コードギアス Lost Colours 銀雪に輝く蒼 (Akahoshi)
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プロローグ
Stage00 赤に染まる国


 いきなり過去編、しかもオリキャラ目線です。


 早馬からの連絡を受け、宗主国から急ぎ蜻蛉返りで帰国したのだが、その惨状にジークフリート・グレイブガルトは言葉を失う。本人的には柔和な表情を心掛ていても怒っている不機嫌そうと揶揄される顔を歪める。

 ジークフリートについていた部下たちも言葉を失い、中には顔面蒼白になる者や吐き出す者もいる。

 己も彼らも人の死には多く直面してきた。己の目的のため覇道を突き進む主君の憂いや負担を減らすため、ジークフリートとその部下は国の暗部を──暗殺や謀略を担っており、死体には慣れているはずだった。

 それでもこの有り様は凄惨過ぎて、直視することを恐れるほどだ。

 朝焼けに照らされ、あちらこちらに飛び散る肉片や血痕。敵味方関係なく、皆が平等に惨たらしい死を迎えていた。

 

「──陛下……?」

 

 不安に駆られ、ジークフリートは主を呼ぶ。

 いつもの主ならば、国がこのような惨状になるはずがない。

 戦略にも戦術にも長けた知将でもある王。ジークフリートが忠誠を誓う主はそんな方だ。

 仮にもし敵に王のそれを上回る猛将がいたとしても、王の〝あの力〟があれば……。

 

「──まさかっ……?!」

 

 ひとつの懸念が頭を過り、王を探そうと馬の腹を蹴った。

 だが馬はいくら蹴っても動こうとせず、馬もこの惨状に怯えてきってしまっているようだ。

 暴れないだけマシだと馬から降り、己の足で王を探す。

 

 今日の空は雲一つない快晴であった。

 普段であれば、希望の吉兆あるといっても過言ではない晴天。

 しかし、その天の下に広がる現実は絶望の地獄。

 いくら歩いても生者に出会うことのない、死の国へと化した大地。

 幼き頃に患った大病に因り同年代の女性どころか十に満たない女児よりも体力のないジークフリートにとって、何時間も歩き続けるというのは拷問に近かった。

 この時期にしては心地よい風を受けながらも滝のように流れる汗を拭う。ただでさえ癖のあるダークアッシュの髪は汗であらぬ方向へはねていることだろう。

 息を切らして、それでも歩き続けるのは王の安否をこの目で確かめるため。

 

 ジークフリートが王を見つけることができたのは、太陽が天の頂に迫る時分。

 王は生きていた。

 ジークフリートにとってそれは何よりも吉報だったが、王にとってそれは良いことだったのだろうか。

 王は二人の亡骸を抱き、静かに泣いていた。

 

「陛下……」

 

 掛ける言葉が思いつかないまま、ジークフリートは王を呼びかける。

 王の銀雪を想わせる美しい髪はくすんで血に塗れており、白銀の鎧と蒼いマントも同様に赤黒く染まっている。王を覆う血のほとんどが返り血であり、王本人の血ではないことに一瞬だけ安堵した。

 笑みまで浮かべてしまったのは不謹慎だったか。

 

「陛下──ライ様……」

 

 王──ライ・ヴィクター・ファン・ブリタニアが即位する前に用いていた呼称でジークフリートは再度呼びかけ、傍に膝をつく。

 ライは涙を流すばかりでジークフリートには気付かない。幾線もの涙が溢れ、王が抱える二人へと落ちる。

 王の腕にいる二人は、王の母堂と令妹。深く注意せずとも既に身罷られていることは分かる。母堂は大きく目を見開き悲壮な相貌で左の手足を欠損しており、令妹は何も事態を理解してない茫然した表情でその小さな頭が陥没している。この二人にも本人のものではない返り血が付着していた。

 

 惨状の原因は薄々察している。

 杞憂であって欲しいと願ったところで無駄だということは理解している。

 それでも尚、思い浮かべた原因ではないことをジークフリートは願った。

 答えを得るべく目を動かし、ライの傍で立ち尽くす一人の男児のような姿をした王の副官を捉えた。

 彼はずっとライの傍にいたのだろう。そしてこの惨状の原因を誰よりも──おそらく王よりも正確に把握しているだろう。

 

A.A.(エーツー)……。これは、もしや……」

「うん、そうだよ」

 

 淡々と、冷淡にも聞こえる一本調子な口調で子どものような男──A.A.は首肯する。

 

「君の想像通り、爆走してしまったんだ。ギアスが。

 ……ただ、兵を鼓舞するためだったんだけどね……」

「貴方が側にいながら……! お止めできなかったのですか!?」

「私が気付いた時にはもう遅かったんだ。止められなかった」

「ライ様にあの力を与えたのは貴方でしょう……! あの力の危険性も熟知していた。暴走する前に気付くことはできなかったのですか?」

「……万能ではないんだ、私も。ギアスの暴走を感じ取ることはできるけど、その予兆まで感じ取ることはできない。そして一度掛かってしまったギアスを取り消すこともできない」

 

 超常の力、ギアス。

 ライが持つ力。一度だけその力を乗せて命令を口に出せば、何人たりとも逆らうことのできない絶対遵守の命令となる。

 そんな力をライに与えたのが、このA.A.である。

 超常の力を他者に与えることができるということは彼も超常の力を持つ者だ。

 十歳かそこらしかにしか見えない容姿であるがA.A.はジークフリートよりも数倍生きている。謂わば不老不死。

 A.A.がライに与えた力。力についてA.A.が最も熟知している。

 だから、たとえ今回のことに直接的に非がないのだとしても彼を責めてしまう。

 彼は新緑のような明るい緑の瞳を伏せる。

 心から悔いている目だった。

 そこでようやくジークフリートは冷静さを僅かに取り戻し、彼の現在の恰好を認めた。

 

 A.A.は鎧を身に着けていなかった。右手に壊れかけの手甲を着けているだけで、後は胸当ても何もない。身に纏う衣服もその辺の死体から拝借したであろう継ぎ接ぎの物。

 彼もライたちと同様、血塗れであり返り血も多いが、そのほとんどは彼自身のものだろうと感じた。彼の身の丈と変わらない赤みを帯びたブロンドのロングヘアは血で赤く固まっている。少なく見積もっても4、5回は死んでないとおかしい出血量だ。

 おそらくA.A.は何度も死にながらライを護ったのだろう。

 生きているものがすべて生き絶えたこの惨状で、いくらライが武勇にも優れた勇将だったとしても無傷でいられることはおかしいことだった。だから彼が護ったというのは間違いないだろう。

 

 鼻を啜る音を聞き、ジークフリートとA.A.は同時にライへ目を向ける。

 王はゆっくりと顔をあげる。

 涙を湛えた大海原のように澄んだ蒼い瞳は、左目だけ異様に血走った赤い色をしていた。

 それがギアスを使う時の目だとジークフリートは知っていた。ライやA.A.から説明され、そして実際に使う様を見ていたから。

 ただ、使うその瞬間以外は右と同じ蒼だったはず。しかし今はずっと赤いまま。

 これが暴走かと、唇を噛む。

 A.A.を責めたが、何もできなかったとしても自分も側にいるべきだったとジークフリートは後悔した。宗主国からの呼び出しがあったとはいえ、王の一番の側近を自負するならば離れるべきではなかったと。

 

「ジーク……A.A.……」

 

 掠れた声で弱々しく王が従者二人の名を呼ぶ。

 

「私を……僕を……“助けてくれ”……」

 

 懇願が絶対遵守の命となり、ジークフリートの耳に届く。ジークフリートの両目が──ギアス使いのものとは僅かばかり違うものの──異様に血走る。ギアスに掛かった者特有の目だ。

 A.A.も絶対遵守の命を聞いたが、彼はその力を与えた側。彼がギアスに掛かることはない。

 

 ジークフリートは皺を寄せていた眉間を少し緩め、己の君主に優しく語りかける。

 

「ライ様。私は如何なることがあっても貴方様の味方です。ご命令されずとも……」

 

 ジークフリートにとって主たるライを助けることは至極当然のこと。忠誠を誓った日から変わることなどない摂理。

 ギアスに犯されたところで何も変化はない。決意も既にこれ以上ないほどだったので、それがより強固なものになったわけでもない。

 精々主従として確かな両想いだったと歓喜の渦が湧き起こる程度だ。

 

「なら……僕を、死──」

「いけないよ、ライ」

 

 望む救いを口にしかけたライの言葉をA.A.が阻む。

 思わずジークフリートはA.A.を睨むが、彼は黙っていろと言うかのよう目を向けてライへと言葉を続ける。

 

「忘れたとは言わせないよ。私との契約を果たすまで、君は自ら死を選んではいけない。他者に自分を殺すよう頼んでもいけない」

「だが……僕が……母上を、エミを、殺したんだ……。二人だけでなく……すべての兵も……民も……」

「死をもって償うって言いたいのかい?」

「違う……。償いになるとは、思っていない……。

 だが、母上とエミのいない世界など……生きている意味がない……。いきている……いみが……。そんなせかい……いきたく、ない……。しなせてくれ……」

 

 二人の亡骸を強く抱き寄せながらライは力なく呟く。

 ライにとって母妹がすべてだとジークフリートもA.A.も痛いほど理解している。

 血筋以外誇れるところのない愚かしい異父兄を見返すために幼き頃より研鑚を積んでいたのも、A.A.と契約しギアスを得たのも、冷血な父王より王位を簒奪したのも、腐敗した貴族どもを粛清したのも、敵対する周辺国を制圧していったのも。いずれもすべて母妹が安心して暮らせる国を作るため。

 心から信頼している参謀と副官ですらその代わりの一端を担うことが不可能なほど、ライにとって母妹が世界そのものといっても過言ではない存在だった。

 そんな二人を己の力で死なせてしまったとあれば、死を望むのも無理からぬこと。

 己を助けることとして殺してくれ、とライが口にするのをA.A.が阻止してくれたことをジークフリートは今更ながら心から感謝した。

 

「ライ、こういうのはどうだい? 私のコードの力で眠りにつくんだ」

「ねむり……?」

「ただの睡眠とは違うよ。封印に近いかな? 眠りから覚めなければ死んだも同然だろう?」

「にどと……おきない……?」

「外部から強い干渉があれば起きてしまうかもしれないけれど、自ら起きることはないよ。外部からの干渉だって、遺跡の奥深くに君を封じてしまえば大丈夫だろうしね」

 

 A.A.からの提案に、ライは母妹に目を向け、大粒の涙を零しながら頷いた。

 分かった、とA.A.はライに頷き返し、膝立ちになって視線を合わせる。

 

「眠りにつく前に、私の言葉を復唱して。いいかい?」

 

 首を傾げるライを無視してA.A.は口を開く。

 

「ライが命じる」

「ライが、めいじる……」

 

 普段、ライがギアスを使用する際の口上だ。

 何をするつもりだとジークフリートは怪訝に思う。

 ここにいるのは既にギアスに掛かったジークフリートと屍。後はギアスの効かないA.A.のみのはずだが……。

 

「ライよ、すべてを忘れよ」

「“ライよ、すべてをわすれよ”……」

 

 言い終えると同時にライは意識を失い、力なく倒れ込む。ジークフリートは慌ててライの身体を支える。

 まさか王が王自身に絶対遵守の命を下すとは考えておらず、止めることができなかった。

 

「何を……なぜこんなことを?!」

 

 ジークフリートはA.A.を睨みつける。

 A.A.は困ったように眉尻を下げ、ライの髪へ手を伸ばす。

 

「睡眠とは違うとは言ったけど、眠りは眠りだからね。夢を見るかもしれない。覚めることのできない眠りの中で辛い夢を見続けるのは酷だと思ったんだ」

「その気持ちは分かります。ですが、ライ様から御母堂様と御令妹様の記憶を消すことはあまりにも酷ではありませんか? お二人がすべてだったのです。お二人との思い出すら奪うなど……夢の中だけでも幸せでいられるかもしれないではありませんか。

 それに、まだやらねばならぬことがありましょう。記憶がなくてはそれらはできません」

「かもしれないね。だけど、私は心配性なんだ。可能性だけでも排除したかった。ライがやらなくてはいけないことは、後で私がやるよ。

 ……怒られるかな?」

「ライ様は決して貴方のことは責めないでしょう」

「うん、彼はそういう子だね。また酷いことをしてしまった」

 

 ライの髪を撫でながらA.A.は答えた。最後に、その温もりを忘れないようにというかのようにゆっくりと時間をかけて撫でる。

 

「すべてを忘れさせて眠らせたのは私のわがままだ。ライのためでもあったけど、ほとんどが私の個人的なわがまま。

 ライのギアスはまだコードを受け継げるほど強くはないけれど、いずれはコードを受け継ぐ資格を得る。きっとすぐに。今は死にたがっているけれど、その時にもしコードを受けようと言う日が来たらと思うと怖かったんだ。

 不老不死の孤独は王の力の孤独の比ではないから。彼に、この孤独を押し付けるかもしれない未来が怖かった。だから一刻も早く、すべてを忘れさせて眠らせたかった」

「……ライ様がコードを受け継ぐ。それが、ライ様と貴方の契約ではなかったのですか?」

「ああ、最初はそのつもりだった。ライの副官になったのだって、彼を監視して、すぐにでもコードを押し付けるようにするためだったからね。

 でも、情が湧いてしまった。もう何人にも関わって来たし、多くの人たちに置いて逝かれたから、情なんてものはなくなってしまったと思っていたけれど……。

 4年なんて一瞬だと思っていたのだけれど……」

 

 名残惜しそうにA.A.は手を離し、立ち上がる。

 

「いくら未練があっても、これが私が選んだ選択だから。後悔はしないし、今更やめるつもりはないよ。さて、ライの眠りを邪魔する存在を排除する準備をしなくては」

「──それが終わったら、貴方はどうするのです?」

「う〜ん……そうだね……。

 その辺のどうでもいい適当な奴にでもコードを押し付けるよ。ライに不老不死を押し付けたくないだけで、私自身はもうこの不老不死を終わらせたいからね」

 

 卑しい笑みを浮かべるA.A.。本気のようだ。

 それで、と今度はA.A.がジークフリートに尋ねる。

 

「ジーク、君はどうするんだい?」

 

 そうですね、とジークフリートは未だ意識を手放したままのライを見やる。

 この国は終わりだ。王は眠りにつき、王の血縁と民は死に絶えている。

 領土や建物は宗主国に吸収されるだろう。

 ジークフリートが忠誠を誓うのは国ではなく王位でもなく、ライただ一人。ライという個人。

 ならば答えは決まっている。

 ライにとって母妹が世界のすべてであったように、ジークフリートにとってはライが世界のすべてだ。

 

「A.A.、私もライ様と共に眠りにつきます。どこまでも、いつまでも、ライ様のお側に」

「そう答えるんじゃないかと思ったよ」

 

 目を細め、A.A.は柔和に笑う。でも、とすぐに笑みを消して告げる。

 

「普通の眠りではないんだよ。ライのようなギアス使いか私のようなコード保持者でしかできない眠りなんだ」

「ならば私にもギアスを……いえ、貴方のコードをください」

 

 ジークフリートは僅かに逡巡してから要求を変えたが、A.A.は不可解だというように眉を顰める。

 

「理由は聞こうか」

「眠るだけならギアスでいいと思ったのですが、万が一にでも眠りを妨げる者が現れて目覚めてしまった場合。私のギアスがライ様を傷つけるものだったらと思いまして。仮に利になるものだったとしても、暴走して不利益なことを起こす危険性を考慮したら、いっそコードの方が安全かと」

「危ない種は潰しておこうと?」

「そういうことです」

「理解できるよ。私がライの記憶を消したのも似たような理由だしね」

 

 理解したという割にはA.A.の表情は納得していない。口をへの字に曲げ、大きな目を半目に閉じてジークフリートを睨むように見つめる。

 

「不老不死の孤独は、他人と一緒にいるだけでは埋められないほどのものだ。むしろ、他人と一緒にいて心を交わすほど置いて逝かれる恐怖が大きくなる。君はそんな地獄を自ら望むのかい?」

「私にとって地獄とは、ライ様のいない世界です。ライ様のお側にいられないのであれば、他がどれほど恵まれていても地獄でしかない。反対にライ様さえいらっしゃれば、たとえいるだけでその身が溶けるような灼熱の中でも天国に等しい」

「そんな場所だったらジークはよくてもライが死んでしまうよ……。

 でも本当に君は一途だね。相変わらず気味が悪い。ライが可哀想に思えるよ」

 

 ふふふ、と声を漏らしてA.A.は笑った。ジークフリートも声を出して笑う。

 A.A.の悪態は大きく広い心を持って無視してやり、彼の決断を後押しする言葉を続ける。

 

「それに、貴方にしても私の要求は願ったり叶ったりではありませんか?」

「どうして?」

「私にコードを押し付けられるのですよ? 貴方、その辺のどうでもいい適当な奴にでもコードを押し付ける、と先程仰っていませんでしたか? その適当な奴がこうして名乗り出たのです」

 

 ああ、と合点がいったとA.A.は手を叩く。

 

「私にコードを押し付けることに何の罪悪感も抱かないでしょう?」

「やけに自信満々だね」

「ええ。だってA.A.、貴方……私のこと嫌いでしょう?」

「ふふっ。うん、嫌い」

「奇遇ですね。私も貴方のことが嫌いです」

 

 ライの研鑚も、ジークフリートの工作も、何も変えることはできなかった。異国の血を引くというだけで冷遇されるライと母妹。どれだけライが異父兄たちより有能だと示しても、王位継承権は低く、その扱いは蔑ろのまま。

 だがA.A.が現れてからそれらが一変した。

 得られないと思っていたものが手に入り、叶えられないと思っていたことが実現する。

 自分では可能性すら見せられなかったものをいとも簡単に叶えさせるA.A.にジークフリートは嫉妬した。

 それだけでなく、A.A.は副官としてライと共に戦場を駆け抜けた。病気により鎧を纏うことのできぬジークフリートにとってはそのことは羨ましく妬んだ。

 A.A.もそんな妬み嫉みを隠さずに接するジークフリートを煩わしく思っていただろう。

 

 ジークフリートとA.A.の視線の間に、火花が走る。

 いつもは二人の間に不穏な空気が流れると苦笑しつつ呆れながらライが止めに入る。

 ライがいない時は、ライの母堂が穏やかな笑みを浮かべ、喧嘩するほど仲が良いのねと天然気味のことを言って仲を取り持った。

 その母堂もいない時は、ライの令妹がケンカはいけないのです、と頬を膨らませて可愛らしい声で二人を叱った。

 それらはもう二度と交わされることないのだとジークフリートの心に影を落とす。

 

 注視しなければ黒にも見えてしまう濃い青の双眸と新緑のような明るい緑の双眸は、お互い一瞬も視線を外すことなく交差し、程なく一触即発の雰囲気から温和な雰囲気へと変化する。

 

「本当にいいのかい?」

「何度も言わせないでください」

「覚悟は?」

「できていますし、変わることもありません」

 

 A.A.は悲しそうな笑みを作った。

 深くため息を零して、仕方がないといった様子で首を振る。

 

「じゃあ……頼んだよ」

「言われなくとも」




 地の文で説明しなかったのですが、〝エミ〟とはライの妹の名前です。
 読み返してみて思ったより誤字が多かった……。

 念のためA.A.に読み仮名を振りました。


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第一章
Stage01 運命の出会い


 異様な光景が広がっていた。

 場所は研究室と思われる。いくつものモニターには専門家でないとその意味を理解する気すら起きないような数字や文字が表示され、デスクには様々な資料が置かれている。

 しかし、その研究室で働いているべき研究者たちは床に転がり、各々が思い思いの方法で自害していた。

 

 その研究室で唯一生きている少年は頭に着けられた機材をぞんざいに外し、顔を顰めた。その蒼い瞳にはこの惨状は映らない。

 酷い頭痛と目眩が襲い、周囲に目を配る余裕がないのだ。

 更に、左目の奥が熱を持つ。

 少年は呻き声をあげ、蹲る。

 

(逃げないと……ここから、逃げないといけない。一刻も早く……!)

 

 少年の頭はここから逃げること。

 それに支配されている。

 悠然とした動きで立ち上がり、目の前のデスクに目が行く。

 如何にも使ってくださいと言わんばかりに畳まれた白いワイシャツとベージュのチノパン。そのデスクの近くに裸体の男が転がっていることに、やはり少年は気付かない。

 少年はベルトの多い白の拘束着を脱ぎ、怪訝に思いながらもそのワイシャツとチノパンを身に付ける。

 そして駆け出した。

 建物の構造を少年は知らない。だが数分走り続けていれば、大体想像は着く。こういった目的を持つ建物はこういう造りであろう、と空っぽの頭の中に今少年が必要とする知識が湧き上がる。

 とはいえ、良いことばかりではない。空きっ腹に無理やり食べ物を突っ込んだようで吐き気を催すものだ。

 

 頭痛も目眩も吐き気も一向に治まる様子がなく、少年は思わず足を止めてしまった。

 顔を俯かせながら深呼吸をする。

 左目の熱が少しずつ治まっていく。

 反射的に逃げ出してしまったが、何があるか分からない。万全とはいかないまでも体調は整えなければならない。

 そう思って体調の回復に努めようとしたが、突如として鳴り響く警報に弾かれるように顔をあげた。

 

『被検体Kが脱走! 直ちに確保せよ! 武器の使用も許可する。ただし絶対に殺すな! 繰り返す、被検体Kが脱走! 直ちに──』

 

 スピーカーから若干音割れした声が流れる。

 何となく被検体Kとは自分のことだろうなと少年は冷静に状況を捉えながら、その足は動かなかった。

 疲労はない。頭痛などもなくなったわけではないものの落ち着いてきている。

 竦んだわけでもない。恐怖などないのだから。

 トラップによって物理的に足止めされたわけでも、当然ない。

 

 ならばなぜ足が動かないのか。

 それはガラスに映った姿に目を取られたからだ。

 ああ人だ、捕まってしまうと一瞬身構えたが、すぐにそれは誤りだと訂正した。

 くすんだ銀の髪に蒼い瞳。やや血走った赤い左目。

 ガラスの特性を思い出し、これは己の姿なのだと理解したからだ。

 そう、少年は己の外見すら忘れていたのだ。

 少年は鏡の代わりとなったガラスに手を伸ばす。触れたのは赤い左目。

 己のことについてはすべてを忘れているが、なぜだかその目だけは覚えていた。

 王の力──〝ギアス〟。

 少年はガラスに映る左目を殴るように拳を握る。

 ここから逃げるには必要な力であるが、極力使ってはいけないと感じた。命の危機に陥らない限り使わないことを誓う。そして、この力は誰にも告げないことも。

 

 数人の気配と足音を感じ取り、少年はようやく走り出した。

 追っ手は減ることはないが追いつかれることもなかった。足の速さも体力も、何もかも少年は追っ手たちを上回っていたのだ。追っ手たちは研究者たちが少年に施した肉体強化を恨むが、そんなことなど少年には預かり知らぬこと。

 麻酔銃を撃たれたが、弾道を予測して易々と避ける。麻酔銃がコイルガンに変わっても同様。

 このままであれば一切の問題なく逃げ切れるだろうと少年は踏んだが、追っ手もただ追うだけではなかったようで、階段や一部廊下にシャッターを下ろしていく。

 さすがにシャッターの下りたところを通ることはできないし、シャッターの下りていないところがあっても素直には通れない。少年を追い詰めるための誘導だろうからだ。

 徐々に逃げられるルートが狭められていく。

 このままでは袋の鼠だ。

 走るスピードを落とさないまま少年は考えを巡らせる。逃げるルートを、追っ手を躱す方法を。

 シャッターが下りかける非常階段を捉え、脳が全身の筋肉へと指令を出す。少年の身体はそれに応えるようギアを上げるように更なる瞬発力を得る。

 後二歩というところで急ブレーキを掛け、少年の眼前にはブレーキを掛けなければ滑り込めたはずのシャッターが目一杯に広がった。だがそのことに少年はしまったと悔いることはない。

 

 ──ライ様……!

 

 聞き慣れない、低い声。

 どこから聞こえたか分からない。耳ではなく、直接脳に響いたような不可思議な声。

 だが少年は不思議と不快は思いはせず、意識を傾けた。

 謎の声が告げる。

 この先は追っ手が待ち構えている。だからもう少し先にあるロッカールームの窓から逃げた方がいいと。ここは三階だがすぐ近くに背の高い木があり、それを伝って下りるのが一番安全だと。

 普通の人ならば単なる幻聴だと聞き流しただろうが、少年は普通ではない。即座に頭でシミュレートし、実行に移す。

 階下から慌てながらシャッターを上げろなどという声が微かに聞こえ、声を信じて良かったと自信を待つ。

 ロッカールームの窓を蹴破り、木に飛び移って地面へと降り立つ。

 無事に建物の外に出られたが安堵はしない。

 

 もっと遠くに逃げなければ。

 この研究所から一歩でも遠い場所へ。

 

 そこから少年は無我夢中で走った。

 一般人と比較できないほど体力のある少年の息が切れるほど走り続けた。

 

 そして少年はとある場所に辿り着き、二人の生徒たちに保護された。

 そこでの出会いは、少年たちの運命を大きく変えることとなる。

 

 

 * * *

 

 少年は一度ゆっくりと瞬いてから情報を整理する。

 

 ゆったりとしたウェーブのかかった金髪の女子生徒。少年の恩人でもある明朗な彼女の名は、ミレイ・アッシュフォード。少年が保護されているここアッシュフォード学圏の理事長の孫娘にして生徒会長らしい。

 そんな彼女に対し食ってかかるのは、眉目秀麗の手本のような容姿をした華奢な黒髪の男子生徒。名はルルーシュ・ランペルージといい、彼は生徒副会長とのこと。

 論争は彼の方が劣勢らしく、ミレイの肩を持つのは二人。オレンジ色のようにも見える長い茶髪の少女シャーリー・フェネットと、やや小柄で童顔な青い髪の少年リヴァル・カルデモンド。

 ルルーシュは援護を求めるべく、癖のある茶髪の日本人──枢木スザクへ意見を求めるが、望んだ返答ではなかったらしく肩を落としていた。

 口を挟まず、おどおどとした態度でミレイの後ろに隠れている黒いおさげにメガネを掛けた少女はニーナ・アインシュタイン。

 我関せずといった様子で壁の花を決め込んでいる紅い髪の美少女がカレン・シュタットフェルト。

 彼らから一歩離れたところで、それでも心配そうに耳を傾ける波打った長い栗毛の車椅子に乗った女の子はルルーシュの妹、ナナリー・ランペルージ。

 

 紹介された面々の顔と名前が一致したことに少年は安堵する。

 新しい出来事を記憶することができないわけではない。つまり己の記憶喪失は逆向性健忘であり、自身に対するエピソード記憶を失っている状態であると結論付ける。

 それ以外は無事だ。日常生活を送る上で必要な記憶──知識はしっかりと覚えている。

 例えばスザクの顔と名前を一致させる際、少年は彼を日本人と認識したが、その〝日本人〟という呼称が古いものであるとは知っている。7年前、神聖ブリタニア帝国に敗戦しその支配下に置かれた日本はエリア11と名を変えさせられ、日本人もそれに合わせてイレヴンと称されるようになった。

 そのことについて、特に少年は怒りを覚えたりはしない。知識だけがあるという状態なのでそこに特別な感情は芽生えない。

 ただスザクら日本人の前では日本人と呼称した方がいいだろうと思っているだけで、ブリタニア人の前では特になんの違和感や罪悪感を覚えることなくイレヴンと呼ぶだろう。

 日本人の血筋を引いているというだけで対象の人々が冷遇されることに関しては嫌悪に似た感情が微かに少年の中で燻りはするが。

 

「──然るべきところにちゃんと届け出てみるけどね。なんにせよ身元引受人は必要でしょ?

 それに実を言うとお祖父様に許可はもらってきちゃってるのよね。だからこれはもう決定事項です!」

「会長! いつもいつも面白がって……! まったく、知りませんよ、ホントに……」

「大丈夫。私が責任を持ってちゃんと面倒見るから、安心して」

 

 頭を抱えルルーシュがため息をついて額に手をやっていた。対するミレイは屈託のない満面の笑みを少年に向けている。

 どうやらルルーシュが折れたようだ。しかしアウェイの中ひとりで反対していたのだからむしろ頑張った方だと、論争の種であるにも関わらず少年は他人事のように思っていた。

 彼らが争っていた内容は、この記憶喪失の少年をどうするか、である。

 ルルーシュは警察など然るべきところに一任すべきというものであり、ミレイ側は今後も自分たちアッシュフォード学園で保護しようというもの。尚、少年は当初ルルーシュ側についていたのだが、恩人のいうことは聞きなさいとミレイに言いくるめられ早々に戦線離脱した。

 

「会長だけでは不安だしな、俺たちでも面倒を見るか」

 

 と、そういってルルーシュはアメジストのような目を少年に向けた。まだ警戒の色は残っているものの心配の色も乗っている。

 ミレイたちへの反論として彼はお人好しと言っていたが、彼自身も充分にお人好しの部類だ。

 左目に宿る〝不可思議な力〟のことを考えれば自分は危険人物であることは確かなのに、少年が目覚めて一時間もしないうちに学園で面倒を見ることを決めてしまう。ありがたく思うが、同時に危ういとも感じた。

 ただし〝不可思議な力〟を彼らに伝えるわけにもいかず、少年は彼らの厚意を甘んじて受けることにした。

 

「それで、名前はなんだ?」

「?」

「何も覚えていないって言ったら、会長たちが質問責めにしたせいで聞きそびれたからな」

「う゛っ……。

 そうね。名前を知らないままだと呼びにくいんで、教えてくれるかしら?」

「名前から調べて、何か分かるかもしれないしな」

 

 ルルーシュとミレイの問いに少年は頭を悩ます。

 正直なところ、名前さえ覚えていないのだ。いくら頭を捻ってもそれらしいものが思い当たらない。

 だが何か答えなければ、と脳をフル回転させるととある声を思い出した。

 

 ──ライ様……!

 

 研究所から逃げ出す際に少年の脳裏に響いた低い声。

 アッシュフォード学園の敷地で倒れた時に研究所での記憶も失ってしまったので、少年にとっては再び初めて聞いた声なのだが、やはり不快感はない。

 そしてその声が響かせるその言葉が根拠はないが己の名前のような気がした。

 

「僕の名前は、ライだ」

 

 それ以外に引っかかるものがなかったため、少年はそう名乗った。

 もし違うのであれば、その時に訂正すればいいと少年──ライは心の中で独り言ちた。

 

「ライね。いい名前じゃない〜」

 

 ミレイはにこやかに言うが、ルルーシュはしかめっ面のまま口を開く。

 

「で、ファミリーネームは?」

「えっと……」

「ギブンネームだけでは調べようがないだろう? いや、そもそもライというのもギブンネームなのか? ニックネームという可能性も……考えられる可能性としては──」

「はいはい! ルルーシュ、戻ってきて。ファミリーネームについてはまた後でいいじゃない。それにまだ話は終わってないんだから」

 

 思考の渦に入りかけるルルーシュをミレイが強制的に引っ張り戻す。

 

「何を話すんです? もう必要なことは大体話しましたよ」

「あと話さなきゃいけないことってなんですか?」

「仮入学するってんなら、クラスとか授業のことですかね?」

 

 ルルーシュに続いてシャーリーとリヴァルも尋ねる。

 彼らにミレイは、それはまた後で、首を横に振る。ではなんだ、と彼らは一層首を傾げた。

 

「まずお世話係主任を決めようと思って」

「お世話係……」

「主任?」

 

 ニーナとスザクが怪訝そうに復唱する。

 

「そう。みんなで面倒見るってなったけど、リーダーは決めておくべきじゃない? ほんとは私がやるべきなんだけど、ちょっと家がまたゴタゴタしてきちゃってね〜、時間ないのよ」

 

 憂いを帯びた顔でミレイが答える。そんな彼女にルルーシュたちも特に反論はしない。ゴタゴタしているらしい彼女の家の事情を知っているのだろう。

 

「ってことで、ルルーシュにやってもらおう思ったんだけど……」

「ちょっと! 俺も最近忙しいんですよ! それに──」

「サボり魔がなーに言ってんのよ。まあ、あなたのことはこっちじゃなくて書類仕事でたーっぷり使ってあげるから覚悟してなさい」

 

 笑顔に戻ったミレイであるが、それを向けられたルルーシュは頬を引き攣る。

 

「そうそう、ルルが最近今まで以上にサボるようになっちゃったせいですごい貯まってるんだから!」

 

 シャーリーが追い討ちをかける。本気ではなさそうなものの怒っていますという表情を作る。

 

「ごめん……! 僕も生徒会に顔を出す時間が減っちゃってるから……」

「スザクさんはお仕事ですから仕方がありません。あまり無理はしないでくださいね。ですからお兄様、スザクさんやみなさんのお力になれるよう頑張ってくださいね」

「……ごめん、ナナリー、ルルーシュ。生徒会に来れる時は僕もやるから」

 

 申し訳なさそうにするスザクにナナリーがフォローを入れる。妹が相手ではルルーシュもすぐに白旗をあげざるを得ないようだが、スザクの表情は後ろめたそうにどこか曇っている。

 話題がルルーシュへの苦言へと成り代わりそうなのをミレイが手を叩いて修正する。発端は彼女の一言だったのだが。

 

「私は副主任やるから。

 で、問題の主任だけど──」

 

 一旦そこで言葉を区切ったミレイは軽やかに身を翻した。ふわりと金髪が揺れる。

 彼女の目が捉えたのは、未だ壁の花を決め込んでいる紅い髪。

 

「カレン、よろしくね」

「あっ、はい。…………えっ?」

 

 半ば反射的に頷いてしまったであろうカレンはすぐに目を大きく見開いた。

 

「ちょっと! そんな勝手に!

 あっ……あまり、そういうのは……勝手が分からないし……」

 

 眉をつり上げたカレンは即座に我に帰ったようにしおらしい態度となり、困った様子で顔を伏せる。

 ライに関わろうとしない態度をとっていた彼女にとってその指名は迷惑なものだろう。ライからしてはお人好し過ぎるミレイたちと比べて、己と距離を取ろうとする彼女は当然ともいえるものだ。

 あっ、と思いついたようにシャーリーが声をあげる。

 

「租界とか色々案内すればいいんじゃない? カレンも最近学園に顔出せるようになったばかりだし、丁度いいリハビリになるわよ」

「あ〜。確かにいきなり激しい運動ってよりか散歩の方が健康にいいし、ついでにライも何か思い出したり知り合いと会えるかもしれないもんな」

「そうね。一石二鳥!」

 

 シャーリーとリヴァル、ミレイの表情は名案だとばかりの明るいものだが、カレンの柳眉は顰められたまま。

 ただ聞き流せない単語があり、ライはそれの意味を尋ねた。

 

「リハビリって、彼女は……?」

「ああ、ちょっと病弱らしくてな。それで頻繁に休むことがあるんだ」

 

 問いに答えたのはルルーシュ。彼の答えを受け、ライはカレンに目を向ける。

 大病を患っているようには見えないが、完治した病の後遺症などで悩みを抱えているのかもしれない。そもそも素人目には分からないものかもしれないので、見た目で判断すべきことでもないだろう。

 

「病に加えて、僕のことまで任せるのは負担じゃないか? 彼女も嫌がっているようだし、無理強いはさせたくない」

 

 カレンだけでない。ここにいる全員に対してもライは同様のことを思っている。

 得体の知れない男を保護するだけでもかなりの負担なのだから。必要以上のことまで世話になるのは気が引けた。

 

「だってさ、カレン。まあ、生徒会の正式な仕事ではないからあくまでお願いだし、受けるかどうかはあなた次第ね」

 

 ミレイはそう言って判断をカレンに委ねる。

 彼女は口をきつく閉じ、じっくり十秒ほど熟考してから頷いた。

 

「いいわ、私で」

「いいのか?」

「ええ。これくらいしか私はできそうにないもの」

 

 了承したカレンに思わずライは確認してしまう。彼女の様子から断るかと思ったのだ。

 返すカレンの声音は淡々としたもので、お世話係主任になるから他の面倒事に巻き込まないで欲しいという距離を感じ取った。




 ここからしばらくオリキャラは影も形も出なくなります。出番は大分後。


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Stage02 ふたつの顔

 カレン・シュタットフェルトの仮面を被りながら紅月カレンは他人に悟られないよう忙しなく働いていた。

 名門貴族シュタットフェルト家の病弱な令嬢というのは仮の姿。本当の姿は、兄の意思を継いで日本解放のため活動するレジスタンス。

 病弱というのもレジスタンス活動をするための設定だ。身体が弱いということにすれば頻繁に学園を休んでも怪しまれず、追及を受けないからだ。

 休む日は、レジスタンスとして活動するその日。または忙しい、もしくは絶対に成功させなければいけない作戦前日。それから夜遅くまでかかったり、一晩寝ただけでは体力が回復しないような作戦の翌日。

 他にはゲットーでのブリタニア軍の蛮行により日本人が犠牲になり、やるせない気持ちになった時など……。

 

 最近、カレンの所属している組織は非常に忙しくなった。

 作戦は衆目で華々しくデビューを飾って以降は行なっていないが、組織が大きく変わった時、そういう時も非常に忙しいのだ。組織の再編、納得のいってないメンバーの説得など、やらねばならないことは山積みだ。

 カレンが所属している組織の名は〝黒の騎士団〟。

 黒衣に身を包んだ謎多き仮面の男──ゼロに率いられる自称正義の味方。

 ただ神聖ブリタニア帝国に対抗するレジスタンスではなく、国籍や人種問わず弱者を助けることを標榜する組織。

 黒の騎士団はカレンが元々所属していた扇グループを母体としていたので、自然と旧扇グループのメンバーが中心人物、つまり幹部となる。

 幹部としてカレンも慣れない仕事に取り組んだが、戦闘とは勝手の違うそれに精神的疲労を抱えていた。

 それでも組織を大きくしていく上で避けては通れない問題であり、テレビを通して華々しくデビューしておいて内務で瓦解したなんて笑えない事態は招きたくない。

 

 だから、本心を言えば学園に来ている余裕などカレンにはなかった。幹部の一人としてアジトで仕事をしていたかった。

 そもそもブリタニアの令嬢の仮面をつけることはカレンにとってかなりのストレスなのだ。ブリタニアの血も半分引いているとはいえ、カレンの心は日本人なのだ。

 ならばなぜ学園に来ているかというと、亡き兄の親友であり旧扇グループのリーダーにして黒の騎士団幹部の扇要から学生は学校に行けと送り出されてしまったからである。

 あまり頼り甲斐のない人だが、兄代わりとして色々気遣ってくれている人であって強く出られない。しかもナオト──カレンの兄もカレンは年相応に学生している方が嬉しいだろうとまで言われてしまえば従う他ない。

 ずるい人だと思う。

 それでも色々と言いくるめて学園でもできる仕事をカレンは取ってきた。学園でも怪しまれずにできる仕事──ゼロを信用できないというメンバーをメールで説得するという仕事。

 一番うるさく喚いている男宛てにメールを送り、カレンは周囲を取り囲む同級生のブリタニア令嬢たちへ言葉を返す。メールの相手は家の者と嘘をついている。

 

(あ、そうだ。今日はちょっと遅くなるって扇さんに連絡しなくちゃ)

 

 ブリタニア令嬢たちの自慢話を右から左へ聞き流し、カレンは今朝のことを思い出していた。

 

 朝、渋々登校したカレンは校門でリヴァルと出会った。彼から体調は大丈夫なのかと問われながら教室へ向かっていると、生徒会員は全員クラブハウスに集合と呼び出された。

 呼ばれた理由は、数日前にミレイらが保護していた少年が目を覚ましたから。

 それからその少年が記憶喪失だの今後も学園で保護するだの話が進んでいき……。

 彼らのやり取りをカレンは他人事のように眺めていた。自分には関係のないこと。どうせ彼の面倒はミレイかルルーシュが見るだろうし、人の良いシャーリーやナナリーも放っておかないだろう。自分は話しかけられた時に相手をするだけでいい。

 そう思っていたのだが、そんなカレンを見透かしていたかのようにあろうことかミレイは少年のお世話係主任を任せようとしてきたのだ。

 他の厄介事を押し付けられるよりはマシだ、と了承はしたのだが……。

 

(本当にどうすればいいのよ……。租界の案内って……)

 

 と、カレンは深窓の令嬢の顔のままこっそりとため息を零す。

 お世話係主任としての初仕事は、今日の放課後にトウキョウ租界を案内するというもの。シャーリーの案が通った形である。

 どうしようか。今日だけで案内を終わらせ後日の時間を確保するか、少しずつ案内して日々のちょっとした時間を確保するか。

 手を抜く気はないが、ないからこそ己の事情と無理なく合わせなければならない。

 とにかく今は昼休み。放課後まではまだ時間があるのでそれまでに考えよう。

 

 

 * * *

 

 時間があると思っていたのに、気付いたらもう放課後になっていた。

 カレンは急いで学園を後にし、公園の人気のない場所で扇と連絡を取る。

 

『そうか。こっちはもう大分落ち着いてきたから気にしなくていいぞ。生徒会の子と仲良くな、楽しんで来いよ』

「遊びに行くんじゃなくて、生徒会の仕事ですから」

 

 何となく男子と二人で出歩くということを言うのが憚られて性別を曖昧にして伝えたせいで、扇に遊びに行くのだと勘違いさせてしまったので即座に訂正した。

 ミレイ曰く生徒会の仕事でもないそうなのだが、遊びに行くのではない。

 

『仕事だからって楽しんじゃいけないってわけじゃないだろ。ここんとこ大変だったから買い物でもして羽伸ばして来いよ』

「だから……。はぁ……分かりました」

 

 何を言っても、楽しんで来い、で終わってしまうだろうことが想像ついてカレンは諦めた。

 通話を切って、待ち合わせ場所である時計の下のベンチへ腰を下ろす。

 同じ学園内にいるのになぜわざわざ公園で待ち合わせしているかというと、まず扇と連絡を取る時間を稼ぎたかったこと。もうひとつの理由は、学園内だと親衛隊を名乗る面倒な連中に絡まれるかもしれないから。

 カレンの親衛隊を自称する連中はかなり面倒な人種だ。ストーカー気味な者もおり、そんな連中に目をつけられたら可哀想だ。

 この公園と学園は100mも離れていない。校門を出て、右手にまっすぐ歩けば辿り着ける。記憶がなくとも迷うことはないだろう。

 

 待ち合わせの時間10分前にカレンが主任としてお世話をする少年──ライが小走りで現れた。

 朝見た時は発見時のシンプルなワイシャツとチノパン姿だったが、今はアッシュフォード学園の男子用の黒い制服を身に纏っている。制服が似合わないという人はほとんどいないだろうが、スレンダーな体格の彼はやけに様になっているような気がした。

 一瞬見惚れてしまったことを誤魔化すようにカレンはシュタットフェルトとしての表情を貼り付ける。

 

「待たせてしまって、すまない」

「気にしないで。私が早く来てしまっただけだから」

「だが、お願いしているのは僕の方だ」

「制服の採寸とかあったんでしょう。あなたが謝る必要はないわ」

 

 カレンに用事があったように、ライにも用事があったのだ。仮入学で、ほぼミレイが手続きを済ませていたとはいえ、本人のサインなどが必要なこともある。

 それに半ばカレンがライの案内を押し付けられたように、ライもカレンに案内されるのを押し付けられたようなものだ。

 本当にライが謝る必要もなければ気に病む必要もないのなが、彼は申し訳なさそうに、それでいて気遣わしそうな目をカレンへと向ける。

 今朝は能面のような無表情っぷりを見せていたが、今は一般的な人より乏しく固いものの表情はちゃんとある。記憶がなくても人としての彼本来の情を感じ取れる。

 

「それより早く行きましょう。とりあえず今日は……そうね、租界で普段の生活をするのに必要な場所でいいかしら? 記憶の手掛かりを探すのも大切だけど、記憶を取り戻すまでここで暮らすのなら知っておかないと不便だし」

 

 ああ、とライは頷く。

 銀髪に蒼い目。女子ならば羨むような、雪のように白い肌。外見から判断するならば彼はブリタニア人かユーロピア方面の人だろう。

 だが日本人ではないからといって罪なき人を蔑ろにするほどカレンは薄情ではない。ブリタニアに恨みはあるけれど、ブリタニア人すべてを恨んでいるわけではないのだ。

 

 ライを連れ、カレンは日用品を売っている店舗へ案内した。

 それから宣言した通り生活する上で必要そうな場所を簡単に、一通り案内して行く。とりあえず今日案内したところを知っていれば生活に不便はない。

 昼休みに考えていたものとは大きく変わった。浅く長くか深く短くのどちらかにしようと思っていたのに、深く長くになってしまった。

 既に日は暮れ、空には星が煌めいている。

 今からアジトへ行ってもすることは何もないだろう。明日に備えて今日は早く寝るかと考えながらカレンは横を歩く少年を見上げる。

 ライはどこかを見上げていた。目に映っているのが空なのかビルなのかは分からない。真顔なせいで何を考えているかも不明だ。

 

「どうしたの? 考え事?」

 

 気になって声をかけると彼はぎこちなく視線を下げ、カレンと目を合わせる。その目は少し戸惑いの色があった。

 

「それとも何か思い出せた?」

「いや、そういうことではないんだが……」

「でも何か引っかかることがあったんでしょう。話してみて」

「しかし……」

「遠慮しないでいいから」

 

 渋るライに対して僅かに棘のある声音になってしまった。

 頼りないと思われているのかと思うと気に食わない。出会って1日しか経っておらず、病弱を装っているので仕方ないことではあるのだが、それでも紅月カレンとしての地の部分が微かに顔を見せる。

 ライは逡巡するように後頭部を掻き、言いにくそうにしながらも口を開く。

 

「……違和感を、感じたんだ」

「違和感?」

「ああ。トウキョウ租界。〝日本〟の中のブリタニア……。

 かつての日本はエリア11となり、日本の街はブリタニアの街となった。知識としては知っていたんだが、実際に街を見て……結局ここはどこなんだという違和感が生まれたんだ。いや、今はブリタニアだということは理解しているんだが、その……うまく言葉にできないが、なんだか違うような気もして……。日本なのか、ブリタニアなのか、そのどちらでもあるのかないのか……。

 そして、その違和感は僕と同じなんだと思った。記憶がなくて自分のことは何も判らないのに、生活に必要な知識はある。

 空っぽの街、空っぽの自分。誰がこの街の本当の姿を知るのだろう? 誰が本当の僕を知るのだろう?

 僕は一体何者なのか?

 そんなことを考えてしまった」

 

 目覚めてから一番長く喋ったのではないかというライの言葉。記憶を失ったことによる空虚の焦り。

 焦燥に駆られる記憶喪失者に対し、本来ならばその心に寄り添わなければならない。焦る必要はない、ゆっくりと時間をかけてその違和感を払拭していこう、自分を知っていこうと言わなくてはならない。

 頭ではそう理解し、かけるべき言葉も用意できたのだが……。

 ライの口から出た、〝日本〟という言葉がカレンの心を奪う。

 彼を気遣うよりもそちらにウエイトが向くよう心が命じてしまう。そのせいでカレンは半ばパニックになり、何も言えず固まってしまった。

 

 ブリタニア人かユーロピア方面の人にしか見えないライが、自然と〝日本〟と口にした。おまけにブリタニアの国是を否定するようなことまで呟いた。

 日本人の前だから気遣った、なんてことはないだろう。ブリタニア人にそんな気遣いができるはずがない。日本に理解あるふりをする人だって、皆、日本とは呼ばずエリア11と呼ぶ。

 そもそもライのあの言葉は、彼の独り言をカレンにも伝えたという感じだ。カレンは日本人とブリタニア人のハーフであり、その心は日本人であるが、そのことを彼が知っているはずがない。彼はおそらくカレンをブリタニア人だと思っているだろう。

 だからハーフのカレンを慮ったわけでもない。

 ならば、なぜ。

 主義者という可能性もある。容姿だけで考えればそちらの方が可能性は高いのだが。

 もしかして、と淡い期待のようなものがカレンの中で湧いた。

 ライは日本で生まれ育ったのではないか、と。

 ライも日本人なのではないか、と。

 

「カレン……」

 

 名を呼ばれ、カレンは我に返る。

 

「すまない、変なことを言って」

「う、ううん。全然変なことじゃないわ。きっとそういうことだって、あなたを知るのに必要なことだわ。その違和感がなくなるよう私も協力するから、焦らずゆっくり探っていきましょう。ね、ライ」

 

 そう言ってライに笑いかける。

 あなたは日本人かもしれない、とはまだ彼には告げない。カレンの中でもまだ小さすぎる期待だから。

 もう少しライをよく見て、よく知って、自分の中で確信を持ってから言おうと思った。

 

「だから、次もまた公園で待ち合わせ、でいいかしら?」

「うん……」

 

 待ち合わせしていた公園に戻り、ライと約束する。

 人を知るには、その人と一緒にいるのが一番だ。カレンはライのお世話係主任なので積極的に関わりにいっても不自然ではないだろう。

 

「それじゃあ、また明日ね」

 

 そう言って踵を返すカレンをライが呼び止めた。

 

「もう暗い。送って行く」

「いいわよ。家、結構遠いから」

「だったら尚更だ」

「今日案内しなかった方角よ。きっと帰り道に迷うわ」

「来た道を通って行けば問題ない。記憶はないが、新しく覚えたことは忘れない」

「行って帰って来たら、門が閉まってる時間よ。通りでタクシー拾うから、心配しないで」

「……なら、通りまで送る」

「それならお願いしようかしら」

 

 学園の人たち──特に親衛隊を名乗る連中だったら煩わしく感じる気遣いやお節介もなんだか心地よく感じた。彼とのやり取りも嫌な感じがしなかった。

 遠慮するような返事をわざと重ねておきながら少しばかり笑った顔になっていたかもしれないとカレンはライの横を歩きながら思っていた。

 そう、悪くない。

 むしろ楽しい。

 ライと会うためならば、面倒だと思っていた学園にももうちょっと顔を出そうかとカレンは思ったのだった。



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Stage03 老婆心

 その日ミレイは自分の教室へ行く前にクラブハウスを寄ろうとしていた。

 目的はライの様子を見るため。

 学園の敷地内に倒れていたのを保護し、その後の面倒を見ると決めたものの、アッシュフォード家を取り巻く状況がまた悪化してきてしまったせいで彼に関わる時間を確保できそうになかった。

 それでも命の恩人兼保護者を名乗るからには自分自身でもライのことをちゃんと自分の目で見て把握しようと思ったのだ。

 お世話係主任のカレンだって、毎日学園に来るわけではないのだから。

 それと、昨日カレンとどうだったのか聞いてみようと思ったのだ。

 

 ミレイがカレンにお世話係主任を任せた理由は、シャーリーやリヴァルが考えた理由とは違う。

 ミレイはカレンが病弱ではないと知っている。彼女の口から聞いたわけではない。理事長の孫娘として彼女が持つ複雑な事情を知ってしまったのだ。

 ブリタニア貴族とイレヴンのハーフ。しかも母親は正妻ではない、謂わば妾の子。

 どちらか片方だけでも大きなストレスとなるのに、両方となればどれだけ心に負担が掛かるだろうか。一つ一つは我慢できることでも積み重なれば、いつか擦り切れてしまうものだ。カレンがよく学園を休むのはそのストレスが原因ではないかとミレイは考えている。

 いつか何か自分に力になれることはないか、カレンに尋ねてみようと思ったのだが、もしかするとそれは自分よりライの方が適任ではないかと考えたのだ。

 ミレイの見立てでは、ライはおそらくハーフだ。どこの国の人か、ぱっと見で判らないのはそれが理由ではないかと思っている。

 ハーフであるカレンがノーリアクションなのでミレイの思い過ごしかもしれないが、ミレイは己の勘を信じる。

 というわけで、記憶がなくともハーフ同士、何か通ずるものがあるかもしれない。カレンはライと一緒にいることで少しでも心を落ち着かせることができたらいい。ライはカレンと交流することで記憶に繋がるものを見つけられたらいい。

 当人たちからしたら余計なお世話かもしれないが、そう思ってあんなことを言ってみたのだ。

 

 クラブハウスのドアを開け、ライの部屋へ向かうべく階段を昇っているとルルーシュの声が聞こえた。

 思わずミレイは息を潜め、物陰に隠れて様子を見る。

 ライの部屋の前にルルーシュが立っていた。二人とも既に制服を着ている。

 よかった、ルルーシュのやつ今日は朝の授業には出るのだなと安心しながら耳を傾ける。

 

「ここのことは自分の家のように思って自由にしてもらって構わないが……その、ナナリーは──妹は目が不自由でね、その代わりに音とかに敏感なんだ……。あまり驚かさないように振る舞ってくれ」

 

 ミレイの位置からはルルーシュの表情は窺えない。だが妹を案じる兄の顔をしているのは確かだ。

 ルルーシュにとって世界の中心はナナリー。シスコンと笑って茶化す時もたまにあるが、彼が妹を溺愛する理由は決して笑えるものではない。彼ら兄妹もかなり複雑な事情を抱えているのだ。

 対するライの表情は……真顔ではあるが、どこか翳りがあるように見えた。

 

「分かった。気をつけよう」

「ああ、頼んだ。

 それから妹もおまえのことを気に掛けている。記憶探しのために出歩くのは構わないが、あまり帰りが遅くならないようにしてくれ。心配するからな」

「すまない……」

「どうしてもって時は事前に俺たちに言っておくか……いや、会長にでも頼んで携帯を持たせてもらえるようにでもしようか。使い方は覚えているか?」

「たぶん……触れば、思い浮かぶかもしれない」

「なら掛け合ってみよう」

「何から何まで、本当に世話になる」

 

 頭を下げて礼を言うライにルルーシュは穏やかな顔を向けていた。

 あらま、とミレイは口に手を当てて驚いていた。

 昨日はナナリーを案じてライを警戒していたあのルルーシュが。ナナリーの身の安全のため学園でライを保護していくことを反対していたあのルルーシュが。

 ミレイの顔に笑みが浮かぶ。

 その笑みはイベント事を思いついた時のはっちゃけたそれではなく、嬉しさと優しさを持った包容力のあるもの。

 敏いルルーシュはミレイに気付いてるかもしれないが、彼らを邪魔しないようにとミレイはゆっくりその場を離れる。

 どうもルルーシュは反抗期を迎えているようで、ミレイが側にいては素直ではないのだ。友情を育むのであればお姉さんは近くにいない方がいいだろう。

 

 少し間を空けてライがクラブハウスから出て来た。ミレイはたった今来ましたという体を装って彼の前に出る。

 

「おはよう、ライ」

「おはようございます……」

「どう、調子は? 何か思い出せた?」

 

 ライは口を真一文字に閉じて何も答えない。

 思い出せなかったのだろう。1日寝て万事解決、なんて都合のいい話はない。

 ミレイは仕方がないと思っているのだが、思い出せなかったことにライは引け目を感じてしまったようだ。

 しまった、と思ったミレイは気分を変えるべく適当なことをできるだけ明るく口にする。

 

「何?

 実は流浪の王子様とか! 中華連邦のエージェントとか!

 はたまた、未来からのタイムトラベラー!!」

「いえ、何も思い出せなくて……。それに何だ、さっきの……」

「こほん。何も分からないってことは、つまり何でも可能性があるってことでしょ。確かにファンタジー染みたこと言っちゃったけどこれくらい軽くおバカなこと考えてもいいのよ?

 記憶がなくて、知らない場所でいろいろと不安だろうけど、暗い顔したりマイナスなこと考えたりしてたら戻るものも戻らないと私は思うわ。

 気楽にリラックスして、まずはこれからのここでの生活をエンジョイ、エンジョイ、ね?」

「……努力してみよう」

 

 頷いているがライの様子はまだ堅い。

 せっかくの儚い系美男子が、これではもったいない。今のままでも人気は出るだろうが、実力の半分も出せないだろう。

 

「かったーい! もっと明るくポップにいかないと。ほら、笑ってみなさい!」

 

 すぐに安易に言うべきではなかったとミレイは後悔した。

 

「……ごめん。マイペースでいきましょうか。特に笑顔は要練習」

「……努力……してみよう。すまない」

「謝られても困っちゃうわ。そうね、私が笑顔の先生になってあげようかしら。自分でいうのもなんだけど、笑顔には自信あるのよ」

「じゃあ……お願い、します」

「オッケイ! ミレイさんに任せなさい!」

 

 ボンッとミレイは己の豊満な胸を叩く。

 

「あ、でもいいんですか? 昨日、家がどうのって」

「あ〜、そのことね。心配しなくて大丈夫よ。今みたいなちょっとした時間でやっていけばいいんだから。

 とりあえず、しばらくは私や他の子たちの笑顔を見て、どんな時にどう笑っているか考えてみましょうか。実技はそれを理解した後ね」

 

 はい、と再度うなずくライの頭をミレイは撫でた。

 固まりはしたが、ルルーシュと違って嫌がったり逃げたりはしない。

 素直ないい子だ。

 さてこのままライと一緒に校舎へ向かいながら昨日のカレンのことを聞こうと思って、はて、と頭の中に疑問符が浮かんだ。

 

「ねえ、ライ。ルルーシュは?」

「ルルーシュがどうかしたのか?」

「さっき一緒にいた──じゃなくて、同じクラブハウスに住んでるんだから、てっきり一緒に登校するものと思ったんだけど」

「ああ、彼なら用事ができたって部屋に戻っていきました」

「ルルーシュゥ! あの子ったら!」

 

 ミレイは堪らず声をあげる。

 

「ごめん、ライ。先に行っててちょうだい。私、ルルーシュを連行してくるから」

 

 言うだけ言って、ミレイはクラブハウスを駆ける。

 そしてノックもせずにドアを豪快に開けた。

 

「か、会長!? ノックしないで入って来ないでください!!」

 

 あからさまに慌てふためきながらルルーシュはパソコンを閉じた。

 何をしていたか追及したいところだが、今はルルーシュを授業に出すことを優先して目を瞑る。

 

「ルルーシュ、あなた出席日数がやばいこと自覚してるんでしょうね? 今日という今日こそは授業に出てもらうわよ。第一、生徒副会長がサボり魔じゃ生徒たちに示しがつかないでしょ!」

 

 ミレイはズカズカとルルーシュに迫り、彼の腕を掴む。

 

「そんなことしてる場合じゃないんですよ! 今は1秒だって無駄にはできない……その、株とか投資とか始めたので……とにかく、目が離せないんです!」

「あっそう。でも学生の本分は学校行って勉強して青春すること! 投資なんて大人になってからでもできるけど、学生は今しかできないんだから、こっちを優先しなさい!」

 

 腐っても男子。全力で抵抗するルルーシュに、単純なパワーではミレイは勝てない。

 だがそれはあくまでパワーの話。体力勝負となれば話は別。

 抵抗しながら言い返すルルーシュの体力は恐ろしいレベルで削られていき、あっと言う間に軽々とミレイに引き摺られるようになっていく。

 運動神経は悪くないのに体力が著しく乏しい。同年代の女子はおろか、下手したら妹のナナリーよりも体力がないのではないか。彼の生母を考えれば突然変異ではないかと疑うほどの体力のなさ。

 アッシュフォード学園一の人気者ルルーシュのマイナスポイントのひとつ。他にも欠点がないわけではないが、この件に関してはどう足掻いてもフォローができないので一番の欠点ではなかろうかと思う。

 

「会長! 分かりました、分かりましたから……! 引っ張らないでください……!!」

 

 口だけではないでしょうね、とミレイは目で問いかける。

 眉根を寄せながらもルルーシュは強く頷く。

 

「ちゃんと守りなさいよー。サボったら、ナナリーに賭けチェスのこととか言いつけてやるからね」

「ッ!! 卑怯な──!!」

「なんとでも言いなさいな。

 ほら、早く行くわよ。あなた、次遅刻したら欠席扱いになるんでしょ?」

「なんで把握してるんですか?!」

「そりゃぁね。だってルルーシュは私の被保護者第一号だもの」

 

 ちなみに第二号がナナリーで、第三号がライである。

 うんざりした様子でルルーシュがため息を零し、鞄を手に持つ。

 よしよし、と頭を撫でようとして避けられてしまった。ついでに嫌そうな視線まで向けられてしまう。

 可愛くないと思いつつ、それでも授業に出る気にはなってようで今回はよしとしよう。

 歩きながら、ああそうだ、とルルーシュが口を開いた。

 

「聞いていたとは思いますけど、ライに携帯電話を持たせてくれませんか?」

「ええ、いいわよ。準備しておくわ。というか、やっぱり気付いてたのね」

「うまく隠れていた方だとは思いますけどね。でも、ライも気付いてたみたいですよ」

「あらホント?」

 

 ミレイは目を丸くする。

 ライは、ルルーシュがナナリーのことを告げた時以外は真顔だった。その時だって僅かに翳りが見えただけで大きな変化があったわけではない。

 ミレイが見る限りそんな様子は見られなかったのだが、ルルーシュがそう言うのだからそうなのだろう。

 ぼーっとしているように見えてライもルルーシュ並みに敏いようだ。

 

 ルルーシュを連れ歩いて校舎は向かっていると校門の方に人だかりがあった。

 一応女子もいるが9割以上は男子だ。その中心には紅い髪。

 カレンが登校して来たらしい。彼女が2日連続で朝から登校するなんて珍しい。

 そして彼女の近くには銀髪と青い髪。ライとリヴァルだ。彼女は二人と話しているようだ。

 彼女たちを囲む男子──カレンの親衛隊の視線はかなり剣呑なもの。ただしそれを向けられているのはライひとり、リヴァルは無視されている。

 理由は分からないまでもない。

 リヴァルはカレンと同じ生徒会の仲間。しかも聞くところによるとリヴァルはどうやらカレンではない別の子にぞっこんらしい。つまり親衛隊の敵ではない。

 だがライはどうだろうか。

 彼は昨日目覚めたばかりで、登校は今日が初めて。そして彼のことを知っているのは生徒会のメンバーのみ。

 親衛隊からしたら見知らぬ転入生が愛しのカレンお嬢様と親しげに話しているのだ。いい気はしないだろう。

 

(親しげに……?)

 

 ミレイは己が感じたことに首を傾げ、カレンとライを見つめ直す。

 昨日に比べればカレンの表情は幾分柔らかくなっている気がする。

 どうやら〝カレンとハーフで仲良し大作戦〟はいい方向に向かっているようだ。

 ライはまだまだだが、このまま続けていれば彼にとってもいい方に進むかもしれない。何より彼に対しては同時進行で──どちらも当初の予定になかったのだが──〝ミレイと笑顔教室大作戦〟と〝ルルーシュと男の友情大作戦〟が行われているのだ。よくなってもらわねば困る。

 

「大丈夫なんですか、彼?」

 

 ルルーシュが眉を顰めて尋ねる。

 

「早速面倒な連中に目をつけられているようですが?」

「まあ、そこはちょっと心配ね〜」

 

 嫌がらせを受けないか心配だ。そのせいでライがこの学園に嫌な印象を持つなんてことになってしまったら悲しい。理事長の孫娘としてではなく、一個人として。

 

「まだ何かあったわけじゃないけど……何かあった時のこと、後で考えましょうか」

「何もそんな大仰なことしなくても。カレンにやめるよう言わせればいいんじゃないですか?」

「でもカレンの命令でやってるわけじゃないみたいだし。言って聞くかしらね?」

「他人が言うよりはいいでしょう。下手なことを言って巻き込まれるのだけはごめんですよ」

「最初に心配の声をあげたのはあなたでしょ。途中で見捨てないの」

「視界に入ったから言ってみただけですよ。それに杞憂かもしれないじゃないですか」

 

 ルルーシュはそう言葉を噤んで先に行ってしまった。

 ミレイは彼に目を向けてから、一団へと目を向け直す。

 カレンもどうやら校舎に向かって行ったようで、彼女の後をぞろぞろと黒い一団も追っている。

 殺意に似た視線を向けられたであろうライは、リヴァルに肩を叩かれながら慰められていた。

 杞憂ではないかもしれない。

 

(すべてが思った通りにうまくはいかないものねぇ)

 

 気楽にリラックスしてこのアッシュフォード学園での生活を楽しんで欲しい。

 皆と交流しながら、ゆっくりと自分を思い出して欲しい。

 記憶を思い出す思い出さないに関わらず、素敵な思い出を作って欲しい。

 ただそれだけのことなのに、前途多難なんて。



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Stage04 折り紙

 朝から大変だった、とライは独り言ちる。

 ミレイと別れてリヴァルと校舎前で挨拶を交わしたまではよかった。だがその後、黒い人だかりに興味を持ち、そちらに行ったことが失敗だった。

 なぜだかカレンと話してから周囲にいる男子生徒から殺意を込めた視線を向けられるようになってしまったのだ。何か失礼なことをしてしまったのだろうか。

 ホームルームで担任に紹介された時も男子生徒から睨まれ続けたし、女子生徒からも妙な目線を送られた。

 なんとも居心地が悪い。

 主にリヴァルやシャーリーが気遣ってくれたが、それは1日中続いた。

 解放されたのは放課後だ。

 

 そして放課後は昨日同様、カレンと公園で待ち合わせてトウキョウ租界を案内されたのだが、そちらもある意味で大変だった。

 今日案内されたのはアパレルショップなどファッション関係の店。

 カレン曰く、ずっと制服で過ごすつもりか、とのこと。

 ライは制服以外には保護された時に身につけていたワイシャツとチノパンしか持っていなかった。正直それだけでもいいような気がしたが、彼女はダメだと言って聞いてくれなかった。

 どれだけ服や小物を見ても、何の知識も湧いて来なかったのだ。きっと記憶を失う前もファッションには興味がなかったのだろう。

 色々と巡って、最終的に大衆向けのブランド店で何着か購入した。自分が誘ったのだからとカレンが買ってくれようとしたが、生活資金としてミレイからいくらか貰っているので自腹である。

 

 ブランド店を後にして案内されたのは小物を売っている露店だった。

 店主は日本人──否、イレヴン──名誉ブリタニア人。

 その露店で売っていたのはぱっと見では分からないものの、よく見れば和風のように思えなくもないデザイン。

 どう?とカレンが尋ねるので、ライが不要だと首を横に振ると彼女は残念そうに顔を暗くした。

 

 今日はそこでカレンと別れた。

 朝に続いて失礼なことをして、今度は彼女を傷つけてしまったのだろうか。

 申し訳なく思いつつ明日からは誰に対してもより一層気をつけなければ、と改めながらライはクラブハウスをドアを開けた。

 クラブハウスは静寂に包まれていた。今日はまだそんな遅い時間ではない。

 誰もいないのかと怪訝に思いながら歩いていると、ダイニングルームから光が漏れていた。誰かいるじゃないか、と顔を出す。

 

「お兄様?」

 

 ライが顔を出すと同時に、寂しそうにひとり座っていたナナリーは弾かれたように顔をあげる。

 嬉しそうなその顔に罪悪感を抱きつつ訂正した。

 

「すまない。僕だ、ライだ」

「あっ……。すみません……お兄様と足音が似ていたので……」

 

 そう申し訳なさそうにナナリーは顔を俯かせた。

 

 ──その、ナナリーは──妹は目が不自由でね、その代わりに音とかに敏感なんだ……。

 

 今朝ルルーシュから言われていたことを思い出した。驚かさないで欲しいと言われていたのに、やってしまったとライは自責した。

 

「ルルーシュは、いないのか? 今はひとり?」

「はい……。お兄様は出掛けられました……。咲世子さんもアッシュフォード家のお仕事で少し前に外出されたので……」

 

 寂しそうな顔をしてナナリーは答える。

 咲世子さんとは、篠崎咲世子のことだ。アッシュフォード家に雇われ、クラブハウスで暮らすルルーシュとナナリーの世話をするメイドである。

 ライも咲世子とは会っており、クラブハウスで暮らすのだからと食事などの面倒を兄妹と一緒にみてくれることになったのだ。

 

「そうか……もし時間があるなら、僕の話し相手になってくれないかい?」

 

 沈んだナナリーをなぜか見ていられず、ライは思わずそんなことを提案してしまった。ルルーシュと勘違いさせてしまった詫びの意味もある。

 ナナリーは笑みを浮かべた。

 

「はい。どうぞ、お掛けください」

「ああ、ありがとう」

 

 ナナリーからの許しを受け、ライは彼女の前に腰掛ける。

 

「えっと、ここはどうですか? ご不便はございませんか?」

「大丈夫」

「今日から授業を受けられたんですよね? そちらは問題ないですか?」

「どの教科についても困ることはないな」

 

 問いに答えながら、その答えの内容にライは疑問を抱いた。

 確かにどの教科も理解に困ることはなかった。教科書を少し見ただけで、教科書以上の知識が頭の中に浮かんだのだ。

 理解の度合い、受けたであろう教育から何か記憶に繋がる手掛かりでもと思ったのだが、何も解らない。ファッションに疎い以外は満遍なく偏りのない知識。もっと色々なことを知っていけば、偏りが出てくるのだろうか。

 己のことは何一つ不明なままなのに、奇妙な脳だとライは眉間に皺を寄せる。

 

「そうですか。それはよかったです」

 

 ただそう言ってナナリーは自分のことのように安堵の笑みを浮かべる。

 自分もいつかは彼女のように笑みを浮かべることはできるだろうか。記憶を失う前の自分はあんな風に笑えていたのだろうか。

 ライはそんなことを思いながら、懐かしさを感じつつ不安から解放された。

 

「でも、もし何か困ったことがあれば、私やお兄様にご遠慮なく言ってくださいね」

「ああ、よろしく頼む」

「……」

「……」

 

 会話が終わってしまった。

 コミュニケーション能力に必要な知識はないのだろうかとライは己の脳は語りかけてみたが、どうやらないらしい。都合よくいかないかと肩を落とす。

 ほぼ初対面同士。会話の糸口が掴めない。

 しかし、話をしようと誘ったのはライだ。先に話を振らせてしまったのだから次はライの番だ。

 

「……いつもひとりの時とか、時間がある時は何をやっているんだ?」

「そうですね……折り紙を折っています」

「折り紙?」

「はい。紙を折って色々な動植物を作る日本伝統の遊びです。

 あっ! ライさん。もしよろしければ、一緒にやってみませんか?」

「そうだね。やってみよう」

「じゃあ今、紙をお持ちしますね」

 

 弾んだ声をあげ、ナナリーは色紙を取りに行ってしまった。

 割りとすぐに戻って来た彼女と先程までと同じように向かい合う。

 

「私が一度折ってみますから、見ていてくださいね」

 

 1枚色紙を手にしたナナリーがそう言って、レクチャーを始める。

 まず三角に折った後、更に三角に折る。そして袋になっているところを広げ、そこを潰すように四角に折り──

 色紙を折るナナリーの手に迷いはない。ゆっくりではあるものの、その手はかなりの自信があるようにライには見えた。

 目が見えない彼女が折り紙をマスターするのに、どれほど練習を重ね、努力してきたのだろうか。

 ライが僅かに思案に更けていると折り紙が完成したようだ。ナナリーが手渡してきたので素直に受け取る。

 彼女が作ったのは折り鶴だ。

 

「この鶴の他にも、花やメダル、兜などがあるんです」

「花、か……」

 

 折り鶴に触れながら、ライは徐に色紙を5枚手に取る。考えるよりも前に手が動き、赴くままに感覚で折って、できたものをそれぞれ組んで重ね合わせる。

 

「ライさん?」

 

 不思議そうにナナリーが尋ねる。ライが折っている間は邪魔をしないようにか静かにその音を聴いていたのだが、音がしなくなって話しかけても大丈夫だろうと思ったのだろう。

 

「ふと浮かんで……折ってみたんだが……」

 

 鶴の時とは反対に今度はライがナナリーに完成した折り紙を手渡す。

 

「花、ですよね? 何枚か重ねてあって……これは初めて触りました。何の花ですか?」

「たぶん、桜だと思う……」

「桜……。春に咲く日本の花ですね」

 

 興味深そうに折り紙の桜を触れるナナリーを余所に、ライはまた悩んでいた。

 なぜ折れたのだろうか。自然と手が動いた。紙も手に馴染んだ。だが授業の時とは違い、折り紙についての知識は湧いてこない。

 

「ライさん。この桜の折り方、教えてくださいますか?」

「ああ、うん。いいよ」

「お願いします!」

 

 お互い即答気味に答え、ライはナナリーの横に移動した。

 折っているところを見せるのが一番だが、目の見えないナナリーにそれはできない。口頭でもある程度は教えられるが、折り目を目印にしたりと少し複雑なところもあるので直接手を取って教えるしかない。

 

「5枚使って作るんだ。1枚ずつやっていこう」

「はい」

「まず半分に折って、そして上の1枚だけを更に半分折る」

「こうですか?」

「ああ、綺麗に折れてる。それから裏返しにして──」

 

 初めてのものでも折り紙自体に慣れているからか、特に変に曲がることなくナナリーは綺麗に上手に折れてる。折り目を目印にするところは手を取って直接位置を教え、触覚も感覚で覚えてもらう。

 無事に1枚目の花びらを折り終え、同じものをあと4つ同様に折る。そして花びらを5つを重ねて組み合わせれば完成だ。

 

「できました! どうですか? ちゃんと桜に見えますか?」

「ちゃんと桜だ」

 

 ふふっ、と嬉しそうにナナリーが笑う。ライも達成感のようなものを感じていた。

 次は1人で挑戦してみる、と彼女はもう一度色紙を5枚手にする。

 手を動かしながらナナリーはしっとりとした声で口を開く。

 

「きっと思い出せます。今は何も思い出さなくても、きっといつか。それに今だってすべてを忘れているわけではないのですから」

「……桜の折り方を手が覚えていたことか?」

「はい。脳が忘れてしまっていても、代わりに身体がちゃんと覚えています」

 

 身体の記憶。

 ライは自分が作った桜を凝視する。

 

「もしかしたら、他にも身体が覚えているものがあるかもしれませんね」

 

 ナナリーの言葉を受けて、ライは視線を己の手に移す。

 記憶を取り戻したい。自分が何者なのか知りたい。

 身体の記憶を頼りに、脳が失った記憶を探れるだろうか。やれるだけのことはやりたいと思った。

 己だけでなく、色々と心配して、手を差し伸べてくれる皆の恩に報いるためにも。

 

「スポーツとかはどうでしょうか? もし身体が覚えていたら、そのスポーツをやっていたことになりませんか? 大会などに出ていらしたら記録が残っているかもしれませんし、知っている方がどこかにいるかもしれません」

「そうだね。考えてみるよ」

 

 ナナリーの言うように、何かやってみるのも手かもしれないとライは思った。

 できあがった桜をナナリーは満足そうに触れている。

 それからは桜や鶴だけでなく色々な折った。ライの手が覚えているものを折れば、ナナリーは教えを請う。

 そうしているうちに、ルルーシュが帰って来た。

 

「お帰りなさい、お兄様!」

「お帰り」

「ただいま……」

 

 ナナリーと共に出迎えるとルルーシュは眉を顰めた。彼がライに送る視線は、今日一日男子生徒から向けられたそれに似たものを感じ取ってライは冷や汗をかく。

 また失礼なことをしてしまったのだろうかと焦る。さすがに3度目となればそのままにはできない。ライはすぐに謝罪した。

 

「すまない、ルルーシュ。何か失礼なことをしてしまっただろうか?」

「ん? いや、こっちこそすまない。ナナリーを見てもらって。ただナナリーが懐くのがやけに早いなと思って、兄として嫉妬しただけさ」

「お兄様! 懐くだなんて、それじゃあ子どもみたいで……」

 

 子ども扱いされたことを恥ずかしく感じたのか頬を微かに赤らめながらナナリーがルルーシュに抗議の声をあげる。そんなナナリーに笑って近づいたルルーシュは目線を彼女に合わせて顔を穏やかなものにする。

 

「帰るのが遅くなってすまない、ナナリー。もう遅いから部屋に行こうか」

 

 そういえばルルーシュはどこへ出掛けていたのかライは気になった。ナナリーの様子からしておそらく彼女に行き先も告げいないだろう。

 ナナリーは他人であるライの帰りが遅くなっても心配するというのだから、実兄の帰りが遅くなるのはもっと心配するのではないか。

 ただルルーシュも年頃だ。妹の前では話したくないことかもしれないとこの場で尋ねることは控えた。

 記憶とともに常識を失わなくてよかったと思った。

 

「それじゃあ、今日は助かった。おやすみ、ライ」

「ああ、二人ともおやすみ」

「おやすみなさい。あ、ライさん」

 

 挨拶を交わし、そのまま横を通り抜けだろうと思っていたところで呼びかけられたのでライもルルーシュも驚いて動きを止める。

 

「お守りとして持っていてはいかがですか?」

 

 そう言ってナナリーが差し出しているのは、折り紙の桜。ライが最初に折った折り紙だ。

 初めての記憶の手掛かり。

 確かに験担ぎとしていいかもしれない。

 

「そうしよう」

 

 彼女の目線に合わせるように膝をつき、ライは折り紙を受け取る。

 

 部屋へ向かったナナリーとルルーシュの背を見送り、ライは己の手にある記憶の手掛かりを見つめた。

 ナナリーは言っていた。折り紙は日本伝統の遊びだと。

 こうも言っていた。桜は春に咲く日本の花だと。

 どちらも日本のもの。

 それに今日は、カレンに和風のようにも見える小物を売っている露店に連れていかれた。和風もまた日本。

 偶然だとライは思ったが、偶然だからこそ少し運命的なものを感じた。

 自分は日本と関わりがあるのだろうか、と。

 日本──エリア11に対する知識はある。だが同じかそれ以上にブリタニアの知識もある。

 とにかく、時間がある時に調べてみようとライは思った。

 

 翌朝、昨日はどうだった?とミレイに問われ、カレンに失礼なことをして傷つけてしまったかもとは言えず、ナナリーと折り紙をしたと話したら〝ナナリーと折り紙の会大作戦〟がどうのと言われた。

 訳はわからなかったが、ミレイが楽しそうなのでライはよしとした。




 一応「折り紙 桜 折り方 切らない」で検索したのですが、見た瞬間折ってみようかなという気持ちが折れました(鶴さえまともに折れない人間)


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Stage05 心騒めく空

 アッシュフォード学園でライが保護されてから10日が経った。

 登校時間が合うのか朝はリヴァルとともに教室へ向かい、休み時間にはルルーシュやスザク、シャーリーと雑談して。立ち寄った生徒会室ではニーナに声をかけたら驚かれ、ミレイに仕事を手伝わされて。土日と用があったらしい木曜日を除いて放課後はカレンとトウキョウ租界を歩き、そしてクラブハウスに帰ったらナナリーと折り紙を折る。

 そんな日々をライは送った。

 木曜日放課後と土日は身体の記憶を求め、部活動の体験を行ったりもした。サッカー部とバスケットボール部、クリケット部の3つ。ルールは覚えたものの、これらについて身体が覚えていることは何もなかった。

 

 ライは校舎を出て、大きく伸びをした。

 そのまま空を見上げる。

 雲一つない快晴に心地よい風。

 素晴らしい陽気だ。校門へ向かう生徒たちも「これからどこに遊びに行く?」と友人同士ではしゃいでいる。そんなお出かけ日和というわけで。

 良いと思える空なのに。好きだと思える空なのに。

 なぜだろうか。ライの心は騒めいている。

 理由は検討もつかない。

 悪いことなどないはずの空に、心が苦しくなる。

 

「ライ、大丈夫?」

 

 背後から声をかけられ、振り向くとスザクがいた。彼は何かに気付いた様子だったが、それよりも先にと心配の声をあげる。

 

「なんだか苦しそうだったけど……」

「……少し気疲れしただけだ」

 

 青空にどこか悍ましさ感じた、とは言えずライは自身に剣呑な視線を向ける男子生徒たちに目を向けながらそう誤魔化した。誤魔化しはしたが、彼らの視線で気疲れしたことは一応嘘ではない。

 ああ、とスザクも納得したように苦笑う。

 

「理由は分からないんだよね……?」

「ああ。皆目見当がつかない」

「う〜ん。ミレイ会長には相談した?」

「いや。何かされているわけではないし……そこまででは……」

 

 実害があるわけではないのでこんなことで相談するのはどうだろうとライは思っていた。

 世話になっている上に余計な心配までは掛けられない。それにミレイは自分の家の問題で大変だろうし、他の皆にしても各々何か抱えているだろう。

 それにこの一件に関しては自分の不注意が原因であろうから、初めから誰の力を借りることなく自力で解決しようとライは思っていた。

 

「少し困ったってだけでも相談していいんだよ。誰も迷惑だなんて思わないし、それよりも遠慮されたり我慢してることの方がよっぽど悲しいよ」

 

 眉を八の字にしたスザクと目が合う。

 

「そうだろうか?」

「そうだよ。きっとね。それに、ナナリーが遠慮しないでって言ったのにライが頼ってくれないって残念がってたよ」

 

 ナナリーの名を出され、ライは口を継ぐんだ。

 理由はライにも分からないがルルーシュと同様、ナナリーの名前を出されたら強く出られない。彼女に対して何か特別な想いがあるわけではないのだが、何か〝妹〟という存在にどうしても弱い。

 

「ナナリーだけじゃない、みんなだってそうだ。いつだって、もっと頼ってくれていいんだよ。ここの人たちは頼られることが好きみたいだから、僕の時もみんなそうして色々助けてくれた。

 どんな小さなことだって、困ったことがあれば言って欲しい。できることは少ないかもしれないけれど、僕も自分ができることなら何だってやるから。だから、もっとたくさん頼って欲しい」

 

 優しく、けれども真剣な表情のスザク。

 そんなスザクにライはまだ首を縦には振れない。

 

「今の僕はみんなに頼りきりだ。僕がみんなにできることはないのに……」

「そんなことはないよ。僕の分の生徒会の仕事をしてくれたりナナリーに折り紙を教えたりしてくれてるじゃないか。ルルーシュも、理由は聞いてないけど最近はクラブハウスを空けることが多くなったみたいだから君が夜いてくれてることに感謝してるみたいだし」

「そうなのか? だが、たったそれだけで……」

「うん。ライにとってはたったそれだけのことなのかもしれないけど、僕らからしたらそれで充分なんだ。ちょっとしたことで頼って頼られて、また頼って──そんな感じいいと思う。少しずつでいいからさ」

「……考えておこう」

「ははっ。君も頑固だなぁ」

 

 困ったように笑うスザクにライは肩を竦めた。

 少し意固地になっていたかもしれないとライは自身の態度を思い返す。厚意を無碍にするのも失礼だったかと改める。

 あっ、とスザクが何かを思い出したかのように声をあげた。

 

「ごめん、呼び止めて。今日も租界の探索するんだよね? もしカレンを待たせていたら僕に呼び止められてたって素直に言ってくれて構わないから」

 

 慌てたようにやや早口で告げるスザクに、小言などカレンはあまり言ってこないがと思いながらライは頷く。

 ただいつも彼女の方が先に待ち合わせ場所である公園についていて、待たせてしまっているのでそろそろ自分が先にとは思っていた。

 早く行ってあげて、と送り出すスザクに礼と詫びをして駆け出そうとしてライは足を止め彼の方を振り向いた。スザクは怪訝そうに首を傾げる。

 

「スザクはこの後は仕事か?」

「うん。あっ、今日は急ぎではないから……」

「そうか。ただ無理はするなよ」

「……技術職だから、危険はないよ。でも心配してくれてありがとう」

 

 何となく嘘をついていると直感が感じたがそのことには目を瞑った。

 ライはスザクが「君も頑固」と言ったことに引っかかりを覚え、それはスザク自身に掛かっているのだと考えた。己にも似たようなことがあったからライに対してあれだけ強く説得しようとしたのではないか。

 今、ライがスザクにできることは声をかけることだけだ。気に掛けてくれる感謝として、彼と同じように彼を想うだけだ。

 それからお互い笑って──ライはやはりまだぎこちなかったが──別れる。

 

 やや小走りで公園に向かっていると、公園入り口前でカレンの姿を見つけた。

 しかし彼女はひとりではなかった。パーマのかかったリーゼントのような黒髪でブラウンのジャケットを着た日本人男性がカレンの近くいて、彼女と何かを話している。

 警戒しながらスピードを落として気配を消し、ライは読唇を試みる。

 

 ──もう大丈夫だ。あいつもやっと納得してくれたからな。

 ──ああ、いよいよ本格活動だ。

 ──だからって、カレン。学校は疎かにするなよ?

 

 ライの位置からはカレンの口は見えなかったので彼女は読唇できなかったか、男の方はできた。男の口の動きはブリタニア語ではなく日本語だったが、難なくライは正確に読み取れた。

 読み取れた言葉からカレンと男は親しい関係なのだろうと想像がついた。

 しかし、ブリタニアの名門貴族の令嬢とおそらく名誉ブリタニア人にどのような接点があるのか。口調から彼女に仕える使用人の類ではなさそうだ。

 

「道を教えてくれてありがとう、学生さん。それじゃあ俺はこれで」

 

 わざとらしい台詞で締め括って男はカレンと別れた。

 他人行儀なのはイレヴンという存在をよく思っていないブリタニア人からカレンを守るためか、それとも別の理由があるのか。

 とにかく彼の意図を汲んでライは少し遅れてカレンと合流し、男のことは言及しなかった。

 とても気になりはしたが……。

 

 トウキョウ租界は広く、まだまだ回りきれていない。それでも生活していく上で必要な場所は既に案内され終わったので、今はライを知っている人がいないか記憶に引っかかるものはないか様々な場所を巡っている。

 しかし成果はなく、ただ歩いているだけになってしまった。

 ビル群の隙間から覗く青を見て、ライは空を仰いだ。

 やはり良い天気であるし、好ましいと思える空だが、その快晴はどうもライの心を騒つかせた。

 

「どうしたの? 何か考えごと?」

 

 ライを見上げ、カレンがそう尋ねた。

 

「空を……」

「空? ああ、いい天気だものね」

 

 同じようにカレンも空を仰ぐ。

 

「そう言えば、ここ最近ずっと晴れね。雨は降ってないし、曇りだってあなたと出掛けなかった日だけだから、あなたと出掛ける時はいつも晴れってことになるわね。もしかしてライって晴れ男かしら?」

「君が晴れ女なのかもしれない」

「もしくは雨女と雨男で相殺」

「もしそうなら、みんなのために僕たちは一緒に出掛けた方がいいな」

「ふふっ。ええ、そうね」

 

 柔らかな笑みを浮かべるカレン。

 2日目から既に割と友好的というか献身的な彼女だったが、その時には微かにあったぎこちなさは今は完全になくなりつつある。それにほんの僅かではあるが、彼女の素らしきものが見え隠れしている。

 病弱なシュタットフェルト家お嬢様としては些かがさつ──否、お転婆過ぎるようなところとか。

 例えば。

 

「ねえ、結構歩いたし、お腹空かない?」

 

 そう言ってカレンは屋台を指差す。名誉ブリタニア人がやっているクレープ屋だ。

 ライは気分ではなかったので首を横に振ったが、彼女は屋台まで走って行った。

 カレンは割と食べるタイプだ。租界案内3日目くらいからは彼女と歩く際は毎日なにかしら食べ歩いている。

 彼女の食べるペースは男であるライと然程変わらないように感じた。

 毎回なのでお昼ごはん足りないのではないかと問いたことがあったが、その時は尋ねたのか場所かタイミングが悪かったのかジロリと睨まれたのだ。

 そんな回想をしているとクレープを手にしたカレンが戻って来た。

 

「ごめんなさい、私だけ」

「いや。君が美味しそうにバクバク食べているところを見るのも楽しいから、別に構わない」

「バクバクって……」

 

 またジロリと睨まれてしまう。

 今度は何を間違ってしまったのだろうとライは首を捻ったが、カレンはたいして気にしていなかったようでベンチに腰を掛けてクレープに齧り付いていた。

 やはり学園にいる時よりひと口が大きく、飲み込むスピードも速い。

 気を許せる相手だと思われているのか。

 それは、ある程度は信頼されているということなのだろうか。

 もしそうならば喜ばしいことだ。ライがカレンにしてもらっていることに比べれば小さなことであるが、スザクが言っていた通り頼り頼られの関係に近付いているだろう。

 

 そう思って、ライは三度空を見上げた。

 この空に抱いた感情を打ち明けても大丈夫だろうか?

 頼れるだけ、頼られているだろうか?

 気付かせてくれたスザクに1番に言うべきという気もしたが、思い立ったが吉日という言葉を思い出した。

 

「どうしたの? また空を見上げて。こんないい天気なら遠出したかった?」

「いや……」

 

 もうクレープを食べ終わったカレンが、ノールックでゴミをゴミ箱へ投げ入れながら問いかける。

 逡巡の後、ライはこの空に抱いた気持ちを打ち明ける。

 

「……そうじゃないんだ。今日のこの空を見ていると……心が苦しくなる。好きな空ではあるのだが、悍ましくも感じるんだ」

「今日の、だけ? 昨日も一昨日も晴れていたけど……」

「昨日や一昨日は晴れていたが雲があった。雲のない青い空が……快晴が、駄目みたいだ」

「そう……。例えば記憶を失うきっかけになった事故が今日みたいな天気だったとか? それなら無意識に恐れているのも──あ……でも、ケガはしてなかったのよね」

「ああ。外傷性ではないって話だ。失った記憶に何かしら関係があるのだろうとは思うけど……」

 

 雲一つない快晴。

 希望の吉兆かの如く爽やかで輝かしい青空。

 しかし、その下に広がるのは……。

 広がってしまったのは……。

 広げてしまったのは……。

 赤い、赤黒い……。

 もう動かない、たくさんの……。

 そして、その中には何よりも大切で、守りたかった……。

 この世界で、たったふたりの……。

 

 ライの頭の中に、何かが浮かび上がった。だが完全に浮かび上がる前に、左目の奥が熱を持つと同時に記憶に靄が掛かる。

 思い出すなと忠告するかのように。

 思い出したくないと拒絶するかのように。

 

「ライ!」

 

 カレンに肩を揺さぶられ、ライは我に帰る。

 左目の熱が引く。

 記憶の靄も消えたが、頭の中に既に浮かび上がったナニカも断片は残ってしまっているものの消え去る。

 

「大丈夫?」

「あ、ああ……。すまない、心配かけた」

「もう。無理しちゃダメよ……」

 

 ライは頷きつつ靄とともに消えたものを思い出そうとした。

 思い出したくないという気持ちと同じくらい、思い出さなくてはならないという気持ちが湧いたのだ。

 何を恐れている。

 何から逃げようとしている。

 この恐れは、記憶を失ったこととどんな関係があるのか。

 まだ何も分からないが、絶対にライは知らなければ──思い出さなければならない。

 

 何としてでも。




 どうやって〆ようかアホみたいに悩みまくった。
 誤字の訂正……。


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Stage06 渡りに船

 間違った方法で手に入れた結果に意味はない。

 それが枢木スザクの信条であり、現在の行動理念だ。

 そう思うようになったきっかけは、7年前。日本とブリタニアが戦争をしていた時のこと。

 

 スザクの父は当時の──つまり日本最後の首相、枢木ゲンブ。

 当時、父とその側近たちはいつも厳しい顔をしていた。戦況が常にブリタニア側が優勢だったのだ。

 毎日。下手したら毎時間、日本軍がブリタニア軍に敗退したという情報が流れ込んで来る。

 それなのに父たちはマスコミには日本が優勢だと報じさせていた。軍部も同じ。この攻勢を続ければ、日本は勝てると国民に嘘をついていた。

 スザクの同級生どころか、同じ登校班だった近所の低学年の子たちでさえあり得ないと解っていたのに。

 戦争を仕掛けてきたブリタニアが悪いと分かっていたが、スザクの目には嘘をついてまで徹底抗戦を続ける父たちの方が悪なのではないかと映ってしまった。父が戦争をやめないからブリタニアもやめてくれないのだと思ってしまった。

 事実、そう捉えてしまっても仕方がない現場をスザクは目撃してしまったことがある。

 冷静な側近の1人が、徹底抗戦よりも余力を持った状態で降伏した方が国民のためだと父に進言したのだ。日本は世界最大のサクラダイト産出国。それをカードに交渉すれば植民地にはならないだろう、と。

 しかし父はその側近とはまったく取り合わず、進言した翌日からスザクはその側近を見なくなった。

 

 父が戦争を長引かせている。

 そう感じて悶々とストレスを抱えながら過ごしていたある日、ついにスザクは父と口論になった。

 

 そして……。

 

 スザクは父を果物ナイフで刺し、殺してしまった。

 

 カッとなってしまったのだろうか。それとも子どもながら何か考えがあったのだろうか。

 父を刺した果物ナイフはどこにあった物なのだろうか。

 父を刺した直後、己はどう行動したのか。大人たちに何と言ったのか。

 

 気付いた時にはスザクは己の武道の師である藤堂鏡志朗と枢木政権の影の立役者である桐原泰三に保護されていたのだが……。

 スザクは父を殺めてしまった前後の時のことを詳しくは覚えていない。

 

 父を悪だと思っていたが、それでもやはり父を殺めてしまったことはかなりの衝撃であり、己の心を守るため脳がその記憶を消してしまったのだった。

 ただ、父を殺めたという事実だけは忘れられなかったことは、スザクにとって幸福だったのか不幸だったのか。

 桐原により公には父は徹底抗戦を強行する軍部を鎮めるため自刃したということになった。桐原を信じて軍部が鎮まったことと、真の徹底抗戦強行派であった枢木ゲンブが亡くなったことで日本とブリタニアの戦争が終わることを信じて父殺しの事実からスザクは心を保っていたのだが……。

 

 父の死で確かに戦争は終わった。

 

 しかし、その結果が──父を殺すという間違った方法で得た結果が、土地も歴史も誇りも尊厳も何もかもが奪われたこのエリア11という最も間違ったもの。

 間違った方法では、間違った結果しか得られない。

 そう思い知った。

 それからは間違った方法というものをスザクは何よりも忌避している。

 信条や行動理念であるとスザク本人は思っているが、それは最早トラウマや強迫観念といった方が正しい。診る人がちゃんと診れば、何かしら病名がつく心理状態である。

 

 エリア11という間違った結果を生み出してしまった償いとして、スザクは名誉ブリタニア人となって軍に入る道を選んだ。

 なぜブリタニア側に、と同じ名誉ブリタニア人の軍人からも責められることは幾度もあった。

 本当に日本を想うのなら日本最後の首相の息子であり名家枢木家の嫡子として、旧日本軍が中心となり組織されているエリア11最大の反ブリタニア勢力──日本解放戦線の旗頭になるべきだと。

 だが、ブリタニアの占領下において日本──エリア11のルールはブリタニアのものが適応される。無理やり押し付けられたものだったとしても、ルールはルールだ。

 日本を解放するためには、ルールに則り行動してブリタニアを中から変えなければならない。ルールを破って外から無理やり変えようとすれば、それは間違った方法になってしまう。

 だから日本解放戦線などの反抗勢力として活動するよりもブリタニア軍人として行動した方が、正しい道だとスザクは思った。

 

 そう思ってはいても、現実は甘くはなかった。

 名誉ブリタニア人が大国ブリタニアを変えるほどの力を持てるはずがない。

 現実から目を逸らすためだけの叶うはずのない夢。

 理解者のいない、空虚な理想。

 

 諦めはしなかったが、押し潰されそうになる日々が年単位で続いた。

 

 しかしつい最近、その叶う見込みのなかった夢に少しばかり叶う可能性を見出せるようになった。

 

 ブリタニア軍特別派遣嚮導技術部こと通称〝特派〟によって生み出された世界初の第7世代の鋼鉄の騎馬──ナイトメアフレーム(Knight Mare Frame)、その名はランスロット。

 そのランスロットのデヴァイサー(パイロット)にスザクが選ばれたのだ。

 それがなぜ希望になったかというと、あることをスザクが知っていたからだ。

 

 ブリタニア皇帝直属の帝国最強十二騎士ナイトオブラウンズ。その中で唯一、他のナンバーより序列が上とされているナイトオブワンは、特権として任意のエリアのひとつを己の領地として皇帝から賜ることができる。

 つまりナイトオブワンになればブリタニアのルールに則って日本を解放できるかもしれないのだ。

 無論、生半可な実力と覚悟ではナイトオブワンに──否、ナイトオブラウンズになることすら難しいだろう。

 仮にナイトオブワンとなり日本を領地とした後も様々な問題が山積みであり、領地にすればすべてが解決というわけにいかないことも理解している。

 ナイトオブラウンズを目指すということはブリタニアの侵略の片棒を担ぎ、〝エリア11やイレヴン〟のような国や人々を増やすことに手を貸すことになるのも承知している。

 多くの人に恨まれるだろう。

 けれども、やっと見つけた夢への道。

 償いへの希望。

 逃すわけにはいかない。

 

 希望を見出せたことでスザクはやる気に満ち溢れていた。

 明確な目標ができたのだ。

 実現に向けて努力し、研鑽を重ねる。

 ナイトメア操縦技術と生身での白兵戦技術の向上。ナイトオブラウンズはナイトメア戦は勿論のこと白兵戦でも一流であるとのこと。

 前者はスザクの所属する特派のシミュレーターで行えるし、シミュレーションの中には鬼のような内容のものもあって訓練には申し分ない。

 しかし問題は後者。生身ではシミュレーターは使えないし、訓練をしてくれる相手もいない。

 ランスロットのデヴァイサー(パイロット)なのでスザクは戦場に出るが、特派の他の人たちは戦闘員ではない。腕っ節が強い人は1人いるが彼女も武術の心得があるわけではないので、組手などはできない。だが特派以外の軍人たちが名誉ブリタニア人であるスザクと組手などしてくれない。

 

 まあ、そのことについては後で上司に相談することとして、今は目の前に広げている勉強に集中しようとスザクはペンを握り直す。

 ここはアッシュフォード学園の図書室。

 そしてスザクの目の前にあるのは補習で出された課題の数々。

 軍で仕事をしている以上、何かあれば呼び出されるのでどうしても欠席や遅刻早退が多くなかってしまう。大変ではあるが、仕方のないことである。

 それに今のスザクにとって補修は有難いものでもあるのだ。

 

 補習のひとつに政治経済もあるのだ。

 アッシュフォード学園が貴族による経営で、貴族の子女も通う学校だからある教科。

 

 ナイトオブワンになりエリア11を──日本を領地として賜った後、政治経済は絶対に必要なもの。

 ナイトオブラウンズとしての任務が優先であろうが、そうでない時は為政者として腕を振るわなければならないのだから。

 だから付け焼き刃では駄目だ。

 しっかりと、日本人からだけではなくブリタニアや他の大国から見ても申し分ないものでなくてはならない。

 スザクがナイトオブワンではなくなった後も──死んだ後も自治権が認められるような社会を築かなくてはいけない。

 

 それらの想いを胸に1時間超テキストと格闘し、パタンと項垂れながらスザクは資料を閉じた。

 紛いなりにもスザクは首相の息子だったのだ。政治とは無縁ではなかったのでそれなりにイケるかと思っていたのだが、子どもの頃は政治家になる気がなかったこともあって真面目に勉強していなかったことに加え、日本が敗戦してからはまともな教育を受けられなかったことなど様々な要因が影響してうまく知識が蓄積されていかない。

 目頭を揉みつつ政治経済のテキストや資料を脇に寄せ、数学のテキストを目の前に移動させる。

 気分を変えるために政治経済ではなく、数学の勉強を開始した。

 なぜ勉強の気分転換に違う教科の勉強を?と不思議に思うだろう──スザクも知った時にそう思った──が、これはアッシュフォード学園に復学したばかりの時にルルーシュに教えてもらった方法である。

 彼曰く、気分転換に運動やテレビなんか見るとそちらに意識が行き過ぎて結局勉強をやらなくなってしまう可能性が高いから、気分転換に勉強とまったく違うことをやるのは誤りで、違う教科に取り掛かるのがベストだと言う。使う脳の部分が違うので充分に脳を休ませることができるし、文系から理系に教科を変えれば新鮮味があるから飽きが来ないのだそうだ。

 「このやり方なら短時間の家庭学習で無駄な時間を費やすことなく効率的に勉強ができるぞ」と自信満々にルルーシュが言うのでスザクも試してみたが……。

 

 それは勉強がかなりできる人のやり方ではなかろうかルルーシュ、とスザクは数学と約30分に及ぶ格闘の末に心の中でそう独り言ちた。

 一応そのやり方でもできなくはないが、スザクにとっての気分転換はやはり身体を動かすことだと思いながら伸びをする。

 周囲の人の迷惑にならないよう凝り固まってきた肩を回しながら何となしに目を辺りに配らせると、雪のような銀髪──ライの姿を認めた。

 ひとりなんて珍しい、と彼を眺める。

 彼の手には心理学だの精神医学だの難しい専門書があった。それらの専門書はさすがに授業や補習の範囲外であり、物好きな生徒や卒業生が寄贈したものらしい。

 だからそんな専門書を手にしているライをスザクは心配した。

 また記憶のことで悩んでいるのかもしれない、と。

 深く考えるよりも先に立ち上がり、ライの肩を叩いて声をかける。

 ミレイも言っていたが、なんだか放っておけないのだ。

 

「やあ、ライ。何か調べもの?」

「……スザク!?」

 

 小声ではあったが驚きの声をあげて目を見開くライ。

 驚いてはいるが、彼の右足は後ろに少し引いて間合いはしっかりと取っている。それに顔はスザクの方は正面を向けているが身体は斜め。

 驚きの声をあげている一瞬の間にライは無駄のない動きでそれを行っていた。

 やはり思っていた通りかもしれない、と思いつつまずは驚かせてしまったことを謝る。

 

「驚かせてしまってごめん。でも、君がびっくりしているところ初めて見たよ」

「そうか?」

「うん。すまなそうな顔とか困ったような顔はよく見るし、さっきも僕が話しかけるまで物凄く難しい顔をしていたけど、それ以外はあまり見ないから」

 

 表情を指摘するとライは目を伏せる。

 

「事情が事情だし仕方ないことだと思うよ。君がここに来てからまだ2週間も経ってないしね。

 でも、少しずつみんなの前でいろんな表情を出した方がいいと思う。意識して動かさないと表情筋が固くなって、動かなくなってしまうから」

「そうだな。あ、だが……ミレイさんから実技はまだ早いって言われていたな……」

「ミレイ会長? 実技?」

「ああ。表情が硬いと言われて……笑顔の先生になってくれると」

「そうなんだ。会長が先生なら大丈夫だね」

 

 ミレイの笑顔は向けられた者が安心できるものだとスザクも思っている。明朗な彼女の性格を目でも感じられるからだろう。

 ライが心理学などの専門書を手にしているのはそれの勉強だろうか、とあまりマイナスの方に考えないようにした。

 

「ところでスザクはここで何をしているんだ? 今日は仕事は休みか?」

「そう。まあ、呼び出しがあればすぐに行かなきゃいけないけど」

「技術職も大変なんだな」

「あ……うん、まあね……」

 

 ライはスザクが戦場に出ていることを知らない。否、彼だけでなくルルーシュにもナナリーにも知らせていない。

 心配させたくないから誰にも教えていないのだが、嘘をついてしまっていることに心を痛めた。

 スザク?と今度はライが心配そうに声をかける。

 

「──それで、休みを利用して課題をやっているところ。明日までに提出しないといけないのもあるから、資料があるここでやるのがいいんだ」

 

 頭の中で意識を切り替えてスザクは話を続けた。

 そうか、と返してライはスザクの背後に目を向ける。

 

「あのテーブルにあるのがその痕跡か。まだ全然終わってないんじゃないのか?」

「あっ……はは……。うん、実は……」

「……何か手伝えることはあるか?」

「えっと……。数学の……方程式でどうしても分からないことが……」

 

 ライからの申し出を有難く受けることにした。

 教材や資料が山のように積まれたテーブルへと戻り、ライが向かい側に座ってスザクが悩み続けていた方程式の解き方を説明する。

 

「ありがとう、ライ。すごい分かりやすかった」

「いや。役に立てたのならよかった。まだ勉強は続けるのか?」

「うん。時間がある時にやらないと」

「そうか。僕もここでこれを読んでいるから、また何か分からないことがあれば聞いてくれ。僕が分かる範囲のことなら教えられるから」

「本当にありがとう。助かるよ」

 

 ライの厚意にスザクは素直に頭を下げる。

 それから自分で解けない部分をライに助けてもらって、何とか明日までに提出しなければならない分は終わった。

 閉館時間ギリギリなので、図書室にはもう二人の影しかない。

 ライもスザクに勉強を教えながら数冊の専門書を読み終えていた。かなりページを捲る速度が速かったが、頭の良い彼のことだからちゃんと頭に内容は入っているのだろう。

 

「こんな時間まで付き合ってくれて本当にありがとう、ライ」

「君に恩を返せたのなら良かった」

「恩?」

「この前、気付かせてくれただろう。頼るということを」

 

 それくらい、と言いかけてスザクは口を噤む。ライにとってはきっと〝それくらい〟のことではなかったのだ。

 ならばスザクが返す言葉は……。

 

「どういたしまして。

 そうだ。今回のお礼っていえるほどのことになるか分からないけど……君について気付いたこと言ってもいいかな?」

「ああ、何でも言ってくれ」

「うん。もしかしたらなんだけど、君は格闘技の経験があるのかもしれない。間合いの取り方しか見てないから流派までは断言はできないけど、たぶん日本の古武術に近い思う」

「古武術?」

「今日もこの前も僕が呼びかけた時に右足を少し引いて間合いを取るように、相手に対して身体が斜めを向くように振り返ったんだ」

「そう、だったのか……?」

「自覚なしってことはきっとそうだ。無意識にできてしまうくらい身についているんだ」

「身体が記憶している……ということか」

「そうなるね」

 

 スザクが首肯するとライは考え混んでしまった。ただし難しい顔をしているわけではない。

 反応を急かすことではないと彼が再び口を開くのを静かに待つ。

 

「ナナリーに……」

 

 うん、と相槌を打ちライの言葉に耳を傾ける。

 

「記憶探しにスポーツもしてはどうかと言われて。身体が覚えている競技があれば、そこから何か分かるのかもしれない、と」

「たまに運動部の体験に入っていたのそれが理由だったんだ」

「ああ。今のところ身体が覚えていたスポーツはなかったんだが……そうか、武術か……。候補に入れていなかったな……」

 

 そしてまたライは考え混んで黙ってしまう。

 

「武術部はないよな……」

「さすがにね」

「……道場とかもないか……」

 

 武術ができるところを探しているようだ。記憶探しのために時折運動部の体験をしていたのだとしたら、身体が確実に覚えていることを体験したいと思うのは当然のこと。

 しかし、ブリタニアが武術の存続を許すはずもなく、それらを体験できる場所は残されていない。

 旧日本軍人の多い日本解放戦線ならば師範になれる人もいるかもしれないが、そのために友に道を外すようなことは勧められない。

 

「ねえ、ライ。君がもしよければなんだけど、僕の組手の相手をしてくれないかな? 組手していくうちに君の流派が何なのか気付けるかもしれない」

「分かるのか?」

「藤堂さ──僕の武術の先生がいろんな流派に精通していた人でね、これやってみたいって言ったらすぐに教えてくれたから、おかげで僕も結構詳しいんだ。君のが文書にもない一子相伝のものだったらさすがに分からないけど……」

「そうか……。お願いしてもいいか?」

「もちろん! というか、僕がお願いしてる方なんだけど……」

 

 ライの存在はスザクにとってまさに渡りに船だった。組手の相手を探している時に彼が現れたのだから。

 無論、自分のためだけに利用するつもりはない。

 ライに告げたようスザクなりに彼の過去に繋がるものをちゃんと見つけるつもりだ。




 ロスカラ特派ルートのスザクは割と早い段階から「ナイトオブワンになる」という目標をライに言っていたので、本作はそれを基にスザクの死にたがり度はアニメ本編より低くなっています。

 やりたいエピソード、やりたいシーン、やりたいやり取りまで持っていくのが思っていた以上に大変……。
 ナリタ……ナリタすら遠い……!

 誤字脱字を訂正しました。
 一辺に誤字脱字を発見したい…なぜ後々出てくるの…?


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Stage07 既視感

 穏やかな月明かりと繁華街の人工的な明かりをライは眺めていた。

 いつも通りカレンとのトウキョウ租界探索。だがいつもと時間帯が違っている。いつもは完全に夜になる前に終わらせるのだが、探索前にサッカー部から練習試合の助っ人の頼まれたのだ。レギュラーの1人が怪我をしてしまったとかで急遽必要になったのだと。

 彼らがあまりに真剣だったので断れず、カレンとの探索を今日は休みにしようとしたのだが彼女は遅くなっても全然構わないと何やら家に帰りたくない様子だったので、練習試合後に租界探索となって夜にまでかかってしまった。

 

 星々の輝く夜空の下、ライはため息を零す。

 

「これだけ租界を巡って、記憶に触れそうなものがまったくないとなると……」

「マイナスに考えないで! ほら、記憶喪失になる前はトウキョウ租界以外にいたのかもしれないし」

 

 ライのぼやきに被せるようにカレンが眉をつり上げて声を張る。

 

「あ、ああ……。そうだな、すまない」

「ううん。今度の休みにでも違う租界に行ってみる?」

「いや、さすがに休日まで君の時間を奪うのは……」

「私がいいって言ってるのよ。だから遠慮しないで。今度の休みは特に用事はないし……えっと、それに家の人も外に出るのはいいことだからどんどん出掛けなさいって……!」

 

 後半、カレンの視線が一瞬斜め上を向いた。

 家の人については嘘なのだろう。余程家が嫌らしい。

 しかし、家にいたくない彼女のためという理由をつけても休日の探索は憚られた。

 カレンと一緒にいたくないというわけではないのだが、本人にも告げたよう時間を奪っているようでやはり悪い気がしてその厚意に頷けない。

 それに男子生徒からの視線は相変わらず突き刺さる。休日まで一緒に出歩いることを知られたら一層向けられる視線が強くなる気がして躊躇してしまう。

 何より……。

 

「だが、すまない。今度の休みはスザクと約束があるんだ」

「スザクと? なにを?」

「組手をしようと約束したんだ。それでスザクの仕事が入っていない時しかあまり時間は取れないから」

「組手って……?」

 

 意味が分からないというように怪訝そうにカレンが首を傾げる。

 

「実は昨日、スザクに言われたんだ。僕は格闘技の経験があって、そしてそれは日本の古武術に近いかもしれないのだと。スザクは武術に詳しいらしいから、組手をしているうちに何の流派か分かるかもしれない。

 何か……僕のことが分かるかもしれない……」

 

 スザクに教えてもらった、記憶を失うことは前の自分との繋がり。

 記憶のカケラ。

 自分が何者か分かるかもしれない、桜の折り紙に続く確かな手掛かりのひとつ。

 お守りとして制服の内ポケットに入れている桜の折り紙にライは一瞬意識を向ける。

 

「だから……」

「租界の探索よりそっちの方があなたにとってはいいもの。そっちを優先しないと。それにスザクとの約束が先だったんでしょう?」

 

 彼女の申し出を断ってしまったので少し不満そうにしているかと思いきやそんなことはまったくなく。むしろカレンは柔和な笑みを向け、優しさを感じる声音だった。

 怒りを通り越して、というわけではなく純粋なもの。

 どこか嬉しいという感情すら彼女の雰囲気から感じ取れた。

 

「ああ、だからすまない……」

「ライが謝ることなんて何もないわ。あなたの記憶が一番だのも」

 

 カレンの笑顔にライは安堵した。

 しかし、彼女のその笑顔にライは首を傾げる。

 

「なんだか、すごい嬉しそうだな……。約束があったとはいえ、君の厚意を断ったのに……」

「こら、自分を悪いように言わないの。

 あなたの記憶を少し知ることができるかもって、私も嬉しいのよ」

 

 と、心から本当にそう思っているように答えて、カレンは軽やかにくるりと身を回す。

 そして、日本の古武術がどうのこうのと呟いていた。微かにではあるが、その声は弾んでいるようにも聞こえた。

 何が彼女の琴線に触れたのだろうとライの頭の中は疑問符だらけだったが、彼女が嬉しそうならわざわざ水を差すのは無粋だと問わないことにした。

 

「カレン、今日もありがとう」

「どういたしまして」

「さすがにもう遅い。また、通りまで──」

「? ライ?」

 

 カレンの背後に僅かに映った緑色が強くライの目に残った。

 彼女の問いかけに応えられるないほど、余裕をなくし、ライはその緑を追おうと駆け出した。

 

 色を失っているライにとって、まだ何色も取り戻せていないライにとって、その緑は強く心に残った。焦がれたといっても過言ではない。

 だが、求めていた色そのものではない気はしている。

 ライが求めていた色は、あの緑と近い気配を持つ別の色。

 けれど、追ってしまった。

 求めている色に近付けるかもしれないから。

 

 緑が路地裏に消えた。

 

 逃さない。

 次はないかもしれない、と焦りからギアを上げ、人々の間を縫ってライも路地裏に入った。

 繁華街から然程離れていないため、静寂には包まれていない。BGMのように、雑音のように、路地裏に繁栄した街の音が流れる。

 

 そこに緑は──緑色の長髪の少女が、ライを待っていたかのように佇んでいた。

 ライは足を止め、彼女をしっかりと見据える。

 

「私を探していたのか?」

 

 感情を伴わない無感情な声とともに金色の目がライを射抜く。

 やはりライの記憶に触れるものは少女には何もなかった。

 けれども、知っている何かに近いものを彼女は持っていた。

 彼女を通して、懐かしいものに出会えたような感覚に陥る。

 

「おい、いつまで黙っている。何か話したらどうだ。私を追い求めて、そのために女を置いてまで追いかけたのだろう?」

 

 眉を詰めた彼女が呆れたような声をかける。

 あっ、とライは意味もなく後ろを振り返った。

 何も言わずカレンを置いて行ってしまった。だが戻るわけにもいかない。

 少女と話し終わったらちゃんと彼女に謝ろうと心に決めてから、少女に向き直る。

 

「僕は……自分が何者か分からない。記憶がないんだ。だが、君と似た雰囲気を人を知っている気がする」

「それを聞くために私を追いかけたのか?」

「ああ。その、すまない」

 

 知人が否か関係なく、突然誰かに追いかけられたら迷惑だし、恐怖でしかないだろう。

 なのに彼女はこうしてライと話してくれる。まずは謝罪と感謝を述べようとして、少女の言葉がそれを阻む。

 

「それだけでいいのか?」

 

 えっ? とライは目を見開く。

 すっと少女は手を伸ばし、長い人差し指でライの左目を指し示す。

 

「それについては聞かなくていいのか? お前も力を持つ者なのだろう?」

 

 ゆっくりとライは左目に手をやる。

 左目に宿る〝不可思議な力〟。

 そのことをいっているのだろうか。

 なぜ少女がこの力のことを知っているのだろうか。

 

「君は……何者なんだ……?」

「瑣末なことは気にするな。それよりも力のことの方が知りたいだろう」

「君は知っているというのか?」

「知っていなければこんなことは言わない」

 

 淡々と無表情で話す少女。ライもほぼ無表情なので端から見たら不気味だろう。だが二人とも容姿端麗であるので、神秘的とも思う者もいるかもしれない。

 どちらにせよ、異様な光景ではあろう。

 

C.C.(シーツー)だ」

 

 唐突に少女はそう言った。

 

「シーツー? それはなんだ」

 

 ライがそう応えると少女は眉を顰め、目をきつく細めた。

 

「なんだとは失礼な奴だな。私の名だ。以後、そう呼べ」

「すまない……。分かっ──」

 

 変わった名前だなと思いつつ謝罪をして、ライはこのやり取りに既視感を感じた。

 少女──C.C.とは初対面だ。

 他の人と記憶を失う前に似たようなやり取りをしたことがあったのだろうか、と己自身に問いかける。

 だとしたら相手は、彼女に近しい雰囲気を持っている人だろうか。

 しかし、名前だとは思えないような人など早々いない。

 

 ──なんだとは失礼な子だね。私の名前だ。これからはそう呼んでよ。

 

 聞き覚えのない子どもの声がライの頭に響く。

 そして、ドクンッと心臓が強く跳ねた。

 冷や汗がひとつ流れる。

 忘れてはいけない声だった気がする。

 大切な者のひとりだった気がする。

 けれど忘れてしまった。

 今もその言葉しか蘇っていない。

 ()は……。

 

「質問の答えは?」

 

 C.C.の声がライを現実に戻した。

 だがまだ心臓は煩く、動揺も続いている。感情が揺れ動いている。

 

「知りたい」

「当然の答えだな。では、教えてやろう」

 

 ライの心理状態を知ってか知らずか、C.C.は早口で言葉を続ける。

 

「お前のギアスは……」

 

 急に視界が歪んだ。足から力が抜け、ライは気がつくと地面に膝がついていた。

 

「……なるほど。お前も絶対遵守。しかし視覚ではなく聴覚か。あいつと似ている力とは、面白いな」

「何が……?」

「お前が手に入れた力のことだ。人を従わせる王の力。それに逆らえる者はほとんどいない」

 

 だが、とC.C.はライに近付き、腕を掴む。

 その瞬間、様々な光景がライの頭に流れ込んできた。銀色のふたつの球体に挟まれた光、そこに舞う白い羽根、額に鳥の紋章を刻んだ子どもたち、オレンジ色の惑星が浮かぶ宇宙、青や緑に光る回路のようなもの。

 それらにもライは既視感を持ち、疲労が溜まった。

 

「お前はその力を自由に使えなくなっているようだな」

「記憶を……失ったからか……?」

「いいや。どちらかというと、記憶喪失になったことで制御不能になったギアスを抑えているといった方が正しいか」

「っ……!?」

 

 ライは言葉を失う。

 彼女のその言い方では、記憶を失っていなかったらこの〝不可思議な力〟──ギアスは制御できずに暴走していたかもしれないということだ。

 

 ライは失った記憶を取り戻そうとしていた。取り戻さなければならないと強く思っていた。

 カレンはほぼ毎日放課後に探索に付き合ってくれた。

 ナナリーは記憶探しのヒントをくれた。

 スザクは格闘技の経験があるしれないことに気付いてくれた。

 他の人たちもライを心配し、気にかけてくれている。

 だが、記憶が戻った瞬間、記憶がなかったことで抑えられていたギアスが暴走して皆を傷つけてしまったら……。

 

 また、赤く……。

 辺り一面、死に埋め尽くされて……。

 生きているのは、ライと……。

 

(いや、()()()……僕だけか……!! また、僕のせいで……!!)

 

 己に対する憎悪ともいって過言ではない感情がライを支配する。

 それと同時に左目が熱を持った。反射的に左目を守るように手をやる。

 

「安心しろ。私にギアスは効かない」

「なぜ?」

「私は契約する側だからな。私を抹殺しようとギアスを使ってきたギアス使いもいたが無意味だったよ」

 

 冷静な声が彼女の言うことは事実なのだと証明する。

 この力が、ギアスが効かない。そのことにライは安堵した。

 左目の熱が少しだけ落ち着いた。

 

 突如、不可思議な光景が消えて、視界には元の裏路地が広がった。C.C.が腕を離したらしい。

 

「時間だ。お前の迎えが来たようだな。余計な詮索はされたくない。私は去ろう」

 

 C.C.の言葉を受け、ライは背後を振り返る。

 路地裏の入り口近くで見慣れた紅い髪を認めた。立ち止まってキョロキョロと辺りを見渡し、ライを探しているようだった。

 

「C.C.、また会えるか? もっと力のことを知らなくてはいけない」

 

 既に踵を返していたC.C.の背中に声をかける。

 

「これでも忙しい身だ。だが、いずれ機会はあるだろう」

 

 そう答えて彼女は去って行った。

 ライはただ黙って彼女を見送る。

 

 力について分かったことは、ギアスという名称。その能力が、逆らえる者はほとんどいない人を従わせるものであること。誰か近い力を持つ者がいるらしいこと。C.C.にはギアスが効かないこと。

 そして、記憶喪失によりその力を抑えられているということ。

 

「ライ、見つけた!」

 

 カレンが走り寄って来る。

 謝らなくては、と思っていてもライは彼女に向き直ることができなかった。

 落ち着いたとはいえ、まだ左目に熱はある。つまり、ギアスが発動してしまっている状態だ。

 

「もう、どうしたのよ、急に……」

 

 息を切らしながら彼女が問う。

 だが、ライは応えられない。

 だから……。

 

「すまない、カレン……」




 スローペースでお送りしています……。


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