ホグワーツの司書 (影尾カヨ)
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賢者の石
ほんの小さなプロローグ


 ホグワーツ魔法学校。夜も遅くなり静まり返った薄暗い部屋に、僕とマクゴナガルが向かい合って座っている。目の前のチェス盤の駒を動かしながら、僕は口を開く。最近はまた老いを実感するようになった。生徒たちから裏で老人扱いされているという噂も聞いたことがある。なんとか誤魔化せないだろうか。

 

「そういえば、そろそろ学校が始まる時期ですね」

 

 黒のルークを動かし、相手のビショップを追い詰める。ここまでの戦況は五分と五分と言ったところ。互いにナイトを1つずつ堕とし、攻めの中核は僕がルーク。彼女がビショップだ。

 マクゴナガルは手堅くビショップを逃がし、逆にその一手で僕のナイトを取る。杖を振りかぶった僧侶が、馬上の騎士を粉々に砕いた。

 

「ええ。また新しい生徒達がやって来ます」

 

 彼女は眉ひとつ動かさないで僕の問いかけに答える。

 

「なんでも今年は()()()()がやってくるとか。巷はその噂で持ちきりですよ」

「誰が来ようと来まいと、我々は教師として彼らを導く事が使命です」

「相変わらず、真面目なお方だ」

 

 少し悩み、僕は全く別のポーンを動かした。これは賭けに近い。彼女が対処するならルークを動かせるし、放っておくならそのままプロモーションを狙える。だがそれだけ手が掛かり、相手の自由を許してしまう事にもなる。

 

「ダンブルドア校長からのお達しでは、少年に合わせて『石』を動かすとか」

 

 故に盤外戦術でこうやって動揺を誘い、相手の判断力を鈍らせる。声を落として『石』の話題を出すと、彼女の指が止まった。マクゴナガルは普段は手堅い人だが、こうやって動揺がわかりやすいタイプの人でもある。

 

「そのような話題を公の場で口にするのは、あまりに迂闊なのではありませんか?」

「ええ。確かに。しかし有効な戦術でもあります」

 

 実際、彼女の手は彼女らしからぬ迂闊な物だった。そのままルークを目眩しにポーンを進め、クイーンに昇格させた後は容易く彼女を追い詰める事ができたのだった。

 

「…チェックメイト」

 

 そう告げると彼女は敗北を受け入れ、息を吐きながら肩の力を抜いた。今回の戦法は卑怯と言われるかもしれないが、それでも彼女に勝つ事は嬉しいものだ。僕は久々の勝利の余韻に浸りながら、チェス盤を片付ける。

 

「どうせ貴方も『石』の護りを命じられたのでしょう?」

「おや、話題にするのは迂闊なのでは?」

 

 負けたからか少し疲れたような声色での問いかけに、少し意地悪に返す。

 

「校長からの要望は『熟練者が10回に9回は間違い、そしてそれは死に繋がる』という物。そう易々と思いつくものではありません。出題者に求められるのは、それ相応以上の知識と技能。そして何より、校長からの信頼。その全てを持つ貴方が、声を掛けられない筈がありません」

「はは。お褒めにあずかり、光栄の至り」

 

 大袈裟に拝謁の礼をする。そういう彼女も護りを命じられたのならば、石はかなり厳重に護られるだろう。

 

「通常の教師とは立場が少し異なりますが、より一層の協力と尽力を期待していますよ。スコープ司書」

「ええ。もちろん。マクゴナガル先生」

 

 僕はライアス・スコープ。ここ、ホグワーツ魔法魔術学校の司書。肩書きは詳細に言えばもう少しあるが、意外とつまらない男だ。



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ハーマイオニー・グレンジャー:1

 彼女を見つけたのは、入学式からまだそんなに日が経っていない頃だった。返却された本を棚に戻す作業を行なっている時、本棚の前で深く悩んでいるのを見かけたのだ。

 

「これなら…ダメだわ。何のことか分からない」

 

 そんな声を漏らしながら本を手に取り、パラパラと軽く読んでは棚に戻すというのを、何度も繰り返していた。

 僕が全ての本を棚に戻し終わってもまだ似たような事を続けていたので、声を掛けたのが出会いだった。

 

「何かお探しですか?」

 

 気遣ってそっと話しかけたが、集中して本を見ていたグレンジャーには驚くに値する事だったようだ。図書室に似つかわしくない悲鳴を上げたのを、シーっというジェスチャーで抑える。

 

「急に声を掛けたのは申し訳ないと思う。どうも君が迷っている様に見えて、力になれると思ったんだ」

 

 そして戸惑う様子の彼女に自己紹介と、軽い会話をした。そこで彼女の名前と、グリフィンドール寮の1年生であること。そしてマグル生まれである事を知った。

 

「では、グレンジャー。君は何の…或いは、どんな本をお探しかな?」

 

 彼女の言うことを整理すると、彼女は『魔法界について知ることができる本』を探している。そしてそれらしい本を探してみたが、いざ内容に目を通すと難解な言い回しや独自の解釈で書かれている本ばかりで困っている。ということらしい。

 

「なるほど。君は今日この後の予定はどうなってるんだい?……じゃあ夕食の後で貸し出しカウンターまで来てほしい。僕のオススメの本を、いくつか見繕っておくよ」

 

 そう言うと、彼女は信用しているとは言い難い眼で僕を見た。たしかに出会って数分の人間に薦められた本が、目的に合うとは限らない。

 だが安心して欲しい。

 

「僕は長い間、ここの司書をしてきたんだ。その実績は、伊達じゃないよ」

 

 図書室の閉まる時間を告げて、彼女と別れた。本当はすぐにでも提供したいのだが、さっきも言った様に僕は司書だ。カウンターに戻ると離れていたのは半時間程度だというのに、もう貸し出し手続きを待つ生徒達が僅かばかり不満を顔に浮かべながら並んでいたのだった。

 

 

 陽は深く沈み、夜の生き物達が我が物顔で空を駆け、地を這う時間。グレンジャーが図書室へとやってきた。

 

「やあ、待っていたよ」

 

 新学年が始まって間もないということもあり、この時間の図書室を利用する人はいない。故にある程度の声で話しても問題はない。彼女をカウンターへと招き、数冊の本を差し出す。

 

「これらが、スコープさんのオススメの本ですか?」

「ああ、そうだよ。紹介しよう、我が王国の先導者たち(ベルウェザー)を」

 

 大仰な口上と共に手を振って、本を宙に浮かばせる。相手がマグル出身ならば、引き込むようなエンターテイメントが丁度いい。

 

「まずは『マグル語翻訳辞典』」

「マグル語ですか?お言葉ですが、私はマグル出身なんです。翻訳なんてしなくても、単語を見ればわかります」

 

 いきなりグレンジャーはつんけんとした様子で怒る。彼女は自分の知識に自信がある様だ。昼間見た時も探している本をある程度まで絞り込める辺り、実際に頭が良い少女なのだろう。

 そんな彼女を宥めるには、なぜこの本を薦めるのかを説明するのが手取り早い。

 

「グレンジャー。君はマジックミラーを知っているかい?」

「…マグルの知識でなら、知っています」

 

 マジックミラーは明るい側から見ると鏡に見え、暗い側から見ると透けて見える。そんなマグルの技術だ。もちろん彼女は知っているだろう。

 

「片側の知識にだけ詳しくても、マジックミラーの向こうを見ることはできない。向こうからこちら側がどう見えているのか。この辞典はきっと役に立つと思うよ」

「マジックミラー…。例えはよく分かりませんでしたけど、いいです。貴方に騙されたと思って、借りてみます」

よろしい(Awesome)!」

 

 辞典を傍に退けて、次の本を示す。

 

「『非行少年の飛行旅』。これは少し難しい本だ。所謂、目標として読んでみるといいかもね」

「目標…?」

「この本には色々な地名、勢力、魔法生物の名前が出てくる。その全てをスラスラと読むことができたならば、貴女は魔法界に詳しくなった。と、胸を張って言えるだろう」

 

 つまるところ、彼女の要望である『魔法界について知ることができる本』である。自分の望みに叶う本だとわかったからか、彼女は素直に受け取った。

 

「そして最後に…『マグル旅行』」

「またマグル…。それもマジックミラーとやらですか?」

 

 受け取りながらグレンジャーが尋ねる。これは主人公の魔法使いがポートキーの誤作動によって杖も無しにマグル界へ飛ばされて、四苦八苦して魔法界に帰ってくる。という本だ。魔法使いの視点で書かれたマグル界は、確かにさっき説明したマジックミラーの例えに似ているかもしれない。

 だが、それよりも大きな理由がある。

 

「僕の好きな本なんだ」

 

 自分が好きな物を、誰かにも好きになって欲しい。この物語はコミカルで暗い描写が少ない。主人公の人柄もとっつきやすい部類であり、何よりマグル出身のグレンジャーにとって、自分には当たり前の物が主人公には見も知らない物として扱われるのは新鮮な感覚だろう。

 或いは魔法界に来たばかりの彼女には共感を覚えるかもしれない。

 

「じゃあ借ります。スコープさんが好きな本、私も好きになれると思いますか?」

「さあね。僕らはまだ親しいとは言えないし、年齢も立場も性別も出身も違う。同じ物が好きになるとは、言い切れないな」

 

 そう僕が言うと、グレンジャーは少し悲しいようだった。そんなつもりで言ったのではないと、慌てて取り繕う。

 

「でもこうして薦める本を借りてもらう関係になったんだし、きっと君も好きになると思ったから薦めたんだ。だから、好きになってくれたら、僕は嬉しい。ただ、僕には他人の嗜好を強制する趣味は無いんだ。好きになれないからと言って、君が気に病む必要はない」

 

 僕の言う事が伝わったのか、彼女は気を取り直した。そして紹介した本を3冊共借りると言った。貸し出し手続きが終わり、彼女が退室しようとした時。僕は司書控室に戻り、手に1枚の羽を持って彼女を呼び止めた。

 

「ハーマイオニー・グレンジャー。ようこそ魔法界へ。僕は君を歓迎します」

 

 そう言って羽を彼女に差し出す。僅かに魔力を放つソレは、魔除けの大鷲の羽だ。かつて闇の帝王が猛威を奮った時代、少数の魔法使いの間で噂となった逸品である。

 

「この学校生活が実りある物となりますように」

「ありがとうございます、スコープさん」

「その一助となれる事を、願っているよ」

 

 そう言って彼女を図書室から送り出した。

 

 もうすぐ図書室を閉める時間だ。今日は比較的、暇な日だった。だが、新しい出会いもあった。彼女は優秀な魔女になるだろう。これは僕の予感だが、今年は面白い年になりそうだ。



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ネビル・ロングボトム:1

 図書室というのは本を借りる以外にも用途はある。その1つが自習室としての役割だ。そして望みの学習書を求めて、僕に頼る生徒も多い。

 

 多い…のだが。

 

 目の前のヒキガエルを持った少年は、少し事情が異なる。

 

「ロングボトム。申し訳ないけど、君がこの本を借りる事はできないんだ」

「ええー‼︎な、なんでですか!」

 

 図書室に似つかわしくない大声をあげる少年を宥める。周囲の注目する視線を恥じたロングボトムは、肩を縮ませて顔を赤くする。

 

「次に大声を出したら、減点するよ」

「はいぃ、ごめんなさいぃ」

 

 消えていくような震えた声で話すロングボトム。僕としては図書室の利用者に制限するような事はしたくないのだが。彼の場合は少し難しい。

 

「君が前に借りた魔法界の植物に関する本。アレをまだ返却してもらってないから。もう期限は過ぎてるんだよ」

「で、でもボク、あの本が無いとスネイプ先生の授業で減点されちゃうんです」

 

 彼に貸し出した本『腐った脳に草を生やせ』は、スネイプが教鞭を取る魔法薬学の教科書ではない。あの本が無いからと言う理由で減点などはされないはずだ。

 

「ロングボトム、スネイプは厳しい人かもしれないが理不尽な人じゃない。あの本の有無は授業には関係ないんじゃないかな?」

「僕は薬の調合はあの本を見ながらじゃないと、ちゃんとできる気がしなくて。貸し出し期間の延長とか、できないんですか?」

 

 縋り付く彼には申し訳ないが、他の生徒が貸し出しの希望をしている。彼のためだけに期間を延ばすことはできない。

 だが貸し出し希望の生徒も、ロングボトムと同じ1年生だったはずだ。もしかしたら同じスネイプの授業を受けているのかもしれない。あの本は挿絵や丁寧な解説が多く、魔法薬学の参考書としては申し分ない。

 

「つまり君は薬の調合が苦手なんだね」

「苦手なんてものじゃないんです。あの本を借りる前は失敗ばかりで、授業に出るたびにグリフィンドールの点数が下がるばっかりでした」

 

 余程、魔法薬学に自信がないらしい。スネイプのグリフィンドール嫌いは彼がここの生徒の頃から知っている。教師の立場としてはあまり褒められたものではないが、かと言って完璧に公平であれとは言えない。

 

「そう言われても、君のわがままで他の子を待たせる訳にもいかない」

「うう…。そうですよね」

 

 本を返した後のことを想像しているのか、ロングボトムの顔はみるみるうちに青くなってゆく。なんだかこの少年が可哀想に見えてきた。

 

「わかった。代わりにいくつか、魔法薬学の参考になりそうな本を探してみよう」

「ホントですか。わあ、ありがとうございます」

 

 席を外す事を示すボードをカウンターに置き、僕は彼と共に魔法生物について書かれた書物の棚へと向かった。

 

「スネイプの授業はかなり実践的だ。教科書を開いて読むんじゃなくて、実際に作ることに重きをおいている。その内容は主に、ある程度以上の危険性を持った薬品の作製」

 

 それは1年生でも7年生でも変わらない。これは彼の恩師であり先代の魔法薬学の教師にあたる、スラグホーンのスタイルを踏襲しているのだろう。彼なりのリスペクトかもしれない。

 

「この辺りが目安かな」

 

 魔法薬学には魔法界の植物の知識が欠かせない。食べてはいけない物、触ってはいけない物、鳴き声を聞いてはいけない物など、間違えば死ぬような危険性がある植物も多い。いくつかは学校の植物園で栽培しているはずだ。

 

「『マンドレイク(アンド)(レイク)』。主に水辺で育つ植物について書かれてる。肝心のマンドレイクに関する記述はほとんど無いのが笑えるね」

 

 少し大きい分厚い本を、ロングボトムの手に乗せる。

 

「『深い不快』。毒性の強い植物がまとめられてる。入門書としては悪くない」

 

 スネイプが1年生の授業で使う薬品の材料なら、この2冊にほとんど載っている。彼はよく嫌がらせ気味な難題を出すが、それは解けなくても大きな減点はないはずだ。

 

「あとは魔法生物の本だ。薬学は植物だけでは成り立たない」

 

 そう言って彼に渡したのは『動物はどうぶつ?』。危険生物の取り扱いが書かれた、主に魔法生物学で用いられる本だ。生物の取り扱いが詳細に書かれ、その体の部位の用法も添えられている。

 ただ薬の材料として覚えるのは暗記でしかないが、その元となった生物がどんな生態をしているのか知るのは、なかなかに楽しい。

 ロングボトムも薬学の話をしている時は死んでしまいそうな暗い顔だったが、今こうやって生物の分野の本を見る目は忌避のない好奇のものだ。

 

「この3冊があれば…まあ君の頑張り次第だが…スネイプの機嫌を損ねる事は減ると思うよ」

 

 共にカウンターに戻り、本を裏に置く。今の状況では彼は本が借りられないからだ。

 

「君はこれから部屋に戻って、あの本を取ってくるんだ。そうしたら、この3冊は問題なく借りられる」

「やった!ありがとうスコープさん!すぐ取ってきます!」

 

 嬉しそうに図書室を飛び出していくロングボトムに、僕はやれやれとため息をつく。

 

「図書室で大声を出してはいけない。グリフィンドール、5点減点」

 

 そして置いていかれたであろう彼のペットのヒキガエルを見て、3冊の本の上にそっと『蛙を従える本』を加えた。



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ドラコ・マルフォイ:1

 図書室はさまざまな利用方法がある。というのは以前から言っている。だがもちろん、許されない行為というのもある。大声で話す。本を粗末に扱う。飲食をする。…これらの行為は、僕の王国(図書室)では許されない。

 

 そして、いびきをかきながら机に突っ伏して眠るのは、図書室でなくとも咎められる行為だろう。故に僕の行動はシンプルだ。

 

「クラッブ、ゴイル。それぞれ10点減点」

 

 杖を一振りして2人の髪を引っ張り、その目を覚まさせる。寝ぼけ眼の彼らも、減点という言葉が聞こえたのか顔を振って意識を覚醒させた。

 

「寝不足なら談話室に戻るんだ。ここにベッドはない」

「でも俺たち、ここで待ってろって言われてて」

「誰に?」

「僕に、だ」

 

 キザったらしい声に振り向くと、金髪の少年。ドラコ・マルフォイが立っている。

 

「やあ、マルフォイ。君が彼らを待たせていたのかい?」

「そうだ。本を探しててな。こいつらは頭が悪いから何の手伝いにもならない。字も読めるかあやしいものだ」

 

 マルフォイの言う事に2人は気不味そうにする。どうにも友人というより、舎弟とか家来とかと似たような関係らしい。彼らの父親を知っている身としては、ある程度察することができる。

 

「なるほど。ならしっかりと言い含めておいてくれないか。図書室は寝る場所じゃないってさ」

「なんでわざわざ、僕が説教しなきゃいけないんだ?司書の貴方がやればいい」

 

 随分と生意気な子だ。父親か、母親。或いは両方が、余程甘やかして育てたとみえる。マルフォイ家は魔法界の名家であり、裕福だ。

 つまりドラコ・マルフォイというのは、典型的な『おぼっちゃま』だと結論づける。

 

「どうやら君は、上に立つという意味を知らないらしい」

「何?」

 

 少しからかうと、眉間にシワを寄せて睨んでくる。実にわかりやすいタイプの直情家だ。悪くない。彼には見えないようにほくそ笑む。

 

「君たちの関係はおおよそ察しがつく。どうせ常に3人で連んでいるんだろう」

 

 よく物語で出てくる単語を用いるなら、トリオ、或いは三馬鹿。と言うのだろう。だがそれは口にする必要はない。

 

「この2人の素行が悪い事が噂になれば、一緒にいる君の評判がどうなるか予想がつく」

「…それはそうかもしれない。けど、上に立つ事とは関係ない」

 

 意地になっているのか、マルフォイは退がる気はない。そういうところがますます、プライドだけ高いおぼっちゃまだ。

 

「よく言うだろ?己が民を統制せよ。たった2人の子分すら従えることができないなら、操り人形の方がお似合いだ」

「ーッ!父上に言いつけてやる!僕を馬鹿にするとどんな目にあうか、思い知らせてやる‼︎」

 

 あまりにも型に嵌ったセリフに、うっかり吹き出してしまう。形勢が悪いと見るや自分の使える最高の権力(父親)を引き合いに出す。やはりわかりやすく、御しやすい。操り人形という適当な例えは、案外的を射ているのかもしれない。

 杖を振って、1冊の本を手繰り寄せる。

 

「古い国の王様の話だ。帝王学を学べる。暇な時にでも読むと良い」

 

 僕が差し出すと、マルフォイはひったくるように受け取った。いらないと拒絶されると思ったが、彼なりに心にくるものがあったのか。

 ついでに1冊ずつ、クラッブとゴイルに渡す。

 

「図書室に来て眠るなんて勿体ない。本が読めるなら、貴方達の世界は無限に広がるよ」

「はあ…。どうも」

 

 簡単なABCの本だ。挿絵も多く絵本としての趣が強いが、読書に拒否感があるのなら我慢して読むには合っている。

 

「貸し出し手続きならカウンターへどうぞ」

 

 結果的に、マルフォイは探していた本と渡した本を合わせて2冊。クラッブとゴイルは1冊ずつ借りる事となった。

 

「マルフォイ」

 

 去ろうとする3人のうち、マルフォイだけを呼び止める。

 

「何だ、いまさら父上が怖くなったか?謝るなら許してやる」

 

 相変わらず生意気な事を言う。彼ぐらいの年齢なら、それもまた一興だろう。学校生活の中で変わるかも知れないし、変わらないかもしれない。そこに関してはどうでも良い。彼の人生に口を出すほど、司書というのは偉くない。

 

「いや。むしろルシウスに伝えてくれ。『司書は変わってない』って」

 

 端的なメッセージを疑問に思いながらも、マルフォイは身を翻して去っていった。置いていかれそうになった取り巻きの2人も慌ててついて行く。

 

「…蛇の子は蛇か」

 

 昔の父親とそっくりな振る舞いに、少しおかしく思いながら僕はカウンターに腰掛ける。



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クィリナス・クィレル:1

 ハロウィンというのは魔法界においてもちょっとしたお祭りのような扱いを受ける。ホグワーツでも大広間に多くの料理が並び、先生も生徒も勢揃いだ。僕も司書ということで、その末席にいる。

 

 騒ぎが起こったのは、僕が次に食べるのはチキンにしようかパイにしようか、悩んでいる時だった。闇の魔術に対する防衛術の教師、クィリナス・クィレルが血相を変えて広間に飛び込んできたのだ。

 彼は学内へのトロールの侵入を告げると共に気を失ったが、それは生徒たちに混乱をもたらすのに十分すぎた。子供たちは食べている物を放り出しパニックに陥った。

 

「静まれ!」

 

 だが校長の咆哮のような一声で、冷静を取り戻す。このような時に周囲を統率できるのが、彼が有能であることの証明であろう。注目が集まった状態で校長は、生徒には寮に戻るように。教師にトロールの対処にあたるように指示をした。

 

 監督生が生徒を連れ出し、教師も慌ただしく出て行った。そうして広間は、あっという間にがらんどうとなる。こういう時、司書の立場というのはあやふやだ。教鞭をとる訳ではないので厳密には教師ではないし、かと言ってもちろん生徒ではない。

 つまりどう行動しようが自由だ。

 

「あ、コレ美味しい」

 

 残された料理に舌鼓をうつ。作っているのは屋敷しもべ妖精だが彼らの腕は確かだ。大皿に乗ったカボチャゼリーを大きく切り取り、口に運ぶ。誰かと楽しく食べるのも好きだがそれと同じくらい、誰の目も気にせず食べたいように食べるのも、僕は好きだ。デザートを食べた後で口直しにスープを飲んでもいい。

 

 そうしていると、気絶していたクィレルが目を覚ました。彼は飛び起きるように身を起こし、首を振る。辺りを見回して、僕に気が付いた。

 

「あ、あの。みな、皆さんは?」

 

 おどおどとどもりながら、彼は僕に問う。以前の彼はこんな話し方ではなかった筈だが、他の魔法使いから呪いでも受けてしまったのだろうか。

 他の人がどこへ向かったのかを言うとクィレルは「では、私も」と、そそくさと去っていった。出て行く間に、何度もこちらを窺うように振り返っていたのが印象に残った。

 

 これで正真正銘、広間は僕1人となったわけである。そろそろ膨れた腹にシメにしようと、今日の料理の中でも渾身の出来栄えであろうカボチャケーキに手をかける。

 だがそこで思わぬ…正確には思っていたが来て欲しくは無かった校長からの使いが、文字通り飛んできた。

 

「…やあ、フォークス」

 

 燃えるように美しい赤羽の鳥。ダンブルドア校長の不死鳥だ。フォークスは何かを伝えるような瞳でこちらを見る。その吸い込まれそうな瞳は、心まで見透かしてきそうな不気味さも持ち合わせている。まるで彼を通じてダンブルドアと相対している気にさせられる。

 そして今は、以前に命じたことを思い出させようとしているかのようだった。

 

「はぁ。全く。校長は面倒な事ばかりを命じてくるんだから」

 

 ケーキにかけた手を戻し、やれやれと席を立つ。気は進まないが、校長から直々のお達しだ。従うしかあるまい。

 

 

 ホグワーツの4階の廊下。生徒は立ち入りを禁止されている場所に、人影が現れる。廊下の灯が、影の顔を照らす。特徴的なターバンをした男。クィレルだ。

 彼にさっきのような臆病さは無い。むしろ堂々と廊下を進み、奥の扉へと近づいていく。その前にスネイプが立ちはだかる。

 

「これはこれは…。クィレル教授。この先に何か御用ですかな?」

 

 ねっとりと絡みつくような声で言う。まるで問いかけるような言い方だが、その姿勢は警戒に満ちている。対するクィレルもいつものような怯えるような様子は無く、彼を睨んでいる。

 

「なぜ…ここがわかった?」

「教師がトロールの対処に集中すれば、この場所の警戒は薄くなる」

 

 もしここに隠されている物を狙う人間がいるならば、この好機を逃すわけがないというわけだ。

 まんまと引っかかったクィレルは、苛立ち混ざりに杖を抜く。

 

「やめた方がいい。ここにいるのは我輩だけではない」

 

 スネイプは顔色も変えずに言う。どうやら呼ばれたようだ。一連の様子を見ていた僕は、隠れていた石像の陰から灯りの下へと歩み出る。クィレルをスネイプと挟む形だ。

 

「そういう事だ。観念した方が身の為だ」

 

 もう彼に逃げ場はない。そう思ったのは気の緩みであり、失態だった。彼は仮にも、『闇の魔術に対する防衛術』の教師なのだ。

 

「それはどうでしょう。《吹き飛べ》!」

 

 彼は目にも止まらぬ早業で杖を振り、スネイプを後ろの扉に向けて弾き飛ばした。扉はその衝撃で壊れ、彼は部屋の中へと消える。すると恐ろしい獣の声が、部屋から響いた。

 一瞬の事に呆気に取られたが、僕はクィレルよりもスネイプの救助を優先する。彼の杖は吹き飛ばされた時に、その身を離れている。一刻も早く助けなければ彼の身が危ない。

 

 部屋の入り口から、彼が呻いているのが見えた。そして大きな獣の脚も。

 走ったのでは間に合わない。

 

 そう判断した僕は、大鷲へと身を変える。

 『動物もどき(アニメーガス)』と呼ばれる能力だ。

 

 ひとつ羽ばたくと部屋の入り口を通り、中へ侵入する。そこにいたのは見上げる程大きな犬。それもただの犬ではなく頭が3つある。ケルベロス。例の『石』の防衛に、こんな物を用意していたのか。

 ケルベロスは倒れたちっぽけな人間よりも、今ここに入ってきた僕をより排除すべき目標とした。吠え、噛み付いてくるのを躱してスネイプが逃げる時間を稼ぐ。

 

 犬を挑発するように爪で威嚇し、スネイプから遠ざける。そして外に出たのを確認する。

 

「《扉よ、直れ》」

 

 彼が壊れた扉を直したら、ケルベロスの噛みつきを避けて急いでそれを潜る。閉じた扉に人間に戻って呪文をかけた。

 

「《閉じろ》!」

 

 鍵が降りて、犬が吠えるのだけが聞こえるようになった。僕は息を切らして床に倒れ込む。

 クィレルの姿は既にない。どうやら逃げられたようだ。

 

「はぁ…。やれやれだ」

「全く、貴方は歳のわりに随分と無茶をなさる。私など放っておいて、あやつを捕まえるべきでしたのに」

「はは。まだ若い奴には負けないさ」

 

 それに今彼を捕まえても、()()()にいる黒幕がいたらそっちには逃げられてしまう。目の前の獲物に執着して大物を逃すのは、それこそ失態だ。ダンブルドアも似たような判断をするだろう。

 

「怪我はありませんか。あの犬に噛まれたりは?」

「いや、問題ない。それより君は?派手に吹っ飛んだみたいだけど」

「足を少し。ですが支障ありません」

「ならトロールの方へ行こう。そしてクィレルの事は知らないように過ごすんだ」

 

 ホグワーツで悪事を働くという事は『()が唯一恐れる男』のダンブルドアを相手にする気なのだ。2人の教師に見つかった程度で引き下がるとは思えない。

 

「恐れ知らずの単なる小悪党で済めばいいんだけど…」

 

 どうにも嫌な予感がする。



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双子のウィーズリー:1

 ダンブルドアは僕とスネイプの報告を受け、クィレルを警戒するように言ったが、それだけだった。スネイプは不満そうだったが、僕にとっては予想通りの判断だ。なるべく今まで通りに行動するようにと、校長は言った。

 だがそれはダンブルドアがそれだけ敵を警戒しているという証拠だ。クィレルとその裏にいる人物は、どうやらただの小悪党ではないらしい。

 

 そういえば学校に侵入したトロールだが、僕らが向かった時には既に気絶していた。それは教師によるものではなく、なんと3人のグリフィンドールの1年生達にによるものだった。彼らがなぜあの場にいたのかはわからないが、なかなか勇敢な子達だ。まさにグリフィンドール生らしい。

 

 トロール侵入の顛末だが、何故か3人の中の1人、グレンジャーが自分がトロールを入れたと言い出し、マクゴナガルが彼女に減点という処罰を与えた。それによりこの事件は、『生徒の起こした事件』となった。

 本当の犯人であるクィレルだが、何食わぬ顔で教師陣の中に紛れていた。顔に似合わず神経が図太い奴だ。

 

 ダンブルドアはその後として、何人かの教師に定期的な校内の見回りを命じた。名目は生徒の監視だが、本音はクィレルやその仲間が陰で活動するのを未然に防ぐのが狙いだ。

 

 そして僕も命じられた人間の1人だ。全くなぜ司書の僕が選ばれるのか。クィレルの犯行を止めたのが原因か。人使いの荒い老ぼれ校長め。

 

 現在ホグワーツの司書は僕1人だけだ。何年か前はピンスという女性が研修を兼ねて僕の手伝いをしてくれていたのだが。有能な司書になると思い、僕の推薦で大英図書館に勤務している。当時はそうでもなかったが、今こそ彼女のような助手が欲しくなる。

 

 利用者の少なくなる午後の授業時間。僕は図書室を閉めて見回りを始める。といっても肝心のクィレルは授業中。やる事も無いのでただ歩いているだけだ。暇なので久しぶり友人である森番を訪ねようか。それとも読みかけの本の続きを読もうか。などと歩きながら考えていると、後ろから声がかかった。

 

「おやおや」

「これはこれは」

 

 全く同じ、2つの声。振り返ればそこにいたのは瓜二つの2人の青年。燃えるような赤毛にそばかす。ウィーズリー家の双子にして、学校で1番のいたずらコンビ。

 

 フレッド・ウィーズリーとジョージ・ウィーズリーだ。

 どっちがどっちかは、本人達にしかわからない。時々入れ替わっているらしい。

 

「ミスター・フライトがお出かけだ、相棒」

「珍しい。王国から出てきたみたいだぞ」

 

 ミスター・フライトと僕を呼ぶのはやめてほしいのだが。第一に今は授業時間だ。彼らのようなグリフィンドールの三年生はその真っ最中ではないのか。

 

「また抜け出して来たのかい?」

 

 確信を持って訊くと、当たり前だとでも言うように2人は胸を張った。威張ることでは無いが。

 

「グリフィンドール2点減点。すぐに教室に戻るんだ」

「そう固い事を言うのはやめてくれよ」

「俺たち、すっげーいたずらのアイデアを思いついたんだぜ?」

「これを放っておくなんて、それこそ将来大損だな」

 

 そう言って双子は駆け出す。一瞬は放っておこうかとも思ったが、彼らの悪戯が4階のあの廊下に関することなら問題だ。念のため彼らについて行った方がいいかもしれない。

 奇しくも生徒の監視という上っ面の仕事が主になりそうだ。

 

 

 双子は学業の成績は悪くないのだが、このように授業を抜け出しては方々でイタズラを繰り返す問題児でもある。管理人のフィルチも手を焼いており彼の愛猫ミセス・ノリスはこの双子を見つけると何もないと判断するまで追いかけるのをやめない。

 

「ミスター・フライト。俺たちが考えているイタズラ、何かわかるか?」

 

 双子の片割れ、恐らくはジョージが、僕に訊く。何のヒントも無い状態で分かるかと訊かれても、答えようが無い。強いて言うなら今いる場所がヒントになるのだろうか。

 だがここはなんの変哲もない廊下の真ん中。人通りは少なく、薄暗い印象を受ける。

 

「さあ。わからないな」

 

 素直に降参すると、双子は意気揚々とローブの中から羊皮紙を取り出した。何も書かれていないように見えるが、僕にはそれが何なのかすぐに分かった。

 

 『忍びの地図』。

 十数年前に4人の問題児が作り上げた、ホグワーツの詳細な地図だ。ただの地図では無く、ホグワーツにいる人間の場所がリアルタイムで分かる物。

 僕がそれを知っているのはその製作に関わったからだ。

 

 双子が呪文を唱えると、まるでインクが広がるように地図が描かれた。現在の場所を見ると、主要な廊下から外れた所謂、裏道のような場所である事が分かった。

 

「ここを通るのはフィルチだけなんだ」

「先生も滅多に通らない隠れ道さ」

 

 なるほど。彼らはフィルチをイタズラの餌食にするつもりらしい。彼には申し訳ないが、僕には双子を止める事ができない。

 

 何せ忍びの地図の表紙には『協力してくれたミスター・フライトに感謝を』とでかでかと書かれているのだ。もし双子にそれを拡散されてしまえば、僕の司書としての生活は絶望的だ。

 

「ここで良いよな、相棒」

 

 片割れが地面に複雑な紋様をチョークで書いていく。似たような形の物を以前、本で読んだ。

 

「『隠し沼の罠』かい?」

「流石だ、ミスター・フライト」

 

 それは罠魔術のひとつで、書かれた紋様を踏むと沼のようにズルズルと沈んでしまう。侵入者対策の罠として度々、本の中に登場する。

 

「『知るべき呪いと作り方』でも読んだのかい?」

「ああ、勘がいいな」

 

 そう言えば何日か前に、彼らの兄であるパーシー・ウィーズリーに宿題の資料として貸し出した記憶がある。あれには隠し沼の作り方が詳しく載っている。何かの拍子にこの双子の目に入ったか。

 

「よし、できたぞ」

 

 双子が書き終わると、紋様は微かに魔力を帯びる。大人の魔法使いでも注意しなければ気付くことができない程にだが。それを書き上げる腕前に、僕は思わず感嘆の言葉が出ていた。やはり彼らはイタズラに対する才能はあると言えよう。

 

「《隠せ》」

 

 さらに念入りにチョークの線を消す。これで廊下は、知らない人から見たらただの薄暗い廊下でしかない。

 

 フィルチには大人しく犠牲になってもらおう。今度彼の事務所に美味しいクッキーでも持っていこうと心の隅に留めておく。



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セブルス・スネイプ:1

 彼が図書室を訪れたのは既に生徒達がいなくなり、僕が鍵を閉めようとした時だった。ハロウィンの件から少し日が経ち、トロールの侵入は忘れられ始めた頃。グリフィンドールとスリザリンのクィディッチの試合が終わった夜のこと。

 暗がりから話しかけてきたのだ。

 

「スコープ司書」

「こんばんは、スネイプ。怪我の具合はどうだい?」

 

 彼はローブをめくり、傷が無いことを見せた。魔法薬学の教師ならば、治療薬の調合も容易いだろう。ハナハッカ辺りを使ったのだろうか。

 

「何のようかな?悪いが今日はもう図書室は閉めてしまうよ」

 

 例え教師であっても、時間の制限は守ってもらう。そもそもこの学校の教師は全員が各界のスペシャリストである。図書室を利用するのは極稀。中には一度も利用せずに転勤する者もいる。

 特にスネイプは優秀な知識を持っている。ここを利用する理由はないはずだ。

 

 そう思っているとスネイプは僕に1冊の本を差し出した。彼に貸し出した覚えは無い。

 

「生徒から没収したものを返しに来たのです」

「なんだ、フクロウで送ってくれれば良かったのに」

 

 『クィディッチ今昔』。

 クィディッチのルールや反則、歴史が書かれた本。入門者にぴったりだ。

 

 確かグレンジャーに貸したのだったか。彼女が本を没収されるような真似をするとは考えにくいが。

 そこで思い至ったのは、彼女がこの本を借りた理由だ。友人に貸したいと言っていた。その友人の名はハリー。

 

 ハリー・ポッター。

 『生き残った男の子』。彼の事を知らない教師はいない。

 そして僕は、彼の両親も知っている。その2人がスネイプと同じ世代のホグワーツ生だったことも。

 

 あり得るのは、ポッターが本を没収されるような事をしたか。果たして本当にそうなのか。今年のスネイプは例年より減点が激しいと聞く。特にグリフィンドール生に対して。

 

「まさか君、理不尽な理由をつけて没収したんじゃないだろうね?」

「……いいえ」

「僕の眼を見て言うんだ」

「……」

 

 じっとその顔を見ると、彼は気不味そうに眼を逸らす。そう言う嘘を吐こうとしてもボロが出てしまう人だ。学生時代からそういうところは変わっていない。

 

「君とポッターが複雑な関係なのは知っているけど、教師が生徒に私情を挟むのは感心しないな」

「…おっしゃる通り」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で彼は項垂れる。陰湿なところも変わっていないようだ。

 

 

「ハリー・ポッターといえば、彼のクィディッチのデビュー戦があったんだってね。見に行ったんだろう?どうだったんだい、彼は」

 

 せっかく顔を合わせる機会に恵まれたのだと、彼を誘って司書控室で軽いお茶会を催した。彼は嫌そうな顔をしたが、結局こうして話し相手になってくれる。

 

「父親譲りの天才かい?それとも普通の少年かい?」

 

 とっておきのクッキーを食べながら訊く。程よい甘味と、ほんの少しの塩味の後味を紅茶で流す。

 

「忌々しいことに、父親にそっくりです」

「はは。そうか。君が気に入らないわけだ」

 

 吐き捨てるように言うのがおかしくて、少し笑ってしまう。

 彼の父親は腕の良いシーカーだったが、その才能は受け継がれたみたいだ。

 

 紅茶の残りが少なくなった頃。スネイプが気になる事を言った。

 

「クィレルがポッターの箒に呪いをかけました」

「へぇ…。彼は大丈夫だったのかい?」

「ええ。反対呪文により程度が抑えられておりました」

 

 その反対呪文をかけたのが誰かは教えてくれなかった。闇の魔法使いの使う呪いはどれも強力だ。その人物はポッターの命の恩人というわけだ。

 だがポッターを狙う理由とは。

 

「闇の魔法使いなら、『彼』関連の人物だろうか」

「十分に考えられます。それにポッターの両親は闇払いとして多くの恨みを買っていますからな」

 

 スネイプはそう言うが、ダンブルドアが警戒しポッターに恨みを持つ人物となると、相当限られる。

 

 まさか、クィレルの裏にいるのは。



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ルビウス・ハグリッド:1

 僕が彼を訪ねたのは、クリスマスが近づいて雪が降り始める頃だった。

 彼は城の外。禁じられた森と呼ばれる場所の近くに建てられた小屋に、犬と共に暮らしている。森は校則で入る事が禁止されているのもあって、わざわざ彼を訪れる人は少ない。

 

 だが僕には、どうしても彼と話す必要があった。

 それはここ数日のポッター、ウィーズリー、そしてグレンジャーらの図書室での調べ物に関することだ。

 

「ニコラス・フラメルって誰だかわかりますか?」

 

 それを聞いた時は驚いた。顔は平静を取り持っていたが、頭の中では脳みそがフル回転していた。

 

 ニコラス・フラメルは、現在ホグワーツが守っている『賢者の石』の製作者だ。魔法界では錬金術師として有名で、ダンブルドアとは友人でもある。

 

 授業で取り扱う事もあるし、本の中にも載る事もある。だがどこで知ったにしろ、()()()()を知るというのはまずない。考えられるのは、誰が漏らしたのを聞いた。とか。

 

 例えば、『石』について知っている者が。

 まさかと思い誰から聞いたのかを訊くと、ハグリッドだとウィーズリーが言った。グレンジャーとポッターが取り繕うようにそれを誤魔化そうとしたので、彼らもその名前が何か『見つかったらまずい物』に繋がっているのは理解しているらしい。

 

 とりあえず適当に『20世紀の偉大な魔法使い』という事典を貸しておいた。あれにはフラメルは載っていないが時間稼ぎにはなるだろう。警戒するなら、グレンジャーに以前貸し出した『錬金術の礎と発展の楔』にフラメルと『石』の事が詳細に書かれていることだ。

 本音を言えば本を回収して彼らから遠ざけたいが、変に意識されて確認されるのは最悪だ。本当に時間稼ぎにしかならない。

 

 とにかくハグリッドがどこまで『石』とその護りについて、あの3人に話したかを確認する必要がある。まさか1から10まで全部を話したわけでは無いだろうが、彼はふと口が滑る男だ。

 

 夜になり図書室を閉めると、彼の小屋を訪問する。大きな扉を数度叩くと、見上げるような毛むくじゃらの男が顔を見せた。

 

 ルビウス・ハグリッド。

 ホグワーツの森の番人。様々な生き物を愛する男だ。これは知られていないが、ホグワーツを退学になったところをダンブルドアに拾われている。

 

「やあ、ハグリッド。久しぶりだね。中に入ってもいいかな?」

「スコープさん。ささ、どうぞ中へ。狭っ苦しいですが」

 

 ハグリッドは机の上の物を乱暴に退ける。椅子に座ると黒い犬が足元に寄ってきた。

 

「やあ、ファング。お邪魔してるよ」

「急に来るもんでなんも用意しておらんですが」

 

 ハグリッドはお茶とロックケーキを出してくれた。ケーキは恐ろしく固く、お茶に浸して食べた。

 

「でー、何のようでしょう。あんたが俺のとこに来るなんて」

「ハグリッド。君は『石』の事を誰かに話したりしてないよね?例えば、ポッターなんかに」

 

 ハグリッドの目が泳ぐ。明らかに落ち着かない様子。

 

「…すみません。口からポロッと」

 

 自分自身に腹が立っているようだが、言ってしまったものはしょうがない。他に何を話したのかを聞いてみると、三頭犬の名前を言ったらしい。

 あのケルベロスはハグリッドの仕掛けた護りだったのかと、1人で納得する。

 

「それからハリーは、スネイプの事を疑っとりました。ハロウィンにトロールを入れただの、箒に呪いをかけただの」

 

 スネイプには怪我をした上で疑われるのは災難だろうが、少し笑ってしまった。つくづくポッター家とスネイプは相性が悪いらしい。僕が訂正するにもいかないので、もう少し疑われていてもらう事になる。

 彼がもっと生徒に愛想が良いなら違っただろうが、愛想を振りまくスネイプというのを想像して、それが可笑しくてまた笑った。

 

 

 それから少しの間、ハグリッドとは他愛もない話をした。彼の魔法生物に対する知識は素晴らしいものがあり、本を読んでいるだけでは知り得ないこともあった。

 

「へえ、セストラルの子供か!きっと、さぞ美しいだろうな」

「先週生まれたばかりで。まだ飛べやしませんが艶のあるいい体です」

 

 そんな事を話している最中の事。森の方から、夜を引き裂く嗎が響いた。

 たとえ危険生物が溢れる禁じられた森でも滅多に聞かないような異常な声に、ハグリッドはさっきまでの穏やかな雰囲気を無くした。

 

「ちっと見てきます」

「僕も行こう。魔法使いがいた方が、君も心強いだろう」

 

 弩を持ってファングと共に出ていく彼を追う。

 

 森は暗く、生い茂った樹々が空を塞いでいる。僕は杖から光を出して、ハグリッドの後ろを歩いた。彼は森のスペシャリストだ。彼に従って進むと、地面に光を反射する液溜まりを発見した。

 近づいて確かめると、それはユニコーンの血だとわかった。

 

「ユニコーンを襲う生き物が、この森にいるかい?」

「俺の知る限りじゃあいないです。人狼はそんなに足が速くねぇし」

 

 ケンタウルスはユニコーンを神聖視していて狩りの対象にはしない。

 ならば人間か。それもとても欲深な。

 

 足跡と血痕を辿る。そしてそれの他に、何かを引きずった後を見つけた。軽い物が地面を擦ったような後だ。何かの布だろうか。犯人が自分の姿を隠すためにローブを羽織っているとか。

 

「スコープさん。あれを見てくだせえ」

 

 ハグリッドの傍から茂みの奥を見ると、血が続く先に横たわった銀毛のユニコーンがいた。

 いや。いたと言うよりは、あった。という方が正確かもしれない。

 

「死んでいるみたいだ」

「そんな、なんてこった!」

 

 原因は首元の切り傷だろう。大きな裂け目からは今も血が流れたままだ。だが、地面に流れた血が少ない気がする。犯人が採取して持っていったのか。だがそれにしては、一角獣の角も毛も無傷のままだ。薬の材料にするならばそちらの方が優れているにもかかわらず。

 

 地面の不審な足跡に気づき、そこに重なるように足を置く。

 ちょうどユニコーンの首元を覗き込む形だ。少し首を下げれば、傷に顔がつく。

 

「まさか…そんな馬鹿な」

 

 血を飲んだのか。

 ユニコーンの血は、死の淵にある時でも命を長らえさせる。だがその代償は重い。一度でも口にした者は決して癒える事のない渇きに襲われるのだ。

 

 そこまでして生きようとする者が『賢者の石』を狙う黒幕ならば。その目的は命の水だと説明がつく。

 

 ダンブルドアが警戒し、ポッターに恨みを持ち、今は死の淵を彷徨う者。

 

 『彼』だ。



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ビンセント・クラッブ:1

 クリスマスが近づいてくると、学校は俄かに騒がしくなる。生徒たちはクリスマス休暇を待ち焦がれているようだった。

 図書室も休暇の間に家で本を読むために借りる生徒や、逆に期限を過ぎないように返しにくる生徒で溢れていた。

 

 司書をしていて嬉しい時というのは、今まで本を読まなかった生徒が僕にオススメの本を訊いてくれる時だ。同じ趣味を持つ子が増えたという事でもあり、魅力的な本の世界に気づいた子が増えたということでもある。

 

「これをお願いします」

 

 以前はマルフォイの腰巾着でしかなかった彼も、最近ではこの図書室の常連に成りつつある。借りるのは主に物語などだが、徐々に挿絵の少ない長編作品に手を伸ばして来ているのに僕は気づいていた。

 

 そんな彼が今回借りるのは『夢食』。

 夢を食べるという幻の生き物にまつわる伝説をなぞった、ちょっとしたホラー小説だ。夢を喰われ眠りを忘れた主人公達が、夜の世界で恐ろしい怪物に襲われる。

 

 スリザリン生はこういったホラーやサスペンスのような暗い物語を好む傾向がある。ティーンエイジャーにはグロテスクな描写は心躍るものがあるのかもしれない。

 

 スリザリンは純血主義者が多く排他的。

 という認識がホグワーツには昔からある。確かにそれは間違っているとは言い難いし、僕の友人もそうだった。だがその本質は強い仲間意識であり、他の寮よりもむしろ寮生同士の仲はいい。

 何か大きな困難にチーム一丸となって立ち向かうような物語が人気なのは、そういった事情があったりするのだろうか。

 

「クラッブ、ゴイルとは会っているかい?」

「あいつですか?はい。会ってますよ」

 

 ゴイルは残念ながら、あれから図書室を利用することはなかった。マルフォイの後ろに付き従ってやってくる事があっても、彼が本を読むことはない。少し寂しいが、読書は彼の趣味にはならなかったということか。

 だが、1つ問題がある。

 

「彼に本を返すように言っておいてくれるかい?期限が迫ってるから」

 

 本の種類によってそれはまちまちだが、彼に貸し出したものはもうすぐだった。マルフォイの言うことでは、彼ら3人は全員クリスマスには家の方に帰るらしい。それまでに返してもらわなければ、当然彼の図書室利用は制限されるし、長引くようならスリザリンからの減点も考えなければならない。

 

「わかりました」

 

 司書たる者、本の貸し出しの管理はしっかりとしなければならない。彼もスリザリンから点数が引かれるのは困るはず。



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アルバス・ダンブルドア:1

 クリスマスの次の日。図書室では事件が起こった。閲覧禁止の棚に、誰かが侵入したというのだ。フィルチとスネイプから聞いた時には、僕はそれはそれは驚き、同時に怒りが込み上げた。

 

 僕の王国(図書館)へ僕の許可も無しに入ろうとするとは、なんという不届き者か。見つけ次第に僕の知る限りの全ての呪いをかけてやる。誰であろうと容赦はしない。

 

 だがいくら調べても、その侵入方法がわからない。棚は他の本棚と柵で仕切られ、入り口には見張りに『鳴き鳥の罠』を仕掛けている。鳥を模した人形が誰かが柵を越えるのを発見すると、けたたましい鳴き声をあげながら追跡する魔術だ。

 半端な透明呪文なら見破る事ができるように、僕自身が創り上げた。扉が開け放しになっていたので犯人はこの前を通ったはずだ。だが鳥は何の反応もしていない。

 

 生徒の腕では突破はできない。なら侵入者は教師か?少なくとも相当な透明魔法の使い手であることは確かだ。

 

 とにかく侵入した目的を確かめるために、閲覧禁止の棚にある本が盗まれていないかを調べることにした。この棚にある本はどれもとても危険な物だ。

 迂闊に触れば身を焼き尽くす本。読めばその中に囚われる本。開くと中に閉じ込められた悪霊や災厄が解き放たれる本。1冊でも盗めば、その人はアズカバンで終身刑を受けるだろう。

 

 棚の本は何百冊とあり、そのどれもが慎重に扱う必要がある。僕1人ではとても1日で終わらない。その間図書室は閉め切りになってしまうのが、生徒たちに申し訳なかった。

 

 

 その次の夜の事。僕が徹夜で棚を確認していると、小さな足音が図書室の外から聞こえた。こんな時間に出歩いている生徒がいるのか。

 まさか犯人が戻ってきたのか。そう思い図書室から出て足音の元を辿る。

 

 暗い廊下の奥から、微かに音が遠退いていくのが聞こえた。暗がりを見つめると、使われていない教室の扉が、半分開いているのが見えた。そこから出ていったのかもしれない。と、その中に入る。

 

 月光の差し込む教室には誰もいない。

 ただ、天井まで届くほどに大きな鏡があった。

 金色の装飾が施されたそれが何なのかを確かめるべく、僕は鏡を調べる。正面から覗き込んだ時、僕はコレが何なのかを理解した。

 そして何とか、必死の思いで鏡から目を逸らした。

 

 もう一度鏡を見たいという欲を抑えこみ、距離をとる。

 

「なんでこんなのが…ここに?」

「わしが運んだんじゃ」

 

 ただの呟きに応える声があった。この部屋には僕以外に誰もいないはず。警戒と共にその声の方向に杖を向ける。

 

「こんばんは、ライアス」

「ダンブルドア校長。…運んだとは?」

 

 長い髭をした半月メガネの老人。ここホグワーツの校長だ。

 そしてこれは『みぞの鏡』。覗く者の望みを映し出す…と聞こえは良いが、これはそんなに良い物ではない。

 むしろ呪いの鏡と言った方が的を射ている。人々は鏡の中の理想に囚われ、生きる事に無気力になったり、理想と現実の差に絶望して自殺してしまう。

 

 なぜそんな物がここにあるのか?それも校長が運んだのは何故だ。

 

「『石』の護りに使おうと思おてのう。まさか君にも見つかるとはの」

 

 ()()()…。他に誰か、ここを訪れたのか。気になるが、今はこの鏡から一刻も早く離れたい。さっき見た光景を忘れたかった。校長への挨拶もそこそこに退室しようとする。

 

「ライアス。君は鏡に何を見たのかね?」

 

 扉にかけた手が止まる。校長の言葉が鏡の誘惑に重なった。もう一度見たい。気づけば僕は鏡の前に立っていた。

 

「何が見える?」

 

 僕の両隣に、2人の男女。服装からして、彼らの結婚式だ。

 僕の姿は今よりもずっと若い。おおよそ20代前半か。礼装に身を包み、僕と同じ青い眼をした女性と手を組んでいる。

 男性は真っ黒な髪をして、鏡の僕に笑いかけている。

 

「…友人と、妹の、結婚式が」

 

 つっかえながら、校長に言う。まさかこんな形で彼女らをまた見るとは思わなかった。

 

 妹は既に死んで久しく、友人は今となっては行方不明だ。

 

「それが君の望みかね?」

 

 妹は体が弱く20歳まで生きられなかった。僕はそんな彼女に幸せになって欲しいと思っていたし、友人ならそれができると思っていた。

 だがらこの光景は、僕の望みであり、決して叶うことのない夢なのだ。

 

「ええ。僕の望みです」

 

 叶うはずないのに、望みを持ってしまう。

 

 それをこうして見せつけてくるこの鏡は、まさに呪いの鏡だろう。

 

「そうかそうか」

 

 興味深そうに頷くとダンブルドアは、一陣の風を起こして鏡と共に消えた。

 一体なぜあんな問いかけをしてきたのか分からなかったが、彼の行いは理解できる方が少ない。そう割り切って、僕は図書室に戻る。

 まだ確認できていない本は山ほどあるのだ。

 

「今日も徹夜かな」

 

 司書控室で紅茶を淹れる準備をしながら、僕は1人呟いた。



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ルビウス・ハグリッド:2

 復活祭の休みになると、一部の生徒たちは試験を意識し始める。図書室も熱心に勉強する生徒の数が増えた。そんな折、ハグリッドから手紙を貰った。

 

 『今日の夜、俺の小屋へ来てください』

 

 誰にも見られないように。と書かれているのが意味深だった。彼から手紙が来るのは珍しい。森番が司書に知らせる事など普通は無いからだ。

 おそらくユニコーンに関する事だろう。何か進展があったのかもしれない。彼は定期的に森を見回っているはずだ。第一発見者である僕に発見したものを見せたいのだろう。それなら『誰にも見られないように』というのも分かる。どこにクィレル…もとい『彼』の仲間が潜んでいるか分からないのだから。

 

 

「スコープさん!お待ちしとりました」

 

 夜遅く、ローブをすっぽりと被り彼の所を訪れる。ハグリッドはなんだかソワソワとしていて、あまりシリアスな内容を話したい雰囲気ではない。

 

「何か話したいことがあるのかい?君が僕を呼ぶなんて珍しいじゃないか」

 

 僕は早く要件について話したかったが、ハグリッドは落ち着かない様子で紅茶を淹れてきた。

 

「えー、それなんですがね。いや、なんちゅうか手が伸びちまったっていうかー。俺は全然、そんな気無かったのに仕方なく…って感じなんですがね?」

 

 ハグリッドはもじもじと手を弄りながら、ようやく僕を呼んだ理由を言ってくれた。それはユニコーンの事なんて関係ない。だが確かに大事件だった。

 

「ドラゴンの卵だって⁉︎ハグリッド。君は正気かい⁉︎」

 

 あまりの衝撃に椅子を蹴って立ち上がる。彼はドラゴンの卵を手に入れたらしい。そして、それを育てたいという。僕を呼んだのは、ドラゴンの飼育に関する本が欲しいからだ。

 

「お願いだ、スコープさん。俺の一生の夢だったんだ」

 

 ハグリッドは僕を椅子に押し留めながら頭を下げる。そうは言ってもドラゴンの飼育は違法だ。そもそも彼がホグワーツを退学になったのは危険生物の飼育が原因であり、所謂前科持ちだ。

 もし誰かに知られたらアズカバン送りは確定だろう。

 

「ダメだ。僕は協力できない。()()()()の事を忘れたのか」

「アラゴグは誰も殺してねぇ‼︎」

 

 怒り立つ彼を宥める。今肝心なのは殺したかどうかではない。問題はその生物が危険生物として魔法省に指定されていると言う事だ。

 もちろん、魔法省が決めた危険生物が全て本当に危険かどうかは疑問が残る。セストラルのように研究が進んでいないから『とりあえず危険生物扱い』という例もある。

 だがアラゴグ…アクロマンチュラやドラゴンはその生態が詳細に研究され、その上で登録されているのだ。単なる知識で上から物を言うつもりは無いが、それらを安全安心だというのハグリッドには、とても賛同できない。

 

「みんな誤解しちょる。ドラゴンより美しい生き物はいねぇ。なあ、頼む、スコープさん。この通りだ」

 

 セストラルの方が美しいと思う…というのは口に出さないが、僕の考えだ。

 

「残念だよ、ハグリッド。卵は早く捨てるべきだ。持っているだけで違法なんだから」

 

 再びマントを纏い、小屋の扉に手を掛ける。彼とは良い友人でありたいが、友情を優先して法律を無視するのはもう沢山だった。

 

「セストラルの子供、見たくねえですか?」

 

 その言葉に振り向きたいのを、グッと堪える。そう言えば最近生まれたと、以前言っていた。今の時期なら、丁度飛ぶ事を覚え始める頃だろうか。

 

 見たい。

 そういう欲がある。その硬直をハグリッドは見逃さず、僕に交渉を持ちかけた。

 

「頼みます。本を貸してくれるだけで良いんです」

 

 彼は生徒でも先生でも無いが、ホグワーツの人間だ。本を借りる事に何の不思議があるのか。

 そんな言い訳を自分にしてしまう。

 

 本を貸しただけではドラゴンの卵が孵化するとは限らない。

 本を貸す事は法律上なんの問題もない。

 つまり本の貸し出しは、ドラゴンとはなんの関係もない。

 

 そして、僕はセストラルの子供が見たい。

 

 深く深く息を吸って、その全てを溜め息にして吐き出す。

 まさかハグリッドに丸め込まれる日が来るとは思わなかった。

 

「本を燃やしたら君を呪うからね」

 

 欲に負けた僕は、そう忠告するしかできなかった。



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ネビル・ロングボトム:2

 試験期間になると、図書室の利用者は一気に増える。みんな試験に向けて熱心に勉強しているのだ。

 

「やあロングボトム。調子はどうかな?」

 

 スネイプが言うには、最近の彼は魔法薬学の授業でも最低限の成績を残せているらしい。嫌がらせ気味に減点するしかない。と、スネイプは嫌味ったらしく顔を歪ませていた。

 

 そんな彼は今、必死になって試験勉強をしている所だ。最低限の成績ではスネイプの試験はクリアできないだろうから、当然である。

 

「大変ですけど、何とかなりそうな気がします」

 

 彼の性格は以前と比べて幾分か前向きになったようだ。未だにおどおどと臆病なところは変わりないが、怯えながら話すという事は無くなった。これが学校の成績が良くなったからなのか、何か友人関係の影響なのかは僕には分からないが。

 グリフィンドール生は『勇気』に優れるとされる。全ての生徒がそうあるべきだとは思わないが、彼が自身の勇気を示す機会に恵まれることを祈るばかりだ。

 

 彼は今、主要な魔法材料の採取場所と見極め方について調べている。例年通りなら、スネイプの試験は魔法薬の作製に違いない。彼の実践的な試験は難易度が高く、優秀な生徒でも思うような成績が取れないことが多い。そして成績不良の者は躊躇なく蹴落としていくスタイルだ。

 

 ロングボトムは今まで授業で習った魔法薬を必死に思い出しては、羊皮紙に纏めている。1年生の内容なら大した量も無いと思っていたが、中には高学年でも難しいような薬の名前まであって驚いた。

 

 まさか『生ける屍の水薬』を試験に出したりはしないだろうが、彼の授業はそんなにハイレベルのものなのか。一応、『忘れ薬』のようなものが出るのではないかと助言をしておく。

 本来は教師が試験に関してアドバイスをする事は無いが、僕は司書だ。図書室の利用者に対しては惜しみなく僕の知識を貸し与えるのが主義だ。これは昔から変わらないし、スネイプもその助言を受けた生徒の1人だ。とやかく言われることは無いだろう。

 

 

 ロングボトムは今日の試験が終わった後も、図書室に来て勉強をしていた。今度は魔法史だ。これが明日の、最後の試験になるらしい。

 魔法史の教師、ビンズ先生はゴーストだ。彼の授業は恐ろしく退屈だと評判で居眠りをする生徒は多い。

 そのくせ筆記試験はマニアックな所を出すのでこの時期になると皆、真面目に聞いていた同級生に羊皮紙を写してもらうのだ。

 

 たしかグリフィンドールの1年生なら、グレンジャーが真面目な子と扱われていたのだったか。マグル出身なのに良くやる。どうやら彼女なりに魔法界での生活を満喫しているようでなによりだ。

 

 だがわざわざ写す手間を掛けるなら、最初から真面目に授業を受けるべきだと思うのだが。まあ魔法史は暗記が主な教科なので、新たな発見や興味を引くものが少ないのが原因かもしれない。僕も魔法史は苦手科目だった。

 学生時代は友人と度々、魔法史の不毛さについて議論し合ったものだ。

 

 結局ロングボトムは閉室時間まで図書室にいたが、最後はほとんど眠りそうになっていた。

 

 彼がちゃんと試験を合格できれば良いのだが。



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ハリー・ポッター:1

1番目は他殺。
2番目は自殺。
3番目は老衰。

3番目の次を手に取りたまえ。
それを開けば、先は開かれる。



 僕が事の顛末を知ったのは、全てが終わった後だった。

 

 ダンブルドアが魔法省に呼ばれてホグワーツを留守にした夜のこと。警戒の為にクィレルの実験室を訪れ、もぬけの殻だと気づいた時には顔からサッと血の気が引くのを感じた。

 

 急いでマクゴナガルやスネイプに声をかけ、例の廊下へと向かった。扉の前でグレンジャーとウィーズリー。そして気絶したポッターを抱いたダンブルドアを見つけた時には、驚くと共にとても安心した。

 彼が言うには、クィレルは身を滅ぼし死んでしまった。『彼』は半死半生の魂だけでクィレルに取り憑き、肉体は未だに無いらしい。

 

 だがポッターは再び、『彼』を撃ち破ったのだ。

 

 

 それから3日程、経った頃。昼頃、僕はダンブルドアに呼ばれて医務室の前に立っていた。何故僕だけ呼ばれるのか皆目検討がつかない。そもそも何故医務室なんだ?

 

「すまんの、ライアス。待たせてしもうて」

 

 戸が開いて、ようやく校長が出てくる。中にポッターの姿が見えた。どうやら目が覚めたようだ。

 

「ハリーが君と話したい事があるそうじゃ」

 

 呼んだのは校長では無かったのか。だが彼の友人もまた話したいことがあるだろうに、僕だけが許可される理由は言ってくれなかった。

 看護師のポンフリーに、面会は5分だけだと言われながら中に入る。僕は少年のベッドの近くに腰掛けた。

 

「こうして話すのは初めてかな。気分はどうだい?」

 

 入学以来彼は何度も図書室を利用している。だが初めてその顔をじっくりと見た。なるほど。両親にそっくりだ。スネイプが嫌うのも頷ける。

 

「あの…ハーマイオニーが、御守りにってコレを持たせてくれたんです。トロールの時も守ってくれたから」

 

 ポッターが傍の机から取り出したのは、いつか彼女に渡した『魔除けの羽』だった。黒く焼け焦げたそれは、もう効力を失っているだろう。

 新しいのが欲しければ、後でも言ってくれば良い。あの羽は元々僕に生えていた物に、魔術的な紋様を施しただけだ。効果的だが量産可能。そういう仕掛けになっている。

 

「コレを見た時あいつが…()()()()()()()が言ったんです。懐かしいって。それに、貴方の名前を」

 

 僕は驚いて目を開いた。彼は『彼』の事を()()呼ぶらしい。

 勇敢だからか、無知だからか。あるいは何らかの覚悟の上か。まあ僕は名前なんて好きに呼べば良いと思う。いちいち名前を呼んだだのなんだので、突っかかるのは面倒だ。

 

「その羽は僕のお手製で、なかなか強力な護りが掛けてある。『彼』の手を焼かせる程にね」

 

 どうやら『彼』は覚えていたようだ。僕と彼は伊達に何度も戦っていない。流石に『死の呪文』を防ぐ事はできないが、闇の魔術に対する防衛術としては一級品だと自負している。

 

「クィレルは手が出せなかったけどヴォルデモートが力を込めたら、この羽は焼けちゃいました。ハーマイオニーのために、新しいのを貰うことってできますか?」

 

 それは構わないが、僕の方からもいくつか質問がある。例えば『彼』の状態や、どうやってホグワーツの1年生が『石』の護りを突破したか。

 

「あいつは、クィレルの頭に寄生してました。ボロ布みたいな魂のかけらが取り憑いているんだって、校長先生は言ってました」

 

 クィレルを器として肉体を得た。という訳か。似たような魔法を以前本で見た。確か非常に高度な魔術だったはずだが、闇の帝王を自称する者ともなればその程度は容易いか。

 11年前、何かしらの方法で赤子のポッターを相手に敗れた『闇の帝王』は死んでいなかった。力の大部分を失いながらも、生きながらえ復活の機会を探っていたのだろう。

 

「なるほどね。じゃあ君たちはどうやって護りを破ったんだい?『彼』ならともかく、子供が突破できる代物じゃないだろう」

 

 彼が語ったのは、驚きのあまり口が塞がらない様な事実だった。グレンジャー、ウィーズリーの知恵が、教師の掛けた護りを破ったのだ。

 

「へぇ。じゃあ僕の護りはどうやったんだい?あれでも自信作だったんだ」

 

 僕が使ったのは、閲覧禁止の棚に保管されている本だ。

 《1番目は…》という問題の答えになっている1冊だけが安全なただの本。他の本は触れるだけで永遠に中に幽閉されるものになっている。

 

「あれはロンが。『三人兄弟の物語』じゃないかって」

「ウィーズリーか。なるほど、彼は純血の家の出だったね」

 

 『三人兄弟の物語』は有名な御伽話だ。魔法使いの中には聞いて育った人もいるだろう。だが石を狙う人間が、命を賭けた問題で童話を思い浮かべることは無いと僕は思っていた。

 彼らのような子供故の純粋な考え方を持つ人が出てくるとは盲点だった。

 

「『三人兄弟の物語』はミスチョイスだったかな」

 

 僕は少し微笑んだが、ポッターは笑わなかった。

 死にかけたのだから当然か。

 

 

「もう時間です。病人は休むのが仕事なんですから」

 

 そう言って追い立てるポンフリーによって、僕はポッターと別れた。

 医務室を出たところで、校長がまだいた。

 

 ちょうどいい。彼に聞きたいことがあったのだ。

 

「今回の件。どこまで知っていたのですか?」

 

 僕の問いにダンブルドアは驚いた素振りすら見せない。どうせこの老人のことだ。予想の範疇なのだろう。気に入らない。

 

「わしはヴォルデモートか『石』を狙うじゃろうと思っとった。何か部下を送り込んでくるじゃろうとな」

 

 まさかクィレル自身に取り憑いてホグワーツに侵入するとは思わなかったと、校長は言った。ポッターが首を突っ込んでくるのはどうだったのか、教えてはくれなかった。

 

「次の新任教師が、『彼』の部下でない事を祈ります。そうですね、少し無能そうな人なら大丈夫じゃないでしょうか」

 

 『彼』はプライドが高い。今回は元々ホグワーツの教師という肩書きのあるクィレルに取り憑いたが、ならそんな物のない素人教師なら部下にしようとすら思わないだろう。

 

「ほう、確かにのう。いい目の付け所じゃ。早速、日刊予言者新聞に求人を出すとしよう。『未経験者大歓迎』とな」

 

 ダンブルドアはそう言って去っていった。

 

 来年の『闇の魔術に対する防衛術』の教師が、まともな人間である事を期待するばかりだ。



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静寂の元でのエピローグ

 1年が終わり、生徒達は夏休みとなった。皆はそれぞれの家へと帰った。ホグワーツは静寂に包まれ、大広間では僕とマクゴナガルのチェスの駒の音だけが小さく木霊する。

 

「寮杯の獲得、おめでとうごさいます。スリザリンからの奪還は何年振りでしたか」

 

 既に大詰め。盤上の駒は残り少なく、既に僕の負けは決定していると言っていい。だからこれは単なる会話だ。彼女も勝利への手がはっきりと見えているのだろう。

 手を止めずにクイーンが僕の陣地に突っ込んできた。

 

「7年振りの事です。本当ならばクィディッチ杯も欲しかったのですが」

 

 ポッターが意識不明だったため、グリフィンドールはメンバーが欠けた状態で最後の試合に望み、スリザリンに大敗した。その時の彼女の様子は、チェスをしている今では考えられないほどに悔しがっていた。

 

「それに今回の様な特別な得点で優勝しても、本当の勝利とは胸を張れないでしょう」

 

 随分と固い事を言うが、それでも優勝が決まった時に教師の中で1番嬉しそうにしていたのが彼女だ。僕は気づかれない様、喉の奥で静かに笑う。

 

 そう。学年末パーティーの直前までは、スリザリンが最も点数の高い寮だった。ダンブルドアが勿体ぶって、ポッターらの点数を出し渋ったのだ。おかげでグリフィンドールは劇的な逆転をし、見事に1位へと昇った。

 スリザリン以外の生徒は全員喜び、グリフィンドールを祝福した。それは良い。明るく騒げるのは素晴らしいことだ。

 

 だがあそこまでスリザリンのプライドを折るような真似をすることはないだろう。グリフィンドールとスリザリンは長年のライバル関係にあり、その相手にあんな反則じみた負け方をするのはさぞ悔しいだろうに。

 全生徒に対して平等に接するべき校長が、あんな贔屓じみた行動をしたのが、僕には引っ掛かる。まるでポッターとその友人を、生徒が英雄扱いしたがるように仕向けたように感じられた。

 と、いうのは悲観しすぎだろうか。

 

「チェック」

「でしょうね」

 

 マクゴナガルのビショップが僕のキングを狙う。これは体感だが、彼女のチェスの戦法がパーティーの前と比べると、いくらか攻めの姿勢が強くなっている。

 ウィーズリーに渾身のチェスが負けたのが悔しかったりするのだろうか。まだ改良中の戦法のようで粗が目立つ部分も多いが、この場で僕を追い詰めるには十分だろう。

 とりあえずはキングを逃す。降参してもよかったが、まだ会話を終わらせるには時間が早い。

 

「結局今年も、『闇の魔術に対する防衛術』の教師は1年しか続きませんでしたね」

 

 あの教科の担当教師は、ここ何年か1年で交代する事が続いている。理由は様々で、生徒達に噂されているような呪いは存在しない。だが知った顔が長続きしないというのも、どうにも寂しさを感じてしまう。

 

「クィレルの場合は『例のあの人』の手先でしたのですから、死んでいなくともアズカバンへ収容されていたでしょう。仕方ないことです」

 

 仕方ないこと…なのだろうか。

 『彼』の下僕となり『石』を狙った。そう事実だけを書くと、確かに彼は当然の報いを受けたのかもしれない。だがクィレルの持つ弱さに『彼』はつけこんだ。

 それは誰もが持つ弱さかもしれない。クィレルは運が悪かっただけかもしれない。もし他人の弱さを見つける事ができるなら。つけこみ、操ることも容易だろう。

 流石は『闇の帝王』といったところか。その異名は伊達ではない。

 

「チェックメイト」

「…お見事」

 

 彼女のクィーンが僕のキングの首を刈り取る。首級を掲げて勝利の咆哮をあげる姿は、クイーンというよりアマゾネスだ。前々から思っていたが、彼女の駒は血の気が多いのではないだろうか。彼女らしいといえばらしいのか。

 

「ではスコープ司書。良い夜を」

「ええ、貴女も。僕はもう少し月光を浴びてから。おやすみなさい」

 

 去って行く彼女を見送る。

 僕は窓の外の三日月を見上げて、その銀光に指を重ねた。

 知らずのうちに、口から長いため息が出る。

 

 この1年はなんとも緊張感の漂うものだった。校内に『賢者の石』がありその護りを命じられるなど、一生に一度で十分だ。ましてやそれを狙って『彼』が現れるなど。

 

「ヴォルデモート…か。全く、忌々しい限りだ」

 

 もう2度と関わりたくないと、もう一度だけ息を吐いた。



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秘密の部屋
葡萄の香るプロローグ


 まだ生徒達のいないホグワーツの夏休み。僕とマクゴナガルは司書控室で共にワインを飲んでいた。あまり酒は飲まない僕らだが、今日は質のいい物が手に入ったので、1人で飲むのも寂しいと彼女を誘ったのだ。

 

「本当に良い香りですね。どこでこれ程の物を?」

「知り合いが日頃の感謝をと送ってくれまして。貴女も気に入ってくれたようで、なによりです」

 

 送り主はノクターン横丁で古本屋をしている店主だ。違法な魔術本を仕入れる事も多いが扱っているのはどれも歴史的価値の高いもので、僕は時々足を運んでいる。

 何度か魔法省のガサ入れから庇ったこともあり、彼女は僕に恩義を感じているのだろう。

 

「そうそう、ロックハートの名前をダイアゴン横丁で見ましたよ」

 

 先日ノクターン横丁の隣、ダイアゴン横丁の本屋に立ち寄った時のことだ。なにならサイン会の催しがあるとか、ないとか。

 

「彼が新しい『闇の魔術に対する防衛術』の教師に就くのでしたね。期待できそうですか?」

「まだ軽い面接をしたに過ぎません。評価するには時期尚早でしょう」

 

 ギルデロイ・ロックハート。

 最近巷を賑やかす、勲三等のマーリン勲章をもつ作家だ。確かホグワーツの卒業生だったか。図書室を利用していた記憶はないが。

 

「ダンブルドア校長が選んだ人です。能力に問題はないでしょう」

 

 彼の出版した自伝には様々な英雄的行為が書かれている。何冊かは図書室にも置いているが、そこに書かれていることが全て真実なら、彼は非常に優れた魔法使いといえよう。

 

 夏休みに入る前に校長に言った『少し無能そうな人』とは違うが、それでも選んだという事は余程信頼できる人物に違いない。

 

「だと良いのですが。もう『彼』のスパイが入ってくるのはゴメンです」

 

 クィレルの件の二の舞はお断りだ。学校に危害が及べば、必然的に僕の王国(図書室)に余計な火の粉が降りかかるのは目に見えている。

 

「なら貴方が教師になればどうですか?その知識を十二分に活かすことができるでしょう」

 

 マクゴナガルの言った事に驚き、僕はむせた。一層強い葡萄の香りが鼻を抜ける。

 

「ゲホッ…。な、何を言うかと思えば。生憎、僕には誰かを指導する能力はありませんよ」

 

 それに、それでは司書でいられなくなってしまう。本末転倒もいいところだ。

 だがマクゴナガルは僕の思いを知ってか知らずか、こんな事を言った。

 

「ロングボトムやグレンジャーが言っていましたよ。貴方のおかげで成績が上がったと。どこの馬の骨ともわからぬ者に任せるより、貴方の方が信頼できます」

「お褒めに預かり光栄です。ですが、過大評価ですよ」

 

 僕は本を薦めただけだ。読書で上がるような成績なら、元から本人の能力でどうとでもなっただろう。

 

「私はそうは思いませんが…貴方に気がないのなら、無理にとは言いません」

「ではお断りします」

 

 僕は僕の王国以外に興味はない。

 ボトルを傾けてワインを注ぐ。グラスの赤紫を通してマクゴナガルを見る。酔って赤みの増した顔が、少しだけ笑っていた。

 

「フフ…。貴方ならそういうと思いました」

 

 どうやら冗談だったらしい。彼女がそんな事を言うとは思いもしなかったので、本気にしてしまった。普段なら彼女はむしろ冗談が嫌いな性格だが、酔っている今は少し違うのかもしれない。

 

「全く貴女の冗談は心臓に悪い。酒をあまり飲まない方がいいかもしれません」

「あら、貴方が教師に向いていると思っているのは本当ですよ」

 

 その言葉は聞かなかった事にして、僕はワインの最後の一口を飲み込んだ。

 

 今年のホグワーツはどうか、落ち着いた年になって欲しい。



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ギルデロイ・ロックハート:1

 端的に言って、僕は苛立っている。僕は自分で言うのも何だが、感情を露にすることは少ない方だ。できる限り他人には公平でありたいし、感情を優先して偏見を持つのは愚かだと思っている。

 

 では結論から言おう。僕は目の前の男、ギルデロイ・ロックハートが嫌いだ。正確には、たった今嫌いになった。

 

「全くここはカビ臭いね。僕の本は置いてないのかい?もっと置いておかないと、そのうち誰も来なくなるんじゃないか?むしろよく続いてるね」

 

 新学期早々にやって来たかと思うと、僕の王国を貶した。

 咄嗟に杖を抜かなかったのは、僕の精神力の賜物だ。頬はひくついていたし、額には青筋を浮かべていただろうが、なんとか平静を取り繕って受け流す事ができた。

 

「…何冊かは置いている。要望があれば取り寄せるが、個人的なものなら却下する」

 

 無愛想な口ぶりになっているのを自覚するが、コイツの前で普段通りに振る舞うなど無理だ。そのふざけた顔をぶん殴ってやりたくなる。

 

「なら僕の本をもっと置いてくれよ。何百人もの少女達が心待ちにしてるんだからさ」

 

 コイツはめざとく自分の著書を見つけると、僕の前に並べた。どの表紙にも描かれた顔が、自称チャーミングな笑顔を向けてくる。

 

 燃やしてやろうか。

 一瞬でもそう思ったのを戒める。感情に駆られて本を粗末に扱うなど言語道断。司書にあるまじき行為だし、僕の信条に反する。

 

「この『トロールとのとろい旅』なんてもう4、5冊ぐらいあっても良い。…なあ、君もそう思わないかい?」

「…えっ!あ、アタシですか⁉︎」

 

 いきなり近くのハッフルパフ生に話を振った。本の表紙のコイツがキメ顔で彼女にウインクしている。

 破いてやろうか。

 

「アタシは別に…教科書で買ったのがあるし…」

「そう遠慮しないで。変な古臭い本があるより、よっぽど素晴らしいに違いないんだから」

 

 このゴミ野郎を図書室から出してくれた生徒には200点プレゼントしてあげよう。

 そう思って周囲の子に視線を送るが、誰も反応しない。それどころか僕と目が合うとサッと伏せてしまう子ばかりだ。

 さっさとゴミ野郎には出て行ってもらいたい。『服従の呪文』までなら黙認するが。

 

「なんなら君の本にサインしてあげようか?同級生へ自慢するといい」

「いや、結構だし。別に、いらないから。ホントに」

 

 ゴミは嫌がる彼女の荷物に手を伸ばす。他人の本まで穢すつもりか。

 

 もう我慢ならない。

 杖を振ってゴミを少女から遠ざける。多少乱暴になってしまいゴミが地面を転がったが知ったことではない。ざまぁ見ろ。というやつである。

 

「1つ言っておこう」

 

 地面に倒れたままの自称作家の前に立ち、そのアホ面を睨みつける。

 

()()()()呪文を1つ唱えるのに、2ページも3ページも自分の格好良さを()()()()()()()()()()()()()説明するような()()自伝を何冊も置くなんて()()なことをするつもりはない」

 

 普通なら本を貶すような事は言わないが、今回は別だ。あれは本というよりナルシストの宣伝冊子といったほうが正確だ。

 

「図書室は静かに利用し、他人に迷惑をかけない。5歳児でもわかる常識だ。ああ、君は常識が無いのか。すまない。気付かなかったよ」

「なっ⁉︎私はマーリン勲章を持つ一流作家だぞ!司書如きが僕にそんな口を――ッ!」

 

 『口封じの呪文』で喧しいアホを黙らせる。もうこれ以上、コイツの声を聞きたくない。自分の口が開かない事に驚いたのか、慌てたように手を当てている。

 優秀な魔法使いなら『無言呪文』で容易く反対呪文を唱える事ができる筈だが。暫定自伝の中で何度かやっていた記述があるにもかかわらず、コレは杖を振るだけで一向に魔法が発動する気配はない。

 

 こんな無能に僕は怒っていたのかと、何だか馬鹿らしくなった。

 

「さっさと僕の前から消えてくれ。そして2度とここ(僕の王国)に入ってくるな。次は『口封じ』じゃ済まないぞ」

 

 杖を振って座り込んだゴミを宙に浮かばせ、図書室から放り出す。壁にぶつかったアレは、転がるようにして逃げていった。

 

 ようやく騒がしいのがいなくなったと、一息つく。

 周囲を見ると、図書室全部の目が僕に向いている。騒ぎ過ぎたようだ。1つ咳払いをすると、彼らは慌てたように読書や自習に戻る。

 

 こんな荒事をするつもりはなかったが、アレがここに居座るのよりずっとマシだ。さっさと辞めてくれないかな。と、僕は教師に対して初めて思った。



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ルーナ・ラブグッド:1

「ねえ、黒い馬を教えて」

 

 レイブンクローのタイをした彼女は僕の前に現れると、いきなりそう言った。

 その時僕は暇つぶしにカウンターで雑誌を読んでいるところだった。アバウトすぎる問いに困惑したが、その詳細を聞くと彼女は『ホグワーツの馬車を引く馬』について知りたいという。

 面白い見た目の生き物だと周囲の子に言ったら、馬車は勝手に動いていて馬などいないと言われたそうだ。

 

 正直に言って驚いた。まさか1年生でセストラルが見える子供が現れるとは。

 彼らは『死の瞬間を見た人間』にしか見ることができない。ありえないとは言わないが、少女の年齢でそんな経験をしているのか。少女に興味を持った僕は名前を尋ねる。

 

「私はルーナ。ルーナ・ラブグッド」

 

 ラブグッドという名前には覚えがある。たった今まで読んでいた雑誌『ザ・クィブラー』の編集長と同じ名前だ。彼の親族かと訊けば、その娘だった。

 

「パパの雑誌、読んでるんだ。そんな人、学校で初めて見た」

 

 驚いているのか、感心しているのかわからない、感情の起伏の薄い話し方をするラブグッドだ。図書室に合った性格の子だと、僕は気分を良くする。昨日来たゴミとは比べるのもおこがましい、正当な利用者である。

 

「ねえ、黒い馬を教えてよ」

「もちろん構わないよ。ただね…少し問題があるんだ」

 

 セストラルについて書かれた本は非常に少ない。まず第一に本を書く人間が『死を見た人間』である必要があるからだ。写真を撮っても見える人と見えない人がいるのでは図鑑として意味がない。

 第二に、セストラルが魔法省によって危険生物に指定されている。危険な生き物にわざわざ近づく人間は変人か狂人か、もしくは無謀な馬鹿だ。

 この図書室でもセストラルを専門的に扱っている本は、閲覧に教師の許可がいる『禁書』に分類されている。

 

 だからといって言葉で説明するだけでは彼らの魅力は伝わらない。せっかく僕を頼ってくれているのだから、セストラルについて知ってもらいたいのだが。

 

「ラブグッド。1年生ならまだ大した宿題は出ないだろう?今度の休日、セストラルを見に行かないかい?」

 

 彼らは禁じられた森にも生息している。司書の僕が付き添いなら、生徒である彼女も入れる。

 彼女は僕の言葉に可愛らしくキョトンとすると。

 

「…デート?」

 

 と言った。

 

 

 そして休日。ラブグッドと僕は森の中を歩いている。彼女にとって森は初めてのようで、その足取りは恐る恐るだ。

 

「ここ、ハールビエラはいる?」

 

 ハールビエラとは影に入って旅人を迷わせる妖精。と、『ザ・クィブラー』で紹介された生き物だ。長年色んな所を巡ったが、そんな生き物に出会ったことも、襲われたという話も聞かない。ヒンキーパンクならよく聞くが。

 あの雑誌は色んな生物に溢れる魔法界でも、信憑性が薄いオカルト雑誌扱いされている。あれに載っている話は面白いが、信じるには値しない。というのが僕の評価だ。だが茶飲み話に最適な本なので僕は好きだ。

 

「森で見たことはないな。大丈夫だと思うよ」

「…そっか」

 

 それは安心なのか、それとも会ってみたかったという失望なのか、やはり感情がわからない声だった。

 

 僕らは森の少し開けた場所で足を止める。

 僅かな木漏れ日が差す以外は光のない暗い広場。生き物の気配は無い。

 

「馬はどこ?」

 

 辺りを見回すラブグッドに、地面に彼らはいないと言った。僕は指笛を一定のリズムで奏でる。

 

 そして少し待つと、木々の隙間から彼らが降りてきた。彼らは地面に降り立つと周囲を窺い、一声嗎く。馬のそれとは違う、雄々しく力強い声に空気が震える。

 

 濡羽色した、透き通るような羽。ひとめ見たら吸い込まれそうな程に美しい。

 

「綺麗…」

 

 まだそれを言うには早い。今ここにいる3頭は群れの先遣隊だ。降り立つ場所に脅威がないかを確かめる役割を持つ、若い雄たち。そしてその嗎が安全だと伝えると、ようやく他のセストラルも降りてくる。

 

 重い羽ばたきの重奏が森に木霊し、10頭程度の群れが現れた。先頭を飛ぶ群れのリーダーと、それに続くように雌と子供。

 木漏れ日が彼らの体を照らし、美しい艶を見せる。

 

「これが…セストラル」

「そう。僕の知る限り、この世で最も美しい生き物だ。…触ってみるかい?」

 

 ラブグッドは言葉を発しなかったが、その眼には好奇心が満ちていた。

 知らない人間が近づくと警戒されてしまうので彼女に動かないように言って、僕は群れに近づく。群れのリーダー、アークと名付けた雄にゆっくりと歩み寄る。

 

「やあ、アーク。ご機嫌いかがかな?」

 

 彼とは長い付き合いだ。手を差し出すとアークは匂いを嗅ぐように顔を向けてくる。僕はそっと手を動かし、その首を優しく撫でる。アークは嬉しそうに鼻息を立て、翼を下げた。リラックスしている証だ。

 アークを導くようにして、ラブグッドの所へ戻る。

 

「紹介しよう。この子はアーク。この群れのリーダーだよ。アーク、彼女はラブグッド。ホグワーツの生徒だ」

 

 ラブグッドに杖腕を出してもらい、アークに匂いを嗅がせる。彼女が敵でない事を知ってもらうのだ。リーダーが受け入れれば、群れに近づいても大丈夫だろう。

 

「…こんにちは、アーク」

 

 静かな声で、ラブグッドが語りかける。セストラルは触れた相手の心を察知する能力があるとされる。邪な思いを持てば、2度と彼らに受け入れて貰えない。

 アークの白い眼が、ラブグッドをじっと見つめている。もし受け入れが失敗したなら、彼女の身に危険が及ぶ。僕は腰に差した杖の感触を意識する。

 

「…よろしくね」

 

 アークは軽く息を吐くと一歩下がった。どうやら無事に受け入れられたようだ。僕は緊張を解き、彼女を連れて群れに近づく。知らない人間の匂いを覚えようと、複数のセストラルが彼女を囲む。

 と、1頭はそちらに目もくれず僕のカバンの匂いを嗅ごうとしてくる。

 

「こら、ライラック。まだだよ」

 

 中には彼らのオヤツとしてリンゴや鹿肉が入っている。カバンを取られないよう、ライラックの鼻を押して遠ざける。不満そうに地面を蹴るが、彼女は食い意地が張っているのだ。

 

「ラブグッド、これをあげてみるかい?」

 

 少し群れから離れて、彼女にリンゴを渡す。赤いリンゴを見たセストラル達は、心待ちにする様に首を上げた。

 

「《割れろ》。さ、投げてみて」

 

 弓形に投げられた半分のリンゴは、宙にあるうちにライラックの口へと消えていった。彼女らしい食べ方に僕は少し笑った。

 

「…ふふっ」

 

 どうやらラブグッドにも楽しい事らしい。ようやく感情らしいものが見えたと、僕も嬉しくなった。彼女はセストラルの良い友になるだろう。

 

 そのまま何頭かに果物をあげていると、1頭の雌が自分の子を連れて寄ってきた。去年産まれたあの子は、まだ母離れが遠いようだ。

 

「カリス、どうしたんだい?」

 

 カリスはアークと1番長くいる(つがい)で、群れの半分は彼女の子だ。だが幼子を持つ母は警戒心が強く、僕も不用意には近づかないようにしている。

 そんな彼女が自分から来るなんて珍しい。不思議に思っていると、カリスは自分の子、ハイペリオンを押して、ラブグッドの方へ進ませた。

 ハイペリオンは戸惑っているが、それはこちらも同じこと。今までセストラルが子を人に近づけることなど無かった。友人のハグリッドも、セストラルの子にはちょっかいを出してはいけないと言っていたのに。

 

「…どうすれば良いの?」

 

 僕だって知りたい。とにかく彼女の機嫌を損ねないよう、アークと時と同じように手を差し出すように言う。今回は何が起こるかわからないので、僕は杖を握った。

 が、カリスが警告するように翼を広げる。僕に、動くなと言っている。これ以上母親を刺激したくない。大人しく手を広げるが、僕は油断なくラブグッドを庇うことのできるよう警戒する。

 頬を嫌な汗が流れる。

 

「…ハイペリオンって言うんだ。私はルーナ」

 

 生後1年経っていないハイペリオンは、人間と接触するのは初めてだ。彼は恐る恐る、ラブグッドの手に鼻先を近づける。やがてそれは触れ合い、少し時が流れた。

 

「…綺麗な羽だね」

 

 その言葉が分かったのか、彼は誇らしげに翼を広げて駆け回る。

 カリスも刺々しい雰囲気を解き、我が子を眺めている。どうやら事態は収束したようだ。

 

 これは何となくの推察だが、カリスは我が子を人馴れさせたかったのではないだろうか。

 僕は男の大人。セストラルの認識では『血の繋がらない成熟した雄』だ。だがラブグッドは『未成熟の雌』。カリスは人間が嫌いではないし、子を絶対に傷つけない人だと、ラブグッドを見定めたのだろう。

 アークが認めたのも大きいかもしれない。

 

「肝が冷えるよ、君の妻は」

 

 アークの首をポンと叩く。彼は『全くだ』とでも言うように鼻を鳴らした。鬼嫁なのかもしれない。

 

「…ねえ、スコープ。カリスが…」

 

 なんとカリスがラブグッドの傍で座って動かない。そして何かを催促するように彼女を見ている。

 これは驚いた。まさかカリスが自分からそれを促すとは。

 

「ラブグッド。…セストラルに乗ってみるかい?」

「…?」

 

 子と仲良くしてくれたラブグッドへ、彼女なりのお礼だろうか。

 セストラルは別に誇り高い生き物でもないが、逆に隷属する生き物でもない。自分から乗られる事を望むなど滅多にない。それを触れ合って1日で起こすとは、ラブグッドはセストラルと相性が良いのだろう。

 

 カリスの背にラブグッドを乗せ、僕もアークに跨る。

 

「翼の邪魔にならないように、首の横に手を回すんだ」

 

 浮き出た骨を引っ掛かりにして、体をしっかりと固定する。彼女が乗ったのを確認したカリスが立ち上がり、大きく翼を広げた。

 

「しっかり掴まって落ちないように。カリスに任せたら大丈夫だ。アークと僕が先導する」

 

 ラブグッドは緊張した顔で頷く。この数時間で、彼女の感情が分かるようになってきた。

 

「よし。…行こう、アーク!」

 

 腹を蹴ると彼は大きく嗎き、翼を広げて駆け出す。すぐに体は浮かび、僕らは森の上に出た。その魔法生物最速とされる飛行速度を遺憾なく発揮し、アークとカリスは風を切る。

 少し後ろには、必死に両親についてくるハイペリオンの姿もあった。

 

 アークは荒々しく、力強く。カリスは流れる様に、繊細に。翼をはためかせる。

 大鷲として飛ぶのとは違う、肌を空気が撫でていく感覚。少し傾いた陽の熱が心地良い。ラブグッドの顔にも笑顔が広がっていた。

 

 

 充分に飛行を楽しんだ僕らは森へと戻った。そろそろ良い時間だ。陽は深く傾き、山に触れそうだ。

 

「そろそろ帰ろうか」

「…もう?」

 

 ラブグッドは名残惜しそうにハイペリオンを撫でる。僕だってずっと彼らといたいが、夜の森は昼とは比べ物にならない程に危険だと彼女を説得する。

 

「………わかった。じゃあね、ハイピー」

 

 聞いた事のない愛称だ。彼女の独特なセンスだろうか。

 僕がアークに別れを言うと、彼は群れを率いて赤い空へと去っていった。

 

 ラブグッドはしばらくそれを眺めていたが、ようやく僕の方へ振り向いた。城へと帰る道中、彼女から話しかけてきた。

 

「…私、セストラルが好きになった」

「そうか。それは良かった」

 

 彼女の声は静かだったが、僕には興奮しているのが分かった。僕もカリスの珍しい行動に心が躍っている。彼女の様な存在は、セストラルとの交流に良い風を吹かせてくれそうだ。

 

「…また来たいな」

「君にこれをあげるよ」

「…鳥の羽?変な模様だね」

 

 『魔除けの羽』を彼女に渡す。これがあれば、1人で森に入っても安全だろう。昼間限定で、余程深く入らない限りは。そして彼らを呼ぶ指笛のリズムを教える。僕とハグリッドしか知らないのだが、彼女は特別扱いだ。

 

「…今日はありがと。楽しかった」

 

 やはり声は静かだった。

 

「…早くまたハイピーに会いたいな」

 

 だがその足取りは弾んでいた。



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ハーマイオニー・グレンジャー:2

 10月になったばかりの頃。ホグワーツでは大変な事件が起きた。

 なんとフィルチの猫、ミセス・ノリスが石にされてしまったのだ。事件現場の壁に残されたメッセージには『秘密の部屋』が開かれた事が記されていた。

 

 おかげで図書室はありがたくない大盛況だ。『秘密の部屋』の事を調べようと、沢山の生徒が『ホグワーツの歴史』を借りて行った。そういうミーハーな流行りはあまり歓迎しないのだが。おかげで借りようと思っても全て貸し出し中で、僕に不満や無理のある要望を言う生徒が出てくる。

 

「スコープさん、貴方がホグワーツの歴史を教えてくれる。なんて事はないですか?」

 

 2年生になったグレンジャーもその1人だ。

 司書に何を期待しているのか。雑誌から目を離さないで、適当に答える。

 

「僕は教師じゃない。歴史ならビンズに訊くと良いよ」

「先生は曖昧な事しか教えてくれませんでした」

「なら僕も教えられないな」

 

 面倒な事にはあまり関わりたくない。できる限り彼に擦りつけたい。

 

「…じゃあ『秘密の部屋』について書いてある本を教えてください」

「ははっ。そんなのあるなら、僕が知りたい」

 

 僕が真剣に答えていないと分かったのか、グレンジャーは不満顔だ。雑誌を取り上げて、無理やり視線を合わせてくる。

 

「私は()()()()()なんです。分かりますよね」

 

 よく見るとその眼には僅かに恐怖の色が混じっているようだ。事件現場の文句には、マグル生まれの蔑称『穢れた血』への警告が残されていた。なるほど、『ホグワーツの歴史』を借りたのはマグル出身の子が多かったのはそう言う訳だ。

 彼女も不安なのだろう。

 

「…伝説では『部屋』にはサラザール・スリザリンの残した怪物がいるとされる」

 

 僕の知識だけでの話になるが、彼女に知恵を貸すとしよう。聡明な彼女なら怪物の正体を突きとめ、『部屋』の謎を解くかもしれない。

 チラリと周りを見ると、図書室中の生徒が僕の言葉に耳をそばだてている。本を読んでいるフリをしていても、ページは進んでいないし視線はこちらを窺っている。皆興味があるのだろう。

 

「怪物はスリザリン本人にしか操れない。…何故だと思う?」

 

 ホグワーツは4人の魔法使いと魔女によって創設された。全員が優れた能力を持ち、実力は拮抗していたとされる。

 

 ゴドリック・グリフィンドールは最強の魔法使い。戦いになれば彼にかなう者はいなかった。とある戦争ではゴブリン達を打ち負かした。

 ヘルガ・ハッフルパフは最も優しく、誰よりも慈愛に満ちていた。彼女の精神は今も魔法界の守るべき主義の根幹を成している。

 ロウェナ・レイブンクローは聡明。彼女の知恵は誰もが頼りにし、多くの探求者を生み出した。

 

 そしてサラザール・スリザリン。最も残忍かつ狡猾。魔法の暗い面を知り尽くし、その力を執行する事に躊躇しない男。

 

 4人の誰かが1番優れていると言う事は無く、互いに切磋琢磨しあい、同時に牽制しあう力関係だったと伝説には記されている。

 

「スリザリンは生き物の扱いに長けていた、なんて話は聞いた事が無い。彼よりもハッフルパフの方が生き物に愛されていたそうだよ」

 

 ホグワーツに怪物を残す事など、3人が認めるはずがない。ならスリザリンにしか操れないというのは、何か()()()があると考えるべきだ。

 

「スリザリンにしか無かった能力…それでしか操れない怪物。そういう事ですか?」

 

 良い判断だ。強さではグリフィンドール。知識ではレイブンクロー。友愛ではハッフルパフに劣るスリザリン。それでも彼が操れた理由は。

 

「彼は…蛇語を話せるパーセルマウスだった‼︎蛇はスリザリンの象徴で、彼の残した怪物にピッタリだわ‼︎」

 

 興奮で大声を出すグレンジャーを咎める。ここは図書室。忘れてもらっては困る。

 だがその答えは的を射ている。蛇を操ることが彼の能力ならば、その怪物も当然蛇だ。

 

 グレンジャーは呆けてはいられないと、魔法生物の本棚へと向かっていく。蛇に分類される闇の生き物を、手当たり次第に調べるつもりだろう。

 だがその種類は多い。

 ヒドラ、オロチ、バジリスク、サーペント…。

 蛇を体の一部に持つ、という認識まで広げるとコカトリスやキメラまで含まれるだろうか。

 ノリスを石に変えたという事から、石化能力を持つ生物には絞れるかもしれない。だが果ての分からない道のりだ。願わくば、グレンジャーが正しい答えを導き出せるように。

 

 まあ彼女がまた僕に知恵を求めるかもしれない。その時はまた助言をしても良いだろう。僕は彼女に閉じられた雑誌の再読を始める。

 今月の『ザ・クィブラー』には、なんとセストラルの特集が組まれていた。ラブグッドが親への手紙に何か書いたのかもしれない。内容はデタラメな事も書いてあるが、僕に無かった視点で描かれる彼らの姿は、やはり面白いものだ。

 

 数日後『ホグワーツの歴史』の代わりに魔法生物の図鑑が全部貸し出される事になると、僕はまだ思っていなかった。ミーム的な流行りは好かないのだが。



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嘆きのマートル:1

 廊下を歩いていると、突然水が流れてきて僕のローブの裾を濡らした。高級品では無いとはいえ、あまり気分が良いものではない。

 少し探ると、どうやら水道管が破裂したのが原因だった。犯人はその近くで青白い顔をしている。青白いのは顔だけではなく全身もだが。

 

「…やあ、マートル。また派手にやったね」

 

 ふわふわと浮かぶゴースト。通称『嘆きのマートル』に声をかける。

 

「ライアス。…何しに来たの」

 

 何やらご機嫌斜めだ。メガネ越しにこちらを睨んでくる。

 

「いや、君がこの辺りにいるなんて珍しいと思ってね」

「アンタだって同じでしょ。相変わらず図書室に篭りっきりの癖に」

 

 それを言われてしまうと、こちらは返す言葉もない。

 マートルは元レイブンクロー生で、僕の2つ下の学年にいた。同じ寮だったこともあり、生前から何度か顔を合わせている。

 

「なんでこんな場所に?」

 

 彼女は基本的に2階の女子トイレから動くことはない。それにこの近くに水場はなく、彼女がいる理由がわからない。尋ねるとマートルは苛立ちながら水面に波を立てる。

 

「気持ち悪い気配がしたの。配管の中。何かが動いてたの」

 

 それはミセス・ノリスが襲われた日のこと。床を水浸しにしたマートルが配管の中を流れている時に感じたという。

 

「知ってる気配だったわ。思い出せないけど」

 

 その正体を突きとめるために、今日はこんな所まで配管を辿ってきたらしい。だが思うように正体に繋がるヒントも見つからず、苛立ちのあまり配管を破裂させた。

 フィルチが聞いたら顔を真っ赤にして怒りそうだ。ただでさえ愛猫を石にした犯人捜しに躍起になっているのに、そんな理由で手間を増やされたら堪らないだろう。

 

「君は相変わらず短気だね」

「うるさい!あんたに分かるもんですか!」

 

 マートルは叫んだかと思うと、水たまりに飛び込んで水飛沫を上げた。防いでも良かったが、彼女の気が紛れるならと甘んじて濡れた。服の中までびしょ濡れだ。

 

「グレムリンか何かと間違えたんじゃないのかい?配管にイタズラしていたんだろう」

「もっと大きい感じの生き物よ。配管の壁に体を擦りながら動いていたもの」

 

 水面から顔だけを覗かせた彼女が言う。彼女はマグル出身とはいえ元レイブンクロー生だ。その知識は決して今の生徒にも劣っていない。ゴーストならば物体を通り抜け、死角を探ることも容易い。

 その上で正体が分からないとなると、いささかきな臭いものを感じずにはいられない。

 

「そういえばマートル。君、『秘密の部屋』の噂を聞いたかい?」

「…?…ええ。学校中がそれで持ちきりじゃない。皆話してるわよ」

 

 それもそうか。

 彼女が死んだ事件は、『スリザリンの継承者による事件』とされている。だが今回と違うのは、被害者が死んだという点だ。彼女がよくいる女子トイレが事件現場。死者も彼女1人だった。

 

 犯人はトムによって突きとめられ、怪物は逃走した。だが僕は犯人は誤認だったのではないかと考えている。

 なにせあのハグリッドが犯人だというのだ。彼は当時グリフィンドール生だったし、お世辞にも狡猾で残忍とは言えない。スリザリンとは全く異なる性格だった。もし僕を騙していたなら大したものだが、それなら『組分け帽子』すら彼の本性を見透かせなかったことになる。

 それはあり得ないだろう。何せあれを作ったのは創設者たちだ。選民主義のスリザリンが自分の後継者を、仲の悪いグリフィンドールの寮に入れるとは考え難い。

 

 それに怪物の正体がアラゴグ…つまり、アクロマンチュラだと納得できないのだ。あれは牙と毒で殺す蜘蛛。石にする能力はない。

 もっとも、今回の怪物とあの時の怪物が別の生き物である可能性も捨てきれないが。

 

「君は死んだ時、誰かを見なかったかい?犯人の姿とか」

「男の声は聞こえたけど、姿は見えなかったわ。大きな黄色の眼が2つあったのは覚えてる」

 

 眼を見たという情報だけでは、生き物の特定は難しい。だがやはり蜘蛛ではないようだ。

 

「調べてるの?あんたにしては珍しいわね。物騒なことに首を突っ込むなんて」

「らしくないのは自覚があるよ。ただ今回はね」

 

 これはまだ勘に過ぎないが、友人が関わっている可能性がある。もう彼のいざこざに巻き込まれるのはごめんだが、それでもやはり手を出してしまうのは僕の悪い癖なのかもしれない。

 

「友人関係というのは簡単には消えないし、ずっと纏わりつくんだ」

 

 捨てられるものなら捨ててしまいたいが、簡単ではない。

 

「エリシアのこと、引きずってるの?」

「妹は関係ない。彼女の名を気安く口にしないでくれ」

「…ごめん」

 

 マートルの言葉を咄嗟に否定してしまう。

 だが、そう。血は、水よりも濃い。忘れる事などできないだろう。

 

「…こっちこそすまない。君は無関係なのに」

「無関係じゃないわ。…あの子とは友達だったもの」

 

 つまり彼女も友人を忘れられないわけだ。

 

 

 フィルチが息を切らせてやってくると、マートルは逃げるように去っていった。ノリスが石になって以来、彼は神経質になっているようだ。話していただけの僕にまで、マートルをきちんと言うように言ってくださいと、小言を言ってきた。

 普段から学校の管理やらなにやらを任されている人なので不満は無いし、猫が石にされてショックなのだろうが、もう少し余裕を持ってもらいたい。

 

「《水よ、乾け》《清めろ》《直れ》」

 

 後始末は僕が引き受けるので、ゆっくりして欲しいものである。



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セブルス・スネイプ:2

 12月のクリスマス休暇が近づいてきた頃。スネイプが図書室に訪れた。前と同じように閉室時間ギリギリに。

 そしてその時以上に不機嫌な顔だった。眉間のシワが深過ぎて、一生取れないのではないかと心配になったぐらいだ。

 

「…機嫌が悪そうだね。お腹でも壊したのかい?」

 

 僕のジョークに反応することなく、彼は司書控室へ入っていった。僕の許可なく入らないでほしい。あそこは一応、プライベートな空間なのだ。

 

「…誰かが私個人の保管倉庫から、薬の材料を盗みました」

「知らないよ、そんなの。なんで僕に聞くんだい?」

 

 そもそもそんな事で閉室時間に来ないでくれ。と、抗議の視線を送る。スネイプは気にすることなく、また僕に質問をする。

 

「生徒が盗むなら、強力で複雑な薬を作るためです。心当たりは?」

「…だから知らないってば。知る訳ないだろう」

 

 ずかずかと無断で入ってきて居座るのなら、僕にも考えがある。

 

「晩酌に付き合ってもらうよ」

 

 シングル・モルトがいくらか残っていたのを思い出した。1人で少しずつ飲んでいたが、今日は2人で空けてしまおう。

 2つのグラスを並べて、それぞれにウィスキーを注ぐ。一口飲むと冬の寒さを打ち消すような熱が体に広がった。

 

「さあ、どうぞ。…で、何の話かな?」

「バイコーンの角、ドクツルヘビの皮。これらが盗まれていました」

 

 スネイプもウィスキーを飲んで言う。2つともメジャーな材料だ。扱いは難しいが、知識のある生徒なら使うことはできる。

 

「盗まれたのは恐らく、2年生のグリフィンドールとスリザリンの合同授業の時でしょう。ゴイルの大鍋に花火が投げ込まれておりました。私が対処に気を取られている隙にやったのでしょう」

「ははっ。君の授業で騒ぎを起こしたのかい。随分と無謀な生徒だ」

 

 犯人を見つけたら、彼は必ず退学にするだろう。そのしかめ面に書いてある。僕にとっては酒の肴にちょうどいい話だ。

 

「不審に思い生徒用の材料棚を調べたところ、申請よりも減っているものが幾つか見つかりました」

 

 つまり生徒が薬を作るために材料を盗み出した訳か。その推理は理に叶う。

 減っていた材料はクサカゲロウ、ヒル、満月草、ニワヤナギ。

 

「ポリジュース薬か、骨溶かし薬か」

「どちらにせよ、生徒がレシピを見ずに作れる代物でないことはお分かりでしょう」

 

 誰かが図書室で本を借り、それに従って薬を作ろうとしている。と、彼は言いたいらしい。

 

「んー。まあそうかもね」

 

 何でもないように答えるが、内心では僕は焦っていた。

 魔法薬に関する本を借り、薬を作る知識のあるグリフィンドールの2年生に心当たりがある。

 

 グレンジャー。

 ロックハートのサインがされた許可証で『最も強力な魔法薬』を借りていった。彼女だけなら、授業で騒ぎを起こしたりしないと確信を持って言えるのだが、ポッターとウィーズリーも一緒だったところを考えると、何か企んでいるのかもしれないと、今になって思い至る。

 彼らは去年、独自に『賢者の石』について詮索し、『彼』の凶行を防いだ。その成功体験から、今回も何か動き回っているのかも。

 

 とくにグレンジャーは『秘密の部屋』に対して関心がある。ポリジュース薬で誰かに化け、探るつもりなのか。

 

「でもまあ、ゴーストの仕業かもしれないよ」

 

 彼女に知恵を貸した者として、庇っておこう。

 

「ピーブスなんかがいかにもやりそうなイタズラじゃないか」

「…確かにそうですが。貴方は誰かを庇おうとしているのではありますまいな?」

 

 勘がいい。他人を疑うことにかけては学生時代から変わらない。用心深いのか、陰湿なのか。恐らく後者だが。

 顔が強張っていないか睨んでくるスネイプを誤魔化すようにウィスキーを呷る。喉が熱くなり、鼻からアルコールが抜けていく。

 

「…知らないね。僕が庇う理由があるかい?」

「貴方は昔から王国の利用者を贔屓しております。お忘れですか?」

 

 学生時代よく図書室に匿ってあげていたのを、彼は覚えているらしい。

 

「…なら分かるだろ?僕は犯人を知らないし、知っていたとしても答えない」

「…でしょうな。不躾なことを言って申し訳ありません」

 

 スネイプはウィスキーを飲み込むと、席を立った。

 

「今日は無作法な真似をしてすみませんでした。失礼します」

 

 もう少し飲んでいかないかと引き止めるが、彼は謝罪をして帰っていく。

 

「そうそう、ロックハートが決闘クラブをするそうです。貴方もいかがですか」

 

 決闘クラブ。

 懐かしい響きだが、わざわざ司書が参加する理由はない。それにロックハートは顔も見たくない。

 

「昔は強かったけどね。今はやる気は無いよ」

「…そうですか」

 

 彼が図書室を去り、鍵を閉める。

 待て。彼は()()()。と言ったか?

 彼がロックハートに協力するのか。意外だ。仲が良かったりするのだろうか。

 ロックハートとスネイプが仲良く談笑している様子など、想像する事ができないが。まあ他人の交友関係に口を出すつもりはない。僕はウィスキーを飲み干した。



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ジニー・ウィーズリー:1

 赤毛というのは魔法界でも目立つ。図書室のような狭い空間で目の前を行き来されると、どんなに手元に集中していても気になってしまう。しかも時々、こちらを窺うように視線を送ってくるなら尚更だ。

 

「…何か用かな、ウィーズリー?」

「い、いえ。何でも…」

 

 ジニー・ウィーズリーはそんな歯切れの悪い返事をして離れたかと思うと、また近づいてきてはウロウロするのを繰り返していた。

 

「…何か?」

「……何でもないです」

 

 絶対何かあるだろうと思うが、その時は僕も手元の作業に集中する必要があった。彼女も気を遣ってくれていたのだろうか。

 こんなやり取りをずっと続け、やがて図書室が閉まる時間が近づいた。

 誰もいなくなったのを見計らってか、ウィーズリーはようやくカウンターにやってきた。

 

 そんなに話しづらい内容なのか。恥ずかしい話か、罪悪感のある話か。とにかく周囲に聞かれたくないのだろう。

 

「あの、話し相手になる本ってどんなのがありますか?」

「…?本は読む物だ。話す物じゃないよ」

 

 何かのナゾナゾだろうか。僕の答えが的外れだったのか、ウィーズリーは首を振って言い直す。

 

「書いた言葉に答えてくれる日記…って、ありますか?」

 

 有るか無いかで言えば、もちろん有る。日記なので図書室には無いが、『エンダリンの独り日記』は書いた質問に答えてくれるようになっている。独り身の老人に大人気の商品で、ボケ防止や孤独が紛れると評判だ。

 

「…それって怖い日記ですか?」

「まさか。正当な魔術を使って作られたに決まってるじゃないか」

 

 いまいち彼女の真意がわからない。僕に何を聞きたいのだろう。

 彼女は何かに怯えているようにオドオドとしている。まるで去年のクィレルのようだ。彼の場合は『彼』が取り憑いていたのが原因だったが、この少女は何に怯えているのか。

 ウィーズリー家は純血の家系。『秘密の部屋』の怪物が伝説通りなら、襲われる心配はないだろうに。

 

「じゃあ、読む人を操る本はありますか」

 

 それこそ愚問。有るに決まっている。僕はカウンター横にある柵の向こう。『閲覧禁止の棚』へと視線を送る。あそこにはそんな本が何冊も封印してある。

 なぜ1年生がそんな事を気にしているのだろうか。あれは闇の魔術に分類されるものだ。授業で扱うことはないと思うが。

 

 そこで思い至るのはロックハート。彼がどんな授業をしているのか、僕は知らない。まさか1年生に危険な真似をさせていないだろうか。

 

「それは『闇の魔術に対する防衛術』の授業の調べ物かい?」

「え⁉︎…あー、そう…です。そう、そうなんです。ロックハート先生が調べなさいって」

 

 やっぱりそうか。彼が何を思って教えたのかは知らないが、魔法界への知識が充分でない生徒に闇の書を教えるのは不用心ではないだろうか。

 ウィーズリーが間違った事をしなければ良いのだが。

 

「読む人間を操る書はあるが、その方法は様々だ」

 

 例えば『欠けた心臓と裂けた脳』という本は、読み手を発狂させ周囲の人間を殺させる。とある魔女によって読まれ、マグルを27人殺害した事件を起こした。

 『夜の母の晩餐』は最悪だ。読み手は精神を操られ、無意識のうちに殺人を犯す。そしてそれを、存在しない『母の子』によるものと認識するのだ。

 

「殺人を怪物がやったと思い込む本…」

「タチが悪いのが、犯人は無意識だと言う点だ。どんなに酷い事をしても、覚えていない」

「覚えていない…」

 

 何やらウィーズリーの顔色がどんどん青くなっている。指先も震えているようだ。

 

「大丈夫かい?体調が悪いなら医務室へ行ったらいい」

「い、いえ。平気です。それより、そんな本って操られたらどうすればいいんですか?」

 

 性質は厄介だが、その分対処は簡単だ。どんなに悪質でも、相手は本に過ぎない。

 

「捨てればいい。燃やす、破く、水に流す。なんでも構わないさ」

 

 本の中に何かが封じられている場合でもない限り、燃やしてしまえば万事解決だ。無責任に処分するのは推奨しないが、難しいことではない。

 

「捨てる…そう、捨てればいいのよ」

 

 何かを決心したのか、ウィーズリーは図書室を出て行く。

 何を思ったのかは知らないが、彼女の助けになれたならそれでいい。

 

 面倒な事に巻き込まれるのはお断りだ。



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トム・リドル:1

 ポッターがその名前を口にした時、僕は少し驚いた。何せ彼が在学していたのは50年も前の事だし、彼の名前はトロフィー室のトロフィーに刻まれているだけなのだから。真面目な生徒ならいざ知らず、ポッターが見つけるとは思わなかった。

 

「スコープさんとトム・リドルは知り合いだったんですか?」

「…どうしてそれを?」

「えっと…貴方の名前が、彼のトロフィーの横にあったので」

 

 僕と彼は親友だった。

 ()()()…。

 

「すまない、彼の事はあまり知らないんだ」

「でも日記では…じゃない。そ、そうですか。変なこと聞いてすみませんでした」

 

 ポッターを追い払うように嘘を言う。他人に彼の事を話したくないのだ。

 

 その夜のこと。ポッターのせいなのかは分からないが、昔の事を思い返していた。

 あれはそう。マートルが死んだ日のことだ。

 

 

 目の前で担架に乗せられた死体が運ばれていく。布で隠されていても、僕にはそれが誰なのか分かっていた。

 

 同じ寮の少女。妹の友人で、僕も何度か話した事があった。そんな子が死んだ。安全とされるホグワーツの中で。

 

「ホグワーツは終わりかもね。校内で死人が出たんじゃ、閉校するしかないだろ」

 

 傍にいる友人に話しかける。スリザリンの緑のタイをした、黒髪の青年。

 

 トム・リドル。

 入学以来の親友だ。寮は違うが、図書室で一緒に勉強することも多い。学年末のテストではトップを争い合う関係だった。

 

「何だって?ホグワーツを閉校?…そんな馬鹿なことがあってたまるものか」

「現実を見るんだ、トム。『秘密の部屋』が開かれた。生徒が死んだ。教師は手も足も出ない。これでどうやって学校を続けられるんだい」

 

 トムは何かを考えるように黙り込む。マグル界での彼の事情は知っている。孤児院に帰りたくないのだろう。

 

「また泊まりに来るかい?エリシアも喜ぶ」

「…それもいい。けど今は校長と話してくる。学校が終わるのは困るからね」

「僕も行くよ。君1人じゃ高圧的すぎる」

 

 その仏頂面で凄まれたら、あの気弱な校長は怖気付いてしまう。それに今日の彼は何だかピリピリしている。というか、いつもと様子が違う。まるで()()()()()()()()かのようだ。

 

 当時の校長はアーマンド・ディペットという男だった。日和見主義というか、事なかれ主義というか。そんな消極的な老人だった。

 だが殺人事件が学校で発生したのを放置することはできず、僕らが訪れた時には大層焦っていた。

 

「トム、ライアス。どうしたんだね、こんな時に?生徒は寮に戻るように言ったはずじゃが…」

 

 僕らが面会できたのは、互いに好成績を持つ監督生だったからだろう。一般の生徒なら校長室に入ることすら許されなかった。

 

「大変な時なのは重々承知しています。校長先生、学校を閉めるという噂は本当ですか?」

 

 トムが話している間、僕は『憂いのふるい』から距離を取るように棚にもたれる。あれには近づきたくない。

 

「魔法省もそうすべきだと考えておる。我々は悲劇の源を突きとめることができん」

 

 むしろ遅すぎる判断だ。最初の犠牲者が出た時点でそうすべきだっただろう。視界の上に掲げられた歴代校長の肖像画も、深刻そうな顔で話し合っている。

 

「…もし、犯人が捕まれば閉校は無くなりますか?」

「トム、何を言ってるんだ?」

「仮定の話だ、ライアス」

 

 仮定でもそんな事を言い出すなんてどうかしてる。怪物の正体すらわからないのに、その犯人を捕らえるなんて。

 

「リドル、この事件について何か知っているのかね?」

「いいえ、先生」

 

 校長がトムをリドルと呼んだ時、彼の眉が動いたのが見えた。自分のファミリーネームが嫌いなのだ。

 

 トムの否定に校長は失望の色を浮かべ、退室するように言った。校長室を出た後、僕はトムに話しかけた。

 

「…で、何を知ってるんだ?」

「言っただろ。何も知らない」

「おやおや、親友にまで隠し事かい?君らしいね」

 

 襲撃事件に前後して、トムが1人で行動するのが増えた事は知っている。それにさっきの否定の語調は、明らかに何かを隠そうとしていた。校長は気付かなかったようだが。

 

 トムは立ち止まり、何か深刻な考え事をしているのが分かった。

 犯人逮捕。やはり絵空事ではなく、彼は心当たりがあるのだろうか。

 

「…わかった。ついてきてくれ」

「そうこなきゃ」

 

 人目を避けるように玄関ホールにまでやってきた時、僕らは長い髭の魔法使いに呼び止められた。

 

「ライアス、トム。何をしているのかね?」

 

 変身術の教師、ダンブルドア。今と見た目の差はほとんどない。厄介な老人に捕まったと、僕はとトムは顔を合わせる。彼の話は難解なうえに長いのだ。

 

「校長室に行っていたんです。寮に戻るところですよ」

 

 トムが嘘をついた。ダンブルドアに嘘を言うと大抵の場合見破られる。それでもそうするのは、よほど犯人を捕まえたいのだろう。

 

「もう夜遅い。早く寮に帰りなさい」

 

 言うと思った。ここは一旦、言う通りにした方が良いだろう。無理に逆らって罰則を喰らうのは良くない。トムを小突く。なにやら難しい顔をしているが、引きずってでも連れて行くべきか。

 

「はい。しかしライアスが貴方に訊きたい事があると」

「…はぁ⁉︎」

 

 まったく予想してない答えをする彼に驚く。そんな話はしていない。トムは僕の眼を見て、ダンブルドアの方へ行くように促した。

 彼を引き止める生贄になれ、という事らしい。

 彼に聞こえないよう、トムに小声で抗議する。

 

「どういうつもりだよ、トム!」

「すまない。一刻を争うんだ」

「…はぁ。…後で全部説明してもらうからな」

「助かるよ、親友」

 

 直接見れないのは不満だが、彼に恩を売っておくのも良いかと思い直す。後できっちり教えてもらおう。

 

「では、僕は寮に戻ります。お休みなさい、先生」

 

 去って行くトムに恨めしげな視線を送る。ちゃんと犯人を捕まえてくれなければ、後でとっちめてやろう。

 

「ではライアス。わしに訊きたいことは何かの?」

「…えーっと…そう。実は先日の授業でわからない所があったので質問したいと思っていたんです」

「ほぅ。動物もどき(アニメーガス)の君に変身術で分からないこととな?」

「…ははっ。僕でも分からない事ぐらいありますよ」

 

 本当は分からない事などない。彼の授業は分かりやすいし、動物もどきは変身術のエキスパートにしかなれない。学校の授業で躓くようでは到底なれないものだ。

 

「変身術をかけられた人間が更にもう一度別の動物に変えられた時、記憶と精神の混濁はどうなるのか…とか」

「ほう。興味深い質問じゃのう。…授業でその質問に答えたのが君だという点も含めて」

「…とかいうのはもちろん知っています。そうじゃなくて…臓器の欠けた人間が動物に変身した時の内臓の作用について、でした」

「その内容はまだやっていないはずじゃがのう」

「うっ…。た、確かにそうですね」

 

 気まずい。

 こういうアドリブは得意じゃないのだ。どれだけ時間を稼げばいいのかも分からない。トムがもっとちゃんと言ってくれれば良かったのに。

 

 と、その時。

 1羽のハヤブサが風を切って飛んできて、近くの石像に停まった。ジブリールだ。僕の飼っている鳥で、彼女にはとある任務を命じていた。

 妹の見守りだ。何かあれば僕に知らせるようにと。その彼女がここにいる。

 

「ジブリール?…どうしてここに。…まさか⁉︎」

 

 ダンブルドアに別れも告げず、僕は大鷲に身を転じて飛び立つ。ハヤブサの先導でたどり着いたのは医務室だった。

 

「エリシア‼︎」

 

 扉をぶつかるように開き、中に入って彼女を探す。ベッドの上で眠っているのを見つけた時には、安堵から足の力が抜けてしまった。

 

「大丈夫だ。薬を飲んで落ち着いている」

「スラグホーン先生。…ありがとうございます」

「なに、構わん。君の妹を助ける事ができて何よりだ」

 

 魔法薬学の教師、スラグホーンにお礼を言い、エリシアに近づく。人形のように美しい顔は、生気が薄い。

 彼女は生まれながら呪いをかけられている。定期的に体内に毒が溜まり、排出しないと肉体が灰になってしまう。治療薬は存在せず、毒を排出する延命しかできない。

 成長とともに呪いの力は強まり、あと数年で死に至ると言われている。

 

 その顔を優しく撫で、そっと声をかける。

 

「エリシア。僕だ。分かるかい?」

「…ライ…アス?私、また…」

 

 起きあがろうとする彼女を寝かし、ゆっくり休むように言う。

 

「水を飲むかい?体のどこかが痛むとか…視界がボヤけるとかはしない?」

「大丈夫だよ、ライアス。…ごめんね、心配かけて」

「いいんだよ。家族なんだから」

 

 たった2人の兄妹なのだから。

 

「何か持ってこようか。本とか読むかい?」

「ううん。平気。それより早く元気にならなきゃ」

「何かあるのかい?」

 

 彼女がここまで前向きなのは珍しい。いつも倒れた後は気分が沈んでいるのに。

 

「うん。マートルとホグズミードに行く約束をしたの」

 

 ああ、神様。

 無邪気に笑う妹に、僕はなんと言えばいいのだろう。

 せめて彼女には幸せな人生を、と願うのに。どうして叶わないのだろう。スラグホーンや看護師も気不味そうに眼を伏せている。

 それでも、彼女に伝えなければならないだろう。残酷な真実を。

 

「エリシア…。良く聞いてくれ。…マートルは――」

 

 

「――死んだんだ。…っ!」

 

 どうやら考えているうちに眠ってしまったらしい。空はまだ暗く、春には遠い寒さが身を刺す。

 

「トム…エリシア……」

 

 友人も、家族も。まるで呪いのように、僕の中に残っている。忘れてしまいたいのに、それ以上に忘れたくない。

 

 ふと頬を触ると、泣いていたのがわかった。



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ハーマイオニー・グレンジャー:3

 『秘密の部屋』による被害者が2人になってから、しばらくして。

 それはクィディッチのグリフィンドールとハッフルパフの試合がある日の事だった。離れた図書室にも競技場の声が聞こえるほどに盛り上がっている。

 確か、今日グリフィンドールが勝てば優勝確実なのだったか。

 

 多くの生徒がそっちに観戦に行っていることもあり、ここにはほんの数名の生徒しかいない。『秘密の部屋』について調べる子も減り、久々の閑散とした空気に、僕はゆっくり雑誌を読むことにした。

 クィディッチの試合に興味が無いわけではないが、僕は箒に乗るのが苦手で選手の姿を見てもあまり興奮できないタチだ。

 

 今月号の『ザ・クィブラー』は、あまり面白い話は載っていない。体が水で出来たユニコーンなど、どうせケルピーの見間違いだろう。白いセストラルは恐らくペガサスだ。馬のような生物の話題が増えたのは、編集長の意向だろうか。娘の好みに合わせようとしているのかもしれない。

 白いセストラルが本当だとすると、是非とも見てみたいものだ。アルビノだったりするのだろうか。

 なんとなく目が滑るように読んでいると、グレンジャーが図書室に駆け込んできた。

 

「図書室では走らないように」

「あ、すみません」

 

 それでも気持ちが逸っているのか、早足で魔法生物の棚へと向かっていく。そういえば彼女は『部屋』の調査に熱心な生徒だった。何か手がかりでも見つけたのだろうか。

 

「すみません。これの貸し出しをお願いします」

「ん、ああ」

 

 だが司書の仕事を放棄するわけにいかず、彼女に近づくのは諦めた。怪物の正体が分かったなら、後で教えてもらおう。

 

 

 その後、望みの本の捜索や本の棚戻しやらをしているとグレンジャーが図書室を出て行くのが見えた。やはりきた時と同じように、急いでいるようだった。

 何やらこちらを窺うような眼をしていたが、何か後ろめたい事でもしたのだろうか。まさか本のページを破ったわけでもないだろうに。他の生徒ならともかく、彼女はそんな事をしないだろう。

 

 以前、彼女から3年生で受ける授業について相談を受けた事があった。普通の生徒では考えられないほど沢山の授業に出るつもりらしいので、マクゴナガルに相談するように言っておいたが、どうなったのか聞きたかった。まあ、後でいくらでも話せるだろう。

 

 再び暇になり、僕はまたカウンターに座り込む。こんな日が続けばいいのに。

 そろそろクィディッチの試合が始まる頃だろうか。歓声が一際大きくなったような気がする。

 

 そう思い欠伸をした時、壁の中から音がした。

 何か大きな物が這いずるような音。

 

 妖精かなにかのいたずらだろうかと思ったが、どうにも違うようだ。

 そこで思い出したのが、以前マートルが言っていたこと。

 ミセス・ノリスが襲われた時、似たような事を言っていなかったか。

 

『気持ち悪い気配がしたの。配管の中。何かが動いてたの』

 

 まさか。

 その気配が怪物のものだとしたら。この近くにいるマグル生まれを狙っているのか。

 

「グレンジャー…!」

 

 ゾワリとする寒気を覚え、僕は駆け出す。的外れな予感であってくれと願いながら。

 

 

 遅かった。

 廊下に倒れていたのはグレンジャーと、レイブンクローのマグル生まれ、ペネロピー・クリアウォーター。2人とも石になったかのように動かない。

 

 駆けつけた時に僅かに見えた、鱗に覆われた怪物の尾。『失神呪文』を撃ったが弾かれてしまった。魔法生物なら高い魔法耐性を持っているのだろう。

 怪物は配管の中へと消えていった。やはりマートルの言っていた気配は怪物のものだったのだ。

 

「…なんで気づかなかったんだ」

 

 よく考えれば分かる事だ。怪物が配管の中を移動している事は、マートルの言ったことから充分に推察することができた。面倒だからと考えるのを後回しにした結果がこれか。

 

 図書室に…僕の王国に犠牲者を出した。馬鹿じゃないか。他人事を気取って、手遅れになってから後悔するなど。

 

 ふざけるな。許さない。僕の王国に手を出してどうなるか、思い知らせてやる。

 

 何か怪物の正体を掴む手がかりになる物はないかと探っていると、手鏡が落ちていた。少女が使うような小さな物で、恐らくグレンジャーかクリアウォーターの私物だろう。魔術的な仕掛けのない、普通の鏡だ。

 倒れた時に転げ落ちたのかと考えたが、その程度でローブの中の物が飛び出ることはない。なら手に持っていたのか。

 

「何のために?」

 

 グレンジャーは怪物を警戒していた。つまりこの鏡は怪物の対策になるということ。

 

 鏡と蛇の怪物というと、とある神話を思い出す。

 勇者ペルセウスがメデューサを討ち取った物語。石化する眼を鏡を通して見ることで無効化し、剣でその首を落とした。

 だが『部屋』の怪物はメデューサでは無いだろう。尾があり配管の中を行き来できるのだから、純粋な蛇の体をしているはずだ。

 

 鏡を見るが、自分の顔があるだけだ。その青い瞳と目が合う。

 

 …目が合う?

 

 彼女が怪物を警戒していたなら、今回襲われた時も鏡を使って対策したはずだ。その上で石になった。鏡で対策できる事など、たかが知れている。相手を直接見ることを防いだ。

 鏡を通して見ると石になるなら、直接見たら死ぬという事。

 

 今までの特徴から合わせて考えると、怪物の正体は。

 

「バジリスク…か」

 

 眼を見ると死に至る大蛇。恐らく50年前の事件もこいつが犯人だろう。そんなものがホグワーツにいるなど信じたくないが、残したのはスリザリンだ。なんでもあり得る。

 

 ふとグレンジャーの手を見ると、紙が握られている。本のページのようだ。さっき破いたのだろうか。取り出そうと思ったが、固く握られていて難しい。無理にやるとページがさらに傷んでしまう。

 

「…起きたら減点だな」

 

 それに今は怪物を操る『スリザリンの継承者』を探すことが優先だ。

 噂ではポッターがそうではないかと言われている。だがありえないだろう。彼はグリフィンドールだ。50年前のハグリッドと同じように、誤認だと思う。

 

 とにかくその人物が誰であれ、僕を敵に回したのだ。絶対にただでは済まさない。



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ルシウス・マルフォイ:1

 グレンジャーが襲われた日の夜。生徒に対して新たな規則が設けられた。彼らの安全を守るためなら仕方のない事だ。最悪、ホグワーツを閉める事も視野に入れている。

 

 教師らも校内の見回りの厳重化を行う。僕の報告によって配管の入り口には防御魔法を張るようになった。これで被害を抑えることができれば良いのだが。

 

 相手がバジリスクと分かれば、その対処法もある程度導き出せる。グレンジャーの持っていた鏡も、その死の視線を弱めるのに効果的だった。

 そしてバジリスクを殺す最も容易な方法は、鶏の朝の声を聞かせればいい。

 

 僕はハグリッドの所へ行く事にした。彼なら鶏を扱っている。

 諸事情により夜遅くなってしまったが、まだ起きているだろう。僕は首元から手足の先までローブで覆うと、彼の小屋を訪ねた。

 

 中から話し声が聞こえる。どうやら先客がいるようだ。扉をノックしようとした時、ちょうど中から人が出てきた。

 

「おっと…。スコープ司書。お久しぶりですな」

「マルフォイ?何で君が?」

 

 ルシウス・マルフォイ。

 ホグワーツの卒業生で、ドラコ・マルフォイの父親。

 今はホグワーツの理事を務めているのだったか。ハグリッドの小屋にいる理由は分からない。こんなところにいるのは何故だ。

 

「校長に用がありまして。…もう済みましたが」

「ライアス。君もハグリッドに要件かの」

 

 奥にダンブルドアと、魔法省大臣ファッジの姿があった。

 

「校長。それにファッジまで…。ハグリッド、今日は客が多いみたいだね」

 

 ハグリッドは何やら意気消沈している。いつもはうるさい程に大きい声で話すのに、小声でボソボソと呟いているだけだ。嫌なことでもあったのか。

 

「校長というのは正確ではありません。元…と付けていただかないと」

「何だって?マルフォイ、どういう事だい?」

「つい先ほど、理事12人の署名により解任しました」

 

 正気じゃない。学校で事件が起こっている最中で校長を空席にするなど。ファッジも納得していないような目でマルフォイを見る。

 

「理事会の決定です。意味はお分かりでしょうな」

「随分と手が早いね。まるで最初から準備していたみたいだ」

 

 マグル生まれというのは魔法界でも扱いは低い。それが4人…昨日までなら2人襲われた程度で理事会が動くなど、普段の腰の重い様からは考えられない。

 

「これは人聞きの悪い。今回の事態を重く見ていると言っていただきたいですな」

「…だといいけどね」

 

 裏で仕組んだ人間がいる。僕はそう確信した。そもそもこの事件のタイミングが妙なのだ。去年トム…いや、ヴォルデモートというべきか。『彼』の復活が失敗したかと思うと、『彼』が在学中に閉じたはずの『秘密の部屋』が開くというのは。

 

「前科者としてこの森番をアズカバンに収容する事も決まりました。事件の解決も恐らく遠くないでしょう」

「なっ!?ハグリッドをアズカバンにだって?ハグリッド、本当なのかい?」

 

 慌てて彼に寄ると、ハグリッドは大泣きしながら僕に抱きついてきた。その巨体で締め付けられ、肺の空気が空になる。

 

「スコォォォプさぁん!お、俺、俺は関係ねぇんです!アンタからも言ってくだせぇ‼︎」

「ハ、ハグ…ハグリッド…!くる…苦しい…‼︎」

 

 大鷲に身を変えて、腕の隙間をすり抜ける。ローブが乱れてしまった。

 

「ハァ…ハァ…。ファッジ、本当なのかい?」

 

 ハグリッドはショックでまともに会話できない。アズカバンに収容するなら大臣が知らないわけがないと、彼に質問の矛先を変える。

 

「…そうだ。彼は前回の事件の被疑者だ。()()()()だよ」

 

 どうやら本当らしい。なんて事だ。

 彼は無実だと言いたいが、何の証拠もない。それに彼が危険生物を飼育していたのは事実だ。

 

 哀れだが僕には彼を救う事ができない。だがアズカバン送りを黙って見ているのも嫌だ。彼は友人なのだから。

 

「これを御守りにするといい」

 

 『魔除けの羽』を彼に渡す。あそこの看守に対しても少しなら効果を発揮する。彼らは一応、闇の生き物に分類される。

 

「あー、スコープ。アズカバンへの私物の持ち込みは…」

「裁判も無しに収容しておいて友人からの贈り物まで取り上げる、なんて事はないですよね、大臣閣下?」

「そ、そうだな!羽ペンとして扱うなら何の問題もない」

 

 少し威圧すればファッジは怖気付いて要求を飲んだ。せめてこれぐらいはハグリッドの助けをしてあげたい。

 

「あ、ありがとうございます…スコープさん」

「すぐに戻って来られるさ。少しの間の辛抱だよ」

 

 ようやく落ち着いた彼に、本題を言う事ができる。

 だがその答えは芳しくないものだった。なんと最初の事件が起こって間もなく、鶏は1羽残さず殺されていたのだ。

 よく考えれば当然だろう。黒幕がバジリスクを殺す手段を放置しておくはずがない。

 

 対抗策は最初から打ち砕かれていたわけだ。

 

 僕は力無く項垂れ、マルフォイらと共にハグリッドの護送に付き合う。別の対策を考えるにも、バジリスクは強力だ。打つ手はない。

 

 

「ハグリッド…。大丈夫だ。またすぐに会えるよ」

「ファングの世話を頼みます。…あいつらだけじゃ頼りねぇ」

 

 あいつら。というのが誰かは分からないが、他にも頼んでいたのだろう。僕が快諾すると、ようやくハグリッドは落ち着いてくれた。

 馬車に着くまで、彼はずっと啜り泣いていた。強く握られた羽は乱れているが、効力は無くなっていない。

 まずマルフォイが乗り、続いてファッジ。ハグリッドが乗った後、校長が僕に振り返った。

 

「いいタトゥーじゃのう、ライアス」

「…おっと、これは失礼」

 

 どうやらハグリッドに抱きつかれた時にローブが乱れ、肌が覗いていた。作ったばかりで頭から抜けていた。見られないようにしたかったのだが。

 

「『護りの魔術』かね。綺麗な腕じゃ」

「ははっ。用心に越したことはありませんので」

 

 グレンジャーらが襲われた時、鏡は1つなのに2人が石になった。調べるとグレンジャーに渡した『魔除けの羽』が焼け焦げていた。

 バジリスクの死の目から護ったのだろう。仮説に過ぎないので頼りないが、無駄ではないはずだ。

 

「わしがおらん間、学校を頼む。信頼しておるぞ」

「マクゴナガルに言ってください。僕は司書に過ぎませんから」

 

 僕の言葉にダンブルドアは意味深に沈黙した後、馬車に乗って去っていった。司書に何を期待しているのやら。

 それとも、『彼』の友人として期待しているのか。

 

 

 馬車を見送った後、僕はハグリッドの小屋へ戻った。ファングの様子を見るためだ。

 

 だが小屋はもぬけの殻だった。彼の姿は見えない。どこかに散歩にでも出かけているのかと、出直そうとした時だった。

 

 森の中から光と共に1匹の獣が…いや、1()()()()が飛び出してきた。

 

 あまりに想定外の事態に言葉を失っていると、車は2人の子供とファングを吐き出して森へ戻っていった。

 

「…何が何だかわからない」

 

 第一、ホグワーツにマグルの車があるのがありえない。あんな物がどうして森に。

 あっけに取られていると、出てきた子どもが言い争いを始めた。ポッターとウィーズリーだ。ハグリッドの蜘蛛がどうのこうの言っている。

 アラゴグに会いに行ったのか?随分と無謀な事をする。

 

 ウィーズリーがこちらを向いて震え出した。どうやら気付かれたようだ。

 

「やあ、ウィーズリー、ポッター。生徒は寮にいる時間じゃないかな?グリフィンドール、20点減点だよ」

 

 そういえば彼らは今学期が始まる時にも問題を起こしたのだったか。退学にされるかもと怯えている。僕にはそんな気がないのを教えて、寮に戻るように言った。

 

「もうこの件には首を突っ込まないほうがいい」

 

 生徒の手に負える問題ではないのだ。



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嘆きのマートル:2

 校長が解任されてから、しばらくして。『秘密の部屋』の被害者はパタリといなくなった。

 ハグリッドが犯人だった。なんて事は無いだろう。恐らく校長という最大の障害が無くなったことで、黒幕は最後の準備に入ったのだ。次の犠牲者が、最後の、そして最大の狙いだろう。

 

 期末試験が近づいていることもあったが、僕は校内の見回りの為にしばらくの間図書室を完全に閉め切る事にした。唯一幸いだったのは、グレンジャーらが近くで襲われたので利用者が元々居なかった点だろう。

 マートルにも協力を仰ぎ、何とかしてバジリスクを食い止めなければならい。

 

 とても嫌な予感がする。

 そして同時に、懐かしい気配が感じられた気がした。

 

 

 ジニー・ウィーズリーが拐われた。配管に仕掛けた感知魔術に一切の反応は無かった。気づいたのは彼に書かれた犯行文が発見されたから。またしても僕らは後手になった。

 

「生徒を家に帰さなくては。…ホグワーツは終わりです」

 

 マクゴナガルが暗く言う。仕方がないのかもしれない。ロックハートが何やら気の抜けた顔で遅れてやってきた。相変わらずのマヌケ面だ。見ていて腹が立つ。

 

「僕は部屋に戻ります」

 

 とにかく1回落ち着こうと、司書控室に戻った。『部屋』の場所を調べようと散乱した書物を漁る。既に目を通した箇所をもう一度調べ、見落としが無いかを探る。

 

「『秘密の部屋』…バジリスク…スリザリン…。考えるんだ。部屋の入り口を」

 

 最も有力なのはスリザリンの談話室だが、トムがあそこには無いと言っていた。第一、人通りの多い所に作れば誰かに見つかってしまう。ならあそこには無いだろう。

 

「人通りの少ない…配管に繋がっている場所か?…浴場か…調理場とか」

 

 バジリスクは巨大な蛇だ。その体が通れるほど太い配管となると、ある程度は絞れる。

 テーブルの上に地図を広げて、事件の起きた場所を繋いでいく。だがそれはまばらで、何より4件しか発生していない。もっと情報がいる。

 

「…50年前にも『部屋』は開かれた」

 

 その時の事件の場所を合わせる。あの時と同じバジリスクなら、移動方法も同じ配管のはずだ。事件の数は27件。調べるには十分だ。

 

 事件は1つの配管に集中している。蛇の出現はそこから枝分かれした場所で起きている。それは50年前に唯一()()が行われた場所。そこで死んだのは。

 

「…マートル」

「呼んだ?」

「っ⁉︎」

 

 驚いて振り返ると、彼女が後ろに浮かんでいた。

 

「な、何の用だい。マートル?」

 

 彼女には「部屋』の捜索を協力してもらっている。何か情報を掴んだか。

 

「私のトイレにハリー達が来たから、貴方に教えようと思って。『秘密の部屋』の入り口、見つかったわよ」

 

 ポッターらが動いていたらしい。この前、もう危ない事には関わらないように言ったばかりなのに。だがロン・ウィーズリーも一緒だと聞くと、僕は納得した。彼も妹が心配なのだろう。その気持ちは痛いほどよくわかる。

 僕だってエリシアのためなら何だってしたかった。兄というのは。家族というのは、そういうものだ。自分の事など二の次で、無茶をしてしまう。

 

「案内してくれるかい」

 

 だが彼らだけで『部屋』へ行くのは危険すぎる。本当ならマクゴナガル達にも応援を要請するべきなのだろうが、その時間すら惜しい。

 

 

「よりによって…ここか」

 

 もしスリザリン本人と話す機会があるなら、何故わざわざ()()()()()に入り口を作ったのか訊いてみたいものだ。彼がニューハーフだったなど聞いた事が無いが、案外そうだったのかもしれない。

 

 目の前では手洗い台が展開して、大きな穴が地面に空いている。マートルが言うにはポッター達はここに飛び込んで行った。中を覗くと、生温かい風が吹いてきた。

 

「…怖いね」

 

 少しだけ足がすくむ。中にいるのは、バジリスク…そして、スリザリンの継承者。今からでも応援を呼ぼうか。僕が行く必要は無いんじゃないか。そんな恐怖を感じてしまう。

 

「ライアス、鳥がいるわ」

 

 マートルが上を指さした。窓枠に止まっているのは、赤い不死鳥。彼の事はよく知っている。

 

「鳥?…フォークスか」

 

 ダンブルドアが学校を追い出された時にいなくなったと思ったが、こんな所にいたのか。そう思っていると、フォークスは僕の眼を見つめてくる。

 その黒い眼差しに、ダンブルドアの声が思い出される。

 

『信頼しておるぞ』

「…まったく。校長も人使いの荒い人だ」

 

 彼はこうなる事を予期していたのか?なら性格が悪いなんてものじゃない。だが行くしかないだろう。僕に止められるのなら。もう逃げない。眼は晒さない。…後悔しない選択を。もう2度と、エリシアやトムの時のような間違いは犯さない。

 ひとつ大きく深呼吸をして、穴から数歩離れる。こう言うのは勢いが大切だ。うじうじしていては進めない。

 

「マートル。マクゴナガルの部屋へ行って、ダンブルドアが学校に戻れるように手配してもらってくれ。これは僕らの手には負えない」

「貴方はどうするの?」

「…やれるだけやってみるさ」

 

 ふいに手洗い台が動き出した。穴が閉じようとしている。もう行くしかない。フォークスが飛び立ち、穴の中へ消えた。なら、僕も続こう。

 

「…行ってくるよ」

「ちゃんと戻ってきなさいよ。死んだら呪ってあげるんだから」

 

 その物騒な励ましに、彼女らしいと少し笑う。睨むような、心配するような視線を背に受け、僕は駆け出す。

 

 願わくば、生きて帰って来られますように。



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ヴォルデモート:1

 大鷲の翼が淀んだ空気を切り裂く。明かりの無い、無数に枝分かれした配管の中はともすれば迷ってしまいそうだ。前を行くフォークスに遅れないようについていく。

 

 配管の底は広い空間になっていた。ホグワーツにこんな所があったとは。地面に散らばった小動物の骨が、ここがホグワーツの底なのだと教えている。フォークスに従って空間を進むと、壁が崩れている場所に着いた。通路が塞がっているが、彼は僅かな隙間を見つけて先に進む。

 だが僕は変身を解き、そこに居た人物に話しかけた。

 

「ウィーズリー!無事かい?」

「ス、スコープさん。あの、僕らがここにいるのはですね…」

 

 『部屋』に勝手に入ろうとした事を咎められると思ったのか、ウィーズリーは慌てる。本当なら叱るべきなのだろうが、そんな事をしている時間は無い。

 

「…やあ、ご老人。君がここの家主かい?」

「ロックハート?何を言っているんだ」

 

 それにこのキザ男。ふざけているのはいつも通りだが、様子が変だ。

 ウィーズリーに訊くと、『忘却呪文』が逆噴射して記憶を失ったらしい。折れた杖を使ったのが原因だとか。怪我が無いなら放っておいて良いだろう。

 

「ポッターは?」

「ハリーは先に進みました。助けてあげてください」

「…分かった。マクゴナガルに助けを呼んだ。ここで待っていれば応援が来るはずだ」

 

 閉じた入り口をどうやって開けるのか分からないが、彼女…或いはダンブルドアならどうにかしてくれるだろう。

 杖を振って瓦礫を除く。

 

 暗く続く一本道の通路は、まるで蛇の身体のようだった。

 

 

 通路を進むと、話し声が聞こえてきた。どうやら『部屋』が近いようだ。ポッターと、もうひとつ若い青年の声。馴染みのある声だった。

 

「ダンブルドアが寄越したのは、古ぼけた帽子に、歌い鳥。随分と頼りないな」

 

 部屋の戸を潜り、人間に戻る。

 

「それと僕だ」

「ライアス‼︎やっと来たか…久しぶりだね」

 

 そこに居たのはポッターと、ジニー・ウィーズリー。

 そしてスリザリンの継承者…。

 

「トム…いや、『ヴォルデモート卿』と呼んだ方が良いかな?」

「どうせならそう呼んでくれ。せっかく2人で考えた名前なんだから」

 

 その姿は最後に見た人間とは思えないような顔ではなく、在学していた時の青年そのものだった。ありえない。

 

「君は死んだはずだ。赤子のポッターの手によって」

「色々と仕掛けがある。闇の帝王ならそれぐらいするさ」

 

 ヴォルデモートは奥にあるスリザリンの石像に手を向け、空気の漏れるような声で何かを唱える。蛇語だろう。

 それに合わせるように石像の口が開く。

 

「せっかくだから思い出話をしたい所だが、僕には用事があってね。死んでもらうよ、親友」

 

 僅かに蛇の鼻先が覗く。バジリスクを呼んだのか。その眼に睨まれると死ぬ。何とかしなければ。

 

「《煙 満ちよ》!フォークス、目を潰してくれ‼︎」

 

 不死鳥なら死なない。煙で視線を遮り、ポッターと僕を守る。

 少しの間、蛇がのたうつ音と鳥の羽ばたきが部屋に木霊する。もし煙が晴れたら死ぬ。そう思うと足がすくんだ。僕にポッターを守る事ができるだろうか。

 

 そしてフォークスの勝ち誇るような声と、ヴォルデモートの憤りの混じる蛇語が聞こえた。彼は直情的だ。蛇の眼を潰したのだろう。確信を持って煙を解く。

 

「ポッター、逃げて‼︎」

 

 今なら大丈夫だと思った。だが彼は帰り道にいる友人を気遣ったのだろう。部屋を出るのではなく、傍の通路へと走り出した。友人思いは結構だが、自分を大切にして欲しい。

 僕が追いかけようとした時、足元に呪文が当たった。ヴォルデモートの蛇語が聞こえ、バジリスクがポッターを追う。

 

「待ってくれよ。せっかく、かの有名なハリー・ポッターとスリザリンの継承者の一騎討ちなんだ。水を差さないでくれ」

 

 ヴォルデモートがポッターの杖を持っている。今の彼に背を見せるのは危険だ。僕は彼に相対する。

 

「それに彼が居ない方が、君も僕と話しやすいだろ?」

「…話す事なんて無い」

「嘘だね。親友に隠し事はできないよ」

 

 鋭い。

 本当は問い詰めたい事だらけだ。

 

「…いつから…。一体いつから、君はスリザリンの継承者だったんだい?」

 

 その問いに彼は笑った。親友だった頃と変わらない、乾いた笑い声だった。あの頃はニヒルな彼らしい居心地のいいものだったが、今となってはむしろ不気味だった。

 

「はっはっは。あえて言うなら、そう…最初から、さ。僕は生まれつき蛇と話せた。学校に来てすぐに分かったよ。自分がスリザリンの生まれ変わりだって」

 

 なら学校にいる間ずっと、心の中ではマグル生まれを排除する方法を考えていたのか。僕とくだらない冗談で笑いあっていた時も。エリシアと一緒に遊んでいた時も。テストの点数を競っていた時も。

 

「ずっと…騙していたんだな。僕を…エリシアを…‼︎」

 

 怒りを込めて睨みつけると、彼の顔から笑みが消えた。感情を無くしてしまったかのような冷たい眼。そしてゾッとするほど冷たい声で言った。

 

「…違う。君は気付いていたはずだ。僕の本性に」

「な、何を言っているんだ」

 

 気付いていた?そんな訳ない。気付いていれば止めていた。止めていたはずだ。

 

「君はエリシアに危険が無いと早々に判断していた。君らは闇の魔法使いの家系で、純血だから。…だから僕の行いから眼を背けて、安全な場所で傍観者を気取っていたんだ」

 

 否定しなければ。彼の言っている事は見当違い。僕はトムの本性など知らなかった。

 そう言いたいのに、口が動いてくれない。

 

「正直に言って、僕が最も警戒していたのは君だ。ダンブルドアじゃない。君が本気で僕を止めようとしたなら、僕はいつだって止めようと思っていた‼︎…けど……君は………君は‼︎」

 

 ヴォルデモートの…トムの声。叫び…それが部屋に響く。

 

「君はエリシアしか見なかった‼︎…他の奴らの事なんて…僕の事なんてどうでも良かったんだ‼︎彼女の友達になれば良い。それぐらいの感情しか僕に向けてくれなかった‼︎」

 

 確かにエリシアの友達になって欲しいと思っていたし、友達になっていた。彼女は彼に心を許し、僕以外に拠り所を見つけたのだと安心した。だが実際、僕自身にどれだけ彼への思いがあっただろうか。

 親友と呼び合ってこそいたし、悩みを相談した事もあった。だが常に気にかけていたのはエリシアだけ。彼の事など、二の次だった。

 

「羨ましかったよ。家族に向ける愛情ってヤツが。くだらないと笑ってはいたが、僕には一度も…一度でも味わった事のない物だったから」

「…すまない。僕は――」

「謝罪なんていらない!君の近くで『穢れた血』を襲ったのは君を引きずり込むためだ。ここで君を殺す。闇の帝王に友人などいらないのだから。君を殺して、僕は完全に復活する」

 

 トムが杖を向けてくる。

 図書室の近くで事件を起こせば、僕が捜査をしないはずがない。今の僕には、司書という仕事しかないから。

 

「杖を構えろ、ライアス!僕らの友情に決着をつけよう。僕らのいつものやり方で」

 

 決闘だ。

 だが今の僕には、本気で彼と戦う覚悟がない。杖を持つ手が震える。

 

「早くしろ!この小娘を殺すぞ!」

「待て、トム。分かった…分かったよ。決闘を受けよう」

 

 やるしかない。例え望まずとも。これ以上、僕とトムの間に誰かを巻き込みたくない。

 

 互いにお辞儀をして杖を構える。

 

「懐かしいな。昔はよくこうして腕を競ったね」

「……」

「何か言ってくれよ。黙っていたんじゃ、張り合いがない」

「…トム、やっぱり僕は――」

「《麻痺せよ》!」

 

 トムの呪文を『防護魔法』で打ち消す。話をする気はないらしい。

 覚悟を決めろ。過去に囚われるな。僕がやるしかないんだ。判断を誤れば死ぬ。

 

「《武器よ 去れ》」

「無駄だ。そんな生半可な呪文じゃ、僕には届かない」

 

 心は迷っていても、頭は冷静に勝つ道を探る。

 互いに呪文の腕はよく知っている。腕は互角。トムはポッターの杖を使っていて、杖の忠誠は無い。さっき言っていた『完全に復活』…つまり彼自身、まだ本調子ではない。対して僕は老いている。しばらく杖で戦闘をしたことは無かった。

 つまり、本気でやらねば勝てない。

 

「《引き裂け》」

「《護れ》。いいね、やっと覚悟を決めたかい。《苦しめ》」

「《崩れろ》」

 

 『磔の呪文』は術者によっては『防護魔法』を貫く。より安全な防御として、天井を砕いて瓦礫を降らせた。瓦礫に当たったトムの呪文は霧散する。

 

「上手いじゃないか。そう、そうだ。互いに死力を尽くして殺し合う決闘!どれほど心が躍るか分かるかい?」

「知らないね。分かりたくもない」

 

 呪文の応酬をしながら、僕らは互いに言い争いを続ける。

 僕が後悔しても状況は変わらない。なら今、精一杯。悔やむなら後だ。

 

「君の復活は絶対に阻止する。友人としてではないかもしれないけど、ホグワーツの魔法使いとして」

「ならやってみせろ。僕より強いと証明しろ」

「やってみせるさ。僕の方が優れている!」

 

 何度、魔法を撃ち合っただろうか。

 ふとトムの腕が不自然に止まった。まるで杖が言うことを聞くのを拒否したような動きだった。忠誠の無い杖ならそうもなるか。

 

「《切り裂け》!」

「ぐぁっ!」

 

 その隙を逃す僕じゃない。正確に放った呪文は彼に命中し、弾き飛ばした。地面に倒れた彼を見て、僕は息を切らしながら膝をつく。

 ギリギリだった。僕の精神力は底が近かった。彼の動きが止まらなければ、やられていたのは僕だった。

 

 ポッターが通路から駆け出して来た。バジリスクを撒いたのか。よくやるものだ。トムが杖を使えなかったのは、本来の持ち主であるポッターが近づいていたからか。

 彼は僕を心配そうな目で見るが、今はジニー・ウィーズリーの方へ行くように促す。トムが倒れたなら、彼女も目が覚めるはずだ。

 

「…はっはっはっは‼︎」

 

 乾いた笑い声。

 馬鹿な。『切り裂き呪文』はかつて1人の生徒が作った、強力な呪文だ。生身に食らえば、ひとたまりもない。なのに。

 なのに、トムの体には傷ひとつなかった。

 

「見事な腕だよ、ライアス。…だが惜しかったな」

 

 こっちはもうまともに手を動かせないのに、彼は何も無かったかのように無傷だ。ローブも綺麗なまま。

 

「今の僕は日記の記憶に過ぎない。日記がある限り、僕は不死身だ。君には殺せない。《苦しめ》」

「ぐぅぅ…‼︎」

 

 放たれた《磔の呪文》が僕に当たる。全身を焼くような痛みが走ったが、これは呪文の効果ではない。僕の全身に施されたタトゥー。、『守護紋様の魔術』によって呪文は弾かれた。もしまともに当たっていれば、発狂するような苦痛が襲いかかってきていた。

 これは『魔除けの羽』に書かれた物と同じで、効果もそれ以上に発揮する。そして、効力を発揮した後に焼け焦げるのも同じだ。全身を覆うように肌が焼かれ、意識が明滅する。

 

「『守護紋様の魔術』…君の得意分野だったか。だがそれは死を先延ばしにすることしかできないよ。《息絶え(アバダ)――」

「…《武器よ 去れ》!」

 

 最後の力を振り絞って、彼の杖を弾き飛ばす。そこまでだった。突然、石像近くの水の中からバジリスクが現れたかと思うと、その鞭のような尾が僕の体を打った。

 

 体は木の葉のように宙を舞い、壁に強く打ちつけられる。咄嗟に頭を守ったのは正解だった。だが意識はあっても、体は全く動かない。うめく事すらできず、視界の中でトムとポッターを見ることしかできない。

 

 バジリスクがポッターを狙うが、彼はどこから取り出したのかその手に銀の剣を握っている。

 

 ポッターがバジリスクの口内に手を突っ込み、内側から頭を貫いた。蛇はのたうちまわった後、その長い体を倒して絶命した。

 

「間もなくジニーは死に、僕は完全に復活する。ハリー・ポッター。君の命も後僅かだ」

 

 見れば彼の腕に牙が刺さっている。毒が体に回るのも時間の問題だ。

 

「…何をする気だ?」

 

 だが少年の目に絶望は無い。彼は牙を引き抜き、日記に突き刺した。日記から血のように黒いインクが流れ出る。それと同時にトムが苦しみだし、体が崩壊し始めた。

 日記のある限り不死身。なら日記が破壊されたらどうなるかは、言うに及ばない。

 

「あああぁぁぁあ゛あ゛あ゛‼︎僕の…体が……ライアス‼︎ライアァァァアア……」

 

 それは怨みだったのか。それとも助けを乞う嘆きだったのか。

 僕には分からなかった。

 

 微かな風が吹き、トム・リドルの体は光となって消えた。

 スリザリンの継承者の最期だった。

 

「さようなら…友よ」

 

 僕の眼からは、涙が流れていた。



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ハリー・ポッター:2

 トムが消え去った後。

 ジニー・ウィーズリーが目覚めた。その体を起こし、自分がしてきた行いを後悔する。トムの日記に操られ、『部屋』を開き、バジリスクを解き放った。

 

 以前、彼女が言っていた『読み手を操る本』とはトムの日記のことを言っていたのかと今になって気づく。もっとちゃんと話を聞いていれば、早期に事件の解決ができたかもしれない。

 

「…トムの言う通りだな」

 

 傍観者を気取っているから、手遅れになって後悔する。

 

 フォークスがポッターに近づき、その涙で傷を癒した。解毒もしたのだろう。弱っていた彼は、見る間に元気を取り戻した。これでもう、死にそうな人間はいない。

 フォークスは僕にも涙を落としてくれた。足に力を込め、ようやく立ち上がることができた。だが外傷は消えても、紋様の跡に残った火傷は消えていない。これはどちらかというと傷ではなく呪いに近い物だ。不死鳥の涙でも癒せない。

 

「さあ、帰ろう。こんな所に長居はしたくない」

 

 問題はどうやって帰るのか。ここには傷が癒えたとはいえ重傷者が3人。帰り道にロン・ウィーズリーら2人。『部屋』の入り口は閉まっている。ポッターなら開けるだろうか。

 どうするか悩んでいると、フォークスが声を上げた。

 

「…なら頼むよ」

 

 不死鳥はどんなに重い荷物でも軽々と運ぶ事ができる。彼に捕まっていけば、外に出られる。

 

 

「ライアス!お帰り。ちゃんと戻ってきたわね」

 

 トイレで出迎えてくれたのは、マートルと彼女が呼んだであろうマクゴナガル。

 そしてダンブルドア校長がいた。帰ってこられたのか。

 

「スコープ司書!これはどう言う事なのか、説明してもらえますでしょうね!」

「落ち着くんじゃ、ミネルバ。ライアスもハリーもみんな疲れておる。ゆっくりできる場所に移ろうか」

 

 正直に言って、立っているのがやっとな程だ。意外にも肩を貸してくれたのはロックハートだった。以前の彼からは想像もできない献身だ。記憶を失って謙虚な大人になるとは思わなかった。

 

「助かるよ、ロックハート」

「いえいえ。お年寄りは気遣わなければいけませんから」

 

 年寄り扱いは勘弁して欲しいが。

 

 

 ジニー・ウィーズリーとロックハートは療養のために医務室へと運ばれた。ロン・ウィーズリーが付き添いで一緒に。

 そして僕とポッターは、校長室で事情聴取だ。温かいココアを飲むと、幾分か元気も戻った。

 

「それで、今回の事件について、君らが知る限りを話してもらおうかの」

 

 僕が本格的に関わったのは『秘密の部屋』に入ってからだ。主な語り手はポッターとなる。彼の語った事は、大まかには僕の読んでいた通りだった。

 

 何者かがジニー・ウィーズリーに『トムの日記』を渡した。

 日記に操られた彼女は『秘密の部屋』を開き、事件を起こした。

 その後、彼女は日記を捨て、ポッターの手に渡った。ハグリッドが50年前に捕まった様子を見せたらしい。

 そして何があったのかは知らないが、再び日記は少女の物となった。そしてグレンジャーらを襲って僕を巻き込んだ後、校長を排除してトムは復活を試みた。

 マートルの死んだトイレが『部屋』の入り口だと突き止めたポッターらは、拐われたジニーを助けるために飛び込んだ。

 トムから事件の全貌を聞き、その後『グリフィンドールの剣』でバジリスクを倒した。

 

 つまりこの1年は、ずっと彼の手のひらの上だったわけだ。僕らが彼を阻止できたのは、本当にギリギリの段階だった。

 

 ダンブルドアとマクゴナガルは黙ってポッターの話を聞いていた。マクゴナガルはその事実に言葉も出ないという感じだが、ダンブルドアは何かを思案するように顎に手を当てた。特に、ポッターが組み分け帽子から引き抜いた剣に興味があるようだった。

 

「なるほどの。よくわかった。ハリー、急いで魔法省へフクロウを飛ばしてくれ。森番を呼び戻さないといけん」

 

 校長の言葉にポッターは破顔した。よほど嬉しいのだろう。

 

「ライアス、ついて行ってあげなさい。詳しい話はまた別の日にしよう」

 

 マクゴナガルがついて行けば良いのにと思ったが、校長と副校長で話し合うこともあるのだろう。それにポッターは僕の方をチラチラと見てくる。

 

「分かりました。行こうか、ポッター」

 

 

「あの…スコープさん」

 

 フクロウ小屋へ向かう途中、ポッターが僕に話しかけてきた。

 

「ヴォル…トム・リドルと友達だったんですよね」

「ははっ…。やっぱり気になるかい?」

「はい。日記の記憶では、親友だって」

 

 僕は火傷を撫でて気を紛らわせるが、暗い顔をしているだろう。

 

 少し前までなら、胸を張って親友と言った。彼は闇の帝王に身を堕としたが、それでも学生時代の付き合いは変わらない。

 だが『部屋』でのトムとの会話を思い返すと、とても友人だったとは言えない。僕は彼と、本当に親友だったのだろうか。

 

「…そうだね。親友だった…そう、()()()()()

 

 滑稽もいいところだ。彼の本性から目を背け、彼がヴォルデモートになるのを止めようともしなかった。

 

「あの時も言ったけど…今度は本当に、僕は彼についてあまり知らないんだ。僕に彼の親友を名乗る資格なんて無いよ」

「それは違うと思います」

「…どういう事だい?」

 

 ポッターが何を知っているというのだろうか。たかが12歳の少年に、僕とトムの関係など知るよしもない。そう思った。

 

「『日記』でハグリッドが捕まる夜を見たんです。あの日のこと、覚えていますか?」

 

 もちろん覚えている。マートルが死んだ日の事だ。

 

「貴方と別れた後、トムはハグリッドの所へ向かいました。その時に言っていたんです。『巻き込まなくて良かった』って。多分トムは、貴方に本性を知られたくなかったんです」

「……」

 

 トムは必要のない嘘は言わない人間だが、それ以上に自分の弱さを隠したがる男だった。

 だからこそ、その言葉は本心だろう。巻き込む事を忌避する程度には友情があった。

 

 そうか。ダンブルドアに僕を押し付けたのは、僕を引き離すためだったのか。

 

「巻き込んでくれて良かったのになぁ…」

 

 きっとどうしようもない程に巻き込まれたら、僕は彼と真剣に向き合っただろう。エリシアが1番大切なのは変わらないが、それでも何か変わったはずだ。

 

「こんな後悔…しても遅いのになぁ」

 

 力無く呟く。今更何を考えても遅い。僕は彼から目を背け続けた。結果、彼は僕と決別し、闇の帝王となった。僕はそれを止めなかった。

 

 もう一度、彼と会うことができたらと思わずにはいられない。今度はちゃんと向き合って話がしたい。だがそれは叶う事はないだろう。何せ、彼の『日記』による復活は阻止された。

 

 もう彼が蘇る事は無い



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アルバス・ダンブルドア:2

 学年末パーティーの前日、僕は校長に呼ばれて彼の部屋へ向かった。

 校長室に向かう途中で、ルシウス・マルフォイとすれ違った。僕の事は目に入らなかったようで、かなり憤っているのが分かった。ローブも乱れており、なにか一悶着あったのだろう。

 

 ポッターも見かけた。ホグワーツでは見たことのない小汚い屋敷しもべ妖精と一緒だった。僕は知らないが、新しい友人だろうか。

 

「お呼びですか、校長」

「急な呼び出しですまんの。そこへ掛けてくれ」

 

 促されるまま、校長室の椅子に座る。できるだけ『憂いのふるい』から離れる事も忘れない。神秘的で忌々しい光を視界に入れないよう、校長と向き合う。間にある机の上には、トムの日記が置いてあった。

 

 日記の中心には大きな穴が空いている。バジリスクの牙で開けた物だろう。牙のサイズより大きな穴になっているのは、破壊された時に崩壊したのだろうか。

 

「今回の事件、よく解決に導いてくれた。学校を代表して礼を言わせてもらう」

「僕は最後にちょっと手を出しただけです。ポッターのおかげですよ。お礼を言うなら彼に、です」

 

 校長はかすかに微笑んだ。やはりポッターを目にかけているようだ。既に彼と話したなら、事件について僕に聞く事はないはずだ。

 

「今日君を呼んだのは他でもない。この日記のことじゃ」

 

 やはりそうか。彼の近くにいた僕なら、何かを知っていると考えたのだろう。

 

「この日記にはトムの記憶が入っておった。大人ではない、学生時代の記憶じゃ。どのようにしてそれを作ったのか、知っておるか?」

 

 破壊された後の日記を調べたが、結果として『何の変哲もないただの日記』という事しか分からなかったらしい。魔術的な証跡は見つからなかった。

 記憶を持つ物となると、非常に高度で強力な魔術だ。それが破壊と同時に掻き消えるとは通常なら考えられない。

 

 とにかく、『記憶を物体に封じ込める魔術』ではないだろう。記憶だけならそれをなぞる事はできても、物体が自ら考えて他者を操るというのは無理だ。日記はウィーズリーを操った。

 なら、『魂を物体に封じ込める魔術』ならどうか。魂なら他者の中に入り込み、操る事もできる。

 

 それに僕には心当たりがある。

 学生時代、トムと僕は『不死』に対して強い関心があった。僕の目的はエリシアの延命だったが、トムは何故研究を手伝ってくれたか。

 彼も不死を求めていたのだろう。そう思っていたし、今も思っている。それに恐らく、彼は僕の気を引きたかったのかもしれない。僕が妹に向けている愛のほんの一部でも、欲しかったのかもしれない。と、言うのは思い上がりだろうか。

 

「『魂を物体に封じ込める魔術』。…知っていますか?」

「まさか…そんな事が…」

「…分霊箱(ホークラックス)

 

 図書室の『閲覧禁止の棚』の中にはいくつかそれに書かれた書がある。かつて、ハーポという魔法使いが創り出した魔術だ。

 魂を別つ事で不死へと至る。

 

 その方法を調べてみると、とてもエリシアには無理だと分かり僕は断念した。だがトムはずっと調べていたのだろう。その成功作がこの日記というわけだ。

 

「トムは生きています。どのような形でかは分かりませんが」

 

 分霊箱がある限り対象者は不死身だ。12年前、ポッターによって敗れた彼はその効果によって生き延びた。そして今も復活の機会を探っているに違いない。

 

「ですが分霊箱がこうして破壊されました。用心深い彼のことです。数年は大人しくしているでしょう」

 

 分霊箱が失われれば不死の効力は無くなる。しばらくは静かにしているに違いない。

 

「だと良いんじゃ…」

 

 校長は不安そうだ。彼の事は校長もよく知っているだろう。迂闊に動く男ではない。奥の手である分霊箱が無くなれば、彼も怖気付くはずだ。

 

「分霊箱は1つだけではない…そうは思わんか?」

「ははっ。ありえません」

 

 魂を別つというのは、カケラを分けるのではない。常に当分。

 分霊箱を1つ作れば半分に。2つ作れば4分の1にまでなる。

 

「そんな状態で生きる事など、常人には不可能です」

 

 彼も人間だ。魂を何回も分けるなどできない。

 

「他に分霊箱について知っている人間に心当たりはないかね?」

「…さあ。僕は早々にそれについて調べるのをやめていましたから。彼がその後、何を調べていたかまでは」

「そうか。分かった」

「お力になれず、すみません」

 

 もっと彼と向き合っていれば知っていたかもしれない。やはりどうしても、『部屋』でトムが言った事を思い出す。

 

『僕から目を背けた』

 

 手に力が入る。過去の自分の行いを悔いても意味は無いのに。

 

「僕がちゃんと彼の傍にいれば」

「いいや、ライアス。トムがああなる事は分かっておった」

 

 校長が慰めるように言う。雑な言葉などいらない。僕がしてきた事…いや、しなかった事でトムはヴォルデモートになったのだ。

 

「あの子をホグワーツに誘った時から、彼は心の中に暗い闇を持っておった。遅かれ早かれ、いずれは闇の魔法使いになったじゃろう」

「知っていたなら、なぜ止めなかったんですか」

「…どうなるか分からんかったからじゃ。本当に闇の魔法使いになるか、それとも良き心を持つようになるか」

 

 校長は言った。

 スリザリンに入った時、やはりという思いと同時に、もしかしたらという期待を持ったと。組み分け帽子は謳っている。

 

『スリザリンでは真の友を得る』

 

 僕が彼の真の友になるかもしれない。そう思ったと。

 

「ですが僕は友になれなかった。そうですよね」

「いや、違う。君らは確かに友であった。じゃが、互いにすれ違っていたんじゃ。友であるが故に、家族への愛には及ばず。友であるが故に、自分の闇を見せることができなかった」

 

 よくある事だと、校長は言った。

 思い返すのは、40年程前の事。

 エリシアが死んだ後、僕はトムを探した。闇の魔法使いとして力を付け始めた彼を、止める事ができればと思った。結果として、その時に行った決闘は痛み分けとなり、今に至るわけだ。

 

「僕は友人として間違っていたのでしょうか」

「それは本人達にしか分からぬ。確かに君らの友情は歪であったかもしれん。それでもきっと、今でも君は彼の友人なのではないかね?」

「…かもしれませんね」

 

 僕だって分からない。でも彼と友人だったならば、友人であり続ける事もできる筈だ。彼が生きているなら、きっとまた会う事になる。彼がホグワーツを狙う限り。僕がホグワーツの司書である限り。

 

 今度はちゃんと。『真の友』として、彼を止めよう。

 

 そう心に誓う。



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緩く焦げつくエピローグ

「痛ッ!…もっと優しくしてください」

「無茶の代償です。これぐらい我慢なさい」

 

 また1年が過ぎた。今年は『秘密の部屋』の事件があって緊張したものとなった。結果的に解決されたが、生徒たちに被害が及んだ。

 この事件の真相は非常にデリケートだ。トム…すなわちヴォルデモートが生徒を操ったなどと公開すれば魔法界に小さくない混乱を起こすのは明らか。

 

「ぅぐッ!そ、そこは…!」

「うるさいですよ、スコープ司書」

 

 故にロックハートの記憶喪失を利用する事にした。外部から入り込んだ無法者を彼が討ち破り、無法者は『部屋』の呪いで身を残さず死亡。ロックハートは敵の最期の足掻きで記憶を失ってしまった。

 という筋書きだ。一から十まで全て作り話だが、彼には今までの輝かしい自伝という実績があるので受け入れられるだろう。

 

 真の犯人が死んだという事で、ハグリッドも戻ってきた。

 

「ぉぉぉお゛お゛お゛‼︎」

「子供みたいに叫くんじゃありません」

 

 以前よりは幾分かやつれていたが、それでも自分の足で歩ける程には元気があった。彼に渡した羽は所々が焦げていたが、十分に効果を発揮してくれたのだろう。ありがとうとお礼を言われた。

 僕は友人を助けることができたのだ。

 

「い゛っづぁ‼︎」

「おっと、ごめんなさい」

 

 羽といえば、それに書かれている『守護紋様の魔術』。あれは改良の必要があると、『部屋』での決闘を経て思うようになった。直接身体に描くことで効力が増すのは確認済みだが、同時にそれを発揮した時に強い熱を持つのは欠点だ。受ける呪文によっては火傷にまでなってしまう。

 それは単なる外傷ではなく呪いに分類される物のためハナハッカのような薬が使えず、治療が面倒になる。

 

「まだ終わらないんですか」

「後少しですよ」

 

 故にこうして先程から、魔術を施した包帯を定期的に交換する事で治癒を促している。ただでさえ全身に広がっているのに、触るだけで激痛が走る。

 いつもなら医務室でポンフリーに診てもらうのだが、あいにく彼女は今休暇中だ。新学期まで帰ってこない。腕や足なら自分で巻けるが、胴体は背中まで手を回す必要があるので代わりにマクゴナガルに手伝ってもらっている。

 

「…少し涙が」

「知りませんよ。勝手に泣いていてください」

「…よよよー」

 

 ただ彼女の手つきは非常に荒っぽい。絶対にわざとだ。『部屋』の件で僕が独自に動いていたのがいけないのだろう。責任感の強い彼女は、頼ってくれなかった事に怒っているのかもしれない。

 古い包帯を取り終わると軟膏を塗る。少しひんやりとした感触が、熱を持つ肌に心地よい。

 

「この火傷、いつになったら消えるのですか?」

「ポンフリーが言うには、夏休み中には消えるだろうと。()()に行ければすぐなんでしょうが、事情が事情ですので」

 

 『部屋』に関する事を不用意に周囲に広めるわけにはいかない。特に癒者は治療のスペシャリストだ。火傷から『磔の呪文』を防いだと悟られると面倒だ。

 

「しばらくはこの痛みと付き合う必要がありそうです」

「自業自得です。貴方はもっと思慮深い人だと思っていましたよ」

「それを言われたら弱いです。短絡的だった自覚はあります」

「面倒な事に首を突っ込むなんて短絡的極まりない。貴方らしくありませんね」

 

 彼女の言葉に閉口する。

 今回の事件は、トムと本当に親友だったなら防げたかもしれない事件だ。僕が深く関わるのを避けたから、起こってしまった。

 過去に戻ってやり直せられればと、思わずにはいられない。

 

「そういえば、グレンジャー。彼女の3年生で取る授業について、あれは本気ですか?」

 

 過去に戻るというので思い出した。話題を変えるのにもちょうどいい。

 

「ええ。既に逆転時計(タイムターナー)の申請を魔法省に出しました。彼女なら有効活用してくれるでしょう」

「随分と彼女を高く評価してい゛っだぁい‼︎」

 

 少し揶揄いを込めて言うと、彼女の爪が火傷に刺さった。この状況で下手な事を言うのはやめよう。あまりに形勢が不利すぎる。

 

「何か不満でも?」

「ぐすっ…。いえ、ありません。ありませんとも」

 

 後ろにいる彼女の顔は見えないが、それで良かった。きっと怒っているに違いない。

 実際、グレンジャーなら正しく使うだろう。ただ問題があるとすれば、その周りの人間だ。特にポッターは去年も今年も、トラブルに巻き込まれている。何も無いと良いのだが。

 

「さあ、終わりましたよ」

「ありがとうございます。お手数をおかけしました」

「この程度ならいつでも呼んでください」

 

 マクゴナガルは優しく肩を叩いてくれた後、帰り支度を始めた。

 

「貴女も、何かあれば言ってください。僕にできることなら、いつでも手伝いますよ」

「本当に貴方らしくありませんね。何かあったのですか?」

「ははっ。…昔の友人と会って、僕も変わらなければと思っただけです」

 

 簡単に変われたなら苦労は無い。だが少しずつでも変わろうとしなければ、いつまで経っても変われないのだ。

 僕の言葉に彼女は少し考えた後、言った。

 

「では今度、どこかへ飲みに行きませんか。前のように美味しいものを」

 

 きっと友人とはそういうものだ。なんでもない時に、1人で飲むより美味しい酒を飲んで笑い合う。

 そして一歩ずつ、近づいていくのだろう。

 

「ええ。いつでもご一緒します。良い店を探しておきましょう」



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アズカバンの囚人
鎖無き獣のプロローグ


 シリウス・ブラックがアズカバンから脱獄したというニュースは、魔法界を震撼させた。彼は『彼』の部下として、ポッター夫妻の殺害に深く関わっていた。

 そしてそんな彼が脱獄したのは、『彼』を討ち破ったハリー・ポッターへの復讐であると魔法省は見ている。

 

「おかげでホグワーツはいい迷惑ですね」

 

 魔法省はアズカバンの看守をホグワーツに配置する事を打診してきた。曰く、安全の確保のためだとか。

 

「校長が許可したのです。我々はそれに従うだけですよ」

「それもそうですね。ただ彼らを歓迎することなどできますか?」

 

 吸魂鬼(ディメンター)と呼ばれる彼らは、凶悪な闇の生き物だ。人間の魂を糧とし、生半可な呪文や魔術では追い払うことすらできない。

 

「無理です。だから校長は敷地内に入る事は許可しても、城の中にまで入る事は禁じたのでしょう」

「彼らがすんなり従うとは思えませんけど…」

 

 看守をしているのは、囚人の魂を好きに喰らっていいからだ。つまり主従関係ではなく、損得の利害関係でのみ彼らは魔法省に従っている。彼らの気まぐれで生徒が襲われることは、十分に考えられる。

 

「シリウス・ブラックがハリー・ポッターを狙っている可能性がある以上、彼はここに現れることが考えられます。警戒するのは仕方ないでしょう」

 

 いざ彼がホグワーツに現れた時、吸魂鬼がブラックと生徒の区別がつくか怪しいものだ。無差別に襲うかもしれない。

 

「いざと言う時、生徒を守ることができるなら良いですが…あいにく、僕は『守護霊の呪文』が使えないので…」

 

 あれを完全に使いこなすには、単なる技量だけではなく『幸せな思い出』が必要になる。僕の幸せな思い出は学生時代、トムとエリシアと一緒に遊んだ記憶だ。だがトムはヴォルデモートになり、エリシアが呪いによって死んだ事で、その記憶は僕の後悔となった。

 

「動物もどきならば彼らの眼を誤魔化すことができるそうですが。それでは自分しか守れないです」

「そこに関しては校長も考えているでしょう。新しい『闇の魔術に対する防衛術』の教員は『守護霊の呪文』が使える人を選んだそうです」

 

 確かホグワーツ特急の護衛を兼ねて、生徒と一緒に乗ってくる予定だったか。その人物が誰なのかは知らない。噂ではホグワーツの卒業生だとか。

 今年こそまともな教師である事を期待するばかりだ。元『不死鳥の騎士団』のメンバーらしいので大丈夫だとは思うが。

 

「火傷の方はもう平気なのですか?」

「ええ。この通り」

 

 マクゴナガルは心配してくれるが、腕を見せて治ったことを教える。薄く跡が残っていて僅かな違和感があるが、痛みは無い。『守護紋様の魔術』の改良ができるまで、肌に描くのはやめる事にした。看守達が闇の生き物なのに描いていたら肌が焼け焦げそうだ。

 

「脱獄囚がいて吸魂鬼が彷徨いている最中に無防備なのは不安ですが、羽の方は問題なく使えますし大丈夫でしょう」

「既に完成度の高い魔術をさらに改良するのは大変でしょう」

 

 たしかにそうだが、あれは元々僕が考えたものだ。どうとでもなるだろう。

 

「今年はハナから騒がしい年になりそうですね」

「ええ、全くです。たまにはもっと静かな時間を過ごしたいのですが」

 

 厄介事から眼を背けないと誓ったが、それでも何も無いほうが良いに決まっている。

 速やかなブラックの逮捕を望む。



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リーマス・ルーピン:1

 新入生の歓迎会が終わった後、僕は『闇の魔術に対する防衛術』の教室を訪れた。彼に会うのは、彼が卒業して以来だ。元グリフィンドールの監督生で、図書室を熱心に利用してくれた生徒だった。

 歓迎会の席で見た時には、とても驚いた。彼がまさか、ホグワーツの教師になるとは。彼の()()は解決していないだろうが、それでも校長が任命するのは彼に期待しているからか。

 

「ルーピン、いるかい?」

「ミスター・フライト!お久しぶりです」

 

 教室の奥にある私室の扉を叩くと、ツギハギだらけのやつれたローブに身を包んだ男が出てきた。

 

 リーマス・ルーピン。

 かつてはジェームズ・ポッターらと共に『マローダーズ』なる友人グループを作っていた。在学中はかなり教師の手を焼かせていた。マクゴナガルが苦労していたのを覚えている。

 

「久しぶり。元気そうだね」

「今しがた荷を解いたばかりなんです。よかったら紅茶でもいかがですか?」

「いいね。貰うよ」

 

 チョコレートを茶請けにルーピンと茶飲み話をする。

 

「まずはホグワーツへの就職、おめでとう。君が僕の同僚になるなんて考えた事も無かったよ」

「私もですよ。『狼人間』である僕を雇ってくれたダンブルドアには感謝しきれません」

 

 狼人間は満月の光を浴びると身体が怪物へと変化してしまう。昔から魔法界には強い差別があり、ルーピンも苦労しただろう。現在は症状を抑える薬が開発されている。

 

「薬はセブルスが作ってくれる事になっています」

「へぇ、スネイプがかい。驚いたね」

 

 学生時代の彼らの関係はお世辞にも良好とは言えなかった。2人とも図書室の利用者だったため顔を合わせる機会は多かったが。

 

「大人になれば僕らも変わりますよ。いつまでも昔の関係を引きずるような男じゃありませんから」

「ははっ。…確かにそうだ」

 

 彼らよりずっと年上の僕は引きずっている。過去の因縁というのは簡単に消えてくれるものではない。消えて欲しくない。

 

「そう言えば、ブラックのことは聞いたかい?」

「…ええ。彼の事は一度たりとも忘れた事はありません」

 

 なんだ。君も過去を引きずっているじゃないか。そう思うが口には出さない。友人関係とはそういうものだ。

 『マローダーズ』はとても仲が良かった。その1人が闇の魔法使いになったとなれば、忘れる事などできないだろう。

 

「彼が脱獄できたのは動物もどきだったから。僕はそう見ているが、君はどうだい?」

「私もそう思います」

 

 ルーピンは心苦しそうに僕の推理を肯定した。吸魂鬼の影響を受けないなら、アズカバンなど大した場所ではない。もちろん全く影響がないわけではないので、何かしら別の方法で身を守っていたのだろう。

 

「校長にはその事を話しましたか?」

「いや、まだだよ。正直に言って、話すべきかどうか迷ってる」

 

 話さなければならないのだろうが、彼が動物もどきだと告発すれば責められるのは彼だけではない。未認定の動物もどきは違法だ。ジェームズ・ポッター。ピーター・ペティグリュー。彼らも同罪になる。

 そして彼らと親しかったルーピンにも疑いの目が向けられ、狼人間だということが周囲に拡散すれば彼は職を追われるだろう。

 

 僕の独断で言っていいことではない。

 

「…どうか、待ってくれませんか。校長に伝えるのは、私がしますので」

「何故だい?」

「……学生時代に『叫びの屋敷』から抜け出していたとあの人が知れば、私は失望されてしまう。あの人の信頼を裏切るような事は…どうか、お願いします」

 

 ダンブルドアとの約束を破っていた事への後ろめたさ。それがあるのは彼自身が誠実な人間だからだろう。だが誠実なだけでは間違っている。

 

「ならブラックが学校に入ってきたらどうする?あの通路は叫びの屋敷と繋がっている。校長に言って見張りを立ててもらうべきだろう」

 

 手遅れになってからでは遅い。というのは僕が言えた事ではない。

 だがルーピンに同じ後悔をして欲しくない。

 

「…もしその時が来たら、私が彼を捕らえます。友人として、もう罪を犯さないように」

「犠牲者が出てからじゃ遅い。今のうちに手を尽くすべきだ」

 

 これもどの口がいうのか。去年グレンジャーらが被害にあったのは僕の怠慢のくせに。それに友人というのは、簡単に殺せるなら苦労はないのだ。

 

「どうか言わないでください。…この通りです」

「頭を下げられたって…。いや、分かった。()()()()、君に任せるよ」

 

 信頼を裏切りたくないという気持ちは分かる。

 それにルーピンはここまで頼んでいるのだ。彼が僕と同じになるかどうかは分からない。もしかしたら、彼は成し遂げるかもしれない。

 

「ただし、今だけだ。もし君ができないと僕が判断したら、すぐに校長に報告させてもらうよ」

「ありがとう、ミスター・フライト」

 

 これは期待だ。

 僕ができなかった事を、彼にはできるかもしれない。

 

 かつての友人を殺すのは、とても難しいことだが。



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セブルス・スネイプ:3

 僕が彼の研究室を訪れる事は滅多にない。司書という役柄ゆえに、『魔法薬学』の教授に用件がある事などほとんど無いからだ。だが10月の中旬になった頃、僕は彼に呼ばれた。

 研究室の中で、彼は大鍋に向かって何やら薬を調合している所だった。出直そうかとも思ったが、急ぎの用だと言っていたのでそのまま入ることにした。

 

「やあ、スネイプ。珍しいね、君が僕を呼ぶなんて」

 

 いつもは無遠慮に閉室時間にやってくるクセに、と声に出さないで言う。まだ図書室は開いている時間で、適当な生徒に司書の仕事を任せて来た。少し怒っていると言われても否定はしない。

 

「あの本は持ってきてもらえましたでしょうな」

「もちろん。…その妙に嫌味ったらしい言い方はなんとかできないのかい?」

「あいにく、性分でして。貴方のその馴れ馴れしい口調もそうなのでは?」

「…あっそ。ならいいや」

 

 彼が持ってきて欲しいと言ったのは『(いにしえ)の魔法薬学:最新版』。ちなみに最新版というのは最新号という意味ではなく、元から付いている正式な題名だ。

 古いのか新しいのかはっきりして欲しいと評判である。僕にとってはどうでもいいが。

 

 かなり高等な魔法薬の本で、『禁書』に分類される。ホグワーツの生徒でこれを借りようとする子は今までお目にかかった事がない。それを教授である彼が必要とする理由は分からない。

 

「実は先程、生徒の1人が授業中に薬を爆発させまして。飛び散った薬が本棚に掛かって、いくつかの本がダメになってしまったのです」

「ははっ。それは災難だったね」

「笑い事ではありません。中にはもう絶版となった貴重な物もあったのです」

「それはそれは…」

 

 薬をぶちまけた生徒にどのような罰が降ったのか、想像するだけで恐ろしい。厳しい彼の事だ。きっと減点だけでは済まさないだろう。

 

「で、それでこの本を?この本だけで良いのかい?」

「知識だけなら既に私の頭の中に入っています。ただ今調合している薬はデリケートでして、万が一…いや、億が一、間違うわけにはいかないのです」

 

 彼は手を止めないで言う。鍋からは青味がかった煙がかすかに上がっており、不思議な臭いが部屋に満ちる。トリカブト系の材料を使っているようだ。それを使うのは大抵が毒薬だが。

 

「何を作っているんだい?」

 

 あまり物騒な物を学校で作って欲しくない。学生の頃は酷かった。『マローダーズ』に対抗して命に関わる毒薬を作ろうとした時もあったのだ。流石に未遂で止めたが。

 

「ルーピンに届ける薬…と言えばお分かりでしょう」

「ああ、『脱狼薬』かい。流石はスネイプ教授」

 

 『脱狼薬』とは、狼人間用に近年になって開発された薬だ。定期的に飲む事によって彼らは人狼へ身を変えても人間の理性を持っていられる。

 人の身ではいられないが、人の心を持つことができる。それはきっと人外と蔑まれる彼らにとって、とても心強いことだろう。

 

「手が離せませんので、352ページを読んでいただいてよろしいですか」

「いいよ。えーっと…『次に熟れたトリカブトの煮汁を鍋に加え――」

 

 

「『――青い煙が出たら完成である。糖類を入れると効果が期待できなくなるので注意されたし』。できたかい?」

「…ええ」

 

 スネイプの鍋からは確かにはっきりと青い煙が出ていた。薬には詳しくないが『脱狼薬』の作製が非常に難しいことは知っている。このホグワーツでこれを作れるのはスネイプだけだろう。

 

「お見事。じゃあ僕はこれで失礼するよ」

「お待ちください」

 

 もう必要ないだろうと本を持って出て行こうとした時、彼が呼び止めた。薬を杯へと注ぐと、杯からはゴポゴポと重い泡が出てくる。どう見ても何かしらの毒にしか見えないが、これで薬なのだから薬学とは分からないものだ。

 

「これをルーピンへ持っていっていただけますか」

「僕は雑用係じゃないんだけどね」

「彼と顔を合わせたくない私の気持ちを分かってもらいたい」

 

 僕は深くため息を吐いて、やれやれと頭を抑える。子供の頃の因縁を引きずるのは結構だが、僕に押し付けないで欲しいのに。

 これではルーピンの方が余程大人だ。せめて仕事と割り切ってくれ。

 

「彼らとの関係は貴方もご存知のはず」

「そりゃあ知ってるよ。けどそれはそれ、これはこれだ」

 

 『マローダーズ』とスネイプは険悪な関係だった。いまさら仲良くしろとは言わない。過去を振り返っているのか、彼の眉間のシワがかなり深くなる。

 

「ではついて来ていただくだけで構いません。どうか」

「…ハァァァアアア……。分かったよ」

 

 こうも頼まれては断るのもしのびない。それに無関係を貫くのは止めると誓ったのだった。意識していなければすぐに目を逸らしてしまう。僕の悪い癖だな。

 

 

 ルーピンの部屋に行くと、中には彼と…何故かポッターの姿があった。スネイプの顔がより険しくなったのはいうまでもない。一生跡が残るのではないかと心配になったぐらいだ。

 

「おや、セブルス。それにミスター…じゃなくてスコープ司書も」

 

 うっかり僕を()()()()で呼ぼうとしたのを目で制する。ポッターがいるのだ。生徒の前では勘弁してくれ。

 

「今日の分の薬だ。ここに置いておくので後で飲みたまえ」

「ありがとう、セブルス。スコープ司書はどうしてここに?まだ図書室は開いている時間なのでは」

「あー…まあ僕にも色々と事情があってね。それよりポッターこそどうしてここに?」

 

 正直にスネイプに縋られたなどと答えることはできず、目についたポッターに話題を振る。まさか自分に会話が来ると思っていなかったのか、彼は少し慌てたようだった。

 

「ぼ、僕は『守護霊の呪文』を教えてもらいに来てて…」

「ほぅ、『守護霊の呪文』とな。流石はポッター。父親と同じで普通の授業では満足できないと。素晴らしい傲慢さを持っているな」

「父は傲慢ではありませんでした。僕だって」

 

 スネイプがポッターに嫌味を言う。わざわざそんな小さな事でも突っかかるのは恨みが深いからだと知っているが、それでももう少し抑えるべきだろう。

 本来は諫めるべき立場のルーピンは、2人のやりとりをみて微かに笑みを浮かべている。たしかに今の彼らは昔のジェームズとセブルスにそっくりだ。懐かしさすら感じてしまう。

 ふとルーピンは何かを思い付いたようだった。

 

「ハリー、実際に見せてあげたらどうだい?」

「え、でも…」

「何か刺激があった方が上手くいくかもしれないじゃないか」

 

 

 呪文の訓練にはまね妖怪(ボガート)を使っているらしい。その人の『最も恐れる物』に姿を変える彼らは薄暗い場所によく住み着いている。

 ポッターの場合は吸魂鬼に姿を変えるということで、本物より危険性の少ないまね妖怪は都合がいいのだろう。

 

 緊張しながらヤツが入っている箱の前に立つポッターに聞こえないよう、僕はルーピンに声をかけた。

 

「ポッターの腕はどの程度なんだい?」

「完全ではありませんが、本人に意欲はあります。遠くないうちに習得できると思っています」

「それでスネイプへの対抗心がきっかけになるかもとでも思ったのかい」

 

 肯定するように彼は頷く。そう上手くいくとも思えないが。

 

「じゃあ行くよ、ハリー」

 

 箱の前にはポッター。その後ろに少し離れて僕が立つ。教師2人は箱と並ぶように少年を見る。ルーピンが箱を開けた。

 

 決して広くない部屋の空気が、一気に冷える。吸魂鬼の特徴だ。まね妖怪は化ける物の性質を恐ろしい程正確に再現する。直接の害は無く対処も容易、にもかかわらず危険生物とされているのはそう言った理由もある。

 

 箱から飛び出したのは、どう見ても吸魂鬼だった。自分の中から幸福という感情が消えていくような錯覚をする。

 

「エクスペクト、パトローナム‼︎」

 

 ポッターが唱えるがそれは呪文とは到底言い難いような声だった。杖は何の反応も示さず、吸魂鬼が彼に迫る。

 

「エクス…エクスペクト…パト……」

 

 残念ながら彼は気絶してしまった。最後まで呪文を唱えようとする姿勢は見事だが、今回は生憎と実力不足だったようだ。

 

「ふん。この程度か」

「まあまあ、セブルス。呪文を唱えるだけで凄いことじゃないか」

 

 教師らが話し合う。僕はポッターを介抱しようと近づいた。

 まね妖怪など、恐るるに足らないと思っていた。

 

 バチンッ――という弾けるような音に顔を上げた時、吸魂鬼の姿は消えていた。代わりにそこに居たのは。

 

「―ッ⁉︎」

 

 僕と同じ色の長髪。

 僕と同じ色の瞳。

 そして人形のように整った顔立ち。

 

 エリシアと瓜二つの姿。彼女が死んだ日と何も変わっていない。

 

「あ…ああ…」

 

 喉が干上がる。全身から血の気が引くようだ。肺が呼吸を忘れて、視界の色が無茶苦茶になる。落ち着け。思考を安定させろ。大丈夫だ。()()はあの子じゃない。彼女なわけない。彼女は死んだんだ。でもこうして目の前に。黙れ。ソレは偽物だ。惑わされるな。うるさい。彼女じゃない。あの子じゃないなら。

 

 僕の前で…

 

 妹の真似を…

 

 …するんじゃない‼︎

 

「《息絶えよ(アバダケタブラ)》‼︎」

 

 僕は無意識のうちに杖を抜き、そして本気でその呪文を唱えた。

 杖先から放たれた緑の閃光は、正確にまね妖怪を貫いた。

 

「大っ嫌い…」

 

 ソレはそう言ったかと思うと、黒い霧になって消えた。

 

 足から力が抜ける。僕は胃の中の物を全て吐き出した。ふざけるな。あの子はそんな事、言わない。言わない…筈だ。やはりアレはエリシアなんかじゃないと、どうにか気持ちを落ち着ける。動悸が乱れ、じっとりと汗が流れる。

 不快という概念全てを一度に味わったかのような感覚だ。

 

「スコープ司書‼︎」

 

 スネイプとルーピンに支えられて、ようやく立ち上がる。

 

「とにかく医務室へ。セブルス、頼めるかい?」

「ああ、任せたまえ」

 

 そんな会話が耳から抜けていく。

 代わりに頭の中をぐるぐる回るのは、妹の事。死の直前のやり取り。

 

 やはり彼女は、僕にとってとても大きく重い存在なのだ。



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クルックシャンクス:1

 まね妖怪と対峙した日の夜。僕はホグワーツの空を大鷲となって飛んでいた。

 昼間にあった嫌なことを忘れたくて、月の照らす雲間の風を切った。

 がむしゃらに。

 高く。高く。星に届くまで。

 星になるまで。

 

 だが忘れたいと思うほどに、脳裏に強く思い出す。

 

『大っ嫌い』

 

 エリシアが僕に向けてその言葉を使ったことはない。だからこそ、まね妖怪の露骨な煽りだと確信できる。だが同時に、『まね妖怪が真似る程に恐れていること』だと客観的に突きつけられた。

 怖い。彼女に嫌われることが。彼女が排除すべきものとして現れることが。彼女ともう一度向き合うことが。

 身がすくむような恐怖が湧き上がる。

 

 記憶を振り切るように速度をあげる。

 

『ありがとう…』

 

 そんなあの子の最期の言葉に囚われながら。

 

 

 重い雲を抜けた時、急に空気が冷たくなった。水滴が氷になって羽根を打つ。熱くなった頭に冷静さが戻ってくる。

 10月なのに寒すぎる。雲の中に布のような影が見えた。1つではない。20をゆうに超える数。

 吸魂鬼の大群がひしめいているのだ。校内に入れないからと、かなり荒れているのが遠目からでも分かった。アズカバンから離れ魂を喰らうことができずに飢えているのだろう。

 

 いくら動物もどきでも近づきすぎるのは危険だ。僕は高度を落として学校に近づく。

 

「……」

 

 『暴れ柳』の様子が変だ。あれは活発に動く植物で、その枝で飛ぶ鳥を落とすこともある。眠っている間も寝相が悪く、時々は枝を震わせる。

 だが今はまるで普通の植物のように動かない。普段の様子とはまるで違う。

 

 誰かが呪文を掛けたか、()()()()()に触ったか。とにかく何者かが柳の動きを止めたと考えられる。

 

 まさかシリウス・ブラックか?学生時代、彼はよく柳の根元にある通路を利用していた。可能性は十分にある。

 彼が校内に侵入したのではないかと、辺りを捜索する。今宵は月が明るく、鳥の目でも十分に地面が見えた。鷲は動物の中で最も目がいい。僅かな痕跡も逃さないでいられる。

 

 茂みが僅かに荒れているのを見つけた。何か獣が通った跡のようだ。人間は通れないが、ブラックは動物もどきだ。彼の化ける黒犬なら這うことで通れるような大きさの穴が茂みに空いている。

 

 人間の姿に戻り、茂みを掻き分ける。何か痕跡は無いかと地面を見るが、草が折れているだけで足跡は残っていない。

 

「…誰だ!」

 

 小さな獣の足音が聞こえた。人間では無いがブラックの可能性がある。杖を構えて音がした方角をじっと見つめる。

 

「動かなければ撃つ。3…2…」

 

 木陰から小さな影が現れた。

 だが犬にしては小さい。

 それは猫だった。

 

 それも野良猫とは違う、よく手入れされたオレンジ色の毛並みを持っている。淡麗とは言い難い潰れたような顔を見たら、知っている猫だと分かった。

 

「やぁ、クルックシャンクス」

 

 グレンジャーが今年になって買い始めた猫だ。彼女が嬉しそうに見せてくれたのでよく覚えている。

 こんな時間にこんな所で何をしているのか気になったが、猫は気ままで気まぐれな生き物だ。何時何処にいても不思議ではない。

 

 後ろで木が軋む音がする。どうやら暴れ柳が再び動き始めたようだ。硬直が解けたのだろう。この距離ならここまでアレの枝は届かないので僕は気にも留めなかった。

 だがクルックシャンクスは僕の足元を通り過ぎ、茂みの穴を通って柳に近づいていく。小さな猫があの一撃を喰らえばタダでは済まない。

 

 手遅れになる前に捕まえようとするが、彼女は素早い身のこなしで僕の手をスルリと躱し、そのまま枝を潜って柳のコブに触れた。柳はさっきまで暴れていたのが嘘のようにピタッと止まる。

 

「なるほどね」

 

 どうやら彼女が暴れ柳で遊んでいたようだ。ブラックではないと、僕は安心して杖を収める。無駄にドキドキさせられてしまった。それにしても柳のコブの特性に気づくとは、とても利口な猫だ。()()()()()()()()とでもいうのだろうか。

 まあ自由な猫のことだ。どこかで誰かが話しているのを聞いたのかもしれない。もしかしたらミセス・ノリスと仲が良かったりするのだろうか。

 

「ほどほどにしなよ。怪我したらグレンジャーが悲しむ」

 

 僕の心配が分かったのか、彼は小さく鳴いてまた茂みの奥へと消えていった。穴は猫にしては少し大きい気がしたが、何度も通るうちに広がったのだろう。

 

 僕は再び夜空へと舞い上がる。さっきまでとは違う、自由に、気ままに。月光を背に受けながら。

 

 シリウス・ブラックがグリフィンドールの門番、『太った婦人画』を襲ったと知ったのは、その数分後だった。



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マダム・ロスメルタ:1

 11月の最後の週。

 僕はマルゴナガルやハグリッドと共に、ホグズミードにある『三本の箒』という小さな居酒屋へとやってきた。魔法省大臣ファッジが、ブラックが侵入した件について話をしたいというのだ。

 ホグワーツからここに来るまで吸魂鬼とすれ違ったが、彼らは非常に苛立っていた。ダンブルドアが校内に入れてくれないからだ。ハグリッドは彼らを見た時、去年アズカバンに入れられた時のことを思い出したのだろう。彼らの近くにいる間、見ていていたたましい程に気分が落ち込んでいた。

 

 雪降る寒さに耐えるためかコートを着込んだ大臣と共に、居酒屋に入る。奥にグレンジャーとウィーズリーの姿がチラリと見えた。バタービールでも飲みに来たのだろう。ポッターも一緒ならより楽しめただろうに。

 

 女将ロスメルタに案内され、僕らは奥の個室へと入る。ここなら他人に話を聞かれることもない。扉のたてつけが荒いのか風で不自然に開いたのが気になったが、それぐらいだ。

 

「ブラックの件、魔法省は何か掴んでいないのですか?」

「我々は総力を上げてアヤツの捜索をしております。捕まるのも時間の問題かと」

「しかし、彼が何処に潜んでいるかも分かっていないではありませんか」

「まあまあ、マクゴナガル。そう責められたらファッジも話せない」

 

 怒り立つ彼女を諌め、ロスメルタにそれぞれ飲み物を注文する。僕が頼んだのは『熟成杏の水割り』だ。程よい甘味に隠れて僅かな酸味がキレのいい後味を残す。

 

「…で、ファッジ。君はまだこの辺りにいると考えているのかい?」

「ああ。間違いない」

 

 気弱な彼にしては珍しく、きっぱりと言った。よほど確信があるのだろう。僕も同じ考えだ。

 

「大臣、吸魂鬼が私のパブの中を2度も探し回ったのですよ。客は怖がって出て行くし、商売あがったりですのよ」

「私も連中が好きなわけじゃない。だが用心に越したことはないんでね。彼らはダンブルドアに対して怒っていたよ。城の校内に入れないから」

 

 ロスメルタの嫌味にバツが悪そうにファッジが返す。だが仕方ないだろう。彼らが城内をうろつけば、とても生徒たちにマトモな教育ができるとは思えない。

 

 会話はやがて、ブラックの悪行へと内容を変える。

 学生時代の彼は、特にポッターと仲が良かった。2人とも非常に賢く、そして非常に手を焼かせたものだ。マクゴナガルは当時を振り返っているのか少し懐かしそうな声色だった。

 

「ポッターは他の誰よりもブラックを信用していました。…それがまさか…あんなことに」

「『秘密の守人』としてポッター夫妻が彼を選んだのは、最大のミスと言っても過言ではない」

 

 『秘密の守人』は『忠誠の術』に起因する複雑な魔術だ。守人が口を割らない限り、隠された秘密は決して見つかることはない。ポッターは自分たちの居場所をブラックの中に隠した。だが彼は『彼』の手下となり、ポッター夫妻がどうなったかは知る所だ。

 ブラックは守人に選ばれた時、喜んだに違いない。それから1週間と経たない内に、ポッター夫妻は殺されたのだ。

 

 ポッター夫妻は、友人の中にある闇を見つけることができなかった。そういう意味では僕と同じかもしれない。

 

「ブラックは『例のあの人』の支持を公言しようとしたとたん、ハリーによって旗頭が折られ、逃げ出した」

「あのくそったれの裏切り者め‼︎」

 

 ハグリッドの罵声が部屋に轟く。外に聞こえてはいけないと、マクゴナガルが諌めるが彼は止まらない。

 ブラックに最後に会ったのは自分で、ポッターらが死んだのを慰めようとしたという後悔を歯噛みながら話した。

 

「でも逃げきれなかった。次の日、ヤツを追い詰めた人間がいたのだ」

 

 その名はピーター・ペティグリュー。

 『マローダーズ』の中で1番小さな、ポッターとブラックを英雄のように崇めていた子だ。だが彼の能力はお世辞にも高いとは言えず、ブラックと相対したが魔法省が駆けつける頃には既に死んでいた。

 残された肉片の中で最も大きな物は、指だった。

 

 僕は杯を握る手に力が入るのを自覚する。

 ブラックは友人殺しを成した。ある意味では闇の魔法使いらしいとも言えるだろう。いや、或いは最初から友人とも思っていなかったのだろうか。いったいいつから彼は闇の帝王の配下にあったのか。

 

 卒業した後か。『忍びの地図』を作った頃か。動物もどきになった頃か。入学した頃か。

 …或いは、もっと前からか。

 

『最初からさ』

 

 うるさい。君は関係ない。

 

 去年の会話を顔を振って払う。いけない。余計な思考で集中が乱れる。酒のアルコールが良くない。さっさと飲み干して、ロスメルタに冷たい水を頼んだ。

 

「しかし、我々は程なく彼を捕まえるだろう。もし『例のあの人』に忠実な家来が戻ったとなると、どんなにあっという間に彼が蘇るか。考えただけでも身の毛がよだつ」

 

 ファッジは空になった杯をテーブルに置くと、席を立った。これから校長と食事があるらしい。マクゴナガル達も共に学校へ向かうとのことで、僕はロスメルタが水を持ってくるまで1人で部屋にいた。

 

「…あら、他の方々は?」

「もう帰ったよ。君によろしくと言っていた」

 

 代金はそれぞれ置いていったので問題は無い。

 痛い程に冷えた水を呷り、酔いに火照った体を冷ます。

 

「それにしても、本当にあの子がねぇ。大人になるとどうなるか、分からないもんだ」

 

 彼女の呟きに首肯する。ブラックは確かに正義感が強いとは言えないし、むしろ野蛮と言った方が正しい少年だった。スリザリン…特にスネイプとは同世代という事もあって非常に仲が悪く、互いに呪いを掛け合うような関係だった。

 だが決して、友人を裏切るような子では無かった。僕とトムの関係とは違う、真に親友と呼べる関係だと思っていた。

 

 だがこうなってしまった今、過去の印象は余分な迷いを生むだけ。もし相対した時にその迷いが出れば死ぬのはこっちだ。

 

 友人殺しという実績は、軽く見てはいけない。

 もしブラックが…ヴォルデモートの元へ帰れば、彼の復活に尽力するだろう。『彼』が力を取り戻すのは、何としても防がなければならない。

 

 もしかしたらそれもまた、僕の『友人殺し』になるかもしれない。



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ハーマイオニー・グレンジャー:4

「やあ、グレンジャー。大変そうだね」

 

 クリスマスが近づいた頃、彼女は図書室にやってきた。逆転時計を使って全ての授業に出ている彼女は、以前と比べてやつれているように見える。よく見れば目の下にはっきりとクマができている。あまり寝ていないようだ。

 ティーンエイジャーがそんな無理をすることはないと言ったのだが、彼女曰く「学べる時に学ばないともったいない」らしい。

 

 得る知識を選ぶ事も重要な事だと思うが、彼女がそう言うならその道を応援しよう。

 

「でも身体を壊したら元も子もないよ?」

「それは分かってますけど、休むわけにはいかないんです」

「何をそんなに急いでいるんだい?」

 

 時間の余裕ならあるだろうに。

 

「マルフォイの怪我の件、知ってますよね」

「ああ、あの大袈裟に巻かれた包帯の事かい?」

 

 彼の腕のギプスは、おそらくポンフリーが付けたものではないだろう。だとしたらあまりにも雑すぎた。第一、たかが傷程度に包帯を巻く必要はない。彼女の腕前なら瞬く間に治癒できる。呪いの類か、腕がちぎれたなら話は別だがマルフォイの場合はそんな事は無いようだった。

 

「彼の父親がその事でハグリッドを訴えるといってるんです。私は弁護するように頼まれたんです。休んでなんていられません」

「ルシウス・マルフォイが…。へぇ…」

 

 親子愛というやつだろうか。そういえば去年も『部屋』の対策が遅いとダンブルドアを追い出そうとしたのは彼だった。息子がそれだけ心配なのか。

 

「と、いうわけで。ヒッポグリフが過去に起こした事件と、その顛末が分かる本はありますか?」

「ヒッポグリフね。マルフォイを襲った犯人なのかい?」

「最初に手を出したのはマルフォイの方です。馬鹿にする様に挑発するから…」

「ははっ。なるほど。たしかに、それは愚行だ」

 

 彼らは誇り高い生き物だ。気は難しいが、決して好戦的というわけでもない。不用意に近づかなければ無害と言ってもいいだろう。だが一度、貶すような行動をして怒らせれば彼らの爪は容易く人肉を切り裂く。

 

「いいよ。いくつか探しておこう。…ただ」

「ただ?」

「君は休んでいなさい。目の下、ひどいよ」

 

 何かの特殊メイクのようだ。とても年頃の少女のしていい顔ではない。

 

「でもこの後授業が…」

「そういう時こそ逆転時計の出番じゃないかな?2、3時間なら今日の分はまだ使えるだろう」

「マクゴナガル先生は授業に出る以外には使っちゃいけないって」

 

 真面目だなと、僕は少し微笑んだ。真面目すぎる気もするが、未熟な少女らしい純粋な心意気だ。エリシアにもそんな頃があったと、少しだけ懐古に浸る。

 

「じゃあ尚更、休むべきだ。倒れたらマクゴナガルにも心配をかけることになるよ」

「………」

「分かったかい?」

「……分かりました」

「よろしい。司書控室を使うといい。寮に戻ったら誰かに見つかるかもしれないし」

 

 逆転時計で過去に戻ったら、誰にも姿を見られてはいけない。それは重要なルールとして定められている。あの部屋は僕しか使わないし、図書室が開いている時はあまり使わない。

 

「ありがとうございます。…正直、もう眠くてしかたなかったんです」

「ゆっくり休むといい。休み時間が終わる頃になったら起こすよ」

 

 

「…僕は休むように言ったんだけどねぇ」

 

 授業開始時間が迫っても彼女が部屋から出てこない。わざわざ起こしに行ってみればこれだ。

 僕が机の上に広げた書物を読み漁ったのが見て取れる。ベッドが乱れていないから、横になってすらいないだろう。

 

「あ、えっと…面白そうな本だなと思って…つい」

「…はぁ。あまり子供に見せたらいけない内容なんだ。読んだものは忘れてくれ」

「…すみません」

「いや、出しっぱなしにしていた僕が悪い。それよりそろそろ授業が始まるよ」

 

 慌てて去って行く彼女を見送る。足取りはやはりふらついているが、大丈夫だろうか。ちゃんと休んで欲しい。今度部屋を貸す時はちゃんと片付けてからにしよう。

 

 

 夜になり図書室を閉めると、僕は控室で書物に向き合う。

 

 『スコーピスの自壊』

 『黒霧のアレクサンドロス』

 『調和無き2000年間』

 

 その他にも名前のない巻物や、名前を付ける事すら恐れられた古い羊皮紙のまとめが、机の上に所狭しと並べられている。

 全て僕の私物であり、図書室に置くなら『閲覧禁止』に分類するしかないような代物ばかりだ。グレンジャーが触れられる所に置いていたのは迂闊としか言いようがない。下手すれば取り返しのつかない事になっていた。

 

 この書物の共通点は、『紋様魔術』について扱っているという点だ。一般的に学校の授業で教える物とは違い、僕が使う『守護紋様の魔術』らが含まれるより高等で危険な類だ。『魔除けの羽』の改良のために僕の屋敷から持ってきた。

 

 手のひらに切り傷を作り、流れ出す血を瓶に溜める。半分程満ちた所で傷を塞ぎ、何も書かれていない大鷲の羽を一枚机の上に置く。

 

 これらの『紋様魔術』は、術者の血と骨肉によってのみ効果を得る。ただインクと羊皮紙で書くだけでは単なる模様にしかならない。これが一般的な物との最大の違いだ。通常は術者の肌に描くか紋様の刻まれた遺骨を用いるしかないが、僕の肉体が変化した羽に書く事でようやく、持ち運びが可能になった。

 血液は誰の物でもいいという訳ではなく、限られた血筋の人間。『スコーピス家』に連なる者の血にのみ効果を期待できる。

 

 そう。ライアス・スコープという名前は偽名。いや、正確には『今の名前』と言ったほうがいいか。そして捨てた名前は『ミカエル・アイアス・スコーピス』。スコーピス家26代目当主。

 今となっては何の意味もない肩書きだ。スコーピスの血を持つ者は、もう僕1人だから。

 

 溜めた血を慎重にペン先に取り、羽に紋様を描いていく。根本から枝分かれするように、そこに幾何学的な円を加える。

 

 完成した『魔除けの羽』は僅かに魔力を帯びた。

 完璧な仕上がりだ。紋様には一分の乱れもない。

 

 完成度の高い魔術を改良するのは、容易ではない。だがやらなければならない。ブラックがもし『彼』の元へと戻れば、復活はそう遠くない。

 

 巻物の1つを開き、『紋様魔術』の歴史を調べる。古の魔()使いアレクサンドロス・スコーピス。彼女を始祖とするスコーピス家はずっと自分たちの血を秘匿し続けてきた。その血は彼女の子孫と、その赤子を宿した者にのみ受け継がれる。

 故に今では忘れ去られて久しい。少数の品がノクターン横丁などのブラックマーケットでやり取りされているぐらいだ。もしいくつか手に入れることができれば、改良も捗るだろうか。

 

 黒く血の汚れが付いた羊皮紙を取り出す。書かれているのは『供物』について。『紋様魔術』は『供物』を血に混ぜる事で効果を上げることができる。

 血を用いる魔術における供物は、もちろん普通の物とは違う。大抵の場合は魂や命だ。その価値が高い程、魔術は効果を増す。

 

 問題は供物を使うのは非効率ということだ。羽を作る度に用意するのは難しい。もっと根本的な解決策が必要だ。紋様を一から作り直すことも考えるべきだろう。

 

 結局この日も改良はできず、悩んでいる内に陽が昇ってしまった。



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ルビウス・ハグリッド:3

 僕は数冊の本を持って、ハグリッドの小屋を訪れた。グレンジャーの要望だ。

 

「やあ、みんな揃っているね」

「スコープさん!わざわざすんません」

「構わないよ。いつでも頼ってくれ」

 

 中に居たのはハグリッドと、ポッターら3人組。ヒッポグリフの弁護をする為に、過去に起きた彼らに関する事件を調べるのだ。

 過去の事例から現状を紐解くのは良い考えだが、自分の都合の良い様に解釈するのは簡単ではない。

 

「まず厳しい事を言うけど、ヒッポグリフが死刑になる可能性が高い」

「そ、そんな‼︎バックビークは良いヤツなんです‼︎あいつが殺されるなんて、間違っとる!」

 

 怒り立つハグリッドを諌める。いちいち声を荒げられては会話が進まない。彼がヒッポグリフを想う気持ちは分かるが、まずは事実を整理しなければ弁護のしようがない。

 

「魔法界でのヒッポグリフの認識は、お世辞にも温厚とは言えない。むしろ準危険生物として扱われているのは知っているね?」

「そりゃあ、まぁ…」

「君は教師として授業中は生徒の安全を確保する責任がある。最初の授業で()を扱うのは、安全意識が足りなかったと非難されても当然だ」

 

 ハグリッドは閉口し項垂れる。教師の責務を果たす事が出来なかったと言われるのは、彼を信頼したダンブルドアの期待を裏切ったという事だ。それはとても辛いことだろう。

 

「でもハグリッドはちゃんと注意してました。それを聞かなかったマルフォイが悪いと思います」

「ははっ。ポッター、君がそれを言うと笑い事だね」

 

 僕は適当な椅子に腰掛け、頬杖をつく。ポッターとウィーズリーは年がら年中校則を破っている問題児コンビだ。例の双子程ではないが、マクゴナガルから目をつけておくように言われていたりする。まあ主な理由は監視というより『彼』に狙われるのを防ぐためだ。特に今はシリウス・ブラックがうろついている。彼を野放しにするのは無策よりもひどい愚策だ。

 

「それに相手はルシウス・マルフォイだ。彼なら裁判官を丸め込むぐらいしてくる」

 

 彼は去年、ダンブルドアを解任したのを独断だとされて理事の座を追われている。だがマルフォイ家という家柄は未だ魔法界で強い影響力を持っているのも確かだ。

 

 簡単に言えば、裁判で勝つことは不可能に近い。

 …だが。

 

「それでもヒッポグリフを助けたいのであれば、僕も微力ながら手を貸そう」

「…!ありがとうございます!恩に着ます!」

 

 深く頭を下げるハグリッド。だが礼を言うのは裁判が終わってからだ。まだ何も事態は変わっていない。

 

「ハグリッド。1つ聞くが、君はヒッポグリフのためなら命を掛けれるかい?」

 

 中途半端な心の人間に手を貸すほど僕は心が広いわけじゃない。が、その目を見たら愚問だったと恥じた。

 

 

 それから彼らは、持ってきた本を机に広げて何かヒッポグリフを救う手がかりになる物は無いかを探し始めた。

 今日ここに持ってきたのは、過去に起きた魔法生物に関する裁判の記録が纏められた本だ。きっと何か、都合の良い部分を見つけられる筈だ。

 僕はというと、小屋の外に繋がれたヒッポグリフを観察している。まだ有罪も無罪も決まっていないとで、拘束というよりはその場に留まるための鎖だ。細い鎖は、彼が本気になれば容易く千切れるだろう。

 

「やぁ…確か、バックビーク…だったかな?」

 

 近くにある畑のうらなりだろうか。萎びたカボチャをオモチャ代わりに脚で転がす彼は、僕の言葉に顔を上げた。なるほど。精悍な顔つきだ。ハグリッドが入れ込むのも納得できる。羽は細部まで艶があり、よく手入れされているように思えた。

 

 だが脚元のカボチャはどうだ。無数に付けられた鉤爪の跡は腐りだし、中身が溢れている。彼が遊んだだけなのに、だ。もしそれが人間の体だったならば、もはや想像すらしたくない。

 

「……」

 

 僕は()()()、無作法にバックビークに近づく。彼は不機嫌そうに身を低くし、警戒の目を向けてくる。

 

 後1歩…。近づけば容赦はしない。

 

 そう言っているのが感じられた。

 

「なるほどね。…これは難しい」

 

 このヒッポグリフはその種族の中でも特に気が荒いようだ。これではいくら弁明をしたところで誰も…ハグリッド以外は彼に非がないとは言わない。少なくとも普通の感性を持つならば。

 小屋の彼らにせめてもの慰めになればいいが、僕もできる限り協力しよう。昔から変人や狂人と共に過ごすのは慣れている。

 

 そう思い踵を返した時だった。

 

――バサッ!!

 

 翼が動く音。背後からの殺気。視界の端から鋭い爪が伸びる。

 恐ろしい凶器が僕に迫り…肌に触れる前に弾かれた。

 

「…ふぅん。傲慢極まりない獣だね」

 

 自身の身に何が起こったかを理解していないのか、バックビークは再度僕に迫る。そしてまた『魔除けの羽』に防がれた。彼は身を低くしこちらを窺う。いつでも飛び掛かることができる姿勢だ。繋いでいたはずの鎖は切られている。やはり強度が足りなかったか。

 

「バックビーク!何しちょる!」

 

 物音に気付いたのかハグリッドが小屋から出てくる。

 気が立って荒々しく暴れるヒッポグリフを、僅かに残った鎖を掴んで落ち着かせようとしている。なんだ。調教すらしていなかったのか。と僕は呆れるが、それと同時に妙案を思いついた。

 

 調教できていないなら、調教してしまえば良いのだ。それがなにより、暴れる獣を扱う手法だ。

 

「しっ!しっ!バックビーク!」

「いや、ハグリッド。僕に任せてくれ」

 

 彼にはそのまま獣を引き留めておくように言い、僕は懐から『羽』を複数枚取り出す。『守護紋様の羽』とは異なる紋様。しかしそれでもアレクサンドロスの系譜にある『紋様魔術』の産物だ。瓶に貯めていた血を一滴、羽に付ける。そして僕が魔力を込めながらそれをバックビークに放つ。

 淡い光の線を描き一直線に飛んだ羽は、その体に深々と刺さる。

 

「さぁ、我慢してくれよ!」

 

 その羽に意識を集中する。羽の輝きが強くなる。

 

―――‼‼‼

「バ、バックビーク!」

 

 獣の暴れ方が、拘束から逃れるためのものから痛みに苦しむものへと変わる。慌てるハグリッドを制し、僕は力を抜く。光が退き痛みが治まったのかバックビークが僕へ飛び掛かろうとしてくる。それを戒めるために再び羽に意識を向ける。

 

「僕に従うんだ。大人しくすれば楽になれる」

 

 『誇り高き獣』を『従順なペット』へと堕とす。それがどれだけ背徳な行為かは分かっている。だが暴れる獣のままでは、助けることができない。

 

 獣が唸る度に苦痛を与え、大人しくするように命令する。

 

 何度そんな事を繰り返しただろう。陽は傾き、辺りは薄暗くなった頃。バックビークは僕の顔色を窺うように座り込んだ。頭を低く下げ、抵抗する意思がない事を示してくる。怯えるようにこちらを見て、震えている。

 

「…ス…スコープさん…」

 

 苦しんでいるバックビークを、それでも彼の為だと心に決めて彼を抑えていたハグリッド。ようやく彼が従ったのを見て、僕に声をかける。その眼からは大量の涙が今も流れており、どれだけ辛い事だったかを教えてくれる。

 いつのまに小屋から出ていたのか、ポッターらもバックビークの近くで佇んでいた。

 

「…これで裁判での言い訳ができる。彼を助けることができるよ」

 

 授業中にバックビークが暴れたのは、調教した僕が居なかったから。僕が居ればバックビークは大人しいペットだった。と、述べることができるようになった。

 つまり、ハグリッドの危機管理能力の欠如に焦点を向けられる。最悪でもハグリッドの解雇で済むような結末にできるだろう。

 

「…ありがとうごぜぇます。…と、言うべきなんでしょうが…」

「礼を言われる資格が無いことは分かっている。バックビークがどれだけ傷付いているか…僕だって知らないわけじゃない」

 

 自由を奪われた鷲。力を失った獅子。妻を亡くした鳩。

 

 それらがどれ程の失意の底にいるか。

 例え命を救えたとしても。

 

 誇りが消えたヒッポグリフを前に、誰も笑顔は無かった。



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シェーマス・フィネガン:1

 図書室で扱う本は、主に生徒へ借り出される。

 生徒とは言ってももちろん魔法使いの見習いで、本という知識の塊がどれ程の価値があるかは重々に承知しているのが当たり前だ。

 

 故にその扱いには注意してもらうように毎回伝えている。『魔法』という使い方を誤ればすぐに事故を起こすような代物が溢れている世界だからだ。

 

「………」

「…あの…その……」

 

 だが実際のところ月に数回は本がダメになるような事故を、生徒はしてしまう。あくまで子供なのだから、そう言うこともあるだろう。

 

「……何故こうなったのか聞こうか…シェーマス・フィネガン君?」

「うぅ…ご、ごめんなさい」

 

 放課後、司書控室で僕の前に座るグリフィンドールの少年。フィネガンは肩を小さくして僕の顔色を窺い、小さく謝罪した。

 彼と僕の間の机の上には一冊の本が置かれている。何かの実験の事故に巻き込まれたのか、本は無惨に黒く焦げていて、端がボロボロに崩れている。表紙も背表紙もぐちゃぐちゃで、かろうじて残ったヘッドバンドが、それが本だった事を訴えている。

 

「えーっと……ディーン達と…その本に書いてある呪文を試してて…」

 

 どうやら友人達と共に、まだ学習していない魔法を習得しようとしたらしい。

 3年生らしい好奇心だ。初歩的な呪文を学び、自分の能力を上げようと思ったのだろう。この…()()()本だった『にわか魔法使いを卒業するには』にはそんな呪文が載っている。

 

「でもここまで酷い状態になるようなものは載っていないはずだけど?」

「あぁ……それは…」

 

 僕の指摘にフィネガンは眼を泳がせる。何か隠している事があるらしい。少し責めるように睨むと、彼はゆっくり口を開いた。

 

「うっかり呪文が本に当たって。…ちょっと傷が付いただけだったから直そうとしたんです。…でも…」

 

 焦っている時ほど、人は些細なミスで取り返しのつかない失敗をする。『修復呪文』をかけようとしたつもりが、何処をどう間違ったのか本が爆発してしまったらしい。

 入学当初から彼の爆破事件は教師の間で話のタネになっている。1年生の時にはフリットウィック先生の授業で羽を爆発させたとか。

 

「ははっ。それはそれは。怪我はしなかったかい?」

「は、はい。僕らは平気だったんですけど…。…本が」

 

 その後はどうにか『復元呪文』で、ココまでの状態に戻したそうだ。だが、たかが3年生の腕では完全な復元はできなかった。

 

「…それで?」

「うう…そ、それで…」

 

 まぁ、そんな事はホグワーツではよくある…とまではいかなくとも、それなりにある事だ。わざわざそれでこの部屋に呼び出したりはしない。僕が怒っているのは、そんな()()()()ではない。

 

「…み、見つかったら…怒られると思って…。黙って…本棚に戻したんです…。ご、ごめんなさい!」

「…本当に困ったものだよ。生徒の1人がこんな状態の本を持ってきた時には、何か重大な事故が起こったのかととても驚いた」

 

 ただでさえ今は、ブラックが校内に潜伏している可能性がある。

 すぐに貸し出し履歴からフィネガンを見つけ、話を聞く事にしたのだ。緊急性の無い本だったから良かったものの、もしこれが『禁書』や『閲覧禁止の本』だったら大変な事になっていただろう。

 

「グリフィンドールは10点減点。これは本を傷つけたからじゃないよ」

「…はい。もう隠したりなんかしません。ごめんなさい」

 

 フィネガンは深くうなだれて、謝罪する。反省しているなら、本人の言う通り、またこんな事をすることは無いだろう。僕は別に厳格な教師でもないので、特に罰則を課すつもりもない。

 

「ただまぁ、問題はこの本をどうするか、だけど」

「べ、弁償します!お金は沢山ある訳じゃないけど…絶対!」

「…はははっ。君がそんな事をする必要はないさ」

 

 興奮して椅子から立ち上がる彼を諌める。わざわざそんな大ごとにするような問題でもない。通常ならフクロウで本の製作所に送れば、数日で新しい物が返ってくる。なんならダイアゴン横丁などにある書店で探せばいい。

 だが生憎、製作所には先日スネイプのダメになった本を大量に送ったばかりだし、書店に行くには校長に外出許可を貰う必要がある。この本を借りたい生徒もいるのですぐに直すのがベストだ。

 

「少し手本を見せてあげよう。『修復呪文』と『復元呪文』と…それから色々な()()の合わせ技さ」

 

 故に僕の手で直すことにする。フィネガンも興味があるだろう。彼に、棚から複数の紙と羊皮紙、それからインクを持ってきてもらう。

 それをボロボロの本を囲むように置き、僕は杖を構える。ゆっくりと呪文を唱えると、杖先に光が灯る。複雑な軌跡を描きながら詠唱を続けると、置いた物が浮かびだした。

 

「万物には決まった『形』がある。人が人であるように。本もまた、本の形があるんだ」

 

 例えばグラスに注がれた水。どれだけ切り離そうとナイフを刺しても、常に1つの形に収束するのと同じだ。例えバラバラになったとしても、在るべき『形』へと常に戻ろうとしている。

 

「『修復呪文』も『復元呪文』も、その『形』へ戻るのを手助けしているに過ぎない。今回は少し無理矢理だけど…理論は同じだよ」

 

 本の『形』を意識する。足りない部分を補うように、インクと紙を分解して癒着させていく。焦げた箇所を切り離し、新たなページが創り出される。インクが少しずつ、文字を書き始めた。

 

「『形』を失った物は、新たな『形』を求める。そこに手を加えるのが魔術や魔法なんだ」

 

 まるで指揮を取るように杖を振る。新しいページは、紙の『形』を無理矢理変えた物。上手く本に取り込まれるよう向ける必要がある。繊細な操作をしなければ、逆に全てのページが白紙になることもある。

 

「……」

 

 やがてソレは、また本の『形』を取り戻す。

 少年は目の前で起こっている事に言葉が出ないようだ。

 

 仕上げに羊皮紙で即席の表紙を作る。インクではすぐに消えてしまうので、題名として読めるように羊皮紙を歪ませた。

 

「さぁ、できた」

「……スゴい…」

 

 蘇った本をパラパラとめくり、修繕の具合を確かめる。流し読みだが問題は見つからなかった。本当ならば製作所でちゃんと作り直すべきだ。スネイプの本が返ってきたらコレを送る事を、忘れないようにメモしておこう。

 

「今やった事は『呪文学』で7年生が習う内容を、『変身学』を混ぜて応用した物だ。詳しく知りたいならフリットウィック先生か、マクゴナガル先生に聞いてみるといい」

 

 未だ呆然としている彼に直した本を本棚に戻すように言って帰らせる。

 

 

「物の在るべき『形』…か」

 

 僕だけの部屋で独り言ちる。『形』…より深く言うなら、それは『魂』だ。

 

 万物に宿る魂への干渉。

 そう書くととても傲慢な気がしてならない。『動物もどき』は自身の魂を変える魔術だ。とても危険で、難易度の高いもの。間違えば、変容した魂は二度と元には戻らない。

 

 そして、その『動物もどき』よりも罪深い魔術。

 

 『分霊箱』

 魂を分かつ魔術。人の『形』を失うのは、どのような苦痛をもたらすのだろう。

 

「……トム…。君は今、どんな『形』をしているんだい?」

 

 窓から覗く月に、僕は友を想う。

 白い光に、最後に見た彼の容姿が重なった。

 まるで蛇のような顔。生気など欠片も無く、死人が動いているような印象を受けた。

 十数年前、ポッターに敗れた時。

 彼は『死ななかった』のか、『死ねなかった』のか。

 

 もはや彼が人で在るのか、僕には想像できない。



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ルーラルゥ:1

「……」

 

 僕は寂れた荒野に1人立つ。

 周囲には何も無く、冷たい風が頬を撫でて抜ける。

 

「………」

 

 クリスマスの直前、久しぶりに休暇を取った。

 ホグワーツは丁度クリスマス休暇で、ブラックが潜伏している事もあってかほとんどの生徒が家へと帰った。僅かに残った子らには悪いが、僕もそれにタイミングを合わせるように図書室を閉める事にしたのだ。

 

 休暇を申請した時、マクゴナガルもダンブルドアもとても驚いた顔をしていた。僕が休みを取るのは決まって夏休みだったからだ。仕事中毒者(ワーカホリック)な訳でもないが、この時期にするのは珍しい。と、自分でも思っている。

 

「……ハァ…」

 

 寒さを払うようにため息を吐く。

 このタイミングで休暇を取ったのは、もちろん訳がある。

 『守護紋様の魔術』の改良が、全くと言って良いほど進展しなかったのだ。僅かにでも紋様を変化させると、途端に効力が不安定になってしまう。酷い時には魔力を込めただけで羽が燃え上がった。

 

 手元の資料や知識だけでは足りない。そう思った僕は、自分の屋敷へ戻る事にした。そして今、ここに立っている。

 

 マグルの世界や、魔法使いの街からも遠く離れた場所。周囲には生き物の気配は無い。それは不自然なまでに。鳥1羽、虫1匹も見つからない。

 耳に届くのは、枯れ草が揺れる音だけ。不気味な程に生の気配が感じられない。

 

 その荒野を歩く。ただ一点。目の前の大岩を見つめて。

 

「……」

 

 何の変哲もない、ただの岩にしか見えない。だが注意深く観察すれば、そこに魔術の痕跡を見つけることができる。

 

 僕は手に切り傷を作り、血を流す。手に溜まったそれを岩肌に押し付けると、血は染み込むように消えていった。

 その直後。

 

 突如として辺りに黒い霧が立ち込め、視界が塞がれる。まるで世界が光を失ってしまったかのような闇だ。

 体が浮かぶような不思議な感覚がして、霧が晴れた時には目の前には巨大な洋館が聳え建っていた。

 仰々しい現れ方をしたこの洋館こそが、僕が産まれ育った家。スコーピス家の屋敷。

 

 この屋敷は幾重にも魔術が掛けられ、知らぬ者には決して見つけることも辿り着くこともできないようになっている。それに例え屋敷の場所を知っていても、こうして認識するためには先ほどの大岩にスコーピス家に連なる者の血を与える必要がある。

 この秘匿された場所を知るのは、現当主である僕。僕をホグワーツへと入学させたダンブルドア。そして在学時代の友人のトムぐらいだ。

 

 黒い大きな扉へ近づくと、音もなく扉は内側から開いた。そして中から、1人の屋敷しもべ妖精が顔を覗かせる。

 

「ミカエル様、そろそろお着きになることかと思うておりました、はい」

 

 普通のしもべ妖精とは似つかない、整えられた召使いの服装に身を包んだ彼。

 『契約』によって悠久にスコーピス家に仕えることを命じられた、特別なしもべ妖精だ。

 

「ただいま、ルーラルゥ。すまないね。こんな急に」

「いえいえいえ。ご当主様が自分の屋敷に戻られるのに何の不都合がございましょうか。このルーラルゥめに何なりとお申し付けくださいませ。矮小な道化の身ではありますが、それでも精一杯に従僕としての役を演じ切る所存でございます、はい」

 

 僕が謝罪すると、ルーラルゥは大げさに頭を下げた。自らを道化と呼ぶ彼は、アレクサンドロスがこの屋敷を創り出した時から彼女に仕えているそうだ。そういう意味ではスコーピス家の生き証人になるのだろうか。

 

「ささ。外はお寒かったでございましょう。温かい紅茶が入っております」

「ああ、貰うよ。その前にエリシアに顔を見せてくる」

「かしこまりました。では献身なルーラルゥはミカエル様の私室にて紅茶のご用意をしております。ええ、そうします」

 

 僕は屋敷の外。庭の一角にある墓地へ足を運ぶ。ここはスコーピス家の者たちが死後に埋められる。僕の両親やそのご先祖。当然、妹であるエリシアも。

 

「ただいま、エリシア」

 

 最も新しい墓標に黙祷する。刻まれた名前は『ガブリエラ・シア・スコーピス』。僕がミカエルという名であったころの、エリシアの名前だ。

 僕より3歳年下で、彼女が亡くなったのは彼女がホグワーツの5年生の時だった。

 身体に溜まった呪いの毒が、ついには肉体を滅ぼしたのだ。末期はまともに動くこともできず、ホグワーツを休校してこの屋敷で僕とルーラルゥが看病をしていた。

 

「4ヶ月ぶりだね。こんな時期に帰ってくるなんて思わなかったかい?…前にも話したね。トムと本気で闘うと。でも今の僕じゃ技術不足でね。色々と知恵を借りに来たんだ」

 

 ここに帰ってくるのは、彼女の命日が近く学校が夏休みの期間に僅かだけだ。それは僕が司書という役職に就いているというのもある。だがそれよりも、この屋敷には色々な思い出があるのだ。良いものだけではなく、それ以上に悪いものも。

 

 僕はエリシアに挨拶…といっても墓前で独り言を言うだけだが…を済ませて屋敷に入る。

 

 両親の墓は一瞥しただけだ。

 

 

「お茶請けは何にいたしましょうか?クッキー、マカロン、カップケーキ、スコーンなど。どのようなものでも取り揃えております」

 

 ルーラルゥはそんなことをまくし立てながらテーブルの上へ菓子を並べていく。

 

「紅茶だけをお飲みになるのでしたら構いません。ゴミが増えるだけですが、哀れなルーラルゥは甘んじてご当主のワガママを受け入れましょう。何せ胎児の頃から面倒を見てきたのですから。ええ、そうですから」

「じゃあクッキーを。いつものヤツが良い」

「よろしい!直ぐにご用意いたしましょう」

 

 彼がパチンと指を鳴らすと、皿に盛られたクッキーが現れた。

 

「ルーラルゥ特製クッキーでございます。甘さは控えめ。バターも少量。後味にほんの少し多めの塩を加えております。ミカエル様は昔からこのクッキーが好きでございましたね。はい」

「覚えていてくれて、嬉しいよ」

「敬虔なルーラルゥは覚えておりますとも。ご当主様とガブリエラ様がこのクッキーを仲良く分け合っていたことを。時々どっちが多く食べたかで喧嘩をしていたことも。ええ」

 

 確かそれはまだエリシアがホグワーツに入る前の事だったが。たしかにそんな事もあったと、懐かしく思う。僕らがそんなくだらない事で争っていると、いつも彼がお菓子を持ってきてくれたのだ。そしてそれを食べている内に、何を争っていたのかも忘れてしまう。

 

「…そんなことも…あったかな」

「よーく覚えております。ええ、それは昨日のことのように」

 

 何でもない小さな出来事が、今思い返せばどれ程尊いものだったか。

 紅茶で喉を潤しながら、しばし昔を懐かしむ。

 

 だがそうしてばかりもいられない。ここに帰ってきた目的を果たさなければ。

 

「……『奥書庫』を開ける」

「…かしこまりました」

 

 僕の言葉にルーラルゥは少しの無言の後、頷く。

 彼が再び指を鳴らすと、そこには大きな銀色の鍵が握られていた。

 

「…こちらに」

「ありがとう」

 

 鍵を受け取り、僕は屋敷の地下へ行く。

 『奥書庫』は文字通り、この地下書庫の奥にある。以前学校へと持って行ったのはこの地下書庫にある物で、『奥書庫』とは違う。

 

 僕が地下書庫へと足を踏み入れると、壁の松明が灯る。ルーラルゥはこの場所に入ることを禁じられているため、僕1人だ。

 本棚の間を揺らめく光に照らされて進む。壁に映る影がまるで何か魔物のように恐ろしく見えた。

 

 そしてこの奥の、何も無いように見える壁。

 仕組みはここに来る時の大岩と同じだ。血を押し付けると紋様が光って浮き出る。それは青白く光る錠穴の形を作り出した。

 

「……」

 

 そこへルーラルゥから受け取った鍵を挿し込む。鍵はガチャリと重い音を立てて回ると、壁へと消えていった。そして光は新たな紋様を描く。

 もう一度、血を押し付ける。血が壁に吸われていく感覚。

 

 そして壁は、崩れるように消え去った。

 見えてきたのはいくつもの本が所狭しと並べられた4つの本棚。円を描く様に配置されている。ここが『奥書庫』。スコーピス家の伝承では、アレクサンドロスが自身の全ての知識を集めた場所。

 

「……」

 

 相変わらず厳重な封印だ。鍵を使う封印は僕が仕掛けたものだが、それを差し引いても十分すぎる。

 特にこの血で壁が消える魔術は、トムが強く興味を持っていたことを懐かしむ。根底にあるのはスコーピスの『紋様魔術』だが、彼はそれを独自に再現しようとしていた。

 

 そんな昔のことを思い返しながら、『奥書庫』へと入る。

 強く、禍々しい魔力がこの部屋に満ちている。

 

 4つの本棚は、それぞれ『紋様魔術』の系統で纏められている。

 

 『守護紋様』は僕が得意とし、障害を防ぐ事に長けている。

 『束縛紋様』は前にバックビークにも使った。対象を拘束する事に特化している。

 『呪霊紋様』は精神に干渉し、錯乱させる事ができる。

 『変理紋様』は文字通り現実の(ことわり)を変容させる。

 

 どれもが強力で複雑で高度な魔術だ。その全てを極めた者は歴史の中でも開祖であるアレクサンドロスのみ。

 

 そしてその本棚に囲まれる様に台座があり、そこに置かれた一冊の本。空間に満ちる魔力の根源。赤黒い表紙に白い装飾。

 題名は無く、表紙は脈打つように動いている。

 

『アレクサンドロス』

 

 それが本の名前だ。それはかつてアレクサンドロス本人が、自身の骨肉を変異させて創り出した、『生きている本』。

 そして台座の手前には『憂いのふるい』が安置されている。それはホグワーツの校長室にあるものと同じで、青白く神秘的な光を放っている。

 

 僕はそれらに近づかないよう、『守護紋様』の棚から目当ての本を見繕う。適当に2、3冊を引き抜き、足早に『奥書庫』を去ろうとした。

 

「…挨拶も無しか?」

「…!」

 

 『アレクサンドロス』が語りかけてきた。マズい、見つかったか。いや、見つかるも何も最初から気づかれていたか。

 

「…お久しぶりです。我が祖よ」

「……ふゥン。…ヌシがここに姿を見せるのは40年ぶりであるな。我が血を継ぐ者よ」

 

 僕が声を掛けると、表紙に眼と口が現れる。人皮を剥がれたように生々しい。それは威厳ある女性の声を発する。この本に宿る魂は、アレクサンドロスそのものだ。

 僕は床に膝を着き、彼女の機嫌を損ねないようにする。

 

「…どうか不敬な行いをお許しください。急ぎの用がありまして」

「よいよい。ヌシの事はよく分かっておる。…何やら面白い事になっているようだな?」

 

 アレクサンドロスは楽しそうに笑う。

 

「あの小僧…。トム・リドルであったか?あの様な歪な魂を持つ者など、久しく見ておらんかったが…。ヌシの魂を我に捧げさせたのはやはり正解であったな」

「…なるほど。全て見ておられたのですね」

 

 僕が最初にこの部屋に入ったのは60年前。両親が死んだ日の事だ。その時、この本は僕に知識を授ける『代償』として、残りの魂の全てを僕から奪った。故に僕の身体は、肉体は成長するが魂は成長しない、そんな奇妙な状態になった。通常なら魂を奪われた者は生きているだけの屍に等しい存在になるが、アレクサンドロスはどんな魔術を使ったのか、僕はこうして普通に生活できている。まあ言動が若々しいとよく言われるが。

 

 彼女は僕の魂を通して、僕が見たもの、知ったものを共有している。

 

「ヌシは今後もヤツと相見えるであろうな。…ふゥン。で、あるならば我が知恵を貸し与えるのもやぶさかではないぞ?」

「お断りします」

 

 申し出を即座に断る。彼女の知恵を借りると、大抵はろくなことにならない。60年前もそうだった。『憂いのふるい』が妖しく光るが、その誘いを無視する。

 

「よいよい。安易に我が知恵を借りようとする愚鈍な男を、我は気に入ったりはせぬ」

「お心遣いに感謝します」

「せいぜい、我を退屈させぬ事だ。肝に銘じておけ」

 

 本はパタパタと震えた後、再び動かなくなった。もう話す気はないらしい。

 

「…言われなくとも」

 

 僕は目当ての本を持ち直し、『奥書庫』を出る。壁が音もなく元に戻った。そこにはまるで最初から何も無かったかのようだ。

 

 

「ミカエル様、ご無事で何よりでございます」

「彼女はどうやら、トムに興味があるらしい」

「ほほぅ。あの方がスコーピス家以外に目を向ける事など、ペペベル家以来でございます。はい」

 

 ルーラルゥはそんなことを言いながら、テキパキと夕食の準備をしていく。

 

「ワインは何に致しましょう。赤?白?シャンパンもご用意できますよ」

「いや、今日はアルコールはやめておくよ」

 

 アレクサンドロスの濃い魔力にあてられた僕は、ソファで横になる。視界がグルグルと回る様な錯覚を感じる。

 

「左様でございますか。でしたら冷水を持ってまいりましょう。ええ、そうしましょう」

「ありがとう」

 

 僕はパラパラと持ち出した本のページをめくる。

 

 難解だ。

 

 頭の中を埋め尽くすように入ってくる文字の情報に、吐き気がしてくる。ホグワーツに帰ってからゆっくり読むとしよう。

 

「ミカエル様、ご用意ができましてございます」

「うん、今行くよ」

 

 この本に書かれていることが、トムを止めることに繋がるといいが。

 今はそれを信じるだけだ。



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リーマス・ルーピン:2

「…ふあぁ…眠い…」

 

 消灯時間をとうに過ぎ、明かりもなく誰もいない廊下を歩く。

 この所、魔術の研究に没頭していてまともに寝ていない日が続いている。そんな時に校長から命じられたのが、深夜の校内の見回りだ。1月になって再び授業が始まり、生徒たちも学校に戻ってきた。なんとしても彼らの安全を確保しなければならない。

 

「まさかミスター・フライトまでこんな事に駆り出されるとは。司書というのも案外大変なのですね」

「校長は人使いが荒くてね。近年はもう労働条件に反しているんじゃないかと思うくらいだよ」

 

 ルーピンの言葉に僕は気怠げに返す。特に一昨年の『賢者の石』の防衛や、去年の『秘密の部屋』の事件に関しては給料を上げてくれても良いんじゃないかと思う。

 一度労基に申し立ててみようか。などと適当な事を思う。まあそんな事はしないのだが。

 

「しかしシリウスが未だに校内に潜んでいるとは思い辛いです」

「でも彼の狙いがポッターである可能性が高い以上、目的を達さずに逃げる事は無いだろうね」

「…ですね。恐らくは郊外。そう遠くないところにいるでしょう」

 

 そう考えるのが自然だ。が、まだ捕まっていないということは普通ではない場所に潜伏しているのだろう。

 

「そういえば『忍びの地図』は今どこにあるのでしょう?あれがあれば、少なくとも校内にいるかどうかは分かります」

「…ああ、あれかい。あれは今、ウィーズリーの双子が持っているよ」

「なっ⁉︎…フィルチの所に無いと思ったら‼︎あれがシリウスの手に渡ればどんな危険があるか…分からない訳じゃないでしょう!」

 

 憤るルーピンに僕は手をヒラヒラ振って適当に声を抑えるように伝える。廊下の絵画達もうるさい声に抗議の目を向ける。それでも彼は何か言いたげだ。

 

「それについては僕も理解しているよ。でもどうだい?ある意味では1番の隠し場所だろう?君も僕に言われるまでは思いもしなかったじゃないか」

「そ、それは…まあ…確かに、そうかもしれません。シリウスがソレを求めるならフィルチの所に真っ先に行くでしょう。魔法が使えないフィルチが彼に対抗するすべはありません。もしそうなれば、彼は容易く地図を手にできる」

「もしブラックが双子が持っている事を知っても、あの子達は常に2人以上で行動しているからね。杖を持たないブラックは襲いたくても襲えないんじゃないかな?」

 

 そう考えると、それはとても最適な隠し場所に思える。あの双子が誰かに地図を渡す事も考えにくい。恐らくは大金を積まれても渡さないだろう。

 

「納得したかい?僕だって考え無しに行動はしないよ」

「…確かにそうです。…分かりました。しかし今現在も彼らが持っていると私も確かめようと思います。明日、彼らに聞いてみる事にしましょう」

「なら僕からも言っておこう。他ならぬミスター・フライトの頼みだ。彼らも拒絶はしまいよ」

「ミスター・フライトである事もバレているんですか⁉︎彼らがイタズラの方面では優秀なのは承知していましたが、まさかそれほどとは…」

「驚くよね」

 

 本当に驚く。初めて彼らが僕をミスター・フライトと呼んだのは、確か彼らが1年生の時だ。まだ入学して間もない頃だった筈なのに、僕がその名の人物であると確信を持って接触してきた。あの時の僕の慌てようと言ったら、これまでの人生でも5本の指に入るだろう。どこで知ったのやら、全く検討がつかない。

 

「君たちがあれを作る時に手を貸したのを、間違いだったと思ったことは無い。けどまぁ、よくも『ミスター・フライト』なんて名前にしてくれたね。もっとシンプルな物にして欲しかったよ」

「貴方を示すのにそれ以上の名前はありませんよ。『飛ぶ男(ミスター・フライト)』…これ以上ない、ピッタリな名前です」

「…変な名前じゃないだけマシか」

「ジェームズは『マスター・ウィング(羽の先生)』なんて考えてましたけどね」

「それよりは『ミスター・フライト』の方が良い」

 

 マスターなんて僕に合わない。司書ならライブラリアンだろう。そこまで直球なのも勘弁して欲しいが。

 

「そうそう、君の在学時代の話だけどね──」

「そんなこともありましたね。あの時は──」

 

 夜は深く、長い。退屈を紛らわすように僕らは昔話に花を咲かせて、見回りを続けた。ブラックも結局は見つからず、何もない夜だった。

 

 

 息を切らせながらルーピンが司書控室に飛び込んできたのは、次の日の事だった。

 

「ミ、ミスター・フライト‼︎大変です!」

 

 図書室は現在、本の整理ということで閉室中だ。と言ってもこれは数時間程度で終わるので扉は閉めていない。棚に戻す本を分ける作業をしている僕に、彼は掴みかかる程の勢いで駆け寄ってきた。

 

「ち…ち…ず……ちずが…」

「チーズかい?お腹が空いてるなら厨房に…」

「ふざけてる場合じゃありません!」

「…だろうね。地図がどうしたんだい?」

 

 普段とはあまりにも様子が違う。話を聞くために手を止めて、彼に水を飲む様に言う。喉を鳴らしてそれを飲み干した後、少し落ち着いた彼は要件を話し始めた。

 どうやら地図の所在が分からないという事らしい。

 

「あの双子は既に地図を他の子に渡してしまったようです」

「…それが誰かは?」

「教えてくれませんでした。…曰く、『俺たちは正しい事をしただけだ』と」

「それは…厄介極まるね」

 

 グリフィンドールの生徒というのは、ホグワーツの中で最も正義感に溢れている。が、度々その行動が暴走する事がある。本人は自分が悪いと思っていない…或いは思っても止めないのが、とても厄介だ。

 近年ではポッターが良い例だろう。

 ハッフルパフのような友愛も、レイブンクローのような聡明さも、スリザリンのような仲間意識もない、ある意味ではホグワーツで最も自己中心的な生徒が集うのがグリフィンドールだ。

 成長すれば勇敢な魔法使いになるが、未熟な子供ではそれが逆に無謀になる。

 

「ブラックに渡したという事は無いだろうけど、その誰かがブラックに盗まれる可能性はある」

「生徒自身が悪用する事も考えられます」

「良くないなぁ…そういうのは」

 

 首に手を当てて思案する。とにかく今は地図の所有者を突き止める事が優先だ。あの双子が渡しそうな相手が誰なのか。

 

「恐らくだけど、同じグリフィンドール生だろうね。彼らの性格からして親しい間柄。だけどいつも共にいる訳ではない人物」

 

 ジョーダンのような仲のいい相手なら、今更地図を渡す事はない。なら今年入学した新年生か?いや、それほどまでに彼らを信用したりはしないだろう。だが『正しい事』と言いながら渡したなら、相手も何か事情があるに違いない。

 

「…ある程度は絞り込めるでしょうが、まさか地図の事をいきなり訊く訳にもいきません」

 

 そもそもいきなり聞いて「自分が持っています」などと言う不用心な者に渡したりはしないだろう。その捜査は内密に進めるとして、今はできる対処を考える。

 

「あの地図に描かれている城の内外の出入り口を、可能な限り見張るんだ。僕も『鳴き鳥の罠』を仕掛けておこう。あれなら()()()()()()()()使()()()()以外を検知できる」

 

 一昨年の事だが、それは1度破られている。それでも確かな魔術だ。相手が生徒なら大丈夫なはずだ。

 

「特に叫びの屋敷に通じる道には厳重な警戒を。あそこはブラックがよく使っていたからね」

「分かりました。…この事は校長には…」

「…言えない。これは何としても、僕らだけて片付けなければならない」

 

 もし地図の存在が他の教師に知れたら。

 想像するだけで背筋が凍る。

 

「なるべく隠密に、迅速に地図を回収しましょう」

「それがいい」

 

 もっとも、誰が何処にいるか分かる地図を持っている相手に鬼ごっこなど、簡単に捕まる筈もない。この日から僕は、いつ地図が表沙汰になるかを怯えながら過ごす事になった。



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チョウ・チャン:1

 何度も繰り返しているように、クィディッチはホグワーツでも大人気のスポーツだ。選手となった生徒たちは日夜練習に励み、その優勝杯を我が手にせんと頑張っている。学年末の寮杯と並んで、生徒たちが最も求める物の1つだ。

 

「おまたせ。この本はどうだろう。少し確認してもらってもいいかな?」

 

 1月の半ば。僕はチョウ・チャンの前に1冊の本を置く。彼女はレイブンクローの4年生。落ち着きがあり、容姿も整っている。これは噂だが、多くの男子生徒が彼女との交際を望んでいるらしい。彼女自身にそういった浮ついた話は聞かないが、年頃の少女だ。恋愛沙汰に興味もあるかもしれない。そんな彼女はレイブンクローのクィディッチチームでシーカーを務めている。彼女はパラパラとページをめくり、中身を確かめる。

 

「すまないね。僕がクィディッチに詳しければ、色々と助言もできたのに」

「いえ!こんなふうに目的の本を選んでもらえるだけでも充分に助かってます。私じゃ見つけるのにさえ何日かかるか…」

 

 クィディッチに関する質問は、通常の授業に関することならマダム・フーチに訊くのが1番だ。だが寮のチームに関する事では、彼女は何処にも助言しない、絶対的中立を保つようにしている。故にチャンは図書室で新しいアイデアが無いかを探しているわけだ。

 彼女は謙遜するが、僕が大した助力ができていないのは事実だ。せめて箒に乗ることができれば違っただろうか。

 

 僕は昔から、箒と相性が悪い。どうにも思い通りに動かすことが苦手なのだ。飛ぶなら『動物もどき』の僕は身体を変えるだけで事足りる。わざわざ棒に跨ってそれに指示をするなど、手間でしかない。速さも機動力も、余程の箒でない限りは僕の方が優っている。遅くて面倒な手段に好意的に解釈しろという方が難題である。

 そんな事を思っているから、箒の方も僕に従うのが嫌なのだろうか。それでも自分の翼で風を切る感覚を知ってしまうと、どうしてもそちらの方が飛んでいる実感がするのだ。

 

「それで、その本は君の御眼鏡に適うかな?」

「まだ完全に内容を見たわけじゃないのではっきりとは言えません。でも、貴方が選んでくれた本ですから」

 

 本を胸に抱いて微笑む彼女に、僕は軽く息を吐きながら頬を掻く。僕はクィディッチの…知識はともかく、経験はない。正しく彼女の要望に応えられた自信がないのだ。

 

「そういう根拠の無い信頼はお断りだよ。変に期待しない方が良い」

「根拠はあります」

 

 だが僕の言葉を彼女は否定した。

 一体何を、そこまで僕を信頼する理由にしているのか。

 

「貴方はホグワーツの司書ですから」

「……」

 

 その言葉は、驚くほどにすんなりと僕の心に入った。少し目を閉じて、言葉の意味を反芻する。

 

「…ははっ。そう…か。…そうだね。僕はホグワーツの司書だ」

 

 司書が自分の薦めた本を信頼できないのであれば、それは司書失格だ。誰よりもまず、本を理解しなければならないのだから。なら僕は司書として、自信を持って本を薦めるべきだ。

 

「少し待っていてくれないかな。もう2、3冊持ってくるよ」

 

 レイブンクローという寮は、クィディッチの優勝にそこまで貪欲ではない。生徒達が重要視しているのは、試合の流れや戦略が望み通りに進行するかどうか。すなわちゲームメイクだ。

 僕がさっき渡したのも、試合をコントロールする事に関する物。もちろん、チャンはそこから必要な情報を得るだろう。だが彼女個人に目を向けた時、それはどこまで彼女の望みに合っているだろうか。

 彼女はレイブンクローでは珍しく、勝つ事に意欲がある子だ。もっと実践的な、血の気の多い内容の方が良いだろう。確か以前、フーチの進言でそんな本を何冊か仕入れた記憶がある。グリフィンドールのオリバー・ウッドやスリザリンのマーカス・フリントらも何度か借りていたか。

 

「こういった本はどうかな?君に合わせて選んだつもりだ」

「わぁ…!ありがとうございます!」

 

 チャンはさっきと同じようにページをめくって中身を確認する。先程よりもめくるのが速い。読みやすいからだろう。

 

「さっきのも良かったですけど、こっちの方が分かりやすいです。合わせて全部借りて良いですか?」

「もちろんだとも」

 

 

 チャンの貸し出し手続きをしている時だった。1人の生徒がカウンターへとやってきた。何度も図書室を利用していて、僕とも顔馴染みだ。

 

「すみません。彼女と同じ本ってまだありますか?」

「ディゴリー。すまない、この本はもう他のは全部貸し出されてるんだ。これが最後の1冊だよ」

「…そう、ですか」

 

 あの本は図書室でもそれなりに人気のある本だ。皆クィディッチの練習に参考にしているのだろうか。ハッフルパフの生徒。セドリック・ディゴリーは残念そうに肩を落とす。その端正な顔立ちが少し曇った。

 

「予約を受けておこうか?まだ返ってくるまでは日があるから、少し待ってもらうことになるかもしれない」

「あぁー。いえ、無くていいです。そんなに急いでるわけじゃないので。それに前にも借りたことがあったので、確認したいことがあっただけですから」

 

 彼はそう言うが、せっかく頼ってきてくれたのだ。手ぶらで帰すというのも申し訳ない。似た内容の本を用意しようかと話していたところで、チャンが口を開いた。

 

「あの…良かったら私と一緒に読みませんか?」

「それは助かるけど…良いのかい?君が借りた本なのに」

 

 その申し出をディゴリーは躊躇う。2人ともクィディッチをしているので初対面というわけではないだろうが、やはり他人が借りた本を自分のわがままで見るのは気が引けるのだろう。彼はそういう配慮ができる子だ。

 

「私は初めて読むから分からない所があるかもしれないし、それをセドリックが教えてくれるならお互いに利益がある。スコープ司書、良いですよね?」

「問題ないよ。騒がない限りは、本の共有や図書室の利用は僕は推奨してるから」

「…じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

 2人はカウンターを離れ、学習机に隣り合って座る。雰囲気からしてよく知る仲ではないようだが、共にクィディッチの選手だ。僕が何か言うより余程お互いの為になるだろう。

 少し様子を見ていると、基本的にチャンが読み、分からない所をディゴリーが解説するという読み方をしているようだ。時折楽しそうに微笑むのが見える。寮も学年も違うが気が合うのだろう。

 

 数時間経ってその本での学習が終わったのか、彼女らは借りる本の手続きをした。図書室を出て行く時、またここで一緒に勉強をしようと約束しているのが聞こえた。どうやら良い関係になったようだ。チャンもディゴリーも、その顔には勉強以外への──互いに会いたいという──期待があるのが他人である僕でも分かった。2人とも照れているのか、少し頬が紅い。

 

「…青春だねぇ」

 

 どうやら遠くないうちに、ホグワーツに新しいカップルが生まれそうだ。



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シリウス・ブラック:1

 それは冬の終わり。2月のことだ。夜はまだ冷たく、寒空に僅かに欠けた月が浮かぶ夜だった。僅かに欠けた月は天頂を超えて傾き始めている。

 

 僕はルーピンに連れられて『叫びの屋敷』へ足を運んでいた。

 

「これはまた…派手にやったね」

 

 昨日の満月の夜。人狼となったルーピンは理性を失い、ここで衝動的に壁を破壊してしまったそうだ。

 普段なら自分の部屋で過ごしていて、脱狼薬の効果で暴れる事も無い筈なのに。壁を直すのだって本来なら杖を振れば良いだけだ。僕を呼ぶ理由は無い。

 それを本人に訊いたら、

 

「昔を思い返したくなりまして」

 

 とのことだ。まだ脱狼薬が開発されていなかった頃、『動物もどき』の僕が彼の在学時代によく付き添いでここに来ていたのを懐かしみたいのだろうか。

 もしうっかりでも、変身中に屋敷に誰か入ってきてしまえばどうなるか。彼も分からないわけじゃないだろうに。その責任は彼だけでなく、彼を雇用したダンブルドアにも重くのしかかる。

 

「こんな風に暴れてしまった以上、もう二度としません」

 

 そう言うが、彼の顔には後悔や反省の色はない。

 むしろ何か、企んでいるような感じだ。

 不審に思いながらも、彼なら特に警戒する必要もない。僕は壁を直して、散らかった瓦礫を片付けていく。ルーピンは上の階に行って、爪跡を消すそうだ。

 

「…まったく。妙な所で子どもらしいというか、何というか…」

 

 過去を振り返るのは結構だが、こうして後始末に連れ出されるのは良い気分ではない。

 まあ彼の体質を知っていて、尚且つこの屋敷の事を知る人間となると僕かダンブルドア、もしくは看護師のポンフリーぐらいなのだが。スネイプも知っているが、彼はこんな事に付き合わないだろう。むしろ嬉々として校長に報告に行きそうだ。

 

 そんな事を思いながら片付けをしていると、ある事に気がついた。

 

 爪跡の無い瓦礫が多いのだ。

 人狼は理性が無ければ本能のままに暴れる。その牙で噛みつき、その爪で引き裂く。なのに瓦礫は、ただ破壊されただけに見える。牙や爪ではなく、単に壊されただけ。

 爪跡も不揃いで浅い。何か道具で後から付けたかのようだ。

 

「……これは…」

 

 足跡だ。

 埃の溜まった床にボロボロの靴の跡がいくつもある。新しいものだけではなく、薄くなった古いものも。

 僕やルーピンのものではない。こんなに傷んだ靴を履くのは、新しい靴が買えないような立場の者。

 

「シリウス・ブラック…か?」

 

 可能性は高い。ここは『忍びの地図』の範囲から外れていて、人の立ち入りが無い場所だ。潜伏する場所としては最適だろう。それに彼は在学時代にこの場所に出入りしていて詳しい。なぜ思いつかなかったのか不思議なくらいだ。いや、数回はここの見回りにも訪れたがその時は何の異常も痕跡も見つからなかった。

 

 とにかくルーピンにこのことを言わなければ。今は居なくてもいつブラックが戻ってくるか分からない。彼を呼びに部屋を出ようとした時。

 

「ミスター・フライト。…お話があります」

 

 神妙な面持ちで彼が降りてきた。何か話したいことがあるようだが、今はここを離れることが先決だ。そんなことを言おうとした時、ルーピンが僕の言葉を遮った。どうしても言いたいことのようだ。

 

「そのシリウスについてなのです」

 

 ルーピンは降りてきた階段に視線を送る。何があるというのだろう。

 

「どうか、彼を見ても杖を上げないでください。全て彼の口から聞いたほうが良いと思いますから」

 

 ルーピンの言う彼が誰の事か。状況から考えればすぐに分かる。僕は杖を出さないことを、一応は約束する。身の危険があっても『魔除けの羽』もあるのですぐに命に関わることはない、という判断だ。

 ルーピンが合図をすると、上の階からやせ細った小汚い男が降りてくる。

 

 ボロボロの靴は、僕が見つけた足跡の主であると気付かせる。纏っているのは破けた囚人服だ。

 

「…やあ、少し痩せたみたいだね。…シリウス・ブラック」

 

 僕が声をかけると、ブラックは口角を上げた。

 子供の頃と変わらない笑い方だった。

 

「ミスター・フライト…。久しぶりです…。アンタに会えるなんて…」

「…説明してくれ。なぜ君がここにいる?」

 

 会話をしながらも僕は素早く周囲に目をやり、脱出できる場所を探す。天井に穴をみつけた。人間では通れないが、鷲に身を変えれば大丈夫だろう。問題は高い所にあってブラックの気をそらす必要があること。そして二階に出たところでそこから外に出られるかということだ。

 

「アンタにはずっと感謝してるんだ。『動物もどき』になってなきゃ、俺は今頃まだあの牢獄で震えてただろうからな…」

「…それはどうも。僕としては大人しくそこに戻って欲しいんだけどね」

「そうもいかない。俺はアイツを殺さなきゃいけない。…俺が殺さなきゃダメなんだ」

 

 彼が『死喰い人』であるならば、その狙いは想像がつく。

 

「ハリー・ポッターかい?」

「違う‼」

 

 確信を持ってそう尋ねたが、彼は声を荒げて否定した。図星を突かれた、というわけではないようだ。だが他に何を狙っているのかと考えても、思い当たるものがない。まさかダンブルドアというわけではないだろう。『彼』が唯一恐れた人物とされているが、杖のない脱獄囚が狙うにはあまりにも力不足だ。

 

 まさか僕か?

 

 そう考えると辻褄が合う。司書として管理している『閲覧禁止の棚』には闇の魔法使いが欲してやまない禁術が山のように保管されている。或いは、身体に流れる『スコーピス』の血を狙ったのか。それは知る者は非常に少ないが、よりによって『彼』は知っている。何かの手段でブラックに連絡を取り、そこから派生してルーピンが僕をここに呼び出したのならば。恐らく昨夜ここで暴れたというのは僕を呼び出すための嘘だろう。魔法を使ってそう見えるように破壊したに違いない。

 

 嫌な汗が背中を流れる。どうやら僕はまんまと罠に誘い込まれたようだ。

 そう思いながら警戒していると、ルーピンがブラックを小突いた。

 

「シリウス、さっさと本題に入った方がいい。ミスター・フライトは気が短いわけじゃないが、不必要に緊張させるのは私たちにとっても危ない。彼の呪文の腕はよく知っているだろう」

「ああ、そうだな。もうあんな思いはごめんだ」

 

 今なら2人とも僕を見ていない。大鷲に身を変えようとしたところで、ブラックが予想もしていなかった名前を口に出した。

 

「俺がここに来たのは、()()()()ピーターを殺すためだ」

「…何だって?」

 

 ピーター。

 ありふれた名前だが、彼がこの場で口にするなら、それが指す人物はただ1人。

 

 ピーター・ペティグリュー。

 

「彼は君が殺したはずだ。バラバラに…。指だけを遺して…」

「そうだ。俺はあそこでアイツを殺すはずだった…。…だがアイツは逃げた!忌々しく、指だけを残して‼︎」

 

 ブラックは感情のままに壁を殴りつける。

 今なら逃げられるだろうが、僕の頭からその事は抜けていた。今は真実と、彼の事情を聞くことが優先だった。

 

「ピーターは『死喰い人』だった‼︎俺がアイツを追い詰めた時、何て言ったと思う?…俺がジェームズを『ヤツ』に売った犯人だと!俺が親友を裏切ったと‼︎…そう叫んで、マグルを巻き添えにして爆発しやがった‼︎」

「君は『秘密の守人』だったんじゃないのかい?君が話さなければポッターらは『彼』に見つからなかったはずだ」

「みんなに俺が守人だと言いふらしたのは、俺に眼を向けさせるためだった。俺に眼が向けば、誰も落ちこぼれのピーターに眼を向けないからな」

 

 なるほど。自分を囮にしたのか。それは友人への最大の献身だ。

 

「ルーピン…。君は何故、彼を信じたんだい?最初から全部を知っていたわけじゃないだろう?」

 

 今まで交わした会話の中で、ルーピンは何度もブラックへの警戒を口にしていた。それが全て演技だったとは思えない。

 

 そしてルーピンが語ったのは『忍びの地図』が生徒の1人の元から回収でき、そこにペティグリューの名前があったのを見つけたらしい。

 

「実際に見てもらった方がいいでしょう」

 

 彼が懐から取り出した地図には、確かにペティグリューが居た。倉庫に居るのを見るに、ネズミに身を変えて潜んでいるのだろう。不用意に近づけば逃げられてしまう。だからこそブラックは機会を窺ってこの屋敷にいるのだろう。

 

「僕を呼んだのは何故だい?…僕に何をして欲しい?」

 

 わざわざ隠れていたブラックを、僕に会わせる理由が分からない。彼の容疑を晴らしたいならば、ダンブルドアかファッジを招くべきだ。いや、それでは大事になりすぎるか。だがそれは僕も同じこと。この件を彼らに話すことは想像がつくはず。

 

「…アンタはピーターに関わらないで欲しい」

「どういうことだい?」

 

 ペティグリューがポッター夫妻を裏切った真犯人なら、彼を捕らえることはとても重要なことのばすだ。僕は長年ホグワーツに勤め、校長からの信頼もある。僕が主張すればブラックの潔白を証明するのに有利なはず。それを拒否するとは。

 

「ピーターは今、ホグワーツに隠れている。アンタが動けば、奴は必ずそれに気づくだろう。もし学校から出られたら、俺たちに見つける術はない」

「…なるほどね。確かに彼は僕の前に姿を見せたことはない。それは僕を警戒していたからだろう。僕にできるのは、普段通りに過ごして彼が気づかれていることを察さないようにすること…と、いうことかい?」

「察しが良くて助かる」

 

 彼はウィーズリーの飼いネズミになっていたらしい。そういえばパーシーもロンもネズミを飼っていたのだったか。僕は見たことが無かったので分からなかったが、今思えばそれもペティグリューが僕に気づかれるのを恐れていたからだろう。

 

「分かったよ。これは校長にも話さない方が良い。僕もなるべく動かないようにする。…君もできるだけルーピンに任せるようにするべきだ。また校内で君が見つかったと話が出れば、ペティグリューは今度こそ学校から逃げ出そうとするだろう」

「そんな事は分かっている。だがアイツを殺すのは俺だ。親友の仇は必ず討つ」

「そのやる気が空回りしない事を祈るよ」

 

 ペティグリューは能力こそ他のマローダーズのメンバーに劣るが、それでも『動物もどき』に成れる程には優秀な子だった。敵に廻れば厄介という訳ではないが、捕まえるとなると相当に手こずるだろう。

 

「ブラック…。少し手を出してくれないか?」

「…?…良いぞ」

「失礼するよ」

 

 もはやブラックを疑ってはいないが、あくまで確認のために彼の手首を握る。そしてそこに、僕の魔力を集中させる。

 

「何か感じないかい?」

「アンタの手が温かいってことぐらいだな」

「…そうかい。なら大丈夫だ」

 

 『死喰い人』は皆、その手首に『闇の印』を刻印されている。これはトムが学生時代に創り出した魔術だ。僕も開発に関わり、僕かトムの魔力に反応して強い熱を持つ。だがブラックが何ともないのは、彼が本当に『死喰い人』ではないからだ。

 

「君の友人殺しが上手くいく事を願っているよ」

 

 少しばかりの皮肉を込めて言うと、彼は凶悪な笑みを浮かべた。

 

「あんなヤツ、もう友人でも何でもない。この手で必ず殺してみせるさ」

 

 その笑みは他人が見れば、殺人鬼だと疑わないだろう。彼は仲間思いという点ではグリフィンドールよりもスリザリンの近いのかもしれない。その点は生まれも関係しているのだろうか。

 

 寒空の月がその高度を落とし始めた。夜明けが近づいている。僕とルーピンは彼に別れを告げ、城に戻る。そこに潜む矮小な邪悪を、犬の牙が届く所に引きずり出す日は遠くない。



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マローダーズ:1

 それはまだ、彼らが学生としてホグワーツにいた頃の話。おおよそ20年前だ。

 その頃のホグワーツは今よりも罰則が厳しく、命に関わるまではいかなくとも大怪我を負うようなものがありふれていた。時代が時代だったのでそういう風潮もあった。生徒達も血の気が多く、過激な呪文を習得するのが一般的だった。

 

 そんな中にあって、図書室(僕の王国)は今とそれほど変わりはない。僕のスタンスが『図書室の利用規約に反しない限りは』自由である事を許容しているからだ。もちろん見過ごせない場合は()()()()()罰則と減点を与えるが。

 

 そんな理由もあって、図書室を利用する生徒は多い。

 本を読みに来た者。

 勉強をしに来た者。

 静かな場所を好む者。

 

 そして、誰かに会いに来た者。

 

「リーマ…!…リーマス。いるか?」

 

 今しがた扉を開けて入ってきたジェームズ・ポッターはそれだろう。当時のホグワーツで1番の問題児を挙げるとすれば、彼かその友人であるシリウス・ブラックだ。授業は比較的真面目に受ける彼らだが、他の生徒とのいざこざやイタズラと称して行う蛮行には寮監であるマクゴナガルも手を焼いている。

 

 そんな彼も、図書室では他の子らと同じように声を落とす。以前ここで騒いだのを厳しく減点し、それに逆上した彼と友人らの報復をさらに返り討ちにしてからは、大人しく利用規約に従うようになった。

 

「ジェームズ、どうしたんだい?」

 

 静かに本を読んでいたルーピンは顔を上げて彼に近寄る。大きな声で話せば僕に咎められる事を知っているからだ。

 

「今夜、とびっきりの仕掛けを動かすんだ。リーマスも来いよ。絶対楽しいからさ」

「…あー。それは…とてもありがたい申し出なんだけど──」

 

 ルーピンが僕を見る。

 今夜は満月だ。彼は狼人間になってしまう為、僕と一緒に夜は『叫びの屋敷』へ閉じ込められながらばならない。

 僕は首を振って、断る様に指示する。

 

「ごめん。今日はいけない」

「そうか。分かった」

 

 食い下がるかと思ったが、ポッターはあっさり身を引いた。ルーピンもそれは意外だった様で驚いた顔をしたが、問い詰めて逆に自分の体質を怪しまれては元も子もない。曖昧で有耶無耶なまま、彼らは別れた。

 

 

「なあ、司書。リーマスは狼人間なんだろ?」

「……何故そう思うんだい?」

 

 翌日、閉室時間間際に誰もいない図書室でポッター及びブラック、ペティグリューは、僕に問いかけた。

 驚くべき質問だったが、何とか平静を保つ。

 

「見たんだ。昨日、あの屋敷で。大鷲が梁に止まっているのもな。あれはアンタだろ?」

 

 昨日言っていた仕掛けというのは、マクゴナガルに確認したところその様な動きは無いらしい。おそらくルーピンが満月の日に身を隠す事を確認するためのハッタリか。

 

「…ははっ。友人を狼人間扱いするのは感心しないな。それに、大鷲が僕だって証拠がどこにあるんだい?」

 

 僕は杖を、彼らに見えない様に握る。いつでも『忘却呪文』を唱える事ができるようにする為だ。生徒にこの呪文を使う事は禁じられているが、ルーピンの今後を考えればそれもやむない。

 しかし彼らは、僕にその意志が無くなるほど衝撃的な事を言った。

 

「全部見てたんだ。それに、この事は全部羊皮紙に書いて『想起の魔術』を掛けてる。絶対に忘れてやらないからな」

「…全く…君らの優秀な頭脳は厄介なことこの上ないな。そんな姑息で堅実な方法、よくぞ思いつくものだ」

「それほどでもない。アンタが何してくるか、分かったもんじゃないからな。警戒ぐらいするさ」

「…君らのような者を、悪知恵が回るというのだろうね。嫌悪を通り越して敬愛すらしてしまいそうだよ」

 

 勉強は不真面目なくせに、こういうところでは大人すら上回る能力を見せる。

 

「それで…わざわざ僕と話に来たのは何故だい?」

 

 他人にルーピンの体質の事を話すのは、彼にとってリスクの方が大きい。彼らがそれを理解していないわけがない。それでも僕に言うのは、それ相応の理由があるはずだ。

 

「『動物もどき』に成る方法を教えてくれ」

「却下だ。寮に戻ってルーピンの事を忘れて過ごすと良い」

 

 彼らの申し出を即座に断る。

 その危険性を理解しないまま『動物もどき』に成るのは愚かだ。

 

「なら本を貸してくれ。アンタは司書だ。拒まないだろ?」

「…僕が大人でなければ、君達を殴っているところだよポッター」

「『動物もどき』なら狼人間に襲われることは無い。アンタがいなくても俺達は絶対に成ってやるぞ」

 

 彼らなら自力で能力を身に付けてもおかしくない。なら僕が導いた方が良いだろうか。あるいは教えるフリをして『呪霊紋様』で脳をイジる事も考えておくか。

 

 

 次の日から、僕による彼らのための()()が始まった。

 

「違う。杖を頼っちゃダメだ。もっと自分の魂を意識するんだ。身体の内側に秘めた、確固たる自我を思い描くんだ」

「んな事言われてもよぉ…クソッ、難しいんだよなぁ」

 

 彼らは杖を顔の前に構え、意識を集中する。しかし身体の緊張は僕の置いた到達点に至るものには程遠い。

 『動物もどき』は自分の魂を変容させる魔術だ。自我が弱ければ変化に飲まれ、完全に獣に堕ちてしまう。だからこそ、自分が人間であるという自覚が必要なのだ。杖を介することでその自我を魂に植え付けるために。

 

「今までの思い出の中で、最も強く記憶に残るものを自覚するんだ。自分の姿形が人間であると、正しく認識しなければならない」

「俺は…誰だ…。…もっと深く…もっと強く…。…俺は──」

「あぁ不味い‼︎」

 

 自我の崩壊に巻き込まれそうなブラックに、急いで『呪霊紋様』を施した右手で彼の頭を掴む。そのまま彼の精神に干渉し、此方へ引き戻す。

 あらかじめ準備していて良かった。ここまで引き込まれては、普通の魔法では回復することができない。僕がいなければ彼は魂を完全に獣に飲まれていただろう。

 

「自分の記憶を意識する…。大丈夫だ…できる…絶対に…。…負けるもんか!」

 

 そんな危険と隣合わせな状況で、ぺティグリューは冷静に自分を認識していた。魔法の腕でこそ友人グループの中で劣る彼だが、その面に関しては最も秀でているようだ。あるいはその劣等感こそが、自我の根幹になっているのだろうか。

 

「…今日はここまでだ。君らの魂は限界だし、寮の閉室時間も近い。早く戻ると良い。この事はマクゴナガルには言わないように」

 

 

 

 補修が始まってから、長い時間がが経った。彼らその間、誰にも『補修』の事を話さず、秘匿を守りつづけた。そして彼らが5年生になった頃。

 

──ワン‼︎ワンッ‼︎

──ヒューン‼︎

 

 ブラックとポッターは、それぞれ犬と鹿の『動物もどき』となった。だがペティグリューは──…。

 

「何で…どうして!僕はこんな…こんな…」

「落ち着いて。自我を意識するんだ」

 

 上手く魔術を作ることができずに焦る彼を諭す。

 彼なら充分に到達できる力だ。あとは自分に自信を持つだけ。

 

「できるよ。君になら」

「…僕ならできる…。…できる…絶対にできる!」

 

 施した魔術が淡い燐光を放つ。

 完成したのだ。

 光が収まるとそこに人間の姿は無く、1匹の鼠が不思議そうにコチラを見上げている。

 

「ほら、ね?」

──チュウ

 

 鼠は跳ねる様な軽い足取りで犬と鹿に駆け寄る。彼らは嬉しそうに何度も人間と動物に身を変える。

 今ここに、新たな3人の『動物もどき』が誕生した。

 

「…全く、驚かされるよ。君達の才能には」

 

 この事は誰にも話せない。マクゴナガル、ダンブルドアはもちろん、魔法省にも報告する気は無い。生徒が『動物もどき』になるのを手伝ったなど、どんなに軽くみてもアズカバン送りだ。

 

 

 『マローダーズ』は満月の度に学校を抜け出しては、森の中で遊んでいた。もちろん問題が発生しないように、僕の監視の元でという制限を設けたが。

 僕が彼らに付き添えるのは、ポピーと交代でやっているので2回に1回。2ヶ月に1度だ。それ以外ではしないように厳重に言い聞かせたが、それで彼らが従うはずもなかった。

 

──ァウォーーーン‼︎

 

 眠りにつこうとしていた僕の耳に、その遠吠えは届いた。ブラックに、ルーピンに何かあればその声を出して僕を呼ぶ様に伝えていた声だ。急いで支度を整えて月夜の空を飛ぶ。それはホグズミードの近くの森から聞こえている。

 

「こっちです!ミスター・フライト‼︎」

 

 ペティグリューが人間の姿で僕を呼ぶ。何があったか僕は一眼でわかった。雄鹿がその立派な枝分かれした角で、狼人間を木に押さえつけている。強く暴れ、雄鹿(ポッター)から逃れようと爪を立てていた。ブラックもその牙で足を拘束している。

 

「暴れだしたのかい?どうして…」

「リーマスが森の中で人間を見たんです。その人はシリウスが気をひいてこっちに気づかなかったけど、リーマスの興奮が高まって…」

 

 手遅れにはならなかったようだ。

 だが人間(僕とぺティグリュー)を見たルーピンは泡を吹く程に牙を鳴らす。

 

「《鎮まれ》。…ダメか」

 

 狼男の姿となった狼人間は、他の魔法生物と同じように高い魔法耐性を身につける。僕は『呪霊紋様』でルーピンに干渉し、強制的に気絶させた。満月である間は人の姿に戻らない。かと言ってこの状況を他の人に見られるのも不味い。

 

「ポッターの背に彼を乗せて、『叫びの屋敷』へ運ぼう」

 

 3人がかりで重い体を動かす。雄鹿の体からは爪による傷があり血も流れているが、他に方法は無かった。

 

「どうしてこんな人里近くに?もっと森の奥にいるべきだった」

「分からない。森の開けた場所に出た時、ムーニーが急に向きを変えて走り出したんだ。追いついた時にはもう…」

 

 道中、僕の問いかけにブラックが答えた。

 この近くにある、開けた場所。心当たりがある。確か最近、新しいセストラルの群れがそこに留まっているはずだ。

 『禁じられた森』の方が彼らにとって居心地が良いが、その群れのリーダーはアークとの縄張り争いに敗れて追い出されたのだったか。まだ若く力の強いアークは、その群れを完全に森から追い出した。それがこの近くで休んでいたのか。

 セストラルは魔法生物の中でも力が強く、敵に対しては容赦しない。ルーピンは狼人間であるため彼らを認識することができ、警戒して離れたのだろう。或いは姿を見えない友人達が襲われるのを避けたのか。

 

 僕はポッターの背の彼を見る。狼男となっても、友人を気遣うものなのだろうか。それとも狼という群れる生き物の本能か。

 

「ルーピンに悪気があったわけではないだろうが、金輪際こんなことが無いようなしてくれ。僕もいつだって駆けつけられるわけじゃない」

「ああ、すまない。ミスター・フライト」

 

 彼らも流石に反省したのか、これ以降は大人しく屋敷の付近から離れることは無くなった。それに、その日からルーピンの付き添いは可能な限り僕が行うよう、ダンブルドアからお達しがあった。彼がこの事を知っているのかと背筋が冷えたが、確認もできず従うしかなかった。給料が変わらないのも不満だが仕方ない。

 

 

「見てくれ、ミスター・フライト!」

 

 放課後、閉室時間を過ぎているにもかかわらず、『マローダーズ』は図書室にやってきた。10点の減点を与えたが、それでも僕に見せたいものがあるようだ。

 

「…羊皮紙の束に見えるけど?」

 

 それは何も書かれていない、何の変哲もない普通の羊皮紙だった。裏返しても中を見ても何もない。

 

「ふっふっふ。そう見えるだろ?そう見えるよな?そう見えるようにしたんだから」

「もう閉室時間は過ぎてる。さっさと本題に入らないとさらに10点減点するよ」

「分かった分かった。いいか?見てろよ…」

 

 ポッターが呪文を唱えながら杖で羊皮紙を叩くと、インクが広がるように文字が現れる。

 

「名付けて『忍びの地図』!俺たちの傑作さ」

「…この『ミスター・フライトに感謝を』っていうのは?」

 

 僕は表紙に書かれたその一文に気がついた。いや、気がついたいうより自然と目に留まった。なにせ『忍びの地図』という題名の下に大きな字で書かれているのだ。

 彼らが僕をそう呼んでいるのは知っているが、仲間に加わった覚えはない。誰かに見つかってそれが僕の事だと分かれば、責任追及は免れない。

 

「アンタに教えて貰った本があっただろ?『ホムンクルスの術』が載ってるあの本がなきゃ、この地図は完成どころか発想すら出てこなかっただろうな」

「…あれか」

「もちろん他にも、学校の地図とか、『姿読みの術』とか『合言葉隠し』とかいろいろアンタには世話になったからな」

 

 たしかに以前、その類の本を貸し出した記憶がある。だがこの地図は、そんな1つや2つの魔術で完成する程簡単なものではないだろう。一体どんな魔術や魔法を使ったのか。図書室にある全ての本を知る僕でも想像がつかない。

 

 地図を広げると、現在学校にいる人間の名前と場所が動いている。僕の名前が『ライアス・スコープ』と書かれているのを見るに、どうやら()()()での本名が記載されるのだろう。『必要の部屋』が見つからないのは彼らがその存在を知らないからか。

 

「こんな物を創るとは…恐れ入るよ」

 

 僕は地図を返して天井を仰ぐ。これは危険すぎる。すぐにでも没収すべきか。いや、僕が持っていてダンブルドアなんかに見つかれば厄介だ。『ミスター・フライト』の名前が直接僕に結びつくことはないので今は傍観に徹するか。

 

「言うだけ無駄だろうけど…悪用はしないように。それと、誰かにこの地図を奪われないようにしてくれよ」

「分かってるさ。俺たちを誰だと思ってるんだ?」

 

 ポッターらは胸を張り、僕に見得をきる。

 

「俺たちは稀代の悪戯仕掛け人…人呼んで『マローダーズ』だぜ?」

 

 彼らが将来、どんな道を選ぶのか。それが今からとても心配だった。結果として、僕の悪い予感は当たってしまったわけだ。

 

 彼らのかつての友情は、今なお息づいているのか…はたまた絶えてしまったのか…。

 願わくば前者である事を祈る。



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ルシウス・マルフォイ:2

 魔法省は多くの魔法使いが出入りしている。僕とハグリッドはバックビークを引きながら、目的の部屋へと向かう。

 

「スコープ司書。お久しぶりです」

「やぁ、ヘリントン。元気にしてるようだね」

 

 長年ホグワーツで勤めている故、こういった場所には顔見知りも多い。特に魔法省は優れた魔法使いが就職する場所であり、学生時代に図書室を利用した者は大抵僕を覚えている。

 

「スコープ司書!?」

「スコープ司書‼︎こんな所で会えるとは」

「学校の外にも出てくるんですね。意外です」

「聞きました?あの人が新刊を出すそうです。ぜひ図書室にも置いてください」

「娘が世話になってます。そういえば──」

 

 隣にハグリッドとヒッポグリフがいるのを見て身を退く者もいたが、それを差し引いてもあまりにも数が多く、彼らにいちいち反応を返していては足が止まる。

 仕方なく僕は裁判の為に着ているスーツの上に、更に顔を隠すローブを羽織った。4月という季節では少し時期外れだが、魔法使いは元々奇抜な格好の者が多い。誰も獣と大男と顔を隠した変人トリオに声を掛けなくなった。

 

「司書というのも考えものだね。学校に篭っているべきだったよ」

「すんません…」

「君が申し訳なく思う必要は無いよ」

 

 これは僕が勝手にやっている事だ。『青年に対して傷害を与えた獣の弁護』のような負けると分かりきっている裁判に出席するなど、自分の経歴に傷をつける行為でしかない。それでもこうして付き添うのは、彼が友人だからだ。友情というのはなんとも面倒くさいものだと、彼に見えない様にため息を吐く。

 

 バックビークは以前と比べると毛艶が落ち、その気高さも失われている。まるでペットだ。裁判には都合がいいが、やはりヒッポグリフは自由で気高くあるべきだと考えると、僕の考えは彼には悪かったか。

 

「大丈夫ですかい?気分が悪そうだ」

「…最近、少し無理しててね。貧血気味なんだ」

 

 屋敷から持ってきた本の知識を得て、『守護紋様』の改良は少しずつだが進んでいる。ダンブルドアと共に『必要の部屋』で実験中だ。強力にするための『供物』として自分の血液と臓器を捧げているため、身体に不調が現れている。今は服の下に魔術の包帯を巻いて回復を促しているが、そこも要改良な点だ。実戦では使い物にならないだろう。

 

 

 目的の裁判所のある階へ着きエレベーターを降りると、向かいから1人の男が歩いてくる。見間違えるはずもない。原告であるルシウス・マルフォイだった。彼は顔を隠した僕に気づかず、ハグリッドに馬鹿にした笑みを浮かべて話しかける。

 

「やぁ、ハグリッド。今日の裁判は楽しみにしているよ」

「マルフォイ…!」

「ふふっ…。その服、これから狩猟にでも出かけるのかい?獣も連れてお似合いだな。野蛮人は大人しく森に篭っているといい。全く、君を雇った老いぼれは目が見えていたかも怪しいな」

「貴様!」

「2人とも、そこまでだ。争うのは裁判が始まってからにしてくれ」

 

 今にも掴み掛かろうとするハグリッドを抑える。そこで初めて、マルフォイは僕が誰なのか分かったようだ。

 

「スコープ司書…。本当にこの裁判に出席なさるおつもりですか?今からでも遅くありません。身を退いておくべきです」

「そうもいかないさ。友人だからね」

 

 恐らくは本当に親切心から言ってくれているのだろうが、だからといって従うわけにはいかない。元々バックビークの弁護にはハグリッドだけが出席する予定だったが、それでは心配だとグレンジャーがついて行くと言い、それを僕が代わりに受けた。子供が出る幕ではない。

 

「友人だから…ですか。貴方がそこまで愚かだったとは。自分の経歴に泥を塗ることを後悔されるといい」

「忠告をどうも」

「貴方のことは嫌いではありませんでしたが、ダンブルドアやハグリッドに手を貸すならば容赦はしません。…では、また後で」

 

 彼は僕らとすれ違い、エレベーターに乗って去っていった。

 

「クソッタレめ!」

「彼も息子が負傷して気が立っているんだろう。まあ、だとしても言い過ぎな面もあるけど、そこまで敵視することは無いさ」

 

 裁判とは要はどちらが冷静に自分の主張が正しいかを押し付け合う場だ。個人的な感情では相手に飲まれてしまう。元々の立場が不利な僕らは、より冷静でいなければならない。

 

「ですが、ダンブルドアの事まで侮辱しやがった。アイツ、理事会を辞めさせられて目の敵にしてやがるんだ!」

「まあまあ…落ち着きなよ」

 

 正直に言うと僕は、ハグリッドを教師として雇ったという点についてはマルフォイに賛成だ。彼の危機管理能力は疑問符が付くことは周知の事実。今でなくともいつかは今回のような事故が起きていただろう。

 

「そういえば校長のこと、何か聞いていないかい?」

「うーん。何も聞いてねぇです。あの偉大な方のことだから、俺みたいなちっぽけな奴の事より重要な事があるんでしょう」

 

 学校の教師が問題を起こしたのだから、そのトップである校長はそれなりの対応を見せるべきだ。だがあの人は僕からのバックビークに関する報告を受けても頷くだけで行動を起こさなかった。

 不審だ。彼は絶対に何かを企んでいる。そういう時に限って、僕に不都合な事が起きるのだ。『賢者の石』の時も、トムと学生時代を過ごした時も。

 

「急に口を挟むつもりなら、いっそのこと最初から言って欲しいのだけどね」

 

 どうせこの裁判でも何かするつもりだろう。ハグリッドの事を放置する筈がない。

 

 

 裁判は概ね、僕の予想通りの展開を見せた。

 

 ルシウス・マルフォイの要求は『バックビークの処刑』。

 まあ当然だ。息子を傷つけた害獣を許すはずがない。恐らくは委員会の面々らに前もって賄賂を渡していたのだろう。或いは脅迫でもしたか。彼らもその求刑が妥当だという判断を見せた。

 

 対して僕らの主張は『責任はハグリッドにあり、バックビークは無罪である』という事。

 バックビークは完全に調教されたペットであり、彼の危険性を甘く見たハグリッドが迂闊にも生徒に近づけてしまった。そのため、今回の事故が起きてしまった。

 全面的にこちらに非があるが、その責任はハグリッドただ1人のもの。バックビークは本能に従っただけである、という訳だ。

 

 ハグリッドは緊張からマトモに話すことができず、代わりに僕がマルフォイの相手をしている。本当に彼に付き添って良かった。彼だけではいいように言いくるめられてしまうだろう。

 

「生ぬるい。私の息子が受けた傷はその獣の命を持ってしなければ到底癒えるものではない!」

「ヒッポグリフという種族は危険度はレプラコーンと同等だ。3年生にもなってその知識が欠如していたことは哀れだ。前もってそれを教えていなかった『魔法生物学』の担任、ルビウス・ハグリッドは生徒に危険が及ぶ事を考慮しなかった」

「その野蛮人などどうでも良い。私が望むのは──」

「獣を殺した所で何も解決しない。君はハグリッドがこのような悲劇の再演をしないと言い切れるのかい?」

「ぐ…。そ、それは…」

 

 ハグリッドの魔法生物に対する偏愛は有名だ。もし彼が今後も教師を続ければ、またこんな事故が起きることは想像に難くない。

 

 マルフォイは委員会を味方に付けているからか、この裁判に楽に勝てると思っていただろう。だがここには僕がいる。それが彼にとって1番の障害になった。彼の思い通りにはさせない。

 そもそもこの裁判はこちらが不利なのだ。だから僕は事実しか口にしない。その解釈こそこちらの都合の良いように改変しているが、それを彼らが咎める事はない。なにせ彼らは『バックビークの処刑』のみが目的だ。だからそれを否定しなければわざわざ躍起になって口を挟むことはない。

 

「もしこの裁判が『バックビークの処刑』で終われば、彼はその事を許さない。恨みを持ち、個人的な感情から君の息子にさらに危険な獣を近づけることもあるかもしれないね。アクロマンチュラとか…さ?」

「……否定はできません」

 

 ハグリッドは僕の思惑を知ってか知らずか、項垂れながら言葉をこぼす。それが良い援護になった。

 マルフォイは小声で裁判官と話し合う。息子に危険が及ぶと聞いて落ち着いていられる彼ではない。必ず守ろうとするはずだ。それこそが僕の狙い。最も確実に、バックビークからハグリッドへ焦点を移す方法だ。

 

「…なるほど」

 

 少しの間小声の会議が続いていたが、こちらに向き直ったマルフォイが僕を睨む。口車に乗せられている事に気づいたか。だがもう遅い。一度頭に浮かんだ思考は、そう易々と取り除けるものではない。

 

「ならばその野蛮人を『アズカバンへ収容する』ことを、私は望む」

「ア…ア、アア、ア…アズカバン⁉︎そんな…あんまりだ‼︎」

「確かに妥当とは言いづらい。彼は殺人を犯したわけでも、重大な法律を破ったわけでもない」

 

 去年、僅かな間だがそこに居た頃を思い出したのだろう。ハグリッドは錯乱に近い状態で喚く。それを遮る様に僕は不当である事を述べる。流石にスケープゴートでそこに送られるのは可哀想だ。

 

「息子は殺される所だったのです。それは立派な殺人未遂では?」

「業務上過失傷害だ。魔法がありふれたこの世界で、そんなことでアズカバンに送っていたらすぐに牢屋が満室になる」

 

 罰金か解雇が適切だと述べると、再びマルフォイは小声の会議を始めた。恐らくこの状況は彼にとって予想外のはず。慎重に進めたいのだろう。だがそれはこちらも同じ。まさかいきなりアズカバン送りを言い出すとは思わなかった。

 

「スコープさん…。頼む!あそこにはもう行きたくねぇ!」

「分かってるよ。なんとかして見せるさ」

 

 かと言ってどうしたものか。

 いや、最近あったではないか。アズカバンに関することで、とても大きな事件が。

 

「シリウス・ブラックが脱獄した方法も判っていないのにそこに送るのは、いささか軽率なのではないかい?」

 

 会議を中断し、彼らは僕を見る。この事は魔法省でもかつて無い失態として認識されている。なら考慮せざるを得ない。

 

「ブラックは…認めるのは癪だが優秀な魔法使いだった。野蛮人にその腕があるとは到底思えん」

「魔法の力が脱獄に関係しているかも分からないのに牢に入れるのはいかがなものかと思うよ。彼より優れた闇の魔法使いが幾人とそこで朽ちている」

「それは…」

「現状できる最善の方法は『ハグリッドの解雇』じゃないかな?」

「……確かに、そうかもしれません」

 

 渋々マルフォイは頷き、裁判官に目配せした。

 まもなく判決が下され、ハグリッドは有罪になる。だがバックビークの処刑は避けることができる。裁判には負けるが、結果として僕らの勝ちだ。

 

 そう安堵した時だった。

 

「ちょいと待ってくれんかのう」

 

 突然扉が開き、ダンブルドアが入って来た。

 

 裁判の結果は『バックビークの処刑』になった。



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ハーマイオニー・グレンジャー:5

 6月が近づいた頃。それは生徒にとって試験の最終日であり、僕にとってはバックビーク処刑の日だった。

 

 僕はハグリッドの小屋を訪れる。あの裁判があった日から彼の気分は深く沈んでいる。何せ信頼しているダンブルドアがバックビークの処刑を支持したのだ。

 その時の事を校長に問い詰めると

 

『今は1つの命に過ぎんが…時が来ればより多くの者を助けることができるじゃろう』

 

 という、要領を得ない答えが返ってきた。抱いた感想としては『ふざけるな』である。いきなりやってきて場を乱し、自分の思う様に変えては他者をはぐらかす。そういう人なのだと理解はしているが、納得しろと言われると無理だ。

 一応、本人も今回の事は罪悪感があるのかバックビークの処刑の際にはハグリッドに付き添うと言っている。僕も裁判で弁護した身としてそうするつもりだ。

 

 

「スコープさん‼︎」

 

 そのために早目に図書室を閉めた時だった。グレンジャーとポッターが、ローブで顔を隠して僕の所へ駆け込んできた。見ればローブの下は私服だし、顔にはまだ新しい傷がある。

 何か事件でもあったのか?

 

「どうしたんだい、2人とも。そんなに血相を変えて」

 

 只事ではないと判断し、とりあえずは話を聞く。

 

「私達は3()()()()から来ました」

「…なるほど」

 

 逆転時計(タイムターナー)か。彼女はその危険性をよく理解している。過去の人物に見られてはいけない。ローブで顔を隠して、だがそれでもなお、僕を探したのは訳があるはずだ。

 

「ダンブルドアが貴方を頼れって。唯一の…『予言を変える方法だ』って言ったんです」

「予言…かい?」

「どんな内容かは言ってくれませんでした」

 

 少し思考に入る。ダンブルドアが言う予言は、僕も聞いていない。だがその上でそう指示したのなら、僕の行動は何か大きな変化をもたらすのだろう。

 

「教えてくれ。これから何が起きるのかを」

 

 僕は聞いた。バックビークの処刑のこと。ブラックの発見のこと。ペティグリューの発覚のこと。ルーピンの変身のこと。そして彼女らの居た『3時間後』はブラックの処刑が始まる時間だということ。

 僕がどの様に関わるかは、未来が変わるかもしれないから言えないらしい。もっともな判断だ。あくまで僕が自分の意思で動くことが重要なのか。

 

「…どうするべきか」

 

 下手に手を出して事態を悪化させることも考えられる。ならば通常通りに動き、事態に備えることが最良か。あるいはここにいる、『3時間後から来た彼女ら』の補助をしてもいい。彼女らの今後の予定を訊くとハグリッドの小屋でバックビークを逃がすつもりらしい。

 

 なら僕は彼女らが動きやすいようにサポートしよう。

 

 

 ハグリッドの小屋には『今の時間』のポッターら3人組が先客として居た。なるほど。『3時間後の彼女ら』が慎重になるわけだ。僕に姿を見せたのは異例…ダンブルドアの指示があったから。他の人にバレるわけにはいかないだろう。

 

「少し風がうるさいね」

 

 僕は窓を閉め、彼らの視界を遮るように立つ。さりげなく外を見ると彼女らがカボチャ畑に隠れているのが見えた。バックビークは外に繋がれているが、一度処刑人らにそれを見せる必要がある。そうしないとハグリッドが逃したと思われるだろう。それは防ぎたい。

 

 ハグリッドはウィーズリーにネズミを渡した。一瞬しか姿は見えず、すぐに彼のローブに隠れてしまった。だが間違いなく、その姿はペティグリューだった。ブラックが正しいわけだ。彼の冤罪を晴らすには、何としてもその正体を白日の元に晒さなければ。

 だが不用意に動くのはダメだ。まずはポッターに真実を教える。だがそれは僕の役割ではない。ブラックが『叫びの屋敷』でする事だ。今は知らないフリをするか。

 

「君らまでここにいるとは思わなかったよ。寮に篭っている方が良いんじゃないかな?」

「ハグリッドが落ち込んでるのにじっとしてるなんてできません」

 

 友人だからというポッターの眼には、処刑という行為への不満だけが読み取れた。それを見ることの覚悟がまるで無いようだった。僕はハグリッドに視線を送り、少年らを追い払うよう訴える。

 

「…スコープさんの言う通りだ。お前らはここに居ちゃいけねぇ」

「でも…」

「でももくそもねぇ。俺は()()()()()()()()()()として言ってんだ」

 

 ダンブルドアはハグリッドが教師を続けられるようにした。彼はその責務を彼なりに全うしようとしている。

 

「…それにどうやら…()()も来たみたいだよ」

 

 城の方からダンブルドアが処刑人を引き連れて歩いてくるのが見えた。

 

 ここからが僕の役割だ。彼らを長く小屋に留め、バックビークを逃す時間を稼ぐ。

 

 

「貴方の面の皮の厚さには感心するばかりですよ。ダンブルドア校長」

 

 とりあえず校長を煽る。

 

「ほほぅ。君がそこまでワシに苛立つとは珍しいの」

「よく言いますね。…全部仕組んでいるクセに」

 

 他人の掌の上で踊るのは嫌いではない。そもそも僕の人生はアレクサンドロスの戯れのようなものだ。だがそれを知らずに踊らされるのは誰かの駒になった気分がして非常に腹が立つ。

 

「僕は貴方の事を信頼していますが…」

「無理に従う必要はないぞ、ライアス。君が嫌だと言うのなら裏切ってくれても構わん」

 

 そういう言い方をされると裏切る気も無くなる。

 委員会の男がハグリッドに処刑について説明している間に、僕はダンブルドアに予言の事を尋ねた。やはり詳細は教えてくれなかったが、どうやら『彼』の復活に関わることらしい。

 

「それは…何としても変えなければなりませんね」

「その通りじゃ。そして君ならそれができると思うておる」

 

 何がその要因となるか分からない。ならば、自分のすべき事をするしかない。

 

「結果として変えられるかは分かりませんよ」

「それならば予言が真に正しいものと確信することができるのぉ」

 

 どう転んでも自分のためになるようにしているわけか。相変わらず食えない爺さんだ。

 

「貴方が僕に期待するのは『スコーピス』だからですか?」

「…それもある。…じゃがの、君がどこの生まれてであろうと信頼は変わらぬよ」

「…ご期待に添えるよう尽力しますよ」

 

 

 僕とダンブルドアはさりげなく処刑人らを小屋に引き留め、バックビークを逃す時間を稼いだ。おかげで外に出た時には、獣の姿は影も形も無かった。



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