LastStand (カニほっち)
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01

何も考えてないです


 

「君のその脚は金になる」

 

 それが、最初に言い渡された言葉だった。

 

「……色々言われたことはあるけど、金づるは初めてかもね」

「取り繕うのは苦手でな」

「人付き合い苦手そうな見た目してるもん、あんた」

「……よく分かったな」

 

 思えば、初対面の好感度は最悪だったと思う。

 睨むだけで人を殺せそうな、目つきの悪さ。

 常に気味の悪い薄ら笑いを浮かべている口元。

 鼻につく煙草と珈琲の嫌な匂い。

 身長がやけに高いのは……まあ、私怨っちゃ私怨だけど。

 それでも。

 痩せぎすになったその体と合わせると、まるで骸骨みたいで。

 

「何の用?」

「消灯時間はとっくに過ぎてるから、注意を」

「あっそ」

 

 鬱陶しい。私に関わるな。アンタには関係ない。

 色々言葉はあったけど、それを口に出す時間すら惜しかった。

 今の私に、そんな時間はない。

 だから。

 

「おい」

「何」

「これ以上やると、壊れるぞ」

「……アンタ、アタシの何なのさ」

「そうだな、確かに何でもない」

「じゃあ……」

「だが、金の生る木をむやみに枯らすわけにもいかない」

 

 呆れた。

 コイツは本気で、金のことしか考えてないんだ。

 そういうトレーナーがいるとは思ってたけど、ここまで露骨だなんて。

 はっきり言って軽蔑した。ロクなトレーナーじゃない、って思った。

 でも、まあ。

 いつもみたいな、変に気遣ったうざったい言葉よりは、遥かにマシだった。

 

「……もう、いい」

「うん?」

「今日はもうやめる、って言ってんの」

 

 全身から力が抜けて、思わずその場に座り込む。

 地面に放り出した足が棒みたいになって、しばらくは立てそうにもなかった。

 ほんとにムカつくけど、コイツの言葉は正しかったらしい。

 腐ってもトレーナーなのか、なんてことを考えていた、その時。

 

「先日の選抜レースで君を見た」

 

 何の前フリもなく、ソイツがそんなことを言ってきた。

 

「……それで?」

「勿体なかったな」

「何が」

「あんな連中、君の脚なら全員ねじ伏せられた」

 

 ウソだ。

 あそこまで叩きのめされたのに、そんなことあるはずがない。

 どうせ中身のない慰めの言葉だと思った。聞く価値すらも無い。

 そうやって、叶いもしない夢を見せるのは、もう――

 

「俺は噓を言わない」

 

 まっすぐと顔を見つめて言われたその言葉に、思わず息を呑む。

 本気なんだ。コイツ、本気でアタシが勝てたって思ってる。

 嬉しい、とは感じなかった。そこまでアタシは素直じゃないから。

 ただそれよりも、アタシをそういう目で見てる驚きの方が強かった。

 

「あの、さ」

「うん」

 

 絆された、って言うと情けないけど、そうなんだと思う。

 でも、コイツの言葉なら信じられるって、そんな気がした。

 だから。

 

「アタシの脚が金になるって、本気で言ってるの?」

「ああ」

 

 返答に淀みはない。すんなりと肯定が帰ってくる。

 

「……ってことは、アタシの脚はレースに通用するってこと?」

「そうだ」

「クラシックの三冠は?」

「余裕だ」

「天皇賞は」

「春と秋、好きな方……もしくは、どちらも」

「……有は」

「充分、狙える」

 

 次々と返ってくる言葉に、思わず呆れた笑みを浮かべてしまう。

 よくもまあ、そこまで無責任にアタシの脚を信じられるって。

 バカらしいというか、夢を見すぎというか。

 でも。

 コイツの目は、本気だった。

 

「……アタシの」

「うん」

「アタシのことをバカにしてた連中のこと、見返せるかな」

 

 きっとそれが、アタシの本心だったんだと、思う。

 今までアタシのことを見下してきたヤツ。

 トレセン学園に進学することを、バカにしてきたヤツ。

 レースはもう無理だって、残念そうにアタシを見てきたヤツ。

 そいつらのことを全員、見返してやりたかった。

 ああ、そうだ。

 アタシが走るのは、栄光でも名誉でも、金のためでもない。

 ざまあみろって言葉を、ウィナーズサークルで叫ぶために、アタシは走るんだ!

 

「バカにしてた連中が誰を指すのか、俺には分からないが」

 

 しばらくの時間があってから、ソイツは口を開いて。

 

「君が走れば、それは叶うだろう」

 

 ――聞き覚えのある声が耳に入ってきたのは、その直後だった。

 

「あー! タイシン、ここにいたの!?」

「チケット……」

 

 夜だってのにとてつもない大声を発しながら、チケットがこっちに駆け寄ってくる。

 すると彼女は、アタシとソイツのことを何度も交互に見やってから、

 

「もしかして……タイシンのトレーナーさん!?」

「違う」

「え、じゃあ誰!?」

「トレーナーだ」

「だったら、タイシンのトレーナーさん!?」

「違う」

「だとすると……やっぱり誰!?」

「トレーナーだ」

「漫才するのやめてくれる?」

 

 絶望的にチケットとの相性が悪い。

 二人ともバカみたいに正直だからなのかもしれない。

 

「タイシン、この人は?」

「……ただの喋り相手」

 

 そうやって言うには、少し喋りすぎたかもしれないけど。

 結局、それ以上でもそれ以下でもない。

 だから、もしかしたら、なんて期待を寄せることもこれ以上、しない。

 この世界がそんなに上手くいかないことくらい、痛いくらい理解してるから。

 

「彼女を寮まで送ってくれるか? 少し足に疲れがあるみたいだから」

「えー! もしかしてタイシン、また遅くまで走ってたの!?」

 

 ……余計なことを。

 

「ほらタイシン、早く帰ろうよ! 明日も授業あるんだから!」

「うっさい……いやほんと、耳元で叫ぶの……」

「あ、うるさかった!? そうだよね、ごめんねタイシン!」

「だから叫ぶな! というかもう喋らないで!」

 

 どこからそんな元気が湧いてくるのか、本当に不思議になる。

 良い所だとは思うけど、時と場合を考えてほしいというか。

 

「タイシン」

「……何」

「また、会おう」

 

 その言葉に、どういう意味があったのかは分からないけど。

 でも確かなのは、アイツは嘘をつかないということ。

 だったら。

 まだ、少しだけ期待しても、いいのかもしれない。

 

 そうして、アタシとアイツの初めての会話は終わった。

 十五分にも満たないような、決して長いとは言えない時間。

 でも。

 その十五分がアタシの運命を変えるなんて、この時は思いもしなかった。

 

 




不定期更新になると思います


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02

 

 翌日。

 

「またそんなに食べてるのか?」

 

 食堂で昼食を摂っていると、そうやってハヤヒデに声をかけられた。

 

「アタシの勝手でしょ」

「まあ、そうだな。けれど無理はするなよ」

「うっさい」

 

 本当に、どいつもこいつも。

 余計なお世話だって、どうして分かんないかな。

 

「そういえば、チケットに聴いたぞ。昨日、夜中に走っていたそうじゃないか」

「……アイツ」

「脚にも疲れが溜まってると聞いたが、本当か?」

「別に。大したことじゃないし」

 

 午後のトレーニングにも出れる。気に掛けるようなことじゃない。

 しばらく黙って食事をしていると、またハヤヒデが私に喋りかけてきた。

 

「ああ、それと面白い話を聞いたぞ」

「面白い話?」

「君が昨日の夜、トレーナーと何か話していたと」

 

 ……アイツ、口が軽すぎる。

 確かに秘密にしろ、とは言っていないけど、こんな筒抜けになるなんて。

 

「スカウトされたのか?」

「別に。ただ世間話してただけ」

「……あのナリタタイシンが世間話か」

「何」

「いや、珍しいと思っただけさ」

「ウザっ」

 

 ニヤニヤと笑うハヤヒデに、思わずそう言い放った。

 確かに他人とはあんまり話はしないのは、認める。

 でもそれは、殆どのヤツらが、適当な慰めの言葉しかかけてこないから。

 上っ面の誉め言葉なんかかけられても、ダルいし鬱陶しいだけ。

 でも、アイツは違う。

 勝てるって言ってくれたし、アタシの見返してやりたいって気持ちも汲み取ってくれた。

 特別、ってわけでもないけど、そこまで聞いてくれたのは初めてだった。

 アイツと話すことなら、私は別に……。

 …………。

 

「なんでこんな話になってんの」

「……ずいぶんとお気に入りみたいだな?」

「だからウザいって」

 

 何も言ってないのに、勝手に判断するな。

 

「アタシ、食べ終わったしもう行くから」

「これから練習か?」

「そう」

 

 空になった食器とトレーを手に持って、席を離れようとしたその瞬間。

 背後から、あまり聞き馴染みのない声が聞こえてきた。

 

「タイシンさん」

 

 疑問と共に振り返ったその先に立っていたのは――

 

「ブライアン?」

「ああ、姉貴もいたのか」

 

 ナリタブライアン。生徒会副会長であり、ハヤヒデの妹。

 顔は知っているし何度か話したことはあるけど、言ってしまえばそれだけの関係。

 だからこうやって直接声をかけられるのは珍しくて、思わず固まった。

 

「今、時間はよろしいですか?」

「別にいいけど、アタシに何か用?」

「会長がお呼びです」

 

 その言葉に、ハヤヒデと思わず顔を見合わせる。

 

「どうして」

「あなたの今後について話がある、と」

「……食器は私が戻しておこう」

 

 そうして私の食器を片付け始めるハヤヒデに、感謝の言葉を伝えるのも忘れて。

 

「こちらです」

 

 前を歩き始めたブライアンの後を、空っぽの頭でついていった。

 

 

「よく来てくれた、ナリタタイシン」

 

 生徒会室に入ると、ソファーに座るルドルフがはじめにそう言った。

 

「会長命令なんだから、そりゃ来るでしょ」

「……私はそんなに怖いかな?」

「冗談だって」

 

 少し情けなさそうに笑う彼女の向かいに座る。

 

「で? 話って何?」

「そうだな……変に取り繕っても意味がないから、単刀直入に言おう」

 

 なんて前置きをしてから、ルドルフはため息の後に、

 

「君に退学の勧告を出すべきだ、との声がある」

 

 ………………。

 

「そう」

「……驚かないのか」

「別に」

 

 驚きというより、ようやくか、という気持ちの方が強かった。

 今の自分にここに居る価値がないことくらい、分かってる。

 レースでの成績も伸びていないし、校則違反もやらかしてるし。

 はっきり言って、今の私はこの学園にとってのノイズだ。

 だから、ルドルフの言葉に疑問も湧かないし、どうしたって無駄なことも分かってる。

 きっとアタシはここで終わりなんだ。

 諦めずにいれば何かあるって、そう思ってたけど、結局は無駄だった。

 夢を見続けるのにも、もう飽きた。

 肩の荷が下りて楽になった、そんな気さえした。

 

「君はどうしたい?」

「……何も。退学しろ、って言われたらする」

「そうか……」

 

 今更どうしたって仕方のないことだし、受け入れるしかない。

 

「まだ、猶予はある」

「猶予?」

「今週末に、模擬レースを開催しよう。そこに君も出るんだ」

「……それで? きっぱり負けてここを出てけ、って話?」

「そうするかどうかは、君次第だろう」

 

 鬱陶しい言い回しだった。

 

「結果を残せば、皆の君を見る目も変わるはずだ」

「……もし、それでも変わらなかったら?」

「それはない。賭けてもいいぞ」

 

 きっぱりと言い放つルドルフに、思わず溜め息が出た。

 

「私は君の意見を尊重するよ。ここで諦めがつくというのなら、それでもいい」

「そう」

「でも私は、君が最後まで足掻いてくれると信じているよ」

「……勝手にすれば」

「ああ、勝手にさせてもらう」

 

 自信ありげに笑うルドルフがうざったくて、思わず舌打ちをつきそうになった。

 

「話は終わりだ。これが君との最後の会話にならないよう、願っている」

 

 そうやって会話が終わって、生徒会室を後にする。

 昼休みも終わりごろになっていて、他の生徒の騒ぎ声が、どこか遠くで聞こえていた。

 渡り廊下から望むその景色は、どうしようもなく眩しくて。

 

「……クソ」

 

 ぽつりと漏らした言葉を最初に、ずるずると重たい感情が湧き上がってくる。

 元から無理だったんだ。アイツらの環の中に入ることなんて、できるはずがなかった。

 頭では理解していたのに。その差を、何度もこの身体で味わったはずなのに。

 それなのにどうして、諦めきれなかったんだろう?

 選ばれるはずがないのに、適うはずがないのに、どうして走り続けていたんだろう?

 ……ああ、そうか。

 アタシはまだ、夢を見ていたかったんだ。

 

「……諦めたく、ない」

 

 そうやって、縋るように呟いた自分が、みっともなくて。

 気づけば目が熱くなって、涙がこらえきれずにこぼれ始めて。

 情けないなあ、こんな子供みたいに泣いちゃうなんて。

 でも、さ。

 ここまで我慢してたんだから、もういいよね。

 

「悔しい……!」

 

 自分とは遥かに違う奴らに囲まれながら、がむしゃらに走って。

 どれだけ負け続けても、いつか勝てると思い込みながら走り続けて。

 笑われようが、後ろから指をさされようが、必死に見えないフリをして。

 そしてようやく、アタシの夢を叶えてくれそうな人と出会えたはずなのに。

 最初の一歩を踏み出せそうだったのに、ここで終わりなんて。

 そんなのは――

 

「いやだ……!」

 

 その足音に気づかなかったのは、きっと運が良かったからなんだと思う。

 

「ナリタタイシン?」

 

 唐突にそんな声をかけられて、思わず顔を上げる。

 昨日の夜に聴いた、抑揚のない無機質な声。

 潤んだ視界の先、見上げたそこに立っていたのは。

 

「トレーナー……」

 

 驚いた顔でアタシのことを見つめている、アイツだった。

 

 



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03

 

 ちゃりん、という乾いた金属音の後に、アイツの声が聞こえてきた。

 

「……はい。ですから、彼女を今日だけ全体練習ではなくこちらで預からせてください」

そういうことは前日に話を通すべきではないの?

「申し訳ありません。ですが、急用でして」

……埋め合わせはきっちりしてもらうからね

「お手柔らかに、お願いします」

 

 校舎に残っている人も少ないから、スマホで通話している向こう側の声も、かすかに聞こえた。

 別に、欠席にしてくれなくたっていいのに。

 すぐに戻れる、ってわけじゃないけど、ちょっと休めばなんとかなる。

 それにアタシは、こんなところでグズグズしてるヒマなんかないっていうのに。

 

「何がいい?」

「……なんでもいい」

 

 そう言ってやると、アイツは少し考えてから、自販機のボタンを押した。

 足音が近づいてきて、目の前にスポーツドリンクが渡される。

 キャップを開けて口をつけると、ひりついた喉が少しだけ落ち着いた気がした。

 

「調子はどうだ?」

「……もう、大丈夫」

「そうか」

 

 短く答えると、アイツは缶の蓋を開けて、隣に座ってきた。

 珈琲の苦い香り。微かに漂う煙草の匂いと合わせて、嫌になってくる。

 でも、今だけはそれがとても安心できる、優しいものに感じられた。

 

「たまにはサボるのも悪くないな」

「……これ、誰かに見られたらヤバいんじゃないの」

「お前もだろう」

 

 否定はできない。きっとこれ以上違反を重ねたら、この学校にいられない。

 そんなことまでコイツには、見透かされているようだった。

 

「模擬レースをやると聞いた」

「誰に」

「生徒会長から通達があった。先週あたりから予定は立っていたらしい」

「でも、アタシたちは聴いてないけど」

「おそらく明日には生徒にも通達がある」

 

 ……ああ、そうか。

 ルドルフが私に伝えたのは、そういうことか。

 

「随分と期待されてるな」

「でも……」

「不安なのか?」

「……アタシが勝てるわけないよ」

 

 頷くと、ひとりでに言葉が漏れた。

 勝てると思って走っていた。いつか一着を取れると、そう思い続けていた。

 でも、本当は違う。心のどこかで、諦めがついていたんだ。

 負けるのは仕方ない。体が小さいから。他の連中が化け物だから。

 それでも走ることができたのは、夢を見るのが楽しかったからだと思う。

 いつか一位になって、他の連中にざまあみろ、って言ってやって。

 そんな夢を見ているのが楽しかったから、走り続けられた。

 でも、それが夢だって、叶うはずのない妄想だって、分かったから。

 走り続けることに、もう意味なんてなかった。

 

「ほら」

 

 ハンカチを渡されて、おもむろに首を傾げてしまう。

 そこで初めて、視界が潤んで、アイツの顔がぐにゃぐにゃに歪んでいることに気がついた。

 

「……誰にも言わないでよね」

「ああ」

 

 涙を拭う。目の周りがひりひり痛んで、喉の奥がまた熱くなってきた。

 

「昨日も確か、伝えたと思うが」

 

 始まった話にハンカチへ視界を埋めながら、耳を傾ける。

 

「君は勝てる。それこそ、他の連中なんて簡単にねじ伏せられる」

「……けど、アタシはいつも負けてるよ?」

「走り方が君の脚質に合っていないだけだ。それさえ改善すれば勝てる」

「脚質?」

「つまるところ、だな」

 

 そうやって言葉を続けようとしたところで、急にアイツが口を閉じて、

 

「……いや、やめておこう」

「何さ、急に」

「俺はお前のトレーナーではないからだ」

 

 そんなこと。

 

「アンタがアタシのトレーナーになってくれればいいじゃん」

 

 そのセリフを口にしてからすぐ、失敗した、と思った。

 恥ずかしいからだとか、自信満々すぎるだとか、そういうこともあるけど。

 何よりもアイツがすごく悲しそうな、残念そうな表情になったから。

 

「……ごめん。変なこと言った」

「いや……いいんだ」

 

 会話が一度、そこで終わる。

 できることなら、今すぐにでも逃げ出したかった。

 何って、自分がされて一番嫌なことを、他人にしているのが分かったから。

 誰にだって踏み入ってほしくない領域はある。

 それをアタシは、自分勝手な気持ちで軽く踏み込んだんだ。

 

 沈黙が流れてから、しばらく。

 珈琲を一気に煽ってから、アイツがまた話し始めた。

 

「こんな話をするのも、情けないが」

「……うん」

「俺も、自信がないんだ」

 

 ぽつぽつと続けられる言葉に、耳を傾ける。

 

「確かにお前には才能がある。その脚があれば、どれだけでも金が稼げるだろう」

「それなら……」

「だからこそ、俺がその才能を潰してしまわないか、怖くて仕方がない」

 

 悪いけど、それを聞いて少しだけ安心した。

 不安なのはアタシだけじゃないんだって、それだけで落ち着けた。

 深く息を一つ。既に空になった珈琲の缶を見つめながら、アイツが口を開く。

 

「俺のような不出来な人間についてきても、時間の無駄だ」

「そんなことない」

「きっと俺を軽蔑する。どうしてこんな奴に、と後悔するだろう」

「いいよ。それでも」

「……他のトレーナーについてもらった方が、いいだろう」

「それだけは、嫌だ」

 

 だって。

 

「アタシはもう、アンタしか信じない」

 

 上っ面の言葉しか吐かない他のトレーナーなんて、いらない。

 今のアタシには、アンタが必要なんだ。

 

「不安なのはアタシも同じ。このレースに勝てなかったら、そこで終わりだから」

「ああ……」

「けれど、もしアンタの言う通りにして、アタシが一位になれれば」

「……俺の言っていることは正しい、と言いたいのか?」

「そういうこと」

 

 これが今のアタシにできる、精いっぱいの説得だった。

 アタシはコイツの言うことを聞いて、一位を獲る。

 コイツは一位になったアタシを見て、トレーナーになる。

 そりゃ、そんな簡単に話が進むとは思ってないけど。

 でもこれ以外の方法なんて、なかったから。

 

「これが、アタシの最後の抵抗なんだ。だから、少しくらい付き合ってよ」

 

 それから、どれくらいの時間が流れたかは、曖昧だった。

 ほんの数分だったかもしれないし、十数分の長い時間だったかもしれない。

 ただ、アイツの答えを聞くのが怖くて、いてもたってもいられなかった。

 やがて。

 

「……そう、か」

 

 短く吐き捨てると、アイツは立ち上がって、空になった缶をゴミ箱へ捨てる。

 

「もしかすると、俺はそのために生かされているのかもしれないな」

「……何その言い方。仰々しすぎるっての」

「かもな」

 

 短いその答えが、とても重たいものに聞こえたのはどうしてだろう。

 差し出された手のひらは、アタシの目の前で硬く握られて。

 

「勝つぞ」

「……うん」

 

 こつん、と。

 アタシの小さな拳が、アイツの大きな拳とぶつかった。

 

 




Laststand

「背水の陣」「最後の砦」、転じて「最後の抵抗」 


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04

 

 部屋に入って最初に見えたのは、机を埋め尽くす書類の山だった。

 

「適当に座ってくれ」

 

 戸惑うアタシなんか気にも留めずに、アイツがそうやって声をかける。

 一瞬、それについて何か言ってやろうか迷ったけど、無駄そうだからやめておいた。

 観念して長テーブルの傍にあるパイプ椅子へと腰を下ろす。

 アイツは電気を点けるかスイッチの前で悩んでから、結局何もせずにアタシの正面へ座った。

 

「少し散らかっているが、まあ気にするな」

「……少しどころじゃないでしょ、これ」

「そうか?」

 

 ……後で掃除しよう。絶対に。

 

「まず、決めておこう」

「何を?」

「今週末のレースで君が一位になったら、俺は君のトレーナーになる」

 

 つまり、アタシが負けたらそこで何もかも終わり。

 改めて考えると、相当な綱渡りだった。

 

「レースにも出てもらう」

「……そういえば、チームはどうすんの?」

「デビュー戦までにこちらで考えておこう。最終目標もな」

 

 きっと、どこかのチームに入れてもらうことになるんだろう。

 まさか一から作るなんて、そんな手間のかかることをするわけないし。

 そういう話をするためにも、とにかく模擬レースに勝たないと。

 

「今の君が勝つために必要なことだが」

 

 書類の山を荒く整理しながら、アイツがそうやって話し始めた。

 

「脚質、って言ってたけど」

「そうだな。今の走り方では、無駄に脚を疲れさせるだけだ」

「じゃあどうすればいいの?」

「作戦を立てる」

 

 取り出した何かの書類の裏へ、アイツがペンを走らせた。

 

「まず、君は順位争いに加わるタイプじゃない」

「……どういうこと?」

「真面目なレースをしなくてもいい、ということだ」

 

 適当な楕円とそこにいくつかの小さな丸を描いて、アイツが続ける。

 

「序盤から中盤にかけては正直、最後方でも問題ない」

「本当に?」

「ああ。最低でも、脚を温めることに集中できればそれで充分だ」

 

 第一コーナーから第二コーナーと、そのままぐるぐると線が引かれていく。

 

「終盤から……まあ、最終コーナーに入る前くらいからだな。コース取りに専念したい」

「どんな風に?」

「外に出られればそれでいい。さっき最低って言ったのはここだな。序盤と中盤にかけて脚を温めること、それとできれば、ここのコース取りのために常にバ群の様子を伺うこと」

 

 そして最終直線になったところで、アイツが一回ペンを置いて、

 

「以上だ」

「……え?」

「これだけ守れば、勝てる」

 

 いやいやいやいや。

 

「最後はどうするのさ」

「何も考えなくていい。好きなように走ればいい」

「好きなようにって……」

「いいか」

 

 まっすぐと見つめられて、思わず続けようとした言葉を呑み込んでしまう。

 

「君の武器はその末脚だ」

「……アタシの武器?」

「ああ。スパートさえかければ、誰も君に追い付けないだろう」

 

 信じられない話だけど、アイツの目は本物だった。

 とにかく序盤と中盤は脚を溜めて、出来る限り位置も確認。

 終盤はスパ―トのために位置取りに専念。

 そして最終直線にかかったところで、一気にスパートをかける。

 ……本当にこれで勝てるのかな。

 

「不安か?」

「うん」

 

 頷くと、アイツは少しだけ顎に手をあてて考える素振りを見せてから、

 

「少しだけ考え方を変えてみるといい」

「考え方?」

「ああ」

 

 首を傾げていると、アイツの言葉が耳に入ってきた。

 

「抜かれても問題ない。最後尾になっても、何も気にしない。行儀よくレースをしている奴らを愚かだと思え。虎視眈々と一位を狙っている奴らを浅はかだと思え。最後に勝つのは君だ。最後に笑うのは、君だ。腑抜けた顔で走っている奴らを全員、君が追い抜いてやれ。勝ちを確信して笑っている奴らを全員、君の脚でねじ伏せてやれ」

 

 何それ。

 そんな漫画みたいセリフ、どっから持ってきたの。

 仰々しすぎて、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるし。

 大体、そんなことできるヤツなんて、そうそういるわけないでしょ。

 ……でも。

 コイツは嘘を言わないってことは、多分アタシが誰よりも分かってる。

 本気で勝てるって、アタシならやれるって、思ってくれてるんだ。

 不安は拭えない。

 けど。

 少しだけ、自信はついた。

 

「……分かった」

「そうか」

 

 頷くと、アイツはそれだけ応えてから、紙をぐしゃぐしゃに丸めた。

 

「一応、作戦だからな。誰にも見せないし、言わない。君もだ」

「……うん」

「それと、練習は明日から始める」

「え?」

 

 その言葉が意外だったから、思わずすぐに聞き返した。

 

「今から体に覚えさせた方がいいんじゃないの?」

「それは勿論だが、今は心身のコンディションを安定させておく」

「……アタシは大丈夫だから」

「俺はそうは思わん」

 

 はっきりと告げられて、思わず口を噤んでしまう。

 多分これ以上何を言っても、今日はグラウンドにすら出させてくれないだろう。

 ここはアイツの言う通り、大人しくしておくことにした。

 正直なところ、そうやって気遣われるのは癪だけど。

 

「明日の午後、いつもの共同練習の時間に着替えてここで」

「……わかった」

「じゃあ、今日は終わろう」

 

 そう言って、アイツが席を立つ。

 扉の前で何かの書類をまとめたかと思うと、それを腋に挟んで、

 

「では、また明日に」

 

 がらり、と扉が閉まる。

 しばらくの時間が経ってから、アタシも扉に手をかけた。

 

 

「あら、タイシンちゃん」

 

 部屋に戻ってからスマホをしばらく弄って、そろそろ眠くなってきたころ。

 練習から戻ってきたクリークが、アタシを見るなりそうやって声をかけてきた。

 

「お疲れ」

「はい。そちらも大丈夫でしたか?」

「……何が?」

「呼び出しされた、って聞きましたけど」

「ああ……いや、別に。適当に話しただけ」

「もし何かあったら、遠慮なく話してくださいね」

 

 そこでふと気づいたことがあって、クリークに問いかける。

 

「……アンタ、アタシが誰と話してたか知ってるの?」

「えっと、あの痩せ気味のトレーナーさんじゃないんですか?」

 

 どこで知ったのかとかは、きっと欠席したときに教官から連絡が回ったんだろう。

 それは別にいい。というか、あんまり関係ない。

 重要なのは。

 

「アイツのこと、知ってるの?」

「はい。あまりいい噂を聞かなくて、少し心配したんですよ」

「え?」

 

 その言葉に、思わず詰め寄った。

 

「どんなヤツなの」

「そうですねえ……色々と話はあるんですけど……」

 

 うんうんと唸るクリークは、やがて一つ思いついたのか、手をぽんと叩いて、

 

「あの人はお金のためならなんでもする、って聞きました」

 

 



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05

たくさんの人に見てもらえてめっちゃうれしいです
ありがとうございます


 

 翌日の昼休み。

 

「そう言えば聞いた!? 今週末、模擬レースやるんだって!!」

 

 カレーを口に運んでいたチケットが、突然そんな声を上げた。

 

「ああ。今朝、そんな知らせがあったな」

「うわー、どうしよう! アタシ出ちゃおうかな?! ねえ!」

「いいんじゃないか? 今申し込めば、第一レースには出れるだろうし」

「うん、そうだね! そうしよう! ハヤヒデも出るよね!?」

「もちろん」

「タイシンは!?」

 

 急に話を振られて、ヒレカツを挟んでいた箸を止めた。

 

「アタシは出るよ。第一レース」

「……珍しいな。君がこういうレースに積極的に参加するなんて」

「別に。出なきゃいけない理由ができただけ」

 

 無意識にそう答えてから、失敗したと思った。

 がたん、と大きな音を立てて前のめりになるチケットが見えたから。

 

「え、なになに!? 出なきゃいけない理由って!? タイシン、何かあったの!?」

「うるっさ……」

「教えてよ教えてよー! アタシたちも協力するからさ!」

「別に何も手伝うこととかない……って近いっての! カレーの匂いが移る!」

「カツカレーだね!」

「ほんとに黙れ!」

 

 これまでチケットと会話していた中で、三番目くらいにはイラついた発言だった。

 

「しかし、出なきゃいけない理由というのは気になるな」

「……アンタまでそっち側に回るつもり?」

「言い方からして、随分と差し迫っているようだったからな。友人として聞いておきたい」

 

 本当に言うんじゃなかった、と心の中で後悔した。

 いらない迷惑や心配をかけるのが、アタシは一番嫌なのに。

 ……まあ。

 コイツらになら、話してもいいのかもしれない。

 

「アタシ、このレースに負けたら学園やめるから」

 

 その瞬間、からん、と。

 どちらのかは分からないけど、スプーンが机に落ちる音がした。

 

「う…………」

「あっ」

「うわあぁぁぁあん! タイシン、いなくなっちゃやだよおおぉぉぉおお!」

「ちょっ、やめっ、やめろ! 引っ付いてくんな!」

 

 食事中なんてお構いなしに、席を立ったチケットがアタシの体に抱き着いてくる。

 やっぱり言わなきゃよかった。今度から何があっても絶対に秘密にしてやる。

 

「……昨日の話か?」

「アンタは察しが良くて助かるよ」

「レースに負けたら退学、というのはルドルフに言われたのか?」

「そうだけど、実質アタシが決めたようなもん」

 

 もしかするとあの時、縋っていたのなら、アイツは助けてくれたのかもしれない。

 でも、そんなことをしてまで、この学園に残りたくない。

 ダサいし、カッコ悪いし、惨めだし。

 それに何より、そんなことをしても、アタシが勝てるわけがない。

 

「勝たなくちゃいけないんだよ、自分の力で」

「……だからそんな賭けに走ったのか?」

「賭け?」

 

 その言葉がおかしくて、思わず笑みが零れてしまう。

 

「言っとくけど、負ける気なんてこれっぽっちもないから」

 

 ぴたりと泣き止んだチケットを、ぐい、と押しやって。

 

「引退試合にしようなんて思ってない。むしろ、ここから始めてやる」

「始める? 始めるって、何を?」

「このレースで一位になったら、アタシにトレーナーがついてくれるって」

「……なるほど。本当にこのレースが、君の運命の分かれ道になるというわけか」

「だからって手加減なんてしないでよね。もしやったら、アンタらとは絶交だから」

「まさか。そんなこと、私たちがするわけないだろう?」

 

 呆れたようにハヤヒデが肩をすくめて、チケットがそれにうんうんと頷いた。

 ……それも、そうか。コイツらはそんなヤツらじゃない。

 きっと、どれだけアタシが無茶をしても、コイツらはついてきてくれる。

 それに甘えるわけじゃないけど、でも。

 ちょっとだけ、それが嬉しかった。

 

「応援してるよ、タイシン!」

「ああ。友人として、そしてライバルとして、君を見ているからな」

「……ありがと」

 

 改めてそんなことを言われるのは、すごく恥ずかしいけど。

 悪い気じゃ、なかった。

 

 

「来たか」

 

 昼食をいつもより早く食べ終えて、レース場へ着いてからのこと。

 先にアタシを見つけたアイツが、そうやって声をかけてきた。

 

「遅れた?」

「いや、俺も今着いたところだ。もう少しゆっくりでもよかった」

「……そんなヒマないでしょ」

「だからといって、焦る必要はない」

 

 なんて会話を交わしながら、アイツがボードへと目を落とす。

 

「昨日言ったことは覚えているな?」

「……足を休めてコース取りを意識して、最終コーナーで仕掛ける」

「充分だ」

 

 ボールペンの頭をノックして、アイツがそこで初めてアタシと目を合わす。

 そこから、どうしてかは分からないけど、アイツがしばらく口を噤む。

 ……もしかして顔に何かついてた? だったら正直に言ってほしいんだけど。

 なんて考えているうちに痺れが切れて、どうしたの、って聞こうとした、その時。

 

「いつもより調子、いいみたいだな」

「……何それ」

 

 上からの目線が気になって、思わず睨んだけど、結局アイツは何も答えなかった。

 

「ウォームアップはいつもどうしてる?」

「みんなと同じようにしてるけど」

「具体的には?」

「……柔軟と、体を温めるために少し走るくらい」

「そうか」

 

 短く答えて、またアイツがボードへ目を落とす。

 間違ってるなら間違ってるって言ってくれた方が、正直ありがたいんだけど。

 

「では、今日はいつも通りで頼む」

「……やり方とか、変えたほうがいいんじゃないの?」

「それは確かにそうだが、それこそ今そんな時間はない」

「でも」

「君のトレーナーになったら、また指示する。だから焦るな」

 

 なら別に、いいんだけどさ。

 

「とにかく、今は適当に体を動かしておいてくれ」

「……わかった」

 

 そうして、腕と脚の基本的な柔軟、それとレース場を二週したところ。

 アイツがしきりに腕時計を気にしていることに気が付いた。

 

「……この後、何かあるの?」

「いや、今日は君だけにしか時間を割いていない」

「あっそ」

 

 言い方もう少し何とかならないのかな。

 身を入れてくれてる、ってことは分かるんだけど

 

「そうだな、実は今日の練習メニューなんだが」

「うん」

「時間もないということで、実戦形式で行おうと予定していた」

「……誰か呼んだの?」

「ああ。そのはずなんだが、どうも少し遅れているみたいで……」

 

 誰かの足音が聞こえてきたのは、その時だった。

 純白――というよりは、少し暗みのかかった灰色の葦毛。

 佇まいも凛として、細くきりっとした青い瞳が、それを一層際立たせている。

 こちらへ歩いてくるその姿にさえも、どこか威厳が垣間見えて。

 そうしてアタシとトレーナーの前で立ち止まったソイツは、

 

「すまない、昼食を摂っていて遅れてしまった」

 

 開口一番、そんなことを言ってきた。

 

「ちょっ……」

「時間には遅れるなと言っただろう」

「コンディションを整えようと思っていたから、つい」

「……意気込んでくれるのは助かるが」

「少し食べ過ぎてしまった」

「コンディションを整える話はどうしたんだ」

 

 そうやって頭を抱えているトレーナーが、ようやく驚いたままのアタシに気づいた。

 

「ああ、そういえば紹介するのが遅れていたな」

「いや……紹介も何も、知ってるって……」

「そうなのか。まあでも、改めて紹介させてくれ」

 

 

「彼女はオグリキャップ。今日から三日間、君の練習相手になってくれる娘だ」

 

 

 



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06

 

「なんであんなヤツ連れてきたのよ」

 

 遅れてやって来たオグリキャップの、ウォームアップを眺めながら。

 思わず呟いた言葉に、アイツが言葉を返してきた。

 

「……もしかして、仲が悪かったか?」

「そういうわけじゃなくて」

 

 次元が違うというか、レベルがかけ離れているというか。

 上手い言葉が見つからなくて、思わず頭を抱えた。

 

「知り合いだったの?」

「去年、何回か期間を開けて彼女のトレーナーをしていた」

「……マジで?」

「基礎を見てやったのと、レースに出走する時に名義を貸す程度だったが」

 

 コイツが誰かのトレーナーをやっていたことにも驚きだけど、それよりも。

 オグリキャップみたいなヤツに、専属のトレーナーがいないことの方が驚きだった。

 

「アイツ、自分のチームはないの?」

「ああ。色んなチームを転々としている」

「なるほど、人気者ってワケ」

「逆だ。押し付け合ってる」

 

 返ってきたその意外な言葉に、思わず首を傾げた。

 

「押し付け合いって……アイツくらいの実力なら、どこも欲しがるでしょ」

「そうだな、でも逆に彼女を勝たせられなかったらどうなると思う?」

「……全員アイツにビビってるってこと?」

「でも、まだそれは本人が自覚しているからいいんだ」

 

 というと。

 

「食費が」

「ああ……」

 

 ぬるっとした納得と、アイツのウォームアップが終わったのは、ほとんど同時だった。

 土を蹴る音と共に、軽く汗を流したオグリキャップがこちらへ近づいてくる。

 

「すまない、待たせたな」

「調子はどうだ?」

「いつも通り」

 

 そうやって親指を立てたオグリキャップは、ふと私の方へと振り向いて、

 

「今日からよろしく頼む、ナリタタイシン」

「え? ああ……」

 

 差し出された手に少し戸惑いながら、こちらからも握り返す。

 アイツの顔を見ると、少しだけ不器用な笑みが、口元に浮かんでいた。

 

「では、二人ともスタート位置に」

 

 アイツに言われた通りに、指定の位置へ。

 オグリキャップが自分から外の方へ言っていたから、内ラチ側に。

 

「模擬レースの距離は芝の二〇〇〇の中距離。君の脚質には合っている」

「……後は、走り方?」

「そうだ。オグリ、君は自由に走ってくれ。ペース配分やスパートのタイミングも任せる。ただ、手加減はしないように。手を抜いたと分かった瞬間、日曜の焼肉は無しだ」

「わかった」

 

 声が聞こえたその瞬間、隣からぞわり、と圧がかかってくるのが分かった。

 ……もしかして、焼肉で? どんだけメシ食うの好きなんだ、コイツ。

 

「タイシンは昨日教えた通り、とにかく脚を温存すること」

「わかった」

「それと、できればオグリのペースに合わせること。だが、逆に呑み込まれるのも良くない。今回はオグリしかいないが……本番では、先頭のペースを察してレース全体の展開を把握、そこからいつスパートをかけるか意識すること。多くなったが、これらを感覚で掴むことが今日の目標だ。いいな?」

「……うん」

 

 とにかく、昨日の走り方を意識したレースの雰囲気を勘を掴め、って言いたいらしい。

 脚の温存の仕方なんて、何にも分からないけど。

 でも、ここに立ったなら、やるしかない。

 

「とりあえず一周、走ってみるか」

 

 アイツがそうやって旗を上げたのを見て、左脚を後ろに。

 隣のオグリも同じようにして、体勢を整えていた。

 ……緊張する。到底、練習ってレベルじゃないくらいの、空気の重さ。

 でも、呑まれるわけにはいかない。

 こんなところで日和ってたら、本番で勝てるわけないんだから。

 息を深く吸い込んで、視点はまっすぐコーナーの先の方へ。

 右脚で地面を踏みにじりながら、アイツが旗を振り下ろす、その時を待ち続ける。

 ――そして、

 

「行け!」

 

 ずどん、と。

 アタシの真隣で、何かが爆発したような音が、聞こえた。

 

「はっ……!」

 

 速ッ!? 何アレ、どうなってんの!?

 もう三バ身くらい開いてるし、意味わかんないんだけど!

 そもそもあんなに前に倒れてる姿勢なのに、なんでアレで転ばないのさ!

 ……ああ、もう!

 

「やってやるよ!」

 

 ずっと遠くにある背中を睨みつけて、地面を蹴る。

 その時には既に、第一コーナーに差し掛かっていた。

 

「くっそ……!」

 

 追いつけない。どうやったって、このまま距離は詰められない。

 ……いや、それでいいんだ。無理に抜く必要はない。

 アイツの走り方を伺いながら、この距離を保てれば……!

 

「……っ」

 

 肺が干上がるような感覚。息が乱れ始めて、汗が目元を伝う。

 思っていたよりもかなりキツい走り方だ、これ。

 ただ前に行けば良いわけじゃない。早けりゃ良いってもんじゃない。

 足を温存するための体力が必要だし、その上で一定のスピードを出さなきゃダメ。

 今はそうじゃないけど、レース本番は位置取りも考えないといけないし。

 その上で、常に仕掛けるタイミングを窺わなくちゃいけない。

 きっと、レースの中にある全ての要素を把握しないといけないんだ。

 難しすぎる。並のウマ娘にできることじゃない。

 ……でも。

 

「やらなくちゃ意味ないんだよ……!」

 

 直線を抜けて、第三コーナーへ。

 全身にかかってくる遠心力に耐えながら、アイツの背中を追う。

 未だそれに追いつくことはないけど、置いていかれることもない。

 そうして、いつもより随分と時間をかけてたどり着いた、最終コーナー。

 ……仕掛けるなら、ここしかない!

 

「ッ!」

 

 全身の力を脚に込めて、地面を蹴りつける。

 吹き抜ける風が頬を強く撫でて、伝う汗を吹き飛ばした。

 これで最後だ。もう、ここでしか追い抜くタイミングがない。

 だから、どうなっても全力を――

 

「……あれ?」

 

 おかしい。

 普通なら、向こうもここでスパートをかけているはず。

 だからアイツの背中が、今までよりずっと遠くなるはずなのに。

 スタミナ切れかと思ったけど、アイツに限ってそんなワケがない。

 もしかして、手加減されてる? いや、それこそあり得ない。

 それなら、どうして。

 

 ……ああ、そうか

 アタシが速いだけなんだ。

 

「だあああぁぁぁぁああああ!!」

 

 気づいた時にはすでに、アイツの驚いたような顔が横に見えていた。

 丸く見開かれた瞳に、ぽかんと空いた空っぽの口。

 そうだ。その腑抜けた顔。アタシは、それが見たくて走ってるんだ。

 

 ああ。

 こんなにいい気分のレース、初めてだ!

 

「っ、うおおおぉぉぉおおお!」

 

 はたと我に帰ったオグリキャップが、アタシに抜かれるその直前で、吠える。

 そりゃそうか。こんな名無しのウマ娘に負けられるわけないか。

 でも、さ。

 負けられないのは、アタシも同じなんだよ!

 

「だりゃああぁぁぁあああ!!!」

 

 最終直線。旗を持ったアイツが見える。

 もう、隣なんて気にしてられない。

 地面を強く踏み締めて、一歩でも前へ。

 そして――

 

 

「お疲れ様、二人とも」

 

 大の字になって寝転ぶアタシたちに、アイツはそう言いながら近づいてきた。

 

「どうだ、オグリ」

「……私は、本気だった」

「だろうな」

「だから、焼肉無しだけは勘弁してくれ……」

「ああ」

 

 こんな時にまで、そんなことを気にするのは正直、笑えるけど。

 でも、アイツはそれだけ本気だったんだ。

 

「タイシンは?」

「……この走り方、キッツイんだけど」

「まあ、そうだろうな」

「でも……」

「……でも?」

「今まででいちばん、気持ちよく走れた気がする」

 

 辛いし苦しいし、地獄みたいな走りだけど。

 それだけは、確かだった。

 

「それで?」

「ああ、そうだ」

 

 アタシが聞こうとしたのと同時、アイツも思い出したように呟いて。

 トレーナーも、アタシたちが何を言いたいのか分かっているみたいで。

 呆れたように、首に吊るしたストップウォッチへ手をかけた。

 

「元々、タイムを競わせるつもりはなかったんだがな」

「ウマ娘が二人、並んで走るんだ。そうなるに決まってるさ」

「むしろ、ボケっと見てるだけだったら、トレーナー失格でしょ」

「……君たち、気が合いそうだな」

 

 かもしれない。

 コイツは、本気でアタシとぶつかってくれたから。

 

「それで、トレーナー。タイムは?」

「ああ」

 

 オグリキャップの声に、アイツがすぐに答えて、

 

「一分五七秒八九――タイシン、君の勝ちだ」

 

 



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07

最近やってるゲーム(Apex)の大会に出るので更新遅れちゃうかもです 
すまね~~


 

「一分五十七……?」

 

 疲れすぎて聞き間違えたんだって、最初はそう思った。

 いくら全力で走ったとはいえ、二分を切るタイムが出るなんてあり得ない。

 それこそレコードに届きそうな、もしかすると更新できるくらいのタイムなのに。

 信じられない。今見ているこの景色が夢なんじゃないか、とすらも考えた。

 でも。

 痺れるような両脚の疲れは、確かに本物だった。

 

「……本当なのか?」

「俺が嘘を吐けないということは、君もよく知ってるだろう」

 

 オグリキャップの言葉に、アイツがそうやって答える。

 

「凄いな」

「……ありがと」

 

 現実味がない。褒められている感覚が無くて、そんな曖昧な答え方になる。

 

「正直、オグリキャップに勝てるとは思っていなかった」

「そんなの、アタシもだよ」

「……レースの感覚は掴めたか?」

「何となくは」

 

 終盤まで必死に耐えて、ラストのコーナーで全力を引き出す。

 試してみたらとんでもなく苦しくて、二度とやりたくない走り方だったけど。

 先頭を呑気に走ってる奴を追い抜くあの感覚は、気持ちが良かった。

 

「長めの休憩を取ったら、二周目にしよう」

「すぐじゃなくていいの?」

「君たちの脚を壊したくない」

 

 ……まあ、そうか。

 こんなところで脚を壊してレースに出られなくなったら、意味がない。

 本当はもっと速く走れるようになって、誰かを追い抜く練習をしたいんだけど。

 今は、アイツの言う通りにした方がいいんだ。

 

「時間があるから、何か飲むものでも買ってこようか」

 

 そうやって声をかけてきたアイツに、最初に答えたのはオグリキャップで、

 

「カレーがいい」

「残念だが、それは食べものなんだ」

「そうか……」

 

 コイツ、マジで言ってんの?

 

「タイシンは?」

「……普通のスポドリでいい」

「分かった。オグリもそれでいいな?」

「カレー……」

「それは夜まで待て」

 

 肩を落とすオグリキャップを後にして、アイツが校舎の方へ走っていった。

 そうして、二人で地面に座りながらアイツを待っていること、しばらく。

 

「………………」

「………………」

 

 き、気まずい……。

 何か話すにしても、初対面だからどういう話題振ればいいか分かんないし。

 かといってこのままってのも、向こうから暗いヤツだと思われるかもしれないし。

 あー、もう。こういうのホント苦手だから、勘弁してほしいんだけど。

 そもそも、初対面のヤツと二人っきりにすんなっての。

 アタシは向こうのこと知ってるけど、向こうは当然知らないだろうし。

 というか、私も知ってることと言えば顔と名前くらいだし。

 こんな状況で共通の話題だなんて、見つかるはずが……。

 ……あ。

 

「ねえ」

「うん?」

「アイツって、アンタのトレーナーだったんだよね?」

 

 思い立って口にした疑問に、オグリキャップはまあ、と一言置いてから、

 

「ああ。といっても、行く宛のない私の面倒を見てくれていた程度だが」

「さっきアイツから聞いた。大変らしいね」

「そうだな。あの人には感謝してもしきれない」

 

 言いながら、オグリキャップが力なさそうに笑う。

 それだけでコイツが、ある程度アイツのことを信頼していることが分かった。

 そんなヤツに、こんなことを聞くのはアレかもしれないけど。

 でもアタシのトレーナーになるんだから、そこだけはハッキリさせたいというか。

 まあ、ここまで話しておいて聞かないのも何だし。

 

「噂で聞いたんだけどさ」

「うむ」

「アイツ、金のためなら何でもやるって」

 

 アタシの言葉に、オグリキャップは少しだけ考えるような素振りを見せてから、

 

「確かに、そうかもしれないな」

「……そうなの?」

「私のトレーナーになるのを断ったのも、食費がかかるという理由だった」

 

 直接そのことを伝えるアイツも、どうかと思うけど。

 

「でも、仕方ないさ」

「割り切れるの?」

「そういった目的というのは、個人の自由だから」

「まあ……確かに、そうかもしれないけど」

 

 正論だ。アイツがどれだけお金にがめつくても、結局は個人の意思なんだから。

 それにアタシがどうこう言う方が、きっとおかしいんだ。

 でも、なんだろう。アタシが言いたいことは、そういうことじゃなくて。

 

「……アイツと初めて会った時、アタシの脚は金になる、って言われたんだ」

「そうか」

「嫌って言うより、ビックリしてさ。アタシのこと、そういう目で見るヤツいるんだって」

「うむ」

「でもなんていうか、それじゃ曖昧っていうか……」

 

 言葉が見つからない。アタシはアイツに何をしてほしいんだろう。

 お金のためにアタシのトレーナーになるのは、別にいい。

 そんなにお金に卑しくなるな、という気持ちもない。

 でも、どうしてそんなにお金が必要なのかは、少しだけ気になるのかも。

 ……あ、そっか。

 

「なんでアイツ、お金が必要なんだろう」

 

 ふと溢したアタシの言葉に、オグリキャップは、

 

「私にも分からない」

 

 アイツが帰ってきたのは、それからしばらく経ってからのことだった。

 

 

「今日はこれくらいにしておこう」

 

 そう言ってから、アイツがストップウォッチを止める。

 

「タイムは……?」

「二分と九秒。オグリの勝ちだ」

「……そう」

 

 額に浮かぶ汗を拭いつつ、答える。

 

「連続で走っていた疲れもあるだろう。仕方ない」

「分かってるっつーの」

「それに、最初のタイムは奇跡にも近いから、二度と出ないと思ったほうがいい」

「……は?」

 

 何その言い方。

 そんなのまるで、アタシの限界があのタイムだったみたいじゃん。

 

「悪い意味ではない」

「どういうこと?」

「初めてオグリキャップと走っただろう」

「そうだけど」

「つまり、そういうことだ」

「…………意味が分かんないんだけど」

 

 イラつきも通り越して、だんだん呆れてきた。

 初めて一緒に走ったから、何なのさ。

 

「ナリタタイシン」

「何」

「今日で、私がどんな走り方をするか、ある程度理解できただろう」

「……まあ、そりゃそうだけど」

「だからきっと、君は私に()()()んだ」

「えーと……」

 

 頭を抱えながら、少し考える。

 最初に走った時が、一番タイムが良かった。

 でもコイツと走るうちに、タイムがだんだん遅くなってきた。

 つまり、アレか。コイツのペース配分が体に染みついて、それに走り方が合っちゃって。

 気づいたら、一番スタミナとスピードの効率がいい走り方になった、みたいな。

 そんな感じなのかな。

 

「……何となく、分かったかも」

「そうか」

「それは良かった」

 

 コイツら、説明が下手くそすぎる。

 特にトレーナーの方、説明が下手なのって致命的すぎるでしょ。

 ……あー、もう。

 

「アタシ、疲れたからもう帰る……」

「ああ、ご苦労。オグリも今日のところはいいぞ」

 

 なんて最後はユルい感じで各自で解散して、帰る準備をしてから、校舎を出て。

 帰りにどこか寄ろうかな、なんて考えたけど、体が疲れを実感したところで。

 

「……結局、アイツに聞くの忘れたな」

 

 トレセン学園の校門をくぐったところで、ようやくそのことを思い出した。

 



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08

一週間も空いてまった


 

 翌朝。

 

「タイシンちゃん?」

 

 目を覚まして最初に視界に映ったのは、心配そうな顔をしているクリークだった。

 

「……おはよ?」

「はい、おはようございます」

「今は……」

 

 そうやって時計を見ようと首を動かしたところで、違和感に気づく。

 ……体が、重い。

 関節もどこかぎこちなくて、動かすと少し痛みがあった。

 眠気も十分にとれていなくて、放っておいたらひとりでに瞼が降りてきて。

 ……もしかして、疲れてる?

 

「珍しいですね、私より後に起きるなんて」

 

 そんなクリークの言葉に、何も返せなかった。

 

「体、起こしてあげましょうか?」

「……いい」

「服とか持ってきた方がいいですか?」

「いらない」

「じゃあ、目が醒めるようにココア淹れておきますね」

「だからいらないって」

「あ、そうだ! 洗面台まで抱っこしてあげても……」

「いらないって言ってるでしょ!」

 

 コイツより遅く起きるとこうなるから、できるだけ早起きしてたのに。

 叫んだ勢いで体の怠さも吹き飛んで、そのままベッドから飛び起きる。

 足元はまだ少しふわふわするけど、別に休むほどじゃない。

 というか、今のアタシに休んでるヒマなんかないのに。

 

「昨日のトレーニング、そんなに厳しかったんですか?」

 

 顔を洗っていると、洗濯物を運んでいたクリークからまた話しかけられた。

 

「別に、そういうわけじゃないけど」

「でも……」

「今までとやり方が変わっただけだから、大丈夫だって」

 

 特に今は、模擬レースに向けての詰め込み期間なんだし。

 それに、練習していくうちにアイツのペースにも慣れていくはず。

 向こうだって分かってるだろうし、互いに歩み寄っていくしかない。

 でも、もしそれでアタシの方が音を上げることになったら……。

 ……ま、その時はその時か。

 

「やっぱり心配です」

 

 なんて一人で考えていると、クリークがどこか意を決したように言ってきた。

 

「タイシンちゃんのトレーナーって、前に言ってたあの人なんですよね?」

「……そうだけど」

「私、あの人のこと信用できません。タイシンちゃんにこんな無理をさせるなんて」

「いや、だから無理とかは……」

「もしかしたら、タイシンちゃんをお金稼ぎの道具にするかもしれないんですよ!?」

 

 別にそれでもいい、というかその上でトレーニングしてるんだけど。

 なんて返そうとしたけど、多分今のクリークにアタシの言葉を聞く余裕なんかなさそうだし。

 どう納得させようかな、なんて考えながら一度、顔を洗って目を醒ます。

 そうやって頭を上げると、鏡の向こうのクリークと目が合って。

 

「今日、タイシンちゃんのトレーニングについて行ってもいいですか?」

「は?」

 

 は?

 

「……なんで?」

「確かめたいんです。あのトレーナーさんが、タイシンちゃんに無理をさせていないかどうか」

「いや……てか、そうしたところでアンタに何も関係ないじゃん」

「関係あります!」

「どんな」

「私のかわいいタイシンちゃんをお金稼ぎの道具にするなんて、許せません!」

「アンタに育てられた覚えないんだけど」

「大丈夫ですからね。私はずっと、タイシンちゃんの味方ですから」

「だから……ってかアンタ、今日のトレーニングはどうすんのさ」

「もうお休みの連絡しました」

「早っ」

 

 ……まあ、そんなアホらしい理由で休ませてくれるわけないし。

 コイツへの言い訳は、トレーニング中に考えればいいか。

 何だったらアイツに考えさせればいい。それくらいの責任はあるでしょ。

 とにかく今は、学園に遅刻する前に支度しないと。

 

「お着換え、ここに置いておきますね」

「……ありがと」

 

 そうして。

 

 

「タイシンちゃん、ちゃんとご飯は食べましたか?」

「…………」

「おやつが欲しかったら言ってくださいね。アメ、たくさん用意してありますから」

「…………」

「飲み物もちゃんと……あ、そうだ。冷却スプレーとかも用意しておいた方がよかったかしら?」

「…………」

「とにかく! いくらトレーナーさんに言われても、無理は禁物ですからね? ね?」

「…………」

 

 いや。

 

「なんでいんの……」

「あれ、朝に話しませんでしたっけ。今日はタイシンちゃんのトレーニングについていくって」

「それはそうなんだけど、そういうことじゃなくて……」

 

 ダメだ。これ以上考えると、知恵熱が出そうになってくる。

 ここまで来たら説得も難しいだろうし、今はこの状況を受け入れるしかないみたいだった。

 というか、クリークとアイツを会わせても大丈夫なのかな。

 クリークはアイツのことをよく思っていないみたいだし。

 アイツもアイツで、クリークの嫌っているよくない部分を隠そうともしない性格だし。

 もし鉢合わせることになったら、喧嘩にでもなるんじゃないんだろうか。

 既にズキズキと痛くなってきた頭を押さえていると、クリークが心配そうにこちらを覗いてきて。

 

「タイシンちゃん、大丈夫ですか?」

「大丈夫だから」

「それにしても遅いですね……もう、タイシンちゃんの言う集合時間なのに」

 

 頬を膨らませながら、クリークが呟く。

 足音が二つ聞こえてきたのは、その直後だった。

 

「あれ?」

「お?」

 

 続けて、声が二つ。

 片方はトレセン学園指定のジャージに着替えてきた、オグリキャップのもの。

 そしてもう一つは、見知らぬウマ娘のものだった。

 オグリキャップよりも灰に――あるいは、銀に近い色をした、腰まで届く髪。

 瞳の色は青。ぽかんと開いた口からは、小さな八重歯が顔を覗かせている。

 身長はアタシと同じくらいか、それよりも少し高いくらいかな。

 それよりも目を引いたのが、赤と青で彩られた、長い丈の髪飾りだった。

 

「あら、タマちゃんにオグリちゃん?」

「クリークやないか。アンタもオグリに呼ばれたんか?」

「いえ、私はタイシンちゃんが心配で……」

「タイシン……ああ、コイツがオグリの言ってたおもろいヤツっちゅうワケやな」

 

 またアタシの知らないところで話が進んでいる気がする。

 面倒になってきたな、と一人で思っていると、目の前にす、と小さな手が差し出されて。

 

「ウチはタマモクロス。よろしゅうな」

「……よろしく」

 

 そうやって手のひらを握り返した瞬間、ぐい、と体を強く引き寄せられて。

 

「なーんや、珍しくオグリが言うモンやから、どんなヤツかと思ったけど」

「はあ」

「期待して損したかもしれんな」

 

 ……は?

 

「ケンカ売ってんの?」

「ウチは見たまんまを言ってるだけや」

「へえ」

 

 何コイツ。初対面でいきなりコレ? 腹立つんだけど。

 そのまま苛立ちに任せて手を強く握り返すと、同じくらいの力で握り返される。

 ……あっそ。アタシくらいの力なら簡単にひねり返せるってワケ。

 いい度胸してるじゃん。

 

「チビなのは変わんないくせに、態度は大きいじゃん」

「ほォ、一回もレースに出たことないヤツがよく言うわ」

「タマ? どうしたんだ?」

「タイシンちゃん?」

 

 困惑する二人を無視して、目の前のコイツ――タマモクロスと睨みあうこと、しばらく。

 遠くから聞こえてきた足音に、二人で同時に振り返った。

 

「すまない、会議で少し遅れて……」

 

 そこでアイツは一度、言葉を止めたかと思うと、アタシたち四人のことを眺めてから、

 

「……保護者同伴?」

「違う!」

「ちがわいっ!」

 

 叫ぶと同時、アイツが握っていたアタシの手を放す。

 赤くなった右手をポケットに突っ込みながら、トレーナーに話しかけた。

 

「今日はどうすんのさ」

「昨日と同じメニューをしようと思っていたが……」

「トレーナーさん、少しいいですか?」

「君は……スーパークリークか。どうした?」

 

 す、と静かに手を上げるクリークに、アイツが少し驚きながら答えた。

 

「今日のトレーニング、私も参加させてください」

「……どういう理由で?」

「トレーナーさんがどのようなトレーニングをなさっているのか気になったんです」

「これといって特別なことはしていないが」

「でしたら、タイシンちゃんが昨日あんなに疲れているとは思えないんです」

「……疲れていたのか?」

「そうかもしれないけど、気にするほどじゃないって」

 

 なんだか気恥ずかしくなってきた。これじゃほんとに保護者同伴じゃん。

 

「許可は」

「もちろん、とってきました」

「なら、いい。タイシンと一緒に走ってくれ」

「それならウチも当然オッケーやろな?」

 

 ずい、と急にアタシの肩に腕を回しながら、タマモクロスが言ってくる。

 

「タマモクロス、君はどういう理由で?」

「なーに、オグリが言ってたんや。自分と同じくらい強いウマ娘がおるってな」

「……腕試しか?」

「ま、そういうこっちゃな。どうや? 走るヤツが増えるに越したことはないんちゃうか?」

「そうだな」

 

 アイツが頷いたと同時、隣のタマモクロスがにやりと笑いながらこっちのことを睨んでいた。

 ……苦手なタイプかもしれない。あるいは、同族嫌悪かも。

 とにかく、一緒に走れるなら丁度いい。

 ヘラヘラしているコイツを見返してやれば、もうこんな態度を取ってこないだろうし。

 

「今日は昨日と同じコース……芝の二〇〇〇、中距離だ。全員、脚質は合っているな」

「ええで、全員ブチ抜いたるわ」

「構いませんよ」

「それでは、各自ウォームアップ後にスタート位置へ……」

「あー、いらんいらん。ウチな、今すぐ走りたい気分やねん」

 

 手をひらひらと振りながら、アイツがトレーナーへ言い放つ。

 

「走りたい気持ちはわかるが、怪我を防ぐためだ」

「今更そんなヘマするかっちゅうの。それに」

「……それに?」

「アイツも、ウチと同じ気分みたいやで」

 

 ぎらり、と蒼に染まった瞳がこちらへ向けられる。

 挑発のつもり? いいよ、受けてやる。

 

「……ちゃんとスタート位置で手足の柔軟だけはすること」

「はいはい、心配性やな」

「他もそれでいいか?」

 

 頷くアタシと、驚いたままの二人の顔を確認してから、アイツがボードへ目を落とす。

 

「では内側にオグリ、そのままタマモクロス、タイシン、スーパークリークの順で」

「はいよー」

 

 そうやって並んだタマモクロスの隣へ立ってから、脚をできるだけ広く伸ばす。

 足首をある程度動かしてから、膝の関節の確認。調子は悪くない。むしろ、いい感じ。

 首を何度か動かしていると、隣から声が聞こえてきて。

 

「ま、正直一回走らんと分かるモンも分からんかもな」

「…………」

「オグリが言ったようにホンマに強いのか、あるいは何か小細工してるか分からんけど」

「何さ」

「いずれにせよ化けの皮、ひん剥いてやるから覚悟しとき」

「……勝手にしたら」

 

 もう隣には目を向けない。見るのは、自分のコースだけ。

 左脚をゆっくり後ろに構えて、アイツの合図を待つ。

 そして。

 

「行け!」

 

 レースが、始まった。

 

 



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09

 

 正直言って、コンディションは最悪だった。

 

「…………っ、くそ……!」

 

 脚が重い。

 思うように前へ進めない。

 肺がひりついて、吸った空気がそのまま胸を通り抜けていくような感覚。

 プレッシャー、という言葉で合ってるのかな。

 そうやって迷うくらいに、この三人が放つ()は重たいものだった。

 レースはオグリキャップが先頭。すぐ後ろにクリーク、少し離れてタマモクロス。

 アタシは最後尾。それもタマモクロスとかなり差の開いたところ。

 位置取りに問題はない。ペースも、そこまで乱れてるわけじゃない。

 ただ。

 この三人を本当に抜けるのか、っていう不安が、纏わりついて離れなかった。

 

「コイツら……!」

 

 オグリキャップは言わずもがな。

 タマモクロスもあれだけの口を叩くから、それなりに覚悟はしてた。

 そうなると、問題はクリークだ。

 同室だから正直、あまり意識してなかったけど。

 アイツ、オグリキャップとタマモクロス並みに強い。

 図体のデカさもそうだけど、何よりペースの乱れがなさすぎる。

 無尽蔵のスタミナ。きっとそれが、アイツの武器なんだ。

 ……ってか、そもそも!

 なんで一番無関係なクリークが、あんなにガチで走ってんのさ!

 

「ああ、もうっ!」

 

 心の中で無駄な愚痴を叩いているうちに、気づけばレースは最終コーナーへ。

 ここまで大きな変動はナシ。あとは、昨日やったみたいに全力を出し切るだけ。

 ……でも、それでコイツらに勝てるのかな。

 アタシとは実力も才能も天と地ほどの差がある、バケモノ。

 そいつらに全力で挑んだとして、果たして届くのかな。

 分からない。真っ暗闇の中を、闇雲に走っているような感覚が襲ってくる。

 そうだ。どれだけ努力したところで、結局アタシは――

 

「なんや自分、レース中に考え事か?」

 

 ……なに?

 

「そんなんじゃいつまでたっても、ウチには追い付けへんで!」

 

 ずどん、と。

 稲妻が落ちたみたいな、そんな衝撃音が、目の前から響いてきた。

 そしてそれは、アタシの中にある不安なんて、簡単に吹き飛ばして。

 ……そうだ。

 そうやって考えるくらいなら、走った方がマシだ!

 

「っ、おおぁぁぁあああッ!」

 

 地面を蹴って、一歩でも前へ。

 降りかかってくる圧を押し退けて、少しでもその先へ。

 まだだ。こんなもんじゃない。アタシの本気は、まだこれから!

 最終直線。コーナーが終わったその直後の一歩で、地面を強く踏みしめる。

 ――風が気持ちいい。

 

「んな、コイツ……!」

 

 そうだ。

 見開いたその目。

 バカみたいに開いた口元。

 本気でアタシのことを睨みつける瞳。

 アタシは、それが見たかったんだ。

 

「だぁッ!!」

 

 気づけばオグリキャップもクリークも、タマモクロスもアタシの後ろにいて。

 目の前に広がるのは、誰もいない寂しさすら感じる光景だった。

 踏みしめる大地も、頬を撫でる風も、全部アタシのもの。

 

 ……ああ。

 やっぱり、走るのは楽しいな。

 

 

「飛ばしすぎだ」

 

 レースを終えて、ターフに仰向けになって息を整えているところで。

 アイツはそんなことを言いながら、アタシのそばに近寄ってきた。

 

「タイムは?」

「二分〇〇秒四八。二身差で君の勝ちだ」

「……そう」

 

 思わず笑みが零れる。隠すつもりもないけど。

 額に張り付いた髪をかき上げて、火照った体をゆっくりと起こす。

 そうして上げた視線の先に、いつの間にかタマモクロスが立っていた。

 

「あんた……」

「…………」

 

 言葉を続けるよりも早く、タマモクロスはアタシの肩へ手を置いて、

 

「ホンマにすまんかった!」

 

 深々と、その頭を下げた。

 

「……どういうこと?」

「いや、正直な話な? オグリがあんだけ強い言うからどんなゴッツいウマ娘かと思ったねん」

「はあ」

「それで来てみたら、シケたツラしたウマ娘がおったから、拍子抜けしてもうて」

「……まだ悪口なんだけど?」

「でもいざ走ってみたら自分、メッチャ強いやんか! いやー、オグリに着いてきてよかったわ!」

 

 からからと笑いながら、タマモクロスがぺらぺらと告げる。

 正直、相槌を打つのも面倒になってきて、どうやって切り抜けようかと考えていた時。

 どこか満足そうな表情をしたオグリキャップがこちらへ近づいてきた。

 

「……気に入ったか、タマ?」

「バッチシや! コイツはウチと同じ、反骨精神の塊やで!」

「同じって……アンタとアタシじゃ、完全に真逆でしょ」

「ほォ~?」

 

 すると、なんだか厭らしそうな笑みを浮かべながら、タマモクロスがアタシの耳元に近づいて、

 

「ウチを抜いた時、あんな顔してまだそんなこと言えるんか?」

「……うるさい」

 

 無性にいらだって、強くその体を突き飛ばす。

 けれどアイツは口元に手を当てたまま、にしし、なんて笑っていた。

 

「でもまあ、ちょうどええわ」

「……何がさ」

 

 うんうん、と腕を組んで頷くタマモクロスは、そのままアタシのことを指でさしながら、

 

「自分、ウチのチーム入らんか?」

 

 ………………。

 

「はぁ?」

「要するにスカウトや。自分、このままなんもせずトレセン学園卒業したくないやろ?」

「いや、それは……」

「そこで、や。ちょうどウチのチーム、一人だけ欠員出てんねん」

「だから……」

「どや、悪い話じゃないやろ? よーし、そうと決まれば早速……」

「残念だが、その話は断るぞ」

 

 そこで口をはさんだのは、オグリキャップでもクリークでも、アタシでもなく。

 ボードへ目を落としたままの、アイツだった。

 

「え、アカンの? なんで?」

「タイシンのトレーナーは俺だからだ。そう約束した」

「ほォ~……? なるほどのォ~?」

 

 ……やめろって、その目。

 

「予約済みならしゃーないな。この話はナシや」

「あっそ」

「ただ、これだけは覚えとき」

「何さ」

 

 するとタマモクロスは片手を腰にやってから、ぐい、と親指を自分の方へ向けて。

 

「ウチはタマモクロス! チーム『センチネル』のエースウマ娘や!」

「……はあ」

「いや反応うっす!」

 

 薄い、って言われても。どう反応していいか分かんないし。

 というか、こういうノリが一番苦手なんだけど。

 

「これから闘り合うことになるかもせえへんやろ? だから宣戦布告したっちゅーのに」

「どうも」

「あーもう、ノリ悪いなあ! アツいのはレースの時だけか!」

 

 タマモクロスが肩をすくめる。そこでようやく、コイツはいったん口を閉じた。

 一度喋りだすと止まらないヤツって、ホントにどうにかならないのかな。

 アタシの近くにも一人いるけど、ソイツとはまた別のタイプだし。

 

「……休憩も済んだようだな」

「なってないけど」

「体力的にはなっただろう」

 

 そう言いながら、アイツが水分の入ったボトルをアタシへと投げ渡す。

 そのままオグリキャップとタマモクロス、すぐ後ろで立っているクリークにも同じように。

 

「水分補給したら二本目、行くぞ」

「……ん」

「分かった」

「ちょ、早ないか!? あれだけ全力疾走したんだから、もうちょい休憩した方が……」

「体力がないなら休んでてもいいぞ」

「……いや、やる。そんな風に言われたらやるしかないやろがい! なあ!」

 

 ちょろ……。

 そうして、タマモクロスがごきゅごきゅとボトルを一気に煽る。

 この時点で既にうるさいのは、もはや才能にさえ思えてきた。

 なんて無駄なことを考えていると、ふとアイツがクリークの方へ振り返っているのが見えて。

 

「君も、辛かったら休んでいていいぞ」

「……いえ、大丈夫です」

「そうか」

 

 短く答えて、クリークもボトルへ口を付けた。

 

「……時間がないんだ」

「え?」

「模擬レースまで。それに、彼女は走り方を変えた。君も分かるだろう?」

「……はい。あんな走り方をするタイシンちゃん、初めて見ました」

「だから、こうして実戦形式で新しい走り方に慣れるしかない。厳しいのは承知の上だ」

「でも、もし脚を故障するような事態になったら、どうされるおつもりですか?」

「そうならないように俺がいるんだ」

「…………」

「…………」

 

 ……なんであんな険悪な雰囲気になってんの、あの二人は。

 自分のことじゃないのに、どうしてそこまで入れ込めるのさ。

 

「……全員、準備はできたか?」

「ああ、いつでもいける」

「では二周目、行くぞ」

 

 一人で勝手に答えたオグリキャップに続いて、仕方なくターフへ。

 未だに収まらない心臓の鼓動を感じながら、アイツの合図を待った。

 

 

「はあ……ッ、くぁ……!」

 

 仰向けになって眺めた空は、いつの間にか茜色になっていて。

 ボトルに入った水分を浴びるように飲むと、焼け付いた喉が潤いを取り戻した。

 ……何周目だったっけ、今の。

 途中から数えてない。というか、そんなのを気にしてる余裕なんてない。

 全員、ガチだ。

 オグリキャップもタマモクロスも、クリークも。

 というか、多分クリークが一番ガチなんじゃないかな。

 理由は分かんないけど、いつもの腑抜けた雰囲気が抜けて、完全に勝負の空気になってる。

 ホント、どうしてあんなに頑張ってるんだろう。

 自分のトレーナーでもないのに、そんな……。

 

「ゼェーーッッ……お、ゲッホ! オエ……フゥ……」

「うるっさ……」

 

 何しててもやかましいな、こいつ。

 

「タマ、大丈夫か?」

「そういうオグリは……大丈夫そうやな」

「息一つ乱れてないじゃん……」

 

 昨日も思ったけど、そもそもの基礎能力が違いすぎる。

 こうやって差を見せつけられると、あの一回の勝利がなんだか、嘘みたいに思えてきた。

 ……もう二度と勝てない、ってアイツが言ってたから、奇跡みたいなモンなんだろうけど。

 なんて考えていると、ふと視界に逆さまになったクリークの顔が映って、

 

「タイシンちゃん、あーんしてください」

「……は?」

 

 口にした瞬間、クリークがアタシの口に何かを落とす。

 

「……しょっぱい」

「塩分もちゃんと補給しなくちゃ、ですからね。ほら、タマちゃんも」

「んあー」

 

 口のなかでころころと飴を転がしながら、ふとクリークを見つめる。

 ……コイツも息、乱れてないな。やっぱりスタミナが違うんだ。

 アタシもこの走り方を続けるなら、それ相応のスタミナがないとダメだし。

 今度、ペースキープのコツでも聞いてみようかな。

 

「二人とも、満身創痍だな」

 

 未だに落ち着かない息を吐いていると、アイツがそんなことを言いながら近づいてきた。

 

「タイシン」

「何さ」

「レースの基礎はもう殆ど掴めたな。タイムも安定してきている」

「そう……」

「本番もこの調子で走れば、何も問題はないだろう」

 

 そこでアイツはボードから目を離して、アタシらのことをざっと眺めたあと、

 

「本当は時間も余ってるし、もう一本だけやろうと思っていたが……」

「……やるよ」

「そうか」

 

 答えて、重たくなった体を無理やり持ち上げる。

 そうしてすぐ、開始位置に着こうと足を踏み出したところで。

 後ろから、クリークに肩を掴まれた。

 

「タイシンちゃん?」

「……なにさ」

「私、言いましたよね? 無理は禁物、って」

「そういえば、そうだったかもね」

「だったら……」

「でも、このままじゃアンタらに一生、勝てないから」

 

 限界を超えないと。アタシの最大限よりも、もっと先を目指さないと。

 そうじゃけりゃこの先、オグリやアンタみたいなバケモノに勝てないんだから。

 バケモノに勝つには、アタシもバケモノになるしかないんだ。

 

「タイシンちゃん……」

 

 肩に置かれた手を振りほどいて、開始位置に。

 しばらくすれば、タマモクロスも、オグリキャップもクリークも並んでいて。

 既に落ち着いた呼吸を今一度整えてから、今日何度目か分からないアイツの合図を待った。

 

 




「センチネル」

 基礎ダメージ70 装弾数4/5/6/7
 Apexに存在する二つのコッキング式スナイパーライフルのうちの一つ。シールドセルを消費することで、基礎ダメージを70から88へ増加させることができる。またホップアップ「デッドアイズテンポ」を装着することによりレートを上昇させることが可能であり、コッキング式のデメリットをカバーできる。

 その意味は「立ち塞がる者」。


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10

 

「タイシンちゃん」

 

 あの後、最後の一本を走ってからトレーニングも終わって、寮に帰ろうとしたところ。

 玄関を抜けたところで、アタシを待っていたらしいクリークが声をかけてきた。

 

「何さ」

「同室なんだから、一緒に帰りましょう?」

「……別にいいけど」

 

 答えると、アイツはいつもみたいに笑って、隣を歩き始めた。

 

「やっぱり、オグリちゃんたちと走るのは疲れますね」

「アンタはそう見えないけど」

「そんなことありませんよ。もうヘロヘロです」

 

 ふぅ、なんて息を吐きながら、クリークが顔を手のひらで煽ぐ。

 それでも、だいぶアタシよりは楽そうだし、まだまだ余力が残ってるみたい。

 ……やっぱり体の作りから違うのかな。

 

「タイシンちゃんは、来週の模擬レース出るんですよね?」

「そうだけど」

「一位になったら、このままあの人の元で指導を受けるんですか?」

 

 何か含みのある言い方だった。一抹の不安の残るような、曖昧な問いかけ。

 それに答えるのがどうしてか少しだけ怖くて、無言で首を縦に振る。

 クリークの次に言葉を発したのは、しばらくの時間が経ってからだった。

 

「やっぱり私、賛成できません」

「……は?」

「今からでも遅くないから、他のトレーナーさんを探しましょう?」

 

 思わず立ち止まったアタシに、クリークは振り返って、

 

「あのままじゃタイシンちゃん、いつか倒れちゃうと思うんです」

「…………」

「だから、その前にトレーナーさんに伝えましょう。トレーニングは辞退する、って」

「…………」

「怖かったら私もついていきますから。ね?」

 

 ……ムカつく。

 なんでアンタにそんなこと言われないといけないんだ。

 だって、そんなの。

 お前の限界はその程度なんだって、言われてるようなモンじゃん。

 そりゃ、アンタみたいな強いウマ娘にとっちゃ、アタシなんてのはまだまだで。

 これ以上やったって意味がない、って思えるのかもしれないけどさ。

 ……でも。

 どうしてそこが、アタシの限界だって言えるのさ。

 アンタは、アタシの何を知ってるのさ。

 分かるわけない。アンタみたいな勝てるヤツに、アタシの気持ちなんて分かるはずがない。

 みんなそうだ。どうせアタシは勝てないんだって、出来損ないだって思ってるんだ。

 でも、アイツだけは違う。

 アイツだけはアタシに勝てるって、勝つ方法があるって教えてくれた。

 初めてだったんだ。アタシに、本心からそんな言葉をかけてくれるヤツ。

 そうやって、やっと信じられるヤツを見つけられたのに。

 どうして。

 

「……どうして」

「え?」

「どうしてアンタらは、アタシの道を邪魔してくるんだよ!」

 

 ダメだ。

 これ以上言ったら、後戻りできなくなる。

 ……ああ、でも、ダメだ。止まらない。

 怒りたいの、かな。

 泣きたいのかな。

 それすらも、よく分からなくなっちゃった。

 

「そうやってさ、アタシには無理だって、ここが限界だって決めつけて!」

「ち、違うのよタイシンちゃん……私はあなたが心配で……」

「違わないでしょ!? どうせアンタも、アタシのこと見下して……!」

 

 そこまで言いかけて、喉が詰まるような感覚がして。

 気が付けばクリークは、今にも泣きだしそうな顔になっていて。

 ……バカだ、アタシ。

 こんなことをコイツに言っても、何にもならないのに。

 

「……ごめん」

「タイシンちゃん……?」

「一人に、させて」

 

 それからのことは、あまり覚えていない。

 とにかく走って、走って、走り続けて、気が付けばあたりはすっかり暗くなっていて。

 膝に手をついたまま、荒くなった呼吸を整える。

 霞んだ視界で見上げたその先には、立ち塞がるように連なる、石畳の階段があった。

 

「神社か……」

 

 こんな時間に参拝するようなアホもいないだろうし、ここなら一人になれるかな。

 そう考えて階段を上がってからしばらく、死ぬほど後悔した。

 キツすぎる。

 少なくともトレーニングをした後に昇るようなところじゃない。

 明後日には模擬レースも控えてる、っていうのに。

 ……ああ、もう。

 

「何やってんだろ、私……」

 

 階段の中腹、小さな踊り場になっているところに腰を下ろして。

 そのまま仰向けになると、冷たい風が火照った体を冷やしてくれた。

 

「……言い過ぎた」

 

 きっとアイツのことだ。本気でアタシのことを心配してくれてるんだとは、思う。

 でもやっぱり、見下されてるみたいな、お前じゃ無理だから、って言われてる気がして。

 それが許せなかった。

 たぶん、今日一緒に走ったからなおさら、アイツの言い方にムカついたんだ。

 

「子供かっての、ほんと」

 

 そうして夜空を眺めていること、しばらく。

 ふと、誰かが階段を降りる音が聞こえてきて、仰向けのまま視線を向ける。

 

「おや?」

 

 逆さまになった視界に映っていたのは、石段を下りてくる一人のウマ娘だった。

 トレセン学園指定の赤いジャージに、肩口まで伸びた明るい茶色の癖毛。

 耳にあるのは青と白の飾りで、もう片方には小さな達磨。

 そして何よりも目を引いたのが、こちらを覗きこむ星のような瞳で。

 

「どうされたんですか、こんなところで」

 

 まだ誰かがいることに驚いて、そうやってかけられた声に答えられなかった。

 そのまま黙り込んでいると、ソイツは何かに気づいたように声を上げて、

 

「やや、もしかして行き倒れ!? ちょっと、大丈夫ですか!?」

「だ……大丈夫、だけど」

「そんなナリで言われても信用できません! じっとして、そこからあまり動かないで!」

「いや、だから大丈夫だって……」

「とにかくまずは救急車を呼びましょう! えっとケータイケータイ……」

「大事すぎるでしょ!」

 

 じゃら、なんてこれでもかとストラップがついた携帯を取り出したソイツに、思わず叫ぶ。

 

「……心配、いらないから。走りすぎてちょっと疲れただけ」

「そ、そうですか……それならよかったです」

 

 にんまり、なんて言葉が似合いそうなほどの笑顔を浮かべて、ソイツが携帯を仕舞う。

 

「でも、どうしてここまで?」

「……別に。適当に走ってたら、ここに」

「適当に?」

「ってか、それ言うならアンタもそうでしょ。こんな時間に何してんのさ」

 

 それ以上踏み込まれるのが嫌で、言葉を遮って問いかける。

 するとアイツは、ふふん、なんて得意げな顔で胸を張り始めて。

 直感で、面倒くさいことになった、なんてことをアタシは思っていた。

 

「よくぞ聞いてくれました、名も知らぬウマ娘さん!」

「どんな呼び方なのさ」

「私がここに来た理由、それはズバリ! シラオキ様のお告げを賜りに来たのです!」

「はあ……」

 

 チケットとはまた別のタイプかな、なんて考えながら、適当に言葉を聞き流す。

 

「私はてんでダメなウマ娘。何をするにも上手くいかない、出来損ないなのです」

「ふぅん」

「ですが、そんな私でも唯一、レースに勝てる方法があるのです!」

「……あっそ」

「その方法、普段はヒミツなのですが……あなたには特別に教えちゃいますよ!」

「…………」

「あの、すいません。聞いてます?」

「聞いてる」

「そうですか!」

 

 短く答えると、アイツはまた得意げな顔になってベラベラと喋り始めた。

 ……扱いはラクそうだな。面倒なのは変わりないけど。

 

「して、その方法なのですが……この神社のお御籤で、大吉を引くんです!」

「はぁ」

「大吉が出れば全て順調! どんなレースも勝てるというシラオキ様のお告げなのです!」

「へぇ」

「そしてさっき私が引いたお御籤は、まごうことなき大吉!」

「ふーん」

「ありがとうございます、シラオキ様! あなたはまだ、私を見捨てないでくださるのですね!」

「そうなんだ」

「これで二日後に控えた模擬レースも、悔いなく走れますよ!」

「……え?」

 

 そこでソイツが口にした言葉に、思わず体を起こす。

 

「アンタ、模擬レース出るの?」

「え? はい、大吉が出たから出ますよ」

「何回目?」

「第一レースです!」

「…………」

 

 マジか。

 何だってこんな、トンチキなウマ娘と……。

 

「もしかして、あなたも第一レースに出るんですか!?」

「まあ……」

「何たる巡り逢わせ! これもきっと、シラオキ様のお告げなのでしょう!」

 

 そうやって両手を合わせながら、ソイツは明後日の方を向いて祈り始めた。

 本気で面倒なヤツに捕まった。今すぐこの場から逃げ出したい。

 そう考えるよりも先に、脚の方が動いていた。

 後ろを向いたままのアイツを置いて、階段を下る。

 

「ああ、ちょっと待ってくださいよ~!」

 

 一段目に脚をつけた時点で、呼び止められる。

 思わず舌打ちが出るところだった。

 

「……何」

「せっかくシラオキ様のおかげで会えたんですから、もう少しお話しましょうよ!」

「話って……大体、アンタに話すようなことなんて何も……」

「では、どうしてこんな時間に一人でいらっしゃったんですか?」

 

 ぴたり、と。

 じっとアタシのことを見つめながら、ソイツは動かなくて。

 星みたいに輝いている瞳が、アタシのことを掴んで離さなかった。

 風が吹く。

 流れる静寂はやがて、アタシのため息で消えて行って。

 

「……ナリタタイシン」

「え?」

「名前。名も知らぬウマ娘、なんて変な名前で呼ばないで」

 

 諦めながら呟いて、石段へと腰を下ろす。

 

「それで、アンタは?」

「私ですか?」

「……名前、まだ聞いてなかったでしょ」

「ああ、そういえばそうでした! 私としたことがすっかり!」

 

 そうしてソイツは、アタシの隣へ腰を下ろしてから、

 

「私、マチカネフクキタルです! どうぞよしなに!」

 

 



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11

 

「ケンカしたんだ」

「誰とですか?」

「クリークと」

 

 答えると、マチカネフクキタルは意外そうな顔をしながら、口元を手で覆った。

 

「意外ですねえ。あの人、怒ることあるんですか?」

「いや、アイツはそこまで怒ってない……どっちかというと、アタシが」

「……何に怒っちゃったんですか?」

「くだらないよ。アイツがアタシのことを見下してた、それだけの話」

 

 きっと、そこに悪意も自覚もないんだと思う。

 アイツにとって、アタシや他のウマ娘は、甘やかしたり優しくしたりする存在なんだ。

 だから、アタシが無理をしようとしたり、限界に挑戦しようとしたら、止める。

 それがアイツにとっては当然で、自分のやるべきことだとも思ってる。

 ……でも。

 やっぱりそれは、イヤだ。

 優しくしてくれるのはいい。甘やかしてくれるのも、少しウザいけど構わない。

 ただ。

 アタシの限界を決めつけられること、それだけは許せなかった。

 

「アイツにとってアタシは、競い合う相手ですらなかったんだ」

 

 そこからの言葉は続かなかった。吹き抜ける夜風が、頬を荒く撫でる。

 結局、今回もアタシがイラついただけで、向こうは何も思ってないんだろうな。

 アタシがこうやって悩んでいる間も、アイツは呑気に部屋で待ってるんだ。

 苛立ちもせず、憤りもせず、きっとただただ困惑してるだけ。

 そんな想像をしていると、やるせない気持ちがふつふつと湧いてくる。

 

「……どうすれば、よかったんだよ」

 

 思わず溢れたアタシの言葉に、マチカネフクキタルは、

 

「怒らせてあげましょう」

 

 そうやって、返してくれた。

 

「……どういうこと?」

「宣戦布告するんですよ、クリークさんに」

「つまり、アイツとケンカし続けろってこと?」

「言い方が少し荒っぽくなりますが、そうですね」

 

 そんな仰々しい言葉をわざわざ使うことにも、少しイラついたけど。

 何よりも、他人事だと思ってそんなことを言うコイツに、腹が立った。

 

「じゃあ、何さ。アンタはアタシとアイツが、このまま雰囲気悪いままでいいっていうの?」

「そういうわけではありません。もちろん、仲直りした方がいいと思います」

 

 でも、とマチカネフクキタルは間を置いて、

 

「タイシンさんは、それで本当に満足できるんですか?」

 

 告げられたその言葉に、アタシは何も言い返せなかった。

 

「結局、私たちは競い合うことしかできないんです」

「それは……そう、だけど」

「どれだけ仲良くなったとしても、レース場に立てば、私たちは敵同士なんですよ」

「…………」

「でも、だからって悲しむことはありません」

「どうして?」

「戦い合う相手がいること。競い合える仲間がいること。それが、ウマ娘にとっての幸せだって、私は思っていますから」

 

 マチカネフクキタルの言葉には、それ以上の何かが込められていた気がした。

 

「アンタ……」

「あ、もうこんな時間ですか」

 

 当てもなく漏らしたアタシの声を遮るように、アイツが携帯を取り出して呟く。

 

「私はそろそろ行きましょうかね」

「そう」

「タイシンさんはご一緒しますか? それとも……」

「……うん。もう少し、ここにいる」

「そうですか」

 

 笑うと、マチカネフクキタルが立ち上がる。

 

「ではまた、二日後にレース場でお会いしましょう! ナリタタイシンさん!」

 

 

 あれから少し一人で考えて、門限を思い出して寮に帰ったところで。

 

「遅かったじゃないか」

 

 どうしてか玄関で待ち伏せているフジキセキに、捕まった。

 

「……今日は時間通りでしょ」

「ギリギリだけどね」

 

 返ってきた言葉に、面倒くささを感じて手で顔を覆う。

 

「で、何? アタシが遅れるのでも期待してた?」

「まさか。ただ、さっきから君のことを待ってる人が居てね」

「は?」

「ほら、やっと帰ってきたよ」

 

 訳の分からないアタシを置いて、フジキセキが呼びかける。

 するとすぐ隣の部屋で、どたばたと騒がしい音が鳴り響いた。

 けれどそれもすぐ収まって、気持ちの悪い奇妙な沈黙が流れ出す。

 そうして、こっそりと開けられたドアから、ひょっこりと顔を覗かせたのは。

 

「……タイシンちゃん?」

「クリーク」

 

 不安そうにアタシのことを見つめる、クリークだった。

 

「聞いたよ。ケンカしたんだって?」

「……そんな大層なモンじゃない。アタシが勝手に嚙みついただけ」

「青春じゃないか」

「うるさい」

 

 からかうようなフジキセキの言葉に、思わず荒い言葉が漏れる。

 それに怯えたのか、クリークはいつもよりかなりおどおどとしながら口を開いて、

 

「た、タイシンちゃん……?」

「……何」

「その、ごめんなさい。私、あの時、タイシンちゃんの言っていることが分からなくて」

「だから、そこでずっと考えてたってこと?」

「そうなの。でも、やっぱり私には……」

「分かるわけないでしょ」

「……ごめんね」

「謝らなくていい。それに、アタシもあんたと仲直りなんてする気、さらさら無いし」

 

 言ってやると、クリークは一瞬だけ目を見開いてから、今にも泣きだしそうな顔になって。

 ……こいつのこんな弱々しい顔、初めて見たかもしれない。

 きっと今までイジメとか、こういうケンカとかしたことなかったんだろうな。

 初めて見つけたコイツの弱みだった。今まで無敵だと思っていたけど、それは間違いだった。

 いい気味、ってわけじゃないけど。まあ、その、何だ。

 コイツもきちんと、アタシと同じウマ娘なんだ。

 

「クリーク」

 

 アタシに呼ばれたアイツは、涙を潤ませたまま頷いて。

 

「アンタから見たアタシは、無理ばっかりする無謀なウマ娘なんだと思う」

「それは……」

「いいよ。実際そうなんだから。今日のトレーニングだって、何度も死ぬかと思ったもん」

「……はい」

「だからアンタの言い分も分かる。その上で、アタシに優しくしてくれてるのも」

「それなら……」

「けどね」

 

 ドアに隠れているクリークの体を引きずり出して、その目をまっすぐと見つめながら。

 

「そうやって油断しているうちに、いつかアンタのこと追い越してやる」

「……タイシンちゃん」

「覚悟してよ。言っとくけど、アタシに優しくしているヒマなんて、ないから」

 

 言い放つと同時に、掴んでいた腕を離す。

 そのまま歩き出そうとして、ふとアイツがぽかんと立ったままのことに気づいた。

 

「……ほら、行かないの?」

「行くって……?」

「夕飯。アンタ、どうせ何も食べてないんでしょ? たまにはアタシが作るからさ」

 

 ぱぁ、と。

 さっきまで本当に泣いてたのか、と疑うほどに、アイツは明るい笑みを浮かべて。

 失敗した、と思うよりも先に抱き着かれたのもつかの間、そのまま体を持ち上げられて。

 

「ええ、ええ! 行きましょう、タイシンちゃん!」

「ちょっ……離せ! あーもうっ、言うんじゃなかった!」

「今日はおいしいもの、たーんと食べさせてあげますからね!」

「アンタ、さっき言ってたこと忘れたの!? 今日はアタシが……」

「フジ先輩! 遅くなりましたが、台所お借りしますね!」

「片付けはちゃんとしておくように」

「ちょっと、おい! アンタも見てるだけじゃなくて助けろって!」

「いいじゃないか、青春で」

「しばくぞ!」

 

 …………結局。

 いつもの三倍は張り切りだしたクリークに、山ほど夕飯を食べさせられて。

 洗い物をやる前に風呂に入れられて、出たら出たでアイスを握らされて。

 洗濯物ももう終わってて、洗い物もほとんど片付いていて。

 気づいたらあとは歯を磨いて、寝るだけになっていて。

 ……アイツ、アタシの話ちゃんと聞いてたのかな。

 

 

「タイシンちゃん」

 

 消灯時間からしばらくして。

 目を閉じてうとうとしていると、隣のベッドからクリークの声が聞こえてきた。

 ……珍しい。いつもなら早く寝ろって言ってるのに。

 

「起きてますか?」

「……起きてるけど。どうしたの?」

「いえ……」

 

 そこで一度会話が途切れて、妙な静寂が続く。

 何か話すなら、早く話してくれないかな。アタシだって今日は疲れて眠いんだし。

 そうやってしばらく待っているけど、やっぱりクリークは話さなくて。

 

 どうしたの、って声をかけようとした、その直前で。

 

 アタシの意識は、ふつりと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの後、タイシンちゃんを追いかけたんです」

 

「今のタイシンちゃんを一人にするのは危ないと思って、連れ戻そうと思って」

 

「でも私、タイシンちゃんに追いつけなかったんです」

 

「タイシンちゃん、ものすごく速くて。私じゃ追いつけなくて」

 

「…………」

 

「ねえ、タイシンちゃん」

 

「次こそは、あなたを追い抜きますからね」

 

 



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12

 

 翌日。

 

「いよいよ明日だね、模擬レース!」

 

 食堂に三人で集まってから、開口一番にチケットが言った。

 

「二人とも、ちゃんと出走登録した?」

「勿論さ。第一レースだったよ」

「え、ほんと!? アタシも第一レース!」

「……タイシン、君は?」

「アンタらと同じ」

「じゃあ、明日は久しぶりに三人で走れるんだね!」

 

 やったー、なんて両手を上げて喜ぶチケットに、思わずため息が零れた。

 久しぶりって言っても、つい三日前まで共同練習で散々走ったくせに。

 いつものことだけど、大げさすぎるんだって。

 

「前にも言ったと思うが、手加減は一切しないからな」

「当たり前でしょ」

 

 そんなことされるくらいだったら、こっちから退学届け出すっての。

 

「そうだよハヤヒデ! たとえタイシンが退学しちゃうことになっても……!」

「……なっても?」

「なって、も……なっ、ても……うっ……うう……!」

「ちょっと……」

「うわあぁぁああん! やっぱりイヤだよおぉぉぉおおお!!」

 

 耐えきれなくなったのか、大声で泣き始めたチケットに、思わず頭を抱える。

 わざわざこっちに飛びついてきて、体を抱きしめられたけど、無視を決め込むことにした。

 

「タイシン、行っちゃやだよぉぉおおお!」

「……まだ退学するって決まってないでしょ」

「もしもタイシンが行っちゃったら、アタシもトレセン学園やめるから!」

「何それ……関係ないでしょ……」

「だから絶対、アタシたちに勝ってよ! 約束だからね!」

 

 そうしてチケットは、涙を両手で拭いながら、

 

「きっと、これが三人で走る最後のレースなんだから!」

 

 ……何それ。

 

「どういうこと?」

「だってタイシン、このレースに勝ったらトレーナーさんのところに行くんでしょ?」

「まあ、そういう約束はしてるけど」

「そうしたら、今までみたいに一緒に練習できなくなっちゃうじゃん!」

「いや……」

「それにレースに出るようになったら、いつ一緒に出走できるか分かんないし!」

「…………」

「だから多分、これが最後になっちゃう……」

 

 呆れた。

 珍しく尻すぼみになったチケットに、思わずため息が零れる。

 そんなセンチになる性格じゃないのに、こういう時に限ってどうして。

 ……あー、もう。

 こういうこと、ちゃんと言わないといけないの、本当にコイツの面倒くさいところだ。

 

「アンタさ」

「うん」

「レース、出ないの?」

 

 アタシの言葉に、チケットはきょとんとした顔で首を傾げていて。

 

「そりゃ、出たいけどさ! でも……まだアタシ、チームにも所属してないし」

「だったら見つければいいじゃん。それで色んなレース出れば、走れるんじゃないの」

「でも……」

「なんでそんな弱気になってんのさ」

 

 アンタらしくない。見てるこっちがイラついてくる。

 引っ付いたままのチケットを引きはがして、まっすぐその目を見つめて。

 

「まだ誰にも言ってないけど……アタシ、有に出る」

「有……?」

「うん。そこで、アンタら二人のこと、待ってるから」

 

 確かに途中で三人と出会うのは、難しいかもしれない。

 どんなチームに入って、どんなレースに出るのかもバラバラだし。

 でも、アタシが一番上に昇りつめて、そこで二人を待つくらいなら。

 この二人のためならそれくらいできるって、そんな気がした。

 

「……有か。また、ずいぶんと大きく出たな」

「でも、それが一番分かりやすい待ち合わせ場所でしょ?」

「かもしれないな」

 

 呆れの混じった笑いと共に、ハヤヒデが呟く。

 

「じゃあ、まだみんなと走れるの……?」

「そう。もっとも、アンタの頑張り次第だけど」

「……うん、頑張る! アタシ、有に出るよ!」

 

 頷くと、チケットはまたいつもみたいにうるさくなった。

 本当、単純なんだから。

 

「有記念、絶対に三人で走ろうね!」

「ああ」

「うん」

 

 がんばるぞー、と叫ぶチケットと、そんなアイツを見て笑うハヤヒデを見て。

 どうしてか、すごく嬉しい気持ちになった。

 なんでだろう。安心できるっていうか、ほっとしたというか。

 ……そうだ。

 アタシ、まだこいつらと走りたいんだ。

 

 

「今日は、ウチの、勝ちやな!」

 

 空も茜色に染まり、烏が遠くで鳴き始めたころ。

 大の字になって寝転がるアタシに、タマモクロスが息を切らして言ってきた。

 

「……今の、何本目?」

「二十三本目」

 

 呟いた言葉に、トレーナーが短く返す。

 

「オグリが九勝、タマモクロスが七勝、タイシンが六勝、クリークが一勝か」

「なんやクリーク、今日は調子悪いんか?」

「いえ、そうじゃありませんけど……」

 

 言葉を濁しながら、クリークはちらちらとこちらへ視線を向けていた。

 ……まあ、アイツは勝ち負けとか関係ないみたいだし、手を抜いてるんだろう。

 それよりも。

 

「もう一本、いくよ」

「な……自分、まだ走るつもりなんか?」

「当然」

 

 確かにいつもなら終わるくらいの時間だけど、今日はそうもいかない。

 だって。

 

「明日は模擬レースだからだろう」

「……ああ、そういえばそうやったわ。何や、タイシンが出るんか?」

「そういうこと」

 

 知らなかったのか。

 いや、でもまあ、そうか。チームに所属してるウマ娘には、あんまり関係ないのか。

 なんて考えていると、タマモクロスは大きくため息を吐いてから、

 

「しゃーないな。どうせ明日はヒマやし見に行くか」

「……別にいいって」

「アホ。お前やのうて他のウマ娘や。ま、応援はしたるけどな」

「他の……?」

「この前、自分にも言ったやろ。ウチ、欠員が出てるって」

「……ああ、なるほど。スカウト?」

「せや」

 

 納得すると同時に、また新たな疑問が湧いてくる。

 

「そういったことって、トレーナーがするんじゃないの?」

「他のところはな。でも、ウチはウマ娘側が主導してそういうのをやるようにしとる」

「あんまり、そういうチームは聞いたことないけど」

「それが『センチネル』のやり方や。ま、その分、合わんヤツはとことん合わんけどな」

 

 そのせいで欠員も出てるし、なんて言いながら、タマモクロスが笑う。

 

「前みたいにオグリが来てくれたら、話は変わるんやけどな」

「……申し訳ないが、できない相談だ」

「分かっとる。こっちにもオグリを賄えるほどの金はないしなあ」

「すまない」

「ええて。そうや、クリークはどうや? 自分、まだ未所属やろ」

「私は……実は、前々から声がかかっているところがあって」

「え」

 

 クリークの言葉に、アタシを含めた三人の言葉が詰まる。

 ただトレーナーは何でもないように、ボードへの記入を続けていた。

 

「そうなん?」

「今は仮メンバーとして所属してます。トレーニングとかは皆と同じですけど」

「……オグリ、知っとった?」

「全く」

「タイシンは?」

「聞いたことないけど……」

「だって、今まで聞かれたことなかったんですもん」

「……自分、そういうところやぞ」

 

 うんうんと悩み始めるタマモクロスと、ごめんなさいね、と謝るクリーク。

 そんな光景をいつものように眺めているオグリキャップに、置いて行かれている感覚がして。

 

「トレーナー」

「なんだ」

「アタシたちは、どうするの?」

「チームの話か?」

 

 ボードに目を落としながらも会話には耳を傾けていたらしい。

 そうして一度、アタシと目を合わせたかと思うと、少し考えるようにしてから口を開いて、

 

「新設するつもりだ。手続きの書類ももう完成している」

「……それ、大丈夫なの? どっかのチームに入れさせてもらった方が……」

「それでは君の走りではなく、そのチームの走りになるだろう」

 

 告げられたその言葉に、思わず首を傾げた。

 

「どこかに所属するよりも、君は君の出たいレースで、好きなように走ればいい」

「そんなユルい考えでいいの?」

「自然体、と言えばいい。その方が勝てる。それに、何より」

「……何より?」

「新設すると予算が出る」

「ブレへんなあ、自分」

 

 そんなトレーナーの呟きに返ってきたのは、タマモクロスの笑い声だった。

 

「でも、新設するっちゅうことはメンバーが必要やろ。どうするんや」

「なるようになるだろう」

「……そういうところは曖昧なんですね」

「無論、努力はする」

 

 とにかく、とそこで一度間を置いて、

 

「チームのことはこちらで何とかする。だからタイシン、君は自分の走りができるように」

「……分かった」

 

 自分の、走り。

 それは何なんだろう、って考えようとしたところで、すぐに頭にそれが浮かんできた。

 有記念。三人で決めた、待ち合わせ場所。

 きっとアタシの走りってのは、そこまで行くまでの道のりなんだ。

 

「もう一本、行くぞ」

 

 聞こえたその声に、ゆっくりと立ち上がる。

 そうして、そこまでの道のりの、小さな一歩を踏み出した。

 

 



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13

 

「あ、タイシン来たよ!」

 

 チケットの叫びに気づいて、ハヤヒデもこちらに振り返る。

 

「おはよう、タイシン」

「……おはよ」

「タイシン、今日はいっしょにがんばろうね!」

「ん」

 

 がんがんと頭に響くチケットの声も、今はどうしてか落ち着いて聞くことができた。

 ……なんだろう。いつもなら緊張するはずなのに、今日はなんだか余裕がある。

 負けたら退学なのに。一位を取らなきゃ、ここで終わりなのに。

 そうやってこのレースにかけたことを思い出しても、押し潰されそうになることはなくて。

 諦めてるわけじゃ、ない。

 ここがスタートラインなんだ、ってはっきり言える。

 

「タイシン」

 

 思考を遮るように聞こえてきたのは、アイツの声で。

 

「あ、タイシンのトレーナーさん!」

「君は……ああ。あの日、タイシンを連れて行ってくれた」

「そうだよ! ウイニングチケットっていうんだ、よろしくね!」

「よろしく。そちらは……」 

「ビワハヤヒデだ。そうか、あなたがタイシンの……」

「……どうした?」

「いや、なるほど確かに、タイシンが気に入りそうだと」

「何言ってんのさ、アンタ……」

 

 突拍子もないハヤヒデの言葉に、怒りを通り越して呆れてしまう。

 てか、そんなこと一言も言った覚え、ないんだけど。

 勝手なこと言って、他のヤツらから勘違いされるのもダルいから、やめてよ。

 

「……で、アンタは何しにきたの?」

「まだレースまで時間があるから、調子でも確認しようと」

 

 そんなこと。

 

「余計なお世話だって」

「しかし」

「アンタの言う通りに、走ってきたでしょ」

 

 この三日間、アイツの言う通りに走ってきた。

 オグリキャップやタマモクロス、スーパークリークとも一緒に練習してきた。

 レースの感覚もだいぶ掴めてきたし、アタシがどういう走りができるかも分かる。

 あとは、本番でそれを試すだけ。

 

「とにかく、練習通りのレース運びを」

「分かってるって」

 

 コンディションも悪くない。脚の調子も、だいぶいい。

 これなら、いける。

 

「それと、レースが終わったらの話だが……」

「カジウラーーーーー!!!」

 

 どしん、と。

 視界の外から物凄い勢いで飛んできた何かが、アイツの体を吹き飛ばした。

 

「な……」

 

 あまりの突然の出来事に、思わず言葉が途切れてしまう。

 視線を真横へ動かして見えたのは、アイツが地面に仰向けになって倒れている姿と。

 その体にまたがりながら、カブト虫みたいに抱きついている、一人のウマ娘だった。

 身長はアタシと同じくらい。だからきっと、中学生くらいなのかな。

 着ているのはトレセン学園の制服。さっきの出来事で汚れてるけど、お構いなしらしい。

 そして何よりも目を惹いたのは、科学塗料で染めたみたいに青く染まっているツインテールで。

 

「……ツインターボ」

「どうしたの、カジウラ?」

「出会うなり抱きついてくるのをやめろ」

「えー」

 

 頬を膨らませるウマ娘――ツインターボに、アイツは疲れたような息を吐いた。

 

「何しに来たんだ、お前」

「カジウラがいたからあそびにきた!」

「理由になってないぞ、それ」

 

 また、ため息。口調もちょっと砕けてるし。

 

「俺は忙しいんだ。用がないなら桐谷のところへ帰れ」

「忙しいの? なんで?」

「彼女のレースを見ないといけない」

「レース? あ、そっか! カジウラが可愛がってる娘でしょ! キリヤからきいたよ!」

 

 ぽん、と手を叩いたソイツが、ふとこちらを向いて。

 

「……………………どれ?」

「失礼だぞ」

 

 眉間に皺を作りながら呟いたソイツを、トレーナーがようやくどかして立ち上がる。

 

「すまない、うるさいのが邪魔した」

「いや、それは問題ないんだが……」

「もしかして、その娘もトレーナーさんが担当してる娘なの?」

「違う。同期の担当で、たまに面倒を見てやってるだけだ」

「え、そうなの!?」

「……ちょっと待て。お前は俺と桐谷を何だと思ってるんだ?」

「トレーナーとお手伝いさん……」

「完全に逆だ」

 

 頭を抱えながら、アイツが二度目のため息。

 ダメだ、ここにいると全然集中できない。

 二人の関係も気になるけど、それ以上にこの会話を聞いてるとバカになりそうだった。

 

「……漫才してるんなら、アタシは行くよ」

「いや、すまない。俺ももう行く。人探しをしてこないといけなくなった」

「え! カジウラどっか行っちゃうの!?」

「お前のトレーナーを探しに行くんだよ」

 

 言うと、アイツは制服の襟をつかんで、ずるずるとツインターボを引っ張っていった。

 

「……なんていうか、面白い人だよね。タイシンのトレーナーさんって」

「マヌケなだけでしょ」

 

 チケットにそんなことを言われる時点で、相当だとは思うけど。

 

「しかし、あのツインターボと知り合いだとは思わなかったな」

「なに、アイツのこと知ってるの?」

「かなりの暴れウマだと聞いたことはあるが」

「うん。ターボちゃん、うちのクラスでも有名だよ。すっごく逃げるんだって!」

「……これ、もしかしてアタシが知らないだけ?」

「かもしれないな。有名だぞ」

 

 そうなんだ。他のヤツらのこととかあんまり興味なかったから、気にしたことすらなかった。

 ……これからレースに出ることになるんだし、もっといろいろ調べた方がいいのかな。

 

「でも、あのターボちゃんの担当してるなんて、タイシンのトレーナーさんはすごいね!」

「アイツからしたら普通なんじゃない? この前、オグリの担当してたって言ってたし」

「ということは、何人かを掛け持ちしてたんだな」

「そうみたい。担当はしたことないらしいけど」

「あの二人を手懐ける実力があるのに、か」

 

 そこでハヤヒデは、ふむ、と一度考えるような素振りを見せてから、

 

「一体、彼はどうして君の担当を引き受けてくれたんだろうな」

 

 そんなの、と答えようとしたところで、言葉が喉の奥で詰まる感覚がした。

 確かに、アタシとアイツはこのレースに向けて約束した。

 アタシはアイツしか信じないから、アイツにトレーナーになってほしいために。

 アイツも自分の力量に自信がないって言ってたから、それをアタシが証明するために。

 このレースで一位を獲って、その約束を果たすんだ。

 ……でも。

 アイツと出会った他のウマ娘だって、それだけの想いがあったかもしれない。

 トレーナーになってほしいって思ったヤツだって、いるかもしれないのに。

 アイツはなんで、アタシに答えてくれたんだろう。

 他のヤツでもよかったんじゃないの、なんてことを今更言うつもりはない。

 でも、やっぱりそれは気になる。

 あの夜、アイツはどうしてアタシのことを見ていたんだろう。

 

「……知らないよ、そんなこと」

 

 黙ってアタシのことを見つめるハヤヒデに、アタシはそう答えることしかできなかった。

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 時間も過ぎて、そろそろ第一レースが始まろうとするころ。

 ターフに出ると、マチカネフクキタルのそんな長すぎるため息が聞こえてきた。

 ……そういえばいたな、こんなヤツ。

 

「ようやく本番だな、タイシン」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

「タイシン、がんばってよ! アタシたち、まだ一緒に走りたいんだから!」

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

「…………まあ……頑張るけど…………」

「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

「新しくなったタイシンの走り、楽しみにしてるぞ」

「のほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

「アタシもだよ! どんな感じなのか、今からワクワクしてきた!」

「んひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

「…………」

 

 …………。

 

「ごめん、ちょっと行ってくる」

「集中したいのか? だったら悪かった、私たちは行くよ」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「それじゃあ、またレースのあとでね! タイシン!」

「ああ、うん…………」

 

 そうやって、ゲートに入っていく二人を見送ってから。

 さっきから隅っこで変な声を上げているマチカネフクキタルに、声をかけた。

 

「どうしたの」

「やや、あなたはナリタタイシンさん! 聞いてください、聞いてくださいよ!」

 

 やっぱり無視しときゃよかった……。

 

「今回のレース、私にとって最悪の結果になりそうなんです!」

「……この前、大吉引いたんじゃないの?」

「そうなんです! でも、見てくださいよ、これ!」

 

 そうやって、無駄にデカい声でマチカネフクキタルが自分のゼッケンを見せてくる。

 引っ張られたそこには、四番の文字がでかでかと刻まれていて。

 

「……四番? ああ、アタシの隣……」

「そう! 四番なんですよぉ!」

「うわっ」

 

 わなわなと肩を震わせながら、マチカネフクキタルはがしりと肩を掴んできた。

 よく見れば瞳には涙が潤んでいるし、空いている口元からは半分涎が零れている。

 それを指摘しようしたアタシの言葉を遮りながら、コイツがまた喋りだして、

 

「四番! ()番ですよ!? 分かりますか、この数字の不吉さが!」

「いや……まあでも、そんなこと気にしなくても……」

「気にするに決まってるでしょうがあッ!」

「うるっさ!」

 

 わざわざ耳元に近づいて叫ぶな! 頭に響く!

 

「ああ、どうしましょう……まさかレース本番でこんな不吉なことが起こるなんて……」

「決まりなんだから仕方ないでしょ」

「タイシンさん、気を付けてください! このレース、何が起きてもおかしくないですから!」

「何が起きてもって……」

「もしかすると、誰かが死ぬかも……! ああ、いけません! すぐに学園側に連絡を……!」

「やめとけって!」

「うェ」

 

 踵を返して、そのままどこかへ行こうとするマチカネフクキタルを止める。

 

「止めないでください! このままでは助かる命も助かりませんよ!?」

「模擬レースで死ぬわけないでしょ!」

「いいや、その考えが甘いんです! それで何かが起きたら遅いんですからね!?」

「あーもう、ウダウダ言ってないでさっさとゲート行けって!」

 

 未だにどこかへ走ろうとするコイツを、無理やりゲートの方まで引きずっていく。

 なんでこんな、レース前から疲れることしなきゃいけないんだ。

 本当、面倒なヤツと知り合いになった。今になって後悔が強くなっている。

 

「ちょッ……タイシン、さん? ち、力つよッ……」

 

 開いている四番のゲートにマチカネフクキタルを投げ込んで、アタシもその隣に。

 かたかたと震えるアイツの向こうには、チケットとハヤヒデの姿が見える。

 ……目の前のコイツの存在感がデカすぎるから、あんまりよくは見えないけど。

 

「ちゃんと走りなよ」

「で、でもぉ……」

「アンタの限界は、運で決まるわけじゃないでしょ?」

 

 そんなアタシの言葉に、アイツはすごく悩んで、そのまま黙り込んでしまった。

 悪いこと言ったかな。あれだけ運気を気にするヤツだから、ちょっとは癪に障ったかも。

 でも、それで限界を決めてるなんて、そんなこと。

 

「……他人を気にしてるヒマないか」

 

 自分に言い聞かせて、姿勢を正す。

 左脚を引いて、右腕を胸の前に。目線はずっと先、コーナーの向こう側へ。

 呼吸を整えると、周りの音がずっと遠くへ消えていくような感覚。

 瞬きすらも忘れた瞳が乾いたのに気づいて、それを潤すために静かに目を閉じる。

 全ての音が遠ざかっていき、自分の心臓の鼓動だけが聞こえる暗闇の中で。

 がこん、と。

 ゲートの開く音が、した。

 

 



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14

卒論とか試験とかやってたらめちゃ遅れてしまいました 申し訳ね~
あとちょっとアンケートしたいことがあるんでよかったら最後まで読んでくれると嬉しいです


 

 絶え間なく聞こえる足音で、耳が塞がれる感覚。

 視覚と触覚だけしか頼ることのできない、緊張感。

 そして何よりも、前を走るアイツらの圧が、どっ、と全身に襲い掛かってきた。

 びりびりと肌が震える。アイツらのターフを踏みしめる衝撃が、実際に空気を揺らしていた。

 ここまでは、いつも通り。あまり好きじゃない、けど嫌いにはなれない、レースの感覚。

 だけど、いつもと違うのは。

 

「……重く、ない」

 

 ふと思ったそんなことを呟けるくらい、今のアタシの体は軽かった。

 緊張感は伝わってくる。プレッシャーだって、確かに感じられる。

 でも、それはオグリキャップやタマモクロスと走った時のものより、遥かに軽いもので。

 きっとアイツらと走らなかったら、アタシはいつも通り、気圧されてたんだろうな。

 久しぶり、でもいつもとは少し違うレースの感覚に体を慣らしながら、第二コーナーへ。

 ここまでのペース配分はいい感じ。コースの取り方も悪くない。スタミナも有り余ってる。

 問題があるとすれば――

 

「ッ……!」

 

 前が、見えない。

 そりゃそうだ。オグリキャップたちと走った時は、たったの四人しかいなかったんだから。

 模擬レースの人数は九人。倍以上の人数がいるんだし、前が見えないもの当然か。

 もっと背が高かったら、見えたんだろうけど。今更そんなことを言っても遅い。

 ……どうする?

 先頭を確認せずに走り続けるなんて、できるわけがない。

 だからといって、今になって走り方を変えるなんて、それこそ不可能だし。

 考えろ。体力はまだ余ってる。ペースだって乱れずにここまで来れてるんだから。

 あと一つ、今の順位をキープしたままで、先頭の様子を伺う方法。

 それさえ見つけられれば、勝てる。

 

「はッ……クソッ……!」

 

 ……ホント、こんなことになるんだったら、ちゃんと身長伸ばしておくんだった。

 そうすれば前のヤツの背中から、ひょい、ってのぞき込めるし。

 というか、アタシ以外のヤツらが軒並みデカいのが悪い。なんなんだ、ホント。

 いつもの授業だってそうだ。黒板見えないから、机をちょっと横にズラさないといけないし。

 体が小さかったら板書すらマトモにできないのか。あーもう、イライラする。

 ……ダメだ。余計な方に考えが寄って行ってる。レースに集中しないと。

 とにかく今は、先頭の様子を伺う方法を……。

 …………。

 ……あ。

 

「横、か」

 

 コースを大きく膨らませながら、集団の外側、斜め後ろの位置へ。

 足音と空気の揺れる音が遠ざかって、レースから弾き出されたような感覚になる。

 だいぶスタミナを使うことになったけど、スパートをかける分は残ってるから問題ない。

 

「……見えた」

 

 先頭は……ハヤヒデか。やっぱり、というか当然というか。

 チケットは真ん中あたり。そのすぐ後ろくらいにマチカネフクキタル。

 ……うん。ペースはつかめた。それにハヤヒデなら堅実に、コーナーで勝負してくるはず。

 だったらアタシは、それに正面からぶつかるだけ。

 第四コーナーに差し掛かると同時に、脚に力を込める。

 前に並んでるのは、八人。ハヤヒデとの距離も、そこまで離れてない。

 ――いける!

 

「おぉぉぉおおおッ!」

 

 大地を蹴って前へ突き進むと、景色がぐん、と背後に引っ張られる。

 並ぶ背中を追い抜いて、そのまま先頭集団に。一瞬、ハヤヒデの視線がこちらに向いた。

 驚いてる。初めて見るハヤヒデの表情(かお)だ。

 そりゃそうか。先頭を走ってたら、急にアタシが並んできたんだから。当然か。

 ……はは。

 

「悪いね」

 

 アタシの呟きが聞こえたのかは、分からないけど。

 過ぎ去っていくハヤヒデの口元には、どうしてか笑みが浮かんでいるのが、見えた。

 

 

「走り方、変えたのか?」

 

 レースを走り終えた、その直後。

 ターフで息を整えていると、ハヤヒデが後ろからそんな声をかけてきた。

 

「まあ、ね」

「あの位置から追い上げてくるなんて、正直思わなかった。驚いたぞ」

「みたいだね。追い抜いた時のアンタの顔、面白かったよ」

「そうだな。今回ばかりは、何も言い返せない」

 

 呆れたように肩をすくめるハヤヒデに、思わず笑みが零れる。

 ……レースで一着をとったの、いつ以来だろう? 少なくともここ数ヶ月はなかった気がする。

 そう考えると、さすがに飛んで喜んだりはしないけど、じわじわと達成感が込み上げてきた。

 勝てるんだ、アタシ。アイツの言ってること、ウソじゃなかったんだ。

 ……よかった。

 

「そういえば、チケットは……」

「タイシーーーン!!!」

「うわっ!?」

 

 振り向いた矢先、全力で飛びかかってきたチケットに抱き着かれた。

 

「タイシンおめでとー! あの追い上げ、ほんと凄かったよ!」

「ちょっと! 暑いから離れろ!」

「これで退学しなくてもよくなったね! アタシ、まだタイシンと走れるんだ! よかったー!」

 

 ……ああ、そっか。

 そんな話も、してたっけ。

 

「自分のことなのに、忘れてたのか?」

「レースに集中してたから」

「か」

「か……?」

「かっこいいーー! かっこいいよ、タイシン!」

「あーもう! 事あるごとに抱き着いてくんなって!」

 

 こちらのことなどお構いなしに迫ってくるチケットを、いつもみたいに無理やり押し退ける。

 

「二人とも、じゃれ合うのはいいが場所を移すぞ。次のレースが始まる」

「じゃれ合ってないんだけど?」

「それにタイシン、君には結果を報告する人がいるんじゃないか?」

 

 ハヤヒデの放ったその言葉に、先にチケットが何かに気づいたように声を上げて、

 

「そういえばタイシンのトレーナーさんは?」

「……知らない。どっかで見てたんじゃないの?」

「探しに行った方がいいんじゃないか? きっと待ってるぞ」

「だったらアタシ、探してくるよ! きっと向こうの方にいるかも!」

「勝手に行くなって!」

 

 それにチケットが行くの一番意味わかんないでしょ! 行くならアタシが先だって!

 なんてアタシの言葉なんてアイツに届くはずもなく、走り始めたチケットを二人で追う羽目に。

 レース直後なのに、どこにあの体力が余っているのかは、未だにわからなかった。

 

「あ、いたよ! ほら、あそこ!」

 

 声を上げたチケットの視線の先に、レースの観客の中で誰かと話しているアイツの姿が見えた。

 相手は人込みに紛れて分からないけど、なんだか疲れている様子は、遠くからでも伺えた。

 ……というか、レースに勝ったアタシより、誰かと話す方が先?

 ふーん。

 

「ちょっと」

 

 気づけば、チケットとハヤヒデよりも先に、アイツに話しかけていて。

 振り向いたアイツは、ああ、と思い出したように、手を挙げて返してきた。

 

「勝ったのか?」

「勝ったけど。見てなかったの?」

「人探しをしていたから、見れなかった」

「は? 何それ、言い訳?」

「そんなつもりはない」

「だったら、自分の担当の走りくらい、見とけっての」

「だが、勝っただろ」

「……うん」

 

 するとアイツは、自分の拳をアタシの前に突き出して。

 

「よくやった」

「……ありがと」

 

 こつん、と。

 アタシも自分の拳を、合わせた。

 

「アツアツだねえ、お二人さん」

 

 なんて、急に声をかけられて、初めてアイツの話し相手の方へ目を向ける。

 男だった。背はアイツよりも低いけど、そもそもアイツが高いから、十分高い方。

 長い髪を後ろでまとめていて、なんだからとろんとした、気の張ってない目元が印象的だった。

 トレーナー、なんだろう。アイツと話してたし、胸にトレーナーバッジついてるし。

 そして何よりも、コイツの隣にツインターボがいるのが、決め手だった。

 

「勝ったんだな! えーと……」

「……ナリタタイシン」

「そうか、タイシンだな! さすがはカジウラが可愛がってる娘だ!」

「だから何なのさ、それ」

 

 ってか。

 

「カジウラって、アンタのこと?」

「ああ」

「……名前、今初めて聞いたんだけど?」

「聞かれていないからな。実際、今まで問題はなかっただろう」

「…………」

「…………」

 

 …………。

 

「け、ケンカか……?」

「違う。呆れてるだけ」

「ごめんなー。コイツ、昔っからこういうヤツだからさ。何となく分かると思うけど」

 

 ははは、なんて頭の後ろに手をやりながら、ソイツは続けて、

 

「僕は桐谷。梶浦とは昔っからの付き合いでね。よろしく」

「……よろしく」

「今はチームの運営の相談をしてたんだ。すまないね、彼を引き留めてしまって」

「別に……」

「ところで、向こうの二人は君のお友達?」

 

 何かに気づいたコイツ――キリヤの視線に、首を傾げながら振り返る。

 するとそこには、遠くでアタシのことを見つめている、ハヤヒデとチケットの姿があった。

 

「なんでそんな遠くにいんの」

「まあ、その……何だ」

「タイシンとトレーナーさんの邪魔しちゃダメだと思って!」

 

 どいつもこいつも変な誤解ばっかりしてて、怖いんだけど。

 しばらくすると二人は一度顔を見合わせてから、こっちに歩いてきて。

 そこでアイツが、ようやく二人に気づいたように手を挙げた。

 

「君たちか」

「タイシンのトレーナーさん、こんにちは! タイシンの走り、すごかったでしょ!」

「すまない、人探しをしていたから見てない」

「え」

「だが、勝ったのは分かる」

「そうなんだ! つまり、以心伝心ってやつ!? すごい!」

「よく分からないが、多分そうなんだろう」

「ってことは、今タイシンが考えてることも分かるの!?」

「ああ」

「んなわけないでしょ」

 

 出会うたびに漫才するの、やめてほしいんだけど。

 

「君が、あのツインターボのトレーナー?」

「そうだよ。君はハヤヒデちゃん……だったっけ。長い付き合いになると思うから、よろしくね」

「……というと?」

「実はターボたちのチーム、もう一人募集してるんだ!」

「そのスカウトを今回の模擬レースでやろうと思っててさ」

「でも、一着のタイシンはカジウラにとられちゃったからなー」

「……そこで、だけどさ。二着の君、どう?」

 

 なんだかアタシを置いて、話がどんどん進んでる。

 ただでさえ人が多い上にそれぞれで変な会話をしてるから、ごちゃごちゃしてきたし。

 というか、メンバーを募集してるチームって確か、もう一個……

 

「そのスカウト、ちょっと待ったァー!」

「げ、タマちゃん!?」

 

 あーもう、またうるさいヤツが!

 

「何やキリヤ、その反応は! ウチがいたらいかんのか?」

「だってタマちゃん、人が目ぇつけてた娘、ぜんぶ取っちゃうもん」

「そんなことないで? なあ、オグリ? クリーク?」

「強引だとは私も少し思うぞ」

「でも、そこがタマちゃんのいいところだと私は思いますよ?」

「否定しいや! 変なフォローはいらんねん!」

 

 とにかく、とオグリキャップとクリークの言葉を跳ねのけながら、タマモクロスが続ける。

 

「さっきの走り見とったで、ビワハヤヒデ」

「ああ……それはどうも」

「でな、単刀直入に聞くけどな? 自分、チームに入る気あるか?」

「勧誘があれば、喜んで」

「だったらウチ(センチネル)に来たらええ! ほらほら、こっちこっち!」

 

 珍しくハヤヒデが流されてる。そうしてタマモクロスにされるがままに、向こう側へ。

 ……やっぱり、かなり強引だと思うんだけど。

 

「決定やな! センチネル、五人目のメンバーはビワハヤヒデや!」

「ちょっとー、だから取らないでって」

「アホ、こんなん早い者勝ちやねん。チンタラしとる方が悪いわ」

「そういうところじゃないの……」

「うっさいタイシン! 元はと言えば自分がソイツの予約済みなのが原因なんやで!」

 

 びし、なんて効果音が聞こえてくる強さで、タマモクロスが指をさしてくる。

 でもまあ、ハヤヒデからすればよかったんだとは思う。

 前々からレースには出たがったし、それにタマモクロスのチームなら優秀そうだし。

 ……となると。

 

「じゃあ君……チケットちゃん、だったかな。ウチくる?」

「え、いいんですか!」

「君だって三着だったしね。素質はある。どうかな?」

「行きます! アタシも、ハヤヒデやタイシンと走りたいです!」

「うん、そっか。それなら一緒に頑張ろうね」

 

 そんな感じで、とんとん拍子に事が進んでいって。

 ようやく話も纏まったみたいだし、やっと落ち着ける……

 

「あれ、スズカ? おーい、スズカ! こんなところで何しとんねん!」

 

 ……頼むから、これ以上話をややこしくしないでほしい。

 なんてアタシの意志とは裏腹に、こっちらに振り向いたのはサイレンススズカだった。

 詳しいことは知らないけど、他のヤツらに疎いアタシでも知ってる有名人。

 そんなアイツは、こちらにやってくると、アタシたちを一瞥してから、首を傾げて、

 

「……えっと、これってどういうメンツですか?」

「ま、メンバーのスカウトしてたら色々あってな。スズカは?」

「私は友達の……フクキタルのレースを見に来てて」

 

 その言葉で初めて、彼女の背後で縮こまっているマチカネフクキタルに気が付いた。

 ……居たな、そういえば。すっかり忘れてたけど。

 

「あん? ああ自分、さっき八着だったヤツか」

「言わないでくださいよ! うう、これも四番を引いてしまったが故の悪運っ!」

「こればっかりは関係ないと思うけど……」

「せや、スズカ。ウチの新メンバー決まったで。コイツ、ビワハヤヒデや」

「よろしく」

「ああ……どうも」

「よかったな、スズカ。初めての後輩やんか。ちゃんと指導せえよ?」

「後輩って言っても、ほとんど同期ですけど……」

「だが、レースの経験は上だろう。よろしく頼む、先輩」

「どうしてそんなにノリノリなの?」

 

 ハヤヒデの言葉に、サイレンススズカはきょとんとした顔のまま首を傾げていた。

 というか、サイレンススズカってタマモクロスのチームメンバーだったのか。

 この時点でかなり強いメンツが揃ってる。残りのメンバーも気になるけど。

 なんてことを考えていると、縋るように周囲を見渡しているマチカネフクキタルと目が合って。

 ……まずい。

 

「タイシンさーん!」

「こっち来ないでよ……」

「そんなこと言わないでくださいよ! 一緒に走った仲じゃないですか!」

「……悪いけど、あんまり見てなかったかも」

「そんなぁ!」

 

 変に高くて特徴的な声が、頭にがんがんと響き渡る。

 今日はもう疲れたから、あんまり関わりたくないんだけど。

 というか、今すぐここから立ち去りたい。人口密度がおかしくなってるし。

 だんだん話もこんがらがってきたし、どうやって収拾つけるつもりなの、これ。

 

「……俺たちも、誰かチームにスカウトする流れか?」

「話の流れ、一個遅れてるって」

「しかし、新設するにあたって人員は必要だろう」

 

 それは、そうかもしれないけどさ。

 でも、チームを募集してるウマなんて、そんな都合よくいるわけ……。

 

「あれ、タイシンさんのところ、チーム作るんですか?」

「そうだけど、何?」

「私、実はまだ未所属で……」

「そうなのか?」

「………………」

「………………」

「見つめ合うな見つめ合うな!」

 

 叫ぶアタシに構うことなく、マチカネフクキタルは手を合わせて、

 

「なんたる僥倖! シラオキ様のお導きとはこのことだったのですね!」

「だからそれ意味わかんないって……」

「決まりだな。それとオグリ、来てくれるか?」

「私か?」

「ああ。お前もチームメンバーに入れる。問題ないな?」

「……いいのか?」

「構わない」

 

 迷いのないアイツの言葉に、オグリもこちら側へ。

 そんな二人のやり取りを見ていたクリークも、何かに気づいたように手を叩いて、

 

「じゃあ、私はこっちに行った方がいいですかね?」

「……クリーク? あんた、もしかして仮メンバーの話って……」

「ウチだよ。ターボちゃんたちの相手をしてくれるから、すごく助かっててね」

「お世話のし甲斐がある子たちがいて、私も居心地いいんですよ」

 

 頬に手を当てながら笑うクリークの言葉で一度、会話が途切れる。

 そうしてアタシたちをぐるっと見まわしたタマモクロスが、口を開いて、

 

「なるほど、すっかりバラバラになってもうたなあ、三人とも」

 

 そこで初めて、アタシたちがそれぞれ三つに分かれていることに気が付いた。

 ハヤヒデのところには、タマモクロスとサイレンススズカ

 チケットのところには、ツインターボとクリークに、トレーナーのキリヤ。

 そしてアタシのところには、マチカネフクキタルとオグリキャップ、トレーナーのカジウラ。

 

「三國志でも始めるつもりなんか?」

「……アンタたちが勝手に取ってったんでしょ」

「僕はそんなつもりなかったんだけどねぇ」

「チケットを取っていったの、アンタでしょ」

「でも、これでタイシンもハヤヒデもアタシも、レースに出られるってことだよね?」

「そこは私たちの頑張り次第だろう。まあ、勝ち進めば最後は同じところに行き着くだろうが」

「……せいぜい早めに来てよね、二人とも。有記念で、待ってるから」

 

 チケットとハヤヒデ、それぞれと視線を交わすと、二人とも確かに頷いてくれた。

 

「有記念か。大層な自信やなあ、タイシン?」

「別に。アタシなら勝てるって、コイツが言ってたから」

「そーかそーか。ほんならウチらも負けてられへんな、ハヤヒデ! スズカ!」

 

 なんて、急に名前を呼ばれて驚いた二人へ、タマモクロスが声を張り上げて、

 

「今年のチーム『センチネル』の目標は、有でお前らを勝たせることや! ええな!?」

「ええと……加入するときそんな話は一度も……」

「返事ィ!」

「は、はい!」

「……ああ」

 

 ハヤヒデの返答に続いたのは、今までのやり取りをぽかんと見ていた、ツインターボで。

 

「なーなー、キリヤ? みんな有に出るのか?」

「みたいだね。ターボちゃんも出たい?」

「もちろん! 有に出て、みんなで走りたい!」

「じゃあ、ターボちゃんもタマちゃんみたいに言ってみたら?」

「それなら……」

 

 言われるがまま、というか流されるがままに、ツインターボは一歩前に出て、

 

「今年のチーム『ホライゾン』の目標は、有に出て、みんなと走ることだ!」

「……走るだけでいいんですか? 勝つとかじゃなくて?」

「もちろん、勝つよ! だってターボ、走れば絶対に勝てるもん!」

「ほとんどターボちゃんの目標になっちゃったねえ」

「でも、私は賛成だよ! 有に出て、タイシンやハヤヒデと走りたいもん!」

「そうか、チケットは賛成か! おまえいいヤツだな!」

 

 ……あそこのチームとはあまり関わらないようにしよう。明らかにノリが合わない。

 とにかく、どういうノリかは分からないけど、二人のチームの目標は決まったわけで。

 

「そういえば、私たちのチーム名は決まってるんですか?」

「さあ。私は何も聞いていない。というより、私がチームに入るのを今知ったからな」

「そこのとこ、何か考えてるの?」

 

 問いかけると、トレーナーは少しだけ考えてから、小さく呟いた。

 

「……ラストスタンド、というのは……どうだろう?」

「ふーん」

「そうか」

「なるほどですね」

「……すまない。変だったら全員に任せる。こういうのはあまり慣れてなくて……」

「いいじゃん、チーム『ラストスタンド』で」

 

 ラストスタンド(最後方に立つ者)。アタシの今の走り方と合ってて、いい感じ。気に入ったかも。

 そう考えていると、ふとタマモクロスとツインターボが、こちらを見つめていることに気づく。

 ……だから、そういうノリは苦手なんだってば。強要するの、普通にダルいんだけど。

 でも、そうか。このチームは実際、アタシとコイツで始めたようなモンなんだ。

 じゃあ、アタシ以外にいないか。

 

「チーム『ラストスタンド』の目標は、有で一着を取ること。これでいい?」

「はい、賛成です!」

「私もだ」

 

 二人も遠慮してるわけじゃない。アタシの掲げた目標に、ついてきてくれるみたい。

 むずがゆくなった頬をかいていると、またタマモクロスが大きな声を張り上げて、

 

「よし、決まりや! 新生『センチネル』、今からトレーニングしに行くで!」

「い、今からか? 私はこの後、少し用事が……」

「そんなもん後でええ! スズカもや! 今年はお前ら二人、ビシバシいくから覚悟しとき!」

「ええ……」

「思いっきり走らせたるから! しっかりついて来るんやで! ええな!?」

 

 そうやって二人を引き連れて、タマモクロスたちがその場を後にする。

 

「ターボたちもいこ! 有で走るために、たくさんトレーニングするんだ!」

「うん! アタシも今日から頑張るよ!」

「……元気な子がまた増えたねぇ。どう思うよ、クリークちゃん?」

「私はいっぱいお世話できて嬉しいですよ?」

「言うと思ったよ」

 

 なんて会話を広げながら、ツインターボたちもトレーニングのために立ち去っていく。

 

「さて、私たちはどうする?」

「やっぱりここはトレーニングでしょう! 私たちだって負けてられませんし!」

「二人はやる気みたいだけど。どうするの?」

 

 そうやって投げかけた言葉に、アイツはアタシたちの目を一度見てから、言った。

 

「……焼肉、行きたくないか?」

 

 




スマブラ並みの人数に増えて読みづらくなってしまった もっと考えて流れを作ります

アンケートなんですけど、投稿頻度に関してです
今まではキリのいいところまで書いたらすぐに投稿してたんですけど、それだと文字数が多くても5000とかになっちゃうんですよね。それで、もしかしたら一話あたりの文字数もっと多くしてほしい(多分そうしたら今回くらいの文字数になるかも)とか、あるいはもう少し書き溜めてから定期的に投稿してほしいみたいなお声があったら、そっちの方向に執筆の仕方を変えたいと思います(まあエタるときはエタるんですが……)。
よろしければ投票の方お願いします~ 自分で決めれなくてすまん


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15

卒論とかゼミとかApexとかでめっちゃ時間空いてしまった~すんません


 

「まさか焼肉をご馳走していただけるなんて思いませんでしたよ! これもシラオキ様のお導きですね!」

 

 なんて、自分の分の肉を箸でよそいながら、隣のフクキタルは喜んでいた。

 

「本当はオグリへの報酬だったんだが、チーム新設祝いも兼ねて丁度いいだろう」

「ああ。ご飯は皆で食べた方が旨いからな」

「それもそうですね! あ、タイシンさんこの焼けてるヤツもらってもいいですか?」

「……取ってから聴かないでよ」

 

 自分の分は確保してるから、別にいいっちゃいいんだけどさ。

 というより、もっと気になるのは。

 

「しかしトレーナー、本当に私がここに来てもよかったのか?」

「食べ放題らしいからな。好きに食うといい」

「……わかった。ありがとう」

 

 一つ離れた席に座っているオグリが、嬉しそうに頷いた。

 特例らしい。席へ通された時に、トレーナーが諦め半分で説明していた。

 まあ、一緒の席に居たら、きっと私たちが食べる分が無くなるだろうから、助かるんだけど。

 目の高さまで盛られた白米を口へ運ぶアイツを置いて、トレーナーが水の入ったグラスを握る。

 

 

「ひとまず、模擬レース優勝だ。おめでとう、ナリタタイシン」

「……ありがと」

「それに、マチカネフクキタルとオグリキャップも。チームへの加入、心から歓迎する」

「こちらこそありがとうございます、ですよ! タイシンさん、オグリさん、よろしくお願いしますね!」

「よろしく」

 

 箸を握ったまま親指を立てるオグリに、フクキタルも笑顔で返していた。

 ……この二人とアタシが、初期メンバーか。イロモノしかいないから少し不安だけど。

 でも、ここから始まるって考えるのなら、それも悪くないって、そう思えた。

 グラスを煽る。干上がっていた喉が、潤いを取り戻した。

 

「でも、本当にいいんでしょうか」

「何がだ?」

「他のチームはみんな練習しているのに……それこそ、今日の私の結果なんて散々でしたし」

「よそはよそ、うちはうちだ」

 

 フクキタルの言葉に、アイツがそう答えながら、運ばれてきたカレーに手を付け始めた。

 ……焼肉屋でカレー頼むなよ。同席してるこっちが恥ずかしいんだけど。

 

「それに、メンバーのことも考える必要がある」

「ああ、それってどうするの?」

「最低で五人は必要になる。タイシンのメイクデビュー戦までには揃えて置きたい」

「……となると、二週間後か?」

「そうなるな」

 

 オグリの言葉に、アイツが頷く。

 そうか、オグリはもう出走経験があるから、レースのスケジュールはある程度把握してるのか。

 というか、アタシのデビュー戦って二週間後なんだ。思っていたよりも早かった。

 ……本当にレースへ出られるんだ、アタシ。

 

「こちらもないわけではない、が……誰か、知り合いか友人にアテはいるか?」

「アタシはさっきのでほぼ全滅してる。みんなバラバラ」

「私の同期も殆ど出走経験があるから、既にチームには所属しているな」

「うーん……私には何人かいるんですが……聴いてみないと分からないですねえ」

「……まずは、そこから始めるか」

 

 サラダを咀嚼してから、アイツは特に差し迫ったような表情も見せずに言った。

 まあ、コイツにもアテはあるって言ってたし。それに最悪、名前を借りるだけでも何とかなりそうだし。

 アタシとしては、オグリやフクキタルに比べて、もう少しマトモな感性のヤツが入ってくれると助かるんだけど。

 それも実際になってみないと分からない、か。

 

「とりあえず、三人には明日からチームとして活動を行ってもらう」

「手続きなどはどうすれば?」

「このあと、こちらで行っておく。そうした事務作業は俺の仕事だからな」

 

 そうしてカレーを食べ終えると、アイツは水を一度飲んでから、急に席を立った。

 

「ちょっと、どこ行くのよ」

「一服してくる」

 

 振り向かずに答えて、そのまま店の外へ出ていったアイツに、フクキタルと顔を見合わせた。

 いや、ヤニの匂いはしてたから、驚きはしないし、別に吸うなとも言わないけどさ。

 もっとこう……なんというか。

 

狗尾草(えのころぐさ)みたいな人ですねえ」

「……なんて?」

「ほら、掴もうとしても掴めないじゃないですか」

 

 困り顔だったフクキタルは、けれど肉を口に入れるとすぐに、明るい表情になった。

 

「とにかく、メンバー集め頑張りましょうね! オグリさん、タイシンさん!」

「ああ」

「……そうだね」

 

 アタシとオグリへ交互に視線を向けながら、フクキタルが拳をぐっ、と握る。

 オグリの茶碗に盛られている白米が、また目線の高さまで戻ってるのは、気にしないことにした。

 

 

 結局、あの後は普通に焼肉を食べて、適当な話をしてから、解散になって。

 学園に荷物を置いておいたままだったのを思い出して、アタシだけ三人と離れることになって。

 荷物を持って寮まで戻ろうとしたところで、三女神の像の前を通ることになって。

 そこでふと、誰かが像の前に立っていることに気が付いて。

 

「ナリタタイシン」

 

 それが、沈んでいく夕陽を背にしたシンボリルドルフだということに気づいたのは、言葉をかけられるのと同時だった。

 

「今日は素晴らしかったよ。久しぶりに心が躍るレースだった」

「それは、どうも」

「やはり君を信じて正解だった。私の目に狂いはなかったな」

「……何が言いたいのさ」

「まあ、座ってくれ」

 

 遠まわしな言いぐさにイライラしながら問いかけると、シンボリルドルフはくすりと笑ってから、噴水の淵に腰を下ろす。一瞬、コイツを無視してそのまま帰ろうとしたけど、向けられた視線がどうも、いつもの彼女とは違うように見えて、気が付けばアタシはシンボリルドルフの隣に座っていた。

 しばらくの沈黙のあと、シンボリルドルフはどこか懐かしむような表情を浮かべながら、口を開いた。

 

「私はね、ナリタタイシン。全てのウマ娘に幸せになってほしいんだ」

「……アンタらしいと思うよ」

「無謀だと言ってくれて構わないさ。現に、私はその道のりの半ばにも達していないのだから」

 

 やれやれと首を振りながら、シンボリルドルフが息を吐く。

 ……ため息を吐いている姿なんて、初めて見たかもしれない。

 

「だが私は今日、その道のりの一歩を進めることができた」

「どういうこと?」

「君が私の背中を押してくれたんだよ、ナリタタイシン」

 

 よく、分からない。

 首を傾げるアタシに、シンボリルドルフは笑いながらその先を続けた。

 

「正直に言おう。君に渡された退学の勧告を、私にはどうすることもできなかったんだ。確かに私はこの学園の生徒会長だ。けれども、やはり一端の生徒に過ぎないからね。多少の融通は利くときもあるが、やはりどうしようもないときは、どうしようもないんだ。君を取り巻いていた状況も、そのどうしようもないときの一つだった」

「……そう」

「だが君は、自らに降りかかってきた障害を、自らの走りで打ち破ってくれた。君は、自分の力で運命変えたのさ。私は……そんな君が羨ましく思える。許されることなら、君に私の夢を叶える手伝いをしてほしいとも、思った。君を見ていれば、私たちに不可能なことなど何もないと思えるような、そんな勇気が得られた」

「買いかぶりすぎだって」

 

 どんどん壮大になってくる話に、呆れてそう返してしまう。

 アタシはただ、ここに残ってまだ夢の続きが見たいって思っていただけなのに。

 

「買いかぶってなんかないさ。今の言葉は、本心からのものだ」

「ちょっと、そんな変な冗談……」

「私は、本気だ」

 

 まっすぐとしたアイツの視線に、思わず言葉を呑んでしまう。

 

「私の夢に着いてきてくれ、とは言わない。まして、君の背中を追わせてくれ、とも言わない。君には君の道、私には私の道がある。私たちは……ウマ娘というのは、それぞれの道を走らなくてはならない」

「それは……」

「だが、もし……もし、君が苦難に陥っているのなら。君が、誰かの力を必要とするのであれば」

 

 そうして、シンボリルドルフは立ち上がると、私の頭へと手を置いて。

 

「私が、君に力を貸そう」

 

 優しく笑いながら、そう告げた。

 

「……何のつもり?」

「特段、意味はない。ただのおまじないさ」

「おまじない、って……フクキタルみたいなこと言わないでよ」

「それくらいの方が、親しみやすいと思ったんだが」

 

 困ったような笑みを浮かべながら、シンボリルドルフが言った。

 

「さて、私はもう行くよ」

「……結局、何が言いたかったの?」

「君と少し話がしたかっただけ、と言えばそうかもしれない」

「あっそ」

「そういう包み隠さないところが、君の良いところだな」

 

 隠したって何もいいことなかったし。だったら、正直に言えばいいって思うようになっただけ。

 そんなことを返す気力すらなくて、アタシは重たく息を吐いた。

 

「……アタシも帰る」

「そうか。それでは、また」

 

 立ち上がって帰路に着くアタシに、アイツは和やかな顔で手を振りながら、

 

「今度はターフの上で会おう。チーム『ラストスタンド』のエース」

 

 振り返った先に、もうアイツの姿はなかった。

 

 



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