私が征夷大将軍⁉~JK上様と九人の色男たち~ (阿弥陀乃トンマージ)
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第一章 JK将軍誕生
唐突なスカウト


                    序

 

 学校生活って基本退屈なものだと思う。淡々とルーティンをこなすだけ。毎朝決まった時間に登校し、決まった場所で授業を受け、休み時間や昼休みは決まった顔ぶれと言葉を交わし、昼食を共にする。やがて放課後を迎え、皆各々、自宅に帰っていく。そこには劇的なことなどはまず起こらない。はっきり言ってつまらない時間がただただ延々と過ぎていく。しかしそんな中でもいくつか刺激的なイベントというものは存在する。例えば“転入・転校”などは分かりやすいものだろう。教職員が特に誰かに話していなくても、どこからかそのことを聞きつけたある生徒が自分の教室へと駆け込み、「今日、転入生が来るってよ!」と叫ぶ。それを聞いた他の生徒たちはザワザワと噂話を始める。男子生徒たちは「カワイイ娘かな?」、女子生徒たちは「イケメンだったらどうする~?」などとそれぞれ他愛もない話に花を咲かせる。とにもかくにも、退屈な日々にアクセントを付ける一大イベントである。そんな一大イベントを私は“転入生”という立場で迎えることとなった。自分の人生でこういった、ある意味で重要な役割を担うことになるとは夢にも思わなかった。当日その時を迎えるまで、何度となく想像を働かせた。静かな廊下を担任の先生の後をついてゆっくりと歩く。先生がガラリと教室の戸を開いて、少し緊張した面持ちの私が続く。教室の中程まで進み、そこで初めてクラスメイトの前に向き直る。これが私の頭の中で思い描いていた転入生の風景だ。しかし、私が実際目にした風景は大分、いやかなり違った。太鼓がドンドンと鳴り、『将軍様のおな~り~』と高らかに叫ぶ声とともに教室へ入っていった。クラスメイトたちとは顔を合わせるどころか、皆机に突っ伏すような形で頭を下げている。うん、違う、全然違う。私の思っていた転入生登場のイベントはこんなものではなかった。どうしてこうなってしまったのか、ひと月程時計の針を戻すことにしよう。

 

 

 

 三月のとある日、平凡な女子高生、若下野葵(もしものあおい)は友人たちと別れ、帰宅の途に就いていた。所属する薙刀部の活動が自主練のみだった為、いつもよりも大分早い帰りだった。彼女の家は閑静な住宅街にある。それもあってか、日の落ちていない夕方でも人通りは然程多くは無い。そのお陰か、彼女はその気配にすぐ気が付いた。またこの気配だ。半年程前から度々感じてはいたが、このところはほぼ毎日感じる気配だ。もはや偶然ではなく、確実に自分のことを尾行していると葵は感じた。彼女はここを曲がれば自宅という角で曲がり、そこで暫く立ち止まった。その気配はゆっくりと静かに近づいてくる、そしてこっそりと角から顔を覗かせた時、葵は袋に入ったままの薙刀の先を、その気配の主の顔に突き付けた。

 

「何なの、貴方」

 

 気配主はいささか驚いた表情を見せた。対する葵も驚いた。女子高生の後を尾け回すような奴だから、如何にも不審者という容姿を想像していたのだが、白髪交じりの初老の紳士然とした人物がそこには立っていたからだ。それでも葵は警戒を緩めず、薙刀を構えたまま、無言の相手に尋ねた。

 

「最近私の後をずっと尾けていたの、オジサンでしょ? いい歳して痴漢?」

 

「……」

 

「何とか言いなさいよ。人を呼んでも良いのよ?」

 

「……何時からお気付きになられていましたか?」

 

 思いの外、丁寧な物腰の口調に戸惑いながらも、葵は答える。

 

「……初めは半年位前かな、それがここ最近はほぼ毎日。帰り道が同じとか、時間帯が被っているのかなって思っていたけど、今日の私の帰る時間はいつもよりも結構早い。そこまで一緒になるのは流石におかしい」

 

「ふむ、半年前でごさいますか……」

 

 相手は顎に手をやって何やら考え込む。そしてブツブツと呟く。

 

「儂の腕が衰えていることを差し引いても中々の危機察知力……そして臆せずこちらに向かってくるその胆力……これは思った以上かもしれん……」

 

「何をブツブツ言っているの? 本当に人を呼ぶよ、オジサン」

 

「ああ、それは困る。私は実は……」

 

 相手が洋服の内ポケットに手を突っ込んだのを見て、葵は思わず身構えたが、相手が取り出してきたのは一枚の名刺だった。

 

「失礼、申し遅れました。私はこういうものです」

 

「『公議隠密課 特命係 特別顧問 尾高半兵衛(おだかはんべえ)』……?」

 

 手渡された名刺と胡散臭い老紳士を交互に見比べつつ、葵は相手の名を読み上げた。

 

「ご公議……幕府の隠密が私なんかに何の用?」

 

「単刀直入に申し上げます。若下野葵さん、貴女には征夷大将軍になって頂きます!」

 

「は……はああぁぁぁ⁉」

 

 葵は道端で素っ頓狂な声を上げてしまった。



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101番目の女

「すみません、大したものが無くて……」

 

「ああ、奥さんお構いなく。突然お邪魔したものですから」

 

「先程主人から連絡が入りました。間もなく戻るとのことです」

 

「そうですか。いや、ご両親がお揃いの方が何かと話はしやすいものですからな」

 

 そう言って、尾高と名乗った男は葵の母の出したお茶に口をつけた。そんな様子を応接間のテーブルを挟んで、向かい側に座った葵が不機嫌そうに眺めている。

 

「何か私の顔に付いておりますか?」

 

「別に……」

 

 葵はそっぽを向いて、窓の方に目をやる。しばらくすると、慌ただしい音が玄関先から聞こえてきた。

 

「た、ただいま――!」

 

「あ、あなたお帰りなさい!」

 

「すみません! お待たせをしました!」

 

 息を切らしながら、葵の父が応接間に入ってきた。その呼吸が整うのと、葵の母が席に着くのを待ってから、尾高がゆっくりと話し始めた。

 

「改めまして……突然の訪問になって申し訳ありません」

 

 尾高が頭を下げた。葵の父が恐縮する。

 

「いえいえ! そ、それでご用件は……?」

 

「来るべき時が来た、そういうことでございます」

 

「そうですか……分かりました」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 葵が大声を出して会話を遮る。

 

「ちゃんと説明してよ! 訳が分かんないのよ!」

 

「貴女が次の征夷大将軍になられるのです」

 

「そうだ」

 

「そうよ」

 

「あ、そうなんだ~……ってならないわよ! だから説明不足なのよ!」

 

「葵さん、将軍というのはご存知ですか?」

 

「それくらいは分かるわよ」

 

「では、将軍が先日、譲位のご意志を表明されたことは?」

 

「ああ、ネット瓦版でそんな記事見たわね……」

 

「つまりそういうことです」

 

「全然つまってないでしょ! それでなんで女子高生の私が将軍になるのよ⁉」

 

「ふむ、それは私の口から申し上げるよりも……」

 

 尾高が葵の父に目配せする。父は無言で頷くと、葵の方に向き直った。

 

「葵、我が家は……この若下野家は将軍家の遠い親戚に当たるんだ」

 

「ええ⁉ そんなの初耳なんだけど⁉」

 

「初めて言ったからね」

 

「遠い親戚って……?」

 

「今の将軍様から見れば……将軍様の御母君の従妹のご主人のはとこに当たるのが父上……葵のお祖父さんだね」

 

「遠っ! ほぼほぼ他人でしょ、それ⁉」

 

「葵さんの継承順位は……百一番目になりますな」

 

 尾高が自身の手帳を確認しながら呟く。

 

「まさかの三桁台! 二桁ですらないの⁉」

 

「そうですな、残念ながら」

 

「な、なんで私なの? その百人は一体どうしたのよ⁉」

 

「それぞれ諸々の事情がありまして……まず単純に体調面の問題を抱えている方から『なんかイマイチ決定打に欠けるんだよね~』という評価を下された方など様々で……そこで葵さん、貴女が浮上してきたという訳です」

 

「いやいや納得出来ないわ! 大体その『欠けるんだよね~』って言っているのは誰よ⁉」

 

「お偉いさんですかねぇ?」

 

「こっちに聞かないでよ!」

 

「兎に角」

 

 尾高は右手を掲げ、興奮する葵を落ち着かせるようにゆっくりと話を再開した。

 

「誠に勝手ながら、この半年程、貴女の身辺調査をさせて頂きました。学業は優秀、薙刀の大会でも好成績を収めるなど、まさしく文武両道。友人も多く、素行面にも大きな問題無し。何より体調も良好……そしてその凛とした容姿も民草からの支持を受けるでしょう。まあそれはそこまで重要なことではありませんが」

 

「尾行していたのは何なのよ?」

 

「将軍ともなりますと、不逞の輩に襲われる危険性もありますからな、危機察知能力や精神力を試させて頂きました……以上、様々な観点から総合的に判断した結果、貴女様を我らが大江戸幕府第二十五代将軍として迎えさせて頂こうと……」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ! じゃあ、お父さんが継承すべきなんじゃないの?」



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結局こうなった

 葵は隣に座る父を見据える。父は首を横に振った。

 

「我が家の場合は少し特殊でね……子供が産まれた時点で継承権はその子供に移ることになるんだ。他にもいくつかそういう家があるみたいだけど」

 

「そ、そんな……」

 

「もう一つ付け加えますと『どうせなら若い子の方が良くない~?』という意向も大いに働いております」

 

「だから誰なのよ⁉ そのいちいち軽いノリの奴は⁉」

 

「お偉いさんですかねぇ?」

 

「こっちが聞いてんのよ!」

 

「ではご両親も宜しいでしょうか?」

 

「だ・か・ら! まず私が宜しくないから!」

 

 しばらくの沈黙の後、葵の父が口を開いた。

 

「正直……突然のことで大変戸惑っております。それほどの大任、果たしてこの娘に勤まるものなのかどうか。なあ?」

 

 父は母に話しかける。母はゆっくりと頷く。

 

「ええ……。それにそれなりの危険も伴うというお話ですよね? 可愛い娘をそういった場所に送りだすのにはどうしても抵抗を感じると申しますか……」

 

「そう! ここまで大切に、大事に育ててきた娘なんですよ、葵は! それをはい、そうですかと言って簡単に差し出せる訳が無いんですよ!」

 

「お父さん、お母さん……」

 

 口調に次第に熱を帯びていく葵の両親を両手でなだめながら、尾高が語りかける。

 

「ご両親の心中、察してあまりあります……」

 

 尾高は胸の内ポケットから二枚の紙をテーブルの上に差し出した

 

「こ、これは?」

 

「白紙の小切手です。どうぞお好きな額を書き込んで頂きたい。一枚目は葵さんの支度金、正直こちらはどれくらいかかるか見当もつきません。ちなみに先代の即位の儀に掛かった費用が……この位ですね」

 

「こ、こんなに……」

 

 目にした金額のあまりの多さに思わずテーブルに突っ伏しそうになった葵の母の腕を尾高が優しく支えた。そして彼女の耳元でこう囁く。

 

「目の前にあるのは白紙の小切手です。将軍の即位に関わる高額な費用を簡単に賄うことが可能です。書き込む金額次第では貯蓄またはそれ以外に回せる可能性が生じてきますね」

 

「え、ええ……」

 

「お母さん! そんな邪悪な囁きに耳を貸さないで! ってお父さん⁉」

 

「こ、このもう一枚の小切手は?」

 

 尾高は笑顔で頷く。

 

「奥様にお渡ししたのは、『支度金関連の使途』に関する小切手。対して今お持ちなのはこの『若下野家の財政』に関わる小切手。如何様にもお使い頂いて構いません」

 

「お父さん! これは悪魔の囁きよ! 耳を貸してはダメ!」

 

「「う~~~ん!」」

 

「お父さん! お母さん! 目を覚まして‼」

 

 葵の両親は二人揃ってなんとも言えないうなり声を上げて、天井を仰いだり、足元に視線を落としたりする。そんな行動を幾度か繰り返した……その結果、小切手をテーブルにバンと叩きつけた。そして二人声を合わせて、

 

「「どうか宜しくお願いします!」」

 

 二人はそう言って立ち上がり、深々と頭を下げた。尾高は満足そうに頷き、

 

「分かりました。後のことは万事お任せ下さい」

 

「いや、だ~か~ら~! 本人を無視しないで頂戴よ!」

 

「葵、お前は世の為、人の為になる仕事をしたいって昔から言っていたじゃないか! これは紛れもないチャンスだ! 是非、世の為人の為になる立派な征夷大将軍になってくれ!」

 

「え、ええ、スケールデカ過ぎ……」

 

「葵、退屈な学生生活はもうウンザリって前にも言っていたわよね? 将軍さまになればきっと毎日刺激的なことが沢山待っているはずよ!」

 

「そ、それは中二病の名残っていうか……別にそこまでの刺激は望んでないというか……」

 

「世の為、人の為、我が家のローン返済の為!」

 

「脱退屈な主婦生活! おいでませ刺激的なセレブ生活!」

 

「本音ダダ漏れになっているわよ! 二人とも!」

 

「「葵!」」

 

「あ~もう~分かったわよ! なってやればいいんでしょ! 征夷大将軍に!」

 

 こうして大江戸幕府約四百年の歴史上初めてとなる現役JKの征夷大将軍が誕生した。そして話は冒頭に戻る。



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クラスメイトは颯爽と

                     壱

 

「えっと……」

 

 葵は鼻の頭をポリポリと掻いた。転入の挨拶をしたかったのだが、クラスメイト達が机に突っ伏したまま、誰一人顔を上げないのだ。葵は担任に助けを求めたが、女性の担任教師も立ったままではあるが、頭を下げているのである。これはどうしたものかと頭を抱えながら、葵は皆に声を掛けた。

 

「み、皆さん、顔を上げてもらえますか? ご挨拶したいので」

 

 葵の呼びかけに対し、クラスメイトは皆戸惑いながらも、それぞれ顔を上げる。クラス中の視線が自分に一気に集中したことに葵はやや緊張しながらも自己紹介を始めた。

 

「は、初めまして、府通乃女学院(ふつうのじょがくいん)から転入して来ました、若下野葵です。将軍のこととか正直まだよく分かっていませんが、自分なりに精一杯頑張っていきたいと思っています。これから宜しくお願いします」

 

 そう言って葵はニコッと微笑んだが、クラスメイトはほぼ無反応だった。すると担任教師が恐る恐る葵に話しかけてきた。

 

「……恐れながら上様」

 

「え? 上様? あ、私のことですか?」

 

「はい、左様でございます」

 

「いや、あの、普通に名字で呼んで下さい」

 

「い、いいえ、そういう訳には!」

 

「教師が生徒に様付けっておかしいでしょう? 他の生徒と同じ扱いで構いませんから」

 

「し、しかし……」

 

「校長先生と教頭先生にはその旨お伝えした筈なんですが……」

 

 葵は前日に校長と教頭と対面をしていた。その際も先程と同様に頭を下げられたままの状態で、何とも居心地が悪かったので、一般生徒と同様に扱って欲しいとの要望を伝えた。しかし教職員全体には周知されていなかったのだろうか。ちなみに朝の集会で全校生徒の前で大々的に紹介するという話も出たが、恐縮した葵が固辞した。だがこのままではマズいと思った葵は皆の前に向き直って語りかけた。

 

「い、一応今の私は征夷大将軍ということになりますが、ご存じのように生まれながらの将軍でもなんでもありません。ひと月前まで単なる女子高生でした。だから皆さんもただのクラスメイトの一人として接して下さい!」

 

 葵の突然の呼びかけに皆それぞれ驚いた反応を示した。しばらく沈黙が教室を支配した。

 

「で、では、も、若下野さん」

 

「はい」

 

「座席なのですが、この列の一番後ろになるのですが……」

 

「あ、分かりました」

 

「や、やはりお一人のクラスの方が良かったでしょうか? すみません、生憎空き教室が現在ございませんので……」

 

「い、いいえ大丈夫です! この二年と組でお願いします!」

 

 一人きりで教師とマンツーマンで授業を受けるという気まずい状態など、いくら葵が真面目な生徒だといっても真っ平御免である。すぐさま指定された座席に座った。その後ホームルームが終わったが、葵は困惑していた。明らかに他の生徒から距離を置かれているのである。自ら話しかけるべきであろうか、それとも誰かが話しかけてくるのを待つべきか、ぐずぐずしていると休み時間が終わってしまう。自らを比較的社交的な性格だと考えていた葵だったが、まさかここまで他の生徒と“壁”が存在するとは思ってもみなかっただけに、どうしても一歩が踏み出せなかった。すると……

 

「こんにちは」

 

 葵の目の前に、スラリとしたスタイルの長い黒髪の眼鏡を掛けた女性が立っていた。

 

「あ、こ、こんにちは!」

 

 葵はガタっと立ち上がって自分よりも少し背の高い相手に挨拶を返した。

 

「本来ならこうして口を利くのも失礼に当たるかと思いましたが……先程のお言葉に甘えて話しかけさせて頂きました。……ご迷惑だったかしら?」

 

「い、いえとんでもない!」 

 

「それは良かった。ああ、申し遅れました。わたくしは伊達仁爽(だてにさわやか)と言います。この二年と組の副クラス長を務めています。分からないことがあれば、何でも御気軽に御相談ください」

 

「若下野葵です! 葵って呼んで下さい!」

 

「流石に呼び捨てにするのはこちらが恐縮してしまいます……葵様とお呼びするのは如何でしょうか?」

 

 クラスメイトに様付けも大分おかしな話だと思った葵だったが、ここは焦らずに距離を詰めるべきだと判断した。

 

「ま、まあそれで良ければ。宜しく、伊達仁さん」

 

「ふふっ、わたくしのことは爽で構いませんよ」

 

「じ、じゃあ爽……さん」

 

「もうすぐ一限目の授業が始まりますね。お話の続きはお昼休みにでもゆっくりと」

 

 そう言って爽は踵を返し、自分の席に戻った。その優雅な物腰に葵はしばし目を奪われたが、教師が教室に入ってきたのを見て、慌てて席に着いた。



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四百年目の僥倖

 昼休み、早々に昼食を終えた葵の元に爽が近づいてきた。

 

「まだ少しお昼休みの時間はありますから、良ければ校舎の方をご案内しましょうか?」

 

「あ、お願いします」

 

 葵は爽に続いて廊下に出た。

 

「いや~しかし……」

 

「どうされましたか?」

 

「本当に大江戸城が廊下の窓からはっきりと見えるんですね~」

 

「それは勿論、大江戸城北の丸に設けられた大江戸幕府府立大江戸城学園! ですからね。城郭内に存在する学校というのは日ノ本では数えるほどですし」

 

「校舎もすごい立派ですけど……あ、あの玉ねぎみたいな形状の屋根はなんですかね?」

 

「あれは武道館ですね」

 

「武道館⁉ あんなに大きいんですね!」

 

「あらゆる屋内スポーツに対応しておりますからね。尤も大きな大会などは、柔道や剣道などの武道の大会に限られるみたいですけどね。まあ、遥か昔に大規模な音楽コンサートも開催されたようですが、ここ数年はそういう話は聞きませんね」

 

「あちらの北側の校舎群は?」

 

「中等部・初等部・幼年部ですね。すこし離れたところに大学・大学院があります」

 

「大学院まであるんですね?」

 

「そうですね。ただ、大部分の方は高校か大学を卒業して、ご公議に奉職します。例外の方もいらっしゃいますが、極めて稀な存在です」

 

「……私はどうなるのかな?」

 

「……どうなるもなにも、もはや将軍としてご即位あそばされているわけですから?」

 

「ですから?」

 

「『征夷大将軍』と『女子高生』、その二足のわらじで頑張って頂くと……」

 

「頑張るって具体的には何を頑張れば良いのかな?」

 

 葵の唐突な質問攻めを受け、爽は顔を逸らした。

 

「『分からないことがあれば、何でも御気軽に御相談ください』ってさっき言ってくれたよね、サワっち?」

 

「サ、サワっち⁉」

 

 急なあだ名呼びに唖然とする爽を尻目に葵は考えを続ける。

 

「どうすれば良いのかな~?」

 

「……コホン、そもそもとして、この大江戸城学園はその前身に当たる大江戸城学舎の時代を含めて、約二百五十年間の長い歴史の中、現在初めて、将軍が御在位のままで通学をなされているという前代未聞の状況なのです」

 

「ええっ⁉ 私が初めてなの⁉」

 

「将軍継嗣、つまり将軍の後を継ぐ方がお通いになられたというケースはいくつかあるようです。ただ、現役バリバリの方があちらに見えるお城で政務を執られているのではなく、女子高生として学び舎にいるというこの現状、ハッキリ申しまして、教職員一同並びに生徒一同、ただただ困惑しております!」

 

「困惑しているの?」

 

「そうです、どう扱って良いものか……」

 

「だから、普通の一クラスメイトとして扱ってよ」

 

「それが難しいから……」

 

「無理、ってわけじゃないんだよね……よし、分かった!」

 

「……何が分かったのですか?」

 

 爽が葵に訝しげな視線を向ける。

 

「一人の女子高生としてこの学園を大いに盛り上げながら、征夷大将軍に相応しい人物になってみせるよ!」

 

 呆然とする爽に対し、葵が笑顔で続ける。

 

「それが『二足のわらじで頑張る』ってことでしょ?」

 

「そうは申しましたが……具体的なお考えはあるのですか?」

 

「それが……無いんだよね~これが」 

 

 爽は眼鏡を抑えたまま、俯く。呆れられてしまったかと葵が思った次の瞬間、

 

「ご先祖様以来、約四百年目にして訪れた僥倖……上手くいけば政権の中枢に入り込める……『天下の副将軍』を現実のものとする好機に恵まれた……!」

 

「あ、あの~サワっち……?」

 

 何やらブツブツと呟き始めた爽に対し、葵が恐る恐る声を掛けようとしたその時、

 

「葵様!」

 

「は、はい!」

 

「貴女の『二足のわらじ高校生活』、この伊達仁爽、精一杯お支え致します!」

 

「は、はあ……」

 

「学園を大いに盛り上げるには、何より強いリーダーシップが求められます! そのリーダーシップを養い、磨き上げれば、おのずとこの学園の生徒たちの心も掴めるはず。その時貴女は立派な征夷大将軍への道を歩み始めることとなるでしょう!」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「そうなのです!」

 

「で、でもリーダーシップを養うって言っても、具体的にはどうすれば良いのかな?」

 

「まずは手っ取り早い方法があります。教室に戻りましょう!」

 

「う、うん」

 

 葵は爽の勢いに気圧されつつ、彼女の後について、二年と組の教室に戻ってきていた。



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喧嘩?

「戻ってきたけど……教室に方法があるの?」

 

「ふっふっふっ、よくぞ聞いてくれました……」

 

 爽の発する不気味な笑い声に若干引いている葵には、爽の眼鏡が一瞬キラーンと光ったようにも見えた。

 

「リーダーシップ養成の為の恰好の獲物たちがここに居ます! ご覧下さい!」

 

 そう言って、爽は教室の扉を勢いよく開いた。葵の目には互いに大声を発しながら教室中央で激しく睨み合う二人の男女の姿が飛び込んできた。

 

「執事茶屋よ!」

 

 長い縦ロールの派手な髪型をした小柄な女子が叫ぶ。

 

「いいや、メイド茶屋だ!」

 

 短い髪をきっちりと横分けにした長身で細身の男子も負けじと叫び返す。

 

「この二年と組には貴方をはじめ、魅力的な殿方が集まっていますもの! それを活かさない手はありませんわ! こればかりは譲れません!」

 

「そもそも譲った試しがないだろう……良いかい? このクラスは君を筆頭に素敵な女性が集まっている。君たちの美貌を前面に押し出していくべきだ!」

 

 どうやら互いの意見を主張し合っているらしい二人の美男美女の様子を見て、葵は困惑した表情で横の爽を見る。

 

「あ、あの、これはどういう状況?」

 

「高校生にもなって全くお恥ずかしい話なのですが、このクラスは男女の仲が悪く、特にそれぞれのリーダー格のあの二人の意見がいつも衝突するのです。いわゆる犬猿の仲というやつですわね……」

 

「え? あれで仲悪いの⁉ なんかめっちゃくちゃ褒め合っているような……」

 

「この学校は一年生から同じクラスの持ち上がりなのですが、昨年度からあの調子で……副クラス長としては困ったものです」

 

「ふ、不思議なケンカをするんだね……」

 

 爽が眼鏡をクイッと上げて、葵の方に向き直る。

 

「という訳です。葵様」

 

「な、何がという訳なの?」

 

「あのいがみ合う二人をお互いに認め合う二人にしてもらえませんか? リーダー格の二人の仲が良くなれば、男女の壁というものも無くなり、クラスの状況も大いに改善されるでしょう。その立役者となれば、このクラスの誰もが、葵様に対して一目置くと思われますが如何でしょう? リーダーシップを養うにはうってつけではないですか?」

 

「要はケンカの仲裁をしろってことね……そもそも何で揉めているの?」

 

「話の内容からして、夏の文化祭のクラスの出し物をどうするか、ということでしょうね」

 

「夏の文化祭?」

 

「この学校には夏と冬、一年に二度の文化祭があります。と言っても、夏の方は学園内部生しか参加しない、極めて内々のものです。元々は春先に行われていた新入生歓迎会の時期をずらし、前期の中間考査試験が終わった後の慰労会のような意味合いを持たせて、毎年六月下旬頃に行われるようになりました。『新入生歓迎会並夏季休業前慰労会』などという堅苦しい名称がありますが、生徒の間ではもっぱら“夏の文化祭”と呼ばれています」

 

「ふ~ん」

 

「では葵様、宜しくお願いします」

 

「い、いや、宜しくって言われてもな~」

 

 葵は頭を掻きながら、睨み合いを続ける二人に近づく。

 

「あ、あの~」

 

「「何か⁉」」

 

 葵をギロリと睨みつけた二人だったが、その相手が将軍だということに気付き、慌てて居住まいを正した。

 

「こ、これは上様。大変失礼を致しましたわ」

 

「お見苦しい所をお見せしました、上様」

 

「……改めまして、若下野葵と言います。あの、さっきも言った様に、私のことは一人のクラスメイトとして扱ってくれて構わないですから」

 

「そう申されましても……」

 

「なかなか難しいお話しですわね……」

 

「御免なさい。お名前を伺っても?」

 

「これは重ね重ね失礼致しました! わたくし、高島津小霧(たかしまづさぎり)と申します。このクラスのクラス長を務めさせて頂いておりますわ。以後お見知り置きを」

 

「……僕は大毛利景元(たもうりかげもと)と申します。このクラスの書記を務めております。以後宜しくお願いいたします」

 

 それぞれ自己紹介をして、二人は葵に対して恭しく礼をした。葵は二人に尋ねる。

 

「えっと……文化祭の出し物で揉めているみたいだけど……」

 

「勿論、何もわたくしとて好きで揉めている訳ではありませんわ、上さ……若下野さん。ただわたくしは昨年度の春に多数決でこのクラスのクラス長に選ばれました。そのわたくしの意見が最も尊重されてしかるべきですわ」

 

「それは横暴に近い。賛成数はほぼ同数に近い。このクラスは女子の方が多いだけのこと、それで全く我々の提案に耳を貸さないというのは全くおかしな話だ。そうは思いませんか……若下野さん?」

 

 葵は腕組みをしながら、二人の考えを聞き、答えた。

 

「多数決では『執事茶屋』の方が多い、ただ極めて僅差。『メイド茶屋』を推す声も多いのも事実……。う~ん、ここは間を取って、『執事とメイド茶屋』じゃ駄目なの?」

 

「「駄目です‼」」

 

小霧と景元が二人で声を揃えて、葵の提案を一蹴した。景元がやや乱れた前髪を直しながら、葵に理由を説明する。

 

「よろしいですか、若下野さん? この文化祭の出し物というものにはそのクラスの威信が懸かっているのです」

 

「クラスの威信……?」

 

「そうです。この学園の学年には、いろはにほへと、それぞれ七クラスずつあります。最も優れた出し物を提供したクラスが評価されるのです。その評価を下すのは、この夏の文化祭の場合は新入生。つまりは下級生、後輩たちです」

 

「そう、この文化祭の出し物の出来の良し悪しが、そのまま後輩たちからの評価の高低につながるのですわ。そして見事高評価を勝ち取った暁には、流石は先輩たちであると、尊敬の念を一身に受けるのです」

 

「尊敬の念……」

 

「そうですわ、そのためにはインパクトが何より必要! 見るものの多くを引きつけ、興味を抱かせるような出し物が求められるのです」

 

「それでは『執事・メイド茶店』はインパクトに欠けると?」

 

 葵の疑問に小霧は首を横に振りながら答える。

 

「残念ながらそれではどっちつかず、中途半端な出来になること間違いないでしょう」

 

「……半端ないことをやれば良いのね?」

 

 葵は再び小霧に問う。

 

「……ええ、それが可能であればの話ですが?」

 

「……」

 

 葵が何も答えなくなったのを見て、小霧は再び景元との議論に戻った。

 

「執事茶屋よ!」

 

「メイド茶屋だ!」

 

 再び話しは平行線に戻った。また同じことの繰り返しか……爽が軽く頭を抑えたその時、葵が叫んだ。



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同盟締結

「無難! 単純! 退屈!」

 

 クラス中に聞こえる大きな声である、議論中の二人も思わず、葵の方に振り返った。景元が恐る恐る葵に尋ねる。

 

「無難と申しますと……?」

 

「恐らく、過去の先輩方の成功例でもみてきたんでしょう? あるいは他校の文化祭の噂もいくつかこちらまで届いたのかしら? 数多の成功体験と、成程、実に壮観な美男美女の集まり! 執事もしくはメイド茶屋という選択は間違いが少ない。恙なくこなせば、良い評価は得られるでしょうね……しかし、余りに無難! 且つ単純な思考回路! さらにはっきり言えば退屈極まりない発想!」

 

「言いたい放題言ってくれますわね……」

 

「言いたくもなるわ! そんな無難な選択で果たして“インパクト”を残すことが出来るの⁉ 多くの人の興味関心を引き寄せられるの?」

 

 葵の勢いに若干気圧されつつあった小霧と景元だったが、徐々に落ち着きを取り戻し、逆に揃って葵に問いかける。

 

「では若下野さん、是非我々に聞かせてほしい。貴女の考える無難ではない、インパクトのある出し物とは……」

 

「わたくしにもご教示頂きたいですわ、単純さと退屈さを排除し、人々の興味関心を引きつける出し物とは……」

 

「「何ですか⁉」」

 

「……男女逆転・主従逆転茶屋よ!」

 

 葵の提案にクラス中がざわめく。

 

「だ、男女逆転とは⁉」

 

「男子が女装し、女子が男装するの。つまり景もっちゃんが女子の恰好をするってことだね」

 

「か、景もっちゃん……⁉ いやそれよりも女装⁉」

 

「男女はまだ分かりますが、主従逆転とはどういうことですの⁉」

 

「執事やメイドさんが出迎えてくれるのは、正直ありふれていると思うの。だから迎える店側がお坊ちゃま、お嬢様になってゲストを迎えるの。だからさぎりんには、お坊ちゃま君としての振る舞いを期待したいな」

 

「さ、さぎりん⁉ い、いえ、わ、わたくしがお坊ちゃま君⁉」

 

 唖然とする二人を差し置き、葵が他のクラスメイトに説明を続ける。

 

「男女でいがみ合うなんて、巷では小学生で卒業すること! 今後は協力し合うこと、お互いを認め合うことが大事になってくると私は思う。でもいきなり仲良くなれって言われても難しいよね。まずは男女の日常の仕草や考え方のちょっとした違いとか、そういったことを気軽に相談しあってみたらどうかな? きっと新たな発見があると思うよ」

 

「若下野さん! クラス長はわたくしですわ! 勝手なことを……」

 

 小霧が葵に詰め寄ろうとすると、爽が大きく拍手をしながら、教室の中央に進み出た。

 

「さすがは葵様! 素晴らしいご提案です! わたくしはその案に賛成致しますわ! さて、他の皆さんはどうかしら?」

 

 そう言って、爽はゆっくりと教室を見回す。皆黙ったままである。

 

「反対が無いということは、葵様の提案に賛成と見なしてよろしいかしら?」

 

「伊達仁さん! 貴女まで勝手なことを……!」

 

 今度は自らに詰め寄ろうとした小霧の口元に、爽はそっと人差し指を置き、囁く。

 

「高島津さん……大毛利君の女装姿見てみたくはないかしら?」

 

「んなっ……?」

 

「美男子ですもの、きっと似合うでしょうね~」

 

「き、興味が無いと言えば、嘘になりますわね……」

 

「では、賛成多数ということで……」

 

「ち、ちょっと待った! 武家に生まれた僕が女装なんて出来る訳ないだろう!」

 

 話を締めようとした爽に対し、景元が反発する。爽がどうしたものかと思案を巡らせていると、葵が彼の前に進み出た。

 

「景もっちゃん、なんで女装がダメなの?」

 

「そ、それは僕にも武士としての矜持というものが……」

 

「さっきクラスの威信がどうとか言っていたよね、それより一個人の矜持を優先するの?」

 

「そ、それは……だ、大体余興の一種とはいえ、いささかふざけ過ぎです!」

 

「こういう時は思いっ切りふざけた方が周りの受けも良いと思うけどな~。さぎりんも景もっちゃんのこと見直すかもよ~」

 

 葵は景元の耳元でそう囁いた。

 

「な、何故そこで彼女の名が出てくるのです?」

 

「さあ~なんでだろうね~? 聞いてみる~?」

 

「い、いや、分かった、分かりました!」

 

 景元はクラスメイトの方に向き直りこう告げた。

 

「僕も若下野さんの提案に賛成する」

 

「よっし! これで一件落着だね!」

 

 葵は満足気に頷いて、こう続けた。

 

「それじゃ、さぎりんと景もっちゃん、握手して」

 

「はい?」

 

「な、何故ですか?」

 

「さっきも似たようなこと言ったけど、男女のいがみ合いはここまで、これからは認め合いの時代! お互いのことをもっと良く知って、尊重し合えるクラスにしていこう! これはその第一歩の握手!」

 

 葵の唐突な申し出に、小霧も景元も戸惑いを隠せない。右手を差し出そうとしては引っ込める、という動作を互いに何度か繰り返した。

 

「あ~もう! まだるっこしいな~!」

 

 痺れを切らした葵は二人の右手を取って、半ば強引に握手をさせた。

 

「おお、まさにこのクラスにとっての歴史的瞬間ですね!」

 

 そう言って、一人の生徒が教室に入ってきた。右目に掛けた片眼鏡が特徴的なやや小柄な体格の男子である。

 

「元気な話し声につられて覗いてみれば、不俱戴天の大敵とも言われた両名が握手を交わしているじゃないですか。何と素晴らしい光景だろう! さあ皆さんも拍手~!」

 

 男に言われるがまま、クラスメイトたちは拍手を送った。当初は引きつった表情をしていた小霧と景元だったが、二人とも笑顔を浮かべた。教室中に和やかな空気が流れる。

 

「……誰?」

 

「葵様……!」

 

 爽がグイッと葵を引き寄せて耳打ちする。

 

「あの御方は万城目安久(まきめやすひさ)先輩。この大江戸城学園の生徒会長ですわ」

 

「生徒会長……⁉」

 

「そう、貴女が超えなければならない御方です」

 

「超えなきゃって……別に私は生徒会長になるつもりは……」

 

「そういう意味ではありません! ご覧になって下さい、あの方が教室に入ってきてからのこの空気の変わりよう! この学園の生徒たちがあの万城目会長に厚い信頼と大きな親近感を寄せているからこそ醸し出されるものなのです……」

 

「う、うん……」

 

「誰もが認める征夷大将軍になられるにはこの学園全体の信頼と尊敬を勝ち取ることこそがまず肝要! その為にはあの会長以上の支持を得なければなりません!」

 

「支持……」

 

「上様」

 

 万城目が葵に歩み寄ってきた。並んでみると、二人の背丈はほぼ同じ位だった。

 

「ご挨拶が遅れました。この学園の生徒会長を務めております、万城目安久と申します。以後お見知り置き下さい」

 

「は、はい。若下野葵です。宜しく」

 

「本日は転入初日で何かとお疲れのことでしょう。色々とお話ししたいこともありましたが、それはまた後日改めて……今日のところはこちらで失礼させて頂きます」

 

 そう言って、万城目は悠然と教室から出て行った。爽はクラスの雰囲気を変えようと大きな声を出して注意を引く。

 

「会長もおっしゃったようにまさにこのクラスは歴史的瞬間を迎えることが出来ました! それはなんといっても葵様の素晴らしいご提案があってのこと! 男女がお互いのことを良く知り、尊重し合えるクラスにしていきましょう! 皆さんも宜しいですね?」

 

 クラスの皆が誰からともなくまた拍手が巻き起こった。爽に促され、輪の中央に戻ってきた葵は一瞬戸惑った表情を浮かべたが、またすぐ笑顔に戻り、握手を続ける小霧と景元の手を両手でガッシリと握った。

 

「そう! お互いに歩み寄って良いクラスにしていこう!」

 

「ま、まあクラスがより良い方向に進むのであればクラス長として異論はありませんわ」

 

 小霧が左手で髪をかき上げ、微笑みながら幾分照れ臭そうに答える。

 

「より前向きな話し合いが出来るよう努力します」

 

 景元も左手でややほころんだ口元を隠しながら答えた。

 

「よし! 一歩前進だね!」

 

 二人の様子を見て、葵は満足そうに頷いた。

 

「かなり、いや、大分強引でしたが、どうにかこうにかクラスをまとめてしまいましたね。若下野葵さん、思った以上の方なのかもしれませんね……」

 

 廊下にも聞こえてくる二年と組の生徒たちの歓声を背中で聞きながら、廊下を歩く万城目は静かに呟いた。



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とにかく怪しい黒

 怒涛の学園初日を終えた葵だったが、まだ気疲れすることが残っていた。住居問題である。将軍となった葵は大江戸城本丸の『中奥(なかおく)』で生活することとなったのだ。『御休息(ごきゅうそく)』と呼ばれる広い部屋で一人落ち着かない夕食を取り、『御湯殿(おゆどの)』と呼ばれる広い浴室でお風呂に入ることになった。今度はその広さが逆に気に入ったが、衣類を預かる『小姓(こしょう)』と体を洗う『小納戸役(こなんどやく)』が待機しているということには閉口した。当然、その場から直ちに去ってもらうようにした。

 

「我々御小姓衆は上様の身の周りの警護を、そして御小納戸衆は身の回りの世話を仰せつかっているものです! その我らを遠ざけるなど! 上様の身にもし何かあっては一大事です! どうかお考え直し下さい!」

 

「自分のことは出来る限り自分でやりますから! 警護はともかく、せめて、身の回りの世話役の方は女性で固めて下さい!」

 

 癒しのバスタイムのはずがどっと疲れてしまった葵は、さっさと寝てしまおうと思った。廊下を歩いて、御休息の隣の部屋に入った。本来は御休息が将軍の寝室になるはずだが、枕が変わるとなかなか寝られない体質の葵は、自分の今まで使っていた部屋と全く同じ部屋を大江戸城内に移設してもらったのだ。これは葵が将軍職を引き受ける際に出したいくつかの条件の内の一つである。ドアを開けると、慣れ親しんだ我が部屋の光景である。机やタンスなどそのままの位置においてあることに、葵は多少ではあるが満足した。電気のスイッチをつけようと思ったが、何度か操作したものの点かない。まだ電気が通っていないのか、それとも接触不良か、いずれにしても明日確認しようと思い、葵はベッドに潜り込んだ。疲れのピークに達した体を一刻も早く休めたいと思ったからだ。しかし、ベッドに入った瞬間、彼女は強烈な違和感に襲われた。妙にベッドが狭いのである。自宅から持ってきたものは決して大きいものではないが、葵が手足を十分伸ばせる程の広さであるはずなのである。だが手足が伸ばせない。いや、正確に言えば伸ばせるのだが、何かに当たるのである。この時点で葵の眠気も完全に醒めていた。やはり接触不良だったのか、部屋の電気が今更点いた。その瞬間葵は驚愕した。自らと添い寝をするような形で、黒装束の服を着た一人の青年がベッドに目を閉じて横たわっていたからだ。

 

「きゃああああ‼」

 

 葵の叫び声にその黒装束の男もバッと飛び起きた。

 

「曲者か! く、どこに消えやがった……」

 

 黒装束の男は背中に背負った刀に手をかけながら、部屋をゆっくりと見回す。そして両手を組んで静かに目を閉じる。

 

「……周囲に怪しい気配は感じないな。別に慌てて逃げ去ったというわけでもなさそうだ」

 

 そして、黒装束の男は葵の方に振り返って、冷静な口調でこう告げる。

 

「上様、貴女に何が起こっても自分が必ず守ります。安心して下さい、控えていますよ」

 

「あ、あ、あ……」

 

「あ? どうされました?」

 

「貴方誰よー―‼」

 

「ぶほぁ⁉」

 

 葵は持っていた枕で黒装束の男の顔面を思いっ切り殴りつけた。

 

 

 

 ようやく落ち着きを取り戻した葵はベッドに腰掛け、腕を組みながら、部屋の中央で正座をする黒装束の男に声を掛ける。

 

「で……? なんで貴方がこの部屋にいる訳? えっと……」

 

「……自分は黒駆秀吾郎(くろがけしゅうごろう)と申します。御庭番を務めている者です」

 

「御庭番……?」

 

「代々上様の警護を仰せつかっているもの……簡単に言えば隠密です」

 

「ふ~ん、で、何でその隠密が私の部屋に居るのよ?」

 

「ええっ⁉ ここは物置では無かったのですか⁉」

 

「はっ?」

 

「い、いや大分狭い所だなとは思ったのですが……」

 

「狭い……」

 

「上様が居住するには、その、何と言いますか、いささか庶民的というか……」

 

「庶民的……」

 

「多少窮屈ではありましたが、ちょうど横になれる場所がありましたので、仮眠をとっておりました」

 

「……わね」

 

「わね? 如何しましたか、上様?」

 

「狭くて貧乏臭い物置小屋で悪かったわね! ここは私にとって大事な憩いの空間なの! さっさと出て行って頂戴‼ 貴方の顔は二度と見たくないわ!」

 

「は、ははっ⁉ これは大変失礼致しました!」

 

 そう言って、秀吾郎はさっと部屋から姿を消した。葵にとっては生まれて初めて目にする忍者の超スピードだったが、最早今の彼女にはそれに驚く気力も残っていなかった。

 

「……疲れた。さっさと寝よ」



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生徒会室へ

                     弐

 

 翌朝、葵の顔をしかめさせる出来事があった。

 

「都合によって一日遅れになりましたが、皆さんにもう一人転入生を紹介します」

 

「黒駆秀吾郎と言います。宜しく……」

 

「ねえ、結構恰好良くない?」

 

「ちょっとミステリアスな雰囲気よね~」

 

 葵の隣の列に座る女子生徒たちがヒソヒソ声で盛り上がる。葵も秀吾郎の顔をじっと見てみる。昨夜は怒り心頭できちんと認識出来なかったが、スッキリとまとまった短い黒髪に涼やかな顔立ち、長身でスラリとしたスタイル。成程、なかなかの美男子である。このクラスでも一、二を争う程かもしれない。

 

「では黒駆君の席ですが、そこの空いている席に……黒駆君?」

 

 担任が座る席を指し示したが、秀吾郎はそれを無視して。つかつかと窓際の一番後ろの席に向かい、その席に座る男子生徒に声を掛けた。

 

「君、名前は?」

 

 頬杖をついていた男子はやや戸惑いながら答える。

 

「え、わ、和久井だけど……」

 

「和久井君、この席からだと黒板の字も見えづらいし、先生の声も聞こえづらいだろう。自分の席は前の方だ。交換しよう」

 

「は? なんでそうなるんだよ? 意味が分からないんだけど」

 

 和久井が抗議の声を上げる。当然だ、窓際の列の一番後ろの席という特等席を譲るものなどそうそういない、葵はそう思った。すると秀吾郎は長身をやや屈めて、和久井に何事か耳打ちした。和久井が驚きの表情を浮かべる。

 

「な、お、お前、何でそれを⁉」

 

「交換してくれるな?」

 

「あ、ああっ! ぜ、是非交換しよう! 先生! 僕、彼と席を変わります!」

 

「和久井君が良いのなら構いませんが……それでは黒駆君の席はそこで……。では、ホームルームを続けます……」

 

「……これで良し」

 

 秀吾郎は静かに呟いて席に着いた。全然良くないと隣に座る葵は思った。

 

 

 

「ゴメンね、サワっち。わざわざ案内してもらって」

 

「構いません。クラス長か副クラス長も同行せよとのことだったので……」

 

昼休みになって葵は爽とともに、ある場所へ向かっていた。

 

「そうなんだ……で、貴方は何で着いてきているの?」

 

 葵は訝しげな視線を自分たちの後ろを着いてくる秀吾郎に送る。

 

「自分は上様を御守りするのが……い、いえ、昨夜の寝所でのことを釈明したく……」

 

「昨夜の寝所?」

 

 驚いた爽が、葵と秀吾郎の顔を交互に見やる。

 

「誤解を招く言い方やめなさいよ! ……とにかくわたしはストーキング趣味の奴と話すつもりはないから!」

 

「女子に付きまとうことが趣味とは余り感心しませんわね、黒駆君……」

 

 爽が冷ややかな視線を秀吾郎に向ける。

 

「な、それこそ誤解です! 自分は決してストーカーなどではなく、上様のおん……」

 

「おん?」

 

「い、いや、それよりもですね……」

 

「ああ、着きましたわ、葵様。こちらが生徒会室です」

 

「ここね……」

 

 生徒会室は通常の教室と違い、外側から内側に向かって押し開く内開き型のドアだった。映画館や劇場などでよく見かける重厚なタイプである。ドアの色は赤茶色で、ドアノブは真鍮色だった。爽がドア越しに声を掛ける。

 

「二年と組、副クラス長の伊達仁です。も、……上様をお連れしました」

 

「ああ、どうぞ入って下さい」

 

 部屋の中から声が聞こえた。昨日聞いた生徒会長の万城目のものだった。爽に促され、葵もやや緊張した面持ちでその部屋に入ろうとしたが、そこで一旦振り返って、秀吾郎に対してくぎを刺す。

 

「貴方は入ってこなくていいからね!」

 

 そして、生徒会室の重い扉は、秀吾郎の前で閉じられた。葵と爽が部屋の中に入ると、万城目が立ち上がって二人を出迎えた。

 

「お待ちしておりました、上様。さあどうぞ、こちらの席にお座り下さい」

 

 そう言って、万城目は立ち上がり、自らの座っていた席を指し示した。その先には整然とした大き目のデスクと座り心地の良さそうなチェアーがあり、更にデスクの前方には黒い三角柱に白字で「生徒会長」と書いた名札が置いてあった。葵は即座に恐縮した。

 

「いえいえ! そこは会長の席ですから! あ、あの、私のことは一生徒として扱ってくれて構わないですから!」

 

「そうですか? では失礼して……」

 

 万城目は会長の席に改めて着いた。そして、二人に座る様に促す。生徒会長のデスクの前にガラス張りの長テーブルが縦に置かれている。そのテーブルを挟むように黒色の一人掛け用のソファーチェアーが左右に三脚ずつ並んでいる。上手側には既に三人が座っていた為、葵たちは下手側の席に着いた。全員が座ったことを確認すると、万城目は両肘をテーブルの上に突き、顔の前に両手を組んで話し始めた。

 

「昨日の今日で、上、……若下野さんにはきちんとご挨拶をしたかったのですが、事情が変わりまして、わざわざこちらまでご足労を頂きました」

 

「事情……?」

 

「ええ……こちらの方々が何やらお話があるそうなのですが……」

 

 万城目が左手を軽く掲げて、上手側に座るものたちを指し示す。三人の中央に座る、三つ編みを片方にまとめた女性が、左手で前髪をかき上げながら、立ち上がった。そして、葵の方に向いて、口を開いた。



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対面

「私は二年ろ組のクラス長、五橋八千代(いつつばしやちよ)ですわ!」

 

「は、はぁ、初めまして、若下野です……」

 

「……短刀直入に申し上げます。若下野葵さん! 貴女には将軍の位から御退き頂きたく存じます!」

 

「は、はぁぁぁ⁉」

 

 突然の申し出に葵は驚きの声を上げてしまった。対面に座り、抗議の声を上げようとする爽を制しながら、八千代は自身の左隣に座る女子生徒に詳細の説明を促す。厚縁眼鏡を掛けた、三つ編み姿の気弱そうな女子生徒がおずおずと立ち上がって、話を始めた。

 

「え、えっと、私は二年ろ組の書記の有備憂(ありぞなえうい)と言います。八千代お嬢さ、……五橋クラス長の提案の根拠をいくつかご説明させて頂きます」

 

「根拠?」

 

「まず一つ、継承順の問題です。若下野さんの継承順位は百一番目。二桁台ですらありません。対して、こちらの五橋クラス長は五番目、そして、そちらにいらっしゃる氷戸クラス長は三番目と、お二人とも一桁台になります」

 

「五番! 三番⁉」

 

「ふっ、至極当然のことだ」

 

 上手側の席に座るやや長目の髪を真ん中分けにした男子が驚く葵の様子を鼻で笑いながら語り出した。

 

「余は御三家の一つ、氷戸家(ひとけ)の当主、氷戸光ノ丸(ひとみつのまる)である」

 

「御三家?」

 

「い、いや、なんだ、その反応の薄さは!」

 

 いまいちピンとこない様子で首を傾げる葵に対して、光ノ丸が椅子の肘かけから肘を落としかけた。爽が葵にそっと耳打ちする。

 

「葵様……御三家とは、端的に申しまして将軍家に近しい家柄です。将軍家に継嗣、後継ぎが途絶えた際には、その三つの家から後継者を出すのが、古くからの慣わしです」

 

「ええっ⁉ それってめちゃくちゃ由緒正しい家柄じゃん!」

 

「ま、まさかそんなことも知らなかったのか……」

 

 光ノ丸が顔を手で覆う。

 

「で、では私たち御三卿については⁉」

 

 着席していた八千代が身を乗り出して葵に問い質す。

 

「御三卿?」

 

葵はまたもや首を傾げた。爽が耳打ちする。

 

「……御三卿とは、これまた端的に申しますと、将軍家や御三家に極めて近しい家柄です。将軍家のみならず、御三家に後継ぎが居られない場合は、御三卿から養子を貰うのも、これまた古くからの慣わしです」

 

「へ~そうなんだ~」

 

「へ~じゃなくて! ……ま、まあ良いですわ。憂、続きを」

 

「は、はい。もう一つは実績です」

 

「実績?」

 

「はい。氷戸クラス長、五橋クラス長、お二人ともに一年生時、更には中等部のころから学生生徒の中心、又ときには先頭に立って、様々な行事活動を成功に導いてきました。お二人の卓越したリーダーシップはまさに人の上に立つに相応しいものだと思われます」

 

「はあ……」

 

 葵の今一つ要領を得ない返事に憂は戸惑いながら確認する。

 

「お、お話はご理解頂けましたでしょうか?」

 

「……大体は。それで、仮に私が退いた場合はお二人のうちどちらが継承することになるんですか?」

 

「ふむ、多少不本意ではあるが、余と五橋殿との決戦投票という形式になるであろうな、いわゆる民主的な手法というやつだ」

 

 光ノ丸が髪をいじりながら、面倒そうに答える。

 

「民主的……」

 

「そうですわ、今回の将軍継承の決定までの過程は民主的とは全くかけ離れたものです。大方、幕府上層部の大人たちが密室で決めたことでしょう。このたびの決定に承服しかねる声はこの学園に通う若い世代を中心にとても多いのです。流石にご承知かと思いますが、この大江戸城学園に通う生徒はほとんどが卒業後幕府に奉職します。民間の企業に例えれば、会社の社員、歯車ですわね」

 

「歯車……?」

 

「その未来の社員たちからの圧倒的支持を得ている私たちが継承権を争うのが最も自然なこと……そうは思いませんか? それにたった今憂が申し上げたように、学園内での実務経験、実績にしても段違いです」

 

「あ、葵様は昨日転入してきたばかりで……!」

 

「分を弁えろ、伊達仁殿」

 

光ノ丸が背もたれに寄りかかりながら、自身の斜め前に座る爽を睨み付ける。

 

「と組の生徒の分際で我々に意見しようというのか、烏滸がましい」

 

 俯いて黙り込む爽に八千代が畳みかける。

 

「私たちは将軍家の親戚筋に当たる親藩大名、又はそれに準ずる家のもの、対して貴女は外様大名の家のもの……本来ならばこうして同じ部屋にいるのも可笑しな話……時代がいくら移り変わっても、その辺りはしっかりと分別を付けて頂きませんこと?」

 

「も、申し訳御座いま……」

 

「謝る必要なんてないよ、サワっち」

 

 俯いていた爽が驚いた表情で横に座る葵を仰ぎ見る。

 

「……将軍位退位のお話しですが承服しかねます!」



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交渉決裂

 光ノ丸はやれやれといった表情で八千代に目線を向ける。八千代は溜息を突いて、制服の胸ポケットから一枚の紙切れを取り出す。葵が怪訝な表情で問う。

 

「これは?」

 

「白紙の小切手ですわ。お好きな金額を書き込んで頂いて構いません。我が五橋家はお陰様でサイドビジネスの方も上手くいっておりますの。何だったら幕府よりも財政状況は良いかもしれませんわね。円満に退位して頂けるなら、この小切手を差し上げますわ。どうぞお好きな金額を記入なさって下さい」

 

「お金の問題では……」

 

「そうか、金の問題ではないか」

 

 光ノ丸が二人の話しを遮ってきた。

 

「地位……それがそなたにとって重要なのであろう?」

 

「は?」

 

 光ノ丸は懐から取り出した扇子を広げて、身を乗り出し、葵に耳打ちする。

 

「余の正室として迎えても構わない。将軍夫人、どうだ、悪くない響きであろう」

 

「~~~‼」

 

 葵はバッと勢いよくその場に立ち上がった。光ノ丸、八千代をはじめ、その場にいた者全員が驚いた表情を浮かべる。

 

「お話を伺って、お二人のことはよ~く分かりました!」

 

 そう言って、葵は一気に捲し立てた。

 

「継承順位一桁ながらも無視された絶望的なまでの品格の無さ! 恐らく人望の方も実態はほぼ皆無なのでしょう。みな貴方がたの人柄に惹かれて集まったのではなく、貴方たちの家柄に寄ってきているだけに過ぎないということ! そのことに全く気が付かない、頭が回らない、どうしようもないまでの洞察力や理解力の欠如! 例え民主的であろうとなかろうと、人の上に立つべきではない存在、それが貴方たち二人です‼」

 

「なっ⁉」

 

「ぶ、無礼な!」

 

 呆気にとられた光ノ丸とは対照的に、逆上して立ち上がった八千代が葵に食ってかかり、平手打ちを浴びせようとしたその時、生徒会室の長テーブルの上に黒い影が躍った。八千代の右手をどこから入り込んだのか、秀吾郎が左手で受け止めた。

 

「御三卿の家のご当主なれど、上様に対しての暴力は見逃せま、ごふおぁ⁉」

 

 奇声を発して、秀吾郎がテーブルの下に崩れ落ちる。

 

「あ、ご、ごめん。急に出てくるから」

 

 八千代の平手打ちに対抗しようとした、葵の回し蹴りが秀吾郎の脇腹にクリーンヒットしたのである。秀吾郎は腹部を抑えながらしばし悶絶した。

 

「今日の所はその辺りでいいでしょう。いや、本来はもう少し早く止めるべきでしたが」

 

万城目が椅子から立ち上がり、皆を見回して声を掛ける。

 

「会長! まだお話しは!」

 

「論理的説得に搦め手も不発……挙句の果てに暴力に訴えるのは頂けません。今回は貴方がたの負けです」

 

 万城目が右目の片眼鏡を直しながら、八千代をじっと見据える。八千代は黙りこくってしまった。代わりに光ノ丸が口を開く。

 

「会長……こちらの若下野殿からは散々な言われようだったが、余たちにも支えてくれているものたちが数多おる。先程の話しと重複するが、そのものたちはいずれ幕府の運営を円滑に進める歯車たちだ。例え見せかけだけだとしても、現状多くのものに支持されているのは我々なのは事実……この状態をこのまま良しとするわけには参らぬだろう」

 

「要は納得がいかないということですよね、う~む……」

 

 万城目がしばらく考え込み、やがてポンと両手を叩く。

 

「ではこうしたら如何でしょう。夏休み前に、半年に一度の生徒総会があるのはご存知ですよね? その場でどなたが真の将軍にふさわしいかということを全生徒に問うてみるというのは?」

 

「「⁉」」

 

 その場にいた全員が驚いた顔で万城目を見つめる。万城目は構わずに話を続ける。

 

「これからの約三か月間の各人の振る舞い、働きぶりを生徒たちによくよく見てもらいましょう。あくまでも生徒間での投票ですが、その結果は民意の一つの表れとして、あちらにいらっしゃる大人たちにとっても良い判断材料になるでしょう」

 

 万城目は窓の外から見える大江戸城を指し示しながら、全員にその意図を説明した。

 

「働きぶり……?」

 

「そうですね、まあ色々あるとは思いますが……例えば6月末の『春の文化祭』を大成功に導くとか……秋の文化祭と違って、春の文化祭の方は主に二年生の実行委員が中心となって盛り上げていくのが通例ですからね」

 

 葵の問いかけに万城目が答える。その答えに、やや険しい表情を浮かべていた光ノ丸と八千代の顔が明るくなった。

 

「生徒投票の件、承知した」

 

「春の文化祭をはじめ、諸々の活動、期待してもらって構いませんわ。より良い学園生活の実現に尽力致しますわ」

 

 そう言い残して、二人は生徒会室を後にした。その後に続いて、憂も万城目や葵たちにペコリと一礼して、部屋を出ていった。



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談判

「まあ、取りあえずは納得して頂きましたかね……」

 

「会長!」

 

 席に着いた万城目に対し、デスクをバンと叩いて、爽が抗議の声を上げて詰め寄る。

 

「これでは上様に余りにも不利です!」

 

「不利、と言いますと……?」

 

「上様は転入生です! 加えてクラス長等の役職に就いているわけではありません! 文化祭実行委員は基本クラス長や副クラス長がそのまま兼任するのが慣例です!」

 

「それはあくまでも慣例ですから、若下野さんを新たに二年と組の文化祭実行委員として選出しても別に構わないと思いますが?」

 

「我々の代では、こういった委員会の類で、わたくし達と組の発言権はほぼ皆無に等しいです! 意見が採用されることなど滅多にありません! そのような状態でどうやって存在感を示せとおっしゃるのですか!」

 

 興奮気味に捲し立てる爽を両手で宥めながら、万城目が先程まで光ノ丸たちが座っていた椅子の方に視線を向ける。

 

「時代が物凄い速さで移り変わっていくというのに、未だに封建的な物の考え方に囚われている方々が定期的に出てくるのですよねぇ……近年の場合は現二年生の学年ですか」

 

「ですから、その現状を打破すべく、会長の『鶴の一声』が欲しいのです!」

 

「大分買いかぶり過ぎですよ、伊達仁さん。残念ながらそこまでの影響力は私にはありません。各種委員会やクラス長会などに是正を求めてみても、果たしてどこまでの効果が見込めるか……かえって無用な反発や混乱を招いてしまう恐れもあります」

 

 爽も容易には引き下がらない。

 

「選考基準がいまひとつ不明瞭であれ、その過程が不透明なものであれ、今は! こちらにおわします、若下野葵様がれっきとした征夷大将軍です! ならば将軍を中心とした健全な学園活動を行う組織を作るべきだとわたくしは考えます!」

 

「それは生徒会に取って代わる組織ということですか?」

 

「……それよりも上に設置する組織です」

 

「……それは大きく出ましたねぇ」

 

 万城目は思わず背もたれに寄りかかってしまった。傍らに用意してあったお茶を一口飲むと、再び爽の方に身を向き直す。

 

「そのレベルの話になってくると、それこそ生徒総会で諮問に掛けるべき議題です。この場でおいそれと決められることではありません……」

 

「昨秋の就任当初からの仕事ぶりを拝見する限り、会長はお優しそうな外見に似合わず、『果断即決』型の方かと思っておりましたが、わたくしの見込み違いだったでしょうか? もう春だというのにまだ長いお正月休み中でしょうか? それとも……」

 

「挑発には乗りませんよ、伊達仁さん」

 

 万城目が微笑を浮かべ、爽の目をじっと見た。

 

「……あった、これだ」

 

 葵の声に反応した爽たちが葵の方に振り返る。葵は胸ポケットから取り出した、生徒手帳をパラパラとめくっている。

 

「葵様、何があったというのですか?」

 

 若干苛立ち気味の爽を落ち着かせつつ、葵が万城目に声を掛ける。

 

「会長、改めてお話があります。放課後またこちらにお邪魔しても宜しいでしょうか?」

 

「え、ええ。構いませんよ。」

 

「ありがとうございます! じゃあ、サワっち、秀吾郎、教室に戻ろう」

 

「……分かりました。失礼致しました、会長」

 

「い、いま自分のことを秀吾郎とお呼び下さった……? あ、脇腹が痛む……」

 

 重い扉が閉められて三人が部屋を出て行った。万城目は微笑を崩さなかった。

 

 

 

 教室に戻る途中、爽が葵に不満そうに声を掛ける。

 

「葵様、何か思い付いたのですか? 教えて頂かないと、こちらとしても困ります」

 

「ふふっ、これだよ!」

 

 葵は先程開いていた生徒手帳のページを爽に突き付ける。一瞬面食らった爽だったが、手帳に書いてある文言を確認すると、冷静な表情を取り戻した。

 

「……成程、それで詳細は?」

 

「特に何も」

 

「そうでしょうね」

 

「即答⁉」

 

「構成人員はあの二人とおん……黒駆君にお願いしますか。それで一応頭数は揃うことになりますね」

 

「私はどうしたら良いかな?」

 

「特に何も為さらないで結構です」

 

「酷っ!」

 

「冗談です。そうですね……放課後までに名称を考えておいて下さい。詳細はわたくしの方で詰めて置きますので」



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立ち上げてみた

 放課後、生徒会長万城目のデスクの前に五人の生徒が並んだ。

 

「二年と組のクラス長、副クラス長、書記までお揃いとは……それで、お話とは一体何でしょうか、若下野さん?」

 

「わたくしが代わりに申しあげます。こちらに承認を頂きたいのですが……」

 

 葵の右隣に立っていた爽が一枚の用紙を差し出した。万城目が手に取って確認する。

 

「同好会設立要望書?」

 

「若下野さんを会長とした同好会を立ち上げたいと思っております」

 

「立ち上げには最低でも五人必要になりますが?」

 

「若下野さん以外にここにいる四人がメンバーになります」

 

「何だって⁉」

 

「初耳ですわよ⁉」

 

 葵の左隣に立っていた高島津小霧とその斜め後ろに立っていた大毛利景元が驚きの声を上げる。これには葵も驚いた。

 

「サワっち、説明してなかったの⁉」

 

「説明の手間を極力省きたかったもので」

 

「生徒会への陳情書というから署名しましたのに……」

 

「騙したな、伊達仁……」

 

「そもそもの意思統一が図れていない様なのですが……」

 

 万城目が困惑した表情で爽を仰ぎ見る。

 

「意志統一はこれから図ります。黒駆君、例のものを」

 

「はっ」

 

 爽に促され、秀吾郎がある紙をその場にいる全員に配った。

 

「これは校内瓦版……?」

 

「しかも号外……ってサワっち、この内容⁉」

 

 驚く葵に爽が説明を始める。

 

「そうです、本日昼休み。この生徒会室で行われた話の内容が事細かに書いてあるのです! 勿論一字一句正確にという訳ではありませんが」

 

「学内選挙⁉ これからの数か月間の働きぶりで将軍に相応しい人物を決める⁉」

 

「有力な候補者は氷戸光ノ丸に、い、五橋八千代ですって~!」

 

「これはどういうことですか、会長!」

 

「何者かがリークしたのでしょうねぇ~」

 

「選挙が本当に行われるということですの⁉」

 

「はい、私の方から提案させていただいたことです……」

 

 小霧と景元から詰め寄られ、万城目は少々バツの悪そうに顔を背けた。

 

「兎に角」

 

 爽が声を掛ける。

 

「葵様の将軍在位を快く思わない勢力がこの学園内に相当数いることは事実。所詮は学生の選挙ごっこだと無視するのも一つの手ですが、不戦を貫くことが世間から好い評価を得られるとは限りません。よって我々も何らかの対策を取るべきだと思います!」

 

「その対策の一環が、同好会設立ですか?」

 

 万城目の問いに、爽が頷く。

 

「そうです! 葵様!」

 

「ええ! 会長! お昼休みにも似たようなことを言いましたが、氷戸さん、五橋さん、あのお二人には将軍職はとても任せられません! あくまでも学園内の選挙ということですが、私は絶対に勝ってみせます!」

 

「意気込みは大変結構ですが、そこで同好会にどう繋がるのでしょうか……?」

 

「将軍の立場を存分に生かして、生徒皆の学園生活をより良いものにしていく活動を行って行こうと思います!」

 

「一人の生徒として扱って欲しいという趣旨のことを仰っていたと思うのですが……?」

 

「それはそれ! これはこれ! です!」

 

「ええっ⁉」

 

 流石の万城目も驚きの声を上げてしまった。

 

「という訳で同好会設立の承認をお願いいたします‼」

 

「ふ、ふむ。しかし会の名称は?」

 

 万城目の疑問に対し、葵はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張り、高らかに会の名前を宣言した。

 

「『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を盛り上げる会』です!」

 

「長いな⁉」

 

「大丈夫、略称もちゃんと考えてあるから! 秀吾郎!」

 

「はっ!」

 

 秀吾郎が持っていた半紙をばっと広げた。そこには『将愉会(しょうゆかい)』と筆で書かれていた。

 

「いや略す所そこですの⁉」

 

「……具体的な活動内容はどういったものになりますか?」

 

「東に喜んでいる生徒がいれば一緒に喜び、西に怒っている生徒がいればその怒りを鎮め、南に哀しんでいる生徒がいればそっと寄り添い、北に楽しんでいる生徒がいればその楽しみを分かち合う……そんな活動内容を目指します!」

 

「う、う~ん、そうですか……」

 

お読み頂いてありがとうございます。



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しょうゆうこと

 万城目が助け舟を爽に求めた。爽が即座に答える。

 

「校内数か所に『目安箱』を設置したいと考えています。そこに寄せられた生徒たちからの諸々の相談、悩み事を我々将愉会が一つ一つ丁寧に解決していきたいと思っています」

 

「学園内のトラブルシューティングを請け負うということですか?」

 

「簡単に言えばそうなりますね」

 

「ふむ……」

 

 万城目は顔の前で両手を組み、しばし考えた。

 

「お三方は良いとして、そちらのお二人はどうなのですか?」

 

「い、いえ、何分突然の話ですし……」

 

「当然やりますわ!」

 

「ええっ⁉」

 

 難色を示した景元に対し、小霧は即答した。

 

「将愉会の評判も上がれば、上様の株も上がる。学内選挙でも勝てるはず……あの人を外様大名の娘だと散々馬鹿にしてきた、氷戸……さんや五橋……さんの鼻も明かせる……こんな面白そうな機会をみすみす逃す手はありませんわ!」

 

「高島津さんはやる気満々。大毛利くんは如何ですか?」

 

「選挙云々はまあともかくとして……学園生活をより良くすることはとても良いことだと思います。僕も加わります」

 

「……分かりました」

 

「では、会長?」

 

「『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』の設立を承認いたします」

 

「ありがとうございます! 一生懸命頑張ります! それでは失礼致します!」

 

 そう言って、葵たちはそそくさと部屋を後にした。

 

「勢いに圧されて承認してしまいましたが……はてさて、どうなることやら……」

 

 残された万城目はそう呟きながらお茶を一口飲んだ。

 

 

 

 波乱の学園二日目を終えた葵は、お気に入りのパジャマに着替えると、ベッドに大の字になって寝ころんだ。体は眠いのだが、妙に目が冴えて、なかなか寝付けなかった。そこで独り言のように今日の出来事を思い返していった。

 

「いや~生徒会長に呼び出されたのは正直ビビったなぁ~」

 

「なかなかの曲者という噂ですからね」

 

「? しかし、氷戸さんと五橋さん、絵に描いたような嫌な性格の人たちだったなぁ~」

 

「あれで外面は良かったりするのがまた厄介な所ですね」

 

「……だけど彼女、いきなりビンタしてこようとしたのは驚いたなぁ~」

 

「自分は上様の回し蹴りに驚きました」

 

 葵は枕元に置いてあった愛用の薙刀を静かに手に取った。

 

「あの『将愉会』の文字、秀吾郎が書いたの? 達筆だねぇ」

 

「いえいえ、恐れ入ります。自分などまだまだですぅ⁉」

 

 葵が袋に包んだままの薙刀を天井に向かって思い切り突き上げると、天井が勢いよく回転し、屋根裏に仰向けでへばり着いていた秀吾郎と向き合うかたちとなった。

 

「……何やってるの、貴方?」

 

「う、上様に何かあってはと思い、こうして屋根裏で息を潜めておりました」

 

「何かってプライバシーの侵害が発生してんじゃない⁉ 大体思いっ切り私と会話しちゃっているし! 全然忍べてないし! っていうかそもそも忍ばなくていいから! 何を人の部屋、勝手にプチ忍者屋敷に改造しちゃってくれてんのよ⁉」

 

「上様に近づく脅威を排除するのが、我々御庭番の務めでございまして……」

 

「目下貴方が最大の脅威なのよ! 良いから出て行ってよ!」

 

「は、ははっ⁉ 失礼致しました!」

 

 そう言って、秀吾郎はさっと部屋から姿を消した。

 

(昨夜とほぼ同じじゃない……ビンタから守ってくれた時は少しドキッとしたけど……)

 

 葵は何ともいえないモヤモヤとした感情のままやがて眠りに就いた。



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依頼

                     参

 

「これが目安箱になります」

 

 放課後、秀吾郎は教卓の上に木で出来た箱を置いた。

 

「ほう、これは……」

 

「存外、立派な造りの箱ですわね」

 

 教壇の周りに集まった小霧と景元が感心したような声を上げた。葵が爽に尋ねる。

 

「これと同じものを色んな所に?」

 

「はい。校舎内で目立つ場所、人通りの多い場所、十か所ほどに設置しました」

 

「十個も作ったのか?」

 

「黒駆君が一晩でやってくれました」

 

「一晩で⁉」

 

「自分は手先が器用なもので……」

 

 小霧の驚いた声に、秀吾郎がやや照れ臭そうに答える。

 

「やはりというか、なんというか、只者では無いようだな……」

 

「そりゃそうよ、景もっちゃん。なんてったって御庭……」

 

「う、上様⁉」

 

 秀吾郎が慌てて葵に詰め寄る。

 

「な、何よ……?」

 

「正体がバレてしまっては隠密の意味が無くなってしまいます……! 自分が御庭番だということはくれぐれも内密にお願い致します!」

 

「わ、分かったわよ……」

 

「それで何か投書はありましたの?」

 

「それをこれから確認しようと思います。黒駆君、申し訳無いですけど、回収をお願い出来るかしら? これが箱を開ける鍵です」

 

「承知致しました。少々お待ち下さい」

 

 秀吾郎は爽から鍵を受け取ると、首に巻いた黒いマフラーをそっと上げて、口元を隠し、両手を組んで、何やら一言呟き、その場から姿を消した。

 

「あの一瞬のスピード……! なかなか優秀な忍びだな」

 

「全然忍べてはいないという点を除けばね」

 

(何がくれぐれも内密に、よ……)

 

 葵は頭を抱えた。そしてわずか数分で秀吾郎は教室に戻ってきた。

 

「只今戻りました。鍵をお返しします」

 

「ありがとう。それで投書はありましたか?」

 

「はっ! わずか二通ではありますが……」

 

「二通も来たの⁉」

 

「初日ですから正直期待していませんでしたが……」

 

 葵と爽が驚く。

 

「それで肝心の内容はどうなんですの?」

 

「お待ちを。上様、どうぞ」

 

 秀吾郎が折りたたまれた二通の投書を葵に差し出す。

 

「え、私が読むの?」

 

「まあ直接目を通して頂く必要はありますからね。お願い致します」

 

「わ、分かった。え~っと一通目は……匿名希望の人からだね。『学園にも碌に登校せず、北の城下町で喧嘩三昧の不良生徒がいます。赤毛が目印の少年です。どうか彼を更生させて、学園に真面目に通うように促して下さい。どうかお願いします』……だって」

 

「……それは果たして我々の仕事なのか?」

 

「内容を吟味するのは後です。葵様、もう一通は?」

 

「えっと……あ、これは名前が書いてある、陸上部三年の高野さんって人から、『城下町を走る長距離用の練習コースでいつも見掛ける猫ちゃんの姿を最近見掛けません。車にでも轢かれたのかと心配です。猫ちゃんを探して下さらないでしょうか?』だってさ」

 

「不良生徒の更生と、猫探しですか……」

 

「不良生徒の方はあくまで噂ですがよく耳にしますわね」

 

「それじゃあ猫ちゃんの方の情報だね。秀吾郎、この高野さんから話し聞けるかな?」

 

 葵の問いかけに秀吾郎は即答した。

 

「用紙の方に連絡先が記してありました故、すぐさま連絡し、こちらの教室まで来てもらいたいとお願い致しました」

 

「流石、女性が絡むと手が早いですわね……」

 

「だ、伊達仁様、誤解を招くような発言はお止め下さい……」

 

 しばらくして、高野が二年と組のクラスにやや警戒しながら入ってきた。

 

「え、えっと、お悩み相談等何でも受け付けますって今朝の校内瓦版を見て、投書させてもらったんだけど……貴方たちが?」

 

「ええ、我々が『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』です!」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 高野は秀吾郎の勢いのある返答にやや引き気味になる。葵は秀吾郎の後頭部に軽く手刀を入れる。そして、優しく高野に話しかける。

 

「ビックリさせちゃって御免なさい。行方不明になった猫ちゃんの話しを詳しく聞かせてもらっても良いですか?」

 

「良いけど……って、貴女は上様⁉ これはとんだ失礼を!」

 

「ああ! 良いからそういうの! 話が前に進まないし!」

 

 相手の少女が将軍だと気づき、思わず平伏せんとする高野を無理やり立たせて、行方不明の猫について話を色々と聞くことにした。

 

「……成程、ランニングコースでほぼ毎日その姿を見かけた白い子猫……」

 

「ええ、とても愛くるしいので、私たち女子部員から大変な人気でした。可愛がったり、ちょっと遊んだり、でも野良だと思ったので、私たちは餌など与えませんでしたが」

 

「それがこの数日パタッとその姿を見せなくなったんだね……」

 

「ええ、お店の脇とか、建物の屋根の上とか、色々探しては見たんですが……」

 

「黒駆君、例のものを」

 

「はっ」

 

 爽の声に応じ、秀吾郎は机の上に地図を広げた。葵はその様子を見て、これではまるで、自分の御庭番ではなくて、爽の御庭番ではないかと思わなくも無かったが、ともかく話を進めることにした。

 

「これはどこの地図?」

 

「北の城下町を中心とした地図です。高野さん、貴女たちのいつものランニングコースがどの辺りを走っているか線を引いてもらって、さらに猫をよく見かけた場所に印をつけてみて貰えますか?」

 

 高野は爽の指示に従って、地図上に線を引き、さらに印を付けた。そして猫を写した画像も何枚か提供した。

 

「大体のことは分かりました。後は我々にお任せ下さい」

 

 高野は一礼して、教室から出て行った。葵が爽に問いかける。



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行動開始

「サワっち、大体分かったって本当? 適当に言っていない?」

 

「高野さんのお話、そして各種社会ネットサービスにここ数日上がっている画像や動画を見る限り、この白猫は恐らくここら辺を自分の活動拠点にしているのでしょう」

 

そう言って、爽は地図のある一帯を指差した。小霧が同調する。

 

「恐らくここら辺の店の店主か、近所の子供が餌を与えたのでしょうね。だからこの辺りをウロウロしていると……」

 

「調べたところ、ここ数日猫を轢いたなどという情報は見当たらないな」

 

 景元も自分の端末を駆使して得た情報を確認した。

 

「猫は気まぐれな性格ですが、そろそろ慣れた場所に戻ってくる頃合いでしょう。この辺り、あるいはもっと範囲を拡大して探して見れば、案外早く見つかると思いますよ。そうだ、皆さんにも猫の画像を送っておきますね」

 

「じゃあ、その辺りを探せば依頼は完了というわけですわね」

 

「ははっ凄いね、皆。これじゃ私いらないね……」

 

 葵の自嘲気味の言葉に皆が振り返る。爽がフッと微笑んで答える。

 

「何を仰っておられるのですか、葵様。むしろここからが本番ですよ」

 

「え?」

 

「一通目の依頼、お忘れですか?」

 

「え、あ、この『喧嘩三昧の不良生徒の更生』のこと⁉」

 

「わたくしとしてはむしろそちらが本題です」

 

「伊達仁……先程も言ったが、それは我々のするべき仕事なのか?」

 

「そうですわ。わたくしも先程言いかけましたが、その不良生徒はなかなかの問題児のようだと専らの噂ですわよ。そんなことは風紀委員にでも……!」

 

 景元に同意しようとした小霧の動きが止まった。

 

「……いいえ、やっぱり風紀委員などには任せてはおけませんわね! わたくしたちで解決に導くべき案件でしょう」

 

「高島津……⁉」

 

「察しが良くて助かりますわ。葵様も宜しいですか?」

 

「ま、まあ二人がそう言うなら」

 

「若下野さん! 猫の捜索の件はどうするおつもりですか!」

 

「ああ、うん、そうだよね……」

 

「その点についてはご心配なく」

 

 爽が再び地図を広げてみせた。

 

「件の『喧嘩三昧の赤毛くん』もちょうどこの辺りでよくケンカに明け暮れているようです。『二兎を追うものは~』とは良く言いますが、今回はどちらかと言えば『一石二鳥』というやつではないでしょうか。如何でしょう、葵様?」

 

「ま、まあとりあえずその辺りの場所に行ってみようか」

 

 

 

 約十五分後、葵たちは大江戸城の北に位置する城下町に到着した。

 

「さて、ここからどうするんだ、伊達仁?」

 

「猫ちゃんの捜索は黒駆くんと大毛利くんにお任せします。問題児君とのコンタクトはわたくしたち三人が担当します」

 

「な、そこは逆じゃないのか⁉ 相当な問題児なのだろう?」

 

「猫ちゃんは狭い場所に入り込んでしまっている場合もありますから、御着物が汚れてしまうのも嫌ですし……まあ、それは半分冗談ですが」

 

 そう言って、爽は制服を少し翻してみせた。大江戸城学園の制服は、男子生徒はいわゆる詰襟の学生服であるが、女子生徒は比較的自由で、学園指定の紺色の袴さえ履いていれば、上に着る着物は、ほぼ生徒の自由の範疇なのである(勿論、学生らしく、派手過ぎず、華美過ぎず、という注意点はあるが)。お気に入りの着物を埃まみれにしたくないというのが半分本音であろう。ならば何故動きやすい服装に着替えて来なかったのかと思った景元だったが、その点で言い争っても無駄だと考え、話を戻した。

 

「その問題児の喧嘩に巻き込まれでもしたら危ないのではないか?」

 

「ご心配下さってありがとう。でも大丈夫無理はしませんわ、それにわたくしたち各々腕に覚えがありますので」

 

 景元は内心(確かにな)と思った。爽は合気道の達人として、小霧は剣道の有段者として、学園内にその名を知られた存在である。やや気がかりなのが葵だったが、薙刀のなかなかの使い手であるという話は景元も耳にしていた。彼は女性陣には見えないように軽く溜息を突いて、彼女たちの方に向き直った。

 

「承知した。ではなにかあったらお互いすぐに連絡を取り合うことにしよう。では、我々はまずあの辺りを探してみる。……何をしている、さっさと行くぞ、黒駆」

 

 警護対象である葵から離れるということに難色を示す秀吾郎の様子を見て、葵が彼に近づき、耳元でそっと囁いた。

 

「ここは男女で別れるのが自然な流れでしょ? あんまり私にベッタリだと御庭番だってバレちゃうわよ?」

 

「⁉ はっ、承知しました! 上様! 参りましょう! 大毛利様!」

 

 秀吾郎は踵を返し、景元の後を追った。

 

「背中に背負った忍者刀も何とかした方が良いのじゃないかしら?」

 

「本当に忍ぶ気ゼロですわね……」

 

 爽と小霧が呆れた表情を浮かべる。秀吾郎たちを見送った葵が二人の元に駆け寄る。

 

「それじゃあ私たちはどうする?」

 

「情報によると昨日も喧嘩をしたそうですわよ。まずはその辺りに行ってみますか?」

 

「お二人とも全く分かっていないですわね……」

 

 爽が静かに首を横に振った。

 

「ええっ⁉ どういうことサワっち?」

 

「何か手がかりでも掴んでいるのですか?」

 

「放課後……華の女子高生が三人も集まれば、向かうところはたった一つでしょう!」



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喧嘩三昧の赤毛くん

 数分後、葵たち三人は一軒の店の前に立っていた。店の名前には『甘味処 毘沙門カフェ』と書いてある。葵と小霧が訝しげな視線を爽に向ける。しかし、爽はその視線を意に介さず、店内に入る。二人も続いて店内に入った。そして、適当な丸テーブル席を三人で囲んで座る。小霧が爽に尋ねる。

 

「で? どういうことなのかしら?」

 

「どういうこととは?」

 

「このお店に入った理由ですわよ……」

 

「う~ん。パンケーキとホットコーヒーで」

 

「かしこまりました」

 

 テーブル近くに立つメイド服を着た女性が元気に答える。

 

「お二人はお決まりになられましたか?」

 

 爽は対面に座る二人にも見易いように、メニュー表をくるっと回転させた。

 

「……ガトーショコラ、アッサムティー」

 

「あ、ピーチパイとローズヒップティーでお願いします」

 

「かしこまりました。ご注文を繰り返させて頂きます~~それでは少々お待ち下さい」

 

 メイドが厨房の方に向かったのを見届けた後、爽が話を戻した。

 

「このお店は美味しいスイーツが揃っていると聞いたもので……」

 

「え⁉」

 

「それがこのお店に入った理由です」

 

「いや、問題児の捜索はどうなったんですの⁉」

 

「それは勿論いたしますわ。ただその前に女三人、ガールズトークに華を咲かせても罰は当たるまいと思いましてね……」

 

「何を悠長なことを!」

 

 小霧がテーブルをドンと叩く。それとほぼ同時に二人の女性が店内に入ってきた。

 

「何だか騒がしいですわね……このお店にしたのは失敗だったかしら?」

 

「で、ですがお嬢様、目撃情報はこのお店の近辺で最も多いものでして……」

 

 小霧の顔が険しいものになる。店内に入ってきた二人の女性の内の一人、五橋八千代は葵たちの席の近くを通りながら、彼女らを一瞥し、こう呟いた。

 

「いくら放課後の城下町と言えども、学園の生徒らしい振る舞いを期待したいところですわね。まあ、田舎大名のお家の方には難しいお話だったかしら?」

 

「何を……!」

 

 立ち上がりそうになった小霧の腕を隣の葵がぐっと掴んで堪えさせる。八千代はそんな様子に気付かぬ振りをしながら、葵に話し掛ける。

 

「若下野さん、何やら珍妙な同好会を立ち上げたようですが……例えば不良生徒の更生などは私たち風紀委員が責任を持って行っておりますので、くれぐれも余計なことは為さらないようにお願いしますね」

 

 葵も何か言い返してやろうかと思ったが、ここで揉めても何の得にもならないと判断し、無難な回答を選択した。

 

「う、うん。私たちは迷子の子猫ちゃんを探しに来ただけだから!」

 

「ぷっ、迷子の子猫探しですか? それは見つかると良いですわね。学園瓦版の三面記事位にはなるのじゃないかしら? では私たちは2階の予約席で優雅にティータイムを過ごさせて頂きます。ごきげんよう。行くわよ、憂」

 

 そう言って、八千代は2階に続く階段を上がって行った。憂は葵たちに軽く一礼をして、その後に続いて行った。

 

「くっ、一々癪に障る物言いをする女ですわね!」

 

 小霧が忌々しげに呟く。

 

「妙な話ですね……」

 

「妙……?」

 

 腕組みをした爽に対して葵が問いかける。

 

「同好会結成の話は今朝の朝一番に校内瓦版の編集部にお伝えました。おかげで紙、電子版ともに、比較的大きくそのニュースを扱って下さいました」

 

「だから高野さんも目安箱に投書してくれたんだよね」

 

「ええ、そうです。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「何故五橋さんはわたくしたちが不良生徒の更生に取り組んでいることをご存じだったのでしょうか? ほんの数十分前に決めたばかりの活動方針ですのに」

 

「そ、そう言われると確かに……」

 

「お待たせしました! ガトーショコラとアッサムティーの方―」

 

「あ、わたくしですわ」

 

 注文の料理が届き始めたことによって、爽と葵が抱いた疑念は霧消した。

 

 

 

「それで? 副クラス長の真の狙いは何なのかしら?」

 

「真の狙い?」

 

「全く白々しい……あの女にわざわざ嫌味を言われる為だけにこのお店を選んだ訳ではないでしょう?」

 

 ガトーショコラを8割ほど食べ終えた小霧がフォークを2階に指し示しながら、爽を問い正す。爽がフッと笑う。

 

「流石に誤魔化しきれませんでしたか」

 

「えっと、どういうこと?」

 

「例の『喧嘩三昧の赤毛くん』、このお店の前の大通りで喧嘩することが多いようで」

 

「えっ⁉ つまり今私たち張り込み中ってこと⁉」

 

「張り込みにしてはいささか呑気ですわね」

 

 そう言って、小霧はガトーショコラを食べ終えた。

 

「ちなみにこちらがその赤毛くんのデータになります」

 

 爽が自身の情報端末から問題児のデータを二人に見せる。葵は何故にそのようなデータを彼女が所持しているのかと少し気にはなったが、あえて聞かないことにした。

 

赤宿進之助(あかすきしんのすけ)……これはまたご立派な経歴で……」

 

「て、停学回数数十回⁉」

 

「これでよく二年生に進級できましたわね……ん? 顔写真が無いようですけど?」

 

「あら? 本当ですね。データの更新がされて無いのかしら……」

 

 爽が端末を確認した次の瞬間、店のドアガラスがド派手に割れた。突然のことに客は悲鳴を上げる。葵たちも流石に戸惑い気味にドア付近を慌てて覗き込む。そこには「モヒカン」と呼ばれる髪型をした大男が大の字になって倒れ込んでいた。その大男はやがてゆっくりと起き上がり、店の外へ向かって大声で叫んだ。

 

「猪口才な小僧め! 名を! 名を名乗れ!」

 

「赤宿、進之助だ‼」

 

 店外に立つ、学生服の上に半纏を纏った赤毛の凛々しい顔立ちの少年は高らかに答えた。

 

「……張り込み作戦大成功ですね」

 

 爽が冷静に呟いた。



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ヒャッハー

「決めたぜ、小僧……ぶっ潰してやる!」

 

 モヒカン頭が進之助に向かって突進する。

 

「はっ、返り討ちにしてやるぜ!」

 

 進之助が迎え撃とうとしたその時、

 

「喧嘩は駄目よ‼」

 

 葵が素早く二人の間に割って入った。カフェの店頭に立ててあった旗竿を薙刀代わりにして、二人を同時に牽制しようと試みた。予期せぬ乱入者の登場に一瞬戸惑ったモヒカン頭は突進を急停止させたが、すぐに気を取り戻した。

 

「邪魔だ! 女!」

 

 モヒカン頭はその丸太のような太い腕を勢いよく振りかぶり、進之助に向かって殴りかかった。進之助の前に立つ葵を巻き添えにしても構わないと言わんばかりだ。

 

「危ねぇ!」

 

 進之助が葵を抱きかかえるようにして、真横に飛んだ。二人は2、3回転程勢い良く転がった。モヒカン頭の渾身の攻撃は空を切り、そのままバランスを崩して倒れ込んだ。

 

「あ、ありがとう……!」

 

「いや……!」

 

 素直に感謝の言葉を口にした葵と、彼女の無事を確認した進之助だったが、お互いの顔が急接近していることに気付き、慌てて顔を離し、起き上がった。

 

「な、何なんだよ、おめぇは⁉」

 

 進之助が顔を赤らめながら、葵に問いかける。

 

「わ、私は貴方に喧嘩を止めさせようと……」

 

 葵も戸惑いながら自身の目的を告げる。

 

「無粋な真似は止めろい!」

 

「な……⁉」

 

 進之助の思わぬ発言に葵は面食らった。

 

「祭りと喧嘩はお江戸の華よ! その華をおめぇさんが摘み取ってしまうっていうのかい? そんな馬鹿げたことはあるめぇよ!」

 

「ば、馬鹿ですって~⁉ 私は貴方の為を思って……」

 

「そもそもどこの誰なんだよ、おめぇさんは⁉」

 

「わ、私は……」

 

「おい、赤毛小僧! 無視してんじゃねえぞ!」

 

 モヒカン頭が進之助に向かって叫ぶ。進之助もゆっくりと立ち上がり、自身より一回り大きい体格の男を睨み据える。

 

「そういやあ、てめぇ、さっきこの女に向かって殴りかかりやがったな……女に手を上げるたぁ、無粋の極みの下衆野郎だな」

 

「喧嘩売ってきたのはてめぇだろ!」

 

「てめぇのそれが出す騒音や排気ガスがこの通りの店や通行人に迷惑だと思ったからちょいと一言注意してやったんだよ」

 

 そう言って、進之助は路肩に止めてあったバイクを指差した。そのバイクはモヒカン頭の所有物のようだが、通常のバイクとは形状など大きく異なっている、いわゆる「改造バイク」であった。

 

「うるせぇ! 人の趣味にケチつけんじゃねぇ!」

 

「人様に迷惑掛けるのは粋じゃねえな……」

 

「黙りやがれ!」

 

 モヒカン頭が再び進之助に向かって殴りかかる。巨体に似合わず、素早い動きである。しかし、進之助は慌てる素振りを見せず、冷静にその一撃を躱してみせた。さらに避けざまに足を掛けて、モヒカン頭を転ばせた。

 

「ぐぉ! ぐぬぬ……」

 

 逆上したモヒカン頭が更に二度三度と進之助に殴りかかったが、対する進之助は先程と同じ要領で、向かってくる巨体を華麗にいなしてみせた。モヒカン頭は成す術もなく、地面に転がった。

 

「粋じゃねえ奴とはこれ以上喧嘩しねえよ……」

 

 そう言って、その場から颯爽と立ち去ろうとした進之助の前に、葵が両手を広げて立ち塞がった。

 

「ちょっと待って、赤宿進之助君。貴方に話があるの」

 

「だから誰なんだい、おめぇさんは? どうしてオイラの名前を知っていやがる?」

 

「私は将愉会会長の若下野葵よ!」

 

「は? しょうゆ会?」

 

 葵の発言に近くにいた爽と小霧が思わずずっこけそうになった。

 

「あ、葵様……」

 

「今日立ち上げたばかりの会の名前をおっしゃっても……」

 

「うん? 待てよ、おめぇさんの顔、どこかで見たような……」

 

 進之助が身を屈めて、葵の顔をマジマジと見つめる。

 

「ぐおおーー! 俺はもう完全にキレたぜ!」

 

 叫び声の先に振り返ると、モヒカン頭が改造バイクに跨り、エンジンを吹かしている。その右手にはバイクのカウルにでも隠していたのか、釘バットが握られている。

 

「覚悟しろや赤毛!」

 

 モヒカン頭がバイクの向きを変え、進之助たちのいる所に向かって、今にも突っ込んでこようとしている。

 

「ちっ、完全に逆上していやがる……おめぇさんたち! オイラから早く離れ……⁉」

 

 進之助は己の目を疑った。葵がモヒカン頭の前に自ら進み出ていったのだ。

 

「卑怯者‼」

 

「な、何だと……?」

 

「生身では到底叶わないからって、そうやって道具に頼る訳? 喧嘩だからって何をやっても良いと思っているの? 誇りもなにも無いのね……あなたには下衆野郎という言葉すら勿体ないわ、はっきり言ってそれ以下の屑よ!」

 

「こ、このアマ、言わせておけば……!」

 

 モヒカン頭が葵に向かってバイクを発進させた。

 

「危ねぇ!」

 

「葵様!」

 

「若下野さん!」

 

 進之助たちが口々に叫ぶ。しかし、葵は微動だにしない。流石のモヒカン頭もひるんだのか、バイクの進路を僅かにずらそうとした。そして次の瞬間、

 

「ぬおっ‼」

 

 モヒカン頭のバイクの前輪に何者かが投げた、カフェの旗竿が絡まったのだ。これにより車体のバランスを失ったバイクは乗り主であるモヒカン頭を振り落として、カフェへと突っ込んでいった。暫しの間の後、バイクから漏れたガソリンが何かに引火したのか、店内から火の手が上がった。

 

「火事だ!」

 

 周囲から驚きの声が上がる、火の回りは思っている以上に早く、あっという間に2階建てのカフェほぼ全体を包み込んでしまった。人々はパニック状態になりかけた。

 

「落ち着け!」

 

 進之助が大声を上げる。周りの皆の注目が彼に集まった。



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め組の人

「女子供は店から離れろ! 男衆は水を入れたバケツを持って集まってくれ! すぐに消火に当たる!」

 

「ちょっとお待ちになって! 貴方が指揮を執るんですの⁉」

 

「め組には通報しました! ここは彼らの到着を待つべきです!」

 

 小霧と爽が進之助の独断専行を諌めようとする。ちなみに「め組」とは江戸の町の消火に当たる町火消、いわゆる消防団のことである。元々「いろは四八」と言われ、町ごとに組が存在していたのだが、歌舞伎の題材に取り上げられるなど、何かと目立っていため組が今の時代は火消全体の通称になっていた。

 

「オイラもそのめ組の一員よ! まだ見習いだけどな!」

 

 進之助は懐疑的な目を向ける二人に対して勢い良く答えた。そしてカフェの店長の姿を見つけると、すぐさま駆け寄った。

 

「おい! アンタ店長さんか? 客や従業員は皆外に出たのか⁉」

 

「え、ええ……その筈です」

 

 店長はやや呆然としつつも、自らの周りにいる従業員数名の姿を確認しながら答えた。

 

「いいえ! 2階にお嬢様が! 八千代お嬢様がまだ……!」

 

 叫び声の主はカフェに来店していた有備憂だった。

 

「お嬢様?」

 

「五橋さんがまだ中に居るの⁉」

 

 進之助の脇から葵が声を掛けた。

 

「お、おめぇさんよぉ、火の粉が飛んでくるから危ねぇ、もっと退がってな!」

 

「2階のどの辺⁉」

 

「ま、窓側の席です……」

 

 憂が震えながら店の方を指し示す。

 

「あの辺りね、分かったわ!」

 

「いや、ちょ、ちょっと待ちねい! どうするつもりだ⁉」

 

 葵はバケツを持っていた男性の元に駆け寄った。

 

「ごめんなさい! それ貰います!」

 

「えっ⁉」

 

 葵は男性から半ば強引にバケツを取ると、頭から勢い良く水を被った。

 

「お、おいおい、まさか……」

 

「葵様⁉」

 

「ひょっとして……」

 

 進之助たちの予感は的中した。ずぶ濡れになった葵は躊躇せずにカフェの店内に飛び込んで行ったのである。

 

「お、おい! 無茶すんなって!」

 

 進之助の叫び声を背に受けながら、店内に入った葵はすぐさま階段の位置を確認した。煙がすでに店中を漂っている。煙を吸ってはいけない。葵はハンカチを口元に当てて、身を低くしつつ、階段を一段一段慎重に上っていった。2階に上がるとすぐさま窓側を確認した。そこでうつぶせで倒れ込んでいる八千代の姿を発見した。

 

「五橋さん!」

 

 すぐさま駆け寄る葵。八千代の体を仰向けにする。

 

「大丈夫⁉」

 

「うう……」

 

 2階の方はまだ煙は充満しているという程では無かったが、すでに煙をかなり吸い込んでしまったのか、八千代の意識は随分と朦朧としているようだった。

 

「肩を貸して! 外に出よう!」

 

 葵は八千代と肩を組んで立ち上がり、歩いて階段を降りようとした。しかし、そこで信じられない光景を目にした。

 

「⁉ 降りられない!」

 

 燃えた天井の一部が階段に落ちて、階段にも火が燃え広がってしまったのである。

 

(くっ! ならば非常階段は⁉)

 

 葵はまさか階段が一つだけではないだろうと考え、裏口の方に目をやった。成程、その考えは正しかったが、既に裏口の方にも火が広がっており、もはやとてもそちらに行けるような状態では無かった。

 

(で、出られない⁉ どうすればいいの?)

 

 ほとんど何の考えもなしに飛び込んできてしまった自分の浅はかさを呪った葵だったが、すぐにその考えを打ち消して、脱出する方法を探した。そして窓に目が行った。

 

(ここから飛び降りる⁉ でも五橋さんを抱えたままじゃ……。彼女を投げる? いいえ、私の力じゃ持ち上げられないわ。一体どうすれば……ん⁉ これは声……?)

 

 葵が犬の遠吠えのような声を認識したとほぼ同時に、進之助が2階の窓を突き破って入ってきた。

 

「あ、貴方、何をやっているの⁉」

 

「お、居たな! お嬢さまも一緒か」

 

 葵たちの姿を見つけると、進之助はニヤリと微笑んだ。

 

「あ、ありがとう! 助けに来てくれたのね! ……って、なんて恰好しているのよ⁉」

 

 そう言って、葵は思わず目を背けた。何故ならば進之助が褌一丁というあられもない姿だったからである。

 

「しょうがねえだろう、ロープが足りなかったから代わりに服を使ったんだよ」

 

「ロープ?」

 

「そこの斜め前のビルから電柱を支点に使って、振り子の要領でここまで飛んできたって寸法よ。へへっ、まるで講談の忍者にでもなった気分だったぜ」

 

 葵は割れた窓の外に目をやり、電柱に即席のロープが結ばれているのを確認した。

 

「理屈は分かったけど、よく電柱の上にロープを結べたわね……」

 

「ああ、登った」

 

「登った⁉」

 

「火消しってのはよ、高所での消火活動の機会も多いんだよ。あれくらい訳ねえよ」

 

「いや、簡単に言うけど……」

 

「んなことはどうでもいいんだよ。さっさとこっから飛び降りるぞ」

 

「そうね。じゃあ彼女のことをお願い」



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脱出

 葵は足取りがおぼつかない八千代を進之助に託そうとした。

 

「お前さん馬鹿か? 一緒に降りるんだよ」

 

「で、でも、どうやって?」

 

「こうやるんだよ!」

 

「きゃっ!」

 

 進之助は葵をおんぶする形を取り、相変わらず意識朦朧としている八千代は赤ん坊の様に抱え込むこととした。毛布が無かったため、まだ燃えていないテーブルクロスを何枚か重ねて代用することにした。葵は流石に不安げに進之助に問いかける。

 

「大丈夫なの? 女とはいえ二人を同時に抱えて飛び降りるなんて……」

 

「まさに火事場のくそ力って奴が見られるぜ。それよりもオイラの心配より自分の心配をしな。振り落されんように、オイラの背中にしっかりと捕まっておけよ」

 

「わ、分かったわ」

 

 葵は言われた通り進之助の背中にしっかりと捕まった。

 

(細身と思っていたけど、ガッシリとした体つきね……って私何を考えているのよ!)

 

「よし、行くぞ! 3,2,1、ハイ!」

 

進之助の掛け声とともに、三人は燃える店から飛び降りた。振り子の要領というが、向こうのビルの壁面にぶつかって、はいまたお店の方に~という訳にはいかないだろう。

 

「うおおぉぉぉ」

 

「で、どうするのよ、進之助⁉」

 

「何が?」

 

「このままだと壁と衝突でしょ⁉」

 

「あ~」

 

「って何も考えてないの⁉」

 

 ビル壁と正面衝突を覚悟した葵だったが、実際はもっと違った。流石に三人分の体重を抱えるとなると、十分な加速を得られず、ビル壁面とはぶつからず、やがてゆっくりと中央の電柱に絡まった。

 

「な? 大丈夫だったろ?」

 

「結果オーライってだけでしょ! 大体どうやって下に降りるのよ」

 

「まあ、その辺は自然に……なっ」

 

「自然にって……まさか!」

 

 葵が上の方に目をやると、即席ロープが三人の体重に耐えきれず、今にも千切れそうになっている。

 

「ちょ、ちょっとこのままじゃ……!」

 

「ロープが切れて下に落ちるな」

 

 振り向いてまたもニヤリと笑う進之助に対して、葵は怒りが湧いてきた。

 

「何をニヤニヤしているのよ! このままじゃ三人とも怪我するわよ!」

 

「まあまあ、そう慌てなさんな」

 

「これが慌てずにいれる⁉ ……あっ!」

 

 葵がもう一度上を向いた瞬間、即席ロープの寿命が切れた。数メートル程の高さとはいえ、三人とも怪我は免れないだろう。葵は覚悟を決め、目を閉じた次の瞬間、想像とは違う衝撃が彼女たちに伝わった。葵はゆっくりと目を開けると、そこには落下する三人を受け止めるモヒカン頭の巨漢の姿。

 

「緊急マッド役、ご苦労さん」

 

 進之助が軽口を叩く。そして事情をよく飲み込めていない葵に対して説明する。

 

「こいつ、店が燃え上がって、ようやく己のしでかしたことの重大さに気付いたみてえでな。何か自分に出来ることはないかって言いやがるから、即席ロープ用の服の供給と、緊急マッド役を任せたってわけさ」

 

 消防車両と救急車両が現場に到着した。

 

「ようやくおいでなすったか。じゃあこのお嬢さんを救急車に乗せてやらねえとな」

 

 進之助は赤子のように抱いていた八千代をあらためて抱き抱える。それはさながら「お姫さまだっこ」のような体勢だった。葵は若干面白くないと思った。その時何故そう思ったのかは自分でもよく分からなかった。進之助は救急隊員に八千代を預けた。救急隊員たちは迅速に救急車に八千代を乗せた。憂が心配そうな表情でその傍らに付き添っている様子が見えた。

 

「ま、まあ、今回は貴方には助けられたわ。どうもありがとう」

 

「礼には及ばねえよ。それより……」

 

「それより……何?」

 

「いい加減降りてくれねえかな……」

 

「あっ! ご、ごめんなさい……」

 

 葵は恥ずかしそうに進之助の背中から降りた。幾分間があったが、気を取り直して、葵は再び話を切り出した。

 

「赤宿進之助君。貴方に話があるの」

 

「あ~しょうゆ会だっけ、一体何の話なんでぇ?」

 

「私たちは貴方に喧嘩を止めさせようとして、今日ここまで来たの」

 

「このままですと、停学処分で済まなくなる時がきますよ」

 

 手元の端末を操りながら、爽が二人に近づいてきた。

 

「せっかく入った大江戸城学園。つまらない理由で辞めたくないでしょう?」

 

 爽の後ろにいた小霧も進之助に対して、声を掛ける。

 

「何だ、要は風紀委員の皆さんってことかい?」

 

「違います。我々は将愉会です」

 

「オイラも疲れているから、それはまあどっちでもいいや、ただ言っておくけど、オイラは別に学校を辞めることになってもいいんだ」

 

「えっ⁉」

 

「オイラの夢はあの人の様に立派な火消しになることだからよ。学校にそこまでこだわってねえんだよなぁ。だから、わざわざ来てもらって悪いけどよ。オイラは今までの生活態度ってものを改めるつもりはさらさらないぜ」

 

「そ、そんな……」

 

「あ~め組の先輩方の手伝いをしなくちゃならねえ。失礼させてもらうぜ」

 

 そう言って、進之助は消火活動を続けるめ組の元に駆け寄っていった。

 

「如何いたしますか葵様?」

 

「暖簾に腕押しって感じでしたわね……」

 

「……今日の所は出直そう」



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心に火を付けて

 そして翌日の放課後……。将愉会の面々は2年と組の教室に集まっていた。

 

「まあ、そうそう毎日依頼があるわけじゃないか……」

 

 各所の目安箱を回ってきた小霧と爽からの報告を受けた葵は教卓に頬杖をついて寄りかかりながら静かに呟く。

 

「地道にやっていく他ありませんね」

 

「それにしても……黒駆君、今日は一体どうしちゃったんですの?」

 

 俯き加減で何やらブツブツと呟いている秀吾郎に代わって景元が答える。

 

「まあ察するに、昨日の若下野さんの危機の際にお側についていることが出来なかった自らを責めているようだな」

 

「葵様、何か言葉を掛けてあげて下さい」

 

「秀吾郎、猫ちゃんは貴方が見つけたんでしょ? 凄いお手柄じゃない。だからそんなに自分を責めないで」

 

「は、はい!」

 

 秀吾郎は目を輝かせて答えた。

 

「探したぜ、しょうゆ会」

 

 一同は声のした教室の入り口に振り返った。そこには制服の上に相変わらず半纏を纏った、赤宿進之助の姿があった。

 

「あ、貴方は……!」

 

「学校に来たんですの⁉」

 

 爽と小霧が驚きの声を上げる。進之助は恥ずかしそうに片手で頭を掻きながら答えた。

 

「ま、まあ、偉そうなこと言っておいて学費はお袋に出してもらっているからな。辞めるってなったらお袋が悲しむことになるしよ。それにめ組の親分にも『半端もんはウチにはいらねえぞ!』って脅かされるし……」

 

「噂の赤宿進之助か……実物を見たのは初めてかもしれん……」

 

景元が変に感心したように呟く。

 

「若下野さん! これは快挙ですわ! 風紀委員ですら手を焼いていた、あの超問題児を登校させたんですから! 将愉会の手柄として高らかに喧伝しましょう!」

 

「お、落ち着いて……別に私たちのお陰って訳ではないでしょ……」

 

「そうだな、ちょいと違うな」

 

 そう言って、進之助はズカズカと教壇の方に向かってきて、葵と向かいあった。彼女が教壇に乗っているため、二人の目線はちょうど同じ位の高さになっていた。あらゆる意味で危険を感じた秀吾郎がそこに割って入ろうとするが、葵が手でそれを制する。

 

「違うっていうのは……?」

 

「お前さんたちじゃなくて、お前さんだ」

 

「わ、私?」

 

「そうだ、お前さんの昨日のモヒカン野郎にきった啖呵、そして人命救助の為に見せた躊躇いのない行動……あの一連の言動が、オイラの心に火を付けちまったみてぇだ……」

 

「え、えっと……?」

 

「つまりだ、その……オイラの心の中に燃えさかるこの炎は、簡単には消火出来ねぇってことだよ!」

 

 進之助のこの発言に爽と景元は目を丸くした。秀吾郎はすぐさま二人の距離を引き離そうとしたが、小霧に文字通り首根っこを抑えられ、動くことが出来なかった。皆の視線が葵に集まる。だが……

 

「……ちょっと何言ってるか分かんない」

 

 葵の気の抜けた返事に皆ガクッとなった。

 

「い、いや分かんねぇって何だよそりゃ!」

 

「立派な火消しを目指しているんでしょう? そんな火、パパッと消しちゃいなさいよ」

 

「いや、この火は消す訳には行かねえんだよ!」

 

「ますます訳分かんないわね……」

 

「だ、だから! ……まあいいや今日の所は……」

 

 進之助は軽く溜息を突いた。そして気を取り直して、一同に向かってこう告げた。

 

「それで……お前さんたちのしょうゆ会、チラシを見たけど会員募集中なんだろ?」

 

「ええ、絶賛募集中です」

 

 爽が眼鏡を直しながら答えた。

 

「オイラが入ってやってもいいぜ。め組の活動とか他にも色々やることあるから完全に活動に専念出来るってわけにはいかねえけどよ……力仕事とかなら役に立てるだろ」

 

「雑用等は自分がやるから必要ない。故に君の入会はことわ……むお⁉」

 

「本当⁉ 助かるよ!」

 

 割って入ってきた秀吾郎の横顔を押さえつけながら葵がにこやかに答える。

 

「あ、ああ。まあ、気軽に声掛けてくれや」

 

「分かった! これからよろしくね! 進之助!」

 

「お、おう。じゃあ今日はこの辺で失礼するぜ」

 

 進之助は若干顔を赤らめながら、足早に教室を出て行った。

 

「何か顔ちょっと赤かったけどどうしたんだろうね? 風邪かな?」

 

 あっけらかんとする葵を見て、小霧がやや呆れながら爽に囁く。

 

「若下野さん……御自分のことは鈍いようですわね……」

 

「まあ何はともあれ、賑やかになるのは良いことです……」



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描かない絵師

                     肆

 

「お悩み相談……?」

 

「ええ、幾分生徒個々のパーソナルな部分に踏み込むことになるかとは思いますが、いきなり大きなことを行うよりも小さなこと、細かいことの相談に乗ってあげるのが良いかと思われます」

 

「うんうん」

 

「まあ、小さい、細かいというのは些か言い方が悪いかもしれません。それぞれにとっては大きな問題でしょうしね。要は将愉会という会が、生徒に寄り添う会であるということを前面にアピールすることが出来ればと思いまして……」

 

「分かった。そういうことなら『学園生活のこと、何でも気軽にご相談下さい』って文言をサイトに加えてもらって構わないよ」

 

「分かりました。ではそのようにすすめます」

 

 葵からの了承を得た爽は自分の座席に戻った。サイトとは、爽が立ち上げた『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』のウェブサイトである。学内ネットの瓦版や、各掲示板に張り出したチラシだけでは会の宣伝が不十分ではないかという話になり、サイトを立ち上げることとなった。

 

「超のつく問題児、赤宿進之助をまともに登校させるということに将愉会が関わっていたということはそれなりの宣伝材料になったかと思ったが、やはりまだまだ地道な宣伝活動は欠かせないか」

 

「そうですね、毎日そうそう依頼があるという訳でもありませんし……」

 

景元の何気ない呟きに、情報端末を手際良く操作しながら爽が反応した。

 

「わたくしとしては、活動の拠点となる場所が欲しいですわね。教室での活動というのもやや味気ないですし。若下野さんもそう思いませんこと?」

 

「ああ、まあ正直それは少し思うかな」

 

 小霧の問いかけに葵は苦笑気味に答えた。

 

「……一応、学園の方にも掛け合ってみましたが、空いている教室は今の所無いようですね。ただ、当てはない訳ではないのでその点に関してはもう少しお待ち下さい」

 

「サワっち、当てがあるんだ?」

 

「過度の期待はしないで頂きたい所ではありますが……」

 

 爽は片手で眼鏡を直しながら、葵に返事した。そこに秀吾郎が戻ってきた。

 

「只今戻りました」

 

「ご苦労さま。本日は何かご依頼はあった?」

 

「……一通ありました」

 

 秀吾郎が折りたたまれた紙を掲げた。

 

「お、どれどれ見せて」

 

葵は秀吾郎から受け取った紙を広げ、その内容に目を通す。

 

「う、う~ん」

 

「如何しました? どのような内容でしたか?」

 

 爽が葵に問いかける。葵は紙を彼女に手渡す。

 

「これは……」

 

「それも個人的なお悩み相談……なのかな?」

 

 葵は首を傾げる。

 

 

 

 約十分後、葵と爽と小霧の三人は美術室に来ていた。

 

「ま、まさか上様にわざわざご足労頂くとは……」

 

「いや、全然大丈夫ですからそんなにお気になさらず。本題に入りましょう」

 

 ひたすら恐縮しきりの男子生徒を葵が落ち着かせる。話が前に進まないためだ。ようやく落ち着いたところを見計らって、爽が切り出す。

 

「では美術部部長、三年生の川村さん……改めて御相談の内容をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか?」

 

「は、はい……『描かない絵師に絵を描かせて欲しい』のです!」

 

 懇願するような川村の物言いに小霧が訝しげな視線を送りながら答える。

 

「それは我が学園に関係のあることなんですの?」

 

「え、ええ! それは勿論です!」

 

「この学園で絵師というと……この方のことですか?」

 

 爽が端末を操作し、ある男子生徒の画像を表示する。橙色の髪の色をした派手な男である。学園の登録データ用写真の為か、一応制服を着て映ってはいるが、不遜な雰囲気は隠し切れてはいない。

 

「そ、そうです! 彼です!」

 

橙谷弾七(とうやだんしち)……三年へ組。『天才高校生浮世絵師』として、数年前華々しく画壇にデビューし、この数年間で多くの傑作を世に送り出しました。例えば……こちらの『山手線三十景』などの風景画や、『涼紫獅源』など役者絵が有名ですね」

 

 端末を葵たちに見せながら、爽が簡単に説明を加える。

 

「うわぁ、当たり前だけどすごく上手だね。色使いも大胆かつ繊細というか……このアキバのメイドさんの浮世絵は私も見たことあるよ。」

 

「そういえばこの学園の生徒でしたわね。……でも話をよく聞いたのはわたくしが中等部の頃だったかと思うのですが?」

 

「今年で三年生三年目……所謂「トリプる」ってやつですね」

 

「二年後輩の僕が同級生になっちゃいました……ははは……」

 

「というか部活に入っていたんですのね。少々意外でしたわ」

 

「部の宣伝になるということで当時の部長が熱心に勧誘したと聞いています」

 

「『描かない』というのは……?」



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尋ね人は二階に

「ここ1年程でしょうか……全く新作を発表されていないんです」

 

 葵の問いに川村が肩を落としながら答える。爽が尋ねる。

 

「こう言ってはなんですが……何か不都合なことが? 部に所属しているとはいえ、描く、描かないは個人の自由の範囲内かと思うのですが?」

 

「勝手な言い分と言えばそれまでなんですが……」

 

 川村は躊躇いつつも、言葉を続ける。

 

「橙谷さんも美術部員の一人である以上、部長の僕にも様々なプレッシャーがかかってくるんです! 部内の雰囲気が悪いから新作が描けないんじゃないかとか、彼の才能に皆で嫉妬して、新作発表の妨害を行っているんじゃないかとか……もう目茶苦茶好き勝手に言われて……ほとほと参っているんです。彼、実質幽霊部員なのに……」

 

「内情も碌に知らずに、外野は好き勝手言うものですわね」

 

「希代の天才浮世絵師ともなれば、周囲の注目度も自ずと高くなるものでしょう」

 

「彼の類まれなる才能については勿論誰もが一目置いています。それは重々理解しているつもりです! しかし、これ以上僕自身や、他の部員の活動の妨げになるのは甚だ迷惑なんです。静かで集中した美術部ライフを送りたいんです! その為に!」

 

「……その為に?」

 

テンションの上がった川村に対し、恐る恐る葵が尋ねる。川村はテンションを保ったまま答えた。

 

「橙谷さんに新作を描いてもらうこと! それが唯一の解決策であると思いますが、如何でしょうか?」

 

やや川村の落ち着きが戻ったところで、改めて話し合いを続けた。

 

「まあ、その橙谷さんに会ってみようか」

 

「そうなりますわね」

 

「学校にはもう居ないようですね。どこか行きそうな場所はご存知ですか?」

 

「学園の北東にあるこの茶屋にはよく出入りしているようです」

 

 爽の指し示した地図の一点を川村が指差した。

 

「どうもありがとう。それじゃあ行ってみようか」

 

「あ、あの……女性だけで行かれるんですか?」

 

「? ええ、そのつもりですが」

 

「そ、そうですか、ではお気をつけて……」

 

「穏やかな話じゃないようですわね?」

 

 口籠ってしまった川村を尻目に、葵たちは美術室を後にした。

 

「何やら気になりますわね、女だけだと何か問題があるのでしょうか?」

 

「何も取って食われるってわけじゃないだろうし……兎に角行ってみようよ」

 

「まあ、保険は掛けておくに越したことはないでしょう……」

 

「何ブツブツ言っているのサワっち? 置いていくよ?」

 

「ええ、すみません。今参ります」

 

 十数分後、三人は問題の茶屋にたどり着いた。古民家を改造したような造りで、純和風の茶屋である。建物は二階建てである。二階から何やら嬌声が聞こえてくる。

 

「三名で」

 

 階段近くの席に通された葵たちだが、より二階からの騒ぎ声が耳に入ってくる。怪訝な様子を見せる葵たちを見て、応対した店員がややバツの悪そうな顔をみせる。

 

「すみません、少し上のお客様が盛り上がっていらっしゃるようで……」

 

「これが少し? 下の階にまで響いてきていますわ。貴女注意なさったら?」

 

「い、いや、私からはちょっと……」

 

 小霧の指摘に店員が困った表情を浮かべる。爽が助け舟を出す。

 

「注意するのは憚られる……余程のお得意様なのですか?」

 

「そ、そうなんです! ですからご容赦お願いします、すみません……」

 

 しかし、二階の盛り上がりは一向に治まりそうにもない。

 

「容赦というにも限度というものが……」

 

「まあまあ、さぎりん、店員さんも困っているし……」

 

「例えばここが居酒屋などであれば、わたくしも何も言いませんわ。でも、ここは茶屋なのでしょう? 雰囲気というものも大切になってくるでしょう?」

 

「白玉あんみつと抹茶ラテをお願いします」

 

「伊達仁さん……」

 

「まあ、腹が減っては何とやらです。とりあえずスイーツを楽しみましょう」

 

 マイペースな爽の空気に流されて、葵たちも一応注文を済ませた。疲れてきたのか、二階の騒ぎも些かではあるが落ち着いてきた。小霧も怒りの矛を一旦収め、素直に食事を楽しむこととした。食事もひと段落ついた頃になると、また二階が騒がしくなってきた。

 

「また……! ちょっとわたくしが注意してきますわ!」

 

「ちょっとお待ち下さい。高島津さん」

 

 食事中から何やら操作していた端末を確認しながら、爽が小霧を制止する。

 

「何を待つのですか⁉」

 

「さっきの店員さんに確認したいことがあります。……すみません、宜しいですか?」

 

 爽が先程の店員を席に呼び出した。

 

「如何しましたでしょうか?」

 

「二階のお客さんにご挨拶したいのですが」

 

「い、いや、それはちょっと……」

 

「ご心配なく。別に揉め事を起こそうという訳ではありません。ただ、我々は元々二階のこの方に用事があって尋ねてきたのです」

 

 そう言って、爽が端末を店員に見せる。そこに映った画像を見て、葵たちも驚く。

 

「この人……!」

 

「橙谷弾七! もう来ていたんですの⁉」

 

 葵たちは再び二階に耳を澄ませる。すると、複数の女の嬌声に混じって、男の話す声も聴こえてきた。

 

「あ、男の人の声もする!」

 

「気付いていらしたのね……」



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橙の痴態

「お得意さまというよりは……二階はあの方専用のようなものなのですか?」

 

「そ、そうですね。そういう感じです……」

 

「せ、専用ってすごいね」

 

「差支えなければどういった経緯でそうなったのか教えて頂けませんか?」

 

 爽の問いに店員が答える。

 

「え、えっと、私が聞いた話だと、この店のオーナーが大の浮世絵好きでして、橙谷さんの才能に惚れ込んで、二階をほぼ丸ごと貸し出しているんです。半分あの方の仕事場のようなものになっています」

 

「ふむ……出資者、パトロンのようなものですか」

 

「まあなんでも良いですわ。ちょうどいらっしゃるのなら早速ご挨拶に参りましょう」

 

「い、いえ、ですから! それはちょっと困ります!」

 

「何が困るのですか?」

 

「橙谷さんの許可を得ていない人は例えこの店の関係者であっても自由に二階に上がることは出来ないんです!」

 

 立ち上がって階段へ向かおうとした小霧の行く手を店員が両手を広げて阻む。

 

「ならば押し通るまでですわ」

 

「こ、困ります!」

 

「ち、ちょっと、さぎりん!」

 

「まあまあ、ここは一つ穏便に……」

 

 揉み合いになった小霧と店員を宥めるような口調で爽がゆっくりと立ち上がった。

 

「店員さん、先程も申し上げましたが、揉め事を起こす気はありません。我々を二階に上がらせてはもらえないでしょうか?」

 

「で、ですから私一人の判断ではどうすることも……!」

 

「工藤菊乃さん……」

 

「え、何で私の名前を⁉ あ……」

 

 突然フルネームで呼ばれた店員は驚きながら、思わずエプロンの左胸に付けていた名札を隠すようにおさえた。爽は店員の耳元で何かを囁く。店員は驚いた顔で爽を見た。

 

「⁉ な、何故それを⁉」

 

「二階、上がっても宜しいですか?」

 

「~~! ど、どうぞ……」

 

 店員は慌てたように階段への道を開けた。小霧が不思議そうに爽に尋ねる。

 

「一体何を言ったんですの?」

 

「まあそれは乙女の秘密ということで……」

 

「よ、よくそんな秘密を知っていたね。初めて会ったんじゃないの?」

 

「勿論初対面です。先程名札を確認させて頂いて、食事中にちょっと調べて貰いました」

 

「調べて貰った? 誰にですの?」

 

「黒駆くんです。流石の情報網と言いますか、少し引いてしまいますね」

 

「あー……」

 

 葵は自身の部屋の天井裏に忍び込んでいた秀吾郎の様子を思い出して、何とも言えない表情を浮かべた。三人は二階に上がった。二階には一階と違っていくつかの部屋があった。騒ぎ声は一番奥の部屋から聞こえてくるようだった。

 

「奥の部屋に居るようですね。さて、どうしますか、高島津さん?」

 

「え? い、いやわたくしに振られても……」

 

 いざとなるとやや尻込みした様子の小霧を横目に、葵がスタスタと廊下を奥へと進んでいった。

 

「葵様⁉」

 

「若下野さん⁉」

 

 驚く二人には構わず、葵は一番奥の部屋の襖をガラリと勢い良く開いた。騒ぎ声が一瞬で静まった。一方、部屋の様子を見て、葵は固まった。葵に追いついた爽たちも、部屋の中を確認し、絶句した。そこには二人の女性に馬乗りにされ、四つん這いの状態で部屋を這い回る、『天才浮世絵師』橙谷弾七の姿があったからだ。

 

「へ、変態だー‼」

 

 暫しの沈黙の後、葵が絶叫する。

 

「変態ですわね」

 

「まごうことなき変態さんですね」

 

 後からついてきた二人も迷わず葵に同調した。

 

「……いきなりと随分なご挨拶じゃねえか」

 

 ド派手な着物を上半身はだけさせた、弾七らしき男が四つん這いの状態のまま、気取りながら答える。

 

「俺様のどこが変態なんだ?」

 

「いや! もう何というか、服装、体勢、状況、何もかもがよ!」

 

 葵が部屋中を指差す。



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大天才の悩み

「ち……おいお前ら降りろ、今日はもう帰れ。」

 

「え~そんな~」

 

「弾ちゃん冷たい~今日は一日遊ぶって言ってたのに~」

 

 馬乗りになっていた二人の女の子が不満気な声を上げる。

 

「なんだか興が醒めちまった……いいから帰りな」

 

 男の声色が少し厳しいものに変わったことを察した女の子たちはそれから何も言わずに、そそくさと帰り支度を整えて、部屋から出て行こうとした。しかしその前に四つん這いの状態からゆっくりと胡坐をかくような体勢になった男の元にさっと近づき、何やら品を作っている。

 

「良い娘だ」

 

ふっと笑顔になった男は女の子たちの頭をそっと撫でてやり、それぞれの頬に口づけをしてやった。

 

「は、破廉恥ですわ……」

 

小霧が信じられないといった様子で呟く。そんな彼女をよそに女の子たちは幾分機嫌を取り戻した様子で部屋から出て行った。それから男は改めて部屋の入り口に立つ、葵たちのことをじっと仰ぎ見る。先程の四つん這いで部屋を這い回っていた時の情けないヘラヘラ顔とは打って変わって、真剣な、どこか冷たさを感じさせるような、厳しい目つきである。爽もやや戸惑いつつ、尋ねる。

 

「貴方が『天才浮世絵師』橙谷弾七さんですね?」

 

「違うな」

 

「違う?」

 

「『大天才浮世絵師』だ、そこん所間違ってもらっちゃあ困る」

 

「それは失礼……」

 

「ところでアンタらはどちらさんなんだい。俺様の許可なしにこの二階には上がってこられないはずなんだが」

 

「私たちは『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』です!」

 

 葵の自信満々な返答に、弾七はやや唖然とした。しかし、すぐさま平静さを取り戻して、そっけなく返答した。

 

「……いや、悪いが知らねえなぁ」

 

「やっぱり知名度はまだまだかぁ……」

 

 葵はガックリと肩を落とす。

 

「制服から判断するに学園の生徒だな、風紀委員かい?」

 

「ち、違います!」

 

「なら話はここまでだな、さっさと帰ってくんな」

 

「な、何故そうなるんですか⁉」

 

「風紀委員なら出席日数が足りないだとか、具体的な話し合いの材料をなにかしら持ってくるだろう。俺様も正直そろそろ卒業について考えているからな。だから、そういう訳ではないアンタらと話すつもりはねぇ」

 

「ち、ちょっと待って!」

 

 背中を向けてごろ寝の体勢に入ろうとした弾七に葵が食い下がる。

 

「貴方に無くても、私たちにはお話があります!」

 

「……なんだよ、お話ってのは?」

 

 弾七は寝転がって頬杖を突きながら首だけを葵の方に向けて尋ねる。

 

「なぜ『新作を描かない』んですか?」

 

「短刀直入だな」

 

 弾七は葵の率直な物言いに思わず苦笑した。

 

「今は別に締め切りがある仕事を引き受けている訳じゃない、俺様がいつ描こうが俺様の勝手だろ」

 

 そう言って、弾七は葵から視線を逸らした。爽が横から口を挟む。

 

「それでは質問の答えになっていませんね。葵様は『なぜ新作を描かないのか?』とお尋ねしているのです」

 

「答える義務は無いな」

 

「妙にカッコつけてらっしゃっていますけど、要はアレなのではないですか? 所謂『スランプ』状態に陥っていらっしゃるんじゃないかしら?」

 

「違うな」

 

 小霧のやや意地の悪い指摘を弾七は即座に否定した。

 

「そんなものは凡人が陥るもんだ。大天才たる俺様はそんな下らない次元にはいねぇ」

 

「ではどういった次元にいらっしゃるのですか?」

 

 爽の問いに一瞬間を置いて、弾七は答えた。

 

「さっき『描かない』って言ったな? それは『新しい絵が描けない』って意味で聞いているのかもしれないが、そうじゃない、俺様はあえて『描かない』んだよ。分かるか?」

 

「……どうしましょう、伊達仁さん。さっぱり分かりませんわ」

 

「ご心配なく。わたくしも同じ気持ちです」

 

「か~! 分からねえかなぁ!」

 

 弾七は体を起こし、胡坐をかいた状態で葵たちの方に向き直る。

 

「あえて……というのは?」

 

「描こうと思えば描けんのさ、十枚でも百枚でも。ただ、俺様はもうそういう段階で満足出来ねえんだよ」

 

「満足出来ない?」

 

「そうだ……創作意欲が湧かないとでも言えば良いのかね」

 

 弾七の答えを聞いた爽と小霧がヒソヒソ声で話す。

 

「いやだから、それが『スランプ』というものではないんですの?」

 

「自尊心の高さ故か、並みの人間と一緒の思考回路では我慢ならないのでしょうね……」

 

「厄介極まりないですわね……」

 

「創作に於いては“意欲”と“情熱”! このどちらかが欠けていては、良い作品作りなんて到底出来ねえよ」

 

 弾七は大袈裟に両手を広げてみせる。爽はどうしたものかと腕を組む。ふと葵の方を見てみると、葵は何やら自身の端末を操作していた。

 

「葵様? 何をご覧になっているのですか?」

 

「……こういうのを見つけたんだけどさ」

 

 葵は端末の画面を弾七に見せる。



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才能

「……なんだよ、これは」

 

「貴方のファンが集まるサイト。貴方の作品について色々と熱く語りあっている。中でも新作を心待ちにしている書き込みがとても多い」

 

「……それがどうした?」

 

「貴方が新作を発表しなくなってから一年半ほど経つというのにも関わらすこの熱狂ぶり……。貴方には『描く』ことが求められている」

 

「こういう生業だ。ファンというものを蔑ろにして良いとは思っちゃいないさ。ただ、さっきも言ったように締め切りがある訳じゃない、そういった求めに応じるか応じないかは俺様が決めることだ」

 

「……貴方にはもの凄い才能がある。それは素人の私にもはっきりと分かる。ただ、貴方は大事なことを分かっていない」

 

「大事なこと?」

 

 弾七が怪訝な表情を浮かべる。

 

「そう。類まれなる才能を持って生まれたものは、その才能を発揮する責務がある! その才能を黙って腐らせることは決して許されない!」

 

 葵の突然の大声にやや面食らった弾七だったが、すぐに落ち着きを取り戻して、冷静に反論する。

 

「それは暴論だな。人は才能を持って生まれてくるかどうかを選ぶことは出来ない。そして仮に才能を持って生まれたとして、その才能をどう生かすかもそいつの自由のはずだ」

 

「貴方の才能を求めている人が大勢いるのに? または才能を発揮しないことで困っている人がいるのに? 少々酷な言い方かもしれないけど、人気浮世絵師という立場になった時点で、貴方には自由気ままに生きることよりも優先すべき責務が生じている!」

 

「……」

 

「全て鑑賞した訳じゃないし、正直チラッと見かけたレベルだけど、私も貴方の描いた絵を見て魅了された内の一人。凄く印象的だったもの。そういう才能、力を持った人はそうはいない。そして見た所、今現在貴方の活動を阻害する外的要因は何も見当たらない。それならば新作を描くべきよ!」

 

「追い討ちを掛けてくるな……」

 

 弾七は苦笑して、葵から再び目を逸らした。

 

「初対面の男に対しても物怖じしないその物言い……流石は将軍さまってところか」

 

「知っていたの?」

 

「思い出した。いくら浮世離れしていても、女子高生が将軍即位なんてニュースは目に入ってくる。それにその意志の強そうな眼差し……嫌いじゃないからな」

 

「えっ……」

 

「繰り返しになるが、今の俺様には創作活動に最も必要な“意欲”と“情熱”が欠けている有様だ。こんな状態で無理して描き上げても不本意なものにしかならねえよ」

 

 弾七はそう言って、葵たちから体ごとそっぽを向いた。

 

「……どうすれば良い?」

 

「なに?」

 

「貴方にかってあったであろう“意欲”と“情熱”を取り戻してもらうには一体どうすれば良いのかな?」

 

「……敢えて自己分析するなら……“マンネリ気味”ってことだろうな」

 

 顎に手をやりながら弾七は答えた。

 

「マンネリ?」

 

「そうだ、今振り返ってみると、毎度毎度同じような絵を描いているような感覚に囚われちまって、一種の閉塞状態に陥ってしまったように感じる」

 

「だからそれが『スランプ』……」

 

「高島津さん、少し状況の推移を見てみましょう」

 

 話に横やりを入れようとする小霧を爽が制する。少しの間を置いて葵が口を開く。

 

「なんだ、それじゃあ話は簡単だね」

 

「は?」

 

 弾七が戸惑った顔で葵を見る。

 

「何か新しいことに挑戦してみれば良いんだよ」

 

「新しいこと?」

 

「そう、また素人意見で恐縮だけど、浮世絵にも色々なジャンルがあるんでしょ? 今まで描いてこなかった題材を取り上げてみるのはどうかな?」

 

「簡単に言ってくれるけどよ……」

 

「私たちに出来ることなら協力は惜しまないよ」

 

 葵の発言を聞き、弾七の目の色が変わった。

 

「ほう……協力してくれるっていうのか?」

 

「うん」

 

「そうか。それなら……」

 

 弾七が再び葵たちの方に向き直る。

 

「絵のモデルになってくれ」

 

「モデル? 良いよ」

 

「即答かよ……本当に良いんだな?」

 

「うん。将軍に二言は無いよ」

 

「葵様……思い切りが良すぎます……」

 

「じゃあ、アンタたちもやってくれるんだな?」

 

弾七が爽と小霧に問いかける。

 

「ちょっと若下野さん⁉ わたくしたちまでやるのですか⁉ わたくしは嫌ですわ!」

 

「……浮世絵には『美人画』ってジャンルがある」

 

「え?」

 

「前々から描いてみたいと漠然と考えてはいたんだ。そこにアンタたちのような美人が三人もやってきた。これはもう運命みたいなもんだ。モデルお願い出来ねえか?」

 

「絶世の美人だなんてそんな本当のことを……それに運命とまで言われてしまっては……わたくしも伊達仁さんも断る理由はありませんわ」

 

「よし、決まりだな」

 

「いや、巻き込まないで頂けますか⁉」

 

 思わぬ流れに冷静な爽も流石に狼狽えた。

 

「……じゃあ、三人とも生まれたままの姿になってくれ」

 

「「「は、はあああっ⁉」」」

 

 弾七の突拍子もない提案に葵たちは一斉に戸惑いの声を上げた。



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肉体美

「な、な、何故そのようなことをしなければいけないんですの⁉」

 

「いや、モデルをやってくれんだろ?」

 

「確かにそうは言ったけどさ、そ、その……」

 

「ヌードになる必要性が全く感じられませんが」

 

 言いよどむ葵に代わって、爽がはっきりと拒絶の意を示した。

 

「俺様は人間ってのは一糸まとわぬ姿ってのが一番美しく、かつ尊いものだと思うんだ。しかもそれが美人三人のその姿って言うなら、これ以上刺激的……もとい、芸術的な題材は無いと言ってもいい」

 

「い、いや、そうは言っても……」

 

「さっき協力は惜しまないって言ったよな?」

 

「た、確かに言ったけど……」

 

「将軍に二言は無いんだろ?」

 

「ううっ……」

 

 弾七はスッと立ち上がった。爽より頭一つほど大きくそれなりの長身である。そしてはだけた着物を直し、姿勢を正して、葵たちに頭を下げた。

 

「新境地を開拓出来るきっかけになると思うんだ、だから頼む! 力を貸してくれ!」

 

「そんな……頭を下げられても無理なものは無理ですわよねえ、お二人とも?」

 

 小霧が葵たちの様子を伺う。葵も戸惑いがちな表情だったが、突如ハッとして隣の爽を見る。爽は黙って頷いた。正面に向き直った葵は弾七に告げる。

 

「……分かった。力を貸すよ」

 

「本当か⁉」

 

「ち、ちょっと若下野さん⁉」

 

「ただ、ここでその……裸になるのは少し恥ずかしいから、隣の部屋を借りても良い?」

 

「あ、ああ、もちろん良いぜ! じゃあ準備をして待っている!」

 

「うん。じゃあ待っててね~」

 

「ちょ、若下野さん⁉ 正気ですか⁉ って伊達仁さん! 押さないで下さる⁉」

 

 三人は隣の部屋へと移った。

 

「何事も言ってみるもんだな……」

 

 弾七はそう言いながら自然と笑みがこぼれてくるのを手で押さえつけた。

 

「いやいや、これはあくまでも芸術の為だ、けして邪な気持ちなんかじゃねえ」

 

 そう弾七は自らに言い聞かせながら、作業の準備に入った。そして十数分程時間が経った。弾七は流石に奇妙に思った。いくら何でも時間がかかり過ぎなのではないかと。しかし、ここで急かすような真似をしたら、葵たちの気が変わってしまうかもしれない。それだけはなんとしても避けたい。弾七にはより慎重な対応が求められてくる。どうしたものかと思案を巡らせていると、葵たちから声が掛かった。

 

「お待たせ~♪ 準備出来たよ~そっちはどう?」

 

「あ、ああ! 準備万端だ、いつでも良いぜ!」

 

「それでちょっとお願いがあるんだけど……私たちが良いよって言うまで目を閉じていてくれる? まだ恥ずかしいから……」

 

「? ああ、分かった」

 

 弾七は素直に目を閉じた。葵が尋ねる。

 

「本当に閉じた?」

 

「閉じたよ」

 

やがて隣の部屋の襖が開き、葵たちが部屋に入ってくる足音がする。弾七は内心、必死に芸術の為だと己に言い聞かせるが、やはりどうしても煩悩が頭をもたげてくる。再びニヤツキそうになる口元を手できつく抑えつける。そして、葵から待望の一言が飛び出た。

 

「はい! 良いよ~目を開けて」

 

「おおっ! ……おおおおおおんんんー⁉」

 

 目を開いた弾七は、自らの眼前に広がった光景に驚きを隠せなかった。そこにいたのがきれいな柔肌をした美女三人ではなく、筋骨隆々とした褌一丁の漢たちの姿だったからである。しばし呆然とした後、弾七は当然の疑問を発した。

 

「お、男じゃねーか! ってか誰なんだよ、こいつら!」

 

「オイラは赤宿進之助だ」

 

「自分は黒駆秀吾郎だ」

 

 進之助と秀吾郎がボディビルダーのようにポーズを取りながら弾七に答える。

 

「僕は大毛利景元……」

 

 進之助たちの後ろで景元も申し訳程度にポーズを取っている。

 

「いや、名乗られても知らねえよ! おい、どういうことだよ、これは⁉」

 

 弾七は葵に向かって抗議する。

 

「絵のモデルだよ?」

 

「い、いや、アンタらがやるんじゃねえのかよ⁉ 何が悲しくて野郎共の褌姿を至近距離で見なきゃならねえんだ!」

 

尚も抗議を続ける弾七に葵の隣に立つ爽が代わりに答える。

 

「確かに葵様は力を貸すとはおっしゃいましたが、御自分がやるとははっきりと断言はしておりません」

 

「話には文脈ってもんがあるだろ! 俺様は美人三人って言ったよな⁉」

 

「……ご要望通り美男子三人を揃えました」

 

 爽が眼鏡を直しながら淡々と答える。

 

「……いや、だから男じゃねーか!」

 

「貴方は下心を少しでも取り繕うためか、『人間ってのは一糸まとわぬ姿ってのが一番美しく、かつ尊いものだと思う』と女性ではなく、人間といいました。人間ならば当然男性も対象に含まれます」

 

「と、当然って……」

 

 はっきりと落胆する弾七に対し、葵が畳みかける。

 

「さあ、新境地への開拓に向けて! 進之助たちももっとポーズを取ってあげて! 創作意欲が掻き立てられるように!」

 

「オイラは結構体鍛えてんだ! じっくりと見てくんな、絵師の兄ちゃん!」

 

「あまり肌を出すのは本意ではないのだが……上様の頼みとあらば! 橙谷殿、どうぞご覧になって下さい!」

 

「ぼ、僕のことはあまり見なくて良い……むしろ放っておいてくれないか……」

 

 妙にノリノリな二人とは対照的に、景元の表情は暗い。

 

「さあ、どう⁉ 意欲が湧き立ってきたんじゃないの~?」

 

「さっぱりならねえよ!」

 

 葵の問いかけに弾七が声を荒げる。

 

「さっきから準備をしながら、色々とイメージを膨らませていたんだ、それが蓋を開けてみたら、何だいこれは⁉ 想像したものと真逆のものを見せられて、こちとらどうすりゃ良いんだよ!」

 

「真逆……?」

 

「そうだよ!」

 

「つまり、期待が裏切られたってこと……?」

 

「身も蓋もない言い方のような気もするが……まあそうだよ!」

 

「これはチャンスだよ!」

 

 立ち上がった弾七の両肩を葵がガッシリと掴んだ。

 

「な、チャ、チャンス?」

 

 戸惑い気味の弾七に対し、葵が続ける。

 

「人生も創作も思いかけない所にチャンスが転がっているもの! この男たちの姿が貴方の浮世絵師人生を大きく変えるかもしれない! だからもっとちゃんと見て上げて!」

 

 葵は再び弾七を座らせた。そして、進之助たちに指示を飛ばす。

 

「よし、相撲の時間よ!」

 

「え、何、相撲?」

 

 弾七が困惑し続ける中、景元が行司役をつとめ、進之助と秀吾郎が部屋の中央で派手にぶつかりあった。



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くんづほぐれつ

「のこった! のこった!」

 

「おお! 行けー! どっちも負けるな!」

 

「おい、将軍さんよ!」

 

 進之助たちに声援を送っていた葵は、弾七の声に振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「どうしたもこうしたもねえよ。いつから俺の部屋は国技館になったんだ? ……っていうか何がチャンスなんだよ?」

 

「見て分からない?」

 

「え?」

 

「あのぶつかり合う肉体の躍動感。とめどなく滴り落ちる汗の煌めき。そしてお互いが勝利を渇望しているあの眼差し。……どれをとっても、貴方の作風に新境地をもたらしてくれそうじゃないの!」

 

「何を言っているのかさっぱり分からん」

 

「まあまあ、もっと近くで見てみて」

 

「ふん……」

 

 弾七は部屋の中央に近づき、ドカッと腰を下ろした。しばらく進之助たちの取組を眺め、しばらくして、進之助たちを見上げながら、こう告げた。

 

「兄ちゃんたち、良い勝負するな、もう一番頼むわ」

 

「ふ、御安い御用だぜ!」

 

 進之助と秀吾郎が再び派手にぶつかり合った。そんな様子を見て、弾七はぼそぼそと呟きながら、手に持っていた筆を紙に走らせていく。

 

「ぶつかり合うのは肉体だけじゃねえ! 各々の魂も激しく火花を散らしてやがる! 俺には分かる! そして滝のように流れる汗! それすらも戦いに潤いと彩りを与えてくれる! さらに互いの眼差し、単にこの一番の勝敗に留まらない、その先のものを渇望しているようだ! 不思議なことに俺様にも分かる気がするぜ」

 

 始めは呟いていたが、次第に叫びながら、弾七の描く手が止まらない。

 

「おおっ、もっとだ! もっと俺様に魂のぶつかり合いを見せてくれ! 次は行司のアンタだ! さあ土俵に上がれ!」

 

「ええ、僕もか⁉」

 

 景元も強引に相撲を取らされる。弾七の興奮は治まらない。

 

「うおおおー! 何だか俺様まで体が熱くなってきやがった! よし、俺様もやるぞ!」

 

 そう言って、弾七は再び着物をはだけさせ、上半身を露にさせた。

 

「行くぞ! はっけよい……のこったー‼」

 

「どわっ⁉」

 

 弾七に勢いよくぶつかられ、景元はたまらず吹っ飛んだ。

 

「どうした! こんなもんか⁉ よし、次は黒髪の兄ちゃん! お前だ!」

 

「……挑戦、受けて立とう」

 

「よっしゃー!」

 

 弾七は秀吾郎に体を思い切りぶつける。秀吾郎もあえて真正面から受け止める。

 

「こ、これは⁉ 細身ながらどうしてなかなか鍛えられた体付きしてるじゃねえか! 俺様がぶつかってもビクともしやがらねえ! 兄ちゃん、只者じゃねえな?」

 

「……その質問には答える必要は無い」

 

「ははっ! 答えているようなもんだが、まあ良いさ! 押しても駄目なら……これならどうだ! ……な、何⁉」

 

 秀吾郎の脚に自分の脚を絡ませて、転ばせようとした弾七だったが、やはり秀吾郎の方が一枚上手であった。弾七の軸足を勢い良く払ったため、バランスを失った弾七の体は空中で小さく一回転し、床に派手に倒れた。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 流石の秀吾郎も心配そうに覗き込んだ。しばらく黙っていた弾七は笑い出した。

 

「ふっ、ふはははっ! 何だい、今のは⁉ こんなの初めてだぜ! 今まで見たことない景色が見えた! よし! もう一番だ!」

 

 興奮気味に捲し立てながら、弾七は立ち上がった。

 

「さあ、来い!」

 

「……え、えっと……」

 

 弾七の尋常ではない様子に、秀吾郎は戸惑った。

 

「どうした⁉ 来ないのか⁉」

 

「よっしゃあ! オイラが行くぜ!」

 

「おし! 来い、赤毛!」

 

 今度は弾七と進之助が部屋の中央でがっぷり四つに組む。

 

「おおっ! これまた見事に引き締まった肉体! しっかりと鍛えあげているのが嫌でも伝わってくるぜ! お前さんは俺様に一体どんな景色を見せてくれるんだ⁉」

 

「おおっ! 行け行けー! どっちも負けるなー‼」

 

 葵が二人に無邪気に声援を送る。

 

「……どうやらこれでスランプ脱出、新境地開拓ですわね」

 

「少々斬新すぎる境地かもしれませんが……」

 

 小霧と爽は輪から離れて、その様子を眺めていた。やがて相撲もひと段落し、新たな着想を得た弾七は新作の制作に取り掛かると宣言。『将愉会』によって、また一つの懸案事項が片付いた形となった。



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モデルになってくれ

 そして次の日早速、『天才浮世絵師、橙谷弾七活動再開!』というニュースが巷を駆け巡った。無論、弾七が在籍する大江戸城学園もその例外ではなかった。昼休みにクラスメイトたちがその話題で盛り上がっている様子ベランダから見ていた葵は満足そうに頷いた。

 

「うんうん、皆盛り上がっているね、私たちの活動、いい感じかもね?」

 

「概ね当初の方針通りに会の活動は出来ていると思います」

 

 眼鏡を直しながら爽が答える。

 

「僕は方針通りに褌一丁にさせられたのか……」

 

 そう言って景元がうなだれる。進之助が笑う。

 

「いやあ、しょうゆ会の初仕事、なかなか面白かったぜ、まさか相撲を取ることになるとは思っていなかったけどな、なあ、秀司郎?」

 

「秀吾郎だ……というかお前のクラスは別だろう。何故ここにいる?」

 

「昼休みだから別に良いだろ。そういう細かいことを気にするから、昨日オイラに負け越すんだぜ」

 

「……聞き捨てならんな。昨日の通算成績は自分の勝ち越しだった。記憶力だけでなく、計算も怪しいようだな、本当に高校生か?」

 

「お、なんだ、取り直しといくか?」

 

「返り討ちにしてやる……」

 

「止めなさい! ベランダで何を始める気なのよ、貴方たち!」

 

 葵が二人を注意する。小霧が話題を変える。

 

「しかし若下野さんが、橙谷さんの提案を受けたときはかなり焦りましたわ。大毛利くんたちが向かってきているのを知っていらしたんですの?」

 

「いや、私も知らなかったよ。でもサワっちを見たら、端末を片手に頷いていたから、ああ、何か策があるのかなって思って」

 

「……美術部の部長さんがわたくしたち女子だけで向かうことを不安がっていらっしゃっていましたからね。もしやと思い、一応男子メンバーにも召集をかけておきました。ご覧になったように女性関係は相当奔放そうな方でしたからね」

 

「奔放というか、随分な変態さんでしたわね」

 

「うん、変態だった。写真を見る限りは単なる派手なチャラ男かなって思ったんだけど、あれは……まさに変態だった、相撲のときなんか特に」

 

「相撲はアンタもノリノリだったろうが……」

 

 気が付くと、葵たちの後ろに弾七が立っていた。全身着流しという、制服という概念をほとんど捨て去った服装をしている。

 

「うわ、ビックリした! 弾七さん、学園にいらしていたんですね」

 

「まあ、久々にな、アンタの顔も見たかったしな」

 

「え、まさか怒っていらっしゃいます? ご、御免なさい、変態は言い過ぎました。今後は派手なチャラ男さんとして認識させてもらいます」

 

「大して格上げされていないからな、それ……まあいいや、今日は本当にちょっとしたことを二つほど、挨拶に来たんだよ。まず一つは……アンタらその……しょうゆ会。その会の宣伝イラスト、俺様が描いてやっても良いぜってことだ」

 

「ええ⁉ それは願っても無いことですわね!」

 

「ふむ、これ以上ない宣伝になりますね……ただ……」

 

「ただ……?」

 

 爽が眼鏡を抑えながら尋ねる。

 

「お高いのでしょう?」

 

「ふっ、別にノーギャラで構わねえよ。プロとしてはどうかと思うが、アンタらには色々と世話になったしな」

 

「それはそれは破格の条件ですね、天才浮世絵師に御力添え頂くのは心強いです」

 

「大天才、な」

 

「それでもう一つは何?」

 

「え?」

 

「いや、さっき二つほど挨拶にきたって言ったから」

 

「そ、それはだな……」

 

「何々?」

 

 何やら言いよどんでいる弾七に詰め寄る葵。

 

「……将軍さんよ、アンタにはまたモデルをやって欲しいんだ」

 

「えっ⁉ まだヌードモデルをやれって言うの⁉」

 

 葵の驚いた声に、教室からベランダに向けて視線が注がれる。爽と小霧は冷めた視線を弾七に送る。

 

「懲りない人ですわね……」

 

「執念深い方ですね……」

 

「ち、違う! そうじゃねえよ!」

 

 弾七は慌てて否定する。

 

「何が違うのか。答えによっては……」

 

「待て、黒髪の兄ちゃん! 落ち着け! その背中のものに手をかけるのをやめろ!」

 

 常人でも分かるような殺気を放ち、背中に背負った忍者刀に手を伸ばす秀吾郎を弾七は必死に宥め、落ち着かせる。

 

「アイツ忍者だったのか。何だか妙ちきりんなもの背負ってやがるとは思ったけどよ」

 

「制服の上に半纏姿のお前も十分妙だがな……」

 

 呑気な声を上げる進之助に景元は呆れる。

 

「秀吾郎、止めなさい」

 

「……御意」

 

「弾七さん、続きをどうぞ」

 

「お、おう」

 

 葵の一声によって、秀吾郎は殺気を抑え込んだ。弾七は戸惑いながらも話を続ける。

 

「何も今すぐにって訳じゃねえし、一糸まとわぬ姿を見たいとか言う訳じゃねぇ……俺様が俺様自身の納得のいく絵を描けるようになったその時に、アンタにまた美人画のモデルになって欲しいんだ」

 

「納得のいく? 今現在じゃ駄目なの?」

 

「駄目だな、今はまだ自信がねえ……」

 

「自信が無い?」

 

 弾七はそう言って目を伏せたが、すぐにまた葵をじっと見つめてこう言った。

 

「アンタの持つ真っ直ぐさ! 凛々しさ! そして……美しさ! アンタの魅力を最大限に描き切るには、俺様もまだまだ力不足だ。だから、その実力が俺様に備わった時は、モデルになってくれないか?」

 

「うん、良いよ」

 

「そ、そうか!」

 

「でも私ってそんなに描きにくい顔しているかな?」、

 

「え?」

 

「どう思う、さぎりん、サワっち?」

 

「い、いやそこでわたくしに振られましても……」

 

「ノーコメントとさせて頂きます……」

 

「どういう受け取り方をすればそうなるんだよ……」

 

 力が抜けた状態の弾七の肩に、秀吾郎が無言で手を置いた。

 

「火消しとして消火の必要性を感じたか?」

 

 景元の問いに、進之助が肩をすぼめて答える。

 

「いや……燃え盛る前に自然に消えたって感じだな。オイラの出る幕じゃねえや」

 

 そんな周囲の様子には気付かず、葵はベランダから空を仰いで、声を上げた。

 

「将愉会、順調、順調! 本日も晴天なり!」



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有楽町で逢いましょう

                     伍

 

「支持率調査?」

 

「ええ、今朝の校内瓦版で発表されました。ご覧になりましたか?」

 

「いいや、見てないよ」

 

 あっけらかんと答える葵に対し、爽は小さく溜息を突いた。

 

「少しは目を通して頂かないと……」

 

「ごめん、ごめん。……でも、サワっちがそういう言い方をするってことは私にとっては良くない知らせなのかな?」

 

 爽が片手で眼鏡の蔓を触りながら、視線をやや葵から逸らして答える。

 

「そうですね……こちらをご覧下さい」

 

 爽が自身の端末を操作し、葵に画面を見せる。

 

「えっと『誰が真の将軍にふさわしいか』第一回支持率調査……氷戸光ノ丸、45%、五橋八千代、30%、若下野葵、15%、その他、10%……」

 

「芳しくない数字ですわね」

 

 葵の座席に近づいてきた小霧が画面を覗き込んで呟く。

 

「ええ、五橋さんには2倍、氷戸さんに至っては3倍もの差を付けられています」

 

「問題はその差を埋めるにはどうすれば良いのか……ですわね」

 

「そういうことです」

 

 小霧の指摘に爽が頷く。

 

「私としては、15%は健闘している方だと思うけどなぁ~」

 

「楽観的ですね、若下野さんは」

 

 小霧の傍らに立っていた景元が思わず苦笑する。

 

「そうかなあ」

 

「口ではそう言っていても葵様……このままで良いとは思っていないでしょう?」

 

「ま、まあ、それはね」

 

「何か策でもあるような口ぶりだな、伊達仁」

 

「策という程のものでもないですが……」

 

 爽は一瞬間を置いて、葵たち三人を見渡して言葉を続ける。

 

「これまでの将愉会の活動は『私的』なものに限定されていたように感じます。もちろん、それも結構。しかし、私はそこに『公的』なものを取り入れたいのです」

 

「『公的』というと?」

 

「つまり公にアピールすることの出来るもの……はっきりと言えば、葵様に将軍としての何らかの施策をとって欲しいのです」

 

 そう言って爽は大げさに両手を広げた。

 

「成程……それが出来れば、この上ないアピールになりますわね」

 

「他の二人には出来ないことでもあるな、現職の強みを生かすということだな」

 

 小霧と景元が頷いた。爽が葵に尋ねる。

 

「如何でしょうか? 葵様」

 

「う~ん……」

 

 葵は腕を組んで首を捻った。

 

「何か問題が?」

 

「問題というか、私まだ、まともに政務っていうものを執っていないんだよね……」

 

「えっ、本当ですの⁉」

 

驚きに目を丸くする小霧。景元が冷静に分析する。

 

「まあ、それも無理からぬ話だろう。まだ学生だ、よほど重要な案件でもない限りは若下野さんにまで話は上がってこないのだろう」

 

「ある程度想定の範囲内ではありましたが……」

 

 爽が視線を落としながら話を続ける。

 

「全ては『よきに計らえ』ならぬ『よき様に取り計らう』といった具合に大人たちで政権運営を内々に進めているということですね」

 

「そうだね、私は学校行くのが主な仕事みたいなものになっているからね」

 

「であれば、公的なアピールの線は厳しいか」

 

「何の話でしょうか?」

 

 景元が軽く天を仰ぐと、秀吾郎が反対側からその顔を覗き込んできた。

 

「うわ⁉ 驚かせるな、黒駆!」

 

「すみません……」

 

 秀吾郎の手に投書があるのを確認した小霧が葵に告げる。

 

「若下野さん、本日の投書ですわよ」

 

「ふむ、どれどれ……う~ん、これは……」

 

 秀吾郎から受け取った投書に目を通した葵は再び腕を組んで首を何度も傾げた。

 

「何かございましたか、葵様?」

 

「……まあ、見てみてよ」

 

 葵から投書を受け取り読んだ爽が驚いた表情で葵を見つめる。

 

「これは……?」

 

「『公的』なものに近いかもしれないねえ」

 

「ほう……」

 

「噂をすれば何とやらですわね……」

 

 小霧と景元がやや驚いた口調で呟く。

 

 

 

 約一時間後、葵と爽は有楽町のとある建物の一室にいた。

 

「な、なんだか緊張するね……」

 

「葵様は堂々となさっていて下さい」

 

「い、いや、そうは言っても、こういう所にくるのはほとんど初めてだからさ……」

 

「来ようとおっしゃったのは葵様でしょう?」

 

「そ、それはそうなんだけど……」

 

「……失礼致します」

 

 障子が開き、やや小柄な黄色髪で制服姿の少年が部屋に入ってきた。少年は着座すると、葵に対して恭しく平伏した。

 

「此度の上様の御来訪、有り難く存じます。しかしながら大したおもてなしを出来ぬこと、甚だ申し訳ございません。どうか平に御容赦頂きたく……」

 

「いやいや! 突然お邪魔したのはこちらですから! どうか顔を上げて下さい!」

 

 葵の言葉を受け、少年はゆっくりと頭を上げた。まだ若干幼さが残る顔つきである。その服装は折り目正しく、髪型をはじめ、身だしなみもきっちりとしており、物腰も丁寧である。

 

「はじめまして、若下野葵です。こちらは伊達仁爽さん。本日は征夷大将軍としてではなく、将愉会、『『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』の会長、副会長としてやってきました。ですので、同じ大江戸城学園に通うものとして接して下さって構いません」

 

「……左様でございますか」

 

「あの、お名前を伺っても宜しいですか?」

 

「……僕の名前は黄葉原南武(きばはらなんぶ)と言います。学年は一年生です。この南町奉行所の町奉行を務めております」



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南北の溝

「す、凄いね、一年生で町奉行なんて……」

 

「黄葉原殿は子供の頃から『神童』と称され、小学四年生からご公議に奉職。各職を歴任し、この一月に南町奉行に就任されました。学業も大変優秀でいらっしゃいます」

 

「小学生の頃から……! 本当に凄いね」

 

「いえいえ、そんな……大変恐縮です」

 

 爽の補足説明に感心する葵。南武は小さく首を横に振った。

 

「恐れ入りますが……本日はどういった御用向きでいらっしゃったのでしょうか?」

 

「ああ、それなんですけど……」

 

 葵は一枚の紙を取り出した。

 

「将愉会に匿名で投書がありまして……」

 

「投書……でございますか?」

 

「そうなんです」

 

「どういった内容なのでしょうか?」

 

「えっと……『南町奉行所と北町奉行所との関係を改善して欲しい。現在両者の間には溝が深まってきており、業務を円滑に進める上で色々と支障が出てきている為……』一部抜粋すると、こういった内容です」

 

「ふむ……それでどうしてこちらの南町に?」

 

「ご都合がついたのがこちらだったので、北町の方は今日はお忙しいみたいで……」

 

「成程……今月は北町の方が『月番(つきばん)』ですからね」

 

「『月番』?」

 

「はい。我々町奉行所は月ごとに交代で訴訟の受付を行っております。今月の担当は北町。よって現在こちらの南町は非番の月になります」

 

「そうなんですか」

 

「町奉行所には大小様々な訴訟が持ち込まれてきますから、その対応に忙しいのでしょう。勿論、非番の奉行所も丸々休みという訳ではありませんが」

 

「関係改善の要望が出ている訳ですが、何か心当たりはございますか」

 

 爽からの質問に南武は答える。

 

「町奉行の業務というのは、司法のみならず、行政や治安の維持等、多岐に渡ります。その中でも特に行政面でおいて意見がぶつかり合うことが多いです」

 

「……そうですか」

 

「南北両奉行所の代表者が参加して『内寄合(ないよりあい)』という会合を定期的に設けています。そこで様々な案件について、意見の統一、擦り合わせを行うわけなのですが……最近は正直まとまらない、結論が持ち越しになるということが多くなってきました」

 

「それで業務が一部滞ってきている……ということですね?」

 

「大変情けない話なのですが、その通りです」

 

 南武はそう言って、視線を落とした。爽は葵に尋ねる。

 

「如何致しましょうか、葵様?」

 

「……当たり前の話だけど、どちらの奉行所も真面目に業務に当たっているからこそ、意見がぶつかる訳だよね?」

 

「……まあ、そうなりますね」

 

「面倒でも問題は一つ一つ、丁寧に片付けていかなければならないよね」

 

「ええ、おっしゃる通りです」

 

 爽から同調を得た葵は南武に話し掛ける。

 

「黄葉原君、両奉行所間の目下最大の懸案事項は何なのかな?」

 

「最大ですか? そうですね、やはり……」

 

「やはり?」

 

「大型建築物建設によって生じる諸々の問題でしょうか」

 

「諸々の問題?」

 

 首を傾げる葵に対して、南武が懐から情報端末を取り出して説明を続ける。

 

「実は地図で言うと、この辺りに大型建築物……要は高層ビルですね、それを建設する計画が持ち上がっているのです」

 

「高層ビルが何らかの基準を満たしていないのですか?」

 

 爽の質問に南武は首を振る。

 

「いいえ、構造上は何ら問題ありません」

 

「それでは何故に?」

 

「……この近辺は古くからの日本家屋が多く立ち並ぶ地域なのです」

 

「成程……景観上の問題というわけですか」

 

「そうです」

 

「えっと……ごめん、どういう問題になるのかな?」

 

 話の腰を折る形となって申し訳なさそうな葵に爽が説明する。

 

「葵様、景観保持法というのはご存知ですか?」

 

「景観保持法?」

 

「至極簡単に言うと、その地域全体の調和を整えたり、長い歳月をかけて形成されてきた伝統ある街並みを尊重しようという法律です。公布されたのは比較的最近のことですが」

 

「ふーん……じゃあこの高層ビルはその法律に違反するの?」

 

「……違反とまではいきませんが、抵触する恐れがあるのではないかという意見がチラホラと出てきています」

 

 葵の問いに南武が答える。

 

「黄葉原君はどう考えているの?」

 

「……僕個人としても、南町奉行所としても、建設に全面的に反対という訳ではありませんが、計画は一部見直すべきではないかと考えております」

 

「一方、北町奉行所は賛成しているということですか?」

 

「消極的な考えも一部にはあるようですが、北町奉行をはじめ、概ね積極的賛成という意見が大勢を占めているようですね……」

 

 爽の言葉に南武は頷く。

 

「そうなんだ……」

 

「葵様? 懸案事項をお尋ねになられてどうするおつもりですか?」

 

 何やらじっと考え込む葵に爽が尋ねる。やがて葵が口を開く。

 

「黄葉原君、その内寄合というのはいつでも開けるものなの?」

 

「いつでもというとやや語弊がありますが、話し合うべき必要性がある問題が生じれば、両奉行所関係者の都合さえつけばすぐにでも開くことが出来ます」

 

 南武が戸惑いながらも、葵の疑問に答える。

 

「サワっち、考えがあるんだけどさ……」

 

「成程……分かりました。そのように取り計らいましょう」

 

 葵の耳打ちに爽は頷く。

 

「あ、あの、一体どのようなお考えなのでしょうか?」

 

 困惑する南武を爽が制する。

 

「落ち着いて下さい。わたくしからご説明させて頂きます」



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二人の黄

 数日後……八重洲にある北町奉行所内に設けられた特設会場に葵たちが到着した。

 

「ふむ……なかなか立派なつくりですわね」

 

 小霧が会場を見渡して、満足そうに頷く。

 

「この会場作りの指図は伊達仁さんが?」

 

「大まかには。実際にはまた黒駆君が一夜でやってくれました」

 

 爽に促され、秀吾郎が恥ずかしそうに一礼する。

 

「あいつ……もはや忍びの役目からかけ離れていないか?」

 

 景元の呟きには葵も同意だった。

 

「しかし……吃驚しました。」

 

 葵たちの後をついてきていた南武が驚きの声を上げた。

 

「内寄合の場を聴衆入りの公開ディベートに変えてしまうとは……しかも公事所(くじしょ)……いつも我々奉行が訴訟を取り扱うこの場をディスカッションのスペースにしてしまうという……さらに最も驚くべきことが、聴衆の皆さんの座席です!」

 

 そう言って南武は公事所の南側を指し示す。

 

「お白洲ですよ! 取り調べの際に容疑者を座らせる場所ですよ! 善良な一般市民はまず座りません! ここに皆を座らせるというのは流石に如何なものでしょうか?」

 

「それなりの人数を収容するにはこの部屋がベストだと判断致しました」

 

 爽の堂々とした答えに、南武は気圧された。秀吾郎が畳み掛ける。

 

「お白洲ですが、公募したところ、数多の傍聴希望が殺到しました。恐れながら、開かれた奉行所をアピール出来るよい機会ではないでしょうか?」

 

「毎年六月頃に奉行所は公開しています。奉行所の職員の家族などに限った形ではありますが……よってこれ以上のアピールの必要性はないと思うのですが……」

 

「まあ固いこと言うなって、南武。面白そうでいいじゃんか」

 

「え⁉」

 

 南武に声を掛けた男の顔を見て、葵は驚いた。

 

「そっくり……!」

 

「はははっ、そりゃ双子だからね」

 

「双子?」

 

「そう、俺は黄葉原北斗(きばはらほくと)。北町奉行をやっているよ、上様とはお初だね~♪」

 

「兄上……! 何という口の利き方を!」

 

「だから南武は頭固いんだって、一般生徒と同様に接して欲しいって話なんでしょ」

 

「そうは言っても……!」

 

「私、双子って実際見るのは初めてかも……そっか、髪型がちょっと違うのか」

 

 葵は言い争う黄葉原兄弟の顔をマジマジと見比べる。二人とも髪の色は黄色だが、弟の南武がきっちりと整った髪型なのに対し、兄の北斗はやや無造作なヘアースタイルである。

 

「兄弟で町奉行なんて凄いね、二人とも」

 

「まあね、俺ら、優秀だから」

 

「兄上……こういった場合、少しは謙遜なさるとか……!」

 

「ええ~? だって事実じゃん」

 

 自分より小柄な少年たちがやいのやいの言い合う光景を葵は微笑ましく見つめる。

 

「仲が良いんだね、意外だな」

 

「意外? 何で?」

 

「いや、黄葉原君……南武君から色々と意見がぶつかり合っているって聞いていたから」

 

「ああ~俺、仕事と私生活はしっかりと分けるタイプだから」

 

「そ、そうなんだ」

 

「だから、今日の公開ディベートも手加減無しの本気でいくよ。……あ、部下が呼んでいるわ。じゃあ、また後でね~」

 

 そう言って北斗は会場を一旦後にした。南武が葵に頭を下げる。

 

「も、申し訳ありません。兄がとんだ御無礼を……!」

 

「いや、それは別に良いんだけどさ、随分と性格が違うんだね」

 

「兄は昔からあの調子です。この度、町奉行という大変重大なお役目を頂いたことで、多少なりとも自覚が芽生えるかと思ったのですが……」

 

「まあ自分らしさを貫くのも大事だと思うよ」

 

「貴女はもう少し自覚を持った方が良いかと思いますわ」

 

 葵の後ろから声がした。葵が振り返ると、そこには五橋八千代がいた。

 

「あ、五橋さん、体の方はもう大丈夫なの?」

 

「お陰様で……いつまでも休んではいられませんもの」

 

「今日はまさか来てくれるとは思わなかったよ」

 

「貴女方主催というのがいささか気に入りませんが……衆人が目にする公開の場で行政について話し合うというのは有意義だと思ったからです」

 

「そうなんだ」

 

「……では準備があるので、これで」

 

 踵を返して用意された控室に向かおうとする八千代。その後についていた有備憂が葵に小声でこう告げる。

 

「先日は本当にありがとうございました……お嬢様はああいう御気性なので、素直にお礼を、という訳には参りませんが……本日の公開ディベートは将愉会の皆さんと同じ陣営で参加させてもらうということで御礼に代えさせて頂ければと……」

 

「は、はあ……それはわざわざお気遣い恐縮です」

 

「憂! 何をしているの! 早くなさい!」

 

「は、はい、只今! 失礼します」

 

 憂は葵に一礼し、慌てて八千代の後を追いかけた。

 

「同じ陣営か……」

 

「ああは言っているが、真の狙いは余を論戦で打ち負かすことであろう」

 

「あ……」

 

 今度は氷戸光ノ丸が葵に声を掛けてきた。

 

「氷戸さん、本日は御参加下さりありがとうございます」

 

「ふむ、余としても、そなた達主催というのはやや気に食わんが、今回の議題が議題だ。立場上参加せざるを得まい」

 

「……」

 

「繰り返しになるが、今日は余と五橋殿との議論が主となるであろう。そなたたちは精々邪魔をせぬことだ」

 

「……」

 

「なんだ、何を黙っている?」

 

「もしかして今の話を立ち聞きしていたんですか? 女の話に聞き耳をたてるなんてあまり良い趣味していませんね」

 

「~~! 失礼する!」

 

 やや憤慨した様子で光ノ丸がその場を立ち去っていく。

 

「私も準備を……って、有備さんかな? 良い香水使っていたな。今度教えて貰おう」



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賛成派の一同

 それから約三十分後、公開ディベートが始まった。

 

「……それでは只今より、『江西地区高層ビル建設の是非について』の公開ディベートを始めたいと思います。尚、この模様はwebサイトを通じて、生中継されております。司会進行は私、大江戸城学園高等部生徒会長の万城目安久が務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します」

 

 お白洲一杯に詰めかけた聴衆から拍手が起こる。それが鳴り止んでから、万城目は再び進行をはじめる。

 

「……さて、このディベートですが、世間一般のそれと変わりありません。流れとしましては、まずそれぞれの立場での立論、そしてそれに対する質疑、所謂反対尋問を行います。さらにそれぞれ反駁(はんばく)、さらに最終弁論……になります。討論の内容を踏まえて、こちらにおわします、第二十五代大江戸幕府征夷大将軍、若下野葵様に勝敗を決めて頂きます……では上様、一言お願い致します」

 

 万城目の紹介を受け、葵は座席から立ち上がって挨拶しようとした。聴衆が皆頭を下げた。

 

「あーえっと、皆さんどうぞ頭を上げて下さい……只今御紹介にあずかりました、若下野葵です。責任重大な役割ですが、精一杯やらせて頂きます。よろしくお願い致します」

 

 そう言って、葵は頭を下げた。聴衆は戸惑いながら拍手を送った。

 

「……続きまして、今回のディベートの参加者の皆さんを御紹介させて頂きます。まずは建設賛成派の皆さんから……氷戸光ノ丸さん」

 

「氷戸光ノ丸です。本日はこのような重要な場にお招き頂き、大変光栄に存じます。江戸の町づくりについて実りある話し合いが出来ればと思っております。どうぞよろしくお願い致します」

 

 にこりと笑って挨拶する光ノ丸に対して、聴衆から好意的な拍手が送られる。

 

「成程、案外外面が良いってそういうことね……」

 

 その様子を見ながら葵は小さい声で呟いた。

 

「では続きまして、本日の会場である北町奉行所の北町奉行、黄葉原北斗さん」

 

「はい、どうも~黄葉原北斗で~す。今日も言いたいことはガンガン言っちゃっていくんでそこん所ヨロシク!」

 

「軽っ⁉」

 

 葵は思わず声を出してしまった。一部の聴衆からは「待ってました!」「北斗さま~」などと、威勢の良い掛け声や黄色い歓声も飛んだ。

 

「随分と人気があるようだな、妙に場馴れもしている気がする……」

 

 北斗たちとは反対側の席に座る景元が呟く。南武がその疑問に答える。

 

「兄上は動画共有サービス『自由恥部』……『ゆうちぶ』で定期的に北町奉行所の情報を発信していますから……それなりの人気放送者、由恥部亜として知られているようです」

 

「そ、そうなのか……」

 

「町奉行も色々となさっていますのね……」

 

 南武と景元の間に座る小霧が半ば感心したように呟く。

 

「では続いて……伊達仁爽さん」

 

「はい、『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』副会長の伊達仁爽です。本日は宜しくお願い致します」

 

「お、おい、伊達仁が向こう側に座っているぞ、良いのか?」

 

「ええ、良いんですのよ、あれで」

 

「し、しかしだな」

 

 納得行かない様子の景元に痺れを切らし、小霧がその真意を逆隣に座る南武に聴こえないように説明する。

 

「良いですか? 極端な話、今回は我々の意見はさほどの意味を持ちません。つつがなく、もっともらしい意見を述べていればそれでいいのです。大事なのは世間に対して、『将愉会』という会があるのだなということを広く知らしめること、会の存在感を高めていくことがなによりも肝要なのです!」

 

「……少しズルい気もするが……まあ、高島津が納得しているのならそれで構わんが……」

 

「完全に納得しているわけではありませんわ!」

 

「そうなのか?」

 

「『将愉会』副会長が何故伊達仁さんなのか、そんなのいつ決めたのですか⁉」

 

「そ、そんなことか……」

 

 景元は呆れて会話を打ち切った。続いての人物が紹介された。

 

「おう! このお江戸の町を愛する者の代表として、大役を仰せつかったぜ! 姓は赤宿! 名は進之助! 人呼んで『火消の進之助』とはオイラのことだ! 今日は町をより良くする話し合いだって聞いてよ! もう居ても立っても居られないって感じでよ! そしたら参加して良いってあの真ん中に座る姉ちゃんがよ! ありがとなぁ~!」

 

 イスどころか、机に立って自己紹介を始めた進之助に司会の万城目を初め、出演者、聴衆のほとんどが度胆を抜かれた。

 

「やっぱ、呼ばなきゃよかった……」

 

 自身に向かって手を振ってくる進之助を適当にあしらいながら葵は軽く頭を抱えた。

 

「なんでアイツを呼んだんだ?」

 

「町人の意見も聴くべきだと伊達仁さんが強引に捻じ込んでいらっしゃいましたわ」

 

「伊達仁が? 何か考えがあってのことか?」

 

「さあ? そこまでは……」

 

 景元の疑問にも小霧は完璧に答えられる訳ではなかった。

 

「まあ、言い方は悪いですけど、要は賑やかしみたいなものでしょう。余り気にしなくても良いかと思いますわ」

 

「ああ、赤毛の君……いえいえ! 今日は敵同士! 集中しませんと!」

 

 八千代は両手でバシッと己の両頬を叩き、気を取り直した。ただ、隣に座る南武は進之助を見て一瞬恍惚の表情を浮かべた八千代を見逃さなかった。



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反対派の面々

「それでは続いて建設反対派の方々を紹介させて頂きます。五橋八千代さん」

 

「はい! 皆様ごきげんよう、五橋八千代です。本日はお招きを頂きありがとうございます。未来ある町づくりに関する夢のある話し合いに参加できるなんてとっても名誉なことです。

 

どうぞよろしくお願い致します」

 

 八千代に対しても、聴衆から比較的好意的な反応が見られる。その様子を舞台袖で見ていた憂がホッと胸を撫で下ろした。

 

「あ~良かった、八千代お嬢様! 病み上がりでの大きな舞台での第一声、どうなることかと思いましたが……」

 

 憂の後ろに立った秀吾郎がいきなり声を掛ける。

 

「そんなにご心配だったのですか?」

 

「ええ、それはもう!」

 

「ならば、共にパネリストとして御参加なされば良かったのに」

 

「いやいや! 私なんぞは日陰者で構いませんから」

 

「そうですか……?」

 

 秀吾郎は小さく違和感を覚えたが、すぐにその考えを打ち消した。

 

「……では続いて、南町奉行の黄葉原南武さん」

 

「はい、黄葉原南武です。本日は有意義な話し合いが出来る様に精一杯努めます」

 

「固いぞ~真面目か~」 

 

 丁寧に聴衆に向かって頭を下げる南武に北斗が茶々を入れるが、南武は無視する。

 

「続きまして、高島津小霧さん」

 

「はい、『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』の会長補佐の高島津小霧です。よろしくお願い致します」

 

「勝手に役職を作るな……」

 

 得意気に席に座る小霧に景元が頭を抱える。八千代が嘲笑交じりに呟く。

 

「補佐だか何だか知りませんけど、私の脚を引っ張らないで下さいね、田舎大名さん?」

 

「脚? ああ、田舎でよく見た大根かと思いましたわ」

 

「! 言って下さいますわね……」

 

「み、味方同士で火花を散らさないで下さい……」

 

 八千代と小霧の間に挟まれた南武が二人を落ち着かせる。

 

「次に、大毛利景元さん」

 

「はい、『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』会員の大毛利景元です。本日はよろしくお願いします」

 

「う~ん、面白さに欠けるな~」

 

「面白さなど必要のない場面だろう……!」

 

 景元は自身の右隣に座る男のからかいに反論する。

 

「それでは続いて……」

 

「『大天才浮世絵師』の橙谷弾七だ。今日は絵筆で描く様に、問題点を華麗に描き上げてやるぜ、よろしく頼む」

 

 弾七の挨拶に一際大きい黄色い歓声が上がる。それと同時にカメラのシャッター音も一段と多く聞こえてくる。これは招待したメディアによるものである。弾七は本日の参列者の中ではある意味最も有名人とも言えるだけに、この反応も当然であった。弾七は満足そうに頷いて、席に座った。

 

「まあ、ざっとこんなもんだ」

 

「何がだ! 言っている意味がさっぱり分からなかったぞ!」

 

「分かる、分からないじゃないんだよ、こういうのは見出しにしやすいコメントをするのが大事なんだよ」

 

「何でコイツまでこの場にいるんだ……!」

 

「いわゆる『文化人枠』ってやつですわね、それで人気浮世絵師であるこの方に白羽の矢が立ったということ……」

 

「文化というものが何だか分からなくなってきた……」

 

 再び頭を抱える景元をよそに、万城目が淡々と進行を続ける。



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賛成派立論と質疑応答

「参加者の皆さまのご挨拶は以上です……それでは公開ディベートの開始となります。まずは高層ビル建設賛成派による『立論』となります。それではよろしくお願い致します」

 

 司会に促され、光ノ丸が立ち上がって話を始めた。

 

「まず申し上げておくべきことは、この高層ビル建設は経済的に大きなメリットがある、ということです。大規模な商業施設が入る予定もあり、多くの方に足を運んで頂けることと思います。また、この地区に於ける新たなランドマークとして、観光スポットとしての存在感を高めていくことに我がグループは期待を込めております」

 

「我がグループ?」

 

「氷戸家の経営する系列の企業が今回の高層ビル建設計画の建築主なのです」

 

「ああ、そういうことなんだ……」

 

 首を傾げる葵に、隣に座る万城目が小声で説明する。北斗が手を挙げる。

 

「司会さん、北町奉行としても一言良いかな?」

 

「どうぞ」

 

「そんじゃ一言……行政的な観点ってやつから見ても、今回の高層ビル建設計画は大いに歓迎すべきことだ。周辺を含めて、地域の経済発展に大きく寄与するだろうと確信している。それに……ランドマークって何だかカッコ良くね?」

 

「えっ⁉」

 

「以上!」

 

「終わり⁉」

 

 北斗の予想外の発言に葵は唖然としてしまった。司会の万城目もやや戸惑っていたが、気を取り直して進行を続けた。

 

「……それでは只今の賛成側立論に対する質疑応答に移ります。反対派の方、質問ある場合は挙手をお願いいたします」

 

「はい」

 

「五橋さん、どうぞ」

 

「氷戸さんにお聞きします」

 

「……どうぞ」

 

「そもそもこの高層ビル、きちんと建築法に基づいていますか?」

 

「無論です。何ら違反などしていません。構造上の問題も無いと報告を受けています」

 

「報告を?」

 

「そうです、今回の計画の総責任者は自分ですから」

 

「氷戸さん自らが総責任者を?」

 

「ええ」

 

 八千代が席に着いた。小霧が手を挙げる。

 

「もう一つ、氷戸さんに質問よろしいでしょうか?」

 

「氷戸さん」

 

「……はい」

 

 万城目に促され、光ノ丸が答える。

 

「今回の建築物件、景観保持法に抵触するのではないかという声も聞かれますが?」

 

「……著しく景観を損ねるようなものではないと認識しております。そういった声は話をわざと大袈裟にしようとしているだけではないでしょうか」

 

「大袈裟に?」

 

「ええ、付け加えさせて頂きますと、今回のこの高層ビル周辺の土地の買収についても話が進んでおります」

 

「周辺の土地ですか?」

 

「そうです」

 

「それはどういったねらいがあってのことでしょうか?」

 

「このビルを中心とした新たな調和を築いていく……という計画です」

 

 景元が手を挙げる。万城目が頷き、質問を許可する。

 

「新たな調和とおっしゃられましたが……それは景観問題に配慮してのことでしょうか?」

 

「問題、というものはそもそも発生していない、というのが我々側の見解ですが……様々な事情を勘案した上で導き出した計画です」

 

「その計画について詳しくお聞かせ願えないでしょうか」

 

「……当該地区に新たなランドマークを建てることによって、それをもとに新しい伝統を紡いでいくという考えです」

 

 南武が静かに手を挙げる。万城目が質問を認める。

 

「そのお考えは周辺の住民の方々には周知されているのでしょうか?」

 

「……きっと理解を得られるであろうと確信しております」

 

「つまりまだ具体的には話し合いなど持たれていないということですね?」

 

「……必要があれば、説明会などの機会を持ちたいと考えております」

 

「……分かりました。もう一点、北町奉行に質問宜しいでしょうか?」

 

「お、良いぜ、なんでも聞いてくれ」

 

 質問する南武に対して、北斗が笑顔を見せる。

 

「……ランドマークってカッコ良くね? ということですが、そもそもとしてランドマークというものを理解されていますか」

 

「おいおい、あんまり馬鹿にすんなよ。そうだな……簡単に言えば、その地域の象徴、シンボルみたいなもんだろ? シンボルっていうものは大きければ大きい方が良い。大きいことは良いことだ!」

 

 南武がやや呆れたように首を振る。

 

「今回の場合、その大きさも問題視されているのです……今回の問題をきちんと認識されていないのではないでしょうか?」

 

「重ね重ね失礼な奴だな~まあこれは俺の考えだが……時は進むもので人の世はそれに合わせて移ろいゆくものでありずっと不変なものなんてない。変化を前向きに捉えるべきだ」

 

「……分かりました」

 

「き、急に真面目なトーン……!」

 

 北斗の回答に葵は目を丸くした。反対派が静かになったことを確認し、万城目が進行する。



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反対派立論と質疑応答

「それでは続きまして、建設反対派の『立論』となります。五橋さん、どうぞ」

 

「はい……今回の高層ビル建設に関しての最も憂慮すべき問題はやはり景観に関する諸問題です。昔ながらの歴史ある町並みが失われていくことに繋がりかねないということを我々は懸念しています。新たな調和、新しい伝統などとおっしゃられましたが、肝心の周辺住民の共通理解を完全に得られている訳ではないようですし、少し早急に過ぎるのではないかと感じております」

 

 八千代の発言が終わったことを受けて、南武が挙手する。万城目が発言を促す。

 

「先程、経済的に大きなメリットがあるとおっしゃられましたが、その点については甚だ疑問です。確かに当該地区には大規模な商業施設はありませんが、近隣の地区にはいくつか点在しており、住民は専らそちらを利用しているようです。よって今回の計画では思った程の経済的恩恵は受けられないのではないかと考えております。そして、もう一点……本日は便宜的に反対派としてこの場に立っておりますが、南町奉行として、また奉行所全体としても、今回の建設に全面的に反対という訳ではありません……ただ、計画の一部見直しを検討するのも必要なのではないでしょうか」

 

「……ふむ、それでは反対派立論は以上でよろしいでしょうか?」

 

 万城目の問いに弾七が手を挙げる。

 

「俺様からも一言良いかい?」

 

「橙谷さん、どうぞ」

 

 弾七が立ち上がる。隣に座る景元が怪訝そうな表情を見せる。

 

「あ~さっきランドマークがどうとか言っていたが、新しい観光名所が出来るってことは大いに歓迎すべきことだ。しかし、それでこれまで数百年続いてきた町並みが劇的に変わるのは個人的には受け入れがたいものがある。時代の移り変わりってのは理解している。ただ、その町が持つ独特の雰囲気っていうものをいたずらに壊すべきではないんじゃねえかな? ……まあこれは、一人の町人としての俺様の考えだ。以上」

 

「わ、わりとまともな意見を……!」

 

 発言を終え、席に着いた弾七を景元と小霧は驚いた表情で見つめる。

 

「俺様のことをなんだと思っていたんだよ、お前さんたちは……」

 

「いや、世捨て人気取りの不良絵師かと……」

 

「女体見たがりの変態さんかと……」

 

「評価散々だな!」

 

 万城目は反対派の意見が出そろったことを確認し、場を進行する。

 

「……では只今の反対側立論に対する質疑応答に移ります。賛成派の方で質問がある場合は挙手をお願いいたします」

 

「はい」

 

「伊達仁さん、どうぞ」

 

「率直にお尋ね致します。今回の高層ビル建設、経済的効果はある程度ではあるかもしれませんが確実に見込めます。何故にそれ程までに反対されるのでしょうか」

 

 南武が答える。

 

「今ほど申し上げました通り、近隣の地区には大規模な商業施設がいくつか点在しており、当該地区の住民の方々はそちらを主に利用しているようです」

 

「当該地区にも大規模な商業施設があっても別に差支えないのでは? それで高層ビル建設の計画自体に反対というのはいささか話が飛躍し過ぎではないでしょうか?」

 

「……これも繰り返しとなりますが、今回の建設計画に全面的に反対という訳ではありません……ただ、計画の一部見直しを検討するのも必要なのではないかということを申し上げています」

 

「一部見直しというのは具体的には? 例えばビルの階数を減らすということでしょうか? 建物の面積を減らすということでしょうか? そうなってくるとそれは建設自体を見直すべきだとおっしゃっているように受け取れます。行政として一度認可を出しておきながらそれを撤回せよということでよろしいですか?」

 

「そこまで極端な話をしている訳ではありません」

 

 南武はやや慌てながら、爽の話を遮る。

 

「……ただ諸々の問題に関しての話し合いが不十分であると感じております。そういった意味では検討の余地があるのではないでしょうか?」

 

「諸々の問題?」

 

「これも繰り返しになりますが、景観に関する問題です」

 

 爽の問いに、今度は小霧が答える。

 

「一時的には経済効果が見込めるかもしれませんが、それで町の景観が崩れるのは好ましくありません」

 

「……先程氷戸さんもおっしゃられましたが、当該地区に新たなランドマークを建てることによって、それをもとに新しい伝統を紡いでいくという計画があります。目先の経済効果を得るという短期的な目標だけでなく、中長期的なスパンでの都市デザインという二段構えの考えです」

 

 爽の発言に光ノ丸も満足そうに頷く。爽が更に続けて質問する。

 

「皆さんは何か変化を恐れているように見受けられます。特に五橋さん、如何でしょうか?」

 

 突然の指名に戸惑いつつ、八千代が答える。

 

「ご質問の真意が今一つ分かりかねますが……とにかく景観の問題に関しましては、我々としましては昔ながらの町並みが失われていくということを深く憂慮しております」

 

「俺からも一つ、南町奉行さんに質問良いかい?」

 

 北斗が挙手し、万城目が発言を許可する。

 

「ここで言う話じゃないかもしれないけど、南武ってさ~こういう場では何でもかんでも俺の言うことに反対してない?」

 

「……何でもかんでもという訳でありません。同意すべきことには同意し、譲歩すべき点は譲歩しています」

 

「そうか~? ここ最近はやれもっと検討すべきだ、何々を考慮に入れるべきだ、とか一々難癖つけてきてないか?」

 

「お互い町奉行という極めて責任のあるお役目です。難癖ではなく、納得のいくまで話し合いを持つべきだということです」

 

「昔はさ~『あにうえとおなじのにする~』とか言ったりして可愛かったのにさ~」

 

「こ、この場に関係のない発言は慎んでください!」

 

 南武は思わず大声を上げた。司会の万城目が割って入る。

 

「反対派への質疑応答も一通り終わったようですので……それではここで三分間の作戦タイムとなります。両陣営ともこの後の『反駁』に備えて意見を纏めて下さい」



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反駁

 反対派が輪になって話し合う。

 

「奉行殿、あれしきのことでいちいちペースを乱されてもらっては困りますわ……」

 

「め、面目ない……」

 

 八千代の呆れた声に南武が恐縮する。

 

「こちらが攻めるべきはやはり景観問題だな」

 

「そうですわね、新たなランドマークを建てることによって、それをもとに新しい伝統を紡いでいくという考えはやや無理があるかと思いますわ」

 

「橙谷はどう思う?」

 

「そうだな……3列目の右から5番目の席に座っている子が可愛いな……」

 

「聞いた僕が愚かだった……」

 

 一方、賛成派も輪になって話し合っていた。

 

「もはや、奴らに打てる手はないだろう」

 

 自信満々な光ノ丸に対し、爽が釘をさす。

 

「恐れながら……油断大敵かと」

 

「油断だと……?」

 

「そう言ってお姉さんも何か考えているでしょう?」

 

「ふふふ」

 

 北斗がなにかを感じ取ったが、爽は笑って誤魔化した。

 

「ふん、まあどうでもいいが、おい、そなた」

 

「ん? オイラのことか?」

 

 進之助が自身を指さす。

 

「そうだ、そなたさっきから何の発言もしていないじゃないか」

 

「何か言った方が良かったかい?」

 

「いや、いい……くれぐれも余計なことは言ってくれるな、そのまま黙っていたまえ」

 

「へいへい」

 

 進之助は首を窄めた。五分間が経過した。

 

「それでは続きまして、反対派の反駁に移ります。よろしくお願い致します」

 

「はい」

 

 万城目の進行に従って、八千代が立ち上がって話し始める。

 

「今回の高層ビル建設に関しまして、問題点は諸々あるかとは思いますが、やはり景観問題が最も気にかかる所です。短期的だけではなく、中長期的な目標を掲げた二段構えの考え方は大変結構だとは思います。ですが、地域住民にそのお考えが十分に浸透しているかのようには見受けられません。まずは理解を得てから、計画を前に進めるべきではないでしょうか」

 

 八千代に続き、南武が発言を始める。

 

「ランドマークという言葉に拘っておられるご様子ですが、例えば既存の建物、或いは町並みの風景もまた、象徴たり得るかと思います。計画の大幅な見直しは難しいかとは思いますがここは一つ、文字通り足元をよく見て頂きたいと思います」

 

 反対派の発言が終わったことを受けて、万城目が口を開く。

 

「では続いて、賛成派の反駁をよろしくお願い致します」

 

「では私から……」

 

 光ノ丸が話を始める。

 

「今回、反対派の方々から様々なご指摘を賜りましたが、物事にはスピード感というものも重要になって参ります。地域住民の皆様の理解を得ることも勿論大事ですが、計画は当初の予定通り進めていきたいと考えております。拙速に過ぎるのではないかという意見もあるかと思いますが、我々としてはあくまでも適切な速さであると認識しております」

 

 続いて北斗が発言する。

 

「さっきも言ったが、ずっと不変なものなんてものはない。変化を恐れずにもっと前向きに捉えるべきだと俺は思う。何事においても柔軟な思考で余裕を持って対応していこうじゃないか。そういう考え方がよりよい町づくりに繋がってくるはずだ。どうですか、お集まりの皆さん?」

 

 北斗が聴衆に語り掛けた。対して聴衆は大きな拍手と歓声を送った。北斗は両手を軽く挙げてそれに応えた。拍手が鳴り止んだ頃合を見計らって、今度は爽が話しを始める。

 

「では、ここでわたくし……ではなく、赤宿君の御意見を伺いましょう。赤宿君、よろしくお願い致します」

 

 爽の発言にディベート参加者も含めて会場全体が少しざわついた。進之助は頭を掻きながら立ち上がり、自身の意見を述べ始めた。

 

「え~ここまでの話し合いの内容だが、正直オイラにはほとんど理解出来なかった。だが、折角参加したんだから発言させてもらうぜ。オイラが何故賛成派の席に座っているかというと……答えは簡単だ、この高層ビルが鉄筋コンクリートで出来ているからだ」

 

「鉄筋コンクリート?」

 

 進之助の予想外の言葉に葵は怪訝な表情を浮かべた。

 

「専門的な話になるから細かいことは言わねえ、オイラも勉強中の身だからな。コンクリートの大きな利点だが、耐火性があるってことだ。この一点だけをとってみても、今回の高層ビル建設は大いに賛成出来る」

 

見た目に反して、真面目な口調で話す進之助に会場は再び少しざわつく。だが、進之助は構わず話し続ける。

 

「勿論、昔ながらの木造建築も大切にしていくべきだと思っている。しかし火消しとして、……まだ見習いだが、コンクリート製の建物が増えていくのは、町づくりを防火の面から見て、とても良いことじゃねえかとオイラは考えている。オイラからは以上だ」

 

 進之助が席に座ると、爽が頷いて話を続けた。

 

「先程の質疑応答では話題に出なかったもので、今発言して貰いました。防火・防災という面から捉えてみても、今回の建設計画は町づくりにとって大きなメリットがあると思います。以上になります」

 

「進之助、一応ちゃんと考えていたのね……」

 

 葵は素直に感心した。司会の万城目が進行する。

 

「……それではここで再び三分間の作戦タイムです。次の最終弁論に向けて、両陣営は意見を纏めて下さい」



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最終弁論

 反対派が再び輪になって話し合う。

 

「まさか赤毛がまともな事言うとはな、予想外だったぜ」

 

「赤宿もお前には言われたくないだろう……さて、最終弁論だがどうする?」

 

「少し癪ですが……この場は五橋さんに譲りましょうか。よろしいですか? 五橋さん?」

 

「……ああ、赤毛の君……野生溢れる見た目とは裏腹に知性溢れる御発言、素敵ですわ……」

 

 八千代が賛成派の席に座る進之助に対して熱い視線を送っている。隣の南武が不思議そうに小霧たちに尋ねる。

 

「さっきの赤宿さんの発言時からこの調子で……お二人はどういうご関係なのでしょう?」

 

「こ、これは……」

 

「命の恩人だからな……吊り橋効果のようなものか」

 

「良いね~その横顔、絵になるぜ」

 

 弾七が両手で目の前に長方形を作り、そこから八千代を覗き込む。

 

「創作活動は後にして下さる? ならば最終弁論は南武さん、貴方にお願いしますわ」

 

「わ、分かりました。精一杯努めます」

 

 南武は急いで準備に取り掛かった。一方賛成派の方では、

 

「そなた赤宿、と言ったか、初めはどうなることかと思ったが、どうしてなかなか良い発言をしておったな、褒めてつかわす。」

 

「……そりゃどうも」

 

 進之助は頭を掻きながら、一応礼を言う。

 

「最終弁論だけどさ~どうする……?」

 

「無論、余が出る。それでこのディベートも我らの勝利で決まりだ」

 

 北斗の問いかけに対して、光ノ丸としては当然自分が出るものだと思っていた。しかしそこに、爽が頭を下げ、意見を述べる。

 

「恐れながら、ここは氷戸さまが出るまでもありません」

 

「何……? どういうことだ?」

 

「この問題は元を正せば、南北の両奉行所の意見対立がそもそもの原因。ならばここは。両奉行による最終弁論で雌雄を決するのが筋かと」

 

「なるほど、そういう考え方もあるか……よろしい奉行どの、最終弁論はそなたに任せる」

 

「お、おう! 分かったぜ!」

 

こうして期せずして、最終弁論は南北奉行による兄弟対決となった。

 

「それでは時間になりました。まずは反対派の最終弁論をお願いします」

 

「はい」

 

 南武が返事の後、一拍置いてから話し始める。

 

「……まず賛成派の皆さんに諸々の問題点に関して、良し悪しは別としてもお考えがきちんとあることを伺えたのは非常に良かったです。しかし、町の調和というものは今すぐに整うというものではありませんし、さらに伝統というものも一朝一夕で出来上がるものではありません。そういったことを踏まえても、計画の部分的見直しは是非とも実行していただきたいところであります。加えて、地域住民の皆さまへの説明も十分過ぎる程に行って貰いたいと思います。その町に住む人々を決して蔑ろにせず、足並みを揃えて、より良い町へ向けて進んで行って欲しいと切に願っております。私からは以上とさせて頂きます」

 

 南武の話が終わり、聴衆から拍手が聞こえた。

 

「……ありがとうございました。それでは、賛成派の最終弁論をお願い致します」

 

「おいっす」

 

 北斗がゆっくりと立ち上がって、口を開いた。

 

「……俺たちは先程の防火の件に限らず、あらゆる問題点に対して真摯に向き合って、この計画を進めているつもりだ。解決策の提示がやや不十分だったことは素直に認める。話し合いや協議を重ね、解決策、または妥協点を見出していければと思っているぜ。今回の高層ビル建設だが、俺はこの計画が時代を一つ前に進めるターニングポイントだと捉えている。より多くの人々の理解や協力を得て、この計画を必ず成功させたい。その為にも、みんなの力を是非とも貸して欲しいんだ、よろしく頼む!」

 

 北斗は力強く言い切って、頭を聴衆に向かって下げた。聴衆からはまたも大きな拍手や歓声が聞こえてきた。それらが静かになるのを待って、万城目が討論の終了を告げる。

 

「……ありがとうございました。以上をもちまして、ディベートを終わります。それでは両陣営のこれまでの弁論を踏まえて、上様に勝敗を決めて頂きたいと思います。上様、宜しいでしょうか?」

 

「え、えっと……」

 

 葵は困惑する。

 

「ちょっと考えさせて下さい」

 

「分かりました」

 

 葵は両肘を机の上に突き、両手を顔の前で組んで目をつむってしばし考え込んだ。やや間を置いて、葵は目を見開き、意を決した表情で立ち上がり宣言した。

 

「このディベート、勝者は……賛成派です!」

 

 葵の言葉を受け、賛成派の面々は笑みを浮かべ、反対派の面々はうなだれ、会場は大いに湧き立った。しかし、葵はその盛り上がりを両手で制し、話を続けた。

 

「賛成派を勝者としましたが、条件と言いますか、注文がいくつかあります。反対派の方々がおっしゃるように、計画の部分的見直しを検討して頂きたいのです。例えばビルのデザインですが、純和風に、町並みによく合う雰囲気のものに変更はできないでしょうか? それならば町の調和も保たれて、伝統も紡いでいき易くなるのではないかと思います。後はランドマーク云々に関してですが、既存の建物、或いは町並みの風景もまた、象徴たり得るという発言がございました。良い言葉だと思います。時の流れが速い今だからこそ、新しいものも大事ですが、歴史あるものも大切に扱っていくということが、これからの町づくりには必要な事になってくるのではないでしょうか? 私からは以上です」

 

「……はい、ありがとうございました。それではこれで、『江西地区高層ビル建設の是非について』の公開ディベートの一切を終了致します。お集まりの皆さま、そしてwebサイトを通じてご覧頂いた方も誠にありがとうございました」

 

 司会の万城目が一礼し、聴衆が拍手を送って、公開ディベートは幕を閉じた。



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論戦終えて

「上様、本日はお疲れ様でした」

 

「あ、会長、本日は司会進行ありがとうございました」

 

「こちらも大役を仰せつかり、大変恐縮でした」

 

「つつがない進行ぶりで流石でしたよ。また何かお願いするかもしれません」

 

「ははっ、まあお手柔らかにお願い致します」

 

 万城目が一礼して、去っていった。葵はしばらくその様子を目で追っていた。すると光ノ丸がわざとらしく咳払いをする。葵がそちらに振り返る。

 

「ああ、氷戸さん、お疲れ様でした。御勝利おめでとうございます」

 

「ふん、そなたらに乗せられただけの気もするが……全く有意義では無かった、という訳でもない。一先ずは礼を言っておこうか」

 

「建設の成功をお祈りしています」

 

 葵の言葉に光ノ丸は一応ではあるが軽く頭を下げ、その場を後にした。

 

「お疲れ様でした」

 

「ああ、有備さん、お疲れ様でした。五橋さんも本日はお疲れ様でした」

 

「……結果はどうあれ、これで貸し借り無しですわ。それではごきげんよう」

 

「あっお嬢様! ……すみません、失礼します」

 

 一言だけでさっさと行ってしまった八千代を憂が慌てて追いかけていった。

 

「葵様、お疲れ様でした」

 

「ああ、サワっち、今日はありがとう」

 

「設営などは黒駆君ですから……後で声を掛けてあげてください」

 

「でも段取りはほとんどサワっちでしょ? 本当にお疲れさま」

 

「いえ……ディベートを行うというご提案には驚かされましたが、結果として将愉会をアピールするという目標は達せたと思います。これしきのこと、なんということはありません」

 

「アピール出来たのかなぁ」

 

「十分に出来たと思いますよ」

 

 葵と爽が話す様子を北斗と南武が遠巻きに眺めていた。

 

「へっ、どうやらまんまと利用されたって訳だ」

 

「そのわりには何だか嬉しそうですね」

 

「話し合い自体は有意義だったと思うからな、今回みたいな機会を与えてくれたことにはむしろ感謝しているぜ。どうしてなかなか面白そうな公方さまじゃねーか、それに……」

 

「それに……?」

 

「単純に好みだ、顔が」

 

「な、何を言っているのですか⁉」

 

 

 

 公開ディベートから数日後の放課後、二年と組の教室に集まった将愉会の面々。

 

「伊達仁、支持率調査はまだなのか?」

 

「前回からそれ程日が経っておりませんから、もうしばらく後でしょう……ただ、ネットの反応を見ると将愉会の評判は上々です、あくまで一部を見た限りではありますが。そうそう、赤宿君に対しても好意的な意見をいくつか見かけましたよ」

 

「本当かい? 嬉しいねえ」

 

「ち……おい、爽ちゃん、今度は俺様に見せ場用意してくれよ」

 

「……黒駆君とイケメン腕相撲勝負でも配信しますか、きっとバズると思いますよ」

 

「……受けて立ちましょう」

 

 爽の言葉に秀吾郎がよく引き締まった腕をまくって見せた。弾七が慌てて首を振る。

 

「何で俺様=相撲みたいになってんだよ! 大事な商売道具を壊されたら堪んねえよ」

 

「バズると言えば、ご覧になりました、昨日の自由恥部のこの動画?」

 

 小霧が自身の端末を皆に見せるようにした。動画には北斗と南武が映っていた。

 

「……じゃあ真面目な話はここまで! ここからは南町奉行のプライベートな部分に迫っていこうかな~♪ ズバリ最近気になっている女性はどんな人?」

 

「な、なんですか、その質問は⁉ 答えるわけないでしょう!」

 

「答えづらいだろうから俺から答えようか、そうだな~凛としていて、しっかりと自分の意見を持っている女性かな~どう?」

 

「……ノーコメントです」

 

「え~そこは『あにうえとおなじのにする~』じゃないの~?」

 

「ノーコメントです!」

 

「これは……どう思います、若下野さん?」

 

 小霧が葵に問いかける。

 

「うん? あ、それより見てみて、関連動画の欄! 『何でも五七五で答えてみた』だって! 何それ、受ける~」

 

「ふむ、平常運転ですわね……」

 

 小霧が溜息を突き、他の皆も苦笑を浮かべた。



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緑のルーティン

                      陸

 

 大江戸城学園の数学教師を勤める新緑光太(しんりょくこうた)の朝は早い。午前4時48分には起床する。もっともその三分前の45分には既に目が覚めている。セットしていた目覚まし時計のアラームが三回鳴った時に右手を伸ばして時計を止める。やおら体を起こし、洗面所へ向かう。顔を洗い、寝癖を直し、髭を剃り、うがいをして歯を磨く。そしてお気に入りのパンダの寝巻きからジャージに着替え、5時15分に朝のランニングへと出かける。コースはいつも決まっている。走るペースは急ぎ過ぎず、遅過ぎず。約10分弱かけて近所の比較的大きな公園に向かう。公園に着いてから、2分ほどゆっくりと時間をかけて呼吸を整え、それから5分間程朝の体操を行う。体操を終えると、家に戻る。来た時と同じ位のペース配分で走る。5時45分に自宅マンションに戻る。基本的にいつも同じ道を走るのだが、よっぽど雨が強い日などは部屋のランニングマシーンを使うようにしている。手洗いうがいをしっかりと済ませ、シャワーを浴びる。

 

 まず洗うのは頭から。緑色の短く整った髪の毛を痛めぬように丁寧に洗う。頭皮のマッサージも入念に行う。髪が済んだら顔である。小鼻や耳の裏も忘れずにしっかりと洗う。頭が済んだら、次は体である。まずは首を洗い、それから左肩、左腕に移る。手の甲も手の平もごしごしと洗う。指と指の間も入念に洗う。左が済んだら、右腕も同様に洗う。両腕が済んだら、次は胸部を洗う。その次は腹部である。おへその周りと脇腹を洗う。この際、腹筋を触って確かめる。たるんではいないか、しっかりと引き締まっているかを確認する。誰に見せる訳でもないが、鏡を見ながらポージングを取る。自身の納得のいく見栄えになっているかチェックする。ちなみに彼は決してナルシストではない。腹部が済んだら次は脚部である。左の太腿、膝、脛、足の順で洗う。ランニングの後である為、太腿などはしっかりと揉みほぐす。足は足裏まできちんと洗う。左の脚部が済んだら次は右の脚部である。体の前面を洗い終えると、次は背中である。ふくらはぎもマッサージする。最後に腋、お尻、大事な部分の順で洗う。大体シャワーにかける所要時間は15分程である。

 

 シャワーから上がると、体の汗をしっかりとタオルで拭き取り、ドライヤーで髪を乾かし、ヘアースタイルをきっちりとセットする。短髪の為、さほど時間は掛からない。右からみて七三分けにする。七三分けと言っても典型的なそれではなく、見る人からは「スタイリッシュ七三」、「七三の概念を超えた何か」、「もはや八四」などと称賛を受けるものだ。正直意味がよく分からない賛辞もあったが、褒められて悪い気はしていない。鏡を見ながら、正面、左右と、様々な角度から自分の顔をまじまじと見つめる。あくまで髭の剃り残しなどがないかを確認するためである。彼は断じてナルシストではない。5分ほどで頭髪を整えると、パソコンを開き、夜の内に届いた電子メールをチェックする。返事が必要なものは要点を簡潔にまとめて返信する。大体十数件のメールが届くが、約一分ずつでそれらを処理する。この時点で大体時間は6時20分位である。その後朝食の準備に入る。

 

 朝食はパン派である。トースターで焼いたトースト二枚をそれぞれジャムとバターを塗って食べる。勿論健康のためにサラダも忘れずに食べる。名前が新緑だけに緑色の野菜を多めに摂る。余談だが、いつか食卓に青汁を導入するタイミングを伺っている。朝食を終えると、食後の運動として二分間ほどストレッチを行う。その後、きちんとアイロンがけをした背広に着替える。毎日、大体この辺りで時計の針は6時45分をさしている。その後コーヒーを片手に新聞三紙に目を通す。大手の新聞、経済新聞、英字新聞である。一紙5分ずつ、15分掛ける。本業の仕事柄、ニュースに精通するのはとても大事なことである。

 

 そして7時3分頃、自宅を出発する。出掛ける際に、忘れ物などはないか、鞄の中身を開いて指差し確認は怠らない。確認を終えると、右足から玄関を出る。最寄りの地下鉄の駅まで徒歩3分程の好立地なのだが、ここでも健康を第一に考え、あえて一駅分歩く。7時12分に地下鉄に乗り込む。いつも決まった車両に乗る。どの吊り革を使うかまで決めている。誰かに使われている場合も考え、自身の中で第5希望まで決めている。当然満員のときは吊り革どころではないので、やや不機嫌になる。

 

 いつも大体7時27分頃には学校に到着する。職員室に着くと、自身のデスクを掃除する。もともと綺麗に整理整頓されているが、埃一つもあると気に入らないためである。5分程経ったらその日の仕事の最終準備に入る。ここでいう準備とは本業の準備も含まれる。15分程掛けて、準備を終えると、文字通り一息つく。お茶を飲みながらネットニュースなどをぼんやりと眺める。同僚の教師が何やら話しかけてきた場合は無難な返答をする。8時になると朝礼が始まる。校長や教頭の視線に入らないように微妙に立ち位置を調整する。目が合うと余計な仕事を頼まれる場合がある為だ。彼は比較的長身だが、自分よりも大柄な英語教師が近くにいるため、その陰に隠れるようにする。朝礼が終わると朝のHRである。彼は二年と組の副担任であり、クラスを受け持っている訳ではないが、一応しっかりと顔を出す。教室の後ろから入り、掃除用具入れの前に立って、HRの様子を見守る。クラスにとってよほど重要な案件でもない限りは、担任に一礼して途中で退出し、1限目の授業を行うクラスへ向かう。授業の始まる3分前、8時42分には、クラスの廊下にスタンバイする。そして1分前には教室に入り、8時45分きっかりに授業を始められるようにする。4限目までこの調子である。

 

 12時35分には昼休み、職員室で昼食。自身手作りの弁当である。教員になりたてのころは、学生食堂を利用していたが、生徒たちがあまりに騒がしいため、職員室で食事をとるようになった。10分程で昼食を終えると、図書室に向かう。これまた食後の運動を兼ねて、あえて遠回りをして向かう。図書室では決まった席で本を読む。その日最初に目に付いた本を読むようにする。もし内容が気に入れば借りる。読書は12分程で切り上げて、午後1時4分程には職員室に戻る。生徒が授業の内容について質問に来ている場合がある。もっとも、彼はそれぞれのクラス、生徒一人一人の学力をしっかりと把握しており、内容を理解出来ない生徒が出るような授業は行っていない。大抵は単に彼とお話しをしたい女子生徒たちである。彼はそういう気持ちを今一つ理解は出来ないが、決して無下にはせず、相手をしてやっている。但し、一組3分程で話しは切り上げる様にしている。

 

 午後1時30分からは5限目と6限目の授業である。午前中と同じ調子で授業を進める。そして、午後3時20分に6限目終了。職員室に戻り、残業を行う。昼休みと同様に授業内容を質問にくる生徒もいるが、昼に比べるとその数は少ない。これは生徒も彼の本業を知っているからだ。そう、彼の本業は勘定奉行である。週の半分は教員を勤めているのだが、その日でも午後4時には学園の隣にある大江戸城に登城し、奉行としての仕事をこなさなければならない。デスクを綺麗に片付けて、鞄に持ち物をしまった彼は城に向かおうとした。職員室から廊下に出たところに、一人の生徒が駆け寄ってきた。

 

「新緑先生! ちょっとお願いがあるんですけど!」

 

 自身のルーティンを乱されたことに彼は露骨に嫌な顔をした。

 

(す、凄い嫌そう……⁉)

 

 事情を知らない葵は戸惑った。



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怒涛のプレゼン

「なんでしょうか……?」

 

 光太はややずれた眼鏡を直しながら、葵に尋ねた。

 

「えっと、私は若下野葵と言いまして……」

 

「それはよく存じ上げております。私は貴女様のクラスの副担任でもありますから。ご用件はなんでしょうか?」

 

「短刀直入にお願いします! 春の文化祭、我々将愉会にも特別予算を認めて下さい!」

 

「却下です」

 

 光太は一言だけ言って、その場を離れた。葵が慌てて追いかける。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「待ちません。申し訳ありませんが、私はこれでも忙しいので」

 

「では歩きながらで構いません! 先生はそもそも将愉会についてご存じですか?」

 

 光太は溜息交じりに返答した。

 

「何か一風変わった会を立ち上げられたことは承知しています」

 

「それなら話が早い! 予算を付けて頂きたいのです!」

 

「早い遅いではなく、それでは話が飛んでいますが」

 

「実は将愉会単独でも何か出し物が出来ればと思っていまして……」

 

「文化祭実行委員会に相談すれば宜しいのではないですか?」

 

「実行委員会の方では既に予算の内訳が決まっていて……」

 

「まあ、そうでしょうね」

 

「ですから、勘定奉行である先生に相談しに参りました!」

 

「上様の頼みでも無理なものは無理ですね」

 

「そこを何とかお願い出来ませんか⁉ その出し物が成功すれば学園を大いに盛り上げることが出来るはずなんです」

 

 光太は立ち止まり、葵の方に振り返った。

 

「内容は?」

 

「え?」

 

「その出し物の内容です」

 

「あ、えっと、まだ会の内部でも色々と意見が割れていまして……とりあえず予算の件だけでもお話をつけておこうかなっと……」

 

「残念ながらそれではお話になりませんね」

 

 再び光太が歩き出した。

 

「な、内容次第ではお話を聞いて頂けるということですね!」

 

「……生徒の話に耳を傾けるのも教師の務めですから。ただ、先程も申し上げましたが、私は忙しいので、お話を伺う時間を割くことはなかなか難しいのです」

 

「では無理矢理にでも割いてもらいます!」

 

「は?」

 

「今日は出直します! 失礼しました!」

 

「ちょ……」

 

 光太が振り返って引き留めようとしたが、葵はそそくさと走り去ってしまった。

 

「嫌な予感しかしない……」

 

 光太は頭を掻いて、また歩き出した。

 

 

 

 翌朝出勤した光太が校門をくぐると、不意に声を掛けられた。

 

「先生、おはようございます! お話を聞いて頂いても宜しいですか⁉」

 

「高島津さんに、大毛利くん……朝からなんでしょうか?」

 

「将愉会の出し物の件でして……」

 

「……一応聞きましょうか」

 

「ありがとうございます!」

 

 小霧が頭を下げ、景元が話し出す。

 

「『将愉会特製スイーツを振舞おう!』という企画なのですが……」

 

「却下です」

 

 光太は即答し、歩き始める。小霧が慌てて引き留める。

 

「な、何故ですの⁉」

 

「各クラスや各部活動でもその類の出店を企画しているところは多いでしょう。確か、二年と組も喫茶店をやるのではありませんでしたか? 内容も被っていますし、衛生上の問題も考えると、食を扱う団体がこれ以上増えるのは……正直言って面倒です」

 

「で、ですが!」

 

「お話はこれまで」

 

 光太は詰め寄る小霧を両手で制すと、早歩きで校舎に入っていった。

 

「くっ……不発か」

 

「なんの! 二の矢、三の矢がありますわ!」

 

 昼休み、図書室で椅子に座り、本を読んでいた光太に向かい側の席から声が掛かる。

 

「ここ、空いているかい?」

 

「……どうぞ」

 

「ありがとよ、そんじゃ失礼して……」

 

 進之助が席に座り、話を切り出す。

 

「失礼ついでに一つ良いかい?」

 

「……出し物の件ですか?」

 

「お、話が早くて助かるねえ! 実は『人気浮世絵師によるライブなんとかイング』ってのを考えていてさ」

 

「ライブドローイングな、プレゼンするなら覚えとけよ」

 

 そう言って、弾七が光太の隣の席に座る。光太が尚も本を読みながら、口を開く。

 

「成程……天才絵師と名高い貴方が描くという訳ですか」

 

「大天才な」

 

「話題にはなりそうですね」

 

「だろ?」

 

「題材は?」

 

「ん?」

 

「絵の題材です。画題とも言いましょうか」

 

「あ、あ~あれな、画題な……」

 

 返答に詰まる弾七。進之助がそこに割って入る。

 

「ボディビルダーや相撲取りを呼んでその洗練された肉体美を弾七っつあんが華麗に描き上げるって寸法よ!」

 

「却下です」

 

 光太は本を閉じて立ち上がった。

 

「な、ど、どうしてでい⁉」

 

「つまり半裸の男性を大勢学園に集めるということでしょう? それも芸術の範囲内かもしれませんが……少しばかり刺激が強すぎるように思います。それと……」

 

「それと?」

 

「図書室ではお静かに」

 

 眼鏡をクイッと上げて、光太は立ち去った。進之助がうなだれる。

 

「駄目か~」

 

「そりゃ駄目だろ! 何だよ洗練された肉体美って⁉」

 

「どうしても描きたいって弾七っつあん言ってなかったっけ?」

 

「一言も言ってねえよ!」

 

 放課後、職員室で残務処理をする光太の下に、黄葉原兄弟がやってきた。

 

「やあやあ、新緑先生、今空いている?」

 

「空いていません」

 

 北斗の問いかけに光太はにべもなく答える。

 

「つれないなあ~同じ奉行同士、もっとフレンドリーに行こうぜ~」

 

「必要以上に親密になる意味を感じません。用事があるならさっさと本題に入ってもらえますか?」

 

「南武、説明よろしく」

 

「な、なんで僕が……えっと『ドキッ! 人気自由恥部亜大集合! 春の生配信祭り! 電影遊戯実況スペシャル!』という企画なんですが……」

 

「却下です」

 

「え~なんでよ~」

 

「それはご自身のチャンネルでやれば宜しいのでは? 電影遊戯というのも基本的に学内に持ち込み禁止です。校則違反に許可出せる訳がないでしょう。そろそろ登城の時間ですので、失礼します」

 

 そう言って、光太は席を立ち、職員室から出て行った。北斗は空いた席に座り、頬杖を突いてその後ろ姿を見送り、溜息をつく。

 

「う~ん、ありゃ南武より頭固いね~」

 

「至極当然の反応だと思いますが……」



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侵入し過ぎた結果

 午後5時を過ぎた為、光太は下城した。よほどのことが無い限り、城内で残業はしない主義である。残業を余儀なくされた部下に対しては決して責めることは無く、無理をし過ぎないようにと必ず声を掛けて城を後にする。地下鉄での移動は避けて、30分程歩いてお気に入りの居酒屋風レストランへと向かう。大江戸城下でありながら、そこまで客で一杯ではないところが気に入っている。いつもカウンターの同じ席に座り、同じメニューを頼む。お酒は苦手というわけではないが、いつも1、2杯に留める。食事は1時間ほどかけてゆっくりと楽しむ。もっとも端から見ればちっとも楽しそうには見えないのだが。店主や店員もそんな彼のことをよく分かっており、必要以上には話しかけてはこない。そういう心遣いが行き届いている点も、彼がこの店を気に入っている理由の一つだ。食事を終えて、店を後にする。大体いつもこの時点で時刻は7時前である。

 

 その後、光太は近くのスポーツジム『筋肉達磨』に向かう。ここで食後の運動を行うのだ。受付を済ませると、まずはトレーニングウェアに着替えるため、ロッカールームへと向かう。このジムの特別会員である彼は、専用のロッカーを持っている。何の気なしに彼は自分のロッカーを開けた。そして……

 

「うおっ⁉」

 

 光太は思わず驚きの声を上げた。何故ならそこにいるはずのない葵がロッカーの中にいたからである。思い切りずれてしまった眼鏡を直しながら、自らを落ち着かせるように出来る限り静かな声で彼は葵に尋ねた。

 

「……何をなさっているのですか、若下野さん?」

 

「えっと、今晩は先生……事情を説明させて下さい」

 

「……どうぞ。というか、して頂かないと困ります」

 

「これには深い理由がありまして……」

 

「ほう……」

 

「会員証を持っている方や関係者以外は入れないんですよね、このジム?」

 

「そうですね」

 

「そこについうっかり入りこんでしまいまして……」

 

「貴女の『ついうっかり』の定義を伺いたいところです……」

 

「マッチョな警備員さんに見つかってしまって、追っかけられている内に慌ててこのロッカールームに駆け込んだんです」

 

「そして、それが私のロッカーだったと……」

 

「そうですね、本当にそれは偶然です。びっくりしました」

 

「びっくりしたのはこちらなんですが」

 

 その時、ロッカールームのドアが開いた。

 

「⁉」

 

 今度は葵が驚いた。何故か光太までロッカーの中に入ってきたからである。

 

「せ、先生⁉」

 

「しっ、静かに……!」

 

 光太は右手の人差し指を葵の口に当てる。このロッカーは会員専用の特別なロッカーであるため、通常のロッカーよりも大きめなので、二人位は余裕では入れる大きさなのである。

 

部屋に入ってきた警備員の制服を着た細マッチョの男性が部屋の中を見渡す。部屋の入り口付近に立っていたピチピチの制服を着たゴリマッチョの男性が声を掛ける。

 

「細田さん、いましたか?」

 

「いいえ、太田さん。こちらにはいない様です……」

 

 細マッチョが答える。ゴリマッチョが考え込む。

 

「ふむ……確かにこちらの方に逃げたと思ったのですが……」

 

「なんとしても見つけないと」

 

「ええ、このジムは女人禁制ですからな、会員の方がびっくりしてしまいます」

 

「あちらの方を探してみましょう」

 

「そうしましょう」

 

 二人の警備員の足音が遠くなったことを確認して、葵たちはロッカーを静かに開けて外に出た。

 

「女人禁制のジムだったの? そんな所があるのね……」

 

ふと光太の方を見てみると、うずくまって小刻みに震えている。

 

「先生、どうかなさいましたか?」

 

 光太はふと立ち上がると、葵に顔を近づけ、自身の端末で自撮りを行った。

 

「せ、先生、何を⁉」

 

「先手を打たせてもらいましたよ!」

 

「え、せ、先手?」

 

「大方、私との密着ツーショットでも撮って、それをネタに私に予算を下ろさせようという腹積もりなのでしょう! ふふっ、その手には乗りませんよ!」

 

「せ、先生、少し落ち着いて下さい……」

 

「私は冷静です! ええ、冷静ですとも!」

 

 葵は制服の襟に仕込んでいたマイクに語り掛ける。

 

「サワッち、どうしよう? 妙なことになっちゃった……」

 

 ジムの近くのビルの一室に陣取っていた爽が冷静に答える。

 

「あまりにも想定外すぎる事態に見舞われると、いつもの冷静さを失ってしまうようですね。まあ、無理も無い気がしますが……」

 

「どうしてこうなっちゃったんだろう?」

 

「ですからせめて居酒屋でお声を掛けられれば良かったのに」

 

「いや、やっぱり食事の時間は大切かなって思って……」

 

「だからと言ってロッカールームの中はないでしょう」

 

「ど、どうしようか?」

 

「今日の所は一旦退却を進言します。黒駆君を直ちに向かわせますので、どこか別の場所に身をお隠しになって下さい」

 

「わ、分かったよ」

 

 葵との通信が切れた後、爽は堪え切れず、下を向いてククッと笑った。そこに秀吾郎が部屋に入ってきた。

 

「伊達仁様、上様に何かありましたか?」

 

 爽が軽く咳払いをして答える。

 

「なかなか面白い……もとい、ややこしい事態になってしまいました。すぐに葵様をお迎えに行って下さい」

 

「ややこしい事態に⁉ やはり自分が忍び込むべきだった……すぐに参ります!」

 

 秀吾郎は音も無く姿を消した。

 

「なんで忍び込むことは決定事項なのか今一つ分かりませんが……」

 

 爽が顎に手を当てて考え込む。

 

「想定外の事態に弱い……なにか突破口になるかもしれませんね……」



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想定外ラッシュ

 翌日、朝のホームルームに顔を出すため、二年と組へ向かった光太は教室に入ろうとした。すると、小霧が飛び出してきた。

 

「ああ、新緑先生! ちょうど良かったですわ! 大変なんです!」

 

「……何事でしょうか?」

 

「教室に、教室に不審な男たちが……!」

 

「! なんですって⁉」

 

 光太が慌てて教室のドアを開く。そこに思わぬものを見た。

 

「ええじゃないか♪ ええじゃないか♪」

 

「ええじゃないか……ええじゃないか」

 

 ひょっとこの仮面とおたふくの仮面を被った男が教室の中央で踊っている。

 

「こ、これは……?」

 

「教室に突然お祭り男が入ってきて……!」

 

「それは何となく分かります……」

 

 光太が眼鏡を直しながら呟く。

 

「不審ではありませんか⁉ まだ季節は春だというのに! この狂喜乱舞ぶりときたら!」

 

「むしろ春だからこそって感じもしますがね……」

 

 光太は溜息を突いて冷静に話しかける。

 

「どなたか存じませんが、制服を着ているということはウチの生徒ですね、馬鹿なことを止めて、さっさと教室に戻りなさい」

 

「ええじゃないか♪ ええじゃないか……」

 

 ひょっとこ男とおたふく男は心なしかややトーンダウンしながら、ゆっくりと教室を出て行った。光太はそれを見届けると、両手をポンポンと叩き、生徒たちに呼び掛ける。

 

「さあ、ホームルームの時間ですよ、皆さん」

 

「……ちっ、『突然の狂喜乱舞作戦』失敗か……」

 

 ひょっとこの仮面を外した進之助が苦々しげに呟く。

 

「今の何がどうなったら成功だったんだ⁉ そして何故僕を巻き込んだ⁉」

 

 おたふくの仮面を外した景元が進之助に抗議する。

 

「他の連中に期待するしかないか……」

 

「質問に答えろ!」

 

 昼休み、いつものように図書室に来た光太は、パッと目に付いた本に手を伸ばす。すると、

 

「あっ……」

 

 同じ本に手を伸ばした黒髪ロングの生徒と手がぶつかった。

 

「ああ、失礼、どうぞ」

 

 光太は手を引っ込めようとした。しかし、その黒髪ロングは光太の手をガシッと掴んだ。

 

「な、何を……⁉」

 

「いえ、先生こちらの本をお読みになろうとなさったのですよね? どうぞ遠慮なさらずに手に取って下さい」

 

「い、いいえ、ただ単に目に付いただけですから……貴方がお読みになって下さい」

 

 黒髪ロングの握る手の力強さに面食らいながら、光太は断った。

 

「そんなこと言わずに……!」

 

 黒髪ロングも譲らない。

 

「い、いや、私はこちらの本にします……!」

 

 そう言って光太は左手を棚の適当な本に伸ばした。すると今度は同じ本に手を伸ばした黄色髪ショートボブの生徒と手がぶつかった。

 

「あ、ああ、失礼、どうぞ」

 

 光太は手を引っ込めようとした。しかし、今度はその黄色髪ショートボブが光太の左手をガシッと掴んだ。

 

「な、何を……⁉」

 

「いえ……先生こちらの本をお読みになろうとなさったのですよね? どうぞ遠慮なさらずにお手に取って下さい」

 

「い、いいえ! ただ適当に手を伸ばしただけですから……貴方がお読みになって下さい」

 

「そんな悲しいこと言わずに……!」

 

 黄色髪ショートボブもなかなか譲らない。光太は二人の強く握ってくる手をなんとか振りほどく。

 

「見慣れない顔ですが……声色や手の固さからして女子生徒の恰好をした男子生徒ですよね? 服装などについてとやかく言うつもりはありませんが、私は絶対に読書をしなければならないという訳ではありませんから……失礼します」

 

 光太は首を何度か傾げながら、その場をそそくさと後にした。

 

「くっ……『偶然のときめき作戦』も失敗か……」

 

 ウィッグを外した秀吾郎が悔しそうに呟く。

 

「何をどうしたら成功だったのですか……?」

 

 同じくウィッグを外した南武が悲しそうに呟く。

 

「それは……なんでしょう?」

 

「質問に質問で返さないで下さい」

 

 放課後、職員室で残業を終えた光太が、登城への準備を早々に整えた。時間が余ったため、ゆっくりとお茶を飲んでいた。そこに爽が駆け込んできた。

 

「失礼します! 新緑先生! ちょっと宜しいでしょうか?」

 

「どうしたのですか、伊達仁さん? そんな血相を変えて……」

 

「このライブ動画をご覧下さい!」

 

「ライブ動画?」

 

「……は~い、改めてこんちはー自由恥部―♪ どうも、黄葉原北斗で~す♪ 今日はね、珍しくこういう早い時間から生配信させていただくんだけど……何をするかって言うと、『人気浮世絵師によるライブドローイング』をお送りしようかと思ってま~す。それじゃあ早速、人気浮世絵師さんどうぞ~」

 

「こ、こんちはーじ、自由恥部―。……浮世絵師の橙谷弾七だ、よろしく頼む」

 

「橙谷ちゃん~今日は何を描いてくれるのかな~」

 

「洗練された肉体美を描こうと思っている……」

 

「ってことはモデルがいるのかな~?」

 

「ああ、気が進まねえが……おい、入ってきてくれ」

 

 動画に二人のマッチョが映り込んできた。

 

「ど、どうも細田です……」

 

「お、太田と言います……」

 

「ぶほっ!」

 

 光太は口に含んでいたお茶を思い切り噴き出した。爽が尋ねる。

 

「どうなさいました、先生⁉」

 

「げほっ、げほっ……な、何でもありません。そろそろ登城しなければならない時間ですので、申し訳ありませんが失礼致します……」

 

光太は鞄を手に取って、フラフラになりながらも職員室を後にした。その様子を見た爽の眼鏡がキラリと光った。

 

「……もう一押しですかね」

 

 光太が廊下に出ると、葵が話し掛けてきた。

 

「先生! お願いがあります!」

 

 光太が右手を前に出してそれを制する。

 

「予算の件でしたら認められません……」

 

「そうではなくて! 私も『筋肉達磨』に入会したっ! ぐふぉ⁉」

 

「よ、予算の件! 伺いましょうか!」

 

 光太が慌てて葵の口を塞ぐ。しばらくしてハッと我に返った光太が葵を見ると、葵はニヤっと笑った。

 

「……では、職員室でお話、宜しいですか?」



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真面目な提案

「まずは交渉のテーブルについて頂き、ありがとうございます」

 

 職員室に隣接する応接間のソファーに腰掛けた光太に対して爽が礼を言う。

 

「合わせて本日は少々強引な手段をとってしまったことをお詫び致します」

 

「……少々というか大分強引な手段でしたね、意味が分からない行動もありましたが……」

 

「それについてはやっている本人たちもよく分かってないと思います」

 

「それは意味不明の度合いが過ぎますよ……」

 

 光太が呆れ気味に呟く。

 

「それで……『成功すれば学園を大いに盛り上げることが出来る出し物』というのは?」

 

「葵様、お願いします」

 

爽が葵に目配せをする。葵はこくりと頷き、話を始める。

 

「三つほどご提案させて頂きます」

 

「三つですか……」

 

「はい、まず一つ目に提案するのは『め組による梯子登りの実演』です!」

 

「梯子登り?」

 

「ええ、御存じですか?」

 

「何となくですが……高い梯子を立てて、その上に登って演技を行うものですよね?」

 

 光太は眼鏡を抑えながら答える。

 

「そうです。また、火災状況や風向き、建物の状況などを確認したことが始まりで、さらには高所での作業を行うための度胸をつけるために行われた訓練でもあります」

 

「ふむ……」

 

「火消しの皆さんは昔からこの梯子登りを通して、その威勢の良さを示し、更に身軽さと熟練した技をもって、地域住民にその妙技を披露するとともに、消防の重要性というものを訴えてきました」

 

爽が補足説明をする。

 

「め組の皆さんにはめ組の見習いでもある、当会会員の赤宿進之助君からお願いをしてもらったところ、快く引き受けて下さいました。今、葵様がおっしゃられたように、学生たちには妙技を間近で見て楽しんでもらうと同時に、防災の重要性についても改めて理解を深めてもらう良いきっかけになるのではないでしょうか?」

 

「確かに、なかなか目にすることが無いでしょうからね……」

 

 光太は顎に手をやって呟いた。

 

「次の案は『大人気浮世絵師によるライブドローイング』です!」

 

「それは先日も伺いました。橙谷弾七君がお描きになるのですよね?」

 

「ええ、そうです!」

 

「先日もご指摘させて頂きましたが、その……描く題材があまり好ましくないかと」

 

「その点についてはご心配なく! 橙谷君、いや、橙谷先生がお得意とする風景画を描いて頂く予定です!」

 

「風景画……ですか?」

 

「ええ! テーマは『時代とともに移り行く大江戸城』です! 大きなキャンバスを用意し、一枚絵の中に、過去、現在、そして未来の大江戸城とその周辺風景を豪快かつ繊細に描いてもらおうと思っています!」

 

 爽が再び補足する。

 

「人間性にこそ若干の問題がありますが、橙谷君の実力に関しては疑いの余地はありません。当代きっての画匠の巧みな筆致に触れることによって、生徒たちの芸術的感性も大いに刺激され、より豊かなものになるのではと考えております」

 

「話題性についても間違いないでしょうしね……」

 

 光太は腕を組みながら頷いた。

 

「最後の案ですが、『人気自由恥部亜がお送りする春の生配信祭り!』です!」

 

「人気自由恥部亜とは……北町奉行の黄葉原北斗殿のことですね?」

 

「そうです!」

 

「これも先日ご指摘させて頂きましたが、いくら動画配信が昨今の流行とはいえ、あまりふざけ過ぎた内容は如何なものかと……」

 

「その点についてもご心配はいりません! 内容としては比較的真面目なトークショーを考えています!」

 

「トークショー?」

 

「ゲストには南町奉行の黄葉原南武さんをお呼びして、大江戸の町に関して、NG一切なしのガチンコトークバトルを行っていただきます!」

 

 爽が三度補足する。

 

「あの北町奉行も生放送となれば、それなりに場を弁えたトークをして下さります。ご心配されているような事態は起こりえません」

 

「そうですか……」

 

「まだ決定ではありませんが……時間の都合さえ付けば、万城目生徒会長にもゲストで出演頂く予定です。学園について会長のお考えを聞けるのは、生徒にとっても有意義なことではないかと」

 

「成程……」

 

「更に覆面での出演ではありますが、現役忍者の方にもご出演頂こうかと……」

 

「忍者⁉」

 

 光太の目が一瞬パァっと輝く。

 

「え、ええ……」

 

 爽がややたじろぐ。それを見て、光太は咳払いをする。

 

「し、失礼しました……」

 

「い、いいえ……葵様」

 

 爽が葵に再び目配せする。葵は頷く。

 

「以上の三案が、我々将愉会が提案する『成功すれば学園を大いに盛り上げることが出来る出し物』です! 如何でしょうか?」

 

 葵と爽が光太の様子を伺う。光太はしばらく考えて、こう答える。

 

「先日のに比べると、はるかによいご提案だと思います。」

 

「では……予算の件なのですが……」

 

「前向きに検討させて頂きます……」

 

 光太の返事に葵と爽は目を合わせて頷いた。



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予算認可

 それから数日経った放課後、と組の教室に進之助が入ってきた。

 

「聞いたぜ、しょうゆ会に特別予算が付くんだってな!」

 

「ええ、それにしても随分耳が早いですね」

 

 爽が答える。

 

「もうそこら中で噂になっているぜ!」

 

「そこら中ですか……?」

 

 考え込む爽に対して傍らに立っていた小霧が声を掛ける。

 

「伊達仁さん? どうかなさいましたか?」

 

「こちらの意図したタイミングよりも早く情報が出回っている……?」

 

「伊達仁さん? 何をぶつぶつおっしゃっているの?」

 

「ああ、いえ、何でもありません」

 

 爽は首を横に振った。

 

「……で、我らが将軍さまは何をやっているんでい?」

 

 進之助が自分の机にへばりつくように座っている葵に目をやる。小霧が答える。

 

「反省文を書いている所ですわ、原稿用紙百枚分」

 

「百枚分⁉ オイラでもそこまでは無いぜ……なんでそんなことに?」

 

「今回は大分強引な手段を用いてしまいましたから、主に不法侵入とかプライバシーの侵害とか……会長として諸々の責任をとっていただくということで、反省文提出が予算認可の条件の一つでもあります」

 

 爽が眼鏡の縁を触りながら答える。

 

「そ、そうなのか、大変だな……」

 

 進之助が気の毒そうに呟く。

 

「ああ、上様……やはり自分が忍び込むべきだった」

 

「いや、だから不法侵入前提で話を進めるな……」

 

 肩を落とす秀吾郎に景元が呆れる。

 

「おい、爽ちゃんよ!」

 

 今度は弾七が教室に入ってきた。

 

「あら、どうしました?」

 

「どうしました?じゃねえよ! こないだのライブ動画だよ!」

 

「ライブ動画?」

 

「ああ、結局あの後、緑眼鏡は動画を見てなかったんだろ?」

 

「ええ、そうですね」

 

「じゃあ、あのどこから連れてきたか分からねえマッチョ二人組の絵を描く必要は無かったんじゃねえかよ!」

 

「あ~確かに」

 

「今気付きましたみたいに言うなよ!」

 

「まあ、良い経験になったということで一つ……」

 

「そういう経験値は別に貯めたくねえんだよ!」

 

「まあまあちょっと落ち着きなって、弾七ちゃん~」

 

 弾七の後ろから北斗が声を掛ける。

 

「ライブ動画自体は結構な閲覧数だったよ? 第二弾を希望しますって類のコメントもチラホラあったよ」

 

「やらねえよ!」

 

「え~じゃあ、今度はさ、南武をモデルにとかどう~?」

 

「な、なんで僕が⁉」

 

 北斗についてきていた南武が驚く。

 

「ふむ……案外悪くはねえかもな?」

 

「ええっ⁉」

 

「冗談だよ! 本気にすんな!」

 

「出来た! 反省文百枚!」

 

 葵が叫び、皆が葵の席に近づく。

 

「本当に書いたのかよ百枚も……?」

 

「まあ、それが条件の一つだからね。自業自得みたいなところもあるけど」

 

 そう言って葵は苦笑する。

 

「……では受け取りましょう」

 

 いつの間にか光太が教室に入ってきていた。

 

「ああ、新緑先生すみません、お待たせ致しました。でも、締め切りにはギリギリ間に合いましたよね?」

 

 光太が反省文を葵から受け取る。

 

「……確かに百枚ですね、中身は後で精査するとして……」

 

「予算の方は……」

 

「……認可しましょう」

 

「良かった~」

 

「何故です?」

 

「? 何がですか?」

 

「何故そこまで一生懸命になれるのですか、貴女は?」

 

「それは決まっているじゃないですか、『この学校をより良いものにしたいから』ですよ」

 

「……!」

 

 葵の言葉に光太は目を見開いた。

 

「その滅私奉公の姿勢、実に素晴らしい……」

 

「はい?」

 

「もっと貴女のことを深く知りたくなりましたよ」

 

「「「⁉」」」

 

「先生、それってつまり……?」

 

「ええ……」

 

「将愉会の顧問になって頂けるんですね⁉」

 

「はっ?」

 

「いや~良かった~やっぱり顧問の先生がいないと色々都合が悪いんですよね~」

 

「あ、あの……?」

 

 光太は葵の周囲を見た。皆一様に首を振った。

 

「将愉会また一歩前進! 視界は良好!」



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新たなるライバル

                       漆

 

「みんな、おはよう!」

 

 葵が元気よく挨拶し、教室に入った。まだ若干のぎこちなさが残るものの、クラスメイトの皆もそれぞれ挨拶を返してくれるようになった。転入して約一か月、ようやくこの学園にも馴染めてきたのではないかと、葵は満足しながら席についた。

 

「おはようございます、葵様」

 

「あ、おはよう、サワっち!」

 

爽が席に近づいてきた。

 

「連休はどうしてたの?」

 

「仙台の実家に帰省しておりました」

 

「そうなんだ、良かった。ゆっくり出来た?」

 

「ええ、お陰さまで……こちらはお土産の仙台銘菓、『ずん舌餅(たんもち)』でございます、どうぞ後でお召し上がり下さい」

 

「あ、わ、わざわざありがとう」

 

 葵は爽から差し出された紙袋を受け取った。

 

「葵様、今朝の校内瓦版はご覧になりましたか?」

 

「うんにゃ」

 

 葵は首を横に振る。爽は溜息を突く。

 

「きっとそうだと思いました……」

 

「何か面白いニュースでもあった?」

 

「……ある意味面白いですね」

 

「え、何々? 気になるなあ~」

 

 爽は視線を窓の外にやりながら答える。

 

「その件についてですが……そうですね、放課後に他の会員の皆さんも交えて話し合いをしましょうか」

 

「うん、分かったよ」

 

 爽は一礼すると、自分の席へと戻った。放課後になって、葵は爽に連れられて、ある場所に着いた。

 

「こ、ここは……」

 

「ええ、本日リニューアルオープンした『甘味処 毘沙門カフェ』です」

 

「あの火事からもう立て直したの?」

 

「ええ、消火が迅速であったため、奇跡的なことに、建物自体は崩れ落ちずに済みました。再建にあたっては各方面から多額の募金が瞬く間に集いました。微力ではありますが、わたくしの実家からも……。急ピッチで再建が成りました。異例の早さですが」

 

「異例というか、もはや異次元だね……」

 

「ここで一つご提案があるのですが……如何でしょうか? 今後はこちらのカフェを将愉会の活動拠点の一つにするというのは?」

 

「ああ、それは良い考えだね。ずっと教室の片隅じゃあ、さぎりんが言っていたように味気が無いもんね。それ、採用!」

 

「ありがとうございます」

 

「ひょっとして、これが面白いニュース?」

 

「いいえ、これはどれかと言われれば、良いニュースですね。面白いニュースについてはお店の中で話しましょうか」

 

 爽が葵に店に入るように促す。葵はドアを開けると、店員から声が掛かる。

 

「へい、いらっしゃい!」

 

 店の雰囲気には正直似つかわしくない威勢の良い声の主を見て、葵は驚いた。

 

「進之助⁉ 何やってんの⁉」

 

「何ってウェイターでぃ!」 

 

「ウ、ウェイター?」

 

「お連れの方々がお待ちでぃ! あちらの席にどうぞ!」

 

 進之助が指し示した方に目をやると、小霧と景元がテーブルを囲んでいた。

 

「皆、来ていたんだ。進之助のこと知ってた?」

 

 葵が椅子に座りながら小霧に尋ねる。小霧は首を振る。

 

「全然知りませんでしたわ、伊達仁さんはご存知でしたの?」

 

「ええ、一応は」

 

「なんでまたウェイターを?」

 

「知っての通り、お店が出火したのは、あの巨漢の方の暴走が主な要因ですが……彼と揉めた自分にも責任の一端はあるということで、アルバイトを志願されたそうです」

 

「志は立派だが、あの調子ではな……まるで居酒屋のような接客態度だぞ」

 

 景元が渋い表情で、忙しく立ち働く進之助を見つめる。

 

「ま、まあ元気があって良いんじゃないかな?」

 

 葵の言葉に小霧も同調する。

 

「多少の場違いさは否めませんが、容姿は悪くはありませんからね。早速熱心なファンもいるようですし……」

 

 そう言って、近くの席に視線をやる。そこには八千代の姿があった。

 

「ああ、赤毛の君……」

 

 八千代は両手を胸の前で組んで、うっとりとした表情で進之助を見つめている。

 

「吊り橋効果は依然継続中か……」

 

 景元はなんとも言えない表情で呟く。ウエイトレスを呼んで、注文を済ませた爽が軽く咳払いをする。

 

「こほん……それでは本題に入りましょうか」

 

 爽は自身の端末を操作して、画面を皆に見せながら瓦版の記事を読み上げる。

 

「『誰が真の将軍にふさわしいか』第二回支持率調査……氷戸光ノ丸、40%、五橋八千代、25%、日比野飛虎、18%、若下野葵、17%……」

 

「前回より2%上がったね!」

 

「氷戸さんと五橋さんが5%ずつ減らしていますわね」

 

「本来ならその10%分をこちらに引っ張ってこなくてはならないのですが……」

 

「は組のクラス長がここで出てくるとはな……」

 

 景元の言葉に爽が頷く。

 

「ええ、二年は組クラス長、日比野飛虎(ひびのあすとら)……当初は旗色を鮮明にしていませんでしたが、ちょうど連休に入る直前辺りから陣営が動き始めましたね」

 

「こ、この人ももしかして?」

 

「ええ、継承資格を持った方です」

 

 葵の問いに爽が答える。葵がテーブルに突っ伏した。

 

「新たなライバル出現か~。どういう人なの?」

 

 葵が三人に尋ねる。

 

「説明するには情報が不足していますね」

 

「え?」

 

「あまりクラス長会議等にもお顔を出されない方なんですのよ」

 

「一年の頃からそういう調子だな……」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「しかし、敵のことはよく知らなければ戦になりません。葵様、ちょっと両手をポンポンっと叩いてみて下さい」

 

「え、何?」

 

「お願いします」

 

 爽の突然の申し出に葵は戸惑いながら両手を叩いた。すると、秀吾郎が姿を現した。

 

「うわっ、ビックリした⁉」

 

「上様、お呼びでしょうか?」

 

「合図を決めておきました。これでいつでも黒駆君が駆けつけてくれます」

 

「そういうの、私抜きで決めないでもらえる⁉」



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調査報告

 葵は気を取り直して、秀吾郎に頼む。

 

「秀吾郎、二年は組の日比野飛虎って人についてちょっと調べてもらえるかな?」

 

「どんな些細なことでも構いません。趣味や交友関係、嫌いな食べ物に至るまで」

 

「出来れば弱味になりそうなこととかが望ましいですわね……」

 

「え、えげつないな……」

 

 爽と小霧の言葉に景元はやや眉をひそめる。

 

「御意……ん?」

 

 秀吾郎が周囲に目をやる。

 

「どうかした?」

 

「いえ、今なにか視線を感じたような……」

 

「そりゃあいきなり店内に黒ずくめの男が現れたら誰だって見るでしょ……」

 

 葵の言葉通り、周辺の座席に座る店の客たちが突如として現れた秀吾郎の姿に大きくざわついた。

 

「こういった類のものとはまた違うような……」

 

「?」

 

「……やはりなんでもありません、失礼します」

 

「それでは報告は明日の放課後、このお店で」

 

「承りました。では……!」

 

 秀吾郎はその場で姿を消した。その様子を見て、周辺の客が再びざわついた。

 

「本当に忍びだって隠す気無くなっているだろ、あいつ……」

 

 景元が呆れたように呟き、葵は頭を抱えた。

 

「対応策の協議は明日の報告を受けてからにしましょう。今日の所は以上で」

 

「え、いいの?」

 

「ええ、目安箱に相談も来ていないようですし……あ、クリームあんみつはわたくしです。ありがとうございます。それでは、いただきます」

 

 爽が自身の注文したスイーツを食べ始める。

 

「伊達仁さん、もしかして……それが主な目的だったのではありませんか?」

 

 小霧が訝しげな視線を向ける。葵は苦笑した。

 

 

 

 翌日、再び店に集まった葵たち。爽に促されて、葵は渋々両手を叩く。

 

「黒駆、只今参上いたしました」

 

 秀吾郎が現れる。例の如く店内がざわつく。

 

「いや、普通に来れば良くない⁉」

 

「雰囲気が出るかと思いまして……」

 

 爽の言葉に秀吾郎も満足そうに頷く。

 

「まあ、いいや……じゃあ報告よろしく」

 

「はい……日比野飛虎殿……八月七日生まれのAB型。身長は177㎝で体重は57㎏。試験の成績は常に十番以内と学業優秀。空手部に所属し、全国大会にも出場経験があるなど、運動神経も抜群。さらには町を歩けば女子が思わず振り向くほど容姿端麗。名門日比野家の跡取り息子として全く非の打ちどころがありません」

 

「へ、へえ……」

 

「……どうぞ、続けて下さい」

 

 感心する葵を横目で見ながら爽が促す。秀吾郎は再びメモを読み上げる。

 

「……趣味はギター、ダンス、サーフィン等々多数。交友関係については男女また、世代を問わずにかなり幅広いです。食べ物の好き嫌いは無いようです」

 

「ほ、ほお……」

 

「そういえば継承順位は何番目ですの?」

 

 小霧が尋ねる。

 

「……七十七番目です」

 

「あら、意外と高くはないんですのね……」

 

「それでも支持を高めてきているのは、やはり……?」

 

 景元の問いかけに秀吾郎が答える。

 

「そうですね、モデル業を中心とした芸能活動の影響もあるかと思います」

 

「え、芸能人なの⁉」

 

 驚く葵に爽が説明する。

 

「コマーシャルやドラマや映画などにも多く出演しています。目下売り出し中のタレントといったところですね。ご存知ありませんでした?」

 

「あんまりテレビとか見ないんだよね。顔を見れば分かるかもしれないけど……」

 

「わたくしも正直あまり存じ上げませんが、クラスの女子にもファンが多いですわね」

 

「人気者の出馬となれば、世間の注目は自然に集まるか……」

 

「非常に大きなアドバンテージですね……」

 

「……ああ、そうか。だから会議にもあんまり顔を見せないってことなの?」

 

 葵の問いに爽たちが頷く。

 

「それ以前に学校にもあまり来ていないのです。無論、進級には影響ない程度ですが」

 

「そう。ですから、どういう人となりかも実は良く知らないんですのよ」

 

「トーク番組やインタビューの類もほぼないからな……」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「他にはなにかありますか?」

 

 爽の問いに秀吾郎が申し訳なさそうに答える。

 

「申し訳ありません。これ以上は今の所……」

 

「例えば、食べ物以外で嫌いなものとか無いんですの?」

 

「それを聞いてどうする?」

 

「なにか弱みに繋がるかもしれませんでしょ?」

 

「まだそんなことを……」

 

 小霧の考えに景元がやや呆れる。秀吾郎がメモに目をやる。

 

「嫌いな言葉でしたら……『」

 

「『愛と平和』だ」

 

 声がした方に皆が振り返る。そこにはやや紫がかった髪色の男が立っていた。

 

「誰……?」

 

「日比野飛虎さんです……!」

 

「ええっ⁉」

 

 爽の耳打ちに葵が素っ頓狂な声を上げる。飛虎はズカズカと葵たちのテーブルに近づき、席に着いた。更に両足をテーブルの上にドカッと置き、不遜な態度でこう言った。

 

「なにやらこそこそと俺のことを嗅ぎまわっているようだからな、クソ忙しい中こうして挨拶にきてやったぜ。感謝しろよな、上様?」

 

「お、おおう……」

 

 葵はなんとも言えない声を出した。



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カリスマ性

「『愛と平和』が嫌いな言葉ですか……」

 

「ああ、大嫌いだね」

 

「その心は?」

 

「あん?」

 

 爽の問いに飛虎が首を傾げる。

 

「なぜお嫌いなのかなと思いまして」

 

「そりゃあ綺麗事だからだよ」

 

「綺麗事……」

 

「ああ、俺は上っ面だけ取り繕っているやつがとにかく嫌いでね、そういうやつに限って、『愛』だとか『平和』だとか平気で抜かしやがる」

 

「わたくしからも一つよろしくて?」

 

「何だよ?」

 

 小霧が飛虎に尋ねる。

 

「なんでまた将軍選挙に出ようと思ったんですの?」

 

「はっ、んなもん決まっているだろ? 家柄だけにかまけているような馬鹿どもに吠え面かかせてやるためだよ」

 

「……そういう貴方も名門と名高い日比野家の跡取りじゃありませんこと?」

 

「俺は家柄に胡坐をかいたことは只の一瞬もねえ、あの時からな……」

 

「あの時?」

 

 景元の問いを無視して、飛虎は話を続けた。

 

「努力を怠ったことは一度たりともねえ、ただただ実績を積み重ねることに腐心してきた……全ては俺という人間を認めさせる為にだ!」

 

 飛虎は席を立った。

 

「……挨拶は済んだ。何やら怪しげな会を作って、色々と馬鹿げた活動をしているみたいだけどよ、くれぐれも俺の邪魔だけはしてくれるなよ、じゃあな」

 

「……ちょっと待って」

 

 葵が立ち上がり、飛虎に近づき、見上げながら話しかける。

 

「半分気が合うね」

 

「あ?」

 

「私も正直貴方の言う『家柄にかまけている人たち』のことあんまり好きじゃないの」

 

「……あっそ」

 

「でも、人のことを軽々しく馬鹿っていう人もあんまり好きじゃないんだ……というか、大っ嫌いかな」

 

「何が言いたいんだよ?」

 

「分からない? じゃあはっきり言ってあげる」

 

 葵は飛虎の着けていたネクタイをグイッと引っ張り、顔を近づけてこう言った。

 

「貴方は人の上に立つべき人間じゃないってことよ! だから私は貴方にも絶対に負けない! 負けるわけにはいかない!」

 

「衣装を引っ張るな、こっちは撮影抜け出してきてんだよ」

 

 飛虎は葵の手を振り払った。

 

「人の上に立つべき人間じゃない? 言ってくれるじゃねーか、俺がここまで築き上げてきたイメージをなめんなよ?」

 

「イメージ?」

 

「俺は学園では文武両道の優秀な生徒、そして芸能界では押しも押されぬ人気モデル……これが世間が俺に抱いているイメージだ。知勇兼備どころか知勇にカリスマ性と人望までセットになっていやがる。ポッと出のアンタが逆立ちしようが何しようが、埋めがたい圧倒的なまでの差が存在しているんだよ!」

 

 そう言って、飛虎は大げさに葵の前で右手を上下させた。

 

「くだらねえこと言っている暇があったら、将軍職退位のご挨拶でも考えておきな」

 

 飛虎は踵を返し、店から出ていった。

 

「……」

 

「葵様……」

 

「随分とまた偉そうなやつだなあ~」

 

 いつの間にかテーブルに弾七が座っていた。

 

「弾七さん……」

 

「ああいう不遜な物言いするやつ、本当にいるんだな? あ、これ美味いな」

 

「人のこととやかく言えないと思うぞ? そして、それは僕の頼んだケーキだ……」

 

 弾七は景元の指摘を無視して、葵に語りかける。

 

「どうしたよ、ああまで言われて反論しないなんてらしくねえんじゃねえの?」

 

「いや……悔しいけど、どうしても埋めがたい差があるよ、私とあの人の間には」

 

「知は勉強すりゃ埋まる。勇もアンタには十分備わっていると思うぜ」

 

「うん、ただ……」

 

「世間への訴求性がまだまだ弱いか……」

 

「うん……」

 

 葵は肩を落とす。

 

「なら補えば良いじゃねえか」

 

「そ、そんなこと言ってもどうやって?」

 

「助っ人に頼るんだよ、アイツ位のカリスマ性を持ったやつによ」

 

「そ、そんな人いるの?」

 

「少なくとも一人、心当たりがあるぜ」

 

 弾七は指を一本立てて、ニヤリと笑った。



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紫の君は突然に

 それから約数十分後、葵と爽と弾七は銀座のある建物の前に立っていた。

 

「こ、ここは……?」

 

「歌舞伎座だよ。なんだよ、知らないのか?」

 

「それは知っているけど、何でまたここに連れて来たの?」

 

「ここにいるからだよ、助っ人候補が」

 

 そう言って弾七は歌舞伎座の建物を指し示す。葵と爽は驚く。

 

「ええっ⁉」

 

「ほお……?」

 

「じゃあ入ろうぜ。……ああ、そっちじゃない、関係者入り口はこっちだ」

 

「関係者……?」

 

「葵様とにかく参りましょう」

 

 爽に促されて、葵は戸惑いながら弾七に続いて関係者専用の入り口へと向かった。

 

「ほ、本当に中に入れた……」

 

「俺様くらいになれば顔パスよ」

 

 弾七は両手を大袈裟に広げ、誇らしげに胸を張る。爽が冷静に問う。

 

「それで、助っ人というのは?」

 

「さっき連絡をとっておいた。なかなか忙しい奴だが、公演の合間なら時間が取れると言ってくれたぜ。えっと……ああ、この楽屋だ」

 

 弾七が楽屋のドアをノックする。

 

「橙谷だ、入っていいかい?」

 

「……どうぞ」

 

 部屋の中から艶のある色っぽい声が聴こえてくる。

 

「邪魔するぜ」

 

 弾七が部屋に入り、葵たちが続く。

 

「急に時間を取ってもらって悪かったな」

 

「橙谷先生とアタシの仲さね、つまらないことをお気にしなさんな」

 

 そこにはまるで浮世絵の中から飛び出してきたかのような美しくきらびやかな花魁姿の人物が畳の上に座っていた。その人物は鏡越しに目が合った葵の存在に気が付くと、ゆっくりと振り返った。

 

「あらあら、これはこれは、珍しいお客様じゃありませんか。上様、お目に掛かれて大変光栄でございます」

 

「あ、は、はい、こちらこそ……」

 

 花魁姿の人物は畳に両手を付き、葵に向かって恭しく礼をした。

 

「ど、どうぞ頭を上げて下さい」

 

「……それではお言葉に甘えさせて頂きます」

 

 花魁姿の人物は顔を上げて、葵と目を合わせる。

 

「き、綺麗……」

 

 葵は思わず呟いた。

 

「そのようなお言葉を賜るとは……お世辞でも嬉しく存じます」

 

「お、お世辞なんかじゃありません! 本当にお綺麗です! 憧れちゃいます!」

 

「あらまあ、お上手でいらっしゃいますこと」

 

 花魁は右手を口に添える。

 

「い、いや本当にそう思っていますって!」

 

「ふふっ、冗談です」

 

花魁は弾七に目をやる。

 

「橙谷先生もお人が悪いこと……。まさか上様をお連れになるなんて……こちらにも心の準備というものが必要ですわ」

 

「悪かったよ、今日は頼みがあって来たんだ」

 

「頼み?」

 

「ああ、お前さんにしか頼めねえことなんだ」

 

「ええ、アタシにしか?」

 

「ほら、アンタからも頼みなよ」

 

 弾七に促され、葵は未だに戸惑いながらもバッと頭を下げた。

 

「お、お願いします! あなたの力を貸して下さい!」

 

「あらあら、上様……どうぞ面をお上げになって下さいな」

 

「あなたが必要なんです!」

 

 葵は頭を上げて尚も頼み込む。

 

「あなたが欲しいんです!」

 

「葵様、言葉が抜けています! それでは意味が変わってしまいます!」

 

 側に立っていた爽が慌てて止めに入る。花魁は目を丸くしながら答える。

 

「よく分かりませんが、何やら大事なお話の様でございますね……衣装を着たままでは失礼ですわね。すぐに着替えて参りますのでちょっと失礼させて頂きます。どうぞお掛けになってお待ち下さい」

 

「は、はあ……?」

 

 花魁は立ち上がって、楽屋の内側のドアを開けてそこに入っていった。

 

「まあ、座って待とうや」

 

「う、うん……」

 

 葵は畳の上に正座した。

 

「……お待たせを致しました」

 

 数分後、ドアの向こうから先程と同様に艶のある色っぽい声が聴こえてきた。ただ、その声には若干の凛々しさも感じられた。葵はそのことをやや不思議に思いながらも返事をした。

 

「あ、いえ……」

 

「失礼致します」

 

「えっ……⁉」

 

 楽屋にゆっくりと入ってきて正座をした人物を見て葵は驚いた。声は先程までいた花魁と同じなのだが、姿が男性なのである。

 

「お、男の人……⁉」

 

 男は改めて両手を畳に付いて、礼をした。そして、頭を上げてこう名乗った。

 

「改めまして……本日はお目に掛かることが出来まして大変光栄でございます。アタシはこの歌舞伎座で役者をやっております、涼紫獅源(すずむらさきしげん)と申します。以後、お見知り置き下されば、この上もない喜びです」

 

 少し長い紫色の髪をした男は品のある笑顔を葵に向けた。

 

「え、ええ……?」

 

 葵はやや間抜けな顔でそれに応えた。



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相談の結果

「さ、先程と同じ方ですか?」

 

「ええ、左様でございます」

 

「さっきはどう見ても女の人だと思ったのに……」

 

 獅源は手で口元を抑えながら小さく笑った。

 

「ふふっ、それがアタシの生業でございますからね」

 

「獅源は女形(おんながた)の役者だからな」

 

「女形……」

 

「歌舞伎ってのは女も男が演じるんだよ」

 

「そ、それ位は勿論知っていたけど、まさかここまでとは……」

 

「まあ、勘違いしても無理は無えわな。なんてたって当代きっての女形だからな」

 

 弾七の言葉に獅源が静かに微笑みを浮かべる。

 

「橙谷先生、それはちょいとばかり言い過ぎです」

 

「そうか?」

 

「ええ? アタシの芝居なんかお兄さんたちに比べればまだまだひよっこ同然。そうですね……精々若手随一といったところでございましょう」

 

「全然謙遜になってねえぞ、それ」

 

 弾七と獅源は声を出して笑った。爽が口を挟む。

 

「成程……そういえば橙谷さんは、いくつか涼紫さんの役者絵をお描きになられていましたね。それがきっかけで親しくなられたのですね」

 

 弾七が頷く。

 

「ああ、何点か描いた内の一点が特に評判を呼んでな……俺様の出世作であり、代表作の一つになった。大天才浮世絵師、橙谷弾七にとっては足を向けて寝られねえ、数少ない存在の一人だぜ」

 

「それはまた嬉しいことをおっしゃって下さる……お陰さまでこちらも随分と名が売れました。駆け出し同然の役者にとっては本当にありがたいことで……まったく先生にはいくら感謝してもしきれません」

 

「よせやい、心にもないことを」

 

「それはお互い様でございます」

 

「って、おいおい!」

 

 弾七と獅源は再び声を出して笑った。葵がおずおずと話し掛ける。

 

「あの~弾七さん?」

 

「ん?」

 

「二人が以前からのお知り合いだということはよく分かったんだけど……よくよく考えてみると、学外の人の助けを借りるというのもちょっと違うような……あくまで学園内の選挙活動なわけだから……」

 

「ああ、そんなことか。それなら心配要らねえよ」

 

「え?」

 

「だって、コイツも大江戸城学園の生徒だぜ。アンタらの一年先輩になるか?」

 

「ええっ⁉」

 

 葵は爽の方に振り返る。爽が若干申し訳なさそうに頷く。

 

「申し訳ありません、葵様。口を差し挟む暇が無かったもので……ご紹介が遅れました。涼紫獅源さん、三年と組の生徒で、現役の学生さんでもあります」

 

「そ、そうだったんだ……」

 

「はい」

 

「ただ、ダブりだけどな、今年19になるんだっけ?」

 

「あ、そうなんですか……」

 

「お恥ずかしいことですが、昨年度は公演で忙しく、出席日数不足の為……今年度は学校側とも相談した上、何とか卒業出来るようにスケジュールをやり繰りしております」

 

「そ、それは大変ですね……」

 

「それじゃあ俺様と一緒に卒業出来そうだな!」

 

「先生はそもそも成績面で落とされるんじゃないかしら?」

 

「縁起でもないことを言うなよ!」

 

「おほほほ……」

 

 獅源はまた口を抑えて笑った。

 

「まあいいや、時間も無いんだろ? 本題に入るぜ」

 

「ええ、どうぞ」

 

「『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』ってのを知っているかい?」

 

「ああ、小耳には挟みました。なかなか愉快な面々が顔を揃えているとか」

 

「実は俺様も名を連らねているんだ」

 

「へえ……先生も?」

 

「ああ、じゃあ、『誰が真の将軍にふさわしいか』を決める学内選挙が六月の末に行われるのは知っているかい?」

 

「ああ、それも何となくですが……」

 

「これが本日発表された候補者たちの支持率です」

 

 爽が近づいて端末の画面を見せる。

 

「! ふむ……」

 

 候補者たちの名前の欄を見て、獅源は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに平静さを取り戻し、葵たちに向き直った。

 

「それで、アタシに何を頼みたいのですか?」

 

 爽が眼鏡を触りながら答える。

 

「葵様はまだまだ世間への訴求性がまだまだ弱いというご意見が橙谷さんからもありまして……世間の知名度向上、イメージアップの為に、是非とも涼紫さんのお力添えをいただきたいのです!」

 

「それはそれは、なかなか難しいことをおっしゃいますこと……」

 

「葵様にはきっかけ一つで世間の人気を得るだけの十分なポテンシャルが備わっているとわたくしは確信しております!」

 

「お写真などは拝見しておりましたが、実際こうしてお目に掛かると……成程、整ったお顔立ちをなさっていますね、お化粧映えしそうでございます」

 

 獅源はまじまじと葵の顔を見て呟く。

 

「日々のメイクから見直せ、ということですか?」

 

 爽の問いに、獅源は軽く手を振る。

 

「それも大事ですが……選挙まで日があるようで無いのでしょう?」

 

「それはそうですね……」

 

「でしたらそんな悠長なことをせず、いっそ大胆なことを致しましょう?」

 

「大胆なこと?」

 

 葵が首を傾げる。

 

「実は十日後に、一日限りですが、アタシが座長で特別興行を打つことになっているのでございます。どうでしょう、上様はじめ、えっと……将愉会でしたかしら? 皆さん舞台に出演なさっては如何でしょうか? 現役の将軍様が舞台にお上がりになるなんて、きっと盛り上がること間違いなしでございます」

 

「「「え、えええっ⁉」」」

 

 獅源の突拍子もない提案に葵たちは驚いた。



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配役発表

「というわけで……お芝居に出演することになりました~! はい、拍手~!」

 

 翌日、葵が毘沙門カフェに集まった将愉会の面々に伝える。

 

「「「……」」」

 

「あ、あれ、皆リアクション薄いな~どうしたの?」

 

「……どうしたもこうしたも、なにがどうなったらそんなことになるんですの⁉」

 

 小霧が立ち上がって、葵に問いかける。

 

「えっと、その場の流れというか……?」

 

「流れって……伊達仁さん、貴女がついていながら……」

 

 小霧が爽に視線を向ける。爽が静かに口を開く。

 

「将愉会にとって大きな宣伝効果が見込めると判断して、了承致しました」

 

「し、しかし!」

 

「もう五月も二週目……そろそろ形振り構ってはいられません。支持率上昇に繋がることであれば、積極的に行っていくべきだと考えます」

 

「で、ですが……」

 

 小霧が景元に助けを求める。景元が口を開く。

 

「だが、舞台出演というのは……我々は演技に関しては素人の集まりだぞ、少々無謀すぎるんじゃないか?」

 

「その点についてはご心配には及びません」

 

 皆が声のする方に振り返ると、そこには獅源が立っていた。

 

「貴方は……!」

 

「初めましての方は初めまして……アタシは歌舞伎役者をやっております涼紫獅源と申します。以後お見知り置きを」

 

「おお、超有名人じゃん! サイン頂戴!」

 

「あ、兄上、少しは自重なさって下さい……」

 

 北斗のミーハーな態度を南武がたしなめる。

 

「心配には及ばないというのは……?」

 

 景元の問いに獅源は両手を広げて答える。

 

「今回、皆さんにご出演頂こうと思っているのは、一幕と二幕の間、いわゆる幕間の時間を使った簡単なお芝居でございます。何も本格的な歌舞伎の演目を演じてもらうという訳ではありません」

 

「簡単なお芝居?」

 

 小霧の呟きに獅源は大仰に頷く。

 

「そうです! ですからそんなに肩肘張らずに、リラ~ックスした状態で演じてもらえばそれで構いません」

 

「リラックスした状態か……なかなか難しそうだな」

 

「お前さん、常日頃気を張ってそうだもんな、ちょっとベクトルを間違えているような気もするけど……」

 

 難しい表情で考え込む秀吾郎の肩を弾七はポンポンと叩く。

 

「まあまあ、お気楽に行こうってことだよ!」

 

「赤宿君はお仕事を続けながら話を聞いて下さい。私の注文したチョコレートパフェがまだのようですが?」

 

 ウェイターの手をすっかり休めてしまっている進之助を光太が注意する。

 

「とにかく、こういう時の為に用意しておいてもらったホン、ああ、ホンというのは台本のことです。それがあるのです! 諸事情によりお蔵入りしていたのですが……」

 

「諸事情って何?」

 

 葵が首を傾げて問いかける。

 

「伝統ある歌舞伎座の舞台にかけるにはちょっとばかり稚拙な出来……いえいえ! 子供向け過ぎるかしら?という内容でして、没にしていた……いえいえ! 封印していたのですが、こうして奇跡的にもこのホンにピッタリな色物の皆々様……いえいえ! 素敵な顔ぶれが揃っているんですもの! 出演して頂かない手はありません!」

 

「素敵な顔ぶれ?」

 

 葵の言葉に獅源が頷く。

 

「だってそうでしょう? 上様を初め、大大名のお嬢様たちにお坊ちゃま! 更に火消しのお兄さんに浮世絵師の先生、そして双子の町奉行様に勘定奉行様、おまけに世にも珍しい忍……黒ずくめの人! こんな愉快な面々が舞台に立つなんてそうそうあることではありません!」

 

「く、黒ずくめの人って!」

 

「もしかして、私も頭数に入っているのですか……」

 

「少々引っかかる物言いですが……既に台本が出来上がっているということですね?」

 

「ええ! 今お配り致します」

 

 獅源は台本を皆に配った。葵が台本の表紙を見て呟く。

 

「『新訳 桃太郎』……?」

 

「そうです! 昔話で有名なあの桃太郎を現代風の解釈を加えて大胆にアレンジしたものになります!」

 

「そりゃあ、一旦ボツにするわな~」

 

「あ、兄上……!」

 

 茶々を入れる北斗は気にせず、獅源は話を進める。

 

「それではいきなりですが配役を発表させて頂きます! まず主人公の桃太郎は……上様にお願い致します!」

 

「ええっ⁉ 私が主役⁉」

 

戸惑う葵に対し、獅源が優しく語りかける。

 

「他に適任者はおりません。上様なら大丈夫でございます」

 

「そ、そうかな~?」

 

「では続いて、お爺さんとお婆さんを大毛利さんと高島津さんにお願い致します」

 

「わ、わたくしがお婆さん⁉」

 

「まあ、そうなるな……」

 

 不満気な小霧とは対照的に、景元はやや諦めの表情で呟いた。

 

「桃太郎と言えば、三匹の子分! 犬を黒ずくめのお兄さん! 猿を赤毛のお兄さん! そして雉を橙谷先生! それぞれお願い致します」

 

「影であるべき自分が舞台に出ていいのだろうか?」

 

「何をぶつぶつ言ってやがんでえ! 楽しまなきゃ損だぜ!」

 

「まあ、何ごとも創作に繋がる経験か……」

 

「そして、桃太郎に対してきび団子を法外の値段で売りつける胡散臭さ満点の売人を……新緑先生、お願い致します」

 

「……そんな登場人物、桃太郎にいなかったでしょう?」

 

「そこは現代風のアレンジってやつですよ」

 

「現代風とは便利な言葉ですね」

 

 光太は溜息を突いて、台本に視線を落とした。

 

「続いて、桃太郎一行を鬼ヶ島へと導く謎多き正体不明の双子を、黄葉原兄弟のお二人にお願い致します」

 

「お、まさに俺たちにうってつけの役だな!」

 

「な、何でそんなに前向きなんですか、兄上は……」

 

「ナレーションは伊達仁さんにお願い致します」

 

「……分かりました」

 

「鬼ヶ島にいる青鬼はアタシ、涼紫獅源が務めさせて頂きます。今日の所は台本に目を通してもらって、練習は明日からに致しましょう」

 

「本番までの期間が少し短いですが……大丈夫でしょうか?」

 

 爽のもっともな問いに、獅源は落ち着いて答える。

 

「何、大した長さではありませんよ。僭越ながらアタシが指導させて頂きます。一週間もあれば十分でございますよ」

 

「赤鬼は?」

 

「え?」

 

「いや、赤鬼は誰がやるの?」

 

 葵の問いに獅源は俯く。

 

「それなのですけどね……実はゲスト出演をお願いしていた上方、関西の役者さんについでに演じてもらおうと考えていたのですが……怪我をなさってしまって、当日出演出来なくなってしまったのでございます」

 

「そうなんだ……」

 

「歌舞伎の方は代役が見つかったのですが、こちらの赤鬼が……自分で言うのもなんですが、アタシと対になる役どころですから、それなりの役者さんにお願いしたいと考えているのですが……ちょっとばかり難航しておりまして」

 

「……分かった、それなりの人だね」

 

「え?」

 

「秀吾郎、ちょっと耳貸して」

 

「は、はい……え⁉」

 

「大至急、お願いね」

 

「かしこまりました!」

 

 秀吾郎がその場から姿を消した。獅源が戸惑う。

 

「あ、あの、上様……?」

 

「ちょっと待っていて……」

 

「は、はあ……」

 

 しばらくすると、秀吾郎に連れられてある人物がカフェへと入ってきた。その人物を見て、皆驚いた。

 

「急に呼び出して何の用だよ……」

 

「ああ、日比野君、突然だけど、赤鬼やってくれない?」

 

「はあ?」

 

「「「えええっ⁉」」」



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てんやわんやのリハーサル

「赤鬼ってなんだよ……」

 

「この『新訳 桃太郎』に出てくる役だよ!」

 

 葵が満面の笑みで答える。

 

「桃太郎~?」

 

「おっと、ただの桃太郎と侮るなかれ! これは現代風の解釈を加えて大胆にアレンジした更にオリジナル要素もふんだんに盛り込んだ斬新なものなんだよ!」

 

「……それってほとんど別物じゃねえのか」

 

「まあ、まだ私もちゃんと読んでいないんだけど」

 

「アホらし、帰る」

 

「ま、待った! ちょっと待ってよ!」

 

 葵が飛虎に駆け寄り、その両手を取る。

 

「この役を演じることは貴方にとっても大きなチャンスになるんだよ!」

 

「チャンス?」

 

「そうだよ! 貴方のキャリアを見させて貰ったんだけど、まだ舞台でのお芝居というのは未経験なんだよね?」

 

「……スケジュール諸々の都合でな、舞台にはまだ立ったことは無い」

 

「うん、良いじゃない!」

 

「何がだよ」

 

「初舞台が歌舞伎座なんて、そうそうあることじゃないよ! 貴方の今後の芸能生活においてもターニングポイントになること間違いなしだよ!」

 

「……汚点になるの間違いじゃねえのか?」

 

 飛虎は葵の手を振り払って出て行こうとした。

 

「……じゃあ条件を付けるよ」

 

「条件?」

 

 飛虎が振り返って尋ねる。

 

「この舞台が不成功に終わったら、私は選挙から降りる。貴方の応援にまわるよ」

 

「⁉」

 

「葵様⁉」

 

「ちょ、ちょっと若下野さん⁉」

 

 葵の突然の提案に爽たちも驚いた。飛虎があごに手をやりながら尋ねる。

 

「成功不成功は何を以って判断するんだよ……?」

 

「舞台終了後にアンケートを取る。これは例えばだけど、『今の芝居に満足しましたか?』みたいな質問をするの。そこで『満足した』という回答が80%以上だったら成功。80%未満だったら不成功。……っていうのはどうかな?」

 

 飛虎はしばらく黙っていたが、やがてニヤりと笑って答えた。

 

「面白れぇ……分かった、その勝負乗ったぜ」

 

「じゃあ、赤鬼やってくれるのね?」

 

「良いぜ、やってやるよ」

 

「涼紫さんも良いかな?」

 

「え、ええ、上様のお考えに従います」 

 

獅源はやや戸惑いながらも了承した。

 

「決まりだね、じゃあこれが台本。明日から練習を始めるからよろしくね」

 

「……分かった」

 

翌日から、学園の多目的教室を利用してのリハーサルが始まった。

 

「お爺さんはパチンコに、お婆さんはネトゲのオフ会に行きました……」

 

「ちょ、ちょっと待って下さる⁉」

 

 お婆さん役の小霧が声を上げる。獅源が不思議そうに尋ねる。

 

「どうかなさいました?」

 

「川へ洗濯に行かなくて良いんですの? 桃は⁉」

 

「お爺さんがパチンコの景品でゲットします」

 

「なんですのそれ⁉」

 

「なんですのって……」

 

「現代的解釈ですよ」

 

「……何で伊達仁さんまで納得しているんですのよ……」

 

 小霧は頭を抱えた。光太が手を挙げる。

 

「私も一つ宜しいですか? 台本には『巧妙な話術できび団子を売りつける(アドリブ)』と書かれているのですが、どう演じれば良いのですか?」

 

 獅源が試しに演じてみせる。

 

「うーん、例えば……『ちょっと、そこの桃の髪飾りがイケてるお兄さん! ヤバい団子あるんだけど、見てかない?』って感じでしょうか?」

 

「……一応、参考にさせて頂きます……」

 

 光太が退き下がった。今度は弾七が手を挙げる。

 

「ちょっと良いか? 『きび団子を巡って犬・猿・雉がラップバトル』ってなんだよ! 一晩経っても意味分かんねえよ!」

 

「それは終盤への重要な伏線になります」

 

 獅源の代わりに爽が答える。

 

「ラップバトルが伏線に⁉ 斬新過ぎるだろそれ!」

 

 座っていた北斗が手を挙げて質問する。

 

「あのさ~ぶっちゃけ俺らあんまり出番無いから、空いた時間は舞台袖からライブ配信しても良いかな?」

 

「あ、兄上! 今はお芝居の内容について質問する時間ですよ!」

 

 やんややんやと騒ぐ皆を目を細めて眺める獅源に葵が声を掛ける。

 

「ふふっ、なんだか面白い舞台になりそうだね」

 

「ええ、そうでございますね」

 

「いや、どこがだよ! 不安要素しか無えぞ!」

 

 二人の近くに座っていた飛虎がたまらず声を荒げる。

 

「でも、各々の台詞の分量は少ないし、個々が覚えることは少ないから、案外大丈夫なんじゃないかな?」

 

「何でそんな楽天的なんだよ……」

 

 葵は隣に立つ獅源を指し示す。

 

「だって、歌舞伎界若手屈指の役者さんがついてくれているし!」

 

「……ええ、きっと素晴らしい舞台にしてみせます」

 

「……ふん」

 

 飛虎は獅源を一瞥し、その場を去ろうとした。

 

「どこ行くの?」

 

「トイレだよ……」

 

「……」

 

 獅源はそんな飛虎の背中を黙って見つめていた。その後もリハーサルは色々とあったものの、概ね順調に進み、いよいよ本番の日を迎えた。



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しょうますとごーおん

「お客さん一杯だ、さ、流石に緊張するな……」

 

 舞台袖から満杯の客席を覗き込みながら桃太郎の衣装に身を包んだ葵が呟く。

 

「昨日の最終リハーサルも良い感じでしたよ? もっとリラックスを致しましょう」

 

 青鬼に扮した獅源が優しく声を掛ける。

 

「そ、そうは言っても……」

 

「ふん、情けねぇな、別に良いんだぜ? もう白旗上げちまっても」

 

 赤鬼姿の飛虎が嘲笑まじりに話し掛けてくる。葵はすかさず反論する。

 

「始まる前から負けることを考えたりはしないよ!」

 

「へ、そうかい」

 

 そして、会場にアナウンスが流れる。

 

「……それでは間もなく、幕間特別公演『新訳 桃太郎~愛と友情の狭間で~』が始まります。立っている方は速やかに着席をお願い致します。尚、撮影・録音は……」

 

「いよいよ始まりますか、楽しみですね」

 

 関係者席に座る万城目が素直に期待の言葉を口にする。その隣に座る光ノ丸が頬杖を突きながら呟く。

 

「選挙で争う我々を招待するとは、将愉会と日比野飛虎め、余裕の表れかそれとも……」

 

「それとも?」

 

「只の馬鹿か、余は恐らく後者だと思うがな」

 

「……果たしてそうでしょうか?」

 

「素人の集まりが大半を占める芝居をわざわざ披露するというのだぞ? そんな行為を馬鹿げたものだと言わずにはおれんだろう」

 

「まあまあ氷戸様……折角このような2階席の中央という良い席を用意して頂いたのです。ここは文字通り高みの見物と参りましょう」

 

 万城目の逆隣の席に座る八千代が静かに二人の話に割り込む。光ノ丸が呆れ気味に八千代に対して返事をする。

 

「ふん、そのようなものまで持参するとは、五橋殿も余程の物好きだな……」

 

「い、いいえ、これは観劇のたしなみとしてですわね、わたくしがお芝居を見に来る際には必ず持ち歩いているものですわ」

 

 ハンドル付きの双眼鏡を片手に持った八千代が否定する。万城目が八千代の隣に座る憂に微笑みながら声を掛ける。

 

「もしかして有備さんがご用意されたのですか?」

 

「は、はい。いきなりおっしゃっられたので驚きましたが、密林で検索してみたらわりとあっさり見つかったので助かりました」

 

「憂、余計なことを言わないで頂戴!」

 

「す、すみません……」

 

「どこぞの貴婦人が使うようなものを用意して……果たしてそこまで前のめりになって見る価値のあるものか?」

 

 光ノ丸の言葉に八千代が反論する。

 

「全っ然お分かりになっていないのでございますわね、氷戸様! 推しの一挙一動を絶対に見逃すまいというこの意志の表れを! そしてエンターテインメントにおいて価値というのは自らの感性によって見出されるものであって、そこには他者の意見が介在する余地も必要性もごさいません!」

 

「お、お嬢様! その類の方々特有の早口になってしまわれています!」

 

「五橋さん、少し落ち着いて……そろそろ始まります」

 

 万城目が興奮する八千代を落ち着かせる。爽のナレーションから芝居の幕が開けた。

 

「昔々……あるところにギャンブル依存症のお爺さんとネトゲ廃人のお婆さんが若干荒んだ生活を送っていました……」

 

「始まった!」

 

「上様、舞台というものはこうなったら楽しんだもの勝ちですよ」

 

 獅源の激励に葵は力強く頷いた。

 

「うん、分かった!」

 

お爺さんがパチンコの景品としてゲットした桃を届けに現れた運送会社の人物が実は主役の桃太郎だったというまさかの地味な登場は観客の驚きを誘った。きび団子を売りつける胡散臭い売人は光太が予想外の怪演ともいえる演技を見せ、観客の度肝を抜いた。秀吾郎、進之助、弾七がそれぞれ演じる犬、猿、雉の一番美味しいきび団子を巡っての三本勝負は観客の笑いを誘った。当初の予定にあったラップバトルだけでなく、大喜利対決や、ダンスバトルも急遽追加されたのだが、弾七は絵心を生かした巧みな回答で、秀吾郎や進之助は持ち前の運動神経を遺憾なく発揮した躍動感あふれるダンスで、客席を大いに沸かせた。北斗と南武の息のピタリと合った掛け合いはそのミステリアスな役どころも相まって、観客をぐいぐいと引き込んだ。

 

「鬼ヶ島に着いたぞ!」

 

 劇もいよいよ終盤である。ここで赤鬼が青鬼の乱暴すぎるやり方に疑問を呈し、桃太郎側に寝返るという衝撃の展開となり、観客から驚きの声が漏れた。赤鬼の助力を得た桃太郎は大立ち回りの末、青鬼を退治する。しかし、全ては青鬼の計画通りであった。本当は人間と仲良くなりたいという赤鬼の願いを叶えるために青鬼が憎まれ役に徹する一芝居を打ったのである。

 

「……これは違う話が混ざっていないか?」

 

 光ノ丸の呟きに万城目が答える。

 

「『泣いた赤鬼』ですね」

 

「しっ! 今良い所ですから」

 

 八千代が二人を注意する。

 

「赤鬼が去っていこうとする青鬼に追い付き、その背中に声を掛けます」

 

 爽のナレーションにも熱がこもる。舞台袖で眺めていた葵が安堵したように呟く。

 

「ここで赤鬼が青鬼に感謝の言葉を伝えて、エンディングだね……」

 

 飛虎演じる赤鬼が肩で息をしながら、獅源演じる青鬼に呼び掛ける。舞台初挑戦とは思えない程の堂々とした演技である。

 

「待ってくれ、青鬼! お前にまだ言っていない言葉があるんだ!」

 

 青鬼がゆっくりと振り返る。

 

「あ、あ……兄者の馬鹿野郎!」

 

「ありがとう、青鬼! ……ってええっ⁉」

 

 脚本に無い台詞が飛び出したため、葵は驚いた。



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夢芝居の後

「な、なに? その台詞は……アドリブ?」

 

 獅源も一瞬戸惑ったようだったが、すぐさま表情からその動揺を打ち消した。飛虎はそのまましゃべり続ける。

 

「兄者はいつもそうだ! 弟の俺に良い所を譲って! 自分の方が優秀なのに! 幸せな道を選べたはずなのに敢えて厳しい茨の道を選んで!」

 

「それは……弟のお前の幸福を誰よりも願っているからだよ……」

 

「台本に無い台詞! 獅源さんもアドリブ⁉」

 

 葵は再び驚く。

 

「自分の幸福は二の次かよ!」

 

「……俺は大丈夫だよ。己の道は己で切り開く、昔からそう決めている……そう、俺とお前だけになったあの時から……」

 

「だから!」

 

 飛虎が声をさらに荒げる。

 

「それが重荷なんだよ! 自分勝手なんだよ! 優れていない、秀でていないものはどうすれば良い⁉ その立場に相応しいだけの器になるべく、血の滲むような努力をしなければならない! 元々そんな能力など持ち合わせてはいないのに! 持たざる者がどれだけ苦労してきたのかアンタに分かるのか、よ……⁉」

 

 獅源は飛虎のことを優しく抱きしめた。驚く飛虎に獅源は優しい声色で囁いた。

 

「ごめんな……お前の気持ちを十分に考えてやることが出来ていなかった……兄ちゃんも子供だったからな、その時はそれが最善だと思ったんだ。許してくれとは言わない……ただこれだけは分かっていて欲しい、兄ちゃんはいつだって、どこにいたって、お前の幸福を祈っているってことを……だって、この世で唯一の兄弟なんだからな……」

 

「……く、兄ちゃん……」

 

「いつでも見守っているからな、そのことを忘れないでいてくれ」

 

 飛虎は膝から崩れ落ちた。獅源はその場からゆっくりと立ち去っていった。

 

「あ、ありがとう……」

 

 飛虎は涙混じりの声で獅源の背中に語りかけた。爽がすかさずナレーションを入れる。

 

「青鬼との絆の強さを改めて確かめることが出来た赤鬼は、やがて桃太郎たちとも強い絆を結び、いつまでも健やかに、幸せに過ごしましたとさ、めでたし、めでたし……」

 

 舞台が暗転し、しばしの沈黙が訪れた。やがて、客席から拍手がぱちぱちと鳴り始めた。次第にその音は大きいものとなっていき、葵たち出演者が並んで挨拶をする時には、会場全体を包み込むほどのものとなった。葵は隣に立つ獅源の顔を見た。獅源は満足そうに頷いた。

 

「素晴らしい! 感動致しましたわ!」

 

 八千代は立ち上がって拍手を送った。2階席から飛び降りんばかりの勢いだったため、憂が慌てて抑える。

 

「お、お嬢様、落ち着いて下さい……」

 

「鬼が兄弟などと……一言も言ってなかったのではないか?」

 

「ふふっ、でもラストのシーンは何やら惹きつけられるような、真に迫ったものを感じませんでしたか?」

 

「ふん……まあ、一応鑑賞に耐えうるものではあったか……」

 

 万城目の問いに光ノ丸はとりあえずの感想を口にした。

 

 

 

「乾杯~♪」

 

数日後、毘沙門カフェにて、将愉会の皆が顔を揃え、舞台の打ち上げが行われた。

 

「いや~初めは正直どうなることかと思ったけど、案外なんとかなったね~」

 

「そうですね……」

 

 葵に対して爽が冷静に答える。

 

「あの会場一杯の拍手の気持ち良さと言ったら! 機会があったら是非もう一度やってみたいですわね! ねえ?」

 

「い、いや僕は遠慮しておこう……」

 

 興奮気味の小霧の言葉を景元はやんわりと否定した。

 

「自分は陰に生きるべき存在なのに……大勢の人の前ではしゃいでしまった……」

 

 肩を落とす秀吾郎を進之助が励ます。

 

「たまには良いじゃねえか。あ、新緑先生の芝居も良かったぜ、客席が文字通りどよめいていたものな」

 

「お願いですからそれは速やかに忘れて下さい……それより赤宿君、私の注文したストロベリーパフェを早くお願いします」

 

「随分と盛り上がっているみたいだな」

 

一同が声のする方に振り返ると、飛虎の姿が立っていた。

 

「あ、待っていたよ~さあ、座って座って」

 

「いや、仕事を抜け出してきただけだ、今日は一言だけいっておこうと思ってな……観客の満足度アンケート、『大変良かった』が98%だったらしいな」

 

「あ、そうだね、おかげさまで大好評だったみたいで……」

 

「俺の負けだ……俺は学内選挙から撤退する」

 

「え、なんで? いいよ、別に。わざわざそんなことしなくても」

 

 飛虎の発言を葵があっさりと否定する。

 

「い、いや、俺にもケジメってものが……!」

 

「選挙戦降りる云々は私が一方的に言い出したことだからさ。日比野君のことを応援してくれる人も沢山いるわけでしょ? だから最後まで正々堂々と争おうよ」

 

 葵の言葉に飛虎は一瞬目を丸くしたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。

 

「ふん、後悔することになっても知らねぇぞ……?」

 

「うん。お互い頑張ろうね」

 

「何だか拍子抜けしちまった……まあ、良いや、邪魔したな」

 

「……その後青鬼さんとはどうなの?」

 

 カフェを出て行こうとした飛虎は北斗の声に足を止める。

 

「別に……」

 

「折角きっかけが出来たんだし、一度とことん腹を割って話し合ってみたら? きっとより分かり合えるはずだよ」

 

「……考えておく」

 

「あ、俺の動画チャンネルに二人揃って出てくれても良いんだよ?」

 

「あ、兄上! 一言余計です!」

 

 南武が慌ててたしなめる。飛虎はフッと微笑んで店を後にした。しばらく間を置いて、弾七と獅源が店に入ってきた。

 

「あ、獅源さん! 忙しいところありがとうございます!」

 

「いえいえ、まさか顔を出さない訳にはいかないでしょう」

 

「涼紫さん、先日のインタビュー記事を拝見致しました。将愉会についても言及して下さってありがとうございます」

 

 爽が頭を下げる。獅源は軽く手を振る。

 

「そんな……大したことはしておりませんよ」

 

「いえ、世論に影響力がある方の言葉は絶大なものです。葵様の支持率にもきっと良い影響があることでしょう」

 

「そうでございますか、お役に立てたのなら幸いです」

 

「おいおい、推薦したのは俺様だぜ?」

 

「勿論、弾七さんにも感謝しているよ」

 

 葵はそう言って微笑む。獅源が呟く。

 

「……感謝を申し上げたいのはこちらの方ですよ」

 

「え?」

 

「上様のご提案のお陰で、心の中にずっと抱え込んでいたものが、ようやく解放されたような、清々しい気分なんです」

 

「それは……もしかして飛虎さんのことですか?」

 

 獅源は静かに頷く。葵はパッと笑顔になる。獅源がそっと葵の頬に触れる。

 

「え⁉ な、なんですか?」

 

「その笑顔でございます」

 

「は、はい?」

 

「その飾りの無い笑顔に心を惹かれました。願わくはアタシも会の末席にお加え下さい」

 

「あ、は、はい、どうぞ……よろしくお願いします」

 

「こ、これは珍しいパターン⁉」

 

「すっと懐に入り込む、流石は千両役者と言った所ですかね……」

 

 小霧と爽が揃って感心した。



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藍色の髪の少年

                      捌

 

「お宮御社参(みやおやしろまいり)、お疲れ様でございました」

 

「ありがとう、でもやっぱり装束はまだまだ着慣れないよ……」

 

 葵は爽に礼を言いながらも軽くぼやいた。それというのもつい先日、幕府の公式行事の一つである将軍の「お宮御社参」が行われたのである。大江戸幕府初代征夷大将軍の命日は四月十七日であるが、毎年正月、三月、四月、五月、六月、九月、十二月、それぞれの月の十七日、いわゆる月命日に将軍は前の夜から斎戒沐浴(さいかいもくよく)し、紫色の直垂(ひたたれ)風折烏帽子(かざおりえぼし)の装束を身に着けて、城の大広間玄関の駕籠台から輿に乗り、歴代将軍の霊廟が設置された大江戸城西の丸隣の小高い丘である紅葉山にある御社に参詣するのである。

 

「何事も慣れでございます。こうした行事を一つ一つこなされることによって、葵様がより将軍らしくなられていくのですから」

 

「うん……だけど緊張したよ」

 

「歌舞伎座の舞台よりもですか?」

 

「あれとは別種の緊張感だね……」

 

 爽は葵の顔を覗き込む。

 

「ふむ……確かに大分お疲れのようでございますね。ここはひとつ、リフレッシュされることをお勧め致します」

 

「リフレッシュ? 例えば?」

 

「例えば……緑を見て心を安らげるとか」

 

「緑を見て……分かった」

 

 葵は席を立って、ある場所へ向かった。

 

「……という訳で参りました」

 

「……私の名前が新緑で、緑色の髪をしているからといって、私をじっと見つめても何のリフレッシュにもならないと思いますが」

 

 昼休み、図書室でいつものように読書をしていた光太は片手で眼鏡を直しながら、若干呆れ気味に答えた。

 

「そうですね。先生を見ていると、どちらかといえば、より肩が凝ってくるような感じがしてきますね」

 

「……わざわざ私を揶揄しに来たのですか?」

 

「い、いえ、そういうわけではなくて、良いリフレッシュの場所などご存知ないかなと思いまして……」

 

「私に聞かなくても、将愉会の皆さんにお尋ねになればよろしいのではないですか?」

 

 光太はそう言ってそっぽを向く。

 

「や、やはりここは、人生経験豊富かつ素敵な大人の男性の意見というものを是非聞きたいなと思いまして……」

 

「ふむ……」

 

 葵の言葉に光太を視線を戻し、脚を大袈裟に組み直した。

 

「それは殊勝かつ最も賢明な心掛けです……」

 

「は、はい……」

 

「この学園の近場でリフレッシュ出来る場所、ございますよ……」

 

「ほ、本当ですか? それはどこですか?」

 

「ここからも見えますよ、ほら、西の丸の向こうですね」

 

 光太が図書室の窓を指し示す。そこには緑地が広がっていた。

 

「あれは?」

 

吹上庭園(ふきあげていえん)です。週末には一般公開もされておりますよ、都会の真ん中で古の武蔵野の自然を感じられる場所として人気を博しています。御存じありませんでしたか?」

 

「いや、恥ずかしながら、忙しさにかまけて、見落としていました……」

 

「灯台下暗しとはよく言ったものですね。どうでしょう、良い機会ですから今度行ってみたら如何でしょうか?」

 

「はあ……」

 

 

 

「ふあー本当に緑が多いね、都会のど真ん中、しかも城の敷地内にこんな大自然が広がっているなんて!」

 

 休日になって、爽を伴って訪れた葵は初めてやって来た庭園の広さに驚いている。

 

「あ、葵様、今日は一般の参観客も大勢来ておりますから、余り目立たないようにお願いします……」

 

「あ、う、うん、ごめんごめん。ついついはしゃいじゃって」

 

「少し落ち着いて下さい……」

 

「だってこの木々を見てよ、一本一本がとっても大きいよ!」

 

「これはイチョウ、こちらはケヤキですね……」

 

「え、詳しいね、サワっち?」

 

「一応下調べはして参りました……」

 

「流石だね~あ、これは何かな? 少し小さいけど」

 

 葵の指し示した木を見る爽であったが首を傾げた。

 

「すみません、不勉強なもので……大きさから判断するに比較的近年植樹したものか、もしくは自然的に発生したものか……」

 

「なんの木なんだろう、気になるね? あ、あの人詳しそうだから、聞いてみようか。すみませーん!」

 

 葵は木の傍に寄り添う人物に声を掛けた。その人物が振り返ると、藍色の長い髪をした中性的な顔立ちをした少年であった。男性としてはやや小柄な体格で葵と同じ位か少し小さい位であった。年ころも同じ位であろうか。少年は澄んだ眼差しで葵を見つめる。葵は戸惑いつつ、質問する。

 

「お兄さん、この木の種類とか分かります?」

 

 すると、少年は木の方に振り返り、手をそっと木に添えて、こう言った。

 

「新樹の 類尋ねられし 五月晴れ」

 

「はい?」

 

 困惑する葵に対し、藍色の髪の少年はにこりと笑った。



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奇人か変人か

「い、いや、木の種類をお聞きしたんですが……」

 

「問い返す 何故我が 答え知る」

 

「え? えっと……何といいますか、こう、知っていそうな雰囲気を纏っていらっしゃっていたので……」

 

「雰囲気を 纏わせている 自覚なし」

 

「そ、そうですか……なんでしょう、草食系男子って感じがしたんですけどね……いや、これは良い意味で、ですよ?」

 

「草を食む 男子現に 居らんかな」

 

「い、いや! こ、これは所謂ものの例えってやつですよ!」

 

「戯れを 言の葉に乗せ 告げたまで」

 

「あ、ああ、冗談ですか……そ、それでご存知なんでしょうか?」

 

「野暮なこと 答えは全て 薫風に」

 

「は、はい?」

 

「お話も そこそこにして 失礼を」

 

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

 

 葵が引き留めるものの、その少年はスタスタとその場を立ち去ってしまった。

 

「~~~!」

 

 葵は地団駄を踏み、思わず大声で叫ぶ。

 

「何なのよ、アイツ! 全然会話にならないじゃないの‼」

 

「ええっ⁉ 結構成立していましたよ⁉」

 

 爽が驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻して呟いた。

 

「まあ……こう言っては失礼ですが、噂に聞く以上の変人でございましたね」

 

「知っているの⁉ サワっち⁉」

 

 葵は振り向いて尋ねる。爽が頷く。

 

「それはもう……学園きっての有名人でございますから」

 

 爽から鞄から端末を取り出し、慣れた手つきで操作し、葵にある画像を見せる。その画像には先程の少年が写っていた。葵は目を見張った。そして画像に付随してあった文章を爽が読みあげる。

 

「……『現代の句聖』、『俳壇の救世主かそれとも異端児か』、『天才の紡ぐ十七音に大衆は熱狂する』……その男の名は藍袋座一超(らんていざいっちょう)。高校生ながら俳句界を牽引する鬼才。彼の口から紡ぎ出される十七音の言葉に、オーディエンスは熱狂し、ファンや若者は酒か、あるいはまた別のものを口にしたかのように不思議な高揚感に囚われる。そして、これ以上ない多幸感に包まれて、不定期的に開かれる句会を後にする……」

 

 爽が画像を静かに閉じる。

 

「まあ、こういう方です……お分かりになりましたか?」

 

「下手に関わらない方が良さそう、って言うのが分かったよ」

 

 葵は庭園の出口の方にさっさと向かう。爽が慌てて追いかける。

 

「ところが、そういうわけにも参りません!」

 

「なんで?」

 

 葵は少々ウンザリした様子で爽に尋ねる。

 

「そ、それは……」

 

「……あの奇人が選挙戦の鍵を握るからだ」

 

「氷戸さん⁉」

 

 光ノ丸が東側から現れた。

 

「藍袋座さんが鍵を握るとは……?」

 

「ふむ、聞きたいか?」

 

「……」

 

「なんだ? 聞きたくないのか?」

 

「……むしろ何故その短パンをチョイスしたのか聞きたいです」

 

「随分と攻めたコーディネートですわね……」

 

 爽も頷いた。

 

「なっ! や、休みにどんな服装をしようが、余の自由であろうが!」

 

 光ノ丸はそっぽを向いた。

 

「あともう一歩の所で逃してしまいましたわね」

 

「申し訳ありません、お嬢様……」

 

「あの変人の情報を掴んだのは貴女なのだから、そう卑下することは無いわ……あら? これは皆さまお揃いで、奇遇ですわね?」

 

 南側から八千代と憂がやってきた。

 

「何が奇遇だ、わざわざ庭園散策に来た訳ではあるまい」

 

 光ノ丸が呆れる。

 

「いえいえ、珍しい虫が見つかるという話を聞きましてね、歳の離れた従兄弟の為に捕ってきてあげようと思いまして……ねえ、憂?」

 

「え、ええ、そうでございます」

 

「へえ、意外と良い所あるんですね、五橋さん」

 

「“意外と”が余計ですわ、若下野さん」

 

 葵の言葉に八千代がムッとする。

 

「はっ、虫捕りなんて、もっとマシな嘘をつけよ」

 

 皆、声のした西側に視線をやる。そこには飛虎が立っていた。

 

「日比野殿か……貴殿も奴を狙ってきたか」

 

「まあな」

 

「そのわりには呑気な恰好ですこと」

 

 八千代の指摘通り、飛虎はジャージ姿に、虫捕り網と虫捕りかごを両手に持っていた。

 

「日比野君、まさか本当に虫捕りに来たの?」

 

「ああ、久々に童心に帰ってな」

 

「やれやれ、手強い相手になるかと思ったが……」

 

「とんだ見込み違いでしたわね」

 

「……甘いな、揃いも揃って大甘だぜ」

 

「……なんだと」

 

 飛虎の言葉に光ノ丸が顔をしかめる。

 

「この辺りには珍しい虫が多い。そいつを捕まえることによって奴をおびき寄せるんだ」

 

「おびき寄せるって……」

 

「それでどうするおつもりですか?」

 

 爽が飛虎に尋ねる。

 

「世にも珍しい虫とくれば、奴の句心も大いに刺激されるはずだ……創作に貢献したことによって奴の俺に対する覚えも良くなる! 間違いない!」

 

「くっ! その手があったか!」

 

「憂! 網とかごを早急に用意なさい!」

 

「ええっ! 今からですか⁉」

 

「後れをとりましたね、葵様!」

 

「後れるもなにも、そもそもついて行った覚えが無いんだけど……」

 

 妙な盛り上がりを見せる光ノ丸たちの横で葵は醒めた態度を取っていた。爽は彼女にしては珍しく若干苛立ち気味で葵を諭す。

 

「とにかく、あの藍袋座さんの歓心を得ること、それがこの選挙戦喫緊の課題です!」

 

「そ、そうなの⁉ なんで⁉」

 

「詳細は後です! 今は早くあの方を見つけ出さないと!」

 

「くっ、この広い庭園の何処にいる?」

 

「潜んでいらっしゃるの? 出てらっしゃい!」

 

「一緒に虫捕りしようぜ!」

 

 光ノ丸たちは藍袋座探しを始めた。爽が慌てる。

 

「あ、葵様!」

 

「まあ、待ってて……」

 

 葵はポンポンと両手を叩く。秀吾郎が現れた。

 

「上様、お呼びでしょうか?」

 

「この人連れて来てくれる?」

 

 葵は一超の画像を見せる。

 

「承知しました」

 

 秀吾郎は姿を消す。それを見ていた飛虎が笑う。

 

「いくら腕の立つ忍びでも無理だ……」

 

「連れて参りました」

 

「速いな⁉」

 

「ありがとう、秀吾郎……ってえええっ⁉」

 

 葵は驚いた。逆さ吊りになって網に絡まっている一超の姿があったからだ。

 

「こんなこともあろうかと出口付近に仕掛けて置いた罠に引っかかっておりました」

 

「お、下ろしてあげて、早く!」

 

 葵は慌てて指示する。一超は静かに呟く。

 

「この季節 吊るされるのは 鯉と我」



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ヒプノシスハイク

「ご、ごめんなさい! 大丈夫でした?」

 

「突然の 視界逆さま いとおかし」

 

 頭を下げる葵に、一超は平然と答えた。

 

「少しばかり手荒な手段になってしまいましたが……こうして藍袋座さんとお話出来る機会を持てて良かったです」

 

「そうなの? そういえば、さっき言っていた詳細とか喫緊の課題って……」

 

 爽は周りの光ノ丸らに聞こえないようにヒソヒソ声で葵に説明する。

 

「町奉行の二人が仲間に入り、勘定奉行を顧問に迎え、更に当代きっての人気歌舞伎役者も陣営に加わって下さいました。残る票田はあと僅かです!」

 

「票田って……」

 

「……言い方が少し直接的過ぎたかもしれませんね、失礼しました。ですが、とにかくこちらの藍袋座さん、文化系クラブの中心人物でいらっしゃいます。その存在感は決して無視できるものではありません!」

 

「その通りだ!」

 

「あ……氷戸さま、聞こえていましたか」

 

「聞こえるように喋っていただろう」

 

 光ノ丸が呆れるが、すぐさま気を取り直して、一超に語り掛ける。

 

「……どうだろうか、藍袋座殿、我が陣営に協力してはもらえないだろうか? 協力して頂いた暁には、文化系クラブの予算面でのバックアップに関して個人的に色々と相談に乗っても構わない」

 

 負けじと八千代も語り掛ける。

 

「いえいえ、是非とも我が陣営に御協力をお願い致します。文化系クラブには女子生徒も多数在籍なされていますわよね? 彼女たちがより良いクラブ活動に専念できるよう、我々としても、サポートは惜しみませんわ」

 

「ははっ!」

 

 光ノ丸と八千代の勧誘に、飛虎は声を出して笑った。

 

「何だ、何がおかしい!」

 

「そうですわ!」

 

「……全くもって笑止千万! アンタらが攻めているのはあくまで外堀だ」

 

「外堀?」

 

「そう俺が狙うはあくまで……本丸だ!」

 

「本丸ですって⁉」

 

 飛虎は一超の前に跪き、その両手を取って、熱く語り出した。

 

「俺はアンタ自身の活動をまず最優先にサポートしたい。本を出したいなら、大手の出版社を紹介しよう、活動を深く知ってもらいたいなら、一流の映像制作会社を手配しよう、動画投稿を充実させたいなら、気鋭のクリエイターを引き合わせよう、全てはアンタ、藍袋座一超の俳句人生を充実させるためだ。そのためなら、俺はどんな協力も厭わない!」

 

「む、むう!」

 

「や、やりますわね……」

 

「俺とともに来てくれるか?」

 

 一超は飛虎らの顔を比べながら黙っている。

 

「いきなりの 引く手あまたに 戸惑いし」

 

 一超はやや困ったような表情を浮かべたのを葵は見逃さなかった。すぐさま一超の近くに駆け寄ってこう言い出した。

 

「決めかねているんですね、それではどうでしょう? 私たちの俳句を聞いてみて、最も優れた陣営に優先的に協力してくれるというのは?」

 

「あ、葵様⁉」

 

 戸惑う爽を片手で制しながら、葵は続ける。

 

「勿論、あくまで優先的にです。誰に肩入れするも、またそもそも投票しないのも、それは貴方がたの自由です。とにかく確かなことは本日これから行われる勝負で、勝った陣営のみが今後も貴方がたに干渉し続けることが出来るということです。その他の陣営は一切手を引きます」

 

「若下野さん! 貴女は何を勝手な!」

 

「いや……待て」

 

 葵に食ってかかろうとした八千代を光ノ丸が制止する。一超はフッと微笑んだ。

 

「句で競う 試みとやら 面白し」

 

「興味を持ってくれたかしら?」

 

「皆の詠む 様々な句を 見てみたし」

 

「決まったわね」

 

「っておい、決まったって、どうするんだよ⁉」

 

 立ち上がった葵に飛虎が問い詰める。

 

「どうするって何を?」

 

「勝負の方法だよ!」

 

「その点については……サワっち!」

 

「はい、葵様」

 

 葵の言葉に爽が頷いた。いつの間に用意したのか、彼女の背後には庭園の全図が示された白地図が広がっていた。爽が説明する。

 

「こちらの庭園には、句心を大いに刺激する場所や風景が多くあります。今回はその中でも三か所をピックアップしました。皆さんにはその三か所に関連するものや光景を題材ににして即興で俳句を詠んで頂きます。判定は藍袋座さんにお願いします。点数は5点満点で、三か所合計の点数で争います。点数が最も多い陣営が優勝となり、藍袋座さんとの優先交渉権を得ることが出来ます。よろしいでしょうか?」

 

「よろしいって、そんな勝手に?」

 

「構わん」

 

「よろしくてよ」

 

「はっ⁉」

 

 飛虎の反応とは対照的に、光ノ丸と八千代はあっさりと勝負を受け入れた。

 

「ちょ、ちょっと待てって! アンタらそれで良いのかよ⁉」

 

「句歌に関しては人並みに嗜んでおりますわ」

 

「ひょっとして……自信が無いのかな、日比野殿?」

 

「なっ⁉」

 

「ならば悪いことは言わない。今の内に引き下がるべきだ」

 

「そうですわね、恥をかいてからでは遅いですわよ」

 

「……馬鹿にするなよ、この勝負受けて立ってやる!」

 

 飛虎の言葉を受け、葵は爽に向かって頷いた。

 

「ではまず一か所目の俳句ポイントに向かいましょう……」

 

 爽の案内に各人が続く。その列の後方で一超が呟いた。

 

「何故か 初夏の如き 心持ち」



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俳句バトルロイヤル~上の句~

 一行がたどり着いた先には大きな池が広がっていた。葵が爽に尋ねる。

 

「ここは?」

 

「こちらは吹上大池です。昔は水練などの為に使っていたこともあるようですが、現在はもっぱらデートスポットの一つとなっていますね」

 

「デート?」

 

「ええ、例えばあちらのお二人の様に」

 

 爽が指し示した先にはアヒルのボートを漕ぐ二人の男女の姿があった。

 

「んん? あれはもしかして……」

 

 八千代が目を凝らす。そして男女の正体に気付き、ハッとする。

 

「あ、あれは高島津さんと大毛利君⁉ あの二人、いつの間にそんな間柄に⁉」

 

「ほう……少し前まで犬猿の仲だったというのにな」

 

「な、なんと羨ましい……じゃなくて、不純ですわ!」

 

「変われば変わるものだな」

 

 歯ぎしりする八千代と微笑をたたえる光ノ丸。そんな気配を感じ取ったのかボートに乗っていた小霧と景元が池のほとりに立つ葵たちの存在に気付き、あたふたと露骨に慌てた様子を見せる。すると自身の端末が鳴った為、葵は電話に出た。

 

「もしもし?」

 

「も、若下野さん⁉ そんなところで何をなさっているの⁉」

 

「何をって……ご覧の通り、俳句バトルロイヤルだよ」

 

「初耳ですわよ! そんな皆さん御存じみたいにおっしゃられても!」

 

「それより景もっちゃんと随分いい感じみたいだね~」

 

 葵はニヤニヤしながら話す。小霧は狼狽する。

 

「い、いや、これにはこの池より深い理由がございましてね……」

 

「ああ、別にこっちのことは気にしないでいいから。どうぞ楽しんで」

 

「ちょ、ちょっと待っ……」

 

 葵は通話を切り、爽に向き直る。

 

「ごめん、サワっち。どうぞ進めて」

 

「……では、まず、こちらが第一の俳句ポイントになります。こちらの池の様子をご覧になって、思い浮かんだ句をそれぞれ一句ずつご披露頂きます。思い浮かんだ方から挙手をお願い致します」

 

「はい‼」

 

 八千代が早くも手を挙げた。爽は多少驚きつつ、八千代を指名した。

 

「……では、五橋さま、どうぞ」

 

「リア充め 爆ぜろもしくは 池沈め」

 

「藍袋座さん、判定を」

 

 一超は『1点』の札を上げた。

 

「さ、最低点⁉ な、何故ですの⁉」

 

「……宜しければ簡単に講評もお願い致します」

 

 一超は軽く咳払いをして、呟いた。

 

「あらわにす 私心 はしたなし」

 

「……とのことです」

 

「わ、わたくしとしたことが、嫉妬心に駆られて……」

 

「お、お嬢さま! まだ始まったばかりです!」

 

 膝を突いた八千代を憂が懸命に励ます。

 

「ふん……」

 

「氷戸さま、どうぞ」

 

「大池や 今に伝えし 歴史跡」

 

「判定を」

 

 一超は『3点』の札を上げて講評を述べた。

 

「やや無難 とはいえその句 悪くなし」

 

「まあ、こんなものだ」

 

 光ノ丸は得意気な表情を飛虎と葵に向ける。

 

「くっ……次は俺だ!」

 

「はい、日比野さま」

 

「アヒルさん でかくてしかも かわいいな」

 

 一瞬沈黙が訪れる。

 

「どうだ⁉」

 

「は、判定を」

 

 一超は戸惑いながら『2点』の札を上げる。

 

「な、何だと⁉」

 

 飛虎の怒声にたじろぎながら、一超は講評を述べた。

 

「ただ単に 感想述べに 留まりし」

 

「ちぃ!」

 

「よくそんなに悔しがれるな……」

 

 光ノ丸が呆れた声を上げる。その脇で葵が頭を抱えて呟く。

 

「あ、アヒルさんをネタにしようと思ったのに取られちゃった……」

 

「葵様……!」

 

 爽が葵たちの後ろに控えていた秀吾郎に目配せをする。

 

「!」

 

 秀吾郎は頷き、池に勢いよく飛び込んだ。

 

「な、何ですの⁉」

 

 八千代が驚く。葵が閃く。

 

「そうか!」

 

「葵様!」

 

 手を挙げた葵を爽が指名する。

 

「大池や 忍び飛び込む 水の音」

 

「判定は⁉」

 

 一超は『4点』の札を上げた。

 

「やったー!」

 

「ちょ、ちょっと待てよ!」

 

「講評をお願いします!」

 

「舌を巻く 忍び用いし 発想に」

 

「だ、そうです!」

 

「だそうです! じゃありませんわ!」

 

「どこかで聴いたことあるような……」

 

「そもそも、忍びを使うなど反則だろう!」

 

 爽は八千代たちの抗議の声を両手で制する。

 

「……あちらをご覧下さい」

 

 爽が池の方を指し示す。そこには竹筒の先が顔を覗かせていた。

 

「あ、あれは……?」

 

 憂の疑問に爽が答える。

 

「いわゆる『水遁の術』というやつでしょう」

 

「そ、それは見れば分かりますが……」

 

「真面目な忍びが水遁の術の練習に勤しむ……池でよく目にする光景でしょう」

 

「よく目にしてたまるか! イレギュラーにも程があるだろ!」

 

 詰め寄る飛虎を無視して、爽は話を進める。

 

「……では次のポイントに参りましょうか」

 

「シカトすんな!」

 

「仕方ありませんわね」

 

「まだ挽回の機会はある……」

 

 尚も抗議する飛虎とは対照的に八千代と光ノ丸は気持ちを切り替えていた。

 

「なんで納得してんだよ、アンタら! ……だからちょっと待て! 置いていくな!」

 

 飛虎は憮然としながらも一行の後に続いた。



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俳句バトルロイヤル~中の句~

「ここは?」

 

 着いた先には大きな広場があった。葵の問いに爽が答える。

 

「こちらは吹上馬場です。主に馬術の訓練や競馬などが行われています。今もちょうどレース中ですね」

 

 見ると、数頭の馬がゴール板に向かって、激しい競り合いを見せていた。設けられたスタンドの席から観客の声援が飛ぶ。

 

「行けー! 3番! 差せ!」

 

「あ、あれは弾七さん⁉」

 

 葵が観客席で鬼のような形相で叫ぶ弾七を発見して驚く。その手には馬券のようなものを固く握りしめている。

 

「随分と必死だな、絵師さん……」

 

飛虎が呆れ気味に呟く。光ノ丸が顎に手をやりながら、爽に向かって訝し気に尋ねる。

 

「あの者は……二留しているとはいえ、確か未成年ではなかったか?」

 

「……では、こちらが第二の俳句ポイントになります」

 

「いや、無視をするな」

 

「こちらの馬場の様子をご覧になって、先程と同様に思い浮かんだ句をそれぞれ一句ずつご披露頂きます。では、どうぞ、思い付いた方から挙手をお願い致します」

 

「……」

 

 しばしの沈黙が訪れる。すると、スタンドの方から悲鳴のような声が聞こえてくる。

 

「あ~!」

 

 見てみると、レースの決着がついたようであり、スタンドの観客がそれぞれ千差万別の反応を見せている。弾七はまるでこの世の終わりのようにうなだれていた。

 

「外したんだ、弾七さん……」

 

 葵は小声で呟いた。光ノ丸が静かに手を挙げる。

 

「氷戸さま、お願いします」

 

「人生の 悲喜こもごもを 馬に乗せ」

 

「……判定と講評を」

 

 一超が『4点』の札を上げる。

 

「賭け事の 意味を世間に 問うたもの」

 

「ふっ、これで合計7点か、悪くない」

 

「ちぃ……はい!」

 

「日比野さま」

 

「馬速し 世の流れにも よく似たり」

 

「判定は?」

 

 一超は『4点』の札を上げる。

 

「やや稚拙 なれど先より 悪くなし」

 

「よし!」

 

「……少々判定が甘くないか?」

 

 ガッツポーズを取る飛虎の横で、光ノ丸が不満そうな声を上げる。

 

「う~む……」

 

「お嬢様、あれをご覧下さい!」

 

「何ですの、憂? あ、あれは⁉」

 

 憂が指し示した方には、レースを終えて引き上げる馬たちの姿があった。馬たちに跨る騎手の一人が被っていたヘルメットと着けていたグラスをややずらした。その顔を見て、八千代と葵がほぼ同時に驚いた。

 

「赤毛の君⁉」

 

「し、進之助⁉ なにやってんの、アイツ⁉」

 

「……人並外れた運動能力の高さを買われて、騎手のアルバイトを時たまやっているようですね」

 

 葵の疑問に爽が答える。

 

「い、色々やってんのね……」

 

「はい‼」

 

 八千代が勢いよく手を挙げた。爽は八千代を指名した。

 

「……五橋さま、どうぞ」

 

「颯爽と 馬駆る姿 愛おしき」

 

「判定をお願いします」

 

 一超は『4点』の札を上げて、講評を口にした。

 

「素直さが 心に響く 良き句かな」

 

「やりましたね、お嬢様!」

 

 憂が拍手を送る。

 

「ふふっ、これも愛の力の成せる業ですわ」

 

「何を言っているのやら……」

 

 どうだとばかりに胸を張る八千代を光ノ丸が冷めた視線で見つめる。

 

「ま、また出遅れてしまった……」

 

 葵が腕を組んで考え込む。その様子を見た爽が大きな声で呟く。

 

「あら? あそこにいらっしゃるのは……」

 

「え? ……あ、あれは⁉」

 

 葵が目をやると、馬場の中央で一頭の馬に二人で跨る黄葉原兄弟の姿があった。

 

「はい! それじゃあ今から、『兄弟で乗馬して障害物を飛び越えてみた』、やっていきたいと思いま~す!」

 

「あ、兄上! 二人同時に跨る必要がどこにあるのですか? 邪魔ですから撮影されるのなら降りて下さい!」

 

「視聴者は臨場感ある映像を求めているからさ、そこんとこヨロシク!」

 

「単純に前が見えなくて危ないのです‼」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ兄弟を見ながら、爽がさらに大きな声で呟く。

 

「まあまあ、これは世にも珍しい双子の乗馬姿ですね。こんな偶然があるのですね~」

 

「物凄い棒読み! わざとらしい!」

 

「そんな偶然があってたまるか⁉」

 

「はい!」

 

「どうぞ葵様!」

 

 八千代と飛虎の抗議を無視して、爽は挙手した葵を指名する。

 

「配信に 勤しむ双子 いと珍し」

 

「……」

 

 沈黙する一同に戸惑う葵。

 

「あ、あれ……?」

 

「……判定は?」

 

 一超は首を傾げながら、『1点』の札を上げる。

 

「ええっ⁉ 何で⁉」

 

「悪くなし 惜しまれること 字余りか」

 

「えっ⁉ ……あ~しまった!」

 

 詠んだ句の数を数え直し、字数が多いことに気付いた葵が頭を抱えた。

 

「ほ~っほっほっほ! 策士策に溺れるとはこのことですわね!」

 

「策という程の大したものでもないだろう……」

 

「よっしゃ、次のポイントに急ごうぜ」

 

「……それでは最後のポイントへとご案内を致します。葵様もどうぞお顔を上げて下さい、参りましょう」

 

「う、うん。はあ……イージーミスをしてしまった……」

 

 葵はやや肩を落としつつ、皆の後にトボトボとついていった。



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俳句バトルロイヤル~下の句~

「……ここは何なのかな? 随分と広い場所だけど」

 

 たどり着いた所には青々とした芝生が広がっていた。葵の問いに爽が答える。

 

「ゴルフ場です。やや短めのコースが中心ですが、9ホールあります。完全予約制ですが、休日はこうして一般開放しています」

 

「な、なんでもあるんだね……」

 

「というかむしろ今まで知らなかったのか?」

 

「い、いや、恥ずかしながら、全然……」

 

「誰かがラウンドしていますわね……ん? もしかしてあちらの方は?」

 

 そこにはゴルフを楽しむ万城目の姿があった。キャディやプレー同伴者から「ナイスショット!」と声を掛けられ、満更でもなさそうな表情を浮かべている。

 

「生徒会長じゃねえか」

 

「ゴルフも達者なのですね……」

 

 憂が感心した声を上げる。

 

「……では、こちらが第三の、最後の俳句ポイントになります。こちらのゴルフ場の様子をご覧になって、今までと同じ様に思い浮かんだ句をそれぞれ一句ずつご披露頂きます。それではどうぞ、思い付いた方から挙手をお願い致します」

 

「……」

 

 しばし考え込む一同。すると、再びキャディやプレーヤー達の「ナイスショット!」という掛け声が聞こえてくる。

 

「会長さんのグループ、皆さんお上手ですね……」

 

 憂が再び感心した様子を見せる。

 

「ふん……」

 

 光ノ丸が不機嫌そうに手を挙げる。爽が指名する。

 

「氷戸さま、お願いします」

 

「良い一打 打つことさほど 難儀せず」

 

「……判定は?」

 

 一超は『2点』の札を上げた。光ノ丸は驚く。

 

「な、何故だ⁉ 余のゴルフの体験を踏まえての句だぞ⁉」

 

「講評の方を……」

 

「なんとなく 得意気なさま 鼻につく」

 

「な、なんだと……」

 

 光ノ丸が膝を突いた。その様子を鼻で笑いながら、八千代がゆっくりと手を挙げる。

 

「五橋さま」

 

「万緑の 中に白球 よく映える」

 

「判定をお願いします」

 

 一超は『4点』の札を上げた。八千代は静かに拳を握りしめる。

 

「やりましたね、お嬢様!」

 

 憂の賞賛に八千代は片手を挙げて応える。一超が口を開く。

 

「季語用い 俳句の基本に 立ち返り」

 

「流石です、お嬢様!」

 

「ふふっ、もっと言って頂戴」

 

「ちっ……」

 

 喜ぶ八千代たちの様子を苦々しげに見つめながら、飛虎が手を挙げる。

 

「次は……日比野さま」

 

「仲夏頃 流れる汗も 心地よし」

 

「判定の方を……」

 

 一超は首を傾げつつ、『3点』の札を上げた。

 

「な、何でだよ! ちゃんと季語も使ったぜ⁉」

 

「……講評を」

 

「良い句だが 季語の季節が ややズレた」

 

「な、なんだって……?」

 

「この時期は 初夏という語が ふさわしき」

 

「くっ、俺としたことが……」

 

 飛虎がうなだれる。憂がハッとして八千代に話しかける。

 

「これで御三方が合計9点で並びました!」

 

「どうやらそのようですわね。ということは……」

 

「我々三人による延長戦ということになるな」

 

「望むところですわ」

 

「ちょっと! まだ私が残っていますけど⁉」

 

 葵が話を勝手に進めようとする光ノ丸たちに抗議する。光ノ丸が冷ややかに答える。

 

「……ならば早く句を詠め。時間の制限があるわけではないが、いつまでも待つというわけにはいくまい」

 

「う、う~む……」

 

 すると三度キャディやプレーヤー達の「ナイスショット!」という掛け声が聞こえてきた。見事なショットを打ち終えたプレーヤーにキャディが駆け寄り、喜々としてハイタッチを求めた。プレーヤーはやや恥ずかしそうにしながらそれに応じた。

 

「あ、あれは⁉」

 

 葵は驚いた。キャディに扮しているのが獅源だったからである。よく見てみなければ気が付かないほど、キャディ姿がすっかり板に付いていた。

 

「一体何をやってんだアイツは……」

 

 同じく獅源の存在に気が付いた飛虎が呆れた声を上げる。何かを閃いた葵は勢いよくその手を挙げる。

 

「はい!」

 

「どうぞ、葵様!」

 

「良いショット 君のハートに カップイン」

 

「判定は⁉」

 

 一超はやや唸った様子を見せながら『5点』の札を上げた。

 

「や、やったー‼」

 

「ま、満点ですって⁉」

 

「な、何故だ⁉」

 

「理由は⁉」

 

 一超に詰め寄ろうとする三人を爽が間に入って止める。やや慌てた一超は、一旦落ち着いてから講評を述べる。

 

「横文字の 大胆使用 感銘し」

 

「そ、そんな……」

 

「馬鹿な……」

 

「待てよ、ということは……」

 

 飛虎の言葉に爽が笑顔で頷く。

 

「ええ、そうですね、葵様が合計10点で単独トップ、見事優勝となります。これで藍袋座さんとの優先交渉権を得たのは我々将愉会になります」

 

「か、勝ったの……?」

 

「なんか納得いかねえんだが……」

 

「致し方あるまいな……」

 

「いや、納得しちゃうのかよ!」

 

「今日の所は完敗ですわね……」

 

「完敗ってことはねえだろ!」

 

「……今日はおとなしく退くとしよう」

 

「ですが、次は見てらっしゃい!」

 

「……覚えていろよ! いや、完全に捨て台詞じゃねえか!」

 

 光ノ丸たちはそれぞれ去っていった。一超がその後ろ姿を見て静かに呟く。

 

「敗れても 誇り忘れじ 潔さ」



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字余り

 翌日、毘沙門カフェに集まった将愉会の面々に、爽が礼を言う。

 

「……という訳で、皆様のさりげないご協力の甲斐もあって、無事に藍袋座さんとの独占交渉権を得ることが出来ました、ありがとうございました」

 

「……協力した覚えはないんですが?」

 

 小霧がやや憮然とした態度で答える。

 

「……申し訳ありません。とんだお邪魔をしてしまったようで」

 

「せめて言っておいてもらえないと困りますわ……」

 

「なにぶん突然の展開だったもので」

 

「黒駆が池に飛び込むのを見ていたが……あれがさりげなかったのか?」

 

 景元が訝しげに呟く。秀吾郎が頭を掻く。

 

「お褒めにあずかり恐縮です」

 

「いや、言っておくが褒めてはいないぞ……」

 

「先生に教えてもらったように、庭園に足を運んでみたら、思わぬ収穫がありました。本当にありがとうございます」

 

「私は今回大したことはしておりません。礼には及びませんよ」

 

 葵の感謝の言葉に光太は落ち着いて返答する。

 

「……おかしいな、俺様は協力した覚えが無いんだが?」

 

「弾七ちゃんは馬券に夢中だったからね~」

 

「馬券?」

 

 光太の眼鏡がキラリと光る。弾七が慌てる。

 

「おい、余計なことを言うな……!」

 

「え~? なんかすごい必死に叫んでいなかった?」

 

「あ、兄上、話がややこしくなりますから……」

 

 南武が北斗をたしなめる。

 

「お、おい先生のパフェはまだか⁉」

 

「あいよーお待たせしやした」

 

「ありがとうございます」

 

 進之助がテーブルにパフェを運んできた。光太の意識がパフェに集中し、弾七はホッと胸を撫で下ろす。南武が進之助に話しかける。

 

「それにしても赤宿さん、昨日は見事な騎乗ぶりでしたね。乗馬経験は長いのですか?」

 

「ん? いいや、昨日で三回目位かな」

 

「さ、三回目でもうレースを……」

 

「おう、やってみたら案外出来たな」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「凄いことサラッと言っているわね……」

 

 あっけらかんと言う進之助に葵も唖然とした。

 

「それはさておき……あの俳人さんはどうされたのですか?」

 

「ああ、もうちょっとで来ると思うけど……」

 

獅源の問いに葵が答える。

 

「ひょっとして迷っているのかも? 秀吾郎、悪いけどちょっと探してきてくれる?」

 

「承知しました」

 

 秀吾郎が姿を消した。

 

「段々、アタシもあの忍びさんに慣れてきました……」

 

 獅源は頬杖を突きながら静かに呟く。

 

「お連れしました」

 

「ありがとう、秀吾郎……ってえええっ⁉」

 

 葵は驚いた。体中トリモチまみれになっている一超の姿があったからだ。

 

「重要な話し合いを妨害されてはならないと、店の周囲に仕掛けて置いた罠に引っかかってしまったようです」

 

「と、取ってあげて、早く!」

 

 葵は慌ててトリモチを取り除く様に指示をする。秀吾郎に体中にまとわりついたトリモチを取り除かれながら一超は冷静に呟く。

 

「転ぶ先 トリモチまみれ いと愉快」

 

「ご、ごめんなさい! 大丈夫でした?」

 

「予想だに しない展開 不思議かな」

 

 慌てて謝罪する葵に対し、一超は落ち着いて答えた。

 

「怒りもしないなんて……流石一流の俳人さんは違いますね」

 

「極度に鈍いだけじゃねえか?」

 

 感心する獅源とは対照的に弾七は懐疑的な視線を向ける。

 

「いらっしゃい、御注文は?」

 

「この店の 一番の品 我望む」

 

「え、ええ?」

 

「一番人気のものが欲しいんだってさ」

 

「お、おう、そうか、分かった」

 

 葵の言葉に進之助は頷く。

 

「ねえね、俺俳句とかよく分かんないんだけどさ、お兄さん結構な有名人なんでしょ? サインくれない?」

 

「あ、兄上、またミーハーなことを……大体頼み方というものがあるでしょう」

 

「署名をす 境地にまでは ほど遠し」

 

「んん?」

 

「サインは基本断っているんだってさ」

 

「あ、ああ、そうなんだ……」

 

 爽が軽く咳払いをして話を切り出す。

 

「それでは、そろそろ話し合いを始めたいのですが……」

 

「う~ん、上手くいくかな~? 正直、意志の疎通が取れていないような……」

 

「いやいや、十分取れていますわよ⁉」

 

「自信を持って頂きたい!」

 

 首を捻る葵に思わず小霧と景元が突っ込みを入れる。

 

「葵様」

 

「……うん。藍袋座一超さん、短刀直入にお願いするけど、来月末に行われる学内選挙のなんだけど、是非私に協力して欲しいの。それと文化系クラブの皆さんにも協力を呼び掛けてもらいたいの」

 

「文化系クラブの部長さんたちには大層影響力があるとお聞きしております」

 

 葵の言葉に爽が補足した。弾七が隣に座る獅源に小声で尋ねる。

 

「文化系クラブに影響力持っているらしいぜ、お前演劇部だろ、知ってたか? 俺様美術部だけど初耳だぜ……」

 

「お互い幽霊部員だって知っているでしょう、白々しい……」

 

 少し間を置いて、一超が口を開いた。

 

「呼びかけを すること自体 他愛ない」

 

「本当?」

 

「率直に 尋ねてみたい 見返りは」

 

「ああ、えっと私たちは『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』として活動しているんだけど、それは知っている?」

 

 葵の問いも一超は頷いた。

 

「話には 聞き及ぶこと 多少あり」

 

「おおっ! それなら話は早い! 私たちは将愉会はその名の通り、学園を盛り上げる為に日夜活動しているの。だから学内選挙で良い結果を収めることが出来たら、文化系クラブの皆さんにもきっと喜んでもらえるようにするよ!」

 

「あいすまぬ ここから先は 独り言」

 

「ん?」

 

「皆望む 事柄一つ 予算増」

 

「あ、ああ……」

 

「その保証 あれば助力も 惜しまない」

 

「う、うん……」

 

「独り言 カフェにてこぼす 以上かな」

 

「わ、分かったよ、じゃあ交渉は成立ってことで良いかな?」

 

 一超は黙って頷いた。爽が光太に目をやる。

 

「……あくまでも独り言でしょう。一々どうこう言うつもりはありませんよ」

 

「……それでは話し合いは無事に済みました」

 

 そう言って、爽が拍手をする。皆もそれに続く。

 

「あ~良かった、安心した~」

 

 葵が軽く天を仰ぐ。そして改めて一超に向き直りお礼を言う。

 

「どうもありがとう、一超さん」

 

 一呼吸置いて、一超が葵に向かって呟く。

 

「折り入って 頼み事あり よろしいか」

 

「え? 何?」

 

「将愉会 我も加えて 欲しいかな」

 

「ああ、良いよ、でも何で?」

 

 一超はやや頬を赤らめ、葵から顔を背けながら呟いた。

 

「その美貌 クレオパトラか 楊貴妃か」

 

「いや違うけど」

 

「⁉」

 

 葵のにべもない即答に一超は驚いて周囲を見渡した。周りの皆はそれぞれ首を振ったり、俯いたりした。その反応で彼は全てを察し嘆息しながら呟いた。

 

「思いの丈 届かぬ心 若葉乗せ」



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乗り込んでみた

                      玖

 

「えっと……」

 

 5月も下旬になり、多少は暖かくなってきたとはいえ、葵はその背中に多量の汗をかき、季節外れの気分を味わっていた。

 

「上様、恐れながら謹んで申し上げる! よく聞こえなかったので、もう一度ご発言をお願いしたい!」

 

 葵と対面に座る短い青髪の青年がやや大きすぎる声で語り掛けてくる。脅かすつもりは全くないのだろうが、その声量のあまりの大きさに葵は思わず体をビクっとさせてしまう。青年が大股を開き、その間に竹刀を逆さに立てて、上に両手を添える、まるで古の侍を思わせるようなポーズを取っているのも、葵に妙な威圧感を与えていた。もっとも、これに関しては葵が自らのことを将軍ではなく一生徒として、いつも通りの対応をして欲しいと伝えたからではあるのだが。

 

「は、はい、えっと……」

 

「干支のお話でございますか! 某が好きな干支は辰でございます!」

 

「い、いや、ち、違います……」

 

「父がいますか、ですか? 父は当然おります! 大変尊敬しております! 勿論、母のことも同様に! 何故ならば父母がいなければ某はこの世におりません故!」

 

「……」

 

 葵は頭を抱え、俯きながら内心こう呟いた。

 

(どうしてこうなってしまったの?)

 

 

 

 話はその日の昼休みに戻る。

 

「目玉企画?」

 

 葵の言葉に爽が頷く。

 

「そうです。学内選挙も大事ですが、春の文化祭を成功に導くことも勿論大切です。その為にも、この辺りで、インパクトのある目玉企画を将愉会から大々的に発表したいところだと思いまして」

 

「それならば、先日若下野さんが新緑先生に、『成功すれば学園を大いに盛り上げることが出来る出し物』を三案ほど提案していたじゃありませんか」

 

 小霧の言葉に景元が頷く。

 

「そうだな、め組を招いての梯子登り、人気絵師によるライブドローイング、そして、自由恥部でのトークショー配信……だったか?」

 

「そうですね、新緑先生を通じて、学園側にもそれぞれの企画に了承を頂いております」

 

「で、あるならば、何も問題は無いじゃありませんか」

 

「何か不満でもあるのか?」

 

 景元の問いに爽は首を振る。

 

「いいえ、不満などありませんが、ただ……」

 

「ただ?」

 

「無難! 単純! 退屈! ではないかと……」

 

 突然大声を出した爽にクラス中が振り向く。

 

「……失礼しました」

 

 爽がクラスの皆に対して軽く頭を下げる。葵が尋ねる。

 

「そ、それって……」

 

「葵様が転校初日におっしゃった言葉ですよ。まあ、今回の企画の場合、単純と退屈というのはあてはまらないと思いますが、その……やや無難な内容かなと感じておりまして」

 

「要はもう少し刺激が欲しいってことですの?」

 

「そうなります。め組の皆さんによる妙技の披露は皆さんの目を楽しませることでしょう、橙谷さんの描く絵は生徒たちの芸術的感性を大いに刺激するでしょう、北斗さんによる動画配信も昨今の流行を抑えているとは言えます……しかし! 出来ればもう一押し欲しいところです」

 

 小霧に対して、爽が頷く。小霧は頬杖を突いて、呆れ気味に話す。

 

「簡単におっしゃいますけどね、そんなアイデア簡単に思い付くわけ……」

 

「ああ、それならあるよ」

 

「「ええっ⁉」」

 

 葵の言葉に、小霧と景元が驚く。爽が冷静に尋ねる。

 

「どういったアイデアでしょうか?」

 

「それはね……」

 

 何故か小声で話す葵のアイデアを聞き、爽たちは少々面食らった様子を見せた。

 

「そ、それは……」

 

「ど、どうかしら?」

 

「え~駄目かな、サワっち?」

 

「……上手く行けば一石二鳥……」

 

「サ、サワっち……?」

 

 俯いて何やらブツブツと呟く爽に葵が恐る恐るその顔を覗き込む。

 

「葵様!」

 

「うわっ⁉ な、何?」

 

 急に顔をバッと上げた爽に葵は驚いた。

 

「そのお考え、実に魅力的だと思います。ですが、それにはまず体育会に話を通さないとなりません」

 

「体育会……?」

 

「そうです、学内選挙においても重要な影響力を持った方々です。近い内にご協力のお願いに参ろうと考えておりましたがその手間が省けました」

 

「手間って……」

 

「葵様自ら体育会に赴いて頂き、そのお考えをお伝えするのです!」

 

「ええっ⁉ だ、大丈夫かな?」

 

「誠心誠意お話をすればきっと分かって下さるはずです。そして葵様の人柄に触れることによって、あら不思議! 体育会の面々も我々に協力してくれるはずです!」

 

「そ、そうかな?」

 

「そうです! 善は急げです! 早速今日の放課後にも会ってもらうように致します!」

 

「きょ、今日?」

 

「ええ、黒駆君!」

 

「はい!」

 

 爽の声に応じ、秀吾郎は姿を消した。そしてすぐに戻ってきた。

 

「放課後、体育会部室棟の会議室でお待ちするとのことです」

 

「話早っ!」

 

「では、体育会の会長さんにお会いして、そのお考えをお伝え下さい」

 

「う、うん、それはまあ良いけど、本当に大丈夫かな?」

 

「なんの、相手はバリバリの脳筋、もとい、肉体派の方ですから、きっと丸め込め……分かりあうことが出来るはずです」

 

「わ、分かった……それで、その、体育会の会長さんのお名前は?」

 

青臨大和(せいりんやまと)さんです」

 

 

 時は戻り、再び体育会部室棟の会議室に。葵はありったけの誠意を込めて、自らの考えを体育会会長である青臨大和に伝えた。

 

「……」

 

「い、如何でしょうか?」

 

 葵は大和の様子を伺った。大和はしばし目を閉じて、考え込むと、やがて目をカッと見開いて、持っている竹刀をドンと床に突き、こう答えた。

 

「上様のご提案……せっかくですが一蹴させて頂く‼」

 

「ええっ⁉ 一蹴って!」

 

 思わぬ返答に葵は驚愕した。



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妙な展開

「お話は以上でございますか!」

 

「ま、まあその提案に参ったといいますか……」

 

「ならば、お帰り下さい!」

 

「ええっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「駄目です! 待てません!」

 

「そ、そんな!」

 

 強引に話を進める大和を葵はなんとか制止しようと思い、話題を変えようとした。

 

「そ、それならば少しお話を変えましょう」

 

「変えるとは、別のご提案でしょうか⁉」

 

「提案というか、お願いごとというか……」

 

「それならば、尚のことお帰り下さい!」

 

「な、なんでですか⁉」

 

「提案があるということで時間を割きました! それ以外の話をする暇は一切ございません! 某はこう見えても忙しい身ゆえ、これにて失礼致します!」

 

「い、いや、ちょっと待って下さい! 1分で済む話ですから!」

 

 葵は退席しようとする大和を引き留めた。

 

「……大方、学内選挙を戦うにあたり、我々体育会に協力を要請したい……そういうお話でしょう?」

 

 葵が声のする方に振り返ると、金髪のショートボブの女性と、銀髪のポニーテールの女性が部屋に入ってきた。大和が金髪の女性に声を掛ける。

 

「おお、書記殿、すまない、待たせたか! すぐにそちらに向かおうと思ったのだが!」

 

「構いません。予定は変更して、こちらの会議室で行いましょう」

 

「……」

 

 金髪の女性はそう言って、大和の右斜め前の席に座った。その対面の席に銀髪の女性が無言で腰かけた。

 

「えっと……」

 

 困惑する葵の様子を横目で見ながら、金髪の女性は書類を机の上に置くと、すぐさま立ち上がり、葵の方に向き直って挨拶をした。

 

「失礼、ご挨拶が遅れました。私は体育会の書記を務めております、武枝(たけえだ)クロエと申します。以後、お見知り置き下さい」

 

「は、はあ、どうも……」

 

「そして、こちらの不愛想な銀髪が体育会副会長の上杉山雪鷹(うえすぎやまゆたか)です。って、貴女がご自分できちんと挨拶なさいよ」

 

「……初めまして、よろしく……」

 

 雪鷹は持っていた竹刀袋を机に立て掛けると、ゆっくりと立ち上がって、葵に向かって頭を下げ、再び席に着いた。

 

「ど、どうも……」

 

「それで? お話というのは結局そういうことでございましょう? あの、なんとか会に協力しろという……」

 

「『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』です!」

 

 クロエの言葉に葵はややムッとしながら答える。

 

「まあ、正直なんでもよろしいですが……」

 

 クロエは溜息をつきながら席に座った。大和が笑いながら言う。

 

「ふむ! どうやら我々体育会は相当な人気者のようだな!」

 

「人気者?」

 

「既に三つの陣営から同様の協力要請を受けております……」

 

「ああ……」

 

 葵は光ノ丸たちの顔を思い浮かべながら頷いた。

 

「投票に関しては各自の自由にするようにと、会の者たちには伝えております。それで宜しいでしょうか? 打ち合わせの時間です。申し訳ありませんが、お引き取りを」

 

「た、例えばここにいる御三方だけでも、はっきりと旗色を決めては頂けませんか⁉」

 

「はい? 何故そんなことをする必要が?」

 

 クロエの問いに葵はやや口ごもりながらも答える。

 

「そ、それは、御三方が影響力のある方たちだとお見受けしたからです! 体育会トップの御三方がどの陣営を支持するかを明確になされば、自然と会の方たちもそちらになびくことでしょう! それが狙いです!」

 

「え……」

 

「ははは! これはまた正直なお人だ! なあ、副会長殿?」

 

「……本音をそのままガツンとぶつけてこられた……」

 

「ああ! むしろ清々しい位だ!」

 

「そ、それでは……」

 

 気持ちが前のめりになった葵に対し、大和は右手をかざす。

 

「しかし! それだけで決めるわけには参りません! こうした密室で決まった物事に、我が体育会の面々は決して従わないでしょう!」

 

「そ、そうですか……」

 

「ですが、他ならぬ上様からの頼みごと! 無下に扱う訳にも参らん! どうだろうか、副会長殿に書記殿?」

 

「どうだろうかとは?」

 

 クロエがややウンザリしながら大和に聞き返す。大和が声をさらに大きくして答える。

 

「最近退屈していたところだ……久々にアレ、やってみないか?」

 

「アレですか……」

 

「アレ?」

 

 首を傾げる葵の方に大和が向き直って言う。

 

「そうです! 体育会名物、『魂の三本勝負』です!」

 

「三本勝負?」

 

「三度勝負を行うことです!」

 

「そ、それは分かりますが……」

 

 戸惑う葵にクロエが補足する。

 

「健全な精神は肉体に宿るとはよく言ったものです。我々体育会は賢い知恵や巧みな弁舌の才よりも、強靭な肉体とそこから生み出される力を信じます」

 

「は、はあ……つ、つまりは?」

 

「ここにいる我々体育会トップの三人と、心・技・体、それぞれをテーマにした種目で争って頂きます。我々を上回ることが出来た陣営に協力することに致しましょう」

 

「そういうことです!」

 

「そ、そうですか……」

 

「では日時ですが……そうですね、三日後に行うことにしましょうか。それでよろしいですね、会長?」

 

「異論は無い!」

 

「上様もよろしいでしょうか?」

 

 葵は当初困惑を隠せなかったが、体育会の心を掴むまたとない好機だと思った。

 

「……分かりました、その三本勝負、受けて立ちます!」

 

「威勢の良いことだ……」

 

 雪鷹がニヤリと笑う。クロエが淡々と話す。

 

「……勝負のルール等に関しては、追って各陣営にお伝え致します。しっかりと確認しておいて下さい」

 

「お互い正々堂々、力の限り頑張りましょう、上様!」

 

「ええ、望むところです!」

 

 拳を突き出して、大和の言葉に応えた葵だったが、内心こう思った。

 

(どうしてこうなってしまったの?)



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偵察行動

「というわけで……三本勝負をすることになりました!」

 

 翌日、葵が毘沙門カフェに集まった将愉会の面々に伝える。

 

「「「……」」」

 

「あ、あれ、皆反応が鈍いな~どうしたのかな?」

 

「……だからどうしたもこうしたも、なにがどうなったらそんなことになるんですの⁉」

 

 小霧が立ち上がって、葵に問いかける。

 

「えっと……場の流れというかなんというか……」

 

「またそれですの……伊達仁さん、貴女がついていけば……」

 

「どうしても外せない用事がありまして……まあ、こうなってしまっては致し方ありません。三本勝負への対策を考えることにしましょう」

 

「対策と言っても……どんな競技が行われるんだ?」

 

 景元の質問に爽が端末を片手に答える。

 

「先方から送られてきたメールによりますと……心・技・体をテーマにした3つの種目が行われるそうです」

 

「すごく漠然としているな……」

 

「参加人数は一種目につき、四名までとのことです」

 

「ということは団体競技なのか?」

 

「恐らくはそのようですね。葵様、如何いたしましょうか?」

 

「う~ん、それぞれの種目につき、四名ずつなのかな?」

 

「……種目ごとに参加するメンバーを変更しても良いようですし、四名だけに絞っても構わないようですね」

 

「そうか……他の陣営はどう出てくるかな?」

 

「現在黒駆君たちに探りを入れてもらっています」

 

「たち? そ、そうなんだ……」

 

 

 

 一方、二年い組の教室では、氷戸光ノ丸が両手を組んで考え込んでいた。

 

「殿、体育会からの参加要請ですが、如何いたしましょうか?」

 

「絹代か……お前はどう思う?」

 

 光ノ丸に静かに語りかけてきた黒髪のおかっぱ頭の女性は風見絹代(かざみきぬよ)と言い、長年光ノ丸の秘書を務めている。

 

「気が進まないようであれば、辞退しても……」

 

「ふん、余の辞書に辞退や諦めという類の文字は無い」

 

「では……」

 

「SとKの二人を呼べ」

 

介次郎(すけじろう)さんと覚之丞(かくのじょう)さんですね」

 

「……伏字にした意味がまるで無いが、まあいい」

 

 教室の天井裏に身をひそめていた秀吾郎が呟く。

 

「氷戸陣営は“介さん覚さん”が出てくるか……」

 

「運動神経が自慢の介さんと、頭の切れる覚さん、良いコンビと評判の二人ですね」

 

「うおっ⁉」

 

 秀吾郎はいつの間にか自分の背後にいた光太に驚いた。

 

「しっ! 気付かれてしまいますよ……」

 

「い、いや、先生一体何をやっているのですか?」

 

「忍者に憧れて……ではなくて、危険な任務を生徒にだけは任せられませんから」

 

「複数の方がバレる危険性が増しますよ……って藍袋座殿まで⁉」

 

 光太の脇に一超が控えていたことに気付く。

 

「屋根裏に 忍ぶ経験 稀有なこと」

 

「遊びではありません! と、とにかく撤退しましょう!」

 

 ドタバタと物音がする天井を眺めながら絹代が呟く。

 

「殿、口封じをいたしますか?」

 

「どうせ当日には分かることだ。放っておけば良い……」

 

 

 

 二年ろ組の教室では、五橋八千代が思案を巡らせていた。憂が声をかける。

 

「……体育会からのお話、如何いたしましょうか?」

 

「勿論参加致します。どうせ若下野さんが体育会に乗り込んで流れで決まった話でしょうけど……これに乗らない手はありません」

 

「参加する面々はどうしましょうか?」

 

「人数はあえて絞るつもりですわ、わたくしと憂は決まりとして、問題は後の二人……」

 

「ええっ⁉ 私も出るんですか⁉」

 

「何を今更、当然でしょう」

 

「は、はあ……」

 

「うぃーっす」

 

 教室のドアが開き、進之助がズカズカと入ってきた。

 

「あ、赤毛の君⁉」

 

「あのよ、そっちは誰を出すつもりなんだい?」

 

「そ、そんなこと教える訳がないでしょう!」

 

 進之助の余りに直球過ぎる質問を憂が一蹴した。

 

「え~そんなケチ臭いこと言わずにさ~頼むよ~」

 

竹波(たけなみ)君と呂科(ろしな)君にお願いしようと思っていますわ……」

 

「お、お嬢様⁉」

 

 憂が驚いて振り返る。

 

「その二人は運動自慢なのかい?」

 

「このろ組きっての文武両道の二人ですわ……」

 

「へ~そりゃ手強そうだ。教えてくれてありがとうよ!」

 

「いいえ、お役に立てたのなら幸いです……」

 

 八千代は胸の前で両手を組み、ポーっとした顔で答えた。

 

「いやあ~弾七っつあんの言った通りにしてみたら教えてくれたぜ。なんでだろうな?」

 

 進之助は教室の外で待っていた弾七に不思議そうに尋ねた。

 

「さあ……なんでだろうな」

 

「妙なこともあるもんだな。えっと、竹波と呂科だったっけ? さて、忘れちまう前に爽の姐さんに報告に行こうか」

 

「……これも勝つためだ、悪く思ってくれるなよ……」

 

 弾七は依然として進之助のことを目で追っている八千代と、その傍らで頭を抱える憂の姿を見つめながら呟いた。

 

 

 

 二年は組のクラスでは日比野飛虎が憮然とした表情で座っていた。北斗が声をかける。

 

「ちょっと、ちょっと、これ動画なんだからさ~なにか喋ってもらわないと~」

 

「……動画出演には確かに了解を出した。ただ、コイツと一緒とは聞いてねえぞ」

 

「コイツとはまた他人行儀な悲しい物言いを……舞台で共演した仲じゃない?」

 

 飛虎の隣の席には獅源が座っていた。

 

「ちっ……」

 

 飛虎が頬杖をつく。北斗がカメラを回す南武に合図を出す。

 

「南武、例のものを」

 

「は、はい……というか、兄上がやって下さいよ!」

 

 南武が北斗に札の束を渡す。飛虎が怪訝そうに尋ねる。

 

「なんだそりゃ?」

 

「ふふっ、トークテーマだよ」

 

「トークテーマ?」

 

「恐らく話が弾まないだろうなと思ってね、この札にはそれぞれトークのお題が書かれてあるんだ。札を一枚引いてもらって、その札に書かれているお題に沿ってトークをしてもらおうと思ってね。じゃあ、早速どうぞ一枚引いてもらえる?」

 

「ふん……じゃあこれを」

 

 飛虎は一枚札を引き、内容を確認した。

 

「何々……? 『三本勝負、は組は誰が出場するの?』ってなんだよ、このお題⁉」

 

「誰が出るの?」

 

「素直に教えるわけないだろうが!」

 

「ふふっ……内心恐れているんじゃないのかい?」

 

「なんだと……?」

 

 獅源の言葉に飛虎が眉をひそめる。

 

「ちょっと手の内をさらけ出した位で負ける恐れがある……おたくの陣営ってのはそんなヤワなもんなのかい?」

 

「ああ? 馬鹿にしてんのか?」

 

「小馬鹿にしているさね、まさかそんな小心者だとは……」

 

 飛虎が立ち上がって叫ぶ。

 

「ナメんな! いいだろう、特別に教えてやるよ! 俺たちは組からは俺を含めた四人、通称『四神』が出るぜ! 震えて待ってな!」

 

「『四神』……」

 

「うわあ、なんともダサそうな響き!」

 

「あ、兄上! ど、動画の撮れ高は十分です! ありがとうございました!」

 

 南武は飛虎に礼を言い、北斗と獅源を連れて、そそくさとは組の教室を後にした。

 

 

 

「ふむ……各陣営とも人数を絞って参加するようですね……」

 

 各自の報告に目を通した爽が呟いた。

 

「で、どうしますの?」

 

「え、何が?」

 

 小霧に葵が問い返す。

 

「何がって、我々将愉会から参加する面々ですわ。やはりここは運動が得意な人を優先するのでしょう?」

 

「種目が不明なのが気になるが、それが賢明だろうな……」

 

「ああ、それなんだけどね、私が考えていたのは……」

 

「「「ええっ⁉」」」

 

 葵の言葉に小霧たちは驚いた。



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魂の三本勝負~心の巻~

 そしてとうとう勝負の当日を迎えた。

 

「さあ! いよいよ始まります! 体育会名物、『魂の三本勝負』! 過去数多の挑戦者たちが散ってきたこの勝負! 体育会の高く、そして厚き壁を越えられる猛者は果たして現れるのでしょうか⁉」

 

「放送部の人、ノリノリだね……」

 

「観衆も大分集まっていますわ……」

 

 小霧の言葉通り、グラウンドの周辺には、多くの生徒が詰めかけていた。

 

「皆お祭りごとが好きですからね」

 

「そう言って、伊達仁が喧伝したのではないか?」

 

 景元の問いに、爽はフッと微笑んだ。

 

「半分はそうですね。もう半分は体育会の皆さんによるものだと思いますが」

 

 グラウンド中央正面の指揮台に上がった体育会会長、青臨大和がマイクを片手に大声で話し出した。

 

「お集まりの諸君! 本日は体育会名物、『魂の三本勝負』を見に来てくれて誠にありがとう! 体育会会長として感謝感激の極みである!」

 

 大和の言葉に観客が大いに沸く。

 

「そして恐れ知らずの参加者ご一同! 我々は手加減など出来ぬ性分ゆえ、怪我などなされぬ様、努々お気をつけを!」

 

「け、怪我って一体どんな種目をさせる気なんですの……?」

 

 小霧が不安げな声を上げる。

 

「前置きはこの辺にして! 早速第一の種目を発表しよう!」

 

 大和が指揮台の下に控えていた生徒から巻物を受け取り、その巻物を勢いよく開いて種目名を高らかに叫んだ。

 

「第一の種目は……『心の双六』!」

 

「す、双六?」

 

「ルールは至極簡単だ! グラウンドに広げられた双六シートの上で双六を行ってもらう! 止まったマス目に様々な精神力を試されるお題が提示される! そのお題をクリアすれば、次のサイコロを振る権利を得る。逆に言えばお題をクリアせねば、サイコロは振ることは出来ない! 従来の双六と異なるのは、スピードも問われるということだ!」

 

「ふむ……」

 

「ということは……」

 

「つまり……」

 

「「「体力自慢を揃えた意味が無い!」」」

 

 他の三つの陣営が愕然とする中、将愉会側はにわかに活気づいた。

 

「こ、これは……なんだかイケそうな気がしてきましたわ!」

 

「頼むよ、さぎりん!」

 

「ほほほっ! 大船に乗ったつもりでご覧遊ばせ!」

 

「提示されたお題に挑むのは、各チーム一人で構わない。クリアすればチームごと先に進める。尚、我々体育会はハンデとして、武枝書記一人で戦う!」

 

 大和の言葉を受け、武枝クロエがゆっくりと前に進み出てきた。

 

「各自サイコロは持ったな? それでは……『心の双六』、始め!」

 

 大和の掛け声とともに笛が吹かれた。各チーム、両手で持つ位の大きいサイコロを振る。将愉会は小霧が早速6の目を出した。

 

「よし! 幸先良いスタートですわ!」

 

 司会者兼審判員が指示を出す。

 

「では、将愉会チーム、6マス進んで下さい!」

 

 小霧たちが6マス進み、マス目に書かれたお題を読み上げる。

 

「何々? 『黒歴史に耐えきったら先に進める、そうでなければ振り出しへ』?」

 

「どなたがお題に挑みますか?」

 

「よく分かりませんが、わたくしが参りますわ!」

 

「では、高島津選手失礼して……」

 

「?」

 

「『クシュン! 嫌だな、また花粉の季節……ああ、どうせならくしゃみをするごとにあの御方との距離、縮まれば良いのに……』」

 

「どわあっ⁉」

 

 小霧が突如として大声を上げる。

 

「そ、それはわたくしの中二の頃の自作ポエム! 捨てた筈なのにどうして⁉」

 

「あ~耐え切れなかった! どうぞ振り出しへお戻り下さい!」

 

「ええっ⁉ こ、心の双六ってそういうことですの⁉」

 

 すると、体育会も6の目を出した。クロエは小霧たちと入れ替わるような形で同じマスに止まった。

 

「では、武枝選手、よろしいですね?」

 

「どうぞ」

 

「『雨が降り続ける季節、傘をさしても意味なんてない……だって、私のこのズブ濡れの心には傘はさせないもの……』」

 

「……」

 

「な、なんと武枝選手、黒歴史に耐えきった!」

 

 観衆が沸く。クロエは早速次のサイコロを振る。葵が驚く。

 

「な、なんて精神力!」

 

「あれが武枝書記の特技、『風林火山・山の構え』だ!」

 

「うわっ! びっくりした! いつの間に!」

 

 隣に立っていた大和に葵は再び驚く。爽が呟く。

 

「成程……『動かざること山の如し』というわけですね」

 

「そういうことだ!」

 

「いや、どういうこと⁉」

 

 とにもかくにも、双六は進んでいった。

 

 

 

「ぐおっ辛え!」

 

 弾七が思わずむせた。

 

「おおっと! 橙谷選手! 激辛巨大最中に苦戦しているようだ!」

 

「いや、普通大食いかと思うだろ!」

 

「完食を諦めるならば、3マス戻ることになります!」

 

「た、食べりゃあいいんだろ、食べりゃあ!」

 

 弾七は半ばやけくそ気味に最中を口の中に突っ込んだ。

 

「か、辛え……」

 

 弾七は涙目になりながらもなんとか完食した。

 

「やりましたわ! さあ、サイコロを振りましょう!」

 

 

 

「……ふふふっ!」

 

「ああっと! 涼紫選手! 体全体くすぐりの刑で笑ってしまった! 将愉会チーム、4マス戻ることになります!」

 

「ああっ!」

 

「なにをやってんだよ!」

 

 小霧が落胆し、弾七が獅源に詰め寄る。

 

「いやね先生……そりゃ人間あんな所をくすぐられたら、笑い声の一つも出ますって」

 

「言い訳すんなよ! 『絶対くすぐりがらない人間』の芝居をやれよ!」

 

「そんな無茶な、どんな芝居ですか……」

 

「と、とにかく、気を取り直して、またサイコロを振りますわよ!」

 

 

 

「キィ~~~」

 

「きゃっ⁉」

 

「うおっ⁉」

 

「こ、これはこれは……」

 

 あまりの音に小霧と弾七は耳を塞ぎ、獅源は顔をしかめた。黒板を爪で引っ掻いた音を間近で聞かされたからである。しかし、一超は平然としていた。

 

「藍袋座選手、微動だにせず! 将愉会チーム、お題クリアです!」

 

「や、やった!」

 

「よく平気ですね? 眉一つ動かさず……」

 

 獅源の問いに一超は微笑みながら答えた。

 

「不快な音 心地変えれば 味があり」

 

「成程、気持ちの持ちようですか……見習いたいものです」

 

「さあ、急ぎましょう!」

 

 

 

「『心の双六』、第一位は……二年は組‼ 5ポイント獲得!」

 

「よっしゃー‼ 見たかー!」

 

 飛虎が渾身のガッツポーズを見せる。

 

「第二位は二年ろ組‼ 4ポイント獲得!」

 

「ふふふ……く、黒歴史? 何それ、美味しいの? ですわ……」

 

「お嬢様! お見事な精神力でした!」

 

 崩れ落ちそうな八千代を憂が支える。

 

「第三位は二年い組‼ 3ポイント獲得!」

 

「まあ、悪くはない滑り出しだな」

 

「殿が足を引っ張らなければもう少し上に行けましたが……」

 

「絹代、何か言ったか?」

 

「いいえ、何も」

 

「第四位は体育会‼ 2ポイント獲得!」

 

「すみません。油断して足元を掬われました……」

 

「冷静な敗因分析、見事! なんのなんの、あと二本で挽回可能!」

 

 肩を落とすクロエを大和が励ます。

 

「そして、第五位は将愉会‼ 1ポイント獲得!」

 

「ぐ……まったく不甲斐ない出来で申し訳ありませんわ……」

 

「先生が最中をもうちょっと早く食べられればねえ……」

 

「いや、そういうお前さんこそ何もしてねえだろ!」

 

「仲間割れ 恥の上塗り 無様かな」

 

「ま、まあ、皆落ち着いて……大丈夫! あとの二本で取り返すよ!」

 

 葵は力強く宣言した。



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魂の三本勝負~技の巻~

「……では、次の種目を発表する!」 

 

 大和が巻物を開き、次の種目名を高らかに叫んだ。

 

「第二の種目は……『技のめんこ』!」

 

「め、めんこ?」

 

「これもルールは至極明快だ! グラウンド上のコースでレースを行ってもらう! しかし、ただ単に速さだけを競うわけではない! コース上もしくはコース脇には様々な動く的や障害物がある! それらを見事射抜いたり、叩いたりすることが出来れば、命中点が与えられる! コースのクリアタイムと命中点の合計により順位が決まる! スピードだけでなく技術も問われるということだ!」

 

「め、明快かな~?」

 

 葵が首を傾げる。

 

「……めんこの要素は?」

 

 爽の冷静な問いに大和が答える。

 

「的や障害物は簡単には壊れないように出来ている! 例えば一度誰かが叩いたものでも、そこにより強い衝撃を加え、破壊することが出来れば、いわゆる命中点はその破壊したものに与えられる!」

 

「つまり速くゴールすることを優先するか、それとも命中点を稼ぐことを優先するか、の二択になるわけですね……」

 

「そうだ! ちなみにこのレース、他者への妨害もありだ!」

 

「え、そ、そうなの⁉」

 

「ああ! その方が色々盛り上がるからな!」

 

「い、良いのかな……」

 

「では、各チームスタートの準備をしてくれ!」

 

「……って、ええっ⁉」

 

 葵は驚きの声を上げた。何故なら車やバイク、又は自転車に乗っているチームがスタートラインに並んでいたからである。

 

「それでは位置について……」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

「如何致しました、上様⁉」

 

「み、みんなで走るんじゃないの⁉ く、車とか反則でしょ⁉」

 

「レースの盛り上がりを考えて、車などを使うのもありとしています。勿論、公平に抽選を行って、車の使用チームなど決めています」

 

 大和の脇に立っていたクロエが補足する。

 

「そ、そんな……うちのチームは⁉」

 

「ローラースケートですね」

 

 爽が落ち着いて答える。

 

「だ、大丈夫かな?」

 

「ここは彼らを信じるしかありませんね」

 

「それでは位置について……スタート!」

 

 大和の号令とともに、各チームが一斉にスタートした。

 

 

 

 車でスタートする二年い組。

 

「殿、如何いたしましょうか?」

 

「折角、車を引き当てたのだ。最速でのゴールを優先しよう。運転は絹代に任せる。余が銃で的を狙い撃つ」

 

「殿……我々は?」

 

「介と覚、そなたらは車を降りて、他のチームを懲らしめてやれ」

 

「承知致しました!」

 

 光ノ丸の命を受けて、介次郎と覚之丞は車から飛び降り、絹代はアクセルを思い切り踏み込んだ。

 

 

 

 サイドカー一台とバイク二台でスタートする二年ろ組。

 

「い組はゴールを優先するようです!」

 

「ならばわたくしたちもトップを狙いましょう! 竹波君と呂科君は他チームの足止めをしつつ、命中点を稼いで頂戴!」

 

「分かりました!」

 

「お任せ下さい!」

 

「憂! 飛ばしなさい!」

 

「しっかり掴まっていて下さい!」

 

 憂はエンジン全開で先行するい組の車を追う。竹波と呂科は他チームの方に向かった。

 

 

 

 競技用の自転車に乗った飛虎は、は組のメンバーに指示を飛ばす。

 

「流石に車やバイクにはスピードでは叶わねえ! 出来る限り速くゴールすることを心掛けつつ、命中点を稼ぐぞ!」

 

「了解」

 

「相分かった」

 

「へへっ、思い出すな、飛虎、お前と一緒に峠を攻めたあの夜をよ!」

 

飛虎の隣にいる短髪の男が照れ臭そうに鼻の頭を擦った。この男の名前は神谷龍臣(かみやたつおみ)。は組の副クラス長で、飛虎とは古くからの悪友である。

 

「龍臣……生憎そんなことをした記憶は俺にはないが……とにかく頼むぜ!」

 

「任せとけ! 相棒」

 

 飛虎と龍臣は拳を軽く突き合わせ、スタートを切った。

 

 

 

「さて、どうしますかね……」

 

 光太が眼鏡を直しながら呟く。景元が手に持った弓を構えながら答える。

 

「トップでのゴールは無理です! 出来る限り固まって進み、命中点を稼ぐことに重点を置きましょう! 他のチームが狙いづらいであろう遠くの的は僕の弓で射抜きます!」

 

「貴方の腕前を信じるとしますか。では我々は大毛利君の護衛をしつつ進むということで……宜しいですか、お二人とも?」

 

「任せてくれ! 大体南武が全部何とかする!」

 

「ええっ⁉ 兄上、無茶を言わないで下さい!」

 

「……とにかく参りましょう」

 

 北斗に抗議する南武を無視して、将愉会もスタートした。

 

 

 

「……」

 

 白馬に跨った上杉山雪鷹が他チームが全てスタートするの黙って見ていた。

 

「まずは、固まって進むローラースケート組か、それとも派手に動き回っている自転車組か、どちらかを潰すか……」

 

 一瞬考えた雪鷹はすぐさま答えを出した。

 

「……後者だな!」

 

 そう言って、雪鷹は馬を走らせる。

 

 

 

「うわ⁉」

 

「ぐお⁉」

 

「どうした⁉ ‼」

 

 仲間の叫び声に振り向いた飛虎は驚いた。既に二人、雪鷹によって自転車を壊されてしまっていたからである。雪鷹は静かに呟く。

 

「残り二人……」

 

「ちっ!」

 

「ここは俺に任せて、ゴールを狙え、飛虎!」

 

「いや、ここで体育会を潰す!」

 

 飛虎の言葉に龍臣が笑う。

 

「へへっ、そうこなくっちゃな! よし! あの時の技で行くか!」

 

「どの時かさっぱり分かんねえが……行くぞ!」

 

 飛虎と龍臣が同時に飛び掛かる。

 

「……」

 

「⁉」

 

「な、何⁉」

 

 飛虎と龍臣の自転車が破壊された。

 

「す、すれ違いざまに、あの木刀でここまでの破壊力!」

 

「これで貴様らはレース続行不可能だ。ここでリタイアだな」

 

「くそっ!」

 

「速さはなかなかだったが、動きがバラバラだ。もう少し呼吸を合わせた方が良い……」

 

 雪鷹はそう言って、再び馬を走らせた。

 

 

 

「おいおい! 手を組むなんてズルくない⁉」

 

 竹刀を片手に北斗が叫ぶ。い組とろ組が将愉会を狙ってきたからである。

 

「ここで将愉会は消えてもらう!」

 

「悪く思うな!」

 

「悪く思うよ!」

 

「兄上! オウム返ししてもしょうがありませんよ!」

 

 南武も竹刀を構えつつ、北斗を落ち着かせる。

 

「大毛利君! 単独で厳しいとは思いますが、ゴールに向かって下さい! ここは我々三人でなんとか食い止めます!」

 

「! すみません!」

 

 光太の言葉に景元が頷き、ゴールへ向けて走り出した。

 

「4対3、数では不利ですが……」

 

 光太も竹刀を構える。

 

「ほお、勘定奉行と町奉行の御三方……」

 

「構えがなかなか様になっているな……」

 

 感心したような相手の言葉に北斗が噛み付く。

 

「なめんな! 剣術の心得くらいあるっつーの!」

 

「兄上、落ち着いて下さい!」

 

「冷静さを欠いては負けです……」

 

「俺は冷静だよ! ……上から目線が気に食わねえ! よし南武、飛べ!」

 

「はっ⁉」

 

「はっ⁉ じゃないよ! なんかいい感じの空中殺法とかないのかよ!」

 

「ありませんよ、そんなもの!」

 

「無いのですか⁉」

 

「何を驚いているのですか! 新緑先生!」

 

「双子なのに⁉」

 

「よく分からない双子への偏見止めて下さい!」

 

「お遊びはそこまでにしてもらおうか」

 

「⁉ 体育会の!」

 

「面倒だ、まとめて蹴りをつける」

 

「何⁉」

 

「上杉山流奥義……『凍土』」

 

「「「⁉」」」

 

 

 

「ええっ⁉」

 

 レースを見ていた葵は驚いた。雪鷹が木刀を軽く振るうと、戦っていた七人が一瞬にして凍りついてしまったからである。

 

「こ、凍った⁉」

 

「あれが上杉山副会長の奥義の一つ、『凍土』! 一帯を凍らせる技だ!」

 

「い、いや、技だ! って言われても!」

 

 大和の言葉をクロエが再び補足する。

 

「無論、手加減はしてあります。生死に関わるほどではありません」

 

「いやそういう問題じゃなくて……」

 

「しかし、いつ見ても見事な技だな!」

 

「……私の『風林火山・火の構え』ならば、あの程度の氷など、恐るるに足りません」

 

「はははっ! 切磋琢磨、実に結構!」

 

「サワっち……なんか、私頭痛くなってきた……」

 

「葵様、今はとにかくレースに集中しましょう」

 

「ええっ……」

 

 

 

「『技のめんこ』、第一位は……二年い組‼ 5ポイント獲得!」

 

「ふう……どうにか逃げきれましたね」

 

「絹代……何故に余を車から蹴り落とした?」

 

「少しでも車を軽くして速度を上げ、あの氷から逃れるための咄嗟の戦術的判断です。どうかご容赦下さい」

 

「ふん、まあ良いだろう……」

 

「第二位は将愉会‼ 4ポイント獲得!」

 

「な、何とかゴール出来たのが幸いしたか……」

 

「大毛利君、お見事です」

 

「俺らも凍った甲斐があったってもんだぜ!」

 

「もう二度と御免ですけどね……」

 

 南武の呟きに、光太も頷いた。

 

「第三位は体育会‼ 3ポイント獲得!」

 

「ち……捉え切れなかったか」

 

「上々、上々! ここは相手を誉めるべきだ! 最後に勝てば良い!」

 

 大和は雪鷹に優しく声をかける。

 

「第四位は二年ろ組‼ 2ポイント獲得!」

 

「くっ、あんな氷なんて反則ですわ……」

 

「バイクのタイヤを凍らされてリタイア扱いになってしまいましたね……」

 

「まあ、命中点を少しでも稼いだことによってなんとか最下位は免れることが出来ましたわ。次に向けて気持ちを切り替えましょう」

 

 落胆する憂を八千代が励ます。

 

「そして、第五位は二年は組‼ 1ポイント獲得!」

 

「くそ、なんてこった……」

 

「飛虎、まだ終わっちゃいねえ、あの夏の試合を思い出せ! きっと逆転出来る!」

 

「どの夏の日か分からねえが……確かに諦めるのはまだ早いな!」

 

 龍臣の檄を受け、飛虎は顔を上げる。

 

「というか南武さ~あそこは素直に飛ぼうよ、ノリ悪いって」

 

「いや、ノリが良い悪いの問題ですか⁉ 空中殺法なんて初耳ですよ!」

 

「なんかその場の勢いでさ~、パパッと飛べたっしょ~?」

 

「……正直ガッカリしましたね」

 

「新緑先生まで⁉ 何を言うのですか⁉」

 

「期待が大きかっただけに残念です」

 

「だから何の期待ですか⁉」

 

「ま、まあ、南武君少し冷静になって……大丈夫! あとは任せて! 最後の勝負、絶対に勝ってみせるよ!」

 

 葵は拳を握りしめて高らかに宣言した。



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魂の三本勝負~体の巻~

「……それでは、最後の種目を発表する!」 

 

 大和が巻物を開いて、最後となる種目名を大音声で叫んだ。

 

「第三の種目は……『体の大乱闘』!」

 

「だ、大乱闘?」

 

「これもルールは至極単純! グラウンド上に設置された舞台上でバトルロイヤルを行う! 目潰し・金的以外なんでもありだ! 相手を戦闘不能とするか、場外に落とせば、勝利となる!」

 

「た、確かに今までと比べるとすごい単純だ……!」

 

 葵がコクコクと頷く。

 

「では、早速出場者は舞台に上がってもらおう!」

 

 大和の言葉を受けて、皆が舞台へと上がる。

 

「皆、準備は宜しいか? では合図を頼む!」

 

 大和が舞台下のクロエに声を掛ける。クロエはマイクを手にする。

 

「それでは……『体の大乱闘』、開始‼」

 

 

 

「殿、如何いたしましょうか?」

 

 絹代の問いに光ノ丸が答える。

 

「ハンデだかなんだか知らんが、皆四人チームの中、一人だけで戦うというのが気に食わん。介、覚、まずは体育会のあいつを潰せ」

 

「「御意!」」

 

 介次郎と覚之丞が木刀を片手に大和に向かって同時に飛び込む。大和がフッと笑う。

 

「まずは噂の“介さん覚さん”か! なるほど! 良い踏み込みだ! ……だが!」

 

「「⁉」」

 

「ああっと⁉ 青臨選手に斬りかかった〝介さん覚さん“が一斉に崩れ落ちた! 二人とも動けない! 解説の上杉山さん! 今のは一体⁉」

 

 実況担当の放送部員の問いに雪鷹が答える。

 

「今のは青臨流受身の型の一つ……『清臨偶(せいりんぐ)』だ」

 

「せ、『清臨偶』ですか⁉」

 

「そうだ、『清らかな流れに臨み、偶然のように受け流す』さまからその名が付いた、青臨流の伝統的な技だ」

 

「で、伝統的な技のわりには、どことなく横文字感があるような……」

 

「他の流派の細かい事情は知らん……とにかく、今の二人組の飛び込みは悪くはなかったが、少し素直過ぎたな」

 

「……カウンターを当てやすかったということでしょうか?」

 

「今風に言えばそういうことだ」

 

「さあ、二年い組、早くも二人が戦闘不能になってしまいました! そこに青臨選手が迫ります!」

 

「く……き、絹代、なんとかしろ!」

 

「……無理難題をおっしゃいますね!」

 

 愚痴をこぼしながら、絹代が一瞬で大和との距離を詰めて、右拳を繰り出す。

 

「なっ⁉」

 

 しかし、大和はそれをあっさりと躱した。

 

「古武術の使い手か! 悪くない攻撃だ! しかし!」

 

「ちぃっ! ……⁉」

 

「速さにはこちらも自信がある!」

 

 大和は絹代の後ろに回り込んだ。絹代は膝から崩れ落ちた。

 

「い、今のは何が⁉ 風見選手、気を失ってしまった!」

 

「……後ろに回った瞬間、首筋に手刀を入れた」

 

 雪鷹の解説に実況が驚愕する。

 

「な、なんという早業!」

 

「さて……残るは貴方だけだ」

 

「くっ……調子に乗るなよ!」

 

「ああっと! 氷戸選手、拳銃を取り出した⁉」

 

 ざわつく会場に対し、光ノ丸が視線を大和から逸らさず叫ぶ。

 

「騒ぐな! モデルガンだ、殺傷能力は無い! なんでもありの大乱闘なのだろう⁉」

 

「……ふむ、その通り!」

 

「速さに自信があるとかなんとか言っていたが、弾のそれには叶うまい!」

 

 そう叫び、光ノ丸は引き金を二度引いた。会場に銃声が響く。

 

「⁉」

 

 次の瞬間、光ノ丸が拳銃を落として苦しそうに倒れ込んだ。大和がその様子を横目に見ながらスタスタと歩く。

 

「……倒れたのは氷戸選手! こ、これは一体⁉」

 

「弾を躱して、即座に二度打ち込んだ。まず、相手の手を打って拳銃を叩き落とし、次に喉のあたりを突いた……」

 

「じゅ、銃弾を躱すなんて、そんな芸当が可能なのですか⁉」

 

「銃口の向きを見れば、ある程度の予測はつく……」

 

「そ、そんな……」

 

 雪鷹の解説に実況はしばし絶句した。

 

「二発撃たれたものだから、思わず二打打ち返してしまった! 許されよ!」

 

 大和は軽く振り返って、光ノ丸に謝罪し、残りの相手に向き直った。我に返った実況が状況を伝える。

 

「二年い組、全員戦闘不能です! 残りは4チームの争いです!」

 

 

 

「ふん、どうする、飛虎?」

 

 い組をあっという間に片付けた大和を見て、龍臣が飛虎に尋ねる。

 

「まずは他チームを倒してからと思っていたが……気が変わったぜ! まずは全力であの野郎をぶった倒す‼」

 

 飛虎は大和を指差した。龍臣がさらに尋ねる。

 

「奴は想像以上の使い手だぜ?」

 

「関係ねえ! 強い奴ほど燃えてくるってもんだ!」

 

 飛虎の答えに龍臣がニヤリと笑う。

 

「それでこそ相棒だ! 思い出すな、あの河原で数十人に囲まれたことを……」

 

「全くそんな思い出が無いが、まあいい、行くぞ龍臣! 雀鈴! 玄道!」

 

「おう!」

 

「ああ!」

 

「相分かった!」

 

 飛虎の掛け声に、龍臣と雀鈴と呼ばれたおさげ髪の女性、玄道と呼ばれた髷を結っている巨漢が一斉に大和に襲いかかる。

 

「なっ⁉」

 

「「「⁉」」」

 

「ああっと、青臨選手、武闘派で知られる二年は組、“四神”の同時攻撃を両手両足を使って受け止めた!」

 

 大和が不敵に笑う。

 

「空手部の日比野飛虎、ボクシング部の神谷龍臣、少林寺拳法部の中目雀鈴(なかめじゃくりん)、そして相撲部の津築玄道(つづきくろうど)……それぞれ気持ちの込もった良い一撃だ。だが……まだ軽い!」

 

 大和は四人の手足を払い、竹刀を手に取った。

 

「吹っ飛べ!」

 

 大和は竹刀を横に豪快に払った。

 

「うおっ⁉」

 

 飛虎たち四人は成す術なく場外に吹き飛ばされてしまった。

 

「おおっと! 二年は組の面々、まとめて場外へ! 全員敗退です!」

 

「スピードだけじゃなく、パワーも桁違いかよ……」

 

 そう言って飛虎は力なく倒れ込んだ。

 

 

 

「ど、どうしますか、お嬢様?」

 

「憂はどう考えますの?」

 

「え、そ、そうですね、ここは残った将愉会の皆さんを何とか倒して、二番手を狙うのが上策かと……」

 

 憂の言葉に八千代は一旦将愉会の方を見るが、その内の一人の顔を確認すると、首をぶんぶんと横に振った。

 

「いいえ、それは、それだけはなりません!」

 

「ええっ⁉」

 

「ここは、全力であの方を倒します!」

 

 八千代は大和を指差した。

 

「竹波君、呂科君、耳をお貸しなさい!」

 

「……な、なんと⁉」

 

「や、やってみます!」

 

「頼みましたわよ!」

 

 竹波と呂科が左右に別れて、ゆっくりと歩いてくる大和に向き合った。

 

「「やあー!」」

 

「⁉」

 

 二人の取った思わぬ行動に大和は動きを止めた。

 

「こ、これは⁉ 竹波、呂科、両選手、手に持っていた木刀を投げ捨てた⁉」

 

「ぬっ⁉」

 

 二人は大和の両腕に絡まるようにして抱き付き、大和の動きを塞いだ。

 

「い、今です!」

 

「は、早く!」

 

「お見事!」

 

 八千代は竹波が投げ捨てた木刀を拾い、大和に斬りかかった。多少ではあるが、剣術の覚えがあるため、危険な頭ではなく、肩を狙って木刀を振り下ろした。

 

「! えっ……」

 

「ああっと! 青臨選手、真剣白刃どりの要領で、竹波、呂科、両選手の体を使って、五橋選手の攻撃を受け止めた!」

 

「目には目を、奇策には奇策をだな」

 

 雪鷹がニヤッと笑った。

 

「ふんっ!」

 

 大和が竹波ら二人を投げ飛ばし、八千代は木刀を落としてしまった。

 

「ああっ!」

 

「少々面食らいました!」

 

 大和が竹刀を構えようとする。

 

「お嬢様!」

 

 憂が呂科の投げ捨てた木刀を拾って、八千代に向かって投げる。八千代はそれを受け取り様に、再び大和に斬りかかった。

 

「⁉ そ、そんな……」

 

 八千代の放った渾身の一撃も大和は指二本のみで止めた。

 

「筋は悪くないですな! そしてその闘志も天晴! 流石は五橋家の御令嬢!」

 

 次の瞬間、大和は八千代の背後に回った。

 

「御免!」

 

 大和の繰り出した手刀を喰らい、八千代は膝から崩れ落ちる。

 

「お、おのれっ!」

 

 憂が転がっていた木刀を拾い、果敢にも大和に斬りかかった。

 

「ほう⁉」

 

 大和が竹刀で憂の攻撃を受け止め、弾き返す。そして、一瞬で憂の後ろに回った。

 

「⁉」

 

 大和の手刀を受け、憂もまた気を失って倒れた。

 

「こ、これで二年ろ組も戦闘不能! 残るは将愉会のみです!」

 

 

 

 ゆっくりと向かってくる大和に対して、将愉会の面々は気を引き締める。

 

「へへっ、腕が鳴るな、秀一郎!」

 

「秀吾郎だ……ここは普通怖気づくところだぞ?」

 

「大火事に比べりゃなんてことねえよ!」

 

「……頼もしい限りだと言っておくか」

 

「葵様、ここは黒駆君と赤宿君に任せましょう! ……って葵様⁉」

 

「え?」

 

「な、何をなさっているのですか……?」

 

「何をって、戦う準備だけど?」

 

 葵はそう言って薙刀を構えた。



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魂の三本勝負~心技体の巻~

「あ、葵様は無理をなさらず!」

 

「いやいや、そういう訳にもいかないでしょ」

 

 葵は練習用の薙刀を二、三度振って感触を確かめる。

 

「うん、久々だけど良い感じ!」

 

「止めても無駄ということですね……」

 

 爽が溜息をつく。葵は笑顔で頷いた。

 

「そういうこと!」

 

「ではあの怪物相手にどう戦うかということですが……」

 

「確認だけど、皆は何が出来る?」

 

 葵が三人に尋ねる。

 

「合気道を嗜んでおります」

 

「にん、……柔術的なものを少々」

 

「素手喧嘩!」

 

「うん、大体分かった!」

 

「どうされるおつもりですか?」

 

「各自思い思いに突っ込もう!」

 

「おう、分かったぜ!」

 

 進之助は威勢の良い返事をしたが、他の二人は戸惑った。

 

「う、上様⁉」

 

「さ、流石にそういう訳には……」

 

「冗談、冗談。ちょっと耳貸して」

 

 葵は三人に耳打ちする。

 

「よっしゃ! それで行こうか!」

 

「ぎ、御意」

 

「……やるしかありませんね」

 

「じゃあ、皆、行くよ!」

 

 四人は構えを取る。立ち止まって待っていた大和が尋ねる。

 

「打ち合わせはお済ですか⁉」

 

「お待たせしました! いつでもどうぞ!」

 

「ならば、参る!」

 

 大和が葵たちに向かって走り出した。

 

「それ!」

 

「!」

 

「おおっと、黒駆選手、青臨選手の進行方向に何かを投げ付けた⁉」

 

「まきびしだな、距離を詰めようとした出鼻を挫かれた」

 

 雪鷹が冷静に呟く。

 

「小癪! だが忍びの戦い方らしいと言える!」

 

 そう叫びながら、大和は上方を含めて周囲を素早く見渡した。

 

「注意を足元に向けて他方向からの攻撃を警戒している……」

 

 舞台外で見つめていたクロエが大和の行動を分析する。

 

「うおおおっ!」

 

「何⁉」

 

「ああっと、赤宿選手、なんと正面から突っ込んだ⁉」

 

「地面のまきびしを上手く避けている! あの速さで⁉」

 

 進之助の行動に雪鷹も流石に驚いた。

 

「喰らえ!」

 

「ちっ!」

 

「⁉」

 

 進之助が殴りかかるよりわずかに前に、大和が突きを繰り出した。竹刀が進之助の腹に突き刺さったようなかたちになる。

 

「流石に猪突が過ぎるぞ! 赤髪く、んおうっ⁉」

 

「こ、これは⁉ 赤宿選手の右ストレートが青臨選手の左頬にクリーンヒット!」

 

「あれが噂の喧嘩三昧の赤毛か……場慣れはしているようだ」

 

「へへっ、どうだいオイラの拳は? ……くっそ」

 

 進之助が脇腹を抑えてしゃがみ込む。

 

「ぐっ……」

 

 一方、痛烈な一撃を喰らった大和も足元がふらついた状態になった。

 

「会長‼」

 

「!」

 

 クロエの呼びかけにより気が付いた大和はすぐさま周りを確認する。すると、自身の後方に気配を感じ取った。

 

「後ろか!」

 

 大和は後方を勢い良く薙ぎ払ったが、その竹刀は空を切った。

 

「居ない⁉」

 

「引っかかったな!」

 

 後ろを向いた体勢になった大和の体を秀吾郎がガッチリと羽交い絞めにする。

 

「しまっ……」

 

「とうっ!」

 

「黒駆選手、青臨選手を抱えたまま宙を舞ったぞ⁉」

 

 秀吾郎は大和を抑え込んだまま、空中で逆さまの体勢になる。

 

「忍法、いずな落とし!」

 

 秀吾郎はきりもみ回転しながら、地面に向かって急降下する。

 

「終わりだ!」

 

「おのれ!」

 

「何⁉」

 

 秀吾郎に抑え込まれながらも、何とか両手を少し伸ばした大和はその手に掴んだ竹刀をぐるんと円状に振るった。

 

「青臨流受身の型……大嵐!」

 

「こ、これは一体どうしたことか⁉ 地面に真っ逆さまに落ちていたはずの二人の体が再び浮きあがったぞ⁉」

 

実況が横の雪鷹を見る。雪鷹は感心して答える。

 

「地面に嵐を発生させて、急降下に反発させた……咄嗟の判断だろうが、見事だ」

 

「くっ⁉」

 

「隙有り!」

 

「うおっ⁉」

 

 舞い上がった秀吾郎は大和の体を手放してしまった。そこに空中ながら器用に体勢をととのえた大和が強烈な一撃を秀吾郎の腹部へと打ち込んだ。秀吾郎は凄まじい勢いで、地面に叩きつけられた。

 

「これは決まった! 侍と忍の対決は侍に軍配が上がった!」

 

 興奮気味の実況の声を聞きながら、大和は地面に着地した。

 

「⁉」

 

 大和は驚いた。近くに倒れているはずの秀吾郎の姿が無かったからである。

 

「侍が魂を取られてしまっては不味いだろ……」

 

 大和と距離を取った秀吾郎が苦しそうに呻きながら竹刀を片手に呟く。

 

「‼」

 

 大和は竹刀を奪われたことに初めて気が付いた。

 

「太刀取りか! いつの間に!」

 

「後は任せましたよ……」

 

 そう言って、秀吾郎は腹を抑えて倒れ込んだ。

 

「!」

 

 間髪入れず、爽が大和に当て身を入れる。

 

「武器が無ければ、こちらにも勝機が!」

 

「無手の稽古も怠ってはいない!」

 

 一度は爽の攻撃を喰らった大和だったが、すぐさま反撃を繰り出した。

 

「舐めないでもらおう!」

 

「それはこちらの台詞です!」

 

「むっ!」

 

 大和の体が半回転して、地面に叩き付けられた。

 

「やった! ……⁉」

 

 爽が膝を突く。大和がすぐさま立ち上がり、首筋に手刀を叩き込んだのである。

 

「合気道か! 受身を取らなければ危なかった!」

 

「ぐっ……」

 

「なかなか良い攻撃だったが惜しかった!」

 

 大和の言葉に爽はニヤリと笑いながら倒れ込む。

 

「いえ、狙い通りですよ……」

 

「何⁉」

 

「お覚悟!」

 

 大和が視線を上げると、薙刀を構えた葵の姿があった。

 

「残るは上様ですか! 受けてたちましょう!」

 

 そう言って大和が身構える。わずかに間があいて、葵が打ち込む。

 

「面!」

 

 葵の面打ちに対して、大和は即座に反応し、両手を頭にかざす。またも真剣白刃取りの要領で薙刀を奪い、葵を無力化しようとしたのだ。

 

「ん、脛ぇ!」

 

「⁉」

 

 葵は瞬時に打ち込む場所を面から脛に変えた。大和はこれには反応が遅れた。剣道に脛を狙う攻撃は無いためである。

 

「ぐおっ……」

 

 どんな達人でも鍛えることは難しい、所謂、弁慶の泣き所に直撃を喰らい、大和は苦悶の表情を浮かべた。力なくよろめく大和を見て、葵は体ごと思い切りぶつかっていった。

 

「ええいっ‼」

 

「‼」

 

 葵のタックルのような攻撃によって、大和はたまらず場外へと倒れ込んだ。

 

「せ、青臨選手、じょ、場外負け! よってこの勝負、将愉会チームの勝ち!」

 

「や、やったー‼」

 

 葵は無邪気に喜んだ。



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激闘終えて

「『体の大乱闘』、第一位は……将愉会‼ 5ポイント獲得!」

 

「やったー‼ 皆のおかげだよ、ありがとう!」

 

 葵がガッツポーズを取りながら三人に感謝を告げる。

 

「なんとか勝てましたね……」

 

「稀に見る強敵でした……」

 

「ああ、久々にヤバい相手との喧嘩だったぜ……」

 

 秀吾郎と進之助は腹をおさえながら呟いた。

 

「葵様の場外へのリングアウトを狙う戦略、ズバリ的中でしたね」

 

「いやあ、ここまで上手くいくとは思わなかったけどね」

 

 葵は照れ臭そうに頭を掻いた。

 

「第二位は体育会‼ 4ポイント獲得!」

 

「ふむ! 場外負けとはいささか不完全燃焼だが、ここは素直に負けを認めよう!」

 

 大和は腕を組んで叫んだ。

 

「第三位は二年ろ組‼ 3ポイント獲得!」

 

「くっ、力及ばずですわ……」

 

「お、お嬢様、大丈夫ですか……」

 

 憂が八千代の体を気遣う。

 

「心配は無用よ」

 

「……お言葉ではありますが、やはりなんとか将愉会さんを倒して二位を狙った方が良かったのではありませんか?」

 

「愛しの赤毛の君と干戈を交えるなど……わたくしには出来ませんわ」

 

 八千代は静かに首を振った。

 

「第四位は2年は組‼ 2ポイント獲得!」

 

「ちっ……俺たち“四神“の合体攻撃がまるで歯が立たないとは……」

 

 飛虎はいまだに信じられないといった様子で肩を落とした。龍臣が声を掛ける。

 

「上には上がいるということだな、相棒!」

 

「認めたくは無えがな……」

 

「そして、第五位は二年い組‼ 1ポイント獲得!」

 

「ま、まさかこの様な結果になるとはな……」

 

「青臨殿は無視して、他チームを先に倒せば宜しかったのでは……?」

 

「なんだ絹代、余の判断ミスとでも言いたいのか?」

 

「……いいえ」

 

 絹代は表情を変えないまま首を振った。

 

 

 

「それでは、三種目が終わりました! 総合順位の発表に移りたいと思います!」

 

 司会の言葉に耳を傾ける一同。

 

「第五位は……合計8ポイント獲得! 二年は組‼」

 

「ま、まさか最下位とは……」

 

 うなだれる飛虎に龍臣が励ます。

 

「顔を上げろ、相棒! ここからまた這い上がれば良いじゃねえか! あの降りしきる激しい雨の日に誓った時みたいによ!」

 

「……どの雨の日のことを言っているのか、皆目見当もつかねえが……まあ、終わってしまったものはしょうがねえな。雀鈴、玄道、悪かったな」

 

「いや別に……」

 

「こちらこそ力になれず相すまぬ」

 

「続いて3チームが合計9ポイントで並んでいます! まずは二年い組‼」

 

「まさか、トップを逃すなどこのような無様な結果に終わるとは……」

 

「と、殿! 申し訳ありません!」

 

「我々の力不足です!」

 

 介次郎と覚之丞が平伏する。

 

「……よい、面を上げて、さっさと立て。今日は色々と手間を取らせたな、後で慰労の品でも与えよう」

 

「な、なんと寛大なお沙汰!」

 

「ありがたき幸せ!」

 

 二人が感激の表情を浮かべる。絹代が珍しそうに呟く。

 

「ほう、これは意外な……もっと怒り狂われると思いましたが……」

 

「……公衆の面前だからな、それ位の分別はつく」

 

「次に二年ろ組‼」

 

「……期待に沿うことが出来ず、申し訳ない」

 

「全く不甲斐ない限りです」

 

 竹波と呂科がうなだれる。

 

「……いいえ、お二人とも実に良くやってくれましたわ。結果は結果です、受け止める他ないでしょう」

 

 八千代の労いの言葉に竹波たちは恐縮した様子を見せた。

 

「お、お嬢様、ヒステリーや癇癪を一切起こさないだなんて……何かおかしなものでも食されましたか?」

 

憂が不思議そうに尋ねる。

 

「……憂、貴女、わたくしのこと、なんだと思っているの?」

 

「そして、体育会‼」

 

「ま、まさか、三本勝負で我々が後れをとるとは……」

 

 クロエが信じられないと言った様子で呟く。

 

「後れをとったのは貴様だけだろう、一緒にするな……」

 

 雪鷹の言葉にクロエが噛み付く。

 

「そういう貴女もレースで3着だったでしょう⁉」

 

「最低限の仕事は果たした……貴様とは違う」

 

「止めろ、二人とも! 見苦しいぞ‼」

 

 大和の叫びに、クロエも雪鷹も押し黙る。

 

「負けは負け! 今はただ、素直に敗北を受け入れるのみ!」

 

 大和はそう言って腕を組み、目を閉じた。

 

「それでは『魂の三本勝負』、優勝は……合計10ポイント獲得! 将愉会‼」

 

「や、やったー‼ 優勝だー‼」

 

 葵は両手を上げる。

 

「上様、おめでとうございます、アタシも苦労した甲斐があるってもんです」

 

「いや、苦労したのは俺様だろ! どんだけ辛かったと思ってんだ⁉」

 

「黒歴史 晒されし方 褒めるべし」

 

「あ、あの、それは別に蒸し返さなくて良いですから……」

 

 一超の言葉に小霧は力なく呟く。

 

「大毛利君がレースを無事に走り終えてくれたことが大きかったですね」

 

「いえいえ、そんな大したことではありませんよ……」

 

 光太の賞賛に対して景元は謙遜する。

 

「いやいや、大したことはあるよ! それに比べてうちの南武ときたら……」

 

「えっ⁉」

 

「空中殺法の一つも出来ないなんて恥ずかしいよ……こりゃあ後で練習だな」

 

「しません!」

 

「しないのですか⁉」

 

「しませんよ! だから新緑先生は何を求めているのですか⁉」

 

 大和が歩み寄ってきて、進之助に声を掛ける。

 

「赤髪くん! 魂のこもった良い拳だったぞ! 正直意識を失いかけた!」

 

「あれで倒れなかったのはアンタが初めてだよ……」

 

 進之助が半ば呆れ気味に答える。

 

「何か格闘技をやってみないか⁉ きっと大会でも良い結果が出せるはずだぞ!」

 

「生憎、オイラは火消し見習いで忙しいんだ」

 

「そうか! それは残念だが、致し方なし!」

 

 次に大和は秀吾郎の方に話し掛けた。

 

「見事な体さばきだった! 出来ればまた手合せを願いたいものだ!」

 

「はっきり言って二度と御免です……こちらの体が持ちません」

 

「こちらにとっては良い修練になるのだが!」

 

「悪いですが他を当たって下さい」

 

「ふむ! ならば今は黙って引き下がるとしよう!」

 

 更に大和は爽に声を掛ける。

 

「先程も申し上げたが、なかなかの攻撃でした!」

 

「お褒めに預かり光栄です」

 

「合気道部の方の活動も本格的に取り組まれては如何かな⁉」

 

「部長や部員の皆さんには申し訳ないのですが……今は将愉会としての活動を最優先にしたいと思っておりますので……」

 

「そう! その将愉会です! 上様!」

 

「は、はいっ⁉」

 

 急に声を掛けられた葵は驚いた。

 

「某、その『将軍と愉快な仲間が学園をどうにかしていく会』に入りたいのですが⁉」

 

「『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』です! ってええっ⁉ 会に入ってくれるんですか⁉」

 

「ええ! その会の活動に大変興味を持ちまして!」

 

「そ、そうですか!」

 

「と、いうのは建前です!」

 

「ええっ⁉」

 

「本音を申しますと、上様、貴女様に心を惹かれました!」

 

「えええっ⁉ ……まあ、それは一旦置いといて……」

 

「「「えええっ⁉」」」

 

 周囲は葵の反応に驚いた。

 

「一旦置かれるのですか! これは予想外のお答え! なれど承知しました!」

 

「「「えええっ⁉」」」

 

「納得した⁉」

 

「じゃあ、これからよろしくね! 大和さん!」

 

「こちらこそ!」

 

 葵と大和、二人はガッチリと固い握手を交わした。



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人事を尽くして

                      拾

 

「葵様、お疲れさまです」

 

「ああ、サワっち、お疲れさま」

 

 校庭で行われているキャンプファイヤーを眺めていた葵に爽が声をかける。

 

「春の文化祭、どうやら滞りなく終わりそうですね」

 

「そうだね、クラスの出し物も好評だったし……」

 

「『男女逆転・主従逆転茶屋』ですね、他のクラスと比較してもトップクラスの客入りだったかと思います。大毛利君はギリギリまで抵抗していましたが」

 

「最終的にはさぎりん共々ノリノリだったよね、景もっちゃん」

 

「本人曰く、『新たな扉が開けた……』とのことです」

 

「そ、そうなんだ、それは何より」

 

 葵は苦笑交じりに答えた。爽は眼鏡を抑えながら話を続ける。

 

「将愉会主催のイベントも大好評を博しました」

 

「凄かったね、『め組による梯子登り実演』!」

 

「近くで見ると思いの外、迫力がありましたね」

 

「うん、進之助も頑張っていたしね」

 

「生徒たちには妙技を楽しんでもらうと同時に、防災の重要性についても改めて理解を深めてもらえたかと思います」

 

「そうだったら良いね」

 

 葵は腕を組みながら頷いた。

 

「『大人気浮世絵師によるライブドローイング』も多くのギャラリーが詰めかけましたね」

 

「そうだね。でも弾七さん、本当に凄いよ。あの短い時間で一枚絵の中に、『時代とともに移り行く大江戸城』というテーマを見事に描き切っていたもん! “自称大天才”っていうのは伊達じゃなかったね」

 

「当代屈指の画匠の巧みな筆致に触れることにより、見物した生徒諸君の芸術的感性も大いに刺激されたのではないかと考えております」

 

「うんうん、楽しんでもらえたんじゃないかな」

 

 葵は腕を組みながら再び頷いた。

 

「『人気自由恥部亜による春の生配信祭り!』もかなりの数の視聴者数を記録したようです」

 

「正直不安があったんだけど、北斗君、本当に真面目なトークをしてくれたね」

 

「比較的、という注釈はつきますがね」

 

「まあ、多少のおふざけはあったけど許容範囲内でしょ」

 

「コメント欄等を見る限り、ゲストの多彩さが目を引いたようですね」

 

「そうだね、南町奉行の南武くんに、勘定奉行の新緑先生が参加した。大江戸の町の運営に関してのトークバトルは聞き応えがあったなあ~」

 

 葵の言葉に爽が頷く。

 

「万城目生徒会長にもご出演頂けたのも良かったですね。学園についてのお考えが聞けたことは、生徒にとっても非常に有意義なことではなかったかと」

 

「それもそうだね、獅源さんと一超君の異色対談も面白かったな~」

 

「対談というには今一つかみ合ってはいませんでしたが、それが面白さに繋がりましたね。更に忘れてはならないのが黒駆君です、現役忍者の出演は大反響でした」

 

「覆面とはいえよく出てくれたね、秀吾郎。もう全然忍ぶ気がないような気もするけど……」

 

 葵が首を傾げながら呟いた。爽が葵の方に向き直る。

 

「もう一つ重要なことがあります」

 

「え?」

 

「先程まで行われた武道館でのコンサートです」

 

「ああ、大盛り上がりだったね」

 

「昔に大規模な音楽コンサートが開催された記録はありますが、まさかその催しをここで復活させるとは……その発想と手腕、実にお見事です」

 

「大和さんたち体育会の皆さんも使用を快く承諾してくれたからね、話がスムーズに進んで良かったよ。それに出演バンドや音響スタッフなどに関しては、獅源さんや北斗君のコネがあってのことだから、私のしたことはそれほど大したことじゃないよ」

 

「ご謙遜を……夏休み前の生徒総会で行われる学内選挙もきっと良い結果が出るだろうと確信しています」

 

「まあ……『人事を尽くして天命を待つ』って感じかな」

 

 葵は夜空を見上げながら呟いた。



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選挙当日

 そして、生徒総会当日、学内選挙が行われた。体育館の舞台上で、生徒会長の万城目が口を開く。

 

「……以上をもって『真の将軍』選挙の開票を終了致します。結果……投票第一位に輝いたのは若下野葵さん! おめでとうございます! 大江戸城学園高等部の生徒が選出した真の将軍にふさわしい方は貴女さまです!」

 

 万雷の拍手が沸き起こる中、舞台上の椅子から立った葵は恐縮しながら、生徒たちに向かって頭を深々と下げた。

 

「では、若下野さん、こちらで喜びの声をお聞かせ下さい」

 

 万城目が葵をス舞台中央の演台へと招く。葵はゆっくりとその位置に着き、舞台下に並ぶ生徒たちに向き直った。全員ではないが、何割かの生徒が脊髄反射的に頭を下げた。葵は苦笑した。

 

「えっと、すみません、お顔をお上げ下さい……」

 

 頭を下げていた生徒たちがゆっくりと顔を上げる。

 

「初めに今回の結果、大変ありがたく、また、光栄に存じます。この約三か月間の様々な活動が皆さんに評価して頂けたこと、嬉しく思います。ただ、私はこれで名実ともに征夷大将軍だと胸を張るつもりは毛頭ございません!」

 

 葵の話を聞く生徒たちの顔に戸惑いの顔が浮かぶ。

 

「皆さんご存じのように、私は生まれながらの将軍でもなんでもありません。継承順位はまさかの百一番目。数か月前まで極々普通の女子高生でした。しかし、これも何かの縁だと思い、微力ではありますが、将軍としての職務を精一杯こなしてきました。そんな中、多くの人たち、例えばクラスメイトの方たちがこんな頼りない私を力強く支えて頂きました。そして忘れてはならないのが、『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を大いに盛り上げる会』、通称『将愉会』の皆さんです! 皆さんの時には突拍子もない行動に面食らうことも正直ありましたが、皆さんのお陰で今、私はこの場に立つことが出来ています。ここで、少しお時間を頂きますが、会員のみなさんに簡単なお礼の言葉を述べさせていただきます。まず副会長の伊達仁爽さん!」

 

 すると、スポットライトの光が爽のもとに当たった。

 

「さわやかな名前とは裏腹に大分腹黒い提案の数々、少し引くことも何度かありましたが、いつも冷静に会を良い方向に導いて下さいました。そして、忘れてならないのが、この学園で初めて私と友達になって下さいました! ありがとうございます!」

 

「い、いいえ恐れ多いことであります」

 

 生徒総会運営の為、並んでいる一般学生たちの後ろを忙しく駆け回っていた爽は不意の言葉に驚きながら立ち止まり、葵や皆に向かって礼をした。

 

「そして会長補佐の高島津小霧さん。いつも元気よく、会やクラスを引っ張っていってくれました。本当に助かりました。ありがとうございます!」

 

「べ、別に大したことなどしていませんわ!」

 

 爽と同様に総会運営の為、走り回っていた小霧は突然の壇上からの葵の言葉に目頭を抑えながら応え、周囲に向かって礼をした。

 

「副会長の大毛利景元君、女装とか相撲とか……色々ありがとう!」

 

「い、いや、もうちょっと何かあったんじゃないか……」

 

 景元は納得がいかない表情を浮かべつつ、周りに向かって礼をした。

 

「そして、この会には欠かせない九つの色がいました……」

 

 葵が体育館の2階奥ののキャットウォークを指し示す。そこに並ぶ九人の男たちにスポットライトが当たる。

 

「その持ち前の運動能力で私の窮地を救って下さいました! 赤宿進之助くん!」

 

「な、なんか照れるな……よせやい、ライト当てなくて良いからよ」

 

「才能の活かし方というものをその身を以って教えて下さいました! 橙谷弾七さん!」

 

「大天才に相応しい紹介だぜ」

 

「時折放つ鋭い意見も大江戸の町への愛の裏返し! 黄葉原北斗くん!」

 

「考え過ぎだと思うけどなあ~ここから動画撮っても良い?」

 

「終始真面目な姿勢が町奉行としての信頼を大いに高めました! 黄葉原南武くん!」

 

「こ、このような場で紹介されるほどの人間ではありません、恥ずかしい……」

 

「柔軟な思考で、学園側と生徒側の架け橋になって下さいました! 新緑光太先生!」

 

「架け橋になるよう誘導された気が否めませんが……存外悪い気分ではありませんね」

 

「世論に新しい流れを生み出して下さいました! 涼紫獅源さん!」

 

「偶にはこういう演出をして頂くのもなかなか粋ですわね」

 

「文化的な風を吹き込んで下さいました! 藍袋座一超くん!」

 

「梅雨空も 晴れ渡るほど 爽快な」

 

「体育会の力強さも加えて下さいました! 青臨大和さん!」

 

「不肖、この青臨大和! 上様の御為に働けること、望外の極み!」

 

「陰に陽に……主に陰に支えてくれました! 黒駆秀吾郎くん!」

 

「こ、このような華やかな場、勿体無うございます……」

 

「……以上の皆さんのお力添えがあり、私はこうして皆さんに貴重な票を投じて頂けるような人物になれたのではないかと思っております! 本当にありがとう! そして、改めて、投票して頂いた皆様にも感謝申し上げます。私、若下野葵、まだまだ未熟なところばかりではありますが、これからも皆様のご指導ご鞭撻を賜りつつ、立派な征夷大将軍になれるよう精一杯努めて参ります! どうぞ宜しくお願いします! ……本日は誠にありがとうございました!」

 

 そう言って頭を下げた葵に対し、生徒たちは再び万雷の拍手を送った。頭を上げた葵は笑顔でそれに応えた。他の候補者三人が葵のもとに近寄る。

 

「まあ、今回は俺の負けだ。ただ腑抜けたことしたら承知しねえぞ」

 

「日比野君、ありがとう……」

 

「そのお手並みじっくりと拝見させて頂きますわ、上様」

 

「五橋さん、お手柔らかに」

 

「ふん、精々足元を掬われないことだな」

 

「御忠告痛み入ります、氷戸さん」

 

「校内瓦版のものです! 御四方が手を重ねられた写真を撮りたいので、恐れながらもっと寄って頂きますか⁉」

 

「は、はい」

 

 葵たちは若干戸惑いながらも、ステージ中央に寄ってカメラの前でポーズを取った。

 

「!」

 

 葵の頭上でくす玉が割れた。その中から『真の将軍おめでとう!』と文字が書かれた垂れ幕が下がる。葵はそれを見上げて確認すると、笑顔を浮かべた。しかし、次の瞬間……

 

「危ない!」

 

 くす玉を上から吊るしていた縄が突如緩んて、垂れ幕ごと下に向かって落下したのである。そこに秀吾郎がすぐさま駆け付け、垂れ幕を足で蹴って押し退けた。

 

「上様、大丈夫ですか⁉」

 

「う、うん……」

 

「舞台周りの準備は生徒会の方では⁉ この不手際は一体どういうことですの?」

 

「も、申し訳ない……」

 

「高島津落ち着け、皆も見ている……」

 

 万城目に詰め寄る小霧を景元が落ち着かせる。爽が冷静に話す。

 

「とりあえず、生徒の皆さんには教室にお戻り頂きましょう」

 

 静かになった体育館には将愉会の面々だけが残った。

 

「縄が緩んだのではありません、何者かによって切断されていますね」

 

「切断⁉」

 

 秀吾郎の思わぬ言葉に葵が驚く。腕を組んだ大和が叫ぶ。

 

「ということは……上様たちを狙っての凶行か⁉」

 

「な、なんですって⁉」

 

「何故にそんなことを……」

 

「恐らく、葵様が将軍位にとどまることを快く思わない輩の仕業でしょう。いよいよ形振り構わなくなってきましたか」

 

「おいおい、氷戸の旦那たち以外に反対勢力がいるってのかよ?」

 

 弾七の言葉に爽が頷く。

 

「恐らくは……氷戸さまたちのいずれかがこういった手段をとるならば、氷戸さまたちを巻き込まない方法をとるはずです」

 

「ちょいと嫌な予感がしますわね」

 

「確かに……衆人環視のもとでこのようなことを行うとは、ブレーキが利かなくなってきたという証拠かもしれませんね」

 

 獅源の呟きに光太が同調する。黙り込む進之助に北斗が尋ねる。

 

「どうしたの進之助っち? なにか心当たりでもあるの?」

 

「い、いや、そういう訳じゃあねえけどよ……似たようなことがあった記憶がな」

 

「……」

 

「黒駆さん? どうかされましたか?」

 

「いえ……なんでもありません」

 

 南武の問いかけに秀吾郎は首を振った。大和が葵に向き直って尋ねる。

 

「……して、上様、如何致しますか⁉」

 

「ええっ⁉ い、如何するって……」

 

「まさか賊徒をこのままには捨て置けますまい!」

 

「そ、それはそうかもしれないけど……」

 

「お命じ下されば、成敗致しますぞ!」

 

「相手の正体が分かるんですの?」

 

「皆目分からん!」

 

「自信満々で言うことか……」

 

 景元が大和に呆れる。一超が静かに口を開く。

 

「一つの手 敢えて懐 開けてみる」

 

「……成程、その手もありますか……黒駆君、ちょっと」

 

「は、はい……」

 

 爽が秀吾郎を呼び寄せ、耳元で囁く。

 

「……それではお願いします」

 

「分かりました」

 

 秀吾郎はその場から姿を消した。

 

「サワっち、一体どうする気?」

 

 葵の問いに爽が静かに答える。

 

「ご説明致します。皆様も耳を貸して下さい」

 

 爽が話を始めた。



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黒幕

 その日の夜、御湯殿で湯に浸かる人の姿があった。その人物が鼻歌交じりで風呂を堪能していると、その背後に黒い影が立ち、背中に手を伸ばそうとした。

 

「女風呂に堂々と入ってくるとは、随分と大胆不敵な奴だな~?」

 

「⁉」

 

 影は驚いた。そこにいるのは葵ではなく、男だったからである。

 

「覚悟!」

 

 湯殿に小霧と女装した黄葉原兄弟が木刀を手に飛び込んできた。影に向かって斬りかかるが、三人の攻撃はいとも簡単にかわされてしまった。影は湯殿から姿を消した。

 

「逃がしちまった!」

 

「後ろ姿は辛うじて目に追えました! 南の方に向かった模様!」

 

 南武が端末を手に叫ぶ。獅源がゆっくりと湯殿に入ってきて呟く。

 

「う~ん、女装したアタシらで見事捕えるって手筈だったんだけどね~」

 

「獅源ちゃん、捕える気あったの?」

 

「アタシは荒っぽいことは苦手でね、皆さんの化粧でお役御免さ……」

 

「別に囮役は俺様じゃなくても良かったんじゃねえか……?」

 

 弾七は風呂に浸かりながら呆れる。

 

「来ました! 大毛利君!」

 

 湯殿を出て、廊下を南に走る影の姿を確認し、光太が叫び、それを合図に景元が矢を放つ。もっとも、矢じりの先端は丸くしてあり、しかも影の足元を狙って放った。あくまで足止めを目的としたものである。矢の勢いは鋭かったものの、影にはあっさりとかわされてしまった。

 

「外したか!」

 

「いや、あれで良いのです……」

 

 光太は眼鏡を直しながら呟いた。

 

「……!」

 

 矢を避けた影は自らが偶然ではあるが葵の寝室に飛び込んだことに気付き、荒れた呼吸を即座に落ち着かせた。部屋は暗かったが、ベッドの上に毛布にくるまっている人の姿を確認し、静かに近づいた。しかし、影が毛布をめくるよりも早く、寝ているものが自ら毛布を蹴り飛ばした。

 

「女性の 寝込み襲うは 不埒なり」

 

「‼」

 

 その瞬間、部屋の明かりが点いた。驚いた影は自らの顔を隠しながら振り返る。

 

「『今夜は御庭番も御小姓も皆不在、御殿には世話役の女性しかいない』という情報にまんまと引っかかってくれましたね」

 

 部屋の明かりを点けた爽がにっこりと微笑む。

 

「! 貴方は……?」

 

「!」

 

 影はすぐさま秀吾郎の作った隠し扉を利用し、屋根裏に逃れた。

 

「油断して 賊捕り逃がし 口惜しき」

 

「いえ、ここまでは狙い通りです。しかし、お顔を半分隠しておられましたが、まさか本当にあの方が……」

 

 影は天守の屋根の上へと移動していた。雲がかかっている月を眺めながら少しだけ考えて、今夜は退却しようと判断したその時、

 

「逃がさんぞ、賊徒め!」

 

「!」

 

 影の前に大和が竹刀を構えて立っていた。

 

「何者かは知らんが、もはや逃げ場はないぞ! 大人しくお縄につけ!」

 

「……」

 

「沈黙は拒否と受け取った! 少々手荒だが、武力を行使させてもらう!」

 

 大和が一瞬で距離を詰め、影に斬りかかる。影はバック転をしてその攻撃をかわす。

 

「! やるな!」

 

「っ!」

 

 戦闘では分が悪いと判断した影は大和に対して背を向けて逃げようとする。

 

「‼」

 

「こちらも通行止めだ……」

 

 そこには秀吾郎が立っていた。影がややたじろぐ。

 

「正直気が進まんが、少し大人しくしてもらおう!」

 

「!」

 

「うおっ⁉」

 

 秀吾郎が影を捕まえようとしたが、影はその場につむじ風のようなものを起こした。

 

「この術は……しまった!」

 

 秀吾郎の隙を突いて、影が下の階へと飛び降りようとした。しかし、そこに……

 

「下には逃がさねえよ!」

 

「⁉」

 

 進之助が下の階から上がってきたのである。これには影も面食らった様子であった。

 

「はははっ! さしずめ“前門の虎後門の狼、横の猿”と言ったところかな!」

 

「オイラは猿かよ!」

 

 大和の言葉に進之助が文句を言う。そのわずかな隙を突いて、影が飛んた。

 

「赤宿!」

 

「逃がすかってんだ! ……って、うおっ!」

 

 影は進之助の顔を踏んで、その反動で天守の一番上へと一気に上っていった。

 

「ふむ! 賊ながら、実に天晴な跳躍!」

 

「ちっくしょう! 油断した! 追うか、シューベルト⁉」

 

「秀吾郎だ……追わなくても良い……」

 

 秀吾郎は上を見つめながら呟いた。

 

「っ! はあはあ……」

 

 天守の一番上に着地した影は息を整えた。

 

「探しているのは私?」

 

「⁉」

 

 影が驚いて振り向いた。そこには葵が立っていた。

 

「上手く逃げたつもりだろうけど、全部こちらの計算の内だよ……そろそろ降参してくれるかな?」

 

 薙刀を構えながら、葵は呟く。

 

「……」

 

 影は無言で構えを取る。

 

「抵抗するってことだね。いいよ、決着をつけよう」

 

 両者の間に一瞬の静寂が流れる。

 

「っ! 脛!」

 

「!」

 

先に動いたのは葵だった。しかし、脛を狙う振りをして、影の足元の瓦を思い切り叩いた。瓦が割れて、体勢を崩しかけた影はそれでも踏み止まり、葵の懐に飛び込もうとした。その手にはスタンガンが握られていた。

 

「小手!」

 

 葵はすぐさま影の右手を叩いた。その痛烈な一撃に影は思わずスタンガンを手放してしまい、右手を抑えてしゃがみ込んだ。その時、風が吹くとともに、雲に隠れていた月が顔を出して、マスクが外れた影の素顔が月の光に照らされた。

 

「やっぱり貴女だったんだね……有備憂さん」

 

「……気付いていたの?」

 

 憂はこれまで葵には聞かせていない低い声色で呟いた。

 

「気付いたというか、皆で色々考えて貴女が怪しいという結論に達したの。今日の夕方、つまりさっき、ようやくだけどね」

 

「……」

 

「秀吾郎からの報告や、この間の体育会との対決での動きを見て、只者ではないという見当はついた。今日、くす玉の縄を切ったのも貴女でしょ? いつぞやのバイクの車輪に旗竿を投げ込んで暴走させたのも貴女の仕業……」

 

「……」

 

「しかし、どんなに考えても調べても分からなかったのが、何故そんなことをするのか? ということ」

 

「……アンタが邪魔だからよ」

 

 沈黙を続けていた憂が口を開いた。

 

「私が邪魔? どうして?」

 

「……私が百二番目だからよ!」

 

「ええっ⁉ っていうことは……」

 

「そうよ! 継承順位百一番目のアンタが退位すれば、百二番目の私が征夷大将軍になれる! これまで散々苦汁を舐めさせられてきた有備家数百年の悲願が叶う! だから、様々な嫌がらせや諸々の妨害工作を行って、アンタを将軍の座から引きずり降ろそうとしたのよ!」

 

「そんなことしたって……氷戸さんや五橋さんもいるでしょ?」

 

「氷戸光ノ丸に関しては、奴の家の系列会社が行った不正を掴んでいる! 奴は直接絡んではいないけど、関与の証拠をでっち上げて失脚させる準備は出来ていた! 日比野飛虎は、ベタなハニートラップでも仕掛けてスキャンダルに巻き込めば、世間は勝手に見放す! 五橋八千代……あの女のことは子供の頃から嫌というほど知っている! 所詮は世間知らずのお嬢様! 私の手にかかればどうとでもなる! ただ……そんな時に現れたのがアンタよ! 若下野葵!」

 

「……」

 

「アンタさえいなければ、私が将軍になれたのに! アンタさえいなければ!」

 

 葵はゆっくりと口を開く。

 

「つまり、私を色々な手段で脅かして、将軍を退位させようとしたってこと……?」

 

「そうよ!」

 

「だからって、嫌がらせの度が過ぎていたんじゃないの⁉」

 

 葵の突然の大声に憂が体をこわばらせる。

 

「今日の垂れ幕落下もそうだし、カフェの火災なんて、下手したら私も五橋さんも、そして進之助も取り返しのつかないことになっていたんだよ⁉」

 

「い、いざとなれば、助けるつもりだったわよ……」

 

「そういう問題じゃない‼」

 

「ひっ!」

 

「貴女はやって良いことと悪いことの区別が全くついていない! そんな危なっかしい人にこの座は絶対に譲れないし、譲らない!」

 

「!」

 

「大江戸学園の平和も、大江戸の町の平穏も、大切に守る! 大事にする! それが、この位にいるものの務めであり責任! それが将軍!」

 

「‼」

 

「私が征夷大将軍‼」

 

「! ははあっ!」

 

 葵の迫力に気圧されて、憂はその場で平伏した。



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夏に向かって

「葵様、こちらにいらっしゃいましたか」

 

「ああ、お疲れ、サワっち」

 

 教室に入ってきた爽に葵が手を挙げて応える。先の選挙の結果を受け、生徒会が将愉会の為に急遽手配した教室である。

 

「この教室……少し手狭ではありませんか?」

 

「まあ住めばなんとやらって感じでね、結構気に入っているよ」

 

「……有備さんのこと、実質不問に処すというのは寛大な処置ですね」

 

「なるべく人を罰したくはないんだよね……甘いかな?」

 

「大甘です! ……と言いたいところですが、葵様らしくて宜しいかと」

 

 そう言って爽が微笑んだ。そこに進之助が飛び込んできた。

 

「お! こっちにいたのか!」

 

「どうしたの、進之助? バイトは?」

 

「有備の嬢ちゃんがよく働いてくれているからよ、ちょっと抜けてきた!」

 

「そんなに息切らしてどうしたのよ?」

 

「い、いや、臨海合宿の件なんだけどよ……」

 

「臨海合宿?」

 

 葵は首を傾げて爽の方を見る。爽が答える。

 

「……当学園の高等部では毎夏、『夏季休業期間特別臨海合宿』という一週間の合宿を行います。一年生から三年生まで、基本全員参加するものです」

 

「へえ、それは楽しそうだね。どんなことをするの?」

 

「例えば……前期成績不振の生徒などは補習を受講します。また、ほぼ全員参加の砂浜でのランニングや、遠泳大会などが行われます」

 

「け、結構ハードそうだね……」

 

「合宿ですので。無論大半の時間はレクリエーションに充てられていますが」

 

「そう! そのレクリなんとかだ!」

 

「ど、どうしたのよ……?」

 

「そ、そのよ、お前さんは合宿の予定は決まっているのか?」

 

「いや、合宿自体初耳だからね、まだ何も……」

 

「そ、それじゃあよ、オイラと一緒に……」

 

「生憎、赤宿君は補習メインの合宿ですよ」

 

「え?」

 

 光太が教室に入ってきた。

 

「ほ、補習メインってマジかよ……」

 

「ははっ、抜け駆けしようとした罰だぜ」

 

「ふふっ、お気の毒に」

 

 光太の後ろから教室に入ってきた弾七と獅源がうなだれる進之助を笑う。

 

「……そういうお二人も補習が多くなりそうだと聞いていますよ」

 

「何だと⁉」

 

「あれま」

 

「涼紫さんは出席日数不足、橙谷くんは単純に成績不振の為だそうです」

 

「あ~あ。こりゃあ、二人も早々に脱落決定かな~」

 

「あ、兄上、あまり煽るような物言いは……」

 

 更に後ろから北斗と南武が教室に入ってきた。

 

「新緑先生ともども、補習頑張ってくれよ、俺たちが代わりにエンジョイするからさ!」

 

「だから、そういう言い方は……」

 

「って、南武もなんだか顔にやけていない?」

 

「に、にやけていませんよ! そ、そりゃあ楽しみじゃないと言ったら嘘になりますが」

 

「うむ! “特別指定強化訓練”、実に楽しみだな! 両町奉行殿!」

 

 大和が叫びながら教室に入ってきた。北斗たちが怪訝な表情を浮かべる。

 

「……今、何て言った?」 

 

「そうだ! 体育の成績が優秀な生徒は更にその能力を伸ばすべく、特別な訓練が課されることになっている! 無論、某もだ! ともに青春の汗を流そうではないか!」

 

「そ、そんな……文武両道を目指したのが仇になるとは……」

 

「独り勝ち 早くも我に 夏の風」

 

 いつのまにか教室に入ってきていた一超が呟く。

 

「ああ、藍袋座殿! “特別指定強化訓練”は其方も入っているぞ!」

 

「⁉」

 

 大和の言葉に一超が驚きの表情を浮かべる。

 

「幻聴か それとも単に 間違いか」

 

「今回から運動が苦手な生徒にも訓練を課すことになったそうだ! 勿論、訓練内容は我々に比べればずっと楽なものだが! その辺りは安心してもらって良い!」

 

「ありえない あってならない そんなこと」

 

 大和を除いて肩を落とす面々に葵が声をかける。

 

「ま、まあ、皆何をそんなに落ち込んでいるのか知らないけどさ……レクリエーションの時間が全部失われるってわけじゃないんでしょ? 前向きに捉えようよ」

 

「ここまでくるとワザと気付かない振りをしているのでは……?」

 

「え? サワっち、何か言った?」

 

「いいえ、何も」

 

 爽は首を振った。

 

「上様、お待たせ致しました」

 

 秀吾郎が教室に現れた。

 

「ああ、秀吾郎、目安箱はどうだった?」

 

「こちらでございます」

 

「わっ! こんなに⁉ 何通あるの?」

 

「十二通でございます」

 

「そ、そんなに相談したいことが殺到するなんて……全部解決できるかな?」

 

「先の選挙結果を踏まえてですね、将愉会に期待を寄せる方が増えてきたのでしょう」

 

 爽は相談内容に目を通しながら呟く。

 

「そ、そうか、期待には応えないとね! 皆……」

 

 葵は教室に集まった面々を見渡す。

 

「『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を盛り上げる会』、一生懸命頑張ろう!」

 

「応よ!」

 

「任せとけ!」

 

「御意」

 

「パパッと片付けちゃうよ~」

 

「が、頑張ります!」

 

「善処致します」

 

「期待に応えるのが千両役者ってね」

 

「腕が鳴る 難問題も どんと来い」

 

「学園を脅かすものは容赦なく打倒する!」

 

 葵の言葉に皆が思い思いに応える。葵が満足そうに頷く。

 

「よし! それじゃあ……」

 

「葵様、水を差すようで恐縮なのですが」

 

「な、なによ、サワっち……」

 

「諸々の相談については、高島津さんと大毛利くんを含めて我々で解決にあたります。本日葵様にやって頂きたいことは他にありまして……」

 

「他にやること?」

 

「ええ、今夏の臨海合宿は江の島で行う予定なのですが、あの辺りは鎌倉殿の御領分となります。よって、鎌倉の将軍さまにご挨拶を……」

 

「ええっ⁉ 私が征夷大将軍に⁉」

 

 

 

                    第一章~完~



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第二章 いざ江の島へ
葵と紅


                     第二章

 

                      序

 

「んっ……ここは?」

 

 葵は布団の上で目を覚ました。目線の先には見知らぬ和室の天井である。

 

「どこなの、ここ……?」

 

 まだ若干の眠気が残っているものの、葵はなんとか半身を起こし、ゆっくりと部屋を見渡す。わりと広い部屋である。葵は頭を片手で抑えながら呟く。

 

「この広さは……お寺かなにかかな?」

 

 その時、部屋の障子が勢い良く開いた。そこには着物姿の紅色髪の女性が立っていた。長すぎず、短すぎずといった髪型で、強気な顔立ちの美人である。自分と同じ位の年頃であろうか。そんなことを葵が漠然と思っていると、紅色髪の女性がズカズカと部屋に入ってきて、葵を見下ろしながら呟く。

 

「起きたわね」

 

「……誰?」

 

 葵が怪訝そうな表情を浮かべて尋ねる。

 

「それはこっちの台詞よ」

 

 紅色髪の女性は立膝をつき、目線を葵に合わせ、強めの口調で葵に質問する。

 

「貴女の目的は何? 誰に言われてきたの?」

 

「はい?」

 

「言っておくけど、とぼけても無駄よ。貴女が『しょうゆ会』とかいう怪しげな会の首魁だって既に調べはついているのよ」

 

「怪しげ……首魁って……」

 

 戸惑う葵に対し、紅色髪の女性はまくしたてる。

 

「この私の寝首を掻こうだなんて百年、いや、千年早いわよ。私の弓は狙った獲物は絶対に外さないんだから。『今一番ヤバい流鏑馬系女子』、『最も射抜かれたいガール』とか報道機関に色々取り上げられたことだってあるのよ」

 

「は、はあ……」

 

「それで? 貴女は何者かしら? 答えによっては……」

 

「えっと……何て言えば良いのかな?」

 

 葵は片手で後頭部をかく。紅色髪の女性は目を細めながら呟く。

 

「正直に話した方が身の為よ?」

 

「あ、はい……えっと、私は大江戸幕府第二十五代将軍、若下野葵(もしものあおい)です……」

 

 一瞬の静寂が部屋を包む。紅色髪の女性が口を開く。

 

「ひょっとして……ふざけているの?」

 

「いえ、ふざけてないです」

 

「私、そういう笑えない冗談は嫌いなの」

 

「冗談ではありません」

 

 紅色髪の女性がバッと立ち上がる。

 

「どこの世界に睡眠薬で眠らされる征夷大将軍がいるのよ!」

 

「ここにいます! って、睡眠薬⁉」

 

 葵が顎に手をやって考える。思い当たる節があった。

 

「そうか……途中で立ち寄ったあの茶屋で個室に通されて……お団子を食べていたら何だか急に眠気に襲われて……」

 

 紅色髪の女性が軽く咳払いをして、改めて葵に問う。

 

「『しょうゆ会』という秘密結社に関してはどう説明するの⁉」

 

「秘密結社って! 『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を盛り上げる会』、通称『将愉会(しょうゆかい)』です! 大江戸城学園をより良い学園にする為に日々活動しているんです! 断じて秘密結社でも悪の組織でもありません!」

 

「大江戸城学園……?」

 

「そうです、大江戸城の城郭内にある学校です! 私は将軍であると同時にそこに通う華の女子高生です! ほら、学生証だってあります!」

 

 葵が懐から学生証を取り出して、紅色髪の女性に向かって突き付ける。女性は再び立膝をついて、学生証を手に取り、写真と葵の顔を何度か交互に見比べ、やがて小声で呟く。

 

「……マジで?」

 

「マジです!」

 

「か、仮に貴女が将軍だとして、なんだってあんな所にいたのよ⁉」

 

「我が校はこの夏の臨海合宿で江の島にお邪魔するので、そのご挨拶に伺おうと……!」

 

「! あ~そう言えば、猛時がそんなこと言っていたような、いなかったような……」

 

「あの……?」

 

 暫しの沈黙後、紅色髪の女性は正座して葵の方に向き直り、顔の前で両手を合わせる。

 

「メンゴ! 完全に勘違いだったわ! 許して、てっきり刺客かと思って……」

 

「し、刺客……? あの、貴女は?」

 

 紅色髪の女性は姿勢を正して名乗る。

 

「申し遅れました。私は良鎌倉(よいかまくら)幕府第四十五代将軍、真坂野紅(まさかのくれない)です」

 

「え、えええぇぇぇ~⁉」

 

 葵は素っ頓狂な声を上げてしまった。



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ふたりはズッ友

「そんなに驚くこと?」

 

「そ、そりゃあ……」

 

「ああ、ちなみに私は良鎌倉学院の三年生、貴女の一年先輩ね」

 

「ええっ⁉」

 

「また驚いた、そんなに驚くことかしら?」

 

 紅が呆れ気味に呟く。

 

「い、いや、それは驚きますよ、私以外にも女子高生兼征夷大将軍って珍妙な肩書きの持ち主の方がいたなんて……」

 

「珍妙って。それより私のこと知らなかった?」

 

 紅の質問に葵は慌てて頭を下げる。

 

「も、申し訳ありません! 将軍に就任して約三か月、忙しさにかまけて……」

 

「情報収集、又は情報の取捨選択も上に立つものにとっては大事なことよ」

 

「お、おっしゃる通りです……」

 

「まあ、そういう私も貴女のこと漠然としか知らなかったけど」

 

 紅のとぼけた発言に葵がガクっとなる。

 

「ご、御存じなかったんですか?」

 

「勿論、大まかには大体のアウトラインは知っていたわよ。でも私も約一年前に就任したばかりだから、他のことに目を向ける余裕がなかなかなくてね……。やっぱり色々あるじゃない? 征夷大将軍やっているとさ」

 

「ええ、分かります」

 

 色々の部分は人それぞれだと思うが、葵はとりあえず頷いて置いた。

 

「何か質問はあるかしら?」

 

「えっと真坂野様は……」

 

「紅で良いわよ」

 

「え?」

 

「同じ将軍同士、堅っ苦しいのはナシで行きましょ?」

 

「そ、そうですか?」

 

「そうよ」

 

「じゃあ、クレちゃん」

 

「ク、ク、クレちゃん⁉」

 

「何か?」

 

「い、いや、何でもないわ、続けて」

 

「クレちゃんはここに住んでいるの?」

 

「え? え、ええ、そうよ。現在はここを拠点にしているわ」

 

 紅は少し言い淀んだ後、一つ咳払いをして立ち上がり、大袈裟に両手を広げる。

 

「ようこそ! 鎌倉幕府へ!」

 

「ここが鎌倉幕府……!」

 

「そう! まさしくここが鎌倉幕府!」

 

「頭の悪い会話は止めろ……」

 

 その時、部屋の障子が開き、明るい髪色をした長身かつ端正な顔立ちの男性が入ってきた。学生であろうか、制服姿である。

 

「ちょっと! 女の話に聞き耳立てていたの⁉」

 

「そんな大音声で話していたら嫌でも耳に入ってくる……」

 

 制服の男性は紅の言葉にウンザリした様子で応えながら、葵の目の前に正座する。

 

「少々、いや大分不作法ではありますが、この場を借りて大江戸の公方様に恐れ多くもご挨拶をさせて頂きます。私は星ノ条猛時(ほしのじょうたけとき)と申します。良鎌倉幕府の執権を務めております。お見知り置き頂ければ幸いでございます」

 

 猛時と名乗った男は恭しく礼をした。葵は戸惑い気味に答える。

 

「は、はあ、どうも……」

 

「この度はこちらの馬……公方様の心得違いにより大変なご迷惑をお掛け致しましたこと、誠に申し訳ございません」

 

「あ、い、いえ、大丈夫です」

 

「今馬鹿って言おうとしたでしょ⁉」

 

「……事実だろ」

 

 葵に向かって頭を下げながら猛時がボソッと呟く。

 

「事実じゃないわよ!」

 

「ク、クレちゃん、ちょっと落ち着いて……星ノ条さん、頭を上げて下さい。何か御用があったんじゃないですか?」

 

 猛時はゆっくりと頭を上げる。

 

「実はそうなのですが、ここではちょっと……」

 

「構わないわよ、葵っちにも聞いてもらいましょう」

 

「あ、葵っち⁉」

 

 葵が驚く横で、猛時がふうっと溜息を突く。

 

「そういう訳には参りません。余所様にお聞かせするお話ではありません」

 

「私と葵っちの間で隠し事はナシよ」

 

「今日初めてお会いしたばかりでしょう」

 

「分かっていないわね、時期の問題じゃないの。良い? JKでありながら征夷大将軍という世にも珍しい境遇の者同士が今こうして巡りあったの! これはもう何かの縁よ! 運命よ! もはや『ふたりはズッ友!』と言っても過言じゃないわね」

 

「ズッ友……」

 

 葵が呟く脇で猛時が目を閉じて頭を軽く抑える。紅が屈み込んで葵に告げる。

 

「葵っち……ぶっちゃけると、ここは鎌倉幕府じゃないの」

 

「ええっ⁉ ここは鎌倉幕府じゃないの⁉」

 

「そう、厳密にはここは鎌倉幕府じゃないの!」

 

「IQの低い会話は止め! ……お止めになって下さい」

 

 一瞬、大声を上げた猛時は、葵の手前、すぐに声のトーンを落とす。

 

「クレちゃん、どういうことなの?」

 

「う~ん、ついでにぶっちゃけちゃうと……鎌倉幕府、乗っ取られちゃった♪」

 

「え、えええぇぇぇ~⁉」

 

 葵はまたも素っ頓狂な声を上げてしまった。



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血気盛んな方たち

「の、乗っ取られたというのは⁉」

 

「まあ……敵対勢力に?」

 

「て、敵対勢力……穏やかな話じゃないね」

 

「この若さの女子がか細い血縁関係を理由に征夷大将軍に就任したらそりゃ色々あるわよ……葵っちも心当たりが一つや二つあるんじゃないの?」

 

「た、確かに……」

 

 葵はつい先日の氷戸光ノ丸(ひとみつのまる)五橋八千代(いつつばしやちよ)日比野飛虎(ひびのあすとら)らと繰り広げた将軍位争奪の学内選挙や自らの身に降りかかった有備憂(ありぞなえうい)による襲撃事件を思い返して深々と頷いた。

 

「そ、それでどうするの?」

 

「勿論、このままにしておくわけにはいかないわ、鎌倉を奪還するのよ!」

 

 紅は力強く握り拳をつくる。葵が戸惑いながら尋ねる。

 

「奪還ってい、いつ?」

 

「今日明日には」

 

「どこで?」

 

「そりゃあ鎌倉御所に乗り込むのよ」

 

「誰が?」

 

「私と猛時が」

 

「何を?」

 

「何をって政権をよ」

 

「何故?」

 

「私が征夷大将軍だからよ」

 

「ど、どうやって?」

 

「力ずくで」

 

 そう言って、紅は袖をめくり、力こぶを作ってみせる。

 

「そ、そうなんだ……」

 

「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どうやって……5W1Hを使っていち早い状況理解に務められるとは、流石ですね」

 

 猛時が感心した様子を示す。

 

「聞くまでもない質問もあったようだけど……」

 

「ちょ、ちょっと待って! 二人で乗り込む気なの⁉」

 

 葵の驚く声に紅が頬杖を突きながら答える。

 

「生憎人手不足でね……」

 

「それにしても数が足りなすぎじゃない⁉」

 

「勿論、ここにいる猛時以外にも信頼出来る御家人(ごけにん)たちが何人かいるわよ」

 

「御家人?」

 

「簡単に言えば家来ね、私はそういう言い方はあまり好きじゃないけど。信頼の寄せられる大切な友人たちよ」

 

「じゃ、じゃあ、その人たちも呼ばないと!」

 

 紅はため息交じりに答える。

 

「ちょっと、別件を頼んでいて皆それぞれ鎌倉周辺から離れていてね、私自身も視察中に……迂闊だったわ。そこを狙ってくるとは……」

 

「先程調べて参りました所、御所を乗っ取った連中もそこまで多人数ではないと思われます。二人でも十分対応出来るかと」

 

 猛時が冷静に報告する。

 

「そう、侍所(さむらいどころ)は?」

 

「突然のことですので、まだ完全には掌握しきれていない模様です」

 

「侍所?」

 

「簡単に申し上げれば、軍隊と警察組織のことです」

 

 葵の問いに猛時が淡々と答える。

 

「それならなんとかなりそうね……よし! 猛時、出陣よ!」

 

「いやいや! 流石に無謀でしょ⁉ もうちょっと対策を練らないと!」

 

「葵っち、こういうのは勢いが大事なのよ。思い立ったら何とやらって言うでしょ?」

 

「左様です」

 

 当然とばかりに頷く猛時に葵は驚愕する。

 

「星ノ条さんまで⁉ 二人ともちょっと血気盛ん過ぎない⁉」

 

「そんな……誉めても何も出ないって~」

 

「いや、全然誉めてないよ⁉」

 

「やっぱり騒いじゃうんだよね~鎌倉武士系女子の血ってやつがさ~」

 

「初めて聞いたよ、そんな系統!」

 

「大丈夫、大丈夫、私も猛時もわりと一騎当千?な所があるからさ~」

 

「わりとじゃ駄目だよ! 一騎当千?って疑問形だし!」

 

「通知表で『武芸』の欄、オール5だよ?」

 

「『武芸』の欄なんかあるの⁉ そ、それにしてもだよ」

 

「恐れながら……」

 

 猛時が口を挟む。

 

「この場合、相手の体勢が整う前に乗り込むのが最も効果的と考えます。時間を与えればそれだけ向こうが有利、こちらが不利になってしまいます」

 

「そ、それはそうかもしれないけど……」

 

「更にもう一点……連中はまさか我らが二人きりで来るとは思ってもいないはずです。その心の油断を突きます」

 

「理には適っているかも知れないけど……」

 

 葵が腕を組んで首を捻る。

 

「善は急げね。猛時、準備をお願い。私もすぐに支度するわ」

 

「御意……」

 

「待って……」

 

 部屋を出ようとした紅が葵の声に立ち止まり、振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「……助太刀するよ」

 

「え?」

 

「何ですって?」

 

 葵がバッとその場に立ち上がり、力強く宣言する。

 

「その『鎌倉奪還作戦』、私たち『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を盛り上げる会』、通称『将愉会』も参加させてもらうよ!」

 

「「ええっ⁉」」

 

 今度は紅と猛時が驚きの声を上げる。



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軍議してみた

「いやいや、参加するって……」

 

「危険ですよ?」

 

「危険は承知だよ!」

 

 葵は躊躇なく答える。猛時が渋い表情を浮かべる。

 

「そうは申しましても……」

 

「分かった。葵っち、お願い出来る?」

 

「上様!」

 

「人手が欲しいのは確かでしょ? それで? しょうゆ会っていうのは何人いるの?」

 

「えっと……私も含めれば13人だね」

 

 葵は指を折りながら答える。紅は満足気に頷く。

 

「十分ね」

 

「それじゃあすぐに集合をかけるよ」

 

「お願い。猛時も良いわね?」

 

「そのようにお決めになったのならば無駄な反論はしません……」

 

「理解が早くて助かるわ」

 

「作戦の幅が広がると考えれば有りか……」

 

 猛時はため息混じりに小声で呟く。そして約一時間が経過した。

 

「葵様、お待たせしました」

 

「あ、サワっち! ごめんね、急に呼び出しちゃって」

 

「構いません。事態が事態ですので」

 

 眼鏡を掛けた長い黒髪の女性が颯爽と部屋に入ってくる。そして、その女性は紅の前に正座をして、頭を下げた。

 

「不作法ではありますが、鎌倉の公方様に恐れ多くもご挨拶をさせて頂きます。わたくし、将愉会の副会長を務めさせて頂いております、伊達仁爽(だてにさわやか)と申します」

 

「何度か書状やメールのやりとりをしたわね。名前に覚えがあるわ」

 

「光栄なことでございます」

 

「サワっち、他の皆は?」

 

「別室に控えて頂いています。現在は星ノ条様と顔合わせをされております」

 

 そしてしばらくすると、猛時が難しい顔をしながら葵たちのいる部屋に戻ってきた。

 

「どうだった、猛時?」

 

「……時間が惜しゅうございます。軍議をさっさとまとめてしまいましょう」

 

 猛時は座りながら鎌倉の地図を広げてみせる。

 

「相手は?」

 

「ここです。八幡さまから南東にある御所に陣取っています」

 

 紅の問いに猛時が即答し、話を続ける。

 

「御所の警備はまだ万全ではありません。近づきさえすれば……」

 

「近づきさえすればね……」

 

 紅がため息をつく。爽が小声で葵に説明する。

 

「古来より鎌倉は西、北、東の三方を山に囲まれ、残る南方は海に面した、いわば天然の要塞です。攻め難く、守り易いと言われている土地です」

 

「そうなんだ……」

 

「南から小舟で由比ヶ浜に上陸して……見つかるわよね」

 

 紅は自らの意見をすぐに否定し、頬杖を突く。

 

「……恐れながら隠し通路のようなものは無いのでしょうか?」

 

「……成程、脱出に使う用の通路を逆に行くってわけね」

 

 爽の言葉に紅は頷く。

 

「猛時、どうかしら?」

 

「……いくつかあるにはありますが、どの通路も老朽化が激しいために閉鎖しております。最近新しい抜け道を用意しましたが、まだ整備が済んでおりません……」

 

「そう……」

 

 猛時の言葉に紅は腕を組む。即座に次の考えを述べる。

 

「敢えて鎌倉七口(ななくち)を行くってのはどう?」

 

「鎌倉七口?」

 

「山を切り開いて道を通した切通(きりどおし)と言われる道があります。その内の主要な七つの切通を鎌倉七口と呼称します」

 

 首を捻る葵に爽がささやく。猛時が地図を見ながら少し考えて答える。

 

「……御所に一番近い巨福呂坂(こぶくろざか)は、既に警備がまわっていると思われます。その次に近い亀ヶ谷坂(かめがやつさか)は亀もひっくり返ると言われている程の急勾配です、攻めるには不向きです」

 

「じゃあ、その西に位置する化粧坂(けわいざか)は?」

 

「古の名将も苦戦を強いられたほどです。お勧めは出来ません……西の大仏(だいぶつ)、南東の名越(なごえ)は険しい道です。これも推奨は出来兼ねます」

 

 猛時の説明を受け、紅は暫し考え込んでから呟く。

 

「残るは一番西の極楽寺(ごくらくじ)極楽寺か、それとも一番東の朝夷奈(あさいな)か……」

 

「その二択というのならば、朝夷奈の方が御所から距離があります。ある意味時間との勝負でもある今回は極楽寺から攻めるが良いかと……伊達仁殿は如何お考えでしょうか?」

 

 猛時が爽に話を向ける。

 

「……この場合は土地勘のある方のお考えが最良かと。成程、極楽寺からならば、二手あるいは三手に分かれて進むということも出来るかと思います。例えば、一軍……というには些か心許ない人数ですが、最も多い組に海岸沿いを進んで、相手の注意を引きつけてもらい……残りの軍勢が御所を目指す、というのは?」

 

「陽動ね、シンプルだけどそれがベストかもね。猛時、策を立ててみてもらえる?」

 

「畏まりま……」

 

「ちょっと待って」

 

 葵が声を上げる。紅が尋ねる。

 

「どうしたの葵っち?」

 

「皆少し難しく考え過ぎなんじゃないかな?」

 

「考え過ぎ?」

 

「……何か妙案がございますでしょうか?」

 

 猛時が葵の方を向いて尋ねる。

 

「いや妙案って程の大袈裟なことじゃないけどさ……これは」

 

 葵は地図を指差す。

 

「それは……」

 

「成程……」

 

「……盲点でございました」

 

 葵の提案に三人が驚く。

 

「じゃあ、葵っち。具体的な作戦は?」

 

「えっと……」

 

 葵の考えた作戦を聞いた三人はそれぞれの反応を示す。

 

「ふむ……それならば相手の虚を突けるかと思います」

 

「いや、こちらも呆気に取られていますが……」

 

「敵を欺くには何とやらと言うわ。その作戦で行きましょう」

 

「上様⁉ よろしいのですか?」

 

 心配そうな視線を向ける猛時を余所に、紅が勢い良く立ち上がって叫ぶ。

 

「いざ鎌倉へ‼」



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将軍散歩

「はい! というわけでね、今回鎌倉にね、無事潜入成功したわけなんですけども~」

 

「私、鎌倉潜り込むの初めてなんですよ~」

 

「そうなんだ~?」

 

「そうなんですよ~!」

 

「いや、謎のテンション!」

 

 唐突に掛け合いを始めた紅と葵に猛時が思わずツッコミを入れる。

 

「ちょっと猛時~」

 

「ちょっと男子~みたいなイントネーション!」

 

「せっかく潜入出来たんだからさ、もうちょっと私たちみたいに自然体で振舞ってくれないと目立っちゃうから……」

 

「思いっ切り不自然な会話だったぞ⁉」

 

「でも、葵っちの提案には驚かされたよ」

 

 猛時を無視して、紅は葵に話しかける。

 

「そ、そうかな?」

 

「そうだよ~まさか電車でくれば良いじゃんってね~」

 

 紅は鎌倉駅を仰ぎ見る。猛時が感心したように呟く。

 

「確かにスムーズに中心地まで来られたな、正直その発想は無かった……」

 

「それでこの後はどうするんだっけ?」

 

「現在サワっちを始め、将愉会の皆がそれぞれ動いてくれているよ。私たちはこの大勢の観光客の方々に紛れて御所にそれとなくさりげなく近づき、様子を窺う……」

 

「つまり何も考えず観光を楽しめってことだね?」

 

「端的に言えばね」

 

「いや、何も考えないのは不味いだろう……」

 

「まあまあ、頭の片隅には入れておくよ」

 

「中心に据えてくれ、頼むから……」

 

 猛時がため息を突いて、軽くうなだれる。葵が端末を片手に尋ねる。

 

「御所は若宮大路(わかみやおおじ)沿いにあるってことだけど……?」

 

「うん、そうだね。ただ、若宮大路をそのまま進むのもあれだから……折角だしその脇の小町通りから行こうか」

 

「その辺りはクレちゃんにお任せするよ」

 

「よし任された! それじゃあ行こうか!」

 

 紅が右手を突き上げて先頭を進む。

 

「申し訳程度の変装をしているとはいえ……こんな緊張感の欠片もない潜入で果たして良いのだろうか?」

 

「言い出しておいてなんですけど……前代未聞の呑気さですよね」

 

「しっかりとご自覚があるのではないですか……」

 

「大丈夫、なんとかなりますよ!」

 

「なって貰わないと困ります……」

 

 葵は不安を拭いきれない猛時に声を掛けつつ、紅の後に続く。

 

「この小町通りは古い民家をリノベーションした風情のあるお店やカフェ、ショップやお土産屋さんなとが多く立ち並んでいるの。テイクアウトができるおいしいお店もたくさんあって、鎌倉で一番の賑わいを見せているエリアで、食べ歩きの定番コースね」

 

「本当に雰囲気良さげなお店が一杯あるね」

 

「でしょ~?」

 

 葵の言葉に紅が満足そうに頷く。

 

「じゃあ、何か食べようか?」

 

「おススメは?」

 

「う~ん、そうだな~」

 

 葵の問いに紅が顎に手を当てて、少し考え込んでから、ポンと手を打つ。

 

「やっぱりお団子かな!」

 

 紅の案内で三人は和菓子屋の長い行列に並ぶ。

 

「ここはお団子の種類が豊富なの。みたらし団子やよもぎ餡団子、季節限定メニューなんかも良いんだけど、イチ押しは醤油団子かな!」

 

「ふ~ん、それを頂こうかな」

 

 行列はあっという間に進み、葵たちは注文した品を受け取り、近くの椅子に腰かけて、食し始める。葵は驚く。

 

「! 美味しい! モチモチとしたお団子に醤油の風味がピッタリとマッチしている!」

 

「そうでしょ、そうでしょ~」

 

 葵の率直な感想に紅が自慢気に頷く。

 

「これなら何本でもいけそう!」

 

「ふふっ、それはまた次の機会に。じゃあ、次に行こうか!」

 

「次……?」

 

 再び歩き出した紅の言葉に猛時が怪訝な顔になる。

 

「お次はこちら!」

 

「ここは……?」

 

「ふふ~ん、ここはタコ焼き屋さんです!」

 

「ええっ⁉ 鎌倉でタコ焼き⁉」

 

「驚くのも無理はないよね~。まあ、騙されたと思って食べてご覧なさいな」

 

 やや戸惑いながら、葵はタコ焼きを口に運ぶ。

 

「! こ、これは……しらす⁉」

 

「そう! 鎌倉名物しらすが入っているの!」

 

「タコ焼きのふわっとした食感の中に、しらすが文字通りいい味を出している! こんなの初めてだよ!」

 

「そうでしょ、そうでしょ~」

 

 葵の素直な言葉に紅が得意気に頷く。

 

「じゃあ、次に行こうか!」

 

「まだ行くのか⁉」

 

 紅の言葉に猛時が戸惑う。

 

「えっと、ここは……?」

 

「ここのオススメはかじきの串焼き! ささっ、どうぞどうぞ」

 

「かじき……いただきます。! なんてジューシーな! 食べ応えも抜群!」

 

「そうでしょ、そうでしょ~」

 

 葵の直球な台詞に紅が満足気に頷く。

 

「じゃあ、続いては……」

 

「ちょっと待て!」

 

 猛時が堪らず声を上げる。紅が不満気に唇を尖らせる。

 

「なによ~」

 

「なによじゃない! 目的を忘れているだろう⁉」

 

「めあてのことでしょ?」

 

「目的の語意を聞いているんじゃない!」

 

「少し落ち着きなさいよ……」

 

「これでどうやって落ち着けと言……⁉」

 

 紅が人差し指を猛時の唇に当てて、静かに語る。

 

「あれを見なさい……」

 

「も、もしかしてあれが御所?」

 

 葵の問いに紅が不敵な笑みを浮かべる。

 

「そうよ、ここは若宮大路……そして通りを挟んで見えるは御所。実にそれとなく、さり気なく、近づくことが出来たわね……」

 

「ただの偶然にしか思えんが……」

 

 猛時が小声で呟く。



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橙と黄黄が場を荒らす

「それでここからどうするの?」

 

 あくまでもどこにでもいるような観光客を装いつつ、紅は葵に尋ねる。

 

「作戦は三段階に分けている……まずは第一段階だよ」

 

「第一段階……ですか?」

 

 猛時の問いに葵は頷き、端末を取り出す。

 

「そろそろかな……二人とも、これを見て」

 

「え? ライブ動画?」

 

 葵の端末はライブ動画を映し出している。黄色い髪とあどけない顔が印象的な小柄な体格の少年が顔を出し、能天気に話を始める。

 

「……はい。こんちはー自由恥部♪ 今日も北斗チャンネルを始めていくよ~♪」

 

「こちらは先程お会いした……」

 

「そう、将愉会会員の黄葉原北斗(きばはらほくと)くん」

 

 端末を覗き込む二人に葵は説明を始める。

 

「彼は江戸の町北部の行政・司法を司る北町奉行でありながら、動画配信処、『自由恥部(じゆうちぶ)』で人気の配信者、いわゆる由恥部亜(ゆうちぶあ)としても活動しているの」

 

「ず、随分と忙しいことしているのね……」

 

 紅が戸惑い気味に呟く。北斗は配信を続ける。

 

「……という訳でね、今日は奉行所をバッと飛び出して、外から動画をお送りしているんだけどね、ここどこだか分かるかな? 分かんねえだろうな~?」

 

「そ、そういう漫談みたいなことは要らないですから……」

 

 動画に遠慮がちに北斗をたしなめる撮影者の声が入る。北斗がぷいと唇を尖らせる。

 

「え~それじゃ面白くなくない~?」

 

「面白いとか面白くないとかこの際どうでもいいですから、場所の紹介を早く……!」

 

「ちぇっ、つまんないの~。はい、あちらをご覧下さ~い」

 

 北斗がやる気なさげに右手を挙げる。撮影者はその右手が指し示した方を映す。それを見て紅たちが驚く。

 

「これは……!」

 

「大仏さん⁉」

 

 気を取り直した北斗が再びテンションを上げて話し始める。

 

「はい! という訳で、今、鎌倉に来ていま~す。ちなみにあの有名な鎌倉大仏さんなんだけど、いつ頃造られたのかとか誰が造ったのかとか詳しいことは一切不明なんだってさ~あんなに有名なのに、ウケるよね~」

 

「わ、笑い事ではありません! 関連する資料が失われてしまっているのですからそれも致し方ないでしょう⁉」

 

 撮影者が今度はハッキリとした声でヘラヘラと笑う北斗をたしなめる。真面目な顔になった北斗が話を続ける。

 

「本日は大仏さんの謎に迫る! って訳ではないんだよね~」

 

 動画を見ていた猛時が葵に尋ねる。

 

「……何をする気ですか?」

 

「いや、詳細は聞いてないよ」

 

「聞いてないの⁉」

 

 葵の返答に紅が驚く。北斗が楽しげに紹介する。

 

「今日は素敵なゲストを呼んでいるんだ……どうぞ~」

 

 北斗が手招きし、橙色の髪の色をした派手な男が動画に映り込む。やや崩した着流し姿という服装でどことなく不遜な態度をしている。

 

「はい! このチャンネルではすっかりお馴染みだよね~。一応紹介しようか、天才浮世絵師の橙谷弾七(とうやだんしち)ちゃんで~す♪」

 

「……大天才浮世絵師な、後、ちゃん付けで呼ぶのやめろ」

 

「今日は何? もしかしてあの大仏さんを浮世絵っちゃうの?」

 

「なんだよ、浮世絵っちゃうって……まあ、確かにあの見事な大仏さんは画題としては申し分ないな……ただ、何かが足りない気がするんだ」

 

「足りない?」

 

「ああ、その足りない何かを補う為に……相撲を取ろうと思う!」

 

「「はっ⁉」」

 

 動画を見ていた紅と猛時が揃って驚きの声を上げる。紅が葵に対して声を掛ける。

 

「ちょ、ちょっと、葵っち!」

 

「え?」

 

「何よ相撲って⁉」

 

「裸と裸でぶつかり合う……」

 

「それは分かるわよ! 何で相撲をするのかってことよ!」

 

「理由なんかないよ。強いて言うなら『相撲が私たちを呼んでいる』って所かな」

 

「ごめん、全っ然、分かんない!」

 

 戸惑う紅を余所に、動画内では上半身裸になった弾七がもう一人を呼び込む。

 

「おい、こっち来いよ! 相撲の時間だ!」

 

「ううっ……なんで僕がこんなことを……」

 

 まわし姿になった長身かつ細身の男性がとぼとぼと弾七たちの近くに寄ってくる。

 

「景もっちゃん⁉」

 

「誰よ?」

 

大毛利景元(たもうりかげもと)くん、彼も将愉会の会員だよ」

 

「こちらも先程お会いしましたが、こんな髪型でしたか?」

 

「いや、きっちり横分けだったと思うけど……なんでパンチパーマに?」

 

 葵の疑問には動画内の弾七が答えた。

 

「短時間ながら見事なパーマになっているぜ、大仏さんのようだ!」

 

「な、なんで僕の髪型を大仏さんに近づける必要があるんだ⁉」

 

「この際正論なんて要らねえ……体と体、魂と魂をぶつけ合おうぜ!」

 

 そう叫んで、弾七は景元に思い切りぶつかる。北斗が撮影者に近づき声を掛ける。

 

「そのアングルじゃ迫力がイマイチ視聴者に伝わんないって……ああ、もう! 俺が撮影するから、南武は行司でもやってよ」

 

「ええっ⁉ 僕は動画に出ないって……」

 

 髪型こそ微妙に違うが北斗と同じ顔をした少年が動画に映る。葵が二人に説明する。

 

「彼は黄葉原南武(きばはらなんぶ)くん、北斗くんの双子の弟で南町奉行を務めているの」

 

「双子で町奉行とは凄いわね」

 

「それはそれとして、この状況はどういうことなんですか?」

 

 猛時が動画を指差す。そこには大仏をバックに半裸の男たちが相撲をとっている様子が映し出されている。葵は静かに呟く。

 

「……彼らの行動を語る言葉を私は持たないよ」

 

「持っていて頂きたかった……!」

 

 うなだれる猛時に葵が改めて声を掛ける。

 

「ただ、作戦は成功だよ。あれを見て」

 

「え? あ、あれは⁉」

 

 大路を挟んで葵たちの向かいに建っている御所から何名かが飛び出して行った。

 

「ライブ動画を見て、慌てて取り押さえに向かったんだよ。つまり、御所の警備がその分手薄になったということ……第一段階、『場を荒らす』作戦成功だよ!」

 

「へえ、やるじゃない」

 

「陽動ですか。別に相撲じゃなくても良かったのでは……?」

 

 感心した様子の紅とは対照的に、猛時は尚も戸惑い気味に呟く。



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紫と緑と藍が美を翳す

「よし! 次は第二段階だね!」

 

「第二段階ね、どうするの?」

 

「そこで猛ちゃん、改めて確認なんだけど……?」

 

「た、猛ちゃん⁉ な、なんでしょうか?」

 

 葵からの唐突なちゃん付けにやや面食らいながらも、猛時は冷静に問い返す。

 

「さっきも聞いたことなんだけど、鎌倉の御所で一番重要度が低い出入り口はここで間違いないんだよね?」

 

 葵は自身の端末に御所の図面を表示させ、ある位置を指差す。

 

「重要度というお言葉の定義にもよりますが、いくつかある出入り口の中では、最も使用頻度が低いのがそちらになります」

 

「成程……ああ、もしもし、さぎりん? こちら葵です。打ち合わせ通り、予定ポイントに向かって下さい。作戦の成功を祈ります」

 

 猛時の言葉を受け、葵は電話で連絡を取る。それに答える女性の声が聞こえてくる。

 

「こちら高島津。了解しましたわ。大船に乗ったつもりでドーンと構えていて下さいな」

 

大船(おおぶね)……ああ、鎌倉だけに?」

 

「それは大船(おおふな)地区でしょう……わたくしは別にうまいことを言ったわけではありませんわ。もう切りますわよ?」

 

「ごめん、ごめん、一応通話状態のままにしておいて、状況の推移を確認したいから」

 

「了解……」

 

 葵は電話から口を離し、二人に告げる。

 

「私たちも少し移動しようか。遠巻きでもこの出入り口の様子を見ることが出来る場所があるよね?」

 

「今の女性の声は?」

 

高島津小霧(たかしまづさぎり)さん。将愉会の会長補佐を務めておられるとか……長い縦ロールの派手な髪型をした小柄な女性だ」

 

「ああ、あの見るからに勝気そうな顔立ちの娘ね」

 

 猛時の説明を聞いて頷く紅は葵の後に続いた。

 

「ここから見られるね……見張りは全部で四人かな」

 

「正面などに比べれば少人数ではありますが、やはり全く警備を配置していないわけは無かったですね」

 

「さっきの高島津さんたちに強行突破させる気?」

 

「いやいや、それじゃあ目立っちゃうよ」

 

 紅の言葉に葵は首を振る。

 

「ではどうするの?」

 

「まあ見てて……あ、始まったよ」

 

 葵が出入り口の門を指差す。紅たちが目をやると、着物姿の小霧を初めとする四人の人物が門を警備する兵四人にそろそろと近づく所が見えた。

 

「なんだ、お前ら!」

 

 葵の端末を通話状態にしてあるため、やり取りが聞こえてくる。

 

「お兄さんたち……アタシらと遊ばないかい?」

 

 紫色の髪の人物が品を作り、話しかける。四人の内、一番ガタイの良い兵が答える。

 

「な、何を言っているんだ! 我々は仕事中だ!」

 

「良いじゃないの。サボっちまいなよ」

 

「そ、そういう訳にはいかん!」

 

「真面目だね~でも……そういう所アタシの好みさね」

 

「こ、好み⁉」

 

 ガタイの良い兵が分かりやすく動揺する。その隣に立つ小柄な兵がヘラヘラと話す。

 

「おいおい姉ちゃん、こいつより俺の方がよっぽど良い男だぜ?」

 

「自信のある物言いだね。一体何を以って良い男って言うのさ?」

 

「そりゃ、ナニの大きさよ。こいつはこの中で一番小さいんだぜ?」

 

「な、何を言っているんだ!」

 

「ぎゃははは!」

 

 ガタイの良い男の反応に残りの三人の兵が下卑た笑い声を上げる。

 

「ふ~ん。それは実際確かめてみないことにはねえ……」

 

「お、相手してくれるのかい? 話が早いね~へっへっへっ……」

 

 紫髪の人物の返答に小柄な兵が下品な物言いをする。

 

「ただ、まだ日が高いね……もう少し時間が経ってからにしよう。それまでそちらの物陰で楽しくお話でもどうだい? 酒もあるんだよ」

 

「そんなお誘いを断る馬鹿はいねえよ。よし、こっちに入りな」

 

 小柄な兵が四人を門の中に招き入れようとする。その様子を見て紅が驚く。

 

「自然に御所の中に⁉ 彼女、口車が上手いわね!」

 

「彼女じゃなく、彼、だね」

 

「えっ?」

 

「あの紫髪の人は涼紫獅源(すずむらさきしげん)さんと言って、歌舞伎役者さんだよ」

 

「ええっ⁉ 男なの⁉」

 

女形(おんながた)を得意とされる方ですね。目下売り出し中の……」

 

 驚く紅の隣で猛時が冷静に呟く。ガタイの良い兵の叫ぶ声が聞こえる。

 

「だ、駄目だ! 持ち場を離れるなど!」

 

「恐れながら……」

 

 緑色の髪をした眼鏡を掛けた人物がガタイの良い兵の前に立つ。

 

「な、なんだ?」

 

「実は小一時間ほどこの通りの人通りを見ておりましたが、誰も通りませんでした。零人です。この鎌倉という都市の人口密度などを考えてみても驚異的なことです。よって確率論的に、今後もこの通りを通る人は零人だと断言出来ます」

 

「か、確率論?」

 

「統計学的にも明らかです。多少持ち場を離れても何ら問題ありません」

 

「う、うむ……」

 

「よっしゃ! じゃあ、こっちで楽しく酒盛りといこうや! この世で何が旨いって、仕事をサボって飲む酒だ!」

 

 小柄な兵がガタイの良い兵も連れて、門の中に入る。紅が感心する。

 

「あの緑髪の眼鏡の彼女、理詰めで攻めていたわね」

 

「あ~あの人も彼、だね」

 

「ええっ⁉ また役者さん⁉」

 

 再び驚く紅に葵が説明する。

 

「いや、あの人は新緑光太(しんりょくこうた)先生と言って、大江戸城学園の数学教師。将愉会の顧問をしてもらっているの」

 

「せ、先生⁉」

 

「新緑殿は大江戸幕府の勘定奉行も務めていらっしゃいますよね?」

 

 猛時の問いに葵は頷く。

 

「うん、そうだね」

 

「先程挨拶を交わしただけですが、なんと言いますか、堅物そうな方だなという印象を受けましたが……」

 

「女装は嫌がっていたんだけど、案外ノリノリだね」

 

「成程、数学教師か~確率論が云々ってのは説得力があったわね」

 

「いや、多分あれは口から出まかせだと思うぞ……」

 

 一人でうんうんと頷く紅に猛時が冷めた反応を示す。

 

「い、いや、やはり、勤務時間中の酒はマズい!」

 

 ガタイの良い兵の声が聞こえてくる。門の内側に入った為、葵たちからその様子は見えないが、酒を飲むことを頑なに拒否していることが伝わってくる。

 

「もののふは 酒をあおりて 強くなる」

 

「な、なんだと⁉」

 

「細かなこと 気に留めぬのが 男かな」

 

「ぬ、ぬう……」

 

「……これは藍色の髪の彼女、いや、彼の言葉かしら?」

 

 紅の質問に葵が頷く。

 

「そう。藍袋座一超(らんていざいっちょう)くん」

 

「有名な俳人でもありますよね? 女装に抵抗はされなかったのですか?」

 

「うん。最初は戸惑っていたようだけど、『何事も 経験せねば 道半ば』って言ってね。あ、何でも五七五調で話す、ちょっと変わった子なんだけど」

 

「ちょっとじゃなくて大分変わっているわね……」

 

「女装の道は進まなくても良いと思うが……」

 

 紅と猛時が揃って呆れ気味の声を上げる。

 

「な、なぜだかそなたの言葉には妙な説得力が感じられる……え、え~い!」

 

「おい、お前だけ先に飲むなよ! 俺らも飲むぞ!」

 

 それからしばらくして、葵の端末に小霧の呆れたような言葉が聞こえてくる。

 

「もしもし、若下野さん? こちら高島津。四人の警備兵さんがスヤスヤと眠りについていらっしゃいますわ」

 

「良かった! 作戦は成功だね!」

 

「お酒に睡眠薬を仕込んでいたのね!」

 

「古典的だが、効果的な手法だ」

 

 紅たちが感心する。

 

「第二段階、『美を(かざ)す』作戦成功だよ!」

 

「ではあの警備がいなくなった出入り口から一気に突入ね!」

 

「う、うん!」

 

 紅が勢い良く御所に突っ込んでいく。

 

「ああ、クレちゃん、ちょっと待って!」

 

「全く、迅速果断も考えようだな!」

 

 葵と猛時が慌てて紅のあとに続く。



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赤と黒と青が武を示す

「さて、首謀者たちはどこにいるかしらね……」

 

 立ち止まった紅が周囲を見渡しながら考え込む。

 

「恐らくは奥の間にいると思うが……」

 

「ならば、こっちを通れば近道ね!」

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 再び走り出そうとする紅を猛時が呼び止める。

 

「何よ?」

 

「このままでは中庭を突っ切る形になるぞ! 一気に包囲される可能性もある! 今更だがもう少し慎重に動くべきだ!」

 

「大丈夫だよ、そのまま進んでも」

 

 葵の言葉に猛時が振り返る。

 

「何を根拠にそのようなことをおっしゃるのですか⁉」

 

「作戦の第三段階に入ったとサワっちから連絡が入ったからね」

 

「伊達仁殿から……?」

 

 その時、呻くような叫び声が聞こえてきた。

 

「中庭から⁉ 行ってみるわよ!」

 

「だ、だから待てと……ええいっ!」

 

 走り出す紅に猛時と葵が続く。やや広い中庭に着くとそこには落ちた薙刀の近くに女性が倒れ込んでおり、その近くに爽が立っていた。葵が声を掛ける。

 

「サワっち!」

 

「! 葵様! この辺りは制圧しました。乱の首謀者たちはこの先にいる模様です!」

 

「やっぱり奥の間ね! 私たちの遊び場、返してもらうわよ!」

 

「仕事場だ、仕事場!」

 

 勇み立つ紅を猛時が落ち着かせようとする。

 

「ふふふ……飛んで火に入るなんとやらだな」

 

「誰⁉」

 

「ネズミが騒いでいるかと思ったら、上様でしたとは……いや、元、上様ですかね?」

 

 五人の大柄な男たちが中庭に姿を現す。紅が叫ぶ。

 

「何者⁉」

 

「我らは『新鎌倉四天王』‼」

 

「五人いるけど⁉」

 

 葵が思わず突っ込みを入れる。五人の男たちはお互いの顔を見合わせる。しばらく間を置いて、五人の内の真ん中に立つ男が叫ぶ。

 

「我ら、『新鎌倉暫定的四天王』‼」

 

「言い直した⁉」

 

「ざ、暫定的ですって⁉」

 

「え、驚くとこそこなの⁉」

 

 葵が紅の反応に戸惑う。確定していない四天王が不敵に笑う。

 

「人数的にも我らが一人多い。ここは大人しく降参した方が身の為ですぞ」

 

「くっ……」

 

「悪りい! 遅くなった!」

 

「上様! ご無事ですか⁉」

 

「⁉」

 

 赤毛の少年と黒髪の男が中庭に勢い良く駆け込んできた。その後をゆっくりと青髪の男性が歩いてくる。青髪の男性は良く通る声で告げる。

 

「この御所を占拠している不届き者たちはあらかた片付けた! 後はそなたらだけだ!」

 

「な、なんだと⁉」

 

「……こちらは三人増えた。人数的には逆転だな?」

 

 猛時が笑みを浮かべる。四天王の中心人物が叫ぶ。

 

「ふ、ふん! なんのなんの! 我らは武芸に長じた者たち、いわば精鋭集団! 貴様らなんぞ恐るるに足りんわ!」

 

「まずは柔術が得意な我が参る!」

 

 四天王の内の一人が爽に猛然と掴みかかる。葵が叫ぶ。

 

「サワっち!」

 

「悪く思うなよ、女! 少し痛い目を見てもらっ⁉」

 

 次の瞬間、男の体が一回転して地面に激しく叩き付けられる。男は呻く。

 

「ぐおっ……」

 

「わたくし生憎未熟者故、加減が上手く出来ませんでした。悪く思わないで下さい」

 

「へえ、やるわね。合気道かしら、見事だわ」

 

「……恐れ入ります」

 

 感心した様子の紅に爽が頭を下げる。

 

「柔術の! おのれ! 次は某が!」

 

 甲冑に身を包んだ男が前に進み出てくる。

 

「……オイラにやらせてくれ」

 

 赤髪の少年がゆっくりと前に出る。甲冑の男が叫ぶ。

 

「某は武術の達人! この目にも留まらぬ連撃を躱せるかな! ……な、何⁉」

 

 赤髪の少年は甲冑男の繰り出す攻撃を全て躱してみせ、静かに呟く。

 

「次はオイラの番だな……」

 

「ふ、ふん、素手でこの甲冑に身を包んだ某に痛撃を与えられるものか! ……⁉」

 

 甲冑男は驚愕する。赤髪の少年の拳が自身の甲冑の一部を砕いていたからである。

 

「そ、そんな……」

 

 甲冑男は信じられないといった様子で崩れ落ちる。

 

「火事場の馬鹿力ってやつだ。女に手を上げるような汚え真似をしやがったからオイラの怒りに火が点いちまったんだ……火の用心だぜ……」

 

「彼は空手家か何かかしら?」

 

赤宿進之助(あかすきしんのすけ)、火消しを目指しているの。只の喧嘩好きよ」

 

「火消しで喧嘩好きって、また忙しないわね……」

 

 葵の説明に紅は呆れ気味に呟く。

 

「武術の! 続いては弓術名人の自分が!」

 

 軽装の男が距離を取って弓を構え、叫びながら矢を三本程放つ。

 

「矢尻は柔らかくしてあるが、当たれば痛いぞ! ⁉」

 

「当たれば、な」

 

 黒髪の男が放たれた矢を軽々と躱し、軽装の男の背後に立つと、その首筋にそっと苦無を突き付ける。

 

「悪いがこちらは苦無の先端を丸めるというような人道的配慮は一切していない。育ちが悪いものでな……大人しく弓矢を捨てろ」

 

 軽装の男は震えながら弓矢を投げ捨てて、両手を上げる。葵が紅に紹介しようとする。

 

「彼は黒駆秀吾郎(くろがけしゅうごろう)、えっと……」

 

「う、上様!」

 

 秀吾郎が葵に目配せする。己のことは秘密にするのが大江戸城御庭番の隠密である彼に課せられた掟なのである。

 

「ま、まあ、察してくれる?」

 

「……忍者ね」

 

「ああ、紛うことなき忍者だな」

 

 紅と猛時は小声でささやき合う。

 

「弓術の! ならば剣術が達者な拙者が!」

 

 四天王の中心人物の男が木刀を持って、同様に木刀を持つ青髪の男性に斬りかかる。

 

「先手必勝! ⁉」

 

「……鎌倉武士の腕前は如何程のものかと期待したが、少々期待外れだったな!」

 

 四天王の中心人物は木刀を落として、力なく倒れ込む。青髪の男性が恐るべき速さで胴に木刀を撃ち込んだからである。猛時が話しかける。

 

青臨大和(せいりんやまと)殿、噂以上の実力ですね。しかし、こんな俗物で鎌倉武士の力量を見極めたつもりになってもらっては困る……」

 

「ほう! であれば貴殿がお相手下さるか!」

 

 大和が嬉しそうな声を上げる。葵が注意する。

 

「ちょ、ちょっと、今はそんな場合じゃないから!」

 

「剣術の! ま、まだ棒術自慢の俺がいる!」

 

 五人いる四天王の最後の一人の男が余所見をしていた葵に襲い掛かる。

 

「⁉」

 

「葵様!」

 

 爽が地面に転がっている薙刀を拾い、葵に向かって投げる。

 

「⁉ ぬおっ……」

 

 男が唸る。薙刀を受け取った葵が、柄の部分を使って、棒を叩き落とし、続け様に薙刀の切っ先を男の鼻先に突き付けたのである。

 

「遅い……踏み込みが甘いわね」

 

「くっ……」

 

 男は棒を手放してうな垂れる。葵が薙刀を下ろし、笑顔で紅たちに語り掛ける。

 

「これで第三段階、『武を示す』作戦成功だよ!」

 

「全ての段階を完了したのね……」

 

「うん!『場美武(ばびぶ)』大作戦大成功!」

 

「……べぼは?」

 

「え?」

 

「いや、ばびぶと来たらべぼでしょ」

 

「そこは別にどうでもいいだろう!」

 

 紅の指摘に猛時が声を上げる。

 

「ご、ごめん、そこまでは考えていなかったよ、申し訳ない……」

 

「謝る必要はどこにもございませんよ⁉」

 

「……『美美出場美出武宇(びびでばびでぶう)』大作戦はどうかしら?」

 

「それ、良いかも!」

 

「二人だけで共感し合うな!」

 

 猛時が一際大きな声を上げる。



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約束

「どうもありがとう、葵っち。お陰で御所を取り戻すことが出来たわ」

 

「そんな……大したことはしていないよ」

 

 葵たちの活躍により難敵?四天王を退け、その勢いのままに紅と猛時は乱の首謀者たち、反対勢力のリーダー格たちを一気に取り押さえ、政変を阻止することに成功した。

 

「上様、若下野様、伊達仁殿以外の皆さんもご紹介させて頂ければと思います。作戦開始前はと色々バタバタしておりましたので……」

 

「そうね、折角だから一人一人にお礼を言いたいわ」

 

 御所で一番広い部屋である大広間の上座に紅が、その脇に葵と猛時が座り、爽ら将愉会の面々が、紅に向かい合うように着座する。

 

「まずは作戦の第一段階を担って下さった方々……大毛利景元殿」

 

「色々な意味で体を張ってくれたわね、どうもありがとう」

 

「勿体ないお言葉でございます……」

 

 景元はパンチパーマの頭を恭しく下げた。

 

「お隣が橙谷弾七殿」

 

「ありがとう。風景画が得意だという話は聞いているわ。鎌倉にも美しい景色が沢山あるのよ。画題に取り上げてもらったら鎌倉の地を愛する者としてもとっても嬉しいわ」

 

「そうですね……また機会があれば、是非」

 

「ところで……彼のパンチパーマを見て、着想は浮かんだの?」

 

「いいえ、それが全く」

 

「ちょっと待て! じゃあ僕は一体何の為に……!」

 

 景元は横の弾七に抗議する。

 

「その……なんだ、あんまり細かいことは気にすんな」

 

「気にするだろう!」

 

 爽が咳払いをした為、景元は黙った。猛時が紹介を続ける。

 

「そのお隣が黄葉原北斗殿」

 

「どうもありがとう。動画配信というのも色々大変だとは聞くのだけど、実際の所どうなのかしら?」

 

「いや~これがどうしてなかなか骨が折れますよ。苦労して撮影して、凝りに凝った編集をした動画でも、案外再生数が伸びなかったりしますし……そうだ! 公方さまに動画ご出演お願い出来ません? うちの上様との対談なんてどうでしょう」

 

「あ、兄上! あまりにも無礼が過ぎますよ!」

 

 隣に座る南武が慌てて北斗をたしなめる。

 

「え~美人同士、絶対バズると思うんだけどな~」

 

 紅は笑って答える。

 

「そうね、考えておくわ」

 

「おっ、話が分かる~♪ 言ってみるもんだね」

 

「またそうやって安請け合いをなさる……お隣は黄葉原南武殿」

 

「どうもありがとう。今日は撮影に行司にご苦労様。双子で町奉行を務めているなんて、ご家族もさぞかし鼻が高いでしょうね」

 

「い、いえいえ! まだまだ至らぬ所ばかりでございます! ありがたき御言葉を胸に今後も精進して参ります!」

 

 南武は勢い良く頭を下げる。

 

「続いては作戦の第二段階を担った方々……高島津小霧殿」

 

「罠にかける為相手に近づく危険な任務……よくこなしてくれたわね。その勇敢な姿勢に敬意を表するわ。ありがとう」

 

「お褒めに預かり光栄です。ですが、これくらいはお茶の子さいさいというやつですわ」

 

「ふふっ、頼もしいことね」

 

「お隣は涼紫獅源殿」

 

「ありがとう。当代きっての歌舞伎役者のお芝居、実に見事だったわ。今度は是非お金を払って見たいものね」

 

「本当に勿体ないお言葉でございます……特別良い席をご用意してお待ちしております」

 

「お隣は新緑光太殿」

 

「先生、どうもありがとうございます。御化粧と御着物姿、よくお似合いでしたよ?」

 

「お戯れを……出来れば直ちにお忘れになって頂きたいです。もう二度と致しません」

 

「そうですか? 勿体ないですね」

 

「アタシの端末で写真を撮りました。良かったら画像をお送りします」

 

「! いつの間に……! 消去して下さい!」

 

 光太が隣の獅源を睨みつける。獅源は口元に手を当てて笑う。

 

「そのお隣が藍袋座一超殿」

 

「どうもありがとう。女装という稀有な経験は俳句に活かせそうかしら?」

 

「その答え 今後の句にて 示すのみ」

 

「え?」

 

「今後の活動にご期待下さいって」

 

 葵が補足する。

 

「そ、そう……さっき絵師の先生にも言ったけど、鎌倉は良い土地よ。また是非句を詠みに足を運んでくれると嬉しいわ」

 

「気が乗れば いざ鎌倉へ 馳せ参じ」

 

「ん?」

 

「その時はお言葉に甘えてお邪魔しますだって」

 

「そ、そうなの……っていうかよく分かるわね、葵っち……」

 

「最後に作戦の第三段階を担ってくれた方々……青臨大和殿」

 

「必要以上に相手を傷付けない戦いぶり……お見事だったわ。本当にありがとう」

 

「他ならぬ鎌倉の公方さまからなんと勿体ないお言葉! 今後も慢心せずに励みます!」

 

「ただ……猛時も言ったけど、今日倒した連中が鎌倉武士の全てだとは思わないでね?」

 

「分かりました! 縁あれば、是非とも鎌倉の腕自慢とお手合わせ願いたいものです!」

 

「お隣は黒駆秀吾郎殿」

 

「ありがとう。滅多に見られないものを見せてもらって、得をした気分よ」

 

「恐れ多いことでございます……特段変わったことをしたつもりはありませんが」

 

「まあ、そういうことにしておこうかしらね」

 

「? おっしゃる意味が分かりかねます」

 

 あくまでもとぼけた振りをする秀吾郎を見て、紅は苦笑する。

 

「お隣は赤宿進之助殿」

 

「どうもありがとう。拳は大丈夫?」

 

「喧嘩に多少の怪我は付き物! なんてことはねえ! ……です!」

 

「人々の安全を守る火消しを目指す志、立派なものよ。大事にしてね」

 

「おうよ! っと、そうじゃなくて、ええと……畏まり仕ったでごぜえます!」

 

「……ご紹介は以上になります」

 

 改めての顔合わせが済んだ小一時間後、御所の門前に葵を始め、将愉会の皆が並ぶ。

 

「もう日も暮れたし、泊まっていったら良いのに」

 

「いやいやご挨拶に伺っただけだから……今日の所はこれで失礼するよ」

 

「ゴメンね、せめて駅までお見送りしたいんだけど、色々とまだやることがあって……」

 

「全然大丈夫! 気にしないで」

 

 葵はそう言って笑う。紅も微笑む。

 

「お礼の方は詳細が決まり次第改めて……伊達仁さんにメールすれば良いかしら?」

 

「お二方でやり取り頂いても構いませんが……そうですね、わたくしに連絡頂ければ」

 

 紅の問いに爽が頷く。紅は葵の方に向き直る。

 

「今日は会えて良かったわ。葵っち。今後もお互い征夷大将軍、頑張りましょうね」

 

「私も! 絶対また会おうね、クレちゃん!」

 

「そうね、貴女が困ったことがあったら、今度は私が助けるわ、約束よ」

 

 葵と紅は互いに手を振って別れた。大江戸幕府第二十五代将軍若下野葵は将愉会の個性的なメンバーを引き連れて、その場から去って行く。その様子を見守る良鎌倉幕府第四十五代将軍、真坂野紅にも頼れる仲間、色男たちがいる。ただ、それはまた別のお話……。



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勝手に盛り上がる面々

                     弐

 

「お昼休み中にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」

 

「い、いや、別にそれは良いんだけどよ……」

 

 夏休みを前にしたある日のこと、爽から呼び出された進之助は怪訝そうな表情で、将愉会の教室に入ってきた。既に八人が席に着いている。

 

「さあ、赤宿くんもどうぞお座り下さい」

 

「あ、ああ……」

 

 進之助が席に着くのを見て、爽も向かい合わせになった長机の真ん中の席に座る。左右に座る会員たちを見渡せる位置である。

 

「これで全員揃いましたね」

 

「高島津様と大毛利様は?」

 

「お二人は呼んでいません」

 

「上様は?」

 

「お呼びしておりません」

 

 秀吾郎と南武の問いに、爽は首を振りながら答える。

 

「我々だけとは解せない話ですね……」

 

 光太が眼鏡を直しながら呟く。

 

「むしろ皆様のみに関わる話ですので」

 

「アタシらのみ?」

 

 獅源が両手をわざとらしく広げる。

 

「上様が御不在とは、さして重要な話ではないということであろうか!」

 

「いえ、ある意味重要です……皆様にとってはですが」

 

 大和の言葉を爽は否定する。北斗が首を傾げる。

 

「俺らにとって?」

 

「不可解な 早く求むる 本題を」

 

「お、今の句は分かったぜ。爽ちゃんよ、勿体つけずにさっさと教えてくれよ」

 

 答えを急かす一超に弾七が同意する。九人の注目が改めて爽に集まる。爽は両肘を机に付き、両手を顔の前で組んで、ゆっくりと話し始める。

 

「本日の朝、鎌倉の公方様からわたくしにメールが届きました……内容は先日おっしゃっていたお礼の件の詳細に関してです」

 

「へえ……本当にお礼を下さるんだねえ……」

 

 獅源が感心する。

 

「なにくれんの? お金?」

 

「あ、兄上! あまりにストレート過ぎます!」

 

 北斗の素直過ぎる物言いを南武がたしなめる。

 

「金銭の授受ということになれば、いささか手続きが面倒ですね……」

 

 勘定奉行である光太が軽く溜息を突く。爽が首を振る。

 

「いいえ、お金ではありません」

 

「ならば刀剣か! 鎌倉武士の棟梁から拝領するのはこの上ない誉れ!」

 

「んなもん喜ぶのはお前さんくらいだ」

 

 興奮する大和に弾七が冷ややかな視線を向ける。

 

「じゃあ食いもんか⁉」

 

「悪くなし されど我らの 集う意味」

 

 進之助の発言に一超は首を捻る。

 

「皆さん、落ち着いて下さい。伊達仁様、続きをお願いします」

 

 秀吾郎が話の続きを促す。

 

「良鎌倉幕府は、江の島にプライベートビーチを所有しているそうです。そこまで広いわけではないようですが」

 

「ほう、プライベートビーチ……それで?」

 

 弾七が顎に手をやりながら尋ねる。

 

「良鎌倉幕府関係者の保養がそのビーチの本来の使用目的である為、なかなか調整が難しかったようなのですが、この度一日だけ、それも当学園の夏合宿の最終日翌日に、二名のみに貸し出して下さるそうです」

 

「「「「「「「「「‼」」」」」」」」」

 

 爽の説明に、九人の目の色が変わる。爽がそれに気づかぬ振りをして淡々と続ける。

 

「二人の内、一人は当然葵様です。もう一人は……」

 

「あ~分かった! みなまで言うな、爽ちゃん!」

 

 弾七が手を挙げながら立ち、爽の説明を止める。そして、他の八人を見渡して尋ねる。

 

「さて、どうやって決める?」

 

「俺らはあくまで学生なんだから、学力テストで決めようぜ」

 

「あ、兄上! 珍しく良いことをおっしゃる!」

 

「却下だな」

 

「なんでよ、弾七ちゃん~」

 

「それじゃ新緑先生が混ざれないじゃねえか。公平とは言えねえよ」

 

「……では公平な手段は?」

 

 光太が尋ねる。弾七の代わりに大和が立ち上がって口を開く。

 

「やはり、男児たるもの! ここは相撲で力比べしかあるまい!」

 

「却下、却下、それこそ不公平ってもんでしょうが」

 

 獅源が大袈裟に手を左右に振って反対する。

 

「腕相撲ならどうでしょう?」

 

「却下。それも同じことでしょう」

 

「で、では間をとって指相撲は如何でしょうか?」

 

「それも却下。なんの間ですか……」

 

 秀吾郎の提案を獅源はため息まじりに否定する。

 

「相撲への 熱き拘り なんなのか」

 

 一超が誰ともなく呟く。北斗が両手を頭の後ろで組んで声を上げる。

 

「じゃあ、くじ引きは? それなら平等じゃない?」

 

「あ、兄上、た、確かにそれも良いかもしれませんね!」

 

「うむ! 運も実力の内と言うしな!」

 

「私は反対ですね、誰がくじを用意するのですか?」

 

 光太が眼鏡をクイッっと上げて呟く。

 

「……お前さんたち、大事なものを見失ってねえかい?」

 

 ゆっくりと立ち上がり、口を開いた進之助に皆の注目が集まる。弾七が尋ねる。

 

「大事なもの?」

 

「おうよ! 俺らの想いは学力テストや力比べ、はたまた運試しなんかで左右されちまう程度のもんだったのかい⁉ 違うだろう!」

 

「……ではどうすれば?」

 

 光太の問いに、進之助は右の拳で自らの左胸をドンと叩く。

 

「心で勝負するんだよ! 夏合宿の期間中に、アイツの心を掴んだやつが勝ちだ!」

 

「き、基準が少々曖昧ではないでしょうか?」

 

「そこで厳正かつ公平な審判を伊達仁の姉ちゃんにお願いするんだよ!」

 

 南武の疑問に対し、進之助が爽を指し示す。弾七が頷く。

 

「成程な……各々、どれ位好感度が高まったかを客観的に判断してもらうってわけか」

 

「公正さ 保てる差配 悪くなし」

 

 一超も深々と頷く。進之助が皆に尋ねる。

 

「勝負は夏の一週間! 誰が勝っても恨みっこなしだ! これでどうだい⁉」

 

「「「「「「「異議なし!」」」」」」」

 

 七人が声を揃えて、進之助に賛同する。一超も改めて深々と頷いて賛意を示す。

 

「伊達仁の姉ちゃん! それじゃあ、そういうことで宜しく!」

 

 昼休み終了の予鈴が鳴った為、皆教室から出ていく。一人残された爽は組んでいた両手をゆっくりとほどき、窓の外の青空を見上げながら呟く。

 

「わたくし、別に何も言っていないのですが……夏合宿、退屈しないで済みそうですね」



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夏合宿への下準備~学力編~

「ということでここにやって来たわけだが……」

 

 放課後、図書室の席に座る弾七が口を開く。

 

「うむ! 頼み込まれて足を運んだわけだが……絵師殿! これはどういうことか!」

 

 大和が叫ぶ。あまりの大声に周囲の学生の視線が集中する。弾七が慌てる。

 

「馬鹿! 声がでけえよ! ボリューム落とせ!」

 

「む! これは失敬! 気を付ける!」

 

「まだでけえよ!」

 

 注意する弾七の声も大きくなる。周囲からの視線がまた集中する。

 

「あ……す、すまねえ……」

 

 弾七が周りに向かって、軽く頭を下げる。

 

「我々を 呼び出した訳 お教えを」

 

 一超が口を開く。弾七が両手をポンと叩く。

 

「そう、三人に来てもらったのは他でもねえ。俺に勉強を教えて欲しいんだ!」

 

「勉学の為?」

 

「ああ、恥ずかしながら、俺はいわゆる成績不振者だ」

 

 弾七は何故かちょっと誇らしげになる。大和が困惑する。

 

「胸を張るところではないと思うが……」

 

「このままだと夏合宿も大半が補習に時間を取られちまう。一度しかない高三の夏、それではあまりにも勿体ないってもんだ」

 

「一度か 三度の夏と 聞き及ぶ」

 

 一超が目を細めながら呟く。

 

「トリプってるから三度目だけどよ……この際それは良いんだよ。問題は補習の方式だ」

 

「方式?」

 

 大和が首を捻る。

 

「そうだ、ある筋から仕入れた情報によると、この夏合宿の補習は初日か二日目に抜き打ちでテストを行うらしい。そのテストで合格点を出せば、後は補習を受けなくても良いって方式になっているんだ」

 

「ふむ……」

 

「つまりだ。それだけ自由時間が増えるってことになるんだよ!」

 

 そう言って、弾七がテーブルをバンと叩く。周囲の視線が三度集中する。

 

「あ、し、失礼……」

 

 弾七が慌てて頭を下げる。一超が頷きながら呟く。

 

「あの方と 接する時間が 増えるやも」

 

「そういうことだよ」

 

「成程、要は我らから勉学について教えを受け、テストで良い点を取ろうということだな?」

 

「ああ、そうだ」

 

「それは……我らにとっては敵に塩を送る行為になるのではないか?」

 

「だから、そこを曲げて頼む! お前らにも何らかの形で借りは返す! ここは一つ共同戦線と行こうじゃないか」

 

「ううむ……」

 

「見返りの 保障をまずは 求めたい」

 

 一超の言葉に弾七は頷く。

 

「まあ、当然そうなるわな……俺は江の島については結構詳しいつもりだ。女受けのよさそうな見映えの良い穴場スポットもいくつか知っている。そこの情報を教えるっていうのでどうだ?」

 

「ほう……それは興味深い!」

 

「悪くなし 一先ずそれで 手を打とう」

 

 大和と一超は弾七の提案に乗り気になる。

 

「よし、交渉成立だな」

 

「では、絵師殿、我らに教わりたいこととは?」

 

「ああ、これだ」

 

「「‼」」

 

 弾七が数学の教科書を机の上に置く。大和と一超の顔が曇る。

 

「ど、どうしたよ、揃ってその顔は?」

 

「某、文武両道を志しているつもりだが……数学だけはどうにも……」

 

「ええ⁉ 苦手なのかよ⁉ 句聖はどうだい?」

 

「数字見て 眠り入ること いと多し」

 

 一超は目を閉じて首を横に振る。

 

「なんてこった……爽ちゃんはどうだい?」

 

 同じテーブルで静かに本を読んでいた爽は本を閉じて答える。

 

「この度、わたくしは厳正かつ公平な審判という大役を仰せつかったので……特定の方に肩入れするようなことは出来ません」

 

「そ、そんな……」

 

「さっきから何を馬鹿騒ぎしている」

 

 弾七が視線を向けると、そこには二年い組のクラス長、氷戸光ノ丸と彼の秘書である風見絹代(かざみきぬよ)の姿があった。弾七がすがりつく。

 

「こうなったらアンタでも良い! 俺に数学を教えてくれ!」

 

「す、数学だと⁉」

 

「そうだ、優等生のアンタなら、教え方も上手いだろ?」

 

「い、いや、それは……」

 

「殿は昔から数学だけは大の苦手です。今回の合宿も補習を受けることになっています」

 

「き、絹代! それを言うな!」

 

「どうせ明らかになることですから」

 

 絹代は淡々と話す。弾七は一瞬頭を抱えるが、すぐに気を取り直す。

 

「おかっぱ頭の貴女はどうなんだい?」

 

「……僭越ながら私が殿にお教えしようとここに参った次第です」

 

「そうか! それなら俺らにも教えてくれないか?」

 

「な、なんでそうなる⁉」

 

「頼む! 協力してくれたら殿の肖像画と貴女の美人画を描いても良い! 格安で!」

 

 弾七は光ノ丸を無視して、絹代に向かって手を合わせる。

 

「殿の肖像画は心底どうでもいいですが……私の絵を描いて下さるのですか……」

 

 絹代は右手を顎に当てて暫し考え、頷く。

 

「……分かりました。微力ながら力になりましょう」

 

「あ、ありがとう、恩に着る!」

 

「但し、スパルタ方針でいきますよ……」

 

「望むところだ!」

 

「良い心がけです……殿、こちらにお座り下さい」

 

「なにか色々と釈然としないが……まあいい」

 

「では参ります……第一問……」

 

「「「「zzz……」」」」

 

 問題文を読み始めると四人が一斉に眠りについた。それを見た絹代は懐から取り出したハリセンで四人の頭を思いっきり引っぱたいた。

 

「な、何だ⁉」

 

「き、絹代……貴様、余の頭を……」

 

「反応出来なかった! 見事な早業だ!」

 

「その刹那 頭に火花 走るかな」

 

「では、続けます……」

 

 周囲の視線が突き刺さる中、即席の勉強会は続く。

 

「別に青臨さんと藍袋座さんは受けなくても良いのでは? 面白いから良いですが」

 

 そんな様子を眺めながら爽が静かに呟く。



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夏合宿への下準備~筋力編~

「ふう……露骨な尾行はもう結構ですよ」

 

 光太が振り向いて暗がりの二つの人影に向かって話しかける。人影の内の小柄な方がビクッとなって、おずおずと姿を現す。黄葉原南武であった。

 

「やはり……バレてしまいましたか……」

 

「当然です。気が付かない方がおかしい……貴方がついていながら随分と程度の低い尾行だったのではありませんか?」

 

 光太は大柄な影に話しかける。暗がりから黒駆秀吾郎がゆっくりとその姿を現す。

 

「むしろ早く気が付いて欲しかったのです」

 

「……何ですって?」

 

 秀吾郎の予期せぬ返答を受け光太が眉をひそめる。そして、別の通りから一人の男が駆け込んできて、光太の前で土下座せんばかりの勢いで膝を突いた。冷静な光太もこれには少し驚いた。すぐに落ち着きを取り戻し、その土下座の主を確認する。

 

「……大毛利君ではないですか、どうしたのですか?」

 

 ここまで走ってきたのか、景元は息切れ状態である。何度か深呼吸をして、改めて、光太に向かって頭を下げる。

 

「強くしなやかな肉体を手に入れたいのです! ヒョロガリな姿をどうしても見せたくない人がいるのです!」

 

 光太と秀吾郎と南武は揃って、小霧の顔を思い浮かべる。光太が首を捻る。

 

「私に頼むのはお門違いでは? それこそこちらの黒駆君でもいいでしょう?」

 

 景元は頭を上げて首を激しく左右に振る。

 

「僕は先生のような細マッチョが理想なのです! 先生に近づくには、先生のよく利用されている女人禁制のトレーニングジム! 『筋肉達磨』への入会を……」

 

「あ~~! 一体何の話をしているのか、さっぱり分かりませんね!」

 

 光太は平静を装いながら答えるが、眼鏡の蔓を抑えている指が小刻みに震えている。

 

「先生、調べは完全についています。これ以上の誤魔化しは無駄です。秘密を更に公にされたくなければ、大毛利様と南武殿、そして俺の入会を紹介して下さいませんか」

 

「……黄葉原君は何の為に?」

 

 光太は尋ねる。

 

「体力を増強し、夏合宿の“特別指定強化訓練”を難なく突破したいのです。正直、何をやらされるのか、皆目見当もつきませんが……」

 

「訓練で課せられたメニューを早く消化すれば、その分上様と過ごす時間も増えるかもしれない……そういう企みですか」

 

 光太の眼鏡がキラッと光る。南武は思わず目を背ける、

 

「黒駆君は?」

 

「自分は純粋に興味です。大江戸城下でも屈指のトレーニング環境とのこと。鍛え上げて強くなれば、困難なお役目も果たせるようになるというものです」

 

「なるほど……しかし、それでは私にあまり得がありませんね……」

 

 光太が顎に手をやる。秀吾郎が口を開く。

 

「事が全て上手く運んだ暁にはお礼として、世にも珍しい合体忍術をご披露致しましょう……南武殿と北斗殿が」

 

「ええっ⁉ 僕と兄上がですか⁉」

 

 南武は驚いて秀吾郎の方に振り返る。秀吾郎は小声で囁く。

 

「基本的に我々は他人にいたずらに術を見せることは憚られますので、代わりに……」

 

「それで何故僕らになるのですか⁉」

 

「それは……なかなか興味深いですね」

 

「興味抱いちゃった⁉」

 

 うんうんと頷く光太に対して南武が戸惑う。

 

「良いでしょう、三人をジムに御紹介致します」

 

 手続きを終え、光太に続き、三人はジムの中に入る。

 

「あ……ごく普通のジムなんですね」

 

「なんだと思っていたのですか……それでは、大毛利君は私と同様のメニューを消化してもらいましょうか。もっとも初めてですから、負荷は軽めにですが」

 

「先生と同じ負荷で構いません!」

 

「無茶はいけません。マッチョは一日にしてならずですよ」

 

 気が逸る景元を光太が諭す。秀吾郎が南武に話しかける。

 

「では、我々は『怒気! マッチョへの道! ショートカット版』をこなすとしますか」

 

「ちょっと待って下さい! 今の先生の言葉聞いていました⁉ 僕も無難に初心者用のトレーニングメニューから始めたいのですが⁉」

 

「しかし、合体忍術を披露するにはあまり悠長なことは言っていられません」

 

「披露するのは決定事項なんですか⁉」

 

「他の会員の迷惑になるぜ。騒ぎたいなら余所へ行きな」

 

 四人が声のする方に振り返ると、二年は組のクラス長、日比野飛虎と副クラス長であり、飛虎の親友である神谷龍臣(かみやたつおみ)の姿がそこにはあった。

 

「は組のお二人……このような場所でお会いするとは、やはりそういうご趣味が……」

 

「ち、違う! 女人禁制はあくまでもオーナーの意向だ。会員には関係ない」

 

 秀吾郎の言葉を飛虎が即座に否定する。光太が同意の意を示すように頷く。

 

「まあ、確かにお前らとこんな所で出会うとは意外だったな。どれどれ……はんっ、どんなメニューをこなすのかと思えば、しょぼいメニューだな」

 

「!」

 

「これ位のメニューで満足するようじゃ、将愉会の程度も知れるというものだな」

 

「聞き捨てなりませんね……」

 

 飛虎の煽るような物言いに秀吾郎と光太の目の色が変わる。

 

「気に障ったか? それならどうだ、勝負でもしないか?」

 

「勝負?」

 

「ああ、バーベルスクワッドだ。80㎏のバーベルを三分間で何回持ち上げられるか、その回数を競うんだ」

 

 そう言って飛虎は器具を指し示す。

 

「面白い」

 

「受けて立ちましょう」

 

 秀吾郎と光太が飛虎の誘いに乗った。

 

「そうこなくちゃな、よし、各々準備しな」

 

「盛り上がってきたな、飛虎。あの日の勝負を思い出すぜ!」

 

「こういう勝負は初めてだが……龍臣、審判を頼む」

 

「ああ!」

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

 南武が心配そうに秀吾郎と光太に尋ねる。

 

「心配無用です」

 

「ええ、ここで逃げては将愉会の名折れというものです」

 

「は、はあ……」

 

 飛虎たち三人が横に並び、インストラクターがそれぞれ補助につき、龍臣が号令を掛ける。

 

「よし……スタート!」

 

 三人とも同じ位のハイペースで両肩に担いだバーベルを上げ下げする。

 

「す、凄い!」

 

「新緑先生はしなやかさ、黒駆はたくましさ、日比野は力強さを感じさせる! 三者三様の筋肉の躍動だ!」

 

 南武と景元が驚嘆する。勿論、三人とも決して無茶な動きはしていない。フォームを綺麗に保ちつつ、一定以上のスピードでバーベルを上下させている。

 

「新緑先生は一見、華奢に見える肉体に筋肉が詰み込まれている! そのしなやかな動きは全く無駄がない! 筋肉の筋一本一本までもが合理的だ! 流石は数学教師! まるで筋肉の因数分解だ!」

 

「大毛利さん?」

 

「黒駆も細身ではあるが、その肉体はまさに屈強という形容詞が相応しい! たくましい動きには隙が見られない! 身体の部位、一つ一つがさり気なく頑強さを主張している! 流石は腕利きの忍び! まるで忍法、筋肉ムキムキの術だ!」

 

「大毛利さん⁉」

 

「日比野もまた痩身だが、筋肉の塊だ! その力強さを感じさせる動きには弱みなど微塵も感じられない! 神経や細胞レベルに至るまで、精強そのものだ! 流石は一流の人気芸能人! まるで筋肉のアカデミー賞、グラミー賞、トニー賞の総なめだ!」

 

「大毛利さん‼」

 

 おかしな方向で興奮する景元を南武が必死で落ち着かせる。

 

「うおおおおっ! まさに筋肉の競演だ! あの眠れない夜が甦ってきたようだ! 俺も盛り上がってきたぜ!」

 

 龍臣が何故か脱ぎ出して、上半身裸になる。

 

「……どの夜が甦ったのかは分からんが、勝手にヒートアップするな、龍臣! しっかりとジャッジしろ!」

 

 飛虎がそんな龍臣をたしなめる。

 

「タイムアップだ! 勝者は……飛虎だ!」

 

 龍臣の宣告に飛虎が肩で激しく息をしながら、ガッツポーズを取る。いつの間にか周囲に集まってきたギャラリーが飛虎に対して惜しみない拍手を送る。

 

「ま、負けたのか……?」

 

「くっ……やりますね」

 

「へっ、どうだ? お二人さん、俺が本気を出せばこんなもんよ……」

 

 そこに二人のマッチョが拍手をしながら前に進み出てきた。

 

「素晴らしい勝負だった! ねえ、細田さん?」

 

「ええ、太田さん! 実に感動させられました!」

 

「貴方、あちらで我々と直に筋肉を触れさせ合って、対話しませんか!」

 

「それがいい! 是非そうしましょう!」

 

「えっ……い、いや、遠慮しておく」

 

「遠慮なさらず!」

 

「お前ら警備員だろう!」

 

「今日は非番です!」

 

「ちょ、ちょっと待て、引っ張るな! 龍臣、止めろ……って何故お前も乗り気なんだ⁉」

 

 飛虎がマッチョの群れに引きずり込まれていく。

 

「……何事もマイペースが一番です」

 

 光太の呟きに南武と景元はわけも分からないがとりあえずこくこくと頷いておいた。



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夏合宿への下準備~魅力編~

「……何を撮っているんだよ」

 

 進之助が自らに対して端末のカメラを向ける北斗にやや不機嫌そうな声を上げる。

 

「いや、なんか進ちゃんが面白そうなことを始めそうだなって思ってさ」

 

「別に面白いことは何も無えよ……」

 

「まあ、とにかくしばらく撮影はさせてもらうよ」

 

「……好きにしろよ。お前も呼び出した内の一人だからな」

 

「内の一人? ってことは他にも? あ……」

 

 北斗が進之助の視線の先を追うと、そこには獅源と小霧の姿があった。

 

「これはまた意外な組み合わせで……」

 

「ちょっと北斗さん! わたくしを映さないで下さる⁉」

 

「え~つれないことを言うね」

 

 小霧の言葉に北斗は唇を尖らせる。

 

「アタシは別に構いませんけどね」

 

「おお~流石は当代随一の人気役者! 器が違う! そのプライベートを収めた動画なんて、もう大バズり間違いなしだよ~」

 

「ふふっ、フアンの皆様に喜んで頂けるのなら何よりです」

 

 嬉しそうに弾む北斗の様子を見て、獅源は穏やかな微笑を浮かべる。小霧はそんな二人を無視して話を進める。

 

「それで? 赤宿くん、本日わたくしたちを呼び出したわけとは?」

 

「……ここだ」

 

 進之助が指し示す先には大型のショッピングビルがそびえ立っている。

 

「ん? 買い物かしら?」

 

「行けば分かる」

 

 進之助がビルに入っていく、三人もやや戸惑いながらその後に続く。そして、進之助はあるフロアで足を止める。

 

「ここだ……今日の目的は」

 

「へえ……」

 

「ほう……」

 

 そこまで意外というわけでもなかったのか、北斗と獅源はリアクションが今ひとつ薄かったが、小霧は露骨に戸惑ってみせた。

 

「って、だ、男性用水着売り場⁉ こ、こんな所にわたくしを連れてきて、一体どうするつもりなのですか⁉」

 

「おお~っ、小霧ちゃん、良いリアクションだね~バッチリだよ~」

 

「だから、わたくしは映さなくて結構!」

 

 笑いながらカメラを回す北斗の手を小霧は振り払おうとする。

 

「それで、ここにアタシらを呼んだ理由っていうのはなんなんです?」

 

 獅源が冷静に進之助に問う。進之助はためらいがちに口を開く。

 

「オ、オイラの水着選びを手伝って欲しいんだ!」

 

「え……?」

 

「承知しました」

 

「オッケー♪」

 

「えっ、戸惑いなし⁉」

 

 小霧は進之助の意外な提案をすんなりと受け入れる二人に驚く。

 

「じゃあ、そういうことで高島津の姉ちゃんも頼むぜ!」

 

「ちょ、ちょっと待った! 目的は何ですの⁉」

 

「目的って……野暮なこと聞くねえ……」

 

「大事なことでしょう⁉」

 

「魅力を高めたいんだよ、言わせんな」

 

「魅力……」

 

 小霧は葵のことをぼんやりと思い浮かべ、一応納得する。

 

「要は女子の気を引きたいと……」

 

「はっきり言っちまえばそうだな。それには女子の意見を聞くのが一番だ」

 

「わ、わたくしでよろしいんですの⁉」

 

「心配するな。他にも呼んである」

 

「他にも?」

 

「ちょっと憂? こんな所にわたくし用はなくってよ……って、赤毛の君⁉」

 

 そこに有備憂に連れられた五橋八千代が現れた。八千代は進之助の顔を見て固まる。

 

「おおっ、憂ちゃん! 悪いな、わざわざ呼び出して」

 

「別に構いませんが……」

 

「憂! 貴女、赤毛の君から名前で呼ばれるなんていつの間にそんな仲に⁉」

 

 八千代が憂の両肩をガッシリと掴んで揺らす。憂は面倒そうに答える。

 

「アルバイト先が一緒なだけです……! それ以上でもそれ以下でもありません!」

 

「っていうことは? 赤毛の兄さん、審査員が三人になるってことですか?」

 

「まあ、そういうことになるな」

 

 獅源の問いに進之助が頷く。

 

「じゃあ、アタシらも水着を試着しましょうか? 北斗ちゃん」

 

「ええっ⁉ なんでそうなるの⁉」

 

「まあまあ、折角の機会ですから♪」

 

「うわっ! わ、分かったよ! じゃあ、カメラ撮影宜しく!」

 

 獅源に試着室に連れていかれそうになった北斗は端末を憂に手渡した。

 

「わ、私が⁉ わ、分かりました」

 

「妙なことになりましたわね……」

 

 小霧が片手で頭を抑える。数分後、試着室の中から獅源が声を掛ける。

 

「お二人さん、準備は出来ましたか?」

 

「ああ」

 

「良いよ~」

 

「じゃあ、女子陣には講評をお願いしますよ……オープン!」

 

 試着室のカーテンが開き、水着姿の三人の男が立っていた。

 

「これは……シンプルなサーフパンツ型ですわね。北斗君、似合っていますわよ」

 

「ははっ、ありがとう♪ これは水陸両用だから普段履きも出来そうだよね」

 

 小霧の講評に北斗が素直に礼を言う。

 

「はう……赤毛の君の肉体をこんな間近で見られるなんて……ああ、あの六つに割れた腹筋の一つになりたい……」

 

「お、お嬢様! 水着の講評を!」

 

 憂が見当違いなことを言い出す八千代をたしなめる。

 

「まあ、無理もないさね……こんなに見事に鍛えられた肉体を目にしちゃ……」

 

「うおっ、お前さん、こっちに入ってくんない! ってか、体に触んな!」

 

 獅源が隣の試着室にいる進之助の体を撫で回す。

 

「はうあっ! 半裸の美青年が赤毛の君の肉体を綺麗な手であれこれと撫で回している⁉ ここはひょっとして天国⁉」

 

「お嬢様! 落ち着いて下さい!」

 

 憂が八千代の興奮を鎮めようとする。進之助が獅源の手を振り払ってカーテンを閉じる。

 

「つ、次の水着に行くぞ!」

 

 数分後、カーテンが開かれる。

 

「これは……ブーメランパンツというものですわね。より……なんと言いますか……男性らしさが強調されるというか……目のやり場に困ってしまいますわね……特に獅源さんがその恰好でいらっしゃると見てはいけないものを見ている気になるというか……」

 

「ふふっ、褒め言葉として受け取っておきますよ」

 

 顔を赤らめながら懸命に講評する小霧に獅源はウィンクする。

 

「ぶほあっ! そんな大胆にたくましい太ももを乱暴にさらけ出されると、こちらの心臓がどうにかなってしまいますわ! そ、それに鼠蹊部があらわになってしまっていますわ! それはいくらなんでもという話ですわ!」

 

「お嬢様! どうか落ち着いて下さい!」

 

「確かにこの太ももは危険さね……」

 

「おおいっ! だから触んなって!」

 

「はうあっ! 半裸の美男が赤毛の君の肉体をしなやかな指でムニュっと摘まんでいる⁉ ここがもしかして楽園⁉」

 

「お嬢様、気を確かに!」

 

「つ、次だ、次!」

 

 カーテンが閉じられて、数分後、開かれる。小霧が驚愕する。極端なまでのVネックのタイツで乳首と股間しか隠れていないという破廉恥な恰好だったからである。

 

「ど、どうでい……!」

 

 震えながら呟く進之助に小霧が突っ込む。

 

「そんな羞恥心にうち震えるくらいなら最初から着ないという選択肢を選びなさいよ!」

 

「こ、これもアイツの気を引く為だ!」

 

「別の意味で引きますわよ⁉」

 

「そんなことは無えはずだ……ってええっ⁉」

 

 進之助は驚く。両隣の獅源と北斗が普通の水着を着ていたからである。

 

「お、お前ら、何で着ていねえんだ⁉」

 

「いや、流石にそこまでは……人としての最低限の尊厳は保ちたいっていうか……」

 

「人間には恥じらいというものがありますよ」

 

「おめえが選んだんだろうが!」

 

「へぼあっ! そんなあられもない恰好を見せられたらこちらの身が保ちませんわ! 色々な所がはみ出してしまいそうでとても見ていられない! で、でも視線が勝手にそちらに釘づけになってしまいますわ!」

 

「お嬢様!」

 

「こういうのを着こなせるのも赤毛の兄さんくらいさね~」

 

「だ、だから触んな!」

 

「はうあっ! 半裸の美形が赤毛の君の肉体を艶やかな掌でベタベタと触っている⁉ 人類の理想郷はここにあったのですね⁉」

 

「お嬢様……」

 

 もはや諦めの境地に達した憂は静かに首を左右に振る。

 

「撮影どうもありがとう♪ いや~思っていたより良い画が撮れたな~」

 

 着替えを終えた北斗が端末を憂から受け取り、その場を去る。

 

「わたくしも失礼させて頂きますわ……」

 

 小霧も大騒ぎする進之助たちを置いて、その場からゆっくりと歩き去った。



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なんか雇ったって

「これは若下野さん、お忙しいところを大変恐縮です。どうぞお掛けになって下さい」

 

「いえ……」

 

 部屋に入った葵は軽く会釈をしながら、促されて席に座る。

 

「すみません、本来は私の方が伺わなくてはならないところをわざわざお越し頂いて……」

 

「それは構いません。生徒会長のもとに生徒が伺う方が自然なことですから」

 

「そう言って頂けると助かります」

 

 葵を上座に座らせ、自らは対面の席に座った右目に掛けた片眼鏡が特徴的なやや小柄な男性―――この大江戸城学園高等部の生徒会長、三年生の万城目安久(まきめやすひさ)は恐縮しながら頭を下げる。万城目は冷茶の入ったグラスを差し出しながら話し始める。

 

「最近の将愉会の活動は如何でしょうか?」

 

「お陰さまで概ね順調です」

 

「聞いた話によると、薙刀部の助っ人もされたとか」

 

「怪我人が何人か出て部員不足に陥り、このままでは大会に出ることが出来ないということでしたから……幸い私は経験者だったもので」

 

「かなりのご活躍だったとか」

 

「それ程のことではありません」

 

「対戦相手に征夷大将軍さまがおられるのは、周りもさぞ驚かれたことでしょう?」

 

「試合中は面や防具を着けますし、皆それぞれ自分やチームのことに集中しています。案外気が付かれないものですよ」

 

 葵が微笑む。

 

「そういうものですか」

 

「ええ」

 

「……会室として手配させて頂いた教室は手狭ではありませんか?」

 

「正直に言えば……会員も十人以上ですからね。ただ、毎日会員全員が揃うというわけではありませんので。活動場所も基本外になりますから、そこまで気にはしておりません」

 

「そうですか、もう少し広い教室などがあれば即手配する様にいたします。と、言いたいところなのですが、なにぶん生徒会というのもそこまで万能な組織ではありませんので……」

 

「いえいえ、本当にお気になさらず!」

 

 再び頭を下げる万城目に対し、葵は笑顔で手を左右に振った後、真顔になって尋ねる。

 

「それでお話というのは?」

 

「はい?」

 

「わざわざ呑気に世間話をするために私を呼んだわけではないですよね?」

 

「ふむ……流石に察しが宜しいですね」

 

 万城目が微笑を浮かべる。

 

「何か御用でしょうか? 将愉会への依頼?」

 

「いえ、ご依頼といいますか、ご提案させて頂きたいことがありまして……」

 

「提案?」

 

「ええ……どうぞ入ってきて下さい」

 

 万城目が生徒会長室と隣接する会議室に繋がるドアに向かって声を掛ける。葵もそちらに視線をやる。しかし、何も反応が無い。万城目が首を傾げる。

 

「? おかしいですね? 隣に控えてもらっていたのですが……どうぞ、お入り下さい!」

 

「もう入っていル……」

 

「うわっ⁉ びっくりした!」

 

 葵が驚く。自身の背後の壁際に金髪碧眼のスタイルの良い女性が腕を組んで立っていたからである。万城目が苦笑する。

 

「せめて一声かけて下さいよ……」

 

「余計な口は利かない主義ダ……」

 

「えっと……」

 

 葵が戸惑いながら、万城目とその女性を見比べる。万城目は咳払いをして話す。

 

「内々に済ませましたが、先の有備さんの襲撃、そして、これは我々にも秘密だったようですが、先日鎌倉で一騒動あったようですね?」

 

「! い、いや、一体なんのことやら……」

 

 葵はわざとらしく首を傾げる。

 

「おとぼけになられても無駄ですよ。調べはついております。鎌倉の公方様、真坂野紅様へご助力され、御所の奪還に貢献されたとか」

 

「よ、よくご存知で……」

 

「これくらいの情報も満足に収集出来なければ、生徒会長という職は務まりません」

 

 万城目が片眼鏡をクイッと上げる。葵が下を向いて小声で呟く。

 

「生徒会長ってそういうものだったかな?」

 

「とにかくです、若下野さん、いえ、上様」

 

 万城目の言葉に葵が頭を上げる。

 

「生徒会としては大事な御身を御守りするための体制を強化する必要性があるという結論に達しました」

 

「はあ……」

 

「城内や城下はともかく、今回の江戸の地を離れて行う夏合宿。そこに不逞の輩が襲ってくる可能性は否定できません」

 

「不逞の輩……」

 

「ええ、そこで彼女です」

 

 万城目が壁際に立つ女性を指し示す。俯いていた彼女は頭を上げる。真ん中分けにしたショートボブの髪が微かに揺れ、意志の強そうな眼差しで葵を見つめる。

 

西東(さいとう)イザベラさん、腕利きのガンマンです」

 

「ガンマン?」

 

「銃器の扱いに長けていらっしゃいます。それ以外はごくごく普通の女子高生です」

 

「それは普通とは言いませんよ⁉」

 

「彼女をこの夏合宿中のボディーガードとして雇いました」

 

「雇った⁉」

 

「ええ、傭兵さんですから」

 

「傭兵……」

 

「ご心配なく。腕は確かです」

 

「そこは別に心配していませんよ!」

 

「信頼出来る筋からの紹介ですから」

 

「どんな筋を持っているんですか……」

 

 葵は不安気にイザベラを見つめる。イザベラは呟く。

 

「受け取ったギャラの分はきっちりと働ク……」

 

「そ、そう、宜しくね、西東さん……」

 

「イザベラで良イ……どうせ西東は仮名のようなものダ……」

 

「なんか、仮名とか言ってますけど⁉」

 

「簡単に素性を明かしては傭兵というのは務まりません。プロ意識の高さが窺えますね」

 

「何を納得しているんですか⁉」

 

 うんうんと頷く万城目に対し葵は声を上げる。気を取り直し、葵はイザベラに尋ねる。

 

「学年とクラスは? それとご出身はどちら?」

 

「その都度変わル、雇い主の意向に沿ってナ。学籍や戸籍の改竄など造作も無イ……」

 

「不逞の輩だ、この人!」

 

「まあまあ、物は試しと言いますから、騙されたと思って……」

 

「騙されたらそこで終わりなんですよ!」

 

「あ、私はこの後用事があるので、これで失礼させて頂きます」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 万城目は生徒会室を出る。女子高生兼征夷大将軍と、女子高生に扮する傭兵が残される。

 

「な、何なのよ一体……」

 

 葵は両手で頭を抱える。



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およそ1分半の出来事

「ボデイガードを雇っただと?」

 

「はい」

 

 絹代の報告に光ノ丸が怪訝そうな顔を浮かべる。

 

「誰だ?」

 

「西東イザベラさんという方だそうです」

 

「何者だ?」

 

「詳細は不明ですが、万城目会長ルート絡みの模様です」

 

「ふん、それは厄介かもしれんな……」

 

「始末しますか?」

 

 絹代の問いに光ノ丸が思わず苦笑する。

 

「物騒な物言いだな」

 

「言葉のあやです」

 

「まあ、大したものではないと示しておく必要はあるか……」

 

 光ノ丸はやや間を置いてから指示を出す。

 

「SとKの二人を呼べ」

 

介次郎(すけじろう)さんと覚之丞(かくのじょう)さんですね」

 

「相変わらず伏字にした意味がまるで無いが、まあいい……」

 

 

 

 廊下を歩く葵が煩わしそうに振り返り尋ねる。

 

「なんでついてくるの? ボディーガードは夏合宿中のはずでしょ?」

 

「護衛というのは素人が考えている程簡単な任務ではなイ……護衛対象の行動傾向というものを早めに掴んでおく必要があル」

 

 イザベラが淡々と答える。

 

「まさかお手洗いまでついてくる気?」

 

「……トイレ内は既に調査済みダ。安全は保障すル。廊下で待とウ」

 

「待っているんだ……はあ、まあいいや」

 

 葵がため息をつきながらトイレに入っていく。

 

「ごきげんよう、西東さん」

 

 絹代が廊下の向こう側からイザベラに声を掛ける。背後に介次郎と覚之丞が立つ。

 

「……本命はこっちだろウ―――」

 

「!」

 

 イザベラが右手をスッと上げて拳銃を発射する。向かい側の校舎の屋上に立っていた光ノ丸が崩れ落ちる。絹代が愕然とする。

 

「なっ……麻酔銃の弾を銃弾で撃ち返した⁉」

 

「ぐはっ!」

 

「どわっ!」

 

 絹代が視線を戻すと、介次郎と覚之丞が倒れ込んでいる。イザベラが絹代に飛びかかる。

 

「⁉」

 

「悪くはないが、まだ遅いナ……」

 

 絹代のこめかみに銃口を突き付けてイザベラが静かに呟く。

 

「うっ……」

 

「実弾ではないが、この至近距離で喰らえば怪我するゾ……二人を連れてさっさと消えロ」

 

「くっ……」

 

 絹代たちが姿を消すと、イザベラは壁にもたれかかる。

 

「西東イザベラ!」

 

 イザベラが面倒そうに視線を向けると、四人の男女がそこには立っている。

 

「……なんダ?」

 

「二年は組の“四神”だ! 相当腕が立つようだな! 腕試しさせてもらおう!」

 

 飛虎が叫ぶと、龍臣とおさげ髪の女性、中目雀鈴(なかめじゃくりん)と髷を結っている巨漢の都築玄道(つづきくろうど)が一斉にイザベラに襲いかかる。

 

「ふん!」

 

「相撲部の都築玄道……巨体に似合わずなかなかのスピードだが、動きが直線的だナ」

 

「うおっ……!」

 

「アチョー!」

 

「少林寺拳法部の中目雀鈴……筋は悪くなイ」

 

「ヌ、ヌンチャクの鎖部分のみを撃ち砕いた……⁉」

 

「シュッ!」

 

「ボクシング部の神谷龍臣……拳速は流石だナ」

 

「ば、馬鹿な……こうも見事なカウンターを決められるとは……」

 

「おらあ!」

 

「空手部の日比野飛虎……良い連撃ではあるガ……」

 

「そ、そんな、俺の必勝のコンビネーションが……」

 

 イザベラの目にも留まらぬ反撃を受けて、飛虎が膝を突き、他の三人は成す術なくその場に崩れ落ちる。飛虎は信じられないと言った表情でイザベラを見つめる。

 

「ま、まさか……」

 

「四人ともそれなりの実力者だということはよく分かっタ。ただ、修羅場の経験が圧倒的に不足していル……! 出直してくるんだナ」

 

「ク、クソ―――!」

 

 飛虎たちがその場を去ると、イザベラは再び壁にもたれかかり、呟く。

 

「気配を消しても無駄ダ……用があるならば出てこイ……」

 

「……」

 

 イザベラの言葉を受けて、憂が姿を現す。

 

「有備憂か……まだ将軍の座を諦めていないのカ? 天守で将軍に負けただろウ?」

 

「⁉ な、何故そこまで知っているの?」

 

「情報が命の稼業ダ……それくらいは耳に入れていル……」

 

 イザベラが淡々と告げる。

 

「やっぱり貴女は危険な存在だわ!」

 

「……」

 

「! 手裏剣五枚を撃ち落とした⁉ なんて早業……」

 

「この国にしばらくいるとニンジャと戦うのもそう珍しいことではなイ……しかし、貴様の忍術の流派は確カ……?」

 

「無駄口を叩いている暇があるの⁉」

 

「……!」

 

「ぐっ……」

 

 イザベラは苦無で斬りかかった憂の腕を取り抑え、自由を奪う。

 

「ほウ……カウンター一発で終わらせるつもりだったガ……思っていたよりはやるようダ……多少はナ」

 

「ちっ……」

 

「いたずらに騒ぎを起こすつもりは無イ……彼我の実力差は理解しただろウ? ここは大人しく退くことダ」

 

「ふん……」

 

 憂は力を抜き、継戦の意志が無いことを示す。イザベラは憂を掴んでいた手を離す。

 

「聞き分けが良くて助かル……」

 

「覚えてなさい……!」

 

 憂はイザベラをキッと睨み付けると、その場から消える。

 

「このミッション、案外退屈しないで済みそうだナ……」

 

 イザベラが三度壁にもたれかかろうとすると、葵がトイレから廊下に出てくる。

 

「お待たせ、っていうのも変だけど……何かあった?」

 

「いいや、何も無かっタ」

 

 葵の問いにイザベラは微笑をたたえつつ答える。



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とりあえず採用

「というわけで彼女が私の護衛役を務めることになった西東イザベラさんです!」

 

 翌日、葵が将愉会の会室に集まった将愉会の爽と小霧と景元に伝える。

 

「「「……」」」

 

「あ、あれ、皆反応が鈍いな~どうしたのかな?」

 

「……だからどうしたもこうしたも、なにがどうなったらそんなことになるんですの⁉」

 

 小霧が椅子から立ち上がって、葵に問いかける。

 

「せ、生徒会長からの紹介で……」

 

「生徒会長の?」

 

「そう、腕は確かなんだって!」

 

「腕は確かって……」

 

「こう言ってはなんですが胡散臭いですね……」

 

「それは百も承知だよ」

 

「承知してしまったんですの……」

 

「一も十も承知してはならないでしょう……」

 

 小霧と景元がそれぞれ頭を抱える。爽が黙ってイザベラの方に目をやる。イザベラは黙って爽を見つめ返す。

 

「……」

 

「……まあ、今回の夏合宿で城下を離れるに当たって、護衛を増やした方が良いだろうとはわたくしも一応考えてはいました」

 

「そうなんですの?」

 

「ええ、出来れば女性の方をね。黒駆君だけではどうしても限界が生じます。特に合宿は例えば女湯など、彼が入ってこられないような場所がありますからね」

 

 爽の言葉に葵は笑う。

 

「秀吾郎なら構わず忍び込みそうだけどね」

 

「流石に最低限のモラルは備えているとは思いますが……」

 

「職務熱心なあまり、モラルを破りがちな傾向があるよ」

 

「それは随分と困った傾向ですね……」

 

 爽は首を傾げながら、改めてイザベラの方に向き直る。

 

「西東さん? わたくしの方からいくつか質問してもよろしいでしょうか?」

 

「構わなイ……」

 

「西東イザベラ、御本名ですか?」

 

「半分、仮名ダ……」

 

「学年とクラスは?」

 

「二年生ということにしておこうカ」

 

「腕が立つというお話ですが?」

 

「銃器類は大抵扱えル、格闘術もメジャーなものは習得していル」

 

「この世で一番信用出来るものは?」

 

「金ダ、それ以外になイ」

 

「ご趣味は?」

 

「スイーツ食べ歩キ」

 

「よろしい、採用です」

 

 爽は腕を組んで満足気に頷く。葵たちが驚く。

 

「ええっ⁉ 良いの、サワっち⁉」

 

「スイーツ好きに悪い人はいませんから」

 

「どんな理屈⁉」

 

「お金が一番という価値観もポイント高いです。とても現実的で女性らしいです」

 

「貴女の価値観に疑問符が付きますわ!」

 

「銃器の扱いに長けているというのも心強いです」

 

「むしろ心配の種なんだが……」

 

「わたくしが反対しても、葵様のことです、どうせ採用なさるのでしょう?」

 

「勝手についてきちゃっているんだけどね……昨日も何度か撒こうとしたけど全然撒けなかったし……」

 

 葵はイザベラの方を向きながら苦笑気味に呟く。

 

「あの程度のスピードならばついていくのは造作もなイ……」

 

「なんというか、尋常じゃない気配を漂わせているじゃない?」

 

「ま、まあ、それはヒシヒシと感じますわ……」

 

 小霧がうんうんと頷く。

 

「でしょ? だから……う~ん、護衛役をお願いしちゃっても良いかなって♪」

 

「軽いな⁉」

 

 景元が驚く。

 

「まるでちょっと高い家電や家具を買うときの様なテンションですね」

 

 爽が苦笑を浮かべる。

 

「ということで宜しくね、西東さん♪」

 

「宜しくお願いします、西東さん。申し遅れました、わたくし―――」

 

「伊達仁爽……二年と組の副クラス長で、将愉会副会長……冷静沈着な参謀」

 

「リサーチ済みということですか、流石です」

 

「わたくしは……」

 

「高島津小霧……と組のクラス長、会の会長補佐……中心的な存在」

 

「ふむふむ、どうしてなかなか見所がある方ですわね」

 

「チョロいな! 僕は……」

 

「大毛利景元……以下省略」

 

「いや、略するな!」

 

 景元が抗議する。爽がそれを無視して、話を進める。

 

「改めて宜しくお願いします、西東さん」

 

「イザベラで良イ……」

 

「え?」

 

「そちらの方が、馴染みがあル……」

 

「そうですか……」

 

「分かった! よろしくね、ザべちゃん!」

 

「⁉ ザ、ザべちゃん……?」

 

 葵の唐突な発言にイザベラは困惑する。

 

「あれ、気に入らなかった?」

 

「す、好きに呼べば良イ……」

 

 イザベラはスッと表情を戻し、葵に答える。

 

「よし、これで報告は終了!」

 

 葵が席に座る。

 

「では、目安箱を見て参りますので、若下野さんはお待ち下さい」

 

「わたくしも参りますわ」

 

「うん、お願いね、景もっちゃん! さぎりん!」

 

 景元と小霧が会室を出て行く。爽がイザベラに声を掛ける。

 

「愛称呼びは驚きましたか?」

 

「多少ナ、だガ……」

 

「だが?」

 

「不思議と悪い気はしないナ……」

 

 イザベラが葵を見つめながらわずかに微笑む。

 

「それはなにより……ああ、葵様」

 

「ん? 何?」

 

「伝えるのが遅れました。本日はお客様がいらっしゃいます」

 

「お客さん? 誰?」

 

「間もなくいらっしゃる時間です……」

 

「王手、アタリ、チェックメイト……」

 

 プラチナブロンドのロングヘアーをなびかせて女性が会室に入ってきた。



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ハンデ与え過ぎた件

「……あの、どちら様でしょうか?」

 

 葵は当然過ぎる疑問を口にする。

 

「こちらは……」

 

「結構、自分で名乗れます」

 

 プラチナブロンドの女性は爽を制し、会室の中央に進み出てきて葵の前に跪く。

 

「あ、あの……」

 

「上様、こうしてお初にお目に掛かることが出来て光栄の極みでございます」

 

「は、はい……」

 

「私は3年は組クラス長、尾成金銀(おなりこがね)と申します。以後お見知り置きの程を何卒よろしくお願いを致します」

 

「お、お願いします……」

 

 爽が補足する。

 

「尾成様は御三家の一つ、尾成家のご当主です」

 

「ええっ⁉」

 

 葵が驚く。金銀はゆっくり立ち上がる。背丈は葵と同じ位である。爽は説明を続ける。

 

「生徒会副会長でもあり……継承順位は4番目の方です」

 

「五橋さんよりも上! っていうことはもしかして……?」

 

「単刀直入に申し上げます……将軍位をお譲り頂きたいのです!」

 

「や、やっぱり!」

 

「お答えは?」

 

 金銀が見つめる。葵は戸惑いながらも立ち上がって口を開く。

 

「答えはいいえです! 将軍職を譲るつもりは毛頭ありません!」

 

「ふふっ……」

 

 金銀は懐から扇子を取り出し、口許に当てて小さく笑う。葵が怪訝な表情で尋ねる。

 

「なにがおかしいんですか?」

 

「失礼……あまりにもこちらの読み通り、想定内のお答えだったもので」

 

「……恐れながら」

 

「どうぞ。親藩大名や外様大名の違いなど、今のこの時代に於いてナンセンス極まりないものです。気兼ねなくお考えを聞かせて下さい」

 

 金銀が促し、爽は頭を上げて発言する。

 

「尾成さまにおかれましては、掲げておられた目標の完遂の為、将軍職就任に関しては辞退なされたものだと認識しておりましたが……」

 

「気が変わりました」

 

「き、気が変わったって……」

 

 即答する金銀に爽が戸惑う。

 

「それに私一人の考えだけで全てが決まるわけではありません。家の者や幕閣の方々にも確認しましたが、私の継承権利はまだ生きているようです」

 

「幕閣の方々とはどなたのことですか?」

 

「お名前は出せません。関係者であることは確かです」

 

「そ、そんな……」

 

「わりと無茶な話だナ……」

 

 壁にもたれ、腕を組みながらイザベラが呟く。

 

「ただ、私としても手荒な手段は好みません。平和的な話し合いで解決できるものなら、それに越したことはありませんからね。上様、如何でしょうか?」

 

「……目標の完遂とは?」

 

 葵が問う。金銀はニコッと微笑み、扇子をバッと広げてみせる。

 

「この扇子の揮毫をご覧下さい」

 

 葵は扇子を見て、書いてある文字を読む。

 

「ンワーリンオ……えっ?」

 

「葵様、それは右から読みます」

 

「あ、ああ、そうなんだ……えっと、『ナンバーワンかつオンリーワン』……?」

 

「そうです! 唯一無二の存在になること! それが私の目標であり、夢なのです!」

 

「夢……」

 

「そう、ドリーム!」

 

「は、はあ……」

 

 爽が再び補足する。

 

「葵様、尾成様は史上初めての女性のプロ将棋棋士です」

 

「えっ⁉ あ、そ、そういえばどこかで見たことがあると思った!」

 

「更に囲碁のプロでもいらっしゃいます」

 

「プロのチェスプレイヤーでもあるナ……」

 

 イザベラが呟く。

 

「ええっ! 囲碁もチェスもプロ⁉」

 

 驚く葵に金銀は得意気に語る。

 

「自慢ではありませんが、多くの二つ名を持っております。『ボードゲームの申し子』、『盤面の戦姫』、『AIに最も近い人類』などですね、私個人としては『盤面の戦姫』がなかなか気に入っております」

 

「『勝利の女神に愛された女』というのもありますね」

 

「そうそう」

 

「『盤を親に持つ者』というのもあったナ……」

 

「それはどちらかというと蔑称ですね……まあ、アンチの戯言など気にもしませんが」

 

「そ、それで……?」

 

「私は人々に夢を持つことの大切さを知って欲しいのです! そして、夢は信じれば必ず叶うものだと! 一度はその夢は破れましたが……」

 

「一度は?」

 

 首を傾げる葵に爽が小声で囁く。

 

「昨年度の生徒会長選挙で万城目さんに僅差で敗れています」

 

「ああ……」

 

「その敗戦の傷もすっかり癒えました! 今一度、頂点を目指したいと思っております! と、いうわけで将軍職をお譲り下さい」

 

「い、いや、そういうわけにはいきませんよ⁉」

 

 金銀の勢いに圧されながら、葵は首を左右に振る。

 

「では……勝負と参りましょう」

 

「はい?」

 

「準備を!」

 

 金銀が両手を叩くと、複数の生徒がぞろぞろと会室に入ってきて、三つの机をコの字に並び直し、その上にそれぞれ将棋盤、囲碁盤、チェス盤を設置する。金銀は机の間に置かれた椅子に座り、葵に告げる。

 

「1対3、いわゆる三面対局で勝負と行きましょう!」

 

「い、いや、なんでそうなるんですか⁉」

 

「話し合いで解決しないなら勝負しかないでしょう?」

 

「ないでしょう?と申しましても……」

 

 爽が首を傾げる。

 

「当然、ハンデは差し上げます。まさかそんな有利な勝負、天下の征夷大将軍様がお逃げにはならないでしょう?」

 

「そうは言っても……」

 

「分かった、受けて立ちます!」

 

「葵様⁉」

 

「ここまで言われて引き下がれないよ!」

 

「ええ……心得はあるのですか?」

 

「将棋はお爺ちゃんに教わったことがあるよ! ザべちゃんは?」

 

「チェスならバ……」

 

「よし! サワっちは?」

 

「囲碁を少々……」

 

 爽はため息まじりで答える。金銀が微笑む。

 

「準備はよろしいようですね……将棋は十枚落ち、囲碁は置き石25個、チェスは全落ちで、さらに私は持ち時間無し、ノータイムで臨みます」

 

「ええっ⁉ 王と歩だけ⁉」

 

「キングとポーンのみ……大した自信だナ」

 

「さあ、参りましょう!」

 

 こうして将棋と囲碁とチェスを同時に行う異例の三面対局が始まった。

 

「う~ん、こうだ!」

 

「ほう、角道を開けてきましたか! 囲碁は私の先手ですね!」

 

「……うむ、ではこれで」

 

「……こうカ」

 

「 1.e4ですか! 無難に来ましたね!」

 

「こうかな?」

 

「矢倉囲いで来ましたか! 碁は小ゲイマかかり一間ばさみ飛び込みですね!」

 

「は、速い!」

 

「本当にノータイムとハ……」

 

「そのキャスリングはルイ・ロペス エクスチェンジバリエーションですね!」

 

 金銀は異なる戦局にも柔軟かつ迅速に対応してみせる。葵たちは只々圧倒される。

 

「くっ!」

 

「王手ですね!」

 

「ぬっ!」

 

「そろそろ終局ですね!」

 

「チッ!」

 

「チェックメイトですね!」

 

 金銀は一呼吸置いて頭を下げる。

 

「ここで投了! 私の負けです! ありがとうございました!」

 

「「「ええっ⁉」」」

 

「撤収!」

 

 金銀が再び人を呼び、盤が手際よく片付けられる。金銀は立って出口に向かう。

 

「今日はほんの小手調べです! 夏合宿では覚えていて下さい!」

 

「な、なんだったのあの人……」

 

 堂々と捨て台詞を吐き、悠然と去って行く金銀を見て、葵は呆然と呟く。



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車中にて

                  参

 

「夏合宿、まさかこんなに朝早い出発とは……」

 

 葵がバスの車内で眠い目をこすりながら呟く。

 

「高等部の学生や教職員のほぼ全員が参加する行事ですから、送迎のバスだけでも二十台以上になります。朝の渋滞を避ける為にもやむを得ないことです……」

 

 葵の隣に座る爽が淡々と答える。

 

「まあ、それは良いんだけどさ……」

 

「何かご不満が?」

 

「……なんで私だけ補助席なのかな?」

 

 葵が自分の膝を叩いた。他にも座席が余っているのに彼女だけが補助席である。

 

「……ご説明をよろしくお願いします」

 

 爽が葵を挟んで隣に座るイザベラに声を掛ける。イザベラは面倒そうに口を開く。

 

「……この手の大型バスでもっとも安全性かつ生存率の高い座席は中央右側とされていル……要は真ん中通路側ということだナ」

 

「じゃあサワッちに一つ詰めてもらっても良いじゃん」

 

「窓に近いとそれだけ狙われル……」

 

「はい?」

 

「狙撃の危険性というものを全く考慮に入れていないナ……」

 

「そりゃそうよ。だって狙撃されたことなんてないもん」

 

「あったら困りますけどね」

 

 葵が唇を尖らせる横で爽が苦笑する。イザベラがため息をつく。

 

「……とにかく、その座席がベストダ……」

 

「ちなみに車体の方は?」

 

 爽がイザベラに尋ねる。

 

「先程入念に確認しタ。爆発物の類は心配なイ……」

 

「それは良かった」

 

「ねえ、サワっち」

 

「なんでしょうか?」

 

「もしかして合宿中、ずっとこの調子?」

 

「念には念をです。御身になにかあってはいけませんから」

 

「心配し過ぎだと思うけどな~」

 

 葵は腕を組んで首を捻る。爽が小声で囁く。

 

「鎌倉殿にさらわれたこともあるではありませんか」

 

「うっ……まあ、そんなこともあったけど」

 

 葵は苦い表情を浮かべる。

 

「本人の前でこういうことを言ってはなんですが、イザベラさんのことはあまりお気になさらず、合宿を有意義に過ごすことをお考え下さい」

 

「そうダ、私は影のようなものだと思エ……」

 

 イザベラはそう言いながら、拳銃の手入れを始める。

 

「隣でそんなことされたら、気になってしょうがないよ!」

 

「葵様、車内ではお静かに」

 

 爽が葵をたしなめる。葵は声量を落として話題を変える。

 

「……ザべちゃんのことはこの際良いとして、もう一つ気になることがあるんだけど」

 

「尾成金銀さまのことですね?」

 

「そうそう」

 

「確かに懸念材料ではあります」

 

「まあ、乱暴な手段はとってこないとは思うけど……」

 

「黒駆君にも探りを入れてもらいましたが……」

 

「なにか分かったの?」

 

「……なにかよからぬことを企んでいるらしい、ということが分かりました」

 

「それじゃ分かってないのと同じじゃん……」

 

葵はガクッとうなだれる。拳銃の手入れを手際良く終えたイザベラがボソッと呟く。

 

「先手必勝という言葉もあル……消すカ?」

 

「発想が物騒!」

 

                  ♦

 

 一方、別のバスの車内では尾成金銀が不敵な笑みを浮かべていた。

 

「金銀お嬢様、なにか楽しいことでもありました?」

 

 金銀の隣に座る短髪の男が声を掛ける。

 

「これから起こるのです……将司、昨日渡したアレにはしっかり目を通しましたか?」

 

「ああ、はい。金銀お嬢様力作の『合宿のしおり』」

 

「しおりって! そのような呑気なものではありません! なんですか、私は遠足を楽しみにしている小学生ですか⁉」

 

「冗談ですよ。寝ている人もいるんですから」

 

 将司と呼ばれた男が金銀を落ち着かせる。

 

「……あれは私が将軍職に就任するための秘策を記したいわば『作戦書』です」

 

「……ホチキス止めで、クオリティがまさに小学校の遠足のしおりでしたけど」

 

 将司が小声で呟く。

 

「なにか言いました?」

 

「いいえ、なにも」

 

「とにかく手筈は確認したのですね?」

 

「ええ、それは勿論」

 

「結構、ではそのようにお願いしますよ」

 

「……しかしですね、金銀お嬢様?」

 

 将司が怪訝な顔で尋ねる。

 

「なんですか?」

 

「よく一週間も時間が取れましたね? 対局は全てキャンセルしたのですか?」

 

「まさか、対局は予定通りこなしますよ」

 

「ええっ⁉」

 

「だってそうでしょう? 不戦敗なんてつまらないですもの。ファンの方々をがっかりさせてしまってはプロ失格です」

 

「し、しかし……地方の対局はどうするのですか?」

 

「その辺りは各連盟に無理を言って、江の島にすぐ戻れる距離の会場にさせてもらいました。スポンサーの皆様も理解してくれました。これも日頃の行いの賜物でしょうか」

 

 そう言って、金銀は口元を抑えてフフッと笑う。

 

「ふ、二日制の対局はどうするのです?」

 

「一日、いえ、半日で終わらせればそれで済むことです」

 

 金銀は事もなげに言ってのける。

 

「そ、そんな無茶な……」

 

「無茶をせねば、将軍になど到底なれません」

 

「……本気なのですね?」

 

「当たり前です。戯れにこんなことは致しません」

 

 将司が笑みを浮かべる。

 

「なんだか、本当に将軍職に就任なされるような気がしてきました」

 

「予感を現実にしてみせるのが、真のプロフェッショナルというものです」

 

 金銀は扇子を大袈裟に広げ、将司の顔に指し示す。

 

「なんとも頼もしいお言葉です」

 

「改めて……この夏合宿、しっかりとお願いしますよ?」

 

「はい! この山王将司(さんのうまさし)、金銀お嬢様の為に全力を尽くします!」

 

 将司の力強い言葉に満足そうに頷いた金銀は窓の外に目をやる。

 

「さて、若下野葵さん……貴女はどのような手を指してくるのでしょうか?」

 

 金銀は再び不敵な笑みを浮かべながら呟く。江の島が見えてきた。



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海岸にて

                  ♦

 

「いきなりジャージに着替えろとは何事かと思ったけど、到着早々に海岸のゴミ拾いをすることになるとはね……」

 

「毎年恒例のことですから」

 

 学園指定の水色のジャージになった葵のぼやきに同じくジャージ姿の爽が答える。

 

「恒例行事なんだ……」

 

「ええ、そうです」

 

「ざっと見た感じ、かなりの量があるね……」

 

「この清掃の為に、あえて元の状態よりも汚くしているとも言われていますからね」

 

「な、なんの為にそんなことを?」

 

 葵の問いに爽が眼鏡を抑えながら答える。

 

「合宿ですが、どうしても浮ついた気持ちで臨む生徒が多いので、その気持ちをビシッと引き締めるのが一番ですね……地域貢献という意味合いもあります。この海岸と海水浴場は合宿期間外は一般の方も利用可能ですから」

 

「なるほどね……」

 

「葵様は無理に参加しなくてもよろしいかと思いますが……」

 

「いやいや! そういうわけにはいかないよ!」

 

 ブンブンと首を振る葵を見て、爽は微笑む。

 

「では、軍手とゴミ袋とトングです。可燃ゴミや不燃ゴミの分別など、分からないことについては、緑の腕章を着けている生徒に質問して下さい。箒やちりとりなど、他に必要な道具はあのブルーシートの上に置いてありますから、必要に応じて使って下さい」

 

 爽から軍手とゴミ袋とトングを受け取りながら葵は周囲を見渡して尋ねる。

 

「これって、基本全員参加なんだよね?」

 

「ええ、初日のこの清掃活動は例外なく全員が参加します」

 

「そのわりには人数少なくない?」

 

「海岸と言っても、いくつかのブロックに分けてあります。更に近隣の施設や町内のほうの清掃を担当するグループもいますから」

 

「ああ、そういうこと……」

 

「知り合いの目が少ないからって気を抜いてはいけませんよ」

 

「どわっ! 先生⁉」

 

 葵の後ろに光太が立っていた。眼鏡がキラリと光る。

 

「そんなに驚くことですか?」

 

「そりゃ、いきなり後ろに立っていたら驚きますよ!」

 

「それは失礼……」

 

「せ、先生も参加するんですか?」

 

「勿論です。教職員も原則全員参加ですから」

 

「ふむ……」

 

 光太は自分に視線を向ける爽の目を見てはっきりと答える。

 

「伊達仁さん、これは本当に偶然なのです。教職員並びに生徒たちのグループ分け、担当ブロックの振り分けに私は一切関知しておりません」

 

「……信用しましょう」

 

「それはなにより。公平な審査をお願いしますよ」

 

「審査というのが今だによく分からないのですが……分かりました」

 

「何々、なんの話?」

 

「なんでもありません、こちらの話です」

 

「ふ~ん?」

 

 葵は首を傾げる。光太はポンポンと両手を叩いて話を変える。

 

「さあ、さっさと終わらせてしまいましょう」

 

「は、はい……」

 

「上様、ごきげんよう!」

 

「うわっ⁉」

 

 目の前に落ちているゴミを拾おうと屈んだところ、前方から急に声がした為、葵は驚いて尻もちを突きそうになる。

 

「……あ、尾成さん……おはようございます」

 

「どうかされましたか?」

 

「い、いや、急に声をかけられるものですから……」

 

「それは失礼致しました」

 

 尾成金銀は恭しく頭を下げる。葵は立ち上がって問う。

 

「なにか御用ですか?」

 

「素敵な御提案をと思いまして」

 

「は、はあ……」

 

「あ、ご紹介が遅れました、こちら、三年は組の副クラス長、山王将司君です」

 

 金銀は自らの斜め後ろに立つ男子生徒を指し示す。

 

「あ、初めまして、若下野葵です」

 

「さ、山王将司です」

 

 葵は頭を下げる。将司もそれより深く頭を下げる。

 

「話は戻りまして……上様、一つゲームを致しませんか?」

 

「ゲーム?」

 

「ええ、退屈極まりないこの清掃活動に取り組むモチベーションを少しでも盛り上げようではないかと思いまして」

 

「別に退屈とか退屈じゃないとか、そういう問題じゃないと思いますけど……」

 

「まあまあ、そうおっしゃらずに……」

 

「私たちだけが遊んでいる場合じゃないんですよ」

 

「無論です」

 

「お分かりなのであれば……」

 

 葵は話を切り上げて、清掃活動を行おうとする。金銀は慌てて止める。

 

「ゲ、ゲームというのはいささか表現がマズかったかもしれません! 勝負……そう、正々堂々と勝負を致しましょう!」

 

「勝負?」

 

 首を傾げる葵に対し、金銀が説明する。

 

「そうです! 二人一組のペアになって、どちらがより多くのゴミを拾い集めることが出来るかを競いましょう!」

 

「ふ~ん、面白そうですね……」

 

「乗ってきた⁉」

 

 将司が小声で驚く。

 

「ふふっ、そうこなくては!」

 

「じゃあ、私はサワっちとペア?」

 

「それでは面白くありません! 新緑先生にご参加頂きましょう!」

 

 金銀が懐から取り出した扇子を光太に向かって指し示す。

 

「私ですか……まあ、清掃活動を行うというのなら止めはしませんが」

 

「いや、そこは止めるべきだろ!」

 

 将司が再び小声でツッコミを入れる。

 

「伊達仁さんには厳正な審判をお願いしましょう」

 

「かしこまりました……ジャッジすることが増えました」

 

 爽は頭を下げながら小声で呟く。

 

「それではいざ尋常に勝負……」

 

「ちょっと待った」

 

「⁉」

 

 葵たちが視線を向けると、そこには氷戸光ノ丸とその秘書、風見絹代が立っていた。

 

「何やら面白そうなことをしているではないか、尾成殿。余と絹代も混ぜてくれ」

 

「ええっ⁉」

 

 意外な人物の乱入に葵は驚く。



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シャッフルゴミ拾い

「む……」

 

「何か問題でも?」

 

「いえ、別に……」

 

「金銀お嬢様! 氷戸様の口車に乗っては危険です……!」

 

「分かっています」

 

 将司が金銀に耳打ちする。金銀としてもそれについてはよく理解している。そこに光ノ丸が畳みかけてくる。

 

「まさか、稀代の勝負師が挑まれた勝負から逃げるわけではあるまいな?」

 

「! ……良いでしょう、氷戸様もご参加下さい」

 

「金銀お嬢様! それでは当初の予定が……!」

 

「落ち着きなさい、想定内です」

 

「そ、想定内って……」

 

「では、三組の男女で一番多くゴミを集められた組が勝ちということだな?」

 

 光ノ丸の問いに、金銀が首を振る。

 

「それでは面白くありません」

 

「なに?」

 

「男女の組み合わせを変えましょう」

 

「なんだと?」

 

「ほう……」

 

 光ノ丸が驚き、光太は顎に手をやって呟く。

 

「組み合わせは……そうですね、あみだくじで決めましょうか」

 

 金銀がその辺から拾った枝を用いて、砂浜にあみだくじを書く。爽が結果を見て呟く。

 

「……結果はこのような組み合わせですね」

 

「余と尾成殿か……絹代は?」

 

「私は新緑先生とです」

 

「私は山王さんとか……よろしくお願いします」

 

「よ、よろしくお願いします。ちょ、ちょっとすみません! 金銀お嬢様⁉ 本当にこれでよろしいのですか⁉」

 

 将司は再度金銀に耳打ちする。

 

「問題ありません。狙い通りです」

 

「ね、狙い通りって……」

 

「いいですか、将司? 私のこの夏合宿での目標は“将愉会の切り崩し”です」

 

「切り崩し……」

 

「そうです。単なる怪しげな集まりかと思っていた将愉会、蓋を開けてみれば、なかなか興味深い面子が揃っています。若くして著名な文化人三人に、町奉行二人、体育会会長、そして、勘定奉行兼教師! 人数こそ多くはありませんが、その影響力はけして馬鹿に出来たものではありません」

 

「言われてみれば確かに……」

 

「そういうことです」

 

「い、いや、しかしですね! 切り崩しと言ってもどうすれば良いのですか⁉」

 

「この場合は上様と貴方の組が一番いい結果を出せば良いのです。新緑先生と風見さんの組に大差をつければ、上様の新緑先生への信頼は揺らぐことでしょう」

 

「な、なるほど……ん? 金銀お嬢様はどうされるのですか?」

 

「私はまあ……適当にこなします。とにかく将司、貴方の活躍にかかっていますから」

 

「そ、そんな⁉」

 

「……ひそひそ話は終わったか?」

 

 光ノ丸が声をかける。金銀はコホンと咳払いを一つして、口を開く。

 

「失礼致しました……それでは開始と行きましょうか!」

 

 金銀が懐から取り出した扇子をバっと広げる。ゴミ拾い勝負が始まった。

 

                  ♦

 

「ふむ……とにかく手当たり次第に拾っていくか」

 

「甘いですね、氷戸様」

 

「なんだと?」

 

 光ノ丸が険しい視線をペア相手の金銀に向ける。

 

「ゴミ拾いも将棋も一緒……二手三手先を読む必要があるのです」

 

「何を言っているのかさっぱり分からんぞ」

 

「小さいゴミを拾い集めていたら、いざ大きいゴミを拾おうとした際、ゴミ袋がパンパン……ゴミ袋の交換をしている間に、その狙っていた大きなゴミを他の誰かに拾われてしまう……そうなってしまっては目も当てられません」

 

「た、確かに、言われてみれば……」

 

「まずは大物から狙っていきましょう」

 

「分かった」

 

 金銀と光ノ丸はゴミ探しを始める。

 

                  ♦

 

「さて……如何しますか、先生?」

 

 絹代が光太に問う。

 

「まずはゴミ袋を複数枚用意しましょう」

 

「複数枚ですか?」

 

「ええ、そしてゴミを一か所に集め、それから一気に回収します」

 

「なるほど……効率的ですね。流石は勘定奉行様です」

 

「奉行云々はあまり関係無いと思いますが……早速取り掛かりましょう」

 

                  ♦

 

「う、上様、如何いたしましょうか?」

 

「? とにかく片っ端から拾いましょうよ」

 

「は、はあ……」

 

「というか、それしかなくないですか?」

 

「お、おっしゃる通りです」

 

「じゃあ、ドンドン行きましょう!」

 

「は、はい!」

 

                  ♦

 

「それでは結果を発表します……優勝は葵様と山王さんのペアです」

 

「やったぁ! やりましたね、山王さん!」

 

「え、ええ……」

 

「第二位は新緑先生と風見さんペアです」

 

「僅差で及ばずですか、申し訳ありません……」

 

「いえ、私は大変感銘を受けました……いつもアホの相手しかしていなかったので……」

 

「そ、そうですか……」

 

 絹代の熱い視線から光太は思わず目を逸らす。

 

「第三位は氷戸様と尾成様ペアです」

 

「負けましたね!」

 

「大差で負けてしまったではないか! 何が二手三手先を読むだ!」

 

「考え過ぎも良くないということですね~」

 

「くっ! これではただ単に屈辱を味わっただけではないか! 絹代、行くぞ!」

 

「……はい」

 

 光ノ丸と絹代はその場から去っていく。

 

「なかなか良い勝負でした。ですが、次は後れを取りませんよ」

 

「は、はあ……え、次?」

 

「それではご機嫌よう!」

 

「し、失礼します……」

 

 金銀と将司も去っていく。

 

「ひょ、ひょっとして、合宿中、ずっとこの調子……?」

 

 葵は天を仰いだ。



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出来る男

「伊達仁さん」

 

 その日の夜、宿泊施設の浴場近くで、光太は爽に声をかけた。

 

「……先生、抜け駆けに関して明確なルールなどは定めてはいないとはいえ……」

 

「え?」

 

「まさか葵様と混浴を目論むとは……少し引きます」

 

 爽が冷めた視線を光太に向ける。光太は慌てる。

 

「そ、そんなこと目論んでなどいませんよ! 勝手に引かないで下さい!」

 

「では、何の御用ですか?」

 

「……あちらにバーラウンジがあるでしょう」

 

 光太は浴場の近くの一角を指差す。爽は頷く。

 

「何故に未成年の学生も利用する宿泊施設にあのような店が開かれているのか、いささか理解に苦しみますが……まあ、それは良いでしょう」

 

「あのラウンジのカウンター席の端で待っていますので、上様にお越し下さるようにお願いしてもらえないでしょうか? もちろん、ご入浴が御済みになってからで構いません」

 

「ええ……まさかとは思いますが、上様に御酌でもさせるおつもりですか? なんとまあ畏れ多いことを……」

 

 爽が先程より更に冷たい視線を向ける。

 

「そ、そのようなことなど考えていません! お話ししたいことがあるのです」

 

「まあ、構いませんが……女の風呂は何かと時間がかかるものですよ?」

 

「それは承知しています。三十分でも一時間でもお待ちしていますから、必ずお越し下さるようにお願いして下さい」

 

「……分かりました」

 

「……頼みます」

 

 爽は浴場へと向かい、光太はバーラウンジに入った。端のカウンター席は既に予約してある。光太はその席に着いた。バーテンダーが声をかける。

 

「……いらっしゃいませ。ご注文は?」

 

「ジントニックを」

 

「! ……かしこまりました」

 

 バーテンダーの背筋が伸びる。ジントニックというカクテルはバーテンダーの技術が最も試されるカクテルだからである。店内の空気も一気に張り詰め、他の客の視線が光太に集中する。(この男出来る……!)という雰囲気だ。光太は静かに目を閉じる。バーテンダーがグラスをそっと差し出す。

 

「……お待たせしました、ジントニックでございます」

 

「ありがとうございます」

 

 光太はグラスをゆっくりと口に運び、一口飲み、ため息をつく。

 

(自分でも少々意外ですが、緊張しているようですね……)

 

 光太は早いペースでグラスを空けた。ただ、まだ葵が来るまで時間がかかるだろう。

 

(もう一杯くらい景気付けに飲むとしますか……)

 

 光太はバーテンダーに二杯目のカクテルを注文した。

 

「マティーニを」

 

「‼ ……かしこまりました」

 

 再び店内がざわつく。カクテルはマティーニに始まりマティーニで終わると言われるほどである。(この男やはり出来る……‼)という雰囲気が強まる。光太はそんな空気にはあえて気が付かない振りをして、バーテンダーの差し出したマティーニを口に運ぶ。

 

(……少し酔っぱらってしまいました)

 

 光太は自分でも戸惑うほどの早いペースでグラスを空けた。既に五杯目である。そんな時、隣の席に女性が腰を掛けた。

 

(!)

 

 光太は目を見ることが出来なかった。そんな自分に驚いた。どうやら思っている以上に緊張しているようだ。

 

(ふふっ、我ながら情けないですね……初心な少年でもあるまいに)

 

 光太は自嘲気味に微笑を浮かべると、前を見据えたまま口を開く。

 

「実は……この宿の近くに、綺麗な夜景を見ることが出来るスポットがあるのです……良かったら、そちらにご一緒しませんか……⁉」

 

 光太は誘い文句を述べながら視線を隣に向け、驚いた。そこには葵ではなく、絹代が座っていたからである。絹代は口元を片手で抑えながら頷いた。

 

「え、ええ、私で良ければご一緒いたします……」

 

「な、何故風見さんがここに……?」

 

「先程、噂話を聞き付けまして、ひょっとしたら新緑先生ではないかと思いましたので……昼間のお礼を申し上げようと……」

 

「噂話……?」

 

「はい、初手で迷わずジントニックを注文する出来る男性がバーに現れたという話です。きっと新緑先生のことであろうと思いまして……」

 

「は、はあ、そうですか……」

 

 光太は頭を抱えた。絹代が不思議そうに尋ねる。

 

「先生? 如何いたしましたか?」

 

「い、いえ……では夜景スポットに参りましょうか。会計をお願いします」

 

 光太はすぐに立ち上がり、スマートに会計を済ませ、絹代を連れてラウンジを出た。

 

(こうなっては致し方ありません……バーに二人でいるところを上様に見られたら、あらぬ誤解を招きます。今日のところは潔く諦めましょう……伊達仁さんにもその旨を伝えてと……よし、これで大丈夫ですね)

 

 端末を手際よく操作した光太は絹代を夜景スポットへ案内する。

 

「素敵……こんな場所があったのですね……!」

 

 美しい夜景を見て、絹代は控えめな歓声を上げる。

 

「以前、地元の方に教えて頂きました。穴場というやつですね」

 

 光太は淡々と答える。

 

「合宿なんてアホのお守りばかりで退屈なものだと思っていましたが、素敵な思い出が出来ました……先生、ご案内して頂き、ありがとうございます!」

 

 絹代は微笑をたたえつつ、キラキラとした目を光太に向ける。

 

「れ、礼には及びませんよ」

 

 光太はズレた眼鏡を直す振りをして、視線を外す。

 

(な、なんだか妙な展開になってしまいましたが、門限もあることですし、さっさと宿に戻るとしましょう……⁉)

 

「あ、見つかっちゃった……」

 

「う、上様⁉ 何故ここに⁉」

 

「いや~宿を出ていく二人を部屋の窓から見かけてね。思わずサワっちと一緒に追っかけてきちゃったんだよね~」

 

「そ、そうですか……」

 

「じゃあ、お邪魔虫は消えるから~」

 

 葵は手を振りながら、そそくさとその場を後にした。

 

「な、なんということだ……考え得るなかで最悪の展開……」

 

 眼鏡を抑えながら小刻みに震える光太に爽は頭を下げる。

 

「葵様の目ざとさを侮っていました。申し訳ありません……」

 

「い、いえ……」

 

「ですが、それはそれ。新緑光太先生、これはややマイナスポイントですね……」

 

「し、審判はするのですね⁉」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……失礼致します」

 

「ぐっ……」

 

 爽もその場を去り、光太は俯く。それを物陰から見て、金銀はほくそ笑む。

 

「ふっ、まずは緑色を塗りつぶすことが出来ました……想定通りです」

 

「かなり偶然の産物感が強いですけどね……」

 

 金銀の側で将司が首を傾げる。



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朝の廊下

                  肆

 

「二日目は……こういう日程だったナ……」

 

 スケジュール表を眺めながらイザベラが頷く。

 

「うわっ⁉」

 

 目を開いた葵が驚く。

 

「起きたカ……」

 

「お、おはよう、ザべちゃん」

 

「おはよウ……」

 

「……そうやって枕元に立たれるとビクッとするんだけど」

 

 葵が寝ぼけ眼をこすりながら冷静に呟く。

 

「これは片膝立ちダ……」

 

「細かい違いは良いよ……」

 

 葵は半身を起こす。

 

「まずは顔を洗い、歯磨きといったところカ?」

 

「他にどんな選択肢があるのよ……」

 

「見守っていよウ……」

 

「いやいいから、部屋の外で待っていてよ」

 

「洗面台や押し入れなどは既に調べたが、爆発物の心配はないゾ……」

 

「そんなこと全然心配してないよ……」

 

 葵はあくびをしながら洗面台へ向かう。イザベラは素直に部屋の外に出る。

 

「おはようございます」

 

 爽がイザベラに挨拶する。

 

「同室なのに居ないと思ったラ……」

 

「ちょっと早朝の散歩に……」

 

「私にも気付かれないで、部屋を出るとハ……警戒レベルを上げんといかんナ……」

 

「いやいや、わたくしは無害そのものでしょう」

 

 爽は手を軽く振る。イザベラは目を細め、険しい顔つきになる。

 

「……」

 

「さ、殺気が凄い!」

 

 爽が思わず後ずさりする。

 

「誰であっても警戒するに越したことはなイ……」

 

「頼もしいことこの上ないと言いたいところですが……」

 

 戸惑う爽にイザベラは表情をふっと緩める。

 

「冗談ダ……」

 

「貴女も冗談などをおっしゃるのですね……」

 

「巧みな話術もこの稼業では必須スキルだからナ」

 

「巧みかどうかはさておき……葵様は?」

 

「先程起きタ。今頃歯でも磨いているだろウ」

 

「そうですか、わたくしも一旦、部屋に戻ります、失礼」

 

 爽が部屋に戻る。イザベラは目を閉じ、腕を組んで壁にもたれかかる。

 

「……正直、貴様の狙いが分からんナ……」

 

「!」

 

「気が付いているゾ……」

 

 イザベラは体勢を変えず、片目を開けて呟く。

 

「くっ……」

 

 女性が姿を現した。

 

「有備憂……寝込みを襲うわけでもなく、さらに窓側でもなく、廊下側から来るとハ……何を企んでいル……」

 

「……用事があるのはアンタよ」

 

「ナニ?」

 

 イザベラが両目を開く。憂がイザベラの顔を指差す。

 

「西東イザベラ、先日の借りを返すわ!」

 

「? 何も貸した覚えはないガ……」

 

 イザベラが不思議そうに首を傾げる。

 

「わ、忘れたの⁉」

 

「ウ~ン……」

 

「そ、そんな……」

 

「思い出しタ」

 

「ほ、本当⁉」

 

「女子トイレの近くで私にあっけなく組み伏せられたことカ?」

 

「ぐ、具体的に言わなくてもいいのよ!」

 

「それは失礼しタ。それデ? 何の用事ダ?」

 

「……悔しいけど、アンタと私、単純な戦闘力ではかなりの実力差があるということはよくよく理解したわ」

 

「フム……?」

 

 イザベラはもたれかかった壁から身を起こす。

 

「それならば、別の形で勝負を挑むわ!」

 

「別の形だト?」

 

 イザベラは組んでいた腕を解き、顎に手をやる。

 

「そう、今日の午前中に行われる()()で勝負しましょう!」

 

「……あれカ」

 

「あれよ。アンタも上様の護衛で参加するんでしょう?」

 

「そうだナ……」

 

「ならば勝負出来るわね」

 

「……勝負を受ける理由が無イ」

 

「……負けっぱなしは私のプライドが許さないのよ」

 

 憂が悔しそうに呟く。

 

「ウム……」

 

「良いってことね?」

 

「こちらにメリットが無イ」

 

「メ、メリット……?」

 

「ああ、お前のプライドなど、こちらの知ったことではないからナ」

 

「は、はっきりと言ってくれるわね……」

 

「そういう性分だからナ」

 

「そうね……私が負けたら、この合宿で上様にちょっかいは出さないと約束するわ」

 

「そうカ……」

 

 イザベラが考え込む。

 

「どうかしら?」

 

「この合宿でというのがいささか気になるガ……」

 

「ちっ、細かい所に気付くわね……」

 

 憂が小声で呟き、舌打ちする。

 

「まあ、契約外のことには出来る限り関知しない主義ダ……」

 

「! ということは?」

 

「分かった。その勝負受けるとしよウ」

 

「そうこなくっちゃね!」

 

 憂が笑みを浮かべる。

 

「嬉しそうだナ?」

 

「べ、別に相手にしてもらって嬉しいわけじゃないんだからね!」

 

「その構文は……ジャパニーズツンデレというやつカ?」

 

「ち、違うわよ! と、とにかく首を洗って待っていなさい!」

 

 憂が姿を消す。イザベラが首を抑えて呟く。

 

「首を洗え……臭うのカ? 香水はどこにやったかナ……」



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勝負を行うにあたり

「こんなに立派な部屋があるんだね……」

 

 葵が感心したように呟く。

 

「ありとあらゆるオリエンテーション活動に柔軟に対応出来るように施設を拡張していった結果……ですね」

 

 爽の説明に葵が頷く。

 

「成程……今日はここで授業を受ければ良いんだね?」

 

「授業と言いますか……勿論監督の先生も付くことは付きますが、何よりも楽しんで取り組むことが優先されます」

 

「楽しんで取り組む……課題とかは無いの?」

 

「ええ、自由ですね」

 

 葵が首を傾げる。

 

「いつも、どこかしら窮屈な部分は感じていた……」

 

「そうでしょう」

 

「だけど、いざ自由だ! と言われても、正直戸惑ってしまうよ」

 

「ふむ、それもまた無理のない話ですね……」

 

「なんか作るものとか決まってないの? 調理実習でしょ?」

 

 そう、葵の言ったようにこれは調理室で行われる調理実習なのである。実習で作る料理が何も決まっていないというのもいささか妙な話である。爽はためらいがちに口を開く。

 

「……どうやら一部の問題児が混ざるという話もあるようですが、この教室には基本前期の家庭科の授業はみな優秀だったものたちがほとんどです。葵さまも含めてですね」

 

「……少し不穏なワードが聞こえたね」

 

 葵が顔をしかめる。

 

「葵さまに至っては、全くお気になさらずに調理実習という名のオリエンテーションを楽しんで頂ければ構いません」

 

「楽しむねえ……」

 

「例えば、同じ班同士でおいしいスイーツを食べさせ合うとか……」

 

「なるほど……」

 

「勉強やスポーツに頑張っているご学友になにかお昼の差し入れを作るとか……」

 

「それもいいかもね……」

 

「もちろん、決めるのは葵さまです」

 

「景もっちゃんに『これ、さぎりんの作ったスイーツだよ♡』って持っていくのは?」

 

「葵さま……なかなか面白いアイデアですがアウトですね」

 

「アウトか~」

 

 葵は頭を抱える。

 

「ふむ、調理実習で勝負カ……」

 

 葵たちから離れた所でイザベラが呟く。

 

「そうよ」

 

 イザベラの隣で憂が頷く。

 

「少し気になることがあるナ……」

 

 イザベラは腕を組んで首を捻る。

 

「気になることってなによ?」

 

「……」

 

「そんなこと言って、怖じ気づいたんじゃないでしょうね?」

 

「恐怖心などというものはとうの昔に捨てていル……」

 

 イザベラが鋭い眼光で憂を睨む。

 

「じょ、冗談よ……そんなに圧を込めないで頂戴……」

 

「気になることとは勝負の方法ダ……」

 

「勝負の方法?」

 

「そうダ」

 

「料理対決なんだから、どちらがより美味しい料理を作れるかどうかってことでしょう」

 

「それは分かっタ」

 

「ならいいじゃない」

 

「ただ、それを誰が判定すル?」

 

「! そ、それは……」

 

「まさか決めていなかったのカ……?」

 

 イザベラが呆れ気味に首を傾げる。

 

「うちのお嬢様にでもお願いしようかと思っていたんだけど……」

 

「五橋八千代カ……」

 

「ええ」

 

「そういえば姿が見えないナ」

 

「今は補習授業中よ」

 

「それは意外だナ、優等生だとばかり思っていたガ」

 

「唯一、苦手な科目があってね……赤点を取ってしまったのよ」

 

「フム……」

 

「授業の要点をまとめたノートをお渡ししたんだけど、しっかりと目を通さなかったみたいね……全く詰めが甘いのよ……」

 

 憂が目を閉じて首を左右に振る。

 

「では、判定員が不在ということだナ?」

 

「まあ、そうなるわね」

 

「それならバ……」

 

 イザベラが教室を見渡し、納得したように頷いて呟く。

 

「決めたゾ」

 

「え?」

 

「若下野葵に頼むとしよウ」

 

「ええっ⁉」

 

 憂が驚きの声を上げる。

 

「何をそんなに驚くことがあル?」

 

「い、いや、だって……」

 

「だっテ?」

 

「だ、伊達仁さんとかは駄目なの?」

 

「悪くはないガ、どうせならショーグンに頼むのも一興ダ」

 

「そ、そうは言っても……」

 

「ノリの良い奴ダ、頼めば承諾してくれるだろウ。ヨシ……」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 憂は葵の元に行こうとするイザベラを止める。

 

「なんダ?」

 

「つまり、上様の舌を満足させる料理を作るということね?」

 

「そうなるナ」

 

「心を掴めということになるわね?」

 

「多少大袈裟な気もするが、そうダ」

 

「分かったわ」

 

「ならば頼んでくル」

 

「なかなか面白そうなこと考えているじゃねえか、お嬢さん方」

 

「きゃっ⁉」

 

「!」

 

 いつの間にかイザベラたちの近くに橙谷弾七が立っていた。

 

「い、いきなり声をかけないで下さいよ、橙谷さん……」

 

(気配を感じなかっタ……このチャラ男出来ル……)

 

「調理実習が一緒になれたのは幸運だと思っていたが、距離を縮めるには、もう一工夫欲しいと思っていたところなんだ……その料理勝負、俺も混ぜてもらうぜ」

 

「「!」」

 

 突然の弾七の申し出にイザベラたちは驚いた。



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料理の変人

「さて、少々妙なことになったけど、やることは変わらないわ……」

 

 憂は自らに言い聞かせるように呟くと、調理にとりかかる。

 

「まずは有備さんが動きましたね」

 

「迷いがみられないね」

 

 自分たちも調理をしながら、爽と葵が突如として始まった憂、イザベラ、弾七の三人による料理対決の行方を見守っている。

 

(食事の構成は主食・主菜・副菜がベター。主食はシンプルにご飯と行きたいところだけど少しひねるとしましょう……江の島名物と言われている、これよ!)

 

「あ、あれは⁉」

 

「しらす……ですね、なるほど、丼ぶりにするということですか」

 

 驚く葵の横で、爽は冷静に解説する。

 

(この江の島の地で豊富な海鮮を活かさないという手はありえないわ! 主菜と副菜も魚料理中心で攻めていくわよ!)

 

「……」

 

「どわっ⁉」

 

 しばらく黙っていたイザベラが動き出し、コンロの火をいきなり最大に燃え上がらせたので、隣の憂は驚いた。

 

「サテ……」

 

 イザベラはコンロの上に網をしき、さらにその上に鉄製の串に刺した数種類の肉を置いて焼いていく。

 

「な、なにを……?」

 

「知らないのカ、肉ダ」

 

 イザベラは憂の疑問に答える。

 

「そ、それは分かっているわよ!」

 

「そうカ」

 

「何をやっているのかを聞いているのよ!」

 

「『シュラスコ』を作っていル」

 

「しゅ、修羅崇光ですって?」

 

 憂が首を捻る。

 

「シュラスコダ……何ダ、その日本刀の様なイントネーションハ……」

 

「い、いや、耳慣れない言葉だったもので……」

 

「シュラスコは岩塩をよくすり込ませた牛や羊などの畜肉を鉄製の串に刺し通し、強火でじっくりと焼くブラジルの肉料理ダ、ブラジルだけでなく南米でよく食べられている料理だナ……」

 

「な、南米ですって⁉」

 

「そうダ」

 

「な、なんでまた南米の料理を?」

 

「理由は三つほどあル……」

 

「け、結構多いわね」

 

 戸惑う憂をよそに、イザベラは遠い目をして語りはじめる。

 

「まず一つ、この江の島というところは、南米によく似ている……」

 

「そ、そうかしら⁉」

 

「アア」

 

「どこら辺が?」

 

「空があって、海があるからナ」

 

「大体地球上のどこでも該当するでしょ、それ!」

 

「次二……」

 

「無視すんな!」

 

「やはり江の島=肉だからナ」

 

「そのイコールはまったく成り立たないと思うわよ!」

 

 憂は自分の調理を手際よく進めながら、イザベラの発言に突っ込みを入れる。

 

「最後に三つ目だガ……」

 

「勝手に話を進めるのね……」

 

「このシュラスコは懐かしい味なんダ」

 

「懐かしい?」

 

「そう、故郷を思い出すとでも言うべきカ……」

 

「あ、貴女、南米出身なの?」

 

「いや、別にそういうわけではないガ」

 

「なによそれ!」

 

「なんでそんなことを聞ク?」

 

 イザベラが不思議そうに首をかしげる。

 

「故郷がどうだとか言うからでしょう⁉」

 

「まあ、こういう稼業をしているト、世界中が故郷のようなものだからナ……」

 

「そ、そうなのね……」

 

「思い出は数えきれないほどあル……」

 

「そ、そう……」

 

「大体が血と硝煙の匂いに包まれた思い出だナ」

 

「物騒極まりない!」

 

「この臭いを嗅ぐと思い出すナ……」

 

「って、焦げてんじゃないの⁉」

 

「オオ……」

 

「ちゃんと手元を見ながらしなさいよ!」

 

「ウム、まあいい、出来タ」

 

「いくらなんでも大雑把過ぎるでしょ!」

 

「ふふふ……こりゃどうやら俺の勝ちかな」

 

 憂の逆隣で調理をしている弾七が笑みを浮かべる。

 

「なんですって⁉」

 

「そう言えば貴様もいたナ、ふしだら浮世絵師」

 

「ひ、酷い言われよう! でも美人だからある意味褒め言葉!」

 

「気持ち悪いこと言わないで頂戴!」

 

「そろそろ調理終了のお時間ですが……皆さんよろしいでしょうか?」

 

 爽が近寄ってきて三人に尋ねる。

 

「いいゾ」

 

「ま、まあ、良しとしましょう」

 

「完璧だぜ」

 

「それでは……調理の様子は逐一見させて頂きましたので、特に問題なく、葵様による実食へと移らせていただきます」

 

 三人の作った料理を葵が順に食べる。

 

「……ごちそうさまでした」

 

「葵様、ではまず、一番美味しくなかったのは誰の料理でしょう?」

 

「う~ん、言いにくいけど……弾七さんかな」

 

「な、なんだと⁉」

 

「さすがは一流の絵師さんだけあって見映えこそ良いんだけど、肝心の味が全然ついてきていないというか……後、野菜だけというのもちょっとね、野菜は好きなんだけど」

 

「くっ、彩りを意識し過ぎた……力を入れるところを間違ったか」

 

「では、有備さんと西東さん、どちらが美味しかったですか?」

 

「う~ん、ういちんかな」

 

「う、ういちん⁉ って、私⁉」

 

「シュラスコも美味しかったけど、大分焦げていたからね……しらす丼に軍配かな」

 

「おめでとう、君の勝利ダ」

 

「な、なんか、全然達成感というものが無いんだけど……」

 

 イザベラの称賛を受けた憂は目を細めながら呟いた。



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迷ったらアレ

「ショーグンの称賛を受けて良かったナ……」

 

 昼食後の休憩時間中、宿舎近くでイザベラが憂に声をかける。

 

「う~ん……」

 

「どうかしたのカ?」

 

 憂が首を傾げて呟く。

 

「な、なにか釈然としないんだけど……?」

 

「ふっ、そんなことカ。例えバ……大事なことを忘れているのではないカ?」

 

「大事なこと?」

 

「ショーグンが口にするものを作るということをよく考えてみロ……」

 

「はっ⁉」

 

 憂が愕然とする。

 

「気づいたカ……貴様は絶好の機会をふいにしてしまったのダ……」

 

「ど、毒を盛るとか、さすがにそこまではしなくても痺れ薬を混入させるとか、惚れ薬を飲ませるとか……やり様はいくらでもあったのに……」

 

「惚れ薬についてはよく分からんガ……」

 

「私としたことが……普通に料理を作ってお出しするとか……何をやっているのよ……」

 

 憂が頭を抱える。

 

「まあ、少しでもおかしな動きを見せたら、私が黙ってはいなかったがナ」

 

 イザベラが笑う。

 

「それにしてもよ……なんとも情けないことを……」

 

 憂がうなだれる。

 

「果たすべきことを果たせずに終わってしまった辛さは理解出来なくもないナ……」

 

「……」

 

「今、貴様は自分のことを不甲斐ないと思っているだろウ?」

 

「不甲斐ない……それも勿論あるけど、情けないという思いが強いわね」

 

「ほう、情けないカ……」

 

 イザベラは憂の答えに興味を示す。

 

「何を平和ボケしてしまっているのか……」

 

「フム……」

 

「自分の将軍位に懸ける想いなんて所詮そんなものだったの? というような感情も湧き上がってきているわ」

 

「成程ナ……」

 

 イザベラが頷く。

 

「自分で自分に腹が立つというか……あ~なんて言えば良いのかしら!」

 

 憂が自分の頭を掴んで、髪をわしゃわしゃっとする。

 

「今、私が言えることハ……」

 

「え?」

 

「そのような状態に至った原因を取り除くのダ……」

 

「原因?」

 

「ああ、今の貴様は迷いを抱えていル……その迷いをどうにかしなければならなイ……」

 

「そんなことを言われても……どうすれば良いのよ⁉」

 

 憂が叫ぶ。

 

「まあ、落ち着ケ……それを解決出来る人材を呼んでおいタ……」

 

「え?」

 

「……来たようだナ」

 

「……いやいや、改めてこんにちは、いや、ハローって言うべきかな? 西東イザベラちゃんだっけ? お呼び出し頂いて光栄だよ」

 

 弾七がその場に姿を現す。憂が驚く。

 

「橙谷弾七! ……さん?」

 

「ああ、有備憂ちゃんだね、さっきの調理実習ではどうも」

 

「ど、どうも……」

 

「で? 美女二人が揃って何の用だい?」

 

「橙谷弾七……貴様には我々と相撲を取ってもらウ……」

 

「えっ⁉」

 

「はっ⁉」

 

 弾七と憂が驚きの声を上げる。

 

「そ、それは……」

 

「ちょ、ちょっと! どういうことよ⁉」

 

「相撲を取れば分かル……騙されたと思ってやってみろ」

 

「な、なんでそんなことを……」

 

 戸惑う憂を余所に、イザベラが声をかける。

 

「休憩時間も残り少なイ……橙谷、まずはこの女と相撲を取レ」

 

「い、いいのかい?」

 

「ああ、遠慮なくナ」

 

「美女と合法的にくんづほぐれつ……こんなことがあるとは……合宿最高!」

 

「では、行くゾ……はっけよい……のこっタ!」

 

「よしっ!」

 

「!」

 

「なっ⁉ ぐえっ!」

 

 組み合う間もなく、弾七の体は宙を舞い、地面に落ちた。

 

「こ、これは……」

 

「分かったカ? よし、橙谷、次は私と勝負ダ」

 

「くっ、こんなはずは……次は勝つ!」

 

 弾七は勢いよく立ち上がる。

 

「はっけよイ……」

 

「のこった‼」

 

「フン!」

 

「どえっ⁉」

 

 弾七の体は先程よりも高く舞い、地面に叩き付けられた。イザベラは憂に尋ねる。

 

「どうダ?」

 

「な、なんだかスカッとしたわ!」

 

「それダ」

 

「え?」

 

「あまり難しく考え過ぎるナ……何事も意外と単純なものダ」

 

「よ、よく分かったような、分からないような……何故そんなことを教えてくれるの?」

 

「似たような立場だからかナ……何だか放ってはおけなくてナ……」

 

「ア、アンタ、結構良い奴ね! お礼に飲み物でも奢ってあげるわ!」

 

 どうやら妙なところで意気投合したらしい憂とイザベラはその場を去った。

 

「ぐっ……ん⁉」

 

 身体を起こした弾七は驚いた。やや軽蔑するような眼差しで自分を見つめる葵の姿がそこにあったからだ。

 

「お、女に抱き付こうとするなんて……破廉恥だとは思っていたけど……」

 

「ま、待ってくれ、大変な誤解をしている……!」

 

 弾七の制止も虚しく、葵は足早にその場を去ってしまった。横から爽が淡々と呟く。

 

「葵様の誤解はそれとなく解いておきます。なんらかの事情があるようですからね……」

 

「た、助かるぜ」

 

「ですがそれはそれ。橙谷弾七さん、これはややマイナスポイントですね……」

 

「し、審判はするのか⁉」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……失礼致します」

 

「ぐっ……」

 

 爽もその場を去り、弾七は再びガクッと倒れ込む。それを物陰から見た将司は呟く。

 

「流れが分かりませんが、橙も塗り潰せましたよ……ええ、金銀お嬢様にお伝え下さい」



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食後の企み

                  伍

 

「金銀お嬢様、対局お疲れ様です」

 

 合宿二日目の夕食後、宿舎のロビーで将司が挨拶する。

 

「ご苦労様」

 

 宿舎に戻ってきた金銀が応える。

 

「早くても明朝のお戻りかと思いましたが……」

 

「関係者からの連絡を聞いて、速攻で対局を終わらせてきました」

 

「ええと……タイトル戦ですよね?」

 

「そうよ」

 

「二日間の予定ではなかったのですか?」

 

「昨日も言ったでしょう、半日で切り上げてきたのです」

 

「ええ……」

 

 涼しい顔で言ってのける金銀に将司が戸惑う。

 

「何を戸惑っているのですか?」

 

「二日間行わないと、例えば、主催者やスポンサーなどに失礼に当たるという話を聞いたことがあるのですが……?」

 

「私の日頃の行いが良いからでしょうか、特に苦言を呈されたりはしませんでしたわ」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「それに一日で終わらせてはいけないというルールは存在しません」

 

「へ、へえ……」

 

「変に手加減をしたり、だらだらと引き延ばす方がかえって失礼だと私は思いますが」

 

「な、なるほど……」

 

「お腹が空きました。食堂に参りましょう」

 

「は、はい……」

 

 スタスタと歩く金銀に将司がついて行く。

 

「……ご馳走様でした」

 

「食後のお茶になります」

 

「ありがとう」

 

 お茶を持ってきた将司に金銀は礼を言う。金銀はお茶を一口飲んで尋ねる。

 

「……それで?」

 

「はい?」

 

「橙が塗り潰された件です」

 

「あ、ああ……」

 

「一体どのような経緯があったのです?」

 

「も、申し訳ありません。色々と探りを入れてみたのですが、極めて断片的な情報しか掴めませんでした……」

 

「別に構いません」

 

「え?」

 

「断片的でも情報があるのなら結構、後はそれらをパズルのピースの様に繋ぎ合わせれば良いだけのことです」

 

「そ、そうですか……」

 

「私はパズルゲームの類も得意ですから」

 

 金銀は小首を傾げ、こめかみの辺りを人差し指でトントンと叩いてみせる。

 

「は、はあ……」

 

「それで? 掴んだというピースは?」

 

「え、ええと……『料理』、『南米』、『相撲』です……」

 

「はっ?」

 

「『料理』、『南米』、『相撲』です」

 

「聞こえてはいます。なんですか、南米って」

 

「南アメリカ大陸のことで……」

 

「それは分かっています。何故その並びなのですか?」

 

「色々と探ってみた結果、これらのワードが浮かび上がったのです……」

 

「ふむ……」

 

 金銀が顎に手を当てて考え込む。

 

「い、如何でしょうか?」

 

「料理と南米、あるいは料理と相撲はなんとなく結びつきます。ですが、南米と相撲……?」

 

 金銀が首を傾げる。

 

「そこは相撲じゃなく、ブラジリアン柔術ですよね~」

 

「南米ですか」

 

「格闘技でなければ、サッカーの方が分かりやすいですよね」

 

「南米ですか」

 

「醤油味が好きです」

 

「煎餅ですか……ちょっと、黙っていて下さる?」

 

「す、すみません……」

 

 しばらく考え込んでから、金銀は首を左右に振る。

 

「……これは難解ですわね」

 

「す、すみません……」

 

「いえ、とにかく上様の橙谷弾七氏への信頼が揺らいだのならば結構です」

 

 金銀が満足気な笑みを浮かべる。将司が尋ねる。

 

「お、恐れながら……」

 

「なにかしら?」

 

「こ、今回のことは金銀お嬢様にとっても想定外のことだったかと思われますが……」

 

「確かに。それは否定しませんが、それが何か?」

 

「計画が変更になるのはお気に召さないかと思いまして……」

 

「まあ、戸惑いが全く無いと言えば、嘘になりますが……このことを前向きに捉えます」

 

「前向きに……ですか」

 

「ええ、そうです」

 

 金銀は力強く頷く。

 

「そうであればよろしいのですが……」

 

「話を変えましょう。将司、明日以降の上様のご予定は?」

 

「ええっと……こちらをご覧下さい」

 

 将司が端末を操作し、表示された画面を金銀に見せる。

 

「ふむ……ここのスケジュールで、私とご一緒しますわね……これは予定通りに進められそうですわね……しかし!」

 

「ど、どうしましたか?」

 

 急に大声を出した金銀に将司が驚く。

 

「……ここはもう一押しと行きましょうか」

 

「もう一押しですか?」

 

「ええ……ちょっと耳をお貸しなさい……」

 

 金銀が将司にそっと耳打ちする。

 

「……ええ?」

 

「大半の学生の目につくように今言った文章を流しなさい」

 

「そ、それは必要ですか?」

 

「将愉会のあの御方たちを釣り出すには必要です」

 

「あの御方たち……」

 

「ええ、きっと乗ってくるはずですわ」

 

「早い方が良いですね、早速情報を流してきます!」

 

 将司が立ち上がる。

 

「お願いね」

 

「はっ、失礼します」

 

「さて、この攻めの一手……どうなることかしら?」

 

 お茶を啜りながら、金銀は不敵な笑みを浮かべる。



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謎の盛り上がり

 翌日、砂浜に多くの生徒が集まっていた。金銀がメガホンを使って説明する。

 

「お集まりの皆様、大変お待たせをいたしました! 只今のこの砂浜でのレクリエーションの時間で行う、私、尾成金銀の発案した企画を発表いたします!」

 

「パチパチパチパチ~」

 

「よろしいですか? それでは……」

 

「ドゥルルル……ジャーン!」

 

「山王さん、拍手だけでなく、口でドラムロールの効果音までやっている……大変そうだな」

 

 金銀の脇で懸命に盛り上げようとする将司を見た葵が呟く。

 

「『豪華プレゼント争奪! スイカ割り・2on2』‼」

 

「ス、スイカ割り……2on2?」

 

 葵が首を捻る。金銀が声をかけてくる。

 

「おや、そちらにおわすは上様! なにか気になることでもございましたか?」

 

「色々ありますけど……まずスイカ割り・2on2とは?」

 

「あら、割り2をご存知でない?」

 

「知らない種目の馴染みない略称を言われても……スイカ割りをするということはなんとなく予想がつきますけど……」

 

「そうです! 二組のペアが同時に一つのスイカを狙い、相手のペアの様々な妨害をかわしつつ、先にスイカを割った方が勝者です!」

 

「やっぱりご存知なかったですね」

 

 葵がその場から離れようとする。

 

「ああ、上様どちらへ? 参加されないのですか?」

 

「いや、私はちょっと……」

 

「まさか……お逃げになるのですか?」

 

「え?」

 

「負けるのが怖いということですね?」

 

「いや、別にそういうわけではないですけど……」

 

「皆様! 上様が、征夷大将軍ともあろうお方が、敵前逃亡をなさるそうですよ!」

 

 金銀がメガホンを片手に大袈裟に騒ぎ立てる。葵は苦笑を浮かべる。

 

「そもそも敵って……」

 

「上様! 臆病者のそしりを受けてもよろしいということですか⁉」

 

「! そ、そこまで言われると話が変わってくるかな……」

 

「では参加されるということで!」

 

「でもペアだからな……組む相手がいないや」

 

「ここにおります!」

 

「⁉」

 

 葵の背後にいつの間にか大和が立っている。

 

「某、青臨大和! 畏れ多くも上様とペアを組み、その『スイカ割り・2on2』なる催しに参加させていただく!」

 

 大和の大声が辺り一帯に響く。金銀がニヤッと笑う。

 

「はい! 上様は体育会会長の青臨大和殿とのペアで参加されます! 腕に覚えのある方々はどんどんご参加下さい!」

 

 再びの金銀からの呼びかけに周囲の生徒たちも興味を持ち、自分たちも参加してみようという雰囲気になる。将司がすかさず声をかける。

 

「あ、参加申込受付はこちらです!」

 

「ど、どういうおつもりですか?」

 

 葵は参加受付をさっさと済ませてきてしまった大和を問い質す。

 

「なんの……ほんのレボリューションでございます!」

 

「レクリエーションです。そんな簡単に革命を起こされてはたまりません」

 

「……座興のようなものです。そこまで目くじらを立てるほどでもないかと……」

 

「むしろ、青臨さんこそ何故こんな座興に興味を?」

 

「!」

 

 葵の問いに対し、大和の顔付きが若干変わったのを葵は見逃さなかった。

 

「今、少し『ギクッ!』って表情になりましたよね?」

 

「な、なっておりません!」

 

「いや、なっていましたよ!」

 

「ま、まあ、座興といえども、なかなかどうして武芸の鍛練にも繋がる競技とのこと……ならば参加せぬわけにも参りますまい」

 

 大和は腕を組んでうんうんと頷く。

 

「……別に私は武芸の鍛錬を行いたくないんですよ」

 

「なんと、武家の棟梁たる征夷大将軍様がそのようなことでは……」

 

「ちょっと言葉が悪かったですね。鍛錬自体はしっかりと行っています。なにもこんなレクリエーションの場では行いたくないということです」

 

「なれど、参加申し込みはしてしまいました」

 

「キャンセルしてきます」

 

「……参加申込受付は終了しました! 参加されるペアはこちらの方へ集まって下さい!」

 

 将司が呼びかける。

 

「あ、遅かった……」

 

 葵は肩を落とす。

 

「なんのなんの! 上様の御身に危険なことあらば、某が必ず御守り致す! どうぞ大船に乗ったようなおつもりで構えていてください!」

 

 大和が葵の不安を吹き飛ばすように笑う。

 

「……危険なことがあるんですか?」

 

 葵はむしろ不安を大きくする。並んだ参加者の前で金銀が説明する。

 

「この『スイカ割り・2on2』ですが……今更説明不要ですね! それでは……」

 

「い、いや、説明をお願いします!」

 

 話を進めようとする金銀を葵が手を挙げて慌てて止める。金銀がため息を一つついた後、将司に目配せし、将司が説明を始める。

 

「……二組のペアが一つのスイカを割る競技です。それぞれのペアの内、抽選で選んだ一人が目隠しをします。この目隠しをした人だけが、スイカを割る権利があります。もう一人はその目隠しをした人をナビゲートしたり、他のペアを妨害することが出来ます」

 

「え⁉」

 

 驚く葵をよそに将司が説明を続ける。

 

「もちろん、妨害に対して応戦することも認められています。先にスイカを割るか、相手のペアを戦闘不能にした方が勝ちです」

 

「せ、戦闘不能って……」

 

「叩いても痛くないウレタン棒を使用しますので、怪我のリスクは軽減されます」

 

「軽減ってリスクはあるのね……」

 

「では、説明も済んだところで、ちょうど会場の準備も整いました! それでは『スイカ割り・2on2』、開催です!」

 

「うおおおっ!」

 

 金銀の言葉に周囲のギャラリーは既に興奮のるつぼである。葵は戸惑う。

 

「な、謎の盛り上がりを見せている……ん? あれあれ?」

 

 葵があるペアに駆け寄る。小霧と景元がそこには立っている。小霧が戸惑う。

 

「な、なんですの? 若下野さん?」

 

「ふ~ん、二人仲良く参加するんだ~」

 

「が、学生自由参加のレクリエーションです、何の問題があるのです!」

 

「いや、別に何も問題はないよ~♪」

 

 景元の言葉に葵はニヤニヤと笑みを浮かべて首を振る。将司が声をかける。

 

「第一試合、上様・青臨ペア、コートに入って下さい! 目隠しされるのは上様です!」

 

「参りましょう、上様!」

 

「一抹の不安が拭えないけど……こうなったら楽しみますか」

 

 葵は白い手ぬぐいを巻いて目隠しして、未知なる競技スイカ割り・2on2に臨む。



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たとえばこんなスイカ割り

「それでは第一試合、開始!」

 

「青臨さん! スイカの場所を教えて下さい!」

 

 ぐるぐる回ってから、よろよろと砂浜を歩き出した葵がウレタン棒を持ちながら、大和に向かって指示を仰ぐ。

 

「それには及びません! はああ!」

 

「どわあっ⁉」

 

「だ、第一試合、上様・青臨ペア勝利!」

 

「上様、やりました!」

 

「えっ⁉ 私スイカ割っていませんけど⁉」

 

「相手の初撃を躱しつつ返す刀で相手のペアをまとめて戦闘不能に追い込みました!」

 

「スイカ割りとは思えない言葉の数々⁉」

 

 葵が目隠しを外すと倒れ込む相手ペア二人の姿が目に入った。

 

「ぐう……」

 

「な、なんと……」

 

「心配は要りません! 峰打ちです!」

 

「峰打ちの定義を聞きたいですよ……」

 

 葵は若干引き気味になりながらコートから出る。

 

「それでは第二試合……」

 

 第二試合は第一試合より長引いたが、小霧と景元ペアが制した。葵が声をかける。

 

「おめでとう! 二人とも! 良い試合だったよ」

 

「ありがとうございます」

 

 景元が礼を言う。

 

「あれ、もしかして二人とも経験者? このスイカ割り2on2の?」

 

「いえ、流石にこんなエキセントリックなスイカ割りは初めてですわ……」

 

「そうなんだ、それにしても良い連携だったね。それに……」

 

「それに?」

 

 小霧が葵に問う。

 

「なにかこう……凄い執念みたいなものを感じたよ」

 

「ふむ……なかなかの洞察力ですわね」

 

「なにがそこまで二人を突き動かすの?」

 

「名門に生まれた以上、例え座興でも恥ずかしい振る舞いは出来ないということですわ!」

 

「そ、そう、言うなればこれは矜持、プライドの問題なのです!」

 

「ほ~プライドね……」

 

 二人の力強い言葉に葵は感心する。そこに大会の実況アナウンスが響く。

 

「第二試合は高島津・大毛利ペアが勝利を勝ち取りました! これは試合前にこそこそとおっしゃっていた『豪華プレゼント』の内の一つ、『ペア宿泊券』をなんとしても獲得したいというお二人の強い意志の表れでしょうか!」

 

「「どわあっ⁉」」

 

 思わぬ所からの暴露に小霧と景元は慌てふためく。葵は二人に冷めた視線を送る。

 

「なんだ、思ったより不純な理由だった……」

 

 なにやら言い訳を並べる二人をよそに葵はその場を離れる。大会はその後も順調に進んでいき、葵たちも含めて、残り四組のペアとなる。

 

「ふむ……」

 

 金銀が将司を伴って、実況アナウンサーに話しかけにいく。

 

「む! なにやら尾成殿たちが実況の方と話しております! 気になりますな!」

 

「それも気になるけど、いつの間にか実況アナウンサーさんがいたのって話だけどね」

 

 尾成たちとの話を終えた実況アナウンサーが立ち上がって告げる。

 

「え~大会主催者でもある尾成様からのご提案を受け、次の試合は四組が一斉に参加する、いわゆるバトルロイヤル形式になります!」

 

「ええっ⁉」

 

「ほお……」

 

「うおおおっ!」

 

 突然の変更に驚く葵たちを尻目にギャラリーの興奮は最高潮に達する。

 

「いわば2on2ならぬ2on2on2on2! さあ、参加者の皆様、コートへどうぞ!」

 

「やるしかありますまい!」

 

「くっ、し、仕方ないわね!」

 

「まず北側からコートに入ったのは、上様・青臨ペア! 征夷大将軍と体育会会長のペアがここでも頂点を狙いに行く! 抽選の結果、目隠しをするのは青臨選手だ!」

 

「ええっ、大和さんが目隠し⁉ くっ……それだけでもかなりの戦力ダウンだわ……」

 

 葵が渋い表情を浮かべる。

 

「東側からコートに入るは、高島津・大毛利ペア! 2年と組のクラス長と書記のペアが、念願のペア宿泊券を遮二無二狙いに行く!」

 

「そういうことを大声で言わなくてよろしいですから!」

 

 小霧がアナウンスに対し不満を漏らす。

 

「目隠しをするのは大毛利選手だ!」

 

「ぼ、僕か……」

 

「南側からコートに入るのは、尾成・山王ペアだ! 頭脳的な戦いに注目が集まります! 目隠しをするのは山王選手!」

 

「わ、我々が提案しておいてなんですが、この未知数のバトルロイヤル……大丈夫でしょうか? 金銀お嬢様……?」

 

「心配ご無用! 勝算は我にありです!」

 

 将司の不安を金銀は一蹴する。

 

「最後に西側からコートに入るのは、佐々江・安住ペアだ!」

 

「……?」

 

「やはり本名は知名度が低い! 二年い組の名物コンビ、介さん・覚さんだ!」

 

「! わあああっ!」

 

「おい、ギャラリー、なんだその反応の差は⁉ 誰も俺たちの本名知らなかったのか⁉」

 

「落ち着け、介……俺が目隠しをつけるのか……さて、どうする?」

 

「ふむ……この顔ぶれならば、取る手は一つだ」

 

 覚之丞の問いに介次郎が答える。各ペアの目隠し担当がその場でぐるぐると回る。

 

「……それでは試合開始!」

 

「コートのほぼ中央にスイカが置かれている! 大和さん! そのまま真っ直ぐです! ……って大和さん、どうしたんですか⁉」

 

 指示を飛ばした葵が驚く。大和が膝をついていたからである。

 

「気合いを入れて回り過ぎたせいで、思いの外目が回ってしまった!」

 

「なっ……大体で良いんですよ⁉ むっ⁉」

 

「上様、お覚悟!」

 

 介さん・覚さんが葵たちに迫る。葵が戸惑う。

 

「こ、こちらに向かってきた⁉」

 

「まずは戦力が一番のペアを潰す! 覚! そのまま真っ直ぐ進めば青臨だ! 奴は目が回ったのか、間抜けにも膝を突いている!」

 

「いつぞやの借りを返す絶好機だな!」

 

「くっ、このままじゃ……えい!」

 

 葵が足元の地面を思いっきり払う。それにより砂煙が舞う。

 

「ぬっ⁉ 視界が阻まれた……うおっ⁉」

 

「脛! もう一つ脛!」

 

 葵は薙刀の要領で介次郎と覚之丞の脛を打つ。思わぬ所に予期せぬ攻撃を喰らった二人は力なくその場に崩れ落ちる。

 

「あーっと! 介さん・覚さん、これは戦闘不能だ! 上様の見事なウレタン棒さばき!」

 

「あまり褒められても嬉しくない! 他のペアは⁉」

 

 葵が視線を向けると、ちょうど小霧と金銀が接敵するところであった。

 

「ウレタン棒といえど、文化系の方は危ないですわよ!」

 

「脳筋の方でも心配することは出来るのですね!」

 

「む! 先輩といえども許せぬ暴言! チェストー! ⁉」

 

 小霧は驚く。渾身の一振りが躱されたからである。金銀が笑う。

 

「そちらの流派の有効な攻略法はとにかく初太刀を外すこと! それにより勝利の確率は……格段に上がる!」

 

「がはっ⁉」

 

 金銀の意外にも鋭い一撃を喰らい、小霧は膝をつく。

 

「高島津さんは仕留めたわ! 将司! スイカは左斜め前まっすぐよ!」

 

「了解!」

 

 目隠しをした将司は金銀の指示に従い、スイカに向かって走り出す。景元が戸惑う。

 

「た、高島津! やられたのか⁉」

 

「た、大毛利くん! わたくしのことはよろしいから早くスイカを! そこから右斜め前にまっすぐですわ!」

 

「わ、分かった!」

 

「そうはさせないわ!」

 

 小霧の指示を受けた景元の前に金銀が立ちはだかる。

 

「くっ……うおおおっ!」

 

「なっ⁉」

 

 金銀が驚く。景元がウレタン棒をめちゃくちゃに振り回したからである。

 

「ど、どこでもいいから当たれ!」

 

「やけのやんぱち⁉ 定石外れ過ぎる! 迂闊に近づけませんわ!」

 

「今の内に!」

 

「しまった! まだ動けたの⁉」

 

 体勢を立て直した小霧が走り出し、将司の背後に迫る。

 

「! 後ろに殺気⁉」

 

「山王さん、お覚悟!」

 

「将司、とにかく初太刀を外しなさい! そしてスイカを割りなさい!」

 

「青臨流秘奥義……『青龍』!」

 

「⁉」

 

「……ああっと⁉ ここにきて青臨選手の強烈な一振り! コート内の皆が吹き飛ばされ、スイカも割れました! よって勝者は上様・青臨ペア!」

 

「出来れば使いたくはなかったが、出遅れてしまった故、やむを得まい!」

 

「お願いだから普通にスイカ割りさせてよ……」

 

 大和の強烈な攻撃の巻き添えを喰らって吹き飛んだ葵が呆れ気味に呟く。



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丘の上での誤解

 昼休みの僅かな時間、大和は葵をある場所へと呼び出した。

 

「絵師殿から聞いた穴場スポットの一つ……学校行事の昼休みというのが今一つ雰囲気が出ないが、二人きりになれる機会はそれほどない……ここで決める!」

 

 大和は葵を待っている間に丘に登る。相模湾を一望することが出来るこの丘は『恋人の丘』と呼ばれていて、その上には『龍恋の鐘』と呼ばれる鐘がある。鐘の近くの金網には沢山の南京錠が付けられている。それぞれの錠には二人の名前が書いてある。この錠を付けてから鐘を鳴らすと縁結びに大きな効果があるという。

 

「い、今更そんなことを言われても……」

 

「だから、申し訳ないとは思っていますわ」

 

「ん? あれは……」

 

 話し声がしたので、大和はその方向を覗いてみる。そこには景元と小霧の二人がいた。

 

「ここに南京錠をつけるっていう約束だったじゃないか」

 

「しかし、つけることによって『永遠の愛が叶う』ということなのですよね? ちょっと……それは考え直して欲しいのです」

 

「考え直して欲しいって……だからそんなことを言われても……」

 

「勝手を言っているのは承知しています。ただ、『永遠』となると尻込みしてしまって……」

 

「こう言ってはなんだけど、おまじないの一種だよ、そんなに真剣に捉えなくても……」

 

「貴方はそうでも、わたくしは真剣に捉えてしまうのです! ……ごめんなさい、大声を出してしまって……外してもらえませんか?」

 

「……その心変わりの理由を聞かせてくれないか?」

 

「ごめんなさい……それもちょっと……」

 

 小霧が目を伏せる。景元はため息をついて、ポケットを探る。

 

「仕方がないな……ん? あれ? うん? おかしいな……」

 

「どうしたのですか?」

 

「い、いや、この南京錠の鍵をどこかに落としてしまったみたいで……」

 

「ええっ⁉ それじゃあ、外せないじゃありませんか!」

 

「ま、まあまあ、繰り返しになるけど、単なるおまじないだから……」

 

「だからわたくしにとっては持つ意味が違うのです! 今はとてもではありませんが永遠を誓う気分になれないというのに……! なんとか外せませんか?」

 

「そう言われても……ふん! やっぱり無理だ……」

 

「そんな……」

 

「失礼!」

 

 二人の背後から大和が声をかける。小霧が驚く。

 

「せ、青臨さん⁉」

 

「失礼ながらお話が耳に入ってしまいました! その南京錠を外したいのですな!」

 

「え、ええ……」

 

「お二人ともちょっと離れていただきたい! ……はあっ!」

 

「「⁉」」

 

 二人は驚愕する。大和が手を振り下ろすと、南京錠が割れたからである。

 

「な……手刀で南京錠を破壊した?」

 

「正確に申せば、手刀から生じる風圧ですな!」

 

 小霧が大和に駆け寄る。

 

「凄いです青臨さん! 先程のスイカ割りも、目隠しをされた状態でも全員を吹き飛ばしてみせたあの活躍! ただ闇雲に棒を振り回すどこかのだれかとは大違い! ……あっ」

 

 小霧は『しまった』という顔で振り返ると、景元が体をぷるぷると震わせている。

 

「なるほど、僕の体たらくが君を失望させたというわけか……」

 

「し、失望というのは少し大げさで……」

 

「くっ!」

 

 景元がその場から走り去る。

 

「あっ! ……わたくしはなんということを……」

 

「お気になさるな……」

 

 大和が落ち込む小霧の肩にそっと手を乗せる。

 

「青臨さん……」

 

「『女心と秋の空』とはよく言ったものです! 多少の心の揺らぎは致し方ないものです!」

 

「今は夏ですけど」

 

「……兎に角それがしにも間接的に責任があります! 大毛利殿を呼び戻して参ります!」

 

「ああ、なんて頼りになる……それでこそ殿方というもの……!」

 

 小霧は目をきらきらと輝かせながら、自らの胸の前で大和の両手を強く握りしめる。

 

「し、失礼!」

 

 大和は優しく手を振りほどき、景元を追う。勢いよく走って行ったわりには、丘を少し下ったところで息切れしたのか、肩で息をして立ち尽くしている。

 

「はあ……はあ…」

 

「大毛利殿!」

 

「せ、青臨殿……」

 

「高島津殿の発言は誠のものではない! あまり気になさらぬ方が良い!」

 

「それは分かっているつもりですが……青臨殿と比べると、自分が情けなくなって……」

 

 景元が俯いて肩を落とす。大和がその両肩をがっしりと掴む。

 

「御身を必要以上に卑下することはありません!」

 

「!」

 

「皆それぞれ、人と違って当然! それでこの世の中は成り立っているのです! 大毛利殿には大毛利殿にしかない良いところがあるのです! それを誇った方が健康的です!」

 

「! せ、青臨殿!」

 

 景元が大和の胸に飛び込み、肩を震わせて泣く。

 

「男子といえども、辛い時はあるもの! 某の胸で良ければ、いくらでもお泣き下さい!」

 

 しばらくして落ち着いた景元は大和に頭を下げる。

 

「す、すみません……お見苦しいところを……」

 

「なんのなんの! それでは高島津殿のところへ戻りましょうか!」

 

「はい!」

 

 大和は景元を連れて、小霧のところへ戻る。二人はまだ若干の距離があるものの、とりあえずは仲直りしたようで、揃って丘を下る。大和は満足そうに頷く。

 

「うむ! 一時はどうなることかと思ったが、全て丸く収まったな!」

 

「……全て丸め込んだ?」

 

 鐘の近くから葵が怪訝そうに大和に声をかける。大和が驚く。

 

「うおっ⁉ 上様! い、いつの間にそこに?」

 

「さぎりんと両手を組んで意味深に見つめ合っているときから」

 

「い、いや、あれは別に見つめ合っていたわけでは……」

 

「しかも、返す刀でかげもっちゃんも口説き落とすとは……」

 

「か、返す刀って! 別に口説いていたわけでは……」

 

「手当たり次第だね。そういう人だとは思わなかったよ!」

 

「お、お待ち下さい! ⁉ 足がもつれて……奥義を放った反動がこんな時に……!」

 

「災難でしたね……」

 

「だ、伊達仁殿!」

 

「葵様の誤解は出来る限り解いておきます」

 

「た、助かります」

 

「ですがそれはそれ。青臨大和さん、これはややマイナスポイントですね……」

 

「し、審判はするのですか⁉」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……失礼致します」

 

「ぐっ……」

 

 爽もその場を去り、大和は力なく膝をつく。物陰で見ていた金銀は笑みを浮かべる。

 

「ふっ、青色も塗りつぶすことが出来ました……想定通りです」

 

「本当に想定されているのですか……?」

 

 金銀の側で将司が首を傾げる。



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不穏な打ち合わせ

                  陸

 

「ん?」

 

 宿舎の廊下を歩く葵が自らの端末の画面に目を留める。爽が尋ねる。

 

「葵様、どうかされましたか?」

 

「これ……」

 

 葵は画面を指差す。爽が覗き込む。

 

「『豪華賞品争奪! ビーチバレー大会』ですか……」

 

「面白そうだね、サワっち、参加しない?」

 

「日時は……今日これからですか……」

 

「参加者は直前までエントリー受付中だってよ」

 

 葵の誘いに爽は申し訳なさそうに首を振る。

 

「生憎、わたくし、午後は所用がありまして……」

 

「あ、そうなんだ」

 

「葵様は午後も自由時間でいらっしゃいますから、どうぞご参加なさって下さい」

 

「う~ん……」

 

 葵は首を傾げる。

 

「なにか問題でも?」

 

「いや、これ、二人一組で参加受付しているみたいなんだよね……」

 

「ああ、確かにビーチバレーですからね……」

 

「どうしようかな……」

 

 葵は端末を手際よく操作する。しばらく間をおいて爽が尋ねる。

 

「……如何でしょうか?」

 

「うん……他の子たちも空いてないってさ……」

 

「そうですか」

 

「仕方がないね、参加は諦めよう」

 

「そのようなことをおっしゃらないで下さい。折角の夏合宿です。時間はぜひとも有意義に使って頂かないと」

 

「そうは言っても……」

 

「少しこちらでお待ち下さい」

 

「え?」

 

「わたくしの代役を呼んで参ります」

 

「もう来ていル……」

 

「うわっ⁉」

 

 音もなくいつの間にか自らの背後に立っていたイザベラに葵は驚く。

 

「流石、話が早いですね」

 

 爽がにっこりと微笑む。葵がぼやく。

 

「ザベちゃん、普通に出てきてよ……」

 

「? これが普通だガ?」

 

「それが普通?」

 

「アア」

 

 イザベラが当然だろうとばかりに頷く。葵はため息をつく。

 

「はあ、まあいいや……」

 

「なにかマズかったカ?」

 

「いや別に。サワっち、もしかしてだけど?」

 

「そのもしかしてです。イザベラさんにわたくしの代役として参加して頂きます」

 

「代役?」

 

「……こちらです」

 

 爽は自身の端末を操作し、画面をイザベラに見せる。

 

「ビーチバレー大会カ……了解しタ」

 

「お願いします」

 

「い、いや、勝手に話を進めないでよ!」

 

 葵が慌てる。イザベラが呟く。

 

「皆まで言うナ、ショーグン。他の参加者を秘密裏に始末すれば良いのだろウ?」

 

「ぶ、物騒なことを言わないでよ!」

 

「ム、競技中にそれとなくカ? 多少ミッションの難易度が上がるガ……まあ問題はなイ」

 

「も、問題あるよ!」

 

「頼もしい限りです。それでお願いします」

 

「だ、だからサワっち、勝手に話を進めないでよ!」

 

「え?」

 

「エ?」

 

 爽とイザベラが揃って首を傾げる。

 

「え? じゃないよ! 駄目だよ、始末しちゃ!」

 

「始末とは言葉の綾です。もちろん、大会から棄権する程度ですよ」

 

「当然ダ。余計な騒ぎは起こしたくないからナ」

 

「そうじゃなくて! 私は純粋に競技を楽しみたいの!」

 

「純粋に?」

 

「純粋二?」

 

 爽とイザベラが再び揃って首を傾げる。

 

「いや、なんで言葉分からなくなっているの⁉ 純粋! ピュア! アンダースタン⁉」

 

「そ、それは分かりますが……よろしいのですか?」

 

「何が⁉」

 

「ショーグンの運動能力は高いガ……必ず優勝出来る保証は無いゾ?」

 

「それはそうでしょう⁉」

 

「な、なんと……」

 

「……構わないのカ?」

 

「だから何が⁉」

 

「いや、てっきり……」

 

「喉から手が出るほど豪華賞品が欲しいのかト……」

 

「興味が無いと言ったらウソになるけども! フェアに競技に臨んでこそでしょう⁉」

 

「ふむ……」

 

「なるほどナ……」

 

 葵とイザベラが揃って顎に手をやって呟く。葵は片手で頭を軽く抑える。

 

「……なにその発想はなかったってリアクションは?」

 

「確実に勝ちを獲りにいく為にイザベラさんに一仕事お願いしようと思いましたが……」

 

「そういう忖度いらないから!」

 

「……だそうです。あくまで純粋にピュアに競技を楽しんで下さい」

 

「逆に難しいナ……」

 

 葵の言葉にイザベラが腕を組む。

 

「他に頼める方がおりませんから……」

 

「まあ、ベストは尽くス。プロとしてナ……」

 

「だ、だから! 勝手に話を進めないでったら!」

 

 声を上げる葵に対して、爽が困った表情になる。

 

「ですが、他に予定が空いている方もおりません」

 

「べ、別に無理に参加しなくても!」

 

「先ほど申し上げたように、時間は有意義に使って頂かないと……ただぼうっとしていたのでは他の生徒に示しがつきません」

 

「そ、そうは言っても……ザベちゃん、ビーチバレー出来るの?」

 

「……要は人を痛めつけなければよいのだろウ?」

 

「理解の方向が怖い!」

 

「……自分が出ます」

 

「⁉」

 

 声のした方向に葵たちが顔を向ける。



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張り合うふたり

「秀吾郎?」

 

 そこには秀吾郎が腕を組んで立っている。秀吾郎は改めて口を開く。

 

「謎多き女性にこれ以上は任せられない……」

 

「黒駆秀吾郎……1年と組の生徒を装い、御庭番を務めているニンジャ……」

 

「う、うわあああ⁉」

 

 いきなりイザベラが核心に迫り始めた為、秀吾郎は慌てて大声を上げる。

 

「貴様のことは既に調べはついていル……」

 

「だ、第三者の前で軽々と話すな……!」

 

 秀吾郎は距離を詰め、イザベラに対し小声で抗議する。イザベラは首を傾げる。

 

「第三者……?」

 

「上様はともかく、伊達仁殿の前で……!」

 

 イザベラはそれとなく爽に向けて視線を向ける。爽は苦笑気味で首を左右に振る。

 

「その辺りの心配は不要なようだガ……」

 

「なんだと?」

 

「いいや、なんでもなイ……」

 

 イザベラはふっと笑って秀吾郎と距離を取る。葵が尋ねる。

 

「秀吾郎、どういうつもりなの?」

 

「上様、そのビーチバレー大会、自分と参加致しましょう!」

 

「え?」

 

「学校関係者ならば、誰とペアを組んでも問題ないです。当然男女ペアでも!」

 

「確かにそのようなことが書いてあるけど……」

 

「自分の運動能力ならば、必ずや優勝に貢献出来るはずです!」

 

 秀吾郎が力強く断言する。

 

「う~ん……」

 

「ちょっと待テ。いきなり出てきてなんだお前ハ……?」

 

 イザベラがやや不満気な表情を見せる。

 

「繰り返しになるが、謎多き女性に上様のことは任せられない!」

 

「……」

 

「少し失礼な物言いになっているのは謝る。だが、同じコート内ならば自分の方が上様のことを上手に守ることが出来る!」

 

「ホウ、言ってくれるナ……私には謎がすっかりバレている分際デ……」

 

「ぐっ⁉」

 

「ニンジャが聞いて呆れるナ……それともこの国のニンジャは皆この程度カ?」

 

「な、何を⁉」

 

 イザベラの言葉に対し、秀吾郎が色めき立つ。イザベラが笑う。

 

「フフッ……その程度で冷静さを失って、本当にガードが務まるのカ?」

 

「……言ってくれるじゃないか」

 

「事実を述べているまでダ……」

 

「多少諜報能力が優れているくらいで調子に乗ってもらっては困るな」

 

「なにヲ?」

 

 秀吾郎の発言に今度はイザベラの眉が若干動く。秀吾郎が続ける。

 

「こういった職務をこなすには『心技体』がバランス良く備わっていなければならない……」

 

「シンギタイ……」

 

「分かるか? つまりメンタルと……」

 

「皆まで言うナ、それくらいは知っていル……」

 

 イザベラは片手を上げて、秀吾郎の言葉を制する。

 

「む……」

 

「どちらが優れているカ……決めるとするカ?」

 

「ふん、面白い……」

 

「あ、あの二人とも……⁉」

 

 葵が声をかけようとしたところ、その場に風が巻き起こり、秀吾郎とイザベラの姿が一瞬その場から消える。爽が目を見張る。

 

「消えた……⁉」

 

「!」

 

 次の瞬間、ほぼ同時に二人がその場に戻ってくる。秀吾郎が片手を上げて呟く。

 

「砂浜の小石を拾ってきた」

 

「私は貝殻を拾ってきタ……」

 

「な、なんとこの一瞬で海岸まで⁉」

 

 爽が驚く。

 

「体、フィジカルは互角か……」

 

「その様だナ……」

 

「ならば……!」

 

「!」

 

「えっ⁉」

 

 葵が驚く。廊下の壁に手裏剣が突き立てられている。その刃先には蚊が力尽きている。

 

「あの蚊には反応出来なかっただろう?」

 

「よく見てみロ……」

 

「何?」

 

 秀吾郎が壁に向かって目を凝らすと、蚊の体に銃弾が撃ち込まれている。

 

「シュリケンよりも足がつかなイ……私の方が優れているかナ?」

 

「ちっ……だがタイミングはほぼ同時だったはずだ」

 

 秀吾郎がやや悔しそうに呟く。イザベラが苦笑する。

 

「負けず嫌いだナ。まあイイ……ギ、テクニックもほぼ互角。最後はシン、メンタルだガ……これは競うまでもなさそうだナ……」

 

「なんだと……どういうことだ?」

 

「ビーチバレー、真夏の砂浜……」

 

「?」

 

「白い雲、青い空、真っ赤な太陽……」

 

「なんの話をしている?」

 

「ショーグンのビキニ……」

 

「⁉」

 

「うら若き乙女の肢体がすぐ近くで躍動すル……」

 

「ぐっ⁉」

 

「貴様はこの誘惑に耐えきれまイ……」

 

「む、むう……」

 

「い、いや、普通にTシャツとハーフパンツで出るから!」

 

 葵が声を上げる。

 

「そ、そうなのですか?」

 

「秀吾郎、なんかちょっとがっかりしている?」

 

「い、いえ、そのようなことは!」

 

 秀吾郎が首を左右に激しく振る。その傍らでイザベラが微笑を浮かべる。

 

「いずれにせよ、どちらがショーグンのペアにふさわしいのか、決まったようだナ……」

 

「! まだだ! どちらが先に大会会場につくかで決めよう!」

 

「! まあイイ!」

 

 秀吾郎とイザベラが再びその場から姿を消す。爽が葵に尋ねる。

 

「如何なさいますか?」

 

「い、いや、私は純粋にビーチバレー大会を楽しみたいんだけど……」

 

「ふむ、それならば……」

 

 爽は端末を操作する。それからやや間があり、大会会場に葵が初老の男性を連れて現れる。

 

「あ、秀吾郎、ザベちゃん、私、この人とペアを組んで出るから」

 

「「⁉」」

 

 葵の申し出に秀吾郎とイザベラは揃って驚く。



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レジェンドオブオニワバン

「じゃあ、そういうことで……」

 

「ちょ、ちょっと待テ!」

 

 イザベラが珍しく動揺した様子で葵を呼び止める。

 

「なに?」

 

「だ、誰だ、その者ハ?」

 

「え? 用務員さんの高尾さんだよ」

 

「用務員?」

 

「学園関係者ならば誰とコンビを組んでも良いみたいだから……サワっちの推薦もあったから高尾さんにお願いしたよ」

 

「ソンナ……」

 

「高尾さんも腕に覚えがあるみたいだし、そうですよね、高尾さん?」

 

「昔取ったなんとやらですが……上様のお役に立てるのであれば……」

 

 葵に語りかけられ、高尾と呼ばれたジャージ姿の初老の男性は照れくさそうに頭を掻く。

 

「それじゃあ、参加申し込みしてくるから」

 

「ま、待テ! 我々はどうなル⁉」

 

「え?」

 

「え?じゃなイ!」

 

「そうです、上様。これでは一体何のためにイザベラ殿と競り合ったのか……」

 

 秀吾郎も困惑した様子で呟く。

 

「いや~なんというか……二人ともガチ過ぎてなんか引くっていうか……」

 

「ガチ過ぎル⁉」

 

「なんか引く⁉」

 

 イザベラと秀吾郎が愕然とする。

 

「私は純粋にレクリエーションとしてのビーチバレー大会を楽しみたいんだよね」

 

「で、では、自分たちはどうすれば……」

 

「二人がペアを組んで参加すれば?」

 

「「⁉」」

 

 葵の言葉に二人は驚く。

 

「それじゃあね」

 

 去っていく葵の背中を見ながら秀吾郎が頷く。

 

「それも悪くはないが……しかし」

 

「ああ、あの用務員……怪しいナ」

 

「「仕掛ける(ル)!」」

 

 秀吾郎たちが高尾に向かって飛び掛かる。

 

「……」

 

「なっ⁉」

 

「バ、馬鹿ナ……?」

 

 次の瞬間、飛び掛かった秀吾郎たちの背後に高尾が音もなく回り込んでいた。

 

「ふむ、筋は悪くないが……まだまだ青さがあるな」

 

「!」

 

「ナ、何ヲ……?」

 

「まあ、そういきり立つな。儂は決して怪しいものではない」

 

「そ、そう言われても……」

 

「十分怪しいゾ!」

 

「とにかく上様に危害を加えるつもりはない、むしろ逆だ」

 

「逆?」

 

「どういうことダ?」

 

「味方だ。お主らも大会に参加せよ。お手並み拝見といこうではないか」

 

「なっ!」

 

「ムッ!」

 

 高尾の言葉に秀吾郎たちは顔を険しくする。

 

「それでは失礼する……」

 

「……どうする?」

 

「上から目線が気に食わン……我々も参加すル」

 

「ああ、そうしよう」

 

 秀吾郎たちも参加を申し込み、ビーチバレー大会が始まる。

 

「おおっと⁉ 上様と用務員さんの高尾さんのコンビ、予想以上の快進撃だ!」

 

 実況アナウンサーが興奮しながら叫ぶ。イザベラが呟く。

 

「あの用務員、やはり只者ではないナ、動きに一切の無駄が見られなイ……」

 

「ああ……もしや!」

 

「どうしタ?」

 

 イザベラは声を上げた秀吾郎の方に視線を向ける。

 

「あの動き……やはり間違いない! 伝説の御庭番、尾高半兵衛(おだかはんべえ)殿だ! 現在は公儀隠密課特命係の特別顧問をされているはずだが……何故ここに?」

 

「レジェンドオブオニワバン……決勝の相手として不足はないナ」

 

「ああっと! 上様と高尾さんペア敗退! 決勝進出はならず!」

 

「「なっ(ナッ)⁉」」

 

 アナウンサーの実況に秀吾郎たちは驚く。葵と尾高がコート外に出てくる。

 

「あ~負けちゃった」

 

「……」

 

「と、特別顧問……」

 

 尾高は人差し指を自らの口元に当てて、小声で呟く。

 

「今は用務員だ……対戦を楽しみにしておったのだが、残念ながら叶わなかった。代わりに優勝してみせよ」

 

「!」

 

「今こそ御庭番の実力を示すのだ!」

 

「はい!」

 

「あまりひけらかすものでもないと思うのだガ……」

 

 元気よく返事する秀吾郎の横でイザベラが首を傾げる。

 

「イザベラ殿! こうなったら絶対優勝です!」

 

「目的が微妙に変わっていないカ?」

 

「尾高さまの弔い合戦です!」

 

「いや、死んどらんわ!」

 

 秀吾郎の失礼な物言いに尾高も思わず声を上げる。イザベラがふっと笑う。

 

「……まあイイ、ここまできたら勝つカ」

 

「ええ!」

 

「……さあ、いよいよビーチバレー大会も決勝戦です! まずはほぼノーマークの状態で勝ち上がってきた黒駆秀吾郎・西東イザベラコンビがコートに入ってきました!」

 

「きゃああ!」

 

「観客から黄色い歓声が上がっている! クールな二人のプレーにファンも急増中だ!」

 

「思いっきり目立っちゃっているけど良いのかしら……」

 

 葵が呆れ気味にコートに立つ二人を見つめる。

 

「対するは優勝候補大本命! 体育会副会長、上杉山雪鷹(うえすぎやまゆたか)と書記、武枝(たけえだ)クロエコンビ!」

 

「きゃあああ!」

 

「うおおおお!」

 

「学園屈指の実力者かつ美女たちの登場に観衆の興奮はさらにヒートアップ!」

 

「……先ほどの用務員さんの動きにはやや目を見張ったけど、退屈な大会ね」

 

 クロエはショートボブの金髪を撫でながら呟く。

 

「時間の無駄だ……さっさと決めさせてもらう!」

 

 雪鷹が銀髪のポニーテールを揺らしながら、颯爽とコートに入る。



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実況席上様面

「さて、厄介な相手が残ったものだな……」

 

「この学園屈指の実力者たちだろウ、相手にとって不足はなイ……」

 

 秀吾郎の横でウォーミングアップをしながら、イザベラは不敵な笑みを浮かべる。

 

「全く頼もしいことだな」

 

「手が震えているぞ? 臆しているのカ?」

 

「目ざといな……」

 

 秀吾郎は震える手を抑えながら苦笑する。

 

「どうすル? 棄権するカ?」

 

「まさか、これは『武者震い』というものだ」

 

「貴様はニンジャだろウ?」

 

「細かいことを気にするな……大事なのはいささかも戦意は衰えていないということだ!」

 

 秀吾郎は力強い眼差しでイザベラを見つめる。

 

「そ、それなら結構。私一人であの二人の相手はさすがに骨が折れるからナ……」

 

 イザベラは秀吾郎から目を逸らしつつ答える。

 

「思い出した、あの忍び、先に開催された魂の三本勝負で目立っていたな」

 

「黒駆秀吾郎くんね。忍びというのは隠しているみたいだから、言わないであげなさい」

 

 雪鷹の言葉にクロエが答える。雪鷹が啞然とする。

 

「あ、あれで隠しているつもりだったのか?」

 

「本人としてはね。こちらも気が付かないふりをするのが大人の礼儀ってものよ」

 

 クロエがわざとらしく両手を広げて答える。

 

「……それで貴様と双子のような奴は何者だ?」

 

「誰が双子よ! 確かに髪色や髪型は少し似ているけれども……」

 

「いや、よく見ればスタイルは雲泥の差だな、失礼した」

 

「そ、それも誤差の範囲でしょう⁉」

 

 クロエが自らの体を抑えながら、不満げな声を上げる。

 

「西東イザベラ、只ならぬ雰囲気を醸し出している……あんな生徒がいたとはな……」

 

「経歴などは調べたけど、典型的な文化系生徒よ。ここまで勝ち上がってくるとは意外ね」

 

「……夏休み前に別人が入れ替わった可能性は?」

 

「ま、まさか、そんな……」

 

「まあいい、ビーチバレーをしてみれば分かることだ」

 

 やや間があって試合が開始される。

 

「私にサーブを譲るなんて意外ね」

 

 笑うクロエに雪鷹が答える。

 

「向こうにとってはちょうど良いハンデだろう」

 

「なっ⁉ 見ていらっしゃい! すぐに終わらせてあげるわ! 貴女の出番は無しよ!」

 

「その意気や良し……」

 

「『風林火山・火の構え』!」

 

「おっと! 武枝選手派手な構えを取りました! 解説の上様、これはどうでしょうか?」

 

 実況アナウンサーが隣に座る葵に尋ねる。

 

「い、いや、そんなこと私に聞かれても……あ、あの、何で私が解説なんですか?」

 

「ああいうエキセントリックな方々とよく交流なさっているから、お詳しいかなって……」

 

「ど、どういうイメージ⁉」

 

「えい!」

 

「サーブを放った! おおっと⁉ ボールが燃えているぞ⁉ 解説様、これは一体⁉」

 

「解説様って⁉ だから私に聞かれてもチンプンカンプンですよ!」

 

「火の構えを用い、ボールを火で燃やしたのです」

 

「用務員さん!」

 

 葵はいつの間にか自らの傍らに立っていた用務員に驚く。なお、自分を征夷大将軍にスカウトした尾高半兵衛だとはまだ気づいていない。

 

「『竜巻』!」

 

「!」

 

「おわっと⁉ コート上に竜巻が発生し、火はあっという間に消えた! 黒駆選手、難なくボールをトスする!」

 

「風の術を用い、消火したか、しかし、あそこまで術の練度を高めているとは……」

 

 尾高が感心したように呟く。

 

「舞い上がったボールにはジャンプ一番、西東選手がアタックの体勢に入っている!」

 

「なんの! 止める!」

 

「……普通に打っては無理か。魔術の類はあまり得意ではないが……『ラヨ』!」

 

「⁉」

 

「『凍結』!」

 

「ナッ⁉」

 

 ボールがコート上で凍っている。イザベラは信じられないといった顔で着地する。

 

「こ、これはどういう状況なのでしょうか? 解説様、用務員さんに聞いてもらえますか?」

 

「ついに使いパシリ⁉ え、えっと……どうなのでしょうか?」

 

「イザベラさんとやらが雷を付与したボールをアタックしました。強烈な一撃でしたが、上杉山さんは代々得意とする氷の術を使って、雷ごとボールを凍らせてしまったのです」

 

「……よく分かりませんが、そこそこ凄い戦いということですね!」

 

「貴方のそこそこ、ハードル高くないですか⁉」

 

 アナウンサーのマイペースな実況に葵は思わず突っ込む。雪鷹がボールを返そうとする。

 

「ちょっと待ちなさい!」

 

「なんだ?」

 

「一筋縄ではいかない相手よ! 久々に二人で力を合わせるべきだわ!」

 

「気が進まんな……」

 

「いいから行くわよ! 『火炎』!」

 

「ふん、『氷雪』!」

 

「うおっと⁉ これはなんだ⁉」

 

「だから私に聞かれても! なんでしょう⁉」

 

 葵が尾高に尋ねる。

 

「火の術と氷の術を敢えて反発させることによって、生み出されたその膨大なエネルギーをボールにぶつけたのです!」

 

「すごい勢いのボールが黒駆・西東ペアに向かって飛ぶ! これは万事休すか⁉」

 

「ム!」

 

「イザベラ殿! こちらも同様に参りましょう!」

 

「イ、イヤ、さすがにこのレベルは無理だろウ⁉」

 

「自分を信じて下さい! 先ほどの雷光を放って!」

 

 秀吾郎は真っ直ぐな眼差しでイザベラを見つめる。

 

「クッ! 『ラヨ』!」

 

 イザベラは自らに湧き上がってくる妙な気持ちに戸惑いながら、ボールに向かって雷光を放つ。秀吾郎が頷く。

 

「よし! 『烈風』‼」

 

「こ、これは⁉」

 

「どうでしょう⁉」

 

 葵はアナウンサーからの問いかけを右から左に受け流す。尾高が説明する。

 

「こちらは雷に強力な風を吹き付けさせたのですね。反発に対し、応用のイメージです」

 

「……ですって!」

 

 葵は半ばやけくそになりながらアナウンサーに伝える。アナウンサーは頷く。

 

「結構凄い技ということですね!」

 

「貴方のハードル高すぎませんか⁉」

 

 葵が再びアナウンサーに突っ込む。

 

「凄まじいエネルギーの奔流がコート上でぶつかっている!」

 

「それを目で追えているのも凄いですけど、まずこの状態に違和感を覚えましょうよ!」

 

「さあ、どうなるのか⁉」

 

 葵の言葉は無視されてしまった。そして、次の瞬間……。

 

「「「「⁉」」」」

 

 ボールが破裂した。多くの破片がコート上にひらひらと舞い落ちる。尾高が呟く。

 

「なんと、ボールが術の力に耐えきれなかったか……」

 

「それはそうでしょう。むしろよくコートが耐えましたよ……」

 

 葵が呆れ気味に語る。対照的にアナウンサーは興奮を抑えきれない。

 

「激戦! ビーチバレーの枠を超えた熱戦を目撃しました! 上様、如何でしたか?」

 

「……枠は超えなくて良いですから、普通のビーチバレーを楽しみたかったです……」

 

「さあ、集計結果が間もなく出るぞ!」

 

「集計結果?」

 

 葵が首を傾げる。

 

「ええ、ボールの破片がコート上に多く残っている方が負けとなります!」

 

「前代未聞過ぎる!」

 

「……結果が出ました! 勝者は黒駆・西東ペア! 大本命の上杉山・武枝ペアを退けての優勝です! これは大金星! 勝者には『バレーボール一年分』が贈られます!」

 

「いや、贈られても! ……ん?」

 

「やったぞイザベラ殿!」

 

「⁉」

 

「どうしたんだ? 嬉しくないのか?」

 

「嬉しくはあル……ダガ、こんな場所で抱きつくナ……ハ、恥ずかしイ……」

 

 イザベラが顔を赤くする。秀吾郎は慌てて離れる。

 

「おおっと! これは失礼! あまりの嬉しさについ……はっ⁉」

 

 秀吾郎は恐る恐る実況席を見る。自らに対し冷ややかな視線を向ける葵の姿がいた。

 

「嫌がる女に無理やり抱き付くなんて……破廉恥だとは思っていたけど……」

 

「ま、待ってください、これはその場の勢いというか……!」

 

 秀吾郎の制止も虚しく、葵はその場を去ってしまった。横から現れた爽が淡々と呟く。

 

「間に合ったと思ったらまた面倒なことに……葵様の誤解はそれとなく解いておきます」

 

「た、助かります」

 

「ですがそれはそれ。黒駆秀吾郎さん、これはややマイナスポイントですね……」

 

「し、審判はするのですか⁉」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……失礼致します」

 

「ぐっ……」

 

 爽もその場を去り、秀吾郎はガクッと膝をつく。それを見た将司は端末に呟く。

 

「金銀お嬢様、黒も塗り潰せましたよ……」



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テスト終わりの食堂

                  漆

 

「あ~テストしんどかった~」

 

 夕食を終えた葵は机の上に突っ伏す。爽がたしなめる。

 

「葵様、はしたないですよ」

 

「さすがに疲れたよ……」

 

「周りの目もありますから……」

 

「分かったよ……」

 

 葵はさっと姿勢を正す。爽はふっと笑う。

 

「……一日丸々テストは確かに大変でしたね」

 

「そうだよ、昨日は午前中に『豪華プレゼント争奪! スイカ割り・2on2』、午後には『豪華賞品争奪! ビーチバレー大会』に参加して体中筋肉痛なんだよ~」

 

「……どちらもレクリエーションではないですか。しかもプレゼントや商品に思いきりつられてしまっている……」

 

「それがどうしてなかなかハードだったんだよ! スイカ割り・2оn2は風圧で吹っ飛ばされるし、ビーチバレーはボールが破裂するし! そりゃあ豪華な景品も出るよ!」

 

 身振り手振りで熱弁する葵に対し、爽はやや首を傾げる。

 

「色々と突っ込みたいところはあるのですが……まずスイカ割り・2on2とは一体なんなのでしょうか?」

 

「あれ、割り2を知らない?」

 

「知らないものの略称を言われても……」

 

「二組のペアが同時に一つのスイカを狙い、相手のペアの様々な妨害をかわしつつ、先にスイカを割った方が勝者の種目だよ」

 

「何故スイカ割りでそんな殺伐としそうなことをしなくてはならないのですか……」

 

「う~ん、そこにスイカがあるからじゃない?」

 

「哲学的なことをおっしゃられても……」

 

「それは冗談。尾成さん発案の企画だってさ」

 

「ああ、そうなのでしたか、道理で……天才と呼ばれるような方の考えることは凡人にはよく理解が出来ませんね……」

 

 葵の言葉に爽は目を細める。

 

「最終的には四組が激しく入り乱れるバトルロイヤルになったよ」

 

「どうしてそうなったのですか。2оn2はどこに行ったのです」

 

「さあ? その場のノリじゃない?」

 

「どんなノリですか……」

 

 葵の発言に爽はただ困惑する。

 

「とにかく、思った以上に体力を消耗しちゃってちょっと筋肉痛になっちゃった次の日にテストはなかなか厳しいって話だよ」

 

「今日テストが行われること自体は決まっていたものですから……大変恐れ多いですがご自身のスケジュール調整に問題があったと言わざるを得ませんね」

 

「それにしても一日中テストとは……」

 

 葵が顔をしかめる。爽が眼鏡の縁を触りながら呟く。

 

「勉学は学生の本分ですから」

 

「先生みたいなことを言うね」

 

 爽の呟きに対し、葵が苦笑する。

 

「一日どころか、この約一週間の合宿ほとんど丸々補修やテストだという方々もいますから、その方々に比べればレクリエーションに複数参加出来るだけ恵まれています。もちろん、葵様が日々の学業にしっかりと励まれていたからですが」

 

「そう言われるとマシな方なんだ」

 

 爽の説明を聞き、葵は笑顔を浮かべる。そこからやや離れた席に金銀と将司が座っている。葵たちの様子を見つめつつ、将司が金銀に話しかける。

 

「金銀お嬢様、テスト大変でしたね……」

 

「そう? 仮眠が取れて、それなりに有意義な時間でしたわ」

 

「か、仮眠ですか?」

 

「ええ、どの科目も五分くらいで解き終わりましたから」

 

「ええっ⁉」

 

「そんなに驚くことかしら?」

 

「け、結構難しい問題もあったと思うのですが……」

 

「あれくらい私にかかればお茶の子さいさいですわ」

 

「……数字を書いた鉛筆を転がして、出た目を記入したんですか?」

 

「……それってマークシート方式とかでやることでしょう? 私は仮にマークシート方式でも、そんな運任せみたいなことは致しませんわ」

 

 金銀が将司に冷ややかな視線を向ける。将司が頭を下げる。

 

「し、失礼しました」

 

「それは良いとして……昨日のビーチバレー大会はどうだったのですか?」

 

「参加者は皆体操服姿だったので、女子生徒の水着姿を期待したギャラリーの男子生徒たちはがっかりしていました」

 

「……そんなことは聞いておりません」

 

 金銀が将司に対し更に冷ややかな視線を向ける。将司が再び頭を下げる。

 

「す、すみません」

 

「私が聞きたいのは黒が塗り潰せた件です」

 

「あくまでも偶然の産物ですが、黒駆と上様の関係には若干のひびが入りました」

 

「ビーチバレーというのは二人一組で行うものですよね? プレーの面で何らかの衝突でもあったのですか?」

 

「いえ、二人はそれぞれ別の相手とペアを組んでいました」

 

「え?」

 

「黒駆は西東イザベラという女子生徒と、上様は高尾さんと組まれていました」

 

「ちょっと待って。どなたですか高尾さんって?」

 

「用務員の方です」

 

「用務員さん?」

 

「なかなか鋭い動きを見せていらっしゃいましたよ。これが動画です」

 

 将司は金銀に端末を見せる。動画を見た金銀が首を傾げる。

 

「この方、只者とは思えませんわ……この方の経歴は分かる?」

 

「え? い、いえ、そこまでは……」

 

「……まあ良いです。計画に支障はないでしょう」

 

「すぐに調べますか?」

 

「いえ、それには及びません。とにかく、厄介な黒をこの段階で塗り潰せたのは幸いですわ。正直どうしたものかと頭を悩ましていましたから」

 

「それはなによりです」

 

「どうやら風はこちらに吹いているようですわね」

 

 腕を組んで頷く金銀に対し、将司が尋ねる。

 

「金銀お嬢様、次の一手は?」

 

「……彼らは?」

 

「いつでも準備は出来ています」

 

「それは結構」

 

 将司の答えに金銀は満足そうに頷く。将司が重ねて尋ねる。

 

「ということは次の一手は計画通りですか?」

 

「ええ、彼らを呼んで頂戴」

 

「かしこまりました……」

 

 将司が端末を操作する。金銀が答えを待つ。

 

「……」

 

「……すぐにこちらに参ります」

 

「さて、一気に攻勢をかけるとしますか……」

 

 金銀が葵を遠目に見つめながら、不敵な笑みを浮かべる。



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兄弟の誘い

「葵様、この後はどうなさいますか?」

 

「う~ん……お風呂に入って、部屋で寝るにはちょっと早い時間帯なんだよね。なんというか、もったいないというか……」

 

「そんな貴女に朗報!」

 

「うわっ!」

 

 葵はいきなり声をかけてきた北斗に驚く。

 

「へへっ、上様こんばん~」

 

「ほ、北斗君……もう、驚かさないでよ~」

 

「めんごめんご~」

 

「兄上! 上様に対してなんということを!」

 

 北斗の後ろから南武が慌てて駆けつけてくる。

 

「え~ちょっと驚かせただけじゃん」

 

「ちょっとでも駄目なのです!」

 

「南武はお堅いな~」

 

「兄上が柔らか過ぎるのです!」

 

「まあまあ南武君、そんなに怒らないで……」

 

 怒る南武を葵がなだめる。北斗が笑う。

 

「ははっ、怒りやすい弟で悪いね」

 

「な、何故僕が悪いことになっているのですか⁉」

 

「まあまあ……」

 

「それで朗報とは?」

 

 葵に代わって爽が北斗に尋ねる。

 

「今、聞いた話によると……」

 

「女の話に聞き耳を立てるのは感心しません。減点対象ですかね……」

 

 爽の眼鏡がキラッと光る。北斗が珍しく慌てる。

 

「ちょ、ちょっと、厳し過ぎない⁉」

 

「冗談です」

 

「いや冗談キツいって……」

 

「減点って何?」

 

「なんでもありません。お気になさらず。それで?」

 

 葵の問いをはぐらかした爽が話の続きを北斗に促す。

 

「あ、ああ、上様、今の時間帯、暇を持て余してるんでしょう?」

 

「まあ、そうだね」

 

「そこでこれだよ!」

 

 北斗が自身の端末を葵に見せる。葵が画面に表示された文字を読み上げる。

 

「なになに……『毎年恒例! 夏の肝試し‼』?」

 

「この宿舎の近くで行われる肝試しイベントが今日これからあるんだよ」

 

「へ~」

 

「どう? 上様も参加しない?」

 

「夏の定番って感じだね。面白そう、参加しようかな」

 

「駄目です」

 

「え~なんでよ。爽姉ちゃん~」

 

 北斗が大げさに両手を広げて爽に抗議する。

 

「外はもう暗く、上様の警護が難しい状況だからです」

 

「爽姉ちゃんも一緒についてくれば良いじゃん」

 

「わたくし一人ではいささか心もとないです」

 

「この肝試しは最大四人一組で行動しても良いんだ。俺ら二人も一緒だからさ~」

 

「えっ⁉ ぼ、僕もですか⁉」

 

 南武がそんなこと聞いていないという顔になる。

 

「多少は心強さが増しますが、それでも……」

 

「イベント実行委員会の委員がそこかしこに配置されているしさ。それに一応学園の持っている土地の中だから、変な奴は入り込めないって」

 

「三人がいてくれるなら大丈夫だと思うけどな……」

 

「上様……参加したいのですね?」

 

「ダメ?」

 

 葵がまっすぐな瞳で爽を見つめる。爽はため息を一つついてから答える。

 

「はあ……仕方がありませんね……」

 

「やったあ! サワっち大好き!」

 

 葵が爽に抱きつく。

 

「兄上、ちょっと……」

 

 南武が北斗の腕を引っ張り、葵たちから離れる。

 

「なんだよ?」

 

「どういうつもりですか? 僕が怖いものが苦手って知っているでしょう?」

 

「でも、上様と一緒に過ごせるチャンスはあんまりないぜ?」

 

「そ、それは確かにそうですが……」

 

「これをいい機会として怖いものを克服しようぜ! カッコいいところを見せれば、上様の心を掴めるかもしれない、一石二鳥だ!」

 

「な、なるほど、そういうことなら……」

 

「参加するってことで良いな?」

 

「え、ええ、参加します……」

 

「男に二言はないな?」

 

「は、はい……」

 

 南武の答えに北斗はニヤリと笑う。

 

「よし、じゃあ動画をまわすから、南武はいつものように撮影係よろしく~♪」

 

「はっ⁉ そ、そんなの嫌ですよ!」

 

「参加するって言っただろう?」

 

「だ、だからと言って!」

 

「男に二言は無いんだろう?」

 

「ぐっ……」

 

「どうだ?」

 

「わ、分かりましたよ……」

 

「ははっ、良い弟を持ってお兄ちゃんは幸せだよ~」

 

「僕は不幸せですよ……」

 

 肩を組んでくる北斗に対して、南武は心底嫌そうな視線を向ける。

 

「まあそう言うなって、上様の覚えがめでたくなるかもしれないぞ?」

 

「カメラマンとしてね……」

 

「二人で何をこそこそ話しているんだろう?」

 

 北斗たちの様子を見て、葵が首を傾げる。爽が呆れ気味に呟く。

 

「こそこそ話の時点で大方ろくでもないことでしょうね……」

 

「え? なんか言った、サワっち?」

 

「いえ、ただの独り言です」

 

 爽は静かに首を振る。葵が北斗たちに声をかける。

 

「ねえねえ、そろそろイベント受付締め切り時間みたいだよ?」

 

「あ、そうだね~それじゃあ受付に行こうか」

 

 北斗が頷き、四人が宿舎の外へと向かう。

 

「楽しみだな~」

 

「ほんとだね~」

 

 葵と北斗が楽しそうな横で爽が心配そうな顔を、南武は苦笑を浮かべる。

 

「……凄い、金銀お嬢様の読み通りになりましたよ……」

 

 陰で様子を伺っていた将司が感心する。金銀が淡々と呟く。

 

「これくらい簡単な読みです。それでは私たちも参りましょうか」

 

 金銀たちも宿舎の外へと向かう。



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妙なヒートアップ

「受付終了したよ~」

 

 北斗が葵たちのところへ戻ってくる。葵が尋ねる。

 

「どうすれば良いの?」

 

「順番が回ってきたら呼ばれるからそれまで待機だね~」

 

「景品も出るという話でしたが、何かを競うのですか?」

 

 爽が北斗に問う。

 

「ああ、いくつかチェックポイントみたいなのがあってね。そこを周ってきたタイムを競うんだよ。あまりに時間がかかり過ぎると強制タイムアウトになるけど」

 

「なるほど……」

 

「是非とも上位に入って、景品を頂きましょう!」

 

 南武が声を上げる。葵が戸惑う。

 

「な、南武君、気合入っているね……」

 

「いやいや、これは余興なんだから、タイムアウトにならない程度にゆっくり回ろうよ」

 

「兄上!」

 

「南武は怖いからさっさと終わらせたいだけでしょ~?」

 

「南武君、怖いのダメなの?」

 

「そ、そんなことはありません!」

 

 葵の問いに南武は首を左右に激しく振る。

 

「ご無理はしない方が……」

 

「伊達仁さん! 無理などはしていません!」

 

「それならばよろしいのですが……」

 

「あんまり早く終わっちゃうと動画の取れ高がさ~」

 

「動画? まさか……」

 

 爽が北斗に視線を向ける。北斗があっけらかんと答える。

 

「ああ、『自由恥部』に上げる動画を撮影しようと思って。タイトルは『将軍と肝試ししてみた』っていうのにしようかなって」

 

「却下です」

 

「え~なんでよ?」

 

「葵様のプライベートを全世界に配信するなどもってのほかです」

 

「上様はどう?」

 

「え? 別に良いけど」

 

 葵があっさりと了承する。北斗が手を打つ。

 

「ほらきた!」

 

「葵様!」

 

 爽が葵に詰め寄る。

 

「な、なに? サワっち……」

 

「征夷大将軍ともあろうお方が肝試しで悲鳴を上げ、恐怖に泣きわめき、最悪粗相をしてしまったところを配信されてしまったら、幕府の威信に関わります……」

 

「そ、粗相って! そこまで怖がりじゃないよ!」

 

「もしもということがあります」

 

「こう言っちゃ悪いかもしれないけど、所詮は学生の出し物でしょう? そんなことにはならないって……」

 

「あ、動画は編集するから心配ないよ~」

 

「だから大丈夫だってば!」

 

 北斗の言葉に葵が声を上げる。

 

「ふふふっ、なにやら楽しそうですね!」

 

「うわあああっ⁉」

 

 突然の呼びかけに南武が驚く。呼びかけた金銀とその傍らに立つ将司が困惑する。

 

「そ、そこまで驚かれるとは……」

 

「尾成さん?」

 

「こんばんは上様。ご無沙汰しております」

 

「いや昨日も会ったばかりだけど……こんばんは」

 

 葵は金銀に挨拶を返す。

 

「この肝試しのイベントに参加されるのですね?」

 

「は、はい……」

 

「これは奇遇ですね。実は私たちも参加するのです」

 

「じ、実はって……」

 

「……恐れながら何が狙いでしょうか?」

 

 戸惑う葵に代わり、爽が尋ねる。

 

「狙いなんてありません。ただ純粋にイベントを楽しみたいだけです」

 

「嘘くさいな……」

 

「十中八九嘘でしょう……」

 

 葵と爽が小声で囁き合う。

 

「囁き合うのは止めて下さいますか? でも、そうですね……せっかくの機会ですから、どちらが先にチェックポイントを周ってゴールを競うというのはいかがでしょう?」

 

「いや、いかがでしょう?って言われても……」

 

「まさか……逃げるのですか?」

 

「!」

 

「残念です。征夷大将軍ともあろうお方がそれほどまでに弱腰だとは……」

 

「……その勝負、受けて立ちます!」

 

「葵様⁉」

 

 あっさりと挑発に引っかかった葵に爽が驚く。金銀が笑う。

 

「ふふっ、そうこなくては……」

 

「はあ……しかし、よろしいのでしょうか?」

 

「伊達仁さん。何がですか?」

 

「こちらは四人でそちらはお隣の山王さんとお二人……人数はあまり関係ないかとは思いますが、後になって不公平だとか言われても困りますので……」

 

「ああ、ご心配には及びません。こんなこともあろうかと助っ人を呼んであります」

 

「こんなこともあろうかって……助っ人?」

 

 葵が首を傾げる。金銀が声をかける。

 

「さあ、出ていらっしゃい!」

 

「はい」

 

「失礼します」

 

「! お、大きい……」

 

 陰から長身の双子が現れた。二人とも茶色がかった髪色で短く整った髪型をしている。

 

「ご紹介しましょう! 我が三年は組の名物双子、虎ノ門兄弟です!」

 

「初めまして、兄の虎ノ門竜王(とらのもんりゅうおう)です」

 

「初めまして、弟の虎ノ門竜馬(とらのもんりゅうま)です」

 

 二人は長身を折り曲げて葵に向かって丁寧に頭を下げる。北斗が鼻で笑う。

 

「なんだ、誰かと思ったら、俺らよりチャンネル登録者数の少ない虎ノ門兄弟さんか~」

 

「ふん、そうやって余裕をかましていられるのも今の内だぞ、黄葉原北斗……」

 

「なんだって?」

 

「黄葉原南武が怖いものが苦手だということくらい調べはついてある……」

 

「弟に足を引っ張られ、貴様らは無様な負けを喫する……その様子を動画に収めて配信してやる。それによりお前らの評判はガタ落ち……我々が『由恥部亜』として上に行く!」

 

「こ、怖くなんてありませんよ!」

 

「ほう、言ったな、黄葉原南武。ではどうだ? このイベントの最難関である『ナイトメアコース』で勝負するというのは?」

 

「そ、その勝負、受けて立ちます!」

 

「え⁉ な、南武君⁉」

 

「私たちを無視して勝手に話を進めないで下さる⁉」

 

 虎ノ門兄弟と黄葉原兄弟の思わぬヒートアップで肝心の葵と金銀は置き去りにされる。



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恐怖⁉ナイトメアコース!

「ここがこのイベント最難関コースの『ナイトメアコース』だ!」

 

 竜王が目の前に広がるコースを指し示す。葵が呟く。

 

「……暗くてほとんどなにも見えないんだけど……」

 

「こ、これは、さ、流石に、き、危険では?」

 

「思った以上の暗闇だね……」

 

「ふん、怖気づいたか、黄葉原兄弟! 良いんだぜ? ギブアップしても?」

 

「そうなると、貴様らの不戦敗だがな」

 

 竜王と竜馬がそう言って笑う。爽が心配そうに南武に声をかける。

 

「南武君、本当にあまり無理はしない方が……」

 

「ぜ、全然、む、無理なんて、し、してないですよ……!」

 

「……山王さん」

 

「は、はい……」

 

「尾成さんの狙いが今ひとつ不透明ですが、このコースは照明もほとんどなく危険です。勝負をするにしても、せめて普通のコースでは駄目でしょうか?」

 

「……自分も実はそのように考えていました。こんなコースでは金銀お嬢様も危ない」

 

「では、葵様たちに進言するとしましょう」

 

 爽と将司が葵たちに声をかけようとしたところ、竜王が声を上げる。

 

「この程度で音を上げるとは、将愉会とやら特に黄葉原兄弟は腰抜けの集まりか⁉」

 

「違うわ! ……良いわよ! この勝負受けて立ってやろうじゃない!」

 

「葵様⁉」

 

「それより本当はそっちがビビっているんじゃないの~?」

 

「なっ⁉ 上様といえども、聞き捨てならないお言葉! もちろん勝負に決まっています! この尾成金銀! 逃げも隠れも致しません!」

 

「金銀お嬢様⁉」

 

「……決まったようですね。ではこのコース担当の私が説明させて頂きます。このコースは3つのチェックポイントがあります。スタートからゴールまでちょうど一周するようなコース形態になっています。今年は参加チームが少ないので、時短の意味もあって、2チーム同時にスタートします。先にチェックポイントを周ってゴールした方が勝ちです」

 

 イベントの担当者が淡々と説明する。葵と金銀が頷く。

 

「……分かりました」

 

「了解いたしました」

 

「それではスタート位置についてください……よ~い、スタート!」

 

 両チームが揃ってスタートする。北斗が指示を出す。

 

「第1チェックポイント:茂みにあるお地蔵さまにお供えすることだよ」

 

「木陰って言うのが分かりにくいわね。この辺だと思うけど……」

 

「この暗さ、将司、どうにかなりません? 探すのも大変ですわ……」

 

「「あった!」」

 

 葵と金銀は同時にお地蔵さまを発見する。北斗が南武に、竜王が竜馬に告げる。

 

「南武、しっかり撮っておいてくれよ」

 

「竜馬、いい画を頼むぞ」

 

「わ、分かっています……」

 

「兄上、お任せあれ!」

 

「「……ひぃ⁉」」

 

 南武と竜馬の抑えた悲鳴が聞こえる。爽が尋ねる。

 

「カメラマンのお二方、震えていませんか? 大丈夫ですか?」

 

「「へ、変な火の玉が映りこんだ~!」」

 

 南武と竜馬が端末を放り投げて、走り出していってしまう。

 

「南武君⁉」

 

「竜馬さん⁉」

 

「……行っちゃった。何か怖いものでも見たのかな?」

 

「あっちがちょうどゴール方向だから大丈夫でしょ。仕方ない俺がカメラをやるか」

 

 北斗が端末を拾う。葵が心配そうな視線を向ける。

 

「本当に大丈夫?」

 

「大丈夫、大丈夫。第2チェックポイント:木陰の石碑の前で手を合わせることだよ」

 

「竜馬のやつめ、不甲斐ない! 俺がカメラを担当します!」

 

「それでは第2チェックポイントに向かいましょう!」

 

「あ、相手チームが先行したよ! こっちも急がないと!」

 

 走り出した金銀たちを見て、北斗が慌てる。

 

「じゃ、じゃあ行こうか……」

 

 葵たちもやや遅れて木陰にある石碑を探しあてる。

 

「ここで手を合わせれば良いんだよ」

 

「な、何の石碑なの……?」

 

「細かいことは気にしない! ほら、爽姉ちゃんも!」

 

「仕方ありませんね……!」

 

 その時、石碑がぐるっと回転し、爽と将司が裏側に引きずり込まれるが、葵たちは目を閉じて拝んでいる為、全く気がつかない。

 

「……これでよし。あれ? サワっちは?」

 

「将司の姿が見当たりませんわね……」

 

 葵と金銀は不安そうに周囲を見回す。

 

「多分、トイレにでも行ったんだよ! それより次のチェックポイントに向かおう!」

 

「山王ならば心配いりますまい! 上様に先行を許しています! 急ぎましょう!」

 

 北斗と竜王がそれぞれ、葵と金銀を促す。残った四人は再び走り出す。

 

「第3チェックポイント:罠をかいくぐれ!」

 

「どういうこと⁉」

 

「この先のゾーンには多くの罠が仕掛けてある! それをかわしてゴールを目指そう!」

 

「もはや肝試し関係なくない⁉」

 

「細かいことは気にしたら駄目だよ! さあ、急ごう!」

 

「くっ……ただでさえ真っ暗なのに……うわっ!」

 

 横から糸で吊るされた小さい丸太が飛んできたが、葵はなんとかかわす。北斗が叫ぶ。

 

「罠の起動するスイッチ的なものを踏んでしまったんだね! 慎重に、でも急ごう!」

 

「無理言わないでよ!」

 

 それでも葵は奇跡的に、金銀は持ち前の勝負強さを活かして、罠をかいくぐり、ゴール直前までたどりつくことが出来た。北斗が声をかける。

 

「上様、後もう少しだよ!」

 

「う~ん、不自然に土が盛り上がったところがあるんだけど……あえてそっちに行く!」

 

「上様、誠に天晴な勝負度胸! しかし、ここは裏の裏をかいて窪んだ所が正解です!」

 

 葵と金銀が前に踏み出す。すると、北斗と竜王の持っていた端末のライトが消える。

 

「ライトが⁉ くっ、こんな時に!」

 

「「きゃあ!」

 

 二人の女性の悲鳴が聞こえる。」

 

「上様!」

 

「その声は南武か! どうしてここに⁉」

 

「兄上! 適当に走っていたら着きました!」

 

「そうか! 上様の声があっちからした! 援護するぞ!」

 

「分かりました!」

 

「きゃあ!」

 

「「上様! ……あ、あれ?」」

 

「ゴールイン! コースをライトアップします!」

 

 コースがパッと明るくなると、落とし穴に落ちそうになった金銀を北斗と南武が精一杯支えている状態になっているのが明らかになった。

 

「あ、貴女たち……」

 

「い、いや、これはちょっと……」

 

「こ、こんなはずでは……」

 

「助けて下さったのはありがたいのですが、その……変なところを触らないで下さる?」

 

「す、すみません!」

 

「こ、これは不可抗力というやつです……」

 

「……その割にはなんだか嬉しそうだね、二人とも」

 

 笑顔の北斗たちを葵がジト目で見つめる。

 

「上様⁉」

 

「あ~良かった。無事だったんだね」

 

「お陰様でね。ちょっとコケたけど、なんとかゴールイン出来たわ」

 

「いや~流石は上様だ。なあ! 南武!」

 

「え、ええ、全く!」

 

「で? いつまでそうやっているわけ?」

 

 葵は金銀を大事そうに抱きかかえている二人を指差す。

 

「え? い、いや、体勢を引き上げないといけないから止むを得ないんだよ!」

 

「そ、そうです! 兄上の言う通りです!」

 

「ふ~ん、そうか、そういうことね。よく分かったよ」

 

「な、何が分かったのかな?」

 

 葵に北斗が恐る恐る尋ねる。

 

「やたら肝試しにこだわると思ったけど、そういうスキンシップ狙いだったんだね……」

 

「ま、待ってください、それは大変な誤解です……!」

 

 南武の制止も虚しく、葵はその場を去ってしまった。横から現れた爽が淡々と呟く。

 

「様子見にきたらまた面倒なことに……葵様へはそれとなくフォローを入れておきます」

 

「た、助かります!」

 

「持つべき物は爽姉ちゃんだ!」

 

「ですがそれはそれ。黄葉原兄弟さん。これはややマイナスポイントですね……」

 

「し、審判はするのですか⁉」

 

「そ、そりゃあないよ~」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……失礼致します」

 

「ぐっ……」

 

「そ、そんな……」

 

 爽もその場を去り、金銀の体勢を直した二人は膝をつく。将司が金銀に声をかける。

 

「金銀お嬢様、大丈夫でしたか……?」

 

「なんとかね、お陰で黄も二色塗り潰せました。体を張った甲斐があるというものです」

 

 金銀は腕を組んで不敵な笑みを浮かべる。



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朝の寝室

                  捌

 

「ん……」

 

「起きたカ?」

 

 葵が目を覚ますと、枕元からイザベラが覗き込んできた。

 

「う、うわあっ⁉」

 

 葵は驚いて飛び起きる。イザベラが不服そうな顔をする。

 

「人の顔を見て悲鳴を上げるとは、相変わらず失礼だナ……」

 

「だから、そうやって枕元にいられると驚くんだって……」

 

 葵が眠い目をこすりながらぼやく。

 

「警護対象の安全を確認せねばならんからナ……」

 

「も、もっとまともに確認してよ……ああ、おはよう、ザベちゃん」

 

「おはよウ……」

 

「うん……」

 

 葵が伸びをする。

 

「昨日はよく眠れたカ?」

 

「もうぐっすりと!」

 

「それは何よりだナ」

 

「だってさ、ほぼ一日テストだったんだよ!」

 

「それは把握していル」

 

「そういえば、ザベちゃんはテストどうだったの?」

 

「……それを聞いてどうすル?」

 

「え? 普通気になるじゃん、友達のテストの手ごたえとか」

 

「トモダチ?」

 

 イザベラはいささか驚いた表情になる。

 

「そう! で? どうだったの?」

 

「……まずは自分がどうだったのダ?」

 

「う~ん、ボチボチってところかな?」

 

「墓地墓地……そうか、聞いた私が悪かっタ……」

 

 イザベラが少々罰の悪そうな顔になり、すぐに顔を背ける。

 

「い、いや! 誤解していない⁉ まあまあだったってことだよ!」

 

「マアマア……」

 

「そうそう!」

 

「だったら初めからそう言エ……」

 

「いや、日本語ペラペラだから通じると思うじゃん!」

 

「戦場において思い込みというのは危険ダ……」

 

「ここは戦場じゃないよ! ワードがいちいち不穏なんだって!」

 

「戦場=仕事場みたいなものダ」

 

「ま、まあ、それで良いけどさ。で?」

 

「うン?」

 

「テストはどうだったの?」

 

「私は実ハ……」

 

「実は?」

 

「はっきりと言ってしまえバ……」

 

「ん?」

 

「この学園に潜入しているようなものダ」

 

「うん、それはなんとなく分かるよ」

 

「なッ!」

 

 葵の言葉にイザベラが驚いた視線を向ける。葵が戸惑う。

 

「な、なに……?」

 

「気付いていたのカ……?」

 

「そ、そりゃあねえ……」

 

「思っているよりは愚かではないということカ……」

 

「え? それじゃあ、今でも愚かって思っているってことじゃん!」

 

「なかなか鋭いナ……」

 

「馬鹿にしてんの? まあ、いいやザベちゃんのテストの出来は?」

 

「今さら学生どもと肩を並べてテストに臨むなどまったく馬鹿らしイ……」

 

「手を抜いたってこと? ダメだよ!」

 

「ダメ? なにがダ?」

 

「もしも追試になったら私のこと警護出来なくなるじゃん!」

 

「……警護を嫌がっていただろウ……」

 

「でも、これも何かの縁じゃん!」

 

「エン?」

 

「せっかくだからザベちゃんとも夏の思い出一杯作りたいよ!」

 

「!」

 

「だから追試だったら大変じゃん」

 

 葵の真剣な眼差しを見て、イザベラはプッと吹き出す。

 

「フフ……」

 

「何がおかしいのよ!」

 

「い、いや、なんでもなイ……」

 

「なんでもなかったらなんで笑うのよ⁉」

 

「まあ、少し落ち着ケ……深呼吸ダ」

 

 自らに迫ってくる葵をイザベラはなだめる。葵は深呼吸をする。

 

「……落ち着いたよ」

 

「素直だナ」

 

「深呼吸しろって言うから」

 

「テストだが、追試にはならない程度にはしておいタ。問題はなイ……」

 

「そ、そんなことが出来るの? ま、まさか、カンニング⁉ 腕利きのガンマンの技術を生かして……!」

 

「なにが悲しくてガンマンとして培った技術をカンニングに費やさねばならんのダ……」

 

「そ、それじゃあ、ちゃんとテストは受けたんだね!」

 

「だからそう言っているだろウ……」

 

「良かった、良かった!」

 

「! か、肩をばしばしと叩くナ……それよりショーグンはどうなんダ?」

 

「え?」

 

 葵が首を傾げる。イザベラはため息をつく。

 

「まあまあと答えたナ……むしろそちらの方が追試の可能性が高いんじゃないカ?」

 

「! そ、そう言われると……」

 

 葵が急に不安げな表情になる。

 

「……追試の受験者一覧、掲示板に張り出されていましたよ」

 

 爽が部屋に戻ってくる。

 

「え? ちょ、ちょっと見てくる!」

 

 葵は寝間着のまま飛び出す。爽はため息交じりでイザベラに尋ねる。

 

「葵様なら心配はいらないでしょうに……何を吹き込んだのですか?」

 

「別二……向こうが勝手に盛り上がっただけダ……」

 

「本日の予定ですが、把握されていますか?」

 

「勿論ダ」

 

「わたくしは参加できません。なかなか難しい警護になるかと思いますが……」

 

「問題はなイ……」

 

「どうやらあの方が動くそうです。一応警戒を……」

 

「ある筋からその情報は既に得ていル……心配するナ」

 

「流石ですね。よろしくお願いします」

 

 爽がイザベラに向かって丁寧に頭を下げる。

 

 



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生粋の江戸っ子

「……追試の心配はなかったよ。これで集中して臨めるよ」

 

「やる気十分じゃないカ」

 

「まあ、正直あんまり乗り気ではないんだけど……日程に組み込まれているからしょうがないよね。しかし、遠泳大会とは……」

 

 紺色の競泳水着姿の葵が同じく競泳水着姿のイザベラにこぼす。

 

「泳ぎは得意ではないのカ?」

 

「人並み程度かな」

 

「ショーグンなのだから、適当な理由をつけて見学でもすれば良かったの二……」

 

「皆の模範にならないといけないからさ。サボりは出来ないよ」

 

「真面目なことダ……」

 

 葵の答えにイザベラは苦笑する。

 

「ザベちゃん、泳ぎはどうなの?」

 

「100キロは余裕ダ」

 

「す、凄いね……」

 

「別に普通ダ」

 

「普通じゃないと思うけど……」

 

「そうでもしないとここまで生き残れなかっタ……」

 

 イザベラが遠い目をする。葵が戸惑う。

 

「そ、そうなんだ……」

 

「冗談ダ」

 

「本気なのか冗談か分かりにくい!」

 

「フフッ……」

 

 葵の言葉にイザベラは小さく笑う。

 

「私が言うのもなんだけど、こういう状態での警護は難しいんじゃない?」

 

「それほどでもなイ……泳ぎのスピードは自由に調節出来ル」

 

「き、器用だね……」

 

「むしろ問題ハ……」

 

「問題は?」

 

「海中からの刺客がいた場合の対処方法だナ」

 

「か、海中から⁉」

 

「アア……」

 

「さ、流石にそれは考え過ぎじゃないかな?」

 

「念には念をダ……」

 

「そ、そう……どうするの?」

 

「海中で妙な動きをする奴に対しては足が反応すル」

 

「そ、そうなの⁉」

 

「指先にまで警戒心を行き届かせているからナ……」

 

「た、頼もしい限りだよ……」

 

「ああ、大いに頼りにしてもらって構わなイ」

 

「ちょっと待った!」

 

「⁉」

 

「し、進之助?」

 

 水着姿の進之助がイザベラに迫ってくる。イザベラが冷静に問う。

 

「赤宿進之助カ……何か用カ?」

 

「アンタ、北南イザコザって言ったな……」

 

「西東イザベラダ……なんダ、その売れない漫才コンビみたいな名前ハ……」

 

「……それはともかく!」

 

「誤魔化した!」

 

 葵が驚く。進之助が問いかける。

 

「アンタ、何が狙いだ?」

 

「狙イ? ……将愉会の伊達仁から聞いていないカ? この合宿中のショーグンの警護を仰せつかっていル」

 

「だからそれだよ!」

 

「? 話がよく見えないナ……」

 

 イザベラは首を捻る。進之助が声を上げる。

 

「そうやってこいつに巧みに近づいて、あわよくば……お、お付き合いするつもりなんだろうが! そうは問屋が卸さねえぞ!」

 

「!」

 

 進之助の発言に周囲がざわつく。イザベラが珍しく狼狽する。

 

「な、何を言っていル⁉」

 

「オイラの目は誤魔化せねえぞ!」

 

「ば、馬鹿馬鹿しイ! 女同士だゾ⁉」

 

「今時、珍しいことじゃねえよ! オイラは生粋の江戸っ子だから詳しいんだ!」

 

「生粋の江戸っ子がそんな考えを抱くカ!」

 

 イザベラが声を上げる。葵が困惑気味に声をかける。

 

「よ、よく分かんないけど、進之助は何がしたいの?」

 

「知れたことよ! お前さんはオイラが守ってみせる!」

 

「‼」

 

 進之助の発言に周囲が再びざわつく。葵が恥ずかしがる。

 

「な、何を言っているのよ……」

 

「生憎、警護は間に合っていル。素人の出る幕ではなイ……」

 

「し、素人だと⁉ 誰に向かって言ってやがる!」

 

「お前にダ。生粋の江戸っ子が泳ぎに精通しているとは思えン」

 

「むう……」

 

「黙って自分の泳ぎに集中していロ……」

 

「確かに泳ぎがそこまで得意じゃねえ! だけどその辺は根性でなんとかなる!」

 

「ハ?」

 

 進之助の言葉にイザベラが首を傾げる。

 

「オイラはHHAを目指しているんだからよ!」

 

「なんだそれハ?」

 

「ハイパー(H)火消し(H)赤宿(A)だよ!」

 

 進之助がどうだとばかりに胸を張る。イザベラが目を丸くする。

 

「……」

 

「な、なんで黙るんだよ!」

 

「事前に調査はしていたガ……思った以上の馬鹿のようだナ……」

 

「な、なんだと⁉」

 

「これ以上の会話は不毛ダ……」

 

 イザベラがその場から離れようとする。

 

「ふん、ビビったのか!」

 

「ナッ⁉」

 

「なんだかんだ言って、オイラに勝つ自信が無いんだろう!」

 

「下らんことを言うナ。お前の相手など、赤子の手を捻るよりも容易イ……」

 

「面白え、試してみるか?」

 

「良いだろウ……受けて立ってやル……」

 

 進之助とイザベラが激しく睨み合う。葵が妙に感心する。

 

「さ、流石は進之助……ザベちゃんのペースを乱しちゃった……」

 

 そして、遠泳大会の始まる前に、八千代が壇上に上がる。葵が首を捻る。

 

「五橋さん? 何故あんな所二?」

 

「そういえバ、大会の実行委員に名を連ねていたナ……」

 

「毎年恒例の遠泳大会ですが……今年は『変則トライアスロン大会』に変更致します!」

 

「ええっ⁉」

 

 八千代の突然の宣言に葵たちは驚く。



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変則トライアスロン

「~~」

 

 皆がざわめくなか、八千代が話を続ける。

 

「単なる遠泳大会では、多くの方々にとって苦痛だというのが事前のアンケートで判明しました。よって、実行委員の権限をもって大会競技の変更という決断を下しました!」

 

「ず、随分とまた思い切ったことを……」

 

 葵が戸惑う。イザベラが首を傾げる。

 

「変則とハ……?」

 

「そこの貴女! 鋭い良い質問ですわ!」

 

 八千代に指差され、イザベラがやや驚く。

 

「き、聞こえていたのカ……」

 

「変則トライアスロンとは、まず長距離走を走り、その次は自転車ロードレース、最後に水泳を行います!」

 

「通常のトライアスロンとは真逆の順番で種目を行うのカ……」

 

「自転車のロードバイク、長距離走用のランニングシューズは参加人数分全て、我が五橋グループが用意させて頂きました!」

 

「さ、流石の財力……」

 

 葵が感心する。八千代が話を続ける。

 

「当日の急な競技変更に戸惑っている方も多いでしょうが、実際のトライアスロンよりはいずれも短い距離です。さらに幸いにも今日の遠泳大会に参加される方は揃いも揃って運動神経抜群の方々! きっと良いパフォーマンスを見せてくれると期待しております!」

 

「へっ、なんだか燃えてきたぜ!」

 

 進之助が拳で手のひらを叩く。八千代が声をかける。

 

「それではこれから十分後にスタートです! 皆さん準備をして下さい!」

 

 参加者は戸惑いながらも準備に入る。葵の下に八千代が近づいてくる。

 

「い、五橋さん……」

 

「上様、せっかくですから勝負いたしませんか?」

 

「勝負?」

 

「ええ、今日はわたくしと二年ろ組の生徒二名、計三名が参加します」

 

「はあ……」

 

「上様と将愉会の方が一名参加されるのですよね? 後一名はあの西東さんとやらを含めて……これでちょうど三対三ですわね」

 

「そ、それでどうするつもりですか?」

 

「計六名の内、もっとも先着した方が所属する組、もしくは会が勝利ということでいかがでしょうか?」

 

「い、いや、いかがでしょうかって言われても……勝敗を決めてどうするんですか?」

 

「そうですね……負けた方が勝った方の言うことになにか一つ従うこと……というのはいかがですか?」

 

「! そ、そんなリスクあること受け入れられません!」

 

 葵がその場を離れようとする。八千代が笑う。

 

「まさか……お逃げになるのですか?」

 

「!」

 

「征夷大将軍ともあろうお方が、自信がないのですね。それならば致し方ありません」

 

「……いいですよ、その勝負、受けて立ちます!」

 

「そうこなくては、良い勝負にしましょう」

 

「準備があるので失礼します」

 

「ふふっ、あの方の言った通りになりましたわね。掌の上で転がされているようで、少しばかり癪ですが……」

 

 八千代は葵の後ろ姿を見て、笑みを浮かべて呟く。

 

「進之助、ザベちゃん、少し話が……」

 

「遠泳でなくなって良かったナ。まあ、より無様な敗北を喫することになるのだガ……」

 

「ほざけ、圧倒的な差をつけて勝ってやるよ」

 

 葵が声をかけようとしたが、二人は依然として睨み合いを続けていた。

 

「あ、あのさ……」

 

「間もなくスタートです!」

 

「ああ、始まっちゃう……」

 

「ぶっちぎりの一位でゴールするのはオイラだ!」

 

「私はそういう輩を常に黙らせてきタ……!」

 

「ま、まあ、どちらも気合入っているみたいだから良いかな?」

 

 葵たちもスタート位置につく。係員が声をかける。

 

「よ~い、スタート!」

 

「!」

 

 勢いよく一人の生徒が飛び出す。葵が呟く。

 

「あれは確か……二年ろ組の竹波(たけなみ)さん……」

 

「フン、いくらなんでも飛ばし過ぎダ……」

 

「あんな無茶なペースが持つはずがねえ!」

 

 イザベラと進之助が冷静に分析する。レースは序盤からかなり縦長の隊列になる。竹波のハイペースについていくかどうかで各自の判断が分かれたからである。

 

「ず、随分差を付けられちゃったな……」

 

「ショーグン、焦るナ。二番手集団後方のこの位置がベストダ……」

 

 葵の呟きにイザベラが応える。しかし……。

 

「ペ、ペースが落ちねえ⁉」

 

 進之助が驚きの声を上げる。イザベラが舌打ちする。

 

「チッ! この日に合わせてコンディションを整えてきたのカ!」

 

「今ですわ!」

 

「! 五橋さん⁉」

 

 二番手集団から八千代ともう一人が飛び出す。進之助が声を上げる。

 

「しまった! 飛び出された!」

 

「絶妙なタイミングダ! くそっ! 出遅れタ!」

 

 イザベラの言葉通り、八千代たちの良いタイミングの飛び出しに二番手集団の誰もついていくことが出来ない。葵が焦る。

 

「二年ろ組の三人が先頭に!」

 

 まんまと抜け出した八千代たちは長距離走を終え、それぞれ自転車に跨り、これまた好スタートを決める。イザベラが声を上げる。

 

「今度は別の奴が先頭に立って、他の二人を引き連れる構図カ!」

 

「あれは呂科(ろしな)さん! あの人も運動神経が良い人だ!」

 

「……ということは自転車のスペシャリストの可能性があるナ!」

 

「マズいよ、マズいよ!」

 

「……ショーグンは別に焦る必要はないのではないカ?」

 

 イザベラが葵に問う。葵が答える。

 

「実は……かくかくしかじかで……」

 

 葵はレース前の八千代との約束を説明する。進之助が叫ぶ。

 

「それを早く言えよ!」

 

「いや、まさか五橋さんたちがここまでやるとは思わなくて……」

 

「相手を軽視するのは良くないゾ。それと、見え見えの挑発に乗るナ」

 

「はい……返す言葉もありません……」

 

 イザベラの言葉に葵は申し訳なさそうに俯く。進之助がイザベラに声をかける。

 

「お説教は後だ! イザコザ! 行くぞ!」

 

「イザベラダ! 分かっていル!」

 

 進之助に向かってイザベラが頷く。

 

「……ふふ、大分差を付けましたわね」

 

 八千代が余裕の笑みを浮かべる。竹波が声を上げる。

 

「まんまと狙い通りに行きましたね!」

 

「ええ、これもあの方の立案した作戦というのがいささか気に入りませんが……」

 

 八千代が一瞬渋い表情になるが、すぐにまた笑顔に戻る。

 

「このままのリードを保てば、我々二年ろ組の勝利です……って、なにっ⁉」

 

「どうしました、竹波君?」

 

「う、後ろを見て下さい!」

 

「え? なっ⁉」

 

 後ろを振り返った八千代が驚く。イザベラを先頭に将愉会のメンバーが縦一列となって猛然と追い上げてきたからである。イザベラが笑う。

 

「捉えタ!」

 

「な、なんてスピードなの⁉」

 

「ス、スリップストリームだ! 反則じゃないか⁉」

 

「これは変則トライアスロンなのだろウ⁉」

 

 竹波の指摘をイザベラが一蹴する。

 

「くっ! 呂科! もっとスピードを上げろ! こっちもやるぞ!」

 

「おう!」

 

「! ま、またスピードが上がった!」

 

「ロードレースの本場、欧州で鍛えた脚を舐めるなヨ!」

 

 イザベラもさらにスピードを上げる。しかし、なかなか差は縮まらない。

 

「どうだ!」

 

「いいぞ、呂科!」

 

「五橋さん! 3、2、1で飛び出して下さい!」

 

「わ、分かりましたわ!」

 

「……行きますよ! 3、2、1、ゴー‼」

 

「ええい!」

 

 呂科の掛け声に従い、八千代が前に飛び出す。葵が叫ぶ。

 

「五橋さんが先頭に立った!」

 

「憂から聞いていたのにナ。相手を軽視していたのは私も同じカ……オイ、赤毛!」

 

 イザベラが後ろを振り返り、進之助に声をかける。

 

「ああん⁉ オイラのことか⁉」

 

「他に誰がいル! 一番体力を残しているお前が先頭を狙エ!」

 

「お、おうよ! 任せとけ!」

 

 進之助が勢いよく飛び出し、八千代に猛然と迫る。八千代がそれに気づく。

 

「あ、赤毛の君⁉ 参加されていたのですね! い、いいえ、レースに集中ですわ!」

 

 首を激しく左右に振った八千代は自転車を降り、海に飛び込んで泳ぎ始める。



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火消しのプライド

「ちっ、大分離されたな!」

 

 進之助が自転車を降りて、海に飛び込む。

 

(赤毛の君は泳ぎはそこまでではない! わたくしなら逃げ切れる!)

 

 綺麗なフォームのクロールで泳ぎながら、八千代は考えを巡らす。

 

「よし、いいぞ! 赤宿相手に力を出せないと思ったが、しっかりと泳げている!」

 

「呂科、俺たちも続くぞ!」

 

「ああ!」

 

 竹波と呂科も海に飛び込み泳ぎ出す。

 

「くっ、あの二人も良い泳ぎ!」

 

「これでは逆に赤毛が追いつかれテ、プレッシャーをかけられる可能性もあるナ!」

 

「ど、どうにか出来ないかな⁉」

 

「とにかく、私たちも必死で追い上げル!」

 

「そうだね、それしかない!」

 

 自転車を降りたイザベラと葵がそれぞれ海に飛び込んで泳ぎ出す。

 

(まずハ、あの二人に赤毛の邪魔をさせないことが肝要ダ!)

 

「ん⁉ なにかすごいプレッシャーが後方から……」

 

「なんだと……!」

 

 呂科の言葉を聞いた竹波は後方に視線をやる。呂科が尋ねる。

 

「どうだ?」

 

「いや……あ、あれか!」

 

「なに⁉ うおっ⁉」

 

 竹波の言葉を聞いて後ろを振り返った呂科が驚く。イザベラがバタフライで猛然と追い上げてきたからである。

 

(……まずはここでこいつらを足止めすル! 赤毛の邪魔はさせン!)

 

 イザベラの迫力ある泳ぎに竹波たちは気圧されてしまう。

 

「ま、まずい! このままじゃ追いつかれる!」

 

「その勢いのままで赤宿と合流されたら厄介だな!」

 

「海でもスリップストリームってあるのか?」

 

「ああ、ある!」

 

「ならば合流されたら本当にマズいじゃないか!」

 

「そうだな」

 

「どうする⁉」

 

「赤宿を追い抜いて、五橋さんと合流し、スピードアップという手もあるにはあるが、その間に赤宿と他の二人が合流してしまう可能性がある。それは避けたい!」

 

「しかし、上様は今のところ……何⁉」

 

「ど、どうした竹波⁉」

 

「う、上様を見ろ……」

 

「うん? なっ、なんて見事な背泳ぎだ! 背泳ぎであそこまで泳げるとは!」

 

 葵が背泳ぎで先行するろ組の二人に追いつこうとする。

 

(進之助の邪魔はさせない! この二人の勢いはここで食い止める!)

 

 特に打ち合わせをしたわけではないが、イザベラと葵の考えはほぼ一致した。やや迷いが出た竹波と呂科のコンビとはここで意識の差が出た。かなりの差があったにもかかわらず、イザベラと葵は竹波と呂科を捉えることに成功した。

 

(ぐうっ⁉ 後ろを気にし過ぎた! ここで追いつかれるとは)

 

 竹波が悔しそうな表情を浮かべる。

 

(さっさと赤宿を抜きにかかれば良かったんだ! 勢い的にはこちらが圧されている!)

 

 呂科が苦々しい表情を浮かべる。

 

(ちょろちょろ邪魔な連中はここで牽制出来ル! 後は赤毛があのお嬢を抜けバ……!)

 

 イザベラは勝利への道を思い描く。葵が呟く。

 

「進之助、大丈夫かな……」

 

「!」

 

 葵の呟きを聞いて、イザベラの顔色が変わる。

 

「で、でもここに残っていた方が良いのかな? ね? ザベちゃん……」

 

「行くぞ! ショーグン!」

 

「ええっ⁉」

 

 イザベラの言葉に葵は驚く。

 

「ここで赤毛に追いついテ、奴のスパートをアシストすル! それで我々の勝ちダ!」

 

「ザベちゃんがそう言うなら……分かったよ!」

 

「行くゾ! ウオオッ!」

 

「うおおおっ!」

 

「うん、後方に凄いプレッシャーが……誰だ⁉」

 

 進之助が振り返ると、そこには鬼気迫る様子で泳ぐ、イザベラと葵の姿があった。

 

「ハア……ハア……追いついたゾ」

 

「お、お前ら……」

 

「私たちが先導するから、ゴールのギリギリ前で飛び出して!」

 

「あ、ああ……!」

 

「行くぞ!」

 

 イザベラと葵に先導されて、進之助はさらにスピードアップする。

 

「良い調子! 五橋さんが見えてきた!」

 

「よし、今ダ! 赤毛!」

 

「おっしゃあ!」

 

「行っけぇー! って、ええ⁉」

 

 十分に加速した進之助が飛び出す。それを見た葵が驚く。ここに来て進之助の泳法が犬かきだったからである。

 

「うおおっ!」

 

「い、犬かき⁉ そ、それでも凄いスピード!」

 

「先頭は頂くぜ!」

 

「くっ、赤毛の君⁉ ですが、ここまで繋いでくれたクラスメイトの為にも、ここばかりは負けられません!」

 

 進之助に並びかけられた八千代も最後のスパートを見せる。葵が叫ぶ。

 

「五橋さん! まだ余力が……!」

 

「ここまできて負けられないのはオイラだって同じなんだよ!」

 

「うおお! ぐっ⁉」

 

「⁉」

 

 八千代の動きが止まる。葵が戸惑う。

 

「な、何が起こったの⁉」

 

「恐らくだガ、足を攣ったナ……」

 

「えっ⁉」

 

「これは好機ダ! 赤毛! そのまま抜き去ってしまエ!」

 

「……」

 

「ゴールはもう目の前ダ!」

 

(わ、分かっているよ、イザコザ……だけどよ、悪いな!)

 

「ナッ⁉」

 

「進之助⁉」

 

 イザベラと葵が驚く。進之助が真っすぐに進まず、横に曲がったからである。

 

「えっ⁉」

 

「掴まれ!」

 

 進之助は足の攣った八千代の救助を優先したのである。

 

「なっ……」

 

「無事か?」

 

「え、ええ……」

 

「そりゃあ良かった」

 

 八千代の言葉に進之助は笑みを浮かべる。

 

「な、何故わたくしを……もうちょっとでレースに勝てたのに……」

 

「レースの勝ち負けなんかよりもっと大事なもんがあるんだよ」

 

「え?」

 

「オイラ、赤宿進之助、ハイパー火消し赤宿……HHAを目指しているんだ!」

 

「は、はあ……」

 

「陸の上でも海の中でもやることは一緒だ。人の大事なものを守る!」

 

「!」

 

「それがオイラの信条だ!」

 

「す、素敵!」

 

 八千代が進之助に思いきり抱きつく。進之助が面食らう。

 

「って、おい! バランスが崩れるからあんまり動くな……って」

 

 進之助は八千代の甘い視線に気が付く。八千代が口を開く。

 

「以前からの思いが確信に変わりました……」

 

「え? い、いや、あのな、オイラにはその……」

 

 流石にある程度はその場に流れる空気というものを察した進之助がなんとかこの状況を乗り切ろうと、顔を左右に振るが、八千代がその顔をがっしりと掴む。

 

「せめてわたくしの思いを知って下さい……」

 

「ちょ、ちょっと待て……」

 

「いいえ、待ちません……」

 

「……」

 

 八千代の顔が近づき、進之助も思わず目を閉じる。八千代が微笑む。

 

「赤毛の君……ぐえっ!」

 

「近づき過ぎダ……二人とも溺れるゾ」

 

 イザベラが手を伸ばし、八千代と進之助の顔を強引に引き離す。八千代が叫ぶ。

 

「な、何をするのです! せっかくのいい雰囲気だったのに⁉」

 

「だからこそ邪魔をしタ」

 

「なぜ、貴女がそのような意地悪をするのです!」

 

「意地悪ではなイ」

 

「え?」

 

「私が優勝者だ」

 

「ええっ⁉」

 

「確か……負けた方が勝った方の言うことになにか一つ従うこと……だったな?」

 

「そ、それがなにか……?」

 

「そこで黙って見ていろ」

 

「え……⁉」

 

 イザベラが進之助の左頬にキスしたのである。八千代が固まる。

 

「フン、悪く思うナ。恨むなら、ラストで足が攣った自分の詰めの甘さを恨メ」

 

「なっ……」

 

「お嬢様!」

 

 ボートに乗ってきた憂が放心状態の八千代を引き上げる。イザベラが声をかける。

 

「憂、お前のお嬢様はなかなか面白いナ」

 

「もう、あまりからかわないで頂戴……」

 

 八千代を乗せてボートが離れる。進之助がイザベラをぼんやりと見つめる。

 

「か、勘違いするなヨ! お前のお陰でレースに勝てたからナ。その礼みたいなものダ。他意はないゾ。ほ、本当に勘違いするなヨ‼」

 

「ほっぺた……」

 

「く、口づけはさすがに人前でハ……って、ちょ、調子に乗るナ! 失礼すル!」

 

 イザベラはそそくさとその場から泳ぎ去る。進之助は左頬を撫でながら、にやける。

 

「く、唇……柔らかかったなあ……」

 

「これでもかとばかりニヤニヤしているね、進之助」

 

「おおっ⁉」

 

 葵にいきなり声をかけられて、進之助は驚く。

 

「良かったね~祝福のキッス……」

 

「いや、それはまあ……なんというか……」

 

「だけど……五橋さんの気持ちを弄んだのは頂けないかな~」

 

「ま、待ってくれ、経緯を説明させてくれないか?」

 

 進之助の制止も虚しく、葵はその場を去ってしまった。横から現れた爽が淡々と呟く。

 

「わざわざボートで様子を見にきたらまた面倒なことに……葵様へはそれとなくフォローを入れておきます」

 

「た、助かるぜ!」

 

「ですがそれはそれ。赤宿進之助さん。これはややマイナスポイントですね……」

 

「し、審判はするのかよ⁉」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……特に貴方から……失礼致します」

 

「そ、そんな……」

 

 爽もその場を去り、進之助は呆然と海を漂う。その様子を砂浜から双眼鏡で眺めていた将司が端末に呟く。

 

「金銀お嬢様、赤も塗り潰せましたよ……」



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生徒の笑顔の為に

                  玖

 

「お体はいかがですか?」

 

「体のあちこちがなかなかの筋肉痛だよ……」

 

 爽の問いに葵が体中を抑えながら答える。

 

「それはそれは、改めてお疲れ様でございます……」

 

「遠泳大会のつもりがいつの間にか変則トライアスロン大会に参加させられていたからね。長距離走はともかく、ロードバイク?っていうのには初めて乗ったよ」

 

「初めてであれだけの激走を見せるとは……」

 

「周りに上手く乗せられたって感じがするけど……」

 

「それでも凄いことですよ」

 

「まあ、案の定というか体が結構ガタガタって感じだけどね」

 

 葵が苦笑する。爽が提案する。

 

「それならば引き続き、部屋でゆっくりとされていた方がよろしいのでは?」

 

「いや、元々午後は休養に充てようとは思っていたけど、今夜は楽しみなレクリエーションもあるしね。部屋に籠ってはいられないよ」

 

「ふむ、そこまで楽しみになされておられたのですか、『キャンプファイヤー』……」

 

「夏の合宿の定番って感じがしない? しかも海沿いで行うキャンプファイヤーだなんて! これは参加しないという点はないでしょう!」

 

「しかし、まだ夕方です。いくらなんでも会場に来るのが早いと思いますよ」

 

 爽が苦笑する。葵も頷く。

 

「それもそうだね、一旦宿舎に戻ろうか……」

 

「お、恐れながら上様!」

 

「! あ、貴方たちは……」

 

 生徒たちが何人か葵の下に集まってきた。その生徒たちの代表が話を始める。

 

「私たちは今夜のキャンプファイヤーの実行委員なのですが……」

 

「あ、ああ、色々と準備をなさっていましたよね、ご苦労様です」

 

「それなのですが……」

 

 葵が首を傾げる。

 

「どうかされたのですか?」

 

「キャンプファイヤーの前に行う演芸大会の出演者が足りなくて困っているのです!」

 

「え、演芸大会?」

 

「まあ、基本は簡単な出し物のようなものなのですが、結構本格的な生徒もいて、キャンプファイヤーの参加者からは年々楽しみにされているものなのです」

 

「出演者が足りないというのは?」

 

「急な体調不良とか、追試が入ったとか、色々です……」

 

「出演者は何組足りないの?」

 

「そ、そうですね、三組ほどです……」

 

「そうか……」

 

「あ、あの……」

 

「その三組のクオリティは問わない?」

 

「え? ええ、この際贅沢は言いません、というか、皆が笑顔になることが出来ればそれで構わないのです」

 

「分かった」

 

「はい?」

 

「その三組、私が手配するよ」

 

「ほ、本当でございますか⁉」

 

「うん、任せといて。皆はキャンプファイヤ―の準備を進めていてよ」

 

「あ、ありがとうございます! 失礼いたします!」

 

 キャンプファイヤー実行委員たちは嬉しそうに持ち場に戻る。葵が腕を組む。

 

「さて……どうしようか?」

 

「当てがないのですか?」

 

「うん……」

 

「ならばどうして引き受けたのです?」

 

「生徒の困っている顔を見てしまったら放っておけないよ!」

 

「お考えは大変立派ですが……どうされるのです?」

 

「……サワっち、手品とか出来ない?」

 

「出来ません」

 

「だよねえ……」

 

 爽が端末を確認してから首を左右に振る。

 

「……急いで連絡を取ってみましたが、将愉会の皆さんもこの時間帯はそれぞれ予定で埋まっているようです」

 

「ああ、そうなんだ……」

 

 葵が首を傾げる。爽が考えを述べる。

 

「やはり無理なようだと実行委員の方々に伝えた方が……」

 

「一度受けたことを投げたら、がっかりされちゃうよ」

 

「それはそうですが……」

 

「……サワっち、あの人の連絡先は分かる?」

 

「え?」

 

「……というわけでこうしてお願いに上がりました」

 

「まさか、上様の方からいらっしゃるとは……」

 

 宿舎のロビーで葵と金銀が顔を合わせる。葵が笑う。

 

「さすがに計算外でしたか?」

 

「ええ、かなりね」

 

 金銀が苦笑気味に笑う。

 

「それで、改めてお願いなのですが……」

 

「申し訳ありませんが、お断りします。参りましょう、将司」

 

「よ、よろしいのですか?」

 

「よろしいのです」

 

「……自信がないんですか?」

 

「⁉ なんですって?」

 

 葵の言葉にその場を去ろうとした金銀が振り返る。葵が続ける。

 

「この演芸大会はいわば芸を争う真剣勝負の場……まさか稀代の勝負師と謳われるお方がそこからお逃げになるとは……」

 

「分かりました。参加いたしましょう」

 

「ありがとうございます! リハーサルなどは実行委員の方から連絡が入りますので!」

 

 葵は爽を連れて、その場を去る。将司が頭を抑えながら尋ねる。

 

「金銀お嬢様、まんまと乗せられてしまったのでは……?」

 

「定石外ですが、ここはあえて飛び込んでみます……」

 

「……というわけで本当に急なんだけどお願い出来ないかな?」

 

「いいぜ、参加してやるよ」

 

「ほ、本当⁉ どうもありがとう! リハーサルの時間など諸々は実行委員の方から連絡が入るから! それじゃあ!」

 

 葵はその場を去る。二年は組の副クラス長、神谷龍臣が笑う。

 

「へっ、思い出すな、出演者不足の文化祭の後夜祭を飛び入りで盛り上げたあの時を!」

 

「あいにくそんな記憶はさっぱりないが……俺たちの活動を知っているとはな……」

 

 二年は組のクラス長、日比野飛虎はどことなく嬉しそうにしている。

 

「困ったな……後一組なんだけど……」

 

「! 葵様! 将愉会のあの方から連絡が!」

 

 葵は爽から端末を受け取り、電話に出る。

 

「……返事が遅くなってすみません。演芸大会、アタシで良ければ力になりますよ」

 

「ほ、本当⁉ 一流の歌舞伎役者さんが来てくれるなんて助かるよ!」

 

 獅源の言葉を聞いて、葵の顔がパッと明るくなる。



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観客席評論家面

「~~!」

 

「ありがとうございました! 皆さん、今一度盛大な拍手をお願いします!」

 

「~~~!」

 

 司会の言葉に観客が応える。

 

「凄い熱気ですね……」

 

 客席にいる爽が感心する。

 

(去年は参加してなかったから知りませんでしたが、キャンプファイヤーの演芸大会、これほどまでに盛り上がるのですね……わたくしも微力ながら宣伝させて頂いたとはいえ、ここまでお客さんが集まるとは……予定の空いている生徒はほぼこの会場に集まっているのではないでしょうか?)

 

「~!」

 

(実行委員の方は簡単な出し物だなんておっしゃっていましたが、とんでもない。おどろくべきハイレベルな演目が続いています。特に先ほどのイリュージョン……まさか江の島を消したかのように見せるとは……)

 

 爽が内心舌を巻く。司会が声を上げる。

 

「さあ、お待たせしました! 続いては彼らの登場です!」

 

「きゃ~!」

 

「うおおっ!」

 

 女子生徒たちの黄色い歓声と男子生徒たちの叫び声が交錯する。

 

(やはり注目株はこの人たち……人気モデルがほぼプライベートで活動している、いわゆる“幻のバンド”のライブが生で見られるというのですから、観客の皆さんのこの興奮ぶりも頷けるというものです……)

 

「『四神』の登場だ‼」

 

「~~~~!」

 

 ステージ上に現れた四人の姿に観客のボルテージは早くも最高潮に達する。

 

「……!」

 

 位置につき、楽器を準備すると、わずかに間を置いて、四神は演奏を始める。

 

(いきなり曲に入った⁉ なるほど、挨拶代わりというわけですか……)

 

「~♪」

 

(立て続けに二曲目に⁉ 息を突く暇もないとはこのことですね……!)

 

「~~♪」

 

(さらに三曲目⁉ ここまでMCを一切入れないとは……)

 

 怒涛の構成に爽は驚く。

 

「~~~~~!」

 

 観客もすっかり大興奮な状態である。

 

「あ~四神だ……どうもありがとう」

 

 三曲目を終え、ボーカルの飛虎が語り始める。

 

「きゃあ~!」

 

「うおおおっ!」

 

「今日は最高の夜にしようぜ! 最後までついてこいよ!」

 

「~~~~‼」

 

 飛虎がそう叫ぶと、四神は四曲目に入った。爽が内心再び舌を巻く。

 

(簡単な挨拶のみ⁉ なるほど、自分たちの音楽に余計な言葉は要らないということですか。自信の表れというやつですね……)

 

「~~~♪」

 

(その自信を支えているのは、なんといってもこの卓越した演奏力! 人気モデルの趣味のレベルを超越しています!)

 

「あのドラムすげえな!」

 

「ああ、体がデカいからか、迫力があるぜ!」

 

(違いますね……ドラムの津築玄道さん……確かに相撲部だけあって、がっしりした体格に目を奪われがちですが、そこからは想像も出来ないほど、繊細かつ緻密なドラミングでバンドの演奏をしっかりと下支えしている……。まさしく“縁の下の力持ち”ならぬ“皆の後ろの太鼓持ち”!)

 

 爽は腕を組んで頷く。

 

「~‼」

 

(ドラムセットとがっぷり四つに組んでいる! そして、時折見せるぶちかましに、オーディエンスは早くも土俵際です!)

 

「ベースの娘、かわいいよね~」

 

「ね~一生懸命演奏していて、ほんとかわいい~」

 

(それも違いますね……ベースの中目雀鈴さん……あんなファンキーなベースをこの島国の片隅で聞けるとは……! もちろん懸命に演奏しているでしょうが、良い意味で力が抜けていて自己主張し過ぎない演奏スタイルは周りを絶妙に引き立てている! 左利きのベーシストというのも個人的には渋いですね!)

 

 爽は腕を組んで深く頷く。

 

「~♪ ~♪」

 

(あの絶妙かつ独特なリズム感! あれは少林寺拳法部で培ったものでしょうか? そして、時折みせるキュートさにオーディエンスは失神寸前です!)

 

「やっぱあのギターだろう!」

 

「ねえ、カッコいい!」

 

(いえ、それも違います……ギターの神谷龍臣さん……恰好いいことは否定しませんが、なんといってもあのテクニックと表現力! 信じられないような早弾きを見せたかと思うと、次の曲ではメロディアスな演奏をしっかりと聴かせる! 普段のエキセントリックな人柄がこの場では上手く作用しています!)

 

 爽は腕を組んで深々と頷く。

 

「~~♪ ~~♪」

 

(ボクシング部らしい、激しい音のラッシュ! 凄まじい猛攻にオーディエンスはノックアウト目前です!)

 

「そうは言っても……」

 

「ボーカルが素敵~♡」

 

「イケメン~♡」

 

「悔しいが、それは認めざるを得ないな……」

 

(いいえ、それも違います……ボーカルの日比野飛虎さん……もちろん、ルックスの良さは言うまでもありませんが、それに負けない歌唱力とステージ上での存在感……! 激しいロックナンバーから甘いバラードまで幅広く歌いこなす! 多くの人の注目を一身に集めている……これが……圧倒的なまでの“カリスマ”!)

 

 爽は腕を組んで深く強く頷く。

 

「おらおら! 江の島海岸、そんなもんか~⁉」

 

「きゃああ~!」

 

「うおおおおっ!」

 

 飛虎が観客を煽る。観客もそれに応える。

 

(会場を一つにしてしまうこの力強さ……! これも空手部で鍛えた成果でしょうか? オーディエンスはもはや気絶者が続出しそうです!)

 

「これで終わりだ! ドラム! 津築玄道!」

 

「! ! !」

 

「なんか言えよ! ベース! 中目雀鈴!」

 

「~~♪ ~~~♪」

 

「だからなんか言えよ! ギター! 神谷龍臣!」

 

「あの時みたいに最高の夜だったぜ!」

 

「どの夜だよ⁉ ボーカルは日比野飛虎! 『四神』だ! またどこかで会おうぜ!」

 

「~~~~~‼」

 

(良い音楽を聴かせてもらいました。久々に体が熱くなりましたよ……)

 

 爽は腕を組んでゆっくりと噛みしめるように頷くのであった。



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江の島ー1グランプリ

「いや~熱いライブでしたね~どうもありがとうございました! 皆さん今一度『四神』に大きな拍手を!」

 

「わあっ~!」

 

 司会の言葉に観客が応える。

 

「さあ、続いては……このコンビの登場です!」

 

(コンビ?)

 

 客席にいる爽が首を傾げる。

 

「「はい、どうも~」」

 

 金銀と将司が拍手をしながらステージの中央に出てくる。

 

「はい、山王です!」

 

「金銀です!」

 

「二人揃って!」

 

「「将ズで~す‼」」

 

(こ、これは漫才⁉ ま、まさかの演目!)

 

 爽が露骨に戸惑う。

 

「いや~楽しくやっていきたいなと思っていますけどね」

 

「そうですね」

 

「ところで金銀さん」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「僕、彼女が欲しいんですよ~」

 

「ごめんなさい!」

 

 金銀が勢いよく頭を下げる。

 

「いや、違いますよ! なんで僕がフラれたみたいになるんですか⁉」

 

「遠まわしなプロポーズかと……」

 

「そんなこと、ステージ上でしないでしょう……」

 

「でも待って。貴方、彼女いらっしゃいませんでした?」

 

「それが……ちょっと前に別れちゃったんです……」

 

「なんでまた?」

 

「まあ……簡単に言うと、価値観の違いですかね~」

 

「あら、そんなことで?」

 

「そんなことって、大事ですよ、価値観は」

 

「価値観って具体的に言うと何ですか?」

 

「え? 例えば……趣味がピッタリ合うとか……」

 

「趣味が合うというのも考えものですよ~」

 

 金銀が首を捻る。

 

「そうですかね? 楽しいと思いますよ」

 

「では貴方、趣味は何ですか?」

 

「え、そうですね、将棋ですかね……」

 

「将棋! じゃあ、貴方が将棋好きの彼氏で……」

 

「はい」

 

「あそこの女性に将棋好きの彼女をやってもらいましょう」

 

 金銀が客席の女性を指し示す。

 

「いや、なんでですか⁉ そこは金銀さんが彼女役をやるところでしょう⁉」

 

「あ、そういうパターン?」

 

「他にどんなパターンがあるんですか?」

 

「分かりました。じゃあ、デートで待ち合わせという体でいきましょう」

 

「急に始まるな……」

 

「ごめんなさ~い、待った?」

 

「いや、大丈夫、大丈夫。今来たところだよ」

 

「朝の詰将棋がなかなか解けなくて……」

 

「詰将棋⁉ 髪のセットが決まらなくてとかじゃなくて⁉」

 

「それで今日はどこを囲うの?」

 

「か、囲う⁉」

 

「ええ、まずは守りを固めてからでしょう?」

 

「動物園でも行こうかなって……熊の赤ちゃんが生まれたらしいよ」

 

「穴熊ね、OK」

 

「OKって……」

 

「お昼はどうするの?」

 

「お昼? ああ、美味しいお蕎麦屋さんがあるらしいからそこに行ってみない?」

 

「それ、SNSで拡散して良い?」

 

「なんで⁉」

 

「将棋めしって、ファンの間でも注目の的だから……ダメかしら?」

 

「別にダメじゃないけど、わざわざ拡散することかな……?」

 

「お昼ご飯を食べたらどうする?」

 

「そうだな……今話題の映画でも見に行かない?」

 

「映画?」

 

「うん」

 

「それ持ち時間何分?」

 

「も、持ち時間⁉ 上映時間のこと? 確か2時間弱だったかな……」

 

「ふ~ん……」

 

「あ、ちょっと長い?」

 

「いや、大丈夫。それじゃあ2時間超えたら私が秒読みするね」

 

「え⁉」

 

 金銀が声色を変えて喋る。

 

「『山王さん持ち時間を使いきりましたので、これから一分映画でお願いします』」

 

「一分映画⁉」

 

「『50秒……1、2、3……』」

 

「中継でよく見るやつだ! じゃなくて、やめて!」

 

「なんで?」

 

「周りに迷惑だから!」

 

「そう……」

 

「と、とにかく、移動しようか……うわあ、人が多いな~」

 

「そうね……1マス飛び越えていく?」

 

「1マス⁉」

 

「2マス前方の、右か左に着地するの」

 

「いや、僕、桂馬の動きは出来ないよ⁉」

 

「あれ、出来ないの?」

 

「そもそもマスという概念がないからね? 普通に行こう」

 

「あ~でも、昨日全然眠れなかったんだ~」

 

「あ、そうなんだ」

 

「今日が楽しみで楽しみで……もう胸が二歩二歩しちゃって」

 

「ドキドキじゃないの⁉ ニフニフなんてオノマトペ聞いたことないよ⁉」

 

「あ、電車で移動するのね」

 

「うん。ちょっと時間がかかるかも」

 

「しりとりでもしましょう。じゃあ、『一歩千金』の『ん』!」

 

「終わっているじゃん! ってか、さっきから将棋推しがエグい!」

 

「でしょ? だから同じ趣味でも考えものってことよ」

 

「極端すぎるでしょう、いい加減にしなさい……」

 

「「ありがとうございました!」」

 

 金銀と将司が頭を下げ、ステージからはけていく。客席からは拍手が鳴る。

 

(お、思った以上に盛り上がっていますね……)

 

 爽は妙に感心するのであった。



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神対応が仇となる

「いや~楽しい漫才でしたね~どうもありがとうございました! 皆さん今一度『将ズ』に大きな拍手を!」

 

「わあっ~!」

 

 司会の言葉に観客が応える。拍手が落ち着くと、観客がざわつき始める。爽が腕を組んで考え込む。

 

(若手実力ナンバー1の歌舞伎役者である涼紫獅源さんが登場するのは皆さんも分かっているのですね……それにしても、今更ですが葵様はどちらに……?)

 

「さあ、続いては……このユニットの登場です!」

 

(ユニット?)

 

 爽が首を傾げる。ステージ上が暗くなったかと思うと、スポットライトが当たり、男装した葵がしゃべり出す。

 

「ああ、男というものは……」

 

(あ、葵様⁉)

 

「女性の魅力的な部分を見出すことに優れている……」

 

「あれって上様……?」

 

「本当だ……」

 

 客席が若干だがざわつく。爽も内心で大声を上げる。

 

(ま、まさか、ご自分も芝居に出られるとは⁉)

 

「よって、多くの女性と同時にお付き合いをしてしまうのも致し方ないことだ!」

 

(しかも、なんという役柄⁉)

 

 爽が唖然とする。

 

「しかし、困った……日替わりでお付き合いしていた七人の女性たちが今宵、この屋敷に集ってしまうとは……どうすればいいのだ⁉」

 

(な、七股とは……)

 

「ピンポーン♪ やっほー彼ピッピ、遊びに来たよ~♪」

 

 ギャルの恰好をした獅源がステージに登場する。

 

「おおっ、月子か、待っていたよ。今日もカワイイね」

 

「ありがと♪ ってか、なんでウチのこと月子って呼ぶの? ウケるんだけど~」

 

「と、とにかく、こちらの部屋で待っていてくれないかい?」

 

「おけまる水産~♪」

 

「ふう……とりあえず一人目……」

 

「ピンポーン……こんばんは、貴方。遊びに参りました」

 

 和服を着た獅源が再びステージに登場する。

 

「おおっ、火代か、待っていたよ、今日も素敵だね」

 

「ありがとう……前から聞こうと思っていたのだけど、何故私を火代と呼ぶの?」

 

「え? そ、そうだな、火のように燃え盛っているからだよ。こちらの部屋へどうぞ」

 

「分かったわ……」

 

「ふう……これで二人目……」

 

「ピンポーン……こ、こんばんは、先輩。遊びに来ちゃいました……」

 

 清楚な女子大生のような服装を着た獅源が三度ステージに登場する。

 

「おおっ、水乃か、待っていたよ。今日も可憐だね」

 

「あ、ありがとうございます……でも何故私のことを水乃と呼ぶのですか?」

 

「そ、そうだな、透明感があるからかな? こ、こちらの部屋で待っていてくれ」

 

「はい、分かりました……」

 

「ふう……これで三人目か……」

 

「ピンポーン! おいっす、アンタ! 遊びに来てやったぜ!」

 

 ヤンキーの恰好をした獅源が四度ステージに登場する。

 

「おおっ、木恋か、待っていたよ。今日も決まっているね」

 

「あんがとよ。ってか、なんであーしのことを木恋とかって呼ぶんだ? あだ名か?」

 

「木々のようになくてはならない存在だからさ! ささっ、こちらの部屋へ!」

 

「……よく分からねえけど、分かったぜ」

 

「ふう……これで四人目……まずまず順調だな」

 

「ピンポーン! おーほっほっほっ! 卿、遊びに来たわ! 光栄に思いなさい!」

 

 お嬢様のような恰好をした獅源が五度ステージに登場する。

 

「おおっ、金華か、待っていたよ。今日も美しいね」

 

「当然のことを……って、何故にわたくしのこと金華って呼ぶのかしら?」

 

「は、華々しさを讃えるためだよ。こちらの部屋で待っていてくれないかい?」

 

「ふむ……分かりましたわ」

 

「ふう……これで五人目……なんとかなるか?」

 

「ピンポーン……ふっふっふ……汝よ、我が降臨したぞ……喜ぶがいい……」

 

 ゴスロリの恰好をした獅源が六度ステージに登場する。

 

「おおっ、土姫か、待っていたよ。今日も怪しげだね」

 

「ほ、褒めても無駄だ……それより何故我のことを土姫と呼ぶのか? 不可解なり……」

 

「む、胸のドキドキを忘れないためさ。こちらの部屋で待っていてくれたまえ」

 

「うむ……なんとなくだが理解した」

 

「ふう……こ、これで六人目……なんとかなりそうだぞ!」

 

「ピンポーン♡ は~いマイダーリン、遊びに来たわよ~♡」

 

 セクシーな女性の恰好をした獅源が七度ステージに登場する。

 

「おおっ、日奈か、待っていたよ。今日も溢れんばかりにセクシーだね」

 

「ありがと♡ でも、なんでアタシのことを日奈って呼ぶの?」

 

「た、太陽のように眩いからさ。こ、こちらの部屋で待っていてくれないかい?」

 

「うふっ、分かったわ~♡」

 

「ふう……こ、これで七人目……な、なんとかなった! 後はそれぞれの部屋で逢瀬を楽しんで……ああ、そうだ、名前の呼び間違いにも注意しないとな。月曜日の女だから月子、火曜日の女だから火代……」

 

「さ、最低な男……」

 

 爽は思わず声を漏らす。

 

「彼ピッピ~早く~」

 

「おおっ、月子、どうしたんだい?」

 

「先輩……!」

 

「おおっ、木恋! じゃなかった、水乃、どうかしたかな?」

 

「卿! どこにいるの⁉」

 

「えっと、誰だっけ……土姫? 日奈? い、いや、金華か!」

 

 獅源が声色を使い分け、その声に釣られて、葵がステージ上を右往左往する滑稽な様子を見て客席からは笑いが漏れる。

 

(ステージ上を走り回る葵様も大変そうですが、声を使い分け、しかもその都度、衣装を早着替えしている獅源さんもかなり大変そうです。しかし、それを感じさせないのが流石というところですね……)

 

 爽は腕を組みながらうんうんと頷く。ドタバタなコメディはあっという間に幕を閉じ、客席からは盛大な拍手が送られる。ステージを降りて着替えを終えた獅源は控室代わりのテントを出て満足気に呟く。

 

「こんなこともあろうかと用意しておいた脚本が大いに役に立ってくれました。これは上様の覚えもめでたいはず……ん?」

 

「涼紫さん! 舞台とっても素敵でした!」

 

「もう改めて惚れ直しちゃいました!」

 

「アンタたちどいて頂戴! 獅源さま! 私とお付き合いして下さい!」

 

「ちょ、ちょっとあなた! 図々しいわよ! 私とデートしてもらえませんか⁉」

 

「あなたも人のこと言えないでしょう! 私と出かけた方が楽しいですよ!」

 

「品が無いわね……獅源さま、こちらが婚姻届です。サインを……」

 

「どさくさ紛れになにしてんのよ! 獅源さま、ハネムーンの予約は取りました!」

 

「な、なんなのよ、アンタたち⁉」

 

「それはこっちの台詞よ!」

 

 出待ちの女性たちが押し寄せ、ああだこうだと言い合いになる。

 

「ちょっとどきなさいよ!」

 

「痛っ! やったわね!」

 

 言い合いがエスカレートして、押し合いへし合いに発展する。獅源が両手をポンポンと叩き、声をかける。

 

「あ~あ~ちょいとお嬢さん方、お待ちになって……」

 

「!」

 

「皆さんのお気持ちはとっても嬉しいです。ただ、残念ながら、アタシの体はこの世に一つしかございません……」

 

「あ……」

 

 女性たちが一斉に悲し気な顔つきになる。獅源は笑顔を浮かべて告げる。

 

「よろしければ……日替わりなら皆さん一人一人とゆっくり素敵な時間を過ごせます。それでいかがでしょうか?」

 

「きゃ~♡」

 

「そ、それでも良いです!」

 

「ははっ、理解ある皆さんに囲まれて幸せです……はっ!」

 

 獅源は自分のことをジト目で見つめている葵に気が付く。

 

「なるほどね~あの脚本は創作じゃなくて実体験なわけだ……」

 

「い、いや、上様、これはですね。なんといいましょうか……」

 

「打ち上げでもどうかと思ったけど、お邪魔しちゃ悪いね。それじゃあ」

 

「お、お待ちになって下さい! こ、これは一種のフアンサービスというやつで……」

 

 獅源が引き留めるが、葵はその場を去ってしまった。横から現れた爽が淡々と呟く。

 

「素晴らしい舞台でしたと感想を伝えにきたらまた面倒なことに……葵様へはそれとなくフォローをしておきます」

 

「た、助かります!」

 

「ですがそれはそれ。涼紫獅源さん。これはややマイナスポイントですね……」

 

「し、審判はするのですか⁉」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……失礼致します」

 

「そ、そんな……」

 

 爽もその場を去り、獅源は呆然と夜空を見上げる。その様子を遠くからじっと見ていた将司が傍らに立つ金銀に囁く。

 

「金銀お嬢様、紫も塗り潰せましたね……」

 

「ええ、定石外の手も打ってみるものですね。勉強になりました……」

 

 金銀が戸惑いながらも笑みを浮かべる。



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昨日を振り返る

                  拾

 

「……ン?」

 

「おはよう、ザベちゃん」

 

「⁉」

 

 枕元に立った自らの後方から葵に声をかけられ、イザベラは驚いて振り向く。

 

「ふふっ、驚いた?」

 

「起きていたのカ……」

 

「さすがに毎日枕元に立たれたら、寝覚めが悪いからね。遅まきながら学習したよ」

 

「私にも気づかれずに移動していたとハ……」

 

「足音を立てないように細心の注意を払ったからね」

 

「ジャパニーズ・すり足という奴だナ……」

 

「そういうこと」

 

 葵はどうだとばかりに胸を張る。イザベラが尋ねる。

 

「昨日の疲れは取れたのカ?」

 

「あ~まだ若干、というか、かなり残っているね……」

 

 葵の答えにイザベラが笑みを浮かべる。

 

「鍛え方が足りないナ……」

 

「そ、そんなこと言われたって! 大体ロードバイクなんて生まれて初めて漕いだんだから仕方ないでしょ⁉」

 

「冗談ダ、そう怒るナ……」

 

「ザベちゃんは疲れてないの?」

 

「変則トライアスロン大会というのにはいささか驚いたガ……まあ、ラン・バイク・スイムのいずれも通常のトライアスロンよりは短かったからナ……あれくらいの距離ならば、大して問題はなイ……」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「むしろちょうど良いトレーニングになっタ……毎日行ってもらいたいくらいダ」

 

「ま、毎日はちょっと嫌かな……」

 

 イザベラの言葉に葵が苦笑する。

 

「では週四日~五日はどうダ?」

 

「いや、それほぼ毎日じゃん!」

 

「土日は休めるゾ」

 

「そういう問題じゃないって!」

 

「なんダ、ショーグンたる者、情けないナ……」

 

「あのね、私はどちらかと言えば常人寄りなの。体力の限界というものがあるのよ」

 

「限界なんて超えていくものだろウ……」

 

「カッコいいこと言われても無理なものは無理!」

 

「ショーグンが常人寄りで良いのカ?」

 

「良いのよ! 人間離れしてどうするのよ!」

 

「人外のケモノとして大江戸城に君臨すればイイ」

 

「それ、ラスボスとして倒される存在じゃん!」

 

「ダークヒロインの線を狙えば良いだろウ」

 

「いや、ダークって」

 

「人々から畏怖の念を持たれるかもしれんゾ?」

 

「畏怖されちゃダメでしょ! せめて畏敬ならまだしも!」

 

「似たような意味だろウ?」

 

「確かにどちらもおそれ敬うっていうような意味だけど、畏怖はおそれおののくって意味合いが強いから!」

 

「フム……日本語は難しいナ……」

 

 イザベラは顎をさすりながら呟く。葵が呆れる。

 

「畏怖って言葉が出てくる時点でなかなかのものだと思うけどね」

 

「多少恐れられた方が良いのではないカ?」

 

「なんでそうなるのよ」

 

「権力者や支配者としてはそれも必要な資質だろウ?」

 

「私は立派な為政者でありたいの!」

 

「ホウ……?」

 

 葵の答えにイザベラが目を丸くする。葵が首を傾げる。

 

「……なによ、そのリアクション?」

 

「イヤ……若下野葵、お前は興味深い存在ダ……」

 

「え?」

 

「私がこれまで世界中の様々な形で関わってきタ、いわゆる“トップ”の人間たちとはどこか違ウ……」

 

「そう?」

 

「アア……」

 

 イザベラが深々と頷く。

 

「これまで様々な形でって……他の国でもボディーガードをしてきたの?」

 

「そうだナ……ガードをしたり、その逆もあったかナ……」

 

「えっ、その逆⁉」

 

「……少し喋り過ぎたカ」

 

「ちょ、ちょっと待って……」

 

「そんなことより、昨夜の芝居はなかなかの傑作だったナ」

 

「そ、そんなことって……え? お芝居観てくれたの?」

 

「アア、観たゾ」

 

「客席では見かけなかったけど……」

 

「……客席を確認していたのカ?」

 

「うん、みんなの反応とかやっぱり気になるじゃん」

 

「緊張はしなかったのカ?」

 

「もちろんしたよ。でも、いざステージに立つと、このお芝居を絶対に成功させようって気持ちの方が強くなったんだよ」

 

「フム……やはりお前は興味深い存在ダ……」

 

「え? どこが?」

 

 葵は首を傾げる。イザベラはフッと笑う。

 

「戯言ダ……気にするナ」

 

「いや、気になるよ……で、どこでお芝居を観たの?」

 

「別件が入っていたからナ、会場には行けなかったから生配信で観タ」

 

「へえ~って、生配信⁉」

 

 葵が驚く。イザベラが首を傾げる。

 

「知らなかったのカ?」

 

「初耳だよ!」

 

「各種動画配信サイトでアーカイブが見られるゾ」

 

「そ、そんな……」

 

「ちなみにバンドの演奏と人気を争っているようだナ」

 

「ああ、飛虎くんたち凄かったもんね……」

 

 葵は腕を組んで頷く。

 

「マンザイも人気だナ。個人的にも興味深かっタ」

 

「あれも衝撃的だったね……尾成さんがボケというのはわりと納得だけど……」

 

 葵はうんうんと頷く。

 

「芝居の視聴者数もかなり多いナ……女優としてオファーが来るんじゃないカ?」

 

「え? ま、参ったな~」

 

「冗談ダ……大方がこのカブキアクター目当てだろウ……」

 

「もう、からかわないでよ! 顔を洗ってくる! サワっちはお手洗いかな?」

 

 葵がその場から離れる。その背中を見つめながら、イザベラがそっと呟く。

 

「お前は変わらないでいてくれヨ……」



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夏って感じ

「ふう……」

 

 朝食を食べ終えた葵がお茶を飲んでひと息つく。イザベラが尋ねる。

 

「ショーグン、本日の予定が空欄なのだガ……」

 

「ああ、あえて何も入れてないよ」

 

「それは良いのカ?」

 

「今日が夏合宿の実質的な最終日です。成績不振者などは、追試や補習などでスケジュールが一杯ですが、葵様の場合はそれに該当しませんので……」

 

 葵の代わりに爽が答える。イザベラが頷く。

 

「なるほどナ……」

 

「葵様。本日は宿舎でのんびり過ごされるのですか?」

 

「う~ん、どうしようかねえ?」

 

 葵が腕を組んで首を捻る。

 

「昨日の疲れが溜まっているというのであれば、あまりご無理はなされない方が良いかとは思いますが……」

 

「いや、大丈夫だよ」

 

「夏バテなどはされていませんか?」

 

「それも大丈夫。朝食もしっかり食べたし」

 

「それならば良いのですが……」

 

「……サワっち、別に宿舎や研修施設の外に出かけても良いんだよね?」

 

「ええ、届け出をすれば問題はありません」

 

 爽は葵の問いに答える。

 

「そうなんだ……」

 

「……予定が決まったのカ?」

 

「ザベちゃん、お出かけしても大丈夫?」

 

「何故私に確認すル?」

 

 イザベラが首を傾げる。

 

「いや、警護の関係上とかで問題があるのかなって思って」

 

「別になイ。基本的にはクライアントの意向が最優先ダ……」

 

 イザベラが髪をかき上げながら答える。

 

「そうか……」

 

「葵様?」

 

「うん、決まったよ」

 

「ということは?」

 

「今日はお出かけしよう!」

 

 朝食から約一時間後、三人は海水浴場に移動した。

 

「着きましたね」

 

「人が多いね~!」

 

「海水浴シーズン真っ盛りですからね」

 

「これぞ夏って感じがするね!」

 

 葵が満足気に頷く。爽が不思議そうに問う。

 

「葵様……?」

 

「うん? どうかした?」

 

「あの……水着などはお持ちにならなくて良かったのですか?」

 

「ああ、昨日十分に泳いだからいいよ」

 

 葵は苦笑する。爽は納得したように頷く。

 

「まあ、確かにそうですね……」

 

「今日は雰囲気を味わえたらそれで良いかなって思って。こういう海水浴場に来るのは結構久しぶりだしね」

 

「そうなのですか?」

 

「うん、中学の時は夏休みもほとんど部活漬けだったし……砂浜でランニングさせられたことはあったっけかな? あんまり思い出したくないけど……」

 

 葵は再び苦笑する。

 

「それではどうされますか?」

 

「適当に砂浜を散歩しようか」

 

「かしこまりました。イザベラさん、それでよろしいで……⁉」

 

 イザベラの方を振り向いた爽が驚く。

 

「どうしタ?」

 

「い、いや、それはこっちの台詞です……どうしたのですか、その格好は?」

 

 爽が指差す。イザベラが全身を黒ずくめで固めていたからである。

 

「なにか気になるカ?」

 

「気になりますよ。長袖長ズボンでマスクやサングラスをして……暑くないのですか?」

 

「意外と薄手ダ。マスクを含めて通気性はイイ」

 

「サングラスは?」

 

「日光が眩しいからナ。万が一不審者の襲撃があった場合にすぐ対応出来る為ダ」

 

「いや、どちらかと言えば、ザベちゃんが不審者っぽいけど……」

 

 葵が戸惑い気味で見つめる。

 

「警護の為ダ、気にするナ」

 

「気になるけど……まあ、せめて服を脱いでって言っても断るんだろうね」

 

「そうだナ」

 

「見るからに暑苦しいんだけど……」

 

「見なければイイ。もしくは我慢してくレ」

 

「クライアントの意向が最優先とおっしゃっていませんでしたか?」

 

「例外もあル……」

 

 爽の問いにイザベラはにべもなく答える。爽は重ねて問う。

 

「失礼ですが……素肌をさらしたくないような理由でもあるのですか?」

 

「そういうわけではなイ」

 

「では、何故に?」

 

「……ネタばらしをすると、この服の中に大量の武器が仕込んであル……」

 

「ええっ⁉」

 

 葵が驚く。

 

「この人だかりダ、見えるように持ち歩くと無用な混乱を引き起こすだろウ?」

 

「全身黒ずくめの時点で既にざわついていますが……」

 

 爽が周囲を見回して呟く。

 

「これも警護の為ダ。理解して欲しイ」

 

「う~ん、しょうがないなあ。じゃあ、砂浜を散歩しようか」

 

 これ以上話しても無駄だと判断した葵は歩き出す。三人は周囲の注目を集めながら、海水浴場を散策する。爽が呟く。

 

「……かえって注目されていませんか? 警護を難しくしている気がするのですが……」

 

「敵意を持った視線にはすぐ気がつク……」

 

 葵が振り返って二人に告げる。

 

「少し喉が渇いたね。皆であそこの海の家に行こうよ」

 

 葵が指差した先に、少し古めかしい海の家がある。爽が言いづらそうに尋ねる。

 

「……他の店の方が良いのでは?」

 

「分かっていないな~サワっち。ああいう店の方が美味しかったするんだって」

 

「結構ギリギリなことおっしゃいますね……」

 

 三人は店に入る。

 

「おや? こんなところでお会いするとは……将愉会の秘密の会合ですか?」

 

「生徒会長⁉ 秘密の会合って?」

 

 生徒会長の万城目安久が奥のテーブルを指し示す。そこには一超が座っていた。

 

「一超君も⁉」

 

「この出会い 運命か夏の 悪戯か」

 

 一超はマイペースを崩さずに呟く。

 



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老舗の海の家にて

「な、なんで二人がここに⁉」

 

「ここは私のお気に入りのお店なのです」

 

 葵の問いに万城目が笑顔で答える。

 

「ここからの 眺めで浮かぶ 良き発想」

 

 一超が外を眺めながら呟く。

 

「藍袋座一超……全ての会話を五・七・五のリズムでこなすという変人カ……」

 

「今のイザベラさんも十分変人ですけどね……」

 

 爽が全身黒ずくめのイザベラに冷ややかな視線を送る。イザベラが反発する。

 

「ナッ……私のどこが変人だというのダ?」

 

「変わっていないとは言い張るのは無理がありますよ……」

 

「いやあ、イザベラさん、仕事熱心ですね」

 

 万城目がイザベラの恰好を見て感心する。イザベラが満足気に頷く。

 

「さすが生徒会長……違いの分かる男だナ」

 

「なんの違いなんだか……」

 

 爽が呆れ気味に首を傾げる。万城目が葵に問う。

 

「それで秘密の会合では何を?」

 

「い、いや、秘密じゃなくて、一超君と会ったのはたまたまですよ」

 

「本当に?」

 

「本当ですよ、嘘をついてどうするんですか」

 

「それならば、すごい偶然ですね。この海水浴場には多くの海の家が立ち並ぶというのに……どうしてまたここに?」

 

「ピン!と来たからです」

 

「そ、そうですか……」

 

 葵の独特な答えに万城目は戸惑う。一超は何故か納得したように頷く。

 

「直感に 従うさまは 潔し」

 

「いやあ~、そんな、照れるな~」

 

「⁉ ショーグン、この男の言うことが分かるのカ?」

 

 イザベラが驚く。葵が首を傾げる。

 

「え? 分からないの?」

 

「イ、イヤ……」

 

「葵様は藍袋座さんの通訳のようなものですから……」

 

「そ、そうなのカ……」

 

「まあ、わたくしにも今のは分かりました。藍袋座さん、葵様のことをなんでもかんでも全肯定されては困ります……」

 

「それはまた 申し訳ない 気を付ける」

 

「お願いいたしますよ……」

 

「ふ、普通に話した方が早いのではないのカ?」

 

 イザベラがもっともなことを言う。そこにエプロンを付けた女の子が話しかけてくる。その女の子は顔が半分隠れるほどの長い前髪をしている。

 

「あの……」

 

「ああ、ごめんなさい。注文ですよね? 一超君は何を食べているの?」

 

 葵が一超に尋ねる。

 

「海の家 定番メニュー 焼きそばを」

 

「では、彼と同じものを三人分……」

 

「なんでちょっと気取った注文をするのですか……」

 

 妙なポーズを取る葵に対し爽は呆れる。

 

「……かしこまりました」

 

「ここの焼きそばは絶品ですよ。私からもお勧めです」

 

「生徒会長がそう言うのなら……」

 

 しばらく間を置いて、女の子が焼きそばを運んでくる。

 

「お、お待たせしました。焼きそば三人分です……」

 

「いただきま~す♪ ……こ、これは⁉ な、なんて美味しさ! 麺のコシが絶品!」

 

「アア、それにこのソースダ! 濃すぎず、かといって薄すぎずという絶妙なバランスで麺と絡み合っていル!」

 

「具材も青のりとキャベツのみというシンプルな組み合わせですが、それがどうしてなかなか複雑かつ繊細な味のハーモニーを奏でています!」

 

 葵たちが口々に焼きそばを称賛する。一超が困惑の表情を浮かべる。

 

「そこまでの 称賛逆に 嘘くさい」

 

「ま、まあ、皆さんは普段食べないかもしれませんから、新鮮な感動があるのかも……」

 

 万城目がフォローする。葵が女の子に告げる。

 

「ごちそうさまでした! とっても美味しかったです!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「でも不思議……こんなに美味しい焼きそばがあるのに、お店ガラガラですね」

 

 葵が空席だらけの店内を見回して率直過ぎる感想を述べてしまう。爽たちが慌てる。

 

「あ、葵様⁉」

 

「も、もう少しオブラートに包メ!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「……上様、お願いがあります!」

 

 女の子が大声を上げる。

 

「ええ? 上様って……」

 

「実は私は大江戸城学園の一年生なんです……」

 

「ああ、そうなんだ……」

 

「この店は曾祖父の祖父の代から続いてきたこの海水浴場きっての老舗海の家なのです」

 

「へえ、歴史があるんだね……」

 

「しかし、近年はオシャレでスタイリッシュな近隣のお店たちの勢いに押され、お客様をすっかり奪われてしまって……」

 

「ああ……」

 

「このままではお店を畳まなければいけなくなります! 上様は将愉会という生徒の悩み相談に乗ってくれる集まりを主宰されていますよね? どうかお知恵とお力をお貸し頂けないでしょうか⁉」

 

「う~ん……」

 

 葵の代わりに爽が答える。

 

「さ、さすがにお店の経営の立て直しというのは、学生が出来ることの範疇を超えています……申し訳ありませんが……」

 

「いいよ!」

 

「ええっ⁉」

 

「なんとかしてみよう!」

 

「ほ、本当ですか⁉ ありがとうございます!」

 

「あ、葵様! そんな安請け合いをしては……!」

 

「困っている生徒を放ってはおけないよ!」

 

「! ふっ、仕方がありませんね……」

 

 葵のあまりにも真っすぐな眼差しを見て、爽が思わず笑ってしまう。

 

「っていうことは、サワっちも協力してくれるってことかな?」

 

「言い出したら聞かないではないですか。なんとか考えてみましょう……」

 

「ありがとう! 三人はどうかな?」

 

「クライアントの意向に沿うのが仕事ダ……」

 

 イザベラがボソッと呟く。

 

「生徒の悩みには出来る限り寄り添うのが生徒会長というものですよ」

 

 万城目がそう言ってウィンクする。

 

「馴染みある 店を助けに 尽力す」

 

 一超が彼にしては珍しく力強く呟く。葵が礼を言う。

 

「ありがとう! まさしく千人力だよ!」



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リニューアル&イメージチェンジ

「しかし、どうしましょうか……」

 

 爽が考え込む。葵が尋ねる。

 

「ザベちゃん、何かないかな?」

 

「いきなり人に頼るのカ……」

 

「これまで経営コンサルティングに携わってきた経験はないかなって……ないよね?」

 

「……あるといえばあル」

 

「あるの⁉」

 

「まあ、かなり特殊なケースではあったがナ……」

 

「特殊なケース?」

 

「それについてはいいだろウ……やはり客商売に必要なものは“インパクト”ダ」

 

「インパクト?」

 

「飲食店の場合にインパクトと言いますと?」

 

 万城目が首を傾げる。イザベラが答える。

 

「それは決まっていル……目玉となるメニューダ」

 

「なるほど、新メニューの開発ですか……」

 

「で、でも、海の家で出せるような海鮮などはもう他のお店でも出尽くしています! 今更新メニューなんて……!」

 

 女の子が声を上げる。爽が呟く。

 

「ふむ、なかなか難しいですね……」

 

「もっと発想を柔軟にしロ……」

 

「ザベちゃん、どういうこと?」

 

「海がダメならバ……陸や空があル……」

 

「へ?」

 

 イザベラが見えない速度で銃器を取り出し、弾を込める。

 

「待っていロ、ちょっと狩ってくル……」

 

「ちょっと待った! 何を狩ってくるつもり⁉」

 

 店を出て行こうとするイザベラを葵が慌てて制止する。

 

「海が駄目 ならば他ので 良いじゃない」

 

「良くないよ!」

 

 一超の呟きを葵が注意する。爽が呆れる。

 

「そんなどこぞの王妃みたいなことを……」

 

「ならバ、他に手はないナ……」

 

 イザベラがため息交じりで椅子に座る。

 

「ないの?」

 

「アア、お手上げダ……」

 

「撃つ得物 あれども打つ手 なかりけり」

 

「そんな上手いことを言っている場合じゃないでしょう。会長、なにかないですか?」

 

 爽が会長に話を振る。万城目はしばらく考えてから口を開く。

 

「……やはりイメージの改善でしょうか」

 

「イメージの改善?」

 

 葵が首を傾げる。

 

「ええ、私としてはこの雰囲気が好きなのですが、正直言って、多くの方から古臭いというイメージを抱かれやすいお店の雰囲気を漂わせてしまっています」

 

「うう……」

 

 女の子が悲しそうに俯く。葵が声を上げる。

 

「会長、言い過ぎです!」

 

「さっき自分も似たようなことを言っていなかったカ……?」

 

「イザベラさん、それは言わないでください……」

 

 イザベラの呟きを爽が小声でたしなめる。万城目が話を続ける。

 

「そこで提案なのですが、このお店のリニューアルを行いましょう」

 

「リニューアル?」

 

「ええ、ちょっとお待ちください……」

 

 万城目が端末を素早く操作する。すると、どこからともなく、数十人の大人の男女が集まってくる。その内の一人が万城目に声をかける。

 

「旦那! お呼びで⁉」

 

「皆さま、ご苦労様です。実はかくかくしかじかで……」

 

「ふむふむ……」

 

「……お願いできますか?」

 

「お安い御用ですぜ! お前ら、早速取り掛かるぞ!」

 

「おおっ‼」

 

 数十人がすぐに散らばり、作業にとりかかる。葵が不思議そうに尋ねる。

 

「あ、あの、この人たちは……?」

 

「彼らは私の個人的な知り合いでDIYのスペシャリスト集団です。こうしたお店のリニューアルをいくつも手掛け、成功させてきました」

 

「スペシャリスト集団……確かに手際が良い……瞬く間にお店が生まれ変わっていく」

 

「フム、目や手つきを見れば分かル……只者ではないナ」

 

 イザベラが頷く。万城目が女の子に説明する。

 

「センスのある女性も揃っています。女性のお客様受けするデザインもばっちりですよ」

 

「そ、そうですか……で、でも……お高いんでしょう?」

 

「ははっ、ご心配には及びません。この方々は日曜大工の達人。つまり趣味の延長です。もちろん作業代などは頂きますが、業者に頼むよりははるかに格安です」

 

「は、はあ……」

 

「それに料金の九割は将愉会さんの方に請求しますので」

 

「ええっ⁉ まあ、しょうがないか……」

 

 葵が後頭部を掻く。そうこうしている内に店のリニューアルが完了した。

 

「出来ました。お昼の時間に間に合いましたね」

 

「早っ!」

 

「す、すごい……こんな立派に」

 

 驚く葵の横で女の子が信じられないという様子でお店を見つめる。

 

「旦那! 終わりました!」

 

「助かりました。また何かあったらよろしくお願いします」

 

「はい!」

 

 日曜大工の達人たちがその場を去る。万城目が首を捻る。

 

「う~ん……」

 

 爽が万城目に尋ねる。

 

「気になることでも?」

 

「いえ、なにかが足りない気がするのですよね……」

 

「なにか?」

 

「ええ、先ほどイザベラさんがおっしゃった“インパクト”に欠けるような……」

 

「やはり……狩ってくるカ?」

 

「それは止めて下さい」

 

 爽がイザベラを制する。

 

「ではどうすル?」

 

「……良いことを思いついたよ♪」

 

「葵様?」

 

「貴女、ちょっとこっちに来て!」

 

「え、ええ⁉」

 

 葵が女の子の手を引いて店の洗面所に連れて行く。やや間があって二人が出てくる。

 

「じゃじゃ~ん!」

 

「! こ、これは……」

 

 葵が指し示した先には、前髪を上げるなど、ヘアースタイルをきちんとセットしなおしてさらにメイクを整えた美人の女の子が立っていた。

 

「えっと、何ちゃんだっけ?」

 

「あ、一条(いちじょう)みなみです……」

 

「看板娘のみなみちゃんのイメチェン! 結構なインパクトでしょ! サワっち!」

 

「はい、SNSで直ちに拡散します。よろしいですね?」

 

「えっ⁉ ちょ、ちょっと待って下さい! 私なんかとてもとても……」

 

 みなみが手を左右に振って俯く。一超が口を開く。

 

「その美貌 炎帝すらも かすむかな」

 

「ええ……?」

 

 戸惑うみなみに爽が説明する。

 

「炎帝とは夏を司る神。この季節を指す盛夏を言い変えた言葉でもあります」

 

「つまり、神様もかすむほどみなみちゃんが素敵ってことだよ!」

 

「⁉ そ、そうなんですか……なんだか自信が出てきました」

 

「よっし! サワっち、拡散!」

 

「かしこまりました」

 

 SNSの効果もあって、店は瞬く間に大繫盛する。客足が落ち着いてくると、みなみは一超に突然抱き着く。一超を含め、皆が驚く中、みなみが口を開く。

 

「私、今まで自分に自信が持つことが出来ませんでした……でも貴方の詠んだ俳句が私に大きな力をくれました!」

 

「サマータイム 不意の抱擁 喜ばし ……⁉」

 

 思わぬ幸運ににやける一超は自分のことを薄目で見つめている葵に気が付く。

 

「なるほどね~そういう娘が好みなんだ~へ~」

 

「ちょっと待て 酷い誤解だ 聞いてくれ」

 

「お邪魔しちゃ悪いよね。それじゃあ」

 

「! ……」

 

 一超が引き留めようとするが、良い句が思い浮かばずに黙り込んでしまう。そうこうしている内に葵はその場を去ってしまった。爽が淡々と呟く。

 

「また面倒なことに……葵様へはなんとかフォローをしておきます」

 

「!」

 

「ですがそれはそれ。藍袋座一超さん。これはややマイナスポイントですね……」

 

「⁉」

 

「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……失礼致します」

 

「……」

 

 爽もその場を去り、一超は空を仰ぐ。その様子を遠くから見ていた将司が端末に囁く。

 

「金銀お嬢様、藍も塗り潰せましたよ……」



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成果確認

                  拾壱

 

「おめでとうございます」

 

 宿舎の一室で将司が笑顔で金銀に声をかける。しかし、金銀は笑顔なく答える。

 

「勝負は終わったわけではありません」

 

「ですが……」

 

「相手が『参りました』というまでは分からないのです」

 

「はあ……」

 

「とりあえず、これまでの確認といきましょうか」

 

「は、はい……まず合宿の初日に金銀お嬢様と自分が上様と新緑光太先生とともに海岸でのゴミ拾いを行いました。氷戸光ノ丸さんとその秘書である風見絹代さんが乱入するといういきなりの想定外もありましたが……」

 

「結果としていい方に転がりましたね」

 

「ええ、その日の夜、バーのラウンジで新緑先生と風見さんが意気投合、コンビを組んで行ったゴミ拾いの話で盛り上がったのでしょうか? とにかくそのままの流れで夜景スポットに移動し、良い雰囲気になったところを上様が目撃するという状況が生じました」

 

「私たちはそんな上様を見つめておりました」

 

「ええ、上様は新緑先生と風見さんがちょっと大人な関係だと誤解されたようです」

 

「将愉会きっての頭脳派であり、唯一の教員でいらっしゃる新緑先生と上様との信頼関係にひびを入れることが出来ました。まずは幸先の良いスタートでしたね」

 

 金銀は頷く。将司が続ける。

 

「二日目、金銀お嬢様は対局で不在。ですが、橙谷弾七さんが上様たちとの調理実習に参加しました。幸運でしたね」

 

「……彼は単位取得が危ないという情報は掴んでいます。よって、調理実習にも参加するということはそれほど意外なことではありません」

 

 金銀は淡々と呟く。将司が感嘆とする。

 

「さ、流石です……」

 

「とはいえ、上様と同じ回に参加するのはこちらにとっては幸運でしたね……それで?」

 

「は、はい。こればかりはいくら調べてもどういう流れかは分かりませんでしたが、橙谷さんが有備憂さんと西東イザベラさんの女子生徒二人と料理対決を行うことになり……」

 

「調理実習中にどうなったらそういう流れになるのですか……」

 

 金銀が困惑気味に呟く。将司が続ける。

 

「と、とにかく、その調理実習後、宿舎の近くで橙谷弾七と有備さん、西東さんが相撲を取られることになりました」

 

「だからどうしてそういう流れに⁉」

 

 金銀が頭を抱えながら声を上げる。将司がやや間を空けて説明を再開する。

 

「……しかも、どうやら相撲は西東さんの呼びかけらしいです」

 

「ますます分からないですわ……」

 

「とにかく、その相撲を取っている姿を目撃した上様は、橙谷さんが女子二人に見境なく抱き着こうとする破廉恥な行動をとったと誤解されたようです」

 

「まあ、普通は男女で相撲という発想にはなかなかたどり着きませんよね……とにかく、将愉会の年長組で意見のまとめ役でもあるという橙谷弾七さんと上様の信頼関係がかなり揺らいだようですね。偶然の産物、完全な幸運でしたが、運も実力のうちです」

 

 金銀がうんうんと頷く。将司が説明を続ける。

 

「三日目のお昼前でしたが、砂浜で金銀お嬢様発案の『スイカ割り・2on2』が行われました。お嬢様の巧みな挑発に上様はまんまと乗っかってきましたね」

 

「あれくらいは造作もないことです……」

 

「上様は青臨大和君とペアで参加。しかし、青臨君は強かったですね……」

 

「ワンチャンスを狙って、決勝を2оn2から四組でのバトルロイヤルに変更するといういささか強引な手を打ちましたが、所詮は無駄なことでしたね。まさか一振りで七人を吹き飛ばすとは……全く規格外な方です」

 

 金銀は呆れるように首を振る。

 

「その後の昼休み、恋人の丘でなにやら揉めていた高島津小霧さんと太毛利景元君の仲裁を青臨君がなされました。どういう言葉をかけられたのかまでは分かりませんが、高島津さんはキラキラした面持ちで青臨君の両手を取り、太毛利君が青臨君の胸に顔を埋めて肩を震わせて泣いておられました」

 

「私も離れたところから見ておりましたが、なにがどうなってそうなったのか……」

 

「同じくそれを目撃した上様は青臨君が手当たり次第に高島津さんと太毛利君を口説いていると誤解されたようです」

 

「ただならぬ事態ですからね、そういう考えに至るのもやむを得ないかもしれません」

 

「しかし、こうやって考えてみると、スイカ割りに高島津さんたちお二人が参加したのも幸運でしたね」

 

「……それはそうなるように仕向けたのです。あのお二人が良い仲だという情報も掴んでいました。よって、スイカ割りの商品に『ペア宿泊券』を用意したのです。案の定、お二人が食いついてくれました」

 

 金銀が得意げに語る。将司は再び感嘆とするが、やや首を傾げる。

 

「流石です……ですが、もしもスイカ割りをあの二人、あるいは二年い組の『介さん覚さん』が勝っていたらどうされたのです?」

 

「青臨君を参加させることが出来た時点でその心配は無用でしたよ」

 

「け、結構危ういような……」

 

「とにかく、将愉会最強の青臨大和君と上様の信頼関係に溝が生まれました……」

 

 金銀がゆっくりと頷く。将司が説明を続ける。

 

「その日の午後、上様はビーチバレー大会に参加されました」

 

「上様、結構夏合宿をエンジョイされておりますね……まあそれは良いのですが」

 

「上様は用務員さんの高尾さんとペアを組んで参加。健闘されましたが、準決勝で敗退されました。決勝は上杉山雪鷹さんと武枝クロエさんのペアとの稀にみる死闘の末、黒駆け秀吾郎君と西東イザベラさんのペアが制しました……」

 

「その試合の映像は私も見ました。ビーチバレーに関してはよくわかりませんが、そんな私でも手に汗握る熱戦でしたね」

 

 金銀が感想を述べる。将司が頷きながら続ける。

 

「ええ、なんといっても最終的にはボールが破裂してしまうのですから……あれには驚きました。その結果、興奮した黒駆君は喜びのあまり、コート上で西東さんに抱き着いてしまい、その様子を上様にばっちり目撃されてしまいます。上様の目には、嫌がる女性に無理やり抱き着いているように映ったようです」

 

「まさしく誤解ですね。将愉会でもその動きをなかなか掴めない厄介な存在である黒駆秀吾郎君と上様の信頼関係に不協和音が生じました。正直どうしたものかと思っていたので、これも運が良かったですね……」

 

 金銀が深々と頷く。将司が続ける。

 

「四日目の夜ですが、上様が伊達仁爽さん、そして黄葉原北斗君・南武君の兄弟と肝試しイベントに参加されました。これもお嬢様の読み通りだったのですよね?」

 

「このような動画のネタになりそうなイベントには、黄葉原兄弟のお兄さんは食いつくだろうと睨んでいました。SNSにもそれとなくDMを送りましたし」

 

「そ、そのようなことまで……」

 

「念には念を押すという意味で、私と将司、それに虎ノ門竜王君と竜馬君兄弟も参加することにしました。虎ノ門兄弟は黄葉原兄弟に並々ならぬ対抗心を持っていますからね」

 

「その対抗心がやや暴走してしまったようでしたが……」

 

「……まあ、そういうこともあります」

 

「イベント最難関の『ナイトメアコース』に臨み、結果として……落とし穴に落ちそうになったお嬢様を上様と勘違いした黄葉原兄弟が御身を支えてくれました。しかし、なんというか、その……」

 

 将司が口ごもる。金銀があっさりと話す。

 

「私の体に対し、やや過剰なスキンシップを取った形になったのですよね」

 

「え、ええ……それが黄葉原兄弟の狙いであったと上様は誤解されました」

 

「まあ、ある意味誤解では無いのですが、若くして優秀な黄葉原兄弟と上様の信頼関係に軋轢が生じました。体を張った甲斐があるというものです」

 

 金銀がしてやったりというように頷く。将司が説明を続ける。

 

「五日目の午前中、上様は遠泳大会に参加される予定でしたが、大会実行委員の一人である五橋八千代さんのやや強引な決定で、種目が変則トライアスロンに変更になりました。これにはかなり驚かされました。ひょっとしてこれも想定内ですか?」

 

「想定内もなにも、そうするように五橋さんに仕向けたのは私ですから」

 

「そ、そうなのですか……」

 

 金銀の言葉に将司が唖然とする。

 

「彼女が将愉会の赤宿君にご執心だという情報は掴んでいましたし、それを利用させてもらいました。思った以上にかき回してくれましたね」

 

「竹波君、呂科君という二年ろ組きっての文武両道の生徒を擁して、あとちょっとで優勝というところまでいきました」

 

「その映像も見ましたが、見事なレース運びでしたね」

 

「結果……赤宿君の頬に西東さんがキス、それを上様が目撃することになりました」

 

「あれは本当に想定外でした」

 

「上様の目には、赤宿君が五橋さんを弄んだというように映ったようです」

 

「まあ、そのように考えられなくもないですが……とにかく、将愉会の中で最も勢いのある赤宿進之助君と上様の信頼関係にすきま風が吹きました。結果オーライです」

 

 金銀がやや戸惑いがちではあるが頷く。将司が説明を続ける。

 

「その日の晩、海岸でキャンプファイヤーが行われ、それに付随したイベントである演芸大会が開かれることになりました。上様は実行委員の生徒の頼みを引き受け、演芸大会の出演を急遽キャンセルした方々の代役をお集めになりました」

 

「交流がある日比野飛虎君たちに声をかけることは想定出来ましたが、まさか我々にも声をかけてこられるとは思いませんでした。しかし、こんなこともあろうかと、漫才のネタを用意しておいて良かったです……」

 

「そ、そこまで想定済みだったのですか?」

 

「何事も先の先を読むものです」

 

「す、すごいですね……」

 

 金銀の言葉に将司が感服する。

 

「涼紫さんへの出演依頼も想定内でしたが、まさか上様との二人芝居とは……こう言ってはなんですが、なかなか面白いお芝居でしたね」

 

「その後、涼紫さんの出待ちの女性ファンへの対応ぶりが役どころとオーバーラップしたのか、上様は涼紫さんにやや幻滅されたようですね」

 

「何人か仕込んだ甲斐がありましたね」

 

「え⁉ あの女性ファンも……⁉」

 

「全員ではありませんがね。あのまま芝居が上手くいって、良い雰囲気で打ち上げにでも行かれたらたまったものではありませんから」

 

「そ、そこまで手を打っていたとは……」

 

 淡々と述べる金銀に対し、将司が再び感服する。

 

「急遽なことでしたがね。とにもかくにも、将愉会の中でも対外的に影響力のある涼紫獅源さんと上様との信頼関係に亀裂が生じました。我々の演芸大会への参加はイレギュラーでしたが、上手く利用できましたね」

 

 金銀が満足気に頷く。将司が説明を続ける。

 

「そして、本日の午前中ですが、上様は伊達仁さん、西東さんと近隣の海水浴場へお出かけになりました。不意に入った海の家で万城目生徒会長、藍袋座君と居合わせました」

 

「万城目生徒会長はともかくとして……藍袋座君がそこにいたのは幸運でしたね。彼の動きはなかなか掴み所がなかったものですから。それで?」

 

「その海の家はこの学園の一年生である一条みなみさんの実家でした。一条さんの依頼を受け、上様たちはお店のリニューアル作業にとりかかります」

 

「ふむ……」

 

「リニューアル作業やSNSでの宣伝が功を奏し、海の家はたちまち大繁盛しました」

 

「お店の画像は見ましたが、この短時間でお店のリニューアルを完了させる万城目生徒会長の指導力と抱えている豊富な人材……やはりあの方は侮れませんね……まあ、今はいいでしょう。それで?」

 

 金銀が続きを促す。将司が続ける。

 

「どういうやりとりがあったまでかは分かりませんが、一条さんが上様の前で藍袋座君に思い切り抱き着きます」

 

「まあ、大胆なこと」

 

「上様はにやけ顔の藍袋座君に呆れてその場をさっさと去ってしまいました。以上です」

 

「将愉会の中でもこれまた対外的な影響力の強い藍袋座一超君と上様との信頼関係に不和が生じましたか……これもまた幸運でしたね」

 

「これで将愉会の九つの色を塗り潰せましたね。メンバーと上様の信頼関係を損ねることが出来ました」

 

「いえ、まだ不十分です……」

 

「え?」

 

「最後にもう一押しです……」

 

 金銀が不敵な笑みを浮かべる。



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チケット配布

「ふむ……ここは便利ですわね」

 

「ええ、そうですね。宿舎から夏祭りの会場までは結構距離がありますから、こういう更衣室があるのは助かりますね」

 

 八千代の呟きに憂が答える。彼女たちは近隣で行われる夏祭りに向かうために、浴衣に着替えている。八千代が首を傾げる。

 

「前からこの更衣室はあったのかしら?」

 

「いや……今年からじゃないでしょうか? 年々このお祭りは人出が増えているみたいですし、要望の声が高まってきたのに応えたのでしょう……はい、終わりました」

 

「ありがとう、憂」

 

「……確かに助かりますね」

 

 近くのロッカーで着付けを終え、ベンチに腰かけた爽が呟く。イザベラが尋ねる。

 

「今年から設置されたのカ?」

 

「ええ、恐らく……少なくとも昨年はこういう更衣室はなかったかと思います。何か気になることが?」

 

「イヤ、気のせいだろウ……」

 

「……というかイザベラさん、着付けを手伝いますよ……って、出来ていますね」

 

「問題なイ……」

 

「本当になんでもこなせますね……」

 

「まあナ」

 

「お集まりの皆さま!」

 

「?」

 

 声のした方に目をやると、浴衣姿の金銀が立っていた。

 

「これは素敵な偶然でしょうか? ちょうど良い顔ぶれが集まっておられますね」

 

「尾成さま? ちょうど良いとはどういうことですの?」

 

 八千代が尋ねる。

 

「いやあ、良いものがありまして……こちらです!」

 

 金銀が数枚の紙をヒラヒラとさせる。

 

「なんですのそれは……チケット?」

 

「ええ、これはこれから皆さまが向かう夏祭りのフィナーレを飾る花火大会を特等席で見られる男女ペアチケットです!」

 

「男女ペアチケット?」

 

「はい。既に男性陣にはお配りしておりまして……その男性としか見られませんが……」

 

「なんですか、その雑な手配は……知らない殿方と花火を見て何が楽しいのですか……」

 

「それが赤毛の君でも?」

 

「え⁉」

 

 金銀の言葉に八千代の目の色が変わる。金銀が笑みを浮かべながら話す。

 

「こちらは学園きっての色男の集まりである将愉会の男性陣のどなたかと花火を見られるチケットになりま~す」

 

「あ、赤毛の君の分はわたくしが!」

 

「そこまで鼻息を荒くしなくても……はい、どうぞ」

 

 金銀が八千代にチケットを渡す。チケットを受け取った八千代がぶつぶつと呟く。

 

「ふ、二人きりで花火を見たら、一気に距離が縮まる可能性も……」

 

「は~い、まだまだございますよ~」

 

 金銀がこれ見よがしにチケットをヒラヒラとさせる。数人の女性が金銀に近づく。

 

「こ、光太さん……で、ではなくて、新緑先生の分はございますか?」

 

「はい、どうぞ。しかし風見さん、氷戸さまについてなくて良いのですか?」

 

「お前の好きにして良いとアホが……ではなくて、殿からお許しが出ましたので……」

 

 絹代は少し顔を赤らめながらチケットを受け取る。

 

「涼紫獅源の分をもらおうか……」

 

「これはこれは上杉山さん、貴女がこういうことに乗り気とは……」

 

「当代きっての女形から少し女らしさというものを学んでみようかと思ってな……」

 

 雪鷹がチケットを受け取る。

 

「か、会長……青臨君の分をお願いします」

 

「武枝さん、それは体育会書記としての職務ですか?」

 

「そ、そうです! あの方は少しでも目を離すと何をするか分かりませんから!」

 

 クロエが顔を真っ赤にしながらチケットを受け取る。

 

「えっと……橙谷さんの分はありますか?」

 

「有備さん……少々意外な申し出ですね」

 

「相撲をとってみて思ったのです、結構フィーリングが合うかもなって……」

 

「そ、そうですか……」

 

 金銀は戸惑い気味に憂にチケットを渡す。

 

「た、太毛利景元君の分はあるのですか?」

 

「ええ、もちろんですよ。高島津さん。はい、どうぞ」

 

「あ、ありがとうごさいます……」

 

 小霧はお礼を言って、チケットを受け取る。

 

「ま、まさかとは思いますが、あ、飛虎の分はあったりしますか?」

 

「中目さん、日比野君は将愉会ではありませんから……」

 

「そ、そうですよね、失礼しました……」

 

「それがなんと、特別にあるのですよ!」

 

「え⁉」

 

「はい、どうぞ!」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 雀鈴は顔をポッと赤らめながらチケットを受け取る。金銀が声を上げる。

 

「チケットは残り四枚ですね~」

 

「……どうすル? 無視するカ?」

 

 イザベラが爽に尋ねる。端末を触っていた爽は少し考えてから口を開く。

 

「……尾成さまの狙いに乗っかるのもどうかと思いますが、このままですと、将愉会の四人で葵様の取り合いになる恐れがありますね。どの角度から見てみても、争いの公平性に欠けてしまいます。よって……」

 

「ヨッテ?」

 

 爽がすっと立ち上がり、金銀に声をかける。

 

「……黄葉原南武君の分はありますか?」

 

「これは伊達仁さん、ありますよ、どうぞ」

 

 チケットを受け取った爽は微笑を浮かべながら尋ねる。

 

「……ついでに北斗君の分もお願いできますか?」

 

「ついでって、そんな物みたいに……美男の双子を独り占めなんて罰が当たりますよ?」

 

「……冗談です」

 

 爽は微笑を崩さずに引き下がる。イザベラが声をかける。

 

「……では、私は黒駆秀吾郎の分をもらおうカ」

 

「西東さん……どうぞ」

 

「ドウモ……」

 

 イザベラがチケットを受け取る。金銀がチケットをヒラヒラとさせながら呟く。

 

「2枚余ってしまいましたね……どうしましょうか?」

 

「ら、藍袋座さんの分をお願いできますか……?」

 

「! 貴女は……?」

 

 意外な人物の登場に金銀だけでなくイザベラと爽も驚く。

 

「お前ハ……」

 

「一条みなみさん……!」

 

「ひ、昼間はどうも……大変お世話になりました」

 

 可愛らしい浴衣に身を包んだみなみが頭を下げる。爽が金銀に声をかける。

 

「尾成さま、どうぞ彼女に渡してあげて下さい」

 

「……もちろん構いませんよ、どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 みなみが嬉しそうにチケットを受け取る。

 

「ですが黄葉原北斗君の分が余ってしまいましたね。どうしましょうか……そうだ、上様がいらっしゃいましたね。でもこれでは北斗君の抜け駆けみたいになってしまいますね……将愉会で無用な軋轢が生まれたりしないかしら?」

 

「くっ……」

 

 爽が苦い顔を浮かべる。

 

「でも、余らせては北斗君が可哀そうですからね。上様にお渡しするとしましょう、そうしましょう! 上様、そちらにいらっしゃるのでしょう? ⁉」

 

 金銀が覗き込むと、浴衣姿にはなっているものの、ベンチで眠りこけてしまっている葵の姿があった。爽が軽く頭を抑える。

 

「連日の疲れが溜まっていたのか。ご自身で着付けを終えられた後、このように眠ってしまいまして……」

 

「そ、そうですか……ではこのチケットを置いておきましょうか……」

 

「ご本人が把握していないものを渡されても、葵様が困ってしまいます。そのチケットはどうぞ尾成さまがお持ちになって下さい」

 

「な、何故そうなるのです!」

 

「北斗君も楽しいお方ですよ。動画に出演させられるかもしれませんが……」

 

「な、なんでそんなことをしなければならないのです!」

 

 爽が唇に指を当てる。

 

「どうぞお静かにお願いします。葵様が目覚めてしまいますから……少しの空き時間くらいお休み頂きたいのです……」

 

「ぐっ……」

 

 金銀が渋い表情になる。イザベラが爽に尋ねる。

 

「オイ、着付けが終わってから眠ったと言ったナ?」

 

「? ええ、そこのロッカーをお使いになられています」

 

「このロッカー……しまっタ、全員息を止めロ、睡眠薬ダ!」

 

「⁉」

 

「グ、グウ……」

 

 イザベラが叫んだが時すでに遅く、その場にいた全員が眠ってしまう。しばらくすると、覆面で顔を隠した女性が二人入ってくる。

 

「……薬の充満まで多少時間がかかりましたが、眠ったようです……思ったよりも大人数ですが、どうしますか?」

 

「人質は多い方が良い。全員連れていくぞ……」



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洞窟にて

「うん……」

 

「葵様、気が付かれましたか」

 

「サワっち、ここは……って、手足が縛られている⁉」

 

「どうやら我々はまとめてさらわれたようです」

 

「まとめて? ああ、皆……」

 

 葵が周囲を見回して確認する。よく見知った顔から今日知り合ったばかりの顔もいる。

 

「葵様も含めて全員で12人です」

 

「……浴衣に着替えてロッカーに服を置いたまではぼんやりと覚えているんだけど……」

 

「そのロッカーに強力な睡眠薬が仕込んであったのダ……ガスが噴出しテ、知らず知らずのうちに部屋中に充満していタ……」

 

「そんな……」

 

「スマン、油断しタ……」

 

 イザベラが申し訳なさそうに呟く。八千代が声を上げる。

 

「あのロッカールーム自体が罠だったということですの⁉」

 

「罠という言い方が適切かどうかは分かりませんが……そのようなものでしょうね」

 

 憂が答える。八千代がなおも興奮気味に声を上げる。

 

「何のためにこんなことを⁉」

 

「顔ぶれを見るかぎり、私などはともかくとして、上様をはじめ、お嬢様、尾成さま……大江戸城学園のVIPと呼ばれる方々を狙ったのでしょうね……」

 

 憂は八千代を落ち着かせるように、冷静に話す。

 

「大江戸幕府を快く思わない者の犯行か……」

 

「いわゆるテロリストね。しかも結構な集団よ」

 

 雪鷹の呟きにクロエが反応する。絹代が呟く。

 

「なかなかの手練れのようですね……」

 

「尾成さま……」

 

「な、なにかしら? 伊達仁さん」

 

「まさかとは思いますが……」

 

 爽から向けられた視線の意味に金銀はすぐ気が付く。

 

「わ、私を疑っているのですか⁉」

 

「この合宿中、将愉会を切り崩す為に色々と画策していたようでございますので……」

 

「確か二、疑わしいナ……」

 

「よ、よくご覧なさい! 私も手足を縛られているのですよ⁉」

 

「それがフェイクの可能性もあル……」

 

「な、何を馬鹿なことを!」

 

「尾成さま、貴女、わたくしたちがちょうど集まっている時に現れましたわね?」

 

「五橋さままで……何をおっしゃっているの?」

 

「偶然と言うには随分と都合が良いなと思いまして……」

 

「……タイミングを伺っていたことは事実です」

 

「! ということは……」

 

 小霧が目を丸くする。金銀は慌てて首を振る。

 

「この誘拐の首謀者は私ではありません!」

 

「……ではあの更衣室は一体?」

 

「それは知りません」

 

 爽の問いに金銀が答える。爽が首を傾げる。

 

「知らない?」

 

「ええ……」

 

「そんな話が通ると思っているのカ?」

 

 イザベラが鋭い視線で見つめる。金銀はしばらく黙った後、話し出す。

 

「……確かに伊達仁さんがお察しの通り、私はこの合宿中、将愉会の切り崩しの為に、様々な策を弄しておりました! しかし、あの更衣室のことは本当に何も知りません! 皆さんを一か所に集め、チケットを配るにはとても都合の良い場所だと思って利用させてもらったに過ぎません!」

 

「……我々をあの更衣室に集めるように誘導したのではないですか? 貴女さまならばそれくらい容易いはずです」

 

「……ええ、そういう誘導もしました。ですが、私はこの誘拐に関知しておりません!」

 

 爽の言葉に金銀は声を上げる。雪鷹が首を傾げる。

 

「……疑わしいな」

 

「ええ、まだ信じられないわね」

 

 雪鷹の呟きにクロエが頷く。絹代が口を開く。

 

「……大分汗をかいておられます」

 

「それも芝居かも?」

 

「汗を舐めれば、嘘をついているかどうか分かるのですが……」

 

「な、なんですか、その特技は……」

 

 絹代の発言に小霧が若干引き気味になる。イザベラが頷く。

 

「試してみる価値はあるかもナ……」

 

「では……」

 

「ちょ、ちょっと、私にそんな趣味はありません!」

 

 にじり寄ってこようとする絹代に対し、金銀が拒否反応を示す。

 

「ちょっと待って! 皆、少し落ち着こうよ!」

 

「!」

 

 黙っていた葵が声を上げる。皆の注目が葵に集まる。

 

「私は尾成さんを信じるよ」

 

「う、上様、ありがとうございます……」

 

「皆もそれで良いね? 言い争いをしてもなにもならないよ」

 

「葵様がそうおっしゃるのなら……皆様?」

 

 爽の呼びかけに皆が頷く。

 

「よし、じゃあここはどこなのかを把握しよう」

 

「潮の香りからしテ、海の近くにある洞窟であることは間違いないようだガ……」

 

「ここは江の島岩屋です……」

 

 みなみが口を開く。隣に座っていた雀鈴が尋ねる。

 

「え、そうなのか?」

 

「ええ、間違いありません、いわゆる観光スポットの場所からは少し離れていますが」

 

「流石は地元出身!」

 

 葵が笑顔で頷く。八千代が声を上げる。

 

「場所が分かったのなら、なんとか脱出しましょう!」

 

「難しいナ……」

 

「な、なんですって⁉」

 

 イザベラの呟きに八千代が重ねて声を上げる。

 

「さっきも誰かが言ったよう二、これだけの人数をさらったのダ、相当な数のテロリスト集団と考えた方が良イ。この状態で逃げるのは困難を極めル……」

 

「確かに気配や足音を多く感じる……恐らく洞窟の出入り口付近はガチガチに見張られているだろうな……」

 

 雪鷹が耳を澄ませながら淡々と呟く。クロエが問う。

 

「ではどうするの?」

 

「何かきっかけでもあれバ……!」

 

 突如轟音が聞こえる。皆が周囲を見回す。小霧が驚く。

 

「な、何の音⁉」

 

「そこの隙間から外が見えるよ!」

 

 葵が首を振って、岩壁にある僅かな隙間を指し示す。皆がそこから外を覗き込む。

 

「あ、あれはジェットスキー⁉ 乗っているのは……ああっ⁉」

 

「借りを返しに来たわよ……葵っち♪」

 

 ジェットスキーに華麗に跨る、良鎌倉幕府第四十五代将軍、真坂野紅が軽やかに呟く。



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流鏑ジェットスキー

「あ、あれはクレちゃん⁉ なんでここに⁉」

 

「い、いや、クレちゃんって⁉ 鎌倉の公方さまに対してなんて呼び方を⁉」

 

 葵のクレちゃん呼びに八千代が驚く。葵が首を傾げる。

 

「そう言われても……本人にはなにも言われていないし……」

 

「既に良鎌倉幕府とも良好な関係を……⁉」

 

 金銀が小声で驚く。葵があらためて首を傾げる。

 

「本当になんでここに? ジェットスキーは男の人が運転しているのかな?」

 

「こんなこともあろうかと……マメに連絡を取り合っておりました」

 

「サワっち⁉ そ、そうなんだ……」

 

「もしヤ、眠る前に端末をいじっていたのハ……?」

 

 イザベラの問いに爽が頷く。

 

「イザベラさんがあの更衣室の違和感に気づいていたようでしたので……念のためにメッセージを送っておきました。これから一、二時間ほど連絡が途絶えるようであれば、わたくし……葵様になにかあったとお考え下さいと……場所に関してはわたくしの端末のGPS反応を追跡してくれたのでしょう」

 

「な、なるほど……!」

 

 怒鳴り声などが聞こえてくる。雪鷹が呟く。

 

「見張りの連中が気づいたようだな……」

 

「どうされるおつもりでしょうか?」

 

「海からの上陸は難しいですね……」

 

 クロエの言葉に絹代が反応する。憂が声を上げる。

 

「あ、あれは⁉」

 

 そこにはジェットスキーを海岸沿いに走らせながら、弓を構える紅の姿があった。

 

「どあっ⁉」

 

「うおっ⁉」

 

「きゃっ⁉」

 

「ここからでは見えづらいですけど、どうやら見張りを弓矢で射倒しているようです!」

 

「こっちからも見えたよ……凄いな。弓矢が得意だとは言っていたけど……」

 

 小霧の言葉に爽が頷く。

 

「突破口が開けたナ……」

 

「そ、そうだね、ザベちゃん! って、ええっ⁉ なんで普通に立っているの⁉」

 

 手足を縛っていたロープを解き、立っているイザベラに葵は驚く。

 

「まず、手の開閉を繰り返ス。すると、前腕の筋肉が収縮すル。このような筋肉の収縮を利用しテ、ロープをゆるませるのダ……」

 

「いや、のだって言われても……」

 

「後は仕込んでいた刃物で足のロープを切ればいいだけのこト……」

 

 イザベラが葵たちのロープを手際よく切っていく。全員が手足の自由を取り戻す。

 

「ふう……他にも似たようなことが出来そうな方はいそうですがね……」

 

 爽が視線を向けるが、何人かが顔を背ける。イザベラが苦笑する。

 

「皆様子見をしていたのダ……見張りが混乱していル……今が脱出の好機ダ!」

 

「よ、よしっ!」

 

「お待ち下さい!」

 

「⁉」

 

 走り出そうとした葵たちを金銀が呼び止める。

 

「闇雲に走っても敵と遭遇する機会をいたずらに増やすだけです……」

 

「そ、それはそうかもしれない……」

 

「打つ手は二つあります」

 

「二つ?」

 

「そう、まずは貴女!」

 

 金銀がみなみをビシっと指差す。みなみが戸惑う。

 

「わ、私ですか……?」

 

「貴女がこの中で一番土地勘があります。貴女が行く先を先導なさい」

 

「わ、分かりました……」

 

「そんな彼女をはじめとする非戦闘員たちを守りつつ進む……その為には武器が必要です……そこで貴女! 西東イザベラさん!」

 

 金銀がイザベラをバッと指差す。イザベラは黙っている。

 

「……」

 

「貴女のことです。武器をいくつも隠し持っているでしょう? それらをお貸し下さい」

 

「フッ、なかなか鋭いナ!」

 

 イザベラが浴衣をはだけさせ、太ももをあらわにする。葵が驚く。

 

「⁉ ザ、ザベちゃん⁉ って、えええっ⁉」

 

 葵は驚く。イザベラがガーターストッキングに何本も細い棒を挟んでいたからである。

 

「こうすれば……! 護身用の特殊警棒として使えるゾ」

 

 イザベラが取り出した短い棒を振るうと、棒は長くなり、護身用の特殊警棒となる。

 

「おおっ……」

 

「それを皆さんにお配り下さい」

 

 驚いている葵を横目に金銀が指示を出す。イザベラは素直に従う。

 

「わかっタ」

 

「無刀でも構わないが……」

 

「いいから空気を読んで借りなさい」

 

 雪鷹をクロエが注意する。

 

「柔術、古武術、少林寺拳法の使い手たちカ……だガ、お前らも一応持っておケ」

 

「はい……」

 

「どうも……」

 

「ありがとうございます……」

 

 爽と絹代と雀鈴が特殊警棒を受け取る。

 

「薙刀と刀、普段の得物とは勝手が違うかもしれんガ……」

 

「ありがとう、ザベちゃん!」

 

「助かります」

 

 葵と小霧も特殊警棒を受け取る。イザベラが憂に小声で囁く。

 

「憂はお気に入りのクナイがあったカ?」

 

「わ、私にも貸しなさいよ、仲間外れみたいでいやなのよ」

 

「フッ……」

 

 イザベラは微笑を浮かべ、憂にそっと特殊警棒を渡す。金銀が頷く。

 

「よしっ、それでは先導役のみなみさんと連中の最優先の目標と思われる、上様と五橋さま、そして私の四人が一人ずつに別れます。皆さんは二人一組で私たちを守りながら、みなみさんの先導に従い、鎌倉殿との合流を目指しましょう! みなみさん、よろしく!」

 

「わ、わかりました! こ、こちらです!」

 

 みなみの先導で改めて葵たちが走り出す。しかし、道中どうしても敵と遭遇する。

 

「なっ⁉ 人質の連中が⁉ 逃がすか!」

 

「フン!」

 

「ガハッ⁉」

 

「ギャッ⁉」

 

「……さらった相手が悪かったわね」

 

 洞窟から次々と聞こえてくる悲鳴を聞きながら、表の見張りを片付けた紅が笑う。

 

「……あ、クレちゃん!」

 

「やっほ~葵っち♪ 助けに来たよ」

 

 洞窟の入り口に出てきた葵たちに紅が手を振る。

 

「ありがとう、やっぱり持つべきものは征夷大将軍仲間だね♪」

 

「葵っち、私の自慢の『流鏑馬(やぶさめ)』ならぬ『流鏑(やぶさ)ジェットスキー』見てくれた?」

 

「ああ、あれってそういう名称なんだ……」

 

 葵はなんとも言えない笑みを浮かべる。



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救出作戦開始?

                  拾弐

 

「……」

 

 葵たちが洞窟からの脱出に成功した時より、少し時間は遡る。夏祭り会場にほど近い道の脇にある大木にもたれ、秀吾郎は楽し気に祭りへ足を運ぶ人々をぼうっと眺めていた。すると、大木の裏側から声が聞こえる。

 

「黒駆よ……」

 

「特別顧問⁉」

 

「そのままで聞け……」

 

「は……」

 

 尾高が冷静に伝える。

 

「上様を含む十二名の女子生徒が誘拐された」

 

「⁉」

 

「江の島岩屋近辺に連れ去られた模様だ」

 

「き、気が付かなかった……」

 

「相当周到な計画がされた集団的な犯行だ。気が付かないのも無理はない」

 

「と、とはいえ、これは自分の落ち度、上様の身になにかあれば、自分が責任を……」

 

「愚か者! 未来ある者が前時代的なことを言うでない!」

 

「! す、すみません……」

 

 尾高の一喝に秀吾郎は頭を下げる。

 

「今は己のなすべきことが何かを考えろ」

 

「そ、それはもちろん、上様たちの救出です」

 

「その通りだ。我々大人たちも動くが、出来る限り人には知られず、可及的速やかに問題解決を図りたい」

 

「はい……」

 

「現在迅速に動けるのはそなただけだ。よって、第一次救出作戦はそなたに任せる」

 

「! よ、よろしいのですか⁉」

 

「そなたの力量を信頼しているからな。万が一そなたが上手くいかなかった場合も心配はいらん。上様たちをさらった連中の目的は幕府との交渉だ。今すぐ上様をどうこうしようというわけではないだろう」

 

「は、はい……」

 

「要はなにかあったら先輩方が尻ぬぐいしてやるということだ。そなたの差配でやってみるがいい……分かったな?」

 

「分かりました!」

 

「良い返事だ。頼むぞ……」

 

 尾高がその場から離れる。秀吾郎が顎に手をやって考える。

 

「まずは現状把握を優先……しかし、十二人を誘拐したとなると、かなりの数の集団だろうな、自分一人では流石に手が余る……あまり気が進まないが、協力を仰ぐか……」

 

 考えをまとめた秀吾郎はその場から走り出す。そして、宿舎の裏に大和を呼び出す。

 

「……これは黒駆殿! こんな所に呼び出していかがなされた!」

 

「しっ、お静かにお願いしたい……」

 

「……聞こうか」

 

 秀吾郎の真剣な表情に大和も真面目な顔つきになる。

 

「実は……」

 

「なに⁉ 上様たちが誘拐された⁉」

 

「こ、声を抑えて下さい!」

 

 大和の大声に秀吾郎は慌てる。

 

「な、なんだって⁉」

 

「マジかよ!」

 

 弾七や進之助ら七人が顔を出す。秀吾郎が驚く。

 

「な、何故、皆がここに⁉」

 

「某が一応呼んでおいた!」

 

「なっ……そんな勝手なことを……」

 

「それよりさ、黒ちゃん、今の話は本当なの⁉」

 

 北斗らが秀吾郎を取り囲む。秀吾郎はため息まじりに呼びかける。

 

「少人数で進めたかったのだが……致し方ない。場所を移しましょう」

 

 大和ら八人は宿舎の使われていない部屋に移動する。秀吾郎がそこに入ってくる。

 

「斥候役、ご苦労様です……」

 

「いえ、それが仕事ですから……」

 

 光太の言葉に秀吾郎は軽く頭を下げる。大和が尋ねる。

 

「それで現状は⁉」

 

「ご説明します……」

 

 秀吾郎は葵ら誘拐された面々と、葵らが現在いるであろう江の島岩屋近辺の様子の詳細を八人に伝える。弾七が頷き、手を素早く動かす。

 

「つまり、相手はこのように陣取っているってことだな!」

 

 秀吾郎の説明を受けた弾七は江の島の陣形を絵に書き起こしてみせる。

 

「おお、流石は先生、見事な絵ですこと……」

 

「当然だろ、俺様を誰だと思っているんだ?」

 

 弾七は獅源に対して胸を張る。北斗が口を開く。

 

「それも悪くないけどさ……南武」

 

「はい、兄上」

 

「んなっ⁉」

 

 北斗の指示を受けた南武が情報端末の画面を皆に見せる。画面には江の島の様子が上空から鮮明な映像で映っている。南武が説明する。

 

「黒駆さんのお話の間、すぐにドローンを飛ばしました。これで向こうの様子もよく分かるかと思いますが……」

 

「確かによりイメージしやすいですね」

 

 光太が眼鏡を抑えながら頷く。一超が呟く。

 

「芸術も 科学によって 形無しか」

 

「ば、馬鹿野郎! こういうのは絵だから雰囲気が出るんだろうが!」

 

「え、絵筆を顔に近づけないで下さい!」

 

 弾七の八つ当たりに南武は困惑する。獅源が呆れ気味に弾七をたしなめる。

 

「先生、ちょいと静かにして下さいな」

 

「うむ……」

 

 秀吾郎が映像を見つめる。進之助が問う。

 

「どうするんだ⁉ 秀三郎⁉」

 

「秀吾郎だ。それを今考えている……!」

 

「妙案が 浮かびし顔と 見受けらる」

 

 秀吾郎の表情の変化に一超が気付く。

 

「ああ……今から説明する、皆よく聞いて欲しい……」

 

 秀吾郎が説明を始める。それから約数十分後、黒駆と弾七が高い場所から海岸を見下ろす。弾七が呟く。

 

「おーおー、大勢いやがるな……」

 

「海岸沿いの東西の方向から攻めるのは連中も当然警戒しているはずです……よって、上から攻めます!」

 

「相手の虚を突けるってわけだな。だが、そんな上手くいくかね?」

 

「その為に、青臨殿の隊と赤宿の隊に東西から陽動を仕掛けてもらいます……⁉」

 

「うおおっ! 金銀お嬢様!」

 

「雀鈴を返してもらうぜ!」

 

「余の秘書に手を出すとは良い度胸だ!」

 

 秀吾郎たちは将司と飛虎らと光ノ丸たちが攻撃を仕掛ける姿を目にする。

 

「あ~あ、勝手におっぱじめちまったぜ……」

 

 弾七が苦笑気味に呟く。



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九人それぞれの奮戦

「は、始まってしまいました⁉」

 

 南武が戸惑いの声を上げる。北斗が軽く頭を抑える。

 

「いきなり段取りと違う展開だな……」

 

「うおおっ! 金銀お嬢様! お待ちください! 今参ります!」

 

 将司が木刀で果敢に誘拐犯たちに斬りかかる。

 

「ふん!」

 

「いいぶちかましだ、玄道! おらあっ!」

 

 飛虎が豪快な飛び蹴りを繰り出す。龍臣が声をかける。

 

「へへっ! 思い出すな、飛虎! 他校に殴り込んだあの時をよ!」

 

「そんなビーバップな思い出はないが……そらあっ! 雀鈴、待っていろよ!」

 

 龍臣が鋭い拳を放つ横で飛虎が叫ぶ。

 

「やれ……」

 

「「はっ!」」

 

 光ノ丸の号令で介次郎と覚之丞が勢いよく飛びかかる。

 

「兎に角も 奇襲の役目 果たしたり」

 

「それはそうだね。相手はすっかり混乱している」

 

 一超の冷静な呟きに北斗が頷く。南武が尋ねる。

 

「どうしますか? 黒駆さんの策では我々が先陣を切る予定でしたが……」

 

「そりゃあ、切るっしょ、先陣」

 

「か、軽いノリですね⁉」

 

「ただ、遅れをとっちゃったからね、なにかインパクトが欲しいな……」

 

 北斗が顎に手を当てて考え込む。一超が期待を込めた目で北斗たちを見つめて呟く。

 

「お得意の 空中技を お披露目か」

 

「空中技なんか無いですよ! そんなキラキラした目で見つめられても!」

 

 南武が思わず声を上げる。一超が露骨にがっかりとする。

 

「なんとまた 双子なのにも 関わらず」

 

「だからなんなんですか⁉ その双子への偏見は⁉」

 

「空中技か……よし、やれ! 南武!」

 

「兄上! なんで僕だけなのですか⁉」

 

「視聴者の期待に応えてこその人気動画配信者だ!」

 

「僕は動画配信者ではありません! って、何を⁉」

 

「いっけええええ!」

 

「どわあああっ⁉」

 

 北斗は大型のドローンに南武を結び付け、無理やり空中に飛ばす。意外と飛べた。

 

「おお、飛んだぞ!」

 

「こ、これでどうしろと⁉」

 

「そこはなんかこう……アドリブで!」

 

「ディレクションが雑! ええい、どうだ! かかってこい!」

 

「!」

 

 南武はやけくそ気味に手に持った木刀を振り回す。誘拐犯集団の視線がそちらに向く。

 

「注意を引けた! よし、今だ!」

 

 北斗も木刀を手に斬り込む。それを見た光太が珍しく声を上げる。

 

「見事な空中戦! 良いものを見せてもらいました! 私も負けてられません!」

 

「‼」

 

「うおお! ジムで鍛え上げた成果を見せる時です!」

 

 光太が手に持った木刀を豪快に振り回す。線の細い見た目に騙されたのか、誘拐犯集団は面食らい、押され気味になる。それを見ていた獅源が笑う。

 

「ほほっ……先生、随分とらしくないんじゃありませんか?」

 

「たまには……方程式から外れても良いでしょう!」

 

 光太が誘拐犯集団を押しのける。弾七が叫びながら走ってくる。

 

「うおおおっ! 燃えてきたぜ!」

 

「これは橙谷先生? 先生は黒さんと一緒じゃありませんでした?」

 

「こんな熱い戦いを見せられたら、居ても立っても居られないぜ! さあ、誰でもいいから俺と相撲を取ろうぜ! 魂と魂をぶつけ合おうじゃねえか!」

 

 弾七が思い切り飛び込んで、誘拐犯を吹き飛ばす。小細工無しの体当たりに誘拐犯たちは意表を突かれた形になる。

 

「⁉」

 

「相撲へのこだわりはなんなんですか、向こうも若干引き気味だし……ん?」

 

 獅源が誘拐犯集団に取り囲まれる。弾七が叫ぶ。

 

「獅源!」

 

「弱そうな方を狙う。まあ、道理には適っちゃいますね……」

 

「……!」

 

「ちょいとばかり本気を出させてもらいますよ!」

 

「……⁉」

 

 獅源が見事な舞で相手を翻弄し、手玉に取る。

 

「歌舞伎役者の立廻り、舐めてもらっちゃあ困ります!」

 

 啖呵を切った獅源が相手を次々と投げ飛ばしていく。

 

「へえ、獅源ちゃんもやるね! はっ⁉」

 

 北斗が目をやると、一超が相手に囲まれている。一超は自嘲気味に呟く。

 

「気が付けば 窮地となりし 油断かな」

 

「一超ちゃん! 今援護する!」

 

「無用なり 己のことに 専心を」

 

「い、いや、そんなこと言っても!」

 

 一超が自身を包囲する相手に対し静かに呼びかける。

 

「矛を置き 波音にでも 耳澄ませ」

 

「……!」

 

「母親の 体の温もり 思い出す」

 

「……‼」

 

「その仕業 大事な人を 悲します」

 

「……⁉」

 

 一超を取り囲んでいた誘拐犯集団が手に持っていた武器を次々と放り出し始める。

 

「こ、これは……言葉の力で説き伏せてしまった⁉」

 

 北斗があっけにとられる。

 

「どあっ⁉」

 

「⁉ 南武⁉」

 

 北斗が視線を向けると、南武が地面に落下し、飛虎たちも苦戦気味な様子が目に入る。

 

「くっ……明らかに強そうなやつらが出てきたぜ、飛虎!」

 

「ああ、どうやら本気を出してきたってわけか……」

 

 飛虎が苦い顔になる。龍臣の言葉通り、先程までとは体つきの違う屈強な男たちがその姿を現し、武器を振るう。押し気味の形勢が逆転され始めたことに北斗は舌打ちする。

 

「ちっ、マズいか……ん⁉」

 

「! ……⁉」

 

 どこからともなく弓矢の雨が降り注ぎ、屈強な男たちがややたじろぐ。北斗が目を向けると、そこには景元の姿があった。

 

「か、景元ちゃん!」

 

「僕も栄えある将愉会のメンバーだ! 忘れてもらっては困るな!」

 

「……」

 

 戦場にもかかわらず、その場に一瞬の静寂が訪れる。景元が叫ぶ。

 

「そ、その反応……ま、まさか……本当に忘れていたのか⁉」

 

 景元は近くにいた北斗を見つめる。北斗は目を逸らして叫ぶ。

 

「け、形勢再逆転だよ!」

 

「露骨に目を逸らすな!」

 

「そろそろ良いんじゃない⁉ 黒ちゃん!」

 

「そのつもりですが、赤宿はどうしたのです⁉」

 

 秀吾郎が北斗に向かって尋ねる。

 

「え? 分かんない!」

 

「分からないって! 貴方がたと同じ隊でしょう!」

 

「気が付いたらいなかったよ! 暑いからね、海で水浴びでもしているんじゃない⁉」

 

「そんな馬鹿な! って、な、なんだと⁉」

 

 海に視線を向けた秀吾郎が驚く。夜の海を猛烈な速さの犬かきで泳ぐ進之助の姿があったからである。進之助が雄叫びを上げる。

 

「うおおおおおっ!」

 

「な、なんで海に入る必要がある⁉」

 

「そこに海があるからだ!」

 

「答えになってない!」

 

 進之助が陸に上がって、名乗りを上げる。

 

「大江戸きっての火消し、赤宿進之助、只今参上! 争いの火は消火させてもらうぜ!」

 

「……?」

 

「あ、あれ? オイラなんかおかしいこと言った?」

 

「なにからなにまで全部おかしい!」

 

「そうか? ってか、そんなに叫んだら、奇襲バレちまうぞ?」

 

「むっ⁉」

 

 秀吾郎は誘拐犯集団の視線が自らに集まっていることに気付く。進之助は笑う。

 

「ははっ、もう遅いみてえだな」

 

 秀吾郎は頭を激しく掻きむしる。

 

「~~! ええい! 行くぞ、赤宿! 青臨殿!」

 

「おうっ!」

 

「待ちくたびれたぞ!」

 

 三方向から、秀吾郎と進之助、そして大和が相手に向かって飛びかかる。

 

「! ‼ ⁉」

 

 秀吾郎たちの強烈な攻撃で、屈強な男たちはあっという間に倒される。大和が叫ぶ。

 

「見たところ、もっとも強い者たちは倒れた! これ以上の抵抗は無駄である!」

 

「! ……」

 

 誘拐犯集団は次々と武器を捨てて、投降の意思を示す。

 

「……とにかく、この辺りの制圧は完了か……結果オーライとしておこう」

 

 秀吾郎がやれやれといった様子で首を振るのであった。



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鎌倉殿と十二人の戦う女

「うん⁉」

 

 洞窟の入り口に出てきた葵たちだったが、新たに駆け付けた多数の覆面をつけた女性たちに囲まれる。小霧が声を上げる。

 

「囲まれてしまいましたわ!」

 

「見張りの人たちより強そうな雰囲気を漂わせているね……」

 

 葵が険しい顔で呟く。紅が笑う。

 

「ははっ、流石にその警棒じゃあ分が悪いかもね?」

 

「ク、クレちゃん! 笑っている場合じゃ……」

 

「こんなこともあろうかと……!」

 

「え⁉」

 

 紅が指をパチンと鳴らすと、ジェットスキーを運転していた、こんがりと日焼けした肌が印象的な大柄な体格の男が両手一杯に抱えた武器を葵たちに差し出す。

 

「こ、これは……」

 

「貴女たちも一応警戒して、各自武器は携帯していたのね。この連中、ご丁寧に武器まで回収してきてわざわざ一か所に集めてくれていたから、取り返させてもらったわよ」

 

「あ、ありがとう! 助かるよ! 皆!」

 

 葵の呼びかけに従い、各自が男から武器を受け取る。金銀が苦笑する。

 

「皆武器を持ってきていたとは……これでは私は足手まといですね」

 

「そんなことはなイ」

 

「え?」

 

 イザベラに金銀は顔を向ける。

 

「私たちは戦いに専念しなければならなイ……冷静に大局を見据えられるのはお前だけダ……チェックメイトまでの道筋は頼むゾ」

 

「! ええ、お任せあれ!」

 

 金銀が声を上げる。女性たちが葵たちに襲いかかってくる。

 

「体育会のお二人! まずは一掃を!」

 

 金銀の指示で雪鷹とクロエが前に進み出て、それぞれ木刀と軍配を振るう。

 

「上杉山流奥義……『凍土』!」

 

「『風林火山・火の構え』!」

 

「!」

 

 雪鷹によって周辺に氷が発生し、クロエによって周辺が火に包まれる。

 

「軍配で火を放出するとは、相変わらず見事な奇術だな……」

 

「奇術ではありません! それに軍配は我が武枝家に伝わる由緒正しい武具です!」

 

「一条みなみさん! 土地勘のある貴女に頼みます! 非戦闘員の五橋さまを連れて、戦線からの離脱を! 有備さんも続いて下さい!」

 

「は、はい! こちらです!」

 

 金銀の指示に従い、みなみは八千代たちを連れて、凍り付いた地面や火が燃え盛る場所を避けて、戦線から離れようとする。しかし……。

 

「! ま、回り込まれてしまいましたわ!」

 

 みなみたちが素早く反応した相手の一団に囲まれ、八千代が声を上げる。

 

「くっ、高島津さん、援護を!」

 

「は、はい!」

 

 金銀がすぐに指示を出し、小霧がそれに呼応して動くが、それよりも早く、相手はみなみたちの身柄を抑えようとする。憂が内心舌打ちして苦無を取り出そうとする。

 

(お嬢様の前では、あまり目立つことはしたくないのだけど……⁉)

 

「こ、来ないで下さ~い‼」

 

「なっ⁉」

 

 憂だけでなく、その場にいた皆が全員驚く。みなみが足元の大岩を思い切り持ち上げてみせたからである。

 

「はあっ!」

 

「え、えい!」

 

「ふっ!」

 

 駆け付けた小霧が戸惑う相手を木刀で倒し、八千代も竹刀を相手に打ち込み、八千代の死角を突こうとした相手を憂が苦無を用いて一瞬で叩き伏せる。

 

「あ、あれ……?」

 

 目をつむっていたみなみは目を開けると、周囲の相手が倒れていたことに首を傾げる。

 

「ご苦労様、もういいですわよ」

 

「は、はあ……」

 

 八千代に声をかけられ、みなみは大岩を元に戻す。

 

「自らの三倍はありそうな大岩を軽々と……大した力持ちですわね」

 

「わ、私、そんなことをしていました⁉」

 

「無自覚⁉ お、恐ろしい娘ですわね……」

 

 八千代が引き気味に呟く。憂がすかさず声をかける。

 

「さあ、道は開けました! 急ぎましょう!」

 

 みなみたち四人が戦線から離れる。それを見て金銀が頷き、次の指示を出す。

 

「左翼に隙が生じています! 風見さん、伊達仁さん、中目さん、距離を詰めて!」

 

「はっ!」

 

「了解しました!」

 

「それ!」

 

「! ‼ ⁉」

 

 絹代と爽と雀鈴がそれぞれ古武術と柔術と少林寺拳法を繰り出し、左翼に陣取る相手の一団を次々と打ち倒す。

 

「よし、今度は右翼ですわ! 西東さん! 2時半の方向に連続射撃を!」

 

「分かっタ!」

 

「‼」

 

 イザベラが銃を発砲し、右翼に陣取る相手の一団は次々と倒れる。イザベラが呟く。

 

「ゴム弾だガ、当たるとかなり痛イ。しばらくは満足に動けんだろウ……」

 

「流石! これで相手は崩れた! なっ⁉」

 

 金銀が驚く。凍った地面や燃える場所をわずかにすり抜けて、見るからに屈強そうな相手の一団が正面から葵たちに向かって迫ってきたからである。爽が叫ぶ。

 

「葵さま!」

 

「……そうはさせないわよ!」

 

「……‼」

 

 紅が弓矢を連続して放ち、その正確な射撃が屈強そうな相手の一団を次々と射倒す。

 

「今更だけど、矢じりの部分は丸めてあるから安心して。それでも痛いと思うけど……さて、大柄で一番強そうな女が残ったわね! 次の一手は⁉」

 

「! こ、ここは恐れながら……上様、お願いします!」

 

「よしきた! ええい!」

 

「‼ ⁉」

 

 飛び込んだ葵が薙刀を横に薙ぎ、大柄な女が崩れ落ちる。金銀が間髪入れず叫ぶ。

 

「大将格は倒しました! これで詰みです! 潔く投了なさい!」

 

「……」

 

 女たちは次々と投降の意思を示す。そこに秀吾郎たちが駆け付ける。

 

「上様、ご無事でしたか!」

 

「うん、特に問題はなかったよ」

 

「……それじゃあ、私はこの辺で失礼するわね」

 

「クレちゃん、本当にありがとう!」

 

「これくらいお安い御用よ。葵っちと江戸の撫子たち……また会いましょう」

 

 葵と紅は互いに手を振って別れる。紅はジェットスキーに跨って颯爽とその場から去って行く。ジェットスキーを操縦する男を含め、真坂野紅にも頼れる仲間、色男たちがいる。ただ、それはまた別のお話……。



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色とりどりの花火鑑賞

「こ、こんな広いマス席、本当に私たちが使って良いんですか⁉ 尾成さん?」

 

 夏祭りのフィナーレを飾る花火大会の見学席の中でも、一番広いマス席に葵たちは座ることが出来た。葵に問われた金銀は答える。

 

「ええ、もちろん!」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「本当は将愉会を完全に切り崩した時の祝いの席として、お世話になっているスポンサーの方にご用意頂いたのですが……このような形で座ることになるとは……」

 

 金銀が小声で淡々と呟く。葵が首を傾げる。

 

「え? なにかおっしゃいました?」

 

「い、いいえ、なんでも!」

 

「そうですか!」

 

 葵は畳に腰を下ろす。大きい畳の上なら自由に場所を移動出来る席だが、なんとなく、葵を中心にして囲むように皆が座っている。

 

「……?」

 

「キョ、キョロキョロしてどうした、飛虎?」

 

「いや、俺たちもこの席に座っていて良いのか?」

 

「上様たちの救出に功があったわけだからな。堂々と座っていれば良い」

 

 飛虎の問いに雀鈴が答える。その二人の間に座る龍臣が叫ぶ。

 

「いや~! 夏の夜の花火大会! あの夜の感動を思い出すな!」

 

「いつの夜かは分からんが……お前らと見るのは良い思い出になりそうだ」

 

「お、飛虎、良いことをいうじゃねえか!」

 

「~~玄道!」

 

 雀鈴は自身の逆隣に座る玄道に抗議の意味を込めた視線を送る。空気を読め、と。

 

「すまん、雀鈴。引き離せなかった……」

 

 玄道は申し訳なさそうに雀鈴に頭を下げる。

 

「ぼ、僕もこの席に座っていて良いんだろうか?」

 

「胸を張りなさい。貴方も貢献されたのでしょう?」

 

 少し肩身が狭そうな景元を小霧が励ます。景元が自嘲気味に笑う。

 

「しかし、僕が駆け付けなくても、青臨殿と黒駆あたりでなんとかなったような……」

 

「そんなことはありません。貴方の弓の斉射が無ければ危なかったと皆さんおっしゃっています。皆とともにわたくしを助けにきてくれたとき……そ、その……⁉」

 

 小霧が口ごもっていると、一発目の大きな花火が上がり、その迫力と見事さに詰めかけた観衆からは歓声が上がる。景元は耳に手を当てて、小霧に尋ねる。

 

「助けにきてくれたときなんだって?」

 

「な、なんでもありません! ほら、花火を見ましょう! ……一番かっこよかったですわよ、わたくしにとっては……」

 

 花火を見上げる景元には聞こえないほどの声で小霧が呟く。

 

「絹代はどうしたのだ?」

 

 光ノ丸が周囲を見回す。

 

「い、いや、なにか用事があるとかおっしゃっていましたよ。なあ、覚之丞?」

 

「そ、そうだな、介次郎。江戸の方に報告事項があるとかなんとか……」

 

「ふむ、それならば良いが……まあいい、介と覚、余が手配した料理だ。お前らも食え」

 

 光ノ丸たちのすぐ近くに絹代は座っていた。ただ、光太の陰で見えなかったのである。

 

「うわあ、綺麗ですね。新緑先生……」

 

「そ、そうですね……それにしても風見さん、髪型が普段と違いますね?」

 

「ええ、プライベートですから。それにこうしておくと、アホは気が付かないのです」

 

「え?」

 

「な、なんでもありません、ほら、また上がりましたよ!」

 

 絹代の横でみなみがおずおずと口を開く。

 

「き、綺麗ですね……藍袋座さん」

 

「花火にて 照らす横顔 絶景か」

 

「え? 今のは……?」

 

 みなみの問いに一超は答えず、夜空を見上げながら更に句を詠む。

 

「夜の空を 彩る光 晩夏告ぐ」

 

「ふむ……見事なものだ」

 

「あ、あの、上杉山さん……? 浴衣であぐらをかくのはいかがかと思いますよ」

 

 獅源が遠慮がちに雪鷹に告げる。

 

「そうなのか? ではどうすれば良い?」

 

「こう、正座をちょっと崩した感じでお座りになった方がより女性らしいかと……」

 

「こ、こうか? 難しいな、女性らしい所作というのも……しかし、流石に涼紫殿は教え方が上手いな。あの芝居も見事だったぞ。まるで七人の女が実在するようだった!」

 

「お褒めにあずかり光栄です。今後もよろしければご贔屓に……」

 

「うむ! 見事な花火だな! かまやー! たぎやー!」

 

「か、会長!」

 

 大和の横でクロエが声を上げる。大和が首を傾げる。

 

「ん⁉ どうしたのだ、武枝書記!」

 

「掛け声がごっちゃになっています! 『かぎやー』、『たまやー』です!」

 

「おおっ、滾る気持ちが抑えきれず、『たぎやー!』と叫んでしまった! この青臨大和、あまりの見事な花火に不覚を取った! はっはっは!」

 

「まったくもう……」

 

 高らかに笑う大和の横でクロエは呆れながらも優しげな笑みを浮かべる。

 

「おおっ、これは良い絵だねえ!」

 

 弾七が両手の指を作って四角形を作り、それを覗き込む。憂が笑う。

 

「シャッターチャンスならぬ、ドローイングチャンスですね。橙谷先生?」

 

「ははっ、上手いことを言うね、有備ちゃん。だけど、なにかが足りねえなあ……」

 

 弾七が首を捻る。憂が呟く。

 

「……相撲なんてどうでしょうか?」

 

「え? 相撲?」

 

「じょ、冗談です、忘れて下さい」

 

「いや……『打ち上げ花火、四股から踏むか?まわしを取るか?』……良い画題だ!」

 

「そ、そうですか……」

 

 膝を打つ弾七に憂はやや戸惑う。その近くで八千代がモジモジとしながら口を開く。

 

「あ、赤毛の君? 先日といい、本日といい、大変お世話になりました……」

 

「良いってことよ、五橋の姉ちゃん! ん? 先日ってなんだっけ?」

 

 進之助が首を傾げる。八千代が答える。

 

「あの変則トライアスロン大会のことです。わたくしが溺れそうになったところを……」

 

「ああ、それだ!」

 

 進之助がグイっと顔を近づける。八千代が戸惑う。

 

「な、なんですか?」

 

「アンタの泳ぎは見事だった! 今度ぜひ教えを請いてえ!」

 

「そ、それくらいならばお安い御用です。では、我が家のプライベートプールで……」

 

「その時は一緒に竹なんとかには走りを、呂なんとかには自転車を教えてもらおう!」

 

「え? 竹波君と呂科君も一緒ですか?」

 

「ああ! 俺はハイパー火消を目指している! そのためには時間はいくらあっても足りねえ! 走りや自転車の正しい走り方、それに速い泳ぎ方を一気に習得してみせる!」

 

「な、なんのために⁉」

 

「例えば火事が起こって、車ではすぐに現場に駆け付けられない場合もあるだろう⁉ そういう時の為に備えておくのさ! 見てな、この赤宿進之助、まだまだ進化するぜ!」

 

「は、はあ……せっかく二人きりかと思ったのに……まあ、一歩前進としましょうか」

 

 八千代は残念そうに俯くが、気持ちをすぐに切り替える。

 

「黒駆秀吾郎、ビーチバレーでは世話になっタ……」

 

「西東イザベラ⁉ いつの間に横に……なんだいきなり?」

 

「私の動きについてこられるとハ……さすがはニンジャだナ」

 

「忍者? は、はて? なんのことを言っているかさっぱり分からんな?」

 

 秀吾郎はあくまでもすっとぼけてみせる。イザベラは微笑を浮かべながら尋ねる。

 

「さきほども陣頭指揮を取り、なかなかの奮戦ぶりだったと聞くガ……?」

 

「……皆が頑張ったからだ。それにお前の方が良い仕事をしただろう……」

 

「慢心せず、謙虚なのは良いことダ。縁があったらまた会おウ……」

 

「⁉」

 

 秀吾郎が視線を向けると、そこには既にイザベラの姿は無かった。

 

「というわけでさ~お願い出来ない? 尾成さま?」

 

「北斗君……興味がないと言えば嘘になりますが、すぐにはいとは言えませんね」

 

「なんでよ~『盤面の戦姫、尾成金銀のゲーム実況』、絶対バズると思うんだよな~」

 

「私はこれでも結構多忙でして……後はマネージャーを通して下さい。将司!」

 

「え、俺がマネージャーですか? き、黄葉原さま、少し企画を詰めて頂かないと……」

 

 将司が戸惑いながらも北斗に対応する。

 

「同じクラスの虎ノ門兄弟ともう話がついているとか⁉ そういう贔屓はナシだよ~」

 

「と、とにかく、スケジュールの問題もありますので……!」

 

「兄上、全く節操のない……」

 

 北斗と将司のやり取りを眺めながら、南武は頭を抱える。爽は微笑みを浮かべる。

 

「あのスピード感こそ今の時代大事なのかもしれませんね……時に黄葉原南武さま」

 

「な、なんですか? 急にあらたまって……」

 

「今、葵様はお一人で花火を眺めていらっしゃいますよ。好機ではありませんか?」

 

「い、いや、そんな抜け駆けみたいな真似は……! そ、それに僕は今、伊達仁さんとのペアチケットを所有しているわけですし……」

 

「律儀ですね……あ、尾成さまが葵様の隣にお座りになられましたね……」

 

「ははっ、これで良かったのです。皆なんやかんやで花火を楽しんでいますし……」

 

「本日の騒ぎも含めてもっとも活躍した方に一日デート権をと思っていたのですが……こうなってくると、なかなか判定が難しいですね……」

 

「え⁉ まだ審判をされていたのですか⁉」

 

「当然です……仕方がありませんね。将愉会の皆さん、ご注目下さい!」

 

 爽が花火の途切れた間を狙って、大声を出しながら立ち上がる。

 

「「「「「「「「「!」」」」」」」」」

 

「結果発表~!」

 

 爽が夏の夜空に向かって声高らかに叫ぶ。



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力強い宣言

                  終

 

「おお、これがプライベートビーチか~」

 

「さすがは良鎌倉幕府所有だけあって清掃などがしっかりと行き届いていますね……」

 

 光太が眼鏡の縁をさすりながら呟く。葵が尋ねる。

 

「大江戸幕府でもこういうのを所有しませんか?」

 

「某所にあることはありますよ……」

 

「それは古いし、狭いって話じゃないですか。もっと皆で遊べるくらいの規模で……」

 

「却下です。どこにもそんなお金はありません」

 

「え~ケチ~」

 

 葵が唇をぷいっと尖らせる。光太がため息をつく。

 

「ケチとかそういう問題ではなくてですね……」

 

「うそうそ、先生のそういう真面目な所にいつも助けられていますよ、ありがとう」

 

「上様……」

 

 光太は眼鏡を外し、いつも以上にキリっとした顔つきになり、葵を見つめる。

 

「ピィ~! はい、新緑光太先生、時間切れです」

 

「は、早すぎませんか⁉」

 

 光太が笛を手に歩いてきた爽に抗議するが、爽は相手にせず、淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「ぐっ……」

 

「先生、じっくり攻めすぎなんだよ、俺は一気に決めるぜ!」

 

 弾七が弾むように葵のもとへ向かう。

 

「ああ、弾七さん、どうしたの?」

 

「どうしたもこうしたもねえよ! 誰もいない静かなビーチに若い男と女が二人きり! やることと言ったら……」

 

「相撲だね」

 

「そう、相撲だ! って、そうじゃねえよ!」

 

「違うの?」

 

「違う! なんで俺様=相撲みたいになってんだ! まあ、自業自得な所もあるか……」

 

「この景色を見てよ」

 

「え? おおっ、改めて見てみるとこれは見事だな……」

 

「でしょう? 浮世絵師の血が騒ぐんじゃない?」

 

「確かにな……ふむ、この画角か」

 

 弾七が両手の指で四角を作り、それを覗き込んで、イメージを膨らませる。

 

「こういう風景をこれからも弾七さんには一杯書き残して欲しいな……」

 

「将軍さん……」

 

 弾七が真面目な顔つきで葵を見つめる。

 

「ピィ~! はい、橙谷弾七さん、時間切れです」

 

「し、しまった⁉」

 

 弾七が頭を抱える。爽は淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「絵師殿! 其方の仇は某が取る!」

 

「取らんでいい!」

 

 大和が葵のもとに向かい、勢いよく声をかける。

 

「上様! そ、某と……その……」

 

「ん? 何?」

 

 葵は首を傾げる。大和は口ごもってしまうが、なんとか言葉を絞り出そうとする。

 

「そ、某は……何と言いますか……う、上様のことを……す、すい……」

 

「スイ? ああ、楽しかったですね、スイカ割り2оn2!」

 

「! い、いや、違……」

 

「ここにもスイカが一杯あるんですよ!」

 

 葵が多くのスイカを持ってきて並べる。大和が困惑する。

 

「え、えっと……」

 

「スイカを割る大和さん、男らしくて頼れたな……これからも頼りにしていいですか?」

 

「! はははっ! もちろん! スイカでもなんでも持ってこいです!」

 

 大和は目隠しをして、スイカを片っ端から割っていく。

 

「おおっ! すごい、すごい!」

 

「ピィ~! はい、青臨大和さん、時間切れです」

 

「し、しまった⁉」

 

 大和が愕然とする。爽は淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「スピード勝負なら、自分に分がある……この勝負もらった!」

 

 秀吾郎が葵のもとに向かう。

 

「あ、秀吾郎、スイカ食べる?」

 

「いただきます!」

 

 秀吾郎は差し出されたスイカを高速で食べる。葵が笑う。

 

「ははっ、お笑い芸人さんみたい。まだまだあるよ」

 

「はっ、いただきます!」

 

「おおっ、早い! もう一個!」

 

「はい、いただきます!」

 

「良いね~もう一個!」

 

「はい、いただきます! って、スピード勝負ってそういうことではなくて!」

 

「スピード勝負?」

 

 葵が首を捻る。秀吾郎が首を振る。

 

「い、いや、こちらの話です……」

 

「スピードと言えば、私たちが誘拐された時も素早く駆け付けてくれたね?」

 

「いや……それは当然のことです」

 

「これからもそのスピードで助けて欲しいな……」

 

「う、上様……」

 

「はい、スイカどんどん行こう! 結構割っちゃったからさ!」

 

「は、はい、頂きます!」

 

「ピィ~! はい、黒駆秀吾郎さん、時間切れです」

 

「フィ、フィモッタ(し、しまった)⁉」

 

 秀吾郎がスイカを口にくわえたまま立ち尽くす。爽は淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「黒ちゃん、焦り過ぎなんだよ~」

 

 北斗が葵のもとへ向かう。

 

「あっ、北斗君」

 

「やあ、上様、調子はどう?」

 

「ぷっ、なにそれ? 元気だよ」

 

 北斗は葵と何気ない会話を始める。北斗は内心考えを巡らす。

 

(この短い時間で出来ることは限られている。場所はプライベートビーチ、しかも二人きり……こんなおいしいシチュエーションで男子として優先すべきことはなにか? ……そう、上様のプライベートな水着姿を動画に収めること! どう話を切り出すか……)

 

「そういえばさ~こないだ、動画見たよ」

 

「(きたっ!) へ~そ、そうなんだ……」

 

「北斗君の動画はモラルがあるというか……一線をしっかり守っているのが良いよね」

 

「! ま、まあ、それは当然のことだよね……」

 

 北斗の笑顔が引きつる。葵が笑顔で告げる。

 

「これからも皆が安心して見られる動画で楽しませて欲しいな」

 

「はははっ……」

 

「それでさ、動画のネタ思いついたんだけど、『スイカを色んな味付けで食べてみた』っていうのはどうかな?」

 

「い、良いね……スイカ一杯あるからね。じゃあオーソドックスに塩から……」

 

 北斗は罪悪感に押しつぶされそうになりながら、動画を回す。

 

「ピィ~! はい、黄葉原北斗さん、時間切れです」

 

「良い動画が撮れたよ、ありがとう……」

 

 北斗が若干肩を落としながらその場を去る。爽は淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「兄上? どうされたのです?」

 

「南武……どうやら俺は邪な人間だったようだ」

 

「? そんなこと知っていますよ?」

 

「おい! そこは『そんなことないですよ』だろう⁉」

 

 南武が葵のもとへ向かう。

 

「あ、南武君」

 

「こんにちは、上様。しかし、良い景色ですね」

 

「ねえ~まさに絶景って感じだよ」

 

 南武は内心で自らに冷静に言い聞かせる。

 

(短い時間です。多くは望みません。こうして上様とお話出来るだけでも幸せです……)

 

「救出作戦では南武君も大変だったみたいだね」

 

「そんな……大したことはありませんでしたよ」

 

「ほう? 大したことはなかったと……?」

 

「え⁉」

 

「南武君、物は相談なんだけど……」

 

「な、なんでしょうか?」

 

「空中技、私も見てみたいな~」

 

(上様の方が多くを望んできた⁉)

 

「ダメかな?」

 

「えっと、それはちょっと……」

 

「鳥のように自由に飛んだとか……素敵だよね」

 

「飛んでご覧に入れましょう」

 

「お~そうこなくっちゃ♪」

 

 南武は手慣れた手つきで自らの体をドローンに結び付ける。

 

「それでは参ります……3、2、1、GO‼」

 

 南武が空に浮かび上がる。葵が拍手する。

 

「おお~すごい、すごい!」

 

「喜んでいただけて良かったです! 操縦や着地が不安定なんですけどね~!」

 

「ピィ~! はい、黄葉原南武さん、時間切れです……聞こえていませんかね」

 

「う、うわあ~⁉」

 

 南武が海に落ちる。爽は南武の無事を確認すると、淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「悪いが、ここで決めさせてもらうぜ!」

 

 進之助が葵のもとに向かう。

 

「あ、進之助」

 

「お、おう」

 

「見た? 南武君が空を飛んだよ。すごかった~」

 

「なっ⁉ そ、それは本当か⁉」

 

「う、うん……」

 

「南ちゃん、可愛い顔してやるな……」

 

「え?」

 

「俺は甘かった! 泳ぎや走りをマスターしたところでHHAにはなれねえ!」

 

「……ハイパー(H)火消し(H)赤宿(A)だっけ?」

 

「おう! よく覚えてんじゃねえか!」

 

「そりゃあ、なかなか忘れないよ……」

 

「こうしちゃいられねえ! 俺も飛ぶ!」

 

「は?」

 

「……あの岩の上からなら助走をつければ飛べそうだな! ちょっと行ってくる!」

 

「う、うん。いってらっしゃい……」

 

 葵が呆れ気味に手を振る。進之助は大岩の上にのぼると、勢いよく走り出す。

 

「うおおっ! 空もマスターしてこそのHHAだ!」

 

 進之助はジャンプするが、当然のように、海に真っ逆さまに落下する。葵が呟く。

 

「熱意はあるんだよね。方向性が少し、いや、かなり間違っているだけで……」

 

「ピィ~! はい、赤宿進之助さん、時間切れです……聞こえていませんかね」

 

「ぶはっ! HHAの道は険しいぜ~!」

 

 海面に顔を出した進之助が叫ぶ。爽はそれを一瞥すると淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「どなたさんも雰囲気ってもんがなってないさね……この勝負頂いたかな」

 

 獅源が葵のもとに向かう。

 

「あ、獅源さん」

 

「どうも、上様。素敵な海ですね」

 

「はい、本当にずっと見ていても飽きないです。けど……」

 

「けど?」

 

「ちょっと海に入りたくなってきたかな~なんて……」

 

「なっ⁉」

 

 獅源が驚いた様子を見せる。葵が戸惑う。

 

「ど、どうかしましたか?」

 

「い、いえ、ちょ、ちょっとお待ちになって下さい!」

 

「は、はあ……」

 

 獅源がその場から離れて、しばらくすると戻ってきた。

 

「お待たせしました……」

 

「いえ……って、ええっ⁉」

 

 葵が驚く。水着姿になった獅源が立っていたからである。

 

「パラソルを立てて、マットを敷いて……さてと……」

 

「……?」

 

「背中にオイル、塗って下さいませんか?」

 

「は、はあ、別に良いですけど……」

 

 マットにうつ伏せになった状態で寝そべり、オイルを葵に渡した時点で獅源は気付く。

 

(⁉ し、しまった! 女形の性か……どちらかと言えば、女性が男性を誘惑するかのようなムーブをしてしまいました。これでは雰囲気づくりも何もあったものでは……!)

 

「ピィ~! はい、涼紫獅源さん、時間切れです」

 

「し、しかも準備に時間を使い過ぎた⁉」

 

 獅源ががっくりとうなだれる。爽は淡々と告げる。

 

「それでは交代です。次の方どうぞ」

 

「残りもの 福があるとは よくぞ言う」

 

 一超が葵のもとに向かう。

 

「あ、一超君」

 

「大海の そよぐ潮風 心地よし」

 

「本当だよね~」

 

「折角の ビーチをもっと 堪能す」

 

「そ、そうだね。なんか色々あって、全然入れなかったよ……もっと近づこうか」

 

 葵と一超は海の方に歩いていく。

 

「波の音 思いのほかに 静かなり」

 

「そうだね、結構穏やかだね。その辺もプライベートビーチに選ばれた理由なのかな」

 

「きらきらと 光るは石か 貝殻か」

 

「う~ん、そうだね……あっ、貝殻だよ。綺麗……」

 

 葵は拾った貝殻を見つめてうっとりとする。一超が呟く。

 

「綺麗だと 感じる心 綺麗かな」

 

「え? ごめん、聞いてなかった」

 

「! ……」

 

 一超がややずっこける。葵が貝殻を耳にあてる。

 

「ほら、こうやると、波の音が聞こえるよ、一超君もやってみなよ」

 

「……」

 

 一超も足元にあった貝殻を拾う。葵が促す。

 

「耳に近づけてみて」

 

「……!」

 

「ど、どうしたの⁉ ヤ、ヤドカリ⁉」

 

 貝殻の中にいたヤドカリに耳を挟まれた一超はうずくまる。

 

「炎天下 耳を挟まれ 痛恨か」

 

「ピィ~! はい、藍袋座一超さん、時間切れです」

 

「容赦なし 甘いひととき 束の間か」

 

 一超がヤドカリを外しながら呟く。爽は淡々と告げる。

 

「これで皆様のデート時間は終了です。葵様、皆様もお疲れ様でした」

 

「う、うん……」

 

「ちょっと待った! いくらなんでも短すぎるぜ!」

 

「そうだそうだ!」

 

 弾七と北斗が不満を口にする。爽は落ち着いて答える。

 

「厳正なる審査の結果です」

 

「し、審査の結果って……」

 

「そもそも審査の基準は何なのですか?」

 

 南武が戸惑い、光太が問う。爽がやや間を置いて口を開く。

 

「……わたくしのフィーリングですかね」

 

「フィールディング⁉ 野球の守備が関係あるのかよ!」

 

「進之助さん、ちょいと黙ってて下さい……それで何故にこういうことに?」

 

 進之助を押しのけて獅源が尋ねる。爽が答える。

 

「なんというか、皆さん決定打に欠けまして……まあ、同点でいいかなと……」

 

「これは思い切った判断! 一本取られた!」

 

「結果として ベストに近し ベターかな」

 

 大和と一超があっさり納得する。爽が微笑を浮かべて問いかける。

 

「ご理解いただけて嬉しいです。楽しんで頂けましたか?」

 

「全然楽しめませんよ……」

 

 秀吾郎が肩を落とす。その頃、とある駅のベンチに一人の女性が座っていた。

 

「ご苦労様でした、西東イザベラさん……」

 

「! 貴様カ……何の用ダ」

 

 女性の隣に座ったのは万城目だった。イザベラがやや驚くがすぐに平静を取り戻す。

 

「伝言を持って参りました」

 

「伝言だト?」

 

「ええ、『ザベちゃん、ボディーガードお疲れ様、どうもありがとう!』だそうです」

 

「フッ……イザベラは仮の名前だというの二……」

 

 イザベラは顔を手で軽く覆う。万城目が尋ねる。

 

「どうかされましたか?」

 

「なんでもなイ……契約は終了しタ。これ以上の接触は貴様もマズいだろウ……?」

 

「そうですね。それでは失礼します」

 

 万城目が立ち上がり、その場から離れる。イザベラがため息をつく。

 

「フウ……」

 

「お嬢さん……」

 

「⁉ き、貴様……い、いつから後ろ二……?」

 

「それはいいだろう。用件を簡潔に伝える。公儀隠密課特命係に興味はないか?」

 

「? また大江戸幕府絡みカ……断ル、あまり一つの場所に長居はしない主義ダ」

 

「今回の3倍のギャラを出そう」

 

「話を聞こうカ……」

 

 イザベラは笑みを浮かべる。

 

「……今回は参りましたわ」

 

 プライベートビーチで休んでいた葵に金銀が声をかけてくる。

 

「あ、尾成さん……」

 

「将愉会の皆さんは?」

 

「大量に割ったスイカをみんなで美味しく頂いています」

 

「は、はあ? そうですか……」

 

「それより尾成さん、“今回は”っておっしゃいませんでした?」

 

「私、諦めが悪い方でして。またなんらかの形で貴女に挑ませて頂くかもしれません」

 

「どんな攻め方でも将愉会の強固な結束は崩せませんよ! そして……」

 

「そして?」

 

「私は征夷大将軍を譲るつもりは絶対にありません!」

 

                  第二章~完~

 




(2022/11/06)

これで第二章が終わりました。感想などを頂ければ喜びます。

続きの構想はありますので、更新スピードはゆっくりですが、第三章以降も書いていこうと思っております。良かったらまた読んでくださると嬉しいです。


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第三章 九つの州へ
不穏な夜


                  序

 

「はあ、はあ……」

 

 短い灰色の髪、灰色の瞳をした長身の青年が月夜の町を走る。両手に茶髪の少年と少女を連れている。この二人は同じ顔立ち、碧い目をしている。どうやら双子のようである。

 

「に、兄ちゃん、もう走れないよ……」

 

「頑張れティム!」

 

「お兄ちゃん、わたしも苦しい……」

 

「エマ、もう少しだ! もう少しでここから出られる……!」

 

 青年が双子を元気づける。双子は頷く。

 

「う、うん……!」

 

「が、頑張るわ!」

 

 青年は双子に対してシンプルに笑顔を浮かべる。だが、内心では様々に考えを巡らす。

 

(やはり体力が厳しいか! 連れ出すのは無謀だったか……? しかし、ここくらいしかチャンスは無かった。もう少しだ、もう少しで……!)

 

(そうはいかないわよ~)

 

「はっ⁉」

 

 突如現れた二つの黒い影によって、双子の身柄をさらわれてしまう。青年は振り返る。建物の上に、二人の男女が双子を抱えて立っている。

 

(聞こえる? 今、貴方の脳内に直接語りかけているの……)

 

(! テレパシー⁉ 組織の者か!)

 

(察しが良くて助かるわ、後、日本語も出来るのね)

 

 二人の男女の内、艶のある黒髪をおさげにして左肩に垂らした女性が笑う。切れ長の目が印象的で、整った顔立ちをしている。年頃は17~18歳くらいだろうか。

 

(貴様らは何者だ⁉ 組織に日本人はほとんどいなかったはず!)

 

(そんなに怒鳴らなくても聞こえているわ、デニス=アッセンブルク……)

 

(俺のことを知っているのか?)

 

(そりゃあ有名だもの)

 

(……いつまでテレパシーで会話している。まだるっこしい真似はよせ)

 

 短い黒髪を後ろで一つにまとめた男性がうんざりしたような顔を浮かべる。髪型が異なる以外は、顔も体格も女性とそっくりである。

 

(ふふっ、そういう兄さんもテレパシー使っているじゃない)

 

(揚げ足を取るな!)

 

(だから、貴様らは何者だ!)

 

(……そうね)

 

 女性が月を見上げる。デニスと呼ばれた青年が首を傾げる。

 

「?」

 

(私はユエ、こちらの気の短い彼がタイヤンよ、以後よろしく)

 

(中国語で月と太陽だろう、適当なことを……!)

 

(あら、案外博識よ。この双子ちゃんを連れ出されてもらっては困るの)

 

(お前らに渡すわけにもいかん!)

 

「⁉ ぐっ⁉」

 

 氷の矢がユエとタイヤンと名乗った男女の腕に刺さり、男女は双子を離してしまう。

 

「ティム、エマ!」

 

 デニスが建物の屋根から転がり落ちた双子を時間差で上手く受け止める。

 

「し、しまった……能力はほぼ使えないと聞いていたのだが……」

 

「それも組織を油断させる手だったのかもね……ハンサムで長身、力持ちでしかも頭脳明晰なんて素敵じゃない。デニスさん、彼女さんとかいる? 立候補しちゃおうかしら?」

 

「ふざけている場合か!」

 

「冗談よ、もう一度取り返すまで!」

 

「くっ⁉」

 

「はっ!」

 

「なっ⁉」

 

 デニスに飛びかかろうとしたユエとタイヤンの前に大きな火が巻き起こる。ユエたちだけでなく、デニスも驚く。そこに少女の声が響く。

 

「こっちばい! 灰色のお兄さん!」

 

「えっ⁉」

 

「早くするたい!」

 

「あ、ああ!」

 

 デニスは双子を抱えながら、少女の声のする方へ急ぐ。タイヤンが舌打ちする。

 

「ちっ、見失った。隠れられると厄介だぞ」

 

「大丈夫よ、ゆっくりと追い詰めましょう……この長崎の『出島』は狭いんだから……」

 

 ユエはそう言って静かに笑う。

 

「……マジで⁉ ああ、なるほど、あのメイドさんと庭師がグルだったのか~」

 

 一方その頃、長崎から東に遠く離れた大江戸城の自室にて、大江戸幕府第二十五代将軍にして現役JKの若下野葵(もしものあおい)は、呑気に二時間サスペンスドラマを見ていた。



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急な話

                  壱

 

「九州視察?」

 

「ええ」

 

 葵がスラリとしたスタイルの長い黒髪の眼鏡をかけた女性に尋ねる。その女性、葵と同じ二年と組の生徒である伊達仁爽(だてにさわやか)が頷く。

 

「それはまた急な話だね……」

 

「本来ならばもう少し後の時期なのですが、諸々の都合で前倒しになりました」

 

「諸々の都合?」

 

「長崎県出島に商館を置いているオランダの『カピタン』の都合です」

 

「ピータン?」

 

「カピタン……商館の最高責任者のことを指します。ポルトガル語ですが、日本と主に貿易を行う国がオランダに代わってからもそのまま用いられています。英語で言う、キャプテンのことですね」

 

「ふ~ん」

 

「そのカピタンは大体数年おきに、時期的には11月初め頃に代わるのですが、それが前倒しとなりました」

 

「うん」

 

「葵様が将軍職についた春頃に、カピタンがこの江戸へ参府するはずだったのですが、ご本人の体調不良でそれが叶いませんでした」

 

「そういえば代理の方がいらっしゃっていたね」

 

 葵が思い出したように頷く。

 

「そうです。つまり、現在のカピタンと葵様はお会いしていないというわけです」

 

「そうなるね」

 

「しかし、現在のカピタンには在任期間中、日本とオランダの関係強化にたいへんご尽力頂きました。その功績に報いる為にも、征夷大将軍である葵様自らが直々に出島を訪れていただけないかと、長崎奉行殿などからの強い要望がありまして……」

 

「ふむ……」

 

「元々予定されていた九州視察のスケジュールに出島へのご訪問を組み込むという話が急遽まとまりました」

 

「……嫌だって言っても駄目だよね?」

 

「重要な外交儀礼ですので……」

 

「うん、ごめん、冗談だよ」

 

 葵が苦笑交じりに頷く。爽が頭を下げる。

 

「申し訳ありません」

 

「サワっちが謝ることじゃないよ。お城の大人たちが決めたことでしょう?」

 

 葵は部屋の窓から見える大江戸城に目をやる。この大江戸城学園は、大江戸城の敷地内に建っている学園である。

 

「どうしても気乗りしないようであれば、例えば映像メッセージを送るなどというかたちを取ることも出来ますが……」

 

「いや、大丈夫、行くよ、九州に」

 

 葵が笑って爽に答える。

 

「そうですか」

 

「九州視察ってどういうスケジュール?」

 

「出島をはじめ、十日間で九州各地を回って頂きます」

 

 爽がスケジュールの書かれた紙を葵の机に置く。

 

「こ、これは……結構、ハードだね……」

 

「やはり取り止めますか?」

 

「……私、九州って行ったことないから、行ってみたいな」

 

「視察と言っても、それほど堅苦しいものではありません。関係各所に挨拶さえすれば、その後は比較的自由な時間もあります」

 

「そこで観光出来るってことだね」

 

「まあ、それもある意味視察になるかと……」

 

 爽はふっと笑う。葵が紙を見ながら尋ねる。

 

「もしかしてサワっちもついてきてくれる感じかな?」

 

「実はそのように打診をされまして、勝手ながらそのように話を進めておりました。もっとも、わたくしのところにも急に来た話でしたが……」

 

「うん、サワっちがついてきてくれるのならより安心かな」

 

「そう言って頂けると助かります」

 

「他の人は来ないのかな?」

 

「……学園の関係者はそれぞれ九州の各地を訪問される予定になっております」

 

「学園の関係者……例えば生徒会長とか?」

 

「そうですね。各地との交流などもありますので」

 

「ふ~ん、みんなもみんなで意外と大変だね……」

 

「それでは葵様……そろそろご準備の方を……」

 

「うん?」

 

「本日の夜の便で長崎に飛んで頂きます」

 

「ほ、本当に急な話だね⁉」

 

 葵が驚く。



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熱くなる面々を焚きつけてみた

「こんな時間にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」

 

「い、いや、別にそれは良いんだけどよ……」

 

 放課後を前にした時間帯、爽から呼び出された赤毛の凛々しい顔立ちの少年赤宿進之助(あかすきしんのすけ)は怪訝そうな表情で、葵が結成した『将軍と愉快な仲間たちが学園生活を盛り上げる会』、通称『将愉会(しょうゆかい)』の教室に入ってきた。既に八人が席に着いている。

 

「さあ、赤宿くんもどうぞお座り下さい」

 

「あ、ああ……」

 

 進之助が席に着くのを見て、爽も向かい合わせになった長机の真ん中の席に座る。左右に座る会員たちの顔を見渡せる位置である。

 

「これで全員揃いましたね。高島津さんと大毛利くんは呼んでおりません。上様も今お忙しいので呼んでおりません」

 

 爽は簡単に状況を説明する。

 

「我々だけというのはまた解せない話ですね……」

 

 緑髪の青年が眼鏡の蔓を触りながら呟く。

 

「むしろ皆様のみに関わってくる話ですので」

 

「アタシらのみに?」

 

 爽の言葉に紫髪の青年が小首を傾げる。

 

「上様が御不在とは、大して重要な話ではないということであろうか!」

 

「いえ、ある意味かなり重要です……皆様にとってはですが」

 

 青髪の青年の言葉を爽は否定する。黄色髪の少年が首を傾げる。

 

「俺らにとって?」

 

「不可解な すぐに求むる 本題を」

 

「お、今の句も分かったぜ。爽ちゃん、勿体つけずにさっさと教えてくれよ」

 

 答えを急かす藍色の髪の少年に橙色の髪の青年が同意する。九人の男の注目が改めて爽に集まる。爽は両肘を机に付き、両手を顔の前で組んで、ゆっくりと話し始める。

 

「……葵様が本日の夜の便で長崎に向かわれます……」

 

「長崎に? もしかして九州視察の話ですか?」

 

 緑髪を右からみて七三分けにした青年、新緑光太(しんりょくこうた)が爽に尋ねる。

 

「やはりご存知でしたか」

 

「私は学園の数学教師だけでなく、お城の勘定奉行でもありますから……」

 

 光太が眼鏡の蔓を触りながら答える。

 

「ちょっと待ってよ! 俺、北町奉行なのに聞いてないんだけど!」

 

 やや小柄で黄色髪の少年、黄葉原北斗(きばはらほくと)が唇を尖らす。

 

「兄上、南町奉行である僕も知っています。確認不足では?」

 

 北斗の双子の弟である黄葉原南武(きばはらなんぶ)が冷静に諭す。

 

「そ、そう言われると……ただ、予定はもう少し後じゃなかったっけ?」

 

「諸々の事情で前倒しになったのです」

 

 北斗の問いに爽が答える。

 

「ちょっと待った、話が見えねえよ」

 

「まったくもって同意見だねえ」

 

 橙色の髪をして、制服も派手に着崩した男性が腕を組み、同じように制服を着崩した紫色の髪色の中性的な男性が首を傾げる。

 

橙谷弾七(とうやだんしち)さん、涼紫獅源(すずむらさきしげん)さん、話すと長くなるのですが……」

 

「別に構わねえよ」

 

「『大天才浮世絵師』や『当代きっての人気若手女形役者』の方のお時間を浪費するのはいささか心苦しい点が……」

 

「ここに呼び出しておいていまさらな話じゃあありませんか」

 

「そ、それはごもっとも……」

 

 獅源の言葉に、爽は黙り込んでしまう。進之助が両手を広げる。

 

「おいおい、なんだかいじめみたいになっているぜ、そういうのは良くないと思うけどよ」

 

「いじめというつもりでは決してない!」

 

 青色の短髪の男性が声を上げる。進之助が苦笑する。

 

「いや、木刀片手にそうは言ってもよ……」

 

「この青臨大和(せいりんやまと)、弱い者いじめなどいたさん!」

 

「我らただ 詳細のみを 聞きたくて」

 

 藍色の長い髪をした中性的な顔立ちをした少年が呟く。その呟きは『五七五』のリズムである。『現代の句聖』、藍袋座一超(らんていざいっちょう)はまだ冷静さを保っている。

 

「青臨様も、藍袋座様も……皆さん、落ち着いて下さい。伊達仁様、続きをお願いします」

 

 黒髪の青年、黒駆秀吾郎(くろがけしゅうごろう)が皆を落ち着かせつつ、話を促す。爽が口を開く。

 

「実はかくがくしかじかで……」

 

「「「「「「「「「!」」」」」」」」」

 

 爽の説明に、九人の目の色が変わる。爽がそれに気づかぬ振りをして淡々と続ける。

 

「期間は十日間。基本はわたくしが随行ですが、殿方もいらっしゃると安心出来ますね……」

 

「あ~分かった! 分かった! それ以上みなまで言うな、爽ちゃん!」

 

 弾七が手を挙げながら立ち、爽の説明を止める。そして、他の八人を見渡して尋ねる。

 

「さて、どうやって決める?」

 

「俺らはあくまでも学生なんだから、学力テストで決めようぜ」

 

「あ、兄上! またもや良いことをおっしゃる!」

 

「却下」

 

「なんでよ、弾七ちゃん~」

 

「だからそれじゃ新緑先生が混ざれないじゃねえか。公平とは言えねえよ」

 

「……それでは公平な手段とは?」

 

 光太が尋ねる。弾七の代わりに大和が立ち上がって口を開く。

 

「やはり、日本男児たるもの! ここは相撲で力比べしかあるまい!」

 

「却下、却下、それこそ不公平の極みってもんでしょうが」

 

 獅源が大袈裟に手を左右に振って反対する。秀吾郎が口を開く。

 

「ボディーガードも兼ねることになります、力強いものがお側にお仕えするのが極めて自然かと思いますが」

 

 秀吾郎の言葉を獅源はため息まじりに否定する。

 

「今回はあくまで視察です。なにも戦にいくわけではありません。それには色々と気が付く者が随行した方が、上様の視察もより実りあるものになるのではないでしょうか」

 

「気が付くというなら俺だね。いつも動画編集には細心の注意を払っているし」

 

「兄上、動画撮影はほとんど僕におしつけているではありませんか!」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

 南武の抗議に北斗がおどける。光太が呟く。

 

「保護者的観点から見ても、教員の私が随行するのが一番自然でしょう……」

 

「上様に保護者面すんのはさすがに恐れ多いんじゃねえか?」

 

「教員の 驕り高ぶり にじみ出る」

 

「くっ……そういうわけではないのですが……」

 

 弾七の問いと一超の呟きに、光太が圧される。北斗が両手を頭の後ろで組んで声を上げる。

 

「じゃあ、やっぱりくじ引きは? それなら平等じゃない?」

 

「あ、兄上、や、やはりそれが良いかもしれませんね!」

 

「うむ! 運も実力の内と言うしな!」

 

 北斗の提案に南武と大和が乗る。

 

「反対です、誰がくじを用意するのですか?」

 

 光太が眼鏡をクイッっと上げて呟く。

 

「……お前さんたち、大切なものを見失ってねえかい?」

 

 ゆっくりと立ち上がり、口を開いた進之助に皆の注目が集まる。秀吾郎が尋ねる。

 

「大切なものだと?」

 

「おうよ! 俺らの熱い想いは学力テストや力比べ、はたまた運試しなんかで左右されちまうような程度のもんだったのかい⁉ 違うだろう!」

 

「……ではどうすれば良いのか?」

 

 大和の問いかけに、進之助は右の拳で自らの左胸をドンと叩く。

 

「心で勝負するんだよ! 夏合宿の時のようにアイツの心を掴んだやつが勝ちだ!」

 

「し、しかし、それでは基準がかなり曖昧ではないでしょうか?」

 

「そこでまた厳正かつ公平な審判をこちらの伊達仁の姉ちゃんにお願いするんだよ!」

 

 南武のもっともな疑問に対し、進之助が爽を指し示す。弾七が頷く。

 

「成程な……それぞれどれ位好感度が高まったかを客観的に判断してもらうってわけか」

 

「公正さ 保つ判断 悪くなし」

 

 一超も深々と頷く。進之助が皆に尋ねる。

 

「勝負はこの十日間! 誰が勝っても恨みっこなしだ! これでどうだい⁉」

 

「「「「「「「異議なし!」」」」」」」

 

 七人が声を揃えて、進之助に賛同する。一超も改めて深々と頷いて賛意を示す。

 

「伊達仁の姉ちゃん! それじゃあ、そういうことで宜しく……⁉」

 

「流石に黙っているのは悪いので……この十日間で皆さんが上様に随行出来るのは九日間の内の一日と最終日の二日間のみです」

 

「ええっ⁉ じゃ、じゃあ、最終日まで間が空くやつはどうするんだよ!」

 

「それは自由です。一日だけ随行し、江戸に帰るか、九州に滞在し続けるか……自費で」

 

「「「「「「「「「‼」」」」」」」」」

 

「皆さんの随行は葵様も心強いと思いますが……お役目であったり、各自の出席日数であったり、様々に事情もあるかと思います。各々方の冷静な判断を求めます」

 

「……」

 

 皆教室から無言で出ていく。一人残された爽は組んでいた両手をゆっくりとほどき、窓の外の夕焼け空を見上げながら呟く。

 

「なんだかんだ言って、九州視察の予定表、皆さんしっかりと持っていきましたね……今回の九州視察、なんだか嫌な予感が……将愉会の皆さんの力も必要になってきそうな気がします。必要にならなかったら……それはそれで楽しめそうですね」



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ベタな仕掛け

「いや~疲れた~」

 

 葵が通された部屋で足を伸ばす。爽が声をかける。

 

「会食、お疲れさまでした」

 

「とにかくカピタンにも挨拶出来て良かったよ」

 

「葵様に直接お声がけ頂き、感激しているご様子でした」

 

「それなら良いんだけどね」

 

「さて、今日はもうお休みになって下さい」

 

「え?」

 

「昨日の夜から移動を重ねてお疲れのことでしょう」

 

「ちょっと早い気もするけど……」

 

「しかし、夕食もお済みになられましたから……」

 

「……夜の出島を歩いてみるのは駄目かな?」

 

「駄目です」

 

「即答だね⁉」

 

「警備上の問題もありますので、どうぞご理解下さい」

 

「う~ん、でもな~」

 

「昼間に色々と出向いたではありませんか」

 

「夜のさ、飾ってない出島を見たいんだよ」

 

「……意味が分かりません」

 

「生の出島を感じたいんだよ」

 

「言い直されても分かりません」

 

「え~」

 

 葵が唇をぷいっと尖らせる。

 

「……その物言いですと、お忍びで回りたいといいうことですか?」

 

「そうなるね」

 

「なおさら駄目です」

 

「なんでよ?」

 

「危険だからです」

 

「そんな~」

 

「鎌倉の件をお忘れですか?」

 

「む……」

 

「江の島の件は?」

 

「むむ……」

 

 爽は先日の誘拐もどきと誘拐事件のことを持ち出す。葵は黙る。

 

「……視察も日程が詰まっております。今日はお休み下さい」

 

「さすがにまだ眠くはならないよ……」

 

「横になれば眠くなってきます」

 

「そうは言ってもね……」

 

 葵は苦笑する。

 

「それではお休みなさいませ……」

 

 爽が頭を下げて退室しようとする。葵が呼び止める。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

「……なんでしょうか?」

 

「せ、せめてこの建物を見て回っても良いかな?」

 

「ふむ……」

 

「明日の朝にはもう、他に移っちゃうわけでしょう?」

 

「そういう予定ですが……」

 

「珍しい洋館だしさ。ちょっと見てみたいんだよね」

 

「まあ、和洋折衷といった趣の建物ですからね」

 

「お願い、良いでしょう?」

 

 葵が両手を合わせて爽に頼み込む。爽はため息をつく。

 

「仕方がありませんね……」

 

「やった!」

 

「しかし、外に出るのは駄目ですよ?」

 

「うん、それは分かっているよ」

 

 葵は嬉々として歩き出す。爽がその後に続きながら呟く。

 

「適度な息抜きは必要ですからね……」

 

「……う~ん、変わった建物だよね?」

 

「これまでに色々と増改築を繰り返しているようですから」

 

 葵の言葉に爽が答える。葵が立ち止まる。

 

「この部屋は何かな?」

 

「書斎のようですが……」

 

「ちょっと入ってみよう」

 

「はあ……」

 

「おお、本棚が一杯だね」

 

「それはそうでしょう」

 

「……こういうのってさ、本棚に仕掛けがしてあって、隠し部屋とかがあるんだよね」

 

「ドラマなどの見過ぎですよ」

 

 葵の言葉に爽は苦笑する。

 

「分かんないよ? この重そうな本を取ると、本棚が動いて隠し扉が……」

 

「そんな馬鹿な……」

 

「よっと……! う、動いた⁉」

 

「ええっ⁉」

 

 葵が本を手に取ると、本棚が動き出す。爽も驚く。本棚が動き、壁に隠し扉が現れる。

 

「ほ、本当にあったよ、隠し扉……」

 

「そ、そんな……」

 

「……入ってみようか」

 

「き、危険です! 誰か人を呼んできます!」

 

「大丈夫だよ」

 

 葵が扉を開けて中に入る。爽が頭を抱える。

 

「ああ、もう……仕方がありませんね……」

 

「階段? 地下室?」

 

「お気をつけ下さい……」

 

「うん……あ、意外と深くないね」

 

「灯りをつけてみますか。電気は……通ってないようですね。えっと、マッチは……」

 

「灯りと言わず、燃やしてやるばい!」

 

「うおっ⁉」

 

「葵様⁉」

 

 突然、発火が起こり、葵を火の玉のようなものが襲う。葵はなんとかかわす。

 

「ちっ、かわしよったか……」

 

「だ、誰かいる⁉」

 

「この子らは渡さんばい!」

 

「はっ!」

 

「ぬっ!」

 

 葵が床に転がっていた木の棒を拾い、声の主の首元に突きつける。葵は薙刀の実力者である。声の主の動きが止まる。爽が称賛する。

 

「お見事……!」

 

 爽がマッチを取り出し、火を点けると、そこには巫女のような不思議な恰好をした少女と、短い灰色の髪、灰色の瞳をした長身の青年、茶髪で碧い目をした双子の少年と少女の四人が身を寄せ合って固まっている。

 

「だ、誰……⁉」

 

 葵は驚きの声を上げる。



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旅は道連れ世は情け

「葵様、お下がりください……」

 

 爽が葵の前に進み出る。青年が口を開く。

 

「お、俺たちは怪しいものではない……」

 

「日本語が出来るようですね。何者です?」

 

「俺はデニス=アッセンブルク」

 

「ふむ……オランダの方ですか?」

 

「まあ……そう考えてもらって構わない。こっちが弟のティムで、妹のエマだ」

 

 デニスと名乗った青年は、弟妹たちを紹介する。ティムもエマもデニスの体に隠れて、顔を少しのぞかせるに留まる。爽が呟く。

 

「双子さん?」

 

「ああ、そうだ」

 

「何故、こんなところに?」

 

「いや、俺たちはオランダ商館の関係者の家族なんだが、ここに迷い込んでしまってね……」

 

「嘘ですね」

 

「……さすがに無理があったか」

 

 デニスが苦笑を浮かべる。

 

「こんな隠し部屋にそうそう迷い込まないでしょう。何らかの目的があったのでは?」

 

「目的?」

 

 爽の背後で葵が首を傾げる。爽が目線だけ葵に迎えながら答える。

 

「例えば……誰かから隠れるためとか」

 

「……まあ、そんなところだ」

 

「誰かに追われているの?」

 

「……組織、とだけ言っておこうか」

 

 葵の問いにデニスは躊躇いながら答える。

 

「組織?」

 

「これ以上は言えない。君らにも危険が及ぶからな」

 

「危険って?」

 

「もう来ちゃったりして~」

 

「⁉」

 

 声のする方に振り返ると、二人の男女が階段を下りてくる。おさげ黒髪の女性が笑う。

 

「まさか、こんなところに隠れていたとはね~」

 

「隠し部屋とは、盲点だった……」

 

 短い黒髪を後ろで一つにまとめた男性が腕を組む。髪型が異なる以外は、顔つきも体格も女性とそっくりである。爽が目を細める。

 

「こちらも双子さんですか……」

 

「誰なの?」

 

「組織の者だ……女がユエ、男がタイヤンと言ったか……」

 

 葵の問いにデニスが答える。

 

「そろそろ、かくれんぼは終わりにしましょう?」

 

 ユエが微笑を浮かべながら首を傾げる。ティムとエマはデニスの体を掴む。

 

「に、兄ちゃん……」

 

「お兄ちゃん……」

 

「大丈夫だ、俺から離れるな」

 

 デニスが怯える様子を見せる弟妹たちに優しく声をかける。ユエが苦笑する。

 

「あらあら、怖がられちゃったものね……」

 

「子供は正直だからな、本性を見抜いているんだろう」

 

「なんか言った? タイヤン」

 

 ユエが切れ長の鋭い目をタイヤンに向ける。タイヤンは肩をすくめる。

 

「お前の好きな軽口を叩いただけだ……そんなにムキになるな」

 

「ムキにもなるわ。こんな狭い島で、見つけ出すのに手間取ってしまったのだから……」

 

「だが見つけた……こういうときこそ冷静になれ」

 

「ふっ、たまには良いこというじゃないの、兄さん」

 

「たまにはとはなんだ、たまにとは……」

 

「さて……」

 

 ユエが前に進み出る。デニスが声を上げる。

 

「き、貴様らにはティムとエマは渡さん!」

 

「デニスさん、貴方のお気持ちはもはやどうでもいいわ。奪い取っていくまでよ」

 

「!」

 

「氷の矢よりこっちの方が速いと思うけど……試してみる? 下手すると、かわいい弟さんたちに当たってしまうかも……」

 

 身構えるデニスに対して、ユエが素早く拳銃を向ける。デニスが舌打ちする。

 

「ちっ……」

 

「……」

 

 葵がユエとデニスの間に進み出る。爽が慌てる。

 

「あ、葵様⁉ 危険です!」

 

「葵? ひょっとして……」

 

「そうよ、大江戸幕府第二十五代将軍、若下野葵よ!」

 

「なっ⁉」

 

「これは……思わぬ大物が出てきたな……」

 

 ユエが驚き、タイヤンが顎に手をやる。ユエが平静さを取り戻し、葵に語りかける。

 

「将軍様とお会いできるとは光栄です。そこは危ないので避けていただけませんか?」

 

「避けないよ! この子たちをどうするつもり⁉」

 

「それは貴女様には関係のないことです……」

 

「どう見ても、貴女たちの方が悪者っぽいし! この出島で勝手は許さないよ!」

 

「ウザッ……」

 

 ユエは拳銃を下ろそうとはしない。

 

「ええい!」

 

「む⁉」

 

 そこまで黙っていたおかっぱのショートボブの髪型で、巫女のような装束を着た女の子が自らの掌の上に火を付ける。

 

「引き下がらないんだったら、この建物ごと燃やしてしまってもよかとよ!」

 

「……ユエ、一旦引き下がろう。どうやら屋敷の他の連中も騒ぎに気がついたようだ」

 

「くっ……」

 

 ユエとタイヤンは引き下がる。デニスが葵を見ながら呟く。

 

「若い女性だとは聞いていたが、まさか君が将軍とはな……」

 

「なんてったって現役JKだからね」

 

「ジェ、JK? そ、それはともかく、なんで江戸にいるはずの将軍がこんな場所に?」

 

「現在、九州視察旅行の途中です」

 

 デニスの問いに爽が答える。

 

「九州視察?」

 

「うん、十日間の予定で一日目が終わるところ」

 

「葵様、そこまでは言わなくても……」

 

「では、後九日か……」

 

 デニスが顎に手を当てて、考え込む。葵が首を捻る。

 

「ん?」

 

「その間に、別の逃亡手段を講じれば、あるいは……」

 

「デニスさん?」

 

 ぶつぶつと呟くデニスに爽が問いかける。

 

「あ、ああ、すまない」

 

「なにか呟いていらっしゃいましたが……」

 

 デニスは一瞬の躊躇いの後、葵と爽を見て口を開く。

 

「お願いがあるんだが……俺たちを保護してくれないか?」

 

「ええっ?」

 

「この国のVIPの一人である君と一緒なら、組織の連中もそうそう手は出せない……」

 

「デニスさん、何を言っているのですか?」

 

「うん、良いよ」

 

「あ、葵様⁉ なにを⁉」

 

 デニスの申し出をあっさりと了承した葵に爽は驚く。

 

「困っている人たちは放っておけないよ」

 

「し、しかしですね……」

 

「旅は道連れ、世は情けってね」

 

「トラブルに巻き込まれる可能性が……」

 

「もう巻き込まれたようなもんでしょう?」

 

「そ、それはそうかもしれませんが……」

 

「将軍のご厚情に感謝する」

 

 デニスが頭を下げる。

 

「葵で良いよ、デニスっち」

 

「デ、デニスっち⁉」

 

「ティムくんとエマちゃんもよろしくね」

 

 葵がティムとエマににっこりと笑いかける。

 

「う、うん……」

 

「よろしく……」

 

 ティムとエマがわずかだが、笑みを浮かべる。巫女さんらしき女の子が声を上げる。

 

「ちょっと! うちのことを無視しぇんで!」

 

「えっと……こちらはお知り合い?」

 

 葵の問いにデニスと女の子が顔を見合わせる。

 

「いや……何故か助けてくれたのだが……」

 

「ばりばりの初対面ばい」

 

「ええっ⁉」

 

「うち……ヒヨコって言うっちゃけど、うちには不思議な声を聴く力があってね。この子たちを守りんしゃいってお告げがあっとーよ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

「というわけで、あんたたちに同行させてもらうばい!」

 

「ええっ⁉ ……まあ、いいよ。よろしくね、ヒヨコ」

 

「あ、葵様⁉ ま、また……!」

 

 またもあっさりと了承する葵に爽が頭を抱える。



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長崎グルメ

                  弐

 

「いや~長崎の町もなかなか賑わっているね!」

 

 葵が周囲を見回す。爽が慌てる。

 

「葵様、あまり大声を出されると、目立ってしまいますから……」

 

「ああ、ごめん、ごめん……この後は予定ないんだっけ?」

 

「長崎奉行さまとの会談も終わりましたし、本日、この後は基本自由です」

 

「そっか~」

 

「腹が減ったたい!」

 

「僕も!」

 

「私も……」

 

「お、お前たち、保護してもらっているのだから、あまり図々しいことは……む!」

 

 ヒヨコたちを注意したデニスの腹の虫が鳴る。葵が笑う。

 

「ははっ、デニスっちもお腹が空いたみたいだね?」

 

「皆さんは会談中、別室で待機してもらっていましたからね」

 

「め、面目ない……」

 

 デニスが恥ずかしそうに顔を俯かせる。

 

「気にしないで! じゃあ、長崎グルメを食べに行こう!」

 

「おおっ! さすが将軍、気前がいいたい!」

 

「ヒ、ヒヨコさん、大声で将軍と言わないで下さい……」

 

 爽がたしなめる。ヒヨコが後頭部を掻く。

 

「これはすまんたい……」

 

「まあまあ、サワっち、それより長崎グルメを堪能出来るお店はある?」

 

「少々お待ちを……こちらのお店などいかがでしょうか?」

 

 爽が葵に端末を見せる。葵は頷く。

 

「よし、じゃあ、そのお店に行こう!」

 

 葵たちは町の中心部の近くにあるレストランの前に立つ。爽が説明する。

 

「ここならば、様々な長崎グルメを網羅しています」

 

「良いね、さっそく中に入ろう」

 

 葵たちは店の中に入る。席に着くと、爽がメニュー表を配る。

 

「お好きなものを注文して下さい」

 

「じゃあ……うちはこれたい!」

 

「僕はこれ!」

 

「私はこれ……」

 

「では、俺はこちらを……」

 

「葵様は?」

 

「私はこれかな~?」

 

「かしこまりました。すみません」

 

 爽が店員に注文する。しばらくして、料理が届く。

 

「ほほう! やっぱり長崎に来たらこれを食べんば始まらんばい!」

 

「ヒヨコ、何それ?」

 

「これは『長崎ちゃんぽん』たい!」

 

 ティムの問いにヒヨコが答える。葵が覗き込む。

 

「それが有名な長崎ちゃんぽんか……」

 

「福建料理を日本風にアレンジしたものですね」

 

 爽が説明する。

 

「では、お先に……いただきま~す! うむ!」

 

「どう?」

 

「思ったよりもこってりしてなくて、かといってあっさりというわけでもないたい。鶏から丁寧にとった、上品で雑味のないスープ……。そこにキャベツや豚肉の脂の甘み、エビやイカの海鮮の出汁、そのいずれもが存分に味わえ、また余計な調味料が入っていないことで素材の旨味をより直接的に感じることができるばい!」

 

「つまり?」

 

「ばり美味しいばい!」

 

「じゃあ、僕とエマはこれを……」

 

「ティム、何それ?」

 

「これは『トルコライス』だってさ」

 

「え? トルコ料理?」

 

「一説によると中華のピラフ、和食のトンカツ、洋食のスパゲッティという三つの食文化のミックス感が、東西の文化が交わるユーラシア大陸中央に位置するトルコに通じるということでこの名前が付いたそうです」

 

 爽が眼鏡の縁を触りながら説明する。

 

「ふ~ん……味はどうかな?」

 

「……うん、美味しいよ!」

 

「ピラフにスパゲッティ、デミグラスソースのかかった豚肉……一皿で三つの味が楽しめる……まさしく味の文化交流……」

 

「エ、エマ、いきなりどうした……?」

 

 ティムとエマのリアクションの違いにデニスは戸惑う。爽が声をかける。

 

「デニスさん、わたくしたちもいただきましょう」

 

「そ、そうだな……」

 

「二人は何を頼んだの?」

 

「『皿うどん』です」

 

「ちゃんぽんに似ているね」

 

「ちゃんぽんは出前の際、どうしてもスープがこぼれてしまうといった問題がありました。その解決策として、麺にスープを吸わせるこの皿うどんが出来たといわれています」

 

「へ~そうなんだ」

 

「それではいただきましょう、デニスさん」

 

「あ、ああ……うん、美味いな」

 

「パリパリとした麺に、とろっとしたあんかけ野菜のバランスが堪りませんね」

 

「う~ん、美味しそうだね~」

 

「将軍は……いや……」

 

「葵で良いよ、ヒヨちゃん。ティムとエマも」

 

「ヒ、ヒヨちゃん⁉ ま、まあよか、葵は何を頼んだんや?」

 

「私は『ミルクセーキ』だよ。さっき、料理はちょっと頂いたからデザート代わりにね」

 

「飲み物みたい……」

 

「エマさんの指摘通り、イギリスの『エッグノック』という、卵と牛乳を用いたカクテルがもととなったと言われています。それが、この長崎では氷を加え、アイスクリームのような食べ物にアレンジされたそうです」

 

「なんでそうなったんだろう?」

 

「長崎は坂道が多く、そこを上下して大量の汗をかく人たちのためを思ってだそうです」

 

「ふ~ん、地元に根差したデザートなんだね……う~ん! 冷たくて美味しい!」

 

「僕も食べたい!」

 

「ティム、自分の分の料理をちゃんと食べろ……」

 

 デニスがティムを注意する。葵がウインクする。

 

「ティムとエマにも後で注文してあげるから」

 

「ありがとう!」

 

「ありがとう……」

 

「……うちは?」

 

「ああ、ヒヨちゃんの分も注文するから……」

 

「お子様が三人ですね……」

 

 爽が呆れ気味に呟く。食事を終え、葵たちは町に繰り出す。

 

「じゃあ、今度はお土産でも買おうかな。ん? 人だかりが……って、弾七さん⁉」

 

 手鎖をかけられて跪く橙谷弾七の姿を見て、葵は驚く。



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手鎖をかけられる絵師

「ううっ……」

 

「やっぱり弾七さんだ!」

 

「おおっ、アンタ、上様か、会えて良かったぜ……」

 

「……これはどういう状況です?」

 

「よくぞ聞いてくれたな、爽ちゃん……」

 

「それは聞くでしょう……」

 

 爽が呆れた目線を向ける。

 

「俺にも分からねえんだよ……朝一番に長崎について、町をウロウロとしていたら、サイン攻めに遭ってよ……」

 

「サイン攻め?」

 

「一応、当代きっての人気浮世絵師ですからね、この方……」

 

「そっか、単なるチャラ男じゃなかったっけ」

 

「散々な認識だな!」

 

 弾七が葵と爽のやり取りにツッコミを入れる。爽が問う。

 

「失礼、それで?」

 

「ファンは大事にしないといけないからな、サインやら写真撮影に応じていたら、いきなりお役人たちに囲まれてよ……」

 

「ええ?」

 

「気が付いたらこれよ……」

 

 弾七は自らの両手にかけられた鉄製の手錠を見せる。葵が戸惑う。

 

「て、手錠……本物初めて見た……」

 

「橙谷さん、ついに罪を犯してしまったのですね……」

 

「犯してねえよ! ついにってなんだ、ついにって!」

 

 弾七が爽の言葉に反発する。葵が尋ねる。

 

「それじゃあ、なんで?」

 

「だから俺が聞きてえよ……!」

 

「ご説明しましょう……」

 

 葵たちの側に、スーツ姿の男性が近寄ってくる。爽がはっと気が付く。

 

「貴方は……長崎奉行所の」

 

「伊達仁様、どうも……」

 

 男性が頭を下げる。爽が尋ねる。

 

「これはどういうことなのでしょうか?」

 

「恐れ多くも、上様にご説明させていただきます……」

 

 男性は葵に頭を下げながら、出来る限りの小声で説明を始める。

 

「は、はあ……」

 

「この長崎の地でこのような絵が出回っておりまして……」

 

「こ、これは……!」

 

 男性から差し出された数枚の紙を見て、葵は驚く。爽が目を細める。

 

「美人画ですか? まるで写真のような出来栄え……」

 

「これらの絵が、大層な評判を呼んでいたのですが……」

 

「ですが?」

 

「この絵のモデルとなったと思われる女性たちから、抗議が殺到しておりまして……」

 

「抗議ですか?」

 

「はい。曰く、『自分たちを勝手に絵に描かれてとても迷惑している』と……」

 

「ほう……」

 

「奉行所としてもこれは捨て置けぬということで、絵の流出先を追いかけたところ……」

 

「人気浮世絵師であるこの方に行き着いたと……」

 

「そういうことです」

 

 爽の発言に男性が頷く。弾七が抗議する。

 

「いや、おかしいだろ! まずは絵を売った店とかに当たれよ! 俺はなんの関わりもねえってことがすぐに分かるはずだ!」

 

「……とおっしゃっていますが?」

 

「確かに店側などからはなかなか尻尾が掴めなかったのですが……これほどの見事な出来栄えの絵を描ける者は天下広しといえども、そう多くはありません。そこに、この男が長崎の町に現れたという知らせ……点と点が繋がり、一つの線となりました」

 

「全然繋がってねえよ! ガバガバな推理じゃねえか!」

 

 男性の説明に弾七が声を荒げる。男性が冷静に話す。

 

「現状、もっとも疑い深い容疑者であることは間違いありません」

 

「容疑の段階で手錠をかけんな!」

 

「弾七さん……」

 

 葵が気の毒そうな顔で弾七を見つめる。

 

「や、やめろ! そんな顔で見るな! 俺じゃねえよ!」

 

「う~ん……」

 

「俺が信じられねえのかよ!」

 

「そうだね」

 

「即答⁉」

 

 葵の答えに弾七が愕然とする。葵が男性に問う。

 

「どれくらいの罰になるんですか?」

 

「前例などから鑑みて……約五十日間このまま手錠をつけたままになるかと思われます」

 

「まさか牢屋に入るんですか?」

 

「いえいえ、そこまでではありません。自宅で謹慎……この者の場合は長崎在住ではありませんので、奉行所の方で預かるという形になるかと」

 

「そうですか」

 

「いや、そうですかじゃねえよ!」

 

 弾七が叫ぶ。葵が微笑む。

 

「そこまで重い刑じゃないから良いんじゃない?」

 

「良くねえよ!」

 

「これを良い薬として、今後は素行をあらためてくれれば……」

 

「薬にしてはキツいんだよ」

 

「良薬は口に苦しって言うし……」

 

「苦すぎる!」

 

 弾七の騒ぎを横目に爽が呟く。

 

「……葵様の一声があれば、刑も軽減されるかもしれません……」

 

「そ、そうだ! 一声頼む!」

 

「う~ん……」

 

 葵が腕を組む。

 

「悩むのかよ! 同じ将愉会のメンバーだろうが!」

 

「……」

 

 葵がじっと弾七を見つめる。

 

「な、なんだよ……」

 

「本当に描いてないんですか?」

 

「⁉ そ、そうだ! そもそも描いていないんだよ! 身に覚えが全くねえ!」

 

「ふむ……」

 

 葵が顎をさする。爽が尋ねる。

 

「葵様?」

 

「……私たちで捕まえよう」

 

「はい?」

 

「この写真のような絵を描いた人物をさ」

 

「よろしいのですか?」

 

「困っている弾七さんを放ってはおけないでしょ?」

 

「おお……持つべきものは上様だぜ……」

 

 葵の言葉に弾七は感激する。



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調査開始

「……なにか手がかりなどがあるのですか?」

 

「いやあ~それがなにも……」

 

 爽の問いに葵が後頭部を掻く。爽がため息をつく。

 

「はあ……どうするのですか?」

 

「さて、どうしようかね?」

 

「……このままでは、橙谷さんは手鎖のままですね」

 

「そ、それは可哀想だよ」

 

「『江戸の恥を長崎でも』という文句もありますから……」

 

「ちょっと違うよ!」

 

「冗談です」

 

「冗談にしては度を越えているような……」

 

「今日の夕方には移動ですから、調査にもそんなに時間をかけられませんよ?」

 

「う、うん……」

 

「……これはまさか……?」

 

 デニスが絵を見つめる。爽が尋ねる。

 

「何か気になることでも?」

 

「い、いや、何でもない」

 

「デニスさんたちはよろしいのですか?」

 

「こちらは無理を言って同行させてもらっているんだ。特に文句はない。葵の気が済むようにすればいい」

 

「ふむ……ヒヨコさんはよろしいのですか?」

 

「別に構わんばい」

 

「皆さんからのお許しは出ましたが……」

 

「う~ん、やっぱり絵を販売したお店をあたってみようか……」

 

「かしこまりました」

 

 葵たちは絵を販売したといういくつかの店をまわってみる。

 

「……手がかりらしい手がかりはなしだね」

 

「別々の仕入業者を仲介させているということは分かりました。巧妙に尻尾を掴ませないようにしてありますね」

 

「何のために?」

 

「さあ、そればっかりはなんとも……」

 

 爽が首を傾げる。

 

「う~ん、早くもお手上げだ~!」

 

 葵が万歳の姿勢を取ると、店にいた男性に手が当たる。

 

「! おっと!」

 

「あ、ご、ごめんなさい!」

 

「いいえ……うん? ひょっとして上様ですかい?」

 

「い、いいえ! 上様違いです!」

 

「誤魔化し方が下手!」

 

 葵の発言に爽が思わず突っ込みを入れてしまう。少し茶色のマッシュルームカットに着物を着たアンバランスな男性が笑う。

 

「上様じゃないですか。こちらへはお忍びで?」

 

「え?」

 

「貴方は……」

 

「サワっち、知っているの?」

 

「大江戸城学園の教員の方ですよ。本橋勝柳(もとはししょうりゅう)先生」

 

「え? 先生? 教わったことないような……」

 

「先生は二年と組を受け持ってはいませんからね」

 

「へえ~ちなみに担当科目は?」

 

「理科分野と国語分野と美術です」

 

「そ、そんなに担当しているのに、うちのクラスに当たらないことある⁉」

 

「まあ、その辺は私が決めることではありませんからねえ……」

 

 勝柳が苦笑する。

 

「し、しかし、すごいですね、理科と国語なんて真逆なのに……」

 

「なあに昔取った杵柄ってやつですよ」

 

「え? 昔? 結構お若く見えますが……」

 

「ああ、そうですね、今は若いんだったっけ……」

 

「え?」

 

「いいや、なんでもありません。こちらの話です」

 

 勝柳は手を左右に振る。爽が尋ねる。

 

「先生は何故長崎に?」

 

「休暇を取って来たんです。昔からこの町は私に刺激が多く与えてくれるので……」

 

「昔から?」

 

「いえ、上様たちは何故こちらに?」

 

「実はかくかくしかじかで……」

 

 爽が事情を説明する。勝柳が頷く。

 

「その絵を見せてもらってもいいですかい?」

 

「はい……」

 

 爽が絵を渡す。勝柳は絵を透かして見たりしている。葵が尋ねる。

 

「あ、あの、先生? 何をされているんですか?」

 

「ああ、分かりましたよ、この絵の流通元が」

 

「ええっ⁉」

 

「……どういうことでしょうか?」

 

 葵は驚き、爽が尋ねる。勝柳が答える。

 

「紙質です」

 

「紙質?」

 

「ええ、これは洋書などでよく用いられる紙です。よって、この絵を描いたのは、この長崎にいる西洋の方の可能性が高いでしょうね」

 

「な、なるほど……」

 

「西洋の方と関係が最も深いのは……この業者でしょうね」

 

 勝柳が端末を取り出し、業者の店の地図を表示させる。爽が頷く。

 

「港の方ですね」

 

「行ってみよう! あ、本橋先生、ありがとうございました!」

 

「いえいえ、お役に立てたなら何よりです」

 

 葵たちはその場から離れる。ヒヨコが後ろを振り返りながら呟く。

 

「あん男……」

 

「どうかしたのか?」

 

 デニスがヒヨコに尋ねる。

 

「いいや、今はよか……それよりデニス?」

 

「なんだ?」

 

「きさん、気が付いとったんじゃないか? 紙質のこと……」

 

「い、いや、紙質には気が付かなかったな」

 

「には?」

 

「ああいう『力』の持ち主には心当たりがあってな……」

 

「力やと?」

 

「ああ……」

 

「……葵様、港に着きました」

 

「うん……」

 

「……あいつだ!」

 

「!」

 

 デニスが指を差した先には、金髪碧眼で真っ赤な燕尾服を着た少女の姿があった。



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真犯人究明

「あら? 見つかっちゃったわね……」

 

「お前の仕業だろう! ルーシー=クラーク!」

 

「デニスさん、ご存知なのですか?」

 

「あ、ああ、ちょっとな……」

 

 ルーシーと呼ばれた女性は首を傾げる。

 

「仕業ってなんのことよ?」

 

「とぼけるな! この長崎の町で出回っている女性の絵……お前の力によるものだろう!」

 

「絵?」

 

「これのことだ!」

 

 デニスが絵を投げつける。それを受け取ったルーシーが頷く。

 

「ああ、これね……」

 

「何を考えている⁉」

 

「別に……」

 

「何だと⁉」

 

「単なる暇つぶしよ」

 

「ひ、暇つぶしだと……」

 

「アタシはアンタがどうなろうと興味がないもの……組織の落ちこぼれには」

 

「く……」

 

「ただ……アンタに懐いている双子ちゃんは別よ?」

 

「! お前、それが狙いだったのか⁉」

 

「暇つぶしがてら適当に騒動を一つ二つ起こせばひょっこりと顔を出すと思ったわ」

 

「くっ……」

 

 ルーシーがデニスの陰に隠れる双子を覗き込む。

 

「ティム、エマ、良い子だから、ルーシーお姉ちゃんと一緒にお家に帰りましょう?」

 

「い、嫌だ!」

 

「あら?」

 

「あ、あのお家には帰りたくないの!」

 

「あらら……仕方がないわね、少々強引にでも……!」

 

「……」

 

 ルーシーがティムとエマに近づこうとしたところ、葵が薙刀を突き出して、それを制する。

 

「……どういうことかしら? サムライガール?」

 

「貴女悪い人なんでしょう? 英語で何を言っているかほとんど分からなかったけど!」

 

「わ、分からんじゃったんかい……」

 

「葵様……」

 

 葵の言葉にヒヨコはずっこけ、爽は頭を軽く抑える。ルーシーが笑顔のまま尋ねる。

 

「アタシにこういう物騒な物を向けたらどうなるのか分かる?」

 

「あ、日本語だ……えっと、分からないけど……」

 

「お仕置きが待っているのよ!」

 

「!」

 

 葵が驚く。ルーシーの視線の先から西洋甲冑に身を包んだ騎士が現れたのである。

 

「……少し遊んであげなさい」

 

「……!」

 

「ちょ、ちょっと、鎧騎士って!」

 

 鎧騎士の繰り出した槍を葵は薙刀で器用に受け止める。ルーシーが口笛を鳴らす。

 

「~♪ やるじゃないの、サムライガール」

 

「サムライじゃないっての!」

 

 葵の薙刀が鎧騎士の槍を弾き飛ばす。ルーシーの顔色が変わる。

 

「! ふ~ん、そろそろ本気で行きなさいよ」

 

「……‼」

 

 鎧騎士が今度は剣を取り出す。葵が困惑する。

 

「こ、今度は剣⁉ ちょ、ちょっと待って!」

 

 ゆっくりと迫りくる鎧騎士に対し、葵が後ずさりをする。デニスが叫ぶ。

 

「ヒヨコ! 鎧騎士に火を放て!」

 

「い、いや、そがんことをしても無駄やなかか⁉」

 

「いいから早く!」

 

「ええい!」

 

「⁉」

 

 ヒヨコの放った火で、鎧騎士はあっという間に燃える。ヒヨコが不思議そうに首を傾げる。

 

「こ、これはどがんことや……?」

 

「ルーシーの持つ力は『念写』……心の中に思い浮かべている観念などを紙などに画像として焼き付けることの出来る力、いわゆる『超能力』!」

 

「ちょ、超能力⁉」

 

 葵が仰天する。

 

「大きな画用紙を用いているのが分かった。それならば、ヒヨコの火が極めて有効だ」

 

「ふん、発火出来るやつがいるとはね~ここは分が悪い、退散させてもらうよ、デニスと奇妙なサムライガールたち……」

 

「サムライじゃない! 私はれっきとした将軍よ!」

 

「⁉ へえ、ショーグンとこんなところで遭遇するとは……アタシついているかも!」

 

「なっ⁉」

 

 十数羽の鳥が出現し、それらが引っ張る椅子に優雅に腰かけたルーシーは空高く舞い上がっていく。唖然とする葵たちに向かって手を振りながらその場から去っていく。

 

「鳥をあがん使い方するとは……」

 

「鳥も念写によるものだろう。しかし、一度にあれほど大量に……力の精度を高めているな」

 

「! サワっち!」

 

「はい……ばっちり撮れております」

 

 物陰から爽が撮影機を持って現れる。デニスが驚く。

 

「そ、それは……」

 

「よし、これで弾七さんの無罪を証明出来る!」

 

 葵の言葉通り、絵の作者が弾七ではないということが分かり、弾七は晴れて釈放となった。

 

「……いや~良かった、良かった。一時はどうなることかと思ったが……」

 

「……弾七さん、お願いがあるんだけど……」

 

「なんだい? 上様?」

 

「この長崎の町を絵に描いてくれないかな?」

 

「ええっ⁉ なんでそんなことをしなきゃならないんだよ! 手錠はめられたんだぜ⁉」

 

「せっかく、当代きっての人気絵師が訪れたんだからさ、町の人にも喜んで欲しくて……」

 

「そんなことを言われてもな……」

 

「橙谷様……」

 

「な、なんだよ、爽ちゃん……」

 

「葵様からの好感度上昇チャンス……」

 

 爽の囁きに橙谷が目の色を変える。

 

「⁉ そ、そう言えば、下書きは済ませていたんだよな~完成させるか!」

 

「さすが、弾七さん!」

 

 そこからわずかな時間で、弾七は見事な風景画を完成させる。周囲の人々は感嘆とする。

 

「なんと見事な……しかし今回の誤認逮捕、奉行所としてなんとお詫びして良いか……」

 

「あ~もういいよ、ある意味貴重な体験だったからな……」

 

「これをどうぞ……ささやかですが長崎名物『カステラ』でございます」

 

「ささやかっていうか、ベタだな。一人でこんなに食えねえよ……上様たちにも分けるぜ」

 

「いいの⁉ ありがとう!」

 

 葵たちは弾七と別れ、公園でカステラを食し、その美味しさに舌鼓を打つ。

 

「美味しい~って、うわあっ⁉」

 

「ティム! あれはルーシーの念写か! しまった!」

 

 デニスが叫ぶ。空を飛ぶ魔女のような存在にティムを攫われてしまった。



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組織とは

                  参

 

「ティム……!」

 

「待て、エマ!」

 

 デニスがエマの肩を掴む。

 

「追いかけなきゃ!」

 

「葵様、落ち着いて下さい!」

 

 爽が走り出そうとする葵に声をかける。

 

「で、でも!」

 

「空を飛んでいったのです、闇雲に走っても追いつくことは出来ませんよ!」

 

「むっ……」

 

 葵は立ち止まる。爽が冷静に空を見上げながら呟く。

 

「北西の方に向かいましたね……」

 

「北西?」

 

「あちらは……対馬の方向でしょうか?」

 

「ツシマ?」

 

「……なにか思い当たることが?」

 

 爽がデニスに尋ねる。

 

「いや、連中はツシマにも用事があるようだったからな……」

 

「ほう……」

 

「連中って⁉ そもそもあのルーシーって何者⁉」

 

「超能力者ってどがんことや⁉」

 

 葵とヒヨコがデニスに詰め寄る。

 

「ヒッ……!」

 

 驚いたエマがデニスの陰に隠れる。

 

「お二方、エマさんがすっかり怯えてしまっています、大声を出さないように……どうか落ち着いて下さい……」

 

「う、うん……」

 

「お、おう……」

 

「……デニスさん、ご説明を頂けますか?」

 

「う、うむ……」

 

「これは大事なことです。情報を提供頂けないのであれば……」

 

「あれば?」

 

「協力関係はここに破綻することになります」

 

「!」

 

「当然のことだと思いますが……信頼の出来ないパートナーと行動をともにすることなど到底出来ません……」

 

「むう……」

 

「それでは……葵様、参りましょう」

 

「あ、う、うん……」

 

 爽と葵はその場を離れようとする。ヒヨコがデニスに声をかける。

 

「よ、よかか、デニス?」

 

「~~ル、ルーシー=クラークはイギリス人だ!」

 

 爽と葵が立ち止まり振り返る。

 

「ふむ、そのイギリス人の少女がこの長崎に一体何の用が……?」

 

「俺、いや、厳密にはエマとティムのことを狙っている……」

 

「あの謎の東洋人お二人……ユエさんとタイヤンさんも?」

 

「あの二人とは初めて会ったが、恐らく『組織』に関係する人間だろうな……」

 

「組織とは?」

 

「それについては言えない……」

 

 デニスは目を閉じて首を左右に振る。

 

「なんじゃ、それじゃあなんにもわからんやなかか」

 

 ヒヨコが両手を大げさに広げる。

 

「まあ、なんとなくの察しはつきました……」

 

「え⁉」

 

「ほ、本当! サワっち⁉」

 

「超能力者が組織の尖兵として動いているということは、超能力者の集まりか、もっと上の存在の集まりか……」

 

「もっと上の存在?」

 

 葵が首を傾げる。

 

「そういった存在に関しては、現在はまさに雲をつかむような話ですが……ルーシーさんとやらを追いかければ、組織の尻尾くらいは踏めるのではないでしょうか?」

 

「尻尾を踏む……」

 

「ええ、そこで何が飛び出てくるか……猛獣の可能性があるならば厄介ですね……」

 

「……や、やはり君たちはここで離れるべきだ!」

 

 デニスが首を振って声を上げる。爽が眼鏡のフレームを触りながら応える。

 

「出来ればそうしたいのは山々なのですが……」

 

「え?」

 

「その組織とやらが我が国に害を及ぼすというのなら、捨て置けません……」

 

「し、しかし……」

 

「なにより……」

 

「なにより?」

 

「上様にすっかり火が点いてしまいましたので……」

 

「えっ? うおっ⁉」

 

 葵がデニスの襟首をガシッと掴む。

 

「デニスさん! ティムを助けに行こう!」

 

「あ、葵……それは……」

 

「それは……なに⁉ この期に及んで⁉」

 

「貴女にも危害が及ぶ可能性が高まってきた。貴女は予定通りのスケジュールをこなすことに専念すべきだ。それなら奴らも手を出してはこないだろう」

 

「なにを今更!」

 

「本当に危険な連中なんだ!」

 

「ならばティムが危ないじゃないの!」

 

「ティムに関しては……」

 

 デニスが傍らに立つエマを見る。葵が首を捻る。

 

「?」

 

「詳細は言いたくないのだが、ティムとエマは二人揃っていなきゃ駄目なんだ……」

 

「ええっ? どういうこと⁉」

 

「とにかく! 連中がティムに対して無闇やたらに危害を加える可能性は極めて低い……」

 

「……だからと言って、悠長に構えてはいられないんでしょう?」

 

「それはそうだが……」

 

「ならば向かいましょう」

 

「どこに?」

 

「決まっているでしょう。対馬よ」

 

「ええ?」

 

 デニスが困惑気味に爽の方に視線を向ける。

 

「……ちょうど次の訪問先です」

 

「ええっ⁉」

 

「決まりだね」

 

 葵は戸惑うデニスに対し、笑顔を浮かべる。翌日葵一行は飛行機で対馬に降り立つ。

 

「……お祭りのリハーサルを行っているようですね」

 

「ふ~ん、あ、あそこの立派な舞台で踊っているのって……獅源さん⁉」

 

 中性的な雰囲気を纏い、舞台で舞い踊る涼紫獅源の存在を見て葵は驚く。



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謎の兵士出現

「ふう……あら?」

 

 リハーサルの休みに入った獅源が舞台から降りると、葵たちに気付く。

 

「獅源さん、こんなところでなにを?」

 

「いやあ、お祭りで特別な舞を奉納するということで……それでこのアタシに白羽の矢が立ったようで……スケジュールの都合もちょうど合ったのでお受けしようと……」

 

「そうだったんですか……」

 

「上様もなかなか賑やかな視察旅行をされておられるみたいですねえ」

 

 獅源がデニスやヒヨコを見ながら呟く。

 

「ははっ、旅は道連れというか……」

 

「……女の人?」

 

「いや違うぞ、エマ。この人は女形と言って、男性が女性を演じるんだ」

 

「へえ……」

 

 首を傾げるエマに対し、デニスが説明する。

 

「ふふっ、大分珍しいかしらねえ?」

 

 獅源がエマに向けてウインクする。

 

「サワっち、これからの予定は?」

 

「夕方まで各地の視察を行った後、夜はこちらのお祭りの奉納舞をご覧いただきます」

 

 葵の問いに爽が答える。

 

「そうなんだ……」

 

「へえ、それじゃあ、上様に見て頂けるのですね? さらに気合いが入るというものです」

 

 獅源が笑みを浮かべる。葵がデニスに尋ねる。

 

「どうする? ここで待つ?」

 

「いや……組織の狙いと言ったが、具体的にはこのツシマのどこで何をするつもりなのかが不明だ……帯同させてもらえるなら助かる」

 

「そうだね、エマちゃんも心配だし、その方が良いと思う。良いよね、サワっち?」

 

「ええ、大丈夫です。問題ないです」

 

 爽が頷く。葵が獅源に手を振る。

 

「それじゃあ獅源さん、また夜に」

 

「はい、上様も皆様もどうぞお気をつけて……」

 

 獅源が頭を下げる。葵たちは対馬各地の視察へと向かう。

 

「ふう~食べた食べた♪」

 

 葵たちは対馬の郷土料理を食した。葵は満足気に店を出る。爽が咳払いをする。

 

「こほん、葵様……」

 

「はっ、ごめん! デニスさん、エマちゃん! ティムが大変な時に……」

 

「いや、いい……腹が減ってはなんとやらとも言うしな」

 

「あ、ああ……」

 

「食事をすることで気も紛れ、頭もよく回ってきた……」

 

「そ、そう言ってもらうと助かるよ……」

 

 ヒヨコが尋ねる。

 

「葵、どうやった、対馬の黄金穴子は?」

 

「ああ、うん。すごい美味しくて、穴子に対する印象が大きく変わったよ……」

 

「そうじゃろう、そうじゃろう!」

 

 ヒヨコが深々と頷く。

 

「……この対馬が日本最大の穴子産地なのです」

 

「えっ、そうなんだ⁉」

 

 爽の説明に葵は驚く。ヒヨコも目を丸くする。

 

「そうなんや……」

 

「……ヒヨっちも知らないんじゃん」

 

「こ、細かかことはよか!」

 

「まあいいや……デニスたちはなにを食べていたの? 麺類だったよね?」

 

「ろくべえというものだ」

 

「ろくべえ……そういう名前のうどんなんだ?」

 

「いや、あれはサツマイモを原料としてつくられたもんや」

 

「サツマイモ?」

 

 ヒヨコの言葉に葵が首を傾げる。

 

「こん対馬という土地は平地が少ないから米の収穫量が乏しく、昔からサツマイモの栽培が奨励されていたけんね」

 

「そうなんだ……」

 

「対馬と島原半島でしか食べられていない麵料理や」

 

「ほ、本当にローカルだね……」

 

 ヒヨコの説明に葵が頷く。

 

「午後もいくつか視察する場所があります。行きましょう」

 

 爽が声をかけて、葵たちは移動する。

 

「……ふう、ここまで戻ってきた……」

 

 夕方になり、葵たちは初めに訪れた神社に戻ってきた。

 

「予定よりも早く済みましたので、最終リハーサルが行われていますね」

 

 爽の言葉通り、境内に特設された舞台の上で、衣装を身に纏い化粧をした獅源が舞っている。既に何十人か集まっている観客は獅源の優雅な舞にすっかり魅了されている。

 

「ふむ……」

 

「葵様、なにか気になることでも?」

 

「いや……獅源さんの衣装が変わっているなって思って……」

 

「変わっている?」

 

「なんていうのかな……平安っぽい感じってより、もっと前の時代のような……」

 

「そう言われると、神話から出てきたような……」

 

 葵は苦笑しながら後頭部を掻く。

 

「いや、私は時代に全然明るくないんだけど……」

 

「そん見込みはあながち間違うとらん……」

 

「え? どういうこと?」

 

 ヒヨコの呟きに葵は首を捻る。

 

「……おいでなすった」

 

「え? ⁉」

 

 葵が周囲を振り回すと、古代の時代から飛び出してきたかのような姿をした兵士たちが舞台を包囲する。兵士たちを統率する男が声を上げる。

 

「見つけたぞ、女王!」

 

「はて? 女王?」

 

 獅源が不思議そうに小首を傾げる。

 

「しらばっくれても無駄だ! 捕まえろ!」

 

「!」

 

「サワっち!」

 

「はい!」

 

 葵は薙刀を取り出して、爽とともに、兵士たちの前に飛び出す。

 

「なんだ、お前ら⁉」

 

「それはこっちの台詞!」

 

「まあいい! まとめて確保しろ!」

 

「こがん大変な時に!」

 

「ヒヨコ! こいつらは何者だ⁉」

 

 デニスがヒヨコに尋ねる。

 

「やつらは……⁉」

 

「妹ちゃんを確保しに来てみたら、予想外のことになっているわね……」

 

「よく分からんが、面倒な事態だということはよく分かる……」

 

「ユエとタイヤンか!」

 

 ユエとタイヤンの姿を見つけ、デニスが声を上げる。



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ファントムオブツシマ

「おっ、いたねえ、デニスさんも……」

 

 ユエが不敵な笑みを浮かべる。タイヤンが頷く。

 

「まさかわざわざ対馬に来てくれるとはな……」

 

「ほんとそれ、手間が省けるというものだね……!」

 

 兵士たちがユエとタイヤンも包囲する。

 

「何者か知らんが、そいつらもついでに取り押さえろ!」

 

「いや、ついでにって……」

 

 統率する男の言葉にユエが苦笑する。

 

「こいつらは何者だ?」

 

「さあ……」

 

 タイヤンの問いにユエが首を傾げる。

 

「はあっ!」

 

「!」

 

 爽が兵士を数人投げ飛ばす。包囲網がわずかに破れる。爽が声を上げる。

 

「皆さん! 落ち着いてここからどうぞ抜けて下さい! これはアトラクションなどではありません!」

 

「‼」

 

 爽の声に応じ、舞台を見物していた人々がその場から離れる。比較的混乱は少なく、人々は包囲から抜けることが出来た。爽が安堵のため息をつく。

 

「ほっ……」

 

「サワっち、ナイス!」

 

 葵が右手の親指をグッと立てる。統率する男が声を上げる。

 

「気にするな、目的はあくまで舞台上の女王だ!」

 

「女王?」

 

「どうやら勘違いしているようですね……」

 

「あらら……」

 

 獅源が口を抑える。

 

「とにかく獅源さんを守ろう!」

 

「ええ!」

 

 葵と爽が構えを取り直す。

 

「それっ!」

 

「えいっ!」

 

 葵と爽が向かってくる兵士たちを次々となぎ倒す。

 

「くっ!」

 

「上様たちに守られている……なんだか複雑な心持ち……」

 

 統率する男が顔をしかめ、獅源は目を細める。

 

「女王? どういうことだ?」

 

「それについて調べるのは後よ、タイヤン」

 

「それはそうだな……だが、この数……いちいち相手にするのは厄介だぞ?」

 

「それならばあれを利用するまで……」

 

「あれを?」

 

「ええ……それっ!」

 

「⁉」

 

 ユエが地面に向かって手をかざすと、地面から半透明の姿をした古の武将や、異国の兵隊が多数現れる。ユエがふっと微笑む。

 

「思った通りね……」

 

「こ、今度は何⁉」

 

「これは元寇⁉」

 

「ええっ⁉」

 

 爽の言葉に葵が驚く。ユエが感心する。

 

「へえ、なかなか鋭いわね、眼鏡のお姉さん。そう、ここ対馬はいわゆる『元寇』で、日本の武士と元の兵隊が激しく戦った場所……その霊たちを呼び起こしたわ……」

 

「そ、そんなことが……」

 

「……それがあなたたち組織の目的ですか?」

 

 絶句する葵の横で爽が冷静に尋ねる。

 

「そうよ。厳密にはその地にまつわる霊的エネルギーの抽出が目的なのだけど、このよく分からない集団を片付ける為に、霊の方々にちょっと頑張ってもらうわ……」

 

 ユエが淡々と答える。爽が首を傾げる。

 

「……一体どういう組織なのですか?」

 

「これ以上は教えるつもりはないわ」

 

「……そうでしょうね」

 

「さあ、かかりなさい!」

 

「くっ、迎えうて!」

 

 統率する男が叫ぶ。タイヤンが笑う。

 

「ふっ、無駄なことを……」

 

「なっ、こちらの攻撃がすり抜ける⁉」

 

「霊だぞ? 普通のやり方で倒せると思うな……」

 

「上杉山流奥義……」

 

「武枝流奥義……」

 

「む?」

 

「『凍刃』!」

 

「『炎波』!」

 

 銀髪のポニーテールの女性が竹刀を振るい、金髪のショートボブの女性が軍配を振るうと、氷の刃と炎の衝撃波が、迫りくる元寇の霊たちを一掃した。

 

「なっ⁉」

 

上杉山雪鷹(うえすぎやまゆたか)さんと武枝(たけえだ)クロエさん⁉」

 

「上様、ご無事ですね」

 

「なにより……」

 

 クロエと呼ばれた女性が笑顔を浮かべ、雪鷹はボソッと呟く。

 

「な、何者よ⁉」

 

「大江戸城学園の体育会副会長と書記です……ちなみに私が書記」

 

 ユエの問いにクロエが落ち着いて答える。

 

「が、学園……学生ってこと⁉ ただの学生が霊を一掃するなんて……」

 

「……やってみたら出来た」

 

「だそうです」

 

 雪鷹の呟きにクロエが肩をすくめる。タイヤンが唖然とする。

 

「そ、そんな馬鹿なことが……」

 

「ユエ! タイヤン! 貴様らの企みもここまでだ!」

 

「むっ⁉」

 

 ユエたちが視線を向けると、ティムを抱えたデニスの姿があった。

 

「この近くに船を停泊させている読みが当たった! 大方人質にでも使うつもりだったのだろうが、当てが外れたな!」

 

「くっ、混乱の隙を突かれたか……どうする?」

 

 タイヤンがユエに目配せする。

 

「隙が出来たのはそちらも同じ……! 妹ちゃんを確保すれば、プラマイゼロよ!」

 

 ユエがエマに向かって飛び込む。

 

「そうはさせん!」

 

「むう⁉ ちっ、アンタもいたか、ここは撤退するわ!」

 

 エマの前に立ったヒヨコが炎を巻き起こし、ユエを退ける。ユエたちは撤退する。

 

「そ、それは火の力⁉ 忌々しい巫女め、こんなところにおったか!」

 

 兵士たちを統率する男が驚きながらヒヨコに向かって声を上げる。



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古代からの因縁

「ふん、忌々しいのはこっちの台詞や……」

 

「ちょ、ちょっと、ヒヨっち⁉」

 

「なんや?」

 

 ヒヨコが葵に視線を向ける。

 

「あ、あいつらのこと、知っているの?」

 

「……」

 

「え?」

 

「……知らん」

 

「い、いや、今のは絶対知っている間でしょ⁉」

 

「まあ……」

 

「まあ?」

 

「知らん寄りの知っている……」

 

「やっぱり知ってんじゃん!」

 

「だから細かかことはよか!」

 

「細かくないって! かなり大事なことでしょ⁉」

 

「……あいつらは奴邪国の末裔じゃ」

 

「ヌヤ国⁉」

 

「まさか……」

 

 爽がずれた眼鏡を直しながら呟く。葵が尋ねる。

 

「知っているの、サワっち⁉」

 

「奴邪国……古代、九州を中心に西日本に広い領土を持っていたとされる大国です……」

 

「邪馬台国とは違うの?」

 

「邪馬台国との激しい争いの末、滅んだと……」

 

「まだ滅んではいない! 我らがいる!」

 

 兵士たちを統率する男が叫ぶ。

 

「ふん……」

 

「なるほど、獅源さんの恰好を見て、古代の女王だと勘違いしたと……」

 

 葵が舞台上の獅源を見る。獅源が頬に手を当てる。

 

「まさか女王に間違われるとは……役者冥利に尽きますねえ……」

 

「なっ⁉ 役者だと⁉」

 

「ええ、アタシは涼紫獅源と言います。自分で言うのもなんですが、江戸では結構知られた歌舞伎役者です。今後ともご贔屓に……」

 

 獅源がうやうやしく礼をする。統率する男が戸惑う。

 

「お、男だったとは……」

 

「ふん……」

 

 ヒヨコが鼻で笑う。

 

「わ、笑うな! ここで会ったが千年目! お前を懲らしめてやる!」

 

 統率する男がヒヨコを指差す。

 

「やれるもんなら……やってみぃ!」

 

「うおおっ⁉」

 

 ヒヨコが両手を交差する。炎が巻き起こり、兵士たちが後退を余儀なくされる。

 

「はっ、口ほどにもない……」

 

「お、おのれ……!」

 

「何をやっている……」

 

「モ、モクコ様⁉」

 

 後方から、長身の男が現れる。統率する男らと似たような服装をしている。

 

「きさんは……」

 

「奴邪国四天王、モクコだ……火の巫女か……念の為、身柄を確保させてもらおう」

 

「そがんことが出来るか?」

 

「出来るさ……!」

 

「むっ⁉」

 

 モクコが手をかざすと、地中から木が生えて、ヒヨコを襲う。

 

「枝や蔓で貴様の自由を奪う……!」

 

「させるか! ⁉」

 

 ヒヨコが炎を巻き起こすが、モクコが生じさせた木はそれをものともしない。

 

「我は木の術者だ……火に対する策など用意してある……」

 

「……太くて丈夫な木! 耐火性も十分!」

 

「そういうことだ……もらった!」

 

 モクコが右腕に木を生やす。木は鋭く尖っている。その先端をヒヨコに向ける。

 

「くっ!」

 

「ならば……」

 

「上杉山流奥義……」

 

「なに⁉」

 

 デニスが手をかざし、雪鷹が竹刀をかざすと、大木が一瞬で凍り付く。

 

「……氷への対策はしていなかったようだな」

 

「むう……」

 

「もらった!」

 

「ぬうっ!」

 

 ヒヨコが術でモクコが右腕に生やした木を燃やす。

 

「今度は体を燃やす!」

 

「おのれ!」

 

「おっと⁉」

 

 詰め寄ろうとしたヒヨコの足元から木が生える。ヒヨコは思わず足を止める。

 

「間合いを詰めたのは悪手だな! これで……⁉」

 

 モクコが左腕に木を生やし、ヒヨコを貫こうとするが、その首先に葵が薙刀を突きつける。

 

「ヒヨっちを傷つけるのなら許さない……!」

 

「……貴様は誰だ?」

 

「大江戸幕府第二十五代将軍、若下野葵!」

 

「将軍だと? ほう……ここは撤退させてもらうか」

 

 モクコが踵を返し、すたすたと歩き出す。統率する男が声を上げる。

 

「お、お前ら、ここは退くぞ!」

 

 その声に従い、兵士たちも足早にその場から離れる。ヒヨコがため息をつく。

 

「ふう……」

 

「ねえ、ヒヨっちってさ……」

 

「ん?」

 

「邪馬台国の女王様の末裔だったりするの?」

 

「~~♪」

 

「口笛吹いた⁉ 誤魔化し方が下手!」

 

「と、とにかく細かかことはよか!」

 

「全然細かくないよ!」

 

「ティ、ティムも戻ってきた! それで良かじゃろう!」

 

 その後、お祭りは開かれ、奉納舞も行われることになった。葵がクロエに尋ねる。

 

「……ところでさ、体育会の二人は対馬まで何の用で来たんです? 交流の一環?」

 

「その前に休みをとったのですが……この方にチケットを任せたのが間違いでした……」

 

「ゲームで遊んで楽しかったから来てみた……!」

 

 自らの額を抑えるクロエの横で雪鷹がグッと右手の親指を突き立てる。

 

「ぐ、偶然だったんですね……こちらとしては大変助かったけど……」

 

「……ありがとうございました」

 

 舞台から降りた獅源に爽が声をかける。

 

「涼紫様、見事な奉納舞でした……葵様からの好感度上昇チャンスを活かしましたね……」

 

「! ふふっ、それはそれは……さっそくご利益がありましたね」

 

 獅源が笑みを浮かべる。



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