「放っておいたら、もっと酷い商品が出てきてたわよ。あれ。

 あんなもの、ショッピングモールで売っちゃ駄目よ……」

「世の中が便利になって、欲しい物がすぐ手に入るのは、いい事なんだけど」

 壁に寄りかかり、腕を組んで、考え込んだ葵。

 大翔が見上げると、真面目な顔で頷きかけた。

「あんまり何でも揃う社会というのも、考えものだと思ったわ」

 社会見学の感想文だったら、良い点を貰えたかもしれない。




エージェントは何があっても、任務を遂行するのがケツイです。
次回はエージェント達がクイズをします。


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19 エレベーターでクイズ大会

ショッピングモールで行われるのは、クイズ大会。
ですが、鬼のクイズは、一癖も二癖もあるようで?


「僕、弓の才能、あるのかなぁ……」

 エレベーターは、のろのろと下へ降りていく。

 桜ヶ島ショッピングモールのエレベーターは、ガラス張りになっている。

 普段なら、1階の広場やベンチ、周囲の家の屋根が見下ろせて、見晴らしがいい。

 今は霧に閉ざされて、何も見えなくなっている。

 大翔はエレベーターの床に座り込んで、左足首をさすっていた。

 倒れた時に捻ったようで、熱をもって痛む。

「やっぱりDSのハンティングゲームのおかげかな。

 毎日、弓でモンスターを退治してるからね、僕」

 弓と矢筒を手の中で転がしながら、悠は得意そうに胸をはる。

「自分でも知らない間に、弓の名手になってたのかも!

 お母さんに叱られても、毎日ゲームを続けた甲斐があったよ……。僕は正しかった……!」

「おいおい」

 ツッコミを入れる阿藍。

 彼はお世辞にもゲームには詳しくないのだ。

 

「……さて。5階から出られたのはいいとして、問題は結衣ちゃんの事ね……」

「本当にここにいるのか、分からないけど。結衣が一人で来れる距離じゃない」

「小さいもんね、結衣ちゃん。まだバスにも乗れないでしょう」

「結衣?」

「大翔の妹よ」

「でも、本当にモール内にいるなら大変だよ」

 こちらには、エージェントという人手も機動力もあるが……。

 

―ガクン

 突然、エレベーターが動きを止めた。

 階数表示が4のまま、ぴくりとも動かなくなる。

「あれ……? なんで? 1階、押してあるのに」

 悠は慌てた様子で、ドアへ駆け寄った。

 エレベータードアの両側には、行き先階の選択ボタンが並んでいる。

 丸ボタンで、【5】【4】【3】【2】【1】【B1】【開】【閉】【非常用】。

 今、光っているのは、【1】のボタンだけだ。

 エレベーターのドアは、固く閉ざされたまま開かない。

「また壊すしかないのか? 仕方ないな……」

 狼王は斧を取り出し、ドアを破壊しようとした。

 もちろん、今は破壊すべきではないが、念のために構えていたのである。

 

『クイズの時間です』

 また声が響き渡った。

 今度は、エレベーターの案内音声だ。

(なんなんだ、この賑やかなショッピングモール)

 スピーカーの穴から、ぺらぺらと喋る声が聞こえてくる。

『問題です。悠くんはお使いを頼まれて、500円を持って出かけました。

 品物は300円でしたが、途中で400円落としてしまいました。

 足りなかった金額は、何百円ですか? お答えください』

 

「……答えは、これだ」

 狼王は2のボタンを押す。

『その通り、正解です』

「まぁ、オレ達はみんな中卒だからな……」

 当然だ、という表情をする狼王。

 どんな時でもエージェントは冷静でなければ、と狼王は自分を律している。

 ビュウウと強い風が流れ込んできて、髪を逆巻かせる。

「あり得ないわ……」

 押し殺した声で、葵が呟いた。

「地上4階程度の高さで、こんな景色になるわけないじゃない……」

 その時、ガラスの向こうを覆っていた霧が、風に吹き散らされるように晴れ渡った。

 エレベーターは普段のように、見晴らしのいい景色になった。

 いや、見晴らしがいいどころではない。

 見下ろす街並みは、マッチ箱のように小さくなっていた。

 小学校、桜ヶ島の駅、マンションが、豆粒のよう。

 白い靄がガラスの向こうを漂っている。

 雲の切れ端だった。

 

『ドキドキクイズ大会 イン・絶叫エレベーター!』

 エレベーターの音声はハイテンションに続けた。

『皆さんには、高度2000mのエレベーターで、クイズに答えていただきます。

 一定数正解すると、ゲームクリア! 無事にエレベーターから降りる事ができるよ!

 でも不正解すると、ペナルティ! エレベーターは徐々に落ちていきます! ……そしてェ!』

 ビュウビュウという風の唸り。

 ミシ、ギシ……と、吊り下げられたエレベーターの箱が、風に揺られて軋む音が聞こえる。

 大翔は以前、家族で遊園地に行った時の事を思い出した。

 上空まで昇ってから一気に落下する絶叫マシーン。

 呆気に取られて景色を見下ろす三人と、冷静な三人を他所に、エレベーターは捲し立てた。

『残り5問不正解すると……GAME OVER!

 エレベーターの箱ごと、真っ逆様に落っこちて……ガッシャアァーン!』

 階数表示板に、ドクロマークが表示された。

 青ざめた三人に構わず、声は一方的にクイズを開始した。

 

『では、問題です』




エージェント達の学力は、卒と比例するとは限りません、とだけ言います。
次回はデス・クイズゲームの開幕です。


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20 決して落ちないように

高い場所からのデス・クイズゲーム。
一見するとただのクイズに思えますが、鬼が出すので一筋縄ではいきません。


『悠君は毎分80mの速さで、駅に向かって出発しました。

 悠君が出発してから15分後に、鬼さんが毎分320mの速さで、悠君を追いかけ始めました。

 鬼さんが悠君に追いつくのは、出発してから何分後ですか? お答えください』

 

「え、え、え……ちょっと、ねえ、どういう事なの? なんで突然クイズ?

 ちょっと、降ろしてっ!」

 悠が抗議するが、声は答えない。

『カチ、カチ、カチ、カチ……』

 時を刻み始めた。

 時間制限のつもりらしい。

(くそっ。次から次へと……)

 今は向こうのルールに合わせるしかない。

 このクイズに答える以外に、手はなさそうだ。

 悠もそう思ったのか、答えを考え始めた。

「え、えっと……悠君が毎分80m、鬼さんが320m……」

 うーんうーん、と目を瞑り、頭を両手で抱え込む。

「鬼さんが悠君に追いつくのは、追いつくのは……。

 でも、僕……鬼さんに追いつかれたくないようっ……!」

 大翔も宙を睨んで、考え込んだ。

「えっと、悠が出発してから15分後なんだから……」

 算数は得意な方で、テストでもそんなに点数は悪くない方だ。

『カチ、カチ、カチ、カチ……』

 だが、焦って頭が回らない。

 穴からビュウビュウ吹き込む風の音。

 ギシギシとエレベーターの揺れる振動。

 もしも間違えてしまったら……。

 

「……」

 無言で進み出たのは、阿藍だった。

 階数選択ボタンの前に立つとすっと指を伸ばした。

 「こんな問題、分かるのは当然だぜ」という顔つきで、迷いなく、【5】のボタンを押した。

 ピンポン、と鳴った。

『正解』

 答えは、5分後。

「当然だぜ」

 阿藍が得意げに笑う。

 エレベーターは間髪入れなかった。

 次々に、問題を読み上げていく。

『問題です。牛鬼君が地獄の針山に、せっせと針を植えています。

 周囲が510mの血の池の周りに17m置きに針を植える時、針は何十本用意すればいいですか?』

『問題です。桃から生まれた少年が鬼退治に旅立つ童話、桃太郎。

 お話の中で重要なアイテムとして登場するきびだんごを名産品として扱っている日本の県は?

 1、静岡県 2、香川県 3、岐阜県 4、岡山県』

『問題です。別名「鬼の子」とも言われるミノムシですが、何の幼虫?

 1、ガ 2、チョウ 3、クモ 4、ムカデ』

『問題です。以下の鬼に関することわざの中で、

 先の事はあてにならない、という意味で使われるものを答えなさい。

 1、鬼の居ぬ間に洗濯 2、渡る世間に鬼はない 3、鬼が仏の早変わり

 4、来年の事を言えば鬼が笑う』

 算数、社会、理科、国語。

 ジャンルを変えながら次々出題される問題に、葵は即座にボタンを押して回答していく。

 3、4、1、4。

 ピンポン、ピンポン、ピンポン、ピンポン……次々正解の音が鳴り響いた。

「す、すっごいっ! 流石アオイだね!」

「……大した事ないわ。このくらい、ちょっと勉強すれば誰にでもできるレベルよ」

「ああ」

 言葉とは裏腹に、葵はどんなもんだとばかりに胸を張っている。

 宮原葵は勉強家で、「ガリ勉宮原」の名は伊達ではない。

 だが、葵がそう呼ばれるようになったのは、昔からの事ではなかった。

 むしろ昔は、勉強はからっきしだった。

 1年生の時のテストの点数は、大翔や悠より低かったくらいだ。

 まだ小さかった大翔とは、それで葵をからかった事がある。

(かけっこはおれで、ゲームはゆう。あおいってば、なんもできね~よな)

(だよね~。ふっふっふ)

 冗談で言っただけのつもりだったのに、葵は目に涙を溜めて走っていってしまった。

 大翔達が謝っても、しばらく遊ぼうとしなかった。

 

 数ヶ月後、満点の答案を二人に叩きつけて、

 これからは勉強の事はあたしに訊く事ね……と、ふふふと笑った。

 目に隈を作って迫力たっぷりな葵に、二人はぶんぶん頷くしかなかった。

(……友達に置いていかれたくないの)

 葵はそっぽを剥いて、そう言った。

 それから大翔は、この負けず嫌いで努力家な幼馴染を、密かに尊敬しているのだ。

(いざと言う時、女性は強いのよ)

 

『問題です。天国の門と地獄の門があり、左右の門の前に一匹ずつ、鬼の門番が立っています。

 どちらか一方は嘘だけを話す鬼で、どちらか一方は真実だけを話す鬼です。

 両方の鬼は見分けがつかず、天国と地獄、どちらの門番をしているかも分かりません。

 どちらかの鬼にたった一つ質問をして、天国の門を通るには、

 どういう質問をすればいいですか? お答えください』

 問題は手を替え品を替え、だんだんと難解になってきた。

「な、なんなのこの門番……」

「嘘つきの鬼と正直者の鬼、か……」

 悠と大翔は腕を組んで、うーんと首を捻った。

 まあ、もうすっかり二人の手には負えなくなって、葵とエージェントが回答しているのだが。

「僕だったら……そうだなぁ。どっちの門が天国の門か、正直に教えてって訊くかなぁ……」

「でも、それでこっちが天国だって答えても、嘘つきの鬼の嘘かもって話だろ?」

「違うんだよヒロト。目を見て訊くんだ。

 どんな人間でも誠意さえ届けばスナオに答えてくれるもんだって、おばあちゃん、言ってたよ」

「でも、相手は人間じゃなくて鬼だって話だろ?」

「う~ん……」

 織美亜すらも、分からなかった。

「……こう質問するわ。

 あなたの隣の鬼に、右の門は天国の門と地獄の門、どちらですかと質問したら、

 隣の鬼はどう答えますか?」

 頓珍漢な事を言っている大翔と悠をよそに、考え考え、葵は答える。

「それで、答えが地獄なら、右の門を。そうでなければ左の門を通る」

 ピンポン。正解。

「「何だか全然分かんないけど、葵、凄いっ」」

「……典型的な論理問題だな」

 悠と大翔はパチパチ拍手する。

 もう答えを理解するのも諦めた。

「でもさ、でもさ。僕の解答も、いい線、いってたでしょ?」

「……おばあちゃんの教え自体は、いつの時代も大切にされるべき価値観だとは思うわ……」

「だよねーっ、惜しかったよねー!」

 声は、問題を準備しているのか、少しだけ間を開けた。

 このまま葵とエージェントに任せていれば、切り抜けられそうだ。

 ややあって、次の問題を読み上げた。

 

『問題です。三匹の鬼が集まって話をしています。

 嘘だけを話す鬼と、真実だけを話す鬼がいます……』

 

「またこのパターン? 楽勝じゃん」

(いや、俺らは全然楽勝じゃないだろ)

「……」

 

『今、三匹の鬼達が、次のように話し合っています。

 赤鬼「この三匹のうち少なくとも一匹が嘘をついている」

 青鬼「この三匹のうち少なくとも二匹が嘘をついている」

 黄鬼「この三匹の全員が嘘をついている」

 ……嘘つきの鬼は、何匹いますか? お答えください』

 

「何匹? 僕の勘では、犯人は赤鬼! かなー」

「俺の勘では、きっと二匹だ! 根拠はなし!」

 

 もうすっかり葵とエージェントに任せきって、無責任に言い合っていた悠と大翔。

 織美亜、狼王、阿藍は身構えている。

(…………)

 葵は答えなかった。

 眉を潜めて、難しい顔をして黙り込んでいる。

 カチ、カチ、カチ、カチ……エレベーターが時を刻んでいく。

「……ごめん、アオイ。バカな事言ってたから怒った?」

「俺らも真面目に考えるよ。……いや、考えても、よく分かんないんだけど……」

「……何? この問題……」

「え?」

「……答えが、ない。んだけど……」

 しばらく考え込んだ後、葵は青ざめた顔で五人を見た。

「……どういう事?」

「一匹でも二匹でも三匹でも、0匹でも……全部、矛盾が出るの。こんなの、解答できないわ!」

「だから、この問題は、壊すしかない!」

 狼王は地面に斧を叩きつけた。

 少しだけ、地面に罅が入るが、地面が壊れる事はなかった。

「……そうよ。矛盾が出る答えは、破壊しちゃえばいいのよ。彼は怪力。何でも壊せるのよ」

「そっか……頼むぞ!」

 狼王はボタンの前で構えた。

『問題です。ある時、赤鬼が言いました。

 嘘がいつまでも見抜けない時、嘘をついているのは私である。

 次に青鬼が言いました。赤鬼が嘘つきならば、次に黄鬼の言う事も嘘である。

 最後に黄鬼が言いました。もし私の嘘を見抜いているという者がいたら、それは正しい。

 この中で、正しい事を言っているのは誰? 1、赤鬼 2、青鬼 3、黄鬼』

 

「……解答がないなら、壊すしかないだろ!」

 狼王は再び斧を振り下ろし、ドアに叩きつけた。

 

『問題です。悠君はお使いを頼まれて、500円を持って出かけました。

 品物は300円でしたが、途中で500円落としてしまいました。足りなかったのはなんですか?』

 狼王は無言で斧をドアに叩きつける。

 解答を拒否し、強引に突破する証だ。

 

『問題です』

 エレベーターが言った。

『……1+1はぁ?』

 またもや狼王は斧を叩きつける。

 何度も叩きつけたため、エレベーターはボロボロになりかけていた。

 だが、先に進むには、エージェントの力を借りるしかなかった。

 

『……それでは、最後の問題です』




理不尽には同じく理不尽をぶつける事。
それが、私のモットーです。


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21 きょうだいの絆

ついに大翔が妹の姿を見ます。
ただ、再会にはまだ時間がかかるようで……。


『問題です。まずは、この音声をお聞きください』

 亡者達は、【非常用】ボタンを押すように促した。

 緊急時用の通報ボタンだ。

 ボタンを押すと、ブツッ、とスピーカーが音を立てた。

 マイクが切り替わった。

 泣き声が聞こえてきて、大翔はハッとした。

「結衣!?」

 スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた妹の泣き声だった。

 ぐすっ、ぐすっと、すすり泣いている。

「結衣! 無事か?」

『……おにーちゃん?』

 こっちの声も届くようだ。

 大翔が呼びかけると、結衣が気づいて声を張り上げた。

 辺りを見回して大翔の姿を探しているのか、声が遠くなったり近くなったりする。

『おにーちゃん、どこ……?』

「結衣、どこにいるんだ! ケガはないか? 大丈夫か!」

『だいじょうぶ……』

「今、どこにいるんだ? 家じゃないのか?」

「……」

 何故だか、結衣は黙り込んだ。

 言うと怒られるとでもいうみたいに。

「結衣!」

『あ、あのね、おにーちゃん、でかけたあとね……』

 結衣は大翔の顔色を伺うように、しゅんとした声を出してよこした。

『ゆいも、いえ、でたの……』

 大翔は、頭がかっとなった。

『それで、きがついたら、たくさんおみせがあるところに……』

「どうしてついてきたりしたんだよ!」

 大声を出していた。

「あれだけ言ったのに! バカ結衣!」

 頭が熱くなって、くらくらする。

 結衣は間違いなく、ここにいるのだ。

 鬼のうろつくショッピングモールにたった一人で。

『だ、だって、だってね……』

 ぐすっ、ぐすっと結衣がまた泣き出した。

「……今、自分がどこにいるか、分かるか?」

 深呼吸して大翔はなるべく落ち着いた声を出した。

 ともかく、居場所を聞き出さないといけない。

 それで、迎えにいかないと。

 何故なら、店の中は鬼がうろついているから。

 生者を地獄へ落としたい亡者が手薬煉を引く。

 小さい結衣は、すぐに捕まって食われてしまう。

 スピーカーがいつまで通じているかも分からない。

 

「答えろ、結衣!」

 待ちきれずに大翔が声を張り上げると、結衣はまたぐずり始めた。

『だ、だって……。わ、わかんないよぉ……。おみせ、たくさんあるんだもん……』

「なんていう店だよ?」

『わかんないの……』

「何か目印になるものはないか? 泣いてないで答えろ!

 ……おい、結衣! 大事な事なんだ! 結衣っ!」

『ぐすっ、ぐすっ……。わかんないっていってるじゃん、おこんないでよぉ……』

 結衣はもうこっちの言う事なんて聞こえていないように、ぐすぐすと泣きじゃくっている。

 

 いつもの口ゲンカを思い出した。

 大翔が友達と遊んでいるところに交ざってきた結衣は、いつも大翔の邪魔ばかりする。

「結衣、早く。結衣、ちゃんとしろよ」

 大翔が言うと、泣いてしまう。

(結衣はまだ小さいんだから、私達と同じようにはできないのよ。心を広く、見守ってあげてね)

 母はそう言って、大人のヨユウを見せる。

 大翔だってもちろん、そんな事は分かっている。

 だが、気づくといつもケンカになっていた。

 

『お、おにぃっ……ちゃんっ……のっ……ば、バカぁっ……っ』

 結衣はひっくひっくと泣きじゃくっている。

 もう居場所なんてとても聞きだせない。

『お、おにぃっちゃ、んっ……なんて……だ、だいっきらっい……だもん……』

 

―ブツッ

 

 断ち切るような音を立てて、スピーカーが切れた。

 もう結衣の声は聞こえない。

 

『……それでは、問題です』

 まるで何事もなかったように亡者達の声が響いた。

 呆然と立ち尽くした大翔に向けて、くすくす忍び笑いを漏らしながら、一斉に問いかけた。

 

『『『きょうだいは、あなたにとって、どんな存在ですか?』』』

 

『以下の中から、お答えください』

『B1、嫌い』

『1、邪魔』

『2、うざい』

『3、顔も見たくない』

 亡者達は、一つ一つ代わる代わるに、選択肢を読み上げていく。

 その声は徐々に甲高くなり、ケタケタとおかしそうにバカ笑いを始めた。

『4、どっか行っちまえよ、バーカー』

『5、心の底から嫌いだ、クーズ!』

『開、勝手に迷子になっとけよ! いい気味だっつうの!』

『閉、あーあ! いっそ、鬼にでも食われちまえばせいぜいするのになぁ!』

ギャハハハハ!

ギャーハッハッハッ!

 

 大翔は体の脇で、ぎゅうっと拳を握り締めた。

『『『さあ、お答えください!』』』

(答えるな、壊すんだ)

 狼王が小声で大翔に伝えると、大翔は頷いた。

 大翔はすうっと息を吸い込むと、並んだボタンをじっと見つめた。

「答えは……」

 亡者達が見つめる。

 悠と葵とエージェント達が見つめる。

 大翔はサッカーでシュートを決めるように、右足を振り上げた。

 

こいつだっ!!

 並んだボタンを――力いっぱい蹴り上げた。

 

―バキイィッ

 ボタンの表面に罅が入り、砕けたガラスが床に散らばる。

 バチッと火花が散り、スピーカーが静まり返った。

 バカ笑いしていた声が聞こえなくなった。

「……」

 三人は、ぎゅっと目をつぶって待った。

 エージェント達は、頷いている。

 たった数秒が、1時間にも2時間にも感じた。

 しばらくして、音が鳴った。

 

―ピンポン

 恐る恐る目を開くと、エレベーターのドアがのろのろと開いていた。

 ドアの向こうには、ショッピングモールのB1フロアが広がっている。

 振り返ると、エレベーターの窓の向こうに、もう景色なんてなかった。

 地下フロアの壁が、暗くそびえているだけだ。

 群がっていた亡者達の姿も、消え去っていた。

 

「……行こう」

「ああ……」

 大翔は、足を踏み出した。

 砕けたガラス片を踏んで、エレベーターを出る。

 

「結衣を探しに行かなくちゃ」

 ふと気づいて、振り返った。

 もう姿の見えない亡者達に向けて、言ってやった。

 

「……バカ笑いすんのは、間違えてからにしろって言っただろ」

 

―ちっ

 

 悔しげな舌打ちが聞こえた気がしたが、気のせいかもしれない。




きょうだいの絆は、誰にも破れないのです。
ま、エージェントにも、きょうだいがいるのは出てくるんですけどね。


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22 脱出のためには

今回は金谷姉弟と賑やかし組のターンです。
これの原作、女性キャラが男性キャラと比べてかなり少ないんですよね。
そういうわけで、オリキャラは女性を多めにしています。


 同時刻。

 ショッピングモール三階、アパレル・ファッションエリア。

 

「ふふっ。キマってるな、オレ。これで宮原のハートは、オレに釘づけだぜ」

「僕のも見てよ。これで優花ちゃんも、僕に一目置いてくれるんじゃないかと」

「ははは、似合ってるわね」

「……お前らに緊張感というものはないのか……」

 偵察から戻って来た金谷章吾と金谷有栖は、

 店の服を手当たり次第に引っ張り出して遊んでいるクラスメイトを見て、深い溜息を吐いた。

 服が散乱したショップの中、同じ桜ヶ島小6年1組の関本和也と伊藤孝司が、

 何やらポーズをキメている。

「お、金谷姉弟、帰ったか」

 と、関本和也が振り返った。

「どうよ、これ。荒野のガンマンって感じしねぇ?」

「かっこいいわね! 私だったら、カウガール?」

 これからは男もファッションの時代だよなと笑う。

 クラス一のお調子者で、一言でいえばバカでアホ。

 しょっちゅうふざけて先生に叱られている。

 和也は矢鱈派手な柄シャツと、穴だらけのジーンズを着ていた。

 カウボーイハットをくいっと持ち上げ、カッコいい……と一人でうっとりしている。

「僕のはね、武士をイメージしてみた。新撰組とか、好きなんだよね」

 と、同じくポーズをキメているのは、伊藤孝司。

 普段は読書好きで大人しいのに、和也と一緒にいるとお調子者になる。

 孝司は渋い色の半着にゆったりとした袴を履いて、頭に鉢巻きを結び付けている。

 揃って口を開き、うっとりと言った。

 

「「「カッコいい……」」」

 

(……どうして、こんな事になってるんだ。有栖まで乗るなんて……)

 章吾は、頭が痛くなってきた。

 

「あら、練習? 章吾にしては、珍しいわね」

「有栖……」

 

 その日、章吾は元々、ショッピングモールに来るつもりはなかった。

 朝から一日、ランニングをする予定だった。

 何故ランニングを始めたかというと……理由は、癪だが、隣のクラスの大場大翔。

 桜ヶ島小では、1組と2組の体育の授業は、合同で行われる事になっている。

 20m走、100m走、走り幅跳び、高跳び、ドッヂボール、サッカー、バスケ……。

 どんな競技でも、章吾はいつもトップだった。

 今に始まった事ではなく、小さい頃から、ずっとそうだ。

「金谷君、凄い」

「尊敬しちゃうわ!」

 周りの皆や、姉の有栖によく言われる。

 よく言われるが……章吾はピンと来ない。

 だって、それは章吾にとって、いたって「普通」の事だったから。

 

 だが、この頃、事情が少し変わってきた。

 20m走、100m走で、大翔がタイムを伸ばしてきたのだ。

 体育の授業で走っていると、すぐ後ろをぴったりついてくる。

 まだ負けた事はないが、時々、かなりやばい。

 

 章吾は、週末、ランニングを始めた。

 桜ヶ島の街をぐるりと走り、体を鍛え直すのだ。

 スポーツで練習するだなんて、生まれて初めての経験だった。

 練習なんてしなくても、章吾の相手になる者は、有栖ぐらいしかいなかったのに。

(くそ、カッコ悪いなぁ……)

 そう思っているのに、走る足取りは軽かった。

 この頃、有栖にこう言われる。

「章吾、少し変わったわね。話しやすくなったわ。ねぇ、私と一緒に、映画に行かない?」

 そんな姉の有栖には逆らえなくて、章吾はショッピングモールに行った。

 

 ……そうこうしているうちに、ふっと、電気が消えたのだ。

 なんの前触れもなく。

 いつの間にか、他の客達の姿がなくなって、館内放送が鬼ごっこの開始を告げた。

 何とか逃げ道を探そうと、章吾と有栖が偵察に行って戻ってきてみれば、

 アホ二人は全く危機感もなく、ファッションショーをして遊んでいた……というわけだった。

 

「一階の出口は、全部封鎖されてたわ。私が超能力を使っても、壊せなかった。

 そんなに強い力じゃなかったしね……」

 二人に元の服に着替えさせると、有栖は作戦会議を始めた。

 最初にいたのがスポーツ用品店だったため、装備についてはばっちりだった。

 小学校に閉じ込められた時の経験で、武器があれば大体の事には、

 対抗できる事は知っている……できないのもいるが。

 武器になりそうな用具は、デイパックの中に詰めて持ってきた。

 和也と孝司はあまり話を聞かず、カッコいいのに……とぶつぶつ文句を言っている。

「あなた達、鬼に食べられるのとカッコ悪いの、どっちを選ぶの?」

「「キューキョクの二択だ……」」

 なんかもう諦めて、有栖はショッピングモールの地図を広げた。

 南北に伸びたモールの一階には、いくつもの出入り口がある。

 何千人もの客が出入りするガラスドア、自動ドア。

 今は、全て強固なシャッターで封鎖されている。

 有栖でも、破壊できなかったらしい。

 日曜大工コーナーからハンマーを借りてきて、叩いてみたが、もちろんびくともしなかった。

 他にも色んな道具で試したが、破れそうにない。

『ぴんぽんぱんぽん。当ショッピングモールの防犯シャッターは、業界屈指、安心の固さ。

 大砲でも撃ち込まない限り、破れません!

 あ、大砲以上の破壊力を持つ超能力者は勘弁してください。

 鬼ごっこはぜひ店内でお楽しみください。ぴんぽんぱんぽーん』

 館内放送にしっかり釘を刺される始末だ。

 地階、屋上には駐車場があるが、これも通路が封鎖されている。

 エレベーターは電源が切れており、エスカレーターは逆流している。

 和也と孝司が逆走しまくったが、やっぱり館内放送に注意された。

『エスカレーターの逆走はキケンです。ぴんぽんぱんぽーん』

 

「あのシャッターを何とかしない限り、脱出はできそうもないな……」

 何とかして、開ける事はできないだろうか。

 四人は首を捻って考え込んだが、いいアイデアは出てこなかった。

 ふと、有栖がぽつりと呟いた。

 

「本当に大砲でもあったら、いいのにね」




有栖の発言は後々フラグになるでしょう。
次回は彼らがある人物と出会います。


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23 女の子には弱い?

章吾、有栖、和也、孝司のターン。
ウチのオリキャラがホラーらしからぬ変わった名前なのは、私の趣味です。


 四人はともかく、他に出口がないか探す事にした。

 着替えを終えると、章吾達は店を出た。

 結局、和也はカウボーイハット、孝司は鉢巻きをつけたままだ。

(どうやら、気に入ったみたいね)

 移動には、スポーツショップで調達しておいた、インラインスケートを使う事にした。

 靴底に縦一列に車輪がついている。

 ちなみに有栖は浮遊していたが、歩くより遅かったため、すぐに歩きにした。

 がらんと静まり返ったショッピングモールに、車輪の音が響く。

 鬼に見つからないよう、注意して走る。

「他の買い物客達は、どうしたの?

 たくさんの買い物客達が、みんないなくなったのはどうして?」

「……いや、多分逆なんだ。誰かが俺達を閉じ込めたんだ。

 あの日、小学校から逃げ出した俺達を狙って、誰かが……」

 章吾は無意識に、胸元に手をやっていた。

 

 ランニングシャツの上から着けたゼッケンを握り締める。

 走っていくと――調子っぱずれな歌声が響いてきて、章吾達は顔を見合わせた。

屋根よぉりい たぁかぁい 鬼のぉぼぉりいい!

 大きいぃまごいぃはぁ 鬼いさぁんん!

 滅茶苦茶な音程と酷い歌声は、聞き覚えがある。

 

「――いやっ。来ないでっ」

 小さな女の子が、走って逃げている。

 その後ろを、蜘蛛のような脚と牛の頭を持った鬼……牛鬼が、歌いながら追いかけている。

「あの音痴鬼っ! ここにもいたのかよっ」

「どうしよう!」

「任せろ」

「行くわよ、章吾!」

 章吾はデイパックからゴルフクラブを取り出し、構えた。

 有栖は、精神を集中し、章吾の身体能力を一時的に上げる。

 あっという間に女の子と牛鬼の間に滑り込む。

 牛鬼が爪を伸ばしてくるのをかわして跳び上がり、グルッと半回転して着地する。

「はぁっ!」

 背後を取ると、超能力も合わさり、力いっぱいゴルフクラブをフルスイング。

ギエエエエエエェェッ

 悲鳴を上げて、牛鬼は倒れ込んだ。

 章吾はキュッ、とブレーキをかけた。

 和也と孝司が追いついてきた。

 ぜぇぜぇ息を切らしている。

「……金谷君、以前インラインスケート、やってたの? 凄い速さだね」

「ジャンプできるとかすげーな。オレも以前練習した事あるけど、難しくてできなかったぜ」

「……いや? 見るのも初めてだ。やれるかなと思ってやったら、できただけだ」

「流石は私の弟ね」

「それより、女の子は?」

 辺りを見回しながら、章吾は答えた。

 和也と孝司が顔を見合わせた。

「へええ」

「ほぉぉ」

「そうですかぁぁ」

「初めてですかぁぁ」

 章吾の頭をぐりぐりし始め、有栖はケラケラと笑った。

 女の子は少し行ったところにある鉢植えの陰に、膝を抱えて隠れていた。

 恐らくは、まだ小学校にも上がっていない年齢だ。

 アニメキャラクターのシャツにスカート姿。

「ここで何をしてるの?」

 有栖が声をかけても、顔をあげない。

「保護者は? 今、このショッピングモールは危険なのよ。

 さっきみたいな鬼がたくさんうろついてるわ。あなたはすぐに捕まって食べられるわよ」

「……おにーちゃん……」

 女の子は呟いて、ようやく顔を上げた。

 ぽろぽろと、涙を流している。

「まあまあ、泣いちゃダメ! お姉さんが助けるからね」

 女の子は有栖の服の裾を、ぎゅっと握った。

 泣きながら、おにーちゃん、おにーちゃん……と繰り返している。

 有栖はテレパシー能力を使い、女の子の気持ちを覗いた。

 その後、説得を繰り返し、女の子を泣き止ませた。

 

「まったく、テレパシーだけでも疲れちゃうわ」

「……お疲れ様、有栖」




この世界の章吾は、姉がいるという設定です。
だから、こういう子には弱いんじゃないかな、と描写しました。


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24 暴食の餓鬼

ザコキャラ・餓鬼が再び登場します。
こういうのほど群れるのはお約束ですよね。


「はい、これで少しは痛みが和らいだでしょ。

 ……といっても、アタシが治せるのは傷だけ。痛みは苦手なのよね」

 織美亜は大翔の左足首を能力で治した。

 治癒の超能力を持っている織美亜だが、痛みを和らげる事は不得意なのだ。

 

「それにしても……ここって、食べ物がいっぱいあるんでしょ?」

 地下1階、食品売り場。

 だだっぴろいフロアの中に、たくさんの食材が詰め込まれている。

 肉、魚のパックに、冷凍食品の袋。

 コロッケやフライのお惣菜。

 ずらりと並んだジュースの、ペットボトル、酒瓶。

 ポテトチップスにチョコレート。

 焼きたてのパン。

 試食コーナーでボイルされたウインナー……。

「なのに、ここも、誰もいないわね……」

 何百人分もの食材を抱え込んだまま、フロアは眠っているように静まり返っている。

「結衣! いないか? 結衣ーっ! どこにいるんだーっ!」

 大翔は叫んだが、返事はない。

 

『ぴんぽんぱんぽん。ご来店のお客様にお知らせいたします』

 アナウンスが流れてきて、六人は身構えた。

 このショッピングモールの放送は、碌な事を伝えないのだ。

『ただいまより、日頃のご愛顧に感謝して、10分間のタイムセールを実施いたします。

 地下1階、食品売り場にお集まりください』

「地下1階食品売り場……ここじゃないか」

「今度はなんなの……」

 悠は、おろおろ周りを見回した。

『タイムセールの10分間は、品物を全品無料にてご提供いたします。

 現在、食品売り場にある食品、そして、いる食品を、無料にてお召し上がりいただけます。

 どなたさまも心ゆくまでお楽しみくださいませ』

「た、食べていいってよ。これ全部、無料で……」

 フロアにずらりと並んだ商品を示して、悠が言う。

「凄いサービスだね……。ぼ、僕、このショッピングモールのファンになっちゃいそう……」

「……食品売り場にある食品」

「そして、いる、食品といえば?」

 葵と織美亜が言った。

「うう……そこ、聞かなかった事にしようよ……。きっとそんな事、言わなかったんだ……」

「食品売り場にある食品」

 葵は並んだ食材を指差した。

「そして……いる、食品」

「あー、あー、聞かないよー」

 悠は耳を塞いで目を瞑っている。

 嫌な事は見ない、聞かない、が悠の信条だ。

 

 天井が揺れた。

 床を振動が響き渡ってくる。

「何、この音……。いや、聞かなかった……っ」

「隠れるぞっ」

「えっ」

 大翔は素早く周囲を見回した。

 このままここにいるのはまずいと、本能が告げている。

「あそこにっ!」

 売り場の隅の、テーブルコーナーが目に入った。

 並んだ長机の下に、ちょうど隠れられそうなスペースがある。

 あそこなら目立たないし、テーブルクロスを被せれば、完全に身を隠せそうだ。

「駄目だっ」

 駆け出そうとした大翔の腕を引っ張って、悠がストップをかけた。

 大翔は、え? と振り返った。

「あそこは駄目だ、ヒロト。別の場所の方がいいよ」

「……なんでだよ。よさそうなのに」

 大翔は首を捻った。

 大きなゲーム機や家具のあるフロアと違って、食品売り場で隠れられそうな場所は少ない。

 あそこの他は、レジカウンターの衝立の陰とか、商品台に山と積まれたオレンジの下とか。

 衝立の陰は、すぐに見つかってしまいそうだし、鬼達はきっと食材に押し寄せてくる。

 なるべく離れていた方がいいと思う。

「テーブルコーナーが、一番じゃないか?」

「何だか、嫌な予感がするんだ……。あそこに隠れたくないよ」

 大翔はごくりと唾を呑んだ。

 悠は怖がりだが、その分、直感が鋭いところがあるのだ。

 牙も爪も持たない小動物が、敏感に危機を察知するように。

 ……もっとも、そんなものすらも能力で対抗できるエージェントの前では形無しだが。

 

「でも……じゃあ、どこへ?」

「……あそこはどう?」

 悠が指したのは、生鮮食品コーナーの一角だった。

 棚には、納豆のパックや豆腐、こんにゃくなどが並んでいる。

 棚の前に台があって、その下のスペースを悠は指差している。

(正直、ないだろ)

 隠れ場所は狭いし、身動きが取れない。

 食材が並んだど真ん中だし、何より棚の前まで近づいてこられたら、丸見えになるのだ。

 

「足音が近づいてくるわ。迷ってる時間はない」

「ヒロト……」

「よし、そこに隠れようぜ」

 大翔は頷いた。

 別に何の確信もないけど、親友がそうしようと言っている。

 

(エージェントは堂々と出るほど、アホじゃない)

 大翔達は台の下に身を隠した。

 体を小さくまるめて、体育座りになる。

 エージェント達は大きかったが、それでも、不思議な力によってみんな隠れられた。

 

 六人が隠れ終えた直後、フロアに鬼達が降りた。

 階段から、エスカレーターから。

 次々、フロアに降り立った。

 餓鬼の群れだ。

「……また、か」

「生前に贅沢をしすぎた人間が、鬼になったものよ。

 常に飢えて湧いていて、決して満たされる事がないと言われてるわ」

 背丈は人間の大人くらい。

 悠は、おろおろまわりを見回した。

 数は、10、15、20……30、40、50……100……駄目だ、数え切れない。

 一体どこから湧いてきたんだ。

 

 餓鬼達は並んだ食品を見渡して、歓喜の雄たけびを上げている。

 獣のものとも人間のものともつかない気持ち悪い遠吠えが、フロア中に響き渡る。

 フロアはあっという間に、鬼で溢れ返った。




といっても、まだ大翔達に戦う力はないので、逃げるのみですが、
エージェント達は戦う事ができるのです。


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25 鬼と納豆

あの鬼がまたまた登場します。
エージェントも、結構強いですよ。


 ガツガツ、ガツガツ……

 

 餓鬼達の食欲はとんでもなかった。

 ものの一分で、たくさんあった肉類が全て食いつくされた。

 豚挽肉、牛ステーキ肉、鶏もも……。

 ずらりと並んだ棚に、一斉に群がると、奪い合うように貪っていく。

 ただ、食事のマナーは最低だった。

 手掴みし、生のままブチブチとかじりつく。

 あっという間に骨だけにして、骨もバリバリ噛み砕く。

 その食べかすを全部ボロボロと床に落としていく。

(あああ、高級サーロインをあんなにばくばく……。ちょっと許せないよ。

 うちはバーゲンの肉しか食べられないのに……)

(文化の違いを考慮しても、あの食べ方は酷いわ。ちょっと許せないわね。品のない……)

 台の隙間から様子を伺って悠と葵が怒りを燃やす。

 まあ、二人の怒りポイントは、ちょっと違っているようだが。

 

 あっという間に、棚はからっぽになった。

 所要時間一分。

(餓鬼の食欲は、並ではないな)

(まさしく、鬼ね)

 

 餓鬼達は隣の海鮮コーナーに移動した。

 順番に食べていくつもりだろうか。

「ありがとうございまーす。ご好評につき、お肉全品、完売でございまーす」

 聞き覚えのある声がした。

 六人は顔を見合わせた。

 見やると、群がった餓鬼達の脇に、見覚えのある鬼が立っていた。

 全身を覆った、ふわふわした真っ白な毛並み。

 頭から生えた二本のツノに、つぶらな瞳。

 背中にはちょこんと、コウモリのような翼。

 ウサギのようなその鬼は……。

 

(ツノウサギ!?)

(なんでここに!?)

 小学校に閉じ込められた時、散々大翔達を追い詰め、

 そしてエージェントに懲らしめられた鬼だった。

 可愛い姿をしているが、ノコギリのような牙を持っていて、イスでもなんでもガリガリかじる。

 ツノウサギは今、毛皮の上に深緑色のエプロンをかけて、元気よく声を張り上げていた。

「いらっしゃいませー、いらっしゃいませー! どなたさまも、ぜひぜひご賞味くださいませー!

 買って嬉しい、食べて美味しい、地獄ショッピングモールの食料品セールー。

 どうぞご利用くださいませー!」

 

(……何してるんだ? アイツ)

(さあ?)

 大翔達は台の下で息を殺したまま、顔中にハテナマークを浮かべた。

 タイムセール終了まで、まだ八分もある。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、

 っしゃいませぇー、しゃぁませえー、っしゃぁせえーっ!

 どなたさまもお気軽にご利用くださいませーっ」

 ツノウサギは短い足でちょこちょこと、食材の棚の間をうろうろ歩いている。

 どうやら並んだ食材に、『10%オフ』『3割引き』など、

 割り引きシールを貼りつけているようだ。

 注意して見ると、ツノウサギのかけたエプロンの胸には、

 『アルバイト(見習い)』と名札がついていた。

 

(あ、アルバイト、してるっぽいね……。しかも、まだ見習いだ)

(鬼もバイトって、するもんなのか……?)

(きっと、小学校で僕達を食べられなかったから、食生活貧しくなっちゃったんじゃない……?)

(そんな生活かかってたのかよ……)

 とりあえず、ツノウサギは割引きシール貼りに夢中で、こちらに気づく気配はない。

 鬼達の動きを警戒した方がよさそうだ。

 ちょっと目を放していた間に、海鮮コーナーも食いつくされていた。

 高級マグロ、エビ、カニ……残骸が床に散らばっている。

 肉と魚が品切れになると、餓鬼達は色んなところへ散っていった。

 リンゴ、バナナ、ブドウ、キウイ……フルーツコーナー。

 牛乳、コーラ、オレンジジュース……飲み物コーナー。

 ポテトチップス、チョコ、キャンディー、マシュマロ……お菓子コーナー。

 

 ―ガツガツ、グチュベキッ、ゴクゴクッ、バキベキバリンッ

 

 あっという間に空っぽにしていく。

(あああ、僕もお腹空いたよう! 少し分けてよ~)

(マナーは大切! 落ちた物は拾う!)

 悠と葵は怒り心頭だ。

 残り六分。

 フロアにいっぱいあった食材のうち、3分の1がもうなくなっている。

 こうして見ていると、鬼にも食べ物の好みがあるようだ。

 一番好きなのは、なんといっても肉。

 次に魚介類、果物、パン、おやつと続く。

 逆に不人気なのは、ブロッコリー、ピーマン、カリフラワー……緑黄色野菜。

(野菜をバランスよく食べないから、あんな見苦しい体つきになるのよ)

 葵は手厳しい。

 飲み物は、アルコール類は避けているようだ。

 

(地獄でも、お酒はハタチになってから?)

 悠が首を捻って、ビールを飲むマネをする。

 きのこの山は食べ尽くしたのに、たけのこの里は残している。

(俺はたけのこ派)

(僕はきのこ派)

(あたしは……って今、それどうでもいいでしょ)

(ああ、至極どうでもいい)

 そして、大翔達の隠れた生鮮食品コーナーの一角は、人気0だった。

 他の棚には、1匹2匹は寄っていくのに、こっちにはさっぱり近寄ってこない。

(なんで……?)

(……これのせい、なのかしら)

 と、葵が指したのは、ずらりと並んだ特売品の納豆パックだ。

 一つ手に取り、解説する。

(鬼は外――節分で鬼避けとして使われるように、大豆には霊的な力が宿るとされているの。

 まめ=魔滅 とかけて、魔を滅する食べ物として、ありがたがられてきた。

 餓鬼達、この豆を嫌がって、寄ってこないんだと思う)

(ドラキュラがニンニクを嫌うようにな)

(魔を滅する……でも、納豆だよ?)

 3パック78円の納豆パックを見上げて、納得いかなそうに悠が言う。

(しかも、特売品だよ? 霊的な力、宿りそうにないよ?)

(きっと特売品でも、ありがたみは変わらないものなのよ。

 むしろ、きっと、増すんだわ、ありがたみ)

(現代にも退魔の力はあるんだな)

(超能力が使える人が言うセリフかしら)

 

 残り四分を切った。

 何匹かの鬼達が、食材コーナーを離れて、隅のテーブルコーナーへ移動した。

 イスに座るが、餓鬼の体重を支え切れず、イスは脚が折れて潰れた。

 テーブルに座るが、これも潰れた。

 餓鬼達はひとしきりイスとテーブルを壊して楽しむと、床に座り込んだ。

 ブチッブチッとスルメの足を噛みちぎっている。

 あそこに隠れていたら、今頃噛みちぎられているのは大翔の足だ。

 持つべきものは、親友だ。

 

 ……後三分。

 大丈夫そうだ。

 餓鬼達はまるで近寄ってこない。

 このままタイムセール終了まで、息を潜めてじっとしていれば……。

 

「いらっしゃいませいらっしゃいませー! どうぞご賞味くださいませーっ。

 こんにゃく、お豆腐、納豆などは、いかがでしょうかー? いらっしゃいませー!」

 ツノウサギが張り上げた声に、三人はびくっとして振り向いた。

 エージェントの三人は、冷静だ。

「只今、納豆の特売セールを実施しております!!

 納豆は、栄養満点、たんぱく質・鉄分・食物繊維豊富ー、

 さらには血液サラサラ効果もございますーっ。

 美味しい納豆、美味しい納豆ー。この機会に是非、ご賞味くださいませー!」

 ツノウサギは豆腐のパックにいそいそと半額シールを貼りつけながら、

 やたら元気よく声を張り上げている。

 やばいよ……と悠が青ざめた。

 幸い、餓鬼達はまだ興味を示していない。

 時折ちらっと顔を向ける者もいるが、すぐに別の食品に目を移す。

 ツノウサギは構わず、言った。

「工場で、十分に熟成してお届けしておりますーっ。

 私などは毎日必ず1パック、ご飯と一緒にいただいておりますーっ。

 納豆、納豆ぉー、美味しい納豆ぉー。是非是非、ご賞味くださいませぇー!」

 

(……やっぱり豆は関係なかったみたいね。増してなかったわ、ありがたみ)

(その話はもういいよ! それより、あいつ、黙らせないとやばいよ!

 餓鬼が寄ってきちゃうよ!)

(ていうか、なんであんなに納豆推しなんだ、あいつ! あのこだわり、いらねえよ!)

(黙らせるなら、俺が超能力を使いたいが、目立つからな)

「納豆ー、納豆ー、美味しい納豆~う」

 大翔達の密かな猛抗議も空しく、ツノウサギは納豆を勧め続けている。

(ていうか、やばい!)

 シールを貼りつけながら、ゆっくりこちらへ近づいてくる。

 六人は息を殺して、身を縮こまらせた。

 傍までくれば、すぐに見つかってしまう。

 そうして仲間を呼ばれたら、大勢の餓鬼に群がられて終わりだ。

 あと一分ちょっと。

 

「いらっしゃいませー。いらっしゃいませー! 何でも揃う、地獄ショッピングモールー。

 買って嬉しい、食べて美味しいー。どなたさまもお気軽にご利用――」

 ペタリと納豆のパックに半額シールを貼りつけて……ツノウサギが、

 のほほんとこちらを振り向いた。

 隠れていた大翔達と、目が合った。

 

「……いらっしゃいませー……?」

 ツノウサギはしばらく、ぽかんとしていた。

 あれ、なんだっけ、この食材、どっかで見たような……みたいな顔で、

 じーっと大翔達を見つめている。

 

「――お、お前らっ」

 ガバリと口を開いた。

 口の中には、ギザギザの牙が、びっしりと生え揃っている。

 二又に分かれた舌がチロチロ揺れる。

 

「……食らえ」

 すると、眩い光が、ツノウサギの目を眩ませる。

 阿藍の超能力だ。

「黙れ」

 さらに狼王がツノウサギを怪力で黙らせている。

 織美亜はというと……乱闘時の傷を癒すために、待機していた。

 

「やっぱり、この人達は、強いわね……」




うちの子達はホラーにとても厳しいのです。
相手が鬼や怪異であっても、チカラを使って黙らせます。


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26 働くツノウサギ

ツノウサギと子供、そしてエージェントの問答です。
エージェントは子供より強く鬼と互角、を目指してみました。


『ただいまをもちまして、タイムセールは終了とさせていただきます。

 引き続き、地獄ショッピングモールでの素敵なひと時をお楽しみくださいませ』

 餓鬼達が去っていくのは早かった。

 食べかけの食料品を放り捨てると、もう用はないとばかりに、

 階段やエスカレーターを上って引き上げていく。

 大量の食べカスが散乱して、滅茶苦茶になったフロアが残った。

 

「……いや、お前ら、いきなり何すんのよ……」

 餓鬼達が全員いなくなったのを確認すると、狼王は斧をしまった。

 解放されたツノウサギは、はあっと深い溜息をついた。

 パタパタと翼を揺らして、迷惑そうに六人を見上げた。

「勝手に納豆食わすわ、服で縛るわ、斧で脅すわ。酷過ぎるだろ。

 親や学校は、どういう教育してんの? まったく……」

「……鬼に教育について言われたくないけど……」

「あーもう……口が納豆臭い……」

 長い舌をちろちろと動かし、牙の間に挟まった食べカスを取る。

 パンパンとエプロンの皺を伸ばして、名札の位置を直した。

 身構えたままの六人を見上げ、面倒くさそうに首を振る。

「警戒しなくても、ショッピングモールの品物に手を出すほど、オレは命知らずじゃない」

 散らかったフロアを見回した。

「ていうか、仕事って忙しい。くそ、餓鬼ども、散らかしやがって。

 ――ほら、どいたどいた、ジャマジャマ」

 大翔達を押しのけると、よいしょと毛の中から箒と塵取りを取り出す。

 食べカスの散らばった床をせっせと掃除し始めた。

「……なあ。訊きたいんだけど。結衣がどこにいるか、知らないか?」

 大翔が言うと、ツノウサギは面倒くさそうに、不機嫌そうに、振り返った。

「オレの言った事、聞いてた?」

「え?」

「仕事で忙しい。サボってると、怒られんの。

 鬼づかい荒いんだ、地獄ショッピングモールは……」

『ぴんぽんぱんぽん。業務連絡、業務連絡。

 地下1階食品売り場担当は、すみやかに掃除を完了してください。ぴんぽんぱんぽーん』

「ほらぁ!」

 ツノウサギは、めんどくせえなぁと言いつつ、せっせと箒を動かしている。

「俺の妹なんだ。探してるんだ」

「へー」

「まだ小さいんだ。今朝はアニメキャラのシャツを着てた。5歳。見かけなかったか?」

「ふーん」

 完全に生返事だ。

 悠と葵が顔を見合わせ、肩を竦め、織美亜は苛立った。

 大翔は仕方なく、背中を向けた。

「なんで探してんの?」

 ツノウサギが訊いた。

「助けに行かなきゃ」

「なんで?」

「だって、まだ小さいんだ」

「だから?」

「俺が守ってやんないと……」

「なんで?」

「なんでって……だって、きょうだいなんだ」

 ツノウサギは、あー、もう、と首を振って箒をしまうと、

 今度は掃除機を取り出し、床にかけながら言った。

「自分以外は全部他人。それが地獄の常識だ。きょうだい? それウマい?

 そいつ助けると、おまえにどんな得があるの?」

「……」

「お前になんかしてくれんの? 食い物か金でもくれんの? 優しくしてくれんの?

 ジャマじゃないの? いない方がお菓子もおもちゃも増えたりしない?

 親が構ってくれるようになったりしないの? そこんとこどうよ?」

 ツノウサギは掃除機をかけながら、フンフンと鼻歌を歌っている。

「ふざけないで。彼女が、怒るわよ」

「なっ!?」

 織美亜がツノウサギの頭を掴んで言う。

 「彼女」とは、同じエージェントの一人であり、電撃を操る能力者だ。

 三きょうだいの一番下だが、超能力はきょうだいの中で最強である。

 そんな仲間を馬鹿にしたのだから、織美亜は怒りを隠せなかったのだ。

 

「少しは大人しくするんだな」

「電撃を浴びたくなければね」

 狼王はツノウサギを気絶させて、大翔達と共に地下1階を後にした。




鬼はきょうだいを邪魔者だと思っているようですが、後半では……ですよね。
やっぱり鬼は嘘つきです。あっちとは違って。


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27 思い出

大翔がきょうだいとの思い出を語ります。


 階段を上がると、ショッピングモール1階に出た。

 全面開けた吹き抜けのフロアになっていて、手すり越しに4階まで見通せる。

 幅の広い通路にたくさんのショップが並んでいる。

 おしゃれなカフェ、ハンバーガーショップ、まだ甘い匂いの漂うクレープ屋、

 お菓子屋、土産物屋、旅行カウンター……。

 

結衣ーっ!

 妹の姿はどこにも見当たらない。

 夕暮れのような光が射し込み床に濃い影を落とす。

 噴水から流れる水が血のように赤く染まっている。

 大翔の声が、だだっぴろいフロアに、どこまでも空しく響き渡っていく。

結衣ー、返事しろよーっ!

 大翔は、だんだん頭がぼんやりしてきた。

 左足が腫れ上がってきている。

 それと一緒に、体まで熱っぽくなってきたようで、ふらふらする。

 ここは、織美亜に治してもらうしかなかった。

「アタシが治してあげようか?」

「頼む」

「といっても、アタシは傷専門なんだけどね……」

 

 織美亜に癒してもらいながら、大翔はふと、昔、結衣が迷子になった時の事を思い出した。

 結衣が今よりも、もっと小さかった頃の事だ。

 家族三人で、海に出かけた事があった。

 真夏の海、晴れ渡った空、人でごった返した砂浜。

 久しぶりの家族旅行で、大翔はすっかりはしゃいでしまい、失敗した。

「ちょっと買い物に行ってくるから、結衣をお願いね」

 母に頼まれたのに、つい目を離して、砂浜で遊んでいたのだ。

 そのちょっとの隙に、結衣はいなくなっていた。

 母さんは真っ青になって、結衣を探して走り回った。

「誘拐されたんじゃないか、警察を……」

 大人達が深刻な顔で相談している。

 自分のせいだと思い、大翔は浜辺を走り回った。

 目を離したからとかではない。

 

 妹なんて欲しくなかった――結衣が生まれてから、事あるごとに、そんな事を思っていた。

 だからきっと、神様が、結衣をどこかへやっちゃったんだ……そう思った。

 結衣の名前を叫んで、大翔は走り回った。

 夕暮れになっても、結衣は見つからなかった。

 

「これで、治ったかしら」

「ああ……全然痛くない」

 織美亜のおかげで大翔の体力は回復したが、まだ、大翔は真剣な表情をしていた。

「結衣を……結衣を、早く見つけないといけないんだ。あいつ、鬼に見つかって食われちまう」

「でも……」

「結衣、歩くのすげえ遅いんだ。保育園の運動会でもビリばっかなんだ。

 年少の頃から、ずっとだぜ。

 そもそも歩けるようになるまでだって、他の子より遅かったくらいなんだ」

 

 結衣が初めて歩いた日の事を思い出した。

 母さんが結衣にかまけて自分を構ってくれなくなって、大翔が拗ねていた頃の事。

 遊びに出かけようと玄関で靴紐を結んでいたら、結衣がハイハイして寄ってきたのだ。

 大翔の服の裾をぎゅっと掴んで、立ち上がった。

 にーに、と舌たらずに言って笑うと、大翔を追いかけるように1歩、歩いた。

 直後に転んで、大泣きした。

「……初めて歩いたの、そんな感じなんだ。運動音痴なんだよ。

 鬼なんかに見つかったら、逃げ切れなくて、すぐに捕まって食われちまうよ。

 それに、体力もねぇんだよ……」

 大翔は喋り続けて、文句ばかり出てくる。

「どっかに出かけたら、すぐにさ。もう歩けない、おぶってって、ぐずりだすんだよ」

 一緒に出かけると、いつもそうだ。

 おにーちゃん、つかれた。おにーちゃん、おんぶ。ワガママばっかり。

 根負けして仕方なくおぶってやると、

 結衣は大翔の肩に掴まって、安心したように寝息を立て始める。

「グズで。泣き虫で。我儘で。甘ったれで。……ほんと、どうしようもない妹なんだよ」

 文句を並べながら、大翔はなんだか、泣きたくなってきた。

 あの日、結衣を見つけたのは、絶局、浜辺のすぐ近くの岩場の陰だった。

 大翔が見つけた時、結衣は岩の上に寝そべって、幸せそうに寝息を立てていた。

(なんだよ、こんなところで眠りやがって)

 大翔は腹が立って、どんどんムカついてきた。

「結衣、起きろよ。みんな、探してたんだぞ。バカ」

 肩を揺すって呼びかけると、結衣はようやく目を開けた。

 起こしたのが大翔だと分かると、まだ眠たそうに瞼をこすりながら、

 はい、と大翔の手に何かを押しつけてきた。

 それは、貝殻だった。

 綺麗な貝が、たくさん。

 プレゼントだよ、と結衣は胸を張った。

「おにーちゃんに。たくさんあつめたの」

 怒りたかったのに、それで大翔は、怒れなくなってしまう。ずるい。

 

「おにーちゃん、だいすき」

 

 結衣はそう言って、にっこり笑った。




人にとって大事なのは、絆です。
だから、鬼にも対抗できるんですよね。


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28 大脱走、再び

原作2巻編はこれで終了です。
馬頭鬼から逃げるために、子供とエージェントが挑みます。


―ヒヒィイン!

 

 声が響き渡り、三人は飛び上がり、エージェントは身構える。

 振り向くと、四階の手すりの脇に馬頭鬼が立っていた。

 左手にショッピングモールの紙袋を持ち、手すりから身を乗り出して、こちらを見下ろしている。

「しつっこい鬼ね……」

 葵が毒づく。

「だ、大丈夫だよね。上の階だし……」

 不安そうに、悠。

 馬頭鬼は紙袋に手を突っ込んだ。

 取り出したのは、二丁の銃。

 黒光りする箱のような銃と、おもちゃのようにカラフルな銃を、両手に構えた。

 箱のような銃は……【商品No.3 サブマシンガン】。

「ほんと、なんなんだよっ。このショッピングモールっ!」

「だが、光速には敵わないぞ」

 阿藍は目に見えない速度で馬頭鬼に突っ込み、サブマシンガンを盗む事に成功した。

 盗んだサブマシンガンは狼王が回収し、馬頭鬼に向けて撃つ。

 馬頭鬼は逆にダメージを受けたため、エージェントに対して怒りを見せた。

 調子に乗った阿藍は、次々と紙袋のものを盗んでいく。

 【商品No.2 パラシュート】、【商品No.4 ゴムネット銃】。

 光の速さで動く阿藍は鬼すらも捉えられなかった。

 ようやく馬頭鬼が阿藍に近づくと、何かを紙袋から取り出す。

【商品No.1 金棒。鬼に金棒。強いものが何かを得て、さらに強くなる事の例え。無敵。

 威力・高】

 無数のトゲの生えた巨大な金棒。

 紙袋から取り出し、肩に担ぐと、馬頭鬼は阿藍の方へ歩いてくる。

 これすらも盗もうとした阿藍だが、今度こそ馬頭鬼に気付かれた。

 馬頭鬼の顔は、口の部分が歪み、歯を剥き出しにして……笑っている。

(餓鬼どもと違って、馬頭鬼はグルメなんだ)

 ツノウサギが言っていた。

(人間の肉っていうのは、そいつが恐怖を感じるほど、旨味が出て味がよくなるもんだ。

 よく怖がらせた肉はコクが出て、まろやかな舌ざわりになる。

 だから馬頭鬼は、いただく前に、獲物をきっちりいたぶるのさ)

 一歩、一歩、馬頭鬼は歩いてくる。

 走ろうとせず、ゆっくり獲物を追い詰める。

 背中を向けたら殺される――直感で分かった。

 大翔、悠、葵は、ゆっくり後ろへ下がっていき、阿藍は身構えたまま、体勢を崩さない。

 鬼ごっこのCMが頭に浮かんだ。

 逃げる子供に、背後から飛びかかる馬男。

 捕まえた子供を、みるみる食いちぎるところ。

 

「まずいぞ……」

 三人は、背中に硬い感触を感じて止まった。

 壁だ。

 右か、左ヘ……影が落ちた。

 顔を上げると、目の前に馬頭鬼が立って、にやにや笑って四人を見下ろしていた。

 CMの子供が、大翔達の姿に変わった。

 骸骨になって挨拶している自分の姿。

 こめかみを冷や汗が伝い落ちた。

 馬頭鬼は金棒を軽く振るい、大翔の額にピタリと当てた。

 額に冷たい金属の感触。

 僅かにトゲが食い込んで、血が伝い落ちる。

 また振るった、今度は強く。

 三人の肩の上の壁に、罅が入った。

 がくがくと足が震え始めた。

(ちきしょう、今の俺、食ったら滅茶苦茶美味いぞ)

(それは、あたしだって同じよ)

(僕を食べても美味しくないと思うけど)

(さっき盗んだ時に、力を使いすぎたからな……)

 馬頭鬼は、震える三人をじっと見ている。

 鉄板の上に乗せた肉が、美味しく焼けるのをじっと待っているような目。

―ジュウジュウジュウ……

 恐怖で肉に旨味が広がり、獲物が動けなくなったら、食べ頃だ。

 がくがくがくがく――三人の全身が震え、壁に体重を預けている。

 馬頭鬼は流れ落ちる涎を拭うと、口を開いた。

 顔の半分以上ある大口だ。

 並んだ牙の向こう、喉の奥に、底なしの闇が広がっている。

 ゆっくりと、大翔の頭へ近づけていった。

 

「おにいちゃん……?」

 声が聞こえた。

 大翔は瞑っていた目を見開いた。

 すぐ脇の階段の上に……結衣が立っていた。

 アニメキャラクター柄のプリントシャツに、クリーム色のスカート。

 今朝、出掛けに見た時と同じ格好。

 状況が分からないのか、不思議そうに大翔達を見下ろしている。

 馬頭鬼を見た。

 ぱち、ぱち、とまばたきをした。

(……駄目だ)

 大翔は息を呑んだ。

 気配に気づき、馬頭鬼が後ろを振り向いた。

 結衣の姿を見て、ブルッと鼻から息を漏らした。

(駄目だ……駄目だ)

 馬頭鬼が一瞬だけ、考え込んだ。

 その考えが、大翔の頭に、電流のように伝わった。

 小さければ小さいほど、ウマいんだよなぁ、ガキの肉って。

 大翔達をそのままにして、結衣の方へ歩き始めた。

(駄目だ、駄目だ、駄目だ!)

 馬頭鬼の口が、ペロリと舌なめずりするのを見た瞬間。

 

 体の震えはピタリと止まった。

 足の痛みも綺麗に忘れた。

 大翔は吠えた。

 

どっせええええええええっいっ!

 

 タックルで飛びかかった。

 油断していた馬頭鬼の腰へ、ぶちかます。

 盛大にもつれ合いながら、階段に倒れ込んだ。

 すぐさま跳ね起き、足を踏ん張る。

 痛みも怖さも全部吹っ飛んで……もうよく分からなくなりながら、

 転げた馬頭鬼に、指を突きつけた。

「やい、こら! この鬼! あのなぁ!」

 強がりだっていいだろ。

「こいつは、確かにグズで、泣き虫で……我儘で、甘ったれで……その他、色々!

 どうしようもない奴なんだ! めんどくせーってよく思ったよ!」

 だって、俺は兄ちゃんなんだ。

「でも……それでもな!」

 大翔は叫んだ。

「こいつは俺の、世界でたった一人の、大事な妹なんだ! 手を出すんじゃねえよ、バカ野郎!」

 

「大翔、これを使って!」

 その時、聞き覚えのある声が響き渡った。

 同時に、目の前にガシャンと何かが落ちてきた。

 スポーツショップに置いてあった、スケボーだ。

 振り向くと、階段の脇に、金谷章吾と金谷有栖が立っていた。

 弟はゴルフクラブを持ち、足にはインラインスケート。

 姉はデイパックを肩にかけている。

 倒れた馬頭鬼が立ち上がる。

 

ゴールデンっ!

ハンマぁーっ!

 鉄アレイが落下してきて、馬頭鬼の頭にぶち当たった。

 和也と孝司が、ぜぇぜぇ息を切らしながら、インラインスケートで滑ってきたのだ。

「ここで助っ人参上だぜぇ!」

「ピンチの時に颯爽と! カッコいいっ!」

 二人は何故かそれぞれ、カウボーイハットに鉢巻き姿。

「……って、なんで、みんな無事なんだ?」

「俺が盗んだからだよ……」

「まあいいや。とうっ!」

 気合いの掛け声と共に、手すりを乗り越える。

 二階から颯爽と飛び降りた。

 格好よく着地……はできずに、コケてゴロゴロ滑っていく。

「やっぱりジャンプはムリだったあああああああぁ」

「……なんか、私の出番、なくない?」

 

「……全員、逃げるぞ! 突っ走れ!」

 章吾がゴルフクラブを馬頭鬼の頭目がけてぶん投げた。

 立ち上がった馬頭鬼がよろめく。

「いくぞ!」

 狼王は怪力によって、馬頭鬼の頭を殴る。

 馬頭鬼が怒りで吠えた。

「GO!」

 葵がスケボーで走り始めた。

 何度も床を蹴って飛び乗ると、一直線に通路を駆ける。

 織美亜と有栖は、阿藍が放った光により、身体能力が上がっているため、自力で走れる。

 和也ががらがらと押してきたのは、ショッピングカート。

「えっ。みんなスケートとスケボーで僕だけこれ?」

 おろおろする悠を、和也と考司が二人がかりで担いで、カートに乗せる。

「僕ももっと、カッコいいのないの?」

「何言ってるんだ! 鬼に食われるのと、カッコ悪いの、どっちを選ぶんだっ!」

「そうだぞ桜井! いいから乗ってろっ! 発車しまああぁあああああっす!

カッコいいのないのおおおおおっ?

 ショッピングカートをガタゴト転がし、和也と考司と悠が通路を走っていく。

「大翔も早くしろっ!」

「分かってる!」

 大翔は結衣を抱き上げると、一蹴りでスケボーに飛び乗った。

 そのまま前傾になって、加速する。

 横を章吾、織美亜と有栖、阿藍と狼王が並走する。

 全員、一階通路を全力疾走。

 

『ぴんぽんぱんぽん。ご来店のお客様へお知らせいたします。

 モール内での、インラインスケート、スケボー、

 ショッピングカートなどを使った暴走行為は、大変危険です。

 ご遠慮くださいますよう、お願いいたします』

「知るかよっ!」

「メーワクな警備員を何とかしてから言えっての!」

「そうだそうだーっ!」

『えー……』

 皆で抗議すると、放送は困ったような声を出した。

 ぴんぽんぱんぽーん、と言って切れた。

 案外、押しに弱いのかもしれない。

 

 馬頭鬼は立ち上がり、逃げていく子供とエージェントの方を振り返った。

 紙袋に手を突っ込んだ。

 ごそごそと中身を探っていたが……やがて、何かをがしりと掴んだ。

 ゆっくりと、取り出していく。

 黒く鈍い色をした、鉄の塊だ。

 少しずつ、中身が見え始め、少しずつ、少しずつ、外に出し、

 少しずつ、少しずつ、少しずつ……。

 

 全部出ると、全長5.34mに、重量8トン。

 

【商品No.0 大砲。ドカーン。威力・激高】

 

「「そんな」」

「「商品が」」

「「あるかあっ!」」

 思わず子供達全員でツッコんだ。

(どんだけなんでも揃うんだよ、このショッピングモール!)

 

「……やっぱり……」

 有栖は、乾いた笑いを浮かべた。

(ていうか紙袋ん中、入るわけねーだろそれっ!)

「せめて、あの子がいれば、電撃の盾で守れるのに……!」

 織美亜の呟きを聞かずに、馬頭鬼は警備服の胸ポケットから、マッチ棒を取り出した。

 床で擦って火をつける。

 大砲の後ろから伸びた導火線に、近づけた。

 火が燃え移り、パチパチ音を立てながら、導火線を上っていく。

 馬頭鬼が両手で耳を塞いで、後ろを向いた。

 

「全員、伏せろぉっ!」

 

 次の瞬間、音が聞こえなくなった。

 あまりに音が大きすぎて耳がおかしくなったのだ。

 口径890mm、速度は毎秒約500m。

 巨大な砲弾が――発射!

 転ぶように伏せた皆の頭上を、轟音と共に通り過ぎる。

 

 並んだ店先の商品が、全部ふっ飛んだ。

 コーヒーカップ、ネックレス、アイスのコーン、

 Tシャツにチラシ……ショッピングモールの様々な品物が、全部、宙に舞い上がった。

 皆、飛ばされないように踏ん張った。

 砲弾は売り場を滅茶苦茶に壊していく。

 置かれたカートを薙ぎ倒し、彫刻を木っ端微塵に破壊し、ガラスをバラバラに割って……。

 

―ドゴン!

 入り口を封鎖していたシャッターにぶち当たった。

 分厚いシャッターを突き抜け、大きな穴を開ける。

 そのまま飛んでいき――見えなくなった。

 

「……みんな、無事かぁ~!?」

 ぱらぱらと埃が舞い散っている。

 ショッピングモールはもう滅茶苦茶だ。

「無事ー!」

「何とかぁー!」

 コンクリートの欠片や洋服やチラシが、ぐちゃぐちゃになって辺りに散らばっている。

「あそこから、外に出ましょっ……!」

 けほけほと咳き込みながら、葵が言った。

 シャッターに開いた穴の向こうは、霧が薄くなっていた。

 行き交う車が見える。

 通り過ぎる人々の姿が見える。

 いつも通りの現実の、ショッピングモール入り口。

 大砲で騒ぎにもなっていない。

 あのシャッターの境目は異世界になっていたのだ。

 あそこが、ゴールだ。

「全員、走れっ!」

 スケボーやインラインスケートを捨ておくと、全員、全速力で走り始めた。

 章吾と有栖が駆け出していき、後ろから馬頭鬼が追いかけてくる。

「……結衣!」

 大翔は結衣に背中を向けた。

 屈み込んで、後ろに手を回す。

「乗れっ」

「でも……」

 結衣は泣きそうな顔をして、大翔を見ている。

 左足は見て分かるくらい、酷いのかもしれない。

「大丈夫! いいから乗れよ!」

 ぽんと背中を叩いてやると、結衣はようやく背中に乗ってきた。

 落ちないようにしっかり背負い直し、大翔は立ち上がる。

(さあ、走るんだ。痛くないぞ。いつもこうやって、おぶってるんだ。

 迷子の結衣を見つけた時も、こうやって帰ったんだ。家族でハイキングに行った時もそうだ。

 母さんの長い長い買い物に付き合う時もそうだ)

 いつも大翔だってへとへとだった。

 もう歩けないと何度も思ったが、妹がいたから頑張れた。

 大翔の大事な妹が、いつでも背中を見ていたから。

 もらった貝殻は、今も大翔の部屋にある机の引き出しの奥にしまってある。

 

「しっかり掴まってろよ!」

 大翔は兄として、走り始めた。

 一人で走ってる時より速いくらい、速い。

 馬頭鬼を引き離す。

 ちっとも疲れない。

 悔し気な馬頭鬼の嘶きがどんどん遠くなっていく。

 

「ゴール!」

 穴から外へ、飛び出した。

 真っ赤な空は、もうなくて。

 いつも通りの、青空が広がっていた。

 

「任務完了」

 そして、エージェント達も、テレポートで帰還するのだった。




次回は3巻編です。
ややネタバレですが、原作とはかなり違う展開にしていますので、ご了承ください。


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3章 偽りの地獄祭り
29 雷鳴のエージェント


3巻編のプロローグ。
今回の話に登場するエージェントはこれで最後です。


 桜ヶ島祭り開催『鬼ごっこのルール』

 

 ルール1 子供は、鬼から逃げなければならない。

 ルール2 鬼は、子供を捕まえなければならない。

 ルール3 能力者は、鬼と戦わなければならない。

 ルール4 街を越えて、逃げてはならない。

 ルール5 お祭り終了まで鬼から逃げ切れれば、その子供は勝ちとなる。

 ルール6 鬼に捕まった子供は、――

 ルール7 お祭り終了まで鬼だった奴は、チカラが無ければ人間に戻れない。

 

 沖縄県の小さな小さな島。

 そのどこかには、鬼に対抗する力を持った超能力組織「殺鬼軍」がある。

 政府にも認知されていないその島は、鬼から身を隠すのに十分だった。

 

「杉下……を調査し、妖鬼妃を倒せ」

 一は杉下の本名を言うが、読者には伏せておく。

 非常に高い知能を持つ彼は、鬼の本名すらも分かってしまうのだ。

「待ってください、妖鬼妃とは……」

「任務に私情は必要ない」

 阿藍は妖鬼妃について知っているようだが、一は車椅子に乗りながら首を横に振る。

 情に絆されて任務を失敗すれば、殺鬼軍の存続に関わるからだ。

 あまりにも知能が高い一は冷徹になってしまった。

「鬼に……鬼に、情を見せてはならないのだ」

 この世界での鬼は、ただ人を食べるだけの怪物だ。

 情を見せれば、すぐに食べられてしまうだろう。

「今回もアタシ達だけで行くのですね?」

 織美亜が一に質問すると、一は首を横に振った。

「いや……三人だけでは心許ないだろう。四人目を呼んだから、共に行動するのだ」

 今回の任務には、四人目のエージェントがやってくるらしい。

 一体誰だろうと織美亜、狼王、阿藍が首を捻ると、

 前髪を切り揃えた、肩まである茶髪の女性が来た。

「私は上原(うえはら)麻麻(まーさ)。コードネームはNo.16」

 女性は麻麻と名乗った後、丁寧にお辞儀した。

 タロットカードでは不吉を表す「16:塔」。

 そんな麻麻が持っている能力は、何なのだろうか。

「何々……」

「触らないで!」

きゃぁぁぁぁぁっ!

 織美亜が麻麻の手に触れた瞬間、麻麻の手から強い電撃が走った。

 電撃を受けた織美亜は感電してしまう。

「彼女は『雷鳴』の能力者であり、その名の通り電気を操る事ができるのだ」

「触らないで、って言ったのはこのせいだったのね」

 麻麻の能力は制御が難しいらしく、触るだけで感電してしまう。

 そのため、麻麻に触るには、絶縁体のゴム手袋を身に着けていなければならない。

「で、でも、戦闘はできると思うわよ」

「そうだな」

 おずおずと言う麻麻に、織美亜と狼王はなるべく彼女に触らないように近付いた。

「そっか……じゃあ、よろしくね! 麻麻!」

「学校では『No.16』だからね」

「俺達と共に鬼と戦おう。そして、妖鬼妃を倒そう」

 

 そして、織美亜、狼王、阿藍、麻麻の四人は転移装置を使用する。

 鬼を倒し、子供達を地獄から解放するために。

 

 次の舞台となるのは、地獄祭り。

 桜ヶ島で行われる祭りには、ある「恐ろしい秘密」があった。

 エージェント達はそれを調べるべく、桜ヶ島に向かうのだった。




阿藍と麻麻は、タッグではなくチーム制にしたくて作りました。
RPGのパーティーは、4人が定石ですしね。


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30 桜ヶ島祭り開催の知らせ

夏祭りに隠された、恐怖の秘密。
それを、エージェントが暴いていきます。


『桜ヶ島祭り開催のお知らせ!』

 

 通学路にある電柱に、そのチラシが貼り出されたのがいつなのか、

 一部のエージェント以外は知らない。

 コピー用紙にプリントされた、どこにでもあるお祭りのお知らせだった。

 書かれているのは、お祭りの日時、場所、交通規制の情報。

 それに、美味しそうなたこ焼きや焼きそば、半被を着た子供達がお神輿を担ぐイラスト。

 登校中の子供達が次々にその前を通り過ぎていく。

 

「わあ、今年もお祭りの季節だね!」

「一緒に行こうね。お母さんに新しい浴衣、買ってもらったんだ」

「いいなあ。ねえ、今年は金谷君、誘ってみない?」

「え? もしかして優花ちゃん、金谷君の事……」

「もしそれが本当だったら、あの有栖が黙ってるわけ、ないよなー」

 わいわいと喋りながら歩く子供達は、それがいつ貼られたのか知らないし、

 誰が貼ったのかとか考えない。

 いちいち立ち止まってチラシをじっと眺めたりなんかしないし、

 ましてや、チラシの四隅に貼られたセロハンテープを剥がして、

 裏を見てみようだなんて思いもしない。

 そりゃそうだ。

 だって、ただのチラシだから。

 街中の、どこにだってあるものを、いちいち気にする人がどこにいるのだろうか。

 

「ん? どうした?」

「……いや。なんでもないんだけど……」

 二人組の少年が通りかかった。

 背の低い方が、チラシを見ると、何か引っかかったように立ち止まった。

 身を乗り出して、じっと覗き込む。

「もうすぐ、お祭りだな」

「……ねえ、ヒロト。このチラシ、なんか、おかしくない?」

「ん? なんだよ、悠。間違いでも見つけたの?」

 ヒロトと呼ばれた少年も、頭の後ろに両手をやって、チラシを覗き込んだ。

「……別になんも、間違ってないと思うけど」

「うん。間違ってはないんだけど……」

「フツーじゃねえ? 何が気になるんだ?」

「分かんない。ただ、なんか、引っかかるんだよね……」

「…もしかして、また直感か?」

 真顔になって、腕を組み、考え込む。

「悠の直感、当たるからな……」

 悠と呼ばれた少年は、穴が開くほど真剣にチラシを見つめている。

 まるでチラシが騙し絵になっていて、

 全く別の文面と絵が浮かび上がるとでも思っているように。

 しばらくして、手を伸ばし、右下隅に貼られたセロハンテープに、

 指を引っかけ、剥がしていく。

―キーンコーン カーンコーン

「やべっ、予鈴だ! 行くぞ、悠。遅刻するぜ!」

「あ、待ってよヒロト!」

 二人はチラシの事なんて頭から吹っ飛んだ様子で、慌てて駆け出した。

 前後を歩いていた他の子供達も、焦った様子で走っていく。

 犬の散歩をしていたおばあさんが、そんな子供達を見てにこにこと笑う。

 ジョギング中のお兄さんも笑っている。

 いつもと何一つ変わらない、穏やかな朝の時間。

 

 その時。

 

 ヒュウッと強く、風が吹きつけた。

 チラシが風にパタパタと揺られる。

 もう片隅のテープが剥がれて……裏へひっくり返った。

 

『鬼ごっこのルール』

 チラシの裏面には、物々しい文字でそう書かれていた。

 プリントアウトされたルールがいくつも、箇条書きになって並んでいる。

 

 ルール1 子供は、鬼から逃げなければならない。

 ルール2 鬼は、子供を捕まえなければならない。

 ルール3 能力者は、鬼と戦わなければならない。

 ルール4 街を越えて、逃げてはならない。

 ルール5 お祭り終了まで鬼から逃げ切れれば、その子供は勝ちとなる。

 ルール6 鬼に捕まった子供は、――

 

 誰も知らないし、思いもしない。

 平和な朝の街前の、みんなが笑って歩いていくすぐ脇に、

 地獄の世界への招待状が、何食わぬ顔して貼りつけられているなんて。

 風に煽られ、チラシは剥がれて空に舞い上がった。

 誰もルールを確認しないまま、どこか遠くへ飛んでいく。

 

『ルール7』

 

 並んだルールの最後は、こんなものだった。

 一際大きいフォントで書かれていた。

 赤い字で、警告するように。

 

『お祭り終了まで鬼だった奴は、チカラが無ければ人間に戻れない』

 

「……ん?」

「どうしたの、麻麻?」

 エージェント達が桜ヶ島にやって来た時、麻麻の顔にチラシが当たった。

 彼女がそれを確認してみると、桜ヶ島祭りの開催を知らせるものだった。

「わぁ、美味しそうなたこ焼きに焼きそば! ねえこれ、食べられるの?」

 麻麻は祭りのチラシを見て、わいわいと騒ぐ。

「……花より団子だな、お前」

「しょうがないでしょ、歩いているとお腹空くんだから。あれ、織美亜、どうしたの?」

「……」

 織美亜はチラシの裏を、超能力で透視した。

 すると、織美亜の顔が青くなった。

 

「これって……また、あの、鬼ごっこ……!」




次回は新たな教師が加入します。
原作とは大きく違いますので、ご注意ください。


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31 新たな先生

原作とは話が脱線しているので、こういう教師にしました。


「やだ、怖ーいっ!」

「葵ちゃん、やめて~っ」

 教室の片隅で、女子達がきゃあきゃあと盛り上がっている。

 大場大翔は、お守りを指にぶら下げたまま、顔を向けた。

 このところの雨のせいで、昼休みでも外で遊べない日が続いている。

 最初のうちは体育館でバスケをしていたが、

 全学年の生徒が集まって遊ぶと、流石に体育館も狭すぎた。

 仕方なく、教室でトランプ、古今東西、漫画やゲームの話、

 部活の話に家族の面白話、色々やって時間を潰した。

 だが、それも何日も続くと、いい加減、みんなも飽きてきていた。

「一口にお祭りといっても、色んな由来のものがあるのよね」

 桜ヶ島小、6年2組の教室。

 今、女子の輪の中心で得意げに喋っているのは、大翔の幼馴染の宮原葵だ。

 勉強大好き、テスト大好きな女の子。

 学年トップの成績だけど、鼻にかけたりせず、

 他の子達に勉強を教えたりと、面倒見がいい。

 この前、隣のクラスの関本和也が、葵にラブレターを出した。

 ドキドキと待っているとすぐに返事が戻ってきた。

 漢字の間違いや文法のミスが、全て赤ペンで丁寧に修正されて。

(オレ、ラブレター出したつもりだったのに、

 宮原の奴、これ完全に作文の添削指導かなんかと勘違いしてるだろ……)

 恨めしそうな顔をする和也の肩をぽんと叩いて、

 その日はみんなで飲みまくった……ドリンクバーが。

「お祭りって、みんなでわいわい盛り上がるものってイメージあるわよね。

 由来も、神様への感謝とか、豊穣の祈願とか、プラスのイメージのものが多いじゃない?」

 葵は女子の輪の中で、何やらお祭りについて語っているようだ。

 うんちくを語り出したら、葵は止まらない。

「でも、マイナスの事……人に悪さをするものを鎮めたり、

 呪いを祓ったり――そういう事から始まったお祭りもあるの。

 何を隠そう、あたし達の街、桜ヶ島のお祭りも、元々は、そうした祭礼だったらしいわ」

 得意げに喋っていた葵はそこで一旦言葉を切った。

 これは聞いた話なんだけどね……と、一転、声を顰めて続ける。

「お祭りをやってなかった時代にはね。

 この辺りで、たくさん、人が死ぬ惨劇が起こったらしいの。特に……子供。

 ……あたし達と同じ、小学生が、無残な犠牲者となる事件が、多かったんですって……」

「きゃー!」

「やだ、怖ーい!」

「やめてー、葵ちゃん!」

 女子達がきゃあきゃあと盛り上がっている。

 どうも、怪談でもやっているようだ。

 ずっと芸能人の話やドラマの話をしていたが、男子と同じく、あっちもネタ切れしたらしい。

 大翔は手に持ったお守りを隠すと、周りにいた人達に顎をしゃくった。

「葵の話、聞いてみようぜ。日頃は退屈な女子達の長話だけど、怖い話とあっちゃ別だ」

 みんな、耳を傾けてみる事にした。

 

 昔々、百年以上もの事。

 ここ、桜ヶ島の村に、一人の善良な男が住んでいたそうだ。

 男は真面目で、礼儀正しく、よく働いた。

 村の人々から、たいそう慕われていたという。

 

 ある年、村に神隠しの噂が広がった。

 子供達が遊びに出かけたきり、家に帰らなくなったのだ。

 最初は、一人、二人の事だった。

 大人達は、家出をしたか、川へ落ちたのだろうと考えた。

 三人、四人といなくなった。

 大人達が探しても、見つからない。

 何か事件があったのかもしれないと思い始めた。

 10人消え、三人がいなくなった頃、その噂が囁かれ始めた。

 子供達は神隠しにあって、地獄へ連れていかれたのだと。

 

 子供達が見つかったのは、ちょうど今の季節の満月の夜。

 木の生い茂る裏山の中腹で、子供達は発見された。

 肉をかじられ、骨だけになった無残な姿で。

 変わり果てた子供達の屍の脇に、あの善良な男が蹲っていた。

 美味そうに、ガツガツと、子供達の腸を貪り喰いながら。

 男は街の人々に気づくと、身を翻し、そのままいずこかへ消え去った。

 男の顔は、人間のそれではなかった。

 「神隠し」は、化け物と化した男の仕業だったのだ……。

 

 後日、相談を受けたさる高名な退魔師は、村の人々にこう助言した。

「この地には、魔の地へ通ずる穴が開いているのだ。

 そこから這い出た魔の者が、男を仲間に引きずり込んだ。

 鎮める方法はただ一つ。月明かりに最も近い地に神を祀る社を建て、

 祓いの儀式を執り行って、男にとりついた魔を祓う事だ」

 言う通りに神社を建てて祭礼を行うと、男は化け物から人へと戻り、神隠しは止んだ。

 それ以来、毎年行われるようになった祭礼が、

 百年以上の時を経るうちに、今のお祭りの形になっていったという。

 めでたし、めでたし。

 

 一方、エージェント達は、葵の話を超能力で盗聴していた。

「なるほどな」

「これが外国だったら、誰がやったんだ、と疑心暗鬼になって、処刑だっただろうな」

「そうよねえ」

 以前に語っていたが、日本と外国では考え方が違うため、災いへの対抗手段も違う。

 唯一神に逆らうものがいて、それを倒せば災いも治まると。

 実際は、そう呼ばれた者はほとんどが無実であり、倒して解決した問題は一つもない。

 時間が戻る「魔法」があれば、現実も改変できるのだが、

 生憎と、エージェントは「魔法」が使えないのだ。

「災いを人間の力で何とかできると思い込んでいたから、外国では悲劇が起きたのよね」

「まぁ、そんな事はどうでもいい。まずは、あの杉下……を探そう」

 

「おーい、ニュースだぜ! ニュース、ニュース!」

 と、教室のドアが開いた。

 「大ニュース!」が口癖の割に、いつも大した情報ではないと評判の、新聞委員の今井雄大だ。

「なんだよ、また今井の大ニュースかよ」

「今井のニュースは、大きかったためしがない」

「今回はほんとに大ニュースだって!

 スギやんのヘルプで、新しい先生が来たんだけどさ! すげーの!」

 雄大は興奮気味にまくし立てている。

 スギやんというのは、体育抵当の杉下先生の事だ。

 先週、杉下先生は学校の帰りに事故でケガをして、しばらく授業ができなくなってしまった。

 それで、ピンチヒッターの先生が来る事になっていたのだ。

「それがさ、その新しい先生、女の人なんだよ!」

「女?」

「ああ、そうだよ、女!」

 退屈していた男子達が、一斉に騒ぎ始めた。

 女子達も、美人かなー、と盛り上がっている。

「ほら、あそこ、あそこ!」

 雄大はベランダへ飛び出すと、階下を指差した。

 他の子達も好奇心丸出しで飛び出した。

 大翔も立ち上がり、お守りをポケットに突っ込むと、ベランダに出た。

 中庭の向こう、一階職員室前の長廊下を、校長先生と教頭先生が歩いている。

 その後ろを、女性と荒木先生がついて歩いていた。

 雪のような白い肌と髪、青い瞳、長身。

 

「美しい……」

「……あれは、荒木先生……?」

 

「荒木先生は戻ってきたけど、あの女の先生は、誰だ?」

「さあね」

 美人女教師を無視していたのは、6年1組、金谷有栖。

 章吾の双子の姉である彼女は、簡単に言うと気が強い優等生である。

 数ヶ月前、運動会の日。

 学校の校庭に開いた地獄へと通じる穴から、恐ろしい鬼達が這い出してきた。

 荒木先生を守ってくれた、超能力を自在に操るエージェントのおかげで、

 何とか脱出できたが……。

 

「そのエージェントとは、オレ達の事かな?」

「あ、お兄さん!」

 現れたのは、織美亜、狼王、阿藍と、見た事がない女性エージェント。

「誰ですか?」

「私は上……こほん、No.16よ」

 麻麻はコードネームを大翔達に言った。

 もし、素性が鬼にばれたら、間違いなく超能力に対抗するかもしれないからだ。

 エージェントは密かに鬼を討ち取る、それがエージェントの役目なのだ。

「それで、新たな先生とは誰だ?」

「今、来るから、待ってて!」

 体育館の隅、男子達は黒板の前で体育座りをして、先生を待った。

 チャイムが鳴って入り口の扉が開くと、みんな、興味津々で顔を向けた。

 スギやんこと杉下先生は、ひょろっとした男の先生だ。

 いつもニコニコと楽しそうな笑顔をしていて、男子からも女子からも人気が高い。

 杉下先生は足にギプスをして松葉杖をついていた。

 新しい先生と荒木先生は、そんな杉下先生に連れられて、ゆっくりと歩いてきた。

 やっぱり、荒木先生は、生き残っていた。

 エージェントは、無敵だったのだ。

 

「さて、みんな」

「今日は新しい先生を紹介するぞ!」

 杉下先生がゴホンと咳払いする。

 誰かが、待ってました! と、ピュウウッと口笛を吹いた。

 女の先生は、杉下先生の横に立ち、じっとみんなを見下ろしている。

(……あれ?)

 荒木先生は相変わらず、暖かい目で生徒達を見ている。

「今日からしばらく、僕の代わりに授業を見てもらう事になった……」

 杉下先生は隣を示した。

「……白井先生?」

 大翔は体育座りをしたまま、ぱちぱちとゆっくり二度、瞬きした。

 横を見ると、同じく不思議そうに首を傾げて、こっちを向いた悠と目が合った。

「それでは先生、自己紹介をおねがいします」

「あたしは白井雪よ。よろしくね」

 白井先生は丁寧に自己紹介した。

 荒木先生は「みんな、仲良くしろよ」と言った。

 だが、エージェント、特に阿藍は、訝しい表情をしていた。

 

「……あの女、どこかで……」




しつこいようですが、エージェント達の考えは西洋人を元にしています。

次回は、奇妙な鬼が登場します。
といっても、エージェントの敵ではない、と思うのですが。


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32 放課後の罠

大翔を待ち受けていた鬼の罠とは?
一応これもホラーらしいですが、エージェントの前には無力です。


 荒木先生は明るく親しみやすかったが、白井先生はどこか影があった。

 授業をちゃんとサポートしないし、体育の時間に指示をし、皆を見ているのは最初のうちだけ。

 美人だが、やはり、怪しかった。

 

「そんなに白井先生が気になるのか?」

「ああ」

 荒木先生も、生徒と同じく白井先生が気になるらしい。

「先生が授業をサボるなんて話、聞いた事ないわ」

 下駄箱に上履きをしまいながら、葵が首を捻った。

 放課後、お祭りが近くなり、下校時間がいつもより早い。

 神輿やお囃子の練習に参加する子が多いからだ。

「先生という職の品位が問われるわね。子供が正しい道に進むか否かは教え導く先生次第なのに。

 そんな無責任な事じゃ、安心して子供達を任せておけないわ」

「……アオイ、時々、お母さん目線だよね」

「自分も子供なの忘れてるよな」

「だって、あたし達はもう6年生でしょ?」

 顔を見合わせる悠と大翔に、葵は不思議そうに首を傾げる。

 大翔は小学6年生も子供だと思っているが、葵と言い合っても勝てないし黙っておく事にする。

「あ……やべ。忘れ物した」

 大翔はふと気づいて、履きかけた靴を脱いだ。

「どうしたの?」

「体操服入れ、教室に置いたまんまだった。

 毎日洗濯しないとすぐ汚れるって、母さんに怒られるんだよ。先に行ってて」

「待ってる」

「私、心配だからついていく」

 大翔は上履きを履き直すと、廊下を戻った。

 麻麻も、大翔と一緒に行く。

 桜ヶ島小の校舎は、中庭を中心にした凹の字型をしている。

 東棟の廊下を、奥まで進んだ。

 階段を3階まで上がり、左に折れると6年2組の教室がある。

 ピタリと閉められたドアを開けると、ガラガラと大きく音が響いた。

 この頃、建てつけが悪いのだ。

 

「うーん、誰もいないわね」

 放課後の学校は、いつになく静まり返っていた。

 いつもなら校庭で遊んでいる子供達の声が聞こえているが、みんな、もう帰宅したらしい。

 教室もがらんとしている。

 大翔は机に引っかけてあった体操服入れを手に取った。

 紐を掴んでくるんと回し、ドアへ足を向ける。

 

「待って!」

 その時、麻麻が何かに気づき、どこかに電撃を放った。

 そこにいたのは……奇妙な触手だった。

「なんだ、これ?」

「私から離れないで。危険よ」

 麻麻は大翔を守るように立つ。

 触手は、ジリジリと麻麻と大翔に近づいていく。

 色は毒々しい赤。

 固くも柔らかくもなく、ゴムのような感触。

 表面には、ブツブツと小さな突起。

「消えなさい」

 麻麻は弱い電撃を触手目掛けて放ち、牽制する。

 だが、触手は勢いが弱まりながらも近づく。

 麻麻と大翔は、急いで放送室に飛び込んだ。

―ヒタ、ヒタ

 足音がして、麻麻と大翔は動きを止めた。

―ヒタ、ヒタ、ヒタ

 近づいてきて、麻麻と大翔は息を殺した。

 逃げ場はない。

 放送室の窓は高い位置にあって、外に出られないのだ。

―ヒタ、ヒタ、ヒタ……

 足音は放送室の前で止まった。

―コン

 軽く、一度だけノック。

―コン、コン

 今度は少し強めに、またノック。

 

 大翔はドアを押さえたまま、固まっていた。

 麻麻はいつ敵が来てもいいように、身構えている。

 ドクドクと打つ心臓の鼓動の音が、外に漏れ出しているような気がした。

―ガタン

 ドアが揺れた。

 大翔は指に力を込めて押さえた。

―ガタガタ、ガタン

 開けようとしている。

 大翔は必死にドアを押さえつけた。

 向こうの方が力が強い。

 ドアは怪物のようにガタンガタンと揺れた。

(だ、駄目だ!)

―ガタンッ!

 勢いをつけて引かれ、大きな音と共に扉が開いた。

 大翔は身を竦ませ、目を瞑った。

 

「何やってるの?」

 声が降ってきた。

 はっとして顔を上げると、立っていたのは白井先生だった。

 ドアに手をかけたまま、麻麻と大翔をじっと見下ろしている。

「物音がするから、誰がいるのかと思えば、あなた達だったのね。

 放送室は、係以外は立入禁止のはずだけど」

「……」

「もう下校の時間は、とっくに過ぎているわよ」

「はいはい」

 麻麻と大翔は立ち上がると、先生の脇を抜けて廊下に出た。

 恐る恐る、階段を見上げるが、何もいなかった。

 隠れていた太陽がまた姿を現し、窓から明るい陽射しが差し込んで校舎を照らしている。

 大翔はほっと息を吐いた。

 ランドセルと体操服は、もう回収している。

 だが、麻麻には、白井先生の真の姿が見えていた。

 見下ろす先生の頭、その額。

 そこに、うっすらと、奇妙な物……ツノが見えた。

 小さなツノが一点、先生の額から突き出していた。

「……どうしたの? あたしの顔に、何かついているの?」

 白井先生が眉を顰める。

 麻麻は、白井先生が鬼である事を見破っていたが、口には出さなかった。

「ふぅん、これから食事にしたいのよね」

 その口から――牙が生えていた。

 人間の物ではなく、肉を喰い裂き噛みちぎる、鋭い獣の牙。

「この頃、お腹が空いてたまらなくて。今日は極上の肉を腹いっぱい食べると決めてるのよ」

「やはり、あなたは……よう……」

 麻麻は白井先生を睨みつけて言った。

 その時だった。

 

「ヒロト、何やってんのさ!! 遅いよぉー」

「忘れ物を取りに行くだけで、いつまでかかってるのよー。置いてくわよーっ」

「麻麻、大丈夫か!」

 廊下の向こうから悠と葵、狼王の声が響いて、麻麻と大翔ははっとした。

「あら、白井先生。こんにちはー」

「こんにちはー」

 ひょいと顔を出し、麻麻、大翔、白井先生を見やると、

 五人は顔を見合わせて、とりあえずといった感じでちょこんと頭を下げた。

 白井先生はそそくさと麻麻と大翔から離れた。

 不審そうな顔をした悠、葵、織美亜、狼王、阿藍の脇を通り過ぎる。

 その額に、もうツノは見えず、牙も見えない。

 

「早く帰りなさい。子供がいつまでも家に帰らずにいると、良くない物に襲われるわ」

 振り返ると、大翔を見上げた。

 

「……分かるでしょ?」




次回は白井先生を追いかけます。
章吾と関係のあるオリジナルキャラも、登場しますよ?


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33 先生を追うために

今回は有栖のターンです。
彼女の内面も、ここで描写してみました。


「……それ、和也君には言わないでね」

 昼休み、教室の隅っこ。

 6年1組、金谷章吾の双子の姉、有栖は大翔の話を聞くと、少し考えてからそう応えた。

「なんでだよ?」

 大翔は不思議そうに訊いてくる。

 納得いかなそうに首を傾げて有栖を見た。

「私、ちょっぴり予知能力があるのよね。だから、話すとまずい、って」

「二人とも」

「何、話してるんだ~?」

 校庭に遊びに出ようとしていた和也と、姉を心配した章吾が、

 話し込む二人に気づいてやってきた。

 和也は有栖の後ろに回り込むと、ガタガタと椅子を五月蠅く揺らす。

「有栖、ほんとに祭り、来ないのかよ~?」

「楽しいだろ?」

「あのねー、私は忙しいの」

「忙しいと言いながら忙しくないのが有栖だ」

「行ってくるなら、章吾が行きなさい」

 章吾は、有栖には逆らえず、渋々行く事にした。

 わっしょおおおいっ、と叫びつつ、和也はサッカーボールを持って教室を出ていった。

 有栖は椅子を元に戻すと、大翔と章吾を見据えた。

 

「私はね、白井先生を知りたいの。一緒に尾行しましょうよ」

「……分かった」

 大翔は納得したように頷き、ズボンのポケットからブルーの小箱を取り出し、

 有栖の机の上に置いた。

「まずは、俺達だけでやろうぜ。悠が持ってきてくれたんだ、連絡用のトランシーバー」

「ありがとう」

「交替で見張りを立てて、何かあったらこれで連絡するようにするんだ。

 他の子が襲われたりしないように、先生を見張っておかなきゃ」

「ええ」

「後、放課後、先生を尾行する」

「いつも鬼に追っかけられてばかりじゃ、いられねえもんな」

 随分強くなったわね、と有栖は思った。

 一般人なら、一人で逃げ出したっておかしくないのに。

 大翔は他の生徒を守った上に、敵の正体を突き止めようっていうのだ。

「二人とも来るだろ?」

「……ああ」

 章吾は有栖に逆らえないため、渋々ながら、首を縦に振った。

「当然だよな。有栖がいるもんな」

「……有栖……」

 

 放課後、有栖は超能力を使い、自分の分身を作り出した。

「これ、結構疲れるのよね」

 有栖の超能力はエージェントと比べて弱く、分身を作るのにも体力が必要だ。

 それでも、有栖の分身は一人でバスに乗り込んだ。

 桜ヶ島総合病院は、街で最も大きな病院だ。

 分身はカウンターで受けつけを済ませて、病室へ向かう。

 ドアを開けると、有栖と章吾の母はベッドに起き上がって本を読んでいた。

「あら、いらっしゃい」

 有栖と章吾の母は本を閉じ、嬉しそうに笑った。

 元々双子を産んで体は弱っていたが、心なしか、また痩せたような気がする。

 有栖の分身はカバンから着替えを取り出すと、ベッド脇の籠の服と入れ替えた。

 90点の小テストの答案と、持ってきた漫画をテーブルに置く。

 窓を開けて空気を入れ替え、花瓶に生けられた花の水を新しいものに替えた。

 カバンからお見舞いのリンゴを取り出した。

「……有栖も、章吾も、我が子ながら出来過ぎた子なのよねぇ」

 てきぱきと部屋を片づけ、リンゴの皮を剥く有栖の分身を見やりながら、

 母さんはううむと唸って腕を組んだ。

 言葉は褒めているのに、口調はなんだか物足りなそうだ。

 その後は、リンゴを食べながら話をする。

 大抵は母が読んだ本の感想や、他の患者や看護師の噂話だ。

 とはいっても、分身は口を聞けないのだが。

 

 窓の向こうはもう夕焼けに染まり始めている。

 有栖の分身は病室を出た。

 廊下の曲がり角で、看護師達がひそひそと話しているのが耳に入った。

 

「305号室の患者さん、亡くなったんだって」




次回は大翔達のターンです。
エージェントもバリバリ活躍しますよ。


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34 白井先生尾行作戦

大翔達が謎の先生を追いかけます。
彼らも逃げてばかりじゃないのですよ。


「テスト、テスト。ヒロト、聞こえる? どうぞ」

「聞こえるけど……普通に話した方が早いぜ、悠」

 大翔、悠、葵、章吾、有栖とエージェント達は、

 校門脇の植え込みの陰に身を隠して、白井先生が出てくるのを待っていた。

 左右に分かれた植え込みの向こう側から、悠は首を振ってトランシーバーを揚げる。

「駄目だよ、ヒロト。発言の終わりには、どうぞ、ってつけるんだ。

 トランシーバーでの会話はそうするのがルールなんだよ。分かった? どうぞ」

「分かったよ、悠。ところで、これ、わざわざ買ったのか? どうぞ」

「お父さんの持ち物だよ。ちょっと借りてきたんだ。どうぞ」

「悠のおじさん、トランシーバー使う仕事でもしてんだっけ? ……どうぞ」

「ううん。お母さんとケンカした時に、トランシーバー越しに謝るのに使ってるんだ。

 顔を合わせると凄く怖いからって。どうぞ」

(なんかもう、どうぞって気分じゃないな)

 

 しばらくすると、昇降口から先生が出てきた。

 優雅な足取りで校門を出ていく。

「……よし、尾行開始だ。気をつけろよ」

 大翔と章吾はバットを掴んで立ち上がった。

 万が一の時のために体育倉庫から持ち出してきた。

 悠と葵と有栖と頷き合うと、植え込みの陰からエージェントと共に飛び出した。

 校門を出て、電柱の陰へ滑り込む。

 尾行の鉄則は、相手と適切な距離を保つ事だ。

 身を乗り出して、様子を伺う。

 白井先生は、通学路を優雅と歩いていく。

 低学年の子達が遊びながら歩いている脇を、しなやかに進んでいく。

 先生に気づくと、子供達は元気よく挨拶した。

「せんせい、さよーなら!」

「せんせー、さよーならぁー!」

 挨拶を受けた白井先生は「どういたしまして」と言った。

 

「……女ほど恐ろしいものはない」

「何か言った?」

「いや、別に」

 金谷姉弟が言う。

 

「もし先生を見失っても、私が超能力を使うからね」

 麻麻が言う。

 

 商店街へ差し掛かると、白井先生はラーメン屋へ入っていった。

 大翔達は首を傾げてガラス越しに先生を見張った。

 白井先生はねぎラーメンを注文すると、

 出されたラーメンをあっという間に完食して店を出てきた。

 さらに続いてファストフード店に入った。

 パンパンに膨らんだ紙袋を持って出てくると、

 フィッシュバーガーにかじりつきながら歩き始める。

 

「ちょっと食べすぎじゃない……?」

 呆れたように葵が言う。

 

「フードファイトにでも挑戦するつもりなのかな」

 本気か冗談か分からない口調で悠が言う。

 

 大翔と章吾はだんだん、違和感を感じ始めていた。

 あの時、大翔と麻麻を追ってきた鬼の気配と、

 今、見ている先生の印象が、何だか、噛み合わない気がしたのだ。

 

「家に帰るんじゃなさそうだな。どこへ向かっているのか……」

 先生は家のある方向から、どんどん遠ざかって歩いていく。

 古い民家や空き地、田んぼが広がる一帯。

 人通りのない畦道に入っていく。

 しばらく歩いていくと……子供の泣き声がした。

 ガードレールの脇で、野球のグローブを嵌めた小さな男の子がわんわんと泣きじゃくっている。

 どうやら、ボールを下に落としてしまったらしい。

 白井先生は、無視して脇を通り過ぎた。

 大翔達は電柱の陰から飛び出した。

 数歩行ったところで先生はピタリと立ち止まった。

 くるりと振り返る。

「な、何……?」

「しっ」

 大翔達はあわてて電柱の陰に戻った。

 白井先生はゆっくりと、泣いている男の子の方に近寄っていく。

 伺うように、周りを見回した。

 男の子の肩に、ぐっ、と両手をかける。

「……やばい。あの子、喰われちまうぞ……」

「あの女は、鬼かもしれない……」

「え、え……?」

 大翔と章吾はバットを握り締めた。

 悠はおろおろして、葵と有栖はじっと先生を見ている。

 エージェントは既に、身構えていた。

「俺が助けに行く。もしも俺がやられたら、みんなは全力で逃げてくれ」

「ヒロト……」

「まあ、大丈夫だろう」

「……あと、母さんと妹に、よろしく伝えておいて。今まで、ありがと、って」

 大翔は、ぐっ、と親指を立てて頷いて見せた。

 エージェントと共に、颯爽と電柱の陰から飛び出した。

 

「だから、どの辺に落としたのよ」

 急ブレーキ。

「……ひっ、ひっく……ひっく……」

「ボールをどの辺に落としたの?」

「えぐっ……ひっく……」

「どこなのよ」

 白井先生は、泣きじゃくる男の子に、

 怒っているのか質問しているのか、ボールの行方を問いただしている。

 大翔達は電柱の陰に戻った。

「『やばい。俺が助けに行く』」

「……なんてかっこいいムードじゃなさそうね」

「『もしも俺がやられたら、全力で逃げてくれ』なんてかっこいいムードではなさそうね」

 悠と葵、有栖が言う。

 怒ったように問いかける先生に、

 男の子はひっくひっくとしゃくり上げながら、ガードレールの下を指差した。

 白井先生はひらりとガードレールを飛び越えた。

 ぼうぼうと草の伸びた地面に着地すると、掻き分けて進み、ボールを探し出す。

 見つけたボールを掲げて振りかぶって投げた。

 ボールはぽーんと高く飛んで……男の子の構えたグローブに収まった。

 

「……」

 大翔と章吾は構えていたバットを降ろした。

 やっぱり、違う。

 あの足音の主と白井先生が、同一人物だとは思えない。

 白井先生は、笑顔で上ってきた。

 

「あ、あの……。あ、ありが……と……」

 彼女は、お礼を言う男の子に微笑んだ。




あの先生はエージェントの行動のために、この物語には登場しません。
なので、代わりに白井先生を出したのです。


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35 祭りの会場へ

桜ヶ島祭りに、エージェントが潜入します。


 着いた先は、お祭りの準備真っ最中の、桜ヶ島神社だった。

 だだっ広い敷地の中に、たくさんの出店が並び、賑わっている。

 電柱の間にずらりと吊るされた提灯が、空を覆っている。

 空き地には神輿が置かれ大人達が櫓を組んでいた。

 白井先生は屋根の張り出したテントへ入り、荒木先生は別の場所で準備をしていた。

 中では他の先生達が肩からタオルをかけて、紙コップでジュースを飲みながら笑っている。

「どう見ても、お祭りの準備の手伝いに来ただけにしか見えないけどさ、ヒロト」

 先生達は、お祭りの準備の手伝いや巡回の確認で、数日前から忙しくなる。

 白井先生と荒木先生は放課後の集まりのために、やってきただけのようだった。

「よしっ! せっかくこっちまで来たんだ。出店でなんか食べてこうぜ!」

「あ、ヒロト誤魔化した」

「でも、いい匂いするわね。お腹空いちゃった」

「ああ……」

 設営が終わった出店は、ちゃっかりもう商売を始めているらしい。

 様々な匂いが漂ってくる。

 焼きとうもろこしの醤油の焦げる匂い。

 たこ焼きのソースと青のりの匂い。

 五人のお腹が、ぐうっと鳴った。

「僕、おこづかい、あんまりないや。みんなは?」

「同じく」

 

「やあ! 大場君と桜井君……金谷君に金谷さん……それに、宮原さんじゃないか。どうした?」

 出店の間をぐるぐると回って、見つけたのは杉下先生だった。

 広場の隅に松葉杖を突いて立ち、ぺろぺろとリンゴ飴を舐めていた。

 エージェントの姿は、目に入っていないようだ。

「……ははーん、分かったぞ。キミら、こづかいがなくてスポンサー探してたんだろ?

 仕方ないなあ。他の子に言うなよ? 何、食べたいんだ?」

 ニコッと笑ってウインクする。

 葵が、やった! と三人を見て笑った。

 大翔もガッツポーズを取り、章吾と有栖が頷く。

 悠だけは、大翔の背中に隠れたまま、苦手な犬でも見るような目で杉下先生を見ている。

 エージェントの一人、麻麻は、今にも杉下先生を殺そうとしている。

「さよな……」

「何?」

「なんでもない」

「そういえば、さっき荒木先生と白井先生が上の神社へ登っていくのを見たよ」

 出店で熱々のたこ焼きを買うと、杉下先生は大翔達に差し出した。

 自分は只管、親の仇のようにぺろぺろとリンゴ飴を舐め続けている。

 大翔、葵、章吾、そしてエージェント達はふうふうとたこ焼きを冷ましながら、首を傾げた。

「山の上にも神社があるの?」

「上の宮の事ね。神社は、山の麓に人々が刻揮するための下の宮を、

 山の上に実際に神様を祀る上の宮を建てる事が多いの。

 桜ヶ島神社にも上の宮があるって聞いた事あるわ。

 凄く長い階段を登らなくちゃいけないから、参拝する人はほとんどいないらしいけれどね」

「……流石、宮原さんは物知りだなあ。学年トップは伊達じゃないね」

 杉下先生が、ほうっと感心したような息を吐く。

 葵は、え、それほどでもないです……と言っているが、もっと褒めてオーラ全開だ。

「桜ヶ島神社の上の宮はね。昔は有名な場所だったんだよ」

「何がだ?」

 狼王が問うと、杉下先生はリンゴ飴を舐めながら言った。

「悪いモノを祓う力が、とても強い場所だって信じられていたんだ」

「魔女を火あぶりにするような感じか?」

「うん。だから、たくさんの人々が、呪いや祟りを解くために、桜ヶ島神社を訪れたらしいよ」

「ほかの街からも?」

「うん。人間にとりついた悪いモノを祓う儀式をお祓いと言うけど、

 桜ヶ島神社のそれは、特に効き目が強かったらしくてね」

 埒が明かないとばかりに杉下先生はリンゴ飴をバリバリと噛み砕いて飲み込んだ。

 杉下先生はリンゴ飴を食べ終えると、とっておきの秘密を打ち明ける子供のような顔で笑った。

 

「それはもうただのお祓いじゃない。

 地獄からやってきた鬼を祓う……鬼祓いの儀って、呼ばれてたらしいよ」




エージェントは杉下先生の正体を知っているので、こういう態度ができるのです。
司令官の影響か、鬼に対してはとことん厳しい態度を取ります。


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36 蛙鬼

ここで白井先生の正体が明かされます。
同時に、学校で大翔を襲った鬼の正体も明かされます。


 上の宮への階段は、本当に長かった。

 数百と連なった段が、山の上に向かってどこまでも伸びている。

「……それで、お祓いの時に使う道具を、祓具っていうの。

 例えば注連縄や正月に飾る注連飾りも、禍を祓い、中を神域にする、

 ある種の祓具と言えるのよね……分かった?」

 ぜえぜえと息を切らしながら、葵は先程からお祓いについてのうんちくを語り続けている。

「後は神社の神主さんがよく持ってる、白い紙のたくさんついた棒も、祓具の大幣っていうの。

 そうした豊富な道具の数々によって、古くから神社というのは禍を祓う象徴として、

 人々の生活の中に溶け込み、根づいてきたっていうわけなの。

 ……ねえ、ちょっと休まない? 登りながら喋るのは、流石に疲れるわ」

「「「……喋らなければいいだけじゃ……」」」

 五人とエージェントは鳥居の下に腰を下ろした。

 階段のところどころに建てられた、朱色の鳥居。

 いくつもの鳥居を抜けて登っていくと、

 まるで知らない世界へ通じるトンネルでも潜っているような気分だ。

 

「それにしても、杉下先生は物知りなんだな」

「あら、有名よ?」

 章吾が言うと、葵は指を立てた。

「物知りなのもそうだけど、話すのが上手いのよね。

 他のどの先生より教え方が上手いって、勉強を教わりに行く子も多いの。

 言ってくれれば、あたしが教えてあげるのに」

「……そうなんだ」

「女子の間じゃ、凄く人気よ、杉下先生。密かにファンクラブがあるくらい。

 ……でもまあ、あたしの好みではないんだけどね」

「男子の間でも人気だぜ、杉下先生。あれで運動神経も凄くて、足だって速いんだ」

「優しいし。生徒の話、よく聞いてくれるしね」

「面白いもんな」

 大翔、葵、章吾、有栖は、うんうんと頷き合った。

 

「……そうかな……」

 ずっと黙って聞いていた悠が、膝を抱えたまま呟いた。

「……僕、あの先生、なんか好きじゃない」

「同じく」

 エージェント達は、彼の発言に同意する。

 彼らは杉下先生が人間ではない事を知っているからだ。

「……ま、俺達の体育の先生は、荒木先生だもんな」

 大翔は大きく頷いてそう言った。

 あの地獄化した小学校で、超能力を使うエージェントが先生を鬼から守ってくれた。

 だから、エージェントなら、杉下先生を殺せるだろう。

 

「エサ見っケ」

 

 突然声がした。

 五人とエージェントは、はっとして振り向いた。

 石段の左右には、背の高い木々が鬱蒼と枝を伸ばし、陽の光を遮っている。

 その木々の間から、ぎょろりとした一対の目玉が光って五人とエージェントを見下ろしていた。

 ペタ、ペタ、と足音を立てて、姿を表す。

「……な、なんか変なのでてきた……」

 悠が口元を引きつらせた。

 見た目は……カエルだった。

 つるんとした緑色の皮膚に、ぎょろっと飛び出した黒目の大きな目玉。

 吸盤のついた足が地面にペタリと貼りついており、小さな象くらいの大きさをしている。

 そして頭部からはにょっきりと、二本のツノ。

 大きな口を行儀よく閉じたまま、ぎょろぎょろと九人を見つめている。

「……あれは、大蝦蟇ね」

「蛙は、魔女が使い魔としてよく使う奴だな」

「ある怪盗は、こいつを呼び出していたとか」

 葵と狼王と阿藍が言う。

 巨大な蛙の口元からツンとする匂いが漂ってくる。

「ガマガエルが鬼になったものよ。

 口から虹のような息を吐いて、

 触れた鳥や虫なんかを、口の中に吸い込んで食べたって言われてる」

「またうんちくか」

「鳥や虫なんて食べないヨ。食べた気しないからネ」

 大蝦蟇と言われた化け物蛙はぱかりと口を開けた。

 鬼らしい、巨大な口だが、他の鬼のように、牙は生えていない。

 口の中には空洞のように、深い闇が広がっている。

「カエルって、獲物を丸呑みにするのよね。長い脚で物を捕らえて飲み込み、

 生きたまま胃の中で溶かすの。だから、歯はいらないわけ」

「アオイ、もう少し、聞いていて楽しい気分になる解説がほしいよ……」

 大蝦蟇の口の端から涎がこぼれて地面に落ちた。

 ジュウッ、と白い煙を上げて土が溶けた。

 口から漏れているのは、強すぎる酸の臭いだ。

 学校で大翔と麻麻を襲ってきたのは、これなのだ。

 エージェントの織美亜達は身構える。

「キミ達が悪いんだヨ? ボクは食べる気なかったのにサ」

 大蝦蟇はぎょろりと目玉を動かして大翔達を見ると、風船のように口をプクッと膨らませた。

「エサに目の前をこんなちょろちょろされたら……もうガマンできないよネ」

「危ない!」

 麻麻は両手から電撃を発生させ、大蝦蟇を一瞬だけ痺れさせた。

「危ないネ」

 すると、あの触手が、麻麻の手首に絡みついた。

 振り返ると、触手の正体は、大蝦蟇の口から伸びた舌だった。

 毒々しい赤色の、ゴムのように長く伸びる舌だ。

「今のうちに逃げて!」

「ああ!」

 麻麻が守ってくれたため、大翔達は急いで逃げ出した。

 

「は、放してっ……!」

「カエルの舌は、なーがいヨ」

 大蝦蟇は舌を動かした。

 麻麻は腕ごとぐいっと体を持ちあげられた。

 細い舌なのに相当な力で、麻麻はもがくが、まるで振りほどけない。

 舌がシュルルと引っ込んでいき、大蝦蟇の大口がみるみる近づく。

「じゃ、いっただっきまース!」

「させるか!」

「うあっ!」

 阿藍が手から光を放ち、大蝦蟇を目眩しした。

 大蝦蟇の触手は麻麻の腕から離れるが、次は織美亜を狙ってきた。

「――そんなわけで、こちらが本日のゴハンになりますネ」

「ちょっと、放しなさいよ」

 顔をあげると、大蝦蟇の舌が織美亜の腰にぐるぐると巻きつき、宙に釣り上げていた。

 織美亜は妖艶ながらも殺意を見せている。

「女の子を狙って食べるとか、ヘ・ン・タ・イねぇ」

「……キズつくなァ。ボクはこれでも紳士なのニ」

「人喰いガエルのどこが紳士よ」

「エモノに痛くしないところかナ? ボクの食べ方、ジェントルマン。

 紳士らしく丸呑みにして、消化液で優しく溶かすんダ」

「どこが紳士よ」

 織美亜は回復役なので、攻撃能力は低い。

 他のエージェントが大蝦蟇を倒すしかなかった。

 狼王は飛び出すと大蝦蟇の後ろから殴りかかった。

 大蝦蟇は背中に目があるように、ピョンと高く跳ねて避け、狼王の後ろに着地する。

「なんだヨ。ちょろちょろ五月蠅い奴だなァ」

 狼王は慌てて振り返った。

 大蝦蟇は目玉をぎょろりと動かして、迷惑そうに狼王を見下ろしていた。

「順番は守れヨ。この子を消化したら、キミも喰ってやるからサ。待ってろってバ」

「………No.6を放せ」

「分かんない奴だなァ。待てって言ってるんだヨ」

「黙れ」

 狼王は掌にぎゅっと力を込めて、大蝦蟇を睨みつけた。

「いいからNo.6を放せ、このクソガエル」

「……フーン。そこまで言われちゃ、仕方がないネ。……いいヨ。放してあげるヨ。神士だしネ」

 大蝦蟇はそう言うと、素直にシュルシュルと舌をほどいて、織美亜を地面に下ろした。

「大丈夫か……」

「バカが見るゥー」

「うわっ」

 シュルッと舌を狼王の足首に巻きつかせ、強引に引き倒した。

「キミさキミさ。車にひかれて潰れたカエル、見たことあル?

 あれ、同じカエルとして腹立つんだよねェ。ペラッと地面に貼りついて、無念だねェ」

 慌てて立ち上がろうとする狼王の目の前。

 ぐいっと目いっぱい顔を近づけて、大蝦蟇は狼王を睨みつけた。

「たまにはお返しに、カエルが人間を潰す事も、あっていいと思わなイ?」

「……」

「ボクの体重、キミより重そうだよね!? キミ、ペラッと地面に貼りついちゃうねェ?

 蛙の気持ち、よく分かるねェ? 蛙をバカにする気、もう起きなくなるかナ?」

 大蝦蟇はプクッと口を膨らませ狼王に笑いかけた。

 後ろ足に力を込めた。

「プチッとナ」

 

「――そこまでにしなさい」

「よく頑張ったな」

 声が響いた。

 はっとして顔を上げると、石段の下方に白井先生と荒木先生の姿が見えた。

 白井先生はパンパンに詰め込まれたビニル袋を提げている。

「……誰かと思えば、新入りじゃないノ。しかも、エージェントのせいで生き残りがいて」

 大蝦蟇は狼王を舌で押さえつけたまま、顔だけ白井先生に向けた。

「何か用? ボク、食事で忙しいんだヨ。それとも、ようやく食事する気になっタ?」

「……まあ、食事にはするわよ」

 白井先生は普通に答えた。

 自分がより巨大な化け物蛙を見ても、まるで驚いていないようだ。

 大蝦蟇はケロケロと笑った。

「それはよかったヨ。鬼になったのに人間を喰わないから、心配してたんダ。

 じゃあ、この子は譲るヨ」

 大蝦蟇は狼王の足首から舌を放し、ピョイと後ろへ下がった。

「……仲間だもんネ。助け合わなくちゃネ」

 白井先生は狼王を見下ろしている。

 ……その額には、ツノが生えていた。

「さあ、食事にしちゃいなヨ、妖鬼妃。美味いヨ? 人間の肉は。ケロケロケロ……」

 やはり、白井先生は鬼……名前は「妖鬼妃」だったのだ……。

 小学校には、大蝦蟇と白井先生、二匹の鬼が潜んでいた……。

 

 前と後ろを鬼に挟まれながらも、狼王は能力で斧を取り出す。

 阿藍は何故か、攻撃をしないでいた。

 白井先生は狼王にぐいと手を伸ばした。

「ぐっ!」

 抵抗する間もなく、強引に腕を掴まれる。

「美味しいヨー、人間の肉ハ。一度食べたら、やみつきになっちゃうヨー。ケロケロケロ」

 棒立ちになった狼王を見やり、大蝦蟇はごちそうを前にしたように、うっとりと目を細め、

 ジュルリ、と口の端から涎を零している。

「くそっ」

「人間の肉といえば、とっておきの面白い話があるヨ!

 初めて人間を食べた時、あまりの美味しさに感動したボクは、横にいた仲間に言ったんダ。

 やァ、この味、この世のものとは思えなイ! ここは天国に違いないヨ! っテ。

 ……するとそいつはこう答えたんダ……」

 ダラダラと涎を垂らして石段をジュウジュウと溶かしながら、

 大蝦蟇は面白くてたまらないような顔で、白井先生に笑いかけた。

「ここが天国に見えるなら、俺らの職場はどこにいったんだよ! ってネ!

 ジョーク! 地獄ジョーク! ケロケロケロケロ……ゲロベブエァオゥッ!」

 麻麻の電撃を食らった大蝦蟇は、変な声を上げて宙に舞った。

「……麻麻?」

「私、白井先生を助けたいの。あの人、鬼なんだけど、先生なのよ。だから……」

 白井先生はビニル袋を掲げた。

 袋の中には、出店の食べ物をしこたま詰め込んだパックが、ぎゅうぎゅう詰めになっている。

 頭のツノは、いつの間にかまた消え去っていた。

「あー、くソ。どいつもこいつモ。ヒトがちょっとカエルだからって舐めやがっテ」

「お前はそもそも人じゃないだろう」

 大蝦蟇は苛立たしげに首を振った。

 次の瞬間、巨体が跳ねた。

 白井先生の体を突き倒し、上に覆いかぶさる。

「せ、先生っ!」

「食べる側より食べられる側が好きかイ? 鬼が共喰いしないとでも思っタ?

 喰えりゃなんでもいいんだヨ。言う事聞かない鬼は、エサになっちゃうんダ」

 四つの足で先生の体を押さえ込み、パカッと口を開いた。

 涎が白井先生の服の上に垂れて、ジュウッと音を立てる。

「いっただっきまース」

「相手の下に潜り込む感覚ね」

 先生がボソリと呟いた。

「触手の勢いを利用して、バランスを崩す。自分が回転する勢いと合わせる。

 手の腹を、自分の足の裏に。タイミングが大事」

「何を言ってんノー」

「ふんっ」

 白井先生の体が、ぐるんと回った。

 次の瞬間、ふわっ、と大蝦蟇の巨体が宙に浮いた。

 ぽーんと舞って、飛んでいく。

―ズドンッ

「一番大事なのは受け身、なんてね。上手く受け身を取れないと、ケガのもと」

 白井先生は立ち上がると、パンパンと服の汚れを払い、礼をした。

 大蝦蟇は頭から地面に着地して、足をピクピクさせてノびている。

 

「……面倒をかけるなって、言ったでしょう?」

 白井先生は大翔達を振り返ると笑顔でそう言った。




次回は白井先生を討ち取るために、エージェントが動きます。
エージェントにとって鬼はただの討伐対象なのですから。


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37 白井先生の秘密

3巻編のキーキャラクター、白井先生の正体が明かされます。
原作と大幅に物語を変えているので、ご注意ください。


 石段を登り切って最後の鳥居を潜ると、小さな広場に拝殿と小屋が建っていた。

 小屋の仲は、うっすらと埃が積もっていた。

 古びた鏡や、汚れた皿、白い紙がたくさん垂れ下がった木の枝……色んな物が置かれている。

「……あたしを討ち取るのね」

「すまないな……迷惑かけて」

 白井先生はビニール袋からパックを取り出して並べた。

 たこ焼き、焼きそば、唐揚げ、イカ焼き、お好み焼き、オムそば、じゃがバタ、

 焼きとうもろこし、アメリカンドッグ、今川焼き、クレープetcetc……。

「……お腹が空いてたのよ」

「ああ、美味いな。大場、早く食えよ」

「ああ」

 阿藍は先生を見ながら、緊張した声で問いかけた。

「お前は……妖鬼妃なんだろう?」

「……ええ」

「妖鬼妃……聞いた事がないな、そんな鬼。しかも、見るからに女性だろう?」

「でも、山姥とか、女性の鬼はいるにはいるわよ。

 まあ、話は変わるけど、とにかく、お腹が空いて仕方なくて。

 近所に美味しいラーメン屋を見つけるまではかなり辛かったわ。

 色んな店を食べ歩いて、コストパフォーマンスのいい店を探し、

 ボリュームのある定食屋を見つけて、自前のファストフードマップを作るまでは、

 本当に苦しい毎日だったわ……」

 葵と阿藍は眉を顰める。

「そのうち、外食だけだと栄養が偏る事に気づいて、自炊を始める事にしたわ。

 近所のスーパーを巡ってセールになる時間を調べ上げ、

 ネットのレシピでボリュームのある食事の作り方を覚えたわ。

 包丁を上手く使えるようになるまでは、かなり苦労したわよ」

 狼王と阿藍はチキンステーキを食べている。

「……なるほど。それは辛かったですね……」

 葵は納得したように頷いた。

「……いやいやいや、食事の事しか言ってないじゃないか」

「もっと他に、色々あったんでしょう? 話してください、先生」

「いや、特にないわよ」

 マスタードたっぷりのフランクフルトにかぶりつき、白井先生は微笑んだ。

「それでも、白井は鬼なんだろ? 討つのか?」

「ああ、何としてでも鬼を討つんだ」

「頑張れよ」

 鬼を倒す事を誓った阿藍を、荒木先生は応援した。

 阿藍には助けられていないが、織美亜と狼王と、同じ力を感じたからだ。

 

 だが、阿藍は白井先生を倒す事を躊躇っていた。

 何故なら、白井先生は、阿藍の恋人だったからだ。

 

「う……」

「大丈夫か、しっかりしろ!」

 鬼との戦いで傷ついた彼女は、地獄からの使者だと名乗る大蝦蟇に告げられた。

 

―キミはあるヒトの計らいによって、生きたまま鬼になる事になっタ。

 ほんとは喰われて死ぬはずだったんだけど、運がよかったネ。

―そのヒトは、キミが鬼としての生活に慣れられるかどうか心配していル。

 それで、キミがきちんと食事ができるようになるまで、ボクに見張っていろってご命令なんダ。

 

 さっさとガキども、喰っちまエ。

 

 日を追うごとに、阿藍の恋人は、自分の心が鬼に近づいていくのが分かった。

 子供を見ると、頭の中で、喰え、喰え、喰え、と声が囁くのだ。

 ガキを喰っちまえ。

 まるで自分の中に腹を空かせた鬼が一匹棲みついて、声高に自己主張しているようだ。

 

「……あたしは……」

 八人を見つめる白井先生の顔は、全てを諦めたような暗い表情を浮かべていた。

「もう、教師なんてやめにする。

 どこか、人里離れた山奥にでも移り住んで、人目を忍んで生きていく」

 ゴミを詰めたビニル袋を放ると、せいせいするわ、と伸びをした。

「元々、向いてなかったのよね」

「まだ、方法はあるよ」

 白井先生を遮って、大翔は口を開いた。

「……鬼祓いをするんだ。先生の中の鬼を、祓う」

「はぁ? やめなさいよ。魔法使いや超能力者じゃあるまいし」

 織美亜は大翔が戦う事に反対していた。

 自分達はエージェントで超能力が使えるが、大翔達は鬼と戦う力を持たない一般人だ。

 はっきり言って、足手まといか、護衛対象にしかならなかった。

「白井先生が鬼になったのは分かった。だから、その鬼を祓えばいい。単純な事だろ」

「……」

「先生やエージェントは知らないだろうけど、

 この神社は、昔、鬼を祓うために作られたものなんだぜ」

「……おい、そんなのは、ただの作り話だろ?」

 荒木先生は疑っている。

「はい、それは違うと思います。

 地域に伝わる作り話というのは、過去の史実に基づいて伝わったものが多いんです。

 そこに込められた先人の知恵を汲み取り活かすのは、決してバカな事ではないと思います」

 澄ました顔で言う葵に、白井先生は嫌そうな顔をした。

 悠が、そうだそうだと、にやにや笑って援護射撃。

「……魔女狩りで解決しようとした外国とは大違い」

 狼王と章吾は、ふふっと笑みを浮かべ、荒木先生は大笑いした。

 

「だから、お前を討つ」

 阿藍が身構えると、白井先生は顔を黒く染め、血走った目で睨みつけた。

「……食べられたいの……?」

 その額に、うっすらとツノが生えてくる。

 口の中の歯が、みるみる伸びて尖った牙になる。

「……食べられたくなければ、言う事を聞きなさい……ッ」

 睨みつける白井先生に、阿藍はきっぱりと首を振った。

「……お断りだ」

言う事を! 聞きなさいッ!

光の力!

 阿藍は光を放ち、白井先生を怯ませた。

 そして、子供達を引き連れて白井先生から離れた。

 

 何としてでも、妖鬼妃を討つ。

 たとえ、かつての恋人だったとしても。




3巻編は阿藍を主軸に置きたかったのです。
次回は鬼祓いをするための対策を探します。


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38 祭りの夜に

エージェントと子供達が白井先生を探します。
荒木先生も生き残ってほしかった、と思ったのが、この小説のきっかけです。


 エージェント達は鬼祓いについて調べる事にした。

「このページを見て。図書館の郷土資料コーナーにあった本なんだけど」

 そう言って葵が見せたのは、地域の文化や風習を伝える歴史の本だった。

 開いた本のページには、墨絵で描かれた鬼が載っている。

 大柄な人型で、上半身裸。

 頭からはツノが生え、ガラス玉のような瞳をした、古典的な鬼の姿だ。

 場所は上の宮の広場のようで、空に真ん丸の満月が描かれている。

 鬼の脇に転がっているのは喰いちぎられた人の首。

 神主装束を着た男が立ち、白い紙がたくさん釣られた棒を構えて、

 額のツノに押し当てていた。

「大幣を使った修祓みたいね」

「おおぬさ……?」

「十字架のような奴だろ?」

「そう。祓具の一つで、榊の枝に紙垂をたくさん結んだ棒の事。

 神主さんがよく持ってるって、昨日話したでしょ? 聞いてなかったの?」

「そんなのいちいち覚えてないよ……」

「まあ、普通の小学生なら、そんな事はあまり覚えないしな」

「大幣ならあの小屋の中にもあったわ。

 ガラクタ置き場みたいになってたけど、売ればお金になりそうなもの、結構あったのよね。

 泥棒に気をつけた方がいいって、管理してる人に言っておいた方がいいかも」

「僕はあの状況でそんな観察してるアオイの方に気をつけた方がいいと思うよ……」

「やめなさい」

 織美亜は悠に軽くビンタした。

 

 夜……群青色に染まった空に綺麗な満月が昇った。

 大通りの方から聞こえてくる、太鼓の音や、お囃子の笛の音。

 浴衣姿の人達が、笑いながら通り過ぎていく。

 四人とエージェントは学校の校門に集まった。

 大翔は藍色の甚平姿だ。

 お祭りに行くならこれを着ていきなさい、と母に言われたからだ。

 遊びに行くんじゃないのにと思ったが、鬼祓いの事を言うわけにもいかない。

 悠、葵、章吾は浴衣を着てきいた。

 葵は薄桃色の浴衣に同じ色の草履を履いて、得意そうにくるりと回って胸を張ってみせた。

「お洒落……だな」

「ふっふっふ。あたしだって女の子。やる時はやるのですよ。

 どう? この見事にお洒落した葵ちゃんの感想は。大翔?」

「葵。あの長い階段を昇るんだぜ? 草履じゃ歩きづらいんじゃねえ? 俺、靴履いてきたけど」

「0点。落第。……悠?」

「……うん。似合ってる、んじゃないかな……」

「60点。まあ、ぎりぎり及第点ね。章吾は?」

 章吾は具体的に話して、80点。

 

「先生は、まだみたいだね……」

「そうね……」

 荒木先生と白井先生とは、校門前で待ち合わせて、一緒に上の宮まで行く約束だった。

 絵に描かれていた鬼祓いの様子を、実際に再現してみるのだ。

 そのために四人ともお祓いについて勉強し、作法を頭に叩き込んでいた。

「ま、駄目で元々よ。上手く行かなかったら、その時はその時。また別の方法を探しましょ」

 大翔、悠、章吾は頷いた。

 正直なところ、これですんなり鬼が祓えるとは、エージェント以外、誰も思っていなかった。

 エージェントならば、超能力が使えるので、何とかできるのだが、あくまで彼らは切り札。

 はっきりしているのは、何も行動をしなかったら、

 先生は鬼のまま大翔達の前からいなくなってしまうという事だ。

 それだけは嫌だった。

 

(少しでも先生を助けられる可能性があるなら、なんだってやってやるんだ。

 けど……。何故だろう。何か、嫌な予感がする)

 冷たい指が、ひたひたと、背筋をなぞっていくように。

 

「それにしても、二人とも、遅いわねぇ……」

 待ち合わせの時間を、もう30分近くも過ぎていた。

 お祭りに向かう人々の流れの中で、四人とエージェントはぽつんとして先生を待っている。

「どうしたんだろう。約束したのに」

「ひょっとして……すっぽかし?」

「はあ……生徒との約束をすっぽかすとはな……」

 大翔達との約束なんてさっさと忘れて、

 出店を巡ってたこ焼きを食べている先生の姿が、簡単に想像ついた。

「冗談じゃないぜ。今日を逃したら、満月、しばらく来ないんだぞ。

 満月の日にやるって事だったよな?」

「探しに行くか?」

「でも、人でごった返してるから、見つかるかなぁ……」

「まずは家まで行ってみましょ。まだ部屋にいるかもしれないしね」

 

 こうして、大翔、悠、葵、章吾とエージェントは、まだいない先生を探しに行くのだった。




エージェントは鬼祓いというよりは鬼殺しが得意なのです。
次回は、白井先生の正体を暴きます。


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39 白井先生の正体

タイトル通りの回です。
エージェントが大活躍をするでしょう。


 先生の家は、街の外れに建っている古い木造アパートの一室だった。

 郵便受けに『シライ』とペンで書かれた札が差してある。

「それにしても、どうして葵は、先生の家を知ってるんだ?」

「こんな事もあろうかと杉下先生に訊いておいたの。

 暑中見舞いや年賀状、出したいんですって言ったら、教えてくれたわ」

 八人は錆の浮いた階段を上った。

 ここは大通りからずっと離れていて、祭りの音も遠くかすかに聞こえるだけだ。

 一番端の部屋が、白井先生の部屋だ。

 窓ガラスの向こうは真っ暗で、電気がついていなかった。

 チャイムを押すが、返事はない。

「……やっぱり、お祭りに出かけてるっぽいね」

「仕方ないわ。探しに行きましょ。見つけたら、スポンサーにしてやるんだから」

「……待て」

 章吾は短く言った。

 戻ろうとしていた七人が振り返る。

「どうしたの?」

「……何か、聞こえる」

「え?」

 章吾は玄関のドアに顔を近づけ、耳を澄ました。

 部屋の中から聞こえてくるのだ。

 

「……ぜぇ、ぜえ……」

 酷く苦しそうな荒い息遣いが。

 大翔はドアノブに手をかけた。

 カギはかかっていなかった。

 軋んだ音を立てて、ドアが開いた。

 苦しげな息遣いが大きくなった。

 はっきりと聞こえてきた。

「先生、いるの?」

「……ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……っ」

「先生!」

 返事は返らない。

 大翔は少しだけ迷ってから、奥のふすまを開ける。

 真っ暗でがらんとした部屋だった。

 畳の上にぽつんと小さな丸テーブルがあって、湯飲みが二つ置かれている。

 部屋の隅に、白井先生はいた。

 自分の体を抱きかかえるように丸め、

 ぜえぜえと発作のような息を吐きながら、苦しそうに喉を押さえている。

「せ、先生? ちょっと、どうしたの? 今、救急車を……」

「だ、誰か呼んでくる……」

「待て!」

 葵と悠が、慌てた様子で駈け出そうとすると、危機を感じた阿藍が止めた。

 その時、白井先生が振り向いた。

 大翔達子供と、阿藍は硬直した。

 先生の額から、ツノが生えているのだ。

 昨日の比ではなく、ずっと大きかった。

 槍のように鋭く尖って伸びている。

 口から伸びた犬歯は、完全に牙になっていた。

 血走った目で、大翔達を睨みつけた。

「グ、グウウウウウ……あな、たた、ち……」

「目を覚ませっ!」

 声も、変わっていた。

 神経に障る嫌な声だ。

 喉の奥から、獣のような唸り声が漏れて混じる。

「こ……ないで……帰って……」

「嫌だ!!」

 大翔達を睨みつけたまま、追い払うように手を振った。

 その口の端から、舌が覗いた。

 言葉では帰れと言っているが、

 口は美味しいご馳走でも見つけたように、ぺろりと舌なめずりをした。

 先生はそれに気づくと、自分のした事に驚いたように目を見張った。

 顔を歪め、奥歯を噛み締め、吠えるように叫んだ。

 

帰ってえええええ!

 

「……やはり、か」

「鬼になっていたなんて……」

 大翔達は、頭を殴りつけられたように呆然としていたが、

 阿藍以外のエージェントは冷静だった。

 白井先生は、もう人間には見えず、ほとんど鬼になっていた。

(昨日まで平気だったのに。どうして……)

(もう、やるしかないのか……っ)

 丸テーブルから湯のみが一つ、転がり落ちた。

 先生の姿と剣幕に、四人は完全に腰が引けた。

 じりじりと、玄関の方へ下がっていく。

 大翔と章吾は足を止めた。

 ぶるりと首を振ると、顔を上げる。

「……先生を、神社に連れてくぞ」

 悠と葵が、引きつった顔で大翔を見やる。

 章吾は、何も話さない。

「鬼祓いするんだ。予定のままだろ。……いきなり、ラストチャンスになっちまったけど」

「帰って! 帰って! 帰れエエエエエエエエエ!

 先生は悲鳴のようにわめき散らしている。

 大翔は、すうっと息を吸い込むと、部屋の隅に落ちていたコートを拾った。

 ゆっくり、先生に近づいていく。

 先生は喉の奥から唸り声を漏らして、牙を向き、大翔を睨みつけている。

「グ、グググウウウウウ……」

「……ごめん。後でたっぷり叱られるからさ」

 先生の頭の上からそっとコートを被せて頭を隠す。

 恐る恐る、手を引いた。

 先生は唸り声を上げるが、抵抗はしなかった。

 靴を履かせる余裕もなく、玄関を出る。

 他の部屋の人達は、皆、外に出ているようだ。

 あれだけ先生が叫んでいたのに、誰も出てこない。

 

 八人は、そっと階段を降りる。

「……裏道を進みましょう。人前は歩けないわ。騒ぎになっちゃう」

 神社は流石に怖いようで、葵は青い顔をして後ろを歩いている。

「でも、大通りを抜けないと、神社には着けないよね……」

 悠も青ざめている。

 ここから神社まで、かなりの距離がある。

 バスやタクシーは使えない。

 大通りでは大勢の人達が、年に一度の行事を楽しんでいる。

「……なら、アタシ達に任せなさい」

「どうするんだ?」

「アタシ達は、特別な存在だから……」

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻は手を繋ぐ。

 先生の声は、彼らには聞こえていなかった。

 次の瞬間、八人は姿を消した。

 

「……」

 八人はテレポートによりすぐに神社に辿り着いた。

 だが、エージェントの顔に、喜びはなかった。

 何故なら……白井先生は、もう、鬼になっていたからだ。

 白目は金に、黒目は赤に、炎のように赤くぎらつく目玉。

 猛獣が、狭い檻からようやく抜け出して喜びに震えるように、ニタアッと笑っている。

 気がついたように顔を上げ、こちらを見た。

 超能力者と目が合った瞬間、ニンマリと笑った。

 残酷な表情、とびきりのご馳走を見つけたように。

 

「……さあ、覚悟なさい、妖鬼妃」

 織美亜は超能力を使い神社に認識阻害結界を張る。

 全ては、この鬼を仕留めるために。




女性の鬼は般若や山姥とかいるにはいるのに、
原作にはなんで出てこないんだろう、と思って作ったのが彼女です。
もしかしたら、原作者は敵女が苦手なだけなのかもしれませんが。

次回は3巻編のボス、妖鬼妃との対決です。


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40 妖鬼妃

3巻編のボス戦です。
今の大翔達は鬼とまともにやり合えないので、エージェントの出番です。


「殺し、喰らい、奪う……そんな鬼には、お・し・お・き・よ!」

「妖鬼妃! お前は俺が、取り戻してやる!」

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻は、妖鬼妃になった白井先生と戦う。

「うふふふふふ……」

 妖鬼妃は妖しい笑みを浮かべ、狼王に近付く。

 思わず戦意を失う狼王だが、阿藍が光を放って正気に戻した。

「おれは しょうきに もどった!」

「何をしている。……こいつは俺の恋人だ、だが、今は鬼なんだよな……」

 妖鬼妃と阿藍はかつて恋人同士だった。

 しかし、ある鬼の策略によって、恋人は亡くなり、地獄の鬼に変えられてしまった。

 任務なので、エージェントは彼女を討たなければならなかったが……。

「いい加減にしないと、こ・ろ・す・わ・よ」

「うぐぅっ!」

 織美亜は傷を癒す力を逆に使い妖鬼妃を傷つける。

 彼女の「治癒」は、細胞を活性化させて自然治癒力を高めるものなので、

 過剰に細胞が活性すれば傷つくのも当然だ。

 狼王は能力による怪力で斧を叩きつける。

 続けて、麻麻が電撃を放って痺れさせ、そこに阿藍が光速で突っ込んで殴った。

「乱暴なのね……乱暴なのね……」

「お前ほどではないがな」

 阿藍は妖鬼妃と距離を取る。

 彼としては、妖鬼妃を殺したくはなかったが、既に彼女は完全な鬼になっており、

 糸村から彼女を討つ任務を課せられた。

 なので、妖鬼妃を討たなければ、平和は訪れない。

 

「阿藍……アイツはもう、鬼なのよ。情を見せたら、ダメなのよ」

「それは分かっている。俺も、鬼祓いができたらいいのに」

 エージェント達は鬼を殺す事ができるが、鬼を祓う事はできない。

 阿藍はこの時、子供達に一瞬だけ憧れていた。

 だがその隙を、鬼が許すわけがなかった。

「死になさい……」

「そうはいかないわ!」

 妖鬼妃が阿藍に腕を振り下ろすが、麻麻が電撃の盾を張り、攻撃を防いだ。

「うぅ……人が鬼に力で対抗できるなんて……」

「油断大敵、だから悪は必ず負けるのよ」

 麻麻は妖鬼妃に事実を突きつける。

 慢心せずして何が王か、という言葉があるが、鬼はただの人間相手に全力を出さないのが基本。

 相手を対等に見るというのは、鬼にとって屈辱だからだ。

 エージェントも超能力者だが彼らはあくまで人間。

 鬼は彼ら相手でも、傲慢で、手を抜くのだ。

「悪いが、お前達が子供を食べる事はできない」

「どうして?」

「それを教えたら勝負にならないだろ!」

 そう言って狼王は、妖鬼妃に斧を振る。

 腕は真っ二つになるが、鬼の再生力は高く、すぐに腕は再生して元通りになった。

「くそ……どうやったら、こいつを倒せるんだ」

「今は彼女を戦闘不能にするしかないようね」

 

 妖鬼妃とエージェントの戦いは熾烈を極めていた。

 彼女はエージェントにも劣らない特殊な力によってエージェント達を圧倒していた。

「電撃投射!」

 一方、エージェントも決して引かなかった。

 そのために彼らは超能力を身に着け、鬼と戦っているのである。

 この戦いは子供達には認識されない。

 秘密裏に鬼を仕留めるのが、エージェントの役目なのだ。

 たとえそれが、かつて人間だったとしても……。

 

「ヒーリング!」

 織美亜は前線で戦っている狼王を優先的に癒す。

 前線は傷つきやすいので、必然的に織美亜の出番が多くなるわけだ。

 子供は鬼に攻撃されたらほぼ即死だが、エージェントの場合は必ずしもそうではない。

(この鬼は、アタシ達と同じ力を持ってるらしいんだけどね……)

 高位の鬼は、特殊能力も持っているという。

 幻想郷の鬼と違って約束を守るはずがないから、モラルもなしに平気で使ってくるだろう。

 だからこそ、エージェントが動くしかないのだ。

「おらぁ!」

「フフフフ……」

 妖鬼妃は木を生み出し、狼王の攻撃を防ぐ。

 阿藍は光の速さで妖鬼妃の後ろに回り込み、光で妖鬼妃を怯ませる。

 鬼に対し、光は非常に効果的なのだ。

「この、よくも私に光を……!」

「電撃投射!」

 妖鬼妃が攻撃しようとした瞬間、麻麻は両手から電撃を放射する。

「あばばばばばばばばば!」

「よし、今だっ! 一斉攻撃!」

 阿藍は光の力を解放し、仲間達の能力を高める。

「電撃投射・改!」

食らえーーーーーっ!!

 麻麻と狼王の攻撃が、妖鬼妃に命中する。

 電撃と斧、両方が命中した妖鬼妃は遠くに吹き飛ばされ、見えない壁にぶつかる。

「よし……! もう少しで、倒せる……!」

「……」

 ガッツポーズを取る狼王と、不安になる阿藍。

 すると、妖鬼妃の身体が黒い煙に包まれ、

 彼女の姿が身長十数mの毛むくじゃらの巨人に変化する。

 目は赤く虚ろで、その口からは絶えず絶叫を発している。

「く……これがお前の、本当の姿か……!」

アアアアアアアアアアアアアア!!

 真の姿を現した妖鬼妃が、絶叫と共に豪腕を振り下ろそうとする。

 もし怯んでしまえば、攻撃は避けられないだろう。

「恐れるなよ!」

「ああ!」

 狼王と阿藍は妖鬼妃の恐怖の咆哮に耐え、すぐに斧と光で反撃に移る。

 彼らが伊達にエージェントをやっていない事の証明でもあった。

 妖鬼妃は怯まずに狼王と阿藍に突っ込んでいくが、

 狼王と阿藍は攻撃をかわして妖鬼妃に突っ込む。

「せやぁっ!」

「たぁぁっ!」

 狼王が斧で妖鬼妃を切り裂き、阿藍は右手に光を溜め、妖鬼妃の胸に狙いを定める。

「すまない……お前を、苦しめたくないんだ。妖鬼妃……本当にすまない……!」

「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!」

 阿藍の放った光が、妖鬼妃に命中する。

 光に包まれた妖鬼妃の身体がボロボロになり、光と共に徐々に消滅していく。

 そして、光が完全に消えた時、妖鬼妃も消えた。

 

「任務完了……」

 四人のエージェントは妖鬼妃を倒し、桜ヶ島から脅威を一つ払った。

 だが、阿藍の顔に、喜びはなかった。




エージェントの活躍、いかがだったでしょうか。
どうしても女性の鬼を出したい、オリキャラと因縁を持たせたい、
そして何より、荒木先生を最後まで生存させたい、という思いから、
この3巻編は気合を入れて書いたのです。

次回は4巻編、新たな鬼ごっこが始まります。


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4章 一人ぼっちの地獄遊園地
41 ケイドロには四人で


4巻編です。
導入部分ですが、ちょっと暗いところがあるかもしれません。
殺鬼軍がどういう組織なのかも、分かってくれるといいな。


『みんなのケイドロ』ルール説明

 ルール1 ドロボウは、ケイサツから逃げなければならない。

 ルール2 ケイサツは、ドロボウを捕まえなければならない。

 ルール3 ドロボウは、あり得ない力を使っても構わない。

 ルール4 捕まったドロボウは、遊園地内の“牢屋”に連行される。

 ルール5 “牢屋”のドロボウにタッチすれば、捕まったドロボウを助ける事ができる。

 ルール6 15時までケイサツから逃げ切れば、そのドロボウは勝ちとなる。

 ルール7 15時の鐘が鳴った時点で“牢屋”に捕まっていたドロボウは……(黒塗りされている)

 

 沖縄県のとある小さな島。

 超能力を操り、鬼と戦う組織「殺鬼軍」がある。

 総数100人と少ないものの、その力は、鬼の異能を上回るとされる。

 そのため、鬼に見つからないように、組織の全貌と場所は隠蔽されている。

 

「妖鬼妃は……討てたようだな」

「……はい」

 任務を完了して戻って来たエージェント。

 だが、阿藍は他のエージェントと違い、暗かった。

 かつての恋人が鬼になり、かつ、討たなければならなかったからだ。

「本当に、鬼は討ち取るべき存在なのですか」

「エージェントがそれを聞いて何になる。我ら殺鬼軍は、鬼を討つのが仕事だぞ」

「御意」

 殺鬼軍にとって鬼は討伐対象以外の何物でもない。

 情など必要ない、ただ淡々と倒すべき、それが司令官・糸村一の考えだった。

 知能の高さは、彼を冷徹にしてしまったのだ。

 

「さて、次の任務だが、今回の鬼ごっこは『ケイドロ』という特殊なものだ」

「ケイドロ?」

「ドロボウとケイサツに分かれて行うチーム戦だ」

 一はケイドロのルールについてエージェントに具体的に説明する。

 その説明は前述しているので省略した。

「なるほど、チーム戦ね。アタシ達らしいじゃない」

「そう、協調性が試されるのだ」

 エージェントは単独でも強力な力を持つが、足りない部分を補う事で真価を発揮する。

 まさにエージェントの本領発揮と言えるだろう。

「だが相手もそれを乱すと読んだ。鬼は決して、力だけではないぞ」

 ある世界の鬼と違って、この世界の鬼は狡猾だ。

 どんな手段を使ってでも、子供を食べようとする。

 それだけは何としてでも阻止する、と彼は思った。

「要するに、汚い手には引っかかるな、よね?」

「……そうだな。では、行ってこい」

「はい!」

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻は、そのままテレポートで桜ヶ島に向かうのだった。

 

 エージェントは四度目の戦いに臨む。

 次に待ち受けるのは、ケイドロ(=助け鬼)。

 彼らは子供を食べようとする鬼を、その超能力で撃退する事ができるだろうか。




次回は杉下先生がどういう人物なのかが明かされます。
エージェントの活躍を、お楽しみに。


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42 杉下先生、実は何?

杉下先生とケイドロについて。
鬼って本当に、子供を食料としか思ってないんですよね。
だからこそエージェントがいるんですが。


「やあ、何して遊んでるんだい?」

「ケイドロ!」

 桜ヶ島小学校の校庭では、日々色々な遊びがされているが、

 特に低学年の子供達の遊びは、流行がころころ変わって見ていて飽きない。

「先生も、ケイドロやろうよーっ!」

 男の子はそう言って笑いかけた。

 まだ1年生だろう。

 学校にも慣れてきて、休み時間に外で遊ぶのが、楽しくてたまらないようだ。

 杉下先生は、花壇の雑草を刈りながら、「ケイドロ?」と首を傾げた。

 ぼうぼうに伸びた草を掴み草刈り鎌を当てて引く。

 ブチッブチッと草が裂ける。

「ケイドロ、面白いよ! 鬼ごっこの一種なんだってさ!」

「へえ……鬼ごっこの?」

 杉下先生は、草を刈る手を止めた。

 握り締めていた雑草をゴミ袋に入れると、男の子に向き直り、興味深そうに問いかける。

「どうやって遊ぶんだい?」

「ケイサツチームとドロボウチームに分かれて、追いかけっこするんだ。

 ドロボウはケイサツから逃げ切れれば勝ち。ケイサツはドロボウを捕まえれば勝ち」

「確かに、鬼ごっこと同じだね」

「面白いのは、“牢屋”なんだ! ケイサツに捕まったドロボウは、牢屋に入れられてしまう」

 言われて足元を見ると、地面に丸い線が引かれて、男の子をぐるりと囲んでいた。

 その円の中が、ゲームにおける「牢屋」という設定なのだろう。

「つまり、君は敵チームにタッチされて、捕まっちゃったってわけだ」

「そう、俺は無念にもケイサツの手に落ち、こうして牢屋に連行されてしまった!

 どうなる、俺! ……でもただ捕まって終わりじゃない。

 ケイドロが面白いのは、ここからなんだ!」

 男の子はゲームが心底面白いのか、興奮した様子で続けた。

「仲間が助けにきてくれるんだ! 一度捕まっても、仲間にタッチしてもらえれば脱出できる。

 もちろん敵チームはそうさせまいと見張ってるけど、

 ドロボウ達はその目を掻い潜り、捕まった仲間を助けに向かう!」

 鼻息荒くまくしたてる。

「ただ逃げるだけじゃない、その辺の駆け引きのミョウってやつが、

 ケイドロのダイゴミなんだな! どう? 分かった? 先生」

「なるほど、よく分かったよ」

 得意そうに、えへん! と胸を張る男の子に、杉下先生はニコニコと頷いてみせた。

 

「ちなみに、ドロボウは最後、どうなっちゃうの?」

 杉下先生はニコニコ顔のまま、問いかけた。

「え? 後ってどういう事?」

 男の子はよく分からないというように首を傾げた。

「最後は最後だよ。

 捕まったまま逃げられなかったドロボウは、最後、どういう目に遭ってしまうのかなって」

「……? チャイムが鳴ったら、終わりだよ?」

「例えばさ」

 と、杉下先生は膝を抱えて、男の子の目をじいっと覗き込んだ。

「処刑の方法って、色々あるじゃない?

 首を切断されるギロチン刑。同じく吊るされる絞首刑。高電圧に晒される電気椅子。

 牢屋に入れられたドロボウは、どうやって処刑されてしまうの?」

「そんなの……分かんないよ……」

「それに、仲間が助けに来なかったらどうなるの?」

「え?」

「仲間が助けに来てくれなかったら、捕まった君はどうなるの? 死ぬの?」

「来てくれるよ……。だって、チームの仲間が……」

「ドロボウが仲間なんて持つかなあ?

 君がみんなを仲間だと思っていても、みんなはそう思ってないかもしれないじゃないか。

 仕方なく遊んでるだけかもしれないじゃないか。

 ほんとはジャマだって思ってるかもしれないじゃないか」

 怯えて後ずさりしそうになる男の子の肩を、杉下先生は優しく掴んで止めた。

 子供達の笑い声があちこちから聞こえてくる、平和な昼休みの校庭。

「仲間って何? 友達って何?

 自分の危険を顧みず、ピンチの君を助けに来てくれる仲間なんて、君にいるのかな?

 いいや、いないよ」

 ニコニコと喋る杉下先生の目の奥を見つめたまま……。

 男の子の顔からゆっくりと表情が抜け落ちていく。

 

「君は牢屋から外に出る事もできずに、ここで無残に処刑されちゃうんじゃないの?」

 杉下先生は草刈り鎌を構え、持っていたゴミ袋の口を開けた。

 ゴミ袋は大きい。

 男の子の頭から足先まで、全身すっぽり入れられるほどに。

 手を伸ばすと、棒立ちになった男の子の首を、ぎゅううっと掴んだ。

 雑草を刈り取る時と同じ手つきで。

 男の子は本物の囚人のように暗い目つきで、何もできずに立ち尽くしている。

 

「……というくらい真剣に遊ぶと、さらに楽しくなりそうだね」

 杉下先生は手を放すと、パチリとウインクした。

 男の子は、呪縛から解けたように、ぱちぱちと瞬きして先生を見上げる。

「教えてくれてありがとう。凄く面白そうだ。今度、先生もやってみるよ。

 ちょうど楽しそうな遊びを探してたんだ」

「……おーい、助けにきったぞぉーっ!」

 と、子供が一人ダッシュでかけてきた。

 円の中の男の子にタッチする。

「逃げるぞ!」

「しまった、逃げられたぁ!」

 校庭に子供達の歓声が響き渡っていく。

 走っていく子供達をニコニコと見送ると、杉下先生は草刈りを再開した。

 伸びた雑草を掴み上げ、刃を当てて引く。

 

「……本当、面白そうな遊びだ」

 ブチッ! ブチブチィィッ!

 手の中で草を引き裂きながら、杉下先生は呟いた。

 

(……火炙りと言わなかったのが、意外だったわね)

 杉下先生の話は麻麻がテレパシーで盗聴していた。

 エージェントは沖縄県に住んでいるので、考え方が少々西洋っぽいところがある。

(やっぱり、こいつは殺すべき存在よ)

 麻麻は頷き、超能力を使おうとする。

 超能力者であるエージェントに、隠し事などできないのだ。

 他のエージェントも頷く。

 織美亜はそっと、遠くからサイコキネシスを使う。

 

「……ぐっ? なんだか首が痛いような……」

 杉下先生は首を絞められたような感覚を味わう。

 織美亜の超能力には気付かなかったようだ。

 

「せいぜい威嚇攻撃。殺すのはまた後でよ」

 織美亜達はそっと、学校に忍び寄るのだった。




次回は子供達のターンです。
エージェントは大活躍すると思います(自画自賛)


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43 体育教師の謎

荒木先生がどこに行ったのかは……ご想像にお任せします。
と、言うしかない展開にして、申し訳ありません。
だって能力者が何とかしたんですもの。


 織美亜、狼王、阿藍、麻麻は、桜ヶ島小学校に潜入していた。

 杉下先生を探し、隙あれば殺すために。

「で、またテレパシーを使うのね?」

「ああ。力には力で対抗するからな」

 狼王は前に出て、そっと、テレパシーを使う。

 できるだけ、杉下先生の話を長く聞くために。

 

「はい、それじゃ全員集合~!」

 杉下先生がホイッスルを吹いた。

 ピィーッと音が鳴り響く。

 皆、一斉に駆け出した。

 送れないように、先生の前に急いで整列する。

 ピシッと気をつけ。

 背筋を伸ばして、体の横で両手を揃えて。

 笛の音と共に地面に腰を下ろし、体育座り。

 一点の乱れもなく。

 整列が完了すると、杉下先生はストップウォッチのボタンを止めた。

 一昨日より5秒早く整列できましたと皆を褒めた。

 「おっしゃあ!」と皆、喜んでいる。

 大翔の隣で、悠が不思議そうに首を捻った。

「それじゃ、100メートル走は今日でおしまいです。次回からは、ドッジボールになります」

 並んだ皆の顔を見渡し、杉下先生が元気よく言う。

「みんな、僅かな間にとても速くなったね。

 授業を始めた時はどうなるかと思ったけど、心身共に成長し、以前とは見違えるようです。

 先生の指導がいいのかな?」

 杉下先生がおどけて笑う。

 皆、答えてどっと笑った。

 大翔もおかしくなって笑った。

 悠は黙っている。

 それから杉下先生は、生徒達一人一人にコメントした。

「小杉君、速くなったね」

「関本君、良くなったよ」

「伊藤君、上達したね」

 別に突っ込んだ事を言うわけではなく、ちょっと褒めるだけだ。

 それでも皆、嬉しそうに喜ぶ。

 へへっと照れて、鼻の下をこする。

 杉下は大人達の間で、生徒のやる気を引き出すのが抜群に上手いと評判らしい。

 あまりにも上手いので、他の先生達は、杉下先生の授業を見て参考にしているのだとか。

「大場君も速くなった。いい走りだったよ」

 大翔は嬉しくて頭を掻いた。

 母に褒められても、こんなには嬉しくないだろう。

「桜井君。桜井君も、とてもよくなったよ」

(……)

 悠だけは、反応が薄かった。

 瞬きを数度しただけで、にこりともしない。

 周りで盛り上がる皆を見渡し、鼻歌を歌う大翔を横目で伺って、何か言いたそうにしている。

 

「……さて! 今日は授業を終える前に、みんなに少しマジメな話をしておこうかな」

 授業の最後。

 杉下先生は皆を見回し、改まった調子で言った。

 皆、不思議そうに首を傾げて、先生の話に聞き入った。

「君達子供にとって一番大切な事って何だと思う?」

―はい、はい! メシ! いっぱいのメシ!

―おまえ、ここは知恵とか知識とか言っとくとこだろーっ?

―恋よ! 愛だわ!

―ばーか、遊ぶ時間だろーっ!

 皆が一斉にわいわいと答える。

 静まるのを待ってから、杉下先生は続けた。

「先生達は、みんなに色々なアドバイスをするだろ?

 みんなの走りが速くなるように、テストの点が上がるように、立派な人間になれるようにさ。

 でも、せっかくのアドバイスも、みんなが素直に聞いてくれないと意味がない。

 だから、みんなには、是非これだけは守ってほしいんだ。……それはね。『考えない事』です。

 余計な事を、考えない。頭を空っぽにして、先生に言われた事をやる。

 先生に今、言われた通りに行動する。先生に言われた通りに、自分の手足を動かす。

 そうした素直な心を持ってください。

 それさえ守っていれば、君らは立派な大人に成長していけるし、毎日が楽しくなっていく。

 逆に、それができない子は、必ず辛い目に遭うでしょう。

 考えない事。忘れないでいてほしいと思います」

「……いい先生だよね、杉下先生」

 伊藤孝司が話しかけてきた。

 孝司はこの頃、体育の授業を楽しみにしている。

 元々はそんなタイプではなかった。

 本を読むのが好きで、運動は苦手、体育の時が来ると溜息を吐いている方だった。

(杉下先生に、言われたんだ。本なんて読んでいたら、余計な事、考えるようになるって。

 それは良くない事だって)

 そのため、孝司は持っていた本を全部捨てて、昼休みに図書室に通うのもやめた。

(先生の言う通りだった。本を読むなんてムダな事だって、ようやく気づいたよ)

 

「……鬼が」

 狼王は悪態をついていた。

 生徒は教師の所有物ではないのに。

 何も考えるな、なんて、先生が言うはずがない。

 間違いなく、杉下先生は子供に敵対する、最凶最悪の鬼である事が分かった。

 何としてでも殺す、と狼王は思った。

 子供に牙を剥くものは、何が何でも殺すのが、エージェントの役目だからである。

「良い鬼は、死んだ鬼だけだ」

 

「……そんなにいい先生かな?」

 呟く声に、大翔と孝司は、はっとして顔を向けた。

 口にしたのは、悠だった。

 皆と同じように、体育座りで膝を抱えたまま、じっと杉下先生を見上げている。

 だが、その目つきは、皆とは全く違っていた。

 危険な猛獣でも見るような……警戒の目だ。

「……どういう事?」

 孝司が不満そうに唇を尖らせる。

「杉下先生が、嫌な先生だっていうの?」

「そういうわけじゃないよ。でも荒木先生は、あんな事、言わなかったんだ。

 何も考えるななんて、言われた通りに動けなんて、絶対、言わなかった」

 悠の言葉に、大翔は首を傾げた。

「この頃、みんな、おかしいよ。

 なんで先生をちょっと待たせたくらいで、友達にあんな酷い事言うの?

 考えるななんて、本を読むのをやめろだなんて、ヘンだよ。

 荒木先生は言ってたよ。自分の頭で判断しろ、自分の頭で考えろって」

 悠は杉下先生の顔を、食い入るようにじっと見つめている。

 まるで先生のニコニコ顔が騙し絵になっていて、

 その下に何か間違ったものが潜んでいるとでもいうように。

「……僕、桜井君が何を言ってるのか、全然分かんないよ。杉下先生を悪く言うなんて」

 孝司が不満げに鼻を鳴らしプイとそっぽを向いた。

 杉下先生は、大翔達が何か話しているのに気づいたらしい。

 こちらへ顔を向けたが、別に怒りはしなかった。

 ただ、ニッコリと笑みを深くして、じっと悠を見返した。

 

―そうだ、こいつは信じるな。

「テレパシー!?」

 うっかりテレパシーの力を強めてしまい、悠に狼王の考えが届いてしまった。

―すまん。今、テレポートで向かうからな。

 狼王のテレパシーがぷつんと切れる。

 しばらくすると、織美亜、狼王、阿藍、麻麻がテレポートで悠達の前に姿を現した。




次回は杉下先生を追いかけます。
能力者が無双しますので、ご注意ください。


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44 杉下先生を追って

黒鬼の不思議な術に、気を付けてください。
ここでは麻麻が活躍します。


「何の用だ? いきなりテレポートで現れて」

「かくかくしかじか。オレ達は杉下××を討つために来たんだ」

 狼王は杉下先生の下の名前を大翔達に明かす。

 なんで知っているんだ、と大翔達は驚くが、狼王は首を横に振って要件のみを伝える。

「とにかく、杉下××には、何か裏がある」

「……探ってみる必要がありそうよ」

 大翔、悠、章吾、和也は、エージェントにそう言われて顔を見合わせ、頷き合った。

 何度も一緒に鬼と戦ってきた仲間なのだ。

 仲間がいれば、何も怖くない。

 エージェントも、彼らに同意した。

 

 その時、部屋のドアがガラガラと開いた。

「……探したよ」

 顔を出したのは孝司だった。

 本当は一緒に話すつもりだったが、

 昼休みが始まった途端、どこかへ行ってしまって、誘えなかったのだ。

「孝司。いいとこにきた。大事な話してたんだ。お前も入れよ」

 和也が手招きするが、孝司は首を振った。

「……和也、金谷君……杉下先生が呼んでるよ……」

 そう言うメガネの奥の目は、何だかぼんやりして焦点が合っていない。

「……杉下先生が?」

 織美亜は精神を集中し、孝司の精神状態を探った。

 すると、織美亜が口を手で塞いだ。

 何か良からぬものを感じ取ってしまったらしい。

「うっ……汚い……!」

「しっかりしろ」

「ダメ……行かないで!」

 織美亜は慌てて、大翔達を止めようとした。

「なんで?」

「ダメったらダメ。アタシ達、残る、から……」

「オレと章吾? なんの用だって?」

「……さあ、分からない。連れてきてくれって言われただけだから……。

 素敵な話をしてくれるって……ウサギ小屋の前で待ってるって……。じゃ、伝えたからね……」

 それだけ言うと、孝司は行ってしまった。

 

「……ま、ちょうどいいぜ。こっちから話したいとこだったんだ」

 和也がパシンと拳を打った。

 章吾も頷いて立ち上がった。

「ちょっと行ってくるぜ」

「ダメ、ダメ、ダメ!」

 織美亜の制止も空しく、二人は連れ立っていく。

 大翔と悠は教室に戻った。

 教室には昼休みののんびりした空気が漂っている。

 5分経ち、10分経ち、20分経って1組の教室を見に行っても章吾達はまだ戻ってきていない。

「俺、ちょっと様子を見てくる」

 大翔が立ち上がると、悠と織美亜は不安そうな顔をした。

「すぐ戻るよ。悠は待ってて」

「今度は私が行くわ。また罠にかかるかもしれないから」

 麻麻は大翔に同行する事にした。

 何かあったら、すぐに超能力を使うために。

 

「おう、大翔! どうしたんだ?」

 下駄箱で靴に履き替えていると、

 ちょうど校庭から章吾と和也が戻ってきて、大翔はほっと息を吐いた。

 昼休みの校庭でまさかとは思ったが、何かあったのではないかと心配したのだ。

「遅いから様子見に来たんだよ。なんの話だったんだ?」

「大した話じゃなかったぜ?」

「ああ。ただの雑談だった。……それよりも大翔、さっきの話なんだが」

 和也と章吾は顔を見合わせ、困ったように唇をへの字に曲げた。

 どうしたもんかというように、揃って肩を竦めてみせた。

「桜井の奴、どうしちまったんだろうな? それに、あの人達も変だし」

「……」

 意味が分からず、大翔は首を傾げるが、エージェントは無反応だった。

「どうかしてるぜ。杉下先生を疑うなんてよ」

「ほんと、そうだよなー」

「……え?」

 大翔はきょとんとした。

 ちょっと授業を聞いていなかったら、

 まるきり内容が変わっていてついていけなくなった生徒のように、目を白黒させて二人を見つめた。

「……なんの話だ?」

「桜井はあんな事を言う奴じゃなかったのにな、って事だよ。どうかしちまったのかな?」

「理由もなく杉下先生を嫌うなんて、許せねーよな! いい奴だと思ってたのに、失望したぜ!」

 章吾が腕組みして、眉を顰め、和也がふんっと鼻から息を吐いた。

 大翔は訳が分からないようだが、麻麻は顔をしかめていた。

「ど、どうしたんだよ、二人とも。さっきと話が違うぞ」

 大翔は首を振った。

「別に、悠は理由なく先生を嫌ってるわけじゃない。悠の直感、凄く鋭いんだぜ。

 小さい時から、俺、何度も見て知ってる」

「勘だけで先生を疑う理由にはならないだろ?」

「そうだぜ!

 杉下先生は悪い事なんて何もしてないし、他の先生を陥れるなんてするわけない!」

「それがいけないのよ」

 麻麻は冷静に言う。

 まだ手掛かりは出揃っていなかったが、

 杉下先生が鬼である事を、エージェントは既に知っていた。

「第一印象から決めつける。それは、私達もそうしている。けれど、これは例外なのよ。

 私達は知っている。彼が……杉下××が……討伐対象だと」

 エージェントは司令官から杉下先生の下の名前を聞いている。

 そのため、杉下先生には殺意しかない。

「……さようなら、杉下××は殺されるためだけにいるのよ」

 エージェントと大翔は、その場を立ち去った。

 

「……やあ、大翔君じゃないか。しかも、知らない人までいる」

 ウサギ小屋の前。

 杉下先生は、金網の中のウサギ達に、人参をやっているところだった。

 大翔達に気づいて振り向くと、ニコニコ顔で問いかける。

「そんなに急いでどうしたんだい? 何か、困った事でもあったかい?」

「先生……」

 大翔は少しだけ迷ってから杉下先生を睨みつけた。

 麻麻は、彼に殺意を向けている。

「章吾達に何をしたんだ……!」

「……うん? 何の話だろう?」

「さようなら」

 麻麻は杉下先生に電撃を放ち、皮膚を焦がす。

 悪人がはぐらかすくらいなら殺すのが、エージェントのやり方だ。

「消えて。不愉快」

「いきなり攻撃してくるなんて不愉快だなぁ。……君達はまた後で」

 杉下先生は屈み込んで、膝を抱えると、大翔と目線の高さを揃える。

「まあ、落ち着きなよ。目を見てもらえば、先生が嘘ついてないって分かるはずだからさ」

(駄目、大翔……!)

 そう言って、じっと、大翔の目の奥を覗き込む。

 大翔の目に、杉下先生の白い眼球が映った。

 その仲のコーヒー色の虹彩も、真っ暗な瞳孔も。

 

 突然。

 大翔の頭の中、一面に、真っ暗な雲が広がった。

 一寸先も見通せない、重たく黒い塊。

 頭の中に大量に侵入し、もくもくと勢いよく広がっていく。

「……」

 睨みつけていた大翔の目から、ふっと力が抜けた。

 張りつめていた全身の力が、だらり、と抜け、腕が垂れ下がる。

「子供が先生に逆らうなんて100年早いよ。大翔君」

 大翔の目を覗き込んだまま、杉下先生はニコニコと笑った。

(……な、なんでだ……)

 毒に冒されたように、大翔の意識が濁っていく。

 頭がぼんやりしてきて、何も考えられない。

 杉下先生の目の奥、真っ黒い穴から目を放せない。

「人の心って弱いものでね。

 偉い大人や周りの意見に、つい自信をなくして流されてしまうものなんだ。

 ……そんな弱気の隙間から侵入し、悪いウイルスを仕込んで乗っ取る。

 先生、そういうの得意なんだよ。子供は先生に逆らえない。気をつけ」

 杉下先生が、パチンと指を鳴らした。

 途端、大翔の体は素早く動いた。

 両手をピシリと体の横に揃え、先生の前で直立不動になった。

「休め」

 また体が動いた。

 頭はぼんやりと何も考えられなくなっていくのに、

 体は言われるまま、足を肩幅に開き、腰の後ろで両手を組んだ。

「右向け、右」

 体を右に向ける直前、大翔には見えた。

 ニコニコ笑う杉下先生の頭から生えている――真っ黒な一本ヅノが。

「ふふ、見つかっちゃった。そう、先生は鬼でした」

(予想通りね)

 大翔をその場でぐるりと一周させ、また直立不動にさせると、

 杉下先生はニコニコ笑って自分のツノを撫でた。

 麻麻は今もなお、大翔を睨みつけている。

「でも、残念。キミはもうその事を二度と思い出す事ができない。

 忘れちゃうんだ。頭をいじくられて」

 パチンと指を鳴らされて、大翔は首を頷かせそうになる。

 体に力を込め、抵抗する。

「……先生、友情について、考えていたんだよ」

 必死に体を取り戻そうとする大翔をぼんやり見ながら、杉下先生は続けた。

「友達って、仲間って、やっぱりいいものだと思うんだ。困った時に助けてくれるだろ。

 嬉しい時に喜んでくれるだろ。悲しい時には、一緒に泣いてくれるだろ。

 僕は地獄の鬼なんだけど、そういうの、凄くいいと思うんだよね。スバラシイ。

 キミもそう思うだろ?」

 パチンとまた指を鳴らした。

 頭を強引に押さえつけられるようにして、大翔はぶんぶんと首を頷かせた。

(まずいわ……私が助けなきゃ!)

 麻麻は精神を集中し、大翔に両手を向けた。

「うあぁぁっ!?」

 突然、大翔の身体に電気ショックが走り、大翔は正気に戻る。

 それを放ったのは、麻麻だ。

「……消えなさい」

 麻麻は杉下先生を殺意を込めた目で睨みつける。

 杉下先生は彼女の鋭い目に不愉快になり、その場を立ち去った。

 大翔は何が起こったのか分からずきょとんとする。

 

「まったく、私がいなかったら、今頃あなたはお陀仏だったわよ」

「……」

「さ、帰りましょ」

 麻麻はそう言って、大翔の手を握り、歩いた。

 

「ヒロト、よかった! 遅いから、心配して様子見に来たんだ!」

「よくやったわね」

 下駄箱に戻った大翔と麻麻を見て、悠と織美亜が、ほっと安堵の息を吐いている。

 もう昼休みも終わろうとしている。

 辺りには誰の姿もない。

 廊下の向こうの教室から、低学年の騒ぐ声が聞こえてくる。

「金谷君も関本君も帰ってきたけど、全然、話を聞いてくれなくなっちゃったんだ……。

 一体、どうしちゃったんだろう……」

 ぎゅっと服の裾を握り締めて、悠は困り切ったように顔を歪めている。

 大翔の目を見ると、強く頷きかけた。

「やっぱり、杉下先生は何かおかしいよ。一緒に戦おう、ヒロト」

「ああ。やっぱり、杉下先生は、倒すべき存在だ」

 拳を握り締めて、お互いに手を伸ばす。

 麻麻が電気ショックを与えなかったら、今頃、悠を信じなかったかもしれない。

 今は、彼女に感謝するのだった。

 

―キーンコーン カーンコーン

 

「イレギュラーが現れた。訳が分からない」

 チャイムが鳴る。

 気がつくと、後ろに杉下先生が立っていた。

 彼の皮膚には、焼け焦げた跡がある。

「消えろよ、電撃使い」

 杉下先生は、麻麻を鋭い目で睨みつけた。




鬼もエージェントも、お互いを敵対視しています。
次回は、ケイドロが本格的に始まります。


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45 第一犠牲者

ここもオリキャラがいるおかげで原作とは展開が変わります。
くれぐれも、原作が好きな人はご注意ください。


 校外学習当日 9時30分

 

 子供達を乗せた観光バスが、次々と駐車場へ滑り込んでいく。

 エージェントはバスの後を追っていた。

 『FUNNY LAND』は桜ヶ島からバスで一時間ちょっとの郊外にある、(ひな)びた遊園地だ。

 入り口ゲートのずっと向こうに、背の高い塔のような建物が聳え立っているのが見えた。

 生徒達には校外学習の栞と一緒に、遊園地のマップが配られている。

 あの塔はイギリスの有名な時計塔を模した建物で、遊園地のシンボルになっているらしい。

 園内のどこからでも見る事ができて、一時間おきに鐘を鳴らして時間を知らせる。

 桜井悠と大翔は互いに目を合わせ、構えている。

 

「雨が降ってるわね」

 バスを降りると、外は今にも雨が降りそうな、嫌な天気だった。

 鉛色の分厚い雲が空を覆っている。

 桜ヶ島小のバスが並んでいる以外、駐車場車場に停まった車に車の数は少ない。

 遊園地のゲートに書かれた文字は、『Welcome to FUNNY FUNNY Land!!』。

 看板にはトランプの体をしたジョーカーのキャラクター達が描かれ、

 楽しげにウインクして子供達を見下ろしている。

(全然愉快じゃないよ……)

 心の中で抗議しながら、悠はゲートを潜った。

 エージェント達は、鬼を討つため、真剣な表情でゲートを潜る。

 そこは広場になっていた。

 正面向こうに聳え立った時計塔は、ただの時計とは思えないほど大きく立派だ。

 ジェットコースターのレールが、ぐるりと園内を巡っている。

 広場の隅には、ポップコーンや土産物屋の売店。

 マスコットキャラのピエロ達がそこここに立って、

 おどけたポーズをして手を振ったり、風船を配ったり。

 生徒達は広場の隅に集まって、先生達の諸注意を聞いた。

 他の入園者に迷惑をかけない事、羽目を外し過ぎない事、

 あくまで今日は校外『学習』なのであり……お決まりの注意を聞き流す。

「集合時間は守ってね! 15時までに、広場に戻っておく事!」

 担任の三好先生が声を張り上げた。

 白井先生同様、若い女の先生で、気は優しいがちょっと頼りないところがある。

 

「あ、10時になったわ」

―ゴーン、ゴーン……

 ちょうど、時計塔の針が10時を指した。

 鐘の音が園内に鳴り響いていく。

 広場の噴水がリズミカルに水を噴き上げ、

 ピエロ達がプップーと陽気なラッパを鳴らして行進を始める。

 諸注意が終わると、いよいよ自由行動の時間になった。

 皆、あらかじめ決めたグループで集まっていく。

 わいわいと連れ立って、それぞれの目当てのアトラクションへ歩き始める。

 

(……どうしよう……)

「大翔と組めばいいんじゃないかしら?」

 次々にグループを組んでいく生徒達の中で、悠は一人おろおろした。

 どのアトラクションを回ろうか、大翔と話し合ったのはつい先週の事だ。

 マップに顔を突き合わせて、ああだこうだと二人で笑い合った。

 今も大翔は、楽しそうに笑っていた。

 一緒にいるのは、章吾、有栖、和也、孝司達。

 夢中になって話し込み悠の方を振り返りもしない。

 悠は、ぎゅっ、とカバンのベルトを握り締めた。

 くるりとみんなに背を向けると、皆が歩いていくのと逆方向へ、逃げるように歩き始めた。

 楽しそうに笑う皆の声が、ガマンできなくなったから。

 

 ――僕はひとりぼっちなんだ。

 

 人のいない方を目指して、悠はとぼとぼと歩いていく。

 あちこちから鳴り響く音楽、皆の笑い声。

 ジェットコースターからの歓声。

 全て、遠くなっていく。

 

「……ったく。やれやれだぜ。なんだってオレ様が、こんなところへ来なきゃならんのだ」

「電撃投射」

「何しやがる!」

 小さな生き物、ツノウサギが黒焦げになって姿を現す。

 悠は思わず、木の陰に隠れた。

 すると、エージェントの一人、麻麻がテレポートで悠の前に現れた。

「お姉さん?」

「しーっ、静かにして。ここに鬼がいるの」

 麻麻は悠の口に手を当てる。

「鬼?」

「そう。様子を見て」

 悠は麻麻に促されて、向こうを見た。

 

「やあ、お待たせ」

 そう言って姿を表したのは……杉下先生だった。

 クリーム色のサマーセーターにチノパン姿。

 セーターの胸には、ハートマークの刺繍が編み込まれている。

 悠は一瞬、杉下先生が、自分に呼びかけているのかと思った。

 辺りには悠、麻麻、ツノウサギ以外、誰もいなかったからだ。

「いやあ、先生達の打ち合わせが長びいちゃってね」

 杉下先生は悠と麻麻の方には目もくれていない。

 ツノウサギに向かってニコニコと笑いかけている。

 麻麻は、杉下先生の目が笑っていないのを、真っ先に理解した。

「先生って、思ったよりも大変なんだね。子供達には分からない気苦労が多いんだよ。

 校外学習も、引率する先生達にとっては仕事。大変なお仕事だよなあって思うよ」

「さいですか」

 ツノウサギは興味なさそうに翼を竦めている。

 悠と麻麻は会話する一人と一匹を木陰から見やりながら、ごくりと息を呑んだ。

「……んで? 学校の先生なんてやってる鬼さんが、地獄の鬼さんたるオレ様になんの用?

 子供(エサ)に授業やってる変わり者がいるって評判だぜ? あんた」

「ふふ。何、大した用事じゃない。たまにはごちそうでもしてあげようと思ってさ」

「……ほんとぉ? なーんか……怪しいなぁ」

 ツノウサギは、あからさまに疑わしそうに目を細めて、杉下先生を見上げている。

「言っとくけど、オレ、あんたの事信用してないんだよね。

 あんたの言う事って、いちいち聞こえはいいけど、なーんか信用できないんだよなぁ。

 上っ面だけで中身がないっていうの?

 誠実さとか、真心って奴? 感じられないっていうかさぁ」

 ツノウサギはぶつくさと杉下先生に絡んでいる。

「そもそも催眠術とか使う鬼って、信用できないっていうかさぁ。

 オレの事だって、道具としか見てないんじゃないの? って不安になっちゃうっていうかさぁ。

 オレ様、他の鬼に利用されるような、安い鬼じゃねえんだよね。

 そこんとこは、分かってもらわんとさあ」

「じゃあ、いらないの? 食事」

「……ま、くれるってんなら、もらってやってもいいけど」

「それをもう少し素直に言うと?」

「喰いたい! ガキの肉が喰いたい! 腹減ってんだよ!」

 バタバタ翼を揺らしてせがむツノウサギを見下ろし、杉下先生は満足そうに頷いた。

 この頃、納豆ご飯しか喰ってねぇんだよ……とツノウサギはしょぼくれている。

 

(……ヒロトに知らせなきゃ)

(そうね、エージェントにもやらないと)

 悠はポケットを探り、スマホを取り出した。

 カメラアプリを立ち上げると、杉下先生とツノウサギの姿を一緒に写真に治める。

 メールに写真を添付して、大翔のアドレスに送信した。

 麻麻は自身の脳に電気を通し、記憶能力を一時的に高める。

(ほら、やっぱり杉下先生は鬼だったじゃないか)

 悠はふふん、と鼻から息を吐いた。

 何だか得意になっていた。

(よくやったわね。後は報告だけよ)

 

「――それでね、牢屋をどこにするかの駆け引きによって、有利不利が決まるんだ。

 迷って、色々遊園地の事調べちゃった」

 杉下先生はニコニコ笑いながら、ツノウサギに何か話している。

 ツノウサギはさっぱり興味なさそうに、ツノをぽりぽり掻いている。

(何を話してるんだ?)

 悠は返信を待ちながら、二人の会話に聞き耳を立てた。

 麻麻も、そっと彼らの会話を聞いている。

「あとは、やっぱり捕まえたドロボウをどうするかが、一番面白いポイントかな。

 このゲームは一人ドロボウを捕まえてからが、本当の始まりだと思うんだ。

 それでキミに協力してもらおうと思ってさ」

「やっぱりあんたはよく分からん。そんなゲームして何が楽しい?

 さっさと喰っちまえばいいのによ」

「ゲームは楽しいじゃないか」

 

―チャラララッチャッチャッチャー

 

 突然、悠の手の中でスマホがメロディを発した。

(しまった! 着信音消してなかった!)

 悠は慌てて、音が漏れないようにスマホを抱え込んだ。

 息を殺しながら画面を見ると、電波の圏外アイコンと、

 『メッセージを送信できませんでした』というメールの件名が表示されている。

 麻麻の超能力は、そんなものを無視したのだが、既にエージェントは周知だった。

 

(気づかれなかったよね……?)

 恐る恐る顔を出し、ツノウサギ達の様子を伺った。

 杉下先生の姿が見当たらない。

「そんな訳で最初の囚人はキミに決めた。……桜井悠くん」

 耳元で声がして、悠は、わっ、と跳び上がった。

 麻麻には目を向けておらず、彼女は鋭い目で、杉下先生を睨んでいた。

 向こうでツノウサギが翼を竦め、やれやれ、と呟いた。

「……まぁ、ウサギを追いかけるとろくな事になんねーのは、

 不思議の国のアリスで学んどけって話だ」

「殺したいわね、あなた」

 青ざめて見上げる悠の手からスマホをもぎ取ると、杉下先生はニコッと笑った。

「あり得ない力は毒になるから、近づけやしない。だから……僕の目を見て」

 屈み込んで、じっと悠の目を覗き込んだ。

 白い眼球。コーヒー色の虹彩。真っ暗な瞳孔。

 悠は魅入られたように先生の目を見つめる。

(まずいわ、電撃を……!)

「よし。じゃあ、立って。気をつけ」

 杉下先生はパチンと指を鳴らした。

 悠は弾かれるように立ち上がり、くるりと背を向け、逃げ始めた。

「……ううん、やっぱりキミ、効かないんだ。なんでだろう」

(この子は、精神が強いから。私には、分かる)

 杉下先生は不思議そうに首を捻った。

 それから地面を蹴ると、あっという間に悠の前に回り込んだ。

「でも、足はクラスで一番遅かったよね」

 悠はくるりと逆を向いて逃げようとしたが、うっ、と踏みとどまった。

「……ま、立場上な!」

 ツノウサギが行く手を塞いでいた。

 翼を広げ、二股に分かれた舌を伸ばして威嚇する。

(間に合わない!)

「……はい、タッチ。まず一人、捕まえた、と」

 立ち尽くした悠の肩にぽんと手を乗せ、杉下先生は囁きかけた。

 麻麻は完全に無視されていた。

 

「始めようよ。……ケイドロ、面白いよ?」

「だったら、私が壊してやるわ」




エージェントでも防げないものがある、とだけ言っておく会でした。
次回は悠を救出するために鬼ごっこします。


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46 ピエロ鬼

ホラーの定番といえばピエロ。
ですが、エージェントはそれすら動じないそうです。


 10時45分。

 

「葵! あのさ、悠、見なかった?」

 グッズショップの近くで話している女子グループの中に葵の姿を見つけて、大翔は声をかけた。

「……知りません。あたしは大翔達のお母さんじゃないんですからね」

 バスの中で無視した事を怒っているのか、葵はフンッとそっぽを向いた。

 出店で買ったチュロスをがじがじとかじりながら、ジト目で大翔を睨む。

 一緒にいた女の子達が、にやにや笑う。

「葵ちゃん、連れないよ~」

「ケンカするほど仲がいいって~?」

 葵は女の子達を見やると、はあっと溜息を吐いた。

 チュロスの包み紙をゴミ箱に捨てると、無言で大翔を引っ張っていく。

「きゃ~、ごゆっくり~!」

 女の子達の黄色い歓声が遠ざかる。

 メリーゴーランドの脇まで引っ張ってきた。

 周りに客の姿はなく、馬達がぐるぐると寂しげに回り続けている。

 女子達がついてきていないのを確認すると、葵はげっそりと疲れたように肩を落とした。

「しょっちゅうあんた達と一緒にいるからか、

 女の子トークについていけなくなっちゃったじゃない……。どうしてくれるのよ……」

「? なあ、悠見なかった?」

 何やら落ち込んでいる葵に構わず、大翔は訊いた。

 章吾達には先に回っていてもらう事にして、大翔一人で園内を探し回っていたのだ。

「あんた、気楽そうでいいわね……」

 葵が恨めしそうな顔をすると、織美亜、狼王、阿藍がやってくる。

 どうやら、超能力を使って、ここにやって来たらしい。

「あなた達もここに来たのね。悠を探しに?」

「……まあ、ね」

 と、その時、ちょうど大翔のカバンの中でメロディが響いた。

―チャラララッチャッチャッチャー♪

 ドラクエのレベルアップ音だ。

 悠と二人で同じ着メロに設定している。

「悠からのメールでしょ?」

 葵が肩を竦めた。

「音、他になんかなかったの? 子供っぽいわね」

「いいだろ、別に」

(まあ、アナタ達は子供だしね)

 大翔はカバンからケータイを取り出し、メールを開いた。

 長文の文面が、画面にずらずらと表示される。

 

『:) みんなのケイドロ ルール説明 :)』

 

「……どうしたの? 悠からだったんでしょ?」

 青くなった大翔の顔色に気づき、葵が繭を顰めた。

 ケータイを覗き込むと、ひゅっと息を呑んだ。

 

『クソガキのみんな、Welcome to FUNNY FUNNY Land(ようこそ、きみょうでいかがわしいせかいへ)!!

 遊園地でのひと時は、楽しんでくれているかい?

 この後11時から、特別イベント、ケイドロを始めるよ!

 またの名をドロケイ、助け鬼ともいう、鬼ごっこのバリエーションの一種なんだ!

 みんなは、ドロボウチームだよ! 力を合わせてケイサツチームから逃げ切ろう!

 ルール1 ドロボウは、ケイサツから逃げなければならない。

 ルール2 ケイサツは、ドロボウを捕まえなければならない。

 ルール3 ドロボウは、あり得ない力を使っても構わない。

 ルール4 捕まったドロボウは、遊園地内の“牢屋”に連行される。

 ルール5 “牢屋”のドロボウにタッチすれば、捕まったドロボウを助ける事ができる。

 ルール6 15時までケイサツから逃げ切れば、そのドロボウは勝ちとなる。

 ルール7 15時の鐘が鳴った時点で“牢屋”に捕まっていたドロボウは……(黒塗りされている)』

 

 ずらずらと並んだ文面を、二人は青ざめた顔で読み込んでいった。

 

『次は参加者の名簿だよ! 参加者は以下の15名だ! 嫌って言っても抜けられないよ!

 ケイサツチーム:4名 ダイヤ、スペード、クラブ、ハート

 ドロボウチーム:11名 大場大翔・桜井悠・宮原葵・金谷章吾・金谷有栖・

            関本和也・伊藤孝司・謎の四人組』

 

 メールの送信元の欄には確かに、悠のスマホのアドレスが表示されていた。

 

『最後に、現在のドロボウの状態だよ! 捕まっちゃった奴、ザンネン賞~!

 逃走中のドロボウ:10名 大場大翔・宮原葵・金谷章吾・金谷有栖・

             関本和也・伊藤孝司・謎の四人組

 拘束中のドロボウ:1名 桜井悠』

 

 メールの最後に……写真が添付されていた。

 どこかの部屋の中を撮ったものらしい。

 薄暗い中、スマホのカメラのフラッシュらしき光が、部屋を照らし出している。

 服の上に、悠の姿があった。

 両手を腰の後ろに回し、紐でぐるぐると縛りつけられている。

 悠は、ミノムシのように床に転がされていた。

 カメラの方を見上げ真っ青な顔で何か叫んでいる。

 麻麻は必死で悠を助けようとしていた。

 

―キーンコーンカーンコーン

 

 時計塔の文字盤の針が、ちょうど11時を指した。

 音が高らかに鳴り響き園内の人々に時刻を告げる。

 噴水がリズミカルに噴き上がり、ピエロ達が下手なラッパを鳴らして行進する。

 目を閉じ、大翔は一つだけ深呼吸した。

「……葵は、先生や他の子達に、協力を頼んでくれ。君達は、戦ってくれ」

 ケータイをしまって大翔が言うと、葵は青ざめた顔のまま頷き、エージェントは身構える。

「俺は章吾達と牢屋を探す。悠、閉じ込められてるんだ。助けに行かないと」

「そうだな」

 大翔は不思議と落ち着いていた。

 もう何度もこんな目に合っているから、感覚がおかしくなっているのだろうか。

 エージェントはもちろん、その逆なのだが。

「問題は、場所ね。

 園内の建物で、他の客の立ち入らないところと来れば、候補はだいぶ限られるはずよ」

 葵はマップを取り出して広げた。

「人の入るアトラクションやフードコート、お土産物屋さんは除外していいわ、

 倉庫室とか従業員スペース、アトラクションの制御室なんかを見て回るべきね。

 とすると、ここと、ここと……」

 ポシェットからペンを取り出すと、次々とマップに印をつけていく。

「大丈夫。みんなで手分けして探せば、15時までに十分、回りきれると思う」

「オレ達も、ついているからな」

 マップを受け取り、大翔は頷いた。

 

―プップーッ

 

 と、近くでラッパの音が聞こえてきて、五人は振り返った。

 彼らの脇では、がら空きのメリーゴーランドの馬達が、ぐるぐると輪を描いて回り続けている。

 その向こうから、真っ直ぐ大翔達の方へ向かってくる人影があった。

 ひょろりと補足背が高い。

 真っ白に塗りたくられた笑顔。

 真っ赤に染まった唇。

 

「アハハハハハハハハハハ……」

 ピエロだった。

 両手にぐるぐると巻いた縄を持ったピエロが、高笑いしながらこちらへ向かってくるのだ。

 園内の他のピエロ達とは違う。

 目の下に、ダイヤのマークが描かれている。

 そして、その額からは――短いツノが生えている。

「……時間がない。後で合流するぞ」

 大翔、狼王、阿藍は腰を落として構えた。

 ピエロはまるでサンタクロースのように、肩に大きな白い袋を担いでいる。

 子供一人くらい、すっぽり入れて持ち運べそうな袋だ。

「大翔、大事な確認なんだけど……いい?」

「……なんか、大体予想つくけど。何?」

「あたしはか弱い女の子。大翔は強い男の子。あの人達は女も強い。ここ、異論ある?」

「……異論はあるけど、あいつは俺が引き付ける。葵とお姉さん達はみんなに知らせて」

「オーケー」

「後でコーヒーカップの前で合流するわよ~」

 三人と二人は逆方向に走りはじめた。

 葵、織美亜、麻麻は広場の入り口へ、大翔、狼王、阿藍は奥へ。

 ピエロがどちらを追おうか、迷うように首を巡らせた。

 大翔はぐるっと回り込み、ピエロの方へ向かっていった。

「まずは葵から注意を逸らすぞ。来い!」

 ピエロは狙いを狼王に決めたようだ。

 握った縄をくるりと振ると、狼王へ向けて放り投げた。

 狼王はとっさに、横っ飛びに跳んだ。

 一瞬前までいた場所を、ビュンッと縄が横切っていく。

 狼王は集中し、超能力で斧を取り出し、大翔達と共にメリーゴーランドの隣に飛び込んだ。

 ピエロがくいっと腕を引くと、縄はシュルルッとピエロの手元に戻った。

 ポケットの中で大翔のケータイがレベルアップ音を鳴らした。

 大翔はピエロの方に注意しながらメールを開いた。

 

『ケイサツ達は一筋縄ではいかない奴らだ! 油断してるとコロッと捕まるぞ!

 そこでドロボウチームのみんなには、ケイサツチームのメンバー紹介をお届けしよう!

 役に立ててくれよな! 立てられるもんならだけど!

 ダイヤ[遠距離タイプ]:投げ縄を投げさせたら右に出る者なし。縛って捕まえる!

 スペード[近距離タイプ]:体力なら右に出る者なし。走って捕まえる!

 クラブ[潜伏タイプ]:物陰に潜ませたら右に出る者なし。隠れて捕まえる!

 ハート[知能タイプ]:嘘をつかせたら右に出る者なし。騙して捕まえる!』

 

「……?」

 大翔はケータイをしまった。

 敵は、奪った悠のスマホでメールを送ってきているのだ。

 大翔は狼王と阿藍に情報を教え、二人は頷く。

「ダイヤの弱点は、近接攻撃。スペードの弱点は、遠距離攻撃。クラブの弱点は、千里眼。

 ハートの弱点は、テレパシー」

「な、何言ってるんだよ……」

 ダイヤのピエロが歩いてくる。

 メリーゴーランドの脇を、ゆっくりと回り込んでくる。

(あんな縄で、人を捕まえられるもんか? いっそ、掴んで引きずり倒してやるか?)

(油断大敵だぞ)

 ピエロが縄を投げると大翔はとっさに頭を下げた。

 縄は大翔の頭上を逸れて白馬の首に引っかかった。

 ぐるぐる回ろうとする馬の首に食い込み、ガキガキガキキ……と嫌な音を立てる。

―バキィッ

 馬の首がもげて宙を舞った。

 大翔の足元に転がった。

(ダメだ、馬鹿力だ!)

(ふん、オレに敵うのか?)

 引っかけられたら逃れる術はない。

 狼王でもなければ、解放できない。

 大翔、狼王、阿藍は飛び出した。

 縄が宙を飛び、三人の脇を逸れた。

 三人はゴミ箱の陰に転がり込み、すぐ飛び出して、狼王がピエロを斧で切り裂く。

「ちっ! 縄を切り裂かったがな!」

「うっわあぁぁぁぁ!」

「助けてええぇぇぇ!」

 狼王が舌打ちすると、叫び声が聞こえ、和也達が駆けてきた。

 和也と孝司は必死な顔で、章吾と有栖は後ろを気にしながら、

 広場の入り口からこちらへ向けて、一直線に走ってくる。

 その後ろから追いかけてくる人影一つ。

 

「ギャハハハハハハハハ……」

 ピエロだった。

 頬にスペードマーク、背が低く太っちょ。

 足を高らかに振り上げて、猛牛のような勢いで走ってくる。

「アハハハハ、アハハハハハハ!」

「ギャハハハハ、ギャハハハハハハ!」

「消えてよ……!」

 有栖は念力を使うが、ピエロには効いていない。

「あ、大翔! 止まれ、こっちくんな! オレら、ピエロに追われてんだっ! 止まれ!」

「こっちもピエロに追われてんだ! 危ねえ! 止まれっ!」

「止まれるかああっ!」

「アーッハッハッハッハ!」

 シュンッと耳元で風を切る音がして、大翔は目を見開いた。

 その時、阿藍が前に現れて、光で目眩しした。

「子供は食べさせないぞ!」

「章吾、有栖、横に跳べ!」

 大翔は叫んだ。

 後から走ってきていた章吾と有栖は頷き、横に跳んだ。

 大翔は投げ縄を、ピエロの足もとへ放り投げた。

 ピエロは気づいてジャンプし縄をかわそうとする。

「ふふふ」

 その鼻先へ、有栖が蹴りを繰り出した。

 飛びすさりながらの後ろ回し蹴りだ。

 動きを止めたスペードの右足を、縄が引っかけた。

 大翔はそのまま、勢いよく縄を引いた。

 ピエロの体が宙を舞いズドンと地面に倒れ込んだ。

 二匹のピエロをたおすと、全員、互いの顔を見た。

「「「「無事?」」」」

「あっちへ!」

 七人は林の中へ突っ込んだ。

 園内にはあちこちに植林がされている。

 林の中を移動すれば、縄は木が邪魔で投げにくいだろうし、

 ダッシュで追われても木々の陰に隠れてやり過ごせるはずだ。

「アハハハハハハハ」

「ギャハハハハハハハ」

 ピエロ達が高笑いしながら追ってくる。

「なんであんなテンション高ぇんだよ、うるせえ!」

「和也に言われたらおしまいだよね!」

「何よそれ! とにかく、私が引きつけるわよ!」

「「「分かった!」」」

 孝司と和也が先へ走っていく。

 大翔、章吾、有栖は太い木の陰に身を隠し構えた。

 二人のピエロの笑い声が近づいてくる。

 

「うわああっっ!」

 背後から響いた悲鳴に、大翔ははっとして振り返った。

「……そこか」

「……ウフフフフフフ……」

 猿のように木にぶら下がっているピエロと目が合った。

 クラブマーク、迷彩柄の服に、顔に同色のペイントを塗りたくり、周囲の木々と同化している。

 阿藍はすぐに見つけたようで、構える。

「光よ!」

 阿藍の光がクラブピエロに当たり、孝司が地面に落ちる。

 急いで孝司は阿藍の後ろに隠れる。

 和也が慌てて戻ってきて、そのピエロにタックルをかます。

「大翔っ! 前!」

 叫びと共に、大翔は有栖に突き飛ばされた。

 大翔の目の前をシュルルッと縄が横切っていく。

「あ――うわわっ?」

 縄は和也の体に巻きつくと、ピンと張って動きを封じた。

「おいこら放せっ! 馬じゃねーぞ!」

「か、和也っ! ぐっ」

 章吾に襟首を掴まれて、大翔は走り出そうとするのを引き戻された。

 そのまま章吾は大翔を放り茂みの陰へ飛び込んだ。

 有栖の前に、狼王と阿藍が立つ。

「ギャハハハ、ギャハハハハハ……ギャーッハハハハハハ……」

 脇をスペードのピエロが物凄い勢いで駆けていく。

 和也へ向けて、戦車のように突っ込んでいく。

 すると、斧を構えた狼王が、ピエロ目掛けて斧を振り下ろした。

 さらに、衝撃波によって、和也を縛っていた縄がバラバラになった。

 

「気をつけろよ、オレがいなかったらお前は死んでいた」

「お兄さん……」

(織美亜……麻麻……無事でいろよ……!)

 狼王は女性エージェントを心配しながら、ピエロを倒すべく、身構えた。




原作よりかなり“生存者”が増えていますが、これも私クオリティです。
次回は女性エージェントが活躍する予定です。


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47 牢屋探し作戦

子供達が悠救出作戦を考えます。


 11時50分。

 

「なんだっていうの? みんな、もう信じられないわ!」

「落ち着いてよ、葵~」

 しばらくしてやってきた葵は、怒りに顔を真っ赤にしていた。

 織美亜は、葵を宥めようとしている。

「悠を探すのを手伝ってって、頼んで回ったんだけど……誰も協力してくれないの!」

「うーん」

 

『まあ、見かけたら連絡してあげるよ』

『わざわざ探すほどの事じゃない。それとも何か事情でもあるの?』

『ピエロの鬼? 宮原さん、勉強しすぎで疲れちゃったんじゃない?』

 

「冷たすぎじゃない? いつから桜ヶ島小は、こんなに人情のない小学校になったのよ?」

「確かにおかしいわよね。あの先生が来てから」

 葵はキレてまくしたてているのに対し、麻麻は顎に手を当てている。

 杉下先生のせいで、みんなはみんなを疑っているらしい。

「どうしたんだい?」

「あ!」

 突然、声をかけられた。

 振り向くと、杉下先生が手を振っていた。

 サマーセーターに、チノパン姿。

 軽く息を弾ませて、大翔達のもとへ駆けてくる。

「宮原さんが走り回ってるって聞いて、気になって探してたんだ!

 変な人もいたけど……。何かあったのかい?」

 顔を曇らせ、心配そうに葵を見やった。

 麻麻は眼中にないらしい。

 そして、人を安心させるいつものニッコリ笑顔で、大翔達に笑いかける。

「困った事があったなら、相談してくれよ! 何でも、相談に乗るからさ!」

 大翔達は顔を見合わせ、頷き合った。

 エージェントは何故か、気付けなかったようだ。

 葵が、手早く状況を説明する。

 

「……そ、それは大変じゃないか!」

 話を聞き終えると、杉下先生はそう言って声を震わせた。

「ぼ、僕の大事な教え子を、ピエロ達がさらっていったなんて……!

 なんて事だ……。ゆ、許せないっ! 許せないよ……!」

 腕を赤くして、ぶるぶると拳を震わせている。

 本気で生徒の事を思ってくれる素敵な先生……杉下先生は評判なのだ。

「信じてくれるの? あの人達以外、誰もあたしの言う事、信じてくれなくて……」

 葵は俯いた。

 気の強い葵とはいえ、自分の言う事を誰一人信じてくれない中で、

 声を張り上げるのはやはりキツかったのだろう。

(気の弱い悠なら、なおさらだったよな……。なのに、俺……)

 大翔はそう思って俯いた。

「先生が生徒の言う事を信じるのは当然だろう? 大事な教え子なんだから!」

(……? どうもおかしいよな……)

 杉下先生は拳を握り締め、力強く頷きかけている。

 葵が嬉しそうに笑い、有栖と章吾も頷いた。

 悠の事を考えながら……大翔は何故だか、素直に頷く気になれなかった。

 エージェントは、やはり気付けなかったようだが。

 

「さて、そう言う事なら、ここからは先生に任せてくれよ!」

 杉下先生はドンッと自分の胸を叩くと、次々と指示を下し始めた。

「まず、他のみんなに助けを求めるのはナシだ。僕らだけで探す事にしよう!」

「何故だ?」

「その方が僕の都合が……いや、捕まった悠の身の安全が最優先だからさ!

 事件で下手に周りを巻き込んで、犯人を刺激するのは良くないからね!」

「なるほど」

「そうかもな」

「いいわね」

 葵、章吾、有栖が頷いた。

 ふと、大翔の頭に疑問がよぎった。

(なんで、先生が主導権を取ってんだろう……?)

 葵、章吾、有栖は、先程まで相談して考えを出し合っていたのに、

 今は先生の言う事に頷くだけで、意見を出さない。

(そりゃ、先生がいるんだから、当然か。先生に従ってれば、間違いないんだから)

 そう思って、頭をよぎった疑問を、大翔は気にせず捨てようとした。

 エージェントは杉下先生の悪意に気付こうとしたが、やはり、できなかった。

「そして時間を節約するためには、一人一人、バラバラになって探さないとね!

 “各個撃破”だよ!」

 杉下先生は得意げにまくしたてる。

 葵、章吾、有栖は顔を見合わせ、首を捻った。

「バラバラになって牢屋を探すんだ。その方が捕まえやす……探すのが効率的だろう?

 そうだね、地図の、ここと、ここと、ここなんかいいね!

 きっと牢屋はこのどこかにあると思うんだ! よし、すぐ行動だ!」

 

 ――ブフフッ!

 

 杉下先生は堪え切れなくなったように噴き出した。

 ごめんごめん、風邪気味でさ……と、ごほごほ咳き込む。

 これにようやく、狼王が気付いたようで……。

 

「違う、お前は敵だ!」

 狼王は杉下先生に近づくと、彼を殴った。

「……ぐ……」

「何をするんだ!」

「騙されんぞ、騙されんぞ。死ね!」

 狼王の斧が杉下先生を切り裂こうとした時、章吾が割って入った。

「何をする、どけ!」

「いくらなんでも、先生を殺すのはやめろ。大人でも、許さねえぞ」

「……オレは10代だがな」

 章吾に言われた狼王は、杉下先生から身を引いた。

 

 数分後。

 

「うーん……」

「バラバラにか……」

 葵、章吾、有栖は顔を見合わせて居る。

 内心、あまり費成はしていないが、杉下先生の言う事だし、従おうか、という顔。

「章吾に有栖に葵の意見は?」

 とっさに、大翔は口を開き、三人に訊いた。

 杉下先生が、むっとした様子で眉を顰めた。

 先生の自分が指示を出しているのに、何を相談の必要があるんだ? というように。

「私は、正直……バラけて探すのは危ないと思うわ」

 促されて、まず有栖が口を開いた。

「ああ。あのピエロ達、誰かに統率されてる。凄く連係した動きしやがるんだ」

「こっちも連係して動かないと、きっとやられるわ」

「だからみんなで動くべき、っていうのが俺と有栖の意思だ」

「え、そうかなぁ……」

 杉下先生が不満そうに唇を突き出した。

「あたしも、二人と同意見です。

 バラけて探してもこの人数じゃ、残り時間で園内を探し切れません」

「効果的な作戦だとは思えないわねぇ」

 葵と織美亜が続いた。

 ええ! と杉下先生がますます眉を顰め、阿藍は頷く。

「それに探索ポイントも袋小路で、危険なところばかり。

 罠にかけられたら、簡単に捕まっちゃうわ。

 もっと確実な作戦を立てるべきだっていうのが、あたしの考え。

 ……それと、各個撃破はこの場合、使い方、間違ってます。

 それだと撃破される側になっちゃうでしょ、あたし達」

「よく言ったな、葵」

 一度考えを述べ始めると、葵は容赦ないのだ。

 阿藍も、そんな葵を褒めている。

「ええぇ? そうかなぁ? 僕の作戦に反対なの? 間違ってると思うの?」

「当たり前でしょ、アナタはアタシ達の敵だから」

 織美亜は杉下先生をはっきり敵と言った。

 エージェントは、杉下先生を殺害対象としか見ていないのだ。

 

「……イレギュラーめ」

 杉下先生の唇から、ぼそりと言葉が漏れるのが聞こえた。

「……え?」

「なんだい? 何も言っていないよ?」

 杉下先生はニコッと笑って大翔を見て、気を取り直したように続けた。

「君達の意見は分かったよ。でも、じゃあ、どうすればいいと思うんだい?

 バラけて探しても時間が足りないのに、

 まとまって探してどうやって時間内に牢屋を見つけ出す?」

「それについては、あたしに考えがあります」

 そう言って、葵は作戦内容を大翔達に話した。

 

「「囮作戦だってぇ?」」

「そうよ。

 知らない場所に辿り着くにはどうすればいいか、

 というと、知ってる人に案内してもらうのが一番って事よ」

 葵は算数の問題の解き方でも解説するように、ピンと指を立てて話している。

「ケイサツはドロボウを捕まえたら、牢屋まで連れていくわけでしょ?

 だから、あたしが囮になって、わざとピエロに捕まるの。

 連れられていく囮の後を、後のメンバーで追いかける。

 それが一番確実な、牢屋の探し方ってわけ」

「それは危険すぎない? あなた、チカラを持たない癖に」

 織美亜は首を振った。

 葵は普通の人間で、超能力を使えないからだ。

「大丈夫よ。なるべく人通りの多い場所で、抵抗せずに捕まるから。

 人の目がたくさんあって、こっちが大人しくしてれば、向こうも手荒な事はできないでしょ。

 ……それに、論理的、客観的に考えて、可愛い女の子相手には、

 鬼とはいえそうそう乱暴な事もできないんじゃないかしら」

「どこが論理的、客観的なの?」

「この人の言う通りよ。葵は分かってるでしょ?

 私達がピエロを見失ったら、あの人達がいないからそのまま捕まるのよ。自分が囮でいいの?」

「金谷さんこそ分かってるでしょ?

 追いかける役は、ピエロを見失わないように、足が速い人がなった方がいいの。

 囮役は、この中で一番足が遅いあたしがなるべき」

「……けど」

「それに、あたし、信じてるもの」

 まだ反対しようとする三人を制し、葵は大翔、章吾、有栖を見やった。

 ふふっと笑ってウインクする。

「桜ヶ島小6年1組2組のエースとそのマネージャー……。

 最強トリオが揃って追ってくれるんだから。必ず助けてくれるでしょ?」

 大翔、章吾、有栖は顔を見合わせた。

 ぐっと拳を握り締めると、三人揃って頷いた。

 エージェントも、同じくチカラを使おうとした。




チカラがある人は、チカラがない人を見下す傾向にある。
あるあるですけど、やっぱり私の悪い癖になってしまいます。


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48 囮作戦

その名の通りです。
鬼を欺くためには、こうすればいいのか? なお話。


 そうして囮作戦を開始して15分。

 クラブのピエロが1匹、広場に入ってきた。

 迷彩柄の服とフェイスペインティングを落とし、他のピエロ達と同じような格好をしている。

 葵の背中側に回り込み、何気なさを装って忍び寄っていく。

 エージェントも、気付かれないように近づく。

 入り口ゲートを入ってすぐの中央広場。

 その真ん中にある噴水の脇に、葵は立っていた。

 広場内のどこからでもよく見える位置に、目立つように。

 

 大翔、狼王、阿藍はベンチの陰に身を隠したまま、周りの様子を伺った。

 他のピエロとの連係攻撃を食らったら……。

 

 広場のそこここには、他の客たちの姿がある。

 芝に座って昼食のお弁当を広げている桜ヶ島小の生徒。

 ベンチに座って話し込んでいるカップル。

 誰も葵とピエロを気にかけた様子はない。

 ピエロは1匹だけのようだった。

 ピエロは素早く距離を詰めると、葵の口を塞いだ。

 耳元で何か囁いた。

 大声を出したら仲間の命はない、とでも言ったのかもしれない。

 ピエロは葵の両手を掴み上げると、懐からロープを取り出し、縛りつけようとする。

 くすん、と、葵はぽろぽろ涙を零した。

「お願い、酷い事しないで……」

 葵がうるんだ目でピエロを見上げると、ピエロはロープをしまった。

 

(あれは色仕掛けね。女スパイがよくやる手段だわ)

 織美亜はじっと葵を見守っている。

 葵の手を引っ張って、広場の出口の方へ歩かせ始める。

 葵がちらりとこちらへ目配せした。

 瞬きする間に涙を引っ込め、大翔と阿藍へ向かって頷きかける。

(任せたわよ)

 大翔、狼王、阿藍は頷いた。

(……行くぜ)

 大翔、狼王、阿藍は広場の向こうへ目線を送った。

 それぞれ別の物陰に隠れていた章吾、有栖、杉下先生が、頷き返した。

 追跡開始だ。

 

 葵とピエロの周りに距離を取って、散る。

 突然ダッシュされても、方向転換されても、引き離されたりしないようにだ。

 ピエロは葵を連れて園内をぐるぐると歩いていく。

 アイスクリーム屋の脇を抜け、お化け屋敷の横を通り過ぎ、観覧車の前を通過する。

 ……すぐに牢屋に向かう気はないようだ。

 葵を連れて歩き回りながら、キョロキョロと回りを見回している。

 尾行を警戒しているのかもしれない。

 だがエージェントにはそんなものは効かなかった。

 

 じりじりと時間が過ぎていき、時計の針がみるみる進んでいく。

 ポツ、ポツ……と雨が降り始めた。

 大翔、狼王、阿藍は空を見上げた。

 

―ゴーン、ゴーン

 

 鐘が鳴り響いた。

 もう13時だ。

 大翔はじれてきて、このまま突っ込んでいきたくなる。

(ピエロを捕まえて牢屋の場所を言わせてやろうか)

(やめろ)

 阿藍は大翔を制止する。

 無理に突っ込んだらもう打つ手がなくなるからだ。

 と、ピエロがくるりと方向を変えた。

 ジェットコースターへ向かって歩いていく。

 入場ゲートをくぐり、外階段を登り始める。

(まずい。どうする? チカラを使うか?)

 ジェットコースターは、園内をぐるぐると回りながら、半周する形になっている。

 乗降口は東と西の二ヶ所あって、乗り口と降り口が違っていた。

 東乗車口から乗れば、西降車口で降りる事になる。

 ピエロがジェットコースターで移動するなら、こちらも乗らなければ追いかけられない。

 同じ車両に乗り込めば、追跡に気づかれてしまうが、後ろの車両に乗れば、

 車両が降車口へ到着する時間差で、ピエロ達を見失ってしまうかもしれない。

(大翔君、西の降り口へ先回りをしてくれ。僕と章吾君と有栖君はこのまま奴を追いかける)

 杉下先生が目線で伝えてきた。

 大翔は頷いた。

 ここは流石にバラけるしかなさそうだ。

(章吾、有栖、先生、気をつけろ)

 三人に頷きかけると、大翔は西の降り口へ走り始めた。

 時刻は13時5分、残り時間、2時間足らず。




次回は有栖のターンです。
杉下先生にどう立ち向かうのか、楽しみに待っていてください。


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49 ジェットコースター

金谷姉弟のターンです。
私は、こういうキャラには必ず女の子のオリキャラを付けたくなるタイプです。


 13時5分。

 

(……一人で大丈夫かな、あいつ)

(また、無茶しなけりゃいいけど)

 走っていく大翔を見送ると、章吾と有栖は草陰から外へ出た。

 油断なく周囲を警戒する。

 他のピエロ達の気配はない。

 ほっとすると同時に……何だか不気味だった。

 さっきから園内を歩き回っていても、クラブピエロがこちらを探している気配がないのだ。

(俺達を捕まえる気はないのか? それとも……)

(何にせよ、いざとなったら、動くのよ)

 ジェットコースター乗り場の前で、章吾と有栖は杉下先生と合流した。

 ゲートを潜って外階段を登る。

 ポツポツと降り始めた雨は、だんだん強くなってきていた。

 ジェットコースターの列も、客の姿はまばらだ。

 とんだ校外学習だと思った。

 章吾、有栖、杉下先生は、クラブピエロと葵の後、間に何人か挟んで後ろにつけた。

 ピエロがアトラクションに並んでいるのを、他の客達がちょっと変な目で見ている。

「アトラクション名『FUNNY・コースター』。

 園内各所を低空飛行で突き進んでいく、迫力満点のコースター。

 特徴は、螺旋状に360度回転するウルトラコークスクリュー。

 不思議な世界を、どうぞお楽しみください。……だってさ」

 杉下先生はポケットから園内マップを取り出し、アトラクション説明を読み上げている。

(楽しんでるヒマなんて1ミリもないわよ)

 八つ当たりのように有栖は思った。

 葵とピエロが車両に乗り込んだ。

 係の残金確認を受け、発車する。

 章吾と有栖は並んでいた人達の列を飛ばした。

「ちょっと君、順番を守りなさい!」

 係員が怒って声を張り上げた。

「緊急なのよ、乗せなさい!」

「順番を守りなさい。まったく、これだから子供は」

 係員はムスッと首を振って、列の後ろを示した。

 はやる有栖を抑えて、杉下先生が進み出た。

「すみません、緊急なんです。乗せてください」

 ぺこりと頭を下げて……係員の目をじっと覗き込んだ。

「……それは大変失礼いたしました。どうぞ、いってらっしゃいませ」

 怒っていたのも一転、係員は深々と頭を下げた。

 三人を車両へ案内する。

 章吾と有栖は車両に乗り込み安全ベルトを閉めた。

 杉下先生が乗り込むと、頭の後ろから安全バーが降りてきた。

「あれ? 他の客は?」

「ああ、三人だけにしてもらったんだ。緊急事態だからね」

(……いつの間にそんな事、頼んだんだ? 先生)

 章吾は不思議に思った。

 時々、杉下先生はよく分からないのだ。

 いい先生、信頼できる先生……頭の中にそうインプットされているのに、

 どうしてそう思うようになったのか、章吾はよく覚えていない。

 有栖はますます、杉下先生に疑いを抱く。

 何気なく、杉下先生の方を見た。

 サマーセーターの胸元に編み込まれた、ハートマークに目がいった。

「どうしたんだい? この柄、何かおかしい?」

「まあね。あなた、あのピエロとつるんでるの?」

 姉は物怖じせず、杉下先生に質問する。

「つるんでる、か。まあ、半分正解だね。君は女の子なのに、よく見るんだね」

「私は章吾の姉だもの。性別で侮るのは間違いよ」

 有栖は弟が術にかかっているのを薄々ながら勘づいていた。

 それを解きたいのだが、有栖のチカラはエージェントより遥かに弱い。

 ライトノベル風に言うと、レベル0なのだ。

 前の車両が頂上に達し、ゴウッ! と音を立てて落ちていった。

 スピードを増し、ぐるんぐるんと右へ左へ揺れながら進んでいく。

 と、足元のスピーカーから機械の声が流れてきた。

『スリル満点のジェットコースターいかがでしたか? ご利用ありがとうございました。

 安全バーを解除します。お気をつけてお帰りください』

―ぷしゅうっ

 気の抜けた音と共に、章吾と有栖の掴んでいたバーが頭上へ持ち上がり、ベルトも外れた。

「……!」

 二人は目を瞬いた。

「……あれ、どうしたんだろうね?」

 杉下先生は不思議そうに首を傾げた。

 自分の安全バーをしっかりと抱えたまま、章吾と有栖を見やっている。

「機械の故障かなあ? その席だけ、降りるモードになっちゃってるっぽいね」

「……おおい、係の人! 止めてくれ! 機械の故障だ!」

 章吾は叫んで手を上げた。

 向こうの監視台に、さっきの係民がいる。

 係員は章吾達を見たが、いってらっしゃいませ、と深々と頭を下げるだけだ。

「おい! 止めろよ!」

「騙されたわ……!」

「遅すぎるぞ有栖!」

 車両が頂上に達した。

 カクンと揺れて、一度止まる。

「さあ、振り落とされないように、注意、注意と♪」

 杉下先生がウインクするのと同時に……車体がグンッと、急加速した。

 レールに沿って――落下する。

 

助けて!!

 章吾と有栖はとっさに体を屈めて、フロントバーを握り締めた。

 体が浮き上がる。

 宙に放り出されそうになるのを、バーにしがみついて堪えた。

「わーっ! 速いねぇー!」

 必死に掴まる二人の横で、杉下先生は歓声を上げてバンザイをしている。

「頑張れ! 手を放したら駄目だ!」

「よくも私達を騙したわね!」

「くっそ!」

 章吾は毒づき、有栖は超能力を使うが、なかなかスピードは遅くならない。

 車両は底につくと、そのまま円を描いてカーブしていく。

 外側に吹っ飛ばされそうになるのを、靴先を座席に引っかけて堪える。

「私達の安全ベルトをつけて!」

 有栖は叫んだ。

「なんだって? 風で聞こえないよ!」

「安全ベルトをつけて!」

「ぜんっぜん! 聞こえないよー!」

(私があの人達みたいにチカラが強かったら、あっという間に打開できるのに!)

 有栖は念力を使いたかったが、チカラが弱いため、できなかった。

 そのため、有栖はただ、祈り続けるしかなかった。

 

 その時……。

 

 突然、電撃が走ったかと思うと、急ブレーキをかけて停まった。

 二人の身体はふわりと浮かび上がり、ゆっくりと地面に降り立つ。

 電撃を放ったのは……麻麻だった。

 

「何事!? どうしてここに来たの!?」

「あなたの祈りが届いたのよ。もしかしたら、あなたも私と同じじゃないかって」

 麻麻も有栖も、力の強弱関係なく超能力者。

 だから、お互いに通じ合って、麻麻をここに呼ぶ事ができたのだろう。

「運が悪かったね。機械の故障だってさ。……十中八九、あいつのせいだけど」

「……」

 杉下先生は安全バーを上に押し上げるとのんびりと足を組んで章吾、有栖、麻麻を見下ろした。

 麻麻に対する目は、殺意そのものだったが、

 スマホを取り出し、はい笑って、と、三人にカメラを向けている。

「……先生、急ぐわよ」

 辺りは林で、人の気配はなく、ひっそりと静まり返っている。

 雨の勢いが増してきた。

 ぱたぱたと顔を、服を濡らしていく。

 嵐にでもなりそうだ。

(くそ、状況は悪くなる一方だ)

(とりあえず、私がピエロを倒すしかないわ)

「先生! 前の車両まで走ろう!

 きっとピエロの奴、ここでコースターから降りて、こっちを撒くつもりだ!」

「このままじゃ、葵を見失うわ!」

「ええっ? それは気づかなかった! 大変だ!」

(作りね)

 杉下先生は驚いた顔で答えたが、なかなか降りてこない。

「先生っ!」

「……アハハ、アハハハハハハ……」

「ギャハハハハハハハハハハハハ……」

 林の間から、笑い声が聞こえてきた。

 章吾と有栖は振り返って、息を呑んだ。

 麻麻はとっくに身構えている。

 前と後ろから姿を現したのは……ダイヤとスペードのピエロだった。

 ダイヤは投げ縄を持ち、スペードは低く構えて、ニヤニヤ笑って章吾と有栖を見つめている。

「アハハハハハハ!」

「ギャッハー」

「こいつら……」

 章吾は奥歯を噛み締めた。

 明らかに待ち伏せで、罠だった。

 すると、麻麻が二人の前に出た。

「……大丈夫よ。私が全部、倒す。あなた達は下がりなさい」

 普段は明るい麻麻だが、本当はクールな女性だ。

 子供を守るために、彼女は今、チカラを使おうとしているのだ。

「一人でいけるの!?」

「いけるわ。下がりなさい」

 麻麻は一人で二体のピエロに挑もうとしている。

 有栖は驚くが、麻麻の顔には、余裕が見えていた。

「あのピエロを倒せば、あなた達は捕まらないわ。私を信じて、電撃投……」

 電撃を放とうとした麻麻だったが、

 真っ先にスペード型ピエロに狙われ、電撃を放つ暇なく攻撃される。

 やはり、一人で戦うのは、無謀だったのだ。

「ぐっ……ピエロの癖に……!」

 撤退しようとした麻麻の目の前に、衝撃的な光景が広がる。

 章吾の目の前に、杉下先生は立っていた。

 ニコニコの笑顔。

 その手に、真っ黒な箱のようなものを持っている。

 さっと手を伸ばし小箱の先端を章吾の腹に当てた。

「……はい、タッチ」

「章吾……!」

「ダメだったわね……!」

―バチバチバチバチッ

 章吾は目を見開いた。

 視界が一面真っ白に染まった。

 ガクガクと全身が震え、地面の感覚がなくなった。

 体が軽くなった。

 

 ……気づけば、地面の上にへたり込んでいた。

 有栖と麻麻は、その隙にテレポートで、撤退した。

 

「う……有、栖……」

 杉下先生はウインクする。

 ぐったりした章吾の手足を、縄で結び始めた。

 章吾は力なく、腕と足をもがかせる。

「無駄な抵抗はやめな、上手く結べないじゃないか。先生、あまり器用な方じゃないし。

 ……ほら、雨も強くなってきたし」

 ざあざあと降ってきた雨が、体を打ちつける。

 もがく章吾の手足を押さえつけ、杉下先生は縄を結ぶ。

 何度も外れたが、ようやくぐるぐると縛り上げた。

 林の間から、葵の腕を引っ張って、クラブのピエロがやってきた。

 葵は杉下先生と、捕まった章吾を見て、ひゅっと息を呑んだ。

「嘘をつかせたら右に出る者なし。騙して捕まえるハートのピエロとは、先生の事でした♪」

 杉下先生はニコニコと笑った。

「さあ、牢屋へ!」

 二人を袋の中に押し込むと、ピエロ達に持たせて歩き始める。

 降りしきる雨の中、杉下先生は楽しそうに口笛を吹いた。

 

 茂みの中では、有栖が泣きそうになっていた。

「……弟を守りたかったのに、なんでこんな事になったのよ……!」

「流石の私でも、一人で二体に挑むのは無謀だったみたい」

 麻麻の超能力は強力だが、狼王や阿藍と違って体力はない。

 体力があるピエロに挑まれては、麻麻は撤退せざるを得なかった。

 超能力者も万能ではない。

 麻麻はこの状況を、痛いほど思い知った。

 

(雨が降っている……これなら、私の電撃も広範囲に及ぶかもしれない。

 けれど、みんなも巻き込む可能性がある。やめた方がよさそうね……)




次回はケイドロ終盤戦。
子供達は鬼に反撃できるでしょうか。


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50 終盤戦

ケイドロも終盤となります。
大翔達とエージェントは、杉下先生を倒す事ができるでしょうか?


 14時。

 

―ゴーン、ゴーン……

 響き渡る鐘の音に、壁や天井にびりびりと震えが走っていく。

「途中経過発表。逃走中のドロボウ:8名 拘束中のドロボウ:3名

 何か書いといた方がいい事はあるかな? どう? みんな」

「今のところこっちが優勢。あの人達のおかげだね」

「しかし、スマホって便利なんだねえ。先生、初めて使ったよ」

 杉下先生は全く気にしない。

 埃っぽい部屋の中。

 悠から奪ったスマホの画面に盛んに指を滑らせながら、ぺらぺらと一人、喋り続けている。

「外、すっかりどしゃ降りになっちゃったねぇ……」

 杉下先生は、部屋に作り付けの椅子に、足を組んで座り込んでいた。

 傍らではピエロの一匹が、ドライヤーで先生の髪を乾かしている。

 熱風で髪を揺らしながら、杉下先生はニコニコと足元に笑いかけた。

「先生、雨、嫌いなんだよね。生乾きの服とか着てると最低の気分になるんだ。みんなはどう?」

 哀れっぽく泣き真似をしながら、床を見下ろす。

 捕まった三人は、手足をぐるぐるに縛られて、床にうつぶせに並べられていた。

 全員、顔を上げ、杉下先生を睨みつけている。

「……畜生。こんな奴に騙されるなんてな。俺とした事が迂闊だったぜ……。

 有栖、無事だといいんだがな……」

 章吾が悔しそうに呻いた。

「何かおかしいと思ってたのよ。

 傷ついてる女の子に優しくしてくる男には気をつけなさいってお母さんに言われてたのに……」

 葵が不満そうに唇を尖らせた。

「ふふっ、みんな、ありがとう! 先生、負け犬の遠吠えって、大好きです!」

 杉下先生はニッコリ笑って、スマホのカメラを子供達に向けた。

「さあみんな、怖い顔せずに笑って!」

「騙されんじゃねえぞっ!」

「杉下先生は鬼だ! 言う事聞いちゃ駄目だ!」

「助けて! 牢屋の場所は……」

「はい、チーズ、カシャッ と。……うん、みんなとてもいい顔に撮れたよ。

 必死に助けを求める哀れな感じ……先生、とてもいいと思います! 送信、っと」

 メールの送信を完了させると、杉下先生はスマホをポケットにしまった。

 さて、と立ち上がると、パチンと指を鳴らした。

「……じゃあ、そろそろみんな、スタンバイしておこうか」

 脇に控えていた三匹のピエロ達が、スイッチが入ったように素早く動いた。

 子供達をひょいと両肩に抱え上げる。

 みんな喚いたが、虚しく声が響くだけだ。

 杉下先生を先頭に、部屋を出た。

 部屋の外も薄暗かった。

 殺風景なレンガ造りの建物の底。

「ふふ。遊園地で一番目立つ建物を牢屋にするなんて、先生、シャレてるだろ?」

 杉下先生は満足そうに笑って、建物を見回した。

 遥か頭上で、大きな歯車が回っている。

 鉄柵つきの階段が、円を描いてぐるりと上まで伸びている。

 ここは、『FUNNY LAND』のシンボル、時計塔の中なのだ。

「ケイドロの牢屋をどこにするか……色々考えたんだけど、

 まさか遊園地のど真ん中にあるなんて、みんな思わないじゃない?

 人間、目立つところほど案外目につかない。そういうの、いいなって思ってここに決めました」

「灯台下暗し……ってわけね」

 葵が悔しそうに呻いた。

「それにね。

 すぐ目の前に牢屋があるのに、気づかずにみんな焦ってる……そういう子供達の顔を見てるの、

 先生、大好きなんで……?」

 杉下先生は誰かの気配に気づいたが、そこには誰もいなかった。

 それもそのはず、麻麻がテレパシーを使っているからだ。

 

「……灯台下暗しは、あなたも同じ」

 良い鬼は死んだ鬼のみ、それがエージェントのモットーだ。

 

 先生を先頭に、ピエロ達は一段一段、渦を巻く階段を登っていった。

 壁のところどころに、文字やイラストが描かれている。

 古くなって剥げかけたペンキの跡。

『待ち時間60分地点』

『引き返す人はこちらから←』

『(お客様への注意事項)心臓の弱いお客様は、ご利用をご遠慮ください』

「元々はここもアトラクションの一つだったんだよ」

 恐々と壁を見つめる子供達に、杉下先生はニコニコと笑いかけた。

「昔は凄く人気があったらしいんだけど、今は封鎖されてしまってね。

 入り口の扉にカギをかけて、誰も入れないようになってるんだ」

「アトラクション……?」

 壁にはマスコットキャラのピエロが描かれている。

 階段を登っていくのにつれて、コマ送りの漫画のようにピエロが走った。

 ピエロは息せききって階段を駆け上がり、遥か塔の頂上に登りつく。

 足をぐるぐるロープで結ぶと、真っ逆様に飛び降りる……。

「『バンジージャンプ』って、知らないかなぁ?」

 杉下先生は壁のイラストを指で示しながら続けた。

「足首を長いゴムで結んで、崖やビルの屋上からジャンプする遊び。

 スリルがぞくぞくしてたまらないって、一時期とても流行ったんだよ。

 この時計塔型のバンジーは、当時作られたアトラクションでね。

 みんな喜んで登っては、頂上から真っ逆さまに落下していった」

 子供達は青い顔で呻いた。

 葵が代表して呟いた。

「……みんな、バカだったんじゃないの」

 

 階段を登り切ると今度は短いハシゴが伸びていた。

 ハシゴを登るとぽっかりと拾い部屋になっていた。

 がらんとした空間。

 中央にたくさんの歯車とパイプ。

「あそこがジャンプ場所だったんだ」

 杉下先生は部屋の隅を指差した。

 四角く張り出した、狭いスペースがあった。

 床に黄色い線が引かれ、ぐるりを金網で仕切られている。

 金網の一ヶ所が、扉になっていた。

 取っ手には鎖が巻かれ、『関係者以外立入禁止』と書かれた札が取り付けられている。

「安全上の理由から、勝手に人が立ち入らないような造りになっているんだけど……

 何だか本物の牢屋っぽくて雰囲気出るよね」

 杉下先生は口笛を吹いて、金網を指した。

「床もね。事故が起きないように、係員の操作で開閉するようになってるんだ」

 張り出したスペースと反対側の壁に、操作ボックスがつけられていた。

 杉下先生が手をかけると、かかっていた鍵が弾け飛ぶ。

 中には、黒のレバーと白のレバーが一本ずつ。

 それから緑色のランプが一つ。

「白のレバーは安全装置。係員が解除するまで、床の開閉をロックするんだ。

 お客さんが勝手にいじったら危ないからね。そして、黒のレバーが……」

 杉下先生は黒のレバーを握ると、ぐいっと下へ引いた。

―ガシャンッ

 箱の底が抜けるように、張り出したスペースの床が音を立てて開いた。

―ビュウウッ!

 吹き上げてきた外からの風が、青くなった子供達の髪を巻き上げていく。

「地面へ向かって、レッツ・バンジー! ってわけ。

 ……どうだい? バンジージャンプ。スリル満点で面白そうだろう?」

 子供達はぶんぶんと首を振る。

「ははは、遠慮しないでみんな楽しんで。

 しかも今回は特別に、余計なゴムやハーネスをつけないで楽しめるよ。

 うん、ただの落下だね、やったね。――さあ、みんな並ぼう!」

 レバーを上げて床を閉めると、杉下先生はパチンと指を鳴らした。

 ピエロ達が金網の扉の鎖を外し、錠前を壊した。

 埃のたまった開閉口に、子供達を順番に押し込む。

 全員入れると扉を閉めて、ピシリと三方を向いて直立した。

「先生ね。常に真剣に子供と向き合うのが、教育者の務めだと思ってます。

 ゲームだって、子供の遊びだとバカにしない。真剣にやる。

 なので、ルール通りほんとに処刑します。

 みんなも、遊びだからと気を抜かず、真剣に死を覚悟してください。いいですね?」

 葵は顔色をなくして黙り込んでいる。

 章吾はピエロ達の陰に移動し、背中に回した手を注意深くごそごそと動かした。

 杉下先生は、スマホのカメラで、カシャカシャと子供達を撮っている。

「大切な生徒達との思い出の記念撮影。感動です。先生、皆さんの事、しばらくは忘れません」

 腕を伸ばして自撮りをしつつ、カシャカシャと子供達を写真に収める。

「せっかくだからツイッターとかYouTubeに投稿しちゃおうかなぁ。

 桜井君、アプリはやってます?

 先生のアカウントで上げると、ほら、炎上しちゃうんで……桜井君?」

 ふと気づいたように、悠を見やった。

 不思議そうに首を傾げた。

「どうしたんですか? 桜井君。そういえば、さっきから、ずっと黙ってますが」

「……調子に乗ってられるのも今のうちだよ」

 悠はようやく口を開いた。

 泣かず、焦りもせず、じっと杉下先生を睨みつけたまま、はっきりした声で主張する。

「ドロボウは、有り得ない力を使ってもいいんだね」

「ん」

「……今から君は、倒されるんだ。あの人達は、強いから。そして、ヒロトもじきにやってくる」

「……」

「僕、アオイや金谷さんみたいに頭が良くないしさ。金谷君みたいに運動もできないしさ。

 関本君や伊藤君みたいに度胸もないしさ。あの人達みたいに不思議な力も使えないしさ。

 ……みんな凄いのに、僕は弱虫で……。

 なのにどうしてヒロトは僕と一緒にいてくれるのかなって……考えちゃって……」

 ぽつぽつ喋る悠の瞼から、ぽろっと涙がこぼれ落ちた。

「前からたまに、思ってたんだ。

 ヒロトは、みんなは、僕の事……本当は仲間だなんて、思ってないんじゃないのかなって……。

 と、友達だって思ってるの、僕だけなんじゃ、ないのかなって……」

 ぐすぐすと鼻をすすりあげながら話す。

 二人は泣くのも騒ぐのもやめて、黙って耳を傾けている。

「……だから、ツノウサギを見つけた時、みんなを呼ばずに追いかけたんだ。

 ……ひ、一人で捕まえたら、みんな、僕の事、

 と、友達だって、認めてくれるんじゃないかと思って……。

 でも、それで、また、みんなに迷惑かけて……」

 ぐすっぐすっと鼻水を垂らして、噛み締めるように悠は呟いた。

「僕……バカだ……」

 葵が、考え込むように、うーむと唸った。

「まあ、それは確かに……バカというしかないわね」

「……え?」

「バカ・オブ・バカだよな」

 皆、口々に言って頷いた。

「うう、同意しちゃうの?」

 さらに顔を歪めて、えぐえぐと泣きそうになる。

 杉下先生は、かなりイライラしていた。

 次の瞬間、四人が目の前に姿を現した。

 

処刑するというなら、せめて火炙りにしろ!




悠はこういう時にこそ「男」を見せるんですよね、あの二尾の子狐のように。

次回は杉下先生との直接対決です。
激しいバトルとなる事は間違いないでしょう。


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51 戦闘! 杉下先生

エージェント四人VS杉下先生のバトルです。
鬼ごっこなのに鬼ごっこしないのがエージェントです。
だって超能力者ですから。


 14時35分。

 牢屋の前に姿を現したのは、織美亜、狼王、阿藍、麻麻らエージェント。

 麻麻がテレパシーを送ったところが判明したので、テレポートでやって来たというわけだ。

 

「火炙りって、僕の時代と同じくらいじゃないか」

「ああ、そうだ。災厄を力なき人間に押し付け、排除する行為……それが火炙りだ!」

 西洋では、全ての災厄は「人間」の仕業とされ、迫害や差別を受け、挙句の果てに処刑される。

 エージェントは西洋風の名前に違わない、そんな考えを持っている。

 悠、葵、章吾は、援軍を見て顔が明るくなる。

「待ってろ、お前らを助けるのはこいつを倒してからだ」

 そう言って狼王は子供達の前に立つ。

 織美亜、阿藍、麻麻も、杉下先生を睨みつけた。

 

「鬼よ! 今すぐ消えなさい!」

 エージェントは鬼に激しい殺意を向けている。

 彼らに見えるのは、杉下先生ただ一つ。

「ドロボウは、あり得ない力を使っても構わない。その力を持っているのは、君達も……か」

 杉下先生はエージェントが超能力者である事を見抜いたが、

 それくらいで動じないのがエージェント。

 ただ真っ直ぐに、杉下先生を睨んでいる。

「じゃあ、これはどうかな!」

 杉下先生の周囲から、黒いオーラが放たれる。

 それを感じ取った四人は、思わず膝をついた。

「何なの、これ……」

「気分が悪くなりそうだわ……」

「どす黒いぜ……!」

 織美亜、狼王、麻麻の顔が青ざめる中、阿藍は光の力で身を守っていた。

 杉下先生の闇の力を拒絶しているのだ。

「阿藍、大丈夫?」

「何とかな……しかし、口だけだと思ったお前が、こんな力を使うとはな……」

「褒めてくれてありがとう。でも、君達は子供を守る事はできない」

 杉下先生の傍には、二体のピエロがいた。

 狼王は斧を生成し、ピエロ目掛けて突っ込み、スペードピエロに斧を叩きつける。

「ぐぅっ!」

 スペードピエロは狼王の頬を殴りつける。

 その隙に杉下先生は再び闇の波動を放とうとするが章吾がタックルして発動を防いだ。

「ありがとう」

「当然だ」

「ピエロよ、倒れなさい! 電撃投射!」

「ヒーリング」

 麻麻が放った電撃がピエロに直撃し、ピエロは伸びて「ばたんきゅ~」した。

 織美亜はヒーリングで自分と狼王を癒していく。

 続いて狼王がピエロに斧を振り、吹っ飛ばす。

 ピエロは縄を麻麻に投げたが、阿藍が庇い、光の力を使って打ち消した。

「しぶといね。とっとと死んでもらおうかな? まずは男どもからだよ」

「ぐっ……!」

「苦しい……!」

 杉下先生は狼王と阿藍に近付き、闇を放つ。

 狼王と阿藍の身体が、中からボロボロになる。

「そんなに苦しいなら、抵抗するのはやめなよ」

「誰がそんな事をするか! オレ達はお前の道具じゃない!」

「……ま、道具扱いする奴はいるけどな」

 狼王と阿藍は杉下先生の闇の攻撃を何とか耐える。

 杉下先生は一瞬驚くがすぐにいつもの笑顔に戻る。

「まぁ、その余裕もすぐに終わ……」

「残念でした、もうピエロはいないわよ」

「何!?」

 麻麻の言う通り、もう一体のピエロも既に倒れていた。

 エージェントの迅速さは人間とは思えないようだ。

 

「……もう、アタシの負担もかけないでよね」

 織美亜は愚痴を吐きながらも、優しく狼王と阿藍にヒーリングをかける。

 青くなっていた狼王と阿藍の顔色が戻る。

「くそ、何回攻撃しても、回復されるなら……作戦変更、君から仕留めなくちゃね!」

「そうはいかないわ!」

「俺はお前を拒む!」

 織美亜と阿藍は、杉下先生に仁王立ちし、チカラを使って杉下先生を抑え込む。

「隙あり!」

ぐああぁぁぁっ!

 その隙に狼王は斧を一閃、杉下先生に大ダメージを与えた。

「死んでもらうよ、電撃使い」

「麻麻!」

 阿藍は麻麻の前に立ち、光の力で攻撃を防ぐ。

「ありがとう……許さないわよ、杉下××!」

 麻麻は上に向かって電撃を放つ。

 杉下先生は「どこに飛ばしている」と笑ったが、次の瞬間、電撃が杉下先生の背中に直撃した。

「油断大敵よ」

 力の強いものほど、手を抜く傾向にある。

 司令官からそう言われた麻麻は、誰が相手でも決して手を抜かなかった。

「鬼め、死ね!」

「ぐあぁっ!」

 阿藍の光が杉下先生を刺し穿つ。

「こうなったら、こいつらだけでも!」

「そうはいかないわ!」

 杉下先生は逃げて子供を「処刑」しようとしたが、織美亜が杉下先生に組み付く。

「鬼め……この世から消え失せろ!!」

 狼王は織美亜を巻き込まないように、杉下先生に斧を一閃する。

 その凄まじい腕力によって杉下先生は地に伏せ、戦闘不能になる。

 エージェントの任務は、完了した。

 

悠!!

葵!!

章吾!!

 大翔、有栖、和也、浩司が駆けつけてきた時には、杉下先生とピエロは地に伏していた。

 章吾はとっくに縄を解いていて、悠と葵もぐったりしているが無事のようだ。

「まさか、お前らがやったのか?」

 大翔が狼王に問うと、狼王はうむ、と頷いた。

「凄いじゃないの、流石ね!」

「まあな」

 ただ鬼から逃げる事しかできない子供達と違い、エージェントは超能力で鬼と戦える。

 それがエージェントの最大の特徴なのだ。

 子供達は次々とエージェントを称賛し、あの章吾も、彼らを「強い」と認めた。

 エージェントにできない事はない、と子供達はこの時、思ったのだ。

 

「ともかく、これで鬼ごっこは終わりだな」

「任務完了……」

 そのまま脱出しようとしたエージェントだったが、何故か沖縄県に戻る事ができなかった。

「何故だ……奴は、倒したはずなのに……」

「もしかしたら、まだ鬼の力が残っているかもしれないわ」

 

 杉下先生は倒れたが、まだ沖縄県には戻れない。

 この島での任務は、まだまだ続くようだ。




原作者は「鬼は現代では直接戦闘はなるべくしない」と言いました。
これは現代の某カードゲームを彷彿とさせますね。
次回は5巻、鬼の本性を出した杉下先生は……?


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5章 鬼だらけの地獄小学校
52 家に帰るまでが校外学習


5巻編スタートです。
まだ琉球エージェントは桜ヶ島に残っているので、司令官は出てきません。


「よく、ぐーすか眠ってられるわね、この二人は……」

「そう、だな……」

 夕暮れに染まり始めた高速道路の上を、バスが走っている。

 並んで走る数台のバスの、前から二台目。

 6年2組の車両の中。

 宮原葵は、後ろの座席を振り返り、呆れた顔をして、幼馴染の少年達を見つめていた。

 

 校外学習の帰りだった。

 遊園地でたっぷり遊び回った子供達を乗せて、バスは家路を急いでいる。

 大場大翔は、ぐっすりと眠りこけていた。

 座席にもたれ、足を投げ出し、大口を開いて、気持ちよさそうにいびきをかいている。

 桜井悠も、その隣の席で寝息を立てていた。

 カバンを抱き枕のように抱えて、半ば座席からずり落ちかけているが完全には落ちない、

 器用なバランスで眠っている。

 エージェントは、超能力の使い過ぎで、スヤスヤと眠っている。

 みんな、完全に無防備だ。

 とてもさっきまで、鬼とやり合っていたようには見えない。

「あんな目に遭ったっていうのに、気持ちよさそうに眠っちゃって。

 男の子と不思議な人って、神経図太くていいわよね」

 葵は溜息を吐いて、座席に座り直した。

 カバンから、鉛筆と算数ドリルを取り出した。

 校外学習だろうと趣動会だろうと、葵のカバンには常に勉強道具が詰まっているのだ。

 無心で答えを埋め始める。

「あたしなんか、何か計算してないと、

 とても平気じゃいられないくらい、怖かったっていうのに……」

 流れるようにせっせと答えを書き込み、あっという間に数日分を終えた。

 今度は漢字ドリルを取り出した。

 綺麗な筆跡で、漢字を書き取っていく。

「漢字でも書いてないと仕方がないくらい、怖くてたまらなかったのに……」

 あっという間にこれも終えた。

 社会の地図帳、理科の実験ノート、英単語帳も引っ張り出す。

 座席の折りたたみの上に、勉強道具がデンッと積まれた。

 葵は溜息を吐いて、ノートを開くと、一人勉強大会を始めた。

 

「女の子って、やっぱり繊細なのね。男の子とは違って……」

 一番神経が図太かった女の子は、しみじみとそう呟いた。

 

 その前の車両、6年1組のバスの中。

 金谷章吾は呆れた顔で後ろの座席を見やっていた。

 彼の姉・有栖は、くすくすと笑っている。

「お前らに緊張感というものはないのか……」

「だってさあ! 結局全然遊べなかったじゃんか!」

 トランプを扇のように構えて、関本和也がぶうたれる。

「せっかくの遊園地だったのに、僕ら、あの人達に守られてばかりだったもんね」

 和也のカードを引きながら、伊藤孝司が答えた。

 どうやらババ抜きをやっているらしい。

 二人でやって何が面白いのかは分からないが。

 

(鬼に襲われた事より、遊園地で遊べなかった事の方が重要なのか、こいつらは……)

(女の人が守るなんて、ちょっとあり得ないと思うけど、あの人達は強いもの)

 章吾は溜息を吐いた。

 ふと、窓の向こうを眺めると、外はもう夕暮れになっていた。

 本当なら、もう学校に帰り着いている時間だ。

 先生の一人の行方が分からなくなり、大人達が探していたので、

 バスが遊園地を出るのが、かなり遅れてしまったのだ。

 いなくなったのは、高学年の男子体育担当、杉下先生。

 ……その正体が鬼である事を、知っているのは章吾達だけだった。

「対策、話し合わなくていいの?

 あの人達が倒したけど、あいつ、どう出てくるか、分かったものじゃないわよ」

 有栖が言うと、和也と孝司は、えー、と唇を尖らせてぶうたれた。

「いなくなっちまったんだから、今度でよくねぇ?」

「そうそう。今日の今日でまた襲ってきたり、流石にしないだろうしね」

「でも、あの人達が困った顔をしてるのよ。あいつが簡単に諦めるタマだと思う?」

「さあな」

 エージェントは、まだ帰れない。

 有栖は、それが気になっていた……。

 

「皆さん、今日は楽しかったですか? 素敵な思い出は、いっぱいできましたか?」

 それぞれのバスの中、バスガイドはニコニコした顔で、帰りの挨拶を喋っていた。

「バスはこれから桜ヶ島小学校に戻ります。校外学習も終わり、あとはおうちに帰るだけ。

 おうちに帰ったら、お父さんお母さんに、

 今日の楽しかった思い出、たくさん話してあげてくださいね」

 疲れて眠る子。はしゃいで遊ぶ子。黙々と勉強する子。

 子供達はバスの中で思い思いの過ごし方をしていて、誰も話を聞いていない。

 そんな中、バスガイドは笑顔を絶やさず、ニコニコと笑って喋り続ける。

「ただし、一つ、注意点があります。それは、『家に帰るまでが校外学習だ』という事です」

 バスガイドは続けた。

「家に帰り着くまでは、何が起こるか分かりません。

 事件や事故に巻き込まれたら、せっかくの一日も台無しになってしまいます。

 気を引き締めてください。油断しないでください。

 僅かな油断が命取りになります。それが校外学習です」

 子供達は、誰も気づかなかった。

 喋るバスガイドの目の奥が、底なしの穴のように真っ暗に、虚ろになっている事に。

 バスガイドの声が割れ、喉の奥からヒュウヒュウと、不気味な息遣いが漏れている事に。

 

「それでは今日のガイドを終了します。無事に家に帰れるとイイデスネ。……クケケッ!

 

「……?」

 狼王と阿藍は、バスガイドの声を聴いて違和感を抱いた。

 恐らく、子供達を生きて帰さないつもりだろう。

「織美亜、麻麻、気付いているといいがな……」

 阿藍の呟きは、女性エージェントには聞こえなかった。




次回はたくさんの鬼と子供とエージェントが戦います。
フォントの編集の仕様、変わっているような……?


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53 鬼120匹

本編の方はストックを既に終えました。
多数の鬼相手に、大翔達は立ち向かえるでしょうか。


『校外学習というのは、普段味わえない体験の中で、

 皆さんの心と体の健やかな発育を促すものです。

 今日、皆さんは遊園地で、また一つ大きな成長をしたと思います……キィ

 校長先生の声が、だだっ広い体育館に響き渡っていく。

 体育館は明々としていた。

 高い天井から吊り下げられたライトが眩しい。

 ずらりと並んだ子供達の背中は、六年生四クラス、約120人だが、皆、微動だにしない。

 エージェントは、後ろに四人いる。

 気をつけをして、口を引き結び、壇上の校長先生を見上げている。

『つまり、皆さんは本日、また一つ成長をしたという事です。

 普段味わえない体験が、君達の心と体に、健やかな発育を促したわけなのです。……キィィ

 よく聞いてみると、校長先生の声は、いつもと少し調子が違っていた。

 妙に甲高く、金切り声のような息遣いが交じる。

(……やはり……予想通りだったわ)

 織美亜達は、彼らの精神が、何らかの悪影響を受けている事に気づいていた。

『そんなわけで皆さんは本日また一つ大きな成長をしたという事で

 それはつまり普段味わえない体験であって要は君達の心と体に

 健やかなすこやかなスコヤカナSUKOYAKANA発育を……キィィィィイィ!

 突然、校長先生が早回しするように喋りまくり、奇声を発した。

 大翔、悠、エージェントは唖然として壇上を見上げた。

 それでも誰も騒がず、ピクリともしない。

『それでは、帰る前にみんなで鬼ごっこを行います』

 校長先生の言葉に、大翔は息を呑んだ。

 エージェントは、身構える。

ルールの説明はオレ様の方からさせてもらうぜ! キャキャキャ!

 いきなり笑い声が響いたかと思うと、舞台裏からぴょこんと何かが飛び出してきた。

 ふわふわしたウサギのような体。

 背中にちょこんと生えた、コウモリのような翼。

 頭から生えた二本のツノ、やたら短い足。

 

(……ツノウサギだ!)

 見知った“鬼”だった。

 運動会でもショッピングモールでも遊園地でも、どこにでも出てくる。

 彼のいるところ、必ず別の鬼が現れるのだ。

 牛頭鬼、馬頭鬼、妖鬼妃、ピエロ鬼……獰猛で強力な鬼達が、人間を襲ってくる。

 出入り口の扉、体育倉庫の入り口、二階の細通路。

 油断なく、視線を走らせる。

 

「気を付けろ、敵は内部にいる!」

「え……何なの?」

 阿藍が織美亜に知らせ、織美亜が慌てると……。

 

『チッ、見つかったカ』

 ずっと反応一つしなかった子供が、ようやく回れ右をして振り向き、舌打ちする。

 ツノウサギは、エヘンと胸を張り、短い足を懸命に動かして、トコトコと壇上を歩いていた。

「……魔女狩りが、本物の魔女を対象にできたら、よかったのにね」

 そう言って、麻麻は軽く電気ショックを放ち、子供を気絶させた。

 

それじゃあ、このオレ様が鬼ごっこのルールを説明してやるぜ!

 耳の穴かっぽじって、よーく聞くんだぜえ?

 ツノウサギが台によじ登り、得意そうに翼を広げてマイクを抱え込む。

 その時だ。

 舞台の袖から、つかつかと人影が出てきたのは。

 

「皆さん、ご苦労様」

 杉下先生だった。

 エージェントは、思わずびくっと体を震わせた。

 いつも通りのニコニコ笑顔。

 遊園地でやり合った時のままの、サマーセーターにチノパン姿。

 身体に、かすかに赤い痕が残っている。

(やっぱり、先に学校に戻っていたんだ!)

(今度こそ、殺す!)

(みんなに、知らせなくちゃ!)

 油断なく壇上の先生を睨みつけると、大翔と悠は目一杯息を吸い込んだ。

 

―みんな、聞いてくれ! 杉下先生は鬼だ! 俺達を喰おうとしてるんだ!

―証拠があるよ! 僕のスマホで撮った写真を見て! ほら、先生の額に、黒いツノが……。

 

 二人は叫ぼうとした。

 その声は、沸き上がった歓声にかき消されていた。

 

―ウオオオオオオオオオオォオオオオオオオオオ!

―杉下先生! 先生エエエエエエエエエェェエエエエエエェ!

 

 杉下先生を称える熱狂が、体育館中に響き渡っていった。

 皆、吠えるように叫んでいる。

 身を乗り出し、拳を突き上げる。

 杉下先生、杉下先生とコールが響く。

 まるでカリスマ的な人気を誇る、アイドルのコンサートのようだ。

 先生達は平伏していた。

 杉下先生に向けて、頭を床に押しつけ、土下座している。

 大翔と悠は唖然として、周囲を見つめていた。

 麻麻は落胆している。

「み、みんな……? ど、どうしちゃったのさ……」

 悠の口元が引きつっている。

ええっと……はい、注目。ちゅうもーく!

 ツノウサギがコホンと咳をして言った。

このオレ様が! 鬼ごっこのルールを! 説明するぜ! よーく聞けよ!!

 誰も聞いていない。

 

「……今日は先生、皆さんに謝らなくちゃいけない事があります」

 杉下先生が口を開いた。

 それで皆、ピタリと騒ぐのを止めた。

 ざざっと流れるような動作で床に片膝をつき、腕に手をやって頭を垂れる。

 立ちつくしているのは、大翔達だけだ。

「先生、今までみんなに嘘をついていました。ごめんなさい。子供達の事が大好きな、杉下先生。

 いつもニコニコ、みんな大好き。みんなの杉下先生。

 ……そんなふりをしてきましたが、先生、実は人間じゃありません。鬼です。

 黒鬼っていいます。今まで人間のふりをしていて、すみませんでした」

 子供達がざわついた。

 鬼ダッテ、マジカー、と声が聞こえる。

「ねーねー。誰か、オレ様の話、聞きたくなーい?」

 ツノウサギが寂しそうにしている。

「でも、先生がみんなの事、大好きだっていうのは本当です。先生、みんなの事が好きです。

 頭からボリボリと喰ってしまいたいくらい好きです。とても美味しそうだと思ってます。

 こんな先生でも、みんな、嫌いにならないでいてくれるかな?」

「……もっちろン!」

 子供達が声を張り上げた。

 狼王は、歯を食いしばっている。

 だが同時に、自分達も彼と同じ事をしているのだと感じた。

 人間を食料としか思っていない鬼、鬼を討伐対象としか思っていない自分。

 善と悪とはいえ、やっている事は同じだ……。

「ありがとう。先生、やっぱりみんなの事が……子供達の事が、大好きです」

 杉下先生はニッコリ笑った。

「でも、でもね。実はね。先生ね。有り得ない力を使われて、傷つきました。

 殺されそうになりました」

 それは、エージェントとの戦いだ。

 杉下先生はエージェントを危険視しているようだ。

「……だから……子供達を操っちゃった」

「……」

 彼に人を操る力があるのは知っていたが、こんなにも強いとは。

 狼王は司令官の言葉を思い出した。

「決着をつけよう。鬼ごっこでね」

 杉下先生はニコニコ笑顔でエージェント達を見下ろした。

「ルール1:子供は、鬼から逃げなければならない。

 ルール2:鬼は、子供を捕まえなければならない。

 ルール3:能力者は、鬼と戦わなければならない。

 ルール4:決められた範囲を越えて、逃げてはならない。

 ルール5:時間制限はない。子供が勝つか鬼が勝つまで、ゲームは終わらない」

 鬼ごっこのルールを読み上げていく。

 一つ一つ、心底楽しそうに。

 ツノウサギが、しょんぼりとマイクを口に入れて、バリボリと噛み砕いた。

「チカラありは四人、子供は七人。

 大場くん、桜井くん、宮原さん、金谷くん、金谷さん、関本くん、伊藤くん。

 ……あ、既に二人ほど、捕まえちゃってたね。油断してるとこうなっちゃうよね」

「捕まるの、オレ達かよおっ!」

「トランプとかしてる場合じゃなかったああ!」

 和也と孝司が、先生達に羽交い締めにされて、壇上に引きずり出されてきた。

「鬼はキミらの同級生全員。つまり、鬼120匹VS子五人&チカラあり四人。

 賑やかで楽しい鬼ごっこになりそうですね? ふふっ」

 ずらりと並んだクラスメイト達の光のない目を見据え、大翔はぶるぶると首を振った。

 織美亜と麻麻は、ごくりと唾を飲む。

「ルール6:子供と能力者は、黒鬼をやっつければ勝ち。

 ルール7:黒鬼は、子供を全員喰い尽くし、能力者を倒せば勝ち。

 鬼に捕まった子供は……どうなるかな?

 さあ、始め。僕は校長室で待ってるよ。是非来てね。……ここから逃れられたら、だけど」

 杉下先生はニコニコと手を振ると、舞台袖へ引っ込んでいった。

 

「……チ」

 狼王はまた、舌打ちする。

 大人数を相手にするのは、骨が折れるからだ。

「何とかアタシ達で食い止めましょう。大丈夫よ、アタシ達にはチカラがあるんだから」

 織美亜と阿藍は精神を集中する。

 すると、何も見えなくなった。

 すぐそこに迫っていた、生徒達の顔すら。

 明々とついていた電気が、一斉に全て消えたのだ。

 生徒達の間に動揺が走った。

 がやがやと騒ぐ声が、体育館の壁に反響していく。

 その中で……凛とした声が響き渡った。

 

「ちょっと多勢に無勢が過ぎない?」

「葵の声だ!」

 大翔と悠は暗闇の中、顔を見合わせ頷き合った。

 麻麻は暗視ができれば、と思っていた。

「120VS9なんて、バランス崩壊よ。こっちも仲間を呼ばせてもらうわ。

 さあ、みんな、やっちゃって!」

―ガッシャアアアアアアアアアアアン!

 どこかでガラスの割れる音が響き渡った。

 生徒達が悲鳴を上げた。

「ドコダ!」

「ダレガヤッタ!」

 叫び声が上がる。

「目には目を、数には数を。こっちの仲間はもっと多いわよ」

 葵が声を張り上げた。

「武器もいっぱいあるわ。痛い目に遭いたくなかったら、散ってなさい!」

―ズガアアアンッ! ガアンッ!

 何か金属の叩きつけられる音が次々と響いた。

 体育館はパニックに包まれた。

 生徒達が叫び、バタバタと走り回る足音が響く。

 麻麻は軽い電気ショックで、生徒達を気絶させる。

「……今のうちだ。いくぜ」

 大翔はじっと目を凝らした。

 目が馴れてくると、パニックの中、囲んでいた生徒達の輪が乱れているのが分かる。

 乱れた輪の隙間に突っ込んだ。

『シマッタ! 今ノ大場と能力者ダ! オイ、逃ゲラレタ!』

『ドッチイッタ?』

『誰カ、電気ツケロ!』

 声が反響する。

 誰かが走っていく足音が響く。

 大翔達は体育館を端まで駆け抜けた。

「……みんな、無事?」

 端まで辿り着くと、上から声が降ってきた。

 二階の柵の向こうだ。

 宮原葵がカーテンから顔だけ出して、六人を見下ろしていた。

「……アオイ、仲間って誰?」

「あれは嘘よ。あたしだけ。暗闇は敵を大きく見せるものなり、ってね」

「なんだ、ハッタリだったのか……」

 何度も壁に叩きつけてへこんだ消火器を手に、葵はぺろりと舌を出した。

 脇の窓は粉々に割れ、ひゅうひゅうと風が吹き込んでいる。

 超能力を使えない葵は、ハッタリこそが攻撃手段なのだ。

「……ちょっと色々壊しちゃったけど、保険効くかしら? これ。

 電気を消してくれたのが誰か分からないけど、それ以外に仲間なんていないわ。

 ……明かりがついたらすぐにバレると思う。あっちから逃げましょ」

 葵は体育倉庫の方を指差した。

 二階通路を走っていく。

 大翔達も急いだ。

 ようやく電気がついた時には、体育倉庫へ飛び込んでいた。

「こっち!」

 葵は、壁際に寄せた跳び箱を登っていた。

 天井の近くに窓がついている。

 ラッチを回して横へ滑らせた。

 窓枠へ足をかけ、飛び降りる。

「悠も行け!」

 悠が跳び箱の隙間につま先を引っかけ、よじ登っていく。

 気絶から目覚めた生徒達の足音が近づいてくる。

 大翔は手当たり次第にボールの入ったラックを動かし、体育倉庫の入り口を塞いだ。

 掃除用のホウキを拾い上げて構える。

『イタゾ!』

 入り口から追っ手が顔を覗かせた。

 ラックを脇に避けながら一列になって進んでくる。

 その先頭へ、大翔はブンとホウキを横薙ぎに振るった。

 近づいてこようとしていた生徒が下がる。

 それでもまたじりじりと距離を詰めてくる。

 阿藍は前に立ち、先頭の生徒を投げ飛ばす。

 悠、織美亜、麻麻が窓から飛び降りると、大翔はホウキを放り出した。

 助走をつけて走ると踏切板を沈み込ませて跳んだ。

 跳び箱8段、狼王や阿藍と共に一息に飛び越える。

 後ろ足で跳び箱を力いっぱい押し出しながら、窓の外へと飛び出した。

 背中で跳び箱がガラガラと音を立てて崩れる。

 生徒達の悲鳴が響く。

 大翔、狼王、阿藍は転げるように着地した。

 葵が目配せし、悠が頷いた。

 七人、一斉に走り始めた。

 

(待っていろよ、黒鬼……!)

 エージェントは、何があっても、黒鬼を殺すつもりのようだ。




次回は金谷姉弟のターンです。
鬼と人間が和解するifがあればいいのにね、と思いました。
一応、そのパートも投稿する予定ですが。


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54 対決! 水鬼

金谷姉弟のターンです。
姉より強い弟はいない、と言っておきましょう。


 先生達が体育館を出ていくと、金谷章吾と姉・有栖は、隠れていた緞帳の陰から外へ出た。

 気配を殺し、超能力を使いながら、後を追う。

 外に出ると、さっきまでの静かな空気は跡形もなかった。

 校庭に散った生徒達の足音が、夜の桜ヶ島小に響き渡っている。

『黒鬼様ニ逆ラウ子供ニ罰ヲ!

 大場大翔、桜井悠、宮原葵、金谷章吾、金谷有栖……コイツラヲ引キズリダセ!』

 校内のスピーカーから繰り返し響く声が、生徒達を煽り立てている。

「絶対ニ学校カラ外ヘ出スナ!」

「草ノ根分ケテデモ見ツケダセ!」

 走り回る生徒達の声。

 上空から差し込んできた光を、章吾はとっさに身を伏せ、有栖は気配遮断の超能力で逃れた。

 見上げると、校舎の上から幾筋もの懐中電灯の光が、

 サーチライトのように地上を照らし出し、子供がいないか探している。

 校外への脱出ルートは厳重に封鎖されていた。

 敷地をぐるりと囲むフェンスには、一定間隔置きに見張りの生徒が立ち、子供を警戒している。

 校門は閉じられ、南京錠をかけられていた。

 脇には校長先生が立って、外部の人間が不信に思わないように対応している。

「はー。超能力が強かったら、みんな吹き飛ばせるのにねー」

「有栖……やめてくれ」

 無能力者の有栖は愚痴を吐いていた。

 子供が勝つか鬼が勝つまで、ゲームは終わらない。

 宣戦布告の通り、術を解かない限り、外への脱出は不可能だ。

「まずは、あいつらをなんとか助けねえと……」

 連れ立って歩いていく先生達。

 取り囲まれるように連れられていく、和也と孝司。

 見つからないように注意深く後を尾けながら、章吾は深く溜息を吐いた。

「……やっぱり、トランプやってる場合じゃなかったじゃねぇか……」

「……そうね……」

 

 章吾が異変に気づいたのは、バスが学校に帰り着き、エンジンを止めた時だった。

 トランプを置いてふと車内を見回した時には、もう遅かった。

 光のない目をした生徒達が、一斉に襲い掛かってきた。

 章吾は姉の超能力の助けもあり、窓から外へ転がり出て逃れた。

 和也と孝司は間に合わなかった。

 集合していく生徒達の後を尾け、体育館に忍び込み、様子を伺っていたのだ。

 後から入ってきた大翔達が追い詰められるのを見て、とっさに電気を消したというわけだった。

 宮原葵と、琉球エージェントまで体育館に潜んでいたとは、気づいていなかったが。

 

(あの子達なら、無事に逃げたでしょうね)

 先生達の後を尾けながら有栖は彼らを信じていた。

(さて、どうしようかしら……能力、使ってみる?)

 取り囲まれて歩く、和也と孝司。

 二人は囚人のように、後ろ手に縄跳びで縛られている。

 腕を俯かせ、表情は見えない。

 先生達のガードが引っかかる。

 四方から和也達を囲み、周囲の気配を伺っている。

(これは、やっぱり……)

 

『マモナク、処刑ヲ開始シマス』

 先生達が声を張り上げた。

 辺りへ向かって、大声で呼びかける。

『捕マッタ子供達、関本和也、伊藤孝司ノ処刑ヲ、盛大ニ行イタイト思イマス。

 興味ノアル方ハ、プールサイドマデ、オ集マリクダサイ』

 のろのろとプールの方へ歩いていく。

 校庭の生徒達は気にした様子もなく、見張りと探索を続けている。

(……まあ、完全に罠よねえ……。

 生徒達に聞かせるふりをして、隠れてる私達に聞かせたいのがバレバレよ)

(バーカ。そんな見え見えの罠に、引っかかるかっつーの)

 黒鬼のトラップには遊園地で散々手こずらされた。

 そう何度も引っかかってたまるか、と双子は思っていた。

 

 章吾と有栖はプールの裏へ回り込んだ。

 暗がりの林を駆け抜けると、プールを囲むフェンスに足をかけて登った。

 こっちは死角になっていて、見つかりにくいのだ。

 双子は中を見下ろす。

 プールサイドでは、子供達がずらりと気をつけをして並んでいた。

 人数は20以上で、同じクラスの顔もちらほらある。

 見ながら双子は分析した。

 やりあって勝ち目があるかどうか。

(……流石に、厳しいかもな……)

(せめて、超能力が強ければいいけどねえ……)

 双子は唸った。

 人数が多すぎて、この数を相手に一般人と無能力者は流石に厳しい。

 更衣室を抜けて先生達がプールサイドに出てきた。

 後ろに連れられた和也と孝司は、相変わらず項垂れている。

 ぐったりとした様子で顔を伏せ、されるがままだ。

(何だか、あいつららしくねぇな……)

 ついさっきまで……体育館に引っ立てられてきた時までは、

 いつも通り、ぎゃあぎゃあと五月蠅く暴れ回っていたのに。

 有栖は何か、引っかかるものを感じた。

 

『ソレデハ処刑ヲ開始シマス』

 先生が言った。

『関本ト伊藤ニハ、コノ地獄プールニ飛ビ込ンデモラウ』

 別の先生が言った。

『プールニハ、今、水鬼様ニ来テイタダイテイル』

『トテモキレイデ美シイ姿デ、“天使”トカ、“妖精”トカ、言ワレテイルソウヨ』

『鬼ナノニ』

『ミンナ、呼ンデミマショウ。水鬼様!』

 先生達が、プールに向かって呼びかける。

 何も答えない。

 章吾は目を凝らしたが、プールの中に何かいるようには見えない。

 有栖の顔は、何故か青くなっていた。

「……有栖?」

「……いる……。何かを食べるのが、いる……」

 いつも強気な有栖が、ぶるぶると震えている。

 明らかに様子がおかしい有栖に章吾は首を傾げた。

 

『オカシイナ……。マアイイ。関本、伊藤、ソコへ並ベ』

『10数エタラ、プールニ飛ビコメ』

『セイゼイ、ガンバッテ泳ゲ。数分クライナラ、長生キデキルダロウ。ケケッ』

 先生達が和也と孝司を引っ立てる。

 二人はされるがまま、スタート台に登らされる。

 後ろ手に縛られたまま落とされたりしたら、いくら小学校のプールとはいえ、

 溺れてしまう……特に孝司はカナヅチなのだ。

『10、9、8、7……』

「……はあ……」

 有栖は溜息をついた。

 罠なのは分かっていても、敵の数も多すぎる。

 冷静に考えて、飛び出すべきではなかった。

 念力を使えば、引き寄せはできるが、有栖の超能力では1mくらいが関の山だ。

 

「やるしかないわよ」

「……もうぜってぇ、お前らとトランプなんかしねぇからな……!」

 それでも、有栖に促されて、章吾は動いた。

 一息にフェンスを乗り越えると、プールサイドへ飛び降りた。

 高さをものともせずに着地しそのまま床を蹴った。

 有栖は念力を使い、着地の衝撃をある程度抑えた。

 先手必勝、先生達が振り返りその懐に飛び込んだ。

 機を掴み、ぐるっとプールへ投げ飛ばす。

 有栖も念力で先生を気絶させた。

 先生は飛沫を立ててプールに落ちた。

 もう一人、さらに一人、水の中へ投げ飛ばす。

「来るなら来なさい、私達が相手よ!」

 近づいてこようとしていた生徒達は、有栖が章吾を盾のように守ると目に見えて怯んだ。

 操られていても、元の性格や記憶が少しは残っているらしい。

 金谷姉弟に挑戦しようだなんて、身の程知らずはそうはいない。

 生徒達が怯んだ隙に、二人は和也と孝司に駆け寄った。

「おい、逃げるぞっ……」

「待って!」

 二人の肩に手をかけようとすると、有栖が止める。

 彼女の予測通りだった。

『……ドコヘ』

『逃ゲルッテイウノ?』

 顔を上げた和也と孝司の目を見た瞬間、章吾は自分で自分を殴りたくなった。

「……やっぱり」

 きっと、章吾が体育館の電気を消した時だ。

 黒鬼は暗闇の中で既に、和也達に術をかけていたのだ。

 二人の手を縛っていた縄跳びが外れた。

 章吾と有栖を捕らえようと腕を伸ばしてくる。

 周りには、ずらりと他の生徒達。

「やめて!」

 章吾はとっさにプールサイドを蹴り、有栖は念力を使い、宙に浮く。

 大きく息を吸い込みながら、真っ暗な水の中へ頭から飛び込んだ。

―バッシャアアアアンッ

 章吾の全身が冷たい水に包まれた。

 耳の中に水が入り込み、プールサイドのざわめきが遠くなる。

 目を開くと、薄暗い世界が広がっていた。

 すぐさま、章吾は向こうのサイドへ向けて泳ぎ始め、有栖は浮遊し続けた。

 だが、なかなか向こうに辿り着かない。

 いつもなら、25mくらい十数秒で泳げるのに。

 章吾は辺りを見回した。

―ぷくうううう

 まるきり風船のような。

 拳大、ボール大、さらにみるみる膨れ上がって、章吾と有栖よりずっと大きくなる。

(『妖精』とか『天使』とか呼ばれるクリオネですが、エサを食べる時は怖いんですよ~)

 楽しそうに喋るテレビのナレーターの解説が、頭に蘇った。

(獲物を見つけると、まず頭がパカッと割れるんです。怖いでしょ~。

 頭の中に触手があって、それを突き出して獲物を捕まえる。

 死ぬまでじわじわ養分を吸い取る。触手の名は……バッカルコーン)

―パカッ

 巨大クリオネ……水鬼の頭部が、薬玉のようにパカリと割れた。

 中から6本、触手が伸びた。

 鋭い槍にしか見えなかった。

 ドリルのように全身をグルグルと回す。

 バッカルコーンを突き出しながら、水鬼が水中を飛びかかってくる。

(名前の響きがいいでしょ。バッカルコーン!)

(うるせえ!)

 章吾は強く水を蹴った。

 間一髪、水鬼の突撃をかわした。

 慌てて動いた拍子に、酸素を失う。

 水鬼は水中を突き進んでいく。

 急な方向転換はできないらしい。

 大きく弧を描いて、Uターン。

 

(ごめん、章吾、私は助けられないわ。無能力者だから……)

 せめて超能力が強ければいいのに、と有栖は思っていた。

 

 章吾は【EXIT】の方へ、一直線に泳いだ。

 二度、水鬼の突撃をかわし、そのたび息が苦しくなる。

 何とか端まで辿り着いた。

 プールの壁面で、緑色の非常灯が明かりを灯している。

 だが、肝心の出口が見当たらない。

(どこだ……? 出口……!)

 章吾は焦って、まわりの壁を探した。

 EXIT、どこかに出口があるはずだが、見つからない。

 ふと、【EXIT】のランプの脇に、小さく文字が書かれているのを見つけた。

『EXIT 意味1:出口、出ていく事』

 隣に書いてあった。

『意味2:死ぬ事☆』

 

 がぼっ……。

 ついに息がもたなくなり、章吾は水を飲み込んだ。

 大量に水を飲み込みながら意識が遠くなってくる。

 体から力が抜けていく。

 水鬼が突進してくるのが見える。

 

(まぁ……仕方ねえか……)

 章吾はそれを、受け入れようとした、その時。

 

章吾!!

有栖!?

 どぼん、と飛び込んだのは、有栖だった。

 弟の無様な姿を見て耐えられなくなった有栖は、自分の命を省みず、弟を助けに来たのだ。

 何故自分を助けたのか分からず、章吾は困惑した。

「章吾、私が来たのが意外って思ってるでしょ?」

「……」

「あの人達は超能力は強いけど、私に力は全然ない。

 けれど、章吾を助けたいという思いはあるの。力で戦えなくても、心で戦うの。

 私は……絶対に、章吾を守るんだから!

 有栖は章吾を抱えながら必死にプールを走り出す。

 水鬼は速いが、有栖の超能力により、少しだけだが有利になっている。

 身体は水に沈み続けるが、有栖の精神力が必死に耐えていた。

「もうひと踏ん張りよ、章吾。せいやあっ!」

 有栖は大きくジャンプして、プールを思い切り飛び越え、非常灯の前に着いた。

 そして、章吾の肺に溜まった水を念力で取り出し、服が乾くまで超能力で守り続ける。

「……大丈夫だった?」

「有栖……」

「……章吾、あなたは本当に馬鹿だわ。こんなになるまで無茶するなんて。

 こうしないといけないくらい、迷惑をかけて。……あの人達が来れば、いいんだけど」

 章吾を乾かしている間際、有栖の中で、鬼に対する怒りがふつふつと湧き出ていた。

 弟をこんな目に遭わせるなんて、誰であっても許せないのだから。




私は大切な男の子のために戦う強い女の子に萌えます。
日本でウケないのはどうしてでしょうか?
やはり男女平等と言えど実際は男尊女卑だからでしょうかね?
次回は杉下先生が登場します。


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55 黒鬼・杉下先生

現代の鬼は絡め手重視。
それはまさにある現代のカードゲームのように。


 校舎の中は静まり返って、物音一つしなかった。

 校舎一級西棟。

 校長室は、長く伸びた廊下の奥にある。

「何とかここまで来たけど……さて、どうするつもり?」

 葵が木の枝を両手に構えたまま言う。

 校舎に潜入する時、迷彩に、と使ったのだが、よくこれで通り抜けられたなと思う。

「当然、黒鬼をやっつける」

 大翔はバットを握り締め、廊下の向こうを睨みつけた。

「でも、相手は鬼だよ。まあ、牛頭鬼や馬頭鬼ほど、強そうではなかったけどさ。

 どうやってやっつける?」

 モップを構えて、悠が言う。

「超能力で」

「君はよくそれを平気で言えるね」

 エージェントは超能力を使う事ができ、それで鬼を撃退してきた。

 今回も、エージェントに任せれば大丈夫だが……。

 

 大翔と阿藍は廊下を進んでいった。

 廊下の左右には、1年1組、2組、3組、4組の各教室。

 資料室に職員室、教職員用トイレが並んでいる。

 通り過ぎる部屋の気配を一つ一つ確認していった。

 生徒はおらず、みんな、庭に出ているようだ。

 

「よし、着いたぞ」

 二人は校長室の前に辿り着いた。

 向こうで心配そうに見守っていると葵に、頷きかける。

 『校長室』とプレートがかかった分厚いドアに、耳を当てたが、音は聞こえない。

 ノブに手をかけたが、カギはかかっていなかった。

 ゆっくりと開けて、中を覗き込んだ。

 

(……え?)

 大翔は一瞬、混乱した。

 校長室の中に、広大な大地が広がっていたからだ。

 地平線の果てまでどこまでも広がる、荒れた灰色の大地。

 血のように真っ赤に染まった空、黒く渦を巻いた雲、唸りを上げる風。

 ……どう考えても、校長室の中ではあり得ない。

 入っちゃ駄目だ、と直感的に分かった。

 人間の入る世界ではない。

 それでも大翔はノブを掴んだまま、慎重にドアをもう少しだけ開けた。

 向こうに、無数の墓石が立ち並んでいた。

 その墓場の真ん中に、大きなテーブルが置かれていた。

 真っ赤なテーブルクロスがかけられている。

 テーブルには、無数の骸骨達が席に着いていた。

 首から白いナプキンをかけ、ナイフとフォークを骨の手で持ち、カチャカチャさせている。

 冗談のような光景だ。

 その中央に、杉下先生……黒鬼は腰かけていた。

 異形の姿だった。

 顔の皮膚は漆黒で、ヘビのような赤い模様が入っている。

 太い腕、左手の先には、鋭い鉤爪。

 完全に化け物の姿だ。

 大翔と阿藍は唾を飲み込んだ。

 

(悪魔……か?)

 黒鬼の前には、ナイフとフォーク、それにたくさんの皿が並べられていた。

 骸骨が一匹、配膳台を引いてくる。

 黒鬼に向かって一礼すると、グラスになみなみと赤ワインを注いだ。

 黒鬼はワインを口に含んで笑っている。

 骸骨達もグラスを口に当て、傾ける。

 骨だらけの空っぽの体を、ワインがびちゃびちゃと素通りして落ちていく。

 荒れ果てた大地で繰り広げられる晩餐会。

 息を止めて見つめる大翔の手元で……ドアノブがぐにゃっとゼリーのように溶けた。

(え……?)

(まずい!)

 見ると、ノブが手のような形に変形し、大翔の手をがっちりと掴んでいる。

 阿藍は素早く手を引っ張って大翔を解放し、代わりに阿藍の体が灰の大地に放り出された。

 ドアが閉まり、ノブも元の形に戻る。

 阿藍はノブに手をかけようとしたが、ノブがまた変形し、無数の針を生やした。

「どうしたの!」

「開けて!」

 ドアの向こうから、織美亜と麻麻の声が響いた。

 ドンドンとドアを叩いて揺する音。

 見上げると、ドアのプレートに書かれた文字が変わっていた。

 『地獄』……阿藍は唾を呑んだ。

 

「どうやら、イレギュラーが来たみたいだね」

 黒鬼の声に、阿藍は振り返った。

 皿の上にハンバーグが配属されていた。

 ジュウジュウと音を立て、油を跳ねさせている。

 黒鬼は丁寧にハンバーグを切り分けて口へ運んだ。

 満足そうにナプキンで口元を拭う。

「人間では持てないはずの力を持つ人間」

「させない!」

 阿藍は精神を集中し、周りに光を放った。

 鬼達が眩しさに怯み、黒鬼にもクリーンヒットし、鋭いドアもすぐに元に戻る。

 神聖……ではないが、光は鬼に有効だった。

 阿藍は大急ぎでドアを開け、脱出する。

 

「大丈夫だったか?」

「ああ……奴を倒すのは、まだ早いみたいだ」

 いくら超能力者とはいえ、エージェント一人では、黒鬼を倒せない。

 万全の体勢を整えなければ、黒鬼とは戦えない。

 すると……。

 

どっっせええええええっい!

 金谷章吾を抱えた金谷有栖が、黒鬼に向かって突進してきた。

 水鬼がヤリのような触手を突き出しながら、一直線に、黒鬼に向かってくる。

 黒鬼は拳を固め、水鬼を薙ぎ払う。

 水鬼の巨体が宙を舞い、大地に墜落する。

 その寸前に、有栖は水鬼から飛び降りていた。

 有栖はげほげほと激しく咳き込みながら立ち上がり、辺りを見回した。

「凄いじゃない、鬼を簡単にやっつけられるなんて」

「あの人達は超能力者だしね」

 どこまでも続く灰色の大地が、ぼんやりと歪んだ。

 まるで雨に溶け落ちる絵の具のように消えていく。

 後に残ったのは、ただの校長室だった。

 骸骨もなく、水鬼もいない。

 光のない目をした生徒達が、壁際に並んで立っているだけだ。

「『子供は、黒鬼をやっつければ勝ち』。あんなルール、嘘に決まってるじゃない。

 子供は鬼を倒せないんだから」

「……あくまで、子供は、だろ?」

 狼王は鋭い目で、黒鬼を睨みつけた。

 

「オレ達は子供じゃない。黒鬼は、必ず倒す」




次回は「あいつ」が久しぶりに登場します。


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56 2匹の鬼

たくさんの鬼と、2匹の鬼。
彼らを相手に、子供はどう立ち向かうのでしょうか。


 三階東棟、図書室。

 大翔達は転がるように部屋に飛び込むと、ドアを叩き閉めてカギをかけた。

 ずらりと本棚の並んだ部屋の床に倒れ込み、ぜえぜえと息を整える。

 

「ぐっ……」

―ガタン……

 ドアが揺れた。

 しつこく追いかけてきていた生徒が、ノブにとりついて揺すっているのだ。

―ガタン!

「ど、どうしよう……! 開けられちゃうよっ!」

「本棚をっ! 早くっ!」

「オレに任せろ!」

 狼王は本棚に飛びついた。

 分厚い事典や郷土資料がぎゅうぎゅうに詰め込まれた、とびきり重いものだ。

 狼王は怪力を生かし、一人でずりずりと引きずっていく。

 ぴたりと寄せて、ドアを塞いだ。

 

―ガタン……

 

 揺れは治まり、それきり、静かになった。

 九人は黙り込んだ。

「ねえ、一体、どうすればいいの……?」

 悠が振り返った。

 涙目になって、上着の裾を握り締めている。

 葵は口を引き結び、首を振った。

 章吾と有栖も厳しい顔をして黙り込んだままだ。

 一方、超能力を持つエージェントは余裕綽々だ。

「何とか、外へ逃げられないの……?」

「……無理だな。こっちが中にいると分かって、奴ら、警備を狭めてきてやがる」

「テレポート、やっぱり使えないわ」

 章吾は窓の向こうを指差した。

 さっきまでしんとしていた校舎は、ざわめきに包まれていた。

 校庭に出ていた生徒達が、続々と校舎内へ入ってきているのだ。

 校舎から出るには、一階の昇降口か中庭を突破しなければならない。

 両方ともたくさんの生徒達が見張りに立っており、とても逃げられない。

「生徒を殴る訳にはいかないしね。

 とすると、黒鬼を倒して、みんなを正気に戻さない限り、脱出は無理よ」

「でも……そんなの、無理じゃないか……。あんな化け物、どうやってやっつけるの……?」

「だからアタシ達がいるじゃないの」

「そっか、お前らは不思議な力を持ってるんだな」

 エージェントなら超能力が使えるから、黒鬼だって簡単に倒せる。

 大翔はそんな考えを抱いていた。

 

「キャキャッ、超能力は万能じゃないぜ」

 声が聞こえて、九人は振り返った。

「超能力者なら簡単に倒せるなんて、ちと発想が短絡的だぞ」

 図書室の奥、子供達が読書に使うための、小さな丸テーブルの上。

 ツノウサギがちょこんと、座り込んでいた。

 脇には、たくさんの本が積まれている。

 絵本、図鑑、教科書、小説……その一冊を膝(?)の上に乗せ、

 ツノウサギは気のなさそうに、ぱらぱらとページをめくっていた。

「前にもオレ様、言っただろ。鬼退治なんてムーリムリ、って。

 超能力を使えても、人間は鬼から逃げるだけ。鬼を倒す事なんてできねーんだよ」

 『うさぎとかめ』に目を通しながら、ツノウサギは馬鹿にしたように笑う。

「それが鬼ごっこのルールってもんだ。ルールは絶対なの」

「……お前、何してるんだよ?」

 大翔は丸テーブルに手をつき、問いかけた。

 ツノウサギはぺらぺらとページをめくりながら答えた。

「待ってんだよ。お前らが捕まんのを。

 後で分け前もらえるって、あのヤローと約束してるからな」

「誰?」

「さあな」

「あ、そういえば遊園地で……」

 悠がツノウサギを指差す。

 そーいう事、とツノウサギは頷いた。

「誰がオレ様に喰われたい? 九人いるから、一人は除外、四人はオレ様の分。

 おまえら? それとも、おまえら?

 おいしーく喰ってやるから、楽しみにしてろよう? キャキャッ」

「……ちなみに、今、喰わなくていいのか?」

「だってどうせ逃げるか、超能力を使うじゃん……」

 ツノウサギはぱらぱらとページをめくると、くそ、カメ如きが……と吐き捨てて、

 「うさぎとかめ」を投げ捨てた。

 それを見ながら、大翔は考え込んだ。

 大翔達が捕まるのを待ちながら、暇潰しに読書する鬼……ピンと来た。

 

「なあ。ちょっと教えてくれよ」

 大翔は椅子を引き出し、ツノウサギの前に座り込んだ。

 ツノウサギは積んだ本の中から、『かちかちやま』を手に取った。

 あん? と気もなく大翔を見た。

 「餅は餅屋」という言葉がある。

 何事もその道の専門家を頼れという意味の言葉だ。

「お前、黒鬼の弱点、知らないか?」

 大翔は正面から問いかけた。

 ツノウサギはぱちぱちと不思議そうに瞬きし、それから、パアッと顔を輝かせた。

 得意そうにふんぞり返る。

「……ふふ。やっぱ知りたいよな~?」

「ああ、知りたい」

「だよな~。おまえら、このままじゃあいつに喰われちまうもんな~。

 ゼツボウ的状況だもんな~。知りたいよな~?」

「……ああ」

「オレ様が教えてやらねーと、困っちゃうよな~。辛いよな~? 泣いちゃうよな~?」

「……ああ」

 向こうで葵達が肩を竦めている。

「そうか、そうか。そんなに知りたいか。なら仕方ねーな! 教えてやるぜ! 

 ……からの、あっかんべえええええええ~!」

 ツノウサギは目を下にぐにゅーっと引っ張ると、

 二股に割れた舌をベエエエと垂らしてあっかんべえをした。

「……」

「……でしょうね」

 大翔とエージェントは動じなかった。

 うん、と一つ頷いて、冷静にツノウサギを見返していった。

「いや、待って。リアクション薄くね?

 せっかく溜めたのに、もうちょっとガーン……ってしてくれないと、

 オレ様、スべったみたいじゃん」

「……みたいじゃなくて、スベったんだと思うわ」

「バレバレだったもんね」

 葵、悠、織美亜がうんうんと頷く。

 

「ケッ、大人と近頃のガキんちょはつまんねーの」

 ツノウサギは溜息を吐いて、また『かちかちやま』に視線を戻した。

 ページをめくりながら、言う。

「どうして鬼のオレ様が、仲間の弱点を教えると思うんだ? あ?」

「それは、悪魔だって同じだ」

「ふん、悪魔も鬼も同じようなものだろ。オレ様はあいつを仲間だとか、思ってねーけどな。

 ていうか、むしろ嫌いだけどな。信用できねーんだよね。鬼としてキライ。生理的に無理」

「はっ、よく言うわね」

 ツノウサギは好き放題言って、翼を竦めた。

 織美亜が吐き捨てるのも、無理はない。

「ま、でもな。分け前さえきちんと貰えりゃ、いいわけよ。

 おまえらを美味しく喰えさえすれば、あいつが気に食わないやっても、なんでもいい」

 

―ガシャンッ

 

「!」

 突然、ガラスの割れる音が響いた。

 全員、びくっとして振り返った。

 窓ガラスの向こうに数人、生徒達の姿があった。

 隣の教室から、ベランダを渡ってきたのだ。

 窓の向こうからこちらを指差し、声を発して喚いている。

 手には椅子を持っていた。

―バリン

 椅子を叩きつけられ、窓ガラスが割れた。

「くそっ! 入り込んでくるぞ!」

 章吾が叫んだ。

 本棚から分厚い事典を取り出し、振りかぶって投げた。

 狙いは正確だった。

 割れた穴から手を伸ばしていた生徒が、慌てて腕を引っ込める。

「章吾、これを!」

 有栖は掃除用具入れから箒を取り出して投げた。

 章吾はキャッチすると開いた穴から突き出した。

 向こうには槍のように見えたのか、後退する。

ウウゥウウウウ……

トトトトトトトト……

 ベランダの向こうからぞろぞろと、鬼と化した生徒達が歩いてくる。

 どんどん集まってきているようだ。

「窓を塞いで! この人数じゃ相手にできないわ!」

 大翔達は本棚に飛びつき、引きずって窓を塞いでいく。

 割れた窓から手が伸びて体を掴んでくるのを、章吾と有栖が振り払った。

―ガシャンッ

―バリンッ、ガシャンッ

 ガラスの割れる音が連続して響く。

 破片が床に飛び散る。

―ガタンッ、ガタンッ

 窓際に並べた本棚が、地震のように揺れた。

 ばらばらと本が床に零れ落ちる。

 鬼達がとりつき、力任せに破ろうとしているのだ。

「押さえて、破られるわ!」

 大翔達は必死に棚を押さえつけた。

 悠がわあわあ喚きながら、本棚に重い本を詰め込んでいく。

 隙間から伸びてくる手を、必死に振り払う。

アアアアアアアアアアアアアア……ッ

デテオイデエエエ! デテオイデヨオオヨオオオオォォオ……ッ

―ガタガタガタンッ! ドンドンドンドンッ!

 入り口のドアを塞いだ本棚も、激しく揺れ始めた。

 呻くような声が聞こえてくる。

 鬼達の歓声が渦を巻き、図書室を完全に包囲していた。

 部屋全体が激しく揺れる。

 まるで一匹の巨大な鬼が図書室をまるごと両手で掴み、滅茶苦茶に揺らして遊んでいるようだ。

 ドア枠がめきめきと音を立てた。

 大翔と阿藍は飛び込み背中で本棚を押さえつけた。

 零れ落ちた水が、頭の上から降り注ぐ。

 

 ……しばらくして、止まった。

 大翔達は、ぜえぜえと息を吐いた。

 子供達は、喋る気力もない。

 

「……ふふ。よく頑張りましたが、そろそろフィナーレみたいですね」

 黒鬼の声が響き渡った。

 ドアを隔てたすぐ向こうに立って、こちらの様子を伺って笑っているのだ。

「楽しい遊びですよね、鬼ごっこ。

 特に、立てこもった子供達が引きずり出されて、一人一人鬼に腸を喰われるところがいい。

 ふふ、そんな遊びは知らない? 本場の鬼ごっこは、そうなんですよ」

 くつくつと楽しそうに笑っている。

「『黒鬼は、能力者を倒し、子供を全員喰いつくせば勝ち』。さあ、美味しく喰ってあげるよ。

 大人しく出てきなさい……なんていう気はないよ。

 抵抗するのを引きずり出す方が面白いから。全力で抵抗してくださいね」

「……キャキャキャ。相変わらず、性格悪いねェ、こいつは。鬼の鑑だね」

 我関せずで絵本を読んでいたツノウサギが、チロチロと舌を揺らして笑っている。

 すると、ツノウサギは、不思議そうに首を傾げた。

 ぱちぱち目を瞬くと、本を置いてテーブルを飛び降りた。

 トコトコとドアの方へ歩いてくる。

「ねえ、黒鬼ちゃん。オレ様の分け前には、どいつをくれるん?」

 必死に本棚を押さえつける大翔と阿藍に構わず、ドアの向こうに呼びかける。

「……うん?」

「えっと……キミは誰?」

 ツノウサギの呼びかけは、ドアの向こうの黒鬼には予想外だったようだ。

 不思議そうに問いかけた。

「オレだよ、オレ。オレだよ、黒鬼ちゃん」

「これは……詐欺?」

「そんなバカな。オレだって」

「ツノウサギ君か。こんなところで何やってるの?」

「待ってるんだよ。あんたがガキを捕まえんのを。遊園地で、約束したじゃん?

 ごちそうしてくれるって、言ったじゃん?」

 黒鬼は、白々しい声で答えた。

「……言ったぁ?」

「言った」

「……誰がぁ?」

「あんたが」

「……記憶にございませんねえ……」

「政治家の答弁みたいな事、言うなよ! 約束したじゃねーか!」

「はっはっは、ツノウサギさん、地獄に約束って文化、馴染まないと思わない?」

 ドア越しに、二匹の鬼は言い争いを始めた。

 

「こいつらは……」

「さーて、最後は燻り出しといきますかぁ」

 ドアの隙間から、うっすらと白い靄が部屋の中へ漂ってきた。

 ベランダの窓からも。

「煙だわ! みんな、吸わないようにして!」

 大翔達は口を押さえて身を伏せた。

 図書室の中が、ゆっくりと白く濁っていく。

(風の能力さえあれば、吹き飛ばせるのに!)

「我慢できなくなったら、出ておいで、みんな仲良く、食べてあげるからねえ」

「ねーえ! オレ様の分け前は? オレ様もお腹、ぺっこぺこ!

 納豆ご飯しか、ってねえんだってばぁ!」

 ツノウサギがドアに向かって喚く。

 黒鬼は無視し、ふんふんふーんと鼻歌が聞こえてくるだけだ。

 

「ねえ、ツノウサギ……」

 織美亜は顔を上げ、声を絞り出した。

 ずーんと落ち込んでいるツノウサギに、ニヤリと笑いかける。

「……ね? 彼の弱点、教えてくれる……?」

「お、お前なぁ……」

 ツノウサギは呆れたように織美亜を見やった。

「教えてくれるわね?」

「待て。オレ様、嘘つくかもしんねーぞ? ていうか鬼って基本、嘘つくぞ?」

「嘘をつく、と正直に言ってる時点で矛盾してるわ。悪魔は(アナタ)より、もっと凶悪だけどね」

「……悪魔、か……そうだよな……」

 織美亜の考えは、やはり、西洋的だった。

 それには、ある「理由」があるらしいが……今はまだ、明かす時ではないだろう。




次回は超能力者が活躍します。
だってタイトルは琉球エージェントですから。


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57 超能力者

実はとっくに全部書き終わりました(ぇ
5巻編はこれで終了となります。
児童書でもこれくらい激しいバトルが欲しいですネ。


『黒鬼様!』

『問題ガ発生シマシタ!』

 関本和也と伊藤孝司が階段を駆け登って来た時、

 黒鬼は、上機嫌で大翔達の燻り出しを眺めているところだった。

 姿は人間のものに戻っている。

 皆に好かれる杉下先生のニコニコ笑顔で、出てくるのを待っている。

「なんだよ、騒がしいな。今、いいところなのに」

『申し訳アリマセン!』

『デスガ、至急ノゴ報告ヲト!』

 関本と伊藤は、黒鬼の足元に跪いた。

 どんよりと光のない目。

 最早黒鬼の忠実な下僕だ。

「何?」

『超能力者ガ暴レテオリマス!』

『校長ガ抑エテイマスガ、騒ギガ収マリマセン!』

「……なんだ、超能力者か。……超能力者?」

 黒鬼は眉を顰めた。

 目を閉じ、そっと耳を澄ませた。

 黒鬼の聴覚は人間のものよりも遥かに優れている。

 すぐに校門前の騒ぎをキャッチした。

 

―悪いが、親御さんの代わりでな。

―デモ、帰リノ会ノ最中デスノデ……。誰モ入レルナト、言ワレテマスノデ……。

―問答無用、超能力者に不可能はない。

 

 超能力者が、校長と押し問答をしているようだ。

「……やれやれ。校長の手には負えなそうだね」

 黒鬼は大袈裟に肩を竦めると生徒達に笑いかけた。

「ちょっと鎮めてくる。すぐ戻るよ。燻り出しを続けておいて」

 生徒達は廊下に片膝をつき、イッテラッシャイマセ! と頭を垂れた。

 黒鬼は満足そうに頷いた。

 関本と伊藤を連れて、校門へ向かう。

「彼らは一体、何を怒っているんだい?」

 階段を降りながら、黒鬼は首を傾げた。

「どこから、来たんだろうね。まったく、人間の文化は……」

 人間の、特に子供に関わる文化について、黒鬼は書物を通して学んだ。

 先生になりすますのに必要だったからだが、どうでもいい事ばかりだった。

 中でも黒鬼が理解できないと思うのは、ある本に書いてあった「超能力」という概念だった。

 超能力者は類稀なる力を有し鬼をも上回るという。

 黒鬼には理解不能だった。

(まぁ、どうでもいいけどね)

 黒鬼はニコニコと笑顔を作った。

 人間の文化なんて理解できなくても不都合はない。

 この笑顔と口先さえあれば、どんな人間であっても上手に操る事ができる。

 所詮、全ては黒鬼の掌の上。

 人間が大事にする事は、取るに足らない事だった。

 

「親達に言われてここに来たが……」

 校門の前には、琉球から来た超能力者、結城(ゆうき)(ぼん)が来ていた。

 司令官はテレパシーで、梵に指令を出している。

 校長が虚ろな、だが困り果てたような目つきで、黒鬼を見やっている。

「大変すみません!」

 黒鬼は、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、門の前へと進み出た。

 集まった観衆を前に舞台に登る、アイドルのような気分だった。

 ニコニコと笑う黒鬼を、梵は黙ったままじっと見つめている。

「子供達は今、帰りの会で鬼ごっこの最中です。校外学習後の、学校行事なんですよ~。

 どうか心配せず、お待ちください!」

 黒鬼は、ドン、と自分の胸を叩いた。

 彼には自信があった。

 先生として小学校に入り込んだこの数ヶ月間、

 彼が好感を持たれなかった事なんて一度もなかったからだ。

 子供からも親からも。

 ちょっと甘いマスクに変身してやれば、面白いほど簡単に黒鬼に心酔する……。

 

「……と思っていたのか?」

 梵が、パチンと指を鳴らすと、子供達の目に、光が戻った。

「何!?」

 黒鬼は狼狽えるが、梵の能力を知らないためだ。

 梵の能力「正気」は、精神を正常に戻す力なのだ。

 それは、黒鬼に対しても、例外ではない。

 梵は校長から南京錠の鍵を取ると、鍵を外し、大急ぎで小学校に向かった。

 

「止まった……?」

 鬼達の動きが、止まった。

 煙はまだ充満しているがもうすぐ脱出できそうだ。

 

 子供達は次々に走り始め、階段を駆け降りていく。

 誰かが声を上げ、みんな叫び始めた。

 校舎は子供達の歓声に包まれた。

 昇降口に飛び込んだ黒鬼は、歓声を上げながら駆けてくる子供達を見て、呆然と立ち尽くした。

 全員、術が解けている。

「おい! 待てっ! 何してる! 大場達はどうしたっ!

 持ち場を離れろなんて命令、していないぞ! 戻れっ! 外に出るんじゃないっ!」

 慌てて叫ぶが、子供達は聞く耳を持たない。

 サバンナを移動する獣の群れのように、黒鬼の脇を掠めて走っていく。

 その勢いに黒鬼も手を出せない。

 子供の一人が、ちらっと黒鬼の方を見て、べえっ、と舌を出し、逃げていった。

 その目には、光が灯っていた。

 

(何故だ……?)

 黒鬼は、訳が分からなかった。

 

「……くそおっ! 不愉快だ! 犯人は誰だ!」

 黒鬼は早足で急いだ。

 東棟廊下を駆け抜けると、放送室のドアを叩き開けた。

 狭い放送室の中、ミキサー卓の前にちょこんと座り込んでいたのは、

 ツノウサギと一人の青年だった。

「……何してるんだ、お前は……。しかも、人間を連れて……」

 黒鬼は、ジロリとツノウサギと青年を睨みつけた。

 その目は怒りに血走っている。

「……べっつにい?」

「No.0の緊急だ」

 ツノウサギはひょいと翼をすくめ、青年は答える。

「こいつが、親代わりなんだよ。キャキャキャッ」

「何を言っている?」

 黒鬼は訳が分からないと首を振って、苛立たしげにツノウサギを睨みつけた。

「やれやれ。強い奴って、自分の事は、てんで分かってなかったりするんだよなぁ」

 ツノウサギはくりくりとしたつぶらな瞳で、二股の舌を垂らしてちろちろと笑った。

「覚えとけよう? 『約束は守りましょう』。

 小学生でも分かる事、できない奴は身を滅ぼすぜぇ? キャキャキャッ。では、アデュ~」

 ツノウサギはバッと翼を広げると、開いた窓から外へ飛び去っていく。

 

「仲間割れ」

「クッ……おい、待てっ!」

 黒鬼は窓へ駆け寄った。

 と、背後から足音が黒鬼の耳に飛び込んできた。

 黒鬼は放送室を飛び出した。

 

 大翔達が、階段を駆け降りてきたところだった。

 大場、桜井、宮原、金谷姉弟、琉球エージェント。

 黒鬼を見下ろし、息を呑んでいる。

 九人を見上げ、黒鬼は笑みを浮かべた。

 まだゲームは終わっていない。

 1VS9の鬼ごっこになっただけだ。

 黒鬼の体から、シュウシュウと煙が上がっていく。

「「逃げろっ!」」

 大翔と章吾が同時に叫んだ。

 階段を一気に飛び降りてくると、黒鬼へ飛びかかってきた。

 黒鬼は二人のタックルを食らって、廊下の壁際へ押さえ込まれた。

「これ以上、悪ささせねえぞ……!」

「学校を滅茶苦茶にされると、困るんだよ……っ!」

 二人は歯を食いしばり、黒鬼の手足を押さえつけてくる。

 なかなかの力で、人間の体では、とても対抗できない。

 黒鬼の体から、シュウシュウと煙が上がっていく。

 ニコニコと笑みを浮かべて、二人に笑いかけた。

「……キミ達、いい加減、理解してくれよ……」

(……)

「子供は鬼に勝てないって、何度も言ってるでしょう?

 何度も、何度もっ! 何度も何度もっ!!

「だったら、オレ達がやるしかないようだな!」

 狼王が叫ぶと同時に、その額から、みるみるツノが生えてくる。

 体が漆黒に染まり、膨れ上がっていく。

 全身からどす黒いオーラを放つ。

 鬼の姿に変じた黒鬼は大翔と章吾を睨みつけた。

 強引に二人をもぎ放すと、両手で二人の頭を掴み上げた。

「電撃投射!」

 麻麻の電撃が黒鬼の両手に命中し、その衝撃で二人は地面に落ちようとしたが、

 狼王と阿藍がキャッチし、悠、葵、有栖が二人を守る。

 

「後は、アタシ達がやるわ」

「あなた達は、待っててね」

 琉球エージェントは子供達を後ろに下がらせる。

 そして結界を展開し、黒鬼を引きずり込む。

 黒鬼とまともにやり合えるのは、秘密の超能力者・琉球エージェントだけ。

 だから、早めに仕留めるのだ。

 

「覚悟しろ、黒鬼!」

 阿藍の光を、黒鬼は両手で受け止める。

 鬼は光に弱いらしいが、強力な鬼は素手でも攻撃を防げるらしい。

 そのまま黒鬼は阿藍に反撃しようとするが、阿藍は光の速さで攻撃をかわした。

「くそっ、これがあり得ない力か……!」

「気が動転しているわよ。電撃投射!」

 麻麻は黒鬼の隙を突いて、電撃を放ち痺れさせる。

 直後に、狼王が斧で黒鬼に斬りかかった。

「ぐああぁぁぁっ!」

「これが人間の力だ、思い知ったか黒鬼!」

 強者の最大の弱点は、油断し、慢心する事。

 対し、エージェントは超能力者だが、誰が相手でも決して手を抜かない。

 それが鬼とエージェントを分ける決定的な違いだ。

 

 織美亜と阿藍は黒鬼の攻撃をかわしながら、黒鬼の様子を伺っている。

 相手はかなり焦っており、遊園地の時よりキレが悪かった。

 狼王は黒鬼の首を掴んで、締め上げる。

 彼の怪力によって普通の人なら即死するのだが、黒鬼は鬼なので、死ぬ事はなかった。

「ぐうぅぅぅ……何故、人間が鬼に立ち向かえる!」

「確かに子供は鬼より弱くて逃げるしかない。けれど、オレ達は強いから怖くない」

「強いのは、鬼も同じだろ……」

「違うな。強さというのは、体だけじゃない。心だって強ければそれは強い人の証だ。

 お前は弱い奴相手に手を抜くくらい、心が弱い!」

「ぐあっ!」

 狼王の怪力を生かした拳が黒鬼に見事に命中。

「私がとどめを刺すから、狼王は離れて」

「ああ」

 麻麻は精神を集中し狼王は素早く黒鬼から離れる。

 この一撃で、黒鬼にとどめを刺すようだ。

 

これで、とどめよ!!

 そして、麻麻は両手から電撃を放ち、黒鬼目掛けて勢いよく放った。

 数百万ボルトの電撃を浴びた黒鬼の上げる絶叫が、結界の中に響き渡っていく。

 それは呪いの言葉のようだった。

 この世の恨みつらみを全て集めて、まとめてぶちまけたようだった。

 何度も何度も繰り返される言葉だったが、四人のエージェントは必死に耐え続けた。

 声は小さくなっていき……やがて、尾を引いて消えた。

 

「これで終わりと思うな……」

 

 その言葉を最後に、完全に消えた。

 結界もまた消滅し、気が付いたら、小学校は元通りに戻っていた。

 

「任務完了」

 エージェントはテレポートで去っていく。

 黒鬼が消えた事によって、テレポートが使えるようになったのだ。




次回は6巻編です。
相も変わらずエージェントが無双しますのでご注意ください。


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6章 誰もいない地獄島
58 行先は地獄島


6巻編スタートです。
このお話に登場するエージェントは、中学生編のあるキャラの関係者となります。


「ママ、パパ……」

 そこは、小さな無人島だった。

 寄せては返す波の音が響く、どこまでも広がった砂浜。

 背の部い木々が鬱蒼と生い茂り陽の光を遮る密林。

 人の手の及ばない自然の中で、鳥や、魚や、昆虫や……無数の生き物達が動き回っている。

 

「ママぁ、パパぁ……。会いたいよぉ……」

 その島に、たった一人、女の子がいた。

 小学校の高学年くらいだろう。

 地面にへたり込み、しゃくり上げている。

 もうどれくらい泣き続けているのか、顔に涙が跡になっていた。

 女の子の脇の地面には、古びた立て看板があった。

 もう随分昔に立てられたものらしく、書かれた文字はあちこち剥げて、掠れている。

 

『鬼ごっこのルール

 ルール1:子供は、鬼から逃げなければならない。

 ルール2:鬼は、子供を捕まえなければならない。

 ルール3:超能力は使用しても構わない。

 ルール4:子供は、島を脱出すれば勝ち。

 ルール5:鬼に捕まった子供は、地獄行き』

 

「誰か、助けてぇ……。ママ、パパ、誰かぁ……」

 女の子はもうずっと、独りぼっちだった。

 気が遠くなるほどの時間を、たった一人で、鬼から逃げ回っている。

 捕まってしまったら、『地獄』行き。

 お父さんとお母さんと、二度と会えなくなってしまう。

 必死で逃げたが、もう限界だ。

 

「ひろくん……」

 血のように真っ赤に染まった空を見上げて、女の子は呟いた。

 

「助けて……。ひろくん……」

 女の子はまた、ぽろぽろと泣き始めた。

 泣きながら、その名を呼んだ。

 

「ひろくん……。ひろくーん……っ!

 叫ぶ声は空に吸い込まれ、風に乗って流れていって……ある男の子の耳に届いた。

 

 その頃、沖縄県のとある島。

 ある建物の中には、車椅子の少年と、五人のエージェントがいた。

 

「No.5も他のエージェントも、ご苦労だった」

「御意」

 司令官、糸村一が島に戻って来た五人を労う。

 結城梵がやって来たのは緊急だったらしく、特に彼に対しては惜しみなく報酬を与えた。

「僕の弟は……無事だろうか」

 梵には光哉という義理の弟がいる。

 今は離れ離れになってしまっているが、いずれ会いに行きたい、と思っているのだ。

「弟の事よりも、今は任務を成功した事を喜べ」

「……御意」

 一は天才的な頭脳と、個より全を重視する考えを持っている。

 そのため、一は梵の義弟の心配を蹴ってしまった。

「今回の任務は、現世と冥界の狭間の島に行く事だ」

「ちょっと待ってください! それではアタシ達、死んでしまいますよ!?」

 織美亜が任務の行き先を心配するが、一は首を横に振った。

「その島は、生者でも来られるらしい。とはいえ、そこには鬼がいる、油断大敵だ」

「……」

「そして、任務の内容は……一人の霊を導く事」

 現世と冥界の狭間の島には、霊がいる事は珍しい事ではない。

 だが、導くというのは、どういう事だろうか。

 狼王の頭にはたくさんの?マークが浮かんでいた。

「よく分からないぜ、何をすりゃいいんだ?」

「その霊を鬼から守って、成仏させるという認識でいいのだな?」

「うむ」

 阿藍の言う通り、エージェントの目的は、霊を守りながら正しい道に向かわせるのだ。

 

「余談だが、その島は霊感がなくても霊が見えるぞ。現世と冥界の狭間だからな……」

 司令官の言葉を聞いた四人は頷いて、テレポートで目的地の島に向かった。

 梵はこの任務に向かないので、本部で休んだ。

「頼んだぞ、エージェントよ。必ず、鬼から世界を守るのだ……」

 

 誰もいない地獄島。

 エージェントは、そこに住む霊を導けるだろうか。




次回は南の島でバカンスです。
日常回となりますので、ご安心ください。


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59 南の島バカンス!

バカンス編スタート。
今回は日常回となっていますので、安心してください。


「……ん?」

 ふと、誰かに呼びかけられたような気がして、大場大翔は睨みつけていた海面から顔を上げた。

 一面の海の青が、目に飛び込んだ。

 打ち寄せる波が岩に当たって、ザブンと水しぶきを上げている。

 誰もいない。

 大翔は釣り糸を垂らしたまま海の向こうを眺めた。

 

 沖の方、藻の茂った岩の塊のさらに向こうに……島があるのが見えた。

 緑に囲まれた、小さな島だった。

 声はその島の方から聞こえてきたような気がした。

 大翔と同じくらい……小学生の女の子の声だったと思う。

 泣いているみたいだった。

 助けを求めて、泣いている。

 大翔の名前を呼んで。

 

(……気のせい、だよな?)

 大翔は島の方を見つめたまま、ぱちぱちと目を瞬いた。

 島は、ここからかなり離れている。

 声が聞こえるわけがない。

 何より、ここは旅行先。

 大翔の自宅のマンションや小学校から、何百kmも遠く離れた土地なのだ。

 大翔の事を知っている子が、いるわけがない。

 テレパシーじゃ、あるまいし。

 

(……気を散らしてる場合じゃないぞ。大物、釣り上げなくちゃ)

 大翔は気を取り直して、また海面を睨みつけた。

 防波堤に座り込んだまま、釣り竿を構え直し、波に浮かんだウキに集中する。

 太陽の光が照りつけてくる。

 濡れそぼっていた髪も水着も、あっという間に乾いてしまった。

 釣りをしてるのに、自分が焼き魚になった気分だ。

 

「ねえ、ヒロトー、金谷くんー、いい加減勝負は終わりにして、こっちで一緒に遊ぼうよぉー!」

「張り合ってて嬉しいわー」

 浜辺の向こうから桜井悠と金谷有栖が呼びかけた。

 波打ち際で直立に立ったまま、ぶんぶんと手を振っている。

 悠はさっきからずっと、泳ぎもせずに、あそこに棒立ちになっているのだ。

 

「一緒に遊ぶって、悠、有栖、さっきから全然遊んでないじゃない」

 悠と有栖の脇に座っていた宮原葵が、砂をかき集めながらボソリと言った。

「いや、僕、ずっと遊んでるよ?」

「何して?」

「打ち寄せる波に、いつまで一歩も揺らがずに、その場に立っていられるかゲーム!」

「私は大声ゲーム!」

 悠と有栖は直立に立ったまま、えへん! と自慢げに胸を張ってみせた。

「僕、もう30分も、ここから一歩も動いてないんだよ! 凄いでしょ。ふっふっふ!」

「……よく分からないけど、人生の価値ある30分をムダに過ごしたって言ってる?」

 葵はしらーっとしている。

 桜井悠と宮原葵は、大翔の幼馴染で、友達だ。

 葵は、さっきから浜辺に砂の城とか塔とかを作っては壊し、

 作っては壊し……何だかつまらなそうにしている。

 せっかく、海に来たのに。

「ねえ、ヒロトー、金谷くん!! 勝負とか、もう、いいじゃんかぁー。こっち来てよぉ!」

「……ほんと、もうすぐ中学生だっていうのに、子供っぽいのよね。あたしの周りは」

「あるある。でも、私達はまだまだ子供よ?」

 悠が呼びかける脇で、葵はぶつぶつ言いつつ、建てた城に海水を流し込んで崩壊させる。

 有栖は、弟と大翔を見ながら笑っている。

「……二人とも。なんか葵がさっきから機嫌悪いわ」

「べっつにー。機嫌悪くありませんー。

 まさか、なんの反応もなくクロール対決! とか釣り対決!

 とか遊び始めるなんて事はないよなーって思ってただけで……別に機嫌悪くありませんー」

「へー」

 有栖は、白い目で葵を見ていた。

 

「……確かに、そろそろ終わりにしようぜ。釣り対決。有栖も心配してるしな」

 と、防波堤の向こう側に座り込んでいた金谷章吾が、振り向いて声をかけた。

「何だよ、章吾。諦めんのか?」

 勝負を開始して三分。

 章吾の脇のバケツは、まだ空っぽだ。

「釣り、初めてだって言ってたもんな」

「ああ、思ったより難しい」

「いくらお前が天才だからって、そう簡単にはいかねーって事。

 運動神経だけじゃない、カンや運も必要だからな。

 俺は、ちょくちょく川釣りとか行くから、慣れてるけどさ」

 大翔は、へへんと胸を張ってみせた。

 釣りは得意なのだ。

 いくら相手が章吾だからと、初心者相手に負けやしない。

 大翔の見下ろしていたウキが、すうっと海中へ引っ込んだ。

 大翔はゆっくりと糸を巻きながら、釣り竿を引き上げた。

 小さなシーバスが一匹、エサに食いついてぴちぴちと跳ねている。

 タモで掬い、丁寧に針を取ってバケツに入れる。

「へへっ。俺の戦果は二匹だぜ!」

 大翔は得意顔で、バケツを章吾に突き出した。

 中では小さな魚が二匹くるくると泳ぎ回っている。

 章吾はバケツを覗き込み、やれやれ、と肩を落とした。

「負けたぜ、ちくしょう」

「これで一勝、返したぜ」

 大翔はガッツポーズを取った。

 岩礁へのクロール対決も、どれだけ長く潜っていられるかの潜水対決も大翔の完敗だったのだ。

 金谷章吾は、大翔の宿命のライバルにして、有栖の双子の弟なのだ。

 運動も勉強も(弾幕シューティング以外の)ゲームもなんでもこなし、

 涼しい顔して勝ちを持っていく。

 日頃からいろいろ勝負しているが、ほとんど大翔の負けだった。

(ふっふっふ! ついに章吾に勝てる分野を見つけたぜ! 勝利っていいなぁ……!)

 ようやく勝ち取った勝利を、大翔はじーんと噛み締める。

 有栖にすら、負け続きだったのだから。

 

「完敗だぜ。ちくしょう」

 喜びを噛み締める大翔の脇で、章吾は悔しげに頭を掻いている。

「……二匹も釣るとはな。俺は、一匹しか、釣れなかったからな……」

「お、なんだ、一匹は釣れたの?」

「……ああ、俺がトイレ入ってる時か」

「ああ。何とか釣り上げた。でも、一匹だけだ」

「いや、初めてにしては、すげーんじゃないかな? よくやったよ。流石。うんうん」

 大翔は頷きながら、ぽんぽんと章吾の肩を叩いた。

 勝者のヨユー、章吾のバケツを、ひょいと覗き込んだ。

「……なんも入ってねえじゃん」

「バケツには、入らなかったんだよ」

「え、入らなかったって?」

 大翔は首を傾げた。

「どういう意味……?」

「仕方ねーから、あそこに入れといたんだが」

 と、章吾は防波堤の先の方を指差した。

 ビニールボートが置かれている。

 さっき、悠が乗って海へ漕ぎ出し、見事に転覆して溺れていたもの。

 子供なら、二~三人は乗れるサイズだ。

 大翔は覗き込んだ。

 海水を入れられたビニールボートの中で、魚が一匹、窮屈そうに泳いでいた。

 一抱えもあるほど、大きかった。

 大人の熟練の釣り人も、釣り上げたら大喜びで魚拓を取るレベル。

 大翔の釣り上げた魚なんて、これと比べたら、完全に米粒だ。

 

「おまえは二匹で、俺は一匹」

 章吾は、呆然とする大翔の肩をぽんぽんと叩いて、にやりと笑った。

「お前の勝ちだ。流石。うんうん」

(こ、こいつ~~……!)

 姉の弟は、口笛を吹きながら、涼しい顔で片付けを始めた。

 恨めしげに見やり大翔はがっくりと肩を落とした。

 

(くっそぉー! いつか絶対、勝つからな! バカヤロぉー!)

 

 日本列島の太平洋に浮かぶ、七里島。

 その浜辺、どこまでも広がった海を見やりながら、大翔は固く決心した。




次回はこの回のメインとなる、謎の少女が登場します。
そしてエージェントも活躍しますので、楽しみに待っていてください。


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60 謎の少女

6巻のキーキャラクターが、ここで登場します。
オリキャラも結構踏み込んでおりますので、ご注意を。


くーん、ひろくーん……

 

 風に乗って、かすかに声が聞こえてきた。

 大翔は、ハッとして顔を上げた。

 女の子の声が、あの島の方から聞こえてくる。

「え? 女の子の声? ……何も聞こえなかったけどなあ」

「気のせいじゃないの? 人が住んでるのはこの島だけで、他は無人島のはずよ?」

 悠と葵が首を傾げた。

 

「……確かにな」

 すると、四人のエージェントが現れ状況を話した。

 どうやら、ここには幽霊が住んでいるらしい。

 幽霊と聞いて怯える悠だが、織美亜が安心させた。

 

 ふと、砂浜の向こうに、桟橋があるのを見つけた。

 古びたボートが一艘繋がれているのを見つけて、大翔は駆け寄った。

 脇には『貸しボート(1回100円)』と看板が立てられ、木箱が置かれている。

 長い事、使われていないのか、雨風で酷く汚れている。

 

 大翔は対岸の島を見つめたが、声はもう聞こえてこない。

「誰かが助けを呼んでいるみたいだな」

「例えば、ボートで向こうの島へ渡ったまま……ボートが流されて、帰れなくなったとか?」

「ねえ。これ、見て!」

 看板を読んでいた葵が声を上げた。

 みんなで走り寄り、看板を覗き込む。

 赤いペンで、妙な落書きが書き殴られていた。

 

「このボートは、鬼ヶ島行き専用です。鬼ヶ島へご用の方のみお使いください」

『天国へご用の方は、渡し守の案内に従ってください』

 

「向こうの島へ行こう」

 大翔はみんなに頷きかけた。

「誰か分かんないけど……助けてやんないと」

「賛成、俺達も任務のために来たのだからな」

 

 10分もしないうちに、ボートは向かいの島の浜辺へと着いた。

 二つの島を隔てる海は、てんで大した距離ではなかった。

 いざとなったら、泳いででも渡れそうだ。

「こっちは完全に無人島だな」

「観光地といっても、本島以外はこんな感じなのね」

 漕いでいたオールを置くと、章吾は額に手をやって、辺りを見回している。

 有栖は、のんびりとしていた。

 本島の七里島も裏側は人がまばらだったが、こちらの島は本当に人の住んでいる気がなかった。

 海岸に人が一人もいないしゴミ一つ落ちていない。

 それに、砂、岩、草、木だけで……人工物がない。

 

―……ミーンミンミンミンミンミンミン……

 

 セミの鳴き声が、洪水のように響き渡っている。

 

―……ミンミンミンミンミンミン

 

「ねえ。なんか……この島、ヘンな感じ、しない?」

 自分の体を抱きしめるようにして、悠が言った。

 悠は、妙に直感が鋭いところがあるのだ。

「ヘンな感じって?」

「あのボートもなんだけど、なんか、こう……違う、っていう感じ」

「違うって、何が……?」

「いや、僕も、よく分かんないんだけど……」

 悠は首を傾げている。

「ふむ……」

 阿藍は、この島に鬼が潜んでいる事に気づいた。

 鬼ヶ島という名前は、伊達ではないという事だ。

「行こう。大きな島じゃない。大丈夫だ」

「子供が帰れずにいるなら、助けてあげないとね」

 近くの岩にボートを繋ぎ、流されないように固定した。

 葵が小石を拾い集めて、ポケットに突っ込む。

「……アオイ、何やってんの?」

「迷子になったら大変でしょ? 地図もないし、ケータイも圏外になっちゃったし。

 ヘンゼルとグレーテル方式よ」

(アタシ達は超能力者だけどねぇ……)

 歩きながら道々地面に石を落として、帰る時の目印にするという事だ。

 九人は歩き始めた。

 草っぱらが伸びた地面、砂利石がごろごろと転がった地面、

 土が剥き出しになった地面を進んでいく。

 雑木林に踏み込んだ。

「あら、あれは何かしら」

 麻麻が、生い茂った木々を指差した。

 天高く伸びたコナラの木に、カブトムシ、

 クワガタムシ……他にもたくさんの昆虫がとりついているのだ。

「あ、ホントだ! 大物がたっくさん……! 穴場だね、ここ!」

「後で虫取りしようぜ。せっかく、虫とり網虫も虫カゴもある事だし」

 章吾も頷いた。

「うう、キモチワルイわね……」

「同感、まあ私は悪くないと思うけど」

 葵は虫が苦手だが、有栖は嫌いではない。

 喋りながら、島を進んでいく。

 虫だけではなく、島は、動植物で溢れていた。

 チチチ……と鳥のさえずりが絶え間なく聞こえる。

 パタパタ飛んでいく羽音。

 キツツキが、カンカンと木をつつく音。

 アサガオ、ヒマワリ、アジサイ……花々が、色とりどりの花弁を広げている。

 小高くなった崖。

 下には、綺麗な小川が流れている。

 底が見えるほど澄んでいて、アメンボやタニシ、ザリガニが見える。

 魚が跳ねて、水しぶきが散った。

「凄い島じゃない。日本にこんなところがあったとは思わなかったわ」

 有栖が感心している中、エージェントは何故か苦笑していた。

 葵がうんうん頷いた。

「楽園って感じよね。こういうところで勉強したら、捗るでしょうね……」

 どうして楽園に来てまで勉強したいのか、大翔にはさっぱり分からない。

「でも、なんか……やっぱりヘンな感じがするなあ……」

 悠がまだ首を傾げている。

 エージェントは阿藍以外は気付いていないようだ。

「おい、見ろ! 向こうに、家があるぞ」

 阿藍が丘の向こうを指差した。

 島の奥、開けた場所に寄り集まって、古い民家が建っていた。

 ……ほとんど、壊れて廃屋のようになっている。

 柱がへし折れ、窓ガラスが粉々に割れて……大きな家々が、ぺしゃんこになっている。

 まるで、怪獣に轢かれたように。

 

「な、何、これ……」

「盛大にぶっ壊されてるな……」

「昔は人が住んでたみたいだけど……過疎で廃村になって、取り壊したのかしら?

 ブルドーザーで」

 葵が首を捻った。

「いや、これは……」

 と、章吾は警戒したような足取りで、壊れた家の方へ近づいていく。

「ブルドーザーというよりは……」

―ガサッ

 突然、近くで音がした。

 エージェント以外、跳ね上がった。

 振り向くと、向こうの草むらの茂みが、がさがさと大きく揺れていた。

 大翔達は顔を見合わせ、油断なく茂みを睨んだ。

「……ひろくん……?」

 ガサリと、女の子が顔を覗かせた。

 大翔達と同じくらいの年だろう。

 ぽかんと口を開け、ぱちぱちと目を瞬いて、信じられない事でも起こったように、

 まじまじと大翔を見つめている。

「……ほんとに、助けに来てくれたの……?」

「な? いたろ? 空耳じゃなかった」

 大翔はエージェント以外の四人に頷きかけ、女の子に近づいて、手を差し出した。

「大丈夫か? ボートが流されて、帰れなくなっちゃったんだろ? 一緒に乗せてってやるよ」

「……ひろくんだ! ほんとに、ひろくんだ!!」

 女の子は大翔の言う事も聞かず、跳び上がらんばかりだ。

 その喜びっぷりに、大翔はぽかんとした。

「会いたかったよ! ひろくん!」

 女の子はだだだっと駆け寄ってくると、大翔の腕に、力いっぱい、抱きついてきた。

 

「……この島では、霊体も、実体を持つんだな……」




ここで、二次創作に対してケチをつける人に一言言います。
「そんなに嫌なら見なけりゃいいのに」。

次回は大翔が女の子に……? です。


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61 彼女は大翔の許嫁?

大翔が女子との恋? に発展します。
しかし、その恋は……。


「ひっろくんだ♪ ひっさしぶっりの、ひっろくんだ♪」

 大翔の服の裾を掴むと、仔犬がじゃれつくように、周りをスキップし始めた。

「ヒ、ヒロト……」

 何故だか悠が、涙目になって大翔を見た。

「ぼ、僕には『恋愛とか全然興味ねーよな!』って言ってたのに……。

 いつの間に、大人になってたの……」

「遠く離れた土地で、愛人を囲う……男子ってフケツだわ」

「ちょ、ちょっと待った! ちげーよ! ゴカイだ! 知らないって、こんな子!」

 ジトーッと見つめてくる葵に、大翔は慌ててぶんぶん首を振った。

 

「……あなた、名前は?」

 成り行きを見守っていた有栖が、女の子に問いかけた。

「ご、ごめんなさい。わたしったら、久しぶりにひろくんに会えてすっかり舞い上がっちゃった」

 女の子は慌てた様子でこほん、と咳き込みをした。

 スカートの裾をパンパンと伸ばし、背筋を正して丁寧にお辞儀し、はきはきした声で、言った。

「わたし、本田小夜子っていうの。12歳、小学6年生。ひろくんの、許嫁です!」

「げふごほがはごへぐへっ」

 大翔は激しくむせ込んだ。

「皆さんは、ひろくんのお友達ですよね? ひろくんのお友達は、わたしのお友達です。

 うちの人が、いつもお世話になってます。今後とも、よろしくお願いいたします!」

「ちょ、ちょっと待った! 誤解だ! 誤解があるぞ!」

 大翔は、首がもげそうな勢いで、ぶんぶん首を横に振った。

「初対面だろ、俺達!」

「え……? 初対面……?」

「今、初めて会ったばっかりじゃないか!

 どうして、イイナズケなんて、そんな事を言うんだよ!」

「……ひろくんこそ、どうして、今、初めて会ったばかりだなんて、そんな事を言うの?」

 不思議そうに首を傾げて、正面から大翔を見やる。

「……ひょっとして、小夜の事、忘れちゃったの?」

 大きな瞳を丸く見開いて、大翔を見つめる。

 みるみる涙が溜まり始めた。

「そっか……。ひろくん、小夜の事、忘れちゃったんだ……。

 大きくなったら、お嫁さんにしてくれるって、約束したのに……」

「は、はあ……?」

「小夜には大切な約束だったけど……

 ひろくんにとっては、大した事ない、誰とでもしてる、約束だったんだ……。

 だから、すっかり忘れちゃったんだね……」

「え、う……? ちょ、ちょっと。助けてくれよ、みんなぁ……」

 おろおろと振り向くと、葵、悠、章吾、有栖は、じっと大翔を見やっていた。

 穏やかな、仏のような顔で。

 ぽろぽろと泣く女の子と、大慌ての大翔を交互に見つめる。

「……判決。大場大翔被告を、女の子の敵の罪で、無期懲役の刑とします」

 そして、スピード判決が下った。

「もう! いい加減にしろってば!」

 大翔は流石に、怒った声を出した。

 このままでは、酷い濡れ衣だ。

 女の子に向き直ると、ムスッと唇を尖らせる。

「俺は、大場大翔! 桜ヶ島小学校の、6年2組。お前とは、初対面だぞ!」

「ひろと……? あれ?」

 女の子は首を傾げた。

 あれ? あれ? と首を捻り、何やら考え込んでいる。

 ややあって、ポンと手を打った。

「あ、そっか! 血筋だね! ごめん、ごめん! 早とちり!

 大翔くん、わたしの幼馴染のひろくんにすっごく似てるから。間違えちゃったみたい!」

「ほら、見ろ」

「……うん、まあ、ほんとは分かってたよ、ヒロト」

「大翔に限って、愛人なんてね」

「お前にそんな甲斐性があるとも思えねーしな」

「そんなの夢物語かしらね」

 悠達が口々に言う。

 

「改めて、わたし、この島の小学校6年生の、本田小夜子」

「アタシ達は、保護者よ」

「しかし、ほんと、そっくりだなぁ」

 女の子……小夜子は言いつつ、大翔の頭からつま先までしげしげと見やっている。

 大翔は思わず、赤くなった。

「小学校があるんだ? 人の気配がないから、てっきり、無人島だと思ってたよ」

「無人島で合ってるよ。以前は人がいたんだけど、過疎で廃村になっちゃったからね。

 もう50年以上も、人は住んでないの」

「ほら、あたしの言った通りじゃない」

「でも、家まで壊なくてもいいのに。あんな乱暴に」

「あ、あれはね……」

―ズガガガガガッ!

 突然、遠くから轟音が響いてきた。

 振り向くと、向こうの林に生えた大木が二本、

 メリメリと悲鳴を上げながら、地面に倒れていくところだった。

 大翔達は顔を見合わせた。

「な、なんだ?」

―ズガガガガガガガガッ!

 また音が響いた。

 巨大な何かが、ぶちかましをかけるような音だ。

 木々がどんどんと倒れていく。

 大翔は、林の中で巨大なブルドーザーが、木々を薙ぎ倒していくところを想像した。

「まだ、工事、やってるの……?」

―ジャキンッ!

 すると、今度は別の方角から鋭い金属音が響いた。

「……鬼か!?」

「鬼!?」

―ジャキンッ! ジャキンッ!

 刃物を、ハサミを噛み合わせるような音だった。

 しかし、それにしては大きすぎる。

 大翔は、巨大な、一握りで木を切り倒せるような巨大ハサミを想像した。

「いけない……。もう来た……」

「場合によっては、戦うしかないようね……」

 小夜子と麻麻が声を強ばらせた。

 じっと睨むように、音のする方を見ている。

「……あの家壊したの、ブルドーザーとかじゃねえな?」

 章吾が、薙ぎ倒された家々を指差した。

 小夜子が頷いた。

「早く離れた方がいいわ。あいつらに見つかると、すごくキケン。

 家くらいまるごと薙ぎ倒しちゃう奴らだから……」

「私達なら、相手できるけど」

「……事情は後で聞く事にして、この場を離れた方がよさそうね」

 薙ぎ倒す轟音と、ハサミのような音……それらが、だんだん、近づいてきている。

 みんな、判断は早かった。

 顔を見合わせ、頷き合った。

 

「よし、海岸まで戻るぜ!」

 地面に落としておいた小石を逆に辿って、走り始めた。

 壊れた民家の群れを背にして、丘を越え、船の脇を抜ける。

 しばらく行くと先を走っていた葵が立ち止まった。

「おかしいわ」

 置かれた小石をじっと見下ろして眉を顰めている。

「どうした? 葵」

「あたしの記憶では、海岸はここから東の方向だったと思うんだけど……」

 ぽつぽつと地面に一定間隔で落とされた小石は、西の方へ向かって伸びている。

「気のせいじゃないの? 同じような景色だもん」

「風で飛ばされるような石でもないしな」

「違うわ、これは絶対に罠よ」

 麻麻は、これが鬼の罠である事に気づいていた。

 どうやら、ここから出さないつもりのようだ。

 皆、小石の続いている方に急いだ。

 走りながら見上げると、先程まで綺麗に晴れ渡っていた青空が、

 じわじわと赤く染まっていっている。

 大翔は奥歯を噛み締めた。

「これは良くない前兆ね……」

 ぽつん、ぽつんと置かれた小石を追って急ぐ。

 草っぱらを抜け、林を駆け抜けるが、ボートを停めた浜辺は、まるで見えてこない。

 

「ぜぇっぜぇっ……い、いつまで走るのぉっ……?」

 悠が息も絶え絶えに言った。

「……はぁっはぁっ……な、何かヘンだわ」

 もう随分走っている。

 上陸してから歩いてきた距離を考えれば、とっくに浜辺に着いていていい距離だ。

 小石は相変わらず、ぽつん、ぽつんと続いて、道を示している。

 迷ったわけではないのに、ゴールに辿り着かない。

 まるで、ぐるぐると円を描いて、同じところを走っているように。

「待って。私達は、罠にはまったみたい。小石の目印を隠してるみたいよ」

「罠?」

 さらに進むと、小石は途絶えていた。

 最後の小石の置かれた脇に、真新しい看板が立っている。

 

『お疲れ様です。余計なものは処理しておきました。豊かな自然と、溢れる鬼。

 心ゆくまで鬼ヶ島の観光をお楽しみください』

『天国へご用の方へ。渡し守は鬼ヶ島までは迎えに上がれません』

 大翔達は顔を見合わせ、ごくりと唾を飲んだ。

 エージェントは皆、頷いている。

 

「いけない……」

 小夜子が唇を噛んだ。

「みんな、ボートはどこ?」

―ズガアアアアアアアンッ! ジャキンッ! ジャキンッ!

 遠くから、またあの音が響いてきた。

 同時に、メリメリッと、何か固いものが裂けるような音が聞こえてくる。

「い、今の音は……?」

「まさかっ……!」

 身を翻し、音のした方へ走った。

 葵が先程止まった道を今度は東へ一目散に駆ける。

 ようやく、海岸へ出た。

 

「……あの能力者がいれば、すぐに直せたのに」

 ボートは、バラバラになって壊れていた。

 真ん中から二つにへし折られた上、ぶつ切りに切断されて、

 打ち寄せる波にぷかぷかと揺れている。

「ど、どうやって帰るの? これ……」

 悠が口もとを引きつらせる。

 大翔は対岸の島を見やった。

 七里島は、さっきよりもずっと遠くに見えている。

 まるで……島が移動したように。

 強くなってきた風のせいで、波が高い。

 これでは、向こうまで泳いで戻るのは、流石の超能力者でも不可能に近い。

 

「奴らのしわざだわ……」

 小夜子が項垂れた。

「この島には、強力な三匹の鬼達が棲みついてるの。家を破壊したのも、そいつらよ」

 ぺたんと砂浜に座り込み、膝を抱えてしまう。

「だったら倒せばいいじゃないか」

「鬼を倒す!? それは無理よ!」

「安心しろ、オレ達は必ずお前を天国に導いてやるからな……霊体」

 狼王の呟きに、大翔は首を傾げる。

 霊体とは、何の事だろうか。

 とりあえず、脱出手段を考えなければならない。

 大翔は肩からかけていたデイパックを降ろした。

 サイドポケットにしまっておいた、クリップ留めの紙束を取り出す。

 『七里島の自然工作』……表に大きく書かれた万年筆の文字。

 大翔は、孫と友達が遊びに来ると聞いて、夜なべしてこれを作っている祖父の姿を想像した。

 竹とんぼ、独楽に釣り竿、自然の草木で作れる様々なものが、

 大翔の祖父の手でまとめられている。

 最後の章に、あった。

 

『イカダの作り方』

 

「……親達へのお土産にしようぜ」

 大翔はにやりと笑った。

「来年もまた、来られるようにさ」




次回は脱出手段確保回です。


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62 小夜子は友達

どんな時でも大翔は友達を大事にする優しい人物です。
でも、その優しさも仇になるとだけは言っておきます。


 必要な材料と手順を確認すると、大翔達は早速行動を開始した。

 イカダの作り方は単純だった。

 簡単に言えば、丸太や竹を横に並べて、ロープで結び上げるだけだ。

 もちろん、結び方が難しかったり、色々コツはあるみたいだが、

 祖父のメモにはその辺りの事が事細かに記されていた。

 これさえあれば、子供だけでも作れるだろう。

「それにしても、あたし達以外で鬼に追いかけられてる子がいるなんて、驚いたわ」

「こいつは護衛対象だしな」

 荷物をまとめながら、葵と阿藍が言う。

 イカダの材料となる丸太とロープは、雑木林まで調達に行く事にした。

 章吾、有栖、大翔は浜辺で角ばった石を拾い、悠が虫カゴに詰めている。

「わたしこそ、驚いた。みんな、鬼、怖くないの?」

 てきぱき動く大翔達を見ながら、小夜子が言った。

「そりゃ怖いけど……こっちには、不思議な力を使う人達がついてるからね」

「よかった。わたしのせいで危ない事に巻き込んじゃったって、心配しちゃったよ。

 みんななら、全然平気だね」

「……ま、一人じゃないからな」

 大翔は鼻の下をこすった。

 島の中ほどに広がった雑木林に向かった。

 丸太ならいくらでも手に入りそうだ。

「木を切るノコギリが必要だな」

「オレが斧を使ってやるが?」

 そう言うと、狼王は超能力で空間にしまっておいた斧を出した。

 ノコギリの代わりにこれを使えばいいと、狼王は思っていたのだが、小夜子は固まっていた。

「どうした、小夜子?」

「な、なんで何もないところから、斧が出たの? そんなの、あり得ないよ」

「これが超能力なの、だからあまり驚かないでね」

「で、でも……」

 小夜子の前で無闇に超能力を使うのは、やはり、よくないと思った狼王だった。

 次は丸太とロープだ。

「ロープの代わりには、ツル草を使えばいいわね。ツル植物は引っ張りに強いし」

 林に伸びた木々に巻きつくようにして、ツル草が茎を伸ばしている。

 それを指しながら、葵が解説する。

「どうして引っ張りに強いかっていうと、ツル植物は縦方向の繊維が多いのね。

 それはどうしてかっていうと、光合成のためには太陽の光が必要だから。

 林では木が密集してるから、低いところにいると陽の光を受けられないでしょ?

 だからツル植物は、より上方に伸びていって、その自重を支えるために……」

 男子達は黙々とツル植物をナイフで切った。

 太すぎず、細すぎず、ちょうどいいのを選ぶ。

 葉っぱを落とし、ぎゅっと引っ張るとピンと張る。

 くるくると巻き取って、デイパックに詰めた。

 

「……っていう事なの。分かった?」

「おう、完璧に分かったぜ」

「まとめると、ツル草超強い、って事だよね?」

「まとめすぎ」

 さて、問題は丸太だった。

 メモにはペットボトルや牛乳パックでも作れると書いてあったが、ここでは逆に手に入らない。

 流石の超能力者でも丸太を直接出す事はできない。

 大翔達は、ちょうどよさそうな木を探しながら、雑木林の中を進んだ。

 クヌギ、コナラ、ヤナギ……他、よく分からないものたくさん。

 林にはたくさんの木が生えているが、なかなか手ごろなものはなかった。

 どれも、太すぎるか細すぎるか、あるいは曲がっているか。

「竹があるといいんだけどね……」

 葵が携帯電話とにらめっこしながら言った。

 木の情報を調べているのだ。

 葵の携帯電話には、図鑑や辞典のアプリがたくさんインストールされている。

「葵ちゃん。それ、なあに?」

 小夜子が首を傾げて、葵の持った携帯電話を指差した。

 葵の家では、昔の携帯電話のみが所有を許される。

「何って……ただのケータイよ?」

 葵が携帯電話をパカパカやりながら応える。

「ケータイ?」

 小夜子が首を傾げる。

「携帯電話よ」

「ケイタイデンワ……?」

 小夜子は新種の生き物でも見るように、パチパチと瞬きして、

 まじまじと携帯電話を見つめている。

「ひょっとして……電話なの? これ」

「ひょっとしなくても、電話よ」

「だって……受話器は? ダイヤルは?」

「これ自体が受話器よ。ダイヤルって……ボタンの事?」

「それに、電話線がないし……」

「電波でやりとりするから、線はないの。今は圏外だけど」

「電波……? あ、葵ちゃん、オカルト信じる方なの? それは助かるけど」

 なんだか、話がさっぱり噛み合っていないようだ。

「アナタの時代に、携帯電話はなかったの?」

 織美亜が問いかけると、小夜子は頷いた。

「わたしの知ってる電話って、黒くって、ダイヤルをジーッジーッて回す奴だもん。

 知らない間に、小さくなってたんだねえ、電話……」

 しげしげとケータイを眺め回し、カチカチとボタンを連打している。

 大翔達は顔を見合わせ、頷き合った。

 

「これが田舎の生活って奴か……」

「ケータイとか、当たり前と思ってたわ……」

「僕ら、文明に毒されてるんだね……」

 大翔達の街も、渋谷よりは都会ではないが……それにしても、

 今時携帯電話も知らない子がいるだなんて思わなかった。

「やっぱり、ネットとかも見ないの? スマホで遊ばないの?」

 悠が訊く。

 デジモノ大好きな悠には、ケータイも知らないだなんて、信じられないらしい。

「ネット?」

 小夜子が不思議そうに首を傾げる。

「虫よけネットの事? あんなもの、見てどうするの?」

「インターネットだよ」

「いんたー……?」

「全世界が繋がってて、一瞬でアクセスできる奴。

 無料ゲームとか、実況動画とか、SNSとか……」

「世界中が、一瞬で……? ふふ。何、それ。悠君って、想像力が豊かなんだね。

 作家になったらいいよ」

 小夜子がくすくすと笑う。

「どうしよう。文化が違いすぎる……」

「遊びは、ひろくんとは、よくトランプしたよ」

 小夜子は、にこっと目を細めて笑った。

 ひろくんというのは、小夜子の幼馴染らしい。

 家が隣同士だったのだそうだ。

「わたし、体が弱くて外で遊べなかったんだけど、ひろくん、一緒に遊んでくれたんだ。

 それで、幼稚園の時、結婚の約束をしたの! 生涯変わらぬ愛って奴を誓ったんだよ!」

 小夜子はふふんと胸を逸らせる。

 ひろくん――大翔そっくりらしい少年の話になると、小夜子は嬉しそうだ。

「……ふふ。ひろくんを見る限り、約束、破られちゃったみたいだけどね!」

 幼稚園の時の約束は、ひろくんとやらも覚えていないだろう。

「わたし、ずっと病気で体が弱かったから、友達はひろくんだけだったんだ。

 だからこういうの、ちょっと楽しいな。そこのお兄さんやお姉さんも、友達だよね」

 小夜子は言うと、懐かしそうに目を細めた。

「ひろくんに会いたいなあ。……まあ、もう! 小夜の事なんて、覚えてないだろうけどさ」

「そんな薄情な奴なのか?」

「じゃあ、脱出したらひろくんも一緒に遊ぼうぜ」

「賛成! そんなに大翔とそっくりだなんて、あたし達も見てみたいしね」

「みんなで海で、打ち寄せる波に、いつまで一歩も揺らがずに、

 その場に立っていられるかゲーム、しようよ!」

「アナタはまたそれね」

「後は花火大会だな!」

 わいわい話しながら、歩いていく。

 小夜子は、ちょっと――かなり世間知らずだが、大翔達にとっては楽しい人物だった。

 エージェントにとっては、鬼から逃げるため、護衛対象だが……。

 

(へへ。仲間増えたな!)

 

―そういえば、小夜、こっちの島で何してたんだ? 50年以上も前に廃村になったっていうのに。

 

 みんなで話すのが楽しくて、その質問は、大翔は訊きそびれてしまった。




次回は鬼ヶ島から脱出するために奮闘します。
エージェントも超能力で活躍しますよ。


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63 鬼虫と超能力者

今回は戦闘シーンをかなり多くしています。


――ミーンミンミンミンミンミン……ジー……

 

 林の中を歩いていくと、ぽっかりと開けた、広場のような場所に出た。

「うわあ、すっごいなぁ!」

 辺りを見回して、悠が感嘆の声を上げる。

 広場を囲うように伸びた木々。

 その木々にたくさんの昆虫がとりついているのだ。

 アブラゼミ、カナブン、コガネムシ。

 カミキリムシ、タマムシ、スズムシに、コオロギ、ヒグラシ、ツクツクボウシ、その他色々。

 昆虫達は広場の木々にとりつき、樹液を啜っているようだった。

 トンボやアゲハチョウが、ひらひらと飛び回っている。

 草の間をバッタが跳ね、アリがぞろぞろと行進している。

 

「これは虫取りしたいところだね」

 悠が虫取り網をブンブンとふりながら言った。

 ちなみに、悠はゲームアプリの虫取りは得意だが、本当の虫取りはてんで下手だ。

「ちょっとだけやっちゃう? 鬼も、近くにいないっぽいしさ」

「……ま、あんだけでかい音を出して動き回る奴、嫌でも分かるしな」

 頭の後ろで手を組んで、大翔は頷いた。

 あの、轟音を立てて木々を破壊していた鬼達。

 恐らく、かなり巨大な虫だろう。

 時折音が聞こえてきたので、避けて歩いてきた。

 あの五月蠅さなら警戒していれば大丈夫のはずだ。

 

「ううん。すぐに離れましょう。この辺、危ない」

「あるある」

 注意深く辺りを見まわしていた小夜子が、そう言って地面を指差した。

 剥き出しの土、そのところどころに穴が開いているのだ。

 大きさは、2メートルくらい。

 地面が掘り起こされ、巨大な何かが這い出してきたような穴が、いくつも開いている。

「時々見かける穴なんだけど……鬼のテリトリーなんだと思う。

 あの大きな音を立てる二匹と、この穴の主。合わせて、わたしは三鬼って呼んでる」

 小夜子が難しい顔をする。

「穴の近くには決まって、生き物の骨がたくさん転がってるの。見つかったらマズイわ」

「ひいいいい」

 悠が青い顔で呻く。

「大丈夫。今、ここにはいないみたい。早く離れましょ」

「アタシ達も、無駄に戦いたくないしね」

 全員頷き、広場に背を向けた。

 と、トンボが一匹、スイスイッと宙を飛んできた。

 掌くらいのサイズもある、大きなトンボだ。

 くるくると子供達の周りを飛び回ると、悠の肩に止まって、

―ガブッ

「――いたっ!」

 悠が喚いた。

 どうやら、咬まれたようだ。

「このーっ!」

 ぶんぶんと肩を払って、トンボを追っ払う。

 トンボはスイスイ逃げるように飛んでいった。

「いててて……」

「悠、昆虫にまで舐められてるんじゃないの?」

「昆虫にまでって、なんだよう。ちょっと咬まれただけ……わっ」

 飛び回っていたトンボが数匹、くるくる悠の周りを旋回した。

 肩に、腕に止まったところで、麻麻が叫ぶ。

 

「……動かないで!」

 麻麻が電撃を放つと、トンボが一斉に墜落した。

 ばっと振り返ると、視界に飛び込んだのは、

 立ち並んだ木々にとりついている、大量のコガネムシだった。

 光沢のあるエメラルド色の体の、小さな虫だ。

 丸みのある硬い殻が、宝石みたい光っている。

 見る間に、何匹かがクルッと体を丸めた。

 木から飛び立ち、弾丸のように降り注いできた。

―ビュビュビュッ

 麻麻は集中し、的確に虫を電撃で撃ち抜いていく。

 圏外であっても、超能力の前には意味がない。

 墜落した虫を見て、阿藍が一言。

「……ツノが生えているな、この虫達」

 辺りを見回す。

 木々にとりついた無数の昆虫を注意深く見やり……呟いた。

「ていうかこいつら全部、ツノ生えてる。鬼昆虫ってか」

 ぽつりと、付け加えた。

「……悠、虫取りするか?」

「いや、無理!」

「だったら俺達から離れるなよ!」

 エージェントは、超能力で次々と鬼昆虫を倒していく。

 

「きゃああっ!」

 葵の悲鳴が響いた。

 慌てて振り向くと、葵がへなへなと地面にへたり込んでいた。

 その前に立っているのは……カマキリなんだろう、多分。

 大翔はまた昆虫図鑑の記述を記憶から引っ張り出した。

 カマキリ、鎌状に変化した前脚でエモノを押さえつけ、

 大顎でかじって食べる肉食昆虫で、体長は数センチ。

 だが、葵の前に立つカマキリは、大翔達とそう変わらないサイズだった。

 鎌状の前脚、その前脚に何故かさらに草刈り鎌を持って武装している。

 巨大カマキリが、草刈り鎌を振り上げた。

「逃げろっ!」

 葵は腰が抜けたのか、動かない。

 虫が苦手なのだ、葵は。

―ガキンッ

 間一髪、振り下ろされた草刈り鎌を、斧の先で受けた。

 巨大な緑色の複眼が、なんだこいつ、というように狼王を睨んだ。

 近くで見るとさらに不気味だ。

 カマキリが両脚を持ち上げた。

 

「待って!!」

 その時、織美亜、阿藍、麻麻が駆けつけてきた。

 鬼を倒すのが、エージェントの仕事だからだ。

 

「鬼は……皆殺しにしてやる!」

「皆殺し……!?」

 四人は鬼に対する殺意が強くなっていた。

 狼王の身体はオーラが輝いて見え、麻麻の服は破れそうになっていた。

「せいっ!」

 狼王が勢いよく鬼を振り下ろすが、鬼カマキリは素早く動いてかわす。

 身体は大きいが、動きはかなり機敏だ。

 続いて、織美亜は癒しの力を逆流させ、鬼カマキリの身体に傷をつける。

「ぐぅっ!」

 鬼カマキリが狼王の身体を切り裂く。

 阿藍は精神を集中し、鬼カマキリに光を放った。

 光は何よりも素早く、浅くない傷を負わせた。

「とどめよ、電撃投射!!」

 そして麻麻の電撃が鬼カマキリにクリーンヒット、鬼カマキリは黒焦げになった。

 

「鬼カマキリをあっという間に倒しちゃうなんて」

 あの大きな鬼カマキリを倒したエージェントを見て小夜子は驚きを隠せない。

「一体いただけだ、複数だとオレ達でも相手できるかは分からない」

「うわぁぁぁぁっ!」

 悠が走り回りながら、ブンブンと虫とり網を振るっている。

 鬼トンボや鬼コガネムシや鬼ゼミや鬼何とかが、次々網に引っかかる。

 すぐに入り切らなくなる。

―ギッチギッチギッチ! ギッチギッチギッチ!

―ミンミンミーンミン! ミンミンミーンミン……!

「こんな昆虫採集、嫌だようううっ!」

「数が多すぎるわ……!」

―シュシュッ

 どこからか伸びてきた糸が、大翔の右腕に絡みついた。

 思わず首を巡らせると……木の上に大きなクモがいた。

 鬼グモが腹から糸を噴き出して、大翔の腕に巻きつけている。

―シュシュシュッ!

「うわああっ!」

 左手首にも絡みつく。

 両腕を無理やり持ち上げられ、デイパックが地面に落ちた。

「くそっ! ……は、放せぇっ……!」

 大翔はもがくが、鬼グモの糸は丈夫だった。

 細いのに、まるで切れない。

 鬼グモが糸を枝に巻きつけ、引っ張った。

 大翔の体が地面から釣り上げられていき、大翔はもがいた。

「く、くそっ……おっ!」

 何とか足で、デイパックを引き寄せようとするが、

―シュシュシュッ!

 ……その足首にも、糸が絡みついた。

 こなれた感じでグルグルと、鬼グモが大翔の足を結び上げる。

 腕も足も、びくともできなくなった。

 

「燃やせれば、いいんだけど……」

 動けなくなった大翔の眼前に、鬼グモが糸を引いて滑るように降りてきた。

 毛むくじゃらの八本の脚。

 ビーズのような目で、こちらを見つめている。

 口を開けると、針のように小さな牙が生えている。

 クモ、肉食、エモノに糸を絡めて身動きできなくして捕食する事が多い。

 エサの食べ方は、消化液をエモノの体内に注入し、内側から溶かしてから飲み込む体外消化。

 思い出したくもない知識が、正確に頭に浮かんでくる。

「や、べえ……」

 章吾には鬼カマキリが群がっている。

 悠と有栖は鬼トンボから、葵は大量のチョウから悲鳴を上げながら逃げ回っている。

 血のように真っ赤な吸血チョウだ。

 エージェントは何とか戦っているが、疲労が溜まっている。

「ちく、しょう……」

 糸に絡め取られ、体を動かせない。

 文字通り、手も足も出ない。

 枝から吊り下げられ、ぶらぶら揺れるだけだ。

 鬼グモが大翔にとりついた。

 顔を背ける大翔の首筋に、牙を立てた。

 ガブリ、ジュウジュウ、消化液が注ぎ込まれる。

 ゆっくりと、ゆっくりと、大翔の体が体内から溶かされていく。

「燃やす力が使えないなんて……私は、なんて弱いの……」

 麻麻は己の無力さを悔やんだ。

 

「大翔くんっ! 諦めちゃだめ!」

 小夜子の叫びに、はっとした。

 顔を上げると、小夜子が虫から逃れ、こちらへ走ってくるところだった。

「今、助けるからっ!」

デイパックを開けてくれっ!

 大翔は叫んだ。

 小夜子が頷き、飛び込むように地面をさらった。

 落ちたデイパックを取り上げる。

 クモが気づいて後ろを振り返った。

 小夜子を認めると、また後ろを向き、体を持ち上げた。

 クモは腹部の後端から糸を出すのだ。

 必死にデイパックの中を探る小夜子に向けて、糸を……。

―ガツンッ!

 出しかけた鬼グモ目がけて、大翔は勢いつけてヘッドバットを叩き込んだ。

 小気味良い音と共に、鬼グモがひっくり返る。

「それ! 小夜ちゃん、その缶を!」

 小夜子が取り出したものを見て、葵が叫んだ。

「3、2、1で、めいっぱい噴射してっ! みんな、息を吸って! はい、止めて!

 そのまま止めててっ! 3、2、1!」

 小夜子が缶を構えた。

 ラベルには、『むしむしコロリ』。

 大翔が祖父から貰った虫よけスプレーだ。

 銃のように両手で支えると、レバーに指をかけ、一気に引いた。

―ブシュウウウウウウウウウッ

 白い噴霧がチョウを飲み込み、トンボを飲み込み、コガネムシを飲み込み、クモを飲み込んだ。

 小夜子は円状にそこらじゅうに煙を噴射している。

 大翔達は全員、息を止めて目をつぶっている。

―ギッギッギッチ! ギッチギッチギッチ!!

―ミンミンミーン! ミンミンミーン!

―ガチャガチャガッチャ! ガチャガチャガッチャ!

 効果はてきめんだった。

 群がっていた吸血チョウと鬼トンボが、慌てたようにひらひらと逃げていく。

 コガネムシ達がぽとぽとと地面に落ちた。

 クモが糸をそそくさと巻きとり、すうっと上へ引っ込んでいった。

 群がっていたアリ達が回れ右して巣に戻っていく。

「よ、よし。みんな、今のうちだっ!」

 糸から解放されると、大翔は首を押さえた。

 消化液はまだほとんど注入されてない。

「走れ! 元来た道を戻るんだ!」

 大翔達は広場に背を向け、金速力で走り始めた。

 遠ざかっていた虫達が、またわらわらと集まってくる気配。

 雑木林の中を、全力で駆ける。

―ズガガガガガガガガガガガガガッ!

 と、後方から、あの轟音が響き渡ってきた。

 黒い影が差し、太陽が遮られた。

 大翔が思わず後ろを振り返ると、青ざめた。

「う、嘘だろ……」

 見上げるほど巨大なこげ茶色の体には……なじみがあった。

 先端でYの字形に分かれた、巨大な一本ヅノにもなじみがあった。

 それは見上げるほどに大きなカブトムシだった。

 コウチュウ目・コガネムシ科・カブトムシ亜科・真性カブトムシ族。

 大きさは3センチから5センチだが、この虫はその、数百倍はある。

―ズガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!

 ツノで木々を次々に薙ぎ倒しながら追ってくる。

 ほとんど重戦車だった。

 あれでは建物も壊されるはずだ。

 あんなのに体当たりされたら、地球の果てまでぶっ飛ばされるかもしれない。

「ま、前からも来るよおっ!」

 悠が悲鳴を上げ、大翔は振り向いた。

 後ろ脚で立ち上がったその姿にも、大翔はなじみがあった。

 クワガタムシで、見上げるほどの巨体。

 二叉にわかれた大きな顎は、内側がギザギザ。

 ノコギリクワガタだ。

 その巨大な顎で、生えた木を挟んだ。

―ジャキンッ!

 木が一瞬にして、切り倒された。

 メリメリと音を立てて、地面に倒れる。

 ハサミでマッチ棒でも切るように、林の木々を切り倒す。

「燃やすか吹き飛ばすかでもしたいが……」

―ズガガガガガガッ! ズガガガガガガガッ……

 巨大鬼カブトが木を薙ぎ倒しながらやってくると……大翔達の背後で止まった。

―ジャキンッ! ジャキンッ! ジャキン!

 前後を挟まれた。

 大翔達を間に挟んで、二匹の巨大な鬼がじっと様子を伺っている。

「……やるか?」

 巨大鬼カブトが、ツノを下げた。

 飛びかかろうと構えたところで、阿藍が精神を集中する。

「光の盾!」

 阿藍達の周りにバリアが張られた。

 巨大鬼クワガタが、顎を開き、飛びかかろうと構えた。

―ドガッッッッッッッッッッッッッッッッッ!

 地面が激しく揺れた。

 眼前で繰り広げられていた光景は酷かった。

 巨大鬼カブトと巨大鬼クワガタが取っ組み合っているのだ。

 カブトがクワガタへ一本ヅノを食らわせている。

 クワガタが負けじとカブトの体を顎で挟み込んでいる。

「ヒ、ヒロト……。む、昔、言ってたよね……」

 青ざめた顔で二匹を見上げながら、悠がぽつりと呟いた。

「カブト対クワガタの夢の対決、見てみたいよな、って……。よ、よかったね、見られて……」

「いいわけねえだろ、サイズが酷過ぎる」

―ズガッ! ズガッ! ズガガァッ! ジャキッ! ジャキッ! ジャキィッ!

 二匹がどつき合いを始めた。

 ずしんずしんと地面が波打つように揺れるが、バリアのおかげで何とかなる。

 小夜子は、阿藍にしがみついていた。

 もう上と下も分からず、地面が崩れていく。

 やがて、バリアは砕け散り……大翔達は転がり落ちた。




児童書で中二っぽいものが来ると間違いなく穢れてしまいますよね。
それでも私はそういう描写を追加しました。
次回は大翔とエージェントサイドになります。


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64 地獄島サバイバル生活

誤って投稿し忘れてしまいました。


「……ん……」

 夜になり、織美亜の周りの空間が少し歪む。

 しばらく歩いていくと、せせらぎの音が聞こえてきた。

 小川が流れているのだ。

 月明かりを反射して、水面がきらりと光った。

 大翔と織美亜はは屈み込むと、流れる水に手を浸した。

 ひんやりと冷たくて、気持ちいい。

 水を掬って、少しだけ口に含んだ。

 大翔はがぶ飲みしたいのを我慢して、軽く口をゆすぎ、地面に吐き出す。

 しばらく待った。

 舌がピリピリしたり、痺れたりはしなかった。

 恐らく、飲んでも大丈夫だろう。

 大翔と織美亜は両手で水を掬うと、ゴクゴクと飲んだ。

 美味しく冷たく、大翔はバシャバシャと顔を洗い、汗だくの頭にかけた。

 意識がしゃん、とした。

 デイパックを川原に置き、靴と靴下を脱いで、小川に踏み込む。

 大翔はもう我慢できず、シャツとズボンとパンツも脱いで、飛び込んだ。

 

「……ぜってえ、死んだと思ったもんなぁ……。あいつらがいたからよかったのだが」

 大翔は深く息を吐いて、水脈にだらりと仰向けになった。

 悠達とははぐれてしまったが、

 あんなところから雪崩落ちて大翔も小夜子もケガ一つしなかったのは幸運だった。

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻が来たのは、予想外だったが。

 

 五人が仰向けになって見上げると、遮るものが何もない空に、丸い月と星が浮かんでいる。

 これで空が赤くなければ、キャンプにでも来ているようだったのに。

 流れる水の音、聞こえてくるスズムシの声。

 何故か不思議と、五人は落ち着いていた。

 自然の中にいると、人間も、野性に戻ってしまうのだろうか。

 

 大翔は悠達の事が心配だったが、暗い中、下手に探して歩き回るのは危険だ。

 向こうには章吾と有栖、双子の姉弟がついている。

 彼らがいるなら、心配ないはずだ。

 

「おっしゃああっ!」

「あら、大翔?」

 何故だか大翔は妙にテンションが上がって、川でバシャバシャ泳ぎ始めた。

「きゃ!」

「……うし! さっぱりしたぁ! 復活!」

 小川から上がると、大翔は行動を開始した。

 力がみなぎり、生まれ変わったように勇気が出た。

 泥だらけになったシャツとズボンを小川でゆすぐ。

 ぎゅうぎゅうと絞ると、パンパンと皺を伸ばして、手近な木の枝に引っかけた。

 パンツだけは穿いた、紳士だからだ。

 デイパックから水筒を取り出し、水を汲む。

 サバイバルで一概大切なのは飲み水の確保だとか。

「問題は、メシだよなぁ……」

「せめて超能力で出せればいいんだけど。アタシは専門外なのよね」

 大翔は、ぐうぐう、と腹が鳴っている。

 食料の確保が必要だった。

 エージェント達も、食べなければ体力が減る。

「カレーにハンバーグに寿司、天ぷら……なんてわけにはいかないもんなぁ……」

「じゃあ、電気ショックを使う?」

「遠慮する」

 ついさっきまで大自然最高!

 なんて思っていたのに、あっという間に文明が恋しくなってきた。

「なけりゃ作ればいいだけだ! 見てろっ! 大場大翔の大自然自炊っ!」

 バシャンとまた顔に水をかけて、気合いを入れる。

 まずは、食料調達からだ。

 大翔はデイパックからナイフを取り出し、早速作業を始めた。

 狼王は斧で竹を切り倒した。

 崖下に生えていた竹から、細めのものを選んだ。

 大翔に渡した後、大翔はあぐらをかいて座り込み、竹から伸びた枝をナイフで落としていく。

 これで、一本の長い竿になる。

 両手で握り、感触を確認……よさそうだ。

 次は、糸だ。

 デイパックから、ツル植物を取り出した。

「……ちょっと、太いかもなぁ」

 ふと、足首に絡みついていた糸に気がついた。

 鬼グモの糸の切れ端だ。

 竹の先端にナイフで穴を開けると、糸を通して、しっかりと結び付けた。

 試しに糸をひいてみると、竹がしなった。

 後は……金属製のクリップが使えそうだ。

 祖父のメモ書きを挟んでいたのを外すと、ぐにっと曲げてJの字形にして、糸の先に結んだ。

 仕上げに、重り代わりの小石をくくりつけて完成。

「じゃんっ! 釣り竿っ!」

「まあ、素敵」

「なかなかね」

 大翔は出来上がった竹の釣り竿を掲げた。

「エサは、と……」

 大翔は竹の切れ端をスコップ代わりにして、ザクザクと土を掘った。

「いたっ」

 ミミズを見つけた。

 ツノが生えている、鬼ミミズだ。

 小さな牙をむいてのたくっている。

 気持ち悪いが、あの鬼昆虫の群れや鬼カブトや鬼クワガタを見た後だと、

 どうって事はない気がする。

「……鬼でもミミズはミミズなんだから大丈夫だろ」

「確かにな、だが油断するなよ」

 掴み上げ、クリップ針に刺した。

 小川に投げ込んで、しばらく待つ。

 釣りには忍耐が必要だ。

 少しすると、竹竿の先端がしなった。

 慎重に、竹竿を引き上げていく。

 鬼グモの糸は丈夫で切れる心配はなさそうだった。

 ビチビチと跳ねながら、魚が水面から釣り上がってきた。

 中サイズのヤマメだった。

 大翔はぴゅいっと口笛を吹いた。

 クリップを外して、平らな岩の上に置いた。

「六人分釣らなきゃな、時間はかかるけど」

 小夜子達は、少し離れた岩陰に隠れて、大翔が帰るのを待っているはずだ。

 またミミズをつけ、クリップ針を小川に垂らした。

 すぐに反応があり、釣り上げた。

―ガッチガッチガッチガッチガッチ……

 口を激しくガッチガッチと噛み合わせている謎の魚が釣れた。

 牙が生え揃い、目玉がやたらと大きい。

 当然のように、ツノが生えていた……鬼ザカナだ。

「もう、なんなんだよこの島は……。鬼のバーゲンセールかよ……」

「だからこそ、俺達の出番だな」

 大翔は釣り上げた鬼ザカナを見て、溜息を吐いた。

 エージェントなら超能力を使えるので、鬼を簡単に撃退できるが。

「食えんのかなぁ? これ……」

「大丈夫でしょ」

 とりあえず、とっておく事にする。

 ヤマメと共に、岩の上に並べた。

 鬼ザカナは、ガッチガッチガッチガッチ……只管、口を開け閉めしている。

「で、調理、か。……焼かねえと駄目だよな」

「パイロキネシス、使えないからね」

 自然の魚には寄生虫がいる事があり、生で食べるのはキケンなのだ。

 刺身にするわけにはいかない。

「火が必要だな。……へへっ。楽勝だぜ」

 魚が釣れて、俄然、テンションが上がってきた。

 サバイバルでの火の付け方は、有名だ。

 以前、大翔はマンガで読んだ事がある。

 大翔は、丈夫そうな木の枝を二本折り取ってきた。

 一本にナイフで小さく窪みをつけると、もう一本を嵌め込む。

 両手のひらで枝を掴み、ぐるぐると回す。

 こうすると、木と木が擦り合わさって、摩擦熱で火がつくのだ。

 大翔は一心不乱に、木の枝をこすり合わせた。

「……あれ、つかねえ。マンガだと、簡単についてたのに。どうしよう……」

「電気で火をつけようかしら?」

「いらねぇよ」

 すると、がさがさと草むらを掻きわける音が近づいてくる。

「なかなか戻ってこないから、来ちゃったよ。どう? 水は呑めそうだった? きゃあっ!」

 現れた小夜子の声は――途中から悲鳴に変わった。

「どうした!?」

 大翔は慌てて木の枝を放り出し、弾けるように立ち上がった。

 油断なく周囲を伺いながら、ダッシュで小夜子に駆け寄った。

「小夜! 大丈夫か?」

「大翔君、格好!」

―パチンッ!

 そっぽを向いた小夜子が、真っ赤な顔で後ろ手に大翔を指差している。

 大翔は思わず、下を向いた。

「ごごごごごめん! ちょ、ちょっと待って!」

 慌てて、木の枝にかけて置いたシャツとズボンをひっぺがして着込む。

 まだ湿りまくっているが、気にしない。

 それに、超能力があるから。

 

「もう。女の子が一緒にいる事、忘れないでよね」

 大翔が着替え終わると、小夜子は溜息を吐いて近寄ってきた。

 小夜子は幽霊なので、服はちっとも汚れていないし、

 泥なんてついてないし、汗一つ掻いていない。

 それはエージェントは周知の通りだが、大翔は当然、知らなかった。

 小夜子は両手に小さな赤い実を持っていた。

「それは?」

「木の実。よく食べたの覚えてるの。この島でしか取れない種類の実なんだって」

「ふうん……?」

「大翔君だけじゃ食科、見つけられないかと思って。そこの人達も戦う事しかできなさそうだし」

「おい」

「なんだよ。ちゃんと捕ったんだぜ? ほら」

 大翔は、並べた魚を指差した。

―ガッチガッチガッチガッチガッチ……

「……何、あれ……」

「……鬼ザカナ。普通の魚もあるから大丈夫だよ。ただ、火がつかなくてさ。

 パイロキネシスも使えないし」

「マッチとか、ないの? スプレー探ってた時に、花火見たよ」

 大翔は慌ててデイパックをひっくり返した。

 線香花火と一緒に、ライターが転がり出てきた。

 数百円のライターを、こんなにありがたく感じるのは始めてだ。

 大翔は駆け回って木の枝をかき集めると、地面に組み上げた。

 焚き火の基本、内側に小さく燃えやすいものを、外側に大きく長く燃えるものを配置していく。

 小枝にライターで火をつけると慎重に差し込んだ。

 やがて、火はゆっくりと燃え広がり始めた。

 後は絶やさないように木の枝を足していけば大丈夫だ。

 いざとなれば、麻麻が電撃を使い、静電気の要領で火を付けられる。

 つまり、バーニングスパークだ。

 小夜子がぱちぱち拍手する。

「凄いじゃん、大翔君。流石、男の子だね」

「別にこんくらい、大した事ないって」

(強さに性別なんて関係ないのに……ま、50年前の幽霊だし、仕方ないか)

 大翔はへへっと鼻の下をこすった。

 

―グウウウ

 腹の虫が盛大に鳴った。

 小夜子がクスクスと笑い、大翔は赤くなった。

「じゃあ、早速焼くぜ!」

「おう!」

 ごまかすと、木の枝を六本、小川で洗い、手早くナイフで尖らせた。

 六匹の魚に刺して、焚き火の脇に立てる。

 これで焼きザカナと、焼き鬼ザカナになるはずだ。

 後は待つだけだ。

 パチッパチッと火の音が響く。

 じっと待っていると、急に静けさが気になった。

 大翔は、ふと、視線を感じて顔を向けた。

 小夜子がすぐ横に座り込んでいた。

 膝を抱えて、じいっと、大翔の事を見つめている。

「……ほんとにそっくりだなあ。ひろくんと」

 懐かしいものでも見るように、目を細めている。

 その瞳に、大翔は何だか、どきりとした。

「ど、どんなやつなの? そいつ」

 大翔は慌てて顔をそらすと、木の実を手にとってかじった。

 体がぼうっと火照ってくるのは、きっと焚き火のせいだろう。

「わたし、生まれつき体が弱かったっていったでしょう?」

 膝を抱えて焚き火を見つめながら小夜子が呟いた。

「……」

「生まれた時から、長くは生きられないって、言われてたみたい。

 お医者さんの見立てでは……中学生には、なれないだろうって」

 何でもない事のように言う。

 大翔は息を呑み、狼王は何故力がなかったんだと無力感を抱く。

「今の時代なら、医学も進歩してそうだけどね。当時は、どうしようもなかったみたいなんだ」

「伝染病も魔女が広めたんだと思ったのよね」

「しかし、適当な事を言う医者だな……」

「魔女狩りよりはマシだけど」

 小夜子の顔色はいいし、昼間は走り回っていた。

 お医者さんの見立ては、ハズレたという事だ。

 大翔や小夜子が生まれた頃より、今は医学も進歩しているんだろう。

「だからね。わたし……友達、作らなかったんだ。だって、そうでしょ?

 どうせ長く生きられないなら、友達作ったって悲しいだけだもの。

 わたしはみんなみたいに、走り回って遊ぶ事もできない。外にも出られない。

 なら、いいや。一人ぼっちで。そう思ってたの」

 大翔は木の実をかじるのをやめて、小夜子を見つめた。

 人形のように綺麗な顔、三つ編みの髪、綺麗な女の子。

「ひろくんはね。そんなわたしを……叱ってくれたんだよ」

 小夜子は、じっと焚き火を覗き込んだ。

 火の向こうに、ひろくんがいるように。

「隣の家に住んでた、幼馴染だったの。よくうちに来て、遊んでくれたんだ。よく言われたの。

 『お前、自分は長生きできないっていうけど、医学は日々進歩してんだぞ。

 中学生になってから、友達、俺しかいないって、泣いたって遅いぞ』って」

「そいつの言う通りだったってわけか」

 パチパチと焚き火が爆ぜている。

 香ばしい匂いが漂ってきた。

 そろそろ、食べ頃だ。

 大翔はヤマメの串を掴むと、小夜子に差し出した。

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻は自分の分を食べる。

「わたしはいいよ。食べる必要ないもの」

「遠慮すんなよ。俺は、こっち食っちゃうから」

 小夜子に無理矢理串を握らせると、大翔は焼き鬼ザカナの串を掴んだ。

 目を閉じて、かぶりつく。

 見た目に反して味はいい……なんて事を期待したが、マズかった。

 あんなに食い意地張った鬼達が、共食いしないわけが分かった。

「ど、どう?」

「……うん。なかなかだな。ふわっとしていて、それでいてまろやかで……」

 適当に並べ立てながら、堪えてガツガツと喉に流し込む。

「ほら、小夜も食べろよ。木の実だって、食べてないじゃんか」

「……うん」

 小夜子は頷くと、そっとヤマメに口をつけた。

 

「幽霊は腹なんて空かないぜ」

「……?」

 狼王の呟きに、小夜子はピクリと固まり、大翔は頭に?マークを浮かべる。

 しばらくして、大翔は鬼ザカナをたいらげると、腹いっぱい、と腹を叩いた。

「ひろくん、よく、おにぎり持ってきてくれたんだ。自分が握ったから、食べろって。

 湿気になるおにぎりだからって」

 小夜子は俯いた。

「……病気、だんだん悪くなっていってね。

 わたし、だんだん、何も食べられなくなっていってね。

 ……でも、ひろくんのおにぎりだけは、食べられたんだよね。思い出すなあ……」

 喋りながら、小夜子はぽろぽろと泣き始めた。

「お、おい。大丈夫か? 泣くなよ……」

「ごめん。ママも、パパも、ひろくんも……誰とも会えなくなっちゃったから。

 ひ、人と一緒にご飯食べるのなんて、ひ、久しぶりで……っ」

「ふふ、アナタにはそうかもね」

「お姉さん……」

「任務……というのもあるけど、アタシ達はアナタが大好きなの。天国に導いてあげるわ」

 織美亜は小夜子に頷いてみせた。

「……ありがとう」

 小夜子はにっこりと微笑んだ。

 織美亜は、やはり、彼女は幽霊なんだなと思った。

 何しろ、生気が感じられないからだ。

 

 寝床は、岩陰に作った。

 上が屋根のように突き出している場所で、雨が降っても大丈夫。

 六人で落ち葉や、柔らかそうな草を集めてきて、地面に敷いて敷き布団にした。

「……こうしてると、何だか新婚さんの初夜みたいだねぇ?」

ーぶふへっ!

 大翔は激しくむせた。

 真っ赤になった大翔に小夜子は笑った。

「冗談だよ。大翔くん、お子様だねぇ」

「お、お前だってお子様だろうがっ」

「同じお子様でも、年季が違うのだよ。ふっふっふ」

「じゃ、交代で見張るわ。二人とも、安心して寝てていいわよ。

 超能力は意識がないと使えないからね」

 大翔と小夜子が眠りについた後、エージェントは交代で見張り番をした。




今後は、このようなミスがないようにします。


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65 やはり小夜子は

本田小夜子の正体が判明します。
まあ、大体想像できるんですけどね。


「俺は、夢を見ていたのか?」

 目を開けると、辺りはすっかり明るくなっていた。

 突きだした天井の岩の模様が見えている。

 朝日の眩しさに、大翔は思わず目を細める。

 エージェントが見張ったから、大丈夫だが。

 大翔は瞼をこすろうと、手を持ち上げかけた。

 

 寸前で止めたのは、本能のようなものだった。

 様々な鬼から逃れ、戦ってきた経験が、無意識のうちに大翔の体を押し留めたのだ。

 大翔は葉っぱの上に、仰向けになって寝そべっていた。

 横には小夜子もいる。

 大翔の服をぎゅっと掴んで、寝息を立てている。

 エージェントは、離れて見張りをしていた。

 岩陰の脇の地面に、たくさんの穴が開いているのに気づいた。

 その穴の一つから上半身を突き出し、ぼうっと佇んでいる生き物がいる。

 ……モグラだった。

 小山のような巨体、額から生えた角、鬼モグラだ。

 両手に生えた鋭い鉤爪。

 その手を地面に行儀よくついて、ぼうっと、何をする事もなく、突っ立っている。

 鼻先から、妙な突起が出ていた。

 密集した何十本もの髭が、傘のように大きく開いて、音もなくゆらゆらと揺れている。

(無闇に攻撃するのはまずいわね。仕留められなかったら……)

「……ん。……もう、朝……?」

 横で小夜子が、もぞもぞっと動いた。

 大翔はとっさに右手を動かし、小夜子の体を押さえた。

 その瞬間、鬼モグラの髭が――針金のように逆立った。

―シュババババッ!

 一瞬だった。

 麻麻の目の敵に、鬼モグラの顔があった。

 ほとんど瞬間移動のような速さで移動してきた。

 地面に仰向けになっている、大翔と小夜子。

 麻麻の腕に髭を突きつけ、これはなんだ? というように首を傾げている。

 巨体に似合わない、ビーズのような小さな瞳だ。

 バリボリと口を動かしている。

 何かを食べているようだ。

 骨がポロッと口の端から転がり落ちた。

 鬼ザカナの骨だ。

 鼻先の髭が、傘のように閉じた。

 モグラ、トガリネズミ形目、モグラ科、肉食。

 真っ暗な地中に生息するため視覚は退化している。

 ……つまり、目はほとんど飾りなのだ。

 大翔達の姿が、見えているわけではない。

 代わりに、発達しているのは触覚だ。

 遠くの小さな虫や動物が動く、ほんの僅かな振動をも察知し、一瞬で捕食する……。

―バッ

 鼻先の髭が、また開いた。

 視界の端で、何かが動いた。

 ツノの生えた鳥が、向こうの空を横切っていく。

―シュババババッ!

 次の瞬間、鬼モグラの髭が伸びた。

 ムチのように、数十メートルも。

 狙い違わず、飛んでいた鳥に巻きつく。

―シュルルルルルッ

 髭が巻き戻る。

 ピィピィと鳴く鳥――鬼スズメ――を、鬼モグラはポイッと口に放り込んだ。

 ぼんやりした顔のまま、ガツガツと喰っている。

―カラッ

 乾いた音がした。

 向こうで小石が地面に落ちたのだ。

―シュバババババッ! シュルルルルルッ! ガリッガリッガリッ!

 一瞬後には、鬼モグラは小石を噛み砕いていた。

 傘のように開いた鼻先の髭が、

 高性能なセンサーのように、辺り一帯の空気の振動を感知しているのだ。

 感知距離は、少なくとも3メートルはある。

 鬼モグラのテリトリーの中で少しでも動いたら、鬼であろうと人間であろうとものであろうと、

 あっという間に喰いつくされてしまう。

 光を使い、屈折によって姿を消せる阿藍なら、彼らに気づかれないかもしれないが。

 

 開いた髭が、ゆっくりと、大翔達に向かって伸びてきた。

 二人の体にべたりとつくと、これはなんだろう、と探るように動く。

 大翔は1ミリも体を動かさなかった。

 握り締めた小夜子の手にほんの僅かに力を込めた。

(モグラは、光に弱いはずだ……)

 阿藍は精神を集中し、鬼モグラに光を放った。

 流石の鬼モグラも光には対応できず、怯んで地面にたくさん開いていた穴に入り込んでいった。

 

「……」

 鬼モグラは、あっさり退散した。

 超能力というのは、実に素晴らしい。

「……早く、章吾達と合流しようぜ」

 小夜子に頷きかける。

「脱出しよう。……いつまでもこんな島にいたら、命がいくつあっても足りないぜ」

「アナタを導くのが、アタシ達の役目」

 

「――よし、あっちだな」

 立ち昇っていく煙を指差し、大翔は足を向けた。

 デイパックを背負い直し、釣り竿を肩にかける。

 島の中央、丘の最も高いところから、煙が立ち昇っているのだ。

 大翔達への目印に、章吾達が上げているのに間違いなかった。

 小夜子と連れ立って、エージェントと共に、煙の方へ登っていく。

「ごめん、ちょっとだけ、待っててくれるか?」

 民家の脇を抜けている時、大翔はそう言って小夜子の手を放した。

 小夜子の手は、冷たかった。

「どうしたの?」

「いや……ちょっと」

「……あ」

 小夜子は気づいたようで、顔を赤くした。

「もう。早くしてよね」

 大翔は走っていって、民家の庭先に回り込んだ。

 木々に向かって、用を足す。

 エージェントは、もちろん、見なかった。

「手、洗わないとだよなぁ……」

 デイパックは小夜子に預けてしまった。

 大翔はきょろきょろと辺りを見回した。

 この辺りの民家は、鬼カブトムシ達に壊されていなかった。

 古い木造家屋が連ねている。

 窓は全て雨戸が閉められ砂ボコリが積もっている。

 ずっと前に、廃村になって放棄された家々。

 と、向こうの方に、石が並んでいるのに気づいた。

 墓地だった、小道はあるだろうか。

 大翔は墓地の中を歩いて――その墓石を見つけた。

 大翔は足を止め、まじまじと墓を見つめた。

 ああ、そうか、と思った。

 不思議と、驚かなかった。

 彼女はケータイもインターネットも知らなかった。

 いくら田舎暮らしといっても、ここは日本だ。

 聞いた事くらいはあるはずだ。

 大翔が泥だらけになっても、小夜子は汗すらかいていなかった。

 食べる必要がないとも言っていた。

 エージェントは、何かを呟いていた。

 そして、小夜子は走り回っていた。

 外にも出られなかったと、言っていたのに。

 

『本田小夜子』

 その墓石には、小夜子の名前が彫られていた。

 名前の下に、亡くなった年が彫られている。

 大翔が生まれてもいない時代だ。

 

(お医者さんの見立てでは……中学生には、なれないだろうって)




次回は小夜子と共に、島を脱出しようとします。
鬼になった動物も襲い掛かります。


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66 地獄島からの脱出

6巻編はこれで終了です。
エージェントは子供ばかりで頼りにならないと思っています。


「よかった、無事だったんだね!」

 大翔達は、丘の上で悠達と合流した。

 四人とも、ピンピンしていた。

 聞けば、悠達は昨夜、海岸で野宿したらしい。

 大翔達と感じように、釣り竿を作って魚を釣り、焼いて食べた。

 さらに植物をとってきて、サラダにした。

「焼き魚、美味しかったんだよ~」

 悠がぺろりと舌なめずりして言う。

「金谷君が海水から塩を濾してくれたから、塩焼きにしたんだよ」

「釣れたて新鮮で、身がひきしまって、すっごく美味しかったわ」

「サラダもよかったのよね」

 葵がうんうん頷く。

「みんなでフルーツをとったの。金谷さんが海水を蒸留して、真水も保ってくれたし。

 不自由はなかったわね」

「夜はみんなでハンモック作って眠ったんだよ!」

「心配してソンしたわ」

「そっちは、どうだったんだ? 大翔」

「お、おう。こっちだって、魚釣って、焼いて食ったんだぜ」

「何が釣れたんだ?」

「ヤマメと……鬼ザカナ」

「もっといいのが釣れるスポットがあったんだがな。腹減ったからって、鬼とか食うなよ。

 その釣り竿も、作りがあめえぞ。いいか、大翔。釣りってのはな……」

「章吾、大翔に説教は馬の耳に念仏よ!」

 有栖が章吾を注意する。

 釣り初心者だったのに、一夜でもう達人レベルになってしまったらしい。

「で、お兄さんやお姉さんはどうなの?」

「問題ない」

「ご飯作って、お風呂焚いて」

「空いた時間で、イカダも作っちまったんだ」

「金谷君と金谷さんが二人でパパパーッて、作っちゃったんだよ」

「有栖がいなかったら時間がかかってたな」

「ありがとう。海岸においてあるから、いつでも脱出できるわよ」

 最早、大翔はずっこけた。

 

「じゃ、行きましょ」

「お、おう。よし! みんな! 脱出するぜ!」

「本当に仲がいいんだね、みんな。……羨ましいな」

 小夜子は楽しそうに笑っている。

 エージェントは何が何でも彼女を守りたかった。

(大丈夫、安心して。それがアタシ達の任務だから)

(お兄さん、お姉さん、わたしを島から連れ出して)

 小夜子は、そう言ってエージェントをじっと見つめた。

(死んでから、随分時間が流れたもの。流石にもう、この世に未練もないんだ。

 その間に、ママもパパも、死んで天国に行っちゃった。

 きっと、わたしがいなくて心配してる。二人とも心配性だったもの)

 エージェントは頷いた。

 それが、彼らの任務だからだ。

 

「イカダは浜辺に隠してある。行こうぜ」

 大翔達は、海岸へ向けて丘を降りていった。

 鬼だらけの島で一夜を明かして、みんな、どこか肝が据わった感じだった。

 海岸までもう数百メートルというところまで差し掛かった時……問題が起こった。

「……げっ! あれは……」

「さっきまでは、なかったのにい……」

 遠目に見えたのだ。

 海岸までの間の地面に……たくさんの穴が開いているのが。

 半径50メートルにも及ぶ穴ぼこ地帯が、海岸の真ん前に出現していた。

 鬼モグラのテリトリーだ。

「やばいぜ。穴、まだ新しい……」

「迂回しましょう。西の草地を大きく回り込めば、海岸に出られるはずよ」

 葵が西を指差した。

―ズガガガガガガガガガガガガガガッ!

―ジャキンッ! ジャキンジャキンッ!

 草地の方から、轟音が響いてきた。

 鬼カブトと鬼クワガタが、相撲を取っているのだ。

「じゃ、じゃあ東の林を回り込んでいこうよ……。

 あっちからでも、海岸に出られるはずだよ……」

 悠が言った。

―ギッチギッチギッチ、ギッチギッチギッチギッチ!

―ミンミンミーンミン! ミンミンミーンミンミン!

 林から、大量の鬼昆虫達の鳴き声と羽音が響いてきた。

「……やるしかないわ!」

 エージェントは一斉に身構えた。

 超能力で、鬼を一網打尽にしようとするのだ。

「あんなたくさんの鬼を、どうやって!?」

「大丈夫、私達には特殊な力がある。押しても引いてもダメなら……ぶつかるだけよ!」

 

 戦いは、大翔達の目から見れば一瞬だった。

 鬼は相当数が多く、力も強かったのだが、超能力の前では無力だった。

 とある世界のとある地獄島では、超能力を自在に操る者は真っ先に排除すべき参加者だが、

 この並行世界では超能力などの特殊な力を持つ者も認められる。

 そう、この四人のエージェントのように。

 

「よし、今だ!」

 海岸へ出た。

 全員、息を弾ませている。

「くそ、なんも見えねえっ!」

 海上には濃い霧が立ち込め、一面真っ白だ。

 対岸にあるはずの島が見えない。

 波が高かった。

 ざぶざぶと勢いよく浜辺に打ち寄せている。

「イカダは無事よ!」

 岩陰に隠していたイカダを有栖が引っ張り出した。

 竹を並べ、ツル草で結んだもので、オールまで用意してある。

「霧が出てるわ。今、行くのはキケンよ!」

「波も荒いよ。収まるまで、待った方がよくない?」

「だったら、超能力を使うまでだ」

 狼王は小夜子の手を掴む。

「それなら、安心だな。よしっ! 全員、しっかり掴まってろ! 振り落とされんなよっ!」

 砂底からオールを放すと、イカダは波に揺られ始めた。

 九人も乗っているのに、壊れる気配はない。

「うわあっ!」

「きゃあっ!」

 波は高く、荒かった。

 突き上げられ、ギシギシと軋む。

 振り落とされないようにみんなで手を握り合った。

 上下に、左右に、大きく揺れながら、イカダは島を離れていく。

 

「……ヒ、ヒロト。あれ……」

 悠が青い顔をして、海の向こうを指差した。

 大翔は悠の指差す先を見た。

 海面から、大きなヒレが突き出して、こっちへ向かってくる。

「ヒロト……。あれ、多分、あの生き物だよ……」

 悠が口元をひきつらせている。

「ほら、海難パニックホラー映画でおなじみの……。ホオジロとか……」

「悠、言うなよ……。聞きたくねぇよ……」

 バシャンっ、と、そいつが海面から顔を出す。

 鬼ザメ、肉食、大きな口、生え揃った乱ぐい歯。

 大口開けたまま、こちらへ向かってくる。

「じょ、冗談はスティーヴン・スピルバーグだけにしてようっ!」

 悠が錯乱する。

「俺が光で目晦ましするからな!」

「電気にも弱いわ! 水は電気を通すけど、それでも私は戦う!」

 阿藍と麻麻が身構える。

 二人は同時に光と電気を放ち、鬼ザメを怯ませた。

 その隙に、みんなでイカダを漕ぐ。

 ふと、大翔は、霧の向こうにぼんやりと、何かが見えているのに気づいた。

 ボートのように小さな舟だ。

 その上に、背の高い人影が立っているのだった。

 櫂を漕いでいる。

 霧に隠れて人影のはっきりした姿は見えなかった。

 

【天国へご用の方は渡し守の案内に従ってください】

 

「……お別れだね」

 ポツリと、小夜子が言った。

 振り向いた大翔の……目の前。

 小夜子は、にっこりと微笑んでいた。

「みんな、ありがとう! ちょっとしか遊べなかったけど……すっごく楽しかった!

 ひろくんに、よろしく伝えてね!

 わたしの分まで長生きして、こっちに来たらまた遊ぼうねって!」

 それから、じっと大翔を見つめた。

「……大翔くん」

 大翔の額に、そっと……唇を寄せた。

 

「……とってもカッコよかったよ」

 

 小夜子はブンブン手を振ると、バシャンと海に飛び込んだ。

 霧の向こう……小舟の方へと泳いでいく。

 小舟に乗っていた人影が手をかざした。

 

「小夜!」

 その瞬間、光がほとばしった。

 普通の人間なら眩しさに目を開けていられないほどの光のうねりが、

 小舟から広がって辺り一帯を包み込んだ。

 大翔達はぎゅっと目を閉じた。

 振り落とされないように、必死にイカダに掴まって、手を握り合う。

 

「小夜ッ!」

 大翔は眩しさを堪えて、目を見開いた。

 小船に乗り込んだ小夜子。

 權を持った人影の横にちょこんと座り込んで、笑ってこちらに手を振っている。

 

 小船は、海の上にいなかった。

 どんどん、どんどん、天高く、空を飛んでいた。

 渡し守が、小夜子を、あの空の向こう、天国へと。

 爆発するように、また光が広がった。

 

 再び、大翔が目を開いた時。

 空の色は、青に戻っていた。

 澄み渡るような、深い青空。

 海で釣りをしている時に見上げていた、夏の空。

 

「任務完了」

 エージェントはテレポートで去った。

 小夜子が言っていた「ひろくん」とは、大翔の祖父、大場博の事だったのだ。




次回は7巻編です。
母親を救うために鬼になる事を選んだ章吾は……?


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7章 さよならの地獄病院
67 休日出勤


7巻の始まりの始まりです。
この回の主役の阿藍は、それなりにまともな「大人」を目指しました。


 病気の母のお見舞い中、手術の成功が難しい事を知った章吾。

 それに対し、一人の少女はある悩みを抱えていた。

 

「……章吾……」

 その少女の名前は、金谷有栖。

 彼女は最近、双子の弟・章吾の様子がおかしい事に悩んでいた。

 いつもなら素直に乗るはずなのに、最近は有栖の言う事を無視している。

 超能力を使いたいところだが、弟の心を覗き見する事は、彼女にはできなかった。

 姉として、どう接すればいいのか、有栖は悩み続けていた。

 

「私、章吾の気持ち、もう少し理解したいのに……」

 有栖は章吾の気持ちを理解したいが、超能力を使うのはためらった。

 不思議な力で解決するのは、力ずくだと思ったからだ。

 しかしそれでも、子供だけでは解決ができない事も、有栖は知っていた。

 

「そうだわ、あの人なら……」

 有栖は意を決して、携帯電話を使った。

 

「おや?」

 その電話がかかって来たのは、数分後の事だった。

 阿藍が携帯電話を手に取ると少女の声が聞こえた。

 

―すみません、私の弟を助けてください。

 

 電話はそれだけ言うと、ぷつりと切れた。

 阿藍は不審な電話だと思っていたが、明らかに切羽詰まった声だった。

 今日は任務がないし、ずっとこの島にいようと思った。

 だが、少女の声が聞こえた以上、エージェントとして助けないわけにはいかなかった。

 

「……分かった。すぐに出撃する。……良いですか、司令官?」

「任務は無いが、行くのか?」

「誰かが困っていましたので……」

「鬼が関わるのであれば、許可しよう」

 エージェントの役目は、あくまで鬼を倒す事。

 それ以外は基本的に我関せずというスタンスだが、鬼が関わるなら糸村一は許可するという。

 IQ600の彼は、先の先を読んでエージェント達に指示を下す。

 今回もまた、鬼が関わるのだろうと読んだのだ。

「子供に鬼の手が及ばないように、我々が手を下すしかないのだ。単独では無力だからな……」

 大翔達は超能力などの特殊な力を持たない。

 だから、鬼に襲われたら、何らかの手を打たない限りすぐに食べられてしまう。

 エージェントはそんな鬼を倒すために、超能力を使って戦う戦士なのだ。

 

「……では、行ってきます」

 そう言って、阿藍はテレポートを使い、沖縄県から桜ヶ島に転移するのだった。

 

「本当に、彼一人でいいのですか?」

 阿藍を見送った麻麻は、一にそう言った。

 一はただ何も言わず、口を閉ざしたままだった。

 

 光の超能力者は、少女を助けるために奮闘する。

 だが、その“影”に鬼がいるという事は、まだ誰も知らなかった。

 

「鬼がいるなら……必ず、倒す」

 

 章吾は鬼に魂を売ろうとしていた。

 果たして、阿藍は彼の姉の力になれるのだろうか。




ハーメルンの最低文字数が1000文字なので、pixiv版とはちょっと異なります。
「短い文章での連続投稿はサーバーに負担がかかる」との事ですが。
〆る時はちゃんと〆るのですね。どこぞの誰かさんと違って。


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68 謎の黒い影

大翔達が章吾を追跡します。
章吾ってはっきり言って“マザコン”ですよね?


 放課後……阿藍は、有栖に連れられていた。

「私、弟が心配だから。確かに弟は能力は私に並ぶくらいだけど、精神面が脆いの。

 お兄さんなら分かってくれると思って」

「分かった、俺にできる限りの事はやろう」

 エージェントとして、超能力者として、そして一人の人間として。

 阿藍は、有栖の依頼を聞いてやる事にした。

 

 章吾が校門を出ていくと、大翔、悠、葵は、隠れていた植え込みの陰から飛び出した。

 阿藍と有栖も、三人の後をつけている。

「ふふ。僕らも、大分上達したよね、尾行。白井先生の時と比べてさ」

「……」

 頭を低くして電柱の陰へ滑り込みながら、満足そうに悠が言う。

 白井先生は既に殺されたのだが……。

「昨日、ハガキが届いてたぜ。

 もうすぐ一度、荒木先生が女の子と一緒に桜ヶ島に帰ってくるってさ」

「「ホント?」」

 悠と葵は声を揃えた。

 しいーっ、と大翔は口の前に指を立てた。

 荒木先生は、男子体育の先生だったが、紆余曲折あって追放された。

 桜ヶ島の街を追放された後も、時々、手紙で近況を知らせてくれていたのだ。

 

「本当に、章吾はこっちにいるのか?」

「私を信じて」

 有栖は阿藍の手を引き、こっそり三人を尾行する。

 三人と二人は距離を取って、章吾の後を追う。

 章吾は、迷いのない足取りで道を進んでいった。

 有栖は、章吾が病院に向かおうとするのを超能力で読んでいた。

 桜ヶ島総合病院……この街で最も大きな病院。

 五人は距離を置き、歩いていく章吾の後を追った。

 

 五人が追って角を曲がると、その道には、ざわざわと人が行き交っていた。

 何だか緊迫した空気が漂っている。

 桜ヶ島総合病院の、駐車場に面した道路だった。

 入り口に救急車が停まって、回転灯がくるくる回っている。

 立ち働く救急隊員に、取り巻く大人達。

 病院の方から、医者と看護師が飛び出してきて、急いで、と叫んでいる。

 こちらにまで緊張が伝わってきた。

 気づけば、章吾の姿は見えなくなっていた。

 人ごみに紛れてしまったのかもしれない。

 

「あれは?」

 辺りを見回していた大翔と阿藍は、妙な人影を見つけた。

 救急車のすぐ脇の、閉じたハッチの傍らに、じっと佇んでいる。

 おかしな格好をしていた。

 真っ黒なローブで、頭からすっぽりと身体を覆い隠しているのだ。

 血相を変えて動き回る医者や救急退院達をよそに、それは身動き一つしない。

 

「なあ、あれも病院の人なのかな?」

 大翔は人影に顔を向けて言った。

 葵は首を振った。

「病院関係の人は、あんな真っ黒の服を着たりしないわ。葬式を感想させるから」

「……気をつけて。あれ、多分、僕ら以外には見えてないよ」

「どういう事?」

 確かに、周りの大人達は、誰一人あの黒ローブの人影を見ていないようだ。

 19歳の阿藍に見えているのは、彼が超能力者だからだ。

「人がこんなにいて、誰もあれに注目しないなんて、おかしいよ。

 多分、この世の存在じゃないんだ。僕らも、あまり見ない方がいい」

「……」

 ひそひそと話し合う大翔達をよそに、救急隊員達は忙しく立ち働いている。

 救急車のハッチを開け、中から担架を引き出した。

 担架の上には、大人の男性が横になっていた。

 悠、葵、有栖が目を逸らす。

 男性は、全身血だらけだった。

(くそ、織美亜なら癒せたのに……!)

 歯ぎしりする阿藍をよそに、救急隊員達が、足早に担架を病院へ運んでいく。

 見ていた大翔は、はっと息を呑んだ。

 じっと佇んでいた黒ローブの人影が、動いたのだ。

 担架に乗せられた男の脇に、ぴたりとついていく。

 苦しげに息を吐く男を、じいっと見つめている。

 ローブから骨の手を出した。

 運ばれる男の左脚に、骨の手を乗せた。

 医者や救急隊員は、気にする素振りも見せない。

 やはり、見えていないのだ。

 黒ローブの手が、男の腕にズブリと沈み込んだ。

 手が引っ張り上がると、そこには意外なものが載せられていた。

 ロウソクだった。

 黒い燭台に載ったロウソクが一本、黒ローブの人影の手の上で、小さな火を揺らめかせている。

 黒ローブはロウソクに顔を寄せると……フッ、と息を吹きかけた。

 ロウソクの火は、ゆらりと揺らめき……消えた。

(織美亜……すまない……!)

 阿藍の顔色が青くなる。

 あの人影は、明らかにこの世のものではなかった。

(あいつ、何をしてるんだ……?)

 大翔はもっとよく見ようと、野次馬の間から身を乗り出した。

 と、黒ローブが、気づいたように顔を上げ、大翔と阿藍の方を向いた。

 大翔と阿藍は息を呑んだ。

 顔がなかったのだ。

 黒ローブの顔のあるべき部分には、闇が広がっている。

 次の瞬間、大翔と阿藍の目の前に、黒ローブが立っていた。

 底なしの闇のような顔から、声が響いた。

 今まで聞いたどんな音とも違う恐ろしく暗い声だ。

 周りの人々のざわめきが、百万光年も遠くなる。

 大翔は息を吸ったが、声も出ない。

 阿藍はじっと、人影を睨みつけている。

 

(これは!)

 いつの間にか、大翔と阿藍は鳥のように空の上から、桜ヶ島総合病院の一帯を見下ろしていた。

 Hの形の白い箱のような建物が見えた。

 病院の建物だろう。

 その中のいたるところに、赤々と灯っているものが見えた。

 ロウソクの火だ。

 何十、何百本ものロウソクが、病院の中に浮かんでいる。

 すぐに燃え尽きそうな短いものから、まだまだ持ちそうな長いものまで。

 さらに視界が上がった。

 桜ヶ島の街全体が見えた。

 何千、何万本ものロウソクの火が灯っている。

 もっと上がった。

 日本列島が、地球そのものが見えた。

 無数のロウソクの火が揺らめいている。

 

「これは……!」

 視界が下がっていった。

 桜ヶ島総合病院の駐車場の前に、大翔と阿藍は自分の姿を見つけた。

 立ち尽くした自分の胸の前に、一本のロウソクが浮かんでいる。

 黒ローブが、そのロウソクを指差して言った。

 やはり、大翔と阿藍には理解できなかった。

 黒ローブの吐く息に、ちろり、と大翔と阿藍のロウソクの火が揺らめく。

(俺をどうするつもりだ)

 黒ローブはまくしたてるように訊く。

 大翔の喉はからからに干上がった。

 しかし、阿藍は黒ローブを真っ直ぐに見て言った。

 

「消え失せろ」

 

 途端、視界が元に戻った。

 音も戻った。

 ざわざわとさっきと同じざわめきが、辺りを満たしている。

「ねえ、ヒロトってば」

 黒ローブの姿はなくなっていた。

 代わりに悠がゆさゆさと大翔の肩を揺すっている。

「どうしたの? ぼうっとして。大丈夫?」

「まあ、ショッキングな場面だったものね……。あの人のご冥福を祈りましょ……」

 葵が担架の方へ向けて、神妙に合掌した。

 それで、大翔は気づいた。

 担架の男の人は、亡くなっていたのだ。

 容体が急変し、医者が心臓マッサージをしたが、どうにもならなかったらしい。

(ロウソクの火を、吹き消されたからだ……)

(治癒さえあれば、助かったのに……)

 大翔の背筋を、ぶるりと冷たい震えが走った。

 阿藍は、悔しそうな顔をしている。

(あのロウソクの火は、命そのものなんだ……)

(あいつさえ倒せれば……)

 人の命の火を吹き消す存在に、大翔は恐怖、阿藍は義憤を感じた。

「――こんなとこで、何してるんだ? お前ら」

「章吾!」

 考えていると、突然、後ろから声をかけられた。

 四人はびくっとして振り向き、有栖は一瞬だけ笑顔になる。

 章吾が立っていた。

 コートのポケットに両手を突っ込んで、首を傾げて立っている。

「病院に用か? ケガか、病気でもしたか?」

「あ、いや……」

「それとも……俺を尾行でもしてたか?」

 章吾はにやりと笑って言った。

「……」

「あ、ばれた? お姉ちゃん、心配でね」

 呆然とする三人に、肩を竦めて見せる。

「バーカ。バレバレなんだよ。お前らヘッタクソだな、尾行。歩きながら、笑いを堪えるのに苦労したぜ」

「その割には、私達には気づかなかったのね」

 伊達に阿藍も有栖も超能力者ではない。

「で? なんか言い訳はあるか? 人の事、尾けるなんてよ。

 俺のぷらいばしー、侵害していいって?」

 章吾は口をへの字に曲げて、三人を睨んでみせた。

「ごめん、金谷く」

「弟を心配するのは姉として当然だからよ」

 有栖は謝らず、しかも割り込んだ。

「それより、さっさと帰れ。夜は危ねえ。

 ……ここは、お前らの来るようなところじゃねえんだ。ただし、有栖以外」

「私以外ってどういう事? ねえ、何があったの?」

 流石に姉には逆らえなかった。

 しかも、大翔、悠、葵、阿藍もいる。

 章吾は、渋々ふうっと口から息を吐き出した。

 顔を伏せ、言葉に迷うように、何度も口を開け閉めしている。

「実は……」

「あら、大翔達じゃない。こんなところで何してるの?」

 と、のんびりとした声が響いた。

 振り返ると、大翔の母が立っていた。

 隣には、悠の母、葵の母もいる。

 首を傾げて、子供達を見やっている。

「母さん達こそ、何してんの? こんなところで」

 突然現れた母に、大翔は戸惑った。

「仕事帰りに、お茶してたのよ。なじみの喫茶店があるの」

「ヒロトくん、アオイちゃん、こんにちは。元気してる?

 あれ、ショウゴくんとアリスちゃんと知らない人もいるじゃない。こんにちは」

「大翔はまたこんな遅くまでほっつき歩いて……。

 この前、叱ったばかりなのに、ちっとも懲りないんだから」

「……母さん達だって、ほっつき歩いてるじゃないか。な? 悠」

「あ、ヒロト、僕を巻き込まないで」

「大翔!」

 母はムスッと口をへの字に曲げて怒り、大翔は逃げるふりをした。

 逃げ回る二人に、葵は肩を竦め、二人の母達もニコニコ笑っている。

 大翔達は同じマンションの幼馴染で、母達もよく、一緒におしゃべりする仲だ。

 

「……これが、家族か……」

 その光景を見て、阿藍が、ぽつりと呟いた。




子供にしか見えないはずのあの影も、エージェントは見る事ができます。
次回は黒い影――死神との追跡です。


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69 死神の追跡

死神との鬼ごっこです。
グリム童話の死神は、某サイトで見た事はありますが、よく分かりませんでした。


「私ね、あなたの姉でよかったと思ってる」

 有栖は章吾と阿藍と共に、学校近くの公園に来ていた。

「章吾は、私が一番守りたい人なの。ほら、超能力者って孤独でしょ?

 でも、守る人がいたら、孤独じゃなくなるわ」

「うぐっ」

 痛いところを突かれて唸る阿藍。

 教えてくれたのは彼で、章吾の様子に、何か思うところがあったらしい。

 あの翌日、病院で働いている看護師に、それとなく訊いてきてくれたのだ。

「……ったく、強引な奴だな。ほんと、尊敬するぜ。真似できねえよ。有栖は自慢の姉だけど」

 地面に半分埋まったタイヤに座り込み、

 章吾は何か眩しいものでも見るように目を細めて、有栖を見上げた。

「この頃、あんたが悩んでるの……その事なんだな」

「だったら、どうだっていうんだ?」

「私と章吾の母さんが病気で死にそうだから、お兄さんが治してくれるの?」

「いや、俺は専門外だ。……でも、何か、力になりたいんだ」

「お兄さんに相談したの。ねえ、章吾……」

「世の中には、どうしようもない事があるんだよ」

「超能力さえあれば可能だ。俺達を信じろ」

「いい加減にしないと、ぶつわよ」

 阿藍と有栖は章吾を説得しようとした。

「……あの黒ローブ、見た?」

「……知らねーな」

「あれは死神よ。倒さなきゃいけないの」

 有栖は片手を開いて、章吾にそう言った。

 姉として、時にはこうしなければならないと。

 

「さて、作戦会議といくか」

「……」

 有栖は、章吾の揺らめく影を、ちらっと見つめた。

 

「はい! これが“死神”についての資料よ」

 でんっ……と、机に積まれた大量の本に、大翔と悠は口元を引きつらせた。

 桜ヶ島図書館、調べ物学習ルーム。

 図書館資料を使って話し合いのできるスペースだ。

 葵が机に本を山と積み、ほとんど将棋倒しのようになっている。

 ドサドサドサッ……と、端の方が崩れ落ちた。

「こ、これ、全部読むの……?」

 悠がうめいた。

「むしろもう読んだわ」

「「読んだの?」」

 二人は卒倒しかけた。

「いや、全文じゃないわよ? ポイントポイントだけ。

 昨日一日あったから、めぼしいものに目を通しておいたってだけよ。

 と、いってもね。残念ながら、参考になりそうなものはあまりなかったの」

 葵は一冊一冊本を手に取り、机の脇に避けていく。

「多かったのは、宗教に関する本ね。

 死神にまつわる信仰の歴史とか、興味深くはあったけど……あまり参考にはなりそうもないわ」

「きっと、その中には魔女もいただろうな」

「そうね……気になったのは、むしろこれかしら?」

 と、葵が手にしたのは、何故か『グリム童話集』だった。

「そこまで有名じゃないから、

 知らないと思うけど……グリム童話の中の一つに、“死神”が出てくるお話があるのよ。

 タイトルは『死神の名付け親』」

 葵は『グリム童話集』のページをめくりながら続けた。

「そのお話の中で、死神が、主人公を洞窟へ連れていくシーンがあるんだけどね。

 その洞窟の中に……人の命を表すロウソクが、たくさん並んでるの」

 大翔と悠は顔を見合わせ、頷き合った。

「うっし! じゃあ、その話を参考にすればいいな。

 作者が、実際に死神を見た事あるのかもしれねえし」

 昔の神話や寓話の中には、時々そういうものがあるという。

 作者の実体験が、時代を超えて、物語の形になって残るのだ。

「んで、葵。その話の中で、主人公は、どうやって死神をやっつけるんだ?」

「……あのねえ」

 勢い込んでいく大翔に、葵は呆れたように溜息を吐いた。

「これ、グリム童話なの。『少年ジャンプ』じゃないのよ。やっつけ方なんて、書いてないわ」

「じゃ、お話は、どうなるんだよ?」

「主人公は、死神に、自分のロウソクの火を消されて死んじゃうの」

「……その後は?」

「それで、おしまい」

「なんですって?」

「他の本も色々調べたんだけど、収穫なし。人間が死神退治に成功する話は見つからなかったわ。

 鬼退治の話はたくさんあるのに、死神退治の本ってないの」

 大翔、悠、有栖は唸った。

 葵は、それで思ったんだけど……と続けた。

「そもそも……やっつけていいようなものなのかしら? 死神って」

「当たり前だろ? 人を死なせるんだぜ?」

 何言い出すんだ、と首を傾げる大翔に、葵は難しい顔をして腕を組む。

「でも、仮にも神様なのよ?」

「神様ったって、死神だろ?」

「死神だけど、神様でしょ? グリム童話でも、死神は悪としては描かれてないの。

 むしろこの説は、死神を騙した主人公が、その報いを受けるって話なのよ。

 悪いのは、分をわきまえない人の方として描かれてる」

「よく言うな」

「死神だけど、神は神。人が死神を退治する昔話は見当たらない。

 ……きっとそれは、昔の人は、

 人が死ぬのは自然の摂理だって、分かっていたからなんだと思うの」

「だとしたら、超能力者(おれたち)はことごとく、自然の摂理に反しているだろうな。

 神様だって殺してみせる……とよく言うし」

「……あたし、あの黒ローブの人影が、そんな悪い奴だとは思えないの」

「何言うんだよ。救急車で運ばれてきた人、あいつにやられちゃったんだぞ」

「でも、あの人はもう死にかかっていたでしょう?

 死ぬ運命(さだめ)の人間を、あの世へ連れていく――それって、悪い事なのかな」

「俺はあいつに襲われかけたんだぜ」

「襲われたんじゃなくて、何か訊かれたんでしょ?」

 葵は訂正する。

「あたしの推理なんだけど……元々死期の近づいた人には、死神の姿が見えるんじゃないかしら。

 だからあの時、黒ローブ……死神は、大翔とお兄さんに近づいてきた。

 死神の事が見えてる大翔とお兄さん、あの世へ連れていくべき人間だと思って」

「そういや、悠、葵、有栖はあの時、どうしてたんだ?」

「僕、目、逸らしてたんだ。何となく、見ない方がいいと思って」

「あたしも」

「私も」

 大翔は肩を落とした。

 じっと見ていたせいで、大翔と阿藍だけ死神に目をつけられたらしい。

「でも死神は、すぐにおかしいって気づいたんじゃないかな。

 だって大翔とお兄さんは、どう見ても死期の近づいた人には見えないもの」

「むしろもう100年くらい生きそうだよね、ヒロトは」

「それで、問いかけていたんじゃないの?

 『どうして死神の姿が見えるのか?』とか、『お前は死にかけているのか?』とかそんな事を」

 確かにあの時、死神は、ずっと問いを発していた。

 辛抱強く大翔と阿藍に何か訊いているようだった。

 向こうにその気があるのなら、すぐに二人の火を消していたはずだ。

「死神には死神のルールがある。それは、運命とか天命とか言うかもしれない」

「だからこそ、逆らうと罰が下るのか」

 

 超能力者は、自然の摂理を無視するチカラを有するのを、阿藍は知った。




人間は運命や自然の摂理には逆らえない、という事が分かりましたネ。
しかし、エージェントはそれにも逆らえる恐ろしい存在なのです。


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70 死神との戦い

死神は敵か味方か? そんなお話です。
オリキャラの出番が多いのでご注意ください。


「……何だよ、葵。難しい事ばっか言って。じゃあ、どうしろっていうんだよ」

 図書館からの帰り道。

 葵はそのまま塾へ行くというので別れ、大翔とは自宅のあるマンションへの道を歩いた。

 ここのところ、陽が暮れるのが早くなってきた。

 地面に四人の影が伸びている。

 四人は影を淡々と踏みながら歩く。

「そういえば、章吾は結局来なかったわね」

「仕方ねえさ。章吾は病院にいたいっていうから。こっちはこっちで作戦を考えようぜ」

「関本くんや伊藤くんは、誘わなくていいのかな?」

「絶対言うなって、章吾に言われた。

 和也や孝司にまで家族の心配なんてされたら、もう学校いけねえって」

「姉としては、やっぱり弟が心配だわ。絶対、誰かに目をつけられるのに」

 冷たい風が吹き抜け、散った葉っぱの上を踏みしめる。

 大翔と有栖は何だか、気分が晴れなかった。

 腕の中で、小さな不安が疼いている。

 章吾が姉を頼ってくれて超能力者と相談をすれば、上手くいくはずなのに。

(何、弱気になってるのよ、私)

 死神は、超能力を使えば、簡単に倒せるのに。

 

「……有栖」

「何よ、お兄さん」

 と、隣で阿藍が口を開いた。

 短いが、はっきりとした声。

 有栖は瞬時に気を引き締めた。

 依頼した人の声に、緊張を感じ取ったのだ。

「そのまま、聞け」

「何?」

「……俺達は、尾けられてるようだ」

 思わず後ろを振り向こうとして、有栖は慌ててやめた。

 いくら超能力を使えるといえど、力は弱いからだ。

 前を向き、変わらない調子で歩いたまま、訊く。

「この前のお返しで章吾がイタズラ……じゃないわよね?」

「いや、あの黒いローブ姿の奴だ。……死神だ」

 阿藍も歩調を変えずに歩きながら言う。

「後ろの方……電信柱の陰から俺達を見てる。様子を伺ってるみたいだ」

「なんで、あいつが……」

「待て!」

 阿藍が、先制攻撃を仕掛けた死神に、光を放って牽制した。

「やるしかない。死神を払うしかない」

 強力な超能力を使えるのは、阿藍だけだ。

「俺が死神を倒す! お前達はここで待っていろ!」

 阿藍は大翔、悠、有栖を守るように立つ。

 戦いには絶対の自信があるため、阿藍は真剣に死神を見据えた。

 

 しかし、死神との戦いは苛烈を極めた。

 というより、阿藍の攻撃は、全く効かなかった。

 暖簾に腕押し、糠に釘、いくら攻撃しても手応えが感じられない。

 

(光の力を使ってる俺が死神に負けるだと……!?)

 阿藍は焦りを感じていた。

 超能力者なら死神を倒せるはずなのに、何故か死神を倒す事ができなかった。

 どういう事だ、と阿藍が思うと、死神が阿藍が頭の中に語り掛けた。

 

(……これ以上近づくな、だと? まさか、鬼が関わっているのか?)

 だとしたら、自分のやり方は間違っているのだろうか。

 しかし……自分はエージェントだ、死神を見逃すわけにはいかない。

 阿藍が首を振って死神の言葉を否定すると、死神の言葉は阿藍には聞こえなくなった。

 

(章吾を狙っているのは死神ではなく、鬼? だとしたら、俺が倒そうとした奴は……)

 もしかしたら、自分の敵ではないかもしれない。

 阿藍がそう思うと、死神の姿は彼の前から消えた。

 そんな阿藍に、有栖がやってくる。

「どうしたの、お兄さん? 何かあった?」

「……何でもない」

「何でもない、じゃないわ。私に何か言って」

 やはり力が弱くても超能力者は超能力者、有栖には阿藍の考えがお見通しのようだ。

 阿藍は仕方なく有栖にだけ聞こえるように話した。

 

「……死神は、敵ではないのね」

「ああ……だが、それを大翔が気づいたら……」

「黙っておきましょう」

 有栖と阿藍は、自分だけの秘密を守るのだった。




次回はいよいよ、大翔達が章吾に接触します。


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71 章吾の選択

章吾が選んだ道は、光か闇か。
そして、大翔達は死神に戦いを挑みますが……。


 決戦は、土曜日だった。

 大翔達は昼過ぎに、桜ヶ島総合病院に集まった。

 面会者用入り口で受付を済ませ、中へ入る。

 

 休日の病院は、がらんとしていた。

 入院患者のいる病棟以外、お休みなのだ。

 正面入り口の自動ドアはシャッターがおり、外来ロビーの周りは静まり返っている。

 大翔、悠、葵、章吾、有栖、阿藍の六人は、ロビーのソファに陣取った。

 

「母さんの手術は、今夜だって聞いてる。死神が狙ってくるのは、絶対にその時だろう」

 ひっそりとしたロビーに、章吾の声が響く。

「そうだな。……死神はそういうものだし」

「奴らが姿を表すのは、日没後。恐らく手術の最中か、終わった直後に、仕掛けてくるはずよ」

 やけに淡々とした口調で、有栖は言う。

「来ないって事は、ないのかな……?」

 遠慮がちに、悠が言う。

「手術ばっちり成功して、お母さん元気になってさ。

 それを見た死神も、あ、これは違うかな~……なんて言って、帰っちゃうの」

「ない。ほとんど見込みのない手術だって、医者から聞いてる」

 まるで感情のこもらない、事実を告げるだけの声。

 章吾の話し方に、大翔は何だか違和感を覚えた。

「せめて、俺に治癒の能力があればいいのだがな。彼女も連れてくればよかった」

 阿藍が眉をひそめる。

「いい加減にして、章吾。あなたがそんなに思い詰めるなんて、どうしたの?

 治るって信じないの?」

 有栖は章吾に対し、冷たくも穏やかに言った。

 彼女に怒りの気持ちはなく、ただ、章吾を説得したいという気持ちだけがあった。

「すまない、有栖、俺は選んだんだ。いくら姉でも、これだけは……譲れなかったんだ」

「章吾……」

 だが、有栖の声は、章吾には届かなかった。

 有栖はがっくりと肩を下ろした。

「それで作戦なんだが……奴らが現れたら、お前らで(おび)き出してくれ」

「誘き出す?」

「ああ。死神どもは複数でやってくるはずだ。一匹では、狩れないと踏んでるだろうしな」

 章吾は挑戦的に笑った。

「一匹一匹、ばらばらに来られると目障りなんだ。二ヶ所に集めて始末したい」

 まるで害虫駆除の話のような口ぶりで言いながら、院内図を指した。

「誘き出す場所は、屋上がいいだろう。広いし、人も近づかないからな。

 カギはあらかじめ俺が入手して開けておく」

「章吾と有栖は、どうするんだ?」

「俺と有栖は母さんの傍――手術室の敵を見張る。

 お前らが奴らを引き付けるのを確認したら、先に屋上へ行ってる。

 その後は……俺と有栖が何とかする」

「何とかって……具体的には?」

 葵が口を挟んだ。

「そこが一番大事な部分でしょ? 死神をやっつける方法がないまま、その作戦は成立しないわ」

「安心しろ。超能力者がいるじゃないか」

「俺は却下」

「なんで私を信じないのよ、章吾。私は……あなたの姉なのに」

「……そうだな」

 章吾は、有栖の言葉に僅かに揺らいだ気がした。

「さ、問答無用、円陣組みなさい!」

 有栖の言葉で、六人は円陣を組む事になった。

 しかし、いつもの結束は、なかった。

 

 病室に案内された大翔達。

「……大翔君に、悠君に、葵ちゃんに、お兄さんね。わざわざお見舞い、ありがとう。

 いつも有栖と章吾から話は聞いてるわ」

 有栖と章吾の母は入ってきた四人に笑顔を向けた。

 綺麗で、優しそうな女性だった。

 体に刺した管がなければ、もっと綺麗なんだろうなって思う。

 ベッドに横たわった彼女を見て、不機嫌だった葵も、怒りは消えたようだった。

 気づかわしげに有栖と章吾を見た。

 章吾は一人、部屋の隅に立ったまま、背中を向けて顔を背けている。

 有栖はそんな弟を、悲しそうな目で見ていた。

「……気にしないで。友達の前でお母さんといるの、恥ずかしいんでしょう」

 有栖と章吾の母はくすくすと笑った。

「みんな、いつも有栖と章吾と遊んでくれてありがとう。

 有栖はしっかり者だし、章吾は素直じゃない子でしょう?」

 お見舞いのお菓子を渡しながら、大翔は頷いて……あ、いや、と首を振った。

「素直かどうかは分かんないけど……章吾は凄い奴です。有栖も、不思議な魅力を持ってます」

「そうかしら?」

「うん。何でもできるんだ。すっげえよ。運動も勉強も、学校トップなんだ。

 有栖だって、互角かもしれない」

「それだけじゃない?」

「それだけって?」

「運動と勉強くらいしか、できないって事。肝心な事がダメな子で、心配してるのよね。

 有栖がそこら辺を補ってくれるけど」

 有栖と章吾の母は、困ったように溜息を吐いた。

 大翔は、ああ、お母さんなんだ、と思った。

 自分の子供の事だから、ケンソンしているのだ。

「謙遜じゃないの。私は、章吾より大翔君の方が、凄いと思ってるのよ。

 章吾は、有栖がいなきゃ半人前だから」

 有栖と章吾の母は大翔の心を読んだように言った。

 大翔は返事に困った。

「……お世辞なんていいって」

「本当よ。有栖の話からだけでも分かるもの。

 ……本当に大事なところで、大翔君の方がいつも上を行っていて、章吾はちっとも敵わない。

 章吾はそれが悔しいから、あなたをライバルだって認めてるのね。

 有栖は、そんな双子の弟を精神的に支えたいのよね。ああ見えても有栖は、優しいんだから」

 大翔の方が上を行っている?

 そんなもの、あるはずなかった。

 ……大翔はちらりと有栖と章吾を見た。

 有栖は僅かに笑みを浮かべ、章吾は顔を背けて、黙ったままでいる。

 

「……一つ、みんなにお願いがあるんだけど、いいかしら?」

 お見舞いを終え、部屋を出る前、有栖と章吾の母が言い出した。

「考えてたの。これから有栖と章吾がもっと体が大きくなって、

 力も強くなって、反抗期とかになったら、どうしようって。

 私、この通り体が弱いでしょう? 腕力と持久力じゃ、とても敵わないもの」

 有栖と章吾の母は、考え込むように首を捻った。

 大翔はやっぱり、ああ、お母さんだ、と思った。

 自分の手術の前なのに、頭の中は、有栖と章吾の事ばかり。

「だから、その辺、みんなに頼みたいのよ。

 もしもこの先、あの子達が何か、分からない事を言い出したらね。

 その時は、遠慮する事はないわ。私に代わって、あの子達を……」

 有栖と章吾の母は、拳を握ると……にやりと笑って宙に振るった。

 

「ぶん殴っちゃって」

 

 窓から射し込む光が、夕焼けの朱に染まっていく。

 大翔、悠、葵、阿藍の四人は、有栖と章吾を病室に残し、

 一度面会カードを返して病院を出て、それから、すぐに引き返した。

 頭を低くし、抜き足差し足で、面会者用入り口の受付下を潜り抜ける。

 受付のおばさんも、まさか子供と超能力者が夜の病院に忍び込もうとするだなんて、

 思わなかっただろう。

 四人は病院内を歩いて、死神を誘き出すルートを確認した。

 内科、外科、眼科……各科の診療室、X線検査室、CT撮影室、

 内視鏡室……人に見つからないよう注意しながら、探索して回る。

 患者の家族である有栖と章吾は別として、大翔達は見つかったら摘まみ出されてしまう。

「……よし、ここは俺がやろう」

 阿藍は光を操る能力がある。

 大翔達に光を浴びせると、四人の姿が消えた。

「何をしたんだ?」

「光の屈折を利用して、お前達の姿を消した。音を立てなければいいだろう」

「ありがとう」

 

 やがて陽は暮れ、廊下は暗がりに沈んだ。

 非常灯の明かりと、大翔達を包む光が、ぼんやりと浮かび上がっている。

 下調べは済んだ。

 どういうルートで走るか、細かく打ち合わせた。

 だが、準備万端なのに……大翔の胸の中の不安は、どんどん大きくなってくるばかりだった。

 阿藍もまた、鬼がいないかどうか、不安だった。

 

 20時を過ぎた。

 有栖と章吾の母の手術が始まる時だ。

「……出てきやがったぞ」

 二階の窓から敷地を見張っていた大翔は、窓から外を指差した。

 空にはぽっかりと満月が浮かび、窓越しに廊下を照らし出している。

 桜ヶ島総合病院の敷地の周りは、緑の植え込みで囲まれている。

 その植え込みの陰から、ぽつ、ぽつ、と……まるで水面に墨汁でも垂らすように、

 ローブを纏った人影達が、次々と滲み出てきた。

「……金谷さんの言った通り、たくさんいる……」

 悠が呻き、大翔と阿藍は頷いた。

 死神達は、敷地のあちこちから沸いて出ていた。

 同じような人影が十数体はいるだろうか。

 誰からともなく正面入り口へ集まっていき、輪になり、頭を突き合わせている。

「何を相談してるのかしら……」

 葵が眉をひそめた。

 彼女の言う通り、死神達は、何かを話し合っているようだ。

 病院の建物を指差し、盛んに声を上げている。

「そりゃ、どうやって有栖と章吾のお母さんを狙うか、話し合ってるんだろ」

「そんな風には、見えないんだけど……。何か……慌ててる感じじゃない?」

「……」

 葵に言われて、大翔と阿藍は改めて見返した。

 確かに、死神達は、何か慌てて相談しているように見える。

「何が言いたい」

「おかしいと思う。

 だって、金谷さんと金谷くんのお母さんの事は、今更慌てるような事じゃないはずでしょ?

 死神達にしてみれば、準備万端だったはず」

「じゃあ、なんであいつらは慌ててるっていうんだよ……?」

「つまり……死神達にとって、何か想定外の事が起こってるって事じゃない?」

「鬼だな?」

「うん、お兄さんの言う通りだと思う」

 悠が呻いた。

 彼の顔色が真っ青になっている。

「……あたしも悠に賛成。死神達の様子が、想定と違うわ」

 葵が唸った。

「大翔、お兄さん。……作戦、中止にすべきかもしれない」

「分かっている。鬼ではない事からも分かっている。……鬼が絡んでいる」

 阿藍も病院から引き返す事を命じるが、大翔は首を横に振った。

 ここまで来て撤退するなんて、大翔には考えられないからだ。

 すると、固まっていた死神達が、病院の正面入り口に向けて、走り始めた。

「仕方ないな。とりあえず、死神を追いかけるぞ」

 

 四人は階段を駆け下りた。

 正面入り口から通じるロビーへ向かい、四人はロビーへ飛び込んだ。

 明かりと非常灯にぼんやりと照らされた、だだっ広いロビー。

 その暗がりの中に、一体、佇んでいた。

 真っ黒なローブ姿の小さな人影だ。

 直感的に分かった。

 その死神は、図書館からの帰り道、大翔達を尾けてきたのと同じ奴だった。

「光よ!」

 死神が声を発そうとすると阿藍が光を放ち防いだ。

 と、シャッターの降りた自動ドアの向こうから、別の死神が現れた。

 先の死神と同じ姿だが、サイズが少しだけ大きい。

 見る間に数が増え始めた。

 三体、四体……次々にドアをすり抜けて、ロビーに集結する。

 大翔達を見ると、何か大声で叫び始めた。

「……いいな? 作戦通り行くぞ」

 大翔は腰を落とし、頷きかけた。

 悠、葵、阿藍が頷き返す。

 と、死神の一体が前へ進み出た。

 他の死神よりも二回り大きい。

 羽織っているローブの色も、黒ではなくワインレッドだ。

 ローブから腕を出した。

 骨の指で四人を指差しおぞましい声で何か呟いた。

 大翔の体の中が、一瞬、凍りついたように冷たくなった。

 全身の血に水を注ぎ込まれたように。

 

「……!」

 気がつけば、大翔は蝋燭を手に持っていた。

 自分の左手が、いつの間にか、蝋燭の載った黒い燭台を握り締めている。

 小さな小さな火が、蝋燭の左端に灯っている。

 横を向くと、悠、葵、阿藍も同じだった。

 燭台の取っ手を掴んだ二人の顔が、みるみる青ざめていく。

 対して、阿藍は全く動じていなかった。

「お兄さん、平気なの?」

「……」

 阿藍は黙して語らない。

―ヒュウッ

 隙間風が吹いた。

 蝋燭の火が、ちろちろと揺らめいた。

 大翔は慌てて、右手で火を庇った。

 病院の、死神に火を消され、息絶えた男の姿が頭をよぎる。

 全身から冷や汗が噴き出した。

 蝋燭を庇う大翔達に、死神が高らかに笑った。

「あれは……」

 ふと、ロビーの中ほどに置かれた、ホワイトボードに目が行った。

 普段は病院のお知らせが書かれているものだ。

 真っ赤なマジックペンで、書き殴られていた。

 

 死神ごっこのルール

 ルール1:子供は死神から逃げなければならない。

 ルール2:死神は子供を捕まえなければならない。

 ルール3:能力者は、何をしても構わない。

 ルール4:子供と能力者は、死神を一ヶ所に集めれば勝ち。

 ルール5:蝋燭の火が消えた者は……

 

 ……さっきまでは書いてなかったはずだ。

 最後に書かれたルールを見た阿藍は、鋭い目になった。

 

「ルール6:友達を捨てた子供が優勝」

 

「……ふざけるな」

 阿藍が吐き捨てると、死神達はもう大翔達に構わず、ロビーを奥へ進んでいこうとしていた。

 その前へ、大翔は立ちはだかり、阿藍は彼の後ろに立つ。

「……行かせねえぞ。有栖と章吾のお母さんのとこには」

 必死に睨みつける大翔に死神達が顔を見合わせた。

 二言三言、何か話し合う。

 それから二手に分かれ、半数が四人に向き直ってきた。

「悠、葵、そこのお前、行くぜ! 絶対に、蝋燭を落とすなよ!」

「……この追いかけっこは酷いよぉ……」

 涙目になった悠の左手で、燭台がかたかたと震えている。

「だったら、倒せばいいんだ……」

「息を吹きかけるな! 手で火を庇うんだ! 行くぞ――走れっ!」

 大翔は燭台を体の前に掲げ、くるりと背を向けて走り始めた。

「ムチャだよぉお」

 泣きながらも走り去っていき、葵も別方向へ走り始めた。

 死神達は、分かれて追ってきた。

 大翔と阿藍についた追っ手は二体。

 廊下の上を、滑るように迫ってくる。

 階段を上がり、大翔は走る速度を上げた。

 蝋燭の火が、ちろちろと揺らめく。

 慌てて、大翔は速度を落とした。

 あまり速く走ると、風圧で火が消えてしまう。

 曲がり角を折れた。

 長い廊下が続いている。

 予定のコースだった。

―ビュウウウウウウウウッ

「無茶をするなよ」

 阿藍が冷静に言う中、大翔は唖然とした。

 風が吹いていた。

 廊下向こうの窓が全開になって、外から風が吹き込んでいるのだ。

 風を受け、蝋燭の火が激しく揺らめいた。

 大翔は必死に、体全体で火を庇い、阿藍は光の力で風を防ぐ。

 後ろから死神達が追ってきた。

 前方に強風、後方に死神……捕まれば、どちらにしろ終わりだ。

 右手と上半身で火を庇うようにしながら、大翔は廊下を走ると、つるっーと、足が滑った。

 しまった、と思う間もなく、大翔の体は廊下に叩きつけられた。

 とっさに全身をクッションにして、左手の燭台だけは衝撃を逃がし、火が揺れる。

 ノータイムで立ち上がり、阿藍と共に廊下を駆け抜けた。

 開いていた窓を叩き閉めた。

 火は無事だった。

 小指の先ほどの大きさで、燃え続けている。

 大翔はぜえぜえと息を吐いた。

 

「待て、大翔」

 阿藍に言われて振り向くと死神達はまだ遠かった。

 全く、距離を詰めてこない。

 まるで大翔と阿藍の走りに合わせているようだ。

 距離を詰め過ぎず、話し過ぎず、追ってきている。

 本気で二人を捕まえる気がないのだ。

 こいつらは、あえて誘き出されている。

 大翔達が向かう場所へ……そこにいるはずの奴らに用があって。

 

「……こいつらの狙いは……」

「有栖、章吾……!」




死神の狙いは、まさかの金谷姉弟だった!?
次回はもう一つの敵との対決です。


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72 影鬼

7巻編はこれで終了です。
ここがある意味ターニングポイントとなりますネ。


 暗闇の中に『手術中』のランプが、ぼんやりと赤く光っている。

 長い廊下の一番奥に、手術室はあった。

 金谷章吾と金谷有栖は、手術室の前に立っていた。

 リノリウムの床を踏みしめ、ランプを見上げたまま、じっと動かずにいる。

(……治ると私は信じているわ)

 有栖が祈る中、廊下の入り口の方から、死神達がやってきたのだ。

 獲物を逃がさないようにだろう、廊下の横幅いっぱいに広がり、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 章吾はコートのポケットに両手を突っ込んだまま、床へ向かって話しかけた。

「思ったより数が少ない。大翔達が結構持っていってくれたみたいだな」

『肩鳴らしってところだね、章吾。あの赤い奴にだけ注意して。リーダーだ』

 死神の一匹が進み出た。

 他の死神より二回り大きく、ワインレッドのローブを纏っている。

 大声を張り上げた。

 有栖は弟の影を見て、こう言った。

「何を言ってるのかしら」

『人として許されない行為。生命への冒涜。鬼の言う事なんて聞くな。早まるな、よせ』

「やめて、章吾!」

 有栖は気づき、章吾の腕を掴もうとするが、章吾は片手で腕を振り払う。

 章吾はポケットから手を抜くと振り向いて笑った。

「もうおせえよ、タコ」

「章吾! 私の声が聞こえないの!? 章吾!!」

 有栖の必死の叫びも空しく、死神の悲鳴が聞こえてきた。

 まるで、断末魔の絶叫のようだった。

 

 大翔は胸騒ぎが止まらない。

 廊下を走りながら、燭台を持つ左手が震えた。

 阿藍もまた、依頼主の有栖を心配していた。

「ヒロト!」

「お兄さん!」

 三階に上がると、十字に伸びた廊下の左右から、悠と葵が走ってきた。

 後ろに死神を二体ずつ引き連れ、ロウソクを落とさないよう小走りにやってくる。

「こっちだ!」

 合流すると、四人はそのまま廊下を直進した。

 死神達も合流してついてくる。

 全部で六体、大翔達は階段を駆け上がった。

 四階へ上がり、廊下を抜けて、屋上へのドアを押し開けた。

 月明かりに照らされた屋上に、四人は駆け込んだ。

 打ちっぱなしのコンクリートに、ベンチが数脚置かれている。

 頭上には給水塔、背の高いフェンスの向こうには、桜ヶ島の街並みが見下ろせる。

 風は止んでいた。

 

「来たぜ、章吾!」

「無事か、有栖!」

 大翔と阿藍は叫んだ。

 入り口のドアを死神達が、次々に通り抜けてくる。

 ふわふわと滑るように近づいてくると、大翔達を取り囲んだ。

「章吾っ!」

「有栖!」

 声は響いて消えていき、有栖と章吾は出てこない。

 暗く沈んだ病院の窓が並んでいる。

 死神達は大翔達を取り囲んだまま、何かを待つように動かない。

「章吾っ!」

「有栖!」

『……あの双子は来ないよ』

 声が響いた。

 同時に、大翔の足は、ガクン、と動かなくなった。

「どうした、大翔……!」

 大翔が彼の影を見ると、そこから鬼が現れていた。

 屋上の床面に針と糸で縫いつけられたようにびくともしない。

「くっ……。ま、また……っ!」

「ちょっと、何、これっ……!」

「足が動かないよう……!」

 葵と悠も、慌てたように足を見下ろしている。

 阿藍だけは、超能力者なので無事だった。

『捕まえた。濃い影ができるのを待ってたんだ』

「だ、誰だっ!」

 大翔は辺りを見回した。

 声は明らかに死神のものではなく、別の誰かがいるのだ。

「どこにいるっ! 隠れてないで、出てこいっ!」

『……まったく、みんな、同じ事を言うんだよなぁ。隠れちゃいないよ。ここだよ、ここ』

 声は……足の下から聞こえた。

 打ちっぱなしのコンクリート。

 その上に、月明かりがたくさんの影を描き出している。

 フェンスの影、給水塔の影、大翔、悠、葵、阿藍の影。

 死神達には影がない。

「くそ、影鬼か!」

『……お兄さんは気がついたみたいだね』

 光に照らされると影ができる。

 阿藍に気づかれた影鬼は、姿を現した。

『確かにおいらは、体を持って生まれてくる事ができなかった、できそこないだよ。

 でも、影の世界ではおいらが王様なんだ。無視するな。話をする時は、こっちを向けよ』

 大翔、悠、葵が真っ青になっている。

「あなたは……影鬼、よね? お兄さんの言う通りなら」

 床面に映った影をじっと見詰めて葵が問いかけた。

『そう。影の癖に鬼なんて、って顔だね? まあ、そういう反応は慣れっこだよ。

 無視されたり、踏みつけられるのは慣れてる。でもおいらは鬼なんだ』

 コンクリートの上で胸を張った。

『キミらは死神の仕業と思ってたみたいだけど、死神がそんな事をするわけないんだ。

 そいつら、筋金入りの運命主義者だから』

 と、影鬼は死神達を指差した。

 死神達は何の反応も示さない。

『機械みたいに頭が固いんだ。

 運命に死ぬと決められた人の火は消すけど、決められていない人の火は決して消さない。

 ま、ジャマな奴には脅しくらいはかけるみたいだけど』

 影鬼は、大翔達の持ったロウソクを指差した。

『あの日、おいらはこっそり地面の上から、お前らの命を狙ってたんだ。

 死神はそれに気づいて、おいらを牽制してたのさ。

 運命で死なない予定のお前らが、おいらにやられることが内容にね。困っちゃったよ』

「じゃあ、あの時、死神は……」

『そう。お前達を狙ってたんじゃない。守ろうとしてたんだよ。

 なのに、お前達、死神から逃げちゃうから。お前に至っては、死神を倒そうとしてたから。

 おいらにチャンスが巡ってきたってわけ。ま、失敗しちゃったんだけど』

 キミのせいだよ、と影鬼が、動けない悠の足をツンツンとつつく。

 悠はびくびくと震えている。

 あの時、死神が大翔に向かって声を張り上げていたのは、警告していたからなのだ。

(ああ、司令官はそれすらも……)

 司令官・糸村一は、それすらも読んでいたらしい。

 伊達にIQ600ではない、という事が、阿藍には分かった。

「でも、どうして大翔達を襲ったりしたの?

 あなたは体を持ってない……人を食べたりはしないんでしょう?」

 落ち着いた声で、葵が問いかけた。

 人質にナイフを突きつける犯人を、冷静に説得する刑事のように。

 ともかくこの場を切り抜けましょう……大翔、悠、阿藍に目で合図する。

『……だって、お前ら、特に有栖が章吾の前で、うろちょろするからさ』

 影鬼は不満そうに言った。

『おいらだって、そんな事、したくはなかったんだよ?

 お前らをやっつけたら、絶対、章吾に絶交されちゃうもの。有栖だって怒るに決まってる。

 でも、お前らが、ちょろちょろちょろちょろ……章吾の決意を鈍らせるから』

 影鬼が唇を尖らせるのが分かった。

『……だんだん、ジャマになってきちゃった。

 それで、事故に見せかけてやっちゃえば、章吾も気づかないかな、って思って、

 ちょいっと、ね。お前らがいなくなっても章吾にはおいらがいるし』

 影鬼は無邪気に笑った。

『章吾の本当の友達になれるのは、おいらだけなんだよ』

「……なんなんだ、てめえは……」

「……有栖を傷つけるような真似をして……」

 大翔と阿藍は声を絞り出した。

 我知らず、怒気が滲んだ。

 悠と葵が、ダメ、と首を振る。

(今は刺激しないで)

 だが、大翔は、我慢できなかった。

 阿藍は自分の依頼主、有栖の気持ちを踏みにじっていると思っていた。

 恋人だった鬼を倒したのだから、なおさら我慢できない。

 

『……どうして、そんな嫌な目でおいらを睨むんだ』

 影鬼が、ひゅうっと息を吐いた。

『自分の立場が分かってないの? 言ったじゃないか。影の世界ではおいらが王様だって』

 大翔の足の影につま先を乗せ、クスクスと笑った。

『ま、しないけどね。章吾に嫌われたくないもの。

 あのね、おいらがわざわざ来たのは、キミらと話し合おうと思ったからなんだ。

 章吾の元友達だもの。おいらだって、傷つけたくはないんだ』

 影鬼はぺらぺらと続けた。

『キミらも有栖も、もう章吾に付きまとわないって約束してくれればおいらはそれで満足なんだ。

 無事に帰してあげるし、これから先も何もしない。

 何なら、何かプレゼントだってあげる。欲しいものはある?』

「だが断る」

 阿藍の言葉に、影鬼は、ひゅっ、と息を呑んだ。

「有栖は、弟を助けろと俺に言った。俺はその気持ちに応えるために頑張った。

 だが、お前にはそんな気持ちなど、全くなかった。所詮、光に照らされた影だな。中身がない」

『……』

「俺は有栖の依頼を必ず果たす。有栖の弟を助ける。

 これ以上、有栖の弟に変な事を吹き込むなら殺す」

『……よく、分かった。忠告ありがとう』

 影鬼は、消え入りそうな声で呟いた。

『そうだね。キミの言う通りだ。おいら、反省したよ。

 有栖は、彼のたった一人のきょうだいだもんね。……でも、もう我慢できない。死んじゃえ』

「ぐっ!」

 阿藍は光の力を使おうとしたが、影ができるために使えなかった。

『死神達も、もうキミらを助けるつもりはないみたいだ。きっと運命が書き変わったんだね?

 キミらがここで死ぬ運命に』

 死神達は、何かに見入ったように病棟の方を見つめたまま、動かない。

『さあ、消えるよ。命の火が』

「やめろ!」

「やめてっ! お願いっ!」

「もう落ちちゃうよぉっ!」

 大翔、葵、悠の叫びに、影鬼はピュイッと口笛を吹いた。

 

『終わりだ』

 その時、どこかでまた死神の断末魔が聞こえた。

 同時に、全員のロウソクが消えた。

 燭台ごと、霧のように宙にかき消えたのだ。

『向こうは終わったか。章吾に感謝するんだね。有栖? あいつは……』

 影鬼が手を放した。

 混乱した死神達が、一斉に言葉を交わし始めた。

 甲高い声を上げて、しきりに何か喋っている。

『死神さん達。残念だけど、キミらのリーダーは倒されちゃったんだ。

 まさか死神が死ぬだなんて、キミらも思ってなかったかなぁ?

 運命には、キミらの末路、書かれてなかった?』

 ざわめく死神達に、影鬼は冷たく言う。

『運命に従って、ずっと働いてきてご苦労さん。でもキミ達はもうお払い箱だ。

 これからの運命は天が作るんじゃない。……彼が作るんだから』

どういう意味だ!

 阿藍が声を張り上げる。

 

 その時、屋上のドアが開いた。

 立っていたのは、章吾と、落胆する有栖だった。

 章吾は入り口に立って屋上の全員を見渡していた。

 コートのポケットに左手を突っ込んで、いつも通り涼しげな顔をしている。

 有栖は、そんな章吾を悲しそうな目で見ていた。

『あっちの始末は全部終わった?』

 影が章吾に訊いた。

 気安い、友達に対するような口調だ。

「ああ、全員始末した。リーダーだけちょっと手間取ったが……まあ、なんてことはなかったな」

『流石章吾だ』

「こいつらで最後か」

 ポケットに左手を突っ込んだまま、章吾はゆっくりと死神達の方へ歩いていく。

「やめて!」

 有栖は章吾を止めようとするが、章吾は意に介さない。

 死神達は、一斉に体を逆立てた。

 威嚇のような唸り声を上げ、近づいてくる章吾を睨む。

 一体がローブから骨の手を出して章吾を指差した。

 何かブツブツ呟くと、章吾の胸の前にロウソクが浮かび上がった。

「……バカの一つ覚えかっつうの。うぜえ」

―ザンッ

 次の瞬間、赤い閃光が走った。

 指を差した死神の体に、斜め一直線に。

 死神が悲鳴を上げた。

 斬りつけられたところから、ぶくぶくと泡になり始め、そのまま宙に溶けて消えた。

 

 章吾は、ポケットからだした左手を軽く振るった。

 刀についた血を振り払うように、泡が散る。

 大翔と有栖は息を呑んだ。

「金谷くん……」

「……有栖、俺は……」

 葵が呻き、悠が青ざめ、阿藍は落胆する。

 死神達が次々に吼え、一斉に章吾に飛びかかった。

 章吾は、左手を薙ぎ払った。

―ザンッ

 死神達が、二体同時に吹っ飛んだ。

 真一文字に体を引き裂かれ、そのまま泡になって宙に溶けていく。

 章吾は平然としている。

 その前後から、別の二体が飛びかかった。

 ローブの下から巨大な鎌を出し章吾の首を狙った。

「うぜえって」

 章吾はその場で体を沈ませた。

 首へ振るわれた鎌が空を切る。

 立ちあがりざま、死神を下から上へ引き裂いた。

 泡になる死神の鎌を奪うと、振り返りもせずに背後へ振るった。

 背から章吾を狙っていた死神が、斬り裂かれて溶けた。

 残った死神は一体。

 章吾に背を向け、入り口へ向かって滑るように走った。

「逃がすと思うかよ?」

 章吾は一息に、死神の前に回り込んだ。

 左手を構えると、死神の胸を貫いた。

 死神は悶え、ぶくぶくと泡になって溶けていった。

 

「終わったぞ。つまんねえ」

「ああ、なんて事をしたのよ! 章吾、私の声が聞こえるの!?」

「……もう、お前は姉じゃねえ」

「そんな……!」

 溶けていく死神達の中心で、章吾は平然と呟いた。

 肩を竦めるとコートのポケットに左手を突っ込む。

 

『お疲れ。流石だよ、章吾。カッコよかった』

 影鬼が嬉しそうに言う。

『こんなに早くその体を使いこなせるようになるなんて、やっぱり章吾は天才だよ。

 おいらも鼻が高いよ』

「……お前の褒め言葉はうんざりだ」

 章吾は溜息を吐き、それから、立ち尽くした大翔達に向き直った。

「その体……?」

 阿藍は影鬼の言葉を聞いて呟く。

「大丈夫だったか? お前ら。死神どもに、何かされなかったか?」

 気づかわしげに、四人の顔を覗く。

「囮に使うような真似して、悪かった。

 俺も、一度に奴らを全員相手にできるかは、自信がなかったんだ。

 お前らが奴らの戦力を分散してくれて、助かった。

 いざとなったら守ってくれるように、影鬼に伝えておいたんだが……あいつ役に立ったか?」

「……よくも、有栖の心配を……!」

 阿藍はぐっと拳を握る。

「……やっぱ、気になるよな。ごめん。話すよ」

 大翔達の視線に気づいて、章吾は観念したように笑った。

 彼の目には、有栖は映っていなかった。

 ポケットに突っ込んでいた左手を、ゆっくりと引き出した。

 章吾の左手は、手首の半ばから……変わり果てていた。

 黒褐色、生え揃った五本の鋭い鉤爪、そして……。

 章吾は額に手をやった。

 その額には、小さなツノが生えていた。

 真っ黒い、一本ヅノが。

 

「……鬼になったんだ、俺」

「何故だ……」

 章吾は俯いて、すまねえ、と言った。

「母さんを守るためだ。死神に対抗するには、人のままではムリだったから」

「……」

 その言葉は阿藍の胸に突き刺さる。

 阿藍は超能力者だが、その出自は望んでいないものだからだ。

 章吾は悲しそうに続け、大翔は首を振った。

 悠も葵も、何も言わない。

 喉の奥で、訊きたい事と、言いたい事が、雁字搦めになって……言葉になったのは、

 一言だけだった。

 

「なんで……」

「――僕から説明しようか?」

 と、別の聞き覚えのある声がした。

 耳にした途端、大翔は総毛立った。

 首だけ振り向けると、月明かりに照らされた給水塔の上に、ニコニコ笑って座っている人影。

 クリーム色のサマーセーターに、チノパン姿。

 

「貴様か、杉下××……!」

 阿藍は彼に殺意を向けた。

 元桜ヶ島小体育教師、杉下先生。

 その正体は、狡猾で残忍な地獄の黒鬼。

 お祭りで、遊園地で、小学校で……大翔達を何度も陥れた鬼が、人間の姿でそこにいた。

「やあ、ご無沙汰だね! みんな!」

 杉下先生は、給水塔の上に膝を組んで座り、大翔達を見下ろしてニコニコと笑った。

「またみんなに会えて、嬉しいです! 先生がいない間も、みんな、元気にやっていたかな?」

「貴様……殺す!!

「よせ、今戦っても勝ち目はない!」

「……くっ」

 阿藍は杉下先生に飛びかかろうとしたが、大翔が制止した。

 悠と葵は紙のように顔を白くして震えている。

 影鬼はコンクリートの上で膝を折り、崇めるように平伏している。

 章吾は気がなさそうに肩を竦め、有栖は悲しそうに項垂れている。

「先生がいなくて、みんな、寂しかったろう? ごめんね!

 この姿でいられるくらいに回復するまで、結構時がかかっちゃってさ。

 昔ならすぐ治ったのに……年だよね、先生、もう何百年も生きているからさあ。

 みんなみたいな子供と、不思議な人が羨ましいよ。

 みんな自覚がないだろうけど、みんなは今、生命力に溢れ、活気に満ちている時なんだよ!

 若さって素晴らしい!

 ……キミらにやられた後、そんな事を考えていて……先生、いい事を思いついたんだ」

 大翔の脇の下を、嫌な汗が滑り落ちていく。

「先生はこの通り、全盛期の力はもうないだろ?

 次の世代に、知恵と力を授けなくちゃって思ったんだ。

 いつの時代も、未来っていうのは、先生みたいな古い大人のものじゃない。

 キミ達みたいな、子供に託されなければならないものだから。

 だから先生、黒鬼の後継者を育てる事にしたんだ」

「私の弟に……!?」

 章吾は俯いたまま、黙っている。

 大翔と有栖は、体が震えてくるのを止められなかった。

「若くて優秀な子供に、黒鬼の名を継いでもらおう!

 そう思った時、真っ先に浮かんだのが……そう、章吾くんだったんだ。

 実際に戦って、優秀さは痛いほど分かってたからね。痛いほど!

 だけど、いつもいつも有栖ちゃんが邪魔するから、

 有栖ちゃんを引き離した後、影鬼くんに章吾くんを紹介したんだ」

『その節はありがとうございました、黒鬼様』

 影鬼が平伏したまま言う。

 杉下先生はニコニコと頷いた。

「章吾くんには、ある事を条件に、僕の黒鬼の体を分け与えた。手始めに、左手だけだけどね。

 章吾くんはその条件を呑んだ。条件を知りたいって? それはねぇ……」

 杉下先生は、たんっ、と給水塔から飛び降りた。

 章吾の傍らに立つと、俯いた章吾の頭を優しく撫で、ニコニコ笑って、言った。

 

「『友達』と『お姉さん』を、捨てる事だよ」

 

 大翔と有栖は、喉の奥から声を絞り出した。

「……嘘だ」

「私は……もう姉じゃないの……?」

「鬼には、人の心は不要だからね。

 立派な黒鬼になるためには、友達とか家族とかそういうの、いらないんだよ。

 ……そういう事だから、今日でキミ達と有栖ちゃんと章吾くんは、お別れ、なんだ。

 せっかくだから、お別れ会でもしようか?」

 杉下先生は、『仰げば尊し』を歌い始めた。

 屋上に、虚しく歌声が響いていく。

「嘘よ……」

 有栖は首を振った。

「いいや、嘘じゃないんだよ」

 杉下先生は、聞き分けのない生徒に言い聞かせるように、穏やかに首を振った。

「キミの元弟は、これから鬼の道を行くんだよ。人生の岐路には別れがつきもの。

 有栖ちゃん。キミも元弟なら、笑って送り出してあげようよ」

「嘘よ!」

『受け入れなよ。章吾自身が選んだ事だ』

 影鬼が呆れたように言い、有栖は首を振った。

「……いや」

「……すまねえ、有栖」

 章吾は俯いたまま、力なく言った。

「こんな体になっちまった以上、もう、有栖とは一緒にいられねえや」

 そして、有栖に背中を向けた。

 

「……ここまでだ」

 弟が鬼になったなんて、嘘だ。

 友達と家族を捨てたなんて嘘だ。

 もう会えないなんて嘘だ。

 全部、嘘っぱちだ。

 

「いやああああああああ……!」

 有栖は、ただ悲しむしかなかった。




次回は8巻編……ですが、実際はオリキャラ組のターンです。
あくまで、タイトルは「琉球エージェントの死遊戯紀行」ですから。


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8章 命がけの地獄アスレチック-琉球エージェントサイド
73 桃鬼を追って


オリキャラしか登場しないのでご注意ください。


「……そうか、失敗してしまったか」

「申し訳ありません」

 阿藍は依頼主である有栖の双子の弟・章吾を守れなかった事を報告する。

 司令官は鬼が関わっている事を知っていたのに、それに気づけなかったなんて……と落胆する。

「だが、失敗は成功の基と言う。決して失敗を悔やんではならない。それを次に生かすのだ」

「……はい」

 章吾を守れなかったなら、今度こそ章吾を取り戻せばいいのだ。

 司令官に言われた阿藍は何とか調子を取り戻した。

 

「有栖……大丈夫だろうか」

 そうは言われても、阿藍は有栖が気がかりだった。

 弟を取り戻せなかった有栖は、きっとショックを受けているのだろう。

 

「……さて、次の任務じゃが、そなたらは『桃鬼』を追ってほしいのじゃ」

「桃鬼?」

「地獄には、色を冠する鬼が多数存在する。赤鬼、青鬼は最も有名じゃろう。

 その中の一人として、桃鬼がおる」

 名のある鬼は単純な力だけでなく、自分達のような超能力を使える者もいる。

 黒鬼も、赤鬼や青鬼同様、色を冠している。

 なので、決して手を抜いてはならないと司令官はエージェントに言った。

「何故、桃鬼を?」

「鬼について知るためじゃ」

「それなら、司令官だけで十分ですよ」

「……儂はこの島から動けぬ。故にそなたらが任務を遂行するのじゃ」

 司令官は非常に知能が高く、その気になれば完璧に物事を理解できる。

 しかし、車椅子に座っていてしかもまだ幼い彼は、この小さな島から動く事はできない。

 コードネームの「No.0」――愚者とは、全く正反対の、聡明な彼らしい考えだ。

 

「……分かりました。して、桃鬼はどこに……?」

「ここじゃ」

 一は地図を取り出し、四人に見せる。

 桃鬼の居場所は、赤い丸で書かれていた。

「ここに桃鬼がいるのですね?」

「左様。そこに住まう桃鬼を調査せよ。それが、今回の任務じゃ」

「はい!」

 桃鬼がどんな鬼なのかは知らされていない。

 なので、エージェントが直接見に行くしかない。

 

「では、行ってまいります」

「待て」

 エージェントが桃鬼を探そうとすると、一が急に制止する。

 四人は何を伝えようとしているのかと振り返った。

「たとえ、どのような真実が待ち受けようとも……真実の重さに潰されぬ覚悟はあるか?」

「……」

 それは、エージェントへの覚悟の問いだ。

 真実というのは良いものばかりではない。

 それを聞いても、心は揺らがないのか……という、エージェントの強さを試す言葉だった。

 

 阿藍は少しだけ迷った。

 章吾が黒鬼になって、有栖が落ち込んだ事で、自分は間違った事をしたと思った。

 だとしたら、章吾を助けようとして、また、絶望を叩きつけられるのではないかと。

 

「どうして落ち込むの?」

 そんな阿藍を励ましたのは、仲間の麻麻だった。

「私達は同じ仲間、琉球エージェントじゃない。たった一人に心が揺らぐなんてどうかしてるわ」

 はっきりと言い切る麻麻。

 エージェントは冷徹であっても、決して冷酷・残酷ではない。

 仲間の温かさを大事にしている立派な人間なのだ。

「……麻麻……」

「とにかく、桃鬼を探すのよ。どんな真実が待ち受けていたとしても、私達は仲間なんだから」

 琉球エージェントは仲間、それを聞いた阿藍の目から涙がこぼれた。

 麻麻は、ここまで饒舌になったのはいつぶりか、と心の中で思っていた。

「ありがとう、麻麻。すっかり忘れていた。仲間以上に大切なものはないって」

「元気になってくれて、ありがとう。……それじゃあ、行くわよ、みんな」

 そう言って、麻麻、織美亜、狼王、阿藍は、テレポートで目的地に行くのだった。

 

「桃鬼……一体、何者なのか……」

 その鬼の正体を知った時、エージェントはどうなるのか。

 今、エージェントは真実を知ろうとしていた。




8巻は大翔達の修行回ですが、エージェントがメインなのでカットします。
その代わり、オリジナル展開が続くのでご了承ください。


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74 真に優しき鬼

8巻編の後編です。
織美亜達が追っている、桃鬼の正体が明かされます。


 集まった織美亜達は桃鬼の居場所を調査していた。

 

「自分で調査しろ、ですって?」

 織美亜は肝心な事を言わなかった司令官に文句を言うが、これも自分で考えろという。

「とりあえず、超能力を使うか」

 本当は自分の足で探したいが、一般人が鬼の事を知っているわけがない。

 そのため、阿藍は超能力で世界にアクセスし、桃鬼の居場所を探そうとしているのだ。

 超能力者は常に孤独な道を歩まなければならない。

 しかし、エージェントには仲間がいる。

 仲間との絆があれば鬼の力を上回り、鬼に狙われる子供を救う事ができるのだ。

「アタシ達を信じてね、阿藍」

「辛くなったら、オレ達が負担するからな」

「だから、無理しないでね」

「ありがとう……」

 織美亜、狼王、麻麻は阿藍の手に自分の手を載せ、自分達が仲間である事を現した。

 阿藍は三人の絆を改めて感じ、精神を集中した。

 

「……」

 精神を集中している阿藍を、織美亜達は見守った。

 彼の周りには光が集まっている。

 まるで、自分達を鬼のもとへ導く標のようだった。

 

 しばらくすると、阿藍の中に情報が入り込む。

 桜ヶ島郊外の洋館を改築した洋館に、桃鬼はいる。

 その場所は、桜ヶ島小学校から8時の方向にある。

「8時の方向か」

 きっと、そこは遠い場所にあるのだろう。

 しかし、テレポートが使える超能力者にとって、距離と言うのはあってないようなもの。

 全員、先程の阿藍と同じように、精神を集中した。

 瞬間、四人の姿は一瞬にして消えるのだった。

 

 すたっ、と桃鬼が待つ洋館に降り立つ四人。

「ここに、桃鬼がいるのね……?」

 きょろきょろと辺りを見渡す織美亜。

 早速、洋館に向かってみるが、

 あるべきはずの洋館はまるで区画ごと切り取られたようになくなっている。

 超能力者である四人には、鬼の結界が張られている事が分かる。

「鬼も結界を張るのね……」

 織美亜がぼやいた後、狼王と阿藍が前に立つ。

 狼王は空間から斧を取り出し、破壊しようとする。

「とりあえず、壊すとするか」

 狼王が斧を振り下ろすと、結界は音を立てて砕け散った。

 伊達に「力」の能力者ではない事が証明された。

「入るわよ」

「……」

 織美亜が先導する中、何故か麻麻は黙っていた。

 洋館の中は薄暗く、不気味なほどに静まり返っている。

 その広いホールには、桃色の髪をツインテールにした、一人の女性が立っていた。

 彼女の額には鬼を象徴する一本の角が生えている。

「あなたが……桃鬼?」

 それまで口を開かなかった麻麻が、ゆっくりと口を開く。

 女性は小さく頷いた。

「そう、私は桃鬼。地獄に住む色鬼の一人。あなた達は何の用でここに来たの?」

「司令官の任務。あなたを探しに来たの」

 麻麻は桃鬼に自分達の目的を話す。

 彼女と戦うつもりはなく、ただ、彼女を見つける事だけが目的なのだ。

 だが、何故か桃鬼は首を振っていた。

「私に近づかないで」

「どうして?」

「どうしても知りたいというのなら……覚悟は、できている?」

 覚悟はできている、という桃鬼の言葉を聞いて、エージェントは全員、頷いた。

 司令官から同じ事を言われたからだ。

「そう……なら、私の口から言わせてもらうわ」

 桃鬼はエージェントの目を見た後、ゆっくりと口を開いた。

 

「……あなた達を“作った”のは、私」

「え……それって、どういう事?」

 織美亜は桃鬼が自分達を作ったと聞いて、軽い衝撃を受けながらも目を逸らさなかった。

 桃鬼は静かに話を続ける。

「私は、来るべき時のために、あなた達を拉致した。

 それまでの名前は捨て、新たな名前と私の力を与えた。あなた達が超能力と呼んでいる力を」

「そ、そんな……!」

 鬼を圧倒する力の由来が、鬼の力だったとは。

 ショックを受ける四人をよそに、桃鬼は麻麻の顔を見て言った。

「あなたには、きょうだいがいるでしょう?」

「ええ……」

「上原家は私達鬼を祓う我妻家の分家だったけど、何の力も持っていなかった。

 だから、私は上原家に力を与えて、結果的に我妻家より強くしたの」

 麻麻は三人きょうだいの末娘だ。

 確かに、他のメンバーは家族の事を一言も話さなかったが、

 自分が鬼祓いの家の血を引いていた事に何も言えない麻麻。

「桃鬼、どうしてそんな事をしたの?」

「私が人間だった時、かつて、家族がいた」

 桃鬼は元々人間だった。

 恋人が鬼になり、彼女を討ち取った阿藍は、その事実に呆然としている。

「けれど、世界には鬼という、子供を食糧としか思っていない存在がいた。

 戦おうにも、私はただの人間で、鬼に対抗する力は持たなかった。

 だから、大切なものを守るために秘術を身に着け、私は鬼になり、家族を捨てた。

 鬼は怯えている子供の肉を好む……それなのに、私は何も変わらなかった。

 それどころか子供は守るものと思うようになった。

 ……私は子供を守るために力を授けようと思った。そして、あなた達を拉致した。

 だけど、それがいけなかった。他の鬼達は子供を守る私を忌み嫌った。

 子供は食糧、それなのに守るなんて、どういう事なんだと。

 こうして、私は人間からも鬼からも逃げた。逃げて逃げて逃げて……ここに着いたの」

 桃鬼は鬼の中では極めて善良だった。

 それ故に、鬼の中では異端として扱われ、人間もまた鬼を嫌っているのは当然である。

 こうして、人間からも鬼からも忌み嫌われる彼女は引きこもったという。

「ここまで聞いたら……あなたは私を倒すの?」

 鬼は倒すべき存在だ。

 そう、司令官から何度も聞かされていた。

 しかし、善良な鬼も倒していいのだろうか。

 織美亜達には、そんな事はできなかった。

 

「……そう、戦わないのね。ならば……帰りなさい。私はこれから、永い眠りに……」

「待って! どうして、自ら眠りを選ぶの?」

 麻麻は珍しく、慌てて眠ろうとする桃鬼を止める。

「私は人間からも鬼からも嫌われているから。

 どちらにも受け入れられないならば、いっその事、眠りを選ぶ方がマシよ」

「ダメ! 確かに、私達は鬼を倒すのが仕事なの。

 だけど、あなたは子供を食べたくないんでしょ?

 私達にみんなを守るための力を与えたんでしょ? だったら、眠らない方がいいわ!」

 声を張り上げる麻麻。

 普段は明るくも落ち着いた彼女だが、ここまで感情的になるのは珍しかった。

 エージェントの超能力者は桃鬼由来だから、彼女が眠りにつけば力を失ってしまう。

 そんな事は絶対に、麻麻は許さなかった。

 

「……そこまで私を心配しているなら、私はずっとここにいるわ」

 そんな麻麻に負けたのか、桃鬼は思いとどまる。

 あくまで調査が目的なので、彼女とは戦闘せず、できれば和解したかったのだ。

 それが叶った事で四人はほっと胸を撫で下ろした。

 

「さあ、分かったなら帰りなさい」

「ありがとうございます」

 四人は自らの出自を教えた桃鬼にお礼を言った。

 桃鬼は「どういたしまして」と言って、テレポートで帰還する四人を見送った。

 

「あの人達なら、きっと、鬼を止めてくれる。結界で封じてくれたら、いずれ……」




次回は9巻編です。
小学生編も、いよいよ終わりを迎えようとしています。


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9章 狙われた地獄狩り
75 狙われた狩人


9巻編スタートです。
真実を知ったエージェントは、それでも任務を続行します。


 射的ゲームのルール

 ①射手は、鬼一匹と人一人。

 ②それぞれ二射して、マトを撃ち抜いた数の多い方が勝ち。

 ③マトとの距離は、鬼と人の話し合いで決める。

 ④「マトとなるもの」と「マトの置き場所」は、鬼と人が片方ずつ決める。

 ⑤不正を行った場合は、即負けとする。

 ⑥この「不正」に、能力は含まれない。

 

 桃鬼と和解した四人は、沖縄県の島に戻ってきた。

 織美亜は司令官の一に、今回の出来事を報告した。

「……まさか我らの力の源が、鬼だったとは」

 司令官は淡々とした様子で言った。

 鬼が由来であっても動じないのが司令官である。

「そうです。桃鬼は私達を拉致し、力を与えました」

「しかも、鬼でありながら、子供は守る対象だ」

 子供の肉を嫌い、それどころか守ろうとしており、

 しかも同族を倒すために織美亜達に力を与えた。

 鬼の特徴に「当てはまらない」彼女は、まさしくイレギュラーそのものだ。

 そして、エージェントがルールを破れるのも、桃鬼がイレギュラーだからなのだ。

 少し難しい顔をする一だったが、しばらくして、うむと頷いた。

 どんな真実も受け止めろと言ったのは彼だからだ。

 

「たとえ、力が鬼に由来しても、我ら琉球エージェントは鬼を倒すのが使命じゃ」

 毒を以て毒を制す。

 琉球エージェントの使命は、ただそれだけなのだ。

 

「では、次の任務だ」

 車椅子に乗りながら、一は四人のエージェントに任務を言い渡す。

「叉鬼を止めろ」

「その鬼は、どこにいるのですか?」

「ここにおる」

 そう言って、一は四人に地図を見せる。

 どうやら、叉鬼は桜ヶ島の森の中にいるようで、そこには四人の子供も向かっているらしい。

「子供がいるならば、直ちに救援に向かえ。鬼がいるならば、直ちに討伐せよ。

 よいか、時に情を捨てる事も必要じゃ」

「優しさを捨てる事……」

 子供にはそれができないかもしれないが、自分達はとっくに子供を卒業している。

 だから、敵への情は捨てなければならない、と司令官は忠告しているのだ。

「我らは子供を蔑む事はせぬが、敵には一瞬だけでも情を捨てよ。

 それこそが……強さというものじゃからな」

「……はい」

 エージェントの代表、織美亜は小さく頷いた。

 果たして、子供は一の考えを理解できるだろうか。

 

「では、ゆけ。叉鬼を必ず止めるのじゃ」

「かしこまりました」

 そうして、エージェントはテレポートで、目的地の森に向かっていった。

 エージェントを見送った車椅子の少年は一人呟く。

 

「儂の考えは正しかったと信じておる。

 何故なら、あの子供は、情を捨てられるほど成長していないからな……」

 桜ヶ島の子供より年下の少年は、能力により知能指数が常人を遥かに上回る。

 だが、冷徹になる事は、果たして成長したと言えるだろうか。

 冷徹な少年は、まだ、そこに気づいていなかった。




これを読んだ時、子供特有の甘さを見て少し複雑な気分になりました。
そうでなければ今の世の中は生きられない、と思いましたから。


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76 鬼になりゆく家族

章吾と有栖がメインです。


 桜ヶ島神社の裏山で、二人の少年と一人の少女が向かい合っていた。

 陽は落ち、辺りは闇に包まれている。

 雨が降り、葉っぱをぽつぽつと叩く音がする。

 大場大翔、金谷章吾、金谷有栖。

 二人は友達で、ライバルで、双子で、きっと親友のはずだった。

 ついこの前までは、確かにそうだったのだ。

「お前らのこと、友達とか、姉だって、思ってたはずなんだ」

 章吾は、低い声で呟いた。

「でも、今ではその気持ち、分からなくなっちまった。

 友達ってなんだ? 家族ってなんだ? ククッ……」

「章吾……」

 くつくつと、忍び笑いを漏らす。

 以前とは違う、嫌な笑い方だ。

 その左手には、鋭い鉤爪が生えている。

 人間のものでは、あり得ない。

 左手だけでなく、章吾の左半身は、首元から足まで黒く染まって、禍々しい気を放っていた。

 有栖は、呆然と、目の前の変わり果てた弟を見つめている。

「俺はもう半分、鬼になったんだ」

「なんで……」

 口の端からニュイッと牙を覗かせ、章吾は笑った。

「今ならお前らを八つ裂きにするのだって、何の抵抗もなくやれそうだ。

 試してみるか? 大翔、有栖」

 ニタリと笑って、すごんでみせる。

 それでも、大翔と有栖は動かない。

「……章吾。今まで、どうしてたんだよ?」

「お兄さんの言う事、聞けなかったの?」

 じっと章吾の目を見つめて、口を開いた。

 落ち着いた口調だった。

 見つめる章吾の左目は、もう感情を映していない。

 冷たい光を放つ、鬼の目玉だ。

 普通の人なら、気味悪がって目を逸らす。

 大翔と有栖は逸らさず、章吾を睨みつけた。

「あなたがいなくなって、みんな、心配してたのよ。クラスのみんな、学校のみんな。

 当然、私もお母さんも心配してたのよ」

 有栖は姉として、弟を叱りつける。

「さっさと帰ってきなさい。鬼になんてなってんじゃないわよ」

「……どうやら自分の立場が分かっていないらしい」

 章吾はにやっと笑うと、有栖の目の前で、ひらひらと右手を振った。

「……!」

 有栖は、腹にパンチを叩き込まれる寸前、超能力でバリアを張ったのだ。

 バリアは砕け散ったが、おかげで二人とも、怪我をせずに済んだ。

 

「有栖!」

「これ、何なの? あり得ない!」

 慌てて駆け寄ってこようとするのは、大翔の幼馴染の桜井悠と宮原葵だ。

 大翔はそれを手で制した。

「勘違いしてんじゃねえ。俺はもう、以前の金谷章吾じゃねえ。黒鬼の後継者なんだ。

 人間風情が、俺に命令をするな」

「……」

 有栖は、章吾の鬼になっていない腕を握っていた。

「ここに来たのだって、助けに来たわけじゃねえ。

 目障りなんだよ、お前らがちょろちょろやってんのが」

 大翔達はこの一ヶ月、鬼祓いの秘技の修業をしていたのだ。

 鬼になった章吾を追って、人間に戻すために。

 ちなみに琉球エージェントは、自身の超能力の理由である桃鬼と和解している。

「姉であっても、もう俺に関わんな。分かったか?」

 章吾は屈んで、有栖の腕を振り払い、有栖の顔を覗き込んだ。

 だが有栖は、首を横に振る。

「嫌よ。さっさと帰ってきなさい!」

 有栖は章吾を取り押さえるべく、念力を使った。

 章吾はひらりと身をかわし、有栖の襟首を掴み上げた。

「分かりやすく言ってやる」

 有栖の首筋に、ぴたりと鉤爪を突きつける。

「金輪際、俺に関わるな。YESと答えれば命は助けてやる。NOと答えればこの場で殺す」

 ぐいっと襟首を持ち上げられ有栖の爪先が浮いた。

 有栖はきっと、弟を睨みつける。

「なんで? なんであなたは鬼になったの?」

「有栖には分からないだろうな。恐怖と苦痛ってのが、最高のスパイスだってことがな」

 そう言ってニタリと牙を剥く章吾の表情は……鬼そのものだった。

「いい加減にしなさい、章吾。私は絶対に諦めないんだから」

「有栖はどんな時でも強いなあ」

 章吾は、ぐいいっ、と、有栖を眼前に引き寄せて……。

 

「そのまま聞け。俺の後方に、黒鬼がいる」

 ぼそりと囁いた。

 大翔と有栖は目を見開いた。

「見るな。気づかれたらまずい。そのまま話を聞くんだ」

 章吾は小声で、ぼそぼそと囁いた。

「10時の方向だ。見張ってやがんだ。俺が鬼として振る舞えるかどうか、さ」

「……それが理由なのね」

 向こうの木の陰に、杉下先生が立って、こちらを伺っている。

 有栖は、それを理解した。

 杉下先生……その正体は、桜ヶ島小に潜り込んでいた地獄の黒鬼だ。

 自分の後継者を欲しがっていて、鬼として育てるために、章吾をさらっていった。

 まるで授業参観にやってきたように、ニコニコ笑って章吾を見つめている。

「無理矢理連れてこられたんだ。課外授業だとか言ってよ」

「相変わらず最低な奴ね」

「家族を殺せないようじゃ、立派な鬼になれないんだとさ。なりたくねえっての」

 章吾は、文句を言うように唇を尖らせた。

 杉下先生は、嬉しそうにスマホのカメラを章吾に向けた。

 カシャカシャとシャッターを切っていて、おまけに写真魔である。

 先生として、教え子が育っていく思い出の一ページを写真に残したい、だそうだ。

 有栖は杉下先生を倒したいと思ったが、まともに戦えるのはエージェントだけだ。

「連れていかれてからずっと、あの調子なんだ。滅茶苦茶うぜえぞ」

 心底、鬱陶しそうに喋る。

 その口調は以前の章吾と何も変わっていなかった。

 先程までの冷酷な気配は消え失せている。

「ああ。鬼になんてなっちゃいねえよ。中身は俺のままだ。有栖の弟のままだよ」

 章吾は頷いてみせた。

 少し頬が赤い。

「あんな鬼の後継者になんかならねえさ。

 元から、鬼の力だけいただいて、ずらかるつもりだったしな。

 黒鬼といったって、なんて事ねえ」

 そう言って、ニヤリと笑ってみせるが、姉の有栖は首を振った。

(そんな事……あるわけないわ。

 だって……あの人達はともかく、私達みたいな子供には……耐えられないもの)

「だから、有栖が心配する必要なんてねえんだ。お前らの方が心配だ。

 これ以上首を突っ込んで、黒鬼に本気で邪魔だと思われたら、殺されるぞ。

 これは俺自身の問題だ。お前らも有栖も関係ねえ。手を引くんだ」

ダメ!!

 有栖は、章吾をいきなり平手打ちした。

 大翔は彼女を見て、目を見開く。

「……痛い」

「私、章吾が鬼になるほど、章吾を理解していなかった。

 いや、杉下先生が悪いかもしれないけど、それ以上に私が悪かった。

 だから、私が代わりに鬼になるわ。章吾、帰ってきて!!」

 有栖は弟の苦しみを引き受けるつもりらしい。

 相手が鬼であっても章吾は章吾、自分の弟である。

 鬼としてではなく、弟として見ている……それが、彼女を奮い立たせているのだ。

 

「そこね!」

 二人が顔を向けると、杉下先生が笑っていた。

 ひいひいと苦しげに息を切らし、腹を抱えてげらげら笑っている。

「それが姉弟(きょうだい)愛かぁ……笑えるねぇ」

 笑いすぎて涙目になっている。

 ようやく笑い声を引っ込めるとニコニコと言った。

「……ふう。やっぱり課外授業は面白いね。

 久しぶりに大翔君達の元気な姿が見られて、先生、満足です。

 それじゃ、そろそろ帰ろうか、章吾君」

「ふ、ふざけんな。人の話、聞いてたのかよ。鬼め」

 大翔と有栖は杉下先生を睨みつけ、ぐっ、と腰を落とした。

「帰るなら、一人で帰れよ」

「章吾は、連れて行かせな……」

「今度開くパーティの招待状なんだ。章吾君をお祝いする会を、盛大に開こうと思ってるんだ。

 君達にも大切な友達として、是非、来てほしいな。待ってるよ」

 言うと、大翔の頭をポンポンと叩き、章吾を追って歩き去っていく。

 その気配が消えるまで、大翔はその場から一歩も動けなかった。

 有栖は、ただ章吾を睨みつけていた。

 踵を返し、木々の向こうに消えていく。

 歩き去った章吾の背中を見送ると、杉下先生は満足そうに頷いた。

「うふふ。いつもは反抗的だけど、お母さんとお姉さんの事になると、

 途端に素直になるんだよね、章吾君」

「……」

「言う事を聞くからあいつらに手を出さないでくれってお願いしてくるんだ。

 あのプライドの高い章吾君が。ククッ。いいよねえ、大切な人がいるって。

 素晴らしいよねえ……」

「……」

 大翔と有栖は、握った拳をぶるぶると震わせた。

「うふふ。怒ってる、怒ってる。自分ではなく、他人のために怒りを感じる子供達は面白いね。

 ――これ、あげるよ」

 杉下先生は、ハガキサイズのカードを一枚取り出すと、立ち尽くした大翔の手に握らせた。

「ここまで酷い奴だと、逆にすっきりするわ」

 しばらくすると、杉下先生も、章吾の姿も消えていた。

 

「……何が何でも、あいつを倒さないと……」

 有栖は、杉下先生に対する敵意が最大になった。

 

 翌日。

「……おにーちゃんたち、なにやってるの?」

 リビングのドアを開けた結衣が、きょとんと首を傾げた。

 お気に入りの熊のぬいぐるみを抱えて、とことこと部屋に入ってくる。

「なんのあそびしてるの? ゆいもまぜて」

「しっしっ。結衣は向こうに行ってろよ」

 大翔はボルトクリッパーを握り締めたまま、五月蠅げに手を振った。

 悠はカーペットの上に正座し、背筋を伸ばして集中している。

 葵はテーブルについて、睨むようにノートに向かっている。

 有栖はというと……精神をじっと集中していた。

「ゆいもあそびたいなあ……」

 ばらばらに集中している四人を見て、結衣が唇を尖らせる。

 大翔は、母と、妹の結衣との三人暮らしだ。

 母は仕事で忙しく、家を開けている事が多い。

 昔から悠と葵と集まる時は、大翔の家に行く事が多かった。

 特に、大人の前でしにくい事をする時は。

 

 悠は目を閉じ、額に紙切れを当てがって、ぶつぶつと何か呟いている。

 暗唱しているのは、国語の時間に習った竹取物語。

 知らない人が見たら何やってるんだと思うだろう。

 葵は筆ペンを握り締め、流れるようにノートに文字を綴り続けている。

 有栖は何も考えず、ただ只管に瞑想をしている。

 大翔も作業を再開した。

 百円ショップで買ってきた、金属製のドリンクホルダー。

 これをボルトクリッパーで切断し、握りやすいY字型にして、ヤスリで削る。

 使い古しの革ベルトにハサミを入れる。

 クローゼットの奥から持ち出してきたものだ。

「あー、それおかーさんのでしょ。いっけないんだよー」

 じっと見つめていた結衣が、唇を尖らせる。

 無視して大翔はベルトに錐で穴を開け、ゴムチューブでV字と結びつける。

 用意しておいたビー玉をベルト部にセットし、ゴムチューブをぐいっと伸ばし……手を放す。

―バシュッ

 勢いよく放たれたビー玉が、クッションに叩きつけられた。

 スリングショット、簡易的なものはパチンコ、大型のものはカタパルトともいう。

「あー! あぶないやつだ! おにーちゃんたち、またわるいことしようとしてるんだー!

 いっけないんだよー!」

 結衣がソファに乗って騒いだ。

「だめなんだよ!! おかーさんに、いいつけちゃうからね!!」

「そんな事したら、結衣のぬいぐるみをマトに使っちまおっかな~」

「あ、やめて! おにーちゃんのいじわる! ひとでなし!」

「けっけっけ。ひとでなしのおにーちゃんでーす」

「さぁ結衣ちゃん、人でなしヒロトはほっといて、あっちで遊ぼ~」

 悠がニコニコと言って、結衣を向こうへ連れていった。

 のんびり屋の悠は、小さい女の子の扱いが上手い。

 

「まったくもう、結衣ちゃんに意地悪しないの。ほんと、ガキなんだから」

 ペンを走らせながら、葵が言った。

 ずっと書き取りしているのかと思っていたら、いつの間にか計算ドリルをやっている。

「バレたら面倒だろ。すぐ母さんに言いつけるんだもん、あいつ」

 大翔は、ソファの陰に隠しておいた荷物を引っ張り出した。

 バンソウコウ、傷薬、包帯……各種救急キット。

 膝当て、肘当て、グローブなどの防具類。

 スポーツショップで買ってきた。

 短めの木刀、スリングショットに弾丸用のビー玉。

 大翔は服の下に膝当てと肘当てを仕込むと、腰のベルトに木刀を挟んだ。

 ぎゅっとハチマキを結ぶ。

「準備完了!」

 ぐるっとバク宙して着地すると、拳を突き上げる。

「……下の階から苦情が来るわよ?」

 葵が肩を竦めた。

 

 悠、葵、有栖が帰ると、その後はいつも通り過ごした。

 夕食を食べて、テレビを見て、お風呂に入って、一応宿題も済ませて、ベッドに入る。

 夜明けと共に起き出した。

 母には、朝から悠達と出かける、帰りは遅くなる、と言ってある。

 顔を洗って歯を磨き、着替えて荷物をまとめ、玄関に向かう。

「……おにーちゃん。でかけるの?」

 背中から声がかかって、大翔は驚いた。

「……何だよ、結衣。脅かすなよ」

 大翔はしっしっと妹を手で追い払う。

「悠、葵、それから有栖と、遊びに行くんだよ。連れてかねーぞ? 遠出するんだから」

「おかーさんに、ちゃんといった?」

「もちろん、いったよ」

「鬼のところいってくるって、ちゃんといった?」

「流石にそこまでは……って、お前、なんでそのこと――」

 大翔は、ハッと口を押さえた。

「有栖おねえちゃんにきいたもん。いなくなった金谷のおにいちゃん、おむかえにいくんだって」

「……有栖の奴」

「いっけないんだよー、おかーさんにいいつけちゃう……とおもったけど、いいよ。いわないよ」

「ほんとか?」

「そのかわり、ちゃんとつれてかえってきてね、金谷のおにいちゃん」

 結衣は有栖や章吾とも会った事がある。

 彼女は二人を有栖おねえちゃん、金谷のおにいちゃん、と呼んで慕っているのだ。

「金谷のおにいちゃん、いえ、かえらないって、いってるんでしょ? いっけないんだよー。

 いくらイケメンだからって、ワガママはだめなんだよー。

 イケメンは、みんなのお手本にならなくちゃいけないんだから。

 だから、ちゃんとつれてかえってきてくれるなら、おかーさんにいわない。約束できる?」

 結衣は言って、小指を差し出した。

「分かった。約束する。必ず章吾を連れて帰る。だって、有栖もそう望んでるもんな」

 大翔は指きりげんまんすると、腕を叩いた。

「お兄ちゃんに任せとけ」

 

 マンションの入り口で、悠、葵、有栖、そしてエージェントと合流した。

 悠はリュックを背負い、葵は肩掛けのバッグを持っている。

 敷地を出ると、道路に車が一台、停まっていた。

 オンボロのセダンだ。

 あちこちベコベコに凹んでいる上に、砂埃が厚く積もっていて、

 元の色が何色だったかすら分からない。

 ウィンドウがのろのろと降りると、荒木先生の顔が覗いた。

「本当に行くんだな?」

「ええ」

 荒木先生は、八人の顔を見回す。

「この招待……言うまでもないが、100%、ワナだ。生きて帰れるか分からない。

 それでも行くんだな?」

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、っていうしね」

 葵が澄まし顔で言った。

「虎の子は別に欲しくないけど、金谷くんは友達だし、何より」

「私の家族だもの」

 悠と有栖がニコニコと笑った。

「アタシ達も任務で来てるしね~」

「まだ、殴り返せてないしな」

 織美亜は笑みを浮かべ、大翔はパシンと掌を拳で叩いた。

 荒木先生は豪快に笑うと、車のドアを開けた。

 

「それじゃ、行くぞ!」




絶望鬼ごっこの鬼って、基本的に人間と和解しないんですよね。
イレギュラーの桃鬼は例外ですが、だからこそエージェントは冷徹です。
鬼は彼らにとっては、倒すべき対象でしかないのですから。


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77 カーチェイス

荒木先生が生存しているので、彼が車を運転します。
性格は、多分荒井先生よりは落ち着いていると思います。


「目的地まで、ドライブだ」

 荒木先生は、ダッシュボードの上に置かれた招待カードを、ぴん、と指で弾いた。

「裏面に地図が載っていた。誕生会の会場は、郊外の森の奥にあるらしい。

 随分とまあ、辺鄙なところでやるもんだな」

 言って、ぐるっ、とハンドルを回す。

―ガタン! ガタタン!

 車は上下に揺れながら九十九折の道を走っていく。

 何十年ものの中古車らしい。

 大翔と有栖は助手席、悠と葵は後部座席に座って、

 ジェットコースターに乗る時のような顔をして、ドアの上の取っ手にしがみついている。

 琉球エージェントがテレポートで来たのは、それから数分後の事だった。

 超能力者の前では、どんな距離も意味をなさないらしい。

 

「ちょっとポンコツだが、何事も気分次第だ」

 荒木先生が言った。

「俺はこの車を、“タイタニック”と名づけた。実在した、豪華客船の名前なんだ。

 そうやって呼ぶと、オンボロ車も豪華な車に思えてくるだろ?」

「「「来ない」」」

「タイタニックは、沈没した船よ」

 調子の良い事を言う荒木先生に、エージェントは冷静に指摘する。

「作戦の確認だ」

 荒木先生は、こほんと空咳をついた。

 エージェントには呪符がなくても一人一つの超能力があるため、荒木先生の話をスルーした。

 気づけば、辺りはすっかり山の中だった。

 対向車も後続車も、しばらく目にしていない。

 曲がりくねった道路を、荒木先生のオンボロ車だけが走っていく。

 ガードレールの向こうの下には、深い森が広がっている。

 霧が出てきたのか、森の向こう側は見えない。

「完全に鬼になった人間を元に戻す呪符は?」

 沈黙を破って、葵が訊いた。

「ない」

 荒木先生は即答した。

「完全な鬼になったらもう人間に戻す事はできない。だからその時は、お前らは逃げろ」

「その必要はないわよ。アタシ達がいるんだから」

「そ、そうだな」

 織美亜は艶めかしい笑みを浮かべる。

 エージェントには呪符を凌ぐと言われる超能力があるため、荒木先生は頷いた。

 その時だった。

 

―パンッ

 突然、車がスピンした。

 ガラス越しの景色が、ぐるっと横に流れる。

「なんだっ!?」

 荒木先生が慌ててハンドルを押さえつけた。

 ガードレールに激突しそうになるのを堪える。

 タイヤが一つ、破裂したらしい。

「アタシが治せるのは、生きた人の傷だけ! タイヤまでは……!」

 車は手負いの馬のように、鼻先を右に左にぐらぐらと揺らしながら、道路を突っ切っていく。

―ブツッ……ザザザ……

 ラジオがノイズ音を立て始めた。

 出発前につけようとした時には、壊れていたのに。

 少しして、オルガンの音が響き始めた。

 聞き慣れたメロディ。

 誕生日に歌う定番の曲、“ハッピーバースデートゥーユー”だ。

 陽気な音楽をBGMに、これもまた聞き慣れた声が響いた。

れでぃーす・あんど・じぇんとるめん! 招待状を受け取った(みっな)様!

 本日は「新生・黒鬼 お誕生会」に、ようこそおいでくださいました!

 遠路はるばる人間界までお越しいただき、誠にありがとうございます!

 現・黒鬼のヤローに頼まれたんで、司会進行は地獄でも最強最悪の悪鬼こと、

 このツノウサギさんが担当するぜ! よろしくな! キャキャキャキャキャ!

 大翔達は、顔を見合わせた。

「どこにでも出て来るな、あいつ……」

「イベントごと、好きそうだもんね……」

「なんかもう、ありがたみもないわね……」

「変な奴」

 子供達は好き勝手に言った。

そんでだね。はるばる人間界まで来てもらっておいてなんだけど、

 肝心の、新・黒鬼くんの準備がまだなんだ。おめかし中ってとこ?

 鬼の晴れ姿をお披露目できるようになるまで、もーちょっと時間がかかるんだって。

 そんなわけで、先に始めちゃおうぜ! 腹ペコのみんなに、申し訳ないしな!

 バーッと飲んで、食べてってくれ! キャキャキャ!

「……これ、私達に向けて喋ってるんじゃないわね」

 有栖が腕を組んだ。

「『人間界までお越しいただき』とか『人間界まで来てもらって』とか、

 何だか言い回しがヘンだもの。別の誰かに向けて喋ってるみたい」

「お、お誕生会だもんね。僕達以外にも、招待客がいるんじゃないかな……」

 悠が青い顔で頷く。

「な、仲良くなれそうな子達だといいな……」

「いいえ」

それでは、お食事のご案内だぜ!

 今回のお誕生会のお食事は、各自で食べ物を取り分ける、ビュッフェ形式になるぜ!

 なお、肉が車型の容器に詰まって、会場端の道路を走行中!

 お肉の種類と重量は以下になるぜ! 量が少ないから、早い者勝ちなんだぜ~!

 『のんびり屋の男子小学生の肉』『頭のいい女子小学生の肉』

 『気が強い女子小学生の肉』『バカな男子小学生の肉』……各 約40kg

 『生き残った元・体育の先生の肉』……約80kg 『不思議な力を持つ四人の肉』……約60kg

 そんじゃ、新・黒鬼の準備ができるまで、楽しんどいてくれよな! キャキャキャ!

 ブツッ、と、ラジオは途絶えた。

 車内に沈黙が落ちた。

 エージェントは、ぐっと拳を握り締めている。

(こうしている間にも、黒鬼化は進んでいるかもしれないからな)

 リアガラスの向こうを見て、口元を引きつらせている。

「今度は何だよ?」

 大翔は振り向いた。

 ガタガタ走るオンボロ車の、ずっと後方。

 後続車が1台、走ってきていた。

 ただの車ではなく、牛車だった。

 箱のような屋に大きな車輪が2つついていて、牛に引かせる車。

 その車を引いているのは、牛ではなく、牛鬼だったが。

『はっぴばーすでー とぅー ゆぅー! はっぴばーすでー とぅー ゆぅー!

 はっぴばーすでー でぃあ 黒鬼章吾くぅ~ん! はっぴばーすでー とぅー ゆぅぅー!』

 牛の頭に蜘蛛のような脚を持っていて、何故か歌う事が好きな牛鬼。

 音程ズレまくりなハッピーバースデートゥーユーを歌いながら、牛車を引いて走ってくる。

 屋形部分に吊り下げられた和紙に、こう書かれていた。

【新・黒鬼様 お誕生会招待客御一行 鬼たくしー】

 

「……あっちが本当の招待客みたいだな」

「ああ……」

 大翔と阿藍はぽつりと呟いた。

「仲良くなれそうな子達だといいわね」

 屋形のすだれがひらっと揺れて、中が覗けた。

 中には鬼達が乗っていた。

 でっぷりと太った餓鬼が三匹。

「……仲良くなれそうな子達だといいわね」

 麻麻はもう一度呟いた。

 悠は現実逃避に、瞑想を始めている。

「このままじゃ、追いつかれるわ!」

「分かっている」

 牛鬼の走るスピードは速かった。

 カーブをぎゅんぎゅんドリフト走行で曲がりながら、みるみるこちらの車に迫ってくる。

「先生、スピード上げてくれッ!」

「ああ! しっかり掴まってろよ! 全速前進ッ!」

 荒木先生はシフトレバーをがしゃんと倒すと、アクセルを全開で踏み込んだ。

 車は、ぐんとスピードを上げた。

 ぐねぐねと曲がりくねった山道を、滑り落ちるように走っていく。

「わわわわわっ!」

「ちょ、ちょっと! 危ないわよっ!」

「なんて速さ……!」

「先生、スピード下げてくれッ!」

「大丈夫だ! 大船に乗ったつもりでいろ!」

「だって、具体的には?」

「タイタニック!」

「だからそれ沈没したんだっつうのッ!」

 車が左右に揺れまくる。

 子供達は必死に、取っ手に掴まって堪えた。

 エージェントは精神を集中し、揺れないようにしている。

 荒木先生が豪快にハンドルを切る。

 完全に船の操舵か何かと勘違いしているが、流石に元・体育教師で、運動神経は並ではない。

 車はみるみる鬼タクシーを引き離していく。

 

「ほら見ろ、大丈夫だろ?」

 荒木先生は得意げに笑った。

―……ブロロロロロ、プスン、プスンプスン

 途端、エンジンから異音がし始めた。

―ガタンッ、ガタタンッ……

 車体が小刻みに揺れ始める。

 振り切れていたスピードメーターの針が、ゆっくりと元に戻っていく。

「…………あちゃあ」

「こ、今度はどうしたのよ!?」

「また追いつかれちゃうよう!」

「何か問題でも?」

「先生、スピード上げてくれッ!」

「すまない、壊れた。いきなり全力出させたから、エンジンがいかれたらしい」

 どことなく楽しげに宣言した。

「この船は沈没する!」

「タイタニックじゃねえかあっ!」

―……プスプスン!

―……ぷすんぷすぷすぷす……がくんがくがく、がっくんがっくがく……

 エンジンの空回り音が大きくなり、車体が激しく揺れ始めた。

 気筒からもくもくと煙が上がる。

 車がみるみるのろくなっていく。

 再び追い上げてきた牛鬼が、前脚を道路につくとジャンプした。

―がしんっ!

 こちらの車に、乗りかかってきた。

 前脚の爪をトランクに食い込ませ、連結したように走ってくる。

 ぐいと顔を寄せ、リアガラス越しに車内を覗き込んだ。

 しつこくハッピーバースデートゥーユーを歌いながら、口の端からボタボタとヨダレをこぼす。

 牛鬼が前脚を振り上げると、阿藍が光のバリアを張って攻撃を防いだ。

 二撃目も、的確に光のバリアを張って防ぐ。

「二人とも、呪符をっ!」

「こんな状態で書けないわよっ!」

「集中できないよおっ!」

「くそっ……!」

「お兄さん、お姉さん、無事でいて!」

 大翔は慌ててデイパックを探った。

 阿藍は超能力でリアガラスを守りながら、牛鬼の攻撃を凌ぐ。

 と、屋形の簾が上がった。

 中にいた餓鬼達がギャハギャハと笑いながら、牛車の引き手の木の上を渡ってきた。

 トランクに登ってくる。

 ヨダレを垂らしながら、座席に屈み込んだ悠達を見下ろす。

 牛鬼がコブシを入れて歌い上げた。

『Bad birthday to Youゥゥゥ~~~~♪』

 そのフレーズだけは、音程も完璧でとても上手かった。

 餓鬼が、握り締めた棍棒を振り上げ、リアガラスを破壊しようとした。

「させない!」

 麻麻が電撃を放ち、餓鬼を退けていく。

 流石は超能力者、こんな時でもしっかり鬼に対応する事ができる。

「お前ら、しっかり掴まって歯を食いしばれ!」

 荒木先生が叫ぶと同時に、ハンドルをねじ切るように勢いよく回転させた。

 サイドブレーキを引き窓の向こうの景色が流れた。

 車が、ぐるん、とコマのようにその場で旋回した。

 トランクにとりついていた鬼タクシーも、巻き込まれるようにぐるんと回る。

 二台そのまま後ろから道路を突き進んでいき……。

―ガッシャアアアアンッ!

 ガードレールに叩きつけられた。

 シートベルトが閉まり、息が詰まった。

 鬼達が衝撃でガードレールの向こうへ投げ出されていく。

 屋形が落ちかけ、牛鬼も、めくれたガードレールの向こうへ引きずられていく。

 爪を立て、こちらの車を引っ張ってくる。

 大翔はスリングショットを撃った。

 牛鬼は悲鳴を上げながら前脚を離した。

「Bad birthday to Me~~~~♪」

 悲しげに歌い上げながら、ガードレールの向こうへと落下していった。

 大翔は、ほっと胸を撫で下ろした。

 

「……歌唱力の成長を感じるな」

「みんな、無事か?」

 がっくりとハンドルにもたれかかっていた荒木先生が振り返った。

「ばっちり無事だ」

 後部座席で阿藍が胸を張る。

 超能力で、リアガラスの破壊を防いだからだ。

 大翔達はシートベルトを外して、車を出た。

 車のエンジンは、もううんともすんともいわない。

「もう廃車か。また車、買わなきゃな……」

「今度はタイタニックじゃなくて、別の名前つけた方がいいと思うよ……」

「ちなみに世界最古の沈没船の名前は、ウル・ブルンというらしいわよ」

「アオイ、今、その知識いらないよね……」

「そうよねえ」

「……みんな。まだだ」

 煙を上げる車を見て言い合う四人と、様子を見ているエージェントに、大翔は低い声で告げた。

 何故なら――そこに、「彼」がいたからだ。




次回は新たな鬼が登場します。
そこで、子供達は試練に立ち向かう事になるでしょう。


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78 叉鬼

新たな鬼が登場します。
エージェントも活躍させたいと思って、きちんと書きました。


「矢が飛んできたんだ。あっちの方からだ」

「……何?」

 大翔は道路の反対側を見上げた。

 ガードレールの反対側は、山の斜面になっていて、背の高い木々が立ち並んでいる。

 杉の木の枝の上から、こちらを見下ろしている小柄な人影があった。

 全身をすっぽりと、ぼろい外套に包み込んでいる。

 背中に矢筒を背負い、手には弓。

 目深に笠を被っていて、顔は見えない。

「あの人が助けてくれたってこと? 危ないところ、ありがとうございまーす!

 助かりましたー!」

 悠がぶんぶんと手を振った。

「あたしとしては、そんなに都合よく助けが来るとは思えないんだけど。

 あれも鬼なんじゃないの?」

「都合よく助けが来るのは、アニメだけで十分よ」

「……童に、異能者か」

「え? どうして、アタシ達を……」

 人影が、ぼそりと呟いた。

 しわがれた、老人の声だ。

「引き返せ、童ども。この先は、人の身で来るべきところではない。

 そして、異能者もまた、いるべきではない」

 ひょいと笠を持ち上げた。

 ボロボロの包帯を目隠しにして両目を覆っている。

 皺に埋もれた口元から、小さな牙が覗いている。

 そして、額に生えた二本の角。

「ワシの名は叉鬼。

 人の頃より野山を巡り、強き獲物を狩る事を無上の喜びとしてきた地獄の狩人。

 黒鬼より招待状を受け、参上した」

「人の頃より……だから、アタシがチカラある者と知ってたのね」

 鬼に力を与えられた織美亜が、複雑な表情をする。

 人影――叉鬼は言ってひらひらとカードを振った。

 誕生会の招待カードだ。

「短い夢だった……」

「そんなわけないわ。アナタを、倒す」

 悠ががっくりと肩を落とし、織美亜が叉鬼に拳を向ける。

「黒鬼の仲間なら、どうして私達を助けてくれたの……?」

 有栖は、警戒しながら訊いた。

「仲間ではない。むしろ、黒鬼のやり方は好かんわ」

「要するに敵の敵は味方にあらずか」

「左様。奴は、獲物を(いたずら)に苦しめるからな。

 無益な苦痛や殺生を好まぬ、ワシのやり方とはまるで相容れぬ。

 ちょいと邪魔をしてやろうと思うて、助けたのだ。

 ぬしら、鬼になる仲間を止めに行くらしいの?」

「当然よ、私の弟だもの」

 有栖は頷いた。

「協力してくれるの?」

「いいや、やめておけえ。貴重な命、むざむざ散らす事はあるめえ」

 叉鬼は、ゆるりと首を振った。

「童は童らしく、家に帰れえ。家に帰って、飯食って、風呂入って宿題して歯ぁ磨いて寝れ。そ

 して、異能者もこれ以上関わるな」

「嫌よ」

「や、やなこった!」

 織美亜と大翔は首を振った。

「アタシ達は、任務で来ているの。任務を放棄するのは、エージェントじゃないわ」

「危険は承知で来てんだ! 今更、引き返すかってんだ!」

「ふむ。……耳の一つでも落とせば帰りたくなるかの?」

 叉鬼は呟くと、流れるような動きで弓に矢を二本番え、悠と葵に向けた。

 二人はぽかんとした。

―ひゅんひゅんっ!

「大丈夫だ」

 阿藍は素手で二つの矢を同時に取った。

 光を使う阿藍のスピードは、全エージェント中最速である。

 ならば、叉鬼の矢を掴むくらい難しい事ではなく、阿藍は地面に矢を投げ捨てる。

「なるほど、それが異能者か……やはり価値がある」

 再び叉鬼が矢を飛ばすも、阿藍はそれらを素手で受け止め、投げ捨てる。

 あまりの速さに、子供達は驚きを隠せない。

 と、その時、合唱が響いてきた。

 首を向けると、道路の向こうから、何台もの鬼タクシーが走ってくる。

『はっぴ ばーすでー とぅー ゆうー!! はっぴ ばーすでー とぅー ゆうー!!

 はっぴ ばーすでー でぃあ 黒鬼章吾くぅ~ん!

 はっぴ ばーすでー とぅー ゆぅぅ!!』

 

「……招待客が多すぎる。芸能人の誕生会だってこんなに来ないぞ」

 荒木先生は冷や汗をかき、四人はうん、と頷く。

「仕方ない。お前ら、先に金谷のところへ向かえ。そっちの斜面はまだなだらかだ。

 駆け下りて森を突っ切れ」

「せ、先生にそこの人は?」

「戦う」

 車のトランクレバーに、拳を叩きつけた。

 ごちゃごちゃと物が詰め込まれたトランクからロープを取り出し、ガードレールに巻きつけた。

 そしてバットを取り出し、ぶんぶんと素振りする。

「さあ、行け。俺は後で追いつく。急がないと、金谷の弟が心配だ」

「でも……」

「エージェントは死なない。だって、チカラがあるんだから」

 大翔達は頷いた。

「さあ、行け!」

 矢が飛び、鬼達の合唱が近づいてくる。

 大翔達は、車の陰から飛び出した。

 ガードレールを飛び越える。

 ロープを握り締め、急な斜面に足を踏み出す。

「任せたぞっ! 金谷の弟を救えっ!」

 荒木先生の声を背に、転がるように森へ降りていった。

 

「エージェントには体力がある。だから、負けない」

「異能者は鬼に優しくないんでね」

 鬼との戦闘が、始まった。

 

「いくぞ……はぁぁぁぁっ!」

 狼王はタクシーの中から現れた餓鬼に斧を勢いよく振り下ろして真っ二つにした。

 織美亜は餓鬼を何とか取り押さえ、阿藍が光を当てて倒した。

「電撃投射!」

 麻麻に餓鬼が群がるも、彼女は攻撃をかわして電撃を浴びせる。

 電撃を浴びた餓鬼が麻痺した隙に、阿藍が光の力を使って餓鬼を倒した。

 残っている一際大きな餓鬼の群れに、織美亜と麻麻の女性エージェント達は立ち向かう。

 細胞を破壊する力と、電撃を操る力により、餓鬼の群れは追い詰められていく。

「ぐおっ!」

 餓鬼が棍棒を振り下ろして阿藍を思い切り殴りつける。

 かなりのダメージだが、阿藍はまだ倒れていない。

 それどころか、すぐに決着をつけるようだ。

「狼王……」

「分かってる、食らえーーーーっ!!」

 そう言って狼王が斧を振ると、餓鬼の群れはゴミのようになぎ倒された。

 こうして、エージェントは餓鬼を全て倒した。

 

「お、鬼をあっさり倒すとは……」

 エージェントの戦闘能力に唖然とする荒木先生。

 同時に、自分は何の力も持たない、普通の人間なんだ、と思い知らされた。

 あの小学校での出来事は、夢ではなかったのだ。

「荒木先生、アタシ達も追いかけましょう」

「そ、そ、そうだな」

 荒木先生は慌てながらも、エージェントと共に先を急ぐのだった。

 同時に、超能力スゲー、と思ったとか。




叉鬼は狩りを極めた結果、鬼になった存在です。
だから、慣れ合う事を好まないんですよね。


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79 ハンティング

この先でもオリキャラが大活躍します。
くれぐれも原作のイメージを崩したくない方は読むのをおやめください。


「ちょっと待って、大翔! ストップ、ストップ!」

 悠の言葉に、大翔はピタリと足を止めた。

 織美亜達は、辺りを見渡す。

「また、ヤバイ感じか?」

「うん。その先は、なんとなーく、嫌な感じがするよ……」

 悠が、前方の地面の辺りを指差して言う。

 麻麻が、多すぎるわね、と肩を竦めた。

 森の中だった。

 枯葉が積もり、木々が絡まるように伸びて生い茂っていて、見通しが悪い。

 地面に、特に怪しいところはなかった。

「待て、用意しろ」

「あ、ああ」

 狼王に言われた大翔は、腰のベルトから木刀を引き抜くと、前方の地面に突き刺した。

 慎重に押しながら歩いていくと手応えが変わった。

 力を込めて押すと、バサッ……と、土が落ちる。

 覗き込むと、3mほどの穴の底に、尖った竹が突き刺さっている。

「こんなワナ、引っかかるかってんだ」

 大翔は、ふんっ、と鼻息を吐いた。

「オレ達は……特別な奴だからな」

 森にはたくさんのワナが仕掛けられているが、

 エージェントがいれば、大抵のワナは回避できるはずだ。

 大翔は、空を見上げた。

 真っ黒で重たそうな雲が轟々と空に広がっている。

 陽は隠れ、まだ午前中のはずなのに、辺りは暗かった。

 見渡す限り同じ景色の、だだっ広い森。

 迷う心配はなかった。

 北西の方角に、時折、花火が上がっているからだ。

 ご丁寧に会場の場所を知らせてくれているらしい。

「あんまりアテにしないでね。さっきからずっと、嫌な感じがしてるくらいなんだ」

 悠が、不安そうに辺りを見回した。

「ずっと?」

「うん。森に入って少ししてから、ずっと。背筋がぞわぞわしてる」

「こんな状況じゃ、当然よね」

「いや、そんなんじゃないと思う」

 葵が落とし穴を覗き込んで、眉をひそめている。

 有栖は悠の様子に気づいているようだが。

 

「ともかく、進もう。先を急がなくちゃ」

 大翔は落とし穴をぐるっと回り込んで進んでいく。

「また嫌な予感がしたら言ってくれ、悠」

「うん。そっちの道も嫌な予感がする」

「もうちょっと早く言ってくれえっ!」

 バサッと足元の土が崩れ落ちる。

 狼王はギリギリで大翔の手を掴んだ。

 落とし穴の縁に手をかけ、大翔は口元を引きつらせた。

 

 八人の後方、約100m。

 カサリ、と風もないのに茂みが揺れた。

 

「……引っかからんか。よほどカンのいい童に力ある異能者がいるようだ」

 現れたのは、叉鬼だった。

 大翔達が歩き去るのを待って、足音もなく近づいてくると、地面に屈み込んだ。

 じいっ……と、目隠し越しに地面を見つめている。

「……なるほど、この童に、異能者か」

 覗き込んでいるのは、足跡だった。

 目を凝らさないと分からないような、うっすらと土に残っただけの、八人への足跡だ。

 叉鬼は、足跡を指でなぞった。

「15歳、158cm、三体数は84、56、86。16歳、180cm。19歳、177cm。

 17歳、160cm、三体数は86、57、87」

 まず、叉鬼はエージェントの足跡を確認する。

「11……12歳か。身長140cm後半、体重40kgというところか。

 マイペースで、気の優しい童だの。臆病だが、危険を察知する感覚が鋭い。

 無意識に、ワシの気配に感づいとるようだ」

 と、別の足跡を指でなぞった。

「こちらも12歳、身長151cm、体重は……女童か、言うまい。三体数は74、54、75。

 あの童とは双子のようだ。小さいが、異能を授かっておる」

 次に、別の足跡を指でなぞった。

「こちらも12歳。身長150cm、体重は……こちらも女童か、言うまい。三体数は72、55、74。

 気が強く、頭の良い童だ。冷静さを失わず、仲間を案じて気遣っている。

 ふぇふぇっ。なるほど、なるほど」

 満足そうに頷いている。

「……これは存外、バカにしたものでもないかもしれぬ」

 と、茂みがガサガサッと揺れて、仔犬がぴょこりと顔を出した。

 小さな体に、まるで似合わないトゲだらけの首輪をつけた仔犬だ。

 つぶらな瞳で叉鬼を見上げ、パタパタと尻尾を振っている。

「ケルか。獲物のにおいは覚えたか?」

 仔犬は、ハッハッと舌を出汁、叉鬼の足に頭をすりつけた。

 ねだるように、せっせとお手をしている。

 叉鬼は首を振った。

「ならん。獲物は自分で狩らねばならん。働かざる者喰うべからずだ。それが猟犬というものよ」

 仔犬は、不貞腐れたように叉鬼に尻を向けた。

 叉鬼は、また屈み込んで足跡を探った。

「153cm、45kg。運動能力に優れた童だが……何より、強い意志があるな。面白い……」

 叉鬼は、忍び笑いを漏らした。

 仔犬が、キュウン? と首を傾げた。

「ふぇふぇっ……。よい。なかなかの獲物達だ。

 不屈の意志を持った獲物を追い立て、追い詰め、命を狩り取る……血が滾るというものよ」

 外套の下から鉛色の笛を取り出しにやりと笑った。

「いくぞ、ケル。狩りの時間だ」

 仔犬がお座りをして、ワンッと吠えた。

 

「ん……?」

 大翔は、背の高い木にひょいひょいとよじ登ると、向こうの様子を伺った。

「どうした?」

「……頼むから、俺の前で光を出すのはやめてくれ」

 阿藍が空気を読まずに光を出したのは、大翔は少し傷ついたようだ。

 濃い霧が立ち込めていて、花火の下に何があるのかは見えない。

 風で雲は流れていくのにその霧はまるで晴れない。

 目的地までのルートを確認する。

 上から見る限り、目的地に辿り着くためには、

 両端を崖に挟まれた細い一本道を通らなければならない。

「……黒鬼の奴、ほんと、ふざけてるよな」

「ああ、叩きたいくらいだ」

 双眼鏡を覗き込んで、大翔は溜息を吐いた。

 その一本道に、たくさんの餓鬼が待ち構えているのが分かったからだ。

 メッセージの書かれた横断幕を掲げ、道の両脇に、ずらりと整列して待ち構えている。

 

『お誕生会会場、この道の先←』

『絶対に襲わないから安心して通り抜けていってね』

『絶対に襲わないよ』

 

「100%襲ってくる、に、おこづかい全部賭けるわ」

「明らかに見え見えの罠。すぐに見破った」

「僕も襲ってくる方に、持ってるゲーム全部賭ける」

 木を降りて大翔が報告すると、葵、有栖、悠が口々に言った。

 大翔も同意見だ。

「そこを通らないで済むルートはないの?」

「霧が濃くて、よく見えないんだ。あったとしても、全部、あんな感じなんじゃねえか?」

「ともかく、もう少し近づいてみましょ」

 八人は森を進んでいった。

 進むごとに、ワナは増えていった。

 落とし穴の他、トラバサミがたくさん仕掛けられている。

 また、牛鬼や餓鬼が、ガサガサと落ち葉を踏みつけながら、森をうろついている。

 エージェントが超能力を使いながら避けたが、もう避けるのは難しいだろう。

 

 鬼を避けて回り道しながら進むと、森の中に拓けたところがあった。

 丸太でできた小屋が二つ、並んで建っていた。

 一つは、キャンプ場でよく見るコテージだ。

 張り出したベランダに、木のテーブルと、イスが数脚置かれている。

 レンガで組んだ焚き火台もある。

 もう一つは、やたらシンプルな作りの小屋だ。

 大きな箱に、屋根をつけただけの形をしている。

 大きな縦穴が空いただけの入り口に、中はだだっ広い床が広がり、ボロ布が敷かれている。

 屋根の下には、『Kerberos』と彫られた木板が貼りつけられていた。

「なんだ? この建物」

 小屋の周りには、背の高い金網が張り巡らされていた。

 ところどころ破れて、めくれ上がっている。

 辺りに鬼の気配はなく、静まり返っている。

 まるで、鬼達がこの一帯を避けているかのように。

 

「ここには、番犬がいるようだな」

「犬は嗅覚が鋭い。気をつけて」

 狼王と麻麻が大翔達に警告する。

「番犬? 何の事だ?」

―グルルルル……

 と、後ろから唸り声が聞こえた。

 振り向くと、ガサガサと茂みを掻きわけて、仔犬が進み出てきた。

 小さな体に、似合わないゴツい首輪をつけている。

 四股を踏ん張って八人を睨み、小さな牙を剥いて唸り声を上げる。

 その額には、これまた小さなツノが三本。

「ほんとに鬼だらけだな。離れろ!」

「……」

 大翔は、スリングショットを構え、ビー玉を番えて、仔犬に向ける。

 この距離なら、外さないだろう。

「……キュウン?」

 仔犬は唸るのを止めると、ぴょこんと首を傾げて大翔を見た。

 シッポをくるんと丸めて、股の間に挟み込むと、ころんと仰向けになって、腹を丸出しにする。

「キャウン、キャウン……」

「降参らしいわ。お腹を出すのは、『参りました』ってポーズ。襲ってはきたけど」

 大翔は肩を落とした。

 仔犬は、パタパタとシッポを振ると、悠の足元にまとわりついてきた。

 ハッハッと舌を出し、お手をしている。

 だが相変わらず、狼王は警戒を続けている。

「大丈夫だよ~。怖くないよ~」

「……」

 悠は仔犬の頭を撫でると、リュックからクッキーを取り出して与えた。

 仔犬は嬉しそうにシッポを振って、ガツガツと食べている。

「それじゃ、行こうか」

「待て!」

―ピピイッ!

 と、どこからか甲高い音が響いた。

「何だ? 今の……」

「気をつけろ、犬笛だ」

 狼王が油断なく辺りを見渡す。

「犬に命令を出すために使う笛だ。人の耳には聞こえない周波数の音を含んでい……!」

 狼王が足元を見ると、さっきの仔犬がいた。

 ガツガツとクッキーを食べ終えると、もっとくれ、というように頭を上げて吠えた。

「ワワンッ!

 仔犬の頭は二つ、一つの胴体から枝分かれするように二本の首が伸びているのだ。

 さらに頭がまた増え、三つになり、仔犬の全身の毛が、針のように逆立った。

 巨大な風船のように、体が膨らんでいく。

 短い腕が、みるみる長く、太くなり、胴が膨れ上がって、1m、2m、3m……。

 大翔達は、ぽかんとして、エージェントは鋭い目で睨みつけた。

 仔犬を見下ろしていたはずなのに、あっという間に巨犬に見下ろされている。

 

「……なるほど。それでKerberosか」

 葵が頷いた。

「神話に登場する地獄の魔犬ケルベロスは、三つの頭を持つ猛犬なの。これ、犬小屋だったのね」

「予想通り」

 ケルベロスは行儀よく座って、じっと八人を見下ろしている。

 巨大な三つの頭の額には角。

 口から覗く牙は、子供なんてすり潰してしまいそうに太い。

「…………お手」

 悠が恐る恐る、手を差し出した。

―ピピピッ!

ウオオオオオオオオオオンッ!

―ピピイッ!

「お前らは、早く逃げろ!」

 笛の音と同時に、三つ首が吠えた。

 狼王の掛け声で、大翔達は、一目散に逃げ出した。

 

「さあ、行くぞ!」

 狼王は空間から斧を取り出し戦闘の合図を出した。




鬼には一切容赦しない、それがエージェントです。
次回のゲームは、子供にはキツいと思います。


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80 ウィリアム・テル・ゲーム

この回は子供ならではの性格が出ていましたね。
しかし、エージェントは大人なので、こういう風になります。
だってエージェントですから。


「……あの童も異能者とは」

「甘く見るんじゃないわよ」

 微力ながらも超能力が使える有栖に、叉鬼はある意味で圧倒された。

 陽は西に傾き、黒雲の広がった空は、沈んだ赤茶色に染まっている。

 北西の空に時折上がる花火は、だんだんと間隔が長くなっている。

 

 エージェントが現れたのは、それから数分後。

 織美亜は叉鬼にケルベロスを倒した事を報告した。

 相手はかなり強く、実際はギリギリだったが。

「ケルはやられたか……。異能者どもめ。規則に従わぬものめ。今すぐに排除してくれる」

「でも、任務だから」

「もう、道案内はできぬ。それでもよいか?」

「転移があるからな」

 相変わらずのエージェントである。

 そして、有栖は叉鬼の前に立って言った。

 

「弟はどこ?」

 有栖は双子の弟を追ってきた。

 彼女は一切の迷いを見せていない。

「そうか、家族のためか。ふぇふぇっ……ふぇっふぇっふぇっ!」

「何がおかしいの?」

「愚かなものよと思うてのう。そんなもののために、命を粗末にしようとするとは。

 くだらぬ。実にくだらぬ」

「あなたには家族がいないのね」

 有栖が溜息をつくと、その首に、ピタリと箸の先端が突きつけられた。

「その絆を、黒鬼に利用されている事が分からんか」

「どういう意味よ」

「黒鬼は、鬼になりつつあるぬしらの仲間に、絆を失わせようとしているのだ。

 しかも、より、そやつの絶望が深くなるようなやり方で、だ」

「……どういう事?」

「意味が分からない」

 大翔と葵が眉をひそめる。

 叉鬼はくるりと箸を回し、有栖の腕の上に置いた。

「ヒトを完全な鬼とするには、その心をヒトに繋ぎ止める楔を断ち切らねばならぬのだ。

 そして、その楔となるのが、家族や友達……大切な人の存在よ。

 そうした者がいる限り、ヒトが完全に鬼となる事はできぬ」

 だから黒鬼はぬしらを消したいのだ、と叉鬼は言った。

 要するに、絆が鬼化を拒んでいるという。

「そして、鬼の力とは、絶望を糧にして湧きいづるというのが、黒鬼の考え方なのだ。

 より強い鬼を育てるためにはより強い絶望が必要だ、とな。このまま進めば、ぬしら……」

 叉鬼は笑った。

 

「その友達に、喰われる事になるぞ」

 

 弟に食べられる、そんな事実を聞いた有栖の顔が少し青くなる。

「残った絆は、私だけ……」

「章吾が俺達を喰ったりするもんか!」

 大翔は身を乗り出したが、叉鬼は首を振った。

「喰うさ。鬼の力に屈してな。体が鬼となれば、心もまた鬼となるのだ」

「あいつは、鬼の力に屈するような奴じゃねえ!」

「絆がなくなれば、章吾は……」

「ぬしらはどうだ? こやつより頭はよかろう?」

 悠と葵、琉球エージェントに顔を向けた。

「僕はヒロトと同じ考えだよ」

「大翔より頭はいいと思うけど、この件に関しての考えは同じね」

「同意はしない」

「きっと、あいつの絆を断とうとしてるから」

「あの黒鬼が何もしないわけがない」

「だから、アタシ達は急ぐの」

 悠と葵が澄まして答えた。

 反対にエージェントは最悪の状況を想定しており、章吾が完全な黒鬼になる可能性を抱いた。

「ならば仕方あるまい。……実力で決着をつけるしかないの」

 叉鬼はコテージの壁に立てかけられていた、弓と矢筒を手に取った。

 子供達は緊張して、腰を浮かせた。

 エージェントは、叉鬼を睨んでいる。

「一つ、ゲームで決着をつけんか?」

 叉鬼は、ニマッと笑って言った。

「その昔、ワシが人だった頃、よくやっていたゲームだ。

 交互に弓を射て、より多くマトを撃ち抜いた方の勝ちというゲームだ。要は、射的だな」

 叉鬼は弓を手に、八人の顔を見渡した。

「ぬしらが勝ったら、森を通してやろう。黒鬼も知らぬ、秘密の抜け道を教えてやろう。

 その抜け道を使う以外、ぬしらが生きて友の下へ辿り着く術はあるまい」

 叉鬼は続けた。

「ぬしらが負けるか、勝負を諦めるなら、大人しく家に帰ってもらう。恨みっこなし。

 正々堂々と戦い、勝った方の意見に従う勝負だ。

 脅しや言い合いを続けるよりも、よほど建設的であろう。どうだ、やるか?」

 子供達とエージェントは、顔を見合わせ、頷き合った。

「やる」

「よろしい。ルールはこうだ」

 

 射的ゲームのルール

 ①射手は、鬼一匹と人一人。

 ②それぞれ二射して、マトを撃ち抜いた数の多い方が勝ち。

 ③マトとの距離は、鬼と人の話し合いで決める。

 ④「マトとなるもの」と「マトの置き場所」は、鬼と人が片方ずつ決める。

 ⑤不正を行った場合は、即負けとする。

 ⑥この「不正」に、能力は含まれない。

 

「二つ意見があるわ」

 ルールを聞き終えると葵がそう言って手を挙げた。

「その1。使い慣れた武器を使わせてほしいわね。

 本職の狩人と弓で勝負だなんて、フェアじゃないもの」

「構わぬ。弓でも銃でも貸し出すし、そのスリングショットを使っても構わぬ。

 ただし、その場合には石を使ってもらう。ビー玉では、マトを撃ち抜けん」

「分かったわ」

 葵は頷いた。

 その2、と言って続けた。

「同数だった場合は、どうするの?」

「同数とは?」

「マトを撃ち抜いた数が、同じだった場合」

「……ぬしらの勝ちでもよい」

「ありがとう、おじいちゃん」

 葵は、ニコッと微笑んだ。

 ぼそりと大翔、悠、有栖に囁きかける。

「……こういうのは、ルール決めからが勝負よ。少しでもいい条件を引き出さないとね」

「なかなかやるわね」

 続いて子供達はマトにするものを決める事にした。

 叉鬼に選ばせて、あまり小さなものをマトにされたら不利だ。

 デザート用にバスケットに盛られていたリンゴに決めた。

「後は、距離ね」

「これもハンデをやろう。ワシは100m、ぬしらは10m、いや、8mでよいぞ」

 随分たくさんハンデをくれる。

 それだけ腕に自信があるのか、それとも、大翔達を舐めているのか。

 射手は当然、大翔だ。

 武器は使い慣れたスリングショット。

 叉鬼と子供達は、ベランダを降りた。

「試し撃ちしていいか?」

「構わぬ」

 大翔はリンゴを二つ、ベランダの手すりの上に並べた。

 地面に転がっていた石を拾うと8m歩いて向き直る。

 スリングショットに石を番え、構えた。

 息を吸ち、止め、ベルトを引き絞る。

―バシュッ!

 狙い通り、リンゴを撃ち抜いた。

 もう一度撃つ、また狙い通りだ。

 二つのリンゴがパックリと砕け、ポタポタと果汁をしたたらせている。

 大翔はガッツポーズを取った。

 悠、葵、有栖が拍手している。

 

「やるの、童。思っていたより、ずっといい腕ではないか。驚いたぞ」

「へへっ。今更、距離を変更とかは、なしだぜ? じーさん」

 大翔は、にやっと笑った。

「さあ、勝負だ」

「うむ」

 叉鬼は頷き、100mきっかり離れ、8m地点も書いた。

「何をしようっての?」

「……これだ。気をつけしてくれるかの?」

「……」

「そうだ。もう少し顎を引いてくれるかの?」

 二人はそうした。

「……よし。そのまま、動かずにいてくれるかの?」

 叉鬼は、二人の頭の上にリンゴを乗せた。

「これで双方、準備完了」

 大翔の横に並んで立つと、叉鬼は頷いた。

「さあ、童よ。勝負だ」

「……な、なんのつもりだよ?」

 大翔は言葉を失って、悠と葵を見やった。

 有栖とエージェントは、三人の様子を見ている。

 葵は気をつけしたまま、青ざめた顔をして立ち尽くしている。

 悠も並んで気をつけしたまま、まだよく分からなさそうに目を瞬かせている。

 二人の頭に乗せられた、小さなリンゴ。

「なんのつもりとは?」

「なんで、あんなところに置くんだよ……?」

「何か問題か? マトとの距離はわしは100m、ぬしは8m。距離の変更とかはしとらんだろう」

 叉鬼は、ニヤニヤと笑い続けている。

「あ、頭の上に、置く事ないだろ……?」

「これは射的。手すりの上に置いたとて、頭の上に置いたとて、狙うマトは何一つ変わらぬ。

 何故不満かの?」

「そ、それは……」

「外したら、二人に当たってしまうかもしれない……と、言いたいのかの?」

「……」

「言ってよいぞ? 思い切り、言ってよい」

 黙り込んだ大翔に、叉鬼はニマッと笑って顔を向けた。

 するすると、目隠しを外す。

 血のように真っ赤な鬼の目玉が、爛々と光って大翔を見つめた。

「『外したら、二人に当たってしまうかもしれない』、

 『外したら、目に当たって失明するかもしれない』、

 『額に当たって、友達の頭が、あの砕けたリンゴみたいに、パックリ!

  ……割れてしまうかもしれない』……そう言いたいのだろ?」

「……」

「かもしれない、かもしれない……不思議な事に、そう言うごとに、

 ぬしの弾は真っ直ぐに飛ばなくなっていく。狙いが定まらなくなっていく。

 言ってよいぞ! さあ、思い切り、言え!」

「ぐっ……!」

 大翔は、ぎりっと奥歯を噛み締めた。

 叉鬼は高らかに笑っている。

 

「も、もう一度、試し撃ちしていいか……?」

「構わぬ」

 大翔はリンゴを二つ、ベランダの手すりの上に並べた。

 地面に転がっていた石を拾い、8m歩いて向き直る。

 スリングショットに石を番え、構えた。

 息を吸い、止め、ベルトを引き絞り、撃った。

―バキッ!

 石は勢いよく手すりに当たった。

 手すりが鈍い音を立てて、へし折れる。

 もう一度撃った。

―ガシャンッ!

 向こうのテーブルの上で、椀が粉々に吹っ飛んだ。

 破片が散らばり、鍋の汁がベランダを流れていく。

「あ……」

 大翔は立ち竦んだが、エージェントは平然としていた。

「練習は済んだか? では、位置につけ」

 叉鬼に背を押され、大翔は地面の線についた。

 足元がふわふわして、地面を踏んでいる感触がなくなった。

 まるで綿菓子の上を歩いているようだ。

「弾を拾えぇ」

 地面に落ちている石は皆、ゴツゴツと尖っていた。

 もっと小さい石を……大翔は必死に探した。

「ワシから射ろうかの」

 叉鬼は弓に矢を番えた。

 リンゴに矢を向け、弦を引き絞り、射た。

―スコンッ

 リンゴを、矢が射抜いた。

「1点先取。次は、ぬしの番だ」

「……」

「どうした? 顔色が悪い。さあ、撃てい」

 大翔は踏んばり、スリングショットを構えた。

 腕が鉛のように重い。

 悠と葵が、気をつけをして立っている。

 二人の目が、拝むように必死に、大翔を見つめている。

 何百回も、何千回も目を合わせてきたはずなのに、

 何故か、二人の目を初めて見るような気がする。

 かけがえのない、友達――有栖もそう思っていた。

「ふぇふぇっ。手が震え始めたの。

 自分の命が危うくなっても懲りぬが、友達を危険に晒すのは耐えられぬと見える。

 弱い。弱すぎるわ」

「そう、お前は弱い」

 叉鬼は、目をぎらつかせて笑い、阿藍は冷たく大翔に言った。

「だったら、私が代わりに……」

「……手出しは禁物だ」

「……」

 有栖は自分がやろうと手を出そうとするが、叉鬼に言われ、何も出来なかった。

「さあ、よく見ておけ。友達の潰れてない顔を見るのは、これで最後なのだからな。

 ぬしが撃った弾で、友達は大ケガよ」

「……くっ」

「さあ、弾を番えろ」

 大翔は、スリングショットに石を番えた。

「引け」

 ベルトを引いた。

「こうするのだ」

 叉鬼が背中から、大翔の両手を取った。

 ぐいいっ、と力いっぱい、ベルトを引き絞らせる。

「さあ、撃て」

「……」

 手が震えて、狙いが定まらない。

 ぶるぶる、ぶるぶる、自分の手ではないようだ。

 

「……ワシはこのゲームに負けた事がない」

 叉鬼が呟いた。

「その昔、ワシがまだ人だった頃、ワシにも友達がおったのよ。友情を信じている者達がよ。

 ワシらは互いに力を競った。誰が一番か、このゲームで決める事にした」

 叉鬼は高笑いした。

「だが、誰も射つ事はできなかった。射つ事ができたのは、ワシだけだ。

 十年来の友の頭の上にも、育ててくれた親の頭の上にも、

 ワシだけは迷いなく矢を向け射る事ができた。

 そうしてワシは悟ったのだ。これこそが、強さなのだとな」

「ああ……時に情を捨てなければならない時もある」

 かつて恋人を討った阿藍は、痛いほど思い知った。

「ワシは国一番の弓手となり、

 ワシの周りに人はいなくなり……いつしかワシは、鬼となっていたのだ」

 鬼は、大翔の耳元で囁いた。

「最後の忠告よ。家に帰れぇ。ぬしには撃てぬよ。ぬしは優しすぎる。

 それでは鬼に喰われに行くようなものだ。

 帰れ。まだ間に合う。友達を傷つけたくはあるまい?」

「う、ううっ……」

 大翔の、スリングショットを持つ手が震える。

 その時……。

 

「もういい」

 そう言って前に出たのは、阿藍だった。

 阿藍は大翔からスリングショットを奪うと、悠に向けて構えた。

「乱入は、不正行為……」

「黙れ」

 叉鬼の言う事を無視し、阿藍は撃った。

―バシュッ!

 悠の頭に乗ったリンゴが、弾け飛んだ。

 大翔は目を見開き、悠が首を竦めて息をついた。

 頭には、傷一つついていない。

「……君は、光使いなのに……まるで、闇だ……」

「これで一対一。ではワシの番じゃの」

 鬼は大翔の代わりに出た阿藍の横に並ぶと、弓に矢を番えた。

 鬼が外せば、自動的に人間側の勝ちだ。

 引き絞って射た。

―スコンッ!

 リンゴを、矢が貫いた。

「これで2点。さあ、ぬしの番だ。撃ち抜けばぬしの勝ち、外せばワシの勝ち」

 阿藍は黙ったまま、石を番え、撃った。

 その動作には、一切の迷いがなかった。

―バシュッ!

 葵の頭に乗ったリンゴが、粉々に砕け散った。

「……やるのう。まさか、両方撃ち抜くとは」

 あっさり決着し、叉鬼が拍手した。

 悠と葵は、顔をリンゴの果汁で濡らしながら、突っ立っている。

 当然、ケガはしていなかった。

 二人は、ずるずると地面にへたり込み、放心したように抱き合っている。

「……時には、情を捨てなければならない時がある。お前達のような子供には、できない事だ」

 織美亜達エージェントは10代後半で、阿藍にいたってはもうすぐ成人を迎える。

 いつまでも、子供のままではいられないのだ。

「ぬしなら当然だと思った。ワシの負けだ。約束通り、抜け道を案内してやろう。

 ……だが、ケルがいない」

「俺が案内する」

 阿藍は、どこか黒いオーラが湧き出ていた。

 しかし、その目には温かい光がまだ宿っていた。




次回で小学校編は最終章です。
大翔達は章吾を救う事ができるのでしょうか?
そして、エージェントは任務を遂行できるのでしょうか?


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10章 決着の地獄小学校
81 黒鬼誕生


ついに章吾が××になってしまう……!? なお話です。


 道案内は、超能力により行えた。

 鬱蒼とした森の中を、右に折れ、左に折れ、先導して走っていく。

 エージェントの後についていけば、ワナにも他の鬼にも出くわさない。

 実際、もうしばらく走っているのに、鬼の気配はなかった。

 

 歩いていく中で、エージェントは嫌な予感がしていた。

「……絶対にあいつは……章吾に何かしている。間に合わなかったら……消すしかない……」

「何を言っているの、お兄さん」

「……」

 

 ハッピバースデー トゥー ユー♪

 ハッピバースデー トゥー ユー♪

 ハッピバースデー ディア 黒鬼くーん♪

 ハッピバースデー トゥー ユー♪

 

 耳障りな合唱が響く、部屋の中。

 彼は、眠りから目を覚ました。

 明かりはなく、真っ暗な闇が部屋によどんでいる。

 目が慣れず、何も見えないが、たくさんの気配が満ちているのは分かる。

「自分は誰なんだっけ?」

 考えてみるが、思い出せない。

「どうしてここにいるんだっけ?」

 思い出せない。

 

「やあ、目が覚めたようだね。お誕生日おめでとう」

 貼りつけたようなニコニコ顔が、彼を覗き込んだ。

「大丈夫。徐々に意識が覚醒してくるよ。生まれたばかりだから、混乱しているんだ。

 まずはローソクの火を吹き消そう」

 彼の目の前に、ケーキを差し出す。

 彼は体を動かそうとしたが、上手くいかなかった。

 床の上に寝かされて、四肢を黒鎖で繋がれているからだ。

 ニコニコ顔は、ローソクの入った箱をカシャカシャと振った。

 

「ローソクは、何本立てる?」

 ――この鎖を外せ。

「自分で外せるはずだよ。鬼として、きちんと覚醒できればね」

 ニコニコ顔が答える。

 彼は体を動かそうとしたが、やはり上手くいかなかった。

「俺の名前は、なんていうんだ?」

「キミの名前は、黒鬼だよ」

 ニコニコ顔が答える。

(こいつ、キライ。喰ってやろうか)

「他に名前があったはずだ」

「ないよ」

「あったはずだ」

「ないよ。他に質問はあるかい?」

「俺の大切な人達は、どこにいるんだ?」

「キミにそんな人達はいないよ」

「いるよ」

「いないよ」

「いるよ」

「いないよ」

「友達と、家族がいるよ」

「家族? ああ、お母さんとお姉さんのこと?」

 お母さん、お姉さん。

 その言葉を聞いた途端、彼の胸の奥で、何かが疼いた。

 鬼となって、氷のように冷たくなった体の中で、僅かに残った温かいものだ。

「有栖とお母さんは、どこにいるんだ?」

「お母さんは、病院。お姉さんは、地上だよ」

 有栖は無事か、なら、お母さんに会わせてほしい。

「ボクが会ってきたよ。キミが眠っている間に、お見舞いに行ってきたんだ」

 彼の前に、分厚く膨らんだ封筒が差し出された。

 彼は手を伸ばそうとしたが、やはり、叶わない。

 天井や壁には、闇が蠢いている。

 ギョロギョロ……無数の目玉や口が蠢いて、興味深そうに彼を見下ろしている。

「キミの写真、たくさん撮ったろう?」

 ニコニコ顔は、周囲の様子を気にもせず続けた。

「子供が成長していく姿、親ならさぞかし気になるだろうと思ってね。

 プリントアウトしたものを、キミのお母さんに見せてあげたんだ。ほら、これだよ」

 封筒から、バサッと紙束がぶちまけられた。

 プリント用紙には、何十枚も彼だったものの姿が印刷されている。

 最初はただの人間の子供。

 そこに鉤爪が生え、牙が生え……ゆっくりと、じわりじわりと、

 バケモノに変わっていくところ。

「最愛の息子が、立派な鬼に作っていく成長の過程だよ」

 声は笑っている。

「おじさん、喜ぶと思ってね。見せてあげたんだ」

 彼はぶるぶると首を振った。

「どうなったと思う?」

 彼は首を振った。

「おばさん、見た途端、顔色が真っ青になっちゃったんだ……。

 うふふ。腕を押さえて、苦しみ出しちゃったんだ……。

 うふふ。緊急手術になっちゃったんだ。それでね」

 彼は首を振った。

 全身が、たちまち氷のように冷たくなっていく。

 

「キミ達のお母さんは、死んじゃったよ」

 鎖が弾け飛んだ。

 彼は鉤爪を突き出した。

 ハッピーバースデーの歌が響き渡っていく。

 

(――章吾!)

 有栖の叫び声が、心の中で響いた。




次回は黒鬼になった章吾との鬼ごっこです。
双子の姉・有栖は章吾を救えるのでしょうか。


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82 鬼ごっこ

黒鬼との鬼ごっこの始まりです。


 霧を抜けると、錆びついた門の向こうに、古びた屋敷が聳え立っていた。

 血のように真っ赤に染まった空を、黒雲がゴウゴウと流れ去っていく。

 大場大翔達は足を止めると、ごくりと息を飲んで屋敷を見上げた。

 エージェントの目は、相変わらず鋭い。

 

「言うまでもないと思うんだけど一応言っておくね」

 隣で桜井悠が呟いた。

「あの建物、すっご~く、嫌な予感がするよ。

 嫌な予感がしすぎて、逆にもう、いい予感なんじゃないかと思うくらいだよ……」

「攻略すればいいじゃない」

「ゲームじゃないんだよ、金谷さん」

 悠は青い顔をして、呻いている。

 彼はのんびり屋で、ドジなところもあるが、直感がとても鋭く、嫌な予感がよく当たるのだ。

 大翔は注意深く、屋敷を観察した。

 朽ちかけた、背の高い洋館だ。

 壁はあちこち剥がれ落ち、窓もほとんどひび割れている。

 庭園には、ぼうぼうと生い茂った草。

 煙のように漂う瘴気。

 庭の中に並んだもの達に気がつき、ハッとした。

 鬼だった。

 大きさも姿形も様々な鬼達が、ずらりと二列に並んで立っている。

 まるで祈りでも捧げるように、胸に手を当て、屋敷の方に頭を垂れているのだ。

「桜ヶ島小学校6年、大場大翔、桜井悠、宮原葵、金谷有栖、来たぞ!」

 大翔は叫んだ。

「ま、待ちなさい!」

「誕生会の誘いに答えて、やってきた! 今、行くからな! 待ってろ!」

 声は敷地に、朗々と響いていく。

 悠、葵、有栖が口元を引きつらせる。

 それでも鬼達は、反応しなかった。

 まるで彫刻のように、ピクリとも動かない。

 いつもなら、人間と見ればヨダレを垂らして襲い掛かってくるのに。

「……まったくもう。わざわざ啖呵切って、どうするのよ?」

 宮原葵が、溜息をついた。

 頭が良くていつも冷静な、頼れる仲間だ。

「でも、よく分かったわ。屋敷の中に、何かがいるのよ。

 食欲の権化みたいな鬼達が、あたし達に興味をなくすくらいの、凄い何かが」

「行くぞ、みんな」

 大翔は足を踏み出し、エージェントは、身構える。

 大翔達は、庭園を進んだ。

 脇を通り抜けても、鬼達はやはり動かない。

 開け放たれた玄関扉から中に踏み込むと、床板が、ギシッ……と音を立てて軋んだ。

 だだっ広い玄関ホールだった。

 真っ赤な絨毯に、シャンデリア。

 窓から射し込む赤銅色の光に、宙に漂う埃。

 左右と奥に、長い廊下が伸びている。

 ホール正面には階段があり、踊り場のところで左右に分かれている。

「上だよ。気配が漂ってくる」

 四人と四人は寄り集まるようにして、階段を登っていった。

 

(無事でいてくれ、章吾)

 大翔は、心の中で祈った。

 鬼に連れ去られた友達を、有栖の双子の弟の、

 金谷章吾を連れ戻すために、大翔達はここまでやってきたのだ。

 早朝、マンションを出発してから、既にかなりの時間が過ぎている。

 その間、章吾をさらったあの鬼が、ただ手をこまねいていたとは思えない。

 

(今、助けに行くからな。待ってろよ)

 

「この奥よ」

 ずっと向こうまで伸びた、二階の廊下。

 軋む床板の上を四人と四人は奥へと進んでいった。

 並んだドアの一番奥で、織美亜は立ち止まった。

「……気をつけて。誰かがいるわ」

 七人は顔を見合わせ、頷き合った。

 

(章吾、どうか無事でいて……)

 有栖はドアノブに手をかけると一気に引き開けた。

 祈りは……届かなかった。

 

「何よ……これ」

 部屋の中は、まるで巨大な怪獣が踏み荒らしていったように、荒れ果てていた。

 壁にはあちこち穴が開き、瓦礫が散らばっている。

 砕けたシャンデリア、引き裂かれた絨毯、

 バラバラになった写真立て、原形を留めない残骸の数々。

 エージェントは、明らかに人為的だと思った。

 大翔達は思わず、ビクッと震えて後ずさった。

 その部屋の中にも、鬼達がいたからだ。

 十以上の鬼達が、ぐるりと輪になり、片膝をついて頭を垂れている。

 その輪の真ん中に、彼はいた。

 豪華なソファに腰かけて、目を閉じ、眠っているようだ。

 窓越しに赤い光が、彼の顔を照らし出す。

 黒色に染まった全身。

 顔に浮いた、ヘビのような赤い模様。

 左手から生えたカギ爪、右手から立ち昇る黒いオーラ、額から生えたツノ。

 

「……章吾?」

 大翔達は、呆気に取られた。

 鬼に囲まれて座っている彼は、章吾だった。

 大翔達が知っている姿とは、だいぶ違っているが。

「今、私が助けるわ!」

 有栖は慌てて、章吾のところに行こうとした。

 

「はーい。遠いところ、よく来てくれたね」

 突然、陽気な声が響いて、大翔達はビクッとして辺りを見回した。

「こっちだよ、こっち」

 声は、彼の足下から聞こえた。

「う、うわあっ!」

「きゃああっ!」

 悠と葵が、両脇から大翔に抱きつく。

 大翔も口元を引きつらせ、有栖は歩みを止める。

 彼の足下に……丸い目玉が転がって、八人を見上げていたのだ。

「ようこそ。章吾くん……新・黒鬼君のお誕生会へ」

 ニコニコと言うその声は、間違いなく杉下先生のものだった。

 自分の後継者にするために、章吾を連れ去った黒鬼だ。

「一足先に鬼達だけで、お誕生会、始めちゃってたんだ。

 新しい黒鬼君の誕生を、歌とか歌ってお祝いしてたんだよ」

 目玉は声に合わせて、コロコロと転がった。

「そしたらボク……黒鬼君に、八つ裂きにされちゃってさ。

 こんな、あられもない姿になっちゃった。恥ずかしい~」

「……アナタ……」

 織美亜は、目玉を蔑む目で見ていた。

「さあ、キミ達も黒鬼君の誕生をお祝いしてってよ。ハッピーバースデーとか歌って」

「嫌よ」

 大翔達は顔を見合わせ、頷き合った。

 目玉は無視する事にした。

 

「章吾。帰るぞ」

「私が待ってるわよ」

 大翔はズボンのポケットから、一枚の紙切れを取り出した。

 筆ペンで『浄』の字が書かれ、うっすらと光を発している呪符だ。

「この札を貼れば、大丈夫だ。体が鬼になってても、人間に戻れるからよ」

 大翔の言葉にも、彼は反応しない。

 大翔と有栖は一歩一歩、彼の方へ近づいていった。

「帰りましょう。みんな、心配してるわ。クラスメイトも、先生も。……家族も」

 ようやく、彼が目を開いた。

 ぱちぱち、と瞬きをした。

 大翔と有栖は息を呑んだ。

 他の鬼達と同じ、ガラス玉のように赤い目玉だったのだ。

 彼はヘビのように目を細め、頭から爪先まで、しげしげと大翔を見つめている。

「……金谷さん、ヒロト。逃げよう」

 悠がごくりと息を呑んだ。

 大翔は構わず、彼の頭に手を伸ばした。

 額から生えた鬼の角に、『浄』の符を貼りつけた。

―カッ!

 呪符が、青白い光を上げ、彼の全身が光り輝いた。

 一瞬だけだった。

 すぐに光は砕け散って、部屋は元通りの闇に包まれた。

 

「……え?」

 大翔は、きょとんとした。

 『浄』の符は、ボロボロに朽ちてしまっていた。

 真っ黒い消し炭のようになり、灰になって散っていく。

 彼の体は、鬼のままだ。

 何事もなかったように大翔と有栖を見つめている。

「つまり、章吾は、もう……」

「その通り。『浄』の符はあくまで、鬼になりかけの人間を戻すためのものだからなんだ。

 完全に鬼になった相手には、効果がないんだよね」

「な……」

「残念だったね。もう少し早く着いていれば、結果は違っていただろうにね。悔しいね。

 もう、タイムアップなんだ。金谷章吾君を、ヒトに戻す事はできない。つまり……」

 目玉は、人気ゲームの全滅効果音を口ずさんだ。

「ゲームオーバー、なんだよ」

「バ……バカ言うんじゃねえよ!」

 大翔はぶるぶると首を振り、有栖は落胆したまま。

「もう一度だ! 『浄』の符を作ってくれ! とびきり強力な奴を!」

「きょ、強力な奴って言ったって……」

「ちゃんと作ったわ!」

「頼むよ! 作ってくれよ! 失敗しただけだ! もう一枚貼れば、ヒトに戻るんだよ!」

 大翔は、二人を振り返って怒鳴った。

「うふふ。叶わなくても、最後まで藻掻く。そういう姿勢、ボク、とてもいいと思います」

「貴様……」

「でも、彼の方はそろそろお腹が減ってきたみたい」

 大翔と有栖の背後で、動く気配がした。

「ヒロト!」

「有栖!」

「「後ろっ!」」

 突然電撃が走り、彼は大翔と有栖から離れる。

 それを放ったのは――麻麻だ。

「また、邪魔したな……」

 杉下先生だったものは目玉だけで麻麻を睨みつけている。

 以前に攻撃を受けたため、彼は麻麻を一際警戒しているのだ。

「ああ、ええと、ちょっと調子が悪かったみたい。

 この子供達は、キミへの誕生日プレゼントだよ。

 人間の子供のお肉。たんと味わってお食べ」

「何だテメエ。次に俺をキミ呼ばわりしたら潰すぞ」

「失礼いたしました。黒鬼様」

「しょ、章吾……」

 有栖は、章吾をじっと見つめている。

「私は、あなたの双子の姉、金谷有栖よ……」

「ショウゴ? アリス? なんだそれは。俺の名は、黒鬼だ」

 有栖を興味深そうに見やり、彼……黒鬼は続けた。

「章吾……」

 大翔と有栖は、弱り切った目で、章吾を見つめた。

「お前、本当に鬼になっちまったのかよお……」

「信じていたのに……」

「グルル……。言いたい事はそれだけか? では、喰ってやる」

 黒鬼は口を開いた。

 鋭い牙が生え揃った大口だ。

 大翔と有栖へ向かって、近づいてきた。

 

―パンパンパンッ!

 と、炸裂音が響いた。

「むっ?」

 部屋にもくもくと煙が広がって、黒鬼の視界を覆い隠していく。

 煙が晴れると、八人の姿はなくなっている。

「……逃げた?」

 黒鬼が、不思議そうに首を傾げた。

「何故、逃げる? 俺が食べると、言っているのに」

「うふふ。ゲームのつもりなんだよ。せっかくのお誕生会だもの」

 目玉が答える。

「遊んでくれてるんだよ。

 だって、ただ食べるよりも、逃げるのを捕まえて食べる方が、ずっとオモシロイでしょう?」

「なるほど。確かに、その方がオモシロそうだ」

 黒鬼は頷いた。

「遊びは、好きかい?」

「うん。遊びは大好きだ」

「いいね。子供はそうでなくちゃ。そんな黒鬼様に、一つ遊びを教えてあげよう」

「なんだ。教えろ」

「有名な遊びだよ。人間の子供だったら誰でも知ってる、面白い遊びだ」

 目玉は黒鬼を見上げると、ニコニコと笑った。

 

「“鬼ごっこ”って言うんだけどね」




有栖は弟を助けるために頑張ります。


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83 始まり

黒鬼になった章吾との鬼ごっこです。
ここでは琉球エージェントも活躍させたい、と思いました。


「一つ、任務は出来る限り遂行すべし」

「二つ、人喰い鬼は滅ぼすべし」

「三つ、能力の乱用は控えるべし」

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻はそう言いながら、大翔達を追いかけていった。

 

「一旦逃げるぞ!」

 大翔達は部屋を飛び出すと、全力ダッシュで廊下を引き返し、階段を駆け下りていった。

「ヒロトと金谷さんの事だから、意地でも引かないんじゃないかと思った!」

「どう引きずっていこうかと思ったわよね!」

「だって私の弟だもの」

「引きたくは、ねえけどさ!」

 『浄』の符が効かなかった以上、一旦引いて作戦を立て直すしかない。

 荒木先生と合流すれば、きっと何か方法があるはずだ。

 階段を降り切って、玄関ホールを駆け抜けていく。

 と、玄関扉の向こうから、のしのしと歩いてくる鬼の姿が見えた。

 地獄の獄卒、牛頭鬼だった。

 太い腕を伸ばすと、外から扉をギシギシと閉めていく。

「や、やばいっ!」

 大翔達は慌てて駆け寄った。

 その鼻先で扉は閉じられた。

「お、おい! 開けろ!」

「閉じ込めないでようっ!」

 ダンダンと扉を叩き、タックルするが、びくともしない。

 牛頭鬼が向こう側から扉を押さえつけているのだ。

「やるしかないか?」

 狼王は異空間から斧を取り出し、扉を破壊しようとする。

「やめて。別の出口を探しましょ……」

―ギシッ……

 床の軋む音が響いて、八人は振り返った。

―ギシッ、ギシッ……

 上の方から、階段を降りてくる。

 狼王はすぐに身構えた。

 黒鬼が踊り場に現れたところだ。

―ギシッ、ギシッ……

 ゆっくり通りてくる。

 薄闇に閉ざされた玄関ホールに降り立つと、立ち止まった。

 それ以上進んではこない。

 考え込むように首を傾げている。

(な、何してるんだ……?)

 黒鬼は、くるりと背を向けた。

 壁に向き合うように立ち、そのまま動かずにいる。

(……気づかれてはいないみたいだな)

(今のうちに、別の出口を探すわよ)

(場合によっては戦うけどね)

 大翔達は頷き合うと、壁伝いに歩き始めた。

 黒鬼が立っているところを大きく回り込むようにして、奥の廊下へ進んでいく。

 通り過ぎる時、黒鬼が何か声に出して呟いているのが分かった。

「……ご。……ろく。……しち」

 数を数えているのだ。

 壁に向かって、目を瞑って。

「……はち。……きゅう。……じゅう」

 黒鬼が振り返った。

「なんだ。まだそんなところにいたのか。しかも、斧まで出しやがって」

 迷いなく八人の姿を見つけて言った。

 フッと姿が掻き消える。

 瞬きする間に、眼前に立っていた。

「鬼が数を数えてる間に、もっと遠くまで逃げるべきだろう。やった事ないのか? 鬼ごっこ」

 呆然と立ち尽くす四人と、戦闘態勢を取る四人に構わず、一方的に告げた。

「始めるぞ。俺が『鬼』で、お前達が『子供』、そしてお前らが『能力者』だ。ルールはこうだ」

 

 ルール1:子供は、鬼から逃げなければならない。

 ルール2:鬼は、子供を捕まえなければならない。

 ルール3:能力者は、鬼と戦わなければならない。

 ルール4:決められた範囲を超えて、逃げてはならない。

 ルール5:時間いっぱい鬼から逃げ切れれば、その子供は勝ちとなる。

 

 遊ぶ前にゲームのルールでも説明するように、淡々と読み上げていく。

「鬼にタッチされると、アウトだ。こんな風にな」

 と、黒鬼が右手をパーの形に開いて、手を伸ばしてきた。

 反射的に構えた大翔の脇を抜け、背後の柱に掌を触れた。

―ビシッ! ビシビシビシ……

 太い柱に、みるみる亀裂が入っていった。

 中途からへし折れ、床に崩れ落ちた。

 四人は呆然とし、四人の闘志に火がつく。

(どうやら、あいつはやる気みたいね)

(オレ達はタッチされてもアウトじゃない。何故なら、体力があるからな)

(……たとえ、相手が子供でも)

(やるのが、私達琉球エージェントなのよ)

「では、鬼ごっこ開始だ。さぁ、逃げろ。おっと、大事なルールを忘れていた」

 黒鬼は、牙を剥き出しにして笑った。

 

 ルール6:鬼に捕まった子供は、[削除済み]

 

「に、逃げろっ!」

「ふん、それだけか?」

 大翔達は、弾かれたように走り始めた。

 玄関ホールを飛び出して、死に物狂いで廊下を走り抜ける。

 悠、葵、有栖も、顔色が真っ青だ。

 あれは、鬼だ。

 有栖の双子の弟・章吾ではなく、生まれたばかりの、黒鬼だ。

「……こうすれば、いい!」

 阿藍は光を纏った拳で黒鬼を攻撃したが、黒鬼の肌を掠った程度で少しも応えていない。

 四人はすぐにテレポートして、黒鬼から離れた。

 背中越しに響く足音はすぐに小さくなっていった。

 走らずに、歩いて迫ってくるつもりらしい。

「外に出るぞ! 森に逃げ込めば、いくらでも隠れられる!」

「裏口があるはずよ!」

「戦う気はないの?」

「いやいや、戦うのは無謀だって!」

 走っていくと、廊下の奥にあった。

 裏口扉の前には、馬頭鬼が立ちはだかっていた。

 手に持った槍をビュンビュン回して威嚇している。

「強行突破するか!?」

「する!」

 四人のエージェントは身構えて、馬頭鬼に戦いを挑んだ。

 

「せいやぁぁっ!」

 狼王は思いっきり斧を振りかざし、馬頭鬼に叩きつける。

 彼の怪力は、鬼をも圧倒するのだ。

「光よ……」

 阿藍は馬頭鬼を光で攻撃しようとするも、馬頭鬼が槍で光を防いだ。

 織美亜は回復の力を逆流させて、馬頭鬼に僅かな傷を与える。

「ぐあぁぁっ!」

「うあぁぁっ!」

 馬頭鬼は槍で狼王と阿藍を薙ぎ払う。

 その威力は凄まじく、狼王と阿藍に深い傷を負わせた。

「二人とも、しっかりして! 電撃投射!」

 麻麻の電撃が馬頭鬼の急所に直撃し、その隙に織美亜は阿藍に治癒の力を使う。

 だがなおも馬頭鬼は槍で狼王と阿藍を薙ぎ払う。

 狼王は勢いよく斧を振り下ろし、馬頭鬼の槍を弾き飛ばしそのまま馬頭鬼に叩きつけようとした。

 しかし、馬頭鬼は狼王の攻撃をかわすと、思いっきり拳で狼王を殴った。

「ぐ……っ!!」

 この瞬間、エージェントは馬頭鬼を倒せない事を悟った。

 エージェントは、大翔達を追うのだった。

 

『アハハ、アハハハ!』

 勝手口の前では、ピエロ姿の鬼が笑い声を上げている。

『ごっはん、ごっはんん!』

 非常口の前では太った餓鬼が、扉を塞いでいる。

―ギッチギッチギッチギッチ……

 窓ガラスに群がっているのは、人肉食の鬼昆虫の群れだ。

 さらに廊下を駆け抜けていくと、窓の前に牛鬼が立っていた。

『とお~りゃんせ! 通りゃんせぇ!』

「こうなりゃ、強行通りゃんせだあっ!」

『ゲエエッ!?』

 大翔はデイパックにくくりつけていた木刀を振りかぶり、牛鬼へ飛びかかった。

 牛鬼はギョッとして逃げていった。

「ここから出るぞっ!」

 窓をよじ登り、外へ飛び出そうとして……大翔達は、慌てて踏みとどまった。

 窓の下の地面が、沼になっていたのだ。

 ボコボコと泡が立ち昇り、生き物の骨がプカプカと浮いている。

 

「決められた範囲を超えて、逃げてはならない」

 

 声が響き、八人はハッとして振り返った。

 廊下の曲がり角の向こうから、黒鬼が姿を現した。

 ゆっくりと歩いてくる。

「外へは逃がさん。ルールを守って、鬼ごっこしようぜ」

「電撃投射!」

「ぐっ」

「う、上へっ!」

 麻麻が電撃を放った後、大翔達は階段を駆け上がった。

 こうなったら、二階から飛び降りるしかない。

「他の鬼達には、手を出さないように言ってある。これは、俺の遊びだからな」

 と、黒鬼が手を突き出し、傍らにいた餓鬼の角に触れた。

―パンッ!!

 餓鬼の体が、風船のように弾け飛んだ。

 パラパラと土くれになって散る。

 

「に、逃げろっ……!」

「自衛のためなら、攻撃してもいいよな?」

 大翔達は走り出した。

「はあっ、はあっ……!」

 だんだん、息が切れてきた。

 向こうは歩いているだけなのに。

 悠と葵も、かなりキツそうだ。

 有栖達は超能力者なので、織美亜の超能力で何とか体力を回復しているが、

 精神力がもつかどうかは分からない。

 

 廊下を走り抜けると、壁際で身を休める。

「休んでいるヒマなんてないぞ」

 ほんの少し立ち止まっていただけなのに、黒鬼が姿を現した。

「逃げろよ。喰うぞ」

「光よ!」

「く……眩しい」

 阿藍が光を放って黒鬼の目を晦ます。

 その隙に大翔はスリングショットを構え、ビー玉を番えた。

 引き絞って撃ち、黒鬼の足に当たった。

「鬼ごっこで鬼を攻撃するのは、ルール違反だ」

「そんなの、ルールにないじゃないか」

「能力者は攻撃してもいいんだぞ」

「そうだ、そうだ!」

 大翔は、もう一発撃った。

 黒鬼が手を掲げると、ビー玉は宙で止まった。

「返そう。バーン」

「危ない!!」

 麻麻が電撃のバリアを張り、ビー玉を弾き返した。

「そら、走れ。逃げるんだ。逃げるのを捕まえるのが、オモシロイんだからな」

「くっ!」

「アタシ達が何とかするからアナタ達は逃げなさい」

 織美亜にそう言われた大翔達はまた走り出した。

 足音に追い立てられるようにして、屋敷の中を逃げ続ける。

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻は、黒鬼を睨み続けながら牽制を続けた。

「どうした? もっと速く走れ。遅くなってきたぞ」

 どこまで逃げても、足音は突然現れ、追ってきた。

 のんびりとした足取りで、一歩一歩、追い立ててくる。

「面白いな、鬼ごっこ。こんな面白い遊び、初めてだ。楽しいぜ」

 振り切れない。

 どれだけ引き離したと思っても、振り返ると黒鬼が姿を現す。

 

「有栖は辛いだろうな。お前が変わってしまって」

 阿藍は、有栖の名前を呟いた。

 彼女は阿藍と共に、彼を取り戻そうとした人物だ。

「……アリス……?」

「ああ、お前のもう一人の家族だ」

「……家族……?」

 有栖の名前にも動じない黒鬼を見て、阿藍は「ああ、やはり無理か」と自嘲した。

 ふと、織美亜はあの黒鬼を思い出してこう言った。

 

「確か、あの黒鬼ってどんな力を持ってたのかしら」




次回も黒鬼との対決です。


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84 追う黒鬼

黒鬼との対決はまだまだ続きます。
ここで、オリキャラの有栖が……。


 四人は階段を駆け上がった。

 

「ぜえっ、ぜえっ、ぜえ……っ」

 限界だ。

 心臓がバクバクと暴れ回っている。

 息が上がって、足に力が入らない。

「はあっ、はあっ……! も、もうっ、駄目だようっ!」

「あたしもっ、ムリ……っ!」

「私も……」

「一旦、どこかに隠れるぞ……!」

 伸びた廊下にずらりとドアが並んでいる。

 どこかに隠れて、やり過ごすしかない。

 葵が廊下を奥まで走ると、階段へバッグを放り投げて戻ってきた。

 別の階へ逃げたように見せかけるフェイントだ。

 

「中へ!」

 四人はドアの一つを開くと、部屋に転がり込んだ。

 ドアを閉め、鍵をかけようとして……思い留まる。

 鍵をかけたら、この部屋に隠れていると宣言しているようなものだ。

 そこは、だだっ広い寝室だった。

 天蓋付きのベッドや、テーブルが置かれている。

 バスルームへのドア。

 ガラス戸の向こうにはベランダがあるが、窓には木板が打ちつけられている。

「ど、どこに隠れる……? 有栖に、託したぜ……」

「有栖は超能力者でしょ?」

「あの人達より弱いの」

 有栖は精神を集中し、しばらくして、隅のクロゼットを指差した。

 四人で中に入り、戸を閉めて身を縮こまらせる。

 見つからないよう、祈るしかない。

 

―ギシッ

 足音が響いてきた。

 閉まったドアの向こう。

 伸びた廊下の突き当たり。

 階段の板を、一歩一歩踏み締めて歩いてくる足音。

―ギシッ、ギシッ……

 近づいてくる。

 階段を登り、廊下を歩いてくる。

―ガチャッ

 ドアを開ける音。

「……いない」

 黒鬼の声。

 部屋の中を探っているのだ。

 一つ一つ部屋に踏み込み、大翔達がいないか確認するつもりだ。

―ギシッ、ギシッ……ガチャッ

「いない」

―ギシッ、ギシッ……ガチャッ

「いない」

―ギシッ、ギシッ、ギシッ、ガチャッ

「いない」

 近づいてくる。

 四人は、クロゼットの中で息を殺した。

―ガチャッ

 ドアが開いた。

 四人が隠れた部屋のドアだ。

「どこに隠れた……? バッグはフェイクで、この階に隠れてるんじゃないかと思ったんだが」

―ギシッ、ギシッ……

 部屋に侵入してきた。

―ザクッ!!

 と、ベッドに鉤爪を突き立てた。

 悲鳴を上げそうになったのを大翔は必死に塞いだ。

 黒鬼が鉤爪を引き抜いた。

「いない」

 バスルームのドアを開けた。

―ガッシャアアンッ!

 ガラスの砕け散る音が響き渡った。

 ぶるぶると震える葵と肩を組む。

 大翔と有栖の体も震えた。

 バタン、とバスルームのドアが閉じた。

「いない」

―バキッ! ベキッ! グシャッ!

 部屋の中を薙ぎ払う音が響いた。

 もう何を壊しているのかも分からない。

 四人はきつく抱き合った。

「いない」

 黒鬼が、クロゼットの前に立った。

 ぼそぼそと囁く声が聞こえる。

「どこにもいない。どうやら、見失ってしまったようだ。面白い。なんて面白いんだ、鬼ごっこ」

(か、神様っ……!)

 大翔達は必死になった。

 ドクドクと打ち続ける心臓の音すら、外へ漏れ出しているのではないかと思った。

 

「……深読みをしすぎたか。別の階へ逃げたんだろうな」

―ギシッ、ギシッ、ギシッ……

 足音が、寝室から遠ざかっていく。

―ガチャッ、バタン

 扉を開け閉めする音。

 それきり、静かになった。

 もう足音は聞こえてこない。

 それでも四人は息を殺したまま、動かなかった。

 たっぷり5分は待ってから、ようやく、息を吐き出した。

 

「び、びびったわ……」

「し、心臓が止まるかと思ったよう……」

「……章吾……私は……」

「へへ……。さ、流石有栖推薦の隠れ場所だな……」

 胸を撫で下ろし、頷き合う。

 

 と、何の前触れもなく。

―ガラララッ

 クロゼットの戸が開いた。

 

「いた」

 黒鬼が立っていた。

 クロゼットの中に座り込んだ四人を、腕組みして見下ろし、ニヤニヤしている。

「出てったふりして、戻ってみたんだ。足音を消すくらい、簡単なんだよ。

 駄目じゃないか、油断したら」

 ひらひらと右手を振ってみせる。

「さあ、逃げろ。一斉に逃げれば、一人くらいは助かるかもな?」

 手を伸ばしてきた。

 悠も葵も、動けない。

 

やめて!!

 瞬間、有栖の身体から衝撃波が放たれ、黒鬼のみを吹き飛ばした。

 彼女の超能力は、弱いはずなのに。

 

「有栖!?」

「わ……私の力が、目覚めてる……?」

「……!?」

 これには流石の黒鬼も驚きを隠せない。

 だが、実は有栖の中で、密かに超能力が強まっていたのだ。

 超能力者のエージェントと共にいて、鬼祓いの修行もして、

 その結果……有栖の強い感情により、超能力が覚醒したというわけだ。

「どこぞの漫画じゃあるまいし……」

「……私は、馬鹿だった。きちんと相談しなかった私が馬鹿だった。

 弟の気持ちを理解しなかった私は、一番の馬鹿だった!

 有栖の念動力は黒鬼を締め付け、ぐぐ、と黒鬼は悶える。

 強い感情に応じて、超能力は強まり、黒鬼を殺そうとしている。

「やめろ、有栖……これ以上やったら……」

 有栖は自分の超能力が暴走したまま、黒鬼をなおも攻撃し続けている。

 黒鬼の身体がちぎれそうになった時。

 

何やってるんだ!!

 部屋のドアが、吹っ飛ぶように開いた。

 飛び込んできたのは、荒木先生だった。

 野球のバットを掲げて叫んだ。

「なんなんだこの館は! どの入り口も鬼が塞いでるし! 仕方ないから、壁を壊してきたぞ!」

 ぶんっ! とバットを振って、部屋に踏み込んでくる。

「おまえら、無事かっ!」

「無事だぜ、先生……」

「無事すぎて泣きそうだよう……」

「ほんと無事……」

「……」

 超能力が消え、黒鬼は解放された。

 有栖は超能力を使いすぎて、ぐったりしていた。

 荒木先生は頷いた。

「……無事そうで何よりだ」

 それから黒鬼に目をやった。

「金谷の弟だな? 完全に鬼になったか……」

「そういうお前は、おかわりの肉か?」

 黒鬼は荒木先生を見やると、興味なさげに顎をしゃくった。

「あの異能者のせいだな。死ぬはずなのに、生きている」

「あいつら、牛頭鬼とやり合ったからな」

 荒木先生が抗議する。

「宮原、桜井、金谷の姉。『浄』の符は、どうだったんだ?」

 悠と葵は、ぶるぶると首を振った。

「やっぱり、効かなかったんだな。予想はしてたが……」

「あんな子供騙しの札が、俺に効くわけないだろう」

 黒鬼が肩を竦めて見せる。

「そうだな。お前に通じるのは、こっちだよな」

 荒木先生は上着の懐に手を入れた。

 紙切れを一枚取り出すと呪符を掲げた。

「二度言わすな」

 黒鬼が、苛立たし気に首を振った。

「そんな呪符など、俺には――」

 と、言葉を切った。

 じっと目を細めて、呪符を見ている。

 その札の色は……真っ黒だった。

 模様のような複雑な字が描かれ、ぼんやりと黒く発光している。

「分かるようだな? この札なら、お前にも効くぞ。切り札だ」

 荒木先生が札を掲げ、黒鬼の方へ歩いていく。

「さあ、この場は退け。さっさと行くんだ」

「……切り札は、隠しておかなきゃ意味がない」

 と、黒鬼が肩を竦める。

 荒木先生が一瞬、気を逸らした隙に、姿を消した。

 先生が目を見開いた。

「しまっ……」

「黙って貼るべきだったな」

 黒鬼の手が、荒木先生の背に触れた。

 今度は荒木先生の体が吹っ飛んで、転がった。

「く、そ……。お前、先生は、労われよ……。お前より、年寄りなんだから……」

「労わって喰うよ」

 黒鬼は近づいてきた。

 荒木先生の体を軽々と持ち上げると、じいっと見つめている。

 また、頭でも痛むように、眉の部分を顰める。

 振り払うように首を振った。

「喰ってやる」

 先生の首筋に牙を寄せる。

「させるかっ!!」

 大翔は黒鬼に飛びかかった。

 破れかぶれのショルダータックルだ。

 四人まとめて、ベランダの柵に当たった。

―バキキッ!!

 ベランダの柵が砕け散った。

 大翔、有栖、黒鬼、荒木先生は、ぽおんと宙に放り出された。

 

「だから、私達がいるの」

 大翔は、バリアの上に落下した。

 阿藍と麻麻が屋敷の外にテレポートして、

 光と雷の力で大翔、有栖、荒木先生の体を受け止めてくれた。

 黒鬼は地面へ落ちていく。

「章……吾」

 大翔と有栖は身を乗り出した。

 落ちていく黒鬼の背から……翼が生えた。

 バサリと空へ舞い上がると、浮かんだ月を背に、大翔達を見下ろしている。

 黒鬼は、気づいたように空を見渡した。

 

 赤く染まっていた空は、いつの間にか、夜の闇色に沈んでいた。

「時間いっぱい鬼から逃げ切れれば、その子供は勝ちとなる。

 ……ここまでにしようか。この鬼ごっこは、お前らの勝ちだ」

 大翔達を見下ろし、ニッと笑った。

「……思い出したぜ。宮原、桜井。……有栖、大翔」

 大翔達は、黒鬼を見返した。

「思い出したら、新しい遊びを思いついた。一息吐いたら、次の勝負といこう」

 と、有栖を指差した。

 有栖は、ハッと息を呑んだ。

 ニヤッと笑う黒鬼の表情が、見慣れた顔に重なって見えたのだ。

 有栖を慕っていた、弟の顔に。

 

「ひとまず休憩だ。せいぜい体を休めておけ。じゃあな――有栖」

 バサリと翼をはためかせると、黒鬼は飛び去っていった。

 そんな黒鬼の姿を見て、有栖は呟いた。

 

「……章吾、私が姉として、助けてあげるからね」




有栖を完全なサイキッカーにしたのは、私の完全な趣味です。
だって女の子が活躍する話が私は好きですもの。


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85 サイキッカー・有栖

オリキャラの有栖が、ライトノベルではよくある展開になります。
始めは弱かったけど成長する……凄く燃える展開ですよね。


 黒鬼がいなくなった館の中は、しんと静まり返っていた。

 玄関ホールにも、廊下にも……あれだけたくさんいた鬼達が、一匹も見当たらなくなっている。

 大翔達は廊下を進んでいくと、ドアを開けた。

 

「あ、見つかっちゃった~」

 荒れ果てた部屋の中に残っていたのは、杉下先生の目玉だけだった。

 他の鬼達は、姿を消していた。

「パーティの後って、寂しいものだよね。みんな、もう帰っちゃったよ」

 無言で見下ろす大翔達を、楽しげにニコニコと見上げている。

「それじゃあ、みんな、お疲れ様でした☆ ボクも地獄に帰るね。まったね~♪」

 コロコロと転がって、部屋を出ていこうとする。

 その目玉の前に、葵が靴を突き出した。

 通り道を塞がれて、目玉が止まる。

「それじゃあ、ボクも地獄に帰るね。まったね~♪」

 葵の靴を避けて、転がっていこうとする。

 その目玉の前に、悠が靴を突き出した。

 通り道を塞がれて、目玉が止まる。

「ちょっと、ちょっと。気をつけてよ~。ジャマだよ~」

 ピョンピョン跳ねて、抗議する。

「それじゃあ、ボクも地獄に帰るね。まったね~♪」

 悠の靴を避けて、転がっていこうとする。

「死ね」

 目玉の前に、有栖が靴を突き出す。

 有栖の靴を避けて、転がっていこうとする。

 その目玉の前に、大翔は立ち塞がった。

「……今から俺達が訊くことに答えろ」

 じっと目玉を見下ろすと、四人で足を持ち上げた。

 エージェントは、精神を集中している。

「答えなければ、踏み潰す」

「踏み潰すわ」

「踏み潰すしかないね」

「殺す」

「あはは。みんな、コワイ。目がコワイ。ボクの目を見習ってよ。こう、キラキラ~☆ って」

「誰のせいで」

「こうなったと」

「思ってるんだ」

「クソが」

 てんでに踏みつけてやると、目玉はコロコロ転がって、子供達の足の間を逃げ回った。

「荒木先生、助けて~。子供達が、か弱い目玉をいじめるんです~」

「それは良くないですな、杉下先生。俺が代わりに踏み潰してあげましょうか?」

「あ、酷い。荒木先生ったら、血も涙もない。

 こんなに可愛い目玉をいじめるなんて近頃の学校教育はどうなっているのかな? 抗議します」

「訊く事に答えなさい」

 有栖は、右足を高々と持ち上げた。

「章吾に、何をしたの?」

「そ、そう怒らないでよ~」

 目玉はパチリと瞬きして答えた。

「章吾を苦しめて、姉の私が怒らないとでも? 今の私には、力があるんだから」

「黒鬼の力を、譲り渡しただけだってば♪」

「一昨日会った時は、あんなじゃなかったわ。黒鬼の後継者になんかならないって言ってたわ」

 有栖が目玉を睨みつける。

「あれから一体、何があったの? 章吾に、何をしたの?」

「ひ・み・つ♪ な・い・しょ♪ 英語で言ったら、シークレット★」

―ドンッ

 有栖は無言で足を踏み下ろした。

「ひぃぃ。コワイよ~。真の黒鬼になるために、必要な事をしただけだってば~」

 目玉は半泣きになって答えた。

「必要な事って何? 目玉焼きになりたくなかったら答えなさい」

 有栖は念力を使おうとする。

「うふふ。みんな、鬼♪ ボクよりよほど鬼♪

 鬼になるために必要な事といったら、ヒトの心を捨てる事に決まってるじゃないか」

「ヒトの心を……」

「心が鬼になれない限り、いくら体を鬼に近づけたところで、黒鬼にはなれないんだよ。

 もっとも、桃鬼は例外だったけど。

 ……だから、心をヒトの形に繋ぎ止めるものを、断ち切る必要があったんだ。

 キミ達人間が、『絆』って呼ぶものをね」

 目玉は、コロコロと転がって続けた。

「特に厄介なのが、『親子』の絆だ。

 人間の親が子を想う気持ちっていうのは、ボク達鬼にとっては、毒みたいなものだからね」

「だけど、桃鬼は子供を慈しんでいた……。これも、彼女にしかなかった事なのね」

「だからボクは、章吾君の持っていた親子の絆を断ち切ってあげたんだ。それだけだよ」

「断ち切ったって……」

「決まってるじゃない。キミと章吾のお母さんの命を奪ったのさ」

 こともなげに言うと、目玉は喋り始めた。

 入院している有栖と章吾の母のところに、見舞いのふりをして行った事。

 安静にしていなくてはならない母に、章吾が鬼になった事を知らせた事。

 わざわざ写真まで用意して。

 ショックを受けたお母さんは容態が急変し、亡くなった事。

 その事を、全身が鬼になって、意識が朦朧としている章吾に告げた事を。

「うふふ。キミ達の事を裏切ってまで守りたかった、大切なお母さんだったのに。

 自分が鬼になった事で、失ってしまった。

 その絶望に呑まれて、彼のヒトとしての心は、消えてしまったんだよ」

 目玉は嬉しそうに語りながら、大翔達を見つめた。

「……外道が」

 有栖は目玉を見て舌打ちする。

 超能力者に覚醒した事で、精神干渉が効かなくなったのだ。

「悲劇のフィナーレはこれからだ。

 残った姉と友達の絆を断つ事で、章吾君は黒鬼として完成するんだ」

 目玉はニコニコと笑って続けた。

「彼が姉を、友達を、捕まえて喰う。それが、この鬼ごっこの結末なんだよ」

「そんな事は絶対にさせないわ! 私は、鬼を超えるチカラを得たから!」

 

「ともかく、こんなところさっさとおさらばするぞ」

 荒木先生は、大翔の左肩を消毒して包帯を巻くと、子供達とエージェントに頷きかけた。

「街までは、どうやって戻る? 先生の車、壊れちゃったろ?」

「ボクの車を使っていいよ」

 と、ペットボトルの中から、目玉が言った。

 よっぽど踏み潰してやろうかと思ったが、捕まえて運行する事にしたのだ。

 目玉はアップルジュースの中に、プカプカと浮かんでいる。

 全員、ジト目で目玉を睨んだ。

「ワナじゃないでしょうね?」

「酷いなあ。ボクが今まで、一度でもみんなをワナにかけたことがあった?」

「……」

「あ、ムシだ。

 『むしろ罠にかけられた事しかないだろ!』ってツッコんでほしかったのに、完全ムシだ。

 目玉は悲しいです。安心してよ。罠じゃないから。車、乗ってってよ」

 

 大翔達は屋敷を出ると、裏口の脇に停められていた車に乗り込んだ。

 だが、エージェントは車に乗らず、全員テレポートした。

 ピカピカの高級外車を見つめ、鬼って儲かるんだな……と荒木先生がぼやく。

「それで、これからどうするつもりなんだい?」

 車はのろのろと走っていく。

 屋敷を後にし、木々に挟まれた狭い小道を戻った。

 陽は暮れ、辺りは真っ暗だ。

 車の中は、重い沈黙に包まれている。

 その沈黙を一切気にせず、目玉がペラペラと喋りかける。

「黒鬼君に、『浄』の符は効かない。打つ手はない。どうやって逃げ回るつもりなんだい?」

「打つ手なら、まだある」

 大翔は言い返した。

「あいつはまだ、完全な鬼じゃねえ。

 絆が心をヒトの形に繋ぎ止めるなら、俺達がいる限り、あいつの心は鬼になり切れないはずだ」

「確かに彼の中にはまだ、ヒトの心がほんの僅かだけ残っているみたいだ」

 目玉は林檎ジュースの中で、クルクルと回った。

「でも、『浄』の札も効かない程度だ。何の意味もないね。

 親子の絆に比べたら、友達や、姉弟(きょうだい)の絆なんて儚いものだ」

「『浄』よりも、もっと強力な札があったらどうだよ?」

 と、大翔はニヤリと笑った。

 運転席の荒木先生へ向き直った。

「先生。さっきの札、俺にくれよ」

「そうだよ。あの真っ黒な札、何だったの? 先生」

 悠が後部座席から身を乗り出した。

「金谷君、あの札と有栖にだけは反応してた」

「私、聞きたかったの。よっぽど強力な札なんでしょう?」

 有栖が質問するが、荒木先生は、黙っている。

「行きの車の中で、先生、言ってたもんな。

 『浄』の札が効かなかったら、その時は俺が何とかする、ってさ」

 大翔は、ぐっと拳を握り締めてみせた。

「あの札の事なんだろ? あの札なら、今の章吾にも効くんだろ?

 あんなもの、どこで手に入れたんだよ?」

「……あの札は、鬼祓いについて調べていた時、とある神社で譲り受けたもんだ」

 荒木先生が、ようやく口を開いた。

 フロントガラスの向こうを見つめたまま、続けた。

「何百年もの間、祀られ、霊力を込められてきた強力な呪符だ。

 お前らが即席で作るものとは、パワーが違う。どんな鬼にも効く」

「そんな呪符持ってるなんて、先生、一言も言ってなかったじゃないか」

「そうだよ。もったいぶらずに、教えといてくれればよかったのに」

 大翔と悠は、唇を尖らせた。

 荒木先生と、超能力者の有栖は黙っている。

「私に預けて。私が章吾に貼りつける」

 有栖は先生に頷きかけた。

「今の章吾に札を貼るのは難しいかもしれない。でも、希望はある。私は、章吾をヒトに戻す!」

 有栖が意気込み、大翔、悠、葵が、うんっ! と頷く。

 荒木先生は、黙ったままだ。

 子供達と目を合わせない。

 険しい顔でフロントガラスの向こうを睨みつけ、口を引き結んでいる。

 

「……先生?」

「黒い札?」

 と、目玉が声を出した。

 ジュースの中で、クルクルと回っている。

「あのー。横からすみません。黒い札って聞いて、気になって。荒木先生、ひょっとして」

「言うな」

「『滅』の札の事、ですかね?」

「だから言うなって」

「……『滅』の札?」

「あれ、『滅』の札っていうのか?」

「あ、いけない! 教えてないんだ? 子供達には、ナイショだったんですね? 荒木先生」

 目玉が、驚いたような声を出した。

 子供達は目を瞬いて、黙り込んだ荒木先生と目玉を交互に見つめた。

「大丈夫ですよ、荒木先生。ナイショにしますよ。

 『滅』の札は、鬼をヒトに戻す札じゃない、って事は、言いませんよ。

 それどころか、鬼を、元になった人間諸共、滅殺するための札なんだ、ってことは、

 決して言いませんよ。……あっ、行っちゃった~」

「……やっぱり潰しておくんだった、このクソ目玉」

 有栖が唸った。

「『滅殺』ってどういう意味?」

「滅ぼして……殺すという意味よ」

 悠が首を傾げると、葵が固い声で呟いた。

「つまり荒木先生は、章吾君をヒトに戻すんじゃなくて……殺してしまおう、

 って言ってるわけなのでした~」

 目玉がうきうきと言った。

「……ウソだよな? 先生」

 大翔の問いかけに、荒木先生は答えない。

 子供達と目を合わせようとしない。

 道路の向こうを、睨みつけている。

「ウソだ……って言えたらよかったんだが」

 ぼそりと答えた。

「金谷の弟を止めるためには、もう……滅殺するしかねえんだ」

「な、何言ってんだ! 自分が何言ってるか、分かってんのかよ先生!」

「……」

 大翔はカッとなって、運転中の荒木先生に掴みかかった。

 有栖は「やめて」と大翔を止めようとする。

「章吾を、見殺しにするって言ってんだぞ!?」

「他に手がない。『浄』の符が効かなかった以上、これしか方法がない」

「私が身代わりになればよかった」

 荒木先生は、自分に言い聞かせるように言った。

 有栖は皆に聞こえない、小さな声で呟く。

「鬼になった金谷の弟は、お前らを狙うだろう。金谷の弟を滅殺しなきゃお前らが喰われるんだ」

「そういう『目には目を』的な考え方、良くないと思いますよ。目玉が言うのもなんですが」

「キミはちょっと黙っててね」

 悠がペットボトルをシャカシャカ振った。

 やめて、目が回るよ~、と目玉が喚く。

「荒木先生が僕らを心配してくれてるのは分かった。でも、僕も反対だよ。そんな札、使えない」

 悠も、きっぱりと言った。

「宮原。何か言ってやってくれよ。こいつらバカだから、他に方法がないの、分からないんだ」

「それがね、先生。バカって、移るみたいで」

「そんな、風邪みたいに言うなよ」

「あたしもそんな札、使いたくない。他に方法はないの?」

「あったらこんな札、持ってこない!」

いい加減にして!

 今まで俯いていた有栖が、口を荒らげ、荒木先生から黒い札を奪った。

「あなた達は甘すぎるわ。そんなので章吾を止められるとでも思ったの!?

 確かに友情は大切よ。悪い奴から友達を助ける事もできるかもしれない。

 だけど、それだけで解決できない問題だって世の中にはたくさんあるのよ。

 あなた達はまるっきり、成長してないわ! 少しは折り合いをつける事も学びなさい!」

「……!」

 有栖は悲しい目をしていた。

 弟を止められなかった責任を、自分自身で取るために。

 そして、大翔は思い出した。

 自分達の甘い考えのせいで、章吾が鬼になってしまった事を。

「だから私は、黒鬼ごと章吾を滅殺する! これ以上、私を止めないで!

(それが……成長なのか……? 章吾とやってる事が、同じじゃねえか……)

 大翔は有栖の言葉に疑問を抱く。

 だが、もうこれしか手段がなさそうだった。

 有栖の言う通り、もう、『滅』の札を使って、章吾を滅殺するしか道はないのか……。

 

「……鬼祓いの秘技が通用しないなら、別の力を使えば……」

「え?」

「有栖……お前の“チカラ”があれば……」

 チカラ、すなわちそれは超能力である。

 符術で章吾が鬼に戻らなかったなら、超能力を使えば、章吾は元に戻る。

 荒木先生はチカラに目覚めた有栖を信じている。

 有栖は少しだけ迷ったが、しばらくして頷いた。

「……分かったわ。先生には申し訳ないけど、私……このチカラで、章吾を助ける!」

 その気持ちを受け取った有栖は、精神を集中し、どこかにいるエージェントにそれを伝えた。

 

「えっ? 今すぐテレパシーを使えって?」

 最初にテレパシーを受け取ったのは織美亜だった。

―うん、札が効かないなら超能力を使えばいいから。滅ぼさなくても章吾は助かるわ。

 ね、お姉さん、お願いだから。

「分かったわ。みんな、アタシ達に力を貸して」

 有栖とエージェントは、テレパシーを使って、様々な人物に連絡していた。

 関本、伊藤、そして家族……皆がいれば、章吾は人間に戻ると信じているからだ。

 『滅』の札を使う必要はない、と有栖は知り、自身の超能力で皆に呼びかけているのだ。

 

「この声、誰の声だ?」

「分からない……でも、誰かが呼んでいる気がする」

「男の人の声が聞こえる……これって、章吾を助けてほしいって事なの?」

 桜ヶ島にいる人達が、五人の超能力者のテレパシーを受け取っていた。

 どうしても章吾を助けたいという有栖の思いを、超能力者が増幅して届けてくれたのだ。

 大翔、悠、葵の親も、もちろんテレパシーを受け取っていた。

 あり得ない力であっても、誰かが助けを呼んでいるならば、

 受け取らないわけにはいかないからだ。

 

「うん、上手くいったみたい。……みんなを、章吾のところに連れてって!」

 有栖は超能力を解放し大翔達を目的地に飛ばした。




私だったら滅の札を使っていたんですけどネ。
子供達はとっても、とっても、甘いですよネ。

次回はいよいよ、小学生編最後の鬼ごっこです。
最後の最後まで、オリキャラが無双しますので、ご注意ください!


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86 最後の任務

黒鬼になった章吾を元に戻すために、大翔達が最後まで奮闘します。
もちろん、オリキャラも大活躍しますよ。
むしろ、大翔達以上に大活躍するかもしれません。


 大翔と有栖は急いで桜ヶ島小学校へ向かった。

 夜の闇にぼんやりと、小学校の校舎が浮かび上がっている。

 校門を軽く飛び越えグラウンドを横切って走った。

 昇降口の扉を抜けて、校内の階段を駆け上がっていく。

 大翔のポケットには、呪符が数枚、入っている。

 葵と悠に作ってもらった、『浄』の符、鬼を封印する『封』の符、

 脚力を高める『跳』の符、体を守護する『護』の符。

 そして、有栖のポケットの中から、黒いオーラがゆらゆらと立ち昇っている。

 大翔と有栖はポケットを押さえつけると、ぎゅっ、と拳を握り締める。

 

(決着をつけてやるぞ……)

(私は、章吾を止める……)

 

 屋上へ通じるドアのカギは壊されていた。

 大翔と有栖が屋上に出ると、黒鬼が気づいて振り返った。

「……やっと、来たか。遅えぞ……」

 もたれかかるようにフェンスに手をつき、苦しげに息を吐いている。

「さあ、決着をつけようぜ……有栖、大翔……」

 血走った赤い目が、大翔と有栖を睨む。

 ひくひくと瞼が震える。

「……どうしたの?」

「もう一度、鬼ごっこだ。有栖、大翔……」

 黒鬼は、有栖の問いかけを無視して言った。

「場所は、小学校の敷地内……。制限時間は、15分……。ただし、今度は、攻守交代だ……。

 お前らが俺を追いかけるんだ……。見事捕まえられたら、戦いはやめるよ……」

「そうね」

「絶対、捕まえてやる」

 大翔はポケットに手を突っ込んで、呪符を掴み出した。

 有栖は精神を集中し、超能力を使う準備に入る。

 腰を落として構えを取ると屋上の床を踏み込んだ。

「捕まえて……」

「「ぶん殴る!」」

 スタートダッシュ、トップスピードへ。

 一直線に黒鬼に飛びかかっていくと、角へ向かって右手を伸ばした。

「また、真正面からかよ」

 黒鬼は、フッと消え去った。

「単純バカめ」

「それはどうかしら」

「ぐっ!?」

 有栖が黒鬼の動きを超能力で止め、大翔は足を突き出すと、

 ぐるんっ! とコマのように体を反転させた。

 後ろへ回り込んだ黒鬼の額へ、右手を伸ばす。

 黒鬼は上体を逸らして避けた。

 何度も手を突き出したが、全てかわされる。

「ほらほら、タッチしてみろよ。できるもんならな」

 と、黒鬼は床を蹴って高く飛び上がった。

 満月を背に、ベエッと舌を出して、

「鬼さんこちら♪」

「いってやらあっ!」

 大翔は「跳」の根を足に貼りつけると、床を蹴りつけた。

 札が光り輝いて、大翔の体は高く飛び上がった。

 黒鬼に突っ込んでいくと、右手を伸ばした。

「全然当たんねーぞ!」

「うわああっ!」

―バシン!

 何か柔らかいものに、強かに頬をはたかれた。

 大翔は頭を下にして、一直線に落下していく。

 校庭の遊具が小さく見えた。

「くっ!」

「危ない!」

 有栖は超能力を使い、大翔の前に瞬間移動した。

 大翔は有栖の身体にしがみつくように這い上がり、何とか屋上へ飛び降りる。

 はあはあと息を切らして、黒鬼を睨み上げた。

 黒鬼は翼をはためかせ、空の上から大翔と有栖を見下ろしている。

 

「ふん。空は飛ばないでおいてやるか……」

「完全に舐めてるわね」

 黒鬼は翼を畳み込むと、屋上へ着地した。

 有栖は黒鬼から視線を逸らさない。

「さあ、来いよ。大翔、有栖」

 苦しげに息を荒らげながら、手招きする。

 有栖には、その様子が、弟に重なって仕方ない。

「……あなたは、鬼?」

「ヒトの心が、戻って……」

 大翔と有栖は黒鬼に問いかける。

「ムダな、おしゃべりをしてる、余裕があるのか……?」

 黒鬼は、断ち切るように言った。

「俺は、鬼だよ……残虐で、冷酷な、黒鬼だ……グルル……」

 黒鬼の喉の奥から、獣のような唸り声が漏れる。

 ハアハア……と荒い呼吸が混じる。

「だから、ヌルいこと、考えんじゃねえぞ……。本気で、かかってこい。

 本気の、鬼ごっこをしようぜ……」

 そう言って笑う黒鬼の目の中に、大翔と有栖は見つけた。

 人を喰いたい、ぶっ壊してやりたい。

 鬼に染まった心の中に、最後に残った章吾(おとうと)のヒトの心の欠片を。

 

(章吾……鬼になって、苦しんでいるのね。分かるわ……だからこそ、助けないと!)

 

「本気で追ってこいよなあッ!」

「当たり前よ!」

 黒鬼は吠えると、屋上を飛び出していった。

「くっ!」

 大翔と有栖は、黒鬼の後を追って走った。

 有栖には超能力があるが、ともかく、呪符を貼りつけなければ。

 薄暗い校舎の階段を三段飛ばしで駆け下りていく。

 月明かりがぼんやりと、伸びた廊下を照らし出している。

 

 誰もいない小学校に、三人の足音だけが響き渡っていく。

 黒鬼が図書室に駆け込んでいく。

 大翔と有栖も後を追って飛び込んだ。

―ガタン! ガタンガタンッ!

 並んだ本棚が、倒れかかってきた。

 黒鬼が走りながら、弾いているのだ。

「俺をいつも気にかけている双子の姉の、有栖!」

 乱暴に本棚を薙ぎ倒しながら、黒鬼が吠える。

 次々に倒れてくる本棚に潰されかけながら、大翔と有栖は黒鬼の後を追う。

「有栖がいなかったら、俺は、俺は……!」

 大翔と有栖は、ぐるっと部屋を回り込んだ。

 黒鬼が軽々と本棚を持ち上げて立っていた。

「うああああッ!」

 有栖は念動力でバリアを張り、投げられた本棚を防ぐ。

 壁に当たって壊れた本棚から、本がバラバラと降ってくる。

「ぐうっ……。オオアアッ!」

 黒鬼が、苦しげな呻き声を上げた。

 ぶるぶると首を振ると、図書室を出ていく。

 大翔と有栖は本の山を乗り越え、後を追った。

 

グッオオオアアアアっっ!!

 黒鬼が吠え、校舎が震えた。

 パンパンパンッ、と、窓ガラスが砕け散る。

「腹が減った……減ったああァァっ!」

 黒鬼はふらふらと廊下を歩いていくと、並んだ教室の一つに入った。

 大翔と有栖も後を追って、飛び込んだ。

「!」

 雫が肩にかかった瞬間、有栖は身を投げ出した。

一瞬前までいた場所を、天井から飛び降りてきた黒鬼の鉤爪が抉る。

グルルルルルルルウ……ッ!

 黒鬼が牙を向いて有栖(あね)を睨みつける。

 ボタボタとヨダレが垂れ落ちる。

「喰わせろ……。ありスの肉、喰わセろよオォっ!」

「お断りよ!」

「ああ!」

 大翔は蹴って飛び込んだ。

 黒鬼の角へ手を伸ばし、呪符を貼りつける。

―ボッ

 呪符は一瞬にして燃え上がり、灰になって崩れ落ちた。

「だから! 『浄』なんか効かねえって言ってんだろうがあっ!」

「うっわあああーっ!」

 黒鬼が、今度は大翔の右腕を掴んで引っ張った。

 大翔の体は野球のボールのように、ぶんっ! と投げ飛ばされた。

 教室に並んだ机を、盛大に巻き込んで倒れる。

「ぐああ……」

「本気でこい……。殺す気で来いよ……。でなきゃ、許さねえぞ……」

「当たり前よ、私は章吾を止めたいから」

 黒鬼が机を乱暴に押しのけて、近づいてくる。

 大翔の足を掴んで引きずり出すと、宙吊りにして吠えた。

「殺す気で来ねえなら……ブっ殺すからなあッ!!

 黒鬼は鉤爪を振り下ろしたが、そこには有栖のバリアがあり、

 鉤爪が命中するとバリアは砕け散る。

「このチカラは、章吾を助けるためにあるのよ! 大翔、早く章吾に呪符を!」

「章吾……元に戻れ!」

 大翔は黒鬼の角に手を伸ばし、符を貼りつけた。

「う……ぐうッ……」

 黒鬼が、掴んだ手を離し、よろよろと後ろへ後退していく。

 ビシッ、ビシッ……と、体が石になっていく。

「お前、ほんと、話、聞かねえよな……」

―ボッ

 『封』の札は青い炎に包まれて燃え上がり、石になった部分がパラパラと砕け散った。

「そうじゃねえって言ってんだろうがああァァッ!」

 黒鬼が腕を薙ぎ払い、大翔は必死に避け、有栖は超能力で攻撃する。

「『滅』だ……俺を止めるには、『滅』しかねえぞッ!」

 血走った目で、有栖を睨みつける。

「鬼の心が、喚くんだよッ! 家族がいて! てめえなんか、喰っちまえってよッ!

 友達だの仲間だの信じてて! てめえなんか、大嫌いだってッ!

 鬱陶しい! ぶっ壊しちまえってさああッ!」

 足を振り上げると、サッカーボールのように大翔を蹴り飛ばした。

 大翔は二階の窓を破って宙に投げ出され、中庭に叩きつけられる。

 シャツの下に貼っていた『護』の符が、灰になって散った。

 

「……やるしかないわ」

 残る札は、有栖が持つ札のみ。

グオオオオオオオオアアアアッ!

 黒鬼がベランダに現れて吠えた。

「有栖! 『滅』の札を出せッ!」

「章吾!」

「その名で呼ぶんじゃねええッ!」

「章吾っ!」

「俺は鬼だ! 黒鬼だッ! お前の弟ではない!!」

「章吾ぉっ!!」

―ブンッ!

 黒鬼が飛び降りざま、鉤爪を振り下ろした。

 有栖はバリアで攻撃を防ぎ、超能力で黒鬼を締め上げる。

「いいわ……いきましょう、章吾。私が、滅ぼすから……!」

 そう言って、有栖は「滅」の札を取り出し……自分の身体に突きつけた。

 彼女の身体から光が溢れ出し、空に舞い上がり……そして、花火のように弾けて完全に消えた。

 

「……このチカラは、あの人達だけでいい。私には、過ぎたチカラだから」

 この瞬間、有栖は自身の超能力を完全に失った。

 有栖はチカラで誰かを傷つけないように、自らそのチカラを滅ぼしたのだ。

 

「有栖……!?」

「間に合ったわ」

 その時、中庭の窓が開いた。

 黒鬼は気づいて振り返り……ハッと息を呑んで立ち尽くした。

 

「「はーっはっはっはっは!」」

 高笑いと共に現れたのは、二人組の男の子だった。

 とうっ! と渡り廊下から中庭へ飛び降りると、ふふんと得意げに胸を張っている。

「遅くなったな! 関本和也、ここに参上だぜっ!」

「同じく、伊藤孝司、ここに見参っ!」

 ビシッ! と、よく分からないポーズを決めて、鼻から荒い息を吐いている。

「遅れてすまねえ! 病院から連れ出してくるの、手間取っちゃってさあ!」

「看護師さん達が、勝手に患者を連れ出しちゃダメ! って、怖い顔して迫ってくるんだもん!」

「ま、ゴーインに振り切ってきたんだがな!」

「今頃、家かケーサツに連絡いってるかもね! 泣きそう!」

 はっはっは! と、二人で偉そうに笑っている。

 黒鬼は、反応しなかった。

 目を丸く見開いて、二人の後ろに控えた人を見ている。

 痩せた体つき、入院着の上から羽織ったカーディガン。

 少しやつれているが、綺麗で優しそうな女の人。

 

「一体、何をやってるの? 章吾」

 有栖と章吾の母だった。

 立ち尽くす黒鬼を、腕組みをして、睨んでいる。

「あなたが学校に来てるって有栖に言われて、関本くんと伊藤くんに、連れてきてもらったの。

 今まで、何してたの?」

 家出した子供を叱るような口調で、唇を尖らせる。

「黙っていなくなるし。連絡よこさないし。挙句、そんな姿になって。学校壊して」

 まくしたてる母を、黒鬼はぽかんと見返している。

 有栖は、満面の笑みを浮かべている。

「……なんで?」

 震える声で、言った。

「お母さん……。死んだんじゃ、なかったの……?」

「勝手に親を殺さないでちょうだい」

 母が溜息を吐いた。

「でも、あいつが……」

 いいかけ、黒鬼はハッと息を呑んだ。

「まさか……」

「そ。オレ達、章吾がいなくなってから、ずっと病院で見張りしてたんだけどさ」

「だから、杉下先生がお母さんのところに来た時、その場にいたんだ。見てたんだよ」

「ショックを受けたお母さんが、死んじゃったなんて大嘘だっつうの」

「どころか、お母さん、カンカンだったんだよ!」

 

鬼になった!?!?!? あの子、何考えてるの!

 ちょっと連れてきてください! いい加減、叱りつけてやらなくちゃ!』

 と、母は、杉下先生に食ってかかったらしい。

「それでオレ達、ホウキとか持って、病室に踏み込んでやったんだ!」

「杉下先生、追っ払ったってわけ!」

「鬼の癖に、弱っちかったよな~。それともオレらが強すぎんのか? な? 孝司」

「焦ってスタコラ、逃げてっちゃったもんね。きっと僕らが強すぎなんだよ、和也」

 だよな~っ! と、二人でハイタッチしている。

 

「仕方ないじゃないか。親が子を想う気持ちっていうのは、毒みたいなものなんだから」

 ……と、杉下先生の声が響いた。

 渡り廊下へ顔を向けると、悠と織美亜がぴょこんと顔を出した。

 揚げたペットボトルの中から目玉が、恨めしそうに母を睨んでいる。

「ほら、みんなに謝りなさい」

「騙してゴメンナサイって」

「はいはい。ごめんごめーん。

 お母さん死なせるの上手くいかなかったから、死んだって嘘つきましたあ~。これでいい?」

 目玉が、不満たらたらな声で言う。

「これだから『親』は嫌なんだ。

 子供が鬼になったと知ったら、ショック受けて死んでくれる予定だったのに。

 まさか、掴みかかられるとは。そういう事されると、ウゲエェェ……ってなるんだよ。

 うざい。親うざい」

「……よかった……」

 麻麻以外のエージェントは天涯孤独の身、故に親に庇護されない「大人」。

 織美亜達は痛感しながらも、一安心する。

「子供がピンチと聞いて、ショック受けて死んでる暇なんてないでしょうに。

 むしろ自分が病気だって事、忘れちゃったわよ」

 有栖と章吾の母が、呆れたような声を出した。

「意味分かんない。理解不能だよ」

「でしょうね」

 麻麻が言う。

 逆に言えば、親がいない子供は、超能力がなければ無力だが……。

 目玉は、拗ねたようにジュースを掻き回しながら続けた。

「仕方ないから、章吾君には、暗示でもかけようかなって」

「暗示……?」

「ほら、杉下先生の目には、人を操る力があったでしょ? アタシ達には効かないけど」

 黒鬼は、ハッとした。

 杉下先生がその力で、桜ヶ島小の人気教師になっていた事を思い出したのだ。

「その力で、金谷君に、お母さんは死んだって、信じ込ませたんだよ、この目玉は」

「うふふ。あの時の章吾くん、意識が朦朧としていたからね。

 暗示をかけるのも、簡単だったんだよ」

「偉そうにしないの」

「うん、卑怯ね」

 悠がペットボトルをシャカシャカ振った。

 やめて、目が回るよ~、と目玉が喚く。

 黒鬼は、黙り込んでいる。

「そんなわけで、お母さんは無事よ、章吾、有栖」

 織美亜が黒鬼に頷きかける。

「無事どころか、鬼に掴みかかるくらい、ピンピンしてんだ」

 和也がニシシと笑って言う。

「病気の調子も、どんどん良くなってるんだよ」

 孝司が言い添える。

「「「だから、戻ってきなよ」」」

 声を揃えたが、黒鬼は首を振った。

「もう……遅えんだよ……」

 グルルルと、呻くように言い、喉の奥から、唸り声が漏れる。

 威嚇するように牙を突き出し鉤爪を振りかざした。

「俺は、鬼になったんだよ。人間になんて、もう、戻れねえッ!

 もう……引き返せねえんだよおッ!」

 そう言って、章吾が鉤爪を突き立てようとした時。

 

「……男の子って、めんどくさいわねぇ」

「ま、オレ達は面倒ではないがな」

「みんな、よく頑張った」

「私達には、チカラがある」

 と、呆れたような声が響いた。

 葵、狼王、阿藍、麻麻の声だった。

 

「遅くなったわね。集めるのに時間かかっちゃって」

 葵達が小走りにやってくると、ぴょいっと中庭に飛び降りた。

 その後ろから、荒木先生が歩いてくる。

 結衣は超能力で保護されていたため、無事だった。

「金谷のおにーちゃん、どうせまた、おねーちゃんとケンカでもしたのかなって思って」

 ニコ~ッと笑って、結衣が言う。

「あのね。なかなおりしたいなら、ごめんなさいって、いえばいいんだよ」

「5歳児が正しいな」

「ま、金谷君も金谷さんも姉弟揃って強情だからね」

 荒木先生が溜息を吐き、葵が肩を竦めた。

「お兄さんやお姉さんのテレパシー、ちゃんとみんなで受け取ったわ」

「みんな……?」

 黒鬼が眉を顰める。

 すると、遠くから、ざわざわと声が聞こえてきた。

 グラウンドを横切り、昇降口を抜け、集まってくる話し声。

 小学校でいつも聞いていた……子供達の声。

「……え?」

 黒鬼は、ぽかんとした。

「心をヒトの形に繋ぎ止めるものが絆なら、多い方がいい」

 阿藍がニコッと笑って言った。

「仲間は、何もアタシ達だけじゃなくていいわよね」

 織美亜が、ふふっと笑って言った。

「『アナタの友達、学校に集合!』ってね」

「……俺の、友達? そ、そんなの……」

 黒鬼が目を瞬く。

 

「……金谷、帰ってきたってえ?」

 男の子が一人、ひょいと顔を出した。

 有栖と章吾と同じクラス、6年1組のクラスメイトだ。

 立ち尽くした黒鬼を見やると、げ、と唸った。

「うわあ……。鬼になっちまったって、マジだったのか。

 優等生ほど、グレると危ないっていうもんなぁ……」

 道、踏み外しすぎだぞお……と、呆れ顔で黒鬼を見ている。

 その後ろから、別の女の子が顔を出した。

「金谷君、行方不明になってる間に、鬼になったって本当!? きゃっ! コワイ……!」

 6年3組の生徒で、確か、章吾のファンの一人だったはずだ。

 黒鬼の姿を見て、びくびくと震え……あれ、でもよく見れば……と目を瞬いた。

 う~ん、と腕組みをして、首を捻って、

「……その路線も、ワイルドでカッコいいかも。うん。ロックかも。

 男子は、ちょっとワルの方がいいよね」

 何やら、ふんふんと頷いている。

 その後ろから、さらにぞろぞろと、子供達が顔を出してきた。

「おーっす」

「来たよ~」

「章吾、帰ってきたって~?」

 みんな、桜ヶ島小の生徒達だった。

 黒鬼の姿をしげしげと見つめて、うおおお……と盛り上がり始める。

「章吾は凄い奴になるだろうとは思ってたけど……まさか、鬼ってなあ……。驚いたぜ……」

 呆れる男子生徒。

「そうかー? 金谷って姉ちゃん共々、元から人間離れしてたし。

 今更人間やめたって言われても、あんま驚かねーや」

 誰かが言った言葉に、頷く人が数人。

「鬼って、小学校には通えるの? 給食とか、みんなと同じでいいの?」

「やっぱり、お肉多めがいいんじゃね? 学校は……先生、怖がりそうだよなあ」

 誰かが訊けば、誰かが答える。

「やっぱり、人間に戻った方がいいんじゃない?」

「えー。鬼のままでもいいじゃん。強そうでカッコいいし」

「何言ってんの! 鬼のままじゃ、結婚だって、できないんだよ!」

「それはお前が章吾と結婚したいだけだろ。ま、義理の姉にいびられるだろう」

「何よそれ」

「鬼って結婚できないの? できるんじゃない? 法律に、駄目って書いてないだろうし」

「章吾より、俺と結婚しよーぜ!」

「絶対、嫌!」

「ちょっとみんな! 静かに! 静かーに!」

 好き勝手話し始めた子供達に葵が声を張り上げた。

「忘れないでよ! 用意してたもの、あるでしょ!」

「そうだ、そうだ!」

 と、子供達は頷いた。

 一人が焦って、カバンから何か取り出した。

 特大サイズの、横長の画用紙だ。

 巻き物のように、クルクルと巻かれている。

 広げると、みんなで手に持って掲げた。

「「「じゃんっ!」」」

 

おかえり☆ 章吾!

 

 太いペンで書かれている。

 その脇に、たくさんのメッセージやイラストが、ごちゃごちゃと賑やかに描かれている。

 黒鬼は立ち尽くしている。

「章吾がいなくなった後、みんなで作ったんだ。

 帰ってきたら、おかえりしてやろうって、話し合ってさ」

 子供達が頷いた。

「章吾、いなくなる前、なんか怖かったからさ。

 遠巻きにしてたの、良くなかったなあって……反省したんだ」

「金谷君がお姉さんとお母さんの事で大変だった事、全然知らなかったから。ごめんね」

「お前、姉ちゃん以外に付き合い悪いからさあ。

 いけ好かない奴だな~って思ってたけど……ま、色々あるよな」

「……」

「うんうん。お前も人の子と分かって、安心したぜ。ま、今は鬼だけど」

「それで、みんなで話し合ってね。帰ってきたら、何も訊かずに、まずはおかえりしようって」

「ということで、章吾、おかえり!」

「金谷君、おかえり!」

「おかえりなさい!」

「おっかえり~!」

「お帰りなさい……私の最愛の弟、金谷章吾!」

―パンパンパンッ!

 子供達が紐を引っ張ると、一斉にクラッカーが弾けて銀紙が舞った。

 みんな、ニコニコ笑って、黒鬼を見つめている。

 黒鬼は、みんなの輪の中心で、俯いて、呆然と立ち尽くしている。

 背筋を震わせて、ひらひらと舞い落ちる銀紙を、鬼の体に貼り付けて。

「……どうして」

 絞り出すように言った。

「どうして、俺なんかのために……」

「まだ分からないのね? 章吾」

 有栖は、大翔に目配せする。

「さあ、今度こそヒトに戻ってもらうぜ。みんな、呪符を頼む! 『浄』だ!」

「「「おうっ!」」」

 と、みんなが声を揃えた。

 葵が筆ペンを取り出すと、みんなが掲げた画用紙に、ササッと『浄』を書きつけた。

「じゃあ、力を込めるよ~!」

 悠が画用紙を額に当てた。

 織美亜達は、子供達を見守っている。

「お祈りするよ! みんなもご一緒に! 金谷君が、人に戻りますよーにって!」

「「「おうっ!」」」

(私はもう、普通の女の子になっちゃったけど……それでも、

 章吾を守りたいって気持ちは、超能力を使えていた頃と同じよ)

 みんなも目を閉じ、祈りを捧げた。

 友達が、弟が、帰ってきますようにと。

 その祈りに応えるかのように、画用紙が、ぼうっと、淡い光を放ち始めた。

「こ、こんな呪符があるかよ……」

 黒鬼が、気圧されたように後ずさる。

「ふふ。『滅』なんかより強力な特大呪符よ」

「逃がさないわよ? 章吾」

 葵と有栖が腕組みし、逃げ道を塞いだ。

「えへへ。金谷君の慌てるところ、見てみたかったんだよ~」

 悠が、ニコニコと笑って逃げ道を塞ぐ。

「年貢の納め時って奴だぜ、章吾」

「たまには金谷君にも、痛い目見てもらわないとね。金谷さんの気持ち、分かった気がするな」

 和也と孝司が通せんぼする。

 子供達が、ぐるりと黒鬼の包囲を固める。

 荒木先生は苦笑して、有栖と章吾の母は嬉しそうに、子供達と黒鬼を見つめている。

 

「分かったろ?」

 大翔はニヤリと笑って、黒鬼に手を伸ばした。

「お前は、一人ぼっちなんかじゃねえんだよ。そもそも、有栖(ねえちゃん)がいるしな」

「くそッ!」

 黒鬼の背から、バサリと翼が生えた。

 宙に飛んで逃げようと……。

 

『駄目だよ、章吾。逃がさない』

 と、声が響いた。

 黒鬼は、ハッとして地面を見下ろした。

 影鬼に影を踏んづけられ、足が地面に繋ぎ止められて飛び立てない。

『お前は鬼として、失格だ。強い鬼には、なれそうもない』

 クスッと笑って続けた。

『だって、こんなにたくさん、友達がいるんだもん。お姉ちゃんも、心配してるんだもん。

 お前なんか、人間に戻っちゃえ』

「さあ、みんな! 貼っちまえーっ!」

「「「おうっ!」」」

 子供達は画用紙を掲げると、ニヤニヤ笑って、包むように黒鬼に巻きつけた。

 

 『浄』の画用紙が光り輝いた。

 ピカピカと、七色に、みんなが書き込んだメッセージが光った。

 黒鬼の体も、光り輝いた。

 小学校に、明々と、光の柱が立ち昇った。

 

 ……眩く照らす光が消えると、そこにはもう鬼の姿はなく。

 有栖の双子の弟、章吾が立っていた。

 泣きそうな顔をして、章吾は立ち尽くしていた。

 

「任務完了!」

 織美亜、狼王、阿藍、麻麻は、子供達に向けて手を振り、テレポートで帰還した。




次回は、小学生編の最終回です。
どんな結末なのか、楽しみに待っていてください。


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87 ひとまずの平和

長編の最終回です。
大翔達とエージェントのその後を書いています。


 それから後の出来事について、大翔は簡単に記しておく事にする。

 

 まず、章吾は、母にかなり怒られる事になった。

 母は章吾の耳たぶを掴んでグラウンドの隅に引っ張っていくと、

 火山の噴火の如く声を張り上げて怒った。

 有栖はニコニコ笑みを浮かべながら見守っている。

 まるで、あの時の杉下先生のように。

 

「どうして鬼になんてなろうとしたの?

 困ったら友達やお姉ちゃんを頼りなさいって、言っておいたじゃないの!」

「家出するにしても、連絡くらいはよこしなさいよ! 手紙を出した?

 鬼に手紙渡したって、握り潰されるに決まってるじゃないの! 少しは考えなさい!」

「お母さんを助けたかった? 子供が親の心配するなんて、十年早いの!」

「ていうか、学校色々壊しちゃって、どうするのよ、これ……」

 ポコン、ポコン、と章吾の頭にげんこつを落として、叱りつけている。

 怒られてしょんぼりしている章吾を、大翔達はニヤニヤと見つめていた。

 庇ってやるつもりはなかった。

 母に怒られている章吾が……とても、嬉しそうだったからだ。

 

(やっぱり、なんだかんだで一番大事なのは、お母さんだったのね。もちろん、私も同じだけど)

 くすっと笑みを浮かべながら、有栖は双子の弟の様子を見守った。

 

 ひとしきりまくしたてると、有栖と章吾の母は、はああーっと息を吐き出した。

 それから、章吾の頭に、ぽんと手を乗せた。

「今までごめんね。心配かけたよね」

「……」

「もう大丈夫よ。

 有栖の言う通り、手術は上手くいったし、

 有栖とあなたの顔を見たら、すっかり元気になっちゃった」

「お母さん……」

「「また、一緒に暮らしましょう」」

「有栖……お母さん……!」

 章吾の瞼に、涙が浮かんだ。

 そして、有栖は心の中で呟いていた。

(ちょいブラコンの私が言える立場じゃないけど、章吾ってば、本当にマザコンね。

 これに懲りたら、誰かを信じるのも大事だという事を学びなさい。

 章吾は、私がいなかったら半人前なんだから。そして、チカラをなくした私もまた半人前。

 いずれ、新しいチカラが欲しいわ)

 弟を守りたい、という気持ちは、有栖の中でさらに強まっていった。

 

「三人だけにしてあげましょ」

 と、葵が大翔と悠を引っ張った。

「何だよ、いいとこなのに。

 あいつがお母さんにわあわあ泣きついてるとこなんて、もう見られないぜ」

「記念に、写真とか撮っておきたいよねえ」

「意地悪ね」

 葵が強引に、大翔達を引きずっていく。

 他の子供達も興味津々だったが、結局そのまま解散する事になった。

 大翔達は連れ立って帰路に着いた。

 

「鬼になっても、お母さんに怒られちゃいちころだよなあ」

 背中ですやすやと眠っている結衣を背負い直した大翔がそう言った。

「お母さんが怒ってくれる、か。考えてみれば、いいもんだよな。うらやましいぜ。うん」

「うらやましがるまでもなく、大翔もこれから、たっぷり怒られると思うけど?」

「帰り遅くなっちゃったし、ボロボロだし……カミナリ落ちるよね」

「げげ」

 実際、家に帰ってからたっぷり怒られた。

 やはり、怒られるのは嫌だという。

 

 影鬼は、次の日、グラウンドの隅に大翔達を呼び出すと、色々ごめんね、と謝った。

『章吾と有栖にも、ごめんねって伝えておいて』

「自分で言えばいいのに」

『合わせる顔がないんだ。えへへ。ちょっと人間っぽいだろ?』

 鬼は笑って、大翔達を見上げた。

『おまえ達のやり方、見せてもらった。

 鬼のおいらだけど……友達の作り方、ちょっとだけ分かったような気がするよ。人間はいいな』

 眩しそうに大翔達を見上げると、バイバイと手を振った。

『もしもまた会うことがあったら、その時は友達になってね。またね』

 影鬼は寂しそうに笑うと、走っていった。

 校庭で遊ぶたくさんの子供達の影に紛れて、すぐに見えなくなった。

 

 章吾が戻ってしばらくの間、大人達は、只管首を捻る事になった。

 なんせ小学生が長い間、行方不明になって、ひょっこり戻ってきたと思ったら、

 学校を壊して大暴れしたのだ。

 完全に事件だ。

 子供達は、教師や警察に事情を訊かれたが、よく知らない、と惚けた。

 章吾当人は突っ込んで追及されたようだが、何故回避()わしたのかはよく知らない。

 ただ、問題はさして大きくならなかった。

 

「日頃の行いがいいと、こういう時、楽だな」

「私も、それなりに何とかしたわよ」

 章吾は肩を竦め、有栖は笑みを浮かべた。

 数日が過ぎ、一週間が過ぎる頃には、学校はもういつも通りになっていた。

 二週間が過ぎる頃、有栖と章吾の母は退院した。

 病気はすっかり良くなって、人間の生命力というのは凄いものだと、医者も驚いていたそうだ。

 有栖も「ね、言った通りでしょ」と笑みを浮かべていたそうな。

 

「さ、行くわよ、章吾」

 有栖と章吾は、母と一緒に暮らし始めた。

 毎日のお見舞いがなくなったので、放課後、ちょっと遊んだりしている。

 ちなみに有栖は、堂々とみそラーメンを食べているとかいないとか。

 

 そして、琉球エージェントはというと。

 

「皆の者、よくぞ健闘した。黒鬼は退けられ、桜ヶ島から鬼の脅威は消えた」

 司令官・糸村一から、多大な賞賛が贈られた。

 実質ただ働きも同然だったが、彼らは元から報酬などほとんど望んでいないので、

 エージェントの顔に負の感情はなかった。

 いや、たとえ負の感情を持っていたとしても、

 エージェント達は仲間だから、乗り越えられるだろう。

「鬼の脅威は消えましたか……」

「うむ。これで、しばらくの間、任務はない。ゆっくりと、身体を休めるがよい」

「はい!」

 黒鬼を倒し、その後継者の章吾も元に戻ったので、これ以上鬼が襲ってくる事はなかった。

 一はエージェントを任務に出す必要がない、と判断し、エージェントを休ませたのだ。

 ただ働き同然だが琉球エージェントは地獄と違い、

 所謂「ブラック企業」ではない事が証明された。

 

「まあ、たとえ鬼や鬼より怖い人間がいたとしても」

「オレ達エージェントには、チカラがあるからな」

「それが四人もやってきたら、色鬼もまたいで通るかもしれないな」

「だって、一度は黒鬼を倒したんだもの。それでも、また鬼は現れるかもしれないわ」

 エージェントは余裕を持ちながら決して油断せず、次の戦いに備えて休む事にした。

 

 こうして、黒鬼騒動は幕を閉じた。

 琉球エージェントの任務は、一先ず全て完了した。

 もう鬼が桜ヶ島を襲わないと信じて、彼らは今日も、琉球の小さな島で過ごしている。

 たとえ鬼が公正なゲームをする気がなくても、こちらが力で対抗すればいい。

 エージェントはそう決めるのだった。

 

 ……新たな仲間と脅威を知らないまま。

 

「次は、私の出番かもしれない」

 

 琉球エージェントの死遊戯紀行

 ~完~

 

 ……?




これにて「琉球エージェントの死遊戯紀行」はおしまいです。

とにかく、超能力を持ったエージェントが無双しまくるという、
「絶望鬼ごっこ」の二次創作にあるまじき展開でした。
でも、しっかりやり切った事で後悔はしませんでした。
世の中は二次創作を放置してばかりなので、それを反面教師にして、完結するようにしました。

中学生編に関しては、原作が終わったら連載する予定でいますので、お楽しみに!
それでは、ありがとうございました!!


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