スペリオンズ外伝~アルティマで牛丼は食べられるのか? (バガン)
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序章

 「『これは私がノメルに牛丼を伝播するまでの』・・・なんか違う。『父と兄は死に、私は孤独に』・・・こうでもない。普通に『これは私の半生を綴った』・・・普通過ぎる。」

 

 自伝という読み物というのは自分語りの集大成のようなものだが、生憎自分のことを語るのは苦手だ。自身の半生を記録していた日誌の編纂に、ようやく時間を充てられる暇ができたものの、早くも暗礁に乗り上げてしまった。

 

 窓の外には、よく手入れされた庭、厳かながら程よく装飾の添えられた外壁、豊かな自然の木々、そして満天の星々。建築してから早15年ながら、今まで休暇程度にしか使われなかったこの別墅を、自分の邸宅としてようやく落ち着ける。

 

 これも子供たちが立派に成長して、自分たちの跡目を継いでくれたおかげだ。波瀾な自分の人生に思いを馳せながら、ペンを走らせては戻す。 

 

 「あなた、お茶にしませんこと?」

 「そうだな・・・今書き始めたところなのに。」

 「いいじゃない、どうせ時間はあり余っているんですから。」

 「そういえばそうか。」

 

 まっさらな本の世界から、暖かな光の灯る現実へと帰還すると、そこではティーセットを携えた妻が迎えてくれる。出逢った頃と比べると随分皺だらけになったものだが、それは自分も同じ。もう孫もいる年齢なのだから。

 

 「これからはもっとゆっくり、まったりと過ごしましょう?若いころは大変でしたもの。」

 「そうさなぁ、しかしこうも暇になってしまうとそれはそれで落ち着かん。」

 「あら、散々休みが欲しいと愚痴っていたのは誰だったかしら?」

 「その元凶が言うか?」

 「あら、ごめんあそばせ。」

 

 性格の面においても同じだ。当初は美しくも触れるもの皆傷つけるバラのような気質だったのが、今ではすっかり角が取れてしおらしくもなってくれた。性根こそは変わらず強かで、プライドも高いままだが。

 

 「それで、さっきは何をしていらしたの?」

 「日誌だよ。この世界に来た当初から綴っていたのを、改めて書き写しておこうと思ってな。当主を降りたから、もう過去を知られても問題なかろうて。」

 「それは、私と出会う前のことから書いていますの?」

 「ああ、お前と会ったのは33だったか。」

 「32よ。あの頃は何もかも新鮮でしたわね。それに、まさかどこの馬の骨とも知らないオジサンと結婚させられるとは思いませんでしたわ。」

 「俺もとんだじゃじゃ馬娘がいたもんだなと思ったよ。」

 「おあいこですわね。」

 

 その強さがあったから、今まで支えあってこれた。この女性が妻でよかったと心の底から思ってる。ある一点を除けばの話であるが、そればかりは妻には何の非もないことで、それは運命が悪かったとしか言えない。今となっては昔の話だ。

 

 「さて、一息ついたところでそろそろ再開といこうかな。」

 「あとで私にも読ませてくださるかしら?」

 「いいぞ、と言ってもあまり面白いことは書いていないと思うが。」

 「他人の日記は面白い読み物だと聞きますわ。」

 「趣味のいい読み物とも言わないな。まあ、これは読んでもらうために書いているのだけれど。」

 「それは、一体誰のために?」

 「俺が生きていた証のために。」

 

 私と同時期にこちらの世界へと飛ばされてきた多くの友人、こちらの世界で会えた人たち、そして最愛にして最初の妻、その多くが悲しくも私よりも先に旅立っていった。思い返す度に心が痛む。自分の無力さ、世の無常さに。

 

 思えばすべての始まりの出来事すら理不尽に満ちていた。その時から最大限の努力を以て抵抗し続けていたが、その度に運命に押し流されてもいた。父のように器用な生き方が出来れば、兄のように力を持っていればとも悩んだ、そんな苦難苦闘の日々を綴られている。

 

 今となってはすべてが思い出。いずれ自分の脳が蕩けてきた頃に思い出すために読む必要が出てくるかもしれないし、あるいは別の誰かが読むこともあるだろうし、綺麗な装丁本にこの『アルティマ』の言語で清書しておいたほうが読みやすい。その一ページ目となる、当時漂着物の中から拾ったボロボロの大学ノートを捲る。

 

 あの頃は右も左もわからなかった。本当によく生きていられたと思う。数百人単位で、『あの時』流れ着いた人たちが、落ち着くころには数えるほどしか残っていなかった。狂乱の中死ぬ者もいれば、不平不満を垂らしながら村から出て行った者、領地同士の戦で死んだ者などすべてを含めて。それら一人ひとりの名前を、誰かが記録しておかなければならないと、私が自主的につけていたのが始まりだったか。

 

 だが喪ったばかりではない。この世界にきて生み出してきたものもある。財産、血筋、領地。

 

 ではまずは自分の子孫のこと、まず家系図でも描いていくか。親から子に、子から孫にと家族はこれかも増えていくことだ。

 

 「まず私『ダイス・ヴェル・キャニッシュ』と、妻『クレア・ロズ・キャニッシュ』。」

 「長女『ノルン・ハウ・キャニッシュ』、長男『ジーク・ウィル・キャニッシュ』、次男『ワタル・ロア・キャニッシュ』、次女『トワイライト・リリ・キャニッシュ』。」

 

 朗らかなノルンに、勇気あるジーク、優しいワタル、穏やかなトワイライト。どれをとっても目に入れても痛くない子供たちだ。

 

 「次に、ジークの妻のイークス伯爵長女の『エリカ・キャニッシュ』・・・この場合『エリカ・イークス』の方がいいか。」

 「それからその長女『アイーダ・ララ・キャニッシュ』ね。」

 

 公爵家の長男に伯爵家の娘と玉の輿な結婚であったが、エリカはとても聡明でいい子だったし、結婚を後押しさせて良かったと思う。これまた玉のような子宝にも恵まれた。

 

 「あとリネアにクララにスウィルに・・・。」

 「ちょっとちょっと、使用人たちまで家系図に乗せるつもり?」

 「みんな家族だろう?」

 「それはそうだけど、そのままだとあなたあの傭兵や料理人まで家系図に乗せることにならない?」

 

 今まで助けてくれた人々、これからも世話になるであろう人々、スペシャルサンクスその他もろもろ。家系図は家系図として別のページに載せることになってしまうのが申し訳ない。

 

 最初と次のページに何を書くかも決まった。いよいよ本文、その前に序文が書きかけだった。

 

 「生きていた証、誰かに読んでもらうため・・・誰のためか。ふむ。」

 

 それならば、誰に読んでほしいか。誰に『自分はここにいる』ことを伝えたいか。

 

 「『これをいつか見る、遥かなる友人よ。遠き地において私はここに生きている。』・・・と。」

 「遥かなる友人、とは?」

 「読んでくれる可能性が一番高いと思う。」

 

 そのころにはもう自分はいないかもしれない。だが私の子孫が遺っていて、この本を伝えてくれればそれでいい。

 

 今はダイス・キャニッシュの名を借りている、かつては『ツバサ』という名だった男の物語。

 



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年表

 基本的にこの年表に沿った物語をオムニバス形式で書いていきます。年表には書かれていない事実もあれば、作者の脳内にしかない設定もあります。


 ツバサ周りの歴史年表

 

 アルティマ歴767年:ツバサ16歳、アルティマへ転移

 768年:ツバサ17歳、キャニッシュ領内にアマハ村建立

 782年:ツバサ31歳、ノメル大陸、キャニッシュ公国(現キャニッシュ領)と旧フェリス領間で小競り合い。(フェリス領は後に取りつぶされる)

 783年:ツバサ32歳、内戦に駆り出される。内戦はフェリスの勝利。どさくさでフェリス領よりさらに東のアヴェム領主補佐官ノアールと出会い、ツバサなんやかんやでアヴェム領主の影武者になり、ダイス・アヴェムを名乗るようになる。

 同年、現妻クレア(当時14歳)と政略結婚、長女ノルン(当時7歳)を養子にとり、アヴェム領の安定と発展に努める。

 同年。アマハ村にて、ツバサとナナミの子、ケイが生まれる。

 784年:アマハ村、インフルエンザ流行、ケイ死亡。

 同年、アマハ村、滅菌のために焼かれる。

 789年:ツバサ38歳、影武者であることが暴露され、お役御免。その後国王暗殺事件の濡れ衣を着せられ投獄される。

 790年:ツバサ39歳、シジルム領令嬢エーテル・シジルム(当時19歳)によって牢獄からこっそりと救出される。シジルム領にかくまわれる。

 792年:ツバサ41歳、こっそりアマハ村を目指してシジルム領を出る。

 同年、シジルム領のカンソー村をなりゆきで助ける。お礼に愛馬ソラ(当時4歳)をもらう。

 同年、クララ(当時11歳)と出会う。

 同年、まだ新興宗教であったゼノン教と出会う。

 793年:ツバサ42歳、ツバサ、アマハ村跡地に到着。ノルン(当時17歳)、クレア(当時24歳)と5年越しの再会。

 アマハ村民の避難先のロココ村へ到着も、まもなくナナミもインフルエンザで死亡。

 794年:ツバサ43歳、アマハ村再建のために活動開始。

 同年、ゼノン教が弾圧に対抗して蜂起、第一次雷十字戦争勃発。

 796年:ツバサ45歳。新アマハ村、ゼノン教団と同盟。キャニッシュ領の独立のための戦いが始まる。

 797年:シジルム領家断絶。

 800年:ツバサ49歳、天下分け目の戦い。第一次雷十字戦争はゼノン側の勝利に終わる。キャニッシュ領平定、ダイス・キャニッシュが領主に。

 801年:ツバサ50歳、クレア32歳、長男ジーク誕生。

 同年、屋敷の前に赤ん坊が置き去りにされているのを発見。ワタルと名付けて養子にする。

 807年:ツバサ56歳、反ゼノン教団派閥が突如として息を吹き返し、第二次雷十字戦争勃発。

 811年:ツバサ60歳、第二次雷十字戦争終結。反ゼノン教団派閥が急激に衰えたため。ゼノン教、本格的にノメル中に広まる。

 813年:ツバサ62歳、ジーク12歳、見聞を広めるためジークは愛馬ソラ2世(10歳)と共に旅に出る。

 同年、ワタル12歳、ゼノン教団に勉強のため入信。

 814年:ツバサ63歳、クレア45歳、次女トワイライト誕生。

 815年:ワタル14歳、ゼノン教団の研究主任へ昇格。

 817年:ジーク16歳、キャニッシュ領に帰還。

 同年、快傑『バディ・ザ・バロン』が活動開始。

 818年:ジーク18歳、イークス領伯爵の娘エリカ・イークス(19歳)と運命の出会い。

 819年:『ルーン・ザ・バロン』が活動開始。

 820年:『ブルーム・ザ・バロニス』が活動開始。

 821年:ツバサ70歳、ノメル統一戦争勃発。

 823年:ジークとエリカの長女アイーダ誕生。

 824年:ゼノン教団にバロン騎士団誕生。次々に戦勝を挙げていく。

 825年:ジークとエリカの長男、エディン誕生。

 826年:ツバサ75歳、ノメル統一戦争終結。ノメルは複数の公国が群雄割拠する戦国時代から、ノメル共和連邦の時代へ。

 828年:ツバサ77歳、クレア59歳、ジーク27歳、キャニッシュ家当主をジークへと譲る。自伝の執筆開始(ここが序章の段階)

 

 841年:ツバサ90歳、アイーダ(18歳)バロン騎士団のホープ、ワルツ(19歳)と結婚。

 842年:エディン(17歳)、サメルの海運業商の娘ヘレン・メルウェード(14歳)と結婚。

 843年:ツバサ92歳、アイーダの長女エリーゼ誕生。

 844年:エディンとヘレンの長女ドロシー誕生。

 850年:ツバサ99歳、大往生。エリーゼ(7歳)にキーパーツを託す。

 860年:ガイ、ドロシーの手によりアルティマに召喚される。



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792-クララとの出会い

 「・・・。」

 「おいっ、アキラ!」

 「なんだいドロシー。」

 「鍛錬しようぜ!」

 「おう。」

 

 食堂の椅子に腰かけながら一人の青年が一冊の本に自身の切れ長の目を落としている。そこへ黒髪で男装の少女がハキハキとした声を張らせながらやってくる。切れ長の目の青年・アキラはちらりと一瞬だけ視線を横にすると、すぐに本のページに戻した。

 

 「けどここで剣を振り回すのはやめとけよ。」

 「わかってるって、食堂のおっちゃん怒らせると怖いもんな。」

 「あのコロッケが食えなくなるのは困る。」 

 「コロッケ?あるのか?」 

 「今揚げてもらってる。」

 

 くんくんと黒髪の少女・ドロシーが鼻を鳴らすと、たしかに厨房の方から香ばしい匂いが漂ってきているではないか。今は昼飯時からずいぶん経っているというのに、厨房が少し賑やかだ。キツネ色の衣を纏った男爵が踊っているに違いない。

 

 「おっちゃーん、オレの分も揚げてくれー!」

 「おーぅ、ちょっと座って待っつくんねぇ。」

 「へへっ。おっちゃんのコロッケは格別だかんな。」

 

 逆さに立てて並べられたコップをひとつとり、水を汲んでアキラの前に腰かける。

 

 「当たり前だが俺に関する記述が全然ないなと思って。」

 「そりゃそうだろ。いくらアキラがじいちゃんの兄貴分だったって言っても、もう死んでるんだからな。おめーもじいちゃんも。」

 「ややこしい話、俺は生きてるんだがなここに。」

 

 ドロシーの曽祖父であるダイス、またの名をツバサの、その兄貴分であった『アキラ』は、アルティマにたどり着いてまもなく命を落としていた。しかしここでコロッケを待っているいるアキラは同姓同名の別人・・・というわけでもない。平行同位体、いわゆる平行世界の同一人物というやつなのだが、それはまた別の話として。

 

 「今どこを読んでたんだ?」

 「クララって女の子と会ったところ。」

 「クララ婆が女の子ぉ?現在知ってるとスゲー違和感あるぜ。」

 「存命なんだな。」

 「クララ婆はな、今孤児院の院長やってるんだ。」

 「へえ。」

 「この塾に来てるのも、孤児院から来てるやつも多いんだぜ。」

 「そうか。」

 「聞いてる?」

 「聞いてるよ。」

 

 ペラリ、とまた一ページめくる。

 

 「ぜってー聞いてねえだろ!だいたい、もっとおもしろくなるのはバロンが出てきたあたりからだぜ!そんなにちんたら読みふけってたら、日が暮れちまうよ!」

 「うるへー、こっちはアルティマの言葉をいちいち翻訳しながら読んでるんだい。」

 「なら読み聞かせてやるよ!」

 「それじゃあ勉強にならないんだっての。」

 

 ドロシーは本を奪い取ると、読み聞かせを始めた。

 

 ☆

 

 サメルは西の方の旧キャニッシュ領・現フェリス領内の、領境界近くのとある町。人の出入りも多い賑やかな町だったが、今朝は雰囲気が違っていた。

 

 「オラぁ-!カネを持ってこーい!食いもんもだ!!」

 

 右手に刃物を持った大男が、一軒の家の窓から外に向かって大声で吠えている。平穏な町にはおおよそ似つかわしくない異物だった。

 

 「えーん!おばちゃーん!おねえちゃーん!」

 「うるせぇ!バラバラにしちまうぞ!」

 

 そして左手には花のような可憐な少女のか細い首が握られていた。お男が力を加えれば簡単に折れてしまうだろう。

 

 「あれ、クララちゃんじゃないのか?」

 「本当だ!」

 「強盗だ!」

 

 あまりに急な事態にあっけにとられていた町人たちだったが、助けを求めているのが皆がよく知っている子供だと気づいてにわかに騒ぎだしてきた。

 

 「テメぇら!さっさとしねえとこのガキを握り潰しちまうぞ!」

 

 少女、クララは顎を押さえつけられて声をあげることもできなくなってしまった。それを見てまた町人たちは大慌て。

 

 「誰か、誰か姪をたすけてください?!」

 「お、俺武器を持ってこようかな・・・?」

 「待て!これ以上刺激するな!」

 

 強盗は非常に興奮しており刺激するとクララは殺されてしまうかもしれない。しかし時間が経てば経つほどに、事態はどう転ぶか予想がつかなくもなっていく。

 

 「おーい、誰か食べ物を用意してくれって!」

 「なんだとー?!」

 「さっき坊さんがそう言ってた!」

 「坊さん?」

 「あの怪しい新興宗教のかよ?」

 

 ざわざわとしばらくあって、人垣の中から一人の頭を丸めた僧侶がよろよろと姿を現した。片方の手にはパンや果物の入った籠がおさまっているが、脚が悪いのだろうかもう片方の手には杖をついている。

 

 「食べ物はもってきた!銭も少しはここにある!少し話をさせてはくれないだろうか?」

 

 しかし張り上げた声はその場にいた誰よりも・・・興奮した強盗でさえも一瞬息を呑むほどに力強かった。ただの大声ではない、ズンと腹の底に響くような『重み』があった。

 

 「よ、よし・・・入ってこい。」

 

 僧侶の言霊に気圧されたのか、それとも今度は強盗のほうがあっけにとられたのか、クララの顔を掴む手もわずかに脱力する。僧侶は数珠替わりの花の輪を腕にかけ、少し微笑むとツカツカと杖を鳴らしながら一人家の中に入っていく。

 

 ☆

 

 太陽が空を一周巻き戻る。青毛の馬に跨った一人の旅人・・・ツバサが、これから騒動の起こる町・・・ハンドの町にやってきていた。

 

 「ここが、国境で一番近くの町か。ここで補給を済ませておかないとな。」

 

 町の大通りには慌ただしく馬車や荷車が行き来しており、その通行の邪魔にならないようにツバサは馬を町の入口近くの宿屋に預ける。

 

 「ソラもご苦労さん。俺も栄養補給してくるからな。」

 「ヒヒンッ!」

 

 ソラと呼ばれた馬は、飼い主に鼻を撫でられると嬉しそうに嘶いた。この町まで走り通しだったソラは、すぐにおいしそうに飼い葉を食みはじめた。

 

 ツバサは懐の財布の中を覗き見ると、頭の中で勘定を始める。ソラのごはん代はさっき払ったが、宿賃も残しておかなければならない。ここから街道沿いに進めば1日で着くそうだし、食料はそう多くなくてもいい。それよりかは服飾品をそろえたほうがよさそうだ。外套には矢が突き刺さった穴が開いてしまっていることだし。

 

 目下の問題は国境の関所の通行料で、これに結構とられてしまう。顔が割れていることを考えて、関所を避けて山道を行くという手段もあるが・・・。まあここまでくれば自分の顔を知っている人間もいないだろう。早く目的地まで行きたいし、今回は関所を通ることにしよう。

 

 ひい、ふう、みい、と残った銭の枚数を数えると、少し余裕が出来ることが分かった。餞別にと馬を貰ったのは非常にツイていたし、ここまで一切路銀を稼がずにこれたのも非常に大きいと言える。もう、次の次の村に着いた辺りで金が尽きることになるが、そこまで行ければ十分だった。

 

 余裕が出てきたことがわかると、急に腹が空いてきた。どれ、朝食にはちょっといいものを食べることにしよう。朝から肉をガッツリと食べる気にはならないが、腹の具合を相談しながら、宿屋のはす向かいの食堂に向けて杖をつきはじめる。

 

 「さあさ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!今日届いたばかりの新鮮な野菜があるよー!」

 「薬-、よく効く傷薬はいかがですかー?お安いですよー。」

 「お花、いかがですかー!きれいなお花ですよー!」

 

 国境が近いとあって、朝早くから色々なお店が活気づいている。自分と同じような旅人は長居はしないだろうが、居心地もそう悪くはなさそうだった。御多分に漏れずにツバサも明日には町を出るつもりであったが。

 

 「ここの粥は変わった風味がするな。」

 

 ツバサは一杯の粥に素直な感想をぶつけていた。随分後になってわかったことだったが、ここで食べたのは蕎麦の実の粥だった。結局一番安い粥を頼んだが、少し失敗したらしい。塩気はあるがどうせなら醤油や味噌が欲しい。

 

 空になった器を返すと、ツバサは先ほどは素通りしたバザーに足を向ける。まずは何を買うでもなく、腹ごなしにぶらぶらと見て回ることにし、一通り見て回ってから必要なものを買い揃えるとした。

 

 「干し肉に、矢の束に、あと傷薬もあればいいか。」

 

 食料ならその辺で売ってるし、薬はさっき売っているのを見た。だが矢が見つからない。バザーでも置いてそうなものだが・・・見落としたんだろうか。仕方がない、町の中心の方の武器屋まで足を延ばすか。

 

 「ごめんください。」

 「あ、はい!お薬はいかがですか?」

 

 少し戻って、バザーの入口近くに構えている薬売りの露店に声をかける。妙齢の女性が接客しており、ツバサの方へまっすぐと向き合う。

 

 「生来生傷が絶えなくてね、傷薬を見繕ってくれないかい?」

 「はい!でしたらこちらの塗り薬がオススメですよ!最近入った新人さんのお手製なんです!」

 「へえ、じゃあそれと・・・こっちは、香水?」

 「ええ、そっちもオススメなんですよ、奥様やガールフレンドにいかがですか?」

 「うん、いい香りだ。じゃあこれも貰おうか。」

 「ありがとうございます!」

 

 薬草を煎じた傷薬と、たぶんバラのような花を使った香水を購入した。こう、言ってはなんだが小さな露店が揃えているものにしては随分質のいい香水だった。

 

 「あのー。」

 「うん?」

 「お花、買ってくれませんか?」

 

 商品を包んでくれている間手持ち無沙汰となっていたツバサに、脇から声がかけられる。見れば、花の入った籠を下げた女の子がいる。

 

 「お花、売ってるのかい?」

 「うん!とってもキレイでしょう?友達と一緒に摘んだんだ!」

 「そうか、友達とか・・・。」

 「こら、クララ。すいません、うちの姪が・・・。」

 「いえ、かわいい姪っ子ですね。」

 

 健気な。栗色の長い髪を後ろで纏めた、クララと呼ばれた少女ははつらつとした様子でいる。少しツバサは思いを巡らすと、微笑んで言った。

 

 「・・・よし、じゃあそのお花全部買っちゃおう。」 

 「やったー!」

 「それで・・・ちょっと待ってな。」

 「うん?」

 

 パパパッと慣れた手つきで花の茎を編んでいく。何十年と前の子供の頃に遊んだ手習いのようなものだが、手は覚えていたらしい。

 

 「はい、冠の出来上がり。」

 「わあ、くれるの?ありがとう!」

 「どういたしまして。」

 

 香り高い草花、たぶんシャクヤクか何かだろう。立てばシャクヤク、座ればボタンなんて有名な花だが、シャクヤクは根が薬になる。根は薬に、花は観賞用に売っているんだと考えれば合点がいく。

 

 「ところで、町の案内人が欲しいんですが、この子をお借りしてもよろしいですか?」

 「ええ、クララがいいのなら・・・。」

 「行くー!」

 「じゃあ頼むね、クララ。」

 「うん、わたしに任せて!」

 

 ☆

 

 「矢ならここでも売ってるよ!」

 「そうだったか。」

 

 見通しが悪かったのか、ツバサが気づかない場所に置いて売っていた矢を、クララはいとも簡単に見つけ出した。

 

 「おやクララちゃん、お使いかい?」

 「うん!この人を案内してあげてるんだ!」

 「矢が20本ほど欲しい。」

 「まいど!クララちゃんの知り合いなら安くしておくよ!」

 

 バザーの下町風情の人情から少しまけてもらった。町の中心部の武器屋だとこうはいかなかっただろう。

 

 「クララがいてくれてよかった。」

 「えっへん!わたしって人気者だからね!」

 「そうなの?すごいなクララは。」

 

 すれ違う人々や商人が皆クララに声をかけたり、会釈を交わしたりしている。これだけ声掛けがしっかりしていれば誘拐の心配もないだろう。その場合、今隣を歩いているツバサが誘拐犯ということになるがそれはさておき。

 

 「クララは、叔母さんの家に住んでるの?」

 「ううん、わたしのお家はホロニ村にあるんだよ。」

 「ロココ村、って一番近い村か。そこから毎日?」

 「ううん、ロココ村から薬やお花を持ってきて、叔母さんの家に泊まりながらここで売ってるの。」

 「なるほどね。」

 「おじさんはどこまで行くの?」

 「おじさんはね、アマハ村まで行きたいんだ。」

 「アマハ村・・・?」

 

 クララは少し首を傾げた、クララの年頃だと、そんな村があったことすらも知らないのかもしれない。

 

 「もう何年も前に無くなったって聞いたけど、そこが故郷なんだ。」

 「うん、知ってる。ロココ村にもアマハ村から来た人がいるから。」

 「そうか・・・じゃあ一度ロココ村にも寄ってみようかな。」

 「ほんとう?じゃあ明後日一緒に村に帰ろう!」

 「明後日?」

 「うん、明日お姉ちゃんがこの町に来て買い物して、それから明後日一緒に馬車で帰るの!おじさんも一緒に行こうよ!」

 「ふーん、道案内があると助かるな。」

 

 それに、乗り合いの馬車と一緒に行動していれば顔を見られるリスクも低くなるだろう。馬車の護衛を買って出れば路銀にもなる。宿賃が少し余計にかかることを鑑みても、いいことづくめじゃないか。

 

 「わかった、明後日一緒に行こう。」

 「ほんとう?やったぁ!」

 「さて、あとは外套をどうにかしたいんだが・・・。」

 

 必要なものはあらかた揃った。あとは穴の開いたマントだけだ。着続けていて愛着も湧いてきていたので買い替えるというのもどうかとしばし考え込んでいると、

 

 「おじさん、次はどうするの?」

 「ん、このマント、穴が開いちゃったからどうしようかなと思ってね。」

 「あ、じゃあわたしが直してあげる!」

 「クララ、裁縫できるの?」

 「うん!できる!」

 「ああ・・・お願いしようかな。」

 

 外套を脱いで、クララにお願いする。

 

 「あれ、おじさん、なにか入ってるよ?」

 「ん?」

 「これ・・・キレイな指輪だね!」

 「ああ、忘れてた。」

 

 クララが外套のポケットを調べると小箱が出てきて、なんだろうと気になったクララが開けると、そこからひとつの指輪が出てきた。大きなルビーの嵌め込まれ、細かな装飾が施された金の指輪だった。

 

 「旅に出る前に、処分してお金にしてくれって、貰ったんだ。」

 「すごいね!高そう・・・。」

 「まあ、ここで出すべきではなかったな・・・。」

 

 ここは天下の往来、一般市民がおおよそ一生のうちに目をすることもないような高価な指輪は嫌でも目線を引いた。慌てて逃げるようにその場を離れる。

 

 「お、おほん。じゃあマントの修繕、お願いするね。」

 「うん、もう今晩中に直しちゃうから、明日来てね!」

 「ああ、また明日。」

 

 買い物を終えて、クララを叔母さんの家に送り届けたツバサは、自分も宿に戻ることにした。途中、着けられていないか後ろや物陰をキョロキョロと覗き込んでいたので、さぞ不審者に見えたことだったろう。

 

 「あのー・・・。」

 「なに?」

 「ちょっとお時間よろしいでしょうか?」

 「はぁ・・・?」

 

 宿までもう少しだなというところで、突然呼び止められてしまった。振り返ってみると、首からZに縦線を引いたようなロザリオをかけ、白と青色が明るい牧師服のような格好の・・・まあ、牧師なんだろう、がいた。にわかにツバサは嫌な予感がした。

 

 「よろしければ、少しお話を聞いていただけないでしょうか?」

 「いやー、宗教はよくわからん。ゲネシスとか。」

 「いえいえ、ゲネシスとかとはちょっと違うんですよ。ゼノンって知ってますか?」

 「知らない。」

 

 こういうキャッチは無視するのが一番だったが、ツバサは思わずまともに受け答えしてしまっていた。

 

 「悪いけど、俺は無神論者だ。」

 「空の上に神なぞいません。空から力が降り注ぎ、それを身に宿すもの、それがゼノンです。」

 「信奉するのが神か、そのゼノンかの違いだけだろう?」

 「神に祈っても何もくれはしませんが、ゼノンは安心安全をお届けしますよ。」

 

 そういえば聞いたことがある。自分のような異世界から来たものとは他に、不思議な力を持った人間がいるという噂を。今までお目にかかったことはないが、それをおそらくゼノンと呼んでいるんだろう。

 

 まあ、いくらゼノンが強力でも、もっとすごいのをツバサは知っているんだが。あれを初めて見たとき、ツバサも神を見た気がしたが、それは勘違いだった。

 

 「そうすっと、あんたもそのゼノンなのか?」

 「いかにも。ひとつお目にかかってみては・・・。」

 「いや、結構だ。どうせ見物料とるんだろう?」

 「そんなことはいたしません、ただいくらかのお布施の見返りに信徒の証を・・・。」

 「いらん。」

 

 まだ牧師は何か言いたそうだったが、先ほどバザーで買ったミカンを取り出して絞り汁を顔にぶっかけてやると、ひるんだ隙に逃げ出してやった。よっとやりすぎな気もしたが、こうでもしないと逃げられそうにないと踏んだのだ。

 

 おそらく、先ほどのクララとのやりとりを見ていたのだろう。高価な貴金属を見て、ツバサを旅のお金持ちだと勘違いしたらしい。間違っちゃいないがあってはいない。

 

 かつて領主をやっていたころにも、同じように教会から袖の下の要望があったし、軋轢を生まないためにもよしなにしていた。今思えば細かい書類をチェックしていなかったのが大きなミスだったが。

 

 ともあれ、それ以来宗教とカネの問題にはウンザリしていたツバサは、もうああいう手合いと出会わないことを願いながら宿にこっそりと戻ってきた。

 

 ☆

 

 夜、宿のベッドに寝転がりながらツバサは昼思い出した指輪を手に取る。

 

 「エーテル・・・。」

 

 今自分がこうして自由の身にいられるのも彼女のおかげだった。接点と言えば貴族のお茶会で一度会ったきりだった。だというのに、彼女は密偵を差し向けて牢獄から自分を助け出して、屋敷に匿ってもくれた。

 

 彼女が一体どんな思惑があってそうしたのか、まるで霧がかかっていたかのような彼女の心の内面を、ツバサにはわかりかねていた。このまま屋敷に居続けてくれていて構わないとも言ってくれた。

 

 だが、ツバサは外に出た。エーテルは止めようともしなかった。ただ、身なりを整え、サメルの西の端のアマハ村まで行けるだけのお金を用意してくれた。

 

 そして最後に餞別にとくれたのがこの指輪。処分するかどうかは好きにしてくれていいと言われたが、今日思い出すまですっかりその存在も忘れていた。

 

 もうすぐ旅が終わるというのに、旅の始まりの頃のことを思い出した。・・・いや、エーテルの屋敷が旅の始まりではない。それよりももっともっと前、アマハ村から出たときのこと。もう9年も前になる。

 

 (もうすぐ、もうすぐ会える・・・ナナミ・・・それに・・・俺の子子供・・・。)

 

 アマハ村に置いてきた妻と、顔も知らない我が子。村はもう無くなったそうだが、必ずその近くにいるはず。旅立つ前に必ず帰ると約束したんだから。

 

 ツバサは、指輪を小箱に戻すと目を閉じた。

 

 「クララ、もうできた・・・あら?」

 

 一方そのころ、クララもまたすやすやと寝息を立てていた。穴の塞がった外套を握りしめ、抱きかかえながら。そのそばには花の冠もある。

 

 「あらあら、疲れて寝ちゃったのね。」

 「うにゅ・・・。」

 

 テーブルに突っ伏して寝ているクララを、叔母さんはやさしくベッドへと運んであげた。その間もクララはしっかりと外套を離さないでいた。

 

 「・・・あの人のことを、お父さんみたいに思ってたのかしら?お義理兄さんや姉さんが生きていれば、あんな風に・・・。」

 

 クララはなんとも幸せそうな顔で眠っている。今まで毎日忙しくて遊ぶこともできなくて、最近お姉さんも出来たが、本当は満たされない父性を求めているのかもしれない。

 

 「明日は、ノルンやリネアを紹介してげようね。」

 

 叔母さんはやさしく頭をなでてやると、起こさないように部屋を後にした。

 

 ☆

 

 翌日、ツバサは起きて早々に食事を済ますと、今日も町を案内してもらおうとクララの家を目指して、昨日と変わらぬ活気のある町を歩いていく。

 

 「あ、あなたは昨日の。」

 「ああ、おはようございます。」

 

 途中、クララの叔母さんと出くわした。お店番のではない、エプロンをしたままの恰好だった。

 

 「クララを見ませんでしたか?今朝起きたらもういなくなっていて・・・。」

 「いなくなっていた?」

 「ええ、直した外套も無くなっていたので、てっきりあなたのいる宿に行ったのかと・・・。」

 「行き違いになったのかな?」

 

 ここまでくる途中ではクララの姿をツバサは見ていなかった。違う道を通ったのか、それとも単に気づかなかったのか。ともあれ、一旦宿に戻ろうとした。

 

 「あっ、いた。」

 「あん?」

 

 するとそこへ、自分をみつけた旨の声が聞こえてきた。だがそれは可愛らしい少女の声ではなく、恨みがましい男の声だった。

 

 「てめぇ、昨日はよくもやってくれたな。」

 「ナンノコトカナ。」

 「しらばっくれんなこのオレンジ野郎め!」

 

 記憶にも新しい、昨日のあの牧師だった。 

 

 「ゼノンを怒らせたらどうなるか、目にもの見せたるわ!」

 「おおよそ聖職者とは思えない発言だな。それより、お前も子供を探すのを手伝え。」

 「子供?」

 「どうせお前も昨日見ていたんだろう?栗色の髪の子だ。」

 「なぜ私が?」

 「わざわざ俺なんかに突っかかってくるってことはヒマだってことだろ。」

 「ぐぬぬ。」

 

 また牧師が何か言いたげだった、その時。

 

 「オラぁ-!カネを持ってこーい!食いもんもだ!!」

 

 野太い男の声が通りの方から響いてきた。なんだろうと意識がそちらへ向いた直後。

 

 「えーん!おばちゃーん!おねえちゃーん!」

 「うるせぇ!バラバラにしちまうぞ!」

 

 すぐに聞き覚えのある子供の声が聞こえてきて、ツバサと叔母さんは走り出し、牧師もそのあとを追った。

 

 そして3人は驚いた。クララを人質にして男が立て籠もっており、現場は騒然となっていた。

 

 「誰か、誰か姪をたすけてください?!」

 「お、俺武器を持ってこようかな・・・?」

 「待て!これ以上刺激するな!」

 

 ある市民がなんとかしようと行動を起こそうとするのを、ツバサは冷静になって止める。心の中は冷静ではなかったが、他に誰も冷静な人間が一人もいなかったので、ツバサが担当することとした。

 

 強盗は今にもクララを殺してしまいそうだ。しかし、非常に興奮した強盗には迂闊に近づくこともできない。よしんば要求通り金と食料を持って行ったところで解決にはならないだろう。

 

 誰よりも冷静になるべきなのは、まずあの強盗だろう。金に困っているというからには、職を失って自棄になったのか、それに食料まで求めているということはその状態が何日も続いているのかもしれない。だとすればそれは可哀そうなことだった。

 

 ツバサの頭の中でパズルのピースを組みあがっていく。万事上手くいく保証はないが、半分だけでも成功すればかなり接近することができるはずだ。

 

 「よし、お前。食べものを用意しろ。」 

 「は?なんで?」

 「あの子を助けに行くからだよ。叔母さん、カミソリはあるか?」

 「い、家になら・・・。」

 「よし、じゃあお前は食べものを工面してこい。」

 「だから、なんで?」

 「いいから!!」

 「はいっ!」

 

 牧師はツバサに促されるまま、離れていった。ツバサは一旦通りから離れ、叔母さんの家に行く。

 

 「叔母さん、俺の頭を剃ってくれ。」

 「ええっ!?」

 「床屋に任せたほうがいいかもしれないが、時間がない。」

 「いえ、せっかく綺麗な髪なのに?」

 「これからやることに、髪が邪魔になるかもしれない。さあ。」

 「わ、わかったわ・・・。」

 

 椅子に座ったツバサの髪に、叔母さんはカミソリを入れて黒い塊を落としていく。あっという間にツバサの頭は丸坊主になった。

 

 「おい、食べ物もってき・・・ぶほっ。」

 「殺すぞ。」

 「ぶははは・・・どうしたんだそれは・・・?」

 「作戦だ。あとお前の服を寄越せ。」

 「だからなんで?」

 「殺して剥ぎ取ってもいいんだぞ?」

 「わかった!わかったから!ったく・・・。」

 

 そうしてツバサは服を着替えると、あっという間に牧師に成り代わった。

 

 「牧師の恰好なら、強盗も気を緩めるだろう。昔見た映画の受け売りだが。」

 「牧師が行けばいいだけなら、私がそのまま行けばいいだけだったのでは?」

 「お前は怪しい坊主って思われてるからダメだ。頭もそんなによくなさそうだし。」

 「なんだとぉ?」

 「ほらすぐ頭に血が上る。」

 「ぐぬぬ、たしかに。」

 

 着慣れない恰好にツバサがそわそわしていると、部屋の壁に花の輪がかかっているのが見えた。昨日ツバサがクララにあげたものだった。おもむろに手に取ると、それを手首にひっかけた。

 

 「それ、どうすんだよ?」

 「ただのお守りだ。」

 「そっちの革袋は?」

 「こっちもお守り。」

 

 財布の中身のを小さな革袋に移し替え、最後にみずぼらしい杖を持てばもうこの場には金持ちの旅人はいない。

 

 「よし、行ってくるか。」

 

 体術の心得はあるし、強盗一人ぐらいならなんとかならなくもなかったが、人質を一切傷つけることは許されない、下手な手を打てば即失敗、最悪自分が返り討ちにあるかもしれない。正直かなり緊張している。

 

 「食べ物はもってきた!銭も少しはここにある!少し話をさせてはくれないだろうか?」

 

 人垣をかき分け前へ出ると、とりあえず大声で吠えた。自分で吐いた言葉に思わず変な笑いが出てしまった。ここからはアドリブ力も試される。

 

 ☆

 

 家の玄関をまたぎ、壁を隔てた奥の部屋へと自然な足取りで向かう。変な動きを見せれば即命とり、固唾をのんで奥の部屋を覗き込む。

 

 「そこで動くな!」

 「おう。」

 

 奥の部屋はリビングだった。そこの窓際に強盗はいて、その手の中にクララがいる。止まれと言われたのでひとまずは止まった。

 

 「なんだ坊主!説教なんざ受けないぞ!」

 「まあ、落ち着け。あんた腹が減っているんだろう?腹が減っていては腹も立つものだ。」

 「うるさい!」

 「ほれ、ここに置くぞ。」

 

 パンや果物の入った籠を、手近なテーブルに置くとサッと身を引く。今強盗の手は両方とも塞がっているが、食べるためにはどちらか片方の手は離さなければならない。つまり、なんとかして食べさせればほぼ勝ちということだ。

 

 しばし沈黙の時間が流れた。ツバサの背にも嫌な汗が浮かび始めた。

 

 「どうした、食わんのか?」

 

 ここでアドリブをひとつまみ。籠の中のパンをひとつとると、おもむろにかじり始める。ごくごく普通の黒パンだが、まあ不味くもない。野菜を食べられない子供には、まず自分が食べて見せるのが大事と、人生から学んでいた。

 

 「・・・くっ。」

 

 クララを引きずってテーブルに移動した強盗は、刃物を置くとパンや果物にかじりつき始めた。

 

 (第一関門突破か・・・。)

 

 だがまだ焦ってはいけない。クララはまだ手中にあるし、武器も手元に置いてある。それに、食事中の動物というのは気が立っているというもの。下手な動きを見せれば途端に窮地に陥ることだろう。ツバサはただじっと、強盗が食べ終わるのを見つめる。

 

 少し、観察をしてみる。こいつはどういう人間だろうか。歳はツバサとそう離れてはいなさそう、それか少し下くらいか。腕っぷしはよさそうだが、身なりは髭が生えっぱなしで髪もボサボサであまりよくない。一人でいることから、ただの山賊や盗賊ではないと思った。

 

 そして何より気になったのが、持っていた刃物だ。野良仕事に使うナタやナイフではない、包丁だ。だがよく使いこんであるようだ。

 

 「その包丁は、お前さんのものか?」

 「あん?・・・そうだよ。」

 「では料理人か。料理人が商売道具を強盗に使うというのはよくないな。」

 「うるせえ!ぶっ殺すぞ!」

 「包丁は食材を切るものだろう。」

 

 食べ終わった強盗は包丁を再び握ると強言を振りまく。どうやら包丁を咎められたことに動揺している様子だった。

 

 (怖気づくな・・・飲まれたら終わりだ・・・。)

 

 一歩進んでまた一歩戻った気分だが、少しずつこの男のことが見えてきた。

 

 「金が欲しいのか?まあ、誰でも金は欲しいわな。」

 「そうだ、金をよこせ!持っているんだろう?」

 「ここにある。僅かだが、この町を出て身を持ちなおせる程度はあるだろう。」

 「よこせ!」

 「だが、この金はある男が故郷へ帰るために必要な大事な金なんだ。」

 「それがどうした!」

 「その男はな、その大事な金を渡してでもその子を助けたいと思ったのだ。くれてやってもいいが、まずその子を解放してくれ・・・いや、話をさせてくれないだろうか?」

 

 この牧師がその男本人だということを除けば、嘘はついていない。実際のところ今ここで渡してしまうのは口惜しいし、渡すつもりもない。ホイホイと渡してしまえば増長するだろうし、ツバサもそこまで人が出来ていない。

 

 「金が欲しければ、仕事をして稼げばいい。なぜそうしない?」

 「・・・仕事が出来なくなったんだ!

 「なぜ?」

 「おととい、お袋が死んだ!」

 「・・・それで?」

 「お袋を治すために、店の土地も売ってしまった!もう何も残ってないんだよ!」

 「そうか・・・。」

 

 やむにやまれぬ事情があって、その上で罪を犯してしまう。ままよくあることだろう。誰にでも起こりうること、ならばこそ。

 

 「それは辛かっただろう、苦しかっただろう。だが、辛いから、哀しいからといってそれが何をしてもいい理由にはならん。」

 「説教のつもりか!」

 「いいや、信じているだけだ。母親を助けようとという男が、どうして見ず知らずの女の子を傷つけられようか?」

 「ぐっ・・・。」

 

 後ろめたいことがあるのか、強盗の手がわずかに震えている。

 

 「人生、理不尽なこともあれば、もうどうにでもなれとなってしまうこともある。だがそれで投げ捨ててしまっては、みすみすチャンスを逃してしまう。」

 「こんな俺に、まだチャンスがあると?」

 「昔、あるところにお前と同じようににっちもさっちもいかなくなって、野盗をしている男たちがおった。だがそいつらも改心して故郷へ帰ると、身を持ち直して大きな傭兵団を結成したんだ。理不尽があるように、思わぬチャンスは巡ってくるものなんだよ。」

 

 これは確かな体験談だ。持つべきものは机上の空論よりも確かな経験というわけか。これで彼らには二度も助けられたことになる。心の中で礼を言う。

 

 このままだと路銀を渡す流れになってしまうが・・・まあ仕方がないだろう。ひとまずはクララが助かればそれでよしとしよう。もう一度金の入った革袋を見せると、最後のトドメを刺す。

 

 「さあ、これが最後のチャンスだ。その子を渡すか?それともこのチャンスを捨てるか?」

 

 強盗は少し逡巡すると包丁を捨て、クララを掴んでいた手も離した。解放されたクララは、へなへなと床に座り込む。ツバサもほっと息を吐くと駆け寄ってクララを抱き寄せる。

 

 「よかった・・・怪我はないか?」

 「うん・・・。」

 「ああ、よかった。本当によかった・・・。」

 「あれ・・・これ・・・。」

 

 そこでようやく、クララは自分を抱きしめる牧師が、花輪を手首から下げていることに気が付いた。

 

 「ああ、これは君のものだよ。」

 「どうして・・・あっ!」

 

 ようやく気付いたか、と頭を撫でてやるとクララも嬉しそうにツバサの胸に顔をうずめた。強盗がその様子を怪訝な目で見ていることに気づいて、気をそらさせるために革袋を投げて渡す。

 

 「そら、くれてやる。それでどこかへ行って、もう悪いことはするなよ。」

 「ああ・・・わかった。」

 「それにしても、なぜこの子を人質にしたんだ?」

 「昨日、高そうな指輪を持っていたから。」

 「なるほどな・・・。」

 

 結局、ツバサの不注意がすべての原因だっということか。やれやれと顔を伏せてクララの頭をそっと撫でてやる。

 

 「クララ、このおじさんを許してあげてもいいか?このおじさんも好きで強盗していたわけじゃないんだよ。」

 「ごめんなさい。」

 「・・・うん、いいよ。」

 

 とにかくこれで一件落着。悪党ではあっても悪人ではないようだし、そもそもツバサに誰かを裁く権利も持っていないことだし、野放しにしてしまっても大丈夫だろう。あとはもう知らん。

 

 「むっ、どうやら警備兵が来たようだな。」

 「ようやくか。この場はどうにかとりなしておくから、お前はこっそり裏口から逃げな。」

 「いや、あんたやその子に許されても、罪は罪だ。しっかり償うよ。」

 「そうか、好きにしろ。」

 

 どれどれ、とツバサも窓の外を眺めて驚愕した。

 

 「ゲェ-ッ!町の警備隊でも国境警備隊でもなければ、なんでフェリス領の兵隊がここにいるんだ!」

 

 窓の外でに我が物顔でたむろしている兵隊のシンボルには見覚えがあった。ここいら一帯の支配者であるフェリス領の親衛隊の鎧とシンボルだった。おだやかな町にはおおよそ似つかわしくない物々しい雰囲気を醸し出している。

 

 この時ツバサは知る由もなかったが、タイミングの悪いことに、フェリス領の幹事たちが、ハンドの町にみかじめ料の取り立てに来ていたのだった。

 

 地方勤務の国境警備隊ならばいざ知らず、正式軍、それも親衛隊クラスとなるとお尋ね者のツバサの顔を知っているやつもいるかもしれない。見つかってしまえば一巻の終わりだった。

 

 のこのこ出ていったらすぐに見つかる。裏口からこっそり逃げることになるのはツバサの方だった。

 

 「クララ、俺の服を叔母さんが預かっているから、宿の方に持ってくるよう頼んでくれるか?」

 「えっ、なんで。」

 「ごめん、もうすぐにこの町を離れなくちゃいけなくなってしまった。」

 「えぇ!?一緒にロココ村に行くんじゃないの?」

 「ごめん、そうだったな。時間はかかりそうだが、回り道をしてロココ村には必ず行く。また会える。」

 「うん・・・わかった。」

 「お前も達者でな。」

 「ああ、けどあんたは一体・・・?」

 「聞くな。」

 

 クララと男が玄関の方へと歩いていくのを見送ると、ツバサも裏口からこっそりと逃げ出し、路地を通って宿屋へと帰還する。

 

 「ほらソラ、もう行くぞ。」

 「ブルルッ。」

 

 荷物をまとめてチェックアウトし、厩でソラの綱を外す。

 

 「おじさーん!」

 「おっ、来た。」

 

 クララがツバサの服と外套を持ってくると、急いで着替えてソラに跨る。

 

 「じゃあな、クララ。また会おう。」

 「うん、おじさんも元気でね!」

 

 町の入口のゲートに警備兵が数人立っているのにも構わず、ソラはトップスピードで走り抜ていった。

 

 ☆

 

 少しして、ハンドの町を遠くに見下ろす丘の上でソラは止まった。

 

 「ここまでくれば大丈夫か・・・。」

 

 ツバサも緑の降り立ち、腰を下ろす。なんとか丸く収まったが、こんなに緊張することも久しぶりだった。武装した人間を相手することは珍しくもなかったが、殺さないようにするのはもっと大変だった。同じく丸まった頭をさすりながら水筒に口をつける。

 

 一息ついて思い至る。こんなところにまでフェリスの兵隊が来ているとすれば、関所にも配置されているかもしれない。万一のことを考えると関所は避けるべきだと。

 

 クララと一緒に村に行くという約束は果たせそうにない。しかし、ロココ村にアマハ村から来た人が大勢いるとすれば、知っている人もいるかもしれない。行かないという手はない。

 

 さしあたってまずは回り道のルートを探そうかと地図を広げて眺めていると、そこへ早馬がやってきた。馬に乗っている者の服装には見覚えがあった。あの牧師である。

 

 「おお、こんなところにいたか。」

 「なに?まだなんか用?」

 「いやいや、強盗を説得して人質も助けるペテン・・・ではなく手腕見事だった。」

 「あの男が悪人じゃなかったってだけだ。」

 

 馬から降りてきた牧師はツバサの前に立つ。その眼を輝かせ、ツバサのことをほめちぎる。そして輝きがあるということは影もあるということで、裏の事情があるんだろうということを察した。

 

 「それでどうだろう、我々ゼノン教団で働いてくれないだろうか?」

 「断る。新興宗教の勧誘なんてやってられるか。」

 「勧誘なんてケチな真似じゃない、もっと大きく、幹部として大々的に活躍できる人材だとニラんでいる!」

 「もっとお断りだ。」

 

 似たような話を10年ほど前にされて、それが今の状況につながっているのだ。もう誰かに祭り上げたり、利用されたりするのはごめんだ。

 

 「ロココ村まで行きたいんだろう?しかし、路銀は渡してしまってもう無い。」 

 「そうだよ、だからもうあっち行け。」

 「まあ聞けよ、なにも一生教団尽くせとは言わん。ただ司教さまに会ってほしいんだよ。」

 「司教?」

 「ゼノン教団の偉い人だ。ここから北にある古い寺院に今は来てらっしゃるんだ。司教さまなら何か施しをくださるに違いない。」

 

 地図に目を落とす。北の寺院ならばそう遠くはないし、関所を迂回するルートもある。どの道寄ることにはなりそうだ。

 

 「わかった。そこまで言うなら行ってみよう。」

 「そうこなくっちゃ!」

 

 いいように丸め込まれてしまったようだが、今は仕方がない。目的地はもう目と鼻の先だというのに歯がゆい思いをさせられる。

 

 ☆

 

 さてこれもまたツバサの知らないところで起こった、ツバサの知らない話。ハンドの町、クララの叔母さんの家では。

 

 「この髪は・・・この色、この艶、旦那様のものでは!?」

 「リネアおねえちゃん?」

 

 ようやく解放されたクララのもとに、ロココ村から『おねえちゃん』が

やってきた。おねえちゃんはクララが人質事件に巻き込まれたことに驚いたが、それ以上に叔母さんの家に散らかっていた髪を拾って驚いていた。

 

 「これ、この髪の持ち主は今どこに?」

 「一緒にロココ村に来てくれるはずだったんだけど、急いで出かけていっちゃったの。」

 「アマハ村に行く予定だったのよね。」

 「アマハ村に・・・その人の名前は?」

 「・・・あっ、知らない。」

 

 ショートヘアの純朴そうなおねえちゃん、リネアはひどくショックを受けたように、それでいて嬉しそうに頷いた。

 

 「でも、旦那様に間違いない・・・すぐお嬢様にお知らせしないと!」

 

 ☆

 

 「へい、コロッケおまち!」

 「「わーい!」」

 

 食堂におっちゃんの声が響く。熱々に揚がったコロッケにアキラとドロシーの二人はかぶりつく。サクサクの衣に、ジャガイモの甘みがマッチしている。

 

 「いやしかし、こんな映画か小噺のような話が本当にあったのかね?」

 「ん?本当だそうだぜ。クララ婆も言ってたし。」

 「本当に好かれてたんだな、ツバサのやつは。」

 

 この話も、ツバサの冒険のほんの一部に過ぎないが、多くの人から好かれる人柄だということが分かった。

 

 「さっきから聞いたけど、クララ院長の話をしてたんだな。」

 「おう、そうだぜおっちゃん。」

 「懐かしいなあ、俺があの人に会ったのはまだガキの頃だったけど、親父のやつ頭が上がらねえってんで面白いのなんの。」

 「へえ、おっちゃんのお父さんも世話になってたんだ?」

 「いやそうじゃねえ、さっきの話に出てきた強盗が、俺の親父なのさ。」

 「「えっ、そうなの?」」

 「そうだぜ、身を持ち直した親父は料理人としてここに雇ってもらったってわけさ。」

 「今日一番の驚きだな・・・。」

 

 カラカラと笑うおっちゃんが、コロッケのおかわりを持ってきてくれた。

 

 「さっ、食ったらおめえたち修行すんだろ?晩飯までめいっぱい腹空かしておけよ!」

 「おう、サンキュー!アキラいこーぜ!」

 「まだ食ってるでしょーが。」

 

 ドロシーはアキラの腕を引っ張り食堂を後にする。




 まだ他の話が形が出来てないのでまたしばらく更新はしないかな・・・


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783-ノルンとクレアとの出会い

 今日は生憎の雨。ジメジメとして蒸し暑い空気が漂い、誰もが額に汗粒を浮かばせている。そんな御多分に漏れず、キャニッシュ私塾の天守では人がひしめき合っている。

 

 「こういう日こそお茶会日和ねー。」

 「雨だろうが晴れだろうがやること変わんないんじゃないのか。」

 「雨には雨のお茶があるの。」

 

 そうティーカップを口元へ動かすのは、このキャニッシュ私塾で一番偉いアイーダ塾長である。その娘エリーゼと、姪っ子のドロシー、そしてアキラがいる。

 

 お茶請けのお菓子は、みんなエリーゼが焼いてくれたものばかり。アップルパイにアップルクッキー、アップルスコーンなどなどリンゴ尽くしだ。

 

 「リンゴばっかりで飽きない?」 

 「ひとくちにリンゴって言っても色々品種があるからそんなに飽きないと思うけど。」

 「俺はもう飽きた・・・醤油味の煎餅が食べたい。」

 

 飲んでいるお茶もアップルティーと来たもんだから、舌がバカになりそうだった。砂糖はほとんど使われていないので糖尿病の心配はなさそうだが、甘党にも相当きついだろう。

 

 「まあ、ここら一帯には野生のリンゴが自生してて、それを品種改良して食べてるってのは知ってる。」

 「昔は酸っぱいリンゴしかなかったけど、おじい様が品種改良をしていったのよね。」

 「そのおじいさまは、どのおじいさま?祖父以上の人物が多すぎて判別つかんのだけど。」

 「大叔父さんのワタルおじい様ですわ。」

 「今はゼノンの枢機卿をやってる。」

 「どんな役職?」

 「すごい偉い人。」

 「お前にはもう期待せん。」

 

 リンゴ尽くしに食傷気味になったアキラは、渋いお茶が恋しくなった。いっそ塩でもいい。甘い以外の味が欲しい。窓の外に広がる海水を味わうことになるやもしれない。

 

 「枢機卿は、ゼノン教団の2番目の地位にありますわ。最高裁判で有罪か無罪かの判決を出せる権限がありますの。」

 「そりゃあすごいな。」

 「ええ、だからゼノンにとっての有罪である『技術開発』を任されてもいるのよ。枢機卿だけは『無罪』に出来るから。」

 「つまり暗部か。」

 「頑固だけど良い人ですのよ。」

 「ふーん。」

 

 ワタル・ロア・キャニッシュ。キャニッシュ4姉弟の次男で、キャニッシュ邸の門の前に置かれていた出自不明の赤ん坊だったが、ツバサことダイス・キャニッシュは養子に迎え入れる。その後、ゼノン教団の研究機関でめきめきと頭角を現し、現在の地位に至る・・・といったことがツバサの自伝には書かれていたのをアキラは思い出していた。

 

 ただ、ワタルは現在なおも未婚で子供もいないという。長男ジークの孫がエリーゼで、次女トワイライトの孫がドロシーで、同じく養子である長女ノルンも同様に未婚である。何か示唆するものがあるのかは知らない。

 

 「ふーん、まあとにかく長男ジークがいたおかげで今エリーゼや塾長がいるわけか。」

 「そうそう、エリカおばあ様とは舞踏会でたまたま見かけてそれ以来ゾッコンだったそうですわ。」

 「私もワルツとは武闘大会でたまたま会ったのがきっかけだったわ。」

 「一目惚ればっかりかい。」

 「いわば一目惚れの家系ね。」

 

 そして今の世代はエリーゼとガイがお互い一目惚れをしていて・・・血は争えないようだ。

 

 「じゃあ、ツバサも一目惚れだったのか?」

 「いいえ、おじい様とおばあ様は表向きは政略結婚だったわ。」

 「でも『表向き』はなんでしょう?」

 「ええ、紆余曲折あって本当の愛が実ったの。」

 

 貴族のロマンス、政略結婚、真実の愛、女の子の喜びそうな話題だ。自然と話はヒートアップしていっているが、お茶に口をつけられないアキラは逆に置き去りにされていっていた。

 

 ☆

 

 「さて、わかっているな『ダイス・アヴェム』卿?」

 「気が進まん。」

 「その目つきはやめておけよ。これから行く場所では特にな。」

 

 ガタガタと揺れる馬車に居心地悪そうにツバサ・・・もといダイスは堅苦しい礼服を纏って乗っている。よくわからない液体で固められた髪を掻きむしりたい気持ちをぐっと抑え、同じように整えられたヒゲをいじりいじりしながら、対面に座る『秘書』に視線を送る。

 

 「ならもう一度説明しよう。これから俺たちは、」

 「後ろ盾を手に入れるための同盟相手を見つける。今から行くお茶会には、多数の有力者が出席しているから適当に見繕う。」

 「よくわかってるじゃあないか。」

 「その手段が政略結婚という点に目をつぶればな。」

 

 ヒゲをいじるのをやめて、深くため息を吐く。ひょんなことから小さな小さな領地があるだけのアヴェム伯爵となったツバサは、ダイス・アヴェムと名乗って今に至る。

 

 一介の村人、兼足軽長が貴族の仲間入りと聞こえはいいかもしれない。だが実際のところ、カルヴス公爵領の臣下のピューリィ侯爵領のさらに隅にあるアヴェム伯爵領地は狭い、特別な生産物もない、碌に軍備も敷かれていない、とないない尽くしの田舎村の土地そのものだった。貴族とは名ばかりで、大きな町の商人の方がお金を持っていそうなぐらいだ。その正体がしかも

 

 「何を馬鹿な。政略結婚など普通のことだぞ。」

 「そりゃこっちの世界の常識ではそうなんだろうけど。」

 「郷に入っては郷に従え、という諺がある。」

 「知ってる。けどこちとら既婚者なんだぞ?重婚は罪だろう?」

 「ツバサはな。だがアヴェム伯爵は違う。」

 

 この秘書、ノアールと出会った次の日にはツバサは自分の身の上は説明していた。だというのに強く『頼み込まれた』ことでツバサはしぶしぶアヴェム伯爵という役割を演じることになった。

 

 ようやく故郷の村、アマハ村の開発が軌道に乗り始めたというのに、本当ならこんなところにいるつもりはないのに、と鬱憤ばかりが心の中で積みあがっていく。

 

 思い返されるのは、村を出発するときにした妻・ナナミとの会話。領地同士の小競り合いに巻き込まれ、足軽として戦場に駆り出されることとなったあの日のこと。長くとも冬が終わるまでには帰ってくるという約束をしてきたのに、肝心の小競り合いも終わってもう麦の刈り入れの時期だ。

 

 (今年は雨が多くて心配だったんだけどなぁ。)

 「ほら、黄昏てないでもっとシャンとしろ。」

 「大体、30代のぽっと出の無名領主に結婚相手なんか宛がえられるのかよ?」

 「ツラはいいんだからなんとかなる。」

 「こんなヒゲまでつけさせやがって。」

 

 貴族の間では、立派なヒゲを蓄えているのが男らしさの象徴として流行っているが、童顔のツバサにはヒゲどころかムダ毛も全然生えていなかった。なので今は配管工のおじさんを思い起こさせるつけヒゲをつけている。

 

 「お前には生まれ持ったカリスマとマンパワーがある。年頃の箱入り娘の一人にでも粉をかけてこい。」

 

 大層な買い被り方に対してやらせることがみみっちくはないか。

 

 「・・・わかった。お前は何をするんだ?」

 「俺はいい物件を探して、『お前のこと』を売りこんでくる。」

 「セールスか。」

 「逆に考えろ、新進気鋭の若手領主が担う未開拓の領地、それはこれからどんどん大きくなっていくということだ。頭のいい領主なら逃す手はない。」

 「もっと頭のいい領主はうま味をかすめ取ることを考える。」

 「だから御しやすいのを見繕ってくる。近場で、それなりに利の大きそうな領地経営者をな。政略結婚というのもあくまで手段の一つだ。」

 「体に|のし〈・・〉つけられて献上させられないことを祈るよ。」

 

 そうこうしている内に目的地の公爵の屋敷が見えてきた。貧乏伯爵のボロ屋敷とは門構えからして違う。なにせ駐車場となっている門前の広場だけで、ダイス・アヴェムの屋敷がすっぽりと収まってしまう。

 

 何台も豪華な装飾が施されたが停められていく中、中古で時代遅れのデザインの馬車は少し回りの目を引いた。だが中から降りてきた堂々としたたたずまいの紳士に、それは失礼にあたると思い視線を離した。

 

 「招待状を拝見。」

 

 まるでランウェイを行くかのように自然に堂々と歩く姿はまさに貴族そのもので、その不興を買わぬようにとドアマンも務めた。

 

 「ところでこの招待状、どこで手に入れたんだ?」

 「とある伯爵の家から、ちょいとね。」

 「コソ泥め。」

 「いずれこの屋敷もいただくとするよ。」

 

 クククッと嗤うノアールから目を背けて、ツバサは極めて冷静を保った。

 

 ☆

 

 噴水や花壇が整備された中庭に、参加者の多くは集まっている。ある者は親睦を深め、ある者は儲け話を交換し、またある者は他人の醜聞を好き好んで集めたり。

 

 そんな誰しもが誰かと組んで話し込んでいる中、庭園の隅で黙々とお茶を嗜んでいる男が二人。

 

 「ふーん、なかなかおいしいな。」

 

 日本では何度も茶道の茶会には参加したことがあるが、このような貴族のお茶会というのには初めて参加することになる。一応基本的なマナーや作法は予習済みで来ているし、いざというときの対処も何通りもシミュレート済みではある。

 

 「呑気に飲んどる場合か。」

 「まあ待て、まずはゆっくり楽しむとしよう。それに常に自分の得意な間合いを測れって言うし。」

 

 ヘマをする可能性は限りなく低くしてきているとはいえ、ただでさえボロが出易そうな状況に自分から突っ込んでいけるほどワイルドではない。もっとクレバーに、獲物が針にかかるまで体力と精神力を温存させるのだ。

 

 やがてお茶会が宴もたけなわとなってくると、余興を求める若い者がヒートアップしてくる。まあ、ちょっとした喧嘩のようなものだ。

 

 「火事と喧嘩は江戸の華、なんて言うし。」

 「あれに参加でもするのか?」

 「見る阿呆に徹するよ。」

 

 日本で言えば高校生ぐらいの年頃の男子たち、その話題と言えばやはり『モテたい』という願望。そこで男らしいところを見せるために、決闘ごっこを興じているというわけだ。

 

 「こうして見ると、案外変わらないものだな。ああいう年代が何を考えているかとか、ひいては人の考え方だとか。」

 「お前にもそういう年頃があったのか?」

 「まあ、人並みにはな。しかし決闘ごっことはな。トランプとかもあるだろうに。」

 「あれは軍人の家柄だな。遊びとはいえ基礎はしっかりとしているぞ。」

 

 しかし誰も止めないということは、これもまた余興の一つなのだろう。大人たちも微笑ましそうに見ている。少々居心地悪そうにツバサはお茶請けのお菓子に手を伸ばす。

 

 「あっ、ヤベッ。」

 「んっ?」

 

 と、そのテーブルにどこからか白い手袋が飛んできた。ツバサは意に介さずつまんでテーブルの端においやる。

 

 「あ、拾ったな。」

 「ん?まさか。」

 

 そのまさかだった。どういう運命のいたずらか、偶然宙を舞った手袋をその場にいた誰もが視線で追い、一瞬にして注目が集まった。

 

 「・・・マジかぁ。」

 「ププー、ツイてねえの。」

 

 据え膳食わぬは男の恥、賽は投げられた。舞台に上がる時が来た。カップに残ったお茶を飲み干すと、襟を正して心持ち声を張り上げる。

 

 「お集りの皆さま、初めまして。私はアヴェム伯爵領主、ダイス・アヴェム。私をよく知るものからは『新進気鋭の期待星』と呼ばれています。」

 

 嘘はついてないが、傾聴していた大人たちはひそひそと内緒話を始める。アヴェム伯爵?聞いたことがないぞ、と。

 

 「余興にひとつ、私の得意としている武術をひとつ披露させていただきたい。ノアール、そこの庭園のリンゴを1つ貰ってきてくれ。」

 「おう。なにかよくわからんが、よし。」

 

 そんな張り詰めた空気も構わずに、ツバサは袖から一本の長いロープを取り出す。その先端には短い金属の棒が括り付けてある。

 

 「これからお見せするのは『縄鏢』という武器です。危ないので今一歩お下がりください。」

 

 縄鏢とは中国に伝わる暗器のひとつで、棒手裏剣がついている縄を振り回す、というシンプルなもの。

 

 それをツバサは舞うように巧みに操り、空を切るたびにオーディエンスからはおおっという感嘆の声が上がる。

 

 「持ってきたぞ。」

 「そのまま。」

 

 そこへ哀れな子羊・・・ではなく、ノアールが小さなリンゴを手に乗せてやってくる。

 

 「おわぁっ!」

 

 即座、ツバサの縄鏢がリンゴを粉砕すると、一瞬のどよめきの後に拍手が巻き起こる。そして宙を舞う棒手裏剣がするりとツバサの手に納まると、オーディエンスの喝采は最高潮に達する。特に、先ほどまで決闘ごっこに興じていた若者たちは熱い視線を送ってくる。

 

 「ご覧いただき、ありがとうございました。」

 

 ツバサは丁寧に礼をすると、腰を抜かしているノアールの手を引いて起こし、元のテーブルに戻る。

 

 「キサマ、よくも。」

 「さっき笑った罰だ。」

 

 縄鏢を袖に仕舞うと、注ぎなおされたお茶に口をつける。人前で披露するのは久しぶりだったが、さほど緊張も失敗もしなかった。芸は身を助く、というやつだ。

 

 「アヴェム伯爵!」 

 「アヴェム様。」

 

 そして注目を集めたツバサは一息つく間もなく囲まれた。一人の貴族として、というよりも余興の道化師として人気という形だが、それでも話し相手が増えてくれることは喜ばしい。

 

 「アヴェム領には、何があるんですか?」

 「まだ何もないですが、これからなんでも作っていく予定ですよ。」

 

 ここからはペテン師、もとい秘書のノアールの仕事だ。口八丁手八丁で言いくるめて、資金とコネを集める。連絡先の書かれた名刺を交換していきながら、ノアールは心の中でしめしめと薄ら笑いを浮かべていた。

 

 「アヴェム伯爵!さっきの技を教えてください!」

 「剣も上手いのですか?」

 「師匠の教えがよかったのさ。」

 「その師匠を紹介してください!」

 「もう死んだよ。」

 

 一方ツバサの方はと言うと、すっかり子供たちの注目の的となっていた。子供というのは新しいものが好きだし、その点急に現れたアヴェム伯爵というのは理想のヒーロー像としてぴったりだった。

 

 「私でよければ相談にでも乗ろう。手紙書いてくれよ。」

 「えっ、名刺をくれるんですか!?」

 「くれぐれも捨てないでね。」

 「大切にします!」

 

 ツバサも、大人のドロドロとした腹芸よりもこうして子供の相手をするほうが好きだった。どれ、自分もひとつとノアールの見様見真似に名刺を配っていく。

 

 「ちょっ、なにしてんの。」

 「なにって、名刺配ってるんだよ。」

 「ちょっと、こっち来い!」

 

 襟首をひっつかんでノアールがツバサを中庭から離れた回廊に連れていく。

 

 「お前、|名刺〈それ〉を渡す意味わかってんのか?」

 「コネクションを作る。そうだろう?」

 「子供とコネなんか作ってどうするんだよ!もっと相手は選んで、自分の得になるようにだな・・・。」

 「将来的にはあの子たちが家督を継ぐんだろう?なら今のうちにつながりを作っておくのも間違いではないだろう?」

 「お前、今の状況を辞めたいのか続けるつもりなのかどっちなんだ・・・まあそれも一理あるかもしれないが、バックボーンがなにもわかってない相手にホイホイ渡すものじゃないんだよ。」

 「そうか、それは考えていなかった。」

 

 たとえ領主であっても次の舞踏会やお茶会にも誘われるとは限らず、基本的に一期一会な貴族の関係上、名刺を渡す・交換するというのは非常に大きい意味があった。また、有力な領主や富豪の名刺は是が非でも欲しいということもままあることで、必然『名刺』そのものにも一定の価値があった。

 

 「逆に言えば、ホイホイ名刺を渡すのは世間知らずも甚だしいことなんだよ。」

 「でも、あれぐらいの年頃の子たちは名刺貰えたら嬉しいだろう?俺も結構もらってたけど。父さんの仕事上。」

 「それはお前が特別だっただけだ。」

 「それもそうか。」

 

 郷に入っては郷に従え、だったな。いつまでも前の世界に思いを馳せていても仕方がないし。

 

 とりあえず、渡してしまったのはしょうがないとして名刺を渡した子供たちの名前だけ把握しておくことにした。

 

 「カムル・ゲオスク、タタル・バキュラに、シャドラ・カサーノね・・・。」

 「まったく、自分で蒔いた種なんだから、自分で面倒見るんだぞ。」

 「わかってる。ちょっとお茶飲みすぎたから花摘んでくる。」

 「早く帰って来いよ。」

 

 やれやれ、本当にわかっているのかとノアールはツバサの後ろ姿を見送る。煮ても焼いても食えないやつだが、良識はあるものだと思っていた。その考えはどうやら少々見通しが甘かったかとも今思った。だがそれ以上に役に立つ人材だとも確信していたし、その手綱を自分が握っているという自信もある。

 

 その絶対的な自信がノアールに野心を抱かせてくれた。冷たい牢獄の中で腐り落ちていくだけだった自分に、野心の炎を灯してくれたことを本当の本当に感謝していた。

 

 ☆

 

 「こうも広いとトイレがどこにあるかもわからないな。」

 

 やれやれと一息付けたツバサは、ぶらぶらと屋敷の中を見物していた。さすが公爵の屋敷とあって、どこもかしこもピカピカで、壁には高そうな額縁が飾られている。曰く、この屋敷は別荘のようなもので、本宅は別にあるそうだが、別荘でこれだけなら本宅は一体・・・と月並みな感想が湧いてきた。

 

 ひとつ、装飾や調度品を参考にさせてもらいたいと思いながら見て回ると、先ほどの茶会の会場とは違う中庭に出た。そこは見事な花々が咲き誇る花園だった。一歩足を踏み入れれば芳醇な香りに包みこまれる。心が和む。

 

 枯れた花弁というものが見当たらないからには、今日のためによほど入念に手入れされていたのだろう。そんなことが気になるツバサは、我ながらひねくれているなと心の中で自嘲しながら、色鮮やかなバラをしばし楽しんだ。

 

 同じように花園にいる人たちの姿がまばらに見えていたが、皆他の人と話しこんでいて花を見ようとしていない。木を見て森を見ず、といったところか。

 

 そんなところ、ひときわ頭身の小さい淑女が花壇のひとつの方をじっと見ているではないか。金髪で、年頃は6、7歳といったところだろうか。何を見ているんだろう?とツバサは近寄ると、ふっとその少女は振り返った。

 

 「あっ・・・。」

 「ん?どうしたの?」

 「えっと・・・その・・・。」

 

 腰を落として目線を合わせてあげるが、少女は目線を落としたままでしどろもどろに受け答えする。なんだろう?とツバサは少女が見ていた先に目をやる。

 

 「ああ、なるほど。あそこに落としたんだな。」

 「うん・・・。」

 「ちょっと待ってな。とってあげる。」

 

 バラの花壇の中央に、綺麗な装飾の施された短い棒のようなものが落ちている。おそらくこの子の|かんざし〈・・・・〉だろう。なぜあんな場所に落ちているのかは謎だが、花壇は子供には背が高いし、バラには棘が生えているしでどうしようもなかったんだろう。

 

 さて、ツバサも綺麗な花壇を踏み荒らす気にはなれなかったので、再び袖から縄鏢を取り出すと、ピョッと投げて上手く引っ掛けて手繰り寄せることが出来た。

 

 「はい、これ。綺麗だね。」

 「うん、これお母さんの・・・。」

 「そっか、お嬢さんのお名前は?」

 「ノルン、ノルン・ビッシャー。」

 「ノルンか、かわいい名前だ。かんざし付けてあげるよ、ノルン。」

 

 後ろを向くように促すと、ノルンはきょとんとした顔をした後にかんざしを渡してきた。

 

 「ひょっとして、かんざし付けたことないの?というか、これかんざしなの?」

 「かんざし、ってなに?」

 「これ、髪に付けるものじゃないの?というかそうなんだよ?」

 「そうだったの?」

 「お母さんにもらったんじゃないの?」

 「お母さん、いないの・・・。」

 「そっか・・・。」

 

 ノルンの髪は綺麗でよく手入れされているようだが、かんざしを使ったことがないどころか使い方も知らなかったとは。

 

 「じゃあ、自分で付けられるように教えてあげよう。」

 「うん。」

 

 ツバサは持たされていた手鏡をノルンに渡し、後ろが見えるようにさせる。

 

 「まず、一本にまとめて、ちょっとねじって・・・。」

 「ふんふん。」

 

 茶道もそうだったが、髪の結い方も一通り習っている。着物の着付けも出来るが、この世界で生きてきた今まで『和服』は見たことがないので無用なスキルだった。

 

 そういえば、このかんざしは綺麗な漆塗りだが、漆も見たことがない。外国に行けばそういうものもあるのかもしれないな。懐かしいものは取り入れたい。

 

 「できた、これがかんざしの付け方だよ。」

 「わぁ・・・ありがとう!これお母さんと同じ髪型だ!」

 「どういたしまして。お父さんはどうしてるの?」

 「今日一緒に来たの。」

 「そうか、そうだろうね。そうだ、ノルンにもこれあげよう。俺の名刺。」

 「めいし?」

 「そ、住所書いてあるから手紙書いてね。お父さんにも挨拶したいんだけど、どこにいるかわかるかな?」

 「わかんない・・・お話してるからあっち行ってなさいって。」

 「そうか。友達は?」

 「みんな意地悪する。」

 「ふーん。」

 

 どうしてあんな場所にかんざしが落ちていたのかもそれなら納得できる。どうにも放っておけない子だな、とツバサでなくても思うことだろう。

 

 「あっ、こんなところにいやがったな。本当に花を摘みに来るやつがあるか。」

 「ああ、ノアール。ビッシャー家って知ってる?」

 「ビッシャー家?あまりいい噂も聞かない木っ端貴族だな。で、それが何?」

 「この子がその家の子らしいんだけどね。」

 「それを先に言わんか、誰が耳を立てているかわからないというのに。」

 「木っ端貴族なのはお互い様だろ。」

 

 ここでようやくノアールはノルンの存在に気が付いた。

 

 「で、それがどうしたんだ?」

 「うん、同盟相手にどうかと思ったんだが。」 

 「ナシだな。得になることがひとつもない。」

 「そうかもしれんが、千里の道も一歩からとか言うだろ?」

 「目的地どころかただの寄り道だわ。」

 「すべての道はローマに通ず、とも言うし。」

 「どこだよローマって。」

 

 ノアールは呆れたように首をすくめた。我ながら素っ頓狂なことを言っているとはツバサにもわかっていたが、それでも食い下がる。

 

 「読めたぞキサマ、まさかその子供に絆されて・・・。」

 「まあ、そんなところだ。」

 「お友達になら勝手になっていればいいだろう?それぐらいなら別に構わん。」

 「この子を引き取りたいと思っている。」 

 「お前はアホか?」

 「アホなこと言ってる自覚はあるさ。」

 

 文字通り親子ほどの歳の差があり、もらうとすれば養子縁組ということになるだろうか。

 

 「ノルン、兄弟はいるかい?」 

 「うん、けどお兄ちゃんたちもイジワル・・・。」

 「だってさ。」 

 「あのな、そんな飼い猫がいっぱい赤ちゃん産んだから一匹貰うってみたいに出来るようなものじゃないんだぞ?」

 

 ねー、と顔を合わせあうツバサとノルンに、心底あきれ返ったようにノアールは言葉を続けた。

 

 「養子縁を組むというのは、血縁のある家から世継ぎのために貰うのが普通だ。俺たちが欲しいのは強い後ろ盾で、そんな弱小貴族の血を入れる余地はないんだよ。」

 「なら、それはそれで別に組めばいいだろう?」

 「絶対にややこしい話になるんだよ。」

 「だとしても、放っておけない理由がある。」

 

 ノルンの頭を数回撫でると、ツバサは声に重みを置いて向き直る。こうなってしまうとてこでも動きそうにないなとノアールは観念する。

 

 「なんだ、その理由とは。」

 「この子の母親、心当たりがあるかもしれない。」

 「しれない?なぜ言い切れない?」 

 「確証はないが、この子の親も俺と同じく『日本』から来たんだろうと思う。」

 

 アルティマでは見かけないかんざしを持っている理由があるとすれば、その可能性も高い。

 

 「昔、アマハ村から出ていった一団があった。そのうちの誰かの子供だとすれば・・・。」

 「随分ふんわりとした推理だこと。」 

 「なんとでも言え。だがこの直感は当たっていると思う。」

 「・・・仮にそうだとすると、お前の出自を知っている可能性もあるということか。」

 「余計な諍いになる前に芽を摘んでおくのも必要だとは思わないか?」

 「はっ、言いよるわ。」

 

 だが少し納得したようにノアールは頭を巡らせると、改めて口を開いた。こうなればしめたもので、あとはツバサの思い通りに事が進んでくれる。

 

 「調子に乗るな。」

 「はい。」

 「そうだな、同盟まではいかなくとも、身辺をあらためる必要がありそうだ。さっきも言ったがビッシャー家にはあまりいい噂を聞かん。」

 「そんな環境に、こんな純粋な子供を置いてはおけない。」 

 「まずは当の本人を探そうか。ここにも来てるんだろう。」

 

 ☆

 

 「あっ、いた。」

 「あれが?」

 「うん。お父様!」

 

 しばらく中庭をノルンと一緒に歩き回り、ようやく話し込んでいる一団の中にそれらしい男を見つけ、ノルンは駆け寄っていく。

 

 しかしノルンの声を聞いて振り返った男は、ギロッと鋭い視線を一瞬下した。

 

 「ノルン、あっちへ行ってなさいと言っただろう?」

 「うん、でも・・・。」

 「こんにちは、ビッシャー伯爵。」

 

 足元までやってきたノルンにまだ何か伯爵が言いそうになったところで、ツバサは割って入った。伯爵は一瞬しまったという顔を見せ、すぐに愛想笑いを浮かべるが、ツバサの顔を見ると今度は高慢そうにフンと鼻を鳴らした。

 

 (まるで百面相だな。)

 「君は、さっき大道芸を見せていた・・・。」 

 「ええ、ダイス・アヴェムと申します。」

 

 歳はツバサよりも上、ヒゲの大きさも上で、第一印象は最悪。なるほど、出会って5秒でどんな人物かよくわかる。これなら名刺いらずだろうな。そんな感想はおくびにも出さずに、ツバサも愛想笑いで答える。

 

 「先ほど、ご息女のノルンとお友達になりまして。ご挨拶をと参りました。」

 「そうか、また後にしてくれるかな?今忙しいのでね。」

 「ああ、ご歓談中でしたか。これは失礼をしました。しかし、どうしてもお話したいことがありまして。どうか懐の広さをお見せいただきたい。」

 

 などと、心にも思っていないことをのたまう。なにせ、ここに来るまでに聞いたビッシャー伯爵こと『ヴィーン・ビッシャー』の噂話が『金にがめつい』、『女癖が悪い』、『目線がキモい』、『ヒゲが似合ってない』など惨憺たるものだったから。思わずツバサも、自分のつけヒゲを確認してしまった。

 

 「いいじゃないか、話ぐらい聞いてあげたらどうだね?」

 「はぁ・・・、ではしばし場所を変えて。」

 「ええ、その方が私も助かります。」

 

 そのビッシャー伯爵が話していた相手・・・服飾も豪華で、たたずまいもしっかりとした男性に促されて、この場を一旦後にすることとした。

 

 「ノルンもちょっとここにいてね。」

 「うん、わかった。」

 「ノアール?」

 「あ、ああ・・・ちょっとこの方と話がしたい。」

 「そうか。」

 

 一方ノアールは少し表情が固まっていた。もしかしなくてもこの豪華な服装の男性のせいなのだろう。ビッシャー伯爵も手もみをしながら話をしていたことだし、よほどの重要人物なんだろう。今はそれどころではないが。

 

 少し離れたテラスで二人っきりになれた。ビッシャー伯爵は忌々しそうな表情をもはや取り繕うともせずにツバサに向けてくる。

 

 「それで、何の用かね?」

 「ええ、それは・・・。」

 

 さて、どう切り込んだものか。まさかド直球に『ノルンの母親について教えてください』なんて藪蛇な聞き方もできない。まずはその母親の持ち物から、周りを固めていくとしよう。

 

 「ノルンの持っていたあの髪飾り、あれはどこで手に入れられたのですか?」

 「よもや、そんなくだらない理由で貴重な時間をとらせたというのか?」

 「珍しい品だったので気になって、気になってしまいまして。ぜひ欲しくて。」

 「知らん、そんなことは娘から聞け。」

 「ノルンからは、母からの贈り物だと聞いています。その母君はどちらのご出身ですか?」

 

 この聞き方も変だったか、と心の中でごちる。何かを探ろうとしているのが見え見えだし、不自然だ。舌先三寸の頼みのノアールも置いてきてしまったし、心底しまったと思った。

 

 「キサマ、何を考えている?ただの道化ではないな?」

 「ギクッ。」

 「私の財産を奪うつもりなんだろう!」

 「そうではないです、はい。」

 

 どうやら話がややこしい方向に転がりだした。おっかない顔が余計に眉間にしわを寄せて詰め寄ってくる。

 

 「お父様ー!」

 

 そんなとことへ、言いつけを破ったノルンがやってきてしまった。こんな切羽詰まった状況、子供の情操教育上よろしくないぞと思い至ったところで、

 

 「こんの、馬鹿!」

 

 気が付いた時には、ビッシャー伯爵はノルンの頬を叩いていた。

 

 人のほとんどいないテラスに来ていたはずだったのに、いつの間にか物凄く視線を集めていた。いたたまれなくなったビッシャー伯爵は、ノルンを引っ張ってどこかへ行ってしまった。

 

 「えっ・・・あれぇえええ?」

 

 テラスには、思考が追いつかないままのツバサだけが残された。

 

 ☆

 

 「まったく、もう少しで上手く話が纏まるというところだったのに・・・。」

 「・・・。」

 

 ビッシャー領へ帰る馬車の中、怒り心頭な伯爵がぶつぶつと愚痴をこぼしている。お茶会のお開きの時間にはまだ早いが、一足先に帰ることを余儀なくされて伯爵と、ノルンの二人の兄も不満をノルンへぶつける。

 

 「お前のせいだぞノルン。」

 「そうだそうだ。」

 「1か月外出禁止だな。」

 「黙れお前たち。」

 

 ただノルンはじっと耐えていた。本当は泣き出したかったが、泣いたら余計にぶたれることが分かっていたので我慢している。

 

 ノルンはいつもこうだった。家にいれば兄たちから、外に出れば他の家の子供たちからいじめられる。正妻どころか貴族ですらない、使用人の子だからという、たったそれだけの決定的な理由で。

 

 皆が自分を嫌うように、ノルンもすべてが嫌いだった、自分自身の事すら含めて。

 

 でも、あのアヴェム伯爵は・・・そんな自分を好いてくれた。彼の名刺はポケットに入ったままだから、手紙を書くこともできる。

 

 けど、もしもあの優しさも上っ面だけのものだったら・・・また裏切られたら・・・。

 

 ノルンの気持ちは引きずられたまま、ただ馬車は進んでいった。

 

 同時刻、お茶会会場には、その件のアヴェム伯爵は椅子に座ってうなだれていた。

 

 「どうしてこうなった・・・。」

 「なにがあった?」

 「どうもこうもないわ。」

 

 もとはと言えば己の浅はかさが原因なのだが、やりきれない思いをぶつけずにはいられなかった。ひょっこり顔を出してきたノアールのほくほくとした顔が余計に気に入らなかったし。

 

 「こっちは話が上手くいったからな、目標達成だ。お前も顔を見せに来いと言いに来たんだ。」

 「やめといたほうがいい。今の俺は何にでも八つ当たりしかねないから。」

 「だろうな。」

 

 ああすればよかったか、いやいや・・・ともうどうにもならない考えを巡らせていう最中、ゆっくりと一人の男性が歩いてくる。

 

 「どうやら、上手くいかなかったようだね。」

 「あなたは、先ほどの。」

 「ああ、この度君たちと『同盟』を結ぶことになったユーマン・カルヴスだ。」

 「カルヴス?ということは・・・。」

 「この領地を治めておられる公爵だ。」 

 「ああ、なるほど。伯爵がおべっか使うわけだ。」

 

 やはり最初に見立てた通りに、もっと高貴なお方だった。公爵と言えば王様の次ぐらいに偉い。もっとも、その王様には一度も謁見したことがないが。つまり、ツバサが今まで出会ってきた中で一番偉い人ということになる。

 

 「これは、失礼を。」

 「いやいい、正直ビッシャー伯もしつこくてうんざりしていたところだったからな。」

 

 先ほどのビッシャー伯爵ほどではないにしても、このカルヴス公爵からも高慢な姿勢が見て取れたが、不思議とそれが鼻につくことはない。こちらを値踏みするような視線がなければ、落ち着き払った態度には、素直に敬意を示したくなる『重さ』があった。

 

 「この度は、私めのようなひんそーで無力な伯爵ごときめに・・・。」

 「そこまで自分を卑下するものではない。私は人を見る目はあると自負している。」

 「はぁ・・・。」

 「わかってるのか、おい。」

 「心ここにあらず、といった具合だね。」

 「一瞬のうちに色々ありすぎて、わけがわからなくなってきた。」

 

 当初の予定通りに、強固な後ろ盾を得ることはできた。それは万々歳で喜ぶべきところだろう。が、ツバサにとっての目下の問題はそれじゃない。

 

 「そんなことよりもだ、今から同盟をより固めるための会食に行くんだ。お前も来い。」

 「そんなこと?そんなこととはなんだ。重要な問題だぞ。」

 「そりゃお前にとってはそうかもしれんが、今は公爵との約束が大事だ。そんな吹けば飛ぶような木っ端貴族など今はどうでもいいだろう。」

 「そりゃ、同盟が大事なのは俺にだってわかってる。だがな・・・。」

 「まあ、落ち着きたまえ。今更急いだところで、どうにもならないことであろう?」

 「むぅ・・・。」

 

 さっきビッシャー伯爵は帰ってしまったと聞いて、今ここでうなだれていたわけで。当の本人がいないのでは何もできない。

 

 「アヴェム伯爵、君はどうしたい?」

 「ノルンを、あの子の助けになりたい。俺に最適解は下せないかもしれないけど、それでもノルンが望むような形に近づけてやりたい、です。」

 「なるほど、ではテストしよう。私の同盟者としてふさわしいか、見定めさせてもらおう。」

 「と言うと?」

 「うむ、どんな手を使ってでもいい、その目標を達成してみたまえ。私も、話にもならない相手と夕餉は囲みたくないのでね。」

 

 チラッとノアールの方を見やると、ないにゃら冷や汗をかいている。どうやら口八丁手八丁で上手く丸め込んだつもりだったようだが、見事にツバサはその目論見をご破算にしてくれたようだった。

 

 「わかりました、その挑戦受けましょう。」

 「うむうむ。」

 「ではさっそくですが、ビッシャー伯爵について教えてください。」

 「そうさな・・・。」

 

 そうと決まれば話は早い。今度は同じ失敗を繰り返さないよう、入念に情報を集めて、作戦を練る。

 

 ☆

 

 「旦那様、アヴェム伯爵がいらっしゃました。」

 「来おったか。」

 

 そうして数日たったある日。ビッシャー邸には訪問者がやってきた。性懲りもなくあの盗人めがやってきたのであれば門前払いにしてやろうとビッシャー伯爵も考えていたが、それはできなかった。

 

 「ごきげんよう、ビッシャー伯爵。」

 「・・・よくぞいらした、アヴェム伯爵。」

 

 玄関まで出迎えに来たビッシャー伯爵のあいさつした相手は、目の前にいる新参者の男にではない。この男のバックにいる、公爵の存在にだ。

 

 「こちら、つまらないものですが、お土産です。」

 「ふん、サメル産の茶葉か。」

 「ビッシャー伯爵の好物だと聞いて、持ってまいりました。」

 「あまりいい気がせんな。」

 

 アヴェム伯爵がカルヴス公爵のお眼鏡にかなったという噂は、すでにビッシャー伯爵の耳にも入っていた。それゆえ、公爵の息のかかったアヴェム伯爵をおいそれとつまみ出すことはできなかったのだ。

 

 「まあいい、入れ。」

 「お邪魔します。」

 

 なにはともあれ、客人は客人。応接室へと通してお茶の一杯を出す。見られて困るようなものはここにはないし、娘含めた子供たちには部屋の中にいるように命じてある。

 

 「今日は何の用だ?」

 「単刀直入に申しあげますと、私はノルンが欲しいのです。」

 

 何をバカなことを。素面でこんなことを言えるとは、いったいどんな頭をしているのか・・・とにかく、今は聞いてやろう。

 

 「失礼ながら調べさせていただきました。ノルンはビッシャー伯爵の正妻の子ではないと。」

 「ちょろちょろと嗅ぎまわりおって。」

 「失礼。ノルンの本当の母親は、伯爵が町で目をかけて雇い入れた使用人だったと。その女性は今どこに?」

 「死んださ。もう何年も前に病気でな。」

 「その女性は、自分はどこから来たかと言っていましたか?」

 「知らんよ、使用人のことなど。」

 

 ある時ふらっと町に表れて、いい女だったので雇い入れて一度きり抱いただけの女だ。後になって子を産んだことがわかり、彼女の死後迎え入れただけのこと。

 

 妾の子とはいえ血縁があるのは確か。いつか交渉材料となるであろうととっておいたが、今はその時ではない。

 

 「では、その女性の出自を本当に知らないと?」

 「ああ、知らん。」

 「そうですか・・・。」

 

 運ばれてきたお茶に口をつける。さっそく土産物として持ってきた茶葉を使わせたが、たしかに旨い。実際高級品だし、嫌いな人間もいないだろう。

 

 「では、ビッシャー伯爵には本当のことをお話ししましょう。」

 「なに?」

 「その女性、リコがどこから来た人間だったのか。」

 

 リコ、たしかにそんな名前だったか。しかし、本当の事とはいったい?興味はないがまあ聞いてやろう。

 

 「リコがいた場所は、ここからずっと西のアマハ村というところでした。ビッシャー伯爵は知らない村でしょうが。」

 「知らんな。」

 「ある時、村の者たちの意見は真っ二つに分かれ、半分は村に残り、半分は村を出ました。その村を出ていったうちの一人がリコだったのです。」

 

 そう言いきるとアヴェム伯爵もカップに口をつけた。やけに具体的な話だったが、嘘のようにも思えない。だとしたら一体どうやって調べたのか。

 

 「なるほど、面白い与太話だ。で、それがなんの関係があるのかね?」

 「なぜ、一介の使用人の娘に過ぎないノルンを、自分の娘としたのですか?」

 「知れたこと、自分の血筋ならば、自分の娘にして当たり前だろう。」

 「その割にはノルンのことを大切にしていないようですが?」

 「そんなことはない。第一、部外者のお前に言われる筋合いもない。私が私の娘をどう扱おうと勝手だろう。」

 「だが、それと同時に、あなた自身も救われなければならないと思っています。」

 「・・・どういうことだ?」

 

 何を急に言い出すのか。

 

 「私はですね、あなたがた家族が円満になってほしいと思っています。ノルンのことを邪険に扱っているのだとしたら、それは許されざる行為ですし、見過ごせません。」

 「ふん。今度は説法か?」

 「説法と言うほどの物でもありません。ただ昔聞いた話から、よく似たケースを当てはめているだけですから。ただ、それを聞けば心も軽くなるはずです。」

 

 「伯爵は以前『私の財産を奪うつもりなんだろう』とおっしゃいました。すなわち、そこに伯爵の『執着』があるのではないかと。」

 「執着だと?」

 「ええ、あの執着です。金はあればあるほどいいものですし、欲しいものを手に入れるには金がいります。けど、そのことがまさに『穴』なのです。」

 

 そこで、アヴェム伯爵は飲み干したカップを手に取った。

 

 「このカップに満ちる液体のように、欲というのは再現なく溜まっていくものです。ですが、注ぎ続けていればいつかはこぼれてしまう。こぼれてしまったら、いくらおいしいお茶でもただのシミになってしまいます。」

 

 ポットから注ぎ続けていたお茶がこぼれそうになる寸前で、アヴェム伯爵は注ぐのをやめた。お茶はカップの淵になみなみと揺れているが、こぼれそうでこぼれない、微妙なバランスを保っている。

 

 「ここで伯爵の場合に当てはめてみましょう。伯爵は、それほどの財産をどのようにするおつもりですか?」

 「それはもちろん、ビッシャー家の繁栄のために。」

 「どんなにお金があっても、墓場には持っていけません。ただ遺しておいても、死後に子供たちが取り合い、無用な争いになるだけかと。」

 「だからなんだというのだ。」

 

 と、強く言い返してみたものの、そういえば考えてみたことがなかった。領内の税収も上げて、給料も出費も切り詰めて、それでいつ使うのだろう?

 

 「欲を悪とは言いません。ですが、ただ貯め込んでいることは悪手です。使わなければ人も経済も動きません。」

 「他人の領地経営に口出しするな!」

 「というのはカルヴス公爵のお考えです。」

 「ぐぬっ・・・キサマ・・・!」

 「公爵がどうお考えかは今は関係ありません。私が言いたいのは、伯爵が執着も貯め込んでいることで、それが奪われることに不安を抱えて生活してらっしゃるということです。」

 

 掲げられたカップの水面は揺るぎもせずにいる。

 

 「いくら両手を広げても、人が抱えられる物には限度があります。新しい物を拾いたければ、それを一旦置かなければなりません。一度手放してみれば、心も体も軽くなるはずです。」

 「私に、財を手放せというのか・・・?」

 「なにより、ノルンがいることで伯爵は心を痛めてらっしゃるのではないですか?」

 

 何故、ここで娘の話を?と、見事に虚を突かれてしまった。

 

 「伯爵は本当はノルンのことを大事にしたいと考えてらっしゃる。が、正妻や子供たちのいる手前、そうはいかないと。」

 「なぜそう思う?」

 「この手紙を。」

 「なんだ、これは?」

 

 そこでやっとカップを置いたアヴェム伯爵は、懐から一枚の手紙を取り出し、寄越してきた。

 

 『拝啓、アヴェム伯爵。お手紙ありがとうございました。』

 

 「ノルンとこっそり文通したものを、あなただけに見せます。」

 

 『伯爵の、娘に欲しいというお話、うれしかったです。けれども、それはできません。わたしにはわたしのお父様がいます。』

 

 『わたしのお母さんは、小さいころにわたしを置いてどこかへ行ってしまいました。ひとりぼっちになった私を、娘だと言ってくれたのはお父様でした。』

 

 『わたしは、イジワルな兄さまや友達がキライです。けど、お父様のことは信じたいのです。』

 

 『私が父だ、と言ってくれたお父様だけは・・・。』

 

 「それじゃあ・・・あの子は・・・。」

 

 頭を思いっきり殴りつけられたような衝撃だった。私はあの子に優しくしたことなんてひとつもないつもりだった。だというのに、こんな自分を信じてくれていた・・・。

 

 「今のままじゃ、ノルンも伯爵も、どっちも幸せになれないんです。それをわかってください。」

 「ちょっと黙っていてくれ・・・!」

 

 いや、それは自分も同じだったのかもしれない。妾の子など放っておけばいいものを、なんだかんだ言って手元に置いていたのはつまり・・・。

 

 「『放せば手に満つ』、という言葉があります。手放してみて初めて掴めるものもあります。貴族の体面というものがある限り、ノルンを真に愛することはできません。」

 「あ・・・ああ・・・。」

 「あとは、あなた次第です。」

 

 ぐっ、とアヴェム伯爵はカップを飲み干した。

 

 ☆

 

 「なるほど、話は上手くいったわけだな。」

 「ええ、おかげさまで。」

 

 それから1か月ほど経って、また公爵家で再びのお茶会が開かれた。今度は正規で送られてきた招待状で、ツバサは公爵邸の奥へと案内された。

 

 「あれから、ビッシャー伯爵は人が変わったようだという噂も聞いている。キミの説得の効果は予想以上に効果があったようだな。」

 「いいえ、ビッシャー伯爵が元から良い人だったというだけです。」

 「あの守銭奴が良い人ねえ・・・。」

 

 今日のお茶会にはノルンもつれてきている。今この場にはいないが、今頃久しぶりの家族の再会をしているところだろう。

 

 あの訪問より数日後、ノルンはアヴェム家に預けられることとなった。表向きには厄介払いというような具合だが、その真意を知るのはツバサと伯爵だけ。当のノルンですら知らない。

 

 「それだけでなく、キミは子供たちにも人気だそうじゃないか?まるで先生のように教えを説いていると聞いたが。」

 「先生なんてそんな大層なものではありませんよ。昔聞いた説法の受け売りです。」

 

 作法や武道の一環として、人生の為になる禅の座学を受けていたのが役に立った。人間万事塞翁が馬、武術よりも思わぬ知識が役に立ったものだ。

 

 「それで、今日はどのような話を?」

 「うん、合格だ。キミを我が盟友として迎えよう。」

 「ありがとうございます。」

 

 まずは一歩前進といったところ。ようやく公爵のお眼鏡にかなうことが出来た。これで当初の目的通りに、強い後ろ盾を得たことになる。

 

 と言っても、公爵の中での評価が『面白い男』から『使えそうな男』に上がった程度だろうが、それでもいい。味方が一人増えるということは、敵が一人減るということ、ひとまずは大きな存在を敵に回さずに済むということだから。

 

 「さて、ではさっそくだが紹介したい人間がいる。」

 「紹介?」

 「入ってきなさい。」

 

 ガチャ、と応接間のドアが開いて、一人のメイドにエスコートされて銀髪の少女が入ってきた。年頃は15か16ぐらいといったところで、緊張も弛緩もしていない面持ちで何を考えているのかは一見しただけでは測りかねる。しかし、溢れ出る自信や高貴さに彩られ、見た目も麗しかった。

 

 「私の娘だ。」

 「クレア・カルヴスと申します、歳は14です。」

 「どうも、ダイス・アヴェムです。」

 「さっそくだが、この子の面倒を見てもらいたい。」

 

 優雅なお辞儀をしている間だけクレアはほほ笑みを浮かべていたが、すぐにそれはニュートラルに戻った。堅物・・・というよりは礼儀正しさが突き抜けている、という印象をツバサは抱いた。

 

 「ええ、子供なら歓迎します。」

 「養子ではない、妻としてだ。」

 「は?」

 

 その立ち振る舞いに少々見惚れていた・・・否、彼女から礼儀やマナーなどを学ぶべきだな、と考えていたツバサは、一瞬素っ頓狂な声が漏れた。

 

 「いやいやいや、14歳って1周り以上も私より年下ですよ?」

 「それが何か問題かね?」

 「14ならもう婚約相手を探す年頃だぞ。」

 「そういうもん?」

 「そういうもんなの。」

 

 貴族社会ならそういうものか・・・確かに現代でも歴史の授業で聞いたことがある。曰く、結婚は親が決めるもので、子供には決定権がないとか。

 

 「そういうわけで、これからよろしく頼むよ。」

 「・・・ええ。娘さんのことは大切にします。」

 「うむ。ではお茶会を楽しんでくれたまえ。」

 

 言葉も短く、カルヴス公爵は応接室を後にした。アヴェム伯爵との同盟の話もその仕事の話のひとつでしかないぐらい、彼は忙しいのだろう。

 

 「まあ、その。これからよろしく、クレア。」

 「ええ、よろしくお願いいたしますわ。」

 

 なんとも素っ気ない反応だったが、それはお互い様。こうして、後にノメルの歴史を揺るがす夫婦がここに誕生した。

 

 ☆

 

 「はぁー、そんなことがねえー。」

 「あら、興味なさそうね。」

 

 それから70年以上経った、現代に二人の血筋が脈々と受け継がれているというわけだ。

 

 「でも、話を聞いてる限り最初はそんなに甘々な関係じゃなかったんだな。一目惚れの家系って割には。」

 「ええ、それはもう色々あったのよ。」

 「話が長くなりそうだし、また今度ね。」

 

 甘ったるいお茶に、甘ったるい話はもう勘弁、というアキラは塾長室を後にしようとする。

 

 「そろそろ体動かそうかなってな。雨もあがったみたいだし。」

 「あっ、ならオレも行く。」

 「俺はツバサとは違って、武術しか無いからな。」

 

 そっからどうなって、エリーゼの指に二つの指輪が受け継がれるようになったのかは気になるが、それはまた別のお話。



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