グラスワンダー、差して逃げる (こーたろ)
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グラスワンダー、差して逃げる Ⅰ

この小説に出てくる人名は、実際の人物とはなんの関係もありません。
大事なことだからもう一度言います。実際の人物とはなんの関係もありません!!(全身全霊)




 「はっ……!はっ……!はっ……!!」

 

走る、走る、走る。

 目まぐるしく変わっていく景色を気に留めることすらできず、ただひたすら俺は走っていた。

 あたりはもう暗く、施設内の街頭だけが光源となっている。春先とはいえ、まだ夜は肌寒いというのに、俺は先ほどまで着ていた紺色のジャケットを小脇に抱えて全力疾走していた。

 

 なぜかって?そりゃ逃げるためにさ。

 

 ウマ娘という存在……通常の人間の何倍ものスピードで駆ける彼女たちが通うこのトレセン学園の敷地内で、トレーナーである俺がこの程度の速度で走っていたことで何も問題はない。……いや無くはないのだが、俺は今走らなければならない理由がある。

 

 担当ウマ娘から、逃げるためだ!

 

 体力がある方ではないので、少し木陰で休憩。

 追手の影はない。だが安心はできない。

 何故ならきゃつらに見つかったら最後、とてつもない速度で確保されるからだ……!

 

 周囲を警戒しながら木陰で息を整えていた俺の元に、見知ったウマ娘が現れる。

 

 

 「おやおやあ?!これは的野トレーナーさんじゃあありませんか!こんな夜に出歩いていては危ないですよ?」

 

 「ぜえ……はあ……バクシンオーか……ここに俺がいることは、誰にも言うんじゃねえぞ……」

 

 「はいっ!了解しました!!決して!的野トレーナーがここにいることは誰にも言いません!!」

 

 「どこかのうさんくさい医者くらい信用できねえんだけど……」

 

 サクラバクシンオー。

 

 このトレセン学園に所属するウマ娘の一人であり、短距離の鬼。余談だがこいつのトレーナーはマジで天才だと思う。俺だったらバクシンオーを短距離に説得することは無理だ。……まあ本人もバクシンオーを騙しているような形になってしまったことについては、相当罪悪感を抱えているようだが……。

 っと、そんな心配してる場合じゃねえ!

 

 「やべえ、こうしてる場合じゃねえんだった。俺は逃げる。じゃあなバクシンオー!」

 

 「ややっ?!なにかお困りのようですね?!この学級委員長が的野トレーナーを抱えて一緒に逃げてあげましょう!!」

 

 「やめろやめろ!!お前に抱えられてる所とか見られたらもっとややこしくなるわ!あと距離適性的に逃げられる気がしねえ!気持ちだけ受け取っておく!ってかお前も早く帰れよ~!」

 

 「そうですか……わかりましたっ!ではまたお会いしましょう!!」

 

 テンションが平常運転のバクシンオーを中庭に残し、俺はトレセン学園のトレーナー寮へと走っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここトレーナー寮はトレセン学園の敷地内の中でも少し離れた場所にある。トレーナー業は多忙で、学園に泊まること自体も珍しくないことからなるべく近くに、という理事長の意向らしい。

 そんなトレーナー寮ならば安心……と言いたいところだが、相手が相手故に油断はできない。

 ヤツは簡単にトレーナー寮へと乗り込んでくる。

 

 「頼む……もう流石に部屋にいんだろ……開けてくれよ長松……」

 

 祈るように俺は隣人トレーナーの部屋のチャイムを押す。

 前述のようにヤツは平気でトレーナー寮に入ってくる。自分の部屋は絶対に安全とは言えないのだ。最近は何故か俺の部屋の鍵をかけていても入ってくる。キーチェーン?んなもんはだいぶ前にぶっ壊された。ヤツにとってはあんな鎖余裕で引きちぎれる。

 

 長松トレーナーは俺の同期で、辛いことも楽しいことも分かち合ってきた仲だ。中央でトレーナーをやるということの厳しさを身をもって知りながら、それでも愚直にウマ娘と向き合ってきた俺たち。

 

 同僚の中でも、長松は俺にとって頼れる相棒。

 だからこんなピンチであっても助けてくれるはず!

 

 

 『はーい……ってなんだ的野かよ。一応聞くけど……どうしたの?』

 

 「良かった……!開けてくれ長松!俺を匿ってくれ!!」

 

 『またか……あー……なんか察したわ。はいはい、今開けるよ』

 

 助かった!!俺は歓喜に震えた。これで今日は敵襲に怯えずに枕を高くして眠ることができる!

 ガチャリ、と扉が開いて、見慣れた茶髪が顔を出した。

 一見チャラそうに見えるこいつは、実はとてもやさしく、俺なんかよりもずっと真面目なトレーナー。

 

 

 「またか……またなのか……」

 

 「いや、今回は俺本当に悪くねえーんだって信じてくれよ……!」

 

 呆れたように額に手を当てる長松。こいつには部屋が隣ということもあり、こうして匿ってもらうことが日常と化していた。

 とにかく安全を確保できた俺は手早に玄関の扉の鍵を閉めると、革靴を乱雑に脱ぎ捨てる。

 よかった……なんとか逃げ切ることに成功した……。見たか!異次元の逃亡者(担当ウマ娘に対してのみ)は伊達じゃねえぜ!

 

 洗面所に向かおうとすると、居間に人影があることに気付く。

 この時間にこいつの部屋にいる可能性があるのなんて、一人しかいない。

 

 

 「トレーナー、お客さん?」

 

 「よおネイちゃん。わりーけどちょっとだけお邪魔するぜ」

 

 「なんだ的野さん。やれやれ、まーた逃げてきちゃったんですか?」

 

 白を基調にしたブラウスに、ジーンズ生地のキュロットスカート。茶髪を低い位置で左右にふわりとまとめた特徴的な髪型は、このトレセン学園に通うウマ娘、ナイスネイチャだ。

 去年までずっとこの長松が担当していたこの子。長松が担当を外れた今も長松を慕い、こうして夕飯時にこいつの部屋にいることはなにも珍しくない。なんて羨ましい奴だけしからん。

 

 「ウチのは気性が荒くてよお……ネイちゃんみたいな健気なウマ娘がこうして夕飯に来てくれるなんて長松は幸せ者だなあ」

 

 「えっ?!いやそーゆーんじゃないんですって!た、たまたま夕飯を作り過ぎちゃったからいつもろくな食事してないトレーナーにおすそ分けに来ただけであって……」

 

 「はいはい、ネイちゃんそれ聞くの俺8回目」

 

 手を洗い終えると、ネクタイを緩めて居間へと入っていく。ネイちゃんが氷の入ったグラスに麦茶をいれてくれた。なんて良い子なんだ長松ホンマに許さんからな。

 

 「サンキュー……っはあ!生き返るう!」

 

 「おいおい……ある程度時間経ったら帰ってよ……?」

 

 「そんなご無体な!お前さんは俺がどうなっても良いっていうのか?!」

 

 「いや知らないよ……」

 

 長松は呆れたようにため息をついている。お前は知らないんだ。どれだけ『あいつ』が恐ろしいかということを……!

 

 「っていうか、的野は俺と違って優秀で、3年であの子を大成させて担当を外れて、次のウマ娘も大成させて今3人目の担当ウマ娘なわけでしょ?」

 

 「いや別に優秀だったとかじゃなくて、あいつらが元からすごかっただけだよ」

 

 トレーナーとウマ娘の契約期間は、3年間を一つの区切りとして変わっていく。ウマ娘にとってデビューからの3年間というのはとても大事な期間。そこをサポートするのがトレーナーの役目。例外としてあまりにもトレーナーとウマ娘の関係が上手くいかないことがあれば理事会に申請を出してトレーナー契約を破棄することもできるが、そもそも中央のトレーナーになること自体があまりにも狭き門であることから、中央のトレーナーで人格に問題があるようなことがまずなく、そういった申請が行われることはほぼない。

 

 あとたまにバケモンみたいなトレーナーは同時に複数のウマ娘のトレーナーを務めていることもある。これはマジでバケモン。一人のウマ娘をしっかり育てるのにも発狂しそうになるほど忙しいのに、何故複数人を見ることができるのか。

 

 空いたグラスにもう一度麦茶を注いでくれるナイスネイチャに小さくサンキュ、と声をかけ、右手でグラスを傾ける。グラスの中の氷が少し溶けて、カランと心地の良い音を立てた。

 

 「今担当してるウマ娘がなかなか自己評価が低くてよ……そんなことねえってことをわからせるためにあれこれ試しているんだが、必ずそのトレーニングの後にあいつが追いかけまわしてくるんだよなあ……」

 

 「あー……ほんと的野さんもウマ娘心がわかってないんですねえ。それじゃー嫌われちゃいますよー?」

 

 「なんてことを言うんだネイちゃん!俺ほどウマ娘の気持ちに理解を示そうとしているトレーナーはそうそういないぞ!」

 

 「そーゆーとこがダメなんですよ~せっかくあんなにキラキラしてるあの2人もそりゃ大変だわ」

 

 ま、トレーニング後に追いかけまわすあたり優しさ出てますけどねーと呟くネイちゃんの真意は俺には汲み取れない。いやトレーニング中に追いかけまわされたら確かに大変だけれども。

 

 「とにかく!俺はもうあいつを十分に育て上げたわけだし、周りの環境もすげーいい。ライバルはいるし、先輩も、後輩もいる。俺がやってやれるのは最低限のことだけで、あとはあんなめちゃつよチーム入ったんだからオハナさんがなんとかしてくれるっしょ」

 

 「そっかリギルだもんな。まあ確かにあそこなら安心か……」

 

 トレセン学園には『チーム』というものが存在する。大きいチームなら20人程度が在籍していることもあり、今話に挙がったチームリギルはトレセン学園内でも1位の人気と人数を誇るチームだ。そのリギルの面倒を見ているトレーナーがオハナさん……東条ハナさんは、ハッキリ言って超人だ。あの人数のウマ娘をコントロールしてどのレースに出走させるかを考慮し、トレーニングメニューも考えている。いつ寝てるんですか?と聞いてみたい。怖いからしないけど。

 

 「チームに入っても、担当トレーナーに指示とか出して欲しいものなんですよ」

 

 「そういうもんかねえ……あんま無駄な口出しはしない方が良いかなって思っちゃうけど」

 

 何故ネイちゃんが声のトーンを一つ下げて意味ありげに長松の方を見ながら言ったのかはわからないが、そういうもんなのかねえ?

 そんなジト目のネイちゃんのスマホに着信があったようで、可愛らしいピンクのスマホケース取り出す。ネイちゃんは画面を見て、なにやら苦笑いを浮かべながら立ち上がった。

 

 「あ~……ちょっと電話してますね……」

 

 「はいよ~」

 

 苦笑いで居間を去っていったネイちゃんを見送り、この場に残されたのは俺と長松のみ。

 

 「ネイちゃんはいい子だねえ~……つーか学生寮の門限って何時だっけ?」

 

 「平日は21時じゃなかったっけか?」

 

 長松の言葉を聞き、部屋の時計を見る。現在時刻は20時。あと1時間耐えれば俺の勝ちだ。

 

 「よしよし……あと1時間で俺は部屋に帰れる……。本当に今日は大変な一日だったぜ……」

 

 なんとか今日はヤツに見つかることなく家に帰れそうだ……!

 内心ガッツポーズをキメる俺の様子を、長松が少し引き気味に眺めている。

 

 「……的野なにしたの?なにして怒らせたの?」

 

 「いや別にマジでなんもしてねーよ。今日はドトウがマジで頑張ってたから、自己評価低いのどうにかしてほしい一心で『お前は一番になれる』『ドトウが一番なんだよ』って熱心に言ってやってただけだ」

 

 なぜか「救いは……救いはここにあったのですね……!」と感極まってたのはあまりよくわからなかったがまあいい。いつものことだ。

 呆れたような目線で俺を見てくる長松。なんや。なんか文句あんのか。事実やる気になってくれてたし、タイムも良くなってた。今のドトウに足りないのは自己肯定力なんや。俺のやっていることは間違ってない。

 

 「的野ほんと……肩持つわけじゃないけど怒りたくなる気持ちもわかるというかなんというか……」

 

 「は?!なんでだよ!どう考えたって俺悪いことしてないだるぉ?!アイツが怒る要素がどこにある!ってかなんであいつはトレーニング内容を知ってるんだよおかしいだるぉ?!」

 

 「いや……まあ、そのあれだ、なんだ。言葉には気をつけろよ」

 

 長松が何故かしどろもどろになりながら注意を促してくる。嫌だ。何故俺が言葉に注意せにゃならんのか。担当ウマ娘に良い影響を与えているのだから文句ないだろう。

 

 「まあちょっと変なトコもあるけどドトウはいい奴だよ。あの鬼と違ってな!」

 

 「誰が鬼なんですかー?」

 

 「ん?そりゃお前言わなくても……」

 

 

 あれ?おかしいな。今変な声が聞こえた気がする。

 俺の、後ろから。

 

 ついでに正面に座っている長松の顔が青ざめている。

 

 

 

 

 「誰が、鬼なんですかー?」

 

 聞き間違えるはずもない。

 見間違えるはずもない。

 

 このオーラ。話し方。

 

 おそるおそる、俺は首を動かし、後ろへと振り返る。

 

 い、嫌だ。そんなことがあっていいはずがない。

 

 何故ここにいるんだ……!

 

 

 「ぐ、グラス……何故」

 

 「こんばんは、長松トレーナー」

 

 「あ、ああ。お疲れ様、グラス……」

 

 「ちょっとこのお方をお借りしてもよろしいでしょうか。私の大切な担当トレーナーなもので」

 

 「う、うん。もちろん」

 

 

 

 

 オイオイオイ、死んだわ俺。

 

 おかしい!何故だ!ここは俺の部屋ではない!長松の部屋!俺の部屋の鍵が何故か開けられてしまうのはもう諦めたからまだしも、ここが開けられるはずはない!セキュリティどうなってんだこの寮!理事長マジ許さんからな!!

 

 

 

 「な、何故グラスがここに……ハッ……!」

 

 

 しかし俺は違うと気が付いた。

 長松の他にもう1人、この部屋を開けられる人物がいることを。

 

 

 

 「ご、ごめんね~」

 

 「ネイちゃん……裏切ったのか……?」

 

 両手を合わせてチロりと舌を出す仕草はとても可愛らしいのだが、今はそんなことを考えている暇はない。

 押し寄せる絶望。

 可及的速やかにこの場を退散する手立てを考えなければ。

 

 しかしなぜ!なぜ裏切ったんだネイちゃん……!

 

 

 「約束の写真は、必ず後で送っておきますからね、ネイチャさん」

 

 「う、うんありがとう……」

 

 何故か若干顔を赤らめながら感謝を述べるネイちゃん。

 おのれグラス!!ネイちゃんを買収したのか?!どんな方法で……!

 

 「……流石に学生時代の写真はネイチャさんには刺さりすぎた……ごめん的野さん……」

 

 学生時代の写真……?なんだそれは。しかもなんだかよくわからんそれを何故グラスが持っている?

 グラスがハイライトのない瞳で俺を見ている。まずい。殺られる……!

 ここは落ち着いてもらうしかねえ……!

 

 「ま、まあ落ち着こうグラス。お前さんは品行方正、純情可憐な大和撫子じゃあないか。な?平和的に行こう。この場でゆっくりと話し合えばきっと、わかるはずだ」

 

 「そうですね~……トレーナーさんとゆっくり過ごしたいのはやまやまなのですが……時間がないもので、少し、我慢してもらいますね」

 

 「え?なに、その注射器。お兄さん見たことないなあそれ。そんな危なそうなもの持ってこっち来ちゃダメじゃないかグラス。な?とりあえず落ち着いて……って力強すぎんだよ?!イタイタイタイ無理無理無理!」

 

 何故か片手に注射器を持ったグラスが、俺の手を抑えつけにかかる。普通の人間の何倍とも言われるウマ娘の実力行使に俺ごときが勝てるわけもなく、あっさりと俺は捕らえられた。

 首筋に針が当てられる。

 

 「大丈夫、痛いのは少しだけですから……ふふふ」

 

 「長松見てないで助けてくれないかな?!」

 

 「……また生きて会えることを、楽しみにしてるね……」

 

 全く助けようとしない親友に恨み言の一つでも言ってやろうかと思ったのも束の間。

 

 「うっ……なんだ……これ……」

 

 「大丈夫です。タキオンさん特製ですから」

 

 「なにも……大丈夫じゃ……ねえ……」

 

 急に身動きが取れなくなり、視界がぼやけていく。

 アグネスタキオン。ウマ娘でありながらマッドサイエンティストの側面も持つ彼女の薬など、何も信頼できない。

 例えるならば青保留のままとりあえず疑似3まで行って絶妙に外れやすい後半リーチに行って最後のカットインが緑だったくらい……あ、やべえ冗談言ってる場合じゃねえ。死んだわ、俺。

 

 

 「……ふふふ、おやすみなさい。トレーナーさん」

 

 「あ、そのーなんだろう、なんかいつも的野が迷惑かけてるみたいだね」

 

 「いえいえ。全然そんなことありませんよ。少し、私の担当であるという意識が足りないみたいですが、それ以外は素晴らしいトレーナーさんです」

 

 「そ、そうか。そりゃ……良かった」

 

 「では、そろそろお暇させていただきますね。ネイチャさんも、せっかくの2人きりの時間を邪魔しちゃってごめんなさい」

 

 「ええ?!あ、いや、アタシは……そーゆーんじゃ、ないけど……」

 

 「ふふふ。では、失礼しますね……」

 

 

 遠のく意識の中、声だけが俺の脳内に反芻する。

 

 おそらく俺はいつものようにグラスに首根っこを掴まれて引きずられているのだろう。

 

 

 グラスワンダー。

 彼女こそ、俺が最初に担当したウマ娘。

 

 不死鳥の異名を持つウマ娘だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




時系列おかしくね?とかそのあたりのツッコミはご容赦を……。
アニメ版とアプリ版で違うこともありますし、そもそもアニメ1期とアニメ2期の時系列逆だし、まあ、多少は、ね?


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グラスワンダー、差して逃げる Ⅱ

 

 

 

 今日の天気は快晴。昨日降った雨が少し芝に水を含ませているものの、絶好のトレーニング日和といえる。少し雨で重くなったバ場を想定するのにちょうどいいくらいだ。

 ウマ娘たちが午前中の授業を無事乗り越え、ジャージに着替えてトレーニングへとやってくる時間帯。春の朗らかな日差しは、艶のある芝を幻想的に照らしている。

 

 早々にトレーニング場へと着いていた俺は、今日のトレーニング内容を確認。

 

 「ドトウに必要なのはまずは自信……技術面だとアジリティか……?スタミナはだいぶよくなってきたし……今日はコースを使える時間も長くないしラダー用意しとくか……」

 

 今俺が担当しているウマ娘……メイショウドトウは余りにも自分に自信が無い。ハッキリ言って潜在能力は高すぎるほどにあると思うし、G1で勝てるだけの力があると思う。しかしこのトレセン学園にいるウマ娘にありがちなのが、周りと相対評価をして自分を卑下する傾向だ。ドトウもその例に漏れず、周りの余りにも輝かしいウマ娘達を見て、自分のことを卑下してしまっている。

 いくら俺がお前はできるんだからと言っても、頑なに信じようとしない。それについてはいつか何か手を打ってやらないとな、と思いつつ。

 

 「あいつは平気でG1連覇とかできる器なんだ……しっかり褒めて伸ばしてやらないと!」

 

 そういうウマ娘はしっかりと褒めて伸ばす。前回……去年まで担当していたウマ娘も、自分に自信が無いタイプだった。最初に担当したグラスも、周りとの比較というよりは『怪物二世』という異名と自分を比較して苦しんでいた。

 

 この中央に集まるウマ娘達は誰もが確かな実力と才能を持って入学してくる。しかしそれは別に成功を約束されているわけではない。

 

 中央で活躍するためにはその才能と実力の他に、途方もない努力と、運が必要になってくる。どんなタイミングで成功のチャンスが転がり込んでくるかわからない。俺たちトレーナーにできるのは、わずかでもそのチャンスを掴み取る可能性を上げてやること。それだけだ。

 

 黄色いラダーを倉庫から引っ張り出して、右手に抱える。ミニコーンも必要だろうから後で取りにもう一度こないとな……。

 両手にラダーの入った袋を抱えて、俺はグラウンドへと戻っていた。

 暗かった倉庫から外に出る時、頭部に少し痛みを感じて立ち止まる。

 きっと、いや絶対にグラスに昨日引きずられた時の後遺症だ。

 何故か体の他の部分の調子はすこぶる良いのだが、頭にだけ痛みが残っている。

 

 「いてて……なんか昨日グラスに薬ぶっ刺されてからの記憶が曖昧なんだよな……アイツいつの間に帰ったのかもわかんねえし……」

 

 俺は昨日のあの惨劇以降の記憶がない。確かに引きずられて自分の部屋にぶち込まれた記憶はあるのだが、その後グラスがどのような仕打ちを俺にしたのかもわからず、気付けば朝になっていた。

 いや、怖すぎんか???マジで外傷もなければ部屋も特に変わった点はないし……いやむしろ何故か部屋が綺麗になっていて、なんなら朝食用の作り置きメニューが冷蔵庫に入っていたのが気になった程度で、俺の所有物が奪われたような形跡もない。いったいあいつは俺の意識が無い間に何がしたかったんだ……。朝食はありがたく頂いたが。

 

 「ト、トレーナーさん~」

 

 「んあ?」

 

 んなことを考えていると、向こうからやってくるのはメイショウドトウ。トレセン学園のジャージを着用した彼女が、こちらへ走ってくるのが見える。

 だがまて、あいつにはトレーニング以外の所であまり走ってほしくない……。何故ならよくコケるから。

 どこかのアイドルかな?ってくらいなんもないところでコケるから。

 

 ウマ娘の怪我は一般人の怪我とはわけが違う。危険なことはしてほしくないのだ。

 

 しかしそんな想いとは裏腹に、すぐ近くまで来たドトウが何故かバランスを崩す。

 

 「ああっ!」

 

 言ってるそばから!

 

 「言わんこっちゃない!」

 

 動けえ!俺の脚イ!

 

 「おら……よっと!」

 

 なんとかドトウのコケる前に滑りこんだ俺が、ドトウの身体を支えることに成功する。いやでも痛ってええ!!!毎度のことながら痛ってえ!!立っている状態では支えきれないのだ。恥ずかしながら。

 

 ドトウは他のウマ娘と比べても身体が大きい方。こんなことをうら若きウマ娘に言うのは憚られるが、体重もしっかりある。今は全力疾走していたわけではないとはいえ、この身体を支えるにはそれなりのリスクが伴う。ま、もう慣れたけど。ドトウ支えるのもう20回目くらいだし。

 

 「す、すみませんトレーナーさん~!」

 

 「だ、大丈夫だ。っつーか別にコースで待っててくれてよかったんだぞ?」

 

 「い、いえ~倉庫からトレーニング器具を持っていくのは、本来私達の方ですし……」

 

 確かに、他の所を見ているとウマ娘がトレーニング器具を持っていくことの方が多い。

 しかしドトウを倉庫に向かわせるわけにはいかない。以前ドトウを倉庫に向かわせたら10分くらい戻ってこなかったので様子を見に行ってみたらたくさんの器具がひっちゃかめっちゃかになってラインパウダー(白線引く時の粉)まみれになったドトウが出てきて頭を抱えたもんだ。

 

 「別に、いいんだよ……それくらいはさせてくれ……」

 

 痛む背中を我慢しながら、俺はドトウを立ちあがらせようと肩に手をかける。ってええ?!泣きそうになっとる!泣きそうになっとるがな!まずい、ここはなんとかしないと……!

 

 「すみませんトレーナーさん……的野トレーナーは……私なんかのトレーナーに、なるべきじゃなかったんです……的野トレーナーはあれだけ他のウマ娘達からも人気があったのに……こんな私なんかにつくべきじゃ、なかったんです……」

 

 ドトウの瞳から涙が溢れる。いつも垂れがちな耳はさらに元気を無くし、ドトウのトレードマークであもある頭のアホ毛も、力なく垂れ下がっていた。

 

 確かに、3人目の担当を決めてもらう、と理事長に言われた時、まだトレーナーがついていないウマ娘達からは猛アピールがあった。トレーナー契約は3年ごとで、毎年誰がフリーになるか、とかそういった情報はある程度出回る。まだ担当がいないウマ娘達は先輩達からの情報も聞きつつトレーナーを探すのだ。

 

 俺は今まで2人のウマ娘を担当して、そのどちらもが素晴らしい成績を収めている。それはひとえに俺が担当したウマ娘二人が傑物であったから以外のなにものでもないのだが、他から見たらそんなことはわからない。事実としてあるのは、俺が担当した2人が輝かしい成績を収めているということだけ。ともすれば俺の所に担当になって欲しいと言いに来るウマ娘は少なくなく、連日のように俺はそんなウマ娘達を見ていた。

 

 俺はそんな時期に、コースでもくもくと走り続けるドトウと出会った。

 走る姿はとても魅力的で……初めてグラスの走りを見た時と似た感動を覚えたもんだ。

 

 だからドトウは決して、自分が思っているような弱い存在じゃない。

 

 「俺は自分の意志でドトウの担当になりたいって言ったんだ……だから自信を持て。ドトウは俺が選んだパートナーだ」

 

 「トレーナーさん……」

 

 潤んだ瞳でドトウが俺のことを見てくる。うん。とてもかわいいね。あ、担当を選ぶ際に容姿を気にしたことなど一度もない。これは断言できる。って何故弁解をしているんだ俺は……。あ、ってか可愛いのはいいんだけどね?そろそろそこをどいてくれないと、ちょっと、いやかなりまずいと思うんだワ。

 君すごくこう、なんだ?柔らかい身体されてますし?今まで担当した娘達はこんな感じじゃなかったから?あ、いやそういう意味じゃないよ?でもほら、ここ倉庫前だし?すぐ誰か来てもおかしくないし?今この状況誰かに見られたら、ね?

 だから今すぐそこを……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「そこでなにをなされてるんですかー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オイオイオイ。死んだわ俺(2回目)

 

 

 半ば死を悟りながらも振り返ると、そこには青い炎を纏った、“鬼”がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日のトレーニングが終わった。

 結局あの後更に自信を無くしてしまったドトウと共にグラスの誤解をなんとか解き、俺たちはトレーニングを再開するに至った。

 途中、グラスとドトウが何か話していたが、俺は混ぜてはもらえなかった。ぴえん。

 

 グラスは結局納得してくれなかったようで、「今日の夜また部屋にお邪魔しますから、正座で待っていてくださいね」と言われてしまった。あまりにも恐ろしい死刑宣告。

 

 

 「ったく、誤解を解くのにも一苦労だぜ……ってかなんであいつが怒る必要があるんだよ……」

 

 確かに昼間の光景は誰が見ても警備員さんを呼ばれかねない光景であったことは間違いないのだが、泣き出しそうになったドトウに対して異様なオーラを纏っていたグラスの姿はそこにはなく、ぷっくりと頬を膨らませて「どうして私が悪者みたいになっているのですか……」と可愛らしい怒り方をしていて。

 その怒り方してくれるなら毎日怒ってくれてもいいんだよ?グラスよ……。

 

 トレーナー室での事務仕事も終えて、俺は帰路につく。

 通った隣人の部屋からは楽し気な会話が聞こえてきたため、きっと今日もネイちゃんは松永の健康のためという名目で夕飯を作りに来たのだろう。なんて健気なんだ。あいつぜってえ許せん。

 

 ポケットに手を突っ込み、部屋の鍵を取り出す。グラスには死んでも言うつもりはないが、俺の家の鍵にはキーホルダー代わりにお守りがくっついている。これはグラスのトレーナーになり、二人で頂点を獲ろうと決めた時にもらったモノ……。俺の原点ともいえるものだ。いや、そんなもんを鍵にくっつけてあまつさえポケットに乱雑に突っ込むんじゃねえよですって?うるせえ、俺はこういう性分なんだ。部屋に飾るとか恥ずかしいことやってられるか。

 

 鍵穴に鍵を差し入れて、回す。が、そこにかかるべき抵抗がかかってこない。

 

 「あれ……やっべ今日鍵かけ忘れたか……」

 

 別に取られて困るようなものはそこまで無いとはいえ、流石に通帳等を盗まれたら困る。

 すぐに部屋に入って確認をしようと思い、革靴の紐を解く。

 

 「ただいま~っと……おろ、電気もつけっぱなしだったか……」

 

 どうやら電気もつけっぱなしだったようで、玄関の先の居間からは光が漏れていた。

 流石に空き巣に入られていることはないだろうが、ともかく貴重品の確認はせねばなるまい。

 

 ハンガーにジャケットの上着をひっかけて、俺は居間につながる扉を開いた。

 

 

 「あら、おかえりなさい、トレーナーさん」

 

 「……ぴょ?」

 

 変な声が出た。

 硬直する俺の視線の先には、どこから突っ込めばいいかわからない制服にエプロン姿のグラスワンダー。

 

 「もう少しでできますから、少々お待ちくださいね~」

 

 普段と何ら変わりない態度で、グラスがキッチンの鍋に向かっている。

 

 ……行くから待ってろよ、とは言われたが、先にいるから早く帰ってこいよ、なんて言われていない。

 ってか何故鍵を開けて入ってこれたのかもわからない。

 

 

 俺はその場から動けず、20秒ほど立ち尽くした。

 

 その20秒で、俺の脳内をあらゆる可能性が駆け巡る。

 今日のことが許せず、俺は今日これから毒殺されるのだろうか、とか。

 2人目に担当したウマ娘をテーマパークに連れて行ってあげたことがバレたのだろうか、とか。

 何故か良く学園で会うライブ好きなウマ娘に他のウマ娘のウイニングライブに強制連行されたのがバレたのだろうか、とか。

 

 しかし、そのいずれの可能性を考えたとしても、今とるべき行動はただ一つ……ッ!

 

 

 「あ、んじゃあ俺先風呂入ってくるわ」

 

 

 圧倒的!思考放棄!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風呂から上がった俺を待っていたのは、彩り豊かな和の夕飯だった。

 え、ヤダ、クオリティ高すぎっ!

 

 「お待たせしました~。鯖の味噌煮に、ほうれん草のおひたし、里芋と人参がメインの筑前煮と、汁物は粕汁をご用意しましたので」

 

 「え、ちょい待てグラス。少なくとも昨日までウチの冷蔵庫にこんな食材は無かったはずだが……」

 

 「そうですね~。大丈夫です。材料は私が好きで買ったものですので~」

 

 「いやいやいや!流石にそれはまずいわ。金くらい出させてくれよ」

 

 「ふふふ。そんなことより、早く食べていただけませんか?そうしていただけることが、何より私にとっては嬉しいのですよ~」

 

 流石に申し訳なさすぎて財布を取りに行こうとする俺を、グラスが静止する。

 ウマ娘のヒモになるトレーナー……なんてゴミトレーナーなんだ……!

 

 しぶしぶ俺はグラスの作ってくれた夕飯に手を付ける。

 目の前にはホカホカと湯気が出ている料理の数々。

 筑前煮かあ……よく母親が作ってくれたっけな。

 どれどれ。

 

 「え、うまあ!!」

 

 「ふふふ、それはよかったです~♪」

 

 う、美味い。グラスが料理できることは知っていたが、まさかこれほどまでとは……!

 

 「全て美味い……!俺がそこまで好きでもないほうれん草が何故ここまで美味い……?!」

 

 「そう言っていただけると、お料理の教室にも通っていた甲斐があるというものですね~」

 

 腹が減っていたせいもあってか、俺の箸が止まることはない。

 そんな様子を、グラスがにこやかに見守っている。

 

 しかし、ふと思う。

 何故グラスは急に料理を振舞ってくれたのだろう。

 てっきりまた昨日のように薬でもぶっ刺されるのかと思ったのだが……。

 

 「なあ、グラス」

 

 「はい、なんでしょう」

 

 「なんで急に飯なんか作ってくれたんだ?今日はその~誤解とはいえ、またお前の機嫌損ねるようなことしちまったわけだし」

 

 「……ウマ娘がトレーナーの家にご飯を作りに行くのに、理由がいりますか?」

 

 「いるだろ(真顔)」

 

 「ふふふ、冗談です。そうですね~……」

 

 ピクリとも姿勢を動かさずに正座を続けるグラスが、持っていた湯呑み(俺の)を置き、顎に手を当てた。

 ほんと、こういう細やかな仕草が絵になるウマ娘である。少し気性が荒い(主観)のが玉に瑕だが。

 

 「……トレーナーさん。トレーナーさんが初めての私のトレーニング前に言ってくださったこと、覚えていらっしゃいますか?」

 

 「どれのことだ……?」

 

 「ふふふ。『俺はお前と同じ1年目。俺は失敗しても次があるかもしれないけど、グラスの1年目はやり直せない。だから、絶対に妥協はしない。今の俺の持てる全力で、グラスワンダーと誠心誠意向き合う』」

 

 「……んなこっぱずかしいこと言ったっけ……」

 

 「ええ。今でも一言一句、胸に刻まれています」

 

 本当に刻まれているかのように、グラスが胸に手を当てる。

 

 「私は、トレーナーさんと共に歩めた3年間を、本当に宝物のように感じているんです。初めてのトレーナーが、あなたで良かった、と」

 

 「お、おう、ありがとう……?なんか恥ずかしいな」

 

 「そして私は、こうも思っています」

 

 ずい、と。

 正面に座っていたグラスの顔が、俺の目の前にまで迫る。強い意志の籠った青藍色の瞳が、俺の目を捉えて離さない。

 

 

 「あなたの『はじめての担当ウマ娘』は、あのグラスワンダーであったのだ、と」

 

 「……!」

 

 「不退転の意志を持って、あなたと共に3年間を走り切りました。一部の隙さえ残さず錬磨し、己の持ちうる全てを、互いがぶつけた。その切磋琢磨があって、今の私はいる。トレーナーさんは、どうでしょうか」

 

 グラスの言っていることに間違いはない。あるはずがない。

 あの時の俺は右も左もわからないなかで、グラスワンダーという稀代の才能を持ったウマ娘を担当し、このウマ娘が成功するためには何が必要かを貪欲に探していた。

 その頃のことは、今でもよく思い出せる。

 

 もしかしたらグラスは、俺が今ドトウの育成にてこずっていることを知っていたのかもしれない。

 または、今日ドトウから何かしらを聞いたか……。

 

 「そう……だな。グラスとの3年間があって、今がある。初心忘れるべからず……か。お前が良く言ってたことなのに、なんか忘れちまってたかもしんねえ」

 

 「ふふふ、思い出していただけたようで、なによりです」

 

 グラスの担当をしていた頃を思い出したら、いつの間にか俺には前向きなイメージしかなくなっていた。

 このへんは昔から本当に頭が上がらない。

 

 「よし……ありがとな。元気出たし明日からまた頑張るぞー!」

 

 「その意気ですよ、トレーナーさん。あ、それはそれとしてなんですけど……」

 

 再びグラスの手料理を味わうべく、箸を持った俺だったが、グラスの声で静止する。

 目の前のグラスは、何故か顔を若干赤らめ、恥じらいながらうつむいていた。

 

 「……どした?」

 

 「非常に言いにくいのですが……」

 

 なんや、こっからが本番だったのか?!

 一度甘やかして置いて、ここから地獄を見せる気?!俺ってば今からどうなっちゃうの?!

 

 

 「……私もご相伴にあずからせていただいてよろしいでしょうか」

 

 

 ……そーいやこの娘どっかのダービー娘と同じでアホみたいに飯食べる勢だったワ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーさんの部屋を出て、私は軽く息を吸い込みました。

 柄にもなく大胆なことをしてしまったものですから、身体が少々火照ってしまいましたね。

 

 大和撫子たるもの、大胆過ぎる行為ははしたないととられかねません。気を付けないと。

 

 

 「じゃねー。……って、おわっ。グラスワンダーさん」

 

 「あら、ネイチャさんこんばんは」

 

 隣の部屋から勢いよく飛び出してきたナイスネイチャさんが私の顔を見てびっくりしています。

 

 「ふふふ、ネイチャさんはトレーナーさん想いなんですね」

 

 「いやいやいや!そーゆーんじゃないですよ!ただちょ~っとウチのトレーナーさん健康管理がなってなくてですね……」

 

 同じウマ娘である私だから分かります。彼女は担当トレーナーさんのことをとても好意的に見ているようですね。

 昨日も私のトレーナーさんと、ネイチャさんのトレーナーさんが映っていた学生時代の写真を交渉材料にしたらあっさり受け入れてくださいましたし……。

 

 トレーナーさんを好意的にみる、というのはとっても素晴らしいことだと思います。実際、引退したウマ娘で担当トレーナーと結ばれた例は数多くありますし。

 そしてネイチャさんのトレーナーさんはずっとネイチャさんの担当をなさっているようですし……ほんの少しだけ、それは羨ましい話ですね。

 

 「あー、でもグラスさんも、トレーナーさんのこと大事に思っているんですよね……?」

 

 「?もちろんですよ~?」

 

 何故疑問符がつくのかがわかりませんが……きっと昨日私がトレーナーさんを引きずって部屋に連れ戻したことが原因でしょうか。

 大和撫子には時に苛烈さも必要なんです。

 

 ネイチャさんと共に学生寮へと戻ります。門限までは時間がまだあるので、寮長さんから怒られることはきっとないでしょう。

 

 「あの~……グラスさん」

 

 「どうしましたか?」

 

 「グラスさんは、もしトレーナーさんが他のウマ娘のことを好きになっちゃったりしたら~……とか、不安になったりしないんですか……?」

 

 「……難しい質問ですね~……」

 

 きっとネイチャさんは、今の担当トレーナーさんが他のウマ娘を担当する可能性が出てきて心配に思っているのでしょう。

 ネイチャさんは最近レースの成績が良く、チームへの参加も決まりました。確かに、トレーナーさんが他のウマ娘を担当する可能性は大いにあります。

 

 「私は信じていますから。時に他の娘達に鼻の下を長くしているのを見ますが……最終的にはきっと、私の所に戻ってきてくれます」

 

 「はえ~……やっぱ眩しい、な……。あ、じゃあじゃあ、もし的野トレーナーさんが、他のウマ娘と結婚する、って言ったらどうしますか?」

 

 「刺してしまうかもしれません」

 

 「えっ」

 

 「冗談です」

 

 「あ、あははー、そ、そうですよね~ネイチャさんちょっとびっくりしました……」

 

 ネイチャさんはきっとまだ若いですし、こういう恋愛話が好みなのかもしれませんね。

 しかし仮定の話とはいえ、今私の胸に去来したこの気持ちはいったいなんなのでしょうか……。

 

 

 寮の近くまできて、ネイチャさんと別れました。

 靴箱に自分のローファーをしまいます。

 

 そうして自分の部屋に向かおうとして……少し後ろを振り返って、トレーナー寮がある方へ私は向き直りました。

 

 

 

 「……誰にも、譲りませんよ、トレーナーさん」

 

 

 

 

 なんて。

 

 胸に宿った温かい気持ちを抱きしめて、私は部屋へと戻るのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






グラスワンダーと同棲したいだけの人生だった……。



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セイウンスカイ、これはもう一人旅 

祝!セイウンスカイ実装!やったね!




 

 わたしのトレーナーは頭が固い。

 

 

 『スカイ!どこ行ってたんだ!探したぞ!完璧なトレーニングプランを考えてきたからな。これを行えば君の勝利は固い!』

 

 

 

 本当に頭が良くって、最初はちょっと苦手かもな~って思ってたんだよね~。ほら、セイちゃん難しいこと考えるのあんまり好きじゃないし。

 

 

 『スカイ!見てくれよ!俺の研究の賜物だ!これを飲めば疲労回復力が格段に上がる!……何い?!美味しくなさそう……だと!バカを言うな!これは僕の最高傑作なんだぞ!』

 

 

 トレーナーはよくわたしに得体のしれない飲み物を作ってくる。ドーピングじゃないの?って聞いたけどレース前に飲むヤツじゃなくて普段の疲労回復に過ぎないから大丈夫なんだって。……あんまり美味しくないんだけどね~。

 

 

 『ううむ……スカイはあの連中に勝る才能がある……それがわかっているのに、何故勝てない……?まだ、まだなにかやれることがあるはずだ……!』

 

 

 毎晩毎晩、トレーナー室でうんうん唸ってるわたしのトレーナー。

 

 本当に頭でっかちで、周りが見えてないんじゃないかって思うけど。

 

 わたしはそんなトレーナーのこと、実は結構好きだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーは基本立ち入りを許されていない、トレセン学園内の研究室。

 理事長に頼み込んで僕だけが私的に利用することを許されたこの場所が、僕の根城だ。

 トレーナーなんていう職業についてしまった以上、本来ならば外に出て様々な指導を施さなければならないのだが……僕は基本外が嫌いだ。

 室内で快適な気温を保つことができるのに、何故人は外に出たがる?理解ができん。

 

 それに僕には外で熱血指導を行うよりも、こうして室内でウマ娘の成長に最適なスポーツ飲料を研究したり、最適なトレーニングメニューを考える方が性に合っている。

 

 今日は普段から担当ウマ娘に与えているスポーツ飲料の改善を試みた。

 既にかなりのレベルに仕上がっている自負はあるが、まだ改良の余地があるかもしれない。科学の可能性は無限大。僕はそう信じているからこそ、こうして日々素晴らしい研究を続けられる!

 

 よし、あとはこれをこのバランスで抽出して……よし!

 

 

 「できた!!!できたぞ!!!」

 

 

 完成だ!僕の考えた最強のアミノドリンク(ウマ娘用)Ver6!

 これなら彼女のトレーニングの支えになること間違いなし!……ふふふ。自分の才能が怖い……。自分の担当ウマ娘を須らく最強にしてしまうかもしれない自分の手腕が怖い!

 

 「はっはっはっは!!!スカイ最強計画!完成の日は近い!!」

 

 「やっほ~……って昼間っからセイちゃんの名前大声で叫ばないでよ……」

 

 「おおスカイ!もう授業が終わるような時間か!」

 

 つけていたお気に入りの腕時計で時間を確認する。

 

 研究をしていると、つい時間を忘れてしまうのは良くないな。

 僕の研究室に姿を現すウマ娘は何人かいるが……その中でもこのウマ娘は特別。なにせこの僕の担当ウマ娘なのだからな。

 

 「今日のトレーニングメニューもらいに来たんだけど~」

 

 「おお!まだ渡していなかったか……これはすまない。今印刷するから少し待ってくれるか」

 

 「はいは~い」

 

 「お、そうだ!そのついでに今しがた出来上がったこの、アミノドリンクVer6を是非飲んでくれたまえ!疲労回復に加え、より効果的に身体に足りなくなったミネラルを補給できるようになったのだ!」

 

 「あ、あ~……そうだね、今はまだ疲れていないから、後でもらうよ、ほら、トレーニング後とかに?」

 

 「ん?そうか……それならば、そうしてくれ」

 

 できれば今味の感想だけでも欲しかったが、致し方あるまい。

 いつも通り専用のボトルに入れて、スカイに渡そう。

 

 僕は先ほどできあがったばかりの透明色の液体を、一部を残してボトルに詰める。

 トレーニングメニューは先ほど印刷したから、そろそろ出てくるだろう。

 

 あと、スカイに伝えることは……。

 

 「そうだ、スカイ。ちょっとそこに体操用のマットがあるから、柔軟をしてくれるか?柔軟性のデータがとりたい」

 

 「ん?いいけど?……あれ?でもセイちゃんが身体は柔らかいの知ってるよね?」

 

 「もちろんだが、変化がみたい。スカイの身体は日々変化している。その変化を知っておくのも、トレーナーの僕の役目だろう」

 

 スカイの柔軟性には目を見張るものがある。おそらく彼女の速さも、そこに由来するものもあるだろう。

 だが、その柔軟性を信頼しすぎて、無理なトレーニングで体を痛めては欲しくない。怪我は一番怖いものだ。ウマ娘にとっては命にかかわるのだから。

 

 スカイの柔軟運動を手伝って、身体に異常がないことを確認する。

 筋肉痛の類もないようだし、体調は万全と言っても差し支えないだろう。

 

 よし。やはりスカイは完璧だ。

 

 印刷し終えたトレーニングメニューが書かれたプリントを、スカイに手渡す。

 

 

 「今日も、600mのタイムだけは計測してくれ。他のタイムに関しては任意で構わない。と、自主練はほどほどにしておいてくれたまえよ。君が努力家なのは承知だが、いくら僕のスポーツドリンクがあるとはいえ、疲労は日々蓄積していくものだからね」

 

 「は~い。じゃあ今日もゆるっと、練習するフリでもして釣りにでも行ってきちゃおっかな〜」

 

 「それでもかまわないさ。どんなトレーニングをしているかは、練習後の君を見ればだいたいわかる」

 

 彼女は「つれないね~」と言いつつ、笑顔で研究室を出ていった。

 

 いつも通りの軽口。スカイは飄々としてとらえどころがないが、その実、彼女の根幹にある性質は理解しているつもりだ。

 そもそも、彼女を担当したいと思ったのは、そのうちに秘める闘志にこの身を焼かれたから。

 

 彼女のためにと思うから、僕は研究を続けられる。

 

 

 「ふむ……では次は練習前に飲めるプロテインタイプのものも開発するとするか!」

 

 

 僕には他のトレーナーほどの情熱は無い。

 最強のウマ娘のトレーナーであるとかいう肩書きとか、名トレーナーの肩書きなんぞに興味はない。

 

 僕を突き動かす原動力は、ただ一つ。

 

 

 

 

 

 

 『やった……!!!このどよめき……!この歓声……!たまんないよ!ねえ!トレーナー!』

 

 

 

 

 

 セイウンスカイという、雲のように自由きままで、とらえどころのない彼女。

 

 そんな彼女が、唯一、猛者達が集ったレースに勝った時だけに見せる、あの最高の笑顔が見たい。

 

 それだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スポーツドリンクの研究はそこそこに、僕はスカイが出走するレースを決めるために、ノートパソコンと向き合っていた。

 しかし僕は残念なことに、レース知識が十分ではない。そもそも、トレーナーになりたい、というより研究者になりたかったのだが致し方ないのだが。

 

 しかし案ずることなかれ。そんな僕には、強い味方がいるのだ。

 

 「ふむふむ……次はダービーに焦点を当てるべき、ということか。皐月賞を制したスカイはより注目を集めるはず……と。そしてそこに、三強と噂される、君のところのキングと、スペシャルウィークが出てくる……と、なるほどなるほど。これは良いことを聞いた。ではダービーに勝つために僕はトレーニングをさせればいいわけだな」

 

 『いやそうだけど……あのな?俺誰の担当してるか知ってる???いや、ね?お前が常識知らずなのはもちろん知ってるよ?けどね?俺の担当してるウマ娘も、クラシック路線……ダービーに出るわけよ。そのライバルトレーナーに、普通聞くか?!つーかだいぶ前にクラシック三冠の話したんだから次がダービーなことくらいわかってたろ!?』

 

 電話先で呆れたような物言いをしている男……福田は、僕と同じくトレーナー。つまり同僚だ。

 

 「ふむ。おかしなことを聞くね。僕たちは同僚であるのだから、お互い協力していくべきだろう?君のダービーに対する思い入れは知っている。だからこそ、そのダービーに詳しい君から情報を欲したんじゃないか。対価として、どうやら君のところのウマ娘にも、スカイが僕特製のスポーツドリンクを飲ませてあげているそうではないか」

 

 『いや、あれはなんか飲ませてあげるとかじゃなくて毒見役的なあれだろ……まあそれは置いておいて!俺の他にも、頼れる人増やしといた方がいいと思うぜ?もしかしたら俺が担当ウマ娘を勝たせたい一心でお前に嘘ついてもおかしくないんだぞ?それくらい、俺にはダービーにこだわる理由がある』

 

 「はっはっは。おかしなことを言う。結局こうして僕の問いに答えてくれている時点で、君の人の良さが出ているじゃないか。そんなことをいちいち疑ったりはしないよ」

 

 『……ったく……まあ、たまには外に出て来いよ。お互いの担当ウマ娘、それなりに仲良いみたいだし、たまにゃ併走トレーニングしても良いかもしれねーしな』

 

 「考えておくよ。なにはともあれ助かった。また連絡させてもらうよ」

 

 ゆっくりとスマートフォンを耳から離し、通話を切る。

 彼は同期のトレーナーでありながら、年長者のトレーナーからも一目置かれる存在。

 父が有名なトレーナーだったらしいが、僕はそんなことはどうでもいい。彼の性格と、その知識が素晴らしいものだったから、連絡を取り合う仲になっているに過ぎないのだから。

 

 「しかし福田には世話になりすぎているな……いつか何かの形でお礼をさせてもらわねば……ん?」

 

 福田から聞いた情報を元に、もう一度スカイの出走するレースのプランを考え始めたタイミングで、外でなにやら声が聞こえる。

 

 「……スカイか?」

 

 どうやら片方はスカイの声らしい。

 なにを話しているかまでは聞き取れないが、なにやらあまり良い雰囲気ではなさそうだ。

 

 様子を見に行こうかと席を立ったタイミングで、研究室の扉が開く。

 

 「やっほ~、トレーナー」

 

 「スカイ。お疲れ様。なにやら声がした気がするが、何かあったのか?」

 

 「ん~?……え、嫌だな、もしかしてお化け?!……なんてね。いや、なんでもないよ~」

 

 「……?……それならいいが……そうだ!あのアミノドリンクVer6はどうだった?味の感想と、身体の調子を教えてくれ!」

 

 「あ、ああ~!スポーツドリンクね、そうだな~ちょっと薄かったけど、飲めないことはないし~身体の調子もいつも通りだよ~?」

 

 む、味が薄かったか……身体に影響する甘味はなるべく入れたくないのだが、飲みにくかったら意味が無い。

 今度は味が出るようにもう一度調整するか……。

 

 先ほど残して置いたアミノドリンクVer6の液体を冷蔵庫から取り出すべく、僕は研究室の角の方へと向かう。

 

 

 「―――よ?」

 

 ん?今何かスカイが呟いたような……。

 

 

 「スカイ、何か言ったか?」

 

 「ん~ん!なんにも~?」

 

 「そうか」

 

 いつも通りの飄々とした表情。

 空耳かと結論づけて、僕はもう一度冷蔵庫へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トレーナーの研究室を出て、わたしはレース場へと向かう。

 あ~あ。面倒だし、本当に釣りにいっちゃおうかな~、なんて。

 

 「それにしても……どうしようかね、コレ」

 

 右手に握っているボトルには、トレーナーから渡されたスポーツドリンク。

 トレーナーが作るスポーツドリンクは、確かにトレーニング中に飲むと次の日に疲れが残らない気がするんだけど、如何せん味がね~……。いつも渡されるたびに味が違うから、毎回びくびくしながら飲まなきゃいけないのがちょっとね……。

 

 トレーナーのことは信頼してる。

 それは最初に会った時から変わらない。ちょっと変な人だけど。

 周りからは、「自分のウマ娘の面倒も見ないトレーナー」「トレーニングの手伝いもしないトレーナー」とかいろいろ言われてるみたいだけど、わたしは別に気にしない。

 トレーナーは見なくてもわたしの状態がだいたいわかるし、トレーニング前と後は必ず会って話してて、事細かに色んなことを聞いてくれる。それだけで、十分なんだよね。

 わたし、あんまり強要されてトレーニングするの、好きじゃないし。

 

 レース前後はものすごい力を入れてサポートしてくれるし?普段はゆる~い感じが、このセイちゃんには似合ってるんだよね。

 周りを出し抜くの、大好きだって言ってたし。

 

 本当、わたしのトレーナーって感じだよあの人は。

 

 

 ジャージに着替えて、わたしはレース場へと向かう。

 柔軟もう一回して、準備運動したら軽く走ろうかね~。

 

 皐月賞はトレーナーさんの策が上手くハマって勝てたけど、ダービーはなにやらスぺちゃんも相当気合入ってるみたいだし……それに~。

 

 「セイウンスカイさん!」

 

 「おろ?」

 

 後ろから声をかけてきたのは、わたしの同級生、キングヘイロー。

 キングもダービーかなりやる気なんだよね~。なんかちょっと空回りしてないか心配になるくらい。

 

 相当お気に入りのトレーナーに担当してもらってるみたいで、いつもご機嫌なんだけどね〜。いや~それ自体はとても良いことなんだけどさ。

 

 「おーっほっほっほ!スカイさんごきげんよう!今日は私と一緒にトレーニングする権利を差し上げますわ!」

 

 「おお~!そりゃ嬉しいね~」

 

 わたし達は同級生の友達であり、同時にライバル。そのことは皆わかっているけれど、普段のトレーニングからピリピリしたくないし、わたしはこの雰囲気推奨派。

 あと、ちょうどキングにはやってもらわなきゃいけないことがあるしね~♪

 

 「あ~でもキングにトレーニング付き合ってもらうのに、こっちからなにもしないのは少し悪いなあ~」

 

 「あら!別にそんなことお気になさらなくてもいいのよ?けどそうね、何かあるのなら、この私も興味があるわ!」

 

 よし、食いついた!これをいつも通り……。

 わたしは自分の鞄からスポーツドリンクの入ったボトルを取り出す。

 

 「あ、そうだ!じゃあキングには~……パンパカパーン!このうちのトレーナー特製スポーツドリンクを一緒に飲ませてあげよう!」

 

 「あら、前頂いたものとはまた違うの?前はその……個性的な味をしていたけれど」

 

 「まあまあ~、そこはお楽しみにってことで!ってことでこの栄えある一口目を、キングにあげちゃうよ~!」

 

 「あ、あら、そう?じゃあ遠慮なく……」

 

 疑うこともなく、トレーナーさんお手製ドリンクを飲むキング。

 キングは本当に優しいなあ……。

 

 「……どう?お味の方は?」

 

 「……そうね、前のよりは飲みやすいけれど……少し味が薄いのではなくって?」

 

 「ふむふむ……飲みやすいけど、味は薄い……じゃあ今日のやつは全然飲んで大丈夫そうかな。キング毒見……じゃなかった、飲んでくれてありがとうね~!」

 

 よし!キングが飲んでくれたなら問題ない。

 このドリンクはトレーニング中にしっかり頂こう。

 

 最初にもらった時本当においしくなくって、それから飲むのが怖いんだよね~。一応トレーナーも飲んでるらしいけど、あの人味覚おかしいみたいだし。

 だからキングに飲んでもらえるのホントありがたいや!

 

 その言葉が聞けたし、わたしは軽やかにレース場へと走りだす。

 やっぱ逃げって最高だよね!

 

 

 「あ、あなた、また私を毒見役にしたわね!!スカイさんあなたのそういうとこ、ほんっっとどうかと思いますわよ~?!?!」

 

 「あはは~!またお願いね~!」

 

 キングの恨み言が聞こえてくるけどなんのその。

 やっぱりキングは優しくてかわいいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「結構遅くなっちゃったけど、まだトレーナーさんは研究室かな?」

 

 わたしは練習を終えて着替えた後、トレーナーの研究室へ向かっている途中。

 基本トレーナーがいるのは研究室だけど、たまにトレーナー室で事務作業していることもあるから迷うんだよね。

 

 キングとはあの後一緒にトレーニングをして、キングのトレーナーさんにも少し指導してもらった。

 本当にこれでいいのか……って悩んでるキングのトレーナーさんは、どうやらわたしのトレーナーに手を焼いてるみたいだね~。まあ自由人だからね、あの人。

 

 600mのタイムも計測したし……まあ、日向ぼっこでもしてくるって言ってその後はキングとは別の場所で筋力トレーニングしてたけど、これくらいならオーバーワークにはならないよね~。トレーナーさんからもらったドリンクのおかげかどうかはわからないけど、疲労は全然残ってないし。

 

 そんなことを考えていたら、研究室のある事務棟にたどりついた。

 ここの廊下、薄暗いしあんまり好きじゃないんだよね~……。

 

 「……ッ!……誰?」

 

 そろそろトレーナーさんの研究室に着くってタイミングで、わたしの前に、急に現れたのはスーツ姿の男の人。

 

 

 「君、セイウンスカイだね?」

 

 「……さてどうだったかな~……」

 

 「私はここでトレーナーをしている者だが、君に話があってね」

 

 サングラスをしていて、表情は見えない……けど、トレーナーの証であるバッジもしてるし、トレーナーっていうのはどうやら本当らしい。

 

 「そんなトレセン学園の優秀なトレーナーさんが、わたしなんかになんの御用?」

 

 「なんか、ではない。君はとてつもない才能を秘めた、ウマ娘だ」

 

 「……へえ」

 

 一歩近づいてきた男の人に、わたしは距離をとるために一歩後ずさる。

 

 「単刀直入に言おう。彼の担当なぞ辞めて、私の元に来い。そうすれば、必ず君はダービーウマ娘になれるだろう」

 

 「なるほど、そう来ましたか~」

 

 きっとこの人はここがわたしのトレーナーの研究室であることを知っていて、わざわざ待ち伏せしてたってことか。ご苦労なこったね~。

 しかも目の前で勧誘とか……。

 

 「彼は本来トレーナーになる器の人間ではない。このままでは君の才能は腐ってしまう。それはウマ娘界の損失だ」

 

 「……」

 

 「彼は君のトレーニングも見に来ず、のうのうと室内で研究を続けている。あんなのはトレーナーではない。まったく理事長も何を考えているのだか……」

 

 

 「……」

 

 「()()はトレセン学園の膿だ。あんな根暗な男など、研究室に閉じこもってせいぜい有用な研究を我々に寄越すだけでいいのだ。理事長の方には、私から進言しよう。手続きも、こちらで早急に済ませ、君のレースには影響は出さない。悪い条件ではないだろう。それに君も、内心うんざりしていたのではないかね?」

 

 膿……膿ねえ。

 わたしは頭の後ろで両手を組んだ。

 

 「……確かに、トレーナーさんは変な人だし、トレーニングも見に来ることほとんどないし、作ってくれるドリンクはあんまり美味しくないし……」

 

 「そうだろう。ならば「けどね」……?」

 

 雰囲気が変わったのを察したのか、目の前の男の人が押し黙る。

 

 

 

 

 「わたしの才能を見出してくれた。わたしの最高の笑顔が見たいと言ってくれた。どんな時も、わたしのことを1番重要に考えてくれてる」

 

 

 

 「トレーニングを見に来ない?それがどうした。トレーニングの内容を考えてくれているのはトレーナーだし、それを行ったかどうかなんて、あのトレーナーにはすぐわかる。研究しかしていない?それがなに?トレーナーの研究は、全てわたしのためにやってる研究だけど?それを外野がどうのこうの言える立場じゃないよね?」

 

 

 流れるように言葉が出てくる。

 あ~あ。わたしこんなキャラじゃないんだけどな~。

 

 

 

 

 「わたしはあのトレーナーの元でしか走る気はないよ。あの人がトレーナーをやめるなら、わたしもレースに出るのをやめる」

 

 

 「君は何を言って……!」

 

 

 

 

 「黙ってくれない?」

 

 

 

 

 

 「……!」

 

 

 「トレーナーさんは優秀な人だよ。それこそ、人を、ウマ娘を上辺でしか判断できない人なんかよりはよっぽど。だから」

 

 

 

 あ~、やっちゃった。

 わたしの悪い癖。

 

 わたしは男の人の横をすり抜けて、トレーナーの研究室へと向かう。

 

 

 その、すれ違いざま。

 

 

 

 

 

 

 「2度とわたしのトレーナーをバカにするな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「やっほ~、トレーナー」

 

 わたしは今しがたあったことをなにも気にせず、いつもの調子でトレーナーに声をかける。

 

 「スカイ。お疲れ様。なにやら声がしたが、何かあったのか?」

 

 あ、ヤバい?話してる内容まで聞かれてたらめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……。

 

 「ん~?……まさか、お化け?!な~んて、いや、なんでもないよ~」

 

 「……?……それならいいが……そうだ!あのアミノドリンクVer6はどうだった?味の感想と、身体の調子を教えてくれ!」

 

 良かった。内容までは聞こえてないみたい。

 いつもと全く変わらないトレーナーの様子に、わたしはちょっと笑いそうになる。

 

 でもダメダメ。この人に自然な笑顔を見せるのは、レースに勝った時だけってきめたんだしね~。

 

 「あ、ああ~!スポーツドリンクね、そうだな~ちょっと薄かったけど、飲めないことはないし~身体の調子もいつも通りだよ~?」

 

 キングに毒見してもらったから、なんの心配もなく飲めたしね。

 いや~ほんとキング様様だなあ~。

 

 トレーナーは「味がまだ薄いか……」とかなんとかブツブツ言いながら背を向けている。

 研究のためだとかなんだとか言ってるけど、味のこと気にしてくれてるあたり、トレーナーさんのやさしさだよねえ~。

 

 ほんと、わたしのことしか考えてない。バカな人。

 

 

 でも、だからこそわたしはこの人にトレーナーになってほしいと思った。レースに勝った喜びを、この人と一緒だったら、何倍にもその喜びを分かち合える気がしたから。

 

 

 だから。

 

 

 

 

 「絶対最後まで面倒みてくれたまえよ?」

 

 

 

 

 

 わたしの、運命のトレーナーさんっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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アグネスタキオン、少しフラついている 

 「プリンを買ってきてくれたまえ」

 

 「……は?」

 

 素っ頓狂な声が出た。

 

 私は今、このトレセン学園のトレーナー室で雑務を行っている所。

 本来ならばやらなくていい仕事も多数あるけれど、今に限っては理事長や学園の先生方に提出する始末書まで書かされている。

 

 なんで私がそんな始末書を書いているかって?

 それは今この瞬間にプリンを買ってこいとねだってきた目の前にいるウマ娘に原因がある。

 

 「……あのねタキオン……誰のせいで私が今始末書を書いていると思って……」

 

 「おや?不可解な話だね。私は君に指示された通りに所定の研究室で研究をしていたはずだが?責任を問われる所以はないよ」

 

 「……そうだね。その研究室の床が抜けて、下の階に薬が落ちて大パニックになったことを除けば、その通りだね……」

 

 「そんなものは私の知るところではないな。この学園の造りが悪い」

 

 ああ言えばこう言う……!もう私はこの担当ウマ娘……アグネスタキオンに言葉の応酬で勝つことは諦めていた。

 

 「そんなことより!今私は猛烈にプリンが食べたい。先日そこの冷蔵庫に入っていたプリンはなかなか良かったよ。できれば同じものがいいね」

 

 「あ~!それ私が買って業務終わったら食べようと思ってたプリン!やっぱりタキオンが食べたんだ!」

 

 「おや?伝えてなかったか?それは失敬。まあまあ、では今日2つ買って来れば良いではないか。それで万事解決。何も問題あるまい」

 

 「私があの日感じた絶望を除けばね!」

 

 はあ……。やっぱりトレーナー室の冷蔵庫にプリンを入れておくのはやめておこう。

 私のソファに寝転がって、クッションを空中に投げてはキャッチする動作を繰り返しているタキオンを尻目に、私は冷蔵庫へ向かう。

 

 昨日冷やして置いた水出しコーヒーがあるはずだから、それを飲もう。牛乳……は切らしてたから、まあ砂糖を少し入れればいいかな。

 

 「モルモット君!!クッションを落としてしまった!!今すぐ拾ってくれたまえ!」

 

 「やってること3才児なんだけど?!」

 

 どうやらソファの背もたれ側にクッションが落ちてしまったらしい。

 いや、それで駄々こねるウマ娘(高校生)、かなりヤバイシチュエーションでしょこれ。

 

 水出しアイスコーヒーをマグカップに注ぎ、机の上にソーサーと共に置く。

 それからタキオンの落としたクッションを拾ってあげるべく、よっこらせとソファの裏側にかがみこんだ。

 

 と、その瞬間に、私の足首に鈍痛が走る。

 

 (痛っ……あちゃー、まだ足治ってないみたい……)

 

 実は私はちょっと前に足を痛めてしまった。まあ、タキオンの研究に付き合っていると身体がボロボロになることは割といつも通りなので、保健室の先生にも相談してなければ、病院にも行ってない。 

 担当ウマ娘が怪我したらコトだけど、トレーナーの私が怪我したところで特に問題はないからね。

 

 幸いこの3年間で私の身体は相当丈夫になったようだし、湿布貼っておけばその内治るかなあとタカをくくっている。

 

 さて。雑務の続きをしますかね。

 とりあえずクッションはポンとタキオンの顔付近に投げておいてあげた。

 

 「あー!そんなぞんざいに扱うな!危ないだろう!全く」

 

 と、言いつつしっかりとクッションをキャッチして、タキオンはむくりと起き上がる。

 

 「おや、モルモット君。私の分の飲み物はどこかね?」

 

 「タキオンあなたコーヒー飲めないでしょー。麦茶なら冷蔵庫入ってるから、それどーぞ」

 

 「水出しコーヒーを作成した際に水出しアイスティーも作っていたはずだが?今年久方ぶりに購入できたファーストフラッシュの素晴らしい風味と香りを持つアイスティーが!」

 

 「全部飲んじゃったでしょー。研究室に持っていく~とか言って」

 

 はて、そうだったか……?と思考にふけるタキオン。

 

 タキオンによく幽閉される……じゃなかった連れていかれる研究室は、ここからそこまで離れていない。

 だからこそ実験中に意識が無くなった私をタキオンがここまで連れてきてソファに放り込んでおくことがよくあるのだけど……。いや普通そんなことあっちゃいけないけどね?

 

 まあでもタキオンの実験の被検体になる、というのは私とタキオンが担当契約を結ぶときに交わした約束であるから、それ自体に私は不満はない。タキオンのあの狂気じみた走りを見られるのなら、それも悪くない、って私は本気でそう思ったから。

 

 

 私は昔から走るのが好きだった。同い年くらいの女の子にはかけっことかで負けたことは無かったし、そこそこ速かったように思う。

 けど、テレビで見るウマ娘達の走りは本当比べ物にならないくらいすごくて。私は自分が走ることなんかよりも、才能あふれるウマ娘達の走りをもっと近くで見たいとそう思った。

 

 そしてやってきたこのトレセン学園で……私はタキオンの狂気にも似た走りを見てしまった。

 その瞳は狂気に満ちていて……なのにどこか儚い雰囲気を纏うこのウマ娘に、私はどうしようもなく惹かれてしまったんだと思う。

 

 ノートパソコンで雑務をこなしながら、私はもそもそと立ち上がって冷蔵庫へと歩くタキオンを眺める。

 するとタキオンは何か思い出したとばかりにこちらを向いた。

 

 

 「そうだ。今ちょうど研究が良いところでね。午後、今実験中の薬を飲んだ後にランニングマシンで測定を行ってもらいたいのだが……」

 

 え、なんて?

 ランニングマシン?

 

 「えっ?!あ、あ~……タキオン、申し訳ないんだけど、今日は走る系は勘弁してくれない……?」

 

 「なんだい歯切れの悪い。君は私のトレーナーでありモルモットだろう?この前限界に挑戦すべく併走したときなんか、なかなか良い声が出てたじゃあないか。あれは傑作だったよ!数値も一般的な成人女性とはかけ離れたものが計測できたしね!」

 

 うう、言いづらい……。実は前回のタキオンとの併走トレーニング(何故トレーナーの私が走らされているのか)の翌日から、私の足首が痛み出したのだ。

 別に隠すようなことでもないのだけど、タキオンが罪悪感を感じてしまうとあれだし……。

 それに断りたいのはやまやまだけれど、私はタキオンの研究に協力するという条件付きでトレーナーをさせてもらっているのだし、なるべくは研究に付き合ってあげたいという気持ちもある……。

 

 「……わかった、午後ね。動きやすい服装に着替えてから研究室に行くから」

 

 「素晴らしい!それでこそだよモルモット君。今は私の怪我も完治していないから併走はできないが……ゆくゆくはまた心ゆくまで併走しようじゃないか!ウマ娘でもないのにコースを走り、奇異の目に晒されて羞恥した君の心拍数の上昇値は、なかなか興味深かったからね!」

 

 鬼かこのウマ娘。

 耳も尻尾も生えちゃいないのにトレセン学園のコースで走らされる私の身にもなってほしい。

 

 「よしよし……まずは緊張及び過負荷状態で臓器別のエネルギー消費量を測定しよう……実に興味深い研究成果が得られそうだ!」

 

 ぶつぶつと一人で話し始めてしまった……こうなってしまうとタキオンはもう止められない。

 大人しく覚悟を決めて、無事に走り切れるように頑張ろう。

 

 私は深くため息をついて、これから訪れるであろう窮地に備えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これで良しっと……」

 

 お昼を食べ終えた後。

 タキオンは実験の準備を先にしておく、とのことで研究室に向かっていた。

 

 私は着ていたカジュアルスーツから、簡易的なジャージに着替えるべく、まず靴を脱いだ。

 

 「いたた……大丈夫かなこれ」

 

 足首に貼っていた湿布をはがすと、少し腫れているようにも見える。まあ、骨が折れているとかそういうことはないようだし、捻挫程度のものなのだろう。

 

 「さて……いいからテーピングだ!ってね……」

 

 某スポ根漫画の部長さながらのセリフを呟きながら、私は自分の救急箱から医療用テープを取り出す。

 まあこれでもトレーナーですからね。今まで何度もタキオンにテーピングをしてきたし、この程度はおてのもの。この医療用テープはウマ娘にも利用できるものなのでなかなか強力なやつだ。

 

 「これで持ってくれよ~私の足~」

 

 タキオンは研究と実験を繰り返すタイプの研究者。実験からしばらくはその成果をもとに研究をしてくれるはず。

 つまりこの実験を無事乗り越えれば、3日くらいは走らされることは無いだろう。

 

 「これでも最初の頃に比べればだいぶ扱い優しくなったよね~……タキオンもけっこう私に本音話してくれるようになったし」

 

 思い返せばタキオンの担当になった直後は、だいぶ無茶ぶりをされたものだ。

 足が発光する謎の薬を飲まされたり、椅子に括り付けられて無理やり発熱する薬を飲まされたり。

 

 それはもう『モルモット』と言って差し支えの無い扱いだったように思う。

 

 けれど、タキオンが目指していたモノを知って。

 その信念を知って。情熱を知って。

 

 その力になりたいと私も本気で思ったから、2人でトゥインクルシリーズを乗り越えられたのだと思う。

 タキオンの身体は強くなくて、これから先は主要レースに出れるかはわからないけれど、それでも彼女の名前をトゥインクルシリーズの歴史に刻むことができたのは、素直に嬉しかった。

 

 G1、獲れたしね!

 

 今のタキオンは、きっとこれから先、タキオンのように怪我で苦しむウマ娘達を救うためのもの。タキオンはそういうウマ娘だ。私はこの3年間で、それを知ったんだから。

 

 だから、協力してあげたい。

 

 

 「よしっ!できたっ!」

 

 だから彼女の頑張りを想えば、私の身体程度安いもの。

 歩けなくなる……は流石にまずいか。まあ、この程度の捻挫だったら、そこまでひどく悪化はしないでしょ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よく来たモルモット君!待ちわびたよ!さあさあ!実験を始めようじゃないか!」

 

 「はいはい。今日は室内で本当に良かったですよ……」

 

 研究室の扉を開けると待っていたのは、いつもの白衣姿に身を包んだタキオン。

 目をキラキラさせて楽しそうなのはなによりなのだが、今日の薬はいつもに増して色がヤバイ。ピンクて。人の飲む色してないよそれ……。

 

 「この前急にグラスワンダー君にこの健康状態を底上げする薬が欲しいと言われた時は戸惑ったものだが……まあ良い。彼女にもそれなりの考えがあってこそだろう」

 

 グラスちゃん……?あー、なんとなーく察してしまった。さらば的野。アーメン。

 

 「さて、準備運動は済ませてきたようだね。なに、そのくらい君の顔色と心拍数でわかるようになってきたさ」

 

 「あ、あはは~流石タキオン……」

 

 「では始めようではないか!計測の準備はできている。胸部にこの装置を貼ってくれれば、データはこのパソコンに送られるようになっているからね。これをつけてくれたまえ」

 

 興奮気味にタキオンが私に薬と、データ計測用の装置を押し付けてくる。

 まあ、装置を取り付けるのは慣れたものなのでなにも問題ないが、この薬……見た目ヤバすぎるでしょ……。

 

 「ええいままよ!」

 

 「良い!実に良いよその飲みっぷり!いつになっても君の反応は飽きないねえ!」

 

 こういうのはためらっているとハードルが高くなっていく一方だからね。私の長年のタキオン経験がそう言っている。

 この薬……飲んですぐに身体に影響はなさそう。

 

 右手を何回が握っては開いてを繰り返して、私は自分の身体に変調がないことを確認する。

 

 「まあすぐに効果が表れるタイプのものではないからね。安心するといい。さあ、ではこのランニングマシンに乗りたまえ。なに、速度はそんなに出さないよ。まあもっともそれはウマ娘基準の話、ではあるがね!」

 

 「マジですか……」

 

 ここまで来たら覚悟を決めるしかない。

 

 私は意を決して、ランニングマシンに乗った。

 

 「よし!では始めよう!楽しい実験の始まりだ!」

 

 タキオンが手元の装置のスイッチを押すと、ランニングマシンが動き出す。

 って……最初っからだいぶハイペースだね?!

 

 「た、タキオン!流石に最初からは、速すぎないかな?!」

 

 「なにを言っているんだい?!計測したいのは限界が近づいてからのデータさ!君の身体能力は脳天からつま先まで知り尽くしているつもりでね、これくらいから始めないと限界など程遠いのだよ!」

 

 過大評価しすぎ!私はタキオンのトレーニングに嫌ってほど付き合わされたからこの体力があるだけであって基本的には一般女性なんですが?!

 必死で私は足を動かす。確かにこの速度で走り続ければすぐにでも限界はくるだろう。

 

 「ふうん……各臓器、異常はない。腕の振りも、以前と同じ。だがなんだ……?妙な数値のブレが……」

 

 ヤバ。もしかして足かばってるのバレちゃう?

 

 

 

 

 

 と、思ったその瞬間。

 

 視界が、ブレた。

 

 

 「……痛っっ!!」

 

 足首に走る信じられないほどの鈍痛。

 しかもその次の瞬間にはもう目の前にランニングマシンの走る部分が迫っていて、私は正面からモロに身体を打ち付けてしまった。

 

 「ぐへっ……」

 

 痛ったあああ!!!

 

 ランニングマシンから嘲笑われるかのように後方へと弾き飛ばされ、私はうつ伏せでその場に倒れ込む。

 ジンジンと打ち付けたお腹と足首が痛んだ。

 

 (あ、あれ?!テーピングが甘かった?全然大丈夫だと思ってたのに……!)

 

 無意識に、私はテーピングがしてある右足を確認する。

 別にテーピングが剝がれていたりするわけではない。

 

 が、猛烈にその内部からは痛みを訴えられている。

 

 

 「……足」

 

 (あ、ヤバ)

 

 私が足を見たその瞬間、タキオンに右足のふくらはぎを掴まれる。

 流石にバレちゃったか……。

 

 「……いつからだ」

 

 「あ、いやーこれは、え~っと、その」

 

 そそくさと私は体育座りのような格好になり、タキオンから距離をとってうずくまる。

 流石に前回の併走(仮)で足痛めたとは言いにくい……。

 

 すると、タキオンは何も言わず私の方へと近寄ってきて……。

 

 やば、怒られるかも……。

 と、思ったその時だった。

 

 

 「……へ?」

 

 突然の、浮遊感。

 気付けば、私の身体は軽々と持ち上げられていて。

 

 持ち上げられていて……?

 

 

 「あ、あのあのあのあの、タキオン?!」

 

 「……」

 

 無表情でタキオンは私を持ち上げ……というよりこれ、お姫様抱っこってやつじゃ……?

 

 急激に心拍数が上がる私と裏腹に、タキオンは相変わらずの無表情で何のためらいもなく研究室のドアを開く。

 ええ?!このまま?!このまま外行くの?!

 めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど?!

 

 「……」

 

 「……~ッ!///」

 

 なにか抗議をしようと思ったのだけど、こうして近くでタキオンの顔を見てしまうと何も言えない。

 そりゃそうでしょう!?

 

 私の担当ウマ娘顔良すぎなんだもん!!は?!無理なんだが?!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ふふふ……今日の実験はなかなか有意義なものになりそうじゃないか!」

 

 時刻は午後2時。おそらくそろそろ愛しのモルモット君がこの場に現れることだろう。

 私は今、モルモット君に今日行ってもらう実験のための準備を進めている。

 

 「遅いな、モルモット君。もっと早く来てくれてもよかったのに」

 

 全ての準備が完了してしまった。

 この私を待たせるとは……。

 

 手持ち無沙汰に試験官をいじりながら、頬杖をつき、しばし思考にふける。

 

 

 私としては、ウマ娘の速度の限界に挑む挑戦は終わった。しかし、あくまでそれは自分を被検体としてのこと。まだまだ研究の余地はあるはずだし、私の知的欲求はそれらのもっと深い知識を求めてやまない。

 故に、モルモット君には引き続き研究に強力してもらっている。彼女は有用だ。通常の成人女性よりもよっぽど健康体だし、運動能力も高い。

 ウマ娘との比較サンプルを取るのにこんなに適した存在はいないだろう。なにせウマ娘は生物学上雌なのだから。

 

 時計が進む音だけが、研究室に響く。

 私は姿勢を正して、試験官の中身を見た。うん。いい色をしている。

 

 

 たまに、ふと思う。

 何故私はこんなにも研究にこだわるのか、と。

 

 知的欲求があるのはいい事だ。かの有名な作品にも、精神的に向上心のない者はバカだ、とはっきりある。

 

 しかしそれとは別に、私は何かに突き動かされて、この研究をしているのではないのかと思うことがあるのだ。

 

 「……まあ、別になんでもいい」

 

 手元の試験管を試験官たてに戻して、私は立ち上がった。

 

 その瞬間、研究室の扉が開き、いつもの顔がひょこりと顔を出す。

 

 

 「よく来たモルモット君!待ちわびたよ!さあさあ!実験を始めようじゃないか!」

 

 「はいはい。今日は室内で本当に良かったですよ……」

 

 まあ前回の外での併走もとても良かったがね。

 隣で走る君を見ていると、一瞬君が普通の人間であることを忘れてしまいそうになるほどの高揚感を感じたものだ。

 

 

 「さて、準備運動は済ませてきたようだね。なに、そのくらい君の顔色と心拍数でわかるようになってきたさ」

 

 「あ、あはは~流石タキオン……」

 

 「では始めようではないか!計測の準備はできている。胸部にこの装置を貼ってくれれば、データはこのパソコンに送られるようになっているからね。これをつけてくれたまえ」

 

 さて、さっそく始めようじゃないか。今日は一体どんな結果が得られるのか。

 楽しみでならないね!

 

 薬を渡して、彼女がそれを一気に飲み干す。

 装置もとりつけて、準備完了だ。

 

 やけに今日は歯切れが悪かったが、どうやら覚悟が決まったらしい。うんうん。素直なモルモット君は大好きさ。

 

 「よし!では始めよう!楽しい実験の始まりだ!」

 

 私が勢いよくランニングマシンのスイッチを押す。

 ウマ娘にとってはランニングぐらいの速度だが、一般人にとっては中距離走を走るくらいの速度だろう。

 

 「た、タキオン!流石に最初からは、速すぎないかな?!」

 

 「なにを言っているんだい?!計測したいのは限界が近づいてからのデータさ!君の身体能力は脳天からつま先まで知り尽くしているつもりでね、これくらいから始めないと限界など程遠いのだよ!」

 

 嘘はない。この3年間で彼女の身体的データは取りつくしているし、成長度合いも把握済み。

 であればこそ、この速度が適正であると判断したのさ!

 

 さて……データのほうはどうなっているかな?

 

 「ふうん……各臓器、異常はない。腕の振りも、以前と同じ。だがなんだ……?妙な数値のブレが……」

 

 ……何かおかしい。

 

 まだ始めて時間が経っていないのにも関わらず、異常な速度で体力が消費されている。

 トレーナー君の体力の低下?いや、そんなはずはない。前回の値は正常だった。

 速度の調整ミス?いや、それもない。何度か計算を繰り返して、正確な数値を出したはずだ。

 

 

 では、一番考えられるのは。

 

 そこまで思考に至って、瞬時に速度を緩めようとしたその時。

 

 

 「……痛っっ!!」

 

 「?!」

 

 トレーナー君の体勢が明らかに崩れる。

 右足が嘘のように後ろ側へポーン、と投げ出されて、彼女は真正面からランニングマシンへと激突した。

 

 「ぐへっ……」

 

 弱弱しい言葉を残して、彼女は瞬く間にランニングマシンの後方へ投げ出される。

 

 あまりに凄惨なその光景。

 一瞬だけ、頭が真っ白になる。

 

 

 

 「……な、んで……」

 

 機械の故障?いや、それはない。先ほど私が試験運転で乗ったばかりで、しかもこれは最新のものだ。

 

 

 いや、そんなことはどうでもいい。

 今は彼女の身体……ッ!

 

 急激に背筋に走った悪寒と、激しく警鐘を鳴らす心臓を無視して、私は彼女の元に一目散に駆け寄る。

 

 嘘だ嘘だ嘘だ。

 そんなはずはない。今までだって大丈夫だったじゃないか。

 

 倒れ伏した彼女が苦痛に顔を歪め……自らの足を見ていた。

 

 

 ……足?

 

 嫌な予感がする。

 

 急いで彼女のジャージの裾をめくりあげ、状態を確認する。

 そこに現れたのは……ぐるぐるにテーピングが巻かれた足首だった。

 

 

 「……足」

 

 怪我?いつ?……いや……本当は分かっていた。

 きっと彼女は……前回の、あの併走トレーニングの時に怪我をしたのだ。

 

 頭が回らない。

 いつもなら冷静に判断できるはずの脳が、正常な判断を促してくれない。

 

 何故黙っていた?いや、そんなの彼女のことをよく知る私だから分かる。私のためを思って黙っていたのだ。私の研究で足を痛めたと言えば、私が悲しむと思って。

 何故今日の研究に協力した?いや、違う。私が無理やり協力させたんじゃないか。

 

 

 

 ……虫唾が走る。

 なにが彼女のことをよく知っているだ。

 身体能力を把握している、だ。

 

 実の所、なんにもわかっちゃいない。

 彼女に無理だけをさせて、愉悦に浸る、傲慢な研究者。

 それが今の私だ。

 

 

 唇を噛む。

 

 

 何のために研究を続けているのか。

 そんなの、わかっていた。

 ウマ娘達から、怪我というものを無くすため。

 

 どっかのバカのように、「幻の三冠ウマ娘」なんていう不名誉な異名を金輪際つけさせないために、私はウマ娘の限界が知りたかった。

 

 それが、目の前の愛しい存在すら怪我を負わせている始末。

 

 

 「……まるで児戯だな……」

 

 

 だが、そうも言ってられない。

 私は研究に明るいが、医療に精通しているわけではない。

 

 このモルモット君の状態がどうなのかはわからないが、至急彼女を保健室へと送り届ける必要があるだろう。

 

 私は自らに沸々と沸き上がる怒りを押し殺して、膝を抱えてうずくまる彼女を抱き上げる。

 

 

 「……へ?」

 

 保健室はここからそこそこの距離だったな。だが致し方あるまい。

 幸いモルモット君は軽い。この程度、ウマ娘の私からしたら造作もない。

 

 「あ、あのあのあのあの、タキオン?!」

 

 「……」

 

 彼女に文句を言うのは、お門違いも良いところだ。結局、私のせいで彼女は怪我を負い、そしてこうして無茶をした。

 怪我しているなら無理なんかさせなかったのに、などという綺麗ごとは、そもそも気付けなかった私の落ち度。

 

 

 「……~ッ!///」

 

 

 

 モルモット君の顔が非常に赤い。

 

 おそらく炎症による痛みで発熱しているのだろう。

 

 

 (まったく……度し難いウマ娘だ。私は)

 

 2度と無理などさせてはいけない。

 

 そう心に誓って、他人の目など全く気にせず、私は保健室までの道を急いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アグネスタキオン。
彼女は史実では、わずか4戦しか走っていません。
圧倒的な強さを、速さを誇り、誰しもがクラシック三冠を有力視していた。

しかし、彼女の三冠の夢は、怪我によって絶たれました。
あまりにも短すぎる命。

一方ウマ娘としての彼女は、研究に明け暮れています。「速度の限界が見たい」と、そう言って。
かつて自分が見ることのできなかった限界を、今この姿で見たいと渇望する。
しかし、それだけではない。

作者はこうも思うのです。
彼女が研究に没頭するなによりの理由は、もう2度と自分のような目にあうウマ娘を出したくないからではないか、と。

ゲームのストーリーの端々に隠された史実を辿っていくのは、本当に面白いですね。


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英国の淑女と落ちこぼれ Ⅰ

ファイン嬢をすこれ。




 トレーナーという職業に、憧れていた。

 

 あれは俺が12歳の頃。初めてG1のトゥインクルシリーズを見たあの時、本当に心が躍ったものだ。

 

 駆け抜けていくスピード感。レース場を揺らす歓声。絶対に先頭は譲らない、とひたすら前へと進むウマ娘達の迫力。

 

 その記憶は鮮烈に焼き付いて離れない。

 この数多の人の心を揺らすレース。

 こんな舞台に、自分も関わってみたいと、強くそう思った。

 

 しかし自分はウマ娘ではないから走ることはできない。

 では、どうするか?

 俺は調べた。ウマ娘でなくとも、あのレースに全身全霊をかけられる仕事を。

 

 そしてたどり着いた結論。

 それは、トレーナーとしてなら、俺はウマ娘と共にこの舞台を駆け抜けることができるかもしれない、ということ。

 

 「俺は、中央のトレーナーになる……!」

 

 他のエリートからすれば、俺のその決起は遅すぎたのだろう。後から話を聞いてみれば、生まれたその時からトレーナーとしての教育を受けているヤツすらいるらしい。

 そいつらに比べたら確かに、俺がトレーナーを志すのは遅すぎた。

 

 だが幸い、俺には才能が少しだけあったらしい。

 

 トレーナー資格を得るまでに3年、死に物狂いで勉強して、更に3年。俺は中央のトレーナー資格を獲得した。

 誰よりも努力した自信はあった。

 

 嬉しかった。やっと俺はあの舞台を、ウマ娘と共に目指せるのだ、とそう思った。

 

 

 しかし、現実は違った。

 

 強いウマ娘が選ぶのは、実績があるトレーナー。もしくは、しっかりとトレーナー養成学校で知識と経験を得てきたトレーナー。

 俺のようなポッと出のトレーナーを選ぶ人間などそういなく。

 

 そして極めつけは、俺にはコネも無かった。

 親がトレーナーであったわけでもなし、なんなら親族にトゥインクルシリーズに関わっていた人間など一人もいない。

 

 目指していた頃はそんなこと関係ないだろ、と思っていたけれど、今になって痛感する。

 この世界は、そういった“繋がり”で成り立っているんだ。

 

 ウマ娘達はそれぞれでトレーナーがどんな人かを共有し。

 トレーナー達はどんなウマ娘が今年入ってくるのかを共有し。

 

 考えれば当たり前のこと。

 どっちの立場にたっても……失敗は、したくない。

 ああ、このトレーナーダメな人だったんだ。残念。じゃ、すまないんだ。彼女たちは、ウマ娘としての人生を賭けてこの学園に来ているのだから。

 

 もちろん、俺が選ばれる理由など何一つとしてなく。

 俺が声をかけたウマ娘達には全員に断られた。

 

 1年間。担当ウマ娘がいないトレーナーとして、雑務をこなした。

 時にはレースに関わる裏方の仕事までやらされた。まあ、当然だろう。俺は現状学園にとって利益を生まない存在なのだから。

 

 それでももがき、1年間勉強をし直し、あらゆる場所に足を運んで、コネクションを作った。

 必死に名刺を渡して、やれることをやった。

 

 そうして迎えた2年目……それでも、俺に担当ウマ娘はつかなかった。

 

 トレセン学園の理事長からは、残念そうな目で、「来年担当ウマ娘がつかなかった場合、地方に行ってもらう」と、俺はそう言われたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『英国の淑女と落ちこぼれ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車の喧騒が辺りを覆う、夜の商店街。

 街頭が立ち並ぶその道の一角に、ポツンと一つ屋台があった。

 

 赤色の暖簾から漏れ出してくるは、食欲をそそる香り。

 

 その屋台の一席に腰掛けて、俺はビールが入ったジョッキを少しだけ傾ける。

 

 「ははは……バカみてえだよな。なんで俺、中央でトレーナーになれただけで浮かれてたんだろ……」

 

 「……」

 

 俺は仕事が終わった後に、よくここに来ていた。

 

 ここはトレセン学園からもほど近く、通うにはうってつけの場所。

 それでいて、大将が屋台でやっているものだから、毎日開いているわけではない。

 知る人ぞ知る、名店ってやつだ。

 

 そしてこの大将は、トゥインクルシリーズの事情にも明るい。なんでも、昔は学園で働いていたんだとか。

 

 俺はいつも頼む豚骨ラーメンの麺固めを力なくすすりながら、誰もいない店内で、大将と話をしていた。

 

 

 「なあ大将。俺、やっぱ地方行くしかないのかな?別に地方が悪いなんてこれっぽっちも思ってねえ。地方だって、最高に熱いレースが見れることだってある。……けど、やっぱ俺が目指したのは中央(ここ)なんだよ。G1で、勝ってみてえんだよ……ずっとそう思って頑張ってきたのに、それが、スタート地点にすらたてねえなんて……情けねえよな……」

 

 「……諦めるのか?」

 

 「諦めたくねえよ!けど……けど……どうすりゃいいのか、わかんねえよ……」

 

 クソっ……酒が回ってきた……自分でも醜い姿であるとは思う。

 けど、こんな愚痴を話せるのも、この大将しかいないんだ。

 

 「去年だって理事長に打診されたんだ、「地方で経験を積むことも悪い事じゃない」って。わかってるよ。けど俺は情けなく頼み込んだ。お願いだから、ここでもう一年やらせてくれって」

 

 「……」

 

 「けど、結局俺の居場所なんか無かったのかもしれねえ。大人しく、普通にサラリーマンやってりゃよかったのかな……」

 

 ここでだけは、弱い、腐りきった気持ちをぶちまけられる。

 大将も、無言でそれを聞き入れてくれる。

 

 俺の、上京してきてからの大切な空間だった。

 

 別に何かが解決するなんて思っちゃいない。

 けど、ここに来れば明日は前を向いて生きられるから。

 

 今日だけは弱音を吐きたい。

 そんな時にいつも、俺はここに足を運ぶ。

 

 今日もこうして大将に弱音を吐いて、気が済んだら、寝て起きてまた明日から頑張ろう。

 

 そんなことを思っていると、スーツに身を包んだ瘦身長躯の男が、気のいい笑顔で入店してきた。

 

 「大将~!久しぶりにきたよ~ん!ま~じで忙しくて最近全然来れなかったや~!……っておろ、ごめん、先客いたのか」

 

 「……!!」

 

 改めてその入ってきた男を見て、俺は驚きに目を見開いた。

 

 陽気な掛け声と共に入ってきたこの男を、俺は知っている。いや、『俺は』というのは語弊があるかもしれない。トゥインクルシリーズに関心がある人間ならば、必ず知っているであろうこの人の名前は……!

 

 

 「滝……トレーナー……?」

 

 「あれ、俺のこと知ってるんだ!……ん?ってかトレーナーバッジついてるってことは、君もトレーナーか!……でもその割には学園でも会ったことないような……?」

 

 「あ、お、俺のことは、知らないと思います。担当……いないので」

 

 「そうなんか。あ、まあまあ、とりあえず食べなよ。ごめんね、邪魔しちゃって!」

 

 滝トレーナー。 

 数々の伝説を残す、トレセン学園が誇る名トレーナーだ。

 

 曰く、デビューしてから毎年必ずG1ウマ娘を担当している。

 曰く、史上最速でトゥインクルシリーズを100勝している。

 曰く、同じ日に担当ウマ娘がトータルで8勝という偉業。

 

 とにかく、とんでもない伝説を数々残していて、今も尚、それを継続しているのが、この目の前の滝トレーナー。

 

 (やべえ……こんなのラーメン食えねえよ……)

 

 隣では、笑顔で滝トレーナーが大将と話している。どうやら、昔は滝トレーナーもよくこの店に足を運んでいたようだ。

 今俺は酒が回ってしまっていて、正常な判断ができない。本来ならここで滝トレーナーの話をたくさん聞いてみたいのに、頭がガンガンと痛んで、満足に思考すらできない始末。

 

 なんでこんな時に……と思っていた時、注文を終えた滝トレーナーがこちらを見てきた。

 

 「君、名前は?」

 

 「え……松田……です」

 

 「そっかそっか。松田君は、どうして中央のトレーナーやってるの?」

 

 「えっ……」

 

 不思議なことを聞くものだ。

 このトレセン学園のトレーナーになる理由なんて、わずかな差こそあれ、だいたい一つだろう。

 

 「G1で……勝ちたいからです」

 

 「それだけ?」

 

 「それだけって……」

 

 向けられるのは、嫌味一つない笑顔。

 なんだかそれが、滝トレーナーと俺の圧倒的な差を見せつけられているようで……少しイラついてしまった。

 

 「俺は、G1を小さい頃に現地で見て……!本当に憧れたんです!月並みなことかもしれないけど!あんな風に会場を大歓声で包み込むことができたならって!その歓声を、自分が受けてみたいって!そう思ったんですよ!他にいりますか?!」

 

 やべ、酒が回ってたせいもあってか、口調が強くなっちまった。

 しかもめちゃくちゃ目上の人にあたるのに、こんな失礼な言い方……。

 

 と思ったが、変わらぬ笑みで、滝トレーナーは俺のことを見ていた。

 

 「そっか。聞かせてよ、もっと君の話」

 

 「……そんな面白いものじゃないですよ」

 

 そこから俺は、溜まっていたものを吐き出すかのように、滝トレーナーに話を聞いてもらった。

 ラーメンが来て、滝トレーナーがラーメンを食べている間も俺はずっと滝トレーナーに話していた。

 冷静に考えたら、普通じゃない。本当ならもっと、トレーナーとしてのイロハとか、滝さんの経験とかを聞いた方がよっぽど利があるはずなのに、正常な思考ができない俺は、いつの間にか話してしまっていたんだ。

 

 自分が知識もコネも何もない状態で、この場所に挑戦したこと。

 トレーナーになれたものの、担当がつかないこと。

 もし仮に来年担当がつかなければ……中央を去れ、と言われていること。

 

 滝トレーナーは特に話は挟まず、こちらの話をゆっくり聞いてくれた。

 こんなこと、なんでウマ娘界のスターに話しているのかわからない。ただの弱者の戯言で、言い訳だ。

 

 それなのに、滝トレーナーは最後まで話を聞いて、そっか。とゆっくり前を向いた。

 

 「すごいな、君は」

 

 「やめて下さいよ……滝さんのほうが、どれだけすごいか……」

 

 「いや……すごいと思うよ。俺は、もう生まれた時から、この場所に来ることが決まっていたようなものだから。生まれてすぐ、近くにウマ娘がいた。トレーナーとしてのいろはは父や祖父から学んだ。だから……そういうのを一切なく、この世界に飛び込んできた君は、本当に尊敬するよ」

 

 「え、いや、あ、ありがとうございます……」

 

 滝トレーナーのイメージは、もっとクールで硬派なイメージだったのだが、全然そんなことは無かったようだ。

 むしろ、メディアにはそういうイメージを持ってもらわなければいけないという抑圧された生活を送っているようにも見える。

 

 (勝手にイメージ持っちゃってたけど、この人も大変なんだな……)

 

 ジョッキに入ったビールを呷り、そんなことを思う。

 

 「あ、そうだ!」

 

 すると、急に滝トレーナーが思い出したかのように手を叩いた。

 

 「ってことは、君時間あるよね?」

 

 「……まあ、そうですね」

 

 今俺は学園で自主的な学習と、事務や裏方の仕事の手伝いしかやっていない。

 担当がいないのだから、他のトレーナーよりは圧倒的に時間はある。

 

 素直に俺はそう答えた。

 

 「じゃあさ、明日からしばらく、俺の補佐やってよ!トレーナー補佐!金は出すし、君もトレーナーとしての仕事ができるし、悪い話じゃないと思うんだけど!」

 

 「……え?」

 

 ただの思い違いかもしれない。

 

 けど、この時俺は、自分の運命の歯車が音を立てて動き出したような気がしたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の昼。

 トレセン学園の中でも一番大きなトレーナー室にて、俺は滝トレーナーを待っていた。

 

 「広……流石ナンバーワントレーナー……与えられてる個室も他とは段違いだな……」

 

 当然のことだろう。

 単純にトレーナー室に来るウマ娘が多いのだから、スペースが必要になる。

 各々のミーティングもトレーナー室で行うし、時には簡単なストレッチやテーピングなどの医療行為も、トレーナー室で行うことがあるのだ。

 

 周りを見れば、バランスボールやダンベル、チューブトレーニングに使うためのゴムチューブなど……ウマ娘を育成するためのあらゆる器具がそろっている。

 おそらく怪我をしたウマ娘や、当日走るメニューが無いウマ娘などがこれらの器具を使ってトレーニングをするのだろう。

 

 「これが……ナンバーワントレーナーのトレーナールームか……」

 

 ……ボケっとしていたが、もしかしなくても、これはチャンスなんじゃないか?

 俺はなんとしても担当ウマ娘を来年獲得しなければならない。担当ウマ娘と契約を交わした暁には、俺にもトレーナー室が与えられる。……まあ、間違いなくこんな立派な部屋ではないだろうが。

 ともかく、ここの部屋にあるものをチェックして、用意できるものは用意しよう。

 

 素早く鞄からメモ帳とペンを取り出し、気になったモノを書き込んでいく。

 別にこれくらいは滝トレーナーからもおしかりは受けないだろう。それすらも許可してくれないなら、そもそも補佐をしてくれなんて頼まないはずだし。

 

 こんな貴重な経験もう来るかどうかわからないのだから、盗めるものはなんでも盗むぜ!

 

 「そうと決まればまずはホワイトボードを見てみよう。各個人の練習メニューか……それぞれにこんな風に割り振ってんのな……複数のウマ娘を担当するって忙しいが過ぎるだろ……」

 

 ホワイトボードには、滝トレーナーの担当ウマ娘達が今日どのようなトレーニングを行えば良いかのメニューが書かれていた。

 俺が複数のウマ娘を担当するなど夢のまた夢だが、とりあえずトレーニングメニューを知っておくことに損はない。複数担当しているとはいえ、これは一人一人最適なトレーニングを滝トレーナーが組んでいるのだろう。

 勉強にならないはずがない。

 

 メモメモ……っと。そしたら次は、室内にあるトレーニング器具でも見てみようかな。

 「学ぶは真似ぶ」という格言もある。この知識と技術を盗んで、俺も滝トレーナーのようなトレーナーにいつかなるんだ!

 

 

 「よーし……そうと決まれば何を盗んでやろうかな……お、こんなものまで用意してるのか……この段ボールの中身は……?ふむふむ……」

 

 やはり名トレーナーのトレーナー室には様々なモノが眠っている。

 どう使うのかわからないものもあるし、これは後で聞いてみよう。

 

 いやあ、まだトレーナ室について15分ほどしか経っていないというのに、こんなにも発見がある。

 こりゃ、これからの日々はどんなに勉強ができるのか楽しみだぜ!

 

 期待に胸が膨らむ。

 担当ウマ娘を勝ち取るのは俺自身。それはわかっているけれど、滝トレーナーの元で修行をしていた、ということが少しでも伝われば、もしかしたら来年の担当ウマ娘獲得にもプラスに働くかもしれない。

 

 もうなりふり構ってられないんだ。周囲からおこぼれとか馬鹿にされたって構わない。俺はこの場所にしがみつくぞ……!

 

 と、もう一度気合を入れ直していると、部屋の入口の方で、ドサ、と何かが落ちる音がした。

 

 「ん?」

 

 滝トレーナーがきたのかと思い、振り返ってみると……。

 

 

 「な、な、なななななな」

 

 「おろ?」

 

 そこには驚愕に目を見開いた、美しい鹿毛のウマ娘が。

 瞳は萌黄色に美しく光り、日本人離れした肌の白さと、育ちの良さを感じさせる小さな花の髪飾り。

 

 美少女という言葉がぴったり当てはまるウマ娘が、そこに立っていた。

 

 あまりの可憐さに俺は一瞬言葉を失ったが、ふと我に返って、そのウマ娘が鞄を取り落としていることに気付く。

 となれば先ほどの物音は目の前の少女が鞄を落としたことによって発生したものだとわかり。

 

 では何故鞄を取り落としたのか、と思えばそれはきっと、驚いたからで……。

 

 そして、自分の状況を鑑みる。

 

 名トレーナーのトレーナー室で、棚の上にある段ボールの中身を覗き込んで取り出している一般男性。

 

 あ、やべえこれ。

 

 

 「ど、ど、ど」

 

 「待て!話し合おう!話せばわかる!本当に!」

 

 慌てて段ボールを元の位置に戻し、彼女に駆け寄ろうとしたときは既に遅く。

 いや、むしろ近づいたのは逆効果だったのかもしれない。

 

 

 「どろぼーーーーー?!!?!??!?!」

 

 甲高い少女の声が、トレーナー棟に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、教室の外を見つめていました。

 目の前の先生の言葉はもちろん耳に入っています。ですが、どこか私は集中できずにいました。

 

 「はあ……」

 

 このトレセン学園に入学して、あと少しで1ヶ月が経ちます。

 ここまでは本当にあっという間でした。

 

 私はアイルランドで生まれて、人生のほぼすべてを、実家のお屋敷で育ちました。

 

 こういうの、日本では『箱入り娘』と言うそうですね。まさにピッタリだと思います。正しくいうなら『箱入りウマ娘』かな。

 実家では様々なお稽古から、ウマ娘としてのトレーニングまで、一日のスケジュールがほぼ決まっていました。

 何時に起きて、使用人の方がいらっしゃって、トレーニングをして、お勉強をして、作法のお稽古をして。

 

 そんな変わらない日々が続いていたから、この日本のトレセン学園に行くことは、とても楽しみにしていたんです。

 日本語も沢山勉強していたし、文化や歴史もたくさん勉強しました。とても興味深い国で、どんな発見があるんだろうってすごく楽しみだったんです!

 

 ……けど、まだ今の所そういった時間はとれていません。

 気付いたら寮に入っていて、学園生活が始まって、学園と寮の行き来……。

 最初はとても刺激的でしたけど、やっていることは実家にいたころとあまり変わりません。

 

 もちろんお友達ができて、たくさんのお友達と話すのは楽しいです。けど、どこか物足りないなあと思う私もいて。

 

 あとあと、一番楽しみだったのは実はトレーナーさんなんです。

 どんなトレーナーさんと出会うのかなあって、私も女の子なので色々な期待をしました。

 私が走っている所を見てくれて、私を選んでくれるのかな、とか。

 もしかしたらバッタリ会って急に担当を申し込まれちゃうかも?とか。

 

 そんなことあり得ないってわかってたけど、想像するのは自由ですしね。

 

 

 けど、もう私の実家の方から学園にどうやら連絡が行っていたようで、学園でも一番凄腕のトレーナーさんに、私はつくことになりました。

 実際会ってみたら、人気で有名なのもすごくわかる方で、優しいですし、トレーニングも的確です。素晴らしい方だと思います。

 

 けど、その方は超凄腕であることから、私以外のウマ娘も担当していて、多忙でした。

 時には練習メニューは書いてあるけれど、自分だけでトレーニングを行わなければいけないこともあって……。

 それが嫌だとは言いません。まだ1ヶ月程度ですが、自分の実力が伸びていることも感じます。

 

 この人は、本当にすごい人なんだって思いました。

 

 けど……ず~っとこうして、実家から出ても、決められたレールの上を走っているような生活に……どこか退屈さを感じている自分もいて。

 実家の期待を背負っていることはわかっていますから、途中で投げ出そうとは思いません。走るのも好きですし!

 

 今はとにかく、伝えられたトレーニングをこなす他ないのかなあ……。

 

 外で、一匹の鳥が自由に空を飛んでいます。

 暖かい春の日差しに当てられて、とても気持ちよさそうに。

 

 「ファインモーションさん!聞いてますか!」

 

 「ほえ……あ、はい!すみません!」

 

 「しっかり集中して聞いてくださいね!では次はGⅠレースの出走条件について……」

 

 私としたことが、授業中にボーっとしてしまいました。

 まずはとにかく、デビュー戦をしっかり勝つことに集中しないと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中の授業が終わりました。

 私は今、スクールバッグを手前に持ちながら、学園の教室棟から、トレーナー棟へと向かっています。

 

 今日の練習メニューは大体把握しているのですが、もしかしたら違うかも?という怖さもあり、お昼を食べる前に確認だけしようと思ったからです。

 ホワイトボードに、いつも練習メニューは書いてあるので、そこを確認すれば問題ありません。

 お昼を過ぎたら基本的にトレーナーさんはトレーナー室に鍵をかけていないはずですし……すぐ済みそうですね。

 

 外では元気に走り回るウマ娘の姿がちらほら見えます。

 この学園に来る方々は、本当に明るい方が多くて楽しいです。

 まだ交流したことのない方たちとも、たくさんお話してみたいな♪

 

 さて、そろそろトレーナーさんの部屋につきますね……と、そこで、私はトレーナーさんの部屋から物音がすることに気が付きました。

 

 「……?トレーナーさん、でしょうか……?」

 

 今日は私以外の担当ウマ娘につく予定になっているトレーナーさん。

 まだ事務作業を行っているかと思ったのですが……。

 

 トレーナー室の前まで来ると、中からなにやら声がします。

 

 男の人の声……けど、これトレーナーさんじゃない?

 

 私の……ウマ娘の耳は通常の人間の耳よりも数倍聞こえやすいです。

 なので、外からでも中にいるのがトレーナーさんではない、ということがわかりました。

 

 「誰だろう……?」

 

 とりあえず、トレーナー室をゆっくりと開いてみます。

 すると、そこには信じられない光景が広がっていました。

 

 

 

 「よーし……そうと決まれば何を盗んでやろうかな……お、こんなものまで用意してるのか……この段ボールの中身は……?ふむふむ……」

 

 

 そこには、トレーナー室の棚の上段にある段ボールを覗き込み、なにやら物色している男の人の姿。

 背格好からしても、やはりトレーナーさんでないのは明らか。

 

 そしてトレーナーさんではないのに、この場所で段ボールを漁る人なんて……!

 

 私は、一つの可能性に辿りついてしまいました。

 

 そして辿り着いてしまえば、私の身体が急に恐怖に震え出します。

 私は反射的に、自らのスクールバッグを地面に落としてしまいました。

 

 「ん?」

 

 その物音に反応して、振り返る男の人。

 年齢は若く、黒髪で短髪の男性。

 

 (……あ、れ?)

 

 その時、何故か身体を支配していた恐怖が、スッと身体から抜けていくのがわかりました。

 トレーナーさんほどの身長はないですが、誠実さがわかる少しフォーマルなジャケット姿。髪型は短髪で綺麗に整えられていて清潔感があり、親しみやすそうな笑顔。

 状況は最悪なのに、何故か私の身体は、彼が悪人ではないとそう言っているようで。

 

 いやいやいや!でもでも!

 どうみたってこの状況は!!

 

 気を取り直して私は、目の前の男の人を指さしました。

 

 

 「ど、ど、ど」

 

 「待て!話し合おう!話せばわかる!本当に!」

 

 後々考えれば、本当に話せばわかったのかもしれません。

 しかし私の脳は、どうしてもこの状況から、ある判断を下してしまいました。

 もう、止められません!

 

 それは、この目の前の男の人が……!

 

 

 「どろぼーーーーー?!!?!??!?!」

 

 

 

 泥棒さんかもしれない!ということです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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英国の淑女と落ちこぼれ Ⅱ





 

 「本当に、ごめんなさいー!!」

 

 「いやいや、大丈夫だよ。怪しい事してたのは俺の方だしね」

 

 あの泥棒騒動から2時間ほど。

 俺は学園の保健室のベッドに腰掛けて、目の前の鹿毛のウマ娘と相対していた。

 

 先ほどから大丈夫だよと声をかけてはいるのだが、彼女の罪悪感はなかなか拭えないようで。

 

 「私が、冷静になればよかったんです。そしたらきっとトレーナーさんにもあんな目に遭わせずにすんだのに……」

 

 「元を辿れば俺が怪しすぎたから、気にしないで」

 

 笑いながら答えるものの、彼女の表情は晴れない。

 まあ、確かに、あの後俺の身に降り注いだ悪夢を考えれば、その気持ちもわからなくはないが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2時間前に起こったできごとを、簡単に説明しよう。

 

 

 「どろぼーーーーー?!!?!??!?!」

 

 「ち、ちが……!」

 

 「なんですってえええ?!泥棒が出たんですか?!どこですか?!なんということでしょう!!……しかし!しかしこの学級委員長にお任せを!今すぐに!先生方を呼んできますので!!バクシンバクシーン!!!」

 

 「おいファイン!大丈夫か!ちょっと下がっとけ、コイツが泥棒か!」

 

 「え、いや、ちが」

 

 「シャカール!ちょっと待って!実はその人が泥棒かどうか……」

 

 「うるせえ!今ここで時間使うのは効率的じゃねえ!まずはコイツを黙らせてからだ!おらあああ!!!」

 

 「ぐえええ!!!」

 

 「ここに泥棒が出たと聞いたぞ!どこのどいつだ!!タイマンしやがれ!!」

 

 「ごへえ!!」

 

 「バクシンバクシーン!!よくわかりませんがとても大きなズタ袋をゴールドシップさんからお借りしました!!これで解決です!とりゃー!!」

 

 「うわああ?!?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまあ、とてつもない速度でウマ娘達によって無力化された俺は、無事職員室、保健室の順番で送還され、今に至る。

 3人のウマ娘はそれぞれ俺に謝ってきたが、まあ俺が悪いので全然大丈夫。……身体は全然大丈夫じゃねえけど……。

 

 「何はともあれ、誤解が解けてよかったよ。ってなわけで、俺は一応この学園のトレーナーで、今日から滝トレーナーの手伝いをすることになってる松田って言うんだ。これからよろしくね」

 

 「はい!私はファインモーションって言います!よろしくお願いしますね!」

 

 ファインモーション、か。いい名前だな。

 朗らかに笑う彼女の姿はやはり可憐で、思わず見とれてしまいそうになる。

 

 っといけないいけない。そんなことを言っている場合じゃないんだ。

 

 「俺を撃退した彼女たちは……ファインモーションのお友達なのか?」

 

 「え……?あ、そうです!同じ学園の友達です。ちょっとクールな感じなんですけど、実はとっても優しいんですよ」

 

 「ああ、そうだろうね。あの瞬間も、君のことを思って俺を警戒してたから」

 

 「……!」

 

 まあ、めちゃくちゃ怖かったけど。

 髪型とかもすげえ怖かったし、殴りかかってきた時は死を確信したけど。

 

 ファインモーションが何やら驚いた顔で俺を見ている。

 

 「ん?俺なんか変なこと言ったか?」

 

 「いえ!……松田トレーナーは、優しい方なんですね」

 

 「ははは、そんなことねえよ」

 

 何度も繰り返すが、不用意な行動をした俺が悪かっただけだしな。

 

 あ、そうだ。

 

 

 「滝トレーナーはなんか言ってた?」

 

 「あ~っと、それが、うなされてる松田トレーナーを見てひとしきり笑ってから、もし目が覚めたら、今日のトレーニングは松田トレーナーと一緒に行ってみて……ってファインモーションはいつも通りトレーニングをするだけでいいからって」

 

 「ええ?!なんじゃそりゃ……」

 

 確かに、時間が経ってしまったせいで滝トレーナーはきっと他のウマ娘を見に行かなければならなくなったのだろうが……本当に俺が見ていいんだろうか……と思ってスマホを取り出すと、滝トレーナーからは既に連絡が入っていて。

 

 

 『災難だったね。俺も昨日の今日でウマ娘達に伝えてなくってさ、ごめんよ汗 ファインモーションについてだけど、いつものトレーニングを今日は見るだけみてあげて。技術的な指導はしないでいいから。と、いうよりしないで。今は彼女の能力を測る期間だから』

 

 「なるほどね……」

 

 やはりそこは名トレーナー。流石にポッと出の俺に指導なんかさせるわけがない。

 滝トレーナーには考えがあるのだろう。

 

 (名トレーナーって言われて、期待されてる新しいウマ娘をどんどん担当してるんだ……プレッシャーも相当だろうな……)

 

 俺にとっては雲の上の存在過ぎて、そういった気持ちはよくわからない。

 けど、G1を獲ることが当たり前とされて、次世代のスターを次々送り出さなければいけないという重圧は、想像に難くない。

 

 「……どうしましたか?」

 

 「いや!ごめんよ、滝トレーナーから連絡きてて、今日はファインモーションの練習を見て欲しいって!」

 

 「本当ですか~!ありがとうございます!じゃあ私、着替えてきますね!」

 

 「OK!コースで待ってるね」

 

 笑顔で保健室を出ていったファインモーションを見送り、俺も少し伸びをしてから、コースへと向かう。

 体の節々が痛むが、そうも言ってられないだろう。

 

 (それにしても……俺の目が覚めるまで待っててくれたのか……)

 

 おそらく罪悪感があったから、待っていてくれたのだろう。

 しかし、それでも自分のトレーニングの時間を削ってまで待っていてくれたというのは驚きだった。

 

 滝トレーナーが担当しているウマ娘の中では、一番入学してからの日が浅いファインモーション。

 とはいえ、滝トレーナーが担当している時点で、将来有望ということで学園に来ていることは間違いない。

 

 (どんな走りを見せてくれるのかな……)

 

 線が細そうで、あんな可憐な淑女のようなウマ娘が、どんな走りを見せてくれるのか、俺は楽しみでならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よーし!ファインモーション!準備OKだぞ~!」

 

 「は~い!じゃあ残り400付近で合図くださ~い!」

 

 トレセン学園内の、コースを使える時間は有限だ。

 そりゃ誰かがずっと使っていたら他の娘たちが練習できないし、一人一人に割り当てられる時間には限界がある。

 そのあたりのやりくりも、トレーナーの仕事だ。

 

 俺とファインモーションはコースに出る前にストレッチ、準備運動を終え、芝のコースへと出てきた。

 まだコースの使用時間までは余裕があったため、本当は今日俺が死んでる間にやるはずだったフットワークのトレーニングをいくつかこなす。やはりこのあたりのトレーニングメニューには目を見張るものがあった。

 参考にさせてもらおう……。

 

 俺は滝トレーナーの指示通り、ファインモーションに何かを指導することは無い。

 タイムの計測と、状態の確認。その程度だ。

 

 コースの使用時間になり、ファインモーションが逆側までジョギングがてら向かう。

 今から行う練習メニューは、残り400mからの加速、だ。

 ファインモーションが笑顔でこちらに手を振ってから、ゆっくりとコースを走りだす。

 

 (優雅……だな)

 

 その走る姿勢は、美しかった。

 決して無駄なところに力は入っておらず、前傾姿勢になりすぎているわけでもない。

 

 程よく力の抜けた良いフォームだ。

 

 少しずつ加速して、彼女は俺のいるゴール地点を目指す。

 彼女は集中して走っており、その瞳は確かに俺の方を見据えていた。

 

 そろそろ、残り400m地点。

 俺が、ゆっくりと手を上げて……今だ!

 

 勢いよくその手を下ろして合図を出す。

 

 

 その瞬間……ファインモーションが、風になった。

 

 (……ッ!速い……!)

 

 今までもウマ娘の走りは見てきた。

 仕事が無いなりに、トレセン学園のコースには立ち寄っていたし、その際にトレーニングをしているウマ娘達の姿を見たこともある。

 しかしファインモーションのこの加速力は、それらとも一線を画するものである、と俺は瞬時に分かった。

 

 コースの芝の部分でストレッチ等をしていた生徒たちのどよめきが、そのなによりの証拠。

 誰もがファインモーションのスピードと迫力に、気圧されている。

 

 瞬く間に近づくファインモーションの影。

 

 (ストップウォッチ……!)

 

 止めなければ、と俺は手に持つストップウォッチのスイッチに親指を押し当てる。

 残り100……50……!

 

 

 (……!!)

 

 目の前をファインモーションが通るとき。

 

 彼女の笑顔が見えた。

 

 心の底から楽しそうに走る彼女を見た。

 

 

 俺の目の前を彼女が通る瞬間だけ、スローモーションになったかのような錯覚。

 この感覚を、俺は覚えている。

 

 俺がトレーナーを志した、あの日と……同じ。

 

 鳥肌が立った。

 

 それだけこのウマ娘は……ファインモーションは、キラキラしていて……カッコよかったのだ。

 

 

 

 

 「ご~~~るっ!ファインモーション選手今ゴールです!!」

 

 「あ、やべっ」

 

 少しずつ減速しながら、満面の笑みで両手を挙げるファインモーション。

 あまりにファインモーションがカッコよすぎてストップウォッチ止め忘れた!!!

 

 こ、ここは正直に話そう……。

 

 

 「松田トレーナー!タイムどうですか~!?」

 

 「す、すまんファインモーション!マジでファインモーションの走りがカッコよくってびっくりしてたらストップウォッチ止め忘れた」

 

 「ええ?!」

 

 ちょっとちゃんと止めてくださいよ~!と、彼女は笑顔で言う。

 やべえ……こんなんじゃ一生担当ウマ娘のトレーナーになることなんかできないぞ……。

 

 (でも……やっぱり普通じゃない。この娘は……本当に頂点を獲れる逸材……なんだな)

 

 今の走りで確信した。

 あの加速力。そこらのウマ娘とは比較にならないほどの速度。

 

 彼女がゴールした瞬間、俺は幻視したのだ。

 

 こんな冴えない男が待っているゴールなどではなく、煌びやかな装飾がなされたG1のゴール板の前を、他を寄せ付けない圧倒的な力で一着でゴールする彼女の姿を。

 

 (羨ましい……な)

 

 素直にそう思った。

 本当だったら、この手でこのファインモーションを育ててみたい。

 世代に1人いるかいないかというこの最高峰の逸材を、自分の手で伸ばしてみたい。

 

 (まあ……無理な話だ)

 

 ファインモーションは、滝トレーナーの担当ウマ娘なのだ。

 俺なんかの立ち入る隙は、無い。

 

 もう一本!行ってきますね~!とスタート地点へと戻るファインモーションを送り出し、俺は一人拳を握りしめる。

 

 彼女のような逸材はそういないだろう。

 

 そしてこの彼女の輝きを見てしまった俺は……果たして新しく担当ウマ娘と契約できたとして、この感動を味わうことができるのだろうか……?

 

 

 

 (……考えるだけ、無駄か)

 

 考えてもしょうがない。

 今俺は、担当ウマ娘と来年契約できるように、全力で学ぶことしかできないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく、滝トレーナーの補佐としての日々を過ごした。

 

 

 「スペー!!チームに入ったからって少しなまってるんじゃないかー!お前のベストはもっと速かったはずだぞー!」

 

 「はいっ!がんばり……ますっ!!」

 

 

 「マックイーン!ペース落ちてる!最強のステイヤーのスタミナはそんなもんかー!」

 

 「上等……ですわ……っ!」

 

 

 滝トレーナーの担当ウマ娘は、どのウマ娘もとんでもない逸材ばかり。

 超有名なウマ娘達だから、最初は俺の方が緊張していたように思う。

 

 しかし彼女たちは人が良く、すぐにコミュニケーションをとることができるようになった。本当に良い娘達ばっかりだ。

 

 そして俺も、技術的な指導こそしないものの、タイムの計測や、トレーニングの補助、トレーニングメニュー管理などを行ってトレーナーとしての経験を順調に積んでいる。

 滝トレーナーにも、「マジで忙しい時期だったから助かるよ!」と言われ。

 

 こっちからしたらこんな貴重すぎる機会を頂いているのだから、むしろ俺が金を払うべきでは?とも思うのだが、滝トレーナーは全く気にしていない。

 

 「さて……今日もやりますかね」

 

 滝トレーナーの指導を見て、自分なりの考察をメモ帳にまとめていた俺は、ゆっくりとコースの芝から立ち上がった。

 あのあたりのもうレジェンドと呼ばれるウマ娘達は滝トレーナーとの強い信頼関係で結ばれていて、トレーニングも非常に効率的だ。あれがトレーナーとウマ娘の関係としての完成形なのだろう。

 ……ちょくちょくウマ娘達が滝トレーナーに突貫していって激しいコミュニケーションをとっているのが気になるが……。ま、まあそういうもんなんだろ。知らんけど。

 

 「松田トレーナーさん♪」

 

 「うおっ!びっくりした!来てたのかファインモーション」

 

 「はい~!準備万端ですよ~!今日はぽかぽかで、絶好のトレーニング日和ですね!」

 

 「なんだ、随分と機嫌が良いな」

 

 「はい!天気良し、風良し、気分かなりよしっ♪このままどこまでも走れそうです!」

 

 くるくるとその場で回りながら、本当にどこまででも走れそうな様子のファインモーション。

 お嬢様ということもあってか、たまにこうして浮世離れした発言をするのだが、どうもそれも愛らしさにつながっているような気がする。

 

 ファインモーションはここ最近は滝トレーナーについていた。

 まあ単純にまだ日も浅いので、滝トレーナーが着いた方が良いに決まってる。コミュニケーションの観点からもそうだし、トレーニングメニューを考える上でもそうだろう。

 

 ということで最近はファインモーション以外のウマ娘達のトレーニング補佐をやっていたのだが……。

 

 (やっぱり、俺は特別この娘に惹かれるモノを感じるんだよなあ……)

 

 あの日この娘が俺に与えた感動は、どうやら本物だったらしい。

 どんなレジェンドウマ娘と呼ばれるウマ娘達の走りを見ても、あれほどの感動は得られなかった。

 

 もちろん、タイムや実績で言えば、それこそ今練習しているスペシャルウィークであったりメジロマックイーンの方が上だろう。

 けど、そうじゃないんだ。

 ファインモーションが走っている姿は、まるで1枚の完成された絵を見ているかのような……そんな恍惚としてしまう何かがあった。

 

 「松田トレーナー、行きましょう?今日はどんどん走っちゃいますよ~!」

 

 「わかったわかった!とことん付き合ってやるさ!」

 

 久しぶりのファインモーションとの練習なのだが、なんだか彼女は上機嫌だ。

 理由はよくわからないが、調子が良いのはいいことだし……。俺は俺にできることをせいぜいやりますかね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファインモーションの走る姿勢は本当に美しい。

 仮に自分が担当トレーナーだったとしても、姿勢について指導することはないだろう。

 

 滝トレーナーとは、毎日トレーニングが終わった後に情報交換している。

 ウマ娘達は非常に勤勉で、トレーニング後も自主練を願い出ることが多く。それ故にトレーニング終了の時間はかなり遅くなるのだが、俺と滝トレーナーはその後にミーティングを行っている。

 担当ウマ娘が今日どのような状態だったかを確認しなければいけないから。

 って考えるとやっぱり複数のウマ娘の担当って人間業じゃないよな……。

 

 最近は滝トレーナーに確認してもらうために、ビデオでウマ娘達の走る姿を録画してみたりもしている。

 言葉で伝えられるのには限界があるからね。

 

 「ねえ松田トレーナー!今のスタートどうでしたか?すご~く集中してみたんだけど!」

 

 「いいんじゃないか?平均よりも速かったし、少なくとも周りに出遅れることはないだろ」

 

 ビデオカメラをいじりながら、少し息が上がってきたファインモーションの質問に答える。

 息遣いそのものは苦しそうだが、彼女の声音からは、心底彼女が走ることを楽しんでいるのが伝わってくる。

 この生来の走り好きが、彼女の魅力なんだろうな。

 

 

 「ねえ、松田トレーナー。どうして松田トレーナーは、私に指導してくれないんですか?」

 

 「……え?」

 

 突然の質問に、俺は思わず顔を上げる。

 ファインモーションは、変わらない笑顔で俺のことを見つめていた。

 

 「松田トレーナーも、トレーナーさんじゃないですか!もっと、私に指導してもいいんですよ?」

 

 「……そうもいかなくてな。俺は、あくまで滝トレーナーの補佐なんだ。滝トレーナーの担当ウマ娘であるファインモーションに、技術的な指導はできないよ。別にこれは、他のウマ娘にも同じことが言える」

 

 「ふう~ん……そうだったんですね」

 

 「ああ。でも別に問題はないさ。ファインモーションだって、まだ経験も何もない俺の意見よりも滝トレーナーの指導をしっかり聞いたほうが実力伸びるぞ」

 

 本当は指導してみたい。ファインモーションの走りに、俺は心を動かされたから。

 けど、それは滝トレーナーのせっかくの好意に背くことになる。そんな恩を仇で返すような真似は、俺はするつもりがない。

 

 そっかあ~と後ろを振り返って、ファインモーションがスタート位置に戻っていく。

 よし、俺ももう一度カメラの準備しないとな。

 

 「ねえ、松田トレーナー」

 

 「ん~?どした?」

 

 「世界って……思い通りにいかないことばかりですね」

 

 「……!……そうだな」

 

 彼女の後ろ姿が、やけに儚く映る。

 

 

 ……。ファインモーションの真意はわからない。

 

 俺とファインモーションが、同時に空を見上げた。

 夕暮れの赤い空には、2羽の鳥が、自由に空を飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滝トレーナーの補佐になってから、1ヶ月半が経過した。

 本当にとんでもない経験をさせてもらったなあと心の底から思う。

 

 最初に言われていたのだが、滝トレーナーは今年の夏、一人のウマ娘を海外のレースに出場させるために、海外にいくことが決まっていた。

 だから、俺が滝トレーナーの補佐としていられるのは、それまでの間。そういう契約だった。

 

 そして来週が、その期日。

 短い間だったが、本当に勉強になってばかりの日々だった。

 

 ただ、一つだけ心残りなのは……。いや、やめよう。これだけたくさんのものをもらっておいて、ないものねだりはできない。

 

 どうやら滝トレーナーからも少しずつ信頼してもらえているようで、「なんで君みたいな人材が担当を持てないのかわからない」とまで言ってくれた。それも理事長の前で。

 ……あんまりこういうことは言いたくないが、滝トレーナーのおかげで、俺は来年、担当ウマ娘を持てるかもしれない。

 卑怯なやり方だ、と罵倒されてもいい。俺はそれでも成し遂げたいんだ。自分の夢を。

 

 今日は、そんな滝トレーナーに何やら急に呼び出された。

 まだウマ娘達は授業を行っている平日の午前中。

 

 普段はトレーナー同士が集まるために使用されるトレーナー会議室の扉の前に俺は来ていた。

 コンコン、と2回扉をノックする。

 

 「松田です!」

 

 「入って入って~」

 

 ドアノブを回し、会議室に入る。

 そこにはひらひらと手を振る滝トレーナーの姿があった。

 

 「急に呼び出しちゃってごめんね。緊急で連絡しなきゃいけないことがあってね」

 

 「大丈夫です。ウマ娘達の昨日のデータは、もうまとめ終わっているので」

 

 「さっすが!本当頼もしくなったよね……ずっと俺の補佐やって欲しいくらいだわあ~」

 

 滝トレーナーが冗談めかして笑った。

 本当にこの人には感謝しかない。あのラーメン屋で出会っていなかったら、きっと俺は今も不毛な日々を過ごしていただろう。

 

 「んで……さっそく本題なんだけどね」

 

 「……はい」

 

 俺が席につくと、滝トレーナーの表情が真剣なものに変わる。

 これは担当ウマ娘達のレースプランや、大事なレースの作戦について考える時と同じ表情……俺も思わず息を呑んだ。

 

 「俺が、来週から海外に行くのは知ってるよね?」

 

 「もちろんです。だから、俺のことはそれまでの短期で雇ってくれていたんですよね」

 

 「そそ。……んで、問題はその時期の話なんだけど……」

 

 滝トレーナーは未だに悩んでいるようで、両手で机に肘をついて、頭を抱えながら話を続けている。

 いったいどうしたんだろう。

 

 「今からする話は、断ってもらってもいい。ハッキリ言って、君を侮辱する行為になりかねない」

 

 「……!……大丈夫です。遠慮なくおっしゃってください。俺には、ここまで滝トレーナーにもらった恩がありますから」

 

 本当にまっつんはいい奴だね……と自嘲気味に呟いて、滝トレーナーが顔を上げた。

 

 「俺が不在の間、こっちに残る担当ウマ娘のほとんどは、もう『チーム』に参加してる。だから、そのチームのトレーナーをやっている人たちに、練習メニューや目標レースの話はひととおり通せたんだ」

 

 なるほど。確かに滝トレーナーが不在の間、全員を海外に連れていくわけではないのだから、その間に面倒を見てくれる人が必要になる。

 確かにレジェンドウマ娘と呼ばれるウマ娘達はもう既に『チーム』に参加していることが多い。スペシャルウィークやメジロマックイーンもそうだ。

 

 「けど……僕が担当しているウマ娘の内、今回海外に連れていけないウマ娘で一人だけ、チームにまだ所属していないウマ娘がいる」

 

 「……!ファイン……モーション」

 

 「そう」

 

 ファインモーションはメイクデビューこそ終えたものの、まだ駆け出しで、チームにはもちろん入っていない。

 と、いうよりレースプランは確か、この夏も日本でレースの予定がある。

 

 「元々、ファインモーションは海外に連れて行こうと思ってたんだけど、そっちの登録ができなくて。であれば、ということで俺の親しい他のトレーナーにひとまず面倒を見てもらうことで合意してたんだけど……そのトレーナーの担当ウマ娘が、ファインモーションが出走する予定のレースに出走することになっちゃってね……一時的とはいえ、あんまりそこ2人を担当するのは良くないだろうって上から言われちゃってね」

 

 「は、はあ……」

 

 つまり、ファインモーションがこのままでは3ヶ月間1人で練習と出走をしなければならない?いやいや、そんなの無理だろ。

 チームを持ってる他のトレーナーとかにお願いした方が良いんじゃ……。

 

 「だから僕は、上にある提案をした」

 

 「……」

 

 滝トレーナーが真っすぐ俺を見ている。

 なんだ。どういう流れだこれ。

 

 

 

 「君に、3ヶ月間ファインモーションの担当を任せたい」

 

 

 

 「……え?」

 

 

 

 

 

 急激に心拍数が上がる。

 どういうことだ?俺は担当をまだ持っていない落ちこぼれトレーナーだぞ?

 

 「ちょ、ちょっと待ってください!それはあまりにもファインモーションが可哀想ではないですか?」

 

 最初の感情で出てきたのは、喜怒哀楽で言えば喜の感情だった。

 けれど、それはファインモーションの気持ちを度外視しているし、あれだけの可能性を秘めたウマ娘のデビュー期間を、まだ担当すら持てていない俺に担当させるというのは流石にどうかと思う。

 彼女は由緒正しい家の出だし、彼女の家も黙っていないだろう。

 

 「……俺も、最初は他のトレーナーにお願いしようと思った。けど、『3ヶ月限定で、しかも技術的な指導は最低限にして無駄なクセをつけさせずに担当してもらい、3ヶ月後には俺の元へ戻してください』って……そんな虫の良い話を受け入れてくれるトレーナーなんて、いないんだよ……」

 

 「……!」

 

 そうか。考えてみれば確かにそうだ。

 今担当を持っているトレーナー達は皆、実績や経験のある人だ。その人たちに、『面倒見てもらうけど、無駄なことはしないで。あと3ヶ月したら返して』と言う行為は、確かに相手からしたら良い気持ちはしないのかもしれない。メリットが無いのだ。

 

 

 名トレーナーと名高い滝トレーナーだからこそ、お高くとまっていると思われる可能性だってある。

 

 「これは、トレーナーとしてのプライドを傷つける行為だ。『お前は何も指導せず、ただ出走登録とトレーニングを見守るだけで良い』って言ってるようなものだから。……だから、嫌だったら断ってくれてもいい。俺はそれを非難するつもりはないよ。むしろ当然さ。トレーナーってそういう生き物だから」

 

 滝トレーナーが拳を握りしめている。

 ファインモーションのことも大事に考えているからこそ、葛藤しているのだろう。

 

 そしてきっと、この1ヶ月半で俺のことをある程度評価してくれたから、こうして話を持ち掛けてくれた……。

 なるほど……な。

 

 

 「……受けさせてください」

 

 「……!良いのか……?」

 

 「元々、担当いないんですよ?俺。担当を持った時の勉強にもなるし……任せてください。滝トレーナーが帰ってくるまで、ファインモーションにクセは絶対につけませんから。最高の状態で、戻してみせます」

 

 断る理由なんかなかった。

 元々俺は担当がいないのだ。滝トレーナーのおこぼれを期待しているだけの薄汚いトレーナー、と罵られてもかまわない。

 それになにより……俺は、ファインモーションには最高の状態でG1に挑戦させてあげたい。

 俺がその一助になれるなら、そんなに嬉しいことは無い。

 

 「……本当にすまない。ありがとう……」

 

 滝トレーナーは、未だに自分の判断を苦悩しているらしく、両手を頭に当てたままだ。

 ファインモーションの実家から期待をされて任されたのに、大事な期間を他の人間に任せることになるのだから。

 

 (その想いも、受け継いで……俺は頑張ろう)

 

 

 

 こうして、俺とファインモーションの3ヶ月間だけの担当契約が決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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英国の淑女と落ちこぼれ Ⅲ

 俺とファインモーションの3ヶ月限りの担当契約が結ばれた。

 

 流石にそれでいいのかと不安になった俺は、直接ファインモーションに聞きに行ったのだが、「不束者ですがよろしくお願いしま~す!」とからかわれてしまった。もっとも、天然なこの娘のことだから、からかうつもりすらないのかもしれないが。本当に可愛いなこの娘。……じゃなかった。

 

 しかしこうして本当に滝トレーナーから託された以上、俺も頑張らねばならない。

 この3ヶ月間、ファインモーションはレースへ出走する。トレーニングを見るだけでは駄目なのだ。

 一応、毎日一日の終わりにファインモーションの状態は報告することになっている。そのあたりは、滝トレーナーがこっちにいた頃と変わらない。

 

 俺は臨時担当トレーナーなのだ。それ以上でも以下でもない。

 今日はファインモーションと、この3ヶ月の間の目標を確認するためのミーティングだ。

 流石に担当トレーナーが一時的に離脱することになったのだからモチベーションも下がっている恐れがある。

 

 (しっかり支えてやらないとな……)

 

 あれだけ天真爛漫な彼女でも、精神状態は常に移ろいゆくもの。

 その精神状態を良い状態で保ってあげるのも、トレーナーとしての役割だ。

 

 「こんにちは~松田トレーナー!」

 

 「お、来たかファインモーション」

 

 「はい~!見てくださいこれ!さっきウララちゃんが四葉のクローバーをくれたんです。今日はとってもいい日になりそうですね♪」

 

 ファインモーションの手のひらの上に、ちょこんと四つ葉のクローバーが乗っかっている。

 彼女の髪飾りにも似たそれをもらって、彼女はとても嬉しそうだ。

 さては現代に現れた天使か何かかこの娘……。はっ、いかんいかん。

 今日は大切なミーティングなんだ。

 

 煩悩を頭から追いやって、俺は本日のミーティングを始めるべく、鞄からメモ帳を取り出した。

 風で飛ばないようにその四葉のクローバーを保存して、ファインモーションをトレーナー室のホワイトボードの前に座らせる。

 

 

 「よし、じゃあこれから3ヶ月、短い間だがよろしくな、ファインモーション」

 

 「そうですね!もうお会いすることが無くなるのかと思っていたので、とっても嬉しいです」

 

 「お、おおう。せ、せやな……じゃなくて、その間に出るレースは、もう滝トレーナーから聞いていると思うが……」

 

 あまりの朗らかな笑顔に毒気を抜かれるが、本題は進めていかないとな。

 俺はファインモーションに背を向けて、ホワイトボードにペンを走らせる。

 

 「まずは函館1勝クラス。芝2000mだな。これに照準を合わせていこう。んでそこが勝てれば3週間後に阿寒湖特別だ。少し距離が伸びて芝2600だが……これもファインモーションの距離適性的には問題ないって、俺も滝トレーナーもそう踏んでる。そこを制することができたら……ローズ(ステークス)に挑戦したい。これも芝2000m。ここを制するのが、俺とファインモーションが担当契約している間の最終目標だ」

 

 ホワイトボードに、左から「函館1勝クラス」「阿寒湖特別」「ローズS」と書き込んでいく。

 ファインモーションの実力を知っている俺からすれば、前2戦は間違いなく突破できるだろう。そして、G2であるところのローズSだってファインモーションなら勝てると信じている。

 

 そして、そこを乗り越えればついにG1だが……その時にはもう、滝トレーナーは帰ってくる手筈になっている。俺の出番はそこまでだ。

 ファインモーションの晴れ舞台を担当トレーナーとして迎えられないのは残念だが……。

 いや、そんなのはおこがましいな。

 むしろその晴れ舞台の準備を整えることができるならそんなに嬉しいことは無い!そうだろう。

 

 ファインモーションは俺の話にうんうん、と相槌を打って聞き入ってくれている。

 表情は相変わらず笑顔だ。

 

 「北海道、ちょっと楽しみですね!」

 

 「いやそこかい!!!」

 

 楽観的なのはこの娘の長所か……。

 遠征は少し心配だが、しっかりと体調を整えて、準備させてあげよう。

 

 「よし!そうと決まればトレーニングだ!まずは目指せ函館1勝!」

 

 「おー!」

 

 元気にファインモーションが右手を上げる。

 

 そのあまりにも健気な姿を見て、俺はなんとしても彼女をG1の舞台に連れていく、と覚悟を新たにするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんにちは!

 ファインモーションです。

 

 このトレセン学園に入学して、3ヶ月が経ちました。

 最初は少し退屈だなと感じていた日々も、今ではそんなことありません!

 とても楽しく、毎日を過ごせています。

 

 こんな学園の廊下も、スキップしちゃいたい気分♪

 

 

 「ん?どうしたファイン、やけに表情が明るいが」

 

 「エアグルーヴさん!えへへ、やっぱりわかります?」

 

 廊下で声をかけてきたのは、エアグルーヴ先輩です。生徒会副会長というすごい人で、『女帝』と呼ばれて皆さんから尊敬されています!

 走る姿もカッコ良いので、とっても納得なの!

 

 あとあと、裏庭で自分で植物を育てているんだって!とっても素敵な人だよね!

 

 「お前はいつも騒がしいが……騒がしくないのに明るいのも珍しいと思ってな」

 

 「それほどでもありませんよ!」

 

 「いや、褒めてはいないが……」

 

 やれやれと言った様子で頭を抱えるエアグルーヴ先輩。

 あれ?私なにか変なこと言っちゃったかな?

 

 「あ、そうだ!今度また実家から荷物が届くみたいなので、エアグルーヴ先輩にもおすそわけしますね!なんでも、兄がエアグルーヴ先輩のこと気に入ってしまったみたいで……」

 

 「じ、実家?!や、やめろ。本当にやめてくれ。お前の実家に関わらせるのだけは絶対にやめろ……!」

 

 「あれ?そうですか?うーん、喜ぶと思ったんですけど~」

 

 何故かエアグルーヴ先輩は私の実家からの贈り物を拒むの。ちょっと量が多すぎるのかなあ……。

 

 「ふう……まあいい。滝トレーナーがいなくなって、不自由はないか?」

 

 「大丈夫です。今ついてくださっている方も、とっても良い人なんですよ~♪」

 

 私の担当トレーナーである方は、今日本にはいません。なんでも、海外で重要なレースがあるんだとか。

 でもでも、私は特に気にしないの。だって、初めて会った頃から私のことを気にかけてくれる方が、今はトレーナーをやってくれているから!

 

 「……本当に大丈夫なのか?……あのトレーナーは2年間、誰も担当がつかなかったというある意味有名なトレーナーなんだが……」

 

 「むう~皆わかってないんだよ。あの人は素敵な人なんですよ~?なんで今まで担当ウマ娘がつかなかったんでしょう?」

 

 初めて会った時は、泥棒さんかもしれないと思ってびっくりしちゃったけど。

 あの時、あんなにひどい事をしちゃったのに私のお友達を褒めてくれた。トレーナーさんがついてくれない時、心細かった練習も、あの人が来てから見違えるように楽しくなった。

 私のことを理解してくれて、意見も尊重してくれる。

 

 むしろなんで今まで担当がついていなかったのか不思議なくらいなの。

 

 「……トレセン学園は伝統ある学園だ。そのトレーナーも、基本的には直轄のトレーナー養成学校からしかとらん。たまに地方からの引き抜きや、推薦もあるが……あとは、コネ。そんなものなんだ。だから……彼は異質なんだよ。養成学校は出ておらず、コネもなければ、誰かからの推薦もない。面接にはルドルフ会長も同席したらしいが……何故採用したのだろうな」

 

 「……そうだったんですか」

 

 考えてみれば、私は松田トレーナーのことを何も知りませんでした。

 そっか……誰かからの推薦も、コネもなかった……私とは、正反対なの。

 

 なのに、こんな環境に飛び込んできて、今も尚、苦しんで、もがいてる。

 

 自然と私の胸が、きゅっと締め付けられるような感覚が、ありました。

 

 「まあなんにせよ、あまりあのトレーナーに入れ込みすぎるなよ。どうせ3ヶ月だけの契約なんだ。ファインのことは、ウチで一番優秀な滝トレーナーに頼んであるのだからな。私もアイツに担当をしてもらったことがあるが……ふんっウマ娘たらしのいけ好かんヤツだが、実力は確かだ」

 

 そっか、そうだよね。私と松田トレーナーの契約は、3ヶ月だけ……。

 なんでだろう。なんか、まだ始まってすらいないのに、この胸の寂しさはなんなのでしょう。

 

 エアグルーヴ先輩は、その後もブツブツと「なんで私は1年間だけだったんだ……アイツめ……」って言ってました。

 

 私も、滝トレーナーさんはすごい人だと思います。ついていけば、きっと素晴らしい道が歩めるのかもしれません。

 

 けど……。

 

 松田トレーナーに会ってから私の日常は変わりました。

 あの人がいなくなってしまったら……また元通りの、レールの上のひたすら走る私に戻っちゃうのかな……なんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢♦♢

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言おう。

 ファインモーションの実力は圧倒的だった。

 

 

 『圧勝です!差し切ったのはファインモーション!!阿寒湖特別も制しましたファインモーション!!これは先が非常に楽しみなウマ娘がまた誕生しました!!!』

 

 コースの位置取り、仕掛けるタイミング、抜群のスピード。

 ハッキリ言って、このクラスの相手なら負ける気がしない。

 

 トップスピードに乗ってしまったファインモーションを抑えるウマ娘などいるはずもなく、ほとんどのウマ娘達が「無理い~!」と叫んで抜き去られていった。

 

 「はっ……はっ……はっ……!トレーナーさん!見てて、くれましたか?!」

 

 「……ああ、お前がナンバーワンだよ」

 

 笑顔でゴール板前を駆け抜けたファインモーションに、俺はサムズアップで答える。

 天真爛漫な最高の笑顔が、夏の札幌競バ場に咲いていた。

 

 この1ヶ月、俺は技術的な指導はほぼしていない。

 だが、それでも圧倒的な才能と努力で、彼女はメキメキと成長した。

 

 基礎トレーニングは、きっと実家の方でもやっていたのだろう。

 トレセン学園に入学して、その基礎に応用が加わった。

 滝トレーナーのメニューは完璧で、伸び伸びと走ることができている。

 

 心から走ることが大好きなファインモーションが、レースを楽しんでしまえばもう敵はいない。

 

 「さ……ウイニングライブの準備でもしますかね」

 

 未だに笑顔で観客席に手を振るファインモーションを横目に、俺は裏方へと向かう。

 まあ、正直ファインモーションが勝つことを信じて疑わなかった俺は、ファインモーションがセンターで踊る準備を既にしていたのだが。

 

 (この瞬間、最高だな……!)

 

 自分の担当ウマ娘が、一着でゴールする。

 そして最高のウイニングライブを支えるべく、裏方に回るこの瞬間。この瞬間こそ、俺にとって至福の時間だった。

 

 

 (……)

 

 

 その時、胸に走った僅かな痛みを、俺は頭から追い払った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 北海道から東京へ戻ってきて、オフを挟んだ翌日。

 俺とファインモーションは再びトレーナー室でミーティングを行っていた。

 

 「よし!改めておめでとうファインモーション!圧倒的だったな!」

 

 「ありがとうございます!」

 

 無事に2勝。これでファインモーションはG2であるローズSへの挑戦権を得た。

 ここまでは実に順調と言っていいだろう。

 

 「まあ正直俺はファインモーションの勝利を疑ってなかったが……」

 

 「あれ?でも松田トレーナー、一戦目の時裏で『負けたらどうしよう……俺のせいで最強のはずのファインモーションが負けたら……』って言ってませんでしたか?」

 

 「おまっ……!聞いてたのかよ!そ、そりゃなあ、俺にもファインモーションを任された責任があるわけであって……」

 

 「ふふふ~♪なんかあれを見たら私の方が緊張やわらいじゃいました!」

 

 屈託のない笑みでそう言われると、もうなんでもいいか、と思ってしまう。

 

 そしてこんな笑顔で周りを癒す存在のファインモーションだが、走りは優雅で、美しい。

 その走りは既にトゥインクルシリーズを取り上げる記者からも注目され始めている。

 ここまで無敗なのだ。当然のことだろう。

 

 「……だが、次はG2。そう簡単にはいかないぞ。サクラ陣営から一人今年伸びているのが出てくるし、周りも強豪だらけだ。気を引き締めていこう」

 

 「はいっ!次も頑張りますね!」

 

 「ま、泣いても笑っても、俺は次が最後だ。必ず、G1に送り出してやるからな」

 

 俺の最後の役目だ。気合いれないとな。

 

 

 「あ……はい。そう、ですね」

 

 ん?なんか元気が無かったが……まあ、気を引き締めてもらうためにああはいったが、俺の見立てではファインモーションが負けることは万に一つもないだろう。それだけの実力を、ファインモーションは持ってる。

 初めてこの走りを見た時から、それは疑っていない。

 

 

 だが、俺はこの時気付いていなかった。

 ファインモーションのいつもの笑顔に、少し雲がかかったような印象があったことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんにちは。ファインモーションです。

 

 私のウマ娘としての成績は、とっても順調。

 これなら実家にもきっと喜んでもらえるし、私も走っていて楽しいし、良い事だらけ!

 

 って、最近までは、思ってたの。

 

 けど、私の次のレース……ローズSが終わったら、今の私のトレーナーさん、松田トレーナーの役目は終わり。

 私はまた、滝トレーナーの元でウマ娘としてトレーニングを始めることになる……。

 

 私は、滝トレーナーが嫌なわけじゃないの。

 ただ、それ以上に松田トレーナーは私のことを考えてくれていて……。

 

 この前、寮の部屋でエアグルーヴ先輩に、「松田トレーナーのままで、今後も走りたい」って言ったら、すっごい怒られちゃった。

 どれだけのウマ娘が、あの伝説のトレーナーに指導してもらいたいと思っている、って。

 実家からのきっての願いで担当をしてもらっているのに、それを私が断ったら、滝トレーナーの顔に泥を塗ることになるんだぞ、って。

 

 しかも、聞いてみたら練習メニューやその他レースプランも、滝トレーナーが私のことを思って海外から松田トレーナーに指示を出してくれているんだって。

 あの人は担当ウマ娘をないがしろになんかしない、今回も、ギリギリまでお前を海外に連れていけないか悩んでいたんだぞって……。

 

 確かに、練習メニューもプランも、すごいと思う。

 きっと、滝トレーナーじゃなかったら、私はここまで実力を発揮できてないかもしれない……。

 

 

 私の中に渦巻く気持ち。

 

 滝トレーナーの担当ウマ娘になることが不満……というより、私は……。

 

 

 

 ここまで考えて、流石に私もわかっちゃったんだ。

 

 

 

 

 私は、松田トレーナーと、もっと長く一緒にいたいだけなんだ、って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファインモーションがスランプになった。

 

 ぴょ?

 

 

 ヤバイヤバイヤバイ。ローズSまでそんなに時間は無いぞ……。

 かといって俺が技術的な指導をするわけにもいかないし……!

 

 原因はわからないが、ファインモーションの走りにキレがない。

 全体的に、というよりは、ファインモーションの魅力である終盤でのあの劇的な差し。あのスパート時のキレが出ないのだ。

 

 今こちらに向かって走ってくるファインモーションの表情にも、いつもの笑顔は無い。

 

 

 「どうしたもんか……」

 

 俺にトレーナーとしての経験は浅い。

 どこか浮かない表情をしているファインモーションを、助ける手立てがわからない。

 

 今走り終えたファインモーションが、肩で息をしている。

 手元のストップウォッチを見ても……タイムは、やはり悪い。

 

 表情も、あの抜けるような笑顔が消えていた。

 

 (この最高の笑顔まで、曇らせちゃダメだろ、俺)

 

 技術的な指導は許されていない。

 けど、精神面のケアは、できる限り自分の手でやっていいはずだ。

 

 それが、こんな俺にできること。

 

 せっかく担当してるのに、全部先輩トレーナーのおんぶにだっこじゃ、カッコつかねえだろうが……。

 

 

 覚悟を決めて俺は、膝に手をついているファインモーションの肩を、叩く。

 

 「……トレーナー……さん?」

 

 「ファインモーション……今日、トレーニング終わった後時間あるか?」

 

 「へ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 トレーニングを終えた俺とファインモーションは、トレセン学園からほど近い場所にある商店街へと来ていた。

 

 

 「わあ~!!」

 

 俺にとっては何の変わり映えもしないいつもの道。

 けれど、ファインモーションにとっては違ったようで、今も隣で目を輝かせている。

 

 「松田トレーナー!これが、庶民の商店街という所なんですね!」

 

 「ばっかお前でかい声でそんなこと言うな……」

 

 流石箱入りウマ娘。

 トレセン学園に入学してからもこういった場所には来たことがなかったようで、あちこちを見渡して感動している。

 

 その姿は、東京に来たことがなかった田舎の子供が、初めて東京に足を踏み入れたかのような……いやまあ、実態はその真逆なのだが。

 

 「素敵だね!トレーナーさん!私こういうのすっごい憧れていたんです!ドキドキしちゃうなあ……!」

 

 「お、おう、そうか……でも!今から行くとこ、味の期待とかすんなよ?実家ですげえ料理食べてたファインモーションを連れて行くのにはちょっと抵抗があったんだから……」

 

 ただでさえ、ファインモーションが所属している栗東寮の寮長であるフジキセキからは、「だ、大丈夫なのか?保護者として、頼むぞ?」と心配されたのだ……。余計な悪目立ちは避けたい。

 

 「全然大丈夫ですよ!私憧れていたんです!日本を実家で勉強したときに、書いてあったんです!え~っと、なんだっけ、そうだ!『おふくろの味』!日本には、そういう文化があるんですよね!」

 

 「……なにか曲解しているような気がするぞ……」

 

 こんな生粋のお嬢様を庶民的な店に連れて行こうとしていることに若干の罪悪感を感じつつ、俺は商店街の道を歩く。

 気分転換に、と思って誘ったが、俺にそんな高級な店を紹介できるスキルなどあるはずもなく。

 

 そうして、たどり着いてしまった。

 いつもの店に。

 

 「ここだ、ファインモーション」

 

 「ほえ?……なんか人力車のようなものから良い匂いがします……!」

 

 人力車て。むしろなんで人力車の知識があったのかは謎だが……。

 まあもうこうなったら仕方ない!行くしかあるまい!

 

 俺はいつものラーメン屋の暖簾をくぐった。

 

 

 「いらっしゃい……って、お前か」

 

 「大将、久しぶり。今日はちょっと連れがいるんだ」

 

 幸い、先客はいないようだ。カウンターの席は、どこも空いている。

 奥の方に腰掛けるべく、俺はファインモーションに隣に来るように促した。

 

 「わあ~!すごい……!」

 

 どうやら本当に感動しているようで、ファインモーションは目をキラキラとさせている。

 

 「……!」

 

 「大将、何も言わないでくれ……」

 

 驚いたように目を見開く大将。

 そりゃファインモーションは有名になっているし、トレセン学園の事情に明るい大将がファインモーションを知らないわけはない。

 俺がファインモーションの3ヶ月担当になったことも、大将には話してあるしな。

 

 「お前……もっと気の利いた店なかったのかよ」

 

 「言わないで……今の俺にそれは効く……!」

 

 大将が自分から言うのもどうかと思うのだが、未だに感動しきり、といった感じでぶら下がったメニューを見ているあたり、新鮮さがあってよかったのかもしれない。

 うん、そういうことにしてくれ。

 

 「ファインモーション、いつも俺が食ってるやつでいいか?」

 

 「あ、はい!それでお願いしますっ!」

 

 やたらとハイテンションなファインモーションはまだ落ち着かない様子。

 パドックでこの状態だったら俺は流石に慌てるね。

 

 「大将、豚骨ラーメン大2つ。麺固め油少なめ。」

 

 「……あいよ」

 

 麺をバリカタにするヤツも多いが……俺は固めがちょうど良いと思ってる。

 芯の残ってる感じはあまり好きじゃない。

 

 ……と、隣にはぽかんとした表情で俺のことを見つめるファインモーションがいた。

 

 「……どうした」

 

 「今のなんですか?!なにかの呪文ですか?!あ!私知ってますよ。確か日本のカフェでは呪文を唱えないと出てこないメニューがあるんですよね!今のはそれと同じですか?!」

 

 「とんでもねえ文化だなそりゃ!」

 

 ふんす、と言った感じでどや顔で知識を披露してくる姿は非常に微笑ましいのだが、微妙にズレているその知識を訂正すべきかどうか悩む。

 

 「庶民のラーメン屋だとな?麺の固さだったり、味の濃さを自分なりに調整できるんだよ」

 

 「な、なるほど!だから今麺固め、と伝えたんですね……!」

 

 とりあえずは納得してくれた様子。

 が、未だにファインモーションは厨房の大将に目が離せないらしく、じっと、作業の様子を眺めていた。

 

 「い、今!松田トレーナー!網をすごい勢いで振ってますよ!あれはなんですか?!」

 

 「あ、あれは湯切りっていってな、麺が含んだ湯を切ってんだよ……」

 

 気合の入った迫力のある湯切りを見て、ファインモーションは興奮気味だ。

 ものすごい力で俺の肩をゆすってくる。

 

 全く……終始落ち着かない様子だが、その表情には普段の笑顔が戻ってきていた。

 

 場所のチョイスはあれだが……まあ、当初の目標は果たせたかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「とっても美味しかったです!」

 

 「おお、そりゃーよかった」

 

 お勘定を済ませて出てきた俺を、笑顔でファインモーションが迎えてくれた。

 正直トレーナーがウマ娘を連れてくる場所としちゃあ最悪の一言に尽きるかもしれないが、まあ、こんなところファインモーションは2度と来ないだろうし、人生経験としちゃあ、よかったんじゃねえのかな、と思う。

 

 商店街を抜けて、トレセン学園までの帰路を辿る。

 あたりはすっかり暗くなり、街灯だけが道がここにあることを示してくれていた。

 

 「松田トレーナーさん」

 

 「どした」

 

 「次が、最後のレースですね」

 

 「……そうだな」

 

 そう、次が俺の役目の最後。

 ローズSを無事制することができたなら、そこで俺はお役御免。

 続くG1レースは、滝トレーナーに任せる。そういう契約だ。

 

 「トレーナーさんは、私の担当して、どうでしたか?」

 

 「どうって……そりゃ、ファインモーションみたいな逸材を担当できる機会なんざ、俺には一生来ないかもしれなかったんだし、めちゃくちゃ嬉しかったよ」

 

 「……それだけ?♪」

 

 「……!」

 

 上目遣いで俺を見つめるファインモーション。

 やめろ……!悪魔的可愛さすぎる……!

 

 「ま、まあ、なんだ。その、楽しかった……よ。ありがとうな」

 

 「ふふふ~どういたしまして~♪」

 

 るんるんと先を歩いていくファインモーション。

 危ないぞ、と言おうかと思ったが、車通りもない。まあ、いいか。

 

 こちらに背を向けて歩いていたファインモーションが、ふと、立ち止まる。

 

 

 「トレーナーさん」

 

 「なんだよ」

 

 「私実は、退屈でした。実家にいて、やっと出てきたトレセン学園でも、同じような、ただレールの上を走っているかのような日々に、退屈さを感じてたんです」

 

 「……」

 

 そんな気はしていた。

 普段俺に見せる表情はあんなに笑顔な彼女が、授業中や一人でトレーニングをしているのをたまたま見た時は、無表情だったから。

 

 彼女の生い立ちを知って、俺とは真反対だな、と思いつつも、その運命を真正面から受け止めるファインモーションを尊敬した。

 けど、彼女はまだ若い。

 ファインモーションの中で、きっと葛藤はあったのだろう。

 

 「けど、松田トレーナーがそんな退屈な日々から引っ張りだしてくれたんです。()()に会ってから、毎日が楽しかった」

 

 「……!」

 

 

 くるりと振り返ったファインモーション。

 彼女の美しい髪が、街頭に照らされていて。

 彼女の儚さと可憐さと相まってとても幻想的に見えて。

 

 不覚にも、見惚れてしまった。

 

 

 「ねえ、キミはさ」

 

 

 だから、次に出てきた言葉を理解するのに、とても時間がかかってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 「私の、本当のトレーナーに、なる気はない?」

 

 

 

 

 「……!」

 

 

 

 

 

 

 2人の間に訪れた静寂は、一瞬にも、永遠にも感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

  



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英国の淑女と落ちこぼれ Ⅳ

 『晴天に恵まれました京都レース場!さあ、今日のメインレース、G1秋華賞は、間もなくゲート入りです!解説の細江さん!いやあ、やはり注目を集めるのは、ここまで4戦4勝のファインモーションですね!』

 

 『ええ。彼女の末脚には光るモノを感じますね。残念ながらクラシックは登録の関係で出走は叶いませんでしたが、おそらくこの調子でいけば、エリザベス女王杯にも期待が持てますね。まずはG1一戦目、本当に楽しみです』

 

 『もちろん1番人気ですファインモーション!3番のゲートに入ります、白と緑の勝負服が、ファインモーションです!』

 

 

 京都競バ場は、たくさんの観客で溢れかえっている。

 ここまで4戦4勝。それもどのレースも危なげない勝利をしており、そしてなんといっても可憐なその見た目。

 

 ウイニングライブでもファンを魅了し、早くもファインモーションはトゥインクルシリーズのアイドル的存在になっていた。

 

 そしてそんなにも可愛らしい彼女が、レース前はしっかりと集中力を高めている。

 そのギャップがまた、彼女の人気を押し上げるのだろう。

 

 

 「……」

 

 その様子を、俺は……観客席の、後方から眺めていた。

 

 スランプは脱した。

 調子を取り戻したファインモーションは、スパートにも前のキレが戻ってきた。

 他を寄せ付けない、圧倒的末脚。

 

 まさに風になる、という表現がぴったり似合うかのような加速力を取り戻したファインモーションは、前戦のローズSを圧倒的な差で勝ち切ったのだ。

 あの日の勝利は、2人で手を取り合って喜んだ。

 俺も、自分の役目を全うできたことに安堵し……そして自分のことかのようにはしゃいだ。

 それだけ、嬉しかったんだ。

 

 

 結局この秋華賞も、ローズSも、レースのレースプランは言い渡してあるが、技術的な指導はしていない。

 

 むしろ必要なかったと言った方がいいだろう。

 へんなことを言って悩ませるよりも、好きに走らせる方が強い。

 

 それが俺の見解だった。

 

 そして、見事彼女は掴み取った。

 G1レースへのチケットを。

 

 そして念願のG1レースが今日、行われるのだ。

 ファインモーションの、初の勝負服お披露目。晴れ舞台。

 

 気品の高さを思わせる、純白のジャケット。

 彼女のイメージカラーである青と赤が、袖とソックスにラインで入っていて。

 ジャケットの中からは、緑色のベストが飾り過ぎない程度に華やかさを演出している。

 

 一目見て思った、この勝負服は、ファインモーションに本当にぴったりだ、と。

 

 

 

 

 

 『さあ!16人がゲートに入ります!間もなく、ファンファーレです!』

 

 

 

 

 

 歓声が上がる。

 いつもなら俺のせいで負けてしまったら……といらぬ心配で緊張するのを抑えるのに必死だったが、今は、何故か落ち着いていた。

 

 周りの興奮も気にならない。

 

 今まさにゲートに入ろうとしている、勝負服姿のファインを、俺はじっと見つめる。

 

 

 その瞬間、俺とファインだけが、この大歓声の中意思疎通ができているかのような、不思議な感覚が俺の脳内を駆け巡る。

 今はそんなこと、とても言えないが、俺はファインのトレーナーだったのだ、と身体が訴えかけてくる。

 

 そんな衝動を抑え込みながら、俺は心の中でファインを応援した。

 

 (頑張れよ……!)

 

 ……すると、ファインモーションが一瞬くるり、とこちらを振り返って……笑った。

 

 

 「……!」

 

 俺に気付いたのだろうか。

 いや、ここからゲートまではかなりの距離がある、思い違い、かもしれない。

 

 

 

 すぐにその表情は引き締まり、深呼吸を行っている。

 

 その様子が、本当に愛らしい。

 

 

 

 

 「……なあ、ファイン」

 

 

 

 

 

 なあ、俺が、初めて愛したウマ娘。

 

 

 

 

 

 

 

 「俺の答えは、合っていたのかな」

 

 

 

 

 

 

 目を閉じて、あの日のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 パァン!と乾いた甲高いピストルの音。

 

 秋華賞。

 俺たちが3ヶ月かけて掴み取った、ファインモーションにとって初めてのG1。

 

 

 俺はその舞台を、観客席から眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の商店街。

 

 ファインモーションから発された言葉は、俺の心拍数を急激に上昇させるには十分すぎる言葉だった。

 

 「今……なんて」

 

 自分の耳を疑った。

 ファインモーションは、滝トレーナーに少なからずポジティブな感情を持っていると思っていたから。

 ファインモーションは、俺なんかじゃ立場が合わないほど、由緒ある家の生まれだから。

 ファインモーションは、他と比べるまでもない、世代を代表するウマ娘になれる逸材だから。

 

 だから。

 

 俺なんかと、『本当の担当契約をしてくれ』と言われたことが、しばらく信じられなかった。

 

 

 「そのまんまの意味です。私の担当に、なってくれませんか?」

 

 

 闇夜に照らされるファインモーションの姿は、映画のワンシーンのような、幻想的で、美しくて……そしてどこか蠱惑的な笑顔。

 

 ぐるぐると思考がめぐる。

 願ってもない言葉。俺はこの1年半、その言葉をウマ娘から言ってほしい一心で、トレーナー業をやってきた。

 初めてファインモーションに会った時、初めてファインモーションが走る姿を見た時、その姿に憧れた。

 

 これが本物のスターになるウマ娘なんだと、心が躍った。

 そして同時に、『何故俺はこの娘の担当じゃないんだ』と、激しく自分に怒りを覚えた。

 

 輝かせたい存在がいるのに、そこに手が届かない自分を、激しく卑下した。

 

 そんな俺を、必要としてくれている。

 今目の前にいる、俺が初めて“恋焦がれたウマ娘”が、必要としてくれている。

 

 だったら、俺は。

 

 俺の下すべき、判断は……。

 

 

 

 

 

 

 

 「ごめん、それは、できない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絞り出したかのような声。情けない声しか出ない自分が恥ずかしい。

 

 手のひらから血が出るほど自分の拳を握りしめて……ゆっくりとファインモーションを見つめる。

 

 本音を言えば、担当したいに決まっている。

 けどここで俺が自分のワガママで彼女の担当になったら、実家やトレセン学園や世間から、批判を受けるのは彼女自身だ。

 

 どれだけ俺がここから努力して優秀なトレーナーになったとしても。伝説級のトレーナーとの契約を切って、無名の落ちこぼれトレーナーに担当してもらう、という事実が、これからの彼女のためにはならない。

 

 

 なによりも彼女の成功を願う俺が、彼女の道の邪魔をしてはいけない。

 

 俺の判断は、拒否、だった。

 

 ファインモーションはそれに一瞬驚いたような顔をして……そして、次第に、笑顔になった。

 

 「うん。きっとキミなら、そう言ってくれると思ってたの」

 

 「……え」

 

 

 俺の判断を聞いて、ファインモーションは笑顔を見せてくれている。

 かと思えば、くすりと笑って両手を目元に持っていき、涙を拭くような仕草。

 

 

 「あ~あ……こんなに勇気を振り絞って告白したのに……フラれちゃいました」

 

 「お、お前なあ……」

 

 いちいちこんなことを言うものだから、俺の心臓が持たない。

 慣れてないんだ、こういう事に。

 

 するとその仕草をやめて、彼女が上目遣いで俺の顔を覗き込む。

 

 

 「じゃあ……ワガママを一つ、聞いてくださいますか?」

 

 「……ああ」

 

 どんなワガママでも、聞こう。

 それが、実力不足で彼女の願いを受け入れられなかった自分の、せめてもの罪滅ぼし。

 

 そう思っていると、ファインモーションがゆっくりとこっちに歩いてきて。

 その笑顔は、いつもとなんら変わらないように見える。

 

 だから、少し油断してしまっていたのかもしれない。

 

 

 そのままファインモーションは……俺の方にストン、と体重を預けた。

 

 

 「お、おいおいバカなにやってんだ……!」

 

 「ふふふ♪暗くて誰も見えませんよ」

 

 突然俺の胸におさまった彼女を、この状況はまずいと思いつつ、かといって引きはがすこともできない。

 俺の心臓が飛び出るほど高鳴ってしまっていることをバレるのが恥ずかしく思いながら、俺は必至でファインモーションから目をそらした。

 

 「名前」

 

 「え……?」

 

 「いつまでファインモーションって呼ぶんですか?私のことは、ファイン、でいいんですよ」

 

 「あ、ああ。分かった。ファイン……」

 

 「ふふふ♪じゃあ私も、ミッキートレーナーって呼びますね」

 

 「いや、それは恥ずかしいわ……」

 

 俺の名字ではなく、名前の方をもじった呼び方で、彼女は俺を呼ぼうとしている。

 恥ずかしいからそれはやめてほしい。

 

 すっ、と俺の元を離れた彼女が、もう一度前を向いて歩き出した。

 その歩みは少しづつ早くなり、次第にスキップへと変わる。

 

 「ちょ、待てよファイン!」

 

 「ふふふ♪ねぇ、トレーナーさん!」

 

 「なんだ!」

 

 「キミは私に追い付いてくれますか?」

 

 「……!」

 

 

 緩やかな上り坂を、軽々とスキップしていくファイン。

 

 その後ろ姿を、俺は必至で追いかける。

 追い付かなきゃ、いけないから。

 

 

 「必ず!!追い付いてみせるさ!!絶対に!!!」

 

 「楽しみにしてますね♪」

 

 

 ファインが、くるりと振り返って最高の笑顔を見せる。

 

 ああ、絶対に、いつか本当に。

 

 君の隣に立つのに、相応しいトレーナーに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度も夢見た舞台。

 

 彼が何度も褒めてくれた勝負服に身を包んで、私は今ここに立っています。

 ここも良い、ここも良いって何度も言うものだから、途中から私が恥ずかしくなっちゃいました。

 

 

 ぐ~っと息を吸い込む。

 うん!気持ち良い空気♪

 

 

 集中力は、十分。

 どうしてだろう。初めてのG1のはずなのに……全然緊張していません。

 

 それどころか、どこか身体が軽いくらいで……ふふふ、不思議ですね♪

 

 ファンファーレが鳴り響きます。

 観客席で、それに合わせて大きな手拍子。

 

 すごい……これが、G1なんですね。

 

 実家にいる頃から話は聞いていましたが……百聞は一見に如かず、ですね。

 

 

 そうだ、観客席……。

 とそこまで思い至って、私は視線を感じてぐるりと観客席を見渡しました。

 

 (あ、み~つけた!)

 

 一瞬驚いたような表情を見せた彼を、私は見逃さない。

 ふふふ、ウマ娘は目も良いんだから。

 

 ゲートに入る直前に、私はもう一度大きく息を吸い込む。

 大丈夫。レースプランは、しっかり頭に入ってる。

 

 滝トレーナーが帰ってきて、最初に彼にかけた言葉を、今も覚えてる。

 

 『本当にありがとう。なんの心配もなく、ファインモーションをG1の舞台に送り出せるのは、本当に君のおかげだ』

 

 確かに、私は絶好調でした。

 最初から、最後まで。

 

 彼が、私の願いを断ることは、想定内だったから。

 何よりも私を思ってくれる彼だから、きっと断るんだろうなって。

 

 でも、だからこそ、これからが、楽しみ。

 いつ彼が、私を迎えに来てくれるのか、本当に楽しみ。

 

 未来に、希望を持てる。

 

 こんなに晴れやかな気分は、生まれて初めてかも!

 

 

 

 

 だから今の私は、誰にも負けませんよ♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『スタートしました!さあ、秋華賞。各ウマ娘ポジションの探り合い!おおっと外からファインモーションが伸びてきてすうっと好位につけてきました!現在2番手の位置でレースを進めていきます! 』

 

 『とても良い位置ですね。おそらくここから少し下げて、レース展開を伺うのではないでしょうか』

 

 『そうですね!さあ細江さんの言葉通り、1コーナーを回ったところでファインモーションは現在6番手の位置で、ゆっくりと前を見据えているようにみえます!』

 

 

 最高の位置取りだ。

 いつものレース展開。逃げるウマ娘の位置からもせいぜい6~7バ身程度。

 この程度の差なら、余裕でファインモーションの射程圏内だ。

 

 「……いけ、ファイン」

 

 思わず俺は呟いていた。

 

 観客席に設置された柵を握る両手に、思わず力が入る。

 

 美しすぎる姿勢で走っていくファインの姿に、俺とファインの、この3ヶ月の記憶が、俺の脳裏を通り過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ど、どろぼーーーーー?!!?!??!?!』

 

 『ち、ちが……!』

 

 

 

 

 

 『世界って……思い通りにいかないことばかりですね』

 

 『……!……そうだな』

 

 

 

 

 

 『キミはさ、私の、本当のトレーナーに、なる気はない?』

 

 『……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目頭に熱い感情が煮えたぎる。

 

 けど、今はダメだ。

 目を離しちゃ、ダメだ。

 

 見るんだ。

 

 

 

 

 

 ファインが第3コーナーを曲がるその瞬間。

 

 

 

 

 

 ファインモーションは、風になった。

 

 

 

 

 

 『4コーナー手前に差し掛かるところ!さあ動いていきましたファインモーション!ファインモーションが現在5番手から3番手、3番手から2番手!2番手から先頭に接近する構えだ!!』

 

 実況の声に呼応するかのように、会場の熱気が最高潮になる。

 大歓声が、京都競バ場にこだまする。

 

 

 「いけ~!!ファインモーション~!!!」

 

 「差しきれ~!!!」

 

 「ファインモーションや!!やっぱりファインモーションやったんや!!!」

 

 

 

 心臓が、張り裂けそうだ。

 あの加速。あの走り。

 

 

 

 

 『外からファインモーション!!ファインモーションが抜け出した!!残り200を通過して!!1バ身!2バ身とリードをとった!圧倒的!!圧倒的です!!』

 

 

 

 

 

 

 昨日のことのように思いだせる。

 

 

 初めて彼女の走りを見た、あの瞬間を。

 

 

 

 完璧に抜け出して先頭に立った彼女を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 笑顔が、見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ご~~~るっ!ファインモーション選手今ゴールです!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの瞬間。

 世界に、俺とファインしかいなかった、あの瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時見えた煌びやかな装飾がなされたG1のゴール板の前。

 

 

 

 

 

 彼女は今、確かにそこを駆け抜けようとしている。

 

 

 

 

 

 俺の胸に、どうしようもないほど襲い掛かってくる、感情の波。

 

 目の前がぼやけてくる。

 視界が歪む。

 

 心臓が、鷲掴みされたかのように、苦しい……!

 

 荒ぶる感情を抑えきれずに……俺は鉄製の柵を、思い切り殴りつけた。

 

 

 

 「なんで……ッ!クソッ……!なんで、なんでなんで!!俺はこんなところにいるんだよ……!!!」

 

 とめどなく溢れる涙を、止められない。

 

 何故俺は今ここにいるのか。

 最前列の関係者席で、彼女を出迎えるのが何故俺じゃないのか。

 

 

 わかっていても……許せなかった。

 

 

 

 

 

 

 『ファインモーションだゴールイン!!!圧勝楽勝!!!ファインモーションです!!同世代のウマ娘達では力が違い過ぎました!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大歓声の京都競バ場。

 

 圧倒的な力でファインモーションはG1初制覇を成し遂げた。

 

 

 

 

 

 「ああああああああああ!!!!クッソオオオオオオ!!!」

 

 

 泣いた。

 人目を憚らずに泣いた。

 

 

 

 気が済んだら、彼女に祝福をするんだ。

 

 

 だから今だけは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『勝利ウマ娘インタビューです!ファインモーションさん!おめでとうございます!』

 

 「はい!ありがとうございます!本当に楽しかったです♪」

 

 

 泣き腫らした顔を見られるわけにはいかなかったので、俺はレース場内のトイレで顔を何回も洗ってから、ファインのインタビューを聞いていた。

 と、いっても、俺がいるのはまだ観客席。

 

 ここからレース場にいるファインモーションまでは、あまりに遠い。

 

 けど、これでいい。

 

 これが今の、ファインと俺の差だから。

 いつか俺が、その隣に立ってみせるから。

 

 

 『最後は2着に3バ身と2分の1差ということで、秋華賞の記録になりました!レースタイムもレコードタイですよ!』

 

 「えっ!そうなんですか!嬉しいです♪」

 

 

 ファインの走りは圧倒的だった。

 残り200m地点から飛び出したファインを止められるウマ娘などおらず、終わってみれば圧倒的大差の勝利。

 貫禄すら感じさせる走りだった。

 

 ファインはこれからもきっと伸びるだろう。

 

 観客席からも、多くの声がかけられる。

 

 

 「ファインすごかったぞーーっ!強かった!」

 

 「キレイな走りだったぞ~!!」

 

 

 『会場の皆さんも、ファインモーション選手の走りに感動していたようですよ!』

 

 「わわっ!あ、ありがとう!皆さんすっごい喜んでくれてるね♪」

 

 『今日のレース、最後の瞬間も笑顔が見えましたね。ファインモーション選手の走りは、1枚の絵のようだ、とファンからも大人気ですよ!今日のレース中はどのような気分でしたか?』

 

 「……!……絵だなんて、大げさです♪……私はただ、楽しく走ろうって、そう決めてました!でも……そっか。私の走りが、みんなの素敵な思い出になったんだったら、とても嬉しいです」

 

 

 1枚の絵……俺も、ファインにそう伝えたことがあった。

 それが、一番ファインの走りを表現するのに向いていたから。上品で、気高く。それでいて、力強く。

 

 

 『さて、ではG1初勝利ということになりましたが、この喜びは、誰に伝えたいですか?』

 

 「そうですね……」

 

 一瞬、ファインが迷ったように、トレーナー席の方は目を向けた。

 そして、なんらかのアクションを受け取って……もう一度前を見る。

 

 「これは、滝トレーナーさんにも、許可をとっているので、この場をお借りして、言わせていただきますね♪」

 

 なんだ……?

 ファインが、目を閉じて……ゆっくりと開いた。

 

 その瞳が……俺のことを見つめている気がして。

 その表情は、こんな遠くにいるのに、俺のことが見えているかのような、いつも俺に向けてくれていた、笑顔。

 

 

 

 「私のことを、3ヶ月間だけという条件でトレーニングを見てくださったトレーナーがいました。不器用で、嘘が付けなくて、真面目なトレーナー。……その方が、今日、私をこの舞台に立たせてくれた。誰になんといわれても、これは間違いない事実なんです。……だから。だから私は、この1着は、その方に捧げたいんです♪」

 

 

 

 わずかに会場がどよめいた。

 

 

 

 

 

 ……やっぱり、あいつ、本物のアホだ……。

 なんでこんな最高の舞台で、俺なんかの話出すかね……。

 

 いいんだよ俺なんかのことは……。

 

 

 本当に、アホで、天然で……。

 

 

 

 

 

 「本当に、ありがとうございましたっ!♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ッ!」

 

 

 

 

 

 バカファインめ……。

 

 まったく……。

 

 

 あ~あ。

 

 本当に……。

 あいつの……前では……泣かないって……決めてたんだけどなあ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ありがとうございました!!以上!ファインモーション選手でした!ウイニングライブにも、期待しましょう!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再度、大歓声が会場を包み込む。

 

 これからのトゥインクルシリーズを担う、新たなスターの誕生。

 それを祝福するかのような大歓声は、いつまでも、いつまでも続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数ヶ月後。

 

 トレセン学園内。

 

 

 

 「じゃあ、行ってきま~す♪」

 

 「ええ?!ファインさん、どこに行くんですか~!?」

 

 スキップでトレーナールームを出ていったファインモーションを、驚いたようにスペシャルウィークが見つめている。

 

 

 「いいのいいの。ファインモーションは大丈夫だから」

 

 「え?でも明日って大事なG1レースの日ですよね……?本当に大丈夫なんですか?」

 

 明日はファインモーションにとって大事なレースの日だ。

 それなのに、彼女は最終調整を早めに済ませて、何故か私服に着替えてから、トレーナー室を後にする。

 

 そのことに、スペシャルウィークは若干心配になったようだ。

 

 「ファインモーションはね、大事なレースの前の日は、必ず、ラーメンを食べに行くんだよ」

 

 「え~?!?!ず、ずるいです!私もラーメン食べたい!今から追いかけたら間に合いますかね?!」

 

 ファインモーションがラーメンを食べに行ったという事実に、トレセン学園1,2を争う食いしん坊娘ことスペシャルウィークがついていきたがる。

 

 「ダメダメ。やめときなー。スぺは今から俺とミーティングでしょ」

 

 「え~!そんなあ~!」

 

 

 残念そうにファインモーションが言った先を見送りながら、スペシャルウィークはしぶしぶとホワイトボードの前のパイプ椅子に腰かけた。

 

 

 

 

 しかしスペシャルウィークは気付かなった。

 

 

 ファインモーションが、間違ってもラーメン屋に行くような恰好ではなく。

 

 精一杯のオシャレをして、自分が一番可愛いと思っている服装で、出かけたことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人の少女が、スキップで歩いている。

 

 育ちの良さを感じさせる気品のある服装。

 しかしどこか、その表情は幼い少女のように無邪気で。

 

 夕方の商店街に入っていく彼女は、とても嬉しそう。

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの空には、2羽の鳥が、気持ちよさそうに飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








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鉄の女と鉄の男

 

 

 ワイワイと騒がしいトレセン学園内の食堂。

 厨房にいるスタッフは目を血走らせて次々と料理を作り、ウマ娘達はトレーに乗った料理を嬉しそうにテーブルへと運ぶ。

 

 食堂は広いので、いかにウマ娘達が多いといっても、満席で席に困る……ということは少ない。

 昼時は混み合うのは事実だが、座れる場所が無い、となることはなかった。

 

 そんな一番忙しい時間帯の食堂に、3人でテーブルを囲んで食事を共にするウマ娘の姿。

 

 「ああ……カツカレーを頼んでしまった……カロリーオーバーかもしれない……でもでも、このサクサクとふわふわにはさからえないよねえ~……」

 

 「わーい!ターボが一番食べ終わるのも速いんだから!」

 

 「はいはい、喉詰まらせるんじゃないわよ……?」

 

 マチカネタンホイザ、ツインターボ、ナイスネイチャの3人。

 この3人は同じチームカノープスに所属し、日々、トレーニングを共にしている。

 

 G1レースこそなかなか勝ち切れないが、数々の重賞レースで印象に残るレース展開を演出したり、G1レースにも入賞したりと、どのウマ娘も実力派揃いだ。

 

 「このあとのトレーニング頑張れば、大丈夫だよね……うん。今日は頑張るぞ~!」

 

 「………うぐっ……!!」

 

 「ほら言わんこっちゃない……背中叩いたげるから、水飲みな」

 

 それはそれとして、個性が強いため、カノープスは個性派チームと呼ばれていたりもする。

 

 カノープスメンバーは、これで全員ではない。

 もう1人メンバーがいるのだが、生憎今日はこの場にはいなかった。

 

 そのことを不思議に思ったのか、喉に詰まった食べ物を無事水で流し込んだターボが、キョロキョロと辺りを見回す。

 

 「……あれ?今日イクノは?」

 

 イクノ。

 そう呼ばれたウマ娘の名は、イクノディクタス。

 彼女たちと同じカノープスのメンバーだ。

 

 いつもならこの昼食のタイミングで既に合流し、彼女もこのツインターボの暴走を止めてくれる立場だというのに。

 

 ツインターボ自身が、自分の相手をしてくれるはずの存在がいないことに気付いたようだ。

 

 「あ~、ほら、イクノは今日月1であそこ行く日だから」

 

 「あ~!そっかそっか!イクノちゃんも、律儀だよねえ~」

 

 ナイスネイチャの言葉に、マチカネタンホイザはどうやら合点がいったようで、両手をポン、と合わせる。

 その姿がまた彼女らしいということはさておき。

 

 一人会話についていけないターボは、必死に両隣の2人に説明を求めた。

 

 「なになに!ターボ知らないよ!イクノどこ行ったの!」

 

 「ターボには言ったことなかったのか、イクノ」

 

 「ん~、私達から説明していいのかな……どうしよっか、ネイチャ」

 

 プライベートなことであるが故に、勝手にターボに伝えてしまって良いものだろうかと、タンホイザが判断に困る。

 まあとはいえ、ターボが他ならないカノープスの仲間であること。イクノ自身が、ターボのことをとてもよく面倒を見ていることを考えれば、特に隠す必要もないのかな、と思ってしまう。

 

 ネイチャは少しだけ顎に人差し指を当てて考えた後、ターボに向き直った。

 

 

 「ま、あれだよ、イクノにとっての大事な人に、会いに行ってるんだ」

 

 「大事な人……?」

 

 ターボの頭に、はてなマークが浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『鉄の女と鉄の男』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カーン、カーン、カーン。

 

 甲高い音が、響いています。

 外気よりも圧倒的に高い室温が、この場所の特徴。

 

 チームメイトである青髪ツインテールの彼女がこの場所に来たら、きっと「熱いよ~!」と行って外に逃げ出していくだろうな、と私は柄にもなくそんなことを考えました。

 

 大き目の紙袋を持って、私は音の発生源へと歩きます。

 次第に音は大きくなり、私が彼の元へ近づいているということを教えてくれる。

 

 誰もいない薄暗い道を歩いていけば、その人の背中が見えました。

 いつもと変わらない、大きな背中。

 

 今は椅子に座って、ハンマーを何かに打ち付けています。

 

 私はしばらく、そのままその音を聞いていました。

 この人は作業を中断させられるのを嫌います。その気持ちは、私もわからなくはありません。非効率的ですからね。

 しっかりとプランを組んで制作に取り組んでいる彼のことを思えば、邪魔をする気はおきません。

 

 

 まあ、私自身、こうしてこの音を聞いているのも嫌いではない、というのが一因ではありますが。

 

 と。

 

 

 「何の用だ」

 

 ……気付かれていましたか。

 こちらに振り返らないまま、彼は私に問いかけました。

 

 「こんにちは」

 

 「……」

 

 彼は作業する手を止めません。

 ただ、鉄を打ち付け、大きなペンチのようなもので形を変え、また、鉄を叩く。

 その繰り返し。何度もこの作業を見る内に、私はこの工程を覚えてしまいました。

 

 彼は決して、私に何も教えてくれはしませんでしたが。

 

 「今度、G1に出走します」

 

 「……」

 

 ピタリ、と彼の動作が止まります。

 工具を、をその場に置きました。

 

 

 「レースに出すぎだ。やめとけ」

 

 「いえ……私は、大丈夫です。レース計画も、チームのトレーナーと話し合いました」

 

 「それが明らかにオーバーワークだと言ってる」

 

 ようやく、彼がこちらに向きました。

 頭には白いタオルを巻きつけ、まさに職人といった出で立ち。

 半袖の黒いシャツを着ていますが、そのシャツ越しでもわかるほど、彼の肉体は鍛え上げられています。

 

 「お前今月3レース目だろ。丈夫なわけじゃないんだ。やめとけ」

 

 「私のレース、見てくださっているんですね」

 

 「……」

 

 不愛想に思われがちな彼ですが、そんなことは無いことを、私は良く知っています。

 私のことを気にかけてくれていることも、理解しているつもりです。

 

 「次のレースに勝ったら、G1に出走できます。その際の勝負服の靴を、本日持ってきました」

 

 「次のレースお前が落としたら、俺のこの作業は無駄になる……と?」

 

 「そうなります」

 

 私がG1に出走するためには、ここからあと何戦か勝利をおさめなければなりません。

 今の所、私の計算によればそれは無理な話ではない。ですが、心に甘えを残さないために、私は今日この場所にきました。

 

 「ですが、私が今までこの誓いを立てて、あなたの作業が無駄になったことはありません」

 

 「……」

 

 「私の覚悟につながります。どうか、よろしくお願いします」

 

 深々と頭を下げる。

 私がウマ娘としてこの中央でデビューして以来……というよりも中央に来て以来、彼以外にこの作業を頼んだことはありません。

 

 「まったく……見せてみろ」

 

 「ありがとうございます。トレーナーさん」

 

 「……俺はもうトレーナーじゃない」

 

 紙袋を渡すと、彼がその中に入っていた勝負服の靴を取り出します。

 

 銀色に輝くその靴を受け取ると、彼はそれを忌々しそうに眺めました。

 

 

 「……あいつ……デザイン重視とか言いやがって……時間かかるぞ」

 

 「構いません。ここで、待っています」

 

 「……トレーニングはいいのか」

 

 「今日は、オフをもらっています」

 

 彼はゆっくりと立ち上がると、奥にある工具箱から鉄製のやすりのようなものを持ってきました。

 私の勝負服用の靴をひっくり返し、裏側の部分を丁寧に削ります。

 

 何分経ったでしょうか。

 私はこの作業を見ていて飽きることはないので、退屈もしません。

 彼が私のために作業をしてくれているのだと思うと、感謝しかありませんので。

 

 削る工程を終えたらしい彼が、今度はこの室内の熱さの原因でもある窯のような場所から、何かを持ってきました。

 

 既に熱せられていた……蹄鉄です。

 

 左手に持った大き目のペンチのようなもので蹄鉄を掴み、右手に持ったハンマーで蹄鉄を叩いています。

 また、この場所に入ってきたときに鳴っていた音と同じ、甲高い音がこの空間に響き渡ります。

 

 

 「蹄鉄、準備してくれていたんですね」

 

 「……そんなわけないだろ」

 

 「いえ。その蹄鉄にはトレーナーさんが入れてくださった文字が入っています。ということはそれは私用の蹄鉄に他なりません。それを窯で熱してあったということは、私がいつここに来て頼みにきてもいいようにしてくれていたということです」

 

 「……」

 

 思わず、笑みがこぼれてしまいました。

 ダメですね、こんなの私らしくありませんから。

 

 何度もハンマーで蹄鉄を叩き、その角度を微調整していきます。

 

 時に私の靴を眺め、あてがって。

 そうするともう一度ハンマーで叩きに行く。

 

 その繰り返しを、何度行ったでしょうか。

 この繰り返しが、私の足を支えてくれる大事なモノになっていくのです。

 

 一つの蹄鉄を私の靴にあてがった後、彼はゆっくりと水の入ったバケツに蹄鉄を沈めました。

 どうやら、右足の方は完成したようです。

 

 「……左足の方」

 

 「はい」

 

 差し出された右手に、私は左足の靴を渡します。

 無骨で、ところどころを小さな傷が埋め尽くしている、そんな手のひら。

 

 そんな手のひらに何故か私は……高揚感を覚えてしまうのです。

 

 態度とは裏腹に、そこに彼の温かさがあるような、そんな気がするからでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくして、彼が両足に蹄鉄を打ち込み終えてくれました。

 かなりの時間が経っていたようですが、私にしてみればそれほどでもありませんね。

 

 「ほら、そこ座れ」

 

 「はい」

 

 彼が等身大の鏡の前に置いてある、簡易的な椅子の前に私を促します。

 私はそこに座り、履いていたローファーを脱ぎました。

 

 「……右足」

 

 「はい」

 

 彼の指示通りに、私は右足を上げます。

 銀色に輝く私の勝負服靴を、彼が、私の足にそっと嵌める。

 

 いつもこの瞬間だけは、私から平常心を奪っていきます。

 大切な人に靴を用意してもらい、そして靴を履かせてもらう。

 

 いつも不愛想だと言われ、女らしくないと言われ、観客からも、カッコ良いとは言われたことがあるものの、可愛いとは言われたことのない私。

 別にそれ自体はなんとも思いません。正直、カノープスのメンバーでもマチカネタンホイザさんやナイスネイチャさんの方が可憐ですし、ターボは愛されています。だから私は、可愛いと言われなくてもいい。

 

 しかし、この瞬間だけは、少しばかり年頃の女の子として喜んでもいいのではないか、と私の中の邪な感情が暴れるのです。

 勝負服のデザインを担当した方には、ワガママを言って靴のデザインを銀製のモノにしてもらいました。

 もちろん目の前の彼には、そんなことは伝えていませんが。

 

 

 高鳴る胸を必死に抑えながら、私はこの一瞬にも永遠にも思える時間を過ごします。

 

 この時間があるから、私は頑張れる。

 絶対にこの靴を履くんだ、と覚悟を決められる。

 

 

 「……よし、立ってみ」

 

 「……」

 

 「おい、どうした、立ってみろ」

 

 「あ、はい、すみません」

 

 しまった。

 私としたことが、少し放心していたようです。いつの間にやら左足にも靴を履いており、立てる状態になっていました。

 

 ゆっくりと立ち上がり、その感触を確かめます。

 

 「底に違和感はないか」

 

 「ありません。いつも通りの走りができる、完璧な状態です」

 

 「結論にはまだ早い。次、そっち行きな」

 

 「はい」

 

 彼に促されたのは、少し奥まった場所にある人工芝の場所。

 私達が走るのは芝です。ここで違和感があっては、話になりません。

 

 私はその丁寧に手入れされた人工芝の上に立ち、軽く歩行します。

 そして、軽くその場でジョギングのような動作もしてみました。

 

 「どうだ」

 

 「全く問題ありません。いつものことながら、本当にありがとうございます」

 

 「よし。そしたらとっとと帰れよ」

 

 彼は不愛想にそう言い残すと、また最初に作業していた場所に戻っていきます。

 その背を追いかけて、私は彼に話しかけました。

 

 「もし私がG1に出走できたなら、見に来てくれませんか」

 

 「……なんでだ」

 

 「G1に出走したことこそあれ……私はG1でまだ結果を残せていません。しかし、あなたが関係者席にいてくだされば、結果を残せそうな気がするのです」

 

 自分でも言っていることが非論理的であることは百も承知です。

 しかし、彼が見に来てくれれば、彼に恥ずかしい所は見せられない、とまた覚悟が決まるのではないかと、そうも思うのです。

 

 「……んなこと言ってる暇があったら、トレーニングとストレッチしてな」

 

 「……そうですね」

 

 彼がまた、作業台の前に座りました。

 どうやら、最初に行っていた作業の続きをやるようです。

 

 私も、お暇しなければなりませんね。

 

 「ありがとうございました。また、来ます」

 

 そう言い残して、私は出口に向かって歩き出しました。

 これでまた覚悟が決まりました。明日からまたトレーニングに励めそうです。

 

 

 「まあ」

 

 「……?」

 

 声がしたので、振り返りました。

 彼は作業台に向かっていて、こちらを見てはいません。

 

 「気が向いたら、見に行ってやるよ」

 

 「……!……ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 カーン、カーン、カーン。

 

 またあの鉄を叩く甲高い音が響いています。

 

 その音を強く胸に刻んで、私は次のレースを絶対に勝つということを胸に誓いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□■□■□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2年前。

 

 私はあの日のことを決して忘れはしないでしょう。

 

 

 

 「そんな!どうにかならないんですか?!」

 

 「こちらも手を尽くしましたが……これ以上は……」

 

 足が痛い。生まれて初めて感じる悪夢のような痛みに、私はひたすら顔を歪めることしかできませんでした。

 

 屈腱炎。

 それが私の身に降りかかった、ウマ娘にとって命にかかわる病気。

 

 未だに確固とした治療法が確立されておらず、この病にかかったら最後、まずレースに出走することは諦めねばならない。

 それは、ウマ娘としてもう生きることができないということと同義です。

 

 私の母の悲壮に染まった表情が、とても印象的でした。

 

 来る日も来る日も、私は痛みに耐えていました。

 正直、もう私は助からないのかもしれないと思った日も、ありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「理事長!この娘はもうダメなんでしょうか……!」

 

 「静粛……。まだ諦めるでない。親である君までも諦めたら、その娘は助からないぞ」

 

 病院のベッドで体を横たえていた私を背に、トレセン学園の理事長と母が話しています。

 

 

 「……!いや、待て……()ならばあるいは……」

 

 「?!お願いします……お金なら払いますから……!」

 

 理事長が何かを思い出したかのように病室を出ていったことだけは、今でも記憶にあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日でした。

 彼が私の元に現れたのは。

 

 「……なんでもっと早く言ってくれなかったんですか」

 

 「謝罪。トレセン学園内の医者に見せる方が先だと思ってな……」

 

 大柄な男の人。

 私の彼に対する印象はそれが一番でした。

 

 彼は私の足に巻かれた包帯を取り外すと、私の足の状態を確認します。

 次に入ってきた医者ともなにやらやりとりをし、難しそうな表情を浮かべて私のことを見つめていました。

 

 もう死んでしまうかもしれない。

 そう思っていた私は、必死で声を絞り出します。

 

 「……たす……けて……ください」

 

 「……!」

 

 必死でした。

 この身がもう助からないに等しいことはわかっていましたが、それでも私はすがるしかなかった。

 

 

 「お母さん、この子を私に少し預けてはもらえませんか?」

 

 「……!」

 

 「懇願!私からもお願いする。彼の腕は私が保証しよう」

 

 

 その日から、私は彼の元で治療を行うことになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「この靴で、歩けるか?」

 

 「……はい」

 

 痛みをこらえて、私は何度も靴を履き替え、彼の手によるマッサージとストレッチを受け、日々を過ごしました。

 あれほどまでに痛みを訴えてきた私の足は、次第にいう事を聞くようになり、そして痛みも和らいでいきます。

 

 信じられませんでした。

 医者があれだけ諦めていた、痛みをとることができても、2度と走ることはできない、そのうち、歩くことも難しくなるといわれていたのに、むしろ私の足はどんどんと復調し、歩けるようになっていきます。

 

 2週間ほど経ったでしょうか。

 普段の痛みは嘘のように消え去り、そして歩いていても痛くありません。

 

 「来週……走ってみるか」

 

 「……!」

 

 信じられませんでした。

 結局彼は、絶望的にも思えた私の不治の病をわずか1ヶ月で完治にまで持っていったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 「天晴!!やはり君はトレセン学園に欠かせない存在だ!私から、礼を言わせてくれ!本当にありがとう!」

 

 「いえ。私は私にできることをしたまでですから」

 

 私の足が完治し、母は泣きながら彼に感謝していました。

 私も、彼に感謝してもしきれません。

 この身にどんな魔法がかけられたのかわからず、ただただ感動していました。

 

 

 「提案!君が、このイクノディクタスを、担当してはもらえないか?」

 

 「理事長、伝えたはずです。私はもうトレーナーはやらない、と」

 

 私が完治したのが微妙な時期なこともあり、今トレセン学園内で手が空いているトレーナーが少なく、理事長は彼に私の担当を任せたいと提案したようです。

 その提案は、私にとっても願ってもないことで。

 

 私は彼の前に立って、深々と頭を下げました。

 

 

 「どうか、お願いします。1年間だけでもいいです。私を担当してはもらえないでしょうか」

 

 「……!」

 

 図々しいのは百も承知です。

 しかし、私は彼に恩がある。

 

 トレーナーという職業は、基本的に担当ウマ娘が活躍すればするほど、給料も上がるし知名度も上がる、と聞いたことがあった私は、私が活躍することで彼に恩を返せるなら、という一心で願い出ていました。

 

 私がなかなか下げた頭を上げないのを見て、彼は困ったようです。

 雰囲気で、それが伝わってきました。

 

 「……1年間、リハビリしながらだぞ。絶対に無理はさせないからな」

 

 「……!ありがとう……ありがとうございます……!」

 

 

 とても嬉しかった。

 彼に、まだ見てもらえるという事実が、私の胸を高鳴らせました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、彼は1年間私のトレーナーとして面倒をみてくれました。

 優秀な成績も残せたのは良いのですが、結局彼の指導が上手かった所が大きな要因だったので、結局恩返しができたか、と言われると疑問が残ります。

 

 彼は、まだ見ぬ病に苦しむウマ娘達を救うため、またトレーナーをやめました。

 今はトレセン学園内に併設されている工房が、彼の住む場所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□■□■□

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……というのが私と彼の話ですが……面白い話ではなかったでしょう、ターボ」

 

 「す、すごーーー!!すごいじゃんその人!ターボ会いにいってもいいかな!!」

 

 「いやダメでしょ……」

 

 私から彼に対する想いはボカしつつ、ツインターボさんに彼のことを話しました。

 ここはチームカノープスの部室。

 

 彼の工房から戻った私はツインターボさんに突撃され、事情を話される流れとなりました。

 

 チームトレーナーが「と、トレーニングを……」と言ってた気もしますが、まあ、大丈夫でしょう。

 

 

 

 話したのは、難病から私を救ってくれたこと。

 1年間トレーナーとして面倒を見てくれたこと。

 

 今でも自分用の蹄鉄を作ってくれていること。

 

 マチカネタンホイザさんとナイスネイチャさんにも伝えてなかったことがあったので、いい機会でしたね。

 

 「すっごい人なんだね!今度私も頼んでみようかな~」

 

 「不愛想な方なので、許可してくださるかどうかはわかりませんが……タンホイザさんが望むなら、私から聞いてみましょう」

 

 タンホイザさんも興味を持ってくださったようで、なによりです。

 彼の知名度が上がるのは、私にとっても嬉しいことですからね。

 

 何故か心に少しだけ黒い気持ちが湧き上がったような気がしましたが、気のせいでしょう。

 

 

 と、なにやらネイチャさんが、先ほど私が置いた紙袋の中身である、勝負服の靴を、取り出そうとしていました。

 

 

 「ネイチャさん?どうしたのですか?」

 

 「いやーイクノのこの靴、良いよねえ……しかもこんな銀色の靴を履かせてもらうって……もうそれシンデレ」

 

 「違います。そんなつもりは1ミリもありません本当です。私は彼に蹄鉄を打ってもらったほうが足が安定するから作ってもらっているだけであって、そして会いに行くのも自分からお願いしないのは失礼にあたるだろうと思って直々に行っているだけであってそれ以上でも以下でもなく」

 

 

 「わかったわかったごめんてば!」

 

 ふう。ネイチャさんは一体何を言いだすのかと思えば……全く。

 

 すると、ネイチャさんが私の靴を裏返して、蹄鉄の嵌められている場所を凝視していました。

 

 

 「イクノ、これどういう意味なの?」

 

 「ああ、それはですね」

 

 

 蹄鉄に入っている、彼の入れてくれた文字。

 彼に治療してもらっている時、何度も言われた言葉。

 

 その言葉が、私のウマ娘としての人生を支えてくれています。

 

 

 「怪我をしないことが、何よりも大事、ということです」

 

 「へえ~」

 

 

 タンホイザさんもターボさんも、ネイチャさんの後ろから覗き込んでいます。

 

 私は、少しだけ微笑んで、その文字を見つめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『無事之名ウマ娘』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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タマモクロス、良い位置につけています 

 

 東京都府中市。

 トレセン学園から徒歩8分ほどの場所に、俺の店はある。

 

 「ん~!良い陽気だねえ……」

 

 店の前のシャッターをガラガラと開ければ、外からの眩しい日差しと気持ちの良い空気。

 時刻は朝の7時前。

 

 小鳥のさえずりすら聞こえてきそうなそんな最高に気持ちの良い朝。

 

 

 俺はこの商店街で、小さなお好み焼き屋を経営している。

 大通りに面しているわけでもないこの場所は、正直に言えばそこまで売上が立つわけでもない。

 どちらかといえばマイナスになってしまうぐらいだが、幸い俺は昔稼いだ貯蓄があり、この店の売上で生計を立てようと思っていないのでそこはあまり問題ではなかった。

 

 この地域の憩いの場になってくれればいい。それが俺の願い。

 

 

 「んじゃ、仕込みでも始めますかね……」

 

 この朝の時間は、店を開けているわけではない。

 たまに出勤前や通学前の人間がテイクアウト用に買っていくことがあるので、そのための開店だ。

 ま、そんな物好きはほとんどいないのだが。

 

 ハッキリ言ってしまえば、この時間のテイクアウトはほぼ1人のためにやっている。

 

 

 うちはお好み焼き屋だが、テイクアウトでたこ焼きを売っていて。

 たまたま、たこ焼き器が店にあったから始めたのだが、思いのほかこれが好評なのだ。

 

 テイクアウトのみならず、夜に営業している時も酒のつまみとしてよく注文されるほどに。

 

 材料を冷蔵庫から引っ張り出して、生地を作る。

 まあ()()が来なかったら夜の方に回せばいい。

 

 大きなあくびを一つして、俺は作業に取り掛かった。

 

 

 「お~~~い!にーちゃん!!来たでえ~!!」

 

 「んあ?」

 

 どこからか声がする。

 こんな朝早くからうちの店に来て、更に俺のことを「にーちゃん」などと呼ぶような人間を、俺は一人しか知らない。

 

 だからどうせ、今日もあいつだろう。

 どうやら今日はウチの小さなお客さんが来店したようだ。

 

 

 「どこだ~見えないなあ……」

 

 「ドアホ!失礼なやっちゃなあ~どう見てもここにおるやろ!」

 

 視線を少し下げれば、赤と青の特徴的なイヤーカフを付けた少女が、両手を腰に当ててこちらを睨んでいた。

 

 

 「おお~タマおはよ!今日もまた、たこ焼き買いにきてくれたんか~?」

 

 「あいっかわらず絡みがうざいねんな……せや!はよいつものヤツ頼むで」

 

 「まあまあちょっと待てよ。お前さんは本当に良い子だなあタマ~助かるよ~」

 

 「ああああ!!!頭を撫でるんやない!!ウチはもう高校生や!!」

 

 「またまた御冗談を……」

 

 「冗談なわけあるか!……ああもう、ええからはよせいや!!」

 

 存分にタマを撫でまわした後、俺は厨房へと引っ込む。

 そう、このウマ娘であるタマは、学園での授業の前に朝ごはん代わりにこのたこ焼きを買っていくのだ。

 ウマ娘が朝ごはんにたこ焼きってどうなん?と思わなくもないが、相当好きらしいので、そう言われてしまってはこちらが心配するようなことでもない。

 

 あ、ちなみに「にーちゃん」などと呼ばれているが、間違っても血は繋がっていない。

 「たこ焼き屋のにーちゃん」と呼ばれていたのだが最近はもう省略して「にーちゃん」と呼ばれるようになった。

 

 

 さて、じゃあ作りますかね。タマが始業時間に遅刻するようなことがあれば問題だしな。

 

 

 

 するとタマはよっこいせ、と可愛い掛け声と共に、店内のカウンター席に腰掛ける。

 ウチの店にはスポーツ新聞等をまとめて置いてある棚があるため、彼女はそこから持ってきたトゥインクルシリーズに関する新聞を開いて読み始めた。

 最近なんかあそこの棚の新聞が減っていることがあるんだよなあ……。

 

 持ち出しはしてほしくないのだが。

 

 タマの様子を見れば、もうその姿はトレセン学園の生徒というより、出勤前のサラリーマン。

 俺がサービスで出してあげたオレンジジュースがもしコーヒーであれば、もうそれはよくいるサラリーマンのそれ。

 

 

 「やっぱメジロマックイーン、ハンパやないな……長距離でウチが戦ってみたい思うウマ娘は、ホンマに久しぶりや……」

 

 「タマ~明太とおろしどっちが良い~?」

 

 「今日は明太の気分や~!」

 

 「はいよ~」

 

 もはやタマのために開けているといっても過言ではなくなってきたこの朝たこ焼き。

 8個分の材料を用意してしまっていたので、2個サービスしてやろう。

 友達にあげるといい。にーちゃんの優しさだ。

 

 調理も最終段階に入って、そろそろテイクアウト用の器に盛りつけようかというその時、タマがこちらを見ているのに気付く。

 

 やはり目を惹くのは、彼女の太ももくらいまであろうその長い銀髪。

 走るときに邪魔じゃないのかな、といらぬ心配をしつつ。

 

 「ウチな、今度また出走するんやけど……良かったら、見にきてくれてもええんやで」

 

 「おろ、そうなのか、近いんなら是非見に行きたいんだけどね~」

 

 タマがレースに出ているところは確かに見ておきたい。

 ただ、ウマ娘というのは忙しいもので、必ずしも近場でレースをやるとは限らない。

 そしてここから一番近いレース場はかなり大きく、出走できるウマ娘はなかなか限られる。

 

 途中のレースはその限りではないが、その日の最後かその一つ前に開催されるメインレースは、それこそ頂点を競い合うようなウマ娘達が、出走するのだ。

 

 「え~っとな、すぐそこでやるねん。ホンマに」

 

 「え!でもそこってめちゃ大きなレース場でしょ?……ひょっとして、タマってめちゃ速かったり?」

 

 「ああ~っとな!たまたまな!たまたま……運が良くてやな……その~まあ、そんな感じや」

 

 珍しく歯切れの悪いタマを不審に思いながらも、テイクアウト用たこ焼きが入ったビニール袋を押し付ける。

 

 「そかそか、ま、タマの晴れ舞台なら是非見に行きたいし、日程決まったら教えてね。あ、8個入れといたから、お友達とわけな」

 

 「お、おおきにな……ま、まあひとまずミッション達成やな……ほな、またな!」

 

 「はいよ~いってらっしゃい」

 

 ビニール袋を受け取ったタマはひょい、と軽やかに椅子を降りると、店の外へと駆け出していく。

 そんな元気なタマを見送って、またもう一つ俺は大きく伸びをする。

 

 

 じゃ、昼の準備しますかね~。

 

 表のシャッターを半分まで閉めて、さて、昼の営業のための仕込みだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウチの名前はタマモクロス。

 泣く子も黙る、言わずと知れた『白い稲妻』ちゅうんはウチのことや!

 

 せやけど……今ウチには一つ悩みがあってやな……。

 

 今もまさにその話を、クラスメイトのスーパークリークとオグリキャップとしてる最中や。

 

 

 「あかんどないしよ……ウチがバリバリG1走っとるウマ娘やってバレたら、やっぱまずいかもしれへん……」

 

 「え~、そうかな~」

 

 「クリークにはわからへんねん!あいつとはな、こんな感じでこれからも接していきたいんや。遠慮なんてされたら目も当てられん」

 

 「けど、レースは見てもらいたいんですよね?」

 

 「うぐっ……」

 

 

 クリークの言葉に、ぐうの音も出えへん。その通りや。

 ウチのレースは見てもらいたい。けど……きっとあいつはウチがそんな有名なウマ娘やとは思ってへん。

 もしレースを見に来て、ウチがこんなに有名なウマ娘やと知ったら……態度が変わってまうかもしれへん。

 

 それだけは、避けなあかんからな……。

 

 という事情を、最近クリークに話してはおるんやけど。

 この場におるもう一人は、といえば……。

 

 「タマ、もう無いのか?たこ焼き……」

 

 「オグリは食い意地張りすぎや!半分もやったんやから我慢せい!」

 

 「そうか……すごくおいしいな、このたこ焼き。……お腹すいたな……」

 

 この食欲お化けめ……こんなんがウチと芦毛頂上対決とか言われとるんやから、ウマ娘っちゅうんはわからん。

 まあ確かにこのオグリのウマ娘としての実力は、ウチも認めるところなんやけどな。

 

 そんなことは置いといて、や!

 

 「もう何回あの店の棚に入ってるウチの記事が書かれた新聞を回収したかわからん。よう来るトゥインクルシリーズ好きのおっちゃん達には口酸っぱく忠告しといたし……その努力が、レースを見に来てくれたら無になってしまうかもしれへんねんで?」

 

 「そうねえ~……けどタマちゃんの話聞く限り、その人はきっとタマちゃんがすごいウマ娘だ、って知っても、今まで通り接してくれるんじゃないかしら~」

 

 「……タマちゃん言うな」

 

 窓の外の方に向く。

 今日は快晴やな。

 

 はあ~……。そんなアホみたいに良い天気とは裏腹に、ウチの胸中はぐちゃぐちゃや。

 

 たこ焼き屋のあいつと仲良うなってから半年。

 今でこそ遠慮なく接してくれとるが……。

 

 もしウチが名の知れたウマ娘やって知ったら、あいつは一体どんな顔をするんやろか。

 

 喜んでくれるやろか。

 今まで通りこうして、たこ焼き作ってくれるんやろか。

 

 

 「タマちゃん。でもそれでその一歩を踏み出さなかったら……ずっとレースを見てもらえませんよ?」

 

 「……せやな~そんなんはわかってんねん」

 

 ああ~!!もやもやするわ!

 頭をぐしゃぐしゃとかき乱して、机に突っ伏す。

 

 どないすればええんやウチは……。

 こんなん授業のどんなテストよりむずいやんけ……。

 

 「ああ~!ウチの速さがこんなところで裏目に出るとは~!!!」

 

 まだ何も決まったわけやない。

 

 優しすぎるあいつのことや。ウチのことを知ったとしても、そんな劇的に態度が変わるとは思えへん。

 

 

 けど、あいつと接するときだけは、今までと何も変わらない、一般ウマ娘のタマのままでいたいと思う自分もいる。

 高校生ということすらも冗談だと思われている今が居心地が良いなんて……初めてや。

 

 すると、変わらず机に突っ伏すウチの肩に、感触。

 

 振り返れば、きょとんとした表情でウチを見るオグリ。

 

 「……どないした」

 

 「タマ。大丈夫だよ」

 

 「……何がや」

 

 「タマと私が、同じレースに出れば、タマ目立たないから」

 

 「シバき倒したろか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も1日が終わり、夜の商店街は、学校や仕事帰りの人間でごった返す。

 

 一般サラリーマンの俺は、いつもの小さなお好み焼き屋で一日の疲れを癒すべく、歩を進めていた。

 珍しく今日は残業が無く、20時にここに着くことができた。

 素晴らしい。

 

 嫌なことばかりのサラリーマン人生。

 ささやかな1日の楽しみは、行きつけの居酒屋で酒を飲みながら、同士たちと楽しく話すこと。

 

 特にトゥインクルシリーズ好きのメンバーが集まるこの場所は、俺にとってお気に入りの場所だった。俺もトゥインクルシリーズ大好きだからな。

 

 大通りから一つ曲がって、更に路地を少し歩けば、見慣れた看板が顔を出す。 

 『営業中』の立て札がかかった引き戸タイプの扉を開ければ、いつもの良い香り。

 

 まだ若いであろう店主が、厨房から顔を覗かせた。

 

 「いらっしゃい!おお!まるさん!今日は早いね!」

 

 「残業なんかやってらんね~よ!生一つおねがい!」

 

 「あいよ~!」

 

 俺はジャケットを脱いで後ろのハンガーに引っ掛けると、ネクタイを緩める。

 どうやら今日は俺が一番乗りのようだ。

 どうせそのうち見知った連中が来るだろう。

 

 「あいよ~生一丁。とりあえずお通しの枝豆ね」

 

 「サンキュー」

 

 ジョッキに入ったビールを、一口呷る。

 かあ~っ!これが良いんだよなこれが!

 

 少し店長の彼と談笑をしていると、引き戸の開く音。

 見れば俺も見知った眼鏡をかけた人間が、片手を挙げて入ってきた。

 

 「先生!2日ぶりですね、いらっしゃい!」

 

 「いや~疲れたよ~、お、まる今日は早いね」

 

 「残業なんかやってらんないですよ!」

 

 やいのやいの。

 遅れてやってきた先生……と呼ばれている彼と、乾杯して酌み交わす。

 先生と呼ばれているが、別に学校の先生ではない。

 ただ俺たちがそう呼んでいるだけだ。

 俺が皆から呼ばれている「まる」というのも、俺の名前からは関係ないし。

 

 だいたいいつものメンバーが10人前後いて、約束をするわけでもなく集まる。

 俺はそんなこの場所が好きだった。

 

 「まる、来週レース場いくか?来週のG1熱いぞ~!」

 

 「あ~!それ俺も迷ってたんですよね……!ちなみに先生の本命ウマ娘は?」

 

 「いや~!それが俺も迷ってんだよね~!」

 

 そして必ず話題に上るのが、トゥインクルシリーズの話。最新のレース情報から、一着予想まで。

 集まったメンバーで予想し合うこの瞬間が、大好きだった。

 

 「店長も行こうよ東京レース場!楽しいよ~!」

 

 「何回か行ったことあるんですけどね~!こっち来てこの店始めてからは全然なんですよ~」

 

 たまに店長を交えながら。

 気が良い店長は、俺らのためにトゥインクルシリーズの新聞を用意してくれていたり、テレビでは過去のトゥインクルシリーズの映像を流してくれたりする。

 それを話のタネにしながら、俺らはこうして飲むのだ。

 

 そんなこんなで話が弾んできた頃、また引き戸の開く音がする。

 

 次は、どのメンバーがきたのか……はたまた新規のお客さんがきたのか……確認すべく入口の方へ目をやれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「お~い!!兄ちゃん!来たで~!」

 

 

 「「?!?!」」

 

 そこには、ウマ娘が立っていた。

 美しすぎる芦毛。派手で目に入ってきやすい、青と赤のイヤーカフ。

 

 特徴的な、小さな体躯。

 

 

 

 え?……お、え???

 

 

 

 

 「タマ!夜は来ちゃダメだって言ったろ~。夜はウチお酒出してるんだから!」

 

 「いやーすまんすまん。堪忍や。どーしてもウチの友達がにーちゃんのたこ焼き食いたいって聞かんくてな……テイクアウトで作ってくれんか……?」

 

 「それはいいけど……すみませんお二方!全然話してもらってていいんで!」

 

 ……。

 

 いやいやいやいやいや。

 

 なにその自然な対応。

 

 え、今店長『タマ』って呼んでませんでした?

 なにその親密な感じ。

 

 え?あの娘、『白い稲妻』の異名を持つタマモクロスだよね??

 脅威の天皇賞春秋連覇を成し遂げた、タマモクロスさんですよね???

 

 え?なんかあり得ないこと起っちゃってない?

 え、俺の目おかしくなっちゃった?

 

 慌てて隣の先生を見てみると、先生はおしぼりで必死に眼鏡を拭いている。

 ダメだ、混乱してやがる……!

 

 

 恐る恐る視線を元に戻す。

 

 

 厨房でたこ焼きを作る店長をるんるんの笑顔で見つめる彼女は、レース場で見せるあのオーラはどこにもない。

 一見、ただの可愛いウマ娘だ。

 

 が、トゥインクルシリーズ好きを自称する俺たちが見間違えるはずもない。

 あの娘は間違いなく歴史にその名を刻んだ名ウマ娘。

 

 ど、どういうことだってばよ……!

 

 

 「あ、あの……」

 

 「?!」

 

 先生!行くのか?!声かけちゃうのか?!

 この異常な状態に、声かけちゃうのか?!

 

 先生の声に反応したのか、タマモクロスがこちらを向く。

 正面から見て確信した。やはりタマモクロスだ。間違いない。

 

 「タマモクロスさん……ですよね?」

 

 「……ちゃう。ウチはただのウマ娘“タマ”や」

 

 いやいやいやいやいや!無理がありますよタマモクロスさん! 

 あなた関西弁なの知ってますし!!

 

 と、思っていると、タマモクロスは徐々に俺たちに近づいてくる。

 え、なに怖い。

 すごい怖い。

 

 これがレース中にタマモクロスにぴったりと着かれたウマ娘達の心境なのか……とどうでも良いことを思いつつ、俺と先生は思わず後ずさる。

 

 

 「ジブンら、常連か?」

 

 「あ、ああ。そうだな」

 

 「よし。……ええか?ウチはただの“タマ”や。絶対に、にーちゃんにウチのこと話すんやないで。この店で“タマモクロス”の話題は厳禁や。他のメンバーにも、そう伝えるんや」

 

 「「は、はい」」

 

 有無を言わせぬ威圧感。

 それに屈して俺と先生がうなずいたのを見て、彼女はニコリと笑顔を見せる。

 

 「ま、おおきにな。素直にウチのこと知ってくれてるんは嬉しいわ。これからも、応援よろしゅうな」

 

 「……!」

 

 ニッ、と歯を見せて笑うタマモクロスさん。

 間違いない。ウイニングライブで見せる笑顔と、なにも変わらない笑顔だ。

 

 分かってはいたものの、やっぱり本物だったと確信したうえで、俺は一つ疑問が残った。

 

 聞いて良いのか微妙なところだが……。

 こんな機会もう無いかもしれないし……!

 

 勇気だせ、俺!

 

 

 「あ、あの……なんで、店長に言わないんです?」

 

 タマモクロスほどのウマ娘なら、正体を知ればきっと店長も驚くだろう。

 そして彼女が正体を明かしてくれれば、きっと店長と一緒にレースを見に行って、俺たちがタマモクロスさんの魅力を1から100まで教えるのもやぶさかではない。

 

 なのに、何故。

 

 するとタマモクロスは、それはやな……とうつむきがちに手と手を合わせて言いにくそうにしながら。

 

 

 「にーちゃんと、このままの関係でいたいんや。……せやから……ウチはいちウマ娘でええ」

 

 「「……!」」

 

 

 

 

 「タマ!できたぞ!たくさん作っておいたからこれならお友達も満足してくれるだろ」

 

 「お~おおきにな!にーちゃん!」

 

 

 タマモクロスは店長からビニール袋を受け取ると、軽やかな足取りで出口へと向かう。

 くるりと振り返って店長に挨拶するタマモクロス。

 その表情はとても明るい。

 そして最後に外に出ようかというそのタイミングで、彼女は俺たちの方を見た。

 

 

 「……頼むで?」

 

 「「……!」」

 

 頷いた俺たちを見て満足そうに笑顔になると、今度こそ彼女は店を出ていった。

 

 嵐のような時間だった。

 なるほど、これが白い稲妻……。

 

 

 

 「すいませんね、お二方……あいつ、夜は来るなよって言っておいたのに……って、2人とも、どうしました?」

 

 

 今、俺と先生の気持ちは一つになった。

 

 俺と先生はビールの入ったジョッキを置き、店長に真正面から向き合う。

 

 

 「大事にするんだぞ」

 

 「え……?」

 

 「大事にしろよなあああああああ!!!!!ああああああ!!!!」

 

 

 「ええ?!どうしたんですか?!急にどういうことですか?!」

 

 

 

 混乱する店長をよそに、俺は涙を流す。

 

 

 俺と先生は心に決めた。

 

 全力でタマモクロスのことを応援しよう、と。

 

 この場所では、タマモクロスの話題は極力出さないようにしよう、と。

 

 

 

 そして、タマモクロスの出るレースは、全部応援しよう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




たまもくろしゅとたこ焼き食べたい。


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不屈の王者とエリート崩れ Ⅰ

 

 

 

 

 

 

 

 

 出会いは、鮮烈だった。

 

 

 

 『おーっほっほっほ!!あなたに、この私キングヘイローの担当をする権利を差し上げますわ!』

 

 

 

 

 

 速く、強く、気高く。そして……泥臭かった。

 

 

 

 『誰になんと言われようと、認めさせる義務があるの。世間にも……あの人にも』

 

 

 

 何度レースに敗れることがあっても、諦めることはない、不屈の塊。彼女の奥底に眠る意志は、観る者を魅了する華があった。

 

 

 

 

 

 『ふふっ。バカね。そんなことを心配する余裕があるのなら、ダービーを獲った後にやるキングコールの練習でもなさいな』

 

 

 

 時折見せる優しい表情は、まさに“王者”に相応しい。

 

 

 無論、完璧ではない。不完全だからこそ人はそこに光を見出すのかもしれない。

 

 そして俺はそんな光に一番に魅入られた男の一人で……。

 

 

 

 

 

 

 『どうしてッ?!答えなさい!!トレーナー!!嫌よ!絶対に嫌!!!あのダービーはあなたのせいなんかじゃない!言ったじゃない!!約束したじゃない!!あなたが私を……G1ウマ娘にしてくれるって!!!!』

 

 

 

 

 

 

 その光を、導くことができなかった醜いトレーナーだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『不屈の王者とエリート崩れ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がトレーナーっていう職業になることは、俺が生まれた時からきっと決まっていた既定路線だった。

 父親は数々のウマ娘を輝かせた名トレーナーで、いつの間にやら俺はトレーナー養成学校に入れられていて。

 周囲からは嫉妬と期待の入り混じった目……。どうせコネだろ、とか、試験突破しなくてもトレーナーになれるんじゃないの、とか。

 

 

 もうその手の言葉を投げつけられるのは慣れていたからどうとも思わなかった。

 

 座学の成績は同期と比べてもかなり良かったと思う。稀代の天才というわけにはいかないが。

 それに付け加えて、やはり父親の名前も一役買って、俺は中央のトレーナーになることができた。

 親の七光りと言われたくない一心で、勉強に打ち込んだし、そんじょそこらのトレーナーには負けないぞ、とも思っている。

 

 そしてトレーナーは座学以上に、その人間性が重要視される。

 強いウマ娘が、必ずしも強い心を持っているとは限らない。それこそかの有名な三冠ウマ娘、シンボリルドルフのような存在は数少ないのだ。

 

 様々な側面を持つウマ娘達を的確に導き、成功させる。レース知識はもちろんだが、人間性をおろそかにするような者にはトレーナーたる資格はない。父親から口酸っぱく言われていたこと。

 

 今日の天気は晴れ。

 新学期を迎えたトレセン学園は、新しく入学してきたウマ娘達と、俺のように新任のトレーナーがちらほら見受けられる。

 

 「良い天気だなあ……」

 

 それにしても、新しい環境に飛び込んでくる者を歓迎するかのような晴天だ。

 きっとこれなら多くの人が無駄に汗をかくこともなく、良いコンディションで新生活を始められるだろう。

 

 と、思っていた矢先。

 

 俺が歩いている後方……正門の方から大きな声が聞こえてきた。

 

 「ちょっとウララさん?!あなたがいつまでも起きないからギリギリになってしまったじゃない!ほら!シャキッとして!」

 

 「キングちゃん……おんぶ……」

 

 「できるわけないじゃない!もう!初日からなんてことなの……!」

 

 どうやらウマ娘の2人組が、遅刻ギリギリで登校してきたようだ。

 まだ時間には若干余裕がありそうにみえるが……。まあ初日からギリギリで登校するのは嫌だよな。

 

 何の気無しに振り返ってみると……俺の横を、ものすごい勢いで通り過ぎていく姿。

 

 鹿毛のウマ娘が、ピンクの髪をしたウマ娘を背負って、走り去っていく所だった。

 

 

 「わ~キングちゃんはや~い」

 

 「もう初日から散々ですわ……!も~~!!!」

 

 ……無駄に汗をかいているウマ娘を見てしまった……。

 しかし小柄な子とはいえウマ娘を背負ってあれだけの速度を出せるのか……。

 

 それになんというか……歯を食いしばって走っていく横顔が、なんとも映える娘だった。

 

 (新入生かな……もし時間があればチェックしておこう)

 

 彼女にとっては不運だったと思うが、俺にとっては良い出会いだった。

 模擬レースを見る前から、一人注目したいウマ娘ができたのだから。

 

 さて、俺も自分の務めを果たさないとな。

 

 「え~っと……理事長室はっと……」

 

 派手過ぎない程度に選んできたジャケットのポケットからパンフレットを取り出し、俺は今から行くべき場所を探す。

 

 今日は新任のトレーナーが一人ずつ理事長室に呼ばれる運びとなっている。もう中央に就職が決まったタイミングで理事長とはお会いしているし、事務員のたづなさんとも顔は合わせてある。

 変わった人だったが、理事長が変な人というのはとても噂になっていたし……第一テレビで見ていたら嫌でも印象に残る。

 

 俺はしばらく学園の中を歩いていった。

 

 5分ほど歩いて、『理事長室』という立て札のかかった大き目な扉の前にたどり着く。

 

 

 「ここか」

 

 ウマ娘達に「あの人も新任トレーナーかな……?」という奇異の目を向けられながら歩くトレセン学園内はなかなかにむず痒いものがあったが、そうも言ってられない。なるべく声をかけられないように足早に施設内を歩いた結果、予定の時間よりも10分ほど早くついてしまった。

 

 「中から声はしないし……ノックしてみるか」

 

 コンコン、と軽く手の甲で扉をたたく。すると。

 

 「返答!名を申せ!」

 

 「ほ、本日面談にまいりました、新任トレーナーの福田です!」

 

 「許可!入室せよ!」

 

 「はい!」

 

 相変わらず不思議な会話をする人だな……と思いながらも、扉を開く。

 そこには理事長の席に座る秋川理事長。身体は小さいが、そのオーラは思わずこちらが息を吞んでしまうほどだ。

 

 「大義!少々時間は早いが、面談を行うとしよう!」

 

 「はい!よろしくお願いします!」

 

 『大義』と大きく書かれた扇子を広げて、秋川理事長が朗らかに笑う。……いやその扇子マジで中身どうなってるんだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……なので、私はこのトレセン学園で、ダービーウマ娘を必ず育て上げたい。それでこそ、父さんの期待に応えることができる。と、そう考えています」

 

 「賞賛!君のその志は素晴らしい!その気概、是非ともウマ娘達に伝え、そして導いて欲しい!期待しているぞ!」

 

 面接は滞りなく進んだ。

 簡単な理念の確認や、目標を聞かれるだけであったし、そう難しい受け答えではなかった。しかし理事長には俺の目標……ことダービーにかける想いを気に入ってもらえたようで、先ほどからニコニコと笑顔を向けてくれている。

 実際、俺はこと『ダービー』にかける想いが強い。

 

 全トレーナーの夢であることは間違いないが、俺にはそれとは別に大きな理由があった。

 

 俺の父さんはめちゃくちゃ優秀なトレーナーだった。

 今はもう第一線からは退いているものの、今の超有名トレーナー達の中にも、父のことを賞賛する人は多い。

 

 曰く、そこまで才能があるとは思われていなかったウマ娘も、父が担当すれば瞬く間にG1ウマ娘になる。

 曰く、トレーニング方法を次から次へと編み出し、より効率的なトレーニング方法を開拓した。

 曰く、そのウマ娘にあったレースを的確に用意し、最大限成長できるプランニング力がある。

 

 俺も実際、父さんから多くのことを教わった。

 幼少の頃からたくさんのウマ娘の話を聞き、レースの話を聞き、育った。

 トレーナー養成学校に通い始めたころにはもう一人暮らしをしたことから、それ以降はほぼ会っていないが、今でもその大きな背中を忘れたことは無い。

 

 そして同時に、少しだけ憎みもした。

 トレーナーとしての知識を増やせば増やすほどわかってくるのは、どれだけ父が優秀だったかということ。

 そしてその優秀な父の息子として、必ず比較された。

 

 最初は嫌だった。

 

 けど、いつしかそれらの感情は俺の原動力にもなっていて。

 

 

 そしてそんな俺に湧き上がった一つの想い。それは『父さんを超える』こと。

 

 父さんは偉業を数々打ち立てた人であったが、ただ一つ、「日本ダービー」を獲るウマ娘を育てることができなかった。

 

 (俺がダービーウマ娘を育てることができれば……あの父さんを超えられる……!俺はエリートの元に生まれた出来損ないのお坊ちゃまじゃない……!)

 

 だから俺は、ダービーに関する知識をより多く欲した。未来のダービーウマ娘を育てるために。それだけが、俺が俺であることの存在証明になるから。

 

 握りしめた拳に力が入る。

 

 

 そんな時。

 

 「むっ!」

 

 コンコン、と、理事長室のドアがノックされる。

 

 「返答!今は新任トレーナーの面談中であるが!」

 

 普通なら時間を改めるだろう。

 

 しかし急用ということもある。時期も時期だ。

 場合によっては俺が時間を改めなければいけないな、と思いつつ。

 

 

 「すみません。理事長。福田です」

 

 外から聞こえてきた声音に、俺の心臓が跳ねる。

 この声、間違いない。

 

 「……ふうむ……、疑問。今訪ねてくるということは急用か?」

 

 「はい。滝を連れてきました。急用です」

 

 滝?!嘘だろ……?

 俺の心臓が早鐘を打つ。

 

 今理事長とやりとりをしているのは間違いなく父さんだ。

 今父さんはトレセン学園で外部とのやり取りで、理事長を補佐する立場にある。

 そしてその父さんが連れてきたと言ったのが……。

 

 

 「理事長、失礼します」

 

 現役ナンバーワントレーナー、滝(ゆずる)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (え、ちょ、ヤバイって。滝さんリアルで見るとクソイケメンやんヤバ)

 

 あまり衝撃にとりあえず席を高速で立ち上がり、端に寄る。

 間違っても俺はこの場にいていい人間ではないし、割と早く帰りたかった。

 

 

 「智一(としかず)。元気そうじゃないか」

 

 「父さん……お久しぶりです」

 

 父さんに声をかけられて、俺は頭を下げる。別に家庭の時はここまでかしこまってはいないが、場所が場所だ。

 

 

 「え!この人がじゃあ茂一さんの息子さんですか!お父さんよりカッコ良いじゃないですか~」

 

 「やめろ滝。あとそれは父親譲りと言え……」

 

 「はーい。とにかくよろしくね、智一くん!これからは同僚なわけだし!」

 

 「あ、はい、よ、よろしくお願いします……」

 

 何が起こっているんだ?

 俺を除いたメンツでウマ娘界のレジェンド達が大集合している。

 ってか滝さんインタビューとかで見るよりもだいぶ軽い感じで困惑している。

 普段はこんなキャラなのか……?

 

 とにかく早く帰りてえ……。

 

 「友情!仲の良いことは良いこと!これからも切磋琢磨し、この学園を支えてほしい!」

 

 豪快に笑い飛ばす理事長。いやいや……新任トレーナーがいていい場所じゃなくなってきてるんですがそれは……。

 

 「して茂一よ!なにようだ!」

 

 「今年入学のウマ娘の話です。今年は類を見ないほど才能のあるウマ娘達が集っていますが……そのウマ娘達の中で一人、訳アリな娘がいまして……」

 

 「ほう?」

 

 やはり内部事情だ。

 俺が聞いて良い内容なのかわからず、「外した方がよろしいでしょうか?」と聞いたところ理事長にも父さんにも「いて良い」と言われてしまった。ええ……。

 

 「キングヘイローです」

 

 「……」

 

 「彼女は当初、滝が担当をする予定でしたが、キングヘイローの母であるシーユー様から、あの子は滝が担当するようなウマ娘ではない、とはっきり断られてしまい……今年、かなり有望なウマ娘が多いですし、滝にはもう3人の有力なウマ娘から担当してほしいという申請も来ています。これ以上滝に抱え込ませるのはまずいかと……」

 

 「僕は大丈夫ですが、そこまでハッキリお断りされてしまった、となると本人的にもやりづらいでしょうし」

 

 「適当に何戦か走って自分の実力が分かれば帰ってくるはずだから、そんな優秀なトレーナーはつけないでくれ……と」

 

 「熟考……あまり気持ちの良い話ではないな」

 

 ……どういうことだ?

 滝さんにトレーナーになってもらえるというのは、相当名誉あること。

 数々の名ウマ娘をここまで担当し、生み出してきた滝さんは、今同時に5人ほどのウマ娘を担当している。

 普通のトレーナーは1人が精いっぱい。それを複数人こなせてしまう滝さんが異常なのだ。

 

 それを断った……?そもそも何故じゃあ滝さんにトレーナーの打診が来る?

 滝さんにトレーナー申請ができるなんていうのは、よほど模擬レースで目立つか、コネとかが無いと……。

 

 と、そこまで思考がいって、気付いた。

 さっき父さんが言っていた名前、シーユー。

 

 「しかしシーユーヘイロー様のメーカーの勝負服は、我がトレセン学園とも深い親交があります。あまり無下にはできないかと……」

 

 そうだ。ウマ娘を煌びやかに彩る勝負服。

 G1レースの際にだけ着ることを許される、彼女たちの華やかさをより一層際立たせるための服。

 

 その一大ブランドの社長が、確か……シーユーヘイロー。

 

 「彼女に才能は無い、とはっきり仰っていました。だからはやく自分のところに戻したい、と。しかしおそらく、キングヘイローはそれを押し切ってこのトレセン学園にやってきています。当初はその血統からも、滝が担当した方が良いと思っておりましたが……」

 

 なるほど、話が読めてきた。

 キングヘイローというウマ娘は、伝統の家柄であるけれども、その反対を押し切ってトレセン学園に入学した。

 学園側は良いところのお嬢様ということもあり、現役最強のトレーナーである滝さんを担当にしようとしたものの、それをキングヘイローの母親が却下。良い成績を残したトレーナーはつけないで欲しいと。

 どうせ1年かそこらで帰ってくるのだから、優秀なトレーナーは付ける必要がない、と。

 

 「じゃあ、どうでしょう、吉田あたりなら……」

 

 「吉田さんはシービーの担当ですよ?!めちゃくちゃ優秀なトレーナーってバレちゃいますよ」

 

 「疑問。つまりトレーナーとして成績は優秀でないほうが良い、しかし、彼女の才能を殺すのはもったいない。だからなるべく良いトレーナーをつけてあげたい。そういうことか、茂一」

 

 「はい。難しい話であるとは思いますが……」

 

 そんな虫のいい話はないだろう。

 優秀なトレーナーは優秀な成績を収めている。相手側に優秀なトレーナーであるということをバレずに、なるべく優秀なトレーナーをつけたい、などというのは、土台矛盾している。

 

 しかし、何故か俺の胸には、ほのかに熱い想いが沸いてきていた。

 

 (キングヘイロー……お前も、『血統』に悩んでいるんだな……)

 

 あまり他人事のようには思えなかった。自分は走りたいと望むものの、その道を母親から閉ざされようとしている。

 俺はむしろ逆で、父親に導かれるようにトレーナーになったが、周りが見ている父さんの幻影に、俺も怯えているのだ。

 

 少しだけ、キングヘイローというウマ娘を見てみたい、という気持ちが湧いてくる。

 流石に新任トレーナーである俺が、そんな良いところのお嬢様を担当できるとは思えないが、境遇が他人事には思えない。

 どんな性格なのかもまだわからないが、力になってやりたい。

 

 例え、担当することはなくても、陰ながら応援させてもらおう。

 

 そんなふうに、俺は思っていた。

 

 しかし。

 

 

 

 

 ふと、気付くと、滝さんが俺の顔を覗き込んでいて。

 

 何故かにこやかに笑っている。

 

 え?どういう状況?

 

 

 さっきっからキングヘイローのことを考えていたからか、レジェンド達がどんな話をしているのか聞いていなかったが……。

 

 

 

 「智一くんに、任せるのはどうですか?キングヘイロー」

 

 ……は?

 

 

 「滝、お前何を言って」

 

 「いや、智一くんは新任トレーナーだから、これまでの成績は無い。けど、茂一さんの息子だし、僕も見ましたけど、座学やトレーナー診断の結果も非常に優秀です。任せてみても、いいんじゃないですか?」

 

 話が入ってこない。

 どうしてその話から俺が候補に挙がる?!

 

 反対をしようとして口を開くが、何を言えばいいのかわからず、俺はその場で硬直してしまう。

 すると満面の笑みで理事長が、どこから出したのかもわからない扇子を引っ張り出した。

 

 嘘やろ……?なんとなく俺は、理事長が今まさに開かんとしている扇子にどんな2文字が書いてあるかがなんとなくわかってしまう。

 

 そして、その2文字に、心を躍らせている自分もいて。

 

 

 

 

 「決定ッ!!!キングヘイローの担当は、福田智一に一任する!」

 

 

 

 

 

 こうして、ある意味願ってもない形で俺の担当ウマ娘は決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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不屈の王者とエリート崩れ Ⅱ

 

 

 

 

 

 一週間後、トレセン学園内レース場。

 春の暖かな日差しを受けて、レース場の芝も元気にその緑を輝かせている。

 

 「う~~んっ!良い日差しだ!ババ状態も良い……っと」

 

 今日俺は、模擬レースを見に来ていた。

 入学してから一週間、彼女たちは座学と、施設や仕組みの案内をされる。

 トレーニングは個々で行ってもらい、一週間後の模擬レースから、担当が決まっていくのだ。

 

 俺……というか新任のトレーナーはほぼ全員がこの場に集まっている。

 ひょんなことからキングヘイローというウマ娘を担当することをお願いされたが、彼女とのソリが合わなかったら意味が無い。

 とりあえず、その場は保留で、とにかくキングヘイローというウマ娘を知ることが先決である、と俺は判断した。

 

 「しかし面白いこともあるもんだな」

 

 俺は手にした新人トレーナー用のパンフレットを開く。

 そこには今年入ってきたウマ娘達の情報が載っていて、そこにはもちろん、キングヘイローも載っていた。

 

 そしてその顔写真を見て……俺は驚いた。

 初日、一人のウマ娘を背負って俺の横を走り去っていったあのウマ娘……あれがキングヘイローだったのだ。

 

 ただの偶然ではあるのだが……俺の胸は、自然と高鳴っていた。

 

 

 「さてさて……どうなることやら……」

 

 レース場近くの簡易的な観客席のような場所を、俺は歩いている。

 前方にはなんとかして自分の担当するウマ娘を決めようとするトレーナー達。

 新任だけでなく、今年で任期を終えて新しいウマ娘を担当するトレーナーも沢山いた。

 

 「セイウンスカイ、エルコンドルパサー、グラスワンダー、スペシャルウィーク……とんでもない豊作の世代になりそうだな」

 

 「お前誰狙いなんだよ。先に言えよ」

 

 「俺はセイウンスカイに行くぞ……あれは次代のトリックスターだ」

 

 「エルコンドルパサーだろ!」

 

 豊作の代……運が良いのか悪いのか、俺が新任として入ったこの年は、どうやら期待されるウマ娘が多く入って来たらしい。

 しかし残念ながら、その中にキングヘイローの名前はない。

 

 「血統は優秀、しかし、性格に難アリ……ね」

 

 トレーナー達全員に渡されているパンフレットを開きながら、俺の目当て……キングヘイローのページを開く。

 やはり他の娘達よりは後の方で、注目度もそこそこだった。

 

 「母親の反対を押し切って、トレセン学園に入学……か」

 

 すごいな、と改めて思う。

 もし俺が仮に、父さんから「トレーナーになるな」と言われたら、なんとなくそういうもんかと思って、普通の生活を送っていたかもしれない。もちろんウマ娘が走る姿に憧れはあったし、父さんがたくさんのウマ娘達から尊敬されている所を見て、カッコ良いと思ったこともある。

 しかし、父親に反対されるのを押し切ってまで、俺はトレーナー養成学校に行けただろうか。

 

 ……きっと無理だっただろう。それだけで、意志の強さを感じることができる。

 

 

 「お!模擬レースが始まるぞ!」

 

 どうやら、模擬レースが始まったようだ。

 俺は最前列ではなく、後ろの方で眺めている。

 ウマ娘の走りを見るのは、必ずしも近い方が良いわけではない。手元のストップウォッチを押して、進んでいくレースと、それぞれのウマ娘のタイムをチェックしていく。

 

 一番注目度が高いメンバーは、後の方のレースだ。

 もうあと何レースか先に、キングヘイローのレースが待っている。

 

 「……それにしても、キングヘイローはどこだ……?キング……キング……あれだけのオーラと、風格があるんだから目立つはずだけどな……」

 

 もうそろそろアップを開始してても良いはずなのだが、キングヘイローの姿が無い。

 アップの姿で状態も確認しておきたいため、早めに見つけたい。写真で顔はしっかりと覚えたので、わかるはず。

 

 初日にも感じた。彼女の姿にはオーラがある。

 話を聞いた時から自分と似た何かを感じていたのだ。もしかしたらそのせいかもしれないが。

 

 

 双眼鏡を取り出して、俺はキングヘイローの姿を探した。

 

 

 「キング……キング……キング……」

 

 彼女の名前を呟きながら、俺はその姿を探す。

 

 

 

 

 と、双眼鏡に、巨大な顔がさかさまに映りこんできた。

 

 

 

 「うおっ?!」

 

 思わず、双眼鏡から目を離し、その人物と相対する。

 

 俺は、息を呑んだ。誇らしげに腕を組み、不敵に笑うその姿。

 

 ウェーブがかかった艶やかな茶髪に、高貴な雰囲気を醸し出す蒼色のイヤーカフ。

 

 そして何よりも、意志の籠った、燃えるような真紅の瞳。

 

 

 

 

 

 

 「この私を探すとは殊勝な心掛けね!あなたが私の運命のトレーナーなのね!」

 

 「キング……ヘイロー……!」

 

 「おーっほっほっほ!!あなたに、この私キングヘイローの担当をする権利を差し上げますわ!」

 

 

 

 

 豪快に笑って見せるヘイロー。

 いや豪快すぎるでしょこの娘……!

 

 ってかそんな簡単に担当決めちゃって大丈夫かキングヘイローよ……。

 

 

 「キ、キング、君のレースはそろそろじゃないの?アップしなくて大丈夫?」

 

 「このキングにアップなど必要ないわ!そんなことよりもこのトレーナーの方々に私の自己紹介をしっかりして差し上げようとおもいまして!」

 

 「怪我……するなよ?」

 

 思わず出てきた言葉がそれかい、という感じだが、ウマ娘の全力疾走は通常の人間の全力疾走の何倍も危険が伴う。

 そもそも速度からして違うのだから当たり前なのだが。

 

 心配をするような言葉を言った俺にきょとん、とするキング。

 

 一瞬訪れた、なんとなく間がずれたような空間。

 その微妙な空気から解放したのは、レース場にいた一人のウマ娘だった。

 

 「キング~、レース始まっちゃうよ~先にスタートしても怒らないでね~?」

 

 「ちょっとセイウンスカイさん!この私を置いていくつもり?!」

 

 頭の後ろで手を組みながら、キングを無視してレース場へと歩みを進める銀髪のウマ娘。

 彼女も確か今年の超有力ウマ娘の一人……セイウンスカイだ。

 

 んもう!と急いで立ち上がると、キングヘイローもセイウンスカイの後を追ってレース場へと向かう。

 が、少し行った所で、彼女は俺の方へ振り返った。

 

 

 「しっかりと、目に焼き付けなさい!この私、キングヘイローの走りを!」

 

 「……!」

 

 タッタッタっと気持ちの良いリズムで観客席の下の方まで降り、ヘイローは塀を軽々と飛び越えてレース場へと向かって行く。

 

 「……こりゃ想像以上の……じゃじゃウマだな……」

 

 終始圧倒されてしまったが、俺のキングへの第一印象は、悪くなかった。

 いやむしろ……あの強い意志の籠った瞳、そして、走る姿。

 どうしようもなく俺は惹かれてしまった。

 

 境遇を聞いた時に感じたあの力になりたいと思った意志は、やはり俺の中で燃え上がっている。

 

 

 きっと俺は、理事長にお願いされていなくても、キングの担当申請をしていたんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ♢♦♢

 

 

 

 

 今日は大事な模擬レースの日。

 お母様から諦めて帰ってきなさいという電話があったけれど、私はそんなのは気にしない。

 

 私は証明するの。このトレセン学園で、私が、キングヘイローが一流である、ということを。

 

 模擬レースの開催場所となるレース場まで歩を進めるなかで、私のトレーナーとなる人に想像を膨らませる。

 きっとこの私に相応しい、気高い人であるといいのだけれど。

 まあ引く手数多でしょうから、心配はないわね。

 

 どうやら今年の私の世代は、注目を集めているらしい。

 まあ私がいるんですもの!当然といえば当然ね!

 指定のジャージ姿で、私はこのトレセン学園の敷地内を歩く。

 

 このジャージ、もう少しまともなデザインにできなかったのかしら。キングが練習をする際の恰好に相応しいとは、とても思えないのだけれど……。と、そんなことを思っていると、私の横にひょこんと現れた、見知った顔。

 

 「キングちゃんキングちゃん!模擬レース、楽しみだね!」

 

 「ウララさん……模擬レースはトレーナーにアピールする場所よ?あなたも頑張らないといけないのではなくって?」

 

 「うん!そうだよ!でもウララはね!皆と走れるのすっごい嬉しいんだ!」

 

 この子……ハルウララさんは私のルームメイト。

 とっても優しくて元気があるのは良いことなのだけれど、毎晩私のベッドにもぐりこんでくるのだけはやめてほしいのよね……。

 初日も寝起きが悪くて、遅刻しそうになってしまいましたし……。

 

 元気いっぱいなウララさんは、スキップしながらレース場に向かって行く。

 この明るさは、ウララさんの長所ね。

 

 

 ……あ、そういえば私にはやることがあるんでしたわ。

 

 

 「ウララさん!先に行っててくださいな!」

 

 「あれ~?キングちゃんどこ行くの~?!」

 

 ウララさんの声を背に、私はレース場に一直線ではなく、観客席の方へと足を向ける。

 

 私のトレーナーに相応しい方に自己紹介をしなくってはね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 観客席へとたどり着くと、トレーナーと思わしき方々が、前方に固まってレースが始まるのを待っているよう。

 

 その姿勢は評価に値するものだけれど、この私のオーラに気付けないのは、マイナスね。

 さて、どこから自己紹介をしてあげましょうかしら。

 ウララさんもだけれど、皆さんわかっていないわ。トレーナーという存在がどれだけ重要なのか。

 

 私は幼い頃から、ウマ娘とトレーナーの絆が描かれた物語を数多く読んできた。

 時に優しく、時に厳しいトレーナーと、段々と絆が深まっていき、やがて二人は、ダービーを制する……。なんてすばらしいの!

 

 とにかく、トレーナーという存在は、一流のウマ娘には欠かせない存在!

 軟弱なトレーナーには絶対に担当していただくわけにはいきませんわ。

 

 まあ、この中央のトレセン学園のトレーナーである以上、そんなヤワな方はいらっしゃらないとは思いますけど……。

 

 私は、観客席をぐるりと見渡す。すると、前方からなにやらトレーナーさん方の会話が。

 

 「セイウンスカイ、エルコンドルパサー、グラスワンダー、スペシャルウィーク……とんでもない豊作の世代になりそうだな」

 

 「お前誰狙いなんだよ。先に言えよ」

 

 「俺はセイウンスカイに行くぞ……あれは次代のトリックスターだ」

 

 「エルコンドルパサーだろ!」

 

 ……へ、へえ~……なかなかいい度胸じゃない。

 たしかにセイウンスカイさんも、エルコンドルパサーさんも、スペシャルウィークさんも、グラスワンダーさんも私と覇を競い合うに相応しい、素晴らしいウマ娘であることに否定はしませんわ。

 

 しかし、私の名前が挙がらないとはどういうことでして?!

 まず最初に話題に挙がるのはわたくしのはずでは?!

 

 い、いけないいけない……。

 私としたことが少し取り乱してしまいました。

 

 しばらく、私の話題が挙がるのを待ちましょうか。

 

 

 「キングヘイロー……」

 

 きたっ!さあ、私を褒め称えなさい!賞賛なさい!

 そしてその後に、私が華麗に自己紹介をしてあげますわ!

 

 

 「キングヘイローなあ……ちょっとやっぱ他の娘達とは劣るよなあ」

 

 「性格にもちょっと難あるらしいよ。流石に最初の担当はちょっとハードル高いわ……」

 

 「あのご令嬢だろ?なんか才能が無いって言われたのに逆上して無理やり入学したらしいぜ……」

 

 

 ……なるほど。わかりました。

 

 私は、自己紹介を諦めて、来た道を戻るべく、踵を返します。

 唇を、軽くかみしめながら。

 

 (ダメよ。キング。こんなことでいちいち凹んでいたら始まらない。ここで証明するんだから。私は一流のウマ娘なんだって……!)

 

 トレーナーの方々からの評価はわかりました。

 今に見てなさい。模擬レースで、度肝を抜いてやりますわ。

 そうすれば私のトレーナーも、たくさん志願してくるでしょうし。

 

 そう誓い、その場を後にしようとした、その時。

 

 

 「キング……キング……キング……」

 

 私の耳が、私の名前を呼ぶ声を察知しました。

 どうやらトレーナーの中にも、少しは見る目がある人がいるようね。

 

 

 声の発生源は……あそこね。

 

 見つめた先には、観客席の後ろの方で双眼鏡を目に当てている、一人のトレーナーの姿。

 

 前方に固まっているものだから、後ろにもトレーナーがいるとは思いませんでしたわ。

 しかも、どうやら私を探している……?何故?

 今年の強力なメンバーにも、私は劣っていないという自負はあります。

 

 それでも、他のメンバーを差し置いて私を探すトレーナーさんに、純粋に興味があるわね。

 

 

 しかし、そのトレーナーから飛び出した言葉は、私の胸の内を燃え上がらせるには十分すぎて。

 

 

 「あれだけのオーラと、風格があるんだから目立つはずだけどな……」

 

 「……!」

 

 瞬間、私の心臓が燃えるように熱くなる。

 会ったことはないはず。では、写真越しに私の風格に気付いたということ……?

 

 再び双眼鏡を目に当てて私を探す彼の元に、私の足は勝手に動きだした。

 

 

 「キング……キング……キング」

 

 心臓が熱い。

 いつか見た物語のように、この私の運命のトレーナーとの出会いは、一流でなくてはいけない。

 どうしてあげようかしら……?

 

 声をかける?

 背中を叩く?

 

 いや、その程度じゃなまぬるいわね……。

 

 少しだけ考えて、私は名案を思い付いてしまった。

 やっぱり、私は元から一流なのね!

 

 そんなに見たいのなら、私の姿を、めいいっぱい見せてあげる!

 

 私は彼の真後ろまでたどり着くと、彼が覗いていた双眼鏡を、逆側から覗き込みました。

 

 

 「うおっ?!」

 

 予想通りのリアクション。

 双眼鏡を手放し、地面にしりもちを着いた彼。

 

 私も、初めてトレーナーの顔を正面から見据える。

 

 

 (……!!)

 

 数秒。彼と私の間に訪れた静寂。

 

 その間に、私の胸からは熱いなにかが湧き出てくるようで。

 

 

 「この私を探すとは殊勝な心掛けね!あなたが私の運命のトレーナーなのね!」

 

 「キング……ヘイロー……!」

 

 「おーっほっほっほ!!あなたに、この私キングヘイローの担当をする権利を差し上げますわ!」

 

 

 この人が私の運命のトレーナーなんだ、と、私は確信したの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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不屈の王者とエリート崩れ Ⅲ

 

 

 トレセン学園には、今日も暖かい日差しが降り注いでいる。

 

 新任の俺にあてがわられたトレーナールームで、俺とキングヘイローは向かい合って座っていた。

 

 

 

 「と、いうことで、今日から俺が担当することになる福田だ。よろしく頼む」

 

 「ええ!共に一流の階段を駆け上がるわよ!」

 

 

 今日は、模擬レースから数えて2日後にあたる。

 無事キングの担当申請が通り(理事長が最高の笑顔で印を押してくれた)、俺とキングの挑戦が始まった。

 今はキングと初のミーティング。

 

 キングはどうやらあの日から俺が担当になることを疑っていなかったのか、俺と改めて顔を合わせた時も、「待たせすぎではなくって?」と笑顔で迎えてくれた。

 

 本当になんというかこう……色々な動作が絵になるウマ娘だと思う。

 きっとG1を制したときには、めちゃくちゃカッコ良い写真が撮れそうだな、と思うくらいには。

 

 さて、まず何から話すか……。

 ウマ娘とのコミュニケーションは、トレーナーにとって一番大事と言っても過言ではない。

 彼女たちのコンディションを常にベストに保つのが、俺たちの役目だ。

 

 そして今日はキングのトレーナーとしてファーストコンタクト。

 あまり不用意な発言はできないな。

 

 

 「キングを絶対に一流にする……その覚悟はもちろんあるが、俺も新任トレーナーの身。俺の言動がキングを迷わせてしまうことがあるかもしれない。が、その時も俺は全力でキングと共に乗り越えていきたいと思う」

 

 本心だった。

 結果的に自分が見つけるより先に担当をしてくれないかという申請があった形だが、俺はどちらにせよ、このキングの担当を申し出ていたと思う。

 

 最初の出会いは、気付かぬ内に起こっていたのだ。

 あの時から、気付けばキングとの道のりは始まっていたのかもしれない。

 

 俺の今まで蓄えてきた全ての知識をもって、彼女のことは全力でサポートするつもりだ。

 

 しかし彼女から返ってきたのは、意外な言葉。

 

 

 「いいえ。迷わせてはダメよ、トレーナー」

 

 「え?」

 

 「私の目標は、一流のウマ娘になること。つまり、あなたも一流のトレーナーにならなくてはいけない。ここから、あなたと私は一蓮托生なの。だから、自信を持ちなさい。いかなる時も、気高くありなさい。それがキングのトレーナーになる、ということよ」

 

 キングの迫力に、思わず面食らう。

 ははは……こりゃ本物だ。

 

 俺が、甘かったな。まだまだ甘ちゃんだ。

 

 俺はキングのその瞳に吸い寄せられるような感覚に陥りながら、しっかりとその瞳と向き合った。

 

 

 「そうだな。よし。俺が新任であるとか、そういうことは関係ない。俺が、キングを一流のウマ娘にしてやる。だから……全力でついてきてほしい」

 

 「おーっほっほっほ!それでこそ私の認めたトレーナよ!全力でついてこい、と言えるようになれば100点ね!」

 

 「ははは……必ずそうなるから待っててくれ。よし。じゃあデビュー戦までのスケジュールを組むんだが、キングはどのレースを目標にしたいとか、あるか?」

 

 改めて、俺とキングの話し合いは進んでいく。

 “一流”になるという目標はあるが、それは漠然としたものでしかない。

 大きなレースを勝って、その一流を証明していくのが、これからの俺たちに与えられたミッションだ。

 

 基本的にキングが最初に目指すのはクラシック路線。

 三冠を目指すウマ娘であれば、最初の関門である、皐月賞だ。

 

 

 同世代のライバルは手強いが……キングならば決して負けてない。

 周りのライバルウマ娘を見ても、俺のその感想は変わらない。

 

 

 そしてクラシック路線を進めば見えてくるのが……。

 

 「ダービー……」

 

 そう、ダービーだ。

 

 俺が絶対に掴み取りたい、ダービー。

 

 

 「なに?どうしたのトレーナー」

 

 俺の呟きが、キングに聞こえていたようだ。

 

 「いや、な。そうだな、いい機会だし、俺の夢をキングに話そう。俺らは、一蓮托生なんだもんな」

 

 「……ええ。それは良い心がけね」

 

 キングがフフン、と興味深そうに俺の言葉を待っている。

 ここからは一蓮托生……隠し事は無しだな。

 

 「もしかしたらキングも知っているかもしれないが……俺の父さんは、トレーナーとして超一流だ。たくさんの名ウマ娘を育ててきたし、持っているタイトルの数も尋常じゃない。俺は今まで、トレーナーになるために歩んできて、父さんと比較されなかった日はない。嫉妬もされたし、逆に期待もされた。良くも悪くも、俺の日常には父さんの存在がついてまわったんだ」

 

 「……」

 

 「それでな。そんな偉大な父さんにも、一つだけ獲ってないないタイトルがあった。それが、日本ダービー。ダービーだけは、父さんは獲ることができなかった。……だから、俺はダービーを獲りたい。それが父さんを超えたと証明できる、唯一の方法だと思うんだ」

 

 「ふうん、なるほどね」

 

 キングは座っていたパイプ椅子から立ち上がり、窓の外を見る。

 レース場には、たくさんのウマ娘達がトレーニングを行っていた。

 

 

 「あなたも……証明する必要があるのね」

 

 「証明?」

 

 「ええ。私は、証明しなくてはならないの。この私、キングヘイローが一流である、ということをね」

 

 キングが振り返る。

 その表情には、鬼気迫るものがあった。

 

 彼女の深紅の瞳は、激しい感情に揺れている。

 

 「私のお母さまは、私がウマ娘として走ることを嫌っているわ。この学園に来ることも、反対された。『レースの世界はそんなに甘くない』『私の真似はしなくていい』とか言ってね。ろくに……私の面倒なんか見なかったくせに」

 

 吐き捨てるように、彼女はそう言った。

 なんとなく話は聞いていたが……母親との確執は思ったよりも根深いようだ。

 

 「おまけにあの人は、『あなたに走りの才能は無い。諦めなさい』『他の道の方が幸せになれる』ですって……何が私の幸せよ……!勝手な言葉で決めつけて……そんな言葉で、私は絶対にあきらめない!」

 

 握りしめた拳が震えている。

 俺はキングから紡ぎ出される言葉を、ただ聞いていた。

 

 聞いているだけで胸が熱くなる。彼女の言葉を。

 

 

 「だからね、キングは後退しない。決して首を下げない。私は必ず勝って、才能を証明してみせるわ。相応しい結果を掴み取って、私こそ一流だって認めさせてやるの。私はそのために……ここに来たんだから」

 

 強い意志が言葉に滲んでいる。

 

 初めて話を聞いた時、きっと強い意志を持ってトレセン学園に来たのだろうと思ったが、まさかこれほどまでとは思わなかった。

 

 「ふう。だから、この私と、あなたの目標は形こそ違えど、同じものね。私もあなたも、“一流の証明”が必要。そうでしょ?」

 

 「……“一流の証明”か。そうだな。間違いない」

 

 すんなりと、キングの言葉が身体になじんだ。

 ロマンチストが過ぎると言われればそれまでだが、やはり、俺とキングは出会うべくして出会ったんじゃないかとすら思う。

 

 

 「まあ先に謝っておくわ!」

 

 「?」

 

 緊張感のある空気だったのを振り払うように、キングが笑顔になった。

 その笑顔すらも、彼女からは気高さを感じられて。

 

 「あなたの父親超えは、もう1年目で成し遂げられてしまうということにね!」

 

 「……!ははっ……そりゃあいい……!謝ることなんてない。そういうのは、早い方がいいんだ」

 

 彼女から差し出された手を取り、俺も椅子から立ち上がる。

 本当に力強いウマ娘だ。

 

 「はじめるわよ。ここからあなたと私の、一流を証明する旅路をね」

 

 

 俺はもう一度覚悟を決めた。

 

 このキングを、本物の“一流”にするために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♢♦♢

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自主練が終わって、私は寮の部屋に帰ってきた。

 そろそろデビュー戦……このキングのデビューを一流に相応しいものにするためにも、準備は怠れない。

 

 「キングちゃんお疲れ様!」

 

 「ええ、ウララさんもお疲れ様」

 

 部屋に入ると、そこにはルームメイトであるハルウララさんの姿。

 もう彼女は寝間着に着替えていて、いつでも就寝できるようになっている。

 

 「その~ウララさん?別にキングが戻ってくるのを待ってなくていいのよ?」

 

 「ええ~!でも一人ぼっちはさみしいよ!キングちゃんと一緒に寝ると、す~~っごく安心できるんだ!」

 

 「あの……できれば布団にもぐりこんで来るのはやめてほしいのだけれど……」

 

 私も寝間着に着替えないとね。

 最近はトレーニングも充実しているせいか、睡眠をばっちりとれている気がする。

 

 (あのトレーナーについてから……トレーニングもすごく充実してる。自分の実力が伸びているのがわかる……流石、一流の私に相応しいトレーナーね)

 

 もうあのトレーナーとのトレーニングが始まってしばらく経ったけれど……質が良くて驚くばかり。

 流石、英才教育を受けたエリートトレーナーってところかしら。本当に一流の私に相応しいトレーナーね。

 

 「キングちゃん、なんで笑ってるの?」

 

 「えっ?!ああ、いや、なんでもないわ」

 

 私としたことが……思わず笑みがこぼれてしまっていたようね……普段から王者たる振る舞いをしなければならないのに、少し油断してしまっていたわ。

 

 顔を洗って、肌の状態を保つべく美容液を皮膚にしみこませる。

 キングは美容にも手は抜かない。人の前に立つのだからね。

 

 そうして洗面台の鏡を見ながら……私はあのトレーナーと初めてミーティングした日のことを思い出す。

 

 

 

 『だから、俺はダービーを獲りたい。それが父さんを超えたと証明できる、唯一の方法だと思うんだ』

 

 

 

 彼の熱意を感じた。

 私と同じ、親という存在に葛藤する日々だったと語った。

 

 形は違えど、彼は私と同じ、“証明”をするためにこのトレセン学園に挑んできている。

 私と彼が意気投合するのは、必然的だった。

 

 

 (やっぱり、初めて会った時から運命だったのね。彼と私が、最高のパートナーになることは決まっていたのよ!)

 

 胸が高鳴る。

 これから彼と共に歩んでいく道が、輝いている。

 

 

 「あ~!キングちゃん鏡みながらニヤニヤしてる~!」

 

 「?!っちょ、ちょっとウララさん!覗き見しないでくださる?!」

 

 「へへへ~キングちゃんご機嫌だ~!」

 

 「も~!!」

 

 パタパタと寝室に逃げていくウララさん。

 

 まったく……落ち着きが無いんだから……。

 

 それにしても、と私は棚に化粧水などをしまいながら思う。

 

 (ダービー、ね)

 

 彼は言った、目標はダービーにある、と。

 

 ダービーというレースは、他のレースと決定的に違う点がある。

 それは、一人のウマ娘は、絶対に1度しか出れない、ということ。

 

 そして、必ず同じ世代のウマ娘でぶつかる、ということ。

 

 つまり、最初のチャンスを逃したら、彼の夢を私が叶えることは、できなくなる。

 

 嫌な予感が一瞬私の中をよぎって、胸が苦しくなる。……けど、関係ないわ。

 

 同世代同士の戦い……。つまり、クラスメイトであり、今大注目を浴びているスペシャルウィークさんやセイウンスカイさん、グラスワンダーさんと競い合うことになる、ということ。

 

 (絶対に……負けられないわ)

 

 彼の夢は、私が叶える。絶対に。

 

 そしてその後に、私と彼で全世界に証明するの。私達2人が“一流”であることを……!

 

 

 「よし」

 

 気合を入れ直した所だけれど、今日はもう少しストレッチをしたら休みましょう。

 疲労回復も、一流の務めね。

 

 そう思って私も寝室の方に戻ると……可愛らしいにんじんの抱き枕を抱いたウララさんが、笑顔で私のことを待っていました。

 

 「キングちゃん!私聞いたよ!」

 

 「……誰から何を、ですの?」

 

 ウララさんがこう、無邪気に話してくることは微笑ましいことが多くて何よりなのですが、ウチのクラスには不届き者が1人いてね……。

 誰かから聞いた話、というのは嫌な予感がするのよね……。

 

 

 

 「キングちゃん、トレーナーさんにぞっこん?だって!」

 

 「ずこーーーー!!!」

 

 な、なんて?!なんて言いましたかこの娘は!

 

 「ぞっこん?って意味わからなかったんだけどね!トレーナーさんと仲良しってことだよって!良かったね!キングちゃん!」

 

 「……い、一応聞いときますわ……誰から聞いたんですの……」

 

 「セイちゃん!」

 

 「あんの人は……!」

 

 ウララさんになんてこと教えてるのあの人は……!セイウンスカイさんには、一度痛い目を見てもらわないといけないようですわね……!

 

 ま、まあこの際、ウララさんにはしっかりと事実を教えてあげなくてはいけませんからね。

 

 しっかりと正しい事実を知ってもらいましょう。

 

 

 「いいですか、ウララさん。私『が』トレーナーさんにぞっこんではなく、トレーナーさん『が』私にぞっこんなのよ。わかった?」

 

 「ん~、よくわからないけど、キングちゃんがそう言うなら、きっとそうなんだね!」

 

 よし、ウララさんは本当に良い子ね。

 明日からはきっと学園でそういう風に伝えてくれるでしょう。

 

 ストレッチも終えて、私は布団へと入る。

 今日は流石にウララさんも自分のベッドで寝てくれるでしょう。

 

 

 「じゃあ、おやすみなさいね、ウララさん」

 

 「は~い!おやすみなさい!キングちゃん!」

 

 私が電気を消して、部屋は真っ暗になる。

 さて、明日のトレーニングのためにも、しっかり休まないとね。

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 『キングちゃん、トレーナーさんにぞっこん?だって!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (ああああ~もう!なんで私が気にしないといけないのよ!!!)

 

 

 

 

 

 

 私の睡眠時間を返しなさいセイウンスカイさん!!!

 

 

 

 

 

 

 






「むにゃむにゃ……」
「……ウララさん……私の布団に入ってこないでと昨日あれほど……」
「キング……ちゃん……むにゃむにゃ」

「……もう……」





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