勇者と聖女の召喚に巻き込まれただけの俺 (ちゅうき)
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第1話 召喚

初オリジナル小説です。
よろしくお願いいたします。


 教室の窓の外には初夏の爽やかな青空が広がっていた。

 田植えの終わった田園風景の向こうに見える山々はずいぶん緑が濃くなって、遠くの山に残る白い雪とコントラストをなしている。

 

 進学校と呼ばれるこの高校での生活も、2年目ともなるとこうして授業中に外の風景を堪能する余裕も出てくるというものだ。加えて、今日の4限目は英語だ。列の前から順にワンセンテンスを読んで訳を言うのだが、予習さえしてあれば何の問題もない。

 

「次、黒姫」

 

 俺のすぐ前の席の黒姫舞衣(くろひめまい)がポニーテールを揺らして立ち上がり、涼やかな声で英文を読む。

 黒姫はいわゆる美少女というやつだ。にもかかわらず、後ろの席とはいえ非モテモブキャラの俺にも気軽に話しかけてくれるほどボランティア精神溢れるいい子だ。

 噂では1年の時に何人もの男子から告られたらしい。その割には付き合ってるという噂は聞かないので、彼女と付き合うにはかなり高いレベルが必要なのだろう。ま、俺には関係ない話だけど。

 

 とか人物紹介してるうちに俺の番になる。

 

「じゃあ、次は高妻(たかつま)……は飛ばして白馬(しろうま)

 

 おっと。

 この教師はたまにこういうフェイントをかけるんだよな。当たらなかったからいいけど。

 浮かせかけた腰を戻す俺の後ろで、白馬勇吾(しろうまゆうご)が慌てて椅子を引く音がする。

 

 と、急に机の下が明るくなった。

 

 なんだ? 

 床が光ってる? 

 

 そう気づいた時には、もう白い光に包まれていた。

 右を見ても左を見ても視界は白一色で、目の前に挙げた手すら見えない。おまけに椅子に座っている感覚もなくなって、なんだかふわっと浮いている感じがする。

 

 な、なに? 何が起こってるんだ? 

 この真っ白な空間は、まさか……。

 

 胸がギュッと締め付けられて息が止まる。

 

 もしかして、……俺、死んだのか? 死んじゃったのか!? 

 

 死の不安と恐怖に心が埋め尽くされそうになった時、不意にお尻に硬く冷たい感触が戻った。

 はっとして顔を上げると、白い空間は上の方から光の粒になってサラサラと消えていく。

 

 やがて戻った視界に見えたのは、黒姫のポニーテールでも教室の黒板でもなかった。

 暗い灰色の石でできた壁と、その前で白い服、ローブっていうのかゲームやアニメに出てくる魔法使いみたいな服を着てへたり込んでいる少女の姿だった。同じような青いローブの女性がその少女を支えるようにしている。

 少女は俺を見て驚いたように目を見開いたかと思うと急に顔をそらし、それでも何かを確認するようにちらちらとこっちを見てくる。

 対照的に横の女性はこっちをガン見なんだが。って、この人外国人だ。 金髪で欧米系の顔立ちのお姉さん。いや、おばさんか? 

 

「いやっ!」

 

 ふいに、右横から悲鳴が聞こえた。

 見ると、女の子座りをした全裸の女性が見せちゃいけないところを必死に手で隠しながら体を丸めていた。黒髪がさらりと流れて露わになった白い背中がなにげにエロい。

 けれど、脳内のRECボタンを押す前にパッと黒いものが全裸の女性を隠した。また魔法使いみたいな青いローブを着た人がマントのようなものをかけたのだ。

 余計なことをするんじゃねーよと遺憾の意を込めた眼を向けると、ウエーブのかかった栗色の髪の若い白人女性がさっと顔をそらした。

 

「あれ? 高妻くん?」

 

 背後から良く知った声が名前を呼ぶ。

 振り向くと、サラサラのマッシュルームカットの白馬の顔があった。四つん這いになって背中から黒いマントを羽織っている。その隣には青いローブ姿の白人男性が立っていて、なぜか困った顔で俺のことを見下ろしている。

 

「えっ? なんで白馬が?」

「高妻くん、あの……」

 

 白馬がなにか言いたそうに口ごもる。

 そういえば、なんだかひじょーに嫌な予感がする……。

 その予感を確認する前に「あっ」という女子の声。

 俺が顔を戻すのと、さっきの全裸の女子が顔をそらすのと同時だった。その真っ赤になった顔に見覚えがある。前の席に座っていたはずの黒姫舞衣だ。ポニーテールじゃなかったから誰かわかんなかった。

 くそっ、もっとよく見ておくんだった。

 いや、そんな悠長に愚痴ってる場合じゃない。

 俺は視線を自分自身に戻した。

 

 ……全裸だった。

 

 尻をペタッと床につけて胡坐をかくように足を広げた格好で。

 その上、女子の全裸を見たせいか、股間のものが健全に反応している。

 

「おわっ!」

 

 超速攻で足を閉じて上体を丸めた。

 み、見られた? 金髪のお姉さんにも栗毛のお姉さんにも黒姫にも……。もうお婿に行けない! 

 ていうか、俺の分のマントないの? 

 訴えるように白馬の方にいた男性に視線を向けると、ちょっと躊躇った後、すごく嫌そうな顔で自分が纏っていたローブを脱いで俺に渡してきた。ほんと、すいません。

 

「ここどこ? さっきの光、何? 何が起こったの?」

 

 黒姫の怯えた声が聞こえる。

 

「教室にいたはずなのに……」

 

 周りを見回すと、ここは石の壁でできた小さめの丸いホールみたいな所だ。窓はなく、照明は壁にある白い光のランプだけ。

 俺たちが座っているのは薄い灰色の滑らかな石でできた円形の台で、そこには黒い線で図形や文字みたいなものが描かれていた。

 

 ……魔法陣? ……召喚? 

 

 頭の中にそんな単語が浮かぶ。

 いや、確かに俺はそういうファンタジーな小説が好きでよく読んでるけど……。まさか、ねぇ? 

 

「それにこの人たち、何?」

 

 黒姫が正面にいる少女たちや、いつの間にか台から降りて壁際にさがっているマントを掛けてくれた男女を見る。

 

「ハロウィンのコスプレかな?」

 

 白馬が囁くように聞いてくる。

 

「それはないだろ。まだ5月だし。それにコスプレって感じじゃない」

 

 なんか着慣れてるっていうか、このローブもくたびれてる感がある。あと、ちょっと匂う。

 

「ねぇ、もし人をだまして面白がるようなくだらないテレビの企画だったらただじゃ済まないからね。は、裸になんかして……」

 

 黒姫は立ち上がると、マントの合わせ目をぎゅっと重ねて強い口調で言い放つ。

 でも、この人たち外国人みたいだし言葉通じてるのかなぁ。あ、白いローブの少女は黒髪で顔もちょっと日本人ぽいから、ワンチャン通じるかも? 

 

 その黒髪の少女は座り込んだまま金髪のお姉さんに話しかけると、そのお姉さんはすぐに立ち上がって壁の方に小走りで向かった。よく見るとそこには壁と同じような色の扉があって、彼女はそれを少し開けると外に向かって声をかけた。

 するとその扉が大きく開けられて、紫のローブを着た老人が入ってきた。薄い茶色の髪は生え際が寂しいことになっている。その分 あごひげは長い。これでとんがり帽子と曲がりくねった杖があったら完璧魔法使いだな。

 その老人の後からは水色のローブの青年も入ってきた。なんか従者って感じで、手には小さな箱を持っている。

 老人は俺たちを見るなり驚いた顔で立ち止まった。そして白いローブの少女に歩み寄って話しかける。なんか事情を聞いてるみたいだ。少女が首を振ると、老人は困った顔でもう一度俺たちを見る。そして俺たちを指さしながらお付きの青年に声をかけると、青年は持っていた箱を老人に渡し、自分は急ぎ足で部屋を出ていた。

 

 やっぱりというか、あの人たちが喋ってるのは知らない言葉だ。英語じゃないし、ドイツ語とかフランス語? なんかそんな感じ。まぁ、「パンツァーフォー!」とか「ボジョレーヌーボー」くらいしか知らないんだけど。

 

 青年に続くように、黒髪の少女が金髪のお姉さんに抱かれるようにして扉から出ていく。

 ぼんやりとそれを眺めていると、老人がゆっくりと俺たちのいる台に上がってきた。

 はっと緊張が高まる。

 俺は慌てて立ち上がった。座ったままじゃ何かあった時にすぐに対応できない。

 白馬も立ち上がって俺の傍に寄る。黒姫もなんとなく近寄ってくる。

 老人の背は俺よりも少し低いくらいか。数歩手前で立ち止まって、警戒する俺たちの顔を確認するように見てから静かに口を開いた。

 

「コトバガワカリマス、カ?」

「……えっ、日本語?」

 

 たどたどしいし発音も怪しいけど、確かに日本語だ。途端に黒姫が問い詰める。

 

「あなた、日本語が喋れるんですか? だったら、これ何がどうなってるのか説明してください。ここはどこ? あなたたちは誰? 私たちに何をしたの?」

 

 黒姫さん、ちょっと落ち着こうよ。ほら、お爺さん困った顔してる。

 俺の心のアドバイスが届いたのか、自分で冷静になったのか、今度は流暢な英語で聞き直した。

 老人は一瞬おやっとなるが、それに答える代わりに、さっき青年から受け取った箱の蓋を開けて差し出した。中には水色の柔らかそうな布が敷かれ、その上に親指の爪くらいの大きさの綺麗に磨かれた透明な石が二つ大事そうに置かれていた。

 

「コレヲツケル、ト、コトバガワカリマス」

 

 老人はそう言って額につける仕草をする。

 

 言葉がわかる? こんな石で? なんてファンタジー! 

 

 俺の感動をよそに他の二人は顔を見合わせている。

 まぁ、普通信じないよな。実は俺も半信半疑だし、「ドッキリでしたー」なんて出てきたらちょっと凹むかもしれない。でもここでやらきゃ男じゃない! 

 

「じゃあ……」

 

 俺は石を一つつまんだ。心臓がドキドキする。

 そっとおでこに当てると、ぴたっと吸い付くような感触。そしてすぅーっと何かが頭の中広がる。

 それを見て老人がもう一度問いかけてくる。

 

「言葉がわかりますか?」

 

 それは日本語じゃなかったけれど、わかった。

「はい」と答えたつもりが、口から出た言葉は違っていた。黒姫も白馬も驚いて俺を見ている。

 

「これはガロワ語を話せるようになる『言葉の魔法石』なのです」

「え、魔法石? 今、魔法石って言った? やっぱりここは魔法があるファンタジーな世界だったか! 異世界召喚か!」

 

 喜ぶ俺のローブを黒姫が引っ張ってくる。

 

「ねぇ、高妻くん。それ何言ってるの?」

「これ、『言葉の魔法石』だって」

 

 答えてやったのに黒姫のやつ眉間にしわを寄せて睨んできた。

 あ、ガロワ語とかいうの喋ってるのか、俺。

 

 一旦魔法石を外す。一瞬外れなかったらどうしよう思ったけれど、うん、ちゃんと外れた。

 

「これ、言葉がわかる魔法石だって」

 

 外すと日本語に戻った。

 

「まほうせき? まほうせきって何?」

「魔法がかかってる石のことだと思う」

「は? 魔法?」

「ここは魔法がある世界なんだよ!」

「…………」

 

 黒姫は「やだ。この人変」みたいな顔ですすっと俺から身を引いた。

 

「つければわかるって」

 

 ぐいっと魔法石を持った手を突き出す。

 黒姫はじぃーっと魔法石を見つめていたけれど、はぁと小さく息を吐いて突き出された透明な石に手を伸ばした。と思いきや、その指先は老人の持つ箱の中に置かれていたもう一つの魔法石をつまむ。

 ああ、そうね。これ、俺の皮脂とか手汗とかついてるかもしれないからね。うん。でもなんかちょっとけっこうダメージがあるのはなぜだろう。

 

 遠い眼で人生の疑問を思索しているうちに、黒姫は魔法石を額に付けるとガロワ語らしき単語を喋った。驚く黒姫に老人が話しかける。それにまた黒姫が応える。彼女にも納得してもらえたようだ。

 

 そういえばこの石、二つしかなかったよなぁ。じゃあ、しょうがない。

 

「ほら、白馬も」

 

 俺は持っていた魔法石を白馬に向ける。男同士だし大丈夫だよな? 

 白馬は「いいの?」と言いながら受け取ってくれた。

 

 白馬が魔法石を付けたのを見た老人は、居住まいを正して改まった口調で話す。

 なんか「ジョゼフ・アンブロシス」と名乗っているようだ。こういうのって知らない言葉でもなんとなくわかるんもんなんだな。

 黒姫の口から「マイ・クロヒメ」と聞こえ、白馬からも「ユウゴ・シロウマ」と聞こえたから間違いない。一応俺も「レン・タカツマ」と名乗った。日本語で。

 

 俺たちの名乗りに頷いて応えた老人、アンブロシスさんは黒姫が言いかけた言葉を手で押しとどめて、黒姫の着ているマントと出口を指さして話す。すると黒姫は恥ずかしそうにマントを合わせて渋々頷いている。

 

「とりあえず服を用意してあるからそれを着たらどうか、だって」

 

 魔法石を外して白馬が通訳してくれた。まぁ確かに、女子中学生ならともかく男の裸マントなんてときめかない。

 

 アンブロシスさんは「こちらへ」というふうに入ってきた扉へ誘う。それに続くと、壁際にいた青いローブの男女もついてくる。

 頑丈そうな金属製の扉の向こうは8畳程の部屋だった。石づくりの壁に窓はなく、正面と右側の壁に扉があるだけだ。壁のランプが照らす室内には、中央に木でできたテーブルと椅子、隅の方にでっかい宝箱のようなものが置いてあるのが見えるが、さっき出ていった水色ローブの青年や黒髪の少女たちの姿はなかった。

 

 右手の扉の方に黒姫と栗毛のお姉さんが向かう。そこの壁は他の壁とは違う材質で、なんだか後から取り付けた感がある。たぶんそこが更衣室みたいになっているのだろう。ちなみに、男子の俺たちはここで着替えるんだそうだ。

 さっき白馬にマントをかけた青いローブの男性は俺と白馬の体格を確認すると、宝箱の蓋を開けて中から二人分の服を出してくれた。

 ちなみに俺は178㎝、白馬は160㎝ぐらいかな。二人とも細身だけど、俺はバスケをやってたからけっこう体力はあるつもり。白馬のほうは知らない。

 

 出された服は、袖なしの膝丈ワンピースみたいな青い服と麻色のロング丈の長そでTシャツ。それと同色のゆったりしたズボン。焦げ茶色のベルトと革靴。……うーん、何か足りなくないですか。

 

「パンツは?」

 

 日本語じゃ伝わらないので白馬に聞いてもらう。青ローブの男は「ぱんつ?」と首を傾げた。あ、変換できない言葉はそのまま聞こえるんだな。

 白馬が身振り手振りでなんとか伝えると、男は首を振った。ないのか、パンツ。

 

 しかたがないので、出されたものを着る。

 まずはズボンを履く。ゴムは入ってなくて、紐で締めるタイプ。それから、貸してもらったローブを脱いでTシャツを着て、その上にワンピースっぽいやつをかぶるようにして着て太めのベルトで腰のところを締める。靴を履いて、はい、よくできました。

 ブリーフ派の俺としては、パンツをはいてないせいで、なんていうか、こう、フリーダム! って感じなんだけど……。うん、悪くないな。うん。

 

 黒姫を待っている間に、正面の扉が開いて水色ローブの青年が戻ってきた。手にはさっきの小箱と同じような箱を持っている。それをアンブロシスさんが受け取って中の魔法石を俺に差し出した。

 躊躇うことなくそれを額につける。これで俺もガロワ語を話せるようになった。スキルの欄にガロワ語とかついてそう。

 試しに「ステータス!」と言ってみた。

 

 ……なんの変化もない。

 

 今度は左手を振りながら「ステータスオープン!」と言ってみたけど、ステータス画面は出なかった。人差し指と親指を広げるようにしてもダメだ。

 

「何をしているのかな?」

 

 不思議そうにアンブロシスさんが聞いてくる。

 

「いえ、ステータスを確認できないかなーって思って」

「すてーたす?」

「ほら、レベルとかスキルとかがわかるアレですよ」

「れべる? すきる?」

 

 アンブロシスさんは首を傾げるばかり。

 あれれー? 異世界ものじゃテンプレでしょ? 

 

「あのー、個人の強さとか体力とか魔力とか覚えた技とかを確認するにはどうすればいいんですか?」

「あなたたちがいた世界にはそんな便利な仕組みがあるのですか?」

 

 逆に驚かれてしまった。

 「いいえ」と答えると変な顔で見られた。はい、すみません。

 ちなみに、ステータスカードもないそうだ。

 なんか思ってたのと違う……。

 



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第2話 魔力無し?

「『れべる』も『すきる』もわかりませんが、魔力を測るものはありますよ」

 

 アンブロシスさんがそう言ってローブの中に手を入れようとしたところで黒姫たちが部屋から出てきた。

 黒姫の衣装も俺たちと同じような長そでシャツにこれも同じような青い袖なしのワンピース風の上着。ただし裾は足首まであって、ゆったりとした襞がある。

 そういえば、今の黒姫はその長い髪を垂らしている。ポニーテールじゃない彼女を見るのは初めてかもしれない。ちょっと新鮮だ。

 って見てたら、「じろじろ見ないで」と恥ずかしそうに文句を言われた。

 いつもと違うヘアスタイルや服がそんなに恥ずかしいのか? ……あ、そうか。

 

「黒姫さんも下着なかったのか」

「な、ちょっ、バカ! 変態! 露出狂!」

 

 真っ赤になって罵られた。でも、最後のは関係なくない? 

 

「こほん。よろしいかな?」

 

 アンブロシスさんの声に三人とも注目する。

 

「突然の出来事に戸惑っているでしょうし聞きたいことも多いと思いますが、少し落ち着いた場所に移動しませんかな? そこでちゃんと事情をお話ししたいと思っております。飲み物も用意してありますから」

 

 黒姫が「どうする?」と眼で聞いてくる。

 

「うーん。今はこの人の言うとおりにするしかないんじゃない?」

「うん。それに、ここは窓もなくて地下牢みたいでちょっと怖いし、できたら違う場所のほうがいいな」

 

 白馬(しろうま)も賛成してくれた。理由がちょっと情けない気がしないでもないが。

 

「では、こちらへ」

 

 アンブロシスさんの後について水色ローブの青年が入ってきた扉へ向かう。

 これも頑丈そうな扉を開けると、そこには金属製の鎧と長いマントを纏った体格のいい白人男性が二人、長方形の大きな盾を持って立っていた。腰のベルトには剣を提げている。

 おおっ、騎士だ! 騎士がいた! 剣と魔法の世界だよ! 

 

 2人の騎士たちの間を抜けると、左手には木製の扉がある壁、右手には長い廊下が延びていた。その廊下には縦長の窓が並んでいて、そこから日の光が差し込んでいる。反対側はつるりとした薄い灰色の壁にいくつかの扉が見えた。どうやら、ここは廊下の端っこのようだ。

 ベージュや緑の色違いのタイルの上をかつんかつんと人数分の靴音が響く中、物珍しそうにきょろきょろしながら歩く俺たち。窓の外には緑の庭園みたいなのを挟んで向こう側の建物が見える。やっぱり装飾の多い中世ヨーロッパ風の建物だ。

 

「ゴシック……かな」

 

 俺と同じ建物を見ながら、白馬が独り言のように呟いた。

 

「何だ、それ」

「中世ヨーロッパの建築様式だよ」

「へぇー。白馬くん、そういうの詳しいんだ」

 

 黒姫も会話に加わってきた。

 

「美術部の先輩にそういうのが好きな人がいて、それでなんとなく」

「え、白馬って美術部だったんだ」

「う、うん、まぁ……」

「高妻くん。あなた、クラスメイトの部活も知らないの?」

 

 黒姫に非難されるけど、普通知らないよな。知らないよね? 

 

「黒姫さんは書道部だよね」

「うん、そう。高妻くんは……、あれ? 何部だったかしら?」

 

 ほら、知らないじゃん。俺なんかに興味ないんだろうなぁ。

 ま、一応答えておくけど。

 

「帰宅部だよ」

 

 1年の時はバスケ部に入ってたんだけど、なんやかんやあって辞めちゃったんだよな。

 

 

 

 やがて、先頭を歩く水色のローブの青年が先に進んで両開きの扉の前で立ち止まりノックする。「誰?」「お客さんをお連れしました」みたいな会話があって扉が開いた。

 

 部屋は教室の半分くらいの広さで、正面に見えるアーチ型の窓の外には葉の茂った木々と石造りの壁が見える。部屋の真ん中にこげ茶色の大きなテーブルがあって、その周りに高い背もたれのある椅子が並んでいる。奥には大きな暖炉なんかも見えるけど、雰囲気的に会議室みたいなところだ。

 椅子の一つにオールバックにした銀髪と立派な口髭を蓄えたナイスミドルが座っていた。装飾の多い赤い貴族っぽい服を着てるし、後ろに秘書みたいな青年も立ってるところを見ると、たぶん偉い人なんだろう。

 ナイスミドルは俺たちの姿を見て立ち上がりすたすたと近づいてくる。そして、

 

「私はアルマン・ヴォ・ポルトと申します。この国の宰相を務めています」

 

 と名乗った。やっぱり偉い人だったか。ていうか、宰相ってめっちゃ偉い人じゃん。

 

「まずはあなたたちの承諾も得ずにこの世界へ召喚してしまったことを謝罪させていただきたい」

 

 ポルトさんは深々と頭を下げる。後ろの青年も同じように頭を下げた。

 これで異世界召喚が確定したな。

 ポルトさんはきっかり5秒間頭を下げた後、姿勢を戻し微笑を湛えて俺たちを見る。

 

「よろしければお名前を伺いたいたいのだが」

「その前に」

 

 と黒姫が前に出た。

 

「あなたにも確認させてください。これは冗談でも夢でもなくて現実のことなんですよね?」

「はい。俄かには信じられないでしょうが」

「その、ま、魔法があるっていうのも」

 

 ポルトさんはにこりと頷いて壁際にあるテーブルに向かって軽く右腕を伸ばした。

 

「果実水よ、我が意のままに」

 

 言葉と同時にポルトさんの指先が陽炎のように揺らめく。その揺らめきはするするとテーブルの上に置いてある白いピッチャーに届いた。すると、ピッチャーの口からオレンジ色の液体が飛び出した。その液体、果実水? は緩い弧を描いていくつものグラスに注がれていく。

 おおっ! マジで、マジで魔法だ! 水属性の魔法かな? 

 黒姫も白馬もこれを見たらもう信じるしかないだろ。

 目を向けると、黒姫はしばらく蝋人形のようにぽかんと口を開けたまま固まっていた。そして、諦めたような深いため息を吐いてからポルトさんに向かって名乗った。続いて俺、白馬と名乗る。

 

「クロフィメ殿、タカツゥマ殿、シュロゥマ殿ですか。ふむ。やはり、ニホンの方の名前は言いにくいですな」

 

 苦い顔のポルトさん。って、

 

「えっ、日本人を知ってるんですか?」

「日本人がいるの?」

 

 俺と黒姫の発言が被る。

 さっきアンブロシスさんも日本語を喋ってたし、この世界に日本人がいる可能性は大きい。

 

「そのことも含めて順にお話しますので、こちらへ」

 

 椅子を勧められて、黒姫、俺、白馬の並びで座る。テーブルの対面にはポルトさん、アンブロシスさんが座った。アルマンさんの後ろには秘書の青年が立ち、水色ローブの青年は果実水の入ったグラスを給仕している。ちなみに、青ローブの男女はこの部屋には入ってきてない。

 

「我が国の南の地で採れる果物の果実水です」

 

 グラスが配られると、ポルトさんが一番に口をつけた。確かそうやって毒が入ってないことを客人に証明するんだっけ。異世界ファンタジーの小説で読んだことがある。

 では、謹んでいただきます。

 うん、ちょっと酸味がきついけど普通に生ぬるい生オレンジジュースだ。

 黒姫も白馬もオレンジジュースを堪能したのを見届けて、ポルトさんは話し出した。

 

「我がデュロワール王国を含むこのガロワの地では、遥か昔からたびたびドラゴンの被害に遭っているのです」

 

 ド、ドラゴンきたあぁぁぁ! 

 

「ドラゴンて、あの空を飛んで、固い鱗があって、鋭い爪と牙があって、炎のブレスを吐くあのドラゴンですよね!」

 

 勢い込んで聞くと、ポルトさんは「ほう」と感心する。

 

「炎のぶれすとやらはわかりませんが、概ねそうです。ドラゴンが現れると町と言わず畑と言わずことごとく破壊され、死傷者も多く出ます。むろん、人間側も軍を率いてドラゴンを討伐しようとしましたが、ドラゴンは空に留まったまま風と雨を操り、時には雷を放ってくるために全く歯が立たなかったのです」

 

 風と雨と雷って、ちょっと東洋的要素が混じってるみたいだ。

 

「そこで、今からおよそ180年前、一人の偉大な魔術師がドラゴンに対抗できる魔力を持つ者を召喚する術式を創り出しました。そしてそれを発動したところ、我々の住む世界と別の世界から一組の男女が召喚されたのです。これが初代の勇者と聖女です。その勇者と聖女はニホンという国の若者だったと伝えられています。二人は驚くほどの魔力を持っていて、その魔力でドラゴンと戦い、これを退けることに成功しました。それ以来、ドラゴンが現れる度にニホンから勇者と聖女を召喚し、彼らの力でドラゴンを退けてきました。おかげで我がデュロワール王国はドラゴンの被害に遭うことなく、ガロワの地で最も栄えた国となっています」

「日本人が召喚されてたんだ」

「それでさっき日本語喋ってたのか」

「先程のニホンの言葉は、先の聖女様が次に召喚した際に使うようにと伝えてくださったものです」

 

 なるほど。何も言われずにただ魔法石を渡されてもあんなスムーズにいかなかっただろう。サンキュー、先の聖女様。

 

 それにしても、勇者と聖女か。つまり、俺たちがそれってことなんだよな! ハハハ、なんかワクワクしてきたぞ。

 

「じゃあ、私たちがその召喚? されたのもドラゴンと戦うためですか?」

 

 興奮する俺とは裏腹に、黒姫はきつい口調で質問した。

 

「お察しのとおりです」

「お断りします。勝手に呼び出してそんな危険なことを押し付けようなんて虫が良すぎます。非常識です」

「そうだよ。ドラゴンと戦うなんて無理だよ」

 

 白馬の声も怯えている。まぁ、ドラゴンはファンタジーじゃラスボス級の扱いだしなぁ。

 

「たいへん勝手な願いであることは重々承知しております。ですが、あなたたちにはそれだけの力があるのです。何卒我らに力を貸してください」

 

 そう言ってもう一度頭を下げるポルトさん。アンブロシスさんも頭を下げる。

 

「そんなこと言われても困るし……」

 

 それでも渋る白馬を見て、ポルトさんはがたっと席を蹴るように立った。白馬のヘタレっぷりに怒ったのか?  なんかヤバくない? 

 ポルトさんはやおら床に両膝をつくと両手も揃えて床につけ、額も床につくほどに深々と頭を下げた。他の面々もそれに倣う。

 土下座! 土下座ですよ! 

 

「ニホンという国の最大級の礼だと伝え聞いております! どうか我々を助けてください!」

「え、や、ちょっとやめてください。頭を上げてください」

 

 これには白馬も断れないみたいで、あせあせと両手を振っている。さすが土下座。ていうか、白馬は気が弱そうだし、こういう押しの強いのは苦手なのだろう。

 

「まぁ、俺たちにしかできないことがあるなら協力してあげてもいいんじゃないか? 今までの勇者もドラゴンと戦ったって言うし」

「私だって困ってる人を無視するのは嫌だけど、私たちただの高校生よ。戦争どころか普通のケンカだってしたことないでしょ? そんなのでドラゴンと戦ったりできるの?」

 

 そう言われたらそうなんだけど。でも戦ってみたいじゃん、ドラゴン。勇者としてはさ。

 そこへアンブロシスさんが助け舟を出してくれた。

 

「前回の勇者もニホンではただの青年だったと伝えられていますが、強力な魔法で難なくドラゴンを退けたそうです」

「うむ。今回は勇者が二人もいることだし、なんとも心強い」

 

 ポルトさんも笑顔でうんうんと頷く。

 

「それに、聖女は勇者を支援するだけですので、直接ドラゴンと戦うということはありませんよ」

「そうなの? それなら、まぁ……。いえ、そういうことじゃなくて、ほら、いきなり魔法とか言われても本当に自分にそんな力があるとは思えないし」

 

 今ちょっと本音が漏れかけたみたいだけど、確かに黒姫の言うとおりだな。なんか普通に魔法が使えるって思い込んでた。どうやったら使えるのかな? 魔法。

 

「ああ、それなら……」

 

 そう言って、アンブロシスさんがローブの中から青い布に包まれたものを取り出した。それをテーブルの上で広げて中のものを俺たちの前に置く。

 それは金属の枠にはめ込まれた手のひらより一回りほど大きい五角形の乳白色の石の板で、それぞれの角に色の違う五つの碁石のようなものがはめ込まれていた。石の色は、黒っぽい緑色、赤色、明るい青色、緑がかった青色、黄土色だ。

 ああ、さっきアンブロシスさんが言ってた魔力を測るやつってこれか。石は火とか水とかの属性に対応してるのかな。

 

「魔力測定の道具ですな。確かに、私も陛下に報告する前に確認しておきたい」

 

 興味深そうにするポルトさんの横で、アンブロシスさんが俺たちに向き直る。

 

「この世のあらゆるものには魔素が含まれています」

「まそ?」

「魔力の素になるものです。目には見えませんが全てのものにあります。動物や植物。石や土、水、風。このテーブルにもグラスにも果実水にも。もちろん我々人間にも魔素はあります。魔法というのはこの魔素を操るのだと考えられています。魔力は魔素を操る力のことを言い、人それぞれに大きさや属性が違うのです」

「属性というのは何ですか?」

 

 黒姫が興味深そうに質問する。

 

「操れる魔素の種類みたいなものです。風、火、水、金、土、聖の6つがあります。他に属性の無い魔力もありますが」

「光とか闇とかは無いんですか?」

 

 これは俺の質問。

 光魔法ってファンタジー世界じゃ一番初めに覚える簡単な魔法だったように思うんだけどな。

 

「光の魔素はありますが、火や水のように操ることができないので属性にはなっていません。闇属性は……文献にはありますが……」

「じゃあ、光魔法って無いんですか?」

「はい」

 

 これ、もし俺が光魔法を使えたりしたら「レン様すげえぇぇぇ」になるんじゃね? あと、闇の方は何か言葉を濁してたからタブーか何かなのだろう。

 とか考えてる間にもアンブロシスさんの説明が続く。

 

「この『属性の石板』に手を置けば、その人がどの属性の魔力をどのくらい持っているかがわかるのです」

 

 アンブロシスさんは確認するように俺たちを見回した。

 黒姫も白馬も「どうしよう」って顔で俺を見る。ていうか、黒姫の眼が「おまえがやれ」って言っている。しょうがねーなぁ。

 

「俺がやってみる」

 

 立ち上がって、目の前に置かれている『属性の石板』に右手を伸ばす。

 やっぱ緊張するな。

 さぁ、俺の魔力は? 属性は? 

 みんなの視線を感じながら、ぐっと手のひらを石板に押し当てる。

 

 …………。

 

 あれ? なんにも起こらないんだけど。えっと、これでいいの? 

 アンブロシスさんも首を傾げてるところを見ると、やっぱり違うみたいだ。

 もう一度当ててみる。

 

 …………。

 

「壊れたのか?」

 

 アンブロシスさんは『属性の石板』を手元に引き寄せて自分の右手を置いた。

 すぐに赤と明るい青の石から30㎝ほど、他の石からも5㎝ほどの色の柱が立った。

 

「ほほう。さすがは筆頭魔法士のアンブロシス卿だ。聖属性以外の全属性を持っておられるし、火と風の魔力は桁違いですな」

 

 ポルトさんが感心する。へぇー、このお爺さん、筆頭魔法士なんだ。

 

「僕がやってみるよ」

 

 そう言って白馬が立ち上がった。

 自分からチャレンジを申し出たわりに、白馬は恐る恐ると右の手を置いた。

 直後、どーんと効果音がつきそうな勢いで全ての石から光の柱が立ち上った。それは3メートル以上ありそうな天井近くまで伸びている。なんだこれ。

 

「「おおっ!」」

「ええーっ!」

 

 みんな驚いている。ていうか、白馬が一番驚いているんだが。

 

「全属性でこれほどとは……」

「これが勇者の力か……」

「つ、次はクロヒメ殿に」

 

 アンブロシスさんが興奮気味に勧めてくる。

 それに気圧されるように白馬と入れ替わった黒姫が手を置くと、石板の全ての石たちが光ったように見えた次の瞬間、乳白色だった石板自体が虹色に光りはじめた。

 

「やはり聖属性……」

 

 ポルトさんの呟きは次の瞬間まぶしい金色の光に飲み込まれた。その光は石板を中心にさざ波のように部屋いっぱいに広がっていく。

 

「……こんな光は見たことがない」

 

 アンブロシスさんの声が震えているのを聞きながら、「そういえば属性の石って五つしかついてなかったな。聖属性は石板ごと光るのかぁ」と冷めたように考察していると、唐突に光が消えた。どうやらびっくりした黒姫が手を引っ込めたらしい。それでもまだ金色の光の粒が名残惜しそうに空中を舞っていた。

 

「……ああ、勇者様、聖女様。神よ、感謝します!」

 

 アンブロシスさんが感極まったように叫んで組んだ両手を額の位置に掲げた。その隣で、ポルトさんは落ちそうなほどに目を見開き、他の二人も茫然自失の体だ。

 

 えーと、これ、なんかアレだ。なんかひじょーにマズいアレだ。

 

「た、高妻くんももう一回やってみれば? 今度はちゃんと反応すると思うよ」

 

 勇者認定された白馬が気を遣ってくれた。さすが勇者。

 

「だ、だよな」

 

 もう一度チャレンジだ。あ、今度は左手でやってみようかな。うん、そうそう。俺左利きだったわー、みたいな感じでさり気なーく……。

 

 …………。

 

 うんともすんとも言わない。

 いや、これは俺の魔力が規格外過ぎて測れないパターンのやつだな、きっと。異世界ファンタジーの定番だ。

 

「……タカツマ殿の魔力はこれでは測れぬのかもしれんな」

 

 アンブロシスさんが眉を寄せて呟く。ですよねっ! 

 

「これは貴族用ですからな。平民用であればあるいは」

「平民並みの魔力では話にならん! とんだ役立たずではないか!」

 

 憤慨したポルトさんが首を振ってため息を吐いた。

 

「やはり勇者と聖女は一人ずつだったか。勇者が二人もいるなんておかしいと思っていたのだ」

 

 あー、それでみんな最初変な顔してたのか。マントも『言葉の魔法石』も二つずつしかなかったもんな。納得だわ。そっか。俺、勇者じゃないんだ……。

 

 そう悟った瞬間、密かに期待していた『異世界に召喚された俺がチートで無双してドラゴン倒しちゃったけど帰らずにハーレム作っていいですか?』が砂のように崩れていった……。

 



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第3話 巻き込まれただけの俺

 どうやら俺の召喚は予定外だったらしい。

 ならば、俺がすることは一つ。

 

「じゃあ、俺、帰っていいっスか?」

「え、高妻くん、ずるいよ。一人で帰らないでよ」

「や、だってほら、俺、勇者じゃないみたいだから」

「だったら、勇者は高妻くんに譲るよ。代わりに僕が帰ってあげる」

「それができないのです」

 

 アンブロシスさんが申し訳なさそうに言った。

 

「ほら白馬(しろうま)。勇者を譲るなんてできるわけないだろ」

「いえ、そのことではなくて。あ、もちろん勇者を譲るなんてできませんよ、ええ。ではなくて、帰ることはできないと申し上げているのです」

 

 ああ。召喚はできるけど、その逆はできないってことね。召喚あるある。

 

「ちょっと、それどういうこと!」

 

 それに黒姫が噛みついた。

 

「私たち日本に帰れないの?」

「いえ、ちゃんと帰れます。送還の術式はあります。ですが、召喚にも送還にも莫大な魔力がいるので、今すぐには無理なのです。それに、ドラゴンは何度も襲ってきます。送還はそれを全て退けてからになります」

「それ、どのくらいかかるんですか?」

「おそらくは2年、長くても3年程かと」

「それが終わればちゃんと帰れるのね?」

「初代の勇者様と聖女様、2代目の聖女様も送還の儀でお帰りになったと伝えられています故」

「本当に?」

「創世の神に誓って」

 

 と、アンブロシスさんは両手を組んで額に当てた。

 

「えっと、帰らなかった人もいるんですか?」

「はい。2代目の勇者様や先の勇者様と聖女様のようにお帰りにならずこちらの世界で生を全うされた方もおられます」

 

 ちょっと気になって聞いてみたら、隠すことなく答えてくれた。ま、勇者や聖女なら異世界もいい所なんだよなぁ。ていうか、俺たち何代目なんだ? 

 まぁ、それはそれとして、

 

「あのぅ、それまで俺はどうしたらいいんスか?」

 

 勇者じゃない俺はどうなるんだ? 

 まさか無能とかで追放ですか? 後でチート能力がわかって帰って来いって言ってももう遅いよ? 

 

 こほんとポルトさんが咳ばらいをする。

 

「これのことは放っておくとして、勇者と聖女の召喚は間違いないようですな。これでドラゴン対策も憂慮せずにすむし、私も安心して陛下に報告できるというものです」

「ちょっと待ってください」

 

 黒姫が割って入る。

 

「私たち、まだドラゴンと戦うと決めたわけじゃありません」

「おや、なぜですか? あれだけの魔力があるとわかったのです。ドラゴン討伐に何の不足があると言うのでしょう」

「それは、その、この世界のこと全然知らないし、魔法だってまだわからないことだらけなんです。簡単には決められません」

 

 やっぱり黒姫は慎重だな。石橋を叩いて壊して自分で架け直すタイプだ。

 

「……わかりました。しかしながら、国王陛下には報告せねばなりませんので私はこれで失礼させていただきます。あ、そうそう。近日中には陛下に謁見してもらうことになりますので、それまでには良い返事を期待していますよ」

 

 ポルトさんは嘘くさい笑みを浮かべてお付きの青年貴族と共に退室していった。

 

 

 

 ポルトさんたちが出ていった部屋は微妙な空気になっていた。

 勇者白馬がそれを気にしたのか、そっと聞いてくる。

 

「……ええと、僕たちこれからどうしたらいいのかな?」

「ドラゴンを撃退すればいいに決まってる」

 

 その少し高いトーンの声は初めて聞いた声だった。この部屋の中でそれに該当するのは彼しかいない。アンブロシスさんと一緒にいる水色のローブを纏った青年だ。金色の髪は柔らかいウエーブがかかり、長い前髪で右目が隠れている。そのもう片方の青色の瞳が白馬を睨みつけていた。

 

「やめなさい、ジルベール。彼らに理不尽を強いているのは我々の方だ。強制はできない。そもそも勇者や聖女は無理強いされてなるものではないのだ」

「……ドラゴンと戦わない勇者なんていらない」

 

 アンブロシスさんにたしなめられてジルベールと呼ばれた青年がそっぽを向く。その拗ねたような横顔は、青年というより案外俺たちに近い歳に思えた。

 

「はぁ……。クレメントたちを呼んできてくれ」

 

 ため息を吐くアンブロシスさんに言われてジルベールが部屋を出ていく。

 

「申し訳ない。彼は2代目の勇者の血を引いているのです。そのせいか、ことのほか勇者には憧憬の念があるのですよ」

 

 アンブロシスさんは憂いを帯びた灰色の瞳でドアを見つめていた。

 

 ほどなくドアがノックされ、ジルベールと共にさっき召喚された時に白馬と黒姫にマントを掛けた青ローブの男女が入ってきた。男は30歳くらいで濃い茶髪にとび色の眼。身長は俺と同じくらいか。おでこの広さが目につく。20歳くらいの女性は栗色の癖髪に赤茶色の瞳が活発そうな雰囲気を放っている。

 二人はアンブロシスさんの隣で俺たちに向かうように並んだ。

 

「彼らがシリョユ……、んんっ、失礼。申し訳ありませんが、名前で呼ばせていただいてもよろしいですかな?」

 

 やっぱり発音しにくそうだ。それに比べたら、レンやマイは言いやすいし、ユウゴなんて外国でも普通にありそうな名前だ。

 快く承諾すると、アンブロシスさんは「ありがとうございます」と安堵して話を再開した。

 

「改めまして、彼らがユーゴ殿とマイ殿の付き人になります」

「クレメント・ルメールです。勇者様のために精一杯務めさせていただきます」

「イザベル・マルシャンです。聖女様にお仕えすることができてとても光栄です!」

 

 二人は胸に右手を添えて軽くお辞儀をした。

 付き人って、ポルトさんと一緒にいた貴族青年とかジルベールみたいなやつだな。だとしたら、

 

「あの、俺には?」

「勇者でもないやつに必要ないだろ」

 

 ジルベールに即答された。

 それにクレメントさんが食いつく。

 

「勇者ではない?」

「『属性の石板』が全然光らなかった。平民並みの魔力しかないんですよ、こいつ」

 

 明らかに蔑んだ顔。

 平民と貴族、身分差がきっちりあるみたいだ。

 

「勇者が二人もいるとイザベルと喜んでいたんだが」

「なーんだ、がっかり」

 

 イザベルさんも肩をすくめる。

 

「しかし、どうしてそんなことに?」

「儂にもわからん。ルシールも戸惑っておったし……」

 

 クレメントさんに聞かれてアンブロシスさんが首を振る。あ、普段はそんな喋り方なんだ。その方が魔法使いのお爺さんらしくていいな。

 

「ただ、気になっておることはある」

 

 と、俺たちに顔を向けた。

 

「ユーゴ殿らは三人とも顔見知りのようですが、どのようなご関係ですかな?」

「あ、ええと、高校のクラスメイトで……」

「同じ年頃の子供たちが集団で教育を受ける施設の同じ部屋で一緒に学んでいる間柄です」

 

 白馬の言葉を黒姫がわかりやすく直す。

 

「同じ部屋で一緒に……ふむ」

 

 アンブロシスさんはあごひげを撫でながら「ふむふむ」と何事か思案している。

 

「では、召喚された時にも一緒にいたのですね?」

「はい」

「どのように?」

「ええと、こんな感じで」

 

 黒姫は俺たちに指示して教室にいた時の様子を再現させた。黒姫、俺、白馬の順に縦に椅子を並べてそれに座る。

 それを見ていたアンブロシスさんがぽんと手を打った。

 

「なるほど。そういうわけじゃったか」

「どういうわけですか?」

「うむ。召喚の魔法陣の中に勇者の円陣と聖女の円陣があるのじゃが、勇者と聖女が召喚される時、それと同じ円陣がそれぞれの足元に展開されるのじゃ」

 

 そして俺たちを見る。

 

「これは非常に稀なことではあるが、偶々勇者と聖女が極近くにいる時に召喚の円陣が展開して、ちょうど二つの円陣が重なった所に偶然レン殿がおったようじゃ。それでレン殿はユーゴ殿、マイ殿と一緒に召喚されてしまったのじゃろう。前例がないので儂の推測にすぎんが」

 

 なんてこった! 

 

「じゃ、じゃあ、俺って勇者と聖女の召喚に巻き込まれてここに来たってわけ?」

「ですな」

「マジか……」

「まじ、ですな」

 

 クレメントさんがなるほどと頷いてアンブロシスさんに問いかける。

 

「それで彼には魔力がないと」

「うむ。ニホンという国に住む人たちは皆凄い魔力を持っておるのだとばかり思っておったが、どうやら違ったようじゃ。召喚されるのはやはり選ばれし者なのじゃな」

 

 うん。今そんな考察はどうでもいいよ、爺さん。

 巻き込まれて召喚……。それで魔力無しってこと? マジかよ……。

 

「ええと、それで話は戻るんですけど、僕たちこれからどうすればいいんですか?」

 

 さすがは勇者白馬。頭を抱える俺の横で冷静に話を進めようとする。

 

「はい。当面はここで生活していただくことになります」

「そういえば、ここってどこなんですか?」

「ここはロッシュ城と言って、古くはデュロワール王国の要衝の地で砦のあったところですが、今は魔法の研究施設になっています」

「その魔法なんですけど、僕たち本当に使えるんですか?」

 

 不安そうに白馬が問う。まぁ、勇者様は直接ドラゴンと相まみえるんだもん。そこ重要だよな。

 

「ええ。訓練すれば大丈夫です」

 

 クレメントさんがいい笑顔で答えた。

 

「訓練? ずいぶんのんびりしているんですね。ドラゴンが暴れているんじゃないの?」

「おお。聖女様は士気が高いですな。結構結構」

「べ、別にそういうわけじゃ……。ただ、犠牲になってる人たちがいるなら急がなきゃいけないんじゃないかって」

「さすがは聖女様、お優しい。ですがご安心ください。ドラゴンの出現までにはまだ間があります」

 

 クレメントさんの言葉に照れていた黒姫がおやっとなる。

 

「ドラゴンがいないのになんで私たち召喚されたんですか?」

 

 それに答えたのはアンブロシスさんの方。

 

「それは『ドラゴンを呼ぶ星』が現れたからです」

「ドラゴンを呼ぶ星?」

「はい。ドラゴンが現れる前にそれが夜空に見えるのでそう呼ばれています。それが現れてから四半年から半年ほどの後、天からたくさんの星が落ちてきた時、高い山々の奥深くにある洞窟で眠っていたドラゴンが目を覚ますのだと言われているのです。ちょうど10日前、天文職が『ドラゴンを呼ぶ星』を見つけたため、急ぎ勇者様と聖女様を召喚した次第です。ですので、お二人には魔法の訓練をしていただく時間が十分あるはずです」

 

 なんか黒姫たちがやる前提で話が進んでるみたいだけど、彼女が気にしたのはそこじゃなかった。

 

「あの、ちょっと聞いてもいいですか? その時間ってどのくらいあるんですか?」

「少なくても四半年はありますよ」

「だからその四半年って何日なんですか? 1年は何日あるんですか? ついでに言うなら1日は何時間ですか?」

 

 あ、そっか。1年って何気に365日って思い込んでたけど、ここは異世界だもんな。1年が100日でも1000日でもありえるし、1日の長さだって地球と同じじゃないかもしれない。さすがは、聖女様。目のつけどころがシャープだ。

 

「1年は365日ですが……ああ」

 

 何事か思い当たったみたいにアンブロシスさんが頷く。

 

「こちらの世界はあちらの世界とよく似ていると先の聖女様は仰っていたそうです。1日の長さも1年の長さも季節の移り変わりも同じだと」

 

 へぇー、同じなのか。なんというご都合設定。

 

「そういうわけで、当面はこちらで魔法の訓練をして過ごしていただければよいかと」

 

 どうやらそうするしかないようだ。

 でも、魔法が使えない俺は何すればいいんだ? 

 ほんと、帰りたい……。

 



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第4話 魔法のある世界

話が一段落したところで、

 

 ぐうぅぅぅぅぅぅぅう。

 

 どこからか変な音がした。

 腹の虫が鳴ったのかもしれないし、黒姫が真っ赤な顔でお腹を押さえているかもしれないが、どこからか変な音が聞こえたのだ。何もできないのでせめて気遣いぐらいはしてあげようと思う今日この頃です。まぁ、4限目だったからね、そろそろ腹も減るよね。

 

「ああ、そろそろ夕食にしましょうか。ジルベール、厨房に聞いてみてくれんか」

「え、まだ早いと思いますが」

 

 ジルベールよ、空気読め。

ていうか、夕食なんだ。召喚されたのはたぶん正午くらいだったはず。あれからそんなに時間は経ってないと思うんだけど、時間は繋がってないのか。じゃなかったら、召喚中の時間が思った以上に長かったのか。まぁ、どっちにしても腹が減ってることに変わりはない。

 

 クレメントさんに凄い眼で追い立てられてジルベールが出ていった後、白馬がおずおずと手を挙げた。

 

「あの……トイレに行きたいんですけど」

「といれ?……ああ、閑所ですかな。ちょうどいい。ついでにここを案内してもらうといいでしょう」

「じゃあ俺も」

「すみません。私も」

 

 つれしょん効果なのか、奇しくも三人ともトイレに行くことになった。クレメントさんとイザベルさんが案内してくれるようだ。

 

 廊下に出てすぐに広い玄関ホールみたいな所があって、そこにある階段で2階へ上がるとそこも小さなホールになっていてバルコニーのようなものも見える。

クレメントさんは1階の時とは反対側の廊下へと歩いていく。それについていこうとすると、「聖女様はこちらです」とイザベルさんが黒姫を3階に誘った。

 

「2階に勇者様の部屋が、3階には聖女様の部屋が用意されているのです。ここから上は男子禁制ですよ」

 

なるほど。いつか行ってみよう。

 

 2階には1階と同じように廊下が伸びていた。

 

「ここに勇者様の部屋と私たち付き人の部屋があります。閑所はこの一番奥になります」

 

 タイル張りの廊下を歩きながら窓の外を見ると、綺麗な庭園風の中庭が見えた。向こう側に見える3階建ての建物がさっきまで俺たちがいた棟だろう。傾斜の強い赤茶色の瓦屋根と凹凸の多いベージュっぽい色の壁といういかにも中世ヨーロッパ風のデザインだけど、石造りじゃなくて漆喰って言うのかそういう質感だな。

その奥、たぶん俺たちが召喚された場所にあたる所には円筒形の塔のようなものがあった。高さはこっちの建物より少し高くて、がっつり石造りだとわかる。この建物はそれをコの字型に囲むように建てられているようだ。

 

 それにしても、あの塔だけ薄い虹色の光が反射しているみたいに見えるんだよなぁ。どんな石材使ってるんだろう?

 

「どうされましたか?」

 

 俺が窓によって見ていることに気づいたクレメントさんが歩み寄って訊ねてきた。

 

「いえ、なんかあの塔だけ他と違うみたいで」

「ロマネスクかな? こっちの建物より古い感じですね?」

 

 白馬も窓の外を覗いて会話に加わった。

 

「あの塔はここが砦だった頃の名残なのです。今いる建物は勇者と聖女の居館として後から建てられたと聞いています」

「なるほど。だから違うんですね」

「こちらには王族が住んでいたこともあるのですよ」

 

 興味深そうに建物を見る白馬に、クレメントさんが気さくに答えてくれる。

 

 窓の外の塔が視界いっぱいになったところで、本来の目的でもあるトイレに着いた。

 中に入る。

ん? なんか薬臭い。

どうやら匂いの元は編みかごに入っている草の束のようだ。ハーブとかいうオサレな草だな。

壁際に木製の大きめの椅子があった。これが便座? 座面が蓋になっていたので開けると穴があった。そこからむわっとアレな匂いが……。こりゃ、芳香剤いるわ。

傍に水の入った甕と手桶が添えてある。クレメントさんによれば、用を足した後、これで水を流すのだそうだ。手動の水洗ってところか。

 

「あの~、水魔法とか使わないんですか?」

「魔法? はははっ。そんなの魔力の無駄ですよ」

 

 せっかく魔法がある世界なのに、無駄って……。

 その代わりというか、ここまで水を運ぶ時には魔法を使っているそうだ。『無駄』の基準がわからない。

あと、A5くらいの薄い灰色のザラザラした手触りの紙が重ねて置いてあった。これがトイレットペーパーの代わりか。尻が痛そうだ。今は小さい方なので関係ないけど。

 

 用足しが終わった後、せっかくなので白馬が使う勇者用の部屋も見せてもらった。

 広さは教室の半分程。床はこげ茶色の板張りで、薄いクリーム色の壁にはタペストリーが飾ってある。大きな暖炉。そして目につくのはお貴族様御用達、天蓋付きのベッドだ。ここで寝るのは恥ずかしいな。ま、使うのは白馬だけど。

 あとは机と椅子とチェスト、サイドテーブルくらいで、思ったよりシンプルだった。

部屋の中にも扉があったので覗いてみると、風呂だった。タイル張りの床によくある足つきのバスタブが置いてある。その傍には竈があって寸胴鍋が乗っていた。

 

「竈でお湯を沸かすんですか?」

「そうですが?」

 

 当たり前だろという顔を返された。

 

「風呂の水を火魔法とかでお湯にするのかと思ったんだ……。魔法使わないんですか?」

「ああ、そういう話ですか。竈に火を点ける時や火加減を調整する時には使いますが、お湯を沸かすためにわざわざ魔法を使ったりはしませんよ。竈を使ったほうが魔力の無駄になりませんからね」

 

 ふーん。なんでも魔法でするわけじゃないんだな。思ったほど便利じゃなさそうだ。

 

 

 

 一階の会議室に戻ると、テーブルにはクリーム色のクロスが敷かれていた。中央には火のついていないろうそくが三本乗った燭台。ろうそく使うんだ。でも壁のランプはろうそくじゃないみたいだったけど、何使ってるんだろう?

 

 しばらくして戻ってきた黒姫は、水色のローブを纏っていた。衣装部屋にあったのを着せてもらったと見せびらかす。なんかノリノリですね。

 そのタイミングで料理が乗ったワゴンが運ばれてくる。運んできたのは俺たちと同い年くらいの女の子たち。えんじ色のワンピースで襟と袖口は白。それに生成りのエプロンをつけている。

 んん? この子たちから受ける印象がアンブロシスさんやクレメントさんから受けるそれとなんか違う。

もちろん、可愛い乙女らとむさいおっさんたちじゃ違うに決まってるんだけど、イザベルさんとも違うから年齢とか性別とは関係ない何かだと思う。何が違うのかと問われたらはっきりとは答えられないんだけど。

 

 食器やカトラリーが配られる中、女の子の一人が「失礼します」とテーブルに近寄った。そして腰のポーチから小さな赤い石を取り出す。

彼女はそれに右手の指先をつけて何かを念じるように目を瞑った。途端に指先に小さな炎が宿る。

ああ、これが火を点ける魔法か。……地味だな。

女の子は火のついた指先をろうそくに伸ばして火を移していった。指、熱くないのかなーと心配しているうちに、女の子の指先の火は自然に消えていた。

 

 夕食のメニューは鳥の丸焼きを切り分けたもの。ハーブの匂いが凄い。ドロドロのポタージュスープ。茹でた野菜。果物。あとは丸いパン。こういう世界の味付けは薄味だって書いてあったけど、食べられないほどでもないな。

飲み物は赤紫色のジュース。と思って一口飲んだら凄く酸っぱ苦かった。これがワインっていうやつか。飲めそうになかったので果実水に変えてもらった。

 

 魔法のことも聞きたかったけど、食事中に聞いたのはこの世界の社会情勢。まずは自分たちの置かれている現状を把握しないと始まらない。

 で、聞いたことをまとめると、この国はデュロワール王国と言い、貴族が領主をしている39の領地と国王フランソワ3世の直轄地で成り立っている。ここ100年で大きく領土を広げ、ガロワの地では最大の国だそうだ。

 ガロワの地とは、西の大海と南の内海、北にある狭い海とに囲まれたなだらかな丘陵地帯が続く土地で、東には深い森が広がり、また南東には高い山脈があって、そこにドラゴンが住んでいるのだとか。

 社会制度は、貴族と平民に分けられる階級制度で、奴隷もいる。政治はほぼ貴族が独占し、平民は農工商業で生計を立てている。軍隊もあり、これもほぼ貴族で編成されている。今は大きな戦争も無く、北の海岸沿いと南の内海で海賊との小競り合いがある程度で、もっぱら国内の治安が任務だそうだ。

 

「あの~、冒険者ギルドっていうのはないんですか?」

「商業ギルドや職人ギルドはありますが、冒険者のギルドは無かったはずです」

「冒険者っていうのはいますけどね」

 

おおっ! いるんだ冒険者!

 クレメントさんには否定されてしまったけど、イザベルさんが希望の光を与えてくれた。

やっぱり異世界はこうでなくちゃ!

 

「あの、西の海の向こうに誰も行ったことのない豊かな大地があるとか、南の砂の海の向こうには見たこともない動物が地を埋め尽くすほどいるとか言っている奴らだろう? あんなのは一獲千金を狙う山師じゃないか」

 

 ふんっとクレメントさんは鼻を鳴らした。

 ……マジな方の冒険者でした。

 

 ふと、外から鐘の音が聞こえてきた。

 

「おお、もう暮れの鐘か。灯りを」

 

 アンブロシスさんがメイド(使用人とか小間使いとか言うのかもしれないけど、俺的にメイドなのでそう呼ぶことにした)に向かって指示を出す。

 気づけば部屋の中は薄暗くなっていた。

 

「灯りは僕がつけるよ」

 

 ジルベールが言うと、壁にあるランプに歩み寄ろうとしていたメイドの子たちはちょっと驚いたようにジルベールの顔を見て、それから「かしこまりました」と元の場所に戻った。

 それを見届けたジルベールはちらりと俺に視線を飛ばして優雅に右手を伸ばす。

 

「光よ、我が意のままに!」

 

 彼の指先から陽炎のようなものがランプに伸び、それが触れるやいなや、ぱぁっとランプの中に白い光が灯った。陽炎は次々にランプを光らせていく。

 

「光魔法!?」

 

 光魔法は使えないんじゃなかったのか? ジルベールすげえぇぇぇ!

 

「違う違う」

 

 イザベルさんが呆れた顔で手を振った。

 

「魔法石が光ってるだけですよ」

「えっ? 光魔法とは違うんですか?」

「あのランプは魔法具で、魔力を注ぐと中に入っている魔法石が光る仕組みになっているんです。平民だってできることなのに、それを恰好つけて。ばっかじゃないの」

「魔法の無駄遣いだ」

 

 クレメントさんに追い打ちをかけられても、当のジルベールはしれっと食後のお茶を啜っている。

 ええー、光魔法じゃないのか。感動して損した。俺のすげえぇぇぇを返せ!

 ていうか、

 

「魔法具なんてあるんだ」

 

 さすがファンタジー世界。

 

「ええ。魔法石に込められた力を使う道具を魔法具と言います。ランプの他には竈の代わりに煮炊きできる『コンロ』とかもありますよ」

「たいていはフロレンティアからの輸入品だけどね」

 

 ジルベールが不満げに言い足す。

 

「ここでは作ってないんですか?」

「儂らは直接魔法石を使うからのぅ」

 

 黒姫の問いに、アンブロシスさんが答えた。

 

「あ、さっきも赤い石から火を出してましたよね」

「あれは『火の魔法石』ですな。あとは水が出る『水の魔法石』とか」

「これも魔法石でしたっけ。いろんな種類があるんですね」

 

 と、黒姫が額の石を指さす。

 

「魔法石は鉱山で採れる魔力を溜め込みやすい透明な石なのですが、それに込める魔力の属性で違ってくるのですよ。その『言葉の魔法石』のように術式も一緒に込められているものもあります」

「でも光の属性は無いんでしたよね?」

「ええ。あのランプはフロレンティア公国のレオナルドという魔術師が考案した画期的な魔法具なのです。なんでも、あの魔法石に込められているのは人間の魔力ではなく、太陽の光なのだそうですよ」

「彼は初めて光の魔素を利用できるようにした人間だ」

「ほんと、凄いこと考えつくよね」

「この魔法石のおかげで、夜の暮らしが一変したそうですからね」

「魔法学と芸術に関してはあの国が抜きん出てるんだよなぁ」

 

 イザベルさんたちも口々に賞賛の声を上げた。

 

「……あの、ちょっと聞いていいですか?」

 

 白馬が小さく手を挙げた。

 

「なんですかな」

「どうしてこれは『光の魔法石』じゃなくてろうそくなんですか?」

 

 と、テーブルの上の燭台を指さす。確かに。

 

「それは食卓だからです」

「食卓ですからね」

「食卓にろうそくはあたりまえだろ」

 

 クレメントさんとイザベルさんとジルベールにあっさりと言い返されてしまった。

そういう慣習なんだろうね、うん。

 

 それはそれとして、ちょっと気になったことがある。

 

「あの、魔石、魔法石って鉱山で採れるんですか? 魔物を倒して採るんじゃないんですか?」

 

 異世界では定番だよな。

 

「ほぉ、よくご存じですな。そちらの世界にも魔物や魔石があるとは知りませんでした」

「あ、いえ、実際にいるわけじゃなくて、そういう話が物語によく出てくるから」

「物語ですか。なるほどなるほど」

 

 アンブロシスさんがなにやら感慨深げにあごひげを撫でつける。

 と、横から服を引っ張る黒姫。

 

「まものって何?」

「えっと、ゴブリンとかオークとかスライムとかそんなやつ」

「全然わかんない」

「ははは。ゴブリンやオークはこちらでも伝説や物語の中の存在ですね。『すらいむ』とやらは聞いたことがありませんが」

 

 クレメントさんが乗ってきた。

 

「確かに一部の魔獣の体内から魔石が採れることはありますが、それを使うなんてことはないですね」

「東の森の奴らは使うらしいよ。あんなの使うなんて気が知れない」

 

 イザベルさんが顔をしかめて言った。

 

「魔獣?」

 

 魔物じゃないの?

 

「魔素の濃い森に住む獣のことです。ふつうの獣よりもずっと大きくて凶暴なのです。デュロワールにも昔はそういう魔獣が多くいたようですが、今は一部の森を除いてほとんどいません」

「ゴールにはまだまだいっぱいいるって聞きますよ」

 

 ゴールというのはこの国の東に隣接する国だそうだ。さっきイザベルさんが言った『東の森の奴ら』はその国の人たちのことだろう。

 

「なんで魔獣から採れた石は使わないんですか?」

「穢れているから、と言われています」

 

 クレメントさんがなぜか苦い顔で教えてくれた。

 

「穢れてる?」

「魔獣というのは、もともと普通の獣だったものが穢魔に侵されてなるんですよ」

 

 クレメントさんに代わってイザベルさんが答えた。

 

「えま?」

「魔素の濃い森で発生する穢れた魔素のことです。だから穢れた魔獣から採れる魔石も穢れているというわけです」

「どうして魔素が穢れるんですか?」

「それは、ええと……。あ、アンブロシス様ぁ」

 

 イザベルさんが助けを求める。

 

「なんだ、学院で教わったじゃろ」

「だ、だって、もうン年も前ですし」

「魔素が穢れる原因は今のところ不明である」

 

 教科書を音読するような調子でジルベールが言った。

 

「あんたは去年卒業したばっかりでしょ」

 

 イザベルさんに突っ込まれても構わずにジルベールは続ける。

 

「魔獣についても昔からそう言われているだけで、学術的な定説はまだ確立されていないのである」

「つまり、魔素にしても魔獣にしても、まだまだわかっていないことが多いのですよ。だからこそ、この魔法学研究所の存在が重要になるのです」

 

 と、アンブロシスさんがいい感じにまとめた。

 



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第5話 ペネロペ

初の感想をいただきました!
ありがとうございます。


 そんなこんなで食事も大方終わり、

 

「いろいろあって疲れたことでしょう。今夜はゆっくり休んでください」

 

 と労われ、これで解散となった。

 

 階段を上っている途中でふと思いついた。

 

「クレメントさん。ちょっと俺たち三人だけで話し合いたいんですけど、いいですか?」

 

 白馬と黒姫にも顔を向けると、二人とも頷いていた。同じことを考えていたみたいだ。

 

「それなら談話室を使うといいでしょう」

 

 クレメントさんは、食事をした部屋のちょうど上にあたると思われる部屋の扉を開けて灯りをつけてくれた。部屋にはさっきと同じようなテーブルと椅子があった。

 

「ここが談話室です。食堂も兼ねていますから、明日からこちらで食事を取っていただくことになります」

 

 一通り説明して、「では、私どもは外で待っておりますので」とクレメントさんが扉を閉める。

 部屋の扉が閉まるやいなや、黒姫は糸が切れた人形のようにへたっと椅子に座りこんだ。

 

「……どうしてこんなことになっちゃったの」

 

 ぽつりと零す。

 

「きっと、お母さんもお父さんも心配してる」

 

 声がかすれていた。無理もない。

 俺はもともとこういうファンタジーが好きだったからそれなりに耐性っていうか知識があったからいいけど、黒姫は普通の女の子だ。いきなり召喚されて、次から次へと訳の分からないことが続いて、その対応にずっと気を張っていたのだろう。むしろ黒姫だからここまで頑張れたと言っていい。パニックになって泣きわめいてもおかしくなかった。

 

「ほんと、何? 魔法? ドラゴン? どこなの、ここ……」

「たぶんだけど、異世界っていうやつじゃないかと思う」

「異世界?」

 

 黒姫の独り言のような呟きに俺が答えると、「はぁ?」という顔で見返された。

 

「宇宙のどっかにある星とか、神様が作った違う世界とか、ゲームの中とか、まぁいろいろあるけど、とにかく俺たちの住んでた世界とは違う世界ってこと」

 

 黒姫がじっと俺を見つめる。黒姫の眼って切れ長で瞳が大きいんだなぁ。なんてどうでもいい感想を持っていると、彼女の視線が恨みがましいものに変わった。

 

「……高妻くんはどうしてそんな冷静でいられるの?」

「は? いやまぁ、俺だって冷静ってわけでもないよ。ちょっと顔に出にくいだけで」

 

 ここで調子に乗って異世界ファンタジーの蘊蓄を事細かに語っても「オタク、キモっ」って言われるに違いない。

 

「ま、まぁ、ここがどこかってことはおいおい調べるとして、これからのこと考えないか?」

 

 うまく話題を変えると、黒姫は俺から視線を外して「ほんよ、どうしよう」と深く息を吐いた。

 

「これからのことって?」

 

 白馬も話に乗ってくれる。

 

「うん。まずは最終的にこうしたいっていう目標を決めないか?」

「……私は日本に、元の世界に帰りたい。帰ってお母さんとお父さんに会いたい。みんなにも会いたい」

「僕も絶対帰りたい」

「俺もだ」

 

 チートで無双できないんじゃ、ここにいてもしかたないもんな。

 

「けど、帰るにはあの爺さんたちの協力がいる。俺たちだけじゃ送還術式とかできないだろ?」

「それなんだけど、信じられるの? あの人たちが言ってたこと」

「あの爺さんは嘘は言ってないと思う。ポルトとかいうのは胡散臭い感じだったけど」

「どうして嘘は言ってないって言えるの?」

「嘘は言ってないていうか、知りたいことはちゃんと教えてくれてるだろ」

「それって逆に言えば、聞かれないことは言わないでいいってことでしょ?」

 

 黒姫はあくまでも慎重だ。

 そこへ、白馬のフォローが入る。

 

「んー、でもさ、今のところは嘘はつかれていないってだけでもいいんじゃない。信用するとかじゃなくても、好意的だとは思うから」

「だよな。だから、今は彼らの言うとおりに行動しておこうと思うんだ」

「でもそれって、ドラゴンと戦うってことでしょう? 大丈夫?」

 

 黒姫が心配そうに聞いてきた。

 

「それはまぁほら、白馬の役目だから」

「ええーっ。やっぱり高妻くんに譲るよ、勇者」

 

 白馬が焦った顔で俺に両手を押し付けてくる。

 

「冗談冗談。俺たちにできることがあれば協力するから」

「なんか帰りたいのを盾に取られてるみたいで癪だし、一方的に理不尽を押し付けられてるだけだけど、それに腹を立ててここを飛び出したからといって帰る方法が見つかる保証もないものね」

 

 黒姫があごを指で支えるポーズで呟く。

 

「やっぱりもっといろんな情報が必要だわ。何か別のいい方法が見つかるかもしれないし。それまでは高妻くんの言うとおり、彼らに従ってるふりをしていればいいわね」

 

 お、おう。黒姫がなんか腹黒くなってる。

 まぁ、とにかく、

 

「よしっ。俺たち3人、絶対日本に帰るぞ!」

「うん!」

「たぶんこれからいろいろ大変なことも多いと思うけど、目標があると頑張ろうって思えるからいいわね」

「だろ?」

 

 黒姫も元気が出たみたいだな。すごくいい笑顔を俺に向ける。

 

「まぁ、高妻くんはなーんにもしなくていいみたいだけど」

 

 ……ですよね。

 

 

 

 3人での話し合いを終えて、部屋の外で待っていてくれたクレメントさんたちに微力ながら協力する旨を伝えた。黒姫が。だって俺役立たずですし。

 

「そうですか。ありがとうございます」

 

 クレメントさんは本当に嬉しそうな顔で礼を執った。ちょっと心が痛い。

 

 

 

 その後、俺たちは割り当てられた部屋に向かった。

 俺の部屋は談話室の並びで一部屋置いた奥の客間。白馬たちとは反対側の棟だ。

 植物をデザインしたような装飾が彫られている木製の扉を開けると、もうランプは点いていて、明るすぎず暗すぎず、程よく部屋を照らしている。

 部屋は思っていたよりもいい感じで、正直天蓋付きベッド以外、勇者の部屋とあまり変わらないように見えた。むしろ天蓋付きでなくて良かったぐらいだ。

 

 それはいいけど、パジャマあるのかな? と思ってたら、コンコンコンとノックが聞こえた。

 誰だろ? 白馬か? 

 

 「どうぞ」と応えると、「失礼します」と入ってきたのはメイドさんだった。たぶん夕食の時にいた中の一人だと思う。

 

「レン様の身の回りのお世話をさせていただきます。ペネロペです。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 美少女とまではいかないけど、青味のある灰色の毛は内側にくるんとカールしていて、愛嬌のある丸顔が親しみやすい印象だ。イメージアニマルはコアラ。うっかりじゃないといいけど。

 

「うん。こちらこそよろしくお願いします」

 

 頭を下げるとものすごく慌てて恐縮されてしまった。

 

「さっそくで悪いんですけど、パジャマってありますか?」

「あ、あの、恐れ入りますが、わたしは平民で小間使いですので、そのように丁寧な言葉を使われると、その……」

 

 あ、そうなんだ。うーん、タメみたいに喋ればいいのかなぁ。

 

「えっと、じゃあ、パジャマある?」

「申し訳ありません。『ぱじゃま』とはどのようなものでしょう?」

「え? ええと、寝間着って言うのかな?」

「あ、寝間着ですね。はい、こちらにご用意してあります」

 

 ペネロペはチェストに歩み寄って、その中から白い服を手に取った。ゆったりとしたただのワンピースだ。俺、男なんだけど。

 

「あ、その前に風呂に入りたいかな」

「でしたらこちらです」

 

 勇者の部屋と同じように風呂があった。トイレは共同で風呂だけ部屋ごとにあるってどうよ? いいけど。

 竈の火は消えていたけど、すでにお湯は沸いているようだった。

 ペネロペは踏み台の上に乗って手桶で寸胴鍋からバスタブにお湯を移している。

 

「魔法使わないんだ」

 

 宰相の人がやってたみたいに魔法でお湯を移すのかと思った。

 

「え? あ、も、申し訳ございません。私は平民ですのでご容赦ください」

 

 ペネロペが萎縮しまくって謝ってきた。

 

「あ、ごめん。責めてるわけじゃないんだよ。ていうか、俺も手伝うよ」

 

 女の子に力仕事をさせるとか罪悪感が半端ないと思って申し出ると、

 

「め、めっそうもございません。これは私の仕事ですから」

 

 と、また委縮させてしまった。

 うーん。やりずらいなぁ。

 

 ほどなくいい感じにお湯が溜まると、ペネロペは収納棚からクリーム色の四角い塊と液体の入ったガラスビンを二つ持ってきて、バスタブについている小さなテーブルに置いた。そのテーブルには前もって少し緑がかった青色の石も置いてあった。お湯を薄めるための『水の魔法石』だろうか。

 

「こちらが石鹸で、こちらがシャンプー、こちらがリンスです」

「ありがとう」

「こちらに体を拭く布と寝間着を置いておきます」

 

 ペネロペはタオル代わりの布と寝間着の入ったバスケットを置いて「失礼します」とバスルームを出ていった。

 んー。前に貴族が風呂に入る時は使用人に着替えさせてもらったり体を洗ったりしてもらうっていう話を読んだことがあったけど、さすがにそれはないか。俺、貴族じゃないし。

 

「すみません! シャンプーと……きゃぁっ!」

 

 ちょうどズボンを脱いでロングTシャツを捲り上げたタイミングで、扉が開く音とペネロペの悲鳴が聞こえた。

 

「すすすす、すみません。私、シャンプーとリンスの使い方説明するのを忘れちゃって」

 

 Tシャツの布地越しに、動揺しながら言い訳をするペネロペの声が聞こえる。

 

「そ、それで、その、シャンプーですけど、髪の毛を洗う時に使うもので、ええと……」

「知ってるから、シャンプーぐらい」

 

 言いながらTシャツの裾を下すと、両手で顔を覆っているペネロペがいた。

 

「さ、左様でしたか。し、失礼いたしました!」

 

 言うなり彼女はだだっとバスルームから出ていった。

 ふぅ……。また、見られてしまったのか。なんだこの、逆ラッキースケベは。

 にしても、何、シャンプーの使い方の説明って? 逆に『水の魔法石』の説明は無いし。

 

 疑問に思いつつ使ったシャンプーはいい匂いがした。リンスもいい匂いだったけど、これはなんかいつも使ってるのと違う感じがするな。固形の石鹸はあまり使ったことなかったけど、これもいい匂いがして泡立ちも良かった。

 試しに『水の魔法石』を触ってみたけど、特に反応はしてくれなかった。

 

 ちょっと温くなったお湯で泡を流して、バスタブを出る。体を拭いて用意してあった寝間着を着た。シャツもパンツも無しで、このワンピースみたいな服だけっていうのはちょっと恥ずかしいものがある。なんていうか、こう、フリーダム! (以下略

 

 バスルームを出ると、目線をそらしたペネロペが赤い顔のままで待っていた。

 

「その、申し訳ありませんでした。異国からのお客様と聞いておりましたので、シャンプーやリンスをご存じないかと思いまして。たいへん失礼いたしました」

「あ、うん、大丈夫。今更見られても減るもんじゃないし」

「みみみ、見てません。私、見てませんから」

 

 そうかなぁ。指の隙間からこげ茶の瞳がしっかり覗いてたけどなぁ。

 

「ていうか、シャンプーとかリンスって珍しいものなの?」

「は、はい。いえ、デュロワールでは珍しくないですけど、異国のほうではまだ使われていないと聞いております」

「そうなんだ」

 

 異世界の生活水準ってどうなってるんだろう。まぁ、トイレがアレだしなぁ。

 

「レン様はご存知だったんですね。本当にすみません」

「気にしなくていいよ。あ、じゃあ、俺もう寝るから」

「は、はいっ」

 

 ペネロペはビクっと体を震わせた。そしてその場に留まったまま口を開きかけては閉じるを繰り返している。すごく挙動不審だ。

 

「どうしたの?」

「あ、あのっ……、お、お望みでしたら、その、よ、夜のお世話もいたします、が……」

 

 なんとなく彼女から緊張感と恐怖感、それに羞恥心が伝わってくる。それでわかった。『夜のお世話』ってそういうことか。

 ま、まぁ、俺も精子溢れる、もとい精気溢れる思春期男子。チャンスがあるなら童貞を卒業することも吝かじゃない。でも、彼女から伝わってくるネガティブな感情が俺にストップをかけている。

 きっと彼女は誰かに強制されてこんなセリフを言ってるんだ。彼女の葛藤が痛いほど伝わってくる。

 そりゃそうだよな。初めての相手が会ったばかりの怪しい男なんてイヤだろう。それに、男子だって初めては好きな子とって願望があるんだよ。

 

「あー。今日はなんかいろいろあってすっごく疲れてるから、ベッドに入ったらすぐに寝ちゃうかもしれないなー。うん、すぐに寝ちゃうからお世話はなくても大丈夫だと思うんだ」

 

 言うと、彼女の感情が解れていった。強張っていた肩の力が抜けて、ほっと安堵の息を吐いている。

 

「あ、では灯りはどうされますか?」

 

 愛嬌のある笑顔に戻って聞いてきた。

 

「明るいと寝られないからいらない」

「かしこまりました」

 

 ペネロペは壁のランプに触って灯りを消していく。やがて、照明はベッドサイドの小さなランプだけになった。

 

「ありがとう」

「では、おやすみなさいませ」

「うん、おやすみ」

 

 ペネロペは両手をお腹の前で重ねてお辞儀をすると、静かに部屋を出ていった。

 と、思ったらばたんと扉が開いてペネロペが戻ってきた。そしてバスルームに直行すると、脱いだ服が入ったバスケットを抱えてきて、「失礼しましたー」と慌しく去っていった。

 うん、やっぱりうっかりペネロペだった。

 

 さて寝ますか。

 ふと、ベッドサイドのランプに視線を送る。

 そっとランプに手を触れてみた。

 

「……はぁ」

 

 俺は光り続けるランプを床に下ろしてシーツに潜り込んだ。

 



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第6話 聖女の継子

 目が覚めた。

 何時だろう? と思って、時計がないことに気づく。時間って時計がないと途端にあやふやになるもんなんだな。ちょっと怖い。

 窓の外がほんの少し明るくなっているから、もうすぐ朝なのかもしれない。

 起き出して窓辺に歩み寄る。外を見ると遠くの空の夜の色が薄くなっている。

 

 そこに、それはあった。

 あの大ヒットしたアニメのような雄大さはなかったけれど、まるで雲のようにぼんやりとした輪郭だったけれど、長い尾がしっかりと伸びていた。

 彗星だ。

 それは白み始めた空の中を地平線の向こうにある太陽に向かって飛んでいるように見えた。

 

『ドラゴンを呼ぶ星』

 

 そうわかった。

 何の疑いもなく、すとんと理解した。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

「レン様、朝ですよ」

 

 誰かが呼ぶ声で目が覚めた。

 寝ぼけまなこに丸っこい愛嬌のある笑顔が映る。

 

「おはようございます。レン様」

「ふあぁ、おはよう。ペネロペ」

「レン様は朝食はお取りになりますか?」

「え? うん、もちろん」

「では、急いで着替えてください。もう皆さん食堂にいらっしゃる頃ですよ」

 

 まだ早いかなと思ってもう一度ベッドに入ったら、結構寝てしまったようだ。

 

 

 

 食堂兼談話室にはもう白馬と黒姫が座っていた。二人とも水色ローブを纏っている。黒姫は髪型がポニーテールに戻っていた。もちろん、水色ローブは俺にも支給されている。

 このローブってやつは、思ってたとおり魔法士が着るもので、クレメントさんたち正規の魔法士が青、水色は見習いと決まっているらしい。

 どうも、魔法士見習いのレン・タカツマです。魔法使えないけど。

 

「高妻くん、おはよう」

「おはよう。遅いわよ。寝坊?」

「いや、逆に早く起きすぎて二度寝したらこんな時間になってたんだよ。おはよう」

 

 朝の挨拶を交わして席につく。クレメントさんたちは朝は食べないんだそうで、部屋には俺たち三人だけだ。あとメイドのみなさん。

 濃いめの金髪を編み込んでいるソフィ-って子が白馬専属のメイドで、これがすごく可愛い。それからオレンジの髪を後ろで緩く一つにまとめている子がフローレンス。黒姫の専属メイドだ。髪の色に似合わず地味な顔つき。たぶん真面目でおとなしい子だと思う。

 

 朝食はシンプルだった。パンとチーズと果物。あと、果実水。

 いただきますと手を合わせて食べ始める。今日の果実水は蜂蜜入りのレモン水。んぐんぐと飲んでいると、白馬が話題を振ってきた。

 

「ねぇ、高妻くん。夜のお世話ってしてもらった?」

 

 盛大に吹いた。

 

「ちょっと。きったないわね」

「大丈夫?」

「す、すまん。え、なんだって?」

「うん。昨夜ソフィーさんから『夜のお世話しましょうか』って言われたんだけど、疲れてたし眠かったから適当に断っちゃって。高妻くんはしてもらった? ていうか、夜のお世話って何? 何だった?」

 

 それをここで聞く? 

 ほら、ソフィーもペネロペも下向いちゃってるよ。

 

「えっと、俺も眠くて断っちゃったからわかんないなー。いやー、何だったんだろうなー。ははは」

「何、夜のお世話って? ……あ」

 

 黒姫も察したみたいだ。

 

「……サイテー」

 

 黒姫さん。してもらってないって言ってるのに汚物を見るような目で俺を見るのはやめてもらっていいですか? 何かに目覚めそうです。

 

 話題を変えよう。

 

「そういえば、夜明け前の空に彗星が見えたよ。あれが『ドラゴンを呼ぶ星』なんじゃないかな」

「彗星ってあのすっごく話題になったアニメの映画に出てたやつ?」

「落ちてはこないけどな」

「父さんが若い頃見たって言ってたよ。百武彗星だったかな?」

 

 あれ、百武彗星だったのか。百式だと思ってた。って、金ピカの彗星かよ。

 

「彗星が『ドラゴンを呼ぶ星』かぁ。面白い着想ね」

 

 俺の脳内ボケツッコミをスルーして黒姫がそう言うと、白馬が「どうして?」と聞いた。

 

「昨日、アンブロシスさんが『たくさんの星が落ちてくる』って言ってたの覚えてる? それって流星雨のことじゃないかしら。流星の素ってほとんどが彗星から出た塵でしょ。彗星の軌道と地球、じゃなかったこの星の軌道が交差してれば流星雨になるんじゃない?」

「あ、なるほど」

「初代の勇者が180年前で私たちが4代目だから、もし同じ彗星なら60年周期くらいかしら」

「うん。でも同じ彗星って同定するにはちょっと資料が足りないかなぁ」

「そうねぇ」

「それに、彗星や流星雨とドラゴンの出現の因果関係がわからないよ」

「うーん。そこは単に偶然とかじゃダメ? 実は二つの事象に因果関係なんかなくて、偶々彗星が来る年とドラゴンが現れる年が一致したの」

「可能性としては考えられるけど、どうかなぁ」

 

 黒姫と白馬の議論が続く。おかげで冤罪から逃れられそうだ。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 朝食を食べ終えるのを見計らったように、クレメントさんとイザベルさんがやってきた。

 挨拶の後、

 

「ユーゴ殿とマイ殿は明日、国王陛下に謁見していただくことになりました」

 

 と切り出した。

 

「昼食後に謁見の場のダンボワーズ城に向かいますので、それまでにご準備ください」

「そのダンボワーズ城ってどこにあるんですか?」

「ここから北に向かって馬車で半日ほどの所にあります。ダンボワーズは王都だった所ですから結構賑やかですよ。今夜は城に泊まって明日の昼前に謁見の予定です」

「王都だった? 今は違うってことですか?」

「ええ。王都はさらに馬車で北に4日行ったところにあるパルリです」

「じゃあ、王様は王都に住んでないんですか?」

「普段は王都の王宮に住まわれていますよ。ダンボワーズ城へは勇者様と聖女様に引見なさるためにお越しになります」

 

 質問する白馬の敬語が微妙で不敬とか言われないかなとちょっと不安になったけど、クレメントさんは咎めることなくにこやかに答えてくれた。

 ふーん。白馬たちに会うためにわざわざ王様の方から近くに来るのか。勇者って凄いんだな。

 

 そこへ、今度はアンブロシスさんがやってきた。ジルベールと、昨日召喚された時に見た黒髪の少女と金髪のお姉さんも一緒だ。服装は昨日と同じ。いや、昨日白だと思ってた少女のローブは、よく見ると淡いピンク色だった。

 

 アンブロシスさんに三人とも協力することを伝えると、既に聞いていたみたいで深い感謝の言葉をもらった。

 アンブロシスさんは謁見に向けていろいろ準備をしなければならないらしい。

 

「皆さんのお相手はこのルシールがいたします」

「ルシール・サクラ・ルミエと申します。よろしくお願い申し上げます」

 

 肩よりも少し長いストレートの黒髪の少女はローブの裾を持って軽く身を沈める。何とかと言う貴族の挨拶だな。

 俺たちも名前を言って普通に頭を下げた。

 

「あの、失礼ですが」

 

 と黒姫が口を開く。

 

「お名前の中に『さくら』って聞こえたんですけど」

「はい。私の曾祖母が先の聖女様で、『サクラ』はその聖女様のお名前なのです」

「ルシール様は聖女様の正式な継子(エリタージュ)継子であられます故、『サクラ』の名を継いでおられるのです」

 

 ゆるくウェーブのかかった金髪を結い上げたお姉さんがぐいっと前に出てきた。

 

「エリタージュ?」

「先の聖女様の血と力を受け継ぐ選ばれし方のことです。この聖なるサクラ色のローブも継子だけが着ることを許されるのです」

「あの、スザンヌ。いつも言っているけれど大袈裟です。恥ずかしいのでやめてください」

「失礼いたしました」

 

 スザンヌお姉さんは悪びれた様子もなくすっと後ろに下がる。

 なるほど。どうりで日本人っぽい髪と顔立ちだと思った。切り揃えられた前髪の下に見える瞳の色は澄んだ青紫だけど、それが返ってミステリアスな雰囲気を醸し出している。まぁ控えめに言ってもすごい綺麗な子だ。

 でも、なぜかこっちを見てくれないんだよなぁ。

 ……やはり確かめておくべきだろうか。昨日のことを。

 

「ルシールさんは昨日召喚の時にいましたよね?」

「はい。召喚の儀は私が執り行いましたから」

「そうですか。それで、その……、見ましたよね? 俺の」

「あなたの? ……あっ」

 

 ぱぁっと耳の先まで真っ赤に染まる。

 

「み、見てません! あ、あなたの、その……」

「ルシール様」

 

 スザンヌさんがルシールさんに寄り添う。

 

「あのような粗末なモノ、いえ些細なことはさっさとお忘れになったほうがよろしいかと」

「は、はい。そうします」

 

 粗末って……。そ、そうなのか。フツーだと思ってたんだけど……。だからか……。

 

「そんなことよりっ!」

 

 黒姫がバンっとテーブルを叩いた。その顔が赤い。ああ、黒姫にも見られたんだっけ。どうもお粗末なものをすみません。

 

「私たちを召喚したのがルシールさんなら、送還もあなたがするんですか?」

 

「はい。私が継子である間は、私が責任を持って執り行います」

「それっていつになりますか?」

 

 あれ? それ、昨日聞いたはず。あ、本当かどうか確かめてるのか。

 

「確実にいつとは申し上げられませんが、すべての魔法石に魔力が溜まるまでです」

「魔法石がいるの?」

「実際に見ていただいたほうがいいかもしれませんね。ちょうど行く用事もありますから」

 

 黒姫の疑わしそうな顔を見て、ルシールさんがそう提案した。

 まぁ、拒否する理由もないのでみんなで行くことになった。

 

 

 

 2階から1階に降りて廊下を進む。

 後ろから見るルシールさんは黒姫と同じような背格好だ。160㎝のユーゴよりちょっと低いくらい。ピンと背筋が伸びていて、歩く姿も優雅で上品だ。

 スザンヌさんはユーゴよりもちょっと大きいかな。アラサーくらいに見えるけど、白人の年齢ってよくわからんからもっと若いのかも。

 

 廊下の端にある扉の両脇には、昨日と同じように騎士が立っていた。いや、衛士って呼ぶらしい。

 ルシールさんに「ご苦労様」と労われ、頬が緩んでる。

 

 ついてきてくれたクレメントさんとイザベルさんは廊下で待ってもらい、扉を開けて中に入る。窓も灯りも無い部屋は真っ暗だった。スザンヌさんがすっと魔法を飛ばして壁のランプに灯りを点ける。それを頼りに召喚された部屋へと入った。

 ランプが灯る。

 改めて魔法陣の描かれたステージを見る。

 それは直径5m、厚さが50㎝くらいの一枚の大きな石のように見えた。そこに描かれている複雑な魔法陣の中に、昨日アンブロシスさんが言っていた勇者の円陣と聖女の円陣らしき二つの円が確かにあった。

 あの大きさの魔法陣が黒姫と白馬の席で展開されて、その重なった所に丁度俺がいたわけね……。どんだけピンポイントだよ。

 

 その大きな魔法陣の円周に拳よりも大きな石が8個等間隔に嵌められていた。みんな透明だ。

 

「この魔法石たちが召喚や送還に必要な魔力を与えてくれるのです。この魔法石たちには魔法陣の力で自然に魔力が溜まります。今は魔力を使い切って透明になっていますが、魔力が溜まると青味を帯びてきて、全てが紫色になると送還の儀が行えるようになります」

「それはどのくらいかかるんですか?」

 

 黒姫が念を押すように聞くと、ルシールさんは少し困ったふうに微笑んだ。

 

「申し訳ありません。正確にはわかりません。ですが、魔力が溜まりましたらすぐにお伝えすると約束致します」

 

 まぁ、前回の召喚が60年前でその時は送還は無かったそうだし、その前になると120年前だ。はっきり断言できなくてもしかたないか

 

 黒姫が「どう?」と眼で聞いてきたので、軽く顎をひく。

 彼女の態度には誠意が感じられるし、言っていることに嘘はないと思う。それが真実とは限らないとしても、彼女を信用しない理由にはならないだろう。

 黒姫は決心したようにルシールさんに話しかけた。

 

「ありがとうございます。ルシールさん」

「いえ、こちらこそ勇者様、聖女様にご心配とご足労をおかして申し訳ありません」

「それで、その、お願いがあるのですが」

「何でしょうか?」

「私たちに魔法を教えてもらえませんか? ちゃんと魔法を使えるようになりたいんです」

「は、はい。それはもちろん。喜んでご指導させていただきます」

「それからもう一つ」

「はい」

「敬語はやめて、私のことはマイって呼んで」

「それは……」

「ルシールさんは何歳?」

「16になったばかりです」

「やった! 私も16歳なの」

 

 黒姫はぱちんと両手を合わせる。

 

「ね、せっかく同い年なんだし、私たち友だちにならない?」

「で、でも、聖女様と友だちなんて畏れ多いことですから……」

「そういう聖女とかは関係なしで」

「そ、それに私、そんなこと言われたことない……ので……」

「言われたことないって……友だちは?」

 

 黒姫の遠慮のない問いに、ルシールさんは力なく首を横に振った。ぼっちだったのか……。

 

「ルシール様は聖女様の血を引く貴きお方です。侍女や家来ならまだしも、友だちなどとんでもない」

 

 スザンヌさんが「常識です」と付け加える。

 

「私はそう思ってはいないのですが、みんな私のことを特別扱いするのです。聖女の血を引くからって。私は他の人と同じように接して欲しいのに」

「うーん。でも、それってさっきルシールさんが私に言ったことと同じじゃない? 聖女と友だちになるなんて畏れ多いって」

「あっ……」

「よしっ! 前言撤回! 私、聖女としてルシールさんと友だちになりたい」

「え?」

「聖女の私と聖女の血を引くルシールさん。二人とも似たようなもんでしょ? だったら仲良くなれると思うんだけどなぁ……。ダメ?」

 

 黒姫に謎理論で迫られてルシールさんはぶんぶんっと首を振った。

 

「だ、だめじゃないです。私も仲良くなりたいです。……だから、その、私のこともルシールと呼んでください。マ、マイ」

「うん! ルシール」

 

 やるな、黒姫。ルシールさんを懐柔しやがった。

 これで、この友好関係を維持できれば、送還への道のりも楽になるってわけか。なんて計算高い奴なんだ。

 その腹黒姫が俺を睨む。

 

「……高妻くん。何か失礼なこと思ってない?」

「ほ、褒めてただけだよ」

 

 こそっと目をそらした先にいた白馬が爽やかに笑う。

 

「じゃあ、せっかくだから僕たちも名前で呼ばない? レン」

 

 意外にも白馬から言ってきた。無論、否はない。

 

「いいぜ、ユーゴ」

 

 そして黒姫に呼びかける。

 

「なぁ、マイ」

「彼氏でもないのに名前呼びとかやめてよね」

 

 ものすごく醒めた声で言われた。ついでにルシールさんにはクスクスと笑われ、スザンヌさんからは嘲り眼を向けられる羽目になった。

 

 その後、俺たちと部屋を出たルシールさんは扉に右手を当てて眼を瞑った。するとぽわっと扉いっぱいに魔法陣が浮かび上がってすぐに消えてしまった。

 なんだろう? なんか鍵をかけてるみたいだけど。

 廊下に出る扉にも同じように魔法陣が浮かび上がる。

 

「これで大丈夫です。張り番、ご苦労様でした」

 

 黒姫と友だちになれてご機嫌なルシールさんはニコニコ顔で衛士に言った。

 衛士たちは右拳を左胸に当てて軽く頭を下げると、だらしなく緩んだ顔で立ち去っていく。人気あるんだろうな、ルシールさん。いい子だし、美人だし。

 




続けて他キャラ視点の閑話をどうぞ。


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閑話1 眠れぬ夜

他キャラ視点の閑話です。
召喚の儀を行なった日の夜のルシールの話。
この時点ではまだレンのことを勇者だと思っています。


 【ルシール視点】 眠れぬ夜

 

 

 ベッドに身を横たえてからもうずいぶんと時間が経っているのに、今夜の私はなかなか眠りに就くことができません。今日あった出来事のせいで、まだ気持ちが高ぶっているのでしょうか。

 

 今日は58年ぶりに『召喚の儀』が執り行われました。私はその儀式で召喚魔法を唱えるという大事な役目を承りました。

 召喚の儀は、私たちの住む世界とは別の世界から勇者様と聖女様をお招きするというとてもとても重要な儀式です。私はそれをなんとかやり遂げ、勇者様と聖女様を召喚することに成功しました。ですから、本来ならばその重圧から解放されて今夜はぐっすり眠ることができるはずなのです。なのに、どうにも胸が高ぶっていつまでたっても寝つけません。

 

 

 

 召喚の儀はロッシュという古城で行います。ここに古くからある砦の跡に召喚の魔法陣が創られているからです。

 砦の基部にある召喚の間に入るのは、私を含めて4人だけです。

 術式にはとても多くの魔力が必要で、それが終わった時には立っていられないほど魔力を消耗すると言われていたので、それを案じた付き人のスザンヌがそばにいてくれます。

 そして、内務省から派遣されてきた男性と女性が1名ずつ。彼らは勇者様と聖女様の付き人です。二人には勇者様と聖女様にマントをかけてもらいます。

 

 なぜマントをかけるかというと、これを聞いた時には私もとても驚いてしまったのですが、勇者と聖女は一糸まとわぬ姿で召喚されてくるからです。

 普通の転送魔法ではそのようなことはおきないのに、なぜ召喚魔法ではそうなるのでしょうか。一説では、召喚されてくる勇者たちが住む世界は魔法の無い世界なので彼らの着ている衣服には魔素が含まれていないために魔法が効かず、そのせいで衣服まで召喚できないのではないかと言われていますが、筆頭魔法士のアンブロシス様は「召喚術式を創った魔術師の趣味なのではないかのぅ」と冗談とも本気ともつかないことを言っておられました。

 その裸で召喚される勇者様と聖女様に恥ずかしい思いをさせないように、すぐにその体にマントをかけてさしあげるのです。

 

 全ての準備は整い、私は完璧に召喚術式を唱えました。何一つ間違いはなかったはずです。

 なのに、それなのに……。

 

 召喚の魔法陣には勇者の円陣と聖女の円陣が描かれており、召喚された勇者と聖女はそれぞれの円陣の上に現われるはずでした。いえ、それはちゃんとできました。勇者の円陣には四つん這いになった少年が、聖女の円陣の上には座り込んだままの少女が予定どおりに現れたのです。そしてすぐにマントをかけてもらっていました。

 けれど、なぜか不思議なことに、二つの円陣のちょうど中間にもう一人少年がいたのです。

 

 なぜ勇者が2人も召喚されてしまったのでしょう。私の召喚魔法は何か間違っていたのでしょうか。それとも、やはり私には召喚の儀を執り行う資格など無かったのでしょうか。だって、本来ならば……。いえ、今それを言っても詮無いことです。

 

 今はそれよりももっと私を悩ませていることがあるのです。

 こともあろうに、真ん中の少年はちょうど私の目の前でしりもちをついた格好で両足を投げ出していたのです。それは即ち、必然的に、と、殿方のあの部分が、その、丸見えに……。

 もちろん、私はすぐに目をそらしました。ええ、本当にすぐにです。不幸があって若くして寡婦になってしまったスザンヌは顔色一つ変えずに見ていましたけれど。

 

 そういえば、裸の体を隠すために用意したマントは2人分しかありません。彼の分はどうしたらよいのでしょう。

 私は何度か彼のもとに視線を向けましたが、それはあの内務省の男性が対応してくれたどうか確認するためであって、決して殿方のその部分に興味があったからではありません。だって私、殿方のその部分を見たのは初めてではないのですから! 

 

 

 ※ ※ ※

 

 

 あれはまだ私が幼かった頃、両親に連れられて王都にある美術館に行った時のことです。

 そこにはたくさんの絵画や彫像が並んでいました。その中の一つに、確かロムルス神話に出てくる男神だったと記憶しているのですが、全身裸の彫像がありました。

 私の眼はその男神のある部分にくぎ付けになってしまいました。なぜなら、私のそこにはそのようなものがついていなかったのですから。

 不思議に思った私はあれは何かと両親に聞いたところ、お父さまが笑いながら、あれは男性が放尿するためのものだと教えてくれました。なぜ私と違うのかと更に聞くと、男性と女性を区別するためだという答えが返ってきました。

 

 ところが、後になってお母さまから「あのようなことを人前では言ってはいけません」と叱責されました。そして、夫以外の殿方のその部分を見てはいけなし、自分のその部分も夫以外の殿方に見せてはいけないときつく教えられました。万が一そのようなことがあったなら、その殿方を夫に迎えなければいけないのだそうです。それでは私はあの男神のお嫁さんになるのかと不安になって尋ねると、あれは神様なので大丈夫なのだと聞いてほっとしたことを覚えています。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 というわけで、男神のものではありましたが、私は殿方のその部分を見た経験があるのです。

 けれど、今日のあの少年のそれは、ほんのチラッとしか見ていないのですが、私の記憶しているものとはかなり違っているように見えました。なんというか、その、大きさとか向きとかも違いましたし、もっと複雑な形をしていたのです。

 勇者様は私たちとは別の世界の方なので、あそこの形もこちらの世界の殿方とは違うのでしょうか。とても謎です。

 

 いえ、違いました。そのようなことで悩んでいるのではありませんでした。

 私は見てしまったのです。あの少年のあの部分を。けれども、それはほんの、ほんの一瞬なのです。それでも私は、お母さまが言っていたとおり、あの少年を夫に迎えなければならないのでしょうか。

 

 正直に告白すると、あの少年に、勇者様に嫁ぐことは嫌ではありません。そこそこに整った顔立ちとほどほどに引き締まった体つきでしたし……。

 けれど、勇者様の方はどうでしょうか。私を妻にもらってくれるでしょうか。

 

 私は先の聖女様の血を引き継いでいます。

 聖女様には女の子供しか生まれませんでした。その子供たち、私のお婆さまと大叔母さまも、その子供であるお母さまや叔母さまたちも全て女です。なので、きっと勇者様と私の間に生まれる子供も娘だけになるでしょう。

 女では家を継がせられないので、女の子共しか産めない妻は蔑ろにされたり離縁されたりすると聞いたことがあるのでとても心配です。

 願わくは、娘しか生まなかったお母さまを、それでも大切に想っていたお父さまのように、勇者様も私を愛してくれると良いのですが……。

 

 はっ。

 私は何ということを考えているのでしょう。まだ、勇者様と結婚すると決まったわけではないというのに。ましてや、勇者様との間に子を成すことを思うなど早計にも程があります。

 

 本当に今夜の私はどうしてしまったのでしょうか。

 勇者様のあれを、間違えました、勇者様のことを思い出すと顔が熱って頭もぼーっとなってしまいます。それに、なぜかお腹のあたりも熱くなってじっとしていられなくなります。

 

「勇者様……」

 

 そう呟いては寝床の中で寝がえりを打つしかない私の眠れぬ夜は、まだまだ長くなりそうです。

 



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第7話 魔法講座

 談話室に戻ると、ルシール先生の魔法の授業が始まった。

 

「魔法には魔素を操る属性魔法と魔法陣を使う術式魔法があります。まずは属性魔法から使えるようになりましょう。勇者様の属性は風、火、水、金、土ですね」

「あの」

 

 と、ユーゴが手を挙げる。

 

「僕のこともユーゴって呼んでくれますか。勇者様とか似合わないから」

「わかりました、ユーゴ」

 

 ルシールは笑顔で頷いた。これで俺のことも自然にレンと呼んでくれるだろう。ナイスだ、ユーゴ。

 

「それで、風と火と水の魔法ですが、これはそれぞれを直接操る形の魔法になります。風を起こしたり火や水を飛ばしたりできます。金と土は対象の形を変えることができます。鉄の塊から剣や盾を作ったり土を掘り起こして畑を作ったり、道や塀、建物も作れます」

「なんか土魔法ってすごいね」

「はい、土魔法や金魔法は需要が多いですね」

「でもなんか地味じゃないか? ファイアーボールとかウィンドカッターのほうがカッコイイし」

 

 たいていの主人公はそういうの使ってたはず。

 

「ふぁいあーぼ? ういん、ど、かった……?」

 

 ルシールが首を捻る。

そっか。技の名前の横文字は伝わらないんだな。

 

「ええと、火属性や風属性の魔法で、炎の球を飛ばしたり風の刃で切ったりする魔法のこと」

「レンが言うような魔法はあったでしょうか?」

 

 ルシールがクレメントさんに向けて問う。

 

「炎の球はありますね。こちらでは火球と呼んでいます。けれど、風の刃というのは聞いたことが無いですね。どういったものなんですか?」

 

 逆に聞かれてしまった。

 

「ええと、言葉のまま、風を刃物のようにして切るんですけど」

「風を刃物にする? 風のようなものが硬い刃物になるんですか? ちょっと想像できませんね。風属性ならば風撃か旋風が一般的でしょう」

 

 うーん。無いのかぁ。まぁ、あったところで俺には使えないんだけど。

 

「じゃあ、私の聖属性の魔法ってどんなの?」

 

 落ち込む俺を無視して、黒姫がルシールに問いかけた。すると、今まで事務的だったルシールの顔が綻ぶ。

 

「聖属性はちょっと特別なんです。基本的に魔法というのは生きているものには使えません。ですから魔法が使える5属性は命の無いものになっているのです」

「あ、本当だ」

「ところが、聖属性だけは生きているものを対象にしています。聖魔法は怪我をしている人や病気の人を治したり、魔力を回復させたりできます。また穢れを祓うこともできます」

 

ヒーラーとかプリーストみたいなもんか。

 

「私も聖属性なのでマイと同じです」

「じゃあ手取り足取り教えてもらうね」

「はい」

 

 二人はニッコリと笑って手を取り合った。

うん、ぐっと仲良くなったみたいだな。仲良くなりすぎて、手取り足取り百合百合しないか心配だ。いや、それはそれでアリか。

 

「そして、魔法を使う時に重要になるのが魔力量と想像力です。魔力量はその名のとおり魔力の大きさです。大きければそれだけ多くの魔素を操れます」

「その魔力量って貴族と平民じゃだいぶ違うんでしょ? 昨日そんな感じのこと言われたから」

 

 昨日の『属性の石板』の件を思い出しながら言うと、「あ、そういえば」とスザンヌさんが思い出したように例の石板を取り出した。

 

「アンブロシス様から言付かっていました。これ、平民用のやつです。どうぞ」

 

 俺の前にその石板が置かれた。貴族用より小さくて周りの枠も木製だ。心もち薄汚れているように見えるのは気のせいか。

 とにかく置いてみよう。少なくともこれで属性がわかるはず。

 

 …………。

 

 おい。

 

「ちょっとそこの彼女」

 

 スザンヌさんがお茶のお代わりを準備していたペネロペに声をかける。

 

「ここに手を置いてみて」

「はい」

 

 ペネロペは言われるままに手を置いた。すぐに風属性の石から光の柱が上がる。あとは水属性が少しで、他の石に目立った変化は見られない。

 

 これは、つまり、そういうことなのか?

 

「彼には魔力が無い? まさか」

 

 スザンヌさんがマジで驚いている。

 

「いえ」

 

 とルシールが俺の額を見やる。

 

「『言葉の魔法石』が使えているので魔力が無いわけではないと思います」

「でも平民用の『属性の石板』ですら全く反応しませんでしたよ。平民以下ってことですか?」

「わかりません。こんなこと初めてなので」

 

 ルシールに「こんなの初めて」と言われたけど、全然嬉しくない。

 

「あなた、もう下がっていいよ」

 

 スザンヌさんに言われて、ペネロペが「はぁ」とあまりわかっていなさそうな顔で元いた場所に戻っていった。その後ろ姿を見送って黒姫が聞く。

 

「貴族と平民ってそんなに差があるの?」

「はい。魔力の大きさが全然違うんです。あの子は風属性の力が割とあったようですが」

「平民にしては、ですけど」

 

 スザンヌさんが注釈をつける。

 

「ほとんどの平民は直接触れているものにしか魔法が使えないのです。でも、私たち貴族は触れていなくても離れた所のものにでも魔法が使えます」

「あ、昨日、ポルトさんがやってたね。こんなふうに」

 

 ユーゴが壁際のテーブルにあるピッチャーに向かって右腕を伸ばす。

と、その指先から陽炎なんてものじゃない、もっと濃い何かが凄い勢いで伸びていった。

 

 カシャーン

 

 ピッチャーが割れて、中の果実水が飛び出した。

 

「きゃっ」

「わわっ」

 

 果実水は雫を飛ばしながら空中をビュンビュン飛び回って、最後にルシールの顔にビシャとかかった。

 おい、ユーゴ! おまえ、ルシールの顔面にぶっかけるとかなんて大胆な、いや、失礼なことを!

 

「ご、ご、ごめんなさい! まさかこんなことになるなんて思わなくて」

 

 ユーゴは彼女の顔を拭おうとおろおろと立ち上がる。が、スザンヌさんはそれを押し止めた。

 

「ルシール様にかかりし果実水よ、我が意のままに」

 

 スザンヌさんがそう唱えると、彼女の手から伸びた陽炎がルシールの体を包み、頭や顔やローブを濡らしていた果実水がみるみるうちにスザンヌさんの手のひらの上に集まり出した。それはゆっくりと回転する球になると、すーっと俺の目の前に飛んできてテーブルの上のティーカップにパシャっと収まった。

 スザンヌさんを見ると、明るい茶色の瞳で俺を見返して小さくニヤリと笑ってる。

 

 何それ、いじめ? いや、業界ではご褒美なのか?

 

「凄い……」

「さすがスザンヌ。見事な魔法です」

「恐れ入ります」

 

 スザンヌさんの魔法を目を丸くして見ていたユーゴが、慌てて頭を下げる。

 

「ルシール、本当にごめんなさい。ちょっとポルトさんの真似をして手を伸ばしてみただけだったのに、まさか本当にジュースが飛び出るなんて思わなかったから」

「大丈夫ですよ、ユーゴ」

「手を伸ばしただけ? それは、魔法を使うつもりじゃなかったということですか?」

 

 スザンヌさんが怪訝な顔で問う。

 

「つもりもなにも、魔法なんて使ったことないし使えるとも思ってなかったから、ジュースが飛び出してビックリしちゃって」

「使ったことがない? まさか?」

「本当です! 本当にわざとじゃないんです!」

 

 スザンヌさんに睨まれて、ユーゴは真っ青な顔で弁解した。

 

「だとしたら、凄いことですね。たとえどれだけ大きな魔力があっても、それですぐに魔法が使えるわけではないのですよ」

「そうですね。普通は親か教師に教わって少しずつ使えるようになるのですから」

 

 ルシールが続ける。

 

「ですが、ちょうど良い例になりましたね。どれだけ魔力があってもそれを操る技術が無ければ良い魔法士にはなれません。何をどうしたいのかをどれだけはっきりと思い描けるかが大事です。これが先程言った想像力です」

 

 魔法はイメージが大事ってよく書いてあるもんな。ていうか、いきなり魔法が使えたユーゴがおかしいのか。さすが勇者。

 

 その後、カップに入った例のジュースをこっそり飲もうとしてみんなに白い目を向けられたことは内緒だ。

 



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第8話 メイドの子たち

 朝食とは打って変わって豪華な昼食を終えると、ユーゴとマイ、お付きのクレメントさんとイザベルさん、それからルシールとスザンヌさん、アンブロシスさんとジルベールが箱型の馬車2台に分乗して、馬に乗った十人近くの騎士に護衛されながらダンボワーズ城へと出立していった。

 

 ペネロペたちとそれを見送っていると、

 

「あの、どうしてレン様は一緒に行かないんですか?」

 

 と、ペネロペが遠慮がちに聞いてきた。

 

「俺は勇者じゃないからな」

「勇者?」

 

 ソフィーがこてんと可愛く首を傾げる。

 

「国王に謁見できるのは勇者と聖女だけなんだと。俺は勇者じゃないから留守番なんだよ」

「えっ。ということは、もしかしてユーゴ様が勇者ってことですか?」

「マイ様が……聖女様?」

 

 「ええーっ!」と三人同時に驚きの声を上げる。

 

「みんな、知らなかったの?」

「遠い異国からのお客様としか」

 

 あれ? これ言っちゃまずかったのかな? 

 

「そういえば、マイ様の髪や瞳の色は昔の聖女様と同じ黒色だった」

「ユーゴ様も!」

 

 俺もな。

 

「ああ、勇者様だって知ってたら、昨夜無理にでも『お世話』してたのに。悔しいっ」

「どうして?」

 

 きょとんとして聞くペネロペの鼻先にソフィーは指を突きつける。

 

「だって勇者様よ。お手付きになればそれだけで箔が付くし、運が良ければ愛人にしてもらえるかもしれないのよ。ああ、早く勇者様帰ってこないかなぁ」

 

 可愛い顔して凄いこと言ってるなぁ。でも、

 

「愛人とか言ってないで、奥さんにしてもらえばいいのに」

「無理ですよぉ。あたし平民なんですから」

「でも、俺たちは貴族じゃないよ。むしろ平民だし」

「ええっ、そうなんですか? んー、でも、勇者様は勇者様だし、きっと結婚は王女様とか上級貴族のご令嬢とされるんじゃないですか? だから、あたしは愛人で十分です」

 

 王女と結婚!? さらに愛人! ユーゴが羨ましい。

 でもやっぱりこの身分差ってやつには慣れないなぁ。

 

「えっと、みんなは平民なんだよね」

「はい」

「平民でも魔法は使えるの?」

「もちろん」

「でも、貴族みたいには使えません」

「直接触れてるものにしか使えないんだっけ?」

「たいていはそうですね。調理で使ったりする時の火魔法はちょっと違いますけど」

「水魔法が使えるとお洗濯が楽です」

「私、風魔法が得意なんですけど、風魔法ってあんまり役に立てないんですよね」

 

 ペネロペが肩を落とすと。ソフィーがその肩をポンと叩く。

 

「庭の落ち葉集めるのに便利じゃない」

「それは庭師の仕事でしょ。小間使いだと全然」

「じゃあ、掃除は?」

「前にやったら風が強すぎて、いろんなもの飛んでっちゃって」

 

 さすが、うっかりペネロペ。

 

「そういえば、ペネロペの風の魔力は結構あるってルシールが言ってたな」

「え、ルシール様が?」

「ほんと? ねぇ、ペネロペ。ちょっとやって見せて」

「うんうん。ルシール様が言うくらいだから凄いんでしょ?」

「ええー」

 

 ペネロペは困ったような声を出したが、実は満更でもなかったみたいで、結局風魔法を見せてくれることになった。

 

「風よ、我が意のままに!」

 

 彼女が両腕を高く突き上げて唱えると、その手の回りに陽炎が揺らめいた。そしてそれは周りの空気を巻き込んで回転しながら上へと上がっていく。その小さな上昇気流は更に周りを巻き込んで急激に大きくなった。

 ぶわっ。

 風が下から上へと巻き上がる。メイドたちの足首まであるスカートも捲れ上がる。

 

「きゃあーっ」

 

 ソフィーとフローレンスは咄嗟にそれを抑えられたが、両手を突き上げていたペネロペは無防備だ。下のシャツごと見事に捲れ上がってしまった。

 あ、ここの人ってパンツ履いてないんだったね。

 

「……凄い」

「それ、変な意味で言ってませんか?」

 

 ようやくスカートを抑えたペネロペが涙目で睨んできた。

 

「……見ました?」

「あー、これであいこってことで」

「そこは嘘でも見てないって言うところですよ! もうっ」

 

 大変ご立腹のようだ。ちょっとフォローしておこう。

 

「いや、でも、魔法使えるだけでも凄いよ。俺なんか魔力無いからなぁ。ペネロペが羨ましいなぁ」

「ええ? 魔力無いって、嘘でしょ?」

「私たちをからかってるんですか?」

「あ、それほんとだよ。さっきレン様が平民用の『属性の石板』に手を置いてるの見たけど、どの石も光ってなかったもん。スザンヌ様もビックリしてらしたから」

「えーっ。魔法無しでどうやって生活するんですか? 生きていけるんですか?」

 

 ソフィーが無遠慮に聞いてくる。

 

「俺たちの国じゃ魔法が無くても代わりにいろんなものを発明していろんなものを作ってるから全然生きていけるよ。ていうか、ここよりずっと文明は進んでるよ」

 

 おっと。あんまり迂闊なこと言わないほうがいいのかな。変にオーバーテクノロジーとか広めるとマズいかも。

 

「なんか勇者様の国って変」

「あ、そうか」

 

 ペネロペがポンっと手を打った。

 

「もしかして、レン様は聖女様、前の聖女様と同じ国の人なんじゃないですか?」

「ああ。たぶんそうだと思うけど」

「やっぱり。だから昨日、シャンプーやリンスの使い方知ってたんですね。異国の人って聞いてたから、私てっきり知らないだろうって」

「そういえば、ユーゴ様もシャンプーのこと知ってらした」

「マイ様にはリンスはこれしかないのって聞かれたけど」

「どういうこと?」

「マイ様は今まで髪に直接つけるリンスを使っていらっしゃったそうよ」

「何それ」

「え、違うの?」

 

 ソフィーと俺の声が被った。

 

「レン様、知らなかったんですか?」

「あ、いや、俺も直接つけるもんだって思ってたから」

 

 じゃあ、どうやって使うんだ? 

 顔に出た疑問にペネロペが答える。

 

「桶に入れた水にちょっとだけ入れて薄めて、それに髪の毛を浸すようにして馴染ませた後、すすぐんですよ」

「へー」

「やっぱりちゃんとお教えするべきでした」

「まぁ、あの時は無理だったと思うけど」

 

 言うと、ペネロペの顔がまた赤くなった。

 なので、話題を変える。

 

「で、俺の国とシャンプーに何か関係あるの?」

「はい。シャンプーとリンスって聖女様から広まったって言われているんです」

「そうそう。聖女様のお話に書いてあった」

 

 赤面したままぷいっと横を向いたペネロペに代わってフローレンスとソフィーが答えてくれた。

 

「聖女様のお話?」

「前の聖女様のことが書いてある本とか絵本のことです」

「ほとんどの女の子はそれを読んで聖女様に憧れるんですよぉ」

「シャンプーだけじゃなくて、本になる紙とか、本を作る時の印刷とか」

「他にもいろんな料理とかお菓子とか化粧品とか」

「それにご自分で商会も作られたんですよ」

 

 本好きなのかな? 下剋上しちゃうの? 

 

「あ、じゃあ、レン様も何か教えてくださいよ」

「うーん。そのうちな」

「けち」

 

 けちと言われてもなぁ。

 異世界もので現代の知識や技術を駆使して、農業でも工業でも商品でも料理でも組織でも革命的な何かを作るのはよくある話だ。でも、その主人公はちゃんとそういう知識や技術を持ってるからできるんだよな。

 実際自分がそういう立場になった時、じゃあ何ができるかってなるとちょっと思いつかない。今だって、シャンプーとかリンスとかどうやって作ってるのか全然知らないし。それこそスマホでもあればいろいろできそうなんだけど。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

「ええと、その……」

 

 俺が着ていた服を入れたバスケットを足元に置いてペネロペが口ごもる。

 

 ……ここはちゃんと言っとくべきだよな。

 

 ふぅと息を吐いて覚悟を決める。

 

「あの、ペネロペ……。『夜のお世話』のことなんだけど」

 

 途端にペネロペの緊張が伝わってくる。

 

「あ、誤解するなよ。して欲しいわけじゃなくて、昨日のあれ、無理に言ってる気がしたから、もしかしたら誰かに強制されたんじゃないかなって思って」

 

 ペネロペが下を向く。サイドテーブルの灯りが影を作ってその表情はわからない。

 

「ごめん。言えないことだった?」

「……いえ。大丈夫です」

 

 ペネロペは下を向いたまま、そう答えた。

 

「エマさん、使用人をまとめている人なんですけど、その人に言われました。お客様にそう言いなさいって」

「そういうのってよくあるの?」

「な、ないです! 私、そんなことしたことないです! 初めてだったんです! あんなこと言われたの」

 

 ガバっと顔を上げて超高速で両手を振って否定する。

 

「ああ、ごめん。それはわかってるよ。じゃなくて、この国では普通にそういうことがあるのかって言う意味」

「ま、まぎらわしいです」

「悪い」

「ええと、『お世話』のことでしたね。一緒に働いてる子たちが言ってるのを聞いただけなんですけど、王宮とか貴族の館だと時々あるみたいです。平民の使用人がお客様の『お世話』をするのって。でもここはそういうお客様って滅多にいらっしゃらないし、今まではなかったと思います」

「ふーん。それじゃあビックリしただろうね」

「そりゃあもう」

「ソフィーはやる気満々だったけど?」

 

 そう言うと、ペネロペはふっと目を伏せた。

 

「私たち平民の娘ですから、たとえ愛人でも貴族の方と一緒になれたら、それまでよりずっと良い生活ができるんです」

 

 そして、「それが幸せかどうかはわかりませんけど……」と、眉を下げて微笑んだ。

 

「それに、あの子はお客様、勇者様のためにわざわざ王都から来たみたいですから」

「王都から?」

「はい。ソフィーとフローレンスは王都にある王宮で働いていたそうです。ここに来たのはレン様たちがいらっしゃった前の日ですね。だからたぶん勇者様と聖女様のお世話をするために呼ばれて来たんだと思いますよ。じゃなきゃ、普通王宮からこんな所に来ないですよ」

「ふーん。じゃあ、ペネロペは?」

「私は、昨日の夕方に急にエマさんからお客様が一人増えたからお相手しなさいって言われました」

 

 あ、それ俺のことだわ。

 

「厨房も、急に夕食にしろだとか一人分増えたとかで大慌てになってましたね」

 

 「ふふふ」と思い出し笑いをしていたペネロペが俺に向き直った。

 

「そのお客様がレン様で良かったです」

「俺もペネロペがメイドで良かったよ」

「めいど?」

「あ、いや、小間使いだっけ?」

「レン様って、時々変なこと言いますよね」

「ほっとけ」

 

「ふふふ」と笑うペネロペに俺も向き直った。

 

「ありがとな。言いにくいこと教えてくれて」

「とんでもございません」

「あと、もう一度ちゃんと言っておくけど、俺は『夜のお世話』なんて望んでないからな」

「はい。それはわかってます」

 

 そう言って彼女は微笑んだ。サイドテーブルの灯りがそれを明るく照らしていた。

 



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第9話 ハムチーズサンド

 翌日。

 一人ぽつんと朝食を取る。メイドはペネロペと、手が空いていたのかフローレンスが来ている。

 メニューは丸パンとチーズに、今日はハムと生野菜がついていた。果実水はオレンジ。

 朝食ってほんとシンプルなんだよなぁ。うーん……。

 おもむろにナイフを取って、丸パンを横に切る。そこに生野菜、ハム、チーズを挟んでかぶりつく。

 んー、いまいち? ハムの塩気と野菜にかかったシンプルなドレッシングじゃちょっとパンチが足りない。やっぱりからしマヨネーズが欲しい。

 

「あーっ!」

 

 突然ペネロペが大声を上げた。

 

「レン様、何してるんですか!」

「何って、パンに野菜とハムとチーズを挟んで食べてるだけだけど?」

「それです! そんなのパンに対する冒涜です!」

 

 ペネロペは指を突きつけて抗議してくる。

 

「ペネロペの実家は王都でも老舗のパンを扱う商会なのです。最近落ち目ですが」

「最後のは言わなくてもいいでしょ」

 

 フローレンスの解説に一言クレームをつけてから、

 

「だいたい、固くなった黒パンをスープに浸して食べるならまだしも、白くておいしいパンを他のものと一緒に食べるなんて、パンを蔑ろにするにもほどがあります! デュロワール中のパンに謝って欲しいくらいです! したがって、味見を要求します!」

 

 と、手を差し出す。

 何が「したがって」でどうして「味見」になるのかよくわからんが、食べたいならどうぞ。

 ペネロペは俺が手渡したハムチーズサンドをひと睨みしてから、俺が食べかけていたところを躊躇いもせず口に入れた。

 「あ、間接キス……」みたいな甘酸っぱいものを微塵も感じさせないほどバクバク食べていく。ああ、初間接キスだったのに……。

 

「私にも食べさせて」

 

 フローレンスもパクパクと食べる。そして半分くらいになったパンが俺の元に戻ってきた。

 えーと、これって間接3Pキス、げふんげふん、深く考えるな。二人とも普通にしてるのに俺だけ意識するのもアレだ。なんか負けた気がする。

 

「うーん。なんかこう、ちょっとアレが、こう……」

「食感は新鮮で面白いです。悪くはないと思いますが、味がぼんやりしてるのとパンがびしょっとなってるのは減点ですね」

 

 ペネロペの語彙! フローレンスの方がちゃんと食レポしてる。これじゃどっちが老舗パン屋の娘かわからんぞ。

 

 その後、ドキドキしながら食べたびしょっとしたハムチーズサンドもどきは、先に食べた時よりもちょっとおいしく感じた。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 昼食の給仕はソフィーだった。

 

「ペネロペは?」

「あー。急な用事ができたって言ってました」

「そうなんだ」

「ほんとに困っちゃいますよ。あたし、ユーゴ様専属の小間使いなのに」

 

 昨日の一件でソフィーたちとの距離感が縮まっている。俺に魔力が無いと知って貴族よりも親近感が持てるのだそうだ。おかげで俺に対する扱いも言葉遣いもぞんざいになった気がする。

 今も「なんでレン様なんかのお世話しなきゃいけないんだろ」とぶちぶち愚痴を言っている。って、聞こえてるぞ。

 

「だって、ペネロペは元々ここで働いてたんですけどぉ、あたしとフローレンスはちょっと前に王都から来たんですよ。大事なお客様がいらっしゃるからって。これって凄くないですか。あたし、勇者様のお世話をするために呼ばれたってことですよね?」

 

 ああ。昨夜、ペネロペがそんなこと言ってたな。

 

「それは確かに凄いな」

「でしょう? ああ、ユーゴ様。早く帰ってきて」

 

 大人の階段を上るのはユーゴが先になりそうだな。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 さて、昨日からユーゴたちはここにいない。

 その隙をついて魔法が使えない全くの役立たずの俺を人知れず拉致したり追放したりするんじゃないかと警戒していたのだが、今のところそんな様子は全くない。

 

 予定ではユーゴたちが帰ってくるのは夕方だ。それまで警戒して部屋に閉じ籠っているのも馬鹿らしくなってきた。ぶっちゃけ暇だ。

 城の外に出ることは厳重に禁止されているし、城の中もあまりうろうろするなと言われていたけど、ちょっと外を散歩するくらいはオッケーだろう。

 

 俺にはお付きの人がいないので、一人気ままに散策できる。

 いくつかの建物の間を抜け、階段を下りた所に、石造りの城壁に囲まれた広場があった。

 サッカーのコート程の広さの土の広場で、8人の衛士たちが二人一組になって剣を打ち合っていた。剣と盾、剣と剣がぶつかるたびに、ガツンガキンと重そうな音が響く。

 ここにいる衛士たちはこのロッシュ城の守備隊だと聞いている。結構精鋭揃いなんだそうだが、素人の俺にはさっぱりわからない。

 ぼーっと見ていると、時々鎧姿の衛士の体が光の幕を纏うことに気づいた。オーラって言ったらいいのか、虹色の光が体の表面を薄く覆うんだ。その時、騎士の動きがグンっと速くなることにも気づいた。

『身体強化魔法』

 確かそんな魔法があったかな。そういうのかもしれない。

 

 と、騎士の一人の剣が光った。

 気合と共にその剣が振られると、受けた相手の盾はガーンとはじき飛んだ。

 すげぇ。あれは剣に魔力を乗せたのかな。剣が光るとかかっけぇぇ。

 

 にしても、この世界の魔法は、陽炎みたいに見えたり体にオーラを纏ったりとエフェクトが凄いな。暗い所で見たらもっと凄いかな。あ、でもそれじゃ暗殺には向かないな。

 などと、どうでもいいことを考えながら騎士の訓練を見て午後を過ごした。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 日が暮れる頃、ユーゴたちが帰ってきた。

 黒姫がぐったりと疲れている。聞くと、馬車の乗り心地が最悪なんだとか。路面の凸凹がダイレクトに伝わって結構揺れるらしい。まぁ、現代のアスファルト舗装された道路と自動車に乗り慣れてたら、馬車の揺れはちょっとした拷問かもしれない。行けなくてよかった。

 ここで自動車の知識でもあれば、馬車に革命を起こせるんだけどなぁ。パテント料で大金持ちになれたりするんだけどなぁ。「レン様は魔力がなくても凄いですね。愛人にしてください!」とか言われるんだけどなぁ。残念。

 

 そういえば黒姫は聖魔法が使えるんだから自分にヒールかければいいじゃんって言ったら、素人魔法は危険だって言い返された。ユーゴの件で学習したんだそうだ。

 あ、ちなみにユーゴは「そういうアトラクションだと思えば平気」と、ケロッとしてた。さすがは勇者だ。

 

 

 

 遅めの夕食は、最初に食べた1階の部屋を使った。

 その時と同じメンバーに加えてルシールとセザンヌさんもいる。正式にはジルベールやクレメントさんたちお付きの人は一緒に食べないらしいんだけど、アンブロシスさんの意向で内輪で食べる時は同席することにしているそうだ。食事は大勢で食べる方がおいしいんだとか。いいお爺さんである。

 

 テーブルを囲む人数が多ければそれを給仕するメイドの数も多い。10人程のメイドさんたちが忙しなく歩き回ってる。

 その中にペネロペの姿は無い。

 

「あれ、ペネロペは?」

 

 左隣に座っている黒姫が目敏く気づいて聞いてきた。

 

「なんか用事があるって昼もいなかったけど、どうしたんだろ?」

「高妻くん、変なことして嫌われたんじゃないの?」

「えっ、べ、別に変なことなんてしてないけど……」

 

 ちょっと見られたり見たりしたくらいだよな。あ、パンか。パンを冒涜したからか。

 

「怪しい。私たちがいない間に何したのよ。あ、もしかしてあれ? 夜のなんとか」

「してないしてない」

「……悪いけど、もっと離れてもらえる?」

 

 黒姫が他人の顔ですすっと上体をそむける。

 

「だからやってないって。そんなことより、王様との謁見はどうだった?」

 

 ステレススキル『話題変え』を使う。

 

「うーん。謁見なんて言うから緊張してたんだけど、意外にあっさり終わったわよ」

「でも、『属性の石板』を試したら、みんなすっごく驚いてた」

 

 俺を挟んで座っているユーゴも加わってきた。

 あー。あれやったのか。確かに、勇者と聖女のデモンストレーションにはもってこいだろうな。

 

「それで、王様ってどんな人だった? フランソワ3世だっけ?」

「四十代くらいかなぁ。けっこう背が高くて、髪は黒でパーマがかかってた。あと、眼の色がルシールみたいな色だった」

 

 どんな色だっけとルシールの方を見ると、さっと目を伏せられた。

 はて? なんか嫌われるようなことでもしたかな? 

 

 訝しく思っている横から黒姫が話しを続ける。

 

「王様って偉そうにふんぞり返ってるのかなって思ってたけど、全然違ったわね」

「うん。王様ちょっと高い所に座ってたんだけど、僕たちの前まで来て頭を下げてお願いするんだよ。びっくりした。周りにいた人たちも慌てちゃって」

「悪い人ではなさそうね。むしろ、ちゃんと国とか国民のことを考えてるんだなって思った」

 

 ふーん。まぁ、黒姫がそう言うならいい王様なんだろうな。

 

「それよりも、ねぇ聞いてよ。ダンボワーズ城ってすっごくいい所なのよ」

 

 黒姫がぺしぺしと俺の肩を叩いてくる。離れて欲しいんじゃなかったのか。いいけど。

 

「大きな川の傍にあるんだけど、ちょっと高い丘の上にあるからすっごく眺めがいいの。こう、川を見下ろす感じで。あと、町も大きくて賑やかだし、時間があったらお買い物したかったなぁ」

「建物も道路も綺麗に整備されてて、さすが王都だっただけのことはあるよね」

「そういえば、今の王都ってどんなところかな?」

 

 ソフィーたちがいた所でペネロペの実家がある所だ。ちょっと興味がある。

 

「王都パルリはアルセーヌという川を中心にしたとても大きな街で、その川の中州に王宮が立てられているのです」

 

 会話を聞いていたのか、クレメントさんが教えてくれた。

 パルリ……アルセーヌ……中州……うっ、頭が。

 いや、頭は特に痛くないけど、なーんか聞いたことがあるようなないような。

 

「ちょうど40年前の前王フランソワ2世の時にダンボワーズから遷都したんです」

「王様、いつもはそこにいるんだよね」

「馬車で4日だっけ? 往復8日かぁ。私たちに会うためにわざわざ来てくれたのよねぇ」

 

 黒姫が感心したように言うと、一瞬誰かの何か言いたげな気配が感じられた。けれど、それが言葉になることはなかった。

 気にしてもしょうがないので、会話を続けることにする。

 

「まぁ、それだけ期待されてるってことだろ」

「うーん。やっぱりそうなのかしら……」

 

 王様に会って、黒姫の気持ちはドラゴン討伐に少し傾いたように見える。国民を守りたいっていう国王に共感したのだろう。

 まぁ。まだ時間はありそうだ。じっくり考えればいいさ。

 まずは、明日から本格的に入る魔法の訓練だな。俺、関係ないけど。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 次の日の朝。

 ペネロペは父親が急病で実家に帰らなければならなくなったと、フローレンスから聞かされた。たぶんもう戻ってこないだろうとも。

 お父さんが急病っていうなら仕方ないけど、あの愛嬌のある丸顔をもう見れないのかと思うと、なんかこう、ちょっとアレが、こう……。

 

 



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第10話 訓練開始

ようやく物語が動き始めます。


俺のやるせない気持ちは置いといて、今日から魔法実技の講習が始まった。一応俺もついていくことにした。暇なので。

場所は、昨日衛士たちが訓練をしていた広場の手前側、芝生のような緑が多めの所。広場の向こうでは今日も数人の衛士が訓練をしている。

 

「何から練習するのかな?」

「んー。やっぱり魔法使いになったからには、箒で飛びたいわね」

「箒で飛ぶ?」

 

 ちょっと浮かれぎみな黒姫に、ルシールが怪訝そうに聞いた。

 

「箒にこう跨って飛ぶんだけど……しないの?」

「しませんよ。箒にまたがるなんてはしたないですね、マイは」

「わ、私もしないわよ!」

「そもそも飛ぶ魔法などというのは物語の中にしかありませんから」

 

 セザンヌさんが冷ややかに言い切った。

 

「無いんだ。空を飛ぶ魔法」

「風魔法と凧を使って空を飛んだ話は聞いたことがありますよ」

「あー、あのレアルザス戦役の話? あれ、結構落ちて死んじゃったらしいですね」

 

 クレメントさんとイザベルさんが物騒なことを言っている。

 

「空を飛べれば便利になりますからね、夢みたいな話ですが」

「ここでもずっと前から研究しているそうですけれど、空を飛ぶ術式はまだ創れていません」

 

 空を飛ぶ方法かぁ。飛行機? ハングライダー? いや、パラグライダーか? それとも鳥人間コンテスト? うーん……。やっぱりその手の知識が無い。進学校に通ってても、こういう場面で役に立つ知識なんて全然持ってない。ほんと使えない。

 

「そういえば、ドラゴンって空を飛んでるんだよね? どうやって飛んでるのかなぁ」

 

 肩を落とす俺の横で、何気にユーゴが呟いた。

この世界のドラゴンが実際にどういう姿をしているのか知らないが、よくある西洋風のドラゴンなら翼があったはずだ。けど、物理的にそれを羽ばたかせて飛べるとは思えない。風魔法? いや、重力制御系か? どっちにしろ、魔法を使わなきゃ飛べそうにないな。

 

「私も詳しくは知りません。ですが、王都に行けばドラゴンに関して書いた書物がいくつかあるはずです」

 

クレメントさんはそう言ってドラゴンの話を打ち切り、俺たちの前に立った。

 

「まずは、魔力を流す感覚をつかむためにランプを点けてみましょう」

 

 助手役のイザベルさんが台の上にランプを置く。

 

「では、ユーゴ殿から。指先でランプに触れてそこに意識を集めてみてください」

 

言われるままにユーゴが左手でランプに触れて目を閉じる。その指先からバッと陽炎のようなものが溢れた途端、

 

パンっ!

 

 眩しい閃光とともにランプが粉々に砕けた。中にあった魔法石が光の欠片になって零れ落ちる。

 

「大丈夫ですか、ユーゴ!」

 

 脇で見ていたルシールが慌てて駆け寄り、ユーゴの左手を取る。

 

「う、うん。ちょっと触っただけなんだけど」

「たいへん。血が出ています」

 

 砕けた破片が当たったのか、ユーゴの手のひらから血が流れていた。ルシールはユーゴの手を包むように自分の手を重ねる。なんか羨ましい。

 

「この者に癒しを」

 

 すると、重ねた手の間が淡く光り始めた。

 数秒後、離した手のひらを見て「凄い。治ってる」とユーゴが感動していた。そしてクレメントさんに向かって頭を下げる。

 

「すみません。壊しちゃって」

 

「いえ、構いませんよ」

「ユーゴ殿の魔力が大きすぎるんですかねぇ」

 

 イザベルさんが呆れ混じりに言って、もう1台ランプを取り出した。

 

「今度は私がやってみるね」

 

 黒姫がランプに触る。眼を閉じてふーっと息を吐く。すると黒姫の手から出た陽炎がランプに吸い込まれて行ってすぐにパッと明かりが灯った。

 

「やった!」

 

黒姫は嬉しそうに顔を輝かせた。

 次にもう一度ユーゴがチャレンジしたけど、やっぱりランプは目も眩むほどの光を発して砕け散った。

 

「一応魔力は流せていますから」

 

 恐縮するユーゴをクレメントさんが宥めて次の課程に進むことになった。

 

「次は『火の魔法石』ですが……」

 

 クレメントさんはイザベルさんから手のひらに握り込めるほどの赤い石を受け取り、左手でつまむように持った。

 

「今度は指先を当てた後、魔法石の中に入っている火を取り出すように想像してください。成功すれば指先に火がつきますが、熱くないので慌てないで」

「私でもできるんですか?」

 

 聖属性の黒姫が不安げに問う。

 

「属性が無くても貴族なら誰でもできますよ」

「だといいけど」

「大丈夫。マイならできます」

 

そう言ってルシールは微笑むと、黒姫も頷いて応える。

 

「ユーゴ殿は火を取り出すことよりも、指先に小さな火をつけることに集中して想像してみてください」

 

 ユーゴは「うん」と頷いて、慎重に『火の魔法石』に指を伸ばしていく。そして、魔法石に触れるか触れないかというところで、彼の指先に小さな火が付いた。それも一瞬、ボウゥゥゥっと火炎放射のように炎が伸びる。

 

「わわわっ」

「ユーゴ殿、落ち着いて!」

 

 クレメントさんが水の魔法で対応しようとするけど、ユーゴの火炎放射にもうもうと湯気を上げる。

 

「ついた!」

 

 慌てるユーゴたちをよそに、黒姫が得意げに火のついた指さきを俺に掲げて見せた。よかったな。

 

その後もそんな調子で、『水の魔法石』を使えば壊れた噴水のように水を噴き上げたり、地面に触れば縦横無尽にモグラが作ったような盛り土を走らせたりして、遠くで見物していた衛士たちを呆れさせるほどユーゴの魔法は暴走するばかりだった。

 

一方で、黒姫は聖魔法だけではなく普通に他の属性魔法も使えるのがわかって嬉しいのか、嬉々として魔法石から水を飛ばしたり土ボコを作ったりして、これまた衛士たちの目を丸くさせていた。

 その様子を見ていたクレメントさんが首を捻っていたので聞いてみると、

 

「いや、マイ殿がこれほど他の属性魔法を使えるとは思っていなかったので」

 

 と、返ってきた。

 

「それっておかしいんですか?」

「前の聖女様は聖魔法しか使えなかったと聞いていましたから」

「そうですね。私も聖魔法以外は使えると言える程のことはできませんし」

 

 ルシールも同意する。

 

「まぁ、黒姫だからなぁ」

「マイ殿もレンには言われたくないでしょうね」

 

 適当に言うと、スザンヌさんに呆れられた。

 

「……レン殿もやってみますか」

 

 ちょっと羨ましそうに二人を見ていたらイザベルさんがそんなことを言ってきた。

 

「……ま、やるだけやってみますけど」

 

 イザベルさんから赤い魔法石を受け取って指先を当てる。やっぱり何も起きない。……ん?

 赤い魔法石を持った左手と当てた右手の指先から暖かいものが伝わってくるような気がするけど……。まぁ、『火の魔法石』なんだから当たり前か。

 

 

 

 昼食をはさんで訓練は続く。

 黒姫は今度はルシールについて聖魔法の訓練をするそうだ。広場で訓練している衛士たちが怪我をしたらそれを治すのだと言う。いきなり実践的な訓練だが、黒姫はユーゴと違って十分魔力を制御できているので大丈夫とのこと。

 

 俺は、美少女二人を愛でていようかとも思ったけど、スザンヌさんのジト目が恐いのでユーゴの面白魔法の方を見学することにした。

 

 ユーゴはまだ魔力のコントロールに苦労しているみたいだった。

 今は土の壁を作る魔法のようだが、ここの城壁よりも高い壁がぽんぽんできては崩れていくのだ。

ユーゴの手から伸びる魔力のエフェクトが土を捉えて、ぐんっと上に向きを変えて壁を作るんだけど、それがどこまでも高く上昇していくもんだから、土の方がついていけずに下からどんどん崩れてしまう。ぶっちゃけ、土を上に放り投げてるだけだな、こりゃ。

 

土魔法の訓練が終わる頃には、広場にはいくつもの土山ができているという惨憺たる光景になっていた。誰が均すんだ、これ。

と思ってたら、クレメントさんが魔法でちまちまと均し始めた。ご苦労様です。

 

 ユーゴはしばらく休憩のようなので、黒姫でもからかってこようかと土山を避けるように広場の端を通って様子を見にいく。

すると、黒姫の前に衛士の列ができていた。

 

 何やってんだ?

 

 列の先頭の衛士が黒姫の前に跪き、恭しく頭を下げて左手を差し出した。手のひらを向けられた黒姫は困った顔をしながらも、その手に両手をかざす。すぐに金色のシャワーのようなものが黒姫の手から衛士にかけられた。でも、その勢いが強すぎて衛士の左手どころか体中にかかっている。そして、黒姫から黄金水を浴びせられたその衛士は、全身を金色に染めながら感に堪えぬという表情を浮かべていた。何だこの絵面は……。

 

「おおっ。左手の傷どころか膝まで治っている!」

 

 儀式?を終えた衛士はその場で屈伸をしだした。そのままうさぎ跳びまでしそうな勢いだ。

 

「あの昔やった膝の怪我がか?」

「やはりそうか。よ、よし。次は私めに。聖女様、どうかこの右頬の擦り傷をお治しください」

 

 次に並んでいた衛士がそう言って跪き右頬を向けた。黒姫がその衛士に向けて黄金水をかける。

 

「何やってるんスか?」

 

 傍らで見守るように立っていたルシールとスザンヌさん、イザベルさんに聞く。

 

「マイの聖魔法の訓練のために衛士たちに協力してもらっているんです」

「馬鹿どもがマイ殿に治してもらおうとわざわざ傷を作って並んでいるのです」

 

 どうやらスザンヌさんの方が正鵠を射ているようだ、

 

「ただ、マイ殿が魔法をかけると、今作った傷どころか今まで治らなかった怪我まで治ってしまい、その上全身に活力が漲るとわかって、このように順番を待つ列ができているという次第です」

 

 イザベルさんは呆れてため息を吐いているが、ルシールは嬉しそうだ。

 

「やはり、マイの魔力は桁外れですね」

「桁外れかどうかはわからんけど、確かに過剰投与ですよね、あんなにぶっかけちゃ」

「……はい?」

「過剰投与?」

「何をぶっかけるんですか?」

 

 三人がきょとんとする。

 

「え、ほら、黒姫さんが衛士に向かって黄金水をかけてやってるじゃないですか。で、衛士も全身黒姫さんの黄金水まみれになって恍惚と、おわっ」

 

 黒姫がいきなりグーで殴りかかってきた。

 

「ちょっと、変なこと言わないでよ! 誰が黄金水かけてるって? あの人たちはどうか知らないけど、私にそんな趣味ないわよ!」

「落ち着け。黒姫さんの言う黄金水の意味はうすうすわかるが、今はそういう意味で言ってるんじゃない。だから、落ち着け」

 

 どうして黒姫がそっちの黄金水を知ってるのか凄く気になるけど、とてもそれを聞ける雰囲気じゃない。

 

「マイ殿、落ち着いてくだい」

 

 イザベルさんが黒姫の肩を抑える。スザンヌさんも横に来て黒姫を宥める。

 

「今はレンの言っている黄金水というものが何なのかを問いただす必要があるのです」

「ええーっ。それを聞くの? え、ちょっとやめて。私、違うからね、本当に」

 

 黒姫が顔を赤らめて抵抗する。

 

「だから、そういう意味じゃないって言ってるだろ。黒姫さんからシャワーみたいに出てたんだよ。金色の水みたいなのが」

 

 もう一度殴りかかろうとする黒姫を抑えるのをイザベルさんとスザンヌさんに任せて、ルシールが聞いてくる。

 

「それはどういう?」

「言葉のままですけど。ていうか、黒姫さんよ。聖女様がそんな凶暴でいいのか?」

 

 衛士たちを指さして言ってやった。

 

「今度の聖女様は頼もしいな」

「あの聖女様はいいぞ」

「聖女様なのに前衛向きとか……。尊い」

 

 衛士たちは口々に訝しん……ではいないな。大丈夫か、この人たち。

 黒姫は、コホンと咳払いをして澄まし顔になっていた。

 

「それで、レンの言っている黄金水と言うのは何のことですか?」

「えっと、見たとおり彼女の手から出てる聖魔法のエフェクトのことですよ?」

「えふぇくと? スザンヌはわかりますか?」

「さぁ、皆目わかりません」

「レン殿はちょくちょくわけのわからないことを言い出すと小間使いの間では評判ですから」

 

 どんな評判だよ。「レン様って魔力は無いけどイケてるね」じゃないの?

 

「え? みなさんが魔法を使う時に見えるじゃないですか。こう、指先から陽炎みたいなゆらゆらしたやつが出て」

「何言ってるんですか? 夢でも見てるんですか?」

 

 半眼で言い放つスザンヌさんを手で制してルシールが真剣な顔になる。

 

「もしかして、レンには見えているのですか? 魔法が」

「そうですけど……。え、みんなには見えてないの? あれ」

「はい……」

「さっき、ルシールがユーゴの手の傷を治した時に手が光ってたのも?」

「全然……」

「ユーゴが魔法を暴走させてる時の、普通より濃い陽炎も?」

「さっぱりです……」

「うそ……」

 

 え、普通にそういうもんだと思ってた……。

 

「あの、他にも見えたりするんですか?」

 

 黙り込んだ俺を気遣いながらもルシールが聞いてくる。

 

「ええと、最初にポルトさんが魔法を見せてくれた時も、ジルベールがランプを魔法で点けて顰蹙をかってた時も指先から陽炎みたいなのが伸びていくのが見えました。スザンヌさんがルシールにかかったジュースを取り去った時もです。あと、昨日ここで衛士の人たちが訓練してる時に身体強化魔法で体に虹色の光の幕を纏ったり、魔力を乗せた剣が光ったりしてたけど……」

 

 ルシールは衛士たちに向き直る。

 

「誰かそういう光を見たことがある者はいますか?」

 

 問われた衛士たちはお互いに顔を見合わせた。

 

「確かに、訓練中に身体強化魔法を使ったり剣に魔力を乗せたりすることもありますが、それが目に見えるなんてことは聞いたことがありません」

 

 代表して一人が答えると、ルシールもスザンヌさんも難しい顔になる。

 

「マイ、申し訳ないけれど訓練はこれで終わりにしましょう。イザベル、ルメール殿にもそう伝えてください」

「かしこまりました」

 

 イザベルさんが走り去ると、ルシールは俺たちに向き直った。

 

「アンブロシス様に相談してみましょう」

 

 歩き出そうとする俺たちに衛士の一人が「あのぅ……」と恐る恐る声をかける。

 

「何か?」

「私どもはまだ聖女様に黄金水をかけていただいていないのですが……」

「何卒、聖女様の黄金水を我らに」

 

 ほんとに大丈夫か、こいつら。

 



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第11話 秘めたる力(秘めてはいない)

 ルシールがアンブロシスさんに至急の面会を申し出て、ようやく会えたのは夕食の少し前だった。

 場所は1階のいつもの食堂兼会議室。

 ルシールから事のあらましを聞いたアンブロシスさんは、じっと俺を見つめた。いや、爺さんに見つめられてもちっとも嬉しくないんだが。

 

「レン殿、これが見えますかな」

 

 アンブロシスさんはおもむろに右手を少し挙げた。

 え、何? 普通に見えるけど……。

 

「はぁ、見えますけど」

 

 首を捻りながら答える。

 

「では、こちらは?」

 

 今度は左手を挙げる。

 あ、その指先に魔法が揺らめいている。そういうことか。

 

「魔法が揺らめいて見えます」

「うむ。ルシールの報告のとおりじゃな。確かにレン殿は魔法が見えるようじゃ」

「それは勇者様や聖女様と同じ世界の人だからでしょうか?」

「それは何とも言えん。今までの勇者や聖女で魔法が見えた者がいたという記録はないからのぅ」

 

 勢い込んで問うルシールにアンブロシスさんは落ち着いた声で答えた。

 

「それにレン殿に魔力が無いということも気にかかる」

 

 アンブロシスさんはあごひげを撫でつけ思案する。

 

「ふむ。そうじゃな、レン殿のことはシュテフィに任せようと思う」

「え、シュテフィール・ベルクマンにですか!」

 

 いつも穏やかなクレメントさんがガタっと椅子を鳴らして立ち上がった。

 

「ここで彼女ほど魔力のこと、魔素のことを研究しておる者はおらんよ」

「しかし、あいつは魔物の魔石を使うような研究をしているんですよ」

「研究のためならば別に悪いことではなかろう」

「それに変人で独善的で秘密主義で」

「彼女には褒め言葉じゃろうな」

「ですが──」

「クレメント」

「……申し訳ありません。出過ぎたことを言いました」

 

 アンブロシスさんの重い声にクレメントさんは姿勢を正した。そして、自分を落ち着かせるようにふぅーっと大きく息を吐いて腰をおろす。

 なんかとんでもない人みたいなんだけど。シュテフィール・ベルクマン。

 

「まあ、レン殿は変わっておるからの。その相手をするのも変わった者の方がよかろうて」

 

 「よかろうて」じゃねーよ、爺さん。先が不安でしょうがない。

 まぁ、俺に特別な力……かどうかはわからんけど、無為な日々を送らずにすみそうな何かがあるならなによりだ。暇だったし……。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 その夜、ペネロペの代わりにジゼルという子が来た。明るい茶色の髪を後ろで二つにまとめたペレロペよりは年上に見える子だ。澄ました顔をしているが、俺のことをちらちらと盗み見ている。俺たちが勇者御一行ということはもう広まってるんだろうな。俺が勇者じゃないことも魔力が無いことも。

 彼女は無難に仕事をこなし、『夜のお手伝い』を申し出ることもなく退室していった。

 ま、俺、勇者じゃないし、そういう待遇の対象じゃなくなったんだろう。ぜんぜん残念なんかじゃないんだからねっ。

 

 次の日の朝は、別の子が起こしに来た。またしても注目されている。

 何、俺の小間使いってちょっとしたブームになってるの? まさかの罰ゲーム? 

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 さて、噂のシュテフィ―ル・ベルクマンさんがやってきた。

 着崩した青いローブをなびかせてさっそうと歩いてくる背の高い金髪の女性がそうだろう。彫りの深い顔に青い眼、高い鼻。二十代半ばと思われる美人さんだ。

 

「初めまして。シュテフィール・ベルクマンです。シュテフィと呼んでください」

 

 彼女は爽やかな笑顔で自己紹介した。

 

「こちらこそ初めまして。レン・タカツマです。俺のこともレンと呼んでください」

「じゃあ、レン。さっそくだけど──」

「おい、シュテフィール・ベルクマン」

 

 シュテフィさんの言葉をクレメントさんが遮る。

 

「おや、クレメントじゃないか。内務省の俊英さんがいつこっちに来てたんだい?」

「ルシール様に挨拶をしろ。失礼だろう」

 

 クレメントさんはシュテフィさんの問いには答えず、強い口調で窘めた。

 

「ああ、ルシール様。おはようございます」

「おはよう。シュテフィ」

「それから! 勇者様と聖女様もいらっしゃるんだぞ!」

 

 挨拶もそこそこに俺の手を引いていこうとするシュテフィさんをクレメントさんが押し止める。

 

「勇者? 聖女? ……ああ。『ドラゴンを呼ぶ星』が現れて召喚の儀をしたのか。そういうことはもっと早く言って欲しいな、クレメント」

「シュテフィール・ベルクマン!」

「シュテフィ。大事なお客様の前で失礼ですよ。ちゃんと挨拶をしてください」

 

 ルシールに言われて、シュテフィさんはやっとユーゴたちの存在に気づいたようだ。「失礼しました」と姿勢を正す。

 

「シュテフィール・ベルクマンと申します。以後、お見知り置きください」

 

 と貴族の礼を執った。

 ユーゴたちも名乗り返したけど、あれ絶対聞いてないな。終わるやいなや、「もういいでしょ?」という顔でルシールを見ている。

 

「はぁ……。わかりました。ではレンのことをよろしくお願いします」

「煮るなり焼くなり食べるなり、好きにしてもらってかまいませんので」

 

 さりげなく物騒なこと言うのやめてください、スザンヌさん。シュテフィさんも「いいの?」みたいな顔しないで。

 俺のジト目に気づいたシュテフィさんがニカっと笑う。

 

「安心して、レン。今日は君を観察するだけだよ。いくつか情報はもらったけど、私自身の眼で君を見てみたいからね。途中でいろいろ質問するかもしれないけど、君はいつもどおりにしてくれればいいから」

「はぁ」

 

 それからシュテフィさんは、宣言通りずっと俺の後について回って、魔法の訓練をするユーゴや黒姫を見学している俺に、あれはどう見えるのかとかこれはどう見えるのかと、一つ一つ確認しては紙の束にメモを取っていた。

 それには飽き足らず、クレメントさんやイザベルさん、果てはその辺を通りかかった魔法士や衛士たちまでも巻き込んで魔法を使わせ、人によって何か違いがあるかと聞いてくる始末だ。

 クレメントさんが心配していたことの一端を垣間見た思いだ。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 昼からの訓練が一段落したところで、シュテフィさんが聞いてきた。

 

「レンが魔法を見ることができるのは間違いないね。魔力の大小はわかるけれど、属性や人による違いまではわからないことも確認できた。それで、レン。他に何かそれらしいことはない? 目で見える以外に魔法を感じるようなことが」

「うーん……。あ、昨日『火の魔法石』を触ったら、ちょっとあったかい感じがしたんですけど」

「あったかい?」

「ええ。なんか炎みたいな……」

「それは面白い!」

 

 言うなり、シュテフィさんはだっと建物の方へ走り去った。そして、皮袋と木のテーブルと椅子を持った魔法士たちを引き連れて戻ってきた。

 魔法士たちはシュテフィさんに言われるままに、芝生の上にテーブルと椅子を置くと、「なんで俺たちが」と小声で文句を言いながら戻っていった。なんかすいません。

 

「何が始まるの?」

 

 別の場所でお茶を飲んで休憩していた黒姫たちが興味深そうに近寄ってくる。それを歓迎するようにシュテフィさんは両腕を広げた。

 

「ようこそおいでくださいました、ご令嬢方。只今より、レンがその不思議な力を使って魔法石の種類を当てて御覧に入れます。さあさあ、どうぞどうぞ」

「え、何、おもしろそう。ねぇ、ルシール。ちょっと見てみようよ」

「はい、いいですよ。マイ」

 

 ご主人様がそういえば、お付きの人も従うしかない。イザベルさんとセザンヌさんもテーブルを囲む。

 ちなみに、ユーゴはさっさとクレメントさんに連れられて訓練に戻っていた。

 

 で、現在、俺は目隠しをされて椅子に座っているわけだが……。

 そのまま、両手の手のひらを上にしてテーブルの上に置くように言われた。

 その片方に小さい石のようなものが乗る。

 

「これは何の魔法石かわかる?」

 

 すぐに手のひらから炎のイメージが伝わってきた。

 

「えっと、……炎のイメージだから……『火の魔法石』」

「当たってる」

「ヤラセじゃないの?」

 

 素直に驚くイザベルさんの声と疑い深そうな黒姫の声が聞こえる。

 

「では、みなさんに魔法石を選んでもらおうか」

 

 シュテフィさんが言うと、みんなの楽し気な声と共に次々と魔法石が乗せられた。炎や水、風それに太陽のイメージを感じたままに答えていく。

 

「全部当たってますね」

「何でわかるの?」

「キモっ」

 

 おい、黒姫だろ。キモって言ったの。耳は聞こえてるんだからな! 

 

「では」

 

 と、次に乗せられた石からは今までとは違ったものが頭に浮かんだ。それは物じゃなくてメッセージみたいな……。

 

「えっと……この魔法陣に魔力を流すとこの魔法石に込められた魔力を使って魔力の壁が生成される?」

「まさか!」

 

 スザンヌさんの驚く声が聞こえた。

 

「これは私が常に身に着けている魔力障壁を発動させる陣を組み込んだ魔法石です。貴重なものでそうそう出回ってはいないはずのものなのですが……」

「それにレンたちにはまだ術式魔法のことは教えていません」

「どういうことでしょう?」

「やっぱりキモい」

 

 そこでふと、声が途切れた。もちろん耳が聞こえなくなったわけじゃない。遠くでユーゴが魔法を暴走させている音がしている。

 

「では、これは何かな?」

 

 シュテフィさんの声がして、右の手のひらにちょんと何かが触れる。

 

「感じたままを言ってみて」

 

 促されるままに伝わってくるイメージを口にする。

 

「ええと、池? 湖かな? なんか水がある。すっごく透明で底がはっきり見える。あ、でもこれかなり深い。それにこの水、あったかくて優しい水だ。あと、なんていうか、ちょっと懐かしい感じがする……」

「そ、そうですか」

 

 ルシールの戸惑うような声がした。

 目隠しを取ると、頬を染めたルシールが俺の手のひらに中指の先を乗せていた。

 

「ほう。それがルシール様の魔力ですか。深く透き通るほど透明であったかく優しいと。なるほど」

 

 スザンヌさんがうんうんと感慨深げに頷いた。

 ルシールも控えめな微笑みを俺に向ける。

 

「懐かしい感じがするのは、レンと同じニホン人だったサクラお婆さまの血のせいでしょうか」

 

 そう言われると、なんか親近感が湧くな。

 

「じゃあ、次は触らないで感じられるかやってみよう。ルシールを見て感じたことを言ってみて。あ、綺麗とか可愛いとかは無しで」

 

 ルシールを見るとなんかもじもじして目を伏せている。ちょうどよかった。眼が合ったらやりにくかった。

 それでも顔をじっと見るなんてできないので、なんとなく全体を見るように意識した。

 そして、感じた。

 

「……重い」

 

 スパァァァーン! 

 

 いきなり後頭部をはたかれた。

 

「あんた、女子に向かってなんてこと言うのよ!」

 

 黒姫だった。

 

「セザンヌ。私、最近食べ過ぎてますか?」

「いいえ。ルシール様は女性らしいお身体を保っておられますよ」

 

 どうやらスナイスバディの持ち主らしい若干涙目のルシールを慰めていたスザンヌさんが、射殺すような眼を俺に向ける。

 

「あなたを少しでも見直した私が愚かでした。ルシール様が一番気になさっておられることを口にしたあなたは万死に値します。覚悟はいいですね?」

「いや、待って。ちょっと待って。俺が重いって言ったのはルシールが気にしている体重のことじゃないんですよ」

「き、気にしてません。私、気にしてなんかいませんよ! ううっ……」

「レン……」

 

 スザンヌさんの眼が本気だ。ヤバすぎる……。

 そこにパンパンと大きく手を鳴らす音が割って入った。

 

「話を本題に戻させてもらうよ。レン、説明して」

 

 助かった。命の恩人です、シュテフィさん。

 

「あの、ちょっと言葉ではうまく表せないんですけど、こうドーンとしてるって言うか存在感があるって言うか」

 

 ルシールは魂が抜けたような顔になり、セザンヌさんの瞳に殺意が宿る。

 

「まだちょっと曖昧だな。じゃあ、他の人はどう感じる?」

 

 そうシュテフィさんが言うと、みんなに緊張が走った。黒姫なんか露骨に「こっち見ないでよ、変態」と椅子を盾にする。

 ああもう、どうとでもなれ。感じたまま言ってやる!

 

「ええと、この中ではシュテフィさんが一番軽いです。次がイザベルさんで、セザンヌさん、ルシール。あ、黒姫さんはめっちゃ重、おわっ」

 

 黒姫のグーパンチを間一髪でかわす。

 

「殺す! 絶対殺す!」

「おまっ、聖女にあるまじき言動だぞ」

「マイ、落ち着いて」

 

 自分より重い人がいて安心したのか、復活したルシールが間に入ってくれた。

 

「なるほど。まだ断言はできないけど、レンが感じているのは魔力量のようだな」

「魔力量、ですか?」

「そう。もし体重なら私が一番重いはずだろう? それにルシールや聖女が重く感じる説明もつく」

「確かにそうですけど……」

「まぁ、レンの感じている重さが実際の体重と無関係ということは間違いないよ」

 

 シュテフィさんの説明に、みんなは安堵の表情を浮かべる。

 良かった。これでみんなから嫌われずに済みそうだ。

 それにしても、その人の魔力量を感じられるなんてなぁ。

 そういえば、前にメイドの子たちがアンブロシスさんたちと違った印象を受けたのも、彼女たちが平民で魔力が少ないからだったのかもな。

 

「うん、実におもしろい。レンは魔力を感じ取れるんだな」

「どうしてレンはそんなことができるのでしょうか」

 

 ルシールがこの場の全員の疑問を代表するように尋ねた。

 

「それはまだ不明だな。けれど、それは逆に『なぜ我々は魔力を感じ取れないのか』ということでもあるんだ。ふふっ。これは全く解きがいのある設問だよ」

 

 彼女はそう言ってとても楽しそうに笑った。

 



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第12話 月

 ユーゴの元気がない。

 理由は明白だ。未だ魔法をうまく操れていないからだ。

 今日も、火魔法で建物を燃やしかけ、水魔法でその建物を水浸しにし、風魔法で建物を全壊にして、土魔法でその残骸を不気味なオブジェに変えていた。

 

「魔力量は呆れるくらいにあるんだけどな」

「そうよねぇ」

 

 ユーゴをフォローし隊に黒姫も加わってくる。

 

「白馬くんの魔法を見てた衛士さんたちも『こんな大規模な土魔法は見たことがない』『あんなに大量の土砂が降ってきたらどんな魔物でも一発でぺしゃんこだ』『これがほんとの土砂降りだ』って言ってたわよ」

 

 誰が小話を言えと。山田くん、座布団1枚持ってきて! 

 

「でも、どんなに大きな魔力を持っていてもコントロールできなきゃクソだってルシールが言ってたし」

 

 いや、そんな言い方してなかったぞ。なんか、ユーゴがやさぐれ始めてる。

 

「そういえば、レンは魔法が見えるんだよね。僕の魔法はどういうふうに見えた?」

「えーと、普通の魔法は陽炎みたいにゆらゆらしたものが見えるんだけど、ユーゴのはなんか水が凄い勢いでバァーって出てる感じ」

「やっぱり、魔力量が多すぎるのかな。はぁ……」

 

 ため息を吐いた後、ふと黒姫を見上げる。

 

「黒姫さんも魔力量は多いのに上手にコントロールできてるんだよね?」

「ど、どうかなぁ。自分じゃよくわからないけど」

「参考までに、黒姫さんのはどんなふうに見えるか教えてくれる?」

「ああ。黒姫さんは黄ぐぉんむむむ」

 

 黒姫が大慌てで俺の口を塞いだ。おかげで彼女の手にキスする羽目になってしまったが、当人は気にしていないみたいなので俺も気にしない気にしない……。

 

「ねぇ、高妻くん。何かいい方法はないの?」

 

 そして笑顔で聞いてくる。って、眼が笑ってねぇ。

 

「そ、そうだなぁ。とある魔法の本に、座禅を組んで体の中で魔力を動かす訓練を続けると魔力操作が上達するって書いてあったな」

「魔力を動かすかぁ……。うん、やってみるよ」

 

 そう口にするものの、ユーゴは今一つピンときていないみたいだ。

 

 勇者とはいえ、日本では普通の高校生だったユーゴにとっては魔法なんて興味も関心もない世界だったはずだ。それが今現実になり、慣れない魔法に戸惑っている。しかも膨大な魔力を扱いきれずに振り回されている状態だ。うーん……。

 

「ユーゴにとってはさ、風も火も水も土も金属も、それを自分の思い通りに操ることなんて今までなかっただろ?」

「うん、もちろん。だって、そんなこと普通ありえないし」

 

 ユーゴの言葉に黒姫が小首を傾げる。

 

「うーん。でも、土や金属ならあるんじゃない? ほら、陶芸家とか芸術家とかなら。イメージだけじゃなくて手も使ってるけれど、操ってるって感じしない?」

「芸術家かぁ……。そういえば、ユーゴって美術部だったよな。なんかそういうのないのか?」

「僕は人物とか風景とか絵を描くのは得意だったけど、立体はあんまりやったことないから」

 

 黒姫がポンっと両手を合わせる。

 

「あ、じゃあ魔法で絵を描くのは?」

「そんなことできるの?」

「わかんないけど、やってみて損はないんじゃない?」

「そっか。そうだね。うん、やってみるよ」

 

 少しユーゴに元気が戻ったように見えた。

 うまくいくといいな。

 

 

※  ※  ※

 

 

 次の日。

 午前中はガロワ語の文字を習うことになった。

 『言葉の魔法石』のおかげで聞いたり話したりはできるけど、さすがに文字までは無理みたいで読み書きはできない。それではこの先不安だし不便だから文字を覚えたい、と黒姫が言い出して、それならと言うことでルシールが先生を買って出たのだ。テキストは聖女様の絵本(幼児向け)。

 驚いたことに、文字はアルファベットとよく似ていた。なんか角とかしっぽとかついてるけど、ほぼアルファベット。なんだこの設定はとしらけつつも、丸や三角のぐるぐるした見たこともない文字よりもずっとマシ。おかげで親近感があって習得も早くできそうだ。

 あとは、アンブロシスさんからこの世界のこと、地理や歴史、経済、生活規範なんかも教えてもらう。

 

 午後からは魔法の訓練。

 もう見学も飽きてきたので、剣を習ってみようかと思う。ほら、魔法はどうしようもないけど、せめて自分の身は自分で守れるようにしておきたいからね。

 ルシール経由で衛士の人に頼んでもらい、さっそく教えを乞う。

 剣道で使う胴を小さくしたような金属製の胸当てを着けてもらう。思ったより重くて、バランスを取るのに苦労する。それに腕の動きもちょっと制限される感じ。これを着けて動くのは大変だな。

 あと、籠手。西洋の甲冑とかでよく見る指先まで金属の覆いがあるやつじゃなくて、革の手袋に手の甲と手首付近だけ金属のプレートがついたヤツだ。それとオープンフェイスタイプの兜。これもそこそこ重い。

 

 全くの素人なので、最初は木でできた剣を使う。

 ビュッビュッと見よう見まねの剣道の素振りみたいなのをしてみたら、違うと言われた。なんか、もっと踏み込んで腰の回転を使うようだ。

 その後もいくつか型を練習したけど、もう腕がパンパン。ちょっと前までバスケをやってたから体力に自信はあったけど、この2か月で鈍ったのか体が悲鳴を上げている。こりゃあ、基礎体力からやり直しだな。

 あと、せっかくなので実剣、鉄でできた剣を持たせてもらった。……思ったよりも重い。鉄の塊だよ、これ。こんなもんよく振り回してるな。要身体強化魔法なレベル。

 後は、もう剣は振れなかったので、広場の隅でランニングしたりストレッチしたりユーゴの魔法の暴走を見たりして過ごした。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 夕食の席でクレメントさんから報告があった。

 

「ユーゴ殿とマイ殿のお披露目が決まりました」

「お披露目?」

「国王陛下がお二人を正式に勇者と聖女として認めると王国民に宣言するのです。場所は王都の王宮。夏の日に行われます」

「夏の日? 随分余裕があるんですね」

 

 『夏の日』。日本では夏至にあたる。午前の講義で習ったばっかりだな。

 デュロワール王国の暦は一年を春夏秋冬をそれぞれ半分に分け、『春前の候』『春後の候』『夏前の候』『夏後の候』『秋前の候』『秋後の候』『冬前の候』『冬後の候』と呼んでいる。そして、それぞれの最初の日が『春の始まりの日』『春の日』『夏の始まりの日』『夏の日』『秋の始まりの日』『秋の日』『冬の始まりの日』『冬の日』になる。日本の暦に当てはめると、立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至だ。ほんと、俺たちのいた世界とよく似ていてわかりやすい。

 

 今日は『夏前の候』の16日だから、まだ30日近くある。

 

「辺境にある領地だと連絡を受けて準備をして、それから王都まで来るとなると、結構ぎりぎりの日程なんですよ。それに『夏の日』の祭りに合わせたいというのもあるのでしょう」

 

 デュロワールでは各季節の日に祭りが催される。そこへ勇者と聖女のお披露目を持ってくれば一掃盛り上がるだろう。

 

 「それに」とクレメントさんが付け加える。

 

「ユーゴ殿とマイ殿には貴族としての所作を覚えてもらわねばなりませんからね。そんなに余裕はありませんよ」

「ええっ、どうしてそんなことを?」

「王都では貴族と顔を合わせる機会が多くなりますから、覚えておいて損はないでしょう」

 

 うへぇとなる二人をイザベルさんが更に追い込む。

 

「あと、ダンスは踊れますか? 踊れない? では、それも必須ですね。特にマイ殿は」

「え、私?」

「はい。きっと多くの殿方から申し込まれますよ。なんて羨ましい」

「羨ましくない。全然羨ましくないから。ていうか、お披露目ってダンスまで踊らなきゃいけないものなんですか?」

「いえ、お披露目ではありませんが、貴族が集まるので、そういう催しに招待されることも多いと思いますよ」

「うー、なんか行きたくないんだけど」

 

 黒姫が珍しく情けない声になっている。

 

「そうか? 黒姫さんとかめっちゃダンス似合いそうだけどな。ドレス着たりしてさ」

「他人事だと思って……。ま、まぁ、ドレスは着てみたいけど……」

「では、とびっきりのドレスをご用意いたしますね」

 

 まるで自分のことのように楽しそうにしているイザベルさんを見て、黒姫が諦めのため息を吐いた。

 

「えっと、僕はダンス踊らなくてもいいんですよね?」

 

 ユーゴが願望を込めて聞く。

 

「そうですねぇ。その代わり、ご令嬢方からお茶会のお誘いがあるかもしれません」

「僕、そういうの苦手なんだけど……」

 

 うん。ユーゴもマイも楽しそうでなによりだ。(棒

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 就寝の挨拶をして、メイドさんが退室していった。

 今日も違うメイドさんだったな。もう慣れたけど。

 

 さて、寝るか。

 サイドテーブルの上のランプにカバーをかけた。魔法が使えない俺では消灯できないから、ランプにかぶせる専用のカバーを作ってもらったのだ。

 暗くなった部屋に、窓の外から青白い光が差し込んでいた。眼を向けると、満月を少し過ぎた月が見える。

 

 俺はその違和感にすぐには気づけなかった。それがあまりにも見慣れたものだったから。

 漆黒の夜空に金色の光を放って浮かぶその月は、日本で見る月と同じものだった。

 



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第13話 三人寄れば

 完全に寝不足。あと、筋肉痛。

 

 昨夜見た月のせいで全然寝られなかった。

 あの月は日本で見ていた月と同じだった。

 完全に同じかと言われたら、そこまでしっかりと覚えてないし詳しい知識もないけれど、見た感じ明らかに違っている所もなかったから、同じと思っていいだろう。

 だとしたら、ここは地球だ。

 なるほど、一年が365日なのも一日の長さや季節が同じなのも納得だ。思えば、太陽だって空気だって重力だって何の違和感もなかった。

 

 問題は時代と場所だよな。

 やっぱり中世ヨーロッパなのか? パルリとかアルセーヌとかあるし。でも、微妙に違うし、そもそも普通に魔法とかある時点で俺の知ってる歴史と違うんだよなぁ。

 もしかして、封印された歴史? あるいは、ずっと未来で繰り返される文明? いや、パラレルワールドっていう線もあるな。ファンタジーだと思ってたら、なんだかSFじみてきたぞ。うーん……。

 

「なに朝っぱらからだらけてるのよ」

 

 食堂兼談話室のテーブルにぐでんとうつ伏せていると、黒姫が声をかけてきた。

 

「筋肉痛。昨日の剣の稽古のせいで」

 

 うつ伏せたままそう答えた。

 なんとなく月のことは言えなかった。

 

「はぁ? だらしないわねぇ。……ほら」

 

 肩甲骨のあたりに暖かいものを感じた。そしてすぐに、まるで乾いた砂地に水がしみ込むように、何か金色の粒のようなものが体の隅々に広がっていく。

 なんだ? 

 顔を上げると黒姫が俺の肩に手をかざしていた。

 

「どう? 私の黄金水は」

 

 黄金水(おしっこ)とか、朝っぱらから何言ってんだ、この人は。今のところ俺にそういう趣味はないんだが……。

 

 俺のジトっとした視線に気づいたのだろう。

 

「ごめん、今のなし! 忘れて! お願い!」

 

 我に返った黒姫が耳まで真っ赤になった顔を両手で隠す。

 でも、せっかく自爆してまでボケてくれたんだし、このままスルーするのも悪い。

 

「ああ、これが噂の『聖女様の黄金水』、略して『聖す──」

 

 黒姫がバシバシとかなり本気で叩いてきた。

 いや、これマジで凄い。もう筋肉痛が治ってる。さすが『聖水』。

 

 そこへ眠そうな顔のユーゴがやってきた。

 

「ふあぁ、おはよう。って、何やってるの?」

 

 黒姫は両手をパッと引っ込めて引きつった笑顔で挨拶を返す。

 

「お、おはよう。なんでもないのよ。ええ、ほんとに。それより、なんか眠そうね」

「うん、ちょっと寝不足で」

「え、お前も月見たのか?」

 

 思わず聞いてしまった。

 

「月? ううん。僕はソフィーとちょっと……」

「おはようございます。マイ様、レン様」

 

 言いかけたところへソフィーが朝の挨拶をしてきた。その顔も眠そうだ。

 

「ソフィーも寝不足なんだ」

「はい。昨夜はユーゴ様のお相手をしていて遅くなってしまったので」

 

 は? 

 

「ごめんね。なかなかやめれなくて」

「いいえ。あたしユーゴ様のためなら何回だって平気です」

 

 え、ちょっと。

 

「じゃあ、今夜も頼める?」

「はい、喜んで」

 

 何、朝っぱらから、そんなに明け透けに。

 そんなに大人の階段上ったの自慢したいの? いや、俺もすると思うけれども。

 

「ユーゴ様すっごく上手なんですよ」

 

 そしてソフィーさん。なぜ俺に振ってくる。

 

「そ、そうなんだ。よかったな」

「はい。あたし、あんなの初めてでした」

「そうかなぁ。まだまだ思うようにできなかった気がするけど。魔法を使ってするの初めてだし」

「えっ、魔法使ってするの?」

 

 思わず聞いてしまった。黒姫が。

 慌てて口を押えているけど、時すでに遅し。どうやら、ガッツリ聞き耳を立てていたようだ。

 その黒姫に、ユーゴがきょとんとして返す。

 

「え? だって、黒姫さんだよ。僕に魔法で絵を描いてみたらって言ってくれたの」

「え? 絵? ……そ、そう。そうだったわね。絵の話よね」

 

 なんだ。絵の話だったのか。

 月のこととか寝不足とかすっかり吹き飛んでしまったじゃないか。黒姫も「まぎらわしいんだから。もう」と小声で文句を言っている。何がどうまぎらわしかったのか詳細に問いただしたいところだけど、命が惜しいのでやめておく。

 

「ソフィーにモデルになってもらってたんだけど、夢中になっちゃって何回もポーズ変えてもらってたら、いつのまにか時間が経ってたみたい。時計がないから時間がわからなくて。ごめんね、ソフィ-」

「大丈夫ですよ、ユーゴ様。それに、ほらっ」

 

 ソフィーが何枚もの紙を見せてくれる。

 そこにはいろいろなポーズを取ったソフィーが黒いインクで描かれていた。

 

「どうですか? こんな鏡を見てるみたいな絵って初めて見ました。やっぱり勇者様は凄いです」

 

 そこは勇者は関係ないと思うが、まぁいいか。事実上手いし。さすが美術部。

 

「これ、魔法で描いたのか。どうやって描いたんだ?」

「普通にデッサンする時みたいにこうやって」

 

 と、鉛筆を持つ仕草をする。

 

「後はインクで描くイメージで手を動かしたら、実際にインクが紙に乗っていくんだよ。なんかすっごく不思議」

「暴走しなかったんだ」

「あ、そういえばそうだね。気づかなかった。やっぱりいつもやってるからかなぁ。黒姫さんのアドバイスのおかげだね。ありがとう、黒姫さん」

「高妻くんもよ。三人寄れば何とやらね」

 

 黒姫はちゃんと俺のことも気遣ってくれる。やっぱりいい子なんだよなぁ。

 

「うん。レンもありがとう」

「どういたしまして。この調子で日本に帰るまで力を合わせていこうぜ」

「ええ、そうね」

「うん」

 

 頷き合う俺たちの傍らで、わらわらと集まってきた他のメイドの子たちが興味深そうにソフィーの絵を見て、「いいなー」とか「私も描いて欲しい」とか騒いでいる。フローレンスなんか恐ろしいほど真剣な眼で一つ一つの絵を検分していた。

 ねえ、朝ご飯食べたいんですけど。

 

 

 

 その朝ご飯。

 いつもどおりの丸い白パンにチーズとハムと生野菜。ペネロペには顰蹙を買ったけど、また挟んでみる。パンがべしょっとしないように野菜にはドレッシングをかけないものを使ってみたものの、やっぱり物足りない。

 ユーゴも黒姫も真似をして食べているが、同じ意見のようだ。

 

「こういう丸いパンだと、サンドイッチよりもハンバーガーにしたくなるわね」

 

 なるほど。黒姫の言うことももっともだ。確かにこの丸いパンはちょっと大きめのバンズと呼ぶにふさわしい。

 でも肝心のハンバーグはどうやって作るんだったっけ。えーと、ひき肉と何かをアレしてアレするんだよな。ダメだ。さっぱりわからん。

 なので、黒姫に聞いてみよう。

 

「なあ、ハンバーグってどうやって作るんだ?」

 

 途端にギクッとなる黒姫。

 

「……あ、アレね。ハンバーグね。えっと、確かひき肉とアレをアレして焼くのよ」

「つ、使えねぇ……」

「何よ。女子だから料理ができないとダメとか偏見だわ。女性差別よ。セクハラよ」

 

 むっと睨みつけたかと思うと、「あ、思い出した!」と人差し指をぴんと立てた。

 

「ナツメグ! ナツメグを入れるの!」

 

 ドヤ顔で言ってくるが、何だそれ? 

 

「肉の臭みを消す効果があるのよ」

「ひき肉とそれだけでいいのか?」

「え? 後はほら、チーズとか?」

 

 それはチーズインハンバーグだろ。ほんと使えねぇ。

 あ、こういうのは意外とユーゴが知ってたりするんだよな。

 

「タマネギのみじん切りが入ってた気がするけど……」

 

 おお。一歩前進だな。でも、それ以上はユーゴもわからないみたいだ。なんだ、三人寄ってもダメじゃん。

 メイドの子たちもひき肉を団子にするミートボールみたいなのは知ってたけど、ハンバーグは見たことも聞いたことも無いそうだ。

 

 ちなみに、マヨネーズを知ってる子もいなかった。まだ作られてないのか流通してないのか。やっぱり、異世界に来たからにはマヨネーズ無双しなくちゃ。

 材料は、卵と酢と油だっけ? 混ぜるだけでいいのかな? 

 ダメもとで黒姫にマヨネーズの作り方を聞いたら、「え、マヨネーズって作れるの?」と返ってきた。こいつは……。

 ま、チャンスがあればチャレンジしてみよう。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 午後の魔法の訓練。ユーゴは休みになった。

 魔法の暴走になかなか進展が見られなかったことと、寝不足で体調不良なこともあり、一旦息抜きをしようということになったのだ。

 黒姫はルシールと一緒に城の中にある救護院という病院みたいな所に行って、町から来た病人やけが人を治すとのこと。もちろん聖女ということは隠して、ルシールの弟子みたいな扱いでするらしい。

 

 聞いた話では、この世界の病気は体の中の魔素が穢れるのが原因と考えられていて、病気を治すには聖魔法でその穢れを浄化する必要があるのだそうだ。もっとも、その恩恵に預かれるのはほんの一部で、たいていは薬草を素にした薬による対処療法がせいぜいらしい。無論、ポーションなんてない。

 

 俺の方は剣の稽古の続き。

 その前にランニングとウオームアップの運動をする。

 始めてすぐにそれに気づいた。

 体の中に金色の粒みたいなものを感じる。それも体の隅々に。

 これは今朝黒姫にかけてもらった聖水、げふんげふん、聖魔法だ。それが体を動かす度に流れるように動いている。

 それは型の稽古でも変わらず、意識を向けるとその流れをよりはっきりと感じ取れた。

 金の粒の流れが体を動かそうとする意識とリンクしてる。凄く感覚的なものなんだけど、筋肉の動きをサポートしてくれている感じ。

 

「ほう。ずいぶん動きが良くなりましたな」

 

 教師役の衛士の人も感心してそう言ってくれた。

 これ、なんかおもしろい! 

 

 

 

 稽古が終わって汗を拭いたら、そのまますぐにシュテフィさんの所へ向かった。

 途中、救護院から戻ってきた黒姫たちとばったり出会ってしまい、なぜか一緒にシュテフィさんの研究部屋に来ている。

 

「ようこそ、レン。何かあったかい?」

 

 あいかわらず興味のあること以外は眼に映らないようだ。スザンヌさんが不機嫌な顔になっている。まぁ、俺もスザンヌさんの機嫌とかどうでもいいのでそのまま話を合わせることにする。

 

「はい。さっき剣の稽古をしている時にちょっとおもしろいことがありまして」

 

 と、金の粒のことを説明した。

 

「うん。それは魔力の流れだろうね」

「では、やはりレンには魔力があるのですね」

 

 ルシールが自分のことのように喜ぶ。優しい。

 

「ただ、金の粒というのがわからない。聖女の聖魔法の名残りのようだが……」

 

 じっとルシールのことを見ていたかと思うと、

 

「丁度いい。ちょっとルシールの聖魔法と比べてみよう」

 

 と言い出した。

 それに真っ先に反対したのはスザンヌさん。

 

「いけません。このような者にルシール様の尊き聖魔法など、もったいない」

「そうよ。ケガもしてない高妻くんなんかにルシールの聖魔法をかけちゃダメ」

 

 黒姫まで反対しだした。

 

「研究にもったいないなんてないし、レンは剣の稽古で疲れてるだろう? ほら、早くレンに聖魔法をかけて。あ、聖女と同じ感じで頼むよ」

「はい。マイ、どんな感じでした?」

 

 黒姫が渋々答えて、朝と同じように机に突っ伏した俺の肩にルシールの聖魔法をかけてもらう。

 

「この者に癒しを」

 

 言葉に続いて、肩が暖かくなる。あの時ルシールに感じた暖かくて優しくどこか懐かしい透明な水だ。それはすぐに体にしみ込んで……しみ込んで、消えてなくなった。

 

「どうだい?」

「なんか黒姫の時と違って、無色透明な水がすーっと体の中に溶け込んでいく感じでした」

「金の粒は?」

「感じなかったです」

「だとすると、金の粒は聖女特有のものか」

「でも、騎士たちも救護院に来た町の人たちからも金の粒などという話は一度もなかったと思いますが」

 

 ルシールが首を傾げる。

 

「それはなかなか興味深い話だね。聖女の聖魔法を金の粒として感じているのはレンの方に原因があるのかもしれない。やはりレンはおもしろいな」

 

 そう言って、シュテフィさんは俺のことをじっと見つめた。

 

「どうだい、レン。私のものにならないか?」

「ええーっ!」

 

 叫んだのは黒姫。

 

「シュ、シュテフィさん、結構年上ですよね?」

「なんだい? 年上じゃダメかい?」

「ダメというわけじゃないですけど……」

「大丈夫ですよ。マイ殿」

 

 口ごもる黒姫の横からスザンヌさんが助け舟を出す。

 

「レンなら嫁ぎ遅れの生贄には丁度良いでしょう」

 

 助け舟じゃなくて泥船だった。

 

「誰が嫁ぎ遅れだ。私は魔力と魔素の研究に人生を捧げているだけだ」

「で、でも、レンと結婚したいんでしょう?」

 

 黒姫が不審そうに言うと、シュテフィさんは一瞬ぽかんとして、それから「あははは」と盛大に笑った。

 

「私はレンと結婚したいわけじゃないよ。ただ彼を研究してみたいだけだ」

 

 だと思った。

 

「なーに、レンと寝食を共にして一日中観察して体の隅から隅まで調べ尽くしたいだけさ」

 

 何それ。結婚よりハードな気がするんだけど。

 なので、丁重にお断りしました。

 



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第14話 総受けのレン

 シュテフィさんは俺にも魔力があるのは間違いないと言ってくれた。

 ただ、残念ながらそれを魔法として使えないんだよな。

 それはそれとして、せっかく感じた魔力の流れをしっかりとしたものにしておきたい。

 

 ベッドの上で胡坐をかく。

 前にユーゴに言ったように、体の中の魔力に意識を集中してそれを動かすようにしてみる。そうすると魔力操作が上手くなると書いてあったと思う。たぶん。

 

 …………。

 

 うーん。数が少なくなったとはいえ、あの金の粒はまだ体の中に感じられる。けど、それを動かせない。やっぱり意識だけで動かすのは難しい。

 体を動かしたほうがわかりやすいかも。

 床に降りて歩いてみる。

 あ、うん。なんか動いてる。

 でも、むやみに動かすよりちゃんとした動き、剣の型もいいけど、ユーゴの例もあるし、慣れ親しんだバスケの動きがいいかな。

 ゆっくりと。

 ドリブル、ロールターン、カットイン、からのレイアップ。

 

 わかる! 凄くわかる! 

 

 こうしたいと思う動きに合わせて金の粒が動いてくれる。

 それを意識すればするほど、動きが速くなってキレもいい。

 

 『身体強化魔法』

 

 これがそうか! 

 俺にも魔法が使えたんだな! めっちゃ嬉しい! 

 

 あっと、でもやり過ぎて寝不足になるのはマズい。

 さっと汗を拭いてベッドに潜り込む。

 今夜は雲が出ているのか、窓の外は真っ暗で月は見えなかった。

 その夜は朝までぐっすり眠れた。

 

 

※  ※  ※

 

 

 朝。目が覚めると、あの金の粒はもうなくなっていた。

 試しに体を動かしてみる。

 うーん。なんとなく魔力の流れは感じるんだけど、ちょっと覚束ないな。

 

「なあ、昨日の聖魔法、もう一回かけてくれないかな」

 

 朝食の時に黒姫にお願いしてみた。

 昨日のルシールの時のように嫌がられるかなと思ったけど、意外にも「いいわよ」とあっさりオーケーしてくれた。

 

「じゃあ、頼む」

 

 と、椅子に座って黒姫の方を向いた。すると、黒姫がなんかもじもじしている。

 

「えっと、後ろ向いてくれない? 見られてるとなんか恥ずかしいから」

「あ、悪い」

 

 くるりと背中を向けると、ふーっという息を吐く音がして、それから背中に昨日と同じように暖かい水のようなものがかけられる。それはやはり金色の粒となって体の隅々に行きわたっていった。

 きっとこの金の粒は、黒姫の聖魔法に対する俺のイメージなんだと思う。シュテフィさんも原因は俺の方にあるのかもしれないと言ってたし。

 

「なあに、また筋肉痛? まったくだらしないんだから」

 

 終わったよと言うように肩をポンと叩いて黒姫が言う。

 

「いや、筋肉痛はたぶん昨日のルシールにかけてもらった聖魔法のおかげで全然無いんだけど、ちょっと黒姫さんの聖魔法が欲しくて」

「え、私の?」

「そうなんだよ。朝起きたらあの金の粒が無くなっちゃっててさ、あれが無いと魔力の流れがいまいちわかりにくいんだよ」

「そ、そう」

「無くなったらまた頼むよ」

「なんか危ないお薬みたいなんだけど」

「そのうち黒姫さん無しじゃいられなくなったりして」

 

 冗談交じりに言うと、

 

「キモいのであっち行ってもらえますか」

 

 と、もの凄く平たい声で返されてしまった。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 午前はガロワ文字の勉強の続き。

 言葉は喋れるんだけど、基本的に思考は日本語のままなので、単語はまだしも文法が難しい。名詞の後に形容詞がくるわ、名詞に男と女があるわ。英語って結構シンプルだったんだなぁって思えてくる。

 テキストは聖女様の絵本。子供用にレベルアップしました! 

 前にペネロペたちから聞いたことあったけど、先代の聖女って、本当にいろいろな現代知識を導入してたんだな。

 シャンプーに始まり植物繊維の紙、凸版印刷、製本技術、この絵本も聖女が広めたそうだ。他にも、汚水の処理や下水道の整備。あの手動水洗トイレやトイレットペーパーも聖女の発案なんだって。後は料理とかお菓子とか服やアクセサリーのデザインとか。ほんと、どれだけ物知りだったんだよ。

 先代の聖女。たぶん60年前の日本の女性。サクラ。

 ちょっと興味が湧く。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 午後からの魔法の訓練は、雨が降っているので屋内ですることになった。

 そういえば、この世界に来てから初めての雨だ。やっぱり俺たちのいた世界の雨と何も変わらない。いや、たぶんpHとか低いかもしれんけど、地球の雨だ。

 

 マイは昨日と同じく救護院へ行く。

 ユーゴは、衛士たちの宿舎になっている建物で金魔法の練習だ。俺も剣の稽古のために同じ場所に来ている。

 

 金魔法は、金属の魔素を操る魔法で、製錬や精錬、合成、加工などができ、更に作製したものに魔力を付加できるのだ。

 というわけで、現在ユーゴは剣の作成に挑戦中。

 木製の台の上に四角い鉄の塊を置いて、それを両手で覆うようにしたらゆっくりと左右にのばしていく。すると、鉄の塊も横長の板に変形していく。これを何度か繰り返して、最終的に剣の形に整える。後は刃とか血抜きの溝とか細かい部分を加工して最後に魔力を付加して仕上りだ。

 

 ちなみに、これは他の属性の魔法にも言えることなんだけど、魔法を使う時にはその対象物が必要だってこと。火魔法なら火、水魔法なら水、金魔法なら金属。魔法で無から有が生まれることは決して無い。つまり、空中にいきなりファイアーボールやアイスジャベリンを出現させるなんてことはできないってこと。

 

 豆チをもう一つ。

 今、ユーゴが剣を変形させているのは木の台の上なんだけど、木、木材は金属と違って魔法で変形させたり加工したりできないのだそうだ。あと、魔力の付与もできない。

 その理由は、木材には木として生えていた時、つまり命があった時の魔素がずっと残っていて、命のあるものに魔法は効かないという法則が続いているらしい。なので、木工は主に平民の仕事になっている。

 

 閑話休題。

 ユーゴの作る剣は、最初こそ不格好だったものの、何度か繰り返すうちに見本と変わらぬものが作れるようになっていた。

 

「おおっ。ユーゴ殿、格段の進歩ですな。今までの無茶苦茶っぷりが嘘のようですよ」

 

 クレメントさんはあまり金魔法が得意じゃないそうなので、代わりに指導してもらっている魔法士の人が相好を崩していった。そこに若干の疲労と深い安堵が見て取れる。前は意味不明なオブジェを量産してたらしいからね。ご苦労推察致します。

 

「絵を描く練習のおかげだね。魔法を使う時のイメージの仕方がわかってきたよ」

 

 そう言いつつ、我が勇者ユーゴの無茶苦茶ぶりが発揮された。

 暴走したわけじゃない。なんと、一発で鉄の塊を剣に変えてしまったのだ。

 

「ま、まさかもうそんなことができるとは……」

「普通何年もかかってやっとできるかどうかだと聞いていたが……」

 

 指導の魔法士もクレメントさんも言葉が続かない。

 でも、ユーゴの作った剣は見た目だけのものらしい。

 その剣を手に取って検分していた衛士さんによると、重心がおかしなところにあって実際に使える出来ではないとの評価だった。剣の重心とか厚みのバランスとか、見た目じゃわからない微妙なことは、流石に熟練の技がいるようだ。

 

 次は作った剣に魔力を付与する練習。

 魔力を付加することによって、斬撃力や耐久力を高めることができるのだそうだ。

 ここでもユーゴの魔力はクレメントさんたちを驚かせることになった。

 ろくに刃もついてないのにバスバスと丸太を切るわ、硬い石をぶっ叩いて割っても刃こぼれしないわ、ただの鉄の剣なのにミスリルでできてるんじゃないかと疑うレベル。ちなみに、ミスリルという金属は無いそうです。はい。

 

 

 

 それ以降、ユーゴの魔法の上達ぶりは目を見張るものがあった。

 狙いの定まらない火炎放射は的を外さない炎の槍になり、無鉄砲な噴水は高圧の放水砲になり、暴風は竜巻に、土砂降りは城壁よりも高い壁になった。

 

 ユーゴはもう大丈夫だ。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 で、俺はと言えば。

 

「始めた頃とは見違えるほど剣を扱えるようになりましたな」

 

 身体強化魔法のおかげで、教師役の衛士のグスタフさんも驚くほど自在に扱えるようになった。スピードやキレだけじゃなくてパワーもアップするみたいで、鉄でできた剣も軽く感じる。

 

「そろそろ自由に打ち合ってみますか」

 

 二人での型稽古を終えた後、グスタフさんがそう提案した。

 

「なぁに、手加減はしますよ。それに万が一怪我をしても聖女様に黄金水をかけてもらえますから。いや、むしろ私が怪我をしてかけてもらいたいくらいですけどね。はっはっは」

 

 この人に教えてもらって本当に大丈夫か? 

 まぁ、そんな感じで打ち合いが始まった。

 基本、衛士さんたちは右手に剣、左手に円い盾を持って打ち合うんだけど、俺の場合初心者ってことで剣のみだ。もちろん練習用なので刃は無い。

 

「はじめっ」

 

 よっ、おっ、とっ。

 

 うん、力負けしない。

 あと、手加減なのかグスタフさんの動きがわかりやすい。全部受けきれる。

 

「ほう、なかなか。では、これは!」

 

 急に動きが速くなる。が、速いだけで剣筋はわかりやすい。これも受けきれた。

 

「くっ。ならばこれは!」

 

 さらに速く、動きもフェイントが入ったりと複雑に変化させてきた。けど、わかる。っていうか、感じる? 

 

「おのれっ!」

 

 えっ、ちょっ。目がマジになってるんですけどっ! しかも体にオーラが見える。身体強化魔法使ってんじゃん! 

 その刹那、見えた。

 剣が振られる先、オーラが先走ってくる。脊髄反射でそこに自分の剣をもっていく。

 

 ガキンッ。

 

 剣圧が凄い。それでも魔力を総動員して耐えた。

 と思ったら、不意に圧が無くなってよろめいてしまった。

 はてなと顔を上げると、呆然としたグスタフさんの顔とくるくると回って飛んでいく剣が見えた。あれ? 

 

 それを見ていた他の衛士たちが近寄ってくる。

 

「何をやっとるんだ、グスタフ」

「いや、レン殿に剣を弾かれて……」

 

 答えてグスタフさんは、ハッとなって俺を見る。

 

「も、申し訳ない、レン殿。つい本気で打ち込んでしまった」

「何? 本気の打ち込みを弾かれたと?」

「うむ。如何様に打ち込んでも全てレン殿に軽く受けられてしまったので、それならばと力押しでいったのだが……」

 

 訝しむ衛士たちに何が何だかわからないと首を振る。

 

「ほほう。ならば私が手合わせしよう」

 

 それを聞いた一人の衛士が進み出るのをグスタフさんが制した。

 

「ま、待て。今度はレン殿の打ち込みを見てみたい。ひょっとすると、レン殿は剣の才があるのかもしれぬ」

「レン殿が?」

「そうだ。剣を持つのもやっとだった者がたった数日で私の渾身の一撃を弾き返してしまった。さっきはついこちらが打ち込んでばかりだったからな。今度はレン殿の打ち込みを受けてみたいのだ」

「おう。それは何とも楽しみよ」

「レン殿、是非に」

 

 え、俺って剣の才があるの? そう? なら、いっちょやってみますか。

 

 正面で剣を構えるグスタフさんに対して、左足をやや前に出して顔の右側に剣を構える。

 

「っだあぁああ!」

 

 型稽古どおり、ダッと右足を踏み込んで腰を回転させて剣を振り下ろした。斬るんじゃなくて、叩きつけるようにするのがコツ。

 

 コン。

 

 軽い音とともに剣が弾かれた。「ぷっ」と誰かが噴き出す。

 もの凄く残念な空気が周囲に垂れ込めた。

 

「……さて、次は誰が手合わせを?」

 

 まるで俺の打ち込みなんてなかったかのようにグスタフさんが衛士たちに呼びかけた。

 まあね。こういう型みたいなのは昨日今日練習したくらいで身に着くもんじゃないんだよな。

 

「ならば某が」

 

 とガタイのいいおっさんが名乗り出た。ちょっと悔しかったので全部受けきってやった。

 ただ、最後に放った剣に魔力を乗せた一撃だけは受けずに見切って避けた。さすがにアレをまともに受けたら剣がもたない。

 

 その後、残りの衛士たちの攻撃もぜ~んぶ受け止めると、

 

「一体全体、レン殿はどうしてこんなことができるのですか」

「しかも、我ら6人を相手にしても平然としている」

 

 息を荒げた衛士が理解できないとばかりに首を振る。

 

「あ、それはですね、実は身体強化魔法が使えるようになったんですよ。そのおかげで、重く感じてた剣もこのとおり」

 

 ヒュンヒュンと片手で剣を振って見せた。

 

「……あの、まさかとは思うのですが、レン殿は我らと打ち合っている間ずっとその身体強化魔法を使っていたのですか?」

「え? いや、今日の訓練を始めた時からですけど」

「まさか……!」

 

 衛士たちの目が驚愕に見開かれる。

 

「あれ? 俺、何かやっちゃいましたか?」

 

 不安になって聞くと、

 

「身体強化魔法を使えるのは、普通数撃なんですよ」

「噂で18連撃ができる達人のことは聞いたことがありますが、今日ずっととは」

「俄かには信じられんが」

「さすが勇者様のお仲間だけのことはありますな」

 

 と口々に感心された。

 うーむ。これは剣筋が見えたなんて言ったらとんでもないことになりそうだな。……黙ってよう。

 

 

 

 噂が噂を呼んだのか、次の日からも守備隊の他の衛士たちが手合わせを申し込んできた。

 そして、それを全て受けきった。

 

 それでついた呼び名が『総受けのレン』

 

 おい、やめろ! 誰だよ、これ言い出したやつ。

 確かに、ほとんどの攻撃は受け止められるけれども。

 受けるだけで攻撃は全然ダメだけれども。

 なんだよ『総受け』って。

 

 これを聞いた黒姫が爆笑しやがった。

 しかも、「どうして笑っているのですか?」って聞いてきたルシールが黒姫になにやら耳打ちされて、「まあ、殿方同士で……」と頬を染めてこっち見てくるし。

 おい、デュロワールに腐海を広めるのはやめろ! 

 

 

 

 そんなこんなで幾日が過ぎ、ついに王都へ旅立つ日がやってきた。

 




ロッシュ城編終了です。
次回からダンボワーズ城編になります。
その前に閑話を投稿します。


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閑話2 小間使いの楽しみ

ジゼルは11話にちょっとだけ出てきた小間使いです。


 【ジゼル視点】 小間使いの楽しみ

 

 (わたくし)、ジゼルと申します。

 このロッシュ魔法学研究所で使用人として働いております。そつのない働きぶりで評価をいただいております。

 

 先日、この研究所に勇者様と聖女様とレン様がいらっしゃいました。

 

 はい? レン様とは何者かとお尋ねですか?

 

 レン様は勇者様や聖女様と同じ国から来られた方ですが、聞くところによるとどうやら手違いで来てしまったようです。事前にお伺いしておりましたお客様の人数はお二人で、レン様の分はご用意しておりませんでしたから間違いございません。

 それにとても信じられないことですが、レン様には魔力が全く無いのだそうです。それでどうやって生きていけるのか不思議でなりませんが、レン様は変わった方なので大丈夫なのかもしれません。

 

 はい、そうです。レン様はとても変わった方でいらっしゃいます。

 

 勇者様と聖女様の小間使いにと、王都の王族の屋敷で働いていた使用人がわざわざ呼ばれました。

 聖女様付きのフローレンスは地味顔ですが、いろいろなことを知っていて、さすがは王族の使用人だと皆感心しております。勇者様付きのソフィーはあか抜けた綺麗な顔と初々しい色気を持つ娘で、ちょっと靴の中にイガイガの実を入れてやろうかと思ったほどです。

 ですが、レン様にはそのような専属の小間使いがおりませんでしたので、私たち使用人をまとめているエマさんが急遽ペネロペという子にそれを命じました。ペネロペは王都出身だそうですから、彼女が選ばれたのでしょう。

 

 そのペネロペが使用人同士の情報交換の場で──。いえ、世間話ではございません。情報交換です。そこでペネロペが語ったことですが、レン様は私たちのことを『めいど』と呼んでいらっしゃるのです。レン様のお国の言葉で女性の使用人のことなのだそうです。もっとも、勇者様や聖女様は私たちをそのようにお呼びされておりませんが。

 他にも、私たちの口にはめったに入らないあのおいしい白パンに、こともあろうかハムとチーズと野菜を挟んでいっぺんに食べると言う信じがたい行為に及んだことも報告されております。

 また、言葉巧みに誘導して使用人のスカートをめくろうとしたともめくったとも聞き及んでおります。

 

 けれど、ペネロペはレン様のことを好意的に思っているようでした。それは、あの悪評高い『夜のお世話』を求められなかったからだそうです。一部にはペネロペに食指が伸びなかったのだろうと揶揄する声もありますが、彼女がその話をする時の表情からレン様が彼女のことを大切に思っていらっしゃるからだとわかります。

 実際、レン様は私たち平民の使用人を見下すようなことはなさらず、いつも気さくに接してくださいます。一方で、アンブロシス様や王都からいらっしゃったクレメント様たちにも変にへりくだった態度をとることもございません。もちろん継子でいらっしゃるルシール様にも。

 ああ、そのルシール様ですが、これは決して他の方には言わないとお約束していただきたいのですが、時々レン様のことを盗み見てはため息を吐いていらっしゃいます。いったいレン様はルシール様に何をなさったのでしょうか。私、とても気になります。

 

 残念なことに、あれほどレン様を慕っていたペネロペは急に実家に帰らねばならなくなりました。そういうことは偶にあるのでたいして問題ではないのですが、あのレン様のお世話をする小間使いがいなくなりました。これは大問題です。

 既に私たち使用人の間ではレン様は変わった方だと知れ渡っておりましたので、その小間使いが生半可なことではないことは誰もが承知しておりました。ですから、ペネロペの後釜など誰もやりたがらないに違いありません。

 ならば、そつのない働きぶりで評判の不肖私ジゼルがその役目をお引き受けするほかないでしょう。そう覚悟しておりましたところ、意外にもほとんど全ての使用人が手を挙げたのです。全く、皆どういう神経をしているのでしょうか。あきれるばかりでございます。

 まぁ、このような田舎の使用人たちにはそうそう娯楽があるわけではございませんので、レン様は私たちにとって格好のおもちゃ、いえ、刺激を与えてくださる貴重なお方であることは否定いたしませんが。

 

 それで、レン様の小間使いを誰がするのかという話ですが、ここはひとつ平等に順番にしましょうということになりました。

 一番手は私です。

 はい。皆で平等にということですので私も参加しておりますが何か。

 

 たいへん残念ながら、私がお世話した時には、レン様はいたって普通のお方でした。全く何をなさっているのでしょうか。いつものように変わったことをしやがれでございます。

 その後も順番に小間使いを替わっていったのですが、これといった収穫はなく、誰もが落胆し、レン様の奇態を独り占めしたペネロペを呪い始めた頃、ついにある子がその幸運をつかんだのです。

 

 その子は就寝の挨拶をして部屋を出た後、こっそりっと戻って扉の隙間から覗いたのだそうです。とても褒められた行いではないのですが、今は不問にいたしましょう。

 そうしてその子の眼に映ったものは、ベッドを起き出して部屋の中をうろうろと歩き回るレン様の姿でした。それだけならばことさら騒ぎ立てるほどのことではございませんが、 やがてレン様は奇妙な踊りを踊り出したのだそうです。

 その子はその踊りを皆の前で再現してみせました。

 

 まず初めに、右手を腰の横のあたりで上下に動かします。10回ほどそうしてから、今度は左手を同じように動かします。それが終わると、両手を腰の前で交互にやや角度をつけて上下させます。

 そして、そのままゆっくりと歩き出したと思ったら、いきなりくるりと体を回転させて、手を上下させながら小走りで進み、最後に片手を上げて高く飛び上がります。

 

 なんと奇妙で奇怪な踊りでしょう!

 やはりレン様は変わったお方でした。

 

 このレン様の奇妙な踊りですが、いつの間にか使用人の間で流行り始めていました。田舎の使用人にとっては、このような奇妙な踊りでもさえも十分に娯楽となりえるのでございます。

 

 けれど、この踊りがやがてデュロワール中で踊られることになるとは、この時の私は想像すらしなかったのでございます。

 



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第15話 出立

 ロッシュ城にイケメンがやってきた。

 

 爽やかに晴れ渡った朝の空の下、本館(俺たちが寝泊まりしている建物)前の広場で、ユーゴとマイ、アンブロシスさん、ルシールの前に揃いの鎧とマントをまとった総勢20名の騎士たちが整列している。彼らが俺たちを王都まで護衛してくれるデュロワール騎士団第13分団の騎士たちだ。昨日の夜にこのロッシュ城に到着したため、挨拶が今朝になったらしい。

 そして、彼らの前に立っている一人の騎士、この分団の団長、アンドレ・ヴォ・ジャルジェと名乗った若い男がそれだ。

 

背が高く、広い肩幅にがっしりした上半身とすらりとした長い脚。

 黒い髪を長く肩の下まで伸ばし、憂いを秘めた瞳は紫に輝き、すっと通った高い鼻と引き締まった口元が凛々しさを引き立てている。

 青い胸当てには銀の装飾が施され、腰に巻いた太めの革ベルトに提げられた長剣の柄には真っ赤な魔法石が目立つ。長い脚には白いタイツと黒の編み上げのブーツを履き、飾りのついた青いマントをどこからともなく吹いてきた風が優雅になびかせていた。

 

 なんだこの少女漫画から抜け出てきたような奴は! 黒姫とかポ~っとなってるぞ。

 しかも、名前に『ヴォ』が入ってるのは爵位を持ってる人なんだって。

イケメンの上に地位まであるとか。けっ。

 

 クレメントさんたちに交じって離れた場所で見ていた俺がジト目を向けていると、アンドレは居並ぶ騎士の中から4名を呼び出した。

 

「勇者様の専属の護衛にはアランとヴィクトールが、聖女様の護衛には女騎士のサフィールとジャンヌがお付き致します」

 

十代後半から二十代前半くらいだろうか。揃いも揃って美男美女だ。

 黒い癖毛の長髪で長い揉み上げが特徴の精悍な顔つきの騎士がアラン。

ウエーブのかかった金髪で甘いマスクの騎士がヴィクトール。

カールした黒髪をショートカットにした小柄ですらっとした女性騎士がサフィール。

長い金髪を後ろで一つに編み込んでいて体のラインの凹凸が際立つ美人がジャンヌ。

 彼らはそれぞれ名乗って騎士の礼を執る。

ユーゴたちも名乗りを返して、さあ解散かと言う時、アンドレが黒姫の前に歩み出た。

 

「聖女様がこのように美しい方だとは思っておりませんでした」

 

 甘く微笑んでそう言うと、やおら跪き黒姫の右手を取った。

 

「私の命に代えても聖女様をお守りすると誓います」

 

 と、その手の甲に口づけをする。

 俺の後ろにいたイザベルさんから「はぁ~」と羨望のため息が漏れた。

 えーと、何だこれ。

 

 アンドレはスッと立ち上がりもう一度騎士の礼を執ると、振り返って騎士たちに出発の準備をするように命令した。準備ができ次第、すぐに出発するとのこと。なんとも慌しい朝だ。

 

 やれやれと思っていると、黒姫がたたっと走り寄ってきてぺしぺしと俺の肩を叩く。

 

「ねぇねぇ、今の見た? 見た? ほんとにあるのね、手の甲にキスとか。なんかもう、お姫様になったみたい。それに、あのアンドレって言う人、もうこれぞ騎士って感じじゃない? あと、マジでイケメン!」

 

 えらいはしゃぎようである。

 

「そうだな。俺は黒髪の騎士の方が気になったけどな」

「え、あのショートヘアの女の騎士? うわ、やらしい」

 

 半眼ですすっと距離を取られる。ブーメランという言葉を教えてやりたい。

 

「ちげーよ。アンドレとアランとか言う奴もだよ。あの3人、かなり魔力量ありそうだぞ」

「へぇ、こんなに離れててもわかるの?」

「あー、なんか最近、だんだんわかるようになってきた。レベルが上がったのかな」

 

黒姫に「またわけのわかんないこと言ってる」と呆れられた。

 

「で、どれくらいなの? その魔力量」

「たぶん、ルシールに近いか同じくらい」

「黒髪っていうのが怪しいわね。勇者の子孫とか?」

「そうかもな」

 

 こそこそと話をしていると、ユーゴもやってきた。

 

「何話してるの?」

「あの黒い髪の毛の騎士がいるだろ。あいつら、もしかしたら勇者の子孫かも」

「高妻くんがね、凄い魔力量だって」

「へぇ、そうなんだ。でも」

 

 と、ユーゴは彼らに視線を向ける。

 

「僕たちほどじゃないでしょ」

 

 一瞬、その言葉に薄ら寒いものを感じた。しかし、それを問い直す間も無く、

 

「勇者様、聖女様。そろそろ出発いたしますので、こちらへ」

 

 呼びかけられて、ユーゴは「じゃあ」と離れていった。

 

 

 

 城門の内側にこげ茶色の箱型の馬車が4台と幌馬車が2台並んでいて、その周りに馬の手綱を引いた騎士たちが待機している。

 馬車に乗るのは俺たち三人とアンブロシスさん、その付き人、護衛騎士。あと、ソフィーとフローレンスも同行する。ルシールは残念ながら居残りだ。別れるのが惜しい。

 

2頭立て馬車は四人乗りで、それぞれ主人と付き人と護衛騎士一人という編成で乗って、残った一台に俺とソフィーとフローレンスが乗ることになっていた。

 予定ではすぐに王都に向かうのではなく、まずダンボワーズ城に向かうとのこと。この前ユーゴたちが行ってきた所だ。そこから改めて王都パルリに出発するらしい。まぁ、その辺のところはお任せするしかない。

 

 さて、乗りますか。

 扉を開けて、レディファーストでお先にどうぞとメイドの子を先に乗せようとしたら、そんなことできませんときっぱりと断られてしまった。

 しょうがないので俺から乗る。席に座ろうとしたら、ソフィーの声がした。

 

「レン様、引っ張り上げてください」

 

 馬車というのは思ったよりも高いところに床があって、踏み台があっても簡単に乗れない。しかも、女子はスカートが長いから余計に乗りにくい。

 はいはいと引っ張り上げる。なんかいいように使われている気がしないでもない。

ついでだからとフローレンスも引っ張り上げたところで予想外の人の声がした。

 

「レン、私も引っ張り上げてくれ」

「あれ? シュテフィさんも行くんでしたっけ?」

 

 引っ張り上げながら問うと、

 

「レンのいないここに残っていてもつまらないだろう?」

 

 と、片目を瞑って見せる。

 あ、これ絶対後で問題になるやつだ。

 

「さて、お邪魔するよ。お嬢さん方」

 

 俺の隣に座ったシュテフィさんがソフィーたちに向けて気さくに声をかける。

とはいえ、相手は貴族。平民のソフィーたちの笑顔は硬い。

 

微妙な空気のまま、ようやく馬車が動き出す。

 やっぱ揺れるな。

 と、城門をくぐったところで何かに引っかかれるような痺れるような痛みが体中に走った。

 

「いだだだだっ」

「どうした、レン」

 

 真っ先に心配してくれたのはシュテフィさん。いや、でもなんか嬉しそうな顔してるんだけど。

 

「や、なんか体中に激痛が走って」

「どんな感じで?」

「ど、どんなって……」

 

 戸惑ってると、横からシュテフィさんがほらほらと迫ってくる。

えーと、何かわかりやすい例えってないかな……。あ、城の庭園にあれがあったっけ。

 

「ええと、バラの垣根を裸で突き抜けたような痛さでした」

「ほう」

 

 シュテフィさんは何やら思い当たる節があるみたいだ。

けど、対面座席の二人は違った。

 

「レン様って裸でバラに突っ込んだことあるんだ。痛そう……」

「レン様にそのようなご趣味があったとは」

「ねぇーよ、そんな趣味! わかりやすく例えようとしただけだろ」

 

 断固として異議を申し立てたけど、聞いちゃいない。「またレン様の奇態収集が増えたね」とか言ってる。そんなもの集めるんじゃありません。

 

「レン。それはもしかしたら結界かもしれないね」

 

 シュテフィさんの言葉で向き直る。

 

「結界、ですか?」

「ここの記録に、砦を守るために結界を張ったとあるんだ。レンはそれを体で感じたのじゃないかな」

「他の人は何も感じないんですか?」

「古い物だからね。もう結界の効果はそれほど残っていないんだろう。普通の人には全く影響無いはずだ」

「そうなんですか」

 

 そこの二人! 「やっぱりレン様って普通じゃないんだ」とかこそこそ言わない!

 

「それにしても、裸でバラの垣根を突きぬけるか……。うん、実におもしろい」

「や、そんなことしたことないですからね、ほんと」

 

 念を押す横からソフィーが口を挟んでくる。

 

「そうなんですよ。レン様って本当に変なことばっかり言ったりしたりするんですよ」

「ほう、例えば?」

 

 シュテフィさんも興味深そうに聞き返す。

 

「私たちのことを『めいど』って呼ぶし」

「パンにハムやチーズを挟んで食べてます」

「ペレネロペを使って私たちのスカートをめくろうとしたんですよ!」

「夜に部屋の中で奇妙な踊りを踊っているのを見た子がいます」

 

 次々と暴露されていくけど、思い当たることばかりで頭を抱えるしかない。いや、奇妙な踊りは知らんぞ。

 まぁ、おかげでシュテフィさんとちょっと打ち解けられたみたいだから良しとしよう。

 



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第16話 馬車の中で

 小さな窓の外を流れる畑と森ばかりの景色にも飽きてきた頃、

 

「レン様、……あたしって魅力ないですか?」

 

 ソフィーがいきなりラブコメ臭のすることを言ってきた。

 

「レン様たちの国の男の人から見て、あたしってどうですか? 抱きたいって思えませんか?」

 

 また大胆に聞いてきたな。しかたがない。正直に答えてあげよう。

 

「そうだな。男が10人いたら16人が抱きたいって言うだろうな」

「6人はどこから出てきたんですか? ちょっと怖いんですけど」

 

 むう。

10人の他に6人が自己申告するくらい魅力的だよっていうどこかで読んだことがある例えを言ってみたんだけど、マズかったな。これじゃ、集団レイプだわ。

 

「で、何? どうせユーゴのことだろうけど」

「当たり前です。あたし、ユーゴ様以外に悩むことなんてないですから」

 

 さいで。

 

「ユーゴが何かしたのか?」

「何もしてくれないからこうして悩んでるんじゃないですかぁ」

「ああ、そういうことね。なら、今みたいに言えばいいんじゃない? 魅力ないですかって。できれば上目遣いで」

「それ、もうやりました。でも『ソフィは十分魅力的だよ。だからソフィの絵を描きたいって思ったんだ』って言われちゃって」

 

 まぁ、ハーレム系主人公は鈍感か難聴って決まってるもんな。

 

「レン様はユーゴ様が抱きたくなる女性ってどんな人か知ってますか?」

「うーん、そうだなぁ。どんな女性っていうより、ユーゴみたいなのは、女の子とちょっとずつ仲を深めていってって感じじゃないかなぁ。だからいきなり抱くとかは無いと思うよ。たぶん」

「えー。それじゃ遅いですよ。もうすぐ王都に着いちゃうのに……」

 

 ソフィーがしょげ返る。

 

「王都に着いたら遅いの? 何で?」

「あたし、捨てられちゃいます」

「は?」

「私たち平民の使用人はお払い箱ですから」

 

 フローレンスが説明してくれた。

 

「たぶん、王都に着いてからはマイ様付きの侍女はみんな貴族になると思います。ユーゴ様も同じでしょう。そもそも聖女様や勇者様に平民の使用人がお仕えすること自体ありえないんです。ただ、貴族の方は王都を出たがりませんから、それで私たちが選ばれたんでしょうね」

「二人とも王宮の使用人だったんだっけ?」

 

 そんなことをペネロペが言ってた。

 

「使用人と言ってもただの下働きです。王族の方のお世話をするのは貴族の使用人ですから」

「ふーん。じゃあ二人ともそこに戻っちゃうのか」

「ですね」

 

 肩を落とすソフィーの横でフローレンスは首を横に振る。

 

「私はたぶん家に呼び戻されるでしょう」

「家に? なんで?」

「縁談があるのです。もう15になりますから」

 

 ここの世界では、15歳から大人として扱われるのだそうだ。とりわけ、女子は早くから婚約者が決められていたりと、すぐに結婚して子供を産むことを望まれるのだと聞いた。隣に20代半ばの独身女性がいるのはスルーしてあげよう。

 

「今回、聖女様の小間使いに選ばれたのも、父がその箔付けにとねじ込んだのだと思います」

「へぇ。フローレンスの親父さんて偉い人なんだ。あれ、でも、平民って言ってたよね?」

「父はお金を扱う商会を持っていて、貴族にもお金を融通したりしていますから、そういう伝手を使ったのでしょう」

 

言って、フローレンスは自嘲気味に微笑む。

 

「私の結婚相手の商会に大きな顔ができますからね」

「相手の人もどこかの商会の息子さんなんだ」

「南のリオンという街にあるマルセイユ商会の嫡男だそうです。お会いしたこともありませんが」

「えっ、会ったことないの?」

「父が決めたことですから」

 

 フローレンスはそう言って目を伏せた。そして「ああ」と何かを思いついたように俺を見る。

 

「たぶんペネロペもそうだと思いますよ」

 

 意外な名前が出てきて鼓動が跳ねた。

 

「ペ、ペネロペが何?」

「彼女、急に実家に戻ったでしょう? あの子も秋には15歳になるはずですから、きっとどこか景気の良い商会に嫁がせたいんじゃないですか」

「あれ? ペネロペってお父さんが急病で家に戻ったんじゃなかったっけ?」

「それは家に呼び戻すよくある口実ですよ」

 

 はー、なるほど。そっか。ペネロペ結婚するのか……。

 

「でも、何で景気のいい商会に?」

「前にもお話したことがあったかもしれませんが、彼女の実家はフールニエ商会という主にパンを扱っている王都でも老舗のお店なんです」

「ああ、フールニエのパンか。王都の学院にいた頃はよく買って食べたよ。実にうまいパンだった」

 

 それまで黙って話を聞いていたシュテフィさんが懐かしそうに言った。

 

「はい。評判の良いお店で繁盛していましたが、ずっと前からあまり儲けが出ていないと聞いています」

「へぇー。よく知ってるね」

「父の仕事柄、そういう話を聞かされたりするので」

「でも何で儲けが出てないの? おいしいんだろ?」

「たぶん麦の値段が上がっているせいでしょう。デュロワールではだんだん麦の収穫が減ってきているんです」

 

 収穫が減っている? 何かが記憶に引っかかる。

 

「それは何故?」

「原因はわかっていない。麦に限らず作物全体が育ちにくくなっているんだ」

 

 質問にはシュテフィさんが答えてくれた。

 作物全体ってことはきっと養分が減っているってことだよな。

やっぱりそうか。この世界の農業にはまだアレがないんだな。

 フッフッフッフ。来た来た来た来た! ついに俺の知識の出番ですよ!

 

「それって連作障害ですよ。同じ土地に同じ作物を続けて作るとだんだん育ちが悪くなるんです。それを防ぐために、俺たちのいた世界には輪栽式農法っていうのがあって――」

「のーふぉーく農法のことですか? それならとっくの昔に導入済みですよ」

「へ……?」

 

 フローレンスが自慢げに説明する。

 

「前の聖女様が教えくださったそうです。それで一時は良くなったらしいんですが、それでもやはり育ちは悪くなる一方ですね」

 

 ぐぬぬ。また前の聖女様かよ。ちょっとは自重しろっつーの。

 

「じゃあデュロワールって食糧ヤバいんじゃない? パンが無くてケーキを食べなきゃいけないんじゃない?」

「何を言っているのでしょうか、この人は」

 

 フローレンスがバカを見る目で俺を見る。

 

「食糧は大丈夫です。交易で他の国から仕入れできますし、デュロワールでも普通に麦が取れる所はありますから。北部のペイズバスとかルールラントとか」

「そこは元はゴールの領地だったんだがな」

 

 シュテフィさんがふんと鼻を鳴らす。

 

「自国で麦が採れなくなると採れる領地を分捕る。デュロワールはそうやって大きくなったんだ」

 

 んん? いつになくシュテフィさんの言葉に棘がある。まぁ、あまり突っ込んでいい話じゃなさそうだ。

 

「麦はあるのに値段が上がってる? 誰かが価格操作でもやってるのか?」

「それもありますが、フールニエ商会が苦しい理由は別にあります」

「へぇ。よかったら教えてくれる?」

「はい。フールニエ商会は老舗ですから、麦の仕入れ先はデュロワールに古くからある領地がほとんどなんです。でもそこでは今は麦があまり取れない。その上、麦の採れるペイズバスやルールラントには新興の商会が入っていて、高い値段でしか仕入れできなくなっているのです。今、王都で流行っているのはそういう新興の商会に近い店なんですよ」

「なるほどねぇ。しっかし、フローレンスは物知りだね。ほんとにただの小間使いなの?」

 

 訝しく見やると、

 

「私が何のために王宮で働いているとお思いですか」

 

 とニッコリ笑った。

 恐い。恐いよ、フローレンス。

 

「まぁ、そういう理由で、フールニエ商会としては娘を景気の良い商会に嫁がせて縁を結びたいのでしょうね」

「でも、そんなんでいいのかな? なんか政略結婚つーか、商取引みたいだ」

「王都では良く聞く話ですよ。それでもフローレンスやペネロペはいい方です。あたしなんか、下手をしたらどこかの貴族のクソジジイの愛人にされるかもしれないんですから」

 

 ソフィーがため息を吐く。

 

「あー、やっぱりユーゴ様のものになりたいですぅ。レン様、なんとかしてくださいよぉ」

「じゃあ、もういっそのことユーゴが眠ってるうちに裸でベッドに潜り込んじゃえば? で、朝になって雀がチュンチュン鳴いてたらもうこっちのもんだ」

「なぜそこで雀が出てくるんですか?」

 

 ソフィーが疑わしそうな目を向けてくる。

 

「俺たちの国じゃな、男女でそういうことがあった時の朝には雀が鳴くんだよ。だから、朝になって雀が鳴いてたら、たとえ覚えが無くてもソフィーとそういうことをしたんだってユーゴは思うはずだ、絶対。きっと。たぶん」

「ふーん。雀、鳴いてくれるかなぁ」

「本気にしてはダメよ、ソフィー」

「レンは本当に面白いなぁ」

 

三者三様の目に晒されながら、ようやく馬車はダンボワーズの城門をくぐった。

 



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第17話 聖女からの警告

 ダンボワーズ城は、この国の名の元になったデュロワールと言う大きな川の畔の小高い丘の上にあった。

 城壁を巡らせた敷地にはよく手入れされた広い庭園があり、いくつもの尖塔を持つ館は、ここが王城だった頃には王様の家族が住み、且つ政務も行っていたという割には少し小さいようにも思えた。だから新しい王宮を作って移ったのかもしれないな。

 

そして、アンブロシスさんに聞いた話では、王宮がパルリに作られ王族や勇者がそこに移り住むようになっても、聖女はここを離れずにずっと住み続けたんだとか。なんでも、ここから見る景色がお気に入りだったからだそうだ。確かに、館は川に面した位置に建ってるから、そこからの眺めは凄く良さそうだ。

 

 俺たちを乗せた馬車の列は、川とは反対側にある城門を抜け、庭園の中に作られた小道を進んでいった。

そして、騎馬隊と俺の乗った馬車や荷物を載せた幌馬車は館の横手で止まり、ユーゴたちを乗せた馬車は館前の広場まで進んで次々に乗客を降ろしていく。

 それを出迎えるのは、茶髪をおかっぱにしている壮年の男性。空色の瀟洒な貴族服を着て鷹揚に頷いている。

 

「誰っすか?」

「……誰だろうな」

 

 シュテフィさんに聞いた俺がバカだった。くるっと顔をフローレンスに向ける。

 

「ここの城主のジャルジェ公爵様ですね」

「ん? ジャルジェ? 最近どこかで聞いたような気が」

「アンドレ様でしょう」

「ああ、あのイケメンか」

「公爵様はアンドレ様の御父上なんですよ」

 

 ソフィーはそう言うが、おかっぱのおじさんは細面で、上品な感じはするけどイケメンとは言えそうもない顔だ。

 

「似てねぇー」

「アンドレ様は養子ですから。実父は国王陛下です。側室の子だと聞いています」

 

フローレンスの流れるような説明の横から、

 

「シュテフィール・ベルクマンっ!」

 

 いつもの大声が聞こえた。クレメントさんだ。

やっぱりだよ。こうなると思ってた。

 

「なぜお前がここにいる」

「レンがいるからに決まってるじゃないか」

 

 しれっと言うシュテフィさんを無視して、クレメントさんは後ろから来たイザベルさんに顔を向けた。

 

「イザベル、荷物を頼む」

「わかりました」

「ユーゴ様の分は僕に任せてください!」

 

 頷いて荷物が積んである幌馬車に向かって歩いていくイザベルさんをジルベールが追いかける。ソフィーたちもそれぞれの荷物を片付けにそれに続いた。

 ジルベールのやつ、すっかりユーゴの信奉者になっちゃったなぁ。

 ユーゴが魔法をコントロールできるようになり、その桁外れな魔力を目の当たりにしてから、ジルベールはユーゴに畏敬の念を抱き始めた。ユーゴがドラゴン討伐に前向きになっているのも多分に影響しているに違いない。

 

 と、厄介ごとから意識をそらそうとしたが、二人の会話は嫌でも耳に入ってくる。

 

「我々だけではない、公爵様にも迷惑をかけることになるんだぞ」

「なに、私はレンと一緒なら城下の宿屋でもかまわないさ」

「いや、俺がかまうんですけど。ていうか、俺を巻き込まないでくださいよ」

 

 クレメントさんが恐い眼で俺を見るから、慌てて抗議しておいた。

 

「それに、ここに来る途中でレンの秘密を解明する手掛かりが得られたんだ。私が一緒に来たおかげだな」

 

 ドヤ顔で言うシュテフィさんに、クレメントさんは諦めたように大きなため息を吐く。

 

「ああ、わかったよ。来てしまったものは仕方がない。すぐに送り返すとしよう」

「そこは『好きにしろ』と言う流れじゃないのか?」

「馬鹿を言うな。お前の好きにさせたらアンブロシス様の気が休まらん。これ以上頭の毛が抜けたらどうするんだ」

「禿になるだけだな」

「だろう? そうなっては目も当てられん」

「確かに」

 

 二人が悲しい眼で爺さんを見やる。

 

「クレメントさんとシュテフィさんて仲悪いんだと思ってましたけど、実はけっこう仲良しなんですね」

 

 からかうと、

 

「な、何を言い出すのですか、レン殿は」

「ん? 悪いなんて思ったことはなかったが」

 

 と別々の反応が返ってきた。

 

「と、とにかく、アンブロシス様には自分から言っておけよ」

 

 クレメントさんはそう言い捨てて荷物の方へ小走りで去った。

 それを見送りつつ、

 

「シュテフィさんとクレメントさんてどういう仲なんですか?」

 

 と聞くと、

 

「……学院で主席を争った仲だよ」

 

ちょっと間があってから答えが返ってきた。

 

「えっ、クレメントさんってシュテフィさんと同い年だったんですか?」

「ああ、そうだよ」

「もっと年上だと思ってました。あの生え際とか」

「あははは。まぁ、いろいろ気苦労が絶えないんだろう。学院の頃から頭の固い融通の利かない男だったからな」

 

 と懐かしそうに微笑む。

 

「さて、私はアンブロシス様のところに行ってくるよ。レンのことも報告したいしね」

 

 シュテフィさんはひらひらと手を振ると、館へ向かって颯爽と歩き出した。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 馬車が着いたのは昼もだいぶ過ぎた頃だったけれど、ここでがっつり食べてしまうとせっかくの晩餐が食べられなくなってしまう。

 というわけで、各自部屋で軽食を取ることになった。

 ここの使用人に案内された部屋は、馬車を降りた館とは別の建物のこじんまりした部屋だった。家具類は簡素な木のベッドとテーブル、椅子、チェストがあるだけ。

 

 給仕されたクッキーを食べ、お茶を飲む。

 この世界ではまだ紅茶は無くて、もっぱらハーブティだ。最初は何だこれって思ったけど、さすがにもう慣れた。

 それも飲み終わると夕食まですることがない。

 どたっとベッドに体を投げ出す。

やっぱり馬車の揺れの影響か、お尻に痛みが残ってる。黒姫に聖魔法をかけてもらいたい。

でも、馬車を降りてからも全然話す機会無かったな。あいつらは賓客扱いだし、きっともっといい部屋にいるんだろうなぁ。

 

そんなことを考えながらうつらうつらとしていると、ノックがあってイザベルさんが顔をのぞかせた。

 

 

「マイ殿が外に来て欲しいと仰っています。景色が綺麗だから一緒に見ないかと」

 

 イザベルさんの先導で外に出る。

 本館から石造りの塀が伸びていて、その向こうの敷地の一番端に黒姫がいた。ユーゴも一緒だ。俺を見つけて手を振っている。少し離れてクレメントさんと護衛の騎士、アレンとかいう黒髪の男と金髪の女の騎士が警戒するように立っていた。

 小走りでそこへ向かう。

 

「遅―い」

 

 着くなり文句を言う黒姫に手招かれて隣に並ぶ。ユーゴも横に並んだ。

 腰ぐらいの高さしかない石造りの塀の向こうはかなりの高さがあって、目線の下に城下の建物の煙突と三角屋根が見える。その向こうに大きな川が右から左へとゆったりと流れている。白い壁と紺色の屋根以外は高さも形もばらばらな建物たちは、その川に沿って左右に広がり、かつての王都の面影を見せていた。

 

「ほら見て、橋」

 

 言われるまでもなく、目の前に石橋が架かっている。それは中州を挟んで100m以上ありそうな対岸に続いていた。

 そのまま目線を遠くにやると視界が広い景色を捉える。

 眼下の城下町以外、所々に建物が固まっているのが小さく見えるだけで、見渡す限りに森と耕作地の丘がずっと遠くまで連なっていた。日本で見慣れていた四角いビルや一面の田んぼや高い山並みなんてどこにも無い。全くの異世界。

 

「凄い……」

 

 思わず言葉が零れる。

 

「ほら、あっちも」

 

 黒姫が指をさしながら体を寄せてきた。え、何? ちょっと柔らかいんですけど。

 

「景色を見る振りのまま聞いて」

 

黒姫が早口で囁いた。日本語で。

 

「えっ?」

「ほんとだ。黒姫さんの言うとおり。いいね、景色が」

 

俺の間の抜けた声にユーゴの機転の利いたセリフが被る。

 

「私の部屋ね、前の聖女が使ってた部屋だったんだけど、そこに聖女のタペストリーがあって、それにメッセージが書かれてたの。模様に紛れてカタカナで書いてあったから、ここの人には知られたくなかったんだと思う」

 

クレメントさんや護衛騎士から見えないように、こそっと紙切れを渡された。

 

「写したから後で見て」

 

それだけ言うと、髪をかき上げながら『言葉の魔法石』をつけ直して、「あ、市場があるよー」と嬌声を上げた。

 

「ほんとだー」

「何売ってんのかなぁ、って、俺金持ってなかったわ」

「あ、私も」

「僕、少し持ってる」

「え、ウソ」

「なんで?」

「魔法の練習で描いた絵を買いたいっていう人がいたらしくて」

 

とかなんとか雑談を交わしているところにあのイケメンがやってきた。

 

「勇者様、聖女様。そろそろ晩餐の用意ができます。食堂までご案内いたしましょう」

 

 爽やかな笑顔で「どうぞ」と黒姫をエスコートする。

ユーゴとクレメントさん、イザベルさん、護衛の騎士がそれに続く。と思ったら、護衛騎士のアランが俺の方に近づいてきた。

何か用かなと見ていると、蔑むように唇の端を上げる。

 

「お前、黒髪のくせに平民並みの魔力しかないんだってなぁ」

 

 いきなり失礼だな、こいつ。

 けど、間違いは断固として訂正しておこう。正面に立ち、若干見下ろす感じでメンチを切る。

 

「誰に聞いたか知らないけど、それは違うな」

「へぇー。何が違うんだ?」

「『平民並みの魔力しかない』じゃない。『平民並みの魔法も使えない』だ。よく覚えとけ」

「……はんっ。馬鹿か、こいつ。まぁ、どっちにしたところで、聖女はアンドレ様のものになるんだからな。分をわきまえておけよ」

 

 アランはそう吐き捨てると、くるりと踵を返して館へ戻っていった。

 何のことやら……。

 

さて。

石のベンチに腰を下して黒姫から渡された紙を広げる。

メッセージはカタカナで書いてあったと言っていたけど、黒姫が書いた文は普通に漢字かな混じりに直してあった。

 

『私の名前はナエバサクラです。大学の3年生でした。この世界に聖女として召喚され、勇者のタニガワカツトシと共にドラゴンと戦った後、日本に帰らずに残ったのは、聖女として崇められ、ハンサムな王太子に求婚もされて、このおとぎ話のような世界で幸せな人生が送れると思ったからです。

けれど、それは幻想でした。生まれた子供が女ばかりだったせいで、王太子の心は私から離れていきました。彼が欲しかったのは私の魔力を受け継いだ男子だったのです。

次に来る聖女よ。決して王族に気を許してはいけません。王族は聖女と勇者の血を自分たちの中に取り込むことしか考えていません。

その後、私は平民の生活水準と識字率の向上に尽くしました。平民の教育水準が上がり魔法に頼らない世の中になれば、いずれ彼らは革命を起こして王権を倒してくれるでしょう。できるならば、その後押しをしてください。それが私の望みです。

追伸、勇者は当てにできないわよ。本当に男ときたら色香に弱いんだから』

 

 うーむ。

あの、数々の現代知識の伝授にこんな呪いがあったとは……。恐ぇえよ、ナエバサクラ。

 



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第18話 勇者の血 聖女の血

お酒は二十歳になってから。


 使用人が夕食だと呼びに来た。

 どうやら俺のことをかなり探したようで、若干不機嫌である。

 しおしおと後をついて、ユーゴたちとは別の控えの食堂に案内される。そこには既にシュテフィさんが席について夕食を取っていた。その長いテーブルの向こう側で、金髪の男と黒髪の女性の護衛騎士ががつがつと料理を平らげながらちらりと俺に視線を飛ばす。

 

 ユーゴとマイ、アンブロシスさんは迎賓の間で晩餐をいただいてるらしい。クレメントさんたちは付き添いかな。護衛はここにいる護衛騎士とは違う方のペアがしてるんだろう。ご苦労なことで。

 

 シュテフィさんの向かいに座り、給仕を受ける。さすがに公爵様の城。ロッシュより料理が豪華だ。野菜の酢漬けと洋風のカマボコみたいなやつ、かぼちゃのスープ、ロールキャベツのクリーム煮、茹でたウインナー、種類の違うパン、デザートの果物。あ、ワインじゃなくて果実水くださーい。

 

 それにしても、あのメッセージ、はたして真に受けていいものだろうか。

 革命云々はともかく、王族は勇者と聖女の魔力を持った子供が欲しいだけだから信用するなってことだよな。じゃあ、ドラゴン退治は召喚の口実なのか? いや、たぶんそれが一番なんだと思う。今まで聞いてきた話からすると、ドラゴンの被害は甚大でそれを止められたのは勇者と聖女だけだったというのは間違いない。ただ、王族にとってはそれ以外にも利用価値があったってことか。例えばその魔力……。

 

 目の前で黙々と料理を口に運んでいるシュテフィさんを見やる。

 シュテフィさんは魔力の研究をしてるんだったよな。ちょうどいいや。

 

「シュテフィさん、ちょっと質問していいですか?」

「ん? ああ、かまわないよ」

「やっぱり魔力って大きい方がいいんですか?」

 

 聞くと、シュテフィさんは食事の手を止めて熱い眼差しで俺を見る。

 

「魔力が少なくてもレンは十分価値があるよ」

「いや、俺のことじゃなくて一般論でお願いします」

「なんだ、一般論か。つまらん。まぁ、魔力は大きい方が有利なのは確かだよ。我々貴族が平民の上にいるのも魔力が大きいからだしね」

「じゃあ、王族が一番魔力が大きいってことですか?」

「そういうことになるかな」

 

 逆に言うと、魔力が大きくないと王族としていられないってことか。なるほど。勇者たちの強い魔力を自分たちの血筋に取り入れたくなるのは、今の支配的な地位を守るためか。

 

「ちなみにですけど、勇者や聖女の子孫ってやっぱり魔力が大きいんですか? ルシールとかそうですし」

「そうだね。魔力の強さは親から子へと受け継がれる傾向があるのは確かだよ。それに倣えば、勇者や聖女の子は強い魔力を持って生まれてくることになるだろうね」

「じゃあ、勇者と聖女の間に子供ができたら最強じゃないですか」

「それが不思議なことに、聖女の子供はすべて女で聖属性しか持って生まれてこないんだよ。その子も然りだ」

 

ふーん。優勢遺伝とかそういうのかな。生物は苦手なんだよな。

 

「勇者の方は?」

「そっちは特に性別や属性の偏りは無かったと思う。ただ、生まれた子供の中でも髪が黒い子供は特別扱いされるようだね」

「やっぱり魔力が大きいからですか?」

「それもあるけど、紛れもなく勇者の血と力を受け継いでいると一目でわかるからだとさ。王族の多くがそうであるように」

「まぁ、確かにそうですけど」

 

 今のところ黒髪なのは、ルシールとアンドレたち護衛騎士の3人。王様も黒髪だっけか。ジルベールは2代目勇者の子孫だけど金髪だったよな。

 すると、大きな魔力が近づいてきて、

 

「黒髪がどうかした?」

 

と声をかけられた。確か、サフィールとかいう名前の黒髪ショートの女騎士だ。威圧的な茶色の眼を俺に向けてくる。会話を聞かれてたかな。

 

「あ、いえ、その、黒髪の人たちって勇者や聖女の子孫なのかなぁって思って」

「そうよ。これは勇者様の血と力を引き継ぐ証だもの」

 

 と、彼女は優雅な手つきで髪を撫でつけた。

 

「そのせいで、私には幼いうちから両手の指では足らない程に婚約の申し込みがあったのよ。でも、それは全て断わらせてもらったわ。だって、私は勇者様に嫁いで子をもうけるという定めがあるのだから」

 

 ふーん。てことは、この人も王族なのか?

 

「あの、あなたも王族なんですか?」

 

 聞くと、彼女はブンブンと首を横に振った。

 

「まさか。私のような者が王族などと畏れ多い」

「でも黒髪ですし」

「黒い髪が必ずしも王族というわけではないわ」

「そうなんですか。でも、勇者の子共が欲しいんですよね?」

「そうよ。私と勇者様の子共たちならば、さぞかし強い騎士になるでしょうね。それは即ち、この国の力となるの。先の勇者様、私のお爺様はたくさんのお子をもうけられて、この国を大きくすることに貢献されたと聞いているわ。だから、私も勇者様との子をたくさん産み育て、デュロワール王国の栄光に貢献するつもり。それができるのは私だけよ」

 

 うっとりとした顔で話してくれたけど、このお姉さんの言ってるのも勇者の血を取り込むってことなのか?

よし、ユーゴのためにちょっと予防線張っとくか。

あ、これは別にユーゴがこの可愛い感じのお姉さんと子供ができるようなあれやこれをするのに嫉妬してるからじゃないぞ。俺たちは日本に帰るんだから、子供とか作っちゃうとアレだからな。

 

「あなたがユーゴと子供を作りたいのはわかったけど、ユーゴの方はどうっスかねぇ。あいつにも好みとかあるだろうし。年上の女性はどうだったかなぁ」

「それは問題ないわ」

 

 俺の牽制に彼女は少しも動じなかった。

 

「ニホンには女からのその手の申し出を男が断ってはならないという決まりがあるのでしょ? 『スエゼンクワヌハオトコノハジダ』だったかな? お爺様がよくそう言っていたとお婆様から聞いているもの」

 

 お爺様ってタニガワカツトシか? ったく、何伝えてんだよ。

 サフィールは自慢げに語ってるけど、きっとお婆さんは愚痴ってたんだと思うぞ。

 

「サフィール、そろそろ交代に行かないと」

 

 金髪の護衛騎士に声をかけられて、サフィールはぐるっと振り向いて「わかった」と返す。そして、もう一度くるんと俺に顔を戻して蠱惑的に微笑む。

 

「レンとか言ったかな。せっかく黒髪なのに魔力が無いなんて残念だったね。もし勇者のような魔力があれば、容姿も体格も悪くないし、私の夫にしてあげてもよかったのだけど」

「はぁ、どうも」

「では、先に失礼するね」

 

 サフィールはそう言い残すと、カツカツと靴を鳴らして食堂を出ていった。その後を追う金髪騎士が俺の横を通り抜けざま、

 

「黒髪だからっていい気になるなよ」

 

 と、吐き捨てていく。

 そういう文句は本人に言ってくれないかなぁ……。

 

「ええっと、それで、何でしたっけ?」

 

 サフィールが割り込んでくる前の話に戻そうとすると、シュテフィさんは冷めた表情で「私はその分野にはそれほど詳しくも興味も無いのだけれど」と前置きして話し始めた。

 

「彼女が言ったとおり、この国が大きくなる時、つまり他国と戦争をする時に勇者の子孫たちの力は大いに役立ったのは事実だ。彼らの魔力は普通の魔法士や騎士の何倍、何十倍もあるからね。だから、非常に乱暴に言えば、この国が他国の土地を奪うには勇者の力が必要なんだよ」

 

 なるほど。王族が勇者の子共を欲しがるのは自分たちの保身のためだけじゃなくて、国家の戦力としてなのか。

 

「聖女の方はどうだったんですか?」

「さっきも言ったけれど、聖女の子共は聖属性の女しか生まれなかったからね。勇者の子孫ほどには重用されなかったと記憶しているよ」

「でも、ケガの治療とか魔力の補給とかできるんですよね、聖魔法は」

 

 前にどうして勇者だけでなく聖女も召喚されるのかとアンブロシスさんに聞いた時に、ドラゴンと戦う勇者のケガを治したり魔力を供給するためだろうと教えてもらった。あと、「召喚術式を創った魔術士の趣味かもしれんがのぉ」と冗談か本気かわからんことも言ってたけど。

 

「もちろんそうだよ。しかし、女では家を継がせられないからね」

 

 ナエバサクラも、王太子は聖女の魔力を受け継いだ男子が欲しかったと言ってたっけ。

 

「もっとも」

 

 と、シュテフィさんは意味深な眼で俺を見た。

 

「今の聖女から生まれる子もそうとも限らないけれど」

 

 ああ、それでアンドレが黒姫に近づいてるのか。けっ。

 

「個人的には、今の勇者にも聖女にも他国との戦争に利用されるようなことはして欲しくないと思っているよ」

 

 そう言って、シュテフィさんはワインをゴクゴクと飲み干した。

 

 

 

 夕食を食べた後、さっき黒姫たちと会った場所に足を向けた。

 もうすぐ夏至だからなのだろう。西の空にはまだオレンジ色が残っている。とは言っても、下に見える街は既に影が濃くなり始め、建物の窓からは白い明りが漏れていた。

 

「さすがに街灯までは無いか」

 

 得意技の独り言を発動させつつ、暮れていく景色をぼんやりと眺めていた。

 

 ナエバサクラの警告どおりだな。

ユーゴも黒姫も王族のターゲットになってる。特に黒姫を狙ってるあのイケメン野郎はヤバい。

 でもなぁ、黒姫がモテるのは今に始まったことじゃないし、モブキャラの俺がどうこう言えることでもないよなぁ……。けど、やっぱ忠告の一つくらいしても余計なお世話じゃないよな。三人で日本に帰るって誓ったんだし……。いやでも、あいつにはあいつの人生っつーもんがあるだろうし、俺にそれを邪魔する権利なんてあるわけない。やっぱ余計なお世話か……。いや、聖女様も気を許すなってわざわざ忠告してくれたんだ。念のため一言言うくらいは――。

 

「なーに? 黄昏ちゃって」

 

 突然、黒姫の声がして、ドキンっと心臓が鳴った。

 

「うわぉお」

 

 変な声まで出た。

 

「な、何。そんなにビックリした?」

「あ、や、ちょうど黒姫さんのこと考えてたから……」

 

動揺して思わず言ってしまった。

 

「え、私のこと……?」

 

 口元を押さえる彼女の顔が赤いのは、きっと残照のせいばかりじゃない。だって、酒臭い。

 

「黒姫さん、酒飲んだのか?」

「ジャルジェさんに勧められちゃって。この世界じゃ大人なんだからセーフでしょ。それに、ここのワインすっごく美味しいんだから」

「あんな酸っぱ苦いもんのどこが美味しいんだか」

「はぁ~。子供ねぇ」

 

 クスクスと笑ったかと思うと、急に真面目な顔になって、「読んだ?」と口だけが動く。彼女の後ろにイザベルさんやサフィールがいるからだ。

俺もこくっと小さく顎を引いてから、こそっと聞いてみた。

 

「大丈夫か?」

「何が?」

「あのイケメン、王様の子供だって聞いたぞ。王族だぞ。気をつけた方がいいんじゃないか?」

 

 黒姫はぽかんと俺を見たかと思うと、くすっと笑った。そして一歩距離を取る。

 

「え、何? 高妻くん、アンドレにヤキモチ焼いてるの?」

「ちげーよ。つか、声がでかい」

 

 せっかく小声で話してたのに。いや、だからか。あんまりこそこそしてちゃ怪しまれるもんな。でも、もうちょっとセリフのチョイスを考えようね、うん。

 

 はぁーとため息を吐いて空を見上げると、そこには半分欠けた月があった。

 そういえば、月のこと言ってなかったなぁ。

 

「……実は俺、黒姫さんに言いそびれてたことがあるんだけど」

「ん、なーに?」

「月が……」

 

 言いかけて、イザベルさんやサフィールがいることを思い出した。ここで言うのはちょっとマズいかも。

 

「月?」

 

 黒姫はこてんと小首を傾げてから、空を見上げた。

 

「月がどうしたの? ……あ」

 

 気づいちゃったか?

 黒姫を見やると、なんだか困ったような顔をしている。

そして、バっと頭を下げた。

 

「ごめんなさい。高妻くんのことは嫌いじゃないけど、その、まだ友だちっていうか、一緒にやっていく仲間だと思ってるから。それに、今そういうこと言われても困るし……」

 

 ……何言い出すんだ、こいつ。

 

「えっと、なんで俺、振られたみたいになってんの?」

「え、だって、そういうことでしょ?」

「は?」

「だから、月が綺麗って言おうとしたんでしょ?」

「全然話が見えないんだけど」

「え、知らないの? あの有名なセリフ」

「知らない」

「じゃあ、月がどうしたのよ?」

 

 黒姫がむっと不機嫌になって問い詰めてくる。けど、今は言えない。

 

「……今度言うよ」

 

 ちょっとぶっきらぼうな言い方になってしまった。

 すると、黒姫はまたくすくすっと笑って、

 

「いいわ。そうよね、諦めたらそこで試合終了だもんね」

 

 と、わけのわからんことを言う始末。

 

「マイ殿。酔い覚ましはこれくらいにして、そろそろ戻りませんと」

 

 イザベルさんが見かねたように声をかけてくれた。

 そういえばこいつ、酔っ払ってるんだよな。

 黒姫は「はーい」と返事をしてイザベルさんの方へと歩き出す。

 と思ったら、くるりと振り返った。

 

「高妻くん。心配してくれてありがとう。私、あの誓いはちゃんと覚えてるから」

 

 そう告げた時の笑顔は、いつもの黒姫だった。

 




続けて閑話も投稿します。


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閑話3 聖女のタペストリー

 【マイ視点】 聖女のタペストリー

 

 ダンボワーズ城に来るのはこれで2度目。

 前回は夕方も遅くに着いて、馬車酔いのせいで夕食もお断りしてベッドに直行したのよね。ていうか、馬車のあの振動なんとかならないの?

 まぁ、今日も馬車の揺れはサイアクだったんだけど、こっそり自分に癒しの魔法をかけていたおかげで気持ち悪くならずに過ごすことができた。魔法ってスゴイ!

 

 で、城主のジャルジェさんの出迎えを受けた後は晩餐まで部屋で休むように言われて、この城の侍女さんに案内してもらっているところ。

 ダンボワーズ城には廊下というものが無くって、部屋同士が繋がってる作りになってるのよね。だから、移動する時は隣の部屋を通り抜けなくちゃいけないの。

 

 そうやっていくつかの部屋を通り抜けて案内されたのが、私の泊まる部屋。

 広さは20畳くらい? 壁はオフホワイト。茶系統のタイルの床とかチョコレートブラウンの梁がはしる天井とかと相まって、なかなか落ち着いた雰囲気。家具もシックな色合いで、なんとなく和のテイストを感じさせるわ。

 それもそのはず。この部屋は前の聖女が亡くなるまで使っていた部屋で、彼女の遺言で当時のままを保っていると案内してくれた中年の侍女さんが言ってたけど、あのベッドで亡くなったのかもって思うとけっこう恐くない?

 

 でも私が興味を持ったのは、そのベッドを挟むようにして壁に飾ってある2枚のタペストリーの方。

 実は、前に王様に謁見した時もこの部屋に泊まったんだけど、あの時は馬車酔いが酷くてこんなタペストリーが飾ってあることに気づかなかったのよねぇ。

 

 まぁそれはともかく、問題のタペストリー。向かって右側のやつには長い黒髪の女性が静かに立っている姿が描かれているの。

 これ、前の聖女のサクラさんよね。たぶん。

 合わせ襟の白い服に緋色の袴みたいなスカートをはいて、頭には金色のティアラを載せてるんだけど、これどっからどう見ても巫女の衣装ね。サクラさんの聖女のイメージって巫女だったのかしら? ないわー。私だったら恥ずかしくって着れないなー。

 

 もう1枚の方はっと……。こっちもサクラさんね。服装はルシールの着ているものと同じ淡いピンク色のローブで、子供たちに絵本を読み聞かせているシーンかな。ルシールが言ってたけど、サクラさんて貴族だけじゃなくて平民の子共たちにも絵本を読み聞かせてたそうだから、きっとそれを描いているのかも。

 

 でもねぇ、背景がちょっとイマイチなのよねー。なぁに、この縦ストライプにちょこちょこと横線や斜め線が組み合わせてあるあみだくじみたいな柄は。幾何学模様っていえば聞こえはいいけど、はっきり言って変。

 一応、いろいろな色は使ってるみたいだけど、ちょいちょい微妙に色の変わってる線があるのよ。それがね、なんか文字みたいに見えちゃうの。パレイドリア現象だっけ? 要は錯覚。思い込み。ほら、あれなんかカタカナの二でしょ。それからホ。次がン……ん? ニホン?

 え? ちょっと待って。

 二、ホ、ン、二、カ、エ、ラ、ス、いやズね、ニ……。『日本に帰らずに』って書いてある!

 よく見たら。背景の模様にびっしりカタカナが……。どういうこと?

 とにかく、拾い出してみましょう。

 

『ワタシノナマエハナエバサクラデス』

 

 なえばさくら。苗場咲良かな?

 

『ダイガクサンネンセイデシタ』

 

 二十歳ぐらいだったのか。オバサンね。

 

『コノセカイニセイジョトシテショウカンサレ、ユウシャノタニガワカツトシトトモニ』

 

 勇者は谷川かつとしか。漢字はわからないけど、こっちの人には発音しにくそう。

 

『ドラゴントタタカッタアト、ニホンニカエラズニノコッタノハ、セイジョトシテアガメラレ、ハンサムナオウタイシニキュウコンモサレテ』

 

 ハンサムって何かしら? ま、いーや。先に進もう。

 

『コノオトギバナシノヨウナセカイデシアワセナジンセイガオクレルトオモッタカラデス』

 

 なるほどねー。

 

『ケレドソレハゲンソウデシタ。ウマレタコドモガオンナバカリダッタセイデ、オウタイシノココロハワタシカラハナレテイキマシタ。カレガホシカッタノハワタシノマリョクヲウケツイダダンシダッタノデス』

 

 何それ、ひっどーい! 王太子ってサイテー! 女性は子供を産む道具じゃないのよ!

 

『ツギニクルセイジョヨ。ケッシテオウゾクニキヲユルシテハイケマセン。オウゾクハセイジョトユウシャノチヲジブンタチノナカニトリコムコトシカカンガエテイマセン』

 

 そっか。これサクラさんから私に宛てたメッセージなんだ。カタカナなのはここの人たちには気づかれたくなかったからなのね。背景の模様にカタカナを紛れ込ませてメッセージを送るなんて、やるじゃない。聖女様。

 もう一つの方にも書いてあるのかしら。えーっと……。

 

『ソノゴ、ワタシハヘイミンノセイカツスイジュントシキジリツノコウジョウニツクシマシタ』

 

 あ、この絵のことね。他にも現代の知識とか技術とかいっぱい広めたらしいもんね。それも平民に。まさしく聖女様って感じ。

 

『ヘイミンノセイカツスイジュンガアガリマホウニタヨラナイヨノナカニナレバ、ヤガテカレラハカクメイヲオコシテオウケンヲタオシテクレルデショウ』

 

 は? 何、革命って? サクラさんて大学紛争とかそういう時代の人? 恐っ。

 

『デキルナラバ、ソノアトオシヲシテクダサイ。ソレガワタシノノゾミデス』

 

 無理です。ごめんなさい。私、そこまでこの世界に深入りするつもりないから。

 

『ツイシン。ユウシャハアテニデキナイワヨ。ホントウニオトコトキタライロカニヨワインダカラ』

 

 確かに。

 白馬(しろうま)くんは大丈夫だと思うけど、問題は高妻(たかつま)くんよね。あの人、ルシールの前でいっつもデレデレしてるし、小間使いの女の子たちとも妙に仲がいいみたいだし。そのくせ、私にはセクハラまがいのことばっかりしてくるのよね。何? 私のこと好きなの? 小学生男子か。

 まぁ、私が落ち込んでた時に気遣ってくれたりして悪い人じゃないみたいだから、いつか高妻くんのことを好きになってくれる人が一人くらいいるわよ。きっと。

 

 それはともかく、高妻くんが悪い女の色香に惑わされないように私がしっかり彼のリードを握っておかないとダメね。

 とりあえず、このメッセージは二人にも伝えてあげよう。

 でも、追伸のところは高妻くんの分にだけ書こうかな。あの人にはしっかりと読んでもらわなきゃ。

 



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第19話 やっちゃった!

 太陽が東の丘の上に昇る。

 

「もう彗星は見えないな」

 

 独り言を呟きつつ、俺は日課にしている朝のジョグのため庭園の中を通る小径を走っていた。

 雀がチュンチュンと鳴く清々しい朝の空気の中を快調に流す。

 夏至が近いからけっこう早い時間だと思うのに、使用人の皆さんはもう働き始めている。ご苦労様です。

 

 このデュロワールには、俺たちがよく知っている時計というものがない。

 日時計がメインらしく、日の出と正午と日の入りとそれぞれの中間に鐘が鳴るだけで、非常に大雑把だ。その他に水時計とかもあるらしい。あと、でっかい砂時計があるかどうかは知らない。

 

「聖女様、時計に関してはノータッチだったんだな。時計の知識が無かったのか、革命に必要ないと思ったのかはわからんけど」

 

 また独り言を零していると、誰かが剣の素振りをしているのが見えた。あのイケメンだ。

 無視して走りすぎようとしたけど、どうやら見つかってしまったらしい。

 

「やぁ、おはよう。君も朝から稽古かい?」

 

 朝からきっちり着込んだイケメンが爽やかに笑って声をかけてきた。白い歯が朝日を反射してキラリと光る。けっ。

 しょうがないので、足を止めて向かい合う。

 

「おはようございます。まぁ、魔法が使えないんで、せめて体力くらいはつけておこうかと思って」

「へぇ。それは感心だね」

「ジャルジェ男爵も朝から剣の稽古っスか?」

「アンドレでいいよ。こういうのは毎日やらないと鈍っちゃうからね」

 

 とちょっと照れたように笑う。白い歯が(以下略

 

「そういえば、マイから聞いたんだけど、君、『総受けのレン』っていう二つ名があるんだって? ぜひ、お手合わせ願いたいな」

 

 あいつ、何教えてんだよ。ていうか、

 

「あのぅ、お手合わせって剣のことですよね?」

「ん? 他に何の手合わせがあるんだい?」

「ですよね」

 

 よかったぁ。

 あっちの手合わせだったらどうしようかと思った。まぁ、どっちでも断る一択だけど。

 

「せっかくですけど遠慮しときます。アンドレさん、強そうだし」

 

 マジで。あの黒髪三人衆の中で、この人が一番強そうに感じる。

 

「ご謙遜。ま、気が変わったらいつでも言ってよ」

 

 それだけ言うと、アンドレはもう俺を気に留めることなく素振りを再開する。俺もさっさとその場を離れることにした。

 

 イケメンで王族で爵位もあって、でも地味な努力も怠らない。その上、こんな俺にまで気さくに声をかけてくれるとか、ほんとどんだけイイヤツだよ。あと、「マイ」って言ってたような気もするけど、それはまぁいいか。

 はぁ~と吐いたため息は、朝の爽やかな空気に溶けてくれた。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 汗を拭き、身支度を整える。

 俺たちが朝食を食べる習慣があるのは予め連絡されていたようで、使用人の案内で食堂に行くと、もうユーゴが来ていた。

 でもなんか元気がない。テーブルに肘をついて組んだ手に額を当てて俯いている。まるで祈りでも捧げているようだ。

 

「ユーゴ、オッス」

 

 声をかけると、ガバっと顔を上げたユーゴに腕を掴まれて窓際へと拉致された。

 

「な、何? どうしたん?」

 

 ユーゴは食堂の戸口に立っている護衛騎士のアレンを気にしながら小声で吐露する。

 

「あの……実は、朝目が覚めたら隣でソフィーが寝てて……裸で……」

「あー……」

 

 ソフィーのやつ、アレ実行しちゃったのか。

 

「昨夜ワイン飲んだせいだと思うんだけど、あんまり覚えてないっていうか、正直記憶が無いんだよ。ソフィーが僕とそういうことしたいって思ってるのに気づいてたけど、僕は日本に帰るんだから無責任なことしちゃダメだって我慢してたのに」

 

 ユーゴが世界の終わりみたいな顔をしている。めっちゃ後ろめたい。

 

「すまん、ユーゴ。実は、ソフィーにユーゴが寝てる間に裸でベッドに入っちゃえばって唆したの、俺なんだ」

「レン……」

 

 ユーゴがジト目で俺を見る。

 

「いや、ほんとにすまん。でもほら、覚えてないなら未遂かもしれないだろ?」

「……血がついてた」

 

 マジか。あいつ処女だったのか。

 

「シーツに?」

「……僕のにも」

 

 生々しいな。いや、よく知らんけども。

 

「あと、ちょっと匂いも」

「ストップストップ! わかった。皆まで言うな」

 

 これ以上は童貞の俺には刺激が強すぎる。

 

「と、とにかく、アレだ。男としては先を越されてちょっと悔しいけど、うん、卒業おめでとう」

「レン……」

 

 ユーゴが複雑な表情になる。

 

「僕、別に初めてじゃないんだけど……」

「え……」

 

 マジか! 童貞じゃなかったのか。

 

「そ、そう……」

「うん……」

 

 気まずい……。いや、待て。ちょっと待て。

 嫌な可能性が頭に浮かぶ。もしかして……。

 

「俺が魔法を使えないのって、……童貞だから?」

 

 普通逆だよね? 30歳まで童貞だったら魔法使いになれるんだよね? 

 

「え、まさか、そんなこと……無いよ……たぶん」

 

 ユーゴも否定してくれたけど、安心できない。

 

「どうしたの? 朝から二人で暗い顔して」

 

 振り向くと、黒姫が不審そうにこっちを見てる。

 

「いや、俺が……」

 

 慌てて口を閉じた。

 何言おうとしてんだよ、俺。やっぱ、非童貞魔法使い説のショックが大きいのか。

 

「高妻くんがどうしたの?」

 

 黒姫が心配そうに聞いてくる。

 

「えっと……あ、俺が聞いた話でユーゴと王女様が結婚するっていうのがあったから、そこんとこどうなのって話してただけだよ」

 

 適当に誤魔化すと、「ふーん」と興味の無さそうな相槌が返ってきた。セーフ。

 そこへイザベルさんが入ってきて話を拾う。

 

「王女と言うと、第二王女のクラリス様ですか?」

 

 王女様、クラリスって言うのか。泥棒さんに心を盗まれそうだな。

 

「クラリス様はまだ11歳ですよ」

 

 お巡りさーん、こいつでーす! 

 脳内でユーゴを緊急確保している間にも、会話は続く。

 

「ですので、結婚ではなく、婚約でしょうか」

「でも、王女様なんだろ? ユーゴなんかと婚約していいのか?」

「先の勇者様も王女様を娶っていますからね」

 

 「なんかって」とユーゴが落ち込んでるがスルー。

 

「じゃあ、護衛騎士のサフィールさんのお祖母さんって王女様だったのか」

 

 独り言のつもりだったのに、イザベルさんが耳ざとく教えてくれる。

 

「あ、彼女の祖母はその時聖女様の護衛をしていた女騎士だったはずです」

 

 なんですとぉ? 

 うーむ。もしやとは思うが……。

 

「あの、他にも奥さんとかいたりしたんですか?」

 

 こそっと聞くと、イザベルさんはちょっと憐れんだ目で俺を見る。

 

「レン殿には全く縁の無い話になると思いますが、先の勇者様には王女様を始め、公爵家のご令嬢姉妹に隣国の姫君、先程の女騎士、それに侍女。他にはドラゴンとの戦いで身寄りの無くなった平民の娘たち。それから……」

 

 おいおい。据え膳喰いすぎだろ。そりゃ、サフィールのお祖母さんもサクラさんも嘆くわ。

 ていうか、それ俺がやりたかった『異世界に召喚された俺がチートで無双してドラゴン倒しちゃったけど帰らずにハーレム作ってもいいですか』じゃん。くっそー。

 

「し、白馬くんは大丈夫よね?」

 

 黒姫がかなり引いた様子でユーゴに確認する。

 

「え、だ、だ、大丈夫だよ……。たぶん……」

 

 あからさまに狼狽えるユーゴに黒姫の疑念の視線が突き刺さる。

 けれど、運良く朝食が運ばれてきて、その話題はうやむやのままになった。よかったな、ユーゴ。

 

 

 

 朝食での話題は今後の予定だ。

 俺たち3人とここにいないアンブロシスさん、アンドレと専属の護衛騎士4人を残して、クレメントさんたちと他の護衛騎士団員は今日これから王都へと出発する。

 

「えーと、俺たちっていつ王都に行くんだ?」

 

 実は、俺はクレメントさんたちと一緒に行く予定だったんだけど、黒姫たちが「三人一緒じゃないとダメ」と強硬に反対してくれたおかげで今ここにいるわけだが、この先のスケジュールを全く知らされていない。

 

「午後の鐘の頃に王都に行ってくそうよ」

 

 答えてくれたのは黒姫。

 

「あ、意外と早い。ていうか、じゃあ、なんで別々に行くわけ?」

「あのね、私も昨夜初めて聞いたんだけど、転移魔法って言うので王宮に行くんだって」

「転移魔法?」

「ここにある魔法陣から王宮の魔法陣へあっという間に移動できる魔法だって言ってたよ」

「そんな便利なものがあるのなら、わざわざ馬車なんて使わなくてもいいのにね」

 

 ユーゴは説明する横で、馬車に弱い黒姫が文句を言う。ま、それができない理由があるから馬車が使われてるんだよな。

 予想どおり、転移魔法は転移できる場所や一度に転移できる人数が決まっていて、その上多量の魔力を使うらしい。そして何より、ここの転移魔法は王宮に繋がっているので王族しか使えないのだとか。

 

「ふーん、王族専用なのか」

「王族専用ってことは、当然王様も使えるんだよね」

 

 ユーゴが何かを思い出すように言った。

 

「だろうな」

「もしかして、この前王様に謁見した時もそれ使ってここに来たのかな?」

「ああ。わざわざ王都から馬車で往復8日間とか言ってたことあったな。そっか、あの時も転移魔法使って来てたのか」

 

 その話をしてる時に誰かが何か言いたそうな雰囲気があったけど、そういうことだったのか。まぁ、あの時は黒姫がそれに感心して王様に好印象を持ってたから言い出せなかったんだろうな。

 

「うー。なんかずるい」

 

 黒姫も思い出したようだ。

 

「でもまぁ、4日も馬車に乗るよりはいいから許す」

「だよな。しかも王族専用ってのをわざわざ使わせてもらえるんだもんな。逆に感謝するべきだぞ、黒姫さん」

「……なんか偉そうに言ってるけど、私が言ってあげたおかげで4日間馬車の刑にならずに済んだのは誰かしらね? 高妻くん」

「はいすいませんちょーしのってました」

 

 テーブルに額をこすりつけて謝っておく。

 

「でも、感謝はするべきかしらね。王族でもないのに使わせてもらうんだから」

「かもだけど、僕たちにはそれだけの価値があるってことじゃないかな。ドラゴンと戦うために召喚された勇者と聖女だもん。むしろそれくらいしてくれて当然だよ」

 

 ユーゴがさらりと言ってのける。

 確かにそのとおりなんだけど、そこに俺入ってないよね。ユーゴの態度がそこはかとなく冷たく感じるのは気のせいですか? 

 やっぱりアレか。ソフィーに朝チュン作戦を教えたのがダメだったか。いいじゃん、あんなカワイイ娘とやれたんだから。非童貞の考えることはわからんなぁ。

 ああ、早く非童貞になりた~い。

 



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第20話 魔力感知全裸説

 とても幸せそうな笑顔で手を振るソフィーたちが乗った馬車を見送った後、アンブロシスさんが俺たちを一室に集めた。

 魔法学研究所の内密の話ということで、護衛の騎士たちには同室をお断りしてある。

 

「王都に行く前に、シュテフィが君たちに話しておきたいと言うのでな」

 

 シュテフィさんはロッシュに戻るのだそうだ。てっきり俺について王都に来るもんだと思ってた。

 

「レンと一緒に王都に行こうと思っていたのだが、アンブロシス様に却下されてしまってね。だから、ここでレンが魔法が見えたり魔力量を感じたりできることについて私なりにある程度考えたことを報告しておこうと思う」

 

 そう前置きして、シュテフィさんの話は始まった。

 

「きっかけは昨日、ロッシュ城の古い結界を通り抜けた時だ。我々は普通その結界を通り抜けても何も感じない。が、レンはバラの生け垣に裸で突っ込んだような痛みを感じたそうだ」

「高妻くんのこと露出狂だとは思ってたけど、ド変態だったのね」

「どっちも違うっつーの。この世界の人にわかりやすく言おうと思ったらそれしかなかったんだよ」

「じゃあ、本当はどう言いたかったの?」

「んー。なんか強めの電気風呂に入った的な」

「やっぱり裸じゃない」

「でも、それは確かにわからないよね」

 

 ユーゴがフォローしてくれた。

 

「続けていいかな?」

 

 シュテフィさんが苦笑する。

 シュテフィさんが裸の話するからでしょ。ま、それもここまでだろう。続きをどうぞ。

 

「それで私は考えたんだ。レンは常に全裸なんだと」

 

 おい! 黒姫がドン引きじゃねーか。

 その黒姫に、シュテフィさんが「では、聖女」と先生のように名指しする。って、名前は憶えてないんだな、やっぱり。

 

「全裸だということはどういうことだと思う?」

「変質者」

 

 即答しやがった。

 

「勇者は?」

「……恥ずかしい?」

「おまえら真面目に答える気あるのか? ちょっと考えればわかるだろ?」

 

 俺は声を大にして言いたい。

 

「自由だ! 何物にも締め付けられることも遮られることも無い自由。それが全裸ってもんだろ?」

 

 シュテフィさんは眼を薄くして、黒姫はすっと距離を取り、ユーゴは他人のふりをしている。あれ?

 

 こほんとシュテフィさんが改まる。

 

「レンの特殊な感性は置いておくとして、彼の答えの中に一部正解がある。それは遮るものが無いという点だ。故に彼は結界の魔素を始めあらゆる魔素を体に感じてしまうのだ」

「じゃあ、魔力を感じ取れない私たちには遮るものがあるってことね」

「聖女の言うとおりだ」と頷いた。

「それは何ですか?」

「魔力だと私は考えている」

「魔力? 自分自身のですか?」

「そう。レンが魔力を感じるものは彼が感じ取れる程の魔力を出しているということになる。魔法はもちろんのこと、魔法石や我々自身もだ。つまり、我々はレンが感じ取れるような魔力を常に体の外に出していることになるわけだ」

 

 なるほど。

 

「その魔力が服のようになって周囲の魔力が我々自身の体に届かない。逆に、レンは魔力を持ってはいるが外に向かって出せない、魔力という服が無い状態だ。故に周囲の魔力をその体で全て受け取ることになる」

「全裸で総受けかぁ」

 

 変な言い方はやめてもらおうか。黒姫さんよ。

 

「まぁ、まだまだ検証の余地は多いがね。本当にレンは研究のし甲斐があるよ」

 

 と、シュテフィさんは俺を熱く見つめた。

 

「ええと、レンが魔力を感じ取れる理由はわかりましたけど、そもそもレンが魔法を使えない原因は何なんですか?」

「それは、正直今のところさっぱりわからないんだよ」

 

 ユーゴの質問にシュテフィさんはお手上げとばかりに肩をすくめて首を左右に振った。まぁ、俺には思い当たることがないこともないんだが。

 

「あの、シュテフィさん。俺が魔法を使えない原因って、何か経験が足りないからとかありますか?」

 

 と、小声で聞いてみた。

 

「経験? 何か心当たりでもあるのかい?」

「い、いえ、全然。ただ、何て言うか、経験値が足りないと使えないみたいな?」

 

ユーゴの呆れたような視線が痛い。

 

「よくわからないが、私としてはレンには是非このままでいてもらいたな」

 

 シュテフィさんがとても良い笑顔で残酷な要請を口にした。

 で、なんで他のやつらはうんうんと頷くかな。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 転移魔法の魔法陣がある『転移の間』は敷地内に建っている教会の地下にあった。

 あ、教会と言ってもキリスト教じゃない。この世界の歴史にはキリスト教は無いみたいだ。デュロワール王国では創生神を中心とした5属性の神を信仰する宗教が信仰されているらしい。詳しくは知らない。

 

 入口の金属製の扉にアンドレが掌を当てると、光る魔法陣が浮かんで扉が開いた。これ、ロッシュ城にあった召喚の間でルシールがやってたな。たぶんだけど、この魔法陣が見えるのも俺だけなんだろう。

俺の視線に気づいたアンドレが、

 

「この扉は王族、厳密には王家の血統の者にしか解けないんだよ。だから、たとえここの主である養父でもこの扉は開けられないんだ」

 

 と、紫の瞳を向けて薄く微笑んだ。

 ああ、こいつの実の父親は王様なんっだっけ。身分や肩書よりもDNAが鍵になってるのか。

 

灯りの無い部屋へヴィクトールが先に入って『光の魔法石』のランプを点けていく。

 中は石壁で8畳ほどの正方形の部屋。つるつるとした材質の床の中心には、直系3mくらいの黒色の魔法陣が描かれている。これと同じ魔法陣が王都にある王宮の地下室にもあって、そこへ転移できるのだとか。

 

 その魔法陣を見て、一つの疑念が浮かんでしまった。

 

「……これ、あっちに行ったらまた素っ裸になるのか?」

 

 独り言のような呟きに、すぐに黒姫が反応した。

 

「えっ、うそっ」

 

 召喚された時を思い出したのか、あの時と同じように見せちゃいけない部分を両腕で隠す仕草を取った。あと、ちらりと俺の方に目をやって顔を赤くした。何を思い出したのやら。

 

「もしそうなっても、黒姫さんのことはなるべく見ないようにするから安心しろ」

「なるべくじゃなくて絶対に見ないでよ。あと、サフィールとジャンヌのことも見ちゃダメ。ていうか、目瞑っててよね」

「そっちこそまた見るなよ」

「ま、またって。高妻くんこそ見せつけないでちゃんと隠しなさいよ」

「見せつけたわけじゃねーよ」

 

 こそこそと言い争ってると、

 

「どうかした?」

 

 アンドレが怪訝な顔で声をかけてきた。

 

「いえ、何でもないんです」

「転移の時って、やっぱり目を瞑ってるのがエチケットですか? イテ」

 

 慌てて首を振る黒姫が恥ずかしくて聞けなさそうだったので代わりに聞いてやったら、こっそり足を踏まれた。

 

「は? 目を瞑る? エチケット?」

 

 アランが馬鹿にした口調で俺の言葉をリピートする。

 

「だって着てる服まで一緒に転移できないんでしょ? 男子だけならいいですけど、女子も一緒に転移するわけだし、そこは目を瞑って見ないであげるのが武士、いえ騎士かなと。まぁ、女子に見られる可能性はあるけど、そこはしかたがない――」

 

 黒姫の手で強制的に口を塞がれて話が途中になってしまった。必然的にまたしても彼女の手にキスをするはめになってしまったが、彼女の方は「見るわけないでしょ、バカ」と顔を真っ赤にして怒っているので気にしていないようだ。

黒姫は俺の口を塞いだまま、アンドレたちにぎこちない笑顔を向ける。

 

「ご、ごめんなさいこの人時々変なことを口走る癖があるんですのよ。オホホホ」

「確かに変な話だな。着ている服が一緒に転移できないなんて発想は今までしたこともなかったよ」

 

 アンドレも思わず苦笑いだ。一方、サフィールとジャンヌからは蔑むような視線をいただきました。

 でも、このままでは俺はあらぬことを妄想する変態野郎になってしまう。なので、きちんと説明しなくてはなるまい。

俺はいい匂いがする黒姫の手を名残惜しみつつ剥がした。

 

「いや、俺たちが召喚魔法でこっちの世界に来た時はそれまで着てた服が無くなってて素っ裸で魔法陣の上にいたから、てっきり転移魔法もそうなのかなって思ったんですよ」

「それは本当か?」

「うん。レンの言ってることは本当だよ。でもすぐにマントをかけてもらったから」

 

 ユーゴがフォローする横でアランが俺に疑惑の目を向ける。

 

「まさかお前、それを期待してこの転移魔法に割り込んできたのか?」

 

 女性陣が「ひっ」と腕で体を隠すようにして俺を睨んだ。

 

「あ、あの、アンドレ殿」

 

 ジャンヌが遠慮がちにアンドレに問いかけた。

 

「本当のところ、どうなのですか? 実は私は転移魔法というものは初めてなので……」

 

 恥じらいながらも不安そうなジャンヌにアンドレは優しい微笑みを返す。

 

「心配はいらないよ。私は何度も経験しているけれど、レンが言うようなことは無かったし、他の転移魔法でもそんな話は聞いたことがないから」

「そうですか。疑うようなことを言って申し訳ありませんでした。ただ、万が一そのようなことが起こってはと心配で。その、は、裸は夫になる殿方にしか見せてはいけないし、殿方のものも見てはいけないと親から教わっていましたから……」

 

 ジャンヌは金色の長い睫毛を伏せて頬を赤く染めた。

 なるほど。この世界ではそういう貞操観念なのか。……あれ? 俺ってけっこう見られてないか? ルシールにスザンヌさん……は除いて、あとイザベルさんと黒姫とペネロペ。あ、ペネロペのは見ちゃってるな。え、どうしよう? 全員責任取らなきゃいけないのかな? 困るなぁ、もう……。

 

「ニヤニヤしてどんな妄想してるか知らないけれど、よそはよそ、うちはうちだから」

 

 耳元で黒姫の低い声がした。お前は俺の母ちゃんか。母ちゃんには逆らわない方がいいのでコクコクと素直に頷いておこう。

 

「さてさて、そろそろ王宮に参ろうかの」

 

 今の今までその存在を忘れていたアンブロシスさんがパンパンと手を叩いて促した。ていうか、爺さんがさっさと説明してくれてたらよかったんだよ。

 

「ブルトン殿の言うとおりだ。さぁ、全員魔法陣の中に入って」

 

 アンドレにいわれるままに動く。心なしかサフィールとジャンヌが俺から距離を置いているような気がする。その間にアランとヴィクトールが立ちふさがるようにして立った。ついでに黒姫も間に入ろうとして、

 

「マイは私の傍に」

 

 と、アンドレから優しく注意される始末。

 アンドレは黒姫の位置を確かめると、表情を引き締めて両手を魔法陣にかざす。

 

「我らを王宮に転移せしめよ」

 

 アンドレの言葉に続いてその手のひらに陽炎が揺らめき、魔法陣へと流れ込んでいく。すると魔法陣の線から白い光が浮かび出て、俺たちを包んでいった。体が光に溶けるように薄れていき、やがてすうっと地面の中に吸い込まれていく感じがした。なんていうか、肉体が魔素そのものに還元されて地下を凄いスピードで移動しているようだ。

 転移魔法って空間を繋げてるんじゃなくて、龍脈とかレイラインとかみたく地下で繋がってるのか。

 オッケー。じゃあ、魔素の地下道で王都にGo!

 




次回から王宮編になります。


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第21話 魔力酔い

今回から王宮編です。


 素っ裸になることもなく無事に王宮に転移した俺たちは、とりあえず控えの間と思しき場所に案内された。

 そこは、広さで言えばロッシュ城で食堂に使っていた部屋と同じくらいだけど、天井はもっと高く、それと同じくらいの縦長のガラス窓からは太陽の光が注ぎ込み、水色と白を基調とした部屋の中を明るく照らしている。

 護衛のアランとジャンヌを室内に、ヴィクトールとサフィールを扉の外に配して、アンドレ自身はどこかに報告に行っているようだ。

俺とユーゴ、黒姫、アンブロシスさんは、この世界に来て初めて見た二人掛けや一人掛けのソファに座り、ローテーブルに置かれたお茶を味わっていた。お茶はあいかわらずのハーブティーだったけど、質の良いものらしい。黒姫がそう言っていた。

 それを給仕してくれたメイドさんも、その紺色の服や真っ白なエプロンと高めの年齢とが相まって、何気に上品に感じる。さすが王宮のメイドさんだ。

 

 しばらくしてアンドレが戻ってきた。一緒にいるのは、召喚された日に見たことのある銀髪をオールバックにしている人物だった。確か、ポ……ポルなんとかという宰相の人だ。秘書の青年貴族もちゃんといる。

 

「ポルト侯爵とは既に面識がありますよね」

 

 アンドレが宰相を紹介すると、宰相は恭しくお辞儀をした。その作ったような笑顔と口髭で思い出した。アルマン・ヴォ・ポルトだ。たぶん。

 

「ようこそ王宮においでくださいました。勇者ユーゴ・シュロゥマ殿、聖女マイ・クロフィメ殿、……ええと?」

 

 ポルトが俺を見とがめて口ごもる。

 

「添え物のレン・タカツマです」

 

 しかたなく名乗ると、ポルトは「ああ」とどうでもよさそうに頷いてから、ユーゴたちに顔を向けた。絶対覚える気無いな、俺の名前。

 

「まずはこちらで過ごしていただく部屋へご案内いたしましょう。後ほど国王陛下も挨拶をしたいと仰っていましたので、それまでそちらでお寛ぎください」

 

 言われるままに案内される。

 ローマの神殿にありそうな円柱が立ち並ぶ広い通路を進んでいく。アーチ型の天井が呆れるほどに高くて、まるでショッピングモールの吹き抜けのようだ。

 それにしても、王宮と言う割には人影が少ないな。もっとたくさんの人が忙しなく行き来しているイメージだったのに、ちらほらと遠目に姿が見えるだけだ。

 

「思ったより人少ないね」

 

 ユーゴもそう思ったのか、遠慮なく口に出した。

 

「このあたりは王宮でもかなり奥まった場所になりますから、普段はあまり人がいないのです」

 

 と、アルマンが教えてくれた。

 ユーゴに向けるその愛想笑いを見たせいか、なんか胸がむかむかする。

 

 その誰もいない通路を通り抜け、曲がって進んで、渡り廊下を通って別の建物に移り、さらに奥に進んで中庭の見える回廊をぐるっと回ってその建物を通り抜けてようやく目的の館にたどり着いた。もう一度行けと言われても無理。ちょっと目が回りそう。

だからだろうか、

 

「大丈夫? 顔色悪いわよ」

 

 黒姫が心配そうに声をかけてきた。

 

「いやー、緊張してるのかな。妙にドキドキしてるっていうか。さすが王宮だよな」

「この程度でドキドキって。まったく、これだから田舎者は」

 

 やれやれと肩をすくめて首を振ってるけど、お前も俺と同じ田舎の生まれだからな。

 変な汗をかきながらジトっと睨んでいると、

 

「こちらの館が勇者様と聖女様のお住まいとなります」

 

と、ポルトが建物を振り仰いで紹介する。ごてごてと飾り立てられているが、ここにある建物としては特に変わった感じはしない。が、名前は変わっていた。

 

「これはこの王宮が造られた時に前の勇者様の住まいとして建てられたもので、『ロクメイ館』と名付けられました」

 

 なんだその眩暈がしそうなネーミングは。

いや、ほんとに眩暈がする……。

ヤバい。なんか変だ。

 

「高妻くん?」

「レン!」

 

 二人の呼ぶ声を遠くに聞きながら、俺はついに立っていられなくなった……。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 それから丸まる2日間、寝込んでしまった。

 俺は割り当てられた部屋、たぶん従者とかが使う部屋だと思うんだけど、ロッシュで使っていた部屋よりも小綺麗で調度品も高級感がある。そこのふかふかのベッドに寝かされていた。

 

 アンブロシスさんの見立てでは、俺は魔力酔いになったのではないかとのことだった。

 魔力酔いっていうのは、例えば聖魔法でいきなり多量の魔力を体に流された時に起きるもので、俺の症状がそれに似ているのだそうだ。ただ、俺の場合はそれが聖魔法じゃなくて周囲にある魔力そのものが原因になったらしい。

 

 ここパルリはもともとアルセーヌ川の舟運を中心にできた商業の街で、北東方面に領土を広げたことでダンボワーズでは統治しにくくなった国王がここに王城を移して以降多くの貴族が移り住み、また商機や職を求める平民も増え、今や10万人を超える都市になっている。

そこへ、人口1万5千人のダンボワーズを経たとはいえ、千人程度しかいないロッシュからいきなりやってきたものだから、その莫大な人数の魔力を感じ取ってしまって体が戸惑っているのだろうと診断してくれた。

そんな王都中の魔力を感じ取るとかどうにも眉唾ものなんだが、魔力を感じ取れる人間なんて俺が初めてで誰もそんな魔力酔いに罹ったことが無いし、アンブロシスさんの見立てもあくまでも推測に過ぎないという注釈付きだった。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 3日目の朝になってようやく体を起こせるくらいになった。周囲の魔力に体が慣れてきたのかもしれない。

 と、尋常じゃない魔力が近づいてくるのを感じた。わかる。ユーゴと黒姫だ。どうやら今までより魔力を感じる力が強くなってるみたいだ。もしかしたら魔力酔いもそのせいかもしれない。

 でも、『魔力感知』なんて正直何の役にも立たないんだよなぁ。逆にこうして魔力酔いとかいうわけのわからないものに苦しめられるし。やっぱり、巻き込まれてこの異世界に来てしまっただけの奴にはチートスキルなんて無縁なのか……。

 

 やがてドアがノックされて、この部屋で俺の面倒を見てくれていたメイドの子が対応する。もう何度も見知った顔なので、すぐに部屋の中になだれ込んでくるユーゴと黒姫。

 服装はあいかわらずの水色ローブだけど、下に着ているシャツが襟のあるものに変わっている。あと、黒姫はポニーテールを止めて緩く結い上げていた。

 

「もう起きても大丈夫なの?」

「元気そうだね」

 

 挨拶も抜きに声をかけてくる。

 

「ああ。心配かけてすまん。もうだいぶ慣れたみたいだし、そろそろ普通にできると思う。……まぁ、することなんて特に無いけど」

 

 卑下するように言うと、

 

「じゃあ、とりあえず朝ご飯食べない?」

 

 黒姫がさらりと提案して侍女さんを手招く。

 

「カロリーヌさん。ここで朝食を食べたいんだけど、いい?」

「はい。すでに用意してございます」

 

 こげ茶の髪をひっつめにした30代くらいの品のいいおばさんの侍女、カロリーヌさんがお辞儀を一つして部屋を出ると、すぐに使用人たちが3人分の朝食の乗ったワゴンを運んできて、テーブルの上に並べだした。このテーブルと椅子は、俺が寝込んでる時からユーゴたちがお見舞いに来た時用にと持ち込まれていたやつだったりする。俺の分の朝食はサイドテーブルの上だ。

 

「「「いただきます」」」

 

 と合掌。

 ここの人たちはまだこの『合掌』を見慣れていないようで、変な目で見られた。

 

「もう、聞いてよぉ」

 

 と、黒姫の愚痴が始まった。

 

「所作の先生が厳しいのよ。食事の仕方だとかお茶の飲み方だとか。口を開けて笑うなとか、感情を顔に出すなとか。もーイヤ。私、お姫様じゃないんだけどっ」

 

 バクバクとパンを齧りながらぶー垂れる。

 

「あははは。でも、黒姫さんの姫ってお姫様の姫でしょ」

「あら、それは本当ですか?」

 

 ユーゴが妙な慰め方をすると、カロリーヌさんが興味深そうに聞いてきた。

 

「黒い姫で黒姫」

「ち、違うの。ただの名前だから。お姫様とかじゃないから」

 

 黒姫がわたわたと手を振って否定するが、カロリーヌさんには届かなかったようだ。

 

「黒き姫様ですか。黒い髪と瞳をお持ちのマイ様にピッタリのお名前ですね」

「そ、そう?」

 

 ちょっと黒姫が照れる。

 

「はい。それに、マイ様がお姫様だと知ったらスタール夫人もいっそうやりがいが出ることでしょう」

「え、ちょっと、ねぇやめて」

「いいえ。マイ様に早く貴族としての自覚を持っていただくようにするのも侍女の務めですから」

 

 カロリーヌさんが素晴らしくいい笑顔で宣告する。

 

「スタール夫人って、黒姫さんの所作の先生」

 

 ユーゴがこそっと情報をくれた。

 

「そういうユーゴは何してんの?」

「僕も所作かなぁ。あと、剣と乗馬」

「乗馬? 馬に乗るんだ?」

「うん。ほら、移動が馬車じゃ時間かかるし。この先魔獣の討伐とかもするらしいから必要なんだって」

「大丈夫か? そんなにすぐ乗れるようになるもんじゃないだろ?」

「うん。でも、ちょっと乗馬スクールに通ってたことあるから」

 

 と、頭を掻くユーゴ。こいつ、いいとこのお坊ちゃんだったのか。(偏見)

 

「あー、私も乗馬したーい」

「いけません。聖女様が乗馬などと、はしたない」

 

 黒姫の駄々をカロリーヌさんが速攻で窘める。

 

「えー、そういう固定観念は良くないと思うの。これからの聖女は馬に乗って颯爽と現場に駆けつけるのがトレンドよ」

「何を仰っているのかわかりませんが、そろそろ所作のお勉強の時間です」

「うそっ、もう? まだ早くない?」

「身支度を整える時間がいりますから。さぁ、参りましょう。プリンセス」

「それ、ほんとにやめてね」

 

 黒姫は唇を尖らせる。

 

「そういうお顔も言葉遣いもスタール夫人に直していただかないといけませんね」

 

 ニッコリと笑うカロリーヌさんに、黒姫は黙ってついていくしかなかった。合掌。

 

「僕もそろそろ行くよ。お大事に」

 

 ユーゴも続いて部屋を出ていった。使用人のみなさんも食器をワゴンに片づけて「失礼いたします」と退室していく。

 

 部屋に残っているのは俺と、俺の面倒を見てくれていたメイドの子。名前は……なんか聞いたような気もするけど、頭痛がして気持ち悪かった頃だったから覚えてない。

 薄い金色の髪はサイドが長いボブヘアで、垂らした前髪に隠れがちな瞳は綺麗な緑色。肌が透き通るように白くて紺色の使用人用の服や白いエプロンと良いコントラストを作っている。あと、背が高い。たぶん178㎝の俺よりちょっと低いくらいだと思う。

 

 ここの人たちは欧米系の人種なんだけど、意外に背が高いくない。今まで出会った人たちで俺より背が高かったのは、クレメントさんとアンドレとヴィクトール、ロッシュの衛士や護衛の騎士の数人。女性だとシュテフィさんだけだ。だから、この子は女子ではけっこう背が高い方だと思う。

 あと、この子の特徴としては、その、身長に相応しい大きさと言いますか相応しすぎる大きさと言いますか、ぶっちゃけ胸がでかい。

 

「あの……何か御用でしょうか」

 

 蚊の鳴くような声がした。メイドの子だ。知らず知らずのうちに視線が向いていたらしい。

 

「いや、何でもないよ。えっと、もうちょっと横になってるね」

「はい……」

 

 この子のもう一つの特徴。声が小さい。無口。必要以上に話しかけてこない。

 なんていうか、人と距離を取りたがってる印象。

 ついでに言うと、この子の魔力量は貴族レベル。それもアンブロシスさん並みだ。なのに、使用人をしてるとか、なんか謎めいてる。わかりやすかったペネロペが懐かしい……。

 そうだ。ペネロペの実家のパン屋に行ってみようかな。 どうせすることなくて暇だしねっ。

 



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第22話 ブリーチ

しばらく横になっていると、アンブロシスさんが様子を見にきてくれた。

 なんか魔力を感じる力が上がってるみたいですと報告したら、

 

「うむ。属性は生まれながらに決まっておるが、魔力は訓練次第で強くすることができるのじゃ。儂が子供の頃は……」

 

 と、爺さんの人生訓を小1時間程聞かされる羽目になった。

 アンブロシスさんが筆頭魔法士になるためにブルトーニュ領の領主と爵位を息子に譲るあたりで、

 

「おお、そうじゃった。レン殿にクララのことを頼みに来たんじゃった」

 

と、思い出したようにメイドの子を手招きする。クララって言うのか。よし、覚えた。

 

「この子をレン殿の専属の使用人にしてもらえぬかのぉ」

「はぁ、かまいませんけど」

「レン殿にはもうわかってしまっておると思うが、彼女は貴族の出なのじゃ。しかも魔力量も多い。それ故、学院に入った頃から目をかけておったのじゃが、いろいろあって学院を辞めてしまってな」

 

 学院というのは、王都にある王立の学校で、10歳から14歳までの貴族の子供たちが知識や教養、魔法なんかを学んでいるそうだ。

 

「それで儂の所で預かって、孫娘の付き人にと思ったのじゃが、どうも相性が良くなくての。レン殿は、ほれ、魔法が使えんで何かと不便なことも多かろうし、この子がおれば便利じゃぞ」

 

 訳ありの物件を押し付けられただけだった。

 ま、アンブロシスさんは善意でこう言ってくれてるのはわかるし、俺が『光の魔法石』のランプひとつ点けられないのも事実なので断る理由もない。決して胸の大きさに目が眩んだわけじゃない。ここで宣言しよう。俺は微乳派だと!

 

「よろしくお願いいたします」

 

 クララが蚊の鳴くような声でお辞儀をすると、それに合わせてたゆんと揺れる。

ま、まぁ、巨乳が嫌いとは言っていない。うん。

 

「あ、そうだ。俺、王都の街に行ってみたいんですけど」

 

 クララから視線をそらしてアンブロシスさんに言うと、難しい顔をされた。

 

「ポルト卿からレン殿たちをできるだけこのロクメイ館から出さないように言われておるし、儂もせめてお披露目まではそうして欲しいと思っておる。お披露目の後は王都に出られるように交渉しよう。それまでは我慢してくれぬか」

 

 まぁ、セキュリティの問題もあるだろうし、何より黒髪は目立つ。そんなのが王都をうろうろされたら困るよな。

 

「わかりました。我儘言ってすみません」

「こちらこそ不自由な思いをさせてしまって申し訳ない。まぁ、今王都に出たら、慣れたとは言ってもまた魔力酔いになるかもしれぬ。レン殿がその力を制御できるようになればよいのじゃが」

 

 確かにアンブロシスさんの言うとおりだろう。

 

「ありがとうございます。ちょっとやってみることにしますよ」

「うむ、それがよかろう」

 

 

 

 アンブロシスさんが部屋を出ていった後、ベッドの上で仰向けになって目を閉じる。

やっぱり、かなりの量の魔力を感じる。最初はそれを知らずに無秩序に受け入れてしまって感覚がパニクってたんだよな。でも、こうして知識を得れば落ち着いて対応できるし、体の方も慣れてきてこの状況を受け入れられるようになってきた。

 

俺が持ってた魔力感知のイメージは、使う側の意思で特定の相手の魔力の大きさや周囲の魔力の位置がわかるという、言ってみればスカウターとかレーダーみたいなやつだ。でも、俺のこの魔力感知は一方的に受け取るだけの受信機状態、正に『総受け』に他ならない。だったらもうこれに慣れるしかない。

 

 ふぅーっと大きく息を吐いて感じている魔力を慎重に分析する。

 目を閉じて視覚情報をシャットアウトすると、自分が濃密な霧の中にいるように感じる。

 その中で、すぐ傍に感じる硬い魔力の塊はクララのだろう。他に個々を特定できるような魔力は判別できない。距離に比例して精度や感度が下がるみたいだ。今のところ、どれだけのエリアをカバーしてるかは不明だけど、さすがに王都中ということはないだろう。

 個々の魔力は判然としないけど、なんとなくわかることもある。自分の周りや右側から感じる魔力と左側から感じる魔力が微妙に違っている気がする。右の方は凸凹で、左は反対に薄く広がっている感じ。

 

 体を起こして、控えているクララに向き直る。

 

「あのー、王都のこっちとこっちって、何か違うのかな?」

 

右手と左手の人差し指でそれぞれの方向を差しながら聞いてみた。

 

「……右手の方には貴族のお屋敷があります。左手の方はたぶん川の反対側、平民が住んでいる方だと思います」

 

あー、なるほど。川を挟んで貴族と平民に別れてるのか。魔力のばらつきはそういうわけね。ふんふん。

 

「あの……」

 

 クララが遠慮がちに口を開いた。

 

「レン様は、本当に魔力を感じられるのですか?」

「えっ。あ、まぁ……」

 

 アンブロシスさんとも普通に話してたし、特に秘密にしてるわけじゃない。

 

「……魔力が穢れているのもわかりますか?」

「穢れてる? いや、今わかるのは魔力の大きさだけ」

「そうですか……」

 

 安心したのか期待が外れたのか、クララは小さく息を吐いた。

 

「何か気になることでもあった?」

「いえ、変なことを言ってすみません」

 

 さりげなく聞いたつもりだったけど、きっぱりと謝罪されてしまった。まだまだ壁が厚い。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 俺が『魔力感知』の習熟をしたり、ユーゴが颯爽と馬を乗りこなしたり、黒姫がスタール夫人に絞られたりしているうちに、クレメントさんたちの馬車組も無事王都に着いた。ここから出られなくて出迎えができなかったから、ソフィーやフローレンスには会えずじまいだ。

 

 そのユーゴたちと会えるのも朝晩の食事の時間だけだ。場所は食堂。ロッシュよりも広くて装飾も豪華だ。そこで三人で食べる。給仕はユーゴにはジルベールが、黒姫には若い侍女がついている。俺には当然クララが給仕してくれる。

ここにはクレメントさんやイザベルさんがいないし、ジルベールもロッシュの時みたいに同席したりしない。ちょっと寂しい。

 

 そういう夕食にも慣れた頃、俺は思い切って黒姫に頼みごとをした。

 

「なぁ、この髪の毛、脱色できないか?」

「え、何、急にどうしたの?」

「いや、お披露目が終わったら王都の街に行ってみようと思ってるんだけど、やっぱこの髪の毛じゃ目立ち過ぎるから」

「あ、いいなぁ。私も行きたーい」

「僕も。一緒に行こうよ」

 

 黒姫もユーゴも乗り気だ。しかし、それを許さない奴がいる。ジルベールだ。

 

「ユーゴ様が街に行ったら大騒ぎになってしまいますよ」

「マイ様も。王宮から出てみたいのなら、それなりの手続きと準備が必要ですからね」

 

 あ、カロリーヌさんもいました。給仕はしないけど、がっつり黒姫の後ろに控えていた。

 

「ええー。そんなのつまんない」

「じゃあ、学院はどうですか? 生徒たちも喜ぶでしょう。大騒ぎにはなると思いますが」

 

 ジルベールが提案すると、背後でクララの気配が微妙に揺れた。

 ん? と思ったところに、ユーゴの期待に満ちた声が被る。

 

「学校かぁ。どんなこと勉強してるのか、僕もちょっと見てみたいな」

「では、上の者に相談してみましょう。もっとも、お披露目の後になりますが」

「うん。お願い、ジルベール」

 

 よかったな、ユーゴ、黒姫。けど、俺の話はどうなった。

 

「けぷこむけぷこむ。あー、それでどうなんだ? やってくれるのか?」

「あ、ごめん。高妻くんのことすっかり忘れてた。で、何だっけ?」

 

 こいつ。

 

「髪の毛。聖魔法で脱色できない?」

「そんなことできるの?」

「聖魔法って、けがを治したりする魔法なんだよな。つまり、細胞組織とかに干渉する魔法だろ。なら、髪の毛の色素も抜けるんじゃないかって思うんだけど」

「うーん。どうだろう? やってもいいけど、失敗しても怒らない?」

「どんな失敗するつもりだよ」

「色素じゃなくて毛が抜けるとか?」

「それは抜けない方向でお願いします」

「ウソウソ。ちょっと毛先で試してみるね」

 

 黒姫が背中に回って襟足の毛をつまむ。そして、「ブリーチでいいわね。ブリーチ、ブリーチ」と言いながらゆっくり毛先をすいた。

 

「あ、できた」

 

 意外にあっさりとできたようだ。見ていたカロリーヌさんたちからも驚きの声が上がる。

 

「本当に髪の毛の色が変わってる。初めて見ました。こんな魔法」

「マイ様はこのようなことまでできるのですね」

「まぁ、黒い色素を分解してるだけだから。カラーはできないけどね」

 

 黒姫が説明しても「しきそ?」「からー?」と首を捻ってる。

 それを放置して、「じゃあ、いくわよぉ」と、黒姫が威勢のいい声を上げる。なんか腕まくりでもしてそうだ。

 その声とは裏腹に優しく髪を触られて、一瞬ドキッとしてしまった。てっきり、手をかざしてするのかと思ってた。

 

 俺の動揺を知りもせず、黒姫は鼻歌でも歌うように軽やかな手つきで俺の髪をすいていく。「お客さん、どこか痒いところはございませんか?」なんてお約束まで言い出すほどだ。うん、まぁ、こういうふうに素手で髪の毛を触られるのってなんか気持ちいいもんだな。ドキドキするけど。

 すると、ユーゴも興味を持ったのか、

 

「ねぇ、黒姫さん。レンが終わったら次は僕の髪の毛も脱色してくれない?」

 

 と、マッシュルームカットの黒髪を指さして言ってきた。

 

「うん、別にいいけど」

「なりません!」

 

 黒姫の言葉に被さるようにジルベールが割り込んできた。

 

「え、どうして?」

「黒髪でない勇者などありえません! 髪の色を変えるなんて絶対に認められません!」

「えー。じゃあ、レンはいいの?」

「レンは勇者ではありませんから。むしろ黒髪でないほうが望ましいくらいです」

 

 と、首を巡らして俺を見る。

 ユーゴが羨ましそうにこっちを見てるけど、ディスられてるよね、俺。

 そのタイミングでカロリーヌさんが黒姫を呼ぶ。

 

「マイ様。そろそろ体のお手入れの時間ですので」

「え、もう?」

 

 背中から不満そうな声がした。

 

「何? 体のお手入れって」

「高妻くんが言うといやらしく聞こえるわね」

 

 ひと弄りしてから、黒姫が続ける。

 

「えっと、お披露目とかあるでしょ。そのために美容マッサージみたいのしてもらってるの。他にも、まぁ、いろいろあるけど」

「いろいろ?」

「いいのよ、気にしなくて。あと、髪もすっごい綺麗にしてもらってるんだけど気づかなかった?」

「いや、全然」

 

 ぐいっと髪の毛を引っ張られた。

 

「だから女の子にモテないのよ。高妻くんは」

「いや、でも髪が綺麗だねとか言うとセクハラって言われるじゃん」

「そういうのは一度でも言ってから言いなさい」

 

 わしわしと髪を弄られる。

 

「お時間ですよ。プリンセス」

 

 カロリーヌさんに言われて黒姫が凄く嫌そうな顔をしてるのが見えなくてもわかった。そんなに嫌なのか。プリンセスって呼ばれるの。

 

「しょうがないわ。これで仕上がりね」

 

え、今しょうがないって言わなかった? ほんとに仕上がったの? 

 

「へぇー。黒姫さん、センスいいね」

 

 俺の不安をよそに、ユーゴが褒める。

 

「そう? 美術部の白馬くんにそう言ってもらえるなら」

「やっぱり僕も脱色してもらいたいなぁ」

「絶対にダメですからね」

 

 俺のほうを見ながらジルベールが念を押す。なんか不安しか感じないんだが……

 

「じゃあ私体のお手入れがあるから」

「僕も部屋へ戻ろうかな」

 

 そそくさと立ち去ろうとする二人。続いて、忍び笑いをこらえるような侍女さんたち、憐れみの眼を向けるジルベールと部屋を出ていく。

 

「……あの、クララ。鏡とかある?」

「……少々お待ちください」

 

 その後、クララが持ってきてくれた鏡には、生え際が黒いままのくすんだ茶髪が毛先にいくほど薄いグラデーションになっていて、ところどころにこげ茶のメッシュが入った髪の男が映っていた……。

 確かに、確かに黒髪じゃなくなったけど、この国にグラデやメッシュの入った髪の毛のヤツはいねぇーよ!

 



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第23話 夜会事件

 夏の日を翌日に控えた王宮では国王主催のパーティーが開かれていた。毎年恒例のことで、前夜祭みたいなものらしい。

 縦長の体育館みたいな会場の大広間は高い天井から魔法石の灯りをちりばめたシャンデリアがいくつも吊り下げられ、てっぺんが尖ったアーチ型の大きな窓や金色の装飾を施された柱とかが豪華な雰囲気を放っていた。

壁際に置かれたテーブルには彩り豊かな軽食や飲み物が並べられ、弦楽器による静かなBGMが流れている中、貴族服の紳士やドレスを着た淑女があちらこちらで会話や飲食を楽しんでいる。

 パーティーの出席者は各領地の領主や王都に住む上級貴族とそのパートナーだそうで、それぞれの従者も脇に控えている。かく言う俺も、今夜はクレメントさんの従者という立ち位置でここにいる。

 そのクレメントさんはいつもの青いローブではなく、胸に飾り紐のついた赤い貴族服を着ている。勇者の付き人というのもあるけれど、父親が内務省のお偉いさんで、本人も内務省のエリートだったりするから人は見かけによらない。

 

 それにしても、流石にこれだけの貴族が集まると、その魔力量も膨大だな。まるでポタージュスープの中にいるみたいだ。まぁ、こういうのにも慣れなくちゃいけないんだけど……。

 

 隅の方でひっそりと佇んでいると、ざわりと会場の空気が変わった。

 大広間の一番奥には幅の広い階段があって、途中の踊り場で左右に分かれて2階部分に繋がっている。今そこに、国王一家が姿を現したのだ。

出席者一同、お喋りをやめ。それに注視する。

 

 国王は少し茶色がかった黒髪の頭に金の冠を被り、この国のシンボルカラーでもある深い青味のある紫色(ユーゴによると菫色とかヴァイオレットと呼ぶらしい)のマントを纏っている。明るい金髪を綺麗に結い上げた王妃も同じ色の豪華なドレスで、ちりばめられた宝石か何かの飾りがきらきらと輝いていた。続いて二人の王子とその妃たち、クラリス姫の順に階段を下りてきて踊り場に並ぶ。

王子たちは二十代前半か。もう奥さんがいるんだな。クラリスは歳の離れた妹って感じ。第一王女は既に他家に嫁いでいるんだっけ。

 二人の王子の髪色が父親譲りなのに対して、クラリスは母親似の金髪だ。それを綺麗な巻き髪にセットしている。白いフリルをふんだんに使った水色のドレスに濃い青色のリボンが映える。……と思う。たぶん。

 

 そんな曖昧な言い方になってしまった理由は、その姿が霞んで見えたからだ。

 ゴシゴシと目をこすってみても、それは治らない。王や妃、兄夫婦たちは普通に見えるのに、王女だけ輪郭がぼやけたように見える。

 

 なんだ、これ。

 

王女に意識を集中しようとしたけれど、室内には大きな魔力が漂っていて、うまくできない。もっと近づきたいけど、今は国王の挨拶の真っ最中。動き回るのは顰蹙を買いそうだ。ていうか、偉い人の挨拶が長くて退屈なのは異世界でも同じなんだな。

 

ようやく国王の挨拶が終わって、広間の隅を縫うように進む。

正面の階段では、いよいよユーゴたちの紹介が行われる番だ。明日の公式なお披露目の前に、このパーティーを利用して貴族向けのお披露目をしておくのだとか。

 

 向かって左の階段の上にユーゴが姿を現した。上は白い柔道着みたいなものに太めの黒いベルトをしている。下は白い細身のズボンと黒い編み上げのロングブーツ。これが勇者の正装らしい。ライトセーバーとか持たせたくなる。

 

「勇者、ユーゴ・シュロゥマ殿」

 

 宰相のポルトの紹介に、戸惑うような拍手が広間に響く。

 

「あれが勇者?」

「まだ子供じゃないか」

 

 ちらほらとそんな囁きが聞こえる中、広間の最後尾からようやく真ん中あたりまでたどり着いた。

けど、肝心のクラリスが踊り場から下りてしまい、小さな体が人波に隠れてしまった。

くっそ。焦りだけが大きくなる。

 

 ユーゴは、国王一家が下りて無人になった踊り場に向かって階段を下りてくる。その後ろには、指揮台みたいなものを持ったジルベールが続く。その飾りの多い貴族服がけっこう似合っている。公爵家の三男坊だと聞いていたけど、どうやら本当だったらしい。

 

 向かって右側の階段の上に黒姫が立つと、会場から思わずほうっと感嘆のため息が漏れた。

 黒姫の装いは肩を出した落ち着いた赤色のドレスで、ウエストには太めの黒いリボン。花の髪飾りをつけて両サイドで編んだ髪を後ろに回した髪型は柔らかな冠のようで、そこから垂らした黒い髪が赤いドレスに良く映えていた。……っと、見惚れてる場合じゃなかった。

 

「聖女、マイ・クロフィメ=プリンセス・ノワール」

 

 ポルトの言葉に会場がざわめく。

 

「プリンセスだと?」

「今度の聖女は姫君なのか」

「そう言われれば、そこはかとなく品格があるような……」

 

 そこここで囁かれる言葉が聞こえているのかいないのか、黒姫は微笑みを湛えたまま優雅に階段を下りてくる。まるで本当の貴族令嬢みたいだ。スタール夫人すげぇな。

 黒姫の後からは、見たことのない黒髪おかっぱの少女が『属性の石板』を両手で恭しく持って下りてきた。それを、ジルベールが置いた指揮台の上に置く。

 

「それでは紳士淑女の皆さま。勇者の証をしかと御覧あれ」

 

 ああ。例のデモンストレーションね。みんな驚け! 俺たちのユーゴの実力を!

 

 ユーゴが右手を石板にのせると同時に、ドドーンという効果音が聞こえてきそうな勢いで5色の光の柱が立ち上る。その高さは、呆れるほどに高い天井に届いていた。うん、ユーゴの魔力も確実に強くなってる。

 きっとありえない光景だったのだろう。誰もが息を飲み、言葉が出てこない。

 数秒後、おおーっという歓声と大きな拍手が湧き上がった。そして口々に驚嘆の言葉を交わす。

 

「おや、レン殿。こんな所でどうしたのじゃ? マイ殿の艶姿を間近に見に来られたのかのぉ?」

 

 歩みを進めるうちに、からかうような声をかけられた。

筆頭魔法士を示すいつもの紫のローブを着たアンブロシスさんだった。

 

「いや、なんか王女様が変なんですよ」

 

 言うや否や、アンブロシスさんの顔が真剣になった。

 

「変とは、どのように?」

「遠くからだったけど、王女だけ霞んだように見えたんです。それを確かめようと思ってここまで来たんですけど」

 

俺の力を知っているアンブロシスさんはすぐに応えてくれた。

 

「うむ。こちらへ」

 

 と、人波をかき分けて先導してくれる。その間にもイベントは進行する。

 

「皆さま、ご静粛に。続いては聖女の証を」

 

 俺の視界にようやく王女の姿が見えてきたのと、黒姫が手を置いた石板が光り出したのは同時だった。その金色の光は、ユーゴの光の柱とは対照的にゆっくりとさざ波のように会場全体に広がって、呆然としている観衆を包んでいった。

 

 その瞬間、見えた。

 辛そうに顔をしかめたクラリス姫が胸元をぎゅっと握り締めている姿を。それが二重に見える。いや、何かが彼女の体から抜け出そうになった。そんな感じ。

 

「……なんだ、あれ」

 

 黒姫の光が消えると、二重に見えていた姿は無くなり、クラリスの表情も平静に戻った。

けれど、今度はもっと違うものがはっきり見えた。黒い靄のようなものが彼女の体を覆っている。

 アンブロシスさんにそれを伝えようとした時、国王の大きな声が広間に響いた。

 

「デュロワール国王フランソワ3世の名の元に、勇者ユーゴ・シュロゥマがドラゴンを討伐したあかつきには、我が娘クラリスとの結婚を約束しよう」

 

 おおーっと歓声が上がる中、

 

「嫌です!」

 

 幼くも強い意思を持った少女の声がそれを掻き消した。

 

「ク、クラリス……?」

 

 国王の目が点になる。

 

「わたしは勇者とは結婚しません!」

「クラリス、何を言う。これはお前も承知していたこと――」

 

 娘の反抗におろおろとする父をスルーして、少女は踊り場に佇むユーゴに語りかける。

 

「勇者よ。国王は、いえデュロワール王国はあなたにドラゴンと戦うように要請するでしょう。けれど、それに従ってはなりません。なぜなら、ドラゴンは神聖な生き物、聖獣だからです」

 

 広間にいる誰もが耳を疑ったことだろう。娘といえど国王に真っ向から歯向かったのだ。しかも11歳の女の子とは思えぬ物言いで。娘の反抗期ってレベルじゃない。

 けれど、俺には見えた。黒い靄が彼女の体を操っていることを。

そしてわかった。

 

「『憑依魔法』!」

 

思わず口に出る。

 

「なるほど。憑依魔法か」

 

 俺の言葉に頷いたアンブロシスさんは、広間中に響く声で指示を出した。

 

「王女殿下は憑依魔法にかかっておる! 聖属性を持つ者は姫に浄化を!」

 

 途端に動揺が走り、大きくざわつく会場。

黒姫の傍にいたおかっぱの少女を始め、聖属性を持っているらしい何人かが駆け寄ってクラリスに向けて手をかざす。

 

「彼の者に浄化を!」

「姫殿下に浄化を!」

 

 それぞれの手から出た透明な波のようなものがクラリスを押し包もうとする。が、彼女が胸のあたりを握りしめると黒い霞が強まって、ことごとく弾かれてしまった。

 

「効いてない。たぶん、あっちの魔力の方が強いんだと思います」

 

 アンブロシスさんに伝えている間にも、クラリス、いや黒い霞の言葉が続く。

 

「そして、勇者と聖女よ。王族の甘言に惑わされないで! 王族はあなたたちの血と力を――」

「は、早く、早く浄化を!」

 

 クラリス姫の言葉を遮るような国王の悲痛な叫びに、アンブロシスさんが黒姫の名を呼んだ。

 

「マイ殿! 浄化魔法を!」

「え、でもどうしたら……」

 

 戸惑う黒姫。たぶん、魔法のイメージができないんだろう。

 

「黒姫! 王女の体に黒い靄みたいなのがまとわりついてる! お前の魔法でそれをぶっ飛ばせ!」

「うん、わかった。黒い靄よ、王女から離れて!」

 

 かざした黒姫の両手から金色の風が吹き出した。春の嵐のようなその風に吹きつけられた黒い靄は、ほんのわずか抵抗したものの、伝えるべきことは伝えたとでも言うように、するりと王女の体から離れて消えていった。

 

「姫様、申し訳ありません」

 

声にならない声が聞こえた。

 途端に王女の体が崩れ落ちる。

 

「クラリス!」

 

 叫んだのは王か王妃か。

 けれど、その小さな体を支えたのは、なんとユーゴだった。あいつ、いつのまに……。

 そこへすぐさま近衛の衛士や従者たちが駆けつける。それを心配そうに見守る国王と王妃、兄たち。

 

 あの黒い霞。

 あれは何だったのか。

 いや、誰だったのか。

 王女の体から離れる直前に、じっと俺のことを見たあいつは……。

 



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第24話 お披露目

 大騒動となった夜会はそこで中止になり、護衛騎士に厳重に守られたユーゴや黒姫に会えないまま、翌日の朝を迎えた。今日はお披露目の当日で、二人とも朝から忙しいのだろう。食堂に顔を出すこともなかった。

 一人でもそもそとジャムを塗ったパンを齧っているところにクレメントさんがやってきた。

 

「レン殿。昨夜はお手柄でしたね」

 

 挨拶もそこそこにクレメントさんが切り出した。

 

「アンブロシス様から聞きましたよ。憑依魔法を見破ったとか」

「ええ、まぁ。こっちの世界に来てから初めて役に立つことができた気がしますよ。正直に言うと、魔法が見えたり魔力量がわかったりする力が何かの役に立つなんて思ってなかったからちょっと嬉しいです」

「実際、憑依魔法なんてめったに見ませんからね。レン殿が見破ってくれなければ、気づくのがもっと遅れたでしょう」

「そんなにレアな魔法なんですか? ていうか、そもそも憑依魔法って何なんですか?」

 

 クレメントさんがぽかんとする。

 

「……知らないのですか?」

「はい。まぁ」

「知らないで、どうしてわかったのですか?」

「いや、なんか偶にそういうことがあるんですよ。ぽんって頭に浮かぶんです」

 

前にそういう魔法が出てきた小説を読んだことあるからかな。

 

「それもレン殿の不思議な力なのでしょうか?」

「どうなんですかねぇ。まぁ、今度シュテフィさんに会ったら聞いてみます」

「それがいいでしょう。近々こちらに来ることになると思いますから」

「シュテフィさんが来るんですか?」

 

 クレメントさんは「ええ」と頷くと、

 

「それで、憑依魔法のことでしたね」

 

と、話題を変えた。

 

「憑依魔法は闇属性の魔法で、かけた相手を自由に操ることができる魔法です」

「闇属性ですか。使える人いたんですね」

 

 確か前に文献にはあるって言ってたように思う。

 

「闇魔法は魔獣の魔石を使うのです。そのような魔法は公には認められていませんし、まともな者なら使おうとはしないでしょから」

 

 この世界では、魔獣の魔石は穢れてるっていう認識なんだっけ。

 

「そういえば、魔獣のは『魔石』なんですね。魔法石とはどう違うんですか?」

「それはですね、もともと魔力がある石を魔石、後から魔力を込めた石を魔法石と呼んでいるんです」

 

 なるほど。また一つ賢くなっちゃった。

 

「魔獣の魔石に関してはシュテフィが詳しいので、アンブロシス様は彼女を呼んだのでしょう」

 

 そのクレメントさんの言葉が引っかかった。

 

「あれ? 今『シュテフィ』って言いました?」

 

 いつもフルネームで呼んでたよな。

 

「は? あ、いえ、みなさんがそう呼んでいるので、つい……」

 

 クレメントさんはバツが悪そうに口ごもった。

そして、コホンとわざとらしい咳ばらいをして居住まいを正す。

 

「ええと、実はレン殿にお願いがありまして」

 

 うーん。スキル『話題そらし』のレベルがまだまだ低いなぁ。

それでも一応「何ですか?」と話に乗る。

 

「昨夜のこともありますし、今日のお披露目の時にレン殿には怪しい者がいないか見張っていただきたいのです」

「それはかまいませんけど。やるんですね、お披露目」

 

夜会も中止になったし、不測の事態を考慮すれば中止にしてもいいんじゃないかと思ってた。ところが、そうもいかないらしい。

 

「この程度のことで中止にしては王国の威信にかかわりますし、逆に無視することで昨夜の騒ぎなど些細なことだと喧伝することにもなりますから。そのためにも、レン殿のお力が必要なのです」

 

 まぁ、王国の威信とかどうでもいいけど、間近でお披露目見れるからいいか。

 承諾すると、「では」と食事も早々に身支度をせかされてしまった。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 王宮はアルセーヌ川にある中州を全面使って建てられているが、上流側には大きな庭園が設けられていて、祭りの時には平民にも開放されるのだそうだ。今日は勇者と聖女のお披露目があるというので、開門と同時にたくさんの人で埋め尽くされていた。

 そのお披露目は庭園の王宮側にある白亜の城門の上のテラスになっているところで行われる。俺がするのは、そのテラスの隅に潜んで庭園内に怪しい魔力がないか見張るという簡単なお仕事だ。

 

 今のところ昨夜のような異状は無さそう……っと、向こうの方、すぐ上流にあるもう一つの中州の方に気になる気配を感じた。

そこには多くの露店とそこからこちらを見ている大勢の人たちがいた。それらのたくさんの軽い魔力の中にそれがあった。もしかして、この気配は……。

 

突然鐘が鳴って意識が戻される。同時に感じていた気配も途切れてしまった。もう一度感じられないかと意識を向けても、たくさんの魔力に紛れてしまってもうわからない。

恨めしく眺めていると、眼下の広場からわぁっと歓声が上がった。近衛の騎士と共に国王がやってきたのだ。周りに合わせて片膝をついて出迎える。

 宰相のポルなんとか。大臣クラスの貴族と続く。

 そしてユーゴだ。

昨日と同じ例のコスプレみたいな服装で、両脇にアランとヴィクトール、後ろにジルベールを従えて歩いてくる。俺に気づかなかったのか、ちょっと緊張した顔をまっすぐ前に向けたまま通り過ぎていった。

 

 次は黒姫だ。アンドレにエスコートされてやってきた。サフィールたち護衛騎士、黒髪おかっぱの少女もいる。

 黒姫は昨日のドレス姿ではなく、合わせ襟の白いシャツにハイウエストの朱色のスカートを履いて、その上から金糸の刺繍が施された白いシースルーのローブを羽織り、頭には白いバラの花の冠を載せ、艶やかな黒髪は長く後ろに垂らされて最後に白い小さなリボンで一つに纏められていた。

 

……巫女のコスプレだな、これ。

 

 たぶん彼女も自覚があったのだろう。目が合うと恥ずかしそうに頬を染めていた。

 

 国王とコスプレの二人がテラスに並ぶと、大きな歓声が上がった。

 いや、歓声は半分で、もう半分はどよめきに近い。歓声は聖女に対してで、勇者には戸惑いというか不審や落胆の声が向けられていた。

 まぁ、東洋人は幼く見えるって言うし、ユーゴは後ろに控える護衛騎士たちより頭一つ小さいから、勇者としては頼りなく見えるのだろう。それも『属性の石板』によるデモンストレーションまでだけどな。

 

 昨夜の貴族向けのお披露目と同じように、国王の話の後、二人の紹介があり、さぁデモンストレーションというところで、ユーゴが後ろを振り返った。

 

「ヴィクトール。悪いけど剣を貸してもらえますか」

 

 テラスに緊張がはしり、近衛の衛士が僅かに身じろぐ。

 言われたヴィクトールは、戸惑いながらも腰のベルトから鞘ごと剣を取って、両手で捧げるようにして差し出した。

 

「ありがとう」

 

 ユーゴは礼を言ってそのまま剣を抜くと、観衆に向けて横に薙ぎ払う。が、その剣は勢い余ってユーゴの手からすっぽ抜けた。

 

「あっ……!」

 

 誰もがその眼を疑った。

 観衆に向かって落ちたかに見えた剣は円を描いて左に向きを変え、斜め上にすーっと上がっていったのだ。そしてまた円を描くと、今度は右斜め上にスピードを上げて上昇していく。

 

「なんだ!」

「剣が空を飛んでいるぞ!」

「勇者が操っているのか?」

 

 誰かが言ったとおり、宙を舞う剣はユーゴの腕の動きに合わせて飛んでいるようだった。

 ユーゴが人差し指と中指を伸ばした右手を横に振れば、それに合わせて剣も横に飛び、上に向かって振れば、ぐいっと上昇していく。なんか中国の映画にありそうだな、こういうの。

 タネは簡単。ユーゴの手と剣が魔力のロープみたいなもので繋がっているのだ。ていうか、ユーゴのやつ、いつのまにこんなスキルを取得したんだ?

 

 ユーゴは剣を手元に引き戻すと、今度はぱっと手摺りに飛び乗った。

どこからか悲鳴が上がる。

一見危なそうに見えるけど、ユーゴは魔力で体を支えているので大丈夫。まぁ、傍から見れば、あんな細い手摺りに飛び乗って平然としている勇者すげぇぇぇ!ってなるんだろうけど。

 勇者ユーゴはその上に剣を浮かせたまま右手を高く掲げると、普段のあいつからは想像もできない程の大きな声を出した。

 

「今までの勇者はドラゴンと戦い退けても、それを退治することはできませんでした。それではドラゴンの脅威はなくなりません。故に僕、ユーゴ・シロウマはデュロワールの皆さんに誓いましょう。必ずやドラゴンを倒して、その首をここに持ち帰ると!」

 

 数瞬の静寂の後、おおーっと地響きのような歓声が沸き上がった。それはやがて「ユーゴ! ユーゴ!」というコールに変わる。

 

「こんなことは前代未聞だ」

「陛下の御前で剣を抜くなど、不敬にも程がある!」

「しかも、宣誓するならば陛下に対してであろう。あろうことか平民に宣誓するとは」

 

大臣たちが聞こえよがしに非難を口にする。その一方で、

 

「確かに前代未聞だ。剣を飛ばすなんて、いまだかつて見たことも聞いたことも無いぞ」

「流石はユーゴ様!」

「ああ、今までの勇者でもできなかったことだ」

「ユーゴ様だからできるのです!」

「これなら空を飛んでるドラゴンにだって攻撃できるんじゃないか」

「ユーゴ様、万歳!」

 

 と、騎士たちの評価は高い。あと、ジルベールがウザイ。

 

 ユーゴはコールに手を振って応えると、ポンと手摺りから降りて剣をヴィクトールに返した。

 

「勇者殿! 陛下の御前でなんという――」

「良い。アルマン」

 

 苦言を口にしようとした宰相を国王が制した。そして、ユーゴに正対する。

 

「勇者シュロゥマ殿、見事であった。願わくは、宣誓どおりに倒したドラゴンの首を私にも見せてくれぬか」

 

 ユーゴは右手を胸に当て、静かに低頭した。

 国王の顔に安堵の色が見える。昨夜の事件にもかかわらず、ドラゴン討伐を宣言したユーゴに安心したのかな。

 

 そうして、ユーゴの派手なパフォーマンスの興奮が冷めやらぬうちに、お披露目は終了となった。

 

……え、黒姫の出番は? せっかく巫女のコスプレまでしたのに。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 お披露目終了の後、アンブロシスさんに気になる気配を感じたことを報告した。

 

「で、ちょっと探って来ようと思ってるんですけど」

「それは、月島で間違いないのですな?」

 

 月島っていうのは、露店が出ていた小さい中州の名前だ。ちなみに、王宮のある大きい中州は太陽島。

 

「はい。まだそこにいるならですけど」

「では、ポルト卿に頼んで衛士を何人か出すとしようか」

「いや、いきなり大勢で押しかけるよりも、まずは確認したほうがいいと思います」

「危険ではないか?」

「こっそり顔を見て、じゃなくて、確認してくるだけです。それ以上のことはしませんから」

「ふーむ……。その方がいいかもしれんの」

「ありがとうございます」

「じゃが、クララは連れていくように」

「え……」

 

 思わず言葉に詰まってしまった。

 

「何か不都合でも?」

「あ、いえ。何ていうか、ほら、女の子にはちょっと危険じゃないかなぁと」

「危険なことはしないのじゃろ?」

「そ、そのつもりです。けど……」

「なーに。土魔法と金魔法ならクララは儂よりも余程使い手じゃよ。護衛のためにも連れて行った方が良い。いや、彼女との同行が許可の条件じゃな」

「くっ……。まぁ、しかたないですね」

 

 というわけで、俺はクララと一緒に王宮を出た。

 庭園から月島に向かって架かる橋を渡ると、あちらこちらから視線を感じた。

 おかしいな。

 俺の服装はローブを抜いただけの略装。襟付きの長そでシャツにズボン。袖なしの青い上着。クララも使用人のお仕着せ(って言うんだって。ああいう服のこと)ではなく、平民が着そうな麻色のシャツにえんじ色のスカーフ、同じえんじ色の足首まである襞無しのスカートという服装だ。

 これなら平民に交じっても目立たないはずなのに、めっちゃ目立ってる。なんで?

勇者の仲間とは言っても、俺の顔が知られてるわけないし、髪の毛だって黒くないし……あ、グラデになってるんだった。

黒姫にしてもらったブリーチは、生え際が黒いままのくすんだ茶色が毛先に向かって薄くなっていて、所々にこげ茶のメッシュが入っていた。クレームをつけると「あら、これがいいんじゃない」と一笑に付されてしまった。でもこんな髪色の奴はいねぇ。

 

「やっべ。これじゃ目立つよなぁ」

 

 ぼそっと零すと、

 

「……申し訳ありません」

 

 クララの小さい声が聞こえた。

 

「え、何でクララが謝るの?」

「私、大きいですから……」

 

 と、クララは身を縮こませる。

 

「まぁ、確かにクララの胸は大きいけど、目立つほどじゃないよ」

「ち、違います! 背丈のほうです!」

 

 普段よりも気持ち大きめの声で言い返してきた。自分でもびっくりしたのだろう。すぐに「すみません」と小声に戻った。

 

「……あの、私、女にしては大きいですから。それに、レン様の言うとおり、この胸も……」

 

 と、胸を隠すように手を重ねる。

 ヤバい。完璧セクハラだった。黒姫なら速攻グーパンが飛んでくる案件だよ、これ。

 

「あー、いや、俺の国じゃクララみたいな背が高くてスタイルのいい子は羨ましがられるんだけどな」

「そうでしょうか」

 

 クララの表情は微妙だ。やっぱりコンプレックスなんだろうな。

 

「まぁ、確かにクララは目立つかもしれんけど、でも残念だったな。目立ち度なら断然俺の髪の毛の勝ちだ」

 

 ドヤ顔で胸を張ったら、呆れ顔を返されてしまった。

 

 それはそれとして、こんなに目立っちゃ、あの気配を感じた場所にこっそり近づくのは難しそうだな。下手をすると、向こうに先に気づかれてしまうぞ。

 

 案の定、その懸念はすぐに現実のものとなった。

 

「あれ、レン様?」

 

 ほら。エプロン姿のペネロペに見つかってしまった。

 



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第25話 再会とベーコンサンド

 アルセーヌ川の小さい方の中州、月島の王宮側には公園があって、普段から平民の憩いの場になっているのだそうだ。今日は夏の日の祭りなので、たくさんの露店が出て賑わっていた。

 俺が気になっていたのは、その中のとある露店だ。どうやら食べ物を売っているらしく、購入した茶色の油紙のようなものを手に持った人たちが、歩きながらだったりベンチに座ったりしてその中身にかぶりついている。

 

 そこに彼女はいた。

 薄い黄緑色の服に生成りのエプロンをして大きな声で呼び込みをしている。

 

「ベーコンさんど、ベーコンさんどはいかがですかぁ! フールニエのベーコンさんど、新発売ですよぉ!」

 

彼女の名はペネロペ。

ロッシュ城で、ほんの3日ばかり俺のメイドだった子だ。

 まぁ、つまりはアレだ。さっきテラスにいた時に、彼女の気配を感じたのだ。この大勢の人ごみの中でなぜ彼女の気配がわかったのかは謎だけれども。

 で、こっそり顔でも見てやろうかとやってきたら、がっつり見つかってしまったという次第。

 

「あれ、レン様?」

 

 愛嬌のある丸顔で不思議そうに俺を見ている。

 

「よ、よう。久しぶり」

「お久しぶりです! って、どうされたんですか? その髪の毛」

「いや、ほら、黒い髪だと目立っちゃうだろ?」

「今も十分目立ってますけど……」

 

 ジトっした眼を向けられた。ですよね。

その視線がやや動く。

 

「……で、後ろの女性は?」

「え、えっと、彼女はメイド兼護衛のクララ」

「アンブロシス様からレン様のお世話をするように言い付かっているクララと申します」

 

 俺の紹介の後に、本人が小さな声で名乗る。

 

「それはそれは。あ、私はペネロペ。レン様の一番最初の『めいど』です」

 

 ペネロペの自己紹介が何気にマウントを取りにいってるように聞こえるんだが。

 

「それで、ペネロペは何してるんだ?」

 

 ペネロペは「そうでした」とポンと手を合わせた。

 

「今日はお祭りなので、うちのお店も露店を出してるんですけど、このお祭りに合わせて売り出した新商品があるんですよ」

 

 と、俺の手をグイグイ引っ張っていく。

そこには日よけのテントを張ったカウンターのような台があって、お客が次々に茶色い紙に包まれたものを買っていた。

 

「これです。フールニエのベーコンさんど!」

 

 ペネロペが両手を広げて自慢げに紹介したそれは、真ん中の切れ目に厚切りのベーコンと野菜を挟んだ細長い楕円形のパンだった。ホットドッグのベーコン版だな。

 

「レン様がハムチーズさんどだってパンにハムとチーズと野菜を挟んで食べてたでしょ。それを兄に話したら、ハムよりもベーコンがいいんじゃないかってこれを作ったんです。あっちじゃあんまりベーコンって出回ってないですけど、王都なら簡単に手に入りますからね」

「おおっ。確かにうまそうだな。じゃあ2つくれないか」

「はい、ありがとうございます。2つで50スールになります」

 

 あ……。

 

「俺、お金持ってなかったわ」

「すみません。私もです」

 

 クララが申し訳なさそうに身を竦める。

 

「もう、うっかりさんですねぇ」

「くっ。うっかりペネロペにうっかりさんと言われるとは」

「なんですか、それ」

 

 むーっとほっぺを膨らませたが、すぐに愛嬌のある笑顔に戻った。

 

「しょうがないですねぇ。ベーコンさんどはレン様のおかげでできたわけですし、試食ってことにしておきますね」

「助かる」

 

 他のお客からの不審げな視線に晒されながらペネロペ自慢のベーコンサンドを受け取る。

 

「はい、クララ」

 

 一つ差し出すと、不思議そうな顔をされる。

 

「……あの、これは?」

「何って、クララの分」

「いえ、そのようなことをしていただくわけには……」

 

 遠慮するクララに、

 

「じゃあ、食べてみて感想を聞かせて」

 

と、無理やりベーコンサンドを手渡して、自分の分にかぶりつく。

 ベーコンは厚切りでしっかり塩が効いている。野菜はパリっとしたレタスに……。

 

「おっ、タマネギが入ってるのか」

 

 薄切りの炒めたタマネギが挟んであった。

 

「へへん。それも兄が考えたんですよ」

「これ、意外と合うな」

「美味しいです」

 

 クララも小さな声で褒めると、ペネロペが「そうでしょう」と満足げに頷く。そこへ、

 

「お嬢様。そろそろ商品が無くなりそうです」

 

 テントの中にいるおじさんから声がかかった。

 そういえば、ペネロペってこの商会の娘さんだったな。だから「お嬢様」か。うん、似合わん。

 

「はーい。じゃあ、私、お店に戻って次の分できてるか見てきますねー」

 

 ペネロペはおじさんに向かって元気に答えてから、俺たちに向き直る。

 

「すみません、レン様。もっとゆっくりお話ししたかったんですけど」

「いや、こっちこそ商売の邪魔しちゃって悪い。元気そうな顔見れて良かったよ。あと、ベーコンサンド、ごちそうさま」

「私も。勇者様と聖女様のお披露目があったからレン様もいらしてるだろうなって思ってましたけど、こうしてまたお会いできるなんて思ってませんでしたから、すごく嬉しかったです。あ、ベーコンさんどは明日からお店でも売り出しますから、また買いに来てください。今度はお財布を持って」

 

 ペネロペはくすりと笑って「では失礼します」とお辞儀をした。

 あ、そういえば言い忘れてた。

 

「ペネロペ」

 

 声をかけると、駆け出そうとしていた彼女が振り返る。

 

「はい、何でしょうか?」

「えっと、その、結婚するんだってな。おめでとう」

「ありがとうございます。……え、誰が結婚するんですか?」

「誰って、ペネロペが……」

「ええっ? 私、結婚なんてしませんよ」

 

 眉を寄せて訝し気に俺を見る。

 

「え、でも、ペネロペが実家に戻されたのは結婚するからだってフローレンスから聞いたんだけど」

「本当ですか? おかしいなぁ。私、父親が急病だからってちゃんと言ったはずなんですけど」

「それ、家に戻す時の常套句だって」

「いえ、本当に父が病気になって人手が足らないって兄が言ってきたんですよ。だから、家に帰って店の手伝いをしてたんです」

「マジか……」

 

 なんか唐突に恥ずかしくなってきた。フローレンスめ。今度会ったら文句言ってやる。

 

「レン様、もしかして、それを言うためにわざわざ会いにきてくださったんですか? すみません。全然結婚する予定なんてないです」

「うん、まぁ、それはついでで、ほんとにペネロペの顔が見たかったから来たんだよ」

「だったら嬉しいですけど……」

 

 ペネロペは照れたように俯いた。そこへ、

 

「あの、お嬢様……」

 

 申し訳なさそうなおじさんの声がした。

 

「いい雰囲気のところ申し訳ないんですけど、そろそろ商品が……」

「ご、ご、ごめんなさい。すぐ行きます! レン様、またお店に来てくださいね。父と兄にも紹介したいですから。それでは失礼します!」

 

 もの凄い早口でそれだけ言うと、ペネロペは脱兎のごとく駆け出して行った。

 

「すみませんね、お兄さん」

 

 おじさんが俺にも謝ってきた。

 

「いえ、こちらこそ邪魔しちゃって。でも、これ本当においしいですね」

 

 食べかけのベーコンサンドを見やるとおじさんも笑顔になる。

 

「ありがとうございます。おかげさんで予想以上に評判がいいんですよ。最初にお嬢様に聞いた時には何だそれって思いましたけどねぇ」

 

 はははとおじさんは頭を掻く。

きっと「パンを冒涜するのかー!」とか、喧々諤々の言い合いがあったんだろうなぁ。

 

「あと、パンの形も持ちやすくていいです。これなら片手で持って食べられますし」

「そうなんですよ。お嬢様に聞いた時は丸いパンで上下に挟んでたんですけど、若旦那がこっちの方が食べやすいってことで。いや、そこに気づくとは。さすがはお嬢様の選んだお方だ」

 

 おじさんが妙なことを口走った。

 

「は?」

「お兄さんのこと、お嬢様が旦那様や若旦那に紹介したいって言ってましたからねぇ。いやはや、あのお嬢様もそういうお年頃になりましたか」

 

 何やら感慨深げに俺を見てくる。ま、きっと何か誤解してるんだろう。だってうっかり商会の人だしね。

 

 それはそれとして、こういう商品開発は召喚者である俺たちがやるのが王道なんだよなぁ。でも、衣食住は満たされてるし、経済的に不自由はないから商売に走る必要もないしな。まぁ、この世界のことはこの世界の人たちにまかせておけばいいわけで。

あっ、そうだ。このベーコンサンドを作った若旦那ならマヨネーズも作れるんじゃないかな?

よし、今度頼んでみようっと。(他力本願)

 

 

 ※  ※  ※

 

 ペネロペに会ったその帰り道。

 クララから何かを聞きたそうにしてる気配を感じたので、こっちから水を向けてみた。

 

「えっと、何か聞きたいことがあったら何でも聞いてくれていいよ」

「……あの……いえ、何でもありません。すみません」

 

 何でもないと言うわりにはどうにもよそよそしい。あいかわらず距離を感じる。

 あ、そうか。怪しい気配があるとか言っておいて女の子に会いに行ってるからなぁ。チャラい奴って思われちゃったのか。

 アンブロシスさんにチクらないでって言っとこうかな。いや、かえって藪蛇になるかもしれんし、よけいに軽蔑されそうだ。ここは沈黙は金ってことで……。

 

 それっきり俺たちは言葉を口にすることなく、微妙な空気のまま王宮へ帰った。

 



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第26話 日本人会議

 ロクメイ館に戻って、アンブロシスさんには怪しい人物は見つからなかったと報告しておく。嘘は言ってないはずだけど、ちょっと後ろめたい。

 

 で、そんな俺を待っていたのは黒姫からの伝言。3人で話し合いたいんだとか。

 ユーゴと黒姫はお披露目の後、昨夜できなかった領主や有力貴族たちとの顔合わせや王族との晩餐があるみたいだから、その話し合いは夜になりそうだ。

 

 ロクメイ館の食堂で一人ぼっちの夕食を取った後、談話室に移動して二人を待つ。クララにはお茶を淹れたら自分の夕食を取って部屋に戻るように言ってある。

 

 冷めきったお茶も飲み干して、手持無沙汰に窓の外を眺める。夏至だからか、結構な時間なはずなのにまだまだ明るい。パリって北海道よりも緯度が高いんだっけ?

 空が藍色を帯び始めるころになって、ようやく二人が部屋に入ってきた。なんか二人とも疲れた顔をしてるな。

カロリーヌさんたちもお茶を淹れた後は退室してもらい、二人がソファに座るのを待って、

 

「二人ともお疲れ」

 

 とりあえず労いの言葉を口にしてみた。だってマジでぐったりしてるもん。

 

「ありがとう。それでこれからのことでちょっと相談っていうか確認しておきたいんだけど」

 

 疲労が残る顔の黒姫が口火を切るのを「ちょっと待った」と手で制して、

 

「せっかく俺たちだけなんだから、日本語で話さないか?」

 

 目線を隣の部屋との壁へと流す。隣の部屋の壁際にじっとしている弱い魔力があって、ちょっと気になっていた。

すると、黒姫も何かを悟ったらしく「そうね」と同意する。白馬も無言で頷いて額の『言葉の魔法石』をはずしてテーブルに置いた。それを確認して、黒姫に続きを促す。

 

「さっきのお披露目のことなんだけど」

 

 黒姫の声が硬い。なにやら機嫌が悪そうだ。……あ、そっか。

 

「あー、黒姫さんは残念だったな。見せ場が無くて。せっかく巫女のコスプレまでしたのにな。でもあれ、綺麗だったよ」

「コスプレって言わないで!」

 

 黒姫が赤い顔で睨む。

 

「そうじゃなくて、白馬くんがドラゴンを退治するって言ったことよ」

「何か変だった? ドラゴンと戦うのはみんな了承してたと思ったんだけど」

 

 黒姫に指摘されたユーゴが不思議そうに返した。

 

「だって白馬くん、首を持ってくるって言ったでしょ? それって、その、殺すってことよね。ドラゴンを」

 

ああ、そうか。あの場のノリで流してたけど、そういうことになるのか。

 

「今までの人たちだって追い返しただけでしょ? そこまで言う必要あった? ていうか、私たちにできるの? そんなこと」

「ごめん。あれ、勢いで言っちゃったんだ」

 

言葉ほどユーゴに悪びれた様子は無い。

 

「でもさ、あれくらい言わないとみんな納得しなかったと思うんだ」

「納得? 何に?」

 

 怪訝な顔の黒姫に、ユーゴがうっすらと笑って見せる。

 

「僕が勇者だってことに」 

「……」

 

 押し黙る俺たちを見て、ユーゴはふっと息を吐いた。

 

「僕って背が高くないし筋肉も貧相でしょ? いっつも『あんな子供が勇者?』みたいに見られるんだよね。前からそれがちょっと気になってて……。レンみたいな体格だったらよかったんだけど」

 

 ちらりと俺を見る。

 

「じゃあ、あの剣を飛ばすパフォーマンスもそうなの?」

「うん」

「やるならやるって事前に言ってくれてもいいんじゃない? 心臓に悪いわ」

「ごめん。なんか急に思いついちゃったんだよ」

「急にって……。まさかぶっつけ本番なの?」

「うん。まぁ、前に漫画で見たことあったから、いつかやってみようとは思ってたんだけどね」

「失敗したら大惨事じゃない!」

 

 黒姫が眼を剥いて声を荒げた。

 

「自信はあったんだよ」

「そういうことじゃなくて!」

 

黒姫がバンっとテーブルに両手をついた。ティーカップがカチャンと大きな音を立てる。

 

「だいたい、あんな危ないことしなくてもいつもの『属性の石板』でみんな驚いてるじゃない」

「あれさ、何か実感が湧かないんだよね。周りが勝手に驚いてるだけっていうか。それなら剣を飛ばしたほうが直截的でわかりやすいかなって」

 

 ユーゴはそこで何かに気づいたように「あっ」と声を上げた。

 

「ごめん。あのパフォーマンスのせいで黒姫さんの出番、なし崩しで無くなっちゃったんだよね」

 

 ああ、それで黒姫は機嫌が悪そうなのか。案外根に持つタイプなんだな。気をつけよう。

 

「違うわよ。私だってあれはなんか見世物にされてるみたいでイヤだったから、逆によかったくらいよ」

 

 黒姫はふいっと顔をそむけたまま、眼だけをユーゴに向けた。

 

「……白馬くんってなんか変わったわよね。言葉は悪いんだけど、自信過剰っていうか」

「自信過剰かぁ……」

 

 ユーゴはそう呟いて天井を見上げた。

 

「僕は勇者らしくなろうとしてるだけなんだけどなぁ」

「失敗するかもしれないのに剣を飛ばしたり、勝手にドラゴンを退治するって宣言するのがそうだって言うの?」

 

顔を戻したユーゴは黒姫の非難を真正面から見据えた。

 

「だって、みんなが僕のことを勇者だって認めてくれたでしょ? 勇者に期待してくれたでしょ?」

 

 黒姫の責めるような視線とユーゴの不敵な視線が絡み合う。ううっ、雰囲気最悪だよぉ。

 

「あの……」

 

 そろそろっと小さく手を挙げると、険しいままの二人の視線を同時に浴びた。ひえぇぇ。

 

「さっき黒姫さんも言ったけど、ユーゴはドラゴンを殺す方策はあるのか?」

「あっ、それなんだけど」

 

ユーゴは表情を柔らかいものに変えた。

 

「それにはドラゴンのことをよく知らないといけないと思うんだ。で、こっちに来てから僕なりに調べてはみようとしたんだけど、あんまり時間が取れなくって」

 

 と、俺たちの顔を窺うように聞いてくる。

 

「私もスケジュールは空いてないわ」

 

 そっぽを向いて即答する黒姫。

 

「あー、よかったら、それ、俺が調べてみようか?」

 

正直、ずっとただ飯喰らってるみたいでなんか肩身が狭かったんだよな。働かざる者喰うべからざるって言うし。

 

「ほんと? 助かるよ、レン」

「まぁ、俺特にしなきゃいけないこと無いし、暇だから」

「でも高妻くん、お披露目の後、こうやって話し合おうと思ってたのにいなかったじゃない。高妻くんも忙しいんじゃないの?」

 

 黒姫がクリティカルな横槍を入れてきた。

 

「あ、そういえばそうだったね。何か用事だった?」

 

ユーゴが自然な流れで聞いてくる。

あー、来ちゃったか。その質問が。

 

「ああ、うん。ちょっと月島に行ってた」

「月島って露店出てたところ?」

「あー、ずるーい」

 

 嘘は言いたくなかったのでさりげなーくなにげなーく答えたはずなのに、がっつり喰いつかれた。

 

「いや、別に遊びに行ってたわけじゃないんだよ」

「じゃあ、何しによ?」

「ちょっと偵察?」

「疑問形だし」

「偵察って一人で?」

 

 ユーゴが余計なことを聞いてくる。

 

「えっと、クララと」

「二人で?」

「うん、まぁ」

「デートじゃない!」

 

 黒姫が憤慨する。

 

「いや、ほんとは一人で行こうとしたんだけど、アンブロシスさんに無理やりクララと行くように言われたんだよ」

 

 本当のことを言ったのに二人の顔には不審感しか見えない。

 ここはスルーして話を進めるか。

 

「でさ、なんとそこで偶然ペネロペに会ったんだけど」

「ペネロペって、ロッシュでレンのお世話してた子だっけ」

「高妻くんがセクハラして辞めちゃった子ね」

「冤罪だ」

「それで、デートに行って元カノと会って修羅場にでもなったの? ていうか、なればいいのに」

「デートじゃねぇし、元カノでもねーよ! じゃなくて、そのペネロペの店でベーコンサンド売ってたんだよ」

「ベーコンサンド?」

「ホットドッグのベーコン版みたいなやつ」

「ふーん」

「いや、これがめっちゃ美味くてさ」

「はい」

 

 いきなり黒姫が手を出してきた。

 

「何?」

「お土産は?」

「え?」

「『え?』じゃないわよ。なによ、自分ばっかりデートして美味しいもの食べて。あーあ。私も食べたかったなー。ベーコンサンド」

「僕も食べてみたいなぁ、それ」

「私、露店も行ってみたかったのよねー」

「レンが羨ましいよ。デートしてペネロペに会って」

「こっちは嫌々偉い人たちの相手してるっていうのに」

「偶然とか言ってたけど」

「怪しすぎるわね」

 

 コンボでガンガン責められる。

 ていうか、お前ら仲いいな。

 

「じゃ、じゃあ、今度みんなで行ってみるか。ペネロペのパン屋」

「そう? じゃあ、高妻くんの奢りね」

「だね」

「や、俺お金待ってないんだけど……」

「使えないわねぇ。じゃあ私たち二人だけで行きましょうか」

 

 と、黒姫がユーゴを誘う。

 

「うん、いいよ。今度はレンが留守番だね」

「ユーゴはいいとして、黒姫さんはお金あるのか?」

 

 前にユーゴは絵を買ってもらった代金があるって言ってたけど、黒姫は持ってなかったよな。

 そう思って聞くと、黒姫はふふんと不敵に笑う。

 

「報奨金っていうのをもらったのよ。昨夜の王女を助けた褒美だって」

「え、それ半分俺のおかげじゃね?」

「どうかしらねー」

 

 黒姫の眼が笑ってる。

 

「しょうがないから高妻くんも誘ってあげるわ。3人で行きましょう」

「僕もそれがいいと思う」

 

 ユーゴもいつもどおりの笑顔だ。

 いいな、やっぱり。この三人は。

 

ついでに、せっかく3人が揃ってるので月の話をした。

ロッシュで見た月が日本で見た月と同じだったこと。従って、ここが地球だと思われること。ここがフランスのパリで、王宮がシテ島に当たること。それから、俺たちのいた地球と同じゃなくて、魔法があるパラレルワールドの可能性が高いこと。

 などということをつらつらと説明すると、

 

「パルリとかアルセーヌとか、いかにもって言う名前だしねぇ」

「なんか普通に納得しちゃった」

 

 と、予想外にすんなりと受け入れてくれた。と、思ったら、

 

「ていうか、そういう報告はもっと早くしてよね。だいたい高妻くんて――」

 

 と、説教される始末。更に、

 

「高妻くん、夜会でクラリス姫に浄化魔法をかける時に、私のこと呼び捨てにしたわよね?」

 

 糾弾するように睨んでくる。よく覚えてたな、そんなこと。

 

「すみません。いや、ほら、なんか咄嗟だったから」

「べ、別に謝って欲しいわけじゃなくて、その、これからはそんな感じでもいいかなと……」

 

 いつになく彼女の歯切れが悪い。

 

「そんな感じ?」

「だから、『さん』とかつけなくてもいいって言ってるの。そういうの、なんか距離感あるじゃない?」

 

 そんなもんか? なら、

 

「じゃあ、俺のことも呼び捨てで」

「それは無理」

「え、何で?」

「私は高妻くんと距離を取りたいから」

 

 何じゃそりゃ。

 

「あ、僕はこれからも『黒姫さん』って呼ぶね」

「白馬くんがそうしたいならいいわよ」

 

 ユーゴが抜け目なく言うと、黒姫はあっさり了承した。なんか不公平じゃないですかね?

やっぱり巫女のコスプレのことを根に持ってるのか。これからはセクハラはほどほどにしておこう。

そう強く心に誓うのだった。

 



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第27話 闇魔法

お披露目から数日が経った。

 その数日の間、ユーゴたちは何人もの貴族たちからの招待を受けてあちこちに出かけてた。

小耳に挟んだ話によると、その時に話のタネにとユーゴが描いた絵が評判になっているらしい。特にご婦人やご令嬢の絵が。

剣を飛ばし、堂々とドラゴン退治を宣誓して平民や騎士たちに歓迎される一方で、美麗な絵を描いて貴族令嬢の心を捉えるとか、ユーゴのチートっぷりが凄い。さすが異世界チーレムの主人公だ。

 黒姫の方も、スタール夫人の教育の賜物か、無難に貴族の相手をこなしているようだ。あと、クラリス王女に懐かれてるらしい。何度もお茶会に誘われたと言っていた。きっとあの夜会で黒姫が聖魔法で王女を助けたからだろう。

一度俺も誘われたけど、俺は勇者じゃないからと丁重にご辞退申し上げた。いやだって、お茶会のマナーとか知らんし、ロリコンでもないからね。

 

 で、ここ最近の俺はユーゴに請われたようにドラゴンのことを調べている。

あいかわらず太陽島の外に出る許可が下りないので、王宮内にある図書館で調べたり、アンブロシスさんに頼んで公文書を見せてもらったりした。

といっても、俺はまだガロワ語の文字が読めない。簡単な単語や文章ならなんとかいけるんだけど、お堅い文章はお手上げだ。なので、クララの存在は非常にありがたかった。というか、ほぼ彼女におんぶにだっこ状態だ。

 

 伝記、伝説を始め物語、市井に出回った噂話を纏めたもの、前回の勇者に同行した従者の報告書、果ては勇者の絵本まで読み漁ってわかったことは、まずドラゴンの形態に関しては予想どおりにツノやトゲのあるトカゲっぽい風貌で鉤爪のついた翼を持ち金色の鱗が全身を覆っている西洋風のドラゴンだった。ただし足は2本、後ろ脚だけで手は無い。ぶっちゃけ、首としっぽが一本ずつのキングギ〇ラだ。

 大きさは、書かれているものによって馬の3倍くらいから家くらい、城よりも大きかったとまちまちだった。たぶん、空を飛んでいるドラゴンを見ても対象物が無いせいで正確な大きさがわからなかったんだと思う。どのみちその大きさじゃ翼を動かして作れる揚力だけで飛べるとは考えられない。やはり魔法だろうと推測する。それが風魔法なのか重力魔法なのか、もっと別の何かは不明で、今のところ断定できる資料は無い。ユーゴは「重力系なら翼はいらないはずだから風魔法じゃない?」と推測してたけど。

 

 この世界にはまだ空を飛ぶ魔法は無い。

 凧と風魔法を使って飛ぼうとしたことはあるらしい。想像でしかないけど、ドラゴンの翼の形状からすると、ヤツもこの方法で飛んでいるのだろう。

現代の飛行機のように、揚力を生む形状の翼に風魔法で風を当ててやれば飛べるかな? まぁ、そのへんの知識はあまり無いけど、時間があれば実験してみよう。やっぱり魔法で飛ぶのはロマンだからな。

あと、ユーゴが剣を飛ばしたように自分が乗った箒とかを飛ばしたり、もしくは自分自身を浮かせたりはできないようだ。あれはユーゴという支点が地面と接しているからできるのだ。そもそもユーゴ並みの魔力がないとそれもできないんだけど。

 

 話がそれた。

 そうそう。ドラゴンは飛んでいるのだ。どの資料にもドラゴンは常に空を飛んでいた。地面に降りている描写は皆無だ。だからと言ってドラゴンが地上に降りてこないとは限らないけれど、とりあえず飛んでいるだけなのだ。

それでどうして被害があるかというと、前に聞いたとおりドラゴンが現れると強い風が吹き大量の雨が降るらしい。それのせいで、河川が氾濫したり畑や牧草地が崩れたり建物が壊れたりしたとあった。なんか台風とか爆弾低気圧みたいなヤツだな、ドラゴン。

 雷で攻撃してくる描写もあったけれど、これが天候による自然発生的なものかドラゴン自体のスキルなのかははっきりしない。

 

次に、前回の勇者がドラゴンと戦った記録だけど、2年半にわたって全部で8回あった。

ドラゴンは東あるいは北東から来るらしく、ある程度の進路は予想できたのか、勇者と聖女はドラゴンの侵攻を確実に迎え撃った。

戦闘の詳しい様子は書いてなかったものの、どれも上空を飛ぶドラゴンに向けて勇者が大旋風という魔法を使ってドラゴンを引き返させたとあった。確かにこれならたいして危険は無さそうだ。ちなみに、その時聖女が何をしていたかは書いてなかった。

ただし、回を重ねる度に戦闘は激しいものになっていき、最後になる8回目の戦闘はかなり激しいものだったらしい。サルルブールという場所で行われたそれは勇者とドラゴンの魔法が激しくぶつかり地形を変えてしまったとあった。この戦いでも勇者と聖女は無傷で、ドラゴンは勇者の偉大な魔法に恐れをなして2度とデュロワアールを襲うことはなくなったと報告書には書いてあったけれど、ちょっとプロパガンダの匂いがする。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 ドラゴンの調べもの以外の時間は、剣の鍛錬や魔力感知の習熟に費やしていた。

 お披露目の時に感じたペネロペの気配。あの大勢の人の中でどうして彼女の気配だけを感じられたのか。その理由を知りたいと思って試行錯誤している。今も平民の街が見える場所で試してるんだけど、あの時のように彼女の気配を感じることはできなかった。

距離が遠すぎるのかな。

案外ペネロペが「レン様に会いたい!」とか思ってて、その思念を感じ取ったとか? なーんて――。

 

「……あの、レン様」

 

 俺の深い考察はクララの遠慮がちな声でストップした。

 

「クレメント様がおいでです」

「いやぁ、レン殿、探しましたよ」

 

 クレメントさんはいつもの気さくな笑顔で近づいてきた。そしてこそっと耳打ちする。

 

「例の憑依魔法の件で話を聞きたいという人がいるので、一緒に来ていただけますか」

「あ、はい。いいですよ」

 

 クレメントさんに返事をしてからクララに声をかける。

 

「クララ。俺はこれからクレメントさんと行くところがあるから、夕食までは好きにしてていいよ」

「私もご一緒します」

 

 小さいけれどはっきりとした声が返ってきた。

 クララって自分の食事と所用で外す以外、ほとんど一日中俺の傍にいるんだよなぁ。アンブロシス様から言われてるって。なんか小間使いっていうより付き人とか護衛に近い。

 

「いや、クララ。これは大事な話なんだ。終わったら、レン殿は私が部屋まで送るから君は部屋で待っていなさい」

「……はい。承知しました」

 

 クレメントさんにきっぱりと言われ渋々身を引くクララを残して歩き出す。

 話を聞きたい人って誰だろう? クレメントさん経由ってことは内務省の人かな。恐い人だったらやだなぁ。

 

若干ビクビクしながら向かった先はロクメイ館。

 談話室の扉を開くと、中には見知った顔があった。

 

「やあ、レン。久しぶり……と言うほどでもないが、ずいぶん変わった髪になったな。何があったんだい?」

 

話を聞きたい人ってシュテフィさんか。よかったぁ。ていうか、最初からそう言ってよ、クレメントさん。

 

「いやぁ、髪の毛が黒いといろいろ目立って嫌だったんで、黒姫に魔法で変えてもらったんですよ」

「マイはそんな魔法も使えるんですか」

「レンはあいかわらず変なことをやらかしていますね」

 

 なぜか、ルシールとスザンヌさんもいた。何? シュテフィさんのお守り?

 

「早速だけど、レン。夜会で見たことを教えてくれるかな」

 

 勧められた椅子に座るなりシュテフィさんが聞いてきたので、王女の姿がぼやけて見えたところから順を追って説明した。

 

「なるほど。憑依魔法は黒い靄として見えたんだね」

「はい。でも、ただの靄じゃなくて、もっと生々しいっていうか、それをかけている人のそのものって感じを受けました」

「誰がかけていたかわかったのですか?」

 

 クレメントさんが勢い込んで聞いてきた。

 

「いえ、そこまでは」

「そうですか……」

 

 残念そうに肩を落とすクレメントさんにかまわず、

 

「クレメント、アレを」

 

 シュテフィさんが言うと、クレメントさんは『言葉の魔法石』が入っていたのと似たような小箱を取り出して机の上に置いた。蓋を開けると、宝石のついたペンダントがあった。直径3㎝ほどの綺麗な紫色の宝石は、よく見るとひびが入っていた。

 

「あの夜会で王女殿下がつけておられた首飾りです」

「レン、これを触ってみてくれないか」

 

 クレメントさんの説明に続いて、シュテフィさんがその宝石を指さした。

言われるままに右手の人差し指を宝石にあてる。

 

「……イノシシ?」

 

 テレビの番組か動物園でくらいしか見たことはないけど、伝わってきたイメージはイノシシに間違いない。……ん? 他にも僅かに残ってる魔力があるな。これは……。

 

「やはりそうか。この宝石、巧妙に加工されているけれど、実は魔獣の魔石なんだよ。まぁ、何の魔獣かまではわからなかったけれどね。やはり、レンは凄いな」

 

 シュテフィさんは愉快そうに説明を始めたので、魔石から手を引っ込めた。

 

「これでこの魔石が魔獣の魔石だと証明されたとみていいだろう? クレメント」

「レン殿の力を知っている俺たちにはそれでもいいが、お偉いさんたちが納得するかな」

「それは知らんな。納得しようがしまいが、事実は事実だ」

 

 思案顔のクレメントさんに対して、シュテフィさんが鼻先で笑う。

 憑依魔法とかの闇属性の魔法は魔獣の魔石を使うんだっけ。

 

「じゃあ、王女はそのペンダントの魔石で憑依されてたんですね」

「そういうことになります。憑依魔法は魔石を身に着けた者を操ると言われていますから」

「なんでそんな物騒なものを着けてたんですか?」

 

聞くと、クレメントさんの顔が渋くなる。

 

「シュテフィも言っていましたが、魔石とは気づかずにただの宝石だと思っていたのでしょう」

「デュロワールの人間はあまり知らないみたいだけれど、魔獣の魔石は存外綺麗な色をしてるのが多いんだ」

 

 シュテフィさんが補足した。

 

「侍女たちに確かめたところ、その首飾りはその時初めて着けたもののようです」

「でもそれって、偶然ってわけじゃないですよね?」

「でしょうね。侍女たち一人一人から厳しく話を聞きましたが、ある侍女が言葉巧みに殿下に勧めたそうです」

「じゃあ、その侍女が犯人?」

「おそらくは。けれど、当の侍女の行方がわからなくなっているので確かめようがありません。いえ、それ以前にその侍女がどこの誰なのかわからないのです。誰もその侍女の名前を知らないし、顔もはっきりとは覚えていないようでした。普通に考えればそのようなことはあり得ないのですが、その時は誰もそれをおかしいと思わなかったのだそうです」

「それも魔法ですか?」

「たぶん幻惑魔法でしょう。これも闇魔法ですね」

 

 そこまで言って、クレメントさんがハッとなる。

 

「すみません。今の話は他言無用に願えますか」

 

 どうやら内務省案件の内密の話だったらしい。

 

「わかりました。ところで、闇属性を持ってる人ってどれくらいいるんですか?」

「それは……」

 

 クレメントさんの口が重い。

 

「あ、これも機密事項でしたか」

「いえ、そういうわけではないのですが……」

「闇属性なんて無いんだよ」

 

 口ごもるクレメントさんに代わってシュテフィさんが明快に言い切った。

 

「魔獣の魔石を使うからデュロワールでは穢れた魔法だの闇魔法だのと言っているけれど、本質的には聖属性の魔法なのさ。人間に向けてかける魔法だからね。ある文献に、憑依魔法は東の森の民が使う魔獣を使役する聖魔法が元になっているとあったよ」

 

 魔獣を使役? テイマーみたいなもんか。

 

「だから魔獣の魔石を使うんですね?」

「レンは理解が早いね。使役魔法も憑依魔法も魔獣の持つ魔石が鍵になっていると私も思っているんだが、今はまだそこまで研究する時間も予算もなくてね」

 

 そう言ってシュテフィさんはため息を吐いた。

 

「二つ確認してもいいですか?」

「ああ、かまわないよ」

「聖魔法を使える人なら誰でも闇魔法を使えるんですか?」

「理屈としてはそうだね。訓練は必要だろうけど」

「聖属性を持つ者はそれ程多くはないので、一応わかっている範囲では探してみましたが、怪しい者はいませんでしたよ」

 

 クレメントさんが俺の思考を先回りして教えてくれる。

 

「もっとも、外部の者なら探しようもありませんが」

「外部の者?」

「デュロワール王国以外の国の者です。特に東にあるゴールという国の古い信仰にはドラゴンを神聖視するものがあるらしいですから」

「そのゴールの人間が犯人だと」

「その可能性が高いとみています」

 

 ふーん。

 

「じゃあ、もう一つの質問。その憑依魔法って、操る人と操られる人の距離に制限はあるんですか? 例えば、実際に目で見える範囲じゃないとダメとか、あるいはもっと遠く、ええと、ダンボワーズとかロッシュくらい離れてても操れるとか」

 

 この質問にはさすがのシュテフィさんも困り顔だ。

 

「残念ながら、その答えは持ち合わせていないんだ。なにせ、実験したくてもその魔法を使う人間が身近にいないのでね」

「今回の件に限れば、侍女は夜会の場にはいなかったので、見えていない場所からでも操れるのは確かでしょう」

 

 クレメントさんが補足してくれる。

なるほどね。

 

そんなこんなで、シュテフィさんが俺に聞きたいことは終わったようだし俺も聞きたいことは聞けたので会合はお開きとなり、みんなで談話室を出た。

 俺は廊下を歩きながら、ルシールに並ぶようにする。

 

「あの、ルシール。ちょっと二人だけで話したいことがあるんだけど」

 

囁くように言うと、彼女は驚いたように目を丸くしてしばらく俺を見ていたけれど、慌てて俯いて「はい」と小さく頷いてくれた。そして、俯いたまま言葉を続ける。

 

「で、ですが、私はこの後実家に顔を出すように言われているので、お話は明日の午後でもよろしいですか?」

 

 ルシールの実家って王都にあるのか。

 

「うん。いいけど」

「では、迎えの者をやりますので。……お待ちしております」

 

 そう告げる彼女の声と魔力が少し動揺しているように感じられた。

 



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第28話 ルシールの秘密

 次の日の午後の鐘が鳴る前に、ルシールの言っていた使いの人が来た。落ち着いた服装の物腰の柔らかい壮年の男性だ。応対したクララがやけに緊張している。

 その使いの人について王宮内を歩いていく。中庭の見える回廊をぐるっと回って渡り廊下を通って建物に入って進んで曲がってさらに進んで庭園を通り抜けてようやく着いた先はとある立派な館。

 あれ? ここ、まだ王宮の中だけど……。

 

「あの、ここって?」

「お、王弟殿下のお住まいです」

 

 こそっと教えてくれたクララの声が震えている。

 はい? 王弟? 王様の弟ってこと? 

 状況をうまく理解できないまま中庭のような場所に連れていかれた。屋根付きのテラスにテーブルと椅子が置かれ、そこに優雅に座っている黒髪の女性がルシールだと気づくまでに数秒かかった。後ろにはスザンヌさんと数人の侍女さんたちが控えていた。

 俺が到着すると、ルシールはスザンヌさんに椅子を引いてもらいふわりと立ち上がった。

 彼女の装いはいつもの桜色のローブではなく、涼し気な水色のドレスだった。その裾を軽くつまんで、

 

「ようこそおいでくださいました。レン」

 

 と、柔らかに微笑む。

 

「あ、ああ、うん。いえ、どういたしまして……。じゃなくて、ほん、本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 

 やべぇ。めっちゃ緊張してる。

 話をするだけだと思ってたのに、こんなの緊張するなって言う方が無理だろ。だって彼女、化粧とかしていつも以上に綺麗なんだもん。

 

 ルシールは俺の失態を見ないふりで微笑して椅子を勧めた。その気遣いに助けられて、少し落ち着く。

 椅子に座ると、侍女さんたちがお茶やお菓子をテーブルに並べてくれる。それが終わると、ルシールがスザンヌさんを見やった。

 

「スザンヌ」

 

 名前を呼ばれたスザンヌさんは軽く頷いて、今度は侍女さんたちに目で合図を送る。すると侍女さんたちはこちらに向かってお辞儀をして静かに去っていった。

 

「そちらのお嬢さんもよろしいですか?」

 

 スザンヌさんが俺に向かって小声で言った。あ、人払いか。なんかあっけにとられることばかりで調子が狂うな。

 

「えっと、クララ……」

 

 声をかけると、すぐにクララは無言で一礼して会話の聞こえない距離まで下がっていった。

 それを見送ってから顔を戻すと、同じように見送っていたルシールとバッチリ目が合ってしまった。慌てて目を伏せるルシール。

 

「えっと、もしかしてルシールの実家ってここ?」

「はい」

「てことは、ルシールのお父さんは王様の弟で、つまり、ルシールさまは王様の姪っこさまであらせられたんですか?」

「……はい」

 

 と答えて、ちょっと困ったようにちらりと俺を見る。その青紫色の瞳が王様やアンドレと似ていることに今更のように気づいた。

 

「隠していたわけではないのですよ。ただ、私は王弟の娘としてではなく聖女様の継子(エリタージュ)としてあなたたちに接していたので。それと、お願いですから変な言葉遣いはやめて今までどおりにしてください」

「いや、でも今のルシールってなんか別人みたくて。こう、気品があるっていうか」

「普段のルシール様に気品が無いとでも?」

 

 すかさずスザンヌさんに睨まれた

 

「ええと、スザンヌさんはここに残ってるんですか?」

「当然です。嫁入り前のルシール様を殿方と二人きりにはできませんので。ましてや相手がレンですからね。二人きりを良いことに不埒なまねをしでかさないとも限りません」

「しませんよ、何も。ちょっと話をするだけです」

 

 スザンヌさんと視線の火花を散らしてから、ルシールに向き直る。

 

「で、話なんだけど……」

 

 そう切り出すと、途端にルシールの表情が硬くなった。そこへ「はぁー」と聞こえよがしにスザンヌさんがため息を吐く。

 

「なっていませんね、レンは」

「は?」

「いきなり本題に入るとは何事ですか。いいですか。まずは時候の話から始めて手入れのされた庭園を眺めつつお茶やお菓子の味を堪能し、それからルシール様のお召し物を褒めて、更にはルシール様本人の美しさを讃えてから、それとなく本題に移るものですよ」

 

 マジか。いや、最後の方はちょっと怪しい気もするけど。

 まぁ、そういうことならやってみるか……。

 

「ええと、本日はお日柄も良く、じゃなくて、えっと、綺麗に手入れされた庭ですね。けれど、ルシールの方が綺麗だよ。ルシールのそういう恰好って初めて見たけど、いつもより可愛いっていうか、ほら、いつもはあのローブ姿だからどっちかって言うと清楚で気高くて近寄りがたい美しさがあるんだけど、今日の服装だと可憐なお嬢様って感じで親しみやすい可愛さがあるよね。普段と違う印象が新鮮で、こんなルシールもいいなぁって思った。えっと、あ、髪もつやつやで綺麗だよ。日本人でもこんな綺麗な黒髪の人めったに見ないから。いやマジで。ぶっちゃけこんな可愛い子は今まで見たことない──」

「あ、あの、お世辞はそのくらいで、もう本題に入ってください」

 

 ルシールが俯いてストップをかけた。

 ふぅー。何言ってるか自分でもわからなくなってたから丁度良かったな。

 ちらりとスザンヌさんを見ると、その眼が「まぁ、良しとしましょう」と言っていた。

 

「で、話なんだけど」

 

 ルシールのまだちょっと赤い顔が真剣になる。

 

「ちょっとルシールの手、触ってもいい?」

「はい?」

「レン、言った傍からとはいい度胸ですね」

 

 え、ちょっと、スザンヌさん。フォークを持って何をするつもりですか。

 

「あ、や、別に下心があって言ってるんじゃないんですよ」

「ルシール様の珠の様にお美しい肌に触れるのに、下心以外に何があると言うのですか」

「あるよ! ありますよ! ていうか、男だって女の子の手に触れるのは恥ずかしいし勇気がいるんですよ!」

「何を情けないことを堂々と」

「あ、あの、私は構いませんので、レンの好きなように触ってください!」

 

 二人の言い合いを断ち切るように、ルシールがとんっとテーブルの上に両手を投げ出した。

 目を閉じて両手をテーブルの上に置いたルシールの肩が小さく上下している。そんなに緊張されるようなことでもないんだけど……。

 

「じゃあ、ちょっと失礼して」

 

 ルシールの白い手の甲にちょんと右手の人差し指を乗せる。途端にビクッとルシールの体が震えて「っん」と思わず息を詰めるような声が聞こえたが、俺の意識は指先から伝わるイメージに集中していた。いや、してねーな、これ。

 集中しろ集中。

 前にシュテフィさんの実験でした時と同じように、底の深い透明な水を湛えた湖が頭の中に浮かぶ。今日は少し湖面に波があるな。……けど、やっぱりそうだ。

 

「ありがとう、ルシール」

 

 指を離して礼を言うと、ルシールは俺が触れていた右手の甲を左手で押さえるようにして急いで胸元に引き寄せた。うん、まぁ、そういう反応になるよね。いいけど。

 

「ルシール様、お手を」

 

 スザンヌさんがハンカチを差し出す。が、ルシールは軽く首を振った。

 

「大丈夫です。それよりも、レン。理由を聞かせてもらえますか。ただ私に触りたかったなどというのは嬉しいけれど許しませんよ」

 

 と、上気した顔で俺を睨みつける。おかげで、可愛い子は睨んでも可愛いということがわかった。

 

「うん。実は昨日、魔獣の魔石に触れた時にイノシシの他にほんの少し残ってた魔力を感じたんだ。それは深い森の中にある湖みたいで……」

「それが、私だと?」

「レン!」

 

 スザンヌさんの咎めるような声に首を振って応える。

 

「最初はそう思ったんだけど、ちょっと違うように感じたんだ。懐かしい感じがする透明な水の湖っていうのは似てるんだけど、なんか水の感触が違うような気がして。それでもう一度ちゃんと確かめるためにルシールの手を触らせてもらったんだよ」

「それで、レンの答えは?」

「やっぱり違う。ルシールじゃない。ルシールの水は優しいけど、魔石に感じた水は硬い感じがする。よく似てるけど違う。例えるなら、姉妹とかそんな感じ」

「えっ……」

 

 ルシールの菫色の瞳が見開かれて大きく揺れている。

 

「ルシールには姉妹がいるんだね」

「……はい。姉がいました」

「そっか。夜会の時、何人かで同時にかけた浄化魔法が全部跳ね返されてたんだ。だから、あの憑依魔法をかけてた人ってかなり魔力が強いんだろうなって思ってたけど、ルシールのお姉さんなら納得だ。でも、なんで過去形?」

「はい、それは──」

「ルシール様」

「いいのです。レンには話した方が良いと思います」

 

 止めようとするスザンヌさんに首を振って、ルシールが向き直る。俺も居住まいを正した。

 

「私には二つ上の姉がいました。3年前、継子であった母が亡くなった後、それを継いだのはその姉でした。けれど1年前、姉は突然いなくなってしまいました」

「いなくなった? 家出? まさか誘拐されたとか?」

「わかりません。継子になってからの姉はほとんどをロッシュの研究所で過ごしていました。いなくなったのもロッシュにいた時なのです。ですので、私は詳しいことは知りませんし、教えてもらえませんでしたから」

「心中お察しいたします」

 

 スザンヌさんがルシールに寄り添う。

 

「その姉のせいで、ルシール様は急遽継子を引き継ぐことになったのです。召喚の儀が迫る中、この1年のご苦労を思うと、私……」

 

 スザンヌさんが手に持っていたハンカチで目元を拭った。

 

「スザンヌ、大袈裟です。そんなに苦労はしていなかったでしょう? むしろロッシュにいる時の方がこちらにいた時よりも気ままにできたほどです。それから、姉のことを悪く言うのはやめてください」

「いいえ。いくらルシール様のお言葉でも承服しかねます。ルシール様に黙って姿を消されただけならばまだしも、今回のクラリス姫殿下への不敬な行為。これが王室に知れたらルシール様、いえ御父上にも罪が及ぶやもしれません」

「お父さまにも?」

「はい」

 

 ルシールが押し黙る。

 

「あ、いや、魔石の件はあくまでも個人の感想だから」

「……何を言っているのですか、レンは」

 

 スザンヌさんがいつものしらっとした眼を向けてくる。

 

「えっと、つまり、憑依魔法をかけたのがルシールのお姉さんだと決まったわけじゃないから」

 

 あせあせと説明すると、ルシールが首を振った。

 

「でも、レンはあの魔石に姉の魔力を感じたのですよね」

「まぁ、たぶん……」

「ならば、姫殿下に憑依魔法をかけたのは姉です」

「だから、それは状況証拠であって……」

「姉はなぜそのようなことをしたのでしょう?」

「え? いや、それは本人に聞いてみないとなんとも……」

 

 意外に思い込みの激しいルシールにしどろもどろになって答えていると、

 

「はぁ~。やはりレンは頼りになりませんね」

 

 スザンヌさんから盛大なため息と共にダメを出された

 

「いいえ、スザンヌ。そんなことはありませんよ。レンのおかげで少なくとも姉が生きていることがわかったのですから」

 

 と、ルシールが慈しむように俺に微笑んだ。でも、それって逆に「それ以外のことはわかんねーのかよ」って言われているんだよね。すいません、役立たずで。

 

 こういう時は話題を変えよう。

 

「ていうか、ルシールって王族だったんだね。ビックリした」

「え……。いえ、それは……」

 

 困惑するルシールの後ろでスザンヌさんが冷ややかに俺を見下ろす。

 

「なんですか突然に。ルシール様は王族ではありませんよ」

「え、でも、王様の弟の子共なんでしょ?」

「ルシール様は確かに王弟殿下の御息女でいらっしゃいます。その美しくも慈悲深い紫の瞳が何よりの証。ですが、ルシール様は先の聖女様の血を引くお方でもあります。故に、先の聖女様からの倣いに従って王族の籍には入っておられません」

 

 聖女様の倣いって、サクラさんの王族嫌いも徹底してるなぁ。

 ん? でも王家の血は流れてるんだよな。

 

「もしかして、ルシールもダンボワーズの転移魔法使えたりする?」

「は、はい」

「じゃあ、シュテフィさんと一緒にいたのって」

「はい。アンブロシス様からの知らせに至急とありましたから、彼女を連れてくるのに転移魔法を使わせてもらいました」

 

 どうりで、夜会からそんなに日数が経ってないのにもうシュテフィさんが来てると思った。

 いや……。てことは、ルシールのお姉さんも──。

 

「あの、レン……」

 

 ルシールの遠慮がちな声に意識を戻す。

 

「あの、姉のことなのですが、その……」

「ああ。今日の話のことは誰にも言わない。クレメントさんにも内緒にするよ。約束する」

 

 言葉を濁す彼女に代わって俺の方から言うと、ほっとしたように小さく微笑む。

 

「二人だけの秘密ですね」

 

 スザンヌさんもいるんだけど。

 

「じゃあ、そろそろお暇するよ」

 

 そう言って立ち上がると、

 

「えっ……、お話って、それだけですか?」

 

 と、ルシールが困惑したように問いかけてきた。

 

「うん。疑念も解けたし、ルシールのこともわかって良かったよ。今日はありがとう」

 

 笑顔でお礼を言ったはずなのに、なぜかルシールはちょっと不満そうな顔で見送ってくれた。……あ、お茶とお菓子を堪能するのが抜けてたのか。

 まぁ、おかげで可愛い子は不満そうにしてても可愛いことがわかったからいいか。

 




続けてルシール視点の閑話をどうぞ。


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閑話4 再び眠れぬ夜

【ルシール視点】 再び眠れぬ夜

 

 

『夏の日』が終わった後、アンブロシス様から至急シュテフィを連れて王宮に来るようにと知らせがあったので、ダンボワーズ城の転移魔法を使って久しぶりに王宮へやってきたのが今日のこと。

 お披露目の前夜に憑依魔法を使った事件があったとのことで、魔物の魔石を研究しているシュテフィが呼ばれ、内務省のルメール殿と共に何人かとの話し合いの後、当の憑依魔法を見破ったレンの話を聞くことになりました。

 

 ダンボワーズ城で別れてからそれほど日にちが経っていないにもかかわらず、レンの印象はずいぶん変わっていて少しばかり胸が高鳴ってしまいました。

 レンと初めて会った時の印象は……印象は……、その、私の記憶にあるものとは少々違う形で……。ハッ。いったい私は何を言おうとしているのでしょうか。

 と、とにかく、レンはどこか自信なさげで頼りない感じの少年でした。けれど、今日のレンはルメール殿やシュテフィと対等に話のできるしっかりした若者に成長していました。

 それでも、髪の毛の色が途中で変わっていたりひと房だけ色が違っていたりと、おかしなことをしでかすところは全然変わっていませんでしたけれど。

 

 レンとの話し合いが終わってみんなで部屋を出ました。

 すると、レンが私に並ぶようにしてきます。

 触れそうなほど近くにレンの体を感じて、思わず肩に力が入ってしまいます。

 できるだけ歩調を合わせようとしていると、レンがそっと私の耳元に口を寄せてきました。

 

「ちょっと二人だけで話したいことがあるんだけど」

 

 レンは甘い声でそう囁きました。

 心臓がドクンと跳ねました。

 

 二人だけで話したいこと?

 な、何でしょうか?

 よくわかりませんが、殿方が女性と二人だけでする話というものはとても特別なもののような気がします。

 

 私は息をするのも忘れてレンの顔を見つめました。

 レンは優しげな黒い瞳でわたしの答えを待っています。

 私は慌てて顔を伏せました。これ以上彼の顔をまともに見ていたらどうにかなってしまいそうだったからです。今も顔じゅうが熱く火照っています。かろうじて「はい」と答えるのが精一杯でした。

 

 けれど、どうしましょう?

 今すぐにというわけにはいきません。

 だって私、湯浴みは今朝にしただけで汗をかいてしまっているし、髪も整っていません。それに服装だっていつも着ているローブです。こんな格好でレンと二人きりになるなんてできません。万が一なことが起きないとも限りませんから。何が万が一なことなのかはよくわかりませんが。ああ、頭が混乱しています。

 と、とにかく、今はダメです。

 

「で、ですが、私はこの後実家に顔を出すように言われているので、お話は明日の午後でもよろしいですか?」

 

 嘘ではありませんよ。

 前々からお父さまには王宮に来て顔を見せるようにとしつこく言われていましたから。

 お母さまが亡くなりお姉さまの行方がわからなくなって以来、お父さまは私の心配をしすぎる気がします。

 

「うん。いいけど」

 

 レンも今すぐにというわけではなかったようです。快く承諾してくれました。

 ほっとしました。

 これで明日の午前中にたっぷりと時間をかけて支度ができます。何が起こっても大丈夫です。

 

「では、迎えの者をやりますので。……お待ちしております」

 

 本当に、お待ちしていますよ、レン。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 何か思っていたのと違いました……。

 

 レンの話は憑依魔法のことでした。それも、王女殿下に憑依魔法をかけた犯人が私かどうか確かめるためでした。

 その結果、めでたく私にかけられた疑いは晴れましたし、思いもしなかった姉の生存がわかったことは僥倖でした。

 

 けれど、何か違うのです。

 あのような言い方をされたら、もっとこう大事なお話があると思うじゃないですか!

 私が朝早くから侍女たちに手伝ってもらってハーブを入れたお湯で湯浴みをして一番上等の石鹸で体を念入りに洗いサクラお婆様秘伝のシャンプーとリンスも使って、それから髪には綺麗な艶の出る香油を塗りお気に入りの香水をつけてお化粧もして、それからそれから、お姉さまが着ているのを見てとても羨ましく思っていた夏の初めの候の空の色のドレスを拝借して靴もそれに合わせたものを選んでもらって、あとはお父さまが隠している国外で購入したお茶と王都で評判のお菓子を用意させたことは全て無駄だったのでしょうか。

 いいえ。レンはこのドレスのことを可愛いと褒めてくれましたし、この黒髪もニホン人でもめったに見ないほど艶があって綺麗だと言ってくれましたし、私のこともこんなかわいい子は見たことがないとまで言ってくれました。それはとてもとても嬉しかったのですけれど。けれど!

 

 ああもう、私の馬鹿!

 そして、私に無駄な期待を持たせたレンも馬鹿です!

 彼はきっと私だけではなくマイや使用人の子たちにも自覚も無しに思わせぶりな言葉を振りまいているに違いありません。

 レンは女性の敵です!

 レンなんてもうユーゴとくっつけば良いのです! ユー×レンです! 気弱そうなユーゴがレンにだけは強気で迫るのです。

 アンドレでも良いです。最初は嫌っていたはずの二人がいつのまにか惹かれ合ってつきあうことに。

 ルメール殿もありでしょうか。大人の魅力でレンを翻弄するのです。

 いろいろな組み合わせを考えるだけで、体が火照って目が冴えてしまいます。

 

 ああ、やっぱりレンのせいで今夜も眠れません!

 



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第29話 学院訪問(前編)

以前話題に上がっていた王立学院の見学が許可された。

 学院へは俺たち三人の他に、アンドレたち護衛騎士が全員、ジルベールとイザベルさん、クララが一緒だ。

 まぁ、ユーゴや黒姫はわかるけど、俺なんかが学院に行っても邪魔だろと断ってたんだけど、黒姫に強引に誘われていくことになってしまった。アンドレたちは、さすがに顔に出したりはしていないけど、良く思ってないのはわかった。

 それに、クララだ。

 彼女は使用人の扱いだから、外出についてくる義務はない。というか、普通はついてこないものらしい。黒姫の侍女たちも来てないし。

 それでも、「アンブロシス様からレン様の傍を離れないようにと言われていますから」と、なんだか死地にでも赴くような顔で言い募られては、もう頷くしかなかった。

 

 明け方まで降っていた雨が止んで薄曇りの空の所々に青空が覗く中、濃い緑色に金色の飾りがついた豪華仕様の馬車3台に分乗して王宮を出る。

 通用門から出て貴族側の岸に架かる橋を渡ると、王宮にあるものと遜色ない程の装飾が施された建物が並んでいるのが見えた。道路も綺麗に均されているのか、馬車の振動も少なく感じる。

 川に沿って下流に進み、少し陸側に入った所に学院があった。王宮を出て15分くらいか。

 守衛が開けた鉄柵の門を抜けてすぐの所にある馬車寄せで下りると、俺たち一般的な高校生の感覚ではとても校舎とは思えないような荘厳で美しい装飾が至る所に施された建物の前で、音楽室に飾ってある肖像画で見たことありそうな髪型の恰幅のいい年配の男性を先頭に数人の男女が出迎えてくれる。全員同じような黒っぽいローブを着ているので、たぶんここの教師だろう。先頭の人は校長かな。

 その校長の出迎えをユーゴたちが受けているのを少し下がった位置から見ていると、並んでいる教師たちが時々こちらをチラ見していることに気づいた。なんかまた目立っちゃってるな。

 ちなみに、俺のローブは以前と同じく見習いの水色だけど、ユーゴと黒姫はデュロワール王国のシンボルカラーの菫色に変わっている。

 

 建物の中に入って廊下を進む。中の装飾も外に負けず劣らず豪華で、床は落ち着いた青色に薄い黄緑色や紺色で曲線の模様が描かれている絨毯だ。まるで一流ホテルにでもいるみたいだな。行ったことはないけど。

 

 一旦、応接室に案内されて学院の説明を受ける。

 以前に聞いた情報どおり、デュロワールの貴族の子供で試験に合格した者だけが通える所謂エリート校で、10歳から14歳までの2クラス5学年構成だ

 教えているのは貴族として必要な知識や所作、歴史や文学等の教養、魔法の知識と実技。

 4年目からは騎士課と魔法士課に別れる。騎士も魔法は使えるので、武官クラスと文官クラスと言った方が実態に合ってると思うんだけど、昔からの伝統的な言い方なんだそうな。

 ここにいるアンドレは騎士課の、ジルベールとイザベルさんは魔法士課の卒業生だそうだ。他の護衛騎士はこことは別の騎士の養成を専門にする学校に通っていたとのこと。他に淑女のための女学院もあるらしい。

平民の方は話題に上がらなかったけれど、あの聖女様のことだ、平民の識字率や教育水準を高めるために絶対に学校を作ってるはずだ。

 

 説明を聞き終わった後、校長自らの案内でいくつかの教室を見学させてもらう。

 教室といっても、俺たちが使っていたものと全然違って、机も椅子も階段状に固定されているタイプ。クラス毎の教室は無く、授業に合わせてクラス単位で移動するのだそうだ。

 予め教えられていたのか、どこの教室へ行っても騒がれるようなことはなく、私服姿の生徒たちがお行儀よく座っている。しかし、そこはまだまだ子供。興味津々な眼差しと、ひそひそと交わす会話までは止められない。

 

「聖女様、きれい」

「あれが勇者? ちっこいな」

「見て、ジャルジェ男爵よ」

「ほわ~。黒髪の騎士様」

「去年卒業されたジルベール様だわ」

 

 アンドレはわかるけど、ジルベールも人気があるのか。けっ。

 

「おい、なんか変な髪色のやつがいるぞ」

「なんだ、あいつ」

「道化じゃない?」

「冴えない顔してるわね」

 

 これは俺のことだな。って、誰が冴えない顔だっ!

 

 ある教室の生徒の中に見たことのある顔があった。第二王女のクラリス姫だ。華美にならない程度の可愛らしいドレスを着ている。そういえば11歳だって誰かが言ってたっけ。普通に学校に通ってるのか。

流石に王女様は特別なのか、教室の後ろに地味な服装の付き人っぽい人がいる。たぶん護衛だろう。ガタイもいいし魔力量もそこそこ多い。

クラリスは黒姫に気づくと、ニッコリと笑みを浮かべた。黒姫の方も小さく手を振ったりして仲が良さそうで見ていて微笑ましい。あと、なんかチラチラと俺の方を見ているような気もするけど、まぁ、王女様だって変な髪色の奴がいたら気になって見ちゃうよね。

 

 次に行った教室は階段状ではなく、美術室や理科の実験室みたいに大きな机を複数の生徒が囲むように座っていた。その机の上には小さな石が置かれている。

初学年の生徒が魔法石の元石に魔力を込める実習をしていると説明を受けた。透明な無垢の石に魔力を込めることによって特定の魔法石を作るのだとか。込める魔力の属性によって『火の魔法石』や『水の魔法石』、『風の魔法石』になるらしい。金と土は無いそうだ。

 

 この魔法石作りは、自分の中にいくつもある属性の魔力を個別に分けられるようにする訓練も兼ねているのだそうで、これができるようになると普段使う属性魔法の精度も高くなるのだとか。見ていると、ほとんどの生徒は上手くできずに属性の混じった魔法石になっていたから、子供にはまだ難しいのかもしれない。

 

 これにユーゴと黒姫が興味を持った。

 中年の穏やかそうな教師に許可をもらうと、生徒たちに交じって魔法石の製作にチャレンジする。

 ユーゴはこういう分野は得意そうだ。眼を閉じて深呼吸をしてからちょんと石に触ると、もう小さな魔法石が赤く染まっていた。

 

「凄い。僕たちと同い年くらいなのに」

「やっぱり勇者様だ。ちっこいけど」

 

 周りの生徒たちが目を丸くする間にも、次々に青、水色と石を染めていく。とは言え、10歳の子に同い年認定されてるユーゴが忍びない。

 一方、黒姫は苦戦中だ。

 

「あれぇ? また混じっちゃった。どうしても聖属性が混じっちゃうなぁ」

 

 と、濁った黄色の魔法石をつまんで首を傾げてる。

 

「あ、あの!」

 

 同じ机にいる女子生徒が思い切ったように黒姫に声をかけた。

 

「せ、聖女様のお使いになる魔法って聖魔法だけではないのですか?」

「え? あ、うん、そうよ。あんまり上手じゃないけど、全部の属性の魔法は使えるわよ」

 

 畏まる女子生徒に黒姫が気さくに答えると、「ええっ?」と他の生徒とともに驚きの声が上がる。

 

「あの、私、聖女様は聖魔法しか使えないと思っていました」

「聖女様の絵本にもそう書いてありましたよ」

「聖魔法の他に全部の属性を使えるなんて、聖女様は凄い方ですのね」

「え、そうなの? でも、私に魔法の使い方を教えてくれた人は特に何も言ってなかったけどなぁ」

 

 そういえば、魔法の練習を始めた時だったかにユーゴが魔法を暴走させてる横で黒姫が簡単そうに魔法を使ってたことがあったな。その時はクレメントさんたちも不思議そうにしてたけど、黒姫自身にはそれを伝えてなかったのか。まぁ、俺も黒姫が聖魔法以外を使ってるところを見たのはあの時の一回きりだったし、今の今まで忘れてたくらいだもんな。

 

「きっと前の聖女様も使えたけど、使う必要が無かったのよ」

 

 とか適当に言う黒姫だったが、周りの女子生徒たちから「聖女様」と崇め奉られて困り顔だ。

 

「えっと、私のことは『聖女様』じゃなくて『マイ』って呼んで欲しいかな。前の聖女様と混同しそうだから」

「では、マイお姉さまとお呼びしてもよろしいですか?」

「え? う、うん。それなら、まぁ……」

「ありがとうございます。マイお姉さま」

「マイお姉さま。私も」

 

 キラキラとした眼差しの女子生徒に取り囲まれて黒姫が照れている。

 

 その様子をじっと見つめている奴がいた。アンドレだ。顔つきは平静だけど、隠しきれない興奮が僅かに漏れて伝わってくる。

 わかる。わかるぞ、アンドレ!

「マイお姉さまぁ」とか言われて年下の女の子と百合百合してる黒姫とかいいよな! 眼福だわ!

 けれど、そんな冗談も通じなさそうな程、アンドレの眼差しは鋭かった。うーん、何を気にしてるんだ?

 

 次に訪れたのはグラウンドだ。ロッシュの訓練場よりも広い。騎士課の生徒の訓練や魔法の実技に使うのだそうだ。

 今は騎士課の生徒の時間のようだ。20人ほどの鎧姿の生徒たちが剣と盾を持って二人一組で型の打ち合いをしている。

 俺たちの姿を認めるとやはりチラチラと視線を送ってきて練習に集中できていない。

 見かねたのか、教師が近づいてきて騎士の礼を執る。

 

「騎士課教師のシュヴァリエです。勇者様にはお初にお目にかかります」

「シュヴァリエ先生。生徒たちの身が入っていないように見受けられるが」

 

 校長の咎めるような言葉にシュヴァリエ先生は更に頭を下げた。

 

「誠に申し訳ありません。ですが、生徒たちはみな勇者様を尊敬し憧れております。何卒その神技を直接目にする機会をお与えいただけないものかと、畏れながらお願い申し上げます」

「構いませんよ」

 

 校長が何かを言う前に、ユーゴはあっさりと応えた。

 

「勇者様」

「その代わり僕にもここで少し練習させてください」

 

 ユーゴが微笑を作る。イヤな予感しかしねぇ。

 

「おおーい、おまえら! 勇者様が了承してくださったぞ!」

 

 シュヴァリエ先生がすごくいい笑顔で生徒たちに叫んだ。この先生のほうが嬉しそうなんだが。

 わらわらと集まってきた生徒たちが口々にユーゴに感謝を伝える。

 

「じゃあ誰か剣を貸して」

 

 ユーゴが言うと、みな伺うような視線を交わした後、2人の生徒が競うように持っていた剣を捧げた。そしてバチバチと視線の火花を散らしている。

それを見たユーゴが苦笑する。たぶん、どっちもグループのリーダーで、選ばれた方がマウントを取れるんだろうな。

 

「剣よ、我が意のままに。ブレイドオブスワロー」

 

 何やら痛々しい技名と共にユーゴの両方の手からから魔力が溢れる。

2つの魔力が2つの剣に触れると、それぞれがふわりと舞い上がる。そして、まるで意思を持つかのように全く別の動きで空を飛び回った。

 

「おおっ」

 

 ユーゴを見ると指揮者のごとく両手を滑らかに振り動かしている。まったく、ユーゴのスキルの上達には呆れるばかりだ。こいつなら本当にドラゴンスレイヤーになれそうだ。

 

 生徒たち(とシュヴァリエ先生)の歓声の中、二振りの剣は舞い上がった時と同じようにふわりと持ち主の元に舞い降りた。それも反対の持ち主の元に。

2人のリーダーはお互いの顔と勇者に何度も視線をやって、やがて頷き合い笑顔で剣を収め握手を交わした。そして自然と湧き上がる拍手と賞賛の声。

さすが勇者。やることにそつがない。

 

 その様子を微笑で見ていたユーゴは校長に向き直ると、

 

「では、僕の練習させてもらいますね」

 

 と、校長の答えも待たずに両手を高く掲げた。

 

「風よ、我が意のままに。ビッグトルネード!」

 

 うん、『大旋風』ね。って、おいおい。

 

 ユーゴの両腕から渦を巻いた魔力が高く上昇していく。

 ひゅうぅぅぅっと風が鳴った。

 直後、ごうっと強風が吹いて遥か上空へと渦を巻いて吹き抜けた。

 

「えっ、ちょっ、バカっ」

 

 黒姫の焦ったような声の方を向くと、長い黒髪を風に躍らせた黒姫が必死になってスカートの裾を押さえていた。その左右をサフィールとジャンヌがガードしているのでなんとか大惨事は免れそうだ。惜しい。

クララはと見ると、こちらは無言でお仕着せの脛丈のスカートを押さえているが、健闘虚しく後方が若干見えそうになったので急いで加勢に加わる。

 

「ユーゴ! ストップ! ストーップ!」

 

 叫ぶように呼び掛けると、やっと気づいたユーゴが術を解いた。それでも風はすぐには止まず、上空で怪しい渦を巻き続けた。

やがてそれも消えて、グラウンドには地にひれ伏す生徒たち(とシュヴァリエ先生)と、頭髪が行方不明な校長と厳しい顔のアンドレたちが立ち尽くしていた。ジルベールだけは「凄い! これぞユーゴ様の力!」と小躍りしてるけど。

 

「うーん。やっぱりここじゃ狭かったかぁ」

 

 ぽつりとユーゴが零す。それでスイッチが入ったのか、

 

「なんだ、今の風は?」

「旋風か?」

「まさか? 大きすぎるし強すぎる」

 

 生徒たちがざわめきだした。

 

「ユーゴ殿、このような所で勇者級の旋風など無謀です」

 

 アンドレが歩み寄ってユーゴを窘めている。

 

「すみません。まだ1割も出してなかったんですけど」

 

 ユーゴは神妙に頭を下げた。って、今ので10%の出力かよ。

 

「あの……レン様……」

 

 戦々恐々とユーゴを見やっているところに、頭の上からクララの掠れるような声が降ってきた。そっか。クララのスカートが捲れるのを阻止しようとしてたんだった。

 今の俺は太腿のあたりでスカートを押さえているクララの前に跪いて両手で彼女の膝のあたりを抱えこんでいた。当然、すぐ目の前には彼女の腕とスカートといい匂いがあった。うん、これはいけませんね。

 

「いやー、ユーゴのせいで酷い目に遭ったねぇ」

 

 さりげなく立ち上がって、あくまで責任はユーゴにあるとアピールしておく。

 

「いえ、その……ありがとうございました」

 

 クララは小さくお礼を口にした。その顔は伏せられたままなので、彼女が感謝しているのか安堵しているのか怒っているのか軽蔑しているのかはわからなかったけど。

 

まだまだ興奮冷めやらぬグラウンドに、カランカランと鐘の音が響く。授業の終了だ。

ま、ユーゴはまだ顔を真っ赤にした黒姫に説教されてるけどね。

 



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第30話 学院訪問(後編)

 これで見学は終了となり、応接室に戻ることになった。

 案内役の校長(ユーゴの魔法のせいで立派な頭髪が行方不明中)を先頭にユーゴと黒姫が続き、その周りを護衛騎士が固めている。その後ろをイザベルさんとジルベールがついていき、最後尾は俺とクララだ。

 

 教室を移動中の生徒たちが廊下の脇に寄って通り道を開けてくれる。うん、さすがエリート校。よく躾されているな。

 その生徒の中からひそひそと話す声が聞こえた。

 きっと校長の髪の毛が話題になってるんだろうと思ったが、ちょっと違うようだ。

 

「あいつ、クララ・マイスナーじゃないか?」

「本当だ。クララ・マイスナーだ」

 

 クララのことを言ってるのかな。クララの家名ってマイスナーって言うのか。なんかカッコイイ。

 けど、話し声から伝わってくるのは全然カッコイイものじゃなかった。

 

「あいつ、学院を辞めたんじゃなかったのか。なんでいるんだよ」

「また穢れるじゃないか」

「魔獣の子は穢れた地に帰れよ」

 

 その瞬間、背後でぶわっと魔力が膨れるのを感じた。

 振り返ると、スカートを握りしめたクララの両手から陽炎が立ち上っていた。いや、手だけじゃない。腕や肩のあたりまで陽炎がゆらめいている。

 

「クララ!」

 

 思わず彼女の腕を掴んで引き寄せた。その体から陽炎から、屈辱と自己嫌悪と反抗心、それに若干の後悔が伝わってくる。

 そうだ。彼女は学院を辞めたって、アンブロシスさんが言ってたじゃないか。

学院に行く話が出た時にも彼女は動揺してなかったか?

実際行くことになった時にどんな顔してた? 

なんで気づかなかった! 俺のバカ!

 

 俺が引き寄せたせいで、クララの魔力も周りの声も一旦止んでいる。

 今のうちに撤退だな。悔しいけど事情もわからんし、何よりクララをここにいさせちゃダメだ。

 けれど、クララの足取りは重い。萎縮しているのか、なかなか前に進めない。

 もたもたしているところへ、追い打ちのように嘲る声が聞こえてくる。

 

「おい。変な髪色の奴が連れていくぞ」

「見て、あの変な髪色。きっと穢れた魔素でああなったのよ」

 

 無視無視。

 

「ねぇ、あの子使用人の服着てるわ」

「学院辞めて使用人か」

 

 スルースルー。

 

「うちなら絶対雇わないわよ。穢れた地の使用人なんて」

「変な髪色の奴は、使用人も変わってるな」

 

 我慢我慢。

 

「きっと、あのおっぱいが気に入ったんだろ」

「おい、今なんつった!」

 

 思わず言い返してしまった。

 言われた男子生徒は一瞬怯んだものの、すぐにニヤニヤ笑いを浮かべる。

 

「どうせマイスナーのでっかいおっぱいが気に入って使用人にしてるんだろうって言ったんだよ」

「そうでなきゃ、穢れた地の子なんて雇うはずないもんな」

「そうよ、そうよ」

 

 女子生徒からも賛同の声が上がる。半分やっかみが混じってる気がするが。

 

「チッ。これだからガキは」

 

 舌打ち交じりに言うと、「どういう意味だよ」と返された。ならば教えて進ぜよう。

 

「おっぱいが大きければ良いなんて言ってるうちはガキ、いや赤ん坊だな。いいか。おっぱいっていうのはな、こう、手のひらに収まるくらいが至高なんだよ!」

 

 親切な俺は、わかりやすいようにと左右の手のひらをお椀の形に曲げて見せてやった。

すると、「きゃあ」と女子生徒たちが一斉に胸を隠すようにして俺に軽蔑の眼差しを向けてくる。どうやら俺の手つきと自分の胸をシンクロさせたようだ。

 

「いや、ちょっと待て。そこのお下げの子とそっちのチビッ子。おまえらペッタンコじゃないか。見栄を張って胸を隠すな、む――イテッ」

 

 いきなり後頭部をはたかれた。

 

「立ち止まってるから何してるのかと思って来てみれば、何セクハラかましてるのよ!」

 

 赤鬼みたいな形相をした黒姫だった。

 

「いや、この子たちに自分を客観視できるように……、いえ、何でもありませんすいません」

 

 黒姫のグーを見て、とりあえず謝った。

 

「聖女様が痴漢を懲らしめてくださいましたわ」

「ありがとうございます、聖女様!」

 

 女生徒たちから歓声が上がる。

 もちろん男子からも感嘆の息が漏れる。

 

「あの変な髪の頭を思いっきり叩いたぞ!」

「さすがは聖女様だ!」

「あれが手のひらに収まるくらいの大きさか」

 

 なんかわけのわからんことを言ってるやつもいるが。

 

「ほら、行くわよ」

 

 と、黒姫は俺を連行しようとする。そこへ、

 

「お待ちください!」

 

 と、一人の生徒が進み出た。

 

「何かしら?」

「ヴロワ伯爵家の子、ジャンです。聖女様にお伺いしたいことがあります。よろしいでしょうか?」

 

 さっきまでおっぱいがどうとか言ってたやつとは別人のような言葉遣いだな。

 

「お前、失礼だろう」

「いいのよ。で、何が聞きたいの?」

 

 ユーゴたちと一緒に戻ってきたジルベールが窘めようとするのを黒姫が手で制して、生徒に続きを促す。

 

「聖女様や勇者様はなぜそのような穢れた地の者と一緒におられるのでしょうか?」

「穢れた地の者?」

「そこのクララ・マイスナーのことです」

 

 と、俺の隣で身をすくめる少女を指さす。

 

「マイスナーはサルル領の出身なのです」

「ええと、それがどうかしたの?」

「サルルは穢れた地なのです。だから――」

「黙りなさい!」

 

 校長が割って入ってきた。

 

「勇者様や聖女様の前で何を言い出すのですか!」

 

 校長の剣幕にジャンと名乗った生徒が縮こまる。

 

「いいんです、校長先生」

 

 黒姫は凛とした声で校長に言うと、今度は穏やかな顔つきになってジャンに語りかけた。

 

「私たち、この国のことをまだよく知らないの。だから、教えてくれないかな? ただし、わかりやすくね」

 

ねっと、黒姫が自分より少し背の高いジャンに上目遣いで小首を傾げると、ジャンはぽっと顔を赤くして噤んでいた口を開いた。ちっ、マセガキめ。

 

「サ、サルル領はここからずっと東にある森の多い小さな領で、でもデュロワール王国で一番魔獣が多いんです。魔獣は穢れた魔素のせいで生まれます。だからみんなサルルのことを穢れた地と呼んでいます」

「うんうん。それで?」

「そ、それで、だから、その、穢れた地のクララ・マイスナーが聖女様と一緒にいるのは相応しくないと思います」

「どうして相応しくないの?」

「穢れているからです」

「クララが?」

「はい。彼女がいると聖女様まで穢れてしまいます」

 

 ジャンの声には、自分はただ事実を言っているだけだという自負が見える。一方、校長やアンドレ、イザベルさんたちは渋い顔だ。

 きっとこれがサルルという領に対する一般的な見方なんだろうな。いや、大人ならもっとうまい言い方で誤魔化すんだろうけど。

でもな……。

 

「あれれ~? おかしいぞ~?」

 

 横から声を上げた俺に奇異な視線が集まる。こほん。

 

「前にさ、魔獣は普通の獣が森の穢れた魔素に侵されてなるって言われているが学術的な定説は確立されていないってジルベールから聞いたことあったんだけど、もしそうなら魔獣が多いからってその森や土地が穢れてるとは言えないんじゃないかなぁ。ましてや、そこで生まれ育った人々は言うまでもないんじゃないかなぁ」

 

 周りの空気が緊張で強張る。

 

「ジルベールはここの卒業生だって言ってたけど、違った?」

「……違わない」

 

 ジルベールは硬い表情で言い切った。

 

「レンの言っていることも間違いじゃない」

「だったらサルルとかいう領地が穢れているとは言えないし、彼女が穢れてるとも言えないはずだよな」

 

 俺はジャンをまっすぐに見据えた。

 

「キミ、ちゃんと勉強してんの?」

「なっ――」

「高妻くん、何その言い方!」

 

 ジャンが言い募ろうとするのを黒姫が遮った。

 

「きっとこの子はまだそこまで習ってないのよ。なのにそんな責めるような言い方するなんて酷いわよ。大人げない」

 

 黒姫はビシっと俺に指を突きつけてからゆっくりとジャンに向き直る。

 

「あなたはまだ習っていなかったから噂で言われていることしか知らなかったんでしょ? でも、これからしっかり本当のことを学んで正しい知識を身に着けてね」

 

 そして、振り返って校長たちに顔を向けた。

 

「そうですよね、校長先生?」

「……はい。聖女様の仰るとおりです。生徒たちにはここで正しい知識を学ばせます」

 

 校長は厳しい顔で低く答えた。

 黒姫は満足そうに頷くとパンっと手を叩く。

 

「じゃあそういうことでかいさーん。はいはい、みんなは教室に戻ってね。あと……」

 

 急に黒姫の声の温度が下がった。

 

「いつまでクララの肩に手をかけてるのよ。セクハラくん?」

「え?……おぅっ」

 

 無意識にまたクララを引き寄せていたようだ。急いで手を放した。

 

「あ、ありがとうございます。マイ様」

 

 と、クララはセクハラ男の魔の手から救ってくれた黒姫に向かって小さくお辞儀をする。

さっきといい今といい、俺の評価はダダ下がりだな。

 

 黒姫は軽い調子で「いいのよ」と告げると、さっさと歩きだした。ユーゴがポンっと肩を叩いてそれに続く。ジルベールは横目で俺を見てからユーゴの後を追って、イザベルさんは苦笑いで片目を瞑ってくれた。ま、校長や護衛騎士たちの顔つきから、この後の苦言をいただくのは決定だな。

 

 ははっと小さく苦笑していると、くいっとローブの袖を引かれた。

 

「レン様も……、ありがとうございました」

「いや、俺の失敗だ。クララをこんな目に遭わせてしまって。配慮が足りてなかった。ほんと、ごめん」

「……いいえ、……いいえ」

 

クララは俯いて首を振るばかりだ。

 

「さ、行こう」

 

 クララの背中を押すようにして歩き出す。今度は彼女もしっかりと足を踏み出せた。

 



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第31話 聖水

 学院の見学を終えて王宮のロクメイ館に戻った俺たちを待っていたのはベーコンサンド!

 ベーコンサンドを食べにペネロペの店に行こうと思ってたんだけど、やっぱりというか当然というか、王宮の外、ましてや平民の街へ出る許可が下りなかったのでデリバリーを頼んでいたのだ。

 

 食堂に入ると、隅の方でペネロペと彼女と同じ髪色の毛をオールバックにしたお兄さんらしき男性が床に片膝をついて頭を垂れていた。その両脇には王宮警護の衛士が立っている。

 

「お初にお目にかかります。フールニエ商会のピエールと申します。この度は勇者様、聖女様に当商会の商品をご所望いただき、誠に恐悦至極に存じます」

 

 ピエール兄さんは頭を下げたまま緊張した声で挨拶をした。

 どうにもまだこういう身分差があるような応対には慣れない。まぁ、挨拶されてるのはユーゴたちなんだし、対応は彼らに任せておこう。と、顔を向けると、二人とも俺を見ていた。そして「お前が返事しろ」とその眼が言っている。「いや、おまえらだろ」と眼で返すと、黒姫が「ほら、はやく」とあごをくいっと上げて押し付けてきた。

しょーがねーなぁ。

 

「えっと、ペネロペのお兄さんですか。俺たちにそういう堅苦しい挨拶はいいんで、顔をあげてください」

 

 ピエールさんは「はっ」と答えて顔を上げた。

 

「あ、俺はレンです。聞いてるかわかりませんけど、妹さんにはお世話になりました」

「もったいないお言葉、妹に成り代わりお礼申し上げます。レン様のことは聞き及んでおります。このベーコンさんどの元になる変わったパンの食べ方をされた変わったお方とか。おかげさまで、この新商品を作るきっかけをいただきました。なんとお礼を申し上げたらよいか」

 

ペネロペが俺のことを何て伝えたかだいたいわかった。

しかし、どうにもやりにくい。

 

「えーと……。ちょっと、ペネロペ。俺、こういうの苦手なの知ってるだろ。ロッシュにいた時みたいにしてくれないかな」

 

 ペネロペに助けを求めるが、彼女の表情も硬い。

 

「め、めっそうもございましぇん」

 

 と噛んだ。

 

「ほらぁ、慣れないことするから」

「え、だって、レン様だけならいいですけど、ユーゴ様やマイ様もいらっしゃるし」

 

 まぁ、ペネロペってソフィーやフローレンスほどユーゴたちとの付き合いがあったわけじゃないもんな。なんなら、話をしたこともないんじゃないか。

 

「いいのよ、ペネロペ。高妻くんと話すのと同じで。ほら、お兄さんも立ってください」

「そうだよ。それに、堅苦しい挨拶より早く食べたいな、ベーコンサンド。もう、お腹ペコペコ」

 

 二人の気さくな言葉にピエールさんも「はい、只今」と立ち上がる。

 

 食堂のテーブルは縦長で、両側に5人分ずつの席がある。窓側の端にユーゴ。その隣に俺。ユーゴの向かいに黒姫というのがいつもの席だ。

 各々席につくと、ペネロペたちが持ってきたベーコンサンドをクララたちが給仕してくれる。でも、皿に置かれたベーコンサンドは端が切り取られていた。

 

「毒見はしてありますので、安心してお召し上がりください」

 

 カロリーヌさんが言い添える。

 ちらりと見やったピエールさんは、緊張した面持ちだけど気を悪くしてる感じには見えないから当たり前のことなんだろう。

 あんまり気にしたことなかったけど、いつもの食事も毒見してるっぽい。

 

「いただきまーす」

 

 黒姫が手に持ってがぶりとかぶりつく。カロリーヌさんが渋い顔してるから、きっとはしたない食べ方なんだよ、プリンセス。

 

「おいしい! これこれ、こういうのを食べたかったのよ!」

「うん。貴族のご馳走も悪くないけど、たまにはこういうジャンクフードもいいかな」

「えー、私毎日でもいいけど」

 

念願のベーコンサンドを頬張り、ユーゴも黒姫も大満足だ。二人の楽しそうな様子にピエールさんの固い表情も緩み始める。

 

「カロリーヌさんもどう? イザベルさんも」

「いえ、私は」

「せっかくなので、いただきます」

 

 黒姫に勧められたカロリーヌさんは辞退したけど、イザベルさんは嬉しそうに頷いた。

 

「ベーコンさんどはまだありますので」

 

 何個注文したか知らないけど、まだ余分はあるようだ。

 

「えっと、他にも食べたい人いたら遠慮なく食べてね」

 

 黒姫が声をかけると、まっさきに応えたのはジルベール。

 

「ユーゴ様の食べているものは僕も食べておかないといけませんから」

 

と、さっさと空いた椅子に座った。それを見てイザベルさんも席に着く。

 

「クララは?」

「私は以前にいただきましたので」

「じゃあ、俺と半分こしよ」

 

 恐縮するクララの向こうに身じろぎする騎士たちが映った。

 

「そっちの騎士さんたちもいかがですか。仕事中かもだけど」

 

 誘うと、二人の騎士はお互いの顔を伺うように見る。

 

「なんなら、僕が命じたことにしてあげるよ」

「で、でしたら、我らもご相伴に預かります」

「王宮の騎士の間でもこのベーコンさんどが噂になっていたので、一度食べてみたいと思っていたのです」

 

 ユーゴが助け舟を出すと、二人とも相好を崩してパンに手を伸ばす。こちらも半分こだ。

 

「ほら、カロリーヌさんたちも」

 

 黒姫が再度誘うと、他の侍女さんたちの期待に満ちた視線を浴びたカロリーヌさんは、

 

「では、マイ様のご厚意に甘えさせていただき、私どもは後ほど」

 

 と渋々ながら、でもちょっと嬉しそうにお辞儀をする。

 

「うん。平民の食べ物もいいね」

「レン殿が変な食べ方をしていたのは聞いていましたけど、それがこんな美味しいものになるなんて」

 

 ジルベールもイザベルさんも褒め方が微妙なんだが。

 

「おう。これは評判どおり食べやすいですな」

「これなら警備中でも食べられそうだ」

 

 騎士さんたちにも好評みたい。ピエールさんも嬉しそうだ。よかった。

 

「そういえば、お父さんの病気ってどうなったの?」

 

 何気にペネロペに聞くと、彼女はちょっと困った顔になった。

 

「良くなったり悪くなったりです。今日も皆様にご挨拶するだって言ってたんですけど」

「誠に申し訳ありません」

 

 ピエールさんまで頭を下げた。

 それを見てユーゴが声をかけてくる。

 

「ああ、お父さん病気だって言ってたね」

「はい。酷い時は体を起こすこともできません」

 

 ユーゴの問いにペネロペが沈痛な面持ちで答える。

 

「黒姫さんて、ロッシュの救護院で病気の人を治してたんでしょ。行って治してあげたらいいんじゃない?」

「あ、そうね。そうしようか」

「ダメです」

 

 ユーゴのアイデアは速攻でイザベルさんに却下された。

 

「そもそも王宮から出られないから、こうして持ってこさせたのでしょう?」

「でも、治療のためだし」

「たかが平民一人の病気を治すためにマイ殿の聖魔法を使うわけにはいきません」

「父ごときの病に聖女様のお手を煩わらすなど滅相もございません」

 

 ピエールさんも恐縮してる。

 

「じゃあ、お父さんがこっちに来てもらえば?」

「そ、それこそお許しください。平民の病人が王宮に上がるなど、とてもそのようなことは……」

「王宮にはロッシュみたいな平民用の救護施設ってないみたい」

 

 お父さんのデリバリーもダメか。

 

「じゃあ、治療は薬で?」

「はい。それでどうにかもっておりますので」

 

 薬って言っても、薬草を煮出したものらしいからなぁ。聖魔法のデリバリーとかできれば……。あ!

 

「えっと、黒姫さ……黒姫」

 

 じろりと睨まれて言い直す。

 

「さっき学院で作ってた魔法石の失敗したやつってどうした?」

「一応持って帰ってきたけど。記念に」

「その中に『水の魔法石』ってある?」

「水の? ……あ、そういうことね」

 

 黒姫も気づいたみたいだ。ローブのポケットからさっきの魔法石を出して、じゃらじゃらとテーブルの上に広げる。

 

「どんだけ失敗してんだよ」

「ほっといてよ。えーと、これだと思う」

 

 薄い黄色と水色が混じった小さな魔法石をつまみ上げる。

 

「カロリーヌさん、グラスを持ってきてもらえる?」

 

 カロリーヌさんに言われて侍女がグラスを一つ黒姫の前に置く。

黒姫は『水の魔法石(もどき)』を右手に握りこんで、人差し指と中指をグラスの上に伸ばした。

 

「うまくいくといいけど」

 

 何が始まるのかとみんなが注目する中、黒姫の指先から水が流れ出した。それはちょろちょろとグラスの中に溜まっていく。

 3分の1ぐらいのところで流れが止まった。

グラスの中の水には魔力を感じる。でも、それが聖魔法かどうかはわからない。それを確認するには……やっぱ、そうするっきゃないな。

手を伸ばしてそのグラスを取った。

薄い黄色の液体がグラスの中で揺れている。これは黒姫の魔力を閉じ込めた魔石から彼女自身が取り出した、いわば黒姫汁100%ジュース……。

ふと、殺気を感じた。

その方向を見ると、黒姫が睨んでいた。「余計なことを考えるな」と射殺しそうな眼が言っている。はいはい。思考は止めて、試行に移そう。

俺はその水が入ったグラスをゆっくりと口元にもっていった。

 

「ちょっと! 何で高妻くんが飲むのよ」

 

黒姫が慌ててストップをかける。

 

「いや、これちゃんと聖属性の魔素が入ってるか確かめようと思って。ほら、俺なら黒姫の聖魔法わかるし」

「そ、そうかもだけど……高妻くんに飲まれるのはなんかイヤ」

 

 赤い顔でプイっと横を向く黒姫は放っておいて、意を決してクイっと一口口に含む。すぐに舌の上に例の金色の粒が広がった。ほんのり温みと甘みがある。一呼吸遅れてふわっと立った芳醇な香りは以前嗅いだことのある彼女の匂いに似てなくもない。

そのままゴクンと飲み込むと、金色の粒がシャワシャワとのどを刺激して胃に落ちていった。そしてそこからじんわりと体中に広がっていく。

 

「大丈夫。ちゃんと黒姫の聖魔法が混じった水だ」

 

 サムズアップで成功を報告したのに、黒姫はフンっとそっぽを向いた。

 

「あの、何をやっているのですか?」

 

 イザベルさんが不思議そうに聞いてきた。

 

「さっき学院で魔法石を作る授業で黒姫たちも作ってたじゃないですか。ユーゴは簡単に作ってたけど、黒姫はなんか聖属性の魔素が混じった失敗作ばっかり作ってて」

 

 黒姫が「う~」と顔を覆う。

 

「で、それの『水の魔法石もどき』から水を出したら聖魔法が混じった水が出てくるんじゃないかって思ったんですよ。結果は大成功。これ、黒姫の聖魔法が混じってる水です。これを飲めば、聖魔法の治療の代わりになるはずですよ」

 

 と、薄い黄色の水が入ったグラスを掲げてみせる。

 

「それが聖女様の水……。聖水……」

 

 黒姫が赤い顔で睨んでくる。いや、今言ったのピエールさんじゃん。とんだとばっちりだ。俺もそう思ったけれども。

 

「ペネロペは『水の魔法石』から水を出せる?」

「は、はい。その程度でしたら」

「ちょっと試しにやってみて」

 

 黒姫に頼んで新しい『なんちゃって水の魔法石』を選んでもらい、ペネロペのところへ持っていく。

魔法石を持ったペネロペの指先に新しいグラスを差し出すと、ぴちょんぴちょんとさっきよりも若干濃い黄色の水が滴り落ちる。

 

「オッケー。大丈夫みたいだね」

「はい」

 

 ペネロペの視線はグラスの底にほんの少し溜まっている聖水に釘づけだ。

 

「あ、でもお父さんに飲ませてあげる時は、薄めたほうがいいかも」

「え、薄めるんですか?」

「うん。薬はね、効きすぎると毒にもなるんだよ。これが実際どれくらいの効き目があるかわからないから、最初はグラス一杯の水に数滴たらすぐらいからやってみて、効き目が無いようならちょっとずつ増やしていってみて」

「はい。わかりました」

 

 愛嬌のある笑顔で頷く彼女の隣でピエールさんが恐縮しまくっている。

 

「本当にこのような貴重なものを頂いてよろしいのでしょうか。恥ずかしながら我が家にはそれほど貯えが無いのですが」

 

貯え……? あ、お金か。

黒姫に目で確認を取ると、ふるふると首を横に振った。

 

「代金はいらないそうです」

「え、本当ですか? いや、ですが……」

 

 ピエールさんは一旦視線を落としてぎゅっと唇を引き結んだ。

 

「聖女様のご厚意には感謝いたしますが、対価無しに物を頂くのは商人としての矜持が許しません。畏れ多いことではございますが、この聖水は頂けません」

「え、別にいいんだけど……」

 

 ペネロペも首を振っている。困ったな。……あ、そうだ。

 

「黒姫、これの対価にマヨネーズを作ってもらうってのはどうかな?」

「あ、それいいわね」

「まよねーず?」

 

 ピエールさんが首を捻る。

 

「えっと、卵を使ったドレッシングなんだけど」

「どれっしんぐとは?」

 

 あれ? ドレッシングって通じないのか? フレンチドレッシングってあるのに?

 

「えーと、サラダにかける液体の調味料?」

「ああ、サラダソースのことですか」

 

 まんまじゃん。

 

「材料は卵と酢と油です。卵は全卵でも黄味だけでもよかったと思います。あと、混ぜ方とか混ぜる順番とかあるかもだけど、全然わからないんで、そのへんのところをお兄さんに調べてもらおうかと」

「混ぜるとなると、卵は生のものを使うわけですね?」

「たぶん」

 

 ピエールさんが難しい顔になる。生卵はダメなのかな。

 

「難しいっすか?」

「いえ、なんとかします。新しいサラダソース、是非やらせてください」

「ではこれを。マヨネーズ開発費です」

 

 聖水の入った魔法石を差し出すと、今度はしっかりと受け取ってくれた。

 

「何から何までありがとうございます」

「いや、お礼は黒姫に言ってください。俺何にもしてないし、できないんで」

 

 パタパタと手を振って黒姫を指さす。

 

「聖女様も。何とお礼を申し上げてよいかわかりません」

 

 ピエールさんは黒姫に向き直って両膝を床につけ、両手を胸に重ねて頭を垂れる。隣でペネロペも同じように膝をついた。最も礼を尽くすポーズらしい。

 

「お父さん、早く良くなるといいですね」

 

黒姫の聖魔法入りだ。きっとすぐに良くなるさ。

 

 

 

 何度をお礼を口にしながらペネロペたちが食堂から出ていった後、俺からも改めて黒姫に礼を言った。

 

「ほんとにありがとうな、黒姫」

「ほんと、なんで高妻くんの好感度を上げるために私が協力しなきゃいけないのかしらね」

 

 黒姫は胸の前で腕を組んでむくれている。

 

「いや、別に俺の好感度とか上がってないだろ。むしろ何もできなくて下がってるまである」

「そうかしら」

「でも、ほら、うまくいけばマヨネーズが手に入るかもだし」

「まぁ確かに、マヨネーズは魅力よね。でも」

 

 彼女は俺の鼻先に指を突きつけて、

 

「今日のはおっきな貸しだからね」

 

 と、ニッコリ微笑んだ。

 すみません。催促なしの無利子無担保でお願いします。

 



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第32話 マヨネーズ試食会

 学院訪問やらベーコンサンドの試食やらで慌しかった一日の終わり。

 就寝の身支度を終えたところで、クララが俺に向かって改まり小さく頭を下げた。

 

「レン様、今日は見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありませんでした」

「……学院でのことを言ってるのなら、あれはクララが謝ることじゃないよ。むしろ俺のせいだ。俺が無神経だったせいでクララにイヤな思いをさせてしまった。本当にごめん」

 

 姿勢を正して深々と頭を下げた。こっちじゃあまりしないらしいけど、やっぱり日本人として誠意を表すにはこれしか思いつかない。

 

「そ、そんな、レン様は悪くありません」

「それに、スカートを押さえたり、肩を抱き寄せたりしてごめん。やましい気持ちは無かったんだ」

 

 恐縮するクララの声を聴きながら、更に詫びる。

 

「それは、はい、承知しております。……家族以外の男性に体を触られたのは、その、恥ずかしくは思いましたけれど、レン様は私のような者のことを助けようとしてくださったのですから、とても、その、嬉しく思いました」

 

 消え入りそうな声に顔を上げると、もじもじとする彼女の姿があった。可愛い。

 

「……あの、私が生まれたサルル領は、ヴロワ様の言ったとおり確かにここよりも森が深く魔獣の被害も多いのですが、けれど麦の実りも豊かで家畜も健やかに育つ自慢の故郷なのです。ですが、王都に出てきてみると、サルルは魔獣の多い穢れた地だと言われ、私も穢れた地の者とか魔獣の子と呼ばれ蔑まれ、とても悲しい思いをしました」

 

 まったく、いじめっていうのはいつの時代にもどこの世界でもあるんだな。

 

「悪口や嫌がらせに耐えられずに学院を辞めた私をアンブロシス様が拾って下さり、孫娘のミシェル様の付き人にしていただいたのですが、そこでも居心地の悪い思いをしていました。けれど、レン様は違いました」

 

 と、クララの深い緑の瞳がまっすぐに俺を捉える。

 

「レン様は私を特別な目で見ることもなさらず、他の使用人と変わらない態度で接していただきました」

「まぁ、俺は異世界から来た人間でこの世界のこととか詳しくなかったし、クララの事情とか知らなかったからなぁ」

「それでも、私が穢れた地の者とわかっても、私を悪意から守ろうとしてくださいました。それに、ベーコンさんどを分けてくださいましたし……」

 

 最後の方は消え入りそうな声だった。気に入ったんだね、ベーコンサンド。

 

「レン様には感謝してもしきれません」

「そんな大げさな。でもまぁ、それなら今日のセクハラと差し引きゼロってことで」

「せくはら?」

「えっと、女子に向かって恥ずかしいことを言ったり体を触ったりしてイヤな思いをさせること、かな」

 

 俺の説明にクララはちょっと考える仕草を見せる。

 

「ああ、よくレン様がマイ様に叱られている行為ですね」

 

 うん、叱られてるっつーよりはたかれたり殴られたりしてるけど。

 

「私はイヤな思いはしていませんので大丈夫です。恥ずかしいですけれど……」

「じゃあ黒姫にそう言ってくれない? あいつ、すぐ怒るし」

「……マイ様がお怒りになるのは違う理由だと思うのですが」

 

 クララは肩を小さく竦めて困ったように微笑んだ。

 

「よくわからんけど、クララが元気ならそれでいいさ」

「はい」

 

 ニコリと笑い合う。

 

「では、おやすみなさい」

 

 クララは丁寧にお辞儀をして部屋を出ていった。

 初めて会った時から比べたらずいぶん距離が縮まって壁も無くなったように感じる。でも、彼女や彼女の領地に対する蔑視が無くなったわけじゃないんだよな。

 俺はどこかもやもやするものを胸の片隅に抱えたまま眠りについた。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 それから何日か経った日の午後、ピエールさんがマヨネーズの試作品を持ってきた。もちろん、ペネロペも一緒だ。

 もう一人、生え際の後退した灰色の短い髪をピタッと撫でつけた40代くらいの男性も二人の横に並んでいた。その愛嬌のある丸顔はペネロペとよく似ている。

 

「勇者様、聖女様、レン様にお会いできて恐悦至極にございます。私はフールニエ商会の会長をしておりますポールと申します。息子と娘が大変お世話になり、誠にありがとうございます」

 

 予想どおりペネロペのお父さんだった。

 

「更には、私のようなもののために貴重な『聖水』まで賜り、感謝の言葉もございません。おかげさまでこのようにすっかり体調も良くなりました。」

 

 さすが黒姫の『聖水』だ。ポールさんは数日前まで病人だったとは信じられないほど肌の色つやがイイ。

 

「今日は、先日教えていただいた『まよねーず』の試作を持って参りました」

 

 ピエールさんはそう言いながら食堂のテーブルに小さな木のお椀を5つ並べた。

 

「どれも今朝ほど作ったものです。こちらの3つは卵黄だけ使ったもの。残りの2つは卵白も使ったものです」

 

 ピエールさんの説明に椀の中を覗くと濃さの違うクリーム色の液体が見えた。……液体?

 なんか普通のドレッシングみたくサラッとしている。

 

「ご存知のことと思いますが、生の卵には穢魔が含まれていますので、そのまま食すると腹痛を起こします。ですので、熱を通して穢魔を取り除かなければ食べられません」

 

 サルモネラ菌だっけ? ここでは穢魔っていう認識なんだな。

 

「また、ビネガーを使うと穢魔を押さえることができることも昔から知られていました」

「それでも、生の卵にビネガーを加えてサラダソースにしようとは誰も思いつきませんでした。さすがは変わったことをされると評判のレン様ですな」

 

 ピエールさんの説明を受けてポールさんが俺を褒めそやす。いや、褒めてないから。

 

「いや、俺が考えたわけじゃないんで。作り方も曖昧ですし」

「こちらでもいろいろ試してみまして、どうにかサラダソースとして使えそうなものが作れました。ただ、どれが正解かはわかりませんでしたので、皆様には味を見て助言をしていただきたいと思います」

 

ピエールさんが頭を垂れるので、「じゃあ」と味見をしようとするとジルベールとカロリーヌさんからストップがかかった。

 

「まだ毒見が済んでおりません」

「毒見を」

 

 と、メイドの子を一人呼びつける。

 その子はそれぞれの木の器から一匙すくっては口に含んでいく。

 喜んで毒を口にしようとするどこかの猫ちゃんほどではないけど、わりと落ち着いてるな。まぁ、聖女様がいるからそれほど不安はないんだろう。

 

「問題ありません」

 

 毒見役のメイドの子にお墨付きをもらって、改めて試食会となる。

 

「ちょっと酸味が強い?」

「うーん。味はともかく、これじゃあマヨネーズ風味のドレッシングだよな」

「これはこれでいいんじゃない?」

「サラダに使うならいいけど、俺が食べたいのは卵サンドなんだよなぁ」

「『卵さんど』とはどのようなものでしょうか?」

 

 俺の願望を聞きつけたピエールさんが質問してきた。

 

「えっと、茹でた卵を刻んでマヨネーズを和えたものをパンで挟んだやつです」

「刻んだパセリもね」

 

 黒姫が言い添える。俺はシンプルなヤツがいいんだけど。

 

「すると、こちらに揃えた『まよねーず』では水っぽ過ぎますか」

「ですね」

「こっちの椀のはけっこうねっとりとしてるよね」

 

 ユーゴが端にある木の椀を指さした。

 

「それは……なるほど」

 

 ピエールさんは何か思い当たったらしい。

 

「それでは改めて『卵さんど』に使えるような『まよねーず』を作ってまいります」

「お願いします」

「あ、でも」

 

 と、ユーゴが間に入る。

 

「僕たち明後日には王都を出るから」

「そうだった。ドラゴンの討伐に行かなきゃいけないんだった」

 

 聞いた話だと、もっと東の方でドラゴンを待ち受けるんだそうだ。

 

「では、お戻りになった時には皆様にご満足いただけるものを用意しておきます」

「ご武運をお祈り申し上げます」

 

 こうして、第1回マヨネーズ試食会はお開きとなった。

 

 ……あっ、ペネロペと一言も口きいてなかった!

 




次回からサルル遠征編に入ります。


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第33話 サルル遠征

 ゆったりと雲が流れる青空の下、何台もの箱型の馬車と幌馬車が王宮正門前の広場に並んでいた。

 勇者と聖女によるドラゴン討伐部隊だ。

目的地はサルル領の領都サルルルーイ。そう、クララの故郷のサルルだ。

そこにある要塞がドラゴン討伐のベースキャンプになる。

 実際、討伐の出発としては少々早いのだが、ユーゴが魔法の練習ができる場所を希望して、それならばサルルでということになり、とんとん拍子で出発が早められたと言う一面もあった。

 

メンバーは勇者のユーゴ、聖女の黒姫、そして俺。そして3人の付き人のイザベルさん、ジルベール、クララ。そのまとめ役のクレメントさん。アンドレといつもの護衛騎士4人からなるデュロワール王国騎士団第13分団20人。その従者たち。そして更に――。

 

「レン様、お久しぶりです」

 

 オレンジの髪を後ろで束ねた地味な顔つきの、けれどとても聡明なメイドが挨拶してきた。

 

「久しぶり、フローレンス」

 

 召喚されてから王都に来るまでに黒姫の専属メイドだったフローレンスだ。討伐中の黒姫の世話をするために召集されたんだとか。黒姫付きのメイドには彼女の他にもう2人いるがどれも初顔なところをみると、どうやらロクメイ館のメイドさんたちは討伐には同行しないようだ。

 

「ていうか、結婚するから家に呼び戻されるって言ってなかったか?」

 

 確かそんなことを口にして寂しそうにしていたと思う。

 

「少々事情が変わりましたので、引き続き王宮で働いておりました」

「事情って?」

「私を嫁に出すよりも手元に置いておいたほうが儲かると父が判断したようです」

 

 ふーん。あ、思い出した。

 

「そういえば、ペネロペも結婚する予定無いって言ってたぞ。お父さん、本当に病気だったって」

「左様でしたか。情報の精査が足りなかったようですね」

 

 フローレンスはしれっと言葉を続けた。

 

「レン様は彼女にお会いになったのですか?」

「ああ。お披露目のあった日にな。月島で露店を出してた。んで、ベーコンサンドを売ってた。美味しいって評判なんだって」

「存じております。あの新商品のおかげでフールニエ商会もしばらくは持ち直すでしょう。ですが、あの程度の商品ではすぐに他の店に真似をされますし、珍しさも無くなればまた元に戻るでしょうね」

「冷静な市況予測をありがとう。フローレンスが相変わらずでなによりだよ」

「お褒めに与り光栄です」

 

 フローレンスは平常運転だな。

 

「ところで、あの子は? ソフィも来てるの?」

 

 ソフィ。ユーゴ付きの専属メイドだった可愛い少女で、ユーゴと一夜限りのワッショイをしちゃった子だ。

 

「あ、レン様、お久しぶりです!」

 

 噂をすればなんとやら。編み込んだ濃い目の金髪を揺らしてソフィがにこやかな笑顔を振りまいてやってきた。

 

「またご一緒できて嬉しいです」

 

 そして、こそっと顔を寄せる。

 

「レン様にはとっても感謝してるんですよ。これからもご助力お願いしますね」

 

 ユーゴと寝たがっていた彼女にした俺のアドバイスが偶然にも成功してしまったのだ。ユーゴとフローレンスからの視線が痛い。

 

「で、そっちの人がレン様付きの使用人ですか?」

 

ソフィが俺の後ろに控えていたクララを指さした。クララはお仕着せを着てるけど貴族なんだよ。不敬とか大丈夫かな。

 

「レン様のめいどのクララです。よろしくお願いします」

 

 と、そつなく挨拶を返すクララ。俺の心配は杞憂のようだった。

 

「あ、やっぱり『めいど』なんだ。こちらこそよろしく」

「レン様は変わったことをしでかすお方なので苦労してるでしょうね」

 

なんか妙な労いを受けているが、クララは微苦笑するに留めてくれた。……微苦笑はするんだ。

 

 

 

 王様たちへの出発の挨拶も終わり、いよいよ馬車に乗り込む。

用意された箱型の馬車は地味なこげ茶一色の4人乗り。以前ロッシュ城からダンボワーズ城まで行く時に使ったやつと同じタイプの2頭立ての馬車だ。

 ユーゴたちの馬車には付き人の他に護衛騎士が一人乗り込むが、俺には護衛騎士がつかないので馬車にはクララと二人きりになる。

美少女と密室で二人きりなんて、サルルに着くまでに何かが起こるんじゃないかと期待するのは間違っているだろうか。(間違ってる)

そんな俺の甘い妄想を打ち破るように、馬車の外から俺を呼ぶ声がした。

 

「おーい、レン。ちょっと引っ張り上げてくれないか」

 

 この声は……。

 

「シュテフィさん、ロッシュに帰ったんじゃなかったんですか?」

「レンがサルルに行くと聞いてね」

「また、無断で同行ですかぁ?」

「失敬だな。今度はちゃんとクレメントに許可をもらってあるよ」

 

 シュテフィさんは馬車に乗り込むと、俺の隣に座ってニカっと笑う。

 

「それにサルルは私の故郷だからね。里帰りに便乗させてもらうだけさ」

「え? じゃあ、クララと同郷ですか?」

 

 向かいの席に座るクララを指さす。

 シュテフィさんはクララの存在に気づくと、すっと眼を細めて観察するように彼女を見た。そういえば、二人って今まで顔合わせたことないんだよな。

 

「……君は?」

「クララです。アンブロシス様からレン様のお側にいるように言いつかっています」

 

 クララはお辞儀をすることなくまっすぐにシュテフィさんを見て言った。

 

「私はシュテフィール・ベルクマンだ」

「はい、存じています。祖父や父がよく言っていました。ベルクマンさんのお嬢さんはサルル領始まって以来の秀才だと」

「そうか。それはちょっと面映ゆいな」

 

 珍しくシュテフィさんが照れている。

 

「もしかして、君は15歳より下かな?」

「はい。13です」

「そうか。私は15年前に学院に入学するために王都に出てから一度も帰っていなかったからなぁ。君のことは知らなかったよ」

「ぜひ、お見知り置きを」

「こちらこそ」

 

 と、笑顔を交わす二人。ていうか、クララって13歳だったのか。まぁ、あの学院に元クラスメイトが在籍してるからおかしくはないけど。そうか、13歳なのか……。

 

「どうしたんだい、レン? 彼女の胸ばかり見て」

「えっ、ちょっ、何言ってるんスか。全然見てないっスよ! ほんとっスよ!」

「そうです。レン様は手のひらに収まるくらいの大きさの胸がお好みですから」

 

 二人そろってぶんぶんと手を振る。

 

「そうなのか? おっと、出発のようだな」

 

 タイミングよく馬車が動きだした。よかった。

 

 見送りの盛大な歓声を背に橋を渡るような振動の後、馬車の小さな窓の外にアルセーヌ川が見えた。川沿いを上流へ進んでいるようだ。

 やがて王都を囲む城壁の大きな門をくぐった時、またしても結界の洗礼を受けた。

 シュテフィさんによると王都の城壁に張られた魔獣除けの結界だという。俺は魔獣扱いかよと愚痴ると、「あいかわらずレンは変わってるなぁ」と苦笑いされてしまった。

 

「変わっていると言えば」

 

 と、シュテフィさんが続ける。

 

「レンは女性の好みも変わっているな。女性の乳房は大きいほうがいいと思うんだがね」

 

これ見よがしに大きな胸を張る。てか、その話題続いてたの?

 ならばこちらから話題を変えよう。スキル『話題変え』!

 

「そういえば、二人とも大きい、じゃなくて背が高いですよね」

 

 っぶねー。話題が巨乳から変わらないところだった。

 俺が冷や汗をかいている一方で、クララの表情が微妙になる。あ、この話題もタブーだったか。

 

「サルルの人間にはそういう傾向があるんだよ。体が大きかったり成長が早かったり。人間だけじゃない。農作物や家畜にしてもそうだ」

 

 シュテフィさんの方は気にする風も無く、饒舌に解説を始めた。

 

「たぶんそういうこともあって、よく『魔獣』とか『魔獣の子』とからかわれたりしたな」

 

 クララが辛そうに俯く。

 そういえば学院でクララにそんなこと言ってたヤツいたな。

 

「えーと、何で魔獣なのか聞いてもいいですか?」

 

 クララの顔色を窺いながら声を潜めた。

 

「魔獣っていうのは普通の獣より大きいからさ。普通の獣が穢れた魔素によって大きく凶暴になるんだそうだ」

「でも、それは学問として証明されていませんよね?」

「そのとおり。よく知っているね。でも、ほとんどの人は私が言ったように思っているのも事実だ。だから『サルルは穢れている』『穢れた地だ』と言われている」

「なんか悔しいですね」

「全くな。だからこそ、私は魔獣や魔素のことを研究しようと思ったんだ。どうして魔獣が生まれるのか。なぜ魔素が穢れるのか。いや、穢れとはそもそもどういうことなのか。それを解明すれば、今のサルルの状況を変えられるんじゃないかと思って」

「ベルクマンさんは強いのですね」

 

 ぽつりとクララが零す。

 シュテフィさんは小さく息を吐いて首を横に振った。

 

「別に強くはないさ」

「でも、ちゃんと学院を卒業して魔法の研究をされています。私はダメでした。酷い言葉に耐えられなくて学院を辞めてしまいました。アンブロシス様のご厚意で使用人をさせていただくことしかできません。あなたのように強くないのです」

「私だって強くは無かったよ。クレメントがいてくれなかったら、君と同じように学院を続けられなかったかもしれない」

「え? クレメントさんが?」

 

 思わず聞き返した。

 

「ああ。彼は同じクラスだったんだが、頭の固い融通の利かない正義感の強い男でね。私を蔑む奴らから何度もかばってくれたよ。そのおかげで私に面と向かって悪口を言う者はいなくなったんだ。もっとも、彼の父親の地位とか権威とかの影響もあったんだろうけどね」

 

 シュテフィさんは何か大切なものを想うように柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「ベルクマンさんはいいですね。私にはそんな人はいなかった」

「シュテフィでいいよ。確かに学院にはいなかったかもしれないが、そのおかげで君は巡り会えただろう?」

 

 シュテフィさんがいたずらっぽく言うと、クララは目をパチクリさせた。その緑の瞳がゆっくりと俺を捉える。

 

「……はい」

 

 クララは小さく、けれど力強く頷いて微笑んだ。

え? 俺?

 

「いや、俺なんてアレだよ。勇者じゃないし魔法も使えないし。だいたいこの世界に来たのだってユーゴたちの召喚に巻き込まれただけだし」

「たとえそうだとしても、レンがここにいることには意味があると私は思っているんだ」

 

 シュテフィさんはポンと俺の肩を叩いた。

 

「レンには他の誰も持っていない変わった力がある。これは研究者としての勘だがね、レンの力はきっとこの世界を変えられるんじゃないかと思うんだ」

「それは買いかぶり過ぎじゃあ……」

「いいえ。私もレン様のめいどになってから、何かが変わっていくように感じています」

 

 マジか。まぁ、そう言われて悪い気はしないけど、

 

「これからもずっとレン様のお側に仕えさせてください」

「私もこれからもずっとレンの側で研究させて欲しい」

 

 うーむ。喜んでいいのか凄く微妙なんだが……。

 

 

 

 

 



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第34話 サルルルーイの砦

 王都のパルリからサルル領までには2つの貴族領を通る必要があった。

 最初の貴族領シャンペリニヨンの領都に着いたのは、王都を出て4日目の午後だった。

 シャンペリニヨン領ではワイン用のブドウの栽培が盛んで、特にスパークリングワインが有名なのだ、と黒姫がはしゃいでいた。あいつ、また飲むつもりか。

そのスパークリングワインだけど、ここの領地と同じシャンペリニヨンという名前らしい。略すとシャンペリ。

何のことはない、シャンパンだ。

 

「パルリがパリでアルセーヌ川がセーヌ川なら、シャンペリニヨンはシャンパーニュか。高妻くんの言うとおり、ここがフランスだって実感するわね」

 

 というのが黒姫の談。シャンペリを嗜みながらの。

 

ちなみに、俺も一口飲んでみたけど、やっぱり苦くてダメだった。

どうせ俺はシャンメリーがお似合いなお子様だよっ。

 

 

※  ※  ※

 

 

 シャンペリニヨン領の東にあるのはロレーン領だ。

 ここには鉄鉱石の鉱山がある。その鉱山を管理しているのは、デュロワールではナーンと呼ばれている種族だ。

 ナーンは山の民とも呼ばれ、彼ら独自の土魔法や金魔法を持っていて、鉄鉱石はもちろん非鉄金属や貴金属、魔法石の元になる石や宝石などの鉱物を採掘したり、金属を製錬する技に長けているのだそうだ。なんとなくドワーフっぽい。

 

「ナーンって、やっぱり背が低くて屈強で髭面で酒好きなんですか?」

「まぁ、我々より背が低い者が多いのは確かだが、あとはたいして変わらんよ。髭面も酒好きもいるだろうさ」

 

 勢い込んで聞く俺に、シュテフィさんは半ば呆れて教えてくれた。

 ふむ。俺の知ってるドワーフとはちょっと違うみたいだけど、たぶんドワーフだろう。いや、ドワーフがいるということは、

 

「じゃあじゃあ、エルフ、エルフはいますか? 耳が長くて、男女共に美貌で、長命で高慢で」

「レンの言っているエルフかどうかはわからないが、エルフと呼ばれている種族はいるな」

 

 シュテフィさんはかなり引いているが、かまわない。

 

「どこに行けば会えますか? エルフ」

「エルフが住んでいるのはずっと北の方の森の国だ。ただ、エルフは人間が嫌いだからな。なかなか会えないらしい。デュロワールでも会ったことのある者は稀だろう」

 

 地理的には北欧かな。けど、やっぱエルフは人間嫌いなのか。会ってみたいなー、エルフ。

 

「エルフは無理だが、ナーンならばロレーンやその南のルアルザスの田舎に行けば普通に会えるぞ」

「マジですか。帰る前に是非会ってみたいです! ていうか、サルルにはいないんですか?」

「サルルにはめぼしい鉱山は無いからなぁ」

 

 あれ? そうだっけ? まぁ、残念だけどしょうがない。

 ちょっと肩を落としていると、「あの……」とクララが遠慮がちに声をかけてきた。

 

「私が幼い頃何度か会った記憶があります。かなり年を召した方でしたが」

「本当?」

「はい。確か、グリンという名前だったと思います」

「グリン……グリン……。ああ」

 

 シュテフィさんは記憶を手繰るように名前を呟いた後、ポンと膝を叩いた。

 

「あの頑固者の爺さんか。あの人ナーンだったのか」

「祖父はそう言っていました」

「確かに小柄だったけれど、年寄りだからだと思ってたよ。うん、レン。サルルに行けばナーンのグリンさんに会わせてあげよう」

「ありがとうございます! シュテフィさん」

「彼が生きていればだがなっ」

 

 と、シュテフィさんはウインクした。可愛くないですよ、もう。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 ロレーン領を出てから更に東に進み、サルル領に入る頃には王都を出てから14日が経っていた。

 サルル領の領都サルルルーイはかつての要塞を中心とした町だ。

 近くを流れる川から水を引いた水濠を周りに廻らせたその要塞は、80年ほど前にデュロワール王国が当時ゴール王国領だったサルルを占領した時に作られたもので、さらに東方へ侵攻するための足掛かりにもなっていた。

 今はゴール王国との国境がずっと東のレーヌ川(たぶんライン川)にあり、争いも小康状態らしく、かつての要塞も騎士団所有の物資の貯蔵場所となっている。『サルルルーイの砦』とか、あるいは単に『砦』とみんなは呼んでいた。

 

 さすがに砦というだけあって、外観はごつい。ロッシュ城やダンボワーズ城、それに王都の城壁も俯瞰すれば方形や円形なんだけど、この砦の城壁は星形というか、ごつごつと角が多くてカッコイイ。

 濠に架けられた跳ね橋を渡って中に入る。

城壁の内側には堅牢そうな建物が広場を囲むように整然と建っていた。その広場の奥にあるとりわけ立派な建物の前で馬車が止まった。

馬車から降りた俺たちを出迎えてくれたのは実直そうな壮年の貴族で、軍務省の兵站部所属のトマ・ショワジーと名乗った。ここの責任者だそうだ。

彼の隣にこげ茶の髪をザンギリにしたちょっとしょぼくれた感じの中年のおっさんが立っていた。着ている鎧も年季が入っているように見える。その斜め後ろには、灰色の短髪にゴワゴワの髭面のやたらにガタイがいい人が仏頂面で立っている。

 

「第9分団団長のミシェル・ネイだ」

 

 おっさんは一歩進み出てそう名乗った。

 

「第13分団団長、アンドレ・ヴォ・ジャルジェだ。こちらが勇者のユーゴ・シュロゥマ

殿と聖女のマイ・クロフィメ殿」

 

 アンドレが名乗り返し、ユーゴと黒姫を紹介する。

 二人を見てネイ団長はクイっと右の眉を跳ね上げた。

 

「勇者様たちが来るのはもっと後だと聞いていたんだけどな」

「先触れは届いていただろう?」

 

 アンドレがショワジーさんに目を向ける。

 

「はい。伺っております。しかしながら、第9分団は一昨日ここへ到着しましたので勇者様の到着日を把握していなかったと思われます」

 

 ショワジーさんがガチガチになって緊張した声で説明すると、アンドレは「そうか」とだけ答えて、顔をネイ団長に戻した。

 

「それで、9分団はなぜここに?」

「俺たちは魔獣討伐専任の分団だぜ。魔獣の討伐以外に何があるんだよ」

「貴様! ジャルジェ団長は公爵家のご令息であり男爵でもあるのだぞ! 口の聞き方に気をつけろ!」

 

 アンドレの後ろに控えていたアレンが血相を変えて怒鳴った。

 

「これは失礼しました。……階級は団長同士で同じなんだがなぁ」

 

 後半はちょっと声を潜めた感じだが、しっかり聞こえた。

 

「で、男爵様のお早いご到着の理由は教えていただけるんでしょうかね?」

「勇者様の魔法の訓練のためだ」

 

 いきり立つアレンを制してアンドレが答えた。

 

「へぇー、魔法の訓練のためにわざわざこんな辺鄙な場所に?」

「辺鄙だからだ。勇者様の魔法は強大すぎて王都周辺の訓練場では被害が出るので使用できない」

「ここなら被害が出てもいいってことですか」

「あの……」

 

 アンドレとネイ団長の言い合いにユーゴがそっと割入った。

 

「ネイ団長は魔獣の討伐に行くんですよね」

「ん? ああ、そうですよ」

「じゃあ、僕も連れて行ってもらえませんか?」

 

 ユーゴの提案にネイ団長は胡乱気に目を細める。

 

「ええと、何をしに?」

「もちろん、魔獣の討伐です」

「……経験はありますかね?」

「はい」

「王都近郊の森で何度も経験済みだ」

 

 アンドレが補足する。

 

「あー、あのお遊戯場ね」

 

 ネイ団長はがしがしと頭を掻いた。

 

「知らないかもしれませんが、このサルルの魔獣はそこらの魔獣とは全く別モンなんですよ。でかいは凶暴だわ。さすがに穢れた地の魔獣ですな」

 

 後ろに控えているクララの魔力が揺らいだ。

 

「団長さん。僕は勇者ですよ? ドラゴンを倒そうっていうのにちょっと凶暴な魔獣くらい相手にできないとでも?」

 

 ユーゴが挑発するように薄く笑う。

 

「これは失礼を。では討伐の打合せでもいたしますか?」

「いえ。僕たちは到着したばかりですから。荷をほどいてからここの領主に挨拶に行ってきます。打ち合わせはその後でいいですよね?」

「勇者様の御心のままに」

 

ネイ団長は右手を胸に当てて腰を折った。そして、くるりと踵を返すと後ろの髭面とともに左手の建物の方に歩み去っていった。そこには第9分団の団員らしき騎士たちが思い思いにたむろしている。

 

「申し訳ない。勇者様に不快な思いをさせるようなことになってしまって、」

 

 二人の後ろ姿を睨みつけながらアンドレがユーゴに謝る。

 

「9分団には家柄の低い者が多いと聞いていたが、やはり礼儀がなっていなかったな」

「魔獣の相手をするような奴らですから。アンドレ様に対する口のきき方もなっていませんでしたし」

 

 アランも調子を合わせる。

 

「僕はかまいませんよ。僕たちの力を知ってもらえばあの人たちの態度も改まるでしょうから」

 

 ユーゴは9分団のたまり場を薄い眼で見つめながらそう言うと、

 

「さあ、宿舎を案内してください」

 

 と、ショワジーさんに作った笑顔を向けた。

 



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第35話 領主の屋敷

 俺たちが入ってきたのは西側の門で、領主の屋敷に行くには南側の門を使う。砦の南側にある町に領主の屋敷があるのだ。

旅装を解いて綺麗な服に着替えた俺たちは、徒歩で領主の屋敷に向かった。何台もの馬車が停められるスペースが無いからだとか。

 

道は狭いながらも凹凸が少なくて歩きやすく、その両側に並ぶ建物の外観はシンプルだけど色とりどりの花が花壇に植えられたり窓辺に飾られたりして目を和ませてくれる。その中を護衛騎士に囲まれながら歩いて行くのはちょっと物々しすぎる感じがしないでもない。案の定、住民のみなさんは戸を閉めて物陰から覗くだけというテンプレな反応だ。ていうか、あんまり歓迎されてない印象を受ける。

 

やがて、門を出て徒歩10分もしないうちに高い生垣に囲まれた敷地に建つ大きな屋敷に着いた。とはいっても、あくまでも周囲の建物に比べてで、サルルに来るまでに訪れた二つの領主の屋敷に比べたらかなり質素で小さい。ここが領主の屋敷らしい。

 

「これが領主の屋敷か? 小さくないか?」

 

俺と同じ感想をヴィクトールが口に出した。

それにクレメントさんが答える。

 

「間違いないよ。ここが、領主のマイスナー男爵の屋敷だ」

 

ほほう。領主はマイスナー男爵か。今までの領主は伯爵や子爵だったもんな。爵位によって屋敷の大きさって違ってくるもんなんだな。……んん? マイスナー?

 

「マイスナーって、クララの家名と同じじゃないか!」

 

 素っ頓狂な声を上げると、クレメントさんが不思議そうな顔をする。

 

「ええ。クララはマイスナー家のご令嬢ですからね。もしかして、レン殿は知らなかったのですか?」

「初耳なんだけど……」

 

クララを見やると申し訳なさそうに小さくなっている。

 

「マジか……。ユーゴは知ってた?」

「僕は気づいてたけど、レンが気づいてないみたいだったからビックリさせようと思って黙ってたんだ」

 

 ユーゴがいたずらっぽく笑う。意地が悪いぞ。

 黒姫は何も言わなかったけど、顔つきから知ってたらしいことはわかった。何で言ってくれないかな、二人とも。

ま、まあ? クララが領主の娘だからといって別段どうこうと言うこともないんだけど?

 

背中に変な汗をかきながら歩を進めて蔦を這わせたアーチ型の門をくぐる。

屋敷の前の道も中の前庭も狭く、確かに馬車1台が停まれるほどのスペースしかない。その無人の前庭へ護衛の騎士たちを引きつれてぞろぞろと入っていくと、なんだかいつもと違う感じがした。

 

「出迎えもいないのか。先触れは出ているはずだぞ」

 

ヴィクトールが苦々しく吐き捨てる。

そっか。今までダンボワーズ城でも他の領主の所でもたいていそこの主人が出迎えに出ていたっけ。

 

この世界の常識とかしきたりとかまだよく覚えていないけど、訪問客をわざわざ主人が外に出て出迎えるのはかなりレベルの高い待遇らしく、普通は執事あたりが客間や応接間に通してから主人が顔を出すものらしい。勇者や聖女とはそれくらいの扱いなのだそうだ。やっぱり歓迎されてないのかな?

 

 クレメントさんが進み出て、フクロウをかたどったノッカーを叩く。ややあって、中から初老の男性が顔をのぞかせた。

 

「内務省のクレメント・ルメールです。勇者様と聖女様をご案内いたしました」

「伺っております。どうぞお入り下さい」

 

初老の男性は扉を大きく開けて俺たちを招き入れようとすると、アンドレが指示を出してヴィクトールとサフィールを先に立てた。それに続いて中に入る。専属以外の護衛騎士さんたちは外で待機だ。

中の様子も外と同じく質素だ。華美な装飾を好む王都の趣きとは違って無駄なものは飾らない置かない主義なんだろう。質実剛健っていうか、個人的にはこういうのは好きなんだよな。

 

きょろきょろとする暇もなく、入ってすぐの部屋の扉を初老の男性、たぶん執事とかそういう人が「こちらでお待ちください」と開く。

 扉を開けて待つ執事は、俺の後ろにいたクララを見て一瞬驚いた顔になったもののすぐに柔和な笑みを見せた。お互いに声をかけたりはしなかったけど、やっぱりクララってこの家の令嬢なんだなって実感した。

 

応接間の質素な革張りのソファに座って待つことしばし、扉が開いてこれまた質素な貴族服を着た老人と背の高い中年男性が入ってきた。

 

「サルル領領主、オットー・ヴォ・マイスナーです。こちらは息子のオスカー。遠路はるばるよくぞおいでくださいました」

 

 この人たちがクララのお爺さんとお父さんか。クララは領主の孫娘になるんだな。髪はどちらも濃い茶色の癖毛でクララとは似ていない。それに、口調は穏やかだけど受ける雰囲気はどこか固く感じる。

こちらもクレメントさん、ユーゴ、黒姫、アンドレの順に名乗る。

 

「事前の連絡では、砦を拠点にされるとか」

 

正面の椅子に座ってそう切り出したオットー爺さんにクレメントさんが応対する。

 

「はい。ここからならば東へも北へもすぐに対応できますから。あと、勇者様がドラゴンとの戦いの前に魔獣の討伐をご希望です。何卒ご協力をお願い致します」

「魔獣の討伐と言うのならば協力は惜しみませんが、ここは辺境の領地ですからな。勇者様が満足されるようなおもてなしはできかねるやもしれません」

「いえ、食糧他必要な物資は用意していますので、ご心配には及びません」

「左様ですか。だが、今夜は歓迎の席を用意しております。せっかくですので、勇者様と聖女様にもご出席をお願いできますかな」

 

 オットーさんが儀礼的に二人を晩餐に誘うと、

 

「もちろん」

「喜んでお招きにあずかります」

 

 躊躇無く応諾する二人。

 

「できれば高妻くん、あの変な髪色の人も一緒にお願いします」

 

更には、黒姫が俺を指さして頼んでくれた。ありがとう、黒姫。でも、この変な髪色はお前の仕業だからな。

 

「もちろん同席してもらってもかまいませんよ。ジャルジェ卿とルメール殿もご一緒にどうぞ」

 

 と、オットーさんは頷いた。

 

「あと、お願いがあるんですが」

 

 ユーゴが軽く手を挙げる。

 

「何か?」

「ここで60年前に勇者とドラゴンが戦ったんですよね?」

「正確には56年前ですが」

 

 オットーさんが訂正した。

 

「その時の事を知ってる人がいたら、当時の話を聞かせていただけませんか。できれば一緒に戦った人がいればいいんですけど」

 

 ああ。ユーゴはドラゴンの情報を欲しがってたんだっけ。なるほど、56年前にここで戦いがあったんなら、直接ドラゴントを見たり戦ったりした人がいる可能性も高い。

 

「……わかりました。何分昔のことですから存命しているかどうかわかりかねますが、手を尽くして探してみましょう」

「ありがとうございます」

「では、晩餐でまたお会いしましょう」

 

 オットーさんはそう言って席を立った。それに合わせて俺たちも腰を上げる。そこへ思いついたようにオットーさんが声をかけてきた。

 

「ああ。クララはここに残りなさい」

「ダメです」

 

 即答だった。

 

「な、なぜじゃ? せっかく家に帰ってきたのだから、積もる話もあるじゃろう?」

 

 威厳たっぷりだったオットーさんが惚けたようになる。

 顔を合わせてからもずっとクララのこと無視してたから孫娘に興味が無いのかと思ってたけど、普通におじいちゃんだった。

 

「私はレン様にお仕えしているのでお側を離れるわけにはいかないのです」

 

 クララが俺に寄り添うようにすると、オットーさんとオスカーさんの鋭い視線が俺に突き刺さる。

 

「レンとか言ったか。クララがここに残ってもかまわんよな?」

 

 口調は穏やかだけど、有無をも言わさぬ圧がある。

 

「え、ええ、もちろん。ほら、クララ。お爺ちゃんの言うとおりにしてあげたら?」

「レン様がご一緒でなければイヤです」

 

 クララは譲らない。

 

「レン殿。よろしいですよね」

 

 お父さんからも圧がかかる。ううっ、どうすりゃいいんだ?

 その時、我らが勇者ユーゴが口を開いた。

 

「もうめんどくさいから、レンも一緒にここに残れば? いいですよね? クレメントさん」

「ええ。丸く収めるためにはそれしかないでしょう」

「そうだな。護衛を2人残していくから、レンは残ってもいいよ。第9分団との打ち合わせに君は必要ないし」

 

アンドレも賛同する。けど、なんか一言多くない?

あと、黒姫にはふんっと顔をそらされる始末。

 

「では、そういうことで」

 

こうして、俺を生贄にして顔合わせはお開きとなった。

 



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第36話 楽しいマイスナー一家

 ユーゴたちが部屋を出ていくのを呆然と見送ったのも束の間、いきなりその扉がバタンと開いて、

 

「姉上、おかえりなさい!」

 

 と、男の子が走り込んできた。

 

「ミハエル!」

 

 クララはぱっと笑顔になって名前を呼ぶ。

 ミハエルと呼ばれた子は、くりくりっとしたこげ茶の髪の毛のあどけない顔をした少年で、身長はユーゴと同じくらいか。生成りの長そでシャツに髪の毛と同色の袖なしの上着を着ている。クララの弟かな?

 

「ゼバスから姉上が帰ってきたと聞いて、急いで来たんだよ」

 

 ミハエルがクララの手を握って嬉しそうに報告していると、

 

「何ですか、ミハエル。ノックもせずにお行儀の悪い」

 

 と、小言を言いながらクララと同じ薄い金髪を緩く纏めた背の高い女性と、赤毛を結い上げた中肉中背の老婦人が若い侍女を従えて部屋に入ってきた。

 

「お母さま、お婆さま」

 

 クララがいっそう笑顔になる。

 あれがお母さんとお祖母さんか。クララはお母さん似なんだな。あの髪色とか緑の瞳とか、背が高くていろいろ大きいのも母親譲りなんだろう。え? 大きいのは魔力量のことですが何か。

 

「クララ、元気そうで嬉しいわ」

 

 お母さんもクララに歩み寄って娘を抱きしめる。

 

「待て待て。儂にも抱きしめさせろ」

 

 オットー爺さんが慌てたようにやってきて割り込もうとする。それをにこやかに見守るお父さんとお祖母さん。うーん。家族水入らずだなぁ。俺、めっちゃ邪魔者じゃね?

 

「クララお嬢様、お久しゅうございます」

「おかえりなさいませ。お嬢様」

 

 さっきの執事とお母さんたちについてきた侍女も声をかけてくる。

 

「ただいま。ゼバス、チネッテ」

 

 クララもそれに笑顔で応える。使用人たちにも慕われてるようだ。

 

「学院を辞めてしまったと聞いて心配していたけれど、聖女様のお付きになっていたなんて。私、とっても嬉しいわ」

 

 お母さんの言葉にクララが首を振る。

 

「いいえ、お母さま。私がお仕えしているのは聖女様ではなくて、こちらのレン様です」

 

 と、手を広げて俺を紹介する。

 

「あ、どうも。レン・タカツマです。娘さんにはいつも助けてもらってます」

 

 ペコっと頭を下げると、ミハエルが「えー」と不満の声を上げた。

 

「このカラスが泥水を浴びたような髪の人にですか」

 

 俺の髪は黒姫に脱色してもらってからけっこう日数が経っていて生え際の黒い部分がわりと目立ってきてたけど、ミハエルくんは例えが上手だなぁ。はははは……。

 

「ミハエル、失礼よ。レン様は見た目はこんなだけど、勇者様や聖女様と同じ国から来られた凄い方なんだからね」

 

 クララが自慢げに言い返す。けど、あんまり嬉しくないのはなぜだろう。

 

「ほぉ、勇者や聖女と同じ国からか。して、どのように凄いのか?」

 

 オットーさんが疑わしそうに俺をじろじろと見た。

 

「はい、お爺さま。レン様は勇者様にも聖女様にもない特別な力をお持ちなんです」

「特別な力とは?」

「レン様は魔力を感じることができるのです」

「魔力を感じることができるだと!」

 

 オットーさんが目を大きく見開く。

 

「……で、それはどういうことなのだ?」

「え、えーっと、魔法が目に見えたり魔力の大きさがわかったりするんですけど……」

 

 わかってなさそうなオットーさんに俺が説明してあげると、さらに胡乱気な目を向けられた。

 

「魔法が目に見える?」

「ええ。皆さんが魔法を使うと、たいていは指先から陽炎みたいなものが出るんです。あと、聖魔法は水だったり光だったりしますし、身体強化魔法を使うと体が虹色のベールに覆われるように見えたりします」

 

 オットーさんはあごに手をやって「うーむ」と唸って、傍に立つ息子に問いかける。

 

「オスカー、お前はどう思う?」

「俄かには信じられませんが、だからこそ特別な力なのでしょうか」

「そうか。そうかもしれんな。で、魔力の大きさがわかると言うのは?」

 

 顔を俺に戻して聞いてくる。

 

「言葉のとおり、その人の持っている魔力量がわかるというか感じ取れるんです。例えば……」

 

 疑わしそうに俺を見る二人のために、何かわかりやすい具体例を探す。

 

「あ、前に魔力の大きさは親から子に受け継がれるって聞いたんですけど、クララやミハエルくんの魔力はお母さん譲りなんですね」

 

 大人の中ではお母さんの魔力が格段に大きい。

 

「そ、それは……」

 

 納得してもらえるかと思ったけど、二人とも苦い顔をしている。ヤバい。もしかして男親のプライドを抉っちゃったか?

その重い空気をやぶったのはミハエルくん。

 

「ねぇ、僕の魔力って大きい?」

 

 と、純真な瞳で聞いてきた。

 渡りに船と、にこやかに答える。

 

「うん。大きいよ。筆頭魔法士のアンブロシスさんが一目置いてるお姉さんみたいにね」

「ほぉ、あのアンブロシス卿に一目置かれるとは。偉いぞ、クララ」

「やったぁ! じゃあ僕も王都の学院に入れるね」

 

 感慨深げなオットーさんの横で、ミハエルが万歳するように両手を挙げて嬉しそうな顔を母親に向ける。

 が、お母さんは複雑な表情だ。

 

「けれど、クララのようなことがあるかと思うと心配だわ」

「姉上? そういえば、姉上はどうして学院を辞めてしまったの?」

 

 ミハエルの質問に大人たちは一様に気まずく黙り込む。けれど、クララは優しい笑みのままで学院であったことを弟に話し始めた。

 

「姉上にそんな酷いことをした奴らは僕が魔法で懲らしめてやる!」

「大丈夫よ、ミハエル。レン様がもう懲らしめてくださったから。それに正しい知識をみんなが知ってくれたなら、もう私たちを悪く言う人はいなくなるからね」

 

 憤慨する弟の頭を撫でてクララが言った。

 

「ふん。そんな簡単なことなら苦労はせんわい」

 

 オットー爺さんが腕を組んで鼻を鳴らす。

 まぁ、一度貼られてしまったレッテルは簡単には剝がれないよね。でも、

 

「父上、私もクララの言うとおりだと思います。我が領に向けられた悪評を払しょくする努力を諦めてはいけません。クララやミハエル、その子や孫までに我々と同じ思いをさせたくはありませんから」

 

 オスカーさんがちゃんと言ってくれた。いいお父さんだね。

 それでもオットーさんは厳しい顔つきを崩さない。

 

 その時、部屋の外で何かを叩くような音がした。

 

「おや、どなたかいらっしゃったようですね」

 

 執事のゼバスさんが「見てまいります」と部屋を出ていった。

ややあって、戻ってきたゼバスさんが、

 

「シュテフィール・ベルクマン様が帰省の挨拶にいらっしゃいました」

 

 と報告する。

 

「ほう、シュテフィールも来ておったのか」

 

 難しい顔をしていたオットーさんが相好を崩す。

 

「こちらへ通してくれ」

「かしこまりました」

 

 ゼバスさんは一礼すると、すぐにシュテフィさんを連れて戻ってきた。

 シュテフィさんは俺を見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐに澄ました表情に戻ってオットーさんの前に来るとローブの裾をつまんで貴族の礼を執った。

 

「ご無沙汰をしております。領主様、皆様方」

「うむ。久しいな、シュテフィール。王都の学院を首席で卒業したと聞いたぞ。さすがは我が領始まって以来の秀才よ」

「勿体無きお言葉。それもひとえに領主様のご援助があったなればこそです」

「なんの。当然のことをしたまでよ」

「ありがとうございます。このご恩を少しでも早くお返しできればと思っています」

 

 なんだろう。シュテフィさんが凄くまともに見えるんだけど……。

 ジトっと見ていたら、ふいにこっちを見たシュテフィさんの眼が細くなる。

 

「レン。なにか失礼なことを考えていないかな?」

「いえいえ。失礼な事なんて考えていませんでしたよ。ただ、いつものシュテフィさんと違うなぁとしか」

「君が普段私のことをどう見ているのかだいたいわかった」

「シュテフィールは彼のことを知っておるのか?」

 

 オットーさんが割って入ってきた。

 

「はい。むしろ今一番興味を惹かれる存在だと言っても過言ではないでしょう」

 

 シュテフィさんは楽しそうにそう言ったけど、周りの人はドン引きだ。

 

「シュテフィール。いくら婚期が遅くなったからといって、あのように年の離れた少年を相手に選ぶというのはいかがなものかな」

「領主様、何を言っておられるのですか。彼ほど貴重な人間はいませんよ」

「そ、そうか。まぁ、そこまで言うのなら反対はせんが」

 

 ちょっと何か大変な誤解をされているようだ。

 なので、この後めちゃくちゃ説明した。

 



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第37話 フリカデラ

 歓迎の晩餐は長方形の小さめのホールのような部屋で行われた。

 壁には独特な模様のタペストリーが飾られているほかは華美な装飾は無い。壁のランプの灯りがゆらめいているのは『光の魔法石』ではなく、ろうそくなのだろうか。

 中央に置かれた長いテーブルには薄いクリーム色のクロスが敷かれ、ろうそくが灯された2台の燭台の間には綺麗な花々が飾られている。

 テーブルの端には領主夫妻が向かい合って座り、領主のオットーさんの隣に黒姫が、オットーさんの妻、クララのお祖母さんの隣にはユーゴが配されている。その隣にはそれぞれクララのお父さん、お母さんが座り、俺はお父さんの隣に席が与えられていた。俺の向かいにアンドレ、その隣はクレメントさんだ。そして俺の隣にはなぜかシュテフィさんが座っていた。

 

「え、なんでシュテフィさんがいるんですか?」

 

 こそっと聞くと、

 

「人数合わせだそうだ」

 

 迷惑そうな顔でこそっと返事があった。

  確かに、アランたちは護衛の任務があるし、ジルベールやイザベルさんはそれぞれユーゴと黒姫の給仕をしなくちゃだし、クララやミハエルは成人していないのでこういう晩餐の席にはつけない。かといって席を空けておくのも良くないので、シュテフィさんが呼ばれたらしい。

「でも、この席順だとシュテフィさんとクレメントさんが夫婦みたいですよね」とからかおうと思ったけど、逆に俺とアンドレがペアになってしまうという誰得な事態に気づいてやめておいた。

 

 晩餐はオットーさんの挨拶と創世の神への感謝の言葉で始まった。

 料理はコース料理みたいに一品ずつじゃなくて、適当にワゴンに乗せられて運ばれてきた料理を付き人が取り分けて出してくれるようだ。

 その時、向かいにいるアンドレの付き人の若い従者が取り分けた料理を一口食べてからアンドレに出すのが見えた。つまみ食いかよ。

 よく見るとジルベールもクレメントさんの付き人も同じくつまみ食いをしている。

 それでわかった。毒見だ。

 ロッシュやロクメイ館じゃそんなことしてなかったと思うんだけど、もしかしたらシャンペリニヨンやロレーンでの晩餐でも毒見をしてたのかもしれない。まぁ、その時は俺は呼ばれてなかったから知らないが。

 

 それにしても、給仕って命がけなんだな。まぁ、いざとなれば黒姫がいるから大丈夫だろう。

 チラリと黒姫を横目で見ていると、

 

「なんだ、この料理は」

 

 向かいの席のアンドレから戸惑うような呟きが聞こえた。

 見ると、アンドレの前の皿には綺麗な焼き色が付いた握りこぶしくらいの大きさの平べったい塊が乗っていた。

 その一品に目が留まる。

 それと同じものがクララの手で俺にも出された。これって……。

 思わずユーゴと黒姫の方を見ると、あいつらも気づいてお互いに見合っていた。

 間違いない。

 

「「「ハンバーグだ!」」」

 

 宴席に俺たちの声がハモる。

 みんなビックリしてるみたいだけど、そんなのにかまってられない。急いで一切れ口に放り込む。噛むごとにじわっと溢れる肉汁。

 ああ、これだ。

 

「味もちゃんとハンバーグだな」

「うん、ちょっと肉の臭いが強いみたいだけど」

「だから、ほら、ナツメグ! ナツメグを入れるのよ!」

 

 なぜかドヤ顔の黒姫に、それまで硬い態度だったオットーさんが感心したような顔を向ける。

 

「聖女様はこの料理をご存知なのですか?」

「ご存知も何も、みんな大好きハンバーグよ! まさかこの世界で食べれるなんて」

「黒姫さん、興奮しすぎ」

 

 ユーゴが苦笑する。

 

「この肉料理とよく似た料理が僕たちのいた世界にもあるんです。でも、ロッシュにも王宮にもなかったところをみると、ここの地元料理なんですか?」

「これはフリカデラといって、私の故郷の伝統料理なのですよ」

 

 ユーゴの隣からお祖母さんが嬉しそうに教えてくれる。

 

「フリカデラですか。凄く美味しいです」

「勇者様や聖女様のお口に合ってよかったですわ」

「これ、もしよかったら作り方を教えてもらえませんか」

 

 黒姫がテーブルに身を乗り出すようにしてお祖母さんに頼んでいる。

 

「では、今度一緒に作ってみましょうか」

 

 お祖母さんがそう誘うと、イザベルさんが「そんな、聖女様が厨房に入るなんて」と諫めるのもかまわず「はい。ぜひ!」と前のめりになって頷いていた。なんだ、黒姫のやつ、料理に興味が湧いたのか? 

 でもまぁ、俺もレシピは欲しいかな。そんで、ペネロペのお兄さんに渡してハンバーガーを作ってもらおう。(いつもの他力本願)

 

「レン様もお口に合いましたでしょうか?」

 

 クララが小声で聞いてきた。

 

「うん。もちろん。あ、でも、ハンバーグだけじゃなくて、他の料理もパンもみんな美味しいよ」

「お世辞でも嬉しいですな」

 

 答えると、お父さんも会話に入ってきた。

 

「いえ、本当に。たぶん、材料そのものがいいんだと思います。なんていうか、こう、一つ一つの味がしっかりしてるっていうか」

「ほう。あなたもそう思いますか」

 

 お父さんが俺に向き直るようにして話し始めた。

 

「実は私も前々からそう感じていたのですよ。我が領の農産物は他の領の物よりも美味しいと。なのにサルル産というだけで値が下がり買い叩かれてしまう。私はそれが口惜しい」

 

 何故と聞くまでもないか。

 学院でクララが言われていたことを思い返せばだいたいの想像はつく。穢れた地で作られた農産物とか言われてるんだろう。風評被害というやつだな。

 

「この料理に使ってる食材はサルル産ですか?」

「ええ、そうですよ」

 

 お父さんはそう言ってから、ちょっと声を落として不安そうに聞いてきた。

 

「気になりますか?」

「気になるっていうか、ちょっと興味が湧いてます」

「興味ですか?」

「なんていうかここの料理って魔力が強いんですよね」

「え、そうなの?」

「魔力が強い?」

 

 黒姫とユーゴが聞き返してきたけど、他の皆さんはきょとんとなった。

 

「……それは、どういう意味か?」

 

 オットーさんが代表して聞いてきた。

 

「ええと、俺が魔力を感じられることは話しましたよね。ここの料理っていうか、たぶん材料からだと思うんですけど、魔力を感じるんですよ」

「つまり、材料が変だと言うのか」

 

 オットーさんの顔が険しくなる。

 

「いえ、変とかじゃなくて。えっとですね、俺もここの料理を食べるまであんまり気にしたことなかったんですけど、食べ物にも魔力、じゃなくて魔素って言う方が正確かな。その魔素が含まれてるんですよね」

「当然だ。万物に魔素は含まれているのだから」

「それで、王宮で食べてた料理よりここの料理の方が魔素が多い気がするんです」

 

「魔素が多いのか、これは……」

 

 シュテフィさんがフォークにさした付け合わせのニンジンをしげしげと眺めて呟いた。そしておもむろにパクリと食べて咀嚼する。

 

「いまわらしははりょうのまほをへっひゅひへいるわへだ」

「シュテフィ、食べながら喋るのは止めろと学院の時から言っているだろう」

 

 クレメントさんの小言もスルーして、シュテフィさん「魔素……魔素か……」と呟いて考え込み始めた。

 他の皆さんは放置されてお互いに顔を見合わせるばかり。そこにクレメントさんの張りのある声が響く。

 

「彼女のことは放っておいて構わないので、我々は食事を続けましょうか」

 

 クレメントさんの提案にみんな手や口を動かし始めた。けど、やっぱり魔素の件を気にしてるのかどことなくぎこちない。特に対面のアンドレはまだ手を止めている。

 

「すいません。俺、なんか余計なこと言っちゃたみたいで」

 

 ペコリと頭を下げると、隣からクスっと笑い声が聞こえた。

 

「何を謝っているんだい? レンでなければ魔素のことに気づかなかったよ」

「でも、気づけばいいってものでもないでしょう?」

 

 現に魔素の多い料理をみんな気にしてる。特に地元民じゃないアンドレとか。

 

「いや、気づいて良かったですよ」

 

 クレメントさんが笑顔を向ける。

 

「なんといっても、魔素が多い料理は美味いってことがわかりましたからね。ほら、このフリカデラなんて絶品ですよ」

 

 と、丸ごと1個口の中に放り込んだ。

 それを見て、お祖母さんも笑顔を取り戻す。

 

「そうですね。自分たちの土地で育ったものに誇りを持たなくてどうしますか。さぁさぁ、フリカデラはまだありますよ」

「母上の言うとおりだな。このライ麦のパンもお薦めなんだ。王都のパンよりも味が濃い」

「ほんとだ。ここの料理にちょうど合ってる」

「では儂はビールを勧めよう。サルルに来たからにはビールだ! ビールを持ってこい!」

 

 晩餐のテーブルに活気が戻ってきた。

 俺もガツガツむぐむぐとハンバーグ、じゃなくてフリカデラを平らげる。さすがにこの席でパンにはさんで食べるという蛮勇は遠慮しておこう。きっとペネロペのお兄さんならうまいハンバーガーを作ってくれるはずだからね。(やっぱり他力本願)

 



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第38話 ゾーイ

 オットーさんたちの執拗なお泊りの要請を振り切って戻ってきた砦の宿舎で与えられた部屋は従者用というやつで、広くはないが文句は無い。

 部屋の灯りはロウソクだったから、クララの手を煩わせることもなかった。フッと吹き消してベッドに入る。

 

 

 

 それほど時間は経ってないと思う。

 小さなノックの音とドアが開く音でうとうとしかけていた目が覚めた。

 

「クララ?」

 

 いや、この魔力の気配は違う。それに覚えがある。

 すぐに起き上がって薄闇に眼を凝らすと、その白い寝間着姿の女性の顔に見覚えがあった。黒姫の専属メイドの一人で、名前はアナベル。ソバカスとこげ茶の髪の三つ編みお下げがポイントの生徒会の書記とかやってそうな子だ。

 書記ちゃんは俺の目の前まで歩み寄って恭しくお辞儀をした。

 

「夜のお世話に参りました」

 

 なるほど。けど、答えは決まってる。

 

「憑依魔法にかかったままの方とはご遠慮します」

 

 彼女は一歩後ずさって小さく息を吐いた。

 

「……やっぱりわかるんだ」

 

 自嘲ぎみな声音で彼女は続けた。

 

「王宮の夜会でも私のこと見てたわね」

 

 彼女の体を覆っている黒い霞から感じる魔力は、王宮の夜会でクラリスがまとっていた霞と同じで、その時彼女が身に着けていた魔獣の魔石から感じた魔力と同一のものだ。

 

「ルシールのお姉さんですね?」

「そんなことまで知ってるの」

「妹さんが心配してましたよ」

 

 彼女はそれには応えずに、ゆっくりと歩み寄ってくる。

 

「あなたいったい何者なの?」

「と、仰いますと?」

「どうして憑依魔法をかけているのがわかるの?」

「企業秘密です」

 

 彼女は「きぎょう?」と小首を傾げた。意外に可愛い。

 

「そんなことより、お姉さんはなぜここに? また警告しに来たんですか?」

「いいえ。今日はあなたのことを探りに来たのよ。本当に何者なの?」

「何者って言われても、勇者や聖女と同じ日本人なだけですよ」

「ニホン人? 嘘よ。髪が黒くないじゃない」

 

 ビシっと指さされる。

 

「あー、今日本じゃこういうふうに髪の毛の色を変えるのが流行ってるんですよ」

「変なことが流行ってるのね」

 

 呆れ顔だが、わかってもらえたかな。

 

「でも、勇者と聖女はちゃんといたわ。なぜあなたがいるの?」

「あ、俺は偶々そいつらの近くにいたせいで召喚に巻き込まれちゃったんですよ」

「はぁ? 巻き込まれた?」

「ですです」

「まったく、あの子は何をやってくれたのよ」

 

 彼女は頭を抱えて嘆く。

 

「あんなバケモノみたいな魔力の聖女と剣を飛ばしちゃう非常識な勇者だけでも予想外なのに、こんな変な男まで召喚するなんて」

「ちょっ、お姉さん。変な男って」

 

 クレームをつけようとした俺を冷ややかな眼が見据える。

 

「ねえ、あなたさっきから私のことをお義姉さんお義姉さんって呼んでるけど、まさかルシールとそういう関係なの?」

「え? ち、違いますよ。全然そんな関係じゃないです。ていうか、お姉さんの名前聞いてないからしょうがないじゃないですか」

 

 文句を言うと、お姉さんは「ゾーイよ」と、そっけなく告げた。

 

「俺はレンです」

 

 名乗り返すと、改めてキッと俺を睨む。

 

「レン。もし嘘をついていたり、この先妹に手を出すようなことがあったらドラゴンをけしかけるからね」

「おね、ゾーイさんてドラゴンをけしかけるとかできるんですか?」

「言葉のあやよ」

 

 ゾーイはふいっと目をそらしてそう零すと、

 

「まぁ、私もさんざん周りから勇者と結婚しろだとか子供を作れとか言われてきたから。あの子にもそういう重圧がかかっていないといいのだけれど」

 

 と、遠い目で妹を心配した。けど、

 

「え、ゾーイさん、もしかして勇者と結婚するのが嫌で逃げ出したんですか? そういえば、憑依魔法にかかってたクラリスも結婚なんてしないって言ってたし」

「ち、違うわよ! 私にはもっと崇高な使命があったのよ!」

「その使命って何ですか?」

「ふんっ、それこそきぎょー秘密よ」

「じゃあ、結婚が嫌で逃げ出したってルシールに報告しておきますね。妹さん、どんな顔するかなぁ」

「この男は……」

 

 ジト目で見返された。

 

「いいわ。教えてあげる」

「お願いします」

 

 と、居住まいを正す。

 

「サクラお婆さまの遺志よ」

「遺志? それって、王権の打倒ですか?」

「はぁ? 何言ってるの。確かにサクラお婆さまは王族のことをあまり良く思っていなかったらしいけれど、全然違うわよ。そんな大それたことよく口にできたわね」

「じゃあ何ですか?」

「それは……教えられないわ。とにかく、私は継子(エリタージュ)の役目を果たしているだけよ」

「継子の役目って、今の継子はルシールじゃないですか」

「あの子は本当の継子じゃないもの」

「は?」

「継子というのはね、サクラお婆さまの遺志を継ぐ者のことよ。むしろ、その遺志を継ぎ叶えるために継子はいるの。あの子はそれを知らないから継子とは言えないのよ」

「妹さん、けなげに継子やってるんですけど」

「妹には悪いと思っているわ。でも継子は私で終わり。私がサクラお婆さまの遺志を叶えて禍根を断ち切るのよ!」

 

 彼女を包む靄から熱い魔力が溢れ出る。それもつかの間。

 

「あ、でも、妹には今のこと言わないでね。自分が本当の継子じゃないってわかったら拗ねるかもしれないから」

 

 一転して姉の顔になる。

 

「え、じゃあ何て伝えればいいんですか?」

「何も言わなくていいのよ」

「でも、ゾーイさんがクラリス姫に憑依魔法かけたこと妹さんにバレちゃってますし」

「どうしてそう余計なことをするのよ」

「はぁ、すいません」

「とにかく、妹には私のこと言わないで」

「善処します」

 

 言わないとは言っていない。

 

「それと、私の邪魔もしないで」

「サクラさんの遺志ですか? それが何なのかわかりませんけど、俺たちには俺たちの目標があるんで」

「目標?」

「はい。俺たちは3人とも日本に、元の世界に帰りたいって思ってます。3人そろって日本に帰る。それが目標です」

 

 そう言い切ると、急に彼女の表情が浮かないものになった。

 

「そう。ニホンに帰りたいの」

「そうです。それまでは、まぁ、この国に厄介になるしかないんで。ドラゴンと戦う必要があるならそうしますよ。あなたは反対みたいですけど」

「そうよ。ドラゴンは聖獣なのよ。それを退治するなんて無理だって、勇者に言っておいて」

「言うだけは言ってみますよ。まぁ、お披露目で宣誓しちゃったし、どのみち戦わなき日本に帰れなさそうですから無駄だと思いますけど」

「そう……」

 

 ゾーイが憑依した書記ちゃんは数秒眼を伏せた後、「そろそろ行くわ」と背を向けた。

 その背中が扉の前で立ち止まり、くるりと振り返る。

 

「この子、どうする? 置いていこうか?」

「は?」

「夜のお世話、いるでしょ?」

 

 何言い出すんだ、このお姉さんは……。

 

「憑依魔法にかかった方はご遠慮願いますって」

「そう? 後で後悔して戻ってきてくれと言ってももう遅いわよ?」

「そういうのはいいんで、行ってくだい」

 

 ぺいぺいっと手を振った。

 ゾーイが憑依した書記ちゃんは、

 

「妹に手を出したら抹殺するから」

 

 と、念を押してから部屋を出ていった。シスコンめ。

 

 ふーっと緊張を解すように深く息を吐く。

 憑依魔法だから追いかけていっても無駄だろうなぁ。それに、ルシールとの約束もあるし大ごとにしたくない。

 それよりも、今しがたのルシールのお姉さんの言葉を吟味してみよう。

 

 ドラゴンは聖獣だって言ってたな。だから戦うなって。

 それがサクラさんの遺志ってやつか? 

 いや、それなら憑依魔法なんて使わずに直接ユーゴに訴えればいいはずだ。

 

 ルシールが言ってた話だと、3年前にお母さんが亡くなってお姉さんが継子を引き継いだんだよな。その時にその遺志を知ったとして、でもすぐにそれを実行しなかった。いや、できなかったのか? そして、1年前にロッシュからいなくなった。それはサクラさんの遺志を叶えるため……。あ、そうか。勇者の召喚自体をしなければドラゴンと戦うこともないわけだ。

 でも、それはルシールが代わりにしちゃった。その可能性は考えなかったのか? いや、ルシールが召喚したことそのものには驚いていなかったから、それは無いだろう。じゃあなんだ……? 

 あー、わからん。

 どうやら俺は推論の達人じゃないみたいだし、もう寝ようっと。

 ………………。

 …………。

 ……やっぱり夜のお世話して……いや、ないない。そんなことしたら、黒姫に軽蔑されてグーパンもらう未来しかない。

 うん、もう寝よう。

 



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第39話 魔獣討伐へ

 翌朝。

 日の出と共に第9分団の騎士たちが魔獣の討伐に出発した。

 確か、ユーゴが一緒に行きたいみたいなことを昨日言ってたのだが、如何せんこっちは長距離の移動を終えたばかりで疲れもあるし準備も整っていない。

 それを言って待ってもらおうとしたところ、「こっちは任務で来てるんだ。お坊ちゃんたちに付き合ってられねぇよ」と、けんもほろろに言い返されたそうだ。

 ちなみに、第9分団というのはネイ団長が言っていたとおりに魔獣の討伐が主な任務の騎士団で、王国東部を割り当てられている。と言うよりも、この国では魔獣の住む森のほとんどがこの東部にあり、彼らが定期的に巡回しながら討伐しているのだそうだ。

 

 ユーゴたちの出発は早くても午後になってかららしい。それまでは俺たちはすることが無い。だから、昨夜の事件を相談したかったのだが、ユーゴも黒姫も常に誰か彼か側にいてなかなか話しができないでいた。

 

 砦の塀からぼんやりと景色を眺める。

 薄い雲が広がる空の下、昨日行った領都の町並みの向こうに農地と森が混じった丘が連なり、その先に緑の濃い低い山並みがあった。

あれが魔獣の住む森か……

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 昼食を早目にとって身支度を始める。一応、俺と黒姫も一緒に行くことになっている。俺はともかく、黒姫はドラゴンの討伐にユーゴと同行するんだ。ある程度場馴れは必要だろう。

 クララに手伝ってもらい、胸から腰までの革鎧を着る。いつものローブは暑いので無し。あとは脛までのブーツ。

一緒に行くクララもスカートからズボンに変えて同じ装備だ。この世界の女性は騎士以外はほとんどズボンを履くことがないせいか、ちょっと恥ずかしそうにしているのが初々しい。

 

 広場に行くと黒姫がいた。彼女も革鎧を着ているが、俺のより高級そうだ。髪はポニーテールじゃなくて、まとめてアップにしている。

 ぼーっと見ていたら、視線に気づいたのか胡乱気な眼を返された。

 

「何? ジロジロ見て」

 

 詰問もされた。

 

「え、いや、なんかそういうヘアスタイルも新鮮でいいなと思って」

「……後で兜を被るから」

 

 思ったままを口にすると、ちょっと顔をそらした黒姫から簡潔な返事が返ってきた。なるほど。

 

これ以上黒姫を堪能するのも躊躇われて、なんとなく周りの騎士たちに目を向けた。

 騎士たちの鎧は全身を覆うタイプじゃなくて、二の腕や太腿がフリーになっている軽量の鎧で、肩や胸の部分に多少の装飾はあるものの基本鋼色のままだ。ただし、アンドレみたいな分団長クラスは鎧に色が付いている。あとはマントの色で所属の分団を識別できるようにしているようだ。ちなみに第13分団は鮮やかな青で、第9分団はくすんだ深緑色。団長の鎧の色もそれに倣っている。

 

 当然、ユーゴも鎧姿だ。初めて見たけど……赤い。もう全身真っ赤。

これはアレか。通常の3倍のスピードだからか。

若干引き気味に見ていると、気付いたユーゴがガシャガシャとやってきて、

 

「レンがどう思ってるかだいたいわかるけど、違うからね」

 

 と、釘を刺してくる。

 

「いや、別に何も思ってないよ。ただ、ツノが無いのは画竜点睛を欠くかなぁと」

「ほらぁ。違うってば。なんかね、初代の勇者の時からこの色なんだって。たぶん戦国時代の赤備えをイメージしたんじゃないかな」

 

 なるほど。初代だったら180年前だから、ええと、江戸時代後期の人か? なら、そうかもな。でも、やっぱりツノが欲しいなぁ。

 

 その赤い勇者は馬に乗っていく。付き人のジルベールも馬だ。

 なので、馬車は俺と黒姫の2台。黒姫の馬車にはイザベルさんとジャンヌ、俺の方にはクララとクレメントさんが同乗する。

 

 砦の傍を流れる川に架けられた頑丈そうな橋の先にも砦があった。橋頭保というやつだろう。

橋を渡ってそちらの門から街道に出る。

 川に沿って上流、たぶん南に向かって進んでいるようだ。意外に馬車の振動が少ない。クレメントさんによると、街道の整備は貴族の土魔法によるもので、この揺れの少なさは整備がしっかりなされている証拠だと感心していた。

 馬車の窓は小さくて、中にいると熱がこもってくるんだけど、風の魔法石を利用した送風機があるおかげで案外快適だ。魔法って便利。

 

 馬車の外を流れる田園風景の中に時々森のようなものが見える。あれは普通の森で魔獣は住んでいないらしい。そんな森がちょくちょく見られるようになり、道は次第にその中を通るようになった。同時に馬車の振動も大きくなる。

 時々、森が途切れて明るくなるものの、木々はどんどん密になり薄暗くなっていく。

 

「魔獣、出ませんか?」

 

 ちょっと心配になって聞くと、

 

「魔獣といっても元は野性の獣ですから。これだけ馬車や馬がいれば警戒して出てこないでしょう」

 

 と、クレメントさんが心配いらないと笑顔で答えた。

 それでもなんとなく気になって窓に顔を近づけてみていると、いきなり石積みの壁が目に飛び込んできた。

 

「えっ、何?」

「ああ。着いたようですね」

「あ、魔獣討伐の拠点にするとかいう所ですか?」

「ええ。旧領都のサルルブールです」。

 

 壁は町の外周に建っているらしく、その壁を抜けると旧領都らしくたくさんの建物が見えた。緑も多い。が、よく見ると人が住んでいる感じがしない。

 

「……ゴーストタウン?」

「はい?」

「あ、人がいないなって」

「ええ、そうなんです。森が広がって魔獣の被害が深刻になったために住民は今の領都に移ったと聞きました」

「そうなんだ」

 

馬車が停まったので外に出ると。そこは川の傍にある広場だった。いくつものテントが張られ、従者たちが馬の世話や食事の準備にと立ち働いている。騎士の姿は見当たらないので、まだ討伐から帰っていないみたいだ。

その広場を囲むように建っている石積みの家々にやはり人影はない。

川の向こう側に目を移すと、小高い丘の上に見える大きな屋敷が半分崩れ落ちていた。その麓に並ぶ建物も戦乱に遭ったようにボロボロで、所々森に覆われている。

 

「まるで廃墟ですね」

「私も実際に見るのは初めてですが、酷い有様ですね。魔獣の仕業には見えないですし、何があったのでしょう?」

 

 突然、広場の一角が騒がしくなった。見やると、騎士たちが帰ってきたようだが、様子が変だ。怒声が響き、従者たちが慌しくテントに出入りする。

 

「怪我人がいるようです」

 

 クレメントさんの言葉どおり、騎士の何人かは鎧が壊れたり服が破れたりして血を滲ませているのが見えた。

 と、視界の端から現れた黒姫が騎士たちの元に走っていく。

 黒姫はネイ団長と二言三言やり取りした後、怪我人に向けて手をかざし始めた。どうやら、治療を買って出たようだ。

 

「やっぱり魔獣って危険なんですね」

「ですが、ネイ団長はあれで魔獣討伐に関しては高い能力を持っていると聞き及んでいます。そう簡単に後れを取るとは思えません」

「じゃあ、それほどここの魔獣が強いってことか」

「とにかく我々も行って事情を聞いてみましょう」

 

 次々に怪我人を治していく黒姫を感動半分呆れ半分で見ているネイ団長に、クレメントさんと並んで歩み寄る。

 

「ネイ団長、何があったのですか?」

「ルメール殿か。リギューの群れにやられた」

 

 ネイ団長が苦々しく答える。

 確か、リギューはイノシシの魔獣だったはず。

 

「群れ、ですか?」

「ああ、10頭以上はいた。しかも成獣の」

「私は魔獣にはそれほど詳しくはないのですが、リギューというのは普通多くても5,6頭の群れでいると習ったように記憶していましたが」

「そのとおりだよ」

 

 ネイ団長はクレメントさんをじろりと睨むと、

 

「サルルには魔獣の動きが活発になったと依頼を受けて来たんだ。ここの森の魔獣が他所よりも厄介なのは十分知ってるし何度も討伐してる。決して油断してたわけじゃない。けど、リギューの成獣10頭を相手になんて初めてだ。くそっ」

 

と、吐き捨てるように言ってがしがしと頭を掻いた。

 

「幸い団員たちの怪我はたいしたことはなかったんだが、数が多くてな。うちの聖魔法使いが魔力切れになりそうだったんだ」

 

 と、後ろで疲れ切った顔をしている髭面の大男を指さす。って、あんたが聖魔法使いかよ! 髭面で聖属性はずるいよ! 

 

「聖女様が来てくださり助かりました」

 

 副団長のヴァレンティンと名乗ったその聖魔法使いが怪我をした騎士たちの方を見やると、もう既に全員治してもらったらしく、黒姫のことを「聖女様!」と崇め奉っていた。それに困った黒姫が、ててっとこっちに逃げてくる。

 

「お疲れ。さすが聖女様」

 

 片手を上げて労うと、

 

「やめてよ、高妻くんまで」

 

 と、眉を寄せる。

 

「いや、聖女様には感謝しかねぇ。正直、こんな子供が聖女かって侮ってた。すまん」

「いいんです。それに、私にできることをしただけですし」

 

 騎士の礼で頭を下げるネイ団長に、黒姫は胸の前で手を振って恐縮する。

 

「でも、全然躊躇わずに怪我人のところに走っていったし凄いよ。俺なんてビビッて引いてたほどだし」

「ロッシュにいた時は治療院で病人や怪我人の治療してたから、これくらい別に普通よ」

 

 俺が素直な感想を口にすると、「聖女ですが何か?」みたく澄ました顔を向けてきた。

 

「そっか。ていうか、こういう時ってエリアヒールなんじゃねーの?」

「何それ?」

「範囲魔法で全員いっぺんに治すやつ」

「はぁ? 裂傷とか打撲とか骨折とか一人一人怪我の種類も程度も違うのに、いっぺんに治せるわけないでしょ?」

 

 どうやら黒姫は症状に合わせて用法用量を守って魔法を使用しているようだ。

 

「ところで」

 

 と、ネイ団長の声。

 

「前から気になってたんだが、そのおかしな髪の奴は何なんだ?」

 

 目線が俺に向けられているので、たぶん俺のことを聞いているのだろう。

 

「俺はレンです。勇者と聖女の、えーと、アシスタント的な?」

 

 自己紹介すると、団長は「アシスタン?」と胡散臭そうに目を細めた。それをスルーして、

 

「あの、この森の魔獣って凶暴だって聞いたんですけど、川の向こう側の建物が壊れてるのって、やっぱり魔獣のせいだったりするんですか?」

 

 と、あの半壊した屋敷を指さして聞いてみた。

 ネイ団長は「ああ?」と怪訝そうに片方の眉を上げてから、

 

「いや、あれは確かドラゴンに壊されたとかそんな話だったと思うが」

 

 と、顎をさする。

 

「ドラゴン! ドラゴンに襲われたんですか?」

「襲われたというか、この近くで勇者がドラゴンと戦ったんだよ。その時に巻き込まれて被害に遭ったんじゃなかったかな。まぁ、よくは知らんけど」

 

そうか。お前も巻き込まれたのか……。

 廃墟に向かって親近感の眼差しを向ける。

 

そういえば、前回の勇者の最後の戦闘があったのがサルルだったって調べた資料の中に書いてあったな。かなり激しいものだったらしいけど、こんな町の近くで戦ったのか。周りに被害を及ぼすとか考えなかったのかよ。

何やってんだよ、タニガワカツトシは。

 



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第40話 急襲!

 クレメントさんとネイ団長、アンドレの話し合いで、次の日は合同で魔獣の討伐に当たることになった。

 まずは第9分団の騎士たちが先行して出ていった。たぶん偵察隊みたいなものだと思う。

 続いて本隊の出発。

 ユーゴ、黒姫、俺とクララ、クレメントさん、アンドレと護衛騎士4人に第13分団の騎士6人。そしてネイ団長以下第9分団の騎士5人。残りの第13分団の騎士10名とジルベールたちはここの守備に残していく。

 馬や馬車は使えないので徒歩だ。背中にやや反りの入った長方形の盾を背負った騎士たちがガチャガチャと列を作る。俺や黒姫も金属の補強が入った革の兜を装着して後に続いた。

 

 この町は川の両側にある低い山に挟まれた場所にあるらしく、まずは支流に沿って荒れた路面の道を山に向かって行く。

 やがて、道を外れて森の中へ入って道なき道を1列で進んでいった。

 とはいうものの、アマゾンの密林のようにうっそうと茂ってるわけでもなく、日本の山間部の森のように急斜面になってるわけでもない。木と木の間隔も結構あるし、下草も踏まれているので思ってたよりも歩くのに苦労しない。

 

 森の中は外よりも魔素が濃い感じだ。まぁ、魔力酔いになるほどじゃないけど。

 この魔力を感じ取る力もだんだん慣れてきて、意識しなければまるで魔力を感じていないほどに気にならなくなっていた。視覚でいうと背景みたいな感じかな。

 

「魔獣、出てくるかしら」

 

 ふいに、前を行く黒姫の警戒するような声が聞こえた。

 

「ここはわりと見通しが良いので急に襲われるようなことはないでしょう」

「もし魔獣が襲って来ても、聖女様には近づけさせませんのでご安心を」

 

 護衛として黒姫の前後を歩くサフィールとジャンヌが応える。

 

「実際、どう? 魔獣の魔力とか感じる?」

 

 と、黒姫が振り返って俺を見た。その言葉に意識を広げてみる。

 

「……なんかごった煮みたいに魔力があってよくわからん」

 

 森と言う濃い魔素の中にいろんな大きさの魔力があちこちに感じられる。それらの中のどれが魔獣なのか、それとも全部が魔獣なのか。まぁ、俺たち人間の魔力に比べたら微々たるもんだけど。

 

「何それ。役に立たないわねぇ」

 

 黒姫はため息を吐いて前を向いた。

 

 がっかりされちゃったか。

 役に立ちたいとは思ってるんだけど、やっぱり巻き込まれ召喚者じゃ勇者や聖女みたいにはいかないよなぁ。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 小高い丘の頂上っぽい少し木がまばらになっている場所で小休憩になった。

 ネイ団長が無精ひげの顎を撫でながら難しい顔でクレメントさんたちと話をしている。

 

「散開している物見の隊からの報告によると、魔獣の姿が全く見えないらしい」

「それが問題なのか?」

「リギューどころかラッコル1匹見当たらねぇなんてどう考えてもおかしい」

 

 ネイ団長が顎を撫でる手を止めて森に目を向ける。

 

「昨日のことと言い、どうにも魔獣たちの様子が変だ。いったいどうなってやがる」

 

 その時、今まで感じたことのない魔力を感じた。

 俺たちが来たのとは反対側の丘の下の方。荒々しい魔力がこっちに向かってくる。

 それを伝える前に、その方向の森の中から出てきた騎士が、

 

「リギューです! こちらに近づいてきます!」

 

 と叫んだ。

 

「何頭だ?」

「1頭です!」

 

 この荒々しい魔力がリギューか。そんなに大きくはないな。そのまわりから感じる魔力の方がずっと大きい。こっちは騎士たちか。

 リギューの魔力はそれらを無視するようにどんどん迫ってくる。

 

「周りに気を配るように伝えろ! まだいるかもしれん!」

 

 ネイ団長に言われた騎士が踵を返したところにユーゴの声が響く。

 

「そいつ、こっちに追い込めますか?」

「勇者?」

「ユーゴ殿?」

 

 ネイ団長とクレメントさんが怪訝な顔でユーゴを見た。

 

「僕がやります。任せて」

 

 ユーゴが赤い鎧を鳴らしてゆっくりと前に出る。

 

「……ちっ。勇者様の言うとおりにしろ!」

 

 足を止めて振り返っていた騎士が再び走り出した。

 騎士の姿が森の中に消えても魔力は感じ取れる。

 その騎士の魔力がリギューに近づくと、周りの魔力が散らばってリギューの後方を囲むように動いた。リギューはまっすぐにこっちに近づいてくる。

 やがて、30m程先の森の中に大きな影が見えた。

 

「ユーゴ様!」

 

 先頭に立つユーゴの左右にアレンとヴィクトールが盾を持って構えた。その後ろを第13分団の騎士たちが固める。

 

「左右に注意しろ!」

 

 ネイ団長の指示で第9分団の4人は横に広がる。その後方に黒姫。彼女の周りを固めるようにアンドレたちが立つ。そして俺とクララ、副団長。殿(しんがり)に第13分団の騎士が2人。

 

 姿を現したリギューは大型のワンボックスカーくらいあった。まるでもののけのアニメだ。

 俺たちの姿を認めると立ち止まり、今にも突進しそうに身構えた。けど、なんか変な違和感がある。

 これ、夜会で感じたアレに似てるような……。

 

 その時、後方から凄いスピードでいくつもの魔力が近づいてきた。

 

「後ろ! 何か来る!」

 

 振り向きながら叫ぶと、驚いた殿の騎士たちがきょろきょろと周りを見回している。

 

「上だ!」

 

 木の間をすり抜けるように黒い影が襲い掛かってくる。

 でっかいカラスだ。それも何羽も。

 

「ベックノワか! 風魔法!」

 

 ネイ団長の声に応じるように、いくつかの魔法が発動するのを感じた。

 ベックノワとかいう白鳥ほどもあるカラスは俺には目もくれず、頭の上を滑るように飛び過ぎる。

 振り返ると、第9分団の騎士の突き出した手に陽炎がゆらめいて突風が吹き荒れた。

 ベックノワたちはその風にあおられて散り散りになった。けれど、すぐに体勢を立て直してまた突っ込んでくる。それをまた風魔法が吹き飛ばす。

 こういう空を飛ぶ魔獣には火矢とか炎槍みたいな魔法が効果的らしいんだけど、森の中での火魔法は厳禁なんだよな。確か。

 

「ちっ、やっかいなだな」

 

 ベックノワと風魔法の攻防を見ながらネイ団長がチラリと後方を見た。

 

「リュギューが!」

 

 誰かが叫ぶと同時にリギューが猛然と向かってきた。

 

「くっそ。ベックノワを押さえとけ!」

 

 ネイ団長が叫んで駆け出したけど、リュギューが意外と速い。まばらな木立を縫ってこっちに突っ込んでくる。

 

「ユーゴ様は我らの後ろに!」

 

 アレンとヴィクトールが盾をかまえてユーゴの前に出る。

 いや、あんなの止めれるのか? 自動車が突っ込んでくるんだぞ? 異世界に転生しちゃうぞ? 

 

「大丈夫。僕に任せて」

 

 ユーゴは落ち着いた声で言うと、おもむろに右手を前に出した。

 

「土よ、我が意のままに。ハードウオール!」

 

 詠唱とともにイノシシと間の土が盛り上がって背丈ほどの壁になる。

 

 ドガン

 

 激しい音と飛び散る土くれ。

 巨大なイノシシの衝撃に、さすがのユーゴの土魔法も砕け散った。

 が、ユーゴは慌てない。続けざまに土魔法を詠唱してリュギューの四方を土の壁で囲んだ。壁に囲まれてリュギューの姿は見えないが、ドシッドシッと壁にぶつかる音がする。けれど、今度の壁はビクともしない。

 そうか。最初の壁は勢いを殺すためだったんだな。壁に囲まれて助走ができなきゃ破壊力は激減だ。

 と、上空に魔力を感じた。

 

「ユーゴ! 上!」

 

 でかいカラスのベックノワが急降下してユーゴに襲い掛かった。

 その鋭いかぎ爪を身を捻って間一髪でかわすユーゴ。

 ユーゴをかすめたベックノワは大きな羽を羽ばたかせて上空へ舞い上がろうとする。

 

「逃がさない」

 

 ムッとした顔のユーゴがベックノワめがけて剣を投げつけた。

 

「はっ。そんなもんが届く──えっ」

 

 誰かの馬鹿にしたようなセリフが終わらないうちに、一直線に飛んでいった剣がベックノワの胴体を貫いた。

 

「次っ」

 

 剣はそのまま滑るように飛んでいく。

 

「剣が……飛んでいる?」

 

 驚愕の呟きを置き去りにして、ユーゴの剣は黒姫たちに襲い掛かろうとしていたベックノワの羽を切り裂いた。地面に落ちてのたうつベックノワにアンドレが止めの一刺しを入れる。

 それを尻目に、ユーゴが操る剣は次の獲物を求めて木立の中を縫うように舞う。

 しかし、ベックノワだって空は自分のフィールドだ。迫る剣をひらりとかわす。が、次の瞬間、別の剣がその首を切り飛ばした。学院で見せた二刀流か! 

 

 風魔法の突風が吹く中を、2本の剣が自由自在に巨大なカラスを屠っていく。

 風に乗って流れてくる血の匂いや生臭い何かの匂いが鼻をつく。

 その時、またしても後ろから近づく魔力を感じた。

 やばい! 匂いに気を取られて気づくのが遅れた。

 

「後ろ! リギューだ!」

 

 さっきのより一回り小さいリギューが後方から突進してくる。殿にいた騎士たちは対応できずに撥ね飛ばされた。

 

「レン様!」

 

 クララが俺をかばうように前に立った。そしてバッとしゃがんで地面に右手をつく。

 

「爆ぜよ!」

 

 叫ぶような詠唱とともに強い魔力がリギューめがけて地を走った。

 

 バンッ

 

 リギューの足元の地面が弾ける。

 土ごと弾き飛ばされたリギューの体が浮いて、どぉっと地面に転がった。

 

「まかせろっ!」

 

 副団長が巨体に似合わぬスピードで駆けだして、あっという間に横倒しになったリギューの胸に剣を突き刺していた。

 その間にもユーゴの剣に屠られたベックノワが落ちてきて、近くにいた騎士に止めをさされている。

 

 仲間が半分ほどに減った頃、ようやくベックノワたちはグワーグワーと鳴きながら森の奥へと飛び去っていった。

 それを見送りつつ、ユーゴは手元に戻した剣をびゅっと振ってベックノワの血を払い落とす。あたりには緑の中に黒いものと赤いものが点々と散らばっていた。

 

「さてと」

 

 ユーゴはリギューを閉じ込めた壁に向かって右手をかざした。

 

「土よ、我が意のままに。デスプレス!」

 

 ユーゴの手から流れだした魔力は4面の土の壁を包み込んで急速に圧縮しだした。

 壁は見る間に4方から狭まり、リギューの断末魔の鳴き声が響き渡る。

 やがてぐちゃっというイヤな音と共にその悲鳴も聞こえなくなった。

 

 え、えげつなー。

 

 ドン引きする俺とは裏腹に、騎士たちからは歓声が上がった。

 

「うおぉぉぉ!」

「あの大きさのリギューを抹殺したぞ!」

「それよりも見たか、剣が宙を飛んでた!」

「あの詠唱の最後の呪文、痺れるぜ!」

 

 うん、まぁ、技名を叫ぶのはロマンだからな。ネーミングのセンスはともかくとして。

 

「お前ら、騒いでないでさっさと魔石取っとけよ」

 

 ネイ団長の声が響いて、騒いでいた騎士たちがわらわらと動き出した。

 

「えっ、魔石取るんですか?」

 

 思わず側にいた副団長に聞いた。魔獣の魔石は穢れているとかでデュロワールでは使わないって話だったはず。現に第13分団の騎士たちは怪訝な顔で見ている。

 

「ああ。なんでも魔獣の魔石を研究している物好きがいるらしくてなぁ。高く買い取ってくれるからいい小遣い稼ぎになるんだ」

 

 あ、その物好きな人知ってる。

 

「それよりも、嬢ちゃん。あんた凄いな」

 

 副団長はクララに顔を向けた。

 

「突進するリギューを一発で吹っ飛ばしやがった。けど、あの詠唱は……」

 

 副団長が言いかけると、一瞬クララが身を硬くした。

 

「うん、クララのおかげで助かったよ。さすが、筆頭魔法士のアンブロシスさんが金魔法と土魔法なら自分より使い手だって手放しで褒めるだけのことはあるね」

 

 アンブロシスさんの名前を聞いて、副団長がほぉっと唸る。

 

「いいえ。レン様がいち早く気づいて教えてくださったからです。レン様のおかげです」

「そうだ。あんた、よくベックノワが近づいてたのわかったな。俺も一応警戒はしていたんだが、あいつらは羽音を消して飛んでくるからな」

「あ、俺は音とかじゃなくて魔力でわかったんです」

「は? 魔力ぅ?」

 

 副団長が胡散臭そうに俺を睨む。

 

「レン様は周囲の魔力を感じることができるのです。レン様だけの特別な力です」

 

 横からクララが自慢げに説明してくれた。

 

「まぁ、わかるって言っても大体の大きさとか位置とかぐらいなんですけど」

「大体だろうとなんだろうと、それが本当ならすげぇことだぞ」

 

 近寄ってきたネイ団長が俺の肩をバシバシと叩いて言った。

 

「特にこんな見通しの効かない森の中じゃ役に立つこと請け合いだ。どうだ、うちの団に入らねぇか?」

「むさくるしいのはイヤなので、丁重にお断りさせていただきます」

「むさくるしいは余計だ」

「でも、これだけは言わせてください」

「お、なんだ? 言ってみろ」

「あの、なんか囲まれちゃってます。俺ら」

「は?」

 



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第41話 デストロイトルネード

 ここの周囲をぐるりと取り囲むような魔力を感じていた。大きさ的にはリギューよりちょっと大きいくらいか。ただ数が多い。

 

「囲まれてるってのはどういうことだ」

「え、ああ、そのまんまですよ。ここの周りにぐるっと魔力を感じるんです。たぶん魔獣だと思うんですけど、完全に包囲されちゃってますね」

「魔獣が俺たちを包囲してるって言うのか」

「それと、騎士さんたちが追われてます」

 

 そこへ、森の中から数人の騎士が這う這うの体で駆けてきた。何人かは怪我もしている。

 

「どうした?」

「そ、それが、いきなりシヤンデュの群れが現れて」

 

 シヤンデュはオオカミの魔物だ。

 

「シヤンデュか。もう血の臭いを嗅ぎつけたのか……」

「まだ、追われてくる人が何人もいますよ」

 

腕組みをして森を睨むネイ団長に、感じたままを告げた。

すぐに、別々の方向からやってきた騎士たちが口々に報告を上げる。

 

「シヤンデュの群れに遭遇! 応戦できずすみません」

「こちらもシヤンデュです! 数は不明」

「オングールが2頭、尾根筋をこちらに向かってきます!」

 

 オングールはクマの魔物で、魔物の中では一番大きくて凶暴なやつだと聞いている。

 

「おいおい、散開してたやつらが全員集まってきたじゃねぇか」

「報告からの推測ですが、シヤンデュの大きな群れに囲まれているようです」

 

 副団長が状況をまとめると、ネイ団長は横目で俺を見ながら「ああ、わかってる」と返した。

そこへアンドレがやって来て、

 

「どうなっている」

 

 と、横柄に問いただしてきた。クレメントさんも心配顔だ。

 

「シヤンデュに囲まれたようだ」

「囲まれた?」

「ああ。おまけに逃げやすい尾根筋にはオングールときたもんだ」

「どうしますか? 団長」

 

 副団長に問われた団長が俺に顔を向ける。

 

「おい、魔獣たちの動きはわかるか?」

「えっと、ゆっくりと包囲を縮めてきてる感じですね。なんか狩られる側になった気分です」

「変なことを言うな」

 

 ネイ団長は心底イヤそうに片眉を跳ね上げた。

 

「魔獣の相手は9分団の仕事だろう? なんとかしろ」

 

 苛立つようなアンドレの注文を聞き流して、ネイ団長は副団長に顔を向ける。

 

「ここで四方から襲われたら防ぎきれん。今のうちに一点突破で撤退する。狙いはオングールだ」

「了解です」

 

 副団長はすぐに部下たちに指示を出し始めた。

が、アンドレは納得できないみたいで、

 

「オングールだと? 魔物で一番強いのだろう? 大丈夫なのか? 聖女様を危険な目に遭わせるわけにはいかないのだぞ」

 

 と、ネイ団長に詰め寄った。対するネイ団長は面倒くさそうな顔で答える。

 

「確かにオングールは強いがシヤンデュより動きは遅いし数は少ない。俺たちが相手をしている間にあんたらに逃げてもらう。時間がねぇ。さっさと動いてくれ」

「待って」

 

 ユーゴの声が割り込んだ。

 

「レン。騎士はみんなここにいる?」

「んー。何人かまだ残ってる」

「ああ。魔獣の様子を見張ってるのがいるはずだ」

 

 ネイ団長は確認するように周りを見回して答えた。

 

「団長さん。すぐに呼び戻して」

「……ああ、了解だ」

 

 ネイ団長はわけを聞かずにうなずいた。それほどにユーゴには有無を言わせないオーラがあった。

 指笛が鳴って、程なく四方から数人の騎士が急いでやってきた。

 

「これで全員だ」

 

 ネイ団長の言葉に無言でうなずくユーゴ。

 

「みんな一か所に集まって」

 

 ユーゴの意図がわからず騎士たちが逡巡してると、

 

「勇者様の命令だ! さっさと動け!」

 

 ネイ団長がドヤす。

 慌ててガチャガチャと騎士たちが黒姫を中心に集まった。聖女様は人気者だな。俺とクララも同じく移動する。

 

「レン。魔獣の様子はどうなってる?」

「えっと……。もうかなり近い。50m無いくらい」

 

 実際、木々の向こうに灰色の陰が見え隠れしている。

 

「りょーかい」

 

 ユーゴは軽く言うと、両手を高く上に突き出した。

 

「風よ、我が意のままに! デストロイトルネード!」

 

 その両手から放たれた膨大な魔力が渦を巻いて周りの空気を巻き込んでいった。

ユーゴのネーミングセンスはともかく、魔法そのものは強力無比だ。俺たちの集まっている場所を中心に半径20mくらいの反時計回りの風の渦がゴウゴウと吹き荒れる。

強風がバキバキと木を根こそぎ倒し、上空へと巻き上げていく。俺たちを包囲していた魔獣もその脅威からは逃れられない。巻き上がる木々に混じってそれらしき影がいくつも見えた。

 

「うわぁぁぁ」

「なんなんだ、これは!」

 

俺たちの周りにも強風が吹き荒れてみんな必死に木や人にしがみついた。

 

「ユーゴ!」

 

 学院の二の舞が心配になって大声で呼ぶと、ユーゴは背中越しに「大丈夫!」と叫び返してきた。

 その風の渦はどんどん俺たちから遠ざかり、その半径を拡大していった。巻き上げられる木々は更に増え、土色の中に緑色が混じった風の壁が空高く続いている。巨大な竜巻を内側から見ているみたいだ。

 竜巻が大きくなるにしたがって、俺たちのいる場所に吹く風も弱まった。すると、固まっていた一同は安堵するようにほっと息を吐いた。

 

「これが勇者の魔法か……」

「凄えなんてもんじゃねぇな」

 

 口々に驚異する中、俺はユーゴに駆け寄った。

 

「ちょっ、ユーゴ。もういいんじゃね?」

「まだだ! 僕の力はこんなものじゃない!」

 

 ユーゴの眼に怪しい光が宿っていた。

 

「どうしちまったんだ? 勇者様は!」

「なんか変なスイッチが入っちゃったみたいです!」

 

 ネイ団長の大声に大声で返す。

 

「何言ってるのかわからんが、魔獣たちを吹き飛ばしてくれたからいいか!」

 

ネイ団長はそう叫んでカハハハハと笑う。

 

 その途端、ふっと風が止んだ。

 見ると、凶悪な竜巻は忽然と姿を消して、遠くの空では大量の木々が落下していき大きな地響きを立てていた。

 

「「ユーゴ様!」」

 

 アレンたちの声でユーゴを見ると、ばったりと倒れ込んでいた。

 

「ユーゴ!」

「魔力切れだな。全員、周囲を警戒! ぐずぐずするな!」

 

 背後でネイ団長の怒鳴り声が聞こえた。

ユーゴが魔力切れ? そういえば、ユーゴからいつものような魔力量を感じない。

 

「ユーゴ! しっかりしろ!」

「ううっ……」

 

 呼びかけると、ユーゴが小さくうめいた。意識はあるな。

 

「ユーゴ殿、ご気分は?」

 

 クレメントさんがやってきて冷静な声で問いかけた。

 

「なんか……急に……力が……抜けちゃって……」

 

 血の気の失せた青白い顔で途切れ途切れに答えるユーゴを見て、クレメントさんが頷く。

 

「やはり、魔力切れになったようです。強力な魔法を一度に使うとなりやすいんです。大丈夫、魔力を補充してもらえばすぐに治りますから」

「すみません……。ちょっと調子に……乗りすぎちゃった……かな」

 

 ユーゴはちょっとだけ瞼を開けて申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「謝ることはありませんよ。ユーゴ殿は常人にはできない魔法でみんなの危機を救ってくれたのですから。それに、魔力切れなんて誰でもたいてい一度はやるものです。ここにいる者たちも皆覚えがあるはずです」

 

クレメントさんが周りを囲む面々を見回した。どれも苦い顔になったり遠い目をしたりしている。おかげで、張り詰めていた空気がちょっと和んだ。ユーゴも照れくさそうに小さな笑顔になってる。

 

「マイ殿、すみませんが、ユーゴ殿に魔力を分けていただけますか」

 

 クレメントさんに呼ばれた黒姫がアンドレに付き添われて歩み寄ってくる。

 

「やり方はわかっていますね?」

「はい。ルシールに教えてもらったから」

 

 黒姫は寝ているユーゴの側に跪くとユーゴの両手に自分の両手を合わせる。

 

「……えっと、やります」

 

 そう宣言して黒姫は静かに目を閉じた。技名は言わないのか。残念。

 黒姫からユーゴへと魔力が流れていく。ユーゴの顔色も徐々に赤みが戻ってきた。どうやら大丈夫そうだ。

 

ほっと息をついてから、改めて周囲を見やる。

俺たちが固まっていたあたりは特に被害は見られない。が、その木立の向こうがやけに明るく見える。

確認しようと木立の切れ目まで歩いていくと、ぱっと視界が開けた。

 

 「っ……」

 

 あっけにとられるとはこのことか。

小高い丘の上から下まで幹の途中で折れたような木の残骸があちこちに見える。根こそぎ持っていかれたのか地面にぼこぼこと穴が開いたような場所もあった。奇跡的に被害を免れたらしい木立がまだらに緑を残していた。

 その惨状は周りの丘陵にも及んで、辺り一面に倒木の山を作っていた。いったい東京ドーム何個分の森がなくなったのか見当もつかない。東京ドーム行ったことないけど。

 

「やれやれ、やることが無茶苦茶だな。勇者様はよ」

 

ネイ団長も側にやってきて心底呆れたように、でもちょっと楽しそうに呟いた。

 

「魔獣はどうなった?」

「あー、魔獣はですねぇ……」

 

 魔力感知の範囲を広げてみても特に感じる魔力は無い。魔獣どころかその他もろもろの生き物の魔力も無くなってる。環境破壊とか大丈夫か。

その薄くなった魔素の中に、ちょっと妙な魔力を感じた。

なんだろう? ぼんやりとあたり一面に広がっているような……。

 

「どうした?」

 

 ネイ団長の怪訝そうな声に意識を戻された。

 あ、魔獣の気配を探るんだったな。

 

「えっと、ここらへんのは1匹残らず駆逐されちゃったみたいだです」

「そうか」

 

 ネイ団長はふーっと大きく息を吐いた。

 

「それにしてもさっきのあの魔獣たちの動き、尋常じゃなかったな」

「昨日以上に巧妙でしたね」

 

髭面の聖魔法使い、副団長のヴァレンティンさんも寄ってきて会話に加わった。

 

「ああ。シヤンデュの群れとオングールに囲まれたのもそうだが、その前のベックノワが襲ってきた場面、まるでリュギューに集中していた俺たちの虚を突いたように現れやがった。その後のリギューにしてもレンが気づいたから対応できたが、そうじゃなかったら後方からの急襲で混乱して挟み撃ちになってたかもしれん」

「思えば、それさえも我らを包囲するための陽動ではなかったかと勘繰りたくなります」

 

 副団長が追従した。

 

「だな。レンじゃないが、まるで狩られる側になった気分だったぜ」

「まるで人間相手のようで気味が悪いですね」

 

 人間相手……?

 

その言葉と、最初にリギューから感じたものを思い出して、あたりを見回した。さすがに、圧死したリギューには近づきたくない。クララが吹き飛ばした方のリギューに駆け寄る。魔石を取るために腹を裂かれていたので、けっこうグロいしくさいが我慢だ。

まだ少し温みのある死体に手を触れた。

……やっぱり。

 

「おい、何やってる?」

 

 ネイ団長の声を無視して、風に飛ばされて木の根元に引っ掛かっていたベックノワにも触った。覚えのある魔力の残滓を感じる。

間違いない。

 

「憑依魔法。いや、使役魔法か」

 

ぽそりとその単語が口からこぼれ出た。

 



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第42話 おんぶ

「あ? なんだって?」

 

 独り言のように出た言葉をネイ団長に聞き咎められた。

 

「あ、えっと、この魔獣たち使役魔法で操られていたんだと思います」

「使役魔法?」

「話には聞いたことはありましたが、実際に目にするのは初めてですね」

「なるほどな。それならあの動きも納得できるか……。だが、いったい誰が何のためにそんな魔法を?」

 

 間違いなくゾーイさんが関わってるんだけど、それは言えないな。

 

「確か、東の森の民が使う聖魔法だとか聞きましたけど」

「東の森の? ってことは、ゴールの野蛮人どもが魔獣を操って俺らを襲ったっていうのか?」

「あれだけの数ですからね。数人ってことはないでしょう。分団規模の魔法士が必要なはずです」

「なんだぁ? 奴らデュロワールと戦争する気か?」

「いえ、狙いはユーゴ殿かもしれません」

 

クレメントさんが聞きつけて冷静に答えた。

 

「勇者が狙われた?」

「ゴールにはドラゴンを聖獣とする古い信仰があるらしいのです。お披露目でドラゴン退治を宣誓したユーゴ殿を許せなかったのではないでしょうか」

 

 クレメントさんが事情を説明する。そこへ、アンドレもやってきた。

 

「操られた魔獣か。やっかいだな」

「ええ。さっきは勇者様の魔法で切り抜けられましたが、正直どう対応したらよいか……」

「私は早急に撤収して拠点に戻るべきだと思う。想定外のことで聖女様を危険にさらすわけにはいかない」

 

 困惑気味に言葉を交わすネイ団長と副団長に対してアンドレが言い切った。

 ていうか、アンドレって黒姫のことばっかなんだな。まあ? 護衛騎士だから当たり前っちゃ当たり前なんだけどさ。

 

「……ああ。俺もジャルジェ団長に同意だ。一旦拠点に戻ろう」

 

 ネイ団長はそう決断すると、まだワイワイと興奮している騎士たちに向かって声を上げた。

 

「ここで軽く補給を取ったら拠点に戻る! 警戒は怠るな!」

 

 ネイ団長の号令に、各々肩から提げた革袋に手を伸ばす。

 補給と言っても、乾パンみたいな携帯食を食べるだけだ。水は水の魔法石から取り出して飲む。が、当然俺にはそんなことはできない。

 

「レン様、どうぞ」

 

 クララが自分の魔法石から取り出した水を木製のコップに入れて俺に渡してくれた。

 

「いつもすまないねぇ」

「いいえ。レン様のお世話をすることが私の役目ですから」

「いや、そこは『それは言わない約束でしょ』って返すんだよ」

「なにバカなこと教えてるのよ」

 

 生真面目なクララに日本の伝統芸を教えようとしたら、サフィールとジャンヌを従えて近くに座っていた黒姫に横槍を入れられた。けど、兜を脱いだその顔色が優れない。

 

「黒姫は大丈夫なのか?」

「何が?」

「ユーゴに充電したんだろ? 魔力とか切れてないかと思って」

「大丈夫よ」

 

 ニッコリ笑う黒姫。でも、その体からいつもの魔力量は感じない。

 

「……まぁ、あんま無理すんなよ」

「……うん。ありがとう」

 

 珍しくしおらしい態度にちょっと戸惑う。

 なんとなく間が持たなくてユーゴの方に視線をやった。ユーゴはアレンとヴィクトールに従われて木の根元に座って食事を取っていた。

 

「ユーゴはどう? 大丈夫そう?」

「ええ。魔力は十分あげられたと思うけれど、ちょっと元気はなさそう」

「そっか。ま、あれだけでかい魔法を使った後だからな。疲れもするよな」

 

なんだかんだ言って、ユーゴは美術部だったからなぁ。

 

「それだけならいいんだけど……」

「とにかく、戻って休むのが第一だな」

「そうね。やっぱり私もちょっと疲れたし、戻って休みましょ」

 

 と、立ち上がった黒姫がふらっと体を傾けた。

 

「危ない!」

 

 思わず抱きとめた。

 

「マイ様!」

「大丈夫ですか?」

 

 サフィールとジャンヌが心配そうに取り囲む。

 

「黒姫?」

「あー、ごめんなさい。なんかちょっと立ち眩みしちゃった」

 

 テヘッと笑うが、顔色が悪い。もう一度座らせて背中を支える。

 

「マイ!」

 

 騒ぎを聞きつけたアンドレが駆け寄ってきた。クレメントさんもネイ団長も慌てた様子でやってくる。

 

「顔色がよくないですね。魔力は?」

 

クレメントさんが俺を見る。

 

「えっと、魔力はいつもよりは少ないけど、普通の人よりは十分あります」

「たぶん、貧血だと思うの。ちょっと休めば大丈夫よ」

「悪いがここでのんびり休んでもらうってわけにはいかないんですよ。そろそろ出発なんでね」

 

 黒姫は力のない声で自己診断を告げたが、それをネイ団長が申し訳なさそうな声で却下した。

 

「大丈夫か? 今の黒姫じゃ歩いて帰るの難しくないか?」

「そっか。……じゃあ、高妻くんにおんぶしてもらおうかしら」

「は?」

 

思ったままを口にしたら、思ってなかった答えが返ってきたんだが……。

 

その場に変な緊張感が張り詰める。

 

「いや。マイは私が背負おう」

 

 黒姫のとんでもない提案に呆けていると、横からアンドレが申し出てきた。

 更に緊張感が高まる。

 

「え、いえ、そんな」

「遠慮しなくていい」

 

 イケメンオーラを纏いながら、アンドレが黒姫の腕を取ろうとした。

 

「ううん、ほんとに。だって、ほら、アレよ。えっと、あ、そう、もしまた魔獣が襲ってきた時、私を背負ってたらアンドレが戦えないじゃない? でも高妻くんは戦闘になったら何の役にも立たないし、むしろ普段も役に立ってないけれど、こんな時くらい役に立ってもらわないとね」

「しかし」

「マイ様、私が」

 

 粘るアンドレの横からジャンヌが進み出た。

 

「ありがとう、ジャンヌ。でも、あなたもサフィールも護衛しなきゃでしょ? ほら、早く」

 

 黒姫は前に出かけたサフィールも牽制して、俺に向かってくいくいっと手で招く。

えっと、何? 黒姫は俺をご指名か? ジャンヌよりアンドレより俺がいいってことか? つまりはそういうことか?

急に心臓がバクバクしてきた。

 それを悟られないようにしゃがんで背中を向ける。なんか周りからの視線が痛い。

黒姫がそっと身を預けてきた。おっと、これは意外に……。

 

「どっこいしょ」

 

 掛け声とともに立ち上がると早速「私が重いみたいな声出さないで」とクレームが入った。

 

「よーし。出発するぞ! プティ班は先行して帰路を確保しろ!」

 

 ネイ団長の号令のもと、来た道を帰る。

 が、ユーゴのデストロイなんちゃらの被害が酷い。あちらこちらに折れたりもげたりした木が散乱していて、中には根こそぎ持っていかれたのかぼっかり土が抉れていたりするので、めっちゃ歩きにくい。人ひとりを背負ってるからなおさらだ。まぁ、身体強化魔法を使ってるから平気っちゃ平気なんだけど。

 

「ごめんね」

 

 いきなり耳元でささやかれてドキッとした。

 

「べ、別にこれくらいへーきだし。ぜんっぜん重くないし」

 

 重くないって言ったのに背中から剣呑な視線を感じる。

けれど、それはすぐに小さなため息に変わった。

 

「じゃなくて、なんて言うか……」

「うん?」

「さすがにね、目の前で生き物が殺されるのはちょっとキツイなって……」

「あ、うん……」

「だから、ちょっと弱音をね、吐いてみたくて……。こういうの、アンドレやジャンヌには言えないし」

 

 確かにな。

俺たちの日常の中で命を奪う行為には縁が無い。せいぜい蚊とかゴキブリくらいだろう。野生動物だろうと家畜だろうとそれらが殺されるところをその眼で見ることはまず無い。いざそれを目の当たりにした衝撃や嫌悪感。それを共感できるのは同じ世界から来た者だけだろう。

それで俺を指名したわけね。なんだ。おかしいと思った。

 

「うん。まぁ、ゲロでなけりゃ弱音でも何でも吐いてくれていいぞ」

「そんなもの吐かないわよ、バカ。ていうか、高妻くんにはペネロペのことで貸しがあるんだからね? 私の我儘くらい聞いてくれてもいいでしょ」

「はいは……んん?」

 

 黒姫のちょっと甘えたようなオーダーよりも、俺の注意を惹くものがあった。

 それは、目の前にころがっている石ころのようなもの。これ……なんだ? 魔力を感じるんだが。

 

「どうしたの?」

 

 足を止めて地面を見る俺に黒姫が声をかけてくる。

 

「レン殿?」

「どうかしたの?」

 

 黒姫の護衛に横を歩いていたジャンヌとサフィールも怪訝な顔で聞いてきた。

 

「何をやっている」

 

 後ろからは咎めるような口調のアンドレの声。

 

「あ、この石がちょっと気になって」

 

 と、その拳大の黒っぽい石に手を伸ばそうとしたら、

 

「え、ちょっ」

 

 黒姫がぎゅっとしがみついてきた。

 

「いきなり危ないじゃない。バカ」

「あ、悪い」

 

 おんぶしたまま地面にある物を取ろうとしたらバランス崩すわな。俺のミス。

 

「やはりレンでは危なっかしいな。代わろうか」

「ううん、大丈夫。それより、その石がどうかしたの?」

 

 ここぞとばかりに交代しようとするアンドレを制して、黒姫が問いただしてくる。

 

「ああ、この石から魔力を感じるんだけど……」

「魔力? 魔石ですか?」

「まさか、魔獣の魔石……」

 

 ジャンヌとサフィールから剣呑な視線を向けられる。

 

「かも。ちょっと触ってみる」

 

 と、取ろうとしたら黒姫からストップがかかった。

 

「ジャンヌ、その石を高妻くんに取ってあげて」

 

 黒姫に指名されたジャンヌは「は、はい」と恐る恐る手を伸ばして、その石を掴むなりぱっと俺の手に握らせた。そして、自分の手袋を見て、

 

「嫌だ。黒くなっている」

 

 と、顔をしかめた。

見ると、受け取った俺の右手も石に触れた所が黒く汚れていた。

 ちなみに、俺の右手は黒姫の足を抱えていないのだが、彼女が俺の胴にぎゅっと両足を絡めているので大丈夫だ。いや、俺の方は彼女の太腿の感触とかでけっこう大丈夫じゃないんだけど、とにかく今は石のことだ。

 墨みたいな黒色でざらざらした質感。形はゴツゴツとしていびつだ。手のひらから伝わってくるのは……。

 

「魔素?」

 

 何のイメージも無い。獣でも木でも水でもない。只の魔素。あえて言うなら土か。

 そしてそれはこの土地からぼんやりと感じていたものと同じだった。

 

「なんの魔石かはわからないけど、魔獣のじゃないな。お土産に持って帰るか」

「はぁ? お土産?」

 

 周りからの呆れたような視線をスルーして、ベルトに付けている革袋にしまって歩き出す。

 

奇異なものを見るような視線に晒されながらしばらく歩くと、森が戻ってきた

 

「ユーゴ殿の旋風はこんな所まで広がってたのか」

 

歩いてきた道を振り返って、サフィールが驚き半分呆れ半分に呟いた。

 

「かなり距離あるぞ。そりゃ魔力切れにもなるわな」

「無茶するわね。また勇者がどうとか言うのかしら」

 

 ぶつぶつとユーゴに文句を言っていた黒姫も、森に入って歩きやすくなると、俺の背中で静かに寝息を立て始めた。やっぱり疲れてたんだな。肉体的にも精神的にも。

だけど、いかに疲れていたとしても人のローブの肩を涎まみれにするのはいかがなものでしょうか。確かにゲロ以外ならいいとは言ったけれど、俺はまだJKの涎をご褒美だと喜べるほど上級者じゃないんだよなぁ。

 

 

 

 特に魔獣に遭遇することも無く、無事拠点に戻ってくると、不安そうな表情の留守番組から一斉に質問責めにあった。例のデストロイトルネードがここからでも見えていたらしい。

 同行組の連中が口々にユーゴの大魔法の話を伝えると、皆が畏敬と称賛の嵐をユーゴに贈った。けれど、肝心の勇者はちょっと片手を上げてそれに応えると、さっとテントの中に消えてしまった。それでも勇者を讃える声は止まず、「あれだけの大魔法だ。勇者といえど疲れたのだろうと労った。

 



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第43話 忠告

 翌朝、俺たちを含む第13分団組はサルルルーイの砦に戻ることになった。魔獣討伐やユーゴの魔法の試行という目的が果たせたというのが理由だが、ユーゴの不調があるのは否めなかった。

 一方で、第9分団はその後の森の調査のために拠点に残るのだそうだ。

 

 さて、昼すぎに砦に戻った俺は、3人で打ち上げをしようと提案した。

 打ち上げ。それは、一つの行事が終わった後に催される慰労を目的とした日本では欠かすことのできない神聖な儀式だ。

 ということで、宿舎の上級貴族用の食堂を貸し切り、料理の配膳が終わった後はクララやフローレンスたちにも退出を命じ、日本人3人だけにしてもらった。もちろん『言葉の魔法石』は外している。

 

「ユーゴ、お疲れー。大活躍だったんだからそんな辛気臭い顔するなよ」

 

乾杯の後さっそくユーゴに声をかける。

 元気のないユーゴを励ますというのがこの打ち上げの趣旨だからな。

 

「どうせ勇者らしくないみっともない姿を晒しちゃったとか自己嫌悪してるんでしょ?」

「黒姫さんは辛辣だなぁ」

 

 眉を下げたユーゴがたははと力なく笑った。

 

「でもまぁ、そんなとこ。まさか自分の魔力が切れるなんて思わなかったから」

「気にするなって。みんなやるってクレメントさんも言ってたじゃんか」

 

 それでもユーゴは納得いかなそうな顔だ。

 が、それも数秒のこと。気を取り直すように俺に顔を向けて、

 

「僕のことはいいからさ、早く本題に入ってよ、レン」

 

 と、催促してきた。

見抜かれてたか。さすが勇者。

 

「わざわざ『打ち上げは神聖な儀式だから部外者は外してくれないか』なんて言って。私たちに言いたいことあるんでしょ?」

 

 黒姫にもバレてた。あと、声真似はやめろ。意外に似ててイヤだ。

 

「えっと、二人に報告と相談があります」

 

 と、改めて二人に向き合う。

 

「前に王宮で夜会があった時にクラリス姫が憑依魔法にかかったことがあったの覚えてるか?」

「ええ。覚えてるわよ」

「実は先日その犯人と会いました」

「うそっ! どこで?」

「ここで。あ、正確には宿舎の俺の部屋にまた憑依魔法を使って来たんだけど」

 

 すると、黒姫が胡散臭そうな眼で俺を見た。

 

「憑依魔法なのにどうして犯人だってわかるの?」

 

 ごもっとも。

 そこで俺はこれまでの経緯を打ち明けた。

 

 夜会の事件で使われた魔獣の魔石に触れた時、ルシールとよく似た魔力を感じたこと。

 それをルシールに伝えると、自分にゾーイという姉がいて、1年前にロッシュからいなくなったこと。

 そのゾーイが一昨日憑依魔法を使って接触してきたこと。

 ゾーイが本当の継子だということ。

 継子の目的は前回の聖女の遺志を継ぎ叶えるということ。そのためにロッシュから行方を眩ませたこと。

 その遺志が何かはわからないこと。

夜会でクラリス姫に憑依魔法をかけたことは本人が認めていることと、昨日は使役魔法で魔獣を操っていた可能性があること。

 

「どうしてそんな大事なこと黙ってるかなぁ」

「いや、ルシールに口止めされてたし、それになかなか相談できる機会が無かったから。いやほんと悪い」

 

 眼を薄くするユーゴに言い訳しつつ平謝りする。

 

「だいたい、いつの間にルシールとそんな話してたのよ!」

 

 ルシール大好きの黒姫もおかんむりだ。

 

「夜会の事件の後、シュテフィさんと一緒に王宮に来てた時。いや、だって二人ともお茶会だレッスンだって忙しそうにしてたし」

 

 黒姫はフンっと鼻を鳴らして、

 

「それで、何を相談したいの?」

 

 と、若干突き放すように聞いてきた。

 

「それなんだけど、サクラさんの遺志っていうのが気になって」

「なんでそんなことが気になるわけ?」

「ゾーイさんが家出をした原因だし」

「そんなにそのゾーイとかいう人のことが気になるの?」

 

 なんか黒姫の声に棘がある。まぁ、憑依魔法の犯人だしなぁ。でも、

 

「いや、別にゾーイさんはどうでもいいんだけど、ルシールが心配してたから。なんでお姉さんは黙っていなくなったんだろうって。黒姫だってルシールが悩んでるのなんとかしてやりたいって思うだろ?」

 

 百合友のルシールのことを出せば黒姫も真面目に考えてくれるはず。

 案の定、黒姫はふーっとため息を吐いてから、腕を組んで考える仕草をした。

 

「ナエバサクラの願いって言うのなら、やっぱり王権を倒すことじゃないの? あのメッセージにあったように」

「俺もそうじゃないかって思って一番に聞いたんだけど、違うって。よくそんな大それたこと考えるわねって」

「本当に?」

「うーん。まぁ、お父さんが王様の弟だし……。あ、知ってた? ルシールのお父さんて王様の弟なんだって」

「知ってるわよ」

 

 大スクープのつもりが、なにを今更と返されてしまった。ていうか、クララのことも知らなかったし、俺の情弱が酷い。

 

「えーと、だからね、いくら聖女の遺志だからって、自分の親族をどうこうしようとかしないと思うんだよね」

「でも、ナエバサクラは王族を恨んでたんでしょ?」

「うん。でも、あのメッセージもちょっと気になってるところあるんだよな」

「何?」

「あのメッセージにあったのって要は思ってたのと違ったっていう愚痴と、それを恨んで王権を倒すように画策したから手伝ってってことだろ? どうせ残すなら、ドラゴンと戦う方法だとか弱点だとかにしてくれればよかったのに。なんかドラゴンのこととかどうでもよさそうで」

 

 まるで俺たちがこの世界に残ることを前提にしているみたいだった。

 

「そういえばそうね」

「まぁ、それは今は置いといて、王権の打倒が目的じゃないなら何だって考えて、勇者とドラゴンを戦わせないようにしたいのかとも考えたんだけど」

「ああ、クラリス姫がそう言ってたものね」

「でも、それならわざわざ憑依魔法なんて使わなくてもいいじゃん? 直接言えばいいじゃん」

「照れ屋だったとか?」

「……なるほど」

 

 その考えは無かったわ。

でも、あの人に照れ屋の印象はないな。

 

「僕が死んでもドラゴンと戦えないよ」

 

 それまで黙って俺と黒姫のやり取りを聞いていたユーゴがいきなり物騒な説をぶっこんできた。

 

「そのゾーイって人、昨日の魔獣を操ってたんでしょ? あれ、僕を狙ってたそうじゃない。召喚された勇者を殺してドラゴンと戦わせない。それが聖女の遺志なんじゃないの?」

 

 なるほど。それならロッシュからいなくなった理由も想像がつく。

デュロワールでは教えてもらえない使役魔法をどこかで習得するためだ。たぶんゴール王国。そして、魔獣を使役して勇者を亡き者にする……。ん? そうか? なんか回りくどいような……。そもそも、ドラゴンと戦わせたくない理由はなんだ?

 

「でも、返り討ちにしちゃったけどね」

「あんな凄い魔法、想定外だったんじゃないかしら。巻き込まれて死んじゃってたりして」

 

 黒姫が綺麗な顔で残酷なことを言ってるが、

 

「残念。生きてるよ」

 

 俺は食堂の扉を見つめて断言した。

 その扉がノックも無く開かれ、黒い靄を纏った三つ編みのメイドが入ってくるなり何事かを言い募る。あ、『言葉の魔法石』外してたっけ。

 テーブルの上に置いてあったそれを急いで額につけた。

 

「――たバカなの? この子、魔石つけたままじゃない! なんか罠かと勘ぐって余計な気を遣ったわよ!」

 

 ご本人の登場だ。

 

「えー、みなさんにご紹介します。ルシールのお姉さんで真の継子のゾーイさんです。正確には、アナベルに憑依してるゾーイさんです」

「まぁ、おかげで楽に――、え? あ、初めまして。只今ご紹介に与りましたゾーイ・サクラです。家名は捨てました」

 

 ゾーイが憑依した書記ちゃんが恭しくお仕着せのスカートの裾をつまむ。

 

「って、そうじゃないわよ。レン! この子魔石を着けたままにしているじゃない」

「あ、すっかり忘れてた」

「魔獣の魔石ってあまり長いこと身に着けていると良くないの、知らないの?」

「知らんがな! 初耳だわ!」

「はぁ~。役に立たない男ねぇ」

「高妻くんが役立たずってことには同意するけれど、なんか馴れ馴れしくない?」

 

 さらりと俺をディスった黒姫が半眼で睨む。

 

「ふん。嫉妬なんてしなくても、こんな変な奴に懸想したりしないわよ」

「ちょ、そんなわけないでしょ! 嫉妬とか! 白馬くんの命を狙ってるくせに馴れ馴れしいって言ってるのよ!」

 

 黒姫が顔を真っ赤にして怒った。怒られたゾーイはしらっとした眼をユーゴに向ける。

 

「勇者の命を狙っている?」

「そうよ。魔獣を操って白馬くんを殺そうとしたんでしょう?」

 

 ゾーイはチラリと俺を見て「それもわかっちゃったのね」と苦笑した。

 

「でも、勇者を殺そうなんてしてないわ」

「嘘」

「なぜ私がそんな野蛮なことをする必要があるの?」

「ドラゴンと戦わせないためによ。クラリス姫に言わせていたじゃない。ドラゴンは聖獣だから戦わないでって」

「その通りよ。だからと言って勇者を殺そうとまでは思わないわ。私、荒事は嫌いなのよ」

「魔獣を使って私たちを襲っておいてよく言うわ」

「あー、それね。ちょっとした腕試しよ。加減がわからなくて怪我をさせちゃったけれど、大怪我や死人は出していないはずよ。それにちゃんとレンは襲わないようにしてあげたわ」

 

 そういえば、カラスは俺をスルーしてたし、リギューも突っ込んでは来たけどコースは微妙にはずれていたように思う。

 

「あの魔獣、全部ゾーイさんが使役してたんですか?」

「まあね」

「マジか。凄いな」

「それって凄いの?」

 

 ユーゴが興味深そうに聞いてきた。

 

「ヴァレンティンさんが、あれだけの数の魔獣を使役するには分団規模の魔法士が必要だって言ってたから」

「へぇー」

「私には聖女のサクラお婆様と勇者の子孫の王族の血が流れているのよ。そのくらい余裕よ」

 

 ゾーイがお仕着せの上からでもそれとわかるほどボリュームのある胸を張った。あ、体は書記ちゃんのものだけど。

 

「そんなことよりも、勇者!」

 

ゾーイがズビシとユーゴに向かって指を突きつけた。

 

「何? あの無茶苦茶な旋風の魔法は! せっかく使役した魔獣はみんな死んじゃうし、私だって危うく天に召されるところだったわ」

 

 うん、あの竜巻に巻き込まれたら物理で天に召されるね!

 

「あれが前の勇者が使ったと伝え聞いていた大旋風っていうやつ?」

「タニガワカツトシの大旋風がどんなものかは知らないけど、僕のはデストロイトルネードだよ」

「で、ですとろいと、るねーど? ま、まぁ、何でもいいわ。どうせあんなものド、ドラゴンには効かないんだからねっ」

 

 めっちゃ動揺してる。よっぽど酷い目に遭ったんだなぁ。

 

「あの、ちょっと質問していいですか?」

 

 と手を挙げると、ムッとした顔で見られた。

 

「何? まだ文句を言い足りないのだけれど」

「すみません。あの、ドラゴンが聖獣だって言われてるのって、どうしてですか? ゴールの古い信仰だって聞きましたけど、町や畑を壊しまくるんですよね? ドラゴンて」

 

 俺が調べた資料では、人間にはどうすることもできない厄災みたいな扱いだったと思う。

 ゾーイは、大きく息を吐いてから、「ゴールの古い言い伝えにこういう話があるの」と、少し離れた席に腰を下して語り始めた。

 

「ずっと昔、ガロワの地がケールという一つの大きな国だった頃、何年も小麦の不作が続いて人々が飢えに苦しんでいることに心を痛めた一人の姫が、ドラゴンに純潔の乙女を捧げれば願いを叶えてくれると知り、苦難の果てにドラゴンの住む高い山にたどり着いて、自らをドラゴンに捧げてケールに豊かな実りをもたらしてくれるようにお願いしたの。ドラゴンは姫の献身を讃え、ケールの空を飛び回って豊穣の雨を降らせて姫の願いを叶えると、姫を妻に迎え末永く幸せに暮らしたそうよ。そして、姫が天寿を全うした後も、姫を偲び、姫と暮らした年月ごとにケールに豊穣の雨を降らせるために現われるのだと言われているわ」

 

 そう語りつつ、彼女はワインを手に取って手酌でグラスに注ぎコクリと一口飲んだ。

 

「だからね、ゴールではドラゴンを豊穣をもたらす聖獣として崇めているのよ」

「でも、ドラゴンのせいで人や建物に被害が出てるのでしょう? それを防ぐために私たちが召喚されたわけだし」

「豊穣の雨による被害なら甘んじて受けるべきよ。それに、どう? 勇者を召喚してドラゴンを拒んだデュロワールは豊穣の雨の恩恵を受けられずに小麦が取れなくなっているじゃない」

 

 なるほど。

 伝承や民話にはたいてい元になった出来事が実際にあったりするし、彼女の語った昔ばなしもドラゴンが定期的に出現して雨風をもたらすことの理由を説明するものなのだろう。あるいは、それがお姫様の献身のおかげだというケールの支配者のプロパガンダかもしれないけど。

その豊穣の雨のほうは、ナイル川やインダス川が氾濫することによって肥沃な土壌をもたらすようなものか。だから、被害はしかたないと。

それに、因果関係は別にしてもデュロワールの農産物の収穫量が減っていることは事実っぽいし。

 ということは、

 

「つまり、サクラさんの遺志って勇者にドラゴンの邪魔をさせずにデュロワールにも豊穣の雨を降らせて農産物の不作を改善させることなんだ!」

 

 真実は一つ! みたいなノリできめたつもりだったのに、彼女の反応は薄い。むしろ眉を寄せて俺を見ているまである。あれ?

 

「……そ、そうね。もしかしたらサクラお婆様はそこまでお考えになっていたのかもしれないわね」

 

 あげく、同情的に同意される始末。

 

「ところで」

 

 と、黒姫の怒ったような声が割って入った。

 

「話を戻すけど、白馬くんを狙って来たのじゃなかったら、あなたはいったい何が目的でここへ来たの?」

「……そうだった。レンのせいですっかり話がそれてしまったじゃない」

「俺のせいか?」

 

彼女はコホンとわざとらしい咳ばらいをして、

 

「レンに忠告しようと思って来たのだけれど、3人ともそろっているなら丁度いいわ」

 

 と、真剣な面持ちになった。

 

「あなたたち日本に帰るのが目標らしいわね?」

「そうよ。絶対に帰るわ」

「残念だけれど、それは今のうちに諦めなさい」

 

 …………。

 

 部屋に静寂が訪れた。

 

「ニホンに帰るのは諦めなさい」

 

 大事なことなので2度言われた。

 

「そ、それって……実は、送還魔法なんて無い、てこと?」

 

 無茶苦茶イヤな可能性だけど。

 

「は? あるわよ」

 

 彼女はあっさり否定した。

 

「送還魔法なんて召喚魔法を逆向きに発動させるだけだもの。術式どおりなら、あなたたちは召喚された時と同じ場所に送還されるはずよ」

 

 マジかよ。よかったぁ。いや、授業中に送還されるのは勘弁して欲しい。露出狂の不審者決定だし、何より黒姫が恥ずかしい思いをすることになる。

 

「じゃあ、どういうことよ!」

 

 俺と同じ想像をしたのだろう。黒姫がきつい口調で問い詰めた。

その黒姫に、ゾーイさんは憐れむような眼差しを向ける。

 

「……この世界も悪くないわよ。そうね、レンを伴侶にして暮らすのはどう? お似合いだと思うけれど」

 

……また何言い出すんだ、このお姉さんは。

黒姫も顔を真っ赤にして「たっ、たっ」と怒りで言葉が出てこないほどだぞ。

 

「お、お断りよ!」

 

 ですよね。

 

「……絶対日本に帰るんだから」

 

 黒姫が付け足すように呟く。

 

「そう? まぁ、相手は誰でもいいのよ。王族はお薦めしないけれどね。それと、レン。妹はダメだからね。絶対にダメだからね!」

 

 妙に念押しされたが、フラグでしょうか?

 

「いい? 忠告はしたわよ」

 

 そう告げるなり、書記ちゃんを覆っていた霞がふうっと消えて無くなった。途端に、書記ちゃんがテーブルに突っ伏した。

 

「ベル!」

 

 黒姫が椅子を蹴って立ち上がり、アナベルに駆け寄る。

 

「高妻くん、ゾーイは?」

「もう行っちゃったみたい」

「あの女、言いたいことだけ言って……。ベル、ベル、しっかりして!」

 

 黒姫に肩を揺すられた書記ちゃんが、「あれ、マイ様? はっ、なぜ私はここに?」と、お約束のようなリアクションを見せる。

 その後は、打ち上げを続けるわけにもいかず、ユーゴの元気回復も俺の相談も中途半端なままにお開きとなった。

 



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第44話 精の話

 あんまり寝た気がしない。

 クララに起こされてもなかなか起きられず、ぼーっとしたまま食堂に行く。

 

 王都を出てから俺たちはしっかりした朝食を取らなくなった。移動中の野営の時なんかは特にそうで、ビスケットとチーズと飲み物だけということがしょっちゅうあったからだろう。この砦の宿舎に来てからも同様で、朝はいつも軽いメニューが多かった。

 

 食堂の入り口で、俺と入れ替わるように出てきたユーゴと鉢合わせした。お付きのジルベールも一緒だ。

 

「あ、レン。おはよう」

 

 ユーゴの方から爽やかな朝の挨拶がきた。

 

「いつもより遅くない?」

「んー。ノンレム睡眠が足りなくて。ユーゴは早いな。今日は休養日だろ?」

 

 馬車の長旅に休む間も無く魔獣の討伐で疲れが溜まっていたと判断されて、今日一日休養を取ることになっている。

 

「うん。だから気分転換にちょっとスケッチにでも行こうかと思って」

 

 と、ユーゴが朗らかに笑う。一晩寝て元気が出たのかな。

 

「おう。いってら!」

 

 軽く片手を上挙げてユーゴたちを見送り、食堂の中に入った。

中にはユーゴの食事の後片づけをするソフィーの姿。……ん?

 なんかソフィーがいつもと違う感じがする。

 

「あ、レン様、クララ様、おはようございます!」

 

 ソフィーが俺たちに気づいて笑顔を向ける。

 ちなみに、クララが貴族でここの領主の令嬢だということはみんなに知れ渡っていたりする。

 俺も「おはよう」と挨拶を返して、

 

「ソフィーって、なんか雰囲気変わった?」

 

と、探るような感想を言うと、

 

「うふふふー。わかっちゃいますかぁ」

 

 と、にんまりとした笑顔が返ってきた。いや、わかっちゃわないんだが。

 

「ソフィーはユーゴ様と同衾したようですよ」

 

 突然、背後から声がした。

 

「同衾?」

 

 振り返ると、皿やカトラリーを乗せたトレイを持ったフローレンスがいた。

 

「おはようございます、レン様。まぐわったと申した方がよろしかったでしょうか? あと、そこに立たれると邪魔です」

 

「あ、ごめん。って、言葉の意味がわからなかったわけじゃねーよ。おはよう」

 

 フローレンスの動線から避けて、ソフィーに顔を戻す。

 

「え、またユーゴと寝たの?」

「だって、昨夜のユーゴ様、なんだか元気が無さそうでしたから」

「あー、まあね」

「そういう時に男を元気づけるのが女の役目なんです!」

 

 ふんすとソフィーが両拳を握る。

 ユーゴが元気になったのってそういうわけかぁ。

 

「へー」

「なんですか、そのどうでもよさそうな返しは。ははぁーん。さてはレン様、そういうことをしてもらったことが無いんですね?」

「は? ちょ、何言って」

「ソフィー。そういう答えのわかり切ったことをあからさまに聞くのは経験の無いレン様に失礼ですよ」

 

 と、フローレンスが窘める。ほんと失礼だぞ、フローレンス。

 

「でも、経験が無いレン様はどうして私がユーゴ様としたことがわかちゃったんですか?」

「いや、それがわかったわけじゃないけど、なんか前と雰囲気というか感じ方が違ったんだよ。あと、俺の経験の有り無しは明言してないからな」

「どういうことですか?」

 

 フローレンスが鋭い眼光で聞いてくる。

 

「だから、俺がそういう経験が有るとか無い――」

「それはどうでもいいので、ソフィーのことを答えてください」

 

 俺の経験がどうでもいいと切り捨てられてしまった。まぁ、明言しても虚しいだけだけども。

 

「えーと、なんかね、ソフィーの魔力が増えてるように感じたんだよ。それもすっごく」

 

 平民から感じる魔力量じゃない。

 

「……なるほど」

 

 フローレンスが真剣な面持ちでふむふむと頷く。そして「これは平民の女性の間でまことしやかに言われていることですが」と前置きをする。

 

「貴族の男と寝ると魔力が増えるのだそうです。思うに、男の精には魔力が含まれているのでしょう」

「じゃあ、ソフィーの魔力が増えたのって……」

「ユーゴ様の精がソフィーの中に注がれた結果ですね」

 

 なんとも信じ難い話だけど、そんなセリフを平然と口にするフローレンスの神経のほうが信じ難い。

 

「ですが、それが本当ならレン様は大変なことになりそうですね」

「え、なんで? どういうこと?」

 

 無表情だったフローレンスの口角がほんの少し上がり、瞳も怪しく光る。

 

「私の調査によると、レン様は魔力そのものはお持ちです。たぶんユーゴ様と同程度の。ですが、レン様は魔法が使えない。そのうえ経験も無い。となると、やはりそうとう溜まっているのではないでしょうか」

 

 溜まってるのは魔力だよね?

 

「いやはや、レン様の精にはいったいどれほどの魔力が含まれていることやら」

「レン様、初めて経験する時は気をつけてくださいね」

「おまえらなぁ。さっきから経験無い経験無いって好き放題言いやがって。だったら、おまえらで経験すっぞ、ゴラァ!」

「おまわりさーん。ここにレイプ犯がいまーす」

 

すっごく聞いたことある声が背中から聞こえてきた。

 恐る恐る声の主を見ると、自分より背の高いクララの耳を両手を伸ばして塞いでいる黒姫がいた。

 

「え、黒姫……。おは、よう?」

「……」

 

 挨拶の代わりに軽蔑の眼差しを返された。

 

「ていうか、いつからいた?」

「……『お前らで』のあたりから」

 

 ふっとそらす顔が真っ赤なのは、うん、そういうことね。

 

「黒姫がいるならそう言ってくれよ、フローレンス」

 

 小声でクレームをつける。

 

「申し訳ございません。興味津々なご様子でしたので」

「ちょっ、フローレンス!」

 

 黒姫が焦ったように声を上げたけど、フローレンスは誰がとは言ってないんだよなぁ。

 

「まったく! 白馬くんにも困ったものね」

「ほんとだ。ユーゴのせいで酷い目に遭ったぜ」

 

 期せずして、この件の責任はユーゴに押し付けようと二人の意見は一致した。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

公開羞恥プレイのような朝食の後、

 

「レン様。今日はどのように過ごされますか?」

 

 黒姫のファインプレイでさっきの話を聞いていない(と思う)せいか、いつもと変わらぬ態度でクララが訊ねてきた。

 

「もちろん、休養日だからゆっくり休むよ」

 

 と言うわけで、やってきました。領主の屋敷。

 一応午前の常識的な時間だったけど、先振れも無しに来ちゃったから応対に出た執事のゼバスさんがビックリしてた。それも一瞬、すぐに平静な表情に戻って「どのようなご用件でしょうか?」と用向きを聞いてくる。

 

「休養日なので、クララに今日一日ここで過ごしてもらおうって思って来ました」

「レ、レン様?」

 

 事情を話さずに連れてきたクララが驚いている。

 

「左様でございますか。では、中にお入りください」

 

 ゼバスさんは事務的にそう案内するものの、目じりと頬に感情が漏れ出ていた。

 

 いつもの応接室に案内されてソファーに座る。

 ゼバスさんが「主人を呼んで参ります」と部屋を出ていくなりクララに問い詰められた。

 

「レン様、どういうことでしょうか?」

「うん。クララってずっと俺と一緒にいてあれやこれや世話してくれてるたろう? 休養日だし、クララも休んでもいいんじゃないかな」

 

 デュロワールでは定休日と言う観念が無いみたいで、各候の始まりにあるお祭りが休日の代わりになっている。働いている人は他に15日に一度くらいで休暇をもらっているらしい。でも、クララはもう30日以上休み無しで俺の世話をしてくれている。

 

「ですが」

「せっかく家族が近くにいるのにゆっくり会うこともできないなんてなんか悲しいじゃん。俺ならそう思うけど、クララは迷惑だった?」

「……いいえ。お気持ち、とても嬉しいです」

 

 そう言ってクララが顔を伏せる。

 と、いきなりドーンと扉が開いて、

 

「クララ!」

 

 大声で名前を呼びながらオットーさんが突入してきた。

 

「姉上!」

 

 続けざまに弟くんが駆け込んでくる。

 

「お、お爺さま! それにミハエルも! ノックも無しに扉を開けるなんてレン様の前で失礼です!」

「いや、すまん。つい嬉しくてな!」

 

 クララが窘めても一向に気にしてなさそうなオットーさん。ずかずかと勢いよく歩み寄ってきて、

 

「レン。クララを連れてきてくれたこと、礼を言うぞ。君は見た目に寄らず心遣いのできる男のようだな」

 

 立ち上がった俺の背中をバシバシと叩いた。

 

「なんなら、このままクララに暇を出してくれてもよいのだぞ?」

「お爺さま!」

「姉上。母上もあちらの部屋で待っているから、早く行こうよ」

「ミハエル、レン様にご挨拶するのが先でしょう?」

 

 せわしなく注意するクララに、苦笑交じりで声をかける。

 

「そういう堅苦しいのはいいから。ほら、お母さんを待たせちゃ悪いよ」

「いいえ、レン様。こういうことは幼いうちからちゃんと身に着けておかないといけませんので」

 

 と、お姉さんっぽく不満顔の弟に挨拶をさせた。

そっか。見た目は中学生くらいだけど、まだ学院に入る前の歳なんだよな。

 

「姉上、王都の話を聞かせてください」

 

 ミハエルは挨拶もそこそこにクララの手を引いていく。クララは困った顔で俺に小さくお辞儀をすると、弟と一緒に部屋を出ていった。

 

「君も遠慮せずにくつろいでいってくれたまえ」

 

 オットーさんも上機嫌でそう言い残して孫たちに続いた。

ま、俺としてはクララが望むのなら家族の元に返すのも吝かじゃないけど、一応アンブロシスさんに言われて俺の傍にいるわけだし勝手なことはできないよなぁ。それに、クララがいないともろもろ困るし。

 

 一人になった応接間のソファーにどっこいしょと腰を沈める。

すぐにドアがノックされて、確かチネッタとかいう名前の若いメイドさんがお茶を持ってきてくれた。シンプルなクッキーもついている。

 それを一口飲むと、知らずにはぁ~と息が漏れた。

 

 昨日は怒涛の一日だったなぁ。

 初めて見る魔獣。血生臭い討伐。

 ユーゴの魔法。そして魔力切れ。

 不思議な黒い石。

 黒姫の涎……は置いといて、

 やっぱり、ゾーイさんのあの言葉。

 

「日本に帰るのは諦めろかぁ……」

 

 なんであんなこと言ったんだろう?

 俺たちに帰って欲しくないってわけじゃなさそうだし、実は送還できないっていうほうがまだ納得できるんだよなぁ。まぁ、それはあっさり違うって言われたし、アンブロシスさんやルシールも普通に送還の話してたもんな。

 うーん……。

 …………。

 ……。

 

 

 

 名前を呼ばれたような気がして目を開けた。さっきのメイドさんだ。

いつの間にか寝てたようだ。

メイドさんが言うには、オットーさんから昼食のお誘いがあるとのこと。

けど、せっかく家族水入らずの席に俺が行ってもお邪魔虫だろうし、お誘いも形式的な感じがしたので丁重に辞退申し上げると、代わりに応接室に食事を運んでくれた。

 やっぱりここの料理って王都のものより美味い。もう一回フリカデラ食べたいなぁ。

 



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第45話 フリカデラ再び

 昼食後は、ゼバスさんに断って中庭に出てみた。

 王都のような幾何学的に整理された美しさはないけれど、木や草が自然な感じに植えられていて、そこここに花が咲いていてなんだかほっこりする。

 片隅に据え付けられている木製のベンチに座ってぼーっと庭を見るともなしに眺めていると、砦の方からなじみのある魔力が近づいてくるのを感じた。

 黒姫だ。

 あと、イザベルさんと二人の女性の護衛騎士。あ、アンドレもいるな。チッ、休養日なんだからお前も休んどけよ。他にも騎士が数人。

 感じた魔力で誰でも個人を特定できるわけじゃないんだけど、さすがにずっと一緒にいればなんとなくわかってくる。

 

 黒姫たちはここの屋敷の中に入っていったようだ。何しに来たんだろう? 

 なんかこの家の人たちと一緒にいるな。クララ以外はちょっと誰かはわからないけど。クララを含めて何人かと移動していく。……いや、これ覗きとかストーカーみたいだな。いかんいかん。

 

 首を振って立ち上がる。

 ちょっと体を動かそう。そうしよう。

 日課にしていた朝のジョグとか剣の型稽古とか、王都からこっちずっとサボってたしな。

 とりあえずはストレッチから。十分に体を温めて、さて。

 討伐に行った時は一応護身用に剣を持っていったけど、さすがに今日は持ってきてないので型稽古はできない。

 

 なら、久しぶりにバスケでもしますか。まぁ、エアバスケだけど。

 脳内で1on1を想定して動き出す。黒姫の金の粒が無くても、もう体の中の魔力の流れははっきり意識できる。身体強化魔法であきれるほどに体が動く。これなら俺も八村ルイになれるんじゃね? 

 

「なんだ? あの変な踊りは」

 

 気分よくダンクシュートを決めたところで、そんな声と嘲るような笑い声が聞こえた。見なくても、黒姫と一緒に来た騎士たちだとわかった。あと、踊りじゃねーよ。

 

「男なら踊りより剣であろうに。軟弱な」

「ああ、あいつは勇者様のおまけで、魔法も使えないらしいからな。できるのは踊りくらいなんだろう」

「だが、ここの令嬢をものにしているらしいぞ。あっちのほうは凄いのかもな」

 

 下卑た笑いを浮かべる若い騎士が3人。魔獣に襲われた時にはいなかった顔だから留守番組か。

 

「最後のは撤回してもらえませんか?」

 

 俺については間違ってないからいいとして、クララがそんな目で見られるのは許せない。それに、今朝のこともあってその手の話題にはナーバスになってるんだよ。どこかのブタ野郎みたいに「俺は童貞だ!」って叫んでやろうか。

 

「俺は経験無いんで」

 

 叫ばなかったけど言ってやった。

 

「……そ、そうか。いや、申し訳なかった。先ほどの言葉は撤回しよう」

 

 あれ? なんかすっごく同情したように目をそらされたんですけど。

 その上、

 

「それより、どうだ。剣でも振ってみないか?」

「ああ。男なら踊りよりもやはり剣だ」

「そうすれば自ずと女性も寄ってくるさ」

 

 と、気さくに誘ってきた。なんか第一印象と全然違うな。意外にいい人たちなのかもしれない。

 ま、せっかく誘ってくれてるんだし、ちょうどいい。お願いしますと剣を借りる。

 久しぶりの型稽古。思ってたより体が動きを覚えている。

 

「へぇ、なかなかいい動きをするじゃないか」

「ちょっと手合わせしてみたいな。おい、ティモテー。練習用の剣を取って来い」

 

 ティモテーと呼ばれた一番若いイケメンな騎士が砦まで戻って練習用の剣と俺の分の鎧を持ってきてくれた。ご苦労様です。

 手合わせも久しぶりだ。

 

「今、こちらの屋敷には聖女様が来ておられるからな。多少の怪我をしても大丈夫だ」

 

 年長っぽい、それでも20代前半くらいの騎士が俺に向かって安心させるように言った。怪我をさせる気はあるんだ……。

 

 騎士の礼を執って剣を構える。

 

「いざっ!」

 

 

 

 10分も経ってないと思うんだけど、俺の前にはぜぇーぜぇーと荒い息を吐いて横たわる騎士が3人。

 なんか弱っちくない? キミら。

 

 『総受けのレン』の本領を発揮して繰り出される剣戟を受け続けてたんだけど、もちろん俺からは一つも攻撃してないんだけど、勝手にバテちゃったんだよな、こいつら。

 これならロッシュ城のおじさん達の方が何倍も強かった気がする。ああ、あの人たち精鋭だって言ってたっけ。それにしてもなぁ。

 そこへ、

 

「何をしているのですか」

 

 高いトーンの声が響いた。

 見ると、長い金髪を後ろで一つに編み込んだ女性の騎士が表情を厳しくしてこっちを見ている。

 黒姫の専属護衛騎士のジャンヌだ。

 

「えーと、剣の稽古?」

 

 騎士たちは声も出ないみたいだったので、代わりに答えておく。

 ジャンヌさんは「ふーん」と歩み寄ってくると、横たわる騎士たちを見下ろした。

 

「少し物足りないようですから、私もお相手しましょう」

 

 言うなり、スッと腰の剣を抜いて正面に構える。俺の持っている剣より刀身が細い。って、それ真剣じゃん! 

 

「参ります」

「え、ちょっ」

 

 慌てて俺も正面に構える。それを待っていたように、ベールのような淡い光を纏ったジャンヌさんの剣が動いた。

 突き! の連撃っ! 

 右肩と左太腿まではかろうじて剣を合わせられたけど、喉への3突目は間に合わなかった。

 寸止めにしてもらったらしく、喉元にピタリと当てられていた。『総受けのレン』は死んだ。

 

 ふっとジャンヌさんの体を覆っていたベールが消える。

 

「意外にやりますね。見直しましたよ」

 

 余裕でそんな感想を言われた。

 

「最後ので死んでましたけどね」

「ジャ、ジャンヌの、神速の突き、だぞ。当たり前、だ」

 

 下の方から切れ切れの声が聞こえた。

 

「3つとも剣筋は見えてたのに、スピードについていけなかったなぁ。これが専属護衛騎士の剣速か」

「剣筋が見えた?」

 

 あ、ヤバっ。

 ポロっと零した愚痴をジャンヌさんに聞き咎められてしまった。

 

「え、いや、まぁ、なんとなくです。なんとなく」

「いいえ。あなたは3撃ともきっちり反応していました。今の連撃はアンドレ殿でさえ初見では2つ目まで捌くのがやっとでしたのに」

 

 ジャンヌさんがちょっと悔しそうに俺を睨んだ。それから、

 

「なるほど。彼らでは相手になりませんね」

 

 と、足元に転がる騎士たちを睥睨する。

 

「えっと、ジャンヌさんは黒姫の護衛はいいんですか?」

 

 さりげなく話題を変えると、ジャンヌさんは「ええ」と頷く。

 

「今は休憩中ですから。護衛はサフィール殿がしています」

「黒姫は何しにここへ来てるんですか?」

「マイ様は……それは内緒です」

 

 ジャンヌさんはクスっと笑った。そういう仕草は年相応に可愛い。

 

「ジャンヌさんは17歳でしたっけ? 他の騎士も結構若い人ばっかりですよね。第13分団って」

 

 さっきまで座っていたベンチに誘いながら問うと、遠慮がちに隣に座ったジャンヌさんが、

 

「13分団の騎士は勇者様と聖女様を護衛するために新たに作られた団で、上級貴族の子息たちで編成されているのですよ」

 

 と、ようやく起き上がった騎士たちを見やる。

 ははぁ、家格だけは良い若い騎士が箔付けに護衛騎士をやってるってところなのかな。

 

「ジャンヌさんもいい所のご令嬢なんですね?」

「ははは。私は全然」

 

 ジャンヌさんは力なく首を振った。

 

「私の実家はこのサルル領の隣のロレーン領の片田舎にある爵位も無い家なのですが、私は幼い頃から騎士に憧れていたので、無理を言って王都の騎士学校に通わせてもらいました。幸い腕は立ちましたし、女性の騎士なのでこうして聖女様の護衛騎士に取り立てていただけました」

 

 はにかんで身の上話をする彼女に、ふと心配になって聞いてみた。

 

「幼い頃から騎士に憧れてたっていうのは、もしかして天使からお告げを聞いたりとかしたからですか?」

 

 ものっそい不審な眼で見られた。

 

「……レン殿はちょくちょく変なことを口走ると聞いていましたが、噂通りの方のようですね」

「無いですか?」

「無いです」

「そうですか。よかった」

 

 この人は火炙りなんかとは関係無さそうだ。

 

「やはり変な方です」

 

 言葉ほど嫌そうでも無く微笑むジャンヌさんだったけれど、「それにしてもなぜこんな方を……」と、なにやら呟いている。

 まぁ、気にするほどのことでもないので、ジャンヌさんと騎士さんたちにお礼を言って剣と鎧を返し、応接室に戻った。

 

 

※  ※  ※

 

 

 けっこう時間が経った頃、ゼバスさんが俺を呼びに来た。夕食のテーブルに同席して欲しいとのこと。

 昼は遠慮したけど、さすがに二度目の誘いを断るのは良くないよな。

 喜んでと答えて案内してもらう。

 

 連れていかれた先は、初日に開かれた歓迎の夕餉の時と違う部屋だった。たぶん、家族で使う食堂だろう。壁や部屋の飾りがシンプルで落ち着いた雰囲気だ。

 白いクロスが敷かれた長方形のテーブルには既に領主一家が揃っていた。その中に凄く見知った顔が混じっていた。

 

「黒姫……」

 

 向かって右手のオットーさんと左手のオスカーさんの間に黒姫が収まっていた。いや、いるのは知ってたけど、

 

「何してんだ?」

 

 ゼバスさんが黒姫の対面、クララのお祖母さんとお母さんの間の椅子を引いてくれたので、そこに座って問いただす。

 

「今日ね、お祖母さまにフリカデラの作り方を教わってたのよ」

 

 そういえば前にそんなこと言ってたな。

 

「初めてにしてはとてもお上手でしたよ」

 

 右隣のお祖母さんが社交辞令を口にする。

 

「あのっ、私も。私もお手伝いしました」

 

 斜め左前、父親の隣からクララが子供っぽくアピールしてくる。案外これが彼女の素かもしれない。今日一日家族と過ごして子供に戻ったみたいだ。やっぱり俺といる時は無理してたんだな。

 

 俺が来て揃ったところで料理がテーブルに並べられる。給仕はイザベルさんとゼバスさんとチネッテともう一人妙齢のメイドさんがしてくれた。

 ちなみに、黒姫の護衛はジャンヌさん一人だ。サフィールと交代したんだな。壁際に目立たないように立っている。家族の食事なので、アンドレとサフィールは気を遣って隣の部屋にいるようだ。

 

 パンやスープと共に件のフリカデラも各々の目の前に置かれた。一人前2個で、計16個。

 

「これ全部黒姫が作ったのか?」

「さすがにそれは無理。私が作ったのは4つだけ。後はお祖母さまとお母様とクララ」

 

 黒姫の手作りっていうなら是非とも食べてみたいけど、4分の1の確率か。いや、目に見えているだけが全てとは限らない。

 

「アンドレたちの分もあるのか?」

 

 聞くと、黒姫は「あっ」と小さく声を上げた。

 

「考えてなかった。ごめんね、ジャンヌ」

 

 黒姫がジャンヌに顔を向けて謝ると、ジャンヌは「お気遣いなく」と微笑みを返した。

 そうか。アンドレの分は作ってないのか。そうかそうか。

 

 温野菜が添えられた目の前のフリカデラ越しに黒姫の方を見やると目が合ってしまった。慌てて視線をそらす黒姫。

 なんか挙動不審だ。

 もしかして不味いのか? まぁ、それでも食べるけど。

 創造神に感謝の祈りを捧げて、俺は更にいただきますと心の中で唱えて手を合わせる。

 

 やっぱりフリカデラからいかないとダメなようだ。正面から黒姫の圧がスゴイ。なんかジャンヌさんからも視線を感じるし。

 一切れ口に放り込んだ。

 

 ムグムグ……あ。

 

「これ、黒姫が作ったやつだ……」

 

 一口でわかった。さすが俺。

 

「え、美味しくなかった?」

 

 黒姫がえらく不安そうに聞いてくる。やっぱり自信が無かったんだな。でも、

 

「いや、普通に美味いよ」

「良かった……。え、じゃあどうして私が作ったってわかったの?」

 

 今度は不安と疑念と期待がごちゃ混ぜになったような表情だ。

 

「ええと……隠し味的な?」

「ええっ!」

 

 驚きすぎだろ、黒姫。こっちがビックリしたわ。そんなに顔を赤くするようなことでもないだろ。

 

「黒姫、隠し味に聖魔法使っただろ?」

「へ……?」

「噛んだら肉汁と一緒に例の金の粒を感じたんだよ。これ、黒姫の聖魔法だよな。一発でわかった」

「……そ、そう。そうなのよ。隠し味は実は私の聖魔法だったのよ。よ、よくわかったわね」

「聖魔法入りの料理とかめっちゃ体にいいよな。正に医食同源。これレパートリー増やして王都で店開けば超流行りそうじゃね?」

「お喋りはいいからさっさと食べなさい」

 

 今度は若干不機嫌になって自分もフリカデラにかぶりつく。隠し味をあっさり言い当てられたからって大人げないなぁ。ていうか、そんな食べ方カロリーヌさんが見たらさぞかし嘆くと思うよ、プリンセス。

 

 もう1個のほうには聖魔法は感じられなかったけど、こっちも美味いな。

 ムグムグと無言で食べていると、クララが息をつめてじっとこっちを見ているのに気づいた。……あ、もしかしてこれクララが作ったヤツなのかな。よし。

 

「おおっ。こっちのフリカデラも美味いなー。聖魔法は入ってないみたいだけど、すげぇ美味い」

 

 わざとらしくならないように感嘆する。いや、実際に美味いし。

 視界の端のクララはほっと小さく息を吐いてから嬉しそうに食事を続けた。よかった。

 

 以降は和気あいあいと食事が進む。話題もクララが生まれた時の話とか、クララが幼かった頃の話とか、クララが可愛かった話とか。クララばっかりだな、おっさんたち。

 なので、俺もクララの話題を振った。

 

「そういえば、昨日のクララが魔法を使った時の詠唱、カッコよかったな」

 

 ピシッと空気が固まった。あれ? 

 

「クララ、まさか……」

 

 隣の席のお父さんの硬い声音にクララが萎縮する。

 

「ご、ごめんなさい。つい……」

「えっと、俺何かマズいこと言っちゃいましたか?」

「たぶん娘が使ったのは我が家に伝わるゴ……いえ、古い詠唱でしょう。人前では使わないようにと言って聞かせていたのですが」

 

 お父さん、今イザベルさんやジャンヌさんを気にする感じだったな。もしかして「ゴール」って言おうとした? そういえば、サルルって昔はゴール王国の領地だったんだっけ。

 

「レン様を守ろうとして咄嗟に口に出てしまいました。いつものは、その、長いから……。本当にごめんなさい」

「でも、クララのおかげで助かりました。『ほにゃららよ、我が意の』とかやってたら絶対間に合わなくて怪我どころじゃなかったですから」

 

 と、フォローしてもいまいちな空気だったので、

 

「何て言うか、質実剛健? そういうの好きなんですよ。ほら、この屋敷の内装とかそうじゃないですか。王宮の装飾とかやたら豪華で華やかだけどあんまり実用的じゃないっていうか。俺はやっぱり機能美っていうか、実用を突き詰めた先にある美しさみたいのがいいですね」

 

 これだけ褒めれば大丈夫だろう。

 案の定、オットー爺さんの顔が綻ぶ。

 

「ほうほう。レンとは趣味が合いそうだな」

「それは何よりです」

 

 が、一転その顔が険しくなる。

 

「だが、孫娘はやらんぞ」

「お祖父さま!」

 

 クララが困った顔になって慌てる。けど、大丈夫。

 

「安心してください。俺たちは役目が終わったら元の世界に帰りますから」

「何? 帰るのか? ニホンとやらに」

「はい。ですから、そのような心配は無用ですよ」

 

 クララの表情が視界に見えて、チクリと胸のどこかが痛む。

 

「ふむ。ならば、今のうちに存分にこの世界を味わってゆくがよい」

「ありがとうございます」

 

 こうして少し和んだ空気のまま晩餐は終わり、

 

「またいつでも来なさい」

 

 との言葉をいただいて屋敷を後にした。

 




続けて、マイ視点の閑話も投稿します。


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閑話5 隠し味

【マイ視点】 隠し味

 

 

恋は落ちるものだと誰かが言った。

 

 

 

 彼との関係はクラスメイトというだけで、それ以上でもそれ以下でもなかったわ。

 そりゃあ席が後ろだから挨拶とかちょっとしたお喋りとかはしたけれど、クラスでも特に目立つような存在じゃなかったし、彼のことを意識したことなんてなかったのよね。

 なんで今彼に対してこんな気持ちになっちゃってるんだろうって、自分でも不思議で仕方がないのよ。

 

 きっかけはたぶん、あの日突然わけのわからないことが起きて、彼曰く『異世界』というところに来てしまったこと。

 知らない国、知らない人たち。何もかもが未知で、理不尽で。泣き出したいほどに心細かった。頼りになる……かどうか微妙だけど、そういう感じなのは同じ日本人でクラスメイトの彼らだけ。

 だからこれはアレよ。ほら、吊り橋効果ってヤツ。きっと元の世界に帰ったら、なんであんな気持ちになってたんだろうって思うに違いないわ。絶対にそう。

 それに、彼の方から先に告ってきたから、妙に意識しちゃったってのもあるのよね。うん、そういうことってあるある。

 

 

 

 異世界での私は『聖女』なのだそうで、みんなから敬愛の眼差しで見られたり容姿を褒められたり態度を注意されたりしてるんだけど、これがけっこうプレッシャーなのよね。

あと、貴族からのお誘いも多いし。特に若い男性の貴族。これがもう下心見え見えで嫌になる。

その点、私の護衛をしてくれているアンドレはスマートね。

彼はすっごいイケメンでかっこよくて優しくていつも私に気を遣ってくれて、まるでおとぎ話のお姫様になったような気分。

でも何て言うか、アンドレが興味があるのは私自身じゃなくて『聖女』としての私なんじゃないかなって思う時があるの。私が『聖女』じゃなかったら、彼の周りに集まってくる見目麗しい令嬢の中の一人くらいに扱われそう。

 

 もう一人のクラスメイトは『勇者』って周りから言われて初めは戸惑ってたみたいだけれど、みんなの期待に応えるように変わっていった。当然というか成り行きというか、私にも『勇者』として接してくる。

 

 そんな中で、彼だけは学校にいた時と変わらない態度で接してくれたわ。

だから、彼と一緒にいるとなんかほっとするのよね。まぁ、変わらな過ぎてちょっとムカつくことがないでもなかったけれど。

 だってあの人、クララには甘いしルシールにはデレデレしてるし、あのペネロペって娘にはわざわざ会いにいってるし。さっきなんか、小間使いの子たちと楽しそうにエ、エッチな話してたのよ。

私だってもうちょっとこう特別な感じに扱ってくれてもいいんじゃないかな!

だいたい、そっちが先に告ってきたからこういう気持ちになってるのよ? 責任取って欲しいわ!

 

 ふんっふんっとひき肉を捏ねる手に力が入る。

 

 今日はクララのお祖母さんにハンバーグのご先祖様みたいなフリカデラの作り方を教わりに来ているの。

 だって、前に彼からハンバーグの作り方を聞かれた時にわからないって言ったら「こいつ使えねぇー」みたいに見られて悔しかったのよね。

だから、作ってあげたら見直してくれるかなぁー……なんて。

 

「マイ様、いかがですか?」

 

 クララのお祖母さんが捏ね具合を確認してくれる。

 

「はい。えっと、美味しくできてるか心配かなと」

「愛情を込めて作ればたいていは大丈夫ですよ」

 

 お祖母さんの「愛情」という言葉にドキリと胸が鳴る。

 いえ、この場合の愛情はアレよ。家族愛とかそういうヤツよ。意識しすぎ!

 もーやだ。顔が熱い。

 

「…………」

 

 ふと、お祖母さんの視線を感じた。

 上目でチラリと見やると、なんだか見守るような眼で「あらあらまあまあ」と柔らかく微笑んでいる。

な、何かしら……。

 

「えっと……」

 

 戸惑う私の耳にお祖母さんはそっと囁いた。

 

「もしも食べて欲しい相手がいるのでしたら、愛情は最高の隠し味ですよ」

 

 かあっとまた顔が熱くなる。

 なに? バレバレなの? まるっとお見通しなの?

 

「あ、あの、そういうのじゃ……いえ、はい。ありがとうございます……」

 

 お祖母さんの優しい笑みに、どうにか小声でお礼を言った。

 お祖母さんも小さく「頑張って」と告げると、クララの方へと足を向けた。

 

 はぁ~。

 こういう隠し味って、どの世界でもおんなじなのね。

 

 私はネタを手に取って、そっと最高の隠し味を込めた。

 

美味しいって言ってくれるかな?

 



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第46話 グリン老人

 昨日のオットーさんの言葉を実践したわけでもないんだけど、翌日の午後、俺たちは再び領主の屋敷にお邪魔していた。

 以前ユーゴがオットーさんにお願いしてた前回の勇者とドラゴンの戦いを知っている人に会わせてもらえるということで、3人揃ってやってきたのだ。

 

 通されたのは、昨日と同じ応接室。

 執事のゼバスさんの案内で部屋に入ると、中には既にオットーさんともう一人、簡素なカーキ色の服を着た背の低い老人がソファーに座っていた。

立ち上がって俺たちを向かい入れる老人が眉をひそめる。

 

「なんだ? 物々しいの」

 

 ユーゴ、黒姫、俺の他にクレメントさんとジルベールとイザベルさん、クララ、アンドレにヴィクトール、サフィールが続々と然程広くもない応接室に入ってくるのだ。そういう感想が漏れても無理もない。

老人が座るソファーとテーブルを挟んだ二人掛けのソファーにユーゴと黒姫が、それを両側に見る位置の一人掛けのソファーにオットーさんが座った。アンドレは守護霊のごとく黒姫の真後ろに立ち、俺はその更に後ろでクレメントさんたちと並んで立っていた。護衛騎士たちは壁際で待機だ。

 

 老人はグリンと名乗った。体格はユーゴよりもやや小さい。深い皺が刻まれた鷲鼻の顔を半分隠すような揉み上げから続くひげと強い癖毛の髪は白髪になっていた。

 ユーゴと黒姫が名乗ると、

 

「今度の勇者様は小さいの。ま、儂も小さいから仲良くできそうだ。前の勇者はごつくて偉そうだったからの」

 

 と、意外に野太い声で遠慮なく喋った。

 

「グリンさんは勇者がドラゴンと戦った時に一緒にいたんですね?」

 

 足を運んでもらった礼を述べてからユーゴが切り出した。

 

「その時は一緒にはいなかったの。儂は鍛冶をしておったからの。武器や防具を修繕してやっただけだ」

「勇者がドラゴンと戦ったところは見ていないのですか?」

「見てはいたの」

「そうですか。では、その時のことを覚えている範囲でかまいませんので教えて下さい」

 

グリンさんは「ふむ」と髭を撫でつけた。

 

「あれは春の候を少し過ぎた頃だったかの。勇者と王国の騎士団がサルルルーイの砦にやって来きた。彼らが領主に会いに領都へ、ここではなく前の領都のサルルブールへ行った時にドラゴンはやってきた。ドラゴンは黒い雲と雨を引き連れていた。儂のいた所からは山の陰になって直接は見えなかったが、山の向こうに大きな風の渦ができてドラゴンにぶつかった。ドラゴンは雨の渦を作ってそれに対抗した。その後、いくつもの風の渦と雨の渦が激しくぶつかり合った。どれほどの時間が経ったか、ドラゴンが根負けしたように南の山へと飛び去った。その後に残ったのは、なぎ倒された森の木々と崩れて形を変えた丘々と無残に破壊された領都だ。住民の多くが死に、死人の倍の怪我人もでた。領主の屋敷も崩れ去り、家族もろとも領主も死んだと後から聞いたの」

 

 一言一言嚙みしめるようにグリンさんは語ってくれた。

 

「儂の父は分家でこちらに屋敷を構えておったおかげで悲劇に遭わずに済み、亡くなった大伯父の代わりに領主となったのだ。サルルブールは復興が試みられたが、森が間近にまで迫って魔獣が増えてな。防壁を築いてはみたものの通行にも支障が出るようになって、結局領都もこちらに移すことになった」

 

 オットーさんが苦い顔で補足した。

 もしかしたら、ここの人たちにとって勇者っていうのはそういう悲惨な体験と結びついているのかもしれないな。そう考えると、領民に歓迎されてなかったのもオットーさんの態度が硬かったのも理解できる。

 

「あの、質問いいですか?」

 

 真剣な顔で何事か考えるユーゴの隣で黒姫が遠慮がちに手を挙げた。

 

「何かの?」

「その時、聖女はいなかったのでしょうか?」

「聖女か。いたの。女だてらにあれこれと勇者に指図しておった。気の強い娘ごだったの」

「勇者と一緒に戦ったりしなかったんですか?」

「どうかの。そこまでは見ておらぬ」

「勇者や聖女は無事だったのでしょうか? その、怪我とか」

「多少はあったかもしれぬが、そんな話は例え噂でも口にすることはできなかっただろう。なにせ、勇者様と聖女様だからの」

 

 グリンさんは薄く笑って黒姫たちを見た。

 

「……そうですか。わかりました」

 

 黒姫はそう言って肩を落とした。

 

「勇者様は何か聞きたいことはあるかの?」

 

 ユーゴはちょっと考えてから、

 

「ドラゴンの大きさはわかりますか?」

 

 と聞いた。

 

「儂も遠目から見ていただけだから正しくは言えぬが、この屋敷程の大きさだったと思う」

「風や雨の渦の大きさはどうですか?」

 

 ユーゴの問いにグリンさんがふむと鼻を鳴らす。

 

「ちょうど昨日、バカでかい風の渦が見えたが、あれはお前さんの魔法か?」

「はい」

「なら、比べ易いの。大きさはお前さんの方が大きかった。だが、前の勇者のはもっと高く伸びておったし、消えるまでの時間も長かった。それに同時に何個も見えた」

 

けっこう凄いな。まぁ、単純に比較はできないけど。

 

「ドラゴンの雨の渦はどうでしたか?」

「勇者のものと同じくらいだったの。故に、なかなか勝ち負けがつかなかった。その分、周りの被害も増えたがの」

 

 どこか皮肉っぽいグリンさんの答えにユーゴが黙り込む。

 

「よろしいかの?」

「……あ、はい。教えていただきありがとうございます」

 

 ユーゴが慌てて頭を下げた。その後ろ姿に以前のような力強さが感じられない。

 気にはなるけど、俺もちょっと聞いてみたいことがあったんだ。

 

「あの、俺から質問いいですか?」

 

 ソファーのところまで歩み出て声をかけた。

 

「サルルブールには勇者が先に来て、後からドラゴンが来たんですよね? なんか勇者がドラゴンを待ち伏せしたって言うより、ドラゴンのほうから勇者に向かって来たというふうに受け取れたんですけど?」

 

 普通なら人家に被害が出そうな所で戦ったりはしないだろう。なら、勇者側には想定外の襲撃だったんじゃないか。

 グリンさんはふっと不敵な笑みを見せた。

 

「それについてはおもしろい話を聞いたことがあるの。ドラゴンは勇者を狙ってやってくるのだそうだ」

「え、どうしてですか?」

「勇者にはさんざんやられておるからの。相当恨みを買っておるのかもしれぬの」

 

 と、意地の悪い笑みをユーゴに向ける。

 

「じゃあ、ここにいればドラゴンのほうから来てくれるってわけか」

 

 なにげに呟くと、

 

「それは誠か」

 

 オットーさんが青い顔で聞いた。

 

「またサルルが被害に遭うというのか!」

「本当かどうかは知らぬ。以前に騎士団の奴がそう言ってたのを聞いただけだ」

「マイスナー卿、58年前とは違います。我らの情報網も発達しているし、早く知らせる魔法もあります。既にドラゴンの住処と思われる山の周辺には多数の物見を送り込んでいますから、ドラゴン発見の知らせがあり次第ここから打って出ます。心配無用です」

 

グリンさんの言葉を遮るようにアンドレが断言した。

 

「……それは王国の言葉ととってよいのか?」

「無論です」

 

 オットーさんとアンドレの間に緊張の糸が張る。また余計なこと言っちゃったかな。

 その不穏な空気を察したのか察していないのか、

 

「こんなところでよいかの?」

 

 と、グリンさんが呑気な声で俺たちの顔を見回した。それに黒姫が代表して「はい」と頷く。

 

「儂も年を取ったが、腕はまだまだ現役だ。もし治して欲しいものがあったらいつでも応じるぞ」

 

 グリンさんは快活に笑って席を立った。そして、その笑い顔をオットーさんに向ける。

 

「オットー、酒はあるか? ビールでもワインでもいいぞ」

「ビールでよければ」

 

 オットーさんが小さくため息を吐いて答えた。どうやらグリンさんはこれから飲むようだ。

 

 俺たちはグリンさんとオットーさんにお礼を言って部屋を出た。

 ロビーに出ると、ちょうどゼバスさんが玄関の扉を開けて来客の対応をしているところだった。相手は金髪ロングの背の高い美人。シュテフィさんだ。

 彼女は目敏く俺を見つけると、

 

「やぁ、レン。ここにいたのかい?」

 

 と、ずかずかと中に入ってきた。あいかわらず興味のあることしか眼中にないようだ。アランが凄い顔で睨んでいるが、どうでもいいので彼女に話しかける。

 

「シュテフィさんはどうしてここに?」

「うむ。君に会わせようと思っていた人がこっちに来ていると聞いてね」

「俺に?」

 

 えーとと記憶を手繰る。

誰だっけ? あ、アレだ。ドワーフの、

 

「グリンさん?」

 

 ずんぐりむっくりじゃないけど、背は低くて髭面で酒好きで鍛冶屋……。うん、ドワーフだわ!

あの人だったのか。

 

「彼の工房を訪ねたら、領主様に呼ばれて出かけたと言われたのだが」

「それなら、そっちに」

 

 と、応接室を指さすと、ちょうどグリンさんとオットーさんが出てきたところだった。

 

「領主様とグリンの爺さん」

 

 シュテフィさんは声をかけながら歩み寄ってカーテシーをする。彼女も一応貴族なんだなと再認識する。

 オットーさんは軽く顎を引き、グリンさんは惚けたようにシュテフィさんを見上げていた。

 

「誰だ、このでかい美人は?」

「シュテフィですよ。ベルクマン家のシュテフィール」

 

 シュテフィさんが困り顔でグリンさんに名乗った。

 

「ああ? シュテフィ―ル? あのなんでも聞いてくる小生意気なガキか?」

「はい。その好奇心旺盛な可愛らしい少女だったシュテフィールです」

 

 なにか勝手に情報がすり替わっているが、グリンさんは気にせず呆れたようなため息を吐いた。

 

「はぁー。近頃の奴らはそろいもそろってデカくなりやがるの」

 

 確かに、オットーさんはともかく、シュテフィさんもクララもオスカーさんたちも背が高いんだよな。

 

「それで、用件は?」

 

 オットーさんが聞くと、

 

「はい。実はグリン爺さんに会いたいと言う少年がいたのですが」

 

 シュテフィさんが俺を振り返る。

 

「もう会ったようですね」

「ほう。変な髪色の奴だと思っておったが、なるほどシュテフィールの知り合いだったのか」

 

 なぜか納得したように頷くのが納得いかない。

 シュテフィさんにくいくいと手招かれて、そういえば名乗ってなかったなと思い出す。

 

「申し遅れました。レン・タカツマです」

「儂に会いたかったと?」

「ナーン族の人に是非会ってみたかったんです。グリンさんはナーン族だったんですね?」

「ナーンなど別に珍しくもなかろう。エルフと違っての」

 

 グリンさんはふんと鼻を鳴らした。

 

「やっぱりエルフとは仲が悪いんですか?」

「そのとおり! きゃつらはいつもいつも人を上から見下ろしやがる。自分らだけが正しいと思っとるいけ好かぬ奴らよ!」

 

 おお。それでこそエルフとドワーフ!

 

「……会ったことは無いがの」

 

 盛大にズッコケた。

 この爺さん、お笑いの壺を押さえてやがる。

 

「レン、我々は砦に戻るが?」

 

 グリンさんに尊敬の眼差しを向けていると、背後からアンドレが問いかけてきた。言外にお前はどうでもいいけれどと含んでいる気がするが、たぶん気のせいじゃない。

 

「あ、俺はシュテフィさんに話があるんで、お先にどうぞ」

「そうか」

 

 アンドレはあっさり答えると、「では、マイ。行こうか」と黒姫をエスコートした。残りのメンバーもそれに続いた。クレメントさんだけは話に加わりたそうな顔だったけど。

 

 それを見送ってから、改めてシュテフィさんに向き直る。

 

「えっと、シュテフィさんに見せたいものがあるんですけど」

「ほう? 何かな?」

「それで、その」

 

 と、オットーさんの顔を窺う。

 

「こちらの部屋のどこかをお借りすることはできますか?」

 

 ダメなら、どこかその辺の道端でもいいんだけど。

 オットーさんは感情のわからない顔で俺を見返した。

 

「……それは、クララも残るということか?」

「へ? はい、まぁ」

 

 クララを見ると、小さく頷いていた。

 

「よろしい! 存分に使いたまえ! なんなら夕食も食べていくがよい! いや、泊っていけ!」

 

 オットーさんがいきなり破顔した。クララ大好きかよ。

 

「その応接室でよいか?」

「あ、はい。ありがとうございます」

「レン、見せたいものとは何だい?」

 

 オットーさんにお礼を言ってる傍から、シュテフィさんが待ちきれずに催促してきた。この人はほんとに……。

 

「実は、こんなものを拾って」

 

 やれやれと革袋から討伐の帰りに拾った黒い石を取り出して見せた。

 

「この石かい?」

 

 シュテフィさんが怪訝な顔で首を捻る。

 

「この石がどうかしたのかな?」

「はい、この石から――」

「ほう、こりゃあ燃石じゃないか」

 

 俺の説明を遮ってグリンさんが覗き込んできた。

 

「燃石?」

「そうだ。懐かしいの。あの山で拾ったのか?」

 

 グリンさんは俺の手から燃石と呼んだ石を奪ってしげしげと眺める。

 

「あ、直に触ると手が黒くなり――」

「知っとるわい」

「そ、そうですか。グリンさんはこれが何か知ってるんですか?」

 

 グリンさんは石を眺めたまま「ああ」と頷くと、

 

「オットー、儂もこいつらに付き合うから、酒はこっちに持ってきてくれ」

 

 と、勝手に応接室に入っていった。

 俺はシュテフィさんと顔を見合わせて肩を竦めると、その後を追う。

 

「クララはこちらだろう?」

 

 俺に続いて応接室に入ろうとしたクララをオットーさんが呼び止めた。

 

「いいえ、お祖父さま。昨日はレン様のご厚意でお休みにしていただきましたが、今日はレン様のお側にいます」

 

 クララはきっぱりと言ってパタンと扉を閉めた。その向こうで何かが聞こえたが、クララは知らんぷりでててっと俺の傍に来る。後が恐いなぁ。

 



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第47話 燃石と魔素

 応接室に入って、今度はソファーに座る。クララもと声をかけたけど、首を振って壁際に退いた。

 じゃあ、さっきの続きを。

 

「燃石、でしたっけ? どんな魔石なんですか?」

「魔石? 魔石なのか、これは。初めて見るが……」

 

 さっそく質問すると、横からシュテフィさんが見入ってきた。

 

「魔石だぁ? いや、ただの石だぞ」

 

 グリンさんはきっぱりと否定した。

 

「ただし、火をつけると燃える」

「燃える? 石が燃えるのか?」

 

 シュテフィさんはグリンさんから手渡された燃石をかざすように持ち上げた。

 

「まるで炭のようだな」

 

 あ、そうか! 石炭か! 

 この世界には木炭はあるけど石炭は使ってないみたいだったから、たぶん知らないんだ。

 正直、俺も実物は見たことも触ったことも無いんだけど、たぶんそうだ。

 

「俺はこれを旧領都の近くの山で拾ったんですけど、グリンさんはどこで見つけたんですか?」

「儂もその辺りの山だの。60年くらい前か。仲間とあの辺りを片っ端から掘ってみたんだが、その石ばかり採れてのぅ。燃えるのはいいが、においは酷いし黒い煙がわんさか出るしで、これは使えないってなっての。それで掘るのを止めた」

 

 ああ、そうだ。あったよ、炭田が。確か、ドイツの……ザール炭田だったかな? 

 ドイツ南西部、フランスとの国境付近にあるドイツ有数の炭田だ。ザールとサルル。地名もそこはかとなく似てるし間違いない。

 

 そこへ、妙齢の方のメイドさんがビールの入ったコブレットを3つ運んできた。

 

「あ、俺は飲めないんで」

 

 俺の分のコブレットをグリンさんに進呈する。

 

「なんだ、まだ子供だったのか。ま、遠慮なくもらうけどの」

「レン様にはお茶をお入れしますね」

 

 と、クララが一旦退室する。

 グリンさんがグイっとコブレットをあおる横でシュテフィさんも口をつけた。そして、ふーっと息を吐いて俺に向き直る。

 

「それで、レン。君はこれを魔石と言ったが、魔力を感じたのかね?」

「はい。それで気になって拾ってきたんです」

「は? 魔力を感じる? なんだそれは?」

 

 グリンさんが早くも酔ったような目付きを俺に向けて胡乱気に聞いてきた。

 

「レンは勇者や聖女と同じ異世界から召喚された人間なんです。勇者や聖女が特別な力を持っているように、彼にも誰も持っていない特別な力があるんですよ。それが魔力を感じる力。我々が魔法を使う時や持っている魔力の量がわかるのです。無論、人だけではなく物も然り」

 

 シュテフィさんが身を乗り出すようにして熱弁を振るう。

 

「ほう。特別な力か。それでそのようにおもしろい髪の色をしているのか」

 

 うん、これは黒姫のせいなんだけど、説明が面倒なのでまぁいいや。

 

「で、話を戻すが、つまりそれは魔石ということになるのだな。燃えるということは火属性か」

「それが、そういう属性が全然無いんです。ただの魔素って感じです。魔素の塊。強いて挙げるなら土属性かなとは思うんですけど」

「魔素の塊……」

 

 シュテフィさんはふむと考え込む。

 

 石炭は炭素の塊だ。けど、これは魔素の塊でもある。

 この世界に存在するもの全てに魔素が含まれているそうなんだけど、普通の石や土の魔素は俺には感じ取れない。それだけ微量だということだろう。

 でも、この石炭からはしっかり感じ取れる。うーん……。

 

 石炭ってアレだよな。すっごい大昔に生えていた植物が枯れて腐りきる前に泥みたいになって堆積したものが地下深くでなんやかんやあって石みたいになったヤツだ。ということは、元は植物か。確か、この世界では木は切られて木材になってもその魔素が残ってるんだったよな。もしかしたら、そういう理屈で植物の魔素が長い年月を経て属性の無い魔素として残ったと考えられないか? あるいは炭素そのものの魔素が特別だとか? だから、炭素化合物、ひいては有機物、生物の持つ魔素が無機物の魔素と違う理由……? 

 

 まぁ、言うだけ言ってみよう。

 戻ってきたクララが淹れてくれたお茶を一口飲んで、

 

「えっと、俺のいた世界にもこの燃石と同じように燃える石があるんですけど、それって元は大昔に生えていた植物で、それが枯れて積もって潰されて石みたく硬くなったものなんです。もし燃石が同じようにできたとしたら、これが魔素の塊に感じられる理由になりませんか?」

 

 シュテフィさんに説明すると、2杯目のビールを飲んでいたグリンさんが、

 

「草が石になるのか?」

 

 と、からかうように横槍を入れる。

 

「だって、土を魔法で固めて石みたいにできるじゃないですか。だったら、草だって石になっても不思議じゃないでしょう? 大地がそういう魔法をかけたんですよ。これは大地の魔法の産物なんです」

 

 ちょっとポエミーな理屈だけど、

 

「大地の魔法……。とても素敵な魔法ですね。レン様」

 

 クララには受けたようだ。

 シュテフィさんもふふっと笑ってから、

 

「これが魔素の塊だとすると、いろいろ考えついたことがある」

 

 と、表情を真剣なものに戻した。そして、グリンさんに問いかける。

 

「グリン爺さん、この石を片っ端から掘ったと言っていましたが、今それはどうなっていますか?」

 

 グリンさんは少し赤くなった顔を天井に向けて「んー」と記憶を手繰るようにして言葉を続けた。

 

「……最初はおもしろい石だって調子に乗ってどんどん採掘していたが、使い道が無いとわかってその辺に積んでほったらかしだったの」

 

 使い道が無いって、蒸気機関とか製鉄とかの需要があるはずなんだけど……。あ、製鉄は金魔法でするのか。蒸気機関も魔法があれば必要なくて発明されてないのかも。なるほど、使い道は無さそうだ。

 

「まぁ、今は跡形も無くなっておるがの。たぶんアレだな。勇者とドラゴンが戦った時の風の渦でどっかに飛んでいったんだろうよ」

「つまり、あの辺り一面にまき散った可能性があるわけですね?」

「あ、俺もあの森のあるあたり一帯の地面にこれと同じような魔力が広がっているように感じました」

 

 俺からも補足すると、シュテフィさんは「ふむ」と深く頷いた。

 

「レンはここの料理の食材に含まれている魔素が多いという話を覚えているかい?」

「あ、はい」

「それはつまり、ここで採れる農産物は魔素が多いということだ」

「ですね」

「じつは、領主様にも確認したのだが、ここサルルではデュロワール王国の他の領と違って農産物の収穫量は減っていないんだ」

 

 あ、前にそんな話してたな。だからペネロペの実家のパン屋の経営が苦しくなったんだっけ。

 

「私はね、サルルの農産物の収穫量が他の領地のように減っていない理由を魔素が多いからではないかと考えたんだ」

「魔素に植物の成長を促進させる効果があるっていうことですか?」

「そのとおり。やはり、レンは理解が早いな」

 

 まぁ、魔素を養分だと考えればそうなる。

 

「では、なぜこの土地の農産物に魔素が多いのか? 作物を育てるためには土と水が必要だ。ならば、そのどちらか、あるいは両方に多量の魔素が含まれているために、それで育った作物も多くの魔素を持つようになったと考えられないだろうか?」

「ここの土地にこの石がまき散ったってことですか? でも、この辺の地面からは感じませんけど。この魔素」

「少し離れているからね。それほど多くはなかったのだろう。それに水だ」

「水? あ、上流のあの森からか」

「そう。たぶん、勇者たちの強風でまき散った時に粉々になったのだろう。それほど硬い石ではないようだしね」

 

 シュテフィさんは石を触って黒くなった手を見せる。

 

「細かい粒になってあの森、もとは森ではなかったが、あのあたり一帯に散り広がったとするならば、いずれ水に交じって流れてくると考えてもそれほどおかしくはないだろう」

「だがのぉ、そもそも魔素が作物を育てるというのは本当かの? 儂にはどうも信じられんがの」

 

 グリンさんが疑り深く問う。

 この世界の人たちにはもっともな疑問なのだろう。シュテフィさんの方もちゃんと答えを用意していたようだ。

 

「あの魔獣の住む森、グリン爺さんがこの石を掘っていた60年前はどうなっていましたか?」

「ところどころに森があるどこにでもある牧草地だの」

「あのような森になったのは?」

「確か、50年くらい前だろう。その後、サルルーイに領都が移ったはずだの」

「その間に勇者とドラゴンの戦いがありましたよね」

「偶々だろう」

「では、さっき私を見て、『近頃の奴らはそろいもそろってデカくなる』と言ってましたね?」

「ああ、そうだとも。オットーぐらいはいいが、それより若い奴らはみんな妙に大きい。いったい何を食ったらそんなに大きくなれるんだ?」

「それですよ」

 

 シュテフィさんがピンと指を立てた。

 

「魔素が多い食べ物を食べたからだとすれば説明がつきませんか?」

「ふむ」

「あの森を上流に持つ川の水で育てられたサルルの作物はよく育つ。それを食べた家畜もよく育っている。そして私たちだ」

 

 シュテフィさんは立ち上がって両手を大きく広げて胸を張って見せた。

 

「良く育っているでしょう?」

 

 ええ。クララともども目のやり場に困るほどに。

 

「領主様のようにサルルでおよそ50年前よりも前に生まれた人たちの体格は他の領の人たちと明確な差は見られません。しかし、それよりも後、オスカー様やビアンカ様以降は皆体格が良いし育ちも早いことはよく知られています。魔獣の子と呼ばれるくらいに」

 

 なるほど。でも、

 

「それって別の理由があるかもしれませんし、魔素で成長が良くなるという証拠にはならないんじゃないでしょうか? それに、オットーさんだってここの農産物を食べてるし、逆にシュテフィさんは王都で暮らしてた時間の方が長くないですか?」

 

 と、一応指摘しておいた。

 たぶん遺伝子的な何かだと思うんだけど、生物は苦手だし下手なことは言えない。

 

「そうだな。魔素と作物の成長の関係、そしてそれを食べることによっておきる影響やその仕組み。それを確かめるためにはいろいろ実験をしてみなければならないだろう。それにはあの石が大量にいる」

 

 シュテフィさんはそう言ってグリンさんに向けて姿勢を正した。

 

「グリン爺さん、私をその燃石が採れる場所に連れて行ってください」

「それくらいはお安い御用だ」

「ありがとうございます」

 

 シュテフィさんはグリンさんに礼を言うと、俺とクララに顔を向けた。

 

「もし、この仮説が正しいとすると、魔獣が生まれる原因にも応用できる」

「魔獣も魔素を多く含んだ草や葉を食べて大きくなったわけですか?」

「その魔獣をエサにしている魔獣もな。要するに、魔素の多いものを食べて大きくなった獣、それが魔獣だ。つまり、私たちと同じなんだよ」

「じゃあ、お主たちはさしずめ魔人かの」

 

 と、アルコールのまわったグリンさんが茶化す。

 

「そう、魔素を大量に取り込めば人間も魔人になる可能性はあります。幸い、今のところ作物や我々が取り込んだ魔素は森に住む魔獣ほど多くはなかったのでしょう。逆に魔獣は大量に魔素を取り込んでいるのです。その体に魔石ができるほどに」 

 

 なるほど。体内の魔素過剰が原因で魔石ができるわけか。って、それ結石じゃね? 

 

「あるいは、魔獣が凶暴になるのも取り込んだ魔素の多さと関係があるのかもしれない」

「では、私たちも凶暴になるのでしょうか?」

 

 クララが不安そうに訊ねた。

 

「魔素を大量に摂取すれば可能性はあるけれど、要は加減の問題だ。取り過ぎなければ大丈夫だろう。それよりも、今私が言いたいことはそこではない。魔獣が生まれる原因が魔素の過剰摂取にあるということだ」

 

 不安な表情のままのクララに、シュテフィさんは優しい笑みを向ける。

 

「つまり、魔獣が生まれる原因は魔素の多さであって穢れなどという曖昧なものではないと言うことだよ。いや、元より穢れなんて無いのかもしれない」

 

 その言葉の持つ意味がわかったのか、クララが大きく眼を見開いた。

 

「では、あの森もこの土地も穢れていないのですね?」

「ああ、そうだ」

「私たちも穢れてなんていないのですね?」

「もちろんだ」

 

 そしてシュテフィさんは心から嬉しそうに俺を見た。

 

「レン。君のおかげだ。君があの石を見つけてくれたおかげだよ」

「いや、石を見つけたのは偶々ですし」

「それでも、君に魔素を感じる力が無かったらただの石ころとして見過ごされていただろう。君は本当に本当に面白いよ。君が召喚されてくれてよかった」

「はい。私もそう思います」

 

 クララも緑の瞳を潤ませて俺を見つめる。なんかいい雰囲気だな。

 シュテフィさんが「だがしかし」と空気を引き締めるように口調を改めた。

 

「それが正しいと実験で証明しないことには始まらない。グリン爺さん、頼みましたよ」

 

 言われたグリンさんもなんだか感慨深げだ。

 

「フハハハハハ。あの役立たずだと思っておった石っころが必要とされるなんてのぉ……。燃石に幸あれ!」

 

 と、コブレットを掲げて一気にあおった。そして、

 

「さて、儂はビールのおかわりをもらいに行ってくるの」

 

 と、立ち上がる。

 

「あ、それでしたら私が」

 

 クララが申し出ると、

 

「オットーの孫娘をこき使うとうるさいからの」

 

 やれやれという感じで扉を開けて部屋を出ていった。

 ちょうどいい。

 クララに果実水を頼んだ。シュテフィさんにもう一つ、他の人には聞かれたくない話をしたかったから。

 クララが部屋を出るのを待って、

 

「シュテフィさん。俺、ゾーイっていう人に会いました」

 

 と言うと、シュテフィさんは一瞬目を見開いた後、ふっと小さく微笑んだ。

 

「……元気にしていたかね?」

「憑依魔法越しだったけど、元気な感じでしたよ」

 

 『憑依魔法』という言葉にピクリと彼女の眉が動いた。

 

「王宮であった憑依魔法も彼女が?」

「そう言ってました」

「そうか……」

「ゾーイさんはお母さんから継子を継いだ後、しばらくロッシュにいたそうですね? その時のことを教えてください」

 

 シュテフィさんの視線が手元のコブレットに落ちる。

 

「レンが考えているとおりだよ。彼女はよく私の研究室に来ては魔獣や魔獣の魔石のことを熱心に聞いてきた」

「闇魔法……。憑依魔法や使役魔法のこともですか?」

「具体的な方法までは話題にしなかったと思う。私も魔法自体は詳しくないしね。ただ、それがゴールで使われている魔法だと口にしたことはある」

「だから、彼女はロッシュを出てゴールに行ったんですね?」

「どこに行ったかはわからなかったが、たぶんそうだという確信はあったよ」

「彼女は闇魔法、いえ、使役魔法で何をするつもりなんですか?」

「私にはわからない。だが、使役魔法と聞いて思い出したことがある。ずいぶん突拍子もない質問だったけれど……」

 

 シュテフィさんはそれを懐かしむように、あるいは悔やむように眼を伏せた。

 

「それは?」

「ドラゴンは使役できるか、と」

 



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第48話 ナエバサクラの遺志

 急いで砦の宿舎に戻った。オットーさんにはずいぶん恨まれたけど、仕方ない。

 ちょうど夕食のタイミングだったから「打ち上げのやりなおしだ!」と無理やり3人にさせてもらった。

 

「何? 今度は」

 

 黒姫がめんどくさそうに聞いてくる。

 俺は気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸してから口を開いた。

 

「ゾーイさんはドラゴンを使役するつもりだ」

「え、いきなり何?」

 

 む。ちょっと端折りすぎたか。

 

「シュテフィさんからゾーイさんがロッシュにいた時のことを聞いたんだけど、彼女は使役魔法に興味があったみたいなんだ。それで、シュテフィさんにドラゴンは使役できるかって聞いたらしい」

「ドラゴンなんて使役できるの?」

「ドラゴンが魔獣の一種なら不可能とは言えないって」

「それ、できるってことじゃないわよね?」

「うん。今はできるできないは一旦置いといて、要は彼女がドラゴンを使役するつもりだってこと。そのために彼女はロッシュを出てデュロワール王国も出てゴール王国に行ったんだ。ゴールでは魔獣を操る使役魔法を使ってるから、それを習得するために」

「ちょっといきなりすぎて情報処理が追い付かないんだけど、とりあえずゾーイがドラゴンを使役できるってことでいいわ」

「オッケー。で、俺はこれがサクラさんの遺志なんじゃないかって思ってる」

「これが? ドラゴンを使って何かをさせるのが遺志じゃないの?」

「あ、もちろんそう。ドラゴンは手段だよ。ドラゴンを使う、使役する。だからドラゴンが現れる年までお祖母さん、お母さんと遺志を継いで来たんだ。そしてゾーイさんで終わる。彼女言ってたんだ。継子は自分で終わりって」

「手段の確保ってわけね。じゃあ目的は何?」

「魔獣じゃなくてドラゴンで僕を殺す?」

 

 身を乗り出す黒姫の横でユーゴが自嘲気味に笑った。

それには黒姫が異論を唱える。

 

「高妻くんがキメ顔で言ってた『勇者にドラゴンの邪魔をさせずにデュロワールにも豊穣の雨を降らせて農産物の不作を改善させることなんだ!』じゃない? ドラゴンを操れるなら簡単でしょ?」

 

 キメ顔まで真似するんじゃねーよ。ダメージが過ぎるだろ。

 

「でも、それハズレだったよね?」

 

 更にユーゴが塩をすり込んでくる。ぐぬぬ。

 けど、そんなことは今俺の頭の中にあることに比べたら些細なことだ。

 

「俺はさ、ゾーイさんが言ってた、日本に帰るのを諦めろってのが引っかかってたんだ」

「ブラフじゃない? 私たちを混乱させようとしてるのよ」

「ブラフじゃないとしたら?」

「僕らを殺す」

「ユーゴの思考は物騒なやつばっかだな」

「ドラゴン討伐に失敗して日本に返してもらえない」

「そんな不確実な話じゃない。もっと単純なやり方があるんだ。俺たちが帰れなくなるようなことが」

「確実で単純な? ……あ」

 

 黒姫はすぐに思い当たったようだ。その顔が青ざめる。

 

「送還の魔法陣を壊す……」

「え……」

 

 ユーゴも絶句した。

 

「ドラゴンを使って魔法陣のあるロッシュ城の塔を壊す。それが俺が推測したナエバサクラの遺志だ」

「で、でも、塔を壊すくらいなら大砲とか魔法とかで十分じゃない?」

「まず大砲はこの世界にはまだ無い。それから人間の魔法程度じゃ壊せない。まぁ、ユーゴならできると思うけど」

「本当?」

「シュテフィさんに確認した。あの塔には強力な魔法障壁がかけられているって」

 

どうりであの塔だけキラキラして見えたわけだ。あれ、魔法障壁だったんだ。

 

「だから、魔法の攻撃でも多少の物理攻撃でも壊せない。ただし、ドラゴンは保障の限りじゃないだとさ」

「壊されたとしても、また作ればいいんじゃないかな?」

 

 ユーゴが楽観的な希望を口にする。もちろん、それも考えた。

 

「召喚の魔法陣はあの塔に複雑に組み込まれていて、魔法陣を作った魔術師じゃなければ再現できないだろうって。シュテフィさんに確認したらそう言ってた」

 

 目に見える魔法陣だけが魔法陣ではないのだ。

 

「どうして……、どうしてナエバサクラはそんな酷いことをしようとするの?」

 

 黒姫が溢れそうになる感情を抑え込むように言った。

 

「想像でしかないんだけど、サクラさんは自分をこんな世界に呼び込んだ召喚魔法が憎かったんじゃないかな。じゃなかったら、自分のような思いをする召喚者をこれ以上増やしたくないと思ったのかもしれない。だから、召喚の魔法陣を壊そうと思った。でも、自分にはその力が無い。他の誰かでも無理。だったらどうする? 人間にできないなら人間じゃないものにやってもらうしかない。そこでドラゴンに白羽の矢を当てた。ドラゴンの力ならイヤと言うほど知ってるから」

 

 言葉を切って二人を見る。真剣な瞳が続きを促してくる。

 

「きっとサクラさんは聖属性なら使役魔法を使えることをどこかで知ったんだろう。でも、ドラゴンが現れるのは58年後だ。それまで生きている保証はない。だから聖属性しか持って生まれてこない自分の娘たちに願いを託したんだ。継子として願いを継ぎ、ドラゴンを使役して叶えるように。ただし、その時にはもう次の召喚は終わっている。そして、彼らには帰る術は無い。自分の子孫がそれを奪うから。そのせめてもの罪滅ぼしにあのタペストリーにメッセージを残した。なるほど、この世界に残ることを前提にしてるわけだ」

「そんな……」

 

 黒姫はぎゅっと目を瞑って一つ深呼吸をした。

 

「高妻くんの話は筋は通っているかもしれないけれど、仮定に仮定を重ねているわ。確証が無いし信憑性も低い。もっと精査しないと」

 

 黒姫ならそう言うと思った。

 

「俺もさっきシュテフィさんと話していて思いついただけだから、もっと検討しなきゃって思ってるし、全然的外れかもしれない。ロッシュを守りに行ったら王宮を襲われたってなるかもしれない。それでも最悪のパターンを考えて考動するべきだと思う。それは日本に帰れなくなることだ」

「そんなの絶対にイヤ!」

 

 黒姫が感情をそのまま声に出した。

 

「だから、今できる最善のことをしよう」

「どうするの?」

「できれば今すぐにでもロッシュに帰りたい。でもさすがにそれは無理だろう。理由を説明できない」

「どうして?」

「黒姫が言ったように俺の説は確証が無い。それに、できればゾーイさんのことは話したくない」

「なぜ? ゾーイなんてどうでもいいじゃない」

 

 黒姫の眼が恐い。ちょっと落ち着いて。

 

「俺もそう思うけど、一連の犯人がゾーイさんだってバレるとルシールや家族にまで罪が及ぶかもしれないんだって。それは嫌だろう?」

「うっ……」

 

 ルシールまで罪に問われると聞いて、黒姫が黙り込む。

 代わりにユーゴが口を開いた。

 

「じゃあ、レンはどうするつもり?」

「アンブロシスさんに相談してみる。全部話して、ユーゴと黒姫をせめて王都に呼び戻せないかって。王都からなら転移魔法があるし、いざという時にすぐにロッシュに行ける。それに、あの爺さんならゾーイさんのこともうまく誤魔化してくれそうだし」

「レンだけ王都に戻るってこと?」

「今動けるのは俺くらいだろ? ドラゴンが現れるまでまだ日数的に余裕あるし、絶対になんとかするから、ユーゴたちはここで待っててくれないか」

 

 確証もないし、かなりやっつけな計画だけど。

 

「うん。だけど、僕はただ待ってはいないけどね」

 

 いたずらっぽく笑うユーゴに眼で問うと、

 

「どうも今の僕の魔法じゃドラゴン退治は無理みたいだからね。必殺技を考えておくよ」

「お、おう」

 

 イヤな予感しかしない。いや、技の威力は心配してないけど、ネーミングがね?

 

「じゃあ、私も協力するわ」

 

 黒姫がぐっと拳を握ってやる気を見せる。

うん? 黒姫が協力って何するんだ?

 

「まずは、高妻くんが王都に帰る理由を考えてあげるわね」

「理由?」

「ただ帰るって言って帰れるわけないでしょ?」

「確かに……」

 

 さすがは黒姫。

 

「じゃあ、理由はこうね。えっと、高妻くんはここにいても何の役にも立たないと自覚して、することが無くてつまらなくなって王都に帰りたくなったってことでどうかしら?」

「う、うん……」

 

 なんか納得しづらいんだけど。

 

「オッケーね。じゃあ、すぐにクレメントさんかアンドレに言ってきて。あとは、高妻くんの説の検証ね。シュテフィさんにはゾーイのことを聞いてもいいのね?」

「いいけど、お前の周りていっつも誰かいるじゃん」

「そこはうまくやるわよ」

 

 黒姫もユーゴもめっちゃやる気出てるな。なら、俺もしっかりやらないと。

 

 こうして、俺たちの秘密の作戦は動き出した。

 



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第49話 王都に戻って

 黒姫の考えた理由を言って王都に戻りたい旨を伝えると、クレメントさんは渋々と、アンドレは表情を変えずに即答で許可を出してくれた。

 一番の難敵はオットーさんとオスカーさんだった。なぜ帰るのか、いやお前はいいがクララは置いて行けと、置いてけ堀もかくやとばかりに呪詛の言葉を吐き続けられた。まぁ、クララの「そんなことを言うお祖父さまとお父さまは嫌いです」の一言で片付いたけど。

 

 そんなこんなで、翌々日には俺とクララは乗ってきた馬車に揺られてサルルルーイの砦を後にした。

 

 

※  ※  ※

 

 

 サルルルーイから王都に戻る俺とクララの護衛に第13分団から騎士が2人、馬車の御者とかにその従者たちが同行してくれた。

 来るときはずっと馬車に揺られて来たけど、帰りは船を使うらしい。デュロワールにいくつも作られている運河を利用するのだ。距離的には陸路よりも長くなるが、風や水の魔法を使って航行するので、馬を休ませなければならない馬車よりもずっと早く移動できるのだそうだ。特に俺たちみたいな少人数ならだんぜん船の方が便利なのだとか。

 

船に乗る時に騎士の1人とその従者は馬車を持って砦に帰った。残った騎士と従者が王都まで付き添ってくれる。

 船は荷物も大量に載せていて10人も乗ればいっぱいだ。乗務員は平民の4人。うち2人が交代で操船するようだ。

 

 小川のような運河は日本の川のような堤防は無くて、岸にはずっと木々が生えている。その景色の中を小さな帆に魔法で起こした風を当てた船は流れるように進む。揺れが少なくて気持ちがいい。そして意外に速い。なんかまじまじと魔法の便利さを実感した。

 

 たぶん今は8月上旬くらいなんだろうけど、移動中は川の上だからか涼しく過ごせたし、たまに通り雨があった程度で天気も良く、これといったトラブルも無しに10日もかからずに王都に着くことができた。

 

 

 

 アルセーヌ川の船着場からは徒歩で王宮に行き、城門の入り口でクレメントさんに書いてもらった手紙を見せるとすぐに入城の許可が下りた。護衛の騎士の任務はここまで。この後は、騎士の詰め所で待機(と言う名の休暇)だそうだ。

 

 俺とクララはそのままロクメイ館へ向かう。ロクメイ館の中は数人の下働きが掃除をしているだけで、しんとしていた。

 とりあえず使っていた部屋に荷物を置いて一息入れているところへカロリーヌさんがやってきた。黒姫の侍女頭をしていたこげ茶の髪をひっつめにした品のいいおばさんだ。

 俺一人が戻ってきた理由(脚本:黒姫)を言うと半眼で見られたけれど、王都を出てからの黒姫の様子を聞かせて欲しいとのことだったので、当たり障りのない範囲で報告してあげた。戻ってきたらさぞかし嬉々として所作の指導をし直すことだろう。

 ついでに、アンブロシスさんとルシールへの面会の要請もお願いした。

 

 翌日にはルシールからの返事が届き、ちょうど王宮に来ているとのことで次の日の午後に会えることになった。

 アンブロシスさんのほうは生憎ロッシュ城にいるそうで、返事が来るまでしばらくかかりそうだ。

 

 1日暇な日ができたので、朝はゆっくり過ごして、お昼前に平民っぽい服に着替えてロクメイ館を出た。前みたいに外出を厳しく制限されないので簡単な手続きで王宮の門をくぐる。向かう先は平民の街。ほら、サルルルーイがつまらなくて戻ってきた設定だから、それっぽい行動を取らなくちゃね。

 

 王都パルリはアルセーヌ川を挟んで貴族街と平民街に別れていて、平民街は王宮から川下に向かって左側、アルセーヌ川の左岸にある。厳密には平民街の中にちょっとした宮殿みたいのがあったり、貴族街に平民の店があったりするのだが、だいたいそういう認識でオッケーだ。

 

 あいにくのどんよりとした曇り空の下、橋を渡って平民街に入る。

商店の並ぶ大きな通りにその店はあった。

 この界隈では平均的な3階建てで、壁には薄い黄土色のレンガが使われている。窓に当たる部分には円を基調にした金属の枠に色のついたガラスがはめ込まれて、なかなか洒落た雰囲気の店だ。

 建物の端に壁から突き出す感じで小麦に麵棒をあしらった看板がついている。書かれている文字は、『フールニエ』。

 

 というわけで、ペネロペの実家のパン屋、フールニエ商会にアポなしで来ちゃいました。

 木製の扉を開けて中に入ると、店内の壁一面に備えられた棚には、フランスパンと言われて一番に思い描くような細長いパンは見当たらず、何種類かのサイズのこんがり焼けた円いパンが並んでいた。数人のお客がそれを選んで手に取っている。

正面のカウンターに店員がいるけど、特に声をかけてくる様子は無い。その横、一番目につく棚には例のベーコンサンドが並んでいた。

 ふと、パン棚の上に飾られているモノクロの人物画が目に入った。なんか見たことがあるような……。

 

「あれ? もしかしてレン様?」

 

 絵を睨んでいると、戸惑うような声がした。ペネロペだ。

 

「こんにちは、ペネロペ」

「はい、いらっしゃいませ。ええと、また、髪の色が変わってますけど……」

 

 そうなのだ。サルルルーイを出る前に黒姫に頼んでカラスが泥水を浴びたようなと言われた髪色を綺麗に脱色しなおしてもらっていたのだ。おかげで、王都への移動中も街中でも注目を集めることは無かった。まぁ、顔立ちとか肌色は東洋人のままなので、チラチラとは見られたけど。

 ただ、ペネロペに「髪色が違うから一瞬誰だかわかりませんでした」と言われたのはちょっとショックだったな。何? 俺って髪色で認識されてたの? 髪が本体なの?

 

 ペネロペは焼きたての香りがするパンが入った籠を抱えて、

 

「レン様もユーゴ様たちと一緒にドラゴン討伐に行かれたのではなかったんですか?」

 

 と、不思議そうに俺を見た。

 

「ちょっと用事が出来て一旦戻ってきたんだ」

「そうでしたか。それで、今日はうちのパンを買いに来てくださったんですか?」

 

 愛嬌のある笑顔でそう聞かれたけど、

 

「ごめん。ちょっとお兄さんに用があって」

 

 と答えると、こげ茶の眼を不満そうにしていた。それでも、「では、こちらへ」とカウンターの奥へと誘う。

 そこにあった扉の向こうはパンを焼く工房で、火属性の魔法を使って焼くそうなんだけど、各店で秘伝があるらしい。

 

「工房へは他所の人は入れないので」

 

 と、階段を上った所の部屋に通された。

 

 たぶん商談用の部屋なのだろう。10畳程の部屋の中央に2人掛けのソファーがテーブルを挟んで置いてあった。その奥に大きな机があって、窓の外には通りを挟んだ向かい側の建物が見える。一方の壁には暖炉。

貴族の応接室に比べるとこじんまりとして装飾品も少ないけど、綺麗に整頓されていて心地いい。

 ペネロペはテキパキとお茶を淹れてから、お兄さんを呼んできてくれた。

 

「レン様、お久しぶりで……え? レン様ですよね?」

 

 入ってくるなり、お兄さんの訝し気な視線が俺の頭を捉える。この人も髪の色で覚えてたのか。

 

「ちょっと髪色は変わりましたけど、レンです」

 

 立ち上がってそう言うと、お兄さんの後からお父さんのポールさんも入ってきた。

 

「レン様、ようこそ我がフールニエ商……レン様?」

 

 もういいよ。

ついでに、「レン様」というのをやめてもらった。やっぱり年上の人に様付で呼ばれるのは落ち着かないからね。メイドさんに呼ばれるのは全然いいんだけど。ていうか、呼ばれたい。

 

「ドラゴン討伐のほうは終わったんですか?」

 

 ソファーに腰を下してピエールさんが口を開く。

 

「いえ、俺はそっちはあんまり役に立たないんで。実は、また変わったパンを作っていただけないかと相談に来たんです」

「変わったパンとは『ベーコンさんど』のようなものですか?」

「だいたいそうです」

「今度は何を挟むのですか?」

 

 ポールさんも興味深そうに聞いてきた。

 

「フリカデラです」

「フリカデラ? 聞いたことがありませんが、それも『まよねーず』のようにレンさんのいらした世界のものですか?」

「いいえ。彼女の実家で食べられている料理です」

 

 と、クララを紹介する。

 そして、クララに書いてもらったフリカデラのレシピを渡してハンバーガーの説明をすると、二人とも興味津々に食いついてきた。

 

「これは面白そうなパンになるな」

「うん。このフリカデラっていうのは王都では知られてないし、これなら『ベーコンさんど』のように真似できないよ」

「今度こそうちの看板商品にしてやるわい」

 

 親子でひそひそとやっているけど、

 

「あ、やっぱり他のお店に真似されちゃいましたか。ベーコンサンド」

「はい。お恥ずかしい話ですが、レンさんの言うとおりです。発売したばかりの頃は、行列がつくほどに売れたのですが、すぐに他の店でも売り出されまして」

「しかも、うちよりも安い価格で」

 

 フローレンスが言ってたとおりだ。

 

「ハンバーガーも真似されるんじゃないですか?」

「フリカデラの作り方を知らなければ簡単には真似できないでしょう」

 

 そうかなぁ。

 

「マヨネーズのほうはどうなりましたか?」

 

 聞くと、ピエールさんはにんまりと口角を上げた。

 

「ええ、レンさんの希望どおりのものが作れるようになりました。今日は用意できませんが、明日にでも試食していただけますか?」

 

 明日か。ルシールとの約束は午後だから、

 

「昼前なら時間あります」

「では、お待ちしております」

 

 お兄さんは自信満々だ。これは期待してもよさそうだな。

明日の再来を約束して暇を告げた。

 

 

 

1階の売り場まで降りてきて、さっき目に留まった壁の絵のことを思い出した。

 

「ちなみに、あの壁の絵はどうされたんですか?」

 

見覚えのある白黒の人物画を指さすと、お父さんは興味深そうに笑みを向けた。

 

「ほう。レンさんもあの絵に興味を持たれましたか。あれはシュヴァルブラン画伯の作品です」

「シュヴァルブラン画伯?」

 

 白い馬、か。

 

「はい。シュヴァルブラン画伯は今貴族の間でとても話題になっている若手の画家なのですよ。殊にご婦人やご令嬢の間で描いてもらいたいと引っ張りだこになっているそうです」

「へぇー」

「あの絵は、リッツ商会のお嬢さんが庶民にも人気が出るか調べるためにこの店に来た客の評判を聞かせて欲しいと手ずから持ち込んでこられたのですが、いやぁ、これが結構好評で。さすがはリッツ商会ですな」

「そのリッツ商会というのは?」

「王都一、いやデュロワール一の商会ですよ。農産物や商工品の流通を主力に宿屋から金融まで手広く商売をしています。実は、この絵の評判を伝える対価に小麦を優先的に融通してくれると言われましてね」

「あ、そういう繋がりですか」

「いえ。うちとはこれまで特に取引はなかったのですが、それがなんと、あちらのお嬢さんとうちの娘が知り合いらしくて、そのつながりでこの話が来たのです」

「マイ様の専属使用人のフローレンスですよ。レン様もご存知でしょ?」

 

 と、ペネロペが言い添える。やっぱりか。

あの絵、モデルがソフィーだし、ユーゴが魔法操作の練習のために描いた絵だもんなぁ。そっか、ペネロペはユーゴが描いた絵のことは知らないんだっけ。ま、作者の正体をばらすのはマナー違反だし、黙ってるか。

 

「いやぁ、あのお嬢さんはなかなかのやり手ですな」

 

 ポールさんが絵を見上げながらそんなことを言った。

 

「と言うと?」

「なんでも、お嬢さん自身がシュヴァルブラン画伯を見出したのだそうですよ。絵も需要があるようならば、印刷物にして売りに出す予定だそうです」

「需要はありそうなんですか?」

「ええ。あの絵を譲って欲しい、買い取りたいという人は多いですね」

 

 それでフローレンスを嫁に出さなかったわけね。

 

「あの絵は無名の女性ですが、人気のある人物の絵ならもっと需要があるだろうとお嬢さんは言っていましたね」

「へぇー。例えば誰の絵ですか?」

 

 聞くと、ポールさんは声をひそめた。

 

「ここだけの話ですが、今勇者様や聖女様の護衛をされている騎士の方だそうです」

 

 あー、アンドレか。あいつなら間違いなく売れるな。女子に。けっ。

 

「それに、畏れ多くも第2王女のクラリス姫殿下の姿絵もあるそうですよ」

 

 それも売れそうだけど、肖像権とか大丈夫か?

 

「残念なことに、今庶民に一番人気のある勇者様と聖女様の絵だけは手に入らないと嘆いていましたね」

 

 まぁ、黒姫は断固拒否してたし、ユーゴも自画像は描いてないみたいだったからなぁ。

 

「リッツ商会は良い娘さんをお持ちですな。うちの娘もあのお嬢さんを見習って欲しいものだが」

 

 と、自分の娘をちらりと見やる。対するペネロペはうへぇと嫌そうな顔を返すだけ。

 

「そうですか? 実はそのリッツ商会のお嬢さんを知ってますけど、俺はペネロペの方が好きですね。いいお嬢さんだと思いますよ」

 

 うっかりさんだけど。

 

「レン様……」

「ほう……」

 

 ペネロペは照れくさそうに、ポールさんは興味深そうな笑顔で俺を見てくる。あ、ピエールさんはなんか睨んでるけど。

 

「じゃあ、また明日。マヨネーズ、期待してます」

 

 と、フールニエ商会を後にした。

 

 

 

 王宮への帰り道、ふと空を見上げた。

 空一面に濃い灰色の雲が広がっていた。

 

「どうかされましたか?」

 

 足を止めた俺に、クララが問い開ける。

 

「え? いや……」

 

 無意識に見上げただけだから、理由は無い。

 

「なんか、今にも雨が降ってきそうだなと」

 

 適当に答えると、クララも空を見上げて「そうですね」と頷いた。

 

「急ごっか」

「はい」

 

 一瞬感じた不可解な感じを振り切るように、俺はクララと並んで王宮へ向かって駆けだした。

 

 



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第50話 再び王弟の館で

 変な夢を見た。

 箒に乗って空を飛んでた。夜の空だ。

 なんかたくさんの星の中を女子と二人乗りで飛んでいたような気がするけど、それが誰だったか思い出そうとするそばから夢の内容が零れ落ちていく。もう、なんかファンタジーな夢だったな、くらいにしか思い出せない。

 ま、いいか。きっと、思い出したら恥ずかしくて悶え死にそうだし。

 

 

 

今日は午後からルシールと会う約束だ。

午前はフールニエ商会に顔を出す。

昨日の夜から降り出した雨は朝にはあがったものの、昼前になっても空のほとんどを雲が占めていた。

 

 ピエールさんが改良したマヨネーズの試作は、ずっとマヨネーズらしくなっていた。

そう伝えると、今度は卵サンドを作ってくれた。

 もうちょっとコショウが効いてるほうがいいんだけど、香辛料は貴重なんだっけ。それに卵自体の値段も高くて、マヨネーズにも使ってるし、思ったより原価がかかってるらしい。

ハンバーグのほうはまだ人前に出せるものではないとのこと。次回に期待だ。

 

 

 

ロクメイ館に戻って昼食を食べ、身支度を整えてからルシールの実家へ向かう。

王宮の建物の隙間から見える空は、所々雲が切れて青い空を覗かせていた。

 

 王弟の館では、以前使いでやってきた壮年の男性が迎えてくれて、今日は豪華な応接室に通された。クララは俺が応接室に入るのを見届けた後は従者用の控室に行くことになっているので、ここから先は俺一人だ。

 

金色の把手が付いた焦げ茶色の木製のドアを開けてもらい中に入る。

教室よりも広いその部屋は、カーテンや絨毯など全体的に青色を基調にしたインテリアで、そこここに高級そうな調度品が置かれていた。

けれど、どんなに凝った装飾を施されたそれらよりも俺の目を惹きつけたのは、淡いピンクのふんわりとしたドレスを身に着けた美少女だった。今日はいつも下ろしているストレートの黒髪をサイドポニーにしているせいか、少し幼く、そしてずっと可愛く見える。

 

「……久しぶりですね、レン」

 

 部屋の中央で出迎えてくれたルシールは、一瞬ビックリしたように眼を大きくした後、何事も無かったかのように微笑みながら窓寄りに設えられた円いテーブルに俺を誘った。直径1m程の木製の天板は青の地色に白い花が描かれていて、対面に座った彼女のドレスの色をいっそう引き立てていた。

 

 前回同様、侍女たちはお茶とお菓子を並べ置くと、静かに部屋を退室していった。その間中、彼女たちから楽し気な視線を向けられていたような気もするが、たぶん気のせいだろう。気のせいだよね?

 人払いはされても、当然スザンヌさんは残っている。その彼女に前回言われたことを思い出しつつ、

 

「雨があがったみたいで良かったよ」

 

 と、時候の話題から入った。

 

「はい。でも、今日はこちらの部屋を使うようにと父から言われましたので」

 

 ルシールは残念そうに微笑みながらも何かを促すように見つめてくる。

はいはい、わかってますよ。前はお茶とお菓子を堪能するのを忘れてしまってたからね。

 それにしても、目の前に置かれているティーカップの中の透明感のある明るい茶色のこの液体は……。

 

「お茶をいただいても?」

「はい。どうぞ召し上がれ」

 

 ルシールに許可をもらってカップを口元に運ぶ。その香りはいつものハーブティーの草っぽいものじゃない。

 期待を込めて一口飲む。……やっぱり、

 

「これ、紅茶だ!」

「はい。父の秘蔵のお茶です。フロレンティア公国に外交で行った折に購入したそうです。あの、それで――」

「あ、このクッキーも美味しいね。ラムレーズン入りのバタークリームをサンドしてるのか」

「え? ええ。サクラお婆さまがお好きだったそうです」

「サクラさんが? 六□亭の○セイバターサンドかな?」

「それはわかりませんが、それよりも――」

「サクラって言えば、今日のルシールのドレスって桜色でデザインも可愛い――」

「わ、私のことはいいので、早く用件を話してください!」

 

 珍しく憤ったルシールに話の腰を折られてしまった。

 

「ええー? まだ髪型がサイドポニーで可愛いとか、ルシール本人も可愛いとか讃えてないのに」

 

 ちらりとスザンヌさんを窺うと、俺に同意するように頷いている。

 

「そ、それはいいのです! とにかく、レンが一人で王都に戻ってきて私に面会したいだなんてよっぽどのことがあったのでしょう?」

「うん、実はそうなんだ。でも、今日のルシールのドレスとか髪型とかすごく気合が入ってるみたいだったから、これは褒めないわけにはいかないなと」

「ち、違うのです。これは、その、侍女たちが妙に張りきってしまって、勝手にこんなふうにされてしまっただけで、私がレンに会えるからと特におめかししたわけではないのです!」

 

 あー。侍女たちに着せ替え人形みたいにされちゃってるわけか。うん、ルシール綺麗だからね。わかるわ。

 

「そういうレンだって髪の色が綺麗になっているじゃないですか。レンの方こそ、わ、私に会うためにお洒落をしてきたのではないですか?」

「これはお洒落とかカッコイイもんじゃなくて、目立たないようにしてるだけなんだよなぁ」

「確かに。レンは普通の髪色になると面白みも何も無い男になってしまいましたね。一瞬誰だかわかりませんでしたよ」

 

 スザンヌさん、あなたもか!

 

「そんなことはありませんよ、スザンヌ。髪の色が変わっても、レンはあいかわらずレンでしたよ。ええ、本当に、もう」

 

 心優しいルシールがフォローしてくれた。いや、フォローなのか?

 

「えっと、じゃあ本題に入ります」

 

 姿勢を正してルシールに向き合うと、彼女も不満そうな表情を引っ込めて紫の瞳を俺に向けた。

 

「ゾーイさんに会いました」

 

 その瞳が見開かれる。

 

「お姉さまに? いつ? どこで?」

「サルルルーイの砦で。あ、正確には、黒姫の侍女に憑依してなんだけど」

「憑依……。では、やはり王宮での夜会の一件は」

「ゾーイさんだって」

 

 その答えに、彼女は辛そうに眼を伏せた。

 

「なぜお姉さまはそのようなことを……」

「夜会のことはわからないけど、ロッシュからいなくなったわけは教えてくれたよ」

「本当ですか?」

「うん。サクラ・ナエバの遺志を叶えるためだって」

「サクラお婆さまの遺志? それはいったいどういうことなのでしょうか? お婆さまの遺志とは何なのですか?」

 

 やっぱりルシールは知らないんだな。

 

「ゾーイさんはロッシュにいる時にシュテフィさんに魔獣の魔石のことやそれを使った魔法のことを聞いていたみたいなんだ。で、その時にドラゴンは使役できるか聞かれたってシュテフィさんが言ってた」

「ドラゴンですか?」

 

 予想外の単語が出てきたせいなのだろう。ルシールもスザンヌさんも困惑している。

 

「ここからは俺の想像でしかないんだけど、ゾーイさんはドラゴンを使役する必要があって、使役魔法を習得するためにロッシュ城を出てゴール王国に行ったんだと思う」

「サクラお婆さまの遺志を叶えるために、お姉さまはドラゴンを使役する必要があるということですか?」

「たぶんね」

「お姉さまは何をするつもりなのでしょうか?」

「ドラゴンの力でロッシュ城の召喚魔法陣を壊す」

 

 ルシールが息を飲む。

 

「というのが最悪の予想。勇者と戦わずにデュロワールに豊穣の雨を降らせるためというのが穏便な方の予想」

「豊穣の雨とは?」

「ゴールの昔話にあるドラゴンが降らせる大地に恵みをもたらす雨のこと」

 

 スザンヌさんの問いに簡潔に答える。

 

「それでこの国の農作物の不作を解決できる」

「昔話が根拠では怪しいものです」

「そうだけど、まるっきり嘘とも言えないんじゃないですか?」

「むしろ、豊穣の雨のための方がサクラお婆さまらしいと思います。召喚の魔法陣を壊すなんて、サクラお婆さまがそのようなことを望むとは思えません」

 

 ルシールはそう言うと、キッと俺を見据えた。

 

「なぜレンはそう考えたのですか?」

「ゾーイさんから忠告されたんだよ。日本に帰るのは諦めろって」

「お姉さまが?」

「うん。なんでそんなことを言ったのか考えた結果、そういう結論に至ったわけ。ただし、さっきも言ったけど最悪の場合の予想だから。全然違うかもしれない」

 

 ルシールの顔が曇るのを見てフォローを入れる。

 

「あ、でも、ゾーイさん自身は悪い人じゃないと思う。すっごく妹想いで」

 

 シスコンとも言う。

が、妹にはその想いは伝わらなかったようで、「お姉さまのことはともかく」と俺を見る。

 

「レンは魔法陣を壊されることが心配なのですね?」

「心配っていうか困る。それは絶対させたくない」

「……ニホンに帰るためにですか?」

「それが俺たちの目標だから」

 

 そう。それがあったからドラゴンと戦うって決められたし、今まで何とかやってこれた。

 

「まぁ、最近はユーゴはどうかなって思うこともあるけど、黒姫は絶対帰るって言ってるし」

 

 ユーゴのやつはソフィーといい感じになってるもんなぁ。

と、ユーゴとソフィーのあれこれを想像して羨んでいると、

 

「レ、レンも帰りたいのですか?」

 

 ルシールが小さな声で聞いてきた・

 俺か……。そうだな。

 

「正直、この世界も悪くないなって思う時もあるんだけど、でもそれって俺が勇者や聖女の仲間だと認識されてるからなんだよな。もしユーゴも黒姫もいなくなって俺一人になったら全然用無しだし、魔法も使えなくて不便だし、そう考えるとやっぱり日本に帰ったほうがいいかなって思う」

「そんな! レンが用無しだなんて思ってません!」

 

 ルシールが力強く否定してくれた。優しいなぁ。

 

「まぁ、魔法が使えないレンがいても大変でしょうから、元の世界に帰るのが最善でしょう。むしろ、残ると駄々をこねても簀巻きにして送り返すほうがルシ、いえレンのためには良いだろうと私は思いますが」

 

 スザンヌさん、気を遣ってくれるなら最後まで遣おうよ。

 

「ま、まぁ、レンのことは一旦置いておくとして」

 

自分から聞いておいてそんなことを言うルシールだったが、

 

「それで、もし姉がレンの言う最悪なことをするつもりだとしたら、レンはどうするのですか?」

 

 と、真剣な表情で聞いてくる。うん、それが本題なんだよね。

 

「それが俺が王都に戻ってきた理由なんだけど、ユーゴと黒姫を呼び戻せないかってアンブロシスさんに頼もうと思ってたんだ」

「アンブロシス様は今は確かロッシュにいらしたと思いますが」

「らしいね。連絡は取ってもらってるんだけど」

「では、私が明日にでもダンボワーズまで迎えにいきましょうか?」

「ほんと? そうしてもらえると助かる」

「ルシール様。お分かりとは存じますが、私用で転移魔法を使うことはできませんよ」

 

 喜んだのも束の間、スザンヌさんからダメ出しを喰らった。そりゃそうか。

 

「スザンヌは意地悪です」

「何と仰られようと、レンのせいでルシール様がお咎めを受けるようなことにでもなったら、亡くなられたカトリーヌ様に顔向けができません」

「でも……」

「ルシール、ありがとう。でも、ルシールが怒られるのは俺もイヤだし、気持ちだけありがたく受け取っとくよ」

 

 でも困ったな。アンブロシスさんがここに来るのに何日かかるんだろう? ドラゴンが現れるのが四半年から半年だから――。

 

「あの、レン」

 

 ルシールの遠慮がちな声に思考が途切れる。

 

「アンブロシス様の他に当てが無くは無いのですが……」

 

 ルシールが口ごもっている間に、ドアをノックする音が響いた。

 



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第51話 王弟登場

「私が見てまいります」

 

スザンヌさんが部屋の出入り口へ向かい、ドア越しに一言二言やり取りをして戻ってきた。

 

「ルシール様。ルイ様がお客様にご挨拶をと申しておられます」

「お父さまが?」

 

 ルシールのお父さん? なんか緊張するな。

 

 ルシールが不承不承「わかりました」と答えると、スザンヌさんは戻ってドアを開けた。

 そこから肩や胸に飾りの多い青紫色の貴族服に白いズボン、こげ茶のブーツといったいでたちのイケメンが入ってきた。

 見た目は30代で国王よりずっと若い。身長は俺と同じくらい。国王と同じ少し茶色っぽい黒の癖毛に紫の瞳。彫りの深い顔立ちに笑みを浮かべ、ゆったりと歩み寄ってくる。

立ち上がるべきだろうと思い、椅子から腰を上げて姿勢を正す。名乗りはどっちからだっけ?

 

「初めまして。私はルイ・ロワイエ・ルミネ。ルシールの父だ」

 

 迷ってる間に低音のイケボで向こうから名乗ってきた。

 

「レン・タカツマです。お会いできて光栄です」

 

 右手を胸に添えて軽くお辞儀をする。たぶんこれでよかったはず。

 

「お父さま。私たちは大事な話をしている途中なのですが」

 

 同じく立ち上がっていたルシールが抗議した。けど、とげとげした口調じゃないから、親子関係は良好みたいだ。言われたお父さんも「いや、すまないね」とにこやかに返す。

 

「娘の元に足繫く通ってくる男がどんな人物か見ておくのも父親の務めだからね」

 

 と、笑顔のわりに鋭い眼で値踏みするようにチラリと俺を見た。

 

「あの、お言葉ですが、足繁くは通ってません。今日で2回目ですから」

 

 変な誤解をされないように一応訂正しておく。けど、お父さんはノンノンと首を振って口角を上げた。

 

「もう2回も会っているじゃないか。しかも、2回とも君からの申し込みを娘は承諾している」

「はい。まぁ」

「父親の私が言うのもなんだが、娘に会わせて欲しいという書状は山のように来ているのだよ。その中からこれならばという者だけ娘に打診してみたのだが、全て断られてしまってね」

 

 え、もしかして、ルシールに直接申し込むのってマズかったのか。

 

「あの、申し訳ありませんでした。殿下を通して面会を申し込むべきでした」

「それは気にしなくていい。君はこの世界の人間ではないのだから多少のことは仕方がないだろう。それに、例え私を通したとしても娘が嫌なら応じたりはしないはずだ。いや、むしろ歓迎しているのではないかな」

 

 お父さんの視線がテーブルの上の紅茶を捉えている。ルシールがばつの悪そうな表情をしているところを見ると、どうも無断拝借だったようだ。

 お父さんはそれには触れずに笑顔のまま言葉を続けた。

 

「その証拠に、今日のルシールは私でも見たことがないほどおめかしをしているじゃないか」

「お、お父さま!」

「君もそう思うだろう?」

 

 真っ赤になって怒るルシールには構わずに俺に同意を求めてくる。よし、ここはこの流れに乗るしかない。

 

「はい。ドレスも髪型もルシール自身もいつもにもまして可愛いです!」

「レンまで! もう!」

 

 真っ赤になったルシールがキッと睨んでくる。カワイイ。

 

「違います! 私たちはそのような浮ついたことのために会っているのではありません!」

「では、何のために?」

「前回も今日も、レンはお姉さまのことを伝えに来てくれているのです!」

 

 からかうような表情だったお父さんの顔が固まった。

 

「……ゾーイのことだと?」

 

 剣呑な視線が俺を捉える。恐ぇえ。

 

「は、はい。直接会ったわけではないんですが、ゾーイと名乗る女性と会話をしました」

 

 俺は、夜会の憑依魔法で使われた魔獣の魔石で感じたことからサルルルーイの砦でのこと、彼女の目的が先の聖女の遺志を叶えることであること、彼女の忠告から予想したことなどを全て話した。

 

「つまり、君は娘のゾーイがドラゴンを使役してロッシュにある召喚の魔法陣を壊して二度と勇者と聖女を召喚できないようにしようとしていると言うのだね」

「そのとおりです」

「そして、それを防ぐために勇者と聖女をサルルルーイから王都に呼び戻したいと」

「できれば、ロッシュで待ち受けたいです」

 

 そう答えると、お父さんの眼光は更に鋭くなった。

 

「しかし、その根拠となる説は君の推測に過ぎない」

「はい」

「ならば、それが間違っていた場合はどうなる?」

 

 間違ってたら? ……ドラゴンはロッシュを襲ってこない。勇者を避けて豊穣の雨を降らす? いや、それも俺の推測だ。そもそもゾーイさんがドラゴンを使役できないかもしれないし、使役する気もないかもしれない。その場合は、これまでと同じようにどこかが被害に遭う。ユーゴたちがロッシュに戻らなければ防げたかもしれない被害に……。

それでも、日本に帰れなくなる可能性があるのを見過ごすわけにはいかない。もしそんなことになったら、俺はまぁ諦めもつくけど、ユーゴもたぶんどうにかするだろうけど、黒姫は無理だ。あいつは絶対に帰りたいはずだ。その希望があるからここまで耐えてきてるんだ。それが無くなってしまったら、あいつは……・

 

「……もし自分の予想が間違っていて、そのせいで出さなくてもいい被害を出すとしても」

 

 お父さんの厳しい眼差しをしっかりと見返す。

 

「それでも、それが間違いだとわかるまでは、勇者と聖女でロッシュを守ります」

 

 数秒沈黙が続く。

 

「そうか」

 

 ふっとお父さんが笑みを零した。

 

「ロッシュ城の召喚魔法陣は唯一無二のかけがえのないものだ。あれを破壊されては王国としても非常に困る。それを守るためなら多少の被害もしかたなかろう。まぁ、被害に遭うほうはたまったものではないだろうがな。それを何とかするのが上に立つ者の責務だ」

 

 お父さんは俺の肩をガシッと掴んだ。

 

「陛下や宰相たちには私から話そう。許可が下り次第、勇者と聖女を呼び戻すがよい」

「え、それはゾーイさんのことも話すということですか?」

「無論だ」

「でも、そうするとゾーイさんが犯罪者になって……」

 

 その罪がお父さんに及ぶかもしれないし、最悪一族全員が処罰されるなんてことになったら……。

 けど、そんなことがわからないお父さんじゃない。

 

「父親が娘の不始末の責任を取るのは当然だ」

「お父さま……」

「何、まだ罪を犯したわけではない。いや、少しは犯しているか。まぁ、いずれにせよ死罪と言うことは無いだろう。させるつもりも無いがね」

 

 お父さんは不安そうに見上げるルシールに向けて、安心させるように笑って見せた。そして、

 

「おっと。あまり邪魔をしてはルシールに怒られてしまうな」

 

 と、快活に笑いながら去っていった。その後ろ姿に「お願いします」と頭を提げる。

 

「ごめん、ルシール。お父さんに迷惑かけちゃうことになって」

「いいえ。私も父に頼ろうと思っていましたから」

 

 ルシールにも頭を下げると、ふるふると首を振られた。

 

「ルシール様、お茶を淹れ直しましょうか?」

「そうですね。レンも座ってください」

「あ、いや、話も済んだ――」

「コホン」

 

 スザンヌさんの咳払いで言葉を止めた。そしてその眼がせっかくお茶を淹れ直すのだから飲むのが礼儀だと言っている。

 

「――けども、もうちょっとお邪魔しようかな」

「はい。遠慮なさらずに」

 

 ルシールがニッコリと笑う。こういうのを花が綻んだような笑顔と言うのだろうか。ドキリと胸が鳴った。

 

「よろしければ、その、サルル領でのことをお話ししてくれませんか?」

 

 ルシールから話題を振られたので、サルルであったことを事細かに話してあげた。

 クララがサルル領主の孫娘だったことに驚いたと言うとルシールも驚いてくれたし、そこで食べたフリカデラが美味しかったと言うと私も食べてみたいと眼を輝かせるし、魔獣との戦いのシーンではハラハラしながら聞いてくれたし、ユーゴの大魔法に信じられないと眼を見開き、魔力切れで倒れたユーゴを心配し、それに対応した黒姫に感心してくれた。そして、その魔獣をゾーイさんが使役していたことを打ち明けると、悲しそうに眼を伏せた。

 

「その魔獣たちは姉のせいで命を落としてしまったのですね。なんと可哀そうなことをしてしまったのでしょう」

 

 ああ。今まで、使役魔法で死んだ魔獣のことを可哀そうなんて言った人、俺を含めて誰もいなかったな。なんか異世界っていうこともあってか、俺も生き物の生死に鈍感になってた気がする。

 あ、黒姫はそうでもないか。

 

 そう思い出して、黒姫が魔獣の討伐で精神的にダウンしてしまい、帰りは俺がおんぶするはめになったことを話した。一応、彼女の名誉と俺のローブの衛生面のために涎の件は伏せておいた。……のだが、

 

「……あの、レン」

 

 ルシールが戸惑いながら問いかけてきた。

 

「それは、本当ですか?」

「ああ。まぁ、日本だと学生が獣と戦ったりすることはまず無いからなぁ。気持ちが滅入ってもしょうがないよ」

「いえ、レンがマイを、その、背負った、ということのほうです」

「あ、そっちか。なんか俺がいつも役に立ってないからこれぐらいしなさいよみたいな感じで指名されて。まぁ、黒姫なりに気を遣ってくれたんだろうなって思ってる」

「そ、そうですか」

 

 ルシールの返事がぎこちない。

 代わって、スザンヌさんが口を開いた。

 

「殿方が女性に、殊に未婚の女性に触れることはあまり良いことと言えません。その上で、女性がその殿方に触れるのを許すということは、二人が親密な間柄だと周囲に知らしめすことになるのですよ」

 

 ……あ、なるほど。黒姫と俺がそういうふうに見られちゃったって心配してるわけか、ルシールは。

 

「まぁ、俺たちがいた世界じゃ男女でおんぶしたりするのはフツーだし?」

 

個人的には女子をおんぶした経験なんて無かったけどねっ。

 

「だから、黒姫も深く考えないで俺におぶってもらったんじゃないかな、きっと。だから、こっちの人が思ってるようなことは全然無いよ」

「そうですか」

 

 ちょっと口調に抑揚が無いように聞こないでもなかったけど、納得はしてくれたようだ。

あ、そういえば、俺クララにもけっこう触っちゃってるなぁ。肩とか背中とか脚とか。そんなふうに見られたらクララに悪いな。後で謝っておこう。

 

 

 

 そんな話をしているうちに夕方になり、形式的な晩餐のお誘いを無難に辞退して、俺とクララはロクメイ館へと戻った。

 

 その帰り道に、クララに例のことを謝りつつ、黒姫をおんぶしたことでみんなが二人の仲を誤解していないかそれとなく聞くと、

 

「皆さんのことはわかりませんが、私は誤解はしていません。大丈夫です。わかっています」

 

 と、言い切ってから、逆に探るような顔で「差し出がましいようですが」と聞いてきた。

 

「レン様のほうこそわかっておられますか?」

「え? ああ、わかってるよ。これからは無暗に触らないように気をつけるよ」

「……」

 

 あれ? なんか凄く残念なものを見るような眼で見られてるんだけど。

 んー。なんか鈍感系の主人公になった気分だな。って、ありえねー。自意識過剰かよ。

 



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第52話 流星雨

食堂の窓の外には綺麗な朝の空が見えていた。今日は暑くなりそうだ。

簡単な朝食を取りながら、今日の予定を考える。

 

 昨日、ルシールのお父さんは王様に掛け合ってくれるって言ってたけど、たぶんそんなに簡単にはいかないだろうな。でも、いつオーケーがでてもいいように、ここを離れないほうがいいだろう。今日はここでドラゴンに関して集めた資料でも読み返してみるか。

 と、果実水を飲み干して立ち上がったところでドアがノックされた。クララがドアを開けると、下働きの女性が慌てたように「レン様にお客様です」と告げるのが聞こえた。

急いで入り口に向かうと、いつもルシールの実家から迎えに来る壮年の男性が落ち着いた様子で待っていた。

 

「……?」

 

 はてなと思いながら、挨拶を口にする。

 

「おはようございます。旦那様が至急おいでくださるようにとのことですので、お早くご支度をお願いします」

 

 とても至急とは思えない穏やかな口調だったけど、とにかく「すぐに準備します」と踵を返して超速で身支度を整えた。まぁ、俺はいつものローブを着るだけなんだけど、クララはお仕着せを着替えなきゃいけないから、少し時間がかかった。

 

「お待たせしました」

 

 息を切らせたクララを待って、すぐに王弟の館に案内してもらった。

 

 

 

 王弟の館の応接間に入ると、中にはソファーに座ったいつもの桜色のローブのルシールと、昨日よりもずっとラフな感じの貴族服の王弟がいた。その後ろには落ち着いた色の貴族服を着た壮年の男性が控えるように立っていた。王弟の付き人だろう。給仕はスザンヌさんがしたのか、侍女さんたちの姿は無い。

お父さんは立ち上がって俺を迎えながらすぐに用件を言った。

 

「朝早くに呼び出してすまない。星の雨が降ったと天文職から報告があってね」

 

 えっ……?

 

「雨が降っていて気づかなかったが、どうやら一昨日から星の雨が降っていたらしい。王国のあちらこちらから報告があったそうだ」

「一昨日……」

 

 一昨日だって?

 

「想定外だ。早すぎませんか?」

「ドラゴンを呼ぶ星が見えてからそろそろ四半年だ。早くはあるがおかしくはない」

「ド、ドラゴンは?」

「その報告はまだ入っていない」

 

 焦る俺に、王弟の声は冷静だ。それが余計に俺を焦らせる。

 

「王様の許可は頂けましたか?」

「申し訳ないが、それどころではなかった」

「そうですか……」

「私が今日中に陛下に会って話しをする。悪いが、それまで待っていてくれたまえ」

「無理です。どっちみち、今からじゃ勇者も聖女も間に合わない可能性のほうが高いです。俺の予想が間違ってるのを祈るしかないです」

「無理なことは無い。万が一陛下の許可が下りなくても、私が特別に許可を出す」

「それでもダメでしょう」

「何がダメなものか。私とて王族だぞ?」

 

 ん? なんか話しがかみ合ってないような……?

 お父さんもそう感じたらしく、訝しそうに俺を見た。

 

「もしやとは思うが、君は転移魔法陣のことを知らないのかね?」

「いえ、転移魔法は知っています。ダンボワーズから王宮まで来ましたから」

「そうではなくて、サルルーイの砦との転移魔法陣のことだ」

「はい?」

 

 ポカンとする俺を見て、お父さんはそうかと納得顔だ。

 

「王宮にはいくつもの転移魔法陣があって、それぞれが違う場所と繋がっている。君がいたサルルルーイの砦もそのうちの一つだ」

 

 え、マジか。

 

「じゃあ、ここからロッシュ城に行ける魔法陣もあるんですか?」

 

 それなら断然早く行ける。

 

「いや、その転移魔法陣は無い。一番近くでダンボワーズ城だ。そこから馬を飛ばせばすぐだろう」

「そうですか。それでも十分です。自分はサルルルーイからここまで10日近くかかったから」

 

 そんな便利なもんがあるなら使わせてくれればよかったのに。

 

「ハハハ。それは仕方がなかろう。王宮と直接繋がっている転移魔法陣は王家の血筋の者しか使えないようになっているからな」

「ですよねぇ」

 

 俺もちょっと余裕が出て笑顔が作れた。

 

「ありがとうございます、殿下。わざわざ連絡をくださって」

 

 日本式にしっかりと頭を下げる。

 

「礼なら娘に言ってくれ。早く君に知らせろと急かされてしまってね」

「お、お父さま!」

「ルシールも、本当にありがとう」

 

 彼女にも礼を言って頭を下げた。そして戻した顔をもう一度王弟に向ける。

 

「あの、我儘を言って申し訳ありませんが、すぐにでも転移魔法陣を使わせていただけませんか?」

 

そう願い出ると、お父さんは怪訝な表情に変わった。

 

「許可が出るまで待てないと?」

「こうしている間にも、ゾーイさんに使役されたドラゴンがロッシュに向かって飛んでいるかもしれないと思うとじっとしていられません」

「そんなに早くドラゴンが来るのか?」

「わかりません。でも、待ちぼうけになったとしても手遅れになるよりましですから」

 

 お父さんは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。

 

「それに、サルルルーイにいるユーゴと黒姫も転移魔法陣があることを知らないはずです。だから、きっとさっきの俺のように焦ってると思うんです。せめて転移魔法が使えることだけでも知らせてやれないでしょうか?」

 

 畳み掛けるように言い足すと、お父さんの決断は早かった。

 

「わかった。転移魔法陣を使いたまえ。サルルルーイへの緊急連絡ということで良いだろう。すぐに転移の間へ案内するが準備はよいか?」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 俺はもう一度勢いよく頭を下げた。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 お父さんの付き人の男性を先頭に、また迷路のような王宮を歩き回る。

 ふと、前を行くルシールの頭にふっさふっさと動くものがあった。

 

「ルシール、今日もサイドポニーなんだ」

 

 気が焦ってたせいか気づかなかったけど、ルシールは昨日と同じように髪を横で一つに纏めていた。

 

「え、ええ。今日も侍女たちが勝手にこの髪型にしてしまったのです。なぜか彼女たちがとても気に入ってしまったみたいで。それに、マイもよく一つに纏めていたから真似をしてみたいなと前から思っていたのです」

「黒姫は普通のポニーテールだけど、ルシールはサイドポニーが似合うな」

「『さいどぽにー』と言うのですか?」

「うん。『サイド』は『横』。ポニーテールが横にあるからサイドポニー。あ、でもどちらか片一方だけね。両側でするのはツインテール」

「レンは……レンは『さいどぽにー』と『ぽにーてーる』のどちらが好きですか?」

「うーん。どっちも好きかなぁ」

「……そうですか」

「あと、サラサラのストレートロングとかふんわりボブとか三つ編みお下げも好きかな。あ、縦ロールも捨てがたい」

「そうですか」

「ていうか、似合ってるならどんな髪型でもいいと思うけど」

「そうですね」

「レン。もう着きますからお喋りはそれくらいにしてください」

 

 スザンヌさんの冷ややかな声に視線を上げると、廊下の先の両脇にガタイのいい衛士が立っていた。彼らは王弟の姿を見ると、ピシッと最敬礼をする。

 

「転移陣を使う。サルルーイの砦にいる勇者と聖女に緊急の連絡だ」

 

 王弟がそう告げると、特にチェックも受けずに通れた。さすがは王弟。

 

 暗闇に続く階段をお父さんの付き人の男性が魔力でランプを次々と点けながら先導する。その長い階段を下りた先には両側に扉が並んでいる廊下があった。ダンボワーズからここに来た時は階段に近かったかし、奥の方にはランプが点いてなかったから気づかなかったのだろう。

 廊下に並ぶどの扉にも特に表示は無い。それでもお父さんは迷わずその一つに手のひらを押し当てた。当てた手を中心に魔法陣が現われ、すぐに消える。

 中はここに来た時に見た部屋と同じ石を積み上げた壁で、床に直径2mほどの魔法陣が黒く描かれている。その中に、俺とクララ、ルシールが入る。

 

「あれ? スザンヌさんは?」

 

 彼女はお父さんたちと扉の所で立ち止まっていた。

 

「この転移陣は5人までだそうです。私が向こうへ行ったら、帰りはレンを置いてこなければなりませんので」

 

 ああ、そうか。戻ってくる時はユーゴと黒姫もいるんだよな。って、俺がいらない子かよ。

 

「レン。ルシール様のこと、くれぐれもよろしくお願いいたします」

 

 スザンヌさんがいつもより深くお辞儀をした。

 そんなスザンヌさんの態度に、俺も姿勢を正して「はい」と頷く。

 

「いってらっしゃいませ」

 

 扉が閉まり、静寂が訪れる。

 

「じゃあ、行こうか」

「「はい」」

 

 ルシールの詠唱とともに魔法陣が光り始めた。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

転移魔法の淡い光が消えると同時に視界が闇に覆われる。

その暗闇の中、すぐにルシールの魔力が壁に向かって流れ、パッと白い灯りが灯る。転移前と同じような石壁の狭い部屋だ。

 

「えっと、無事転移できたんだよね?」

「はい」

 

 確かめるように聞くと、あっさりとした返事がルシールから返ってきた。

 彼女は部屋の隅にある扉に歩み寄ると、手を当てて魔法陣を浮かび上がらせる。そして、当てた手を押して扉を開けた。

 扉の向こうは真っ暗で、ルシールが灯りを点けると狭い石段が上の方に続いていた。

それを上った所の扉を開くと物置のような部屋に出た。鎧戸の隙間から日の光が差し込んでいる。もうランプはいらなさそうだ。

 

適当に置かれた荷物の間を縫ってまた扉を開けると、そこは壁一面に書棚が並んだ教室ほどの広さの部屋で、向かい合わせに並べられた机に数人の貴族っぽい服を着た人たちが座っていた。仕事中だったのか、俺たちの登場に手にペンを持ったまま怪訝な顔でこちらを見ている。

 中の一人が立ち上がって、

 

「なんだ、お前たちは?」

 

 と、恐い顔で近づいてきた。

 

「えっと、王宮から来ました」

「王宮から?」

 

 俺が答えると、ますます不審げに眉間に皺を寄せる。

と、その後ろから慌てて飛び出してきた人が「馬鹿者っ!」とその人の頭に拳骨を落とした。そしてそのまま俺たちの前で直立不動の姿勢を取る。

 

「王族の方に対して部下が大変失礼いたしました! 私はこの砦の責任者で、トマ・ショワジーと申します!」

 

 ショワジーさんの言葉に他の人たちがざわめきだす。そして、前に出たルシールが、

 

「ルミエ家の娘、ルシールです」

 

と名乗ると、ばね仕掛けの人形のようにみな一斉に立ち上がって右手を胸に当てた。

 

「王弟殿下のご令嬢だ」

「初めて見た。なんと美しい」

「聖女様にも会えたし、俺この砦に来てよかった」

 

 こそこそとそんな声が聞こえ、ショワジーさんは苦い顔に汗を浮かべて会話を続ける。

 

「ご、御一行は転移陣をご使用とお見受けしましたが?」

「はい。至急の連絡があって参りました」

「はっ、承ります!」

 

 張りきって声を上げる彼には悪いんだけど、

 

「あ、連絡は直接勇者と聖女にしますんで。彼らは今どこに?」

 

 横から俺が言うとじろりと睨まれた。

 

「勇者様と聖女様は魔法の訓練に行かれるとのことで、広場で出立の準備をしておられる」

「マジか」

 

 もっと慌ててると思ったのに。

 

「ていうか、皆さんずいぶんのんびりしてるようだけど、大丈夫?」

 

 不審に思って聞くと、

 

「のんびりとはなんだ! 通常どおりに仕事をこなしているのが見えないのか!」

 

 と、怒られてしまった。

 

「え? 通常通りって、この緊急事態に?」

「緊急事態だと?」

「だから、流星雨、星の雨ですよ。星の雨が降ったんです」

「は? 星の雨が降ったのか? そんな連絡は来てないぞ」

「それを連絡にって、え、見てないんですか?」

「このニ三日、雲が多かったからな」

 

 こっちもか。

なら、当然ユーゴたちも知らないわけだ。

 

「早く知らせないと!」

 

俺は急いでその部屋を出て、広場に向かう出口に向かって駆け出した。

 



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第53話 ロッシュへ急げ!

 この建物の出入り口らしい両開きの扉を見つけて勢いよくそれを開けると、ちょうど眼前に広場が見渡せた。

 あちこちに水たまりの残る広場に騎士や馬が集まっている。その中に一際目立つ赤い鎧。

 

「ユーゴ!」

 

 一目散に駆け寄る。

 

「レン! どうして?」

 

 馬に乗ったユーゴが驚いて目を見開く。

 

「高妻くん?」

 

 近くに黒姫もいた。革の鎧を着て、今しもアンドレの手を取って馬に乗ろうとしているところだった。

 

「マイ!」

「ルシールまで?」

 

 一息遅れて走ってきたルシールに更に驚いている。

 

「どういうこと? 王都に行かなかったの?」

 

 黒姫がアンドレの手を放して駆け寄ってきた。アンドレがイヤな顔で俺を睨んでくる。へっ。

 

「転移魔法で来た。ここと王宮が魔法陣で繋がってるんだ」

「そうなんだ」

「何をしに戻ってきた」

 

 呑気に返す黒姫の後ろから剣呑な表情のアンドレが割って入ってきた。

 

「緊急の連絡があって来たんだよ」

 

 思わず乱暴に返してしまった。

 

「緊急って、何があったの?」

「流星雨が降ったんだ」

「えっ」

「ウソ!」

 

 ユーゴも黒姫も息を飲んだ。

 

「いつ?」

「王都は曇ってたから俺も詳しくは知らないんだけど」

「王宮には昨日の夜に早馬で報告があったそうですから、実際に降ったのは一昨日の夜だと思います」

「一昨日……」

 

 ルシールの説明に黒姫が愕然とする。

 

「とにかく行こう」

「そ、そうね」

「待てっ! どこへ行くのだ!」

 

 ユーゴが馬を降り、黒姫が駆けだそうとするところへ、アンドレの声が響いて思わず動きが止まる。

 

「どこって、そんなの……」

 

 「ロッシュに決まってる」と言いかけて口を閉じた。言えばややこしくなるのは明白だ。

 

「……一旦王宮に戻る」

「なぜだ? 星の雨が降ったのならば、この砦でドラゴンの動きを待つと決めていたであろう?」

「事情が変わったんだよ」

「どういう事情だ?」

「それは……」

 

ああ、クソっ。こんな言い合いしてる場合じゃないって言うのに。

 

「何を揉めているのですか?」

 

 クレメントさんまでやってきた。「実は」とジルベールが現況を伝える。

 

「レン殿。ちゃんと事情を説明してください」

「すみません。そんな余裕無いんです。話せば長くなるんで」

「納得できる理由がなければ、この討伐隊の責任者として勝手な行動は許可できません」

「だから、許可をもらってる暇無いんですよ! ていうか、王弟殿下の許可はもらってますから」

「殿下の?」

 

 クレメントさんの顔がルシールに向けられる。

 

「はい。間違いありません。私たちは父の許可の元で行動しています」

「そうですか……。では――」

「待て」

 

 クレメントさんのセリフをアンドレが遮った。

 

「許可は陛下やポルト卿のものではないのか?」

「王弟殿下だって言ってるだろ! ダメなのかよ」

「ああ、そうだ」

 

 即答されてしまった。え、なんで?

ルシールも理解できないって顔だ。

 

「謀反の疑いがある」

「はぁ?」

 

 何言ってんだ、こいつ。

 

「ルイ殿下が王室で冷遇されていることは一部ではよく知られている。娘しか産めない聖女の血筋の者を正室に娶らされるくらいにな」

 

 ルシールの顔が険しくなる。

 

「それを根に持ち、勇者と聖女を己のものとして王権を奪うつもりなのだろう?」

「そんなわけないだろ」

「ならばなぜ陛下の許可ではないのだ。殿下の独断である証拠であろう」

 

めんどくせぇ。

 こっちは急いでるんだよ!

 

「事後承諾ってやつだよ。行こう」

 

 アンドレを無視して行こうとすると、

 

「レン!」

 

 アンドレがただならぬ迫力で俺を呼んだ。

眼を向けると、恐い顔で腰の剣に手をかけている。

 

「このまま行くというのなら、逃亡と見なすぞ」

 

アンドレと睨み合う。ヤバい、マジで斬る気だ。下手に動けない。

緊張感に周りからも声一つ聞こえない。

そこへ、

 

「ジャルジェ団長! ルメール殿!」

 

 俺たちが来た方向から焦ったような声が聞こえた。振り返ると、さっき部下の非礼を謝っていた中間管理職っぽい人が走ってくる。ショワジーさんだっけ。

 ショワジーさんはアンドレの前で止まって、荒い息のまま手に持っていた紙の筒を差し出した。

 

「て、転移陣での知らせが来ていました」

「どこからだ?」

「スイースの物見からです。ドラゴン現ると」

「ドラゴン!」

 

 広場にざわめきの波が起こる・

 

「知らせにはなんと?」

 

 筒になっていた紙を広げるアンドレにクレメントさんが問いただした。

 

「ドラゴンが住処の山から西に向かって飛んでいったとある」

 

 西! スイースってスイスか。スイスから西って……。

 

「レン!」

「高妻くん!」

 

 ユーゴも黒姫も意見は同じだ。

 

「急ごう!」

「待てっ!」

「結合せよ!」

 

 俺とアンドレとクララの声が重なった。

直後、ガシャっと鎧の音がして「アンドレ様!」とアランが叫ぶ。

思わず足を止めて見やると、アンドレが前のめりに倒れていた。

 

「足が地面に……」

 

 クララがしゃがんで地面に右手をついている。その手から流れた魔力がアンドレの金属製の靴と広場の土をくっつけていた。

 

「お前! アンドレ様に!」

「いい! レンたちを捉えろ!」

 

 クララに向かおうとしたアランに倒れたままのアンドレが命令する。

 

「はっ」

「結合!」

 

 クララの詠唱と同時に、俺たちに向かって駆けだそうとしたアレンとヴィクトールもつんのめってぶっ倒れた。サフィールやジャンヌも動けないみたいだ。

 

「レン様、私が足止めします! お早く!」

 

 背中を向けたままクララが叫ぶ。

 

「クララ?」

 

戸惑う黒姫の腕を引っ張り再び足を前に出す。今は彼女の気持ちに縋ろう。

 

「クララ! 頼む!」

「はい! 皆さま、ご武運を!」

「誰でもいい! あいつらを止めろ!」

 

 アンドレの怒声が響いて、騎士たちが動き出す気配がした。

 いかにクララの魔力が大きくても全ての騎士を足止めするのは無理だ。10人以上の騎士が追いかけてくる。

俺とユーゴはいいけど、黒姫とルシールの速さじゃ追いつかれる。

 

 すぐ背後まで鎧の音が聞こえてきた時、横合いから別の騎士たちがワッとなだれ込んできた。

 

「聖女様を助けろ!」

「俺たちの聖女様に何しやがる!」

 

 ちらりと見やると第9分団の鎧が見えた。

 

「おい、レン!」

 

 ネイ団長だ。

 

「面白そうなことやってるじゃねぇか。聖女様と駆け落ちか?」

「今、そういう冗談はいいんで」

「カハハハ。ま、ちょうどいいや。13分団は俺たちが相手してやるよ。あいつら気取ってて気に喰わねぇって思ってたんだ」

 

 と、悪い笑みを浮かべる。

 

「恩に着ます」

「ああ。ここは俺たちに任せて行きな!」

 

 くっ。ネイ団長のくせにカッコイイ。

 

「9分団のみなさんも、ありがとうございます!」

「おおっ!」

「お任せを!」

 

 黒姫がかけた言葉で9分団の騎士たちの意気がぐっと高まった。ほんとに任せて大丈夫か?

 

 転移陣のあった建物に入る前に広場の様子を確認すると、入り乱れる騎士たちの向こうでクララがクレメントさんに取り押さえられていた。

ごめん、クララ。

 後ろ髪を引かれる思いを振り切って、扉を閉めて奥へ向かう。

 

来たとおりに仕事部屋から倉庫を抜けて階段を下りて、魔法陣のある石造りの部屋に戻ってきた。

 魔法陣に4人が入る。みんな神妙な顔だ。特にルシールの顔色が優れない。さっきのアンドレが言ったこと気にしてるのか。

 

「ルシール。アンドレが言ってたことなんて気にすることないよ」

 

 なんてことないというふうに軽い口調で声をかけると、ルシールは「はい」と気丈に微笑みを返してきた。

 

「それにしても、アンドレ、どうしてあんな酷いこと言ったのかしら?」

 

黒姫も非難するようなトーンだ。

 

「あいつ、なんか俺のこと嫌ってるみたいだし、嫌がらせで適当なこと言ったんだろ。俺のせいでルシールにまで嫌な思いさせちゃってごめんな」

「いいえ。レンが謝る必要はありません」

 

 ルシールはふるふると首を振って、

 

「それよりも、急ぎましょう。あの人もこの転移陣は使えるのですから」

 

 と促す。

そっか。あいつも王族の血筋だもんな。きっと追いかけてくるだろう。

 

「わかった。行こう」

 

 クララのことも気になるけど、今は前に進むしかない。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 王宮の転異陣の部屋を出ると、廊下にセザンヌさんが待っていた。

 

「お帰りなさいませ。ご無事でなによりです……彼女は?」

 

 クララがいないことに気づいてスザンヌさんが怪訝そうに聞いてきたけど、

 

「俺たちのために足止めを買って出てくれて……」

「左様ですか」

 

 と、深入りしないでくれた。

 

「セザンヌ、お父さまは?」

「ルイ様は陛下にお会いになるとお戻りになりました」

 

 ほら、王弟は約束どおりにしてくれてるじゃん。謀反とか、やっぱりアンドレのでまかせだな。

 正直言うと、ほんのちょっと疑ってた。ていうか、王権のあーだこーだに巻き込まれるのは勘弁してほしいって思ってたんだよな。巻き込まれるのは召喚だけで十分だっつーの。

 

 内心でほっと息を吐いているうちに、

 

「私たちはすぐにダンボワーズに向かいます」

 

 と、ルシールがセザンヌさんに指示を出すした。

セザンヌさんは「かしこまりました」と出口に向かって廊下を先導する。

 

「これみんな転移魔法陣があるの?」

 

 両側の壁に並ぶ同じような扉を見ながら黒姫が感心する。

 

「はい。私も全ては知らないのですが、王家の所有する土地と繋がっていると聞いています」

「じゃあ、ロッシュ城は?」

「残念ですが、それはありません」

「そっか。ダンボワーズからロッシュまでは馬車かぁ」

「アンドレが追いかけてくるかもしれないし、馬車じゃ追いつかれちゃうよ。馬を使おうよ」

 

 落胆する黒姫にユーゴが異を唱える。でも、それは無理だ。

 

「え。俺、馬とか乗れないんだけど」

「私も。さっきもアンドレと一緒に乗るはずだったんだから」

 

 なるほど。グッドタイミングだったようだ。

 

「どうしよう?」

「大丈夫ですよ、マイ。私に任せてください」

 

 何が大丈夫なのかちょっと気になるけど、それよりも気になるものがあった。

 

「ところでユーゴ。その木箱は何だ?」

 

 今気づいたんだけど、ユーゴの背中にランドセルよりも少し大きめの木箱が背負われていた。鬼の娘が入るには狭そうだ。

 

「これ? 秘密兵器だよ」

 

 ユーゴがニヤリと口角を上げる。不安しかない。ネーミングが。

 

 出口の2つ手前の所で立ち止まり、ルシールが扉の魔法陣を解く。

 ダンボワーズ行きの部屋はさっきの部屋よりも少し広く、魔法陣も大きい。

 今度はスザンヌさんも一緒に転移した。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 暗闇に白いランプの灯りが灯り、石の壁が目に入った。

 ダンボワーズ城の教会の地下にある転移の間だ。

 部屋を出て、暗い廊下にスザンヌさんが灯りを灯す。石壁の狭い廊下には他に扉は無く、少し先に階段が見える。そちらに進もうとしたら、グイっとローブを引っ張られた。

 

「なん――」

 

 ついでに口も塞がれた。

スザンヌさんの手だった。必然的に彼女の手にキスをすることになってしまったけど全然嬉しくない。

 

 何するんですかと眉を寄せると、スザンヌさんは慎重に辺りを見回してから声をひそめた。

 

「ここからは他言無用にお願いいたします」

 

 そして、廊下の奥に誘う。

 

「ルシール様」

 

 スザンヌさんはもう一度廊下の出口を確認してから、ルシールの耳元で声をかけた。

 ルシールは無言のまま頷くと、目の前の石の壁に手を当てる。すると、ぽわっと魔法陣が浮かび上がった。

 

「えっ?」

 

 ただの石の壁のはずが、すぅっと扉の形で開いていく。

 

「静かに」

 

 小声で窘められて、そっと開けられた扉のうちへ身を滑り込ませる。全員が中に入ると、そっと扉が閉められ、暗闇になった。その視界の端にまた魔法陣が光る。そして、パッとランプが灯った。

 

「もう声を出しても大丈夫ですよ」

「どうなってるの? これ」

 

 ルシールが言うと同時に黒姫が問いかける。

 

「ロッシュ城に転移できる魔法陣です」

「でも、さっき無いって」

「王宮からはありませんから」

 

 ルシールが申し訳なさそうに眉を寄せた。

 

「ルシールのお父さんもここからは馬でいくしかないって言ってたはずなんだけど」

「この転移陣はサクラお婆さまが作られたもので、お婆さまの血筋の者でなければ使えませんし、その存在も秘匿されてきました。ですので、お父さまにも秘密なのです」

「じゃあ、アンドレはもう追ってこれないんだ」

「はい」

 

 どことなく自慢げなルシールだけど、ちょっと顔色が悪い。そういえば、転移魔法ってけっこう魔力を消費するんじゃなかったっけ?

 

「ルシール、大丈夫か? 転移魔法、これで今日何回目だ?」

「みなさんをこの世界に召喚したのは私です。ですから、みなさんが元の世界に帰るためにならこの力を惜しむことはありません」

 

 彼女が今までで一番の笑顔を見せる。

 

「大丈夫です。私は聖女と王家の血と力を受け継ぐ継子ですよ。あと一度くらいの魔力は残っています」

 

 ルシールが床に描かれた魔法陣へと両手をかざす。

 

「聖女の血において、我らを転移せしめよ」

 

 彼女の手から力強く魔力が流れ出した。

 



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第54話 ドラゴン来たる!

「えっ、ここに繋がってたの?」

 

転移の間を出て階段を上った先に黒姫は見覚えがあったらしい。その石壁の狭い部屋を出ると俺にも見覚えがあった。この世界に召喚された時に最初に服を着たあの部屋だ。黒姫が服を着た小部屋に隠し扉があったのか。   

 それはそれとして、

 

「これからどうする?」

 

 ロッシュに行くことばかり頭にあって、その先のビジョンが全然無かった。

すると、ユーゴと黒姫がにんまりとする。

 

「ここからは僕たちに任せてよ」

「高妻くんが王都に行ってる間、ぼーっとしてたわけじゃないのよ」

 

 さいで。

 

「まずは武器を集めよう。槍がいいんだけど」

「その前にここのみんなに知らせないと」

「セザンヌ。私のことは大丈夫ですから、アンブロシス様に連絡をとってください」

「かしこまりました」

 

 ルシールが扉の魔法陣を解いて言うと、セザンヌさんは支えていたルシールを黒姫に預けて部屋を出て行った。

 

「そういえば、ルシール。その髪型可愛いわね」

 

 ルシールの肩を抱きながら、黒姫が今更のように言った。

 

「ありがとう。ちょっとマイの真似をしてみたくて」

 

言われた黒姫もいつものポニーテールを揺らして笑い合う。

うん、いいね! 今朝からの緊張が解れるな。

 

 すぐに、セザンヌさんがアンブロシスさんを連れてきた。

 

「大まかはセザンヌから聞いた。あのゾーイがのぅ……」

 

 アンブロシスさんは感傷的に顎鬚を撫でつける。

 

「本当にドラゴンを使役してここを襲うのか?」

「スイースっていう所から西に向かったと連絡がありました」

「西に?」

「俺が調べた限りでは、大抵はまずは北東か北に行っています」

 

 伝承を含めて、デュロワールにはゴール経由でやって来ていた。今回サルルルーイの砦を拠点にしたのも、それがあったからなのだろう。

 

「そうか。ドラゴンの気まぐれなら良いのじゃが」

「俺たちは最悪の場合を想定して行動しようと思ってます。それについてはルシールのお父さんからも承認してもらってます」

「ルイ殿下の?」

 

 アンブロシスさんに確認するように顔を向けられたルシールが「はい」と頷く。それを見て、アンブロシスさんも納得したようだ。

 

「それで、どうするつもりじゃ?」

「ここでドラゴンを迎え撃ちます」

 

 ユーゴが即答した。

 

「なので、すぐにロッシュの町の人に知らせて避難させてください」

「よかろう」

「それから、城にいる人全員も。あと、衛士の人たちに大きめの槍を持ってきて欲しいです。それと、剣を多めに。それをこの塔のてっぺんまで運んでください」

「うむ。すぐに手配しよう」

 

 アンブロシスさんが部屋を出るのを待って、

 

「この塔の上で戦うのか?」

 

 と、ユーゴに聞く。

 

「相手の狙いがこの塔なら、ここで待つのが確実だからね。それにそういう前提で作戦をシミュレレートしてきたし」

「そうなんだ」

「うん。その前に、まずはこの鎧を脱がなくちゃ。レン、手伝って」

 

 と、背中の木箱を下す。

 

「え、脱ぐの? モ○ルスーツ」

「違うってば。ほら、ドラゴンて電撃を使うそうだからね」

 

 ああ、なるほど。鎧を着てると感電しやすいからか。

ユーゴの鎧の解除を手伝いながら、そういえば黒姫はどうなんだと見ると、彼女も鉄の補強が入った革の鎧を脱いでいた。

 

「ちょっと。見ないでよ、変態」

 

 下着というわけではないけど、薄手の長そでTシャツだけになった黒姫がくるりと背中を向ける。やれやれ……。

 

「黒姫、これ」

 

 そう言って、着ていたローブを脱いで差し出す。

 

「目のやり場に困るから」

「……ありがと」

 

 意外にあっさりと受け取って袖を通してくれた。まぁ、嫌そうな顔で断られたら立ち直れそうになかったからいいけど。

ほっとしていると、黒姫がローブの襟もとに鼻を近づけてすんすんと匂いを嗅ぐのが視界の隅に見えた。

 

「あの、ちゃんと毎日洗濯してるから。クララが」

 

 と、クララの功績を強調しておくと、黒姫は我に返ったようにハッとしてまた背中を向けた。後ろから見える耳が赤い。

 

「べ、別に匂いとかしなかったから。クララにお礼を言っておくといいわね」

「ああ、そうするよ」

 

まぁ、実際には下働きの人が洗濯してると思うんだけど。

 

「レン。イチャコラしてないで真面目に手伝ってよ」

 

 横からユーゴの不満そうな声がした。

 

「え、今のは俺が怒られる流れ? ていうか、イチャコラはしてないよね?」

「そ、そうよ。高妻くんが柄にもなく親切なことするから調子が狂うのよ。あと、イチャコラはしていないわ」

 

 黒姫とも意見が一致したけど、どうにも分が悪い。こんな時は、そう、『話題変え』だ!

 

「それはそうと、この塔の上って上れるの?」

 

 ルシールに向かって尋ねると、彼女は細くなっていた眼をぱっと開けた。やっぱ疲れてるのかな。

 

「え、ええ。はい、召喚の間に階段がありますから」

 

 召喚された時には気づかなかったな。まぁ、そんな余裕も無かったけど。

 

「じゃあ、衛士たちが武器を持ってきたら一緒に上がろうか」

 

 と、ユーゴが提案した。……けど、

 

「そんな時間は無さそうだ」

 

 まだ微かだけど、こっちに向かってくる魔力を感じた。それがぐんぐんと大きくはっきりとしてくる。

 

「すぐに上に行こう」

「それって……」

「うん、来ちゃった。ドラゴン」

 

 凄いスピードで近づいてくる。

 

「スザンヌさん、衛士たちが武器を持ってきていたら中庭に放り込むように言ってください。間に合わないようなら、武器は置いてここから離れるように。あなたもそのまま避難して」

 

 ユーゴが木箱を背負いながら指示を出す。

 

「ルシール様は?」

「私はマイと一緒に行きます。スザンヌはユーゴの言うとおりにして」

 

 スザンヌさんはグッと堪えるように息をつめて「はい」とだけ答えて、急いで部屋を後にした。

 

「ルシール、大丈夫? 私、アレ持ってるけど?」

「大丈夫です。それより急がないと」

 

 ルシールはふらつきそうになりながらも、召喚の間の扉を開放する。ところで、アレって何だ?

 そんなことを聞く間も惜しいくらいにバタバタと召喚の間に入っていった。今度は黒姫が灯りを点ける。

ルシールが言ったように、円を描く壁に沿って石で作った階段があった。それを追って視線を上にやると、天井の隅にある穴に続いていた。

 

「行きましょう」

 

 ユーゴを先頭に、黒姫がルシールを支えるようにして続き、俺はその後ろから万が一ルシルが足をもつれさせても大丈夫なようにスタンバりつつ殿を行った。

 

 塔は5階建てで、上の階に行くほど天井が低くなる構造だ。

 最後の出口にだけ鉄製の扉があった。ユーゴがそれを開けると、ひゅっと風が舞い込んだ。

 外に出ると、空はよく晴れていた。

 夏の日差しはあるけど、風があるおかげで涼しい。

 屋上の広さは直径で10mほどの円形。外周に腰くらいの高さの石壁がある。

 あたりにこの塔よりも高いものは無く、農地と森の混在する丘がどこまでも広がっていた。青空も360度ぐるりと広がっている。

 その一点に強い魔力を感じた。いや、もう見えている。黒い雲を引き連れたキラキラと金色に光を反射するものが。左右に広げた翼が。

 

「勇者殿―っ!」

 

 下から大声が聞こえた。腰壁に駆け寄って下を見ると、コの字の建物に囲まれた庭園に数人の人影があった。それぞれ長い槍や剣を持っている。

 

「武器はここでよろしいですかー?」

「ありがとうございます! 端の方に置いてください! 置いたらすぐにここから離れて!」

 

 ユーゴが大声で返す。

 その間にもドラゴンがもうそこまで近づいていた。

急激に風が強くなり、雲が太陽を隠す。

 金色の体に鉤爪のある大きな翼。長い首としっぽ。胴体はそれほど大きくない。もしここにドラゴン警察がいたら「あれはドラゴンではない。ワイバーンだ!」と指摘してくるかもしれないけど、この世界ではドラゴンなのだ。異論は認めない。

 

「レン、わかる?」

 

 ユーゴに聞かれ、ドラゴンの周りの魔力を探った。

 

「風魔法だ。それを翼に受けて飛んでいる」

「よし。重力操作系だったら厄介だと思ってたけど、プランAで良さそうだ」

 

 ドラゴンは少し上空で警戒するように塔の周りを回り始めた。そしてよりはっきりと見えた。頭のあたりにかかる黒い靄が。そして感じた。これは……!

 

「少し高いけど、やれそうだな」

 

 ユーゴはそう呟いて両手を高く上げた。その指先から膨大な魔力が上空へと昇っていく。それはドラゴンよりも高高度で禍々しいほどに周りの空気を巻き込んでいった。

 

「ユーゴ、待って!」

「何!」

 

 大声で返すユーゴにドラゴンを指さして答える。

 

「あそこにゾーイさんがいる! 彼女の魔力を感じる!」

 

 ドラゴンの頭のあたりの黒い靄の中に、ゾーイさん自身の魔力を感じたのだ。

 

「お姉さまが?」

 

 黒姫に支えられながらルシールが歩み寄ってきた。

 

「お姉さまはドラゴンに乗っているのですか?」

「そんなふうに感じる」

 

 ドラゴンを使役してここまで飛んできたとしたら、彼女はどうやって使役してるのか? どこから使役しているのか? 選択肢はそんなに無いはずだ。

 けど、ユーゴたちには想定外だったらしい。

 

「参ったな。このままじゃ、ルシールのお姉さんを巻きこんじゃうよ」

 

 魔力をホールドするために両手を挙げたままのユーゴが困惑している。

 

「いえ、ユーゴ。姉のことは気にせずに戦ってください!」

 

 そう言放つルシールの表情は悲壮感でいっぱいだ。

 

「それはダメよ!」

「でも、ここを守るためには」

「何か方法があるはずだからそんなこと言わないで!」

 

 方法か……。

 ドラゴンはあいかわらず警戒するように円を描いて飛んでいる。……いや、本当に警戒してるのか? もしかして、ルシールがここにいるのが見えて戸惑ってるのかも。それなら、

 

「黒姫」

 

 強風にあおられる髪を手で押さえている彼女に呼びかける。

 

「ドラゴンをここまで呼び寄せるから、夜会の時みたいに浄化魔法を頼む」

「え? 呼び寄せるって、どうやって?」

 

 それに答えてる暇は無い。

 

「ルシール、ごめん!」

 

 先に謝って、彼女の肩に手をまわして抱き寄せた。

 

「レ、レン? あの、そんな、マイが見ているのに……」

 

 いや、そんな寝取ったみたいに言うのやめてくれませんか。百合友の黒姫がショックで口を半開きにしてるし。

 

それよりも、やっぱりそうだ。

 ドラゴンがいきなり方向転換してまっすぐに突っ込んできた。そして、激しい衝突音とともに赤茶色の屋根瓦を吹き飛ばして本館の屋根の上にドラゴンを乗り付けた。

 本館の屋根はここよりも低く、ドラゴンが乗ると頭の高さがちょうど俺たちと同じくらいになった。その頭は軽自動車くらいの大きさで、肉食恐竜のような顔立ちにたくさんの棘と枝分かれした大きな2本の角。角の間にはたてがみのような毛が生えている。その中に色褪せてほとんど白に近い桜色のローブを纏った黒髪の少女の姿が見えた。その少女から怒声が放たれる。

 

「ちょっと、レンっ! あなた何してるのよ! すぐに妹から離れなさいっ!」

 

 俺はそれを無視してルシールを抱き寄せたまま高笑う。

 

「ハッハッハッハッハ。かかったな、シスコンめ! 黒姫、今だ!」

「……じょ、浄化ぁ! サイテーねっ!」

 

 黒姫のかざした両手から、ビックリするくらいの強さの金色の風が吹き出した。

 その突風は一瞬でドラゴンの頭を覆っていた黒い靄を吹き飛ばした。……が、黒姫の魔力が強すぎたのか、ゾーイさんが呆けたような顔になっている。その体がぐらりと傾いた。

 

「落ちる!」

 

 考えるより先に体が動いていた。

 俺の体は腰壁を蹴って宙に飛び出していた。

 



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第55話 決戦

 俺はまるでマイケル・ジョーダンのように空を駆けて、ドラゴンの頭からずり落ちたゾーイさんを受け止めると、その勢いでドラゴンの翼に乗っかり、そのまま体の上を駆け抜けて見事に屋根に着地した。まるでハリウッド映画か、何かのアトラクションみたいだ。身体強化魔法さまさまだな。

 けれど、屋根はかなり傾斜がきつい。すぐにずり落ちそうになるところを、西洋の建物によくある屋根の途中から突き出している三角屋根にとりついて凌いだ。

 

 一呼吸遅れて、ドラゴンが身動きする。バサッと翼を広げて、その体から放たれた魔力が周囲の空気を巻き上げた。

 その巨体がふわりと持ち上がる。その瞬間、

 

「ダウンバーストっ!」

 

 ユーゴが技名を叫ぶと、上空でホールドしていた魔力が風となって一気に吹き降りてきた。広げた翼がそれをまともに受け止める。

 ダウンバーストって、確か積乱雲なんかで起きる強烈な下降気流だったと思うけど、ユーゴのはただの下向きの強風っぽいな。

ただし、その威力はデストロイトルネード級だった。ドラゴンは抗う術も無く、屋根を巻き込みながら中庭へ落ちていった。

と、中庭から激しい風が無茶苦茶に吹き出てきた。

 

「あっぶ」

「きゃあぁぁっ」

 

左手でゾーイさんを抱きかかえたまま右手で屋根の角を掴んで荒れ狂う風に耐える。

 が、それもすぐに収まった。すると、

 

「ちょっと、放しなさいよ!」

 

 耳元でゾーイさんが大声を上げた。

 

「この状況で放せるわけないでしょ!」

 

 ここは3階の屋根の上だ。3階と言っても1階1階が日本の建物より高いから、実質5、6階以上の高さがある。しかも屋根は急斜面だ。手を放して無事でいられる保証はない。

 

「だって――きゃあぁぁっ」

 

またしても吹き荒れる強風。

 ユーゴが中庭に落ちたドラゴンに向かって再びダウンバーストを叩きつけたのだ。

それが収まると、今度は槍が空に飛びあがった。4本? いや、もっとか。ダウンバーストの余波で雲が散って青さが戻った空の中をキラリと太陽の光を反射して急降下していく。ユーゴお得意の魔法だ。

 

「あんなもの、ドラゴンの硬い鱗に刺さるわけないわ」

 

 ゾーイさんがせせら笑う。

外側の屋根の斜面にいる俺には中庭のドラゴンの様子は見えない。ドラゴンが動き出すような感じはしないけど、どうなってるんだろう?

必死に様子を探ってると、

 

「本当にもう放して」

 

 と、ゾーイさんが強引に手を突っぱねて体を捩った。

 

「無理無理無理! 危ないって」

「だって私、もうずっとお風呂に入ってないから……」

「は?」

 

 なんか急に乙女なことを言い出した。

 

「髪も汚れているし、ローブも着たっきりだし」

 

 俺から身を遠ざけようとそむけるようにしている彼女をまじまじと見る。そして、

 

 すんすんっ、すんすんっ。

 

「いやぁっ。どうして匂いを嗅ぐのよ。あなた、おかしいんじゃない?」

 

 怒りからか羞恥からか、顔を真っ赤に染めて涙目で抗議してくるけど、俺を変な性癖の持ち主みたいに言うのはやめて欲しい。

 

「だって、全然臭くないですよ?」

 

 試しに嗅いでみたけど、さっき抱き寄せた時に不可抗力的に嗅いでしまった妹さんの匂いと遜色なかった。

 

「そんなはずないわよ」

「本当ですって」

 

 改めて見てみると、ルシールよりも長く背中の中ほどまである黒髪はサラサラで、見知ったものより少し日に焼けた肌も綺麗だし、ほとんど白に近いローブは襟元が擦り切れてはいるけど汚れているようには見えない。

 

「あ、きっと黒姫の浄化魔法で汚れも浄化されたんじゃないですか?」

「はぁ? そんな話聞いたこともないわ」

「とにかく、ゾーイさんはいい匂いがするので大丈夫です」

「何も大丈夫じゃないでしょ! いいから放して!」

「ダメです」

 

 と問答していると、

 

「レーン!」

 

 ユーゴの声がして、目の前に大きな槍、ランスって言うのか、細長い円錐形のアレが浮かんでいた。

 すぐに意図を理解した。

 俺はゾーイさんを抱えてそれに跨った。

 途端にくるりと天地が逆さまになる。

 

「いやあぁぁ」

 

 抱えてたゾーイさんが落ちそうになって悲鳴をあげる。慌てて抱きとめると、ランスに脚を絡めて逆さまになった俺の胴体にゾーイさんが抱きついてぶら下がる格好になった。これはアレだ。天空の城のアニメで見たことあるな。

 

 その恰好のまま槍が動き出して、ゾーイさんの下半身越しに見える屋根と地面が流れていく。

 

「は、放さないでよ」

 

 ゾーイさんが震える声でさっきとは真逆のことを言う。我儘だなぁと思いつつも彼女を抱く手に力を込めると、顔と胸のあたりに彼女の体を感じてしまった。

 

「ゾーイさん、ちゃんと食べてますか? 随分痩せて――イタタタ。ちょっ、抱きついたままつねるのは反則」

「どうせ私は妹と違って貧相な体よ」

「いや、そういうのがイイって言う人もいますから、悲観することないですよ」

「そこはちょっとは否定しなさいよ!」

 

 せっかくフォローしたのに怒られてしまった。

 

 とかやってると、グイっと上昇する感覚とともに視界に塔の屋上の床が入った。続いてゆっくりと降下してゾーイさんの足が着く。それを確認してから、絡めていた足を解きニャンパラリと半回転して華麗に着地。

 

「お姉さま!」

「ルシール!」

 

へにゃりと床に座り込むゾーイさんにルシールが抱きついきた。姉もしっかりと抱擁で応える。よかったよかった。

 ユーゴはと見ると、その背中に黒姫の両手が当てられていた。魔力を補充しながら戦ってたんだな。

 

「……どうしてアレに跨ろうなんてするかな」

 

 そして、呆れた声でそんなことを言ってきた。おかしいな。アニメで見た終末の魔女はランスに跨って飛んでたんだけどな。

 

「ま、結果オーライってことで」

「オーライならいいんだけど」

 

 と、ちらりと背後を見やる。その視線の先は恐いので見れない。

 

「で、ドラゴンは?」

 

 話を変えながらユーゴの横に並ぶようにして中庭を見下ろすと、ドラゴンが翼を広げたままで這いつくばっていた。頭の後ろのところで2本の槍がクロスして地面に刺さり、その長い首を拘束している。左右の翼もそれぞれ2本ずつの槍で地面に縫い留められていた。翼を突き破っているのではなく、皮膜ごと地面に突き刺さっているみたいだ。尾もやはりクロスした槍で動きを封じられていた。

ドラゴンは全く動けない。

 

「凄い……あっ」

 

 頭の角に急激に魔力が集まってきた。小さな電光がパチパチと爆ぜる。

 

「来る! 電撃っ!」

 

 俺が言うと同時にユーゴが腕を振り、地面にあった何本もの剣が動いて見えた瞬間、一瞬の閃光とともにバシッと音がして剣が四方八方に飛び散り、焦げ臭いにおいが辺りに漂った。

 

「油断大敵。ありがと、レン」

「剣で防いだのか?」

「間一髪だったけどね」

 

 ユーゴは小さく息を吐いてドラゴンを見下ろした。首元を固定されたドラゴンは眼だけでこちらを威嚇しているけど、角に魔力が集まる気配は無い。

 

「自然の雷を発生させているのかと思ってたけど、自分で放電してるのか。でも、連発はできないみたいだな」

「じゃあ、電撃が来ないうちに」

 

 ユーゴは木箱に手を伸ばした。

 

「秘密兵器の出番だ」

 

 そして木箱の蓋を開けて、中身を中庭めがけてぶちまけた。

 黒い粉のよういなものが広がって落ちていく。

 

「風よ、我が意のままに」

 

 ユーゴの魔力が黒い粉を包んで中庭一面を覆うように広がっていった。この魔素は知ってる。石炭だ!

 

「石炭があるなら当然これだよね?」

 

ユーゴは右手で石炭の粉をコントロールしたまま、左手に赤い魔法石を握り込んだ。そして小さな火を作り出す。

 

「炎よ、我が意のままに。エクスプロージョンっっ!」

 

 ユーゴの左手から火の矢が飛んで、一拍おいて轟音と地響きと舞い上がる炎、そして爆風。

いや、その技名はいいのか? 頭のおかしい紅い眼のロリっ娘に絡まれないか?

 

「ウィンドシールド!」

 

 俺の心配をよそに、ユーゴは風の障壁を作り出して爆風と熱を防いだ。

 

 黒煙と爆風が収まった後、中庭を覗いてみると、枠ごとガラスが吹き飛んで窓がぽっかりと開いている本館と金色の鱗を黒い煤まみれにして沈黙しているドラゴンがいた。

 

「やったか? あ」

 

 思わず口から出てしまった。

 まぁ、そんなフラグを立てなくてもドラゴンがまだ生きてるのはわかってた。

 

「とどめだ」

 

 ユーゴが両手を前に突き出す。

 

「デスプレス!」

 

 ユーゴから放たれた魔力が本館の建物を覆うやいなや、ガラガラと崩れ始めた。そのがれきがドラゴンを埋めていく。あ、これシンな怪獣映画でやってたヤツだ。

 が、唐突に本館の崩壊が止んだ。

 

「ユーゴ?」

 

 横を見ると、ユーゴが片膝をついてしゃがみ込んでいた。その体から感じる魔力が弱い。

 

「魔力切れ?」

 

 背中に手を当てていた黒姫もぐったりしている。

 

「黒姫もかよ」

「ごめん。さっきの浄化魔法で使いすぎちゃったみたい」

 

 確かに。あの分の魔力があれば余裕でドラゴンを埋め尽くせただろう。

どうする? 中途半端なままじゃドラゴンが復活するかもしれない。現にじりっじりっと動き始めている。ユーゴがなけなしの魔力でそれを抑え込んでるのが現状だ。

 

「ルシールは?」

 

 振り返って聞くと、力なく首を横に振られた。

 

「ごめんなさい。私もほとんど残っていません」

 

 だよな。転移魔法の連続だったもんな。

 

「じゃあ、ゾーイさ――」

「私が協力するわけないでしょ」

 

 ふんっと睨み返された。

 

「お姉さま……」

「そんな子猫みたいな瞳でお願いされても、私だってドラゴンを使役するのでいっぱいいっぱいだったのよ。正直もう立ってるのもつらいくらいなのよ」

 

 と、横を向く。

 

「あ、アレがあるわ!」

 

 黒姫がグッドアイデアとばかりに指を立てた。

 

「アレとは?」

「アレはアレよ」

 

 と、ベルトのポーチの中からジャラジャラと薄い黄色にそまった魔法石を取り出した。

 

「あ、聖水か」

「聖水って言わないで」

 

 まだ拘ってるのか。

 

「でも、それじゃ雀の涙だね」

 

 ユーゴが眉を下げた。

 

「じゃあ、あと魔力があるのって俺だけか……」

 

 でも、俺は魔法を使えないし、誰かに分けることもできない。

 

「……すまん。こんな時に何の役にも立てなくて」

 

 あと一押しなのに。

結局俺って巻き込まれて来ただけの役立たずかよ。

 

「そんなことないわ!」

 

 黒姫がきっぱりと言い切った。それは慰めでもその場凌ぎの言葉でもないと感じさせる力がこもっていた。

 

「白馬くん、どれくらい待てる?」

「うーん。聖水を使ったとしても20分か30分。でも、保証はできないよ」

「うん、わかった。頑張って」

「黒姫、何か当てがあるのか?」

 

 期待を込めて聞くと、黒姫が俺を正面から見つめる。そして、

 

「来て!」

 

 と、俺の手を引っ張って出口の扉に向かって歩き出した。

 

「どこに行くんだ?」

「いいから!」

 

 その迫力に黙ってついていくしかなかった。

 

 二人とも無言で階段を下りていく。

 5階、4階、3階まで来た辺りで、ふいに黒姫が足を止めた。

 

「高妻くんは役立たずなんかじゃないわ」

 

 前を向いたままの黒姫がぽつりと零す。

 

「ううん、高妻くんじゃなきゃダメなのよ」

「俺?」

 

 俺にできることっていったら魔力感知くらいだ。じゃなかったら身体強化魔法。それでドラゴンをぶん殴れってことか? 無理過ぎるだろ。

 

「……前にさ、フローレンスが言ってたでしょ? その、男の人のせ、精には魔力が含まれてるって」

 

……え?

 

「私、今から高妻くんの精をもらうわ」

 

 ええっ⁉

 

 振り向いた顔は真っ赤に染まっていた。まっすぐに向ける瞳も熱を帯びたように潤んでる。

 

「え、ちょっ、いくら緊急時だからって……」

「見くびらないで」

 

 黒姫はちょっと口を尖らせる。

 

「別に使命感で言ってるわけじゃないんだからね。こんなこと高妻くんが好きじゃなかったら言えないわよ」

 

 好き? 今、俺のこと好きって言った? いや、

 

「逆だよね? 俺のことなんか好きじゃないけどみんなのためにしかたなく、だよね?」

「だから、好きって言ってるじゃない。ああ、もう、何、このサイテーな告白」

 

 言うなり黒姫はばっと両の手で顔を覆った。そ、そうか……。

 

「あ、いや、その、黒姫が俺のことをそんなふうに思ってくれてるなんて、なんか夢みたいで。えっと、その、凄く嬉しくて、嬉しいんだけど、その、現実感が無いっていうか……」

 

 がしがしと頭を掻きながら口から出るままに喋ってると、ふいに黒姫が顔を寄せてきた。

 

「んっ!?」

 

唇に熱くやわらかいのが触れる。

かぁっと顔が熱くなって頭がぼーっとする。

 

「……これが現実よ」

 

 一歩離れた黒姫がはにかむように告げた。

そして、言葉の出ない俺の手に自分の両手を重ねる。

 

「ねぇ、約束して」

「な、なに?」

「絶対一緒に日本に帰るって」

「もちろん。約束する」

「あと、他の人とこんなことしないで」

「約束する」

「あと……」

 

 まだ何かあるの?

 

「私も初めてだから……」

 

 

 

そうして、俺と黒姫は一緒に大人の階段を上った。

 



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第56話 決着?

 屋上に戻ると、そこにはビミョーな空気が漂っていた。

 ルシールとゾーイさんがちらちらと俺たちを盗み見て頬を染めている。

 どうやら、みんなは俺と黒姫が何をしに行っていたか理解しているらしい。居たたまれない。

 その上、俺は黒姫をお姫様抱っこしている。いや、どことは言わないけど「まだちょっと痛くて、階段を上れそうにない」って彼女が言うから。

 

「間に合ったか?」

 

 黒姫をユーゴの側に下ろして聞くと、かなり憔悴したユーゴが無理に笑顔を作って頷いた。

 

「うん。思ったより早かったね」

「うっ……」

 

 ユーゴの何気ない言葉が俺のメンタルを抉る。

 

「すぐに魔力を補充するわ」

 

 黒姫が顔を赤くしてユーゴの背中に手を当てた。

 

「魔力は十分?」

「ええ。……に、2回分……あるから」

 

 更に赤くなって俯く黒姫。

 

「2回分?」

 

 ユーゴが眼を薄くして俺を見た。

 

「や、その、念のためだよ、念のため」

「じゃなくて、この短時間によく2回も……」

 

 わーっ、言わないでぇ!

だってしょーがないじゃん! 出ちゃったんだから!

 

「いいから! 白馬くんはドラゴンにとどめを刺して!」

 

 怒ったような黒姫の声にユーゴが立ち上がる。そして再び『デスプレス』を放った。

 轟音を響かせて崩れる本館。

 粉塵が舞い上がってどうなったか見えないけど、ドラゴンの魔力はまだ感じる。

 

「まだまだ。瓦礫よ、我が意のままに。サルコファガス!」

 

 おおっ。意味はわからんけど、今の技名はカッコイイな!

 

 ユーゴは更に魔力を加え続けた。

 粉塵が収まっていくと同時に巨大な石の直方体が現れた。その周りに1階部分の床が残った本館と散乱した家具や木材が見える。

 

「なにこれ?」

 

 黒姫が驚きと呆れが混じった声を上げる。

 

「石棺だよ。瓦礫を石に再構築して作った」

「じゃあ、あの中にドラゴンが閉じ込められてるの?」

「うん。普通の棺と違って隙間は無いけどね。僕の魔力で強化した石だし、ドラゴンがどれだけ強くても、これならもう身動きできないでしょ」

「凄いな、ユーゴ。圧勝じゃないか」

 

ダウンバーストで地面に落としてランスで拘束、動けなくなったところへ粉塵爆発、とどめに瓦礫で埋めて固める。ドラゴンにはほぼ何もさせなかった。

 

「戦いに勝つ秘訣は相手に何もさせずにこちらのペースで戦うことなんだって。一進一退の手に汗握る攻防や絶体絶命からの起死回生の一撃なんて、見てる方は面白いかもだけど、戦ってる当人たちにとっては無いほうがいいに決まってるからね」

 

まぁ、勝ったと思ったらまだ奥の手を隠してたなんて、話を引っ張るセオリーみたいなもんだし。

 

「それに、黒姫さんとさんざんシミュレートしたからね」

 

 ユーゴが黒姫と頷き合う。

 

「空高く飛んでるドラゴンに対抗するのに風魔法を使うのは確かに有効だと思うし、前の勇者が竜巻を使ったのも理解できるけど、でもドラゴンも風魔法を使うから拮抗しちゃうんだよね」

「そんなことになったら、サルルブールみたいにロッシュの町がメチャクチャになっちゃうわ。最悪、この塔も無事じゃ済まないかもしれないし」

「で、どうするかって考えて、竜巻は上に巻き上げる風だから、逆にしたらいいんじゃないかって黒姫さんが言って」

「押してダメなら引いてみろよ」

 

 ちょっと違う気もするが。

 

「だから下向きの風で地面に落とそうってなったわけ」

「ちょうど翼を広げてるし。浮かせるために広げた翼が仇になったね」

「地面に落としてからは魔獣の討伐した時にリギューを土の壁に閉じ込めるやつを参考にしたの」

 

 あー、あのえぐいやつか。

 

「ここ、ちょうど建物で囲んであるからね。粉塵爆発にも利用できたし」

「ふんじんばくはつと言うのですか? あれほど激しい魔法は初めて見ました」

 

 話を聞いていたのか、ルシールが恐々聞いてきた。

 

「原理は魔法じゃないけど」

「レンが石炭を見つけてくれたおかげだね」

「せきたん?」

 

 ルシールが単語を問い返した。やっぱり石炭に該当する単語が無いんだな。

 

「高妻くんがサルル領で見つけた燃える石よ。それを細かく粉にしたものを空気中に漂わせて火を点けると急激に燃え広がって爆発したみたいになるの」

「さすがのドラゴンもこれを喰らったことは無かったんじゃないかな」

 

 デュロワールには火属性の魔法でも爆発系は無かったと思う。ダウンバーストもそうだけど、現代知識チートってヤツだな。他には、ウオータージェットカットとか水蒸気爆発とかもできそうだ。まぁ、魔法が使えない俺には関係ないけど。

 

「でも、こんなにうまくいくとは思わなかったわね」

「うん。もっと抵抗されると思ってた」

 

 確かに。ドラゴンの魔力量が思ったほどじゃなかったんだよな。もしかしたら、憑依されていたことと何か関係があるのかも。

 

「憑依魔法ってかけられてる方も魔力を消費するんですか?」

 

 ゾーイさんに向かって聞くと、彼女はそれには答えずに悲しそうな眼でドラゴンを閉じ込めた石棺を見つめて、

 

「聖獣なのに、なんてことを……」

 

 辛そうにそう呟いた。それには返す言葉も無い。

 もしも彼女の言うとおりドラゴンが豊穣の雨をもたらす存在なのだとしたら、デュロワール王国のみならずガロワの地にその恵みは二度と与えられないのだから。

 無言のまま石棺を見下ろしていると、ふとその中で動きがあった。

 

「っ!」

 

 一瞬、ドラゴンが石棺を壊して出てくるのかと警戒したけど、巨大な石の塊は微動だにしていない。

 

 そんな。まさか……。

 

 魔力が、魔力だけが動いていた。

 その魔力が石棺には何の干渉も受けずにすーっと外に出てきた。

 それはドラゴンの形をした金色の光だった。大きさは馬くらい。金色の小さなドラゴン……の魔力、いや魔素だ。魔素だけの存在だ。

 

 そっと左右に視線を向ける。ユーゴも黒姫も、ルシールもゾーイさんも、みんなにそれは見えていないらしい。静かに石棺を見下ろしているだけだ。

 

 もう一度、石棺に目を戻すと、その魔素だけのドラゴンは小さな翼を広げてふわりと浮かび上がった。そして、ゆらゆらと上昇し始める。

 息をつめてゆっくりと上昇していくドラゴンを目で追っていると、目線と同じくらいの高さになったところで眼が合った。

 いや、相手に眼なんてないんだけど、合ってしまったのだ。

 魔素のドラゴンは上昇を止めてじっと俺を凝視している。やがて、すーっと水平に移動して近づいてきた。

 

 え、ちょっ、なに? 恐いんだけど!

 

 ドラゴンは俺の目の前で停止した。

 見つめ合うことしばし。

 

『お主には妾が見えるのか?』

 

 言葉が額の『言葉の魔法石』から流れ込んでくる感じがした。

 突然のことに俺は言葉を返すことができず、ただ頷いた。

 

『真実か。されば、異質な魔素の持ち人なればこそか』

 

異質な魔素の持ち人?

 

『お主たちのように、この世界のものではない人族のことぞ』

 

 頭の中で思ったことがダイレクトに伝わってる?

 

『然り。お主の魔素と妾の魔素が共鳴しておるのだ』

 

 なるほど。じゃあ、ちょっと質問いいですか?

 

『何ぞ?』

 

 あなたはあのドラゴンの魔素なんですよね?

 

『然り』

 

 魔素の体になってどうするつもりなんですか? 俺たちに報復する意思は無いように感じますけど。

 

『ねぐらに戻りて新たな卵に宿るのみぞ』

 

 卵に宿る?

 

『ねぐらには、躯体が古くなった時のために予め卵を産んである。それに宿りて新たな躯体を得るのだ。永き時、妾はそれを繰り返してきた』

 

ドラゴンは転生を繰り返すって本当だったんだな。

 

『然り。されば、永き時を生きている故、妾は暇でな』

 

 は?

 

『最近、天から魔素が降りてくる頃になると異質な魔素を持つ者が現れるようになり、興が湧いて相対してみておったのだ』

 

 暇だから召喚された勇者たちにちょっかいかけてたってことか。

 

『こたびは人族の娘の誘いに乗ってみたが、少々戯れが過ぎたか。やれ、酷き目に遭うた』

 

 そうでしたか。なんかすみません。

 

『よい。どれも初めて受ける刺激故、面白くあった』

 

 ドMか。

 

『?』

 

 なんでもないです。それより、天からの魔素が降りてくるっていうのは、もしかして流星雨のことですか?

 

『お主の思う、天空から降りし星屑、で相違無い』

 

 なるほど。この世界のものには全て魔素が含まれるんだもんな。流れ星に魔素があってもおかしくない。

 ちなみにですけど、なぜあなたは流星雨が降ると現れるんですか? やっぱりケールのお姫様のお願いだから?

 

『姫などは知らぬ。妾はただあの天からの魔素を味わうために飛んでおるのだ』

 

 味わう? 食べてるんですか?

 

『あれはなかなかに珍味ぞ。嬉しいことにちょくちょく天から降ってくる故、ここしばらくはあの魔素だけ食べておる』

 

 ふーん。それが彗星が来る度にドラゴンが現れる理由か。まぁ、ケールのお姫様の話は人間が勝手に後付けしたんだろう。となると、豊穣の雨も同じか。

 

『豊穣の雨とは何ぞ?』

 

 えーと、あなたがガロワの地に降らせている雨のことです。そのおかげで大地に実りがあるのだとか。

 

『そ、そうか』

 

 あれ? なんか今動揺しませんでしたか?

 

『そんなことはない。食べたら出るのは生あるものとしの当然の理ぞ』

 

 食べたら出る? ……あ。

マジかよ。豊穣の雨がドラゴンの排泄物だったなんて。

 

『何を言う。人族も家畜の排泄物を使うであろう?』

 

 いやまぁ、確かに肥料には牛糞とか鶏糞とかあるし、爺ちゃんが子供の頃には普通に人の糞尿も使ってたそうだけどさ。

 でも、それが豊穣の雨っていうのはなぁ。

 

『お主、何か失礼なことを考えておるな』

 

 いえ、全然。あなたがガロワの地に放尿して悦に入ってる変態だなんて思ってませんから。

 

『考えておるではないか』

 

 すんません。

 

『げに、人族とは可笑しき考えをするものだな』

 

ドラゴンの魔素体も十分おかしい存在ですけど。

 

『何か?』

 

いえ、なんでも。

そういえば、あの石の中に残った体はどうなるんですか?

 

『やがて朽ちるであろう。あの躯体も長く使った。もはや痛みも多い。良き頃合いよ。暫し縄張りを放置せねばならぬが致し方無かろう』

 

 暫し? あ、卵からやり直すからか。

 

『然り。成体になるまでには、天からの魔素を5度ほど過ごさねばならぬだろう』

 

 だいたい300年後か。

 今が西暦何年相当の時代かわからんし、俺たちの世界線のように発展するとも限らんけど、300年後にドラゴンが現れたらかなりパニックになるんじゃね? なんかゴ○ラっぽい? いや、ラ○ンか?

 

『少々お主が何を思考しているのか理解しかねる』

 

 はい、すみません。

 

『よい。妾と意思の通じることができた人族は久しい。見れば、同じき異質の魔素の持ち人なれど、妾と意思のやり取りができるのはお主だけのようだ。面白きかな』

 

 それはどうも。

 

『されば、面白き異質の魔素の持ち人よ。縁があればまた会おうぞ』

 

 いや、変なフラグ立てるのやめてくれませんかね。

 

 けど、ドラゴンからの返事はもう無かった。

 金色に輝く魔素だけのドラゴンは、再びゆるりゆるりと上昇し始めて、やがて西からの風に乗って、東へ、アルプスの方へと小さくなっていった。

 

「――ン、レン」

 

 名前を呼ばれたような気がした。

 

「レン?」

「高妻くん?」

 

 あ、やっぱり呼ばれてる。

 

「え、なに?」

「なに?じゃないわよ。さっきから呼んでるのに、どうしたの? ぼーっとして」

「俺、ぼーっとしてたのか?」

「そうよ」

 

 あれ、夢だったのか? ……いや、違う。あの石の塊にもうドラゴンの魔力は感じられない。

 

「まだボーっとしてるの?」

 

黒姫が心配そうに俺の顔を覗き込む。ちょっと近いんだけど。いいけど。

 

「実は……」

 

と、今しがた起こった不思議な体験をみんなに話した。

 

「それ本当なの?」

 

 黒姫が疑わしそうに言う。

 

「正直、自分でも半信半疑なんだけど、でも、理屈は通ってると思うんだ」

「どのへんが?」

「この世界の全てのものに魔素が含まれるとしたら、彗星だってそうだし、当然その塵が元の流星もそう。だから、流星雨が降ればその魔素は大気中を漂う。まぁ、偏西風とかあるし、実際どういう流れになるかは不明だけど。で、ドラゴンがそれを食べて出したものが雨になって降る」

「いやぁねぇ」

 

 黒姫がうへぇっと顔をしかめる。

 

「何百年、もしかしたら何千年とドラゴンを経由した彗星由来の魔素がガロワの地に降って大地を潤していたんだろうな。だから、勇者によってドラゴンが来なくなったこの国の土地は魔素が少なくなって作物の収穫量が減ったんだ」

「魔素に作物を育てる力があるのですか?」

 

 ルシールが不思議そうに聞いてきた。

 

「たぶんな。今それをシュテフィさんが証明しようとしてる」

「だとすると、ドラゴンの『豊穣の雨』って本当だったんだ」

 

 感心するユーゴにゾーイさんが非難の眼を向ける。

 

「だから言ったでしょ。ドラゴンは聖獣だって。どうするのよ、この先。デュロワールだけじゃなくなるのよ。豊穣の雨の恩恵が無くなるのは」

 

 ぐうの音も出ない。俺たちの都合でこの世界に大きな不利益を与えてしまったのだから。

 けれど、彼女の妹が異を唱える。

 

「それはお姉さまにも責任があると思います」

「私に?」

「はい。お姉さまがここの召喚魔法陣を壊すためにドラゴンを使役しなければ、このような結末にならずに済んだのではないですか?」

「だって、それがサクラお婆さまの遺志だったから」

「私にはサクラお婆さまのお気持ちがどういうものだったかはわかりませんが、それでも何の責任も無いマイたちやお姉さまを犠牲にしなければ叶えられないことだったのでしょうか」

「私は犠牲になんてなっていないわ」

「いいえ。確かに、お姉さまも私もサクラお婆さまの血と力を受け継いでいますが、だからと言ってその遺志まで受け継ぐ必要は無いのです。お姉さまにはお姉さまの生き方があるのですから」

「そんなこと……」

「それに、そのせいで大好きなお姉さまと理由もわからずに会えなくなってしまうなんて、私はイヤです」

「ルシール……」

 

 あー、これはシスコンには効くなぁ。

 案の定、シスコンの姉は妹とがっちり抱き合ってしんみりしている。

 でも、ゾーイさん、この先どうなるのかな? いろいろやらかしちゃってるからなぁ。

まぁ、それは俺がどうこうできることではないし、王弟殿下にまかせるしかないな。ただ、彼女もナエバサクラの被害者だってことは言い添えておこう。

 

 とにもかくにも、ドラゴン退治は終わった。

 

「お疲れ、ユーゴ。さすがは勇者様」

 

 と、拳を突き出す。

それにユーゴが自分の拳をこつんと当ててくる。

 

「僕の力だけじゃないよ。黒姫さんとレンがいたからだよ」

「ルシールもよ」

 

 黒姫も拳を合わせながらそう付けくわえた。

 みんなでルシールを見やると、「はい」と天使のように微笑んでいる。

 

 そうだ。俺たちだけじゃない。クララやシュテフィさんやルシールのお父さんの協力もあったからこそ、この偉業を達成することができたんだ。

 

 塔の屋上で心地よい一体感に包まれていると、下の方が騒がしくなってきた。

 そろそろ避難していた人たちが様子を見に戻ってきたようだ。驚きや嘆きや怒りの声が聞こえてくる。

うん、本館がまるまる無くなっちゃったもんね。怒るのも当然だ。

しょうがない。一言言っといてやるか。

 

それ全部、勇者がやったんですよー! 勇者のせいだからねー!

 



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第57話 決闘

 目の前に鎧姿のイケメンがいる。

 フル装備の鎧だ。

 胸と腰、腕、脛の部分の鎧は鮮やかな青色で銀の縁取りや模様が入っている。

同じく青色に銀の模様の入った兜はまだ着けてない。

黒い癖毛の長髪を風も無いのにサラサラと靡かせて、険しい光を帯びた紫の瞳でまっすぐに俺を捉えている。

手に持つのは柄に赤い石を嵌め込んだ愛用のロングソード。

 

イケメンの名はアンドレ・ヴォ・ジャルジェ男爵。

勇者タニガワカツトシを祖父に持つ、現国王の実子。

 

それが、俺がこれから決闘を行なう相手だ。

 

 

 

 ロッシュ城でユーゴたちとドラゴンと戦った後、俺が一番に心配したのはクララのことだ。ついでに、ネイ団長をはじめとした第9分団の人たちも。

 彼女と彼らは、サルルルーイの砦で俺たちがロッシュ城に急行するために護衛騎士だったアンドレたちを足止めしてくれた。けれど、それは上位貴族に実力を行使して逆らうことになり、ひいては王国への反抗と見なされた。重罪である。

 しかし、そのおかげで俺たちはロッシュ城に行くことができ、最小限の被害でドラゴンを倒すことができたのだ。彼女と彼らの働きが無ければ、ロッシュ城もろとも召喚魔法陣を失っていたことは間違いない。むしろ、彼女と彼らはその功績を讃えられるべきだ。

 

 ということを滔々と力説したところ、その罪を不問としたいのならば決闘に勝利してその権利を得よと言われてしまった。

 どうしてそういう理屈になるのかいまいち理解できなかったけど、そうだというのなら受けるしかない。

 

 で、その決闘の相手がアンドレっていうのは直接の被害者だし、まぁわかる。

 でも、ヤツが勝ったら俺が黒姫から手を引くっていうのがわからない。

 

「たとえマイの気持ちがお前にあったとしても、私はマイを手に入れたいのだ。いや、手に入れなければならないのだ。でなければ、私の価値は無くなってしまう。だから、お前を倒してマイを私のものにする!」

 

 決闘の前にそんなことを言いやがった。黒姫は賞品じゃねぇぞ。

アンドレの事情とかどうでもいいが、だったらこっちからも言ってやる。

 

「俺が勝ったら、黒姫のことをマイとは呼ばせない」

 

 見物人の中から「ひゃぁ」と喜声が聞こえた。静かにしてくれませんかね、黒姫さん。

 

 

 

 決闘の場所はダンボワーズ城の庭園の一角。

 テニスコートほどの広さの芝生の広場で、周りを葉の多い木々や生け垣に囲まれていて人目につかない場所だ。

 

 立会人というのか、ここの城主でアンドレの養父でもあるジャルジェ公爵が決闘を取り仕切る。

その他に国王とか宰相のアなんとか、ルシールのお父さん。あとはユーゴと黒姫。アンドレ側にはアレンとヴィクトール。

 更には、それぞれに付き人や護衛の衛士がついてきているので、けっこうな数の見物人がいる。

 

 俺の装備はいつも訓練に使ってる鎧だ。アンドレみたいな全身を覆うタイプじゃないけど、これが一番慣れてるからな。

兜も革に鉄の補強が入ったタイプ。

剣も護身用に持っている剣だ。両手でも片手でも使える諸刃の剣。長さはアンドレのより少し短い。ただし、勇者の魔法が付与されてる特別製だ。

 

 ジャルジェさんによる決闘の宣誓が終わって、ついに雌雄を決する時がきた。

 

太陽は真上、薄雲の中。風はほとんど無い。

対する距離は3mほど。

左足をやや前に。剣は正面。

 アンドレは左足を前に、剣を顔の右前に構えるオーソドックスな構えだ。

 

 アンドレはルシール並みの魔力を持ってる上に努力も怠らないイケメンだ。きっと剣の腕も相当だろう。

 勝てるとはとても思えないけど、負けなければいい。受けて受けて受け続けてやる!

 

「始め!」

 

 合図に被るようにアンドレが一気に踏み込んできた。

 左からの袈裟斬り。基本どおりだけど速い!

 けど、受ける。力負けはしない。

 アンドレも様子見の打ち込みだったのか、スッと引く。

 

「っ!」

 

 アンドレの体を虹色のオーラが覆った。

 突き! ジャンヌさんの3連撃と同じ剣筋だ!

 最後は捌けないと見切って、地面を蹴って退く。見たことあってよかった。

 

「これを躱すか」

 

 オーラを消したアンドレの眼が険しくなる。

 

「見たことありますから」

「なるほど。初見ではなかったか」

「ジャンヌさんの方がもっと速かったですけどね」

 

煽るように言うと、怒りを含んだ瞳で切り込んできた。それを受けると、アンドレはそのまま体ごと飛び込んでくる。今度は力押しか。

 グイっと剣をねじ込んでくる。

パッと退いて下から切り上げてくる。

踏み込むと見せての回転切りでタイミングを外してくる。

逆手に持ち替えて逆から薙いでくる。

身体強化を使った速くて重い一撃を紛れ込ませてくる。

それを全て見切って受けた。見切ったっていうか、相手の意思を感じ取ってるみたいな。だから、フェイトをかけても剣筋を変えてもわかる。後は身体強化魔法で素早く確実に対応するだけだ。

 

「なるほど。そこそこはできるようだな」

 

 一旦動きを止めてアンドレが呟いた。

 

「だが、どうして打ってこないのだ?」

「俺は『総受け』なんで」

「攻めなければ勝利は無いぞ」

「アンドレさんが疲れ切ってもう動けなくなるまで受け続けますよ。そうなれば俺の勝ちですから」

 

 正直、受けに集中できるからなんとか持ちこたえられてるっていうのが本音。ちょっとでも攻撃にでたら隙が生まれる自覚がある。

 

「ならば……」

 

 アンドレの体を今まで以上のオーラが包む。

 鋭い踏み込みと刺突。横へ逃げつつ捌く。追撃の切り上げ。躱す。胴切り。受ける。更に胴。回転して首。反転して脚。追撃の突き2連。左右の切り上げ。力を乗せた打ち下ろし。え、これいつまで続くの?

 さらに斬撃と刺突。

先走ってくるオーラを見極めて捌いてるのに捌ききれない。

 

 つッ。

 

やつの剣が左腕の鎧の無いところをかすめて血が滲む。けど、痛くない。痛くないったら痛くない!

 

漸く、回転切りの3連撃を受けきったところでアンドレのオーラが切れた。その連撃の総数18。

 

「18連撃の達人って、アンドレさんかよ」

 

 さすがに息が上がった。剣を握る手も痺れてる。

 

「これでも仕留められないのか。侮っていたつもりはないのだが」

 

アンドレも肩で息をしている。でも、まだ魔力量は残ってる。

 

 アンドレは息を整えてすぅーっと剣を頭の上に構えた。

こっちも正面に構える。

 

 まだ剣に魔力を乗せた打ち込みを見せてないな。

俺の剣には切れ味を犠牲にしたユーゴの強化魔法が付与されている。どんな剛剣を受けても折れたりしない。

後はどれだけ俺が耐えられるか。

 

 アンドレの剣先がゆっくりと後ろに倒される。今にも打ち込んできそうだ。

距離は踏み込み3足分ある。一気に詰めてくるのか? 飛び込んでの一撃? ……いや。

アンドレの唇が微かに動いて、柄を握る左手が埋め込まれた赤い石に触れる。そこに陽炎がゆらめいた。

 

魔法っ

 

そう気づいた瞬間、伸ばされたアンドレの左手から陽炎が飛び出した。それを追うようにして真っ赤な炎が迫る。

 

ロールターン!

 

踏み出した右足を軸に一気に左回転で躱す。後頭部を熱がかすめていく。視界に入ったアンドレは左手を伸ばしたままだ。

 

隙あり? なら、いけっ!

 

回転して出した左足に体重を移して、更に右足を踏み込む。腰の回転を使って右からの袈裟斬り!

 それを待っていたかのようにアンドレは上段から右手一本で振り下ろしてきた。

 

誘われた? 相打ち? いや、アンドレの左腕が受けに入っている!

咄嗟に腕を畳んだ。

 

ゴキン

 

鈍い手応えと衝撃音。

地面を跳ね飛ぶ赤い魔法石の剣。

俺の剣がアンドレの剣の根元に当たって叩き落としていた。

俺の剣はそのまま剣先がアンドレの方に向いている。腕を畳んだせいで踏み込みきれず、左足には僅かに体重が残っていた。突き出せばアンドレの喉元に届く!

 

 ……でも、俺は動かなかった。動けなかった。

 

「なぜ突いてこない」

 

 アンドレが怒ったように、けれど静かな声音で言った。

 

 なぜって言われても、やっぱ人に向かって剣を突くなんてムリだ。

さっきは勢いに任せて切り込んだけど、この剣じゃ切れないってわかってたし、でもさすがに突いたら刺さる。そう思ったら動けなかった。俺には人を傷つける度胸も覚悟も無かったのだ。

けど、バカ正直にそれを言うわけにもいかないしなぁ。

 

「……さっきも言ったけど、俺は『総受けのレン』です。攻撃はしません。受けるのみです。アンドレさんが攻撃できなくなるまで受け続けます」

 

 アンドレの顔が歪んだ。

 

「けど、アンドレさん。その右手じゃもう剣は持てないですよね?」

 

 アンドレは左手で右手首を押さえていた。たぶん俺が剣を叩き落とした時に捻ったのだろう。

 

「……」

 

 アンドレは答えない。

荒い呼吸音だけがいつまでも続くように感じられたその時、

 

「それまでだ、アンドレ」

 

 ジャルジェさんの醒めた声が静かに響き、決闘の終わりを告げた。

 

 

 ※  ※  ※

 

 

 その後、サルルルーイの砦で拘束されていたクララと第9分団の騎士たちは無事解放され、罪も不問となった。

 クララは居残っていたクレメントさんやシュテフィさんと一緒に王都に戻ってきた。その際、彼女の祖父と父親がどんなに駄々をこねたかは想像に難くない。

 

 戻ったクララから聞いた話だけど、あの時クララがクレメントさんに取り押さえられていたように見えたのは、実はクレメントさんはクララに向けて殺傷レベルの魔法を放とうとしていたアンドレやアランから彼女を守ってくれていたのだそうだ。クレメントさんに心から感謝だ。

 あと、第9分団も通常業務に戻ったそうだ。

 

 ゾーイさんは、無許可で国外へ出たこと、クララ姫に憑依して王宮を混乱に陥れたこと、ゴール王国と共謀して召喚魔法陣を破壊しようとしたことなどが罪に問われ、一生を修道院で過ごすという罰が課せられた。

 その親である王弟には王族からの除籍が言い渡された。この処置はゾーイさんの死刑と引き換えにされたものだと聞いた。

 ルシールには特にお咎めは無かったんだけど、彼女は俺たちを送還した後、姉と同じ修道院に入るのだと言っていた。

 

 ちなみに、その修道院がアンブロシスさんの息子が領主をしているブルトーニュ領の片田舎にあるのは、きっとどこかの気のいい爺さんの計らいだろう。

 

 




次回、最終話です。


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最終話 凱旋

 昨日までのぐずついた天気が嘘のように、今日の王都には抜けるような青空が広がっていた。

 今日は『秋の日』。日本の暦では『秋分の日』に該当する。

 俺たちがドラゴンと戦ってからもう40日あまりが経っていた。

 

 あの戦いで壊れたロッシュ城の本館の再建と同時進行で、石棺に閉じ込められたドラゴンの遺体の調査と解体がなされた。それにはかなりの日数を要したけれど、ロッシュの研究員たちはドラゴンという至宝にも等しい研究素材に大喜びだった。

 

 そこでわかったことなんだけど、あのどんな剣も矢もはじき返すと言われたドランゴンの鱗が実はそれほどでもなかったそうだ。曰く、それはドラゴンの魔力があったればこその効果なのだろうとのこと。もっとも、そうでなかったら解体なんてできっこなかっただろうけど。

 

 逆に、その鱗は魔力を流すとそれに応じて硬くなった。それは爪や牙、角などの他の部位でも同様らしい。きっとそれを使った武具は魔力を吸い取るヤバいものになるに違いない。

 

 それと、ドラゴンも他の魔獣と同じように臓器の一部に魔石があった。それも複数。大人の頭ほどのものから拳程度のものまで計8個。

 そして、なんとその魔石が電気を含んでいることにユーゴが気づいた。

 ドラゴンの電撃がこれによるものなのか、電撃を使えるから電気を含んだ魔石になったのかは不明だそうだが、この魔石によって電気系の魔法が使えるようになった。逆に、この魔石に電気を込めることもできた。もっとも、それができるのは今のところ電気をイメージできるユーゴと黒姫だけのようだ。

 けど、そう遠くないうちにこの世界の人たちでも電気、所謂『雷属性』の魔法を操れるようになるだろう。そして、雷属性の魔宝石を使用した魔道具も発明されるに違いない。まぁ、それまで俺たちがこの世界にいるかはわからんけども。

 

 

 

 それはともかく、ドラゴンの首というか頭の方はユーゴが宣誓したとおりに王都に持っていくことになった。無論、中身を取り除いた外側だけ。剥製というやつだ。それでも4頭立ての特別製の台車が必要だった。

 そして、通常の倍以上の日数をかけて、今日ドラゴンの首が王都に到着したのだ

 

 ユーゴの意向と王室の思惑が合致して、ドラゴンの首を運ぶ凱旋の隊列は平民街の大通りを通って王宮に入る道順を選んだため、沿道にはドラゴンの首を一目見ようと多くの平民が詰めかけ、遷都以来と言われるほどの盛況を見せていた。

 

 隊列の先頭は、装飾の多い儀典用の鎧を身に纏った王国一のイケメン、アンドレ・ヴォ・ジャルジェ男爵(この後、子爵になるらしい)だ。飾り立てられた馬の上から、沿道で黄色い歓声を上げる子女たちに作った笑顔を振りまいている。

 

 その後に続くのは、凝ったデザインの金色の金具で飾られた白いオープンタイプの馬車だ。乗っているのはユーゴと黒姫。御者がジルベールなのはご愛敬。

 

 ユーゴは歴代の勇者が纏っていた赤い鎧。

 俺の執拗な要請に根負けして、新たにツノがついている。やはり赤いヤツはこうでなくちゃ。

 黒姫はお披露目でも着ていた巫女っぽいドレス。

 最後の最後まで拒否していたらしいんだけど、皆の聖女像を裏切らないで欲しいと言うスタール夫人の泣き落としに陥落したのだった。

 その馬車の周りを、これまた華美な儀典用の鎧姿のアラン、ヴィクトール、サフィール、ジャンヌの護衛騎士の騎馬が固めている。

 

 豪華な座席に並んで座っているユーゴと黒姫が偉業を讃える民衆に向かってにこやかに手を振っている様子は、まるでビデオで見たロイヤルウエディングの映像みたいだ。……ぜんっぜん嫉妬とかしていないんだからねっ。

 

 そしてその後ろに、本日の眼玉、4頭立ての台車に鎮座ましますドラゴン様の首が威厳を放っていた。

 それを見た観衆は、あまりの迫力に言葉を失くす者、感情が昂ぶって意味のわからない雄叫びをあげる者、誰彼構わず肩を叩いて快哉をまき散らす者と様々だけど、誰もがドラゴンが退治されたことを讃え喜んでいた。

 更にその後に第13分団の騎士たちの隊列が続くのだが、それはまぁいいだろう。

 

 アンドレを先頭とするドラゴン討伐隊の列は、大勢の観衆から祝福と感謝と労いの歓声を浴びながら、今しも王宮前の庭園へとアルセール川に架かる橋を渡っていく。

 

「……で、なぜレン様はここにいるんですか?」

 

 椅子の上に乗って隊列を見ていたペネロペが訝しく訊ねてきた。

 

 俺たちがいるのは、王宮のある中州とは別の中州、月島だ。そこでフールニエ商会が出している露店の前から橋を渡る隊列を眺めているのだ。俺とクララは背が高いから観衆越しでも見えるけど、ペネロペはそうもいかず、椅子の上に乗っているというわけ。

 

「俺は勇者じゃないからなぁ」

 

 隊列に視線を向けたままそう答えると、

 

「でも、レン様も一緒にドラゴンを退治したんですよね? だったらあそこにいてもいいと思います」

 

 右隣のちょっと高い位置からペネロペの憤慨する声が聞こえた。

 

「大衆が求めているのは勇者と聖女なんだよ。俺が一緒にいたら、なんだあいつって石を投げられるのがおちだ」

「うー。納得いきません」

 

 ペネロペはまだ唸っている。

 

「クララ様はそれでいいんですか?」

 

 ペネロペは俺を挟んで並んでいるクララにも問いかけた。

 ペネロペには既に彼女の素性をカミングアウトしてあるので様付けだ。

 

「レン様がお決めになったことですから」

「それはそうですけど……」

 

 不満そうなペネロペの視線を感じた。

 

「そんなことよりも、俺にはハムマヨサンドの初売りの方が大事だったし」

「そんなことよりって……。でも、本当ですか?」

「もちろんだ」

 

 ちょっと嬉しそうなペネロペのこげ茶の瞳を見返して言い切る。

 

「なんてったって、ハムチーズサンドのリベンジがかかってるんだからな」

 

 俺がロッシュ城にいた時、丸パンにハムとチーズと生野菜を挟んで食べていると、それを試食したペネロペとフローレンスから残念な感想を言われたことがあった。確かにちょっと物足りなかったのは事実だけど、それはからしマヨネーズが無かったからだ。

 だが、今はある! 

 ペネロペのお兄さんのピエールさん作のからしマヨネーズがあれば、ハムチーズサンドの名誉は挽回できる! 

 

 というわけで、ピエールさんに頼んで作ってもらったのがこのハムマヨサンド。諸般の事情によりチーズは抜きだ。

 それのお披露目が、今日の秋の日のお祭りなのだ。

 

 ちなみに、フリカデラを挟んだハンバーガーと卵マヨサンドは材料費や調理の手間がかかって店頭で売るには単価が高くなってしまい、懇意にしているレストランで出してもらうことになった。二つともそのレストランの人気メニューになっているそうで、俺としては嬉しい限りだが、やはりフールニエ商会の看板商品が無いのは辛いところ。

 そんなところへ俺がハムマヨサンドの話を持ってきて、ピエールさんもポールさんもマヨネーズを使ったハムサンドならベーコンサンドのように他店に真似されることは無いと大歓迎となり、いくつかの試作品を経て今日の発売へと漕ぎつけたのだ。

 

 実際売り出して見ると、マイルドながらもしっかりしたマヨネーズの風味が受けたのか、次第にお客さんが増えて、ついさっき完売してしまった。さすがマヨネーズ。

 

「これならフローレンスも星3つをくれるだろう」

「またレン様がわけのわからないことを言ってる」

 

 ペネロペは呆れたように零してから、

 

「でも、レン様には本当に感謝してるんですよ」

 

 と、いつもの愛嬌のある笑顔を見せる。

 

「ハムまよさんどもベーコンさんどもはんばーがーも、レン様のおかげでうちはまた繁盛するようになったんですから」

「凄いのは実際に美味しいものを作ってるピエールさんだよ。俺のしたことなんて、こういうものを食べたことがあるっていう話だけなんだから」

「それでもうちの商会が助かったことに変わりはありませんから」

「フールニエ商会だけではありません」

 

 左隣にいたクララが会話に入ってきた。

 

「レン様は我がサルル領も助けてくださいました」

 

 俺が偶然拾った石炭と思しき黒い石が無属性の魔素の塊だという話から、魔獣が生まれるのは魔素の過剰摂取が原因だという仮説をシュテフィさんが唱えている。

 これが実証されれば、サルル領やそこに住む人たちに対する蔑視の根拠が無くなるわけで、クララのような被害者を出さずに済むようになるはずだ。

 

 そして更に、この魔素の石を使って減少を続ける農産物の収穫量を回復できる可能性があるとクレメントさんから王室に報告されたのだそうだ。

 確かにあの石の魔素には動植物の成長を促進する作用があるらしいから、それが認めらたらこの石を産出するサルル領はデュロワール王国の農業にとって重要な位置を占めるようになるのは確実だ。

 むしろこの石の魔素は、ドラゴンによる豊穣の雨の恩恵が無くなって将来的に農作物の収穫が減少するであろうガロワの地全体にとっても必要不可欠なものになるに違いない。そうなれば、魔素の石はデュロワール王国の主要な輸出品になり、サルル領はますますその地位を高めるだろう。

 まぁ、他にもルール炭田とかあるけど、ザール炭田だって埋蔵量は十分多いし、今は黙っていよう。

 

「それにしても、まさかあの石が豊穣の雨(ドラゴンのおしっこ)の代わりになるなんてなぁ」

「ドラゴンの、何ですか?」

 

 独り言をクララに聞き咎められてしまった。幸いヤバいワードは聞こえなかったようだ。セーフ。

 

「いや、何でもないよ。ていうか、サルル領のことはシュテフィさんとクレメントさんの働きのおかげだと思うけど」

「それでも、レン様の魔力を感じ取れる力が無ければわからなかったことです。それはレン様だけの力です。それに、ルメール様が仰っていました。レン様はサルルだけでなく王国をも救った救世主だと」

「救世主? はは、そんな大そうな人間じゃないよ」

「たいそうな人間ですよ! レン様はうちの商会の救世主ですから!」

 

 ペネロペが笑顔で異を唱える。

 

「そうです。レン様は救世主です!」

 

 クララはペネロペに強く同意してから、

 

「……私の救世主なんです」

 

 と小さく言い足した。

 

「クララの救世主か……。うん、俺にはそれくらいがちょうどいいかな。サルルや王国を救ったとかよくわからんし、ペネロペやクララの救世主で十分だよ」

 

 そう告げると、クララは緑の眼をパチクリとさせてから

 

「はい」

 

 と、大きく返事をした。

 ペネロペもニコニコといつもの愛嬌のある笑顔を返してくれる。

 

 その時、わぁっとひときわ大きく歓声が沸いた。

 見ると、城門の上のテラスにユーゴと黒姫が姿を見せていた。

 

 ──勇者と聖女。

 

 ふたりの召喚に巻き込まれただけの俺だけど、誰かの役に立てるならこの世界も案外悪くない。

 なら、日本に帰れるまではこの世界でこの力でできることをやっていこう。

 

 湧き上がる歓声は、澄み切った青空に向かって高く高く上っていくようだった。

 

 

 

 おしまい

 




最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
ブクマや感想、評価をくださった皆様には重ねてお礼申し上げます。

今のところ次回作の予定はありませんが、もし投稿したものがお目に留まりましたら、また読んでやってください。


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石の使い道

レンたちが打ち上げをしている間のクレメントとシュテフィ


 【クレメント視点】 石の使い道

 

 

 レン殿が領主の屋敷から慌てた様子で戻ってきて、すぐにユーゴ殿とマイ殿とともに食堂に籠ってしまった。『ウチアゲ』のやり直しだと言ってはいたが、何かしら彼らだけで密談がしたいのだと容易に想像がつく。

 それについて少々考えを廻らせたかったのだが、

 

「クレメント。ここにいたのか!」

 

 宿舎の食堂にずかずかと入り込んできたシュテフィール・ベルクマンが夕食を並べたテーブルの上にドンと白い布の包みを置いた。

 あいかわらず自分本位なヤツだな。学院にいた時からちっとも変っていない。

 

 彼女は俺の剣呑な視線に気づく様子もなく、やたらに興奮した声で「見ろ、この石を!」と、包みを開いた。

 そこには手で握り込めるくらいの大きさのゴツゴツとした黒っぽい石があった。

 

「これは、レン殿が魔獣討伐の帰りに拾った石ではなかったか?」

 

 仕方なく話に乗ると、彼女はにっこりと笑って青い瞳をきらめかせた。

 

「その通り。実はこれは魔素の塊なんだ!」

「魔素の塊?」

「レンがそう言っていたのさ。無属性の魔素の塊だと。魔力を感じ取れる彼でなければわからなかっただろう」

「レン殿がそう言ったのならばそうなのだろうな」

 

 レン殿はたまに変わったことを言ったりはするが、虚言を吐く人物ではない。

 

「つまり、これが魔獣の原因だったんだよ!」

「シュテフィ。誰もがわかるように順序だてて説明しろと学院にいた時にも言っていただろう?」

 

 興奮すると説明を端折るところも昔のまんまだ。

 

「ふむ、そうか」

 

 改めてした彼女の説明によると、この黒い石は60年前にグリン翁たちによってサルルブール近郊の山で採掘されたもので、使い道が無いと放置されていた大量のこの石が56年前に勇者とドラゴンが戦った時の旋風によって当時牧草地だった一帯に散り広がった可能性があり、それは言い換えれば大量の魔素が供給されたわけで、その魔素によって森が広がり獣が通常よりも大きく成長して魔獣と呼ばれるようになったのだとか。

 

「つまり、この黒い石の魔素には木々や獣を成長させる力がある、ということか」

「まだ仮説だがな。だが、これを証明できれば魔獣が生まれる原因が魔素の穢れではないことになる。つまり、サルルの森も土地も穢れていない。サルルは穢れた地などではないんだ!」

 

 彼女はいつになく高揚しているようだ。

 まぁ、彼女が周りから奇異な目で見られながらも魔獣や魔素の研究を続けてきた動機が故郷を貶めている『穢れ』の解明だったのだから無理もないが。

 

 それに、この話は個人的にも喜ばしいことだ。むしろ、諸手を広げて歓迎したいほどだ。なぜなら……。

 

「それはつまり、ち、父がお前を認めようとしなかった理由が無くなる、ということか?」

 

 学院を卒業する時、同期のシュテフィと結婚したいと父に願い出たのだが、一言のもとに却下された。父に逆らうことのできなかった俺は、それを飲み込むことしかできなかった。

 

 彼女のことをまともに見られずに、顔をそらしたまま問えば、

 

「……君の父上に言われたのは、私の家が爵位も無い田舎貴族で侯爵家とは釣り合わないから、だったと記憶しているが?」

 

 自嘲を含んだ口調が返ってきた。

 

「そんなものは建前だ。もしそれが問題ならお前をどこかの上級貴族の養女にしてもらえば済む話だった」

 

 父が彼女を撥ねつけた本当の理由。それは、彼女がサルル領の生まれだったからだ。

 穢れた地の者を一族に加えるわけにはいかない。それが本音だった。もっとも、それを口に出すことは決して無かったが。

 

「だとしても、今の話で君の父上が首を縦に振るとは私には思えないな」

 

 だろうな。

 本音の部分の障害が無くなったとは言え、父が一旦許可しなかったことをそう簡単に翻したりするはずがない。頭の固い融通の利かない男だからな。

 ならば、どうする? 

 

「……シュテフィ。ちょっと考えたのだが、この魔素はサルルの農作物にも影響しているのではないか? ほら、晩餐の席で君が言っていただろう? サルルの収穫量が他領のように減っていない理由を云々と」

「その通りだよ、クレメント。この魔素がサルル領のかなりの範囲に拡散した可能性は十分に考えられる。その量が森や魔獣が生まれるほどではなかったとしても、その土で作られる作物に影響を与えただろう。あるいは水という可能性もある。この石が細かい粒になって川の水に交じって流れ出していると考えるならば、その川の水を使って育てられたサルルの農作物はよく育ち収穫量も減らない」

 

 ふむ。

 確かに、このサルル川が流れ込んでいるレーヌ川の下流域にあるルールラント領もペイズバス領も収穫量は減っていないから、その可能性は十分にあるな。それなら、

 

「今、この国のほとんどの土地では収穫量が減り続けている。その原因の解明も含めて内務省ではずっと対策を講じてきたが、一向に改善できていなかった。土にしろ水にしろ、お前の言うように作物の生育にこの魔素が影響するのなら、逆に作物が良く育たないのは魔素が少ないからだとは考えられないか?」

「原因のひとつとしては有りだろう」

「ならば、この魔素を与えたらどうなる? 収穫量が増えるのではないか?」

「理屈としてはそうだな」

 

 俺の考えに賛同したわりに彼女の顔つきは険しい。

 

「だが、そもそも魔素が少なくなった原因は何だ? それが不明なままでは、単純に魔素を与えれば育ちが良くなるとはいえないだろう」

 

 確かにな。

 先の聖女が導入したのーふぉーく農法は土を休ませて作物を育てる力を回復させるものだった。それは確かに効果があったが十分ではなかった。王国の農産物の収穫量は今もって減り続けている。根本的に何かが足りないのだ。

 

「試してみる価値はあるだろう?」

 

 とにかく、行動しないことには始まらない。これは彼女との仲を取り戻すチャンスなのだ。

 

「私も実験しようとは思っているよ」

 

 よし。彼女もその気があるようだな。

 

「もし俺の考えのとおりなら、この石は王国の収穫量を回復させられる魔法の石になる。そして、この石を産出するサルル領は王国の食糧事情を左右するとても重要な土地になるのだよ」

「まぁ、そうなるか」

 

 反応が薄いな。

 学院にいた時からシュテフィは国のことには興味が無い研究者肌だったが、今はもっと考えて欲しいところだ。

 

「そうするとだな、王国、特に国内の諸事情を司る内務省にとってサルルとのつながりは重要になる」

「そうだな」

「更に、この魔素のことを良く知っているシュテフィとの関係も密にしておきたいと思うはずだ」

「そういうものか?」

「そういうものだ」

 

 少々強引だが、ここは勢いでいくしかない。

 

「そういう場合に普遍的に採られる方法が婚姻だ」

「そ、そういうものか?」

「そういうものだ。むしろ、次期内務大臣と目されている父ならば率先して自分の身内との婚姻を考えるはずだ」

 

 そう言い切ると、彼女は眼を見開いた。

 が、それも一瞬、すぐに上気した顔を伏せた。

 

「だ、だが、百歩譲って君の父上が認めてくれるとしても、この仮説を証明しなければ始まらない話だ」

「当然だな」

「それにはいくつもの実験が必要だし、何年もかかるだろう。その時、私はお婆さんになっているかもしれないぞ?」

「かまわん。俺も爺さんだ」

「まぁ、私もかまわないが……」

 

 彼女の瞳が照れたように揺れる。

 

「シュテフィ……」

「クレイ……」

 

 自然にお互いの顔が近づいた。

 

「こほんこほん」

 

 突然、誰かのわざとらしい咳が聞こえた。

 そういえば、今は夕食の途中だったな。

 

「あー、そういうことはお二人だけの時にしていただけますか?」

 

 イザベルのしらけた声音に、お互い苦笑いを交わす。

 

 仕方がない。

 彼女の言うとおり、続きは俺の部屋に戻ってからな。

 



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