疾きこと風の如く (白華虚)
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第一章 第二の人生
第一話 神風


 ――そこには、化け物がいた。その化け物のことを、人々はと呼んだ。

 

 夜に蔓延(はびこ)り、日光以外とそれを殺せる唯一の武器、日輪刀でその頸を斬ること以外では死なない不老不死性を持つ。そして、その超人的な身体能力と怪力で只人を蹂躙し、喰らう。人間の血肉を糧とし、彼らはその力を増してきた。

 

 人は、鬼を滅する為に、悪夢の夜を終わらせる為にとある組織を結成した。その名は、鬼殺隊。鬼と渡り合う為の術、''全集中の呼吸''を扱い、彼らを滅する為に日輪刀を……悪鬼を滅する刃を振るい続けた。例え、腕や足が無くなろうとも。己の命が危機に瀕したとしても。果てに失ったとしても。代々当主を務めてきた家系、産屋敷家の者を筆頭として、彼らは何度打ちのめされようと立ち上がってきた。

 

 そして……時は大正。鬼殺隊を支える最高階級の剣士達、''柱''。その中の1人に、悪鬼の頸を捻じ切る風を――風の呼吸を扱う剣士がいた。名を、不死川実弥。

 

 貧乏な家庭の七人兄弟。その長男として生まれた彼は、優しき男だった。妻子を虐待するろくでなしで、他人の恨みを買って刺殺された父親に代わって、家庭や母、弟妹達を守り抜いてきた。

 しかし、貧乏故に楽ではなけれど幸せだった暮らしは、母が鬼に変貌させられたことで終わりを告げる。彼は、弟妹を守る為に無我夢中で戦った。

 

 だが、医者を呼びに行った次男の玄弥を除いて、弟妹達は死んでしまう。そして、日が昇るその時まで目の前の鬼を最愛の母親だと知らぬまま、最後は殺してしまった。倒れ伏した母を見て動揺した玄弥の罵倒が、その事実を強く突きつけ、彼の心に深い傷を残した。実弥の精神は――崩壊した。

 

 以降、優しき男はその本質を変えることはなけれど、醜い鬼に対する強い憎しみを持った修羅へと変貌した。すぐに家を出て治安の悪いところを転々とし、掻き集めた大量の武器と、鬼が喉から手が出る程欲しがる己の血を利用して鬼を狩り続けた。

 

 自殺行為に等しい行為を続ける中、後に親友となる隊士と出会い……実弥は、鬼殺隊に入隊した。

 仲間達の死を目にする度に募る、鬼を滅することへの執念。そして、殺された仲間達の想いと命を無駄にしない。玄弥が所帯を持って普通の人生を送れる世界を創る。玄弥を巻き込まない為に、自分が鬼殺の道へこの身と命を捧げる。これらの強い信念を抱え、彼は今まで以上に鬼を狩った。

 

 数え切れぬほどに鬼を殺した頃。実弥は、親友の死と引き換えに''風柱''となった。親友の想いと命をまた一つ背負い、彼は弟が幸せに暮らせる世界を作る為にも奮闘した。

 

 ''風柱''になってから、時が流れた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の死や、更なる仲間達の死を乗り越えて、21歳になった時。弟の玄弥が鬼殺隊に入隊した。

 実弥に対する過去の暴言を謝って、認められたい。兄の側で兄を守りたい。そんな決意を胸に入隊した彼を、実弥は何度も拒絶し、辛く当たって冷酷な態度を取り続けた。全ては、玄弥の普通の人間としての幸せを願ってのことだった。しかし、2人はすれ違い続ける。

 

 更に時が流れた。玄弥の同期である、鬼と化した妹を連れた隊士に引き寄せられるようにして、とうとう鬼の首魁……鬼舞辻無惨との最終決戦が訪れた。

 

 戦いが始まった時には忠誠を誓った主君の死を目の前で目撃し、打ちのめされた。いざ鬼の根城に足を踏み入れてみれば、本心を吐露し合って、ようやく和解出来た最愛の弟を、玄弥を失ってしまった。

 

 他にも、多くの隊士が命を奪われた。

 

 自分より遥かに若くして''柱''になり、無限の可能性を秘めていた少年も。

 度々声を掛け、「元気か」と気にかけていた、常に微笑みを崩さなかった少女も。

 鬼殺隊最強の剣士で全く頭が上がらず、常に尊敬していた男も。

 鬼に対する姿勢や考え方も近かった故に一番気が合っていた、幸福を運ぶと言われる白蛇と共にいた青年も。

 友達であったその青年にずっと恋をしていた少女も。

 父親に代わって''柱''となった、明朗快活で常に溌剌(はつらつ)としていた青年に至っては、無惨との最終決戦に挑むよりもずっと前に、鬼殺隊の後輩や一般人を守って命を落としてしまっていた。

 

 そんな中でも、実弥は生き残った。最終的に''柱''の中で生き延びたのは……自分と、''水柱''の冨岡義勇、左目と左手を失ったことによって、一足早く前線から身を引いていた、元''音柱''の宇髄天元のみであった。

 

 決戦の果てに手に入れた、鬼の居ない平和な世界。しかし、そんな世界で生きてほしかった弟は居ない。多くの仲間、友、愛する家族……。実弥は、全てを失ってしまった。もはや、自分がこの世界に生きている意味はない。そう思うこともあったが、辛い思いを沢山した兄に幸せになってほしい。それが玄弥の願いだった。だから、実弥は最期まで生き抜いた。最終決戦の最中に発現させた''痣''の影響で寿命が25歳にまで縮んでしまっていたものの、所帯を持ち、玄弥の分まで幸せになろうと必死に生きた。

 

 人生のほとんどを鬼殺に捧げてしまったが、そのことを後悔してはいなかった。強いて後悔することがあるとするのなら……やはり、愛した家族を誰1人守れなかったこと。

 

(御伽噺みてェな話だが……。来世ってもんがあるんならよ……次こそは、家族を守りてェな……。玄弥、俺は……兄ちゃんは、お前の分まで生きたぞ……。匡近。今、そっちに行くからな)

 

 そんな想いを胸に秘め、亡き親友の顔を思い浮かべつつ、実弥は静かに永き眠りについた。

 

 身籠った妻と、最期まで近くで見届けることを引き受けてくれた友、宇髄に見守られてのことだった。

 

 ――不死川実弥、享年25歳。最愛の弟が幸せに暮らせる世界を創る為に鬼を滅し、大切な仲間や主君の死に対して涙を流した、情に厚く、優しき男。こうして、彼の人生は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺り一帯に夜の帳が下りていた。道路を照らすのは、淡い月の光と道の端に沿って建てられたいくつものビルの窓から溢れ出す眩い光だけ。窓から光の溢れるそこがオフィスだとしたら、社員達が己の家族を養う為に必死で残業しているのだろう。人通りも交通量も少なく、街は静まりかえっていた。

 

 そんな街の中を、獅子から逃れようとする兎さながらの様子で必死に走る男がいる。

 

「へへっ、大量だぜ……!これ程の大金がありゃ、一生遊んで暮らせる!」

 

 短距離走の選手のように筋骨隆々で逞しい脚を持つ彼は、下卑た笑みを浮かべて街を駆ける。その鞄からは、大量の札束が顔を覗かせていた。

 

 彼は、銀行強盗の常習犯。働いて金を稼ぐことなく、楽をして金を稼ぎたい。そんな望みを持った結果、静まり返った夜の銀行に忍び込んで大金を強奪。そして、例え警察や()()()()()()()()()()()()()()()()()()が相手であろうとも、自慢の脚力で逃げ切ってきた。

 

 現に、彼は人通りも交通量も少ない道路を自動車並みの速度で走っている。……逃げ切れるのも当然だろう。人間の走る速度が自動車に勝る道理はないのだから。

 

 この世界を生きる人間達は、基本的に特殊だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この銀行強盗の常習犯も、その例に違わなかった。

 

 逃走する自分を責め立てるようにパトカーのサイレンが鳴り始め、後方から迫る赤い光が己を照らす。だが、何の心配もいらない。これまでもこうして己の脚で逃げ切ってきたのだから。

 

 男は、そう高を括っていた。――しかし。

 

「よォ、おっさん。そんなに嬉しそうに走って、どうしたってんだァ?お急ぎかい?」

 

 ()()()()から、威圧的な口調の声が聞こえた。たった今。

 

(な、なんだこいつ!?いつの間に……!)

 

 声のした方に顔を向けてみれば、胸元から腹部までのチャックを全て開けた黒いパーカーを羽織のように翻させながら、己と並走する何者かの姿があるではないか。その声は若々しい張りと、凡ゆる死線を掻い潜ってきた戦士のような力強さを兼ね備え、この世に生きる悪……その全てに対する憎しみをも感じさせた。パーカーがフード付きの物で、それを深く被っている故にその顔は見えない。

 だが、息一つ切らさずに己と並走するその姿が、男に真横にいる何者かは只者ではないと直感させた。

 

「銀行から大量の金を奪ってきたところでな……。俺は警察やヒーローに追われてんだ。彼奴らから逃げ切れれば、遊び放題、美味いもん食い放題!極楽みたいな生活を手に入れられる!()()()()()()()()()()()()()()()()?まあ、そういう訳だからよ、邪魔しないでくれや」

 

 自力で稼がず、楽をして稼いだ金で手にする遊び放題の生活。それを夢想しながら、男はニタニタと笑って答えた。

 

「へェ、そうかい……。よォく分かったぜェ」

 

 男の答えを聞いた瞬間。一陣の風が吹き荒れ、真横にいた何者かが視界から消える。自分の頭では理解出来ない出来事が、今まさに男の目の前で起こった。

 

「うおっ!?」

 

 突然巻き起こった風は、彼を押し倒さんとする程の勢いのものだった。ここで倒れれば、確実に足が止まる。起き上がる時間すらも煩わしいと思った男は、急ブレーキをかけるように踏み止まって、顔を覆い尽くすようにして交差した両腕を構え、決死に踏ん張った。

 

「な、何だってんだ――」

 

「テメェがァ……人の金を奪い取って、私利私欲の為に行使する塵屑(ゴミクズ)野郎だってことがなァ!」

 

 「驚かせやがって」と言葉を紡ぎ切るよりも前に、怒気に満ちた声を発しながら、少年が男の前に立ち塞がった。

 

「ひっ!?」

 

 彼の発した、体の芯にズンとのしかかってくる重りのような声は、男の体を震え上がらせた。目の前の少年こそが先程まで並走していたパーカーを着た何者かなのだと察した男の視界が、背後から降りかかる月の光に照らされた少年の容姿を捉える。

 

 フードが外れたことで露わになったその顔立ちは……微かな幼さを残しつつも大人のものに移り変わり始めており、修羅のようだ。

 上下のまつ毛が非常に長いところは女性らしさがある。だが、大きく見開かれた目は、目の前の相手を視線で射殺さんとするかのように血走っていた。

 無造作な白髪は月の光に照らされ、キラキラと銀色に輝く狼の体毛のよう。

 そして、顔立ちを修羅だと思わせる一番の原因は、間違いなく鼻や額の部分にいくつも刻まれた傷だろう。

 

 更に、彼が自分の真正面に立ったことでその体付きが明らかになった。チャックが全て開かれたパーカーの下にある肉体は、胸筋や腹筋の境がはっきりとしていて、色気すら発している。

 その胸筋には、アルファベットのXのような形の傷が刻まれ、六つに割れた腹筋にも、左上から右下にかけてそこを切り開くかのように傷が刻まれていた。

 

 傷だらけの風貌と、怒気を発することによって増した迫力は、少年を風神の化身だと錯覚させる。

 

「観念しなァ。テメェは、きっちり刑務所行きにしてやるからよォ!!!!!」

 

 少年が叫び、口の端を吊り上げて不敵に笑いつつ、刀を構える。その時――

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

 風が木の葉を激しく揺らし、砂を巻き上げるかのような音が聞こえた。男は咄嗟に辺りを見回すが、風は吹いてなどいない。果たして、その音の発生源は何処なのだろうか?

 

 それが目の前にいる少年からだと気が付いたその時には、もう遅かった。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)――塵旋風(じんせんぷう)()

 

 

 

 ――目の前に立ち塞がる全てを塵と化す、旋風が吹き荒れる。

 

「ぎゃあああっ!?」

 

 迫り来る旋風。それに飲み込まれた男は、その肉体に大量の切り傷をつけられた上に、服の一部を大きく引き裂かれ、斬り刻まれて呆気なく宙に浮かされた。

 

「げふっ……」

 

 その後。彼は重力に従って、背中からコンクリートの地面に向けて落下すると、背中を強烈に打ち付けたことで間抜けな声をあげ、気絶してしまった。

 

 風を引き裂くようにして木刀を振り払った少年の姿が露わになる。振り向いてから、男が気絶したのを確認すると、男の体ごと宙に浮かんだ鞄と紙吹雪のように舞っている大量の札束を生真面目にも全て回収した。

 

「死なねェように加減はしてやったから安心しなァ。だが覚えとけよォ……。テメェらみてェな醜い(ヴィラン)は、俺が1人残らず殲滅してやらァ。こいつはきっちり返してもらうぜェ」

 

 気絶した男を(ヴィラン)と呼称しながら、憎しみに満ちた目を向けた少年は宣言する。と同時に大量の札束が入った革製の鞄を手にし、安心したように微笑んでいた。

 

「あっちです!銀行強盗の(ヴィラン)はあっちに逃げました!」

 

「分かった!」

 

 一先ず、鞄を元の銀行の前まで持っていこうとしたその時。そんな声が聞こえた。恐らくは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が駆けつけてきたのだろう。

 

 それを悟った少年は鞄を手にしたまま、すぐ近くに建っている5階建てのビルの屋上に退散する。そして、体も服もボロボロの男を見て困惑している、派手な服を身につけた大人達を淡々と見下ろすと、フードを顔を見せないように深く被り直し、肩から掛けた細長いケースに木刀をしまってその場から立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「塚内警部、お疲れ様です!」

 

「ああ、三茶もご苦労様」

 

 顔立ちが猫そのものであるのが特徴的な警察官、玉川三茶が、生真面目さを全面に出した気の緩みのない敬礼で自らの上司に挨拶する。

 

 そんな彼に優しい笑みを向けながら、事件の後処理の現場に駆けつけたソフト帽を被り、きっちり着こなしたワイシャツの上からトレンチコートを羽織った男性は、塚内直正。特徴の薄い顔立ちだが、真面目且つ真摯に日々巻き起こる犯罪と向き合う、れっきとした警察である。

 

「それにしても……2ヶ月間逃走し続けた、銀行強盗犯を捕まえられたのは本当に良かった。今回の()()()()達は大手柄だな」

 

 塚内がソフト帽を脱ぎながら、安心したように呟くと……。

 

「それがですね……今回、(ヴィラン)を捕らえたのはヒーローじゃないとのことで」

 

 部下の三茶が言いにくそうに真実を述べた。

 

「何だって?」

 

 想定外の事実に、塚内は微かに目を見開きながら咄嗟にその詳細を尋ねた。

 

 三茶曰く、ヒーロー達が駆けつけた頃には、(ヴィラン)は気絶していて……その体には大量の切り傷が刻まれ、服も獣の爪で引き裂かれたかの如くズタボロになっていたとのことだった。更に、大金を大量にしまっていたはずの鞄もその場にはなかったらしい。

 

「もしや、協力者か何かがいたのでしょうか?」

 

 顎に手を当てて考え込む三茶を見ながら、塚内は答える。

 

「……いや、その心配はないよ。大金の入った鞄については、私が銀行の方にまで届けておいたから」

 

 そう答える塚内の脳裏に浮かぶのは、無造作な白髪と傷だらけの顔に体、血走った目がやたらと印象に残る少年だ。

 

「警察の方、ですよね?()()()()道端で傷だらけな上に服がズタボロの男を見つけたんですが、そいつがこの……大量の金が入った鞄を持ってたんで、届け出るべきかなと思いまして。届けに来ました」

 

 その修羅のような顔付きに反し、敬語を扱い、微笑みを浮かべながら彼は言った。塚内も見た目とのギャップに驚かされたものだ。

 

 その後、彼から受け取った鞄を銀行の方に届けた訳なのだが、その少年なら何か知っていたかもしれない。話を聞いておくべきだったかと塚内が考えていたその時だった。

 

「あっ」

 

 三茶が思い出したように声を上げる。

 

「そういえばですね。(ヴィラン)が倒れるところを偶然見た市民の方がいらっしゃいまして、話を聞いてみたところ……()()()()()()()()()()と思ったら、(ヴィラン)が報告通りの状況になっていたそうですよ」

 

()……?」

 

 風という単語が、塚内にここ最近で話題になっている噂話のことを思い出させた。

 

(風が吹き荒れた瞬間、(ヴィラン)が倒れている……。近頃噂になっている超常現象……()()の特徴と一致するな)

 

 その噂話を思い出したと同時に、ふと先程の少年のことが思い浮かんだ。彼の名前を聞いた後、銀行から強奪された大金を届けてくれた礼を述べようとした時には、既に自分の視界から――まさしく、風のように姿を消していた少年のことを。

 

(彼の名前は……()()()()()君だったか。()()()()()()()()()()()、あの傷も納得がいくんだが――)

 

「いや、まさか……な」

 

 確証がない故、頭に浮かんだ推測を否定する。

 

 いずれにせよ、自分はまたあの少年と会わなかればならない。彼のことを知らなければならない。確信にも似た予感を抱きながら、塚内は星が瞬く果てしない夜空を見上げた。



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第二話 見知らぬ異世界

2021/7/1
アンケートを締め切りました。投票結果により、今作はヒロインありという方針でいかせていただきます!
不要を希望していらっしゃった方、大変申し訳ございません。ヒロイン有りでも構わないという方は、これからもご愛読よろしくお願いします。
3話の投稿時に活動報告欄に挙がったヒロイン候補のキャラ達をアンケートに挙げて誰がいいかを再び募集しようかと思いますので、頭に入れていただければと思います。

2023/5/8
「生まれ落ちた時点で記憶があることを自覚している」という風なくだりがありましたが思うところがありまして、しれっと「物心ついた時に前世の記憶があることに気がついた」という風に修正しました。


「まさか……本当に来世があるとはなァ。どうしてこうなったんだか……」

 

 己の境遇を憂うようにため息を()きながら、木刀をしまった細長いケースを肩からかけた実弥が静まり返った夜の住宅街を歩く。彼を照らすのは、柔らかな月の光と電灯の眩い光だけ。黒い長ズボンにポケットを入れたまま歩みを進める実弥の背中には哀愁が漂っていた。

 

 結論から言ってしまえば、実弥は転生というものを体験してしまったらしい。

 輪廻転生……命あるものが何度も転生し、人に限らず、動物なども含めた生類として生まれ変わることを指す。

 

 神の存在を信じて、神頼みをしたことはあった。だが、おおよそ思想や哲学上だけでの説でしかない現象をこの身で体験することになるとは思いもしなかった。

 日本以外の国の思想では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見る考え方があるそうだが、その考え方はある意味正しいのかもしれない。今の実弥は、少なくともそう考えている。

 

 単純に転生したのならば、まだ良いかもしれない。だが、それに加えて前世の記憶を持ち合わせたまま生まれ変わった。それに気がついたのは、物心がついた3歳頃。

 もっと言ってしまえば、見知らぬ世界に転生してしまった上に、死んだ親友や弟達と顔を合わせる間もなく転生してしまった。

 ――ただし。今では、前世の記憶を持ったまま生まれたことだけは感謝しているのだが――

 

 ふと気がついた時……。当時3歳だった実弥は、死んでいたはずの自分が幼い子供として生きていることに困惑した。

 

(っ……どうなってんだ……?俺は確かに寿命で死んだはず……。なのに、何で……小さいガキの姿になって生きているんだ……?)

 

 前世と見違える程にか弱く、壊れ物のようにそっと触れなければ壊れてしまうのではないかと思う程の細く小さな手を前に、かつての記憶と今生の記憶とが混濁した実弥は自分を見失いかけた。

 

 そう。前世の記憶を宿していることに気が付いたからと言って、その自覚なしに生きてきた今までの自分の記憶が消える訳ではない。記憶の混濁によって頭がパンクしかけた実弥は突然倒れてしまうも、意識を取り戻す間に全て整理することが出来た。自分が転生したのだと自覚したのもこのタイミングだった。

 

 また、今世の自分はどうやら孤児だったらしい。生まれて間もない状態でありながら、血の繋がった家族の顔も何も知らない。

 だが、彼は孤児院に引き取られた。前世の記憶を自覚した時点で、孤児院を運営する2人の先生と共に3人暮らしをしていた。前世の記憶を自覚して急に大人びた実弥を見ても、先生達は不気味に思ったりすることもなく、これまで通りに接してくれた。

 自分が明らかな異物だと自覚している実弥にとってはそれが大きな救いだった。

 

 そんな孤児院に血の繋がらない弟や妹達が集まり、前世の記憶を有しながらの暮らしにも慣れて心の余裕が出来始めた頃。彼は、調べ物をする為に孤児院の先生に頼んで、図書館へと連れていってもらった。

 何となく前世の記憶を自覚した時点で察してはいたのだが、自分の生きる場所が見知らぬ世界だと明確に理解したのは、その時だった。

 

 調べ物というのは勿論、今世の自分が生きる世界のこと。周りの人間の中に前世の敵であった鬼のように異形の姿をしている者がいたり、炎や水を出したり、手を銃口なんかに変化させたり……。そんな存在がごまんといて、身の回りの人間は揃いも揃って平然としていた。前世の鬼の異能、''血鬼術''を思い出して不気味に思っていた実弥には、それが不思議で仕方がなかった。

 

 そこから、実弥は予測した。この日本と自分の生きた日本では概念が違うのではないか……と。意を決して調べた結果、その予測は当たっていた。

 

 そもそも、この世界には鬼の記述が一切存在しない。その存在を仄めかす御伽噺や都市伝説と言ったものも存在しない。加え、自分以外に最終決戦を生き残った者達と同じ姓の子孫らしき人物や、彼らと同一の姓と名を持つ者すらも、これまでに誰一人として存在しないらしかった。もう一つ予測が当たっていたとする根拠を挙げるとすれば、今後も舞として受け継ぎ、鬼殺隊の当主であった産屋敷家の人物に奉納していくと決めたはずの''全集中の呼吸''、その全ての流派の呼吸法の存在がどこにも見られなかったこと。

 

 予測が当たっていたのだと知った瞬間、実弥は絶句した。

 世界人口の8割が''個性''と呼ばれる特異体質を宿し、ヒーローと呼ばれる御伽噺や神話にありがちな存在が職業として存在し、(ヴィラン)と呼ばれる犯罪者達が溢れ返る。そんな己の常識が何一つ通じない世界でどう生きていけば良いのだろう?ここが全くの異世界であると分かってしまった以上、前世の知り合いがここに転生してくる確率もゼロに等しいに違いない。

 

(俺は……普通に生きていけんのか……?)

 

 普通の生活を送ることすら到底無理そうだと考えながら、当時の彼は頭を抱えた。せめて、自分よりも更に若くして命を落とした玄弥の分まで普通に……そして、幸せに生きようと思っていたというのに。その理想がガラスのように儚く砕け散った気がした。人生で初めて上京して一人暮らしを始めた若者も、こんな風に無性な孤独感や寂しさを抱くのだろうかと考えた。

 

「まァ……ある意味、ガキの時の嫌な予感は現実になっちまったって訳かァ」

 

 これまで自分の生きてきた人生。その一部を思い出しながら呟いた彼は、一軒家の前に立っていた。太陽光発電パネルだとか、そんなものハイテクな物が備え付けられている訳でもなく、ライトグレーの屋根と白くペンキの塗られた外壁が特徴である素朴な一階建ての家。

 

 先程、(ヴィラン)を倒した時とは一転。憑き物が取れたかのように優しげな表情となった実弥は、その家のインターホンを押した。

 

「どちら様――って、不死川か。そろそろ来る頃だろうと思ってたよ」

 

 インターホンの呼び出し音に答え、ドアを開けたのは……無造作に伸ばしたボサボサの長い黒髪を結び、無精髭を生やした男性だった。今は髪を結んでいる影響で幾分か緩和されているものの、その髪を下ろしてしまえば、瞬く間に職質されかねない不審者のような見た目に早変わりだろう。

 黒一色に統一したゆとりのあるトップスとスウェットのようにラフなボトムスを身につけた彼は、ぶっきらぼうに答えながら実弥を迎えた。

 

 彼の名は、相澤消太。その小汚い見た目とは裏腹にれっきとしたプロヒーローの1人だ。何故、実弥がプロヒーローである彼の家を訪ねるのか。その理由は――

 

「お兄ちゃん……!お帰り!」

 

「おう、ただいま。良い子にしてたか?」

 

「うんっ」

 

 実弥の姿を見るなり、白馬の王子様を待ち侘びていたお姫様のように目を輝かせて抱きついてきた、この少女にある。

 

 整えられた、雪のように白い長髪。ルビーの宝石のように赤く煌びやかな瞳。そして、額の右側には……前世の実弥にとっての宿敵ではなく、御伽噺によく出てくる方の鬼を思わせる、小さく可愛らしい角が生えていた。御伽噺にて登場する鬼達が住む鬼ヶ島。そこに鬼達を従える姫がいるのならば、こんな姿をしているのかもしれない。

 

 少女の名は、エリ。実弥にとって、()()()1()()()()()()()()()()()だ。''個性''の影響や複雑な身の上に、彼女自身の年齢も考えれば、彼女を1人で留守番させる訳にもいかない。

 その為、自分が夜に出かける時には、''個性''に何らかの問題が起こっても対処が可能かつ、プロヒーローとして彼女の身の安全も守ることが出来る相澤の元に彼女を預けているのである。――勿論、彼が非番の時限定にはなるが――

 

 やはり、エリは実弥に対してとても懐いているらしい。実弥の胸元に擦り寄る彼女を人懐っこい猫と重ねながら、相澤はそんなことを思った。

 

「すいません、度々お世話になって。ありがとうございます」

 

「……ああ」

 

 抱きかかえたエリの頭をそっと撫でながら微笑んで頭を下げる実弥に対し、相澤は相も変わらずぶっきらぼうな返事を返す。

 

 だが……彼の目は見逃さなかった。実弥の体の傷が以前にも増して増えていることを。こうした形で彼と会った経験は()()()()()()()()()。故に、彼の見た目の変化にはすぐに気付いている。

 

 ''個性''の影響で乾き切り、血走っている切れ長の目を鋭くさせ、眉間に皺を寄せながら彼は尋ねた。

 

「お前、この前から更に傷が増えてるな?……一体、何をしてんだ。そもそも、夜に子供がたった1人で外を出歩く時点でよろしくないんだぞ。なあ、俺に何を隠してる?」

 

 正直に答えるまで帰さないと言わんばかりに実弥を睨むその姿は、捜査の為に犯人から凡ゆる情報を引き出さんとする刑事のようだ。実弥は、微笑みを崩して真顔になり、彼を見つめ返す。

 

(答えられるんなら、既に全部話してますよ)

 

 藤の花のような紫色の瞳に、どこか虚ろげな視線を含ませながら、実弥は内心で答えた。

 

 相澤が1人の大人として気にかけてくれているのは承知しているつもりだ。だが……()()()()()()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()

 

「……()()()です」

 

 再び微笑みながら、そう返した。

 

「…………そうか。帰りは気をつけろよ。寄り道せずにまっすぐ帰れ」

 

「分かってますよ。流石にそこまで馬鹿なガキじゃないですから」

 

 実弥の様子から、これ以上何を聞いても無駄だと察したのだろう。相澤はあっさりと話を切り上げた。

 

「では……失礼します」

 

「またね、先生」

 

「うん、またね。エリちゃん」

 

 二パッと明るく笑いながら手を振るエリに、薄く笑みを浮かべながら手を振り返して、実弥と彼女の背中を見送る。すぐに家の中に戻ることはなく、彼らの背中が見えなくなるまで、ずっと。

 

(不死川実弥……か)

 

 その背中を見送りながら、初めて会った日を思い出す。エリに関しては、1年と数ヶ月ほど前から''個性''使用訓練所での関わりがあった。

 そんな彼女を実弥が連れてきたということも驚きであったが……一番の驚きは、当時の彼の目に宿っていた、凄絶なる憎しみの感情だった。到底子供の抱いて良いものではない感情が、彼の紫色の瞳に地獄の業火の如く激しく燃え盛っていた。

 

 相澤は、彼のことを何一つ知らない。強いて言うなら、知っていることは……彼がエリにとって、血の繋がりで結ばれた本当の兄のように大切な存在であることだけ。出会った当時も微かに傷があったが、その翌日以降からは急激に傷が増え始めたようだった。

 エリも彼に関して詳しいことは話してくれない。ただ、彼のことを思って何も話さない様子であった。それだけは察せる。

 

 相澤とてプロヒーロー。他人の……エリの笑顔を守りたいと思うのは当然のことだ。実弥を守ることは、確実に彼女の笑顔に繋がるはず。それ以前に、大人が子供を守るのは当然のことで、一種の義務だ。

 

 ……そろそろ潮時だろう。いい加減、何も知らないままではいられない。彼のことを知らねばならない時が来たようだ。

 

「少し色々調べてみるか。経歴次第じゃ、()()にも話を通して……。やれやれ、忙しくなるな……」

 

 相澤は、そんなことを考えながら静けさを湛える夜空を見上げ、瞬きの回数を減らす癖によって既に乾き始めている両目に一滴ずつ、特製の目薬をさしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そよ風園。実弥の生まれた場所の近所では有名な孤児院で、行き場を失った子供達を責任を持って引き取り、そこに勤める先生が子供達と共に暮らす施設。勿論、子供達を引き取るにあたって、''個性''の有無と言った垣根はどこにもない。この超常社会の社会情勢的に、引き取られた子供達の中には無個性の子や''個性''の影響で化け物や(ヴィラン)扱いをされたり、様々な迫害を受けた子が多かった。

 言うまでもないだろうが、実弥を引き取って、今に至るまで育ててくれた思い出の場所であり、彼の帰る場所でもある。

 

 夜道を歩く中で眠気に誘われたらしいエリを寝かしつけるがてら、同年代の少年達では決して出せない美声で子守唄を歌いながら帰路を辿り……そよ風園に到着した。

 

 まずは、慣れた手つきでエリを起こさないようにそっと布団に寝かせてやる。ある意味、七人兄弟の長男として生まれてきたことによる経験が最も発揮されている場面だろう。

 

 そして、戦いの中でかいた汗を流す為に一風呂浴びた後。彼は、静まり返った畳の敷かれている和室にやってきて、頼りになる明かりが窓から差す月の光だけしかない暗がりの中で、()()()()()の前に正座した。

 

 両開きの木製の棚のようなもの。そこに、神聖なる存在を象った像が飾られている。他にも、白米の盛られた器や水を入れるための湯呑み、線香の差された台や蜜柑を供えた台などがあった。

 

 彼は、そこの線香を差し替えると共に香を焚く。とある場所とは……仏壇であった。その近くには、1()0()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を飾った台が設けられている。

 

 実弥が哀しげな笑みを浮かべながら、誰にともなく呟いた。

 

「……皆。それに、先生。ただいま。今日もなァ、何人もの(ヴィラン)と戦って、刑務所行きにしてやったよ。けどなァ……全然足りねェんだよ。平気で犯罪を犯して、人々の笑顔や平穏を奪い去る醜い(ヴィラン)共はごまんと溢れ返ってやがるんだ。呆れちまうよな……」

 

 言葉を紡ぐうちに彼の瞳が潤んで、知らず知らずのうちにどうしようもない悔しさで、その目から彼の本質を示す証である雫が次々と溢れ出てくる。

 

「お前らと同じような目に遭う人がもう二度と現れねェように、兄ちゃん頑張るからなァ……。先生、約束守れなくてごめん……!結局、皆、()()()()()()()()ァ……ッ!!!俺、もっと強く、疾くなるから……見守っててくれ……。皆、ごめんなァ……!」

 

 前世も含め、何度目の嗚咽だろうか。少なくとも……彼がそれを漏らした回数は、今世の方が多い。実弥自身も、そう自覚している。いくらしても、し足りない後悔。それによって実弥の心は更に荒んでいた。

 

「……泣かないで、お兄ちゃん。お兄ちゃんのせいじゃないよ」

 

 許しを請うように涙を流す実弥。部屋着である、緑がかった黒いタンクトップの裾をそっと引っ張られる感覚がして振り向けば……懺悔を繰り返す罪人を許し、受け入れるシスターのような慈悲深い笑みを浮かべたエリがいた。

 

「普段はすぐ側に居てくれてるのに、今日はいつもより遅かったから……心配で来ちゃった」

 

 にへらと笑ってみせるエリ。彼女は、そのまま自分の小さく白い掌で、実弥を精一杯撫でた。

 

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんには私がいるもん。お兄ちゃんは、一生懸命に私のことを守ってくれた。お兄ちゃんはいつも頑張ってるよ。皆も、先生もそれを分かってる。誰もお兄ちゃんのことを責めたりしないよ」

 

「……ねえ、お兄ちゃん。笑おう。笑って生きよう。皆の分まで、私達が幸せに生きなきゃ。ねっ?」

 

 その言葉にハッとして顔を上げる。エリは……笑っていた。自分よりも幼い彼女の方がずっと辛いだろうに。それでも、実弥を元気づけようと笑っていた。

 

「…………ああ……。そうだな、そうだなァ……。泣いて悔やんでばっかじゃあ、逆に心配させちまうよな。ありがとうな、エリ。それと……1人にさせてごめんな……」

 

 涙を拭い、精一杯の微笑みを浮かべて、壊れ物を扱うかのように優しくエリを抱きしめる。エリもまた、その小さな体で目一杯に実弥を抱きしめ返して、笑顔のままで言った。

 

「謝らないで、お兄ちゃん。お兄ちゃんに、相澤先生に、''個性''を使う練習をする場所に通ってる友達だっているから……()()()()()()。1人じゃないもん」

 

 なんて健気で強い子なのだろう。どうしようもない愛おしさが溢れ出し、エリを抱きしめる腕に自然と力を込めた。

 

「わわっ……どうしたの、お兄ちゃん。苦しいよっ……」

 

(エリだけは……エリだけは、何としても守る……!玄弥と同じ目には遭わせねェ……!)

 

 血は繋がらないと言えど、たった1人の……かけがえの無い妹。何にも変えられない大切な存在。

 

 彼女を玄弥と同じように死なせることはしない。彼女が幸せに暮らせる未来を創る。エリを抱きしめながら、実弥は強く誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 実弥もエリも、必ずや忘れることはないだろう。己の身に降りかかった火の粉を……。優しき男、不死川実弥が、再び醜き(ヴィラン)の全てを憎む修羅へと変化した事件を……。




只今、この作品のヒロインに関してのアンケートをとっている最中です!期限は今の所は未定ですが、程よく票が集まり次第締め切るつもりです。

ヒロインが必要だと思う方々は、お手数をおかけしますが、活動報告にて誰をヒロインにするかを提案していただけますと幸いです。よろしくお願いします!

※前書きに表記している通りです。投票結果は、ヒロイン有りとなりました。


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第三話 過去の歩み

2021/7/15
ヒロイン投票のアンケートを締め切りました。皆様、ご協力ありがとうございました!
第四話の投稿時にヒロインも発表しようかなと思っております。誰がヒロインになるのかは……四話の投稿をお楽しみに。


 実弥やエリの身に起こった事件のことを明かす前に……改めて、今世の実弥の過去を紐解こう。

 

 前世では七人兄弟という大家族だったのに反し、今世の彼は天涯孤独だった。親もいなければ兄弟もおらず、赤ん坊の頃には既に捨てられていた。何の服も着せられていないままでタオルに包まれ、自分の名前が書かれた紙を貼り付けたダンボールに放り込まれた状態で捨てられていた。捨て猫のように、独りぼっちの状態で冷たい雨に打たれるしかなかった。

 

 そんな状況が丸一日ほど続き、明確な飢えが生じ始めた頃。孤独な彼に手を差し伸べる者達が現れた。その人物こそ、今の彼の帰る場所――そよ風園を運営していた先生達だった。

 2人は、20代半ば程の年若い夫婦で、無個性や(ヴィラン)向けの''個性''、化け物扱いされる''個性''を持った子供達のヒーローになりたいと考えて孤児院の運営を始めた。

 

「ヒーローの在り方は十人十色。笑顔で誰かを救けるヒーロー。(ヴィラン)を倒して、誰かを守るヒーロー。お金を稼いで家族や地域の暮らしを支えるヒーロー……。考え方は、人それぞれで違うの」

 

「簡単に言えば、10人ヒーローになりたいと思う人がいるなら、10人それぞれに違った考え方があるってことさ。勿論、僕らにも、僕らなりのヒーロー像があるよ。僕らの思うヒーローっていうのはね……''()()()()''()()()()()()()()()()()()()()。どんな小さなことでもいい。困っている人が居たら、笑顔で素直に手を差し伸べられる。そんな人は、誰でもヒーローと言えるんじゃないかな?」

 

 彼らは暖かい笑みを浮かべて、常々そう語っていた。

 

 小さな犯罪を取り締まる警察官も、火災の消火の為に迅速に駆けつける消防士も、夜遅くまで施設を見回る警備員も。はたまた、お人好しで困っている人を見捨てられない民間人まで。きっと誰もが誰かにとってのヒーローなのだ。例え、ヒーローという職業に携わる者達のような強さや派手な必殺技を持っていなくとも。

 

 「実弥君にも、誰かのヒーローになれるような優しい人になってほしいな」と、彼らは日頃から願い、実弥を愛して育ててきた。

 実弥が彼らの述べたヒーロー論を忘れることは決してない。今もなお、それは彼の根底に根付いていて、彼は自分を育ててくれた親同然の先生達を尊敬している。

 

 そよ風園には、実弥が一番最初に迎えられた。故にそこで暮らした時間も最も長く、自分を引き取ってくれた先生達に大恩を感じている。

 だからこそ、体を自分の思うように動かせる年齢になってからは、孤児院を運営する彼らを積極的に手伝った。2人の願うような男になることが、彼らに恩を返す為に出来ることの一つだと考えて、困っている人には手を差し伸べ続けた。

 

 そして、年を重ねるごとに一緒に暮らす子供達が増えていく。彼らはいずれも年下だった。前世で七人兄弟の長男であった本能故に、実弥は彼らの扱いを心得ていて、子供達もすぐに彼を慕うようになった。

 

 子供達の中には、無個性が理由で他人からいじめられたり、化け物扱いを受ける''個性''が理由で身内や大切な家族からも見限られた結果、人間不信に陥った者もいた。他人のこと……特に、自分を見限った大人達のことは決して信用せず、孤児院の先生にすら心を開かなかった。

 だが、彼ら一人一人の境遇を憐れみ、心の底から寄り添って、共に涙すら流す実弥の慈母のような振る舞いが、氷の中に独りで閉じこもっていた彼らの心を解き放った。

 

 そんな子供達にとっても、実弥は間違いなくヒーローで、本当の兄同然の大切な存在だった。実弥もまた、子供達を本当の弟や妹として扱い、愛しても愛し足りないくらいに愛した。その様子は、前世で幼くして命を落とした弟妹達にしてやれなかった分まで愛情を注いでやろうと言わんばかりのものであった。

 

 愛する弟や妹達同然の子供達、親同然の先生達。そして、愛する場所であるそよ風園。それらを守る為に、今世こそは全てを失わない為に強くなることを誓った。

 

 この世界では世界総人口の8割が''個性''を持っているが、残りの2割は何の''個性''も持たない無個性の人間として生きる運命(さだめ)を持って生まれてくる。実弥もまたその例に違わず、残り2割の人間だった。

 だが、実弥は単なる無個性ではない。異世界から転生したという意味と、戦う術を知っているという二重の意味でイレギュラーな存在だった。彼には、前世で宿敵を1人残らず屠る為に会得した''全集中の呼吸''や、治安の悪い場所を転々としたことによって自然と身についた喧嘩殺法がある。

 

 無個性であれど、戦える術を彼は知っていた。故に、それを会得しさえすれば愛する場所と愛する人達を守ることが出来ると考え、己を鍛え続けた。体と心肺を一から鍛え直した。

 

 彼に出来ることは……死ぬ気で鍛える。前世の宿敵が未だに存在しているつもりでかつての自分以上に強くなることを目指す。たったそれだけ。

 前世でその術に慣れていたおかげなのか、会得したタイミングはかつてに比べて遥かに早かった。実弥が8歳の時のことだった。

 

 この世界にない技術を「技術」だと言い張っても、誰一人として信用しない。それが目に見えていた故、実弥は''全集中の呼吸''を''個性''だということにして、心肺や体を一定以上鍛えなければ扱えないものだったという都合の良い設定を作った。結果的に彼は遅れて''個性''が発現したことになり、そよ風園の皆は自分のことのように喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 そこから、5年ほどの月日が流れたある日のこと。その日は、冬の真っ只中で寒さが厳しかったが、風一つ吹かない寒凪の日であった。

 

 実弥は、雲一つなく晴れ渡った青空の下、畳表を巻きつけたものがいくつも立てられた殺風景なそよ風園の庭で打ち込み稽古を行っていた。

 

 今の彼の年齢は13歳。前世で言えば丁度、育手の元で剣の教えを受けている段階に当たる。前世の人生のターニングポイントの一つに差し掛かる年ともなれば、自然と鍛錬に力が入った。

 

(まだこんなもんじゃ足りねェ……!俺は、守りてェもんを何度も守り損なった!今度は絶対に守るんだ!もっと――強くッ!!!)

 

「っっりゃあっ!!!」

 

 守る為の強さに対する渇望を胸に、右足を軸にして、手にした木刀を回転斬りの要領で振り抜く。''全集中の呼吸''を常に維持し続ける高等技術、''常中''によって引き上げた身体能力によって振るわれた木刀は、それを振るった軌道に沿って、天高く立ち昇る凄絶な真空波を巻き起こした。

 

「……ふうッ」

 

 真空波が収まると同時に、額の汗を拭いつつ青空を見上げる。ふと吐いた息が白く染まっているのを目にして、改めて冬の到来を実感していたその時。

 

「小僧。そよ風園という孤児院は……ここで合ってるか?」

 

 背後から、厳格さの塊だと言えるかのような声が聞こえた。その声には、実弥に有無を言わせないと言わんかのような意思が込められている。彼にはそんな気がした。

 

 その声の主は、白髪をオールバックにした壮年の男だった。勝色の着物を身につけ、その上から黒い羽織を羽織っているその姿は、新年の初詣に出かける際の格好にも思えたが、実弥の脳裏には――

 

(極道……?)

 

 そんな単語が浮かんでいた。

 

 大正時代には、治安の悪い所を転々とした実弥だ。極道やらヤクザやらの存在はよく知っている。見る限り、今、彼が生きている日本は随分と技術が進んでいるらしかった。

 鬼が存在しないと言えど、世界の根本的な歴史などの面は全く同じらしい為、存在してもおかしくはない話だ。今が大正より遥か未来の時代であることだけは分かる。

 

 ヒーローなんてものが存在するのだから、そんな組織もてっきり滅びているものかと思っていたが……。未だに存在するらしい。珍しいこともあるものだ、と幽霊でも見たかのような気分になった。そんな男が、雪のように真っ白な髪とルビーのように煌びやかな赤い瞳を持った5歳程の少女を抱えている。

 

(誘拐か何かってか……?)

 

「……そうですが、何か御用でしょうか?」

 

 男の問いに答えながらも、実弥は怪訝に思うことをやめなかった。彼の用によっては、即座に木刀を振るうことを決めつつ、答えを待った。

 

 男は、自分が訝しがられているのを察していたのだろうか。抱えていた少女をそっと降ろしてやりながら、薄く笑みを浮かべた。

 

「怪しむのも無理はねえ。こんななりだしな。だが、心配するな。組総出で殴り込みに来たとかそういう訳じゃない。ただ……頼みたいことがある。ここの先生か何かがいりゃ、話をさせてほしい」

 

 そう話しつつ、足にぎゅっとしがみつく幼い少女を撫でるその姿は、彼女に対する大きな愛情に溢れていた。

 

(……言葉に嘘はねェ。一先ずは中に通して良さそうか)

 

 少女の方も男に対してよく懐いている上に、彼の振る舞いは偽りのものではない。そう判断した実弥は、男を孤児院の中に招くことを決めたのだった。

 

 その後、そよ風園を管理する先生達を呼び、実弥自身も含めて男の話を聞くことになった。――念の為にという意味も込め、護衛を兼ねて先生達の側につく実弥を見た男は、孤児院や先生を守りたいという意志からくる彼の行動と度胸を気に入ったとか――

 

「こいつは俺の孫でな。エリと言う」

 

「お孫さん……ですか?その子のご両親は……」

 

「……母親は、こいつを捨てた。そんでもって、父親は消えちまった」

 

「え……?消え、た……?」

 

「ああ」

 

 男から聞いた話はこうだ。どうやら、少女……エリは、触れた生物を中心に対象を過去の構造へと直す''個性''――差し詰め、''巻き戻し''という所だ――を持っているそうだ。父親は、彼女が偶然にも発動してしまった''個性''によって消えてしまったとのこと。

 どうやら、''個性''が発現してばかりでろくに調整も出来なかった状況下であった為、父親を消えてしまうまで巻き戻してしまったようだった。そして、母親は彼女を呪われた力を持つ子だとして捨ててしまった。

 

(酷ェ話だな、オイ)

 

 いつの間にか自分の側に雛人形のようにして、ちょこんと座っていたエリをそっと撫でてやりながら、実弥はため息を吐いた。

 

 子供がどれだけ恐ろしい力や姿を持っていようが、寄り添って真正面から向き合い、支える。力を制御出来ないなら、一緒にそれを制御する方法を考えてやる。それが親としての責務だろうに。

 

 ''個性''が原因で社会から除け者にされた時に守ってやれるのは、子供にとっての世界の全てである親しかいないというのに。

 

「お互い親に恵まれねェなァ」

 

「?」

 

 未だにろくでもない親が存在することを憂うように呟き、エリのすべすべした頬を撫でてやる。すると、ルビーのように煌めく純粋な瞳を向けて首を傾げた。その素振りが、実弥には可愛らしく思えて仕方がない。彼の眉間に寄っていた皺が消え去り、微かに頬が緩んだ。

 

「捨てられた所を貴方が引き取った……ということなんですね」

 

「ああ。勿論、引き取ったからには責任を持ってエリの面倒をみるつもりでいたんだが……ちと、()()()()()()が判明してな。あんたらさえ良ければ、ここでエリの面倒をみてやってほしいんだ」

 

「構いませんけど、()()()()()()とは……?」

 

 血の繋がりのある男がエリを引き取るに越したことはないはず。そんな彼が引き取れない事情とは何なのだろう?

 ふと気になった、そよ風園の先生が疑問符を浮かべて尋ねた。疑問に思ったのは実弥も同じことで、微笑みから一転し、緊張した表情で答えを待った。

 

 数秒の間、男は目を閉じて考える仕草を見せる。その後、目を開くと眉間に皺を寄せ。真剣そのものな表情を浮かべて口を開いた。

 

「……聞いてて、気持ちのいい話じゃねえぞ」

 

 退くなら今のうちだと言わんばかりに、威圧するかのような鋭い目だった。

 

 彼の表情に2人の先生は息を呑みながら頷き、実弥は眉を(ひそ)めながら黙って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(とんでもねェ屑野郎だ……)

 

 実弥の額には、青筋が浮かんでいた。目は、鬼殺隊の隊士として鬼を屠り続けた時のように血走っていた。

 

 明らかに子供に聞かせていい話ではないと察した実弥が孤児院の子供達を呼び、彼らにエリと遊んでやるように頼んだ後。いよいよ、男の口から「面倒ごと」の詳細が話された。

 

 まず、男はとある組……つまりは、ヤクザの組長だと話した。彼は、自分達の組は(ヴィラン)ではなく侠客でなければならないという昔気質の信念を掲げ、それを決して曲げなかった。旧来のヤクザの組織解体が進んでいく現状を目にしてもなお。

 

 彼は、ある男にエリの''個性''の扱いと世話を任せた。その男は、組長であるエリの祖父に拾われて、組で育ててきた養子だった。幼い頃は、組を(ヴィラン)扱いする子供を相手に喧嘩をすることもあったが、幼い子供なりに組の面子を守ろうとしていた彼には思いやりを持って接していた。

 

 彼は、親代わりである組長を心の底から慕っている。エリの世話を頼んだ当初こそ、自分の慕う組長に従って彼女の世話を忠実に行っていたが……ある日、とんでもないことが判明した。

 

 きっかけは、エリの何気ない一言。

 

 それは、エリの様子を一目見ようと彼女の元を訪ね、遊んでやっていた時だった。彼女は、子供にあって当然の「知りたい」という欲求を赤い瞳に宿して答えた。

 

「おじいちゃん。''ことわり''って、何?」

 

「理……?よくそんな難しい言葉知ってたな。勉強したのか?」

 

「ううん。お世話をしてくれるお兄さんがいつも言ってるの。『壊理は理を壊せる存在だ』って。それに、『壊理をもっと研究して、肉体を元にしてしまえば……』って。最近のお兄さん、凄く怖い……。『研究だ』とか『組の為だ』って言って、今まで以上に私の体を切るの」

 

「……」

 

 あくまで、男がその発言をした所を見たわけではなく、エリの証言でしかない。だが、純粋な子供の言うことが大人のそれ以上に的を得ていたり、彼らが純粋故に正直に物事を言葉にするのは良くあることだ。

 

 それを知っていたからこそ――

 

「俺は懸念した。エリの世話役にした奴が、エリの肉体をきっかけに何かとんでもねえことを企んでいることをな。非人道的で組の掟に反することは絶対にしたくねえ。あいつの事だ。衰退していく組のことを思って、俺に恩を返そうとしているんだろうが……これだけは許す訳にはいかない」

 

「それで……迫る危険から守る為に、エリちゃんをここに預けに来たと……。そういうことですね?」

 

「……ああ」

 

 ショックの大きさ故か、唖然として声が出ないらしい先生達の代わりに実弥が聞き返す。怒りを押し殺すかのような、必死に冷静であろうとするかのような言い方だった。

 

 人を見た目で判断するな、とはよく言われるが……まさにその通りだ。

 

(疑った自分が恥ずかしいぜ)

 

 人情に溢れた言葉を、エリのことを人として扱う振る舞いを、彼女に対する思いやりに満ちた瞳を見た実弥は、己を恥じた。かつての同僚の言葉を借りるなら……穴があったら入りたい気分だった。

 

「お任せください。お孫さんのことは……エリちゃんのことは、必ずやお守りします」

 

 彼の振る舞いに尊敬の意味を込めて、実弥は正座の状態で深く頭を下げた。

 

「先生、いいよなァ……?」

 

「勿論だとも。エリちゃんを守る。それも、1人の大人としてやるべきことだもんね」

 

「それに、こんな風に独りぼっちになった子に寄り添って、その子達のヒーローになる為に孤児院を始めたんだもの。断る理由はないわ。……エリちゃんは、責任を持って面倒をみさせていただきます。ご安心ください」

 

「先生……!ありがとなァ」

 

 エリの引き取り手が見つかったことに安心しながら、エリの祖父は微笑む。組を治める者に相応しい厳格で強面な顔つきからはとても想像出来ない程に穏やかな笑み。そして、それは……もう自分に何があっても大丈夫だという安心からきたものだった。

 

「……また、戻ってきてくださいよ。エリちゃんのところに」

 

 笑顔の理由を察したのは実弥ただ1人。エリを引き取ることを許可してくれた先生達への感謝によって生じた微笑みを、エリの祖父である男の無事を祈る真剣そのものな表情へと変化させてそう言った。

 

「……ああ、善処する。ただ……エリを連れ出したことが知れたら、アイツは何をしでかすか分からない。勿論、明日もそれ以降もエリの顔を見にくるつもりだ。だが、そうでなかったら……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう返しながら苦笑する姿は……彼がどこか遠くへ行ってしまうという錯覚を実弥に(もたら)した。

 

「小僧。お前さん、いい目をしているな。……名は何と言う?」

 

「……不死川。不死川実弥です」

 

「不死川……か。覚えておこう。エリのこと、どうかよろしく頼む」

 

「はい。謹んでお受け致します」

 

 

 

 

 

 

 この日から、エリは実弥の新たな家族となった。最初こそ、身内が誰一人いない心細さで馴染めない部分があったエリだったが、実弥や孤児院の子供達は彼女を孤立させるような真似を誰一人としてしなかった。

 

 きっと、エリもそんな彼らの持つ暖かさを感じ取っていたのだろう。新しい家族に対してすぐに心を開き、馴染むことが出来た。彼女が毎日を楽しく過ごしているのは、とても喜ばしく微笑ましいことだ。だが、結局、エリの祖父は……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、エリを家族に迎えてから数ヶ月後の夏。事件が起きた……。




お待たせしました。実弥さんのヒロインを希望する方が多くいらっしゃいましたので、本作ではヒロインを採用することが決定致しました。

活動報告欄で、多くの候補が上がりました。皆さん、ご協力ありがとうございました!そして、ここでその候補を一気に挙げて再びアンケートをとり、ヒロインを決定したいと思います。

勿論、筆者自身も色々と考えてみますが……読者の皆様のご意見をお聞かせいただければと思います。ご協力よろしくお願いします!

期限は、2週間ほどにしようかと思います。


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第四話 不死川実弥:オリジン(前編)

本来1話にまとめるつもりだったんですが……長くなりそうだったので、2話に分けることにしました。

それはそうと、この作品のヒロインが決定しました!ヒロインは……アンケートでも投票数の最も多かったエリちゃんに決定いたしました!皆様、アンケートのご協力ありがとうございました。

ただし、一つ注意点がございます。作者の判断の結果、エリちゃんがヒロインであることに変わりはないんですが、エリちゃんは恋愛的な意味でのヒロインではなく、「血の繋がったそれ以上に、固く強い絆で結ばれた妹」としてのヒロインになります。(言わば、鬼滅の刃の禰豆子ちゃんと同じく強い絆で結ばれた妹ポジのヒロインです)実弥さんとエリちゃんの間には恋愛感情はありません。持つにしても、エリちゃんがもっと大きくなってからになるかなと思います。(それでも恋愛感情は持たない確率が高いです)

理由としては、やはり実弥さんがロリコン扱いされるのは作者としても嫌だからです。それに、そういう扱いをされると不死川実弥というキャラ自体に傷をつけることにもなりかねません。それを鑑みて、こういう選択肢を取りました。

実弥さんとエリちゃんの恋愛を期待していた方々、申し訳ありません。妹ポジでも大丈夫。これからも読みます!という方々は、これからも応援よろしくお願いします。

長くなりましたが、第四話をどうぞ!


 その日、実弥は食材や先生達に頼まれた道具の買い出しに出かけていた。様々な店を回り、必要なものを探し求めた結果……辺りは、すっかり夕日に照らされて橙色に染まってしまっていた。

 

 ふと腕時計に目を落としてみれば、針は既に夜の7時を回っている。

 

 夏であるが故に日の入の時間が遅くなっている。それもあってか、時間の感覚が鈍っているようだった。

 

「もう7時かァ……。時間が過ぎるのは早ェな。鬼を狩ってた時程じゃねェが」

 

 そんなことを呟きつつ、そよ風園で待ってくれているであろう弟妹や先生達の元に早いところ帰ってやろうと思い、足を踏みだそうとした瞬間――冷たい風が実弥の白髪と頬を撫でた。

 

「おいおい、これから雨かァ……?」

 

 いつだったか定かではない。だが、実弥は本か何かで何の前振りも無しに冷たい風が吹き始めたら、これから雨が降り出す証拠だと見たことがあった。

 

 大量の荷物がある中で雨に降られてはたまったものじゃない。ため息を()きつつ、急ぎ帰った方が良さそうだと思い、軽く準備運動をしてから、走って帰ることにした。

 

 帰路を辿って走る中。夕焼けの空に向かって、鴉の群れが鳴き声を上げながら飛び立っているのを目にした。

 

「……何なんだ、この胸騒ぎは」

 

 それを目にした実弥は、眉間に皺を寄せて呟く。

 

 鴉が不吉の象徴だというのは言われがちな雑学だが、実弥は知っている。それは、あくまで根拠のない雑学の域を出ないものでしかないことを。

 事実、日本では勝利の象徴である八咫烏が崇められているし、外国でも神の遣いだったり、太陽の象徴だとされている。

 それに加えて、実弥自身も前世で鴉に手助けをしてもらった経験がある。鬼殺隊における連絡手段の要であった鎹鴉(かすがいがらす)。彼らがいたからこそ、鬼殺隊士は鬼の居場所が分かり、その場所まで迅速に駆けつけることが出来た。

 

 分かっている。分かってはいるのだが……どうにも胸騒ぎが止まず、何かが実弥の中で警鐘を鳴らし続けていた。

 

「……っ、くそっ……!何でこんな胸騒ぎがしやがるんだァ……!鴉が不吉の象徴なんて証拠はねェってのに!」

 

(頼むから……何も起こらないでくれよ……!)

 

 知らぬ間にこめかみから頬へと伝っていく冷や汗。それを拭うことさえ忘れ、そよ風園を目指して全速力で駆けた。

 

 ――今になって、実弥は思うことがある。この時の冷風や飛び立つ鴉の群れに、何の根拠もない胸騒ぎ。これらは全て、虫の知らせだったのではないか……と。

 

 

 

 

 

 

「先、生……?」

 

 そよ風園に辿り着いた実弥は、絶句した。

 

 いざ辿り着いてみれば、玄関のドアがものの見事に薙ぎ倒されてしまっていて、その側には……そよ風園の先生達が大量の血を流して項垂れているではないか。

 

 2人いる先生のうち、女性の方は巨大な獣の爪で引き裂かれたかのような傷跡があり、脇腹辺りを大きく抉り取られてしまっていた。そして、男性の方は……四肢が凄惨に引きちぎられ、そこから流れる血で地面は真っ赤に染まっている。目は、既に死んだ魚のように虚ろで光も灯っていなかった。

 

 女性の方は息も絶え絶えだが、肩が上下している。辛うじて生きているようだ。しかし……そう長くないだろう。実弥の体中から血の気が引き、力が抜けていく。

 

「先生ッ!くそっ、どうなってやがるんだァ!」

 

 こんなことをしている場合ではない、とかぶりを振った実弥は、買い出しで買った物を詰め込んだ袋をその場にほっぽり出して先生の元へと駆け寄った。

 

 そして、咄嗟に2人の体に触れてみる。大方察しはついていたが、男性の方は完全に体が冷え切っており、辛うじて生きている女性の方もみるみるうちに体温が下がりつつあった。

 

「さ、ねみ……君……?お、お帰り……。ごめんね……こんな、血だらけ、で……」

 

「気にしてねェ……!気にしてねェから、喋んな!先生が死んじまう!今、止血すっから……!」

 

 前世、わざわざ自分の体に傷をつけて稀血を利用しながら、血を流して戦い抜いてきたのだ。だから、実弥には他の隊士以上に応急処置の心得があった。それがあるのは今世も同じこと。咄嗟に来ていた白いTシャツを脱ぎ捨てて引きちぎり、包帯代わりにして圧迫止血を行おうとしたが――

 

「私のことは、いいの……。それよりも、他の……子供……達を……。私は、もう長くない……から……」

 

 そよ風園の先生は、かぶりを振って実弥の行動を制した。自分はもう駄目だと察した表情の彼女を見た実弥は、声を荒げる。

 

「いい訳ねェだろ!あんたまで死なせたくねェ!()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 「諦めるな」と先生に対して強く語りかけているようで、自分自身に戒めているようでもあった。そんな叫びを聞いた先生は微笑みを浮かべ、実弥の無造作な白髪を撫でた。

 

「実弥、君……。いいの、私のことは……。私1人の命を手に包み込める実弥君なら……ここの子供達、全員の命を……包み込めるわ……。お願い、実弥君……。子供達を、お願い……」

 

 彼女の頬を涙が伝う。神に救いを求めるかのような、涙で潤んだ瞳を向けられた実弥は……何も言えなかった。

 

「…………分かった」

 

 ただ先生の頼みを引き受けるしかない自分に対する怒りでこめかみに青筋を浮かべつつ、実弥は渋々とばかりに頷いた。

 

「……ありがとう……」

 

 頼みを受け入れてくれた実弥を見た先生は、安心したように頷きつつ、状況を伝えた。

 

 曰く、突如4人の強盗団がそよ風園を襲ってきたのだそうだ。彼らの目的は不明。

 

 彼らは、''熊''に''ライオン''、''破裂''に''クラーケン''と言った''個性''の持ち主だった。男性の先生は、''クラーケン''の''個性''を持った(ヴィラン)から自分を庇ったことで四肢を引きちぎられてしまったのだと言う。そして、女性の先生は''熊''の''個性''を持つ(ヴィラン)に傷を負わせられた。

 また、他の2人は、一足先に孤児院の中に足を踏み入れたようだった。

 

「……分かった。分かったぜ、先生……。俺に任せとけェ……。先生の代わりに、俺達の家族は守るからなァ」

 

 涙を流しながら、かつての弟に母親似の笑顔だと言われていた穏やかで優しい笑みを浮かべ、既に息絶えた先生をそっと抱きしめる。自分が血だらけになろうが関係ない。今世の母親同然の彼女をただひたすらに抱きしめた。

 

(……もう先生達に孝行することすらも、出来ねェんだなァ)

 

 息絶えたことで冷え切ってしまった肌に触れていると、そんなことが頭を(よぎ)る。結局、間に合わなかった。そんな自分の無力さが悔しくて涙がボロボロと溢れてくるばかり。

 

「……畜生ッ……!どうして、俺はいつもこうなんだ……!」

 

 先生の亡骸をそっと寝かせてやった後、実弥は血が滲む程に拳を握りしめつつ、そう吐き捨ててそよ風園の中へと足を踏み入れる。

 

 玄関前から孤児院の中へと走り去る彼の目から溢れた涙が零れ落ち、厚くドス黒い雲に覆われた空の中にそっと舞い散った……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の弟達に……妹達に……!何をしてやがんだァァァァァ!!!!!」

 

「ぐはあっ!?」

 

「な、何だ!?誰か――うがっ!?」

 

 そよ風園の中に設けられた寝室の中に、激昂した獣の咆哮を彷彿とさせる実弥の叫びが轟く。

 

 風を切りさく音を響かせ、猛然と迫る血眼の彼の狙いは、この寝室を凄惨な状態に仕立て上げた''破裂''の''個性''を持つ(ヴィラン)と''クラーケン''の''個性''を持つ(ヴィラン)

 

 人間の目では視認不可能な速度で、実弥は2人に襲いかかる。そして、片方の頬を右フックで殴り、もう片方の鳩尾を右脚で繰り出した後ろ回し蹴りで蹴りつけた。

 

 全集中''常中''によって増した身体能力は、下手をすれば増強系の''個性''で増したそれを遥かに凌ぐ。それに、瞬間的な怪力を発揮出来る反復動作もある。

 

 故に、彼の繰り出した打撃の威力は凄まじかった。打撃を喰らって吹き飛んだ2人が寝室の壁に激突すると同時に大砲から弾を発射した瞬間のような轟音が響き、孤児院の全体を揺らした。

 

 壁に激突した直後、(ヴィラン)達が白目を剥いて項垂れたのを確認した実弥は、普段は白いはずが赤い血に染まってしまった布団にも躊躇することなく、視線の先で手足を失い、腹部の内側から皮膚を突き破られたかのような傷を負って床に転がる少女へと駆け寄る。

 

「さね、み……お兄、ちゃん……」

 

「しっかりしろ、兄ちゃんが来てやったからな!兄ちゃんが何とかしてやるから……!頑張れ!」

 

 その小さな体をそっと抱えてやり、必死に声をかけ続ける。それしか出来ない程に実弥の気は動転していた。

 

 前世で何度も人の死を見ているだとか、そういう問題じゃない。何がどうであっても、目の前で人が命を落とす瞬間を見るのは精神をすり減らしてしまうものだ。

 

 この短時間に、実弥は10数人もの人の死を経験してしまっている。そよ風園の先生達から始まり、約束を果たそうと寝室に辿り着いてみれば……そこにあったのは、鉄の匂いがツンと鼻を突き刺す、血だらけの地獄のような部屋だった。辿り着いた瞬間、察してしまった。

 

 ――自分は間に合わなかったのだと。

 

 実弥がその様子に愕然としている間に、唯一生き残っていた2人の弟と妹に(ヴィラン)の魔の手が襲いかかった。少年は龍の人――即ち、龍人に変化出来る''個性''を発動して勇敢に立ち向かったが、体の内側から風船のように破裂させられてただの血溜まりと化してしまった。少女は''メデューサ''の''個性''を持っており、目線の合った''クラーケン''の''個性''を持つ(ヴィラン)を一時は石化してみせたが、''破裂''の''個性''を持った(ヴィラン)が彼女の腹部を破裂させて風穴を開けたことによって''個性''を維持するだけの集中力が途切れた。そして、激怒した''クラーケン''の''個性''を持つ(ヴィラン)に捕らえられ、両手両足を引きちぎられてしまった。

 

 その残酷な出来事が、実弥の目の前で起きた。

 

 彼は、元より仲間や主君の死に対して涙を流せる、繊細で優しい男。この短時間の間に家族同然の人間が命の危機に瀕したり、命を落とす場面に何度も遭遇してしまえば、気を動転させるのも無理もない話だ。

 

「聞いて、お兄ちゃん……。私達ね、エリを……守ったよ……。お兄ちゃんが、いつも言ってた、もんね……。『弟や妹を守るのは兄ちゃんや姉ちゃんの責務だ』って……。だから、私達も、頑張ったよ……。えら、い……?」

 

 自分の命を失うのを恐れず、一番年下のエリを守る為に立ち向かった。そんな行動を果たした弟や妹達。その行動を否定する道理などどこにもない。

 

「ああ……。ああ……頑張ったんだな……。兄ちゃんが一番頑張らなきゃならねェことを、代わりにやってくれたんだよな……。ごめんな……」

 

 実弥は、ボロボロと涙を流しながら、徐々に冷えていく少女の頬にそっと手を添え、優しく頭を撫でてやる。涙を流す実弥を見た少女は微笑み、血を吐きながらも言葉を綴った。

 

「泣か、ないで……自分達でやったこと、なんだもん……。実弥お兄ちゃんのせいじゃ、ないよ……。エリは、きっと無事だよ……。守って、あげて……。私達が、必死で守った大切な、家族……。おね、がい……」

 

「…………任せとけェ。兄ちゃんに、全部任せとけェ。エリだけでも……守ってみせるからな。みんなの努力は無駄にしねェから……」

 

「うん、ありがと……お兄ちゃん……。大、好き……」

 

 そこまで言うと、少女は自分の伝えたかったことを全て伝えて満足したと言わんばかりに目を閉じた。実弥の体に手を伸ばすかのように動いていた肩が、脱力してガクンと横たわった。

 

「……これで、いいか……?」

 

 実弥は依然として涙を流し、微笑みながら冷え切った少女の体をそっと起こして抱きしめてやった。彼女が今よりも幼い頃から、ずっとこうしてやっていた。こうして手を伸ばしてきた時は、決まって抱きしめてほしいとねだる時だった。

 

 聴こえるはずもないのに、その少女が「ありがとう」と泣きながらに言う声が聞こえた気がした。同時に、実弥の脳裏に彼女との出会った頃から今までの思い出が駆け巡る。

 

 ――少女の体をそっと寝かせ、隣に出来た血溜まりを見つめる。程なくして、部屋中を見渡す。

 

 壁や床についたいくつもの血痕。転がった手足や弟妹達の亡骸。大切な彼らとの思い出が同時に実弥の脳裏を駆け巡った。

 

 地獄のような惨状を目にし、自分が失ったものの大きさを知ってしまった。

 

()()、やっちまったなァ……」

 

 少女や先生の血で染まった掌を見つめる実弥に浮かぶ表情は、嘲笑のそれ。約束一つ果たせない。大切なものは、次々と手から零れ落ちてガラス玉のように砕け散る。同じことを繰り返す自分に呆れ、笑うしかなかった。

 

 実弥の中で何かが崩れ去っていく。ここまで築き上げてきた幸せが。心の平穏が。

 

 そして、その壁が崩れ去った先に広がっていたのは――

 

「絶対に許さねェ……ッ!」

 

 守るべきものを奪い尽くした(ヴィラン)に対する憎しみ。光一つすら差し込むことを許さない暗闇だった。

 

「てめえぇぇぇ……!さっき、俺達を殴りやがったのはてめえだな!?」

 

「大人の邪魔をしたことを後悔させてやる!」

 

 自分達が実弥に抱えさせた憎しみの膨大さ。それを知る由もない(ヴィラン)達が気絶した状態から復活して実弥に歩み寄る。

 

 どうせこいつもただのガキだ。適当にキレて脅してりゃ、他の奴らと同じようにすぐに終わる、とたかを括って。

 

 だが……実弥は訳が違った。

 

「後悔させてやるゥ?そいつァ――」

 

「――俺の台詞なんだよ、クソ(ヴィラン)

 

 命を落とした少女の頭を一撫でし、立ち上がった実弥の血走った目が背後に立つ(ヴィラン)達を捉える。歯を食いしばり、怒りで歪んだ口元。血走った目は見開かれ、殺意に近しいものに満ちている。そして、中に立ち入る前にTシャツを脱ぎ捨てたことで晒された同年代の少年達よりも遥かに鍛え抜かれた上半身の腕や首筋、手の甲には血管が浮かんでいて……。その姿こそ、まさに修羅そのものだった。

 

「「ひいっ!?」」

 

 子供のしていい表情じゃない。突如、自分達の独壇場と化しつつあった場に修羅が現れた。(ヴィラン)達はあっという間に腰を抜かして必死に後退りした。

 

 獲物を屠る白銀の狼と化した実弥は、無様な虫のように這って逃げようとする2人の(ヴィラン)に音もなく追いつき、続け様に頭を鷲掴みにして孤児院の床に思い切り叩きつける。

 

「あがっ!?」

 

 激情に駆られた実弥の怪力は、孤児院の床に巨大な亀裂を入れた。激しく脳を揺らす衝撃が(ヴィラン)達を襲い、その額の皮膚が裂けて血が噴き出す。既に意識が朦朧としている彼らであったが、彼らが意識を閉ざすことを実弥は許さない。決して。

 

「立てやァ!!!!!」

 

 目の前に寝そべる2人の髪を鷲掴みにし、無理矢理立たせる。怯えて子犬のように震えながら、「許してください」と何度も謝る彼らを見て、実弥の中に苛立ちが募った。

 

 青筋を浮かべて目を見開き、涙を流しながら、実弥は次々と拳を叩き込んでいく。

 

「おい、ふざけてんじゃねェぞ!自分(テメェ)が怖ェ目に遭ったら、都合良く命乞いかァ!?テメェらに殺された俺の弟や妹達はァ……!今のテメェらと同じように怖かったに違いねェ!『殺さないで』って、涙ながらに願ったに違いねェ!」

 

「なのに……!なのに、テメェらは!そんな声に耳一つ貸さずに弟や妹を殺した!他人の痛みすら理解せずに、ヘラヘラと笑ってやがったァ!幼いこいつらの手足を引きちぎって、体を破裂させて……楽しかったかァ!?ああッ!?」

 

 振るう拳全てに怒りを込める。弟や妹達、それに先生達が味わった苦痛を(ヴィラン)達が味わえるように、休む間も無く拳を振るい続ける。

 

「ゆっ、ゆるじでぐだざい……!」

 

 もはや、(ヴィラン)達の顔中には痣や(こぶ)が出来ている。顔の皮膚が切れ、流血しているところもある。口の中に血が溜まって、ろくに喋ることすら出来ない彼らは、濁音混じりの謝罪をした。

 

 そんな彼らに対する実弥の選択肢は……たった一つ。

 

「許す訳あるかよォ。テメェら(ヴィラン)なんざクソ喰らえだ。くたばれェ」

 

 憎しみによって濁り切った紫色の瞳を向け、風の呼吸独特の呼吸音を発する。烈風で木の葉が揺れ、砂が激しく巻き上げられるような音。床を蹴る為に腰を落とし、脚に空気を溜める彼の背後に佇むのは……憤怒を抱いた風神の幻影。

 

「い……嫌だ!嫌だぁぁぁぁ!!!」

 

 殺気さえ発するその姿を見た(ヴィラン)達は、駄々をこねる子供のように泣き叫んだ。

 

 ――実弥は、確かに優しい男だ。だが、彼は一度憎しみを向けた相手を最後まで憎む男。どんなことが起ころうと、どんな事情があろうと人々の幸せを奪う諸悪を許さず、殲滅せんとする男。前世の鬼に対してだってそうだった。竈門禰豆子という例外を除き、彼は鬼を絶対に許さなかった。

 

 故に。実弥は、彼らに対する慈悲の心を全く持ち合わせていない。

 

「百万回死んで償え」

 

 その姿を前に実弥が下した判決は――まさしく死の宣告だった。

 

 実弥が地面を蹴り抜き、跳躍する。体を何度も回転させながら、竜巻そのものと化す。そして――目にも止まらぬ速さで繰り出した旋風脚で、(ヴィラン)達を蹴り抜いた。

 

 彼の蹴りに乗せて鎌鼬状の鋭い風が巻き起こり、(ヴィラン)達の肉体を切り裂く。噴水のように血を噴き出させながら、彼らは地面に伏した。

 

 纏った風を引き裂くように現れた実弥が、衝撃を和らげながら軽やかに着地する。

 

 そして。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(さん)(かた)――晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)

 

 

 

 多くの大切なものを失って生じた心の痛みと、親同然の先生達に孝行しようにもどうしようもない虚しさを乗せて、型の名を紡いだ。

 

 風樹とは――風樹の嘆という言葉の略称。親孝行をしようと思った時には既に両親が死んでしまっていてどうしようもないという嘆きのこと。皮肉にも、今の実弥の現状にぴったりの言葉だ。

 

(虚しいなぁ、おい……)

 

「俺は……幸せに、普通に生きちゃいけねェのかよ……?なァ、教えてくれよ。神様……」

 

 暫しの間、実弥は立ち尽くした。大切な妹と先生の血と、(ヴィラン)から浴びた返り血に濡れた手を呆然と見つめて……。



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第五話 不死川実弥:オリジン(後編)

「はあっ……はあっ……!」

 

(届けなきゃ……実弥お兄ちゃんの木刀……!お兄ちゃんなら、絶対何とかしてくれる……!)

 

 綺麗に手入れされたサラサラの白い長髪を(なび)かせ、エリが走る。その小さな腕に、緑色の紐が結び付けられた実弥愛用の木刀を抱えて。

 

 脳裏に浮かぶのは、自分を庇って次々と倒れていく、兄や姉として慕っていた子供達の姿。彼らが目の前で跡形もなく消えてしまう瞬間や、彼方此方に飛び散った血痕を思い出す度に恐怖で足が止まりそうになる。

 

 それでも……自分に希望を託して死んでしまった彼らの為に、足を止める訳にはいかない。実弥に希望を繋がなければならない。ここで自分が死ぬ訳にはいかない。何より――

 

(実弥お兄ちゃんを独りぼっちにさせない……!させたくない……!)

 

 自分の為に命を捨てた、自分よりも実弥のことを知る子供達に託された。

 

 実弥お兄ちゃんは優しくて繊細な人だから。自分達がいなくなったら、きっと心を痛めて悲しむから。だから、生きて。側にいてあげて、と。

 

 兄や姉との願いを果たす為、生き延びる為に止めることなく歩みを進めるエリの前に壁が立ち塞がる。

 

「嬢ちゃん。そんなに必死に逃げて……どうしたってんだ?」

 

「ひっ!?」

 

「おいおい、そんなに怖がることないだろ?」

 

 声をかけられて振り向いてみれば、そこにいたのは熊の姿をした大男。自分より一回り二回りどころでは済まない巨体を持った山のような男だった。眠る子供達の対処を''破裂''の''個性''を持つ(ヴィラン)と''クラーケン''の(ヴィラン)に任せ、あの場から逃げた自分を追いかけてきた(ヴィラン)のうちの1人。

 

 後退りするエリの顔を、珍しいものでも見るかのようにじっと見つめる熊の(ヴィラン)。何かを思い出したかのような顔付きになると、叫んだ。

 

「兄貴!兄貴!見つけましたよ、()()()()()()()()!」

 

「ほう?」

 

 熊の(ヴィラン)の叫びに答え、大した時間も経たないうちに王者のような貫禄のある渋みに満ちた声が響いた。

 

 曲がり角から姿を表したのは、金色に輝く(たてがみ)を持つ獣。逞しく発達した薄い金色の体毛に覆われた肉体を持ち、瞳には弱肉強食の世界を生き抜いてきた歴戦の獣として弱きを喰らう獰猛さを宿している。その姿こそ、紛れもないライオン――獅子だった。

 

「白い髪に、赤い瞳。それと……額の右側の角。うむ、間違いない。よくやったぞ」

 

 鋭く尖る白い牙を見せ、獅子の(ヴィラン)が不敵に笑う。獲物は見つけた、もう逃がさない。獰猛な瞳でそう語っていた。

 

 その瞳に晒されたエリは、兎の気分になった。捕食対象として認識され、肉体が硬直して視線すら逸らせない。視線を逸らせば、その間に距離を詰められて食べられてしまうのではないか。兎そっくりの赤い瞳に白い髪の毛、小柄で儚い体格の彼女をそんな恐怖が襲った。

 

 本人自身、何が原因でかいたのかもよく分からない心地悪い汗が額から垂れて頬を伝い、顎から床へと滴り落ちる。心臓をグッと鷲掴みされたような苦しい感覚があり、逃げようにも体が動かなかった。それどころか足が言うことを聞かず、その場に膝から崩れ落ちてしまう。

 

「お嬢さん、そんなに怖がることはない。俺達は君を殺さない。君に関しては、生きたまま捕らえるようにと命令されているんだ」

 

 恐怖に押しつぶされかけている様子のエリを見兼ねた獅子の(ヴィラン)が、自分の子供を諭すかのような優しい声色で言う。エリを包み込むかのような優しい手。だが、エリが安心することは決してない。彼女の中で、「この人の言うことを聞いてはいけない」という予感がしていた。

 

「大人しく俺達に着いてきてくれるのなら、傷つけはしない。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 世話役のお兄さんという単語を聞いたエリの中に、昔の光景がフラッシュバックする。

 

 ――赤みの混じった黒髪。黒い布製のマスク。他人から触れられることを嫌うかのような、神経質な黄色い瞳。そんな身体的特徴を持つ男が、「組の為だ」とか「オヤジの為だ」と言って、体を切りつける。

 

 傷跡も完全に消えてしまったというのに、かつて切り付けられた部位がズキズキと痛み始める。体を切りつけられる恐怖が湧き上がって、心臓がより速く鼓動を刻み始める。果てには、上手く呼吸が出来ずに息が上がり始めた。

 

「はあっ……!はあっ……!」

 

 誘いに乗って一度でもあの男の元に戻ってしまえば、もう二度とそよ風園には戻ってこれないだろう。二度と実弥の温かく、慈愛に満ちた手に触れられないだろう。撫でてもらえないだろう。母親のような優しい笑顔も見られないだろう。

 

 本当の父親のように、または兄のように。更には、母親のように自分を愛してくれる実弥と暮らす。それが、エリにとっての一番の幸せだった。だから――

 

「っ、いやっ!」

 

 勇気を振り絞り、涙ながらにこちらに差し伸べられる手をはたいた。

 

 唖然とする目の前の(ヴィラン)達に向けて、エリはまくし立てる。

 

「あの人が私を心配するなんて……絶対あり得ない!組の為にとか、私のおじいちゃんの為にとか……そんなことばかり言って、あの人は私の体を切りつける!痛かった……苦しかった……。考えてるのは、自分のことばかり……!そんな人のところに戻るなんて、絶対に嫌だ!」

 

 これまでのエリなら、嫌だという意思をはっきりと示すことはなかった。世話役の男の言うことに言われるがままに従い、我慢をしてきた。

 だが、実弥やここの子供達が教えてくれた。嫌なことは嫌だと言ってもいいんだと。

 

 実弥との幸せな暮らしを捨てたくない。また苦しむのは嫌だ。初めて、エリはその意思をはっきりと示した。

 

「ガキが……!大人の言うことはきちんと聞くもんだぞ!反抗する意思すら持てないように、まずはその木刀を取り上げてやる!」

 

 子供は従順なものだと思い込んでいたのか、熊の(ヴィラン)が牙を剥き、怒りを露わにして一歩ずつエリに歩み寄っていく。

 

「いやっ……!来ないで……!」

 

 震える手で木刀を握りしめ、構える。だが、剣の心得がないことが分かる初心者のそれに(ヴィラン)は怯まない。歩みを進め続け、無駄だと笑う。

 

 エリの目前に到達した熊の(ヴィラン)は、彼女を脅すかのようにギシッと勢いよく孤児院の床を踏み鳴らす。力士の四股(しこ)踏みのように、力強く。

 

「……殺すなよ。命令された通りに生きた状態で捕らえなければ、()()()()()()()

 

「おっと、そうだった。危ねえ危ねえ……。了解しました、兄貴」

 

 手下であろう熊の(ヴィラン)を鋭く一睨みする獅子の(ヴィラン)。それによって冷静さを取り戻した彼は、やらかしかけた自分を咎めるかのようにポリポリと頭を掻きむしってから再びエリを見て口角を吊り上げ、笑った。

 

「ともかく、嬢ちゃんが逃げられる方法はねえよ。観念しな。ま、安心しろよ。悪くはしねえ。反抗すりゃあ……ちっと痛い目に遭うもしれないがな!一先ず、その木刀を寄越しやがれ!!!」

 

 左手を右肩に添え、ぐるぐると回してほぐした後、エリの抵抗手段を奪い去って絶望を与えようと、熊の茶色い体毛に覆われた剛腕が振るわれる。

 

「っ!」

 

 実弥に繋ぐ為の希望を奪われる訳にはいかないと、エリは背中を丸めて庇うように木刀を強く抱きしめた。

 

「そうかよ、寄越す気はないってことか!それなら痛い目に遭ってもらうとしようかァ!」

 

 自分の産んだ卵を守ろうとする親鳥のような様子のエリを見た熊は、剛腕ではなくその爪を振るう。

 

 これから死ぬかもしれない。そう思うと、エリの中でゆっくりと時間が流れていくような感覚がした。

 

 流れゆく思い出。そよ風園に来るまで、自分を大切に育ててくれた祖父。そよ風園の先生や子供達に、実弥との楽しかった日々。彼らの温かい笑顔。それを思うと、まだ幸せな日々を失いたくない。生きていたいという思いが湧き出てくる。

 

(実弥お兄ちゃん……!実弥お兄ちゃん……っ!救けて……!救けて……!)

 

 涙を堪えながら、エリは実弥を……危機を覆してくれるであろうヒーローを求めた。

 

「救けて……!」

 

 エリが、救けを求めるか細い声を発したその瞬間――

 

「薄汚ェ手で俺の妹に触んなァ、人殺し」

 

 (ヴィラン)達にどうしようも無い絶望を(もたら)す修羅の声がした。

 

 その声がしたのは、熊の(ヴィラン)の真上。彼はハッとしながら顔を上げ、腰を抜かした。

 

 見開かれ、血走った目。歯を食いしばり、憤怒で歪んだ口元。その顔付きは、まさしく修羅そのもの。声の主は――憤怒で堪忍袋の緒を切れさせた修羅と化した実弥だった。

 

 何か行動を起こそうにも、体が動かない。避けるか防ぐかしなければいけないと分かっていながら、何も出来ない。予想外の出来事が起こった瞬間、思考を停止し、動きを止めてしまう人間の体。なんと単純なつくりなのだろう。そんなことを思うのも束の間。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)―― 木枯(こが)らし(おろし)ッ!!!!!

 

 

 

「ゴフッ!?」

 

 晩秋から初冬にかけて山から吹き下ろす、強く冷たい風を纏った実弥の踵落としが、熊の(ヴィラン)の脳天を打ち抜いた。

 

 垂直方向に力がのしかかり、その体が床に沈み込む。彼の足元に見事なクレーターが完成してしまった。

 

 激しく脳を揺さぶられた(ヴィラン)は、呆気なく脳震盪を起こして気を失い、白目になりながら前のめりに倒れ、地面に伏せた。

 

 熊の(ヴィラン)が床に衝突した鈍い音がして、数秒の沈黙が流れる。自分の体に痛みも何も無いことに気が付き、エリは恐る恐る丸めた背中を起こした。

 

「エリ」

 

 先程までの憤怒に満ちた声とは真反対の、慈愛に満ちた仏のような優しい声がエリに降りかかる。

 

 その声に顔を上げ、自分を救けてくれたヒーローの名を呼ぶ前に――彼女は抱きしめられた。

 

「遅くなった。ごめんな」

 

「実弥お兄ちゃん……!」

 

 エリの白い髪を撫で、木刀を受け取りつつ言う実弥を、彼女も抱きしめ返した。

 

 エリの目尻に溜まった真珠のように透き通った涙を親指で優しく拭ってやりながら、実弥は白い歯を見せてニカッと朗らかに笑ってみせる。

 

「こいつ、届けようとしてくれてたんだよな。ありがとなァ。……後は兄ちゃんに任せとけ」

 

 実弥の言葉に、にへらと笑ってから頷くエリに離れておくように促した後。実弥は立ち上がり、再び修羅と化す。2人のうち、残った片方である獅子の(ヴィラン)を憎しみで濁りきった紫色の瞳で睨みつけた。

 

「小僧。お前も……ここの孤児院に住んでいるのか?」

 

 獅子の姿に変化していることで増している獣の本能が、一刻も早くここから逃げろと忠告している。だが、目の前の少年が素直に逃がしてくれるとも思えず、今は何とかして時間を稼いで隙を見つけたかった。

 

 実弥は、血走った目のまま、口の端を吊り上げて不敵に笑いつつ、木刀の(きっさき)(ヴィラン)に向けて答えた。

 

「そうだぜェ。よくも……よくも俺の家族をズタズタにしやがったなァ……!何が目的だァ!?テメェらは、どうして残酷なことを平気な顔で淡々とやりやがる!?答えやがれェ!!!」

 

 実弥が声を荒げる。聞く者全ての耳を(つんざ)く龍の雄叫びのようだった。

 

 たらりと冷や汗が額を伝っていくのを感じつつ、(ヴィラン)は答える。

 

「……金の為だ。そこにいるお嬢さんを依頼主に引き渡すことさえ出来れば、大量の金が手に入る。更にだ。ここの孤児院で過ごしているガキ共の死体を引き渡すのと引き換えに、より多くの大金が手に入る!……分かってくれ、小僧。俺には金が必要なんだ。そこのお嬢さんを引き渡してくれれば、お前も救かる。その子1人を差し出しさえすれば、沢山の人が救かるかもしれないんだぞ!?」

 

 男は語り始めた。

 

 曰く、自分には家族がいる。

 

 曰く、家族を養う為に仕事に精を出していた時期もあった。しかし、自身のミスで仕事をクビになってから重なった災難で、金が尽き始めていた。それでも、愛する家族の為に金が必要だった。だから、裏社会に足を踏み入れてしまったのだと。

 

 要するに、家族の為にこうするしかなかったという訳である。余程のお人好しなら同情して提案に乗ってくれる。鋒を突き付けたまま唖然とする実弥を見た男は、そんな淡い希望を抱いていたのかもしれない。

 

 だが――他人の幸せの為に家族が危機に瀕することを良しとする人間など、いる訳がないのだ。

 

「知ったこっちゃねェよ」

 

「ッ!?」

 

 実弥から溢れる怒気が更に増す。語尾に怒りの感情がのしかかる。

 

 瞬間、(ヴィラン)は察した。自分は龍の逆鱗に触れてしまったのだと。

 

「黙って聞いてりゃ、自分の家族の為にお前の家族を差し出せってかァ?なァ、クソ(ヴィラン)さんよォ――頭イカれてんのか、テメェ」

 

 烈風で木の葉が揺れ、砂が激しく巻き上げられるような音を発しながら、実弥は激昂する。

 

「善人ぶってんじゃねェぞ、(クズ)野郎!身内の為だとか綺麗ごと並べようがなァ……!普通に幸せな暮らしを送ってた俺達の幸せを粉々にぶち壊した!その事実は変わらねェ!直接殺してなかろうが何も関係ねェ。この計画に加担した時点で――テメェはァ、()()()()()()()()()()()()()ォォォ!!!!!」

 

 (ヴィラン)の体中から冷や汗が噴き出し、彼は実弥の言葉に愕然とした。体中から力が抜け、呼吸が乱れる中で呆然と床を見つめて、「そんなつもりは……」と何度も呟いていた。

 

 その間にも、床を蹴った実弥は疾走する。着実に(ヴィラン)との距離を詰めていく。そして、家族を奪われた怒りと悲しみ。その全てを木刀を握りしめる手に込め……それを振るった。

 

「ガハッ……!?」

 

 すれ違いざまに叩き込まれたのは、相手を取り囲むような渦の斬撃。空高い場所を、風を切りながら飛行する隼の翼、そこの先端にある風切羽のような鋭い斬撃だった。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(はち)(かた)――初烈風斬(しょれつかざき)

 

 

 

 怒りを押し殺すように型の名を紡いだと同時に、(ヴィラン)が血を流して倒れる。

 

 ――戦いは終わった。数十分も経たないうちに決着がついた。

 

「終わった……。終わったんだなァ……」

 

 木刀を握りしめていた手から力が抜け、実弥がそれを手放す。良質な木と木同士がぶつかり合った音が孤児院の廊下を反響する。

 

「っ……あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"っ!!!」

 

 その瞬間、実弥の胸中を家族を失った痛みが埋め尽くした。膝から崩れ落ち、ボロボロと大粒の涙を零す彼の慟哭が孤児院中に響き渡る。

 

「実弥お兄ちゃん……」

 

 自分のせいだと誰にともなく謝る彼を、静かに見つめるエリ。勿論、彼女だって家族のように慕っていた孤児院の皆を失ったことはとても辛い。でも、実弥の方が自分よりも辛いのだと思った。

 

 だから――

 

「実弥お兄ちゃん、頑張ったね。皆は死んじゃったけれど……お兄ちゃんのせいじゃないよ。私がいるよ。だから、大丈夫……大丈夫……」

 

 自分の悲しみや苦しみの全てを振り切り、彼女は微笑んで実弥をそっと、そっとその小さな体で抱きしめた。

 

 戦いが終わった時。外では、既に地面や葉に大量の雫が強く打ち付けられ、常闇のようにドス黒い雲の中で稲光が走り、雷鳴が轟いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恐らくは、近所に住む人が通報したのであろう。全てが終わった後にヒーローが駆けつけてきた。だが、何もかもが遅かった。彼らが見たのは……大雨に濡れながら、虚ろな瞳で孤児院の先生達の亡骸を埋葬する実弥の姿だけだった。

 

 枯れる程に涙を流した後、実弥は血だらけの地獄のような部屋と化してしまった寝室に足を踏み入れた。

 今思えば、そこにあったはずの子供達の亡骸が"破裂"によって血溜まりと化したものを除いて()()()()()()()()()()()()のが気がかりだ。だが、心が擦り切れ、荒んでしまった当時の彼には、そんなことを考える余裕もなく、先生達を静かに眠らせてあげようと思うのが精一杯だった。

 

 思いついたことを雨に濡れながらも行動に移している時に、ようやくヒーローが駆けつけてきたというのがそこまでの経緯となる。

 

 まさにボロボロの布切れだというに相応しいくらいの傷を負っていた(ヴィラン)を見つけたヒーロー達は絶句した。過剰防衛にもなりかねない具合の傷だったが、様々な事件に関わってきたヒーロー達は、実弥のように家族を失ったのをきっかけに暴走して(ヴィラン)を死にかける程の状態にまで追い詰めてしまった子供達を見てきていた。

 

 勿論、そうなる理由は感情の制御が上手く出来ないが故。感情の爆発をきっかけに"個性"の爆発力も増加してそんな事態に至るのは、この超常社会では良くある話だった。ある程度の歳になっている子供であっても、精神的に脆かったり、元から繊細な性格だったりする場合はそういう事例に陥るという話もゼロじゃない。

 

 だから、ヒーロー達は実弥を哀れみ、彼に罪を課さなかった。

 

 事件を経て、実弥の中に残ったのは……凡ゆる(ヴィラン)に対する激しい憎しみと、ヒーローというのは()()()()()()なのであって、彼らはあくまで同じ人間でしかないという事実だけだった。

 

 救けを求める声あらば、すぐさま駆けつけて誰一人として不幸に陥れない。そんな本当のヒーローは、物語の中だけの存在なのだと知った。

 

 これから、いつ自分達に火の粉が降りかかるのかも分からない。ならば、それは自分の手で払うまで。

 

 事件をきっかけに、実弥は暇さえあれば(ヴィラン)と戦い、撃破する生活を続けることとなる。学校に通いながらも、放課後や早く授業が終わった時には目的地を定めることなくさすらい、少しでも人々の普通で平穏な人生を脅かす可能性のある彼らを着実に屠っていった。

 

 実弥が(ヴィラン)と戦いを繰り広げた場所では、彼らの犯罪率が永久的に著しく減少していったが……それと反対に、実弥の体には傷が増えていった。それらは、自分の身を擦り減らして戦うという彼の運命を定めるかのように、皮肉にも前世で負った傷と全く同じ位置につけられていった。

 

 実弥は、並みの人間が視認出来ない速度で戦闘を繰り広げる。故に、何も知らない市民達からは風が吹き荒れ、(ヴィラン)を傷だらけにして薙ぎ倒しているようにしか見えない。そして、その風が吹き荒れるタイミングは言うまでもなく(ヴィラン)を撃破する瞬間だ。

 

 (ヴィラン)との戦闘漬けの生活をすること、はや1年と数ヶ月。その風の噂は、人々の間に瞬く間に広がり、悪を屠る超常現象として崇め讃えられるようになった。いつしか、その超常現象は……時を遡ること鎌倉時代。太古の日本に訪れた脅威を偶然にも退けた暴風に(あやか)って、こう呼ばれるようになった。

 

 ――神風と……。



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第六話 誘い

 ある日の昼下がり。いつも通りに、世と人の為に(ヴィラン)を殲滅していた実弥だったが――

 

(やらかしたな……。これから、どうすっかねェ……)

 

 現在進行形でよろしくない状況に陥っていた。ビルの屋上から屋上へと飛び移り、足音ひとつ立てることなく疾駆しつつも呑気なことを考えている彼だが、冗談を抜きにしてそういう状況下にある。普段、(ヴィラン)を屠る際に深く被っているはずの黒いパーカーのフードを、被り直すことなく駆けているのがその証拠である。

 

 そんな彼の背中を追いかける者が2人。

 

「ちょっ、少年!待ちなさい、少年!なんという速さなんだ!」

 

「すみません……!さっきから不死川を視ちゃいるんですが、''()()''()()()()()()()らしく!」

 

「ええっ!?そりゃマジなのかい!?」

 

「マジですよ……。こんな時に嘘()く方が非合理的でしょう!」

 

 片方は、アメリカの国旗さながらの青を基調とした三原色の薄手のスーツを纏った筋骨隆々の男。V字に跳ね上がった金色の前髪と、キラリと光る白い歯が特徴的だ。

 そして、もう片方は真っ黒の長袖と長ズボンを着用した男。その首に巻きつけた凄まじく長い布のようなものを手にし、自分達との距離をみるみる突き離していく実弥を追う彼は、自身の目線を悟られないようにする為の金色のゴーグルをかけ、その下の目からは紅い眼光を放っていた。

 

 前者は、この日本に蔓延(はびこ)るヒーローの中で最も平和に貢献し、人々から平和の象徴として讃えられるNo.1ヒーロー、オールマイト。

 後者は、実弥が度々エリの件で世話になっている男、相澤消太。彼もまた、抹消ヒーロー・イレイザーヘッドとして、この国の平和の為に地道に貢献している男。

 

 相澤の''個性''は''抹消''。対象の姿形を視界に入れて凝視している間、視た対象の''個性''を文字通りに消す''個性(ちから)''。''個性''は三つの型に分けられるが、そのうちの一つである異形型を除けば、全て彼の''抹消''が通用するようになっている。そのはずなのだが……。

 

(どうなっているんだ……!オールマイトさんは、平和の象徴と謳われるだけあって、フィジカルは勿論、実力でも最強だと言えるヒーローだぞ!?いくら全速力を出していないとは言え――)

 

 自分の横にいるオールマイトをぐんぐん突き離す速度。それを未だに維持している。そんな速度で移動出来るに値する身体能力など、どう考えても''個性''無しで得られるものじゃない。

 

 それが、苦虫を噛み潰したような表情の相澤が出した結論だった。

 

 何故、彼らが実弥を追いかけるに至るのか。理由は単純。プロヒーローとしての資格がない実弥が、(ヴィラン)を倒す瞬間を偶然にも見てしまったからだ。ヒーロー公認制度が確立した今の社会では、その資格も無しに(ヴィラン)を制圧するなどの治安活動を行うものは自警団――ヴィジランテとして扱われ、(ヴィラン)の変種である捕らえるべき存在とされる。

 

 どれだけ同情すべき理由があろうと、実弥もその例に違わない。未成年の子供が道を違えようとしているのなら、彼らを守る大人として正しい道に連れ戻してやるのが義務。だからこそ、彼らは実弥を必死で追いかけていた。

 

 特に相澤はエリの件もあって、実弥にこれ以上罪を重ねさせたくなかった。血が繋がっていなくとも、たった一人の家族。だからこそ、側についてやっていてほしい。そのすぐ側で守ってやってほしい。そう考えている。そういう意味では、オールマイト以上に必死だった。

 

 閑話休題。このまま実弥を逃がす訳にはいかないと決意し、相澤は提案した。

 

「オールマイトさん。……このままだとアイツを逃がしてしまう。それだけは絶対に避けたい。俺に構わずに全速力で追ってください」

 

 ゴーグルの下の瞳は、心の底からの思いやりに溢れている。合理主義者でドライ。オールマイトは、そんなイレイザーヘッドしか知らない。彼の新たな面を知れて得した気分になりつつも、彼の思いを否定する理由などどこにもないと考えたオールマイトは、キラリと光る白い歯を見せつけて、ニカッと笑った。

 

「あい分かった!私に任せておきなさい、イレイザーヘッド!君が彼に対して並々ならぬ感情を持ってるのはよく分かったよ」

 

 サムズアップし、風圧を巻き起こしながらビルの頂上を蹴った彼を見送りつつ、「誤解生みそうな言い方しないでくださいよ」と吐き捨てた後で、相澤は呟いた。

 

「不死川……。悪いが、これ以上の勝手を許す訳にはいかないんだ。お前がいなくなったら……誰がエリちゃんを守るんだ……!」

 

 

 

 

 

 

「成る程なァ、流石は平和の象徴様って訳かァ」

 

「むむっ……やるな、少年!なるべく加減して痛くないように終わらせようと思ったが……!これはっ、ちょっとばかしっ!痛い目に遭って貰わないとっ、いけないかなっ!?」

 

「すいませんね、オールマイトさん。こんなところで捕まる訳にはいかないんですよ」

 

「い、いつの間に背後を!?」

 

 依然、逃走を試みる実弥は、オールマイトと交戦中だった。とは言え、こちらからの手出しは一切しない。オールマイトの繰り出す超スピードと超パワーの両方を兼ね備えた拳を(かわ)すことに集中する。獣のような荒々しさと柔軟さを兼ね備えた実弥の動きに、オールマイトは翻弄されていた。

 

 実の所……本気のスピードさえ出してしまえば、今のオールマイトを突き離す、()しくは一定の距離を保ち続けることは容易い。だが、ふと実弥は思い立ったのであった。

 

(平和の象徴。英雄の名を(たまわ)って讃えられる、ヒーロー達のNo.1かァ。果たして、どれくらい質の良い人なのか……見ておこうじゃねェかァ)

 

 神のように崇め讃えられる男。それが如何程のものなのか。それを自身の目で直接確認しておきたかった実弥は、敢えてオールマイトとの交戦を選んでこうした状況に身を投じ、今に至る。

 

 ――交戦の結果、実弥は何を思うのか。

 

(へぇ……1人の大人として、しっかりしたヒーローとして俺を叱ろうって目ェしてんのな。この人は……善い人だ。善いヒーローだ)

 

 あちこちを回って(ヴィラン)を屠ってきた実弥だからこそ、ヒーローの質の低下というものを感じ取っている。既に自身が神風として人々に崇められているのを承知済みの実弥は、神風のせいで自分の手柄が……だとか、知名度が……だとかふざけたことを()かすヒーローを何度も見てきた。自分の知名度を上げる為に小さな事件は無視して大きな事件だけに関わろうとする馬鹿げたヒーローも。

 そんな連中に限って、先述したような愚痴を吐く。加え、きっと自分を見かけたとすれば周りも気にせずに闇雲に捕らえにくる。そして、自分を捕らえたことを喜んで調子に乗り、いつかやらかすのだろう。

 

 反吐が出そうだと青筋を浮かべ、その怒りを(ヴィラン)に対してぶつけた経験も一度や二度ではない。

 

 そよ風園の子供達と共に、テレビを通じてオールマイトを目にしたことがある。勿論、彼が日本でデビューした当時の動画も。彼は尊敬されるべき男だと確信していた実弥であったが……その考えは違わなかったようだ。

 

 この人が鬼殺隊にいてくれたら、どれだけ心強かっただろうか。かつて以上に多くの人を守れたのだろうか。

 

 今考えても仕方ないことを考えつつ、オールマイトの放つストレートパンチを避けたその時だった。

 

「誰かぁぁぁっ!ひったくりよ!捕まえてぇぇぇ!!!」

 

 昼下がりの町の中に、女性の切羽詰まった叫びが響き渡る。オールマイトと実弥が同時にその声に反応し、振り返る。視線の先にあったのは、女性物と思わしきバッグを手にしたバッタのような姿の(ヴィラン)。その見た目に相応しい脚力で逃走を図っていた。

 

(On my god!こっちの少年にも対応しなくちゃならないってのに!)

 

 困っている人は放っておけない、お人好しな性格。それこそ、オールマイトが平和の象徴まで成り上がった理由の一つ。その性はここに至っても発揮された。目の前の少年も見過ごせないが、まずは事件の鎮圧が最優先だと判断を下し、地面を蹴ろうとした瞬間――彼の真横で風が吹き荒れた。

 

「!?」

 

 オールマイトが「プロの私に任せておきなさい!」と呼び止める暇もなく、旋風と化した実弥がバッタの(ヴィラン)に向けて猛然と肉迫する。

 

 まずは、自身が風を纏って衝撃波を巻き起こすその速度に驚いた。数百mほど離れている現場に、5秒と経たずに辿り着くそのスピードは――

 

(私の全盛期とまではいかないが……今いるヒーロー達の中でも群を抜く!見る限り10代だというのに、その年でこれ程の速さとは!)

 

 ほぼ一日中、日本全国を跳び回ったあの頃を思い出し、自分の情熱が刺激されるのを感じた。

 

 そうしている間にも旋風はバッタの(ヴィラン)の前に回り込む。そして、着地と同時にそれが爆ぜる。

 

 オールマイトの目は、確かに捉えた。旋風の中から姿を現した実弥の血走った目が、ひったくりを起こした(ヴィラン)への怒りに満ちていたのを。その瞳に憎しみと共に確かな正義が荒々しく燃え盛っていたのを。

 

 ――そして、彼が一陣の疾風と化して、木刀で(ヴィラン)の顔面を強烈に殴りつける瞬間を。更に言ってしまえば、殴る瞬間にちゃっかりバッグを奪い返す瞬間を。

 

 奇声を上げながら、ボールのように転がっていく(ヴィラン)。その光景を見て、唖然とする市民達。ビルにぶつかって、自分の隣で気絶した(ヴィラン)を見て肩を跳ねさせる、バッグを盗られたであろう女性。

 

 実弥が、傷だらけの顔つきからは到底想像出来ないくらい穏やかな微笑みを浮かべて女性にバッグを手渡す。女性に何度も頭を下げられ、彼は心底安心したように笑っていた。

 

 そんな状況を目にしつつ、現場までやって来ていたオールマイトの耳が、市民達の声を捉えた。

 

「なあ、感じたか!?バッタの(ヴィラン)がぶっ飛ばされる時に風が吹いたぞ!」

 

「当たり前でしょ!これってやっぱり……」

 

「間違いないよ、神風だ!(ヴィラン)を退治してくれる神聖な風を神様が吹かせてくれたんだよ!」

 

「おおっ……この町にも神風様が来てくださるなんて、ありがたいねぇ」

 

 そんな市民達の様子を、物陰から好きな相手の様子を(うかが)う恋する乙女のようにこっそりと見守るオールマイトは、白い歯をキラリと光らせつつ、笑った。

 

(そうか……。あの少年が、近頃噂の神風だったのか……!)

 

「はあっ……はあっ……。何してるんですか、こんなところで……」

 

「イレイザーヘッド」

 

 その時、肩で息をする相澤に声をかけられ、彼は振り向く。相当急いできたのだろう。額や頬には、昼下がりの太陽に照らされている汗が煌めいていた。

 

 そして、胸を張るように腰に手を当てつつ、風を巻き起こして颯爽とこの場を去る実弥の背中を見ながら言う。

 

「なあ、イレイザーヘッド。彼を単なるヴィジランテで終わらせるには惜しいと思わないかい?」

 

 相澤は、オールマイトの言葉を耳にしつつ、神風を崇める人々や自分のバッグを大事そうに握りしめる女性を見て、髪をかき上げながらこう返した。

 

「……そうですね、オールマイトさん。アイツは……不死川は、これからのヒーロー社会に必要な存在になるかもしれません。俺もそう信じたいです。不死川が守った笑顔は、これだけに収まらないですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、そよ風園に4人の人物が訪れた。1人は、戦闘服(コスチューム)姿の相澤。もう1人は、かの銀行強盗の事件で大金の入った鞄を手渡した警察官の塚内。そして、もう2人は……。

 

「やあ、不死川君!僕は根津という者だ。国立雄英高等学校は知っているかな?そこの校長をやらせてもらっている者さ!」

 

「私は八木俊典。オールマイトの事務所で、秘書をやっている者だ」

 

 フランクな第一印象と右目周辺の刃物で切りつけられたような傷が特徴的な白い犬、熊、若しくはネズミのような何かである根津。

 それと、垂れ下がった金髪に骸骨のように痩せ細った体と浮き出た頬骨に濃い影になった眼窩が特徴的な、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、八木俊典だった。

 

(まあ……()()()()()()、だよな)

 

 実弥は、彼らの用件に察しが付いていた。だからと言って、彼らを追放すると言った馬鹿な行為をする理由もない為、素直に彼らをそよ風園の客間へと招き入れた。

 

 エリに「兄ちゃん、この人達と大事な話があるから部屋で待っててくれ」とお願いし、聞き分けの良い彼女を見送る。――事件を経て精神的に大きく成長した影響で、大体のことを察しているのかもしれないが――

 

「こんな物しかありませんが……どうぞ」

 

「ご丁寧にありがとう」

 

 せめてものおもてなしとして、湯呑みに注いだお茶を4人に提供する。その間にも、実弥の中には緊張が走っていた。

 

 既に腹は括っているし、常々こんな日が来ることを覚悟していたとは言え、いざその場になるとやはり緊張する。自分の今後の人生に関わることである為、そうなるのも仕方ない話ではあるのだが。

 

(……お縄につくことなったら、その時はその時だ。国や法律には敵わねェ。後のことは善いヒーロー達に任せる他ないのかもな)

 

 そんなことを考えつつ、畳に正座する。それを確認した後、出されたお茶を一口(すす)ってから、塚内が語り始めた。

 

「不死川君。最近、噂になっている……(ヴィラン)を殲滅する神風というのは、君で間違いないかな?」

 

「はい」

 

 屈託もなく頷いた実弥を見ながら、彼は続けた。

 

 かの事件の後、実弥の身柄を調べ上げたこと。

 同じように個人的に調べ上げた相澤からの話や、実弥の通った小学校や現在進行形で通う中学校の教師達、孤児院の近所の住民達からも話を聞いて、神風は実弥自身なのだと確信したこと。

 

「――ここまで話を聞いてきた限り、私は君をこんな子だと思っている。見た目や言動で不良のレッテルを貼られがちだけど、本当はそうじゃない。正義感に溢れて優しい子で、誰かを守る為なら自分が死のうが嫌われようが、社会から追放されようが構わない。その一方で、規律や法律には厳格で生真面目」

 

 「君がお世話になった人達から、『いじめを絶対許さなかった』とか『やり方が苛烈だけど、風紀を守る真面目な子』という話をよく聞いたよ」と微笑みながら付け加える塚内。組んでいた両手を組み直しながら、彼は尋ねた。

 

「そんな君が、こんな風に良くないことだと解りつつも(ヴィラン)を倒し続けるのには余程の理由があると思ってる。……その理由を教えてほしいんだ」

 

 実弥は、これまでのことを思い出しつつ答える。

 

「俺が戦う理由は、第一にエリの笑顔を守る為です。俺の身の上を調べた塚内さんと相澤さんはご存知でしょうが、俺は孤児でした。これから天涯孤独で生きるのかと思っていた中で、そよ風園の先生達は俺に手を差し伸べてくれた。……彼らに引き取られて暮らす中で、沢山の家族が増えました。エリは、そうして増えた家族の最後の1人。たった1人の生き残りなんです」

 

 拳を握り、あの日の惨状を思い出しながら実弥は語る。

 

 あの事件で、守るべきものを全て取りこぼしたこと。

 精神崩壊して、荒んだ自分をエリが悲しみを振り切って笑って慰めてくれたこと。

 最後に残った彼女が笑ってくれることが救いだからこそ、何としても彼女を守りたいということ。

 英雄(ヒーロー)は、その名に相応しい程に無敵で万能じゃないこと。

 

「――世の中というのは、理不尽に(まみ)れています。それこそが世の常。(ヴィラン)という悪が蔓延り続ける限り、エリが安心して笑える未来は訪れない。いつあの笑顔が奪われるかも分からない。ならば、俺自身が動いて危険を及ぼす可能性のある種を少しでも刈り取る。そう考える次第です」

 

 更に、(ヴィラン)と戦い続ける中で、実弥の中にもう一つの理想が芽生えていた。

 

「そして、もう一つ。これからの未来を生きる子供達の人生の為です。未来を生きる子供達には、俺やエリと同じ思いをしてほしくない。彼らの幸せな未来を守り、創る為ならば……俺は、()()()()()()(ヴィラン)を殲滅し、彼らの幸せな未来を守ることに捧げてもいい。……これからの未来を生きるべき、俺より善い人達に災難が降りかかると言うのなら、俺がその全てを請け負います」

 

 顔を伏せ、実弥が締め括る。机に雫が滴り落ちて濡れていく。……実弥は、泣いていた。

 

(己の人生や身を滅ぼしてまで未来の為に戦う。未来を生きる子供達に降りかかるかもしれない不幸を思って泣いて、怒れる。……なんて優しい子だ)

 

 八木は、()()()()()()強く心を打たれた。母国である日本の柱。国民の心の拠り所となる為にひた走ってきた自分の覚悟と同等、若しくはそれ以上のもの。

 

 ――やはり彼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 視線を交わす4人の大人達は、同じ結論を出した。

 

 微笑みを浮かべ、お茶を口にした根津が口を開く。

 

「不死川君。君をここでヴィジランテとして捕らえ、罰するのは簡単なことだ。だけど、君はそれで終わるにはとても惜しい子だよ」

 

 犯罪者として捕らえられるのを覚悟していた実弥は、顔を伏せたままでハッとした。

 

 相澤が雄英の募集要項を実弥の前に差し出して続ける。

 

「なあ、不死川。未来の為に(ヴィラン)を倒し続ける未来を選ぶなら……合理的にいこう。正しく社会に認められる道を歩もう」

 

「正しく……認め、られる……?」

 

 相澤の言葉に、実弥が顔を上げる。

 

 そして、八木がキラリと輝く白い歯を見せつけ、眩しい笑顔で言った。

 

「不死川少年。君も今年度は受験生なんだろう?それなら、()()()()()()()()()()()?勿論、受験に際するバックアップは大人に任せておきたまえ!」

 

「え……」

 

 突然のことで唖然とする実弥に、微笑む塚内が続けた。

 

「要するに……私達全員、君の望む未来を見てみたいってことさ。君を捕まえにきたんじゃない。君が肩身の狭い思いをすることなく、守りたい人を守って、救けたい人を救けられるようにヒーローの道(こちら側)に誘いに来たんだよ。エリちゃんにも、きっと君が必要だろうからね」

 

 更に、相澤がいたずらっぽく、ニヒルな笑みを浮かべて言った。

 

「不死川。こいつは、進路担当の教師から雄英を受けるように勧められるレベルの話じゃないぞ。所謂(いわゆる)……人々の笑顔の為に貢献し、クソな(ヴィラン)共の犯罪を徹底的に抑え込んだ、ヒーローの卵へのスカウトって奴さ」

 

 相澤の言葉に何度か瞬きをした後、実弥は笑い、頭を下げた。

 

「その話、謹んでお受けいたします」

 

 実弥の未来を眩い光が照らし出し、目の前に現れた新たな道へ一歩を踏み出す瞬間だった。



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第七話 狭き門を叩く

「長いようで……短かったなァ」

 

 2月26日。冬の終わりが近付きつつあるとは言えど、厳しい寒さが飛び遅れてしまった一羽の鳥のように取り残されている頃。

 

 実弥は白い息を吐きながら、目の前にあるアルファベットのHのような形をしたガラス張りの建物を見上げた。

 

 都会に並び立つ3階建てのビル並の高さの建物。これは、他の土地に比べて幾分か高い場所に建てられているが故に遠くからも目立ち、より存在感を放っている。こうして、この建物を近くから見上げることには慣れたものだが、その山のような大きさと存在感には何度でも圧倒される。

 

 その建物の正体は、巨大な校舎。そして、今、実弥が立っているのは……国内最高峰のヒーロー養成校、国立雄英高等学校の校舎の目の前だ。

 

 あの日、実弥の前に新たな道が開けた。根津達から勧誘を受け、雄英を受けることを決めた実弥は雄英の敷地内に建てられた新築の家に引っ越すことになった。

 受験に対して本気で挑まなければならなくなった以上、エリを(そば)で守ってやれる時間が減る可能性を危惧した実弥は、そよ風園を襲った(ヴィラン)の発言から、エリが狙われている存在であることを既に察しており、彼女をより安全に守ってやれる方法はないかと4人の大人達に持ちかけた。

 その結果、ヒーローが常に身近に存在する雄英でなら他の場所にいるよりも安心出来るだろうという結論が出て、その敷地内に実弥とエリの暮らす家を建てることが決定したのだ。相澤が雄英の教師として勤めている以上、エリの''巻き戻し''に対する保険もかけることが出来て一石二鳥。実弥自身としても自分より先を歩む雄英の先輩達から学べることがあるかもしれなかった為、その提案を受け入れる他に選択肢は無く、すんなりと受け入れた。

 

 そして、誘いを受けてから2ヶ月弱で自宅が完成し、そよ風園を実家として残しつつも引っ越しをして、通っていた中学校も転校し、今に至るという訳だ。最低でも3ヶ月はかかる家の建築をそれ未満で終わらせられたのも''個性''のおかげ。使い方さえ間違えなければ助けになってくれる力なのだろうと、実弥は改めて実感した。

 

 閑話休題。ここまでの日々を振り返りつつ、実弥は首から下げた銀色のロケットペンダントを手にする。表面に風車の模様を(あつら)えたそれを開くと、写真が露わになった。

 

 エリが初めて家族となった日に、そよ風園の皆で撮った写真である。先生も弟妹達も、自分も。誰もが幸せを満喫していて、眩しい笑顔を浮かべている。エリだけが少しぎこちない笑みではあるが、そこが可愛くて愛おしい。そんな思い出深い写真。

 新居の方に仏壇や遺影ごと持ってくるという訳にもいかず、せめて、亡くなった皆が自分の近くにいられるように。自分をずっと見守っていられるようにとこの写真をペンダントに入れ、常に持ち歩くことを決めた。

 

 そんな写真を見つめ、実弥は至極穏やかに呟いた。

 

「皆、見てるか。兄ちゃんな……これから、雄英の入学試験受けるんだ。受かれば、俺は晴れてヒーローの卵になるって訳だ。皆の為にも絶対(ぜって)ェ受かるから。見守っててくれよ」

 

 雄英の入試を受けるにあたって、実弥の心の中に憂いの感情は何一つ無い。自身に対して良い影響を(もたら)すレベルの緊張こそあるが、緊張しすぎることはない。

 

 雄英高校ヒーロー科の試験は、筆記試験と実技試験の二つ。

 生真面目な実弥は、そよ風園の先生達に恩を返す為に、将来は少しでも良い高校なり大学なりに進学し、良い職に就くことを決めていた。その目標を実現する為に弟妹達の世話をしつつも、日々の勉学に必死で取り組んでいたし、模試も常にA判定を維持してきた。受験勉強にも本気で取り組んできたのは言うまでもない。

 そして、実弥には前世も含め、同年代とは比べ物にならない程の戦闘経験がある。加えて、雄英の敷地内に引っ越したことでそこに勤めるプロヒーローや先輩達の胸をお借り出来た為、以前にも増して実力が上がった。

 

 やれるだけの対策を全力で出来た。だから、心配していることは何も無い。

 

 気分こそ穏やかだが、見た目はそうとは言えない。傷だらけの顔は周りの受験生達を怖がらせるには十分だった。

 

(え、ええっ……!?な、なんか凄い強面の人がいるんだけど……!?あ、あの人もヒーロー志望、なのかな……?)

 

 ここにいる、黄色く大きなリュックを背負ったモサモサの緑髪の少年もそんな受験生の1人。きっちり着こなした制服にそばかすと幼なげな顔付き。見た目が特徴的な子供達も増えている中で比較的普通とも地味とも言える見た目の彼の名は、緑谷出久。

 

 先ほど、緊張のし過ぎで体がガチガチに硬直し、(つまず)いて転倒しかけたところを、転んだ自分の為に世話を焼いて''個性''を使った、見知らぬ少女に救けてもらったところだ。その身の上故に女子と話した経験が無かった彼は顔を赤くして気持ちが舞い上がってしまっていたが、その側からこれである。

 

 不良と言っても過言では無い実弥の見た目と、彼と関わらないようにと雄英の校舎に入らず、ただじっと見守る他の受験生達の様子に困惑して、再び体がガチガチになってしまっていた。

 

 彼は善人である。人を見た目で判断してはいけないことをよく分かっている人物だ。それでも、(ヴィラン)志望だと言われた方が納得の実弥の姿に足がすくんでしまう。

 

 その時だった。

 

「あ、あのー……」

 

「ん?」

 

「と、通りたいなあ……って」

 

 防寒対策バッチリの厚手のコートを身につけた少女が言いにくそうに実弥に声を掛けた。ショートボブの茶髪に木漏れ日のようなほんわかした雰囲気と、赤く可愛らしいほっぺた。

 

(さ、さっきのいい人!?)

 

 転び掛けた緑谷を救けてくれた少女だった。「え、声掛けちゃうの!?」と言いたげに目を見開き、酸素を取り込もうとする金魚のように口をパクパクさせた。

 

 あの少女が睨みつけられ、気圧される未来が見える。男である自分がなんとかしなくては、と一歩を踏み出す。

 

(怖がってちゃ駄目だ!しっかりしろ、緑谷出久!)

 

 怖がる自分に鞭打って、歩みを進めていくと……実弥が口を開いた。

 

「おォ、邪魔になってたかァ。(わり)ィ、すぐ退く。ヒーロー科を受けんのか?」

 

「う、うん」

 

 同年代にしては低めの大人びた穏やかな声色だった。予想と反した優しい声色と反応に、朗らかな少女は目をぱちくりさせながら頷いて答える。

 

「そうか……お前もかァ。んじゃ、お互い頑張ろうぜ。悪かったなァ、怖がらせて」

 

 彼女の答えを聞いた実弥は、微笑みながらそう言うと、藍色の鞄と愛用の木刀をしまった黒いケースを背負って、ズカズカと雄英の校舎の中に歩みを進めていってしまった。

 

 そんな彼の背中を見送る少女は、口を半開きにしてポカンとした後に呟いた。

 

「はあ……人って、見た目によらないもんやねえ」

 

 その後。彼女もハッとして、駆け足で雄英の校舎の中へと足を踏み入れていく。

 

 周りの受験生達がホッと胸を撫で下ろし、こぞって動き出す。緑谷もまた緊張状態が解かれて深く息を吐いた。

 

「こ、怖かったぁ……。凄いな、さっきのいい人……。周りの人達も皆、傷だらけの人に声をかけることすらしなかったのに」

 

 ゆっくりと深呼吸をする。晩冬の朝の冷たい空気を吸い込み、白く染まった息を吐き出す。そして、グッと拳を握りしめた。

 

「絶対合格しないと!僕に期待してくれてる人がいるんだから」

 

 自分の原点であり、ここに辿り着くまでのきっかけをくれた憧れの人物の顔を思い出しながら、緑谷も他の受験生達に続いて雄英の校舎へと足を踏み入れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リスナー諸君!今日は俺のライブへようこそー!Everybody say HEY!」

 

 特に問題もなく筆記試験を終えた後のこと。実技試験の概要を説明する為に設けられた教室内に爆音と言っても過言ではない音量のファンキーな声が響き渡る。部屋中を反響しながら自身の耳に轟くその声に、実弥は耳がキーンとする感覚を覚えながら苦笑した。

 

(相変わらず元気だな、マイクさんは)

 

 声の主である、長い金髪をトサカのように逆立てて橙色のグラスがはめられたサングラスを掛けた男を見る。彼は、ボイスヒーロー・プレゼントマイク。雄英に勤める教師の1人で、相澤曰く腐れ縁の同僚らしい。校長である根津の特別な許可のおかげで鍛錬やエリを迎えに行く際、校舎内に頻繁に足を踏み入れることの出来る実弥は、既に彼のことを見知っていた。ついでに言うと、実技試験に備えての戦闘形式の鍛錬に付き合ってもらった経験もある。

 

 閑話休題。こちらにまで元気を振り撒くその声を聞きながら、ふと梟のようにカッと見開いた大きな目と燃える炎のような焔色の髪が特徴的だった青年を思い出す。

 

 先程からハイテンションで言葉を投げかけるプレゼントマイクを見て、見事に滑ってんなァ、と思いつつも、''個性''も何も無い素の状態で彼の爆音の声量に差し迫る程の溌溂(はつらつ)とした発声をしていたあの青年に対し……。

 

(アイツ、肺活量どうなってんだ。凄ェ奴だったんだな……)

 

 剣術でも心の強さでもない、戦闘には大方関係のない面で感心した実弥であった。

 

 そうこうしているうちに実技試験の概要の説明が始まったようで、実弥は耳がキーンとするのを(こら)えつつ説明に耳を傾けた。

 

 実技試験は、市街地を模した演習場で行われる10分間の試験。そこで仮想(ヴィラン)と称して配置されたロボットを各々なりの方法で行動不能にしていくというもの。道具の持ち込みも許可されており、他者を故意に妨害すると言ったアンチヒーローな行為は禁止。もしも、それを実行した場合はその場で失格となるとのこと。

 

 まさに、(ヴィラン)を相手に戦闘漬けの日々を送ってきた実弥にはうってつけの試験だった。その一方で、戦闘向けではない''個性''の者達にとっては、頭を使う必要のある難儀な試験。

 そういう''個性''を持つ者達の中で早くも、こんなの無理だ、と項垂れる数名を目にして、試験概要聞いただけで諦める生半可な覚悟しかねェなら始めから来んなァ、と呆れた。

 

 大した覚悟もない者が他人の命や未来を背負わなければならないヒーローを志していることに舌打ちしそうになる気持ちを抑え、プレゼントマイクの説明を脳裏で反復しながら自身の目でプリントに目を通す。そして、気になる記載を見つけた。

 

(0()P()……ねェ)

 

 仮想(ヴィラン)は、攻略難易度に応じて1〜3Pがそれぞれに振り分けられている。そんな中で異質な存在感を放つ0P。プレゼントマイクの説明にはなかった、ポイントが全く振り分けられていない個体。

 

 受験生達の戦闘力を始めとした能力を見るのであろう試験に、何故そのような存在を用意するのか。最初こそ迷った。だが、実弥はすぐに吹っ切れた。

 

(迷う必要はねェ。仮想だろうが何だろうが、(ヴィラン)(ヴィラン)。未来を生きる奴らを脅かす存在として設けられているのは変わりねェ。ぶっ潰す)

 

 未来を生きるべき存在には、自身の周囲に大勢いる受験生達も含まれている。仮想(ヴィラン)の全てが彼らの未来を脅かす存在になり得るのだから、彼らの未来を守る為に殲滅する。ポイントなど関係ない。そう結論付けた瞬間。

 

「質問、宜しいでしょうか!」

 

 あの青年程の声量ではないと言えど、ハキハキとした聞き取りやすい声が耳に届いた。その声に実弥が顔を上げると、眼鏡をかけており、七三分けのツーブロックをした真面目の塊と言うべき見た目の少年が目に入った。彼が声を上げた受験生らしい。

 模範的なビシッとした挙手をしている彼は、プレゼントマイクに促されて話し始めた。

 

 彼は、説明になかった0Pがプリントに記載されている件について「誤載であれば、日本最高峰たる雄英において恥ずべき痴態」だの、葉に衣を着せぬ言い方で0Pのことを問い詰めていたが、それはさておき。

 

「――ついでに、そこの縮れ毛の君!先程からボソボソと気が散る!物見遊山のつもりなら、即刻雄英(ここ)から去りたまえ!」

 

 突如、眼鏡少年が誰かをビシッと指差し、その鋭い目で射抜きながら指差した先にいる者を咎めるように厳しい言葉を投げかけた。

 

 彼の指す先に視線を誘導され、自然とそちらを向く。すると、そこには、緑色のモサモサした髪が特徴的な少年の姿があった。彼は、眼鏡少年の言葉ですっかり萎縮してしまっていた。

 

 よく見れば……今朝、自分に声をかけてきた少女に手を差し伸べられた、彼女がいなければ転倒していた黄色いリュックの少年ではないか。ただでさえ、その時から緊張して体をガチガチにしていたと言うのに。これでは逆戻りだ。

 

(健気に頑張ってんだろうになァ)

 

 実弥は、彼の境遇を憐れんだ。何より、注意を受ける彼を見てクスクスと笑う周囲の声に腹が立った。だから――

 

「す、すみませ――」

 

「おい」

 

 立ち上がって声を上げた。突如立ち上がった実弥に視線が集中する。集まる視線を受け流し、彼は続けた。

 

「確かにボソボソ言ってたそいつが悪いかもしれねェ。けどなァ、大勢の前でそれを注意すんのは違うと思うぜェ。眼鏡、お前が注意したそいつな……朝から体ガチガチに硬直させて、これ以上ねェくらいに緊張して萎縮してんだよ。これ以上プレッシャーかけるようなことすんなァ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 眼鏡少年は、実弥の指摘にハッとしたような顔をする。そして、自分の失態を悔やむように下唇を噛むと、緑髪の少年に向けて綺麗なお辞儀をして頭を下げた。

 

「……先程の君、済まなかった。確かに彼の言う通りだ……。俺が気になっていたこととは言え、大勢の前で注意をした結果、君は笑われてしまった。申し訳ない!」

 

「い、いや……僕の方こそ迷惑になったのは事実だし……。ごめん!」

 

 眼鏡少年が実弥の言うことを聞き入れて素直に謝罪したのに対し、緑髪の少年も迷惑をかけたことを謝罪する。

 

 彼らが穏便に事態を収めたのを見て薄く笑みを浮かべた後。目を見開いて血走らせ、こめかみに青筋を浮かべて続けた。

 

「そんでもって、注意を受けたそいつを笑ってやがった奴ら。ヒーローを目指す自覚はあんのかァ?他人の失敗を見て、『こいつは自分より下だ』とばかりにヘラヘラしやがってよォ……ふざけてんのか。人の失敗を見て笑うような腐った性根の奴らがヒーローになれると思うなァ」

 

「失敗した奴に対して優しく声掛けて、前向かせてやんのがヒーローのやることじゃねェのか?……まァ、説教臭ェなり何なり、テメェらの好きに捉えりゃいいさ。真剣に捉えられねェ奴はそれまでだ」

 

 辺りの空気が凍りつく。先程まで緑髪の少年を見下すように笑っていた者達も、時が止まったように硬直した。

 

 空気が凍りついたが、実弥は満足したように息を吐いていた。別に自分がどう思われようが知ったことじゃない。ただ、この行動が未来を生きる子供達の幸せを守るヒーローが増えることに繋がるのならそれでいい。周りには目も暮れず、プレゼントマイクに向けて頭を下げた。

 

「説明を中断させて申し訳ありません。眼鏡の彼の質問にお答えしてあげてください」

 

「OKOK、勿論そのつもりだ。取り敢えず……受験番号7111君、ナイスなお便りサンキューな。他のリスナー諸君もCheer up!大事な話になるから、よーく聞いてくれよ!」

 

 そんな実弥を見て、彼奴も変わらねえな、と内心で呟きつつ、プレゼントマイクは説明を再開。0Pがギミックのようなものであり、避けて通ることを勧めた後――

 

――Plus Ultra(更に向こうへ)それでは皆、良い受難を!」

 

 激励の意味を込めて受験生達に雄英の校訓を送り、実技試験の説明は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「俺の会場は……Dかァ」

 

 憎たらしげに自分に向けられる、数多くの視線。それを柳に風と受け流しつつ、実弥は荷物を手にして立ち上がった。

 

 試験会場までの移動には、バスを使うという。自身の会場にまで運行されるバスに向かおうと足を踏み出したその時。

 

「あ、あのっ」

 

 震えた声が背中にふわりと降りかかる。振り返ると、先程実弥が庇った緑髪の少年――緑谷出久の姿があった。

 

 声が震えているのは、やはり自分の見た目が原因だろう。見た目の怖い相手だと分かりきっているのに勇気を出して声をかけてきた少年の心の強さがなんだか微笑ましかった。

 

「さっきは……ありがとう、ございました」

 

 まるで不良相手に話をし、機嫌を悪くさせないように慎重に言葉を選んでいるかのようだ。地味にしどろもどろな感じで言われた言葉がおかしく感じ、実弥は失笑した。

 

「気にすんなよォ。災難だなァ、朝から転びかけるわ、わざわざ大声で注意受けちまうわで」

 

 至極穏やかな笑みを浮かべる実弥を何度も瞬きしながら見つめる緑谷。

 

「お、お恥ずかしい限りです……」

 

(な、なんだろう……このあったかい気持ち……)

 

 まるで、目の前の人物が自分の実の兄で、弟である自分のことを心から気にかけてくれている。そんな優しさに包まれて、照れくさそうに頬を掻きつつ、不思議と暖かい気持ちを覚えていた。

 

「……頑張れよォ。怪我ねェようになァ」

 

 目の前の少年をどうしても憐れみ、気にかけたくなってしまう。何故、そんな気持ちを覚えるのか。実弥自身も理解していない。ただ今向けられるだけの暖かな感情を向け、モサモサの緑髪をポンと軽く撫でた。

 

「あ……」

 

 自分の名前を言い、相手の名前も教えてもらおうとする前に実弥は大股で歩みを進め、ズカズカと去っていってしまう。

 

「…………頑張らなきゃ」

 

 見知らぬ自分を気にかけてくれた、心優しいあの人の名前を知りたい。いつか、今日のお礼をしたい。そんな気持ちを胸に緑谷はグッと両手を握りしめる。そして、きびすを返し、自分の会場へと向かうバスの元へと向かっていくのであった。



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第八話 吹き荒ぶ神風

これも1話にまとめるつもりだったんですが、0P撃破まで1話にまとめると物凄く長くなりそうだったので分けることにしました。

入試途中と0Pの撃破を2話に分割する筆者なんて、私くらいしかいないんでしょうね(苦笑)

いつも3000字くらいでまとめられる方々、凄いなと思います。


 暗がりの部屋の中を、無数のモニターから発せられるブルーライトが照らし出す。ここは、雄英のモニター室。そこに根津を始めとした雄英の教師を勤めるプロヒーロー達が集まっていた。

 

 モニターに映し出されているのは、高さの様々なビルに巨大な道路や歩道橋。これを東京の街景色ですと言っても何の違和感もない景色が広がっていた。試験中にも関わらず、監視カメラを起動して市民達の生活を(おびや)かす異常が起きていないか、目を光らせて見張っている――という訳ではない。

 

 確かに目を光らせて見張っている点は合っているが、彼らが見張っているのは、数分前に始まったばかりの実技試験だ。つまり……この都会の風景は、紛れもなく雄英の実技試験を行っている会場ということになる。その証拠に、無数のモニター全てに映し出されている都会の風景の中で、仮想(ヴィラン)を相手に奮闘する受験生達の姿があった。

 

 東京の街並み一つを丸々再現したかのような試験会場をいくつも用意する雄英の資金は、一体どこから湧いて出るのだろう?気になる所ではあるが、それは置いておく。

 

 試験を見守る教師陣の中にあるのは、いずれも驚愕ばかり。

 

 彼らの視線は、とある会場を映し出したモニター一つに集中してしまっている。初めて教師を務める訳ではない彼らは、理解しているのだ。この場は受験生達に公平に目を向けなければならないと。だが、彼らの視線が集中しているモニターに映る受験生のレベルの違い故にそうせざるを得なかった。

 

 その会場では、試験開始後から絶え間なく風が吹き荒んでいる。旋風が仮想(ヴィラン)を抉り抜いて一掃し、竜巻が巻き起こって虫のように寄ってきたそれが瓦礫と化す。鋭利な獣の爪のような鎌鼬がその金属の肉体を斬り裂く。それらを発生させる原因である少年が木刀を振るっても、ヒーロー達はそれを視認出来なかった。()()()1()()()()()()

 

「……視エナイナ」

 

「ええ、俺もです。近接での戦闘には自信があるつもりですが、全くですね。……不死川め、自分を鍛え上げる為に、模擬戦闘を行う時は文字通り()()()()()()という訳か」

 

 口裂け女のように耳元まで大きく裂けた口をした、禍々しいフェイスマスクと刺突に特化している義足と化した両脚が特徴のエクトプラズムが機械音声のような籠った声で呟き、赤と黒を基調としたボディースーツによって引き立てられた、大柄で鍛え抜かれた体躯と下顎から鋭く突き出た牙が特徴的なブラドキングが頷きながら返す。

 2人の共通点は、今日の入試に至るまでの間に実弥の鍛錬に快く協力したという点にあった。

 

 他の教師達と同じく、根津も珍しく圧倒された様子だ。

 

「やはり、(ヴィラン)との戦闘漬けの生活を送ってきただけはあるね……。流石は不死川君だ、他の受験生とは圧倒的にレベルが違う」

 

 腕の置き場が備え付けられた椅子に深く腰掛けながら呟く彼の頬には、汗が伝っていた。

 

 そんな彼を横目に、すぐ隣に立っている黄色いスーツに身を包んだ男もまた考える。彼は、ここにいるプロヒーローの中で()()()()()()()()()()()()()()。骸骨のように病的に痩せ細った体と濃い影になった眼窩。そこに強い正義の闘志を放つ青い瞳を宿していた。

 

(不死川少年……!やはり、あの時はわざと速度を落として私と交戦したんだね……!全盛期の私とまではいかなくとも、この場にいるプロヒーロー達の全員が視認出来ない速度で動けるとは!)

 

 実は、困惑する教師達の横でひっそりと息を呑む彼の正体は……オールマイトなのだ。因みに、実弥の元に訪ねた八木俊典と彼は同一人物。

 彼は、ヒーロー活動をしていない時には訳あってこの姿をしている。こちらの痩せ細った方が本当の彼だと言ってもいい。自分がこうした姿になってしまったことは、市民達を安心させる為にも秘密としているのだ。彼の本当の姿を知るのは、ここにいる雄英の教師達を含めた少人数だけである。

 

(……かつてより遥かに衰えてしまった今の私のスピードでも、互角って感じかな。何にせよ、入試までの間に更に疾くなっているのは確かだ。うん……戦闘力に関しては、十分にプロに通用するな!)

 

 白い歯を見せつけ、にこやかに笑うその顔付きはヒーロー活動している時の筋骨隆々な姿の面影がしっかりと残っている。訳あって衰えた姿になりながらも、平和の象徴は依然として存在している証拠だ。

 

 試験開始後、ビルの屋上まで跳躍して周囲に被害が及ぶことなく全力で戦える場所を見つける。そして、目にも止まらぬ速さでその場に辿り着き、(ヴィラン)を屠る。迷う暇もなく次々と判断を下し、動きを止めない。ヒーローに必要な資質は十分にあるのだと分かった。ならば――

 

(残るは一つ。……救けることに懸ける思いだ)

 

 相澤も雄英に勤める者の1人として、鋭い目つきで細かいことも何一つ見逃してなるものかとばかりに目を光らせる。

 

(だが……不死川なら心配ないだろう。未来を生きる子供達の幸せを真剣に考えられるアイツなら……)

 

 とは言え、他の教師達より実弥との関わりが深い相澤は知っている。実弥の本質である情の厚さと優しさを。

 

(……俺達の期待通りに動いてくれる。絶対にな)

 

 贔屓(ひいき)しているようだが、彼を他の教師達より知っているが故に信頼している。解り切っていることなのだから、自ずとその時はやって来る。

 

「それなら……せめて、合理的に時間を使おうか」

 

 独りごちた相澤は、乾き始めた目に目薬をさすと、実弥に注目がいかざるを得ないらしい教師達に変わって他の受験生達の行動に目を光らせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ブッ殺ス!』

 

 機械の独特で無機質な音声で物騒な言葉が放たれる。流石は仮想(ヴィラン)と言うべきか、それらは狙いを定めたターゲットにそれらしい言葉を放って、啖呵を切りながら突っ込んでくる。

 

 一輪の丈夫なタイヤと素早く動くことに適するように装甲を出来るだけ削ぎ落とした1Pの仮想(ヴィラン)が、その素早さを武器にして虫のように群れをなした状態で敢然と、胸元から腹部までのチャックを開けた黒いパーカーを着用している実弥に肉迫していく。しかし――

 

「飛んで火に入る夏の虫って奴だなァ」

 

 実弥に対しては、大した障害にはなり得ない。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(さん)(かた)――晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)

 

 

 

 木刀を振り抜き、自身の周囲に竜巻を巻き起こす程の激しい斬撃を連続でお見舞いしてやる。すると、円陣を組むようにして実弥の360度全方位を囲みながら向かってきた1P達が面白いくらいに呆気なく破壊されてしまい、瓦礫と化した。

 

 現在、実技試験開始から6分が経過している。試験開始の合図と共に誰よりも速く飛び出し、次々と(ヴィラン)を殲滅している実弥は、絶好のスタートを切れたと言えるだろう。風の呼吸の型を次々と放って押し寄せる仮想(ヴィラン)を破壊し、それが全て破壊出来たら、肆ノ型の昇上砂塵嵐で空高くに向けて斬撃を繰り出し、自身の居場所をアピールして獲物を呼び寄せる。そして、寄り付いたそれらを迎撃。

 この繰り返しの結果、現在の時点で実弥が獲得したポイント数は既に150Pを超えていた。

 

 全て絶好調と言っても過言ではないのだが……実弥の内心はそうではない。彼は、己の内に膨大な苛立ちを抱えていた。

 

 試験開始前のこと。実は、実技試験の概要説明の時に注意を受けた出久をクスクスと笑った結果、実弥に説教を喰らった者達の中で彼に対して恨みを持った性根の腐った者達がいたらしく、彼に対して嫌味を言ったのだ。

 

 「傷だらけの怖い顔。まるで(ヴィラン)だな」だとか、「見た目が(ヴィラン)の奴が生意気なこと言うなよ。お前こそ雄英(ここ)から去ったらどうなんだ?」だとか、「お前じゃヒーローにはなれないな」だとか。

 

 別に自分がどう思われようが知ったことじゃないタイプの人間である実弥は、彼らの悪口に対して苛立った訳ではない。やはり、こんな性根の腐った者がヒーローを目指していることに腹を立てたのだ。

 

「他人のことを見た目で(ヴィラン)呼ばわりする(ゴミ)に言われる筋合いはねェ。テメェらが雄英(ここ)を去れ。ふざけんのも大概にしろォ」

 

 その一言と共に実弥は青筋を浮かべ、血走った目で嫌味を言ってきた者達を睨み付けた。口にすることこそなかったが、「いい加減にしねェとぶち殺すぞォ」と目線だけで訴えた。その結果、嫌味を言ってきた者達が腰を抜かして()()()()()()のは言うまでもない。喧嘩を売る相手を間違えた哀れな者達には相応しい天罰だろう。

 

 そんな輩が雄英に足を踏み入れている事実に対して生じた苛立ちは、実弥の戦闘力をより増加させた。その修羅の如き戦闘力を発揮して仮想(ヴィラン)を殲滅し続け……今に至るという訳だ。あの塵共には1ポイントすらも与えねェと言わんばかりの様子でそれらを屠る実弥は、周囲から見れば恐ろしいこと限りないだろう。

 

 そうして、もう何度目かも覚えていない(ヴィラン)の引き寄せを試みようとした時だった。

 

「ひぃぃぃぃぃッ!オイラはもう駄目だぁぁぁぁぁ!!!」

 

「あァ?」

 

 大方、ヒーロー志望が集まるはずのこの場で響き渡るはずのない情けない悲鳴が響き渡った。昇上砂塵嵐を放とうとしていた腕を止め、悲鳴が聞こえた方向へと振り返る。

 

「……放っては、おけねェよなァ」

 

 もしも、悲鳴を上げた者が弟妹達のように悲惨な目に遭ってしまったら……?

 

 そう思った瞬間、実弥は疾風の如く颯爽と駆け出していた。あれこれと考えるよりも先に。まさしく、体が勝手に動いたという現象そのものである。

 

 常人には視認出来ない速度で悲鳴が聞こえてきた辺りに辿り着くと、ある光景が見えてきた。

 

「ひぃぃっ!こいつら、なんでこんなに大量に集まってきてんだよぉ!オイラは何もしてないぞ!?」

 

「ケロッ……!落ち着いて、諦めるのは早いわ。頑張りましょう。貴方だってヒーロー志望なんでしょう?」

 

「そんなこと言ったって、オイラの"個性"は戦闘に不向きなんだぁ!」

 

 悲鳴の主と思わしき、葡萄のような髪の色とその果実を頭の天辺から後頭部にかけて生やしたかのような髪型が特徴的な小柄な少年が、いかにも蛙っぽい顔立ちと口元から覗く長い舌が特徴的な少女の足にしがみついていた。しかも、2人の周りをあり得ないくらいの数の仮想(ヴィラン)が取り囲んでいるではないか。

 

(彼奴、何してんだ……)

 

 悲鳴の主とも思わしき少年の行動の情けなさに呆れ返る実弥であったが、だからと言って見捨てるようではヒーローとしてやっていけない。何より、彼1人を見捨てる為に彼を守る少女まで見捨てる訳にはいかないのだ。

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

 風で揺れる木の葉と巻き上げられる砂塵の騒めきを響かせながら速度を上げ、跳躍。

 

 仮想(ヴィラン)をまとめて屠れる頭上を取った実弥は叫んだ。

 

「蛙っぽい奴!(そば)の小せェ奴抱えて跳べェ!!!」

 

「ケロッ!?わ、分かったわ!」

 

 上空から降り注いできたその声に肩を跳ねさせる蛙顔の少女だったが、直後、側にいる葡萄頭の少年の体に舌を巻きつけ、凄まじい跳躍力を発揮して跳んだ。

 

 それを確認した実弥が、下方の仮想(ヴィラン)の群れに向けて攻撃を放つ。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――木枯(こが)らし(おろし)ッ!!!

 

 

 

 木刀を振り下ろし、晩秋から初冬にかけて山から吹き下ろす強く冷たい風と共に広範囲を斬りつける。

 

 一陣の風が強く吹き荒れ、2人を取り囲んでいた仮想(ヴィラン)達が次々と爆ぜた。

 

「ケロォッ!?」

 

「どわあっ!?なんつー威力だよぉ!?」

 

 ビルの高所に貼り付く形で待機していた少女と、その舌を巻きつけられた少年の元にも風が押し寄せる。攻撃の余波で風圧を巻き起こす存在をオールマイトの他に知らない彼らは、息を呑む他なかった。

 

 仮想(ヴィラン)が粉々に爆散して辺りが静まり返ったところで、少女達はようやく地面に着地出来た。

 

「お二人さん、怪我ねェか?」

 

「貴方のおかげでご覧の通りよ。ありがとう」

 

 着地してきた2人に向けて、実弥が尋ねる。少女の舌から解放され、何かを噛み締めるような様子でありつつも実弥を恐れる葡萄頭の少年。それに対し、蛙っぽい顔立ちの少女は微笑んで素直に礼を言った。

 

「おう、そりゃあ良かった」

 

 実弥も彼女に微笑み返して答える。

 

(あれ……?こいつ、もしかして案外悪い奴じゃないのか……?)

 

 葡萄頭の少年がそんなことを思った瞬間。

 

『ターゲット捕捉!』

 

「――あァ?」

 

 何度も聞きなれた機械の音声が大量に耳に届く。その声に振り返ってみると、先程と変わらないくらいの量の仮想(ヴィラン)が迫ってきていた。

 

「やっつけたそばから来てんじゃねえよ、ちくしょう!」

 

 滝のように涙を流しながら、葡萄頭の少年が叫ぶ。

 

「もしかして、さっきの爆発音で引き寄せられたのかしら……?」

 

 人差し指を口元に当てながら冷静に分析する蛙っぽい顔立ちの少女。そんな2人を背に、実弥は再び木刀を振り払って構えた。

 

「手ェ貸す。何れにせよ、俺は十分ポイント稼いでるだろうからなァ。人救けに時間使ったっていいだろォ」

 

「……ありがとう、とても心強いわ」

 

「ああっ、もう!2人揃ってやる気満々かよ!逃げる訳にはいかねえじゃん!どうにでもなっちまえ!やってやるよぉ!」

 

 向かいくる仮想(ヴィラン)の群れ。3人は見事にそれを撃退した。実弥が前線に立って相手の攻撃手段を徹底的に無くし、蛙っぽい顔立ちの少女は舌と蛙の凄まじい脚力を利用した蹴りで破壊及び無力化し、葡萄頭の少年は自分以外の物体にくっつく性質を持つらしい特殊な髪の毛で相手を転ばせ、行動不能にさせる。その繰り返しで、向かいくるロボット達を迎撃し続けること約2分間。ようやく状況が落ち着いた。

 

「や、やっと休める……」

 

 頭皮から血を流し、息も絶え絶えに地面に寝転ぶ葡萄頭の少年。蛙っぽい顔立ちの少女もホッとしながら、自分達を救けてくれた実弥に対してもう一度礼を言おうとした瞬間――地面が震え上がった。

 

「おいおい、今度は何だよ!?」

 

「地震、かしら?」

 

 葡萄頭の少年がおっかなびっくり飛び起きる。蛙っぽい顔立ちの少女が冷や汗を垂らしながらも冷静に辺りを見回す。

 

(何にせよ、ビルの集まったこの辺から離れた方が良さそうね)

 

 そう結論を下し、2人にも声をかけようとするも。

 

「ようやくお出ましか、0Pさんよォ」

 

「ど、どこに――ケロッ!?」

 

 血走った目でそう呟いた実弥は、風を巻き起こしながら、消えるように走り去ってしまった。

 

「い、行っちゃったわ……。お礼も言えていないのに。……とにかく、ビルのあるこの辺から離れましょう。ビルが倒壊したら潰されちゃうわ。話はそれからね」

 

「お、おう……。何でそんなに冷静でいられるんだよぉ……」

 

 彼の背中を唖然として見送りつつも、少女達は各々なりの最適解を出して、この場を離れていった。

 

(あの人も、無事でいてくれるといいのだけれど……)



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第九話 脅威に立ち向かう

今回は、いつもより少し長くなってます。

2023/10/9
一部セリフを変更したり、省略したりしました。実弥さんが怯えて逃げ出す受験生達に発破をかける場面と、最後の最後で一部受験生達を諭す場面です。


 濁った緑色の巨躯から鈍い光を放ち、巨大な鉄塊がビルを薙ぎ倒しながら突き進む。

 巨大なキャタピラを駆動させ、その巨体から想像される以上のスピードで迫る。

 拳がビルを豆腐のように打ち砕き、土煙と風圧を巻き起こす。

 

 まさに、自然災害である地震を体現した化身のような存在。それこそが0P。3階建てや5階建てのビルをその腕で上から押し潰せる程の巨体を持った戦車の存在は、雄英に挑んできた受験生達を恐怖で震え上がらせるのに十分だった。

 

 実弥が現場に辿り着き、10階建てのビルの頂上から辺りを見回してみると――

 

「な、何だよ、あれ……!デカすぎるだろ!?」

 

「に、逃げろ!あんなのに勝てる訳ない!」

 

「どうせギミックなんだから、相手にする意味はないだろ……!ただでさえ仮想(ヴィラン)()()()()()()()()ってのに!」

 

退()いてよ!このままじゃ潰されちゃうじゃない!」

 

「いてっ!?ぶつかっておきながら謝らないとか何事だよ!?」

 

「煩え、こっちだって逃げる為に必死なんだ!」

 

 受験生達が我先にと脱兎の如く、0Pの向かい来る方向とは真反対に散り散りと逃走を図る光景が目に入った。

 

 中には腰を抜かした者もいるし、周りを考えずに逃げることだけ考える受験生達のせいで転倒する者の姿もある。だが、誰一人として彼らを気にかけない。

 

「チッ、所詮はその程度かァ」

 

 実弥は、ヒーローを目指す者達の現状に呆れ果てた。舌打ちをしつつ、下方にいる彼らに冷めた目を向けていた。

 

 これが勝利する為の逃走――例えば、救援を求めるだとか、一時撤退して体制を立て直す、戦力差を考えて時間を稼ぐ、市民を一旦安全な場所に連れていくといったもの――ならば、別に何も言わない。だが、今回の場合は違う。全て私欲の為の逃走だ。

 

 そういう輩に限って先程の説明の時に緑髪の少年をクスクスと笑って見下し、自身のことを(ヴィラン)呼ばわりする程に性根が腐っているのだ。

 

 一先ず、逃げることしか考えられない未熟な者達の未来の為にも0Pの足止めが必要になる。そう考えて、その殲滅に動き出そうとした瞬間だった。

 

「な、何だよあれ!?」

 

 逃走を図っていた受験生の1人が顔を青ざめさせながら叫ぶ。実弥もその声に振り向く。すると……視線の先から、大量の仮想(ヴィラン)が軍隊の如く押し寄せてきているではないか。

 

「おかしいだろ、何であんな数が一気に押し寄せてきてるんだ!?」

 

「後ろからはデカイ化け物、前からは大量の仮想(ヴィラン)……。終わった、俺達はもう駄目だ……」

 

 多くの受験生達が諦めて項垂れ、膝を突く。前と後ろから押し寄せる脅威に体を震わせる。まさしく前門の虎、後門の狼。二匹の獣に挟まれて項垂れる彼らは、無力で生きることを諦めた小動物のようだった。

 

(もう駄目だな、こいつら)

 

 自身の試験会場には、ヒーローたるに相応しい覚悟を持つ者が少な過ぎるようだ。蛙っぽい顔立ちの少女の足にみっともなくしがみついていた葡萄頭の少年でさえ、泣き喚きながらも脅威に立ち向かったというのに。逃走を図った者達はまだ戦えるはずなのに。勝手に諦めて、それより以前に腰を抜かして恐怖に打ち負け、動けない者達をなんとか逃がそうとする素振りさえ見せない。

 

(……夢見がちなガキはガキのままだ。まあ、当然か。これが普通なんだから)

 

 彼らは本当の脅威というものを知らない。故にヒーローを甘く見る。凶悪な犯罪者や理不尽な災害に立ち向かわなければならないという覚悟もろくにすることなく、彼らの苦労を理解もしないままそれを志す。

 幼い頃に現実を知り、人々の未来の為に元は人間だった何か(化け物)の頸を斬り、滅ぼすことに命を賭けた自分達とは何もかも違うのだ。

 

 そういう意味では、自分達は少し異端だったのかもしれない。

 

 そんなことを考えつつ木刀を構え、実弥は思う。

 

(きっとこいつらも……これで思い直すだろうよ。自分の考えが甘かったんだって。良いんだよ、それで。怖ェんなら怖ェで良い。テメェらの分まで俺が戦ってやるからよ――)

 

「大人しく守られてろ、俺の後ろで。テメェらにこんな思いは二度とさせねェから」

 

 方針を変え、腰を抜かした受験生達の元に迫る仮想(ヴィラン)の群れを先に始末することを決めた実弥が地面を踏み込む。――その時だった。

 

「うぉぉぉおおお!!!!!」

 

 聞いている方にまで熱い何かを込み上げさせるような叫びが轟いた。見れば、無造作な銀髪をしたワイルドな見た目の少年が、その肉体を日光に照らされてギラギラと輝く銀色の金属へと変化させながら、仮想(ヴィラン)の群れに猛進しているではないか。

 

 実弥は、咄嗟に動きを止める。彼の目はその少年に釘付けになった。

 

 「無謀だ!」とか「戻ってこい!もう無理だ!」という制止の声にも耳を傾けず、金属の体を持つ少年は向かいくる仮想(ヴィラン)を手当たり次第にぶん殴りながら叫ぶ。

 

「俺は……!俺は恥ずかしい!俺の後ろにゃ、0Pが怖くて、腰を抜かして……!全く動けないって奴がいるのに!勝手に諦めて、そいつらを見捨てるお前らの雰囲気に飲まれそうになった!怖がってる人に対して何も出来なくて、何がヒーローだ!!!」

 

 仮想(ヴィラン)を破壊するその金属の拳に、自分はもう二度と間違えない、間違えたくないという強い意志を感じる。彼の後ろに立つ受験生達は、何も言えなくなった。

 

 (ヴィラン)に立ち向かう覚悟が足りていない。それが普通だと思えたからこそ、その覚悟を持って殻を破った者はより一層眩しく見える。実弥にとっての金属少年も例外ではなかった。

 

(まだ……信じても良いのかもな)

 

 そうこなくちゃ面白くないとばかりに実弥は笑う。その瞬間、奮闘する金属少年の手を逃れ、3Pが無数のミサイルを放った。

 

「し、しまった!」

 

 ミサイルに狙われた受験生を守る為に少年は走る。間に合え、と心の中で強く願いながら。

 

 そのミサイルの狙いは、腰を抜かした受験生達。神の天罰が下ったのか、彼らの顔触れはいずれも試験開始前に実弥に対して嫌味を言った者達だった。

 

「ひいっ!?嫌だ!嫌だぁっ!救けてくれぇっ!誰か、誰かぁっ!お願いだ、何でもするからっ!!!」

 

 その中の1人が涙ながらに救けを求める。だが……その場にいる者は、誰一人として手を差し伸べようともしない。まるで、他人を見た目だけで(ヴィラン)扱いした者と同列の扱いをされたくない。自業自得だと言わんばかりに。間違いなく救けを求める彼らを見捨てようとしていた。

 

「そ、そんな……。見捨てないでくれよっ……!」

 

 もう駄目だ、とばかりにミサイルの標的となった受験生達が猫のように身を丸めて縮こまる。

 

「ちくしょぉぉぉ!間に合えぇぇぇ!!!」

 

 届かない手を必死に伸ばす。どうして、自分はもっと速く走れないんだ、と自分を罵りながら走る。

 

「うぉりゃあああ!!!」

 

 気合の一声と共に地面を蹴って、ゴールを守るキーパーのように必死で飛び込まんとする。だが……届かない。

 

(くそっ!くそっ、くそっ!届かねえ!すまねえ……!すまねえ……!)

 

 金属少年は、自分の無力を嘆いた。もう終わりだと誰もが思った。

 

 ――しかし、絶望する最中に全てを塵と化す旋風が吹き荒れる。発射されたミサイルが風で斬り裂かれ、全て爆ぜた。

 

「……!お、お前……っ、な、何で……!?」

 

 ミサイルの標的となっていた受験生達が爆発音に慌てて顔を上げ、信じられないものを見たかのような顔をする。

 

 それもそのはず。彼らを庇う形で立っていたのは……自分達が嫌味を言った相手である実弥だったからだ。

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔の彼らに対し、視線も向けることなく、実弥は当然のように吐き捨てる。

 

「困ってる奴がどれだけ嫌いな奴でもよォ、手を差し伸べねェなんて選択肢はねェんだよ。手を差し伸べる相手を自分の中で選んでいるんじゃあ、テメェらの言うヒーローにはなれねェと思うぜェ」

 

 実弥に対して嫌味を言った者達を見捨てた自分達にも向けられた言葉なんだと多くの受験生が察して俯く。そんな彼らも気に留めず、実弥は続けた。

 

「……目の前にいる救けを求める奴が、どんな(ゴミ)でも善人でも公平に手を差し伸べられるお人好し。そんな人達だから、英雄(ヒーロー)って崇められて、讃えられるんだろうよォ」

 

 そして、金属に肉体を変化した少年の頭をポンと撫でる。無機質な金属の冷たい感触。だが、そこに彼の熱い心が宿って不思議と熱を持っている気がした。

 

「あの(ヴィラン)共の群れに1人立ち向かうお前の度胸は大したもんだァ。かっこよかったぜ。0Pは俺が殲滅してやるから、他のロボ共の足止めは頼んだ。守ってみせやがれェ、お前の後ろにいる腰抜かした奴らをよォ」

 

「おう、任せろ!」

 

 続けて、肩に手を添えながらこの場を任せると、金属少年は握り拳を作ってガッツポーズで答える。実弥が満足そうに笑って0Pの方へ踵を返すと同時に、猪の如く仮想(ヴィラン)の群れに向かって駆け出した。

 

 ロボットの群れに立ち向かい、金属の拳で次々とそれらを破壊していく少年を未だに呆然と見る受験生達。彼らを見ていられず、実弥は青筋を浮かべて叫んだ。

 

「何を怖気付いてやがるゥ!テメェらよりも先に腰抜かしてまともに動けねェ奴を、この戦場に置き去りにして見捨てる気かァ!?ふざけんのも大概にしやがれェ!!!」

 

 目の前にいる受験生達が一斉に肩を跳ねさせる。もはや泣きそうな顔になっている者もいるが、関係ない。

 

「テメェらよォ、(ヴィラン)をぶっ倒すだけがヒーローだと勘違いしてねェかァ!?目立っているものだけに縛られんなァ!視野を広く持ちやがれェ!!!」

 

 自分の思っていたこと全てを吐き出した実弥は、最後に0Pを見て腰を抜かした者や我先にと逃走した者達の影響で転倒してしまった者達に優しく声をかけた。

 

 前者は頭を撫でてやり、後者は怪我がないかを確認して、怪我があれば応急処置を施してやった。その上で、もう怖い思いはさせないから、と。気をしっかり持て、と。最後まで一緒に頑張ろう、と伝えた。

 

 そして、彼らの顔に安堵の色が満ちたのを見ると、安心したように微笑んで、風を巻き起こしながら消えるように0Pの方へと疾駆した。

 

 その場には、実弥の言葉の意味を彼らなりに噛み締める受験生達と向かいくる仮想(ヴィラン)の群れに1人立ち向かう金属少年の姿だけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのまま言われっぱなしでいいのか!?」

 

「頑張ろう、俺達なりに出来ることをやるんだ!」

 

「なら、私……この人達を避難させるわ!」

 

「僕も手伝います!」

 

(そうだ、それでいい。ヒーローになれなくたって、他人を安心させる為に出来ることやってりゃ、十分にヒーローだ)

 

 自分の行いを恥じるようにしながらもやる気に満ちた声を耳にしつつ、やれば出来るじゃねェかと言わんばかりに実弥は微笑む。

 

 ならば、彼らが安心してやるべきことをやれるように……自分が脅威を滅ぼそう。

 

 地面を揺らしながら進撃する巨大な戦車を見上げつつ、実弥はそう考えた。

 

 そんな中、随分と気の抜ける表情の金髪に黒いメッシュを入れた少年と、横抱きにした彼に対して必死で声をかけながら走る橙色のサイドテールと凛とした青緑色の瞳が特徴的な少女の姿が目に入った。

 

「気をしっかり持って!救けてくれた分の恩は返すから!」

 

「ウェ、ウェ〜イ……」

 

「何言ってんのか全然分かんない……!どうしてこうなった……?」

 

 怪我をして転んだ受験生を見かけた少女は、姉御肌なその性格故に怪我をした受験生に手を差し伸べて、彼を逃がした。だが、そうしている間にも0Pの巨躯は彼女に迫っていて、もう数10cmで自分の場所に辿り着いてしまうという地点にまで突き進んでいた。

 

 このままでは潰されると考えた彼女は、自分の命が尽きるのを覚悟しつつも後退を選んだが……そんな時に割り込んだのが、この金髪の少年だった。

 

「下がってろ!」

 

 と、ヒーローに相応しい言葉を発し、彼はその体からありったけの電気を解き放った。

 

 その結果、0Pの動きが一時的に止まって逃げる時間が出来たものの、肝心の自身を救けてくれた少年に礼を言おうとしたタイミングで、彼が女子に見られればプライドがズタズタになるであろうくらいにとんでもないアホ面を晒して動くことすらままならない状態になっていることに気が付いた。

 そして、彼を少し恥ずかしい目に遭わせてでも逃げることを決めて今に至る。

 

(あーあ……ありゃ恥ずかしい奴だな)

 

 そんな彼らを見て気の抜けたことを思いつつも、実弥は脚で地面を強く踏み込んで一気に0Pとの距離を詰める。

 

 0Pは、その巨体故に進む速度が速い。踏み出す一歩が小さい子供とそれが大きい大人とでは後者の方がより速く歩けるのと同じだ。それは、既に金髪の少年を横抱きにしたサイドテールの少女を自身の間合いに入れて巨大な拳を振るいつつあった。

 

「っ、やばっ!?二度目のピンチ!」

 

 少女も地面に出来た影によって、その拳に気が付いたようであった。だが、些か遅い。もう自分ではどうしようもないくらいの距離に0Pの拳が迫っていた。

 

 それでも、希望を諦めずに走る。その時――

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(ろく)(かた)――黒風烟嵐(こくふうえんらん)

 

 

 

 砂塵を巻き上げて空を暗くし、山中に靄をかける風が激しく吹き上げた。

 

「きゃっ!?」

 

 突如吹き抜けた一陣の風の凄まじさに思わず目を閉じて、動きを止める。そして、目を開けてみると……木刀を振り上げた無造作な白髪と傷だらけの顔が印象的な少年の姿があった。

 元から見た目のインパクトが強い上に、試験の概要説明の時に目立っていたのだ。見覚えのない訳がない。目の前の彼が、概要説明の時の少年だとサイドテールの少女が察するのはすぐのことだった。

 

 ずるりと、先程まで自分に振り下ろされていたはずの0Pの拳が元々あるべき場所からずり落ちて、地面に落下する。

 

「……え?」

 

(木刀で金属を叩き斬った……!?あの風って、まさか斬撃の余波……なの!?)

 

 目の前の事実が信じられず、唖然とする。そうしている間にもう一度風が吹き荒れ、それを斬り落としたはずの少年の姿が消えた。

 

「ッ!?どこに――」

 

 咄嗟に辺りを見回す。その時、地面に小さな影が出来た。

 

「まさか!?」

 

 全てを察して見上げると、太陽の光に照らされた傷だらけの少年の、実弥の姿がある。

 

 あの一瞬で、0Pの頭上を取れる高さまで跳躍したと言うのだろうか。そんな芸当、大方オールマイトにしか出来ないはず。

 

 もしや彼は、とんでもない人物なのではないか。そんなことを思いながら、少女は実弥を見上げていた。

 

「吹き飛ばされるぞォ!!!俺らから離れとけェ!!!」

 

「!?わ、分かった!!!」

 

 突如、実弥が叫ぶ。それと同時にハッとし、少女は0Pから距離を置くように走った。

 

 これから何をしようと言うのだろうか。0Pを破壊する気なのか?いくつもの疑問を頭に抱えながらも走る。

 

 その少女が十分に離れたと見るや否や、実弥は烈風の如く激しく身を翻して呟く。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――韋駄天台風(いだてんたいふう)

 

 

 

 ――上空で台風が巻き起こった。

 

 凄まじい勢いで巻き起こる、激しく渦巻く風。自然災害として名を馳せ、人々に脅威を(もたら)す台風。

 

 その中でも、進行方向を変えることなく韋駄天のように速い速度で進行するとされるものを彷彿とさせる無数の斬撃が0Pを襲う。

 

「っ……!?なんて風……!」

 

 もう実弥から数百mほど離れているというのに、余波で押し寄せてくる風圧がサイドテールの少女の足元をふらつかせる。ここまで横抱きにしていた少年を地面に下ろして低い姿勢を保ちつつ、息を呑むしかなかった。

 

 そして、その台風のような斬撃は……0Pの頭部と胴体を真っ二つに別れさせた。

 

 その頭が虚しくも地面に落下していくのと同時に巨体がグラつき、ボディーを爆発させながら後ろへと倒れていく。

 

 体の芯まで響き渡るような重々しく深い地鳴りと共に実弥が地面へと着地する。

 

 その瞬間、バキッと乾いた音が聞こえた。

 

「……流石に折れちまうかァ。気に入ってたんだけどなァ」

 

 その音に視線を下ろせば、木刀が綺麗に真っ二つに割れてしまっていた。いくら実弥が剣技に秀でていようとも、たかが木刀だ。金属をいくつも叩き斬っていれば折れて当然。

 

「お疲れさん」

 

『試験……終了!』

 

 ここまで歩んできた修羅の道に付き合ってくれた得物に感謝を告げると同時に、スピーカー越しの試験終了のアナウンスが鳴り響く。

 

 雲一つなく晴れ渡った空を見上げ、実弥はようやく肩の力を抜いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わっちまった……のか」

 

 肩で息をしながら、肉体を金属に変化させる"個性"を持った心熱き少年、鉄哲徹鐡が呟く。

 

 結論として、実弥が掛けてくれた自身への激励や彼の一喝で奮起した周りの受験生達の救けもあって、誰一人怪我もなく仮想(ヴィラン)を退けることが出来たが……彼の心はモヤモヤしたものが残っていた。

 

 何せ、ここに来るまでに仮想(ヴィラン)1()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 今なら分かる。自分を激励してくれたあの男が、(ヴィラン)顔負けの見た目だとしても心はヒーローそのもので、苛烈で厳しい言葉を投げつつも他の受験生達の心を燃え上がらせたあの男が、ほとんど仮想(ヴィラン)を破壊してしまっていたのだと。

 

(……アイツがそれだけ凄くて、強かったんだ。俺らより何歩も先を行ってたんだ)

 

 だが、恨む道理などあるはずもない。この場は互いを蹴落とし合って当然なのだから。あの男は、そういう場でありながらも自分を助太刀し、わざわざ他人に発破をかけて火をつけさせた。

 

 ……感謝しかないに決まっている。彼を恨むのは、それこそお門違いだし、ヒーロー失格だ。

 

「他人の見た目で性格を決めつけて、勘違いしてた自分が情けねえぜ……!」

 

 過去に戻れるのなら、初めてあの男を見かけた自分をぶん殴りたい。あんな奴に自分が負ける訳ないと意気込んでいた自分を全力でぶん殴りたい。

 

 鉄哲は、心の底からそう思った。

 

 だが、覆水盆に返らず。一度零した水を器に戻すことは出来ないのと同じように、過去の失敗を取り消すことは出来ない。

 

(これからの行動で取り返すしかねえ)

 

 そう決断し、1人拳を握りしめた。――その時。

 

「群れた仮想(ヴィラン)や0Pに腰抜かした奴。それと、俺に言われなきゃ何も出来なかった奴も。……テメェらにヒーローは向いてねェ。別の道を探せェ」

 

 実弥の苛烈かつ冷たい言葉が耳に入った。鉄哲は、咄嗟に顔を上げて「そんな酷えこと言わなくても良いじゃねえか!」と言いかけ――何も言えなくなった。

 

 何故なら、その一言に反して実弥の顔付きは酷く穏やかだったからだ。そして、その目は思いやりに溢れて、とても優しいものだった。

 

(なんか……違え)

 

 馬鹿故に何が違うのかまでは分からない。だが、不思議とそう思った。

 

 絶望して顔を上げる受験生達。静まり返った空間。そんな場所に、未だにアホ面の金髪少年を抱えたサイドテールの少女と、蛙っぽい顔付きの少女に、葡萄頭の小柄な少年もやってきた。

 

 実弥の顔を見知った者として、彼に声をかけようとするも……その雰囲気故に出来なかった。

 

 実弥は続ける。

 

「本物の(ヴィラン)相手に腰抜かして固まってたら……死ぬぞ。自分の身を当然のように守れねェ奴は、呆気なく死ぬ。最終的に救けを求める人を見捨てて逃げりゃ、それこそヒーロー失格だァ」

 

 実弥は(ヴィラン)との戦い漬けの生活を送ってきた影響で、その両方を見てきた。

 

 あちこちをさすらっていただけあって、結構な凶悪犯の(ヴィラン)と対峙した経験もある。それらを相手に死んだ未熟なヒーローも見たことがあるし、ヒーローが逃げたことで泣いて自分に縋る一般人も。

 

 ……そんな人を増やしてはならない。そうさせる輩を増やしてはならない。だから、実弥は厳しい言葉を葉に衣着せぬままに投げかけるのだ。

 

「俺は、(ヴィラン)に対する恐怖を克服しろと言ってんじゃねェ。最初からやめとけって言ってんだァ。ろくに覚悟もねェままヒーローを目指すくらいなら、ヘラヘラ笑って普通の生活送ってろ。家族と一緒に幸せに暮らしてろ」

 

 目を閉じ、拳を握りしめながら、更に続ける。その脳裏に自分がやったのと同じ様に兄である自分を助けたかったと言いながら散った前世の弟、玄弥を思い浮かべて。

 

 目の前にいる者達は、彼らと同い年くらいなのだ。脅威に対する恐怖がどうしても拭えないなら、その恐怖に押し負けて苦しむことすらしてほしくない、と実弥は思う。

 

 彼らにだってやる気がある。やる気を出しさえすれば、やれるのは分かった。だが、一人前のヒーローとして社会に出たら、それを出せるようにわざわざ促してくれる者などいる訳がない。今回は、たまたま自分がいた。ただそれだけの偶然だ。だから、そのやる気は認めるもののそれとは話は別だ。

 

「生半可な覚悟で厳しい業界に足踏み入れて、死ぬなんてことは俺が許さねェ。家族を、ダチを、テメェらが世話になった相手を泣かせんな。テメェらが幸せに暮らしてるところには、(ヴィラン)を近寄らせねェ。テメェらの分まで俺が奴らを殲滅する」

 

 そして、閉じた目を開きながら付け加えた。

 

「……全部を賭して夢を追いかけるのも良いが……忘れんなよォ。ごく普通の暮らしが出来るってのは、テメェらが思う以上に幸せだってこと」

 

 その呟きと共に浮かべた表情は哀しげな微笑みのようだった。周りは何も言えない。ただ、俯いてグッと拳を握りしめるしかなかった。

 

 そんな俯く受験生達の頭を、優しく吹き抜けるそよ風のように実弥はポンと撫でていく。そして、そのまま彼は軽く手を上げ、1人会場から去っていった。

 

「あんなに優しいのに、不器用……か。そんな奴、会ったことないや……」

 

(誤解した自分が恥ずかしいな……)

 

 1人、静かに去っていく実弥の背中を見送りながら、サイドテールの少女は呟き、考えたのであった。

 

「……優しくて熱い奴なんだな……。敵わねえや、何もかも」

 

 鉄哲も完敗だと言わんばかりに笑っていた。

 

 因みに、仮想(ヴィラン)のほとんどは実弥が破壊し尽くしていた。そこで、雄英の教師陣は十分な実力を出し切れなかった受験生が多くいたであろうと考え、後日実弥を除いた状態で彼と同じ会場で試験を受けた者達に希望制の再受験を取り行ったとか。




次回に結果発表をやって、行けたら雄英入学(個性把握テストの直前)まで行こうかなと思います。

2021/8/14(PM 23:12時点)
皆さまのご愛読のおかげでランキング9位になってました!ありがとうございます!


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第十話 ヒーローへの第一歩

忙しい日々が続き、久しぶりの投稿となりました。


 雄英の入試から1週間後。実弥の自宅にとある人物が訪れた。

 

「やあ、不死川君。こんにちは!」

 

「こんにちは、根津さん。いつもお世話になってます」

 

「校長先生!こんにちは!」

 

「エリちゃんもこんにちは。元気そうで何よりなのさ」

 

 その人物の正体は……鼠なのか熊なのか、はたまた犬なのか判別のつかない白い生き物の姿をした男、根津。雄英高校の校長だった。

 

 彼をリビングに招き、腰を落ち着けてから話を聞くことにした実弥は、茶を出してから腰掛けて尋ねる。

 

「それで……ご用件は?」

 

「ぶっちゃけちゃうけど、雄英の入試。その合否発表にきたのさ!」

 

 あまりにも想定外の用件だ。エリが緊張した面持ちでピンと背筋を伸ばしたのに対し、結果を発表される当の本人は唖然としていた。

 

「ね、根津さんが直接ですか?」

 

「イエス!勿論、他の子達には僕自身が結果を発表するところを録画した映像を映し出す機械と一緒に書類を郵送することになってるよ。でも、君は我が校の敷地内に住んでいるからね。それをやると逆に手間がかかってしまう。だから、僕直々に訪ねて結果発表をしようということになったのさ」

 

 笑みを浮かべ、茶を啜る根津。彼を見ながら、校長先生直々に合否発表をなさるとは流石は雄英、レベルが違う。実弥はそう考えた。

 

 茶を口にした後、根津が手を叩く。そして、いつものフランクな表情から、実弥を雄英に勧誘したあの時のような真剣さを感じさせる穏やかな笑みへと変化して話し始めた。

 

「それじゃあ……本題にいこうか、不死川君。2人とも、心の準備は出来たかな?」

 

 根津は、実弥と彼の隣にちょこんと座るエリの顔を交互に見る。頷く2人の言われるまでもないと言わんばかりの表情を見て、ゆっくりと頷き返し、筆記試験の結果から発表し始めた。

 

 筆記試験の結果は、全ての教科で8割越えという上々なものだった。その中でも、実弥が特に得意だった数学は9割越えという脅威的な点数。彼の日々の学習の成果が十分に発揮された確かな証拠だ。

 

 偏差値79の超難関校の試験でこれだけの点数を取ってみせる実弥の学力に、根津は素直に感心した。相当努力をしたのだろうと思って尋ねてみれば、実弥は、そよ風園の先生に恩を返す為に少しでもいい職に就こうと常に勉強を積み重ねてきたのだと答えた。根津が彼の献身的な姿勢を知り、更に感心したのは言うまでもない。

 

「次は、実技試験の結果発表だね。その前に予め話をしておこうか。先の試験、我々が見ていたのは情報力、判断力、機動力、戦闘力と言った能力だけじゃない。ヒーローには、もう一つ欠かしてはならない能力がある。それが……救けることさ」

 

 その言葉と同時に、根津の口から救助活動(レスキュー)ポイントの存在が語られた。

 

 救助活動(レスキュー)ポイント。根津の言葉通り、ヒーローに必須とされる他人を救ける精神を見る為のポイントだ。試験を見守る教師陣の行う厳粛な審査によって、ポイント数が算出されるようになっている。こういったポイントが存在することは受験生達に伝えられていなかった。人間の本質とは、必死になった時こそ表に現れるもの。それ故に教師達は彼らの本質を、ヒーローに対する思いの強さを見ることが出来たのだ。

 

 そして、救助活動(レスキュー)ポイントと実技試験で仮想(ヴィラン)を行動不能にして得たポイントを合計したものが総合成績として算出される。これが実技試験における真の得点らしい。

 

「――ということで。解説も程々にして、不死川君の成績発表に移ろう!不死川実弥君。(ヴィラン)ポイントは190P、救助活動(レスキュー)ポイントは94Pで……計284P!文句無しの合格なのさ!」

 

 果たして、どこから取り出しのか。根津はクラッカーを鳴らして実弥の合格を祝福した。

 

 聞いていて心地のいい破裂音が鳴り響き、色取り取りの紙テープがひらひらと木の葉のように実弥に降りかかる。

 

 何度も瞬きをした後、エリがドキドキしながら尋ねた。

 

「実弥お兄ちゃんも……雄英のお兄さんやお姉さんみたいになれるってことですか?」

 

「勿論。これまで以上に沢山の人を救けて、未来を守れる人になる。不死川君はその為の一歩を踏み出す資格を得たってことだよ」

 

「わあっ……!」

 

 根津の言葉を聞いたエリは、自分のことのように目を輝かせながら実弥に抱きついた。

 

「おめでとう、お兄ちゃん!」

 

「ああ……兄ちゃんが頑張ってこれたのは、エリの応援があったからだ。ありがとうな」

 

 実弥の合格を無邪気に喜ぶエリを見ていると、雄英に受かったのだという自覚が沸々と湧き上がってくる。憎しみのままに、未来を生きる子供達が自分達と同じような目に遭わないようにと人知れず(ヴィラン)を倒す日々を過ごしてきた自分が、公に認められてそれらから人々を守り、救ける為の一歩を無事に踏み出すことが出来たのだ。こうして喜んでいるエリを見ると、ヒーローになる道を選択して良かったとさえ思えた。

 

「因みに、不死川君。成績上では首席ということになるけれど……君は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 抱きしめ合って喜ぶエリと実弥を微笑ましく見守っていた根津が思い出したかのように言った。

 

「特別枠での合格……?俺が、ですか?」

 

「イエス!」

 

 それに抜擢される心当たりがないとばかりに尋ねた実弥を見て、根津はフランクに笑いながら答える。

 

「理由は主に二つ。一つは、君の経歴の特殊さ故さ。君は人目に付かないように、密かに(ヴィラン)との戦闘漬けの日々を送っていた。ヴィジランテとしての経歴がある上に、我々雄英からの直接のスカウトを受けている。他の受験生と比べても、経歴が特殊なのさ。何せ、我々から直接スカウトを受けている時点で合格しているも同然の状態だったからね」

 

「二つ目は、君の実力。実はね、不死川君。君は雄英の実技試験の中で初の偉業を成し遂げている。不死川君1人で、試験会場の仮想(ヴィラン)をほとんど破壊してしまったのさ。他の受験生達が実力を出しきれなくなってしまうレベルにね」

 

「俺1人で……!?」

 

「勿論、君と同じ会場の受験生達は後日、再試験を行ったから安心したまえ。軽く見積もっても、君の実力は既にNo.2であるエンデヴァー以上。やる気になれば、全盛期のオールマイトとまではいかなくとも、今の彼相手なら優位に立ち回ることも夢じゃない。簡単に言ってしまうと、プロヒーローが雄英の試験を受けているのと同じことなのさ」

 

「そりゃあ……特別枠にもなりますね」

 

 根津の答えを聞いた実弥は苦笑した。ヒーローの卵を育てるはずの養成校に、プロヒーロー同然の一羽の鳥が挑む。当然、実力差は大きくなるし、何も出来ない卵が成長しきった立派な鳥に敵う道理などない。

 

 本来、ヴィジランテとして戦闘を繰り広げていた実弥が雄英に入学すること自体が異色なこと。無論、本来の役目を果たす為にも彼が入学した影響で不合格になる優秀な卵を出す訳にもいかない。しかし、実弥は確実にこれからのヒーロー社会に必要になる人材。ならば、特別に枠を増やしてしまおう。圧倒的実力者且つ異色な経歴を持つ者である実弥を特別枠にしてしまおう……という結論が出た。

 

 言ってしまえば、ここまで特別に扱われるのは、雄英側からそれだけ期待されているということになる。

 

 期待とは、不思議なものだ。自分の背中を押して道を進む為の推進力となることもあれば、時には歩みを止めてしまう程の重い足枷となることもある。人間1人が出来ることには限界があると知っている実弥からすれば、自分1人に期待しすぎではないのかとも思わなくはない。

 だが、期待している分、雄英側は実弥を期待通りの人材にする為に様々な手を施すのだろう。ならば、その手を存分に利用させてもらおうではないか。

 

 使えるものは何でも使う。それが実弥の前世からのやり方だ。

 

 実弥の膝の上に抱えられて話を聞いていたエリが、何度も瞬きをして、ルビーのような赤く煌びやかな目を好奇心で満たしながら実弥を見上げて尋ねる。

 

「特別枠ってなあに?」

 

「そうだな……。ここで言えば、1番よりずっと凄ェってことだ」

 

「1番より……!やっぱり、実弥お兄ちゃんは凄いよ!世界一だよ!」

 

「そうか?買い被りすぎだぞ」

 

「そんなことないよ。私にとっては、ずっと世界一のお兄ちゃんだもん」

 

「……そうか、ありがとうな。これからもエリの世界一の兄ちゃんでいられるように頑張るからな」

 

「うん!」

 

 互いが互いを大事に思っているのが分かる、愛情溢れた微笑ましいやり取り。それを微笑みながら見守り、根津は心の底からの賛辞を贈るのだった。

 

(本当におめでとう、不死川君)

 

 

 

 

 

 

「塚内さん、無事に合格しましたよ」

 

『おめでとう、不死川君。正直、根津校長やイレイザーヘッドから直接誘いを受けてる時点で、君の合格は揺らがないと思っていたけれどね。しかも、特別枠での入学だって?(ヴィラン)との戦闘漬けの日々を送ってきただけはあるね』

 

「恐れ入ります」

 

 電話越しで塚内が自分の勘は間違っていなかったとばかりに笑う。雄英に合格したことを根津から発表された後、実弥は塚内とも連絡を取っていた。

 

 電話の向こうにいる彼に対して感謝の気持ちでいっぱいの実弥は、礼を言った。

 

「塚内さん、俺の頼みを聞き入れてくださってありがとうございました」

 

『いいってことさ。君は、ヴィジランテでありながらもランキング5位以内のプロヒーロー並みの抑止力があるに加え、彼ら並みに他人(ひと)を救けていたからね。本来、我々が頑張るべき分も君は奮闘してくれていた。君が受験に集中しなければならない分、その穴埋めを本来頑張るべき私達大人がやるのは当然のことだ』

 

 雄英の入試対策に打ち込まなければならない実弥であったが、彼は自分が活動を中断している間に、未来を生きる子供達が自分達と同じ目に遭わないかを常に憂いでいた。だが、雄英を受ける以上はヴィジランテとしての行為を繰り返す訳にもいかない。

 

 故に、実弥は公的に社会を守る善いヒーロー達に託すことにした。

 

 日本のあちこちをさすらうことで割り出した各地の犯罪の傾向及び分析をまとめたレポートを塚内に手渡し、彼からトップヒーロー達に向けて配られた。塚内曰く、実弥がまとめたレポートは驚くほど正確だったとのこと。プロヒーロー達が驚愕したのは言うまでもない。そのおかげもあって、彼らは普段以上の奮闘を見せ、実弥が活動した範囲の犯罪率は彼が活動していた頃と全く変化しないどころか、更に低下した。

 

 実弥の決断は、間違いなく功を奏したのだ。自身がレポートによって貸せた力は僅か。その分析を元に犯罪を抑え込んだのは、オールマイトを始めとしたプロヒーローや塚内らの実力によるものが大きい。やはり、第一に彼らに感謝し、尊敬せねばなるまい。

 

(世話になった方々には、せめてもの礼でおはぎを送るか)

 

 そんなことを考えつつ、微笑む実弥。その時、電話の向こうの塚内が問いかけた。

 

『ところで、不死川君。合格を発表されると同時に根津校長から()()()を受け取ったんだろう?』

 

「はい」

 

 塚内の問いに肯定を示した実弥の手には、緊急時''個性''使用及び戦闘許可証と記された免許証のようなものが握られている。

 

『緊急時''個性''使用及び戦闘許可証。中学生でこれが発行されるのは聞いたこともないな。いや、そもそも……これが発行される事例すら全くと言っていい程にない。君、公安の方からも既に注目されているみたいだよ』

 

「ええ。……随分とご大層なところに注目されたものですよ。お偉いさん方は俺を見極めたいということですかね」

 

 公安委員会の意図を図りながら、手元の許可証に視線を下ろす。それを握る手で感じられる重さは、不思議と本来のそれよりも遥かに重い気がした。

 

『ああ、私もそう思う。何せ、ヴィジランテとして日々活動を続けていた者がヒーロー養成校の雄英に入学するという特異的な事例が起こってるからね。我々は君の本質を知っているが、公安側はそうじゃない。厳しいことを言うと、彼らからすれば、今はまだ異色なヴィジランテの枠を出ない』

 

「成る程。ヒーローに相応しい人材かどうか、監視下に置かれるようなものってことですね」

 

『変わらず察しがいいね、不死川君』

 

 やり取りを交わしながら、実弥は察した。先程感じた、不思議な言い表しようもない重さは……許可証を与えられたことでこれから自身について回る責任からくるものだと。

 

 自分は明らかに試されている。どうやら、ごく普通且つ淡々とヒーローになる訳にはいかないらしい。

 

(……上等だ)

 

 茨の道を歩くのは慣れている。前世も同じように茨の道を歩いてきたのだ。今更それが立ちはだかろうと、どうということはない。

 

 ふと、緊急時''個性''使用及び戦闘許可証を握る手に自然と力が篭るのを感じた。

 

『ともかくだ。君は無事に公に認められながら人々を救け、彼らの未来を守る第一歩を踏み出した。ここから頑張っていこう。将来、立派なヒーローになった君と共に社会の平和に貢献出来るのを楽しみにしているよ』

 

「ご期待に応えられるように頑張ります。俺も皆さんと肩を並べられる日が楽しみですよ」

 

『ははは、そんな日が来ないのが一番良いんだろうけどね』

 

「違いないです」

 

 笑いながら塚内と話を交わす実弥。その紫色の瞳に満ちていたのは、ヒーローへの第一歩を踏み出せた大きな達成感とまだまだ強くなるという強い意志だった。



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第二章 雄英入学
第十一話 爆豪勝己(玄弥にそっくりな声のクソガキ)


2022/11/3
実弥さんが爆豪君に対して無性に苛立っている理由に少々補足を加えました。

2023/3/27
爆豪君とのやりとりの一部や彼に苛立ちを覚えている諸々に関して更にほんの少し修正を入れました。


 4月某日。花壇を見れば春の花が咲き乱れ、街路樹に目を向ければ桃色の美しい花をつけた桜が咲き誇る。まさに春に相応しい景色が広がる時期になった。そんな小春日和な今日は、門出の日。雄英高校の入学式の日だ。

 

 朝支度を終えた実弥は、雄英の制服に袖を通した。灰色を基調にした、所々に深藍色(ふかきあいいろ)のラインが施されたブレザーに、そのラインと同色のノータックズボンと、白いワイシャツ。紛れもない新品の服の肌触り。袖を通した瞬間、初めて鬼殺隊の隊服に袖を通した時を思い出した。

 

 これを着て、鬼殺隊として悉く鬼を狩れる。玄弥の幸せな未来を守る為に戦える。そのことがどうしようもなく嬉しかったのだったか。

 

「……懐かしいなァ」

 

 中学生の頃から思ってはいたが、鬼殺隊の隊服は何処となく学生服に似ている。あの組織でも由緒正しき日本の伝統が受け継がれていたという証拠だろう。

 

 雄英の真新しい制服に身を包んだ、鏡の中の自分を見る。そして、一緒に送られてきた朱色のネクタイを首元に添えると共に、ブレザーのボタンを留めてみた。

 

「……」

 

 考え込むように再び鏡の中の自分を見て……猛烈な違和感を感じると同時に失笑した。

 

「きっちり着こなすのは俺には合わねェわ」

 

 ネクタイをしまってから、ブレザーのボタンを全部開ける。もう一度、鏡の中の自分を見てみた。

 

 ……それでも違和感が拭えない。数秒鏡の中の自分を見つめて、違和感の原因を察して行動に移した。

 

 ブレザーのボタンを全て開けるに飽き足らず、ワイシャツのボタンを見えている部分の一番下を除いて全て開け、傷だらけの上半身を晒す。

 

「……やっぱ、これだなァ」

 

 鬼殺隊の隊服も、自傷で自分の血を戦いに利用する為であったがこんな着こなし方をしていた。その影響か、きっちりした服は敢えて着崩すのに慣れてしまっていた。

 

 中学生の頃は真面目に制服を着こなしていたが、窮屈で仕方がなかったのを思い出した。

 

「よし」

 

 忘れ物もないのを確認して部屋の外に出ると、風車の髪飾りをつけたエリが実弥を出迎えた。

 

「実弥お兄ちゃん!かっこいいよ、すっごい似合ってる!」

 

「おう、ありがとうな」

 

 褒める言葉しか見つからないとばかりに褒めちぎってくるエリを抱き抱え、そよ風園の家族と撮った写真を収めた、風車の模様を(あつら)えた銀色のロケットペンダントを首から掛け、エリにも同じものを掛けてやる。

 

 入試が終わってからは幾分か落ち着き、雄英入学の為にもヴィジランテとしての行為を控えていたが故に時間が出来た。その隙に自身のものを作ってもらった会社に頼んで、エリにも全く同じものを作ってもらったという訳だ。所謂(いわゆる)、ペアルックスである。

 

 「「いってきます」」

 

 玄関先に立てかけた写真――ロケットペンダントに使用した写真から更に時間が経っており、エリも含めた全員が笑顔のものだ――に、いってきますの挨拶をして、玄関のドアを開ける。

 

 ――日差しが柔らかくも眩しい。実弥もエリも、思わず額に手を添えて、眩しい日差しを遮っていた。

 

「……眩しいね、お兄ちゃん」

 

「ああ。……先生達も、アイツらも今日を祝ってくれてるんだな」

 

「ふふ、みんなのお兄ちゃんが進学する日だもんね」

 

「雄英は沢山のヒーローがいる。アイツらの分も色んなヒーローに会って、学んで……色んな話をしてやらねェと。エリだけに構ってたら、彼奴ら寂しがっちまう」

 

「うん……そうだね」

 

 証拠なんかどこにもない。それでも、亡くした家族が今はそばにいて、雄英へ入学するのを全力で祝ってくれている。そんな気がした。

 

「行こう、お兄ちゃん。遅刻したら怒られちゃう」

 

「そうだな、行くか」

 

 顔を見合わせ、笑顔いっぱいにエリを抱えた実弥が歩き出す。

 

 ――いってらっしゃい。

 

 天から2人をそっと見守る家族達。その声を代弁するかのように暖かいそよ風が吹き抜け、2人の頬を撫でた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今や慣れ親しんだ雄英の校舎に足を踏み入れた実弥は、エリを連れて自身のクラスである1年A組の教室へと向かっていた。

 

 今まで通りなら、エリを職員室にいる教師達に預けていたが……今日は違った。というのも、入学式の前日に相澤から連絡があったのだ。

 

『不死川、明日はエリちゃんも一緒に連れてA組の教室に来い。今ので分かったろうがお前のクラスはA組だ。因みに担任は俺。これからよろしくな』

 

 連絡ついでにクラスと担任まで暴露してくるとはとんでもない男である。電話を終えた後で、そういうのは入学式当日に緊張とワクワクを抱えながらやるもんじゃねェのか、と実弥が苦笑したのは言うまでもない。

 

 教師達が入学式に出払って様子を見る者が誰もいなくなるというのも、エリと一緒に教室に来いと指示した理由だろう。だが、実弥は相澤がどういう人物かをよく知っている。故にそれだけではない予感がしていた。

 

「初日から何をする気なのかねェ、相澤さんは」

 

 そんなことを呟きつつ、廊下を歩く。普段は職員室にいて、あまり校舎内を歩き回ることはなかった故か、好奇心に満ちた目をキラキラと輝かせながら辺りを見回すエリを微笑ましく見守っていた時だった。

 

「A組……A組……。ど、どこだ……?広すぎる……!」

 

 そんなことを呟きながら、戸惑いを露わに廊下を歩く少年を見つけた。

 

 モサモサの緑髪に黄色いリュック。忘れるはずもない。入試の日、怖がりながらも声を掛けてきた少年ではないか。

 

(彼奴も受かったのか。良かったじゃねェか)

 

 彼が合格していたことに安堵しつつ、実弥はズカズカと歩みを進め――

 

「おはようさん」

 

 自ら声を掛けた。

 

「うわっ!?……あ、入試の時の!」

 

 突然後ろから声を掛けられた故か、ビクッと肩を跳ねさせる少年――緑谷出久であったが、声の主が顔見知りであることに気がつくと、安堵で顔をふにゃりと緩ませた。

 

「おめでとう、受かったんだなァ」

 

「あはは、おかげさまで……」

 

 自然な流れでくしゃくしゃと頭を撫でる実弥に、緑谷は照れくさそうに頬を掻いた。

 

 そんな2人を、エリは興味津々に交互に見ている。さも、お兄ちゃんには友達がいっぱいなんだと感心しているかのように。

 

 緑谷は、ハッとしながら尋ねた。

 

「そ、そうだ!ずっと聞きたかったんだ。僕は緑谷出久。君の名前は……?」

 

 うずうずとしながら尋ねた彼の目が訴えている。「名前を教えてほしい」と。

 

(恋する乙女かよ、こいつは)

 

 名前を知りたくてしょうがなかったとは、可愛らしいものだ。実弥は笑いながら答えた。

 

「不死川。不死川実弥だァ。んで、こっちは妹の……」

 

 実弥に促され、エリも精一杯の笑みで名乗った。

 

「エリです!よろしくお願いします、緑谷さん」

 

「不死川君に……エリちゃん。よろしくね」

 

「おう、兄妹共々よろしくなァ」

 

 よく出来ましたとばかりにエリを撫でる実弥と、猫のように擦り寄るエリを見ながら心が暖かくなっていくのを感じていた緑谷だったが……ふと、気が付いてしまった。

 

「そ、そうだ……僕、現在進行形で迷ってたんだ!」

 

 あまりの微笑ましい光景に本人も忘れていたが、今、彼はA組の教室を探しつつも迷っていたのだ。

 

「ああ、ヤバいヤバいヤバい……!どうしよう!?」

 

 忙しなく慌てる出久。文字通り忙しい彼を見て笑う実弥は、彼を落ち着かせるように頭をポンと撫でた。

 

「心配すんなァ。俺も緑谷と同じクラスだァ」

 

「ほ、本当!?」

 

「それにね、実弥お兄ちゃんは何回も雄英に来たことがあるから、学校の中は全部把握してるんだよ」

 

 知り合いが同じクラスであることに喜びを感じ、頼もしく思っていた緑谷だったが……エリのとんでもない発言で全てが吹き飛んで、鼠に飛びつく猫のように反応した。

 

「な、何回も!?不死川君、君は何者なの!?」

 

(何処かの誰かさんと違って、面白ェやつだなァ……。いや、案外アイツも面白ェやつだったか)

 

 本当に忙しない緑谷を見て、実弥は笑うしかない。とても愉快でコロコロと表情を変える彼を見ながら、元犬猿の仲の天然ドジっ子で末っ子属性のあった同僚を思い浮かべた。

 

「ただの学生だァ」

 

 基本無表情ではあったが、戦いが終わった後の彼奴も緑谷くらいにコロコロ表情変えてたかなどと思いながらも、実弥は彼の問いに答え、微笑んだ。

 

「一緒に来るか?」

 

「……!うん、心強いよ!ありがとう、不死川君」

 

 長男としての優しさが溢れるその笑みを見た緑谷が、彼の提案を断る理由はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 狭き門をくぐり抜けた生徒達、及びクラスメイトはどんな顔ぶれなのか。そのことに密かなワクワクを覚えながら、実弥と緑谷はA組の教室に歩みを進める。エリもまた、どんなお兄さんやお姉さんに出会えるのかとワクワクしているらしかった。

 

 教室に向かうまでに色々なことを話した。受験までのことや、"個性"のことや、ヒーローのことなど。親交を深める中で判明したのだが、緑谷はヒーロー知識の豊富なオタクの中のオタクらしい。試しに既に亡くなった弟妹達が憧れていたヒーローのことを尋ねてみると、その豊富な知識を発揮して悉く答えてくれた。

 

 この話を聞かせてやればアイツらも喜ぶだろうと思うと同時に、実弥は緑谷と友達になれたことを喜んだ。その一方でもっと早く友達になりたかったとも思った。だが、覆水盆に返らず。過ぎ去った過去はもう二度と戻ってくることはないのだ。

 

 閑話休題。そうして、2人はA組の教室に辿り着いた。息を呑みながら、緊張で体をガチガチにしている緑谷に「そう緊張すんなァ。俺がいるからよォ」と視線だけで訴え、彼に代わって扉を開け――2人同時に絶句した。

 

「君!机の上に足を掛けるのはやめないか!歴代の諸先輩方や机の制作者の方々に申し訳ないとは思わないのか!?」

 

「思わねーよ!てめーどこ中だよ端役が!」

 

 2人の少年が言い争いをしている。

 

「ぼっ……俺は、私立聡明中学出身の飯田天哉だ!」

 

 飯田と名乗った、入試の時にも質問をしていた眼鏡の少年はまだ良い。問題はもう1人の方。

 

「聡明ィ〜?クソエリートじゃねえか。ぶっ殺し甲斐がありそうだな!」

 

 その言動を目にし、その声を聞き……実弥は反射的に青筋を浮かべ、目を血走らせた。

 

「し、不死川、君……?」

 

 先程までの優しい彼とは一変して、恐ろしい程の怒気を発している実弥を見て、出久は恐る恐る彼の名を呼んだ。

 

「……緑谷ァ。エリのこと、頼んだぜェ」

 

「え、あっ、わ、分かったよ……」

 

 戸惑いながらも、実弥に代わってエリを抱えながら、緑谷は思う。

 

(修羅だ……)

 

 修羅。即ち、阿修羅のこと。破壊神や鬼神とされる一方で、守護神や正義を司る神である面も持ち合わせる。

 

 悪を殲滅せんとする怒気。だが、それは緑谷の幼馴染である、あのプラチナブロンドのトゲトゲヘアーの少年の治安を乱さんとする行為故に発せられたもの。その瞬間、彼は理解したのであった。実弥がどういう人物なのか。その本質を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆豪勝己。"爆破"の"個性"を持ち、その天才性と抜群のセンスで常に周りからチヤホヤされ続けた、ある意味哀れな少年。周りはモブ同然で誰一人反抗しない。自分が恐れるものは何もない。そう思っていた。

 

 ――だが、たった今。()()()()()()()()()()()()()()。無論、身の毛がよだったのはこの教室いる少年少女達、全員なのだが。

 

 凄まじい何かを感じ、その方向を見ようとするも……首が動かない。何かを発する正体を見るのを、体全体が拒否していた。

 

「おい、クソガキィ」

 

 その声一つで、何百tもの重りを思わせる威圧感がのしかかってきた。

 

 冷や汗を垂らしながらも、恐怖を抱く自分に鞭打って顔を上げる。

 

 無造作な白髪。傷だらけの顔。血走った目に、傷だらけで筋骨隆々な肉体。まさに修羅だった。

 

(俺が……こんな奴に、ビビってるってのか……?ンなはずねえ!!)

 

 恐怖を抱いても尚、元から爆豪の中に存在する冷静さが無くなることは無かった。

 

「……ハッ、突然なんだ?テメェも、そこのモブと同じように机に足を乗せるなだのくだらねえことを命令してくんのかよ?」

 

 いつも通りに振る舞い、目の前の少年――実弥を威圧するかのように返す。だが、所詮は子供同士のいざこざを無理矢理収める為に発してきたもの。本物の殺意を知っている実弥からすれば、くだらないものだ。

 

「あァ?」

 

「ッ!?」

 

 逆に自身の威圧を塗り替える威圧感を発した、怒りに満ちた声が耳に届く。幼い子供の頃から喧嘩は経験しているが、それもまた所詮は子供同士のもの。実弥が発する威圧感は本物。何十年も人生を生きた大人のそれだった。

 

「何がくだらねェだ。ふざけてんのか?テメェには常識ってもんがねェのかァ?なァ、クソガキ。小せェ頃に親御さんから習わなかったか?他人(ひと)の物は大事に扱えってよォ。こいつはテメェの私物じゃねェ、雄英のもんだァ。テメェの私物なら好き勝手しやがれェ。プライベートにまで口挟む権利はねェからよォ」

 

 机の表面を指でトントンと叩きながら、実弥は続ける。

 

「ヒーロー志望どうこう以前に、社会に出る人間としての常識だぜェ。それすらも出来ねェなんてなァ……。テメェ、ろくなヒーローにならねェな。幼稚園の教育からやり直してこいやァ」

 

「……ンだと……ッ!?」

 

 口の端を吊り上げ、不敵に笑いながらの発言で明らかに煽られていることに気がつく。だが、大して煽られた経験もなく、プライドが高すぎる故に耐えられる訳も無かった。

 

 ――爆豪は、沸点が非常に低かった。初日からプライドを傷つけられ、彼の気分は最悪だ。その証拠に、先程までズボンのポケットに突っ込んでいた手を外に晒し、小さな火花を両掌から散らしている。

 

 先程まで爆豪に注意をしていた飯田も、そのすぐ側で実弥と彼が一触即発の状態にあることに気が付いた。彼らを止めなければならない、と自身に言い聞かせるも……体が動かない。もはや、殺気に近いと言っても過言ではない怒気に晒され、体が言うことを聞いてくれない。声一つも出ず、ただ無事に事態が終息するのを願う他ない。

 

 それは、この教室にいるヒーローの卵達全員に言えることだった。

 

「ハッ、そら見ろォ。そうやってすぐに暴力での解決に走ろうとしやがる。そんなんでよくヒーロー志望だなんて名乗れたなァ、クソガキ」

 

 不敵な笑みで爆豪を煽る実弥だったが、ふと笑みを消し去ってどこか真剣な面持ちになる。

 

「……折角だから良いことを教えてやるぜェ。暴力で自分の思い通りにならねェことを捩じ伏せても、何の解決にもならねェんだよ。そうした分は全部自分(テメェ)に返ってくる。最後に苦しむのはテメェ自身だァ」

 

「あ……?」

 

 先程、爆豪の気分が最悪だと言ったが、実弥の気分はそれ以上に最悪だった。原因は全てこの爆豪勝己という少年。何しろ、不幸なことにも……彼の声が前世の弟の玄弥に似ているのだ。

 

 柱合会議で自身に頭突きをかましてきた玄弥の同期の少年曰く、玄弥にも兄である自分に会うために荒れていた時期があったらしく、話に聞いたその状態の彼が、目の前の爆豪勝己という少年に重なってしまうのだ。

 

(チッ……このクソガキを見てると妙に腹が立つぜ……)

 

 実弥の怒りの原因。それは、爆豪の治安を乱す言動に限った話ではない。1番の原因は彼の声。早い話、実弥は彼の存在を拒否したい。抹消してしまいたいとさえ思っていた。

 兄であるが故に、玄弥には性格上粗野で側から見れば乱暴者と思えてしまう一面があったのも、時々癇癪を起こすことがあったのも実弥はよく理解している。

 彼が主君であった人物の令嬢に失礼を働いたことも、自分に頭突きをかました少年に暴言を吐きまくったのも当然ながら知っている。それでも、本質は人が好く、決してそういった乱暴者ではなかった。

 

 だからこそ、目の前の赤の他人である少年にかつての弟の負の一面が重なってしまうことに腹が立っていた。

 

 それに加え、暴力によって……正確には、酷すぎるやり方で物事を解決しようとする爆豪が、玄弥に対して酷い振る舞いを貫き、彼を遠ざけ続けた自分にも重なっていた。ある種の同族嫌悪でもあった。

 時が流れて色々と落ち着いた今だからこそ、かつての自分は愚かで弱かったと思える。昔の自分も変わらないようなことをしていたと思うと苛立ちが募るのも当然の話だ。

 

 それでも尚、「ぶっ殺す」という感情が口に出ず、暴力を振るわない辺り、彼の理性の強さとヒーローになることに当たっての強い覚悟が垣間見える。激怒するだけで済んでいる辺り、前世で彼が無意識のうちに恋をしていた女性やその妹、無惨を滅ぼした代の鬼殺隊最強の男がここにいたのなら、耐えていることを褒めるに違いない。

 

 もはや、彼らが犬猿の仲になることは確実だった。それも入学初日から。

 

 震え、冷や汗を流す生徒達から「初日から勘弁してくれ」という心の声が一斉に聞こえてくるかのようだ。

 

「少なくとも、今のテメェにヒーローになる資格はねェ。とっとと帰れェ。テメェのようなクソガキがヒーローを志すから、ろくでもないヒーローばかりが増えやがる。テメェもそんな奴らと同じになるぞォ」

 

「テメェッ……!さっきから黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがって……!ぶっ殺してやるよ、クソカスが!!!」

 

 散々煽られ、罵られ続けて爆豪のプライドは既に悲鳴を上げていた。脆すぎて、彼の逆鱗に触れるまでは時間を要さなかった。

 

「死ねェェェ!!!」

 

 爆豪の右掌が激しく火花を散らし、自慢の右腕と共に振るわれる。これまで自分に反抗してきた輩を、無個性で道端の石ころのクソ雑魚である幼馴染を一蹴してきた必殺の一撃。

 

 実弥も軽く拳を握り、迎撃体制を取ったところで――

 

「そこまでだ」

 

 毅然とした声が刃となって教室の中の葬式のような雰囲気を切り裂くと同時に、爆豪に向けて包帯のような何かが迫り……その肉体に巻きついた。

 

「あがっ!?んだっ、この布……!硬ェ……!爆破も出せねェッ……!?どうなってんだっ……!」

 

「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んだ、特別性の『捕縛武器』だ」

 

 声の主は……相澤消太。実弥の担任――即ち、1年A組の担任となる男だった。紅い眼光を目から発し、髪を逆立てている。"個性"である"抹消"を発動している証拠だ。

 

 髪を逆立て、鋭い眼光を発したまま、相澤は騒動の発端となった少年達に歩み寄る。

 

「まずは落ち着け、不死川。エリちゃんもいるんだから」

 

「ご迷惑おかけしました」

 

 実弥はすぐさま怒気を収め、謝罪の念を込めて頭を下げる。実弥が規律や礼儀に厳しい男なのは、相澤にとって既知の事実。彼がこうして特に言い訳をすることもなく、すぐに謝罪をするのは分かっていたので、特に問題はなかった。

 

 そして、相澤はもう1人の問題児を毅然とした態度で咎める。

 

「取り敢えず……状況は麗日から、こうなった経緯は緑谷とエリちゃんから聞いた。あのな、爆豪。最低限の礼儀くらい弁えろ。こればかりは激怒した不死川が正しい。もう自分の好き勝手に振る舞っていいガキの年齢じゃないだろうが」

 

 彼は続ける。ヒーローとは人々の憧れであり、必然的に注目を浴びる。つまりは、己の振る舞いがこれからは多くの人に見られることになる。それを常に頭に置いておかなければならないのだと。

 

「――予め言っておくが、俺は校長先生に許可を頂いた上で生徒を除籍する権限を持っている。あまりに問題行動が続くようなら……()()()()()()()?」

 

 流石に教師に警告されては、爆豪であろうと何も言えない。

 

「…………スンマセンした」

 

 唇を噛み締めながらも、渋々と言った様子で頭を下げた。

 

「ったく……コイツの中学の担任は何をやってたんだか」

 

 頭を下げた爆豪を見て、相澤は呆れながらため息を吐きつつ、頭を掻きむしりながら"個性"を解除する。因みに、ヒーローオタクである緑谷が相澤の正体を知って感激しながら目を輝かせ、麗日が彼を見ながら不思議そうに首を傾げ、エリが「相澤先生カッコいい……」と呟いているのはまた別の話。

 

「……さてと、取り敢えず自己紹介ね。俺は相澤消太、君らの担任だ。よろしく」

 

(((((ギャップが凄い!てか、担任なの!?)))))

 

 毅然とした態度から一変、気怠げに自己紹介をした相澤を見て、彼を初めて見たクラスメイト達の心の声が一致した。初日から見事に息ぴったりである。

 

「早速で悪いんだが、君らには――体育服(これ)を着て外に出てもらおう。合否発表時、君らのクラスがA組で俺が担任なのも決まっていたからな。同封した書類にもあったろう?今日の持ち物に体育服ってのが。……ま、ともかくだ。時間は有限。10分後までにグラウンドに集合だ。遅れるなよ」

 

 相澤のギャップと突然の発言に困惑する生徒達。だが、合理性を重視する担任は待ってくれない。困惑する彼らを置いて、これから行う何かの準備の為にそそくさと教室を出て行ってしまった。

 

(……()()()()か)

 

 雄英に通う先輩達とも関わりのある実弥は、常々入学式を放棄して何かを行う相澤の噂を聞いていた故に特に動揺していない。ただ、先輩達の話からしてとんでもないことが起こるのは間違いない。今年2年生になる先輩からは、一クラスまるまる除籍されたという話を聞いた。そこから、勝己に対する警告が単なる脅しではないことが察せる。

 

 一先ず、衝動に任せて激怒してしまった以上はやらねばならないことがある。

 

「……済まねェ、みんな。迷惑かけた」

 

 やるべきことはただ一つ。自身の怒気に曝され、恐怖を抱いたクラスメート達への謝罪だ。頭を下げる実弥を見て、エリも緑谷に下ろしてもらい、実弥の隣に並ぶと――

 

「実弥お兄ちゃんがご迷惑おかけしました」

 

 実弥の真似をして、ぺこりと頭を下げた。

 

「エ、エリ……!?お、お前が謝ることないんだぞ?悪いのは兄ちゃんだから……」

 

 実弥は、ヒヤリとした感覚を覚えてエリを咄嗟に取りなした。顔を上げたエリは、シュンとしていて悲しげな顔だった。その表情は、一人ぼっちの子犬を彷彿とさせるものだ。

 

「私が止めるべきだったのに、お兄ちゃんのこと止められなかったから……。皆と初めましてなのに、お兄ちゃんが怖がられちゃう」

 

「エリ……」

 

 とても優しい妹に恵まれた。実弥は、改めてそう思った。しゅんとしたエリのサラサラとした雪のように真っ白な髪を優しく撫でてやりながら、微笑んだ。

 

「怖がられるのは慣れてる。兄ちゃんのことは気にすんな。けど、心配してくれてありがとうな。エリは本当に優しい子だ。そんないい子には、ご褒美の林檎をあげないとな」

 

 林檎という単語を聞いたエリは、これ以上ない程にキラキラと目を輝かせる。林檎は、彼女が大好きな物なのだ。さながら、ルビーそのものが目であるのではないかと思う程にキラキラと輝くそれは、ヒーローの卵である少年少女達の目を惹きつけた。

 

「ほ、本当?」

 

「おう。学校終わったら、買ってきてやる」

 

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 

 抱きついたエリを受け止めるその顔は、先程までの修羅の如き形相が想像もつかないほどに優しく、慈母のようだ。あまりのギャップに多くの生徒達が困惑し、自身の脳内に壮大な宇宙空間を創り出してしまう。

 

「行こ、お兄ちゃん。遅れたら相澤先生が怒っちゃう」

 

「そうだな、兄ちゃん着替えてくるからちょっと待ってろ」

 

「うん!」

 

 そんな最大限困惑しているクラスメート達を他所に、実弥は1人そそくさと教室から出て行ってしまった。

 

 そんな彼を目にして動けたのは、元から彼の本質を知っていた緑谷と、入試で同じ会場になったことでその本質を見抜いた蛙顔の少女。それと、元から他人に興味のない赤と白が半分に分かれたショートヘアーの少年に、初日からプライドをズタズタにされて精神状態の最悪な爆豪のみ。

 

 他のクラスメイト達が宇宙空間の中に放り込まれた状態から立ち直るのに時間がかかり、見事に相澤の指定した10分後に遅刻してしまうのは言うまでもなかった。



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第十二話 出来ることと限界を知る(前編)

「……まあ、何だ。不死川のギャップにはおいおい慣れていけ。早く慣れないと今回みたいなことが続くからな。校舎の中を把握出来ていない者も多いだろうし、今回は大目にみてやる」

 

 実弥のギャップによって創り出された宇宙空間から立ち直るのに時間がかかり、指摘した時間に遅れてしまった生徒達を見ながら、相澤は言った。

 

 その発言からして、目の前の担任もあの少年のギャップに困惑した経験があるのだろうなと思ったA組一同であった。

 

「さて……これより、君らには個性把握テストを行ってもらう」

 

「「「「「こ、個性把握テスト!?」」」」」

 

 入学式の日だと言うのに突然グラウンドに駆り出された生徒達の前で、相澤は個性把握テストを行うと宣言した。

 

 突然のことで再び困惑する生徒達。そのうちの1人で、緑谷と仲良さげであった麗らかな雰囲気のショートボブの茶髪をした少女、麗日お茶子が入学式やガイダンスはないのかと抗議するも、相澤はヒーローになるのならそんな暇はないと彼女の言葉を一蹴した。

 

「中学の頃にもやっただろう?"個性"使用禁止の体力テスト。それの"個性"使用が解禁されたものだ。行う種目自体は変わらない」

 

 個性把握テストとは何なのかをザッと説明しつつ、国が平均をつくり続けていることを文部科学省の怠慢だと歯に衣を着せぬ言い方で愚痴った後、相澤は生徒達を見渡す。そして――

 

「実技試験首席は……爆豪だったな」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()爆豪を名指しした。

 

「中学の時のソフトボール投げ、何mだった?」

 

「……67m」

 

「よし、それなら……"個性"使って、こいつを投げてみろ。円から出なけりゃ何をしても良い」

 

 これから行われるは、個性把握テストのデモンストレーション。それを実行する者に指名された爆豪は、優越感を覚えながらボールを受け取り、準備運動がてらに腕の筋肉と肩をほぐしながら円の中に足を踏み入れる。

 

(球威に爆風を乗せる……ッ!)

 

「死ねェェェェェ!!!!!」

 

 そして、プロ野球選手のように綺麗な投球フォームとヒーロー志望とは思えない物騒な掛け声と共に凄絶な爆破を起こし、ソフトボールを全力で投擲した。

 

 吹き付ける爆風を受けながら多くの生徒達が彼の掛け声に疑問を持ち、実弥がエリの耳を手で塞いでやりながら、舌打ちしたのは言うまでもない。

 

 満足いく投げ方が出来たのか、爆豪は口の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべている。

 

(エリの教育に良くねェだろうが、クソガキィ。いい加減にしやがれ)

 

 そんな彼を見ながら、実弥は密かに青筋を浮かべ、殴りかかろうとする自分を抑えていた。

 

 しばらくすると、相澤の手にする端末からピピッと単調な機械音が聞こえた。

 

「……まず、自分の最大限を知る。それが、ヒーローの素地を形成する合理的手段だ。ここでお前達には自分の"個性"で出来ることと出来ないことをきっちり把握してもらう」

 

 そう述べる相澤が見せつけた端末に表示された数値は……705.2m。明らかに普通に投擲していては叩き出せない記録だった。

 

「な、700mを超えたぞ!?」

 

「何これ、面白そう!」

 

「"個性"思い切り使えるなんて、流石はヒーロー科!」

 

 男子高校生のソフトボール投げの記録では32m以上の記録が優れているとされるが、それを約20倍も上回る記録。自分達にもこれだけの力が秘められているのかもしれないのかと思うと、一気に強くなれた気がしてワクワクするのは無理もない話だった。

 

()()()()……ねェ。そりゃあ良くねェなァ」

 

 "個性"を思い切り使えることに色めき立つクラスメート達を他所に、実弥は遠い目をしながら、どうなっても知らないぞとばかりに呟く。彼には懸念があるのだが……それは当たってしまった。

 

「ほう?面白そう、か。……成る程、よく分かったよ。ヒーローになる為の3年間、そんな腹積もりで過ごす気なら……こうしようじゃないか。8種目のトータル成績が最下位の者は見込み無しと判断し、()()()()を下す」

 

「「「「「さっ、最下位除籍!?」」」」」

 

 死に物狂いで努力を積み重ねて、ようやく入学出来たというのに。初日から除籍などたまったものじゃない。"個性"を使える興奮で高まっていた生徒達のテンションは、相澤の除籍宣告によって急転直下。あっという間に一番下まで下がり、冷え切ってしまった。

 

 除籍を恐れて顔を真っ青にする者や、特に動じていない者、こうでなくては面白くないとばかりに笑う者、これが最高峰なのかと息を呑む者。反応は十人十色だ。

 

「そ、そんな!初日から除籍なんて……いくらなんでも理不尽過ぎます!」

 

「未だヒーローの卵でしかないお前らからすればそうかもしれないな。だが、世の中ってのはそう甘くないぞ」

 

 除籍宣告に対しても、麗日が勇気を振り絞って抗議の声を上げるも、やはり相澤は迷いなく反論した。

 

(ヴィラン)犯罪に自然災害。日本には理不尽が溢れ返っている。それに比べりゃ、除籍なんて軽いもんだ。放課後に仲良しこよしで談笑したかったのならお生憎。雄英はこれから3年間、君達に全力で苦難を与え続ける。これこそ、Plus Ultra(更に向こうへ)の精神で乗り越えるべき第一の壁って奴さ」

 

 ニヒルな笑みを浮かべ、人差し指で相手を挑発するような仕草をしながら放たれる相澤の言葉。その全てに実弥は納得していた。

 

 前世から味わってきたことだが、世界というのは理不尽だ。普通の幸せが容易く壊され、家族を奪われる。自分よりも生きるべき善人達が未来の為に次々と死んでいく。そんな理不尽を、前世も今世も味わい尽くしてきた。

 

「上等ですよォ、相澤先生」

 

 鬼共に比べりゃ、この程度は軽いもんだと不敵に笑う。そんな実弥の体育服の袖をエリがそっと引っ張った。

 

「ん?どうした?」

 

 しゃがんでエリに目線を合わせながら話を聞いてみると、彼女は除籍とは何なのかを尋ねてきた。

 

「除籍……。そうだなァ……簡単に言えば、相澤先生のご指示で雄英にさよならしなくちゃいけないってことだ。除籍を指示されたら最後、もう雄英(ここ)には来れねェんだ」

 

 分かりやすく意味を噛み砕きながら伝える。すると、エリは酷くショックを受けた。

 

「そんな……。ここにいるお兄さん達もお姉さん達も、一生懸命頑張って入学したのに……。初日に学校からいなくならなきゃいけないなんて、可哀想だよ……」

 

 エリの表情はとても悲しそうだ。理不尽を課せられる少年少女を憐れむ気持ちが感じ取れる。そんな彼女を撫で、実弥は微笑みながら言った。

 

「中途半端に力のない状態でヒーロー目指してたらなァ、沢山怪我して、沢山の人を心配させちまう。最悪の場合は死ぬことだってある。相澤先生は、そういう人を出したくないんだろうよ。あの人なりの優しさだ。……相澤先生がどれだけ優しい人かは、エリが一番知ってるだろ?」

 

「……うん」

 

 まだ戸惑いを拭いきれないながらも、エリが頷く。そんな彼女を優しく抱きしめ、「兄ちゃん、頑張ってくるからなァ」と撫でてやってから、相澤に預けた。

 

 個性把握テスト。今の自分がどこまでやれるのか。前世との実力差をどれだけ埋められているのかを確かめるにはちょうどいい機会だ。

 

「んじゃまァ……全力でかましてやるかねェ」

 

 体育服のファスナーを上げることなく、開具の部分だけを留めて鍛え上げた肉体を晒す着こなし方も相まって、不敵な笑みと共に拳を鳴らすその姿は……"風柱"として鬼を殲滅していた頃の彼そのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして始まった個性把握テスト。今は、第一種目の50m走を実施している。生徒達が各々の"個性"で驚異的な記録を叩き出し、競技に向かない"個性"の持ち主は己の足で懸命に走った。

 

 そうして、順調に計測が進み……実弥の番が訪れる。この個性把握テストは、基本的に名簿順で計測を行うことになっている。だが、実弥は敢えて自身を一番最後に回して1人の状態で計測することを選択した。その行動の異色さに誰もが注目している。

 

 軽く体をほぐす実弥に対し、爆豪は性懲りも無く突っかかった。

 

「おいおい。人に生意気な口利いたくせして、俺より下じゃねえか。所詮はモブって訳か。残念だったな!」

 

 自分自身でもガキ臭いとは思っているのだが、こうせずにはいられなかった。テストのデモンストレーションで自分が指名され、相澤の口から確かに自分が実技試験の首席だと聞いた。自分のプライドを踏み躙った相手が所詮は格下であったことが素直に嬉しく、彼は実弥を煽ることで安心感を得ようとしたのだ。

 

 大層悔しがって、今度はコイツがキレる番だと白い歯を見せつけるようにしながら、(ヴィラン)さながらの不敵な笑みを浮かべる。だが――彼の予想は裏切られた。

 

 実弥は、爆豪の態度を嘲笑した。

 

「ハッ。とんだ性根のクソガキだな、テメェはよォ。そんなに自分の実績をひけらかすのが楽しいかァ?」

 

「……は?」

 

 予想だにしない態度に爆豪は唖然とする。そんな彼を見ながら、笑いを堪えられないとばかりに震える実弥はとどめの一言を放った。

 

「おい、爆豪。よく言うよなァ、()()()()()()()()()()ってよォ」

 

 勝己の堪忍袋の緒が容易く切れた。殺気を放たんとする程に目を吊り上げ、青筋を浮かべて掌から火花を散らす。

 

「んだとゴラァ!?もういっぺん言ってみやがれ!ぶっ殺す!!!」

 

 掌から爆破を起こしながら実弥に殴り掛からんとして肉薄する爆豪だが……相澤の捕縛布が彼を捕らえた。

 

「がっ!?」

 

「いい加減にしろ、爆豪。気に入らないことがある度にキレ散らかすな。時間が無駄になるだろうが。不死川も煽るのは程々にしておけ」

 

 捕らえられた爆豪は、捕縛布に巻き付けられたまま相澤の元へと引き寄せられる。相澤は、赤い眼光を放つ鋭い目つきで彼を睨み付けた。

 

「何回"個性"を使わせれば気が済むんだ。俺はドライアイなんだ……!まあ、それはさておき……いい機会だから、よく見ておけ。世界は広いぞ」

 

 相澤の視線の先には、クラウチングスタートの準備として腰を落とした実弥の姿がある。

 

 たった今、彼は前世で培った凡ゆる技術を総動員していた。

 

 まずは、反復動作。これによって極限まで集中を高め、感覚を研ぎ澄ます。そして、意図的に心臓の鼓動と血の巡りを速くする。

 

 前世、最愛の弟である玄弥を失った瞬間の怒り。今世、親代わりだったそよ風園の先生や弟妹達を失った怒り。(ヴィラン)への激しい憎しみ。そして――最愛の妹、エリを守り抜くという強い決意。凡ゆる想いを漲らせた瞬間、自身の鼓動と血の巡りが確実に速くなったのを感じ取った。

 

 そして、もう一つ。"痣"無しの状態……つまり、素の身体能力では最も足の速かった、元忍で派手好きな男の話だ。

 

 何時ぞやか、どうしたらそんなに速く走れるのかと聞いた時に教えてもらったのだったか。

 

(筋繊維一本一本から、血管の一筋一筋……。肉体の隅々まで空気を巡らせる……!)

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

 実弥の口から発せられる、烈風が砂塵や木の葉を巻き上げるかのような音。風が吹いているのかと慌てて周りを見回すA組の生徒達だが、そんな様子はどこにも見られない。その音が実弥の口から発せられるもの――即ち、呼吸音だと気が付いた一部の者達は驚愕した。

 

(んでもって……足だけに力溜めて……ッ!!)

 

 機械音声で位置に着くように合図が出され、それに合わせて、力を少しずつ足に溜めていく。

 

 用意の音声と共に地面を蹴られるように腰を上げ……力を溜め切る。

 

(一息に、派手に爆発させる!!彼奴が鬼殺に使ってた爆弾みてェに!!!)

 

 スタートの合図と共に風の呼吸の壱ノ型、塵旋風・削ぎの要領で地面を蹴った実弥は――彼をじっと見守っていたクラスメート達の視界から消えた。

 

「お、おい!不死川が消えたぞ!?」

 

 金髪メッシュの雰囲気からしてチャラそうな"帯電"の"個性"を持った少年、上鳴電気が困惑しながら声を上げ、彼に釣られて生徒達の多くが忙しなく周りを見渡した。

 

「え……?」

 

 突如、大和撫子風な雰囲気をした吊り気味の目と黒いポニーテールが特徴的な、同年代の少女の中では飛び抜けた美貌と発育の良い体付きの少女、八百万百が困惑気味に声を上げた。

 

「ど、どうかしたのかい!?八百万君!」

 

 困惑した彼女の様子に飯田がロボットのようにカクカクとした動きをしながら尋ねる。

 

「し、不死川さんは……()()()()()()辿()()()()()()()()()()……」

 

「な、何っ!?」

 

 信じられないものを見ていると言わんばかりの表情の八百万にそう言われ、そんなことがあり得るのかと50m走のゴールラインの方を見た瞬間――

 

「うおっ!?」

 

「きゃあっ!?」

 

 雷が轟いた瞬間を彷彿とさせる轟音が鳴り響いて地面が揺れると共に、50m走の直走路上に凄まじい旋風が巻き起こった。

 

「な、何が起こってんだ!?」

 

「ひええ、こりゃ物凄え……」

 

 スパイキーに逆立てた赤髪が特徴的な少年、切島鋭児郎と、ひょろりとした体つきをしたセロハンテープのロールのような形の肘が特徴的な少年、瀬呂範太も困惑と畏敬を全面に出して巻き起こる旋風を見ていた。

 

「そ、そんな……。何という、速度なんですの……」

 

 彼らを他所に飯田と八百万は絶句する。彼らは、A組の生徒達の中でも学力の高い生徒に値する。故に……目の前で起こった現象が信じられなかった。

 

「……八百万ちゃんと飯田ちゃん、だったかしら?2人揃ってどうしたの?」

 

 2人の様子を見かね、入試会場で既に実弥の速さをよく理解していた故に大して驚きもないくりくりとした大きな目が特徴的な蛙顔の少女、蛙吹梅雨が声をかけた。

 

 ただならぬ2人の様子に、他の生徒達も一部を除いてゾロゾロと集まってきた。

 

「い、いえ……ただ、目の前の光景が信じられなかったものですから、言葉が出なくて……」

 

「ああ、全くだよ」

 

 八百万が深呼吸をして硬直から立ち直る。同時に、飯田は眼鏡のブリッジを押し上げながら解説を始めた。

 

「50m走の直走路上に巻き起こった旋風。あれは、ざっくりと言ってしまえば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だよ」

 

「「「「「しょ、衝撃波!?」」」」」

 

 走って衝撃波を巻き起こす人間など聞いたことがある訳もなく、話を聞く生徒達は一斉に驚愕。

 

 そこから、八百万は、飯田の言葉を引き継ぐようにして衝撃波が一般的に音速を超えた音速、超音速で移動する物体の周りに発生するものであると解説した。

 

「そ、それって……」

 

 ピンク色の髪と肌に黄色い角と色の反転した目が特徴的な少女、芦戸三奈が恐る恐る声を上げる。生徒達は、息を呑みながら飯田と八百万の回答を待った。

 

「……不死川さんの移動速度は超音速」

 

「文字通り、音速を超えている……ということさ。そのことは、彼がゴールに辿り着いた後で落雷のような轟音が聞こえてきたことからも裏付けられるよ」

 

「「「「「えええええええええ!?」」」」」

 

 空いた口が塞がらない。全速力で走れば視界から消え、衝撃波を巻き起こす。もはや、ジェット戦闘機ではないか。

 

 もしかしなくても、自分達はとんでもない男と同じクラスになってしまったのでは……?

 

 亀裂の入ったスタート地点の地面と、ごっそりと抉られた直走路を見ながら、誰もがそう思った。

 

「ふうっ……」

 

 息を吐いて脱力する実弥の叩き出した記録は――

 

「れ、0().()0()7()()……っ!?」

 

 1の位と少数第1位。その両方に0が示され、小数点第2位でようやくそれ以外の数字が示された驚異的な数値。相澤の手にする端末に示されたそれを見た爆豪は、口をあんぐりと開けて絶句した。

 

「ンな記録、あり得ねェ……!何で、何で……俺より遥かに速えんだよ……!?何だよ、あのスピード!ふざけんなよ……!俺が首席のはず……!」

 

 自然と息が荒れ、瞳が揺れる。冷や汗を垂らす爆豪は、現実を受け入れられずにいた。確かに自身の成績を発表する際、雄英の校長が言っていたはずだ。「首席での合格おめでとう」と。

 

「……いい機会だ、お前ら全員に教えてやる。不死川のプライベートの為に敢えて言わなかったが、言った方が刺激を受けたお前らも死に物狂いでテストに励み、合理的だろう。彼奴の、不死川実弥の実技入試成績は……(ヴィラン)ポイントが190P、救助活動(レスキュー)ポイントが94Pで計284P」

 

「不死川は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。詳しくは言えないが、アイツの現段階の実力の高さと経歴が理由で入試の順位から除外し、別枠を設けて入学させたのさ」

 

 周りの生徒達を挑発するかのようにニヒルな笑みを浮かべた相澤によって暴露された真実は――

 

「俺の……4倍近く……?ふざけんな……!ふざけんなよ……!何だってんだ……あの傷顔……!」

 

 爆豪の肥大化したプライドを粉々に打ち砕いた……。



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第十三話 出来ることと限界を知る(後編)

「と、特別枠て……。しかも、点数は首席の爆豪の4倍近くじゃねえか!」

 

「はは……そんなに強けりゃ、入試の時に木刀振りまくって斬撃の余波で風を起こしてたのも納得いくぜ……」

 

 相澤の暴露した真実。それは、多くの生徒達に驚愕を(もたら)した。素直に感心した者もいれば、改めて畏敬の念を抱いた者もいる。中には、あんな凄い奴と肩を並べなくてはならないのかと自信をなくしかけたり、プレッシャーを感じる者もいた。

 

 だが……中には、いい刺激を受けている者もいる。

 

(雄英史上初の特別枠合格……。同い年の方だというのに、ここまで凄い方がいらっしゃるなんて。世間が狭いとはよく言われますが、まさにその通りですわ)

 

 推薦入試の枠の一つを勝ち取って入学を果たした八百万は、自身がまだまだ未熟であることを知って唇を噛み締めた。それと同時に世間の狭さを知り、自身を大きく凌ぐ実力者の実弥を強く尊敬した。

 

(吹き(すさ)ぶ風みてえなあの音……。あれは恐らく、不死川の呼吸音だ。あの一瞬にアイツが放った覇気は、親父以上のもんだった。……確実に強え。不死川が1番厚い壁だ。親父を見返す為に右の力だけでトップを目指す俺の前に立ち塞がる、厚い壁。……絶対に負けねえ……!)

 

 同じく推薦入試の枠を勝ち取った者の1人で、右側が白、左側が赤のショートヘアーとオッドアイが特徴的な少年、轟焦凍は遥か先を憎むような目で実弥をじっと見つめる。将来、必ずや超えなくてはならない壁だと確信し、心の中に宿る憎しみの炎を激しく燃え盛らせた。

 

 同時に、圧倒的な記録を叩き出した実弥に抱きついたエリが、慈母のような微笑みを浮かべた彼に可愛がられているのを何故か羨ましく思ってしまった。

 

(オールマイトが言っていた特別枠を勝ち取った少年って、不死川君だったのか……!聞いた話じゃ、一度拳を交えた機会があって、背後を取られて翻弄されたって……。あんな凄い人を、僕は超えなくちゃいけないのか……!?)

 

 緑谷は、凄まじいプレッシャーに押し潰されそうになっていた。()()()()()()()()()()()、衰えつつある平和の象徴に認められ、死に物狂いで器を作り上げて彼の特別な''個性''を受け継ぎ、やっとの思いで雄英に合格した。未来の平和の象徴としての一歩を踏み出した。

 

 まだまだ未熟な自分が、いずれはオールマイトとも渡り合った実弥を、彼の後継者として超えなくてはならない。

 

 そんなことが自分に出来るのかと漠然とした不安な気持ちが心を支配する。

 

(それでも……やるしかないんだ!僕はオールマイトに認められたんだ。夢を応援してくれる人がいるんだ!だから、がむしゃらに頑張るしかないんだ!不死川君からも色んなものを学んで……!)

 

 だが、彼は立ち上がる。夢の実現の為に。自分に期待してくれている師に応える為に。その緑色の瞳に、オールマイトのように笑顔で困っている人を救けるヒーローになるという固い決意を宿して。

 

「爆豪。俺が思うに、お前は敗北と世界の広さを知るべきだ。お前より上の奴なんざプロを含めてごまんといる。いつまでも下ばかり見て優越感に浸ってないで、たまには上を見ろ。同じようなことを何度も言うのは非合理的だ。お前のこれからに期待させてもらう」

 

 相澤は、俯いたままで歯を食いしばっている爆豪の背中を軽く叩きながら、生徒達に早く次の競技に移れと指示を出すと歩みを進めた。

 

「…………クソッ……」

 

 爆豪は、悔しさを噛み締めながら一言だけ呟き、無性な苛立ちを堪えきれないまま、ズカズカと一足遅れて次の競技を行う場所へと向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだまだ個性把握テストは続く。とんでもないものを目にしたが、50m走は第一種目なのだ。競技を行う上で純粋な身体能力を必要とする種目はこれ一つに留まらない。実弥の"個性"は身体能力を大幅に跳ね上げる類のものだと予想している生徒達は、気が遠くなった。これからまだまだあんな超人的な記録を見なければならないのかと。正直、50m走の1秒を切る記録の時点でお腹いっぱいになっていた。

 

 彼らの予想通り、実弥は続々と超人的な記録を叩き出していく。

 

 続く第二種目の握力では、数mはある大岩を一町先――現代の単位に直せば109m先だ――まで押して運べる程の怪力を発揮出来る反復動作を使用すると共に、50m走で利用した空気の集め方と爆発のさせ方を腕に応用した。そうして叩き出した記録は、272kg。

 

 腕を複製して540kgというゴリラ並みの握力を叩き出した、銀髪リーゼントに鋭い三白眼と常にマスクで覆い隠された口元が特徴的な障子目蔵。それと、自身の脂質から凡ゆる無生物を創れる"創造"で万力を創り出した八百万が叩き出した、それを上回る記録には及ばなかったが、全生徒の中で上位に位置する記録には変わりない。

 

 当然、実弥は多くの生徒達に囲まれて「凄い」やら、「お前どうなってんだ」やら、「一体どんな特訓をしたらそうなるんだ」やら、「"個性"のこと教えて」やら、様々なことを尋ねられ――一部、「イケメンのくせに強いとかずりいぞ!」やら、「スケベすぎるよ!」だとかテストとは全く関係ない声があったが――その対応に追われた。その度に、合理性を重視する相澤から「後にしろ」と注意を受けたのは言うまでもない。

 

 更に、第三種目の立ち幅跳びでは獣のような荒々しい動きを可能とする柔軟性を存分に発揮して玖ノ型、韋駄天台風の要領で跳躍し、9m78cmを叩き出した。

 

 そして、第四種目の反復横跳びでは残像を残す程の高速移動で199回を記録。実弥と同じ試験会場にいた小柄な葡萄頭の少年、峰田実はこの競技に自信があったらしく、他人や物にくっつき、自分に対してはくっつくことなくブヨブヨと跳ねる特殊な性質の髪の毛を利用し、他の生徒達を凌ぐ高速移動を見せつけたが……3桁に到達したと言えども実弥には及ばず。見事に膝から崩れ落ちた。

 

 実弥自身、ここまで満足のいく記録を叩き出すことが出来ていた。だが、彼は別の事に意識を向けていた。

 

 緑谷のことだ。何しろ、彼はここまで"個性"を使う素振りを一切見せることなく、常に青ざめた顔をしている。最初は入試の時のように緊張して力を出し切れないのかと思ったが、そうは思えない。

 

 ならば、テストの種目に"個性"が合わないのかとも考えたが、絶対に違う。仮にそうだとしても、彼の場合は明らかに()()()()()なのだ。

 実弥は、握力の計測を終えてから多くの生徒に囲まれた際、軽く自己紹介をされて、周りに集まっていた生徒達の"個性"に関しては大雑把ながらも全員分把握している。話を聞く限り、明らかにテストに()いて適さない、若しくは活かしきれない"個性"を持つ者は多くいるようだった。"帯電"の上鳴や、"硬化"の切島、"シュガードープ"の砂藤、"テープ"の瀬呂……。彼らに限った話ではなく、そういった者はまだまだいる。

 

 除籍宣告を下されて気負わない者などいないはずがない。だが、彼らとて今は吹っ切れ、不安は拭いきれなくともやる気満々な顔つきで目の前の競技に全力で取り組んでいる。そのはずなのに……緑谷ただ1人が常に青ざめた顔。そういう風に考えるには、態度が異質なのだ。

 

(緑谷……。お前、なんかあるな……?)

 

 只事ではない悩みを抱えているのは、目に見えて分かることだった。

 

 彼を気にかけ始め、転機が訪れたのは……続く第五種目、ソフトボール投げを行っていた時のことだ。

 

 

 

 

 

 

 "無重力(ゼログラビティ)"でソフトボールを浮かし、それを宇宙の彼方まで投げ飛ばしたことで∞の記録を叩き出した麗日に続き、実弥はクラスメイト達に強烈なインパクトを残した。

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

 現段階での最高の精度で呼吸を行い、肺にありったけの酸素を取り込む。そして、体全体を連動させながら、プロ野球選手顔負けの投球フォームを披露し――

 

「オラァッ!!!!!」

 

 不良と思われても仕方のない掛け声と共に、球威に追い風を乗せて全力で投擲。

 

 そうして叩き出した数値は――3000m。初のkmに換算出来る記録にクラスメイト達は湧き上がった。

 

 彼の記録に触発されたかのように、他のクラスメイト達もやる気満々に競技に挑み、次々と計測が進んでいく。

 

 そして、とうとう実弥が気にかけていた緑谷の番が回ってきた。

 

(……後がねェから、ここで決める気らしいな)

 

 緑谷の決意したような表情を見た実弥は考える。残る競技は上体起こし、長座体前屈、持久走。彼を見守り始めてから、実弥は彼の"個性"に関して仮説を立てた。

 

 もしも、彼の"個性"が一撃必殺のタイプ――言わば、一度使ったら何らかの要因でしばらくは使えないタイプの"個性"だとしたら、ここまでの振る舞いに物凄く納得がいく。"個性"の調整が出来ない、とてつもない反動がある……。()()()()()()というのは、いくつも考えつくが――

 

(もしそうだとしたら、"個性"の練度が低すぎるぜ)

 

 あくまで実弥の独断と偏見だが、15歳になれば、ヒーローを志望する子供達は大抵自分の思う通りに"個性"を扱えるし、デメリットも自分が最低限困らないレベルに抑え込めているものだ。

 

 その例に当てはまらないのが、"個性"を持て余した輩か、"個性"が発現したての幼児。そよ風園で子供達の世話をしていた上、(ヴィラン)との戦闘漬けの日々を送っていた故に実弥は両方の事例を見てきた。

 

 一番身近な例は、エリ。彼女が初めてそよ風園にやってきた日、彼女の祖父から"個性"を制御出来ずに誤って父親を消してしまったという話を聞いた。その日以来、相澤の協力を得ながら個性使用訓練所に通い詰め、今では上手く"個性"を扱えるようになった。

 

 事実、実弥が(ヴィラン)との戦闘漬けの日々を送る中で出来た負傷を彼女自身が治したいと望み、治してもらった経験もある。

 

 閑話休題。その仮説通りだとすると、緑谷はまさに"個性"を得たばかり及び、扱いきれていない幼児の状態にある。

 

(……仮説通りだとしてだ。何がどうなりゃ、そこまで練度が低くなる?)

 

 ソフトボールを手にし、それを強く握りながら力強い足取りで円に向かう緑谷の背中を見つつ、実弥は依然考え込んでいた。

 

「地味目の人、大丈夫かな……?」

 

「……緑谷君、このままではまずいぞ。何故、彼は"個性"を使わないんだ?」

 

 緑谷と知り合いらしい飯田と麗日の彼を心配する声に、実弥は思考を中断する。

 

 飯田の疑問に爆豪が嘲笑するように声を上げた。

 

「ハッ、たりめーだろうが。つか、使わねえんじゃなくて、使えねえんだよ。()()()の雑魚だぞ?」

 

 その言葉に、飯田、麗日、実弥の3人が同時に彼の方に顔を向けた。

 

 「こいつら揃いも揃って何なんだ」と言いたげの顔をした彼に対し、飯田がそんなことあり得ないとばかりに反論する。

 

「君、彼が何をしたのか知らないのか!?俺は間違いなく見たぞ、彼が()()()()()0()P()()()()()()()()()!」

 

「は?」

 

 ポカンと口を半開きにする爆豪。飯田の言葉の信憑性を高めんとしてか、麗日もパンチを繰り出すように右腕をぶんぶんと振りながら言う。

 

「本当だよ!私も目の前で見たもん!あれは夢なんかじゃない!」

 

「待てや……。何言ってんだ、テメェら……!?デクは無個性のはず!あり得ねえ!」

 

 麗日の言葉を聞いた爆豪が明らかに取り乱しながら、ブツブツと呟いている。

 

「……飯田ァ、詳しく聞かせろォ」

 

 そんな彼が立ち直ってギャーギャーと騒ぎ出し、飯田に暴力を振るうことのないようにと、彼と飯田との間に立ちながら実弥は尋ねた。

 

 飯田から聞いた話はこうだ。

 

 入試の時、ただでさえオドオドとしていた出久は、ビルを押し潰しながら現れた0Pを見て腰を抜かした。入試の説明会の時に彼に恥をかかせたこともあって失敗を取り返さなければと必死になった飯田は、()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う。

 彼を連れて逃走を試みた飯田であったが、突如痛みを訴える少女の声が耳に入った。その声の方に視線を向ければ、ビルが崩れて落下した瓦礫に足を挟まれ、動けない状態の麗日の姿があったのだとか。

 

 飯田は、再び迷った。彼女と出久の両方を救ける為にはどうすべきか。こんな時に兄ならどうするか、と。

 

 その時――出久は、恐怖を拭い去って迷いなく飛び出した。0Pの襲来する方向へと一直線に走り、3階建てのビルを遥かに凌ぐ大きさの0Pの頭部に位置する高さまで()()()

 

 そして、その右腕を振り抜き、凄まじい風圧を放ちながら0Pを粉砕したとのことだった。

 

「――彼の"個性"のことは、詳しくは知らない。ただ、0Pを破壊した後の彼の右腕は赤く腫れ上がって明らかに折れていた」

 

「着地も出来ひん様子だったから、多分両足も折れとったんとちゃうかな……?」

 

 そう話を締め括った2人。それを経て、実弥の結論が決まった。

 

「一回使えば体がボロボロ……。だから、使いたくても使えねェってことだなァ」

 

 呟く実弥に飯田は同意する。

 

「ああ。恐らく、彼の"個性"も身体能力を大幅に増強させるもの。その特性と残った競技から考えて……ここでやらなければ、緑谷君に後はない……!」

 

「そ、そんな……」

 

 麗日が酷くショックを受けた顔をしている。彼女には申し訳ないが、実弥も全く同じ意見だった。自身の仮説通りとなると、相澤をよく知る実弥は除籍候補を絞ることが出来てしまう。

 

(緑谷、1番の除籍候補はお前だぞ。どうする……?)

 

 入試前にあれだけビクついていながら、ピンチの人を見るや否や、自身の体を顧みずに飛び出す胆力のある緑谷がここで終わるとは思えない。手にしたソフトボールをじっと見つめ、覚悟を決めた顔つきになった緑谷を見守っていると……自身に対して手招きをする相澤の姿が目に入った。

 

 相澤の意図を察し、実弥は駆け足で彼の元に向かう。

 

「不死川、エリちゃんを頼む」

 

「分かりました」

 

 相澤に代わり、エリを抱えながらチラッと緑谷を見ると……腕を振りかぶっていた。腕に血管のような赤い光の筋が迸り、熱を持ったように淡い光を帯びる。その瞬間、辺りの空気感が変わった気がした。あれは、彼の肉体に見合わない凄絶すぎる力だ。

 

 そりゃあ腕も壊れるな、と実弥は納得した。相澤の側で顔の青ざめた緑谷を見ていた故か、エリも彼をとても心配そうに見つめている。

 

 そして、彼が腕を振り抜きかけた瞬間――相澤の髪が逆立った。

 

「え……」

 

 "個性"を発動したはずなのに、並の記録しか出なかった。そのことに緑谷は絶句している。

 

「……つくづく、あの入試は合理性に欠くよ。お前のような奴まで入学出来てしまう」

 

 忌々しげに呟いた相澤は、首に巻きつけた捕縛布を手にして緑谷を自身の近くに引き寄せ、「また行動不能になって誰かに救けてもらうつもりだったのか」と問う。「そんなつもりはなかった」と弁明する緑谷だが、「周りはそうせざるを得なくなる」と相澤はそれを一蹴した。

 

 緑谷にズバズバと厳しい言葉を投げかける相澤を見る実弥も、彼と同じようなことを思っていた。

 

 自己を犠牲に他の誰かを救ける。聞こえは良いが、そうするには自身が無事でなくてはならないという前提がある。自分の身も守らなくてはならないのだ。

 

 誰かを守る者は、常に誰かに安心を与える存在でなくてはならないというもの。ヒーローに限った話ではない。子を守ろうとする親も同じだ。

 

 自分の子を守る為に自分を犠牲にし、子に弱みを見せまいと強く振る舞う。しかし、その実は疲弊してとても辛い。無理をして笑う親を見た子は、理解出来ないなりに漠然とした不安を覚えるものだ。ろくでなしの父親に暴力を振るわれながらも自分達を守ってくれていた母親を持った実弥だからこそ、痛感している。そんな母が見てられなくて、少しでも支えたいと思った。だから、幼いながらも実弥は母と共に弟達を守ろうと強く在った。

 

 多を救けるヒーローが、誰か1人の為に全てを犠牲にするのでは話にならない。ヒーローとは、常に()()()()()()でなければならないのだから。

 

(やめとけ、緑谷。お前には無理だ。……見てらんねェよ、自分の体をぶっ壊して誰かを救けて、泣かせちまうヒーローなんてよ。親御さんも泣くぞ)

 

 「お前の力じゃヒーローになれないよ」と相澤が宣言したと同時に、ほぼ同じことを思った。

 

 ――重なってしまった。鬼を喰べてでも自分に会う為に戦おうとした玄弥と、体を壊してでも憧れに追いつこうとする緑谷。命を失ってでも兄である自分を守りたかったと言って若い命を散らした玄弥と、誰か1人を救けて命を散らしかねない緑谷。

 

 共にA組の教室に向かう途中、「オールマイトみたいに沢山の困っている人を笑顔で救けられるヒーローになりたいんだ」と言った出久の眩しくもあどけない笑顔が思い浮かぶ。

 

 あの時は「頑張れよォ」と優しく頭を撫でてやったが、赤の他人のはずの緑谷が玄弥と重なり過ぎてしまった今は、その夢を素直に応援してやれそうもない。

 

(ごめんな、緑谷)

 

 そんな自分があまりにも情けなく、悲しげな笑顔を浮かべながら実弥は内心で謝罪の言葉を溢した。

 

「お兄ちゃん……」

 

 そんな心情を察しているのか、はたまた悲しそうな実弥を見たくないのか、エリは心苦しそうに実弥を見つめていた。

 

 相澤の手から解放された緑谷が、2回目のボール投げに入る。その表情を見て、実弥が思わず呟いた。

 

「……()()()()……!」

 

 漠然とした予感。玉砕してでも夢を追い続ける覚悟ではなく、木偶の坊の自分なりに最小限且つ最大限に今出来ることをやり抜く覚悟。それに満ちた表情だった。

 

 そして緑谷は――

 

「SMAAAAASHッ!!!!!」

 

 オールマイトを彷彿とさせる猛き叫びと共に、力を一点集中させた人差し指でボールを押し出した。

 

 凄まじい風圧の余波が辺り一帯に押し寄せる。彼は、この一投で705.3mという初のヒーローらしい記録を叩き出すことが出来た。

 

「相澤先生っ……!まだ、やれます……!」

 

 腫れ上がった人差し指の痛みを堪えるように唇を噛み締めながらも……緑谷は笑った。

 

 その姿が、どんなピンチの時でも笑顔を絶やさないオールマイトと必然的に重なった。

 

「この土壇場で犠牲を最小限にしやがったァ……!しかも……なんて野郎だ、こんな時に笑ってやがるぜェ……!やるじゃねェか、緑谷ァ!」

 

 土壇場で自身の予想を覆した緑谷に感心し、思わず笑みが溢れる。

 

 その判断を見込んだのは相澤も同じらしく、実弥と相澤が笑みを浮かべたのはほぼ同時のことだった。

 

「……ふふっ」

 

 そんな2人を交互に見ながら、その息ぴったりさにエリがクスッと笑ったのも同時だった。

 

 だが、直後に緑谷の腫れ上がった人差し指を見て、エリは心を痛めた。

 

(緑谷さんを救ける為に私の"個性"を使いたい)

 

 そして、強くそう思った。

 

「お兄ちゃん」

 

「……行ってこい」

 

 「お兄ちゃん」とたった一言呼んだだけで、意図を察して降ろしてくれた実弥に感謝し、「いたたっ……」と呟きながら庇うように人差し指を覆う緑谷に駆け寄った。

 

「エ、エリちゃん?」

 

 流石に小さい子を心配させる訳にもいかないと思ってか、彼は無理をして笑顔を浮かべるが……そうやって無理をして抱え込む兄を持つエリには通用しない。全てお見通しだった。

 

「無理しないで。手、見せてください」

 

「う、うん」

 

 姉であるかのように毅然とした態度のエリを見た緑谷は、観念したようにしゃがんで腫れ上がった人差し指を見せた。

 

「……じっとしててくださいね」

 

 エリがそっと腫れ上がった部分に触れると、角が淡く黄色い光を纏って発光すると共に、同じような光が優しく緑谷の腫れ上がった指を包み込む。

 

(……!優しくて、暖かい……)

 

 慈愛の女神の御光のような暖かさと優しさを感じると同時に、緑谷の指の状態が通常の状態へと巻き戻っていく。それを確認すると、エリは"巻き戻し"を解除してから、彼の手を優しく、優しく撫でた。

 

「け、怪我が治った!?」

 

「私の"個性"。"巻き戻し"って言うんです」

 

 怪我一つない指を見て驚く緑谷。そんな彼を見て安心したように微笑みつつも、エリはもう一度彼の手に自身の小さな手を添えた。

 

「……もう怪我しちゃ嫌ですよ?緑谷さん。お兄ちゃんも心配しますから」

 

「……!うん……ごめんね、エリちゃん。それと、ありがとう。これから怪我をすることがないように頑張るよ」

 

「約束です」

 

 笑顔で指切りを交わす2人を見て、辺りはが暖かい雰囲気になる。実弥も頬を緩ませていたが……。

 

「どういうことだコラァ!訳を言えェ、デク!テメェ、俺を騙してやがったのか!?」

 

「か、かっちゃんっ!?」

 

 爆豪の怒号が暖かい雰囲気を引き裂いた。掌から爆発を起こして断続的な爆発音を響かせながら、目を吊り上げて般若のような顔で緑谷に迫る。

 

 緑谷がびくつきながらも咄嗟にエリを庇うように立ち、相澤が捕縛布に手をかけたが、彼らよりも疾く実弥が立ち塞がった。

 

「いい加減にしろォ、クソガキィ」

 

「ッ!?」

 

 爆豪の手を掴んで、手の甲を体の方へと向けさせる。そして、親指を下にした状態のままそれを外側に捻った。すると――

 

「っ、があ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"っ!?」

 

 爆豪が、聞いている方も痛々しくなる程の苦痛に満ちた叫びを上げた。そのまま手首を押さえ、膝から地面に崩れ落ちる。

 

「テ、テメェッ……!何しやがったっ……!?」

 

 捻られた手から腕全体に伝わる猛烈な痛みと痺れに悶えながら、爆豪は実弥を鋭く睨みつけた。彼の前にしゃがみ込みながら、実弥は語る。

 

「逮捕術って知ってるかァ?被疑者や現行犯を制圧、逮捕、及び拘束する為のれっきとした技術だァ。俺がテメェにかけたのはそのうちの一つ、二カ条って技だぜェ」

 

 人間は、体の可動域に限界がある生き物。手や腕を外側に捻るとしてもそれが出来る限界があり、それ以上は体を壊してしまう。それを防ぐ為に、人間の体は痛みを訴えて警告するように出来ている。大して力が入っていなくとも、体の構造上故に痛みで立てなくなる。

 

 その痛みを利用して相手を制する。実弥がかけたのはそういう技だ。

 

「人が懸命に出した結果にグチグチ言ってんじゃねェ。いちいち(うるせ)ェんだよォ。はっきり言っておくぜェ。俺ァ、テメェの腕や手の骨を簡単に折れる。腕や手ェ諸共、自慢の"個性"が使い物にならなくなるのが嫌なら……大人しくしとけェ。相澤先生に迷惑かけんな」

 

 実弥はそのままエリを抱えると、緑谷と彼の身を案じて駆け寄ってきた麗日を連れて次の競技へと向かっていく。

 

 相澤がどうしてお前は懲りないんだとばかりにため息を()いていたが、爆豪の耳には入らなかった。

 再び実弥に一蹴されたことよりも、何とも言えない焦燥感と緑谷への怒りが彼を支配していたのだった。

 

「クソっ……!何なんだよ、クソデク……!テメェは、テメェは……!俺の後ろをついてくるだけの路端に転がる石っころだったろうが……!」

 

 常に格下だと見下していた相手に記録で敗北した事実は、爆豪の肥大化したプライドを更にズタズタにしてしまう。

 

 どうしようもなく悔しくて、地面に(うずくま)って拳を叩きつけながら、涙が溢れかけるのを堪えて歯を食いしばる。今の彼に出来るのはそれだけだ。



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第十四話 お話しようよ、不死川君

2021年9月16日(am8:02時点)
皆様のご愛読のおかげでランキング8位入りしておりました!ありがとうございます!

それと、今更ではありますが……「疾きこと風の如く」が私の執筆する作品の中で初めてのお気に入りが1000を超えた作品となりました。皆様、ありがとうございます!これからも皆様に楽しんでいただけるように頑張って参りますのでよろしくお願いします。


「た、助かったんだ……」

 

 未だバクバクとなり続ける心臓の鼓動を感じつつ、緑谷が冷や汗を流しながら呟く。

 

 先程、個性把握テストは終わりを告げたばかりだ。当然のことながら、実弥は他を凌駕する記録を叩き出した。

 上体起こしでは、純粋な身体能力によって驚異的な回数を叩き出し、長座体前屈では身体能力を発揮出来なかったとは言えど、獣のような荒々しい動きを可能とする柔軟性を発揮。生身で平均以上の記録を叩き出した。そして、最終種目の持久走では周りに迷惑がかからないようにある程度加減していたとは言えど、決して速度が衰えぬ驚異的なスタミナと、ギアを最大まで引き上げた飯田、創造したバイクに乗っていた八百万ですら追いつけない速度を披露し、1位でゴールした。

 

 状況に応じて様々な道具を創り出せる八百万も、度々常人では決して出せない記録を叩き出すことでインパクトを残していたものの……純粋な身体能力を発揮する競技では、どうしても実弥に劣る。その影響でテストの順位は実弥が1位を勝ち取り、2位の八百万に続いて3位に轟、4位に爆豪……。と言った具合の結果となった。

 

 肝心の緑谷の順位は最下位。それも仕方のないことだった。オールマイトから引き継いだ"ワン・フォー・オール"を一度使えば、腕や足が簡単に骨折してしまう。痛みは人間の集中を削いでしまうものだし、何よりエリとの約束があった。だから、生身の身体能力で勝負する他なかった。

 ……だが、彼はいかんせん歩み始めるのが遅すぎた。入試までの10ヶ月の間で以前の彼の面影が無くなるくらいに体を鍛えたり、体力をつけることが出来たが、幼い頃からヒーローを志して努力を積み重ねてきた者達には劣ってしまう。驚異的な記録を叩き出せたのもソフトボール投げたった一つだけ。予感はしていたが、最下位を抜け出すことは出来なかった。

 

 ここで除籍になってしまうのかと師や母への申し訳なさでいっぱいになった緑谷だったが、彼が除籍されることはなかった。相澤が、除籍宣告を生徒達の全力を引き出す為の合理的虚偽として撤回したからだ。

 

 あまりにも心臓に悪すぎる。緑谷と既に仲良さげな麗日は口をあんぐりと開けたし、同じく仲良さげな飯田は叫ぶと同時に眼鏡のグラスを粉々に割っていた。そして、当の本人はどこぞの名画のような作風の顔付きで叫びを上げていた。

 

 八百万ただ1人が、「あんなの嘘に決まっているじゃない」と呆れていたが……それは断じて否。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 決め手は、ソフトボール投げ。土壇場で人差し指一点に力を集中させ、犠牲を最小限にした緑谷の行動が彼の気を変化させた。除籍宣告が本気のものであったことを知っていた、及び察していたのは相澤自身と実弥に、エリのたった3人だけ。実弥は、相澤消太という人物をよく知っている故に。エリは、その純粋さ故に真実を察していた。

 

 無論、そのことを他のクラスメート達が知る由はない。

 

 こうして、緑谷は辛くも除籍を免れたこれからも雄英で学べるんだという安心感と、どん底からのスタート故にまだまだ頑張らなければいけないという強い使命感で拳を握りしめていた。

 

「緑谷、ちょっとこっち来い」

 

 そんな緑谷に相澤が手招きする。最終的には怪我をしてテストを乗り越えたことに注意を受けるのだろうかなどと考えながら、側に歩み寄る。

 

 相澤はしゃがみ、緑谷と目線を合わせて話し始めた。

 

「緑谷。エリちゃんはな、お前もあのたった一回の行動で分かったろうが……とても優しい子だ。あの子は、お前の怪我を見て心を痛めた。自分の心を痛めようとも、お前を救けたいと心の底から願って"個性"を使った」

 

「……!」

 

 言葉が出なかった。結果的にエリの優しさに甘えることになってしまった。笑顔で人々を救けて人々を安心させるオールマイトに反して、自分は怪我をして幼い女の子を心配させてしまった。そんな自分が情けなくて仕方がない。

 

 緑谷は、俯き気味になりながら唇を噛み締めた。そんな彼の肩にポンと手を乗せながら相澤は続ける。

 

「ヒーローってのは、常に他人に安心を与えられなきゃ話にならん。自分1人を救ける為に大怪我されたらな、見てる方は辛いだけなんだよ。……オールマイトさんが、どうしてあれだけ沢山の人を笑顔に出来ると思う?理由は単純(シンプル)だ。強いからだよ。負け知らずで守るべき人達に傷一つすら見せない程にな」

 

「酷だが考えてみろ、オールマイトさんが負ける時や怪我をした時のことを」

 

 緑谷の脳裏に、オールマイトと初めて生で出会った時の話が(よぎ)る。

 

 骸骨のように痩せ細った体。白いTシャツの下から露わになった、無数の縫ったような跡の残る腹部。半壊した呼吸器官に、少し興奮しただけで血を吐いてしまう脆さ。

 

 ……初めて知った途端、不安になった。当たり前だ。あれだけ神のように全知全能で無敵だと思っていたオールマイトがただの人間でしかなく、脆く儚いのだと知ってしまったのだから。

 

 曇る彼の表情から、もしもを思い浮かべてそういう気持ちになったのだと察して、相澤は更に続けた。

 

「お前がそうなったようにな、見てる方は不安で辛くて仕方ないんだよ。俺だってそうだ。これまで、尊き自己犠牲とただの無謀や蛮勇を履き違えた者を見てきた。……俺やエリちゃんだけじゃないぞ、お前のご両親もそうなるはずだ」

 

 そして、肩に乗せていた手で軽く握り拳を作り、それを緑谷の胸部に軽くトンと当てた。

 

「だからこそ、お前は一刻も早く"個性"の制御が出来るようにならなくてはいけない。……もう二度と、お前の救けたいと思う人達にあんな顔をさせるんじゃないぞ」

 

「ッ、はい……!」

 

 力強く頷きながら返事を返す緑谷を見ると、相澤は満足そうに立ち上がり、スッとその場から立ち去っていく。

 

 その背中を見送りながら、緑谷は再び拳を握り、どん底から這い上がっていく覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周りを見れば、人、人、人……。A組の教室にて、実弥はクラスメイト全員の手によってあっという間に囲まれてしまっていた。――爆豪や轟を除く全員ではあるが――

 

 そして、現在は素朴なものから"個性"に至るまで質問責めにされているところである。

 

 とうとう痺れを切らした実弥は、半ばヤケクソの状態で手を叩いてから切り出した。

 

「あー、分かった分かったァ!聖徳太子じゃねェんだからよォ、同時に質問されても一つ一つ聞き分けるなんて器用なこたァ出来っこねェだろうがァ。順番に一つずつ聞いてこい」

 

 実弥の言葉にクラスメイト達は納得した様子を見せる。最初に挙手したのは、"透明化"によって透明人間と化している影響で空中に浮かんだ状態の衣服がなんとも特徴的な葉隠透。

 

「最初は……葉隠か。まァ、気軽に来いよォ。特に差し支えのねェ質問にならはっきり答えるぜェ。場合によっちゃ濁すか答えねェから、そこは分かってくれェ」

 

 実弥に指名されると、まさしく元気いっぱいで天真爛漫だと言わんばかりの声色で話し始める。

 

「オッケー!それじゃあ……不死川君の自己紹介をしてほしいな!名前と"個性"。それと、無難に誕生日と、趣味とか好きな物!最後は……やっぱりヒーロー科だし、好きとか尊敬してるヒーロー!」

 

「成る程なァ、了解したぜェ」

 

 質問の内容にお見合いかとツッコミを入れたくなった実弥だったが、ぐっと堪えてエリを膝に乗せた状態のまま答える。

 

「不死川実弥だァ。初日から爆豪(クソガキ)の対処で何度も迷惑かけたが……よろしくなァ。こっちが妹のエリだ」

 

「エリです。お兄ちゃん共々よろしくお願いします」

 

 軽く頭を下げて挨拶をしたエリをよく出来ましたとばかりに、優しく撫でてやりながら続けた。

 

「んで、"個性"は"全集中の呼吸"。詳細は後から改めて聞けェ。長くなるからそっちで答えてやる。誕生日は11月29日。趣味はカブトムシを育てること。好きな物はおはぎ。特にこの人だって限定はしねェが、ともかく真っ当にヒーローやって、見知らぬ他人の為に命を賭けられるヒーローってのは全員好きだなァ。強いて限定するんなら、オールマイトになんのかねェ」

 

 「あの人のように、未来を生きる子供達の人生を守れる男になりてェんだ」と語りながら話を締め括ると、「おお……!」という感嘆の声と共に拍手が沸き起こった。

 

 激怒してばかりの一面を見せられたクラスメイト達ではあったが、実弥の印象を「不良のような怖い人」から、既に「見た目にそぐわず、真面目で(主に身内や子供には)優しい人」に変えつつある。

 

 未来の子供達の人生を守る。何があってこういう考えに至ったのかは全く検討がつかないが、ともかくヒーローらしい理由なのは確か。

 目の前の男は、いつか必ず素晴らしいトップヒーローになる。早くもそんな予感がした。

 

 葉隠に続き、チャラそうな雰囲気と金髪が特徴的な上鳴電気が挙手をして尋ねた。

 

「じゃあさ、"個性"のこと教えてくれよ!その……"全集中の呼吸"ってやつのこと」

 

「おう、任せとけェ」

 

 "全集中の呼吸"は、実のことを言えば"個性"ではないのだが……改めて言っておくと、別世界の技術を技術だと説明したところで無駄だろうと感じた実弥は遅れて"個性"の発現が判明したということにして、詳細を色々とでっち上げているのだ。つまり、公的な書類上では、実弥は無個性ではないということになる。

 

「俺の"個性"は、ざっくり言ってしまえば常人より遥かに鍛えまくった心肺で行う特殊な呼吸法って奴だなァ。それで大量の酸素を取り込んで、血管や筋肉を強化・熱化させんのさァ」

 

「個性把握テストで見てた通り身体能力を大幅に上昇させたり、血管や筋肉を収縮させて傷口閉じて止血したり、心臓を一時的に強引に止めたり……万能じゃねェが、ある程度やれることはある。んで、俺の場合はこの呼吸を四六時中やってる。寝る時も含めてなァ。その技術のことは"常中"って呼んでるぜ」

 

 正直、心臓を止めることの利点がよく分からなかったクラスメイト達だったが、身体能力増加に飽き足らず、自分の傷を一時的に塞ぐことまで出来るとは、中々に応用性のある"個性"だと誰もが思った。

 

 ひょろひょろの体つきとセロハンテープのロールにそっくりな肘が特徴の瀬呂範太が考えるように腕を組みながら発言した。

 

「なんか説明聞く限り……"全集中の呼吸"ってのを四六時中やってる以上、それが不死川にとっての呼吸って感じだな」

 

「え、どゆこと?」

 

 このクラス内では比較的アホの部類になってしまう上鳴がポカンとしながら尋ねる。瀬呂はめんどくさがることなく説明した。

 

「要するに……俺ら生き物がさ、生きる為に普通の呼吸してんじゃん?その普通の呼吸が不死川にとっては"全集中の呼吸"になるってこと」

 

 掌にポンと拳を打ちつけて納得する素振りを見せた上鳴。その時、彼らの耳にブツブツと呟く声が届いた。

 

「成る程、身体能力を増加させる呼吸……!シンプルに強い!不死川君の無尽蔵と言ってもいいスタミナからしても、ぴったりの"個性"だ。しかも、身体能力の上がり幅は単なる増強系より遥かに上だし、オールマイト並みの圧倒的なもの……。不死川君の実力はどうなってるんだ?いや、そもそも"個性"の内容や瀬呂君の発言からしても、どちらかと言うとその本質は強靭な心肺の方が近い気が――」

 

 声の主は緑谷。幼い頃から繰り返してきたヒーロー分析によって身についた、頭の中でまとめきれないことを口に出す癖を発揮して実弥の"個性"の分析をしていたのだった。周りのクラスメイト達の多くは圧倒され、一部は引いている。後者は、彼から一歩距離を取っていた。

 

 ただ、実弥の場合は前世で個性的すぎる面子に慣れてしまっているので「緑谷は分析が得意なんだなァ」程度にしか思わず、彼の疑問に答える。

 

「強靭な心肺そのものが"個性"って解釈は正しいぜェ。ま、特殊な異形型みてェなもんだな。"全集中の呼吸"なんて言っちゃいるが、俺からすれば普通に呼吸してるだけだしなァ。因みに、身体能力の増加値については俺が心肺を鍛える程に上がる。こういう大層な名前にしてんのは、ナメられねェようにする為だァ」

 

 体を鍛えれば鍛える程に超回復を経て筋肉が付いていくのと同じく、"個性"も使用を重ねればいずれは強力なものに成長していく。その成長する対象が実弥の場合は自身の心肺だというだけである。

 

 それを経て、クラスの中でも飛び抜けた高身長の銀髪のリーゼントに鋭い三白眼と、口元を覆い隠したマスクが特徴の障子目蔵が挙手をして尋ねた。

 

「"個性"とはあまり関係のない質問かもしれないが……テストの時の動きを見る限り、不死川には既にランキング上位入りするプロヒーロー並みの実力があるように思える。お前がここまでどれだけの研鑽を積み上げてきたのか、個人的に興味があるんだ」

 

 特に特別なことをやった訳でもない実弥は数秒考えると微笑みを浮かべつつ、穏やかに答えた。

 

「障子ィ。正直……お前の期待してるような特別なことはしてねェぞォ。俺のやったことはシンプル。死ぬ程鍛えた、それだけだぜェ。とにかく体と体力作ってェ、木刀握って素振りしまくる。その繰り返しだァ。人間に出来るのは、たったそれだけのことだからなァ」

 

 そこから、心肺も同じようにして酸素の薄い所を走りまくり、刀を振りまくり、体を鍛えまくることで鍛え抜いたのだと付け加えた。

 

「俺の"個性"は特殊でなァ。自力で心肺を鍛えねェと発現しなかったんだよ。まあ……鍛えさえすりゃあ、誰でも心肺は強くなるもんだからなァ。それを常人じゃやらねェところまでとことんやり抜いた」

 

 「今じゃ、息一つ吹き込めば子供くらいのデカさの硬ェ瓢箪も破裂させられるんだぜェ」と懐かしむように笑う実弥を見て、彼は間違いなく血反吐を吐くような努力をしたのだろうと想像し、絶句した。

 

 結果的に"個性"が発現したとは言え、逆に言えばそれまでは無個性。自分に信念があるとは言えど、そんな状況下で極限まで鍛え抜くなど出来っこない。周りに批判されて、心がぽっきりと折れてしまう。それが結果だとそう思った。

 

 実力のみならず、精神力でも格が違うとその場の全員が思う。

 

 その時、緑谷が挙手をして尋ねた。

 

「し、不死川君。その……朝聞こうと思ってたんだけど、かっちゃんの件ですっかり聞くの忘れてて。もし言えないなら言わなくてもいいんだけどさ、エリちゃんが雄英にいるのってどうしてかなって思って」

 

 緑谷の疑問は皆の疑問だったらしく、誰もが内心で良くやったと彼を褒めた。

 

 尋ねられた実弥は、エリを優しく撫でながら考える素振りを見せる。慎重に話さなければならない話題故に結論を出すまで数秒かかっていた。

 

 その後、再び実弥が口を開く。

 

「明言は出来ねェから多少濁すが……エリは諸々事情があってなァ。プロヒーローの目につく所で守ってやる他ねェのさ。だから、こうやって教室まで連れてきてやってんだァ」

 

 その事情というのは、察そうにも全く察しがつかない。ただ、実弥のエリに対する素振り一つ一つから、彼女を理不尽から守り抜くという意志を感じ取れる。

 

 将来ヒーローになる者として、自分達も少女の未来を守れるようになりたい。自分達に出来ることをやって、大切な妹を全身全霊で守ろうとする実弥に力を貸したい。誰もがそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、様子見がてら教室にやってきた相澤に「程々にしておけよ」と釘を刺され、互いの連絡先を交換してから解散になった。

 

 エリと手を繋ぎ、誰一人除籍される者が出なかったことや、初日から自分の兄に沢山の友達が出来たことを喜ぶ彼女を微笑ましく見守りながら昇降口へ向かっていると――

 

「お、その白髪……!おーい!おーい!お前、入試の時の風の奴だよな!?」

 

「ちょっ、鉄哲!声大きいって!」

 

 背後から聞き覚えのある声が聞こえた。振り向いてみれば、実弥達に向けてぶんぶんと手を振る無造作な銀髪の少年とオレンジ色のサイドテールが特徴的な凛とした表情の少女の姿があった。

 

「おォ、入試の時の。2人揃って受かってたんだなァ。おめでとさん」

 

「おう、サンキュー!お前が落ちることはまずないと思ってたけどよ、いざ受かってるのが分かると嬉しいもんだな!」

 

「おかげさまでね」

 

 笑みを浮かべ、入試に挑んだ者達の中でも一層輝きを放たんとしていた彼らと握手を交わす。

 

 無造作な銀髪の金属少年は鉄哲徹鐡。そして、オレンジ色のサイドテールの凛とした少女は拳藤一佳と名乗った。

 

「鉄哲に拳藤だなァ。俺は不死川、不死川実弥だァ。クラスは別だが、よろしく頼むぜェ」

 

「おう、よろしく!」

 

「うん。……まあ、正直お前と別のクラスになっちゃったのは少し残念だけどな。色々と学びたいことあったし」

 

 苦笑しながら呟いた拳藤は、自分達をじっと見上げるエリと目線を合わせるようにしてしゃがみ、微笑みながら彼女に挨拶をする。

 

「こんにちは、お名前は?」

 

「こんにちは、拳藤さん。エリって言います。実弥お兄ちゃんがお世話になってます」

 

「あはは、まだ知り合ったばかりだし、そこまででもないけどね」

 

 ちゃんと挨拶も出来て可愛らしい子だなあと思いながらも、拳藤はふと疑問に思って尋ねる。鉄哲は、エリと実弥の顔を交互に何度も見比べていた。

 

「ところでさ……どうして、エリちゃんは雄英に?」

 

 実弥は、一瞬考えるように目線を上に移してから彼女の疑問に答えた。

 

「エリは俺の妹だァ。詳しく答える訳にもいかねェんだが……事情があってなァ。プロヒーローの目につく所で守ってやらねェといけないんだ」

 

「……そっか」

 

 事情と言うのは、敢えて聞かないことにした。妹とは言え、エリと実弥はあまりにも似ていない。恐らくは義理の妹なんだろうと拳藤は察した。そんな少女を連れ、プロヒーローに守ってもらわなければならない。余程、特別な事情があるはず。

 

 だが、馬鹿と自負しているだけあって空気を読むのは苦手らしく……鉄哲は思わず口にしてしまった。

 

「兄妹って訳か……。けど、似てねえんだな」

 

「こら、鉄哲!」

 

「いてっ!?」

 

 そこは突っ込んではいけない点だとばかりに、拳藤は軽く鉄哲を小突く。

 

「デリカシーってもんがないの……!?似てないってことはさ、ほら……!引き取ったとか、親の事情とか、明らかに特別な事情があるでしょ?」

 

「おお、それもそっか……。すまん、不死川!」

 

 ただし、その自負がある分、単純で素直らしい。拳藤の囁きに納得し、鉄哲は即座に頭を下げた。

 

「気にすんなァ、感じて当然のことだしなァ。悪気ねェのは分かるから心配ねェぞォ」

 

 実弥は、入試の時点で彼がどういった人物かを大方察していたので特に気にすることもなく、笑って彼を許した。

 

「……そうだ、不死川。俺はもう一つお前に謝らなきゃならないことがある」

 

「それを言ったら、私もだよ」

 

 顔を上げた鉄哲が突然、神妙な面持ちになる。拳藤もまた同じような表情になったかと思うと、2人同時に頭を下げた。

 

「「ごめん!」」

 

「……2人揃って急にどうしたァ?」

 

 正直、頭を下げて謝られるようなことを2人からされた覚えもなく、実弥は困惑気味に2人の顔を上げさせた。

 

 鉄哲は、己の罪を悔やむように強く拳を握り締めながら言った。

 

「いや、俺さ……不死川のこと、見た目で(ヴィラン)みてえなとんでもない性格してる奴だって決めつけてたんだ。こんな奴になんか絶対負けないってたかを括ってた。……その結果があのザマだ。0Pを怖がって腰抜かしてた奴らを見て、やっと動けた。逆に言えば、そうじゃきゃ俺は動けなかった!」

 

 拳藤も申し訳なさそうな顔で続ける。

 

「情けない話だけど、私も同じさ。これまで(ヴィラン)向けだって言われてきたお前の姿を見て、同じことを思ったよ。……お前に嫌味を言った輩と同じだったのが凄く悔しい。結局、不死川は私達の予想とは180度真反対の男で、あの場の誰よりもヒーローしてたよ。お前を見た目だけで疑った自分が恥ずかしくてさ」

 

 要するに、実弥の見た目を(ヴィラン)向けだと決めつけたことを謝りたかったということらしい。

 

 正直、見た目で勘違いをしたことをこうやって謝られた経験は多くない。だからこそ、余計に鉄哲と拳藤が綺麗な心の持ち主として実弥の目に映った。

 

「……そうかァ、そういうことかァ。まァ、そう思われるのは慣れてるからよォ、気にすんなァ。鉄哲も拳藤もあの試験で赤の他人の為に行動した。単に嫌味言ってきた彼奴らとは訳が(ちげ)ェのは分かってるぜェ。別に俺は気にしちゃいねェんだが、悔やんでるんならこれからの行動で取り返せばいいんじゃねェかァ?」

 

 ガシガシと頭を掻きむしった後、微笑みながら言う。そんな実弥を見た鉄哲と拳藤は、顔を見合わせながら安心したように笑った。

 

 ふと、疑問に思った実弥が尋ね返す。

 

「体育服着てるってことは……これから個性把握テストかァ?」

 

「おおっ、そうだった!これからなんだよ!グラウンドに集まるようにブラド先生に指示されてんだった!」

 

 鉄哲がハッとしながら、これからの用事を思い出す。そのまま彼はブンブンと手を振りながら実弥に別れを告げてグラウンドへと走り去っていった。

 

「わっ、鉄哲!?はあ、勢い凄すぎ……。因みにさ、A組が入学式にいなかったのは、そっちをすっぽかして個性把握テストやってた感じ……?口振りからして、既に受けたんだろうなあって思ってさ」

 

「ま、そういうことだなァ。初日から除籍宣告されてほとんどの奴らが慌ててよォ、全員が全員必死こいてたなァ」

 

「ええ……?お前の担任厳しすぎない……?」

 

 実弥が笑いながら放った一言に、拳藤は顔を引き()らせながら苦笑して呟く。

 

 ただ、「あの人なりの優しさって奴だぜェ、なあ?」とエリを撫でながら放った彼の一言を聞けば、酷いとは言えず。不死川が言うならその通りなんだろうな、と素直に思った。

 

「ま、ともかく……これからよろしくね。私もそろそろ行くよ。また明日ね、不死川。エリちゃんも」

 

「おう」

 

「またね、拳藤さん」

 

「あっと、ごめん。頼みたいことあったんだった」

 

 自分の靴箱に手をかけた拳藤がふと思い出したように振り返る。「何だァ?」と実弥が尋ねてみれば、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「あのさ、入試で私が抱えてた電気の奴……多分A組だろ?不死川さえよかったら、礼を言っといてくれない?救けてくれてありがとうってさ。それと……女子の前でアホ面晒したら、折角の男前が台無しだぞって」

 

「……おう、言っとくぜェ。そっくりそのままなァ」

 

 「ありがと。んじゃ、よろしく!」と言い残し、拳藤は鉄哲の背中を追って走り去る。「頑張れよォ」と激励してやりながら彼女の背中を見送った実弥は、込み上げてきた笑いを(こら)えきれずに失笑した。

 

「やれやれ、初日から黒歴史が出来たなァ。上鳴の奴はよォ」

 

 自分もあのアホ面は未だに脳裏に焼き付いているが、よりによって女子に覚えられてしまっているとは何という災難だろうか。せめて、その黒歴史を笑い話に変えてやろうかねェと実弥は内心でほくそ笑む。

 

「そんじゃあ……約束したし、林檎買いにいくか」

 

「!うん!」

 

 初日からキレまくるわ、担任から除籍宣告を下されるわとドタバタだったが、これから賑やかになりそうだと実弥は微笑み、エリと手を繋いで買い出しに出かけるのであった。



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第十五話 穏やかな学校生活

2022/11/3
タイトルを変更しました。


 雄英高校ヒーロー科。日本国内屈指のヒーロー養成校及び学科だが、ヒーローに関する勉強だけをしていればそれで良しな訳ではない。午前中は現代文や英語を始めとした、他の生徒達と同じような座学を行う。

 

 そもそもの偏差値がとても高く、屈指の最難関校とも言い換えられる雄英は普段の授業も難易度が高いと共に進行スピードが早い。授業の初日は中学校の時の復習程度のものではあったが、既に四苦八苦している者もいた。授業の内容自体は他の高校と特に変わりなく普通だが、強いて違いがあるとすれば……担当する教師が全員プロヒーローだという点だ。一部の者にとってはそれだけでも光栄なことらしく、やる気に満ちている者もいるようだ。

 

 勿論、実弥は真面目に授業を受けた。その頭の良さ故に初日から四苦八苦していた上鳴や芦戸に頼られたのは言うまでもないだろう。

 

 そして、午前中の授業を受け終え、昼休みを迎えた。雄英には大食堂があり、そこでクックヒーロー・ランチラッシュの調理した絶品の料理を安価でいただき、大人数で集まっての食事ができる。実弥とエリは雄英に度々足を運んでいたが故にもう馴染みの味だ。

 

 今回、エリを連れた実弥は蛙吹、峰田、上鳴。3人のクラスメイトに加え、鉄哲と拳藤を交えて食堂を訪れていた。

 

 こんこんと出汁の浮く汁の旨味が染み込んだ鮭大根を味わう実弥に、蛙吹が話しかける。

 

「不死川ちゃん。初日から色々あったから忘れちゃって、今更になってしまうのだけれど……入試の時は救けてくれて本当にありがとう。誰よりもヒーローらしかった貴方のおかげで私もやる気を貰えたわ」

 

「おう、いいってことよォ。当然のことやっただけだからなァ。大したことはやってねェぞォ」

 

「いいえ、人救けは立派なことよ。何より、入試って他人同士が蹴落とし合う場所なんだもの。そんな場で不死川ちゃんは私と峰田ちゃんを救けてくれた。これ以上ないくらいに素晴らしい話だと思うわ」

 

「立派なのは蛙吹もだろォ。情けねェ悲鳴上げて喚いてた峰田を守ってやってたんだから。あの場にいた奴らは、大抵が峰田を見捨てただろうよォ」

 

 入試の時に初めて会った相手の姿を思い出しつつ、互いが語る。互いが互いを認め合った上で成り立つ会話。2人が友人として良い関係を築いていけそうなのは誰から見ても明らかだった。

 

 そんな彼らを見つつ、峰田も弁明せんと声を上げ、説教から逃れんとする子供のように畳みかける。

 

「情けねえ悲鳴とか言うなよ!オイラ達、この前まで中学生だったんだぞ!?ロボとは言え、あんなに大量のロボに囲まれたら怖いに決まってんだろうが!お前と蛙吹の肝が据わりすぎてんだ!……とにかく不死川はオイラの命の恩人だよ、ありがとな!これできっとモテるに違いない……!希望に満ちたハーレム生活がオイラを待っている!」

 

「動機が不純なんだよ、テメェはァ。だから、ロボ相手にああなるんだァ。まァ……峰田の場合は泣き喚きながらもロボ共に立ち向かったし、幾分かマシかねェ」

 

「グサッときたけど、落として上げるのが上手いなお前ぇ……!オイラ頑張るぞ!けど……動機が不純だって言ったのは許さねえ!不死川、モテる奴には分からねえだろ!?モテたくて仕方ない奴の気持ちがよぉ!」

 

「はァ……。そうですかそうですかァ」

 

 「おいコラ、こっち向け!このイケメン畜生が!」と血走った目で爆豪並の怒りっぷりを見せる峰田を(ことごと)くスルーし、実弥は彼に呆れた視線を送る。このまま放っておくと鉄哲や拳藤達にも飛び火しかねないので、適当に聞き流した後に血走った目で睨みつけて黙らせておいた。

 

 実弥の中で、早くも峰田がエリの教育に悪い要注意人物として認定されてしまった瞬間だった。

 

「にしても、木刀振った余波で鎌鼬発生させるとか……まるでオールマイトだよなあ」

 

 冷や汗を流しながら縮こまった峰田に「ご愁傷様」と手を合わせながら、上鳴がコップいっぱいに注がれたコーラを口にしつつ呟く。

 

 彼の呟きを聞いた実弥は、目を見開きつつ意外そうに言った。

 

「アホ面の時もちゃんと意識あんのかァ。驚いたぜェ」

 

「ぐふっ!?酷くね!?俺のことをなんだと思ってるの、不死川ぁ!」

 

「チャラいアホ」

 

「酷え!?ちょっと!いくらなんでも悪印象すぎるだろ!?何が原因!?」

 

 槍が突き刺さったかのようなズキンとした痛みが生じた胸部を押さえつつ、上鳴がどこかしょぼんとした顔で捲し立てる。「こいつもかァ」と言わんばかりの呆れた表情の実弥を見つつ、拳藤が苦笑しながら言った。

 

「ごめん。正直ね、私も不死川と同じこと思ったよ。だって……上鳴さ、私が何回も声掛けたのにまともに受け答え出来てたかすら分かんないんだもん。不死川に伝言頼んでたから言われたと思うけど、女子の前でアホ面晒すのはやめなよ。折角カッコいいことしても全部台無しになるからさ」

 

 その一言がトドメになったのだろうか。上鳴は白目を剥いて「ぐふっ」と間抜けな声を上げながら、胸部を押さえたまま大袈裟に仰け反った後に1人膝から崩れ落ちた。

 

「ただでさえ、不死川に朝から言われて女子にアホ面見られたことに傷心してたのにっ……!それ以前に、女子にお姫様抱っこされたことで傷心してたのにっ……!!!本人から言われたらもっと傷つくぜ……。俺が一番分かってるんだ、そんなこと……!」

 

「ごめんて」

 

 周りの空気が淀む程に沈み込んだ上鳴の肩を、再び苦笑している拳藤が慰めるようにポンポンと優しく叩いてやる。

 

 そうされながら、「モテたいのに黒歴史晒すなんて最悪だ」と呟く上鳴。それを聞いた蛙吹がふんわりモチモチのパンを一口サイズに千切りながらズバッと切り込んだ。

 

「上鳴ちゃん。私、思ったことは何でも言っちゃうの。モテたいってあちこちに公言してる時点でモテないと思うわよ」

 

「ごふっ!?」

 

 そして……鉄哲の一言がオーバーキルになった。

 

「俺、馬鹿だからモテたい云々(うんぬん)とかよく分かんねーけどよ……。本当に好きな人見つけて、その人と誠実に向き合う熱いもんが恋愛ってやつなんじゃねえのか?毎日を必死に頑張って生きてりゃあさ、その頑張りを認めてくれる人が現れるだろ。多分!」

 

「ぐふぁぁぁっ!?」

 

 雰囲気同様にチャラく、これまで何度もナンパをやってきた上鳴だが……その結果は言うまでもなく失敗に終わっている。心の中では正論を理解していたのかもしれない。だからこそ、鉄哲や蛙吹の言葉は心に深く突き刺さってしまった。

 

「うわあああっ!峰田ぁ、慰めてくれぇ……!モテねえ男は辛えよぉ!」

 

「おお、同志よ……!オイラも分かるぞ……!やっぱり、オイラ達はいい友達になれそうだな……!」

 

「峰田ぁ……!」

 

 友達というのはとても心強い。心が砕け散っても、理解者である彼らが側で支えてくれるのなら再び立ち直れるというもの。それは、上鳴も例外ではない。峰田と上鳴……モテたい男同士の変な友情が確立された瞬間だった。

 

「……メンタル凄いね、上鳴。そんなんだからモテないんだよ、うん」

 

「鋼のメンタルって奴か!金属の体を持つ俺も見習わねえとな!」

 

 呆れ気味に顔を引き()らせる拳藤と、拳を握りしめるどこかズレた鉄哲。

 

 一方で、峰田と変な友情を確立させた上鳴も要注意人物として認定しつつ、実弥はため息混じりに鮭大根を平らげた。蛙吹も「懲りないわね、上鳴ちゃん」と呆れた声色で呟く。

 そして、実弥がふと左隣にちょこんと座るエリに視線を向けると……微笑ましそうに笑っていた。

 

「……どうしたァ?」

 

 微笑み返しながら尋ねると、エリはクスクスと笑いながら答える。

 

「ふふ……。実弥お兄ちゃんと蛙吹さん、似てるなあって思って。上鳴さんの悪いところをはっきり指摘しちゃう所」

 

 そう言われて顔を見合わせる実弥と蛙吹。確かにその通りだと同時に納得し、笑った。

 

「不死川ちゃん、立派なお兄さんなのね」

 

「まァ、エリも含めて10人以上の弟妹達の世話をしてきたからなァ。……俺が嫌われようが構わねェ。言いたいこと、言うべきことは心を鬼にして、はっきり言っておかねェとなァ。ズルズル引き()って拗らせちまう」

 

 遠くを見るように穏やかに呟く実弥。そんな彼の表情を見て、どこか悲しさを覚えつつも蛙吹は微笑んだ。

 

「そうね。……私にも弟と妹がいるの。弟が1人と妹が1人。子供は純粋よ。だからこそ、良いことと駄目なことの区別が付かない。少しでも良い人生を生きられる人間になってほしいから、言いたいことははっきりと言っちゃうわ。勿論、クラスの皆に対しても同じよ」

 

「そうかァ、蛙吹も立派な姉ちゃんだなァ。弟と妹は大事に愛してやるんだぞォ」

 

「ケロケロ、勿論よ。……やっぱり似てるのね、私達」

 

「そうだなァ」

 

 守らなければならない幼い家族を持つ同士、見守るべき家族がいる同士、通ずるところがある。

 

 自分達は良い友達になれそうだ。当の本人達が早くもそう思っていた。

 

「ところで不死川ちゃん。私のことは梅雨ちゃんと呼んで」

 

「つっ……!?」

 

「お友達にはそう呼んでほしいの」

 

「…………分かったぜェ。ただなァ……そういうのは慣れてねェから、心の準備が要るんだよなァ。ちょっと待っててくれねェかァ?」

 

「ケロケロ。自分のペースで良いのよ、不死川ちゃん。でも……心の準備なんて大袈裟なことをされちゃうと、少し恥ずかしくなっちゃうわね。好きな人に名前を呼ばれる時みたい」

 

「……すまねェ、そんなつもりはねェんだァ」

 

「良いのよ、分かってるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腹ごしらえと一時の休息を終え、午後の授業が始まる。普通の高校なら、午前の授業に引き続いて必修科目を始めとしたごく普通の授業を行うところだが……雄英のヒーロー科は違う。

 

 午後は誰もが楽しみにしている科目……ヒーロー基礎学の時間だ。ヒーローの素地を形成し、立派なプロヒーローになる為に一歩ずつ歩みを進めていけるよう、戦闘や救助を始めとして様々な訓練を行う時間。

 

 当然、ヒーローの卵であるA組の生徒達は期待を馳せて胸を躍らせている者がほとんどだった。授業の内容としても楽しみが大きいが……彼らが一番楽しみにしているのはやはり――

 

「わーたーしーがぁ!普通にドアから来たっ!!!」

 

 平和の象徴と謳われ、讃えられるNo.1ヒーロー、オールマイトからの教えを請うことが出来る点だ。ファン達の間で銀時代(シルバーエイジ)と呼ばれる、白いラインの入った赤いスーツと裏地が赤色の青いマントが特徴的な戦闘服(コスチューム)に身を包みながら、ルンルンと教壇に足を運ぶ彼の姿に誰もが目を輝かせていた。

 

(へぇ……。塚内さんや校長先生から聞いちゃいたが、本当にオールマイトさんが教師をやってんのな)

 

 実弥もまた、興味津々に教壇に立つオールマイトをじっと見つめる。オールマイトが教師となることは機密事項であったらしく、予め他言しないという条件の元で塚内や根津から彼が今年から教師として雄英に勤めることを聞いてはいた。だが、こうして目の前でオールマイトの姿を見られたことでそれが真実だったんだなと実感出来る。

 

 お馴染みの眩しい笑顔でヒーロー基礎学の概要をザッと説明するオールマイトを見守りつつも、実弥は塚内の言葉を思い出していた。

 

「オールマイトが教師とは言うけど……私は思うんだ。彼は、絶対教師には向いてないって。不死川君も見てたら分かるよ、多分」

 

 苦笑しながら繰り返す彼を見て、No.1ヒーローに教えを請えるだけで光栄な話なのだがと常々考えていたのを覚えている。

 

(どう向いてねェか……見せてもらいましょうか)

 

 長年の付き合いである親友の言葉だし、十中八九事実なのだろうが、自分の目で実際に確かめなければ分からないというもの。教師オールマイトが如何程のものか、お手並みを拝見させてもらうことにしよう。そう思いつつ、実弥はオールマイトの話に耳を傾ける。

 

「ということで、今日の訓練は……これ!戦闘訓練だ!」

 

「戦闘ッ……!」

 

「訓練……!?」

 

 ボディービルダーのように自身の筋骨隆々な肉体を見せつけるようなポーズを取りながらオールマイトが掲げたのは……BATTLEの文字が描かれたプラカード。

 

 それを見た誰かが(ヴィラン)さながらの不敵な笑みを浮かべて闘争心を燃やし、また誰かが緊張気味に息を呑んだ。

 

「そして、そいつに伴って……こちら!各々の個性届や要望に沿って誂えた戦闘服(コスチューム)だ!」

 

 続けて、オールマイトがいつの間にか手にしていたリモコンのスイッチを押した。すると……教室の壁が隆起し、彼の腕が伸びる先に生徒達の出席番号が刻まれたスーツケースを収納している棚が現れた。

 

 ヒーローと言えば、戦闘服(コスチューム)あってこその職業。己の"個性"を最大限に活かせるそれを纏って人々を救け、悪を退けるその姿が単純にかっこいいが故にヒーローに憧れる者は少なくない。誰もがそれを身に纏って活躍する自分を夢見ている。それは、A組の生徒達も例外ではない。

 

 自分が夢見た姿になれるのだと誰もが心を躍らせる中。実弥はただ1人、気を引き締めていた。それも(ヴィラン)との戦闘漬けの日々を送り、真のそれの非道さや恐ろしさを知るが故。訓練を訓練と思っている内は、その非道な所業に対応出来やしない。気を緩めることなく、引き締めたままで挑み、己を高める為に周りから凡ゆることを学び取る。

 

 ――全ては、エリや未来を生きる子供達の為に。

 

 自身の戦闘服(コスチューム)が収納されたケースを手に、生徒達は各々の思いを抱いて更衣室へと向かっていった。



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第十六話 懐かしき戦闘服(コスチューム)

2023/6/14
隊服の説明にちょっと間違いがあったので修正入れました。


「……要望通りだなァ。着心地も昔と殆ど変わらねェ」

 

 相澤にエリを預け、更衣室にやってきた実弥は早速自身の戦闘服(コスチューム)に身を包んでいた。

 

 一番下以外のボタンを全て開け放った状態の微かに緑がかった黒い襟詰。草履に襟詰と同じ色の足袋。そして、「今よりも疾く、誰かの元に風の如く駆けつける」という意味を込めて「颯」の一文字が背中一杯に刺繍された白い羽織。

 

 前世の鬼殺隊の隊服と全く同じ格好だった。そもそもの話、実弥にとってはこれが戦闘するに()いて最も相応しい格好だ。特別な繊維で出来ているが故に通気性が良く、濡れにくい上に燃えにくい。しかも、雑魚鬼の爪や牙如きでは隊服を裂くことさえ出来ない。耐久性の面でも十分過ぎる。だからこそ、これを選んだ。何より、この服装になることで安心してしまう自分がいる。

 

 その隊服に加えて、サポート会社の方に様々な要望を出しておいた。

 

 まずは、ヒーローであるが故に殺傷を行うことが出来ない為に用意した鉄刀。

 本来の刀で言えば刀身に当たるであろう部分を緑色に染め、波打ち渦を巻く風のような模様を刻みつけている。鍔は、八つの菱形を円形に組み込んだ風車の形状。鞘は、黒地に荒傷が入ったようなもの。前世で扱っていた日輪刀と大差ない見た目に仕上がっていた。

 かつて「惡鬼滅殺」と刻まれていた部分には、「悪者撃滅」の四文字が刻まれている。人々の未来を脅かす(ヴィラン)を二度と悪さをする気が起きない程に打ち滅ぼす。そして、未来を生きる者達に幸せを(もたら)す。そんな願いを込めて。

 因みに、風の呼吸の特徴である苛烈な連撃を十分に発揮する為に、硬い上に軽いアルミニウム合金を素材としている。

 

 加え、鉄刀だけでは心許ない為に全長が自身の背丈程もある、持ち手の部分に緑色の紐を巻きつけた巨大な十手も要請しておいた。こちらも実弥の動きの妨げにならないようにアルミニウム合金を素材にして作られている。

 

 次に、足に取り付けた革製のホルスターに収納された黒い拳銃。回転式のもので日本の警察が多数運用している種類である。腰のベルトの右側に取り付けたショットシェルポーチには弾丸がいくつも用意されているが、殺傷を避けた方がベターな故に実弾はない。ゴム弾や赤色のペイント弾のようなハッタリに用いる物や、催涙弾などの相手の戦意を奪える物ばかりだ。

 

 最後に、懐に仕込んだ不意打ちに使用する隠し武器や道具達。前世から愛用している、瓶一杯に注がれた油とマッチ。それと、閃光弾とまきびし。他にも強烈な高周波を発する玉――以降は音響弾と呼称する――や、相手の視界を塞ぐ為の発煙弾などがある。

 

 使える物は何でも使うスタイルである為、剣術に頼り切りにならないように様々な工夫を施していた。

 

 戦闘服を着用した実弥に、水色を基調にしたノースリーブの戦闘服(コスチューム)と、いつも通りに口元を覆い隠すマスクを身につけた障子が話しかける。

 

「それが不死川の戦闘服(コスチューム)か。……ふむ、制服?いや、見方によっては軍服にも見えるな。日本の伝統に(のっとっ)たという訳か。いずれにせよ、様になっている」

 

 着慣れた隊服を褒められたも同然の状態に、実弥は鬼殺隊が他人に認められたかのような気がして少し嬉しくなり、微笑んだ。

 

「そうかァ?ありがとうなァ。障子も忍って感じで様になってるぞォ」

 

「忍か……。言われたこともなかったな。素直に褒め言葉として受け取っておこう」

 

 他愛もない会話をしながら、集合場所として指定されたグラウンドβに向かう。そうしている内にクラスメイト達が着替えを終えて続々と集まってくる。

 

 鬼の牙のような刺々しいデザインのヘッドギアを取り付け、赤いキャタピラのようなショルダーを取り付けたのみでそれ以外は上半身に何も身につけていない切島。

 テープカッターのような形のフルフェイスマスクを身につけた瀬呂。

 イヤホン型の通信機器を取り付け、白い稲妻のようなラインが走った黒いジャケットを身につける上鳴。

 

 各々の"個性"が表に出たような特徴的な戦闘服(コスチューム)が多く、個性的で十人十色。鬼殺隊における黒に統一した襟詰の隊服を見慣れている実弥からすれば、見ているだけで楽しくなれた。

 

 集合場所のグラウンドには女子も含めて何人かが既に集まっていて、口々に互いの戦闘服(コスチューム)を褒め合っていた。

 

 実弥もまた、「軍人みたい」とか「風来坊みたい」だとか評価を貰っていたのだが……。

 

「……八百万ゥ、その格好はどうしたァ……?」

 

「え?どこか変でしょうか……?」

 

「……うん、不死川。言いたいことはすっごく分かるよ、ウチも分かる」

 

 実弥は、八百万の戦闘服(コスチューム)にとても困惑した。赤を基調にした、胸元からへそにかけてぱっくりと開かれたレオタードに、腰の辺りを覆う厚めのベルト。正直言って、同じく鬼殺隊の"柱"だった、凡ゆる物に胸をときめかせ、実弥が最も仲の良かった"蛇柱"の男に恋をしていた少女よりも露出度が高い。

 

 首を傾げて不安気な彼女を前にした実弥は、羞恥心のないらしい彼女の無防備さがとても心配になった。

 

(ミッドナイトさんもそうだが、今の女性ってのは……過度な肌の露出に抵抗ないのかねェ)

 

 目のやりどころに困り、下手な場所に視線がいかないようにしつつ、黒いジャケットやヘッドホン、頬の赤い三角形のメイクと言ったロッキンガールをイメージした戦闘服(コスチューム)の耳郎響香に話を聞く限り、あれでも初期案からだいぶ手直しされたのだそうだ。最初の要望では、最悪法に触れてしまう程の露出度だったのだろうと想像するのは難くなかった。

 

「……まァ、なんだ。"個性"のこと考慮した上でそうなってんなら仕方ねェけどよォ……体は大事にしろよォ。変なことされたらすぐに言え」

 

「……?は、はい」

 

 実弥が髪をガシガシと掻き乱しながら言った言葉の意図も把握しきれていないという感じだ。同年代の少年達に比べて古い価値観を持つ男として、守ってやらなきゃ駄目だという使命感が働いた。

 

「不死川、見た目に反してめっちゃ優しいよね!」

 

「ねー!絶対モテるよ、不死川君!」

 

「女性には優しくするようにって散々言われてきたしなァ」

 

 芦戸と葉隠から飛んできた黄色い声に答えながら振り向いた実弥は、()()()()()()()()()()()()()を見て再び絶句した。

 

「し、視線が凄いよ!?どうしたの、不死川君!?」

 

「おーい?どしたのー?」

 

 目の前で芦戸に手を振られたことで硬直した状態から立ち直り、聞きにくいと思いつつも実弥は尋ねた。ともかく、空中に浮かぶ手袋の主は葉隠で間違いはなさそうだ。

 

「なァ、葉隠。流石に……戦闘服(コスチューム)に透明化のギミックつけてんだよなァ?」

 

「へ?」

 

 実弥の質問に対し、葉隠は呆けた声を上げる。宙に浮かぶ手袋と、ポツンと姿を露わにしている靴。とても嫌な予感がしていた。

 

 そして数秒後……。葉隠が悪びれもなく答えた。

 

「ううん。今の私、何も着てないの!身につけてるのは手袋と靴だけ!」

 

(((((な、何も着てない!?)))))

 

 ごく普通な思春期の少年達に、葉隠の何も着てないというワードに反応するなという方が難しい話。八百万の件でドギマギとしていた感情を友達との会話で紛らわそうとしていた彼らであったが、その感情が復活し、葉隠の方に釘付けになってしまった。

 

「お前ェ……マジかァ……。マジかよォ……」

 

 八百万どころの話ではなく、嫌な予感通りに何も着ていないと来た。姿が周りには見えないからとかそういう次元の話ではない。実弥はため息混じりに天を仰いだ。

 

「……不死川君がめっちゃため息()いとる」

 

「ケロ、本当ね。なんだか新鮮に思えちゃうわ」

 

 実弥の想像もつかない姿に麗日と蛙吹は興味津々とばかりに彼の様子を(うかが)っている。

 

 そんな興味津々な視線を他所に、実弥は自身の白い羽織を葉隠に羽織らせてやりながら困惑の拭い切れない顔で口を開く。

 

「あのなァ、見える見えねェの話じゃねェんだよなァ……。いつか怪我するぞォ」

 

「ふぇ?不死川君、急にどうしたの?羽織、着なくていいの?」

 

「いいからァ……戦闘訓練で自分の番が来るまで羽織っとけェ。年頃だし、肌は大事だろォ。取り敢えず、葉隠は改めて戦闘服(コスチューム)の要望出しとけェ」

 

 肩の辺りをぽんぽんと優しく叩きながら、実弥は雄英入学前から度々世話になっている先輩のことを思い出しながら続けた。

 

「見てる限り、髪にも"個性"は反映されてるんだろ?知り合いに"個性"を発動すると()()()()()()()()()()()()()()()()()。その人は戦闘服(コスチューム)に自分の髪を使ってるらしいぜェ。そのおかげで、"個性"を発動すんのに合わせて脱げないようになってる。葉隠も同じような要領で服に透明化を適用出来るんじゃねェかァ?」

 

 実弥の提案を聞いた葉隠は、思いもよらぬ名案を聞いたとばかりに実弥の手をぎゅっと握り、ブンブンと腕を振った。

 

「流石は不死川君、私じゃ思いつかないことを思いつくなんて!いやあ、男の子の意見も大事だねぇ。ありがとう、不死川君。帰ってから早速考えてみるね」

 

「おう。……まァ、とにかくだァ。八百万と葉隠に言っとくが、思春期の男子の想像力を甘く見ねェ方がいい」

 

 葉隠は肩を跳ねさせながら硬直するも、八百万の方は実弥の発言の意図を汲み切れずに首を傾げている。一方で、他の女子は彼の発言に同意してしみじみと頷いていた。

 

 ズカズカと歩みを進めて男子の輪の中に戻る実弥を見送る彼女達の中で、彼の評価が一段階跳ね上がった瞬間だった。

 

「……おい、お前らァ。下手なことしたら、分かってんなァ……?」

 

「「「「は、はいっ!」」」」

 

 男子の輪の中に戻った実弥が拳を鳴らしながら釘を刺す。満面の笑みであれど、そこに般若のような恐ろしさを感じ、多くの男子生徒が不死川の前で変な想像するのはやめておこうと固く誓ったのは言うまでもない。

 

 その後、A組の皆もそろそろ揃った頃かな、とオールマイトがグラウンドβを訪れたものの、彼の目の前にとんでもない光景が広がっていた。

 

 パツパツで体のラインが浮き出てしまう薄手のスーツを身につけた麗日に下心丸出しの視線を向けながら「ヒーロー科最高」と呟いていた峰田の首根っこを、実弥が鷲掴みにしていたのだ。すぐ(そば)には明らかにオールマイトを模したのであろうスーツとフルフェイスのマスクを身につけた緑谷がいて、オドオドしながら実弥をセーブしている。

 

 愛弟子の戦闘服(コスチューム)の分かりやすさに微笑ましく思いつつも、新米故にこういう状況でどうすべきか分からないオールマイトは大変困惑したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっほん!まあ色々あったみたいだけど……説明を始めていくぞ!」

 

 開始前から一悶着あったものの、何とか授業の概要を説明するところまで辿り着くことが出来た。

 

 不良さながらの見た目に反して、上の者が指示を出せば素直に言うことを聞く実弥の真面目さにホッとしつつ、オールマイトが白い歯をキラリと輝かせる眩しい笑顔でそう切り出した。

 

「先生!ここは入試の演習場ですが、また市街地演習を行うのでしょうか!」

 

 レースカーのようなスタイリッシュでカッコいい見た目の鎧やフルフェイスの兜を身につけた飯田がピンと挙手をしながら、ハキハキと尋ねる。

 

「いいや、もう2歩先に踏み込む!今日行うのは……屋内での対人戦闘訓練だ!」

 

 2歩を意味したピースサインと共にオールマイトが放った一言に、生徒達から一斉に質問が飛び交う。

 

 不安なことや不明なことをすぐに質問するのは勇気が要るが、とても良いこと。社交的で素直な奴らばかりだなァと思いつつも、実弥は今の状況に感動を覚えているオールマイトにチラリと視線を向ける。

 

 一先ず、詳しい概要から説明することに決めたのだろうか。オールマイトが懐からとても小さい掌サイズのメモ用紙を取り出した。……所謂(いわゆる)、カンペという奴だろう。それを取り出して説明を始めたオールマイトを見た瞬間、実弥は塚内の言葉が真実だったことを理解した。

 

 実弥の内心は一度置いておくとして、訓練の概要説明に移ろう。

 

 今回の戦闘訓練で行われるのは、2人1組のヒーローチームと(ヴィラン)チームに分かれての屋内における戦闘。

 核兵器が隠された(ヴィラン)のアジトにヒーローが潜入するというアメリカンな状況設定が設けられており、ヒーローの勝利条件は、制限時間内に核を見つけ出して確保するか、相手チームを両方とも捕獲して無効化することのいずれか一つ。(ヴィラン)の勝利条件は制限時間いっぱいで核を守り切るか、相手チームを両方とも捕獲して無効化することのいずれか一つ。

 

 やること自体は比較的シンプルなものに収まっているようだが、ミソなのは入試の時のようにロボをただ単に破壊するのとは訳が違って、相手は同じ人間であることだろう。勿論加減が必要だし、状況設定を常に頭に置いた立ち回りを心がけなければならない。下手な攻撃で核に刺激を与えて爆発させでもしたら、それこそ取り返しのつかないことになる。常に訓練を訓練だと思わず、実戦だと想定して動けということなのだろう。

 

 因みにコンビと対戦相手はくじで決める為、完全にランダムだ。その際、適当に決めるのかと声を上げた飯田に緑谷が「プロは他の事務所と急遽チームアップすることが多いし、それを見据えてじゃないのかな」と補足を加えるという光景が繰り広げられた。

 

(……とにかく真面目なんだな、飯田の奴は)

 

 その時、入試の時も真面目過ぎるが故に価値観が凝り固まってしまっていたのだろうと実弥は再認識した。

 

 そして、くじを引いた結果。

 

「し、不死川と一緒か。心強いけど、逆にプレッシャーかかるな……」

 

「まあまあ、尾白君。緊張しすぎは良くないよ!私達は私達に出来ることをやれば良いんだ!という訳でよろしくね、不死川君!」

 

「おう、よろしくなァ。尾白、葉隠」

 

 実弥のチームはIチームに決まり、葉隠と、空手家のような白い道着を身につけた丸太のように太く強靭な尻尾が特徴的な尾白猿夫と同じチームになった。"柱"は鬼殺隊の最高戦力であったが故に単独行動が多く、戦闘漬けの日々を送っていたことも他人に言えるはずもない故に孤独に戦っていた為、こうしてチーム戦を行うのは実弥にとってとても新鮮なことだ。

 

 2人と握手を交わし、全員チームを組んだことに満足そうなオールマイトの方を見る。引き続き、最初の対戦カードを決める為のくじ引きが行われた。

 

「最初の対戦カードは……こいつだ!ヒーロー側がAチーム、(ヴィラン)側がDチームだ!」

 

 Aチームの面子は、緑谷と麗日。対するDチームは……爆豪と飯田。

 

 実弥が敏感に反応せざるを得ない対戦カードだった。緑谷が爆豪のことをあだ名で呼んでいることから、昔からの仲なのは察しがつく。爆豪が緑谷に対して並々ならぬ感情を抱えているのも、個性把握テストの時の彼に対する突っ掛かり方からして察することが出来た。

 

(爆豪の奴は、自尊心が肥大化し過ぎた精神年齢の(おさね)ェクソガキ。緑谷相手だと本当に何するか分からねェな)

 

 個性把握テストの時はエリもいたというのに、緑谷に対して暴力を振るわんとする始末。プライドが傷つけられることに直面すると、本当に何をするか分からない。そういうことに限って、己を律することが出来ないらしい。まさに感情のままに駄々をこねて癇癪を起こす子供だ。――実弥に対する苛立ちが彼のそんな一面に拍車をかけていた可能性もある為、本来なら多少なりとも自制心があるのかもしれないが――

 

 そういう面を初日から見ているからこそ、実弥は凡ゆることを危惧していた。

 

(対する緑谷は……何かの為なら自分が玉砕してもいい覚悟がある。彼奴も爆豪に対して、並じゃねェ気持ち抱えてんのは確かだ。そんな相手に勝つ為なら、きっと彼奴は玉砕覚悟で突っ込みやがる)

 

 緑谷も緑谷で、実弥が玄弥と重ねてしまって常々気にかける存在。この短期間で既に彼の本質を理解しつつある実弥は、腕を破壊してでも彼が爆豪に勝とうとするであろうことを見抜いている。

 

(どうなるか……きっちり見せてもらうぜ)

 

 何にせよ、この一戦が彼ら自身の未来の為にも大事なものになることには変わりない。一時たりとも見逃さず、結末を見届けることを固く決意しつつ、モニタールームへと足を運んだ。



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第十七話 命を背負う者として

「……成る程なァ」

 

 鋭い目付きでモニターと睨めっこをしつつ、実弥が呟く。

 

 初めてのヒーロー基礎学で行われる、屋内対人戦闘訓練。その第一試合は凄惨と言うべき結果に終わった。結論から言ってしまえば、試合はヒーロー側であるAチームの方が勝利した。だが、素直にその勝利を喜べる状況ではないと断言出来る。

 

 試合開始後、緑谷は麗日を核兵器の捜索に専念させる為に先行させ、爆豪をタイマンで迎え撃った。彼の動きを見切って背負い投げをかましたり、攻撃を避けたりと感心せざるを得ない一面を見せたものの……最終的には、入試の時と同じように右腕を破壊してしまう。そして、爆豪の爆破を何度も喰らったことによるダメージも影響して気絶。上鳴が、モニターを見ながら「勝った方が倒れてて、負けた方がぴんぴんしてら……」などと呟いていたが、全くもってその通りだ。

 

 自分の階から核兵器のある階までの天井全てを、超パワーに物を言わせたアッパーカットで放った風圧でブチ抜くという奇策を思いついたことで出久のチームは勝利を手にすることが出来たが、"個性"の制御が出来ていないことには変わりない。結果、代償として彼は自身の右腕を破壊したという訳だ。残った左腕の方で爆破を防ぎつつも腫れ上がった右腕を晒し、白目を剥いて地面に倒れ込むその姿は何とも痛々しく、見ていた実弥は心を痛めた。

 

 対する爆豪も、怪我こそなけれど褒められたものじゃない。緑谷を捻り潰す為に私怨丸出しで、飯田との連携を一切取らずに独断専行。更に、自身を突き動かすそれに任せてビルの壁に巨大な風穴をぶち開ける程の大爆発を起こすという(もっ)ての外な行動をしてしまった。訓練に()ける状況設定が全く頭に入っていないらしい。

 

 その爆破が原因で核兵器が爆発したら、一体どうする気なのか。命の重さや尊さを理解していないのではないか。多くの人に批判され、馬鹿だと罵られても仕方がない。

 

 大方予想通りの結末に、実弥は腕を組みながらため息を()いた。

 

(さて、なんて言やぁいいのかねェ)

 

 1試合目を終えた生徒達を迎えに行ったオールマイトを見送りつつ、茫然自失としてビルの床の一点を見つめる爆豪をじっと睨み付けるように見つめて、この後の講評で何を言うべきかを頭の中で丁寧に言語化していく実弥であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、第一試合の講評をやっていこう!この試合のMVPは……飯田少年だ!」

 

「お、俺ですか!?」

 

 大怪我を負って保健室に運ばれた緑谷を除き、試合を終えた者達が戻ってきたところで講評の時間になる。

 

 笑顔のオールマイトが放った一言に、飯田は自分達は負けたはずなのにと言わんばかりに驚きながら反応した。

 

「ケロ……勝った緑谷ちゃんやお茶子ちゃんではないの?」

 

 蛙吹が口元に人差し指を添えながら、首を傾げて尋ねる。未だ歩み始めたばかりでヒーローとしてどのように動くべきかを理解し切れていない卵達には当然の疑問。だが、実戦となれば、単に勝てば良い訳ではない。ヒーローに相応しい動きをしていたということを鑑みれば、オールマイトの言う通り飯田がMVPとなる。

 

「さてさて、何でだろうな〜?何でだと思う〜?分かる人!」

 

「はい、オールマイト先生」

 

 勿体ぶるように尋ねたオールマイトの問いに答え、八百万が挙手をする。

 

 飯田がMVPに値するのは、彼が一番状況設定に準じていたからだと断言し、彼女は他の面々の悪い点を指摘し始めた。

 

 まずは爆豪。他の2人と比べても話にならない程の愚かな行為を繰り返した。私怨丸出しの独断専行に、ヒーローとしても(ヴィラン)としても愚かとしか言いようのない大規模な爆破。ヒーローとしては出さなくても良いはずの被害を出しかねないという意味で、(ヴィラン)としては守るべき牙城の損壊を招きかねないという意味で、彼の行動は愚策という他なかった。

 

 緑谷の場合も、彼と同様の理由で勝利の決め手となったビルの天井までをブチ抜く程の凄絶な風圧が愚策だと判断出来る。これに加え、彼自身の受けたダメージから鑑みて作戦自体が無謀過ぎるとの評価だった。目の前の相手を死なば諸共と言わんばかりの勢いで倒し、自身はダメージによって倒れる。ヒーローという仕事は(ヴィラン)を倒せば良しではないのだから、それでは話にならない。

 

 次に麗日。真面目に(ヴィラン)になりきろうとしていた飯田を見て失笑してしまい、気の緩みが生まれたこと。加え、緑谷が風穴を開けたことで生じた瓦礫を野球のように打ち放つ最後の攻撃が乱暴すぎた点で咎められた。ハリボテを核として扱うのなら、そんな危険な行動は出来ない。言うなれば、訓練を訓練だとしか思えないが故の甘えから生まれた行動。そういう評価が下された。

 

 対し、飯田は相手への対策を最大限にこなし、核の争奪を想定していたからこそ、麗日の突拍子もない行動への対応に遅れてしまった。そういう意味でも彼がMVPとして選ばれるに相応しい。

 

 今回のヒーローチームの勝利は訓練という甘えから生じた反則のようなものという総評を述べ、八百万は話を締めくくった。

 

(ぜ、全部言われた……)

 

 オールマイトは辛うじて笑顔を保っているものの、顔を引き()らせていた。ここまで言われてしまっては、教師の自分が出る幕がない。10代の少女の分析力に脱帽する他なかった。

 

「ま、まあ!飯田少年にも固すぎる節はあった訳だが……正解だよ!くぅ〜!」

 

 笑顔のままサムズアップをしているが、何とも悔しげな雰囲気のオールマイト。この一言は、教師として何か言わなければならないという意地によるものだろうか。

 

(塚内さんの仰った通り、向いてねェな。オールマイトさん)

 

 名選手、必ずしも名監督にあらずとはこのことかと思いつつ、実弥はスッと右手を上げて挙手する。

 

「むむ、不死川少年。君も意見があるのかな?」

 

「ええ、色々と物申したいことが」

 

 雄英初の特別枠を勝ち取った入学者。ヴィジランテとして、本物の(ヴィラン)と対峙した経験がある故に八百万とはまた違った視点からの講評が聞けるかもしれない。そう思いつつ、講評を述べるように促すオールマイトだったが……ほんの少し不安だった。

 

 彼の本質が優しい人間であるのは知っているが、言動が苛烈で何でもかんでも包み隠さずズバズバと言ってしまう節がある。一度思い立ったらすぐに行動に起こし、自分が言うべき、やるべきだと思ったことは他人からの評価を気にすることなく実行する。ヒーローを目指して歩み始めた子供達の心を過剰に傷つけてはしまうのではないか。そう危惧していた。

 

「取り敢えず、俺も八百万の講評には納得だァ。その上で、別の視点から講評を述べさせてもらうぜェ」

 

 誰から聞いても、八百万の講評はほぼほぼ完璧。その上で違う視点から講評を述べると宣言した実弥の口からどんな言葉が飛び出すのだろう。クラスメイト達は一斉に彼の方へ視線を向けた。

 

「まずは緑谷。はっきり言うが……あの死に急ぐようなやり方続けてりゃ、すぐに死ぬ。自分が玉砕してでも何かをやり遂げる。そんな考え方を正してやらなきゃならねェ。"個性"の制御は言わずもがな必須。それ一つ達成すりゃあ、心に余裕が出来る。状況を常に頭に置いて、訓練を訓練と思わずに実戦を想定して動けるようになるはずだァ」

 

「まとめると、緑谷の課題は主に二つ。"個性"の制御、それと過剰な自己犠牲の精神の矯正ってところかァ」

 

 鋭い目付きのままで話を進める実弥だが、緑谷の話を終えた瞬間……こめかみに青筋を浮かべ、目を血走らせた。

 

「んで……爆豪。テメェは本当に話にならねェなァ、おい。テメェは、ヒーローが何なのか頭で全く理解してねェ」

 

 モニタールームの壁に1人背中を預けていた状態から、消えるように爆豪の目の前に移動し、修羅の如き憤怒の表情で彼を見下ろす。

 

 緑谷に敗北してプライドがズタボロなせいだろう。意気消沈した彼の瞳には、怒気を発した実弥に対する恐怖が宿っていた。

 

 だが、実弥には関係ない。額と額が合わさる程に顔を近づけた状態で続ける。

 

「あのなァ……ヒーローってのは、他人(ひと)を救ける仕事だァ。誰彼構わず手を差し伸べて救けちまう。だから、そう呼ばれるんだよォ。分かるか、クソガキ。俺達は、これから常に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ」

 

「テメェにはその自覚が全くねェ!自分(テメェ)のくだらねェ癇癪で他人を死なせるなんざ、以ての外だァ!さては、これまでも癇癪優先して他人の命を軽く扱うような馬鹿なことを繰り返してきたんじゃねェだろうなァ!?」

 

 昔からそうだ。鬼に(おびや)かされる人々の命は、全て己の判断や行動一つにかかっていた。実弥は、常に何十、何百人どころではない沢山の人々の命を背負って戦ってきた。今世だって同じだ。未来を生きる子供達や、今を生きる人々の命。その重みを背負ってここまで戦い抜いてきた。

 

 だからこそ、己の私情を優先して愚行を繰り返し、他人の命を軽く見るような爆豪の行動が許せない。

 

 実弥は彼の胸倉を掴んで、更に言葉で畳みかける。

 

「いいかァ、ヒーローの本質ってのは……()()()()()()(ヴィラン)を倒したその先にある、救けることを常に見据えてなきゃ話にならねェ!誰よりも強いことに満足していたいんなら、ヴィジランテでもやってろォ!!!」

 

 そこまで言うと、荒っぽくも胸倉から手を離して爆豪を解放してやる。壁に背中を打ちつけた彼は、呆然とした表情のままでズルズルと膝から崩れ落ちた。まさにもぬけの殻のように、床の一点をじっと見つめている。

 

「まずは、精神的に大人になりやがれェ。自分の気に入らねェことがある度に癇癪起こすな。自分のプライドを少しでも汚されりゃ、すぐに周りが見えなくなりやがる。そこはテメェの弱い部分だァ。……自分を律しろ。くだらねェプライドは捨て去って、さっさと本当のプライドってもんを持てるようになれェ」

 

 そう吐き捨てた実弥は一旦怒気を収め、話をまとめて結論を出す。

 

「結局のところ、まとめりゃ……こいつらの行動は、これから他人の命を背負うことになるって自覚が薄いから起こったものだと俺は思う。他の奴らも覚えておけェ。俺達の後ろには、常に守るべき人がいるってことをなァ」

 

 拳を握り締めながら、実弥は話を終えた。

 

 生徒達が実弥の言葉を脳内で反復し、各々なりの解釈で受け止めている中――実弥が、再び怒気を発する。その矛先は……オールマイトだった。

 

「講評とは関係ないですが……オールマイト先生、俺は貴方にも物申したい」

 

 明らかに15歳の子供では発せない、死線をいくつも掻い潜ってきた者故の怒気を感じ、オールマイトの額から反射的に冷や汗が流れる。

 

 どうして彼がこうなっているのかは分からない。だが、教師に口出しするのだけは駄目だと誰もが思う。

 

「ちょっ、不死川!落ち着けって……!どうしてオールマイトにまで怒る必要があるんだよ!?お前の気持ちは分かんないけどさ、とにかく落ち着こうぜ……?」

 

 そんな彼らを代表して、切島が実弥に歩み寄りながら声をかけたが……実弥は軽く彼を跳ね除けてズカズカとオールマイトの目の前まで歩みを進めた。

 

「何故止めてやらなかったんです?」

 

「ッ!」

 

 実弥の怒気に満ちた瞳がオールマイトの強い眼差しを捉える。彼の放った一言がオールマイトの胸中に深く突き刺さる。

 痛いところを突かれた、とそう思った。

 動揺故に肩を跳ねさせたオールマイトを見つつ、実弥は続けた。

 

「貴方にはプロヒーロー以前に大人として、教師として生徒の命を守る義務があるはず。貴方の行動一つに、こいつら全員の命が懸かってる。もしものことは……考えなかったんですか?事実、緑谷は大怪我を負って倒れた。貴方が事前に止めれば、こうはならなかったはずです」

 

 思わず、愛弟子である緑谷がヒーローになること以外で初めて見せた激情。それをぶつけ、彼の追い続けてきた相手に勝利するのを優先させたくなってしまった。師として彼を思いやったつもりだったが……結果的に怪我をさせてしまったという意味では全く思いやれていないのかもしれない。そもそも、教師の行動としては愚かと言う他ない。

 

 実弥の一言でそれを強く実感させられた。

 

(私は……私は、何をやっているんだ……!教師なのだから、緑谷少年に贔屓(ひいき)している場合ではないというのに……!)

 

 歯を食いしばり、拳を握り締める他ない。図星故に、オールマイトは何も答えられなかった。

 

「失われた人間の命に対する責任というのは、取ろうにも取りきれない。仕事のミスとかそういうレベルの話じゃない。もしもが起こってからじゃ遅いんです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「不死川少年……」

 

 今の一言に気になる部分があったものの、それを気にしている場合ではない。

 

 そうだ。今の自分はプロヒーローであり、教師。私情よりも生徒の命を最優先すべき立場にある。そんな状況で己を律することが出来ないなど、愚かとしか言えない。……今は己の愚行を謝罪するべきだ。

 

「……君の言葉は、緑谷少年や爆豪少年の未来を思ってのものだね。やはり、君は優しい少年だ。私には反論の余地もない。本当にすまなかった……!」

 

「顔を上げてください。貴方に頭を下げられるなんて恐れ多すぎます」

 

 教師が生徒に頭を下げるという中々見ない構図に困惑する生徒達ではあったが、1人1人が実弥の言葉を重く受け止めていた。

 

 訓練とは言え、人が死ぬような状況に直面する場合もある。実際にそういう状況になることはあり得ないが、訓練を訓練として受け止めて甘んじるな。常に実戦を想定して気を引き締めろ。暗にそう言われている気がした。

 

 初めての訓練。言い換えれば、初めて"個性"を本格的に使用出来る場なので、少し浮かれている部分があったかもしれない。改めて、気を引き締めて今後の訓練に臨もうと誰もが決意した。

 

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ気持ちを切り替えて……!第二試合をやっていくぞ!あ、第一試合でビルがボロボロになっちゃったから、流石に場所を移すからね」

 

 オールマイトが対戦カードを決めるくじの入った箱に手を突っ込みながら言う。先程の第一試合の反省を生かして挑もう、と誰もが最初以上のやる気に満ちていた。

 

「第二試合の対戦カードは……こいつら!ヒーロー側がBチーム、(ヴィラン)側がIチームだ!」

 

 第二試合……早々に実弥の出番がやってきた。

 

 対戦相手である轟と障子に視線をやる。そして、2人と目が合った。

 

 障子の鋭い三白眼からは熱意を感じる。全力でお前にぶつかるぞ、という宣戦布告。見ている方にまでやる気を分けてくれるような熱い眼差し。

 

 方や、轟のオッドアイからは憎しみを感じる。遥か先に向けた憎しみ。目の前の実弥ではなく、別の誰かに対する憎しみを込めた冷たい目。見ていて心地の良いものではない。

 

 それと同時に、実弥は轟の髪の色と瞳の色にどこか既視感を覚えるのだった。



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第十八話 死線を掻い潜りし者

2021/10/29 最後の爆豪君の独白を修正しました。(自分の弱さを認識した部分を省いてます)


「ぐはっ!?」

 

 一陣の烈風が吹き抜け、共に振り抜かれた鉄刀が轟の頬に命中する。そして、一足遅れて押し寄せる、怪力を発揮した拳で強く殴られたかのような衝撃によって吹き飛ばされて床を転がり、壁に背中を強かに打ち付けた。

 

 背中を強打したことで痛みが生じると共に、一瞬呼吸が上手く出来なくなる。崩れ落ちて地面に伏せながらも何とか呼吸を整えつつ、轟は自分の認識の甘さを後悔していた。

 

(甘かった……。実力は分かってたはずだってのに、油断した……!)

 

 頭で理解しているつもりの事実があったとしても、それを心から事実として受け止めるには己の目で見て、己の身で体感する他ない。そうでもしなければ事実を事実として受け止められない生き物である人間は、何と複雑で面倒な生き物なのだろうか。

 

 試合開始直後、障子が二対の触腕の先に耳を複製して索敵を行った。尾白と葉隠が4階の広間におり、実弥が試合開始直後から自分達の方へ猛然と迫りつつあることを把握すると、轟は障子にビルの外に出るように促してから早速切り札を切る。"半冷半燃"のうちの冷やす方の力を使用し、右手でビルの壁に触れることで……なんと、ビルの外部から内部を含めて全体を凍らせたのだ。

 

 仲間を巻き込まず、核兵器にダメージも与えることなく、更には敵を弱体化させて制圧する。防衛戦のつもりだったというのに、ビルの全体を凍結されて瞬殺。明らかにレベルの違う制圧力。相手からすればたまったものじゃないだろう。

 

 ――ただし、それは相手が普通の学生であればの話だ。

 

 鬼殺隊としての戦闘経験が豊富な実弥には通用しなかった。ついでに言えば、葉隠と尾白にも通用していない。実弥が予め轟の手を読み、辺りの空気が冷え込み始めたのを敏感に感じとったことで、彼ら全員が轟の魔の手から逃れられたからだ。

 

 障子が警戒の為にこちらへ迫りつつあった実弥の足音を探っていたが……轟の切り札が通用していないのでその音が止むことはない。むしろ、自分達の方にみるみると近付いてくる。それを聞いた轟は、歯痒い思いをしつつもやむなく真正面から迎撃することを決意。自分が敗北しても、障子が核を確保さえしてくれれば、勝利する為の条件を達成出来る。そのことを頭に置き、探索の術を持つ障子を核兵器の捜索に向かわせて今に至る。

 

「どうした、こんなもんかァ?この程度の強さじゃ、俺らの手中にある核兵器を確保するなんざ夢のまた夢だなァ」

 

 体を起こし、不敵な笑みで歩み寄ってくる実弥を睨みつける。挑発されているのは誰から見ても明らかだった。

 

(くそっ……!今に一泡吹かせてやる……!)

 

 轟は、無理矢理ではあったが、仮にもNo.2ヒーローである父親に鍛えられた身だ。

 

 父親並みの覇気を発する実弥との実力差が解らない訳ではないが、このまま一方的にやられるのは彼のプライドが許さなかった。

 

 右腕を振り抜き、辺りに被害が及ばないように範囲を絞りながらも現時点での最高速度で氷を展開した。轟の放った氷刃が大蛇の如く地を這いながら実弥へと一直線に迫る……!

 

 ――しかし。

 

「さっきから思ってたが……攻撃が(いささ)か大雑把過ぎるんじゃねェかァ、轟さんよォ!!!」

 

「ッ!?」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――木枯(こが)らし(おろし)!!!

 

 

 

「――がっ!?」

 

 目の前にいるはずの実弥の声が頭上から聞こえた。咄嗟に顔を上げるも……時既に遅し。晩秋から初冬にかけて山から吹き下ろす強く冷たい風を纏った鉄刀が振り下ろされ、轟の脳天を打ち付ける。

 

 頭上から押し寄せた衝撃で、脳が激しく揺さぶられる。まともに立てず、蹈鞴(たたら)を踏みながら後退して、またも膝をついてしまう。

 

 次の瞬間、猪の如く低い姿勢の実弥の姿が轟の視界に入ってきた。

 

 ――どうなってんだ……!?

 

 それを目にした瞬間、彼は即座にそう思った。今の自分は、()()()()()()()。ただでさえ低い姿勢のはず。だが、目の前の男はそんな自分の懐に更に低い姿勢で潜り込んだ。並外れた柔軟な肉体に度肝を抜かれ、動きと思考が止まる。

 

 

 

(ろく)(かた)――黒風煙嵐(こくふうえんらん)

 

 

 

 刹那、風が激しく吹き上げた。砂塵を空高く巻き上げ、山中に靄をかける程の勢いと激しさを持つそれを伴う疾さで振り上げられた鉄刀が轟の下顎を打ち抜く。

 

「ぐうっ!?」

 

 持ち前の怪力も影響してか、轟の肉体が空中へと打ち上げられる。誰からどう見ても無防備な状態だ。

 

 即座に受け身を取り、氷を形成して次の攻撃を防がなければ、と頭の中で次の行動を思い描くも、頭で考えたことを体で実行するにはやはり時間を要する。轟の脳が考えたことを彼自身の体が実行するよりも、実弥の方が遥かに速かった。

 

 

 

()(かた)――昇上砂塵嵐(しょうじょうさじんらん)ッ!!!

 

 

 

 一呼吸分置いてから、続け様に実弥の洗練された技が放たれる。低い姿勢の彼から放たれた砂嵐のように激しく吹き荒ぶ連撃が受け身もろくに取ることが出来ないままの無防備な轟に炸裂した。風の呼吸の特徴である苛烈な連撃を最も顕著に現した一撃から発生した鎌鼬が、轟の肌を何度も斬りつける。

 

「ぐああああっ!!!」

 

 血色のいい彼の肌を頬や腕から垂れた鮮血が覆い尽くし、徐々に血の気が引いていく。彼の戦闘服(コスチューム)で特徴的な左半身を覆う氷の鎧に亀裂が入り、バラバラと崩れ落ちる。白のカッターシャツとズボンは所々斬りつけられてボロボロになってしまっていた。

 

「くっ……」

 

 肌を斬りつけられた痛みと背中を打ちつけた痛み。二つの痛みに悶えながらも、轟は立ち上がる。

 

(鉄刀の一撃は尋常じゃないくらいに疾く、重い……。風は同じように疾く、鋭い……。これが不死川の強さ……なのか)

 

 顎、脳天、頬に未だに残るビリビリとした感覚と、視界がぐわんぐわんと揺れ続けている感覚を感じ取りながら、目の前の相手との実力差を改めて実感する。

 

 轟は、先程の連撃は見事なものだった、と内心で実弥を称賛した。

 

 脳天を打ちつけて脳震盪を引き起こさせ、動きを封じる。更に、その状態の相手の懐に潜り込み、斬り上げを叩き込んで相手を空中に浮かす。そうすることで無防備な状態にさせる。最後に、空中へと追撃を放つことで畳み掛ける。

 まさに、敵である自分に一切動く暇を与えないと言わんばかりの速攻。言い換えれば、一方的な蹂躙。

 

 同年代を相手にしている中でここまで一方的に打ちのめされるのは初めての経験で、どうしようも無い悔しさが轟の内心を支配した。しかも、こうして痛烈な一撃を連続して喰らってはいるが、致命傷にならないようにしっかりと加減されている。

 

(加減してるってのにこれかよ……。くそっ、遠いな)

 

 歯を食いしばり、とにかく頭を回す。

 

 この試合、実弥を撃破する必要性は何処にもない。とにかく、彼を捕獲するか核を確保して勝利すれば良いのだ。タイムアップは向こうの勝利になってしまう為、上手く時間を稼ぐ他ない。

 

 正面から通じないなら、小細工を施す他ないだろう。

 

(やるしかねえ……!)

 

 覚悟を決め、轟は前方を薙ぎ払うように右腕を振り払う。文字通り薙ぎ払うように発生した氷を、実弥は獣の如く荒々しいバク転で回避した。

 

 彼が着地する瞬間を狙って、続け様に猛牛の如く一直線に突き進んでいく氷を放つも――

 

「一辺倒に攻めてても……俺を倒すことなんざ出来ねェぞ!」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)――塵旋風(じんせんぷう)……()ぎ!!!!!

 

 

 

 旋風を纏った超音速の一撃が迫り来る氷を(ことごと)く抉り抜き、粉々に打ち砕く。

 

 自身の目前を塞ぐ氷が無くなった瞬間。実弥は再び、塵旋風・削ぎを使用して床を蹴り、轟との距離を瞬時に詰めた。標的を目前にすると、旋風を引き裂きながら姿を現し、鉄刀を振りかぶる。

 

(相変わらず速すぎんだろ……!)

 

 そして、轟は……内心で悪態を吐きつつも必死に目を凝らし、一か八かと実弥の振るう音速を超えた鉄刀の一撃を交差させた両腕で防いだ。

 

「ぐっ……!?」

 

「へェ……?」

 

 興味深そうに実弥が不敵な笑みを浮かべる一方、轟の表情は苦痛に満ちていた。腕全体に走る猛烈な痛みと痺れに悶えながらも、実弥の攻撃を偶然に決まっているだろうが防げたことに感謝する。

 

 そのまま交差させた両腕を振り払い、この好機を逃すまいと右手を伸ばした。

 

 ここまで単純な広範囲攻撃ばかり繰り出してきた轟であったが、忘れてはいけない。そもそも、右手で触れてしまえば対象を瞬時に凍らせることが可能であることを。広範囲攻撃を実弥の目に擦り込み、それしか出来ないと勘違いさせた上で、どうにかして機会を作り出して彼の肉体に直接触れる。これが、轟なりに必死で考えた小細工だった。

 

(ここで触れさえすれば……!)

 

 ――十分勝てる可能性はあるだろう。だが、実弥の野生の勘が鋭敏に働いた。右手で触れ、体を直接凍らせる気なのだと轟の考えを看破した彼は、背中に背負っている十手を取り出して轟の右腕を即座に絡め取った。

 

「しまっ――」

 

 真下から突き上げるようにして腕を絡め取った影響で轟の腕が持ち上がり、胴体の部分が無防備になる。胴体のうち、人体の急所である鳩尾。実弥は、そこに狙いを定めて膝蹴りを放った。

 

「がっ……!?」

 

 横隔膜の動きが止まり、呼吸が困難になる。視界の中で、パチパチと白い火花が弾ける。その瞬間、轟は自分の体が限界を迎えたことを察した。

 

(強え……強すぎる……。手も足も出なかった……。もっと、強く、ならねえと……)

 

 瞼が重くなり、逆らうことなく自然と閉じる。そして、体中から力が抜け、がくんと膝から崩れ落ちて完全に意識を閉ざしてしまった。そんな轟の体を支えてやりつつ、実弥は彼の腕に捕獲用のテープを巻き付けた。

 

「っし……これで、轟は確保ってことで良いんだよなァ?」

 

 そんなことを呟きつつも、加減したとは言えど血を流させすぎたなァ、と反省し、軽い応急処置を施す。

 

 その間にも轟の髪の色と瞳の色に対して感じた既視感は何だったのだろうかと考える実弥だったが……結局、その理由は最後まで判明することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、ビルの3階にて、尾白と障子が真正面からぶつかり、殴り合いを繰り広げていた。

 

「おおおおっ!!!」

 

 全ての触腕から腕を複製し、乱打を繰り出す障子だが、尾白はその軌道一つ一つを見切り、(かわ)したり、受け流したりを繰り返して凌いでいる。

 

 こうなるのは、やはり経験の差。手数こそ腕を複製した障子の方が遥かに上だが、彼の体術は所詮我流のものでしかない。対する尾白は幼い頃から武術を習ってきた。つまり、確かな技術を兼ね備えている。対人で試合を繰り広げた経験もあるが故に相手の攻撃速度に対して本人の目も慣れていた。結果として、的確に攻撃を凌ぐ尾白と押し切れない障子という膠着状態の構図が出来上がったという訳だ。

 

 障子は、''個性''の''複製腕''によって耳を複製出来る。しかも、自身のそれより感覚が強化されたものを。索敵する術がある以上、今すぐにでも葉隠の足音を耳で聞き取って位置を把握し、彼女を捕獲。そこから自慢の体格と力の強さで尾白を押さえ込んで捕獲という策を取った方が効率的だと思われるが……そうはいかない理由があった。

 

 乱打を放ち、尾白の重く鋭い拳や蹴りを防ぎながら障子は考える。

 

(俺が探索を進めていた際に不意打ちで放ってきた()()()()()()()()……。あれが一つとは限らない以上、下手に動けない……!複製した耳はより鋭敏だ。だからこそ、あの音で鼓膜を破られて何も聞き取れなくなった。これでは、葉隠の足音を探るのもままならん!しかも、何処にいるのか判断が出来ないようでは、葉隠に捕らえられる危険性もより高まる……!)

 

 戦いの最中でさえも障子が警戒しているのは、尾白が遭遇してすぐに放ってきた音響弾。まるで黒板を爪で引っ掻いた時のような聞き心地の悪い音を放つそれは、未だに耳鳴りという形で障子自身にもダメージを残している。

 更に感覚の強化された複製した耳に至っては、その弾の音一つで鼓膜を破られた。その弾の予備があるのか否か。それがはっきりしない為、障子は索敵に打って出ることを渋らざるを得ない状況下にある。

 

 加え、こうして格闘戦を仕掛けてくる尾白の気迫。それが障子の本能に「気を逸らした瞬間に負ける」と訴えかけていた。

 

「障子。轟の相手は不死川が引き受けている。はっきり言って、あの実力差じゃ長くは()たないぞ。早いところ、俺を倒して……助太刀に向かうか、核を確保したいところなんじゃない、かっ!?」

 

「っ、承知の上だ……!」

 

 膠着状態が続く中で放たれた尾白の一言が、障子の不安と焦りを煽る。ここにきて、やはり障子の選択肢は二つに一つとなった。尾白と対峙し、捕獲する、()しくは打倒する。無意識のうちに、葉隠の存在がすっかり頭から抜けてしまっていた。

 

 複製した腕と自身の腕を全て展開し、阿修羅のような姿と化した障子が肉弾戦車の如く尾白に突進する。全ての腕で尾白を固め、捉えようとしたのだろうが……尾白は、強靭な尻尾で地面を押し込んで跳躍。障子の頭上を跳び越えて着地すると、バク転で距離を取った。

 

 ――その時、尾白のインカムに通信が入った。

 

「……分かった」

 

 障子を警戒しつつも通信を聞き取り、その内容を障子に向けてそっくりそのまま伝える。

 

「轟は既に捕らえて、俺達の手中にある。今は核のある部屋で不死川の監視下に置かれている所だ。下手なことをすれば……核を起動させて、お前の仲間の命ごとここら一帯を爆発させることになるぞ」

 

「っ……!」

 

 遠回しな言い方だが、要するに降伏しろとのことだ。今の障子は、轟を人質に取られている状況。実戦を想定している以上、自身の下手な行動で多くの命を犠牲にする訳にはいかない。

 

「……分かった、俺達の負けだ……」

 

「よーし!言質取ったぞ、障子君!確保だーっ!!」

 

 降伏の証に障子が両手を挙げる。それと同時にここまでずっと息を潜ませていた葉隠が元気に声を上げながら障子に捕獲用のテープを巻き付けた。

 

『障子少年と轟少年、両者共に確保!よって……(ヴィラン)チームWIIIIIN!!!』

 

 ――かくして、第二試合は実弥率いるIチームの圧勝で終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いきなりぶっちゃけちゃうけど、第二試合のMVPは不死川少年だ!まあ、授業の一環として捉えれば、やり過ぎな節はあったけれどね。という訳で、第二試合の講評を行っていく訳だけど……その前に!不死川少年、今回の作戦を教えてくれるかな?」

 

「分かりました」

 

 第二試合のダメージで気を失った轟と、未だに保健室で療養中の緑谷を除いた面々の集まっているモニタールームにて、オールマイトがすっかり調子を取り戻した笑顔で実弥に対して促す。促されるままに、実弥は説明を開始した。

 

「最初に言っておくと、轟の攻撃による氷漬けを回避出来たのは……俺が彼奴の''個性''を持っていたら絶対にそうすると予想していたからだ。必要以上に(ヴィラン)も仲間も傷つけることなく、迅速に制圧する。自分の持つ''個性''でそれが可能なら使う他ねェって話だろォ?尾白と葉隠に関しては、俺の予想に素直に従ってもらったってだけだぜェ」

 

 最初に氷漬けを回避した理由を疑問に思う者達のために予め説明した後、実弥は作戦の概要の説明を始めた。――因みに、実弥は自力でビルの床を踏み込んで跳躍することで回避し、尾白は尻尾を利用した跳躍で氷漬けを回避。葉隠は予め靴を履いたままで轟の攻撃を受け、直後に実弥の怪力で靴の周りの氷を砕いてもらった後で靴を脱ぎ捨て、結果的に氷漬けを回避した――

 

 まず、実弥達は試合開始時に4階の広間に待機していた。これは、(ヴィラン)チームなら誰しもが最初から核兵器のある部屋に待機し、防衛戦を仕掛けてくるだろうという第一試合の経過を見たことによる思い込みを利用したものだ。実を言えば、核兵器を配置したのは1階の大部屋。轟も障子も3人の足音の位置から4階の広間に核があると睨んでいた為、結論からして彼らは最初から()められていたことになる。

 

 試合開始直後の氷漬けを回避した後、尾白と葉隠と別れ、移動速度が最も速い上に戦闘力も1番上である実弥が1階へと急行。轟と障子を叩きに行く。試合の勝利条件は、相手全員を捕獲するか、核兵器を確保することのいずれか。ともかく核を確保出来れば条件は達成出来るのだから、探索に最適な障子をそちらに向かわせて、実力にある程度の自信がある轟は実弥と対峙せざるを得なくなる。こうして、轟の行動の選択肢を一つに絞り、自由行動を封じた。

 

 そして、次は尾白と障子を対峙させる。葉隠には()()()()()()()()()()隠密行動に徹底させ、障子と対峙した瞬間、尾白が先手で音響弾を投げて彼の聴覚を潰し、葉隠の捜索を少しでもやりにくい状況を作り出す。

 

 結果、障子は葉隠の位置を特定出来なくなる。その為、彼女に捕獲される可能性があって下手に動けない。加え、死ぬ気で挑む尾白をぶつけることで彼と対峙せざるを得ない、()しくは打倒せざるを得ない状況を作り出す。これによって、葉隠から障子の注意を逸らして葉隠の自由を確保することが出来る。

 

 轟を撃破すれば、後は簡単なこと。ヒーローなら人質の命を優先して当然。誰かを救ける為により多くの犠牲を出す訳にはいかないと言った心理を利用して障子の動きを止め、捕縛してしまえばいい。

 

「――以上が俺らの作戦だァ」

 

「事細かにサンキュー、不死川少年!それじゃあ、彼の作戦を踏まえて……不死川少年がMVPである理由が分かる人!」

 

「はい」

 

「むむ!八百万少女、どうぞ!」

 

 第一試合に続き、挙手したのはやはり八百万。オールマイトに促された彼女は、自身の考えを述べ始めた。

 

「不死川さんがMVPに選ばれたのは……まずは、作戦が(ヴィラン)の心理をよく把握したものであるという点ですわね。道具を駆使しつつ相手の武器を悉く潰して、対峙せざるを得ない状況を作り出す。人質を取ってヒーロー側を脅す。如何にも(ヴィラン)のやりがちなことですわ」

 

 相手の心理を把握するのは何事に()いても重要だ。心理から相手の行動を読むことができ、計画を練られる。そして、その行動を潰す為により迅速に行動することが可能になる。将来は必ずアドバンテージになる点だろう。

 

「次に、轟さんを一方的に押さえ込む圧倒的戦闘力。チームアップしているヒーローも(ヴィラン)も、必要以上に傷つけずに済むのならそれに越したことはありません。迅速に(ヴィラン)を制圧することは、それだけ彼らの行動による二次被害を潰す可能性が高くなることに繋がります。不死川さんの能力ならば、それが可能です」

 

 最後に、轟に施した応急処置のレベルの高さも踏まえ、1番活躍した点が多かったからこそMVPに選ばれたのだと付け加えて、八百万の話は終わった。

 

 周りから、八百万と実弥に向けて一斉に拍手が巻き起こる。誰もが実弥の強さと八百万のキレキレの分析力に感嘆し、彼らを畏敬した。

 

 因みに、オールマイトは相変わらず、「全て言われてしまった……」と言いたげな顔をしている。

 

 そこから、彼はかぶりを振って笑顔をしっかりと作り直し、話を切り出した。

 

「くぅ〜……!八百万少女、引き続き素晴らしい分析力だ!流石だね!それはそうと……少年少女の中には、不死川少年のやり方を見て、やり過ぎだと思った子もいるんじゃないかな?授業の一環として考えればその通りだが、覚えておくんだ」

 

 そして、真剣な顔つきになって続ける。

 

「いいかい?世の中にはやり過ぎが丁度いいくらいの手強い(ヴィラン)や姑息な(ヴィラン)がいるものさ。残酷だが、綺麗事が通用しない場合もあるということを頭の隅に置いておいてくれ。君達がこうして学んでいるのは、その綺麗事を貫けるように力を付ける為でもある!」

 

 「綺麗事が通用しない場に遭遇しない為にも、我々大人が頑張るから安心していいぞ!」と高らかに笑うオールマイトを見て、誰もがNo.1ヒーローにこうして教えを請えることを誇りに思っていた。

 

 ――だが、ただ1人……気分の穏やかでない者がいる。

 

(敵わねえ……。氷の奴にも、傷顔にも……。――ッ、クソッ、俺は何を考えてんだ……!)

 

 爆豪勝己。彼だけは実弥との力の差に絶望した。ただ歯を食いしばって俯き、拳を握りしめていた。それに加え、彼と轟に対して「敵わない」と認識してしまった自分が一気に情けなくなってきた。

 

 雄英に入学でき、オールマイトをも超えるNo.1ヒーローになる為の一直線の道が開けたと思った。自分こそがNo.1だと思っていた。だが、実際はどうだ。序盤から自分の思い通りにいかず、道から転げ落ちてばかりではないか。

 

「ちくしょう……!ちくしょう……ッ!」

 

 誰にも気づかれることなく呟く彼の心の中を情けなさが支配し尽くしていて。その足元には、何滴かの透明な雫が滴り落ちていた……。



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第十九話 踏み出す一歩

またも長くなりそうだったので、元々一話にまとめていたものを二話に分けました。

2024/1/4
少々違和感がありましたので実弥さんが轟君に対して覚えた既視感について、瞳の色や髪の色に対しても覚えていたものを、「遥か先を憎むような目」に対してだけ既視感を覚えているというように変更しました。


 第一試合や第二試合の勢いに触発されてか、後に続くクラスメイト達も全身全霊で訓練に挑み、各試合の反省点などを考え抜き……。各々が有意義な時間を過ごすことが出来た。

 有意義な時間というのは、そうであるからこそ早く過ぎ去る。あっという間に戦闘訓練は終わりを告げた。

 

「お疲れさん!緑谷少年と轟少年以外は、特に大きな怪我もなし!皆、初日にしちゃあ中々良かったぜ!」

 

 一部怪我をした者がいたとは言え、全体的には良い動きをしていたとの評価を下し、満面の笑みでサムズアップをするオールマイト。

 そんな彼を見つつ、蛙吹が呟く。

 

「相澤先生の後でこんな真っ当な授業……。何だか、拍子抜けというか……」

 

 何とも言い表し難い、拍子抜けに近い気持ちを抱いたのは彼女だけではないらしい。彼女の言葉に、何人ものクラスメイトが頷いていた。

 彼女の声に、オールマイトは高らかに笑いながら答える。

 

「HAHAHA!真っ当な授業をするか否かも、全て教師の自由さ。という訳で、授業はここまで!初回から実戦で疲れた少年少女もいるだろうから、この後はしっかり休むんだぞ!私は緑谷少年に講評を聞かせねば!取り敢えず、君達は着替えて教室に……お戻りぃぃぃぃぃ!!!」

 

 そして、これから急用がありますと言わんばかりの勢いで土煙を巻き上げながら疾走し、教室に戻るように指示をした後で颯爽と去っていってしまった。

 

「おおっ、すっげえ!速えな、オールマイト……!」

 

「きっと多忙なんだよ」

 

「本気の不死川とどっちが速いんだろうな?」

 

 そんな会話を交わながら更衣室へと戻っていくクラスメイト達を横目に、オールマイトのあまりの急ぎ様に違和感を覚えた実弥であったが……。

 

(……エリの顔が見てェな)

 

 講評や、各生徒の"個性"の分析及び彼らの改善点を見つける為に頭を回していた影響だろうか。疲労があって、無性にエリの顔を見たくなった。

 彼女の笑顔を思い浮かべているうちに違和感について考えるのは後回しになり、気が付けば彼の中の疑問は頭の隅に置かれてしまったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、お兄ちゃん。見て見て!今日は字のお勉強したの!」

 

「お、頑張ったなァ」

 

 エリを迎えに行く為に職員室に向かった実弥を出迎えたのは、平仮名の練習帳を広げて「褒めて!」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべた彼女の姿だった。

 可愛らしい様子の彼女に微笑みかけ、抱きしめながら撫でてやる。実弥に撫でられるや否や、その手に人懐っこい子猫のように擦り寄るエリを何処か微笑ましそうに見守っていた相澤は、実弥に向き直って尋ねた。

 

「初日のヒーロー基礎学お疲れさん。……どうだった?問題児達は」

 

 問題児。自分以外でそういう呼称になる者はたった2人しかいないだろうと考えた実弥は、数秒思考する様子を見せてから答えた。

 

「緑谷は右腕ぶっ壊す大怪我を負って、命辛々って感じで相手の爆豪と飯田のチームに勝利しましたよ。爆豪は……癇癪起こして大爆破です」

 

 実弥の答えを聞いた相澤は、ため息混じりに髪を荒っぽく掻き乱す。

 

「成る程な……。ま、一朝一夕に変われるんなら苦労はしねえって話か……」

 

「戦闘訓練の後の様子を見るに……取り敢えず、爆豪の肥大化したプライドはへし折れました。変わるなら、ここからでしょうね」

 

「そうか。……これが効いてくれりゃあいいんだけどな」

 

 そんな彼を見ながら付け加えた実弥の脳裏に浮かんだのは、呆然と床の一点を見つめてばかりだった爆豪の様子。ここから礎を築き直して、道に乗っかれるのならまだ見所があるかもしれない。だが、不貞腐れて自暴自棄になるならそこまでだろう。

 

(……自分の思う通りにいかねェ相手を暴力で捻り潰そうとする爆豪と、同じような相手を敢えて暴力で遠ざけようとした俺。単なる癇癪か、思いやる相手がいてか。動機は違っても、やってたことは同じか)

 

 前世の自分を思い浮かべつつ、実弥は思う。結局、玄弥に思いの内を話すこともなく、酷いやり方で遠ざけ続けた。理由があろうと許されることではない。そんな自分も、きっと今の爆豪と通ずるのだろうと思う。怒気に満ちた自分に恐怖を抱いていた爆豪を見た後では、彼が緑谷を気に入らない、受け入れられない存在として必死に遠ざけ続けている虚勢を張った小犬のように思えた。

 

 そういう意味では、かつての実弥と爆豪は同じような弱みを抱えているのだろう。彼が気に入らないのは、そういう点で自身が重なる同族嫌悪的なものもあったのだと改めて痛感した。

 

(俺は大馬鹿野郎だ。腹割って話す覚悟がなかった。初めっからそうしてりゃ、決してお前に会えない場所に来たとしてもずっと後悔することなんかなかったんだ。……お前もそう思わねェか、玄弥)

 

 かつていた世界にあったのかもしれないあの世で、家族と共に幸せに過ごしているであろう玄弥に思いを馳せる。

 後悔してもどうにもならない自分の大きな罪。そうであるからこそ、その弱みを受け入れて今世は同じことを繰り返さないように強く、強く生きていく。歩み続ける他ない。

 

 憂いを(たた)えた瞳で銀色のロケットペンダントを握りしめる実弥と、思考する様子を見せる相澤の間に沈黙が流れる。

 

 ペンダントを握りしめたままの実弥の制服のズボンの裾をエリが控えめに引っ張る。それによって、実弥の思考が中断された。しゃがんでエリと目線を合わせた実弥は、同じことは繰り返さないと改めて誓った後で尋ねた。

 

「どうした?」

 

「緑谷さん……また怪我しちゃったの?大丈夫……かな」

 

 ぎゅっと自分の小さな手を握りしめるエリの表情はとても不安げで。

 

(ったく、2日連続でエリにこんな顔させやがってよォ。罪な奴だァ、緑谷)

 

 (いささ)かムスッとしたような顔をしながら、実弥はそう思った。――因みに、実弥の言った「罪な奴」は、緑谷が女性に好かれる傾向が多い身でありながらも言い寄ってくる女性の告白を断って悶々とさせる男という意味ではない。ここでは、無意識の内にエリにとって残酷な行動を次々ととってしまう男という意味だ――

 

「……お兄ちゃん。緑谷さんの様子を見てあげたいの。……駄目?」

 

 あざとさを滲ませた小首を傾げる仕草を取りながら、エリが尋ねる。そのルビーのように煌びやかな瞳には力強い意志が宿っていた。

 

 ……あの事件以来、エリは時折こんな目をするようになった。そういう時は、彼女が実弥の力になりたい、実弥を支えたい……。そう強く望んだ時だ。今回はその相手が緑谷であるようだ。

 こうなったら、実弥でさえもどうしようもない。こういう時は、立場が逆転したかのように(ヴィラン)への憎しみを燃やし続けて時折疲弊した実弥をとことん労わり、精一杯撫でたり抱きしめたりしてくる。肝心の実弥はされるがままだ。

 

 それを知っているからこそ、断る理由はない。

 

「……分かった。今は保健室で休んでるところだろう。この後、兄ちゃんと一緒に行こうな」

 

「うん!」

 

 実弥の承諾を得たエリは、花のような弾ける笑顔を浮かべていた。

 

 と、ここで思考する様子だった相澤が口を開いた。

 

「不死川。緑谷のこと、どう思う?」

 

「……いい目をしているとは思います。ですが、些か自己犠牲の精神が過剰すぎる。あのままだと、いつかは今以上の怪我を負い兼ねない。犠牲を最小限にするだけの考えは、先の個性把握テストで身につけたようですが……俺は、今の緑谷にヒーローになってほしいと、夢を叶えてほしいとはすんなりとは思えません」

 

 戦闘訓練で怪我を負い、保健室に運ばれていった緑谷の痛々しい様を思い浮かべながら実弥は迷う間も無く答える。

 そんな彼を見た相澤は――微かに笑った。

 

「大方思った通りだな。今、お前の中で緑谷は弟妹達のように決して死んでほしくない存在になりつつある。彼奴を遠ざける為に、お前は苛烈な言動を取って心をへし折ろうとする。……そう思うんだが、どうだ?」

 

 ――図星だ。

 

 人を見る目。相澤には、その本質を見抜く目が備わっている。流石は教師だと実弥は思った。

 

「……返す言葉もありません」

 

「だろうな。……分かるよ。お前が知ってる通り、俺も自己犠牲と無謀を履き違えた奴を何度も除籍して、死を与えてきたからな」

 

 「因みに通算は154回だ」と悪戯っぽく笑った後で、相澤は続けた。

 

「そんなお前に頼みがあるんだ」

 

「頼み……ですか?」

 

「ああ。不死川、お前には――」

 

 

 

 

 

 

――緑谷の教育を任せたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実弥は、一度教室に戻った後でエリを連れて保健室に向かっていた。

 

 今頃、教室では先の戦闘訓練の反省会が行われているところだろう。勿論、実弥も誘われたのだが、エリの頼みで緑谷の様子を見に行くことを告げると、芦戸や上鳴、切島辺りに満面の笑みのサムズアップで快く送り出された。

 言うまでもないだろうが、実弥が教室に戻った時には既に爆豪の姿はなかった。切島曰く、自分達の声に耳も貸すことなく出て行ってしまったらしいが……。

 

(ここからどうなるのかねェ、爆豪の奴は)

 

 少しでも変わることを2割期待しつつも、結局変わらないであろうという諦めの気持ちが8割という心理状態の実弥は、黙々と保健室への道を歩いていた。

 

「……不死川」

 

「ん?轟か」

 

 その道中、保健室から戻ってきている最中の轟と鉢合わせた。先に声をかけてきた轟に対し、ガシガシと頭を掻きながら実弥は言う。

 

「……悪かったなァ、訓練じゃ散々な目に遭わせて。加減が足りてなかった」

 

 そんな申し訳なさそうな実弥を見た轟は、氷のように冷ややかな無表情のままで言った。

 

「……いや、気にすんな。俺も無意識のうちに驕ってたのが分かった。いい経験になったよ。…………いつか必ず、お前にも勝つ」

 

「……おう」

 

 勝利宣言を終え、言いたいことは言い終わったとばかりに轟はそそくさと歩き去っていく。その時の彼の遥か先を憎むような目に、実弥は何とも言えない気持ちを覚えた。

 

(……あの遥か先を憎むような目、どうも見たことがある気がすんな。どこで見たんだっけか……?)

 

 思考する実弥の横で、手を繋いでいるエリが首を傾げながら尋ねる。

 

「お兄ちゃん?どうしたの?」

 

「……いや、なんでもねェよ」

 

 彼女の言葉で思考を中断し、首を傾げる彼女に微笑みかける。再びモヤモヤとした感覚を覚えながらも、実弥は保健室へと足を進めていった。

 

「ん?待てよ……?轟、か。まさかなァ……?」

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

「し、失礼します!」

 

 保健室を訪れ、礼儀正しく一礼してから中に足を踏み入れた実弥とエリ。彼らを出迎えたのは、雄英の養護教諭で要でもあるリカバリーガールだった。

 

「おや、いらっしゃい。不死川にエリちゃん。どうしたんだい?」

 

「エリが緑谷の様子を見たいそうで。俺はその付き添いです」

 

「怪我をしたって聞いたので……せめて、(そば)にいてあげたいなって」

 

 答えを聞いたリカバリーガールは、微笑ましそうに慈母のような笑みを浮かべつつも、保健室のベッドですやすやと眠る緑谷を見て、彼を咎めるかのような表情をした。

 

「そうかいそうかい……。2人とも良い子だねえ。全く、この子もとんだ問題児さね。雄英に入学したばかりだってのに、エリちゃんくらいの小さな子に心配をかけて」

 

 リカバリーガールの出した椅子に腰掛けて緑谷を見守りつつ、実弥が言った。

 

「全くです。本当に罪な奴ですよ」

 

「本当さね。オールマイトもオールマイトで、何ですぐに止めてやらなかったんだか……。そうだ、不死川。あんた、オールマイトを叱ってくれたんだって?ありがとうね」

 

「いえ……言うべきだと思ったから言っただけです。出過ぎた真似かもしれませんが」

 

「いいや、そんなことないさね。叱られて当然のことをやったんだ。オールマイトは、教師としてまだまだ未熟。導く立場を学んでもらわなきゃ話にならないよ。私から叱るのはまだ良いが……生徒に叱られるなんて恥ずかしいったらありゃしない」

 

「……そうですね。私情優先してるようじゃ、まだまだです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何気なく会話を交わしていたリカバリーガールと実弥であったが、実弥がエリの耳に届かないように呟いた言葉でリカバリーガールの作業をしていた手が止まった。

 

「……つくづく勘が良いんだねぇ、あんた」

 

 側に来たリカバリーガールの言葉をやんわりと否定しつつ、実弥は答える。

 

「そうでもないと思います。分かりやすいんですよ、オールマイトさんが。戦闘訓練の試合、戦闘を繰り広げていたのは緑谷と爆豪でした。あの人は善人とは言え、ヒーローらしからぬ所業を繰り返す爆豪に一眼置くとは思えません。じゃあ……選択肢は一つしかないでしょう」

 

「成る程ねぇ。ヒーローに向かって、がむしゃらに頑張る緑谷(この子)以外あり得ないってことだね」

 

「ええ」

 

 第一試合の講評でオールマイトを叱った際に、実弥が「貴方が彼奴に対してどれだけ特別な思いを抱えていようが関係ない」と言ったのは、緑谷とオールマイトの関係をこの短時間で察してしまったからこそだった。

 

 仮にその対象が爆豪であるとするなら、あのオールマイトが肥大化し過ぎた自尊心やヒーローらしからぬ言動を放置するとは思えないし、正直、彼にはあの平和の象徴たるオールマイトを突き動かす要素がゼロだ。

 一方、緑谷はとにかくがむしゃらに頑張る。自分を容易く犠牲に出来てしまうくらいにとことん。それに、個性把握テストの際に相澤や実弥を突き動かした決断力や、入試の時の0P破壊。平和の象徴たるオールマイトを突き動かす要素は十分すぎるくらいにある。

 

 これらの根拠から、実弥はオールマイトが試合中止を躊躇(ためら)う理由を察してしまったのだった。

 

 耳を貸すように促すリカバリーガールに従い、実弥は彼女の身長に合わせてしゃがむ。そして、彼女は実弥の耳元で囁いた。

 

「とにかく、オールマイトは口を滑らせやすい。嘘を()くのも、これ以上ないくらいに下手だ。これからも、あんたの耳に思いもよらぬ情報が飛び込んでくるかもしれないけれど……どうか内緒にしておいておくれ。勿論、このこともね」

 

「……分かりました」

 

 どうやら、自分はトップシークレットなことを知ってしまったらしい。

 

(何てことしてくれてるんですか、オールマイトさん)

 

 実弥が内心で悪態を吐きながら立ち上がった時だった。

 

「!緑谷さん……!起きたんだ、良かった……」

 

「エ、エリ……ちゃん……?不死川君まで……。どうして……?」

 

 エリが微笑みながら、安心したように呟く。それに促されて緑谷の方に視線をやれば、目覚めた彼が困惑気味に実弥とエリの顔を交互に見つめていた。

 

 困惑気味の彼を見つつ、リカバリーガールが眉を吊り上げ、怒った様子で畳み掛ける。

 

「2人とも、あんたの様子を見に来てくれたんだよ。全く、最初の戦闘訓練からこんな小さい子に心配をかけて……。個性把握テストの時は、エリちゃんの"個性"で治してもらったそうだね。ヒーローになるんだったら、小さい子供達を笑顔にしてあげなきゃ駄目じゃないか」

 

「す、すみません……。本当に返す言葉もないです……。エリちゃんもごめんね……昨日の今日で……」

 

「めっ、ですよ。約束破ったら」

 

「うん……。本っ当にごめんね……」

 

 何もかもリカバリーガールの言う通りで、返す言葉もない。緑谷はリカバリーガールとハムスターのようにぷくっと頰を膨らませたエリに向けて、何度も頭を下げた。

 

「不死川君も……。ごめん、心配かけて……」

 

「ったく……危なっかしくて見てられねェんだよォ。目ェ覚ましたばかりで(わり)ィが、こればかりは口出しさせてもらうぜェ」

 

 肩を竦め、縮こまった様子で申し訳なさそうにする緑谷を見つつ、実弥は再びベッドのすぐ側の椅子にドカッと腰掛けて切り込んだ。

 

「はっきり言う。今のやり方続けてると……いつか必ず死ぬぞォ。自分の何かと引き換えに人を救けた。聞こえはいいが、何かを犠牲にした奴を見せられた方の心のダメージは尋常じゃねェ」

 

「…………」

 

「玉砕覚悟で何かをやり遂げるってのは、褒められるやり方じゃねェんだ。……分かるな?」

 

「…………うん」

 

 実弥の言葉を聞き、意気消沈気味に緑谷が頷く。

 

 実弥の場合、心のダメージを負う方を経験した側だ。下弦の壱を討伐し、"柱"に昇格する資格を得ると同時に親友を失った。無惨の襲撃を聞きつけて主君の元に駆けつけるも、彼は自分の目の前で、彼自身の家族諸共散ってしまった。そして、上弦の壱を討伐したのと引き換えに玄弥を失った。

 

 いつもそうだ。自分よりも生きるべき善人が次々散っていく。そして、自分は彼らの重く尊い願いを背負って生きる。死なば諸共と散って、ただただ託して背負わせる。そんなのはもううんざりだ。

 願いを叶えるのなら、託さず自身で生きて叶えてほしい。だから、実弥は厳しく咎める。

 

「いいかァ、緑谷。後からオールマイトさんから聞かされる講評でも同じこと言われると思うが……俺達ヒーローってのはな、他人の命を背負わなきゃならねェ。背負った命を守る義務がある。……誰かを笑顔に出来るはずの俺達が、誰かから笑顔を奪うのは話にならねェだろォ」

 

 遠くを見るように実弥は語る。

 

 ヒーローというものは、多くの人に慕われる。多くの人の憧れの的になる。だからこそ、彼らの心を傷つけない為にも死ぬ訳にはいかない。生きなくてはならない。

 

 憂いを湛えた瞳でそう付け加えた実弥が、緑谷にはとても大人びて見えた。数多の命の喪失を目の前で目にしてきた歴戦の戦士のように思えた。これ程までに達観している彼を前にしている状態だからこそ、自分がどれだけ出遅れているのかを痛感し、自分の未熟さが情けなくなった。

 

「生きる為にも、まずは"個性"の制御が出来るようにならねェとなァ。……緑谷、()()()()()()()

 

「……え?」

 

 俯き、唇を噛み締めながら掛け布団を握りしめていた緑谷だったが、実弥の言葉で即座に顔を上げた。言われたことの意味が把握出来ないとばかりに瞬きを繰り返す彼の頭を荒っぽく撫でてやりつつ、実弥は続ける。

 

「つまりだァ、俺が鍛えてやるって言ってんだよォ。相澤先生の頼みだしなァ」

 

 同じヒーローを志す者の命を守らんとし、言うべきことははっきりと言える実弥だからこそ、相澤は彼を緑谷の教育者に認定した。

 勿論、実弥は何の異論もなくそれを引き受けることを決めた。

 未だにポカンとしている緑谷を見て、実弥はいたずらっぽい笑みを浮かべながら冗談混じりに言う。

 

「それとも……俺じゃ不満かァ?」

 

 実弥の冗談を聞きつけた緑谷は、残像が残りそうなくらいにブンブンと首を横に振って否定の意思を全力で示すと、口を開いた。

 

「不満だなんて、そんなことある訳ないじゃないか……!クラス1番の実力者の不死川君に強くしてもらえるだなんて!……全部、君やリカバリーガールの言う通りだよ。小さな女の子1人にいつまでも心配かけさせてるようじゃ、オールマイトみたいなヒーローになんてなれやしない。僕はもっと強くならなきゃいけない……!だから、よろしくお願いします!」

 

「ん、決まりだなァ。……道半ばで死ぬんじゃねェぞォ。そんなことは許さねェし、俺がさせねェ。約束だァ」

 

「うん……!」

 

 2人で固く握手を交わす。その瞬間、実弥の傷だらけで男らしい手に安心感を感じた緑谷であった。

 

「……この後はしっかり休みなよ。私の"個性"は治癒力を活性化させるだけ。治癒には体力が要るからね。大きな怪我が続くと体力消耗しすぎて逆に死んでしまうから気をつけな。今のうちから、今日みたいにボロボロにならなくてもいい戦い方を模索しんさい」

 

「き、肝に銘じておきます……」

 

 この後、体力を少しでも回復させる用のペッツをリカバリーガールから一粒受け取った緑谷は彼女に釘を刺されたことや実弥の説教を心に深く刻みつけ、エリと実弥に連れられて保健室を出た。

 

 彼らが立ち去り、しんと静まり返った保健室でリカバリーガールが声を上げる。

 

「……もう行ったよ」

 

「申し訳ありません、リカバリーガール……。助かりました……」

 

 すると、冷や汗を流しつつ、ホッと息を吐きながら、骸骨のような酷く痩せ細った姿のオールマイトがカーテンの向こうから姿を現したではないか。

 緑谷に講評を聞かせる為に彼が目覚めるまで待機をしていたのだが、保健室に近づいてくる気配を感じて咄嗟に隠れて、リカバリーガールに匿ってもらっていたという状況だ。

 

「本っ当にどうしようもない子だね、あんたは。不死川の話を聞いてたかい?あんたと緑谷の関係を見事に察されていたよ」

 

 自身の心にグサリと棘のように突き刺さるリカバリーガールの一言を受け、チクリとした胸の痛みを覚えつつ、オールマイトは参ったとばかりに頭を掻いた。

 

「不甲斐ない限りです……。私、そこまで分かりやすいんでしょうか……」

 

「昔から嘘を吐くのも下手だからね。不死川のように、色々と達観して察しの良い子からしたら分かりやすいんだろう。……あの様子だと、八木俊典とオールマイトが同一人物だってことも察してるんじゃないのかい?担任から緑谷の教育者認定もされてるようだし、私はいっそのこと全部話しちゃった方がいいんじゃないかと思うけどね」

 

「…………そう、ですね……」

 

 10代の勘って恐ろしい……と心の底から痛感したオールマイトであった。



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第二十話 ここから

「ごめん……わがまま言って」

 

「気にすんなァ。早いところ行ってこい」

 

「うん!」

 

 実弥とエリ、それに緑谷は昇降口を訪れていた。

 

 爆豪の様子を気にしていた緑谷は、教室に向かう途中で爆豪がそそくさと教室を立ち去っていたことを聞くと、どうしても言いたいことがあるから爆豪の元を訪ねたいと言い出したのであった。そうして、急ぎ彼の姿を探し……孤独に校門に向かっている彼を見つけたという訳だ。

 お気に入りの赤い靴を履き、慌てて爆豪の背中を追う緑谷。実弥は、物陰から口を挟むことなくじっと彼を見守ることにする。

 

「かっちゃん!」

 

 緑谷がその背中に追いつき、幼馴染のあだ名を呼んだ。

 

「……ああ?」

 

 その声に振り向いた爆豪は、威圧するように声を発しつつ、鋭い三白眼で緑谷を睨みつける。

 その瞳に怯み、一瞬肩を跳ねさせる緑谷であったが……彼は大きな決意をした。母にすらも話していない大きな秘密。それを濁してでも話そう、と。彼の頭は、とにかく自分が騙していた訳ではないことを打ち明けようとするので必死だった。だからこそ正常に働かず、口走ってしまった。

 

「……僕の"個性"は、()()()()()()()()()なんだ」

 

「……あ?」

 

「……!」

 

 呆けた声を上げる爆豪。喧嘩にならないかな、大丈夫かな、と言わんばかりに2人を見守るエリを他所に目を見開く実弥。実弥は、個性把握テストの時の爆豪の発言を思い出しつつ、頭をフル回転させていた。

 実弥の状態も露知らず、ただただ必死な緑谷は続ける。

 

「誰かからは絶対言えない。コミックみたいな話だけど、本当のことで……。おまけにろくに扱えなくて、全然ものに出来てない借り物の状態で……。だから、使わずに君に勝とうとした。けど、結局勝てなくて、それに頼った。僕はまだまだで……。だから――」

 

「ッッッ……!!!」

 

 しどろもどろながら必死に言葉を紡ぐ緑谷。彼を見つつ、爆豪は歯を食いしばり、青筋を浮かべてプルプルと震え出す。

 苛立ちのままに、「言いたいことがあるんなら、はっきり言えや!」と叫ぼうとした瞬間――緑谷の力強い瞳が爆豪の目を射抜いた。

 

「――いつか、この"個性"をちゃんと自分のものにして、僕自身の力で君を超えるよ!」

 

 決意を胸に口に出した一言。爆豪は唖然とし、この瞬間、緑谷も緑谷で正気に戻り、自分は何を口走っているんだと目が点になる。

 

「んだ、そりゃ……。借り物だとか訳分かんねーこと言って……これ以上、俺をコケにするんか?」

 

 体も含めて緑谷の方を振り向いた爆豪は、俯きながら声を荒げる。

 

「だから何だ?今日、俺はテメェに負けた。そんだけだろうが……!そんだけ!」

 

「氷の奴見て、敵わねえんじゃ……って思っちまった!ポニーテールの言うことに納得しちまった!不死川には一生敵わねえって思ったし、昨日の今日で散々思い知らされちまった!!!クソッ!クソッ、クソッ……!」

 

 爆豪の声が震え出す。脳裏に浮かぶのは、自分の弱さを散々思い知らされた昨日から今日までの出来事。

 今思い出してみても、道から転げ落ちてばかりの自分が情けなくて仕方がない。打ちのめされ続け、プライドがへし折れた爆豪は……泣いていた。

 

「こっからだ!俺はこっから……!雄英(ここ)で1番になってやる!」

 

 「クソデク!テメェが俺に勝つなんて二度とねえからな……!覚えてやがれ!」と吐き捨て、爆豪は踵を返して歩き去っていった。

 

「……成る程なァ」

 

 ようやく爆豪を見つけ、教師としての責務を果たさんとするも、既に立ち直った彼に呆気なく振り払われるオールマイトを陰から見つつ、実弥は呟いた。彼は、爆豪の心の強さに多少なりとも感心していた。そして、()()()"()()"()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ここまで肥大化してきた自尊心。それをへし折られながらも、爆豪は不貞腐れることなく立ち上がった。言動が矯正されることは無さそうだが、少なくとも他人を見下して自身の視野を自然と狭くすることは無くなるだろう。

 挫折を経験しつつも、それを糧に立ち上がれる者は強くなる。不貞腐れて意気消沈するよりは、ずっと良い。理不尽の中で生きた経験がある実弥だからこそ、それを知っている。

 

(テメェのこれからに多少は期待しても良さそうだな、爆豪さんよ)

 

 夕暮れの空を仰ぎ、実弥は静かに笑った。

 

 ……因みに、緑谷が口を滑らせたことで全てを察してしまった実弥が新たな秘密の共有者になったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 1人孤独に帰宅した爆豪は、いつもよりも荒っぽく、雑に部屋の扉を開け、もはや投げ捨てるかのような勢いで通学鞄を勉強机に放り出した。そして、幽霊のようなフラフラとした足取りでベッドにまで辿り着き……自然と倒れる体に身を任せて、そこに体を埋めてしまう。

 

「ちくしょう……」

 

 部屋に虚しく響き渡るのは、自分自身の情けなさに打ちのめされてしまった彼の呟き。初日からズタズタにされ続けたプライドは完全にへし折れてしまった。何とか立ち直り、ああやって緑谷の前で宣戦布告してみせたものの、悔しさは拭い切れず。

 

 先程は、決して泣いているところを見せたくない幼馴染がいた手前、何とか耐えることが出来た。だが、彼の目が自分自身の部屋をたった1人になれる空間且つ、泣いても特に恥を晒すこともない空間だと認識した瞬間に涙腺が緩んでしまった。泣くまいとして、糸のようにピンと張っていた気がプチンと切れてしまい、緩んでしまった。

 

 一度泣いても良いんだと言い聞かせてしまえば、泣くだけ泣ける。そんな人間の脆い一面を知り、自分にも例外なくそういう一面があるのだと知った爆豪は、やはり自分が情けなくなった。止めようにも涙が止まらず、そのままボロボロと涙を流し続ける他ない。

 

(――上手くいかねえ。雄英に入学してからは、何もかも。昨日の今日で、一日中……ずっと。俺の思い通りにいくことはなかった……)

 

 自分の涙で濡れつつある枕を固く握りしめながら、ここ二日で晒しに晒した痴態を思い出す。

 

 初日の登校した瞬間から踏ん反り返り、人生初めての身の毛がよだつ程の恐怖を体感させられた。首席であることに浮かれていたら、更に上――特別枠の入学者がいて、愕然とした。緑谷が"個性"を持っていたことが判明し、怒りのままに彼に暴力を振るおうとして……立ち塞がった壁に一蹴された。おまけに、ソフトボール投げの記録は緑谷に僅かに劣っていた。

 

 そして、2日目の今日。全力の緑谷をねじ伏せようとするも、試合に敗北した。彼が最後の一手として放ったアッパーカットと同時に自身も爆破を叩き込んだが……完全に読まれていた。それ以前に、一時的とは言えど''個性''を使用していない緑谷に渡り合われた。

 

 彼の口から''個性''をてんで扱えないだの、色々なことを聞かされたが、爆豪にとっては関係なかった。彼の中にあるのは、ずっと見下していた緑谷に敗北したという事実だけ。そもそも、最後の最後の極限状態に追い詰めない限り、相手に'個性''を発動させる決断をさせられなかった。その時点で、爆豪は個人的な勝負に敗北していたのだ。

 

 それがどうしようもなく悔しい。

 

 しかも、自分が敵わないと思った相手が2人も現れた。1人は推薦入学者の轟焦凍。もう1人は……雄英史上初の特別枠入学者、不死川実弥。

 特に後者の存在は、爆豪の心を無慈悲に抉った。

 

 自身の前に初めて立ち塞がった強大すぎる壁。親以外で初めて自分の行動を咎め、口出しし、(ことごと)くねじ伏せた相手。

 

 同年代にも自分より上の存在がいるなど考えたことがなかった。小さい頃から、彼は常に持て囃されてきた。決して手の届かない存在として、敵わない存在として持ち上げられ続けた。オールマイトの勝つ姿に憧れ、彼をも超えるNo.1ヒーローになる為に突っ走ってきた。だが、今……強大な壁を前に立ち止まってしまっている。

 

 他人をいつまでも見下して、下ばかり見て満足していたことによるツケが回ってきたのだろうか?

 

(だとしたら……お笑いものだな)

 

 もう自分を嘲笑でもしないと、心を保てない。

 

「こんなところで行き詰まってるんじゃ、オールマイトを超えるヒーローになんかなれねえじゃねえか……!俺が1番で突っ走れると思ってたのに!どうしてだよ……!どうして、何もかも上手くいかねえんだ!!!」

 

 声を荒げ、涙ながらにベッドに拳を叩きつける。その時――

 

「あらら。珍しくしおらしいと思ったら……こっぴどくやられたんだね」

 

 自分の背後から、よく聞き慣れた声が降りかかる。慌てて振り向けば、そこには母の姿があった。

 

「バ、ババア!?クソッ、勝手に入ってくんな!何しにきやがった!?」

 

 泣き顔を母に見られたくない一心で、必死に涙を拭いながら威圧するように声を荒げて枕を投げつける。だが、ひょいと無駄のない動きで呆気なく避けられてしまった。

 「避けてんじゃねーよ!」と青筋を浮かべながら叫ばんとした爆豪だったが、腹を抱えて大笑いする母親を見て唖然とする。

 

「な、何笑ってやがんだ!」

 

「ブフッ……!あはははははッ!だ、だって、あんたの目……真っ赤なんだもん!泣いてたの隠せてないよ!?うっわあ、勝己が泣いてるところ見たの何年振りだっけ!?あー、おかしい!」

 

「ぐぎぎ……!」

 

 いざ尋ねてみれば、どうだ。母は、自分が泣いていたのを隠せていないことに大笑いしているではないか。もはや笑い泣きしている彼女を見つつ、これだから泣いているところを見られたくなかったんだ、と爆豪は羞恥に頬を染め、歯を食いしばってそれに耐えていた。

 

「あー……そっかそっかあ。泣いちゃうくらいにプライドがボコボコにされたんだねぇ」

 

「う、(うるせ)え!」

 

 自分の息子が敗北したことを嬉しく思っていますよとばかりにニヤニヤとした笑みを向ける母。文句を言いたくなったが、プライドがズタボロになったのも、泣いたのも事実なので何も言えない。ただただ、拗ねてそっぽを向いた。

 

「はあ……あんたさあ、こういうところは本っ当にガキのままだね。とにかくさ、何があったのか話してみなよ」

 

「チッ……」

 

 隣に腰掛けて肩をバシバシと叩く母に促され、爆豪は渋々ながらも昨日と今日の出来事を話した。――緑谷の''個性''が人に授かったもの云々と聞きはしたが、明らかに人に話していい話題じゃないと爆豪の勘が告げていたので、そこは遅れて''個性''が発現したらしいということにしておいた――

 

「成る程ねぇ。あんたの言い分はよく分かった!その上ではっきり言わせてもらうけど……全部、あんたの自業自得だと思う。勿論、ここまであんたのプライドを膨れ上がらせちゃった私達にも責任はあるけどさ」

 

 自分の息子から大方の経緯を聞いた爆豪の母は、爆豪の前にしゃがみこむ。一瞬申し訳なさそうな顔をしながら、自分の息子の頭を撫でていたが……直後、子を諭す親さながらの凛とした表情に変化した。

 

「あのね、勝己。オールマイトをも超えるNo.1ヒーロー……ってのがあんたの夢だったよね?」

 

「……それがどうした」

 

 ぶっきらぼうに返す爆豪の頭をわしゃわしゃ撫でながら、彼女は続ける。

 

「そんな凄いヒーローになる為の道が何の障害もない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「は?」

 

 母の言葉に呆けた声を出す爆豪。そんな彼を見た爆豪の母は、ため息混じりに言った。

 

「オールマイトが最初から無敗のヒーローだったと思ってるの?もしそう考えてるなら、勘違いも甚だしい。あの人は凄いよ。誰もがそう認めるくらいに。でもさ……彼だって人間な訳でしょ?今みたいなヒーローになるまでに、沢山の苦労をしてきてるはずだよ。あんたの知らないところで(ヴィラン)に負けた経験もゼロじゃないだろうし、届かない手もあったはず」

 

 そして、彼女は微笑んだ。

 

「勝己、人間ってのは……挫折を経験してこそ強くなる生き物なんだよ」

 

「挫折……」

 

 母の言葉にハッとしながら呟く。今思ってみても、挫折は爆豪の辞書に一切なかった言葉だ。

 

 すると、爆豪の母は立ち上がり……白い歯を見せつけるようにニカッと笑った。

 

「良かったじゃん、今のうちに挫折を経験出来たんだから。勝己がもっと強くなれるって証拠だよ。あんたなら、どれだけへし折れても必ず立ち直れるって信じてる。『一昨日の己に勝つ。昨日の己に勝つ。今日の己に勝つ』……。それが勝己でしょ?」

 

 母の声に顔を上げる。微笑みながら自分の頭をくしゃくしゃと撫でてくる母の姿がオールマイトに重なった。

 母が偉大だとはよく言ったものだ。これまでババア呼ばわりして散々悪態をついてきたが……この時ばかりは、母の強さというものに感謝せざるを得なくなった。

 

(そうだ……。負けて道が塞がる訳じゃねえ。デクに向けて言ったじゃねえか。こっからだって。もうウジウジしてんのはやめだ。俺より強え奴らから吸収しまくって……俺も強くなる)

 

 決意を固め、涙を拭う。どんな時でも笑顔を絶やさないオールマイト(憧れ)のように、口の端を吊り上げて不敵に笑ってみせた。

 そして、立ち上がりながら母に向けて宣言する。

 

「ババア!よーく聞きやがれ!俺は何がなんでも、オールマイトをも超えるNo.1ヒーローになってやる!何回転ぼうが、絶対に諦めねえ……!走る俺の背中を黙って見てやがれ!!!」

 

 「腹減った、飯!」といつもの調子の命令口調で言うと、ドアを蹴り開けてズカズカとリビングに向かっていく爆豪。「はいはい」と呆れ気味に答えつつ、爆豪の母は彼の背中を頼もしげに見送った。

 

「本当に立ち直れるだけの心の強さは一丁前なんだから……。何にせよ、あの子のプライドをへし折ってくれた子に感謝しないと」

 

 そう呟く彼女の顔つきはどこまでも清々しく、晴れやかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘訓練の際に殴りつけられた頬や、壁に打ちつけた背中、鎌鼬によって斬りつけられた腕や足が痛む。……いや、正確に言えば、これは錯覚でしかない。

 そんな錯覚が生じた部位を、轟はそれとなく撫でた。

 

「まだ痛え……気がする」

 

 未だに目の前で攻撃を喰らっているような感覚が残る程に、実弥の強さは轟の中に刻み付けられていた。これまでの中で最も鮮烈に。今でさえ、戦闘中の彼が発していた覇気を想起すると、体が硬直しかけてしまう。

 

 同年代に父親であるNo.2ヒーローと同じくらいの覇気を発することが出来る者がいると、誰が考えるだろうか?……いや、考えられる訳がない。そもそも、轟が見ているのは同年代のライバル達ではなく、彼らより遥か先の場所にいる男――即ち、父親なのだから。

 

(これじゃ、親父を見返すなんて夢のまた夢だ……。もっと、もっと右を上手く扱えるようにならねえと。まだ終わった訳じゃない。ここからが本番なんだ……!)

 

 実弥の圧倒的な実力が轟を焦らせる。早く強くならなければ、と心を燻らせる。それに従って、自然と歩みが速くなる。

 

「……その様子だと、入学早々に手酷くやられたようだな」

 

 その時。轟にとって、よりによって聞きたくない声が耳に入ってきた。

 オールマイトとまではいかないが、轟を凌ぐ程に鍛え抜かれた巨躯と身長。自身の遥か先にあるものを憎むような厳格な双眸。声の主である彼の正体は……轟の父親、轟炎司ことフレイムヒーロー・エンデヴァー。

 

「親父……ッ!」

 

 その声が聞こえるや否や、轟は地獄の業火の如く激しく燃える憎悪に満ちた瞳を向けた。

 

 ヒーローとしては優秀な男ではあるが、轟からすれば自分がこの世で最も憎んでいる相手でしかない。逆に言ってしまえば……父親としては最悪な男なのだ。

 轟の憎悪に満ちた瞳を見ても、エンデヴァーは厳格な表情と腕組みをした状態を解くことなく言及する。

 

「いつまでもくだらない癇癪を起こしているからこうなる。お前の癇癪が通用する程、ヒーローの世界は甘くないぞ。いい加減、己を受け入れろ!左の力を使え!お前は俺の()()()()なんだぞ、焦凍!」

 

 轟を激励するかのようにその肩に手を置こうとするエンデヴァー。轟は、その手を振り払いながら声を荒げた。

 

「黙れ、何がくだらない癇癪だ!お前が……!お前がお母さんを追い詰めた!そんな家族を蔑ろにするお前の力なんて、使ってたまるか!俺は親父とは違う!」

 

 瞳に宿る憎悪の炎を更に燃やす轟の脳裏に浮かぶのは過去の記憶。顔の左側にある火傷を負った時のもの。今でも絶対に忘れない。顔の左側を見た母の恐怖に満ちた顔を。取り乱し、煮え湯を浴びせたことを謝罪する母の顔を。

 

「俺は、右側の……お母さんの力だけで上に這い上がる。そして、お前を見返してやる!俺は、お前の野望を叶える為の道具じゃねえ……!」

 

「何故だ!?何故分からないんだ!お前は、俺の野望を叶える唯一の希望だというのに!待て、焦凍!」

 

 自分を呼び止める父の声も無視し、憎悪の炎をジリジリと燃やしたままで轟は歩みを速め、ズカズカとその場を立ち去ってしまった。

 

(不死川……!俺は、いつか必ず右だけでお前を超える!そして、親父を見返す。黙らせる。親父の力なしで、トップに立つんだ……!)

 

 父親に対する憎しみが彼の視野をより狭める。実弥さえも、単なる超えるべき障害でしかない。轟の視野にある目標は……常に父親のエンデヴァーなのだ。

 

 だからこそ、気がつけなかった。己の心が悲鳴を上げていることに。幼い頃以来向けられていない、母がかつて向けてくれたような暖かい優しさを無意識のうちに求めていることに……。



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第二十一話 学級委員長の座は誰の手に?

2021/10/27 爆豪君の実弥さんに対する「テメェを超える」宣言を修正し、心の中で思わせるだけに留めました。

2022/8/25 峰田君の投票先を自分自身に変更。実弥さんが選ばれたことに対する反応を追加しました。


 初めての戦闘訓練を行った翌日のこと。

 

「……学校の前のくせして騒がしいなァ。何だァ?」

 

 校舎内に足を踏み入れようとした実弥であったが、校門の辺りから騒ついた声が聞こえているのに敏感に反応し、足を止めて振り返った。

 振り仰いだ視線の先。そこには、スーツ姿や私服姿と格好こそ様々ではあるが、共通してマイクやカメラ、ボイスレコーダーを構える多数の男女の姿がある。

 

「マスゴミかァ……。典型的じゃねェかァ」

 

 校門前を堂々と塞ぎ、生徒の通り道を無くす迷惑極まりない行為。それを平然とやってのけるマスコミ達の度胸と常識の無さを嘲笑してやりたい気分になった。

 

「!お兄ちゃん、あれ……!」

 

「ん?」

 

 実弥に抱き抱えられているエリが、ハッとしながら指差す。その先に……クラス内で上から数えた方が早いくらいの高身長と岩石のような頭が特徴的なクラスメイト――口田甲司と、烏のような見た目の黒い頭部と獲物を射抜くような鋭い瞳が特徴のクラスメイト――常闇踏陰の姿があった。

 

 特に後者の方は、その小柄さ故に人の波に揉まれに揉まれまくっている状態で、今にも押し流されてしまいそうだ。

 

「ケッ、常識のねェ奴らだァ……!肉に群がる知能のない獣みてェにワラワラと……!」

 

 そんな光景を見た実弥は、舌打ち混じりに群がるマスコミ達へと歩みを進めていく。

 

 そして――

 

「お願い!一言だけでも良いから話を聞かせて!」

 

「すみません。そいつ……俺のクラスメイトなんですけど、困ってるじゃないですか」

 

 困惑してオロオロとしている口田に鬼気迫ると言わんばかりの様子で詰め寄る女性レポーターに声をかけた。

 

「へ……?」

 

 突然声をかけられた女性レポーターは、微かな怒気に対して息を呑みながら、恐る恐る振り返る。

 

 振り返った先にあったのは……微笑みという名の仮面を被った実弥の姿だった。

 

「ひえっ!?不良!?」

 

 女性レポーターがビクつきながら実弥から距離を取ったと同時に、他のマスコミ達もそこにいることにすら気が付かなかったとばかりにきゅうりを目の前にした猫のように距離を取った。

 

「実弥お兄ちゃんは不良じゃないです。世界一優しい人です。謝ってください!」

 

 彼らの対応を見て頬を膨らませ、ぷんぷんと怒っている様子のエリを他所に実弥は口田と常闇に声を掛けた。

 

「口田も常闇も大丈夫かァ?」

 

「危うく、(しら)せを追い求めし者達の波に押し流されるところだった……。感謝する、不死川」

 

 常闇が乱れた毛を軽く整えながら言い、口田はぺこぺこと頭を下げる。一先ず、怪我のない彼らの様子に実弥は一安心した。

 

 更に、再び微笑みの仮面を被った状態で怒りの矛先をマスコミ達へ向けて、口を開いた。

 

「生徒と学校の迷惑になるので、せめて(わき)退()いてくださいね。仕事全うしたいなら迷惑にならない範囲にしてください。金になりそうなネタを見つけ次第、常識も弁えずに虫のようにワラワラと集まって……。これだからマスコミは嫌いなんですよ」

 

 呆れしかないとばかりにズバズバと放たれる言葉の刃は、次々とマスコミ達の心に突き刺さる。肩に人1人乗せているのではないかと錯覚するような言葉の重みが彼らにのしかかった。

 

「どうせオールマイト目当てなんでしょうが、あの人の背中ばかり追いかける時間が無駄ですよ。彼は多忙です。そんな時間があるならば……さっさとお引き取りして、世の為や人の為になるネタを報道してください」

 

 そこまで言うとスッキリしたとばかりに鼻を鳴らし、実弥はズカズカと歩き去っていく。その最中に幼い子供であるエリに「貴方達のこと嫌いです」と言わんばかりの表情を向けられたマスコミ達の心がボロボロになったのは、言うまでもない。

 

「……社会からの批判によって(もたら)されし炎も恐れることなく切り込んでいくとは。何たる度胸だ」

 

(それに、自分がマスコミに絡まれるのも厭わないって感じで嫌な顔せずに僕達を救けてくれた。やっぱり優しい人だよ、不死川君。エリさんの言う通りだ)

 

 態度的にも小さくなったマスコミ達を尻目に、実弥が優しい男であることを再認識した常闇と口田であった。

 

 ――しかし、誰一人として気付きはしない。

 

「……使えそうだなあ、あのマスコミ共」

 

 人知れず、すぐ(そば)に悪意が迫りつつあることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おはよう、不死川君。エリちゃんも」

 

「おう、おはよう」

 

「おはようございます、緑谷さん。……怪我はしてませんか?」

 

「だっ、大丈夫だよ!そこまでおっちょこちょいじゃないし……」

 

「私のいないところで怪我しちゃうから心配なんですっ」

 

 登校してきた緑谷を見るや、彼に駆け寄って怪我がないかを確認するエリ。どこにも怪我がないことを知ると、良く出来ましたと言わんばかりに緑谷の頭を優しく撫でた。

 

 その振る舞いは、さながら緑谷の実の姉であるかのようなもので。小さい子に撫でられているという現状に緑谷は羞恥で頬を染めていた。

 

 彼が上鳴や芦戸にいじられ気味の説教を受けているのを横目に、実弥はつい昨日から共有することになった大きな秘密を思い出す。

 

(''ワン・フォー・オール''……。巨悪を倒す為に紡がれ続けた義勇の心ってか)

 

 ''ワン・フォー・オール''。訳して、「1人は皆の為に」。そんな偉大なる名を冠する''個性''は、他から逸脱した力だった。身体能力を大幅に増強させるというシンプルな内容ではあるが、特筆すべきは……それが人から人へと受け継がれて力を増し続けてきたものだということ。平和を願う意志と共に蓄積された力が引き継がれ、その度に輝きを増してきた。

 

 そんな''個性''をオールマイトから受け継いだ存在――それこそが緑谷だった。約6年ほど前の戦いで、呼吸器官半壊、胃袋全摘という大怪我を負ったオールマイトは長年後継者を探していたのだそうだ。そして、1年前のヘドロ事件をきっかけに緑谷に心を突き動かされ、継承を決めた。

 

 それらを聞いたことで、実弥の疑問は全て解消した。''個性''を上手く扱えないのは、緑谷が使い慣れていないと共にそれそのものの力が強すぎるから。鍛え抜かれているはずの緑谷の体がまだまだ付け焼き刃染みた印象があるのは、入試までの10ヶ月で急遽体を鍛えたから。

 

(俺でもここまで鍛えられたのは年単位なんだけどな。10ヶ月鍛えただけは流石に不安が残るぜ……。殴り方、蹴り方……基礎の基礎から固めるべきか)

 

 平和の象徴の後継者だと分かれば、余計に緑谷を鍛えることに力が入るというもの。尚更のこと、道半ばで死なせる訳にはいかない。

 日本の未来は自分に懸かっていると言っても過言ではないことを自覚し、実弥は気を引き締めた。

 

「……おい」

 

「何だァ」

 

 緑谷にどんな鍛錬を施すべきかと考えていた実弥に声を掛けたのは爆豪だった。制服のポケットに手を突っ込んで前に佇む彼に、実弥は目線だけを向ける。

 

「調子乗ってられるのも今のうちだぞ、傷顔。テメェは必ず俺の手でブッ殺す」

 

 親指を立てた右手で喉元を掻っ切るかのような仕草をして宣言した爆豪。以前と変わらない傲慢な発言のように思えるが、以前の彼と違うのは……目だった。自信に満ち溢れ、他人を見下した目ではない。いつか必ず超えてみせるという闘志を燃やした目だ。

 すっかり立ち直った様子の彼を見て、大したメンタルの強さだと実弥は笑った。挑発するような笑みを浮かべた実弥は立ち上がり、言い返す。

 

「やれるもんならやってみやがれェ、井の中の蛙がァ」

 

「誰が蛙だ!よォし……分かった。まずは、俺1人の名前も覚えられねえテメェの(ここ)に俺の名前を刻み付けてやるよクソカスが!」

 

「はは、俺がカスならテメェはクズだな。それにしても、見事なブーメランをお持ちだなァ、爆豪さんよォ。他人をあだ名かモブ呼ばわりのテメェには言われたくねェよ。俺を超えたきゃ言動から直しやがれェ。まずはクラスの奴ら全員の名前でも覚えてきたらどうだァ?」

 

「ッッッ……!言わせておけばテメェェェェェ……!!!今ここでブッ殺す!」

 

「ちょいちょいちょい!爆豪、ストップストップ!」

 

「不死川!なんでそこまで煽るの!?爆豪も爆豪でエリちゃんいるんだから抑えろよぉ!」

 

「っせぇ!モブ共!邪魔すんな!」

 

 実弥の挑発に容易く乗せられた爆豪は、目を吊り上げて掌からバチバチと火花を散らす。結局、一触即発の現場に切島と上鳴が割り込んで、今にも殴りかかりそうな彼を2人がかりで押さえたことによってその場は事なきを得た。

 言動は相変わらずだが、彼の目はいい方向へと変わっている。

 

(……ちったァいい目すんじゃねェか、爆豪)

 

 (かたわ)らでエリを抱える緑谷は見逃さなかった。暴れ馬のように荒れ狂いながらも切島と上鳴の尽力によって押さえつけられている爆豪を見る実弥の瞳に、呆れだけではなく、弱みを受け入れて立ち上がれることへの感心が入り混じっていたのを。

 

(傷顔……!どれだけ地べたを這いずることになろうが、いつか必ずテメェを超えて一番になってやる!)

 

 自身を押さえる切島と上鳴を振り払わんとして暴れつつも、爆豪は実弥を超えるべき壁だと己に言い聞かせ、頂点への執念を燃やした赤い瞳で彼を睨みつけていたのだった。

 

 ……因みに、喧嘩になりかけた実弥と爆豪は「爆豪さんも実弥お兄ちゃんも仲良くしないと駄目!」とエリに怒られた。

 

 

 

 

 

 

「おはよう、諸君」

 

 そうこうしているうちに相澤が教室にやってきて、朝のHRが始まった。

 開口一番に相澤が言及したのは、やはり昨日の戦闘訓練のことだった。言うまでもないが、緑谷と爆豪は訓練での行動を咎められた。

 

「爆豪……またか、お前は。何度言わせりゃ気が済むんだ。初日から言っているだろう?これから多くの人がお前の振る舞いを見ることになるって。いい加減、子供染みた癇癪をやめろ。今回ばかりは、下手したら緑谷も死んでいたかもしれないんだぞ」

 

「…………分かってる」

 

「んで、緑谷は腕破壊して一件落着か。"個性"の制御、いつまでも出来ないじゃ話にならないぞ。逆に、それさえ達成出来れば出来ることは多い。焦れよ」

 

「っ、はい!」

 

 伏し目になり、その目に同じ失敗は繰り返さないという決意を宿しながら呟く爆豪と、曇っていた表情をほんの少し晴らして返事をした緑谷。

 咎められてもなお、不貞腐れる様子を見せない2人を見つつ、「こいつらは必ず強くなる」と実弥は思った。

 

「んじゃ、戦闘訓練の話は置いておいてだな……。急で悪いが、今日は君らに――」

 

 「急で悪いが」の一言に生徒の多くが息を呑み、身構えた。相澤の真剣な眼差しを見て、初日のように突然テストでもやらされるのかと心の準備をしていた。

 

 だが、予想はいい意味で裏切られる。

 

「――学級委員長を決めてもらう」

 

「「「「「学校っぽいの来たぁぁぁぁぁ!!!!!」」」」」

 

 初日から入学式を剥奪されたことで、A組の生徒達の多くが学校らしい行事に飢えていた。だから、今から行うことを聞かされるや、アイドルを目の前にした観客達のように握り拳を作りながら一斉に湧き上がってしまうのは無理もない話だった。

 

 トップヒーローになる為の素地を鍛えられる貴重なポジション。誰もがより上に立つヒーローになることに貪欲で、我こそはと挙手していく。他をまとめて導く。これもトップヒーローになるにあたって必須と言っても過言ではないスキルだ。

 

 誰もが挙手をしている中、実弥はただ1人挙手もすることなく、学級委員長に立候補するクラスメイト達を見守っている。

 

 実弥が何故に挙手をしないのか……。その理由は単純。彼は自分が他人の上に立って導くに値する人間でないと思っているからだ。実弥にとって、他人を導くに値する存在は当代鬼殺隊最強の男であった悲鳴嶼や、当代当主の耀哉、元"炎柱"の煉獄のような者達。

 実弥自身、自分が彼らのような存在になれていないと自覚している。それに、実弥は今の時点で自分の大切なものをいくつも取り零してしまった。弟妹や親代わりの恩人達すら守れない自分が、どうしてクラスメイト達の命を背負って導けようか。そんな風に考えていた。

 

 ――この考えを口にした瞬間、犬猿の仲であった元"水柱"の冨岡義勇がいたのなら、常に自分を低く見て他人を上に見る自己評価の低さを発揮して散々に実弥を褒めちぎり、学級委員長に推薦しただろう――

 

 誰もが妥協の姿勢を見せず、我こそはと手を挙げ続けている。このままではキリがないのは明らかだった。

 

「静粛にしたまえ!」

 

 そんな様子を鑑みてか、真っ先に声を上げたのは飯田だった。

 

「多を牽引する仕事だぞ!やりたいからやれる仕事でもあるまい!周囲からの信頼あってこそ務まる聖務だと俺は思う……!民主主義に則り、真のリーダーを皆で決めるのなら……これは投票で決めるべき議案ではないだろうか!?」

 

 (もっと)もな話だ。やりたいからと立候補し、実際にリーダーとして選ばれた者が人望の無い者であったとしたら……誰一人としてついて行こうとは思わないはず。皆の信頼を得られた者こそが、集団を引っ張っていくべき人材。そうして信頼を得て、皆の尊敬の的となれるだけの魅力があったからこそ、暴れ馬な実弥も悲鳴嶼や耀哉に一生を賭けてでもついて行ったのだ。

 

 確かにその通りだとほとんどが納得する。ただ――

 

(そう言いながら挙手しちまってる辺り、台無しだな……)

 

 そう発言した飯田自身が誰よりもピンと挙手をして、自分がやりたいという意志を全力で示しているのだ。あまりにも格好がつかない彼の様子に、実弥は苦笑してしまった。

 

「まだまだ日も浅いのよ、飯田ちゃん。信頼も何もないんじゃないかしら?」

 

「だからこそ、ここで複数票を獲得した者こそが真に相応しい人物となるのではないか!?どうでしょうか、先生!」

 

「時間内に決まれば何でもいいよ」

 

 人差し指を口元に添え、首を傾げながら蛙吹が尋ねる。同じようなことを思うものもいたが、飯田の反論や相澤に適当なゴーサインを出されたことでこれ以上時間を無駄にする訳にもいかないかと妥協して、投票制で学級委員長を決めることになった。

 

(……アイツ一択だろ)

 

 ここまでのやり取りを見ている中で即座に候補を絞った実弥は、用意された紙に迷いなくその人物の名前を記入した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおいィ、嘘だろ……?」

 

 数分後、投票の結果が出たのだが……実弥は唖然としていた。

 

「……という訳で委員長は不死川、副委員長は八百万に決定な」

 

 何しろ、票の殆どが実弥に集中しているのだから。唖然とするのも無理はない。

 実弥の獲得票数は1()8()()。例外として、八百万、飯田、爆豪、峰田に1票ずつの票が入っている。――爆豪、峰田の票に関しては自分自身に入れたものである為、他人の信頼など何一つ勝ち取れていないのだが――

 

「き、傷顔に18票……!?何でだぁぁぁ!!!」

 

「ふざけやがって……!イケメンの特権かよ、許せねえ……!!!」

 

 現に爆豪は納得のいかない投票結果を見て、机をポカポカと叩きながら荒れに荒れまくっている。先程、副委員長を決めるじゃんけんで負けたことも彼の苛立ちに拍車をかけていた。

 因みに、峰田も峰田で血眼の状態で下唇を噛み締めて悔しそうにしていた。さながら、嫉妬の化身となってしまったかのように。

 

「おめえに投票するよか、1億倍くらいマシだろ」

 

「言いたいことははっきり言ってくれるし、爆豪や峰田に対するセーブ役だし」

 

「不死川には、その背中に追従したいと思うだけの魅力がある。不死川ならば俺達を高みへと導いてくれる……。俺はそう確信した。彼こそ、我々を導く(マスター)。選ばれるべくして選ばれた者だ」

 

「常闇の言ってることは難しくてよく分かんねえけど、皆の兄貴って感じだよな!」

 

 上から、爆豪を(なだ)める瀬呂、呆れ気味に爆豪を見つめる耳郎、腕を組みながらしみじみと呟く常闇、ギザギザとした白い歯を煌めかせながら言う切島。

 実弥自身の意思とは関係なく、彼はこの時点で多くのクラスメイトからの信頼を勝ち取っていたのだ。

 

「くっ、流石に不死川君には勝てなかったか……!俺に投票してくれた人、済まないっ!」

 

 爆豪と同じようにじゃんけんに敗北した飯田も拳を握りしめながら悔しがっていた。そんな飯田を「ドンマイ!」と慰める麗日と蛙吹。

 

 クラスメイトのほぼ全員から向けられている大きな期待と、隣に立つ八百万から向けられる尊敬の眼差し。優しき男、実弥はそれらを無碍にすることなど出来なかった。

 

「そこまで期待されちゃあ……断る訳にもいかねェよなァ」

 

 実弥は腹を括り、己に与えられた役割を全うすることを決めたのであった。

 

 ……後に知ったことだが、投票にはエリも参加していたらしい。投票した相手は、言うまでもなく実弥である。



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第二十二話 高まる危機感

「へえ……A組は、不死川が学級委員長か。そりゃそうだよね」

 

「どこがだァ。俺からすりゃあ荷が重いぞォ」

 

「そんなことないさ、不死川君。常闇君も言っていたことだが、君には人に慕われる程の魅力があるんだ。()だって例外じゃない。そんな魅力を君に感じている。そこを見込んだんだ」

 

「そうだよ。私は鉄哲から聞いてるぞ?仮想(ヴィラン)を前にして突っ立ってるだけの受験生を、一喝して突き動かしたって」

 

「不死川ちゃんの言動は苛烈かもしれないわ。でも、それを聞いた他人を動かせるのはそれだけの力があるってことよ。貴方は人の上に立つのに適した人だと思うわ、私」

 

「不死川君のこと、殆ど知らんけど……この2日間で思ったもん。この人にならクラスを任せられるって!不死川君になら務まる!」

 

「うん。かっちゃんをあんな風に止めてくれるのもそうだけど、やり方がアレでも不死川君はいつも誰かのことを思った行動をしてくれるから……。だから選んだんだ」

 

 食堂で会話を交わしながら昼食をとる実弥。今日は、拳藤、蛙吹、飯田、麗日、緑谷の5人と食事を共にしていた。

 

 一人一人の言葉を耳にしながら、余計に責任を持ってクラスを引っ張っていこうと実弥は強く誓った。

 

「……ふふ」

 

「ん、どうした?」

 

 実弥と緑谷の間にちょこんと座っていたエリが嬉しそうに笑う。実弥は、決意を固めた表情を崩して柔らかい表情になりながら尋ねた。

 

「お兄ちゃんは、やっぱり世界一のお兄ちゃんなんだなって。それに……お兄ちゃんが優しい人だって皆さんに知ってもらえるのが嬉しいの」

 

 エリがにへらと花のような笑顔で笑う。彼女の笑顔をその場で見た誰もの心の中が温かくなっていった。

 

「ケロケロ……エリちゃんにとって、不死川ちゃんは自慢のお兄さんなのね」

 

「はいっ!……いつもいつも、私のことを想ってくれるんです。守ってくれるんです。私は、そんなお兄ちゃんのことが大好き。守られてばかりじゃいけないから……全力で支えたい」

 

「ぐはあっ……!?めちゃくちゃ健気やん、エリちゃん……ッ!ああ……あまりの尊さに昇天してまう……」

 

「う、麗日さん!?」

 

 エリの表情はとても優しい。実弥に対する愛に満ち満ちた慈愛の笑みだった。

 エリがどれだけ実弥のことを大好きなのか、誰が見ても分かる。将来ヒーローになる者として、彼女の笑顔を守りたいと誰もが思った。

 

「エリ……」

 

(……随分大人になっちまったなァ)

 

 やはり、こういう表情を見ていると彼女が精神的に大人びたのを痛感させられる。生き残ったのは、実弥とエリのたった2人。実弥はエリの未来の為に常に奔走している。自身を擦り減らす彼を全力で支えたいというエリの想いは尊いものだが……逆に言えば、その環境のせいで精神的に大人にならざるを得なかったという話にもなってしまう。

 

 今もなおこうして慕ってくれ、かけがえのない兄として愛してくれるのはありがたい話ではあるものの、実弥は彼女をそうさせてしまった自分の無力さを恥じた。

 

(エリ。お前だけは、何としても守るからな)

 

 実弥のいいところを麗日達に笑顔で話しまくるエリを撫でつつ、実弥は改めて覚悟を決めていた。

 その時、麗日が疑問を拭い切れないというような顔つきの飯田に気が付き、尋ねた。

 

「ところで飯田君。さっきからずっと考え込んでる様子だけど、どないしたん?」

 

 麗日に尋ねられ、「顔に出ていたか」と苦笑しながら飯田が答える。

 

「いや……学級委員長を決める時、俺にも1票入っていただろう?一体誰が投票してくれたのだろうかと思ってな」

 

 顎に手を当て、唸りながら考える飯田。彼を見た実弥は、口にしていたおはぎを胃に収めてから口を開いた。

 

「俺だァ」

 

「なっ、何っ!?君だったのか!?」

 

 飯田が目を見開きながら食い気味に詰め寄る。思ってもみなかったといった様子の彼に圧倒されつつ、実弥は答えた。

 

「皆がやりたいやりたいと名乗り出て混沌としてたあの状況で、飯田は真っ先に案を出し、周りを諌めて状況を変えた。ああいう風に大人数をまとめられるのは立派なことだろ」

 

 人数が増えれば増える程、人をまとめるのは大変になるもの。人が増えるということは、それだけ性格の違いや考え方の違いが生まれることになる。

 

 "柱"も、実弥を含めた全員が個性的過ぎた集団だった。常に"柱"の先頭に立ってきた悲鳴嶼や鬼殺隊の当主であった耀哉は、そんな実弥達をまとめ、率いてきた。彼らは、まさに他人を率いる者として相応しい振る舞いをしてきたのだ。

 メンツが個性的過ぎるという意味では、A組も同じこと。飯田は誰もが自分の欲を優先するであろうあの場で、混沌とした状況を収めることを優先した。そして、見事にそれを成した。状況を変える為の考えを即座に導き出せる判断力。実弥の決め手はそこだった。

 

「まあ、言い方はアレだが……状況によっては、自分の欲に対して妥協して、周りを優先に動かなくちゃあならねェ時があるってことだなァ。飯田にはその妥協ってもんが出来る。だから、お前を選んだ」

 

 そこまで言うと、湯呑みに入った緑茶を喉に流し込んだ。実弥が票を入れてくれた理由を聞いた飯田は、胸の辺りを押さえながら感動を噛み締めている様子だった。

 

「ここまで君に評価してもらえるとは……っ!光栄だ、不死川君!入試の時の失敗を取り返せるよう、これからも励ませてもらうよ!」

 

 正直、入試の時に指摘をした時点で緑谷に素直に謝った場面を見ていたので、実弥はそこまで気にしてはいない。一度やった失敗を刻みつけ、それを取り返す為に励み続ける飯田の真面目さを実感した実弥であった。

 

 その後、先程の飯田の一人称が変化していたことに敏感に反応を示した麗日の発言によって、飯田がヒーローの家系の生まれであることが判明した。

 曰く、彼の兄は現役のプロヒーローでターボヒーロー・インゲニウムとして活動しているらしい。インゲニウムと言えば、東京にある事務所に65人ものサイドキックを雇っている大人気のヒーロー。市民からの信頼も厚く、逆にその名を知らない人の方が珍しいくらいだ。

 

 実弥も、彼のことは本当にヒーローたり得るヒーローとして一眼置いている。(ヴィラン)を撃破する場面や、彼らの犯罪に巻き込まれそうな人を救ける場面を見たこともあるが、それだけじゃない。道に迷っている人がいれば道案内をしてあげたり、迷子の子供がいればその子の手を引いて迷子センターに連れていってあげたりと小さな人救けをする男……。それがインゲニウムだ。

 

 「小さなことでも笑顔で手を差し伸べて、困っている人を救ける。そんな人は誰でもヒーローだと言える」という、そよ風園の先生達のヒーロー像に当てはまる存在。だからこそ、実弥もまたインゲニウムを尊敬している。単に強いだけではなく、彼のような男になることを目指している。

 

 規律を重んじ、人々を導く愛すべきヒーローである兄を目指して雄英(ここ)に来たのだと語る飯田を微笑みつつ見守り、実弥は彼が夢を叶えるのを応援してやろうと心に決めた。

 

 平穏な時間を過ごしていた実弥達であったが――突如として、その時間は引き裂かれた。

 雄英の校舎内全体に、警報音が響き渡った。聞いていてあまり心地の良いものではないその音に反応し、誰もが動きを止める。

 

『セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは、速やかに屋外に避難してください』

 

「セキュリティ3……!?何それ!?」

 

 音が鳴り響くと同時に轟き渡る警報のアナウンスに食堂中が騒然となる。平穏な時間を過ごしていた実弥達であったが、それどころではなくなった。辺りを警戒して様子を(うかが)う実弥を見つつ、飯田が咄嗟にすぐ側にいた先輩に尋ねた。

 

「あ、あの!セキュリティ3とは何のことですか!?」

 

「校舎内に誰か侵入してきたってことさ!3年間でこんなの初めてだよ……!君達も早く避難するんだ!」

 

「校舎内に侵入!?」

 

 先輩の答えに動揺する飯田達。自分達も避難をしようと動き出す中、実弥はエリを抱えたままで辺りを警戒し続けながら頭を回す。

 

(侵入者……。(ヴィラン)か?いや、雄英はプロヒーローの巣窟みてェなもんだ。真正面から突入するなんざ馬鹿にも程がある。恐らくは……もっと別の何かだ)

 

 そして、食堂の外に目をやって……その原因に気がついた。

 

「朝のマスゴミじゃねェかァ……!ふざけやがって……!」

 

 視線の先に獲物を見つけた獣の如く押し寄せる大量のマスコミの姿がある。彼らが原因なのは明らかだった。表では、相澤とプレゼントマイクが彼らの対処に大忙しらしい。

 

「し、不死川!私達も避難しないと……!」

 

 落ち着き払って一歩も動く素振りを見せない実弥を見て、彼の肩に手を置きながら拳藤が焦った様子で声を掛ける。

 肩に置かれた彼女の手に自身の手を添えながら、実弥は口を開いた。

 

「落ち着けェ、拳藤。原因はあれだァ」

 

「あれって……?ッ、マ、マスコミ!?あの人達って、朝の……!?」

 

「そういうことだァ。どうやったのかは知らねェが、ずっと校門前で待機してやがったんだろうよ。んで、今になって何かの拍子に侵入してきやがったァ」

 

 続けて、食堂の出入り口の方に目を向ける。そこには津波の如く大量の人が押し寄せ、おしくらまんじゅう状態になっていた。全員が我先にと避難を試みていて、パニック状態に陥っている。このままでは、怪我人が出兼ねない。

 

「不死川ちゃんも気がついたのね、マスコミに。……いずれにせよ、皆を落ち着かせないといけないわ。お茶子ちゃん、飯田ちゃん、緑谷ちゃんもあの波の中に呑み込まれてはぐれてしまったの」

 

 おしくらまんじゅう状態になっているのを見兼ねて戻ってきた蛙吹が顔に出てはいないが不安げな声色で言う。

 

 この現状をどうするべきかと必死に考える拳藤と蛙吹の頭にポンと手を置くと、実弥は白い歯を見せつけるようにしてニカッと笑った。

 

「心配すんなァ。俺に任せとけ」

 

 蛙吹にエリを任せ、実弥は肺いっぱいに酸素を取り込みながら歩み出る。

 そして、いついかなる時も溌溂としていた元"炎柱"の青年をイメージしながら声を発した。

 

「落ち着いて周りを見ろォ!!!!!」

 

 実弥の声が食堂内の空気を震えさせる。空気の震撼を肌で感じ取りながら、パニック状態に陥っていた生徒達が一斉に彼の方を振り向いた。

 

「……ガキの頃に習わなかったかァ、おかしもちってよォ。俺らは高校生なんだからよ、落ち着いて行動出来る年なんじゃねェかァ?我先に避難しようとすんな、まずは落ち着いて周りを見やがれェ。誰か怪我させたらどうするつもりだァ」

 

 そこまで言った後、実弥は親指を立てて食堂の外を指差す。

 

「見ろォ、侵入してきたのは金になるネタに食いついてきたマスコミ共だァ。慌てる必要はねェ」

 

 言われるがままにパニック状態から引き戻された生徒達が窓の外を見る。侵入者がマスコミであることを確認すると、肩の力を抜いてホッと胸を撫で下ろしながら各自解散していった。

 

 人が解散したことによって圧迫感から解放された緑谷達は、息を吐きながらその場に腰を下ろす。

 

「大丈夫かァ?」

 

「あ、ありがとう不死川君……。助かったよ」

 

「パニックを一瞬で収めるなんて、流石不死川君や!」

 

 実弥が手を差し伸べると、彼らはその手を取りつつ、疲れが拭い切れないながらも笑顔で答えた。

 

 その後、同じくして波に巻き込まれていた切島と上鳴も合流。彼らから改めて太鼓判を押された実弥は、ここまで信頼されては退けないなと心の底から思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の放課後。雄英の校舎を出た実弥が目にしたのは……巨大な風穴が開いた雄英のセキュリティゲートだった。

 

「……こんなデケェ風穴が……。道理でマスゴミ共が侵入出来た訳だァ」

 

 この要塞の扉を彷彿とさせるセキュリティゲートは通称"雄英バリアー"とも呼ばれ、国内有数の厳重なそれとして人々の間でも有名だ。学生証や通行許可IDを持たない者が門をくぐれば、校内の至る所にあるセンサーがそれを感知してセキュリティが働くようになっている。

 

 ゲート自体が単に殴ったり蹴ったり、物をぶつけたりするだけでは破壊出来ない程の強固な作りだ。

 正直、ただのマスコミにそんなことが可能だとは思えない。彼らも彼らで仕事として雄英を訪ねてきたのだから、多少なりとも社会からの評判や信頼を気にするはず。そういう度胸がマスコミにあるとも思えない。

 

 ならば――

 

「……(ヴィラン)が手ェ貸したってかァ」

 

 手の平に収まる程の小さな瓦礫と化した雄英バリアーの一部を拾い上げつつ、実弥は呟いた。

 

 彼の個人的な見解だが、社会から爪弾きにされるような人の域を遥かに超えた"個性"の持ち主は(ヴィラン)に堕ちる傾向がある。これまでの戦闘の中でも、少なからずそういう輩はいた。

 雄英バリアーを破壊したのも、そういう"個性"の持ち主だろう。

 

「並の"個性"じゃ破壊出来ないレベルの硬さのはずなんだけどなァ……。それをこんな石ころに変えちまうとは、只者じゃねェのは確かだ」

 

 実弥の中に湧き上がる、悪意がすぐ側に迫りつつあるという予感。それを抱きつつ瓦礫を握りしめ、グッと危機感を高めたのだった。



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第二十三話 特訓開始

 雄英の敷地内に築かれた実弥の自宅。そこに設けられた木製の立派な道場で、緑谷は無我夢中にサンドバッグを何度も殴り、蹴っていた。

 

「……だあっ!」

 

 自分を鼓舞するように気合の一声を発し、額から汗を流しながら拳を振るう。しかし、それはまだまだ未熟な拳。肩や腕だけを使った手打ちパンチでしかなく、サンドバッグもほんの少し揺れるだけ。

 それを見た実弥が、ゆっくりとした動きでサンドバッグを殴りつけながら言った。ゆっくりでありながらも、その身体能力も相待ってか、サンドバッグが一瞬強く震える。

 

「……こんな風に腰を入れろ、腰をォ。腕と肩だけに頼るんじゃねェ。全身を使うんだ。慣れねェうちはゆっくりで良い。まずは踏み込んでみろ、あるとないとで威力が大きく変わるからなァ」

 

「うんっ……!」

 

 アドバイスを受け、それを含めてこれまでに受けたものを頭の中で反芻させつつ、緑谷はゆっくりと丁寧に体を動かす。少しずつ動きが改善されていくものの、一朝一夕に仕上げられるのなら苦労しないという話で。彼は沢山のアドバイスを受けた。

 

「ちょっと力みすぎ。肩の力抜いていいよ。無駄な力が入ってると、逆に威力が出なくなるから」

 

「蹴りも同じ。足だけに頼らないで、右手の振り上げとか軸足の回転も利用するんだ」

 

 実弥に加え、彼が連れてきた格闘技経験者の拳藤と尾白のアドバイスももらいながら、緑谷は無心でサンドバッグに打撃を叩き込み続ける。

 

 単純な動作の繰り返しのように思えるが、これが意外にも疲れるもの。どう動くべきか……アドバイスの一つ一つを反芻(はんすう)させ、考えながらゆっくりと動く。頭と体を同時に動かすのが何よりも大変なのだ。たったこれだけのことで思った以上に疲れが溜まり、息が上がっている。緑谷はこれを何百回と繰り返していて、しかも、既に2セット行っていた。今は3セット目を実行している最中である。

 

 こうしてアドバイスを受け、動きを改善しては殴る蹴るを繰り返して、実弥に指定された回数分サンドバッグを殴り終え……緑谷は、肩で息をしながら膝をついてしまった。

 

「はあっ……はあっ……」

 

(頭で考えながら行動するって、こんなに疲れるのか……!)

 

 膝をついている緑谷の額から、煌めく汗がポタポタと道場の床に滴り落ちる。

 深呼吸をして乱れた息を整えていると、彼の頬に心地よい冷たさをしたものが触れた感触がした。さながら、猛暑の中で飛び込んだプールのような冷たさだ。それに反応して振り向くと……。

 

「お疲れ様です、緑谷さん!」

 

 花のような弾ける笑顔のエリが冷えた水の入ったペットボトルを手にしていた。どうやら、頬に触れているのはそのペットボトルらしい。

 

「ありがとう、エリちゃん」

 

 眩しい笑顔を見ていると、自然に疲れが吹き飛んでいく気がした。チアガールに応援される立場の者達は、いつもこんな気持ちを味わっているのだろう。

 

 汗を拭いながら笑い返した緑谷は礼を言いつつ、ペットボトルを受け取って中身を喉に流し込む。体中に水分が行き渡り、熱った体が冷えていくのを不思議と感じ取れた気がした。

 

 実弥、拳藤、尾白にもペットボトルを手渡すエリを見て、出来た妹さんだなあと、緑谷は思う。ペットボトルの水を喉に通して次の特訓のメニューの準備の為に道場を出た実弥とエリを見送り、彼はここまでの特訓を思い返していた。

 ここまでの特訓では、特に特別なことはやっていない。腕立て伏せやら腹筋、持久走といった基本的なトレーニングや体力づくりから始まり、先程はあのようにして体の動かし方を叩き込んだ。

 

 こんな風に基礎的なことばかりやっていて、大丈夫なのだろうか。本当に強くなれるのだろうかという疑問も湧いてくるが、それを頭から振り切って、実弥の言ったことを思い出す。

 

「まずは基礎の基礎からだァ。俺から見るに、お前は……他の奴らより鍛えてる時間が少ねェ。だからこそ、まずは基本的なことを叩き込む。ビルと同じだ。土台がしっかりしてなきゃ、積み上げた力も脆いもんになっちまう」

 

 緑谷は、自分を鍛え上げるという意味でも他より出遅れてしまっている。その遅れを取り戻せるようにと、実弥は全力を尽くしている。

 

 ……あれだけ強い男の時間を自分に使わせてしまっている。緑谷にとっては、それがとても申し訳なく思えた。そう思う故に、文句一つ言わずについて行かなければ失礼になってしまうと考えている。

 

 今の緑谷は、''個性''を全力ではなくセーブして使うことが不可欠だ。''個性''をセーブすれば、それだけ自分の繰り出す攻撃の威力も抑えられるということになる。であればこそ、十分な威力を引き出す為に抑えられた分は技術で補うしかない。

 犠牲を最小限にしつつ、より威力を引き出せるように考えられているのだろうと緑谷は予測した。

 

 一説によれば、正しいパンチの打ち方をマスターすれば1.5倍から5倍もパンチ力がアップするらしい。――無論、個人差はあるが――

 地道に実弥の施す特訓を続けていれば、必ず成果が出るはず。雄英の入試に挑む為の10ヶ月を使って、ガリガリだった体格を細マッチョとも言えるレベルにまで鍛え上げられたのだ。努力が報われる……とは断言出来ないかもしれないが、地道に積み重ねた努力は無駄にならないことを緑谷は知っている。

 

 知っているから、実弥の施した辛い特訓にも耐えることが出来た。

 

「緑谷。お前……文句一つ言わずによくやったもんだよ。お疲れさん」

 

「中々ハードだったね……。頑張ってたな、緑谷。繰り返しやっていって、これから身につけていけば良いよ」

 

「拳藤さん、尾白君。2人もありがとう、色々教えてくれて」

 

 特訓のことを思い出していると、実弥に連れてこられた拳藤と尾白に話しかけられる。緑谷は、2人にも時間を使わせてしまって申し訳ないなと思いつつ、礼を言った。

 

 そんな彼の心情を察してか、2人は気にしてないとばかりに笑う。

 

「他人の力になれることは喜んでやっちゃうのがヒーローでしょ?やりたくてやってるんだし、申し訳なさそうな顔しないの」

 

「ご、ごめん」

 

「そこも謝らなくて良いから」

 

「まあまあ」

 

 「もう少し自分に自信持っても良いと思うんだけどな」と口を尖らせながら呟く拳藤を(なだ)めた後、尾白が言った。

 

「それにしても、驚いたよ。不死川に突然『うちに来い』って言われて来てみたら……まさかの緑谷を鍛えるって言い出したもんだから」

 

「ね。ていうかさ、良かったじゃん。雄英高校ヒーロー科1年の1番の実力者に鍛えてもらえるなんて」

 

 尾白の発言に笑顔で同意しつつ、拳藤は羨ましげに緑谷を見る。同年代最強の男に鍛えられるのだ。伸び代に期待するのも仕方のない話。自分も鍛えてもらえるのなら、もっと強くなれるはず。

 そう思うからこそ、直に特訓をつけてもらえる緑谷が彼女からすれば羨ましかった。

 

 緑谷は、縮こまって恐縮そうにしながら言った。

 

「ぼ、僕なんかが不死川君に鍛えてもらえるって、今思っても恐れ多すぎるよ……!勿論、強くならなくちゃいけない理由があるし、嬉しいんだけどさ……。それに、僕はエリちゃんに何回も心配かけてるし……。不死川君だって、相澤先生の頼みだから動いてくれてるんだろうし」

 

 そんな彼を見た拳藤は、難儀そうな顔をする。

 

「緑谷……もっと自分に自信持って良いと思うよ。まあ、謙虚なところは好きだけどさ。少なくとも、こうやってお前の世話を引き受けてる以上、不死川はお前のことを認めてるし、期待してるんじゃないかな」

 

 ペットボトルの水を口にし、喉を潤してから彼女は続けた。

 

「それにね。アイツ、『頼まれたからやる』ってだけの男じゃないよ。そりゃあ、頼まれた以上はきちんとこなそうって思うに違いないよ?でも、1番の理由はそこじゃない気がする」

 

 語る彼女の脳裏に(よぎ)るのは、入試が終わった後の実弥の姿。仮想(ヴィラン)達を見て腰を抜かしたり、実弥に言われなければ行動出来なかった者達を諭している姿だ。

 

「不死川って優しいんだよね。緑谷のことを認めてなかったら、ヒーローの世界に足を踏み入れさせない為に冷たく突き放すと思う。入試の後がそうだったし」

 

 その光景を思い出しつつ、緑谷の方を見て微笑んだ。

 

「不死川は、お前が夢を叶えるのを見てみたいんじゃないかな?友達が生き抜く未来を確立する為なら、いくらでも時間を割く。それが不死川実弥だと思うよ。そんな優しい男が突き放さず見守ってくれてるって相当なことだと思うけどな」

 

「僕が夢を叶える……未来」

 

 掌を見つめながら緑谷が呟く。拳藤の話が一段落ついたと見ると、尾白も口を開いた。

 

「緑谷。不死川はさ、お前の動きが少しずつ良くなっていくのを、お前がへこたれずに頑張ってるのを見て何回も満足そうに笑ってたよ」

 

「!」

 

 無個性として、長い間蔑まれてきた緑谷。だからこそ、期待されてる実感が中々湧かずにいた。期待されてることをしつこく教えられて、ようやくその実感が湧いてくる。それほどに彼の自己評価は低かった。

 実感出来てこそ感じる。期待されることに対する嬉しさを。見捨てられていないということ、夢を応援してもらえることの幸せを。

 

 拳藤が、胸に手を当てて嬉しそうに微笑む緑谷の肩に手を乗せながら言った。

 

「そういう訳だからさ。『時間割いてもらって申し訳ない』じゃなくて、『期待に応える為にがむしゃらに頑張るぞ』って、ドンと構えてな。そんでもって、不死川に直で鍛えてもらえることに誇り持ちなよ」

 

「うん……!」

 

 緑谷のあどけない笑みを見ると、拳藤は「よく言った」とばかりに満足そうに笑う。その最中に、ほんの少しずつ成長していく彼を見て弟を見守る兄のような笑みを浮かべていた実弥の気持ちが分かった気がした。

 

「……ところで、エリちゃんに何回も心配かけるって、何やらかしたの?」

 

「ああ、それか……。随分なことやらかしてるよね、緑谷」

 

「返す言葉もないです、尾白君……。え、えっと――」

 

 その後、緑谷が''個性''をろくに制御出来ず、既に何度か大怪我を負っていることを聞き、彼を心配する健気なエリの為にも、実弥と一緒にとことん特訓に付き合うと心に決めた拳藤であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んじゃ、今日の特訓の最後は……反射訓練だァ」

 

「「「反射……訓練?」」」

 

 どこから引っ張り出してきたのかも定かではない、四角い木の机を道場の床に置きながら実弥が言った。

 

 反射訓練の内容に察しもつかない3人は、同時に首を傾げた。

 

 エリと一緒になって水を注いだコップを机の上に並べながら、実弥が続ける。

 

「まあ、文字通り反射神経の類を鍛える訓練だ。目や予測能力も鍛えられる」

 

 特訓の内容は中々に単純で、お互いにコップの中の水をかけ合うというもの。コップを持ち上げる前に相手からコップを押さえられた場合は、それを動かすことが出来ない。相手が水をかけてくるのをどれだけ阻止し、自分は相手の妨害を潜り抜けて如何に水をかけられるかの勝負になってくる。自分がどれだけ速く動けるのかも大事だが、相手の動きをよく見てどう動くのかを予測することも大切。そういう意味でも、目や予測能力を鍛えられるのだ。

 

「緑谷は、分析の類が得意だからなァ。そういう奴は大概予測を磨けば化けるもんだ。……課題を改善していくのも大事だが、長所を伸ばすのも大事だ。伸ばせるもんはガンガン伸ばしていくぞォ」

 

 相手の動きを目で捉え、予測することが出来れば、多少なりとも格上を相手にして渡り合える。そのことを伝えると、実弥は机の前に腰を下ろし、緑谷を机の向かい側に招いた。

 

「訓練の要領は、実際にやっていけば掴めるだろォ。物は試しとも言うしなァ。やってみるか」

 

「……!お願いします!」

 

 実弥がそう言うと、緑谷は緊張したように息を呑む。机の上に乗ったいくつものコップと実弥に交互に目線をやり、実弥がいつ動き出すのかと目を凝らし、訓練開始の時を待った。

 

 ――静寂が流れる。実弥と緑谷、2人を焦らすかのように。達人同士が見合う光景のようにも思えた尾白と拳藤も思わず息を呑んでいた。

 

 そして、次の瞬間。

 

「始め!」

 

 エリが合図を出したのとほぼ同時に、()()()()()()()()()()()()()

 

「…………へ?」

 

 何が起こったのか全く分からない。自分の髪から机へと滴り落ちる雫を見ながら、緑谷は呆けた声を上げていた。勿論、実弥の動きを捉えられなかったのは拳藤と尾白も同じだ。

 

 恐る恐る視線を上げると、微かに口角を上げて「見えなかったろ?」と言わんばかりの笑みを浮かべ、空になったコップを緑谷に向ける実弥の姿がある。

 

(あの一瞬でコップを持ち上げて、僕に水をかけたのか!?)

 

 彼の姿から今の一瞬で起こった出来事を察した緑谷は、実弥の反応速度の凄まじさに冷や汗を流す他なかった。

 

「……もう一回、お願いします……!」

 

「おう」

 

 水に濡れて額に張り付いた前髪を掻き上げつつ、緑谷は体を震わせる。その震えは、実弥に対する畏敬故か、それとも……武者震いか。本人にも定かではないことだが、兎にも角にも実弥の動きに対して目を凝らすことに全霊を注いだ。

 

 

 

 

 

 

「いやー……見事に3人ともずぶ濡れになったね」

 

「不死川の反応速度、尋常じゃないよ……。もはやプロヒーロー並みじゃないか?しかも、トップクラスの」

 

「分かってたけど、一回も視認出来なかった……」

 

「大丈夫、私達もだよ」

 

 そんな風に会話を交わす3人は、ずぶ濡れになった髪をタオルで拭きながら乾かしている。

 

 結局、あの後も緑谷が反射訓練で実弥の動きを捉えることはなかった。何セットか訓練を行ったものの、全戦敗北。何度も何度も水を被ることになった。

 自分の鍛錬の為にと訓練に挑んだ尾白と拳藤も、格闘技を習っていることで多少速い攻撃に目が慣れているはずではあるのだが、それでも実弥の動きを一切捉えられず。一方的に水を被ってしまったのだった。そんなこんなで3人仲良くずぶ濡れになってしまった訳だ。彼らは、改めて実弥の実力を実感した。

 

「どう、緑谷。やっていけそう?」

 

 ヘアゴムをほどき、水に濡れたサイドテールを下ろしながら拳藤が尋ねる。尋ねられた緑谷は、頭に被さっているタオルの下から顔を覗かせて答えた。

 

「うん……めちゃくちゃハードだけど、僕には頑張らなきゃいけない理由が、強くならなくちゃいけない理由があるから」

 

 「夢の為なら、どんなに辛いことでも耐えてやるって思ってるよ」と付け加えながら笑う緑谷を見ると、拳藤もよく言ったとばかりに笑い返す。

 

「俺も出来る限り協力するよ」

 

「ありがとう、尾白君」

 

 3人の会話を密かに聞いていた実弥は緑谷の覚悟を受け止め、彼の未来の為にとことん鍛錬に付き合い、本気で向き合ってやろうと改めて心に誓うのであった。

 

 遂に始まった、緑谷との特訓の日々。休みを挟みつつも、体力づくりや体づくりを行ったり、体の動かし方を徹底的に彼の頭と体に叩き込んだ。早速、数日間に渡って特訓が行われたものの……緑谷は、宣言通り実弥の課す特訓の一つ一つを着実にやり抜き、弱音を吐くことなく彼に着いていった。

 その甲斐あってか、それとも彼の成長速度が凄まじいのか、既に格闘技をほどほどに習っている者程の動きが出来るようになっており、彼自身も特訓を見守る実弥達も彼の成長を実感していた。

 

 そんな日々を過ごし、多少高校生活に慣れてきたある日――彼ら、正確に言えばA組の面々を悪意が脅かすこととなる。



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第三章 悪者襲来
第二十四話 いざ救助訓練へ


2021/11/11
バスの中での会話を省いてほしくなかったとの意見がありましたので、第二十五話「敵、襲来」の前半部分を別の話として分けました。
内容に大きな変更はなく、前半部分がこちらに移動した分、二十五話の前半でバス内でのA組一同の会話を描写しました。話の流れ自体の変更はないので、最新話から読み進めていただいても大丈夫かと思います。
会話が見たいという方は、改めて第二十五話「敵、襲来」をご覧くださいませ。


 ある日の昼下がり。雄英に入学してしばらく経ち、授業にも慣れ始めた頃のこと。午前中の授業と昼休みを経て、午後のヒーロー基礎学の時間がやってくる。

 どれだけ慣れようとも授業に対する意欲が尽きることはないらしい。生徒同士で今日は一体何をするのだろうかと予想し合って、教室は和気藹々としている。

 

 そうこうしているうちに相澤がやってきた。彼の姿を見た瞬間、生徒同士の会話で和気藹々としていた教室がしんと静まり返る。彼が話をするタイミングまで騒がしくしていると、目を赤く光らせ、髪を逆立てた彼に鋭く睨まれるのを理解しているからこその行動だ。

 その様は、まさに叱られることを悟って、結果的には徹底的に躾けられている状態にある犬や猫のよう。入学してから1ヶ月足らずでこの状態とは、見事な調教っぷりだと実弥は思った。

 

 全員が話を聞ける状況にあるのを確認すると、相澤が開口一番に告げた。

 

「今日のヒーロー基礎学だが……急遽、俺とオールマイト、それに加えてもう1人の三人体制で行うことになった」

 

 その言葉通り、突然の変更だったのだろう。相澤は、こうなった原因に対して苦言を呈したいと言わんばかりの様子だった。マスコミの件で敷地内に侵入された以上、警戒を強めざるを得ないのは言わずもがな。

 彼らのような人物の侵入を警戒しているのだろうかと多くの生徒達が考えて、特に気にすることもなかった。だが、実弥は違う。彼だけが教師陣の警戒しているものを察していた。

 

 校内への侵入を警戒しているのは間違いないが、警戒している対象はマスコミなんて生温いものではない。先日の騒動で彼らを利用したであろう(ヴィラン)だ。その(ヴィラン)こそが雄英バリアーを破壊した者の正体だろうというのが教師陣の結論。無論、実弥も同じ結論を出しているが故に、急遽3人体制になった理由の全てを察することが出来ている。

 

 一つの授業にプロヒーローを3人寄越す。それが示すのは――

 

(いつ手を出してきてもおかしくねェってことか)

 

 考え無しの無謀な行動か、何らかの算段があるが故の宣戦布告か。雄英バリアーを破壊するという形で爪痕を残してきた(ヴィラン)の考えは到底検討もつかない。だが、雄英に手を出してくる度胸があることだけは確か。

 もしもの時は躊躇いなく動けるように、実弥は密かに心の準備をした。

 

 そんな彼を他所に、瀬呂が挙手をしながら尋ねる。

 

「はーい。何するんですか?」

 

「災害水難なんでもござれ。救助訓練だ」

 

 瀬呂の疑問に答えた相澤が掲げたのは、RESCUEの文字が描かれたプラカード。毎回、授業の内容を示す単語が描かれたプラカードを掲げる決まりでもあるのだろうかと少しズレたことを考えつつ、実弥は周りを見渡す。

 

「救助か……今回も大変そうだな」

 

「言ってる場合かよ!救助こそ、ヒーローの本分じゃねえか!腕が鳴るぜ!」

 

「水難に関しては私の独壇場ね、ケロケロ」

 

 誰かを救けること。これもヒーローとして欠かせない資質である故に、今回も生徒の多くが例外なく燃えているようだった。彼らが、(ヴィラン)を倒すだけがヒーローではないことを理解しているれっきとした証拠だろう。何名か例外がいる気もするが、流石は雄英に入学しただけのことはある。

 

 救助訓練を行うことに対して燃えているのは彼らだけでなく、実弥も同じだった。実弥は、戦闘力に関しては既に一流のプロヒーロー以上だと言えるが、救助に関してはまだまだ拙い面が多い。そちらの方面で出来ることは、応急処置と下手な刺激を与えることなく他人を運ぶことくらい。

 この世には適材適所という言葉があるし、凡ゆる仕事にはそれ専門の知識や技術を持った者達が就いて役割を全うするのだから、ヒーローもそれと同じように救助は救助に長けた者に任せればいいという話も一理あるかもしれない。

 

 だが、それで満足してはいけない。そこで驕って成長を止めれば、偉大なヒーローになどなれやしない。

 ヒーローの卵として目指すべき理想は、より多くの人を救けられ、手の届く範囲にいる人を見捨てることなく必ず救け出すヒーロー。その実現の為には、妥協なく成長を続け、出来ることを今以上に増やす必要がある。

 出来ることが増えれば、それだけ手の届く範囲が広くなる。より多くの人の手を取り、救けることが出来るようになる。

 

 実弥は驕らない。あの日の悲劇を繰り返さない為に。着実に前進し続ける為に。今回の授業を経て自分がまだまだ成長出来ることを考えると、自然と笑みが溢れた。

 

 その後、再びざわつき始めた教室を相澤が睨みをきかせて静めた。そして、戦闘服(コスチューム)の着用は各々の判断に任せることと移動用のバスの前に集合することが伝えられ、A組の生徒達はやる気に満ちた表情で一斉に移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 救助訓練は少し離れた場所にある施設に移動して行うとのことで、移動用のバスに集合したA組一同。

 戦闘服(コスチューム)の着用は自由であったが、結局、クラスのほぼ全員がそれを着用した状態で授業を受けることにしたようだった。

 ――ただし、爆豪は完全な形で戦闘服(コスチューム)を着用出来ていない。試験的に使うこともなく、ぶっつけ本番で全力の爆破を放った影響か、片方の籠手がイカれたらしく、籠手を装着しているのは片腕のみだった――

 

 例外は3人。

 

「あれ?デク君、体育服なんだ。戦闘服(コスチューム)はどうしたん?」

 

「戦闘訓練でボロボロになっちゃったから、サポート会社の修繕待ちなんだよ」

 

「確かに君の受けたダメージは大き過ぎたからな……」

 

 まずは、飯田に麗日と会話を交わす緑谷。戦闘訓練で受けたダメージによって、オールマイトを模した緑色のジャンプスーツはまともに着られない状態になってしまっていた。今の彼は、せめてこれだけは、と言わんばかりに戦闘服(コスチューム)の一部である手袋とオールマイトの笑顔を模したマスクを着用している。

 因みにだが、あの服は現在着用している手袋やマスクも含めて、全て母親の手作りらしい。それを聞いた飯田は彼の母親の愛情に感動しつつも、爆豪をちょっとだけ恨んだし、麗日は爆豪に対してドン引きしていた。

 

「葉隠も体育服なんだ」

 

「不死川君にアイデア貰ったし。サポート会社の方に改めて作ってもらってる最中だよ!」

 

「うん、それが良いよ」

 

 2人目は、葉隠。実弥の指摘を受けた後、必死に脳内のアイデアを絞り出して新しい戦闘服(コスチューム)のデザインを考え、数日前に制作を申請したばかりだった。

 少なくとも、これで彼女が全裸で訓練に挑むことは無くなるだろう。戦闘服(コスチューム)の完成を待ち侘びてルンルンと鼻歌を歌っている葉隠を見た芦戸と耳郎は顔を見合わせ、ホッとしたように笑っていた。

 

「……」

 

 そして、3人目は轟。戦闘服(コスチューム)の着用が出来ない理由は、緑谷のものと同じ。

 実弥の放つ鎌鼬によってボロボロになってしまったそれは、もはや使い物にならないと言っても過言ではないレベルだった。それに、元の生地の色が白いせいで、実弥の鎌鼬を喰らって流れた血の跡がどうしても目立ってしまう。

 だから、背に腹は変えられないとサポート会社の方に修繕を頼んだ。

 

 左側の力は絶対に使わないという固い決意を前面に出した戦闘服(コスチューム)。自分にしては中々良いデザインのものが出来たと思ったが、入学早々に着られなくなってしまった。

 腰を下ろして右手をじっと見つめる轟の背中が、実弥にはそのことでほんの少し落ち込んでいるように見えて、何だか申し訳ない気持ちになった。

 

 謝りたくて仕方なくなるが、謝っても「気にすんな、俺が弱えだけだ」と流されるのは目に見えていたので、二度目の謝罪は心の中だけに留めておこうと思考を切り替え、一足先に施設にまで移動するバスの中に足を踏み入れた。

 

(……好きに座って良さそうだな、このタイプの座席は)

 

 ぐるりと周りを見渡してみれば、横向きと前向きのシートが混合した座席配置になっているのが分かった。前向きなのは、最前列の2席と後方のいくつかのみ。他は全て横向きだ。

 最初こそ、順番に並ばせて座らせた方が効率が良いとも思った。だが、この配置ならば、その意味も無くなりそうだと実弥は思い直した。

 そもそも、高校生にもなれば、自分の判断で好きな席に座りそうなもの。それを鑑みて順番に並ばせて座らせる必要はないと結論を出す。

 

 実弥は、バスの作りも大正時代の頃から変わったものだと思いつつ、改めてその中に目を通してから、一旦バスの外に出る。このタイミングで丁度相澤がやって来て、周囲を見渡した。

 生徒が全員揃っているのを確認すると、相澤はスマホで時間を確認し、実弥に声をかけた。

 

「不死川。そろそろ移動開始するから、全員集めてくれないか」

 

「分かりました」

 

 相澤の指示に従い、実弥は談笑するクラスメイト達に声をかけ、彼らをバスに乗せていく。

 そして、自分以外の全員が乗ったのを確認して自分もバスに足を踏み入れたその時だった。

 

「お兄ちゃーん!!!」

 

 実弥の耳にエリの声が届く。どうしてエリの声がするのかと思い、振り返ってみれば……駆け寄ってくるミッドナイトの腕の中で笑顔で手を振るエリの姿があった。

 エリが来たこととミッドナイトの相変わらずな色気溢れるセクシーな戦闘服(コスチューム)姿の二つにギョッとして、実弥は思わず目を見開く。

 

「良かった、間に合ったみたいで」

 

「ミッドナイト先生。エリもどうしてここに?」

 

 ふうっ、と一息つきながらエリを下ろすミッドナイトに、駆け寄って抱きついてきたエリを撫でてやりながら、実弥が尋ねる。

 尋ねられたミッドナイトは、エリの肩に手を添えながら答えた。

 

「エリちゃんがね、不死川君やA組の皆を見送りしたいって」

 

 ミッドナイトがそう言うと、エリは照れくさそうに笑う。そんな彼女が可愛らしくて自然と笑みが溢れた。

 

「お兄ちゃん、今日の授業も頑張ってね」

 

「ありがとうな。兄ちゃん頑張ってくるからなァ」

 

「うん!」

 

 2人が笑顔でハイタッチを交わす。良い子でいるんだぞ、とばかりにエリを撫でると、実弥は立ち上がった。

 

「それでは……エリのこと、よろしくお願いします」

 

「ええ。不死川君は、授業に専念してらっしゃい。エリちゃんのことは私達が見てるから」

 

 頭を下げる実弥に対し、ミッドナイトは笑顔で言ってのける。その笑顔に頼もしさを感じ、この頼もしさもプロヒーローならではのものか、と実弥は思う。

 こうして、笑顔で手を振るエリとミッドナイトに見送られ、救助訓練を行う施設への移動を開始したA組一同であった。

 

 バスの後ろ姿が見えなくなるまでA組を見送っていたエリだったが、それが視界から外れると同時に首から下げた銀色のロケットペンダントをそっと握りしめた。

 

「エリちゃん、どうしたの?」

 

 影が覆い被さるルビーを彷彿とさせる憂いを湛えた瞳をした彼女に、ミッドナイトが首を傾げながら尋ねる。

 

「……ううん、何でもないです」

 

 微笑みを浮かべ、かぶりを振ったエリだったが……胸の中の漠然とした暗い予感は、収まることがない。

 あの日と……そよ風園で悲劇が起きた日と同じだった。言い表しようのない不安が彼女の胸の中を支配している。

 頬を撫でる風も、騒ついている気がした。

 

(……お願い、皆。実弥お兄ちゃんを、A組の皆さんを守ってあげて……)

 

 不安も拭いきれぬまま、エリは握りしめるペンダントに願いを込めるのだった……。



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第二十五話 (ヴィラン)、襲来

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2021/11/11
前半部分に、バス内での会話を追加しました。本来の前半部分であった、バスに乗るまでのお話はこの一話前に二十四話として挿入しております。話の流れ自体は変化しておりませんので、最新話に目を通していただいても大丈夫です。
会話の内容が見たいという方は、改めてこちらをご覧ください。


 救助訓練を行う施設に移動するバスの中で、生徒達が和気藹々と会話を交わしている。

 到着する直前くらいまでは自由にさせてやっても良いかと相澤も考えたのか、賑やかな割には彼も口出しせず、仮眠を取っていた。隙間時間すらも合理的に扱おうとするのは、何とも彼らしいやり方だ。学級委員長決めを行う時にも、寝袋に入って眠っていただけのことはある。

 

 そんな中、蛙吹がふと尋ねた。

 

「ねえ、緑谷ちゃん。私、思ったことは何でも言っちゃうの」

 

「は、はいっ、蛙吹さん」

 

 無個性として蔑まれ続けたが故に異性との関わりが少ないのか、尋ねられた緑谷は顔を少し赤くしながら答える。

 そんな彼に「梅雨ちゃんと呼んで」と微笑みながらお願いしつつ、彼女は続けた。

 

「緑谷ちゃんの"個性"……オールマイトに凄く似てるわね」

 

 核心を突く質問に、緑谷は思わずギョッとした。まずい、と思いつつも、頭の中が真っ白になっていくのが分かった。

 

「そ、そうかな!?いや、でも、僕はえっと、そのっ……」

 

 どう否定しようかと考えても、特に何も思いつかず。結局、緑谷は動揺を露わにしつつしどろもどろに答える他ない。

 爆豪の隣に座りつつ、密かに聞き耳を立てていた実弥もヒヤヒヤしていた。彼は緑谷が物事を誤魔化すのが下手なこと、何かに必死になると思わず話してしまうことがあるのを知っている。事実、仄めかしつつも爆豪に対して、己の"個性"のことを話してしまった。

 チラリと視線を向けてみると、爆豪もそんな風に動揺する彼を獲物に狙いを定めるかのようにじっと見つめている。

 

(バレるのは時間の問題だな、こりゃ。この爆発頭は頭がキレるしよ)

 

 そんなことを思いつつ、精神面の鍛錬も施した方が良さそうかと頬杖を付いた実弥であった。

 将来No.1になる人材である以上、堅牢な城の柱のように簡単に揺さぶられることなくドンと構えていてほしいものである。勿論、それは肉体的な面だけではなく、主に精神的な面で。

 もはや、何を考えているのかも分からないくらいに顔色を変えなかった、隊士時代の冨岡ほどのレベルは逆に困るが、最低限の水面のような静かな心は身につけてほしいと実弥は思った。

 これも、全て"ワン・フォー・オール"の秘密を共有した相手を危険に曝さない為。

 

 とは言え――

 

(秘密を知ろうが、A組の奴らなら……一緒に背負ってやるくらい言いそうな気はするけどな)

 

 雄英に入学してきただけあって、常人に比べてA組の生徒達は精神的にタフな節がある。そんな彼らなら、喜んで緑谷の力になってくれるだろうと思えた。

 

 最終的に、緑谷の"個性"の秘密がバレることはなかった。切島が「オールマイトは怪我しねえから、似て非なるアレだぜ」と否定してくれたからだ。実弥は、彼のフォローに感謝しつつ、蛙吹の勘の良さに肝を冷やしていた。

 そんな切島は、緑谷の方を見ながら羨ましそうに言う。

 

「しっかし、増強系のシンプルな"個性"は良いよな。派手で出来ることが多い!」

 

 切島は、腕をガチガチに硬めながら、言葉を続ける。曰く、彼の"硬化"は対人で強くとも、いかんせん地味らしい。

 

「僕は凄いかっこいいと思うよ。プロにも十分通用する"個性"だよ!」

 

 そんな彼に、緑谷が目を輝かせながらフォローを入れる。

 彼のフォローを嬉しく思いつつも、切島は苦笑して答えた。

 

「プロなー。しかしやっぱヒーローも人気商売みてえなとこあるぜ?」

 

 彼の一言がきっかけで、一同の話題が互いの"個性"のことになる。自分の"個性"の強さと派手さをアピールするも、「お腹壊しちゃうのは良くないね」と芦戸に指摘されて撃沈した青山を他所に、切島がまたも話を切り出した。

 

「派手で強えっつったら、不死川、爆豪、轟だよな」

 

 ニカッと笑う彼に対し、反応は三者三様。実弥は「"個性"自体は地味だけどなァ」と答え、爆豪は「ケッ」とだけ吐き捨てる。轟はそもそも周りの話に興味がないのか、眠っていた。

 その時、蛙吹がじっと爆豪を見つめた。視線を感じる爆豪が、何見てやがんだとばかりに頬杖をついたまま眉間に皺を寄せると……彼女は見事にぶっちゃけた。

 

「爆豪ちゃんは理不尽にキレてばかりだから人気でなさそうね」

 

「ンだとゴラァ!?出すわ!」

 

「ほら」

 

 予想通りとばかりに指を指す蛙吹。本当に思ったことは何でも言っちゃうんだな、と切島は笑顔を引き()らせ、爆豪の幼馴染である緑谷は、恐れも成さずに爆豪に突っかかる彼女の度胸が畏れ多かった。

 

 彼女に続き、上鳴がやれやれと言った様子で口を開く。

 

「この付き合いの浅さで、既にクソを下水で煮込んだような性格と認識されてるって凄えよ。エリちゃんのいるところで暴力振るおうとするしさ」

 

「テメェのボキャブラリーは何だアホ面、殺すぞ!」

 

 爆豪は、身を乗り出し、般若の如く目を吊り上げる。このままではいつ暴れ出すとも知れないので、実弥は彼を引っ張って無理矢理に席に座らせた。

 

「いい加減にしとけェ、爆発頭ァ。煩ェんだよ、いちいちキレやがって。躾のなってねェ飼い犬じゃねェか」

 

「誰が飼い犬だ!?喧嘩売ってんのか、この傷顔!ぶっ殺すぞ!」

 

「煩ェ」

 

「っがっ!?なっ、何しやがる!?離せや!」

 

 そして、無理矢理に座らせた彼の頭をグッと押さえつける。頭に乗せられた実弥の手を、自分の頭で押し退けようとする爆豪であったが、常人離れした怪力を発揮出来る実弥には敵うはずもなく。ただ、怒りと屈辱でプルプルと肩を震わせるしかない。

 

「ブフッ!爆豪の奴、不死川に押さえつけられてやんの!ありゃ完全に飼い犬だな」

 

「アホ面ァァァ……!調子乗んな、ブッ殺すぞ!!!」

 

 笑いを堪えきれないとばかりに吹き出す上鳴に怒りを爆発させる爆豪ではあるが、頭を押さえられている状況故にシュールな光景にしか見えず、余計に笑いを誘ってしまう。もはや、切島や瀬呂も顔を逸らして笑いを堪えていた。

 

(か、かっちゃんがイジられてる……!笑われてる……!流石雄英……!)

 

 そんな状況を目にした緑谷は、1人冷や汗を流しながら頭を抱え、震え上がっていたのだった。

 

「そろそろ着くぞ。いい加減にしとけよ」

 

 爆豪イジりに和気藹々としていたバス内ではあったが、相澤の一言でピタリと会話が止む。

 訓練を行うことになる施設が近づきつつあるのを目にし、各々が気を引き締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バスを降りた彼らの視界に入り込んできたのは、巨大な野球場を彷彿とさせるようなドームだった。その大きさに感嘆の声を漏らす一同を出迎える者がいる。

 

「よく来てくれましたね、皆さん。お待ちしていましたよ」

 

 災害救助の面で大々的に活躍を繰り広げる、宇宙服のような戦闘服(コスチューム)と、女性でありながらも同性のハートを撃ち抜いてしまう程の紳士的な立ち居振る舞いが特徴の、スペースヒーロー・13号だ。

 

 明るくA組を歓迎する彼女に、ヒーローオタクの緑谷や彼女のファンであるという麗日を始めとして、一同は舞い上がる。

 災害救助面で活躍する以上、救助訓練を担当する教師として適任の人材だと実弥も思った。

 

 13号の案内に従ってドームの中に足を踏み入れると……その中に広がっていたのは、テーマパークさながらの光景だった。

 

「うおおっ!凄え……!USJみてえだ!」

 

 興奮気味に声を上げる切島を筆頭に、生徒達はワクワクを隠せない様子で辺りを見渡す。

 燃え上がる無数の建物に、倒壊したビル群。一隻のボートが浮かぶ巨大な湖と大手のレジャー施設のそれと同等に巨大なウォータースライダー。切り立った山岳に、土砂に埋まってしまった建物と、雨雲の模様を誂えたドーム。

 一つ一つのゾーンの広さがとんでもない。切島の例えにも自然と納得がいく程に広大だった。

 

 興奮している様子の生徒達を微笑ましそうに見守りながら、13号は口を開く。

 

「水難事故、土砂災害、火災、暴風などなど……。あらゆる事故や災害を想定して、僕が作った演習場です。名付けて、ウソの災害や事故ルーム!略して……USJ!!!」

 

 ビシッと指を指しながら、施設の名前を言ってのけた13号。例えに出したものと全く同じ略称であることに生徒達は愕然とし、相変わらず、著作権的に危ない名前だと実弥は苦笑した。

 

 それを他所に、相澤は辺りを見回してオールマイトの姿を探していたが、肝心の彼の姿が見当たらない。何かあったのだろうかと疑問に思いながら、彼は13号に歩み寄って尋ねた。

 

「13号、オールマイトの姿は見なかったか?ここで待ち合わせるはずなんだが……」

 

「せ、先輩。それが……」

 

 尋ねられた13号は言いにくそうにしつつも、3本の指を立てながら相澤に何かを耳打ちする。その後、相澤が忌々しげな顔をして、ため息を()いた。

 相澤がオールマイトの姿を探しているのを見て、実弥もそう言えば、とオールマイトを探していたが、確かに見当たらない。そして、13号の三本指と相澤の「何やってんだ、あの人……」という呟きで全てを察した。

 

(……さては、通勤中にギリギリまで活動したな、あの人)

 

 教師同士がヒソヒソと話をするくらいだ。生徒に聞かせられないくらいの機密事項なのだろう。それに加え、相澤はオールマイトの所在を尋ねた。

 そこから、13号が示した三本指は彼に関する数字だと分かる。そして、オールマイトに関する3の数字と言えば、選択肢は一つしかない。

 胃袋全摘、呼吸器官半壊という大怪我を負った彼のヒーローとしての活動限界時間である3時間だ。

 

 己の最大限を尽くして困っている人を救ける姿勢は尊敬すべきだが、教師としてもしっかりしてほしいものである。いつまでも新米のままでは困る。ヒーローとして、あのレベルまで成り上がれたのだから、教師としても頑張ってもらわなければ示しがつかないというもの。

 

「こりゃ、授業中に顔出せるかどうかも分からねェんじゃねえかァ……?」

 

 相澤がオールマイトの不合理さに不満を示し、眉間に皺を寄せているのを見て、実弥は苦笑する他なかった。

 

「全く……。お前ら、オールマイトさんは人々を救ける為に奔走してるらしいから遅刻するそうだ。あの人がいないのは無念かもしれないが、時間が惜しいから先に始めていくぞ」

 

 相澤の一言に明らかに残念そうな顔をする生徒達ではあったが、今日の授業が待ちきれないとばかりに思考を切り替えて、やる気満々の表情になる。

 そんな彼らを一瞥してから、13号が話を切り出した。

 

「では、始める前にお小言を1つ、2つ、3つ、4つ……」

 

 増える小言に困惑する生徒達を他所に、13号は話を続けていく。

 まず、彼女は自分の"個性"のことを話した。彼女の"個性"に冠された名は……"ブラックホール"。文字通り、どんな物であろうが吸い込んでチリにしてしまう"個性"だ。皆が知っている通り、それを駆使して、どんな災害を前にしても人々を救け出す。それが13号というヒーロー。

 彼女が話の中で改めて知ってほしかったのは、自分達が今や当たり前に所持している"個性"の危険性だった。自身の"ブラックホール"も簡単に人を殺せる力だとした上で、彼女は続ける。

 

 超人社会は、"個性"の使用を資格制にし、厳しく規制することで一見成り立っているように見える。しかし、その実……自分達は、容易に人を殺せる"個性"を持っているのだと。

 全く以ってその通りだと実弥は思った。

 

 そもそも、実弥は"個性"が人類にとって行き過ぎた力だと思っている。

 行き過ぎた力だから、その良い使い方が分からずに持て余し、犯罪に手を染める(ヴィラン)という存在が生まれる。

 人智を超えた力に恐れを抱き、勝手に化け物扱いする。社会の輪から徹底的に追いやる。

 その内容でヒーロー向け、(ヴィラン)向けと勝手に他人をカテゴライズする。

 

 彼は、既にそんな被害者達を何人も知っていた。そよ風園に引き取られた弟妹達や、これまで対峙してきた何十、何百人もの(ヴィラン)がその例だ。

 最も大切なのは、その行き過ぎた力の扱い方だ。オールマイトの"ワン・フォー・オール"だって、使い方によっては平和の象徴にもなれるし、悪の帝王にだってなれる。その圧倒的な身体能力で人を救ける為に奔走するか、好きなように善人を蹂躙するか。それだけの違いで、力の価値はどうにでもなる。

 個性把握テストの時に、緑谷の怪我を治したエリの"巻き戻し"だってそうだ。巻き戻し過ぎれば、その人物の存在を抹消してしまう。実際、幼い日の彼女はそうやって、実の父親をこの世から消してしまった。それに、彼女の力を良からぬことに使おうとしている輩がいなくなった訳でもない。彼女はきっと、未だに狙われるべくして狙われる身にある。

 

 "個性"ではないが、実弥の"全集中の呼吸"だってそうだ。その増強した身体能力によって、人の肉体に損傷を与えるのは難しい話じゃない。

 実際、個性把握テストで爆豪を脅した通り、実弥はやろうと思えば、人間の腕など木の枝のようにポキリとへし折れる。

 

 更に言ってしまえば、彼の剣技は元々はと言えば鬼という化け物を殺す為に継承されてきたもの。間接的に人を護っていたとは言えど、何かを殺す為に扱われた必殺剣なのだ。人1人なんて、加減次第で簡単に殺せる。実弥の扱う"風の呼吸"の場合は、実際に鎌鼬を発生させる為、余計に殺傷力が高い。

 事実、対峙してきた(ヴィラン)は何人も彼の剣技で血を流したし、先日の戦闘訓練では轟も血を流した。

 

 そんな必殺剣を、今世は人々を救う為に振るう。己の手の届く限り、その刃で悪を撃滅する。その為に、前世以上に加減することを徹底してきた。

 13号の話で、"個性"というものが如何に危険性を秘めたものであるのかを再認識させられた。

 

 真剣に話を聞く生徒達に向け、13号は明るく語りかける。

 

「――この授業では心機一転!人命の為に"個性"をどう活用するのかを学んでいきましょう。君達の力は、人を傷つける為にあるのではない。救ける為にあるのだと心得て帰ってくださいな」

 

 そこまで言い終えると、彼女は紳士的にお辞儀をして話を締めくくった。

 

「以上、ご清聴ありがとうございました!」

 

 それと同時に、生徒達から一斉に歓声と拍手が巻き起こった。尊敬の意を向けた拍手と視線を向け、生徒の多くが彼女を称賛している。

 実弥も例外ではなく、13号が雄英にいて、彼女に教えを請えることを光栄に思い、微笑みを浮かべつつ拍手を送っていた。

 

「それじゃあ、まずは――」

 

 13号の話も終わり、授業の流れを説明しようと相澤が口を開きかけたその瞬間だった。

 実弥が、その肌で嫌な気配と身の毛がよだつ感覚を敏感に感じ取った。刹那、USJの中央広場に設置された噴水の前に黒い歪みが生じた。――明らかに周囲の空気が張り詰めた。

 

「相澤先生、来ます」

 

「分かってる」

 

 実弥が音もなく相澤の隣に立ち、言葉を発する。彼の感じ取ったものと全く同じものを感じ取った相澤も、彼の言葉に答えながら、広場の方を仰ぎ見る。

 

 噴水の前に生じた黒い歪みは、瘴気の如く広がり、そこに黄色く鋭い悪意に満ちた目らしきものが形成される。そして、その歪みを引き裂くようにして――顔面に手を取り付けた気味の悪い男が姿を現した。

 

「一塊になって動くな!13号、生徒を守れ」

 

 顔面に取り付けられた指と指の隙間から覗く、赤い瞳。体中に手を取り付けた男は、そこに悪意と社会への憎しみを宿している。その瞳から発せられる悪意で正体を察した相澤は、声を張り上げ、生徒達を守るように最前線に立った。彼の指示を聞き、13号は一言も発することなく、ただ静かに頷く。

 相澤や13号、加えて実弥の空気感が突然変化したことに、生徒の多くは状況を飲み込めずに困惑していた。

 

 手だらけ男に続き、ごく自然な人間の姿をした者から、明らかな異形の姿をした者まで何十人もの人が次々と地に足を付ける。彼らは、例外なく明確な悪意をその目に宿していた。

 

「なんだなんだ?入試の時みたいな、もう始まってるパターンか?」

 

 戦場で本物の悪意を体感したことがない故に、やはり状況を察せない。黒い歪みの中から次々と姿を現す集団を見て、切島が困惑気味に彼らを見渡す。他の生徒も、まさかのそのパターンかと顔を見合わせるも――

 

「動くな!」

 

 ゴーグルを掛けながら発した相澤の声が彼らを制する。

 

「あれは(ヴィラン)だ。正真正銘のなァ」

 

 この後に続くであろう相澤の言葉を引き継ぐように実弥が声を発する。その瞬間、ようやく事態を察した生徒達の頬をゆっくりと冷や汗が伝った。

 

 実弥は、(ヴィラン)の集団を鋭く睨みつける。――あの日と同じ悲劇を繰り返させはしない、と固く誓って。



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第二十六話 分断

2021/11/11
この最新話の投稿と同時に、第二十四話「いざ救助訓練へ」を投稿しています。(バスの中での会話を省いてほしくなかったとの意見がありました)
内容は、第二十五話「敵、襲来」の前半部分であった、バスに乗って移動開始するまでのお話です。そこを二十四話に回した分、二十五話にはバスの中での会話を追加しています。
話の流れ自体に大きな変化はありませんので、こちらの最新話から読み進めていただいても構いません。会話が見たいという方は、二十五話を改めてご覧ください。


 いざ救助訓練を始めようとした所に、突如として襲来した(ヴィラン)の群れ。

 どうやら、人間の脳は信じ難い事実を簡単に受け入れられないように作られているらしい。事態を察しても尚、脳が事実を受け入れてくれなかった。

 そんな生徒達を代表するように、上鳴が声を上げる。

 

(ヴィラン)ンンン!?いやいや、馬鹿だろ!?プロヒーローの巣窟の雄英に自分から足を踏み入れるとか、自殺行為じゃねえか!?」

 

 (もっと)もな話だ。オールマイトから、その他教師を任されるに相応しい実力を持ち合わせるヒーロー達までが集まる雄英高校。並大抵の(ヴィラン)が喧嘩を売ろうが、返り討ちにされて刑務所に放り込まれるのは自明の理。そんな場所に足を踏み入れるのは、余程の馬鹿か自信家のいずれかでしかない。

 

「13号先生、侵入者を感知するセンサーは……!?」

 

「勿論あります。ですが……作動していないのでしょう。恐らくは」

 

 多くの生徒達が上鳴の言葉に同意する(かたわ)らで、八百万は冷静にUSJのセンサーの有無を13号に確認している。

 

 その時だった。上鳴の言葉と、センサーがあるが起動していないという事実を踏まえ、彼の言葉を轟と実弥が否定した。

 

「……確かにアイツらは馬鹿だが、アホじゃねえ。これは、用意周到に画策された奇襲だ。目的は見当もつかねえが」

 

「だろうなァ。考えてもみろ、天下の雄英のセンサーが機能してねェんだぜ?電波を妨害する類の''個性''持ちが向こうにいるってこったァ。加えて、校舎から隔離された空間にA組(俺達)がいるタイミングを見計らってやってきやがった。……偶然にしては出来過ぎだろォ」

 

 一同は息を呑んだ。敵は明らかに何らかの目的があって、しかも、自分達を確実に殺すつもりである。誰かに明言されずとも、察せてしまう。

 動揺している場合じゃない。腹を括る他なかった。

 

 持論を述べた実弥の視線が飯田を捉える。彼の肩に手を添えながら、実弥は言い放った。

 

「飯田ァ、(ヴィラン)の襲撃を校舎の方に知らせてこい」

 

 しかし、実弥の言葉に愕然とし、飯田は食い下がる。

 

「待ってくれ、不死川君!いくら君の頼みだろうと、クラスのみんなを見捨てて1人だけ逃げるなんて…俺には出来ない!」

 

 将来ヒーローになる者として、クラスメイト1人見捨てているようでは、ヒーローの風上にも置けない。飯田はそう考えているのだろう、と実弥は思った。

 やはり、真面目すぎるが故に価値観が凝り固まってしまっている。実弥はとうの昔に理解している。時には逃げることだって必要だと。そうして生き残り、次に繋ぐことが出来れば逃げたことは恥になることはないのだと。

 実弥は、まるで父親、若しくは兄であるかのように飯田を諭す。

 

「逃げたっていいんだよ。こいつは戦略的撤退だァ。考えろォ、お前1人分の戦力を加算するのと、何人もの雄英のプロヒーローの戦力を加算する。どっちが命を救けられる確率が上がると思う?」

 

「……後者だ」

 

「そうだ。俺はもしもの時に備えて殿を務めなきゃならねェ。八百万は八百万でバイクを創造出来るだろうが時間がかかる。このメンツの中で、1番効率的に最大速度を引き出せるのはお前しかいねェんだよ」

 

 「今こそ、お前の''個性(ちから)''を救ける為に使う時だ」とも付け加えるが……未だに、飯田は決めかねている様子だった。

 そんな様子を見兼ねてか、砂藤が声を上げる。

 

「何を迷ってんだ、飯田!不死川の言う通り、この役目をこなせるのはお前しかいねえんだ!」

 

 彼に続き、生徒達が続々と飯田の背中を押す一言を投げかけていく。

 

「そうだぜ!お前の足で(ヴィラン)共を振り切れ!」

 

「それに、そう心配される程やわじゃねえぞ、俺ら!もう腹括ってんだ!」

 

「飯田が救けを呼んでくれるまでの時間くらい、軽い軽い!持ち堪えてみせるよ!」

 

「お願い、飯田君!私達の命、預けるからね!」

 

 上から、瀬呂、切島、芦戸、麗日。彼らの言葉を聞き、飯田は自分の胸の内が暖かくなっていくのを感じていた。信頼されることが無性に嬉しかった。

 彼らに続き、実弥も笑顔で言う。

 

「心配すんなァ、こっちはイレイザーヘッドに13号もいる。んでもって、A組全員の命は、学級委員長として俺が引き受ける。手出しはさせねェよ。安心して行ってこい」

 

「…………ああ!皆、先生方を連れて必ず戻る!無事でいてくれ!」

 

 実弥の言葉に力強く頷くと、飯田は力強く地面を踏みしめ、迷いなく飛び出していく。ふくらはぎのマフラーから凄絶な爆煙を発しながら突き進んでいく彼の背中を、一同は願いを込めて見送った。

 

 飯田がUSJを脱出したのを横目に、相澤はよくやったとばかりに薄く口角を上げる。そして、捕縛布を手に臨戦態勢を取り、声を発した。

 

「13号、避難開始だ。上鳴、お前は''個性''を使って連絡を試せ」

 

 頷く13号と、「っス!」と返事をしてイヤホン型の通信機器に手を掛ける上鳴。

 刹那、今にも飛び出しそうな相澤を目にした緑谷が声を上げた。

 

「待ってください、先生!もしかして、1人で戦うつもりなんですか……?イレイザーヘッドの戦法は、''個性''を封じて、奇襲を仕掛けてからの捕縛……。正面戦闘なんて無謀過ぎます!」

 

 ヒーローオタクとして、相澤の戦法をよく知るからこその言葉だった。確かに、相澤が普段見せている戦闘スタイルではそう思うのも仕方のないことだ。

 だが、相澤は臨戦態勢を解くことはなく、ただ一言。

 

「心配するな、緑谷。ヒーローは一芸だけじゃ務まらん」

 

 そう言いつつ、実弥に目線だけで伝える。――もしもの時は頼んだぞ、と。

 実弥が無言で頷いたのを確認すると、勇猛果敢に単身で(ヴィラン)の群れの中に突っ込んで行ってしまった。

 13号の指示で避難を開始するも、不安が拭い切れずに思わず振り返る。それと同時に、心配事は全て杞憂だったと分かった。

 

 飛び出した彼の前に真っ先に立ち塞がったのは、遠距離攻撃に優れる''個性''を持った、射撃隊の(ヴィラン)達だった。しかし、彼らが目の前に立ち塞がった瞬間に、相澤は''抹消''を発動。射撃隊の(ヴィラン)の''個性''を文字通りに消し、''個性''が発動しないことに困惑する彼らとの距離を容赦なく詰めていった。

 困惑して動きを止める彼らを、相澤が次々と薙ぎ倒す。捕縛布を自在に操り、(ヴィラン)を撹乱させながら、迅速かつ確実に。''抹消''が通じない異形型の''個性''の持ち主であろうと、長年鍛えてきた己の身一つで繰り出す体術で一蹴する。もはや、一方的な戦闘だった。

 

「そうか……!多対一こそ、先生の得意分野だったんだ!」

 

「言ってる場合かァ!とっとと行くぞォ!」

 

 そんな相澤の本領発揮を目にした緑谷が目を輝かせながら、呑気なことにも分析をしている。呑気な彼の手を引き、実弥は生徒達の集団の最後尾を走った。

 

「どうだァ、上鳴」

 

 手のかかる奴だとばかりに緑谷の手を引きながら、実弥が尋ねる。尋ねられた上鳴は、むしゃくしゃするように髪を掻き乱してから答えた。

 

「あー、もう!駄目だ!さっきからジャミング凄え!全く通信が通じねえ!やっぱ、飯田が援軍連れてきてくれるのを待つしかねえよ!」

 

「……だろうなァ」

 

 これではっきりした。完全に電波を妨害されている。救援を呼ばせることなく、確実にターゲット諸共A組の生徒達を殺す気なのだろう。

 至極狡猾で、面倒なことだ。

 

 実弥は舌打ちしつつ、何者かの気配を感じ取った。

 

(来やがるなァ、あの靄)

 

 気配の正体が、大量の(ヴィラン)を招き入れた靄だと察した実弥は、緑谷から手を離し、即座に地面を蹴って、避難する生徒達を跳び越えた。そして、気配の元へと疾風の如く飛び出す。

 

「逃がし――」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)―― 塵旋風(じんせんぷう)()ぎ!

 

 

 

「ぐおおっ!?」

 

 タイミングはぴったりだった。靄が形を形成しながら姿を現して「逃がしませんよ」と宣言を終えるよりも前に、実弥の超音速の一撃がそれを急襲する。USJの入口の地面を抉る程の凄絶な旋風が巻き起こり、現れた靄をまるまる呑み込んでしまった。

 やった、と誰もが確信する。しかし、現実はそう上手くいかない。

 

「……チィッ、手応えゼロだァ!相手は基本的に物理が効かねェ!油断すんなァ!!!」

 

 実弥が叫ぶ。(ヴィラン)を早速1人撃破したと確信して緩んでいた一同の気が、すぐさま張り詰めた。

 息を呑みながら、靄のいた位置を覆い尽くしている土煙をじっと見つめる。すると、黒い歪みが生じて、姿を形成した。

 

「……()()()()()()。本物の(ヴィラン)を前にして、迷いなく攻撃を仕掛けてくるとは。流石は金の卵です」

 

 殺意に満ちた眼光を宿した鋭い黄色の瞳を持つ、バーテンダー姿の靄人間となった男――黒霧が、危機一髪だったとばかりに目を細めながら言う。

 そして、紳士的な言葉遣いで大胆不敵にも自己紹介を始めた。

 

「初めまして、雄英高校ヒーロー科A組の皆様。我々は(ヴィラン)連合。この度、僭越ながら、ヒーローの巣窟である雄英(ここ)に侵入させていただいたのは……()()()()()()()()()()()()()()()()()と思ってのことでして」

 

 目的を聞いた一同は戦慄した。目の前の男は、確かに不動のNo.1ヒーローを、知る限り敗北を喫した経験のない男を殺したいと述べた。男の目は本気だ。ハッタリでも何でもなく、やると言ったことはやる目。

 オールマイトすら殺せる算段が相手側にあることになる。しかも、今この場に。普通に考えて、学生がNo.1を殺せる相手に勝てる訳がない。たった1人を除いて、全員が怯むのは無理もなかった。

 

「……オールマイトに息絶えていただきたい、ねェ。大層な自信をお持ちだなァ、靄人間さんよォ」

 

 全く怯みを見せないたった1人、実弥が不敵に笑いながら言い放つ。(ヴィラン)を前にして、平然と話しかける彼にギョッとする一同だったが、目配せされた13号は彼の意図を察していた。

 会話で時間を稼ぎ、13号に不意打ちさせる準備をしているのだ。物理無効だと分かった以上、真正面から戦闘するのは効率が悪い。13号の''ブラックホール''の吸引力を利用して、早いうちに動きを封じるべきだ。

 何より、この男、黒霧は(ヴィラン)達の出入り口でもある。ワープの発動条件次第では、(ヴィラン)を送り、校舎に向かった飯田を追いかけることも不可能ではないかもしれない。そうではないと確信出来ない以上、ここで確実に潰しておきたかった。

 

「そちらこそ……大した度胸ですね。(ヴィラン)を相手に平然と声を掛けるとは。他の方々よりも数段肝が据わっていると見えます」

 

「そいつァどうも。にしても、随分と大きく出たもんだァ。それだけ言ってのけるなら、当然算段があるんだろォ?」

 

「ええ、勿論です。詳しくお話しすることは出来ませんが」

 

 互いが互いの腹の内を探り合うように会話を交わす。皆が息を呑んで見守る中、黒霧が再び鋭い目を細め、疑問の声を上げた。

 

「ところで……肝心のオールマイトがいらっしゃらないようですが、カリキュラムに変更があったのでしょうか?」

 

 対して、実弥は至極冷静に吐き捨てた。

 

「仮にそうだとして、馬鹿正直に言うと思うかァ?」

 

「……そうでしょうね。敵の前なのですから、言うはずもない。まあ、些細なことです。私は私の役目を果たすだけ」

 

 次の瞬間、実弥の対応に納得の様子を見せた黒霧の体が徐々に揺らぎ、広がり始めた。その行動を察した実弥が後退し、黒霧が訝しげに彼を観察する。最前線に立った13号が"ブラックホール"を放つ準備を整え終わり、いざ発動しようとした刹那……それは起こってしまった。

 

「お、おい、(ヴィラン)め!もうお前らが何をしようったって無駄だぞ!」

 

「そうだ!うちの学級委員長の指示で、とびっきり足の速い奴が援軍を呼びに行っちまったからな!」

 

「お前らなんか、先生方が倒してくれるぜ!」

 

 飯田が既に援軍を呼びに行ったことで、後は耐え抜くだけという安心があるからか、気が緩んでしまったのだろう。峰田、切島、上鳴が援軍が呼ばれつつあることを馬鹿正直に話してしまったのだ。

 自分が有利な状況にあり、相手が不利な状況にあることをわざわざ伝えるお人好しがどこにいるだろうか?いや、いる訳がない。彼らのあまりにも浅はか過ぎる行動に、その場の全員が度肝を抜かされた。

 

「何を馬鹿正直に話してやがんだァ!相手は本物の(ヴィラン)だぞ!?」

 

 実弥が迫真の表情で叫ぶ。彼の叫びを聞いた瞬間、3人が揃って青ざめた顔をした。

 ――だが、全てが遅かった。

 

「自分が敗北寸前に追い込まれていることを知りやがったら、何をするか――」

 

「……ほう」

 

 「何をするか分からねェだろうが」と言い切るよりも先に、怒気の滲んだ黒霧の声が実弥の言葉を遮った。

 明確な殺気を感じ取った実弥が舌打ちすると同時に、黒霧は殺意でその黄色い瞳を輝かせ、その内に膨らむ怒りと比例するように、靄であるその肉体をみるみる巨大化させていく。

 

「成る程……先程までの会話も、時間稼ぎだったということですか。私が貴方方の前に立ち塞がるよりもずっと前に、生徒をここから脱出させていたと。お見事と言う他ありません」

 

(まずい……!)

 

「皆さん、下がってください!」

 

 生徒達を守るように立ち、手を構える13号だが、彼女の抵抗もお構いなしと言わんばかりに、怒りに震える黒霧が漆黒の靄による巨大な円蓋状の空間を作り出した。そして、一同を丸ごと呑み込んで、視界を底知れぬ漆黒の闇で染め上げてしまう。

 

「確かに我々のゲームオーバーは決まってしまいましたが、ここで捕まる訳にはいかないのですよ。必ずや逃げ延びてみせます。ですが、その前に……最低限の役目を果たし、置き土産をさせていただきましょうか!」

 

「私の役目は単純!貴方達を散らして、嬲り殺すこと!!!」

 

(くそッ、また間に合わなかった!)

 

 黒霧の怒号が轟き渡る中、クラスメイト達がどこかへ次々と消えていく。実弥が技を繰り出すよりも早く、黒霧が巨大な円蓋状の空間に変化してしまった。

 本当に自暴自棄になった生物は末恐ろしい。どんなことをしてでも目的を果たそうとする。きっと、黒霧も同じように半ば自棄になっているのだろう。

 当然だ、練りに練った計画が最初から崩れ去っているも同然の状況に陥っているのだから。動揺もするし、理不尽さに思考を放棄してしまいたくもなるに決まっている。

 

 黒霧の殺気を感じ取った時点で、余計なことは何も考えずにもっと速く動けていれば、防げた事態のはずだった。そのはずなのに、またしくじった。未然に防げなかった。

 

(自分の未熟さに腹が立つぜ……!テメェもきっとこういう気持ちだったんだろうなァ、冨岡!)

 

 常に「俺はお前達とは違う」と、他の"柱"を見下しているのではなく、自分自身をその言葉で卑下し続けていた同僚の顔が思い浮かぶ。彼の気持ちがまたほんの少しだけ理解出来たと同時に、考えるのをやめて体を動かした。

 

(――せめてもの抵抗だ。逃がせる奴だけでも逃がす!)

 

 半ば衝動的に烈風が如く地面を蹴った実弥は――

 

「っ!?」

 

「わわっ!?何が起こっとるん!?」

 

 13号と麗日を抱え、荒っぽくではあるが、空間の範囲から逃れられるようにと投げ飛ばす。投げ飛ばされた2人は、空間の天井を突き破って、あっという間に範囲外に逃れることが出来た。

 

「うおっ!?13号と麗日が!?」

 

「あんな所から落ちたらひとたまりもない!受け止めるぞ!」

 

「おう!」

 

 自分の肉体が少しずつ靄に呑み込まれていく中、実弥の耳が13号と麗日を受け止めようと動き出す砂藤、障子、瀬呂の声を捉えた。

 どうやら、数人は散らされずに済んだようだ。そのことに安心しつつ、実弥は全員の無事を願う。

 

(全員、こんな夢半ばで死ぬんじゃねェぞ……!)

 

 こうして、実弥の肉体もまた、完全に靄の中に呑み込まれてしまったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の視界を覆い尽くす靄が晴れた瞬間、目の前の光景は先程までのものからガラリと変化していた。

 ひび割れ、一部が欠けた壁や床。本来あるはずのガラスが見受けられない窓。もはやろくに機能していないドア。

 実弥の目の前に広がっていたのは、倒壊ゾーンの景色だった。

 

「チッ、俺ら全員をそれぞれ別の場所に飛ばしやがったかァ」

 

 大して動揺することもなく、状況を即座に把握する。流石に誰がどこに飛ばされたのかまでは掴むことが出来ない。要注意な対象は察しがついているものの、(ヴィラン)の戦力の全貌も把握しきれていない。

 クラスメイト達の安否を思うと、一刻も早く合流したいところだ。

 

(取り敢えず今は――)

 

「ケッ!んでテメェと一緒なんだよ、傷顔」

 

「し、不死川!無事だったのか!お前が一緒なのは心強いぜ!」

 

(こいつらと行動する他ねェな)

 

 倒壊ゾーンに飛ばされたのは、実弥だけではない。現に、彼の隣には悪態を()く爆豪とホッとしたように笑う切島の姿があった。

 状況が落ち着いてきたところで、切島は実弥に対して思い切って頭を下げた。

 

「不死川、済まん……!折角お前が作ろうとしてくれてたチャンスを水の泡にしちまった……」

 

「もう終わったことだ、やっちまったもんは仕方ねェ。後から取り返せェ」

 

「こっち側が有利だったってのに、それをわざわざバラす奴があるかよ。クソ髪」

 

「ク、クソ髪!?切島だよ、覚えろ!」

 

 彼の謝罪を受け入れ、実弥は真剣な表情のまま、気にしていないとばかりに切島の頭を一撫でし、爆豪はつまらねえことしてくれるなとばかりに鼻を鳴らす。

 爆豪にあだ名で呼ばれて悪態を吐かれた切島がショックを受けつつも、この後の行動で失敗を取り返そうと意気込んだ時だった。

 

「……それよりも、話すのは後にするぞォ。ワラワラとやってきやがるぜェ」

 

「ヘッ、ンなこととっくに知ってらァ」

 

 実弥が臨戦態勢を取りながら鉄刀を構え、爆豪が口の端を吊り上げて不敵に笑った。切島が、何が起こるんだと身構えると……彼らがいる部屋の中に、何十人もの(ヴィラン)が足を踏み入れてきたではないか。

 

「へっへっへ……!来やがったぞ、ガキ共が!」

 

「こいつら殺せば、報酬がたんまり貰えるんだろ?ラッキーだぜ!」

 

「いい鴨だ。(ヴィラン)の恐ろしさを思い知らせて、心をへし折ってやる!」

 

 彼らは、揃いも揃って下卑た笑みを浮かべ、実弥、爆豪、切島を見渡す。彼らが思い描くのは、雄英高校の生徒を惨殺したことで自分達の名が世間に知れ渡り、人々に恐怖を刻みつける未来。

 ここに集まるのは、所詮チンピラ。自分こそが社会に恐怖を刻みつけるのだと踏ん反り返る者ばかり。

 

 だから、解るはずもない。この場に、A組屈指の実力者とA組どころか雄英高校ヒーロー科1年の中で最も強い男がいることが。

 

「よぉし、早速ガキ共を――」

 

 「ボコボコにしてやる」と、先頭に立つ(ヴィラン)が言葉を発そうとした時だった。

 

(き、金髪のガキと傷だらけのガキがいねえ!?)

 

 ふと気づく。いつの間にか、爆豪と実弥の姿が視界から消えていることに。先程まで彼らがいたであろう場所を見つめる切島の姿しか、そこにはない。

 

(ど、どこに行った!?)

 

 折角の大出世のチャンス。逃す訳にはいかない、と忙しなく周りを見渡す。

 

「だァれが……」

 

「いい鴨だってェ!?」

 

「なっ――ごふぉっ!?」

 

 刹那、探していたターゲットの声が彼の耳に届いた。それと同時に、爆豪の放つ爆破と実弥の風圧を伴う鉄刀の殴打が、彼の鳩尾を穿つ。

 内部に浸透する衝撃。それによって(もたら)される呼吸困難。それらを身に染みるように味わいつつ、(ヴィラン)は部屋の先まで吹き飛んでいく。そして、ドアを過ぎ去り、壁に激突。

 その拍子に頭を強打し、彼は気絶してしまった。

 

「っしゃ!早速1人片付いた!やっぱ心強いぜ、お二人さん!」

 

 ガッツポーズを取りつつ、拳を硬化させた切島も実弥と爆豪の隣に並び立つ。

 (ヴィラン)達は、呆然と気絶させられた仲間を見た。何が起こったのか全く理解出来ないまま、早速1人やられてしまった。

 その事実は、彼らの中に焦りや不安を募らせるのに十分過ぎる。彼らの額から、どっと冷や汗が流れた。

 

「俺らが相手でラッキーだったって?アンラッキーの間違いじゃねェのか!?」

 

 獣の如く獰猛な前傾姿勢を取りながら、爆豪が掌から火花を散らす。

 

「心をへし折ってやる、とか言ってやがったなァ。そうなるのはテメェらの方だぜ。安心しろォ、殺しはしねェ。刑務所送りになるだけだァ」

 

 実弥が目を血走らせ、青筋を浮かべながら鉄刀を構える。その口から、風に吹かれる木の葉や砂塵の騒めきを響かせ、相手を鋭く見据えた。

 2人が発する迫力は、(ヴィラン)達に彼ら自身を狂戦士(バーサーカー)と風神だと錯覚させる。その場にいる(ヴィラン)の全員が体の芯から震え上がった。

 

「か、囲め囲め!1人で無理なら、数で潰すんだ!」

 

 (ヴィラン)達は、半ば自棄になって実弥達の周囲をぐるりと囲む。たった1人とはいえ、大人1人がたかが学生に瞬殺された事実を信じまいとして。

 じりじりと近づいてくる彼らを前に、実弥、爆豪、切島はさも当然であるかのように背中を合わせる。

 

「ケッ、この程度の奴らが集まった所で勝てると思ってやがる。雑魚共が」

 

 近づく(ヴィラン)を眺め、爆豪が鼻を鳴らしながら吐き捨てた。

 

「こいつらが雑魚って事に関しちゃ同感だぜ、爆発頭ァ」

 

 続けて、実弥が地面を踏みしめながら、不敵な笑みを浮かべて同じように吐き捨てた。

 

「誰が爆発頭だ。ブッ殺すぞ」

 

「やってみろやァ、単細胞」

 

「ンだとォ!?」

 

「ちょいちょいちょい、ストップストップ!(ヴィラン)を前にした時にまで喧嘩すんなって!」

 

 そして、わざとあだ名を呼んで煽ってくる実弥を睨みつける爆豪と即座に煽り返す彼を、切島が必死に仲裁する。

 何せ、自分達を本当に嬲り殺しに出来るかもしれない相手が目の前にいるのだ。切島とて、実弥と爆豪が高校生活が始まった当初から犬猿の仲であることは重々承知している。だが、敵がいる前でも喧嘩されてはたまったものじゃない。

 

「口挟んでくんな、クソ髪!」

 

「あだ名で呼ばれようが、テメェがさっさと流してりゃ済む話だろォ。いちいちキレるからこうなるんだァ。名前覚えられずにあだ名で呼ばれてばかりのクラスメイトの気持ちが分かったろ?これに懲りたら自分の言動直すこった」

 

「ぐぎぎぎ……!テメェ……!!!」

 

(こんな時だからこそ力を合わせなきゃならねえのに!)

 

 冷や汗を流しつつ、逸る気持ちをグッと堪えて2人の仲裁を試み続ける。何より、切島は、自分のミスでクラスメイト達をバラバラにしてしまった責任を取りたいが為に目の前の障害を手っ取り早く片付けて、皆を救けに行きたかった。

 そんな日常と変わらぬやり取りを繰り返す少年達を前にした(ヴィラン)達の怒りは沸点に到達し、たった今――爆発した。

 

「「「「「俺達を無視するんじゃねえええええ!!!」」」」」」

 

 3人を取り囲んでいた(ヴィラン)が小型肉食動物の群れのように一斉に襲いかかる。先手を取られた、と切島が焦りつつ構えた瞬間だった。

 

 ――爆発音が耳に届き、火花が激しく弾ける。鋭い鎌鼬が彼らを一斉に薙ぎ払う。そして、襲いかかって来た(ヴィラン)が爆煙を漂わせる、若しくは流血しながら、まとめて地面に伏せた。

 

「……へ?」

 

 あまりにも突然のことに切島が唖然とする中、爆豪が言った。

 

「……フン。俺の邪魔はすんなよ、傷顔」

 

 横槍が入った影響か、爆豪の頭は返って冷静になり、冴えている。彼の怒りも完全に鎮まりきった。鼻を鳴らしながら言う彼の姿には、これまでのキレ散らかしてばかりの子供染みた印象は影も形もない。

 実弥も、不敵に笑いながら返す。

 

「そいつァ……俺のセリフだなァ。精々足引っ張るなよォ」

 

 刹那、爆豪の顔に獰猛な笑みが浮かんだ。

 

「上等だ……!テメェの出番ごとブッ殺してやらァ!!!」

 

「ハッ、ブッ殺せるもんならブッ殺してみやがれェ!!!」

 

 2人の戦闘意欲に満ちた叫びが、倒壊ゾーンのビルの中に響き渡る。

 ――突如として襲来した脅威を退ける命懸けの戦い。その第一関門を突破する為の戦いが今、幕を開けた。



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第二十七話 戦闘開始

2021/11/21
脳無の能力も看破しないままで真剣を用い、手足を斬り落とすのは都合が良すぎるとの指摘を頂き、後半の戦闘描写を修正しました。修正前と違い、実弥さんは鉄刀を用いてます。

2022/11/3
タイトルを変更しました。


「はあっ……!はあっ……!ふざけんな!ふざけんな!何が簡単な仕事だよ!」

 

 冷や汗をダラダラと滝のように流しながら、荒い息で(ヴィラン)の1人が叫ぶ。もうやり切れないというやるせなさに満ちた、恨みの一声だった。

 大して戦闘経験もない学生達。黒霧の策略によって戦力をバラされた彼らを、一方的に蹂躙する。今回はそう言った算段だったはず。それなのに……いざ蓋を開けてみればどうだ。全員、強すぎるではないか。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――爪々(そうそう)科戸風(しなとかぜ)

 

 

 

「ガハッ!?」

 

 龍の鋭い爪のような四つの鎌鼬を纏った殴打が目にも止まらぬ速さで放たれ、迫り来る(ヴィラン)を斬りつける。また1人、痛々しい傷をつけられて血を流した仲間が倒れてしまう。

 

(よし、後ろを取ったっ!)

 

 仲間の犠牲を無駄にはしない、と意気込んでその技を放った少年の後ろを取った(ヴィラン)が釘バットを振り下ろすも――

 

「ガラ空きなんだよ、クソ(ヴィラン)ッ!」

 

「ぎゃあっ!?」

 

 爆破を放ちながら、別の少年が榴弾の如く突撃してくる。そして、その顔面に右の大振りから繰り出される渾身の爆破が叩き込まれた。

 爆破を叩き込まれた(ヴィラン)は白目を剥きながら呆気なく気絶。文字通りに瞬殺された。

 

「後ろ取られてんじゃねェよ、クソが。手間かけさせんなや」

 

「テメェが来んのが分かってっから放ったらかしにしてんだよォ。後ろさえ取れりゃあ勝てると勘違いしてやがる馬鹿をぶっ潰す手間が省けていいぜェ」

 

「……ケッ、俺の出番を作る為のお情けなんていらねェんだよ。死ね」

 

「死なねェよ、馬鹿がァ」

 

「誰が馬鹿だ、ブッ殺すぞ」

 

 気絶する(ヴィラン)を一瞥しつつ、喧嘩腰で会話を交わす少年達。隙だらけのようで、どこにも隙がない。主に彼らのせいで、(ヴィラン)達は蹂躙されてしまっていた。かと言って、残った1人が弱い訳でもない。

 

「オラァッ!!!」

 

 また1人の(ヴィラン)が自慢の武器であるナイフを、逆立てたスパイキーな赤髪が特徴の少年に向けて振るう。しかし。

 

「効かねえぜ、そんなもん!」

 

「なっ!?」

 

 肌を鋼鉄のように硬化させた彼には通じない。振われたナイフは、今の(ヴィラン)達の心の如く、儚く折れてしまう。

 

「ちくしょう!」

 

 自棄になった(ヴィラン)が素人丸出しの腕だけに頼ったパンチを繰り出すも――

 

「だァから……効かねえっつってんだろ!」

 

「ぎゃあああ!?」

 

 硬化した拳で迎え撃たれ、返り討ちに遭ってしまう。血に塗れた拳に息を吹きかけ、痛みに悶えているうちに少年の硬化した腕で繰り出される鋭利な手刀で呆気なく倒される。

 ……結論から言ってしまおう。全員強かった。

 

 スパイキーな赤髪の少年――切島鋭児郎は単純に硬すぎるのと''硬化''によって、彼自身が攻防一体の人間兵器になれるのが厄介過ぎる。

 (ヴィラン)同然の獰猛な笑みを浮かべる金髪の少年――爆豪勝己はシンプルに強すぎる。どれだけ数で潰そうとしても軽く捻り潰され、(ヴィラン)側の攻撃は一切当たらずに見切られっぱなしときた。その天賦の才能によって発揮される抜群の戦闘センスは、終始彼らを圧倒している。

 そして、血走った目をした傷だらけの白髪の少年――不死川実弥。彼に至っては、規格外すぎる。彼の強さは、この場にいる(ヴィラン)達にとって恐怖でしかない強さに到達していた。絶対に勝てない、と嫌でも悟らされてしまう。

 目にも止まらぬ速さの移動と攻撃。何が起こったのか理解も出来ぬまま、巻き起こった風に蹂躙される。心霊現象に恐怖を抱いてしまうのと同じように、理解出来ぬ現象に恐怖を覚えるのは自明の理だった。

 

「何だよ、何なんだよ、こいつら!?」

 

 次々と仲間が倒れていく光景を目にし、男は恐怖で錯乱しながら頭を掻きむしる。

 相手は所詮子供のはず。(ヴィラン)と対峙した経験のない子供なら、恐怖に打ち負けて錯乱し、泣き喚くなり自棄になるなりする方が普通なのに。こんな肝が据わりすぎている子供がいることを信じたくなかった。

 

(風が巻き起こった瞬間、一方的に倒されているなんて理不尽な現象っ――)

 

 目の前の現実から逃避していた男の思考が停止する。風というワードを頭に浮かべた瞬間、脳内に電流が走ったような感覚を覚えた。

 

(か、風……?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!?)

 

 男の中で、一つの可能性が思い浮かぶ。その可能性が本当だとすれば、今の理不尽な状況にも自然と納得がいってしまう。

 

「あ、あの傷だらけのガキが……?はは、は……だとしたら――」

 

――勝てなくて当然だよな

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)――塵旋風(じんせんぷう)()

 

 

 

 男が絶望したように呟いた瞬間、凄絶な旋風がビルの床を抉りながら彼の肉体を呑み込む。超音速の一撃が、彼の容貌をあっという間にズタボロの布切れのようにしてしまった。

 

「カフッ……」

 

 絶望に叩き落とされた男は、小さく声を漏らしてから地面に倒れ込んだ。何とも呆気ない終わり方だった。

 

「……呆気なく終わっちまったな」

 

「やっぱ、こいつらは所詮チンピラでしかなかったってことか。弱えな」

 

 一息つきながら、切島と爆豪が呟く。鉄刀を収める実弥と、汗を拭う爆豪を見ながら、切島は密かに思った。

 

(……いつも、これくらいの仲なら良いんだけどなあ)

 

 戦闘中の実弥と爆豪は、喧嘩腰に会話を交わすことこそあれども衝突はしなかった。それに、驚異的なコンビネーションを見せていた。常に互いが互いの隙を埋め合い、それを作らないように立ち回る。戦闘中でありながらも、切島は感動して、「凄え……」と感嘆の声を漏らしてしまった程だ。

 あんなコンビネーションを見せるなんて、単純にいがみ合う輩同士では絶対に出来ない。何やかんや言いつつ、互いのことをよく見ているんだなあと実感した切島であった。

 そんな彼の目的は、既に次の方向へと向いている。

 

「取り敢えず、早くここを出よう!皆を救けねえと!俺にも責任あるし……」

 

 拳を握りながら言う彼に対し、爆豪は興味ないとばかりに吐き捨てた。

 

「勝手に行ってろ。俺はあの靄をブッ殺す」

 

 冷酷だとしか思えない彼の発言を聞いた切島は、愕然としながら反対する。

 

「ちょっ、待て待て!あっちの方は相澤先生に任せるべきだって!それよか、俺達は戦える''個性''を持ってんだから、皆を救けた方がいいだろ!?もしかしたら、戦闘に向いてねえ''個性''持ってる同士が集まってるかもしれないだろ?」

 

「まあ待てェ、切島。あの爆発ウニ頭は、こう見えて頭がキレる。何か考えがあってのことだろうよォ」

 

 ダチを見捨てるなんて、 俺の漢気が許さないと言わんばかりの様子の彼を、実弥が(なだ)めた。「不死川がそう言うんなら」と爆豪の意見を聞く気になった彼を見ると、さりげなく姿を消した状態で(そば)に忍び寄っていたカメレオン姿の(ヴィラン)の脳天を鉄刀で殴りつけながら、当の本人に目線で切島も納得出来るように話せ、と訴える。

 視線を受け、爆豪はぶっきらぼうに答えた。

 

「あのクソ靄は、(ヴィラン)共の出口だ。ここから逃げられねえよう、今のうちに叩き潰すんだよ。第一……()り合った限り、こんな浅はかな考えしてやがるチンピラばっかだ。この程度なら手を貸さなくても平気だろ」

 

「……だとよォ」

 

 確かに、存外頭がキレるらしい。そのことを実感した切島は、爆豪に対して、いつもこれくらい冷静でいてくれたらいいのに、と思いつつも笑った。

 

「成る程な……ダチを信じるってことか!漢らしいな……!いいぜ、爆豪!俺もその作戦、ノった!」

 

 硬化した拳と拳をガチンと打ち付けながら言う彼をじっと見つめ、爆豪は好きにしろ、と態度で示して何も言わなかった。

 特に何も言わない彼を見て、同行が許諾されたと判断しつつ、切島は実弥に尋ねる。

 

「不死川はどうする?」

 

 実弥は、懐から閃光弾と音響弾を取り出しながら答えた。

 

「最初は、他の奴らを救けようとも思ってたが……この様子だと、バラされた先にいるのは全員チンピラらしいしなァ。それなら俺は、そいつらよりもクラスの奴らの命を奪える可能性が高い奴を叩くとするぜェ」

 

 いざというときに使えるだろォ、と取り出した音響弾や閃光弾を手渡してくる実弥を見て、切島は何となく悟る。実弥が叩く相手は、あの脳が剥き出しの大男なのだろうと。

 別に相手の実力が測れなくとも分かる。アレだけは絶対にヤバい。(ヴィラン)の集団を一目見た瞬間に脳内で警鐘が鳴り響いていた。

 

 そんな相手とクラスメイトがこれからぶつかり合うことに不安を覚え、何とか手助けしてあげられないかとも思うが、すぐに思い直した。

 恐らく、あの大男こそがオールマイトを殺す為の算段。自分達が手助けしたところで力にもなれないし、邪魔になる。それなら、未だに強さの底が見えない実弥が相手をした方がマシなはず。

 

「……気をつけろよ、不死川」

 

「覚えとけ、傷顔。テメェをブッ殺すのは俺だからな」

 

 自分達は自分達のやるべきことをやろうと心に決め、実弥の無事を祈る。実弥は、「こんなところで死んでたまるかよォ」と呟きつつ笑うと、窓から飛び降りて、風を巻き起こしながら消えるように走り去っていった。

 

(頼んだぜ、委員長)

 

 その背中を頼もしく見送りつつ、思考を切り替え、切島と爆豪もまた(ヴィラン)の出口を塞ぐ為に動き出す。

 

「おっしゃ!俺らも行こうぜ、爆豪!」

 

「仕切んなや!こっからは俺が仕切んだよ!黙って俺についてきやがれ、クソ髪!」

 

「だから、切島だって!覚えろ!」

 

 

 

 

 

 

「……相澤、先、生……?」

 

 倒壊ゾーンを出た瞬間、その凄惨な光景はすぐさま目に入ってきた。実弥が叩くと決めていた、脳が剥き出しの大男が相澤を組み伏せ、その血だらけの顔面を地面に叩きつけている。そして、彼の腕は曲がってはいけない方向に曲がってしまっていた。

 理不尽な暴力に叩き潰された彼の命が尽きる。その瞬間が刻一刻と近づきつつある。

 死の予感が、実弥を一矢の矢の如く貫く。その瞬間、あの日の悲劇がフラッシュバックしていた。

 

 ――自分に子供達のことを託して死んだ、そよ風園の先生達。血だらけの寝室。跡形も無く弾け飛んだ弟妹達。エリを守り抜き、自分の目の前で死んだ2人。

 三度目の悲劇を繰り返す。……それだけは、絶対に避けなければならない。

 

(――死なせねェ!誰一人!)

 

 自然と鼓動が速くなる。それに従って血の巡りも加速し、身体能力が普段以上に増加する。自分に寄る障害を全て吹き飛ばすかのような勢いで風圧を巻き起こし、実弥は地を駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む、無理だ……。逃げよう、緑谷……!」

 

 恐怖に震える峰田の声が緑谷の耳に届く。唖然とし、体中からドッと冷や汗が溢れてくる中で、緑谷は自身の認識の甘さを痛感していた。

 黒霧の策略によって水難ゾーンに飛ばされた緑谷、蛙吹、峰田。彼らにとって、人生初の(ヴィラン)との対峙ではあったものの、3人の"個性"を駆使して、見事に(ヴィラン)の包囲網を突破。蛙吹も峰田も怪我は無かったし、緑谷も緑谷で指一本を犠牲にしたものの、結果的には犠牲を最小限に出来た。

 

 水難ゾーンでの戦いを経て、彼らは自分達の力が(ヴィラン)に通用するのだと思ってしまった。無理をして戦闘に向かった相澤の力に少しでもなれるのなら、と様子を(うかが)い、あわよくば手助けが出来れば……とそう思っていた。

 だが、甘かった。水難ゾーンにいたのは、たかが前座。(ヴィラン)と呼ぶのすら生温いチンピラ達だったのだ。ヒーローの卵になりたての自分達の力は、本当の(ヴィラン)には通用しない。それこそが真実。彼らはとんだ勘違いをしてしまった。

 

 当初こそ、相澤と戦闘を繰り広げていたのは、緑谷達が対峙したようなチンピラ達ばかりだった。だから、何の問題もなく終始優位に立ち回っていたし、緑谷達もこれなら大丈夫だと思い直して、大人しく他のクラスメイトと合流しようとしていた。

 ――しかし、人生というものは何が起こるか分からない。その状況が突然変化した。

 

 それは、相澤の戦闘を観察していた、体中に手を取り付けた男の元に黒霧が現れた時だった。気怠げに生徒を始末出来たのかと尋ねる男に対し、黒霧は何人かの生徒を散らし損ねたことと13号を始末する余裕すらもないことを伝え……既に生徒の一人が援軍を呼びに行っていたことを付け加えた。

 

 それを聞いた瞬間、男は怒りに滲んだ声を上げ、苛立ちに任せて首を出血する程に何度も何度も掻きむしった。そして――その病的な肉体からは想定出来ない程の身体能力と速度を発揮して相澤に肉薄。そのまま、自身の突進に合わせて繰り出された相澤の肘打ちを防ぎ、彼の肘を風化した瓦礫のように崩壊させてしまう。

 

 すると、一矢報いたことで満足したのか、男は即座に後退し……「脳無!」と何かの名を呼んで、脳が剥き出しの大男を相澤に向けてけしかけたのだ。

 

 "抹消"を発動した相澤だったが、その大男――脳無のスピードが落ちることはなく、丸太のような筋骨隆々の剛腕で頭部を殴られ、呆気なく敗北してしまった……。

 緑谷達は、プロヒーローが敗北する瞬間を目の前で目撃してしまったのだ。当然、戦意は削がれるし、恐怖も感じる。何十、何百mもある高さの谷から突き落とされたかのような、果てしない絶望が彼らを襲っていた。

 

「――ぐあああっ!?」

 

 何かがへし折れるかのような嫌な音がし、相澤の苦痛に満ちた叫びが響く。

 

「相澤先生……!」

 

 蛙吹が耐えられない様子で相澤の名を呼ぶ。だが、やれるのはそれまでだ。足手纏いになるのが分かっている。自分達が出て行っても、相澤に更なる負担がかかるだけ。余計に彼を追い詰めてしまう。だから……動けない。

 それは、緑谷も同じ。

 

(僕が行っても……何も、出来ない……!)

 

 ただでさえ"個性"を制御出来ない自分が行ったとしてもだ。彼自身がこの中で1番足手纏いになることをよく理解している。"ワン・フォー・オール"を最大出力で発動して相澤を救けたところで、その時点で大怪我を負って何も出来ない自分は木偶の坊になるしかない。結局……相澤の命を奪うことになる。

 自分の無力さがひたすらに憎かった。

 

「どうだ、イレイザーヘッド。痛いか?苦しいか?こいつが俺らの切り札、脳無だ」

 

 体中に手を取り付けた男は、顔面に取り付けられた手の下で愉悦に浸る笑みを浮かべている。先程まで自分の連れてきた手下達を一蹴していたプロヒーローが、逆に容易く一蹴された。その事実が愉快でたまらなかった。

 

「死柄木弔。ここは脳無1体で十分です。我々は一刻も早く撤退しましょう。援軍が来ます」

 

 黒霧に促され、手だらけ男――死柄木は、首を掻きむしって、ため息を()きつつ言った。

 

「そうだな……。はあ……ふざけてやがるぜ。最初に負けイベがあるクソゲーをやらされるなんてよ。でもさあ、せめて……負けイベを経験する雑魚なりに足掻けるってことを証明していこうぜ?平和の象徴としての矜持をへし折ってから帰るんだ」

 

 言葉を発しつつ、死柄木は口の端を吊り上げて不敵に笑う。その赤い瞳が――緑谷達を捉えた。

 

(目が合った!?)

 

 目が合ったことに気が付いた緑谷は、嫌な予感を覚える。

 

「2人共!早くここから――」

 

 二人を連れて逃走を試みようと、彼らの方に首を向けた瞬間――

 

「え……?」

 

 死柄木の着ている黒い長袖のTシャツの袖と、病的に痩せ細っていることで骨の形が浮かび上がった手が蛙吹の顔面に迫るのを目にした。

 

 慌てて伸びた腕の持ち主を確認するように目を向ければ、いつの間にか距離を詰めてきていた死柄木の姿があるではないか。

 少なくとも、数mくらいは距離が空いていたはず。なのに、その距離を移動するのを目で捉えられなかった。信じられない身体能力だ。完全に不意を突かれてしまった。

 

 蛙吹の顔面に死柄木の手が触れるまで、残り数cm。

 

 ――もう間に合わない。

 

「あ――」

 

 突然のことで、蛙吹自身も声が出なかった。救けを求めることすら叶わない。彼女の中で走馬灯が流れる。彼女自身が、無意識のうちにこの窮地から脱する為の手段を探しているが……何も見つからない。この窮地から脱する手段はどこにもなかった。

 

「「や……やめろぉぉぉぉぉ!!!」」

 

 緑谷も峰田も必死で声を上げる。だが、動かなければ全く意味がない。状況は変わらない。なのに――

 

(体が、動かない……!)

 

 不意を突かれてもなお、即座に対応出来るだけの力量が緑谷や峰田にはなかった。

 己の無力が悔しくて仕方がない緑谷は、考えても無駄なのに、と理解しつつも考えてしまう。

 かっちゃんなら、轟君なら、不死川君なら、きっとこの窮地を脱することが出来るのだろう、と。

 

 そうしている間に、無情にも時間が流れる。とうとう、蛙吹の顔面に死柄木の指の1本が触れた。2本、3本、4本――そして、5本。死柄木の五指全てが彼女の顔面に触れてしまった。

 緑谷の脳裏に(よぎ)る、彼女が塵と化して完全に崩れ去るビジョン。だが、それが現実になることはなかった。

 

「……ほんっとうにかっこいいぜ、イレイザーヘッド」

 

 死柄木が蛙吹の顔面から手を離しつつ、ボロボロになりながらも生徒を庇う相澤の勇姿を嘲笑うように笑みを浮かべて振り返る。

 彼の視線の先に……脳無に頭部を押さえつけられて血だらけになりながらも、鋭い眼光を発して"抹消"を発動している相澤の姿があった。

 

「まあいいや。どうせ、その状況だし……"個性"も長く維持出来ないだろ。イレイザーヘッドの"個性"が切れた瞬間、お前はもう死んじまうよ。蛙の嬢ちゃん」

 

 死柄木が愉悦の笑みを、他人を殺せる快楽に満ちた笑みを浮かべながら言う。二度も同じことをさせるか、と緑谷が飛び出そうとした瞬間、死柄木の側に人影が現れた。

 その刹那――

 

「がはあっ!?」

 

「し、死柄木弔!?な、何が起こったと言うのです……!?」

 

 死柄木が旋風に呑み込まれながら、ボールのように軽々と吹き飛んでいった。側から見ていた黒霧も突然風が巻き起こったようにしか見えず。困惑しながら、ボロボロの姿で地面に伏せる死柄木の元に駆けつける。

 一方、呆然としていた緑谷達の視界を、「颯」の一文字が刻まれた白い羽織を纏った、頼もしすぎる背中が埋め尽くしていた。

 

「し、不死川君っ……!」

 

 クラス史上最強の男が現れたことで緊張の糸が緩んだ緑谷は、涙ながらにその名を呼んだ。

 

「不死川ちゃん……!」

 

 普段感情を表に出さない蛙吹ですら、安堵で声を振るわせていた。

 そして、峰田が涙ながらに拳を突き上げて叫ぶ。

 

「不死川ァ!お願いだ、相澤先生を救けてくれぇ!あのままじゃ死んじまう!」

 

 その声に実弥は振り返り――

 

「任せろォ」

 

 と、酷く優しい声で呟いた。次の瞬間、()()()()()()()()()()()()()を腰に携えた実弥の姿が彼らの視界から消える。

 まさに疾風の如く地面を蹴った実弥は、相澤を地面に押さえつける脳無に猛然と肉薄。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(はち)(かた)――初烈風斬(しょれつかざき)りッ!!!

 

 

 

 そして、隼の翼、そこの先端にある風切羽のような鋭い斬撃を放つ。烈風の如き速さで鋭利な一太刀を振るい、相澤を押さえつける脳無の腕の肉の一部を抉り抜くように鎌鼬を纏った鉄刀を叩きつけた。

 すると、腕の一部を抉られて上手く体を支えられなくなった脳無が体勢を崩した。その隙を見逃さず、実弥は反復動作によって瞬間的な怪力を発揮し、自分を遥かに凌ぐ巨体を持つはずの脳無をアッパーカットで上空に打ち上げる。

 脳無は、何が起こったのか分からないといった様子だ。死んだ魚のような目のままで肉を抉られた腕をじっと見つめていた。そうしつつも、ちゃっかり受け身を取って、地面を揺らしながら着地する。

 

 それが行動を止めている隙に、実弥は相澤を抱えて緑谷達の元まで後退した。

 

「……相澤先生を頼む」

 

「う、うん!」

 

 実弥に相澤のことを託され、陸上に上がった緑谷が項垂れる彼に肩を貸し、峰田が足を抱える。

 その最中、蛙吹は相澤の脈を確認していた。

 

「……良かった……。生きてるわ……」

 

 彼女の一言に、2人もホッとする。こんなにもボロボロになってまで生徒の命を守ってくれた立派なヒーローである彼には、感謝しかない。

 そんな3人に実弥は優しく声を掛ける。

 

「緑谷、よく犠牲を最小限にしたな。上出来だ。蛙吹も峰田も怖かっただろうによく頑張った。……後は、俺に任せとけェ」

 

 何が何でも絶対に守り抜く。そんな背中に、彼らの不安がだんだん拭われていった。

 

「……気を付けてね、不死川君。エリちゃんも君の帰りを待ってるから」

 

「おうよォ」

 

 微笑んで告げる緑谷に、実弥も微笑みながら返す。

 彼らの会話を聞いた、ボロボロになった状態で地面に寝そべる死柄木は、血の混じった唾を地面に吐き捨てながら叫んだ。

 

「逃がす訳ないだろ!そばかすのガキ共を()れ、脳無!!!」

 

 死柄木の命令を聞いた脳無は、ピクリと肩を跳ねさせながら反応すると、力を込めた。

 すると、抉られた部分を埋め尽くすように筋繊維が生え、糸と糸を縫い合わせるように絡み合っていくではないか。……なんということだろう。瞬く間に脳無の傷が再生してしまった。

 準備万端だ、とばかりに肩を回すと、脳無は四つん這いになった状態から体重をかけて地面を蹴り、凄まじい速度で緑谷達に迫る。その巨大な手を広げ、一番最後尾にいる峰田の顔面を鷲掴みにせんとする。

 しかし――旋風が吹き抜け、その両手の手首から先を抉り斬った。

 

「させる訳ねェだろうが、脳味噌剥き出しの化け物がァ……!」

 

 旋風の正体は実弥。そこから、続け様に二振りの斬撃を放って、人体で言えばアキレス腱があるであろう位置を斬り裂いた。更に――

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――木枯(こが)らし(おろし)!!!!!

 

 

 

 跳躍で足が上手く機能せずにフラついている脳無の上を取ると、上段に構えた刀を振り下ろし、晩秋から初冬にかけて山から吹き下ろす、強く冷たい風を纏った斬撃を解き放った。それによって、残った脳無の胴体に深い傷を刻むと共にそれを地面に叩きつける。

 次の瞬間、地面が陥没すると同時に亀裂が入った。

 

 実弥の放った怒涛の連続攻撃は、緑谷達に襲いかかろうとしていたはずの脳無を簡単に押さえつけたのだ。

 

「振り返るなァ!行けェ!!!」

 

 実弥が叫ぶ。近付いてくる脳無の気配に反射的に振り返り、動きを止めていた緑谷達であったが、強く頷き、実弥の無事を祈りつつも再び歩き出す。

 

「ふ、ふざけんなよ……!学生程度に、脳無が簡単に押さえつけられただと!?信じられるか、こんなこと!」

 

 脳無が一蹴される光景を目にした死柄木は、首をガリガリと掻きむしりながら苛立つ。血が出てもなおそれをやめない彼を、黒霧は必死に宥めつつ、脳無の能力をバラすまいとしてその耳元に囁く。

 

「落ち着いてください、死柄木弔。あの脳無は"ショック吸収"と"超再生"を併せ持つ、オールマイト対策のサンドバッグ。あの程度ではやられません」

 

 黒霧の言葉を聞くと、死柄木は深呼吸をして苛立ちを抑えてから立ち上がると同時に叫んだ。

 

「脳無!いつまで寝ていやがる!?さっさと再生しろ!」

 

 瞬間、脳無の傷口全部から筋繊維が生え、先程の抉った腕の一部のように綺麗さっぱり再生してしまった。

 傷一つなく再生した脳無の肉体を見た実弥は、舌打ちしつつ吐き捨てる。

 

「……チッ、テメェの再生力を見ていると虫唾が走るぜェ」

 

 間違いなく鬼並みの再生力。前世で憎みに憎んだ存在を思い出し、彼の怒りに拍車がかかる。

 死んだ魚のようなぎょろりとした目。獣のような面長な顔。知能が見られないその素振り。剥き出しの脳。何度見ても、鬼達と変わらないくらいの醜さだ。

 

 体に無駄な力を込めることなく、隙のない構えを取る実弥を睨みつけつつ、黒霧は提案する。

 

「死柄木弔、相手は所詮学生です。ここは、意地を張らずに3人で片付けましょう。想像以上に強い相手ですから、それを達成したら撤退しますよ」

 

「……そうだな、慌てる必要はない。まずはこいつを倒して、セーブポイントに到達だ」

 

 黒霧の提案に大人しく納得し、飛び出さんと前傾姿勢を取る死柄木と、彼を援護する為のゲートに変化する準備を整える黒霧。相手が増えようが、実弥は動揺を見せない。それどころか、やれるもんならやってみろ、とばかりに彼らを挑発するように笑う。

 

「調子に乗るなよ、ガキが……!本物の(ヴィラン)をナメるとどうなるかを思い知らせてやる!」

 

 絶対にこのガキを殺してやると意気込み、死柄木が地面を蹴りかけたその時。

 

「テメェは大人しく地面に這いつくばってろ、クソ靄ァ!!!」

 

「グハァッ!?」

 

 断続的な爆発音が彼らの耳に届くと同時に、黒霧の首元を覆う金属製のガードの部分に爆破が炸裂する。爆破を放った主、爆豪はそれを放った掌を黒霧の首元に強く押しつけ、その肉体を地面に全力で叩きつけた。

 

 更に――

 

「黒霧!?」

 

「うらぁっ!」

 

「っ!ぐあっ……!」

 

 黒霧が不意打ちを喰らったことに驚愕して振り返った死柄木にも、同じように不意打ちが炸裂。硬化した切島の拳が、その顔面を殴りつけた。

 黒霧を逃がすまいと押さえつけつつ、爆豪はしてやったりと不敵に笑う。

 

「捕まえたぜ……!そうだよな、実体がないってんなら……傷顔の攻撃に対して『危ねェ』なんて言葉が出てくる訳がねェよなァッ!?」

 

 抵抗しようとする黒霧に対し、動いたらすぐに爆破してやる、と脅しをかける爆豪を見て、ヒーローらしくない所業だと苦笑しつつ、切島も構えながら言い放つ。

 

「不死川!こいつらは引きつけておくから、お前はその脳味噌剥き出しの大男に集中してくれ!背中は任せる!」

 

「ああ、任せろォ!」

 

 切島の叫びに、実弥は頼もしいことだと微かな笑みを浮かべて答える。そして、屠るべき敵の方を振り返り……目だけで相手を射殺さんとする勢いで脳無を睨みつけ、その声に溶岩の如くグツグツと煮えたぎる怒りを乗せて叫んだ。

 

「テメェ……よくも、先生をボロボロにしてくれやがったなァ!先生が味わった痛みは、100万倍にして返してやらァ!知能のねェ馬鹿なりに、その身で、その本能でじっくりと痛みを味わいやがれェ!!!テメェ……いや、テメェらは俺が削ぐッ!!!」

 

 激昂した実弥は、瞬く間に悪を屠る修羅と化した。

 幸せの種を刈り取る残酷な脅威。それを退ける奇跡の暴風が今――命の輝きを守る為に吹き荒れる。



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第二十八話 脳無

2021/11/21
"個性"も判明していない状態で真剣を用いて手足を斬り落とすのは都合が良すぎる。四肢切断はやめた方がいい。とのご指摘をいただき、戦闘描写を大きく修正しました。
実弥さんの戦闘力に驚嘆する爆豪君、切島君の描写を追加しました。
爆豪君の轟君とオールマイトに対する「来るのが遅え」発言を修正しました。
脳無が恐怖を感じる描写を全てカットしました。


「皆さん!ご無事ですか!?」

 

「八百万さん!耳郎さん!それと……上鳴、君……?」

 

「あー……気にしないで。''個性''を全力ブッパした反動でこうなってるだけだから」

 

 脳無と実弥の激闘が始まった一方。入り口の前に集まる生徒達と13号の元に、山岳ゾーンに飛ばされた八百万、耳郎、上鳴が合流。

 八百万に肩を貸された上鳴がとんでもないアホ面になってはいるものの、怪我の見られない彼らに、一同は安心した。

 

「八百万さん、ご無事で何よりです。我々は無事なのですが、先輩……いえ、相澤先生が危険な状態にあります。応急処置を施さなければなりませんので、力を貸してください」

 

 同じくクラスメイトの無事を確認してホッとしていた八百万に、13号が真剣そのものな声色で請う。

 

「お任せください!」

 

 無論、自分達を守る為に危険に飛び込んだ担任の教師をむざむざと死なせる理由はなく、八百万は彼女の頼みをすんなりと受け入れる。

 躊躇いもなく戦闘服(コスチューム)の胸元を大胆に開き、道具の創造を開始する八百万。彼女の脳裏には、中央の広場へと向かった実弥のことが(よぎ)っていた。

 

 

 

 

 

 

 そもそも、実弥がいつもの鉄刀とは違う別の刀――真剣を手にしていたのは、彼が八百万に対して真剣を創ってほしいと頼んだからだ。例え(ヴィラン)が相手だとしても、命を奪うのは御法度。そこを理解している故、基本的に帯刀していないし、戦闘服(コスチューム)の一環として要請した訳でもない。そうなれば、真剣の入手先は彼女しかいない。

 

 閑話休題。先程まで、八百万、耳郎、上鳴の3人は自由に動けない状況にあった。というのも、自身の許容Wを超える電力を使用して脳がショートし、ろくな思考も会話も出来ないアホの子状態になってしまった上鳴が、地面の下に潜んでいた(ヴィラン)によって人質に取られてしまったのだ。

 何よりも人命優先なヒーローとしては、他人の命が狙われているともなれば簡単には動けず。何とか耳郎の戦闘服(コスチューム)であるスピーカー付きのブーツから発する爆音で不意打ちを狙うも、それすらも相手に看破されて万事休すかと思われた時――もはや暴風ではないかと錯覚する勢いで実弥が颯爽と駆けつけ、上鳴を人質に取った(ヴィラン)の脇腹を鉄刀で打ち抜いた。

 その一撃で、(ヴィラン)はあっさりと気絶。解放された上鳴は腑抜けた顔のままでキョロキョロと辺りを見回し、八百万と耳郎は突然の出来事に唖然としていた。(ヴィラン)の意識が無いのを確認すると、実弥は礼を言いかけた八百万に切迫詰まった様子で詰め寄り、こう言った。

 

「八百万、頼みがある。色々言いたいことが出てくるかもしれねェが、今は呑み込んでくれ。――真剣を創ってくれねェか」

 

「っ……!?」

 

 当初こそ、不死川さんは冗談でも仰っているのかと思った八百万であったが、すぐに本気だと分かった。彼女を射抜く紫色の瞳は、遊びでも何でも無く、本気の目だった。間違いなく、真剣を扱う覚悟が宿されていた。

 

「……ごめんなさい。いくら、不死川さんの頼みでも、お応えしかねます」

 

 彼女の答えは当然だ。ヒーローとしての一歩を踏み出した友達を人殺しにさせる訳にはいかない。何より、実弥はクラスメイトの多くから信頼を勝ち取り、尊敬されている。そんな彼が道を踏み外すような事態になったら……誰もが悲しむに決まっているではないか。

 彼の瞳から、その願いの強さが(うかが)える。こんな瞳をした実弥を見るのが初めてな八百万としては、願いに応えてあげたいところだったが、願いが願い故にそうもいかず、断る他なかった。

 

「……何かあったの?」

 

 ここまで2人のやり取りを見守っていた耳郎が息を呑みながら尋ねる。クラスNo.1の実力者である実弥がここまで言うのなら、余程の事態が起きているに違いない、と密かに心の準備をしていた。

 彼女に尋ねられると、実弥は広場の方に視線を向けた。アホ化した上鳴以外の2人も、彼に釣られてそちらに視線を向ける。そうして、初めて目にした凄惨な光景。(ヴィラン)を相手に終始優位に立ち回っていたはずの相澤が一気に満身創痍に追い込まれ、地面に叩きつけられていた。脳が剥き出しの状態の不気味な化け物の手によって。

 それを目にした瞬間、どうしようもない絶望感が八百万と耳郎を襲った。自分達の対峙した相手がどれだけ格下のものだったのかを思い知らされた。もはや、言葉一つすらも発せない様子の彼女達に実弥は続ける。

 

「相澤先生の命が危ない。……援軍がいつ来るのかも定かじゃねェんだ。恐らくだが、相手は人間卒業した化け物。このままだと、遅かれ早かれ死んじまう。あの人は俺達の恩人だァ。エリに普通の暮らしをくれた。俺にヒーローって職業を目指す道を示してくれた。絶対に死なせる訳にはいかねェ」

 

 そして、八百万に向き合ってから言った。

 

「頼む、俺に相澤先生を守らせてくれ。もう目の前で誰かが死ぬのは見たくねェ。今度こそ、掴みてェんだ」

 

 拳を握りしめながら、絞り出すように告げた実弥の表情は……同じ過ちを繰り返さないという決意と自責の念に満ちていた。八百万は実弥の事情を何も知らない。だが、既に同じような経験をしたことがあるのだろうと自然と思えてしまった。こんなに強い男でも、見ている方の胸が締め付けられるような表情をするのが信じられず、衝撃を受けた。

 何も知らない。何も分からない。ただ、これだけは思えた。

 

(……そんなに自分を責めるようなお顔をしないでくださいまし。不死川さんはきっと……何も悪くありませんわ)

 

 いつものように、他人を惹きつける慈母のような優しい笑みを浮かべていてほしい。エリの為にも笑っていてほしい。報われてほしい。

 友達として止めるべきなのかもしれない。私情を優先させるべきではないかもしれない。だが、胸が締め付けられるような実弥の表情が見ていられず、そう思ってしまったから――

 

「……分かり、ましたわ……」

 

 泣く泣く折れるしかなかった。耳郎だって、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 そして、実弥の扱う鉄刀と同じ材質の刀を創造し、「安心しろォ、念の為だァ。殺しはしねェ」と微笑みつつ付け加えた彼を見送って今に至る。

 

(不死川さん、どうか無事に戻ってください。そして……不躾かもしれませんが、貴方に何があったのかを知りたいですわ。お友達として、共にクラスをまとめる者として)

 

 今は、やれることをやるしかない。実弥の無事を祈りつつ、八百万は相澤の応急処置に全力を尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺せと命じられた者を全て嬲り殺さんとする化け物と、後ろに背負った命全てを守らんとする剣士が熾烈な激闘を繰り広げる。

 化け物――脳無が一心不乱に拳の乱打を繰り出し、剣士――実弥がそれを見切って鉄刀を振り抜く。鉄刀と拳とがぶつかり合う度に衝撃波が巻き起こり、それが互いの身体能力の高さを物語っていた。

 そして、今。脳無が全身を利用しながら振り抜いた渾身の拳と、実弥が踏み込みながら振り払った刀がぶつかり合った。互いの身体能力の全てを乗せたその一撃は、衝突すると同時に一陣の烈風を巻き起こした。

 

「うおっ!?」

 

「チッ……」

 

 激戦地からいくらか距離を置いているはずの切島や爆豪達にも、烈風が吹き付けていた。切島は、自身が吹き飛ばされないようにしつつも死柄木を押さえ込んだままで踏ん張り、爆豪は、やっぱり実力を隠していやがったか、気に入らねェと言いたげに舌打ちをした。勿論のこと、黒霧の行動には終始警戒し続けている。

 

 戦闘が始まった当初は、切島も死柄木と交戦していたが、戦闘が続けば実弥の邪魔になると判断した爆豪が戦闘を中断して早いところ拘束するように言い放った。結果、今のように死柄木を地面に這いつくばらせ、手を動かせないようにしっかりと固めた上で拘束するに至る。

 

「くそっ……!くそっ!何で、あんな刀一本簡単にへし折れねえんだよ!?何をやってやがるんだ、脳無!さっさと傷だらけのガキを殺せよ!」

 

 自身が身動きを取れない状況と、脳無がたかが学生を相手に互角の戦いを強いられている状況。その二つに苛立ちを覚える死柄木が叫ぶも、状況は変わらない。癇癪を起こす彼に反し、黒霧は冷静に分析していた。

 

(あの少年、刀の類の扱いに慣れている……!?学生の身だというのに!先程の突然風が巻き起こった現象といい、傷だらけの少年の風貌といい、散らす前の(ヴィラン)慣れした態度といい……。まさか、彼が……!?)

 

 黒霧の中に(よぎ)る可能性。それが事実ならば、どう考えても今の自分達に勝ち目はない。密かに、雄英に襲撃を仕掛けたことを後悔している自分がいた。

 

「凄え……!凄えぞ!?どうなってんだよ、不死川の奴!見えるかよ、爆豪!」

 

「…………」

 

(奴の動きがほとんど見えねェ……クソが……!)

 

 (ヴィラン)を拘束しつつ、戦闘を見守る他ない切島と爆豪の内心を埋め尽くすのは、驚嘆ばかり。――爆豪の場合は、怒りもあるらしいが――

 直に対峙していない彼らでも、脳無がオールマイトを殺す算段だというのは察しがついている。そんな相手とクラスNo.1の実力者が渡り合っているときた。

 

「……うん。駄目だ、全然目で追えねえや」

 

 目をカッと見開いて目の前で繰り広げられている激戦を見た後に苦笑する切島を他所に、爆豪は見えないなりに戦闘を観察しながら思考する。

 

(相手がオールマイトを殺す為の算段っつーことは、スペックもそれ並みってことだ。あの傷顔、それと顔色一つ変えずに渡り合ってやがる。攻撃一発分のパワーは流石にオールマイトが上だろうが……攻撃と移動の速度はあの人に匹敵か、良くて凌駕ってことか……)

 

 要するに、本気を出しさえすれば、この実力をいつでも引き出せる。あまりの実力差に愕然とする自分もいたが、それ以上に腹立たしい。

 

「……全力でやりゃあ簡単に潰せるから、普段は加減してるってことかよ。クソッ、ナメやがってェ……!」

 

 歯を食いしばりつつ小さく吐き捨てた一言は、彼自身の耳以外に届くことはなかった。

 

 そうこうしているうちに、力と力を押し付け合う状況が変化した。

 突如、実弥が脱力し、低い姿勢で脳無の間合いの内側に潜り込んだ。すると、体重を乗せて腕を押し付けていた影響で、脳無の体勢が崩れる。実弥はその隙を見逃さず。

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――昇上砂塵嵐(しょうじょうさじんらん)

 

 

 

 砂塵をも巻き上げる激しい嵐の如き斬撃を、目にも止まらぬ速度かつ連続で繰り出した。繰り出された砂嵐の如き連撃は、防ぐ間も与えることなく脳無の肉体を襲う。そして、その身体中には深い傷跡が残った。

 

 ダメージを負ったことに気がつくと、脳無は再生を試みる。しかし――決して、そんな時間が与えられることはない。

 瞬く間に傷が塞がっていく光景を目にした実弥が、間髪入れずに鉄刀を構え、技を放った。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――爪々(そうそう)科戸風(しなとかぜ)

 

 

 

 同時に打ち下ろされた、4つの斬撃。それが龍の鋭利な爪を思わせる鎌鼬となって、脳無の両眼を潰し、両肩を斬り裂く。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)――塵旋風(じんせんぷう)()ぎ!!!!!

 

 

 

 締めに、地面をも抉り抜く凄絶な旋風が吹き抜け、脳無の腹部を抉り斬った。

 視界が突然不明瞭になったに加え、腕の感覚が無くなり、あったはずの腹部の感覚がない。

 ――訳が分からない。

 多大なダメージが瞬く間に叩き込まれたことによって、脳無自身が情報を処理し切れずに再生の発動が遅れてしまっていた。

 

 それでも、このままでは自分がやられる、と生物としての本能が感じ取ったのだろう。再び脳無が再生を試みて、その傷を負った肩口から筋繊維が生えてくる。風穴の開いた腹部に肉が形成されていく。傷ついた両目を怪力で無理矢理引きちぎり、新しい目を再生で作り出そうとする。

 とにかく連撃を叩き込んだことで、再生速度は確実に遅れたはずだが――

 

(キリがねェな)

 

 脳無の再生を抑え込むには火力が足りない。やはり、相手を傷つけることなく制圧することを考えた武器では、目の前の人間を卒業した化け物を抑え込めない。このまま再生を続けられていてはこちらが負けると悟った実弥は、肉薄してくる脳無の乱打を相殺しつつ、懸念を振り払う為にわざと声を張り上げた。

 

「うぜェ再生力だなァ、おいィ!流石はオールマイトを殺してやると宣言するだけはあるぜェ!そんなご自慢の人形がどんなスペックをしてやがんのか……教えてくれよ、手だらけ男さんよォォォ!!!」

 

 既に死柄木の人格をある程度理解してしまった実弥が、死柄木を挑発するように叫ぶ。彼の叫びを聞いた死柄木は、顔を覆う手の下でニヤリと笑い、冥土の土産に教えてやると言わんばかりに愉快そうに語り始めた。

 

「良く聞いてくれたな。そいつは改人"脳無"。オールマイト殺しの為に造られた俺達の切り札だ!オールマイトのパワーから繰り出される一撃をも吸収出来る"ショック吸収"。そして、凡ゆる攻撃で受けたダメージを無かったことにしてしまう"超再生"を併せ持つ!学生のお前なんぞの攻撃が通じる訳ねえだろ!」

 

 高笑いする彼を他所に、実弥は脳無を蹴り飛ばしながらほくそ笑んだ。

 

(馬鹿が!所詮は精神年齢がガキの子供大人って訳だなァ!!!)

 

 鬼並みの再生力を持つ理由が明らかになった。"個性"の複数持ちという有り得ない状態であることが分かった。

 これで確信した。相手が人間を卒業した化け物であることを。

 実弥は、不敵な笑みを浮かべ、目を血走らせながら遂にその腰に携えていた真剣を鞘から引き抜いた。

 

「ありがとうな、手だらけ男さんよォ。テメェがどうしようもねェ馬鹿だってのは良く分かったァ!自分の切り札の全貌を自慢するようにバラすなんざ、馬鹿の所業だぜェ!!!こっからは……()()()()()

 

 再び挑発するように実弥の言い放った言葉に、死柄木が苛立ちで身を震わせる。

 

「やれるもんならやってみろよ、ガキが!脳無、お前の恐ろしさを思い知らせてやれ!」

 

 苛立ちに身を任せ、叫ぶ。言われなくてもやってやるよォと言わんばかりに、実弥が真剣を振り抜いた。真剣を用いてこそ、実弥の真価が発揮される。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(さん)(かた)――晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)

 

 

 

 刹那、実弥の周囲に竜巻が巻き起こった。旋風の渦が逆巻き、脳無を激しく連続で斬りつける。実弥の嘆きを乗せた一撃は、ようやく再生を終えた脳無の肉体。その全体をボロボロの状態で上書きしてしまった。

 

 またも再生しなければ。しかし、何処から再生すればいい?と悩んでいるかのように、脳無がボロボロになった自分の肉体のあちこちを見回している。思考のない人形とは言えど、この短時間で押し寄せた情報量が多すぎて、それ自身の情報処理能力が傷の位置と自身のダメージという情報を捌き切れていなかった。

 だから、再生が止まる。それ自体の動きも止まる。

 

 ――生じた大きな隙。そこに実弥は容赦なく怒涛の連続攻撃を叩き込んでいく。

 

「オラァ''ァ''ア''ア''ッ!!!!!」

 

 憤怒に満ちた叫びと共に、大荒れの天気の中で延々と吹きつける強風の如く、鎌鼬状の風が脳無に押し寄せる。鎌鼬が何十、何百体もの猛獣の爪の如く、命を粗末に扱う化け物に襲いかかり、切り裂く。

 

 切り裂いても切り裂いても物足りない。粉微塵になるまで刻んでやろうと言わんばかりに、何度も何度もその皮膚を、再生しかけていた部位を切り裂きまくる。

 ……脳無の再生速度が徐々に衰えていく。正確に言えば、再生したところに更なる傷が刻みつけられ、再生をなかったことにされている。真剣を用いた実弥の攻撃速度が、その再生速度を凌駕してしまっていた。そして、もう一つの''ショック吸収''も通用しない。

 何故なら……この脳無がオールマイト対策の兵器で、超パワーの打撃による攻撃を想定していた個体だから。斬撃を用いる、彼並みの相手がいることなど微塵も予想していなかったのだ。全てが水の泡だった。

 

「な、何かよく分かんねえけど……チャンスじゃねえか!?」

 

 動きを止め、ただただ実弥の斬撃を受ける脳無を見るなり、顔を明るくさせて、爆豪を見る切島。彼に顔を向けることなく、爆豪は叫ぶ。

 

「傷顔!とっとと脳味噌野郎をブッ殺せ!!!」

 

 彼が叫んだ瞬間、実弥は行動で答えた。「テメェに言われなくても分かってらァ」と言わんばかりに旋風を纏いながら、鎌鼬を防ぐ為に動きを止めている脳無に猛然と迫る。

 

 先程の連撃は、闇雲に繰り出された訳じゃない。再生を阻害することと、弱点の看破。その二つの役目を果たした。弱点を斬りつけた瞬間、再生力が大きく衰え、脳無が大きく体勢を崩しかけていた。実弥の目は、そこを見逃してなどいなかった。

 

 脳無の弱点。それは――

 

(その無防備にも剥き出しになってやがる脳味噌だッ!!!)

 

 刀を引き絞るように構え、更に速度を上げる。実弥の纏う旋風が勢いを増し、激しく地面を抉る。全身全霊を()って繰り出す壱ノ型。その威力を、刀の(きっさき)一点に集中させた。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)''(かい)''――塵旋風(じんせんぷう)穿孔(せんこう)ッ!!!!!

 

 

 

 激しい旋風を纏った超音速の突きが、狙いを定めた対象を抉り抜くような動きと共に繰り出される。その一突きは、見事に脳無の剥き出しにされた脳味噌を捉え――その右半分を抉り抜いた。

 

 旋風が晴れ、全てが露わになる。死柄木達の目に映ったのは、白目を向いて脳味噌の右側を抉り抜かれた脳無の姿と、刀の刃に飛び散った体液を払う実弥の姿だった。

 静寂が流れ、身体中に傷を残した脳無が地面に倒れ込む。黒霧は、絶望に声を震わせながら呟いた。

 

「死柄木、弔……。脳無が機能を停止しました……。脳無は、どれだけ強力な個体であろうと、共通して剥き出しの脳が弱点なのです……。その弱点を半分も抉り抜くような攻撃を喰らえば、もうどうしようもありません……」

 

 事実、実弥の繰り出した一撃によって、脳の大部分に物理的損傷を負った脳無は、脳細胞が壊死して活動を停止してしまっている。

 学生1人に脳無が、自分達の切り札があっという間に潰されてしまった。信じたくない現実に死柄木は子供のように錯乱する。

 

「は……!?折角、虎視眈々と計画を練ってここまでやって来たってのに!先生が造ってくれた最終兵器なのに!俺達の切り札が、学生1人に簡単に潰されるなんて……信じてたまるか!」

 

 精神年齢の低い大人の振る舞いを見せる死柄木を、こんな奴が(ヴィラン)のボスなのかと言いたげに呆れた瞳で見つめる実弥、爆豪、切島の3人。そんな彼らの耳に、大きな破壊音が聞こえてきた。まるで、何かを殴り飛ばしたかのような強烈な音。それが聞こえた次の瞬間、土煙が巻き起こって地面が揺れた。

 そして――生徒達の多くが待ち侘びた、希望の声が届く。

 

「みんな、もう大丈夫。何故って?私が来た!!!」

 

 自身を覆う土煙をその剛腕で振り払い、戦士が姿を現した。アメリカンな濃い画風の顔付き。Vサインを彷彿とさせる前髪が特徴の、オールバックにした金髪。鍛え抜かれた筋骨隆々な巨躯。その顔に浮かんでいるのはいつもの笑みではなく、怒りだという違いこそあれど、間違いなく、我らが平和の象徴……オールマイトだった。

 

「オールマイト殺しの算段は聞いたし、殺させまいとここに来たが……もう全部終わっちまってたみたいだな」

 

 それと同時に、白い吐息を吐きながら轟も広場に駆けつける。そんな2人の姿を目にした爆豪は、キレ気味に吐き捨てた。

 

「ケッ、もう全部終わっちまってんだよ!半分野郎とオールマイトの出番はねえ!」

 

「まあまあ、そう言うなって!ヒーローは遅れて駆けつけるとも言うし、飯田が間に合ったって証拠だし、来てくれただけでありがたい話じゃねえか!」

 

 2人に怒り心頭な爆豪を切島が(なだ)める。元気ありげな彼らを見てホッとしつつ、オールマイトは実弥の隣に立った。

 

「不死川少年、ここまでよく頑張ってくれた。本当にありがとう」

 

 礼を言われた実弥は、軽く会釈しながら言葉を返す。

 

「恐縮です。……ですが、完全には守りきれなかった。相澤先生に重傷を負わせてしまった」

 

 守りきれなかったという彼の言葉を、オールマイトは笑みを浮かべて否定する。

 

「そんなことないさ。君のおかげで相澤君の命があるし、私もここに駆けつけられた。経緯は飯田少年から聞いてるよ。もうじき、援軍も到着する。……誇りなさい。元々ここにいた23人の命を、君は守り抜いたんだからね」

 

 「後はプロの私に任せておきなさい!」とサムズアップしながら歩み出るオールマイトの背中に、実弥は頼もしさを覚えていた。

 悔やみ、反省することは確かに大切だ。だが、もっと前を向いたって良いのかもしれない。自分の後ろに背負った人々を安心させられるように、前向きになるべきなのかもしれない。そう思えた。

 

「さあ……(ヴィラン)よ。大人しくしたまえ!君達はここで捕らえる!もう逃げられんぞ!!!」

 

 オールマイトが平和の象徴としての覇気を発しながら、切島達に拘束されている死柄木達に向けて告げる。

 絶望的な状況でラスボスが降臨した。死柄木にとっては、まさしくクソゲーだ。最初の最初なのに、負けイベントで屈辱を味わうことになるクソゲー。彼は、それを遊ばされたことに激昂する。

 

「ふざけやがって……!お前ら全員嫌いだ。初手からクソゲー遊ばせやがって……!理不尽にも程があるだろ!本っ当にふざけてやがる!嫌いだ、嫌いだ!ヒーローが溢れ返ってやがる今の社会も!お前らも!死ね……!死ね!死んじまえぇぇぇ!!!」

 

 憎しみに満ちた叫びが轟く。懲りない奴だと呆れ果てた実弥の鼻が――腐ったような臭気を捉えた。

 それに違和感を覚え、(にお)いのしてきた方向を向く。爆豪と切島の背後から突然噴き出る、黒い液体。臭気の原因となっているそこから、青白い肌の腕が二つ伸びてきた。

 

(させるか!!!)

 

 その腕の狙いが、黒霧と死柄木をそれぞれ拘束する爆豪と切島だと察すると、実弥は誰よりも速く飛び出した。

 その青白い腕が振り下ろされるよりも前に、切島と爆豪を担いで後退する。

 

「……は?」

 

「え、不死川?」

 

 突然の出来事に爆豪と切島も困惑している。2人の反応を他所に実弥は、乱暴に彼らを轟の方へと放り投げた。そして、困惑し続ける切島と轟、それに「何しやがんだ!」と激怒する爆豪を他所に、刀を構えながら言い放つ。

 

「オールマイト先生!来ます!」

 

「ああ、分かっている!」

 

 オールマイトも、実弥と同時に黒い液体から伸びていた腕を睨みつける。その腕が空を切ると、何もいないことを察したのだろう。その腕の持ち主が、黒い液体から歩み出て、姿を現した。

 その姿は、間違いなく脳無のそれだ。だが、実弥が倒したものとは大きく見た目が違う。

 

 肌は病的な程に青白く、瞳が血のように紅い。髪一つも生えていなかった先程の個体と違って、今度は群青色のサラサラとした髪を生やしている。その口元からは獣のそれと同じくらいに鋭い牙が顔を覗かせる。爪は血に染まったように紅い上に鋭く、巨大な翼が生えていて、その肉体の周囲を薄く黒い膜が覆っている。何よりも特徴的なのは、その脳無は女体である上に、首元にスピーカーを下げていることだった。

 

 その脳無が死柄木と黒霧を守るように立ち塞がると同時に、スピーカーから声がした。

 

『弔、黒霧。無事かな?これはあくまで事前に録った音声だから、無事だと仮定した上で話をさせてもらうよ。そうでなかったら、その時はその時だね。取り敢えず、君もそこにいると思って、挨拶といこうじゃないか。――随分と久しぶりだね、オールマイト。今の君の姿を見られないことがとても残念だよ』

 

「ッ……!?その声……!何故生きているんだ、オールフォーワンッ!!!!!」

 

 刹那――誰一人として聞いたことのない、オールマイトの怒りに満ちた叫びがUSJ 中に轟いた……。




最後の最後に2体目の脳無登場という衝撃の展開をブチ込みましたが、USJのお話は次回で終わりになります。(予定)
次回、衝撃の事実が明らかに……?楽しんでいただければ幸いです。


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第二十九話 事件の終幕と……

『君のことだ。どうせ、何故生きているのかと聞いているんだろうね。録音なんだから、君の望んだ答えが返ってくるとは限らないのに。……まあ、簡単なことさ。ギリギリ一命を取り留めた。それだけだよ』

 

 スピーカーから響く楽しげな声。その一言一言から伝わるのは、凄絶なる悪意。声から滲み出るプレッシャーが、声の主が如何なる存在かを知らしめる。

 先程まで対峙していた(ヴィラン)達が可愛らしく思える程の巨悪には違いないだろう。実弥は、その肌でヒシヒシとプレッシャーを感じ取っていた。

 

(オールマイト先生がここまで取り乱すとは……。にしても、こいつ……無惨の野郎と等しい位の悪意の塊だ……!)

 

 生きている年数こそ無惨に及ばないだろうが、それに並ぶ悪意が声に宿っている。

 久々に対峙した凄絶な悪意に気が張り詰めていくのを感じつつ、実弥はチラリとオールマイトを見やる。血が出るのではないかと思うほどに握りしめた拳、憤怒に満ちた表情。たったそれだけでも、声の主がどれだけの悪なのか想像するのは難くない。

 

 ふと、実弥は彼が無意識のうちに重傷を負った腹部を押さえるような仕草をしているのを目撃した。

 ……古傷が疼くというやつだろうか。彼が意識せずとも、体は怪我を負わされた時の痛みを覚えているのかもしれない。それが無意識下の防衛本能として現れた結果が、きっとこの仕草なのだろう。

 

(こいつが……6年前、オールマイト先生に重傷を負わせた(ヴィラン)か!)

 

 なんとなく察しがついた実弥の真剣を握る手には、自然と力が入っていた。

 同じくして、凄絶な悪のプレッシャーに(さら)された切島、爆豪、轟は……全く動けなかった。

 指一本すらも動かせない。呼吸すらもままならない。猛暑の中で運動した時に溢れ出すかのように冷や汗がドッと溢れ出して、不快感を与える。

 

(な、なんだ、この声……)

 

(今までの(ヴィラン)とは格が違え……!)

 

(一体何者なんだ……?)

 

 彼らは、己の死すらも錯覚してしまっていた。血に塗れ、地面に伏せる自分達のイメージが脳内に流れ込んでくる。そんなイメージを見せて行動を封じてしまう程に、彼らの中で警鐘が鳴り響いていた。

 

『弔。計画は失敗してしまったのだろう?』

 

 オールマイトに対して放った、煽るかのような不快な声色に反し、声の主――オールフォーワンが酷く優しい声で死柄木に声をかける。

 彼の問いに、死柄木は力無く頷いていた。

 そんな彼に、不思議なくらいにぴったりなタイミングで録音された音声が言い放った。

 

『大丈夫さ、気にすることはない。何度でもやり直せる。その為に僕がいるのさ。ここから始めよう。ここから、少しずつ力を蓄え、君の名を轟かせよう。そして、社会に恐怖を刻みつけるんだ!』

 

「先生……!」

 

 激励の言葉を聞いた死柄木の目が、子供のように爛然と輝いている。

 それを見た実弥は、道理でボスにしては随分と子供のような幼い部分がある訳だと思った。死柄木は、あくまで表社会に侵攻を進める為の駒でしかない。彼らの裏に控える、この声の主こそが彼らを動かす本当のボス。そう結論づけた。

 

 すると、録音されたオールフォーワンの声が実弥に話題を移した。

 

『それはそうと……初めまして、不死川実弥君。僕の名はオールフォーワン。憎きオールマイトに致命傷を与えられて表立って動けなくなってしまったが、かつては悪の帝王として日本を支配していた者だ』

 

 その声色から、顔つきこそ分からないが、オールフォーワンの口元が不気味な笑みで歪んでいるイメージが実弥の中に浮かんできた。

 自己紹介を終えると、オールフォーワンが「そうだ」と何かを思い出したように言う。

 

『僕ら(ヴィラン)からすれば、名前で呼ぶよりこう呼んだほうがいいね。超常現象――神風。正体こそ知る者は少ないが、裏社会では、君のことが知れ渡っているよ』

 

「……チッ」

 

 楽しそうな声色の彼に対し、実弥は舌打ちを返す。その声を聞いた切島達の中にも、稲妻のような衝撃が走っていた。

 

「か、神風って……あの神風だよな!?」

 

 声一つ出すことすら躊躇する状況の為、小さな声で会話を交わすことにして、切島が爆豪と轟に話しかける。

 

「……あの神風に決まってんだろうが。今の時代で、鎌倉の時の暴風の方を話題に出す奴がどこにいるってんだ」

 

 爆豪が、神風の正体を明かしたオールフォーワンに対する恐怖と実弥に対する苛立ちが混じった瞳を向けて答える。

 一方、轟は点と点が線になるような感覚を覚えていた。

 

(成る程な……。道理で(ヴィラン)慣れしている訳だ。神風は、(ことごと)(ヴィラン)を殲滅してきた超常現象。俺達より遥か上の戦闘力、戦闘訓練の時の(ヴィラン)の心理を把握した立ち回り……。あれが不死川だとすれば、全部納得がいく)

 

 何が起これば、ヒーローとしての資格もないうちから(ヴィラン)との戦闘漬けになる日々を送ることになるのだろうか、と正体が判明したからこその疑問が出てきた。

 

 オールフォーワンが続ける。

 

『神風、君の信念は素晴らしい。未来を生きる者達の笑顔を、幸せを守る。(ヴィラン)を容赦なく屠って、続々と刑務所送りにしてきたその姿勢から、信念がヒシヒシと伝わってくるよ』

 

 『君の活動していた範囲でプロヒーローの動きが活性化しているのも、君自身が関与しているのだろうね』と楽しそうにしつつも恨めしそうに付け加えた後、彼は声を張り上げた。

 

『だからこそ……神風!僕にとってはオールマイト程ではないが、君の存在も邪魔で仕方がないんだ!今の君はランキングの上位に立つヒーロー達を大きく凌ぐ実力を身につけつつある……!他人が幸せに生きる未来を掴むことへの執念。それがオールマイトに引けを取らないくらいにある君が、彼と結託されては厄介極まりない!』

 

 そして……明確な殺意を乗せて、不気味なくらい楽しそうな声色で実弥に宣告を下した。

 

『覚悟しておくんだよ、神風。君が学生のうちに、力を完全につける前に、僕はどんな手を使ってでも必ず君を殺す!僕が弔の為に用意していた(ヴィラン)や彼の為になると目をつけていた(ヴィラン)すらも屠ってくれたことへの復讐も兼ねてね』

 

 声の主であるオールフォーワンに届く訳もない。それでも、宣告を下された実弥は叫ぶ。

 

「……ハッ、やれるもんならやってみろォ!!!こちとら、しぶとさには自信があるんでなァ!俺は死ぬ訳にはいかねェ……!俺自身の望む未来を掴むまでは!!!」

 

(そして……エリを1人にはさせねェ。絶対に)

 

 自分の宣告に対する実弥の言葉を予想していたのだろうか。録音されたオールフォーワンの音声は、やたらと楽しそうにくすくすと笑っていた。

 

「未来ある少年を殺させはしない……!貴様の方こそ覚悟していろ、オールフォーワン!貴様は私の手で……もう一度倒す!次こそ、この因縁を終わらせる!!!」

 

『ふふふ……いいよ、やれるものならやってみるといいさ、オールマイト!僕は君のことが憎くて仕方がないからね。君の思い通りにはさせないさ』

 

 実弥に続き、オールマイトもその目に力強い正義の心を宿して、拳を握りしめながら宣言する。そちらの返しもどんなものなのかを予想していたのか、オールフォーワンはとても愉快そうに笑っていた。

 平和の象徴と対峙することが自身でも分かっているはずなのに、愉快そうに笑っている。

 

 果たして、一体何がそんなに楽しいのか。理解が出来ない。そんな様子の声が不気味で仕方がなく、切島達は唖然としてその場に硬直するしかなかった。

 

 オールフォーワンの音声が、実弥とオールマイトを(なだ)めるかのように言葉を発する。

 

『まあまあ。こんなことを聞かされては黙っていられないというところだろうけれど……待ちたまえ。今日は戦いに来たんじゃない。弔達の回収の為に来たのさ。ここで2人を奪われる訳にはいかないからね。大人しく逃走させてもらうよ』

 

 そう言葉が発されると同時に、いつの間にやら黒霧が巨大な靄のゲートに変化していた。女体の脳無が死柄木を担ぎ、そこに足を踏み入れようとしている。

 その光景を目撃すると、オールマイトと実弥は同時に飛び出した。

 雄英を襲撃する……そんな企みが二度と繰り返されることのないように。明るい未来を踏み躙る危険性をこの場で少しでも排除する為に。

 今日はチンピラの軍勢を連れる程度でしかなかった彼らが、本物の(ヴィラン)の集団を連れられる程に力をつけるよりも前に捕らえんとして、逃走を図る一同に猛然と迫る。

 ――その時だった。

 

『まあ、わざわざ逃げさせてもらおうと言った相手を逃がす選択肢がある訳ないって話だよね』

 

 スピーカーから放たれるオールフォーワンの声が、不思議なくらい鮮明に実弥の耳に届いた。

 

(何だ……これ)

 

 何の根拠もないのに、実弥の中で嫌な予感がした。一滴の冷や汗が、なめくじのように彼のこめかみを伝った。

 

 ――その予感は的中する。オールフォーワンの声が、迫るオールマイトと実弥に向けて残酷過ぎる事実を告げたのだ。

 

『あのね、オールマイト。君の目の前に脳無が居るだろう?果たして、君はそいつを殴れるのかな?それでもって、神風は……刻めるのかな?だって、この脳無は――』

 

――()()()()()()()()()()()()()1()()()()()()()()

 

「なっ……!?」

 

「……は?」

 

 拳を振るいかけていたオールマイトが、刀を振りかぶっていた実弥が……同時に動きを止めてしまった。放たれた残酷な一矢が、2人の胸中を穿つ。

 巨悪からの宣告にさえ怯まなかった2人が、突然動きを止めた。何がどうなっているのか理解が出来ず、その場を傍観するしかなかった切島、轟、爆豪の頭の中が混乱する。

 

 きっと、彼らが動きを止めるのを予想していたのだろう。オールフォーワンは、してやったりと言わんばかりに話し始めた。

 

『忘れたとは言わせないよ、オールマイト。不死川君が神風へと変貌するきっかけになった事件。そよ風園で起こった悲劇。君の手が届かなかった相当な規模の虐殺事件。……分かるかい?君のせいで不死川君の弟や妹達。そして、育ての親は死んだのさ。しかも、そのうちの1人がこうして人外の化け物になったときた!』

 

「っっ……!おぉぉぉっ……!」

 

 オールマイトが苦悶の声を上げ、膝から崩れ落ちる。自分の不甲斐なさに押し潰されそうな彼の中に、宿敵がニタニタとほくそ笑んでいる光景がまるで目の前にしているかのように浮かんできた。

 

(やめろ……!やめろ……!言うな……!言うな!!!)

 

 ここまで言われると、実弥の中でも察しがついてしまった。女体の脳無が誰なのか……特定が出来てしまった。血の繋がりはないと言えど、大切な家族。弟妹同然の少年や少女達の顔や"個性"……。彼は、そのいずれも忘れていないから。

 今ある事実を肯定したくない。そんな実弥を嘲笑うかのように、オールフォーワンが続ける。

 

『神風、いくらか"個性"を増やしたとは言っても……分かるだろう?君の家族の中にいたはずだよ。"吸血鬼"の"個性"を持った女の子が』

 

 ――実弥の中に、思い出が蘇った。

 

 初めて出会った日のこと。夜空に浮かぶ星と満月がとても綺麗な日だった。その少女は、孤児院の先生に連れられ、そよ風園にやってきた。体調が悪いのではと心配になるくらい青白い肌と、血のように紅い瞳が特徴的だった。

 彼女は、口元や手を血だらけにして泣いていた。先生達曰く、"個性"が目覚めてから、血に対する飢えを抑えられずに両親を殺してしまったとのことだった。そして、彼女は独りぼっちになった。両親を殺してしまったことを後悔しながら、逃げ続けた。そんなところを、そよ風園の先生達が拾ったのだ。

 

 血に飢えた時は実弥がずっと側にいた。暴れた時には必死で押さえ込んだし、病院で事情を説明して、輸血と称して少量だけでも血を分けてもらえないかと頼み込んだこともあった。どこか前世の宿敵である鬼に似たような点があったからこそ、余計に必死になって面倒を見て、真摯に向き合った。

 吸血鬼の力を宿すが故に日光が苦手で、昼よりも夜が好き。そんな少女だった。それ故に夜に眠れない時は、一緒に月を眺めたり、遊んでやったりしたこともあった。

 

 彼女も、例外なくあの日の事件で死んだ。実弥にとって、今世で初めて出来た妹で、彼の1歳年下だった。故に、自分より年下の弟妹達を守る為に自分の全てを懸けて(ヴィラン)と対峙し、死んでしまった。

 そんな彼女が今、望みもしない形で目の前にいる。

 

「体を、改造しやがった……のか……」

 

 実弥の中でまた一つ何かが砕け散った。知りたくなかった事実に愕然とし、身体中から力が抜けて思考が停止する。そのまま膝をつくと、地面を呆然と見つめ、手にしていた真剣を地面に落としてしまった。

 

『ああ……!本当に残念だよ!絶望を味わっている君達の顔を見られないことが本当に残念だ!僕の(もたら)した残酷な事実に是非とも苦しんでくれ!そして、あわよくばその心が完全に折れることを祈っているよ!』

 

 オールフォーワンの高笑いが響き渡る。突然降下された爆弾のような事実に、誰一人として動けない。それを最大の好機として、死柄木を抱えた脳無がゲートの中に飛び込んだ。

 

「くそっ……たかが学生が神風の正体だったなんてな……。道理でクソゲーを遊ばされる訳だ……。だが、クソゲーはこれで最後にしてやる……!次に会った時は必ず殺すぞ、オールマイト、神風……!」

 

「……では、またお会いしましょう。次こそは必ず我らが野望を果たしてみせます」

 

 死柄木の憎悪に満ちた言葉と、黒霧の紳士的な挨拶を最後に脅威は過ぎ去り、静寂が流れる。

 

「に、逃げた……のか?」

 

 やっとのことで声を発せるようになった切島が、尻餅をつくように地面に腰を下ろしながら呟く。

 危機を乗り越えることが出来たのを喜ぶべきなのかもしれない。だが、取り乱したオールマイトと実弥を目の前にした上に、残酷な事実を聞いてしまった彼と爆豪、轟は何一つとして喜ぶことが出来なかった。

 

「っっ……!ざけんなァッ……!!!」

 

 膝をついた実弥が拳を握り締め、歯を食いしばって絞り出すように呟く。

 刹那――

 

「ふざけんなァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ッ!!!!!」

 

 実弥の憤怒と哀しみに満ちた怒号が響き渡った。自分の拳から血が出てもなお、己を責めるように何度も何度も地面を殴りつける実弥の姿が何とも痛々しい。

 

「不死川……」

 

 心を傷めているであろう彼に「大丈夫か?」と何とか声をかけようとして手を伸ばしかけた切島は、その手のやりどころが無くなったかのようにゆっくりと手を下ろしつつも何も言えず。

 

「……」

 

(不死川が……そよ風園で起こった虐殺事件の被害者……)

 

 爆豪と轟は考え込むようにその場に立ち尽くして、地面を見つめていた。

 脅威を退けたというのに、後味の悪過ぎる形で事件は幕を閉じたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、程なくして雄英の教師を連れた飯田がUSJに帰還し、プロヒーロー達の手によって、残った(ヴィラン)達が一掃された。

 重傷を負った相澤と、指一本を骨折した緑谷以外に大きな怪我が無かったのは喜ばしいことだったが……兎にも角にも全体の雰囲気が重々しい上に、酷く傷心した様子のオールマイトと実弥を見た後では何も喜べなかったし、何も知らない飯田や、散らされた先で戦い続けていたクラスメイト達は困惑した。

 そもそもの話、オールフォーワンがスピーカーに録音した音声を通して真実をぶちまけてくれたせいで、実弥に起こった悲劇を、オールマイトが突然崩れ落ちた理由を、不本意ながらも出口付近に集まっていたクラスメイトの全員が知ってしまっている。

 こんなに重々しい雰囲気になるのは当然だった。

 

 校舎に戻ると、生徒達一人一人に事情聴取が行われた。勿論、実弥は傷心しつつも全てを話した。オールフォーワンと名乗る(ヴィラン)連合のブレーンのこと、相手の切り札であった脳無が人間の肉体――恐らくは死体――を改造して出来た化け物であること、そして……自分の弟や妹達がその脳無に改造されているであろうこと。

 

 生徒達の事情聴取を担当していて、実弥とも関わりのある塚内は実弥の吐露を聞いて、悲痛な表情をした。

 

「オールフォーワンめ……。まさか、生きていたとは……!しかも、一時ヴィジランテとして活動していたとは言えど、既に不死川君に目をつけているなんて……!」

 

 所業があまりにも惨過ぎる。いくら目をつけているとは言えど、嫌がらせの為にターゲットの家族を改造して、思うままに手駒として扱うなど……。

 

(いや……奴は、元からそういう奴だったな)

 

 オールマイトとも関わりのある塚内もまた、オールフォーワンのことを長年追ってきた。6年前で全てが終わったはずだった。だが……実際は、終わってなどいなかった。虎視眈々と嫌がらせの準備を続け、こうして、また一つ思い出を壊した。

 塚内は、怒りを堪えるように眉を(しか)め、拳を握りしめる。

 オールマイトや実弥の取り乱しようは、これまでの生徒からも聞いていたが、原因が判明すればとても納得がいった。

 

「……塚内さん」

 

「っ、何だい?」

 

 実弥が消え入るように呟いた。物思いに耽っていた塚内は、ハッとしつつ、彼の言葉に耳を傾ける。

 

「脳無は知性がない。感情がない。誰かに命令されて、それに従って動く……。そんな人形みたいな奴らです。(ヴィラン)に利用されて、促されるままに他人を殺す。俺の弟や妹達がそんな風に扱われるなんて……耐えきれない」

 

 実弥の声が震える。そして、涙ながらに頭を下げた。

 

「無茶を承知でお願いします……。アイツらを、俺の家族を、探してやってください……!死ぬ前にただでさえ苦しんだはずなのに、死んでなお苦しまなくちゃあならないなんて……あまりにも酷すぎる……!」

 

(不死川君……)

 

 塚内が実弥の涙を見たのは2回目だ。1回目は、雄英への受験を誘いにそよ風園を訪ねた時。そして、2回目が今。

 そのいずれも、彼は自分以外の誰かを思って涙を流している。

 単に慈悲深いで片付けられる話ではない。本当に……優しすぎる。

 

 そんな彼にいつの日か必ず報われてほしい。思い切って、笑えるようになってほしい。塚内は、そう思った。

 

「……勿論だ。我々の全力を尽くすよ。だから、笑っていてくれ、未来のヒーロー。エリちゃんの為にもね」

 

「……!ありがとうございます……!」

 

 自分達の全てを懸けてでも見つけ出す。そして、因縁を終わらせる。

 酷く優しい笑みを浮かべた実弥を見た塚内は、固く決意した。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 事情聴取を終えると、いつの間にか夕方になりかけていた。USJから校舎に戻る際に、ミッドナイトからエリをリカバリーガールに預けていることを聞いてはいたものの……実弥は、すんなりとエリの元に向かう気にはなれなかった。

 

 ガラス張りになった雄英の壁を通して、橙色に染まり始めた空を眺める。どこまでも広がる夕焼けの空に、思わずため息が出た。

 人生も、どこまでも広がるこの空のように不変であればいいのに。呆然とそんなことを思った。

 

 ……今でも信じたくない。妹の1人が脳無に改造され、巨悪の好きなように扱われているなど。少なくとも、前世で殺した鬼が母親だと判明した時と同じくらいのショックを受けていた。

 思い返してみれば、あの事件の日、ヒーロー達に事件の詳細を説明してから、寝室に戻った時には、"破裂"によって血溜まりと化して死んでしまった子供達以外の亡骸が何一つ存在していなかった。きっと、心を傷めて事情を説明している間に何者かが何らかの方法でそよ風園に侵入し、彼らの遺体を回収したのだろう。その中の1人に"吸血鬼"の彼女もいた。

 

 実弥は、首から下げた銀色のロケットペンダントを開き、弟妹達と撮った写真に目を落とした。

 

「……ごめんな。苦しいよな……。兄ちゃんが間に合ってりゃ、あんな姿になることなかったのにな……」

 

 後悔先に立たずとはよく言ったものだ。そもそも、「後」に「悔」やむと書いて「後悔」という熟語が成り立つ。

 ……本当によく出来た言葉だ、と実弥は思う。失ってしまって、もう何もかも遅いというのに後になるにつれてどんどん悔やみが積み重なる。自分の無力さに打ちのめされてしまいそうだった。

 それでも、生きるしかない。前に進むしかない。望む未来の為に、エリの笑顔の為に。

 

 もっと強くならなければ、同じ被害者を出さないように励まなければと痛感する実弥に誰かが声をかける。

 

「……不死川」

 

 声の方を振り仰ぐと、どこか暗い顔の切島と八百万の姿があった。

 

「……どうしたァ?」

 

 実弥が尋ねると、八百万が口を開いた。

 

「……神風の正体は、不死川さんだったのですね」

 

「強えのも納得がいったよ……」

 

 伏し目な八百万に続き、切島が苦笑する。そんな彼らを見て、自嘲するように笑みを浮かべて実弥は言った。

 

「学級委員長がヴィジランテだなんて、失望したか?」

 

 実弥の問いに、2人は全力で首を振った。

 

「そんなことないですわ……!勿論、ヴィジランテとしての活動を行うのはよろしくないのは承知しております。ですが、真面目な不死川さんがそうなるには、そうなるだけの理由があるのを知りましたから。本当は、同情なんてよろしくないのかもしれませんが……」

 

「そんな状態で、よくヒーローになろうって思えたよな……。凄えよ、不死川……。俺なら、家族を殺した(ヴィラン)が憎くて、ヴィジランテか(ヴィラン)を殺す(ヴィラン)を続けてる……」

 

「……そうかァ」

 

 2人とも顔を伏せ、静寂が流れる。実弥も何も言わずに、2人が言いたいことを言えるまで待った。

 数秒後、切島が勇気を振り絞るようにして言った。

 

「不死川!お前に何が起こったのか……全部教えてくれ!スピーカーの音声を通して聞かされたから、全部知ってる!でも、そうじゃねえ……!そうじゃねえんだ!俺は、不死川の……ダチの口から聞きたい!」

 

 八百万も、頭を下げながら続ける。

 

「不躾かもしれません。不死川さんにお辛い思いをさせるだけかもしれません……!ですが、貴方からお聞きしたいのです!お友達として、共にクラスを率いる者として!お願いします!」

 

「頼むっ!」

 

 切島も同じように頭を下げた。

 ……聞く側からこうも頼まれては、断る理由もない。そもそも、自分が辛くなるくらい、実弥にはどうということもないのだ。

 

「……分かった。そこまで言うなら、話すぜェ。全部な。ただ……自分で言うのもなんだが、重いぞ。お前らが受け止めきれねェくらいには」

 

「……クラスで一番強いお方とオールマイト先生が取り乱したのを既に見ておりますから」

 

「覚悟は出来ちまったよ、とっくに」

 

「…………そうか」

 

 こうして、実弥は全てを話した。

 

 自分が天涯孤独の孤児であったこと。そよ風園の先生達に拾われたこと。エリと出会ったこと。あの日の悲劇で、エリ以外の全てを失ったこと。エリの笑顔と、未来を生きる子供達の為に(ヴィラン)との戦闘漬けの生活を送ってきたこと。その最中に相澤や根津に誘われて、雄英を受けると決めたこと。

 話せるだけのことを全て話した。

 

 話を終えて実弥が2人を見ると……それはもう泣いていた。言いたいことがあっても、まともに言えないくらいには。

 だから、実弥は2人が落ち着くまで待ってやった。

 

「……(わり)ィ、落ち着いたよ。ありがとな」

 

 しばらくすると、だいぶ落ち着いたのだろう。切島が涙を拭いながら口を開いた。

 

「不死川……お前、本当に漢らしい奴だよ……。やっぱり、俺だったら、(ヴィラン)が憎くてそっちを殺すのを優先しちまう……。でも、お前はエリちゃんや他の子供達の未来を選んだ。道を踏み外さないことを選んだ」

 

 八百万も切島の言葉に頷きつつ、言った。

 

「不死川さん。弟さんや妹さんは、きっと貴方のことを誇りに思っていらっしゃいます。恨んでなんていないはずですわ」

 

 そして、包み込むように実弥の手を握って続ける。

 

「この傷も……全て誰かを守って出来たもの。誰かの為に自分を犠牲に出来る優しい貴方を恨む理由なんてどこにもありません。不死川さんは、何も悪くないです」

 

 切島もグッと拳を握って、自分の胸の内に込み上げてきたものを己の言葉に乗せ、全力でぶつけていく。

 

「そうだ……!不死川は悪くねえよ!俺達、結局は他人だから取り留めのないことしか言えねえ!同情しか出来ねえ!でも……お前の辛い思いを一緒に背負って和らげることなら出来る!だから、だから……辛かったら、遠慮なく言ってくれ!」

 

 胸の内をぶつけるのは、八百万も同じだ。決意を固めたかのような表情で言い放った。

 

「そうですわ!皆さんのお兄様だからと1人で請け負う必要なんてありません!私達は、お友達ですから……一緒に支えます!ですから、笑っていてくださいまし。辛そうな顔をなさらないでくださいまし……」

 

「そうだぜ。いつも通り、皆の兄貴でいてくれ!笑っててくれ!不死川の辛そうな顔見てるとさ……俺達の(ここ)も痛えんだ……!」

 

 2人の言葉が次々と実弥の心にストンと落ちていく。

 

 ……そうだ。彼らは友達だ。精神年齢的には十分な大人である故に、守らなければならない子供として見ていたが……それだけじゃない。辛いこと、楽しいことを共有し合える友達なのだ。

 いつの間にか、彼らに心配をかけていた自分が不甲斐ない。それでも、今は――

 

(――笑わねェとな)

 

「……ありがとなァ、お二人さん。そうだな……俺が辛くて押し潰されそうな時はよろしく頼むぜ。そうすりゃあ、俺は何回だって立ち上がれる」

 

 実弥は、憑き物が取れたかのように優しい笑みを浮かべた。それが、泣きたくなるような底無しの慈悲に満ちた笑みで……。思わず、切島と八百万の涙腺が緩んだ。

 

 2人が再び目を潤ませたことに実弥はギョッとし、焦ったように声をかける。

 

「ど、どうしたァ?なんか悪いことしたか?」

 

「ち、違うんだ……」

 

「不死川さんのお顔が、泣きたくなるくらいに優しくて……」

 

 再び泣き始めてしまった2人を見て、実弥は「仕方ねェなァ」とばかりに微笑み、落ち着くまで側についてやっていた。まるで弟や妹を慰めるかのように撫でられることに恥ずかしがる切島と八百万だったが、実弥にとってはお構いなしらしかった。

 

 ……そんな彼らの会話を、こっそりと聞いていた者達の姿がある。

 

「……ヒーロー志望が盗み聞きなんて感心しねえな」

 

 1人は、校舎の床を淀んだ瞳で見つめる轟焦凍。

 

「そりゃテメェもだ。立派なブーメラン持ってんな、半分野郎」

 

 もう1人は、考え込むように壁の一点を見つめる爆豪勝己。

 前者は他人に興味がない、後者は他人の事情なんざ知ったこっちゃない。そういう少年達ではあるが、やはり気になってしまった。クラス最強の男があれ程に憤怒し、取り乱すなど珍しすぎるものだから。

 ここまで、本物の修羅場をいくつも潜ってきた。他人の未来の為に己の全てを賭けるくらいの覚悟と望む未来への執念がある。実弥の強さの理由はそこにあるのかもしれない。彼らはそう思った。

 

「……?俺はブーメランなんて持ってねえぞ?」

 

「…………そういうことじゃねェんだよ、ボケ」

 

「俺はボケてねえ。事実だ」

 

「……面倒くせェ。もう喋んな」

 

「分かった」

 

 そんな小言を交わしつつ、爆豪と轟は3人の邪魔をしないようにとそっとその場を去った。

 

(……他人の未来の為に己の全てを賭ける、か。あそこまで強くなるのも納得がいく。あれは本気の目だ。不死川を超えられれば、絶対に奴を否定出来る。必ず超えてやるぞ)

 

(テメェは余計なこと考えてねえで、さっさといつもの調子に戻りやがれ。全力のテメェを超えなきゃ意味ねェんだよ。……いつまでもあの調子引きずってきやがったら、ブッ殺してやる)

 

 ――それぞれの思いを胸に秘めて。

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

「おや、不死川。エリちゃん、迎えが来たよ」

 

 落ち着いた八百万と切島と別れた後、実弥はエリを迎えに行く為に保健室を訪ねていた。

 リカバリーガールが暖かい笑みで実弥を出迎えると同時に、エリを呼ぶと……。

 

「!お兄ちゃん!」

 

 エリは、椅子から兎のように軽やかに降りたかと思うと、パアアアッと顔を明るくさせて満面の笑みで実弥に駆け寄ってきた。

 

 そんな元気いっぱいな彼女の姿を見た瞬間……実弥は、思わず彼女の小さな体を抱きしめていた。

 

「……お兄ちゃん?どうしたの?」

 

「……」

 

 次々と涙が溢れてくる。泣いているというよりも、泣いてしまったという方が正しかった。無意識のうちに、実弥の頬を大粒の涙が伝っていた。

 実弥のそんな姿を見ると、リカバリーガールは気を遣ってか、保健室を出た。そんな彼女の気遣いに感謝をしつつ、実弥はエリを抱きしめて離さない。

 

「エリ……。無事で、良かった……」

 

 たった一言だけ、実弥が言葉を絞り出す。それだけでエリはハッとして、なんとなく何か辛いことがあったんだろうなと察した。

 

「……お兄ちゃんが守ってくれるから、私は無事だよ。頑張ったんだね、辛かったんだね、お兄ちゃん。……お帰りなさい」

 

「ああ……。ただいま」

 

 エリも女神のように微笑みながら、精一杯実弥を抱きしめ返し、心の痛みを和らげられるようにと彼の頭を撫で続けていた。

 

(……エリだけは、絶対に守る……。皆の苦しみも終わらせる。俺自身の手で……)

 

(私に出来ることは少ないけど……お兄ちゃんの辛さを一緒に背負うことは出来る。私と一緒に乗り越えようね、お兄ちゃん)

 

 愛おしく思い合い、守り合うように兄妹は互いを時間の許す限り抱きしめ合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手酷くやられたようじゃな」

 

「そうだね、ドクター。けれど、君が念の為にと造ってくれた脳無がとてもとても役に立ったよ」

 

「先生の協力があってこそじゃよ」

 

 暗がりの中で悪意に満ちた笑みを浮かべながら、2人の人物が会話を交わしている。

 

 1人は、小太りな体型をした禿頭の老人。白衣を羽織り、真っ白な口髭を蓄えていた。医者のような出立ちをしているにしては、歯車型のゴーグルを装着しているのがとても違和感を感じさせる。

 名を殻木球大。悪の帝王、オールフォーワンに心酔する協力者で、彼の旧友。己の研究に利用出来る実験体を探す為だけに、全国に児童養護施設や個人病院を私有しているという生粋のマッドサイエンティストだ。

 

 そして、もう1人は……顔や首にいくつものチューブ――生命維持装置を取り付けた男。その顔は殆どが瘢痕(はんこん)で覆われて、目や鼻が確認出来ず、明確に形が分かるのは口だけという、ほぼのっぺらぼう状態の不気味な顔だった。

 この妖怪のような姿の男。彼の正体こそがオールフォーワン。顔がこうなったのは、無論、先のオールマイトとの決戦が理由だった。

 

「オールマイトと不死川君の両方が揃えば、あの脳無を制圧するなんて造作もないことのはず。そうされなかったということは……余程の絶望を与えられたんだろうねぇ。ああ……彼らの顔を見られないのが本当に残念だよ!」

 

 ニタニタと不気味な笑みを浮かべ、楽しそうに言う彼の姿は……まるで子供のようだった。

 

「随分と楽しそうだな、先生よ」

 

「そりゃあそうとも。僕の大好きな嫌がらせが彼らの心を抉ることが出来たのだから」

 

 暗い室内の中に響き渡る、2人の愉悦に満ちた笑い声。オールマイトと実弥の絶望した顔を想像するのが楽しくて仕方ないらしく、不愉快極まりない雰囲気が形成されていた。

 

「さて、儂はドラキュラちゃんの家族を増やしてあげなければ。お喋りも程々にして、脳無の製造に勤しむとしようかのう!次は誰を実験体にするか……。考えただけで興奮が止まらぬわ」

 

 興奮冷めやらぬ様子で去っていく殻木を、オールフォーワンは不気味な笑みを浮かべて見送った。

 

(愛称まで付けるとは……随分と溺愛しているようだね。これを不死川君が知ったらどうなることか)

 

 また新たな嫌がらせのネタが出来たことに対して嬉しそうに笑う彼に、何者かが声を掛けた。

 

「……神風は雄英にいたのか?」

 

 その声に反応し、オールフォーワンが答えた。

 

「ああ、君か。安心するといい。不死川君……いや、神風は間違いなく雄英にいるよ。弔が一方的に蹂躙されて戻ってきたのが他でもない証拠さ。少し調べてみたんだが、1年くらい前に雄英の敷地内に引っ越したそうだ」

 

 その答えに、声の主は歓喜する。白手袋を身につけた手で拳を握り、待ち侘びたかのように声を発した。

 

「そうか……!やっと、やっと見つけたぞ、壊理……!お前もそこにいるんだろう?お前は俺の物だ。()()()()失敗したが、今度は逃がさない……!神風を殺し、お前を取り戻してみせる!!」

 

 酷薄さを感じさせる瞳に薪を焚べ、野望の炎を激しく燃やす。その男の特徴は、何よりも顔に取り付けている赤いペストマスクにあった。

 

(お前の居場所はここしかない。お前は……俺の理想を実現する為の道具!それこそが、お前の存在する意味なんだ!!!)

 

 事件を終え、平穏を手にした裏で……悪意は早々に蠢き始める。虎視眈々と、尊い平和な日々を打ち砕く為に。

 安心を手にしたはずなのに、皮肉にも実弥を狙う脅威がまた一つ増えた瞬間であった……。




済まぬ実弥さん……済まぬ……。

2021/11/26
こちらの後書きにそよ風園での事件の知名度的なことに関しての記述をしておりましたが、「敵犯罪が頻発してるのでそれほど人々の記憶に残らないのではないか」との意見をいただきまして、その発言を取り消しにいたします。
申し訳ございませんでした。


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第四章 雄英体育祭
第三十話 体育祭の報せ


2021/12/2
指摘をいただき、飯田君の発言を修正しました。

2021/12/4
すみません、アンケートを取らせてください。アンケートの内容は、後書きにある通りです。
「省いてほしい」を選んだ方は、実弥さんの過去を全員が知るタイミングはどこがベストかなど、改善案を活動報告欄に記入してください。
1週間ほどの期間を設けますので、ご協力お願いします。
〜追記〜
今後、新しい話を投稿するにあたって、アンケートの内容を微修正しました。アンケートの伸びが良くなく、十分に意見を集えないと判断した為です。ご迷惑おかけしますが、改めてご協力お願いします。期間は2週間ほどに伸ばします。

2021/12/18
実弥さんの過去を明かす場面を省き、セリフなどを変更しました。

(PM15:09時点)
アンケートを締め切りました。ご協力ありがとうございました。結果は、前述している通りです。今のままが良かったという方、申し訳ございません。また、修正前で不快な思いをなさった方にも改めてお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。


 USJ襲撃事件の翌日、雄英は臨時休校となった。事件によって、肉体的にも精神的にも蓄積した疲労を回復出来る機会ではあったが、誰一人として気が休まることはなかった。

 本当の(ヴィラン)の恐ろしさを知った。実弥の歩んできた過酷な人生を知ってしまった。平和の象徴が取り乱すのを目撃してしまった。何も知らない者は、それはそれで何があったのかと気になって仕方がない。

 気が気じゃない中で休日を過ごした者が殆どだった。

 

 そんな天下の雄英が(ヴィラン)の襲撃を許してしまったという前代未聞のニュースは、凡ゆる場所で、凡ゆるチャンネルで大々的に扱われた。街中の大型モニターでも、一日中報道されていた程だ。

 

『昨日、雄英高校ヒーロー科の災害救助訓練施設で生徒達が(ヴィラン)に襲撃を受けた件の続報です』

 

 アナウンサーの淡々とした声と共に、事件の続報が報道されている。街中を歩く誰もが足を止めてニュースに注目していた。

 実際の事件の現場。それと、事件を乗り越えて校舎に戻る、昨日のA組の生徒達の顔が映し出される。その中の1人……傷だらけの白髪の少年を見て、誰かが目を輝かせた。

 

「……!」

 

 その誰かとは、金髪の少女だった。その黄色い瞳に宿る輝きは、他人に一目惚れした時のそれそのもの。彼女は、顔を紅潮させながら――笑った。

 

「……見つけちゃいました。私の運命の人……!」

 

 少女の口元から、鋭く尖った犬歯が見つけた獲物を付け狙うかのように顔をのぞかせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨時休校の翌日。A組の生徒達は、気が気じゃない中で登校した。教室の中は、当然ながら雰囲気が重々しく、空気が淀んでいる。和気藹々としているはずの教室が、シンと静まりかえってしまっていた。

 

 援軍を呼びに行っていた影響もあって、何も知らされていない飯田が困惑を露わに小さい声で蛙吹に尋ねる。

 

「あ、蛙吹君……。本当に何があったんだい……?皆、一昨日からこの調子のようだが……」

 

 尋ねられた蛙吹は、実弥の方をチラリと見た後で考える素振りをし……数秒してから、ようやく口を開いた。

 

「飯田ちゃんは、先生方を呼びに行っていたから何も知らないのよね……。でも……私達から言えるようなことじゃないわ……」

 

 そこに、麗日も沈み気味で付け加える。

 

「そう、だね……。少なくとも、他人の私達じゃね……。聞くなら、不死川君本人の口から聞くべき、やと思う……」

 

「……そうか……。すまない、余計なことを聞いて……」

 

「飯田ちゃんは悪くないわ。お友達なら、知りたいと思って当然だもの……」

 

 彼女達の様子を見ては、飯田もこれ以上は何も言うことが出来ず。余計に気が気じゃなくなったのを自覚しつつ、黙り込むしかなかった。

 

(……これ以上ねェくらいに気まずいぜ……)

 

 そして、こうなった原因が自分であることを察している実弥も、ため息混じりに自分は何をやっているんだ、と気まずさ全開で頭を抱える。

 皮肉な経緯で自分がクラスメイト達に強く信頼されているのを実感し、自分の甘さを実感するのであった。気まずさと不甲斐なさ全開の実弥を「大丈夫だよ」と撫でながら慰めるエリこそ、彼の大きな心の支えである。

 

 そんな状況で、ガラリと音を立てながら教室の戸が開く。

 

「おはよう」

 

 と、ぶっきらぼうな挨拶をしたのは、包帯人間のような有様となった相澤の姿だった。

 

(((((あ、相澤先生復帰早え……!)))))

 

 重傷を負いながらも、事件の2日後から出勤するとはとんでもない精神力だ。大方、無事とは言えない包帯だらけの担任の姿に驚愕しつつ、そのプロ過ぎる振る舞いに誰もが脱帽した。

 相澤が無事(?)だったことを喜ぶ蛙吹の発言に「婆さんの処理が大袈裟過ぎるんだ」と愚痴るように返した相澤は、包帯の下で目つきを鋭くしながら言葉を発する。

 

「俺の安否なんかどうでもいい。……まだ戦いは終わっていないぞ」

 

 その発言に気を引き締める一同。まさか、(ヴィラン)の残党がいたのか、と警戒心を最大限に引き上げたり、動揺したりと様々な反応を見せるが……予想は裏切られた。

 

「――雄英体育祭が迫ってる」

 

(((((クソ学校っぽいの来た……!)))))

 

 第二の学校らしい行事に、生徒達の喜びが一気に引き上げられる。本来なら、ガッツポーズを取りながら、高らかに歓喜の声を上げたいところではあっただろう。だが、実弥やオールマイトの件で心が沈んでいるせいで、そうすることは叶わず。心の中で喜ぶだけに留まった。

 

 嬉しくない訳ではないが、生徒の一部から待ったの声がかかった。(ヴィラン)に侵入されたばかりで体育祭をやって、本当に大丈夫なのか、と。

 当然だ。再び襲撃を受けたりしたら、たまったものじゃない。しかも、体育祭は規模が規模。もしものことが起こったら、民衆をも巻き込むことになってしまう。今度こそ対応しきれないだろう。

 その意見を受け、相澤はすかさず言った。

 

「確かにその通りかもな。だが、逆に開催することで雄英の危機管理体制が盤石だと示すって考えらしい。警備も例年の5倍に強化するそうだ。何より、ウチの体育祭はお前らにとって、将来を掴む為の最大のチャンス。(ヴィラン)如きで中止していい催しじゃない」

 

 雄英体育祭。今や、日本のビッグイベントの一つとなったものだ。かつては、オリンピックがスポーツの祭典として催され、全国が熱狂した。だが、''個性''の発展に従って規模も人口も縮小し、形骸化してしまった。雄英体育祭は、そのオリンピックに取って代わるほどのビッグイベントらしい。

 単なる高校の体育祭とは規模が格段に違い、全国のトップヒーローがスカウト目的で試合を観覧する。つまりは、ヒーローの卵達にとって最大の自分をアピール出来る場なのだ。

 将来性をアピールして、名のあるヒーロー事務所に入る。そうすれば、自ずと経験値と話題性が高まり、将来を切り拓くことが出来る。まさしく、一世一代の大逆転すらも狙えてしまう大イベント。

 

 雄英の先輩で知り合いがいる実弥も、そういう話は常々聞いていた。実際、そのような大逆転を狙う人もいたようだし、それを成した人もいる。

 誰もが全力で頂点を目指す。生半可な覚悟で挑めば、易々と蹴り落とされる。

 

(……沈んでばかりじゃいられねェな)

 

 実弥も鋭い瞳で万全の態勢で挑むことを決意した。

 

「とまあ……そういう訳だ。年に1回、計3回だけのチャンス。ヒーローを志すなら、絶対に外せないイベントだ。上に行きたきゃ、準備を怠るなよ」

 

「「「「「はい!」」」」」

 

 決意を露わにした表情で返事をした生徒達をぐるりと見渡す相澤。彼の仕草に、生徒達は首を傾げる。2回ほど同じことをしたところで、相澤は再び口を開いた。

 

「それよりも、お前ら。朝から葬式状態だが、どうした……?」

 

 尋ねられた生徒達は、息が詰まる感覚を覚えた。相澤も、その肌で明らかに空気が重くなったのを感じ取る。不安そうにA組の一同を見渡すエリをチラリと見つつ、早くこの雰囲気を消し去りたいところなんだが……と思いつつ、待っていると……。

 飯田が口を開いた。

 

「……不死川君に、何があったのかを知りたいんです。それに、オールマイトもとても取り乱されたと聞いて……」

 

 彼が声を上げたのに続いて、実弥の過去を聞かされた当時にUSJの入り口付近に居なかった生徒達も同じくして声を上げていく。

 

(……成る程な)

 

 彼らの声を聞いて、相澤も納得がいった。相澤も相澤で、後からオールマイト本人や、実弥の過去をその場で聞いていた13号から話を聞かされたことで状況はある程度把握をしていた。クラス最強の男や、平和の象徴の見たこともない一面を知れば、こうなるのも無理はない。

 

「オールマイトさんのことに関しては、本人から口止めされているからな。俺からは何も言えん。それと……不死川のことに関しては、俺も知ってる。だが、俺から言うべきじゃない。聞きたきゃ本人から聞くべきだ。ただし、一つだけ言っておく」

 

 そこまで言うと、相澤は包帯の下で鋭く眼光を放った。そうして、生徒の一人一人の表情を見渡しながら続ける。

 

「不死川の過去と今回の事件で明らかになったことは、お前らにとって残酷過ぎる話だぞ。はっきり言って、卵でしかないお前らには重過ぎる。……今聞くことはおすすめしない。アイツの話を聞くのは、社会の残酷さを知ることだ。折角の体育祭にそれを知った時のダメージを残してほしくないと俺は思っている」

 

 今の調子を引きずって体育祭に悪影響が出るのも、勿論合理的じゃない。だが、この調子にダメージが重なって更に調子が悪くなるのもそれはそれで非合理的だろう。相澤としてはそう考えている。

 その言葉に俯く生徒達。彼らを眺めて心苦しさを覚えるも、これも生徒の為だと思い、彼は言った。

 

「……それぞれ思うところはあると思う。だが、今はどうか体育祭に集中してほしい。成果を残せるくらいに強くなって、不死川から直接話を聞き出す。有名な事務所から何としても指名を勝ち取る。他の誰かに自分の存在を知らしめる。理由は何でも良い。そこに向かって死ぬ気で頑張ってこい。まあ、話すも話さないも最終的に不死川次第ではあるんだが……。俺が言いたいのは以上だ」

 

(……強くなれ。どれだけ残酷な事実を突きつけられても立っていられるように)

 

 言いたいことを言い終えると、相澤は教室を去る。無情な一言にも思えるが、教室のドアを閉める寸前の彼の瞳には優しさが込められていた。

 

 沈黙する教室。言葉を発する気になれず、黙り込む生徒達。そんな気まずい沈黙を破ったのは実弥だった。

 

「無理は言わねェが……切り替えていこうぜ。皆もそれぞれなりてェ自分ってのがあるんだろ?俺なんざのことを知ろうとしてくれんのはありがてェが、俺のことで色々と引きずらせるのも不本意だからなァ」

 

「お兄ちゃん……」

 

 1人、席を立つ実弥。エリは、その背中をどこか辛そうに見つめていた。

 

「不死川……。本当に、大丈夫か……?」

 

 実弥の背中を切島が呼び止める。実弥を心の底から思いやり、心配している顔つきだった。そんな顔をさせているのが申し訳なくなりつつも、実弥は微笑んだ。

 

「俺のことは心配すんなァ。……とっくに覚悟は決めた」

 

 この空気感になる原因が自分にある影響もあって気まずいのか、それだけを言い残すと実弥は教室を出て行く。エリもオロオロとしつつも、実弥のクラスメイト達に一礼してから、その背中を追っていった。

 

 きっと、今の自分達じゃ受け止めきれない。そう解釈されたのだろう。友として、彼の思いを知りたかった。彼の口から直接聞きたかった。その決めた覚悟を一緒に背負いたかった。なのに……そうさせてくれなかった。

 

 それを察した瞬間、クラスメイトの多くが己の弱さに対する不甲斐なさや悔しさで体が焼けつくような音を聞いてしまった……。

 

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん!」

 

 廊下を1人歩く実弥の背中をエリが呼び止める。その声に振り向き、実弥は必死で駆け寄ってくる彼女を抱き止めた。

 

「どうした?」

 

「……忘れないで。私は戦えない。守られてばかりで頼りない。でもね、心で一緒に戦うことなら出来るんだよ。お兄ちゃんの辛いことは一緒に背負ってあげられる。辛くなったら言ってね。私はずっと……お兄ちゃんと一緒にいるから」

 

 想像以上に心の強くなっていたエリの優しさが、実弥の心に染み渡る。昔からそうだが、兄の思う以上に弟や妹は心が強いらしい。竈門炭治郎と竈門禰豆子。あの兄妹もこんな風に互いが互いを守り、支え合っていたのだろう。

 

「……ありがとなァ」

 

 そんな彼女の心の強さも、本来あり得ないものであるはずなのだ。あの日の事件が、彼女をここまで強くした。もう二度と同じ思いはさせない。せめて、彼女が異形と化した家族と出会うことのないように、自分が全て終わらせよう。実弥は、固く誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の昼休み。募ったマイナスな感情を何とか振り切って、今は必死で体育祭に向けて頑張り、少しでも良い結果を残そうと誓った生徒達だったが……。

 

「不死川君、飯田君、デク君……!頑張ろうね、体育祭……!!!」

 

 その中でも、特に分かりやすくやる気を漲らせていたのは、麗日であった。眉を吊り上げ、緊張気味ではあるが爆豪さながらの不敵な笑みを浮かべていた。

 

「……!?お、おう……」

 

「麗日君!?一体どうしたというんだ……!?」

 

「顔がアレだよ、麗日さん!?」

 

「どしたの?いつもと違って全然うららかじゃないよ、麗日」

 

 戦闘民族のような見たこともない表情の彼女に圧倒される一同。実弥も同じくして圧倒されていたが、それと同時に紫色の禍々しい闘気のようなものを発する彼女から、体育祭に対する人並みならぬ決意を感じ取っていた。

 そこに興味を持ったのは緑谷と飯田も同じだったらしく、尋ねてみると……。

 

「お、お金!?お金が欲しくてヒーローに?」

 

「うん、究極的に言えば……」

 

 お金を稼ぎたくてヒーローを目指しているという意外な答えが返ってきた。

 実弥のこともあって、余計に動機の不純さを恥じている彼女に詳しいことを聞いてみると、実家の事情が関わっているらしい。

 曰く、麗日の実家は建設会社を営んでいるとのこと。しかし、肝心の仕事が中々舞い込まず、歯に衣を着せぬ言い方をしてしまえば、貧乏なのだそうだ。

 

 麗日の"無重力(ゼログラビティ)"ならば、上限こそあれど、許可さえ取ればどんな資材でも浮かすことが出来る。つまり、重機が要らなくなってコストが削減し、家族に貢献出来る。

 幼い彼女自身もそのことに気が付き、実家に就職して手伝いたいと進言したのだが……彼女の両親は、それを断った。親としては、娘が夢を叶えてくれた方が何倍も嬉しい。そう言って、気持ちだけを受け取った。

 

 そんな風に言ってくれた両親に報いたい。家族に苦しんでいてほしくない。だから――

 

「――私は絶対ヒーローになって、父ちゃん、母ちゃんに楽させたげるんだ!!!」

 

 凛とした表情で麗日は言い切った。

 

「ブラーボー!麗日君、ブラーボー!」

 

 堪らず、飯田が賞賛を贈る。実弥と緑谷も感心したように彼女を見守った。

 

 お金の為にヒーローになりたい。でも、そのお金は私欲の為ではなく家族の為に。立派なことだ。この時点で、ただ単に富や名声を求める飽和社会のヒーロー達とは訳が違う。

 麗日は、必ずやいいヒーローになる。実弥はそう思った。

 

 加え、実弥は彼女を幼き頃の前世の自分に重ねた。彼とて、前世はろくでなしの父親に代わって母を支え、弟妹達を守ってきた。自分のことはそっちのけにして、家の為に働いた。家族の幸せを優先した。

 同じように、家族の幸せを願って歩む麗日だからこそ。

 

(……生きて、夢を叶えてほしいもんだ)

 

 そう願った時だった。

 

「HAHAHAHA!緑谷少年と不死川少年が……いた!」

 

 声のした方を振り返れば、笑みを浮かべて緑谷と実弥を指差すオールマイトの姿があった。突然、影から姿を現した彼に驚く緑谷、麗日、飯田。――実弥は、既にオールマイトの気配を感じ取っていた為、驚きはしなかった――

 

「どうしたんですか?オールマイト」

 

「……ご飯、一緒に食べよ」

 

「乙女や!」「乙女ですか」

 

 緑谷に尋ねられて答えたオールマイトの手には、水玉模様の布に包まれた、こじんまりとした弁当箱が握られていて、吹き出す麗日と苦笑気味の実弥は同時にツッコミを入れてしまった。

 

「そういう訳だから……ごめんね」

 

「ええよ、気にせんで行ってきて!」

 

「エリちゃんの方にも俺達から伝えておこう」

 

「おう、助かる」

 

 例の仮眠室で落ち合うことを決め、一旦、麗日、飯田と別れる。

 そして、別れ際――

 

「……麗日」

 

「なあに?」

 

「ご両親のこと、大事にしてやるんだぞォ」

 

「……!し、不死川く――」

 

 実弥は、見ている方が泣きたくなる程に優しい笑みを浮かべて、麗日をそっと一撫ですると、彼女が何かを言い出す前に立ち去っていってしまった。

 

「あ……」

 

 オールマイトと緑谷を追って歩みを進める実弥の背中が、麗日と飯田にはとても哀しげに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで……ご用件は?」

 

 昼食をとり終えた実弥が、オールマイトに提供された緑茶を口にしてから尋ねる。

 尋ねられると、オールマイトは、数秒考えるように机の一点を見つめてから答えた。

 

「……今回呼んだのは体育祭に臨むに当たって、話したいことがあったからさ。でも、その前に……」

 

 そう呟いた次の瞬間。オールマイトが、実弥に対して躊躇うことなく頭を下げた。

 

「不死川少年……本当にすまなかった……!私が間に合ってさえいれば、君の家族が亡くなることはなかったはずなのに……!」

 

 後悔に満ち溢れた声。何とかして間に合っていれば救けられたはずの命を取りこぼした。そんな自分が不甲斐ない。普段よりも小さく見えるように思えてしまう彼から感じた感情は、ひたすらの後悔と自責だった。平和の象徴が本気で頭を下げている。そのことで、事件のことを間接的にしか聞いていない緑谷は、あの話が全て事実なのだと改めて実感してしまった。

 本当は信じたくなかった。そんな悲惨なこと、あってたまるか。そう言わんばかりに、俯いて拳を握りしめた。

 彼の行動に微かに目を見開くも、実弥は微かに笑って緑茶の注がれた湯呑みを机に置いてから言った。

 

「……もうやめませんか。お互い、自責の念に駆られて頭下げるのは」

 

「しかし……!」

 

 そうでもしなければ、己を許せない。そんな様子で、オールマイトは言い淀む。実弥は続けた。

 

「取りこぼした命のことを考えて苦しそうな顔してる平和の象徴なんて、誰が見たいと思うんです?この世に、たらればなんて存在しない。勿論、取りこぼした命のことは忘れちゃいけない。ならば、せめて……誰かの前では笑いましょう」

 

 そして、「命を落とした人の分まで」と付け加えつつ、実弥は笑った。

 

(……そうだ。何故、私は如何なる時も笑っちまって臨んでいるというんだ)

 

 笑った彼をみて、オールマイトは己の笑う理由を思い出した。平和の象徴としての重圧から、内に湧く恐怖から己を欺く為。ならば、何故そうするに至ったのか。

 答えは簡単。国を支える柱として、人々を不安にさせない為だ。自分が笑顔を失えば、人々の心は不安に包まれる。彼は、それを再認識した。

 

「……そうだな。時間は止まってくれない。私に寄り添って悲しんではくれない。私が歩みを止めている間に一体何人が脅威に(さら)されるか、分かったもんじゃない。笑ってでも進み続けなくちゃね」

 

 オールマイトが微笑む。立ち直った彼を見て、実弥と顔を俯かせていた緑谷も顔を見合わせて笑顔を交わし合った。

 気持ちを切り替えたオールマイトは組んでいた腕を組み替えてから話を切り出した。

 

「それじゃあ、本題だ。2人とも、体育祭のシステムは知っているね?」

 

「勿論です!」

 

 オールマイトの問いに緑谷が真っ先に答え、話し始める。

 サポート科、経営科、普通科、ヒーロー科。雄英の全学科がごった煮になって学年ごとに予選を行い、勝ち残った生徒のみが本選で競う形になる、学年別の総当たり戦。

 実弥も弟妹達とテレビを通して観戦した経験があるが、特に最終種目は会場の熱量が半端じゃなかった覚えがあった。

 

「体育祭は、全国に注目される場。全力で自己アピールする貴重なチャンスだ。緑谷少年、是非ともここで……未来の平和の象徴である君が来た、ということを知らしめてほしい!」

 

「僕が……!」

 

 オールマイトの言葉に、緑谷は息を呑む。同時に、彼の中に凄まじいプレッシャーが押し寄せてきた。誰もが全力で頂点を狙う場。そこに体力テストでもダメダメな結果を残してしまった自分が爪痕を残せるのか。そう考えると、不安で仕方がなくなってしまう。

 そんな彼の気持ちを察してか、オールマイトは続けた。

 

「気持ちは分かるさ。USJの件も相まって、いまいち気乗りはしないだろうし、自分の無力さが余計に響いてくるだろう。でも……やるなら、とことん頂点目指して頑張ってほしい。常にトップを狙う者とそうでない者の気持ちの差ってのは、社会に出てから大きく響くからね」

 

「「トップを狙う……」」

 

 緑谷と実弥が同時に呟く。より上を目指す向上心を持ち続ける。そうでもしなければ、競争の激しいヒーロー社会の中では勝ち残っていけない。オールマイトは、そう言いたいのだろう。

 伏し目気味な緑谷をチラリと見た後、オールマイトは言った。

 

「私がそう願うに当たってだ。不死川少年、改めてお願いする。緑谷少年を見て、彼を鍛え上げてはくれないか」

 

 思考を巡らせていた実弥は、視線を上げて口を開く。

 

「……お言葉ですが、いいんですか?師匠直々に鍛えてやらなくて」

 

 実弥の言葉に、オールマイトは頭を掻きながら苦笑して答える。

 

「恥ずかしい話なんだが……私は、教え導くことに関してはてんで駄目なんだよね。君に鍛えてもらい始めてからというものの、緑谷少年は確実に成長している。そこを見込んで、君に頼んでいるのさ。我々の秘密を知る君にしか頼めない」

 

 力強い輝きを放つ、オールマイトの青い瞳が実弥を射抜く。

 実弥には、今更断る理由などなかった。夢半ばで死なせないと決めた。やはり、友が夢を叶えるのを見てみたいと思った。一人前になるまで、とことん付き合ってやると決めた。

 

「……喜んでお引き受けします」

 

「……本当にありがとう、不死川少年」

 

 反論一つなく、頭を下げて話を承った実弥を見て、オールマイトは感謝してもしきれないと思いつつ、微笑んだ。

 

 その後、仮眠室から退室しかけた時。緑谷が思い出したかのように言った。

 

「……オールマイト。USJで貴方が取り乱した理由って……不死川君のことだけじゃない、ですよね?」

 

「……!」

 

 彼の問いに、オールマイトは時が止まったかような感覚に陥りつつ、目を見開いた。2人がやり取りを終えるまで、実弥もじっと待つ。

 未来の平和の象徴である以上、いずれは、彼も巨悪と対峙することになる。話さない訳にはいかない。それでも、今は憂いなく自分を知らしめることだけ考えていてほしい。そう思い、困ったような笑みを浮かべながら言った。

 

「……すまない。その件は、体育祭が終わった後に必ず話すよ。体育祭前の君に重い使命を抱えさせたくはない。足枷にしたくないんだ。今は、本番に向けて必死に頑張ってくれ」

 

 その言葉に一瞬残念そうな顔をしつつも、その直後、緑谷は微笑みながら言った。

 

「……分かりました、約束です。僕、やれるだけやってみます。貴方の期待に応える為にも!」

 

「ああ、期待しているよ」

 

 笑みを返し、2人を見送る。仮眠室の中には、ぽつんとオールマイト1人だけが残った。

 

「本当にすまない、緑谷少年……。まだ孵化し切れてもいない君に、私が果たすべきだった使命を背負わせることになるかもしれない……」

 

――私は、無力だ……

 

 宿敵の生存を知り、拭い切れぬ不甲斐なさに打ちのめされている彼の呟きは、静寂の中に虚しく溶けていった。




以前、感想でUSJ襲撃事件後の職員会議の模様が気になるとのご意見をいただきました。別のお話を投稿すると同時に閑話として投稿しようかなと思っておりますので、そちらが気になるという方は、今しばらくお待ちください。


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第三十一話 宣戦布告

現在、アンケートを取っている最中です。ご協力お願いします。省いてほしいの方を選択した方、活動報告欄の方に改善案を頂けると嬉しいです。
(アンケートの伸びが良くなく、これでは上手く意見を集えないなと思い、改めてアンケートを設けさせていただきました。ご迷惑おかけしますが、改めてご協力お願いします)
アンケートを回答するにあたり、もう一度前回のお話にザッとでも目を通していただけると嬉しいです。
期限は2週間ほどにしようかと思います。

2021/12/18
30話の実弥さんの過去明かしを省くにあたって、一部のセリフなどを修正しました。

(同日PM15:11時点)
アンケートを締め切りました。ご協力ありがとうございました。結果は、あの段階の過去明かしを省くことに決定致しました。そのままが良かったという方、申し訳ございません。また、修正前の展開で不快に思った方々にも改めて謝罪を致します。申し訳ございませんでした。


 その日の放課後のこと。

 

「な、な、な、何事だーーーっ!?」

 

 A組の教室中に、麗日の声が響き渡った。いざ、周りに目を向けてみると……大量の生徒達がA組の教室の入り口付近に群がり、道を塞いでいる光景が目に入ってきたではないか。

 

「出れねえじゃん!何しに来たんだよ!?」

 

 その迷惑極まりない行為に峰田が愚痴る。実弥は集まっている生徒達の意図に大方察しがついていたが、それにしたって、出入り口を塞ぐのは常識がなさ過ぎるのではないかと呆れ気味にため息を()いていた。

 そんな群がる生徒達にも対して反応せず、ズカズカと歩みを進める者がいる。その正体は、爆豪だ。

 

「敵情視察だろ、雑魚」

 

 あんまりな発言に、峰田が「なんてこと言ってくれやがるんだ、この野郎」と言わんばかりに口をパクパクさせるも、爆豪はそれを無視。群がる生徒達を鋭い三白眼でギロリと睨みつけた。

 

「そんなことしたって意味ねェから。退()け、モブ共」

 

 そして、群がる生徒達をモブ呼ばわりする始末。敵意を煽りかねない発言が連発されたことに、居ても立っても居られず、「知らない人をモブと呼ぶのはやめたまえ!」と飯田がツッコミを入れ、爆豪を側で見ていた緑谷と麗日は震え上がる。

 その時だった。

 

「噂のA組がどんなもんか見に来たが……随分と偉そうだなあ。ヒーロー科に在籍する奴は、皆こんななのかい?」

 

 わざとらしく声を張り上げながら、立てた紫色の髪と目の下の濃い隈が特徴的な少年が人混みを掻き分けて歩み出てきた。

 A組全員を爆豪のような性格だと一括りにされたことに対し、全力で首を振って否定の意思を示す一同。彼らを気に留めず、少年は言った。

 

「こういうの見ちゃうと幻滅するな。知ってる?普通科とか他の科って、ヒーロー科落ちたから入ったって人が結構いるんだよ」

 

 そして、学校側がそんな生徒達にチャンスを残していて、体育祭のリザルトによってはヒーロー科編入も検討するのだと言った。その逆も然りだと。

 

「敵情視察?違うね。少なくとも俺は、いくら事件一つ無事に乗り越えたヒーロー科とは言え……調子に乗ってると足元ごっそり掬っちゃうぞっつー宣戦布告をしにきたつもり」

 

 その発言を聞いたA組の一同は固まった。時が止まったように動きを止めた彼らの中に、一昨日の事件のことが浮かび上がる。

 

 ――無事?調子に乗ってる?どれも違う。無事だった人なんて、誰もいなかった。確かに物理的なダメージを受けた人は少ない。だが……残酷な事実を知ったことで、クラスメイトの多くが精神的にダメージを受けた。更に一部は、あの場にいるものよりも更に強大な悪の存在を知ってしまった。しかも、今朝は自分の不甲斐なさや弱さに心をへし折られかけたところだったというのに。そんな状況下で、一体誰が無事でいられるのか。調子に乗っていられるのか。

 言動こそアレだが、爆豪とて調子に乗っている訳じゃない。

 何も知らないからこそ、当然のように言われたことにカチンときた。流れる静寂を破り、切島が声を上げる。

 

「お前こそ、さっきから偉そうに……!何が調子に乗ってる、だ!!!俺らにそんなつもりはねえ!心に深い傷を負った奴だっているんだぞ……!?それにな、自分の無力さに打ちのめされちまった奴もいるんだ!!!調子に乗れる訳ねーだろ!!!」

 

 友の受けた痛みを馬鹿にするかのような発言に、彼の中の何かが切れてしまっていた。もう耐え切れなかった。ヒートアップする怒りのままに、切島は少年に向かって詰め寄った。

 彼の怒り具合に、未だに何も聞かされていない者達は一昨日の事件の悲惨さを痛感し、間接的にしか聞かされていない者達は暴露された実弥の過去が全て事実なのだと余計に実感させられてしまう。

 大胆不敵に宣戦布告をかました少年だったが、胸倉を掴むような勢いで迫られると、流石に怯んだ。冷や汗を流しながら、思わず後退りしてしまった。

 

「そうですわ……!当然のように無事だなんて言わないでくださいまし!特に不死川さんは――」

 

 切島と共に、他よりも早く実弥の過去を聞いた八百万も続く。「不死川さんは、誰よりも辛い思いをしたのですから」と発言しかけた時。

 

「……黙ってろ、ポニーテール」

 

 彼女の発言を遮り、爆豪がぶっきらぼうに言った。

 

「どうしてですか、爆豪さん!」

 

「お前、クラスメイトが心に受けた傷を馬鹿にされて何も思わねえのかよ!?」

 

 何故にこうまで非情な態度を取れるのか、と八百万と切島が爆豪に問い詰めるが……彼は、それを気に留めなかった。

 

「……どうせこいつらに何を言ったところで響かねェよ。大して関わりもねェ奴……ましてや、相手は憎っくきヒーロー科だぞ。知ったこっちゃねえって話だ」

 

「でも……!」

 

 実弥を傷つけかねない発言をされたことが許せないと言わんばかりに、切島が食い下がる。だが、爆豪は彼を言葉で一蹴した。

 

「そもそも、事件と傷顔の事情に関しては、緘口令(かんこうれい)敷かれてンだろうが」

 

「……」

 

 爆豪の言葉で冷静さを取り戻したのか、切島も八百万も俯いて唇を噛み締めた。それでも納得出来ないという雰囲気を感じ取ったのか、爆豪は面倒くさそうに舌打ちする。

 そして、やけに静かな声色で言った。

 

「……それでも気に入らねェなら、黙らせりゃいいんだよ。上に上がりゃ、何を言われようが関係ねェ。所詮は雑魚の戯言だ」

 

 それだけ言うと、爆豪は呆然としたクラスメイト達を置き去りにし、教室前に群がる生徒を無理矢理に掻き分けながら教室を出て行ってしまう。

 

 その背中を見送った後、実弥は再び目の前にいる少年を見下ろした。地雷を踏んだのを察してか、彼はどこか気まずそうに俯いていた。

 彼の瞳の奥に燻る、夢を諦め切れないという小さな炎を見抜くと、溢れ掛けていた怒りを抑えて、酷く静かに言う。

 

「敢えてあれこれ言うつもりはねェ。だが、これだけは覚えとけ。俺らは、決して無事に事件を乗り越えた訳じゃねェ。必死に足掻いて、ようやく乗り越えたんだ」

 

 そして、彼の頭にそっと手を置いてから続ける。

 

「望んで地雷踏んだ訳じゃねェのは、目ェ見りゃあ分かる。余裕がねェから、なりふり構わず嫌な奴を演じてんのもなァ。……言葉は選べよ。よく言うだろォ、言葉は一種の凶器だって。ヒーローになりてェなら、他人の心は丁重に扱え」

 

 言い終えると、通学鞄を手にして教室を出ていった。見た目の影響か、群がっていた生徒達は自然と道を開ける。

 そんな彼らを一瞥した後、ズカズカと歩き去る実弥の背中を、少年は呆然と見つめていた。

 

 興が削がれたかのようにぞろぞろとA組の教室の前から立ち去っていく生徒達を見遣るA組一同は、爆豪の言葉を思い出す。

 

「上に上がれば関係ねえ……か。男らしいじゃねえか、爆豪の奴……!」

 

 噛み締めるように切島が拳を握る。

 

「言ってくれるな、アイツ。たまにはいいとこあるじゃねえか」

 

 感慨深そうに砂藤が呟く。

 

「確かに爆豪の言うことは一理ある。見せつけるしかあるまい、俺達の力を。……不死川は、何も教えてはくれなかった。友が1人で何もかもを抱え込もうとしている。我らを思いやって、敢えてそうしている。そのことがどれだけ悔しいか。俺達とて、悔しさを味わいながら必死に歩んできた。そのことを奴らに思い知らせてやる」

 

 思考するように閉じていた瞼をゆっくりと開けながら常闇が言う。

 彼の言葉に誰もが頷いた。

 

「そうですわね……。皆様!残り2週間、各々が全力で励みましょう!そして、他学科の方々に教えて差し上げましょう。あの事件を経て浮かれている方など、誰もいないということを!!」

 

「「「「「おーーーーーっ!!!!!」」」」」

 

(そして……もう誰にも、不死川さんを傷つけるようなことは言わせませんわ!!!)

 

(不死川は、いつも心を擦り減らしながら頑張ってる!そんな状況で傷を抉るようなこと言われたら……辛いに決まってんだ!!誰にもそんなことはさせねえ!ダチの心を守れる漢になってやる!!!)

 

八百万の号令で一斉に拳を突き上げ、(とき)の声を上げる。その中でも、直接過去を聞いた八百万と切島は、他と比べて段違いに燃えていた。

 やる気に満ち満ちた生徒達は、それぞれで解散していく。帰宅し、今後の計画を立てる者。じっとしていられないとばかりに、早速特訓に向かう者。行動は様々だった。

 

(かっちゃんも、皆も……上を目指そうとしてる。僕だって、物怖じなんてしていられない。本気で獲りにいかなくちゃ……!)

 

 クラスメイト達の様子に刺激され、緑谷も静かな闘志を燃やしながら、拳をグッと握りしめた。

 

 

 

 

 

 

「不死川!」

 

 廊下中に響きわたった、自分を呼ぶ声に振り返る。

 すると、手を振りながら駆け寄ってくる鉄哲と慌てた様子でその背中を追ってきた拳藤の姿が目に入った。

 

「……さっきは大変だったな」

 

(ヴィラン)の襲撃受けて、それを退けたとなったら……まあ、注目するだろうよォ。年頃の奴らは好奇心が強いからなァ」

 

 苦笑気味の拳藤と会話を交わす実弥。その間、鉄哲は、ずっと床の一点を見つめて黙りこくっていた。

 らしくないその様子に、実弥は首を傾げる。

 

「鉄哲?どうしたァ?」

 

 尋ねられると、鉄哲は絞り出すように呟いた。

 

「…………本当は、事件がどんな感じだったのか聞こうとしてた。でも、普通科の奴に話をしてる時のお前の目が……辛そうだった!自分の辛さと怒りを押し殺して、アイツを思い遣ってた!それが分かった瞬間、自分の無神経さが嫌になってよ……!何も聞けなくなった!!本当に済まん、不死川!!!俺は、無意識のうちにお前を傷つけるところだった!!!」

 

 顔を上げた鉄哲は、泣いていた。ボロボロと涙を零して泣いていた。拭っても拭っても止まらない涙を必死で拭おうとしながら、頭を下げた。

 何も言っていないのだから、知らないのは当然だろうに。彼の心の綺麗さがあまりにも尊い。実弥は、微笑みながら彼を撫でた。

 

「泣くなァ、鉄哲。何も知らねェから、そういうことをやりかけるのも仕方ねェんだ。俺の為に泣いてくれるお前の優しさと謝ってくれる素直さがありゃあ、十分だ。俺がお前を責める理由はねェ。鉄哲は自分の過ちをこれからの行いで償える男だと……そう信じてる」

 

(不死川……。どこまで優しいんだ、お前は……)

 

 何も知らないからこそ、鉄哲のようなことをやりかけたら仕方ないでは済まない。誰しも怒る。それが普通のはずなのに。

 涙を流す鉄哲を許す実弥の優しさに、拳藤は不思議と泣きたくなった。もしかしたら、実弥が鉄哲のやりかけた行為を許すのは、鉄哲自身の素直さと心の綺麗さが理由なのかもしれないが……。

 これの相手がB()()()()()()なら、実弥は確実に激怒している。なんとなくそんな気がした。

 

 目の前の少年は、自分達では抱えきれない程の辛い思いをしてきた。何も分からなくとも、それだけは察せる。

 少しでも寄り添いたい。そんな思いを胸に涙を拭って、鉄哲は言う。

 

「なあ、不死川……!大丈夫か……!?クラスは別だけど、遠慮なく言ってくれよ!俺は、お前のダチだから!」

 

 対する実弥は、頼もしいことだ、と微笑みつつ返した。

 

「ありがとなァ。……俺が押し潰れそうな時は頼むぜ」

 

「っ……!」

 

 微笑みながら実弥が放った一言に、鉄哲も拳藤も胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 無理はしないでほしいと拳藤が言いかけたその時。

 

『生徒の呼び出しをします。ヒーロー科、1年A組の不死川実弥君。同じく、爆豪勝己君。至急、校長室に来てください。繰り返します……』

 

 校舎中に、呼び出し音のチャイムと共に放送が流れた。

 

(わり)ィ、校長先生がお呼びらしいから行ってくるぜェ」

 

「……そっか。いってらっしゃい」

 

「またなー!!!」

 

「おう」

 

 「あの爆発頭、どこ行きやがったァ……?」と面倒くさそうに髪を掻き乱しながらズカズカと歩き去っていく実弥を「不死川も苦労してるんだな」と言わんばかりの苦笑混じりで見送る拳藤と、釈然としない表情ながらも手を振って見送る鉄哲。

 実弥の背中が見えなくなると、鉄哲は拳を握りしめながら俯き、震え始めた。

 

「鉄哲?」

 

 その様子に疑問を持ちながら、拳藤が尋ねる。すると、彼は突然声を張り上げた。

 

「おっ……しゃぁぁぁぁぁッ!!!これ以上、不死川に辛い思いをさせてたまるかってんだ!体育祭まで残り2週間……!A組に負けずに俺らも頑張るぞ、拳藤ぉぉぉ!!!!!」

 

 彼の声量に驚き、拳藤は肩を跳ねさせる。猪突猛進と言わんばかりの勢いで早速特訓に向かう彼の背中を、「廊下は走っちゃ駄目だぞー!」という注意と共に見送った。

 

 そんな拳藤の脳裏に浮かぶのは一昨日。事件当日のこと。

 実を言うと、拳藤は、鉄哲よりも一足早く当日の夕方に、実弥の無事を確認しようとA組の教室を訪ねていた。その際に、既にとことんまで特訓に付き合うと決めた緑谷や特訓仲間の尾白の無事は確認出来たが、教室の中に姿のない実弥の無事が確認出来ず、彼を探し回った。

 その途中、八百万と切島から彼がエリを迎えに保健室に向かったことを聞いた彼女は無事を願いながらそこに向かい、見てしまった。エリを抱きしめて涙を流す実弥の姿を。

 

 彼女は驚愕した。あれだけの強い男が涙を流していることに。

 そして、漠然と思った。彼が平然と弱みを見せられるくらいには信頼される友になりたい……と。

 

(泣いたっていいんだよ、不死川。友達に弱み見せたって。私達はそんなお前を支えるからさ。私、お前がそういう風に出来る友達になってみせるよ。だから……1人で気負い過ぎるなよ)

 

 体育祭までの少ない残り時間で己を磨き上げる。そう誓った拳藤は、時間を無駄にしまいと凛とした表情で歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します」

 

「やあ、不死川君に爆豪君。よく来てくれたのさ!」

 

「悪いな、2人共。時間をとらせて。まあ、そんなに時間はかからないから安心しろ」

 

 こうして、実弥は爆豪を連れて校長室までやって来た。校長室に足を踏み入れるというのに、挨拶の一つすらもない爆豪の頭を無理矢理に下げさせながら入室した実弥を出迎えたのは、根津と包帯だらけの相澤だった。

 「何で傷顔と一緒なんだよ」と愚痴る爆豪と、先生の前で文句言ってんじゃねェ、と言わんばかりに彼を軽く睨みつける実弥。とことんまで馬の合わない2人だと改めて実感しつつ、相澤は早速本題に入った。

 

「お前らを呼び出したのは……前もって、体育祭の選手宣誓を頼みたいからだ」

 

「その通り!」

 

 相澤の言葉を引き継ぎ、根津が話し始める。曰く、1年の部における開会式の選手宣誓は、毎年、ヒーロー科の入試の首席が行うことになっているらしい。だが、今年は例年と訳が違う。事実上では首席合格を果たした爆豪と、それ以上の成績を勝ち取り、特別枠合格を果たした実弥がいる。もし特別枠を設けなかったならば、本来は実弥が首席に当たるのだ。

 

「――そういう訳なのさ。今年は君達両方に頼むという選択肢もあるし、例年通りにどちらか片方に頼むという選択肢もある。我々は、君達の意思を尊重するよ。そこをどうしたいかを聞こうと思って、今日はここに呼んだのさ」

 

 根津が話を終えると、実弥は少し思考する様子を見せた。そして、数秒後。

 

「……ご指名はありがたいですが、俺は辞退させていただきます」

 

 選手宣誓の提案を丁重に断った。

 

「……どうしてかな?」

 

 根津が微笑みを浮かべて尋ねると、実弥は答える。

 

「俺は金や名声の為にヒーローになるのではありません。大切なものを守り、未来を生きる子供達に笑顔溢れる人生を届ける為です。故に、順位には無頓着。ただ、幸せを奪われることのないように強く在れば良いだけの話です」

 

 己の過去を振り返るように瞼を閉じながらそう述べ……再び、瞼を開いてから続けた。

 

「周りは本気で頂点を、上を目指そうとしています。そんな中で、順位に無頓着な俺が選手宣誓の役目を請け負うのは相応しくありませんから」

 

 その言葉を聞くと、相澤が予想通りだと言わんばかりに口を開いた。

 

「……お前ならそう答えると思っていた。だから、爆豪もここに呼んだんだ」

 

「という訳だ。今年の選手宣誓は爆豪君、君にお願いすることにしよう!引き受けてくれるね?」

 

 2人の視線が爆豪に向けられる。相応しいとか相応しくないだとか、そんなことを考えている実弥に苛立ちを覚えはしたが、過去を知る以上は何も言えず。

 

「……っス」

 

 ここは、黙って選手宣誓を引き受けることにしたのだった。

 

 結果、体育祭の選手宣誓は爆豪1人で行うことが決定。選手宣誓の内容に関する規定は特になく、自分自身の思うがままの宣誓をしてくれればいいということが伝えられ、各自解散となった。

 

 校長室を2人揃って出た後、爆豪が声を上げる。

 

「おい」

 

「何だァ」

 

 目線だけをよこしてぶっきらぼうに答えた実弥に向け、爆豪は苛立ちを露わにした瞳を向けながら続けた。

 

「いちいちムカつくんだよ、相応しいとか相応しくねェとか。余計なこと考えんじゃねェ。その考えが足引っ張ってくだらねェ負け方しやがったら……ブッ殺すからな」

 

 言いたいことを言い終えると、爆豪は通学鞄を片手に歩き去っていく。その背中を見送りながら、実弥は思った。

 

(確かに……相応しいも相応しくないもねェのかもなァ)

 

 雄英に入学した。その時点で、自分には雄英体育祭に出る資格が与えられている。多くの国民に注目する舞台に立つ権利がある。たったそれだけで、自分はそうするに相応しい人材……なのかもしれない。

 また一つ、同僚であった冨岡の気持ちが理解出来た気がした実弥であった。

 

「まァ……今は、目の前のことだけに集中するかァ」

 

 体育祭の場で、己の強さを見せつける為に。未来を生きる者達に、自分がいるから何があっても大丈夫だという安心を与える為に。今だけは自責の念を忘れ、全身全霊を絞り出すことにしよう。

 そんなことを思う実弥の中で、闘志が烈風の如く吹き荒んでいた。




予め言っておきますね。アンケートの結果次第、及び、いい改善案が出るか出ないか次第で、このお話も一部セリフが大きく変化すると思います。

取り敢えず、この段階で投稿はしておきますが、後から展開が変化する可能性は十分にあります。ご了承ください。


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第三十二話 ビッグ3

本当はこの次のお話で体育祭本番に突入するつもりでしたが、もう一話使うことになりました……。本番突入までもう少しお待ちください。

アンケートの伸びもそろそろ無くなるかなといったタイミングまで来たと思うので、本日でアンケートを締め切ろうと思います。皆様、ご協力ありがとうございました。作者の方で少し吟味をさせてください。
判断が決まりましたら、またお知らせいたします。

追記(PM22:53)
優柔不断ですみません。アンケートがまだ伸びてる状況なので、もう少し待つことにしました。

2021/12/18
アンケートを締め切りました。ご協力ありがとうございました。結果は、過去明かしを省くことに決定致しました。そのままが良かったという方、修正前の展開で不快に思った方、申し訳ございませんでした。


 体育祭のことが知らされた翌日の放課後。実弥、緑谷、拳藤の3人は、体育館γ(ガンマ)を訪れていた。

 体育館γ――通称、トレーニングの台所ランド。略して、TDL。――USJと並び、またも著作権的に危険な名前なのは置いておく――

 雄英の教師の1人であるセメントスが監修している施設で、床部分は全て彼が''個性''で操ることが出来るセメントだ。故に、各生徒に合わせて地形を変形させたり、物を用意したりすることが出来る。セメントス1人いれば、何もかもが変幻自在という訳だ。器具を用意する手間も資金も省けて、お金にも優しい。セメントスに労力がかかるが、ありがたい話である。

 

 閑話休題。人を呼んでくると言って体育館を出た実弥を、他の2人は軽い準備運動や筋トレをしつつ待っていた。指定された回数とセット数の腕立て伏せに小言一つなく取り組む緑谷を見て微笑ましく思いながら、拳藤が尋ねる。

 

「そういえば……尾白はどうしたの?」

 

「尾白君も誘ったんだけど……っ!今回ばかりは、自力で鍛えたい……って」

 

 緑谷は続ける。曰く、体育祭では全員がライバル同士になるだろうから、他人に頼らずに自分で頑張ってみたい。他人に頼って強くなるのは悪くないことだと理解してはいるが、今回ばかりは自分のプライドが許さないとのこと。

 

「……自分のプライド、か」

 

 自分自身のプライドがあり、それを貫く。立派なことだし、かっこいいとは思うが、時にはそれを捨てることも必要だと拳藤は思っている。

 例えば、自分が強くなりたい時や、目の前に1人ではどうしようもない困難が立ち塞がった時。

 もしも、強くなりたいという願いを叶えてくれる者が、困難を突破する為の切り札となる者が、自分の嫌いな相手だとしたら……諦めることを選ぶか、それでも自身の願いを叶えることを選ぶか。

 

 彼女が選ぶのは、後者だ。人にはよるかもしれないが、少なくとも本当に叶えたいと心の底から強く望むのならば、その為に多少辛い目に遭おうとも耐えられるし、自分から折れて素直に頼める。拳藤の場合、そういうケースに当てはまる。

 

「男って好きだよなあ、そういうの」

 

 彼女は頬杖をつき、苦笑しながら呟く。腕立て伏せを終えて立ち上がる緑谷に「あれ、何か言った?」と首を傾げつつ尋ねられるが、「なんでもない」と首を振りながら笑い返した。

 続け様に拳藤が尋ねる。

 

「もう体育祭も近いし……特訓もレベルアップする感じ?」

 

「うん、そうみたい」

 

 緑谷曰く、これまでの体づくりや体力づくり、サンドバッグ相手のスパーリングに加え、極め付けは経験値を蓄積する。つまりは、実戦あるのみだとして、模擬戦を行うのだそうだ。

 自分ばかり相手をしていては変な癖がつくからとのことで、実弥は、今日から新たに特訓に関わることになる人を呼びにいったらしい。

 

「経験値……確かに大事だもんな。格闘技も、結局は基礎練と試合、研究の積み重ねだし」

 

 実弥の考えに共感する拳藤に、今度は緑谷が尋ねた。

 

「拳藤さんこそ、いいの?自分の特訓もあるんじゃ……」

 

 すると、拳藤は数秒間瞬きをして硬直。直後、微笑みながら答えた。

 

「私のことは気にしないでいいの。決めたんだよ、特訓が始まったあの日に。不死川と一緒に、とことんお前に付き合ってやるんだってさ。それがエリちゃんの笑顔にも繋がると思うし」

 

 「何より、学年一の実力者に鍛えてもらえる貴重な機会を逃せる訳ないしな」と付け加える拳藤に、返しても返しきれないほどの貸しを作ってしまっているなと緑谷は思いつつも、未熟な自分に付き合ってくれる彼女に深い感謝を覚えた。

 

「……ありがとう。僕の為に使ってもらった時間は、僕が拳藤さんの特訓にも付き合うことで返すよ」

 

「全く、気にしないでいいって言ってるだろ?律儀だなあ」

 

 弟に対するそれと似たような可愛げを覚えた拳藤は、宛ら実の姉のような優しい笑みを浮かべて緑谷の頭を撫でてやる。

 女子慣れしていない上に距離が近いのが原因で、顔を真っ赤にしている彼に余計に可愛げを覚えていると……。

 

「緑谷が沸騰しちまうから、そこまでにしてやれェ」

 

 苦笑気味の実弥が声をかけてきた。

 

「あ、お帰り」

 

 拳藤が振り返ると、彼以外に3人の人物の姿が目に入ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早速体育館を借りて特訓とは……元気があって良いね、1年生!

 

 そう言いつつ、笑みを浮かべて感心した様子なのは、筋肉質な金髪の青年だった。

 高い身長に、身につけた体育服の上からでも分かる程に鍛え上げられた逞しい肉体の両方を持ち合わせている。その立ち居振る舞いや雰囲気は明るく陽気で、どこかオールマイトに似通うものがある。

 

 新たな人物の訪れに、羞恥やら何やらで顔を赤く染めていた緑谷も正気に戻り、実弥の引き連れた3人をじっと見る。そのうちの1人である、金髪の青年の風貌に既視感を覚えていると……。

 

(……!思い出したぞ!)

 

 彼は、既視感の理由をふと思い出した。遡ること1年前。当時の体育祭で、成績こそ振るわなかったが、その金髪の青年は妙なインパクトを残していたのだ。

 しかも、そのインパクトの残し方が黒歴史に等しかったのをよく覚えている。急に青年が身につけていた体育服が脱げて、彼はお茶の間に全裸を晒してしまったのが原因だった。

 

(でも、そんな人がどうしてここに……?)

 

 偶然とは言えど、体育祭で黒歴史を晒してしまったような人物を実弥が連れてきた理由とは何なのか。緑谷は疑問に思っていた。

 

「不死川君……。どうして、俺までここに連れてこられているんだ……?後輩にアドバイスや特訓だなんて、荷が重すぎる……!辛い……帰らせてくれ……!!!もっと他に相応しい人がいるはずなのに……」

 

 実弥の背中に隠れるようにしながら呟くのは、尖った耳と黒髪が特徴的な鋭い目付きの青年。見た目こそ威圧的なものだが、それと反対に小心者らしい様子だった。

 「アドバイスするだけの技量があるから呼んでるんですよ。自信持ってください」と年下であるはずの実弥が、人見知りの弟を励ますかのような優しい口調でフォローを入れているのを見るなり、緑谷と拳藤は困惑を露わにして顔を見合わせてしまった。

 

 次の瞬間――

 

「ねえねえねえ!モサモサ頭の君が緑谷君だよね!さっきは顔を真っ赤にしてたよね!?どうして?」

 

「へっ!?あっ、いやっ、そのっ、それは……!」

 

「あれれ?また顔真っ赤にしてる!ねえねえ、どうして?不思議!」

 

 知的好奇心旺盛と言った様子で、ねじれた水色のロングヘアーをした少女が緑谷に詰め寄った。

 とんでもない美少女に詰め寄られてあたふたし、言葉がまとまらない緑谷を他所に、少女は彼を次々と質問攻めにしている。

 彼が答え切るよりも前に、少女は拳藤に話しかけた。

 

「それで、そっちの貴女はB組の拳藤さん!不死川君も緑谷君もA組で違うクラスなのに、どうして一緒に特訓してるの?」

 

「そ、それは……不死川と一緒になって、緑谷にとことん付き合ってやろうって決めたからでして……」

 

「そうなんだ!どうして、そう思ったの?」

 

「私も緑谷には他の誰かに心配かけないくらい立派なヒーローになってほしいと思うし、エリちゃんの笑顔の為にもなるかな、って」

 

 圧倒されながらも律儀に質問に答えていく拳藤がその少女に対して抱いた印象は……人懐っこく、好奇心旺盛な幼稚園児だった。

 3人揃って、実弥の発するような底知れぬ気迫や気配のようなものが感じられない。彼女も彼女で実弥がどういった理由でこの3人を連れてきたのか、疑問に思い始めていた。

 

「……波動先輩、そこまでです。お気持ちは分かりますが、時間が限られてるので」

 

 延々とマシンガントークを繰り広げそうな勢いの彼女を(なだ)めたのは、やはり実弥だった。

 

「えー?なんでなんで?そんな意地悪なこと言わないでよ、不死川君」

 

 口を尖らせ、少女が拗ねたように言うも、実弥は慣れた様子で続ける。

 

「お話なら今度付き合いますから。……ジャスミンティー付きで」

 

「!分かった!」

 

 実弥がそう言うと、少女は拗ねた様子から一転して満面の笑みを浮かべた。

 幼い子供と同じような反応に困惑が深まる緑谷と拳藤。少女が引き下がったところで、拳藤が尋ねた。

 

「えっと、不死川……。この方達は……?先輩だってのはお前の話し方とかで分かったんだけど……」

 

 実弥は、髪を掻き乱しつつ答える。

 

(わり)ィ、紹介が遅れたなァ。初っ端から困惑させて悪かった」

 

 そして、実弥に促されて自己紹介が行われた。

 

 金髪の青年は、通形ミリオ。

 鋭い目つきをした黒髪の青年は、天喰環。

 水色のねじれたロングヘアーの少女は、波動ねじれと名乗った。3人とも、ヒーロー科の3年生だとのこと。

 

 3人の軽い自己紹介が終わると、実弥が続ける。

 

「通形先輩、天喰先輩、波動先輩。彼らは、現雄英生の中でもトップの実力者。通称――ビッグ3なんて呼ばれてる」

 

「「ビッグ3……!?」」

 

 一応、拳藤や緑谷もそんな風に呼ばれる実力者達がいるという話は噂程度で聞いていた。とは言え、そんな彼らが実際に目の前にいると言われると驚く他ない。彼らの想像とは違って、気迫や風格が感じられないのもあって、無理もない話かもしれない。

 「本当にこの3人が……?」と言いたげな様子の2人に、実弥は薄く笑みを浮かべつつ言った。

 

「見た目や雰囲気で判断すんなっつー良い例だァ。……ともかく、上を目指すなら上に立つ人達から、実際にご指導いただくのが一番効率が良い。今日から、先輩方にも特訓を見守っていただく」

 

 実弥と天喰を除いた2人の瞳が緑谷を射抜く。学年一と、学校トップクラス。

 彼らから同時に指導してもらえるなんてことが、あって良いのだろうか?

 緑谷は、緊張で息を呑みながら、思わず武者震いしていた。

 

「やるからにはとことんやるぜェ。気合い入れていけよォ、緑谷ァ……!!!」

 

 そう言い放った実弥の顔には、獰猛な笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予備動作がデケェ!出来る限り小さくしろォ!読まれるぞ!!!」

 

「っぐっ!?」

 

「フェイント入れろ、フェイントォ!一直線の攻撃ほど分かりやすいもんはねェぞォ!!!」

 

「ぐはっ!?」

 

「相手の動きを見ろォ!目を凝らせェ!!!俺の速度に少しでも慣れろ!!!予測しろォ!!!」

 

「ぐああっ!?」

 

 時間が惜しいと言わんばかりに始まったのは、3分間の模擬戦だった。まずは、通形達も緑谷の現状を目で見て把握したいとのことで、実弥が相手をすることになった。

 

(うわあ……圧倒的、だな……)

 

 拳藤は、目の前の光景に息を呑む。もう緑谷が気の毒な気さえしてきた。緑谷が一方的に叩きのめされ、地面を転がる。何度打ちのめされても、立ち上がってはやられる。その繰り返しだった。

 

 肝心の実弥は、木刀すらも持っていない。完全な我流の体術で緑谷を一蹴する。獣の如く柔軟な体躯。烈風の如く激しく荒々しい動き。全集中"常中"による驚異的な身体能力。それで()って繰り出す拳撃が、蹴撃が、並みの人間では視認不可能な速度で緑谷に襲いかかる。――恐らく、あれでも実弥は緑谷のレベルに合わせて加減をしているのだろうが――

 模擬戦を見守る中、実弥の実力の一端を改めて目にした拳藤は、ただ圧倒されるしかなかった。

 

 3分が経過すると、もう息は絶え絶え。緊張の糸が解けた緑谷は、どっと押し寄せてきた疲労で膝を突いた。

 

「よし……良く頑張ったァ。しっかり休めェ」

 

 汗だく状態の肩で息をする緑谷に水を差し出し、10分間の休憩を与えると、実弥は通形達に緑谷のことを任せ、休む間もなく拳藤の相手を引き受けている様子だった。

 あれだけ激しく動いたというのに、息一つ乱れていない。もはや無尽蔵に近いあのスタミナがあれば、どれだけ多くの人の元に駆けつけられるのだろう。

 

(もっと……体力、つけなきゃ……)

 

 ろくに動くこともままならず、水を流しこんでから地面に仰向けの状態で寝転がる。そのまま天井を見つめ、息を整えていると……。

 

「お疲れさん、緑谷君!」

 

「とっ、通形先輩……!?」

 

 視界の外から、通形がニュッと顔を覗かせてきた。先輩の前で寝転んだままなのは失礼に当たるだろうとゆっくりながらも体を起こす緑谷に対し、通形は明るい笑顔で話しかける。

 

「いやあ、見事に一方的にやられちゃったね」

 

「あはは……お恥ずかしい限りです……。本当に……自分がどれだけ未熟なのか、世界がどれだけ広いか……思い知らされます」

 

 緑谷は、苦笑しつつ、「もっと頑張らなきゃ」と言いたげな様子で拳を握りしめる。

 同年代にあれだけ一方的に叩きのめされたのだ。普通ならば、自尊心が粉々に打ち砕けそうなもの。立ち直れなくなってもおかしくない。こんな奴がいるなら、自分はもうやめてやる!と自棄になってもおかしくない。

 だが、彼の目からはもっと強くなりたいという願いが、憧れに近づきたい、理想を成したいという強い上昇志向が感じられる。

 通形、波動、天喰は、3人揃って彼の心の強さに感心していた。

 

 天喰が体育座りで座り込み、体育館の床をじっと見つめながら言った。

 

「……凄いな、君は。何度も自分の弱さに打ちのめされても……それをバネにして強くなれるタイプだ」

 

 彼の隣に座りつつ、波動も続ける。

 

「知ってる?昔さ、挫折してヒーローを諦めちゃって、問題起こした子だっているんだよ」

 

「他人の強さに心が折れて……ってこと、ですか?」

 

「そう!」

 

 遠くを見るようにしながら、彼女は続けた。

 

「あのね、問題起こしたりはしてないけど、私達もすっごく凹んだんだことがあるんだよ。()()()()()()()()()()()

 

「し、不死川君に負けちゃって!?」

 

 波動の口から放たれた一言に緑谷は稲妻に撃たれたかのような衝撃を覚え、咄嗟にその言葉を復唱してしまった。

 

「あっ!今の、鸚鵡(おうむ)返しってやつだよね!?私、知ってるよ!」

 

 無邪気な表情で緑谷に詰め寄る波動から引き継ぐように、通形が話し始めた。

 詰め寄る波動にドキッとしつつも、緑谷は彼の話に耳を傾ける。

 

「俺を初めて見た時の顔付きからして、緑谷君は去年の体育祭を見てるんだろう?俺達の結果は知っての通りさ。俺は落ちるところまで落ちたし、環や波動さんだって、目立った結果を残せちゃいなかった!」

 

 体育祭での失敗を取り返すかのようにして、2年次のインターンに必死で取り組み、自分達も経験を糧にして実力を開花し始めた頃。実弥が根津らの誘いで雄英の入試を受けることを決め、その敷地内に引っ越してきた。少しずつ、雄英の校舎内に顔を出すようになった。

 

 ある日、実弥の実力を確認する為もあってか、模擬戦を行うことに。相手は、当時の2年のヒーロー科全員。単純に考えれば、ヒーロー科の方が勝つに決まっているのだが……実弥は単純ではなかった。

 模擬戦の結果、ヒーロー科の方が敗北。単純に実力が通じない者、搦め手の"個性"が通用はしたが、それをひっくり返すような戦術で出し抜かれた者。色々といたようだが、確かに敗北した。

 年下に出し抜かれ、叩きのめされた。その事実は、彼らの自尊心を打ち砕いた。ここまで自分は何をやってきたんだと涙を流す者もいた。無論、通形達もその例外ではない。

 

 だが、心が打ち砕かれて終わりではなかった。年下にあれだけ凄いやつがいるんだから、自分達はもっとやれるはず。あんな風になって、夢を実現してやる。改めて、彼らの心が燃え上がった。

 そして……彼らと実弥は、年が違えど共に高め合うようになった。相手が年下だろうがプライドを投げ捨て、もっと強くなりたいと懇願した。実弥は、快くそれを受け入れた。

 

「――とまあ、今の俺達があるのは、間違いなく不死川君のおかげなんだよね。俺達だって、立ち上がれたけれど一回は折れかけてる。でも、緑谷君はそんな素振り全然見せない!それは、本当に凄いことだ」

 

 まさか、先輩にまで影響を(もたら)すとは。より多くの他人に影響を齎す人材が同じクラスにいることを誇りに思いつつ、とても……とても羨ましくなった。嫉妬すらしてしまう。

 僕が不死川君みたいな男なら、オールマイトの期待にもすぐに応えられるのに。

 家族や他の誰かを心配させずに済むのに。

 

 そうやって思うことは簡単だ。でも、実際にそうなるのは難しい。己を磨き続けない限り、絶対に無理だ。

 だから、がむしゃらに頑張ろう。そう思い直した。

 

 その後にも休憩時間が残っていた為、"個性"の話をした。3人の"個性"とその努力の軌跡を聞いた緑谷は、それはもう目を輝かせた。

 

「"透過"……!なんて扱いの難しい"個性"なんだ!壁を一つすり抜けるにしても、複雑なプロセスが必要だし、一度発動したら、酸素も取り込めないし、何も見えないし、何も聞こえない……。そんな状況で戦闘するなんて、どれだけ苦労するんだろう……。"波動"も一朝一夕で扱えるものじゃないぞ……!エネルギーの底が尽きたら自分が動けなくなるから、使い方は工夫しなくちゃいけないし、連携や被害のことも鑑みなくちゃいけない。"再現"も凄いし、万能だけど上手く扱えないと器用貧乏の形になるし……。こんなに扱いの難しい"個性"でトップに立つなんて凄すぎる!一体、どうやったらここまで……?ブツブツブツブツブツ……」

 

 もはや、癖の独り言で矢継ぎ早に言葉をつらつらと並べてしまっている。そのくらい、緑谷は感銘を受けたようだ。

 一息で紡がれるとんでもない量の言葉には、流石の通形達も硬直した。

 

「…………こんなに凄い独り言、初めて見たよ。緑谷君の癖なのかな?でも、ちょっと怖いからやめた方がいいと思うな」

 

「は、波動さん!?そこはオブラートに包むところだと思うんだよね!」

 

「はうっ!?す、すみません……善処します……」

 

 数秒して硬直から立ち直った波動の歯に衣を着せぬ物言いに、緑谷は心臓に矢が突き刺さったような感覚を覚えて胸部を押さえ、顔を羞恥で真っ赤に染めながら縮こまってしまった。

 真っ赤になった彼を不思議に思いつつ、波動が続け様に尋ねる。

 

「ところでさ、緑谷君。どうして、不死川君との模擬戦で"個性"を使わなかったの?」

 

「実は……」

 

 正気に戻った緑谷は、"ワン・フォー・オール"の秘密を伏せつつ、自分の現状を話した。

 "個性"が発現したのが、1年くらい前であること。 

 一度でも全力で"個性"を使用すれば、腕や足が骨折してしまうこと。

 だからと言って、怪我しない出力に調整をすることも未だに出来ないこと。

 今は、とにかく犠牲を少なくする為に扱い方を模索していること。

 

「へー……発現がすっごく遅い"個性"もあるんだね。不思議」

 

「ぼ、僕の場合、だいぶ特殊なケースだそうで……脳が無意識のうちに"個性"の発現を止めてたらしいです」

 

「体が"個性"を扱うのに相応しいレベルになるまで成長するのを待っていた……ってことか」

 

「多分、そういうことだと思います。体が鍛えきれてない状況下で発現してたら、四肢がもげて爆散していたとか……」

 

「「!?」」

 

 実弥の作り上げたでっち上げの設定を交えながら話を続ける緑谷と、衝撃の発言に思わず目を見開きながら、彼を二度見した波動と天喰。

 目の前の後輩が自分達と同じくらいに扱いが難しく、リスキーな"個性"を扱っていることを実感していた。

 一方、通形は2人と会話を交わす緑谷をじっと見つめている。

 

「ねえねえ、通形。さっきからだんまりだけど、どうしたの?」

 

 珍しく沈黙している彼を不思議に思い、波動が尋ねる。すると、彼は緑谷に向けていた視線を波動に向け、笑みを浮かべながら答えた。

 

「……ん?ああ、ちょっと考え事をしていたんだよね」

 

 そして、再び緑谷に視線を向けてから尋ねた。

 

「因みにだけど、緑谷君。"個性"を使った時のシチュエーションは?」

 

「え?えっと……入試で0Pを破壊する時が一番最初で……その次が、個性把握テストのソフトボール投げ。それと、初めての屋内戦闘訓練で天井に穴を開ける時。一番最近だと、USJの事件で(ヴィラン)の包囲網を突破する時です」

 

「成る程。事件の時も、(ヴィラン)に向けて直接使おうとした訳じゃなかった、ってことでいいかい?」

 

「はい。あまり詳しいことは言えないんですけど……取り敢えず、彼らを一網打尽にすること優先で使用したので」

 

「……成る程ね、よく分かったよ!」

 

 緑谷から話を聞き出した通形は、準備運動で体を解しながら続ける。

 

「つまり、緑谷君は人に向けて"個性"を使用したことがない訳だ。そうなると、体育祭も近いし……対人用の出力を自分の感覚で掴めるようにならなきゃね」

 

 伸脚で足の筋肉を解す彼に、何をするつもりなのかと緑谷は疑問符を浮かべる。

 「よし!」と準備万端といった様子で声を発しながら立ち上がると……通形は、自分を親指で指し示しながら大胆にも提案した。

 

「それじゃあ、緑谷君!早速、()()()()()()()()()!!」

 

「…………へ?」

 

 突然の提案。緑谷は、状況が理解出来ないといった様子で呆けた声を発するのがやっとだった。



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第三十三話 フルカウル

本日でアンケートを締め切りました。ご協力ありがとうございました。
そして、今日までどうしようかな……と何度も考えたのですが、結論が出ました。
今の展開が気に入っているという方には申し訳ないのですが、省いて徐々に明かしていく方が味が出るのかな、と思いましたので、30話における発表会のようなノリになってしまった実弥さんの過去明かしは省かせていただきます。申し訳ありません。また、あのようなノリが好きではないという方に不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。

省くことになったので、実弥さんの過去を知らないメンバー・知ってるメンバーを後書きの方に記しておきます。ご確認いただきますと幸いです。また、30話、31話にセリフが変化している部分があります。こちらを投稿する前までに修正を施しておきましたので、そちらをご覧になってから最新話をご覧いただけると嬉しいです。


「なっ、な、殴る!?通形先輩を!?"個性"を使用してですか!?」

 

「そういうこと!」

 

 慌てた様子で今から行うことを確認する緑谷。通形が状況の呑み込みが早いね、と言わんばかりに笑いながら即答するのを見ると、心の底から焦った。

 

(待て待て待て!ろくに"個性"の制御が出来ないんじゃ、通形先輩に怪我をさせてしまう……!それに、僕だって……!)

 

 ただでさえ、貴重な時間を割いてまで付き合ってもらっている。3年生にとっては、最後の体育祭。何としてもベストな結果を残したいはず。

 勿論、通形とてその中の1人。そんな彼に怪我を負わせてしまうことなど、絶対にあってはならない。緑谷も緑谷で、体育祭が差し迫るこの時期に怪我をする訳にはいかない。オールマイトの期待に応え、特訓に付き合ってくれる友に報いる為にも。

 何としても"個性"を制御しなくては。緑谷にプレッシャーが押し寄せる。

 

(どうする!?どうする……!?)

 

 必死で頭を回す。大きなプレッシャーによる緊張で額から汗が伝い、自然と息が乱れる。思考が空回りして、何も方法が思いつかない。

 

「緑谷君」

 

 そんな彼を見兼ね、通形は白い歯を見せつけるように笑いながら言った。

 

「大丈夫!ビッグ3は伊達じゃない!それに、俺も君も怪我をすることはないさ!」

 

 その笑顔にどこか安心を覚える。自分が少しずつ冷静さを取り戻しているのを感じ取りつつ、緑谷は尋ねた。

 

「……どうして、そう言い切れるんですか?」

 

 すると、通形は笑みを浮かべたままで当然のように答える。

 

「君が真っ当にヒーローを目指してるってことが分かるからだよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、緑谷の表情がやる気に満ちた。

 ここまで言われて引き下がる理由はない。ともかくやってみよう、と覚悟を決める。

 

「……分かりました、信じます……!」

 

 腰を落とし、地面を蹴って、通形に向かって駆け出す。

 

(レンジの中の卵が爆発しないイメージ……!)

 

 自分なりに掴んだイメージを頭に思い浮かべながら、力を高める。

 緑谷の腕に血管のような赤い光の筋が浮かび上がる。熱を持ったように、眩く淡い光を纏う。溢れ出した力は、周りの空気感すらも変える。

 側から見ていた波動と天喰は、その瞬間に彼の"個性"の全力と肉体とが釣り合っていないことを見抜いた。

 

「――SMASHッ!!」

 

 通形の目前まで距離を詰めた緑谷は、踏み込みを加え、全身を最大限に活用しながら右腕を振るう。振るった腕は――通形の肉体をすり抜けた。

 

「す、すり抜けた!?っていうか――」

 

 通形に怪我をさせずに済んだことに安心しつつも、その事実に驚く。そして、驚くべきことはもう一つ。

 

「――折れてない!?」

 

 なんと、緑谷自身の腕も折れてなどいなかったのだ。偶然かもしれない。それでも、"個性"を制御出来たことを嬉しく思いながら、右手を握ったり、開いたりを繰り返した。

 "透過"の発動で自分をすり抜け、落ちてしまった衣服――どうせ脱げるからという考えからなのか、着直したのは下だけだったが――を着直してから、通形が言った。

 

「ほら、大丈夫だったろう?俺には"透過"がある!だから、君の攻撃で怪我する心配はないさ」

 

 サムズアップして、笑顔で彼は続ける。

 

「怪我をしなかったのは、君の体が無意識のうちに俺が怪我をしなくて済むように出力を調整したからだと思うんだよね。つまり、今のが現段階の君が怪我をせずに、かつ相手も怪我させずに済む出力って訳だ」

 

「そういうことか……」

 

 納得しつつ、緑谷は呟いた。ここまで来れば、後は自力でいつでも制御が出来るように感覚を体に叩き込むのみ。

 

「偶然にも引き出せた制御可能な出力。それを自分で引き出せるようになる!そこが次に目指す段階だよね。それじゃあ……次の3分間は、俺を相手に模擬戦やってみようか!」

 

「お願いします……!」

 

 こうして、一段階成長を遂げた緑谷は、次の段階へと進んだ。10分間の休憩を終えると、善は急げと言わんばかりに通形との模擬戦に挑む。

 

「……うん。いつどっから来ても良いよね。遠慮はいらないよ、緑谷君!」

 

「はいっ!」

 

 いつでもどうぞ、と言った様子で堂々と佇む通形。隙だらけのように見えるが、決してそうではない。全くもって隙がない。そもそも、通形の雰囲気が明らかに変わった。今の彼の雰囲気は、いくつもの経験を積み重ね、現場を駆け抜けてきたプロのそれに変化していた。

 思わず息を呑む。肩に無意識のうちに力が入る。

 

(隙が無さすぎる……!けど――)

 

 先手必勝。やられる前にやる。実弥に教わった戦闘の極意に則り、緑谷は通形の懐めがけて距離を詰め、''ワン・フォー・オール''を発動した状態で拳を振り抜く。

 無論、出力は先程通形に対して放ったものを意識して。出力の制御には一旦成功するも――緑谷の拳は空を切った。拳を振り抜いた余波で多少風が吹き荒れたのみで終わった。

 

「ッ、いない……!?」

 

 理解不可能な現実に動きが止まる。とにかく思考を巡らせる。

 

(どういうことだ……?通形先輩の"個性"は、"透過"。文字通り……凡ゆるものをすり抜ける。どうすれば、僕の視界から姿を消すことが出来る!?)

 

 経験の中で磨き上げた途方もない技術か。はたまた、"個性"の応用か。何も分からないながらも必死で考察し、辺りを警戒する。

 

「……"個性"の、応用……!?」

 

 考察を続ける中で一つの可能性を思い付いた、その時だった。

 

「――相手の位置が分からないなら、めいいっぱい動くべきだと思うんだよね!特に……俺が相手の場合ならッ!!!」

 

「ッ!?」

 

 背後から声がした。攻撃を防ぐ構えを取りながら、慌てて振り返る。背後には、渾身のストレートパンチを振り抜きかけた通形の姿があった。

 緑谷が咄嗟に攻撃を防ぐ構えを取ったことに感心するように「やるね」と一声だけ漏らす通形。直後に振り抜かれた拳は……緑谷の腕をすり抜けた。

 

「フェイントッ――」

 

 初手の攻撃がフェイントであったことに気がつくが、時既に遅し。既に通形は空中で体勢を変え、がら空きになった緑谷の顎めがけて、アッパーカットを放っていた。

 

「がはっ!?」

 

 速度と威力の乗った拳が彼の顎を打ち抜く。加えられた力の方向に従い、緑谷の体が空中に打ち上げられる。

 視界が揺らぎ、意識が飛びかける。だが、すぐに持ち直して気絶することのないように気を強く持った。

 雄英トップの実力者なら、空中にいる相手を追撃することくらい容易いはず。そう考え、緑谷は迅速に受け身を取って地面に着地。視線を上げた瞬間に、確かに目撃した。

 ――地面から飛び出し、自分の目の前に現れた通形の姿を。

 

(地面から飛び出した!?)

 

 驚愕しつつも、振り下ろされる通形の拳をバックステップで(かわ)す。そして、立ち上がりながら、頭を回した。

 

(やっぱり、''透過''の応用だ!それで地面に落ちた!そして……何らかの性質を利用して、僕の目の前にワープしたんだ!!)

 

 思考を巡らせる間にも、通形は動きを止めない。すかさず地面に潜み、姿をくらませた。

 再びワープするつもりなのかと思い、緑谷はこの場から離れることを決意する。''透過''を発動し、地面の中へと落ちていく通形は何もかもがすり抜けていく状態だ。肺は酸素を取り込めないし、網膜は光を透過し、鼓膜は振動を捉えられない。つまり、呼吸が出来ない上に何も見えず、音も聞こえない。足音を捉えるよりも前に移動してしまえば、一杯食わせることも出来るはず。

 そう予想した。確かに彼の予想は間違った話ではない。だが、甘かった。

 

「逃がさないぜ、緑谷君!」

 

(また後ろッ!?)

 

 緑谷が動くよりも前に、通形がその背後に回り込んだのだ。自分の考えを看破して、手を打たれるよりも前に回り込んだその姿が、水面から姿を現した巨大な鯨のようにも思えて、緑谷は思わずたじろいだ。

 

「わざわざ、こっちから対策を教えてあげたんだ!なら……それに乗ってきて当然だって、誰しもが考えるよね!!」

 

 声を発しながら振り抜かれるフックを防ぐも……それは、交差された緑谷の両腕をすり抜ける。フェイントで放たれた一撃だ。

 ならば、次に本命の一撃を放ってくるはず。どこから攻撃が来てもいいようにと目を凝らすが――

 

「予測に予測を重ねて相手に何もさせない……!戦闘の肝の一つだ!!!」

 

「かは……っ!?」

 

 全く捉えきれなかった。瞬きした一瞬で、通形のボディーブローが緑谷の鳩尾を打ち抜いていた。

 一瞬、横隔膜の機能が停止して呼吸が困難になる。肺に溜め込んだ空気を全て吐き出させられた緑谷は、空気の抜けた風船同然の状態になって、通形が拳を振り抜いたことに従って地面を転がった。

 

(速すぎる……!あれが、生身の人間が引き出せる攻撃速度だって言うのか!?)

 

 やっとのことで受け身を取り、必死に酸素を取り込みながらよろよろと立ち上がる。先程の一撃は、視認不可能に近い速度のものだった。瞬きの一瞬で攻撃され、認識することもないままに撃破される敵キャラの気分を味わえた……などと感動している場合じゃない。

 どう考えても、生半可な鍛え方で引き出せる速度ではない。それだけ、通形は修羅場を潜り抜け、己を鍛え上げてきたのだ。ここまで鍛えなければ、プロの道は厳しいのだ。

 

(これが雄英ビッグ3……!プロに最も近い場所に立つ人……!!)

 

 素直に畏敬の念を抱く。ここまでのレベルになること……いや、恐らくはこれ以上に自分はならなくてはならない。そう思うと、途端に不安で仕方がなくなる。だが……何故だろうか。緑谷の口角は、無意識のうちに上がっていた。緊張による汗をかいているに加え、歪だが、確かにそれは獰猛な笑みだった。

 

(まずは、まずは……通形先輩に一矢報いろ!そうじゃなきゃ始まらない!)

 

 立ち上がった緑谷を見て、よくぞ立ち上がったと言わんばかりに笑みを浮かべつつも、通形が地面の中へと落ちていく。それを目にした瞬間、緑谷は、カッと目を見開きながら拳を握った。

 

(予測しろ……。少ない情報から、答えを見つけ出すんだ!)

 

 辺りをくまなく警戒しつつ、力を高める。緑谷の腕に赤い光の筋が迸り、淡い光を帯びていく。

 ''透過''を応用したワープ。繰り出される近接攻撃。その攻撃が狙い打つ位置。初手で出現した位置。その全てから導き出した緑谷の答えは――

 

(自分の、背後ッ!!!)

 

「ッ!?」

 

 振り向きざまに、力を集めた右腕を振り抜く。たかが5%の出力。しかし、元の蓄積した力が力なだけあって、引き出された攻撃速度は並みの人間では反応不可能なものだった。

 ましてや、予想だにしない形で繰り出されたカウンター。

 

(咄嗟の反応じゃない!俺がここに現れるのを……予測した!?)

 

 これには、流石の通形も驚いた。普通なら、対応しかねる一撃。だが、ビッグ3は伊達じゃない。彼は、既にそこの対策を十全に行っていた。

 

「だが……!必殺ッ!!」

 

 

 

ブラインドタッチ目潰(めつぶ)し!!!

 

 

 

 透過した状態で繰り出す目潰し。通形の剛腕が、緑谷の右腕をすり抜けて彼の右目目掛けて一直線に迫った。

 

「うっ!?」

 

 人体の急所である、目に向かって繰り出された一撃。失明を防ぐ為に、無意識のうちに緑谷は目を閉じる。

 それによって、彼の視界を奪うのが通形の狙い。目で捉えられなければ、攻撃を防ぐ手立てなどない。それが人間というもの。通形の策にまんまと嵌まって無防備になってしまった緑谷の鳩尾に凄まじい威力のアッパーカットが繰り出される。

 しかし――緑谷は、それを間一髪で防いだ。

 

「まさか防がれるとは思っていなかったよね。やるじゃないか!」

 

 ''透過''ですり抜け、落ちてしまった下半身の衣服を着直しながら、構えを取った通形が感心した様子で言う。

 

「へえー……通形の動きを予測するなんて。緑谷君、思った以上だね!」

 

「……そうだね。ミリオの動きを読んで、完全に攻撃を防いだのは……下級生なら、不死川君を含めて2人目だ。緑谷君は学習能力が高いらしい。それでも、まだまだなところはあるけれど……」

 

 緑谷の動きに感心していたのは、模擬戦を見守っていた波動と天喰も同じらしかった。

 

 緑谷は、息を整えながら構えを取って、言葉を返す。

 

「いえ……正直、一か八かでした。通形先輩が、人体の急所を狙って確実に意識を刈り取る攻撃を繰り出してたので、そこから予測して選び抜いた選択が偶然当たったってだけです……!」

 

 「人体の急所と言っても、何箇所かありますし」と付け加えつつ、自分の未熟さを痛感する。

 今回の場合は、本当に運が良かっただけなのだ。本来なら、もう視界を奪われた時点で負けは確定している。実弥からは、「急所に対する攻撃は無意識に防ぐんじゃなく、確実に避けろ」と教えられてきた。そのはずなのに出来なかった。つまりは、まだまだ特訓が足りないのだ。

 

 それ以前に、最初のボディーブローで気絶しても何もおかしくなかった。あの一撃を耐えられたのは、きっとそれ以前に実弥の威力の高い一撃を何発も受けて、幾らか耐性がついたからだろう。

 本当に、何もかも運が良かった。

 

「うん……!良いね、熱くなってきた!まだまだ時間は使える!めいいっぱい打ってきなよ、緑谷君!!!」

 

「はいっ!」

 

 気合を入れて返事をすると共に、緑谷は駆け出す。通形との模擬戦は、まだまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、3分後。

 

「うぐぐ……さ、流石は通形先輩……。お強い……」

 

 想像以上の奮闘っぷりを見せた緑谷に後輩を導く者としての魂を刺激されたのか、加減を忘れてしまった通形によって、緑谷は一方的に打ちのめされた。腹パンを何度も喰らって生じた痛みに悶え、(うずくま)る彼の側に座り込んでいる天喰が、心配そうに見守る。

 

「ねえねえ、通形。気持ちは分かるけど加減してあげなきゃ駄目だよ?緑谷君が怪我しちゃったら大変なんだから」

 

「ごめんごめん……。緑谷君も折れずに熱心に立ち向かってくれるもんだから、ついつい力が篭っちゃったよね」

 

「ついついじゃないよ!知ってる?体育祭前なんだし、緑谷君が怪我で出られなくなったら私達にも責任あるんだからね?」

 

 そんな緑谷を叩きのめした張本人は、ムスッとした顔の波動に説教を喰らっていたようだった。

 この腹部に刻まれた痛みは、二度と忘れることがないだろう。そんなことを思いつつ、緑谷はゆっくりと体を起こす。

 

「……ごめん、緑谷君。ミリオは加減を知らないんだ。昔から」

 

 彼が体を起こすのを手伝ってやりながら、罪悪感を露わに天喰が言う。対し、緑谷は全く気にしない様子で言葉を返した。

 

「いえ……。通形先輩の強さが存分に知れましたから。……本当に凄い技術でした。''透過''を応用したワープ。目にも止まらぬ一撃。ワープもワープで、滅茶苦茶速かったし……。フェイントの数々にもまんまと引っ掛けられた。僕も鍛え続けたら、あんな風に強いヒーロー()になれますかね?」

 

 そう言いつつ、顔をあげる緑谷。彼の瞳は……キラキラと輝いていた。憧れ、羨望、向上心。そんなものが彼の緑色の瞳に集まり、エメラルドのような眩い輝きを放っていた。より一層増した輝きがあまりにも眩しく、天喰は思わず目を細めた。そして、微笑みながら言う。

 

「……その向上心がある限り、きっと大丈夫さ」

 

「!頑張ります!」

 

 天喰の答えに、緑谷が安心したような様子で満面の笑みを浮かべる。向上心に溢れ、純粋な彼がとても微笑ましく、天喰の頬も釣られて緩んでいた。

 

「やー……本当にごめん、緑谷君。思わず力いっぱいやっちゃったよね」

 

 手を合わせて頭を下げる通形。気に留めない様子で、緑谷は立ち上がった。

 

「いえ、ご指導ありがとうございました……!」

 

 天喰の肩を借りながら立ち上がり、緑谷は礼を言う。実弥に続いて、通形に一方的に打ちのめされたというのに、その目からは未だに輝きが失われていない。通形はそのことにホッとし、波動は不思議そう且つ、興味深そうに緑谷をじっと見つめていた。

 

「緑谷君!私ね、気付いたことがあるの。ねえねえ、言っていい?」

 

「はっ、はいっ!」

 

 波動が言いたくて言いたくてたまらないと言った様子で緑谷に詰め寄る。何かアドバイスでもされるのだろうと思い、緑谷は、気を付けの姿勢を取った。

 そこまで固くならなくてもいいのに、と不思議に思いつつ、波動が続ける。

 

「あのね。緑谷君の動き、すっごく固いなあって思ったの」

 

「動きが……固い……?」

 

「そう!」

 

 尋ね返した緑谷に対し、波動は満面の笑みで肯定を示した。発言の意味を汲み取れず、考え込む緑谷を見兼ね、天喰が続ける。

 

「深く考え込む必要はないよ。波動さんが言っていることは、そのままの意味だから。俺が思うに、君と俺達とでは"個性"に対する考え方が違うんじゃないかな」

 

「"個性"に対する考え方、ですか……」

 

 言葉をそのまま繰り返すように呟く緑谷。天喰は、頷きながら、先程までの小心者っぷりはどこに行ったのかと誰かが疑問に思っても仕方がない様子で、凛然と言葉を発する。

 

「緑谷君。君……"個性"を必殺技と同じようなものだと考えていないかい?ゲームで言うなら、通常攻撃でゲージを溜めて、必殺技を放つ。君の考え方だと……"個性"は、このプロセスの中の必殺技に当たる」

 

 天喰の言葉に、緑谷はどこか納得がいった。確かに、今の自分は力を溜めて出力を引き上げ、攻撃に乗せて"個性"を発動し、発動が終わればいちいち"個性"を解いている。

 

 天喰は続けた。

 

「思い出して、緑谷君。"個性"は、身体機能の一つ。常にあって当然なんだ。さっきの例えを出すなら……"個性"は、本来なら通常攻撃の方に当たる」

 

「身体機能の一つ……。常にあって当然……」

 

 緑谷は呟く。自分の中に新たな点と点が出来たような感覚を覚えながら。考え込む彼を見つつ、天喰は自分の片腕をタコの足に変化させながら言った。

 

「"個性"を用いて必殺技を放つなら、確かに溜めは要る場合もある。けど、基本的には発動すること自体に溜めは必要ない。腕を思うままに動かせる、思うままに喋れる。思うままに攻撃を放てる。それと同じだよ」

 

「!つまり……動きに合わせて、"個性"のオンオフを切り替えるのが動きが固くなる原因ってことですか?」

 

「うん……そうなるね」

 

 天喰の話で彼と波動が言いたかったことを完全に理解した緑谷。完全に理解出来た様子の彼に、天喰はゆっくりと頷く。

 "個性"のオンとオフを切り替える。その無駄を省き、常にある状態にして、いつでも思うままに発動出来る。このプロセスをスムーズに行う為にはどうするべきなのだろう?

 その時。必死で頭を回して考える緑谷の中に、点と点を繋ぐ為の線になり得る一本のか細い線が与えられた。

 

「それなら!()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 そう発言したのは、いい案が浮かんだと言わんばかりに目を輝かせている波動。その発言によって、緑谷が新たな進化を遂げようとしていた。

 

「全身に、発動……」

 

 少しずつ点と点が結びついていく感覚を覚えながら、呟く。そして、天喰が波動に続いて言った。

 

「そう。"個性"を纏うイメージだよ、君の全身に。纏って、常に体の一部として扱うんだ」

 

「全身に纏う……。体の一部として扱う……」

 

 与えられた新たなる線が、波動の与えたそれと絡まり合い、一本の明確な線になりかけている。だが、まだ何かが足りない。緑谷の中でも、あと少しでピンとくるのに……という、もどかしさが募っていた。

 

「……緑谷ァ。おはぎの材料を知ってるか?」

 

「おはぎの……?えっと、餅米……だよね」

 

 そんな風に声を掛けてきたのは、模擬戦で疲弊しきった様子の拳藤を背負った実弥だった。

 「は、恥ずかしいから下ろして……」と顔を少し赤くしながら呟く拳藤の声に耳を傾け、姫抱きよかマシだろと内心で思いつつ、彼女を下ろしてやってから緑谷の返答に肯定を示した。

 

「そうだァ。おはぎを作る為に、餅米を時間をかけてゆっくり炊くんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、緑谷の肩に手を置き、こう言った。

 

「お前は餅米だァ、緑谷」

 

「へ……?も、餅米じゃ――」

 

 実弥の言ったことがすぐには理解出来ず、当たり前な返答を返そうとした……その時だった。波動、天喰、実弥の与えた3本の線が絡まり合い、明確で強靭な一本の線になって、点と点を繋いだ。

 

「……ッ!」

 

 刹那、緑谷の脳裏を一筋の閃光が貫いた。閃きが彼の中に募っていた靄を晴らす。太陽の光のように降り注いできた閃きを、緑谷は早速実行に移した。

 

「僕は餅米……!そういうことか……!分かったよ、不死川君!!」

 

 最適な解答を見つけたことで目を輝かせながら、全身に力を込める。

 

("ワン・フォー・オール"の出力を……0から、じわじわと時間をかけて引き上げる!餅米をじっくり炊くイメージで!!慌てるな……!オールマイトのことは一旦忘れろ、自分のペースだ!!)

 

 緑谷の体の底から、じわじわと力が湧き上がる。今はゆっくりでも構わない。慣れてから、引き上げる速度を上げれば良い。0から、1……2……3……4……5。一気に引き上げるのではなく、段階を踏んで徐々に出力を引き上げる。

 そして、彼自身が感覚で掴んだ現段階の最大出力に辿り着いた。

 

(ここだ……!今の安定して使える出力!そして、餅米の全体を加熱……。つまり、僕の体の隅々まで"ワン・フォー・オール"を行き渡らせて、纏う!!)

 

 最大出力まで引き上げられれば、次の段階へ移行する。"ワン・フォー・オール"で全身を強化して、いつでも使える状態にする段階だ。

 イメージ通りに、緑谷の体全体に悪を(くじ)く聖なる力が行き渡る。

 血管のような赤い筋が緑谷の体中に迸り、その肉体が淡い光を放つ。

 そして、その力が彼の体全体に行き渡った瞬間……緑色に輝く稲妻のようなオーラが、彼の周囲を激しく迸った。

 

「「「おお……!」」」

 

 その光景に、波動、天喰、通形の3人は同時に感嘆の声を上げた。実弥も、緑谷の進化を喜ぶように獰猛な笑みを浮かべている。

 

「……ようやく辿り着いたらしいなァ、自分の答えに」

 

 緑谷が、力の感触を確かめるように右手を開いたり握ったりを繰り返す。そして、その場で軽く突きや蹴りを繰り出して、動いてみる。

 ――体が不思議と軽かった。今まで以上によく動く。

 

「……まるで自分が自分じゃないみたいだ……!」

 

 手応えを感じつつ、緑谷はそんな感想を抱いた。

 

「うん、お見事!見違えたよ。立派な成長だね、緑谷君!」

 

「……!ありがとうございます!」

 

 よくやったと言いたげに手を差し出してきた通形と笑みを浮かべあって握手を交わす。そんな光景を微笑ましく見守りながら、波動が言った。

 

「緑谷君、緑谷君。技の名前、どうするの?」

 

「え?技の……名前?」

 

 ポカンとしながら尋ねた緑谷に、波動は何度も頷きながら詰め寄った。

 

「そう!必殺技の名前だよ!知ってる?必殺技って言うのは、必勝の技や型のことなんだって!」

 

「体の一部で扱っていたものを全身レベルに昇華させる……。立派な必殺技だと思うよ。必殺技というのは、攻撃技だけに限らない」

 

「その通りだよね!技は己の象徴にもなる。オールマイトの『DETROIT(デトロイト) SMASH(スマッシュ)』や不死川君の風の呼吸の型のようにね」

 

(必殺技……かあ)

 

 詰め寄る波動と続け様に言い寄ってくる天喰や通形に圧倒されながら、緑谷は思ってもみなかったという様子で考えた。

 オールマイトをリスペクトしている以上、大抵子供の頃のお遊びで考えた名前は彼の必殺技をそのまま持ってきたものだし、今でもいくつかはそのまま使うつもりでいる。名付け方も彼のやり方と同じ。だが……これは、緑谷だけの必殺技。特訓に付き合ってくれた先輩や友達と共に作り上げた、彼だけの必殺技。

 思い入れがある以上、独自の名前をつけたい。そう思った。

 

 アイデアに思い悩む中、一石を投じたのは拳藤だった。

 

「……フルカウル……とか、どうかな?」

 

「フル、カウル……?」

 

 疑問符を浮かべる一同に、拳藤は「女子っぽくないかもだけど」と一言置いてから続けた。

 曰く、彼女はバイクが好きらしく、休憩している間、緑谷と天喰の話に耳を傾けていたのだそうだ。そして、今。ふと、彼らの話にもあった「全身に"個性"を纏う」というワードと自分のバイク好きがリンクしたらしい。

 ――因みに「カウル」は、バイクなどの外装のこと。空気抵抗を考えた流線型のボディカバーで鎧のように車体を纏ったものを指す――

 

「へェ……車体全部覆ったやつがフルカウル、って訳かァ」

 

 実弥が興味深そうに呟き、笑みを浮かべた。

 

「いいんじゃねェかァ?洒落てるし、イカしてる」

 

「うんうん、カッコいい名前!文句なし!」

 

「良いネーミングセンスだ。俺達も見習わないと……」

 

「満場一致って感じだよね。まあ……どうするかは、君次第だ。緑谷君」

 

 実弥、波動、通形、天喰の4人は一切の文句無しで賛成の意思を見せる。

 ならば、肝心の緑谷はどうするのか?勿論、この提案を却下する理由などどこにもない。とことん付き合うことを約束してくれた拳藤の為にも、彼女のおかげで成長したという証を残したかった。

 それが必殺技の名前になるとは、素晴らしいことこの上ないのではないか。

 

「……採用するに決まってるよ、拳藤さん……!僕、強くなるよ。拳藤さんの名付けてくれた技で!」

 

「……!う、うん」

 

 満面の笑みで緑谷が答える。流石にここまで喜ばれるのは予想外だったのか、拳藤は圧倒された様子で返事を返していた。

 

「さァて……感覚忘れねェうちに使い慣らすぞォ。来い、緑谷」

 

「!うん!すぐ行く!」

 

 実弥に促され、もっともっと強くならなくては、と言わんばかりにやる気を漲らせて、後に続く緑谷。彼の背中を見守り、通形達は彼が間違いなく立派なヒーローになるだろうと予感していた。

 

「…………いやー、あそこまで喜ばれるとは思わなかったな……」

 

 そして、晴れて技の名付け親となった拳藤は……すんなりと自分の提案が採用されたことで4割の嬉しさと6割の気恥ずかしさを覚えて小さく縮こまってしまった。

 しかし、その代わりに緑谷の特訓に付き合う理由が増え、より一層親身になって彼と共に励み、強くなろうと強く誓った。

 ――実弥が弱みを見せられる程に頼れる友になる為に。




こちらに、実弥さんの過去を知ってるメンバー、知らないメンバーを記入しておきます。整理しておきたい方はご覧ください。

実弥さんの口から直接聞いて改めて知ったメンバー
切島君、八百万さん、爆豪君(盗み聞きに近い)、轟君(爆豪君と同じく)

USJ事件でのAFOの音声を通して間接的に知っているメンバー
緑谷君、麗日さん、梅雨ちゃん、峰田君、瀬呂君、砂藤君、障子君、芦戸さん、耳郎さん、上鳴君

何も知らないメンバー
飯田君、常闇君、口田君、尾白君、葉隠さん、青山君

前回、初登場したビッグ3の3人は、実弥さんの口から直接聞いて事件前から既に知ってます。拳藤さんと鉄哲君も過去明かしの省略が入ったので何も知りません。(ただし、拳藤さんは修正前と同じくエリちゃんを抱きしめて涙を流す実弥さんを目撃してるし、鉄哲君は彼にどうしようもなく辛いことがあったとなんとなく察してます)


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第三十四話 開幕の刻

2023/5/24
一部セリフを修正しました。


 あっという間に2週間が過ぎ、体育祭当日が訪れた。予め指定された控え室にA組一同が集まり、入場の時を待ち侘びている。

 精神統一したり、軽く準備運動をしたり、会話を交わしたり……。各々なりに必要以上に緊張することがないようにと試みていた。

 

「全員、準備出来てるか?そろそろ入場だぞ。おまけに、俺らが1番最初だからなァ」

 

 そう話しながら、学級委員長として開会までの流れを把握し終えた実弥が控え室へと戻ってきた。

 実弥の声を耳にすると、いよいよか、と一同が息を呑んだ。周りを見渡して、大方問題はなさそうだと判断した実弥に、緑谷が話しかける。

 

「そういえば……不死川君。体育祭前の最後の特訓の時、途中で抜けたよね。『会わなきゃいけない人がいる』……って」

 

「ん?気になるか?」

 

「……うん。言えないなら言わなくて良いんだけど……」

 

 彼が話すのは、体育祭前の最後の特訓……当日から2日前のこと。指先と指先を合わせながら、こちらの顔色を(うかが)う緑谷。彼をチラリと見つつ、濁しながら話すくらいは大丈夫かと判断し、軽く体をほぐしながら話し始めた。

 

「なるべく早いうちに会っておきたい人がいてなァ。本当ならもっと早く会いたかったが、ここ最近バタバタしてたろ?だから、この時期になっちまったんだよなァ……」

 

 実弥と同じくして、体を解しながら緑谷は彼の話に耳を傾ける。

 

 曰く、実弥は昔から諸事情であちこちの病院に関わりがあったのだそうだ。――諸事情と言うのは、ヴィジランテ時代に負った傷の治療や、''吸血鬼''の''個性''を持った妹へ血を分けて欲しいと頼み込んだことによるものが大きい――

 会っておきたかった人というのは……その際に訪ねた、ある病院で出会った女性らしい。雄英への入試が決まるまでは毎日見舞いに行っていたのだが、それ以来がとても忙しく行こうにも行けなかったとか。

 それでも、1ヶ月に何通かくらいの頻度で手紙を送ることは常々やっていた。実弥はそう話した。

 

「そっか……。もしかして、どこか体が……?」

 

 緑谷が尋ねると、実弥は伏目になり、その女性を心の底から思い遣るかのような優しい瞳になりながら言った。

 

「…………いや、体っつーよりは――」

 

「!ごめん、配慮が足りてなかった……。もう察したから、大丈夫」

 

「……そうかァ」

 

 実弥の言わんとしたことを察し、緑谷は彼の言葉を遮るようにして、咄嗟に自分の謝罪の言葉を被せた。

 きっと、その女性は心を傷めたのだろう。そう察するのは難くない。

 緑谷がそんな風に察したのを見抜きつつ、実弥はその心遣いにそっと感謝した。

 

「その人が退院出来る日が来ると良いね」

 

「ああ」

 

 やり取りを交わす2人を、周りのクラスメイト達はじっと見つめていた。

 

「……飯田君。なんかさ、デク君の雰囲気……変わったよね」

 

「……確かに。心なしか、不死川君との心の距離もいくらか近いように思えるよ」

 

 いつも一緒にいる時間が長いからか、飯田と麗日は緑谷の変化を敏感に感じ取っていたらしかった。

 

「なんか抜けたよな。いつものオドオドしてた感じがさ」

 

「分かる。一皮剥けたっつーか、自信ついたっつーか……そんな感じ?」

 

 上鳴と瀬呂も彼の変化に驚きつつ、ヒソヒソと会話を交わす。

 

「何だと……!?もしや、オイラを差し置いてリア充か!?リア充になったのか!?ずりィぞ緑谷ァァァ……!!!――へぶっ!?」

 

「そういう感じじゃないと思うわよ、峰田ちゃん」

 

 続けて、彼らの会話に聞き耳を立てていた峰田が血涙を流しながら言うも、蛙吹は彼の考えを否定しつつ、自分の舌で鞭の如く彼の頬を強くはたいた。

 いつでもどこでもブレない峰田に呆れつつ、耳郎が言った。

 

「男として成長したって言うより……1人の人間というか、ヒーロー志望というか……そっちじゃない?」

 

「……か弱き光が、強靭な閃光へと進化を遂げつつある……と言ったところか」

 

 相も変わらず独特な言い回しの常闇の発言が放たれるが、それを聞いた多くがその感覚に納得を覚えていた。

 小心者で何一つとして取り柄のない少年が、立派なヒーロー志望になりつつある。ここ最近の緑谷に抱いたのは、そんな印象だった。

 思い返せば、授業の休み時間や昼休みには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それらが、彼の変化の秘密なのかもしれない。

 そんなことを思いつつ、確かに成長を遂げたのであろう彼に負けられない、自分達も頑張ろう、とクラスメイト達は、より良い結果を出す為にやる気を漲らせた。

 

「……緑谷」

 

「……どうしたの?轟君」

 

 高鳴る心臓を落ち着けるように深呼吸をしていた緑谷に声をかけたのは、轟だった。かつてなら、ビクつきながら返事をしていたところであろうが……緑谷は、平常心を保ったまま、自然と彼の方を振り仰いだ。そんな緑谷の変化に微かに目を見開きつつも、轟は言う。

 

「客観的に見れば、俺の方が実力は上だと思う」

 

「……」

 

「けど、お前……オールマイトに目ェかけられてるよな?別にそこを詮索するつもりはねえが……お前には勝つぞ」

 

 轟がしかけたのは、宣戦布告だった。寡黙な一匹狼。そんな印象だった彼が、格下であるはずの緑谷に宣戦布告を行った。意外な矛先の向き方に、一同が思わず唖然とする。実弥だけは、ここはどう返すか見せてみろォと言いたげに、緑谷をじっと見つめていた。

 

「おいおい、急に喧嘩腰でどうした!?直前にやめろって」

 

 ピリつく空気の中、仲裁に入ろうとした切島であったが……轟は、肩に添えられかけた彼の手を肘で跳ね除けた。

 

「……仲良しごっこじゃねえんだ。何だっていいだろ」

 

 言いたいことを言い終えた様子で緑谷に背中を向ける轟。その背中を言葉を見つけられずに一同が見つめる。沈黙を破ったのは――宣戦布告を受けた張本人。

 

「……轟君が何を思って僕に勝つって言ったのかは分からないけど……。いいよ、その宣戦布告……受けて立つ」

 

 自分を見せつける。誰かの期待に応える。強い信念を宿した瞳で自分の右手を見つめ、拳を握り締めながら続けた。

 

「皆、本気でトップを狙ってるんだ。最高のヒーローになる為に、なりふり構わず。……遅れをとる訳にはいかない。僕は、全力で誰かの期待に応える。僕を見てくれた人達に全身全霊で報いる。その為に――」

 

――僕も、本気で獲りにいく

 

 緑谷の顔付きが変化していた。強い信念を宿した緑色の凛とした瞳が、轟を真っ直ぐに射抜く。少なくとも、事ある度にビクついていた彼はもう……影も形もなかった。

 

「……おお」

 

 思いもしなかった彼の変化に、轟は微かに目を見開いて圧倒された。そう一言返すのがやっとだった。

 彼の顔がゆっくりと実弥の方を向く。よくぞ言った、と緑谷の宣戦布告に対して笑みを浮かべていた実弥は、すぐに笑みを消し、真剣な表情になって彼の瞳を射抜き返した。

 

「……お前にも必ず勝つぞ、不死川」

 

 実弥は、それに対してたった一言だけ返した。

 

「俺に勝ちたきゃ、自分の全部を賭けてかかってこいィ。悔いのねェようにな」

 

 それだけを言い終えると、「そろそろ時間だから行くぞォ」とクラスメイト達を入場の準備へと促しつつ、控え室を出て行く。

 緑谷達のやり取りに影響されて、クラスメイトの多くが業火の如く心を燃やしている中……。

 

「……チッ!」

 

 爆豪だけは、気に入らなそうに緑谷と轟をギロリと睨みつけていた。そして、苛立ちを隠すことなく舌打ちをすると、座っていた椅子を雑に机の下へと押しやり、入場口へ向けてズカズカと歩みを進めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 国立競技場並みに巨大なスタジアム。それこそが雄英体育祭の会場。

 観客席をぎっしりと埋め尽くす、何万もの人。休む間もなくカメラを回す報道陣。未来のヒーロー達の入場を待ち侘びるプロヒーロー達。その人だらけの景色が、まさに開催されんとしているこのイベントの壮大さと人気さを物語っていた。

 

『さあさあさあ!刮目しろ、オーディエンス!!群がれ、マスメディア!!いよいよ、雄英体育祭が始まるぞ!!!この1年ステージで戦いを繰り広げる選手の入場だぜ!!!』

 

 実況担当であるプレゼントマイクの声が会場中に轟き渡ると、観衆が一気に沸き立つ。止めどなく歓声が響くその様は、まさにお祭り騒ぎだ。

 

『雄英体育祭……ヒーローの卵達が我こそはとしのぎを削る、年に一度の大バトル!!どうせ、てめーらが注目してんのはこいつらだろ!?入学早々、(ヴィラン)の襲撃を受けたにも(かかわ)らず、鋼の精神で乗り越えた期待の超新星――』

 

『ヒーロー科!!!1年A組だろぉぉぉ!?』

 

 アナウンスと同時に会場に足を踏み入れる、実弥達……1年A組。(ヴィラン)を退けた注目すべき人材の登場に、会場中の興奮が爆発。火山から噴き出したマグマの如く、一気に解き放たれた。

 続け様に、彼らの勇姿をきっちりと収めようと止めどなくフラッシュが焚かれる。その眩しさに、実弥は思わず光を遮るように手を添えた。

 

「こんなに沢山の人が……僕を、見てるのか……!」

 

「適度に肩の力抜いていけェ」

 

「成る程、大人数に見られる中で最大のパフォーマンスを発揮出来るか。これもまた、ヒーローとしての素養を身につける一環なんだな……!」

 

「なんか緊張すんな……!爆豪!」

 

「しねェよ。ただただアガるわ」

 

 見たこともない大人数の人に緊張で息を呑む緑谷。彼の緊張を程良く解くように軽く背中を叩く実弥。クソ真面目に狙いを分析する飯田。緊張で汗をかきつつ、それを紛らわすように爆豪に話しかける切島に、どいつもこいつも俺を見てやがれといった様子で口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる爆豪。

 緊張する者こそいるが、誰一人として萎縮する者はいなかった。

 

 A組に続き、入場する他クラスの生徒達。B組にも、A組の人気に気圧されて戦意喪失しているような者は誰一人としていない。サポート科と経営科もそれぞれのやるべきこと、果たしたいことがある為か、やる気のなさそうな者は見られない。だが、普通科は殆どがやる気無しといった様子だった。「どうせ自分達は引き立て役だから」とか、「たるい」とか、そんな声が聞こえてくる。

 そんな調子でよくもまあA組の教室前に群がれたものだと実弥は呆れる。やはり、彼らは自分の後ろで守られているのが相応しい。だが、そんな中でも件の宣戦布告を仕掛けてきた紫色の髪の少年――心操人使だけは……何としてもひっくり返してやる、のし上がってやる。そんな意志を宿した力強い目でA組を見つめている。

 

(アイツの気持ちは本物って訳だ)

 

 実弥は、心操をチラリと見遣りつつ、早くも彼が最終種目まで勝ち残る未来を予感していた。

 こうして、1年生の全員が入場を終え、会場中に集結。生徒達の入場が終わると、1人の女性が登壇し、鞭を打ち鳴らしながら競技に移る前の最初のプログラムを宣言した。

 

「選手宣誓!」

 

 艶やかな長い黒髪、体のラインがはっきりと浮き出る薄手のタイツと黒いボンテージに、赤いSMマスク。その正体は、刺激の強すぎる大人な戦闘服(コスチューム)を纏った、18禁ヒーロー・ミッドナイト。

 その美貌に、観客席にいる男衆はあっという間に頬を染め、鼻の下を伸ばす始末。

 

「ミッドナイト先生、なんちゅう格好だ……!」

 

「流石18禁ヒーロー」

 

「18禁なのに高校にいてもいいのか……?」

 

「いい!」

 

 その刺激の強さには、生徒達も反応せずにはいられず。目のやりどころに困っていたり、観客と同じように鼻の下を伸ばしていたりと反応は様々だ。

 

(……相変わらず、目のやりどころに困る戦闘服(コスチューム)だ……)

 

 実弥も実弥で目のやりどころに困り、気まずそうに目を逸らす。とにかくミッドナイトを直視しないようにと努めているようだった。

 

「選手代表、1年A組……爆豪勝己!」

 

 そんなことを露知らず、ミッドナイトが選手宣誓を代表として担当することになっている爆豪の名を呼んだ。

 人混みを掻き分けながら、ズカズカと歩み出る爆豪を「こいつなの?嘘だろ?」と言いたげにクラスメイト達はギョッとしながら見つめている。

 

「か、かっちゃんが担当なんだ……」

 

「まあ、公表された入試の成績上なら首席ってことになってるしな……」

 

 未だに現実を受け入れきれないような様子で呟く緑谷と、苦情気味に呟く瀬呂。

 そこに芦戸が続けた。

 

「意外!てっきり、本当の首席だった不死川がやると思ってた」

 

 芦戸の声に一同が頷く。どうして、実弥ではないのだろうかという不思議そうな視線をいくつも感じつつ、実弥は答えた。

 

「俺は、体育祭の順位には頓着しねェ。ただひたすらに強く在り続けるだけだ。俺が戦うのは、守りたいものを守る為。そして、未来を生きる子供達に笑顔溢れる人生を届ける為。順位に無頓着な奴が本気でトップを狙いにいく奴らの代表ってのは、相応しくねェだろ。だから……俺は辞退したんだァ」

 

 固い信念を宿した瞳で、彼ははっきりと言い切った。

 そんな彼を見て、周りのクラスメイト達は何も言えなくなる。

 

 富や名声だけを重視するヒーローが多い中で、自分よりも幼い子供達の未来を心の底から考えられる。報酬や見返りを求めず、大事な何かの為だけに強く在り続ける。並の覚悟で出来ることではない。

 そんな信念を持ち続けるのは、それだけ確固たる理想が、気持ちがあるということ。きっと、本気でトップを狙う者達に負けないくらい……若しくは、それ以上の強い気持ちが。

 

 それだけで、選手宣誓をするに相応しいはずなのに。もっと多くの人に彼の志を知ってほしいのに。

自分を卑下しないでほしい。壇上をじっと見つめる彼を見て、クラスメイト達はそう思った。

 

 そうこうしているうちに、爆豪が登壇。壇上に用意されたスタンドマイクの前に佇んだ。

 果たして、どういう宣誓をやってのけるつもりなのか……。A組の多くがソワソワとしながら、彼の背中を見守る。

 頼むから、敵意を煽るようなことはしないでくれ。そう願いながら。

 

 次の瞬間……息を吸い、爆豪が気怠げに言葉を発した。

 

「せんせー。俺が1位になる」

 

(((((絶対やると思った!!!!!)))))

 

(言うと思ったぜ)

 

 結果的に、彼らの懸念は命中してしまった。予想を裏切らない彼の行動に、実弥は呆れを通り越して嘲笑した。

 自信過剰とも取れるその一言に、他のクラスの生徒達から一斉に野次が飛び交う。

 

「調子乗んなよ、A組オラァ!!!」

 

「ふざけんな!!!」

 

「このヘドロ野郎!!!」

 

「せめて、跳ねの良い踏み台になってくれ」

 

 そんな阿鼻叫喚な様子の中、淡々と首を掻っ切る仕草をすると、飛び交う野次や「何故品位を貶めるようなことをするんだ!」という飯田の声を無視して、爆豪は降壇。列の中に戻っていく。

 

 その最中、実弥と爆豪の視線がかち合った。

 

(テメェは俺の手でブッ殺す)

 

(やれるもんならやってみやがれ)

 

 実弥の勝利を微塵も疑わず、自身も勿論勝ち上がってみせる。そんな闘志に満ち溢れた瞳。それを見て獰猛に笑いつつ、実弥も闘志に満ちた目で返した。

 自分の視線を闘志に満ちた視線で返されると、爆豪は満足そうに鼻を鳴らしながら、自分の元いた場所へと歩き去っていった。

 

「ふーん……随分と自信過剰だね、A組。そんな調子でいられるのも今のうちだ。僕らB組が君達を叩き潰して、のしあがってあげようじゃないか」

 

 ふと、緑谷の耳にそんな嫌味に満ちた声が届く。自信過剰という言葉を、彼は即座に内心で否定した。

 

(自信過剰……?違う。以前のかっちゃんなら――)

 

「ああいうのは笑って言ってる。そうだろ?」

 

「えっ?」

 

 内心で続けようとした言葉を実弥が引き継いだことに、緑谷は、思わず呆けた声を発した。

 実弥は、手のかかる子供の成長を実感している親のような表情になりながら言う。

 

「昔っからの仲らしいお前程じゃねェが……彼奴のことは散々見てるからなァ。なんとなく分かるぜ」

 

 そんな実弥を見て、普段は全く馬の合わない2人ではあるけれど、"単に馬が合わない"というだけでは終わらないのが、実弥と爆豪の関係性なんだと緑谷は実感した。

 USJでの事件の後に切島からチラッと聞かされた話ではあるのだが、同じゾーンに飛ばされた2人は喧嘩腰で会話を交わしつつも、抜群のコンビネーションを披露したらしい。

 

(かっちゃんもだし、不死川君も……。仲が悪いようで、実は一番お互いのこと見てるんだなあ)

 

 初めて敗北したあの日以来、爆豪は己の口で公言こそしてはいないが、少しずつ実弥を格上として、超えるべき壁として見るようになった。長年の関係性であるからこそ、緑谷は既に悟っている。

 

「かっちゃんは、自分のことを追い込んでる。……まあ、さりげなく僕らを巻き込んでるけど……」

 

「そこが、あの爆発頭らしいってところかァ」

 

 共通して爆豪の変化を感じ取っていた2人は、顔を見合わせて苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第一種目は、所謂(いわゆる)予選!毎年ここで、多くの者が涙を飲むわ(ティアドリンク)!!さて、運命の第一種目……!今年は――障害物競走よ!!!」

 

 選手宣誓での一騒ぎはさておき。とうとう、今年の体育祭で行う第一種目の内容が発表された。

 障害物競走。この会場に集った、計11クラスの生徒達が全員参加して、2回戦への切符の争奪戦を行う。コースは、会場であるスタジアムの外周約4km。だが……普通の障害物競走とは訳が違う。その肝は、雄英の売り文句にあった。

 

「――我が校は自由が売り文句!……コースを守れば、()()()()()()()()()()()!」

 

 振り向きざまに、ミッドナイトが妖艶に笑う。その表情に、生徒達は思わず息を呑んだ。

 競技中にいくつもの試練が、波乱の展開が待ち受けているに違いない。そう予感せざるを得なかった。

 

「最初の位置どりから競技は始まっていると言っても過言ではないわよ!さあさあ、位置につきまくりなさい!!」

 

 その後、鞭を振り払うミッドナイトに促され、自分こそが一番になるんだと一斉に場所取りに向かう。我先にとスタート地点に少しでも近い場所に人の波が押し寄せ、そこはあっという間に通勤ラッシュの時間帯の電車同然の混沌とした状況になってしまった。

 

 その光景を目にした実弥は、スタート直後の混乱を予測し、敢えて後ろの方に陣取ることを決めた。――他は、大概が颯爽と先頭を位置取っていたらしいが――

 そんな実弥だが……ふと振り返ると、ミッドナイトが手招きをしているのが目に入った。

 競技前だと言うのに、何か用事があるのだろうか。疑問に思いつつも、促されるままに彼女の側へと歩み寄った。

 

「競技前にごめんなさいね、不死川君。急で悪いんだけど……お願いしたいことがあるの」

 

「お願い……ですか」

 

 実弥が鸚鵡(おうむ)返しにするようにして、ただ呟く。

 すると……ミッドナイトは、金属製の腕輪のようなものを取り出した。

 疑問符を浮かべながら、実弥が再び呟く。

 

「……?腕輪……?」

 

「詳しいことは、今からちゃんと説明するわ」

 

 思ってもみない様子で硬直した実弥に、こうなっても仕方ないかと苦笑しつつ、ミッドナイトは付け加えた。

 

 曰く、体育祭前の職員会議の中で、実弥に関しての議論があったらしい。雄英体育祭は、生徒達が結果を出す為の舞台であるだけでなく、多くの観衆を楽しませるエンターテイメント的な一面もある。故に、他の生徒と比べて逸脱した実力を持つ実弥の無双で終わらせてしまうと、観衆を冷めさせかねない。

 きっと、彼らが望むのは白熱した戦い。多くの人の目に付く以上、そこのエンタメ的な一面を考慮するのも仕方がないと言えば仕方がない話だ。

 結果……最終種目を除き、実弥にはハンデを設けることになったとのこと。――ハンデを貸す理由は、勝負の面白さだけではなく、ハンデによって課せられる理不尽を覆す実力を目撃したことによる熱さを利用する点もあるのだろう――

 

「――それで、これを付けてほしいって訳なの。サポート科の子に作ってもらった超圧縮重り。不死川君の体重のだいたい4分の1の重量分をね」

 

 金属製の腕輪のようなものの正体は、重りだったようだ。「……お願いしてもいい……?」と、改めて控えめに尋ねるミッドナイトをチラリと見遣った後、実弥は重りをじっと見つめた。

 

(プロにより近い場所にいるやつには、更なる試練をってことか)

 

 思ってもみない形で課された、更なる試練。しかし、上等。乗り越えてみせようではないか。

 前世で次々と降りかかってきた鬼の脅威に比べれば……遥かにマシだ。ハンデを課せられても尚、己が強さは揺るがない。それを証明出来れば、未来を生きる者達を安心させてやることにもきっと繋がる。

 

 そんなことを考え、実弥は重りを手に取った。

 

「分かりました。先生方の頼みですし……引き受けますよ」

 

「本っ当にごめんなさいね、不死川君……」

 

 両手を合わせ、どこか申し訳なさそうな様子のミッドナイト。彼女に視線を送り、重りを両腕に取り付けながら、実弥は答える。

 

「お気になさらず。元より順位には頓着しておりませんので。まあ……エリや子供達も見てますし、無様な姿を晒すつもりはないですが」

 

 答えつつ、身体にのしかかる負担を確かめ、それでいながら、殆ど衰えを見せない獣のような荒々しい動きで、軽くアクロバットを披露してみせた。

 その様子を、ミッドナイトは思わずポカンとして見つめていた。

 

 そして、「お兄ちゃん頑張れー!!!」というエリの応援に微笑みを浮かべ、軽く手を上げながら答えると……ご心配なさらずに見ていてください、と言わんばかりにミッドナイトに対して笑みを浮かべながら、自分のスタート位置へと戻っていく。

 

(……期待してるわ。頑張りなさい、不死川君!)

 

 そんな実弥の背中に頼もしさを覚え、笑みを返して頷きながら、ミッドナイトはスタート地点のゲートを見上げた。

 どうやら、実弥に対してハンデの説明をしているうちに、競技開始の準備が整っていたようだ。

 

 そこに備え付けられたライトに一つずつ、光が灯っていく。一つ……二つ……。まるで、生徒達を焦らしてフライングでもさせようかとしているように。

 何はともあれ、まずは主審としての役目を果たそうではないか。その後でじっくりと活躍を見守らせてもらおう。

 ミッドナイトは、そう思いつつ、三つ目のライトが点灯すると同時に――

 

「スタートッ!!!」

 

 (かざ)した鞭を振り下ろし、声を張り上げてスタートの合図を出した。

 各々の望みを胸に、駆け出さんとする生徒達。刹那、彼らの元に冷気が立ち込める。

 

(来やがるな、轟ィ!!!)

 

 その冷気を発した正体に勘付いた実弥は地面を蹴った。高く、それでいつつ、目の前でモタモタとしている人の波を乗り越えられるように前へと跳躍した。

 そして、人の波の最前線へと風圧を発しながら降り立つ。

 

 突然、目の前に人が現れたことで完全に動きを止めた生徒達。彼らが動きを止めている間に、地を這う蛇の如く凄まじい速度で地面が凍りついていく。

 立ち込めた冷気が、不満を爆発させたかのようにゲートから溢れ、龍の息吹の如く吹き抜けた。それと同時に冷気を引き裂きながら――旋風が誰よりも疾く飛び出す。

 

「……そりゃあ、通じねえよな」

 

 それが瞬く間に己を突き放したのを目撃し、分かっていたようでいながらもどこか悔しそうに吐き捨てる、今まさに自分の背中を追おうとしていた生徒達の足元をまとめて凍らせることで(ふるい)にかけた轟。

 複雑な気分の彼と反対に、実況を請け負うプレゼントマイクのテンションは最高潮に達していた。

 

『スタート地点の地面を凍らせ、大多数の妨害に成功したA組の轟!先頭で独走かと思いきや!!そう上手くはいかなかった!!!颯爽と抜かされた!!!妨害を潜り抜け、誰よりも疾く先頭に立ったのは……やはりこの男!!!!!』

 

『A組ヒーロー科……不死川実弥だぁぁぁぁぁ!!!!!』

 

 誰もが予想した展開が早速ひっくり返され、会場中に歓声が巻き起こる。まさに今、雄英体育祭の幕が――切って落とされた。



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第三十五話 障害物競走

2022/1/1
実弥さんがゴールした際の他キャラのリアクションを追加しました。


 遂に開幕した雄英体育祭、その第一種目……障害物競走。開始早々に仕掛けられた轟の策を看破し、易々と乗り越えた実弥が先頭に立った。

 悔しさに拳を握りしめながらも、凍った地面を滑走して実弥の背中を追う轟だが、彼の策を乗り越えたのは実弥だけではなかった。

 

「甘いですわ……轟さんっ!」

 

「待てや!半分野郎ォ!!傷顔ォォ!!!」

 

 八百万や爆豪を筆頭としたA組の生徒達も、轟の繰り出した初手の妨害を乗り越えたのだ。

 自分達もより上を狙わんとし、彼らも轟に続いて実弥の背中を懸命に追っていく。

 

『さぁて、実況していくぞ!Are you ready?ミイラマン!!』

 

『無理矢理呼びやがって』

 

 観衆の予想を覆す一手を見せつけられて最高潮に達したテンションのまま、マイク越しに言うプレゼントマイク。

 その隣に解説役として無理矢理立たされていることを愚痴る包帯だらけの姿をした相澤であったが、それも程々にして発言した。

 

『ほら、俺に構ってないで早く実況したらどうだ。不死川はとっくに第一関門に辿り着いてるどころか……突破しかけてるぞ』

 

『What!?いやいや、流石に――』

 

 相澤の言葉に驚愕しつつ、『そいつァ言い過ぎだろう』と続けようとして競技の状況に目を向けたプレゼントマイクの視界に入ったのは――

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――韋駄天台風(いだてんたいふう)

 

 

 

 巨大な金属兵器を粉々に叩き斬る巨大な台風だった。

 バラバラになって地面に崩れ落ちていく金属兵器――0Pの仮装(ヴィラン)。プレゼントマイクも、観衆もその光景を見て唖然とする。だが、台風の中から、事前に持ち込みの申請をしておいた木刀を手にした実弥が姿を現したのと、解説席の相澤に肘で強めに小突かれたのをきっかけにして慌てて実況を再開した。

 

『おいおいおい!!!第一関門、ロボ・インフェルノが呆気なく陥落したじゃねえか!流石は不死川!!ハンデを課されようが、この程度じゃ俺を止められねえってか!?さりげなく、幾つもの部品に斬り刻んで妨害までしてやがる!ズリぃぜ!!!』

 

 第一関門、ロボ・インフェルノ。文字通りに入試で用いられた仮想(ヴィラン)が溢れ返る戦場さながらの地獄。0Pも複数体用意されているという気合の入りっぷりだ。

 普通ならば、その怪獣さながらの巨大さと獣の瞳のように赤く獰猛に輝く光に思わず足を止めるだろう。しかし、実弥は全く止まらない。機械程度では、元"風柱"は止められない。

 

 0Pが土煙を上げながら完全に崩れ落ちるのを背中にし、地面に着地。巨大な0Pが崩れ落ちて生じた地鳴りによって、大量の1〜3Pの仮想(ヴィラン)が実弥の元に集まってくるが――

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)――塵旋風(じんせんぷう)()ぎ!!!

 

 

 

 地面を抉り抜く程の凄烈な旋風を巻き起こしながら駆け、それらを(ことごと)く塵に変えると、風の如く……ひたすらに疾く駆けていく。

 

『着地後の隙を突かんとして集まってきた仮想(ヴィラン)もまとめて塵にしやがった!!まさに、飛んで火に入る夏の虫状態!!A組不死川、勢いを衰えさせることなく一抜けだ!!!!!』

 

 迫る障害を物ともせずに第一関門を乗り越えた実弥の姿に、会場中からは歓声が巻き起こる。他を圧倒的に出し抜くその姿に、観衆は例外なく熱狂した。

 

 一方で、ようやく轟を始めとした先頭集団が第一関門に辿り着いた。目の前に立ち塞がる巨大な壁を見上げ、誰もが足を止める。そんな状況をプレゼントマイクが騒がしく実況する横で、相澤は寡黙に見守っていた。

 

(不死川……。ハンデを背負ってもなお、この実力とは……やはり、他の奴らとの実力差は大きいな。これを目の前にして萎縮するか、それでも上を諦めずに食らいつくか……。さあ、お前らはどっちだ?)

 

 相澤の視線の先には、第一関門に辿り着いたA組の生徒達の姿がある。彼の問いに答えるかのように――轟が動いた。

 

「せっかくなら、もっと凄えもん用意して欲しいもんだな……。クソ親父が見てるんだから。何より、お前らみてえな機械相手に立ち止まる訳にはいかねえ」

 

 冷気を発する右手を地面につけると、地面が凍りつき、氷柱が彼の周囲を囲うように迸る。そして、遥か先を憎むようなその瞳で目の前の壁を射抜き――右手を振り上げる。

 刹那、氷山を思わせる巨大な氷塊が形成され、0Pの全身を呑み込んだ。その結果、不安定な体勢で凍らされた0Pは、勢いを止められずにそのまま地面に倒れて崩れ落ちた。

 流石は推薦入学者と言うべきか。0Pすらも全く寄せ付けない実力を見せつけ、先を目指して進んでいく。

 

「…………これが、ヒーロー科……」

 

 誰かが圧倒されたように呟いた。実弥に轟。連続して強者の実力を見せつけられたことで、自分達はこんな相手に張り合おうとしていたのかと絶望して完全に動きを止める者が次々と現れてしまう。

 だが、それは全員ではない。その圧倒的な実力に逆に火をつけられ……何としてもトップは譲らない、奪い取ってみせるとやる気を漲らせる者もいた。

 

「あの傷顔ォ……!腕に何か付けてやがったな……!?ナメプか!!ふざけんじゃねェェェ!!!」

 

 爆豪が怒りをたぎらせながら、0Pの振るう拳を(かわ)して、その上を乗り越える。

 

「滅茶苦茶キレてる……。怖え怖え……」

 

「まさしく、己の領域を侵されし獣」

 

 彼に便乗して、瀬呂と常闇が己の"個性"を駆使して0Pを乗り越える。

 

「……負けられない!」

 

 

 

ワン・フォー・オール、フルカウル――5(パーセント)!!

 

 

 

 彼らの熱意は緑谷に伝播し、"個性"を発動。その全身から、緑色の稲妻を迸らせた。

 続けて、彼は迫る0Pの巨拳を見据え――

 

(そして――瞬間出力、8()()!!!)

 

 地面を蹴る一瞬に出力を引き上げて跳躍。0Pの腕に跳び乗った。

 

「もう一丁ッ!!」

 

 更に、0Pの腕を蹴るその瞬間にもう一度8%出力を発揮。緑色の閃光のように駆け抜け、0Pを乗り越えた。

 見違えるようにレベルアップした様子の彼の背中を、A組の面々は思わず手足を止めて見送っていた。しかし、彼の背中があっという間に見えなくなると、すぐに行動を再開。

 

「……!デク君、"個性"を上手く使えるようになっとる……!」

 

「彼が見違えるように成長したというのは、俺達の思い違いではなかったということか!」

 

「私達も負けられませんわね……!行きますわよ、皆様!!」

 

「「「「「おおーーー!!!」」」」」

 

 ただ上を目指して突き進む。実弥の背中を追いかける。その熱意は、緑谷からA組全体へと伝播。副委員長たる八百万の声に応え、各々のやり方でロボの群れを乗り越えていく。

 

『圧倒的な実力を見せつけた、A組不死川と轟!そこにA組の奴らが続いて、続々と第一関門を突破していくぅ!!!圧倒されてる場合じゃねえぞ!やはり、この差は巨悪に対峙した経験の有無なのか!!?』

 

 続々と目の前の壁に立ち向かっていく卵達を見るや、プレゼントマイクの実況にも熱が入る。

 クラスの講じた策を振り切り、上を目指す為に先を走る拳藤と鉄哲も、実弥や轟の実力に息を呑み、足を止めていたが……2人揃って、気合を入れ直すように自分の頬を叩いた。

 

「プレゼントマイクの言ってる経験の差は……決して覆せない差じゃねえよな!A組の奴ら、全員やる気満々だぜ!俺達も不死川のダチとして負けてらんねえぞ、拳藤!!」

 

「ああ、言われるまでもないっての!!」

 

「……張り切ってるな、鉄哲と拳藤」

 

「ええ……。私達も行きましょう。ただ全力で立ち向かうのみです」

 

 鉄哲と拳藤のやる気は、同じくして策を捨ててまで上を目指すB組の生徒達に伝わり、彼らもまたA組の背中を追わんとして走り出す。

 実弥の圧倒的な実力。それは少なくとも、本気で上を目指さんとする者達にとっての勝利への執念を燃やす燃料となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『不死川、第二関門のザ・フォールも難無く突破していくゥゥゥ!!!忍者のように崖と崖を跳び移る!!!しかも、綱の上を走りながら渡っても、バランス一つ崩れねえ!体幹どうなってんだ!?』

 

 第一関門を突破する為に生徒達が奮闘している頃。実弥は既に第二関門に突入し、突破しかけていた。

 第二関門、ザ・フォール。切り立った崖がバラバラな間隔で幾つも並び、崖と崖同士が細い綱で繋がっている。下を見下ろせば、真っ暗闇。何一つ見えず、その高さは計り知れない。ここから落ちたらどうなるのか……。それを考えるだけでも、体が縮み上がりそうな光景が広がっている。ここを渡っていくのは、高所恐怖症の者には耐え難い苦行だろう。

 

 だが、それを前にしても実弥は足を止めない。プレゼントマイクの解説通りに、重りを加味した上での身体能力で跳び移れる幅の場所は、綱を跳び越えて崖から崖へ易々と跳び移り、そうでない幅の場所は途中まで綱の上を走って渡る。そして、問題ない幅になったところで跳躍して次の崖へと辿り着く。

 

 そういった方法で、実弥は着実に第二関門の終わりへと近づいていた。

 前世では、家屋の屋根から屋根へと跳び移りながら移動するという芸当を当然のようにやっていたので、綱のような足場の不安定な場所でも容易く移動出来るのは当然と言えば当然かもしれない。

 

 そうこうしているうちに、実弥は他を大きく突き放す形で最終関門に到着した。

 目の前に広がる光景に思わず足を止め、訝しむ。

 

 不自然なくらいに広く、何もない平地。辺りの看板は、「ここは危険地帯ですよ」とあからさまに示すものばかり。そして、目を凝らして地面を見れば……明らかに人の手で加工が施された場所があった。

 何かが埋まっていることを看破した実弥の耳に、プレゼントマイクの実況が届く。

 

『やっとこさ立ち止まったな、不死川!その慎重さは正解だぜ!!これぞ、最終関門の地雷原!名付けて……怒りのアフガン!!!地雷の位置は、よく見りゃ分かるようになってる!目と脚を酷使しろ!他の奴らもトップに追いつくチャンスだ!!!』

 

 『威力は控えめだが、音と爆発は派手だから失禁必至だ!』と付け加えるプレゼントマイクに淡々と『人によるだろ』とツッコミを入れる相澤を他所に、実弥は思考していた。

 

(これだけの地雷の量だ。一度踏んだら、連鎖して爆発しやがるな……。重りもあるし、ごり押すにはリスクがデカい)

 

 なるべく地雷を踏みたくはない。だが、確実に踏むのを避ければ速度が落ちる。後続が追いつくまでに余裕があると言えばあるのだが、相手が手段を選ばないとなれば確実に追いつかれる。事実、爆豪や轟は、地雷のリスクを気にせずに駆け抜けられる手段がある。

 それに、エリが見ている以上はトップを維持したいし、自分がここにいる誰よりも疾く現場に辿り着くことが出来る存在になれるのだと証明し、未来を生きる子供達を安心させたいという思いもあった。

 なるべく地雷を踏まず、速度を落とさずに突き進む為にはどうすればいいか……。

 

 思考を続ける実弥の中に、電流が走る。それは、一筋の閃きだった。確実に踏むのを避ければ速度が落ちる。それなら……地雷を踏むにしても、()()()()()()()()()()()()()のだ。

 実弥は、そうすることが出来る技術を知っている。

 

 思い出すのは、''水柱''の冨岡義勇が扱っていた呼吸、水の呼吸の玖ノ型……水流飛沫・乱。これは、攻撃用ではなく、主に移動に用いる型。動作中の着地時間と着地面積を最小限にして、縦横無尽に跳ね回るというもの。

 足場の悪い場所、地形が変形する場所での戦いには特に適しており、今扱うにはきっと最適だ。

 

 実弥自身に水の呼吸の適正はない為、当然技になり得る程の精度はない。だが、その技を繰り出す為の技術を盗むことなら出来る。

 使えるものは何でも使う。そのやり方は、前世も今世も変わらない。特に今世は余計なプライドなど打ち捨てて、他人の技術さえも吸収して自分のものにしなければ……成長し続けなければ、守りたいものを守れない。

 

 疾風の如く、時間をかけずに疾く駆け抜ける。かつ、着地時間と面積は最小限にして、そよ風のように優しく着地する。動作に緩急をつける。

 自分のやり方に合うようにアレンジを加え、精度を上げる。

 

(借りるぜ、冨岡……!お前の水の呼吸の技術!!)

 

 答えを見つけた実弥は、とうとう地面を蹴る。そのまま、迷いなく駆け出した。

 状況が動いたことに嬉々としながら、プレゼントマイクが実況に移る。

 

『おおっと!?不死川が動いた!速度を保ち、迷いなく駆けていく!!しかし、そのままじゃ地雷を踏んじまうんじゃねえか!?』

 

 彼の実況を耳にしながら、観衆と相澤も最終関門を突き進んでいく実弥を見守る。目を凝らしてみれば、極力地雷の埋まっていない位置を見極め、そこに着地してはいる。しかし、時々、地雷のある位置を明らかに踏んでしまっている。

 ……そのはずだが、不思議なことに地雷が作動していない。

 

『あれ?不死川、たまに地雷のある位置踏んでるはずなんだが……地雷が作動してねえぞ?まさかのハプニングか!?不具合なのかぁ!!?生中継中にアクシデントは勘弁だぜ!!!』

 

 予想外の事態に観客達は不思議そうに顔を見合わせている。プレゼントマイクもテンションが高い状態を保ちつつも困ったように言うのだが……。

 

『……成る程な』

 

 相澤が実弥の動きを見ながら、ただ1人納得した様子で呟いた。

 

『何が成る程なんだよ、イレイザー!解説Please!』

 

 何も呑みこめていないプレゼントマイクが解説を促すと、相澤は「お前……プロだろうが」と言いたげにジト目を向けつつも、渋々と言った様子で解説を始めた。

 

『不死川の動きを見た上での予想でしかないからな。違っても後から文句言うなよ。よく見てみりゃ……不死川は、着地する時間と足が地面につく面積を最小限にしてる。加えて、速さも保ってる』

 

 実弥の動きを見た相澤の推測はこうだ。

 

 全速力になれば、旋風を巻き起こすほど。そうでなくとも、常人の目ではいくら頑張っても姿を認識できない速度。そして、想定よりも短い着地時間。更に想定よりも狭い、地面に着地する足の面積。

 この三つの要素が合わさり、地雷の信管が作動するだけの圧力がかかっていない。

 もっと言えば、実弥が地雷を踏んでいる時間が想定よりも遥かに短いから、埋め込んだ地雷が作動しない。

 

『――俺に出来る範囲の予想はこんなところだな』

 

 締め括られた解説をもう一度脳内で整理する。そうして生まれた当然の疑問を、プレゼントマイクが口にした。

 

『……あれっ、不死川って複合型の"個性"持ちだっけ?』

 

『いや……本質的には、常人より遥かに丈夫な肺を持ってるってだけだ。つまり、あの歩法はただの技術だな。"個性"を用いて地雷に干渉なんて、不死川の"個性"では出来やしない』

 

『嘘だろ……?おいおい、"個性"無しでそんな芸当が出来るってのかよ!明らかに真似出来る技術じゃねえぞ!レベルが違えぜ!一体、どこで習得したってんだ!?』

 

 慎重さと大胆さ。その二つを兼ね備えた動きが出来ることに、競技を見ているプロヒーロー達は感嘆する。また、プレゼントマイクの言葉に同意しながら、ひっそりと舌を巻く。

 物事というのは、大胆になり過ぎても良くないし、慎重になりすぎても良くない。その二つのバランスを兼ね備えていることがベターな場合が多い。それらを上手く兼ね備えた上に、誰にも真似出来ないような技術を己の芸当として披露出来る実弥は、確実にプロヒーロー達から高い評価を勝ち取りつつあった。

 一度活路を見出してしまえば簡単なもので、実弥は土壇場で実行した技術が上手くいったことに安堵しつつも、問題なく最終関門を突破した。

 

 そうなれば、後はひたすらゴールへ向けて駆けるだけ。厄介な関門に立ち塞がられた不満を発散するかのように速度を上げ、風の如く駆けた。最後まで独走を譲らない彼が韋駄天の如く駆ける姿に、会場中が熱狂する。

 そして、実弥が遂に――ゴール地点であるスタジアムにその足を踏み入れた。

 己を覆い尽くす風圧を切り裂きながら、アクロバティックにゴールを果たした彼に観衆の視線が一気に集中する。

 

『うおっ!?いつの間にゴールしてた!?速えな、おい!!!初手の妨害を乗り越え、真っ先に先頭に立ち……誰にも、その座を譲らなかった!!ハンデも物ともしなかった!!この第一種目で1位の座を勝ち取ったのは――』

 

『A組ヒーロー科、不死川実弥だぁぁぁぁぁ!!!!!誰も寄せ付けない圧倒的実力で、一際輝くものを見せてくれたぜ!!不死川の活躍っぷりに、Clap your hands!!!』

 

 テンションが最高潮の状態であるプレゼントマイクの称賛に促され、会場中で歓声と拍手が巻き起こる。実弥の勝利を讃えるように紙吹雪が舞う。

 

「とんでもない速さだったな……。羨ましい限りだよ」

 

「肺が丈夫ってだけの"個性"なら、あの身体能力や鎌鼬は何なんだろうな……?一体、どういう仕組みなんだ?」

 

「何にせよ、学生時からあれだけの速さを発揮出来るのは強いぞ。是非とも事務所に欲しい人材だ」

 

「崖と地雷原を突破する時はともかく、ロボ破壊した時は全く動きを捉えられなかったわ……」

 

 観客達がひたすらに歓声を上げる中、プロヒーロー達は早速実弥という人材を見極めているようだった。"個性"に関連性のない実弥の芸当を不思議に思ったり、彼の速さを羨望したり、様々な反応を見せている。

 

「……それにしても、風が巻き起こった後には塵になったロボット達が残ってたり、ある程度の速度になれば余波で風が起きたり……。何となく神風を思わせる立ち回りだよなあ」

 

「不死川が神風だって言いたいのか?確かに他に比べて逸脱した実力はあるが……学生だぞ?いくらなんでもそりゃないだろ」

 

「ええ……?風を突き破って、その中身が現れたことがあるらしいけど……姿がA組の不死川君の特徴と似てる気もするわ……」

 

「いやいやいや、所詮は都市伝説とか噂だろ?信じるなって」

 

「そうかしら……?」

 

 一観客の中には、一部だけ実弥と神風の関連性に触れている者もいるようであった。

 

「か、かっこよかったよ!お兄ちゃん!!!」

 

 汗を拭う実弥に、満面の笑みで必死に声を張り上げながら手を振るエリ。そんな彼女に、実弥も微笑み返して手を振り返した後、周囲の観衆にも手を振って答えた。

 

(さぁて……お前も這い上がってこい、緑谷)

 

 競技を終えた彼は、爽やかな晴れ空の下で競技を中継しているモニターを見上げる。獰猛な笑みを浮かべ、ここまで特訓を施してきた友の成長を見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 勿論のこと、実弥が1位を勝ち取ったことは競技中の生徒達にも伝わっていた。

 

「凄い……。他を寄せ付けずに1位になっちゃったよ、不死川君……!僕も立ち止まっていられない!」

 

 他を全く寄せ付けない実弥の実力に感嘆した緑谷は、自分もいつかはあの高みに辿り着くのだと己に言い聞かせ、ゴールを目指して強く一歩を踏み出した。

 

「……!」

 

「クソッ……!」

 

 実弥が1位を勝ち取ったのだと理解した瞬間、轟と爆豪の中に大きな喪失感が押し寄せた。しかし、それはすぐさま己の内に抱えきれない程の大きな悔しさに変わった。

 

(背中を捉えることも出来なかった……。一矢報いることすら……)

 

 これでは、父親を否定することなど出来やしない。右の力だけでヒーロー科1年におけるNo.1を超えられないのなら、それは、左の力がなくては同年代のライバルを越えることすら出来ないと示しているも同然。轟は、自分が情けなくて仕方がなかった。

 

(全速力すら出してねえ傷顔に負けた……!クソが……!クソが!!!)

 

 どんな事情があろうと関係ない。とにかく、そこにあるのは全力を出していない実弥に自分が圧倒的な敗北を喫したという事実だけ。そのことが爆豪にとっては大きな屈辱で、1位になれなかった悔しさと共にそれが押し寄せてきた。

 

 1位は勝ち取れなかった。ならば、せめて2位は勝ち取る。自分達が他よりも優れていることを証明する。

 悔しさを振り切るように、2人も前を目指して進み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よしっ、ここまで来れた……!」

 

 汗を拭いながら、そう呟くのは……太陽に照らされて鈍い輝きを放つ1Pの腕の部分の装甲を背負った緑谷。

 「使える物は何でも使え」という実弥の教えに従った彼は、もしかしたら何かに使えるかもしれないと思って1Pを拳で破壊し、その装甲をこの最終関門まで持ち込んできた。

 

 だが、その重さは緑谷を慎重にさせるには十分過ぎた。フルカウルを含めて発揮出来る身体能力や体幹を鑑みると、装甲を背負って崖から崖へ跳び移るという芸当はリスクが大きいように思えた。結果、彼はナマケモノのような姿勢になりつつも、地道に綱を渡ることを選択。

 こうして、無事に第二関門を乗り越えたが……それと引き換えに順位を落とし、轟や爆豪に距離を突き放されてしまった。

 

 肝心の爆豪と轟は、緑谷のいる位置から遥かに離れた地点で互いを妨害しながら進んでいる。追いつくチャンスは、ここが最後。

 単に走っていては追いつけないことを悟る緑谷は、もう一度「使える物は何でも使え」という実弥の教えを思い出す。

 

(この装甲を持ってきた甲斐があった……!使うなら、ここしかない!!)

 

 自分の考えに自信を持ちながら、彼は手にする装甲を――地面に突き刺した。

 そのまま、前方にいる生徒達が避けていく場所に目を凝らし、埋まっている地雷を徹底的に掘り起こすと、一箇所にかき集めていく。

 

(入口付近は、警戒心が特に高くなる。だから、地雷が沢山残ってる!威力は控えめと言っても、体勢崩すくらいの威力はあるし、連鎖して爆発したら、体力をごっそり持っていかれる……!!でも、その威力を利用出来れば、逆転出来るかもしれない!!!)

 

 周りに目を向けつつ、頭を回す。何があろうとも諦めずに策を捻り出す。

 そうして捻り出した策を実行する為に、地雷を利用することが必要不可欠だった。

 皆がゴールを目指して前へ前へと進む中で、1人黙々と地面を掘り返す緑谷の姿は、何とも不可解なもので、側を通り過ぎる生徒達は例外なく訝しげに彼を振り返った。

 

「……何してんだろうね、緑谷」

 

「……えっ?な、何だろ……?」

 

 疑問に思ったのは、拳藤も同じらしい。隣で耳たぶから垂れたプラグを地面に突き刺し、地雷の探知をしながら歩いていた耳郎は、B組の彼女がA組である自分に対して尋ねてきたのが意外だったのか、困惑気味に答えた。

 緑谷の行動を疑問に思う拳藤ではあったが、何となく彼が何か凄いことをやってのけて、状況を大きくひっくり返すのだろうなという予感はしていた。そして……程なくして、その予感は的中することになる。

 

「よし……一か八か!!!」

 

 確実に成功する保証はないかもしれない。それでも……きっと、何もやらずに後悔するよりは、やれることを全てやってから後悔した方がいい。

 覚悟を決め、緑谷はここまで持ち込んできた装甲を構える。一箇所にかき集めた地雷を見据え――そこに、思い切って飛び込んだ。

 かき集められた地雷が一気に押し潰されて圧力がかかり、作動する。次の瞬間、凄絶な爆発が起きた。

 

『なっ、何だ!?後方で大爆発が起きたぞ!?』

 

 勢いよく噴き上がる爆煙に気が付き、プレゼントマイクが反応する。爆発によって発生した音と光に、最終関門を突破しようと進み続ける生徒達は思わず振り返る。

 

「ッッ!?」

 

「っと!?大丈夫?」

 

「あ、ありがと……。ごめん、腰……抜けたかも……」

 

「あらま……。ほら、肩貸すから――!?」

 

 爆発音に腰を抜かして地雷を踏みかけた耳郎を支えながら、拳藤も振り返り……その目で見た。

 爆煙を突き破るようにして猛進する、鈍い輝きを放つ緑色の装甲を。

 

「……マジか、緑谷」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――前を見据え、それにしがみつく緑谷の姿を。

 

『ロボット共の装甲が突っ切ってくる!!よく見りゃ、誰かしがみついているぞ!?あれは……A組の緑谷出久だ!!!偶然か故意か、爆風で猛追してきたぁぁぁぁぁ!!!!!』

 

 互いを妨害し合いながら進んでいた轟と爆豪も、思いもよらぬ事態に足を止め、目を見開きながら振り返る。思わず唖然とし、空中を突き進んでいく緑谷を見送るしかない。

 

『そして、今……A組緑谷が、先頭にいた轟と爆豪を抜いたぁ!!!2位の争奪戦の行方は、まだまだ分からなくなったぞ!』

 

 自分達の状況を端的に実況されるや否や、ハッとしながら立ち直る。

 

「デク……!俺の前を……行くんじゃねェェェ!!!」

 

「チッ、後続に道を作っちまうが……手段を選んでる場合じゃねえ!!」

 

 格下であったはずの緑谷にまたもや出し抜かれた。爆豪は、その事実に苛立ちを覚えながら、掌から爆破を放って浮かび上がり、目を血走らせて緑谷を猛追する。

 轟は、出し抜かれたことに焦りを覚えながら、手段を選んでいる場合じゃないと割り切って、地面を凍らせながら地雷を起動してしまうリスクを排除して走る。

 

『中々アツい策を見せてくれるじゃねえか、Smart boy!!これには堪らず、爆豪と轟も足の引っ張り合いをやめて緑谷を追う!だが……緑谷、徐々にスピードが落ちていく!折角掴んだチャンスが水の泡になるかもしれないぞ!!ここからどうする気だ!?』

 

 自分を猛追する轟と爆豪に目線だけをやり、プレゼントマイクの実況を耳にしながら、緑谷は頭を回し、前を見据え続ける。

 

(失速……!そこも既に考えてた!大丈夫、策はある……!タイミングが大事だ!!)

 

 爆風を利用して距離を詰められたとは言え、その勢いをずっと維持していられるなんてうまい話はない。必ずどこかで失速する。

 律儀に、地雷に気を付けながら着地を試みれば、大きなタイムロスが出る。その僅かな時間に、爆豪と轟ならば容易く距離を稼ぐことが出来るだろう。再び突き放されてしまえば、もう一度追い越すのは難しい。

 ――なんとしても抜かれる訳にはいかない。

 

(かっちゃんと轟君の前に出られたチャンス!掴んで放すな!タイミングは――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ここだぁぁぁッ!!」

 

 絶好のタイミングで、緑谷はしがみついていた装甲から体を離した。そして、体勢を変えると、手にしている装甲を地面に向けて思い切り振り下ろし、強く叩きつける。

 その結果、どうなるのか……。答えは簡単だ。

 

 地面に埋まっている地雷に圧力が加わり、起動する。次の瞬間、緑谷達の足元で大爆発が起きた。

 

「っ!?」

 

「ぐあっ!?」

 

『おおっと、緑谷!間髪入れずに後続を妨害!!地雷原をクリアし、緑色の稲妻を放ちながら駆け出す!スパートかけてきたぞ!!!』

 

 再び地雷を爆発させるなど、予想出来るはずもない。何の準備も出来ていなかった爆豪と轟は諸に爆発を喰らい、爆煙に呑み込まれながら体勢を崩してしまった。その隙に、緑谷は爆風を利用しながら前方に飛び出し、受け身をとって着地。

 フルカウルを5%出力で使用しているところを、地面を蹴る一瞬だけ8%に引き上げ、駆け出した。

 

(ッ……!?怪我一つしてねえ……!?)

 

(クソデクが……!!いつの間に''個性''を制御していやがった!?ふざけんじゃねえ!!!)

 

 緑谷が怪我することなく''個性''を使用して地雷原を突破し、どんどん自分達との距離を突き放していくのを見ると、2人揃って悔しさに歯を食いしばりながらも体勢を整えた。そして、がむしゃらに走って緑谷の背中を追っていく。

 だが、実弥に容易く1位をもぎ取られた時点で彼らの心は乱れていた。そこに、自分達を出し抜いた緑谷の策とその成長が更なる揺さぶりをかけてしまった。

 乱れに乱れた心理状態では、最高のコンディションを引き出せるはずもなく……。2位だけは絶対に譲る訳にはいかないという思考とは反対にスピードに乗り切れず、みるみる緑谷との距離が開いてしまう。

 

 対する緑谷。2位だけは絶対に譲らないという考えは彼らと同じであったが、コンディションは最高の状態に至っている。後続に出し抜かれまいとして、ラストスパートに突入していた。

 

(不死川君やオールマイトが見てるんだ!2位だけは、絶対に譲れない!見てくれてる人達に……僕の為に時間を割いてくれた人達に応えるんだ!!!)

 

 ゴールであるスタジアムのゲートに緑谷が近づくにつれ、観衆の盛り上がりもより一層高まる。2位が決定する瞬間を絶対に見逃すまいとして目を凝らし、カメラを向けた。

 そして――

 

『遂に今、第一種目の2位が決定したぁっ!!最終関門までの状況を見て、誰が予想出来た!?この結果を!!!2位で辿り着くと思われていた轟と爆豪を出し抜き、その座を奪取したのは――』

 

『A組ヒーロー科、緑谷出久ぅぅぅぅぅっ!!!!!』

 

 緑谷は、とうとう轟と爆豪を大きく突き放して、スタジアムに帰還した。1位こそ取れなかったが、2位を勝ち取ったという形で。

 

「2位……。僕、が……?」

 

 歓声に包まれている中でも信じられない。自分が2位を勝ち取ったことが。思わず、観戦席にいるオールマイトを見上げる。彼が自分の方を見て、「良くやったな」と言いたげに白い歯を露わにしながら笑っているのを見ると、ようやく2位を勝ち取れたという実感が湧いてきた。

 

「お疲れ。最終関門の、イカしてたぜェ」

 

「!不死川君……!」

 

 穏やかな声に振り返ってみれば、笑顔で手を差し出す実弥の姿がある。

 

「……ありがとう。2位になれたのも、君のおかげだよ」

 

 汗を拭いながら、緑谷も笑顔で手を握り返す。緑谷の手を握りつつ、実弥は言った。

 

「俺はきっかけを与えただけだァ。やるかやらないかは、最終的にお前が決めた。……頑張ったのは緑谷自身の意思だろォ」

 

 そして、緑谷の頭を軽く撫でた後、その肩に手を置きながら続ける。

 

「ほら、観客達の声に応えてやれェ。オールマイトみたいな、皆を笑顔で救けるヒーローになるんだろ?」

 

「……うん!」

 

(本当にありがとう……。不死川君……!)

 

 改めて内心で実弥に礼を述べると、照れ笑いを浮かべながらも、歓声を上げる観客達やカメラを向けるマスコミなどに手を振って答える緑谷であった。




この後の騎馬戦、実弥さんのメンバーはどうしようかなあ……と悩んでおります。組んでほしい人がいれば、活動報告欄にそれ用の項目を設けておきますので提案していただけると嬉しいです。

また、こちらが今年最後の投稿になります。ありがとうございました。

まだまだお見苦しい点もありますし、読者様の指摘に頼りながらこちらの作品が成り立っていますが……よろしければ、来年も拙作をよろしくお願いします!

では……皆様、良いお年を。


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第三十六話 メンバー選抜

皆様、活動報告欄にて騎馬戦のメンバーの提案をしていただき、ありがとうございました。

実際にどんなメンバーになったのか……。それは、本編をその目でご覧ください。

そして、皆様……遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も、「疾きこと風の如く」をよろしくお願いします!


「デク君!2位凄いね!''個性''も上手く扱えるようになっとったし……!悔しいよちくしょ〜!」

 

「いやいや……!まだまだだよ!''個性''だって、出力を抑えて使ってるし……。全部を引き出すにはまだまだ遠いしさ……」

 

「そんなことないよ!立派で大きな成長やん!」

 

「そう……かな?」

 

「そうだよ、自信持って!」

 

 そう言いつつ、笑顔で緑谷に詰め寄るのは、障害物競走で17位の成績を収めた麗日。

 緑谷が2位でゴールした後、続々と他の生徒達もゴールしてきたのだ。

 

「凄いじゃん、2位でゴールなんて。おめでとう、緑谷」

 

 そう笑顔で話しかけるのは拳藤。彼女は、22位でとある少女と同着でゴールした。

 

「ありがとう、拳藤さん。……と、耳郎……さん?」

 

 その声に礼を言いながら振り返ってみると……耳郎を横抱きにして抱えた彼女の姿があった。――無論、耳郎も拳藤と同着の22位である――

 

「……耳郎さん?どないしたん?」

 

 「も、もうゴールしたんだから下ろしてよ、恥ずかしいから……」と顔を赤くして呟く耳郎を見て疑問に思ってか、麗日が尋ねた。

 すると、拳藤は耳郎を下ろしてやりながら苦笑気味に答えた。

 

「ほら……緑谷が大爆発起こしたでしょ?あの時の音にびっくりして、腰抜かしちゃったってさ」

 

「あ……!」

 

 緑谷はやらかした、と言わんばかりに声を上げた。

 

 耳郎の''個性''は''イヤホンジャック''。耳たぶから垂れたプラグを壁や地面に挿せば、些細な音でも探知が出来るのだ。それだけの聴力があるのは素晴らしいが、聴力が良すぎるが故に大音量を聞かされれば、常人以上のダメージになるのは間違いない。

 今回の場合、地雷の爆音がダメージになったということになる。

 

「ご、ごめんなさい!耳郎さん!」

 

 自分のせいで思った成績が残せなかったであろう耳郎のことを思うと、謝らずにはいられない。緑谷は、場を顧みずにそれはもう頭を下げた。

 何度かの瞬きの後、耳郎は笑みを浮かべながら、頭を下げる緑谷の動きを止めるようにプラグを突き付けて答える。

 

「謝らなくていいよ。……轟に宣戦布告された時に緑谷自身が言ってたじゃん。『皆、本気でトップを狙ってるんだ』って。あんたもそうなんでしょ?あんたは、その為に出来ることを全力でやっただけ。だから、気にしなくていいの。ウチは気にしてないから。……分かった?」

 

「う、うん……」

 

 圧倒されながらも頷いた緑谷を見ると、耳郎は突き付けていたプラグを納め、満足そうに笑った。

 

「分かったならよし。……凄かったよ。緑色の稲妻をバチバチ放って、爆豪とか不死川みたいにぴょんぴょん飛び跳ねて」

 

「あ、分かっちゃった……?うん、2人を参考にしてるんだ」

 

 そんな風に耳郎と会話を交わす緑谷をじっと見つめる者達がいた。

 

(得意種目で……7位……)

 

 1人は、どんよりと沈み込んだ様子で拳を握りしめる飯田。自慢であるスピード。それを発揮出来るはずの、得意とするはずの種目で、7位という残念な記録になってしまった。

 無論、そのことも悔しい。だが、何より……友であり、ライバルでもある緑谷に大きく出し抜かれた。そのことが純粋に悔しかった。

 

「この2週間であれ程まで成長するなんてな……。やはり、君は凄いよ。緑谷君……!」

 

 それでも、やはり緑谷を尊敬した。入試の時から、緑谷は常に自分のいる場所の一歩先を行く。だからこそ、彼に大きく置いていかれたことが悔しいのだ。

 

(まただ……!傷顔にも、デクにも負けた……!クソがっ……!!)

 

 もう1人は、爆豪。障害物競走で激しく動いて吹き出た汗だけでなく、焦りによって生じた汗が、徐々に増幅していく彼の中の焦りの如くじわりとその頬を伝う。

 ずっと格下だと見下していた緑谷に出し抜かれた。2位だけは譲れないと思っていたのに、轟にも上を行かれて、4位に蹴落とされた。しかも、肝心の緑谷は知らぬ間に"個性"を上手く使えるようになっているときた。

 緑谷が確実に成長を遂げている。自分との格差を着実に縮め始めている。そのことが彼を激しく苛立たせた。強く食いしばった歯と血走った目が、彼の苛立ち具合を物語っていた。

 

 完膚なきまでの1位を勝ち取る。自分が1位になる。爆豪の夢が、早々に崩れ去りつつあった。

 

(不死川だけじゃねえ……。緑谷にも……抜かれた……)

 

 更にもう1人は、轟。茫然自失と言った様子で緑谷を見つめていた。父を見返す。それだけの為に右側の力で1位を目指した……はずなのに。

 いざ終わってみれば、その結果は3位。格下だと見くびっていた緑谷にまで追い抜かれ、無様と言う他ない。

 悔しい。情けない。そんな感情が轟の中に雪のようにしんしんと降り積もっていく。

 仮にもNo.2である父親に鍛えられた影響か、自分は他の有象無象には絶対に負けないという驕りがあったのかもしれない。

 

「っ……」

 

 世界の広さを知った轟は、ありったけの悔しさを胸に唇を噛み締めるのが精一杯だった。

 

 自分に視線を送る者達の感情など露知らず。緑谷は、2位でゴール出来た嬉しさと実弥の居場所の遠さを己の内に強く刻みつける。

 見事に成長を遂げた彼を微笑ましく思いつつ、緑谷の肩に手を置きながら、拳藤は笑顔で話しかけた。

 

「活きたな、特訓の成果」

 

「う、うん!……ここまで変わるなんて、思ってもみなかったよ……」

 

 右手を握りしめつつ、成長を実感して微笑みながら、緑谷はこれまでの特訓の日々を思い出す。

 

 基礎を徹底的に積み重ねながらも、ビッグ3や実弥、拳藤の手を借りながら、何度も組手を繰り返した。彼らのおかげで、初めての必殺技であるフルカウルも習得出来たのだ。

 

 休み時間には、0.1%という発動しているかいないかのギリギリな出力でフルカウルを常時発動し、出力制御の練習を行った。

 因みに、クラスメイト達の中に、緑谷の体が淡く発光していたような記憶や緑色の稲妻のようなオーラが迸っていた記憶があるのはこの特訓の影響だったりする。

 勿論、相澤や雄英側から許可はもらっている。雄英の敷地内且つ、授業時間やプライベートに関わる場所を除くという制限付きではあったが、十分な成果を得られたと緑谷は思っている。

 実際に、そのおかげである行動を行う瞬間――例えば、地面を蹴る、相手に打撃を加える瞬間など――に、瞬間的に出力を引き上げるという芸当が可能になった。

 

 肉体面だけではなく、精神面も鍛えた。実弥と一緒になって、念仏を唱えながら滝に打たれたり、瞑想したり……。何とも古風な特訓を繰り返した。

 体育祭を迎え、緑谷が必要以上にビクつく様子がなくなったのは、この特訓のおかげだと言える。以前のように謙虚さを持ちつつも、いくらか心に余裕が出来たのだ。

 

 ここまで自分を成長させる特訓を施した実弥や先輩達は凄いんだな、と改めて実感する日々だった。

 少しでも爪痕を残し、自分を知らしめられる。そんな可能性が増えた。そのことに緑谷はひたすらに感謝した。

 そんな彼がいつの間にか拳藤との距離感を近くしていることに、麗日が何だか面白くなさそうな顔をしていたのは誰も知らない。

 

 そして、緑谷をここまで育て上げた当の本人はと言うと……。

 

「おい、そこのゲス葡萄。少し話をしようぜェ……!」

 

「や、やめろ!不死川!全国に中継されてんだぞ!酷え状態になったオイラを世間に晒す気か!?」

 

「知ったこっちゃねェよ、テメェのような女の敵がどうなろうとなァ……!!」

 

「わ、悪かったって!お願いだから、オイラの側に近寄るな!!!何でもするから見逃してくれよぉ!何だったら、オイラの秘蔵コレクションを――」

 

「話を逸らすなァ!!待ちやがれ、峰田ァァァ!!!!!」

 

「く、来るなぁぁぁぁぁ!!!野郎に追いかけられるのは、望んでねえんだよぉぉぉ!!!!!」

 

 体育服の上着のチャックを大胆にも全て開けた状態の八百万に欲丸出しでくっついてゴールした峰田を、憤怒の表情で追いかけ回しているのだった。

 この後、女子からの実弥の好感度が上がり、峰田の好感度が地の底まで急転直下したのは言うまでもないだろう。勿論、峰田が実弥から逃れられるはずもなく……修羅と化した彼の鉄拳による、渾身の拳骨を見事に喰らった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「予選通過は上位43名!残念ながら落ちちゃった人も安心なさい。まだ見せ場は用意されているわ!」

 

 ミッドナイトの言葉に従い、巨大なスクリーンに上位43名の名前がズラリと表示される。

 実弥もまた、それに従って一人一人の名前にザッと目を通してみた。

 そうして分かったのは……43名の大半がヒーロー科の面々であること。クラスメイトの全員が予選を突破したことを、実弥は一先ず嬉しく思った。

 その中に唯一、普通科の生徒とサポート科の生徒が1人ずつ食い込んでいる。どちらも中々の執念だと思うと同時に……。

 

(心操人使……。宣戦布告してきた奴か。要注意だな)

 

 普通科の生徒である心操の方にターゲットを絞り、警戒心を高めた。

 

「さあ、次からはいよいよ本選よ!第二種目は……これ!!」

 

 鞭を振るって音を立てながら、ミッドナイトが後方のスクリーンを示す。そこに表示された三文字は――騎馬戦。

 なんと、個人戦で蹴落としあった次は、チーム戦ときた。

 

「……成る程なァ」

 

 収入を得て、食って生きていく為に他人を蹴落としてでも活躍を見せつける。

 だが、一方で自分の出来ることには限りがある。だからこそ、他人の手を借りて、競争しながらも協力しあって苦難を乗り越える。

 そんなヒーロー飽和社会の現状を体現しているかのような種目の選び方に、実弥は腕を組みながら思わず興味深そうに呟いていた。

 

 そして、ミッドナイトによって競技内容が説明される。

 まず、参加者は2人から4人のチームを自由に組んで、騎馬を作らなければならない。競技時間は15分間だ。

 基本は普通の騎馬戦と同じルール。しかし、少し違うのは、各生徒達に障害物競走の順位に従ってポイントが振り当てられる点。騎馬を組んだ生徒達がそれぞれ保有しているポイント数を合計したものが、騎馬のポイント数ということになる。所謂(いわゆる)、入試の時と同じようなポイント稼ぎ形式だ。

 因みに、騎手は各生徒達のポイント数が表示された鉢巻を首から上に装着するらしい。ポイントに対する欲だけに囚われれば、管理が大変になる。そこも計算に入れなくてはならなそうだ。

 そして、最も重要な点として、鉢巻を全て取られても、騎馬が崩れてもアウトになることはなく、最後まで競技を続けられるという点がある。悪質な崩し目的の攻撃などをした時は、一発退場になるとのこと。

 

 さて、肝心の与えられるポイント数は、下から5Pずつ増えていくのだが……実弥は、何となく嫌な予感がしていた。というのも、雄英は校訓のPlus Ultra(更に向こうへ)に従い、常識に囚われないようなことをやりがちだ。入学初日に個性把握テストを行った相澤然り、何でもありなガチンコ競走であった第一種目然り。

 

(さァて……どんな受難を課すんだろうな、ミッドナイト先生)

 

 密かに心の準備を決めた実弥。それほど時間も経たない内に、その時が訪れた。

 

「――そして、1位の不死川君に与えられるポイントは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1()0()0()0()()!!!

 

「…………一番下の5Pの200万倍たァ、ぶっ飛んでんなァ……」

 

 想像の斜め上を行く数値に、流石の実弥も苦笑しながら呟く他なかった。

 ミッドナイトは、この程度じゃ終わらないわよと言いたげに笑みを浮かべながら続ける。

 

「そして!不死川君には、重りを外して競技に挑んでもらう代わりに……強制的に4人騎馬を組んでもらいます!」

 

 チーム戦にすることで、実弥の動きに制限をかける気らしい。確かに……合理的な判断だ。

 

「上位の奴ほど狙われちゃう、下剋上のサバイバル!上を行く者には更なる受難を。雄英に在籍する以上、何度も聞かされるよ!これぞPlus Ultra(更に向こうへ)!乗り越えてみせなさい、不死川実弥君!!!」

 

(……ええ、やってやりますよ)

 

 今、実弥は狩られる側となった。だが、一匹の兎に集う何十匹もの獣を思わせる周囲の獰猛な瞳にも怯まない。彼ら以上に獰猛な白い狼となって、拳を鳴らしながら、口の端を吊り上げて不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(メンバー……どうすっかな)

 

 ルール説明後、15分間のチーム決めの交渉を行う時間が設けられた。

 実力は、ヒーロー科最強として定評のある実弥だが……周りにめちゃくちゃ避けられている。避けられているというより、敢えて組みたくないと言ったところだろう。

 友でライバルだからこそ、高い壁である実弥に挑む。彼の手を借りずに上を行きたい。彼から1000万を奪い取って、下剋上を果たしたい……。

 理由はいくらでもある。前者二つがA組の大半の意見で、後半がB組やその他の意見と言ったところだろうか。

 

「不死川君!」

 

 そんな実弥に声をかける者がいた。

 

「「組もう!」」

 

 振り返ると、グッと拳を握る緑谷と麗日の姿があった。この様子だと、彼はもうメンバーを1人見つけているらしい。

 実弥は思う。

 

 この2週間で、緑谷は確実に大きな成長を果たした。些細なことでは動じず、かつての同僚程ではないが、水面のような静かな心を手に入れた。きっと、自分すらも感心するような素晴らしい策を持ち込んでくるのだろう……と。

 それが予想出来る。彼が成長するまでを知っている。だからこそ、思うのだ。

 

 その策を、成長を……敵として見てみたい、と。

 

「……気持ちは嬉しいが、断る」

 

 目を微かに見開いて固まった2人に、実弥は続ける。

 

「緑谷。お前は……確実にこの2週間で成長したなァ。俺はそこまでの道のりを知っている。だからこそ、見てェんだ。その成長ってもんをなァ。味方同士じゃなく、敵同士として」

 

 そして、不敵に笑みを浮かべながら、人差し指で招くような仕草をして挑発した。

 

「挑んでこい、全身全霊を賭けて。お前の策を見せてみろォ」

 

 実弥の仕草に、緑谷と麗日は個性把握テストが始まる直前の相澤を思い出していた。

 そのまま、2人で顔を見合わせ……頷き合う。

 

「……分かったよ、不死川君。君に挑みに行く。そうだよね、これが本気でトップを目指すってことなんだ!」

 

「よーし……!デク君、不死川君にも負けへんような自慢のチームを作ろう!そして、獲りに行こう!1000万!!」

 

「うんっ!!」

 

 やる気いっぱいの笑みを浮かべ、次の人物の元へと交渉に向かう2人を見送りながら、実弥も笑う。

 

「……根性のある奴らだァ」

 

 ああいう人材は、いつしか必ず伸びる。そんな予感を胸に、実弥もメンバー決めに動き出した。

 取り敢えず、避けに避けられている状況だ。なるべく早くメンツを決めなければ、他に取られる。そうなると、動く他ない。

 

 A組の実力者達は、全員自分に挑んでくるような根性の持ち主なので、候補から全員除外。そうなると、数は絞られる。

 

(普通科の心操……。根性はあるだろうが、"個性"の全貌が見えねェ。……却下だ。サポート科の奴は……状況次第、になるか)

 

 実弥としても、信頼のある相手と組んだ方が都合が良い。

 ……それはそうだ。何もかも未知な相手と組むのは、あまりにもリスクが大きい。コミュニケーションや"個性"などの相性という面でも。

 

 それに、実弥にとって、腹の内が全く分からない相手というのは理解し難い存在だ。だからこそ、前世で鬼殺隊として活動していた真っ最中は、冨岡と犬猿の仲だった。

 何せ、鬼が滅ぶまでの彼はとにかく言葉足らずだった。しかも、誤解を招く発言や、「俺は柱じゃない」発言から始まる無責任とも取れる不可解な行動。これらを連発する始末。事情も考えていることも何も口にしようとしない。だから、苛立ちが募った。彼が嫌いだった。

 ――無論、最終決戦後はその腹の内を知って、普通の同僚レベルの仲にはなれたのだが――

 

 結果、実弥が組みたい相手は更に絞られた。

 

「拳藤、鉄哲。俺と組んでくれ」

 

 実弥に頼まれた2人は、顔を見合わせた。拳藤が少し戸惑った様子で尋ねる。

 

「……クラスメイトじゃなくて、私達で良いの?」

 

 実弥は、続々とチームを決めつつあるクラスメイト達を示しながら答えた。

 

「俺に頼って上に行こうなんて甘い考え方してる奴、A組(ウチ)にはいねェからな。全員、必死で挑んでくるような根性ある奴らだァ」

 

 2人の目を見ながら、彼は続ける。

 

「勿論、2人が前者のような奴だって言ってる訳じゃねェ。2人を選んだのは……単純に俺が信頼しているからだ」

 

 実弥の一言が、ストンと2人の胸中に落ちていく。内側から、暖かいエネルギーが湧き上がってくるのを感じた。

 

「……良いよ、組もう。不死川の力になれるなら、万々歳だし。ありがとな、頼ってくれて」

 

 拳藤が嬉しそうに笑いながら答えた。

 

「っくぅぅぅ……!熱いなあ、おい!不死川!!分かったよ、俺……お前の熱い気持ちに答えるぜ!挑みたい気持ちもあるけど……ダチの思いを無碍には出来ねえ!!!」

 

 鉄哲が感動を噛み締めるように拳を握りながら答えた。

 

「礼を言うのはこっちの方だァ。ありがとよ」

 

 実弥も笑みを浮かべながら礼を言う。2人の心の綺麗さに感謝しかなかった。

 

「そういう訳だから……ごめんな」

 

「済まねえ!骨抜、泡瀬、塩崎!俺は不死川の思いに答える!ダチを裏切ることは出来ねえ!!」

 

 2人ともクラスメイトから騎馬に誘われていたらしく、B組の騎馬から離れることを誠心誠意謝罪していた。

 

「いいよ、気にしないで行っといで。王子様のところに」

 

「いやいやいや、そういうのじゃないから!確かに入試の時のはカッコよかったし、尊敬してるけど、そういうのじゃないってば」

 

「あれ?思った以上に余裕のある返しされた」

 

「一佳がA組の緑谷の特訓に付き合うついでで、不死川に特訓つけてもらってるのは切奈も知ってるはずノコ」

 

「いや、知ってるけどさ〜。そういうのあった方が面白いじゃん?」

 

「他のA組に引き抜かれるのは嫌だけど、不死川なら……なんか許せるよね」

 

 そんな、どこか女子らしい会話を交わす拳藤達。

 

「鉄哲がそういう奴だってのは分かってるしな。こっちはこっちでお前が抜けた分まで頑張るから、行ってこいよ」

 

「ただし、敵対しても恨みっこなしだぜ!」

 

「おうよ、泡瀬!ったりめえよ!!骨抜もサンキューな!」

 

「ああ……(はかりごと)のない、純粋な友情……。なんと素晴らしいのでしょう……!鉄哲さん、正々堂々勝負致しましょう」

 

「勿論だ!」

 

 そして、学生らしい青春な会話を交わす鉄哲達。いずれにせよ、周りが2人を快く送り出してくれていることに違いはなかった。

 

(拳藤、鉄哲。いい友達持ったじゃねェか)

 

 2人には、潔く友を送り出せる心を持った友がいる。そのことに、実弥は思わず微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 こうして、鉄哲と拳藤がメンバーに加入することが決定。これで、メンバーは計3人。残るは1人だ。

 

「強制的に4人ってのも大変だなあ……」

 

「あと1人、だね。どうする?」

 

「……残る選択肢と言ったら、一つしかねェんだよなァ」

 

 残る1人を探す為に行動している実弥に、ズンズンと歩みを進めていく少女の姿がある。

 

「ふふふ……良いですね、目立ちますね……!私と組みましょう、1位の人!!!」

 

「「うわっ!?誰!?」」

 

(ちけ)ェ」

 

 突然目の前に現れ、額と額がぶつかるレベルで顔を近づけてきた、ドレッドヘアーのようにまとまったピンク色の髪とスコープのような模様が刻まれたゴーグルが特徴的な少女。

 急に現れた彼女に驚く鉄哲と拳藤とは反対に、実弥は至極冷静に一言だけ吐き捨てた。

 

「私、サポート科の発目明と申します!貴方のことは知りませんが、立場を利用させてください!」

 

 発目は、名を名乗ると再び実弥に詰め寄って、マシンガントークさながらの勢いで話し始める。

 

「貴方と組むと、必然的に注目度がNo.1になるじゃないですか?現に貴方、観客の方々に滅茶苦茶注目されてますし!それでですね、私のベイビーも目立つ訳です!!そうすれば、大企業の目にそれが入る可能性が高くなる!勿論、貴方方にもメリットはあると思うんです!」

 

 圧倒されながらも、鉄哲と拳藤はいくつも疑問符を浮かべる。そして、同時に首を傾げた。

 そんな2人を見た後に、今も話し続ける発目を見てため息を()くと、実弥は痛くない程度に軽くコツンと彼女の頭に拳を乗せる。

 

「……そこの2人にも分かるように、自分専用の用語を使わねェで話せェ」

 

「あっ、成る程。それは失礼しました!」

 

 実弥の行動で発目の勢いが止まり、謝罪をした後で彼女は改めて話をした。

 ぶっちゃけてしまえば、1位を勝ち取って滅茶苦茶目立っている実弥のチームに自作のサポートアイテムを活用してもらい、自分の発明品をサポートアイテムを開発する大企業の目に止まらせたいということらしい。

 

「あー……それで、不死川を利用したいってことね」

 

「はい!」

 

 拳藤の出した答えに、発目は悪びれもせずに答える。

 そんな彼女を見て、拳藤は肝の据わってる人だなあと思いながら、苦笑した。

 鉄哲は、男のロマン的なものを刺激されてか、発目の見せるサポートアイテムにじっと見入っているようだった。

 

「不死川君……でしたね。貴方が強制的に4人騎馬を組まなければならないことは聞いてました。今から、"個性"も性格も何もかもを知らない別の人を探すよりも、自分で言うのもなんですが……目的と貢献する為の手段がはっきりしている私と組んだ方がお得かと思います。……どうでしょうか!?」

 

 側で聞いていた拳藤は、そう言いながら実弥に詰め寄る発目の意見に納得していた。

 自分達を誘った理由として、信頼しているからだと実弥は言った。周りを見渡してみれば、その条件に当てはまるであろうA組のクラスメイト達は、ほとんどがチームを決定している。今からB組の他の生徒や普通科で唯一勝ち残った生徒を狙って交渉しにいくというのは……実弥が拳藤達を誘った理由に当てはまるには、はっきり言って厳しいだろう。

 反面、発目は自分の目的をはっきりと言った。それに、彼女の言う通り、貢献する手段も自作のサポートアイテムという確固たるものが存在している。

 

 そう考えると、発目の方が遥かに信頼に値するのは確か。

 

(……どうするんだろう、不死川)

 

 拳藤自身としては、実弥に従うのみで何も文句はない。実弥を見遣り、彼の発目に対する返事を待った。

 

 肝心の実弥は……発目を気に入っていた。強制的に4人騎馬を組まなければならないという条件や、周りに組めるメンツが少なくなりつつあることを抜きにして、彼女と組みたいと思った。

 

 その理由は二つある。

 

 一つは、やはり彼女が潔かったこと。実弥としては、下手に取り繕わられるよりも、こうして自分の目的をはっきりと言ってくれた方が嬉しかったりするし、人として付き合いやすかったりする。

 1位で滅茶苦茶目立つから利用させてください、なんて言われたら、ふざけるなと思う人間もいるかもしれない。だが、実弥はそこがはっきりと分かりさえすれば気にしなかった。結局、こっちもこっちでチームの一員として利用することになるから、満足のいくまで存分に利用してくれといった考え方をした。

 二つ目は、使える物は何でも使うという実弥の戦闘スタイルに合っていること。発目のサポートアイテムを徹底的に利用して騎馬戦に挑む。そのやり方が、実弥にとって偶然にも合致していたのだった。

 

 実弥が選んだ答えは言うまでもない。

 

「決まりだァ。来い、発目」

 

「!ありがとうございます!!」

 

 実弥の差し出した傷だらけの男らしい手を、満面の笑みで握り返す発目。

 実弥のチームが遂に集った瞬間だった。

 

「やや……!傷だらけで、硬い皮膚の手!貴方、剣とか刀の形状の物を長年使ってますね!?」

 

「……俺の手の分析はいいから、発目の自慢の発明品を見せてくれねェかァ」

 

「そうでした!まず、これがですね――」

 

 サポートアイテムの解説を一つ一つ行っていく発目と、それらを吟味していく実弥。彼らを見ながら、拳藤と鉄哲はこんなことを思った。

 

(凄えな、不死川……。発目の言う『ベイビー』ってのを最初からサポートアイテムだって見抜いてた……。俺には訳分かんなかったぞ)

 

(……発目、不死川との距離が近いなあ……)

 

 因みに、実弥が発目の言う「ベイビー」を自分の発明品だと最初から看破出来たのは、あまりにも言葉足らずな冨岡との会話に慣れて、会話の内容を読み取る力が常人以上に遥かに優れてしまっているからだったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヘイ!起きろ、イレイザー!!!チーム決めが終わったみたいだぞ!』

 

『……中々面白い組が揃ったな』

 

 そう声を発する2人の眼下にあるフィールドには、計13チームもの騎馬が勢揃いした。

 

『さあ上げてけ、(とき)の声!血で血を洗う雄英の合戦が今……狼煙を上げる!準備はいいかなんて聞かねえぞ!!早速いくぜ、残虐バトルロイヤルカウントダウン!!!』

 

 この時を待っていた、と言わんばかりにテンションをぶち上げたプレゼントマイクがカウントダウンを開始する。

 その進行と同時に、実弥はメンバー一人一人に声をかけ、役割を確認していく。

 

3(スリー)!』

 

「鉄哲。お前は先頭で盾兼足場だ」

 

「おっしゃ、任せろ!」

 

 まずは、先頭の鉄哲。金属に変化させる肉体を用いての盾役とブレない足場を担う。

 鉢巻を頭に巻き、締めながらの実弥の指示に、彼はやる気満々な様子で白くギザギザした鋭い歯を見せつけるようにしてニカッと笑った。

 

2(ツー)!』

 

「拳藤は、右翼で牽制」

 

「オッケー、任せな!」

 

 次に、右翼の拳藤。"大拳"によって巨大化させた手を用いて牽制を行う。

 守りは任せといて、と頷きながら、頼もし気に笑った。

 

1(ワン)……!!』

 

「発目も、サポートアイテム利用して左翼から牽制」

 

「お任せください!」

 

 そして、左翼の発目。サポートアイテムを用いて牽制を行う。加えて、彼女のサポートアイテムを実弥自身も利用する。

 自分の発明品が目立つかつ、1位の人にガンガン使ってもらえる。そのことの喜びを全身で体現するように、彼女の装着するゴーグルがキラリと輝きを放ち、彼女自身もワクワクとして笑みを浮かべていた。

 

「スタート!!!」

 

 いよいよ、プレゼントマイクのカウントダウンを引き継ぐように、主審のミッドナイトから競技開始の合図が出された。

 

(奪えるもんなら奪ってみやがれ、1000万!!!)

 

 競技が開始されると同時に、騎手の実弥は、目を血走らせながら白い歯を見せつけて獰猛に笑った。自分から引き入れた以上はメンバーを勝ち上がらせるという責任感を胸に。

 

 第二種目、騎馬戦。下克上のサバイバルが今――1000万を奪って、トップに立つという数々の欲望の元に開幕した。




参考までに、障害物競走の順位と獲得ポイント数を載せておきます。大きな変化は、実弥さんが1位になっていることと拳藤さんと耳郎さんが同着でゴールしていることの二つですかね。他は、生徒達の順位が1つずつ下がっているくらいで大きな変化はありません。


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第三十七話 騎馬戦(前編)

申し訳ありません。騎馬戦は滅茶苦茶長くなりそうなので、前、中、後編の三つに分けます。
正直、三つに分けてるので進みは遅くなると思います。早く最終種目見たいという方には申し訳ないのですが……お付き合いいただけると嬉しいです。

2022/1/19
風壁・仇の風の呼称を無刀流から無手(むて)へと修正しました。
(提案に従って調べてみたところ、無手で「何も持たない手。何も着けない手。素手」と言った意味があるようです)
風圧で吹き飛んだ爆豪君に対しての相澤先生の言葉にあった「怒りで周りが見えていない」の部分をカットしました。読者様の指摘曰く、「怒ってはいなく、寧ろ平常運転」だそうです。
抗議する鉄哲君と拳藤さんに対する実弥さんの謝罪の後に、サポートアイテムについて考えている発目さんのセリフを追加しました。

2022/01/21
「爆豪相手の時に初使用にすべきだった」との指摘をいただき、風壁・仇の風の初使用時点を爆豪君相手に変更しました。葉隠チーム相手に使った技を参ノ型、晴嵐風樹に変更してます。
それに伴い、ねじれちゃんからのアドバイスの回想等々をそこに後回ししました。


「この騎馬戦……実質、1000万の奪い合いだ!!」

 

「頂いちゃうよ、不死川君!!!」

 

 無数の騎馬が実弥の保有する1000万Pの鉢巻を奪い取らんとして、猪も驚きな勢いで迷いなく一直線に突き進んでくる。

 ……流石に騎馬戦という名が冠されただけはある。下剋上を果たさんとして、敵将の首を全身全霊で狙う何十人もの武将達が詰め寄る状況を彷彿とさせる光景が、目の前に広がっていた。

 いや、彼に最も馴染みのある例えをするなら……。自身に流れる極上の稀血に釣られ、飢えを露わに襲いくる鬼の群れ、だ。

 今まさに、単なる雄英体育祭の会場であったはずのスタジアムが戦場へと変貌した。

 

 迫り来る騎馬の先陣を切るのは……歯がそのまま剥き出しになった、骸骨のような強面な顔付きの少年、骨抜柔造。蔓のような髪の毛が特徴的な少女、塩崎茨。更に、逆立てた黒髪に格子模様のヘアバンドを巻きつけている少年、泡瀬洋雪。B組の3人で構成されたチーム。

 それと、砂藤と口田というA組の中でも体格の良い男子2人を引き連れた葉隠チーム。

 

 彼らに独り占めはさせまいと続々と迫り来るチームを見て、鉄哲はいよいよ始まったか、とやる気満々に笑う。そして、騎手の実弥に指示を仰いだ。

 

「群がってきてるぞ!どうする!?不死川!!」

 

 実弥は、拳と掌を打ち合わせながら獰猛に笑って、迷いも見せずに決断を下した。

 

「わざわざ、こっちから()()()()()になる必要はねェ!迎撃しつつ逃げるぞ!隙がありゃあ、容赦なく奪う!!!」

 

「おう、分かった!!!」

 

 確かに、自分から不利な状況に飛び込む必然性はない。実弥の指示に納得し、逃げの姿勢を取る一同だったが……実弥の目は逃さない。

 

 ――その目が、泡瀬チームの骨抜の奇妙な動きを捉えた。

 騎馬を組む為に後方を支える塩崎と組んでいたはずの手を、あろうことか離しているではないか。――騎手の泡瀬はというと、塩崎がその胴体に茨の髪の毛を巻き付けて持ち上げることで体が浮き、空中に留まっている状態である――

 その手の向かう先は……地面。その手で地面に触れようとしているのだろうか?

 

(地面に触れる……。それが''個性''発動のトリガーか!!!)

 

 彼の行動から、手で地面に触れることで''個性''を発動するのだと予測した実弥は、先手を打つ。獰猛な笑みを浮かべながら、手にする木刀を振り上げて叫んだ。

 

「鉄哲ゥ!!!踏ん張ってろォ!!!!!」

 

「ブレねェ足場は任せろぉぉぉ!!!!!」

 

 実弥に負けない声量で、鉄哲も熱さ全開に答え……その肉体を金属に変えた。

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

 風が吹き荒び、砂塵や木の葉を巻き上げる音が会場にいる全員の耳に届く。

 観衆は、何が起こるのだろうかと興味津々に実弥に注目しているが、すぐ目の前で対峙する骨抜達はそれどころではない。

 

「……ッ!」

 

 木刀を構える実弥の威圧感に、何かがヤバいと本能的に感じ取った。地面に触れようとしていた骨抜も、周りの騎馬も風神さながらの威圧感を放つ実弥を見るや、動きを止めてしまう。

 刹那――

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――木枯(こが)らし(おろし)

 

 

 

 実弥が木刀を振り下ろした。同時に、強く冷たい風が騎馬と騎馬の間を激しく吹き抜ける。風は、山から吹きおろしたが如く強く吹き荒れ、津波を彷彿とさせる勢いで迫り来る騎馬を一斉に襲った。

 

「っ!?」

 

「な、なんつー勢いの風だ!?」

 

「くぅっ……!!」

 

 たかが木刀を一振りしただけだというのに、襲いくる風はオールマイトの放つ、凄まじい風圧を彷彿とさせる勢いだった。

 "柔化"――触れたものを柔らかくする"個性"。再び触れると、解除されて元の固さに戻る――を発動させかけていた骨抜だったが、即座に中断。踏ん張りをきかせた上で腕を交差させ、身を固めることでなんとか体勢が崩れるのを防いだ。塩崎も、髪を巻きつけた泡瀬を決して離すまいとして踏ん張った。

 実弥の放った一撃は、周りに対して十分牽制の一撃となり得た。

 

(不死川の奴……!俺が地面に触れようとしているのを見て、"個性"を予測した……?)

 

 B組の推薦入学者の1人なだけはあって、骨抜は実弥がこの行動に至った経緯を看破する。再び騎馬を組み、決断を下した。

 

「下手に攻めると、こっちが逆に体勢を崩される。時間はまだあるしな……ここは一旦退こう。獲りたきゃ、虚を突くしかない」

 

「流石は骨抜。自棄になって突っ込みたくなるであろうところを……!そうだな、ここは退こう」

 

 クラスメイトの中でも実績故に信頼されているのだろう。骨抜の提案に従い、泡瀬チームは大人しく撤退していく。

 だが、先頭に立った彼らが撤退したのを見て、周りも一斉に撤退……なんて都合の良いことがある訳もない。

 

「ふっふっふ……ちょっとだけ本気出しちゃったぞ!これなら、流石の不死川君も防ぎようないでしょ!さあ、()っちゃうぞー!!!」

 

 今もなお、泡瀬チームと共に先陣を切っていた葉隠チームが突っ込んできている。

 そして、騎手である肝心の葉隠は、上の衣服を全て脱ぎ捨てている程の本気の出しっぷりだ。

 なんとなく、彼女が意気込んでドヤ顔でシャドーボクシングをしているであろうことが実弥には想像出来た。

 彼女の"個性"は、"透明化"。文字通りに姿が透明人間である。当然ながら、彼女の肉体を視認することは出来ない。腕のリーチを見切れない。確かに防ぎようがないだろう。

 近づかれれば獲られる。それなら――

 

「近寄らせなきゃ良い話だァ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(さん)(かた)――晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)

 

 

 

「きゃあっ!?」

 

「うおっ!?竜巻!?」

 

 旋風の渦が逆巻いた。渦は、実弥達を守るようにその周囲に巻き起こる。勢いのままに特攻せんとしていた葉隠達であったが、騎馬である砂藤と口田が咄嗟に踏み留まったことで事なきを得た。

 

「……葉隠の肌に傷をつける訳にはいかねェもんなァ。……賢明な判断だ」

 

 笑みを浮かべて挑発するように言い残すと、大量の騎馬に囲まれる現状から抜け出す為に実弥達は逃走を図る。

 彼らの背中を悔しげに見つめながら、葉隠は先頭である砂藤の頭をポカポカと叩いた。

 

「ぐぬぬぬ……!ズルいぞ、不死川君!……ねえねえ、砂藤君!あの竜巻なんとかしてよっ!」

 

「いてててて!無茶言うなって……!竜巻を何とか出来る程の力、俺にはねえよ……」

 

「うぐっ……。こ、口田君!何とか出来ない!?」

 

「……首を横に振ってんな。無理だとよ」

 

「く、悔しいぃぃぃ!」

 

 なんとかして実弥達に近づく方法はないかと騎馬の砂藤と口田に尋ねる葉隠だが……いくら体格が良い2人とは言えど、皮膚をやすやすと斬りつけるような威力のある竜巻の中を突っ切る方法がある訳もなく。握り拳を作った腕をぶんぶんと振りながら、悔しがるしかない。

 

 刹那、悔しがる葉隠の視界の端を黒い何かが通り過ぎた。

 

「っ!?」

 

「我らだけの持ち点だけで挑める程、不死川は甘くはないだろう。済まんが……貰っていくぞ」

 

「イタダキダゼ!」

 

「とっ、常闇君の黒影(ダークシャドウ)!?どうしよう、悔しがってる間に()られちゃったぁ!」

 

「おいおい、マジかよ!?取り返さねえと、俺ら脱落だ!」

 

「か、返してぇぇぇ!!!」

 

 黒い何か……。それは、常闇が付き従える影の使者、黒影(ダークシャドウ)。その爪が、葉隠が頭に巻き付けている鉢巻を掠め取った。そして、影故に伸縮自在である肉体で常闇の元へと舞い戻り、彼の手に葉隠チームの鉢巻を確実に手渡す。

 手にした鉢巻を首元に巻き付けつつ、主である常闇は声を発する。

 

「形成逆転の切り札……。必ずや手中に収める!進撃だ、緑谷!」

 

「うんっ!……麗日さん、耳郎さん!行くよ!」

 

「おっしゃあ!」

 

「こっちはいつでも準備万端!」

 

 周囲が硬直している状況を破り、実弥の元へと突き進んでくるのは緑谷のチーム。彼自身が前騎馬を務め、それに加えて麗日と耳郎で騎馬を組み、常闇が騎手を務めているようだった。

 

「常闇君、耳郎さん!」

 

「行け、黒影(ダークシャドウ)!」

 

「アイヨッ!」

 

「任せといて!」

 

 緑谷の声に応え、常闇が黒影(ダークシャドウ)を放ち、耳郎がコードをしなる鞭のように振るい抜く。

 

「黒い鴉みたいなやつと……鞭みてえなのがきてる!?あれ、耳の一部かよ!?」

 

「これが常闇と耳郎の''個性''……!」

 

(常闇……。中距離戦の攻撃速度は随一。しかも、黒影(ダークシャドウ)自体には特にダメージは入らねェ。んで、耳郎……。心音の衝撃波もさることながら、コードを操る速度と正確さは侮れねェ。中々厄介なチームを組みやがったな)

 

 迫る黒影(ダークシャドウ)とプラグを見て、目を見開いて驚く鉄哲。拳藤が巨大化した手をうちわのように振り払って風を起こし、迫る二つの脅威を牽制する中で、実弥は冷静に分析する。

 

 常闇の化身と言っても過言ではない黒影(ダークシャドウ)。攻撃、移動、防御のいずれにも優れており、それ自身には実弥の分析通りにダメージが入らない。とある弱点があるが、それさえ突かれなければ、殆どの物理攻撃を防ぐことが可能であり、影であるが故にその他の攻撃も基本的に防ぎ切れる。攻撃面でも射程距離が長い上に、攻撃速度が速く、簡単には捉えられない。

 

 常闇こそが中距離戦闘のプロだと言え、事実としてその分野では無類の強さを誇っている。攻撃面、防御面の両方を鑑みても、接近戦で無類の強さを誇る実弥相手には適した人材に違いないだろう。

 

 更に、耳郎の''イヤホンジャック''。基本的にプラグになった耳たぶを対象に挿すことで、自身の心音を爆音の衝撃波として放つ''個性''だ。

 

 実弥がその衝撃波を警戒する理由は一つ。彼女のプラグは人体にも突き挿すことが可能だからだ。いくら体の丈夫さに自信がある実弥とて、人間である以上は体の内部を鍛えることは出来ない。つまり、体の内部に浸透する攻撃の一つとして実弥に通用し得る数少ない手札になる。

 

 加え、彼女の耳たぶは左右それぞれで6mまで伸びるし、コード状の耳たぶをかなりの速度と精度で操れる。因みに、速度としては下心丸出しの行動をした峰田と上鳴が彼女の振るったコードを全く見切れずにプラグに挿され、一瞬で撃沈するという光景が日常茶飯事になるくらいのもの。

 常人が簡単に見切れないとなると、十分に厄介だ。強みを端的な言葉で表せば、正確さと不意打ち。距離を取りながら1000万を狙うには、適した人材だと見て間違いない。

 

(どっちも速い……!追い払う為に手を大きくするんじゃ駄目だ、いつか隙を突かれる!何しろ、あっちは緑谷いるし……!)

 

 2人の''個性''を操る精密さと速度は、''個性''を発動して手を巨大化させるまでに多少の時間を要する拳藤にとって厄介極まりないようで、彼女は既にその性能を理解し、悔しげに唇を噛み締めていた。何より、彼らの厄介さに加えて、学習能力と観察力が群を抜くほどに高い緑谷もいる。単純に付け入る隙のある同じ手を繰り出していては、いずれ出し抜かれる。そう考えるのは難くない。

 そんな彼女を見兼ね、周囲の警戒を怠らない様子でいながらも実弥が言う。

 

「拳藤、無理に遠ざける必要はねェ。俺の姿を隠すだけで良い。何なら、相手が射出してくるのに合わせて、手ェデカくするだけでも良い。それだけでも手を退かす為に1段階工程を踏まなきゃならねェからな。相手に考えさせることを増やすのを意識しろォ」

 

「っ、分かった!」

 

 励ますような実弥の一言を受け、仕切り直しだ、と拳藤は笑みを浮かべる。常闇と耳郎の動きによく注目し、攻撃の初動に対して手を巨大化させ、いつでも迎え撃てるぞと牽制したり、巨大化した手による障壁で実弥の姿を覆い隠したりと牽制の仕方を変えた。

 そんな様子を見て、緑谷一行は一度攻撃を中止。包囲網から抜ける為に移動を続ける実弥達をぴったりとマークするような形で追跡する。そうしつつ、常闇が眉間に皺を寄せながら口を開いた。

 

「俺達を退けるのではなく、守りに徹するか」

 

「さっきみたいに扇いでくれてたら、ワンチャン付け入る隙があるんだけど……」

 

「拳藤さんが手を大きくするまでの時間を突ける……ってことだよね」

 

「うん」

 

 耳郎が困ったように呟く。緑谷が確認の意味を込めて尋ねると、彼女は頷いた。

 

 先程説明した通り、緑谷が数あるメンツの中から引き抜いた耳郎と常闇の2人は、距離を保ちながらも速い速度で攻撃を繰り出せる。その精密さと攻撃の速さで、実際に彼らの攻撃を遠ざけようとしていた拳藤を一時は手間取らせていた。それに、ダメージを喰らわない常闇の黒影(ダークシャドウ)で実弥の攻撃を凌ぎ、耳郎の正確さと不意打ちで知らぬ間に鉢巻を奪い取ることも不可能ではない。

 牽制を退けつつ、どうしても隙の出来る拳藤がいる右翼から実弥の猛攻を凌いで攻める。そんな作戦を立てていたのだが……。

 

(常闇君と耳郎さんの"個性"の利点を不死川君も大方把握してる。しかも……僕が観察を続けてることも警戒してるんだろうな。それは、拳藤さんも然りで……。だから、不死川君の助言に従ったんだろうし)

 

 流石、学級委員長として周りを見ているだけのことはあるし、特訓の中で緑谷出久という少年を知っているだけはある。

 思い通りにはいっていないけれど、それでこそ不死川君だ。

 緑谷は、そう思いながら微かに笑った。

 

「不死川君なら、あのおっきな手で姿を隠してる間に攻撃体勢を整えることも十分に可能だよね……」

 

「……確かに。それにさ、この体育祭に挑むに当たって、緑谷が急成長してるじゃん?何となく不死川も手札を隠し持ってるような気がするんだよね……」

 

「そうだな、麗日と耳郎の意見に賛同だ。……左翼に回り込むか?」

 

 3人の会話を耳にしながら、再び試合に意識を向けて緑谷が答える。

 

「……いや、そのまま拳藤さんのサイドから攻め続けよう。正直、サポート科の人がどんなサポートアイテムを持ってるか読めない。手の内が分からない方より、確実に分かる方を攻めた方がリスクは少ないと思う」

 

「……成る程、流石は我らの頭脳だ。ならば、右翼への攻撃を維持。このまま行くぞ」

 

 緑谷の意見を加味して下された方針に頷く一同。その時、緑谷チームの耳に断続的な爆発音が猛烈な勢いで届くと同時に、彼らの頭上を一つの影が通り過ぎた。

 

(爆発音……?)

 

「ま、まさか――」

 

 懸念を胸に顔を上げる。言うまでもなく、その懸念は当たっていた。

 

「傷顔ォォォォォ!!!!!待ちやがれェェェ!!!!!」

 

『おいおいおい!?爆豪、騎馬を離れて空中を突き進んでやがるぞ!独断専行か!?』

 

『……まあ、彼奴ならやりそうなことだな。ありかなしかの判断は主審に任せよう』

 

 爆発音の正体は、爆豪。こめかみに青筋を浮かべ、目を血走らせ、鋭く吊り上げる。己の中に溜まりに溜まった苛立ちを爆発させて突っ込んでくるその姿は、理性を失った獣のようだった。

 

「彼奴、騎馬戦やってねえぞ!?単騎で突っ込んできてやがる!チーム戦のはずなのにありなのか!?」

 

 轟いた爆豪の叫びを耳にして振り向いた実弥チームの一同。人間ミサイルさながらの速度と勢いで突っ込んでくるその姿に、鉄哲が抗議の声を上げるが……。

 

「テクニカルなのでありよ!騎手が地面に足を着きさえしなければ大丈夫!!」

 

 無情なことに、主審のミッドナイトの判断で爆豪の行動はありにされてしまった。

 

「マジかよっ!?こうなりゃ、何でもありじゃねえか!」

 

 その無情な判断に、前騎馬として足を動かしながらも鉄哲はヤケクソ気味に叫ぶ。

 

「何でもありなのは今に始まった話じゃない……だろっ!」

 

 そんな鉄哲に、諦めて迎え撃つしかないという意味を込めて声を掛けながら、空中を飛ぶ爆豪の身体を鷲掴みにするつもりで巨大化させた手を振るう拳藤だが――

 

「ンなデケェ的に当たるか!ナメんじゃねェぞ、サイドテール!」

 

(くっ……速い!)

 

 A組屈指の実力者且つ天才だと認められているのは伊達ではない。空中で爆破を起こした爆豪は、器用にもその身を翻して拳藤の振るった手を(かわ)した。

 空中で体勢を変えて攻撃を避けるなど、簡単出来る芸当ではない。強い体幹が必要になるし、爆破の威力の調整も欠かせない。そんな困難な芸当を、爆豪はいとも簡単にやってのけた。

 

(不死川と緑谷から色々と聞かされちゃいたけど、戦闘のセンスに関してはピカイチだな……)

 

「ごめん、不死川……!捕まえられなかった!」

 

「問題ねェ」

 

 爆豪の驚異的な戦闘のセンスに舌を巻きながらも、牽制を担う自分が彼を易々と鉢巻の元へ行かせてしまったことが悔しくて、歯を食いしばる。

 全く気にしていない様子で実弥は答え、迫り来る人間ミサイル……爆豪勝己を見据えた。

 

「余裕ぶってんじゃねェぞ、クソが!!」

 

 右腕を振りかぶり、右掌から火花を散らしながら爆豪が迫る。

 

「実際……テメェの退け方は幾つでもあるんだよ、爆発頭ァ」

 

 実弥は口角を上げて不敵に笑うと、懐から発射口の周囲がラッパのような形になった銃を取り出す。そして、爆豪に狙いを定めて、その引き金を引いた。

 

「ッ!?」

 

 すると、小さな弾が発射されると同時に、それが弾けて網に変化。爆豪に迫り、覆い被さらんとする。

 そして、迫る網を見た瞬間に爆豪も反応。自身の位置を横にずらすようにして爆破を放ち、網を避けた。

 自身をあの網で捕獲し、動きを封じるつもりだったのだろうと爆豪は推測する。だが、関係ない。最終的にその狙いは外れた。相手の手の内を退けたことに内心でほくそ笑んだ。

 

「……ハッ!道具を使わねェと俺1人退けられねえってか、雑魚が!!!」

 

 遂に、爆豪は実弥が頭に締めた1000万の鉢巻を間合いに捉えた。

 実弥のチームの全員が、「まずい、()られる!」と言いたげな顔をしているのを見て、勝ちを確信する。

 1000万を奪い取り、次は半分野郎――轟を。そして、クソデク――緑谷を叩き潰す。そのまま、自分が完膚なきまでの勝利を手にする。

 

 自分の野望を思い描き……爆豪は、違和感を覚えた。

 

(……ンだ、その面は……!何を笑ってやがんだ、こいつ……!)

 

 あと一歩で1000万を奪い取られる。一気に最下位へと叩き落とされる。そのはずなのに、実弥の顔からは獰猛な笑みが消えていない。焦りが全く表れていない。

 違和感を覚え、何かがヤバいと少しずつ感じつつある爆豪に対し、実弥は、体育祭に向けての特訓の中で聞いた波動の言葉を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 実弥とて体育祭に向けて、ただ単に緑谷の特訓に付き合っていた訳ではない。ビッグ3もその場にいた影響で、彼にとっても、これ以上ないくらいの特訓の場となっていたのだ。

 守りたいものを守り、救けたいものを救ける。その為に常に進化することを追い求める実弥は、とある日、波動に尋ねた。

 

「……え、衝撃波を放つときはどうしてるか?」

 

 当時、尋ねられた波動はどうしてそんなことを聞くのか不思議がった。「教えて!」と言いたげにじっと見つめてきた彼女の要望に応え、実弥は答えた。

 

「出来ることを増やしておきたいんです。自分の手の届く範囲を広げる為に」

 

 進化を追い求め続ける実弥の姿勢に、波動は感心したように微笑みながら答えた。

 曰く、全身の活力をエネルギーに変換させ、腕に纏わせるようなイメージで集めているとのこと。実際にエネルギーを充填させながら、身振り手振りで説明する波動は、両手を前方に突き出しながら説明を続けた。

 

「それでね、不死川君。ここからが大事なの!さっき、衝撃波を放つ時はどうするかって聞いてきたけど……私は、()()()()()()()()()()()()()()んだよ」

 

「……?」

 

 実弥は波動の言葉に疑問符を浮かべ、微かに首を傾げた。

 

 波動の''個性''に冠された名は、彼女の苗字と全く同じで……''波動''。彼女自身の活力をエネルギーにして、衝撃波を放つというもの。高威力の衝撃波を放つ場合はエネルギーの充填が必要、エネルギーの底が尽きると彼女自身が動けなくなる、現場での使用時は仲間との連携や周辺被害の考慮が必要と言った癖の強い''個性''だ。

 そんな''個性''を空中浮遊や衝撃波の出力制御という形で、彼女は見事に使いこなしているのだが、それはさておき。

 

 勿論、実弥も既に波動の''個性''に関して理解している。衝撃波を放つという認識は実弥の中にもあるものであり、事実として、彼女にはその衝撃波を放つ必殺技もある。故に、その認識は間違ってはいないはずなのだが……。

 

 そんなことを思い、考え込む実弥を見ると、波動はクスッと笑った。そして、実弥の肩をトントンと優しく叩いて顔を上げさせると、実際に腕に纏ったエネルギーを出力を最大限に絞った状態で衝撃波として解き放ってみせた。

 衝撃波を放ち終えると、「ふうっ」と一息()き、自分の特技を自慢する幼子のように無邪気な笑みを浮かべながら言った。

 

「確かに、不死川君の『衝撃波を放つ』って認識は間違ってないよ。でも……私ね、『よし、衝撃波を放つぞ!』って思ってる訳じゃないんだ。そうじゃなくて、『纏ったエネルギーをそのまま相手に押し付ける!』ってイメージで技を出してるの!」

 

「押し付ける……ですか」

 

「うん!」

 

 確かめるように自分の一言を呟いた実弥を見ると頷き、彼女は続けた。

 

 戦闘で考え過ぎることは遅れに繋がる。確かに、分析や被害の考慮など、考えることは大切。何も考えなくていい訳ではない。

 だが、考え過ぎたことによる隙に付け入られると、そこから一気に綻びが生じる。また、生じた綻びはどんどん広がり、最後には修正のしようがなくなる。

 だから、考えるべきことを極力減らし、より早く手を打ち、短い思考で最適解を掴み取ることが大切なのだと。

 微笑みを浮かべつつも真剣な眼差しで言った後、波動はニパッと笑みを浮かべて、こう言った。

 

「『放つ』って考えると、そこまでに色々プロセス踏まなきゃいけない感じがするけど……『押し付ける』だったらさ、溜めたエネルギーを出力とか制御した後で、そっくりそのままぶつければいい!……って感じがしない?」

 

 

 

 

 

 

 今こそ、彼女のアドバイスを現実にする時だ。違和感から生じたヤバさに、やはりここは一度退くべきだと判断した爆豪を逃すまいと獲物の肉に飢えた白狼さながらに獰猛な瞳で射抜き、言い放つ。

 

「――使えるもんは何でも使う。それが俺の戦闘スタイルだァ。苛立ちが災いして逸ったな、爆発頭。普段のテメェなら……この程度のこと、気付けたはずだぜェ」

 

「ンだと――ッ」

 

 爆豪がその言葉の意味を問いただすよりも前に彼を間合いに捉え、実弥は傷だらけの右腕を弓を引き絞るように後方へと引いた。

 

 予め、肺の中に取り込んでおいた大量の酸素を瞬時に身体中に巡らせる。そして、後方へと引いた腕に空気を集めていく。

 

 ――実弥は、常々考えることがあった。

 全集中の呼吸の数ある流派の一つ、風の呼吸を扱う自分が……()()()になって、相手を全力で制圧する気で体術を扱えば、どうなるのかと。

 刀一つ振るえば、それに従って烈風が、鎌鼬のような突風が巻き起こる。前世でも体術を扱う機会が全くなかった訳ではない。だが、体術を扱う相手は、鬼殺隊の隊士が相手。毎度のことながら加減をしていた為、刀を振るう時と同じような現象は起きなかった。

 

 対して、今世は、刀が無くして戦えないのでは話にならない。だから、実弥は"個性"を重視しがちなこの社会でこそ、体術はほぼ必須の技術だと思っている。

 刀を振るって突風を巻き起こす。その身体能力を体術を放つ際に十全に発揮したとしたら……?

 疑問の答えが今――明らかにならんとしていた。

 

 実弥の右腕に空気が集まりきる。溜めた空気が筋繊維一本一本、血管の一筋一筋にまで巡り、一つの空気の塊になって膨張する。それに従い、実弥の右腕の筋肉もミシィッ、という微かな音を立てながら、一回り近く膨れ上がる。

 実弥のやろうとしていることが何か。答えは、至極単純だ。

 

 膨れ上がった剛腕を、踏ん張りをきかせながら振り抜く。刀を振るう時と全く同じ要領で疾く、鋭く。そして、腕を突き出して大気を殴りつける瞬間に、腕に溜めた力を烈風の如く一息で爆発させ――

 

(溜めた力を、風圧を……そのまま、押し付けるッ!!!)

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)無手(むて)――風壁(ふうへき)(あだ)(かぜ)ッ!!!

 

 

 

「ッ、ぐっ!?」

 

 無防備な爆豪の肉体に逆風が叩きつけられた。実弥の右腕が一回り近く膨れ上がった瞬間に後退を試みたが……間に合わなかった。逃れられなかった。

 風圧の塊が、壁が爆豪を突き飛ばす。ついでと言わんばかりに、周りにいた数々の騎馬をもその暴風に(さら)していく。

 

「ッ……クソがァァァァァ!!!」

 

 実弥の隠していた第二の手札を見抜けなかった。やはり、容易く退けられた。新たな苛立ちが胸中に湧き上がり、憤怒に満ちた叫びを轟かせながら爆豪は吹き飛んでいく。

 

「ばっ、爆豪ぉぉぉ!!!?」

 

「だから、勝手すんなって言ったのに!」

 

「言ってる場合じゃないって!ミッドナイト先生の発言、聞いてたでしょ!?爆豪が地面に落下したら、あたし達も脱落しちゃうよ!」

 

「そうだった、早く爆豪拾うぞ!瀬呂、頼む!」

 

「おっしゃ、瀬呂君に任せときな!!」

 

 騎手が地面に落下すれば、即脱落。そのルールが爆豪チームの騎馬である切島、芦戸、瀬呂の頭を(よぎ)る。

 絶対に勝ち残る。もう一度、全員で1000万を獲りに行く。そんな思いを胸に、慌てて爆豪を拾おうと彼らは動き出した。

 

「「「「「おおおおおっ!!!!!」」」」」

 

「見たか、今の!まるでオールマイトだぞ!?」

 

「ああ!ありゃ、将来有望だ!」

 

 焦る彼らと反対に、観衆や実況のプレゼントマイクはテンションが上がる。

 

『と、獲られたかと思ったじゃねえか!?ギリギリで退けて、予想を覆すとは……やるなぁ、不死川!このエンターテイナーめ!試合を滅茶苦茶盛り上げてくれるぜ!!それにしても風圧たァ、オールマイトを彷彿とさせる芸当だ!身体能力どうなってんだ!?』

 

『……爆豪が勝ちを確信して油断するまで引きつけたってだけだろう。何はともあれ、刀を振りゃ、その余波で風を起こせる不死川だ。拳で同じような芸当が出来ても不思議じゃないと俺は思う。威力こそオールマイトには及ばないが、牽制や妨害には十分過ぎる。あれなら、相手を怪我させることもない。倫理的な観点から言っても、合理的な一手だ』

 

『ナイス解説!』

 

 ピンチを覆す。それもまたヒーローに必要な素質で、それこそが民衆に希望を(もたら)す。自然と心を熱くさせる。人々をヒーローに熱狂させる。

 見守る観衆の心もそのように熱くなった。そういう意味では、プレゼントマイクの感じ方も間違ってはいないかもしれない。

 ……勿論、実弥の行動の理由の正解は相澤の推測だが。

 

「……まだ心臓バクバクしてんだけど!?驚かせんなよ、不死川!あんなオールマイトみたいなことが出来るなら、先に言っといてくれよな!!」

 

「……心臓に悪い……!獲られるかと思ったよ!!……まあ、問題ないって言ってたから、信じてたけどさ……」

 

(わり)ィ。……よく言うじゃねェか。『敵を欺くにはまず味方から』ってな」

 

「むむむ、当たりませんでしたか。発射に対して上手く反応されると厳しいですね……。弾を発射する速度を上げるべきでしょうか?それとも……。いや、その前にデータを取らせてくださいっ!不死川君の身体能力をきっかけにして、何か新しいベイビーが作り出せるかもしれません!」

 

「……そういうのは体育祭の後にしろォ。ったく、ブレねェ奴だァ」

 

 自分の発明品が通じなかったことに、まだまだ改善の余地があると考えて次のアイデアを既に練り始めては、データを取らせてほしいと強請(ねだ)るマイペースな発目を他所に、心底安心しつつも抗議の声を上げる鉄哲と拳藤に実弥は苦笑しながら謝罪し、呆れ混じりに発目を諭す。

 今でこそ怒りで周りが見えなくなっている爆豪だが、ああ見えて普段はクラスで1、2を争う程に頭がキレる男だ。下手に手の内をチラつかせると、すぐにそれを看破してしまう。少なくとも、実弥はそういう面は認めている。

 だからこそ……今の爆豪の隙に付け入り、油断し切ったところを確実に刈り取る必要があった。

 

 木刀を構えず、発目のサポートアイテムだけを構える。自分には木刀を使用せずに別の道具だけで退けると錯覚させ、それを外すのを前提にした上で、風壁・仇の風を打ち込む準備をサポートアイテムを構えたタイミングで整える。

 そして、油断し切ったところに叩き込む。

 そういう策を企てた。

 

 観衆達が沸き立つ中、それを放った本人と対峙する選手達は、ただ息を呑んだ。

 目の前に立ち塞がる壁の高さに。そして、いくら貫こうとも貫けぬ厚さに。

 

 A組の面々は、進化を遂げた実弥を見て驚愕しながらも、それでこそ不死川実弥だと感心する。

 一方、B組の面々は、初めて実弥の実力を目にした者が多く、圧倒されて硬直してしまっていた。

 噂程度に聞いてはいたが、ここまでなのか。そう考える彼らの頬を、冷や汗が伝った。

 

「と、取り敢えず、爆豪は退けたし、緑谷達は慎重に機会を(うかが)ってるし。そんでもって、よく分かんねえけどウチのクラスの奴らは硬直しちまってるし……。一安心ってところだな!」

 

 鉄哲がニカッと笑いながら言う。対し、実弥は、眉を(ひそ)め、真剣な面持ちで返す。

 

「いや、まだだ」

 

 その瞬間、実弥達の肌を凍てつく冷気が撫でた。冷たい空気を肌で敏感に感じ取りながら一同が振り返る。

 視線の先にあったのは、無数の氷柱。それが、大質量で地を這う大蛇の如く襲いくる。

 

「氷!?……轟か!」

 

「もう一丁踏ん張れェ、鉄哲!俺が叩っ斬る!!!」

 

「了解だぁっ!」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)''(かい)''――爪々(そうそう)科戸風(しなとかぜ)''裂断(れつだん)''!!!

 

 

 

 実弥が放ったのは、爪々・科戸風の改式となる型。やることはシンプル。鋭利な獣の爪を思わせる四つの斬撃を縦に打ち下ろす弐ノ型を、更に速く乱れ打ちするだけ。

 氷の大蛇に何十匹もの風の獣が襲いかかり、その体を鋭利な爪であっという間に切り裂いた。氷が粉々に砕け散り、太陽の光を受けてキラキラと光を放ちながら舞う。

 

「……そう上手くいかねえか」

 

 木刀を扱って氷を叩き斬った。そのはずなのに、木刀には一切の傷が見られない。

 こいつは……とんでもない刀の使い手だ。

 改めてそう思いつつ、轟が実弥を睨みつける。

 

「ま……あの爆発頭が来りゃあ、お前も間違いなく来るよなァ。轟ィ」

 

「不死川……。始まって早々に悪いが……容赦なく()りにいくぞ」

 

 1000万に対する欲望に満ちているギラついた瞳。実弥を出し抜いて1000万を奪い取るというやる気に満ち溢れた瞳。それらが実弥チームの騎馬に集中する。

 それらを受けてなお……実弥は笑った。

 

「全員いい面構えだァ。……面白くなってきやがった。やれるもんならやってみろォ!!!」

 

 騎馬戦は、まだまだ始まったばかりだ。




騎馬戦のメンツ、及び合計ポイント数をご紹介しておきます。


【挿絵表示】


因みに、波動さんの衝撃波を放つ時のイメージの持ちようは完全に独自設定です。ガバガバかもしれませんが、ご容赦ください。

それと、お知らせです。今年、筆者は就活の年となりますので確実に更新ペースが落ちます。気長に待っていただけますと幸いです。


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第三十八話 騎馬戦(中編・上)

すみません。中編書いてたら、めちゃくちゃ長くなりました……なので、中編を更に上、中、下に分けることにしました。

想定以上に長くなってますが、どうかお付き合いください。

今後の更新ペースはしばらくこんな感じになりますので、よろしくお願いします。

2022/3/23
心操君の洗脳にかかる瞬間のやりとりを多少修正しました。(拳藤さんの「答えちゃダメ」を別のセリフに差し替え、心操君の問いに対する実弥さんの答えを多少省略)

2022/11/6
峰田チーム、葉隠チームが小大チームによって足止めを喰らっている描写を追加しました。


『開始早々、不死川チームに次々と刺客が押し寄せていく!泡瀬チーム、葉隠チーム、常闇チーム、1人突っ込んできた爆豪に続いて襲いかかってきたのは……轟チームだ!!轟もまた推薦入学者の1人!こりゃあとんでもない勝負になりそうだぜ!!!』

 

 プレゼントマイクの実況が響き渡る元で、各チームの騎手である轟と実弥が睨み合う。互いに間合いを測り合うように、攻撃の機会を(うかが)うようにして、円を描きながら立ち回る。

 そして……遥か先を憎む意志を込めたオッドアイで実弥を睨みつけた轟が先に仕掛けた。

 轟が冷気を発しながら右手を振るうと、氷の波が地を走りながら、実弥達の元へ押し寄せる。

 

(あめ)ェ!」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(さん)(かた)――晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)

 

 

 

 だが、その波が一同を飲み込むことはない。迫る波に呼応し、実弥の放った嘆きの一撃が存分に振るわれた。彼の騎馬の周囲に旋風の渦が逆巻き、氷の波を(ことごと)く斬り裂いて、何の効力もないただの氷の礫へと早変わりさせてしまう。

 

「ちくしょう……!厄介だな、あの竜巻!相変わらず才能マンだよ、不死川!」

 

「味方を巻き込まずして、周囲に竜巻を起こす……。並大抵で出来る芸当ではありませんわ……!」

 

 クラスで屈指の実力者であるはずの轟の猛攻を容易く凌ぐ実弥の姿に、上鳴が悪態を()き、八百万が圧倒されながら呟く。

 

(くっ……!このまま、轟君が氷結で攻撃を続けたとしても……状況が動かないのは明らかだ!だが……!)

 

 飯田も飯田で、実弥の隙のなさに歯痒さを感じていた。実を言うと、彼には障害物競走でも見せることのなかった切り札がある。だが、その切り札は諸刃の剣。

 一度切ってしまえば、彼は使い物にならなくなる。もしも、目の前の実弥達から1000万を奪えたとしても、今度はそれを求める大量の騎馬や、奪い返そうと奮起になった実弥達が立ちはだかることになり、彼らから逃げなければならないのは確実だ。その際、先頭で機動力を務める飯田が肝になるのは言うまでもない。

 故に……切ろうにも切れない。切るとしたら、騎馬戦の終盤。このままいけば、ポイントを奪われずに済むという安心が実弥達の中に湧いた時。ここが最適だ。

 

(まだだ……!焦るな!不死川君に一矢報いる為に、今は機会を窺う時だ!)

 

 このままでは何も出来ずに終わる。そんな焦りに折れることなく、飯田は冷静に機会を窺い続ける。

 

 一方、迫る轟の氷結を易々と凌ぎ続ける実弥ではあるが、別に内心まで余裕綽々である訳ではない。

 瞬きする間に展開し、迫る氷。その展開速度は、非常に厄介だ。それを平然とした顔で放ち続ける轟の凄さを肌でヒシヒシと感じ取っていた。

 ここまで技を何度も連発してはいるが、体力自体に余裕はある。しかし、備えあれば憂いなし。体力を後々に温存しておいて損はないというもの。

 

(……轟の氷を封じる手立てが何かあるはずだ)

 

 轟を封じる為の手立ては、今の状況を抜け出す為にも必要なことで。何かないかと思考をしていた実弥は……ふと思いついた。

 

「……!鉄哲、拳藤、発目。轟がいる位置の左側をキープしろォ」

 

「……左側ね。分かった!」

 

「でも……何で左側なんだ?」

 

 実弥の指示に従いつつ、鉄哲が尋ねる。

 

「何かこだわりがあんのか、詳しいことは知らねェが……轟は、左側の力を使う素振りを全く見せねェ。何があってもなァ。つまり、左側にいれば、攻撃されるリスクが減るし、向こう側も攻撃しようにも出来ねェ状況になる。利用しない手はねェってもんだァ」

 

「……そういうことか、流石だね」

 

「……?どういうことだ?」

 

 実弥が轟を見据えながら言うと、拳藤が納得した様子で笑いながら呟き、発目も頷いていたが、鉄哲は全く分かっていない様子だった。

 

「チッ……」

 

(野郎……。上手く立ち回ってやがる……!)

 

 そんなことを話しながら、自分達の左側に移動している実弥達を見て、当の轟本人は舌打ち混じりで彼らを恨めしそうに睨みつける。

 轟は、自分の憎き相手を……父親を完全否定する為に、戦闘において炎の力――即ち、左側の力を扱わないことを固く誓っている。当然、彼の今の攻撃手段は右側の力しかない。

 これが1対1ならば何も問題はないのだが、今は騎馬を組んでいる状況。自分の左側に対して氷を放とうとしても出来ない。何せ、どう足掻いても、先頭を務める飯田が轟の射線状に被り、彼を巻き込んでしまうから。

 

「くそっ、攻めようがねえ……!」

 

 攻めたくとも攻められない。かと言って、いざ攻めてみれば、攻撃を全て防がれて攻め切れない。耐え難い状況が続いていることと、轟の左側に位置取るよう指示が出された理由を聞いた鉄哲が実弥の分析力に感心するという余裕そうな様子を見せていることに、轟は悔しさで歯を食いしばった。

 

(……轟の奴、攻めあぐねてやがるな。予想は大方合っていたって訳だ)

 

 悔しげに自分を睨み続ける轟を見て、実弥は自分の判断が正解だったのだと悟る。この状況を保って、鉢巻を守り切るという選択肢も勿論あり。だが、何事においても保険はかけておくべきだ。

 

(…………更に牽制して、プレッシャーかけるか)

 

 攻めあぐねる轟チームを牽制することを決めた実弥は、木刀を振り抜き、(かたわ)らにある轟の手で形成された氷塊の一部を砕くと、それを見事な剣捌きで銃弾程のサイズの礫に斬り刻んだ。

 

「……あれ?不死川、何してんだ?」

 

 実弥の行動を疑問に思った鉄哲が尋ねる。

 

「まあ、見てりゃあ分かるぜェ」

 

 尋ねた鉄哲に対し、実弥は何かを企むような不敵な笑みを浮かべて答えると――

 

「行くぜ、轟ィ!止められるもんなら止めてみやがれェ!!!」

 

 叫ぶと同時に、親指で氷の礫を弾いて撃ち放った。その身体能力故に、撃ち放たれた礫の速度はとんでもない。銃弾さながらの速度で、瞬く間に轟との距離を詰めていく。

 

「ッ!?」

 

 迫る氷の弾丸に、轟は思わず肩を強張らせた。しかし、この程度ならば、氷の壁で防げば問題ない。そう思い直して、右手から冷気を放って冷静な対処を試みる。

 そんな彼が目にしたのは……空中に跳躍する実弥の姿だった。

 

「おいおいィ……まさか、ただ氷の礫を飛ばして終わりだと思ってねェだろうなァ!?ただの礫じゃ牽制にならねェのは重々承知!だから――こうすんだよォ!!!」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(しち)(かた)――勁風(けいふう)天狗風(てんぐかぜ)!!

 

 

 

 獰猛に笑いながら実弥が声を発し、空中で獣の如く荒々しく体を捻って木刀を振り抜く。実弥が放った強く吹き荒れる突風は螺旋を描きながら、なんと……彼が撃ち放った氷の礫に纏われた。

 

「なっ!?」

 

「か、風が氷の礫に纏われましたわ!?」

 

「待て待て待て!どうなってんだよ!?そんな技知らねえって!!」

 

 激しく吹き荒れる旋風を纏った氷の礫が完成したその光景に、轟一同は思わず目を見開く。

 

『急に氷の礫を投げたと思ったら、自分の放った風で威力を底上げしやがった!?おい、不死川!実は風を放つのは"個性"によるものなんじゃないか!?そう疑わしくなるくらいの高等な技術をお披露目だ!!!』

 

『個人が強いだけに飽き足らず、攻撃力の増強まで可能ってか。遠距離武器を使う相手と組み合わせれば、味方のサポートも出来る。……隙がないな』

 

 これまで、実弥が露わにしてきたのは、単騎でランキング上位のプロヒーローの中に食い込める程のシンプルな実力のみ。故に、相澤とプレゼントマイクも実弥が行った味方のサポートにも応用出来そうな芸当は予想がつかなかったようで、両者共に興味津々な視線を向けていた。

 

「チッ!本当にあれが技術で出来る芸当だってのか!?」

 

 轟は風を纏って突き進む氷の弾丸を目にすると、悪態を吐きながら右腕を振り上げ、咄嗟に氷壁を形成した。それと同時に竜の息吹を彷彿とさせる勢いで冷気が発生し、氷柱が幾重にも重なった壁が突き立つ。

 刀を振るえば鎌鼬を巻き起こせる程の身体能力を()って弾き飛ばしているとは言え、所詮は氷の礫だ。何層にも重なった氷柱の壁を貫ける程の強度はない。だが……実弥の放った礫は、話が別だ。

 

「……!?」

 

 いくら遠距離での攻撃が出来るとは言え、それが届く距離には限界があるはずだと考えて、一刻も早く距離を置きたい一心で後退を試みる轟チーム。

 念の為に警戒を続けようと氷壁を見つめていると……それは起こった。

 なんと、氷壁が礫に纏われた旋風によってバラバラに切り刻まれ、崩れ落ちてしまったのだ。

 

『おっと!?不死川の撃ち放った氷の礫を防ごうと試みた轟だが、簡単に突破された!礫に纏われた風が氷壁を切り裂いた!障害物がなくなれば、そりゃもう真っ直ぐに進んじまう!気をつけろ、轟!礫はすぐそこに迫ってるぜ!!!』

 

 氷壁が崩れ落ちたのを見るや否や、プレゼントマイクが煽るように実況で畳み掛ける。嫌なくらいに自分の状況を突きつけられた轟の中には、焦りが生じた。

 それでもなお、何とか冷静であるように努め、迫り来る礫を目でよく見て――間一髪の所で、首を逸らすことでそれを避けた。

 

『おおっ、流石は推薦入学者!礫の軌道をよく見て、見事に(かわ)した!そうこなくちゃ面白くねえ!』

 

(っぶねえ……ッ!!)

 

 無事に礫を避けた轟にプレゼントマイクや観衆は興奮しているようだが、当の本人やチームのメンバーは全員肝を冷やしていた。

 特に、轟は礫に纏われた風に掠ってひらりと宙を舞った髪の1、2本を目の当たりにし、心臓を鷲掴みにされたような悪寒を覚えていたようだった。

 仮に命中していれば、リタイア待ったなしだろう。無論、加減はされているのであろうが……それでも精神を擦り減らす役目を果たすには十分過ぎた。

 そういう意味でも、撃ち放った氷の礫に勁風・天狗風で放った旋風を纏わせるという策は立派な牽制の一手となったようだ。

 

「ち、近寄れねえ……!」

 

「一度放てば、軌道は調整不可能なようですし、礫と同等以上の速度であの中を掻いくぐることが出来るのなら、接近することも可能だと思うのですが……」

 

「騎馬戦で複数人いる状況だからな……。あの中を掻い潜るような動きは出来そうもない……。それに、今の俺では一度速度を出すとあの中を掻い潜るような複雑な動きをすることは難しそうだ」

 

「マジか……。じゃあ、確実に動きを止めるか、他に意識がいってるところを攻めるしかなくね?」

 

 間合いを保つように足を動かし続ける上鳴、八百万、飯田の会話を耳にしつつ、轟も不死川には隙がなさ過ぎると改めて思った。

 

(1000万を奪いさえすりゃ、1位に躍り出ることが出来る。確実に獲るには……上鳴の放電で動きを止めて、そこから俺の放つ氷結で足元を凍らせる他にねえ……!)

 

 父を完全否定するという野望。その実現の為には、右側の氷だけの力で頂点に這い上がる他にない。

 1000万を奪い取り、形勢逆転。一気に1位に躍り出る。それが出来れば、自分こそがこの場にいる誰よりも優秀だと、No.1により近い場所にいるのだと証明出来るはず。

 競技の時間は15分。時間は限られている。轟としては、一刻も早く策を実行したいところだ。善は急げと八百万に声を掛けて準備に取り掛かろうとしたその時だった。

 

「ハイ、しゅーりょー」

 

「!?」

 

 轟の右後方から声が聞こえた。咄嗟に、冷気を纏った右腕を振り払いながら振り返る。

 

(何だ……!?口……?)

 

 振り返った先にあったのは、ギザギザと尖った歯が特徴的な何者かの口だった。ケタケタと笑いながら轟の右腕を避けるそれに、何者かの''個性''であるのは間違いないとして、轟は周囲を警戒する。

 

「ッ!轟さん!伏せてください!!口の方は囮ですわ!」

 

 突如として響く、八百万の危機感に満ちた声。事態を察し、轟が反射的に身を低くして伏せる。それと同時に、空中に浮かんだ手が先程まで轟の頭――正確に言えば、そこに巻いていた鉢巻のある位置を通り過ぎた。

 まさに間一髪。八百万が声をかけてくれなければ、間違いなく獲られていた。

 

「……すまねえ……!」

 

「いえ……お構いなく。救け合うのは当然のことですから」

 

 彼女が声をかけるまで近づいていた敵の存在に気が付かなかった己の不甲斐なさを感じながら謝罪を溢しつつ、ふわふわと空中を漂いながら何処かへと戻っていく手と口を目で追った。

 

「流石は推薦入学者。轟はまだしも、八百万は視野が広いね。ま、そんな上手くはいかないかー……」

 

「んだとっ……!?」

 

 まるで自分は視野が狭いと言われているような言い方に、若干の苛立ちを覚える轟。安い挑発に乗せられかけているその姿を見た、ギザギザとした歯が特徴的な口と空中にふわふわと漂う手の持ち主――取蔭切奈は、奇術師のようにケタケタと笑った。

 

「まあまあ、そう怒んないでよ。でも……不死川の1000万に執着してたのは事実じゃん?」

 

「ッ……」

 

「轟君、相手は君の心を揺さぶりにきている!挑発に乗ってはいけない!落ち着くんだ!」

 

 取蔭の言ったことは紛れもない事実で、何も言い返せなくなって歯を食いしばる轟と、彼の精神状態を保たんとして声をかける飯田を見て、愉快そうに笑みを深めながら取蔭は続ける。

 

「A組憎しって訳じゃないけどさ、私達B組だって同じヒーロー志望な訳。……それなのに、A組ばっかり注目されてるのってちょっと気分良くないんだよね。まあ、ぶっちゃけてしまえば嫉妬だね。あんたらだけが注目されることに対しての」

 

「……A組(俺達)を引きずり下ろし、組全体で下剋上を果たそうという訳か!」

 

「そゆこと。あんたらの敵はクラスメイトや不死川だけじゃない。B組ほぼ全員だって敵なんだよ」

 

 鋭く尖った八重歯を見せつけるようにして不敵に笑った取蔭。轟が辺りを見回してみれば……いつの間にか、周囲を無数のB組の騎馬が囲んでいるではないか。

 

『轟チーム……っつーか、不死川チーム以外のA組の騎馬、B組に足止めされてんぞ!?……んん!?しかも、爆豪チーム、いつの間にか0Pに転げ落ちてんじゃねえか!』

 

『組ぐるみで上位を掻っ攫おうって魂胆か。B組の奴ら、障害物競走でやたらと下の順位に固まっているなとは思っていたが……。そのタイミングで、A組の''個性''や性格を分析していたんだろうな』

 

 プレゼントマイクの実況と相澤の解説でようやく状況を認識した轟は、一旦冷静になって視野を広くすることを意識し、辺りを見回した。……そこで初めて、自分の目で状況を確認出来た。

 

 常闇チームが辮髪(べんぱつ)のような髪型が特徴的な鱗飛竜のチームに足止めされている。

 爆豪チームに至っては、ニヒルな微笑みを浮かべた優男風な顔付きが特徴的な金髪の少年、物間寧人率いるチームに鉢巻を強奪されたようだった。その証拠に、逃走を図る彼らに対して、爆豪が(ヴィラン)も真っ青な表情で怒号を上げ、焦りを見せる切島達と共にその背中を猛追している。

 更に、峰田チームと葉隠チームも、黒髪ボブヘアーの整った顔立ちをした美少女――小大唯率いるチームの足止めを喰らっていた。彼らの足元には何やら白い液体が撒き散らされている。

 

 確かに自分は実弥の持つ1000万に相当に執着し、視野狭窄に陥っていたようだ。辺りを見回したことで、嫌でもそのことを認識させられた。

 

「……ね?あんたが……というか、A組全体が如何に不死川しか見てなかったか、解ったでしょ?不死川の1000万を獲るのは私達B組。あんた達A組じゃない。悪いけど、視野狭窄なあんたにもここでリタイアしてもらうよ、轟!」

 

「……!」

 

 自分の体のパーツを分解させながら、取蔭がケタケタと笑う。他の面々も下克上を果たす気満々な様子だ。

 その一方――

 

「……緑谷の方も、轟の方もB組(ウチ)の騎馬に囲まれてんな。爆豪も物間に奪われてそっちの方に集中してるし……。逃げるチャンスじゃねえか?」

 

「そうだな、争いの渦中に留まる必要性はねェ。轟達から距離置くぞォ」

 

「了解!」

 

「分かりました!立ち止まっていては、私のベイビーも目立ちませんからね!」

 

 実弥達は、轟チームがB組を相手にしなければならない状況に陥ったのを好機と見て、彼らから距離を置くようにどんどん突き進んでいってしまう。

 勿論、これを容易く逃がす轟ではない。

 

「っ、待てっ――」

 

 逃走を図る彼らの足元を凍らせて動きを止めようと、右腕を振り抜いて氷結を放たんとするが……。

 

「だーかーらぁ……!私達B組も、ちゃんと敵として認識しろって言ってんの!!」

 

「っぐっ!?」

 

 轟の動きを遮るようにして、20近くもの数に細かく分解された取蔭の肉体が、彼を急襲する。

 威力は小さいものの、的が小さい。轟ですらも、虫のように素早く且つ、しつこく動き回る取蔭の肉体を捉えきれない。

 彼女の"個性"、"トカゲのしっぽ切り"が今まさに猛威を振るった。

 

「……どうしても1000万を()りたいなら、私達を制圧してからにしなよ。簡単には突破させないけどさ」

 

「くそっ……!」

 

 ここで敗退する訳にはいかない。何としても耐え凌ぐ。この難関を切り抜ける。

 父親への憎しみの炎を強く燃やして勝利への執念へと変え、挑発で揺らぎつつある心を強く保ちながら、轟は右手を構えてジリジリと迫るB組の騎馬を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論として、轟が取蔭チームの妨害で道を阻まれた影響で、実弥達は無事にその場を離れることに成功した。

 だが、轟一行から逃れて、後は逃げに徹すればいい……などという上手い話がある訳もない。逃げたそばから、別の騎馬によって追撃を受けていた。

 

「僭越ながら、再び挑ませていただきます。風の使者よ!」

 

 塩崎が神に祈るような姿勢を取ると同時に、大質量の蔓が津波のような勢いで迫り来る。

 

「――ふっ!」

 

 迫る蔓の髪の毛に対し、空気を爆ぜさせるように鋭く息を吐き出しつつ、実弥は自身の周囲を囲うようにして真空波を巻き起こした。

 そして、それは天高く立ち昇りながら、塩崎の蔓の髪を斬り裂いた。宙に、バラバラに斬り刻まれてしまった蔓が舞い散る。

 

 直後、刀の刃に飛び散った血を払うかのような洗練された動作をし、実弥が言い放つ。

 

「切り離した大量の髪をこっちに押し付けると同時に、その裏で別の髪を用意して鉢巻を獲ろうと画策するたァ……やるじゃねェかァ!」

 

「っ!」

 

「背中に目でも付いてんのか……!?」

 

 その言葉に、塩崎は思わず肩を跳ねさせ、泡瀬が顔を引き()らせながら驚く。

 大量の蔓を髪から切り離して解き放つことで壁を作り、姿を視認出来ないようにする。加えて、その間に自身はまた別の伸縮自在の蔓の髪を伸ばし、背後から鉢巻を掠め取ることを狙っていたのだが……。どうやら、見抜かれていたらしい。前方と背後、その両方からの攻撃を防ぐ為の真空波だったという訳だ。

 

「オラァッ!!!」

 

「そして……こうしてる間にも、俺の動きを制限するという抜け目のなさ……!突く隙すらもないぞ!」

 

『不死川、風圧を連発!!暴風同然なその勢いに、泡瀬チームは動けない!なす術なしか!?』

 

 塩崎の行動を見抜かれて思わず固まる一同。その間にも実弥は肺に取り込んだ空気を少しずつ吐き出すイメージで虚空に拳を叩きつけ、連続で風圧を放っていく。

 この容赦ない風圧乱射のせいで、骨抜達は体勢を崩されないように踏ん張ることがやっとだ。こんな逆風の中を突っ切れる訳もなく、ましてや骨抜が"個性"発動の準備に取り掛かることも出来ないという始末。プレゼントマイクのなす術なしという言葉も間違っていない。

 

 状況をひっくり返さんと次々とA組の騎馬の上位陣に攻撃を仕掛けているクラスメイトの為にも、自分達が最終種目に出場し、B組の存在を知らしめたい。その願いの強さは誰にも負けないはず。

 なのに、願いの強さでさえも目の前の男には届かないのか。

 そんなことを思いつつ、何も出来ない無力さに悔しさを覚え、泡瀬達は下唇を噛み締めた。

 

「よしっ、不死川の風圧で塩崎達は足止め出来てるな……!」

 

「この風圧、連発まで出来ちゃうんですね!?ふふふふふ……!新しい発想が生まれそうです!」

 

「油断しないでよ、鉄哲。いつどこから誰が来るか分からないんだから。B組(ウチ)がA組に対して一気に仕掛け始めた以上、アイツもそろそろ来そうだし。発目も、今は競技に集中!」

 

「確かにな……!抜け目のねえ奴だし、気は緩めらんねえ!」

 

「すいません、開発者の性ってやつでして……。これで一番下まで転げ落ちては、私のベイビーも目立ちませんもんね!警戒はお任せください!"個性"の影響で、視力もズバ抜けて良いので!」

 

 実弥が泡瀬達の動きを止めている間も、鉄哲、拳藤、発目は周囲の警戒を続ける。ほんの一瞬の隙が、1位から最下位へと引き()り落とされる原因になりかねない。如何なる時であろうと油断は禁物だ。

 そうしているうちに、発目の目――彼女の"個性"は"ズーム"と言い、5km先であっても鮮明に見ることが出来、自身が高速で移動している最中でも対象に正確に標準を合わせられる程の凄まじい視力がある――が、新たに襲来する刺客を捉えた。

 

「……むむ、また一騎来てますよ!普通科の人のチームです!」

 

「普通科……。よりによって、不鮮明なところがきたね……!」

 

「不死川!普通科の奴が率いてるチーム来てるらしいぞ!!」

 

「了解ィ!」

 

 新たなる刺客――その正体は、青山と尾白に加え、小柄でぽっちゃりとした体格をしたB組の少年、庄田二連撃を連れた心操のチームだった。

 実弥はチラリと目線をやって、こちらに向かってくる心操チームを捉えると、木刀を振り上げる。

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――木枯(こが)らし(おろし)

 

 

 

 速度を乗せて木刀を振り下ろすと、冷風が鉄槌の如く地面に叩きつけられた。その勢いは凄まじく、グラウンドの砂を巻き上げて土煙を発生させる。

 

「うわっ!?土煙が!?」

 

「今度は視界を封じてきたのですね……!」

 

 巻き上がった土煙は、瞬く間に泡瀬達の視界を塞いでしまう。そして、実弥達の姿を覆い隠し、捉えられなくしてしまった。こうなると下手な行動は取り難いもの。視界が不明瞭な状態で不意打ちを喰らうことを警戒し、泡瀬達は動きを止めてしまう。

 視界を塞ぐことは悪手にもなり得る。だが、泡瀬達が動きを止めてくれたことで、今回は良策となったようだ。これで、実弥達は心操チームの相手に専念することが出来る。

 

「……」

 

「……相手は、何をしてくるか分からねェからな」

 

「うん、分かってる。……鉄哲と発目も油断しないでよ」

 

「ったりめえだ!こんなところで負ける訳にはいかねえもんな!」

 

「私もベイビーの為に負けられませんので!油断はしません!」

 

 心操のチームと睨み合う実弥に代わって、発目と鉄哲に警戒を呼びかける拳藤。自信満々に自分達に油断はないと答える2人を見て頼もしく思いつつも、どことなく心配になるが……。

 そんなことは置いておこう、と思考を切り替えて目の前に集中する。そして、彼女は違和感を覚えた。

 

 何しろ、心操の騎馬である3人の目に生気が宿っていないのだ。目が虚ろだ……とでも言うべきなのだろうか。

 普通科であっても第一種目を勝ち抜いてきた心操には、勝利に対する強い思いがあるはず。そんな彼と組んだ3人も同じように強い思いを持っているはずだが、彼らの目からはその思いが感じられなかった。

 

 まるで、意思もなく糸で操られている人形のようだ。彼らを見た拳藤はそう思った。

 

 互いを探り合うように睨み合いを続ける中、ふと心操が口を開いた。

 

「なあ。1位のあんた……不死川って言ったっけ?」

 

 言葉を発することなく、実弥は眉を(ひそ)める形で答え、チームのメンバーも訝しむように彼を見た。

 心操は、彼らの様子の変化に動揺も見せることなく続ける。

 

「……チームのメンバー、クラスメイトが1人もいない訳だけどさ。他のクラスの標的になるはずのあんたに協力してくれないなんて、クラスメイトは冷たい奴らばかりなんだな。いや、あんたと一緒に狙われる覚悟のない腰抜けなのか。それとも――」

 

――あんたに、よっぽど信用がないのかな?

 

 A組のメンツのみならず、実弥をも侮辱する発言に、鉄哲と拳藤の中に小さな炎が宿る。突然挑発を投げかける不自然な言動に、流石の発目も疑問を抱いて首を傾げた。

 拳藤の方は、なんとなく嫌な予感がしてその炎を鎮めようとして堪えている。だが、自他ともに認める馬鹿で直情的な熱い男、鉄哲はその発言を流せない。彼の中の炎に薪が焚べられ、轟々と燃え盛っていく。

 歯を食いしばり、今の発言を訂正しろと叫びかけたその時だった。

 

「――ッ!?」

 

 傷だらけの実弥の右腕が視界に現れ、彼を制した。何が何だか分からないながらも、鉄哲は必死に内に燃え盛る炎を抑え込もうとする。

 耐えるような様子を見せる彼を見遣って、良くやったと内心で褒めてやりつつ、実弥は心操を睨みつけた。

 

「不死川……?何を――」

 

 何をする気なのかと尋ねようとする彼女を半ば無視するように、実弥は答えてしまう。

 

「俺の信用に関しちゃ、好き勝手に言ってろォ。だが――」

 

 刹那――実弥の意識に靄がかかった。

 

「……不死川?どうしたの?ねえ、不死川!?」

 

 実弥の声が突然途絶えたことに気が付いた拳藤が声をかけるも、返事がない。

 その光景を見た心操は……不敵な笑みを浮かべながら、ただ一人呟いた。

 

「……俺の勝ちだ」

 

 同時に、彼の行動の結果を晒し上げるようにして偶然にも風が吹き抜け、土煙を晴らしていく。

 

『おおっ、やっと土煙が晴れたぜ……!不死川が風圧を地面に叩きつけて土煙を巻き上げ、泡瀬チームの視界を塞いだ状態で心操チームと対峙したみたいだが、その結果は……!?』

 

 土煙が晴れて実弥達の姿が露わになると、プレゼントマイクが待ち遠しかったと言わんばかりに実況を入れた。そして、彼は思いもしなかった結果に唖然とすることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……あれっ?不死川が……動きを、止めてる……?』



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第三十九話 騎馬戦(中編・中)

今回のお話は、多分今までで一番長いです。良ければお付き合いください。

予め言っておきます。今回から……次回にかけてですかね。物間君に対してのアンチと捉えられる描写が存在します。また、彼が結構過激な発言してます。この時点で無理だと思った方、申し訳ございませんが、ブラウザバックすることをお勧めします。

アンチであっても許せる方のみ、読んでいただければと思います。


 心操人使。"個性"――"洗脳"。

 洗脳する意志を持ってした問いかけに返事をした者を操ることができ、簡単な動作を命令することができる。

 

 昔からそうだった。彼が"個性"を明かせば、周囲は当たり前のように口にした。

 「犯罪者向きだ」とか、「悪いことし放題で羨ましい」とか。同じクラスの女子生徒から、性犯罪者を見るかのような目で見られることさえあった。

 いつの間にか、自分の"個性"は何よりも大きなコンプレックスとして渦巻いていた。

 

 それでも、彼は憧れた。自分の"個性"を活かして人々を救けるヒーローに。

 自分の"個性"を人助けに活かしたい。そう思うようになった。誰よりも強く、その将来を想い描いてきた。その将来を口に出すだけや心に想うだけで終わらせたくない。

 

 ――だから、なりふり構わずにここまで進んできた。

 

「優勝候補の奴がぴたりと動きを止めちまった……?」

 

「あの子なら、既に相手を返り討ちにしててもおかしくないのにね……」

 

『不死川が全く動かない……!?おいおい、どうなってんだ!?まさか、心操……本当はヤバい奴なのか!?この大会のダークホースなんじゃねえか!?』

 

 騒つく会場全体とプレゼントマイク。彼の動揺が前面に現れた実況を耳にしつつ、相澤が呆れ混じりに呟く。

 

「……だから、あの入試は合理的じゃないって言ってんだ」

 

 彼の視線の先にあるのは、心操の"個性"などが記された教員用の記録簿。

 それを見つめる相澤に気が付き、プレゼントマイクも思わず記録簿を覗き込んだ。

 

「えー……心操人使……。"個性"は、"洗脳"……!?洗脳する意志を持ってした問いかけに答えた相手を自由に操るて……初見殺しじゃねえか!」

 

 目をひん剥く程に見開いて驚愕するプレゼントマイクを他所に、相澤は記録に目を通しながら思う。

 

(……あの入試は、どうしても攻撃力のある"個性"を持つ奴が有利になる。心操は、ヒーロー科の入試に落ちてるらしいが……そりゃあポイントを稼げもしねえよな)

 

 どうして、こんなヒーロー向きで立派な"個性"を持った奴が落ちなきゃいけないのか。そんな嘆きを体現するように、相澤は再びため息を()いていた。

 

 また、驚愕し、動揺を見せるのはプレゼントマイクや観衆だけではなく……。

 

「し、不死川!?相手が目の前にいるってのに……どうしちまったんだ!?おい!聞こえてるか!?おい!!!」

 

 実弥のチームのメンバー達こそが、他の誰よりも動揺していた。

 鉄哲が必死に呼びかけるも、実弥は動かない。無防備な状態のまま、虚ろな目で微動だにしない。

 

「あの挑発、やっぱり罠だったんですね……。変なタイミングで煽ってくるから、おかしいとは思いました……」

 

 発目が眉を(ひそ)めて呟く。その声には微かな焦りが乗せられていた。

 

「ど、どういうことだ……?」

 

 何もかもを把握しきれていない鉄哲が疑問符を浮かべて尋ねると、拳藤が危機感を露わにしながら答えた。

 

「……予想でしかないんだけどさ。あの問いかけに答えることが、心操の"個性"が発動するトリガーだったんだよ」

 

 拳藤の答えに鉄哲が目を見開く。拳藤は、相手の思い通りにさせてしまった悔しさに唇を噛み締めて続ける。

 

「心操は、わざと不死川を侮辱するようなことを言ったんだ……」

 

 そして……実弥が骨抜の"個性"の発動条件を初見で見抜いていたことから、自分の"個性"も見抜かれていることを警戒していた。加え、チームを組んだ鉄哲や自分がヒーローらしく直情的な性格であることを予想し、実弥がチームメンバーに訪れる危機を肩代わりするような優しい奴だということも予想していたのではないか。

 彼女は、そう付け加えた。

 

「え……」

 

 「深読みかもしれないけど」と付け加えるように呟く拳藤を他所に、鉄哲の頬には蛞蝓(なめくじ)のようにゆっくりと冷や汗が伝っている。

 

「……じゃあ、不死川は……心操の挑発に対して、何も考えずに乗っかっちまった俺を庇って……?」

 

「……うん……。それで心操の"個性"が発動して、動きを止められたんだと思う……」

 

 鉄哲が自分で見つけ出した答えに、拳藤が伏し目がちになりながら頷く。

 答えを肯定された鉄哲は愕然とし、自分の不甲斐なさに絶望した。

 

「そんなっ……!不死川は、俺のせいで……!」

 

 自分が怒りを表に出すことなく堪えきれていれば、きっと実弥が自分を庇おうと動き出すことはなかった。自分のせいで、友が敵の術中に(はま)ってしまった。

 その事実が鉄哲の心に鋭いナイフのように突きつけられ、そのままグサリと突き刺さる。

 

「……仕方ないですよ。問いかけに答えた相手の動きを止めるなんて、初見殺しですもん……。友達を馬鹿にされたら、そりゃあ誰でも怒ります……」

 

 せめてもの慰めだろうか。あんなのズルいと言いたげにムッとした発目が言う。

 

 発目が心操の挑発に対して不自然さを覚え、疑問を抱けたのは、彼女と実弥にそれほど関わりがないからというだけではない。怒りをグッと堪えることが出来た拳藤に関しても言えることだが、それが出来たのは、ヒーロー科1年のNo.1である実弥と共にいることで精神的な余裕があったからだ。

 

 精神的な余裕があったからこそ、衝動的に怒るのではなく、一息おいて考えることが出来た。基本的に雄英体育祭の模様は、この場に集結しているメディア陣を通して全国に中継されている。普通なら、他人を侮辱するような言動を理由もなく実行するはずがない。何故なら、多くの人に見られている中で自分の負の一面とも言えるような言動に注目され、悪く言われるのを恐れるから。

 仮に発目や拳藤が心操の立場にあったら、とことんリスクは避ける。何があっても、公の場でそういうことは言わない。

 

 人間とは、リスクを避けたがる生き物なのだ。

 

 つまり、そういう言動を全国中継されている勝負の場で平然と実行するのは……ちゃんと理由があるから。策があるから。そこを見抜けなかったとしても、とにかくNo.1の実力者を出し抜ける何かがあるから。そういう考えに行き着き、発目は疑問を覚えたし、拳藤は堪えることが出来た。

 

 閑話休題。そうしている間にも、心操は自分の騎馬である3人を操って実弥達に着実に近づいていく。

 

「……何が何だか分からねえけど、不死川から奪い取るなら今がチャンスじゃないか!?」

 

「……ああ。塩崎、頼む」

 

「不意を突くのは心苦しいですが……承りました」

 

 1番の脅威であった実弥が動きを止めている以上、このタイミングは大チャンスでしかない。土煙が晴れて、状況をはっきりと認識出来るようになった泡瀬チームが動き出す。

 彼らは、すかさず実弥の頭に巻き付けられた1000万Pの鉢巻に向けて、伸縮自在の鞭となる塩崎の髪を放った。

 

『おおっと!泡瀬チームの塩崎、1000万を狙って蔓の鞭を振るう!』

 

 絶対に獲る。そして、実弥が動きを止め、悔しそうにしている拳藤や鉄哲は勿論、不幸にも術中に嵌ってしまった実弥の分までも自分が勝ち抜く。そんな思いを胸に、塩崎は蔓の鞭を振るう。

 ……だが、決して1000万を譲れないのは心操も同じだ。故に、油断はしない。

 

「……蔓の髪をしたあんた」

 

「?」

 

「頼りにしたメンバーが動きを止めて動揺している相手から、頼みの綱を奪うってのか?そんな酷えこと……ヒーロー志望のやることかよ?」

 

 冷たい瞳で塩崎を睨み、一撃必殺の問いを投げかける。問われた塩崎は瞳を揺るがせ、大きく動揺した。

 

「そ、それは……っ!ですが、私は――」

 

「っ、塩崎!?」

 

 動揺しながらも、退き下がる訳にはいかないと言わんばかりに答えかけた塩崎だが……言うまでもなく、この非情な問いは罠だ。彼女はぴたりと動きを止め、虚ろな瞳で棒立ちになってしまった。

 

『し、塩崎の動きもぴたりと止まっちまった!?やっぱりやべえぞ、心操!まさかの下克上なるか!?』

 

「ついでに、自分達に髪を巻き付けて動きを封じろ」

 

「っぐ!?」

 

「ほ、骨抜!ぐうっ!?」

 

 プレゼントマイクの実況と、心操が洗脳した塩崎を利用して自分達を封じたことが泡瀬を更に焦らせた。

 

「お前……!塩崎に何をした!?」

 

「駄目だ、泡瀬……!怒りに任せて会話をふっかけるな……アイツの思う壺だ……!」

 

「何をした?……今はチーム対抗戦だろ?敵に自分の能力をバラすような真似、誰がすると思う?」

 

「くっ……!正論で何も――」

 

 結果、怒りに任せて心操の手の内を暴こうとするも、正論を返されて撃沈。塩崎と同じように、泡瀬もまた、心操の操り人形になってしまった。

 

「……念の為に貰っとくよ。競技が終わるまで、そこでじっとしててくれ」

 

『ああっ!?比較的高得点を維持していた泡瀬チーム、一気に0Pに陥落!!抵抗一つ出来ず、鉢巻を獲られた!これは悔しすぎる……!抜け目ねえ奴だぜ、心操!』

 

 そのまま、心操は泡瀬の首元に巻き付いた鉢巻を一つ残らず掻っ攫っていく。

 その光景を何も出来ずに傍観しているしかない骨抜の胸を、焼け付く程の悔しさが埋め尽くした。

 

(クソッ……!問いかけに答えた相手を自分の操り人形にしてしまうなんてな……!そりゃあ、不死川でも敵わない訳だ……。大方、あの挑発に簡単に乗っかってしまいそうな鉄哲辺りを庇って、わざと答えたんだろう……)

 

「……お前らが一番悔しいよな。鉄哲、拳藤……。いや、不死川自身も……」

 

 こんな初見殺しの"個性"を前にすれば、1年ヒーロー科最強の男ですらも簡単に制される。あまりにも残酷な事実に骨抜は悔しさを味わいつつも、鉄哲と拳藤、そして、実弥に同情した。

 

 操り人形にされ、あっさりと鉢巻を奪われる。そんな光景を目の前にすれば、鉄哲達もこれから自分達の身に起こることを容易に想像出来た。

 

「……!心操の"個性"は、相手の動きを止めるどころの話じゃない!自分の思い通りに操るんだ!」

 

「まずいですよ!こ、このままだと、不死川君が普通科の彼の思い通りに動かされて……!」

 

「くっそ……!俺が単細胞の馬鹿なせいで……!何か手はねえのかよ……!?」

 

 発目は、焦りに焦って、サポートアイテムを用いる考えも頭から抜けてしまっている。

 鉄哲は、悔しそうに歯を食いしばっている。加え、自分に対する嫌悪で幾分か精神的なダメージを負っているようだった。

 

(何かここを打開する手は……!?)

 

 拳藤は、諦めまいと頭を回しながら、ふと観客席を見渡してみた。

 

「優勝候補を抑え込むなんて、凄えな……」

 

「俺、てっきり今度もあっさり返り討ちかと思ったよ」

 

「まさに下克上ってやつよね。カッコいいわ!」

 

「ありゃ対(ヴィラン)に関しちゃ、相当有効だぜ。欲しいな」

 

「雄英も馬鹿だなー……。戦闘力最強の奴を簡単に制圧出来るような"個性"を持った奴を普通科に入れるなんて」

 

「受験人数ハンパない上に、戦闘経験の差も出ちまうしな。仕方ないっちゃ仕方ないが……」

 

 そうすると、実弥をあっさりと制圧した心操を評価するような声が多く出てきていることに気がついた。

 いつの間にか、会場が実弥の敗北を確信した状況に呑み込まれつつある。

 

(もう、何も……出来ないの……?)

 

 拳藤自身も、何も打開策が浮かばずに諦めかけたその時だった。

 

「お兄ちゃん!!!負けないで!!!頑張れぇぇぇ!!!!!」

 

「ッ、エリちゃん……!?」

 

 実弥を必死に応援する声が届く。声の主はエリ。自分のやれる限りの……精一杯の声を上げ、実弥に声援を届けていた。

 周りの注目を浴びてもなお、いつだって自分を守ってきた兄の勝利を信じて、今の自分が出来ることを精一杯やっていた。ひたすら、実弥の勝利を信じていた。

 

 そんな健気な彼女の姿を見て、拳藤は自分を不甲斐なく思う。

 

(何をやってるんだ、私……!他でもないエリちゃんが、不死川のことを信じてるんだ!!同じチームの私達が信じてやらなきゃ……恥ずかしくて顔向け出来ない!!!)

 

 絶対に勝利を掴む。そんな執念が拳藤の凛とした瞳に宿り、彼女は叫ぶ。

 

「不死川!起きて!!エリちゃんが……!お前の大切な家族が、他でもないお前のことを信じてる!!!負けてられないでしょ!?こんなところで!!!」

 

 彼女の行動に、口を半開きにしてポカンとする鉄哲と発目。拳藤は、間髪入れずに彼らにも声をかけた。

 

「まだ終わった訳じゃない!やれるだけのこと、全部やってみようよ!!私達まで折れたら駄目だ!!!」

 

 彼女の言葉に感化され、発目も意を決する。実弥のことを何も知らない自分なりに、散々利用させてもらっている恩を返さなければ、と。利用させてもらっている以上、彼らに応えなければ、と。

 

「不死川君!拳藤さんの声、聞こえていますか!?エリちゃんという方が応援してくれています!!私には貴方と彼女との関係性が分かりませんが……きっと、大切な人なんですよね?彼女の為に逆境を乗り越えてこそのヒーローではないですか!?このまま負けるなんて私はお断りです!ベイビーのお披露目、まだまだ物足りないですから!」

 

 そして……鉄哲も、打ちのめされている場合ではないと立ち直り、叫ぶ。

 

「不死川ァ!!!お前は……こんなところで終わる男じゃねえだろ!?入試の時、0Pを簡単にぶっ飛ばした!!誰もが無理だって思ってたことを成し遂げた!それが不死川実弥だろ!?俺は……いや、俺達はお前を信じてるぜ!!!それと、失敗した分を挽回させてくれ!!!」

 

 エリからチームのメンバーに伝わった、実弥への信頼と想い。その熱さは、実況のプレゼントマイクにも伝わっていく。

 

『エ、エリちゃん……!なんて健気なんだ……!不死川!頑張れ!!こんなところで終わっちまっていいのか!?お前のsisterも、チームも……お前を信じてるぜぇ!!!ああ……頼む!奇跡よ、起こってくれぇぇぇ!!!!!』

 

『おい、公平にやれ。実況だろうが』

 

『この熱すぎる状況にお前の心は動かねえってのか、イレイザー!?』

 

 私情丸出しの実況をするプレゼントマイクに鋭くツッコミを入れる相澤ではあるが……かく言う彼も、実弥がここで終わる男ではないはずだと信じている節がある。

 

(……不死川。ここで終わりじゃないだろう?エリちゃんは、ずっと信じているぞ。お前のことを。勿論、俺もな)

 

 その思いを口に出すことこそしないが、相澤もまた実弥を信じて静かに見守っている。

 

 必死に実弥を呼ぶ声を耳にし、明確な罪悪感を覚えつつも、遂に心操が騎馬を引き連れて実弥達の目の前に立った。

 彼が呟く。

 

「……チームに信頼されて、妹さんに必死で応援されて、プロからも声援もらって。きっと恵まれてんだな、あんたは」

 

 そう呟く彼の瞳は、どこか羨ましそうだった。だが、すぐさまヒーローになることへの意地――否、執念とも言うべきものをその瞳に宿し、ターゲットである1000万Pの鉢巻を見据えた。

 

「……けどさ、こんな酷え"個性"持ってても、憧れちまったもんは仕方ねえだろ……!……周りの言いようや偏見なんざ知ったことか。どんなに酷え言われ方されようが、俺はヒーローになる。その為なら何だってしてやる。どんな偏見も、逆境も乗り越えてやる……!!」

 

 強く覚悟が燃え滾る。地獄の業火の如く激しく、情熱的に。拳藤達は、彼の夢に対する覚悟の一端を垣間見た気がした。

 

「……自分の持っている鉢巻を俺に渡せ」

 

 ――遂にその時が訪れた。心操が命令を下すと、実弥の腕が動き出す。

 

『不死川、従順に動き出してしまう!大ピンチだぁぁぁ!!!このままじゃ、0Pに陥落してしまうぞ!?』

 

「「不死川!!!」」「不死川君!!!」

 

「お兄ちゃん!!!」

 

 それでも、最後まで諦めずにやれることをやる。必死に声をかける。観衆も、固唾を呑みながら行く末を見守る。

 

 普通科のダークホース、心操人使が下克上を果たすのか。

 それとも、1年ヒーロー科最強の男で優勝候補、不死川実弥がこの逆境を乗り越えて全てをひっくり返すか。

 

 走馬灯が流れるかのように、ゆっくりと時間が過ぎ去るような錯覚が行く末を見守る彼らに押し寄せる。

 実際は、数秒程の短い時間だったろう。だが、それが何分にも、何時間にも感じられてしまった。

 

 そうこうしているうちに、とうとう実弥の手が巻き付けられた鉢巻に添えられる。心操が勝利を確信した刹那――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――凄絶な風圧がその身に叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 靄がかかったような感覚を脳内が支配する中、実弥は悟った。

 

 この状況が、心操の"個性"によって引き起こされたものであることを。心操の挑発や皮肉めいた言動が、"個性"で他人を蹴落とす為に自然と作り上げられたものであることを。

 元より宣戦布告を受けたあの日に……実弥は、心操が根っからそういう人物でないことを理解していた。

 だから、彼の挑発が勝利の為に強いられた策であることを察した。鉄哲に代わり、自分が洗脳にかかった。体が勝手に動いていた。

 

(心操人使……。凄ェ"個性"と覚悟だ)

 

 頭に靄がかかっていても、聴覚はしっかりと働いている。ヒーローになることへの執念を宿して彼が語った覚悟を耳にし、実弥は思わず感心していた。

 

「――おい」

 

 刹那、声が聞こえた。

 

「ここは戦場だァ。自分の思うがままに動けなくなった瞬間に死ぬ。全部失う。そう思え。……しっかりしやがれェ、テメェは俺だろうが」

 

 声の主は、前世の実弥だった。その血走った瞳で前世の彼自身が続ける。

 

「甘ったれてんじゃねェ。他人に自分の肉体の主導権を握らせんなァ。自分から茨の道に足ィ突っ込んでんだろうが。だったら――周りの奴ら心配させてんじゃねェ」

 

 その言葉を耳にすると同時に、鉄哲、拳藤、発目。それに、エリの声が聞こえてきた。

 

「いいかァ。大切なもん守りたきゃ、止まるんじゃねェ。醜い(ヴィラン)共を殲滅して守るんだろ。エリの未来を」

 

「ああ……テメェに言われなくても分かってらァ」

 

 前世の自分の問いに答えた瞬間――頭の中を覆う靄が晴れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐあっ!?」

 

 叩きつけられた風圧を受けて必死に踏ん張り、ギリギリ落馬せずに済んだ心操。困惑を露わに体勢を整えて顔を上げると……。

 

「……残念だったなァ、心操。だが、テメェの覚悟……気に入ったぜ」

 

 拳を突きつけ、獰猛に笑う実弥の姿があった。

 

『し、不死川ぁぁぁぁぁ!!!踏み留まったぁぁぁ!!!よくぞ帰ってきてくれたなあ、おい!!』

 

「「「「「うぉぉぉぉぉ!!!!!」」」」」

 

 会場中が湧き上がる。逆境を乗り越えた熱すぎる展開。観衆のテンションは、最高潮までぶち上がった。

 

「し、不死川ぁっ……!」

 

「……!戻ってきてくれたんだ!」

 

「安心しましたぁ……」

 

 感動で涙を溢れさせる鉄哲。微笑む拳藤。心底ホッとした様子の発目。チームのメンバー達は、思い思いのやり方で喜びを表現していた。

 

「お兄ちゃん……!」

 

 エリは、顔をパアアアッと明るくさせながら緊張が緩んだようにその場に座り込んでしまう。だが、その表情は紛れもない優しい笑みだった。

 

「何でだ……!?間違いなく、俺の"個性"にかかったはず……!」

 

 対し、心操は動揺する他ない。"個性"を途中で破られた経験すらもないのだろうから、当然の反応ではある。

 

「……ねえ、不死川。どうやって"洗脳"を跳ね除けたの?」

 

 拳藤に尋ねられると、実弥はいたずらっぽく笑いながら答える。

 

「さあなァ。拳藤の声が俺を連れ戻してくれたんじゃねェかァ?」

 

「え、えっと……流石にそれはないんじゃない……?」

 

「……冗談だァ。ぶっちゃけるが、俺にもよく分かんねェよ」

 

「ふふ、何それ」

 

 ピンチがすぐそばまで迫っていたにも(かかわ)らず、思わず笑い合う2人。そのやりとりを見ていると、鉄哲と発目からも自然と笑みが溢れた。

 

「何が何だか分からねえけど……神様が起こしてくれた奇跡かもな!」

 

「私達の気持ちが通じたのかもしれません……!このチャンス、物にしましょう!!」

 

「……そうだなァ。3人やエリの声はちゃんと聞こえていたぜ。ありがとよ」

 

 鉄哲と発目の言葉に、笑みを浮かべつつ実弥も頷く。

 

(感謝するぜ、前世の俺)

 

 正直、実弥自身も何が起こったのかを把握しきれていない。ただ、自分の意識に語りかけてきた前世の自分自身のおかげなのだろうと予想し、密かに礼を言った。

 

『まさに起こった奇跡……!こんな神がかった展開、これまでの体育祭では見られねえぜ!!オーディエンス共、一時たりとも見逃すなよ!!!』

 

 こんな奇跡は二度と見られない。そんな感情を表すように、プレゼントマイクのテンションも最高潮へと引き上げられていく。

 

(くそっ……!こいつは……神様にすらも恵まれてるのかよ……!?あっていいのか、こんな奇跡……!)

 

 勝てたかもしれない。それなのに、その可能性があっという間に霧散した。そのことが悔しく、心操は歯を食いしばって拳を握りしめていた。

 

 実は、心操の"洗脳"を解く方法は二つある。

 

 一つは、心操の意思で解除すること。もう一つは、操られた本人にある程度の衝撃を与えること。今回は、そのどちらの条件も満たしていない。

 故に、"個性"が解除される訳がないのだ。一見すれば、鉄哲達の呼びかけに応え、洗脳が解除された……ようにしか見えない。だからこそ、目の前で起きていることは何もかもがあり得ない。奇跡と言う他ない。

 

 解説席で試合の行く末を見守っている相澤も実弥が逆境を乗り越えたことに感心しつつ、同じような疑問を抱いていた。

 

(心操自身も分かっていない"個性"の解除条件があったということか……?そういうケースもゼロではないが、考えにくい……。ならば――)

 

「不死川自身が、心操の洗脳を跳ね除けた……?」

 

 考察を続ける中で辿り着いた答えを、信じられないと言わんばかりに呟く。

 

 結論から言ってしまえば、相澤の辿り着いた答えこそが正解だ。決して、鉄哲、拳藤、発目、エリの叫びに応えて実弥が目覚めた訳ではない。一見すると熱い奇跡が起きたように思えるが……否。実弥が心操に抗った原因は別のところにあるのだ。

 

 前世、今世で共通して実弥が抱くものがある。それは、激しい憎しみと誰かが幸せに生きる未来を掴み取りたいという強い執念。

 前世は鬼への憎しみで、今世は(ヴィラン)への憎しみ。そして、前世は玄弥の未来を想い、今世はエリの未来を想ってきた。

 

 時に、感情というものは、人に理解不能で超常的な現象を引き起こすことがある。それが実弥の身にも起こった。実弥が己の内に抱く憎しみと執念は、本人に意識がなくともその肉体を突き動かす。

 

 ――戦闘の最中に寝るな。力尽きるな。大切な家族の未来の為に。憎き存在を殲滅するまでは、動きを止めることなど許されない。

 彼の心が彼自身にそう訴え続ける。今回は、その訴えが前世の自分の形となって具現化し、実弥の意識に訴えかけてきた。他人の操り人形にされて自分の肉体の主導権を勝手に握られ、意識が眠ることを彼の心が許さなかった。確かに洗脳にかかりはしたが、すぐにそれを跳ね除けた。

 無意識下で体が勝手に動いた。拳を振り抜き、心操に風圧を炸裂させた。実弥の洗脳が解けたのはそれと同時だった。

 

 実弥は前世でも似たような経験をしている。十二鬼月最強の鬼、上弦の壱――黒死牟。

 彼との戦いの最中、実弥は気絶してしまった。だが……それでもなお鬼に対する憎しみが、玄弥の未来を掴み取らんとする執念が、無意識下でその肉体を突き動かし、戦い続けた。共に肩を並べて戦った、当代鬼殺隊最強の男であり、"岩柱"の悲鳴嶼行冥も戦いが終わってからようやくそのことに気がついた。彼からしても「信じ難し」と思う程の現象だった。

 因みに、実弥自身に自分が気絶しながらも戦い続けていたという自覚はない。意識を失っていたのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。

 

 だから、実弥に洗脳を跳ね除けた原因が自分にあることを知る由などない。拳藤に問われた実弥が「分からない」と言った理由はそこにあった。

 

「……?俺達、どうしてたんだっけ……?」

 

「いつの間にか騎馬戦が始まっているようだけれど……」

 

「今までの記憶がない……?」

 

 実弥の叩きつけた風圧によって洗脳が解けたらしい尾白、庄田、青山の3人は、状況を理解出来ない様子で呆然と周りを見渡していた。

 

「そっか……。心操の"洗脳"も無敵じゃない。ある程度の衝撃を受けたら、解けるんだ」

 

 3人も洗脳されていて、たった今それが解けたのだとなんとなく悟った拳藤が呟く。その呟きを聞きながら、実弥は心操に向けて言った。

 

「……なァ、心操。お前の覚悟は……口だけじゃねェんだろ?」

 

「……ッ、当たり前だ……!俺は、絶対に勝ち残ってやる……!!」

 

 一度かけた洗脳を破られてしまった上、実弥のチーム全体に手の内を知られている。彼を出し抜くチャンスは水の泡となってしまった。だが、悔いている暇はない。まだ競技は終わっていないのだから。

 何としても生き残る為に、困惑する騎馬の3人を動かして心操チームは後退していった。

 

(……大丈夫さ、心操。必ず勝ち残れる。お前の覚悟は本物だからな)

 

 遠ざかる心操の背中を見送り、彼の健闘を祈りながら実弥は微笑んだ。

 そして、すぐに思考を切り替えてチームのメンバーに向けて謝罪した。

 

「……悪かったなァ。随分と不安にさせちまったみたいでよ」

 

「本当にどうなるかと思いましたよ。でも、最終的に乗り越えられましたから。終わり良ければ全て良しです!」

 

「……一時はもう駄目だって思ったけどね。でも、エリちゃんが最後までお前のことを信じてたから。目が覚めたよ」

 

「……元はと言えば、俺が真っ先に答えようとしたのが悪かったんだ……!俺の方こそ済まねえ!」

 

 彼の謝罪に対し、3人は気にしていないといった様子で笑った。鉄哲に至っては、自分の方が悪かったと謝罪を返してきた。

 彼らの寛容さに思わず唖然としてしまう実弥。その寛容さに感謝しつつも、今回ばかりは譲れなかった。

 

「いや……チームを守るのはリーダーとして当然のことだ。気にすんなァ。……省みるべきは俺の方だぜ。何せ、既に二度もお前らに不安な顔をさせちまってるからな」

 

「不死川……」

 

 そう呟く実弥の面持ちは、真剣だった。

 

 自分を信じてついてきてくれたチームのメンバー達。彼らを率いる者として、その信頼に応え、彼らを安心させられるように振る舞う。それがやるべきことだった。だが……策の為とは言えども相手を誘い込むような真似をして、チームを不安にさせてしまった。今回は、味方を庇うことで逆にピンチに追い込まれ、不安にさせてしまった。勿論、実弥自身は鉄哲を庇ったことを微塵も後悔していない。

 

 爆豪を退けた時と、たった今。他人を安心させてこそのヒーローだと言うのに、二度も不安な顔をさせてしまった。そのことが、実弥にとっては不甲斐なくて仕方ない。

 だから――彼は省みた。

 

「もうしくじらねェ。……こっからは本気で行くぜ」

 

「……おう!」

 

 そんな風に獰猛な笑みを浮かべながら言い放つ実弥に、挽回を望んでいた鉄哲がやる気満々の笑みを浮かべて答える。いざ、次に向けて動き出そうとした刹那。

 

 実弥は感じとった。敵意丸出しの気配を自分達の背後から。

 

「敵意が隠せてねェんだよ」

 

 背後で、逆手持ちにした木刀を振り抜く。

 

「っ……!?」

 

 振り抜かれた木刀は、何者かの腕を強打。実弥の頭の鉢巻に伸びかけていたはずの腕の軌道を見事に逸らした。

 

「痛いなあ……。君の方こそ……敵意丸出しじゃないか、不死川君」

 

「……やっぱりお前か。来ると思ったよ、物間」

 

 背後から密かに迫っていた新たな刺客は、物間寧人。

 吊り目気味な黒寄りの茶色い短髪の少年、回原旋。楕円形の目をした茶色い短髪の少年、円場硬成。真っ黒い肌と銀髪が特徴の少年、黒色支配。

 同じくB組のクラスメイト3人を引き連れていた。

 

「気をつけろ、不死川!なんつーか、こいつ……A組に対しての対抗心が強すぎるんだ!だから、何を言ってくるか分かんねえ!」

 

 同じクラスメイトであるが故に、彼の性格を知り尽くしている鉄哲が言う。彼曰く、この体育祭でA組を出し抜く為の作戦を企て、B組全体を扇動した張本人らしい。

 何にせよ、常にヘラヘラと笑う彼を見た瞬間、実弥は彼を大嫌いなタイプの人間だと確信した。

 

 加えて、そこに――

 

「コソコソ逃げ回りやがって、コピー野郎が……!もう逃がさねェ!!ここで潰す!!!」

 

「落ち着けって、爆豪!ここは不死川と組んで取り返した方がいいと思うぞ……!」

 

「傷顔の手ェなんざ借りねェ……!俺1人で十分だ!!」

 

「どうしてここまで聞き分けないのかねぇ……。俺ら大ピンチだぞ……」

 

「爆豪!不死川の1000万()りたくないの!?ここは不死川の力借りてでも取り返さないと!プライド捨てよう!」

 

「……チィッ!!!」

 

 (ヴィラン)も真っ青な憤怒の表情を浮かべた爆豪率いるチームもやってきた。掌から火花を散らして、物間チームに向けて猪突猛進な姿勢の彼を切島が必死に抑え、瀬呂が若干呆れている。とは言え、芦戸の言う通り実弥の1000万を獲りたいのも事実らしく、盛大に舌打ちをすると、嫌気が刺すと言わんばかりの様子でいながらも特に何も言わなくなった。

 

「……彼、本当にヒーロー志望なんですか?」

 

「……まあなァ」

 

「……アイツが同じ場所を目指してる奴とか、信じたくねえ……」

 

 実弥一行も爆豪の怒りっぷりにドン引きしている。何はともあれ、彼らが鉢巻を何一つ持っていないことから、目の前にいる物間チームに獲られたのだろうと予想するのは難くなかった。

 

『爆豪チームから鉢巻を奪い取った物間チーム、今度は不死川チームに仕掛けにいった!さっき、心操の洗脳を跳ね除ける奇跡を見せたってのに……敵が絶えねえ!これも追われる奴の宿命(さだめ)か!?』

 

 プレゼントマイクの実況を耳にしながら対峙する実弥と爆豪の二チーム。物間は相変わらずニヒルな笑みを浮かべながら、肩をすくめて言葉を発する。

 

「君のところの爆豪君さあ、恥ずかしいよねぇ。自分が1位になるって宣言したくせに、君や緑谷君、轟君に上をいかれ、騎馬戦でも格下であるはずの僕に鉢巻を獲られる。無様ったらありゃしないね」

 

「ンだとゴラァッ!?」

 

「いちいち怒んなって、爆豪!相手はわざと煽りに来てんだから!!堪えろ!!!」

 

 嘲笑混じりの言葉で自分の醜態を掘り返されたことに怒る爆豪。冷静さを欠けば本当に後が無くなることを察してか、切島は必死に彼を抑え込む。

 そんな小学生の子供同然な振る舞いに呆れ返りつつも、キレ散らかす爆豪を無視して物間は続けた。

 

「それにしても、彼……しつこいよね。ここまでずっと鉢巻を取り返そうとして僕を追いかけてくるんだもの。他の人から奪った方が効率的だろうに。こんなに1人に執着するなんて、これがヒーローのやることかなあ?学級委員長ならさ、クラスメイトの教育くらいちゃんとしておいてよ」

 

「……そいつァ悪かったなァ」

 

 今度は煽る対象が自身に向いたことを察しながら、随分と口の回る奴だと実弥は思う。ところ構わず自分が敵対心を持つA組を煽るその姿に、鉄哲と拳藤も思わず呆れ返る。物間の騎馬を務める3人も、こいつと同じクラスの奴だと思われたくないと言いたげな顔をしているようだった。

 態度が特に変化していない実弥を見ると、物間は次に用意していた煽り文句を繰り出した。

 

「……不死川君。よくも、うちの拳藤と鉄哲を唆してくれたね。2人は僕らB組を引っ張っていくリーダーなのに!あまりにも酷すぎる所業だよねぇ!?クラスメイトに信頼されないからって、八つ当たりはやめてくれないかな!」

 

 ヒステリックな笑みを浮かべた物間のよく回る口から放たれた言葉が聞き捨てならず、鉄哲と拳藤本人が反論する。心操と同様で物間に何か策があったとしても、ここまで侮辱されると黙っていられなかった。

 

「唆す……?ふざけんじゃねえぞ!!俺達の気持ちを分かったつもりになって決めつけんな!そういうの良くねえぞ!!!」

 

「そうだ!不死川は、私達を信頼して誘ってくれたんだ!そこに入るって決めたのも自分の意思!不死川は何も悪くない!いい加減にしな!」

 

 しかし、2人の言葉を聞いてもどこ吹く風な様子の物間。それを見た回原や切島達も続け様に言い放った。

 

「おい、物間……!爆豪を煽った次は不死川か!?もうやめとけ!ただでさえ、アイツらがずっと追ってきてるってのに!爆豪を出し抜けたからって調子に乗りすぎだぞ!」

 

「そうだぞ!鉄哲や拳藤から、不死川がどういう奴かは聞かされてるだろ!他人を唆すような奴じゃない!冷静になれ!」

 

「これ以上は禁断の地に足を踏み入れかねない。流石に見過ごせないぞ、物間」

 

「おい!聞き捨てならねえぞ!俺らは、不死川を心の底から信頼してんだ!」

 

「そうだ!信頼してるからこそ挑んでるの!!自分の印象を押し付けないでよ!」

 

「黙っていれば、好き勝手言いやがって……!他人の粗探しするような真似ばっかして、ヒーロー志望として恥ずかしくねえのか!?」

 

 繰り広げられるのは、鉢巻の奪い合いではなく物間に対する言葉の投擲。

 

『……何あれ。物間がめっちゃ責められてる……。アイツ、何したん?』

 

『……大方、余計なこと言ったんだろ。はあ……何やってんだ、アイツら……』

 

『と、取り敢えず、何が起こってるか把握しきれてねえが……不死川チームも爆豪チームもCool down!』

 

 騎馬戦でやる必要のない戦いが繰り広げられていることに、流石のプレゼントマイクと相澤も困惑しているようだ。

 好き勝手言われたことに抗議している一同だったが、プレゼントマイクの呼びかけで一旦冷静さを取り戻し、色々あった言いたいことをグッと堪えた。

 

「……まあまあ、待ちなよ、回原。ここからが良いところなんだ。僕には切り札がある。これで不死川君に火をつけられれば、僕らの勝ちさ」

 

「き、切り札……?」

 

 これだけ周りからあれこれと言われてもなお、物間の様子は変化しない。それどころか、勝ちを確信したかのような不敵な笑みを浮かべている。そのことに回原は嫌な予感を覚えた。

 回原が「その切り札を切るの、絶対やめた方がいいぞ」と止めるよりも前に、物間は不敵な笑みを浮かべたまま続けてしまった。

 

「……ところで、不死川君。君は、どう見ても爆豪君より実力が上だけれど……どうして選手宣誓を引き受けなかったのかなあ?」

 

「……ケッ、煩ェ奴だァ。人には人の事情があるんだよ」

 

 物間の煽りを半ば無視しているような形で軽く流していた実弥が、とうとう話題に乗ってきた。実弥が上手く話に乗っかってくれたことに、物間は内心でほくそ笑みながら続ける。

 

「はは、ごもっともだね。何にせよ、今の発言で選手宣誓をお願いされたのは間違いなさそうだ」

 

「……何が言いてェ?」

 

 物間の発言の意図が読めない。本題を焦らすようにベラベラと喋り続けているその姿に、実弥は微かな苛立ちを覚えた。眉間に皺を寄せながら、事件解決の糸口に辿り着いた探偵気取りな様子の彼にさっさと結論を話せ、と暗に催促する。

 眉間に皺を寄せた実弥を見て、物間は彼の感情を思い通りにコントロール出来ていることに高揚感を覚えつつあった。

 

「……ほらほら、慌てない慌てない。せっかちなのは嫌われるよ?」

 

「……」

 

 片手を(かざ)し、実弥を制する様子を見せる彼に思わず呆れを覚える一同。一体こいつは何が言いたいのか……。そんな疑問が浮かぶ。

 そして、物間は続けた。

 

「……僕が言いたいのは、()()()()()()()()は君なんじゃないかってことだよ。不死川君」

 

 物間から放たれた一言に、実弥チームの3人は目を見開いた。勿論、入試で彼の実力を実際に目にした拳藤と鉄哲に関しては、全く予想が出来ていなかった訳ではない。だが、そこに何らかの理由があるのかもしれないと思い、2人共敢えて追求をしてこなかった。

 自分達ですらも確信にまでは至らないというのに。何故、物間がその域まで辿り着いているのだろうか?自信満々に言い切った物間の様子に彼女達は素直に驚いていた。

 

 いずれにせよ、沈黙して煩わしそうに物間を睨む実弥の様子が、彼の推測が当たっていることを示している。

 その様子に、物間は嬉しそうにしながら続きを言葉にし始めた。

 

「沈黙は肯定と受け取るよ。何にせよ、どうして君の存在は隠されていたのか……。気になりはするさ。けれど、そこはどうでもいい。今のところね」

 

 拳藤と鉄哲にとっても疑問だった点だ。そこを話題に出した物間をきっかけに、2人も思わず考え込む。誰よりも優秀な彼が、どうして成績も明かされずに存在を隠されるのか……。

 当然、その理由が思い当たることはなかった。

 仮の首席呼ばわりされたことが原因で掌から激しく火花を散らしながら激怒している爆豪のことを完全にスルーし、物間は続ける。

 

「とにかく、僕は聞かせてほしいんだよ。真の首席合格者の君は、自分が首席だと勘違いして踏ん反り返っていた爆豪君(馬鹿)を見てどんな気持ちだったのかなあって」

 

「誰を馬鹿つったァ!?ブチ殺すぞ、コピー野郎!!!」

 

「落ち着けって、爆豪!!!」

 

 間接的に煽られて、般若のような表情で掌から爆破を起こして怒号を轟かせる爆豪。切島がその怒号に負けじと声を張り上げて彼を(なだ)める。

 彼らを視界の端に入れつつも、実弥は物間を睨みつけたままで尋ねた。

 

「……それを知ってどうする気だァ?」

 

「そうだよ。お前が不死川の思っていたことを知って、何になるっての?」

 

「……立派な"個性"を――」

 

 実弥に同調し、拳藤も警戒心を露わに尋ねる。笑みを浮かべたまま、物間が自分の意図を口にしようとした瞬間。

 

「要約も出来ねェ馬鹿か、テメェはよ!!!」

 

 再び轟いた爆豪の怒号が彼の言葉を遮った。良いところで邪魔をしないでほしいと言いたげにジト目で振り向いた物間を見ると、爆豪は煽り返すように嘲笑する。

 

「さっきからベラベラとうぜェ……!自分の言いてェことすら要約出来ねェから、テメェの話は長ェんだろうが!さっさと結論を言いやがれ……。さもないと、その口塞いでブッ殺す!!!」

 

 物間は顔を引き()らせながら、大層呆れ返った。

 

「やれやれ……脅迫そのものだね。分かったよ、そこまで言うなら結論を言ってあげようじゃないか!」

 

 そして、再びニヒルな笑みを浮かべて、とどめの一言を放つ。

 

「君の人生が()()()()()()と思ってね、不死川君」

 

「……は?」

 

 彼のとどめの一言を聞いた瞬間、実弥は呆けた声を発した。何となく彼がそう思った理由が理解出来るB組の面々は、何とも言えない表情で沈黙する。

 実弥の木刀を握る手に自然と力が入っていく。その様子に気が付かず、物間は自分の思うがままに言葉をつらつら並べていった。

 

「だって……そうだろう?刀を一振り振るえば、風を巻き起こせる身体能力。移動速度は超音速で衝撃波を巻き起こす程。オールマイト並みの凄まじい身体能力だ。君なら、沢山の人に持て囃されるスーパーヒーローになれるじゃないか!」

 

「――間!」

 

「それに、推測の域を出ないし、詳しいことは言わないけどさ……もしも本当だったら、君は夢のような生き方をしていることになる!まるで物語の主役だ!悲劇を乗り越えて、誤った道から正しい道へと導かれる!そして、過去の悲劇を繰り返すことのないように強くなる……!脇役を食い尽くせるストーリーだよ!!!」

 

 更に言葉を続けようとした刹那――

 

「待てって、物間!!!」

 

 回原が声を張り上げた。

 突然話を遮られたことに、物間は不満そうな顔をする。

 

「……回原、どうしたんだい?これからが良いところだったのに……」

 

「分かった!もう十分だ!自分語りはそこまでにしてくれ!頼むから!」

 

 回原の声が震えている。ふと、視線を下ろすと……円場と黒色も震えていた。状況が把握出来ずに硬直すること数秒。

 

「――えっ?」

 

 物間は気が付いた。全身が震え始めている。あちこちから、ドッと冷や汗が溢れ出る。全身が目の前の相手と対峙することを全力で拒否している。

 それらを引き起こす感情は――恐怖。修羅と化した銀髪の少年を前にしたことによる恐怖だった。

 

(よ、予定と違う!)

 

 震えに震え、歯をガチガチと鳴らしながら、物間は焦る。

 

「し、不死川……?」

 

 ただならぬ様子の変化に、拳藤は体の震えが収まるようにと自分に言い聞かせながら、恐る恐る実弥の名前を呼んだ。

 

「ははッ……!そうかいィ……テメェにゃ、俺の人生が羨ましいかァ……!俺からすりゃあ……テメェの方が羨ましいぜェ、お坊ちゃんよォ!!!」

 

 すると……伏せていた顔が上げられ、血走った目とこめかみに浮かび上がった青筋が露わになった。目を見開きながら笑うその姿は、もはやカタギの人間のものではない。

 

 木刀の(きっさき)を物間に突きつけ、実弥は言い放つ。

 

「俺の人生が羨ましいだァ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけんのも大概にしやがれェ!!!!!」

 

 実弥の怒号によって、風が激しく吹き荒れる。腹の底から絞り出されたその声に周囲の大気が震撼した。実弥の怒号に観客達も何かあったのかと注目してしまう。

 

 憎悪、嫉妬……。様々なものが燃料となった炎をその目に宿し、実弥は物間を鋭く睨みつける。

 

「人の事情を勝手に推測して……そいつに確信がねェ?ンなもん、何の保険にもなりゃしねェ。確信がねェからって何でもかんでも言っていいなんて都合の良い話はねェ!!……テメェの腐った性根、叩き直してやらァ!!!」

 

「ッ……」

 

 怒りを露わにする実弥。その姿が、拳藤には心の中の彼が泣いているかのように見えた。気のせいかもしれない。それでも、どこか悲しくなった。

 情けなくなり、唇を噛み締める拳藤。鉄哲も物間がやらかしたことを何となく悟り、奥歯をグッと噛み締める。発目は、じっと実弥の背中を見つめる。

 すると、実弥が声をかけてきた。

 

「鉄哲、拳藤、発目。頼む、俺の我儘に付き合ってくれねェか。これ以上は看過出来ねェ」

 

 3人の答えは……決まっていた。

 

「……良いよ。付き合う」

 

 真っ先に返答を返したのは、拳藤だ。

 

「物間の発言がお前を傷つけたのは、学級委員長の私にも責任がある。だから……その責任を取らせてよ」

 

「そうだ!」

 

 鉄哲も彼女に続く。

 

「すまねえ、B組(うち)の馬鹿のせいで苦労をかけて……。俺も俺で、正真正銘の馬鹿だ!でもな……物間の言葉が不死川を傷つけた!それだけは分かる!!アイツのダチとして、ぶん殴ってやらなきゃならねえ!俺も付き合うぜ!!」

 

 そして、発目も……覚悟を決めた表情で告げた。

 

「……言い方はアレですが、私は不死川君の1位という立場を好き勝手に利用させてもらってます。ですから、お互い様ですよ!とことんまで付き合います!人として、あの言動は見過ごせませんから!!」

 

「……みんな、ありがとなァ」

 

 全員が自分の望む答えを出してくれたことに、実弥は笑みを浮かべて礼を言う。実弥チーム全体の中で闘志が燃え上がり始めた瞬間だった。

 

 勿論、それは実弥チームだけの話ではない。

 

「……芦戸、瀬呂」

 

 物間を睨みつけ、切島が最初に声を発した。怒りを堪えるように強く歯を食いしばりながら。

 

「俺は……これ以上、心無い言動で不死川が傷つけられるのを見たくねえ!!頼む、力を貸してくれ!!!」

 

 切島の熱い叫びに芦戸と瀬呂は顔を合わせて頷き合う。そして、切島がここまで実弥の為に怒れるのは……間接的に彼の事情を知った自分達と違って、事件の後に改めて本人から直接聞いたからだろうと察した。

 彼らは、不快感など一切ない笑みを浮かべて答えた。

 

「いいよ、切島!私達も付き合う!」

 

「友達の傷を抉るような言動見過ごしちゃ、ヒーロー失格だろ。それに、ああいうのをしっかり間違いだって教えてやるのもヒーローのやることだろうしな!」

 

「瀬呂……!芦戸……!すまねえ、ありがとう!!!」

 

 自分の我儘に快く付き合ってくれる彼らに、切島は心の底からの感謝の言葉を送った。

 

「……爆豪。お前も物間から鉢巻奪い返すんだろ?なら、アイツらを相手にしない理由はねえよな……!アイツらを倒して()ろうぜ、1000万!!!」

 

 切島の言葉に、真剣な面持ちだった爆豪も白い歯を見せつけるようにして不敵に笑い、掌から激しく火花を散らした。

 

「ハッ、そうこなくちゃ面白くねェ。だがな、切島……奪い返すんじゃねえ!コピー野郎が元から持ってた分まで、根こそぎ奪い取る!!!」

 

「……!おう、そうだな……!全部奪い取ってやろうぜ!!!」

 

 爆豪チームの中でも目標が一致。やる気全開で、鉢巻の奪取に向けて動き出した。

 

 二つのチームが同じ目標に向かって突き進むその姿に、物間は思わず気圧される。対峙するチームの両方から、彼は凄まじい気迫を感じ取った。

 物間は悟る。自分が実弥の中に眠っていた龍を目覚めさせてしまったのだと。やり方を間違えたのかもしれない。そう思い、後悔していると……黒色が何もかもを諦めたように呟いた。

 

「……物間、もう何もかも遅い。俺達は触れてしまったんだよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――龍の逆鱗にな




はい、ご覧の通りです。後書きにて、改めて自分なりの説明をさせてください。

まず、心操君の洗脳解除に関して。
実弥さんに対する完全な独自解釈となっています。私は、元から立派な考察が出来るような人間ではないので「こんなもんご都合やろ」と思われるような点があるかもしれませんし、きっと穴もありますが、ご容赦ください。
それと、心操君の"洗脳"を実弥さんが精神力で跳ね除ける描写を期待していた方、もし思ったものに添えていなかった場合は申し訳ございません。

次に、物間君に関して。
少なくとも私は、物間君という人物は……飯田君を目の前にしてのヒーロー殺しの件の煽りや、(策の為且つ、心の底から悩んでいたことを知らないとは言えど)合同訓練で出久君に対して放った、爆豪君=平和の象徴を終わらせた張本人発言があることから、「B組の為ならば、手段を選ばずに倫理観のない発言をしかねない人物」及び、「普段は言わなくとも、煽りがエスカレートして調子に乗るようなことになると、平然と今回のお話のような煽りもやってしまう人物」だと捉えています。
原作の体育祭でも、本人にとって黒歴史程度の扱いに留まってはいますが、仮にもヘドロ事件の被害者である爆豪君本人をその事件のことで煽ってますし……。
ここの展開は正直悩みました。何度か書き直したりしてます。最終的に、推測の域を出ないとして明言はしていませんが、結果的に実弥さんの地雷を踏み抜いてしまうという形に収まりました。
それでも、不快な思いをさせてしまった方々がいらっしゃいましたら、大変申し訳ございません。
批判的な感想が来たら、それはそれとして、私の中で受け入れます。(ただし、活動報告欄にある通り、メンタル的にダメージを受けて冷静な返しが出来ないと思うので返信は致しません。ご了承ください)
それと、批判的な意見が多いなら大人しく書き直します。
もし、物間君の発言に対して、こうしたら良かったんやないの?という意見がおありでしたら、メッセージなり何なりでお伝えいただきますと幸いです。修正いたします。

ここまでの長ったらしい長文、失礼しました。改めまして、こういった要素を受け入れられるという方は、これからも拙作「疾きこと風の如く」をよろしくお願いします。
今回のお話をきっかけにお気に入り登録解除するとか、二度と読まないという方の為にも言っておきます。
ここまでのご愛読、ありがとうございました。また、期待に応えられず申し訳ございません。どこかで別の機会がありましたら、よろしくお願いします。

そして、もう一つ。アンケートとかそういう訳ではないのですが、活動報告欄にて、視野を広げたり、今後の参考にする為にも「視野を広げる為に・その1」として、とある事柄について皆様のご意見を募っています。
詳細はそちらの方をご覧ください。また、気が向いた方だけで構いませんので、皆様なりのお考えを伝えていただけますと幸いです。

以上です。また次回をお楽しみに。


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第四十話 騎馬戦(中編・下)

ストックしていたので、昨日に続いて投稿です。次のお話は滅茶苦茶時間空くと思いますので、ご了承ください。

また、前回に引き続き、今回も物間君に対するアンチ描写が存在します。受け入れられない方はブラウザバックをよろしくお願いします。


「単純なんだよ、A組」

 

 事の始まりは、そんな一言と共に実弥に対して一点集中の状態だった爆豪から鉢巻を奪い取ったことだった。

 障害物競走が第一種目――即ち、予選として設けられた以上、その段階で極端に選手の数を減らすとは思えない。

 故に、おおよその目安である順位を仮定して予選落ちがない程度に予選を走り、後方からA組の"個性"や性格を把握。その点を理解しているというアドバンテージを利用して有利な戦法を組み立て、彼らを一気に陥落させる。

 それが、物間らB組の作戦だった。――因みに作戦には全員が賛成した訳ではない。賛成していないのは、泡瀬チームの3人と、鉄哲、拳藤の計5人だ――

 A組全員が実弥の1000万を獲ろうとして彼のチームに集中している状況は、彼らにとって好都合。一つの物事に対して集中している人間の視野というものは意外と狭いもので、これで生じた隙を突かない手はない。

 

 その中でも、物間は……1位を宣言しておきながら、障害物競走で4位という無様な結果に終わり、怒りが頂天に達していた爆豪に目をつけた。

 早速、背後から忍び寄って鉢巻を奪い取ってみると、爆豪は溜め込んだ怒りを爆発させて、眼中にない相手に鉢巻を獲られたこと自体に更に苛立った。

 そこから、冥土の土産と言わんばかりに自分達の作戦を話し、ついでにヘドロ事件で有名になっていることと開始早々から無様な結果を出していることで爆豪を煽ってから逃走。

 

 大抵の人間は、怒りに囚われると何かしらの隙が生まれる。言動が単調になったり、考え無しに衝動的な行動をしてしまったりという風に。孫子の兵法から言葉を引用すれば、「怒らせてこれを乱せ」と「彼を知り己を知れば、百戦して殆うからず」。

 物間は、この二つの言葉を実行に移そうとしていたのだ。彼からすれば、そういう相手を対処するのは非常に容易い。事実、彼は頭を使って、そういう風に他人を出し抜きながら……主役を喰らう脇役のようにして生きてきた。

 

 閑話休題。途中でクラスメイトの凡戸が足止めをしてくれた影響もあり、彼らから逃走することに成功した物間であったが、爆豪の執念深さを想定していなかった。結果、芦戸の酸を用いて足元と地面をくっつけたボンドを溶かして拘束を突破した爆豪らに、油断していたところを再び猛追されることになってしまった。

 そうして逃走を図っていた物間が次に狙いを定めたのは、心操チームとの戦闘を勝ち抜き、1000万の防衛に成功した実弥チーム。

 

 彼らが敵を退けて安心している隙を突き、背後から鉢巻を奪おうとするも……勘付かれて迎撃された。

 ならば、と予め用意していた様々な煽り文句で攻めた。加え、わざと相手を苛立たせるように長ったらしくベラベラと喋ってみた。

 すると、その甲斐あって、実弥は物間の挑発に乗っかってきた。そして、物間は今ならば通じるという確信を持って切り札を切った。

 本当に真実だとしたら実弥を揺さぶれるに違いない黒い部分になるであろう推測を仄めかしつつ、煽った。

 

 その結果、得たものが――実弥の激昂だった。

 

(まさか……僕の推測は、当たっているのか……!?)

 

 物間の脳裏に懸念が()ぎる。何故彼らがあそこまで怒っているのか、物間には理解が出来ない。自分はあくまで推測を言っただけ。そのはずなのにあの怒りようは、自らで物間の推測を真実だと証明しているようではないか。

 もしも、自分の推測が本当だとしたら……絶対に負ける訳にはいかない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『不死川がブチギレてるゥゥゥ!?物間、お前は……一体何を言ったんだ!?はっきり言うが、お前らの状況は絶望的だぜ!?』

 

「……物間!とにかく、この状況を何とかするぞ!」

 

「あ、ああ……!」

 

 何にせよ、あれこれ考える暇はない。ヒーロー科No.1とA組屈指の実力者の両方と対峙することになる以上、隙は見せられない。隙を見せた瞬間、こちらが0Pに陥落するのは明らかだった。

 決死の表情を浮かべた回原に呼びかけられると、物間は返事を返しつつ、一旦自分の中に募った懸念を振り払った。ついでに、今の状況を絶望的だと断言するプレゼントマイクに逆転劇を見せてやろうと意気込み、必死に強がる。

 迷いなく攻めてくる実弥チームを前に、物間は頭を回した。

 

(不死川君は、木刀で突風を伴う一撃を繰り出してくる……。あれだけの身体能力を相手するには、彼の"個性"をコピーするしかない!目には目を、歯には歯をってやつだ……!)

 

 物間の"個性"は、"コピー"。触れた人間の"個性"を5分間だけ使用出来るというもの。触れてから5分が経過すると、自動的にコピーした"個性"は消えてしまう。

 しかし、コピー出来る上限は1つではなく複数コピーすることも可能で、制限時間内であれば結果的に複数の"個性"を有することになる。

 とは言え、複数ある"個性"を同時に使用することは出来ず、一つずつしか使用出来ない。つまり、それぞれの"個性"の使い所が重要になり、その時々での状況把握が大切になってくる。更に言うと、普段は無個性同然。中々扱いの難しい"個性"だ。

 

 それを用いて、物間は実弥の"個性"をコピーしようと画策する。その為には実弥を接近させ、その上で彼の猛攻を何としても凌がなければならない。策を成功させる為にまずやるべきことは――

 

「うおっ!?さっ、触られた!」

 

 鉄哲に触れ、彼の"個性"をコピーすること。

 善は急げだ。物間は、企てた策を即座に実行する。そのまま腕を振るい、掠るような形でさりげなく鉄哲の髪に触れた。

 

「気をつけて!物間は、触れた相手の"個性"をコピーするんだ!コピー出来る数に制限はないけど、同時には使えない!そんでもって、使える時間は5分だけ!」

 

「成る程なァ……!んじゃ――」

 

 拳藤の忠告を聞いて、物間の意図を即座に把握した実弥は獰猛に笑いながら木刀を振りかぶった。そして、目を見開いて修羅の如き表情で言い放つ。

 

「根性比べといこうぜェ、物間さんよォ!!!」

 

「ッ!?」

 

 凄まじい気迫が放たれると同時に、実弥が木刀を振り抜いた。対する物間は、反射的に鉄哲からコピーした"スティール"を発動。全身を金属に変化させ、腕で木刀を受け止めた。

 その直後、木刀を振るった余波で発生する風が弾け、周囲に突風が巻き起こる。

 

(お、重い……!まるで、体の芯まで痺れるような……っ!)

 

 木刀を受け止めた腕の内部まで振動が伝わり、痺れるような感覚があった。だが、十中八九偶然だったとしても、受け止められたのは大きい。

 

「――フッ!!」

 

 打撃の重さに圧倒されながらも一撃を防いだことを喜ぶ物間を他所に、実弥は弾ける火花のように鋭く息を吐きながら、木刀で乱打を繰り出した。そして、交差させた両腕でそれを決死に防ぎつつ、物間は考える。

 

 基本的に木よりも金属の方が硬さは上。つまり、木刀を用いる以上は金属の腕による防御を突破することが出来ない。この勢いで攻撃を続けていれば、早々に木刀が折れるはずだ……と。

 刀の類を扱う時の実弥には全く歯が立たない。だが、素手になればまだやりようはある。

 いつ防御を崩されるかとヒヤヒヤしながらも動揺を露わにすることなく、虎視眈々と機会を(うかが)い続けていたその時だった。

 

 

 

シィアアアアアアアア……!!!

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(いち)(かた)"(かい)"――塵旋風(じんせんぷう)穿孔(せんこう)ッ!!!

 

 

 

 突如、実弥が物間の金属化した腕に向けて、木刀で突きを繰り出したのだ。繰り出された超音速の突きは旋風を伴い、金属化した腕を抉り抜かんとする勢いで襲いかかった。

 

「ぐっ……!?」

 

 突きの重さは尋常でなく、物間の体がグッと後ろに押し込まれる。落馬だけは避けなければと踏ん張っていると――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピシッ、と何かがひび割れたかのような微かな音が聞こえた。

 

(やった……!)

 

 声に出すことこそしなかったが、物間は歓喜した。へし折れることはなかったとしても、これで満足に木刀を扱うことは出来ない。武器を潰して、動揺も誘えたはず。

 

(木刀に気を取られているうちに、不死川君に触れることさえ出来てしまえば――)

 

 確実に逆転出来る。……そう思っていたのに。

 

「も、物間!見ろ!お前の腕!」

 

「何だい?僕の腕が何か――っ!?」

 

 焦燥感に満ちた回原の声が聞こえ、彼に促されるままに自分の金属と化した腕の表面を見た物間は、度肝を抜かれた。

 あろうことか、金属であるはずの自分の腕の表面に無数のヒビが入っていたのだ。

 

「こ、これは……!?」

 

『おおっと、防御が破られた!流石の攻撃力だぜ、不死川!下手すると手札が無くなるぞ!どうする、物間!?』

 

 困惑を露わに両腕を交互に見つめる物間を見て、実弥は口角を吊り上げ、獰猛に笑った。

 

「鉄哲の"スティール"は……金属化の発動及び維持に体内の鉄分を消費するらしいなァ?つまり、鉄分の量によっちゃ、持久戦の得意不得意が大きく変化する。……んで、テメェはその時々で適した戦略を練らなくちゃあならねェ」

 

「……ッ!」

 

 実弥の言わんとすることを理解した物間が、ハッとしたように顔を上げる。

 判断を間違えたことを悟り、ドッと冷や汗が溢れ出る。そんな様子を見た実弥は、先程自分がやられたように不敵に笑い返した。

 

「何が言いてェか分かったなァ?先見の明やら凡ゆる状況を想定する為の経験値でもなけりゃ、テメェには予め鉄分を摂取する手段がねェ」

 

「!ってことは……物間の体内には、最低限の鉄分しかねえから、硬さも持続力も全部最低限の状態になる他ねえ!」

 

 木刀の(きっさき)を突きつけながら続けられた言葉に、元の"個性"の持ち主である鉄哲が閃いたと言わんばかりにギザギザした歯を見せつけ、笑みを浮かべながら言う。

 そして、実弥の一言がトドメを刺した。

 

「そういうこったァ!テメェがやるべきは、持久戦じゃなく特攻!!何せ、俺が信頼している奴の"個性"だァ!自惚れかもしれねェが……どういう"個性(ちから)"かは、クラスメイトのテメェと同じくらいには理解しているつもりだぜェ!!!」

 

「っ!?くそっ……!」

 

 実弥が獰猛に笑いながら言い放ち、ついでに鉢巻を絡め取らんとして木刀を振るう。悪態を()きつつも、物間は何とかそれを(かわ)した。

 

 物間は失敗した。鉄哲の"個性"を最大限に活かす為の準備は自分に出来っこないことを理解していながらも、相手が木刀を扱っていることに甘んじて、耐えることを選んでしまったことが大きな原因だった。

 

 鉄哲の"個性"である"スティール"は、肉体の一部や全身を金属化出来るというシンプルなもの。

 実弥の言った通り、その要は体内の鉄分だ。"個性"の発動中は常にそれを消費し続けることになり、強度・パワー・持続力のいずれもその量が影響してくる。

 

 鉄哲自身は事前に"個性"を使用することが分かりきっている為、事前に鉄分を摂ることでしっかりと準備することが出来る。自分自身の"個性"たった一つを使えばいいことが分かりきっているのだから、当然だ。

 しかし、その一方で……物間は、あらゆる状況に臨機応変に対応しなければならない。実弥の指摘にあった通りに、先見の明や凡ゆる状況を想定する為の経験値でもなければ自分が"個性"を使う準備を事前に行うことなどそうそう出来ない。

 

 しかも、大抵の場合は初見で"個性"を扱わなければならない為、簡単に力の全てを発揮することは出来ない。これが爆豪やオールマイトのような天才ならばまだしも、物間は凡人。そんな芸当……到底出来る訳がなかった。

 準備さえすればいつでもフルパワーを発揮出来る鉄哲に対し、物間は条件が揃うことがない限り、最低限の力しか発揮出来ない。

 

 今回は、条件が揃わなかった。故に、肉体を覆った金属の強度も、その状態を維持する持続力も、最低限のレベルになってしまった。そこを頭に置いた上で実弥と対峙するのなら、選択肢を耐えることではなく、早々に決着をつけることに絞るべきだった。

 

 繰り返すようだが、物間は基本的に鉄哲の"個性"を最低限しか扱えない。作戦会議のタイミングで鉄哲が"個性"を維持出来るおおよその時間を把握していたからこそ、実弥は物間が防御に徹するように絶え間なく攻撃を叩き込み続けた。ここは耐えなければと思わせた。結果、物間は"個性"を維持出来る時間の限界まで耐え凌ぎ、実弥の策が彼の策を打ち破った。

 周囲からすれば、金属を木刀では打ち破れないからと自棄になったように見えたかもしれない。

 だが、彼の行動には意味があった。

 

(防御が破られたなら……攻めるしかない!)

 

 攻撃は最大の防御とも言う。こうなれば、やられる前にやる戦法をとる他ない。唇を噛み締めながら回原の頭に触れた物間は……右腕を振り抜いた。

 すると、振り抜いた右腕があろうことかドリルのように回転し、実弥の皮膚を抉り抜かんとする勢いで迫ってきたではないか。

 その様には、実弥も思わず目を見開いた。

 

 回原旋。彼の"個性"は、"旋回"。体のあらゆる部位をドリルのように高速回転出来るというもの。回転によって相手の防御を弾くことも可能で、単純な接近戦でなら一方的に有利に戦うことも出来るようになる。

 また、回転の勢いを利用して変則的な移動を行う、相手に捕まって拘束されても全身を高速回転させて抵抗するといった芸当も可能だ。

 

「!回原の!?気をつけて!対接近戦に関して言えば、回原の"個性"は侮れないよ!」

 

 拳藤がドリルの如く回転する物間の腕を見て、咄嗟に声を上げる。腕を回転させるだけで攻撃力は大幅に上昇しているはず。そんな状態でパンチを繰り出されれば、相手は当然怯むだろう。

 だが……それは、相手がごく普通ならばという話だ。実弥は、やはりごく普通には当てはまらない。

 

「なっ!?」

 

 なんと――実弥は、ドリルのように回転しながら迫る物間の腕を鷲掴みにした。

 

「「「つ、掴み取った!?」」」

 

 高速で回転している最中のドリルを鷲掴みにする発想など、普通ならば浮かばない。

 そういう発想が当然のように出てくることに、物間は実弥の得体の知れなさを垣間見たし、鉄哲達も口をあんぐりと開けて愕然とした様子を見せた。

 

「っっ、くそっ……!離せ!」

 

「離せと言われて離す馬鹿はいねェよ!!!」

 

 鷲掴みにされている腕を回転させ、必死に抵抗を試みる物間だが、人間離れした怪力を持つ実弥はその腕を何があろうと離さなかった。

 このままでは、撤退することもままならない。何か、何か方法はないのか。B組の為にも、自分の為にも負ける訳にはいかないのに。

 物間は、体内の鉄分を大きく消費した影響で軽くめまいがしている中でも、必死に頭を回した。

 

 そして――

 

「おい!待てって!勝手すな!爆豪ぉぉぉ!!!」

 

 思考に没頭していた物間の意識は、切島の叫びと耳に轟く爆発音によって急激に現実へと引き戻された。

 

『爆豪、再び単騎で突っ込んだ!物間チームの敵は、不死川チームのみならず!!A組屈指の実力者の爆豪率いるチームもいるぜ!!』

 

 思わずプレゼントマイクの実況に促されて爆発音の聞こえた方を仰ぎ見ると、掌から起こした爆破で空中を駆ける爆豪の姿があった。

 何もしないままでは懐に潜り込まれることを悟り、物間は実弥に対して必死に抵抗を続けつつも声を上げる。

 

「円場……っ!ガードッ!!」

 

「ま、任せろ!」

 

 物間に指示を飛ばされると、円場は即座に肺に空気を取り込み、空中に対して息を吹き出した。

 

 円場の"個性"は、"空気凝固"。吹き出した空気を固めて透明の壁を作り出すことが出来るというもの。肺活量に応じて大きさが決まるが、強い力を加えると簡単に割れてしまい、耐久度は低めだ。しかし、足場を作り出したりすることにも活用出来る。

 

「チッ!」

 

「見えねー壁だぜ!ざまあみろ!」

 

 閑話休題。そのまま爆破を起こして一気に懐に飛び込もうとした爆豪であったが、円場の息で生成された見えない壁によって半ば叩きつけられるような形で行手を阻まれる。

 地面に落下する訳にはいくまいと片足と片手を壁に押し付け、もう片方の空いた手で見えない壁の端を掴んだ。だが、空いた片足の置き場がなく、踏ん張りがきかない不安定な体勢になってしまう。

 

 どちらにせよ、長い時間は保たない。物間達は、爆豪がこのまま地面に落ち、チームごと失格になることを願ったが……。

 

「その程度でA組(ウチ)の爆発頭は止められねェぜ」

 

「……オラッ!!!」

 

 実弥が獰猛に笑いながら呟いたと同時に爆豪が拳を振り抜き、透明な壁が呆気なく砕け散った。

 そして、爆豪の腕は壁を突き抜け……物間の頭に巻かれた鉢巻に到達。爆豪は、その手で鉢巻を鷲掴みにすると、もう片方の手から爆破を起こして落下を避けた。体勢が不安定な状態から立て直すとは、とてつもない体幹だ。

 

「跳ぶ時は言えって!」

 

「でも、物間達が最初から持ってた鉢巻は()った!後は、俺らの分だけだ!!」

 

 そんな体勢が不安定な爆豪を瀬呂がテープを伸ばし、巻き取ることですかさず拾い上げる。

 物間チームから鉢巻を奪い取ったことで、たった今、爆豪チームの持ち点が0Pから295Pまで一気に増加した。

 

「上位を維持しているとは言えど、持ち点は爆豪から奪取したもののみ……。背水の陣……か。ケ、ケヒヒ……笑えないな……」

 

「どうする!?物間!早いところ撤退しないとヤバいぞ!」

 

 現状に冷や汗を流しながら乾いた笑いを見せる黒色が呟き、円場が焦りを露わに声を発する。

 ピンチには変わりないはずなのに、物間は……冷や汗を流しつつも、不敵に笑っていた。

 

「……大丈夫さ。僕に考えがある。爆豪君が突っ込んできてくれたおかげで、考える時間が出来たよ」

 

 現実逃避でもしているのか、と言いたげな様子で回原達は訝しげに物間を見る。

 取っ組み合いになって自分が動けないことは確かだ。しかし、発想を転換させると一筋の光明が差し込んできた。

 

「……この状況で動けないのは君も同じだ、不死川君」

 

 そう。このまま取っ組み合いに持ち込んで物間を押さえつけるのなら、下手に動けないのは実弥も同じことなのだ。

 つまり、今の状況は……物間が実弥の体に触れる大きなチャンスということになる。

 無理矢理に口角を上げ、不敵に笑いながら呟くと物間は自分の腕を鷲掴みにしている実弥の手に触れた。

 

 その行動が何を意味するか。それを悟った拳藤は、ギョッとして目を見開きながら叫んだ。

 

「鉄哲!発目!後退するよ!とんでもないのがくる!!!」

 

『物間、遂に不死川に触れたぁぁぁ!!!これは……流石の不死川チームも後退するべきじゃないか!?』

 

 只事ではない様子の彼女やプレゼントマイクの実況を耳にし、発目が慌てて訪ねる。

 

「な、何が起こったんです!?」

 

「……し、不死川が触られた!」

 

「鉄哲君の言い方がアレですけど、とにかくやばいってことですね!?」

 

 妙な言い方になってしまった辺り、鉄哲も動揺しているらしい。取り敢えず状況を共有した一同は、動揺も見せることなく寡黙に物間を睨む実弥を疑問に思いつつも、物間から距離を置いた。

 ある程度の距離を置くと、続け様に拳藤が指示を飛ばす。

 

「鉄哲!"スティール"を発動して、とにかく踏ん張って!!!」

 

「ま、任された!」

 

「発目もしっかり踏ん張る!」

 

「は、はいっ!」

 

「それと……ごめん、不死川!ちょっと掴む!」

 

「つ、掴むゥ?うおっ!?」

 

 2人に指示を飛ばした後で、拳藤も自分の手を人1人が掴めてしまう程のサイズに巨大化させ、実弥の胴体を鷲掴みにする。何にせよ、これで風圧を喰らった実弥が体勢を崩してしまうのを避けられるはずだ。

 そんな慌てた様子の一同を見て、物間はほくそ笑んだ。

 

「ははっ……!そうだよね。不死川君の"個性"の恐ろしさは、君達がよく知っているだろう!納得の慌てっぷりだよ。それじゃあ……散々冷や汗をかかせてくれたお返しだ!」

 

 物間が腕を振りかぶる。回原達は、これが逆転の一手になるかもしれない、と微かな希望を見出して彼を見守る。

 鉄哲は"個性"を発動して身構え、拳藤と発目は息を呑む。拳藤に胴体を鷲掴みにされるという気の抜ける様になっている実弥ただ1人だけが顔色を変えることなく、無言で物間を見つめていた。

 

 ――その次の瞬間、ついに物間が拳を振り抜いた。実弥が繰り出したものと同じく、凄絶な風圧が押し寄せてくるはずだと身構え、思わず腰を落とした鉄哲、拳藤、発目だったが……。

 

「…………あれ?」

 

『……物間、不死川の"個性"をコピーしたが……不発?ってことでいいのか?』

 

『……成る程。不死川の"個性"が本来あるべきでない形で目立っているから、勘違いに陥ったな』

 

 威力が等しくなかったとしても、多少は風が巻き起こることを覚悟していたのだが、いつになっても風が押し寄せる様子がない。プレゼントマイクも、物間の攻撃が不発に終わったことにポカンとする。相澤は自分の隣でポカンとしている同僚に呆れながら、淡々と言葉を述べる。

 そう。物間の拳は虚しくも空を切り、彼の策は無駄に終わってしまったのだ。

 

「……ど、どうなっているんだ……?確かに不死川君の"個性"をコピーしたはずだ!……まさか、スカなのか!?」

 

 混乱した様子で、物間が自分の掌を見下ろす。自分の思惑が全て崩れ去り、大きく動揺している彼を見て……実弥は憐れむように笑った。

 

「そのスカってのがハズレだと仮定したとして……だ。障害物競走の時、相澤先生が解説なさったはずだがなァ……。『本質的には、常人より遥かに丈夫な肺を持ってるってだけだ』ってよォ」

 

「は……?」

 

 困惑をいっぱいに物間が声を漏らす。鷲掴みにされていた状態から解放してもらいつつ、実弥は続けた。

 

「俺の"個性"は、常人より遥かに肺が丈夫ってだけだ。どっかの誰かさんが言いそうな単語を用いれば、俗に言う没個性って奴さァ。だが……俺は血反吐も吐くくらいに年単位で鍛えた。今の俺があるのは、その結果だ」

 

 そして、常人はやらないレベルまで肺を鍛えた結果、酸素を取り込むことで身体を強化することが出来るようになった。つまり、自分自身はいつでもごく普通の呼吸をしているだけだと付け加えた。

 

「……要するに、テメェは俺の"個性"をコピーすることは出来た。だがなァ……どう足掻いても俺みてェな芸当は出来ねェんだよ。A組(俺達)を出し抜くことで頭がいっぱいで、解説を聞き逃したかァ?それとも……聞いてはいたが、俺を相手にした瞬間に都合悪く頭から抜け落ちたかァ?どっちかが欠けてなけりゃあ、俺の"個性"をコピーしようなんて考えには至らなかったはずだぜェ」

 

「……っ」

 

 物間は実弥の"個性"の真実を聞くと、身体中から力が抜けたかのように項垂れてしまった。――"個性"の真実も何も、実のことを言えば、彼は無個性なのだが――

 しかし、それもたった数秒のことで。再び拳を握り締めると、絶望を必死で覆い隠すかのように(いびつ)な笑みを浮かべて叫んだ。

 

「使えない"個性"を使える"個性"に昇華させたってことかい!?ほんっとうに……君が羨ましいよ、不死川君!!!どれだけ鍛えたとしても、普段の無個性同然の状態からは絶対に抜け出せない僕とは違ってさぁっ!!!!!」

 

 物間の叫びに対し、実弥は冷ややかな視線を向けるのみ。

 対する物間は、悔しそうに下唇を噛み締め、必死な様子で指示を飛ばしていく。

 

「回原!円場!黒色!行け!絶対に不死川君から鉢巻を奪うんだ!!!」

 

「ちょっ、待て!落ち着け、物間!衝動的に突っ込んだって返り討ちに遭うだけだぞ!」

 

「ここまで他人を散々煽ってきた報復を受けたな……。煽り返されて逆上とは……」

 

 実弥一直線な物間の様子に、回原は必死で彼を(なだ)め、黒色は呆れたように呟く。

 人生の中で何度も他人の粗を探して煽り、出し抜くという所業を繰り返してきた物間。平気な顔で他人を傷つけかねないような行動をしてきた結果が……全て自分に返ってきた。

 もはや、彼は周りが全く見えていないと言っても過言ではない様子だった。

 

「ヤバいって、物間!俺達の相手は――」

 

 不死川だけじゃない。円場がそう叫びかけた瞬間――

 

「今だァ!掻っ(さら)えェ!!!」

 

 獰猛な笑みを浮かべた実弥の叫びがそれを遮った。

 

「テメェに言われなくても……分かってらァ!!!!!」

 

「っ!?」

 

 直後に轟いた爆発音と闘志に満ち溢れた叫びに物間は冷静さを取り戻すと、慌てて振り向く。

 視線の先にあったのは……この時を待っていたと言わんばかりにやる気の満ちた笑みを浮かべて突き進む爆豪チームの姿。

 距離を詰めながら、爆豪が言い放つ。

 

「俺単騎じゃ踏ん張りきかねェ!全員で突っ込むぞ!」

 

 先程、鉢巻を奪い返す為に単騎で特攻したタイミングで爆豪は学んだ。そして、自分1人では落馬のリスクが大きいことを悟った。獲るなら、確実に獲る。

 その為なら、実弥のように使えるものは全て使う。そんな意気が爆豪の中に沸き起こった。

 

「醤油顔!テープ!!」

 

「瀬呂、なっ!」

 

 爆豪が指示を飛ばし、瀬呂があだ名呼びを訂正しつつ、肘からテープを射出する。射出したテープは、物間チームを捕らえる為に彼らに直接貼り付く……のではなく。彼らのいる位置から少し前の地面に貼り付いた。

 

 何となく狙いを察し、逆に自分が揺さぶられたことが信じられずに呆然とする物間を他所に、逃走を図る回原達。

 しかし、爆豪は彼らを逃がさない。間髪入れず、次の指示を飛ばす。

 

「黒目!進行方向に弱めの溶解液!」

 

「あ・し・ど・み・な!!」

 

 続けて、芦戸が自分の名前を一言一句はっきりと言い聞かせながら、満面の笑みで進行方向に向けて人に影響のない強さの酸を撒き散らす。

 撒き散らされた酸は、物間達に向けて一直線に道を作った。

 

「一気に突っ込む……!ブレんじゃねェぞ、切島ァ!!!」

 

「言われるまでもねえ!」

 

『爆豪チーム、隙だらけの物間チームに向かって突き進んでいく!物間チームの防御は間に合うか!?』

 

 全ての準備が完了すると、爆豪は戦闘狂のように白い歯を見せつけながら不敵に笑う。そして……進行方向と逆に両手を構え、爆破を巻き起こした。

 彼の起こした爆破が遠心力を与え、弱めの酸によって地面を滑るように突き進む。その結果、爆豪チームは回原達が想定していないスピードで猛然と肉薄した。

 

「畜生……最後の足掻きだ!」

 

 せめてもの抵抗で円場が空中に空気を吹き出し、透明な壁を形成する。しかし……。

 

「っらぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

『ああっと、防御は間に合ったが、呆気なく破られる!そして今……物間チームは全部のポイントを奪い取られたぁぁぁ!!!』

 

 スピードに乗せて、爆豪が十八番(おはこ)の右の大振りを繰り出すと、壁は呆気なく砕け散る。そして、避ける素振りも防ぐ素振りも見せない物間の首に巻き付いた鉢巻を掴み取り……とうとう、爆豪チームは鉢巻の奪還を果たしたのだった。

 

「おまけのプレゼントだぜェ」

 

「うおっ!?」

 

 更に実弥が発目特製の捕縛銃を構え、物間チームに向けて捕縛網を発射。狙いを外すことなく放たれた網は彼らに覆い被さる。

 網からの脱出を試みて必死にもがくが……脱出出来る様子は見られない。

 

「ふふふ……!その網は特製のものですから、滅茶苦茶丈夫に仕上げているんです!異形型や増強系の方のパワーにも確実に耐えられます!切ったりちぎったりはそうそう出来ないようにしてますので、貴方達はもう行動不能です!」

 

「つまり、テメェらはここで実質リタイアだァ」

 

「……マジかよ……」

 

 自信満々に性能を自慢する発目と、不敵な笑みで物間達のリタイアを宣言する実弥。

 すると、物間チームは絶望的な宣告に呆然として動きを止めてしまった。

 

『容赦ねえな、不死川チーム……。あー……動けねえなら、実質リタイアだな……。まあ、なんだ。相手が悪かったってことで!ドンマイ!物間チーム!』

 

「「「「「ド、ドンマーイ!!!」」」」」

 

『……物間、競技終了後にじっくり話を聞かせてもらうぞ』

 

 プレゼントマイクのみならず、観衆からもドンマイコールが響き渡る。どこか冷たくも思われる声色の相澤から告げられた言葉も、絶望的な宣告という他ない。あまりに屈辱的な終わり方に、物間は顔を伏せ、唇を噛み締める他なかった。

 回原達も拳を握りしめ、悔しさを堪えるように顔を伏せる。

 

「よっしゃあ、取り返した!」

 

「次はテメェだ……!」

 

「……敵が絶えないって感じだね」

 

「……あァ。だが、こうでなくちゃあな……!」

 

 網に囚われた物間達の背中を憐れむように見つめていた実弥に獰猛な視線が向けられる。その視線の先にあったのは、獰猛な笑みで掌から火花を散らす爆豪の姿と、やる気満々でこの時を待ち侘びていたと言わんばかりの様子の切島、瀬呂、芦戸。

 

「いくぞ、傷顔ォォォ!!!」

 

「いつでも来いや、爆発頭ァ!!!」

 

 叫ぶと同時に、爆豪は掌から爆破を起こして空中へ跳ぶ。そして、恐れをなさずに距離を詰め、実弥の額に巻き付けられた1000万の鉢巻に腕を伸ばした。

 

 残り時間5分。騎馬戦は遂に――佳境へ突入する。




物間君、実弥さんに完全敗北する上に爆豪君らに鉢巻を全て奪取され、発目さん開発の捕縛銃で行動不能になり、実質リタイアという形で終わりました。思ったよりもボコられてないなあと思った方がいらっしゃるかもしれませんが……結果的に自分の策が思い通りにいかなかったりと、精神的にボコボコにしちゃってるのでまあ良いかなあ……と。
競技後に話し合いの場も設けますので、お許しを。

次回の後編でやっと騎馬戦が終わります。もう少しお付き合いください。


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幕間・壱 騎馬戦の動向・緑谷出久編

1年以上ぶり。お久しぶりでございます、皆様。

小説を書いて更新することに割くほど精神的な余裕がなかったり、小説書くこと自体がキツイってなってたり、お気に入り増減するわ、評価が赤を保てなくなったことにショックを受けるわで情緒がボロッボロで、全く手をつけられてませんでした。

正直、小説書くのキツイなあ〜ってなってるのは今でも解消しきれてないし、色々と考えながら制作してる上に精神的な余裕がないというのも変わりないので以前の更新ペースには戻せないと思います。申し訳ありません。
不定期な亀更新でもよければこれからもご愛読よろしくお願いします。

今回はいい加減騎馬戦を終わらせろってことで3話一挙更新です。滅茶苦茶長いし、若干グダついてるかもしれませんが楽しんでいただければ嬉しいです。また、これまでのお話もしれっと修正してたりするところがあるので、暇な方は読み直したりでもしていただけたらもっと喜びます。


『爆豪チーム、不死川チームへのリベンジマッチだ!他の2チーム……常闇チームと轟チームは如何に!?このまま現状維持に甘んじるか、上を求めて目の前の壁を叩き壊すか!!!お前らはどっちだ!?』

 

 プレゼントマイクの実況が、(りん)チームと対峙していた常闇チームの面々に火をつけた。

 困難な状況を前にして冷え始めていたものが、再び熱を帯びていくのを感じる。

 

「言ってくれるやん、マイク先生……!」

 

「このままで終わるなんてロックじゃないよね!」

 

「ああ、言われるまでもない。我らの意思はただ一つ……!」

 

「――ここを突破して、もう一度不死川君に挑む!!」

 

 彼に煽られるような形で、彼らの中に宿る実弥に対する挑戦心が激しく燃えあがった。

 

 少しここまでの戦況を振り返ろう。試合開始早々に実弥チームに攻撃を仕掛けた常闇チームは、引き続き拳藤のいる右翼からの攻撃で攻め続けることを試みた。

 しかし、彼らに続いて猛攻を仕掛けた爆豪チーム、轟チームと実弥チームとの激しい攻防の渦中に飛び込むのはリスクが高いと判断。隙を(うかが)いつつ、自分達に寄り付くチームを迎撃して機会を待つことに決めたのだった。

 虎視眈々と様子見に徹するのも束の間のことで、轟チームと実弥チームが攻防戦を繰り広げている間に(りん)チームの足止めを喰らってしまった。しかし、再び実弥に挑まずして終わることは出来ない。その思いを胸に耐え凌ぎ続け、今に至る。

 

「自分から作戦立案しといて、実質リタイアはないだろ……!物間……!」

 

 常闇チームと向かい合いながら、(りん)は強く歯を食いしばって呟いた。物間の煽りがエスカレートして余計なことを口走った結果、実弥の怒りを買ったのだろうと予想はついている。

 B組全員でA組を出し抜く。その中に、作戦立案者の彼自身がいなくては何の意味もないというのに。

 

「……(りん)氏。私達に、また一つ退けぬ理由が出来ましたな。常闇氏ご一行を何としても足止めしますぞ!」

 

「……おう!」

 

 だが、やるべきことは彼らのリタイアを悔やむことではない。彼らの想いを背負い、B組が勝ち抜く為に貢献することだ。

 毛に覆われた肉体と下顎から突き出た2本の牙が特徴的な荒々しい獣人のようなルックスの少年――宍田獣郎太の声に、(りん)は力強く頷いた。

 

「行きますぞ、常闇氏ぃぃぃ!!!」

 

 宍田が叫ぶと同時に全身に力を入れた。すると、その体格が2倍近くのものへとみるみると膨れ上がっていく。常に体を覆う体毛はより厚く、下顎から突き出た牙はより長く鋭く発達する。

 そして、彼は巨大な獣と化し、常闇チームに猛然と襲いかかった。

 宍田獣郎太。彼の"個性"は――"ビースト"。元の体格の二倍ほどの巨大な獣になり、筋力・聴覚・嗅覚・視力が大幅にアップするというもの。

 ''個性''発動後の彼は高い防御力、攻撃力、機動力を兼ね備えており、かなり強力だ。

 

「猛き巨獣……!奴らめ、秘めし力を解放してきたか!」

 

「要するに、本気になったってことね……!」

 

 百獣の王さながらの闘志を(みなぎ)らせて真っ直ぐ突き進む宍田を見て、思わず息を呑む一同。

 

「どないする!?デク君!」

 

 声を上げた麗日に釣られて、常闇と耳郎も緑谷に視線を送り、彼の指示を仰いだ。

 3人の視線を受け、緑谷は……口角を上げて笑った。額から汗が垂れ、無理矢理に笑顔を作っているようだったが、確かに笑っていた。

 

「大っ……丈夫!何とかする……!してみせる!」

 

 無理矢理な笑顔のまま振り返った彼を見て、3人は顔を見合わせる。苦難を前にしてでも笑おうとするその姿が、少しだけオールマイトに重なる。

 それを自覚した瞬間、瞬く間にきっと何とかなるという不思議な予感が彼らの中に湧き上がってきた。

 

 緑谷を信じて、最後まで全力でやろう。そう心に決めて頷いた直後、即座に指示が飛ばされた。

 

「常闇君、牽制!宍田君を間合いの内側に入らせちゃダメだ!」

 

「……御意!行け、黒影(ダークシャドウ)!!」

 

「アイヨ!」

 

 緑谷の声に従い、常闇は黒影(ダークシャドウ)を己の身から抜き放つ。

 黒影(ダークシャドウ)は、その伸縮自在な影の肉体をフルに活用し、猛進する宍田を迎え打つ為に肉薄した。

 自身の得意とする中距離戦の間合いにターゲットを捉え、漆黒の爪を振わんとするが……。

 

「遅い!遅いですぞォォォ!!!」

 

 迫る黒影(ダークシャドウ)に反応し、宍田は力強く地面を踏みつけた。土煙が舞い上がるほどの踏み込みで、速度が更に上昇する。

 その結果、黒影(ダークシャドウ)の爪は虚しくも空を切った。

 

「ナニッ!?」

 

「ッ、速度が上がった!?」

 

 攻撃を外して硬直する、常闇と黒影(ダークシャドウ)。そして、防御役を兼ねる常闇が動きを止めた。この瞬間を最大の好機として、宍田が迫る。

 

「なら……ウチが!」

 

 無論、宍田の行動を黙って見ている道理はない。その行く手を阻む為に耳郎が仕掛けた。

 条件さえ整えば、鞭の最先端の速度は軽く音速を超えると言うが、彼女はまさに鞭打を繰り出すかの如くコードを振るった。

 

「ぬうっ!?」

 

 車は急に止まれないと言うが、それは加速した宍田に関しても同じことだった。

 地面に向けて爪を立てながらスピードを殺そうと試みるが……彼が停止するよりも耳郎の振るったコードの方が遥かに速度が速く、宍田の顔面に鞭打さながらの一撃が炸裂。

 乾いた破裂音が辺りに鳴り響いた。

 

「し、宍田!?」

 

『耳郎の一撃が宍田の顔面に炸裂だ!……うっわ、痛そう……』

 

 (りん)もプレゼントマイクも、痛々しい破裂音に思わず顔を真っ青にしているようだ。

 鞭、もしくはそれに近しい物の一撃は、人の想像よりも痛みが生じる。物理的な痛みのみならず、精神的苦痛が生じて心が折られるのも不思議ではない。

 流石の宍田もこの痛みは身に(こた)えるのではないかと恐る恐る顔を覗き込む(りん)だったが、その不安は杞憂に終わった。

 

「……中々の威力でしたな。しかし、これしきで倒れるほど、私はやわではありませんぞ!!!」

 

「おおっ……!流石だな、頼りになる!」

 

「き、効いてない……!?」

 

 薄らと顔面にコードを打ち付けられた跡が残ってはいるものの、宍田は平然とした様子で鋭い牙を見せつけるように笑ってみせた。

 平気な様子の宍田を見て、(りん)は笑みを浮かべつつガッツポーズをとり、逆に耳郎は動揺した様子を見せる。

 2倍近くに巨大化したことで発達しているであろう筋肉や厚い体毛に比例し、宍田自身の防御力も高まっているらしい。

 

 ……いや。今回の場合、攻撃を喰らった箇所は顔面で、大した変化は見られない。指摘すべきは、宍田自身の攻撃を耐え得るタフネスだろう。

 本来なら、顔面に攻撃を喰らっただけでも精神的にダメージを受けるはずなのだが……。

 

(こうなったら、肌に挿して直接音波を叩き込むしか……!)

 

(あの様子だと、中の下ほどの火力しか持たぬ黒影(ダークシャドウ)の一撃も通用するとは言い切れない……!どうする……!?)

 

「悪いが、次の手は打たせない!」

 

 攻撃手段をいくつか潰されたことに動揺する常闇チームを他所に、(りん)チームが動き出す。

 宍田が猪の如き勢いで突進する最中、(りん)は露出した両腕に龍を彷彿とさせる緑色の硬い鱗を生成した。

 彼の"個性"は"鱗"。体中に硬い鱗を生成し、それを鎧のように纏わせるだけでなく、弾丸として射出することも出来るというもの。

 

 今回の彼が選び取った戦術は後者。その腕から鱗が弾丸の如く射出された。

 

(鱗による射撃か……!だが、この程度――)

 

「弾き落とせ、黒影(ダークシャドウ)!」

 

 迫り来る鱗の嵐を見るや、常闇は黒影(ダークシャドウ)を使役して爪を振るい、それを弾き落とした。

 攻撃を防ぎ、一安心だと思いきや――

 

「グルォォォオオオ!!!!!」

 

 獅子の如く猛き雄叫びを上げ、宍田が間髪入れず突撃してきた。

 

「何っ……!?」

 

 隙を与えぬ突撃が常闇の動揺を誘う。故に思考が一時的に停止し、咄嗟に反応が出来なかった。

 

「フンッ!!!」

 

「ギャアッ!?」

 

「ッ、黒影(ダークシャドウ)!?」

 

 そして、宍田は常闇が指示を出すよりも前に厚い体毛に覆われた剛腕を振るう。黒影(ダークシャドウ)自身も反応が遅れ、短い悲鳴と共に呆気なく地面に叩きつけられてしまった。

 

『おっと!?常闇の黒影(ダークシャドウ)が地面に叩きつけられ、そのまま押さえつけられた!防御手段が無くなった常闇チーム!無防備も同然だぞ!!』

 

(まずい……!日光の下の黒影(ダークシャドウ)じゃ、単純な増強系の"個性"を持った宍田君のパワーに勝てない……!)

 

 プレゼントマイクの実況を耳に入れつつ、宍田に押さえつけられながらも必死でもがいて拘束から脱することを試みる黒影(ダークシャドウ)を一瞥する緑谷の頬を冷や汗が伝った。

 

 騎馬戦開始前に常闇から聞いた話によれば、黒影(ダークシャドウ)は闇が深ければ深いほど力を増す代わりに制御性を失い、逆に日の光の下であればあるほど力が弱まる代わりに制御性が増すらしい。

 

 時間帯が夜であればともかく、太陽の光が燦々と地面を照らす今は中の下ほどのパワーしか持たないとのことだった。生身の人間と大差ないパワーの黒影(ダークシャドウ)では、生身の人間を遥かに凌ぐパワーを有する宍田の拘束から抜け出すのは不可能と言っても過言ではない。

 

「さあ、これで常闇氏のチームは無防備!今のうちに奪ってしまいましょうぞ、(りん)氏!」

 

「ああ!……悪く思うなよ、A組!俺らも負けられねえんだ!」

 

『B組(りん)、宍田の背中を足場にして跳躍!大胆に攻撃を仕掛けた!』

 

 今こそが好機。最強と言っても過言ではない防御手段を失った常闇チームに(りん)は空中から攻撃を仕掛けた。

 彼が腕に鱗を纏ったのを目にした瞬間、このまま鉢巻を獲られる訳にはいくまいと、緑谷は咄嗟に指示を飛ばした。

 

「麗日さん!僕が出て引きつけるから、常闇君を浮かして!それと、耳郎さんと二人で手を握ってて!そのまま空まで浮いてしまうことがないように!」

 

「わ、分かった!」

 

 そして、間髪入れず耳郎と常闇にも意味ありげな目配せをしつつ「サポートお願い」と小声で呟くと、緑色の稲妻を纏って地面を蹴り、空中に飛び出した。

 普通に騎馬戦をやっていては出てこない発想を実行してのける目の前のライバルに、(りん)は驚愕した。

 

「ッ、騎馬を放ったらかしにして突っこんできやがったっ!?」

 

『常闇を無重力状態にすることで地面に足がつくのを防止するって訳か!わざわざ騎馬の配置を崩すなんざ、普通の騎馬戦じゃあり得ねえが……これはどうだ!?ありなのか!?』

 

「本来ならダメだけれど、雄英の騎馬戦は騎馬が崩れても競技が続行可能!それに、雄英(ウチ)は自由が校風だもの。これくらい受け入れてやらなくちゃ、その名が廃るでしょう!だから、この戦法も……ありよ!緑谷君、中々面白い戦術を見せてくれるじゃない!」

 

『ほ……本当に何でもありだな、おい!しかも好評じゃねえか!だが、主審が言うなら俺達から言うことは何もねえ!!クレバーかつ独特なやり方を思いついた緑谷、(りん)の迎撃に向かったぜ!』

 

 驚愕しつつプレゼントマイクの実況やミッドナイトの判断を聞いた(りん)は、「それもありなのかよ……!」と思わず悪態を()いた。

 

 緑谷は想像を遥かに凌ぐ速度で、閃光の如く(りん)に迫る。一方、鱗を撃ち放って攻めることを画策していたものの、攻撃が間に合わないことを悟った(りん)は、もう片方の腕にも鱗を纏わせ、交差させた両腕で咄嗟に防御の構えを取った。

 

 鱗を纏った(りん)の腕は鎧にもなり、素手で殴りつければ逆に殴った側が怪我をする程の強度を持つ。故に、攻撃するには多少躊躇せざるを得ないものだ。

 

 それで生じた隙を突き、緑谷を叩き落とそうと考えていた(りん)であったが……緑谷は、想定外の行動をやってのけた。

 

(多用は出来ないけど……!このまま足踏みしている訳にはいかないんだ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間出力(しゅんかんしゅつりょく)――15(パーセント)

New(ニュー) Hampshire(ハンプシャー) SMASH(スマッシュ)!!!

 

 

 

 8%の更なる先。瞬間的とはいえ、とうとう2桁に到達した"ワン・フォー・オール"の威力は凄まじく……緑谷が空中を踏みつけると同時に風圧を巻き起こし、彼の小柄な体躯を更に上空へと打ち上げた。

 

「なっ!?」

 

「「「「「おおおおおっ!?」」」」」

 

『緑谷、大気を踏みつけて更に跳ぶ!あっさりと(りん)の上を取った!!!つか……New(ニュー) Hampshire(ハンプシャー) SMASH(スマッシュ)っつったよな!?オールマイトリスペクトか!そもそもお前、いつそんなこと出来るようになった!?』

 

「大気を踏みつけた余波で風圧を!?緑谷少年、いつの間にその域まで……!?」

 

『……ここまでの1ヶ月足らずの様子からは考えられない成長速度だ。あまりにも凄まじすぎるな……』

 

 巻き起こった風圧でガードと体勢が崩され、(りん)は驚愕する。

 それと同時に、オールマイトさながらの芸当をやってのけた緑谷の姿に観客やプレゼントマイクが歓喜に打ち震える。また、オールマイト本人も喜びを感じながら驚きを露わにし、相澤もまた声色だけでは平然とした様子だったが、顔面にぐるぐる巻きついた包帯の下では目を見開き、驚きを露わにしていた。

 

「ぬうっ……上を取られましたか!これはいけませんな……!(りん)氏!すぐにフォローしますぞ――ッ!?」

 

 体勢を崩し、このままでは地面に落下する他ない(りん)の状況を見て即座にフォローに回らんとした宍田。力強く地面を蹴り、空中に飛び出さんとしたが……足が動かない。

 何が起こっているのかと足元に目線を見遣ると、黒く細長い何かが螺旋を巻き、バネのように両足に巻きついていた。その正体は――

 

「こ、これは……!常闇氏の黒影(ダークシャドウ)!?」

 

「その通りだ、猛き獣よ。黒影(ダークシャドウ)を完全に封じたくば……指一本たりとも動かせぬよう鷲掴みにでもすべきだった」

 

「ヘヘッ、ザマァミヤガレ!」

 

 そう、宍田に押さえつけられていたはずの黒影(ダークシャドウ)の腕だ。黒影(ダークシャドウ)は影で生成されているが故に変幻自在かつ伸縮自在で定まった形を持たない。

 そのおかげで体の一部だけでも動かせるのであれば、ある程度の行動は可能になる。その両腕を伸ばして宍田の足に巻きつけ、その動きを封じたのだ。

 

「しかし、この程度の拘束……!私のパワーの前では、大した障害にもなりませんぞ!」

 

「フ……そうだろうな。確かに今の黒影(ダークシャドウ)では、長時間お前を抑え込むのは無理だ。だが……この僅かな時間でも事足りる」

 

「何ですと……?」

 

 不敵な笑みを浮かべた常闇の言葉に宍田が訝しげな様子を見せている一方で、体勢を崩された(りん)は単にこのまま落下しまいと足掻いていた。

 

「くっ……!空中なら、簡単には避けられないだろ!それに、あんな芸当をぽんぽんと連続でやれるとは思えない!せめて、お前を地面に落とす!」

 

 僅かな時間でも良い。それだけでも稼げば、宍田のパワーなら拘束から抜け出せるはず。

 そう信じて、鱗を纏わせた両腕を空中にいる緑谷に向けて構えたその時。

 

「――むっ、(りん)氏!後ろです!」

 

「もう遅いっての!」

 

 耳郎と宍田の声が耳に届くと同時に、頭にあった感覚がするりと無くなった。

 冷や汗がドッと溢れ出し、心臓を鷲掴みにされた気分になった。まるで、自分の大事なものを失ってしまったかのような……。

 

 もっと正確に言えば、頭に何かを巻き付けている感覚が失われた。

 

 そこから答えに辿り着くのは一瞬だった。慌てて頭に手をやり、あるべきものがそこにあるのかを確かめる。

 その結果――やはり、あるべきものはそこになかったと気付いた。

 

「ま、まさか……!?」

 

『常闇が宍田を拘束してフィジカル担当を封じ、耳郎が早業で(りん)チームのポイントを奪取!ナイスコンビネーション!』

 

『緑谷が空中に飛び出し、オールマイト並みの派手な芸当をやってのけたのも、耳郎と常闇から注意を逸らし、自分に向けさせる為だったって訳か。気配感知に優れてでもいない限り、上を取られりゃ背後を取られることを連想するもんだ。そうなると、隙を作らない為に目で追う他ないからな』

 

「アイヤー……鉢巻が狙いだったか……!やらかした……!」

 

 言うまでもない。奪われたものは、自分達の唯一の持ち点である125P。頼みの綱が呆気なく奪われてしまった。(りん)の意識が緑谷に向いているうちに耳郎が背後からこっそりとコードを忍ばせ、目にも止まらぬ早業で頭に巻きつけられた鉢巻を掠め取ったのだ。

 自分があっさり掌の上で転がされたことに(りん)は悔しさを覚え、緑谷のみに意識を集中させてしまったことを後悔した。

 うさぎは目が顔に対して横についている為、360度に近い視野を持っているという。うさぎであれば、自分の背後で起こっていたことにも気がつけたのだろうか。

 

(りん)氏ぃ!!!今救出いたしますぞ!!!」

 

「!」

 

 このまま落下すれば地面に触れて脱落確定だ。事態を避ける為に宍田が行動を開始する。彼が大きく体をねじったのを見た瞬間、意図を察した緑谷は声を張り上げた。

 

「麗日さん、耳郎さん!常闇君から手を離して!()()()()()()()!」

 

「!?ど、どういうこと!?」

 

「デク君が言うんだし、きっと何かあるんだよ!今は指示に従おう!!」

 

「……分かった!」

 

 緑谷の指示を聞くと、麗日は緑谷に意図があると察知し、耳郎は状況を飲み込みきれてはいないものの、とにかく緑谷を信じ、慌てて常闇から手を離す。その直後、宍田は力強く地面を踏みしめると、その場でこまの如く回転し始めた。

 

「ッ!?俺達を……っ、振り払う気か!?」

 

「ウオオオッ!?メ、目ガ回ルゥゥゥ!!?」

 

『何だ何だ!?B組宍田、こまみてえに大回転を始めたぞ!』

 

 麗日の"個性"で自分の服のみの重さになっている常闇は、宍田の回転に乗せて黒影(ダークシャドウ)ごと振り回される。抗う術はなく、されるがままでいる他なかった。

 

 宍田が回転を加えるにつれ、彼の足元に巻き付いていた黒影(ダークシャドウ)の腕がほどけ、拘束が緩んでいく。

 何度も回転を重ねた末に腕を振り抜くと、常闇の体は軽々と吹き飛ばされてしまった。

 

 麗日の"個性"で無重力状態である影響もあって必要以上に体が軽く、吹き飛ぶ彼の状況を例えるなら、空気の抜けた風船のようだった。

 

「ぐああっ!?」

 

「常闇!?」「常闇君!?」

 

『おおっと、宍田が回転を終えると同時に常闇が派手に吹っ飛んだ!』

 

黒影(ダークシャドウ)の腕が巻き付いている方向と同じ方向に動くことで巻き取り、拘束から脱したか。……考えたな』

 

『単なる荒技かと思いきや、しっかり考えてんだな……!常闇チームに負けず劣らず、立派な戦術を立ててるじゃねえか!』

 

 より獣に近づいたからと言って、理性が消える訳でもない。どちらかと言えば、宍田は頭がキレる方だと考えて良さそうだった。

 

「っぐっ!?……すまん、緑谷……!」

 

「気にしないで。……間に合って良かった。大丈夫?」

 

「少々平衡感覚が狂ったが……案ずるな。支障はない……!しかし、凄まじい荒技だった……」

 

「……いや、一見するとそうかもしれないけど……プレゼントマイクも言った通り、しっかり考えられてるよ。やるな、宍田君……!」

 

 常闇が吹っ飛んでいく先に素早く回り込み、彼を咄嗟に受け止めた緑谷は、相澤の解説を耳に入れつつ、目の前に立ち塞がった相手のレベルの高さを改めて認識した。

 

「悪い、宍田……!助かった……!それと、鉢巻()られた……。……すまん!」

 

「お気になさらず!失格にならなければ、いくらでも取り返せますぞ!」

 

 拘束を振りほどいた宍田は、地面を蹴って空中に飛び出し、すかさず(りん)を受け止めて背中に背負った。

 自分の視野の狭さのせいで鉢巻を奪われたことを悔やみ、謝罪する彼を励ましつつ、強靭な足腰で地面に着地する。

 

 すると、その巨体と体重故か、着地と同時に砂煙が舞い上がった。

 それを目にした瞬間、緑谷の脳裏に閃光が迸った。目の前にある壁を乗り越え、更に高い壁に挑む為に思いついた策を実行に移す。もはや、彼の中に迷いはない。

 黒影(ダークシャドウ)の手も借りながら常闇を背中に背負うと、声を上げた。

 

「……常闇君!しっかり掴まってて!」

 

「承知!……何かを思いついた顔だな。お前の選択に委ねよう!」

 

 宍田と(りん)を見据え、覚悟を決めた表情で足元に力を込める。弾け飛ぶ稲妻と共に、緑谷は飛び出した。

 

「……!来ましたな、緑谷氏!」

 

『緑谷が飛び出した!宍田に向けて一直線に向かっていく!』

 

 襲来する緑谷を警戒し、身を低くして構える宍田。剛腕と鋭い爪を振るい、真正面から迎撃せんと試みるが……宍田の剛腕に対し、緑谷は風圧を伴う突きを放った。

 

「ぬうっ!?」

 

 巻き起こった風圧は宍田にとって逆風となり、振るわれた腕の進行を阻むとまではいかずとも、その速度を落とす。

 そして――

 

 

 

DETROIT(デトロイト) SMASH(スマッシュ)!!!

 

 

 

 その拳ですかさず地面を殴りつけ、激しく砂煙を巻き上げた。巻き上がった砂煙が(りん)チームを覆い尽くし、彼らの視界をたちまち塞いでいく。

 

『おいおい、今度はDETROIT(デトロイト) SMASH(スマッシュ)か!盛り上げ上手だな!緑谷、必殺の一撃で地面を殴りつけ、砂煙を巻き上げた!これは……目眩しか!?』

 

「くっそ……!周りがよく見えねえ……!」

 

 辺りを見回すが、視界が不明瞭なことに変わりはない。このままだと常闇チームを逃がすことになってしまう。最悪の事態が頭に浮かび、慌てて周囲を見回す(りん)だったが、対する宍田は冷静だった。

 鋭く尖った牙を見せつけつつ、不敵に笑って(りん)を落ち着かせる。

 

「落ち着くのです、(りん)氏。視覚が働かぬのであれば、別のものを利用すれば良いだけのこと!」

 

「!そうか、その手があった!」

 

 現在の宍田は、"個性"によって様々な感覚が鋭くなっている状況にある。土煙によって視界が働かないのであれば、それ以外の感覚を利用するだけのこと。

 宍田が選び取ったのは嗅覚。犬にも引けをとらぬ自慢の嗅覚で姿を隠した緑谷と常闇の位置を特定しようと考えた。

 

 感覚を研ぎ澄まし、鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ分ける。彼の優れた嗅覚が匂いを捉えるまでに時間はかからなかった。

 二つの匂いが渦を巻くようにして周囲を移動している……。

 

(……捉えた!我々の周囲をぐるぐると回るように移動しているようだが……匂いで貴方達の位置は丸分かりですぞ!緑谷氏、常闇氏!)

 

 彼が捉えたのは、緑谷と常闇の匂い。距離も近く、これなら追撃が可能だと宍田は確信した。

 

「そこですな……!緑谷氏、常闇氏ィィィ!!!」

 

 土煙を引き裂きながら、2人を押さえつける勢いで剛腕を叩きつける。

 しかし……攻撃は外れたようだった。土煙の先には誰もいない。

 

「……外れた!?」

 

(馬鹿な……匂いは正確に捉えたはず!)

 

 手応えが無かったことに動揺し、両腕を振り回して周囲の土煙全てを振り払う。土煙が晴れた先にいたのは――

 

「……引ッカカッタナ!」

 

「――なっ!?」

 

『――常闇の上着と……もう一つは緑谷のハンカチか!2人の持ち物を手にした黒影(ダークシャドウ)、宍田の攻撃を避けた途端、すぐさま撤退していった!』

 

 常闇の体操服の上着と緑谷のハンカチを手にし、悪戯好きの子供のようにニヤリと笑う黒影(ダークシャドウ)だった。(りん)と宍田が目の前に広がっている自分達の予想と違った景色に頭を混乱させ、動きを止めている間に逃げるが勝ちだと言わんばかりに撤退していく。

 

「ッ、アイツら……どこに行ったんだ!?」

 

「……!(りん)氏、あちらを!」

 

「……!?も、もうあんなに遠くにいるのか!?」

 

 慌てて正気を取り戻し、緑谷と常闇を探した。その末、さほど時間を要することもなく2人を見つけたが……彼らは既に耳郎、麗日と合流して騎馬を組み直し、自分達の手の届かない場所にいて、かつ次の獲物へと足を進めている様子だった。

 

「ところで緑谷!風圧出してたけど、大丈夫なの!?」

 

「大丈夫だよ、耳郎さん。今日までずっと低めの出力で体を慣らしてきたから。ちょっと体に痛みが生じるから、多用は出来ないけどね……。でも、まだまだ動ける!」

 

「そ、そうなの?取り敢えず"個性"を使ったらバキバキの大怪我だったのに……。化けたね、アンタ……」

 

「……それじゃ、行こう!不死川君のところに!」

 

「御意。……我らの全てを賭して、奪い取るぞ」

 

「「「おー!!!」」」

 

 次の標的に向けて会話を交わしつつ進んでいく常闇チームを見て、口を半開きにして唖然とする2人。そんな彼らが何も理解出来ていないままなのを哀れだと思ってか、それとも、観客の為を思ってか……。プレゼントマイクは、相澤に対して話を振った。

 

『何が起こったか理解しきれていないオーディエンスもいるだろうし、解説を頼むぜイレイザー!』

 

『……ああ』

 

 話を振られ、状況を見た上での憶測も交えながら淡々と解説を始める相澤。仕組み自体は、一度分かってしまえば単純なことだった。

 

 まずは、緑谷のDETROIT(デトロイト) SMASH(スマッシュ)によって巻き起こした土煙で宍田達の視界を封じることで、視覚以外の選択肢で索敵することを強要した。

 

 次に、緑谷が宍田の「視覚が働かぬのであれば、別のものを利用すればいい」という発言から、宍田が"個性"によって様々な感覚を強化していることを分析、及び五感のうち視覚以外のものを利用してくるであろうことを予測。更に状況を鑑みて、彼が利用するものは嗅覚と聴覚であろうと絞り込んだ。

 

 そして、宍田の嗅覚の鋭さをこちら側が利用することを前提にした上で、常闇と緑谷の匂いが付着している持ち物を黒影(ダークシャドウ)に持たせ、宍田達の周囲を漂わせることで2人がその場にいるのだと錯覚させる。

 

 後は、宍田が索敵に集中している間に撤退し、麗日と耳郎に合流。騎馬を組み直して常闇が黒影(ダークシャドウ)を操作しながらその場を離れてしまえば仕上げは完了だ。

 

『――それと、撤退する際の緑谷の走り方を見て立てた予想なんだが……アイツは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()を習得しているように思えた。他にも要因はあるかもしれんが、それが功を奏して撤退に成功した……といったところか』

 

『おお……!長々と解説お疲れさん。つーか、あの短時間でよくぞそこまで分析と予測が出来たな、緑谷……。頭の回転速度ハンパねえぜ!それに、足音を立てない歩き方ってのも、一体どこで学んだんだよ!?成長の幅がデカすぎる!ていうか、どっちの技術も喉から手が出るほど欲しい!!!』

 

 唖然とする他ない。相澤の解説で答えが判明してもなお、(りん)チームの動きは停止していた。緑谷がほぼ足音を立てない歩法を会得していることが事実だとしても、そうでないとしても関係ない。――因みに、緑谷がほぼ足音を立てない為の歩法を会得しているのは事実である。勿論、その発端は実弥だ――

 宍田には、間違いなく作戦を成功させることになったそれ以外の要因を掴み取られたのだという自覚があった。

 それは、緑谷が結果的に嗅覚を利用する為の策を企てたことと、宍田が嗅覚を利用して索敵するという予測に選択肢を絞ったこと。

 

 宍田自身、"個性"発動時の嗅覚の鋭さには自信があり、"個性"発動時に一番強化される感覚が嗅覚であることも知っている。故に視界が塞がれて索敵を行うことになった途端、迷いなく嗅覚を利用して索敵することを選んだ。

 これが聴覚を利用することを選んでいたのなら展開が変わったのかもしれないし、はたまた、緑谷が聴覚を利用する為の策を企てていても、嗅覚への対策を怠っていたとしても展開が変わっていたのかもしれない。

 

 特に宍田の選ぶ選択肢に賭けるということは、多少の運も必要だ。何せ、他人が他人を操作することなどそうそう出来ることではないのだから。

 勝負は時の運という言葉があるが、強ち間違っていないのかもしれない。間違いなく、緑谷にはそういうことに恵まれている部分もある。

 

「……なあ、宍田」

 

「……何でしょうか、(りん)氏」

 

 (りん)が最初に沈黙を破った。問いかける彼に答える宍田にも、問いかける当の本人にも、心地悪い感覚は微塵もなかった。無論、突破された上に鉢巻を奪われたことが全く悔しくない訳ではないのだが。ただ、その悔しさはとても心地良かった。

 

A組(アイツら)……全力だったよな」

 

「私もそう思いますぞ。緑谷氏、常闇氏、麗日氏、耳郎氏。彼らの必死さに嘘はなかった」

 

 A組の4人が自分達を侮らず、必死で策を絞り出し、ぶつかってくれたこと。それが分かっただけで十分だった。自分達が彼らに侮られてなどいないことが分かって、嬉しかった。

 

「……さて、騎馬戦はまだ終わっていませんぞ!最後まで足掻かねば皆様に申し訳が立たない!」

 

「……そうだな。よっしゃ!もうひと頑張りだ!」

 

 ほんの少しの嬉しさと心地良い悔しさを胸に抱いて常闇チームを見送った(りん)チームは、仕切り直す為に動き始めた。

 

 雄英体育祭第二種目、騎馬戦。残り時間は――4分。




はい。このお話と次の「幕間・弐」はいらないだろって思う方もいると思います。

ただ、これまでのお話で既にリタイアになった物間チーム以外のB組のメンツの動向もチラッとお見せした以上はちゃんと描写した方が良いだろうなと思ったのと、出久君がBIG3や実弥さんとの特訓を経て大幅に成長している上に原作と違って騎馬ポジションで試合中の動向に大きな変化が生じてるのでどうしても外せないなと思った結果がコレですね。
因みにこちらの話と次のお話をまとめて後編として描写しようとしていた馬鹿が私です。

ですが、それをやると信じられない長さになるので分割しました。その結果、実弥さんが全く顔を出さないお話が出来てしまったので幕間という形で投稿してます。

正直、全面戦争編以降で一気に最強クラスまで凄まじい化けっぷりを遂げてる出久君なので、相澤先生をして「俺が知る限り最もNo.1に近い男」と言わしめるミリオ先輩を含めたBIG3の面々と、オールマイト以上の死線を掻い潜り、彼以上の命のやり取りを経てると言っても過言ではない実弥さん相手にしごかれるとこうなるかなと私は解釈しました。
15%による風圧を伴う一撃は連発・多用は出来ませんがやれなくはないって感じ。インパクトの瞬間だけ出力を引き上げるという芸当が出来たり、それより下の出力で十分に身体を慣らしているのでそこまで酷いデメリットはないです。
ほとんど足音を立てない歩法に関しても実弥さん経由で、まあ持っておいて損はないだろってことで特訓中に会得したということで。

解釈違いの方は申し訳ありませんが、私の解釈に対して不快感を抱く前に回れ右をお願いします。この辺の解釈はどうしても人によって違いますし、解釈を述べ合っても平行線辿るままだと思うので。無理矢理私の解釈に合わせて不快になるくらいであれば、各々の解釈を大事にしてくださいね。
幕間・壱は以上となります。


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幕間・弐 騎馬戦の動向・轟焦凍編

幕間・弐ですね。私、轟君アンチという訳ではなくキャラクターとして彼が1番好きです。ただ、今回のお話では轟君が人によっては情けない、あまりにも未熟と思われるようなムーブを見せているかと思います。

そんな轟君は見たくない。轟君のそんな姿を描写することは許さん。そういう方々は回れ右をお願いします。それでも構わないという方々だけお楽しみください。


『さあ!常闇チーム、鱗チームによる足止めを突破だ!その勢いのまま、不死川チームに向かっていく!上位陣のチームが次々とリベンジマッチを挑みにいくが……未だに足止めを喰らっている轟チームはどうする!?』

 

「くそっ……!」

 

 プレゼントマイクの実況が、轟の中に焦りを生じさせた。

 常闇チームと言えば、轟が宣戦布告した相手である緑谷がいる。目の(かたき)にした相手が大きな試練を乗り越えたというのに、自分はいつまで手を焼いているのか。

 これでは、父親を見返すことなど到底出来ない。呆れられて、炎の力を使うようにより強く催促されるだけだ。

 

「……退()け!」

 

 苛立ちのままに冷気を発し、右腕を振るわんとするが……。

 

「全員を凍らせる気?させないよ!」

 

「ぐっ……!」

 

 轟が行動するよりも前に取蔭のパーツ化した身体がいくつもぶつけられて、その動きを阻害する。

 

 彼女の"個性"は、"トカゲのしっぽ切り"。全身を細かく分割し、自在に動かすことができる。分割させたパーツで何故だか空中に浮くことも可能なようで、他にも身体を小さく分解して物陰に潜んだり、目の周り部分を上空にあげて状況把握・索敵、パーツ化した身体を相手にぶつけて行動阻害・物音を立てて索敵阻害など、多彩な戦法を組み立てることも可能だ。

 

 パーツが轟の身体を乱打している間に、その背後から空中を漂う取蔭の手がそっと忍び寄る。こうして目の前を飛び交う無数のパーツすらも、鉢巻奪取の為に用意された囮だった。

 忍び寄る魔の手。轟はパーツを防ぐのに夢中で気がついていない。このままでは、間違いなく鉢巻を獲られるだろう。しかし、彼は1人ではない。

 

「轟さん!後ろです!」

 

「ッ!」

 

 轟は八百万の呼びかけに応じ、冷気を発した右腕を後方へ向けて振り払う。それに触れて凍らされるのを避ける為に、取蔭は手を退かざるを得ない。

 

「轟さん、しっかりしてくださいまし!」

 

「轟君!君の気持ちはよく分かるが、焦っては相手の思う壺……!俺達は俺達、緑谷君は緑谷君だ!まずは目の前の相手に集中しよう!」

 

「めっちゃイラついてるっぽいけど、一旦落ち着こ?騎手である以上、お前がリーダーだからな。しっかり頼むぜ!……俺達は轟のこと信頼してるからな!」

 

「……ッ、すまねえ……」

 

『同じチームのメンバーのおかげもあって、何とか持ち堪えてる様子だが……B組の怒涛の攻めが止まらねえ!!!轟チーム、凌ぎ切れるか!?』

 

 焦りと苛立ちでミスを見せつつある轟に、八百万、飯田、上鳴が声を掛け合いながら彼をフォローする。

 失態を見せてばかりの自分が情けなく、グッと奥歯を噛み締める轟。その様を目にし、使わない体の部位を引き戻しながら、取蔭は考えた。

 

(周りのフォローで、轟がいつ本調子に戻るか分かったもんじゃない……。崩れてるうちに攻める他ないっしょ……!隙を見せる暇なく、徹底的に攻め続ける!)

 

 考える暇も動く暇も与えることなく攻め続けて、体力と精神力を擦り減らす。そうして生じた隙を突き、あわよくば鉢巻を奪い取る……。

 やるべきことを見定めた取蔭は指示を飛ばす。

 

「皆!畳み掛けるよ!!!」

 

「よしきた!」

 

「おっしゃあッ!この時を待ってたぜェ!」

 

 取蔭の声に、ここぞとばかりに答えるB組の一同。

 

「角取ィ!」

 

「任せて下サイ、鎌切さん!」

 

 緑色のモヒカンと両上顎から突き出した巨大な牙の様な刃が特徴的な蟷螂(かまきり)を彷彿とさせる見た目をした少年――鎌切尖の声に、ブロンドのロングヘアーと頭部にある2本の巨大な角が特徴的な少女――角取ポニーが答える。

 そのまま、彼女は頭部の2本の角を轟達に向けて射出した。

 

「つ、角が飛んできたぞ!?」

 

「……分かってる……!」

 

 射出された角は、一直線に向かいくる。角だけが空中を突き進む光景に驚きを見せる上鳴は、暗に何とかしてくれと訴え、轟は一言だけ返して右腕を構えた。

 迫る角を防ぐ為に右腕を振るい、氷を形成する轟。氷壁で角取の放った角を防ぐことを画策するが……。

 

「ッ!?」

 

 ――突如、角が軌道を変えて、轟の右側と左側に回り込んできた。

 角取の"個性"は、"角砲(ホーンホウ)"。角を最大4本まで飛ばし、自由自在に操作出来るというもの。単純に放つだけでなく、自分の思うままに操作出来るところに彼女の"個性"の強みがあった。

 

「お使いください、轟さん!」

 

「!……(わり)ィ、助かる……!」

 

 反射的に右腕を振り上げて氷を突き立て、右側から迫る角を防ぐ。そして、八百万が創造し、手渡してきた金属の盾で左側から迫る角を防ぎ、弾き落とす。

 角の軌道を操作出来るとなれば、どこから攻撃がくるのか定かではない。周囲の状況に対して警戒を強めていると、今度は彼の正面に形成されていた氷壁が粉々に崩れ落ちた。

 

「ヒャヒャヒャッ!!なかなか切り刻みがいのある氷だったぜェ!」

 

 崩れ落ちた氷の先から姿を現したのは、鎌切。"個性"である"刃鋭"で全身のあらゆるところから刃物を出すことができ、腕から生やした刃で轟の目の前の氷壁を切り刻んだのだ。

 空中にいる様子を見る限り、騎馬から跳躍して攻撃を仕掛けてきたらしい。

 

 居場所が空中である以上は自由に身動きを取れない。轟はそれを利用して彼を足元から凍り付かせようと試み、横一文字に薙ぎ払うように腕を振り払って氷を形成する。

 

「そうこなくちゃあ面白くねェ!!!」

 

『とんでもねえ反射神経で轟の形成した氷を切り刻みやがった!なかなか恐ろしいやつだぞ、B組鎌切!そのまま至近距離に迫った轟の鉢巻を狙っていく!!!』

 

 しかし、鎌切はその場で身を(ひるがえ)し、真横から迫りつつあった氷の波を切り裂いた。

 一時は凌いだが、空中にいることは変わりない。しかも、体勢も不安定。彼を封じるタイミングはここしかないと考え、轟は鎌切の反射神経の良さに固唾を呑みながらも、今度は彼の居場所の真下の地面から氷柱を突き立てることを画策。

 轟が右腕を振り上げると同時に、空気を押し上げるような勢いで氷柱が突き立った。

 

「うおっ!?」

 

 流石に地面の下から氷が形成されるのは予想外だったのか、鎌切は反応が出来なかった。

 このまま氷に飲み込まれ、全身が一気に凍りつくかと思われたが、角取の操作する角が鎌切の下に潜り込み、彼を攻撃の範囲外へと逃れさせる。

 

「ありがとよォ、角取!助かったぜェ!」

 

 まさに間一髪。危機を脱した鎌切は、ホッとしながら角取に礼を言った。

 

『行動不能になりかけたところを角取が救出!ナイスタイミングだったな。こりゃ心強えサポートだ!角だけで人1人を軽く持ち上げちまうなんざ、意外とパワーあんのな!』

 

No problem(お安いごようです)!鎌切さん、どんどんアタックしちゃって下サイ!私達がサポートしマス!」

 

 笑みを浮かべて自分に構わず攻めてほしいという意思を見せる彼女に、不敵な笑みを浮かべて頷き、鎌切は再び攻撃を仕掛けていった。

 そして、他の2チームも彼に続く。

 

「レイ子!」

 

「任せて」

 

「希乃子!」

 

「ここで1人だけ何もしないのはダメキノコだもんね……!やるノコ!」

 

 まずは、取蔭チーム。取蔭の指示に従い、左目が隠れた灰色の髪と目の下の隈が特徴の少女――柳レイ子が"ポルターガイスト"を発動。

 柳は、最大で人1人分ほどの重量の身近にあるものを操れるという心霊現象さながらな"個性"によって、肩に届かない程度の茶色のロングボブの髪と目が隠れているのが特徴の少女――小森希乃子を空中に浮かせ、彼女を自由自在に動かし始めた。

 

「B組の皆も巻き込んじゃうかもしれないけどごめんね……!轟チームをキノコまみれにしちゃいノコ!」

 

 そして、小森は空中を漂いながら"個性"によって、多種多様のキノコを生やせる胞子を撒き散らしていく。これこそが彼女の"個性"、"キノコ"だ。

 撒き散らされた胞子は轟達に降り注ぎ……彼らの体の表面からは次々とキノコが生えてきた。

 

『今度は轟チームの体にキノコが生えてきた!空中を漂う小森に、止めどないキノコの増殖!精神的にも揺さぶりにきてやがる!B組の奴らも何人か巻き込まれちまってるが、お構いなしって様子だ!徹底的に足止めする気だな!?組ぐるみってのは恐ろしいぜ!!!』

 

「キ、キノコォ!?どうなってんだ、これ!」

 

「空中にいる小森君の"個性"ではないか!?そして、空中に浮けるのも誰かの"個性"の影響か……!」

 

「気が散らされる……。放っておく訳にはいかねえか……」

 

「恐らくですが、空中からキノコを生やす為の胞子を降らせていらっしゃるのですわ!……少々お待ちください!殺菌処理が出来るものを創造いたします!」

 

 突拍子もなくキノコが生えるという謎の現象は、轟達に動揺を誘う。胞子が及ぶ範囲は広く、刃物で牽制を続ける鎌切の体や辺りを飛び交う角取の角にもキノコが生えるが、彼らはお構いなく攻め続ける。

 更には、創造を試みる八百万の邪魔をしようと取蔭の腕が彼女を襲わんとする。冷気を発する右腕を振るうことで牽制し、取蔭の腕を遠ざけながら、轟は考えた。

 

(切り抜けるには全員を凍らせる他ないが……障害物競走の時は思ったよりも避けられた。確実にやらねえと、返り討ちに遭う可能性もある。隙を作る他ねえ……!)

 

 今のチームであれば、確実に相手の動きを止められる。八百万と上鳴に加え、自分自身。この3人で相手の動きを止めることは不可能ではないが……いくつか手順を踏まねばならない。その為には、時間が必要なのだ。

 

「……出来ましたわ、皆様!」

 

「ナ、ナイス、八百万!」

 

「これで、キノコの方はなんとか対策出来る……!」

 

 殺菌用のエタノールの創造を終えたことを知らせる八百万の声に喜びを見せる一同。軽く殺菌処理を施している間に、白い液体が彼らの足元に向かって飛んできた。

 

「!飯田、避けろ」

 

「うむ、了解した!」

 

 液体を見るや、飯田のスピードに乗せて、予め履いていたローラースケートのシューズで滑り抜くことでスムーズにそれを避けた轟達。

 

「飯田君のスピードに合わせて移動出来るように工夫してるんだねぇ。ちくしょう、爆豪君のチームには命中したのに……」

 

 それを見た、黄土色の肌と大きい手とがっちりとした体格が特徴的で、顔にある無数の穴から少し液体が垂れた様子を見せる少年――凡戸固次郎は、悔しそうに声を上げた。

 "個性"である"セメダイン"で接着剤のような液体を轟達に浴びせて動きを止めようとしたが、狙いは外れてしまった。

 

 そんな彼にフォローを入れるのは、首元から漫画の吹き出しのようなものが飛び出しているのが特徴の少年――吹出漫我だ。

 

「大丈夫、まだやれることはある!凡戸の策が通じなかったなら、ドドンともう一つの策をぶつけてやればいいんだ!頼んだぜ、小大!」

 

「ん……!」

 

 頷きながら答えた小大は、懐から小さい何かを取り出して轟チームに向けて投げつけた。

 何が投げつけられたのか判別は不可能で、油断なく警戒する轟チーム。その直後――

 

「……大」

 

 小大が一言呟くと同時に、投げつけられたものの正体が露わになった。迫り来るのは、「ズンッ」という超巨大な文字群。トラック並みのサイズを誇るそれが、風を切りながら轟達に容赦なく襲いかかってくる。

 小大の"個性"は、"サイズ"。生物以外の触れたものの大きさを自在に変えることが出来るというもので、予め用意されていた小さな擬音を巨大化させて轟達にけしかけたという訳だ。

 因みに、擬音は吹出の"コミック"によって具現化されたもので、彼は自分の声で発した擬音を具現化出来る能力(ちから)の持ち主である。具現化された擬音は、彼が試合開始前に用意したものだ。

 

「ま、漫画の擬音!?何をどうすりゃ、あんなもんを用意出来んだ!?」

 

「……ッ、チィッ!」

 

 迫り来る擬音を前に、右腕を振り上げて巨大な氷塊をつき立てる轟。重々しい地鳴りのような音を立てながら投げつけられた擬音が氷塊に衝突する。

 結果的には投げつけられた擬音を防ぎ切ることが出来たが、衝撃音は二度、三度と鳴り響いている。氷が砕かれるのは時間の問題だろう。

 とは言え、この間もB組の攻めが途切れることはなく、轟達には一息置く暇すらも与えられなかった。

 

「吹出!あんたらも来たんだ!峰田チームと葉隠チームの方は!?」

 

「ズンッ!って感じの、カッチカチな壁になりそうな擬音を適当に置いてきた!多分、突破には時間かかるから、今のうちにズドドドドって攻めようぜ!」

 

「オッケー……足止めだけでも十分!」

 

 取蔭は、体のパーツを自分の体に戻しつつ、またも射出して……の繰り返しで攻めつつ、状況を確認する。

 小大チームは、数分前まで峰田チームと葉隠チームの足止めを行っていたが、硬質な擬音を壁として配置することで彼らの足止めをそこそこに切り上げ、A組の中でも高戦力になり得る轟チームの足止めに駆けつけてきたのだった。

 人員が増えるだけで、組ぐるみで轟チームを足止めする取蔭チーム一行からすれば儲け物である。

 

『おっと、小大チームまでもが加勢に駆けつけた!足止めを喰らってた峰田チームと葉隠チームは……?』

 

「何これぇ!?漫画の擬音!?しかもめっちゃデカくて分厚いんだけど!?」

 

「ケロ……この足止めは痛いわね……!不死川ちゃんのところにも向かいたいのは山々だけれど……轟ちゃんのチームは大丈夫かしら……?」

 

「他人の心配してる場合じゃねえって!このままじゃ、オイラ達は0Pで脱落だぞ!」

 

「しかも、見るからに硬そうだぞこれ……。どうする……?」

 

 一方で、直前まで小大チームの足止めを喰らっていた、肝心の峰田チームと葉隠チームは、大岩のようなサイズと硬さをした擬音の壁を前に苦戦を強いられているようだった。

 

『……なんか、目の前に置かれた滅茶苦茶でけえ擬音の壁を突破するのに苦戦しているらしい!ありゃあ手強い足止めだぞ!……んでもって轟チーム、周りは敵だらけだ!こりゃあどっちも厳しい状況だ……!残り時間も3分を切りつつあるが、1000万の元へ辿り着けるか!?』

 

「くっそー……戦術が多彩だな……!マジで俺らを不死川のところに行かせねえ気じゃん……!」

 

「プレゼントマイク先生の実況を聞く限り、A組が全体的にB組の足止めを喰らっているようだ……。何とかして突破したいが、助力も期待出来そうにないか……!」

 

「ええ……。この状況、正直に申し上げますと一時休戦してクラスメイトの方々の力もお借りしたいところではありますが……。ともかく、今の私達に残されている道は耐えることだけですわ!」

 

 取蔭と吹出の会話を聞き、思った以上に危機的な状況に置かれていることを認識した轟一行。それはその通りなのだが、轟は飯田達以上に危機感を感じていた。

 

(……ッ、くそッ……!体が思い通りに動かねえ……!こんな時に……!)

 

 体が上手く動かないことを嘆く中、不快な寒さに襲われ、思わず右手に目を落とす。目にした右手は――小刻みに震えていた。

 この短時間で氷撃を連発している影響で彼の右手には霜が降りており、しかも、低体温症を引き起こして寒さで体が震えていた。

 

 普段、クールな一匹狼でさほど感情を表に出さない印象が強いこともあって、簡単に"個性"を連発出来ると思われがちな轟だが、氷撃をデメリット無しで放てる訳ではない。

 実は、"個性"を発動する度に彼の体温が奪われていくようになっている。

 

 判断力も徐々に鈍り始め、はっきり言って轟には限界が近づきつつあった。

 それをなるべく隠そうとしていた彼ではあったがもう隠せるレベルではなく、その震えは騎馬の3人にも伝わる。とうとう、飯田達は彼が震えていることに気付いてしまった。

 

「……と、轟?さっきから震えてね……?どした?寒いのか?」

 

 轟の状況が把握しきれず、心配そうに尋ねる上鳴。彼の震えが寒さ故のものだと仮定し、飯田と八百万は考えた。

 今は5月で人の解釈にもよるが、季節は春にあたる。明らかに寒さで震えるほどの気温ではない。そんな状況で寒さに震えるなど、普通ではないことは確かだ。

 気温で寒さが生じている訳ではないとすれば……?元より頭の良い2人が答えに辿り着くのは簡単だった。

 

「もしや、轟さん……氷を扱う度に体温が低下してしまうのでは……!?」

 

 八百万の問いに知られたくない弱みを知られてしまったかのような表情になって肩を跳ねさせる轟。……図星なのは、(はた)から見ても分かった。

 

「……そうだったのか……。いや、"個性"は身体機能……。筋肉を酷使すれば筋繊維が千切れてしまうのと同じで、酷使によって悪影響が出るのも自然な話だ……!」

 

 飯田の発言に上鳴も納得したような表情を見せた。

 轟のことを何の隙もないエリート中のエリートだと認識していたが、彼とて人間だ。人間には誰しも隙や弱みがあるもの。その弱みや隙をチームである自分達が補い、支えなければならないのだ。

 どうしてもっと早く気付けなかったのかと自分達の考えの浅さを責めつつも、飯田達はそれを再認識した。

 

「……なら、この状態で"個性"連発するのは危なくね!?」

 

「ああ……!八百万君、体を温めるものを創れないか?」

 

「お任せください!……轟さん、気付くのが遅れて申し訳ありません!状況が状況ですので、大したものは創れませんが…………これだけでも多少は寒さを緩和出来るはずですわ!」

 

「……すまねえ……」

 

 轟が騎馬戦前にした「戦闘において、左側の力は絶対に使わない」という宣言を尊重し、使い捨てのカイロを創造した八百万。

 轟は、か細い声で礼を言いながらもカイロを受け取り、上鳴の手も借りつつ、首の後ろ、腹部、背中、腰、足首の五箇所に貼り付けた。――因みに、この五箇所はカイロを貼り付けるのに最も効果的とされている部位である――

 右の力だけで勝ち上がることを誓っておきながら、ここに至るまでミスを連発してきた上にこんな状況に陥っている。他人の手を借りなければ何も出来なくなりつつある自分が情けなさすぎて、その重圧に押し潰されてしまいそうになっていた。

 

 その時……取蔭は、空中に滞在させていた耳を体に戻しながらほくそ笑んだ。

 彼女は、この一連の会話を分離させた耳で全て聞いていたのだ。

 

「……切奈ーっ!轟達にキノコちゃんが生えなくなっちゃった!多分対策されたノコ!」

 

 空中を漂う小森の声が耳に届く。そろそろ、戦術を切り替える頃合いだと判断した取蔭は、声を張り上げて次の指示を下した。

 

「オッケー、報告ありがとう!レイ子、希乃子を騎馬に戻して!それと、鎌切!轟が形成した氷、適当にぶった切りまくって!小石くらいの滅茶苦茶小さいサイズに!ポニー!ある程度のところで鎌切を背中に戻して!んでもって……吹出!擬音で轟の大氷塊を切り刻んで!サイズは鎌切に指示したのと同じくらいね!!」

 

「分かった」「おうよォ!」「分かりマシた!」「任せといて!」

 

「お疲れ、希乃子」

 

「ありがとね、レイ子。空を飛ぶの結構楽しかったノコ!でも……キノコが通用しなくなったのは悔しい!」

 

「いや、轟達を翻弄するには十分だったよ」

 

 取蔭の指示に答える4人。柳は器用に小森を操作して自分達の騎馬まで戻し……。

 

「ヒャハハハハハ!!!こんなに楽しいことはねェぜェ!!!」

 

『鎌切のやつ、角取の角に乗っかってサーフィンしてやがるぞ!お前の体幹の良さにもびっくりだが、なんか楽しそうだな!……絵面はやべえけど!』

 

 鎌切は器用なことにサーフィンボードに立つかのようにして角取の操作角の上に乗り、狂喜的な笑い声を上げながら轟の形成した氷を切り刻んでいく。

 そして、吹出は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ズバババババババァッ!!!!!」

 

 空に響き渡るほどの大声で擬音を叫んだ。すると……その擬音が無数の剣のような形で具現化され、轟の形成した大氷塊をめった斬りにした。細切れにされた氷塊は小さな礫となり、重力に従って轟達に向けて落下してくる。

 

「おわっ!?何だ何だ!?」

 

「……新しい攻撃を仕掛けてくる気か!」

 

「轟さん!盾で頭部を保護してくださいまし!」

 

「あ、ああ……!」

 

 落下してくる小さな氷の礫を避けつつ、地面を滑り抜いてB組一同から距離を取り、轟の様子に目を配りながらも警戒を怠らぬ様子の轟チーム。巨大な氷塊が崩れて状況が大きく動いた為、誰もが彼らの戦況に注目した。

 

『おおっと!?吹出が大声で擬音を作り出して、轟の巨大な氷塊を粉々に斬り刻んだ!よくもまあそんな声量で叫べたな!こりゃあ状況が大きく動きそうだぜ!』

 

『……お前が言うのか。お前の声量も大概だぞ』

 

『確かに!……つか、さっきから何かを殴るような音が聞こえてんだが……何の音だ?まあ良いか!実況に集中だ!』

 

『いや良くねえだろ。スルーしてんじゃねえ』

 

 プレゼントマイクの実況が響き渡る中、取蔭チームは地面に落下した氷の礫のすぐ近くに向けて移動を開始した。

 

「4人ともお疲れ!これで事実上リタイアになった物間も報われるってもんだよ!今は轟が満足に動けない状態っぽいから一気に畳み掛けてくる!」

 

「ゲホッ、ゲホッ……任せた……!ごめん、さっきので喉痛めたかも……。もうドーンとどデカい擬音は無理……」

 

「あんたは良くやったよ、吹出。後は私達に任せて喉を休めてて。……別に恨みはないけど、容赦なくいくからね。レイ子、小さくなった氷を浮かして!轟達が大怪我しないレベルの数でよろしく!角取も角を用意して!」

 

「……任された。ウラメシい一撃、ぶつけてあげて」

 

 そして、轟チームの真正面に立つ位置に移動すると、柳の"ポルターガイスト"を駆使して地面に落下した無数の氷の礫を浮かした。更に、角取の操作する二つの角がそれらに追従するようにして配置されていく。

 彼女達が何を企んでいるか……何も言われずとも理解した。

 

「まさか……あれを全部俺達に向けて撃ってくる気かよ!?」

 

「あの数……耐え切れるのか……!?」

 

 思わず怯む轟チーム一行。いくら氷塊が小石並みのサイズになっているとは言え、投げつけられた小石が命中すれば当然痛みは生じるし、当たりどころが悪ければ致命傷になり得るものだ。

 20は超えているであろう礫がいくつも用意されているのだから、思わずたじろぐのも無理はなかった。

 

「ちょっと怪我するかもしれないけど恨まないでよ!大怪我しないようにするし、当たりどころ悪い所には当てないようにするから……さっ!!」

 

 その言葉と共にギザギザした歯を見せつけるようにして不敵な笑みを浮かべた取蔭は、柳が浮かした氷の礫に自分の体のパーツをぶつけることで、おはじきのようにそれらを射出した。それに合わせ、角取も浮かした角を操作して轟達に狙いを定めて飛ばす。

 

『大量の氷の礫と角取の角が轟チームに向けて騎馬を剥いてきた!安易に氷結を連発したのが、ここにきて仇になったか!?果たして凌ぎきれるのか、轟チーム!!!』

 

 迫る礫を全て捌ききれる訳もなく、せめて視界は潰されまいとして目を瞑る飯田と上鳴。八百万は咄嗟に腕から金属の板を創造し、轟は八百万の創造した盾を構えて身を守らんとするが――

 

「ウオラァァァッ!!!」

 

「いだだだだっ!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が聞こえた。

 

『!?あ、あれは……!葉隠チーム!?まさかの身を挺して轟チームを守った!?』

 

「う、嘘でしょ!?」

 

「「「!?」」」

 

 なんと……葉隠チームが轟チームの前に立ち塞がり、氷の礫を代わりに受けたのだ。

 

「お、思ったよりも痛かった……」

 

「は、葉隠さん!?大丈夫なのですか!?」

 

 葉隠の状況を見て、慌てた様子で声を掛ける八百万。それもそのはず。葉隠は半分本気を出した状態で上着を脱ぎ捨てている。つまり、服を着ていない素肌の状態であの礫を受けきったのだから。

 自分を気にかける彼女の言葉に、葉隠は他の誰にも視認出来ない顔で満面の笑みを浮かべながら答えた。

 

「大丈夫!砂藤君が頑張って大半を弾き落としてくれたし!それに……皆が本気で頑張ってるんだしさ、これくらい体張らないと!私だってヒーロー志望だもん!」

 

「そういうこった。俺達だって立派なヒーロー志望。甘く見てもらっちゃ困るぜ!」

 

 そして、砂藤が屈託のない笑みを浮かべると同時に、彼女はむんっと胸を張ってみせた。口田も「心配ないよ」と言いたげにコクコクと頷いてみせる。

 

 更に――

 

 

 

テンタコルパンチッ!!!

 

 

 

『み、峰田チームの障子まで参戦!?小大チームの妨害を突破して、ここまで駆けつけてきたのか!?つか、角取の角を拳で砕きやがった!なんつーパワーだ!』

 

 触手の先に腕を複製し、まるで阿修羅のような形相になった障子も現れ、片側ずつ……計3本の腕をタコの触手の如く振るい抜き、角取が操作していた2本の角を両方とも殴り砕いた。

 

「Oh!?私の角が!?タコは苦手デース!!」

 

「よっしゃあ!流石だぜ、障子フルアタックモード!」

 

「……勝手に名付けるな」

 

 突然のことで思わず悲鳴を上げる角取と、気の抜けたやり取りを交わす障子と峰田。

 動揺しているのは誰もが同じことで、上鳴が尋ねた。

 

「障子に梅雨ちゃん、峰田まで!?すっげえ助かったんだけど……お前ら、妨害喰らってたはずじゃねえの!?てか、鉢巻ねーじゃん!どうした!?」

 

「驚いてるのね、上鳴ちゃん。けれど、私達のやったことはとてもシンプルよ。それと、鉢巻に関してはいつの間にか奪われちゃったわ。峰田ちゃんにしてはいい作戦だと思ったから組んだのに……」

 

「し、仕方ねえだろ!オイラもよく分かってねえんだから!」

 

 上鳴の問いに答えた蛙吹曰く、吹出が具現化させた擬音を文字通り、殴り壊してきたらしい。

 砂藤の"個性"は"シュガードープ"。糖分10gの摂取につき、3分間だけ通常時の5倍の身体能力を発揮出来るというもの。――勿論、個性発動時に必要になる糖分はその場で摂取が必要になる為、角砂糖を持ち込めるように事前に申請しておいた――

 彼が"個性"を発動することで得た超パワーに加え、障子が腕を複製することで得たパワーを利用し、擬音の一点を連続で殴りつけて風穴を開け、何とかここまで辿り着いたのだとか。

 実況の途中でプレゼントマイクが耳にした何かを殴るような音は2人の行動が原因だったという訳だ。

 因みに本人達は知らないが、峰田チームの鉢巻に関しては不意を突いて泡瀬チームの塩崎が奪った。

 

 閑話休題。

 どうやって妨害を突破してきたのかを聞き、轟達は、障子が個性把握テストの種目の一つ、握力の測定で2番目に高い数値を叩き出したことを思い出した。

 普段は索敵で味方のサポートをするイメージが強いが、彼とてその種目で540kgというゴリラ並みの数値を叩き出した男。彼もまたA組屈指のパワーファイターであることに違いはないのだ。

 

「……俺もパワーには自信があってな。使い方によっては増強系にも負けはしないと自負している」

 

「……ああもう……!完全に見落としてた……!」

 

 障子の発言に冷や汗を流し、思わず悔しげに歯軋りをする取蔭は、浅はかな考えをした自分を呪った。彼女……いや、B組の中では逸脱した超パワーの持ち主は緑谷と実弥の2人だけであるという認識だった。

 

 それもそのはずで、B組は障害物競走の中で後ろの順位に留まり、A組の面々を観察することでようやく彼らの"個性"を知った。障害物競走の中で砂藤は"個性"を発動する様子を見せなかったし、障子も"個性"の使用を見せたのは最終関門のみで使用用途は主に地雷を探ることだった。

 

 砂藤には、"個性"の使用時間が3分を超えたり、それ自体の過度な使用が原因で脳機能が低下して凄まじい眠気や倦怠感に襲われるという大きなデメリットがあるし、障子も障子で第一関門の0P以外の仮想(ヴィラン)達を腕の複製がない生身の状態でも撃破出来るほどのパワーの持ち主である為、前者はあの段階で"個性"を使用するメリットが全くなく、後者は戦闘の方面に"個性"を使用する必要がなかった。

 

 見てもいないことから正確な答えを掴み取るというのは到底出来ないことである為、B組がこの2人も常軌を逸したパワーの持ち主だということを見落としてしまうのは無理もない話。

 

(やばい、A組がどんどん集まってきてる……!孤立した轟を徹底的に足止めするつもりだったのにこれじゃ……!)

 

 取蔭は、試合開始前……拳藤を誘いにきた実弥の発言から、A組は全体的に上昇志向が強い傾向にあると考え、間違いなく高みを目指して真っ直ぐに突き進み、例え級友が孤立していたとしてもわざわざ手助けするようなことはしないと思っていた。

 

 しかし、蓋を開けてみればどうだ。全然そんなことはなく、轟チームのピンチに対して迷いなく駆けつけてきたではないか。考えから根底が崩れ去り、取蔭は尋常じゃない焦りを感じ始めた。

 B組の面々は搦め手の"個性"が多めな光景にある。純粋なパワーや驚異的な身体能力に真っ向から対抗出来る"個性"の持ち主はそういない。

 強いて、希望があるのだとしたら……。

 

「取蔭氏!皆様方ァァァ!!助太刀に参りましたぞォォォ!!!」

 

「悪い!鉢巻は()られた……!だが、俺達は最後までB組の為に貢献する!」

 

「宍田!」

 

『宍田と(りん)が再び参戦!鉢巻取られて絶望的だってのに、立ち直りが早えな!だが前向きなのは良いことだ!』

 

 まさに噂をすれば……というやつで、声を張り上げながら(りん)を背中に乗せた宍田がやってきた。

 宍田もまた、シンプルな増強系の持ち主。彼ならば砂藤や障子の超パワーに対抗出来るはず。ほんの少しだけ希望が見えてきた……そう思った瞬間だった。

 

「――SMASH!!!」

 

「……え?」

 

 戦場に飛び込んできた緑色の閃光と、平和の象徴を彷彿とさせる気合の一声によって、消え去りつつあった取蔭の焦りはあっという間に復活してしまった。

 

「み、緑谷氏!?」

 

「……は!?何で!?お前ら、不死川のところに行ったはずじゃ!?」

 

「……み、緑谷……!?」

 

『……ん?あれぇ!?緑谷!?お、お前……なんでここにいるんだ!?俺の記憶が確かなら、不死川チームのところに向かってたはず……』

 

 B組の面々に駆けつけた宍田と(りん)にとっては完全に想定外の事態で、2人は目をひん剥かんばかりの驚きを見せた。クラスメイト達が次々駆けつける状況に呆然としていた轟も緑谷の名前を聞くや、すぐさま意識を揺り起こし、プレゼントマイクは困惑した。

 

『ったく……非合理的な奴らだ』

 

 ため息混じりに言った相澤に「どゆこと?」と尋ねるプレゼントマイク。彼は、分かりきった様子で答えた。

 

『大方……孤立してピンチに陥っていた轟チームを見捨てられなかったんだろ。駆けつけてきた奴ら全員そうだ』

 

 呆れるように呟いているものの……その声色はほんの少しだけ嬉しそうだった。

 

「デクくーん!轟君達は無事!?」

 

「もう!勝手に1人で行かないでよ!びっくりするじゃん!」

 

「しかし……これでこそヒーローたり得るというものだ」

 

「うん!大丈夫!無事だよ!!勝手な行動して本当にごめん!!!それと、僕の我儘に付き合ってくれてありがとう!!!」

 

 真っ先に1人飛び出してきたのか、後から駆けつけてきた麗日達に手を振りつつ緑谷は答える。

 何故、こうまでして孤立した自分を救けにきたのか。訳も分からぬまま、轟は尋ねた。

 

「お前ら……何で……?」

 

 数秒の沈黙の後、きょとんとしていた葉隠が笑みを浮かべ、当然のように答えた。――勿論、彼女の表情は他人から見えないのだが――

 

「だって……轟君、1000万()りたいんでしょ?なら、誰かが囮にならなきゃ!」

 

 当然のように答える彼女に、轟は唖然とする。続けて障子が答えた。

 

「……余計なお世話かもしれないが、お前達が孤立しているのを見ていられなくてな。無性に手を差し伸べたくなった。……境遇、経緯こそ違うが、孤立する痛みは俺もよく知っている」

 

 憂いを帯びた瞳になりつつ、彼はグッと拳を握った。更に緑谷も続く。

 

「……たった1人でB組の人達に囲まれてる君を見てたら、勝手に体が動いてた。どうしても救けたくなっちゃったんだ」

 

 彼に続き、耳郎が苦笑いを浮かべつつ言った。

 

「聞いてよ。緑谷さ、自分も勝ちたい上に1000万を狙ってるくせに、轟達のこと救けたいって言って飛び出していってさ……自分からライバル増やすようなことしてんの」

 

「とは言いつつ、耳郎さんも迷わずついてきてくれたもんね!」

 

「う、麗日!余計なこと言わなくて良いから!」

 

「つまり……俺達3人も己の意思でここに来たという訳だ」

 

 少し申し訳なさそうな緑谷を見てクスッと笑いつつ、今度は蛙吹が言った。

 

「あら?それを言ったら、障子ちゃんだって必死だったわ。『どうしても見捨てたくないから』って」

 

「しかも、脱落覚悟の上でオイラ達に『付き合ってくれ』って言ってきたんだぜ?」

 

 当の本人は、峰田のわざとらしく呆れ返ったかのような発言に言葉に詰まったかのような様子を見せ、少々気恥ずかしそうな様子だった。

 そして、砂藤が笑みを浮かべつつ言った。

 

「葉隠も『轟君はこんなところで脱落して良いような人じゃない』だってよ。まあ……俺達だってライバルとは言え、クラスメイト見捨てる訳にはいかないしな!……峰田に関しちゃ、多少下心ありそうだけどな」

 

「ちょっ!?ひでーな、おい!」

 

 砂藤の発言に「えへへ……」と小声で呟きつつ、照れた様子を見せる葉隠。

 もはや、理屈じゃなかった。自分達の状況を捨て置いて困っている人に手を差し伸べてしまうお人好し故の行動だった。

 直後、緑谷はその力強い双眸で轟の瞳を射抜きながら語りかけた。

 

「……轟君。僕や不死川君に勝つんだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……諦めるなよ!まだ勝負は終わってない!」

 

「ッ……!」

 

 緑谷の喝に、轟はハッとしながら俯き気味になっていた顔を上げた。……目の敵にしている相手にまで発破をかけられた。

 

 ――情けない。本当に情けない。だからこそ……こんなところで立ち止まっている訳にはいかない。今まで見せてきた失態の数の分、取り返さなくては。

 

(敵に塩を送って……何がしてえんだ、お前は……!だが――)

 

「……言われるまでもねえ!俺は……お前にも、不死川にも……勝つ!!!」

 

 情けなさに押し潰されかけていた轟の目に、闘志が戻った。

 心に募っていた暗いものを拭い去り、やる気を漲らせた轟を見て、飯田達も安心した様子だ。

 

『これは……A組とB組の大激闘になるか!?喜べ、オーディエンス!お前ら好みの展開だ!!!』

 

 対峙するA組とB組。互いに一歩も譲らないと言わんばかりの状況に、会場は沸き立った。青空の下、天高く観客の歓声が響き渡る。

 

「ッッ……もう!私ら、しっかり敵として見られてんじゃん!必要以上に目の敵にしてた自分達が恥ずかしいんだけど!?……やるよ、皆!!!」

 

「「「「おう!」」」」

 

『取蔭の声を合図にB組、総攻撃を仕掛ける!対するA組はどう出る!?』

 

 物間の作戦に乗っかってA組を必要以上に恨めしく思っていたことが恥ずかしくなった取蔭は、ヤケクソ気味に声を張り上げて叫ぶ。

 彼女の叫びに答え、B組の面々が一気に押し寄せてきた。

 

「一気に敵さんが来やがったぜ……!」

 

「とは言え……この数だ。数による不利な状況は緩和したが、これを突破するのは簡単じゃないぞ」

 

 飯田の言葉に息を呑む一同。真っ先に沈黙を破ったのは……緑谷だった。

 

「いや……準備さえ出来れば簡単だよ」

 

 緑谷の発言に思わず振り返る一同。周囲の視線を受けながら、彼は続けた。

 

「僕らは何とかして時間を稼げば良い。八百万さんが創造する為の時間を。その為に揃えたメンバーでしょ?……轟君!」

 

 緑谷の問いに無言で頷く轟。その意味を数秒考えるが、彼の騎馬のメンツを見れば答えは明白だった。

 

「……成る程な。お前の言いたいことは理解したぞ、緑谷。だが、一つだけ訂正させてくれ」

 

 歩み出る障子の発言に疑問符を浮かべる緑谷。彼の意図を察し、砂藤が言った。

 

「お前の言いたいことは分かったぜ、障子。……足止めをすんのは、俺らと障子のチームに任せとけ。お前も轟達と一緒に()りに行ってこいよ、1000万!」

 

「え……!?で、でも……!」

 

 砂藤の提案に緑谷は思わず言い淀む。轟チームと常闇チームが離脱するとなると、こちらが2チームになるのに対し、向こうは4チームで2倍のチーム数。A組側が圧倒的に不利になることに違いはないのだが……。

 クラスメイトを見捨てるような選択を取りたくなくて迷う緑谷に、どこか邪な笑みを浮かべた峰田が言った。

 

「心配すんなよ、緑谷ぁ……!足止めだけに関しちゃ、オイラの"もぎもぎ"は役に立つぜぇ……!」

 

 峰田の"個性"、"もぎもぎ"は他人や物にくっつき、自分に対してはくっつくことなくブヨブヨと跳ねる特殊な性質の髪の毛にこそ真価がある。その髪の毛を投げつけて適当に地面にくっつけてトラップにしておけば、確かにその脅威性は凄まじい。

 それでも、この場を任せて実弥の元へ向かうか、加勢を続けるか。二つの葛藤に苛まれる緑谷。邪な笑みを浮かべた峰田にジト目を向けつつ、蛙吹が言った。

 

「緑谷ちゃん、『本気で獲りにいく』んでしょう?こんなところで立ち止まってほしくないわ。……轟ちゃんを前にして堂々とあんな風に言った貴方は……かっこよかったわよ。だから、見せてほしいの。本気で獲りにいく緑谷ちゃんを」

 

「不本意だけど……オイラもお前のこと応援してるぞ、緑谷!オイラ達の分までお前に託すぜ!」

 

 そう言って微笑んでみせる蛙吹と、ウインクしつつ白い歯を見せて笑いながら、サムズアップしてみせる峰田。

 彼らに続いたのは、葉隠だった。

 

「それにさ、緑谷君。私達は()()()()()()()()()から怖くない!緑谷君達が鉢巻を()られるリスクを冒すよりはずっと良いよ!」

 

 状況や戦況的に言えば、葉隠の言うことは妥当だった。しかし、緑谷は理屈を抜きにしてどうしても迷いを捨てきれない様子だ。

 そんな彼の背中を押したのは――

 

「……ここは梅雨ちゃん達に任せて、私達も行こう!デク君!」

 

 麗日だった。覚悟を決めたかのような表情で、彼女は続ける。

 

「みんなの託してくれた気持ちを無駄にしない為に……私達が勝たなきゃ!みんなの思いを背負って、私達が先に進まなきゃ!!」

 

 彼女の言葉に緑谷はハッとした。

 

 ……託されたものを胸に前へと進む。その様はまるで想いと力を託し、後世へと繋いできた"ワン・フォー・オール"のようだった。

 自分は何があっても前に進まなければならない。峰田チームと葉隠チームの思いだけでなく、前提として同じチームを組んだ3人の思いも背負っているのだから。

 

「…………うん!みんな、ここはお願い!!!」

 

「……飯田、前進。俺達も行くぞ」

 

「……ああ!!」

 

 ようやく覚悟が決まったのか、緑谷は振り返らずに駆け出した。そのままチームに合流して騎馬を組み直し、突き進んでいく。

 轟チームも同じくして実弥の元へと突き進む。

 

『これは……常闇チームと轟チームが背中を任せ、葉隠チームと峰田チームが足止め担当!?数的には圧倒的に不利だぞ……!これはまずいんじゃないか!?』

 

 状況的に言って、不安がある様子のプレゼントマイクだが……。

 

『……いや、そうでもないぞ』

 

 相澤は彼の意見を否定した。プレゼントマイクは彼の発言に疑問符を浮かべるが、相澤は淡々と続けた。

 

『失うものがない奴ってのは……ある意味強いからな』

 

『……!そういうことか……!』

 

 騎馬ごと距離を詰めながら、B組側が再び数の有利を取れたことでほんの少し希望を取り戻し、取蔭は薄く口角を上げた。

 

「こっち側は4チーム!あんた達は2チーム!数的にはそっちが圧倒的に不利だけど……止められるの!?」

 

 そして、A組側の不安を煽るかのように取蔭は言い、分離させた体のパーツを一気にけしかけた。それらを振り払った腕でパーツを次々とはたき落としつつ、障子が言った。

 

「……忘れていないか?俺達には失うものなどないことを!」

 

「……つまり、何も恐れることなく立ち回れるってこった!!行くぜ、口田!ついてこい!」

 

 障子の発言を引き継ぐようにして砂藤が闘志全開な様子で叫ぶ。彼の呼びかけに口田も頷いて答え、走り出した。

 

「おりゃぁぁぁあああ!!!」

 

『葉隠が滅茶苦茶叫んでる!そして、砂藤と口田が足となってB組の道を遮るように駆け回る!!葉隠に関しては、絵面だけじゃ何やってるか分かんねえな!何せ見えねえし!実況者泣かせだぜ!』

 

「くっそ……邪魔すんじゃねェ!こうなったら俺が――」

 

 葉隠が透明人間であるが故に目で見て行動を確認出来ないが、彼女はがむしゃらに腕を振り回しているだけである。道を遮るように駆け回る葉隠チームが煩わしく、鎌切が飛び出そうとするが……。

 

「……待った!下手に手を出さない方がいい!A組の方も私らも葉隠が何をしてるかはまったく把握出来ないんだから!」

 

 取蔭はすかさずそれを制した。上着を脱ぎ捨てているが故に彼女のリーチは全く不明。仮に彼女が攻撃を仕掛けてきたとして、どう考えても対処は不可能だし、これが鉢巻を奪い取りに来ようものならたまったものじゃない。

 本人もそれを自覚しているのか、すかさずB組を煽るようにして言ってのけた。

 

「ふっふっふー……!どうしよっかなー?このまま皆の鉢巻も奪っちゃおうかなー!」

 

 鉢巻を持っている以上、それを守ろうとする心理が働くのは当然のこと。かと言って、こちらから攻撃を仕掛けて葉隠チームを撃退しようとしても手が出しにくい。歯痒い思いをして、攻めあぐねる他なかった。

 

「言ってくれますな……!しかし、じっとしていても状況は動かない!仕掛けさせてもらいますぞ!!!」

 

「ちょっと宍田!?もうちょっと慎重に――」

 

「あれはテンション高くなっちゃってるから、もう止められないノコ……」

 

 取蔭が宍田を止めようと試みるが、その声も聞かずに彼は背中に乗せた(りん)と共に攻撃を仕掛けんとして飛び出していってしまった。ここにきて、彼の"個性"発動による気分の高揚がデメリットとして表れてしまう。

 

「宍田君が来た!」

 

「ここは迎撃するしかねえ!ウオラァッ!!」

 

「ぐうっ!?」

 

『攻撃を仕掛けてきた宍田を砂藤が蹴りで迎撃!宍田、たまらず後退させられた!』

 

 突進してきた宍田に対し、5倍に増した身体能力で蹴りを放つ砂藤。身体能力が5倍に跳ね上がっているだけあって、その威力は凄まじく、"個性"を発動している影響で彼を上回るほどの巨体になっている宍田を後退させた。

 交差させた両腕で蹴りを防ぎ切ったものの、宍田は土煙を上げながら地面を滑るようにして後退させられてしまう。その腕には確かな打撃の重みと痺れが残っていた。

 

 宍田が動いたのを確認すると、障子は駆け出した。計6本の腕を触手の如く振り払い、未だに自分の周囲を飛び交う取蔭のパーツを叩き落としながら宍田の元へと肉薄する。

 

「オイラの髪の毛はよくくっつくぜ!こっち側に来れるもんなら来てみろよぉ!」

 

『峰田が髪の毛を次々と地面に向けて投げつけていく!峰田の髪の毛はアイツ自身以外にはとんでもねえ粘着力を発揮してくっつくぞ!これは、流石のB組も下手に動けない!』

 

 駆ける障子の背中の上で峰田が髪の毛をもぎ取っては投げ、もぎ取っては投げてを繰り返し、B組の行く手を阻むかのように地面に大量のそれをくっつけていく。これで足と地面がくっついて行動不能になろうものなら、確実に詰みだ。

 それを理解しているが故、下手な行動はしたくない。B組の足が止まるのも当然の心理。

 更に、蛙吹が砂藤と障子に声を掛けた。

 

「砂藤ちゃん!そのまま宍田ちゃん達を引きつけて!……作戦通り行きましょう、障子ちゃん」

 

「任されたっ!」

 

「ああ!」

 

 蛙吹の指示に答え、引き続き攻撃を仕掛けてくる宍田を蹴りで相手する砂藤。宍田が彼に手をこまねいているうちに、障子は自分の拳の届く距離に彼を捉え――

 

「フンッ!!!」

 

「どりゃあっ!!!」

 

 砂藤が蹴りを繰り出すタイミングに合わせて、己も拳を繰り出した。

 

「っ!?」

 

 流石の宍田も同時に攻撃を繰り出されては対処のしようがないらしく、2人の打撃を受け止める他なかった。

 攻撃を受け止めて宍田の動きが止まった隙に、蛙吹がすかさず動く。

 

「砂藤ちゃん達はB組の皆の妨害に戻ってちょうだい。峰田ちゃんの罠を乗り越えてくる可能性はゼロじゃないから」

 

「分かった!もうひと暴れしてくるぜ!」

 

「こっちは頼んだよ、梅雨ちゃん!」

 

「ええ、任せて。……それと(りん)ちゃん!ごめんなさいね!」

 

「へ!?……うおっ!?」

 

 葉隠チームに指示を出して彼らを送り出すと、蛙吹は(りん)に舌を巻きつけて拘束した。

 すると、彼女の突然の行動に、(りん)は肩を跳ねさせてギョッとし、思わず頬を紅潮させてしまった。

 

(あ、蛙吹の舌が……!)

 

『障子が宍田の足止めを引き続き担当し、蛙吹がご自慢の舌で(りん)の動きを封じた!てか、(りん)の奴、顔を赤くしてドギマギしてんだけど!ウケる!』

 

 プレゼントマイクが(りん)揶揄(からか)っているが、仕方のない話ではある。舌を巻きつけてきたのは単なる蛙ではなく、蛙吹梅雨という蛙の"個性"を持った1人の少女なのだから。

 舌を巻きつけられている当の本人の鼓動は、激しく高鳴っていた。

 

「はあっ!!!」

 

「よっしゃ、命中だぜ!ナイスだ障子!」

 

『A組障子、腕を振り払って宍田に何かを浴びせた!何かの液体のようだが……何だありゃ!?』

 

 蛙吹が(りん)を硬直した直後、障子の振るった腕から何かの液体らしきものが飛び散り、宍田に浴びせられた。

 宍田が得体の知れない液体を交差させた腕で何とか防ぎ、反撃に移ろうとしたその時。

 

「っぐ!?体が、動かない……!?」

 

 体全体に痺れのようなものが走り、自分が指一本たりとも動かせない状況にあることに気がついた。

 

「宍田!?どうし……っ!?何だこれ……体が痺れて……!?」

 

 見る限り、次の動作に移ろうとしない宍田を疑問に思い、(りん)は拘束を振りほどこうとするも、彼もまた体が動かない状況にあることに気がついた。

 確かに蛙吹の舌を巻き付けられている為、動けないのは当然ではあるのだが、そんな状況で体の痺れが生じることはあり得ない。

 故に何らかの新たな要因で痺れが生じ、それが体の自由を更に奪っているのだと察するのは簡単だった。

 

 障子との距離が空いたことで、ここで初めて気がついた事がある。彼の腕……複製したものを含む全てが、ぬらりとした不気味な輝きを放っていた。

 動きを封じた要因がそのヌメヌメした液体であることは簡単に察しがついた。

 

「……蛙吹の粘液だ。それを浴びせることでお前達の行動を封じさせてもらった」

 

「そういうことよ。毒性だから、ちょっとピリッとするでしょうけど……ごめんなさいね」

 

 「蛙吹の粘液を浴びられるなんて……!ズリィぞ、お前ら!」などという欲望の声を発するも、すぐさま蛙吹の舌によるビンタを喰らった峰田はさておき。緑谷達に引き続き、自分達はまたしてもしてやられたのだと思うと、悔しくて仕方がなかった。

 

『奮闘虚しく、呆気なく制圧……なんて思ってたよ、さっきまでは!葉隠チームと峰田チームの奮闘っぷり凄えな!失うものがない奴が強えってのは本当らしい!!』

 

 たった2チームに4チーム分のメンツが足止めされているというのは、にわかには信じがたい事実なのだが、彼らは確かに十分な足止めを担ってくれている。まさに、彼らの意外性と秘めた底力が発揮されている状況で誰しもが驚いていた。

 

 そして、彼らの奮闘の甲斐あって、轟チームの準備が整った。

 

「……いつでもいけますわ、轟さん!」

 

「……分かった。引き続き伝導の準備を頼む」

 

 八百万の腕から何かが顔を覗かせ、轟はそれを引き抜く。彼の手に握られていたのは、人1人を覆えてしまうほどの大きさをしたシートだった。

 引き続き、轟は上鳴に対して指示を飛ばしていく。

 

「上鳴」

 

「おっしゃあ!待ってましたァ!……しっかり防げよ!!!本命はこの後に控えてるから、1発目は抑えめにいくぜ!!!」

 

 果たして、策が成功するのか否か……。その緊張故に上鳴の頬に汗が伝うが、それを拭い去るようにして、白い歯を見せつけて不敵に笑う。

 彼の肉体から、微かな稲妻が弾けていた。

 

「……巻き込まれても文句言うなよ、緑谷。お前が何をしようと情けをかけるつもりはねえからな」

 

「……分かってる!それと、巻き込まれるつもりは毛頭ない!」

 

「その通りだ……!皆を守護する盾となる為に俺がいる!!!」

 

 そして、緑谷と常闇が轟の声に答えた直後。

 

 

 

無差別放電(むさべつほうでん)……100(まん)V(ボルト)!!!

 

 

 

 上鳴の体から全方位に電撃が迸った。動きが完全停止し、意識が飛びかける程の凄まじい威力のそれが足止めをしていたA組の騎馬諸共、B組の騎馬4チームに襲いかかった。

 無論、轟チームは、八百万が創造した耐電シートで上鳴に巻き込まれることを防いだし、常闇チームは、大半の攻撃を無効化出来る黒影(ダークシャドウ)を盾にして電撃を防ぎ切った。

 

「…………恨むなよ。後には引けねえんだ」

 

 そして、ただ一言だけ発すると八百万が新たに創造した硬質の棒のようなものを右手に握り込み、地面に掠らせた。そこから、すかさず右手を起点にして冷気を解き放つ。

 すると、地面に掠らせた棒を伝って、後方へと地を這う大蛇の如く氷の波が襲いかかり……これまたA組の騎馬諸共、後方にいた者達全員の足元を凍らせてしまった。

 

『おおっと!ここで轟がB組の騎馬を一蹴!!!葉隠チームと峰田チームも巻き込まれる形にはなっちまったが……アイツらはよく頑張ったよ、うん!!』

 

『上鳴の放電で確実に動きを止めてから凍らせた……か。障害物競走で結構な数に避けられたことを反省しての行動だな』

 

『おお、きっちり省みて次に活かした訳だな!大事だぞ!……何はともあれ!ここまで長かったが、轟チームも妨害を突破!!常闇チームと共に1000万めがけて突き進んでいく!!!』

 

 プレゼントマイクの声と観客の歓声を背に迷わず突き進んでいく轟チームと常闇チームに全てを託し、見送る形となった葉隠チームと峰田チーム。

 自分達諸共凍らせたことに、峰田がジト目で恨み言を吐き捨てる。

 

「ちぇっ、やっぱりオイラ達もまとめて凍らせやがったぜ。……あーあ、これで逆転のチャンス無くなっちまったな!」

 

 口ではそう言っているものの、分かり切っていたかのように吐き捨てるその様からは、あまり悔しさは感じ取れない。自分はやり切ったという達成感さえ感じ取れた。

 

「……そんなこと言っているけど、最終的に障子ちゃんについてきてくれてる時点で説得力無しよ」

 

「煩えやい!」

 

 蛙吹の発言に思わずそっぽを向く峰田。葉隠達も彼らのやりとりを見て笑みを溢しつつ、轟チームと常闇チームの背中を見送る。

 一方で、B組一同は悔しさを拭いきれない様子で何とか凍らされた地面から脱出出来ないかと足掻くものの……解決策は見つからず。

 

「足止め喰らって、上鳴の放電で動き止められて……轟の氷結で一蹴……か。ダサいことになっちゃったな……」

 

 結局のところ、敗北を喫することになってしまったことに取蔭は落ち込んだ。

 落ち込んだ気持ちを胸に、半ば自暴自棄になって彼女はA組の面々に尋ねた。

 

「……あのさあ!轟の奴、あんたら全員巻き込んじゃったけど……恨んでないの!?」

 

 半ば背中を預けていた仲間に裏切られたようなものだ。組ぐるみの作戦を企てていた取蔭からすれば、そんな行為をされて恨まないなんて考えられなかった。

 少し考えてから、葉隠が答えた。

 

「うーん……やられたなあって悔しくはあるけど、恨んだりはしないかな!だって、こうなることは想定済みだったしさ!」

 

 彼女の言葉に嘘は全くない。表情が見えなくとも、声色で察することが出来た。すると、砂藤が彼女に続いて言った。

 

「まあ……体育祭の前に『仲良しごっこじゃねえ』って言うような奴だもんなあ。クラスメイトだろうが容赦はしないって感じのやつだし。それに、アイツは本気で勝とうとしてやったことだろ。文句は言えねえよ」

 

 苦笑も交えながらそう言うと、今度は蛙吹が言った。

 

「私達が自分の判断で、轟ちゃんの意思関係無しに手を差し伸べた。けれど、轟ちゃんは最終的に私達を利用してその手を振り払った。……私達の手を取るか否かはその人次第。余計なお世話ってそういうものじゃないかしら」

 

 そう言って、彼女は微笑んだ。取蔭はA組と自分達との認識の違いを感じ取り、息を呑んでいた。

 組ぐるみでA組を引きずり下ろす選択をした自分達からすれば、クラスメイトは協力相手であって当然だった。

 しかし、彼らは違う。協力すべき相手である以前に競い合うライバル。それが彼らの認識らしい。

 

 やはり、彼らは先を見据えていた。蹴落とされることを覚悟の上でライバルを救けるなど、どう考えても出来ることではない。理屈抜きで他人に手を差し伸べられる彼らを尊敬する他なかった。

 

(……でも、まだ終わった訳じゃない……!私には、やれることがある!皆がダサいままで終わるなんて嫌だ……!最後までやれるだけのことをやってやる!)

 

 騎馬の足元が凍らせられ、行動不能になってしまった取蔭だが、全てを諦めた訳ではなかった。……彼女の心の奥底には不屈の炎が静かに燃え上がっていた。

 

 雄英体育祭第二種目、騎馬戦。残り時間は――2分。




幕間・弐は以上です。こちらも轟君及びB組一同の動きに大きく変化が生じてるので外せないなと思い、描写しました。

以前、別の作品でも述べたのですが、私は轟君に関して彼はメンタル面というか精神的な部分で他と比べて脆さや弱さを抱えていると思っています。

仮免でエンデヴァーのことを引き合いに出されてコンディションが崩れ、自力じゃ立ち直れなくて周りが見えなくなり、出久君に叱責されてようやく目が覚めたり。ヒーローズライジングの時も初遭遇時、撤退するキメラを後先考えずに追おうとして飯田君に止められたり。
特にこの体育祭時は1人でずっと父親に対する憎しみで苦しんでいて、誰かに救けを求めるような選択肢もない状況。轟君のメンタルはズタボロだと思います。
その結果、脆さや弱さの部分が露呈して悪目立ちしちゃってる感じですね。出久君が実弥さんやBIG3との特訓を経て精神的に大きく成長している分余計に。

今回のお話における出久君の余計なお世話に関しては、次のお話でまとめて解説をいれようかと思いますので少々お待ちを。

作者、原作ネタバレOKという変わった趣味のアニメ勢なので障子君の諸々に関してはそこまで詳しくは知りません。
ネットとかでよくあるお話の感想まとめみたいな記事を見てあらかた把握している程度でしかないです。もしかしたら、こちらを読んでいる方でアニメ勢の方もいるかもしれませんので、この辺で控えておきます。
因みに、テンタコルパンチは原作やアニメには存在しないんですが、アーケード版かなんかで存在する技らしいです。

長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました。


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第四十一話 騎馬戦(後編)

幕間を読まない方もいるかもしれませんので、こちらで改めてご挨拶を。

皆様、お久しぶりです。約1年ぶりという久々な投稿になってしまい申し訳ありません。
小説を書いて更新することに割く精神的な余裕がなかったり、小説書くこと自体がキツイってなってたり、お気に入り増減するわ、評価が赤を保てなくなったことにショックを受けたりで色々ありまして、こちらに手がつけられませんでした。

小説書くのキツイなあってなってるのが解消しきれてなかったり、今もどこか精神的な余裕がなかったりと原因は色々なんですが、ちょっと以前通りの更新ペースには戻せそうにないです。楽しみにしてくださっている方々、ごめんなさい。
不定期亀更新でも良ければ、今後とも宜しくお願いします。

今回はいい加減騎馬戦終わらせようぜってことで幕間・壱、幕間・弐とこちらの第四十一話の三話を一挙更新です。幕間読みたくないという方は読まなくても大丈夫だとは思いますが、読んでいただいた方が色々と辻褄が合ったりもすると思います。良ければご覧ください。
そしてこちら、第四十一話。滅茶苦茶長いです。暇のある時にでもゆっくりお読みください。

――――――

2023/5/9
(AM1:35時点)
終盤の取蔭さんの妨害を耐える轟君に関して、今まで通り氷を新たに生成しながら移動する方法で逃げ延びているというふうにしれっと変更してます。
(PM19:30時点)
読者の方の指摘もあり、終盤の争奪戦の一部を修正しています。まだ修正途中なので、文章がおかしくなっているところがありますがご了承ください。修正が終わり次第お知らせします。
(PM23:32時点)
修正が完了しました。心操君の洗脳にかかった爆豪君ですが、彼の爆破にはそれなりの衝撃があるので移動や攻撃の最中に解けるのではないかとの指摘をいただき、展開を大きく修正しました。
具体的には、洗脳直後の1発目の爆破の衝撃で即座に爆豪君の洗脳解除→正気のまま、実弥さんのところへ向かおうとしたのを妨害してきた轟君と衝突って感じです。なので、ところどころで大きく変化が生じております。
正気なままの爆豪君と轟君の衝突。こちらも楽しんでいただければと思います。

2023/5/18
実弥さんの攻撃を回避した爆豪君に対する瀬呂君のセリフの中で実弥さんの攻撃の技名を明言してましたが、大雑把な「獣の爪みたいな斬撃」という表現に変えました。

2023/5/29
拳藤さんの二人称が原作と違ったようなので、これ以前の話も含めてところどころ修正してます。


『さあさあ、常闇チームと轟チームが妨害を突破しきって1000万の元へ向かうのを見届けたところで……不死川チームVS爆豪チームの実況に戻ろうか!A組爆豪、ここまで鉢巻を狙ってしつこく攻め続けているが、不死川は見事に守り切っている!こっちもこっちで、正直言うと状況の変化がねえからパッとしねえな!実況者泣かせだ!』

 

 実弥チームと爆豪チームが再び衝突してから、3分が経過していた。

 単騎で突撃し、激しい攻撃で攻め続ける爆豪。しかし、実弥はいとも簡単に彼の攻撃を防ぎ切る。更に悪質な崩し目的の攻撃や騎手の落下を狙ってやるような攻撃はNGである為、実弥も実弥で爆豪が脱落にならない範囲で加減しながら彼を退け続けるのみ。

 加えて、1000万を所持する実弥からすれば爆豪チームの鉢巻を狙って攻めるよりも守りに徹底する方が確実である。

 故に、見事なまでの膠着状態が出来上がっていた。

 

「向こうは随分と凄ェことになってたらしいなァ」

 

「……ッ、クソデクとモブ共のこと気にするなんざ余裕だなァ!?殺すぞ!!!」

 

 プレゼントマイクの声が響き渡る中、余裕そうに笑みを浮かべながら緑谷達のことを言及する実弥を見た爆豪の掌から、火花が激しく弾ける。そして、彼は怒りのままに右腕を振るった。

 鉢巻を狙うついでに顔面に叩き込んでやろうとした爆破は、その場で仰け反った実弥にあっさりと(かわ)された。

 彼は仰け反ると同時に両手で刀を握り込み、足に踏ん張りをきかせ――

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――爪々(そうそう)科戸風(しなとかぜ)!!!

 

 

 

「ッ!クソが!!!」

 

 体勢を戻す勢いを利用して、縦方向に四つの斬撃を同時に打ち下ろした。斬撃は、鋭い獣の爪の如く獲物を斬り裂かんとして襲いかかる。しかし、爆豪は実弥が攻撃態勢に突入したのを視認した瞬間に前方に爆破を放ち、自分の体を後方かつ空中へと押し出して攻撃を避けた。

 

「ッ!?やべえ!芦戸、瀬呂!一旦騎馬崩せ!!!」

 

「えっ!?ちょっ、切島!?」

 

「おわっ!?」

 

 行き先をなくした爪は、そのまま振り下ろされて下方へと振るわれる。攻撃の向く方向を悟った切島は、咄嗟に騎馬を崩して芦戸と瀬呂を突き飛ばして防御態勢をとり、現在の彼の中での最大硬度まで全身を硬化させた。

 

「ぐうっ!?」

 

 着用している体操服の上着ごと、鋭利な爪が切島を斬り裂く。斬撃の勢いに押し負けた切島は、地面を滑るようにして大きく押し出された。

 

「切島!大丈夫!?」

 

 突き飛ばされた芦戸と瀬呂が、押し出された切島を受け止める。彼の硬化している腕を見て、2人は驚愕した。普段の皮膚より遥かに硬くなっているはずの彼の肌に亀裂が生じていたのだ。

 

「……くっそ……!斬撃で俺の"硬化"を貫いてきやがった……!多分、加減してこれだ……。俺の"硬化"もアイツには通用しねえかも……」

 

 切島は亀裂の生じた自分の両腕を見て、思わず乾いた笑いを浮かべてしまう。

 

「……よくそんな体勢から技を放てるね……」

 

「昔から体幹には自信があるからなァ」

 

 拳藤と戦いの渦中であることを忘れさせるようなやりとりを交わす実弥と切島の腕を交互に見て、加減してこれならば本気でやったら切島の腕はどうなっていたのだろうかと想像し、瀬呂と芦戸は肝を冷やした。

 

「チンタラすんな!とっとと騎馬組み直せ!!」

 

「お、おう!」

 

 切島の"硬化"も通用しないことを知り、動きを止めていた3人に騎馬を組み直すよう催促しつつ、爆豪は空中を突き進んでいく。

 あまりの壁の高さに普通であれば弱気になりそうなものだが、爆豪は違う。彼は壁が高ければ高いほど、超えるのが難しければ難しいほどに燃える男だった。これから登る山がそうするのが難しければ難しいほどに達成感が増すのと同じように。――余談だが、爆豪の趣味は登山である――

 

(そうこなくちゃな……!俺はオールマイトをも超えるNo.1ヒーローになる男!これくらい(たけ)え壁じゃなきゃ……超え甲斐がねェ!!)

 

 口角を上げて不敵に笑い、爆豪は空中で爆破を起こしながら四方八方を飛び回る。夜空に弾ける花火のように、周囲に火花が弾けた。

 

「あ、あちこち飛び回りやがって……!目が回りそうだ……!」

 

『爆豪、不死川チームの周囲を目まぐるしく飛び回る!狙いを定められないように動き続ける算段か!通用するかはさておき、いい作戦だ!』

 

 鉄哲、発目は爆豪の動きを目で追うのすら苦戦し、拳藤は何とか目で追えているという状況の中で、実弥は彼の一挙一動を確実に目で追って捉え、放たれる爆破を最低限の動作で避け続けている。

 実弥が万全な状況ではキリがないことを悟った爆豪は、悔しげに歯を食いしばった。

 

(心底ムカつくが……出し惜しみしてる場合じゃねェ!)

 

 そして、その胸中で最終種目で使用するはずだった技を早めに披露するという苦渋の決断をすると、爆破の遠心力で実弥の真正面に飛び込んだ。

 直後――

 

「――喰らいやがれ!」

 

 

 

閃光弾(スタングレネード)!!!

 

 

 

「ッ……!」

 

「うおっ!?ま、眩しっ!?」

 

 掌同士を重ねるようにして構えられた両手から、強烈な光が解き放たれた。両腕を突き出し、構えた両掌の間でそれを伴う爆発を引き起こしたのだ。

 実弥だけは咄嗟に目を閉じるも、それでも光を遮断することは叶わず。実弥チームの全員が目を潰されることになってしまった。

 

『爆豪、光を伴う爆破を放った!ここで目潰しときたか!流石の不死川もこればかりはどうしようもなかったらしい!まともに喰らって目を潰された!!!』

 

(テメェの鉢巻、今度こそ奪ってやらァ!)

 

 視覚を絶った今であれば、鉢巻を奪取可能なはず。確信を胸に爆豪は体勢を立て直して腕を伸ばすが……。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(さん)(かた)――晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)!!!

 

 

 

 彼が実弥との距離を詰めた瞬間、その周囲で風の渦が激しく逆巻いた。

 

「っ!?」

 

 常人と比べて桁外れな反射神経を有する爆豪でも回避が間に合わなかった。咄嗟に腕を交差させ、身を守らんとする。その瞬間、体がぐんっと後ろに引き寄せられた。

 

「!?」

 

 その感覚に戸惑うのも束の間、爆豪の体はぐんぐん後ろへと引き寄せられていく。視線を下ろすと、体に細長く白い何かが巻き付いているのが分かった。

 その正体は……瀬呂のテープだった。

 

『あっぶねえ!爆豪、あとちょっとで不死川の反撃が直撃してたぞ!ナイスタイミングじゃねえか、瀬呂!地味に優秀!』

 

「何とか間に合った……!ギリギリセーフ!危ないところだったな、爆豪!」

 

「おお……!ナイス、瀬呂!つか、よく間に合ったな!」

 

「へへっ、こんなこともあろうかと準備しといたのよ」

 

 瀬呂は語る。実弥には迎撃を行う際、ギリギリまで相手を引き寄せて「確実に鉢巻を()れる」という確信による心理的な隙を生じさせ、鉢巻に意識が集中したところに対応不可能な一撃を叩き込む傾向があるのではないかと。

 実際、瀬呂の分析は正解だ。前世から本当の命の奪い合いを経験してきたからこそ、実弥には確実に勝負を決することが出来る一撃を叩き込む癖がある。

 

 人間は日常で情報を仕入れる際、その8割を視覚に頼っているという。その為、目を潰されれば誰でも焦るはずだ。周りから誰かに攻撃される恐れがあることが明確であるのなら、無闇矢鱈に暴れ回ってもおかしくない。

 しかし、実弥は視覚を絶たれてもなお冷静で不動だった。

 

 故に、彼であれば視覚を絶たれた状況下でもこの状況に対処可能なのではないかと疑った。もしもの時を考えていつでもテープを射出出来るように備えていたのだ。その話を聞き、よく見てよく考えている瀬呂に感心した切島と芦戸であった。

 

 こうして、テープを射出した瀬呂に拾われ、何とか騎馬の元に帰還した爆豪。やはり他人の手で救われたことが屈辱なのか、瀬呂を睨みつける。

 

「余計なことすんな!俺はまだやれる!あの程度どうってことねェ!」

 

 睨みつけてくる彼に怯むことなく、瀬呂はいたずらっぽい笑みで言った。

 

「へえ〜、あの程度どうってことなかったかあ……。んじゃさ、何で咄嗟に防ごうとしたんだ?獣の爪みたいな斬撃を避けた時と同じように後ろに下がりゃ良かったじゃん」

 

「……何が言いてェんだ」

 

「要するに……お前が一番解ってたんじゃねーのって話よ。回避が間に合わねえってこと」

 

「……」

 

 瀬呂の指摘は図星で、爆豪は返事することなく不機嫌そうにそっぽを向くだけだった。

 それはそれとして、視覚を絶った状況下で突撃してきた自分に対し、さも目が見えているかのようにタイミングがぴったりの反撃を繰り出してきたことは疑問ではある。

 ……彼の疑問が解決するのに時間はかからなかった。

 

『にしても、不死川は目が潰れてる状況でよく反撃出来たな……』

 

『……簡単な話だ。爆発を起こして移動する以上、どう足掻こうが音は出る。音で爆豪とのおおよその距離を測った上で、全方位を防御出来る技を放ったんだろう』

 

『ええ……?音だけで相手との距離をほぼ正確に測るってマジかよ!大方、普通の人間が出来る芸当じゃねえと思うんだが!?事ある度に超人的な芸当が露わになっていくな……。マジで何者なんだよ、不死川の奴!』

 

「……ハッ、そういうことかよ……!」

 

 相澤の解説を耳にした爆豪は頬を伝う汗を手の甲で拭いながら、やはり不敵に笑った。そのくらいの強敵でなければ、超える意味などどこにもないと言わんばかりに。

 

「……テメェの爆破が煩ェおかげで助かったぜェ」

 

 光で一時的に失っていた視力を取り戻した実弥は、不敵に笑いながら目を開き、爆豪を挑発する。

 

「っるせェ口だな……!すぐに塞いでやらァ!」

 

 挑発を受けて青筋を浮かべつつ、再び実弥に攻撃を仕掛けようとしたその時……黒い影と、氷棘(ひょうきょく)が彼の両隣を通り抜けた。

 迫る黒い影に斬撃を放って牽制しつつ、氷棘を斬り刻みながら、実弥は戦闘狂のように不敵に笑った。

 

「……来たかァ!」

 

(わり)ィな、爆豪。お前が好き勝手出来るのもここまでだ」

 

「これより……我々も参戦する!」

 

 その二つを放ったのは轟と常闇。立ち塞がり続けた妨害をくぐり抜け、彼らも遂に1000万Pの争奪戦に参戦したのだ。

 

『ここで轟チームと常闇チームも参戦だ!!!見逃すなよ、オーディエンス共!これが最終決戦になる!騎馬戦もいよいよ大詰めだ!』

 

 ようやく始まる本当の決戦に、観客のテンションが最高潮まで引き上がる。新たな乱入者を嬉しく思うのは実弥も同じだが、爆豪だけは舌打ちで苛立ちを露わにしていた。

 

「デクに半分野郎……!1000万は俺のもんだ……!邪魔すんなァ!!!」

 

「抜け駆けはさせん!」

 

「させねえ……!」

 

 爆豪が爆発による遠心力を利用した高速移動で突撃し、常闇は黒影(ダークシャドウ)を使役して攻撃を仕掛け、轟は右手を振るって氷棘の波を発生させた。

 しかし、実弥は爆豪の爆破と腕を避け、常闇の黒影(ダークシャドウ)と轟の氷に絶え間なく斬撃を喰らわせる。繰り出され続ける3人の攻撃を、実弥は一切隙を生じさせることなく凌ぎ続けていた。

 

 そして、目を閉じる間もなく閃光弾(スタングレネード)で発生した光を浴びてしまった鉄哲ら3人も、ここで遅れて視力を取り戻す。

 

「おっしゃ、見えるようになってきた……!って、相手増えてんな!?取り敢えず、不死川ばかりに任せちゃいられねえ!轟の氷は俺が砕く!金属になれる俺なら、氷に対してもある程度だが耐性あるからな!」

 

「そういうことなら両手も使え、鉄哲!不死川の足場は私がやる!」

 

「え!?け、けど……」

 

 轟の攻撃を引き受けることを進言した鉄哲に拳藤が彼の分も足場を担当すると申し出たが、鉄哲は彼女1人に任せてしまってもいいものかと迷いをみせる。

 すると、拳藤は片方の手を巨大化させつつ答えた。

 

「大丈夫だって。私も鍛えてる。それに、人1人抱えるくらいは朝飯前だ。人を上に乗せるのも……問題ない!」

 

 拳藤自身、こうでもして自らも体を張らなければ、同じくして体を張り続けている実弥の頑張りに釣り合わないと思っている。

 不死川の頑張りを無駄にしたくない。その信頼に応えたい。そう思うだけで不思議と何でも出来るような気がして、力が湧いてくるのだ。

 

「……分かった!そういうことなら任せるぜ!」

 

 迷いなく言い切った彼女を見て、鉄哲は男である自分がクヨクヨ悩んでいる場合ではないと迷いを振り切り、チームの盾になれるように前へと歩み出た。

 

「え、えっと……!わ、私は何をすればよろしいでしょうか!?」

 

「発目は……周囲を警戒!右側は私がやるから、左側と後方を任せた!何かあったら、なるべく詳しく報告して!前方からの攻撃を凌いでる不死川が他の方向の状況を把握する時間を少しでも省きたい!」

 

「……分かりました!そういうことであれば……不死川君!捕縛銃は私に任せて迎撃に集中してください!」

 

「そいつは助かるぜェ。頼んだぞ、発目ェ!」

 

「はい、任されました!」

 

 何をすべきか判断しかねていた発目にも指示を出し、チーム全員が一丸となって、1000万をつけ狙う強敵達に立ち向かっていく。

 実弥が爆豪を退け、鉄哲が氷を砕き、拳藤が常闇を牽制して、発目が周囲に気を配る。

 

『轟、爆豪、常闇が同時に攻め続けるが、対する不死川チームは凌ぎ続ける!鉄壁つっても過言じゃねえこの防御を打ち破れる奴は現れるのか!?』

 

 どれだけ攻撃を通そうとしても、あっさりと防がれる。何度もやってもその繰り返しだ。攻撃側である轟達は歯痒い思いを味わい続けていた。

 やはり、万全な状態の実弥に何らかの負担をかけて全力が引き出せないようにするしかない。その為にも――

 

(まずは……動きを止める!)

 

 最初に動いたのは轟だった。

 

「上鳴!!」

 

「おっしゃ、任された!本命の不死川相手だ……!今度は思い切りいくぜ!!!」

 

 彼が上鳴の名を叫ぶだけで、その意図は完璧に伝わっている。

 轟が耐電シートで身を覆うのと同時に、上鳴の周囲に小さな稲妻が舞った。

 

「ッ、常闇君!」

 

「御意!」

 

「爆豪、そのまま空中にいろ!やべえの来るぞ!」

 

「……俺に指図すんじゃねェ!!!」

 

「鉄哲ゥ、一旦"個性"を解けェ!!!」

 

「お、おう!分かった!」

 

 轟の企みを察した一同が行動を起こすのと同時に、上鳴は不敵に笑いつつ全力を解き放つ。

 

 

 

無差別放電(むさべつほうでん)……130(まん)V(ボルト)!!!

 

 

 

 上鳴の纏った電気が強烈な一撃と化し、周囲に迸った。電撃が自分の周囲全てを薙ぎ払うかのように襲いかかり、電光が辺りを明るく照らし出す。

 

「ぐっ……!」

 

「うおおっ……!し、痺れるっ……!」

 

『上鳴の電撃が炸裂だ!常闇チームは黒影(ダークシャドウ)で完全防御!爆豪チームは電撃を喰らっちまってるが、騎手をきっちり空中に逃がした!ナイス判断だ!そして、不死川チームは――』

 

 常闇チームは黒影(ダークシャドウ)を盾にして電撃を防ぎ、爆豪チームは騎手である爆豪が空中に待機。それぞれのやり方で上鳴の放った電撃を凌いだ。

 そして、肝心の実弥チームの対処法は……常識を逸脱したものだった。

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)()(かた)――爪々(そうそう)科戸風(しなとかぜ)!!!

 

 

 

 迫る電撃に対し、四つの斬撃を打ち下ろす。すると、風の獣の爪が上鳴の解き放った電撃を叩き斬った。

 

「……は!?」

 

『ぶ、ぶった斬りやがったァァァ!!!なんて野郎だ!電撃をぶった斬るなんぞ誰が想像した!?本当にお前は規格外すぎるぜ!』

 

 上鳴の電撃は定まった形を持たないもので、素手で触れて掴んだり出来るものでもない。そんな形状の定まらないものを実弥は斬撃で対処したのだ。

 これで驚くなという方が無理な話である。

 

(相殺されたか……。だが、退く訳にはいかねえ!)

 

「八百万、頼む」

 

「はい!」

 

 八百万の"創造"で創られた硬質の棒のような物体を手にした轟はそれを地面に掠らせ、棒伝いに地面を氷結させていく。

 すると、地面から次々と氷棘が生え、荒んだ波の如く常闇チームと爆豪チームに迫った。

 

「やっべえ、凍らされる!」

 

「テメェの好きにはさせてたまるかってんだ、半分野郎が!おい、醤油顔!とっとと俺を騎馬に戻せ!」

 

「えっ!?ど、どうしたんだよ、急に!」

 

「早よしろ!空中じゃ踏ん張りきかねェ!!」

 

「上鳴の電撃喰らった後になかなか無茶なことを……。まあ、任せとけよっと!それと、瀬呂な!」

 

 独断専行で攻め続けていたはずの爆豪がここにきて改めて指示をしてきたことに驚く瀬呂だったが、何か考えがあってのことだろうと思い直した。

 すぐさま、電撃を喰らって動きにくい自分の体に鞭を打ち、肘からテープを射出する。そして、爆豪の体に器用にテープを巻きつけて彼を回収した。回収された爆豪もまた、騎馬の上に器用に着地すると――

 

「オラァァァ!!!」

 

「動けねえ状態だったから助かったぜ、爆豪!」

 

 迫り来る氷棘に連続で爆破を叩きつけた。火花が弾ける度に波の如く迫る氷棘が次々と砕け散り、小さな礫となって地面に落下していく。

 

「速っ……!?」

 

「逃げられへん!」

 

「背後は戦場の境目……。後退は出来ないな……!どうする、緑谷!」

 

「答えは一択!……迎え撃つ!!!」

 

(片足に"ワン・フォー・オール"を集中させて……ッ!)

 

「だあっ!」

 

 一方、常闇チームもまた轟の放った氷棘群から逃れられないことを悟った。

 耐え凌ぐ為に、緑谷は片足一点に"ワン・フォー・オール"を集中させ、8%の出力を引き出した状態で怒涛の百烈脚を繰り出す。彼の繰り出した蹴りは轟が発生させた氷棘を次々と砕いていった。

 簡単に砕けはするが、瞬きする間に展開し、あっという間に目前まで迫る速度だ。厄介なことに変わりはない。

 

「轟君の左側にポジション変えるよ!そこなら、轟君も安易に攻撃出来ないはず!」

 

 常闇チームは、轟が騎馬戦の中で左側の能力(ちから)を一度も使用していない点を利用する為に、彼から見て左側のポジションへと移動を開始した。

 

『轟チーム、B組の騎馬を一蹴した攻撃の組み合わせで爆豪チームと常闇チームを妨害!爆豪チームは爆豪自らが爆破で氷を砕き、常闇チームの方は緑谷が氷を蹴り砕いた!んでもって、その轟チームは一足先に不死川目掛けて進行している!何だかんだと言いつつ、残り時間は約1分!誰か不死川から1000万を奪取する奴は現れるのか!?』

 

 そして、他の2チームが轟の妨害に手をこまねいている間に、当の本人達は迷わず突き進む。

 如何にして実弥に攻撃を仕掛けるべきか、轟は頭を悩ませていた。というのも……ここまで彼の仕掛けた氷による攻撃は完全に通用していない。

 馬鹿の一つ覚えのように氷結を引き起こしたところで、同じように防がれるのはもう分かりきったことなのだ。

 

「……轟君」

 

「……ッ、何だ?」

 

 思考に没頭していた轟に声を掛けたのは、飯田だった。思考を中断し、彼の言葉に耳を傾ける。

 

「……皆も聞いてくれ。残り1分弱、俺はまともに使えなくなる。後は頼んだぞ……!」

 

「飯田さん?何をなさるおつもりで……?」

 

「俺を信じて、しっかり掴まっていてくれ」

 

 意図を理解しきれず、八百万が尋ねるが……飯田は自分に掴まるように促し、ただ前を見据えるのみだった。

 取り敢えず、チーム全員で飯田を信じてしっかりと掴まることにした。

 

「お、おい!飯田の奴がなんか仕掛けてきそうだぞ!?」

 

「どうする!?ポジション変える!?」

 

「不死川君、どうしますか!?」

 

 轟チームの異変を察知し、実弥の指示を仰ぐ3人。飯田の速度がいかほどかは、彼らもよく知っている。故にこのまま棒立ちであれば、鉢巻を奪われる可能性が高いのだが……。

 実弥の指示は、彼らの考えに反していた。

 

「このまま待機だァ!こっちが動くよりも向こうが速い!一瞬で詰められる!」

 

「ええっ!?け、けどよ……」

 

 実弥の指示を聞き、言い淀む鉄哲。拳藤と発目もどこか心配そうだ。そんな3人に対して、実弥はたった一言。

 

「……俺を信じろォ!」

 

 目の前にいる男は、これまでに何度もどうしようもない局面をひっくり返してきた。彼は間違いなく信頼に足る男。

 真っ直ぐな瞳で力強く言われては……彼の指示に反する選択肢など思い浮かぶ訳がなかった。

 力強く頷く3人を見て、実弥は薄く笑みを浮かべた。

 

「……行くぞ!絶対に()れよ、轟君!!」

 

 そして、遂にその時がやってくる。

 

 轟に全てを託し、飯田が叫んだ――次の瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トルクオーバー!!!」

 

 

 

レシプロバースト!!!

 

 

 

 飯田のふくらはぎにあるレースカーを彷彿とさせるマフラーから、蒼い炎がジェットの如く凄まじい勢いで噴き出す。無理矢理生じさせた爆発力は、常人では視認出来ないレベルの凄絶なスピードを引き出し、普段の彼の数倍のスピードで実弥の元へと肉薄した。

 

(中々速えな……やるじゃねェか、飯田)

 

 想像以上の速度に、彼はほんの一瞬だけ笑みを浮かべた。

 そのまま、1000万Pの鉢巻に伸びていた轟の左手をあっさり払いのける。

 それどころか、逆に彼の額に巻きつけられた鉢巻に手を伸ばした。

 

「ッ!?」

 

 その瞬間、轟を襲ったのはそれを殺意だと錯覚する程の凄まじい威圧感だった。本能的に「ヤバさ」を感じ取り、無意識のうちに彼の左半身から紅の炎が立ち昇っていた。

 そのおかげで実弥が反射的に鉢巻に伸びかけていた手を引っ込めた為、轟チームのポイントが奪取されることはなかったが……。

 

 一瞬の攻防で勝利を手にしたのは――実弥だった。

 

「……は?」

 

(い、今……何が起こって……!?)

 

(す、凄まじいスピード……!目で追えませんでしたけど!?)

 

 実弥を除いた3人は飯田達が加速した瞬間を視認することは出来ず。無論、それは轟チームの本人を含む飯田以外の3人も同じだ。気がつけば、自分達の横を通り過ぎていた彼らが後方にいた。

 嫌な予感が脳裏を(よぎ)って冷や汗が頬を伝い、不快な緊張感で心臓が高鳴る。

 

 一方、実弥本人の他でただ1人攻防の結果を知っている轟は、呆然と自分の左手を見つめていた。

 

(俺は……何を……!?左を無意識のうちに使っちまうなんて……!)

 

 意識的ではなく反射的に行った行為だった為、彼自身が一番困惑していた。絶対に使わないと決めていた左を使わされたことに悔しさを覚え、口元を歪めて拳を握りしめる。

 

 ……会場中のほとんどが状況の認識に遅れ、沈黙が流れていた。

 

『ちょっ!?は、速っ!?何が起きた!?何だよ、今の超加速!?あんなのあるなら予選で見せろってんだ飯田!』

 

 その沈黙を破ったのは、プレゼントマイクの声だった。

 同時に、会場中が轟チームの見せた視認出来ないほどの速度による突撃という超人的な芸当に盛り上がりを見せる。

 

『俺にも全く見えなかったんだけど!?待て待て、ポイントはどうなった!?不死川チームのポイントは!!?』

 

『あの速度で距離を詰められたら、常人には対応出来ん。そこらのプロヒーローでも対応は難しいだろう。だが……目の前にいるのは、その辺のレベルで収まるような男じゃない』

 

 チームの得点が表示された電子モニターに目線をやりながら意味深な発言をした相澤に釣られるようにそこを見て……彼は目をひん剥いた。

 

『――おいおいおい!?不死川!?えっ?あの飯田の超加速を見切ったの?マジで?……ま、まさかの展開!不死川チーム、1000万を守りきったァァァ!!!!!』

 

「……っ!?」

 

 飯田の超加速を目撃した時以上に会場中が沸き上がっている。信じられない現象が次々と目の前で形になっている。そんな夢のような展開が連続して繰り広げられているからこそ、人の興奮はより高まるもの。

 

 まさかと思い、飯田も振り返る。彼に視線を向けられると、自分の左手を呆然と見つめていた轟はハッとして、握りしめていた拳を震わせながら申し訳なさそうに告げた。

 

「…………すまねえ、鉢巻を()ろうとした手を……あっさり弾かれた……」

 

(あの速度を……視認したのか……!?)

 

 まだクラスメイトの誰にも教えていなかった裏技だった。自分にとってのこれ以上ない切り札だった。

 

「……っ、そんな……!」

 

 自惚れていた訳ではないが、この技であればもしかすると実弥相手でも通用するかもしれない……と希望を持っていた自分がいた。

 あっさりと希望を打ち砕かれたことに、飯田は愕然とする他なかった。

 

「……さっきのは悪くなかったぜ、飯田ァ。だが……俺に並びたきゃ、もっと速くなりなァ」

 

「……っ……!」

 

 不敵に笑いつつ、挑発するように言ってみせた実弥を見て自分との差を実感した飯田は、悔しげに歯を食いしばっていた。

 

「……あっぶねぇぇぇ!流石に今のは()られたんじゃねえかと思ったぜ……!」

 

「今度ばかりはダメかと思いました……」

 

「はあ……騎馬戦で肝を冷やしてばかりだな……。本当、心臓に悪い……」

 

 嫌な予感が外れた3人は、心底ホッとして脱力した。……未だに心臓がバクバクと激しく脈を打っている。緊張はおさまりきっていなかった。

 だが、気を抜いてばかりはいられない。まだ騎馬戦は終わっていないのだから。

 

「クソメガネ退けたからって……気ィ抜いてんじゃねェ!!!」

 

 当然休む暇も与えず、爆豪が追撃を仕掛けてきた。

 爆破を叩き込もうと振るわれた彼の右腕をあっさりと避け、実弥は罵倒を返しつつ反撃を繰り出す。

 

「抜いてねェよ、馬鹿がァ」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(ろく)(かた)――黒風烟嵐(こくふうえんらん)!!!

 

 

 

 繰り出されたのは、砂塵を巻き上げて空をも暗く染める風の一撃だった。木刀を斜め下から掬い上げるようにして振るったことによって発生した一陣の風が爆豪を上空へと吹き飛ばす。

 

「ぐっ!?」

 

『隙を突かんとした爆豪、空高くに吹き飛ばされた!いくら攻めても攻撃が防がれ続けている!これは歯痒い!!!』

 

 吹き上げた風に体を押し出され、ジャンプボールの際に審判が投げ上げたバスケットボールの如く彼は吹き飛んでいく。

 

「……ッ、クソがッ……!」

 

 爆破の遠心力で宙返りすると共に空中で受け身を取り、歯を食いしばる。

 何度やっても突破口を開けない悔しさと他人に頼らなければならない屈辱故の行動だった。

 しかし、やらなければならない。完膚なきまでの1位を手にする為に。

 

「黒目に醤油顔!テメェら手ェ貸せ!!!」

 

「お、早速出番か?」

 

「なになに?なんか作戦あるの?」

 

「いいか……一度しか言わねェ。耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ!」

 

 足を止めぬよう移動を続けつつ、密かに作戦を共有していく爆豪チーム。そうしている間も実弥に対する攻撃が止むことはなく、次々と刺客が押し寄せる。

 

 今度は、実弥が振り上げた木刀にどこからか体操服の上着が絡み付いてきた。

 巻きついた上着の先に視線を移すと……。

 

「へへへ……コノママ、オ前ノ武器ヲブンドッテヤルゼ!」

 

『これは……常闇、不死川の武器を奪う気か!?器用なことしやがるぜ!』

 

 常闇の体操服の上着を手にして不敵に笑う黒影(ダークシャドウ)の姿がある。巻きつけた体操服ごと木刀を手繰り寄せようと企んでいるのだろう。

 だが、力比べであれば実弥の得意分野。陽光の下にいる影響で元から人並みの力しかない上に、上鳴の電撃を喰らってより弱体化している黒影(ダークシャドウ)に力負けする理由がない。

 

 木刀を握る手に軽く力を込め、片腕を自分の方向に軽く引っ張るだけで十分だった。

 

「……ア、アレッ?木刀ガ引ッコ抜ケル気配スラネエンダケド!?」

 

「……ほら、どうしたァ?折角のチャンスだろ?頑張れェ」

 

 想定外の事態に動揺し、歯を食いしばるようにして表情を歪めながら両手で懸命に木刀を手繰り寄せようとするが、ほんの少しも動く気配がない。必死な黒影(ダークシャドウ)に対し、実弥は余裕そうに笑っていた。

 

『相手の武器を奪うって考えは合理的だが……単純にパワー負けしているな。不死川の手から木刀が引っこ抜ける気配が全く見えん』

 

『これは辛辣な評価!だが、不死川は腕を空気中に叩きつけて風圧巻き起こすようなような奴だからな……。現実的な話を言えば厳しいのは確かだ!踏ん張れるのか!?』

 

 木刀を強奪しようにも出来そうにない現状に、常闇は眉間に皺を寄せ、歯を食いしばった。

 

「やはり、そう上手くはいかないな……!武器を強奪出来れば、不死川の戦力を削げるかと思ったのだが……」

 

 自分の認識の甘さを悔やむ彼を励ますように声をかけたのは、緑谷だった。

 

「いや、奪う必要性はないよ……!今のこの状況、不死川君の片腕を封じてるのも同然。片腕が全く使えなくなっただけでも、戦い方は大きく変えなきゃいけないはず!」

 

 前提として、自分達は真正面からぶつかっても実弥に勝てる見込みはない。故に、何としても実弥が全力で戦えない状況を作るしかないのだと付け加えた。

 

「……全力を引き出せぬ状況か……!ならば……!黒影(ダークシャドウ)!不死川の左腕を封じろ!!木刀の方は嘴も併用しつつ、現状維持!力を振り絞れ!!」

 

「ワ、分カッタゼ!」

 

 緑谷の発言で今の自分がやるべきことに気がついた常闇は、方向を転換して実弥の拘束に動き出した。彼の指示に従い、器用なことにも黒影(ダークシャドウ)は嘴で木刀に絡み付けた上着の一部を咥え、そこに片腕の力を加えつつも、もう片方の腕を実弥の左腕目掛けて伸ばした。

 

(戦法変えてきたか……!発端は緑谷だな?相変わらず頭がキレやがる!)

 

 それを見て狙いを悟った実弥は木刀を握る腕に力を込めた。そのまま、常人離れした怪力で思い切り腕を引き、木刀に巻き付いている体操服の上着を無理矢理引きちぎる。

 

「ッ!黒影(ダークシャドウ)、腕を巻き付けろ!絶対に逃がすな!」

 

「アイヨォッ!!」

 

 常闇は怯むことなく黒影(ダークシャドウ)の腕のうち、先程まで上着を引っ張っていた方をすかさず伸ばす。

 しかし、接近する黒影(ダークシャドウ)の両腕を拳藤が巨大化させた片手で鷲掴みにした。

 

「ツ、ツカマレタ!?コノッ……!」

 

「これ以上好きにはさせない!」

 

「くっ……阻まれたか……!」

 

 腕を振り回して足掻こうとする黒影(ダークシャドウ)の動きを阻む為、両腕を握る手にグッと力を込める。巨大化させた片方の腕に重さがのしかかり、辛い状況ではあるが……絶対に手離す訳にはいかない。

 不死川が散々体を張ってきたんだから、このくらい出来なくてどうする!

 そんな気持ちを胸に、拳藤は踏ん張っていた。

 

黒影(ダークシャドウ)は返してもらうから!」

 

 そこに迫る耳郎のコード。大人しく黒影(ダークシャドウ)を鷲掴みにしている手を離す訳にもいかず、拳藤は動けない。

 それを目撃した瞬間、すかさず実弥が行動を起こし、大気を押し潰す勢いで手を打ち合わせた。直後――

 

「うあっ!!!?」

 

 辺り一帯に風船が破裂した音を何百倍にも膨れ上がらせたかのような大音量の破裂音が鳴り響いた。

 その場にいる全員が思わず肩を跳ねさせてビクッとしてしまうほどの音量で、常人よりも優れた聴覚を持つ上に至近距離でその音を聞かされた耳郎は、攻撃を中断せざるを得ない上に耳から出血を起こしてしまう。

 

『おわっ!?びっくりしたぁ!ガラス越しにいるこっちまでビビらせられたぜ……!つか、何した!?』

 

『手を打ち鳴らすことで拳藤に迫っていた耳郎の攻撃を潰したというところか』

 

「ご、ごめん……やられた……!」

 

「じ、耳郎さん!耳から血が……!だ、大丈夫!?」

 

 耳から血を、額からは脂汗を流す彼女を顔を青ざめさせながら心配する麗日。

 怪我をした耳郎に無理をさせる訳にはいかない。思わず冷や汗を流しながら、緑谷は考える。

 

(耳郎さんが潰された……!常闇君も、黒影(ダークシャドウ)の両腕を拳藤さんに鷲掴みにされて、実質潰れてる……!手が空いてるのは僕と麗日さんだけ……!やるしかない!)

 

 やれるだけのことをやり尽くす決意の下に、緑谷は呼びかけた。

 

「耳郎さん、常闇君を背負うのは任せる!」

 

「っ、任せて!」

 

「それと、麗日さん!僕に付き合って!」

 

「え!?わ、私!?……分かった!!!」

 

 突然の指名に目を白黒させて戸惑う麗日だったが、それも一瞬のこと。すぐさま力強く頷き、緑谷の思いついた新たなる策の為に動き出した。

 

『緑谷、麗日を背負って移動を開始した!ここから如何にして攻めるのか!?そして、残り時間は1分切ってるぞ!この攻防を制するのは誰だ!全く予想がつかねえ!』

 

 いよいよ、残り時間は1分を切った。それを告げられたことで八百万はハッとした様子で呼びかける。

 

「轟さん、飯田さん!まだ終わってはいませんわ!しっかりしてくださいまし!!!」

 

 彼女に必死で声をかけられ、必死に闘志を揺り起こした2人。

 かぶりを振って、目の前にいる敵を見据える。

 

「そ、そうだな、八百万君……!すまない!」

 

「ッ、(わり)ィ……!」

 

(くそっ、さっきから何回こうして折れかけてる……!?いい加減にしろ……!俺はこんなところで立ち止まる訳にはいかねえんだ!)

 

 己を奮い立たせ、轟は右腕を振るって凍てつく波を巻き起こす。

 

「させねえ!!!」

 

 だが、巻き起こした波を全て金属化した鉄哲の拳が殴り砕いていく。

 

「どうだ、轟!俺は金属!氷なんざ効かねえ!!!俺を倒せるもんなら倒してみやがれ!!!」

 

『鉄哲、大胆に轟を挑発ゥ!轟の放った氷は、かき氷のように呆気なく打ち砕かれていくがどうする!?』

 

「くそっ……!」

 

 急がなければならないこの状況で思わぬ障害が立ち塞がった。

 轟は鉄哲が自分にとって強敵となることを想定していない。今の彼は、憎しみを向けている相手である己の父親と、宣戦布告した相手である緑谷と実弥にしか興味がないのだから、今になってどうしようもない状況になりつつあるのも自然なことだった。

 

 他人に興味がないということは、必然的に他人からの意見や情報を受け取らないことになる。その結果、視野が狭くなって偏った考え方しか出来なくなるというのはよく言われることではあるが……。

 もし、自分がこれまでにもっと他人に興味を持っていたのなら、関係を深めていたのなら、現状を打破する方法が見つかっていたのだろうか。

 

 自分はこれまで、一体何をしてきたのだろう?今まで歩んできた道を今になって全面否定されているような状況に何度も遭遇していることに、轟の中に言い表しようもない程の悔しさ、情けなさ、やるせなさ……様々な負の感情が湧き上がってくる。

 心がぐちゃぐちゃになって精神の不安定さを加速させる。苛立ちが募っていく。

 苛立ちに身を任せ、有無を言わさず実弥のチーム諸共、鉄哲を凍らせてしまおうかと考えていたその時だった。

 

「轟さん!こちらを!!」

 

「!」

 

 八百万が轟に向けて何かを手渡してきた。彼女の声に振り返り、手渡されたものを掴む。手にしたのは、細長い棒のような何かだった。

 使用用途を考えるも即座に思い浮かばず、轟は考え込む。すると、八百万がすかさず声を上げた。

 

「そちらがあれば、上鳴さんが周りを気にすることなく"個性"を扱えますわ!」

 

 直接的なことは言わなかった。だが……上鳴が周りを気にする必要があるのは、"帯電"の性質故。

 彼の"個性"は電気を纏って放出するだけで、指向性を持たせて操作することは不可能だ。つまりは、如何なる時でも味方を巻き込む可能性を考慮しなければならない。

 そこさえ分かっていれば、八百万の意図も、投げ渡された何かの役割も大体理解が出来た。

 

「……そういうことか」

 

 納得した様子を見せ、轟は状況を整理する。

 

(前提として……前騎馬の鉄哲を潰さねえと俺の攻撃は通用しねえ。奴を確実に足止めする為には……!)

 

 飯田がまともに使えなくなってしまった今、方法は一つしかない。

 

(リスク承知で俺が突っ込むしかねえ……!)

 

 手にした棒状の何かを手にし、轟は覚悟を決めた瞳で告げた。

 

「……上鳴。俺が何とかしてコイツを鉄哲に掴ませる。その後は"個性"を発動し続けてくれ」

 

「……!詳しいことは分からねえけど、そういうことなら任せとけ!」

 

「……頼んだ」

 

 上鳴が白い歯を見せつけながら笑顔でサムズアップしてみせるのを目にすると轟は頷き、自ら地面へと飛び降りた。

 

「と、轟君!?何を!?」

 

 一同がギョッとした直後、彼は足が地面につくよりも前に足元に何層もの氷棘を形成し、それを自身の身体を前へと押し出すようにして重ね合わせながら一直線に滑り抜いていく。

 

『な、何だありゃ!?轟のやつ、氷で自分を押し出しながら猛スピードで突き進んでやがる!飯田だけじゃなくお前にも言えることだが、そんな器用なこと出来るならもっと早く見せろってんだ!……いや、待てよ?そういや、アイツ、推薦入試の時にあんなことやってたな!!!』

 

 当然片足から氷を連続で形成し続ける状況にある為、足場は不安定だし、"個性"の連続使用は当然の如く体温の低下を(もたら)す。

 ほんの少しでも調整に失敗すれば、地面に落下して脱落する可能性もある。それでも、必死に1000万目掛けて喰らい付いている者達や自分如きの為に足止めをしてくれた皆を思うと、リスクを恐れて安全に攻めている場合ではない。

 自然とそんな風に思えてしまったのだ。

 

 もはや迷っている場合ではなく、轟はやられる前にやる決意を体現するようにして突き進む。

 鉄哲は、何の疑いを持つこともなく、彼を真正面から迎え撃とうと拳を構え、力士のようにどっしりと待ち構えていた。

 

「はあっ!!!」

 

「ッ!」

 

 棒らしき何かをグッと握りしめた轟は、一直線に鉄哲へと接近し、手にした何かを振りかぶる。

 すると、轟が手にしている棒を武器の類だと判断した鉄哲は体を金属に変化させ、彼が振り下ろしてきた棒を鷲掴みにして受け止めた。

 

『いい反応だ、鉄哲!轟が振るった武器らしきものを見事に受け止めたぞ!』

 

 正直に言ってしまうと、受け止めるのは非常に簡単だった。体温の低下で轟の動きが鈍っている影響で、簡単に動きを見切ることが出来たのだ。

 

 しかし、彼からすれば、振り下ろした棒を鉄哲が受け止めてくれたことは利点にしかならない。逆にそうしてくれて良かったとさえ思えた。

 

(このまま……こいつを固定する!)

 

「うおっ!?俺の手を凍らせて……!?くっそ……!」

 

 轟はそのまま右手から冷気を発し、棒を握り込む鉄哲の手を氷で覆い尽くすようにして凍らせた。

 氷に覆われたことで鉄哲の手は閉じたり開いたりすることも出来ないほどに動きが制限されてしまい、棒を手放すことは不可能になった。

 棒を振り下ろすようにして腕を振るも、凍った部分が溶けたりする訳もなく……()()()()()()()()()()()()()

 

「……今だ、上鳴!!!」

 

 鉄哲を乗り越えるようにして足元から上空へと自身を押し上げるかのように氷を形成した轟。上空に逃れた彼の背中越しに姿を現したのは――

 

「おうよ!!お前が腹括って危ねえ橋を渡ってんだ!俺も……いっちょぶちかまさねえとなぁ!!!」

 

 周囲に小さな稲妻を迸らせ、体に纏った電気で眩く発光する上鳴だった。

 

「やべっ!?」

 

 その様を見た鉄哲が金属化を解くと同時に、不敵な笑みを浮かべた上鳴は体に纏ったありったけの電気を解き放った。

 彼を中心にして全方位に広がるはずの電撃は鉄哲の方へと引き寄せられていく。

 

 電撃が引き寄せられていくのを見て、実弥が木刀を振りかぶり、斬撃を放って対処しようとしたが……鉄哲が言い放った。

 

「待った、不死川!どっちにしろ、俺はもう逃げられねえ!俺を放っておいて、守備に集中してくれ!俺が盾になりゃ、お前の所に上鳴の電撃がくることはねえはず……!そういうことだから……後は、任せたぞ!!!」

 

「ッ、鉄哲ゥ!!!」「鉄哲!?」

 

 呼び止めようとする実弥と拳藤の声に振り返ることもなく、チームの皆が巻き込まれないようにと前へ駆け出して距離を稼ぐ鉄哲。そんな彼の元へと上鳴の電撃が一直線に迫り――

 

「ぐうぉわぁぁぁ!?」

 

 彼のいる地点に収束して炸裂した。生身で100万Vを超える電撃を受けるのは誰であろうとも(こた)えるもので、一点集中された電撃をまともに喰らった鉄哲は苦悶の声を上げた。

 

『鉄哲に上鳴の放電が収束して炸裂だぁぁぁ!しかし、明らかに上鳴が軌道を操作しているように見えたが……どういうこった!?』

 

『いや、上鳴は身体に電気を纏うことしか出来ない。こうなった理由は轟が鉄哲に固定させた物体にあるんだろう』

 

 予め言っておくと、上鳴自身が電気に指向性を持たせた訳ではない。鉄哲の元に電撃が収束した理由は、相澤が推測している通り、彼が手放せずに終わった棒のようなものにある。

 この棒は八百万が創造したもので、電気を引き寄せて一点に集めることが出来る性質を持っている。言わば……細かい部分こそ異なるが、簡易避雷針といったところだ。

 己の宿敵となり得る鉄哲に簡易避雷針を持たせ、上鳴の"個性"を彼の元一点に集めることで確実に足止めする。それが轟の答えだった。

 

「ぐぅおおおっ……!これしきの電撃が……っ、何だってんだ……!友達(ダチ)の為なら喜んで耐えてやるぜ、競技が終わるまでな……!!!」

 

 常人が一度でも喰らえば気絶に追い込まれる一撃であることには違いない。それでも、鉄哲は実弥の盾となる為に歯を食いしばり、倒れまいと地面を踏みしめてひたすらに耐える。

 

「ウ、ウェ〜〜〜イ……!?」

 

 許容量を超える電撃を放ち続けていることで脳がショートし、喋ることすらもまともに出来なくなったアホ面状態の上鳴だが、鉄哲の尋常ならざる根性に困惑しているようだった。

 

『なんつータフネスだ、鉄哲!上鳴の電撃を必死に耐えている!しかし、防御役が1人潰れたも同然!1人メンバーが減った状態で不死川チームは如何にして迎え撃つのか!?』

 

「「……今だ!!!」」

 

 鉄哲が行動不能になった状況を見ると、緑谷と爆豪の2人も遂に動き始めた。

 

「行くよ!」

 

 轟がいくつも形成した氷塊の影に息を潜めていた緑谷は、背中に背負っていた何かを上空に打ち上げた。

 そして、緑谷自身はムカデを彷彿とさせるジグザグな軌道の高速移動で実弥の元へと猛進する。

 

「黒目!」

 

「だから、芦戸三奈だって言ってるでしょ!いい加減覚えてよね!!」

 

 一方で爆豪が芦戸に呼びかけると、彼女は未だにあだ名で呼ばれることに苦言を呈しつつも地面に弱めの酸をばら撒き、爆豪の手を掴んだ。

 

「そんじゃ……思いっきりいくよ!ふんぬぅぅぅ……!どぉぉぉりゃあああ!!!」

 

 そのまま彼女はばら撒いた酸によって地面を滑りながら、その場を何度も回転して大きな遠心力を加え……ハンマー投げの要領で爆豪を投げ飛ばした。

 

『おっと!?緑谷がジグザグな軌道で不死川チームに迫り、芦戸は爆豪をぶん投げた!爆豪、これまでにないスピードで不死川チームに迫っていくぅ!!!』

 

 加わった遠心力が爆豪の移動速度を増加させ、彼は如何なる時も実弥が自分の姿を視界に入れられる位置を爆進する。

 背後の瀬呂達も頷き合い、作戦通りに先を突き進む爆豪の背中を追っていく。

 

(何としても……奪い取る!)

 

 更には、轟が自身を上空へと押し上げていた氷から飛び降りて襲いかかってくる。

 急降下しながら実弥に向けて振るった右腕は回避されるも、足場である拳藤の巨大化した手の上に着地するや、実弥の鉢巻を狙って腕を振るってきた。

 しかし、実弥は拳藤の掌の上という限られた足場の中で上手く立ち回り、必要最低限の動きで轟の腕を(かわ)し続ける。

 

『あれだけ狭い足場で鉢巻を守り切っているぞ、不死川!だが、凄まじい執念で轟も喰らいつく!!!これは轟が1000万Pの奪取に一歩近づいたか!?』

 

「1000万は俺のモンだ、半分野郎ッ!!!」

 

「っ、させない!」

 

 勿論1000万に対して強い執念を抱いているのは轟だけではない。

 轟が1000万奪取に一番近い立ち位置であることを知るや、爆豪は爆破の勢いを増して速度を引き上げ、緑谷はジグザグの軌道から直線の軌道へと切り替えて地面を蹴り、最短距離で実弥を急襲する。

 

(くっそ……!轟だけじゃなく、爆豪と緑谷まで!)

 

(両手塞がってるんじゃ、何も出来ない……!)

 

 鉄哲は上鳴の電撃によって一歩たりとも動けず、拳藤は常闇の無力化と実弥の足場を担当している為、両腕が使えない。

 

『こ、これは!!!緑谷と爆豪が同時に攻撃を仕掛けた!偶然か必然か……千載一遇の大チャンスだ!!!』

 

 勿論、この構図になったのは偶然。

 策を講じた上でこうして同時に攻撃を仕掛けた訳ではなく、互いが頂点を必死に狙おうとした結果だ。

 幼馴染とは言え、彼らはあまりにも複雑すぎる関係性である為、現段階では共闘するとはとても考えられないというのも偶然だと断定出来る理由ではあるが。

 

「簡単には取らせません!」

 

 それはさておき。鉄哲も拳藤も動けないのならば自分がやるしかない、と捕縛銃を構えて引き金を引き、特製の捕縛網を発射する発目。

 緑谷と爆豪に向けて1発ずつ弾が発射されるが――

 

「そうはいかないよ!」

 

「ッ!?」

 

 爆豪の元へ飛んできたものは芦戸が酸を浴びせて跡形もなく溶かしてしまい、一方で、緑谷は発射された弾の速度を遥かに上回る実弥の攻撃を特訓の中で次々と受けていた為、その場で身を(ひるがえ)してあっさりと(かわ)してしまう。

 

『発目の妨害を防ぐ芦戸に避ける緑谷!つか緑谷、空中でよく避けられたもんだな!緑谷は攻撃を中断せざるを得ないが、爆豪と轟は止まらない!』

 

「ああっ!?溶かされた上に避けられたぁ!!!?」

 

 あっさりと捕縛網に対処されたことで頭を抱える発目。

 発目の妨害が破られ、鉄哲と拳藤も行動不能。そうなれば、実弥自らが行動する他ない。

 迫り来る爆豪と依然喰らいついてくる轟を迎撃する為に全方位の防御が可能である(さん)(かた)晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)の構えを取った実弥だったが……次の瞬間、思いもよらぬ出来事が起きた。

 

 突如、爆豪が自分の真下へ向けて爆破を放ち、体を更に高く浮かせて軌道を変えたのだ。直後、白く細長い何かが実弥の元へ迫り、両腕を縛りつけるようにして巻きついた。

 

「ッ!?」

 

 2人を迎撃する為に技を放たんとした瞬間であった為、想定外の出来事に彼の手元が狂った。振るいかけたはずの木刀が手からすっぽ抜けてしまう。

 

「……よっしゃ!成功っ!悪いな、不死川!爆豪には一旦囮役になってもらったぜ!」

 

(こいつは……瀬呂のテープ……!?)

 

「よし!後は、いつでも爆豪のサポートが出来る位置に待機だ!」

 

 声の主は瀬呂。不敵に笑いつつ肘を構える様と、両腕のベタつく感触で完全に理解した。両腕に巻き付けられたものが彼の射出したテープなのだと。

 爆豪が常に実弥の視界に入る位置を進行することで意識を彼一点に集中させ、その間に瀬呂はテープを射出する準備を整える。また、軌道変更などする気もないのだと思わせるよう、芦戸の協力で今まで以上の速度を引き出した。

 

 自動車がスピードを落とす気配を見せることなく直進しているのを見れば、そのまま直進し続けるだろうと誰もが思うはず。彼らがやったのはそういうことだ。

 そして、爆豪はギリギリまで注意を引きつけたところで急に軌道を変える。想定外の出来事が起きた直後の僅かな隙を突いて瀬呂はテープを巻き付け、実弥の攻撃手段を封じる。

 

 これが爆豪チームに共有された作戦。

 

 相手に心理的な隙を生じさせてから確実に対応不可能な一撃を叩き込む実弥の戦法が仇になった瞬間だった。

 

 はっきり言ってしまうが、実弥の怪力であれば瀬呂のテープを容易く引きちぎることが可能だ。すぐさま巻きつけられたテープを引きちぎろうとしたが、ここで想定外の事態が起こる。

 

 突如、実弥達の元に影が射した。咄嗟に顔を上げると……。

 

「鉢巻は貰うよ……不死川君っ!!!」

 

 上空から落下しながら迫り来る麗日の姿があった。

 

『あっと、ここで上空から麗日も参戦だ!緑谷に背負われていたはずなのに途中から姿が見えねえなと思っていたらそんなところにいたのか!?いつの間に!?』

 

 プレゼントマイクの疑問はもっともで、実弥も彼の実況を耳にし、しっかりと麗日を背負って騎馬から離れて移動していた緑谷を目撃してはいた。

 その後もしばらく様子を窺っていると、彼が麗日と共に轟の作り出した氷塊の一つに身を隠していたのを確認した。そこから数十秒後、姿を現した時には……確かに麗日の姿はなかった。

 それを思い出した瞬間、合点がいった。

 

(そういうことか……!どうりでらしくねェ軌道で攻めてきた訳だ……!)

 

 実弥が自分自身で答えを見つけると同時に相澤も述べた。

 

『騎馬から離れて行動を開始した後、緑谷は麗日を背負ったまま轟が形成した氷塊に身を隠していた。そして、その後に姿を現したタイミングでは麗日の姿はなかった。つまり、攻撃に転じる直前に自身の"個性"で無重力状態になった麗日を上空に打ち上げたんだ。麗日は不死川に明らかな隙が出来るまで機会を窺い、自身を浮かせて上空に待機していたって訳だな』

 

 要するに、緑谷が攻撃再開時に直線ではなくジグザグとした複雑な軌道による移動を選んだのは実弥の注意を自身に引き付ける為だったということ。

 

 一応言っておくと、実弥自身も彼の動きに違和感を覚えてはいた。理由は、特訓の中で緑谷が直線的で正直な読みやすい攻撃をする傾向があるのを知っていたから。ただ、彼は鉄哲が潰された状況で爆豪や轟までも……下手をすれば更なる人数が攻めてくる可能性も考慮していた故、違和感に関してあれこれと考えるよりも守りに集中することを選択した。

 

 結果、緑谷の変則的な動きの理由の部分まで辿り着けなかった。

 

 更に言えば、実弥の前世から今までにおける戦闘経験上、彼は空中を主な活動域にした相手と対峙した経験が少ない。前世はやはり白兵戦の経験が多かったし、今世は今世でヴィジランテとしての活動をしていた際には、適材適所で空中は空中が得意なヒーローに任せるべきだと考え、好んで相手にすることはなかった。相手にするとしても、徹底的に地上で叩く為の状況を作り出していた。

 

 そんな経験から麗日が上空から攻めてくることを想定していなかったことも、彼女の接近を許してしまった理由だろう。加えて言えば、クラスメイトとして当然の話だが、実弥は自分自身を浮かせることが麗日にとってどれだけのリスクがあることかを知っていた。

 

(……やられたな。俺もまだまだ未熟って訳だ)

 

 自分にもまだまだ隙になる部分がある。それを実感しつつも、何とかして隙を作らんとして凡ゆるやり方で果敢に攻めてくる同級生達を頼もしく思った。

 ただし、今は感傷に浸っている場合ではない。

 

『不死川、ここにきて大ピィィィィンチ!!!1000万を麗日、爆豪、轟の誰かが奪取するか!?それとも……不死川が守りきるか!?』

 

 背後に回り込んで爆破を叩きつけんとする爆豪、前方上空から鉢巻を奪わんとする麗日、右側から冷気を纏った右腕を伸ばす轟。

 3人とも1000万に対する執念を宿して本気で奪いに来ている。彼らの気迫を肌で感じ取り、思わず武者震いした。

 こちらも易々と奪わせる訳にはいかない。体育祭の結果に頓着がないとは言えど、相手が本気で向かってくるのであれば本気で迎え撃つのみ。

 

 直後、実弥は仰向けに倒れ込まんばかりの勢いで仰け反った。想定外の事態に鉢巻を狙って攻撃を仕掛けていた3人は目を見開く。

 

「なっ……!?」

 

「クッソが……!」

 

「こ、この状況で避けるん!?」

 

『よ、避けたぁぁぁ!この状況で避けたぁぁぁ!!!ハンパねえぜ、不死川ぁ!!!』

 

 既に振るわれていた麗日と爆豪の腕は見事に空を切り、1000万を手にすることは叶わなかった。轟も実弥の予想外の動きに思わず動きを止める。

 

 更にそこに……予想外の刺客が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ!爆発頭のあんた!確か宣誓の時に1位になるだのなんだの言ってたよなぁ!?それにしては1位取れる気配がないが……そこのところはどう思っているんだよ!?」

 

「……ンだとゴラァ!?モブのくせに――ッ!?」

 

 左側から轟いた挑発的な叫び。それに爆豪が苛立ちを覚えながら答えた瞬間……彼の瞳から生気が消え失せ、その場に崩れ落ちた。

 

「えっ!?ば、爆豪!?どうしちまったんだ!?」

 

「おい、爆豪!?爆豪!?聞こえるか!?おい!!!」

 

「……は、反応ないよ!?これやばくない!?」

 

 攻撃を無理矢理中断させられたようにして崩れ落ちた爆豪の姿を見て焦りを覚える切島、瀬呂、芦戸の3人。

 

『ば、爆豪!突然動きを止め、その場に崩れ落ちた!この反応は……間違いねえ!ダークホース心操、再び1000万の争奪戦に参戦だ!!!』

 

 声の主は、一度は実弥を出し抜いた今大会のダークホース――心操人使。同じチームのメンバーと共に勝ち残る為の熱意と執念をその目に宿して再び参戦した。

 

(来やがったか……心操!)

 

 再び向かいくる心操の姿を目にした実弥は上等だと言わんばかりに不敵に笑う。

 更に、心操は洗脳下に置いた爆豪に声を張り上げながら命じる。

 

「紅白髪の奴の額に巻き付いた鉢巻を奪え!!!」

 

「っ……!?くそっ!」

 

 心操の命令一つで彼の操り人形と化した爆豪は掌から火花を散らし、拳藤の巨大化した手の上から飛び降りて後退を始めた轟に接近しようと爆破を繰り出す。だが、今の彼は操り人形故に思考を無くし、なりふり構わない状況。言い換えれば今後の為に余力を残すようなこともしなくなるということ。

 加減を考えず、洗脳下の彼は今までにないほどの超火力で爆破を繰り出した。

 

「っぐっ!!?」

 

 掌の汗腺に痛みが走ると共に、爆破を繰り出した際の衝撃で洗脳が解けてしまう。

 爆豪が何の顔色も変えずに平然とやっている故に忘れがちなことではあるが、爆破一つを放つだけでも肩や腕にそれなりな反動がくる。

 しかも、己の身体を空中に留まらせ、遠心力を利用して空中を高速移動するとなれば、普段爆破を放つ時よりも更に火力が必要。

 それに加え、今回は洗脳下に置かれていたことで後先考えずに最大火力の爆破を放った。

 

 実のところ、心操の"洗脳"は、誰かと肩をぶつけた程度の衝撃でも解けてしまうほどに脆い。それよりも遥かに衝撃の大きい爆破によって効果が切れるのも当然のことだった。

 

 爆煙が立ち込める中、超火力の爆破による凄まじい遠心力によって轟の元を通り過ぎ、煙を突っ切りながら吹き飛ぶ爆豪。何が起きたのか把握しきれない状況でありながらも、空中で何度も宙返りして受け身を取りつつ、自身の後方に向けて大爆破を放って最初に加わった遠心力を相殺した。

 

『おおっと、もう1発凄え大爆破!爆豪、受け身を取ったぞ!これはもしや……心操の"個性"が解けたのか!?残り時間は30秒!早々に立て直した以上、まだまだチャンスはあるぜ!最後まで諦めるな!!!』

 

「ッ!?思考を伴う行動……!爆破の衝撃で洗脳が解けたのか……!くそっ!」

 

 受け身と遠心力の相殺という思考が伴わなければ不可能な行動をとった爆豪を見て、最初の爆破の衝撃で洗脳が解けたことを悟った心操。

 自分の命令の下し方が間違っていたことが分かり、奥歯を噛み締めながら、悔しげに拳を握りしめた。

 

「大丈夫か!?爆豪!!」

 

「テメェらに心配されるほどヤワじゃねェ!!!」

 

「体勢立て直そう!一旦回収するぞ!許せよ、爆豪!」

 

 吹き飛んだ爆豪の元に駆け寄りながら切島が声をかけるが、彼は不敵に笑みを浮かべながらそれを一蹴する。

 体に瀬呂のテープが巻きつき、騎馬の元へと引き寄せられる中、爆豪は考えた。

 

(クソが……無駄に大規模な爆破を2発も使っちまった……!ンでもって、普通科のモブの煽りに答えた瞬間から1発目の爆破を放った後までの記憶が飛んでやがる……。ヤツが何かしやがったことには違いねえ!)

 

 残っているのは頭に靄がかかったような妙な感覚だけ。操られていた自覚もない。だが、日常を生きていてそんな感覚を抱いた経験は一度もない。それが心操に何かされた結果だと察するのは難くない。

 

 爆豪は正真正銘の天才だ。頭もキレる。故にこの短時間で心操の"個性"の発動条件を悟った。

 

(恐らく、ヤツの言葉に答えた瞬間に"個性"が発動する。解けたのは偶然だ。そっちに賭けるのはリスクがデカすぎる。なら……やることは決まってらァ……!)

 

「傷顔ォォォォォ!!!」

 

「おわっ!?爆豪!?待て!無闇に突っ込んだらまたやられるぞ!!!」

 

 気合を入れ直すかのように咆哮を上げ、爆破を起こしながら爆豪は飛翔する。

 

(もう一度……!)

 

 再び爆豪の洗脳を試みて、心操は声を上げた。

 

「……さっきは随分とキレていたなぁ、爆発頭のあんた!まさか、図星で1位になる自信もないってか!?デカい態度のくせに情けないヤツだな!!!」

 

 再び爆豪の晒した醜態を話題に出して敵意を煽るが……彼は答えなかった。

 まさかと思いつつも心操は続ける。

 

「おいおい!?無視か!?ヒーロー科のくせに普通科の俺程度が怖いのかよ!臆病者め!!!」

 

 もう一度挑発するも、やはり答えない。不敵な笑みを浮かべ、爆豪は実弥の元へと一直線に突き進んでいく。

 

(アイツ……!この一瞬で"洗脳"の発動条件を見抜きやがったのか!?)

 

 こうまで答えないとなると、嫌でも分かってしまう。爆豪に"個性"の発動条件を見抜かれたのだと。

 

『心操の挑発!だが、爆豪は答えねえ!あの一瞬で全てを見抜きやがった!!!なんて頭のキレるヤツだ!!!』

 

 "個性"の発動条件が見抜かれてしまうと、もうやれることは何もない。

 

「……一旦退くぞ。もう少しタイミングを(うかが)う」

 

「……分かった!」

 

 心操は唇を噛み締め、大人しく様子見に徹することにしたようだ。

 

 障害が一つ減り、内心でほくそ笑む爆豪。このまま実弥に攻撃を仕掛けてもう一度鉢巻を――

 そう考えていた時、無数の氷棘群が真横から爆豪に迫ってきた。

 

「ッチィッ!」

 

 舌打ち混じりに爆破を連続で叩き込んで、氷棘を粉々に打ち壊す。氷の礫が陽の光を受けて輝きを放ちながら舞い散る中、爆豪はそれらが迫ってきた方向を睨みつけた。

 

「行かせねえぞ、爆豪……!」

 

 白い息を吐きながら、自身を氷で押し出す移動法で迫る轟。彼の姿を見て、爆豪は丁度いいと言わんばかりに不敵に笑った。

 

「……ハッ、いいぜ。傷顔と()り合おうにもテメェの氷が邪魔だと思っていたところだ!テメェから先に潰してやらァ!半分野郎ォォォ!!!」

 

『まさかの、ここで轟と爆豪が衝突!残り時間も少ない!短期で決着つけねえと1000万奪取は厳しいぞ!』

 

 爆豪もまた轟へ向けて肉薄。彼の額に巻き付いた鉢巻を狙って攻撃を始めた。

 

「正気に戻ったっぽいとは言え、先に轟を何とかする気か!」

 

「私達も行こう!」

 

「おう!」

 

「……八百万君!さっきも言った通り、俺はもう使い物にならない!君だけでも轟君のサポートを!爆豪君に狙われている!」

 

「わ、分かりました!」

 

 爆豪チームの3人と八百万も2人の戦場へと駆けつけ、お互いの騎手を支援。どちらが1000万の元へ辿り着くか……争いは激化していく。

 

 一方、仰け反らせていた上半身を勢いよく起こし、そのままの勢いで前方の麗日に頭突きを繰り出さんとした実弥だったが、上半身を起こす途中で急に視界が塞がった。

 それと同時に嗅覚を刺激する柔らかく心地の良い香りに疑問を持っていると、ふわりと体が軽くなり浮かび上がる感覚がした直後、上方へと吹き飛ばされてしまう。

 

(っ、何が起こった……!?)

 

 状況を把握する為に咄嗟に両腕を縛り付けていたテープを腕力だけで容易く引きちぎり、視界を覆うものを跳ね除ける。そして、実弥が目にしたのは……体育服の上着と数十mほども真下にある会場のグラウンドだった。

 

『大胆だぜ、麗日!体勢を変えようとした不死川に自分の体育服の上着を被せて視界を塞いだ上で浮かして投げ飛ばした!空中となると大きく動きを制限されるのは避けられないぞ!!!これはチャンス到来かもしれねえ!そして、さりげなく瀬呂のテープ引きちぎったな、おい!』

 

「おいおい……!斬るならまだしも、怪力で引きちぎるとかありかよ……!?」

 

 プレゼントマイクの実況により、ようやく事態を察した。実弥としてはそのまま頭突きを繰り出すつもりでいて動きを止める気はなかった為、急に動きを止められないというのも当然の話ではあり、そこを突いて麗日は実弥の視界を奪うことを選んだ。

 相手に攻撃されれば避けようとするか反射的に防ごうとするの2択が大半だが、彼女は敢えてそうせずに隙を見出して迎え撃った。その胆力は間違いなく尊敬に値するだろう。

 あっさりとテープを引きちぎられたことに瀬呂が愕然としていたようだが、そこは一旦置いておく。

 

(空中なら……!)

 

「麗日さん!僕を浮かして空中に打ち上げて!」

 

「うん!……いっけぇぇぇ!!!デク君!!!」

 

 空中に投げ飛ばされた実弥の鉢巻を狙い、無重力状態になった緑谷をレシーブのようにして打ち上げる麗日。彼女の"個性"によって身につけている衣服以外の重さがゼロの状態になった緑谷が、上空へ向かってバレーボールの如く突き進む。

 上空に打ち上げられた彼は瞬く間に実弥と同じ高さにまで辿り着き、狙いを定めて腕を振るってきた。

 しかし、実弥は想定外の行動で危機を逃れる。緑谷の振るってきた腕を受け止めると、パルクールで塀を乗り越えるようにしてそれを跳び越えてみせた。

 

(避けられた!?)

 

『な、何っ!?不死川、緑谷の腕を跳び越えた!空中でもあんなアクロバティックな動きが出来るのかよ!?いや……オールマイトと同じようなことが出来るようなやつだし、空中で思い通り動けても不思議じゃねえのか!?』

 

「っ……このっ!」

 

 実弥の予想外の行動に一瞬動きを止めるも、このチャンスを逃す訳にはいかないと緑谷は即座に身を翻し、鉢巻に腕を伸ばす。

 対する実弥は迫る腕を避けながら、跳ね除けた麗日の体育服の上着を緑谷に被せた。

 

「うわっ!?」

 

 視界が奪われた上に被せられたのは異性が身につけていた服。年頃の少年である彼が慌てない訳がなく、被せられた上着を前にして動きを止めてしまう。

 

「隙ありだ、緑谷ァ!!」

 

 生じた隙を見逃さず、実弥は緑谷の懐に踏み込み、右腕で彼の右肩を掴んで固定すると、体を背負い上げた。そして、そのまま勢いのままに上腕を掴んで投げ飛ばす。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!?」

 

「デ、デク君!!」

 

『不死川の綺麗な一本背負いが決まった!!!視界を奪われた緑谷、地面へ真っ逆さまだ!しかし、空中であれほど動けるのは流石だぜ!まさか、麗日に浮かされるのも作戦のうちだったか!?』

 

 絶叫と共に地面に叩きつけんばかりの勢いで投げ飛ばされて落下していく緑谷を受け止める為に麗日は全速力で駆け出した。

 その様を見た常闇が声を上げる。

 

「空中を己が領域にしている……!?……耳郎!両耳の架線はどこまで伸ばせる!?」

 

「左右それぞれ6m!悪いけど、流石にあの高さにいられると届かない!」

 

「くっ……!ならば、黒影(ダークシャドウ)!手首から先と頭部を――」

 

「させない!!!」

 

 何とか1000万を奪取しようと耳郎を頼るが実弥が高所にいる現状ではどうしようもないことを知り、それならばと自らが行動を起こさんとする。しかし、そこにすかさず拳藤が割り込んだ。

 実弥が空中にいることで足場でいる必要がなくなり、自由に動けるようになった彼女は自身の間合いにまで距離を詰めてきた。

 

 その間に黒影(ダークシャドウ)の両腕が解放されるものの、それもほんの僅かな時間で。再び巨大化させた右手でその胴体を鷲掴みにし、更に左手で頭部を覆い尽くした。

 

「ウギャッ!?ニ、逃ゲ場ガネエ!」

 

『拳藤の巨大化した手の中に閉じ込められたぞ、黒影(ダークシャドウ)!どうせ伸びるなら包み込むってか!いい案だ!』

 

 微かな隙間すらも生じさせないように黒影(ダークシャドウ)を包み込んだ拳藤。それは、言い換えれば黒影(ダークシャドウ)を暗がりに閉じ込めたということ。

 

「っ……!?内側から押されて……っ!?」

 

 数秒後、鷲掴みにした手の内側から、それを押し広げるようにして凄まじい力が加えられ始めた。しかも、それは徐々に増しているように思える。

 暗闇。それは、黒影(ダークシャドウ)にとっての大舞台だ。

 

「光一つ差さぬ空間に黒影(ダークシャドウ)を閉じ込めたのは失敗だったな……!闇の中でこそ、我が黒影(ダークシャドウ)は真価を発揮する!」

 

「ヌゥオオオ……!闇ノ中デナラ……オレハ負ケネエゼ……!!!」

 

 闇が深まれば深まるほど力を増すという特性により、自分を鷲掴みにしている拳藤の手を押し広げて突破しようとする黒影(ダークシャドウ)

 そうこうしている間にも、彼女の手は徐々に緩み始めていた。

 

「……それなら、根性比べといこうか!私もさ、パワーにはちょっと自信あるんだよね……っ!」

 

「……!望むところだ!」

 

 だが、拳藤は負けじと黒影(ダークシャドウ)を掴む手により力を込める。今空中にいる実弥に更なる負担をかけない為にも、ここで逃がす訳にはいかない。

 

 一方、再び拘束されて行動不能になった常闇を見て、再度攻撃を仕掛ける決意をした緑谷。

 何とか受け身を取ろうとしたところを麗日に受け止められ、事なきを得た。

 

「デク君!大丈夫!?」

 

「うん、何とか……!あ、ありがとう、麗日さん」

 

 被せられた上着を無心になりつつ麗日に返却すると、立ち上がりながら上空を見上げる。そこには、空中に滞在したままで更なる刺客と対峙する実弥の姿があった。

 彼は4本の角と無数のパーツを、脱ぎ捨てた上着をヌンチャクのように振り回しながら次々と弾き飛ばしていた。

 

『残り22秒でまたもや刺客参戦!見る限り……B組の角取と取蔭か!角取の操作する角と取蔭の操る身体のパーツを、自身の上着をヌンチャク代わりにして弾き飛ばしているぞ不死川!剣術に体術に……お前マジで多才すぎるぜ!!!てか不死川の筋肉やべえし、上半身傷だらけ!お前、本当に10代か!?』

 

Oh(まあ)His behavior is amazing(彼の行動は驚くべきものデスね)!」

 

「感心してる場合じゃないって、ポニー!あんな小さいのを正確に弾くとか……!しかも、木刀無しだから本領発揮してる状態じゃないんでしょ!?冗談キツいって……!ちょっとは手加減してよ!」

 

 騎馬ごと足元を凍らせられたが、自身から何かを切り離して操作することで行動が可能な2人が他のB組の分まで戦い抜こうと最後の争奪戦に参戦するが……余裕のある様子であしらわれる始末。

 あまりの驚愕で角取は感情が昂って英語が出てしまい、取蔭は思わず泣き言を言ってしまった。

 

(とにかく、これじゃ離れたパーツを動かせる時間があっという間になくなる!一旦こっちに戻さないと……!)

 

 取蔭が身体から切り離した部位は一定時間で動かなくなってしまい、その後本体で再生するようになっている。

 だが、動かなくなった部位を再生させるには体力を消耗してしまう。体力の消耗を少しでも減らす為に、彼女は使わなくなった部位を動かなくなる前に本体に戻すようにしているのだ。

 

 パーツを弾かれ続けているこの状況では、ただ部位が動かなくなるまでの時間を浪費するだけで余計な体力の消耗にも繋がりかねない。

 残り時間が少ない今は、少しでも長く攻撃を仕掛け続けたいところ。故に、ある程度の部位と鉢巻を奪う為の手を残し、他は本体に戻そうとするのだが、実弥はそんな彼女の動作を見逃さなかった。

 

 突然、実弥は取蔭が引き戻そうとしていた無数のパーツに体育服の上着を被せ、それらをあっという間に包み込んでしまう。

 

「へっ!?」

 

 彼の突然の行動に動きを止めてしまう取蔭。そこから更に、実弥は――

 

「発目ェ!網でこいつを捕縛しちまえェ!!!」

 

「ああっ!?私の身体ぁぁぁ!!?」

 

 取蔭の身体のパーツを包み込んだ上着を発目に向けて放り投げた。上着が放り投げられる光景を目の当たりにした取蔭の悲鳴が響き渡る。

 

「最後の1発……任されました!」

 

 投げ飛ばされ、風を切りながら向かいくるパーツを包み込んだ上着に狙いを定めて引き金を引き、弾を発射する発目。

 弾は網へと変化しながら見事それに命中し、きっちりと捕縛した。

 

『んん!?不死川、今度は何した!?』

 

『取蔭が身体から切り離した部位は、動かせる時間に制限がある。そして、切り離したものは再生も可能だがそれには体力を消耗するそうだ。部位の可動時間が切れる。それと、取蔭が部位を再生して体力を消耗する。ここ二つが狙いだろうな』

 

『そういうことか!マジで頭のキレっぷりが変わらねえな不死川!未だに余裕を保ち続けている証拠か!?』

 

 服で包み込まれた上から網に包まれた以上、完全に逃げ場がない。実弥の上着に包まれた取蔭の身体の部位はいずれ動かなくなってしまうことだろう。

 これでは体力の消耗と引き換えに身体の部位を再生せざるを得ない。

 

(し、しくじった……!パーツをこっち側に戻すところまでしっかり見られてるなんて……!視野広すぎ!)

 

「手といくつかのパーツを残しておいて正解だったかも……」

 

 攻撃手段を減らされたことに歯痒い思いをしつつも、失った部位の再生に意識を集中させる取蔭であった。

 

 未だ空中に滞在している状況でありながらも依然有利に立ち回り続ける実弥の姿を前に、緑谷は無重力状態であることがかえって空中での巧みな行動を可能にしているのだと察する。

 今の状況から考えるに、攻撃を仕掛けるチャンスはあと1回……。決意を固め、緑谷は麗日に指示を出した。

 

「麗日さん!不死川君の無重力状態を解除して!今のままだと、かえって不死川君の方が有利だ!落下してきたところに畳み掛ける!」

 

「!分かった!それと私も行くよ、デク君!少しでも対処する相手増えた方がいいでしょ!」

 

「……!ありがとう!」

 

「……解除!!!」

 

 彼の指示に答え、麗日は指先についた肉球同士を合わせることで実弥の無重力状態を解除した。

 直後、空中に浮いていた実弥は重力に従って落下を始める。

 

『不死川が落下していく!麗日の"個性"が解除されたらしいぜ!さあさあ、これが最後のチャンスになるぞ!残り18秒!総員、最後まで畳み掛けろ!!!』

 

(くそ……!最後のチャンス……逃すわけにはいかねえのに!!!)

 

 最後のチャンス。その言葉が嫌でも脳裏に刻みつけられる。

 

「ハッハァ!!!虫みてえにしぶてェな、半分野郎!けどな……テメェの攻撃は一々大雑把なんだよ!いい加減学習しやがれ、バカが!!!」

 

『さ、最後のチャンス……なのに、爆豪の猛撃が止まらねえ!!!轟を撃破した上で不死川を狙うつもりか!つかアイツ、動き良くなってね!?疲れ知らずか!?』

 

 テメェの攻撃は見飽きた。その感情をありったけに込めつつ、時間切れが近づく中、轟が焦りを覚えながら放った氷を爆炎で粉砕する。

 ――一刻も早く決着をつけたいのに爆豪を捉えられない。そのジレンマが轟を苦しめる。

 凍らせでもして行動不能に陥らせることが出来ればいいのだが、肝心の彼は息つく暇もなく鉢巻を狙いながら妨害を突破し、彼を追い詰める。

 

 轟側は氷の力を連続使用している影響で再び低体温症に侵されつつあり、集中力も乱れている。それなのに……対する爆豪は動けば動くほどに調子が良くなっていく。スタミナの衰えを全く見せず、彼の行動が更にアクロバティックに、素早く進化していく。

 

「体育祭の前よォ!クソデクと傷顔に宣戦布告しておきながら、俺のことは無視しやがったよなァ!?テメェにとっちゃ俺は格下ってか!?あァ!?」

 

「ッッ……そうだ……っ!」

 

 爆豪の挑発にはっきりと答えながら、右腕を振り上げて氷壁を築く。だが、それは爆豪の十八番(オハコ)である右の大振りをたった1発叩き込んだだけで呆気なく粉砕された。

 

「なら、テメェは格下相手に苦戦してるって訳か!無様だな、半分野郎!……そういやテメェ、さっきから寒そうに震えてやがるな!氷も随分と脆くなってンぞ!……限界が(ちけ)ェだろ。とっとと使えよ、左を」

 

「ッ……」

 

 爆豪にまでも限界が近いことを見抜かれ、言葉に詰まる轟。それでも、負ける訳にはいかないと抗い続ける。

 それ以上に左の力を使う訳にはいかない。

 

「……ケッ!こんな時だってのに舐めプか?くだらねェ。現実から目ェ逸らして、本気出すまでもねェって意地張ってるってか。……いいぜ。俺を格下扱いしたこと、後悔させてやらァ!!!テメェを0Pに蹴落とした上でなァ!!!」

 

(くそっ……)

 

 本気を出すよう催促するも、彼は意地でも本気を出そうとしない。その様子を見て、爆豪は失望したように吐き捨てつつ、両掌から爆破を放つ。

 轟に対する苛立ちが乗っかっているのか、爆破の威力が無意識のうちに上昇する。これまでを更に凌ぐ速度で爆豪は彼に肉薄し、額の鉢巻に手を伸ばした。

 

 避けようにも避けられない。鉢巻を奪われる。半ば確信した瞬間、爆豪の元へとりもちが放たれた。

 

「ッ!?クッソが!」

 

 後一歩のところで及んだ妨害を横目で目の当たりにし、爆破の遠心力で宙返りを行ってとりもちを回避した爆豪。

 轟もハッとしながら、それが飛んできた方向を見る。

 

「轟さん!不死川さんの元へ行ってくださいまし!」

 

『と、ここで八百万のサポートが入ったぞ!とりもちを連射して爆豪を足止めだ!!』

 

 視線の先にいたのは、ランチャーを構えてとりもちを次々と撃ち放つ八百万。弾速もそれなりに速くサイズも小さい為、少しでも気を抜けば命中してしまう。

 腹立たしそうに舌打ちをしつつも、爆豪はそれらの回避に専念する他ない。

 

「ッ……すまねえ、八百万……!」

 

 この騎馬戦の中で、八百万の行動に、彼女の言葉に何度も救われたように思う。救われてばかりの己を情けなく思い、歯を食いしばりながらも轟は進行方向を実弥のいる方向に定めて突き進んだ。

 

(クソが……!抜かされた!)

 

(なんて反応速度ですの……!全てのとりもちを、見てから避けるだなんて……!)

 

 次々と放たれるとりもちを目で見てからでも易々と躱す爆豪の反応速度に舌を巻く八百万だったが、彼女の目的は僅かでも時間を稼いで轟を実弥の元へ近づかせること。必ずしも、ここで爆豪を足止めし続ける必要はない。

 

(せめて、これでもう少しだけでも……!)

 

 少しでも長く爆豪を足止め出来るようにと八百万は閃光弾を創り……爆豪へと放り投げた。

 しかし、爆豪は放り投げられた物体にさえも素早く反応し、正確にハイキックを命中させて閃光弾を上空へ向けて蹴り上げてしまう。上空で眩く凄絶な光が弾けた。

 

『What!?ば、爆豪、マジかよ!?八百万が創造し、放り投げた閃光弾を空中に蹴り飛ばしやがったぞ!』

 

 足を完全に振り上げた姿勢から体勢を立て直すタイミングに隙を見出し、八百万は再びランチャーでとりもちを撃ち放つも……今度は爆豪の目前に芦戸が立ち塞がり、酸を撒き散らして迫るとりもちを一つ残らず溶かしてしまった。

 

「黒目!?テメェ、余計なことを――」

 

 自分1人でもどうにか出来たと言わんばかりに怒りを爆発させかける爆豪だったが、芦戸はすかさず言葉を発した。

 

「爆豪も行って!不死川のところに!」

 

 そして、彼女の後に切島が続ける。

 

「そうだ!行け、爆豪!残り12秒しかねえ!このままじゃ、1000万()れずに終わっちまうぞ!!!完璧な1位も良いけど、そっちにこだわって1000万()れなかったら本末転倒だ!勝つんだろ、不死川にも!!!」

 

 彼の熱い言葉を受け、轟を逃がしてしまい、実弥の鉢巻を狙いにいくしかない現状に苛立ちを見せながら歯を食いしばる。だが、爆豪は声を荒げながらも実弥の元へ突き進む。

 

「ンなこと……いちいち言われなくても分かってらァ!!!」

 

 爆豪を逃がすまいとランチャーを構える八百万だったが、轟が振り返ることもなく彼女に呼びかけた。

 

「八百万!爆豪はもういい!不死川優先だ!……一瞬だけでもいい!何とかして不死川の気を反らせねえか!?」

 

「!分かりました!最善を尽くしますわ!!」

 

 轟の頼みを引き受け、八百万はすぐさま火薬、ピストル、耳を保護する為のプロテクターを創造して何やら準備を始めた。

 爆豪も同じくして呼びかける。

 

「……俺単騎で奪えるほど甘くねェ!黒目、醤油顔!テメェらも来い!!!弱めの溶解液とテープを傷顔にけしかけろ!!!」

 

「わ、分かった!」

 

「おっしゃ、任せろ!」

 

 彼の声に応え、瀬呂と芦戸も実弥への距離を詰めようと駆け出した。

 

『さあ、爆豪と轟が不死川に接近を開始したところで……時間も迫りつつある!!!さあ、オーディエンス共!カウントいくぜ!』

 

「「「「「10!9!8!」」」」」

 

 直後、プレゼントマイクと観衆が一体となってカウントダウンを開始した。

 本当にこれが最後だ。各々が、繰り出す最後の一手に全てを賭ける。

 

(まずは防御を……崩す!)

 

 緑谷は地面を蹴って実弥の元へ肉薄し、拳を握り込んだ。ただし、その拳が振るうのは万が一実弥が防御してきた時の対応の為。

 

(超必で不死川君に掴みかかる!それで、行動の手間を増やすんだ!)

 

 麗日は自身を無重力状態にして浮遊しながら、実弥の元へ飛びかかる。彼が対処すべき事象を増やし、周りへの対応を遅れさせようと画策していた。

 

(全員空中なら避けられねえだろ……!凍らせてから――()る!!!)

 

 轟は1000万を狙う緑谷、麗日、爆豪もろとも実弥を凍らせることを狙い、冷気を発しながら右腕を構える。

 

(テメェら全員邪魔なんだよ……!1000万は俺のモンだ!!!)

 

 爆豪は強烈な光を伴う爆破で己以外の全員の視界を潰すことを狙い、両手を構えた。

 

(1本は不死川さんの鉢巻を奪う用で……もう1本で何とかして空中に持ち上げマス!!!あと2本は妨害用!)

 

 角取は空中に浮かんでいる自身の角を発射し、実弥を再び空中に連れ去った上で鉢巻を奪う上に残りの角で彼の周囲に集まる者達全員の妨害を企む。

 

(身体の再生を待ってる暇なんてない……!やれるだけやってやる!残ったパーツでポニー以外の全員の妨害!片手は不死川の背後からで、もう片方はポニーが空中に持ち上げてくれたところを……!)

 

 そんな彼女との連携を狙いつつも、限られた数のパーツでやれるだけのことをやり尽くしてやろうと、分離したそれらをそれぞれ巧みに操作する取蔭。

 

 各々の思考が交錯する中、カウントは続く。

 

「「「「「7!6!5!」」」」」

 

 カウントが5秒に差し掛かった瞬間、耳にプロテクターを装着した八百万が上空へ火薬を詰めたピストルを向け、引き金を引いた。

 競技の開始を告げるかのように響き渡る大きな破裂音。

 1000万の争奪戦の渦中にいる者の中で、轟以外の全員がその音に反応した。

 

(拳銃……。だが、銃口は上空に向けられ、音を発しただけ……。つまり、八百万は気を引く為の囮……!本命はこの後か!そういうことだろ、轟!)

 

 実弥は密かに轟の狙いを察し、技を放つ準備をする。空中から落下する中、周囲に悟らせないよう、密かに肺に息を取り込んだ。

 

(全員音に反応した……!やるなら今しかねえ!)

 

 音に反応して生じた僅かな隙を突かんとして、轟が動く。冷気を一気に解き放ち、地面を撫でるように腕を振るいかけた刹那、風圧と爆炎が押し寄せた。

 

「っく……!」

 

 壁を叩きつけるように押し寄せた風で体勢が崩れかけ、爆発の余波で発生した爆煙と土煙が視界を不明瞭にする。

 それでも、咄嗟に腕を振り上げて氷壁を作り上げる。それで風圧と爆炎を防いだ。

 

「テメェの考えはお見通しなんだよ、半分野郎が!大人しくくたばってろ!!!」

 

「君に1000万を譲る訳にはいかない!」

 

 彼に攻撃を仕掛けたのは、緑谷と爆豪だった。フルカウルの出力を瞬間的に15%に引き上げた緑谷はデコピンの要領で虚空を弾いて風圧を起こし、爆豪は右腕を振るった拍子に地を走る爆破を放ったのだ。

 

「邪魔するな……!俺は……俺は……ここで立ち止まる訳にはいかねえんだ……!」

 

 右半身に霜が降り、低体温症を起こしている体に鞭を打って、2人に氷棘を放つ。

 迫る氷棘の波。それを緑色の稲妻を纏った蹴撃と強烈な爆破が迎え撃ち、粉砕する。意志と意志のぶつかり合いが熾烈な張り合いを見せていた。

 

「「「「「4!」」」」」

 

 残り4秒。迎撃に専念する緑谷を目にして、鉢巻の奪取が自分に託されたと解釈した麗日は、飛び出した勢いのまま実弥にしがみつこうとするも、空中にいる彼女の周囲を取蔭の身体のパーツが高速で飛び交いながら次々と衝突する。

 

「いたたたっ!?な、何これ!?」

 

 次々と衝突してくる無数のパーツに妨害され、動きを止めざるを得ない。何とか弾き落とそうとするものの、パーツの一つ一つは野球ボール並みのサイズで的が小さく、弾き落とす為に振るった腕は空を切るだけだった。

 

「ンだ、この角……!邪魔だ!」

 

「この小さいのも角も、B組の人の"個性"か……。先にこれをどうにかしないと!」

 

「くそっ、また取蔭か……!」

 

 彼女の妨害は緑谷、爆豪、轟にも及んでいる上に、彼らの場合はそこに角取の妨害も加わってきた。

 身体のパーツが動きを阻害するように次々とぶつけられ、鉢巻を所有する爆豪と轟には彼女の分離した両手までもが襲いかかる。遠隔での操作が可能な制限時間に到達してパーツが動かなくなるのを防ぐ為に時折本体の方へと戻っていくものもあるが、攻撃自体は残されたパーツによって継続される為、状況自体に大きな変化はない。

 

 実弥の鉢巻奪取用に手を残すつもりではいたが、熾烈な張り合いを繰り広げるA組トップクラスの実力者3人を先にどうにかしないと鉢巻の奪取に専念出来ないと判断した結果だった。

 当然ながら取蔭と実弥の間には大きな実力差がある為、彼らの妨害を兼ねながら鉢巻を狙うのはあまり現実的な策ではない。それを思えば彼女の判断は正しいと言える。

 

(皆さんお見通しでしたのね……!せめて取蔭さんだけでもどうにかしなくては!今のままでは轟さんにかかる負担があまりにも大きすぎる!)

 

 自分の行動が全く意味をなさなかった訳ではないが、今のところほぼ無意味の状態になってしまっている光景を目の当たりにした八百万が牽制及び取蔭の身体の部位の捕縛を狙って網を創造し、投げ始めた。

 

(まずい、八百万が轟のサポートに……!)

 

(どうしよう……!?不死川さんに取っておこうと思った2本も妨害に回さないとハードかも……!)

 

 網を何とか避けながらも緑谷、爆豪、轟、麗日の4人の妨害を続ける取蔭に、3人に対する妨害を支援する角取。誰をどのタイミングでどう妨害するかを絶えず考えなければならない状況で、頭が沸騰しそうな感覚に陥っていた。

 

 ……正直に言うと、状況はよろしくない。

 

「倒れて……たまるか……!こんなところで……っ!」

 

 轟は八百万が創造した金属の盾で妨害を防ぎながら、自身で形成した氷で己を押し出す移動法でしぶとく耐え抜き、逃げ回っている。右半身に大量の霜が降りているという明らかに異常な状況に陥りながらも。

 

「ハッ、シンプルにうぜェだけで他は大したことねェなァ!?一丁前に出しゃばってンじゃねェぞ!!!」

 

 爆豪は騎馬戦の間、ずっと……そう言ってもいいくらいに単騎で行動して激しい攻撃を繰り返している故に発汗性が上がり、爆破の威力がみるみる増している。爆破がより強力になることで普段では出来ない動きも可能となり、手がつけられない。

 爆破1発で角取の操作角を粉砕し、続け様に放った連続爆破で周囲を飛び交う取蔭の身体の部位をまとめて叩き落とした。

 

「ッ、麗日さん!こっちは僕が引きつけるから……1000万の方は任せる!」

 

「あ、ありがとう、デク君!元よりそのつもりだったから、任せといて!」

 

 緑谷は稲妻を纏った蹴撃で角取の操作角を粉砕した上で取蔭による妨害の包囲網をあっさりとくぐり抜け、麗日の妨害を行っていたパーツを手刀で一つ残らず弾き飛ばして、彼女を本命の元へと向かわせた。取蔭の妨害を容易く突破出来るのも、ひとえにそれを遥かに凌ぐ速度で繰り出される実弥や通形の攻撃に慣れているからだ。

 

 必死に喰らいつくも、すぐに突き放される。僅かな光明すらも見えない。

 

(っ……これが……B組(ウチ)とA組の差……)

 

 目標とする1000万の奪取に手を伸ばすにはまだ遠すぎることを悟り、取蔭は悔しそうに唇を噛みしめた。

 

「「「「「3!」」」」」

 

 残り3秒。ここで爆豪を洗脳して以来、大して動きを見せていなかった心操が動く。

 

「……庄田、頼む」

 

「ああ、任せたまえ」

 

 心操の指示に頷いた庄田が平手で軽く背中を押すようにして触れた後、心操は騎馬を足場にして跳躍した。

 勿論、彼には空中を移動する術がない。このままでは間違いなく地面に落下し、問答無用で失格になってしまう。誰もがそう思った直後だった。

 

「ツインインパクト……解放(ファイア)!!!」

 

 庄田が力強く声を発すると同時に心操の背中に衝撃が加わり、空中に飛び出した彼の体を強く押し出したのだ。

 一言で表すなら、まさに人間砲弾。人間砲弾となった心操が風を切りながら実弥の元へと突っ込んでくる。

 

 庄田の"個性"の名は、"ツインインパクト"。打撃や衝撃を与えた箇所に任意のタイミングでそれらをもう一度発動させることが出来るというもの。また、二度目に発生させたものは、威力が元の数倍にもなる。

 

 庄田が心操の背中を押すことで発生した衝撃が彼の"個性"によって数倍もの威力に増加したことで、このような現象が起きた。

 

「っ……あかん……!このままじゃ、普通科の人に……()られてまう……っ!?」

 

 何とかしてあの人よりも先に1000万を奪い取らなきゃ……!

 そう思いながら、再び己を浮かせようとした麗日だったが、自分の体に触れようとしたところで自分自身がぐるぐると回っているような感覚と強い吐き気に襲われてその場に膝から崩れ落ちてしまう。

 

(め、めまいと吐き気が……。大事な時なのに……!)

 

 彼女が超必殺技――略して超必と称している自分自身を浮かす行動は、凄まじい負担が生じる。一度かつそれを行っていたのが短時間であったとしても、それだけで吐き気やめまいを引き起こしてしまうほどだ。

 そんな超必殺技を彼女は既に2回も使用している。1回目の分の負担は根性で何とか堪えたものの、2度目ともなると堪えられなかった。

 ここで動かなきゃ……!

 それを頭で理解してはいるものの、体はめまいと吐き気に屈服して動くことを拒否している。

 

(麗日さんも限界か……。いや、そりゃそうだ……!ただでさえ負担を強いるようなことを2回もやってもらったんだから……!)

 

「僕が皆の分までやるんだ!!!」

 

 青ざめた顔でその場に崩れ落ちた麗日を見るや、緑谷は自分を奮い立たせて、再び周囲に集まりつつあった取蔭の身体のパーツを一つ残らず弾き落とし、地面を蹴って再度実弥の元へと突撃する。

 

 それに伴い、爆豪や轟、取蔭に角取も足の引っ張り合いをやめ、各々が攻撃を仕掛けた。

 

「やるぞ、芦戸!ここしかねえ!」

 

「うん!やっちゃおう!」

 

 周囲が足の引っ張り合いをやめたタイミングに合わせて、瀬呂は肘からテープを射出し、芦戸は指先から水滴ほどのサイズの溶解度が低い酸を実弥に向けて飛ばした。

 

 しかし、鉢巻を奪うことに固執しているあまり、彼らは忘れている。実弥が騎馬を離れて空中にいることで自由に動ける者がいることを。

 

「「「「「2!」」」」」

 

 残り2秒。瀬呂の妨害によって実弥の手から離れた木刀を手にして、ここまで様子を窺う者がいた。

 発目である。競技に持ち込んだ捕縛銃の弾を使い果たし、ほぼ役目を果たしきった状態の彼女なりに今の自分が出来ることを考えた。

 そして、思いついたのが……実弥に再び木刀を手渡すことだった。

 

 周りにいる者全員の意識が鉢巻だけに集中している。やるなら――

 

(今しか……ありませんよね!)

 

 善は急げだ。躊躇う間に誰かの得になり得ることを実行する機会を逃してしまっては勿体無い。発目は即座に行動を起こした。

 

 ただし、急がば回れという言葉もある。少しでも早く実弥に木刀を渡したいからと言って、何も考えずに単純に投げ渡すようなことをすれば、間違いなく目的達成から遠のいてしまう。

 ここは回り道をするように手間がかかれど、着実な方法を取るべきだ。

 故に、彼女は工夫を施した。

 

「不死川君!これを!!!」

 

 大げさに声を張り上げながら彼女が放り投げたのは、弾を使い果たして役割を終えたはずの捕縛銃だった。上方へ向けて投げられたそれは、空中でくるくると回転しながら山なりに向かいくる。

 発目が声を張り上げるものだから、全員が思わず彼女の方を一瞥し、その後はすぐに捕縛銃へと視線をやった。

 

「少しでも足止めになればと!どうぞ使ってください!!!」

 

 そう声を上げつつ、彼女は全員の視線が捕縛銃に集中している間に、木刀を手にして実弥の背後の方へと走り出す。わざわざそう呼びかけるのは、彼に自分の居場所を伝える為だ。

 銃であれば、遠距離からの攻撃が可能だと思われる。わざわざ投げ渡す必要はないはずだ。

 

 ならば、そうする意味は?発目は何を企んでいるのだろう?そもそも、銃を無視して鉢巻を奪いにいくべきか、もしものことを考えて銃に対処するか……どちらが最適解なのか?様々な疑問が頭の中を駆け巡る。

 

 ただ、実弥だけは違った。発目と同じチームである彼だけは知っている。捕縛銃自体は弾を使い果たしたことで既に役目を終えているのだという事実を。

 どう考えても、わざわざ銃を投げ渡す意味がない。そう思うと、山なりに投げられた銃の役割を察することが出来た。

 

(……成る程な。お前の考えていることは分かったぜ、発目)

 

 そう。あの銃は……先程、八百万が放った発砲音と同じく、周りの注意を引く為の囮。

 本命は――

 

(――こっちです!!!)

 

「……不死川君!もう一つおまけです……よっ!!!」

 

 そう声を張り上げ、発目は木刀を実弥に向けて最短距離で投げつけた。

 声の響いた方向から彼女のいる位置、おおよその距離を見極めた実弥はノールックで投げ渡された木刀を掴み取る。

 既に技を放つ為の準備は整っていた。

 

「っ……まずい!」

 

 実弥が木刀を手にしていることを目撃し、これから起こることを察したのは……緑谷だけ。

 

「「「「「1!」」」」」

 

 

 

(かぜ)呼吸(こきゅう)(さん)(かた)――晴嵐風樹(せいらんふうじゅ)!!!

 

 

 

 残り1秒。そのカウントダウンが実行されると同時に、風の渦が激しく逆巻いた。

 斬撃を伴う風の渦は、実弥の周囲にいた者達を全て――正確には、直前でこれからのことを予測した緑谷を除いた全員を吹き飛ばす。

 

「私の身体、全部吹き飛ばされたんだけど!?」

 

「ううん……まさかここまでだとは……。見通しが甘かったデスかね……」

 

 取蔭の身体のパーツは風に巻き込まれて空高くまで巻き上げられ、角取の操作角は一つ残らず両断された。

 実弥の元にけしかけていた攻撃手段が一つ残らず排除されてしまった為、彼女達はもう途方に暮れる他ない。

 

「ごめん、麗日さん!」

 

「えっ!?デ、デクく――ひゃあっ!?」

 

 吹き飛ばされる前に後退を選んだ緑谷は、麗日を抱えた状態でバックステップで距離をとり、事なきを得た。

 顔色が悪いままの彼女を地面に下ろした後、ここにいるようにと指示を出してから別の目的の為に動き出す。

 

「マジかよ!?空中だってのに全部薙ぎ払いやがった!」

 

「私の酸も風でかき消されちゃったよ!?」

 

 全方位を防御出来る自慢の技で自分達の妨害をあっさりと無効化されたことに驚愕する芦戸と瀬呂。巻き起こる風の渦に巻き込まれず、吹き飛ばされないように耐える他なかった。

 

「ぐはっ……!?」

 

(クッソが……!また、これかよ……ッ!)

 

 まともに攻撃を喰らった爆豪の体は宙を舞う。時間切れもすぐそばに迫っている。もう諦めるしかないというのが一般的な判断だろう。

 それでも……彼は足掻く。

 

「ふっ……ざけんじゃねェェェ!!!」

 

「ば、爆豪!?もう競技も終わるぞ!無理すんな!!!」

 

 風の渦に巻き込まれたせいで皮膚が切り付けられ、顔や腕、足からは鮮血が流れている。だが、痛みを訴える体に鞭を打ちながら、爆豪は切島の制止も聞かずに渦の中に突っ込もうとする。

 

(情けねえな……。最後の最後まで……届かなかった……)

 

 轟は吹き飛ばされながらも、堪えきれない悔しさを胸に歯を食いしばる。縋るように手を伸ばすが、その手が1000万Pに届くことはない。

 

「轟さん!ご無事ですか!?」

 

「……ああ。すまねえ……助かった……」

 

 八百万が創造した衝撃の吸収性に特化するクッションに受け止められて落下は避けられたが、今の彼には再び立ち上がって実弥に挑む気力はなく、彼女に礼を言うのが精一杯。

 もう結果は分かりきっている。試合の終わりを間近にして気が抜けたのか、冷え切った体は指一本を動かすことすらも拒否していた。

 

「ぐああっ!?」

 

「し、心操君!」

 

「簡単に事は運ばないと覚悟してはいたけれど……!あのままだと地面に落下してしまう!」

 

「俺が行く!」

 

 心操の体もまた宙を舞う。普通科であるが故に戦闘経験がゼロ。しかも、身体能力もヒーロー科の面々に劣る為、実弥の一撃を防ぐことすらも出来ずに強烈な一撃を喰らってしまった。

 ところどころがボロボロになった体育服の上下や乱れた髪、切り傷が生じて鮮血を垂らす肌が威力を物語っている。

 

 "個性"によって自力で落下を避けられる爆豪らと違い、心操は"個性"の都合上、自力で落下を避けるのは不可能だ。ほったらかしにすれば、確実に地面に落下する。

 吹き飛ばされた心操を尻尾で受け止めようと尾白が駆け出すが――

 

「ギリギリ……セーフッ!!!」

 

「緑谷!?」「み、緑谷君!?」

 

 尾白が辿り着くよりも前に、緑谷が落下してくる心操の元へ駆けつけた。

 わざわざ他のチームの元へと駆けつけてきた彼の予想外の行動に、呆気に取られた様子でぽかんとしてしまう尾白と青山。

 

「っ……?」

 

 地面に落下することを覚悟して反射的に目を閉じていた心操は、想定したよりもだいぶ早く何かにぶつかったような衝撃を感じたことと、それにしては思ったよりも苦痛が生じていないことに疑問を覚え、ゆっくりと目を開いた。

 

「え、えっと……心操君、だったよね。大丈夫?」

 

 目を開いた心操に恐る恐るといった様子で緑谷が尋ねる。目を開いた先にあったのは、同じチームではない赤の他人の顔。

 

「あ、あんた……何で……!?」

 

 どうして、自分以外のチームの人間を救けたのか。そんなたった一つの疑問がぐるぐると頭の中を回り続け、それ以上の言葉は出てこなかった。

 そして。

 

『――TIME UP!!!』

 

 心操を受け止め、横抱きにして抱えた緑谷が地面に着地すると同時に競技の終結が告げられた。

 各々が自分のしていた行動を中断し、争奪戦の渦中にあったはずの会場は一気に静まり返る。

 実弥もまた、時間切れが告げられると共に風の渦をかき消して地面に降り立つ。

 

 その額には……言うまでもなく、1000万Pの鉢巻が依然変わりなく巻き付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ、長いようで短かった騎馬戦もフィニッシュだ!最後の最後もこれまた驚かされたな!まさか、心操が人間砲弾みてえに突っ込んでくるとは!』

 

『そうだな。庄田の"個性"を上手く活用した結果か。不死川に木刀を投げ渡す際の発目の判断力も大したものだな。あの場にいた奴ら全員と、轟に凍らせられておきながらも行動した取蔭に角取。各々の勝利に対する執念には光るものがあったが……まだまだ壁は高い』

 

 実況と解説の2人の声を耳にしながら、バラバラに行動していた面々も自分のチームの元へと戻っていく。

 

「まさかお前に救けられるとは……。悪いな、緑谷。助かった」

 

「メルスィー、緑谷君☆」

 

「お、お礼はいいよ。僕が好きでやったことだし」

 

 緑谷もまた抱えていた心操を地面に下ろし、尾白と青山に礼を言われて恐縮した様子を見せてから自分のチームの元へと戻ろうとしていたが……。

 

「……っ、待ってくれ!」

 

 そんな彼の背中を心操が呼び止める。振り返りながら疑問符を浮かべる緑谷におずおずと尋ねた。

 

「……何で俺を救けた?あんたには何のメリットもないはずだ。……恩でも売っておこうってか?」

 

 もはや癖のようなもので、こんな時にも皮肉が真っ先に出てしまう自分に嫌気を覚えながらも言い切って、伏し目になる。

 どんな風に答えるのかと緑谷の方を見る青山と尾白。彼らの視線を受けつつ、緑谷は数秒ぽかんとしてから苦笑して答えた。

 

「……そんな風に見えたならごめん。でも、君も本気で勝ちにきてるのはあの時に分かってたから。何というか……最後の最後で落下して失格になったら勿体ないかなって。……それだけだよ」

 

 迷いを見せながら、それでも最後ははっきりと言い切ると緑谷は駆け足で自分のチームの元へと向かっていく。

 心操は圧倒された様子でその場に佇み、彼の背中を見送った。

 

 

 

 

 

 

「おーい!鉄哲ー!!!」

 

 一方、実弥達も1人上鳴の電撃を耐え続けることを選んだ鉄哲との合流を図っていた。

 常闇を解放した後、鉄哲を心配して真っ先に駆け寄っていく拳藤に続いて、彼の元へと急ぐ実弥と発目。

 

「……鉄哲?どうした?」

 

 拳藤としては結構大きな声で鉄哲に呼びかけたのだが、どうも返事がない。

 耐え続けること、ただそれだけに全神経を注いでいたが故に周りの状況を把握する余裕もなくなって自分の声が聞こえていないのかと思い、肩でも叩いて自分達の存在と競技が終わったことを教えてやろうと触れられる距離まで歩み寄ろうとした瞬間、何の前触れもなく鉄哲の体がうつ伏せに倒れ込んだ。

 

「っ、おい!?鉄哲!?」

 

「っと」

 

 倒れ込む鉄哲の正面に素早く回り込み、実弥が片腕で彼の体を受け止める。

 

「ちょっ……!わ、私、ミッドナイト先生呼んでくるから、鉄哲のこと任せた!」

 

 何かあったのかと焦りを覚えながら、ミッドナイトに彼のことを知らせようと駆け出す拳藤。

 彼女を見送ってから発目も鉄哲の前で手を振ってみるが、やはり反応がない。

 

「……これってもしかして、気を失ってます……?」

 

「……そういうことだろうよォ」

 

 鉄哲をそっと地面に寝かせてやりながら、実弥は発目の発言にそう返した。

 上鳴の電撃は非常に強力で、その強さによっては一撃喰らっただけでも気絶するレベル。それを1分切ってから――具体的に言えば、50秒近く受け続けたのだ。彼はそれを根性で耐え続けたのだろう。

 

 もしかしたらその途中で既に気絶していたのかもしれないが、それでも立っていたのは「不死川の役に立ちたい」という彼の強い気持ちの表れか。いずれにせよ、奇跡としか言いようがないのは事実ではあるが。

 鉄哲が上鳴の電撃を盾となって受け続けていなければ、終盤の空中における大立ち回りも厳しいものとなっていただろう。

 1000万を守り抜くことに彼が貢献したのは間違いない。

 

(1000万を守りきれたのは間違いなくお前のおかげだ。ありがとな、鉄哲)

 

 地面に寝かせた鉄哲の頭を撫でる実弥の瞳は感謝に満ちた優しいもので、まるで血の繋がった弟を見ているかのようだった。

 

「不死川君!鉄哲君の様子は!?」

 

 そこに、拳藤に連れられたミッドナイトが駆けつけてくる。

 実弥は立ち上がり、彼女の方を振り向いて答えた。

 

「気絶してますね。途中から上鳴の電撃受けっぱなしだったのでそれが原因でしょう。命に別状はないかと思われますが……」

 

「そうだったのね……。最後まで立っていたことが信じられないくらいだわ。念の為に医務室の方に連れていきましょう。搬送用のロボットを手配するから、引き続き様子を見ておいてね」

 

「分かりました」

 

「拳藤さんも教えてくれてありがとう」

 

「いえ、これくらい当然です」

 

 鉄哲を医務室に搬送するロボを手配する為に再び駆け出すミッドナイト。教師としての務めを果たさんとする彼女の慌ただしい背中を見送り、実弥と拳藤は結果が表示された電子モニターを見上げる。

 

『て、鉄哲がぶっ倒れたみたいだが大丈夫なのか!?』

 

「気を失ってるだけで命に別状はないと思うわ!こっちの方は私がどうにかしておくから続けて!」

 

『お、おう。そういうことなら引き続き進行しておくぜ!競技が終わるまで上鳴の電撃を耐え続けていたもんな。無理もねえか……。だが、最後まで立ち続けたその根性は立派だったぜ!ナイスガッツだ、鉄哲!』

 

『……さて。焦らすようで悪いが、結果発表の前に改めて補足させてもらおうか』

 

 その後、結果発表に先立って相澤から補足がなされた。

 補足というのは、騎馬戦後半のこと。というのも、騎馬戦の後半においては特に騎馬や元の配置を崩しての攻撃が多く見受けられた。

 騎馬戦と銘打っておきながら、自ら騎馬を崩して攻撃を仕掛けるのは流石にルール違反ではないか……というのが一般的な意見だろう。

 

 しかし、流石は自由が校風の雄英と言うべきか。人間が"個性"を有するようになって従来の人間としての枠を超えてきているのと同じように、競技のルールの方も従来のルールの枠を越えるべきだとして、後半における騎馬を崩しての攻撃も騎手をチームで担当しているものが地面に足を付きさえしなければセーフだと判断していると説明した。

 

『――まあ、競技中に何度か触れている話題ではあるんだがな。体育祭の主催である以上は観客側にきっちり説明して理解させなきゃならん。だから、改めて説明させてもらった。それに、ここでルールに違反していると判断するとほぼ全員失格になる。それはあまりにも非合理的だからな』

 

『……って訳だ!理解しきれねえところもあるだろうが……ここは飲み込んでくれよな!そんじゃ、待たせて悪かったな!オーディエンスにゴールデンエッグ共!!!早速見ていくぜ、上位5チーム!あ、例年なら4チームだが今年は例年より1チーム多いから5チームが最終種目に進出するぜ!そこんとこよろしくな!』

 

 補足を終え、早速本題に移るプレゼントマイク。こういうのは基本的に下の順位から順番に発表していき、最後に1位を発表して周りを一気に盛り上げるものだが、彼は敢えてそうしなかった。

 実際、観客から見ても1位の座が誰の手にあるのは分かりきっている状況である為、ここで敢えて焦らすのも野暮ではあるが。

 

『さあ早速1位の発表だ!途中でピンチもあったが、最終的には1000万というとんでもねえ得点を他の誰にも譲らなかった!不動の1位は……不死川チームだぁぁぁぁぁ!!!』

 

「やった……!やったよ、不死川!私達が1位だってさ!」

 

「おう。誰か1人でも欠けていたら結果はひっくり返っていたかもしれねェ。助かったぜェ、拳藤」

 

「……!力になれたみたいで良かった。私らも不死川無しじゃ1位はあり得なかったろうし、こっちこそありがとな。鉄哲の目が覚めたら、1位だったぞって教えてやらないと」

 

 観客達の称賛を受けながら、実弥と拳藤は笑顔でハイタッチを交わし合う。

 チームの誰かが競技中にやった行動のうち、一つでもやるかやらないかの大元から違っていたり、行動を起こすタイミングが1秒でも違ったり……。積み重なりあった様々な判断が今回のものと違っていれば、この勝利はあり得なかったかもしれない。

 だから、チームの全員が試合に貢献することが出来ていたことに違いはない。

 

「発目も――」

 

 チームを組んでくれた礼を言おうと拳藤は発目の方を振り向くが……。

 

「いやはや、有益な時間でしたね。おかげさまで捕縛銃の課題や良さが見えてきました……!弾数増やすとなると構造から変えないといけませんね……。そうなると気軽に持ち運べる利点がなくなってしまうかも……!あ、それは弾速上げるにしても同じか……。なら、いっそ不死川君がやってくれたように使い方を工夫することで――」

 

 彼女は競技が終了してから返却された捕縛銃を手にブツブツと呟きながら、既に捕縛銃の改良へと目を向けているようだった。

 

「…………えーっと、どうしよっか。あれ……」

 

 そんな自分達はそっちのけな彼女の姿を見て、困り顔の拳藤。

 

「……まあ、そっとしておいてやろうぜェ。自分の世界に入って周りが見えなくなっちまうのは、研究者の性みてェなもんだろォ」

 

「……そ、そう、だね……」

 

 自分の世界に突入した彼女をそっとしておくことに決め、2人は顔を見合わせて「これもある意味発目らしいか」と苦笑する。

 

「お兄ちゃん!拳藤さん!おめでとう!!!」

 

 そして、自分達の勝利を祝ってくれるエリの声に応えて笑顔で手を振る。また、本物の命の取り合いにもなりうる戦闘と競技上の戦闘とでは勝手が違うことを知り、良い経験になったと騎馬戦の中で起こったこと全てを密かに噛み締める実弥だった。

 

『続く第2位は……完全に予想外だったぜ!一時は不死川すらも封じた恐ろしいヤツら!今大会のダークホース、心操チーム!!!凄え逆転劇だったぜ!やっぱこういうのがアツいよな!』

 

「……利用するような真似して悪かった。それと、最後は結局無駄になっちまったけど……ありがとな」

 

「……君の思うように利用されたことを悔しいって思う気持ちがない訳じゃない。でも、なりふり構っていられないほど君が本気だということは競技の中で理解したよ。だから、僕達は君と協力した」

 

「そうだな。緑谷――さっき心操を救けたヤツの言葉を借りれば、心操も本気でトップを狙ってただけなんだろ?それさえ分かれば……俺は何も言わないさ。それに、2位になれたのは心操の"個性"のおかげだ」

 

「経緯はどうであれ、君のおかげで僕はもっとキラメいていられるよ☆メルスィー☆」

 

 まさかの大逆転で2位に躍り出た心操チーム。騎馬戦の中盤、実弥に洗脳を突破されるタイミングまで庄田、尾白、青山の3人は彼の洗脳の支配下にあった。

 だが、実弥の行動によって偶然にも洗脳が解けて支配から逃れることが出来た。

 洗脳が解けた彼らに心操は大人しく自分の"個性"とこれまで自分に操られていたことを説明した。そのことを理解した上で、彼らは最後まで心操に協力することを選んだ。

 

 いまいち考えていることが読み取れない青山はさておき。繰り返すようだが、尾白と庄田に好き勝手に動かされていたことに対する屈辱的な気持ちがなかったわけではない。その上で心操に協力したのは彼の本気で勝ちたいという強い気持ちを汲み取ったからだ。

 

 自分の正直な感情を吐露して手を差し出してくる尾白と庄田。

 

「……さっきの人も含めて、ヒーロー科ってみんなこうなの?……変わってるな、あんたら……」

 

「はは、そうかもね」

 

 そんな彼らを見て申し訳なさや気まずさやら、色々なものを胸の内に抱えながらも2人と握手を交わす心操だった。

 

『んで、第3位!常闇チームだ!!!そういや、最初に騎馬を崩して攻める戦法を見せたのはコイツらだったな!ここまで面白え試合が見れたのは常闇チームのおかげかもしれねえ!ありがとよ!』

 

「3位か……。悔しいな……」

 

 もっとやれたことがあったかもしれないのに。そんな様子で握りしめた拳を見つめる緑谷。

 そんな彼を見て、ここまで向上心エグいヤツだったんだ……と呆気に取られながら耳郎は苦笑する。

 

「まあまあ……。ウチらは一度も鉢巻取られてないし、3位なら上出来だって。それに、麗日に上空から襲わせたりとか、ウチらの策が通じる場面もあったし、不死川も本気で迎え撃ってた訳じゃん?ちゃんと脅威だって見なされた上で相手されてたって証拠だよ。だからさ、胸張ろうよ」

 

 苦笑から一転、明るい笑みを浮かべて彼女はそう言った。

 常闇も彼女に続く。

 

「緑谷。猛き巨獣と相見(あいまみ)えし時、奴らを前にしてお前は笑ったな。俺は、ふと苦難を前にして笑みを浮かべたお前の姿を……オールマイトに重ねた。必ず何とかなる。そんな気がしたんだ」

 

 瞼を閉じ、あの時の温かい不思議な力が湧き上がってくる感覚を思い出しながら言い終え、ゆっくりと目を開いた。

 

「……選び抜かれた立場の俺が言えたことではないかもしれないが……緑谷、お前に力を預けて正解だった。ここまで率いてくれたこと、感謝する」

 

 笑みを浮かべ、手を差し出す常闇。彼に続いて、「勿論ウチもそう思ってるからね」と付け加え、耳郎も同じように手を差し出した。

 2人の言葉を聞いてハッとする緑谷。頂点を勝ち取ることを重視していたあまり、ついつい実弥に届かなかったという事実のみを強く認識してしまっていたようだ。

 

(あー……自分に足りなかったところばかり考えて思考をネガティブな方向に持っていっちゃう癖も直さないとな……)

 

 自分を戒めるように頰を叩くと、笑みを浮かべなおす。

 

「……こちらこそ、組んでくれてありがとう。常闇君の無敵の黒影(ダークシャドウ)に、耳郎さんの正確な不意打ち……。凄く助かったよ!2人の力がなかったら、きっと3位にはなれなかったと思う!」

 

 気を取り直して自分からも礼を言い、緑谷は常闇、耳郎の2人と握手を交わした。感謝と労い、二つの意味を込めて。

 

「……それよりも耳郎さん、耳の怪我は大丈夫……?」

 

「んー……まだ頭ぐわんぐわんしてるし、両耳とも聞こえにくい状態っていうのが正直なところなんだけどね。まあ、心配しないでよ。これくらいの怪我でビクビクしてたら、この先やっていけないし」

 

 未だ両耳から血を流している様を見て、耳郎を気にかける緑谷。耳郎は困り顔をしつつも、あまり心配をかけないようにと笑ってみせる。

 そして、彼女はふと気が付いた。

 

「……てか、麗日。さっきから会話にすら全然入ってこないけど……大丈夫?」

 

 そういえば、と耳郎の言葉に釣られて麗日の方を見る。

 

「あ……デク君、みんな……。わ、私は――」

 

 顔が真っ青な状態のまま笑顔を作って立ち上がろうとする彼女に、無理に立ち上がらなくてもいいからと緑谷が声をかけようとした直後だった。

 

「――うぷっ……!?うええ〜〜〜っ……」

 

 口元を押さえながら地面に膝をつき、胃の中のものを全て吐き出してしまう。手で押さえたのとほぼ同時に吐瀉物が出てきた為、口元は黄色い胃液で汚れてしまっていた。

 

「う、麗日さん!!?やっぱり相当無理してたんだ……。本当にごめん!!!」

 

「あ、謝るのは後にしよ!取り敢えず、麗日はウチが見ておくから緑谷は先生呼んできて!常闇も麗日を凝視しない!」

 

「わ、分かった!」

 

「す、済まない」

 

 真っ先に駆け寄り、麗日の背中をさする耳郎に、彼女に言われて慌てて背中を向ける常闇と駆け出す緑谷。

 突然のハプニングを前にして慌ただしく動く中、結構な無茶をしてまで自分の策に協力してくれた麗日に返そうにも返し切れないほどの借りが出来つつあるなと思いつつ、どこかのタイミングでお詫びをしなければと罪悪感を抱える緑谷であった。

 

『な、なんかハプニング続出してるが、敢えて追求せずに次いくぜ!一つ言えるとしたら、きっちり配慮してやれよ、マスメディア共!以上だ!……っつーわけで、続く第4位は……爆豪チーム!!!騎馬から離れて単騎で特攻仕掛ける方法をとったのは爆豪が初めてだったな!一時は0Pに降格もしたが、執念で喰らいつき、奪い返したのはナイスだったぜ!』

 

「くっそ……不死川を相手するにはまだまだ遠いか……!」

 

「一時はしてやったりって思ったんだけどな……。斬撃でならまだしも、腕力だけであっさり引きちぎられるとは……」

 

「元気だそ!ほら……瀬呂は不死川に対してやったことが直接通じてるからいいじゃん!私なんか直接やれたことなんてほとんどないし……。うう……なんかモヤモヤする〜!!!」

 

「まあまあ!芦戸が爆豪をぶん投げて、このまま真っ直ぐ突っ込んでくるって不死川に思わせることが出来たから、瀬呂もテープを巻きつけられた訳だろ?それに、サポート科のヤツが撃ってきた網も溶かした!芦戸もきっちり貢献してるぜ!……それこそ、一番何も出来てねえのは俺だよ。俺、ただの足場だったし……」

 

「いやいや、そういう切島だってしっかり俺らを守る盾になってくれたじゃねえか。お前がいなかったら、下手したら不死川の剣技で俺らは大怪我よ?全員が自分なりにやれることを精一杯やったってことで納得しとこうぜ」

 

「そ、そうか……?ありがとな、瀬呂。とは言え……やっぱ悔しいよな!ちょこちょこ惜しかったっていうのがこれまた……!だ〜!何だこれ!滅茶苦茶モヤモヤする!」

 

「ね〜!」

 

 4位という何とも言えない結果に落ち着いた爆豪チーム。お互いがお互いの活躍した点を挙げながら、自分達は精一杯のことをやったんだと言い聞かせるも、所詮は傷の舐め合いのようなもの。結局は実弥に手が完全には届いていないことに変わりない。拭おうにも拭い切れぬもどかしい悔しさを切島、瀬呂、芦戸の3人は享受し合っていた。

 しかし、彼らと比べ物にならないほど悔しいのは――

 

「やっぱ、アイツだよなあ……」

 

 3人は呆れと同情の混じった表情である方向に視線を向ける。

 

「だぁぁぁ!!!ふざけんじゃねェェェ!!!!!」

 

 その視線の先にあるのは、地面に跪く爆豪の姿。激昂した魔獣のように憤怒に満ちた咆哮を上げて拳を何度も何度も地面に打ちつけていた。

 硬い地面に何度も皮膚の表面をぶつけている故、傷ついて拳からは血が流れている。悔しがるのは当然のことである上、いくらでもそうすれば良いのだが……彼の場合はあまりにも痛々しい。

 

(俺が……この俺がまた4位だと!?あってたまるか……!あってたまるかよ、ンなこと!!!)

 

 ギリギリと音が鳴るくらいに強く歯を食いしばる。彼の怒りの理由は色々とある。

 

 まずは、現状だと実弥に全く歯が立たない状態で打ちのめされていること。いや……正確には、一応何度か爆豪の講じた策や一撃が通用しているタイミングがありはするのだが、その程度のことは完膚なきまでの1位を目指す爆豪にとっては実弥に通用したことのうちに入らない。

 

 次に、またもや緑谷に上をいかれたこと。戦闘訓練で打ちのめされたあの日、自分は「雄英(ここ)で1番になる」と誓ったはず。だが、現実は1番を掴み損ねてばかり。

 緑谷に対して「テメェが俺に勝つなんて二度とねえ」なんて言った手前、第一種目、第二種目と連続して彼に敗北している状況なのは屈辱でしかなかった。

 

 そして、その二つよりも更に屈辱的な事実がある。

 

(モブに……たかが普通科のモブに、してやられた……っ!!!)

 

 三つめは、心操の"個性"に一度だけかつ一瞬とは言え、翻弄されたこと。

 今でも明確に覚えている、1度目の大爆破を放つまでの間に頭を支配していた靄がかかっているかのような感覚。

 心操の"洗脳"の効き具合は人それぞれであり、爆豪の場合は洗脳中の記憶が無いが、頭に靄がかかっているかのような感覚だけは覚えているというレベルの効き具合だったという訳だ。

 

 今もなお操られていた自覚はないが、心操に"個性"を用いて何かをされたことだけは理解し、確信している。

 歯牙にかけてさえもいなかった普通科の生徒の"個性"にやられた。格下の用いる"個性"に負けた。その事実が生じさせた屈辱が激しく爆豪の心身を侵し、焦がしていく。

 

「……クソがァァァァァァァァァ!!!!!」

 

 これまでに味わったことのない屈辱を抱えた彼に出来るのは、憤怒の咆哮を上げて怒りで屈辱を打ち消すこと。ただそれだけだ。

 

『や、やべえ……爆豪めっちゃキレてるんだけど……。こ、こわ……!触らぬ神に祟り無し!ああいうのは放っておくに限るぜ!』

 

『……何やってんだ……。悔しがるのは構わんが、あれは見ていられないな……』

 

 怒りに身を任せて叫び、何度も何度も拳を叩きつけるその姿に流石のプレゼントマイクもドン引きし、相澤は爆豪の癇癪を起こす子供のような振る舞いを見て、そのあまりのみっともなさに思わず頭を抱えた。

 

『んじゃ、気を取り直して!第5位は……轟チーム!!!一時はB組に取り囲まれて大ピンチなこともあったが、見事に勝ち残った!飯田の超加速にゃ度肝を抜かれたぜ!ピンチこそあれど、鉢巻も一度も奪われちゃいねえし、これが推薦入学者の実力って訳か!』

 

「何とか踏みとどまれた……という感じか。隠していた切り札を切っても追いつけず……。完敗だな、これは……」

 

「そうですわね……。私達の持てる力の限りを絞り出しても、ここまで遠いだなんて……。不死川さんに轟さんと上には上がいることも、自分がまだまだ未熟であることも自覚しているつもりでしたが……私は心のどこかで驕っていたのでしょうか……?」

 

「ウェ〜〜〜イ……」

 

 体育祭のこの日まで隠し通していた切り札すらも通用しないという完敗としか言えない状況。全てを出し切っても敵わなかった。それが悔しい……というよりも、全て出し切っても敵わなかったからこそ悔いはないし、妙な清々しさがある。飯田はそんな顔つきをしていた。

 一方、八百万は自分のこれまでの在り方に疑問を持ち始め、自分はこの程度でしかないのかと自信喪失になりつつあった。俯き気味になり、唇を噛みしめている。

 脳がショートして未だにアホ面のままである上鳴も彼なりに落ち込んでいるようだった。こうなった時の彼を知っている者がいれば、いつもより少々テンションが低いような……と考えるのではないだろうか。

 

 そして、右半身に霜が降りたままで左手を呆然と見つめる轟の背中は悲しげだった。

 

(炎熱……。戦闘において決して使わないと決めたはずなのに……気圧(けお)された……)

 

 思い出されるのは、飯田のレシプロバーストで実弥に肉薄し、1000万Pの鉢巻に手を伸ばしたあの瞬間。彼の速度を実弥はしっかりと双眸で捉え、轟の左手を跳ね除け、そこから鉢巻を逆に奪おうとした。

 戦闘訓練の中で直に拳を交えた彼だからこそ、本能が危機を訴え、無意識のうちに左側の力を使っていた。

 

(左を使わされ……それでも勝てねえ。しかも、右側だけじゃ歯が立たねえ。……ズタボロだな、俺)

 

「これじゃ……親父の、思い通りじゃねえか……」

 

 思わず泣きたくなった。きっと、今の自分は誰よりもみっともなく、情けない姿をしているのではなかろうか。

 

「あのー……轟……?騎馬戦の時、色々煽ったりしてごめんね……って、大丈夫?なんかすっごいフラついてるけど……。てか、私の声聞こえてる……?」

 

 そこへ、恐る恐るといった様子で取蔭がやってくる。両手を合わせながら、騎馬戦の時の自分が彼に対してとった言動のことを謝罪するも……異変に気が付いた。

 轟はまさに心ここに在らずと言った様子で彼女の言葉が聞こえていない様子。いや、そもそもすぐ側にいる彼女の存在すらも認識出来ていないようだった。足元もおぼつかず、フラついている。

 

(くそっ……俺は……親、父、を……っ)

 

 騎馬戦の最中、彼は右側の力を限界を超えて使用し続けていた為、身体にも異常が起きている状態だ。

 せめて人前では倒れまいと気を強く持っていたが、競技の終了に加え、自分を責め続けて精神的に蓄積したダメージで心が限界を迎えてしまった。糸がはち切れて抗えない眠気に襲われ、意識が遠のいていく。

 惨めな思いに顔を歪めながら、彼の身体が前へと倒れ込む。

 

「えっ!?と、とどろ――」

 

「……こっちも随分と無茶したなァ」

 

 倒れ込む轟を支えようと慌てて手を射出した取蔭だったが、彼女が受け止めるよりも前に実弥が回り込み、彼を受け止めた。

 突然倒れた轟を目の当たりにして、会場がざわつく。

 

『こ、今度は轟が倒れた!!?大丈夫か!?』

 

「うわっ!?不死川!?い、いつの間に……!?」

 

「明らかに見た目からして異常だったからなァ……。いつか倒れるんじゃねェかとヒヤヒヤしながら見ていたらこれだぜェ。つか、冷てェな……!」

 

 突然目の前に現れた実弥の姿に驚く取蔭。一時は八百万のサポートで解消してはいたものの、終盤で轟は氷による攻撃を連発していた為、再び彼の肉体は冷え切り、霜が降りている状態だった。

 普通の人体ではあり得ない彼の状態を見て、何かがあった時にいつでも動けるようにと実弥は気にかけていた。

 その結果、予想通り彼は鉄哲のように倒れてしまった。ここまで意識を保てたのも、父親に対する憎しみの強さ故だろう。それが彼の意識を無理矢理にでも覚醒させていたのだ。

 

 倒れ込んだ轟の身体に触れた手に冷たさが伝わる。まるで、極寒の地の氷を素手で触っているかのようだった。

 ここで実弥は察する。

 

(轟……!お前、"個性"の使用が体温に影響してくるのか……!)

 

 轟の体温は"個性"の使用に応じて変化するのだと。右側を使い続ければ体温が奪われ、左側を使い続ければ体温が上昇し続ける。

 よく考えれば分かったことのはずだと実弥は眉間に皺を寄せ、競技の最中に気がつけなかった彼は己を責める。

 何故ならば、諸事情によって既に知っているからだ。()()()()()()()()()()()()()()。彼の父親がプロヒーローとして"個性"を公表している以上、勿論その詳細は知っている。彼の"個性"のデメリットを考えれば轟がその点を引き継いでいると考えつくのは簡単なことのはずなのに。

 

 奇しくも、彼はかつての同僚のように己をあまりにも未熟だと責め続けていた。

 

 恐らく、轟は低体温症を引き起こしている。体温が34℃から32℃に低下した時点で意識障害が起きるらしいが、意識を失ってしまうとなると相当重い症状だ。彼の首筋に手を当てて脈を測ってみるが、どうも安定しない。

 一刻も早く復温の処置をしなければならないようだ。

 

「と、轟さん!?どうされたのですか!?」

 

「一体何があったんだ!?」

 

「ウェ〜〜〜イ!?」

 

 アホ化した上鳴を連れ、実弥の元へと駆け寄ってくる飯田と八百万。彼らの声を耳にしつつ、実弥は呼びかけた。

 

「八百万!湯で温めてから使えるパック、湯を入れる容器と毛布を創れェ!毛布を1番先に頼む!飯田!水系の"個性"と加熱系の"個性"を持った人に協力仰いで湯を用意しろォ!マイク先生も協力頼みます!水系の"個性"と加熱系の"個性"を持っている方を探してください!」

 

「っ、わ、分かりましたわ!」

 

「分かった!任せてくれ!」

 

「……俺も下に行って婆さんを呼んでくる。マイク、こっちは任せるぞ」

 

『お、おう!不死川もイレイザーも任されたぜ!……えー、聞いての通りだ!オーディエンスにプロヒーロー共!水系、もしくは加熱系の"個性"を持ってるヤツは協力してくれ!!!』

 

 上着を脱ぎ捨て、創造を開始する八百万と己の足で駆け出す飯田、そして、実弥の指示通りのアナウンスを開始するプレゼントマイクと生徒の身を案じて実況席から飛び出すように立ち去る相澤。

 そんな光景を尻目に実弥は頭を回している。轟の命を保護する為に必要なことは何か。可能な限りの範囲で最適解を瞬時に選び出し、引き続き指示を飛ばす。

 

「拳藤!取蔭の身体を包んだ俺の上着を持ってこい!」

 

「わ、分かった!すぐそっち行く!……ほら、発目!行くよ!」

 

「……はわっ!拳藤さん!?き、急になんです!?何が何だか分からないんですが!!?」

 

「事情は後から説明する!とにかく一緒に来て!」

 

「ちょっ、不死川!やめてよ、その言い方!恥ずいから!……と、とにかく、轟がここまで無茶したのは私にも責任あるし、手伝わせて!何か出来ることある?」

 

「……一旦轟を寝かせる。寝かせるのとコイツの上着脱がすの手伝っちゃくれねェか?」

 

「オッケー、それくらいならお安い御用!任せて!」

 

「助かるぜェ」

 

 実弥の指示に拳藤は快く答えてくれた。改善案の思考に夢中だった発目の意識を現実に引っ張り戻し、彼女を連れて走り出す。また、轟が倒れたことに責任を感じているらしく、取蔭も手を貸したいと意思を示してくれた。

 轟の命を保護するには、物事を同時並行することが不可欠。断る理由はなかった。

 

 彼女の手を借りて轟を地面にゆっくりと寝かせつつ、冷たくなった彼の体育服の上着を脱がしながら実弥は思い出す。

 何としてもこの場に呼ばねばならない男がいることを。

 

「……マイク先生!エンデヴァーさんは!?」

 

 ――現No.2、フレイムヒーロー・エンデヴァー。突然声をかけられたプレゼントマイクは一旦呼びかけを中断し、驚きながらも実弥が端折った言葉まで汲み取りながら答える。

 

『エ、エンデヴァーさん!?ああ、学校側から警備を依頼してるし、会場のどっかに――っ!そういうことか!呼ばねえ訳にはいかねえよな!下に行ったイレイザー、2年3年ステージにも俺の方から共有しておくぜ!!!』

 

「……助かります!他のプロヒーローの皆さんも!エンデヴァーさんへの連絡手段があれば、どうかご協力お願いします!!!」

 

『エンデヴァーさん!このアナウンスが聞こえてるなら、1年ステージにCome On!お宅の息子さんがピンチだ!!!』

 

 学生の身でありながら、瞬時に出来ることを判断し、これほどの数の指示を下すのはそう簡単なことではない。

 一体あの少年は何者なんだ……!?

 そんなことを思い、息を呑みつつも観戦していた客やプロヒーローもやれることの為に動き始めた。

 

「っし……絶対に俺達で何とかしてやるからなァ。俺に勝つってんならここで死なせる訳にはいかねェ。気張れよォ、轟……!」

 

 意識を失い、眠っている状態の轟に優しい笑みを浮かべて呼びかける実弥。聞こえているか、いないかは定かではない。ただ、側で見ていた取蔭には彼の呼びかけの直後、轟の表情がほんの少しだけ柔らかくなった気がした。

 

(A組を必死に目の敵にして……マジで恥ずかしいことしてたな……。私達も追いつけるように頑張らないと……!)

 

 轟の体温を復温する為に動く実弥を手伝いながら、取蔭は決意を新たにした。

 

 他を寄せ付けぬ圧倒的実力を見せつけた試合結果に、いくつかのハプニング。その時々に応じて会場があちこちで慌ただしく動きを見せる中、騎馬戦の幕は閉じたのであった。




皆さん、すみませんでした。私のバランス調整が下手すぎて滅茶苦茶長いですね……。因みにこれだけで5万字近く到達してます。(修正を加えたことで5万字超えました())もうちょっと上手くやれるよう精進します。

幕間・弐におけるものに加え、こちらのお話の終盤で出久君が施した余計なお世話。彼がこんなこと出来るのも、やはりBIG3に実弥さんとの特訓のおかげですね。因みに1番最後の晴嵐風樹に勘付けたのも特訓の中で実弥さんと直で拳を交えた経験が体育祭に参加している同級生の中の誰よりも多いからです。
色々と大きく成長した故に精神的に周りを気遣える余裕があるのも事実だし、他の生徒に比べてだいぶ視野が広いからこその行動ですね。
自分が負けるかもしれないと分かっているギリギリな状態でありながら、勝ちたいと思っていながらトーナメントで轟君の呪縛をぶっ壊した彼なので、周りを気遣える余裕もある場合は平然とこういうことしちゃうんじゃないかなと個人的には思います。
皆様の解釈に沿えてたら嬉しい限りです。

色々と詰め込んでいる分、他では中々見られないような展開にはなったかなと思います。楽しんでいただければ幸いです。
これからも宜しくお願いします。
また活動報告欄の方に「視野を広げる為に・その2」のタイトルで意見を募ってますので、良ければ暇つぶし程度に覗いてみてください。

騎馬戦の最終結果も載せておきます。


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第四十二話 重なる記憶

いつも通りのスローペースです。トーナメントまではもう少し時間をいただきます。
それでも構わない方はこれからもよろしくお願いします。


 騎馬戦終了後に重度の低体温症で倒れてしまった轟。実弥が咄嗟の判断で無数の指示を飛ばしたことにより、彼の命は無事に保護された。

 彼の父親であるエンデヴァーが、プレゼントマイクのアナウンスで招集されてから1分も経たないうちに必死の形相で駆けつけてきたのは言うまでもないし、彼は自分のことであるかのように必死になって轟の介抱に付き合ってくれた。

 存外親バカなのか。そして、息子の為にそこまで必死になれるのか、と意外に思った実弥であった。

 

 そして、今……実弥は体育祭の会場内に設けられた簡易型の保健室の中にいる。視線の先にはベッドですやすやと眠る轟の姿。実弥も人のことは言えないのだが、年齢にそぐわず幼なげな寝顔だと思う。

 更にそこには父親であるエンデヴァー。加えて、轟の目が覚めてから騎馬戦の最中に色々と煽ったことを謝ろうと決めていた取蔭と、自分も焚き付けてしまったからと罪悪感を抱えて保健室に同行した緑谷、純粋に轟を心配して同行したエリの姿もあった。

 

「……エンデヴァーの息子が雄英に入学してるって噂になってはいたけど、轟のことだったんだね」

 

「うん……」

 

「知ってた?」

 

「いや……知らなかった……。轟君、普段から1人でいて話したこともなかったから……」

 

「あー……一匹狼的な感じかぁ……」

 

 現在、保健室の中は無言の空間だ。気まずさを紛らわす為か、迷惑にならない程度の小声で話を交わす取蔭と緑谷。

 リカバリーガールが体温計を用いて今の轟の体温を測っている最中でもあり、その結果を待っているというのもあるとは思うが、隣に並んで彼の眠るベッドの前に立つ実弥とエンデヴァーは一言も会話を交わそうとしない。

 

 また、他のクラスメイトに比べて実弥と関わる機会の多い緑谷からすれば、気のせいかもしれないと思うほどに微かではあるが、実弥から怒気が発せられているような気がしていた。

 取蔭とエリも、保健室に向かう道中の実弥の眉間にずっと皺が寄っていたのを目撃している。

 

(……不死川君とエンデヴァーの間に何かあった……のかな?)

 

 何か2人の間にただならぬ因縁があるのではないかと思わざるを得ない。実弥の機嫌が悪そうなのは明らかで、触らぬ神に祟りなしということで余計なことをしないようにと気まずさを抱えながらもこの場にいるというのが正直なところ。

 

 待ち続けること数秒、ピピピッと無機質な機械音が部屋に鳴り響く。体温計が轟の体温を測り終えた合図だ。

 体温計を回収し、彼の首筋に手を当てて脈を測っているリカバリーガールの回答を待つ。

 

「……36.9℃。脈も安定してるさね。体温も平熱に戻ったようだし、じきに目を覚ますだろうさ」

 

 彼女の回答を聞き、実弥、緑谷、取蔭、エリの4人は同時にホッとしたように肩の力を抜いた。

 

「不死川、あんたが咄嗟に動いてくれたおかげだよ。ありがとうね」

 

 穏やかな笑みで礼を言われるも、会釈をしながら実弥は畏れ多いといった様子で返す。

 

「いえ、こういう応急処置に関する知識はまだまだ甘いので、轟が回復して安心してます。もっと早く対処が出来たのなら、それが最適だとは思いますが……」

 

「今の時点であそこまでやれたら十分さね。早めに止めていれば、轟が意識を失わずに済んだというのも事実ではある。けれども、あんた無しじゃ最悪の事態にもなり得たからね。胸を張りんさい」

 

「……ありがとうございます」

 

 そんな彼を見たリカバリーガールの言葉に激しく同意と言わんばかりに緑谷と取蔭は実弥の後ろで何度も頷いていた。

 

「……不死川君」

 

 ここでエンデヴァーが初めて口を開いた。声をかけられて体ごと振り向く実弥。轟々と燃える炎の髭を携えた表情一つ揺るがぬ厳格な視線が実弥を射抜く。

 その視線を受けながら、彼は思った。

 

(……やっぱ似てんなァ)

 

 親子である為、当然と言えば当然かもしれないが単なる見た目ではない。実弥が似ていると思ったのは、エンデヴァーが向けてくる自分のことを見ているようで別のところを……遥か遠くを見て、憎んでいる目つきだ。

 

(轟のあの目つきは父親譲りか)

 

 実弥がそんな確信を抱いていることはつゆ知らず、エンデヴァーは深々と頭を下げた。

 

「君のおかげで我が息子、焦凍は一命を取り留めた。……すまない、迷惑をかけたな」

 

「……お気になさらず。友人として当然のことをしただけです」

 

 No.2のヒーローが学生に頭を下げている。目の前で起きていることがとても現実だとは思えず、緑谷と取蔭は唖然とした。

 親として、我が子の命の恩人とも言える相手に感謝するのは当然と言えば当然なのだが、何せ相手は学生でエンデヴァー自身はプロヒーロー。プロヒーローが学生に頭を下げるという構図が単純に信じられなかったのだ。

 自分の頬をつねれば、ちゃんと痛みがある。目の前の光景は現実なんだなと再確認してから、取蔭は恐る恐る尋ねた。

 

「え、えっと……お知り合いなんです?不死川と……」

 

「ああ、詳しい事情は話せんが色々とあってな。1年ほど前から彼のことは知っている」

 

 厳格な表情を崩さない様子でいながらも、自分の質問にあっさりと答えてくれたエンデヴァーの姿に取蔭は思わずホッとした。

 というのも、一見しても元から威圧感を放っている佇まいな上に外見から言及しても近寄りがたいという評価をされているのが彼だ。その上、ファンやメディアにも媚びない姿勢は世間にも有名で、話しかけること一つ行うにしても緊張してしまう彼女は間違っていないだろう。

 

 因みに、実弥は雄英の入試を受けることが決まったのを機にヴィジランテとしての活動をきっぱりと辞めているのだが、その時に日本をさすらう中で割り出した犯罪の傾向や分析をまとめたレポートを塚内に共有し、更にそれがトップのプロヒーロー達の元に配布されている。

 その配布の際は、実弥も塚内に同行してプロヒーローと顔合わせをし、彼から直接自分の分まで犯罪を抑え込むよう協力を要請した。それが彼とエンデヴァーが顔見知りである理由。

 また、その際に実弥がヴィジランテとして活動していたことを含めて彼の身の上は全て共有された為、このことはその場に同行していた者達の間の機密事項として扱われている。「詳しい事情は話せない」のはそういう訳だ。

 

 詳しい事情を話せないからこそ、2人の間にそれなりな関わりがあるのは予想出来る。出久の場合は、実弥が雄英の上級生とも付き合いがあるのを知っている。

 

 「不死川って何者なんだろ?」と改めて思った取蔭と、「もしかしたら、エンデヴァーと関わりがあるのも不死川君の過去に関わってくるのかな……?」と思った緑谷であった。

 

「……っ、焦凍!目が覚めたのか!」

 

 ふと、エンデヴァーの歓喜と安堵の混じり合ったような声が聞こえた。声のした方を見ると、轟が瞼を開けてゆっくりと体を起こしていた。

 まだ本調子でないのは当たり前だが……その表情はとても不機嫌そうだった。それこそ、目を覚まして早々に嫌いな相手の顔を最初に見てしまったかのように。

 目を覚ました彼を見たエンデヴァーは、ホッとしたような表情から一転、厳格な表情へと早変わり。

 

「……焦凍。不死川君という格上がいることは分かりきっていたはずだ。何故、左を使わない?彼はまだしも、左を併用していれば他を圧倒することなら出来たはずだ。お前は頑なに己の我儘を貫こうとした結果、醜態ばかり晒している。……今の自分が如何に無様な姿を晒しているか、分かっているのか!?」

 

 直後、轟のことを強く責め立てるように声を荒げた。元から威圧感を放つような見た目であるせいか、更に凄まじい迫力がある。鋭い眼光を放つ瞳で、そっぽを向いている轟を睨みつけている。

 そんなエンデヴァーの様子にリカバリーガールはやれやれと言わんばかりにため息を()き、エリはビクッとして肩を跳ねさせた。緑谷と取蔭も何となく嫌な予感がして一瞬だけ顔を見合わせて、頷き合う。

 

「俺は、お前の為を思って――」

 

 エンデヴァーが強く拳を握り、握った拳を震わせながら言葉を続けようとしたその時――轟が毛布を握りしめながら、憎しみを(たぎ)らせた双眸で彼を睨みつけた。

 轟の目つきを見た途端に、緑谷は両手でエリの目元を、取蔭は両手を分離させてエリの耳元を覆った。胸の内の嫌な予感が一気に強まった2人が起こした咄嗟の行動だった。

 

「……俺のことを自分の野望を叶える為の道具だとしか思っていないくせに、一丁前に説教した上に心配か。どの(ツラ)下げてここに来やがった、クソ親父……!」

 

 一言一句に底知れぬ恨みが込められているのが分かる。あれが父親に投げかけるべき言葉だとはとても思えず、緑谷と取蔭は絶句した。

 憎しみを向けられたエンデヴァー自身も思わず硬直する。

 

「何度言われても俺の気持ちは変わらねえよ。今後も左を使う気は一切ねえ」

 

「その子供じみた反抗をやめなかった結果が障害物競走と騎馬戦での無様な成績だろう」

 

「……『反抗するな』だのなんだの、てめえはそれしか言えねえのか……!」

 

「分かっているのか!兄さん達とは違う!お前は俺の――」

 

 膨れ上がる憎しみと一方的な期待。その両方が爆発しかけている。

 エンデヴァーが親として、それ以前に人としてあり得ない発言をしかけるものの、そこから先の言葉は紡がれなかった。

 

「――そこまでにしとけェ」

 

 声に怒気を滲ませた実弥が2人の口喧嘩に割り込んだからだ。こめかみや首筋に青筋を浮かべた彼の姿は沸点に到達する直前の修羅のよう。

 轟が怯んだのは勿論、数々の死線を掻い潜ってきたエンデヴァーですらも、予想外の方向から向けられる怒りに怯んだ。喉元まで出かけていた言葉を咄嗟に飲み込んだ。

 

「……失礼、つい言葉が汚くなりました。エンデヴァーさん、叱りたければ2人きりの時にしてください。親子喧嘩を目の前で見せられる方の身にもなっていただきたい。……この場にはエリもいるんですから」

 

 耐えきれなかった自分を叱りつけるようにため息混じりに怒りを収める実弥。先程まで自分に怒りを向けられていたのは気のせいかと思うほどの変わりようにエンデヴァーは戸惑いを見せるも、緑谷に目元を、取蔭に耳元を覆われているエリをチラッと見た後で感情を鎮めた。

 

「…………そう、だな。……君達も嫌なものを見せてしまったな。すまなかった」

 

「……い、いえ……」

 

「……え、えっと……色々と、大変なんですね……。あはは……」

 

 頭を下げたエンデヴァーに謝罪されるも、何やらとてつもない闇の一端を見せられた気がしてならない緑谷は一言絞り出すのが精一杯で、取蔭もエンデヴァーと轟から目を逸らしながら乾いた笑みを浮かべるので精一杯だった。

 

「……こういうのは理屈でどうこう出来る問題じゃねェからな。親から一方的に色々押し付けられて(つれ)ェだろうが、轟も一旦頭冷やせ。……な?」

 

「…………(わり)ィ……」

 

 肩に手を置きながら諌められた轟は、拗ねた子供のように俯きながら呟く。

 保健室内の雰囲気はあまりにも気まずく、澱んでいる。エリもこの場にいる以上、長居はしない方がいい。

 

「……轟、立てるかァ?」

 

「……ああ」

 

 そう判断した実弥は、轟を連れてここを後にすることを選んだ。1人で立ち上がるも、未だ若干フラついている彼に肩を貸してやる。

 

「……それでは、リカバリーガール。俺達は行きます」

 

 実弥が退室の意を伝えると、リカバリーガールは頷きながら答えた。

 

「分かったよ。……轟。あんた、不死川がいなかったら死んでてもおかしくはなかったからね。口で言って簡単に解決出来ることじゃないかもしれないが、無茶をせずに済むように今後のことをしっかり考えな」

 

 彼女に改めて自分がいつ命を落としてもおかしくなかった状況だったと伝えられた上で、今の自分のやり方を見直すようにやんわりと勧められると、轟は明らかに耳が痛いといった風な顔をしていた。

 

「…………分かりました。お世話になりました、リカバリーガール」

 

 お辞儀をする轟の横顔を(うかが)う。彼は密かに悔しそうに歯を食いしばっていた。

 彼を哀れむような視線を向けつつ、肩を貸しながらゆっくりと歩く実弥。すれ違いざまに、彼から「……行こうぜ」と声をかけられると、今まで呆然としていた緑谷と取蔭もハッとしながら会釈をし、周りを見回して疑問符を浮かべているエリを連れて、一足先に保健室を後にした実弥と轟を追っていく。

 流石のエンデヴァーも、保健室を出ていく轟を呼び止めることはしなかった。

 

 そして、気まずい空気が流れる保健室にはエンデヴァーとリカバリーガールの2人が残る。

 最初に言葉を発したのはリカバリーガールだった。

 

「……あの子はただならぬ憎しみを抱えていた。あのくらいの年の子が抱えるべき感情じゃないよ。……エンデヴァー。あんた……あの子に何をしたんだい?」

 

 問い詰めるように鋭い視線を向けられる。そんな視線を受けてもなお、エンデヴァーは何も答えない。

 

「……俺もここで失礼する。息子が迷惑をかけたな」

 

 それだけを言い残し、逃げるように立ち去っていった。

 

「……ヒーローってのは、どうしてこうも手のかかる子が多いんだか……」

 

 その背中を見送りながら、リカバリーガールは再びため息を()くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 保健室を後にしてもなお、4人の間には気まずい空気が流れていた。耳元を覆われて何も聞こえないかつ目元も覆われて何も見えない状況だったエリは、先程まで何が起きていたのかを把握していない為、心配そうに彼らの顔色を(うかが)っている。

 

 1番最初に話を切り出したのは実弥だった。

 

「……見ていて分かっただろうが、俺もエンデヴァーさんに思うところがあるのは轟と同じでなァ。(わり)ィ、耐えきれなかった」

 

 そんなことを呟きながら、元同僚の顔を思い浮かべる。……蟲柱の胡蝶しのぶ。運命に変化が生じていたら、前世の実弥の義理の妹になってもおかしくなかった女性。

 

 感情の制御が出来ないのは未熟者。そう言っていたのは彼女だったか。

 

(俺もまだまだ未熟だな。今じゃテメェの気持ちがよく分かるぜ、冨岡)

 

 彼女の持論からすれば、今の自分は未熟者だろう。思わず自嘲するように笑みを浮かべていた。

 

「……いや、止めて正解だったと思う……」

 

「うん、エリちゃんの前であんなの見せられないでしょ……。トラウマになるよ、アレ……」

 

 自嘲するように笑った彼をすかさず緑谷と取蔭がフォローする。

 かくいう彼らもショックが抜けきれていない様子だった。それもそのはず。彼らは赤の他人ならまだしも、同級生の親子喧嘩……しかも、相当に闇が深いものを見せられたのだ。

 

 2人とも、これまで両親との仲は良好だ。――緑谷は幼い頃から父親が海外赴任している為、実際のところはよく分からないが、少なくとも母親との仲は良好である――

 先程まで見せられていたようなものとは無縁の生活を送ってきたはずだ。突然あんなものを目の前で見せられては、ショックを受けるのも仕方がなかった。

 彼らにフォローを入れられ、実弥はエリの為にも止めて正解だったはずだと思い直すことにした。

 

 実弥は、轟家が"個性"をきっかけにした問題を抱えているのを知っている。"個性"をきっかけに轟が苦しんでいることを知っている。

 そのことを思えば……確かに喧嘩を止めて正解だった。親子の喧嘩が繰り広げられているという事実だけでなく、境遇故にあの喧嘩を目撃してしまったら、エリの中のトラウマが再起するに違いない。

 

「……そういや、緑谷、取蔭。ありがとなァ。咄嗟にエリの目と耳、覆ってくれたろ?」

 

 思い出したように、実弥が2人の咄嗟の行動に礼を言いつつ微笑むと、彼らの顔も綻んだ。

 

「いいのいいの。子供の未来を守るのはヒーロー志望として当然でしょ!」

 

「うん。きっと、エリちゃんにとっては見てて辛いものになると思うから……」

 

 ふと見下ろすと、変わりなく会話を交わす実弥達を見て安心したように微笑むエリの姿が。

 咄嗟に行動を起こして良かった。心の底からそう思う2人。会話を交わしているうちに本当の目的を思い出し、緑谷が言った。

 

「……ごめん、轟君。君が無理に"個性"を使い続けた原因って、君を焚きつけるような真似をした僕にもあると思うんだ……」

 

 彼の発言をきっかけにして取蔭も自分の目的を思い出し、両手を合わせながら恐る恐る言う。

 

「……私も色々煽ってごめん……。あまり下手なこと言えないからアレだけど……大変なんだね、轟」

 

 彼らに謝罪されると、轟はしばし考え込んでからゆっくりと口を開いた。

 

「……気にすんな。取蔭の言ったように俺の視野が狭いのは事実だと思う。だから、格下だと侮ってた奴らに色々出し抜かれたんだ。それに、あのタイミングで緑谷が発破をかけてくれなかったら、俺は……恐らく、最終種目に駒を進めることさえ出来てねえ」

 

 彼は続ける。取蔭のおかげで気づけたこともあったし、緑谷のおかげで自分は最終種目に出られたようなものだと。

 

「――だから、ありがとな……」

 

「っ……」

 

「……轟君……」

 

 どこか哀愁の漂う顔つきで礼を言う彼を見ていると、胸が締め付けられるような感覚に陥り、2人は何も言えなくなった。

 再び流れる数秒の沈黙。その後で轟が真剣な面持ちで言った。

 

「……不死川、緑谷。お前らに話しておきたいことがある。時間取らせて(わり)ィが、俺と一緒に来てくれねえか……?」

 

「……わ、分かった」

 

「……いいぜェ。付き合ってやるよ」

 

 彼の発するただならぬ雰囲気に息を呑みつつ頷く緑谷と、今の自分には轟から直接話を聞く義務があるとして彼の頼みを快く承諾した実弥。

 取蔭は不死川が呼び出されるくらいだし相当大事な話なんだろうなと察し、3人から離れた。

 

「……それじゃあ。私は邪魔になりそうだから、お暇するね」

 

「おう。……エリのこと任せていいかァ?」

 

 実弥がそっとエリの頭に手を置きながら言うと、取蔭は嬉しそうに笑った。

 

「……いいよ、任せといて!なんか不死川にお詫びしなきゃなって思ってたからさ。このくらいならお安い御用!」

 

 競技中は轟に対して色々と嫌みのある煽りなどをしていた取蔭だが、彼女もまた根はいい少女なのである。

 彼女も物間の煽りによって実弥が激怒したシーンを目撃している為、彼女なりにクラスメイトの失態を恥ずかしく思い、罪悪感を感じていた。故に些細なことであろうと実弥の為に何かがしたいというのが彼女の気持ち。

 

 自分の頼みを快く受けてくれた取蔭を見て安心したように笑みを浮かべる。

 

「ありがとなァ。……って訳だ。兄ちゃんな、これから轟兄ちゃんと大事な話をしなきゃいけねェんだ。取蔭姉ちゃんと一緒に待っててくれ」

 

「うん、待ってるね」

 

 優しく頭を撫でながら言うと、エリも笑みを返しながら頷く。

 彼女の年齢に不相応な聞き分けの良さに助けられているのが事実ではあると同時に、実弥は少しだけ寂しさを覚えた。

 エリがたまには我儘を言えるような、遠慮せずに年相応の女の子らしく甘えられるような……そんな日が来ることを彼は心の底から願っている。

 

「よーし!それじゃあ、私と一緒にお兄ちゃんのこと待ってよっか。改めまして……私、取蔭切奈。よろしくね、エリちゃん!」

 

「よろしくお願いします、取蔭さん。私はエリ。不死川エリです」

 

「うん、よろしく!エリちゃんはいま何歳?」

 

「えっと……6歳です」

 

「6歳……!ちゃんと挨拶出来て偉いね!」

 

「えへへ……」

 

 6歳という幼さでありながらもきちんとした挨拶が出来るエリを褒めつつ、彼女の頭を撫でる取蔭。

 エリも嬉しそうにされるがままでいる様子。取蔭に対して心を許している証拠だ。この調子であれば何の問題も起きずに過ごせるだろう。

 

 再びホッとしたように実弥は温かい笑みを浮かべた。

 

「さてと。行こっか、エリちゃん」

 

「うん!」

 

「……あ、そうだ。不死川、最後に一個だけ」

 

 去り際、ふと取蔭が何かを思い出したように向き直った。直後、彼女は実弥に向けて深々と頭を下げる。

 

「不死川。物間がとんでもないことやらかしたみたいで……本当にごめん」

 

 彼女がとったのは、騎馬戦の時の物間がとった言動についての謝罪だった。

 実弥は彼女を見下ろし、黙したまま話を聞くことに徹している。

 

 取蔭は続けた。

 

「……アイツがさ。B組を目立たせたい、A組だけじゃなくてB組だってやれるんだぞって知らしめたいって純粋な気持ちを持ってるのは事実なんだ。ただ、心がアレなもんだから、気持ちだけが突っ走るあまりにやり方間違えやすいって話で……」

 

 彼女としても葛藤しているのかもしれない。クラスメイトとして物間を庇いたい気持ちがある上に、彼のしたことが人としてあり得ないことだと分かってもいる故に。

 今の彼女は悩みに悩みながら言葉を選んでいるという印象だった。

 

「……分かってほしいとは、とても言えない。多分、アイツがしたのは不死川の傷を抉るようなことだと思うし……。でも、あんなんでもヒーロー志望なのは確か。だからさ。これからのアイツをちゃんと見て、信じてやってほしいんだ……」

 

 恐る恐るではありつつも、意を決して訴えかけるように言う。

 彼女の瞳を数秒真っ直ぐ見つめ返した後、実弥は言った。

 

「その辺は、自分自身の目で見て決めるつもりだァ。今は頭も冷えてることだしなァ」

 

「……そっか。…………ありがとね」

 

「……おう」

 

 物間が実弥の触れてはいけない部分に無神経に触れてしまったのは間違いない。実弥からすれば、二度と関わりたくないと思うほどの相手になっているはず。

 取蔭とて馬鹿ではない。そのくらいのことは簡単に察せる。

 

 だからこそ、実弥が今後の物間にどう対応していくかを自分の目で見てから決めると機会を設けたことが、取蔭からすればありがたかった。

 例え、彼の言ったことが話を合わせてこの場を凌ぐ為の上っ面だけの言葉だったとしても。

 

 取蔭に連れられ、手を振りながらこの場を離れていくエリに、優しい笑みを浮かべながら手を振り返す実弥。

 

「……んじゃ、行くかァ」

 

「人気のないところに行こう。……ついてきてくれ」

 

「う、うん……」

 

 そして、エリと取蔭を見送った後で轟に連れられ、人気のない場所へと向かう眉間に皺を寄せる実弥と緊張した面持ちの緑谷であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 轟に連れられて辿り着いた場所は、会場に設けられた生徒用控え室にも繋がっている学校関係者専用の通路だった。

 

 ここであれば他人の立ち入りは許されない故に第三者に余計な話を聞かせる心配はないし、今は休憩の時間帯で生徒達も昼食をとる為にほとんどが会場から離れている。現段階だと、秘密の話をするには最適の場所かもしれない。

 

 緑谷と実弥を睨みつけるようにしてじっと見つめてくる轟。幼馴染や保健室で出会ったエンデヴァーとはまた違った冷たい威圧感を放つ彼を前にし、緑谷は額から冷や汗のようなものを流しながら密かに息を呑んだ。

 

「……んで、話ってのは何だァ?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに敢えて気づいていないふりをしながら、実弥が尋ねる。

 彼の言葉をきっかけにして、轟はぽつりと口を開いた。

 

「……戦闘において左側を絶対に使わない……。俺はそう誓っていた」

 

 左側――即ち、炎熱。例え、使えば己が有利な状況に立てるとしても、逆に己がどれだけ不利な状況に追い込まれていたとしても使おうとしなかった力。

 騎馬戦の最中、謎の超加速で実弥のチームの元に接近した轟が鉢巻を取られかけた瞬間に左半身から炎を発したのを緑谷も目撃している。

 

 そこまで使用する素振りを見せなかった分、何か理由があるのではないかと彼も思ってはいたが……まさか、己に制限を課していたとは。

 半分だけの力であってもA組上位だと誰からも認識されるような実力を有している轟の凄まじさを、緑谷は改めて感じ取った。

 

「そのはずだったんだけどな。俺は気圧(けお)されて、無意識のうちに使わされた。直感的にやべえって思った」

 

 轟は語る。あの場で実弥の近くにいた者達の中で、自分だけが本能的な「ヤバさ」を感じ取ったのは自分だけだったと。戦闘訓練で直接対峙した自分だからこそ感じ取ったものだったのではないかと。

 

「……それだけじゃねえ」

 

 更に、彼は己の左手を見つめながら付け加えた。

 

「覚えてるよな、USJの時の謎の声。それを耳にしたオールマイトは本気で怒って、凄まじい威圧感を発していた。不死川、騎馬戦の時のお前から……それに近いもんを感じた」

 

 近くで巨悪のプレッシャーを、それに対するオールマイトの怒りを間近で体感した轟だけが感じ取れた、殺意と錯覚する程の実弥の威圧感。

 何となく彼の言いたいことが実弥には解った。

 

「……お前から見て、俺がオールマイトに近い位置にいると思うからこそ、似たようなもんを感じたんじゃないか。……そういうことかァ」

 

「ああ、そうだ」

 

 実弥の答えを肯定すると、轟の目線は緑谷へと向く。今まで、息を呑みながら沈黙を貫いて話を聞くことに徹底していた緑谷は、自分の肩に思わず力が入っていくのが分かった。

 話の脈絡からして、自分の"個性"の秘密がバレたのかもしれない。もしもそうだった場合、どんな答えを返そうかと必死に頭を回しつつ、不安と緊張で高鳴る鼓動。上手く返事が出来るように密かに深呼吸をした。

 そんな彼を見つめながら、轟は言う。

 

「……そして、緑谷。不死川ほどのもんじゃねえ、ほんの微かなやつだ。だが、『本気で獲りにいく』って宣言したお前からも、『諦めるな』って俺に発破をかけたお前からも……確かに似たようなもんを感じた」

 

 「そもそもの話、お前は"個性"もどこかオールマイトに似てるもんな」と付け加え、瞼を閉じて一呼吸分の間を置く。

 

 要するに、轟は緑谷と実弥の両方からオールマイトと同様、もしくは近い何かを感じ取ったと言いたいのだ。

 そこから導き出される結論は――。心の準備を整えながら、轟の答えを待つ。

 そして……瞼を開けると、彼は真剣そのものな面持ちで尋ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、お前ら……オールマイトの隠し子かなんかか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」「……へっ?」

 

 問いを聞き、同時に呆けた声を上げる2人。自分達の聞き間違いか……と言わんばかりに轟をじっと見つめるが、彼は一切表情を変えないし、自分の言ったことに対して違和感などを感じてもいない様子。

 完全に視覚外から打撃を叩き込まれたようで、世界が一時的に停止したかのような感覚に陥るが……。

 

「……ははっ、成る程なァ。そうきたかァ」

 

 予想外の答えに実弥が失笑したことで時が動き始めた。

 

「……俺、なんかおかしなこと言ったか?」

 

 そんな彼を前に、眉をひそめてムッとする轟。実弥は失笑してしまったことを謝罪しながら弁明する。

 

「悪かったなァ。てっきり、弟子なのかと聞かれるもんだと思っていたからよォ。隠し子だって判断されるとは思っていなかったもんだから、可笑しく思えてきちまってなァ」

 

 そこから、彼は自分とオールマイトの間には特に特別な繋がりはないことを説明した。

 

「――まあ、色々と世話になったことがあるのは事実だがなァ。単なる生徒と教師の関係性でしかねェさ」

 

 "ワン・フォー・オール"の秘密と彼の負った重傷についてを共有していることも、オールマイトが自分にヒーローへの道を示してくれた恩人の1人であることも事実ではあるが、それ以上の特別な関係性はない。

 

 それを説明した後、次はお前の番だと緑谷に目線を送る実弥。彼とアイコンタクトをとって頷き、緑谷も自分とオールマイトの関係性を説明し始める。

 

「え、えっと……流石に隠し子じゃないよ。"個性"が似てるのはごもっともだけど……。ほら、僕って少し前まで"個性"を使う度に大怪我してたでしょ?それを見兼ねたオールマイトが、"個性"を扱う感覚を教えてくれたんだ」

 

「……"個性"を扱う感覚を?」

 

「うん。僕の"個性"ってだいぶ特殊らしくて……」

 

 雄英に入学してから、わざわざ"個性"の扱い方を教えてもらったということに違和感を感じたのだろう。再び眉をひそめて尋ねてきた轟に、緑谷はかつて波動にした時と同じように「"個性"を扱うに相応しいレベルに体が成長するまで、脳が無意識に発現を止めていた」という秘密を守る為に作り上げた設定を話した。

 

「――それで、"個性"が発現したのが中学3年の時の4月くらい。轟君は"個性"を自分の手足みたいに自在に扱えるだろうけど、僕の場合は当然そうもいかなくてさ……」

 

 轟の"個性"を扱うレベルを今現在の高校生の彼自身だとすると、今の緑谷の方はようやく自分の意思で歩いたり走ったり出来るようになった幼児程度でしかない。

 

 ましてや、発現したばかりであれば、歩いたり立ったりすることもままならない赤子同然なのも当然のこと。右も左も分からない赤子同然の子供を何の援助も施すことなく命のやり取りが必要な現場に放り込むなど、人として出来る訳がない。

 

 そう考えると、似たような"個性"の持ち主であるオールマイトが緑谷を気にかけ、手助けをするのも納得がいった。

 

「……それで、今も色々見てもらってる訳か」

 

「うん……そんな感じ。オールマイトは平和の象徴として、色んな修羅場をくぐってきてる。ヒーローとして活躍することの厳しさっていうか、現実っていうか……そういうのも知ってるはずだから、心配してくれたんだと思う」

 

 自身とオールマイトの抱える秘密のことを上手く隠しつつ、作り話と事実を交えながら彼との関係を説明した緑谷。そのおかげで変に動揺を見せることなく話が出来た。

 

 "個性"の特殊性は作り話だが、オールマイトが"個性"を扱う感覚を教えてくれたのは事実――正確なことを言えば、その辺を明確に教えてくれたのは実弥に天喰と波動、殴り放題と言っても過言ではないサンドバッグ状態になって何度も殴りつけることで、体に具体的な出力を刻みつけてくれた通形。彼らなのだが――だし、中学生の時に出会って「夢を追うのもいいが現実も見なくては」と諭してくれたあの日に自分のことを思い遣り、心配してくれているというのも感じとっている。

 

 己を継ぐ者として緑谷を選んだ今でもなお、彼を心配し、気にかけてくれているのは変わらないはずだ。

 

「……分かった。取り敢えず、お前らとオールマイトとの関係については納得した」

 

 嘘も交えた話を特に違和感を抱くこともなく一旦は信じてもらえたようでホッとする緑谷。

 実弥もなるべく自然に話が出来た彼の成長っぷりを見て安心する。かつての彼ならば、ここで必要以上に動揺していたことだろう。

 だが、轟は眉間に微かな皺を寄せつつ、2人を睨みつけるようにして見つめてきた。

 

「俺のアテは外れたみてえだが……正直なところ、お前らがあの人とどんな繋がりがあるかはどうでもいい。お前らからオールマイトに近い何かを感じた……。俺がお前らに勝たなきゃならねえ理由はそれだけで十分だ」

 

 冷たい威圧感を発し、瞳に憎しみの炎を宿しながら轟は告げる。

 

「2人もさっき会ったから分かるだろ。エンデヴァー……万年No.2のヒーロー。奴が俺の親父だ」

 

 エンデヴァーのことを語り始める轟だが、彼と妙に目線が合わない。正面にいる自分達を見ているようで見ていない。

 

(……本当にお前の目線の先にいるのは、俺達なんかじゃねェ。いつでもエンデヴァーなんだな、轟)

 

 彼が見ているのは遥か先にいるエンデヴァーの背中なのだろうと、実弥は改めて察した。

 

 エンデヴァーは極めて強い上昇志向の持ち主。雄英を卒業した直後の時点でもトップヒーローに匹敵する実力を有しており、破竹の勢いで名を馳せた。

 だが、その強い上昇志向故に彼は自分の地位に決して満足はせず、当時既に絶対的な存在として君臨していたオールマイトを本気で超えようと背中を追い続けてきたという。

 そして、本気で超えようとするからこそ、オールマイトの実力を他の誰よりも肌で実感出来てしまった。背中を追い続ける中でエンデヴァーは彼と己の間にある覆しようもない差を見せつけられることになる。

 

 誰もがオールマイトを絶対視する中で彼を超えようとするエンデヴァー。その姿勢を世間から冷ややかに受け止められようとも、オールマイトとの差がいくら大きくなろうとも背中を追い続けた。

 追い続け、追い続け……。その末に精神を摩耗し、いつしか彼は悟ってしまった。

 

「――自分じゃオールマイトを超えられねえ、ってな。それを悟った親父は……次の策に出た」

 

「……次の、策……?」

 

 闇の深そうな親子喧嘩を目の前で見せられた時と同じような嫌な予感が緑谷の脳裏に走る。冷や汗を流しながら、彼が鸚鵡(おうむ)返しにして尋ねると……口を開いたのは実弥だった。

 

「……自分じゃ超えられねェから次の世代に託す。そういう魂胆だろォ。"個性"が蔓延(はびこ)る社会でそれを実現させたきゃ、策は一つ。……個性婚しかねェ」

 

「……そうだ。よりにもよって、胸糞(わり)ィ手段をあのクソ親父は選びやがったんだ……!」

 

 ――個性婚。"個性"が日常の中に溢れる中、第二から第三世代で問題になった倫理観の欠落した前時代的発想。

 自身の"個性"をより強化して、我が子に継がせる。それだけの為に配偶者を選び、結婚を強いるというもの。

 醜い欲望を抱えていたエンデヴァーではあったが、当時の時点でも実績と資金は十分にあった。彼はそれらで轟の母親の親族を丸め込み、彼女の氷に関する"個性"を手に入れたのだと轟は語った。

 

「俺はクソ親父の野望を叶える為につくられた道具って訳だ。だが、奴の望み通りに動く気はさらさらねえ」

 

 途方もない憎しみを感じる。息が詰まるようで、緑谷は何も言葉が出なかった。実弥も眉間に深い皺を刻み、床一点を見つめて何かを考え込んでいる様子。

 

「記憶の中の母はいつも泣いている……。『お前の左側が醜い』と母は俺に煮湯を浴びせた。……クソ親父の醜い野望は、母すらも狂わせたんだ」

 

 仮面を被せるようにして、左手で顔の左側にある火傷を覆う轟の瞳は虚げだ。

 誰もが"個性"の扱いに失敗して出来たものではないかと考えていたであろう彼の火傷は、母親によって負わされたものだった。

 更に、轟は己が幼い頃から虐待染みた訓練を強いられてきたこと、その矛先がそれを止めようと己を守ってくれた母にすらも向いたことを付け加えた。

 

「……ッ、そんな……」

 

 ゾッとした感覚が背筋を走り、身体の底が冷えていくような気がした。

 ヒーロー社会の闇。または、表面上の輝かしい活躍によって覆い隠された真実。ヒーローオタクの緑谷としてはショックが大きいだろう。消え入るように呟き、思わず地面に視線を落としていた。

 

「俺は……何としてもお前らを超える。左の個性(ちから)を使わず、右の個性(ちから)だけで。親父の個性(ちから)を使わずに1番になることで……奴を完全否定する」

 

 とても15歳のヒーローを志望している少年から聞かされるものだとは思えない宣言だった。轟焦凍は、個性社会の闇の一部を体現していると言っても過言ではない少年。

 こうも見ている世界が違うのか。緑谷はある種の恐怖さえ覚えた。自分は本当に表面的で狭い部分しか見ていなかったのだと痛感していた。

 

「……俺の方が一方的に因縁つけてつっかかってるからな。不死川と緑谷には知ってもらう必要があると思って話した。お前らがオールマイトの何であろうと、俺は右だけで上に行く。それだけ覚えておいてくれ」

 

 「時間取らせて悪かったな」と付け加え、自分の伝えたいことは伝え終えた様子で背中を向けて歩き去ろうとする轟。

 オールマイトに憧れ、彼のように笑って人を救ける最高のヒーローになりたい。あまりにも純粋で綺麗過ぎる理想。轟に比べれば、些細で軽過ぎる目標。

 そんな風に思えてしまった緑谷は、何を言うべきか答えが見つからない様子だった。

 

「……エンデヴァーさん、随分と心配していた様子だったぜェ。お前のことを」

 

 背中を向けた轟に先に声をかけたのは、実弥だった。騎馬戦終了後に駆けつけてきたエンデヴァーの様子を思い出す。

 

 

 

 

 

 

「焦凍ォォォォォ!!!!!」

 

 彼は、天に轟く雷鳴のような声量で息子の名を叫びながら炎の噴射による高速移動で駆けつけてきた。

 普段メディアなどを通して見ている厳格な表情はなりをひそめ、息子が倒れたという事実に対しての動揺が露わになっていた。

 

「焦凍……!死ぬな、焦凍!お前まで死なせてなるものか……!お前には俺の望みを叶える責務がある……!お前が俺の希望なんだ……!」

 

 実弥の指示に従いながら、轟を"個性"の影響で常人よりも高い己の体温で温めていく際の言葉からも、心の底から彼を思い遣っているのが分かった。その気持ちに嘘はなかったように思う。

 死なせたくない。それだけは何がどうなろうと彼の本心であることに違いはないのだろう。

 

 低体温症を引き起こして体温を戻す場合、緩やかに温める必要がある。故にエンデヴァーの出番は比較的轟の体温が平熱に近い状態まで戻ってからだったのだが、そうでない時も彼が一番必死に轟を繋ぎ止めようと声をかけていた。

 

 少なくとも、あの時だけはまともな父親としての姿を見せていたように思えた。

 

 

 

 

 

 

「……そうか。自分の長年の野望を叶える為の道具を失いかけるような事態になったんだ。心配もするだろうさ。俺のことを道具としか見ていないくせして、父親(ヅラ)なんてふざけてるよな。……今更過ぎるって話だ」

 

 駆けつけてきたエンデヴァーの様子を思い出しながらした実弥の発言を受け、振り返りながら自嘲するような笑みを浮かべた轟はそう答えた。

 

「……そうかい。息子のお前が言うってんなら……そうなのかもなァ」

 

 悪い意味で自分の存在意義を理解してしまっている。息子である轟に確信を持たせた上でこう言わせるとは……。

 

(尚更、あんたを許す訳にはいかなくなったな……エンデヴァー)

 

 怒りと虚しさが実弥の胸中を埋め尽くす。哀愁の漂う轟の表情を見ながら、彼は眉間に深く皺を刻み込んだままで伏目になり、こめかみに青筋を浮かべて血が出てしまうのではないかと心配になる程に拳を握りしめた。

 

「……轟君」

 

 気持ちの整理を終えたのか、ここで緑谷も声を上げた。自分の掌を見つめ、拳を握りながら続ける。

 

「……僕は、誰かに救けられてここにいる。誰かの救けがなかったら、きっと雄英にすらいない。いつだって僕を見ている人達がいる。期待してくれている人達がいる。その人達に恩を返す為にも……改めて言わせてもらうよ、轟君」

 

――僕も君に勝つ!

 

 力強い瞳で轟を射抜きながら、緑谷もまた宣戦布告する。

 

「……ああ」

 

 彼を見つめ返し、轟はたった一言だけ静かにそう答えた。

 

 風が吹き、3人の頬を撫でる。それぞれの思いを胸にしまう中、彼は空を仰ぎながら独り言のように呟いた。

 

「……もし、俺が騎馬戦の時の無茶のせいで命を落としていたとしたら……クソ親父はどんな反応をしていたんだろうな」

 

「……!」

 

「と、轟君……」

 

 場の空気が一気に凍りつく。彼の問いに対する答えを知り得る者は誰もいない。自分なりの答えがあるとしても、答えられる訳がなかった。

 沈黙が流れる中、ハッとする轟。自分は何を言っているんだと言いたげな顔つき。きっと、無意識のうちに口走ってしまったのだろう。

 

「……!(わり)ィ、洒落にならねえ冗談だったな。……忘れてくれ」

 

 それだけを言い残し、ズボンのポケットに手を突っ込んだ彼は重い足取りで立ち去っていった。

 寂しげな背中を見送る中、緑谷が言った。

 

「……ヒーローって、いつだってカッコよくて、キラキラしてて、どんな困難を前にしても挫けなくて……。そんな眩しい存在だと思ってた。けど、本当は違った。……僕が今まで見ていたのは、ほんの一部の見えている部分だけだったんだ……」

 

「……」

 

 オールマイトの重傷や彼が笑う理由。そして、エンデヴァー及び轟家の抱える闇。No.1とNo.2の両方が決して表には出さない秘めた部分を知った彼だからこそ辿り着けた結論だろう。

 人間は誰しも、生きていれば複雑なものを抱え込む可能性がある。彼らとて自分達と同じく、ただの人間だ。

 

 彼らは、ヒーローであって英雄(ヒーロー)ではない。もっと分かりやすく言えば、ヒーローという肩書きの職業を生業にしている人間であって、神話や創作上における英雄(ヒーロー)と同じようにいついかなる時も超人的で完全無欠な存在という訳ではない。

 それを思えば、複雑な事情を抱えるのも当然の話だ。だが、人々はヒーローを持ち上げ続け、神格化して彼らの輝かしい部分だけしか見ようとしない。彼らを自分達と同じ人間だと思わない。人々が平和の象徴であるオールマイトをどう見ているかに関して言えば、特にその傾向が強い。

 

 緑谷もまた、その中の1人だった。事実、彼はオールマイトを神格化していると言っても過言ではないレベルで尊敬している。正直、彼の場合は"個性"すらも神格化していると言ってもいいのかもしれないが、それは一旦置いておこう。

 

 人々から見えないヒーローの現実。一度目撃してしまったからこそ、目を逸らして見ないふりをするようなことはしたくない。轟の事情は、決して忘れてはならない衝撃的な社会の真実だと思うからだ。

 

「……僕が轟君にしてあげられることは、言ってあげられることは……ないのかな……?」

 

 自分の両手の掌を見つめながら、緑谷は呟く。自分の手が届く範囲なら、やれるだけのことをやりたい。手を差し伸べたい。そう思っているかのように。

 

「……この手の問題は、他人の口出しや手出しで簡単に解決出来るもんじゃねェからなァ。すんなり答えを出せる問いじゃねェ」

 

「……そっ、か……」

 

 実弥の答えは当然のもの。ただ、簡単に納得は出来なかった。当然だと分かっていても、自分に出来ることの選択肢がない。それが緑谷には悔しかった。

 

「……轟は、必死に意地張ってエンデヴァーを否定しようとしていやがる。直面してる複雑な事情に対して意地を張るって行為が絡んでくるとな……人間ってのは、誰から何を言われようが自分の考えを曲げたくねェと思っちまう生き物だァ。……例え、他人の指摘が正論だったとしても、な」

 

 地面の一点を見つめながら、実弥はそう語った。複雑な事情を抱え、地雷を踏まれた側の人間である実弥だからこそ分かる。

 

 かつて、彼は意地になってでも炭治郎と禰豆子――竈門兄妹を否定していた。

 初めて彼らと邂逅した柱合会議の際。人を喰わず、守って共に戦う2人。初っ端から、実弥は彼らの存在を己の全てを賭けて否定した。鬼の醜さを証明しようとした。

 

「善良な鬼と悪い鬼の区別もつかないなら、柱なんてやめてしまえ!!!」

 

 炭治郎から糾弾されようとも実弥は己の意地を曲げなかった。何故なら、鬼に善も悪もないことを彼は知っているからだ。

 かつて、実弥は母親を鬼に変えられた。彼の母親――不死川志津は、優しく子供思いの女性で自分や年下の弟妹達を降り注ぐ虐待から守ってくれていた。そんな彼女ですらも、鬼に化した途端に弟妹達を全員喰い殺してしまった。

 鬼と化せば、身内だろうが問答無用に襲い得る。そんなものは常識だ。人間だった頃の志津は誰がどう見ても善良な人間だった。そんな彼女でさえも鬼になるや醜い欲望に呑まれ、炭治郎の言葉を引用すれば、悪い鬼にさせられた。故に……鬼に善悪の概念などない。実弥にとって、鬼は総じて悪だった。

 

 鬼であろうが人を守れる。その事実を否定しようと、実弥は己の血を利用した。彼の血は稀血の中の稀血。鬼にとって、稀血の人間は普通の血の人間を喰らうよりも遥かに効率よく強くなれる貴重なもので、どんな鬼であろうが喉から手が出るほど欲しいもの。

 実弥はその中でも特に貴重な極上の稀血の持ち主。これまでの経験上、彼を無視出来る鬼はいなかった。

 鬼に変えられた炭治郎の妹、禰豆子もその例外ではない……はずだったのだが、彼女は飢餓状態である上に実弥に傷つけられていたにも拘らず、彼に喰らいつくことも、彼を喰らおうとする素振りすらも見せなかった。

 

(……なんでこいつが、こいつらが……!)

 

 実弥の中に湧き上がってきた第一の感情はそれだった。

 竈門兄妹の在り方は、何かが違えば実弥にとってもあり得たかもしれない形。鬼に変えられた母と共に人を守る為に戦い、鬼と共に戦う鬼殺隊士の先駆者として竈門兄妹を導く未来もあったかもしれない。

 

 禰豆子も家族思いで善良な人物だったのだろう。考えなくても何となく分かる。鬼から人間に戻れた彼女を知っている今であれば尚更。

 だが、その部分に限れば実弥の母親……志津も同じはず。何が彼らと違ったのか。どうして彼らだけが他と違うのか。何故、自分達は彼らと同じ道を歩めなかったのか。

 いくつもの疑問が頭をぐるぐると回り、虚しさとやりどころのない怒りが胸を埋め尽くした。

 

 極上の稀血を持つ自分を前にしても捕食衝動に耐えた禰豆子を前に、その場では一旦引き下がった実弥ではあったが、心の奥底から竈門兄妹を認めることは決してなかった。

 ここで彼らを認めてしまえば、母親を殺してまで命懸けで玄弥を守り抜いた自身の行動の何もかもを否定してしまうことになる。自分の中の何かが壊れてしまう。そんな予感があったからだ。

 無限列車での戦い、遊郭での戦い、刀鍛冶の里での戦い……。これらを経て2人は実績を重ね、他の柱の面々にも認められ始めたが……実弥だけは鬼との決着がつき、禰豆子が人間に戻ってわだかまりが完全に解けたその日まで、ついぞ彼らを認めることはなかった。

 

 竈門兄妹の存在は実弥にとって地雷同然。隊士時代は話が別だが、戦いが終結した後と今に関しては彼らが嫌いな訳ではない。

 ただ、今もなお彼らが地雷である事実は変わりない。

 

 鬼となっても人を守る為に戦った禰豆子と、鬼に変えられて愛する子供達を殺してしまった志津。

 鬼となった妹を守り、共に戦う道を選んだ炭治郎と、玄弥を守る為に必死だったとは言え、鬼となった母親を殺してしまった実弥。

 決して互いの手を離さず、最後まで共にあり続けた竈門兄妹と、幸せになって欲しいが為に最愛の弟であった玄弥を突き放し続け、その上で守りきれなかった実弥。

 それに加え、実弥は今世でも弟妹達と育ての親を守りきれなかった。残るは血が繋がらずとも最愛の妹であるエリだけ。

 

 竈門兄妹の凡ゆる面と己に関する諸々を比べ、実弥は強い劣等感を感じている部分がある。当時は自覚していなかったが、今なら分かる。

 玄弥を突き放し続ける選択をした件についても、彼は意地を張り続けた。最愛であるが故に彼を愚図呼ばわりした上に弟じゃないと宣言して突き放し、目潰しによる再起不能までも狙った実弥は……そこでも炭治郎に糾弾された。

 

 貴方にそこまでする権利はない。兄貴じゃないと言うのなら玄弥の選択に口出しするな。どちらも正論だろう。それでも、実弥は譲らなかった。

 玄弥を半殺しにしてでも鬼殺隊を辞めさせ、彼に普通の暮らしを与える。彼の普通の暮らしを守る。その意地を貫き通す為に彼と大喧嘩を繰り広げ、そちらの考え方も曲げなかった。

 実弥は玄弥を失うことになってしまったが、彼の考えが間違っていたのかというと、決してそうではない。やり方は間違っているかもしれないが、最愛の家族を命を賭けて戦うような組織から突き放し、ごく普通の幸せな暮らしをしてほしいと願うのは当然のこと。それが人間として当然の感情であることも彼は分かっている。

 

 だから、玄弥の件についても意地を張り続けた。そう、彼もまた自身の抱えた複雑な事情を前にして意地を張り続けた男だった。

 

「……そういう奴らには、他人が何を言おうが響かねェ場合が大半だァ。そんな奴らを相手に頑なに突っかかって抱えてるもんをぶち壊そうとする奴もいるが……俺の経験上、大体拗れる」

 

 炭治郎と実弥がそうだった。実弥と玄弥の仲を取り持とうとした彼を前に、実弥は激昂。元々、鬼を連れていることもあって炭治郎を認めていなかったり、シンプルに反りが合わなかったりと色々あって仲が悪かったが、それを機に更に拗れた。

 荒療治が、かえって患者に苦痛を与えて症状を悪化させる可能性があるのと同じように、他人の干渉が本人の抱える問題を更に深刻化させる場合もある。

 

 どうして実弥がこんなことを緑谷に対して伝えるのかというと、何となく彼が炭治郎と同じようなタイプだと感じているからだ。

 

 恐らく彼は、目の前にいる人が困っているというのならば無遠慮に地雷を踏み抜き、抱えているものを叩き壊してでも救けようとする。その悪気なしで無遠慮に地雷を踏み抜いてしまう姿勢は炭治郎も同じだった。

 また、ナヨナヨしているように見えて、緑谷には結構頑固な一面もある。炭治郎も物理的な意味でもそうでない意味でも頭が固く、同じような一面を持つ少年。

 更に、炭治郎は鬼舞辻無惨の討伐、緑谷はオールマイトのような笑顔で困っている人々を救ける最高のヒーローと、身の丈に合わないと思われてもおかしくない大きな目標を掲げているという点でも。

 

 実際、実弥はここ最近の緑谷に炭治郎の面影を何となく重ねることがあった。

 

 現実的な考え方を前にして俯きつつある緑谷の頭にポンと優しく手を置きながら、彼は続ける。

 

「けどなァ、逆にそういうやり方が心を開くきっかけになる場合もある。……他人に気づかされる大事なことってのもあるもんだァ」

 

 意地を張って己の意志を貫き通すということは、それだけ己の意志に反するものを自分の内から排斥すること。他人の意志を頑なに介入させまいとするあまり、大事なことを見落としがちだ。

 そんな時に必要なのが第三者の介入。他の誰かの言葉や行動をきっかけにして、大事なことに気づけるかもしれない。

 些細なことをきっかけに再び花開く。記憶とはそういうもの。かつて、元霞柱の時透無一郎は炭治郎から言われた言葉をきっかけにして自身の忘れ去っていた記憶を紐解いていき、全て取り戻した。

 

 また、そういう強引なやり方は心を塞ぎ込んでしまった者に対して有効な場合もある。

 実際、両親から虐待を受け続けた過去故に感情を閉ざした、しのぶの継子であった栗花落カナヲと、最終選別で親友を失って塞ぎ込み、親友から言われた大事な言葉さえも忘れてしまった元水柱の冨岡義勇は、強引に話しかけてくる炭治郎に根負けした結果、彼の言葉と行動をきっかけにして心を開いた。

 

 自身のやり方を肯定もする言葉を受けて再び顔を上げた緑谷に、彼は微笑みかける。

 

「間違っているとも言えるし、正しいとも言える。お前がやろうとしてんのは、それくらい複雑なことだァ。一般論的に言えば、介入すべきじゃないってのが答えだろうなァ。そいつを頭に置いた上で、時間かけてゆっくり考えてみろォ」

 

 そこで一旦言葉を区切ると、彼のモサモサとした緑髪を荒っぽく撫でながら言った。

 

「……それでも救けてェ。そう思うんなら……お前の思う通りにやってみりゃ良い。間違った時はきっちり叱る人達がいる。学生のうちだけの特権だァ。勿論、余計に傷抉っちまったことを謝るのも必要なことだがなァ」

 

「……うん。言われてみてハッとした。確かに衝動的に動いていいような問題じゃないよね……。頭を冷やしてから、もう一回考えてみるよ」

 

 実弥の助言に頷く緑谷。また一歩先に進む様を見て、オールマイトが彼を後継者に選んだ理由を改めて実感する実弥だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、実弥は緑谷を一足先に戻らせて1人だけその場に残った。

 理由としては、頭を冷やしたかったからだ。轟自身の口から彼の過去と彼がどう思っていたのかを聞かされ、どうもエンデヴァーに対する怒りが収まらない。

 

「フゥゥゥッ……」

 

 ゆっくりと時間をかけて深呼吸をする。アンガーマネジメント。直訳して、「怒りの管理方法」。

 その方法の一つとして挙げられる6秒ルールに、気分をリセットする為の深呼吸を組み合わせた。

 だが、それはあくまで怒りを完全に鎮める訳ではなく、コントロールするだけ。元よりアンガーマネジメント自体が「怒らない」状態を目指さないものである為、当然と言えば当然なのだが。

 

「……クソッ、あのろくでなしの(ツラ)がチラつきやがる」

 

 壁に拳を叩きつけながら、実弥はボソッと呟くように吐き捨てた。――彼の中で記憶が重なる。

 ろくでなし。その正体は、前世の実弥の父親――不死川恭悟。子である実弥や玄弥を始めとする弟妹達、更には妻である志津にさえも虐待をしていた父親……否、人間の屑と言っても過言ではない男。

 

 実弥は、父親に虐待染みた訓練を強いられ、道具扱いされ続けている轟を、前世の己とこれ以上ないほどに重ねていた。

 

 どうしてもエンデヴァーに対する怒りが収まらないのは、彼があのろくでなしの父親と重なるからだ。自分のことであるかのように轟に寄り添おうとしているからだ。そして、幼い彼を守る為に訓練を止めようとした彼の母親と、物心つかないくらいに幼い自分を父の虐待から庇ってくれたかつての自分の母親をも。

 

 奇しくも、彼らは同じように母親を狂わされた。志津は何者か――恐らくは鬼舞辻無惨の手によって理性もない鬼に変貌させられ、轟の母親はエンデヴァーの野望や虐待を前にして精神が参り、心が壊れた。……寄り添わずにはいられなかった。

 

 だが、実弥が怒りを抱く理由はそれだけではなく、もう一つ……何よりも大きな理由があった。

 

("個性"で人生を狂わされたのは、エリも同じだったな……)

 

 そう。"個性"の影響で父親の野望を叶える為の道具扱いされて人生を狂わされた轟を、エリにも……今世の最愛の妹にも重ねているのだ。

 詳しいことは未だ不明であるも、世話役であった男の野望を叶える為の道具とされていたことだけは確実に分かっているエリ。

 そして、父親のオールマイトを超えるという野望を叶える為の道具として扱われている轟。

 

 どちらも実弥にとっては、自らの持つ力に翻弄されながら生きている、全てを賭してでも守るべき幼い子供だ。

 

 考えれば考えるほど、轟に寄り添うべき理由が見つかる。

 

「……何か、些細なきっかけでも与えてやれりゃあいいんだけどなァ……」

 

 空を見上げて呟きながら、自分が既に彼に対して手を差し伸べる前提でいることに気がつく。

 偉そうなことを言っておきながら、一番冷静じゃないのは自分なのかもしれないなと実弥は苦笑した。

 

「……」

 

 そして……通路の曲がり角で偶然その場に居合わせ、轟の過去から実弥と緑谷の話、実弥の独り言まで全てを密かに聞いていた爆豪は、終始無言のまま真剣な面持ちで静かにその場を立ち去るのであった。




実弥さんが竈門兄妹に対して抱える諸々に関しては、完全なる独自解釈です。
互いの解釈の押し付け合いは嫌なので、解釈違いで無理って方は素直に回れ右をお願いします。


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