Marked for Death (あられ2424)
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1話

アニメから原作を買ってハマった者です。二次創作というのは初めてなのでご指導いただけると幸いです。


"It is easy to take liberty for granted, when you have never had it taken from you." - Dick Cheney

 

一度も奪われたことがないから、自由を当然の権利だと思うのだ ―― ディック・チェイニ――

 

 

 

 

 

 

コックピットの中というのは大多数の人々の想像より快適なものである。

 

確かに座席のシートは固いし、特に夏場は蒸れることもあって衛生的にもあまり良いものではないだろう。

 

しかし一度、戦闘に入れば、どれだけシートが固かろうが、尻が蒸れようが気にもならなくなる。

 

ある者はコックピット諸共に粉々になるし、別の者はコックピット中で焼けるし、さらには身体の何処かがもげたりして蒸れるどころじゃないだろう。

 

『ハンドラー・ワンよりアンダーテイカー。敵迎撃部隊がポイント302、および504に達する。大隊規模の戦車型並びに同規模の近接猟兵部隊だ。各機速やかに進出し制圧せよ」

 

 

ああ、そうか……一つ間違えていた。

 

ここに……正確にはこの戦場には“人間”は一人もいないのだ。

 

そう、たった一人もいない――

 

『――ってか?この戦力差じゃ全滅かな?お前ら』

 

向こうの“人間”様はどうやら虫の居所が悪いらしい。まあ、この様子だと向こうが好いていた女にでも振られたのだろう。

 

『行けよ早く! 行け!豚ァ!戦ってブッ壊れちまえ!!』

 

 

周りの各員は一切、気にする様子もなし。とはいえ、向こうの罵声は何時ものことだから気にしていても仕方ないのだが……

 

何時ぞやみたく、サボタージュしないだけまだマシなのだろう。

 

『ほら、さっさと殺れ!!生意気な86(エイティシックス)の豚共が!!』

 

そう、俺達は86(エイティシックス)。俺達と向こうに親愛も友好もない。

 

けたましいモーターの音には敵からの爆音と銃声が混ざり、ある種の交響曲のように聞こえてくる。

 

そして、どれもこれも……たかが重機関銃一発ですら全て致命傷になり得る一撃というのも醍醐味の一つだろう。

 

しかし、今日はけっこう数が多い。となると“中身入り”も相当数いるだろうな……

 

そんなことを考えた矢先だった。

 

『アヒャハハハハハハ!ああ……? 何だこれ? 頭に……!?』

 

――ああ、どうやら向こうも今日でこの仕事は終わりのようだ。

 

向こうの顔も知らないし、そもそも別に興味もないが――

 

『やめろ……おい!! やめろ! 来るな! 黙れよ……うるせぇ!! 頭ん中で喋るなぁ!!』

 

仮に彼が無事に回復した曉には此処よりもマシな職場に就くことを強く推奨しよう……どのみち無理だろうけど。

 

『ああ………ああ!! うわぁぁぁァァ!!』

 

御愁傷様です、“人間”殿。ご冥福を戦地にてお祈りいたします。

 

「フェアリー! 左から撃って来るぞ!」

 

「了解。“最初”から見えてるよ」

 

ハンドラーが壊れるのも、目の前の戦車型と近接猟兵が撃ってくるのも最初から分かっているし、その情景も“見えていた”。

 

始めから相手の手が分かっているゲームに負ける要素なんてない。

だからこそ、ここでは俺は死ねない。 こんなつまらないゲームではくたばれない。

 

「戦車型撃破。キルシュブリューテ、右から回り込め。そのまま二時方向の近接猟兵型を潰す。そっちにも斥候型が二匹行くから気を付けろ」

 

「了解したよ。そっちも気を付けろよ? さっきなんて砲弾が掠めてたじゃないか」

 

「お説教どうも。けど、死なないなら別に問題はないだろ?」

 

「っ! あのなぁ! ……っ! おっと!」

 

さて、向こう(キルシュブリューテ)が斥候型を片付ける前にこっちも近接猟兵型を片付けないとな。

 

とは言うものの、あっちがどう対応してくるのかなんてもう見えてるし、分かっている。

 

どれも単調な迎撃行動、初撃を躱してしまえば易々と懐に入り込めるだろう。

 

どうやら今回も“死人”が完全にくたばるには至らない戦いにはならなさそうだ。

 

狭いコックピットの中、少しの安堵と落胆の溜め息を吐きながら、目の前の近接猟兵型に飛び掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

『サンマグノリア共和国国軍本部より本日の戦況をお知らせします。』

 

『第17戦区に侵入したギアーデ帝国軍無人機・レギオン機甲部隊は我が共和国の誇る自立無人戦闘機械・ジャガーノートの迎撃により壊滅的損害を受け撤退。』

 

『我が方の損害は軽微であり人的損害は皆無。人道的かつ先進的な無人機による戦闘により本日も我が国の戦死者は0名であります』

 

『繰り返します。我が国の“戦死者は0名であります”!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"In war, you win or lose, live or die-and the difference is just an eyelash." - General Douglas Macarthur

戦争では、勝つも負けるも、生きるも死ぬも、その差は紙一重である。―― ダグラス・マッカーサー将軍

 

 

 

 




とりあえず一巻の終わりまでを目指して執筆するつもりです。まだ、全巻読んでないのでこれから読むのも楽しみです。


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2話

日常シーンでキャッキャした後に戦闘で死ぬ恐怖……しかもメインキャラっぽいキャラが死んだ時の喪失感はデカいですね……


 

 

"In war, truth is the first casualty." - Aeschylus

戦争の最初の犠牲者は真実である。 ―― アイスキュロス

 

 

 

 

 

人間にとって睡眠には「脳や身体の休養」「疲労回復」といった様々な役割がある。

 

実際に徹夜で何か作業したり、遅くまで起きていると眠くなるように人間には必ず睡眠を促す作用が働く。

 

作用が働いた時に尚も起きているのか、それとも欲求に従って眠るのかは人によって違うが、人という生き物は眠らなくては生きていけない。

 

それは向こうの人間様もそうだし、俺達のような86でもそればかりは同じである。

 

「……んん?」

 

眠気で重い目を開けると、部屋の窓からは燦々と太陽の光が入っており、中央の庭でバスケットボールに勤しむ戦隊の男子組の姿が映る。

 

「……ヤバイ。また寝坊したか?」

 

溜め息を吐きながら、机に置いてある時計を見る。

 

これは戦場……というより廃家から勝手に頂戴したもので、傷だらけのおんぼろな針時計ではあるが、それでも尚も時計としての機能はちゃんと働いており、入手したその日から愛用している。

 

まあ、そんな時計の愛着についてな話はどうでも良いことで、肝心の時刻は――

 

「――11時30分……もう昼前かよ」

 

本日の寝坊を含めて、先週から続き八連続寝坊を決めてしまったようだ。

 

しかも、本来ならば今日は俺が花壇の花の水やり当番というおまけ付きである。

 

……いっそのこと、このまま二度寝してしまおうか? いや、止めとこう。

 

そんなことをしようものなら、怒り心頭のカイエが部屋にまでやって来るだろう。

 

流石に昨日の戦闘に続き、今日も長々とカイエのお説教を喰らうというのは流石に勘弁願いたいところだ。

 

「はぁ……」

 

長いお説教か短いお説教……どちらが良いかと聞かれたら断然、後者である。

 

というか、俺が悩むべきなのは如何にしてカイエを言いくるめて、拘束時間を短くするのかという課題だろう。

 

「昨日のお説教の疲れが残ってて――」「昨日のお説教がなんだって?」

 

言い訳のシミュレートをしながら、部屋のドアを開けるとにこやかな笑顔に怒りを携えた黒髪の少女が待っていた。

 

彼女こそお説教大魔王――カイエ・タニヤである。

 

焦るなよ、ここがお説教被害を減らす正念場だぞ……

 

「えっと……自分で自分のことをお説教してて――」「ほう、立派な心掛けじゃないか。なら当番をサボらないことは説教しなかったのか?」

 

恐怖のお説教大魔王はにこやかな笑顔を崩さずに俺の言い訳を完膚なきまでに切り捨てていく。

 

「いや、その……実施にはまだ時間がかかると」「ユウ」「はい、すみません。普通に寝坊しました」

 

カイエのにこやかな笑顔がスッと消えて、無表情で睨まれた瞬間、俺はやむ無く敗北を受け入れた。

 

というのも、彼女とは俺が初めて戦場に出た当初からの長い付き合いである。

 

そのため、ライデンやダイヤを言いくるめられる俺の言い訳スキルも彼女には一切、通じた試しがない。

 

彼女のルーツは俺と同じ極東黒種(オリエンタ)

 

もっとも俺の場合は正確には赤系種とのハーフらしいが……

 

元来、極東黒種の人々は生真面目な性格な人が多いらしい。

 

もし、それが本当ならカイエはルーツに沿った性格をしているのに対し、俺は完全な跳ねっ返りと言えるだろう。

 

「なあ、私達も初配属からの長い付き合いだ。ユウの身体の事情とか、ユウに何が見えているのかとかは理解しているよ」

 

「そいつはどうも……そっか、もう四年か」

 

一緒に戦って四年も経ったと考えるとカイエとは奇妙な縁があるのだろう。

 

それが同じルーツであるが故なのか、それともただ単に偶然なのか……

 

「……ユウ。ユウが私達と戦っていることにどう思っているのかは分からない。けどな、私はどんな時でもユウの味方だよ。それだけは忘れないで欲しい」

 

「……なんだよ、カイエ。お前らしくもない。いつもみたくヘタレやら童貞ネタはどうしたよ?」

 

初配属の部隊では窓際族だった二人が今もこうして戦場に立っているなんて誰が予知できたか。

 

少なくとも、当時の俺ならばそんなことは出来なかっただろう。

 

そう、本来なら……俺はそこで――

 

「ハハ、そうだな。私も昨日のことをまだ引き摺ってたみたいだ。 ……よし、じゃあ今日の寝坊について聞かせて貰おうかな!」

 

「今の話の流れで何でそうなんだよ……」

 

二人の思い出話からどうやったら始めの寝坊話に戻るのだろうか……

 

「それとこれでは話が別だからな。それに私は本来、やらなくてよい仕事をやったんだ。当人の弁明を聞く権利はあると思うが?」

 

こうも言われたら流石の俺も白旗を上げざるを得ない。

 

というか、俺はどうもカイエに限らず、女性陣のこの言い方に弱い気がする。

 

ダイヤとアンジュのように女性陣を恋愛的な対象として見たことはないが、男の性というものなのだろうか。

 

我ながらなんとも面倒な性だと強く思う……ホントに。

 

結局、この後のカイエのお説教は普通に長く、俺が解放されたのは結局のところ昼過ぎであった。

 

このどうでも良い日常と戦場が混在する場所、コレが東部戦線第一戦区第一防衛戦隊“スピアヘッド”第4小隊小隊長のユウヤ・カジロのルーティンである。

 

 

 

 

 

 

 

"Incoming fire has the right of way." - Unknown

弾が飛んでくる方向へ進め。 ―― 不詳

 

 

 

 




原作読み進めていくうちに改めて実感するジャガノートの欠陥っぷり……


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3話

休みなのでいつもより長めです。10話のCパートは反則だろ……


 

"Older men declare war. But it is the youth that must fight and die." - Herbert Hoover

戦争を宣言するのは老人であるが、戦って死ななければならないのは若者である。 ―― ハーバート・フーバー

 

 

 

 

 

 

 

音楽とは人間が生み出した文化の中で特に素晴らしいものだ。

 

人間の主な情報器官としては視覚が利用されるが、その中で敢えて視覚では捉えることができない聴覚による均一のとれた情報というのは心を落ち着かせてくれる。

 

また、クラシックのような、調律の取れた音楽だけでなく、激しく躍動するリズムや逆に淡々と沈んで行くような曲調だったりと多種多様な種類があり、鑑賞者を飽きさせない。

 

故に音楽というのは人の文化として発展してきたのだろう。

 

「~♪」

 

今、この刹那の時間はレギオンも共和国も、ましてや86も関係ない。

 

喧しい視覚を封じた、果てのない暗闇の世界にただ俺一人がそこに存在している。

 

この感覚がなかなかどうして悪くない……いや、むしろ良い。

 

まさに今、聞いている音楽がまさにサビに入り、一番の盛り上がりを迎えようとしたときだった。

 

「……っ!」

 

俺の脳裏に少しの痛みとともにあるビジョンが映る。

 

まるで身体が焼けるような熱、無数の蜘蛛のような一つ目の戦闘機機械、空を埋め尽くす暗い色の雲――

 

俺が知っている中でこんな情景を作り出すことができる存在は一つだけだ。

 

――そうか、今日も来るのか。毎度ご苦労だな。

 

そして、その答え合わせと言わんばかりに耳のレイドデパイスが小さな熱を帯びた。

 

「寝坊助含め、散歩組各員。今日もどうやら一雨来るらしいよ」

 

今、パラレイドを繋げてきたのはパーソナルネーム・ラフィング・フォックスことセオト・リッカ。

 

「……ってかユウ毎度、イヤホンの音量デカすぎ。少しは落としたら?」

 

余計なお世話だよ……というか前よりはちゃんと音量下げてんだけどな。

 

どうやら俺の気遣いは未だに向こうの水準を満たさないらしい。

 

「まあいいや。多分、もうユウにも見えたんでしょ? どんなだった?」

 

「上に阻電撹乱型(アインタークスフリーゲ)が展開しているのと、大隊規模の斥候型(アーマイゼ)近接猟兵型(グラウヴォルフ)がメインのいつものパターンだな。後、後方に戦車型(レーヴェ)が中隊規模で展開しているのと多数の自走地雷も見えたな」

 

斥候型と近接猟兵型が多いのはいつもと同じではあるが、今回はそのお付きとして更に自走地雷が多数いるというのが厄介なところか。

 

我等が誇るジャガーノートは斥候型の機関銃ですら易々と装甲を抜かれることに加え、こいつの自爆を喰らおうものなら余裕で大破炎上するという素晴らしい駄作っぷりを発揮してくれる。

 

「うわ……メチャクチャ面倒なやつだね。後、今から二時間後にはもう来るらしいから集合だってさ」

 

「了解。すぐ行く」

 

昨日の戦闘でハンドラーが壊れてその補填もないままか……まあ、居たところでどうせ役に立たないし問題はないか。

 

「っ! ……分かってるよ。俺はやるよ――やって見せるさ」

 

絞り出すように紡いだ言葉に答える者は誰もいない。

 

けど、“彼ら”はそこに居るのだ……感情もなく、ただそこにいる。

 

どんな奴でも死人に何かを言う口はない。だからこそ――

 

「だから……そんな目で見ないでくれよ」

 

――俺達をずっと見続けているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

阻電撹乱型が展開している戦場というのはたとえ昼下がりといえども、まるで夕闇の如く暗くなる。

 

その理由として阻電撹乱型はあらゆる電磁波と可視光を吸収し屈折し撹乱するという特性があるためだ。

 

その影響でレーダーは役立たずのお荷物となり、加えて太陽光も遮ってしまうため、春でもかなり寒くなるという副次効果もある。

 

とはいえ、こいつ自身が俺達に対して特攻して自爆してきたりすることはないため、レギオンの中でもまだ危険度は低い方だろう。

 

まあ、飛行機のエアインテークに入り込んでエンジンを破壊したりと、なかなかえげつないこともやったりしているのだが、向こうの人間様がわざわざ俺達の為に航空機を飛ばすことは恐らくない。

 

「いや、まったくホント寒いな。帰って布団に潜りてぇ」

 

「なんだ? シリウス。行きはあんなにはしゃいでたじゃないか」

 

端から見れば、これからレギオンの大群がやってくるというのに気楽過ぎるように見えるかもしれない。

 

だが、口々に気楽な言葉を交わしつつも周囲への警戒は一切怠っていない。

 

フム……成る程な。クジョーみたいな奴でもやることはやってんだな。

 

「へぇ、帰ったらアルテミスと晩酌か。確かにそれは早く帰りたいよな」

 

シリウスことクジョー、アルテミスことミナの仲の良さは戦隊メンバー全員の周知の事実だ。

 

そのため、わざわざ“見る”までもないのだが、好奇心というのはなるべく満たしたいというのも我々の性である。

 

「ちょっ!?」「フェアリー!?」

 

「なんだよ。そんなに恥ずかしがることないだろ? 二人で散歩中に見つけた酒を隠れて飲むだけなんだから」

 

「ちょっと待て!! いいからちょっと待ってくれ!!」

 

「いやはや、お二人の仲がそこまで進んでおられたとは……不肖、この寝坊助フェアリーは陰ながら応援させて頂きますとも」

 

「いや、寝坊助なのは事実でしょ」

 

……ド正論の突っ込みが飛んできたな。女ってのは話が伝播するのは早いもんだ。

 

「はいはい……鋭いご指摘ありがとうございます。バーントテイル様」

 

「おい、お前ら。シリウスをいじるのはそこまでだ。“お客様”のご来場だぞ」

 

戦隊副長のヴェアヴォルフの言葉で一同は静まり返った。

 

視界にはレギオンの接近を伝えるアラートが点滅し、それに合わせてか遠くにあった土煙が此方へと距離を詰めてくる。

 

そして、地平線から土煙と共に“そいつら”は現れた。

 

「昨日も今日もわざわざご苦労なもんだな。レギオンども」

 

「流石、フェアリー。今回も予報は見事的中じゃないか」

 

「お褒めに預り、恐悦至極。ちらほらと地雷もいるな。突っ込むと嫌な目に遭いそうだ」

 

レギオンの軍団の先陣を進むのは無数の斥候型、そして一つの集団に混在する近接猟兵型。

 

まだ、戦車型の姿は見えないが、直に後方から姿を現すだろう。

 

「当初の予定通り、このまま大通りに敵を誘い込む。第3小隊と第5小隊は敵が射程内に入り次第、一斉射撃。その後は交戦中の敵を誘引しながら南西に後退。第4小隊は誘引した敵を仕留めろ」

 

「フェアリーよりアンダーテイカー。指示了解、ただ、自走地雷も何匹か付いてくるな」

 

「だろうな、やれるか?」

 

おいおい、その質問は愚問ってものだぜ? ……我らが死神殿。

 

「勿論」

 

生憎、俺はもう既に一回死んでいるのだ。だからこそ、“死”はどういうものか分かっている。

 

経験したのなら、恐れることもないし、抵抗だってないのだ。

 

キルシュブリューテ(カイエ)よりフェアリーへ。敵部隊が来るぞ!」

 

「フェアリー了解。キルシュブリューテとシリウス(クジョー)は此処から撃ち降ろせ。レウコシア(ミクリ)ガンメタルスコーム(トウザン)は二人の援護。俺は突貫して近接猟兵型を狙うから残りの雑魚は任せるぞ」

 

「シリウス了解! 突っ込んで返り討ちに遭うんじゃねえぞ!」

 

待機してた建物から飛び降り、そのまま土煙の方に向かって機体を走らせる。

 

こちらの接近に気付いた斥候型がこちらへ銃口を向けるが、向けたと同時に爆散する。

 

「ナイス援護。小隊の指揮はキルシュブリューテに任せるぞ」

 

「キルシュブリューテ了解。こっちは任せてひと暴れしてこい!」

 

その爆音に反応した近接猟兵型が、接近するこちらへ76mm多連装対戦車ロケットランチャーを向ける。

 

「……ふぅ」

 

この進路上で着弾するのが13発。斥候型を盾にしても5発は撃ち込まれる。

 

普通に5発とも回避しても斥候型に囲まれて蜂の巣になるのがオチか。

 

当然だが、引き返すという選択肢などない――ただ前進するのみだ。

 

ジャガーノートの高周波ブレードを展開し、斥候型の横をすり抜けながら飛び掛かる自走地雷もろともに切り裂く。

 

そして、こちらに向けて射撃を続ける斥候型の懐に飛び込み、その腹を切り裂きながら前進する。

 

それと同時に近接猟兵型から対戦車ロケットが発射された。

 

「……っ!」

 

最初の13発は斥候型の横をすり抜けて斥候型自身の機体を盾にしてやり過ごす。

 

だが、まだ向こうの攻撃は終わっていない。すぐに5発の対戦車ロケットが飛んでくる。

 

「よっ……と!!」

 

機体を跳ねさせ、近接猟兵形の背後の商業ビルにワイヤーアンカーを撃ち込む。

 

俺の身体がふわりと浮く感覚を覚えながら、機体を捻らせ、背部に背負った57mm滑腔砲を叩き込む。

 

滑腔砲の発射で体勢が崩れた機体を再び捻り、着地したと同時に動きが止まった近接猟兵型の懐に飛び込み。そのまま切り裂く。

 

「まず一匹……!」

 

すかさず、もう一匹目の近接猟兵型の背後の瓦礫にワイヤーアンカーを撃ち込み、巻き上げとともに懐をブレードで切り裂く。

 

「二匹目……後もう一匹!!」

 

瓦礫を蹴り。機体を翻して付近の斥候型を切り裂きながら、彼我の距離を詰めて滑腔砲の至近射撃でもう一匹も仕留める。

 

「おいおい、どうしたよ? この程度じゃっ!?」

 

脳裏に走るビジョンは巨大な蜘蛛のようなシルエット、そいつから発射される砲弾――

 

それが何か考える間もなくジャガーノートを大きく横へ跳ねさせる。

 

直後、俺のいた場所から轟音とともに大きな土煙が上がった。

 

「戦車型も来たか…… いいじゃん、雑魚狩りばっかじゃ映えないもんな!!」

 

こちらが戦車型の主武装である120mm滑腔砲に当たればどうなるのかなんて考えるまでもないだろう。

 

また、50トンクラスの巨体から放たれる近距離攻撃もジャガーノートを粉砕するのには十分すぎる威力がある。

 

更に随伴として斥候型も複数おり、弱点の懐の防御も万全といえる

 

「そうだよ……こうでなくちゃ。俺が――」

 

言葉を吐き終わる前にジャガーノートを戦車型に向けて走らせる。

 

一方で、こちらの接近に対し、随伴の斥候型が機銃を撃ってくるが、構わず全速力で前進していく。

 

無数の銃弾の雨が背後の瓦礫や建造物を抉り、そのうちの数発がジャガーノートのコックピットの上部や側面の装甲を抉り取っていく。

 

コックピットに近くに空いた穴からも外の情景がちらほら見えているが、それでも機体を止まらせたりはしない。

 

「距離は……まだ寄らなきゃ駄目か」

 

ここまで壊したとなると整備長の雷が落ちるのは確定だろうな……まあ、仕方ないけど。

 

そして、戦車型も斥候型から受け取った情報を基にこちらへと長砲身の滑腔砲を向ける。

 

「距離350……320……距離300――今!!」

 

九時方向の建造物に向けてワイヤーアンカーを撃ち込む。

 

ワイヤーに引かれた機体が地面を離れ、空中へと放り出される。

 

同時に高周波ブレード2本を横に展開し、少しでも滑空時間の延長を図る。

 

そして、随伴の斥候型の群れを飛び越え、戦車型の上部に飛び乗る。

 

同時に滑腔砲による零距離射撃を叩き込む。

 

放たれた砲弾は戦車型の上面装甲を貫き、内部で信管が作動し、爆ぜた。

 

「まずは一匹」

 

崩れ落ちた戦車型から飛び降り、爆煙に身を隠しながら二匹目の戦車型へ向かって行く。

 

そして、煙を抜けると同時に高周波ブレードを展開して、戦車型の右脚部を切り裂いていく。

 

脚部を失った戦車型は体勢を崩し、その巨体は地面へと伏せる。

 

50トンの巨体だ、支える脚がなくてはまともに動かすことも儘ならないだろう。

 

「三匹目は……」

 

なんとか立ち上がろうと必死にもがく戦車型を尻目に次の目標に狙いを絞る。

 

その一方で、向こうも既にこちらを補足しており、滑腔砲をこちらへと向けていた。

 

そして、大きな砲撃音とともにAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)が放たれる。

 

しかし、こちらは動きを一切止めたりしない、あろうことか敵が撃った砲弾へと向かって行く。

 

当然ではあるが、ジャガーノートの装甲でこの砲弾は防げるはずもなく、それどころかプロセッサー諸共に木っ端微塵になるだろう。

 

全速力でジャガーノートを右に傾けさせると同時に砲弾がコックピットの側面スレスレのところを掠めて飛んでくる。

 

避けた砲弾が未だ、立ち上がろうと奮闘している戦車型に直撃して爆音と共に巨体が地に伏す。

 

一度、避けてしまえば後はもう楽だ。

 

なぜなら、戦車型のセンサー感度はそれほど高くないため、懐に入れば容易に撃破可能だからだ。

 

間髪入れず、戦車型の砲塔部に飛び乗り、滑腔砲の零距離射撃を叩き込む。

 

爆音と共に放たれた砲弾は戦車型の内部へと侵入し、周りの機器類を破壊しながら中枢部にまで入り込む。

 

そして、砲弾の信管が作動し、砲弾が爆ぜた。

 

中枢部と内臓された精密機器を破壊された戦車型は黒煙を吐きながら崩れ落ち、そのまま二度と動かなくなった。

 

「さて、残りの奴は――」「アンダーテイカーより戦隊各員。長距離砲兵型(スコルピオン)の砲撃が来る。全機回避しろ」

 

突如として入り込んだ戦隊長(アンダーテイカー)の指示を聞いて、考えるより早く来た道を引き返す。

 

通りすがりにいた斥候型を高周波ブレードで切り裂きながら、空を見上げる。

 

阻電撹乱型が生み出した霧に所々、穴が空いており、そこから太陽の光が差し込まれていた。

 

「今日はこれでお開きかな……」

 

阻電撹乱型の霧も晴れ始め、わざわざ長距離砲兵型が撃ってきたとなると今日の戦闘はこれでお開きのようだ。

 

その証拠として戦車型の随伴の生き残りの斥候型が自らが守るべきであった戦車型の亡骸を見ても知らぬ顔で撤退を始めている。

 

まあ、レギオンは機械なのだから、亡骸と言うより、残骸と表現した方が本当は正しいのかもしれないが。

 

「……はぁ」

 

今日も、また生き延びた……か。

 

結局のところ、昨日の戦闘とさほど大差はない。ある意味ではいつも通りの戦いと言える。

 

いつも通り、敵に向かって突進して、ただ一匹ずつ潰していく。

 

そして、いつも自分が生き残る――それだけは何も変わらない。

 

「おい、フェアリー。……ってコクピットが穴だらけじゃないか!? 無事なのか!?」

 

「無事だよ。この通り五体満足かつピンピンしてるよ」

 

キルシュブリューテを先頭に第4小隊のメンバーがこちらへ向かって来る。

 

見る限り、小隊の4人は誰一人欠けることなく此所にいる。

 

「いや、マジでよく生きてられるよな。この前なんてコクピットの横が削れてたじゃねぇか」

 

「身構えているときは死神は来ないもんなのさ。……俺の場合は特にそうだ」

 

「まあまあ、今回もみんな生き残れたんだ…… 今日はそれで良いじゃないか」

 

「そうだな……今日も上手く切り抜けられた。本当にな」

 

先程までと打って変わり、戦場は静寂に包まれ、夕陽が廃墟とともに俺達を照らしていた。

 

 

 

――東部戦線第一戦区第一防衛戦隊“スピアヘッド”損害報告。

 

本日の戦闘による損害なし、全機健在。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食後、消灯時間まで基本的に何をしていても良い自由時間だ。

 

現にハルトやダイヤはババ抜きをしているし、クレナを筆頭とした女性陣はダーツ、シンはいつも通りに読書。

 

まあ、俺自身もイヤホンで音楽鑑賞しているし、この時間の過ごし方についてとやかく言うつもりはない。

 

「なぁ、ユウ。今日はいいのか? 早めに寝なくて」

 

ふと、先程までダーツに参加していたカイエがソファーの後ろから話し掛けてきた。

 

ダーツで大敗してきたのか、それとも今日もクレナの一人勝ちで終わったのか――まあ、どっちでも良いが。

 

無視するのも悪いと思い、イヤホンを外して俺も応える。

 

「今日はシンのおかげで思いの外、楽ができたからな。それに向こうも意外と早く撤退してくれたおかげで気力と体力の余裕もあるし大丈夫だ」

「そっか……いつもありがとう。みんな助かってるよ」

 

面と向かってお礼を言われるというのは別に初めてという訳でもないが……なんと言うかむず痒いものだ。

 

「あっ! 今日はユウ起きてるの? ダーツしよ!」

 

向こうでレッカ達と話していたクレナがこっちに向かって来る。

 

どうやらカイエと話している姿が目に留まったようだ。

 

「おっと、優勝者様のご指名だぞ。ユウ」

 

結局、お前は負けたんかい……別にいいけどさ。

 

「あいよ。ルールはなんだ? カウントアップか? それともゼロワンか?」

 

「ゼロワン!」

 

まるで新しいオモチャを与えられた子犬のような反応に思わず笑みが溢れる。

 

戦闘時はパーソナルネームであるガンスリンガーの如く適切な射撃や狙撃で戦隊の援護をしてくれる頼もしい存在であるが、こういった時間では戦隊のマスコットキャラへと早変わりする。

 

そういえば、この前も宿舎裏でファイドにその日の出来事を熱心に話してたっけ。

 

その時は本人が普通に大きな声で話してたことに加え、偶然にも近くで昼寝してたのもあって丸聞こえだった。

 

確か……転んだ時にシンに抱き止めてもらったとかはしゃいでたっけか。

 

もし、仮にこの場で言おうものならクレナが羞恥のあまり、色々な意味で爆発するのが目に見えているので、この秘密は俺の終着点まで持っていくつもりだ。

 

そんなことを思いながら、ダーツを手に取ると、期待の眼差しのクレナだけでなく、レッカ達の女性陣、ハルトやライデンの視線が俺に集まる。

 

いや……そんなに珍しいか? 俺がダーツやってんのは……

 

そして、皆の視線を受けながら、ボードに向けてダーツを投げようとした時だった。

 

『ハンドラー・ワンよりスピアヘッド戦隊各員…… 初めまして、本日よりあなた方の指揮管制を担当いたします』

 

おとといの戦闘で壊れてしまった奴と同じ名前の奴……というより向こうは女か。

 

唐突なパラレイドによる交信に歴戦の戦隊メンバーも呆気に取られている。

 

皆が呆気に取られる中、女ハンドラーによる言葉は続く。

 

『今晩は着任の挨拶のため連絡しました…… 』

 

「初めましてハンドラー・ワン。こちらはスピアヘッド戦隊戦隊長パーソナルネーム・アンダーテイカーです。ハンドラー交代の通達は承っています」

 

『……』

 

先程まで一番はしゃいでたクレナの表情が一気に憎悪に満ちたものへと変わる。

 

まあ、仕方がないか……クレナにとっては向こうの奴等が話しかけて来るだけでもキツイだろうしな。

 

その様子を察したのか、セオが自身の愛用しているスケッチブックに戦隊結成時に描いた“白豚のお姫様” のイラストを広げる。

 

というか、まだ残ってたんだな……それ。まあ、向こうは確かに“白豚のお姫様”だけどさ。

 

俺達のそんなやり取りをいざ知らず、お姫様の交信は続く。

 

『はい、よろしくお願いいたしますね。アンダーテイカー』

 

シンが淡々とお姫様の相手をしている中、クレナの表情はまだ優れたものにはならない。

 

仕方がないな……ここは一つ、良いところ見せてやりますかい。

 

向こうとの同調を切り、クレナを呼ぶ。

 

「クレナ」

「ん……?」

 

浮かない表情でこちらを見上げるクレナに対して、ダーツを二本手に取って見せる。

 

そして、片手で二本のダーツを持ち、共にボードに向かって投げる。

 

投げ放たれたダーツは綺麗な直線を描き、ボードの中央の赤丸に二本とも見事に刺さった。

 

「どうよ? これでダブルブルってのはどうだ?」

 

最初はポカンとした表情でボードを見ていたクレナだったが、次第に穏やかな笑みを浮かべる。

 

「駄目に決まってるじゃん。ダーツは一発の勝負なんだから。という訳でユウの反則負けね!」

 

「おいおい、反則に対する罰が重すぎだろ。むしろこの妙技を称賛するところじゃないか?」

 

「残念でした! ダーツは二本一緒に投げませーん。……ありがと」

 

「いやはや、まったく手厳しいな」

 

新しいハンドラーが女だろうが、役立たずの白豚であっても関係ない。

 

どうせまたこれまでの奴等のように壊れて居なくなるだけだ。

 

そんなことを思いつつ、ダーツのお手本を見せてあげると意気込む教官殿(クレナ)を横目にダーツを手に取り、既に二本刺さっているボードへと投げた。

 

 

 

 

 

"A leader leads by example not by force." - Sun Tzu

人を導く者は、強制をするのではなく、自ら模範を示しなさい。 ―― 孫子

 

 

 

 

 




ユニークにも理解があり、性格は真面目……すこだ


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4話

休みのうちに書き終わるつもりがこんな時間になってしまった……


 

"Any military commander who is honest will admit that he makes mistakes in the application of military power." - Robert McNamara

"正直者の指揮官" など、軍の運用において失敗することを自ら認めているようなものだ。 ―― ロバート・マクナマラ

 

 

 

 

 

星歴2148年5月22日

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

大きな溜め息を漏らしながら、ハンガーへと歩みを進める。

 

あの女ハンドラーの交信後、戦隊の整備長殿の直々のご指名を受けたからである。

 

「溜め息は幸せが逃げる……だったか? ユウの国の言い回しだろ?」

 

「よく知ってんな……どっかの本にでも書いてあったか?」

 

隣にいる男子こそ我らが死神、パーソナルネーム・アンダーテイカーことシンエイ・ノウゼンである。

 

他の部隊では死神と呼ばれて忌避されていると聞くが、実際に死を呼び込むようなことはしていない。

 

まあ、もっとも本気でそう言う奴等はシンの事情を知らないのが大半だ。

 

根も葉もない情報が、人の抱く勝手なイメージや偏見の修飾を受け、事実とは全く異なったモノへと変貌してしまう……

 

人の噂というのは元来そういうモノだ。

 

「さて、今日はどんな雷が降って来ることやら……」

 

「俺は毎回のことだから良いけど、今回のユウの機体は穴だらけになってたからな。キツイのが来るだろうな」

 

流石、我らが死神殿。自分の機体を壊すことを日常のように言ってくれる。

 

まあ、俺もあまり人のことは言えない立場なのだが……

 

そんなことを思いながら、ハンガー前まで歩いていくとサングラスを掛けたガタイの良い男性が溢れんばかりの怒りを携えて立っていた。

 

わざわざ、ご本人がお出迎えとは……こりゃキツイのが来るな。

 

「遅かったじゃないか。シンエイ・ノウゼン、ユウヤ・カジロ」

 

「いや、あの……すぐに行こうとは思ったんですけど…… えっと……」

 

「新しいハンドラーの着任の挨拶が思っていた以上に長引いたもので、すぐに向かうつもりが遅れました」

 

さらっとあの女ハンドラーのせいにする我らが死神殿。

 

「ほう…… なぁ、シン。俺が前に言ったことをお前は覚えているか?」

 

「……なんでしったけ?」

 

「足回り弱ぇんだから無茶すんなって毎度毎度言ってんだろうが! 」

 

いや、あのオッサンの雷をよく間近で顔色一つ変えずに耐えられるもんだ。俺なら秒で逃げたくなるけど。

 

雷オッサンことレフ・アルドレヒト整備班長のお叱りはごもっともなところではある。

 

修理用の部品も限られるなか、毎度の如く機体を壊して帰って来られるのは整備班としてはたまったものじゃない。

 

「そして、ユウヤ……お前のは何だ? これは?」

 

「えっと……まあ、その……見ての通りです。はい」

 

「見ての通りですじゃねえよ!! 何発か貫通してコクピットの中までダメージがいってるじゃねえか!! それにシンと同じで足回りにもガタがきてるじゃねえか!」

 

おおぅ……やっぱり怖ぇ、めっちゃお怒りですやん。

 

「いや、あの……そのですね…… 思ってた以上に敵の攻撃が激しくて……やむ無くというか」

 

「ヤバいならヤバいで退避しろや! まったく、なんでお前らいっつも……!!」

 

出来ることなら一回くらいはこの人を怒らせないように戦いたいものだが、如何せんレギオンにとってはこっちの事情など関係ないことだ。

 

「そういえば、また担当のハンドラーが変わったらしいな。どんな奴だった?」

 

「ああ…… 今日は着任の挨拶のために同調してきて、以降も交流を持ちたいからと毎日定時に連絡をしてくるそうです。共和国軍人には珍しいタイプですね」

 

うわっ……現場の状況を知らない委員長タイプって奴だな。

 

まあ、別に向こうのハンドラーが何をしようが俺には関係ないし、あのハンドラーもいつか思い知るだろうさ。

 

自分がどれだけの屍の上に立っていて、その恵みを如何に享受してきたのかをな。

 

「真っ当な人間ってやつか。そいつはさぞかし生きづらいだろうな。気の毒に」

 

何時だったか忘れたが、前の部隊で戦場で俺の出身の国の邦画のビデオを拾って、カイエを始めとした部隊メンバーで観たことがある。

 

確か……かなりの昔の戦争をテーマにした作品で、人間ロケットによる特攻を成功させるというストーリーだったか。

 

そんな作中で特に印象に残った台詞があった。

 

『狂ってる、敵も味方もみんな狂ってる』

 

作品自体はフィクションだし、その価値観を現実に反映させるつもりはない。

 

けど、ある意味では的を得ている言葉なのかもしれない。

 

あの女ハンドラーを始めとした上の連中も自分達以外の誰かを徹底的に貶めるような体制を作り、維持するには狂ってないとやっていけなかったのだろう。

 

だからこそ、あの女ハンドラーも結局は何処か狂ってる。それが他の連中と同じなのかは分からない。

 

後はいつ、良心やら常識といった枷が外れるかくらいだろう。

 

「さて……ユウヤ。お前は何処に行こうとしてるんだ?」

 

シンと話していた筈の整備班長殿がこちらを向かずに言う。

 

「……少しお花を摘みに」

 

「そうかそうか、向こうに便所があるから先に用を足して来いよ」

 

……プランB失敗。こうなったらプランDだ。

 

「ああ、ファイドを呼んでも無駄だぞ? 向こうで寝てるからな」

 

雷オッサンと死神の無慈悲の宣告により俺の退路は完全に断たれた。

 

……スカベンジャーというか、機械がなんで寝るんだよ?

 

そんな疑問を思いつつ、我らが死神と共に雷オッサンの轟雷を受けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年5月29日

 

 

 

 

 

 

 

花壇の水やりというのは思いの外、手間がかかる。

 

そもそも花壇の立地があまりよろしくなく、水を汲むためだけに宿舎の裏まで回ってこなくてはならない。

 

この時点でもめんどくさくなって来るのだが、この花壇は創始者もといカイエが生真面目な性格というのもあり、雑草抜きも仕事の一部なってしまった。

 

おまけに俺は8日連続寝坊という前科があるため、この当番を変わってもらうことすら出来ない。

 

「はぁ……ようやく終わったよ。疲れた……」

 

戦場に戦うのとこういった日常業務での疲れというのは意外と後者の方が大きい。

 

ソースは俺、現にこの前も戦場で戦ってたし。

 

「――っ!? はぁ……一週間ぶりのご来訪かい」

 

脳裏に走るビジョンには見慣れた空を埋め尽くす黒い霧、無数の蜘蛛のような物体の群れ。

 

もう言わずと知れた、レギオンの群れの襲来予報である。

 

耳のレイドデバイスを起動し、同調対象を戦隊各員にして今見えたビジョンの報告を行う。

 

「戦隊各員へ、散歩組も聞いとけ。一週間ぶりの雨が来るぞ」

 

「了解……こっちからも阻電攪乱型が見えるな」

 

「そっちからも見えてんのか。なら、もう長距離レーダーは死んでるな」

 

「こっちには何時ぐらい?」

 

「まだシンにも聞いてないから具体的な数字は断定できないけど二時間後ぐらいだろうな」

 

「了解、すぐ戻る」

 

「あいよ……っ!」

 

散歩組との同調が切れると間髪いれずに、シンからの同調が来る。

 

「シン、外に出ていた連中にはもう伝えてあるよ。今日は羊飼いは居るのか?」

 

「いや、今回も居ない。おそらく単純な力押しで来るだろうな」

 

「まさに鴨撃ちだな」

 

向こうが取ってくる戦術は物量にものを言わせた力押しのみ、単純な戦術であればあるほど対処は容易となる。

 

「ユウ!」

 

「あいよ、すぐ行くよ」

 

前科の償いはもう終わった、次は戦場で給料分の仕事をするとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

春でも太陽が隠れるとけっこう寒いものだ。

 

加えて、ジャガーノートには暖房はおろか、空調設備など装備している筈がない。

 

そのため夏は蒸し暑い中、冬は極寒の中戦わなくてはならないのだ。

 

「ほんと狭い割には冷えるよな。コックピットの中って」

 

「そりゃ装甲なんてペラペラだし、それどころか隙間もあるしね」

 

「ついでにすぐに壊れるしな」「そして、足も遅い!」

 

「まったくその通りの素晴らしい駄作機だな」

 

機体の文句を言えば、各員から口々に出てくる。

 

そんな欠陥を抱えながらも、戦闘に入れば誰も気にしない。

 

人の慣れというのは、恐ろしくも便利なものである。

 

『ハンドラー・ワンより戦隊各員。敵部隊が接近中のようです。ポイント208にて展開、迎撃を』

 

おっ、ちゃんとお姫様もやって来たな……職務に忠実なようで結構結構。

 

「アンダーテイカーよりハンドラー・ワン。既に展開済みです。より前進した地点のポイント304で迎撃します」

 

『早い……流石ですね。アンダーテイカー』

 

向こうの感嘆にしている声にこの戦隊のメンバーの誰もが当然だと答えるだろう。

 

大抵、一般のプロセッサーは戦場に出ても早くて初陣、長くても一年以内には戦死する。

 

この戦隊のようにパーソナルネームを持つプロセッサーというのはそんな生存率の中で一年、二年と他のプロセッサーが死に絶えていく中で生き延びた歴戦の猛者である。

 

そしてこのスピアヘッド戦隊のプロセッサーは全員がパーソナルネームを持っている――つまり、全員が四~五年も生き延びた号持ちの猛者なのである。

 

おそらく、今の戦線で戦っているプロセッサーと比較しても最古参に入るだろう。

 

故に役立たずのハンドラーが居ようが居なくても、自分のすべきことを冷静に判断して実行することが出来る。

 

「おっ、全員気を付けろ。来るぞ」

 

ヴェアヴォルフ(ライデン)の注意と共に敵接近の警告アラートが映る。

 

遠くからの土煙でもその数の多さが伺えるが、ご丁寧に短距離レーダーにも無数の敵のマーカーが現れる。

 

これでも上空の阻電攪乱型の妨害を受けており、感知漏れが多数あるというのにこれだ。

 

そして、地平線から現れた機械の軍勢が、純白な紙にインクが侵食するように廃墟の街並みを塗り替えていく。

 

先頭を歩いて来るのはいわば働きアリと言える斥候型、そんな彼らを守る兵隊アリのような近接猟兵型。

 

「今日も今日とて、大勢でのご来場ご苦労なことで」

 

更に先方の斥候型と近接猟兵型の群れの後方には、憎らしい巨体を誇る戦車型もおり、上空の阻電攪乱型からは流体マイクロマシンの代謝された残骸が鱗粉、或いは粉雪のように降り注ぐ。

 

「先鋒、キルゾーンに入り始めるぞ」

 

先鋒の斥候型が第一小隊が待ち伏せているエリアの前に差し掛かり、彼らに気付くことなく通り過ぎる。

 

続く近接猟兵型を交えた群れもそのエリアを通過していく。

 

まだ、誰も奴等を撃たない――まだ撃つタイミングではない。

 

そして、最後尾の戦車型が待ち伏せているエリアの中に入った。

 

「撃て」

 

アンダーテイカーからの射撃命令と同時に待ち伏せていた第4小隊が上部から、第1小隊が最後尾から包囲したレギオンに向けて一斉に射撃を開始する。

 

油断していた斥候型が砲弾の直撃を受け、粉微塵に爆散し、戦車型は弱点の上面装甲を貫かれ、黒煙を吐きながら倒れ伏す。

 

不意討ちを喰らったレギオンの群れが戦闘態勢へと入ると同時に、全てのジャガーノートが次のポイントへと向かう。

 

そして、死神(アンダーテイカー)による次なる命令が下る。

 

「第3小隊、交戦中の小隊を誘引して南西に後退。第5小隊は現在地で待機。キルゾーンに敵小隊が侵入したら一斉射撃で仕留めろ」

 

ブラックドッグ(ダイヤ)了解。スノウウィッチ(アンジュ)。今のうちにリロードしとけよ?」

 

「スノウウィッチ了解。いつもありがと」

 

ラフィングフォックス(セオ)も了解。こっちを撃たないでよね。ブラックドッグ!!」

 

「っ!?」

 

戦隊各員がアンダーテイカーの指示に従って行動する中、脳裏にあるビジョンが走る。

 

空から降ってくる砲弾と……着弾後の爆炎、方位030、距離1200のビル屋上の斥候型――

 

「――フェアリーより戦隊各員。長距離砲兵型の砲撃が来る。着弾地点、ポイント300、290、280。着弾まで30秒!!」

 

「全機攻撃中止、散開しろ」

 

『えっ!? あっ、長距離砲兵型の砲撃来ます!』

 

向こうのハンドラーの驚愕した様子が伺えるが、生憎なことに敵の長距離砲撃の補足は早ければ早いほど良い。

 

空から接近する甲高い轟音と共に戦場の其処らに遥か彼方から飛来した砲弾が突き刺さり、同時に爆ぜた。

 

大きな爆炎と共に土煙が巻き上がり、戦場を染め上げていく。

 

「フェアリー、観測機は?」

 

「方位030。距離1200のビルの屋上に斥候型が4機」

 

「了解、ガンスリンガー(クレナ)

 

「了解。任せて」

 

その言葉と共に砲撃が放たれ、指定したビルに屯っていた4機の斥候型を全て貫く。

 

『どうして……』

 

「ハンドラー・ワン。次の観測機が出てきます。位置の特定をお願いします」

 

『あっ、はい!!』

 

自分が言おうとしたことを先に言われたことへの驚愕から自身が初めて頼られたことへの嬉しさ、喜びの感情の気配が向こうで湧くのを感じた。

 

向こうにしては意外と優秀かと思ったんだが、案外単純な思考をしてるのかもな。この女ハンドラー……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦闘が始まり、幾分か経ったが爆音は未だに鳴り止まず、むしろより激しさを増していた。

 

戦車型、近接猟兵型から放たれる砲弾やロケットだけでなく、遥か彼方から飛来してくる長距離砲兵型の砲弾も混ざり、まるで爆音による交響曲を奏でているようにも思えてくる。

 

滑腔砲の砲弾を全て撃ちきり、補給の為にスカベンジャー(ファイド)が待機してる場所まで後退すると、既に先客が補給を受けていた。

 

「よお、フェアリー。お前も弾を使い果たしたのか?」

 

そんなことを聞くのはパーソナルネーム・ヴェアヴォルフ。

 

「ああ、今回はやたらと数だけは多いしな。流石にワンマガじゃ足らないな」

 

「なんだ、鴨撃ちじゃないのか?」

 

そんなどうでも良い冗談を覚えているのはアンダーテイカー。

 

「その鴨が多過ぎて手に余るのさ」

 

「フッ……まあ確かに戦車型の数も多い。別の群れのやつが合流したのかな。遮蔽が限られる以上、放置するのは厄介だ」

 

「じゃあ、白旗でも上げるか?」

 

「まさか、今のうちに削るに限る」

 

流石、我らが死神殿。頼もしいもんだ。

 

「戦車型はこっちで受け持つ。ヴェアヴォルフとフェアリーは残りの奴等と指揮を任せた」

 

背後のスカベンジャーが弾倉を交換し、OKサインを出す。

 

「あいよ、またアルドレヒトのオッサンにドやされるな!」

 

「フェアリー了解。叱られには一人で行けよ?」

 

微かに笑う気配と共にアンダーテイカーが廃墟から飛び出していった。

 

「んじゃ、ヴェアヴォルフ。指揮は任せるよ、このまま雑魚どもを平らげる」

 

「はっ、結局は指揮を取るのは俺なのかよ。分かったよ……好き放題暴れて来い!」

 

流石、副長殿。懐の大きい男はモテるぜ?

 

ヴェアヴォルフの言葉と共に廃墟から飛び出し、最前線へと走る。

 

敵の接近報告のアラートがディスプレイに映るが、そんなの最初から見えているし、敵がどう動くかも分かっている。

 

「悪いけど、このまま押し通らせてもらうぞ!」

 

斥候型による無数の銃弾の雨がが正面からやってくる。

 

それらを回避しながら斥候型の群れへと高周波ブレードを展開して飛び込んでいく。

 

その一方でレーダーにはアンダーテイカーが戦車型を次々に撃破しているのが映っていた。

 

アンダーテイカーによる無双劇を見つつ俺はこう思ってしまう――

 

――勿体ない、と。

 

アンダーテイカー……いや、シンはきっと戦いの天才だ。

 

生まれる時代によっては歴史に名を遺すような名将や猛将にだってなれたかもしれない。

 

俺のように特殊な偶然があって、“死”を振り切ったのではなく、自身の力で死神の鎌を逃れている。

 

だが、今のこの戦場ではそんなものは決して歓迎されない。その理由として長く生き延びた86は各地の激戦区をたらい回しにされる。

 

上層部は86が長く生き延びることなどこれっぽっちも望んでいない。

 

彼らにとっての理想はレギオンと共に86が絶滅することであり、その為の体制作りをこの戦争中に着々と進めていった。

 

だからこそ、シンやライデンもカイエ、戦隊のメンバーもきっとこの戦場で朽ち果てた者のように平等に朽ち果てていくのだろう。

 

それが何時になるのかなんて分からない、今の俺に出来るのはそれを先延ばしにすることだけだ。

 

当然、先延ばしにだって限界があるし、俺も何時かは何処かの戦場で今度こそ死ぬだろう。

 

けれど、それまでの間でいい。俺の命で誰かが……仲間が延命出来るのならそれで良い。

 

きっとそれが、あのときに死んだ筈の俺が此方へ戻ってきた理由なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜間出撃任務が無ければ、夕食の後片付けから消灯、就寝までの数時間は自由時間だ。

 

カイエを筆頭とした小隊メンバーに外に連れ出されると、格納庫前の広場は射的大会が開催されていた。

 

盛り上がってるとこ悪いけどさ、ぶっちゃけると俺、眠いんだけど……

 

「ほい、クマ王様に一発ウサギ騎士二発。ハルト君の合計点数は七点であります!」

 

「くっそー……二発外したのが効いたなぁ。ハンドガン苦手なんだよ」

 

いや、別にやっていることは否定しないけどさ……ほんと元気だな、君達。

 

「おっと、ファイドから突然の挑戦だ! 缶を横に置く! 対するキノ選手の実力や如何ほどか!?」

 

「マジかよ…… げっ、全然駄目じゃねえか! 次だ次!」

 

「おっと、私か。カイエ・タニヤ、推して参る!」

 

ん? 次はカイエか……まあ、第4小隊二番手として――

 

「ハイ、二点」

 

「あ、あれ……?」

 

――まさかの華々しいまでの玉砕であった。

 

「ぐぅ……ユウ! 第4小隊の意地を見せてやれ!!」

 

いや、なんで俺なんだよ……お前が意地を見せてくれよ、クジョー君。

 

「おっと! 次はユウか! この寝坊助ヘタレ男は無敗のクレナを敗れるのか!?」

 

「上等だ。やってやるよ」

 

後で覚えとけよ、大会進行の野郎。

 

「なんと! ファイドが持ち出したのはアイマスクだ! 更に缶も持っている……つまり、アイマスクを付けて投げた缶を撃たなければならない!!」

 

「おいおい、クレナより難易度高くなってないか?」

 

「いや、ユウならやってくれる! 俺は明日の朝飯のデザートを賭けるぞ!!」

 

明日の朝飯だったり、昼のデザートを後ろで賭けたりしているが……まあ、勝手に賭けといてくれ、俺は一切関係ない。

 

「さて……」

 

アイマスクを付け、一拍の呼吸と共に前方の光景を強くイメージする。

 

……今から3秒後に缶が投げられる。間隔は3cm程――全弾命中に最も最適なタイミングは。

 

「っ!」

 

――今だ!

 

投げられた缶の数に合わせて拳銃のトリガーを引く。

 

乾いた発射音と金属と金属がぶつかる音と共に缶が空中でくるくると回り、重力に従って地面へ転がる。

 

「……はっ! さ、さて……結果はなんと全弾命中だ!!」

 

「よし! よくやったユウ!!

 

「流石、寝坊助ヘタレ男!!」

 

「ちょっと待てや。寝坊助ヘタレは取り消せ」

 

寝坊助ならともかく、どっからヘタレが出てきたよ……いつの間にか不名誉な渾名を付けられたもんだ。

 

「はぁ……」 「フフ……お疲れさま。コーヒーとケーキがあるけどいる?」

 

大会の喧騒から少し離れようと、宿舎入り口の支柱に寄り掛かると、パーソナルネーム・スノウウィッチことアンジュ・エマが話し掛けてくる。

 

「ありがたく頂戴するよ。しかし、今日はどうしたんだ? 夕飯はいつになく豪勢だったけど」

 

「出撃前に探索に行ったら大収穫だったみたいで、今日はパーティーしようってなったみたい」

 

成る程、そう意味では今日の散歩組には感謝しないとな。

 

「……今日は起きてるの?」

 

「ああ、今はまだ眠い程度だし。まあ、流石に倒れるまで起きてるつもりはないけど…… それに寝てばっかじゃ勿体ない」

 

「そう……いつもお疲れさま」

 

「ああ、ありがとう。後、夕飯美味しかったよ。ごちそうさま」

 

向こうの射撃大会もシンがその場所から動かずに、全弾命中させた驚愕と共に一段落付いてきたようだ。

 

そんな中、耳のレイドデバイスに微かな熱が宿った。

 

そういえば、そろそろ向こうが繋いで来る時間だったな。

 

『戦隊各位。今、よろしいですか?』

 

先程まで盛り上がっていたのが嘘みたいに皆が口を閉ざした。

 

これに関しては向こうが悪い訳ではないのだが、空気が読めないという印象は拭いきれんな、こりゃ……

 

それに一週間も定時に連続か、わざわざご苦労なことだな。

 

「問題ありません。ハンドラー・ワン。今日はお疲れ様でした」

 

シンも読んでいる本から目を離すことなく、淡々と応対する。

 

一方で、盛り上がっていた隊員達は拳銃から初弾を抜いてホルスターに戻し、散らかしたものの片付けを始める。

 

本来、86は反乱の防止のため、拳銃などの小火器を持つことを禁止されている。

 

まあ、向こうが火器の取り締まりに来ることなどないため、各員、放棄された施設から弾薬と一緒に頂戴しているのだが。

 

『ええ、貴方達もお疲れ様です、アンダーテイカー。あの、何かゲームでもしていましたか? 邪魔をしてしまったなら申し訳ありません、続けてください』

 

「ただの時間潰しです。お気になさらず」

 

一応、初日の挨拶で話したくなければ、同調は切ってもらって構わないと向こうが言っているので、同調を切った隊員は再び遊び始めた。

 

いや、神経図太いね……君達。

 

『そうですか……ところでアンダーテイカー。今日は少しお小言があります』

 

「なんでしょうか?」

 

『哨戒と戦闘の報告書ですが、あなたがスピアヘッド戦隊に配属されてからのものを読もうとしたら全部同じでした』

 

このハンドラー、ほんと変なところまで真面目だな。此方からの報告書なんて捨てられるか、ヤギの餌になるかどちらかだろうに。

 

「前線の様子などそちらが知ってどうするのですか? 無駄な事をしますね」

 

『レギオンの戦術や編成傾向の分析は、ハンドラーの職務の一つです。どうせ読まれないから送らなかったのだということは分かりますし、それについてはこちらが悪いのですから怒りません。けど、これからはきちんと作成してください。私は読みますから』

 

「読み書きは苦手なんです」

 

いや、その返しは流石にめんどくさがられてるって向こうも察するだろ……

 

『あっ……ごめんなさい。でも! 覚えておくことは悪いことではないですよ! 必ず後から役に立ちますから!』

 

いや、通じるんかい……確かに最近、徴兵された奴にはそういうやつがいるらしいけどさ。

 

とりあえず、今のやり取りで分かったことといえば、この女ハンドラーは冗談が通じないということだ。

 

こいつはまた、めんどくさいことになりそうだな……

 

このハンドラーとの今後を少し憂いていると、そのやり取りを聞いていたカイエがつい口を漏らす。

 

「ま、苦手というか面倒だろ?アンダーテイカー。 ……あっ」

 

……言っちゃったよ、よりによってバカ真面目な奴が聞いてる真ん前で。

 

『……アンダーテイカー?』

 

「……わかりました。ガンカメラの映像ファイルでいいですか?」

 

『駄目です、書いてください。これまでのものも全部』

 

シンが舌打ちを漏らしながら、読んでいた本を閉じる。

 

一方でカイエはケーキを咥えながら、両手を合わせて謝る素振りを見せた。

 

『分析ができれば対策が取れます。精鋭のあなた方の戦闘記録なら尚更に…… そうすれば他の部隊の生存率の上昇だって見込める筈です。だから、協力してください』

 

分析……そして、対策……生存率の上昇ね、考え方がほんと甘いよな。

 

そう、このハンドラーは考え方がどうしようもなく甘いのだ。自分で今の現状をどうにかしなくてはならないと錯覚してる。

 

そして、質が悪いことに自分が変えたいと思う環境の恩恵を受けていることを忘れているのだ。

 

踏みつけられている奴に対して、踏みつけながら助けますなんて言われたところで信用できる要素など欠片もない――

 

――まさにこのハンドラーはその典型だ。

 

ハンドラーがこちらに話題を振ってきても面倒なだけだし、俺は早めにお暇するかね……

 

向こうとの同調を切り、自分が使った食器をまとめて持ち上げる。

 

「俺はもう寝るよ。ケーキとコーヒー、ありがとう。ごちそうさま」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

「ああ、おやすみ」

 

ふと、視線を感じ、後ろを振り返る。

 

穏やかな雰囲気で雑談に更ける者達、拳銃ではマズイので投げナイフで先程の続きをしている者達。そんな仲間達と一緒に“彼ら”は其処に居る。

 

――分かっているよ、忘れてないさ……絶対に忘れないとも。

 

俺の命が続く限り、こいつらを――俺の仲間を“そちら”へは行かせない。

 

そっちへ行くのは俺だけで十分なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"War does not determine who is right - only who is left." - Bertrand Russell

戦争は誰が正しいかを決定するのではなく、残されるものを決めるのみである。 ―― バートランド・ラッセル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アニメの影響で地味にレッカも推しです


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5話

シンも多くの人の死を見送ったけど、ファイドもシンさえも知り得ない人の思いや裏側を見てた生き証人だったんだなって思いました。……人じゃないけど


 

 

 

"Live well. It is the greatest revenge." - The Talmud

生き抜け。それが一番の復讐になる。 ―― タルムード

 

 

 

 

 

 

静かになった戦場では機体のモーターが駆動する音が異様に響く。

 

「……」

 

普段なら戦闘が終わった途端、クジョーやらが軽口を叩いたりするのだが、今日は誰も口を開かない。

 

当然だ、今の状況で誰もそんな感情に余裕を持っている奴なんて誰一人として居ないからだ。

 

そんな中、一人だけが口を開いた。

 

『……フェアリーのことは残念でした』

 

「――っ!!」

 

そして、その言葉と共に今まで抑えていた負の感情が限界点を越え、爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 6月13日

 

 

 

 

昔、人は休日を得るためにその日を真面目に働くということを聞いたことがある。

 

となれば、俺がこうして昼寝をするために花壇の水やりや食材の仕込みといった労働をこなしていたと言っても過言ではないのだろう。

 

「あぁ……極楽極楽」

 

ここは川原のすぐ近くの岩場ということもあって、マイナスイオン効果によって涼しく過ごしやすい。

 

その上、すぐ其処に水場があるため、初夏に入った今の時期に大変ぴったりと言える。

 

更に、身体を冷やすだけでなく、冷めた身体を太陽光から蓄えた熱で適度に暖めてくれるこの岩場は昼寝をするには絶好の環境なのだ。

 

今、この瞬間はレギオンとか、毎晩のように同調してくるハンドラーとかそんなことを一切、考える必要はない。

 

そう、なんか向こうで見知った女性陣の声が聞こえるけど、気にする必要はないだろう。

 

此処こそ、あらゆるしがらみから解放された自由の楽園だ。

 

いや、それよりもまずはシンには感謝しないと……こんな素晴らしい穴場があるとは思いしなかった。

……そういえば、なんか此処に来る前にシンが何か言いかけていたような。

 

まあ、おそらく重要事項ではないだろうし、無理して思い出す必要もないか。

 

今はこの素晴らしい場所で惰眠を貪ることに専念したい。

 

思わず漏れ出る欠伸と共に意識を再び闇に落としていく。

 

……なんか、さっきから水がやたら跳ねる音が聞こえるんだが……まあ、いいか。

 

心地よい眠気というのは自然と警戒心を緩めてしまうものなのだろう。

 

また、ここ最近はレギオンの襲来がなく、戦隊各員が気楽に過ごせていたことも遠因としてあるのかもしれない。

 

それに普段なら最低限の警戒をしておく場面でも、疎かにしてしまうほど本能的な誘惑の力は強い。

 

故に平時において眠気に抗うというのは、そもそも無理な話なのである。

 

少年は寝息を立てる、怠惰と共に……少女は洗濯物と天国ともに。

 

 

 

 

 

 

 

 

極東のとある国に住んでいる人々は昔、何か感動的な出来事や美しい情景、風流を詩にしてした詠んでいたらしい。

 

となれば、目の前のこの情景も詩にするにはもってこいの情景と言えるだろう。

 

もっとも、一人で詠むより、複数人で詩を詠み合うのがメジャーだったりするのだが、我らの小隊長にそんなものことを言ったところで面倒くさいと言うのは目に見えている。

 

そう思い立った私は早速、五・七・五・七・七のリズムと五・七・五のリズムで詩を詠んでみる。

 

かわらにて、集まりし女子共、武士どもよ、これぞ天の国と、呼びなけり……いや、違うな。

 

川の原にて、戯れん猛り乙女、これぞ天の国……いや、猛りではニュアンスが違うか。

 

「カイエー! 何してるの? 座ってないでこっち来なよ!!」

 

「いや、これはこれで艶めかしい格好をしてるものだなと思ってな」

 

クレナはどういうわけか分かっていないようで、首を傾げているが、濡れたタンクトップにべったりとくっ付いたその双丘の存在感は依然と変わらない。

 

……なんか見ている私が恥ずかしくなってくるんだが……いや、私も女だ。だから――

 

視線をクレナから自分の胸部へと落とす。

 

「……むぅ」

 

濡れたタンクトップが張り付くのは他の面々と変わらないが、クレナのものとは違い、小振りな様相が目に映る。

 

……いや、大丈夫だ。別に気にすることじゃない。これが私の年相応なんだ。

 

身体の発育というのは平均的な数値があると言えど、個人差による違いというのは顕著に現れる。

 

それが身体の機能だったり、身体の部位なのかも、その人の成長次第である。

 

いや、止めだ……こんなことを気にしていても仕方がない。

 

「というか、いいのか? 私たちだけ水遊びなんかしていて――うわっ!?」

 

言葉を言い切る前に、隣から蹴り上げられた水が勢いよくかかる。

 

特徴的な銀髪を背に流したアンジュが穏やかな笑みを浮かべながら水をぱちゃぱちゃと蹴る。

 

「真面目ねえ、カイエちゃんは。いいのよ、洗濯はちゃんとやったんだから」

 

「というか、シンも分かってて許可をくれたんでしょ?」

 

「そういうとこには、理解があるのよねー。あの無表情隊長も」

 

そう言った、パーソナルネーム・バーントテイルことレッカ・リンはクレナを見て、面白い悪戯を思い付いた子供のように笑う。

 

「ごめんねー、気が回らなくて。あんたもシンも、当番ないんだから口実作って二人きりにしてあげればよかったわよね?」

 

突然の不意討ちに、クレナの顔が彼女の紅い髪のように紅く染まる。

 

「どこがいいの? あんな何考えてるかわかんない奴!」

 

パーソナルネーム・マーチヘアことマイナ・ヤトミカがクレナに水をばしゃっとひっかける。

 

「うわっ! だから違うってば!」

 

「ちなみにカイエちゃんはどう? 」

 

「シンか? ふむ。悪くないと思うぞ。寡黙なところとか、ストイックで良いと思う」

 

「ちょっ、ちょっ!? カイエ!?」

 

当人にとっては予想外の反応だったのか、途端に慌てだすクレナを見て、思わず笑みを浮かべてしまいそうになる。

 

いやはや、分かりやすいな……確かにこれは面白い。

 

「そうか、そうか…… 別に誰も想いを寄せてないのなら私が狙っても構わないわけだな? なら早速今晩にでも東方伝統のヨバーイを――」

 

「カ……カイエ!? あの、その……別に私シンのことなんとも思ってないけど! その……そういうのってよくないと思う……

ほら…大和撫子の嗜みとかって……だからその……」

 

彼女達の狙い通りに、わたわたするクレナを見て、女性陣はにやっと笑う。

 

『『クレナかっわいー!』』

 

ここまで来ると流石にクレナも自分が引っ掛けられたということを理解し、思わず叫ぶ。

 

「もー!! そういうカイエだってユウとよく一緒にいるじゃん!」

 

「まあ、それはだって付き合い自体が長いからな」

 

もし、ユウもあんなことがなければクレナみたいに誰かを慕ったりしたのかもしれない。

 

けど、今のユウにそんなことを意識する余裕なんてないだろう。

 

普段は戦隊の皆に対しては気さく……というより無難な感じで接しているが、一人になると、時々、何処か遥か遠くを見ていることがある。

 

此処じゃない何処か……もしかしたらこの世界ですらないのかもしれない。

 

私はユウのその得体の知れない場所に焦がれる目が嫌いだ。そして、嫌悪感を覚えると同時に不安になってしまう。

 

そちらへと行ったきり、もう今度こそ戻って来なくなってしまうのではないかと……

 

「それにユウが誰かを好きになるように見えるか?」

 

「うん、確かに。あいつってなんか、皆で何かする時とか、その場の流れに身を任せてるだけって感じがするのよね」

 

「そうかな? この前とか私に気を使ってくれたりしたけど……」

 

「意外とユウはそういう所とか見てるからな……面倒くさがりだけど、気遣いはしてくれたりするよ」

 

欲を言えば、もう少し怠惰の度合いが低くなると助かるのだが、本人にそこを改善する気がないことは既に察している。

 

とはいえ、初めて会った頃の話し掛ける度に嫌そうな顔をしてた過去を踏まえると随分と丸くなったと思う。

 

「流石、カイエちゃん。ユウヤ君のことをしっかり分かってるのね」

 

「そうかな? 意外とユウって分かりやすい質だと思うぞ?」

 

「確かに、何か面倒くさいと思ったら結構、顔に出てるよね。あいつ」

 

『『……』』

 

いくら、戦場では号持ちの猛者であるスピアヘッドの女性隊員も一度、戦場から離れると年相応の多感な女子である。

 

誰かの恋愛や男子についての話題で盛り上がるのは86として差別されてる彼女らも同じと言える。

 

そして、そんな年相応の行動をするのは女子に限った話ではない。

 

女子も多感な時期であるのなら男子だって誰かの恋愛や女子の花園に興味を持つものだ。

 

現に“彼ら”のように謂わば天国を覗くために蛮勇とも言える行動をとる者だって要るだろう。

 

「お前ら……何度言えばわかるんだ……これは決して許されることでは……!」

 

鼻息を荒くし、眼前の光景から決して目を離さずに言うのはパーソナルネーム・ブラックドックことダイヤ・イルマ。

 

「むしろダイヤが一番見てるよね」

 

今回の覗きの提案者二人の内の一人である、パーソナルネーム・ラフィングフォックスことセオト・リッカ。

 

「ダイヤって何しに来たんだっけ?」

 

覗き提案者の一人にして今回の首謀者である、パーソナルネーム・ファルケことハルト・キーツ。

 

「お、お前らの監視だ!」

 

目の前の光景から少したりとも目を離さずに言う辺り、これっぽっちも説得力はない。

 

……しかし、このまま目標を達成して帰るというのも面白くない。

 

ここらで一つ大きな騒ぎを起こしたいものだ。

 

女子の水遊びから目を離さないダイヤを尻目に、横のハルトを見やる。

 

当のハルトもこちらを見ており、小さく頷いた。

 

「目標達成及び、前方に目標物多数」

 

「は?」

 

「発射角良好。撃て!」

 

二人の腕によってダイヤの肩が掴まれる。

 

同時にダイヤも自分が今、どんな状況にいるのかを一瞬で察した。

 

「お、お前ら正気か!?」

 

その問いへの返答の代わりに自分等が隠れていた茂みから押し出される。

 

『『っ!?』』

 

突如、鳴った大きな物音に対して、遊んでいた女子も全員が音の方向へと拳銃を構える。

 

そのため、女子の視線は茂み近くで倒れてるダイヤへと集まる。

 

「え…… ちょ、待って……嘘!?」

 

女子全員がダイヤ(覗き魔)のことを見やり、笑顔で構えていた拳銃を降ろす。

 

そして、川の中に手を入れ、ちょうどよい石ころを各々手にする。

 

「ダイヤ、今までありがとう」

 

「お前の犠牲は忘れない」

 

後ろの裏切り者(ハルト、セオ)の無慈悲な宣告とともに女子からも――

 

『何よ!? 信じらんない!!」『このっ!!』『キャ――っ!!』

 

――甲高い悲鳴と罵声という超音波攻撃とともに石ころを主とした投擲の絨毯爆撃が繰り出された。

 

「痛っ、痛いって……ぐおっ!?」 『こっち来んな!』

 

投擲の絨毯爆撃を浴びつつ、ハルトとセオが隠れる茂みに戻ろうとするが、ハルトとセオに再び押し出され、倒れ込んだところに追撃の爆撃が降り注ぐ。

 

そして、空を切る音ともに自分が倒れ込んだ側にあった木にサバイバルナイフが突き刺さる。

 

「ギャーーー!?」

 

「それで、どうしたのダイヤ君?」

 

「アンジュ……ヒッ!?」

 

他の女子と違い、いつものトーンで話し掛けてくるが、表情は修羅そのものである。

 

「そ、そこはいつもみたいに可愛く『大丈夫?』 って聞いてくれていいとこだぜ?」

 

「うふ、まー大丈夫かしらダイヤ君」

 

清々しいまでの棒読みにダイヤが声にならない悲鳴を漏らす。

 

では、私も事なきを得たと思っている者達に天誅を下そうじゃないか。

 

川の中から手頃の丸石を取り、それに回転を掛けながら投げる。

 

「残りの者も出てくると良い……!」

 

投擲された丸石はカーブを描きながら、ダイヤが飛び出てきた茂みの中へと入る。

 

枝と葉を掻き分けていく音とともに何かぶつかり、鈍い音が鳴る。

 

「痛っ!!」「ちょっ、セオ! あっ……」

 

鈍い音と共に釣れた数は二人……先に挙がった者(ダイヤ) を含めると三人か。

「さて……お前達。とりあえず其処に座れ」

 

その言葉とともに三人とも地面に膝を付き、脚を折り畳んで座る。

 

私のルーツの極東の国では"正座"と呼ばれる座り方である。

 

「それで? 何用かな」

聞かなくても彼等が隠れていた答えなど分かりきっているものだが、物事には形式というのものが求められるときがある。

 

「用って……その、あれだよ。ね、ハルト」

 

「そうそう、あれだよ。なっ、ダイヤ」

 

「えっ、俺!? えっと……その、聞きたいことがありまして……」

 

「そんなのパラレイド使えばいいじゃない」

 

クレナの指摘はごもっともである、強いて言うとしたら何故、三人で隠れていたのか問い詰めるべきというところか。

 

「いや、その……女子の皆様が楽しく談笑している中にレイドを繋いでもな」

 

「そうそう、うっかり恋愛相談してたりしたらお互い気まずいでしょ?」

 

「『クレナ、シンが好きなの!』とか言ってたりしてたらさ」

 

つまり、皆がクレナをからかっていた頃から、彼らは繁みに隠れてこちらを覗いていたようだ。

 

まあ、確かにそんな時に同調(レイド)が繋がれても確かに気まずいことになりそうではあるが。

 

「なっ!?」

 

「ていうか、まさにそれ言ってたとこだったし」

 

「それよ! 今度、シンが繋いできそうなタイミングでそれを言わせるのよ。どんな反応をするのか見物だわ……」

 

「クレナがね、シンは駄目よ。あの鉄面皮ったら顔色一つ変えないわよ。可愛くない」

 

「あああ……私そんなこと言ってないもん! ちょっとやめてよー!」

 

『『『クレナかっわいー!!』』』

 

女子全員に加え、覗き組の男子も綺麗に声を合わせる。

 

「うう……みんなのバカぁぁぁ!!」

 

真っ赤に染まったクレナを見て皆は思わず笑う。それはからかっている女子もそうだし、覗き組の男子も変わらない。

 

しかし、肝心なことを忘れてはいけない。

 

「それで? 何用だったんだ?」

 

『え?』

 

完全に不意を突かれたのか、男子の声が重なる。

 

「えっと……その、ダイヤ」

 

「えっ、また俺?……えっと、その……」

 

女子の怪訝な眼差しが集まる中、ダイヤは頭をフル回転させて考える。

 

考えろ、考えろ……何か小さな疑問でも良い、とりあえず何か適当なことを聞くんだ。

 

「はっ! ……ヨバーイってなに?」

 

『ばっ!?』

 

その瞬間、女子の大ブーイングと共に大量の投擲の爆撃が始まった。

 

「……痛った!?」

 

ふと、茂みの奥からまた、別の男子の声が聞こえた。

 

物を投げていた女子も、爆撃を受けていた男子もその声がした方向へと視線を向ける。

 

そして、声の正体が茂みの中からぶつぶつと文句とともに現れた。

 

「なんだよ? これ……って、君ら何やってんの?」

 

「それは私のセリフだよ。なんでユウが此処にいるんだ?」

 

「なんでって……さっきまで向こうで昼寝してたんだけど?」

 

これが噂をすれば何とやら……というやつなのだろうか?

 

どうやら私達が話している時、とりあえず近くには居たらしい。

 

「というか、何でダイヤ達は正座してんだ?」

 

「えっと……少々、複雑な事情があってだな」

 

「複雑な事情って……普通に覗きに来て、見つかっただけだろ?」

 

流石、我らが第4小隊の隊長、察しが良いものだ。

 

ふと、そんな様子を遠巻きから見てたクレナが何かを思い付いたように顔を輝かせる。

 

「ねえ、ユウ。この後は暇でしょ?」

 

「この後っていうか……今も暇だけど?」

 

「うん、ならさ、カイエのエスコートをしてあげて!」

 

「クレナ!?」「いや、何でさ?」

 

淡々とした態度のユウに対して、私は唐突なクレナの提案に動揺が隠せない。

 

「ほら! レディをエスコートをするのは大和男子の嗜みとか何とか!」

 

「いや、色々とごちゃ混ぜになってるんだけど…… 大和男子にそんな嗜みないし」

 

「私達はこの覗きの男子に罰を与えなきゃいけないの。ユウヤ君はこの重い洗濯物をカイエちゃん一人に運ばせるつもりなの?」

 

クレナの提案の意図を察したのか、アンジュまでもがユウヤに迫る。

 

「……分かったよ。でも、見られて困る物があっても知らないからな?」

 

「見られて困るものって、何を想像してんのよ? このムッツリ寝坊助」

 

レッカがからかうように言うが、当の本人はまともに取り合わず、適当に受け流す。

 

「はいはい、今日も手厳しい対応ありがとうございます。レッカ殿…… で、どれを持ってけばいいんだ?」

 

「え? ああ……これとそれを頼んでいいかな?」

 

「了解。んじゃそういうことで。ダイヤ達も……まあ、頑張れよ」

 

……考えてみれば、ユウと二人きりというのはけっこう久しぶりな気がするな。

 

ユウヤは昔から一人で行動することの方が多いことに加え、積極的に話し掛ける性格ではない。

 

……まぁ、たまには良いかな、こういうのも。

 

そんなことを思いながら、こちらのことなど気にしてない足取りで先を行く少年の背中を少女は追い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうやってカイエと二人きりで行動するというのはかなり久しぶりだ。

 

カイエと話す機会が無いわけではないが、あったとしても大体がお説教だったり、誰かが会話に入ってきたりしていた。

 

ふと、横にいるカイエが口を開いた。

 

「懐かしいな。こうやって二人で森を歩くのって」

 

「最初の部隊の頃だったか、あの時はマジで大変だったよな。ジャガーノートは二機ともお釈迦になるし、森は真っ暗だし……結局は生き残りなんて俺らだけだったしな」

 

最初の部隊の最後の任務、内容は森林地帯に侵攻してきたレギオンの迎撃だった。

 

しかし、敵の数がハンドラーの予想以上に多いことに加え、森林という身動きが取りづらい場所というのも相まって多くの味方が各個撃破されてしまったのだ。

 

あの時は戦っていたというより、二人で逃げ回っていたという状況だったな……

 

「覚えてるか? 野宿する場所を決めるとき、お前がガタガタに震えてたの」

 

「あの時は……色々と動転してたし。ユウだって息が常に荒くなってるせいであまり眠れなかったんだぞ?」

 

一人の苦い話が出れば、もう一人の苦い話が出てくる。

 

団栗の背比べと言ってしまえば、それきりだが……こうやって笑い話に出来るのも悪くはないのかもしれない。

 

「あ……ユウ、見ろ。桜の樹がある」

 

カイエが指を指した方向へ目を向けると、太い幹をした桜の樹があった。

 

注目すべきは幹の太さだ、横の長さだけでも俺らより一回り太い。

 

おそらく、かなり昔からある老木なのだろう。

 

「ん? ああ、本当だ……こんなデカイ樹があったんだな。是非とも花を咲かしてるのを見たかったけど……まあ、もう6月だし、葉桜なのは仕方がないか」

 

「深山の桜……まぁ、深山ではないけど。でも、きっと……綺麗な花を咲かせたんだろうな」

 

この桜が花を咲かせる次の年には俺達は此処にいない。

 

何処かの戦場で朽ち果てるのか、あるいは文字通りの最後の任務の最中に朽ち果てるのかは分からない。

 

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし……」

 

「フフっ……どうした? いきなり和歌なんて詠んで」

 

「今ならこうやって和歌やら俳句を遺した人の気持ちが分かると思ってな」

 

桜の花が咲いて、散っていくといのはあくまで自然の現象でしかない。

 

其処に思いも感情もない、ただ無機質な現象のみが其処にある。

 

人間の感性から見れば、それは寂しくも思えるし、虚しくも思えるのだろう。

 

故にそんな無機質な現象に少しでも意味を遺すことにしたのだ。それが人間の刹那的な感性から来るものだとしても……

 

「春霞たなびく山の桜花見れどもあかぬ君にもあるかな……」

 

「フッ……なんだよ、告白でもしてるつもりか?」

 

「そんな意図はないよ。でも、もし叶うのなら……また、桜を見に来たいな。今度は二人で」

 

カイエは穏やかな笑顔を浮かべ、桜の古樹を見やりながら言う。

 

俺が産まれた国では死んだ奴はまた、生まれ変わってこの世に戻ってくるという話がある。

 

そんな話を信じる気なんて更々ないし、それが迷信であることはこの現実が証明している。

 

それに……俺にはきっとその権利はないだろう。死んだ筈なのに此処にいる俺には。

 

何かズルをすれば、いつかその精算をしなければならない。

 

だからこそ、俺にはカイエが眩しく見えるのかもしれない。儚くも潔い生き方を羨ましく思っているのだろう。

 

――あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも。

 

 

 

 

 

 

 

バタンとドアが勢いよく開かれ、向こうのハンドラーと同調を切ったクレナが出ていく。

 

『あの……どうかしましたか?』

 

そんなことなど知りもしないハンドラーは不安そうな様子で聞く。

 

「ネズミが出ただけです」

 

ネズミって……いや、確かにたまに掃除してる時とかに見るけどさ。……相変わらず適当な返しだな。

 

『ネズミ!? ネズミが……出るのですか?」

 

『……はぁ」

 

ハンドラーとの同調を切り、外に出ていったクレナのことを追う。

 

……クレナも毎度、大変だよな。

 

クレナが向こうで話している女ハンドラーのような白系種(アルバ)を恨む理由についてはよく知っている。

 

彼女にとっては家族の仇がこちらの気などお構い無しで、毎晩のように同調してくるのだ。

 

「……ユウ」

 

宿舎の廊下の窓枠にクレナは寄りかかっていた。

 

「……なんであんな女と毎晩毎晩。みんなと一緒に過ごせてる大切な時間なのに……」

 

「……」

 

クレナも我慢の限界なのか、一際大きい感情を発露する。

 

「明日、死んじゃうかもしれないのに!!」

 

「……どうせ、今だけだよ。誰もあのハンドラーの言うことなんてまともに聞いちゃいないんだし。そのうち、向こうからいなくなるだろうよ」

 

結局のところ、あのハンドラーとのやり取りは所詮、暇潰しでしかない。

 

頭がお花畑の奴と真面目に話し合う価値などないのだ。

 

「でも、白豚なんかに気を遣ってやることないんだから……シン、あんなのとっとと壊しちゃえばいいのに」

 

「シンだって好きで壊してる訳じゃないだろ。それにお前だって分かってるだろ? シン自身も"あれ"に苦しんでるんだから」

 

「……」

 

感情的になっていた自分が言ったことの配慮の無さを悪く思ったのか、口をつぐむ。

 

「……ごめん。でも、やっぱり許せない。白豚はパパとママを殺した。ゴミみたいに射的の的にした……白豚はみんなクズよ。絶対に許さない」

 

「……」

 

あの女ハンドラーがレイドを繋いでくるようになってから面倒事しか起きないな。

 

そこらの白豚よりは優秀というのは認めるけど、空気の読めなささも白豚の中でも一級品なのはいただけんよ。

 

「……ほんと、いつまで、繋いでくるのやら」

 

俺達のハンドラーを続けるということは、いつかはシンの"あれ"を聞くことになる。

 

前任は結局、壊れてしまったが、この女ハンドラーもおそらくはきっと前任の後を追うことになるだろう。

 

「……なんか、疲れたな。今日はもう寝るか」

 

昼にたっぷりと昼寝をした筈なのに、回復した体力か一気になくなった気がする。

 

明日、死ぬかもしれない……か。ほんと何時になるんだろうな?

 

その疑問に答える者はいない、"彼ら"であっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年6月15日

 

 

 

 

 

「ハンドラー・ワンより戦隊各員。レーダーに敵影捕捉」

 

ディスプレイに映るのは敵のマーカーとスピアヘッド戦隊のマーカー、そして各種レーダーからの情報。

 

「敵主力についてですが――」

 

『把握しています。ハンドラー・ワン。既にポイント478にて迎撃準備が完了しています』

――相変わらずの早い対応…… 流石、アンダーテイカーといったところだろうか。

 

『ガンスリンガー、配置についたよ』

 

『ラフィングフォックスよりアンダーテイカー。第3小隊も同じく』

 

横にある地図と戦隊の配置を見て、ある提案が頭に浮かぶ。

 

「ハンドラー・ワンよりアンダーテイカー。ガンスリンガーを今より2時方向、距離500の位置に移してください。そこからだと隠れますが高台があります」

 

『了解、確認します。ガンスリンガー、その位置からは見えるか?』

 

『ちょっと待って……確かにある。移動するよ』

 

「稜線射撃になることに加え、主攻である第1小隊とはほぼ逆方向の位置取りになります。そのため、攪乱からの各個撃破に際し戦闘序盤の本隊位置の欺瞞にも繋がる筈です」

 

『成る程な、要するに囮ってわけか』

 

そう言ったのはヴェアヴォルフ。

 

『レーヴェは仰角がとれません。高台にいるガンスリンガーを直接砲撃はできませんし砲撃位置変更時にも……」

 

『勘違いすんな。悪くない案だ、だろ? ガンスリンガー』

 

『みんなの助けになるなら何でもするよ』

 

ふと、彼らのやり取りから珍しい人物からアプローチがあった。

 

『フェアリーよりハンドラー・ワンへ。随分と正確な地理情報ですが、もしかして軍の戦略会議等に使われる地図を持ち出しているのですか?』

 

「はい、よろしければ後で転送いたしますか?」

 

『よろしいのですか? 共和国の軍事機密を86に与えて』

 

「構いません。活用しないで何のための情報ですか」

 

『そうですか……ならば此方からは何も言いません。86相手に、わざわざありがとうございます』

 

本来、こういったことを口にするべき状況ではないのだろうが。

 

自らを卑下するフェアリーの淡々とした態度に思わず、少し不満が漏れてしまう。

 

「それから、あなた達は86などではありません。少なくとも私はそんな風に呼んだ覚えは……」

 

その言葉に対して、フェアリーは何も言わない。

 

「おっ、お客様のご来場だぞ」

 

戦隊のジャガーノートの移動スピードが上がるとともに、同調している向こう側の銃声や砲撃音が聞こえてくる。

 

また、レーダーを見るとアンダーテイカーの進路上にいる敵のマーカーが次々と消えていく。

 

『キルシュブリューテよりフェアリーへ、目標撃破』

 

『了解、第4小隊各員傾注。ポイント286へ移動を開始しろ』

 

『『『了解』』』

 

第4小隊が移動を開始したレーダーに一体、戦車型のマーカーが映る。

 

この戦車型……どうして、ここに……?

 

『レウコシア。私が左から狙う。援護を頼む』

 

『レウコシア了解』

 

ディスプレイに映るキルシュブリューテが前進を開始する。

 

いや、待て…… その方向は確か……

 

「っ!? そっちは駄目です――」

 

『フェアリーよりキルシュブリューテ! 現在、進行中の進路を迂回しろ! そっちは湿原だ!」

 

『え? うわっ……!?』

 

キルシュブリューテの音声から異音が流れると共に、動きが止まってしまう。

 

『こんなところに湿原……!?」

 

湿原で動けなくなったキルシュブリューテに対してゆっくりと戦車型が迫る。

 

一歩、一歩、確実な死がやって来る。

『嫌だ……」

 

獲物を屠る瞬間を焦らすかのような動きに気丈に振る舞っていたキルシュブリューテも恐怖を漏らす。

 

『死にたくない』

 

マーカーはすぐ近くにあるのに、彼女達のいる場所はとても遠い。

 

戦車型は尚もゆっくりとキルシュブリューテに近づく。

 

――いや、待て……何か、何かがおかしい。

 

レギオンが動けない人間に対して、こんな悠長な動きをするのか?

 

仮に、レギオンがこの湿原に誰かが脚を取られると学習したとして――

 

キルシュブリューテの目前にまで戦車型が迫る。

 

――もし、嵌まった者を罠として活用することが出来たとしたら。

 

レギオンの……この戦車型の本当の狙いは――!!

 

「フェアリー! 罠です!! 戦車型の本当の狙いは貴方です!」

 

フェアリーの姿を捉えただろう、戦車型が進路を変える。

 

「駄目……フェアリー!!」

 

そして、フェアリーと戦車型のマーカーが重なり――

 

『ユウ!!』

 

――互いに消滅すると同時にフェアリーの表示が"Destroyed"へと変化した。

 

 

 

 

 

 

 

侵攻してきたレギオンが撤退を開始する。

 

「戦闘終了、戦隊各員……お疲れ様でした。フェアリーのことは残念でした……もっと早く敵の狙いに気付いていれば…… 私がもっと……しっかりしていれば――」

 

自分の無力さを呪う、あの時、もっと早くに敵の狙いを看破していればこの被害は出なかった。

 

『残念……? 何が残念? あんたにしてみれば86の一匹や二匹どう死のうが家に帰ったらすっかり忘れて、夕食を楽しめる程度の話だろ』

 

ラフィングフォックスが怒りと不快感を隠すことなく、その思いの丈を吐露する。

 

『そりゃこっちだって暇だったからさ…… あんたの自分だけは差別とかしません、豚扱いしませんって勘違いの聖女ごっこにどうでもいい時なら付き合ってやるよ』

 

「それは……」

 

『けどさ、こっちはたった今、仲間が死んだんだ。そういう時まであんたの偽善に付き合ってなんかいられないって、それくらい分かれよ!』

 

「偽善……』

 

自分が信じてきたもの、信条、理想……全てが不協和音を起こしているように感じる。

 

『それとも何? 仲間が死んでも何とも思ってないとか思ってる? そうかもね、僕達はあんたみたいな高尚な人間様とは違う人間以下の豚だもんね!』

 

「ち、違います! 私は……!!』

 

ラフィングフォックスの罵声は止まらないばかりか、より激しさを増していく。

 

『違うって何が違うんだよ? 僕達を戦場に放り出して兵器扱いして戦わせて! 自分だけ安全な壁の中で高みの見物決め込んで、その恩恵だけを享受してる今のあんたの状態が豚扱いじゃなきゃ、何だって言うんだよ!!』

 

ラフィングフォックスの言うとおり、自分と彼らではいる場所も環境も違う。

 

自分は安全な壁の中で共和国の未来について考える余裕がある。

 

しかし、彼らは明日の未来も保証されない中で戦っている。

 

そして、今、この瞬間にも何処かで彼らの同胞が死んでいるのだ。

 

『86って呼んだことはない? 呼んだことがないだけだろ! あんた……僕達が望んで戦ってるとでも思ってるのか? あんた達が閉じ込めて戦えって強制して! この九年で何百万人も死なせてるんだろ!!』

 

「……っ!!』

 

『それを止めもしないで、毎日優しく話しかけてやればそれで人間扱いしてやれてるなんてよく思えるな!」

 

「あ……ああ……」

 

『そもそも、あんたは僕達の本当の名前を一回だって呼んだことないじゃないか!!』

 

 

 

"No battle plan survives contact with the enemy." - Colin Powell

いかなる戦術も眼前の敵には無力だ。 ―― コリン・パウエル

 

 

 

 

 

 

 




機体がぶっ壊れたらDestroyedになるのか、中身も死んだらDestroyedになるのか


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6話

また、恐ろしく長くなってしまった……ジャガーノートの機構の疑問に関しては完全に独断と偏見で判断しております。


"Every tyrant who has lived has believed in freedom - for himself." - Elbert Hubbard

あらゆる独裁者は自由を信じていた ― 自らにとっての。 ―― エルバート・ハバード

 

 

 

 

 

戦場型の脚がジャガーノートを穿つと同時に零距離で放たれた砲弾は戦車型の内部で爆ぜる。

 

「ユウ!」

 

名を呼んでも誰も答えたりしない。

 

黒煙を吐きながら倒れ伏す戦車型と、戦車型の脚部が深々と突き刺さったジャガーノート。

 

突き刺さった箇所から漏れ出すオイルはまるで血のようにも見える。

 

ぬかるみに嵌まったジャガーノートを降り、倒れ伏した両者の元へ駆ける。

 

泥でぬかるんでいる地面は早く走ろうとすれば、足に絡まり、跳ねる泥は脚や顔をを汚していく。

 

しかし、そんなことなど気にも留めず、ただ一刻も早く"彼"の元へと走る、

 

「――っ!」

 

近くで見れば、ジャガーノートの状態が鮮明に映る。

 

戦車型の脚部はジャガーノートの側面からコックピットの内側まで貫通して突き刺さっている。

 

そして、左前肢は突き刺さった衝撃のためか、途中からもげて何処かにいってしまったようだ。

 

更に突き刺さった戦車型の脚部が干渉して、コックピットを開くことが出来ない。

 

「カイエ!」

 

「クジョー…」

 

「退いてろ! ファイド、お前ら、こっちだ!!」

 

クジョーの声と共に第4小隊の機体がファイドを引き連れてやって来る。

 

「カイエ、とりあえずお前の機体を引っ張り出すのは後だ。今は何よりもこいつを開けねえと」

 

「勿論だ」

 

普段、陽気で戦隊のムードメーカーというイメージが強いが、彼もこの戦場で4年も生き延びた号持ちである。

 

緊急時の対応は他のメンバーと同様に冷静かつ的確な行動を取る。

 

「ファイド、無理矢理開けるなよ。それを剥がす感じ開けるんだ」

 

「――」

 

深々と突き刺さる戦車型の脚はファイドの力を以てしても易々と引き抜けるモノではない。

かといって無理矢理、この脚を引き抜いても内部へのダメージが更に酷いモノになってしまう。

 

クジョーの指示とともにファイドの巨大なアームがジャガーノートの正面装甲を掴む。

 

そして、金属同士が擦れる音ともに装甲を固定していた部品が抜けていく。

 

「しっかし……こりゃ、ひでえな。機体がお釈迦なんてモノじゃねえぞ」

 

バリバリとジャガーノートの装甲が取れる様はまるで、チョコレートのアルミ箔を剥がすかのようなイメージを抱かせる。

 

クジョーも、第4小隊の皆も中の様子について決して触れない。

 

というのも、普通ならこの惨状を見れば、誰もが中のプロセッサーは助からないと思う筈だ。

 

――そう、昔は私もそうだった。

 

ファイドがジャガーノートの正面装甲を引き剥がすとオイルの匂いと混じり、内部の様子が明らかになる

 

「おわっ!?」

 

「……」

 

中の様子を最初に見たクジョーは驚愕のあまり、バランスを崩して転倒する。

 

コックピットの右側は内部に戦車型の脚が貫通し、操縦桿のような各種機器がグシャグシャに潰れてしまっている。

 

ここまではおそらく、皆が想像していた通りの状態だろう。

 

――彼だけは明らかに違った。

 

「……ん? ああ、カイエか」

 

機体の破片が身体の所々に刺さり、口からも吐血したのか乾いた血が顎や頬にへばり付いている。

 

――そんな中でも彼は平然と生きているのだ。

 

さっきまでのこちらの気など知りもしない様子でジャガーノートから降りる。

 

「よう、ファイド。お前が開けてくれたんだな、ありがとう」

 

「――♪」

 

お礼を言われたファイドは飼い主に褒められた犬のように身体を震わせる。

 

「無事……とは言えないよな。でも、生きていて良かった」

 

「お前もな。そっか……まだ生きているんだな、俺は」

 

そう言って、ユウは陽が落ちた湿原の暗闇向こう側を、何処か遠い目で見つめた。

 

そんなユウの姿に、このまま暗闇の向こう側へと、行ってしまうのではないか、といった不安が脳裏を過る。

 

一抹の不安に駆られて、私は口を開いた。

 

「とりあえず、今はみんなに生きていることを伝えよう。それにハンドラーにも時間がある時に伝えてあげてくれ。自分のせいだって悔やんでたからな」

 

「……あぁ、そうだな」

 

「後、怪我の応急手当てをするからこっちに来い」

 

「別にいいよ。今は大して痛まないから」「こっちへ来い」

 

本人の面倒くさそうな表情を余所に、ガーゼで血を拭き取り、包帯を使って出血している箇所の止血に勤める。

 

身体に刺さった破片だが、こういった類いの怪我は無理に引き抜くと傷をより拡げてしまう。

 

そのため、その場では敢えて引き抜かずに、刺さった箇所の周りをきつく縛り、刺さった物が詮になるようにする。

 

「なぁ、ユウ……今回のは見えてたのか? 私が湿原に嵌まって戦車型が来るのも」

 

「……ああ、直前でな。そっちが見えた時に戦車型がこっちへ向かって来るのもな」

 

ということは戦車型に向かっていた時にはもう戦車型の狙いは既に見抜いていたわけだ。

 

「……自分が助かるのもか?」

 

「ああ、そうだ。連中、どうやら今回は"俺の首"が狙いだったらしい。おかげさまでジャガーノートがお釈迦になる程度で済んだよ」

 

自分が狙われているというのに、何処か子供のような期待感が混ざった声で言うものだ。

 

「やけに楽しそうだな」

 

「そう見えるなら、きっとそうかもな……でも、次からは、此方のことなんかお構い無しに取りに来るぞ」

 

嗜虐的な笑みを浮かべるユウには今、何が見えているのだろうか?

 

現実のこの瞬間なのか、または数刻先の未来なのか、あるいは――

 

「……ってか、クジョー。いつまで呆けてんだよ。俺はこの通り、まだ生きてるよ」

 

「え!? あっ、おう!!」

 

心どころか魂が此処に在らずという様子だったクジョーがようやく我を取り戻した。

 

「フェアリーよりアンダーテイカーへ。我、生存につき戦死報告の取り消しを頼む」

 

『どうした? あの世から連絡するなんてフェアリーにしては律儀じゃないか』

 

「あのなぁ、シン――」

 

『分かってる、報告はしておく。後、セオにも謝っておいてくれ。ユウが死んだと思って、怒ってハンドラーと色々と揉めたからな』

 

「何がどうなってハンドラーと揉めるんだよ……」

 

そういえば、ハンドラーに対して罵詈雑言とか色々言ってたな……

 

それに、揉めてたというより、セオの言いたい放題だった気がするけど。

 

「……まあ、とりあえず了解したよ。セオ、聞こえてるか?」

 

『……聞こえてるよ』

 

すごくバツの悪そうな声で、湿原の向こう側で展開しているセオが答える。

 

「おそらく、ハンドラーがまた空気を読めないことを言ったからだと思うけど……まあ、俺はまだ、生きてるからさ。悪かった、色々と気を遣わせて」

 

『別に……あの、ハンドラー。ユウに対して、文句とか言ってなかったよ。それどころか自分のせいだとか言ってたし……」

 

「そっか……それなら、あのハンドラーにも謝らないとな」

 

『……もう繋いでこないかもしんないよ?』

 

「いや? おそらく、シン経由で繋いでくるだろ。……まあ、脳内がお花畑なのはちょっとアレだが、意外とメンタルが強そうだし、何を言ったか知らんけど気にしなくても大丈夫さ」

 

確かにあのハンドラーは少々、現実を踏まえての認識が甘いが、自分の主義や主張は筋がしっかりとある。

 

今までのハンドラーのように自分の立場や権力を振るってどうこうするような人とは思えなかった。

 

「というか、誰かのジャガーノートに乗せてくれないか? 俺の動かないからさ」

 

『ぶっ……ファイドに乗せてもらえば良いじゃん』

 

「――♪」

 

ファイドが任せろ、と言わんばかりに自らのアームを振る。

 

「いや、普通に振り落とされそうで怖いんだけど」

 

『大丈夫だ。ファイドはそんなことはしない』

 

「いや、ファイドの性格じゃなくて、慣性の問題なんだけど?」

 

そういえば……私のジャガーノートも湿原に嵌まってるからな……帰りまでもつだろうか。

 

「ファイド、私のジャガーノートはどうだ? 動かせそうか?」

 

「――」

 

ピッという鳴き声と一緒に頷く。

 

「え? これってファイドの上で振り落とされるの堪えながら、帰るしかないの? 怪我人に対してあんまりな仕打ちじゃないかこれ」

 

「分かったよ。今回は完全に私の責任だからな、私の機体に乗ってくれ」

 

「……それはそれで危険を感じるんだけど。まあ、いいや。頼むよ、カイエ」

 

正直な話、怪我人をジャガーノートに乗せるのもどうかと思うが、86相手に輸送車や救急戦車といった物は供与されない。

 

加えて、ファイドに乗れば道の凸凹に振動やファイド自身の振動を受けて振り落とされるだろうし、何より傷に障ることを踏まえるとジャガーノートに乗せるのが最善策である。

 

しかし、ジャガーノート自体、かなり狭いこともあって乗せる場合は小柄な体格のプロセッサーに限られるのだが。

 

……まあ、ユウと体格は殆ど同じくらいだし、……問題はないだろ。

 

「だが、もし変なことをしたら――分かってるな?」

 

「生憎、何処かの覗き組と違って、自分から竜の逆鱗に触れる勇気はないよ」

 

「良い心がけだ。ファイド、背中の大砲を外して貰えるか?」

 

「――♪」

 

ファイドのアームが背中に装備された57ミリ滑腔砲を掴む、同時に滑腔砲を固定していたマウントアームのロックが解除される。

 

二人で乗る以上、コクピットは開けっ放しになるが、戦闘は既に終わり、宿舎まで戻るだけであるため、問題はないだろう。

 

「よし、ユウ。乗ってくれ」

 

「あいよ……」

 

陽は既に彼方へと沈み、夜の帳が下りている。

 

廃墟に生活の灯が灯ることはなく、夜の暗闇に飲まれていく。

 

「……なあ、ユウ。今日はありがとう……おかげで命拾いをしたよ」

 

「といっても、俺も運が悪かったらあの時に木っ端微塵だよ。むしろ、助かったのはこっちさ。お前らがファイドを呼んできてくれてたおかげで、此処にいるんだから」

 

「……そうか」

 

暗闇の中のユウの表情は見えない、いつものように面倒くさそうな表情をしているのだろうか?

 

それとも――

 

「30メートル先、右方向。通りに出っ張りがあるから引っ掛かるなよ?」

 

「え? あぁ……分かった」

 

暗闇のせいで道が見えないため、ユウのナビゲーションに従って機体を動かす。

 

「……ユウ」

 

「なんだよ?」

 

何時か、あのハンドラーが言っていた『任期を終えたら、何をしたいか』。

 

私達のような86に任期を終えても、共和国に生きて戻った者はいない。

 

そして、私達も戻れることはないというのは最初から分かっている。

 

でも、戦うには理由が必要だ――たとえ、未来が望めない戦いであっても。

 

シンが兄の為、戦隊の皆が行き着く先へ向かうために戦っているように。

 

ユウはきっと……死ぬ理由を得るために戦っているんだと思う。

 

死にたいならば、自ら首を括ったり、拳銃で頭を撃ち抜けば良い。

 

別に、辛さのあまりの自殺なんてここでは珍しいことじゃないし、私も何度もその光景は見てきている。

 

でも、ユウにとってはただ死ぬのは生き延びることよりも辛いことなんだと思う。

 

もっと、"何か"を……仲間の生存のため、仲間の未来のため、理由は何でも良い。

 

自分が死ぬには何かを……仲間を守るでも良し、仲間の遺志に殉じるのでも良い――それほどまでに、ユウは度し難いのだ。

 

だからこそ、死ぬことを、これっぽっちも恐れずに、敵へと向かって行く。

 

其処にどれほどの敵が居ようと、どんな危険があろうと、関係ない。

 

そこで自身が身の全てを出し切って果てるのであれば、本人に願ったりだろうし、乗り越えられたなら更なる脅威を求めて戦場を彷徨う。

 

それがユウの望みであり、そのためにずっと戦っているというのも分かる。

 

けど、私は……私はユウに"そっち"へと行って欲しくない。

 

でも、自身の無力さを悔やみ、自分の能力に苦しんでいるのも知っている。

 

ユウにとって、死ぬことは、解放されるのと同じなんだろう。

 

今まで死んでいった者の遺志、痛みと苦悩……自分自身からの解放――

 

「私を――ごめん。なんでもない」

 

「そうか。50メートル先で右だ」

 

だからこそ、私は4年間、ユウにずっと言えないでいる――

 

「あぁ……分かったよ」

 

――私を置いて逝かないでと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 6月16日

 

 

 

 

 

 

戦場において重要な要素とはなんだろう?

 

兵士の武器の質は勿論、兵士の練度、規律、あるいは司令部の能力。

 

要素を挙げようと思えば、幾つも挙がってくるものだが、俺はここに食事という項目を入れたい。

 

俺の国では『腹が減っては戦が出来ぬ』という言葉があり?

 

その言葉通り、戦場での生活を強いられた兵士に食事は命を繋ぐ以上、必須行為であるし、極度のストレスに晒される環境において単なる栄養補給以上の価値がある。

 

無ければ餓死するし、不味くても兵士の精神状態に影響が出るという軽視することは愚の骨頂と言えるだろう。

 

まあ、共和国軍から86に支給される軍用糧食は何れも不味い物ばかりなのだが……

 

……ともかく、食事は戦場に生きる者にとっても重要事項であるし、飯が不味いのは戦闘員のメンタルに関わるということだ。

 

そして、それは俺達のような86にも、該当する。

 

「クレナ」「はい!」

 

よって飯マズには適切な教育を施し、飯ウマにはより早く厨房を回して貰うことが望まれる。

 

「これはなんだ?」「ジャガイモです!」

 

違う、俺が言ってるのはそういうことじゃない。

 

「ジャガイモなのは見れば分かる。俺が言っているのはこの白っぽいヤツのことだ」

 

「分かりません! 先生」

 

「これについてはこの前も言った筈だが……これはジャガイモの芽だ。これには毒があるんだよ」

 

切り方が雑なのも言いたい所だが、今のクレナの習熟度で多数のことを求めるのは愚かと言える。

 

一つ一つ、面倒ではあるが、教えていく他ないのだ。

 

「先生、ごめんなさい! すぐに切ります!」

 

「いや、切るな! ちょっと待て!」

 

ジャガイモの芽自体に毒があるのに、何で切れば解決すると思うんだ……

 

それに、そのまな板で切っちゃ駄目だろ……

 

「ジャガイモの芽自体に毒があるから切ったって無駄だ。ピーラーの出っ張りがあるだろ? それを使って根元からほじくって取り除くんだ」

 

「はい! 先生」「後、そのまな板に乗せようとするな。流しの上でやるんだ」

 

「フフ……ユウヤ君ったら先生役、様になってるわよ」

 

「というか、他の女子はどうしたんだよ? アンジュ程ではないけど、ある程度は料理できるだろ?」

 

この戦隊には各隊員に暗黙のルールが幾つか存在する。

 

その一つとして、シンとクレナに絶対に料理をさせてはならないというものだ。

 

まあ、理由は明白である。壊滅的なレベルで料理が下手なのだ。

 

「そうだけど……折角なら上手い人に教わるのが一番かなって」

 

「自分自身が教えるっていう選択肢は無かったんですかね……?」

 

クレナの指導役としてアンジュに捕まったのは朝食を食べてからすぐだった。

 

食器を片付けようとしたら、名指しでアンジュに残るように言われ、ダイヤが恨めしく此方を見るのを横目に了承した。

 

そして、各隊員が食事を摂り終わり、食堂から出ていき、アンジュとクレナだけが食堂に残った。

 

「ユウヤ君から見て、どう? 教え子の様子は?」

 

「料理をするなって言われる理由が改めて良く分かったよ。とりあえずは、基本知識から覚えていくしかないな。包丁の持ち方はまだ、危なっかしいがある程度、形になってきたし……」

 

いや、むしろ包丁の持ち方まで覚えさせることが出来たというのは僥倖と言えるのか。

 

「あら? これは調理当番のメンバーを増やせることを期待して良いのかしら?」

 

「今のペースだと、一年以上は余裕で掛かるだろうけどな」

 

「あはは……それは大変ね」

 

「何? 二人で何の話?」

 

教育係の苦労を知りもせず、手の掛かる生徒は興味津々に聞く。

 

「クレナが包丁で自分の指を切ることを心配せずに済むかもって話さ」

 

「うっ……さっきのは、ちょっと忘れてだけだし……」

 

包丁の持ち方を忘れるって相当ヤバいけどな……

 

「フフ……あら、大変。もう少しでお昼よ」

 

アンジュの言葉通り、時計の針は11時を過ぎて、半になろうとしていた。

 

「え? ほんとだ……どうしよう?」

 

今から戦隊全員分の昼食を作るというのは至難の技だ。

 

いかんせん、食材の仕込みなどをしていればあっという間に腹ペコの戦隊員がやって来てしまうだろう。

 

厨房崩壊……とまではいかないだろうが、五月蝿く言われるのは目に見えている。

 

そんな事態は可能な限り、避けるべきだろう。

 

「アンジュは急いで食材を食べやすいサイズに切ってくれ。時間がない分、炒め物を中心に作るしかないけど、昼なら大して問題にならない」

 

「ええ、分かったわ。昨日の猪はどうする?」

 

「有り難く使わせてもらおう。残してても鮮度が落ちるだけだ。クレナ、炊けたご飯をそこの釜に全部、移すんだ。その後は洗い場で調理器具を洗ってくれ」

 

「分かった!」

 

このジャガイモの山はポテトサラダにするとして……主食は卵に余裕があるから炒飯だな。

 

脳内で冷蔵庫にある食材を踏まえて、すぐに作り、提供できる献立を考えていく。

 

主菜は昨日の猪の肉がまだ、冷蔵庫にある、鮮度もまだ問題ない。キャベツもあるし、回鍋肉にするか……

 

後は回鍋肉に使わなかったキャベツを塩ダレキャベツとして出せばいい。

 

「キャベツは水洗いをすることを忘れずにな。その後は炒め用ともう一方は千切りにして、そっちに塩を揉み込んで、四~五分加熱。ジャガイモも一度、水に晒して、レンジで四分、加熱しといてくれ。後、肉もバラのやつを丁度良い大きさに切ってくれ。」

 

「ええ、任せて!」

 

アンジュばかりに指示を飛ばして申し訳ないが、クレナに指示を飛ばしても絶対に付いてこれないだろう。

 

「持ってきたよ!」

 

指示を飛ばしてる内にクレナが釜にあった白米を全て移して持ってきた。

 

「よし、次はさっきまで使ってた包丁を最優先で、その後は移した釜を優先に洗うんだ。その後はアンジュが持ってきた物を洗うんだ。包丁の洗い方は覚えてるか?」

 

二つのフライパンを強火で熱しながら、クレナに問う。

 

「大丈夫! 刃の所を持つんじゃなくて、持ち手を持って刃背から洗うんだよね!」

 

「パーフェクトだ、クレナ」

 

ちゃんと教えたことを吸収できてる事を再確認出来たし、クレナに関しては問題ないだろう。

 

「……これは迅速にやらないとな」

 

白米の上で卵を割り、高速で卵と白米をかき混ぜて、絡ませていく。

 

本来なら、ちゃんとした中華鍋で作るのが一番良いのだが、無い物ねだりをしてもどうしようもない。

 

幸いなことに宿舎のコンロは火力は出るため、加熱不足のの心配はないだろう。

 

「アンジュ、キャベツとジャガイモは?」

 

「既にキャベツは上のレンジに、ジャガイモも下のレンジに入ってるわ。で、コレが炒め物のキャベツとお肉」

 

「流石だ、加熱してるキャベツとジャガイモの味付けは任せていいか?」

 

「ええ、中華スープの素とマヨネーズがあったからそれで良いかしら?」

 

「ああ、分量は任せるよ。キャベツは水切りを忘れるなよ?」

 

熱したフライパン二つに混ぜご飯を入れ、そのまま強火で熱していく。

 

そした、鶏ガラと醤油を取り出し、側へ控えておく。

 

「アンジュ、キャベツとジャガイモの方は?」

 

「ええ、もう少し!」

 

「よし、炒飯も調味料を入れてちょっと炒めたら完成だから、回鍋肉のタレを作っておいてくれ」

 

「分かったわ! 時間も迫ってるし、そっちもお願いね!」

 

「あいよ」

 

炒飯に鶏ガラと醤油を回し入れ、全体をさっと炒めていく。

 

「よし、炒飯は完成……クレナ!空いた釜を持って来てくれ!」

 

「は、はい! これで良い?」

 

「OKだ。後はアンジュの方にも器を持って来てくれ」

 

「分かった!」

 

どうにか……このペースならギリギリ、間に合いそうだな。

 

フライパンを軽く水で洗い、再び強火で加熱する。

 

然りとて料理に油断は禁物であり、況してや今がミスが許されない状況であることに変わりはない。

 

調理場は死人がでないとはいえ、其処に立つ者にとっては時間との戦いなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いただきます!』

 

戦隊の食堂に皆の声が響く。

 

本日の昼食は炒飯、回鍋肉、ポテトサラダ、塩ダレキャベツと炒め物を中心とした速攻調理品だ。

 

「どうした? ユウ。そんな疲れた顔して……」

 

「……別になんでもないよ。カイエ、それ美味いか?」

 

「え? ああ、普通に美味しいけど……」

 

「なら良かった」

 

すぐに作れる品目ばかりとはいえ、戦隊全員の分を用意するのは流石に疲れるものだ。

 

ふと、向かいの席に座ったアンジュが話しかけてくる。

 

「ユウヤ君。ほんとにお疲れ様。……病み上がりなのに無茶させて、ごめんなさい」

 

「いや、別に傷に障った訳でもないんだ。気にしなくても大丈夫だよ。むしろ良いリハビリになったくらいだ」

 

「そう……でも、今日はありがとう」

 

むしろ、アンジュには息つく間ももなく、指示をしてしまっていた。

 

かといって、クレナに任せれば、このキャベツとポテトサラダが暗黒物質に変化してるのは想像に難くない。

 

「ああ、そっちもお疲れさん」

 

これからは手伝ったりした方が良いかもな……アンジュだけでなく、他の当番の負担軽減にもなるし。

 

向こう側の席でレッカ達に、自らの厨房での武勇伝を語るクレナを見やり、思わず笑みを浮かべる。

 

「今日も、まったくいつも通りだな」

 

「???」

 

きっと何も知らないだろう、隣のカイエは首を傾げるだけである。

 

こうして、料理人の戦いは一部の関係者を残して、誰も知らないまま終わったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食後、クジョーとミナといった外へ出かける面々はファイドを引き連れて探索へと向かった。

 

宿舎に残った者も多くがこの大部屋に集まり、各自が好きなように過ごしている。

 

「誰だ? さっきからハートの8を止めてるのは?」

 

「いや、俺ではないけど?」「同じく」「私も」

 

そう言った俺の手札にはハート8が一枚。

 

「ほら、カイエ、早くカードを出せよ。出せないならパスで良いけど?」

 

「ぐぬぬ……パスだ! パス!!」

 

7に続くカードを出すことが出来ないカイエは、4回目のパスを行い、カイエが失格負けとなる。

 

「悪いな、カイエ。止めてたの俺だわ」

 

カイエが失格負けとなった為、8を止めておく必要が無くなった為、カイエの手札が置かれた隣に8を置く。

 

「流石、我らが小隊長殿。意地が悪いねぇ」

 

「そういうトウザンも、ダイヤの4で止めてるだろ? お互い様だよ」

 

「いや、俺じゃなくてミクリかもよ?」

 

「私じゃないわよ?」

 

我ながら調子の良い奴等だと思う、心の底から。

 

「……はぁ、パス」

 

ミクリも初手にカードを出しすぎたのが響いたのか、後に続くカードを使いきり、失格負けとなる。

 

「さて……」

 

ミクリが脱落した以上、ダイヤの4を止めているのはトウザン間違いない。

 

しかし、ミクリが脱落したおかげで、ダイヤの列には余裕が出来た。

 

この勝負は最早、勝ったも同然である。

 

「むぅ……」

 

「おや? 出せないのか? はい、ダイヤの11」

 

「くっそー……パス!」

 

ゲームセット、第4小隊における七並べは見事、小隊長である俺が制した。

 

そんな俺を見てた黒猫が可愛らしい鳴き声と共にこちらへとやって来た。

 

フフン、勝者ってやつは色々なものを引き寄せてしまうみたいだな。

 

「お前もそう思うだろ? にゃん吉?」

 

「ニャ~♪」

 

寄ってきた黒猫(にゃん吉)の顎の下を指で撫でてやる。

 

そんな中、セオが心ここに在らずといった感じで、宙を見ていた。

 

セオのやつ、あの事を気にしてんのか……よし!

 

「にゃん吉。あそこの狐に渇を入れてこい!」

 

「ニャっ!」

 

俺の言葉通りに黒猫(にゃん吉)がセオに向かって駆け出す。

 

「ん? うわっ!! いきなりどうしたのさ、シロ!」

 

黒猫が飛び掛かった拍子にセオが持っていたスケッチブックが床へと落ちる。

 

それを一連のやり取りを見てたダイヤが手に取る。

 

「セオ~。これ、顔が狐だし。後、何か怖いぜ?」

 

「しかも、顔が笑ってないぜ? お前、笑う狐(ラフィングフォックス)なのにさ」

 

ハルトとダイヤの言う通り、セオがスケッチブックに描いていたのは猫というより狐に見える生物であり、その顔もお世辞でも笑顔とは言えなかった。

 

「うるさいな……」

 

「気にしてるの? あの女に言っちゃったこと」

 

クレナがおそらく、セオが考えていることをドンピシャで言い当てる。

 

とは言っても、当の本人がそれを素直に認める筈もないのだが。

 

「気にしてない!」

 

「いや、やっぱり気になるわね」「確かに」「うんうん!」

 

アンジュに続き、レッカ、クレナと戦隊の女性陣が立ち上がる。

 

『セオ君!』

 

「何……って!?」

 

『そこに直れ~!』

 

その直後、女性陣に押し倒された。

 

「ちょっ……助け!」

 

……ダイヤ、羨ましそうに見てるけど、セオの反応からして明らかに助けを求めてるぞ。

 

憐れなセオ君、こうなった女性陣は男子のか弱い力では止めることは出来ないのだ。

 

君の犠牲は無駄にはしないとも……別に死なないけどね。

 

 

 

 

 

セオが解放された時には、いつも羽織ってるジャケットが奪われ、当のセオは不満げな表情を浮かべていた。

 

「気になってたのよね。ボタンが取れてたの」

 

アンジュがセオのコートのボタンを付けながらそう言う。

 

「あと、いっつもボタン1個だけ留めてるのも」

 

「……別に良いでしょ? そんな事」

 

「そういう所がセオらしいけど!」

 

「……昨日はらしくなかったよな」

 

「ああいう言い方はよくなかったけど、思い出しちゃったのよね? 狐の隊長さんを」

 

狐の隊長……確か、セオが前にいた部隊の隊長だったか……確かマークもその人から引き継いだんだっけか。

 

「はぁ……みんなして、どうしたのさ?」

 

「羨ましいのよ。セオ君はそういった良い人に出会えたんだから。私にはそうじゃない人ばっかりだったから……」

 

アンジュは月白種(アデュラリア)天青種(セレスタ)のハーフである。

 

つまり、共和国には86と見なされながらも、86達にとっては憎き白系種の血を引いた存在である。

 

そんな彼女に対してどんなことをするのかなど、想像に難くないだろう。

 

また、カイエもそうだ。この地域では極東黒種なんてあまり見かけないし、体格も総じて小柄なことが多いこともあって、部隊内でのイジメを受けるというのが何度もあった。

 

結局のところ、白系種によって86は差別されているが、86同士でもそんなことが起こり得るということだ。

 

セオの前の隊長やあの女ハンドラーのように86と向き合おうとする物珍しい白系種もいれば、86内にも、どうしようもないクズというのは一定数いる。

 

「ユウヤ君もカイエちゃんも、きっと大変だったんじゃないかしら?」

 

「ああ、まあ……あの時は確かにそうだな。悔しかったし、辛かったよ」

 

「最初の部隊の名前なんて、俺らの小隊だけ窓際族(ウィンドトライブ)だったもんな」

 

「はは、そういえば、そうだったな」

 

最初は窓際族だった奴等がここまで来るとなると、大出世も良いところだよな。

 

此処にいる戦隊員も様々な出会いを経験している。

 

クレナが白系種の中でも最悪のタイプを知っているように、シンやハルト、アンジュは同じ86にも差別された。

 

一方で、セオやライデン、シンは物好きな白系種に出会うことが出来た。

 

俺やカイエも、同じ86から後ろ指を差されて、ある事無いことを吹聴されて、互いに傷を舐め合うだけの関係だった中に"アイツ"が現れて……いなくなった。

 

十人十色、一期一会……俺の生まれた国では、人の違いや人との出会いに関してはよくこの言葉が言われる。

 

十人も居れば十人の色がいるように、一度の出会いが、最後の出会いとなることもある。

 

人の世界は幸福と憎悪、怒りと喜びといった様々な感情が飛び交っている。

 

それらは一見、個別の物に見えても、幸福の裏に誰かの不幸があるように、誰かの喜びの裏に誰かの憎しみがあるように、世界は一つに繋がっているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

セオが頻りに大部屋の針時計を気にしていた。

 

そういえば、この前までならあのハンドラーが同調してくる時間だったか。

 

昨夜は罵詈雑言の滅多打ちを喰らって、流石に同調はしてこなかったが、果たして今日はどうなるか……

 

ふと、ソファーに座り込み、二冊目の書籍を手に取ろうとしたシンの手が止まる。

 

「……はい、問題ありません。昨日のことはラフィングフォックスが言い過ぎましたが、あれが別に我々の本意という訳ではありません」

 

どうやら、同調対象をシンのみに絞って同調してきたようだ。

 

まあ、今の状況からして、それが無難な答えだろうな。

 

「……はい、分かりました。丁度、揃ってますのでお繋ぎします」

 

「シン?」

 

「ハンドラー……いや、ミリーゼ少佐が皆の名前を聞きたいそうだ」

 

シンのその言葉と共に耳のレイドデバイスが微弱な熱を抱く。

 

『戦隊各員……昨日も、これまでも……本当にすみませんでした。私はハンドラー、ヴラディレーナ・ミリーゼ……階級は少佐です……なりたてですが』

 

ハンドラーもとい、ミリーゼ少佐の言葉は続く。

 

『私は……貴方達を人として扱っていなかった。それを自覚もしていませんでした。拒絶されて当然の振る舞いを、私はずっと……していました』

 

「……」

 

誰もがミリーゼ少佐の声に耳を傾ける。

 

『それでも、もし……まだ、応えてもらえるのなら、今からでも名前を……皆さんの本当の名前を教えて下さい』

 

「いや、別にシンから聞けば良いじゃん。めんどくさいな」

 

『それも考えました。けれど、皆さん本人から教えて頂いた訳ではありません』

 

初対面から抱いていた印象だけど……ほんと馬鹿みたいに真面目だよな。このハンドラー……

 

いや、ミリーゼ少佐……だったか。

 

「……はぁ、余計なことを」

 

「気にしてたんだろ? 内容は兎も角として、言い方を」

 

シンの言葉に流石のセオも折れたのか、渋々、口を開いた。

 

「……僕のジャガーノートのマークは笑う狐なんだけど、これ、別の人から引き継いだんだ」

 

『それは……?』

 

「最初に配属された隊の戦隊長だった。馬鹿みたいに陽気で、明るくて、元軍人で、馬鹿みたいに強くて――」

 

『……』

 

「――あんたと同じ白系種だった。86だけ戦わせるなんておかしいって最前線まで戻って来た物好きでさ……その人のことは大嫌いだったよ」

 

『そんな方が……いたのですね』

 

「でも……最後まで帰らなかった。……他のプロセッサーを逃がすために殿を引き受けて、最後まで戦って……死んだよ」

 

昔、誰かが言っていたが、戦場では誰かを気に掛けている人ほど、早く死ぬそうだ。

 

己の理想を信じる者、感情に流される者が淘汰されていくと……

 

「別に……あんたに隊長と同じことしろとか、思ってるわけじゃないよ。ただ……壁の中にいる以上、あんたは僕達とは対等じゃないし。あんたを仲間とは認めない……ただそれだけの話」

 

『カイエが良い人がいたと言っていましたが、その人だったのですね』

 

「別に隊長だけじゃないよ。でも、全員、その人なりに戦った。あんたらが作り出したこの腐った世界とね。……はい、どうでもいい話終了。ああ、僕はセオト・リッカだ。セオでもリッカでも可愛いクソ豚ちゃんでも好きに呼んでよ」

 

『ごめんなさい……昨日までは本当に……』

 

「ああ、もう良いよそれ……面倒くさいな。ほら、次!」

 

「戦隊副長、ライデン・シュガだ。まず、最初に謝っておく。あんたが毎晩つないでくるのを、俺達は聖女気取りの偽善者の豚が脳内おめでたいって嗤ってた。それについては悪かった」

 

『はい……』

 

「それを踏まえてだ。セオが言った通り、俺達はあんたを対等とも仲間とも思わない。あんたは俺達を踏みつけた上で、上から綺麗事を吹いているアホだ。それはどうやっても変わらないし、俺達もそうとしか見なさない」

 

流石、ライデン……意外と厳しいことを言うな。

 

「それでもいいって言うなら、これまで通りに暇潰しの相手をしてやるが、個人的にはそれも勧めねぇ。あんたはハンドラーには向いてない。悪いことは言わない、辞めた方がいいぜ」

 

『ふふ……暇潰しにでもなれるのなら、またこれからも繋がせてもらいます』

 

「そうかい……おっと忘れてた。ユウが言ってた地図、とっとと送ってくれ。昨日は泣くのに忙しくて忘れてただろ?」

 

『は、はい! すぐに!!』

 

「あー、あともう一つあんたに話をさせたい奴がいる。ユウ」

 

ライデンがこちらへと目配せをしてくる。

 

って……この流れで俺かよ。

 

「あー……どうも、昨日ぶりです。ハンドラー……いえ、ミリーゼ少佐」

 

『この声は……まさかフェアリー!? だって昨日……!!』

 

シン……報告したんじゃなかったのかよ?

 

「まあ、悪運が強いというか、無事に五体満足で生き延びたもので……戦死報告を取り下げて貰えると助かります」

 

『は、はい!! 地図と同様にすぐ!! あ、あの……』

 

「あー……忘れてました。俺はユウヤ・カジロっていいます。呼び方はどうぞ、少佐がお呼びやすいように」

 

『はい! よろしくお願いいたします! ユウさん!!』

 

ユウさん……これはまた、初めてのパターンが来たな。

 

「こちらこそ……他の面々に変わりますね」

 

こうして、各々による自己紹介が始まる、同じ自己紹介でも淡々と名前だけを述べるの者、何かアクションを入れる者と様々だ。

 

『……皆さん、ありがとうございます』

 

 

果たして、ミリーゼ少佐が最後まで付いてくるのかは分からない。

 

最初のところ、シンの"あれ"を聞く前に居なくなるだろとか、思っていた。

 

こうして一つわだかまりが解けたところで、少佐と俺達を取り巻く環境はまるきり違う。

 

だからこそ、シンの"あれ"に耐えられるのか、俺の興味要素の一つだ。

 

耐えられないならそれまでだし、耐えられるのなら俺の"彼ら"を見せたって良い。

 

先に"見て"しまえば、答えが解るだろうが、何時になるか分からない光景を見るのも疲れるし、何より前情報なしで見てみたい。

 

暗い廊下で"妖精"が笑う、それが人を導く笑みなのか、それとも人を貶めるための嗤いなのか……その答えを知るのは当人のみだ。

 

 

 

 

 

 

 

"Principle is OK up to a certain point, but principle doesn't do any good if you lose." - Dick Cheney

理念や信条もいいが、戦争に負ければ何の役にも立たない。 ―― ディック・チェイニー

 




そろそろ日常回メインに一つ執筆してみたいところ

追記:誤字修正しました。報告ありがとうございます


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7話

誤字報告助かります……筆者の低い国語能力を露呈させて申し訳ありません。


A man may die, nations may rise and fall, but an idea lives on." - John F. Kennedy

人は死に、国家は興亡するかもしれないが、思想は生き続ける。 ―― ジョン・F・ケネディ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 6月30日

 

 

 

 

 

本来、レギオンの襲来に備え、各部隊のプロセッサーは哨戒を行い、レギオンの襲来に備えていなければならない。

 

この部隊スピアヘッドのように各々が好きなように過ごすというのは、以ての他である。

 

そして、哨戒をサボるという行為も、普通なら裏切り行為と捉えられても文句は言えない。

 

故にこの部隊が特別なだけであって、他の部隊の基地というのは酷く静かかつ、全てを諦めたような表情をしている者ばかりである。

 

更に、担当のハンドラーと日常会話をしているのも、おそらくこの部隊だけではないだろうか?

 

『成る程。ユウさんとカイエは最初の部隊から一緒だったんですね!』

 

「ああ、何だかんだ四年の付き合いになるかな」

 

「そうですね……この部隊でもカイエが一番、付き合いが長いです」

 

『凄いじゃないですか! 二人は以心伝心の関係なんですね!』

 

女子っていうのは何故、こんな他愛もない話で盛り上がれるんだ?

 

というか、この会話に俺がいる意味あるのか? 無いなら寝てて良いかな……?

 

「ハハ、以心伝心……とまではいかないけど。ユウの考えてることはある程度は分かったりするよ」

 

カイエさん? そう言うなら、私の考えを察してくれません?

 

できれば、この会話から離脱したいです。

 

あと、女子の会話に男子一人を置き去りにしないで欲しいです。

 

我らのハンドラー――ミリーゼ少佐に名前を教えたあの日から以前から行っていた定時連絡に加えて、こういった非戦闘時に同調してくるようになった。

 

内容は仕事のことやらプライベートの話やらと様々だが、こちらの人間関係についてもたまに聞いてくる。

 

主に戦隊長であるシンに同調してくることが多く、シンが相手する事がほとんどだ。

 

しかし、本日は当の本人が外出している為、留守番の俺とカイエが対応している。

 

まあ、大方、自分が読む為の本を探しに行ったのだろう。

 

ああ、そうだ……シンで一つ思い付いた点があった。

 

「というか、少佐殿はシンの話になると饒舌になりますね。何か口説かれましたか?」

 

『えっ!? い、いや、別にそういう訳では……そんな饒舌になってましたか……?』

 

おやおや、無意識の内とは……シンも罪な男だよな。

 

「ハハ……俺が思うに、少佐殿は分かりやすい性格をしてると思います。現に今の声だけのやり取りでもシンに特別な思い入れがあるというのを感じますよ」

 

『そ、そんな分かりやすいでしょうか? 私って』

 

……そういうところが分かりやすいって言ってるんだけどな?

 

「まあ、悪いことはではないと思いますよ。それは少佐の感性が豊かという証拠ですし、何より、無反応よりは断然、良いと思います」

 

『フフ……よく人を見ているんですね』

 

「前の部隊での小隊長が、耳にタコが出来る程、言ってたので……意識するようにはしています」

 

「ユウ……」

 

目の前の仲間を守れない奴は豚以下の人でなしだ……確か、そんなことを"アイツ"は言ってたな。

 

結局、そんなことを信条にしてるから……"アイツ"は彼処で死んだんだろうな。

 

って……今の俺も人のことを言えないな。

 

『……ユウさんも、その人の思いを受け継いできたんですね』

 

「そんな大層なことじゃないですよ。それに背負ってる重さはシンの方が断然、重い筈です」

 

死人に引っ張られるとロクな目には遭わない――そんな事なんて分かりきっている。

 

けど、彼等に託されたものを無下にする事など出来ない。

 

彼等の命を踏み台にして進んだ道は険しく、これからもその道は続いていく。

 

だからこそ、結局は自身の背中に背負っていかなくてはならないのだ。

 

其処にいる"彼等"が目指したことを、自らの命を賭けてでもやろうとしたことを引き継がなくてはならない。

 

俺達は常に見られている――だからこそ、俺は……

 

「っ!?」『え? な、何……?』

 

脳裏に映るのは降り注ぐ銃弾と、ロケット――見慣れた機械の化け物達。

 

「カイエ、散歩組にすぐに戻るよう伝えてくれ。おそらく、シンにも"声"が聞こえてる筈だ」

 

「分かった。時間は?」

 

「今から二時間半だ。……シンか?」

 

レイドデバイスに熱が宿ると同時に、我らが死神の声が聞こえるようになった。

 

『ああ、レギオンが来る。……少佐も居たのですね。丁度良かったです。ユウにも言った通り、レギオンが来ます』

 

『え!? ですが、こちらでは何も……』

 

「いいえ、今から二時間半後に、確実にレギオンが来ます。理由は追々説明しますので……今は先に失礼します」

 

少佐との同調を切り、シンに先程、見えたビジョンの報告をする。

 

「編成は斥候型、近接猟兵型が主軸のパターンで、戦車型の姿は見えないな。それと――」

 

『ああ、今回は"黒羊"が多い。何時ものよりは侮れないだろうな』

 

ほう、そうなると……今回で少佐とはお別れすることになるかもな。

 

「少佐はどうする?」

 

『同調を切るように言うつもりではあるけど……切らないなら、どうしようもない』

 

あの生粋の真面目様が同調を切るように言ったところで、素直に聞くとは思えないが……

 

俺らの戦場の現実を知る良い機会と捉えるべきだろうか。

 

「分かった……カイエ、行くぞ」

 

「ああ、ユウ……少佐は"あれ"に耐えられると思うか?」

 

「さあな……其処までは見てないから分からないけど。耐えられないなら、その程度でしかなかったっていう証明になるだけだ」

 

「……そうだな」

 

戦場というのは仲良しこよしの場所じゃない。

 

適応できないなら淘汰され、耐えられないなら生き抜けない。

 

むしろ、少佐は今、篩に掛けられている。

 

今までの俺達のハンドラーのように、適当な言葉だけを言って去ることになるのか、それとも俺達のハンドラーを続けられる人材であるのか。

 

それは俺達や他の奴等ではなく、少佐のみぞ知ることだ。

 

 

 

 

 

 

 

阻電攪乱型が作り出した霧の下、ジャガーノートが走る。

 

未だ、敵の姿を目視で捉えてはいないが、シンと同調している戦隊メンバーには"あれ"が聞こえ始めている。

 

『――』

 

確かにこれは数が多いな……ここまで離れてても、もうノイズとして聞こえてくるなんてな。

 

"あれ"を聞くのが、初めてとはいえ、初めてがこれとは……お気の毒に。

 

『お待たせしました。戦隊各員、今日もよろしくお願いします』

 

『あいよ、第2小隊。展開完了だ』『第3小隊も同じく』

 

『了解、各小隊は現在地点を維持。敵部隊の侵入と同時に攻撃を開始しろ』

 

モニターにはレギオンの接近を警告するアラートと既に近距離レーダーが感知した無数の敵マーカーが映っている。

 

ほんと、毎度飽きずに大勢でのご来場、ご苦労なことで……

 

『あの……ノウゼン大尉、カジロ少尉も何故、レギオンの襲来が分かったんですか? ノウゼン大尉はまだしも、カジロ少尉は哨戒には出てなかった筈ですよね?』

 

『――て』

 

『っ! この声……』

 

遠くのノイズでしかなかったそれは、レギオンの接近ともにクリアになっていく。

 

この距離でも、向こうも声だと判別できるのか……これ以上、近付かれると頭の中に一気に来るぞ。

 

『少佐、パラレイドを切ってもらえませんか? 今回は黒羊が多い。俺と同調しているのは危険です」

 

『危険って……それに黒羊とは?』

 

『それについて知りたいならば、後で説明します。もう時間がありません。同調を切ってください』

 

『……パラレイドなしでは状況の確認が出来ないでしょう。同調は切りません』

 

ほんと、バカみたいに真面目だよな……時にはそういう考え方が命取りになることだってあるんだぞ?

 

そんな意図があることなど、当然だが、向こうは知りもしない。

 

『……忠告はしましたよ』

 

溜め息と共に吐かれる言葉、前のハンドラーでも、その前のハンドラーもやったこのやり取り。

 

死神の忠告は既に済んだ、後はこのハンドラーが膨大な叫びに耐えられるか……

 

『ノウゼン大尉! 突出し過ぎです!! そのままでは包囲されてしまいます!』

 

『――かあさん』

 

『え? これ……なに? ノイズ、じゃない……これは……声?」

 

そして、アンダーテイカーがレギオンの群れへと飛び掛かると同時にその声の全容が明らかになる。

 

『かぁさんかあさん母さんカァさんカアさんかあサンカァさんカアサンカァサん母サンカァサ――』

 

『イヤだいヤだイやダイやダイヤだいヤダイヤだいヤダイヤだイやだイヤダイヤだいヤダイヤ――』

 

『熱いあついアツいアツイアついアついあツい熱いあついアツいアツイアついアつ――』

 

『助けてタスケテタスけて助けテタスけて助けてタスケテタスけて助けてタスケテタスけて助けてタスケ――』

 

母を呼ぶ声、身を焼く熱に苦しむ声、死の間際に助けを求める声。

 

どれも共通して、死の間際の瞬間に抱いたであろう感情の残滓……死人の嘆きの交響曲。

 

『イヤ……いや……! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』

 

ハンドラーの耳をつんざくような絶叫も死人の嘆きと合わさり、溶け合っていく。

 

こんな異常の光景であっても誰も気にしたりはしない――いつも通りの戦場だからだ。

 

『ミリーゼ少佐! クッ……切りますよ?』

 

まあ、初回でこの量の"声"だもんな……こうなるのは無理もないか。

 

俺らには、いつも聞こえてくる雑音でしかないが、向こうの少佐にとっては地獄だろう。

 

なんせ、無数の死人の声が耳を塞いでも、脳内に直接、響くのだ……ミリーゼ少佐と違い、典型的な共和国軍人だった前任者も結局はこれで壊れた。

 

「ったく……ほんと、いつも五月蝿いな!』

 

目の前の近接猟兵型の腹を裂き、そのまま、斥候型へと飛び掛かる。

 

しかし、側にいた近接猟兵型が対戦車ロケットで迎撃してきた為、目の前の斥候型をブレードで斬った直後、廃墟の支柱にアンカーを撃ち込み、大きく横に跳躍して回避する。

 

「向こうも対応が早いな。近接猟兵型の半分以上は中身入りか。……キルシュブリューテ、シリウス」

 

『どうした? フェアリー』『おう、どうした?』

 

「向こうで侵攻している敵部隊の一部を引っ張ってくる。敵がキルゾーンに入り次第、そのまま、上から撃ち降ろしてくれ」

 

『『了解』』

 

ジャガーノートの走行スピードを上げて、通りの廃墟に向けてワイヤーアンカーを撃ち込む。

 

ワイヤーが巻き取られると同時に、身体が地面から離れていく感覚を覚えながら、斥候型と近接猟兵型の群れの頭上へと躍り出る。

 

斥候型による迎撃の機銃掃射と近接猟兵型のロケットが空に向けて放たれる。

 

銃弾とロケットによる歓迎をすり抜けながら、アンカーを撃ち込んだ廃墟の外壁を蹴り、再びアンカーを地面に撃ち込んで、地上へと戻る。

 

そして、全速力で指示したキルゾーンへ機体を走らせる。

 

「よし、それなりに釣れたな……お前ら準備しとけ。30秒後にはキルゾーンに敵が入るぞ」

 

『了解』

 

後方から無数の機銃掃射と対戦車ロケットによる追撃が迫ってくる。

 

後、150……100……50……今だ!

 

廃墟にアンカーを撃ち込み、進路を大きく横へと変える。

 

そして、通りに出てきた斥候型と近接猟兵型が頭上からの攻撃を受け、爆散する。

 

「ナイス。援護。さて、残りは俺が頂くかね」

 

その言葉とともに、足が止まった一団に対し、ブレードを展開して飛び掛かった。

 

死人の嘆きが木霊する中、ミリーゼ少佐の絶叫はもう……聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

86に暖かいシャワーというものはない、基地にあるシャワーも温ければまだ良い方で、場所によっては普通に冷たい水が一年中出てくることもある。

 

スピアヘッド戦隊が使っているこの宿舎は、幸運にも前者のほうで、冬でも冷水で身体を洗う辛さを知っている身としては非常にありがたい。

 

まあ、贅沢を言えば、温水の方が断然良いのだが……

 

「隣、良いか?」

 

「ん……」

 

隣に座るカイエはシャワーから上がったばかりなのか、瑞々しい雰囲気を醸し出していた。

 

「今日はお疲れ様。何かとみんな気張ってたな……」

 

「やたらと黒羊が多かったからかもな……皆も慣れてるとはいえ、気持ちが良いものじゃないのは確かだし」

 

死人の声が聞こえるというのは、別に気にならない。

 

ここで戦っていれば、もう助からない仲間が『死にたくない』と嘆きながら死ぬのなんて日常だ。

 

死に方も機体諸共に木っ端微塵になるなら、まだ幸運な死に方だろう。

 

顔が削げて、手足がふっ飛んで、内臓がはみ出て、身体が焼けて……助からないのに、死ねない奴の声より、とっくに死んだ奴の声はその認識がある分、まだ良い。

 

「……そういえば、そろそろ少佐が繋いでくる時間だな」

 

「ん? ああ……今日は繋いでくるのかな?」

 

シンと同調して、あの声を聞いたハンドラーが再び同調してくることはなかった。

 

少佐がどちらになるのかは分からないが、今日の様子を見ると前者の可能性が高いように思える。

 

「……成る程。気になるのは俺達だけじゃないようだ」

 

「え?」

 

俺達以外にも、ハルトはトランプ・タワーを作りながら、時々シンの方を向いており、セオも絵を描きながら、度々シンの方に視線を向けている。

 

皆もやはり、少佐が再び繋いでこれるのか、興味があるんだろう。

 

そして、大部屋の時計が、少佐が定時連絡をしてくる時間を差した――

 

『……』

 

皆が沈黙する中、何時ものようにレイドデバイスが熱を持つことはない。

 

――繋いでこない……か。まあ、予想はしていたけどさ。

 

少佐のように理想を抱きがちなタイプの人間が挫折する理由として、絶対の現実を知ることと、忘れることが出来ない苦痛を受けるというものがある。

 

過ぎた理想というのは結局は身を蝕んで、やがては身を滅ぼすものだ。

 

そう考えると、むしろ、今回は少佐には良い機会になったのかもしれない。

 

自分が抱いていたものが、所詮は都合の良い幻想であったということの再認識。

 

そして、何よりも俺達に関わるということがどういうことなのか、嫌でも思い知らされただろう。

 

これでシンもまた、報告書をでっち上げないでよくなったな。

 

皆が沈黙を解き、各々の時間へ戻ろうとしたときだった。

 

「……ええ、構いません。少佐」

 

皆の視線が一気にシンへと集まる。

 

……いやはや、てっきりもう繋いでこないものかと……大した胆力だ。

 

『戦隊各員、今日はお疲れ様でした……それと、戦闘中に取り乱してしまい、申し訳ありませんでした』

 

「いえ、構いません。少佐もお疲れ様でした」

 

『申し訳ないのですが……ノウゼン大尉、カジロ少尉。三人で話したいのですが、よろしいでしょうか?』

 

「構いません」「俺も問題ありません」

 

『ありがとうございます。あの、早速……本題なのですが、戦闘中のあの声は一体、何ですか? そして、カジロ少尉もどうしてレギオンの接近が分かったのですか……?』

 

ああ、そういえば戦闘前に理由は追々、教えるって言ったっけ……

 

「……ユウ、構わないな?」「俺は別に問題ないよ」

 

シンがこちらを見やり、最後の確認をする。

 

こうやって同調していれば、いずれは露呈するとは思っていた。

 

だから、問題もないし、少佐の上司も86相手にわざわざ手間を取ろうとしないだろう。

 

「昔、死に損なったことがありまして……というより、多分俺はそこで死んだんでしょうね」

 

『え?』

 

「だから、聞こえる……俺と同じ、死んだ筈なのに消えられない。あの亡霊の声が」

 

『亡霊……でも、彼処にいたのはレギオン……でしたよね?』

 

「彼らもまた、亡霊でしょう。帝国の滅亡と共に存在価値をなくしてしまった、亡国の軍勢なのですから』

 

ある意味、レギオンと86は同じ立場にあるのかもしれない。

 

俺達は帰る場所をなくして、上の命令通りに戦うことが一つの存在意義になってしまっている。

 

一方で、レギオンも既に亡き帝国のプログラムに従い、人類へ攻撃を続ける。

 

そして、彼らも帰るべき帝国は既になく、彼らを創った者も既にいないだろう。

 

結局は、お互いに守る価値がないものに縛られた戦いをしているのだ。

 

『つまり……貴方方がレギオンの襲来を事前に察知できるのは……」

 

「はい。彼らの声が俺には聞こえるからです。近づいて来ればいつでも、寝ていたとしても分かります。そして、ユウも似たようなことができます」

 

『似たようなこと……?』

 

「少佐、俺の説明をする前に一つ、聞かせてください。少佐殿は占いを信じますか?」

 

『え? 私は……別に信じたりは』

 

まあ、そうだろう。占いを全面的に信じている人間なんて殆どいない筈だ。

 

「では……もし、それが100%当たるものならどうですか?」

 

『100%って……未来のことをそんな確実に言い当てるなんて』

 

「それが俺には出来ます。レギオンの接近は勿論、領域侵攻してくる時間、その編成、攻撃パターン、攻撃の着弾位置――見ようと思えば全て分かります」

 

『それって……未来が分かるということですか!? そんなの――』

 

「――有り得ない、と思うでしょ? ですが、貴方が管制するようになってから度々、その場面があった筈です」

 

『っ! まさか……長距離砲兵型の砲撃の対処も、この前の戦闘でカイエが湿原に向かっているのに気付いたのも……」

 

「はい、見えていました。だからこそ、少佐殿よりも早く対応することが出来たのです」

 

『そんなことが……」

 

「勿論、制約はあります。未来視の負荷は対象とした未来の時間や情報の数が多くなればなる程、大きくなります。酷い場合は命に関わるほどに…… また、一定間隔の時間で区切ったり、短い間隔にしたとしても、使いすぎれば、俺の身体が保たないでしょう」

 

それにあくまで、未来の情景が見えるだけなので、本人に対処する能力がなければ、意味はないものとなってしまう。

 

『……いつから、そうしたことが出来るようになったのですか?」

 

「大体、二年前からです。シンとは違った要因ですが、二年前に戦場で死に損なったことがありまして……その時から見えるようになりました」

 

『カイエも……このことを知っているのですか?」

 

「カイエどころか、戦隊の皆が知っています」

 

『……ノウゼン大尉もカジロ少尉も。その……辛くないのですか?」

 

「……」

 

「慣れました。長い付き合いですから……』

 

シンが読んでいた本を閉じ、立ち上がる。

 

そろそろ、この宿舎の消灯時間か……俺も部屋に戻るか。

 

ふと、シンが口を開いた。

 

「この戦争はあと2年程で終わると、共和国政府はそう予測していますね?」

 

『何故、それを!?」

 

「セオが件の隊長から聞いていたそうです」

 

「レギオンには寿命が設定されていて、その残り時間があと2年弱。そうですね?」

 

『はい……生物の脳を模したレギオンの中央処理装置。その構造図はあと2年で使えなくなります』

 

「構造図が失われるなら、その前に別の構造図で代替すればいい。戦場にいくらでもある材料で」

 

『それは……』

 

「生物の中でも特に発達した中枢神経系を持ち、この戦場では幾らでも手に入る材料――人間の脳です」

 

『……っ!』

 

向こうが息を飲むのを感じる。

 

共和国政府は86の戦死者の遺体を葬ることを禁じている。

 

そのため、86の戦死者の遺体は仲間が処理しない限り、そのままで放置されることになる。

 

「尤も、脳そのものでは腐敗してしまうし。同じ声のレギオンも複数体確認しているので、正確には脳の構造をコピーしたものでしょうが……」

 

『それが……黒羊』

 

白い羊の中に紛れる亡霊憑きの黒い羊。まあ、もっとも……今では黒羊の方が多いのだが。

 

「少佐、この戦争は貴女方が負けます」

 

『それはどういう……』

 

「構造図を上書きしたレギオンは2年後も機能を停止しないでしょう。しかし、86はどうですか? 今、生き延びているのは子供だけ。しかも、殆どが戦場にいます」

 

ジャガーノートの年間の総生産台数は約10万台と言われている。そして、同様に各戦線へ配属される86の総数が10万人程である。

 

つまり、損耗率100%といっても過言でない値の被害が毎年、出ているのだ。

 

「俺達はやがて、絶滅するでしょう。その時、貴女達は戦えますか? 兵役も戦費の負担も自分以外の誰かに押し付けることを覚えてしまった貴女達が」

 

昔からそうだ……どの国も敗戦が明確になれば、誰もが狂っていく。

 

シンの言う通り、86が絶滅すれば、共和国の市民から徴兵する他ない。

 

しかし、共和国市民は断固拒否するだろう。軍部の発表では優勢に終わる筈だった戦争だから。

 

となれば、強制動員する他ないが、今の戦場は、たかがマニュアルを叩き込まれただけの人間が生き残れる程の甘い環境ではない。

 

大半が投入と同時に溶け、同数又は半数程がレギオンとなって還ってくるだろう。

 

『それは……ですが、レギオンの数は数年前から比べればもう半分近くにも!』

 

おそらく、少佐も分かっているのだろう。敗北という明確な未来を認められないだけであると。

 

「観測できる範囲では、でしょう? 確かに貴女方が観測できるレギオンの数は減っています。しかし、それは後方で控える数を増やしているだけに過ぎません」

 

『戦力の温存と増強……レギオンにそんなに知能が』

 

「ない筈だった。それがもう一つの敗因です」

 

レギオンが戦場で手に入れる戦死者の頭部は多くの場合、戦闘で損傷している。

 

しかし、それを差し引いても黒羊は高い処理能力を獲得する。

 

では、もし損傷のない、完全な状態の人間の脳を取り込んだレギオンがいたとしたら?

 

「本来、プログラムの命令で動くレギオンを統率し、指揮する亡霊達の指揮官。俺達は"羊飼い"と呼んでいますが、これが指揮する軍勢は通常のものより、遥かに手強いです」

 

『待ってください……そんな、存在が既に実在してるのですか!? まさか、その声も……』

 

「はい、聞こえています。指揮官の声はよく通るものですから……そうだ、この第一戦区の奥にも一機います」

 

隣を歩くシンを月明かりが薄く照らす、どんな顔をしているかは分からなかったが、僅かに笑っているような気がする。

 

『……でも、共和国が滅びると言ってもそれは何年か後にあなた達が全滅してしまってからの話ですよね……?』

 

「……? はい、そうなります」

 

『それなら……その前にレギオンを壊滅させてしまえばいい。レギオンの接近を看破し、その未来さえも看破出来るお二人がいれば、精鋭のあなた方なら可能なのではないでしょうか?』

 

俺達に聞いている筈なのに、何処か自分へと言い聞かせているような少佐に思わず苦笑いを浮かべる。

 

「まあ、十分な装備と人員と時間を頂けるのであれば……可能かもしれませんね」

 

『それなら勝ちましょう。私も一緒に…… 私も全力を尽くします。敵情の分析、作戦の構築も……私に出来ることは全て』

 

……ほんと、いつか騙されるんじゃないかって不安になるくらい馬鹿真面目だなこの人。

 

『ノウゼン大尉は今年で任期満了。カジロ少尉も任期満了目前じゃないですか……だから勝ちましょう、お互いに』

 

「……そうですね。そろそろ、良いですか? 消灯時間です」

 

『あっ……遅くまでごめんなさい。お二人とも、おやすみなさい』

 

少佐との同調が切れ、廊下には沈黙が訪れる。

 

「少佐に言わないで良いのか? "あの事"を」

 

「ああ、今は良いだろ……知らない方が少佐もやりやすい筈だ」

 

確かに"あの事"について話したら、少佐が泣きそうだよな。

 

「そっか……それならいいや。遅くまでお疲れ様、おやすみ」

 

「ああ、ユウもお疲れ。おやすみ」

 

少佐はまだ知らないようだが、俺達は任期満了で共和国市民に戻ることは絶対にない。

 

その理由を知ったとき、少佐はどんな反応するのやら……

 

一瞬、その情景を見ようかと迷ったが、少佐が"あの事"を知る日は必ず来るのだ。

 

その時に言いたいこととか、まとめて言ってやればいい。

 

「……はぁ」

 

分かっているよ……もうすぐ、もうすぐだ……俺もそっちに還れるさ。

 

 

 

 

 

 

 

"It is fatal to enter any war without the will to win it." - General Douglas MacArthur

勝つ気がないのに戦争に突入することは致命的である。 ―― ダグラス・マッカーサー将軍

 

 

 




少佐を曇らせることに生き甲斐を感じる


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8話

お疲れ様です……


"Keep looking below surface appearances. Don't shrink from doing so just because you might not like what you find." - Colin Powell

物事の裏側を見極めろ。もし見たくないものがあっても尻込みしてはいけない。 ―― コリン・パウエル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2144年 4月5日

 

 

 

この日、俺達はプロセッサーとしてジャガーノートの部品となることを強いられた。

 

強いられたって言っても、建前上は志願したという形であるので、ここに居るというのは俺達の意思となっているらしい。

 

まあ今更、そんなことを気にしたって、もうどうにもならないのだが。

 

『――』

 

遠くの雑音に合わせて音楽プレーヤーの音量を上げる。

 

くだらない戯れに混ざる気など、さらさらないし、向こうも俺のような人種がいるのも望みではないらしい。

 

どうぞ、こっちに面倒がかからない範囲で好きにやってくれ。

 

「――」

 

……さっきからしつこいな、こいつ。こっちの対応からして、関わる気がないことぐらい察しろよ。

 

先程からこちらに話し掛けてる奴がいるのは気付いていたが、適当に無視してればいなくなると思っていた。

 

しかし、こちらの予想は綺麗に外れ、無視し続けるこちらに対して何度も話し掛け続けてきた。

 

無視してるんだから、勝手にすれば良いものを……真面目なのか、それともただの馬鹿なのか。

 

どちらでも良いが、こっちもいちいち、話し掛けられると、一人の時間を満喫することが出来ない。

 

さっきから……めんどくさいな、適当にあしらっておくか。

 

「……さっきから何?」

 

「あっ……隣、良いかな? ……向こうに私の席は無いみたいでな」

 

黒髪のポニーテールの少女がばつが悪そうな表情で、同席をしても良いか聞いてきた。

 

たかが、そんなことでさっきから話し掛けてたのか? こいつ……生真面目にも程があるだろ。

 

「勝手にすれば良いじゃん……別に誰の席って訳じゃないんだし」

 

「いや、さっきから集中して音楽を聴いていたみたいだし……勝手に座って邪魔したら悪いじゃないか」

 

どうやら先程までの無反応を音楽を聴くのに熱中していたと捉えていたらしい。

 

……もしかして、馬鹿なのか? この女。

 

「あっ。自己紹介が遅れて申し訳ない。私はカイエ・タニヤという。君は……?」

 

「自己紹介って……明日、死ぬかもしれない奴のことを知って、何の意味あるのさ?」

 

俺達のような86はレギオンとの戦いにおける人柱でしかない。

 

今、この宿舎にいる少年少女の両親や先に戦場へ行った大人達のように、俺達は確実にこの戦場で死ぬ。

 

そんなことなんて誰もが分かっているからこそ、向こうの連中のように一時の快楽に酔いしれる。

 

それが少数の誰かを吊し上げるようなことでも、どうせ死ぬのだからという理由で片付けられのだ。

 

「むっ……初めて会ったら自己紹介をするのは、当たり前じゃないか」

 

「そうかい……ユウヤ・カジロ。これで満足か?」

 

名前を言った途端、彼女――カイエの表情が途端に笑顔になった。

 

……そういえば、この黒髪に象牙色の肌、そして黒い瞳ってことは極東黒種か。

 

成る程、向こうの戯れで席がないって言ったのはそういうことか。

 

どうやら彼女も俺と同じ、向こうに仕組まれた溢れ組のようだ。

 

「その……失礼かもしれないが、ユウは何処の生まれなんだ?」

 

「何処って……見ての通り、極東の島国だよ。ハーフだけど、五歳になる前はそっちに住んでた」

 

俺の両親は母がカイエと同じ極東黒種、父が焰紅種で、どうにもお互いに良家の生まれだったらしい。

 

そのため、両方の家族の干渉を逃れる為に共和国へ移住したとか……尤も、詳しいことは当の俺はもう覚えていないのだが。

 

「そうなのか! いや、私も見ての通り、極東の国がルーツでな――」

 

そう言ってカイエは堰を切ったように自分のことを話し始めた。

 

その殆どが俺からすれば、当たり前のことではあるが、無視しても面倒なことになるだろうし、とりあえず聞き流す程度には耳を傾けておく。

 

……当初は生真面目と思ったのだが、自分と同じ仲間が欲しかっただけだったのかもしれないな。

 

まあ、聞くだけならタダだし……どうせ今日が最後かもしれないしな。

 

これが窓際族結成もとい――カイエ・タニヤとの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 7月27日

 

 

 

 

レギオンの襲来に春だろうが、夏だろうが、季節は関係はない。

 

向こうが攻撃してくると思い立った時にやって来るのだから、雨の日だろうと、風の日だろうと、今日のような太陽が照り付ける日だってやって来る。

 

まあ、戦場に着けば、上空の阻電攪乱型の霧である程度はマシになるし、そんなことを気にする余裕なんてないから平気だろう。

 

『暑い~暑いぜ……暑い~』

 

「クジョー、さっきからしつこいぞ。こっちまで暑くなるだろ」

 

『でも、実際に暑いじゃん』

 

暑いからこそ、別のことを考えて少しでも気を紛らそうとしてんだよ。

 

『すっかり、夏だな……蝉も鳴いてる』

 

「夏の風物詩にしては、ちと五月蝿すぎるよな」

 

何時か拾った雑誌に書いてあったが、蝉も暑さに弱くて、あまりに暑すぎると羽化中に死んだり、鳴かなくなったりするらしい。

 

それが本当か出任せなのかは知らないが、こうして元気に鳴いているということは、まだ余裕があるということなのだろう。

 

『暑い……脱いでいいかな?』

 

『駄目に決まってるでしょ!!」

 

……今、気付いたが、この街路樹……桜の樹だな。

 

そういえば、この隊が結成された直後、花見とか言って、大騒ぎしてたっけな……

 

そんなことを思っていると、部隊の前方に捨て置かれた木箱や、バーベキューコンロが散在していた。

 

その光景を見たダイヤが何かを思い出したかのように、口を開いた。

 

『お、やっぱりここじゃん!!』

 

『ああ、お花見の。……懐かしいわね』

 

『配属されて、すぐにやったよね』

 

どうやら、件の花見に使った場所は此処だったらしい。

 

あの時は夜で、桜も満開で綺麗な花を咲かせていたっけか……少しの変化で分からなくなるもんだな。

 

かつてあった、懐かしい光景に思いを馳せていると、ダイヤのジャガーノートがアンジュのジャガーノートへと近寄る。

 

『また踊りますか? アンジュ』

 

『戦闘前よ? ダイヤ君』

 

『はい……』

 

ダンサー・ダイヤの清々しい玉砕に戦隊の皆が笑う。

 

確かあの二人、お花見の時も酔っぱらって踊ってたっけな……

 

「そっか……あれから4ヶ月か」

 

『まさか、隊員が全員生存でここまで来るとはね……』

 

『そりゃ、我らが死神と妖精殿のお導きがあるしな!』

 

気楽に言ってくれるもんだ……綱渡りになった場面なんて何度もあったろうに。

 

あくまで俺は俺達に降りかかって来る脅威の存在を事前に伝えていただけだ。

 

その脅威に対して対応していたのは、シンを始めとした他の戦隊メンバーである。

 

彼らの実力がなければ、もっと酷い状況になっていただろうし、もしかしたら俺も此処に居なかったかもしれない。

 

各々が昔の話や、過去の催しを懐かしむ中、耳に慣れた熱が灯る。

 

『遅れてすみません……管制に入ります。あの……大尉。今日は……』

 

『お? ビビってんすかー。少佐?』

 

『怖いなら辞めたら?』

 

『あ……』

 

どうやら、少佐殿はこの前の戦闘の"声"を引きずっているようだ。

 

まあ、"声"を聞いても尚、こちらに同調してくるだけでも奮闘していると言える。

 

といっても、そんなことを気遣う余裕なんて俺達に無いわけだが。

 

『……少佐。辛いなら管制は』

 

『いえ、やります! 私に出来ることは最後まで……』

 

そういえば、この少佐は馬鹿真面目かつ……本気でレギオンに勝つことを目指しているんだったな。

 

私に出来ること……か、前のように一緒に戦うって吠えられるよりはマシか。

 

『了解。では、本日もお願いします。少佐』

 

『……はい!』

 

何も知らない少佐は、この地獄の先に何か、終着点があるということを本気で信じているんだろう。

 

だが、現実ってのはそんなに甘くない。俺達の終着点は"死"のみしかあり得ない。

 

Marked For Death……既に死は印として付けられているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽が隠れた森林というのは、視界が狭くなることに加え、何処か不気味な雰囲気を醸し出す。

 

行く先が見えないことに恐怖しているのか、或いはこの世とは違う異質な場所へと誘われているのかは知らないが、ロクなものではないのは確かだろう。

 

『長距離砲兵型、砲撃が来るぞ』

 

「着弾地点、ポイント238、249、259、269、279、289――着弾まで45秒!」

 

『いくらなんでも多すぎでしょ!? 隣の部隊のヤツまで撃ってきてない!?」

 

「おそらく、向こうも学習したんだろうな。自分等の進路を読んで待ち伏せてるってな……ヴェアヴォルフ、2時方向から斥候型と地雷が来るぞ!」

 

『まずは隠れやすい所を順番に砲撃して、出てきた所を戦車型が仕留めるって訳か』

 

『うへぇ……俺らみたいな、アルミの棺桶に大盤振る舞いだな! 嬉しすぎて涙出そう!』

 

「泣いてるとこに一発来るぞ。ポイント256とポイント263にも砲撃だ。着弾まで30秒」

 

『まったく、クソみたいな歓迎だよな!!』

 

砲弾の雨は森林の所々へ降り注ぎ、爆発は地面を抉りながら、木々をなぎ倒していく。

 

そして、斥候型や自走地雷も倒木の陰に隠れるこちらへと向かって来る。

 

『くっ……こちらも迎撃砲さえ使えれば』

 

ミリーゼ少佐が言う迎撃砲とは、共和国85行政区を取り囲む、大要塞壁群(グラン・ミュール)の自立式迎撃砲陣地に配備されている155mm重砲やミサイル群のことだ。

 

この要塞の周辺には対人・対戦車地雷による地雷原が形成されており、これらの主目的はレギオンの侵攻の防衛用とあるが、その用途で使われたことは一度もない。

 

というか、度々、その矛先が86に向けられたこともあって"役立たずのオブジェ"の渾名を欲しいままにしている。

 

また、聞いた話では、配備されている重砲やミサイルの管理状態は酷く杜撰なものらしい。

 

そのため、怠慢による整備不良も相まって、まともに稼働するのは配備されている兵装の半数程度だという。

 

「ッ!? バーントテイル! 20秒後に至近弾だ!」

 

『え――っ!?』

 

「おい、バーントテイル! クソっ……!」

 

バーントテイルから返事はなく、代わりに砲弾による轟音が響く。

 

向こうとの同調が切れてないのと、砲弾の着弾地点からの推測からしてまだ、生きてはいるだろうが……失神してるのか。

 

『バーントテイル!』

 

『第6小隊、誰か向かえるか?』

 

『砲撃で直ぐには難しい……』

 

「こっちが向かう。キルシュブリューテ、小隊の指揮は任せた。第5小隊は地雷と斥候型の対処を頼む、適当に散らすだけで良い」

 

バーントテイルの現在地とこちらの間には長距離砲兵型の砲撃が絶えず着弾している。

 

この中で仮に喰らわずとも、至近弾で吹き飛ばされでもしたら、たちまち自走地雷が向かって来るだろう。

 

『この砲撃の中を通っていくつもりですか!?』

 

「最短距離で行くにはそれしかありません。それに俺なら砲撃が何処に着弾するのか分かります」

 

端から見れば、どう考えても無謀な行動かもしれない。

 

だが、俺にとっては違う、綱渡りであることに変わりはないが、確実に助けられる一手だ。

 

『でも……!』

 

『……出来るんだな? フェアリー』

 

作戦の是が非は問わず、ただ可能か不可能かだけを死神は問う。

 

「この状況で出来ないことは言わない」

 

『分かった。バーントテイルの救援は任せた」

 

「任された」

 

その言葉と共に砲弾の雨が降り注ぐ、平野へと全速力で駆け出す。

 

上空から飛来してくる砲弾に直撃すれば木っ端微塵で死ぬ、着弾地点近すぎても衝撃で死ぬ。

 

かといって、足を止めれば自走地雷や斥候型に捕まるか、味方の攻撃に巻き込まれるだろう。

 

故にひたすらに前進する以外、方法はない――

 

――20秒後に50メートル先に一発、その10秒後に60、70メートル先の窪みにも二発。

 

片方のワイヤーアンカーを進路上の樹木へと飛ばし、アンカーが刺さると同時に巻き上げる。

 

10秒後に背後に着弾……有効加害範囲離脱まで残り5秒。

 

「上がれ……!」

 

直後、爆音と共に大きな衝撃がジャガーノートを宙へと押し上げる。

 

一瞬のふわりとした感覚と共に、機体が重力に従って落下していく。

 

目下にはコクピットが開いたバーントテイルのジャガーノートとそこへと迫る斥候型が映る。

 

両者の間にアンカーを撃ち込み、同時に巻き取る。

 

「うっ……! 不味いな……流石に使いすぎたか」

 

強く鈍い痛みを伴う頭痛と強い倦怠感によって呼吸が荒くなる。

 

まさにそれこそ、未来視の度重なる使用による負荷が身体の限界、危険域に達したサインであった。

 

だけど、まだだ……まだやれる筈だ。

 

身を襲う頭痛と倦怠感を堪え、再度の未来視と共にバーントテイルへ呼び掛ける。

 

「……っ!フェアリーよりバーントテイル、聞こえるか?」

 

『フェアリー!? アンタ何を!?』

 

「今、小言に付き合う余裕はない……死にたくないなら耳を塞いで、衝撃に備えろ』

 

こちらの接近に気付いた斥候型が、落下してくるこちらへと機銃を掃射してくる。

 

一瞬の金属と金属がぶつかる音と共にコクピット上部の装甲が抉れ、外の暗い空を彩る弾丸の彩りが目に映る。

 

更に、一瞬の身を焼く熱と共に、服の上から何かが掠めるのを感じた。

 

着地まで後、7秒……被弾箇所はコクピットの左側面――っ!?

 

突如、頭を――脳内を直接、ほじくりかえされるような激痛が身体を襲う。

 

同時に鼻からも堰を切ったように、赤い液体が溢れ落ちてくる。

 

「あぐっ……がっ!!」

 

口の中に拡がっていく鉄の味と、片方の鼻腔を突く生々しい暖かさと鉄の匂い。

 

「げほっ……ゴホッ……!」

 

霞む視界と揺らぐ意識の中、斥候型が照準の真ん中へと入り、朧な感覚でトリガーを引く。

 

放たれた砲弾は斥候型を貫通して、地面へと突き刺さり、爆発する。

 

直後、重力によってジャガーノートが地面へと叩き付けられ、二、三度、地面を転がりながら、倒れ伏した。

 

『フェアリー! 応答しなさいよ……ねぇ!!』

 

「……ゴホッ……かはっ!」

 

脳を抉るような頭痛と一切の動作を許さない倦怠感の中、それでも操縦桿へと手を伸ばそうとする。

 

……まだだ、まだ……俺は。

 

『――!』

 

薄れていく意識の中、何か声が聞こえる。

 

視角も聴覚も曖昧な今、誰が何を言っているのかすら分からない。

 

俺を呼ぶ声なんだろうか……他の誰かを呼ぶ声なんだろうか。

 

ああ……でも、確か……まえにも、こんなことが……あったっけ。

 

そうだ……あのとき……まわりが、もえてて……かいえが……!

 

「うう……あがっ……かはっ……」

 

……いかなきゃ、アイツと……やくそくしたんだ。ちゃんと、なかまをまもるって……こんど……こそ。

 

進もうと身をよじり、結局は一歩も進めぬまま、意識は暗闇へと堕ちていく。

 

 

 

 

 

――東部戦線第一戦区第一防衛戦隊“スピアヘッド”損害報告

 

記入者:ヴラディレーナ・ミリーゼ少佐

 

本日の戦闘による死亡者なし。

 

機体損傷:中破1、小破1

 

負傷者:二名。軽傷1、重傷1

 

備考:戦隊の医療物資及び、補給物資の支給必須。レギオン侵攻の際の迎撃砲による支援攻撃の許可を求む。

 

 

 

 

 

 

 

何も見えない、何も聞こえない暗闇の中に居るのはは嫌いじゃない。

 

嫌な現実やどうしようもない未来から目を背けることが出来るからだ。

 

でも、そんなことは現実の世界では出来ない。

 

目を瞑っていても現実は容赦なく襲いかかるし、聴覚は要らない情報を拾ってしまう。

 

だから、何も見えない、何も聞こえない暗闇というのは夢か、死んだときにしか体験できない。

 

……ああ、これは夢だな。死んだんなら暖かさなど感じない。

 

どうやら、これは夢らしい、では……どんな夢なのだろうか?

 

身を包む生暖かさに不思議と恐怖は感じない。

 

未知の物への期待と僅かな不安を抱きながら、重い目蓋を開いていく――

 

「――桜?」

 

視界には薄い桃色の花弁と満開の花々が拡がっていく。

 

特に理由もなく、前へと歩く――いや、何かに呼ばれている気がした。

 

そして、ある光景が目に留まり、その足が止まる。

 

黒髪の女性と赤髪の男性……そして両者を繋ぐようにいる黒髪の子供――

 

「――母さん?」

 

無意識だった、無意識に目の前の女性を自分の母と呼んだ。

 

だが、俺の声など聞こえていないのか、男性と足並みを揃えて子供の手を引く。

 

「ま、待ってくれ!」

 

互いに見ず知らずの他人かもしれないのに、俺は駆け出していた。

 

しかし、三人ともゆっくりと歩いている筈なのに、俺は追い付けない。

 

『――』

 

先を歩く彼らが何かを言っていても、俺には分からない。

 

距離はどんどん離れていき、その姿は見えなくなっていく。

 

「待って……!?」

 

無我夢中で走っていると、桜が満開に咲いた、綺麗な街道はいつの間にか抜けて、今度は荒れ果てた街へと出ていた。

 

「ここは……」

 

見慣れた風景、見慣れた戦場……間違いなく共和国領内だ。

 

『――』

 

そして、"彼"は笑顔を浮かべながら其処にいた、俺には理解出来ない言葉を発しながら。

 

「なあ、さっきから何なんだ……この夢は」

 

『――』

 

まただ……また訳が分からない言葉を……

 

「いい加減に……!?」

 

突如、目の前の広場に砲弾が着弾し、轟音とともに爆発する。

 

あまりの衝撃で身体が浮き、受け身が取れぬまま、路上へ叩き付けられた。

 

「うくっ……」

 

全身を照り付ける巨大な炎はゆらゆらと揺れながら、あらゆる物を焼き尽くしていく。

 

そして、痛みに悲鳴を上げる身体を持ち上げようとすると、見慣れた蜘蛛のような化け物が眼前にいた。

 

「……ッ!?」

 

「――』

 

彼は歩いて行く、レギオンの元へ――訳の分からない言葉と共に。

 

「待っ……うぐっ」

 

身体はまるで石になったかの如く、指先すらも動かなかった。

 

『――』

 

待ってくれ……そっちに行ってはダメなんだ……

 

『――』

 

頼む、行かないでくれ……お願いだ。待ってくれ……

 

レギオンの足が上がっていく、それはまるで断頭台の刃が上がるようにも思えた。

 

『――』

 

意味不明な言葉を話しながら、"断頭台(レギオン)"へと"彼"は登っていく。

 

『――』

 

そして、足を上げたレギオンの前で、彼は止まる。

 

『おまえがみんなを守るんだ』

 

ただ一つ、聞き取れたその言葉と共にレギオンの足が振り下ろされた。

 

 

 

 

 

「待って!」

 

思わず手を伸ばしたが、何も掴めない。

 

当然だ、空中には何もない……強いて言えば、いつも使っているタオルケットが掛けられていた。

 

「……はは、この年で悪夢に魘されるなんて、相当、キテるなこりゃ……」

 

インナーは汗を吸って、嫌な湿り気を帯びているし、何か変な重みを感じるし……重み?

 

疑問に思い、タオルケットを引いてみると――

 

「うわっ!?」

 

「……すぅ」

 

――安らかな寝息を立てるレッカ・リンがいた。

 

え? なんでレッカが此処に居るんだよ……ここって俺の部屋だよな?

 

不安に思って周りを見渡すが、見慣れた殺風景な光景が目に入り、俺の部屋だと判断した。

 

とりあえず、汗をかいたし、シャワーでも浴びるか……でも、レッカはどうしようか。

 

ぐっすりと寝ているのを起こすのもアレだし、流石に放置するというわけにはいかないよな……

 

「ちょいと失礼しますよっと……ん?」

 

ぐっすりと眠るレッカにタオルケットをかけてやると、机の上に一枚の紙が置かれていることに気がついた。

 

「これは……」

 

置かれていた紙にはこう書かれていた。

 

『ユウさん、今日はお疲れ様でした。今日のことでのお小言が沢山ありますが、また後日とします。……無事で本当に良かったです。今はゆっくりと休んで下さい。何か必要な物があったら遠慮なく言ってくださいね! ヴラディレーナ・ミリーゼ』

 

『今日はお疲れ様。ゆっくりと休んでくれ。シンエイ・ノウゼン』

 

『今日は無茶させてごめんなさい。もし、ユウが大変なことかあったら言ってね。必ず力になるから。クレナ・ククミラ』

 

『今日はお疲れさん。あまり、カイエに心配をかけるなよ? お前が倒れたとき、泣きそうになってたからな。ライデン・シュガ』

 

『今日はお疲れ。あんまり無茶しないでよ?あの少佐もうるさいだろうからさ。セオト・リッカ』

 

『お疲れ様! 明日の当番は第5小隊が変わってやるから、しっかり休んでくれよ! ダイヤ・イルマ』

 

『今日は本当にお疲れ様。でも、あまり無茶はしないでね? 私達もだけど、カイエちゃんはもっと辛い筈だから。アンジュ・エマ』

 

『ユウ、言いたいことは一杯あるし、怒りたいことも山程ある。だけど、今はこの言葉だけを言うよ。お疲れ様、生きて帰って来てくれてありがとう。カイエ・タニヤ』

 

『お疲れさん!今日はゆっくり休めよ。後、無茶ばっかりすんなよな! それじゃまた明日な! クジョー・ニコ』

 

『今日はアンタのおかげで命拾いしたわ。でも、それでアンタが死にかけちゃ意味ないじゃない。これからは、死にかけるぐらいなら、あたしらにちゃんと相談しなさい――今日は本当にありがとう。レッカ・リン』

 

『お疲れさん! ユウが倒れたとき、あのレッカが涙目になってたんだぜ! だからってこれからはあんま無茶すんなよ? ハルト・キーツ』――

 

「はは……柄にもないことを」

 

寄せ書きには、労いの言葉や調子の良い言葉や、お叱りや小言など……様々な言葉が寄せられていた。

 

「……レッカもありがとな。わざわざ付き添ってくれて」

 

ぐっすりと眠るレッカは答えない。

 

さて、湿っぽい雰囲気も一掃するためにも、まずはシャワーで汗を流さなきゃな。

 

シャワーに向けて、暗い廊下を歩く足取りはいつもよりもとても軽く、活気に満ちていた。

 

その日、いつもはぬるい筈のシャワーが何故か暖かく感じたのはのは別の話である。

 

 

 

 

"We sleep safely in our beds because rough men stand ready in the night to visit violence on those who would harm us." - George Orwell

我々がベッドで安眠できるのは、常に「荒くれたち」が敵を襲撃する準備をしてくれているからだ。 ―― ジョージ・オーウェル

 

 

 




こういう寄せ書きって何か良いですよね。花見回は番外編で書こうと思ってます


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9話

更新が遅くなり、申し訳ありません。今回は過去編みたいな感じです。


二期決定おめでとうございます


白系種にとって俺達のような86は人間ではない。

 

故に俺達は豚と罵られ、"死"に溢れた戦場へと放り出される。

 

戦場に希望なんてある筈もなく、明日か数ヵ月後、数年後に確実にやって来る"死"を待つだけの日々。

 

しかし、敵にこちらの事情を考慮する義理なんてなく、こちらが疲弊していようと、敵は襲ってくる。

 

襲撃の度に俺達の数は減る一方で、敵はその数を着実に増やしており、各種の性能を上げてくる。

 

反面、俺達に供与されるジャガーノートの性能については言うまでもないが……

 

向こうにとっての迎撃砲は半数以上がまともに稼働しないと有り様だ。

 

尤も向こうは後、二年で戦争が終わることを本気で信じているのだから、慢心していても問題はないと考えているかもしれない。

 

だが、前述したように敵は性能を上げる一方で、その縛りを克服してみせている。

 

現場と上層部の認識の食い違いなんて、よくある現象だが、戦時中の今に起こしているのは致命的だろう。

 

繰り返しになるが、俺達は86。白系種にとっては人間モドキ、あるいは人型の豚というのが当たり前の認識である。

 

故に俺達が敵の実情を理解していたとしても、向こうがそれをまともに受け止めることなんてない。

 

それが双方にとって当たり前であり、誰にも崩せなかった絶対の常識であった。

 

しかし、稀に常識に疑問を持ち、自ら変えようと常識に抗おうとする変わり者や、どうしようもない善人がいる。

 

大抵は彼らも常識や現実に敗れ去って、ある者は命だって落とすだろう。

 

けれど、彼らの生き様や考えというのは、良くも悪くも他人へ影響を与えるのだ。

 

今日はそんな、常識に抗って、現実に敗れた、どうしようもなく愚かで――優しすぎた青年の話をしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2146年 4月5日

 

 

 

 

人は良くも悪くかろうが、取り巻く環境に慣れてしまうものだ。

 

故にプロセッサーとなった初日は、明日も知れない日々を悲観していたものだが、二年も経てば自らが置かれた環境に慣れ始める。

 

そして、今年で、プロセッサー二年目となる――つまりは"号持ち"の仲間入りということになる。

 

「ユウ、また音楽を聞いてるのか? それは一年経っても変わらないんだな」

 

「お前こそ、相も変わらず、他の奴等に話し掛けて玉砕してるじゃないか」

 

一年前に出会った極東黒種の少女――カイエ・タニヤは図星なのか、苦笑いを浮かべる。

 

二年経っても俺達を取り巻く人間関係にさほど変化は起こらない。

 

この部隊でも窓際族として、細々と生き延びていくことに変わりないようだ。

 

「さっきから向こうが騒がしいな……何かあったのかな?」

 

「そうなのか? 全然、気付かなかったわ」

 

「ユウの場合はイヤホンをずっと付けたままだったからだろ? けっこうな騒ぎになっているぞ」

 

まあ、向こうか何を騒いでいるのか知らないが、こちらにはどうせ関係がないことだろう。

 

こちらに関係がないなのなら、知っておくだけ無駄というものだ。

 

「まあ、どうでも良いよ。興味もない」

 

「あのなぁ……ユウは――えっ!?」

 

カイエの小言を遮るようにプレーヤーの音量を上げる。

 

カイエが小言を言い終わる前に、何かに驚愕したような声を漏らすが、イヤホンをしているおれには聞こえなかった。

 

「――」

 

なんだよ、カイエ? さっきから……いや、カイエじゃないな、誰だ……?

 

てっきり。向こうで騒いでいた奴かと思ったが、向こうの奴等もこちらを注視しているので、おそらくは違う。

 

音楽プレーヤーの再生を停止し、目の前の人物へと意識を向ける。

 

「何かご用で……ッ!?」

 

「すまない! ちょっと良いかな?」

 

特徴的な白銀の髪と瞳を持った顔――白系種の青年はこちらへ笑みを浮かべ言った。

 

他の部隊に元共和国軍の軍人だった白系種がいるという噂は聞いていたが、目の前の青年は俺達と同い年か、少し上というくらいの容姿だ。

 

「君がユウヤ・カジロで合ってるかな? カイエ君には挨拶したんだが、君達の第6小隊を任されたニコル・エルヴィスだ。これからよろしく頼むよ」

 

爽やかな笑みを浮かべた、青年――ニコルはこちらへ手を差し出した。

 

「……どうも、わざわざご丁寧に。まさか、内地の方が戦場にいるとは驚きです。内地で殺人でもやらかしましたか?」

 

「ユウ!」

 

「いや、ここに来たのは自分で志願したんだ。自分の祖国を守るのは国民の義務である筈だからな」

 

「……冗談としては良いセンスしてると思いますよ。軍人を辞めて芸人でも目指したらどうでしょうか?」

 

「冗談なんてこれっぽっちも言ってないさ。此所にいるのは自分の意思だとも」

 

「そうですか……では、こちらこそ。俺が何処かで死ぬまでよろしくお願いしますよ」

 

「死なせはしないよ。俺の意地にかけて」

 

内地の人間がなんで、わざわざ最前線に来たのか知らないが、どうせ結果なんて分かりきっている。

 

レギオンと出会して、喚きながら逃げ帰るか、あるいは背中から撃たれて死ぬかもしれない。

 

どうせいなくなるであろう人間のことを一々、覚えていたところで無駄でしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

星歴2146年 4月19日

 

 

 

 

 

同胞の鉄棒の振り下ろしを躱し、反撃の一撃を鳩尾に打ち込む。

 

急所を攻撃された同胞がその場で踞るのを横目で見ながら、その横を通り抜けていく。

 

「うごっ…… ぐう……この裏切り者がっ……!」

 

「……一人囲んで、ボコそうっていうお前らもどうなんだよ?」

 

地面に踞り、痛みに喘ぐ少年と、既に倒れ伏せた少年は何も言わない。

 

ストレス発散ならお互いで殴りあってた方がまだ建設的な気がするけど……

 

白系種のプロセッサーの入隊という異例の事態から早くも二週間が経過していた。

 

この二週間、レギオンの襲来はなかったのだが、件の白系種が俺達の隊長ということもあり、他の奴等からの俺やカイエへの干渉は増加傾向にある。

 

先程も、号無しのプロセッサーの集団に絡まれて、適切な防衛をせざるを得なかった。

 

「……こうもしつこいと気が滅入るな」

 

溜め息は良くないとカイエは言うが、こうも立て続けに呼び出されると溜め息の一つや二つは吐きたくなるものだ。

 

奴等からして、俺やカイエが珍しい人種というの理由で、憂さ晴らしが目的のバッシングなどは前の部隊でもあったが、今回は訳が違う。

 

いきなり、内地の人間が自分たちの立場になったのだ。加えて、同じ部隊員とくれば、ヘイトの余波が俺達にも来るだろう。

 

裏切り者……ね、別に好きで同じ部隊な訳じゃないし、況して、裏切ったつもりは毛頭ないんだが。

 

「ん? ユウヤ君か……お帰りなさい」

 

噂をすれば何とやらと言わんばかりに、件の人物――ニコルは雑巾を片手に笑う。

 

「どうも……って何やってっ――!」

 

「いや、別に大したことではないよ」

 

彼の部屋のドアには白豚やら、豚やらといった、しまいには汚いイラストといった落書きがびっしりと掛かれていた。

 

……よく、毎度毎度、こんなことされてこの隊に残っているよな。

 

彼がこの隊に入って、この手のヘイト行為は別に珍しいことではない。

 

今回は、『死ね』やら『殺してやる』やら脅迫文が書かれていないだけ、まだマシと言えるだろう。

 

「油性マジックで描かれている以上、雑巾で拭くだけじゃ落ちない。俺の部屋に洗剤があるんで、バケツとか持つの手伝ってくれ」

 

「え? あ、あぁ……すまない。心遣い痛み入る」

 

「あんたはもっと自分の置かれている状況を理解するべきだ。俺やカイエは後ろから指を差されるだけで済むけど、あんたはいつ、後ろからナイフで刺されてもおかしくないんだぞ?」

 

この二週間、彼へのヘイト行為は止まるどころか、本人の対応も相まって激しさを増している。

 

しかし、彼はその事に対してはおろか、ここの連中に対しても苦言を一言すら漏らさなかった。

 

「……なぁ、悪いことは言わない。さっさと内地に帰った方が良い。ここの連中にとって、あんたは最上級のサンドバッグなんだ。このままじゃ、非戦闘時の今だって命に関わるぞ」

 

「ハハ……忠告ありがとう。でも、帰る気はないよ。彼らが俺達を恨む理由というのも重々承知している。むしろ、撃たれないだけ、まだ温情だよ」

 

こう言うとこれだ……余程の命知らずなのか、それとも、ただ単にバカ真面目なのか。

 

「そうかい……なら、勝手にすれば良いさ。ほら、こっちだ」

 

「ああ、ありがとう。そういえば、君は確かルームメイトが居たんだったよな?」

 

宿舎の西側の端の二人部屋、そこがこの部隊で使っている部屋だ。

 

まあ。俺と同じ溢れ組の奴が部屋がなくて、転がり込んだ形ではあるが、何とかやっていけている。

 

「ん、この部屋だ。そこで待って――」「ん? ユウか。お帰り」

 

部屋のドアが開かれ、中から部屋着を着こんだ、黒髪の少女が現れる。

 

「ああ、先に戻ってたんだな。丁度いいや、洗剤とって来てくれないか?」

 

「分かった……って小隊長殿!?」

 

「な、な……ルームメイトというのはカイエ君だったのか!?」

 

……カイエはともかく、何で小隊長も驚いてんだよ?

 

ルームメイトもとい居候のカイエ・タニヤは小隊長の訪問に驚くと同時に、部屋の中へと走っていった。

 

「き、君達は二人でこの部屋を使っているのか……?」

 

「まあ、そうなるな」

 

「は、破廉恥だぞ! と、年頃の男女が同じ部屋なんて!」

 

いやいや、何を想像したらそうなるんだよ……

 

カイエが何か着替える時に見ないようにするだけで、特別なことなんて何もない筈だ。

 

「カイエだって使える部屋がないんだから仕方ないだろ? まあ、本来ならあまりよろしくないんだろうけど」

 

「むぅ……それは確かに仕方ないが……」

 

「お、お待たせ……洗剤だったな? 何に使うんだ?」

 

着替えるの早いな……いつも、それくらい早ければこっちも助かるんだけど。

 

「お掃除にちょっと……な」

 

「掃除って……珍しいな、ユウが自分から取り組むなんて」

 

「生憎、ここの部屋じゃなくて、使うのは小隊長の部屋でね。なんならお前も来るか? 頭数が多い方が楽だし」

 

「小隊長殿の部屋か? 私はいいけど……小隊長殿は良いのか? 私が部屋に立ち入っても」

 

「ああ、俺は構わないよ……大した物はないからね」

 

「なら決まりだ。さっさと行って、さっさと終わらせよう」

 

面倒な仕事は可能な限り、早く終わらせて直帰するに限る。

 

そう思い立った俺は、掃除用具を手に足早に歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2146年 6月14日

 

 

 

「フェアリーよりリーダーへ。左翼は異常認めず」

 

『キルシュブリューテも同じく。異常は見受けられない』

 

『リーダー了解。現在のルートを維持しつつ前進せよ』

 

哨戒というのは意外と疲れるものだ。外の代わり映えの無い風景に見飽きながらも、ある程度の意識を向けていなくてはならない。

 

そして、俺達が所属する第6小隊改め、第5小隊は俺を含め、キルシュブリューテと小隊長の三人のみだ。

 

そのため、哨戒のルートも細かくなる上に、見回る距離も伸びる。

 

朝食を摂った直後に、哨戒へ出たとしても、帰ってくる時には太陽が沈んでいることはザラで、ひどい時は夜の帳が降りていることもあるのだ。

 

 

……この小隊長が来てからもう二ヶ月か、意外と時間が過ぎるのは早いもんだな。

 

流石に二ヶ月もあれば、レギオンの襲来や環境への慣れもあって、小隊長へのヘイト行為も鳴りを潜めるようになった。

 

まあ、戦闘でプロセッサーの頭数が減ったり、ヘイト行為をしてた連中が飽きただけだろうが、だいぶ過ごしやすくはなったことに違いはない。

 

「ん、この前の戦闘があったエリアに入るな」

 

ディスプレイには代わり映えの無い廃墟の中に、真新しいジャガーノートの残骸が映った。

 

コクピットハッチに大きな穴が空いた残骸は、中に居たプロセッサーがどのように死んだのかを鮮明に連想させる。

 

『この前の戦闘で第3小隊は半分、第2小隊は半分以上の損失……二ヶ月でこれは痛いな』

 

結果として、第2小隊の生き残りと第3小隊を合わせて、新たな第2小隊としたが、頭数が不足していることに変わりはない。

 

『くっ……」

 

「リーダー、彼らの損失を気にしたところでどうしようもない。明日は我が身だ」

 

リーダーはともかく、俺やキルシュブリューテにとっては日常茶飯事だ。

 

部隊の壊滅、部隊の統合による再結成――この戦場ではいつものことである。

 

しかし、一つ予想外だったことで、この前の戦闘での小隊長の指揮には驚かされた。

 

数も質も劣る俺達が、数も質も勝るレギオンに押されるというのは自明の理ではあり、正面から挑もうものなら容易く蹂躙される。

 

だが、この小隊長は敢えて敵部隊の側面から浸透して、敵部隊を混乱状態に陥れることを提案した。

 

そして、混乱に乗じて、側面の防御や、背後ががら空きとなった敵の主力を撃破していく。

 

どうやら彼は何の準備もなしで最前線に出てきた訳ではなく、ちゃんと学を持って出てきたようだ。

 

『君達はこの戦場を……二年も生き延びてきたんだな……』

 

「長く生き延びたからといって、明日が保証されてる訳じゃない。俺達はあくまで運が良かったんだ」

 

俺達は先に逝った彼らと違って、自分の才能や素質を磨き上げる機会に恵まれただけだ。

 

そして、仮にそうして実力を高めていったとしても、少しのイレギュラー要因で簡単に死んでしまう。

 

だからこそ、生き延びた俺達はあくまで運が良かっただけなのだ。

 

街を進んでいけば進むほど、目に映るジャガーノートの残骸は増えていく。

 

ある者はコクピットが抉られていたり、別の者は無数の穴だらけとなり、向こうのジャガーノートは開け放たれたコクピットに首の無い遺体が鎮座している。

 

『……っ! クソっ!』

 

……残念ながら、こんな光景こそが戦場の現実だよ、小隊長。

 

小隊長も此所に来たことで嫌というほど、思い知ったに違いない。

 

自分が抱いていた理想がどれほど、甘かったのか……自分がどれだけの屍の上に立っているのか。

 

「……もう少しで街を抜けて、郊外の平野に出る。そこで一度、休憩を挟もう」

 

『キルシュブリューテ、了解』

 

『……ああ。分かった』

 

小隊長がこれからも自らの理想を貫くかどうかは分からない。

 

だが、小隊長のような人間は長生きは出来ないタイプの人間だ……特に戦場ではなおさらに。

 

あくまで、これは俺の予感でしかないが、この人はきっと自分以外の誰かを助けようとして命を落とすだろう。

 

予感に明確な根拠なんて無いが、今までも、こういう時の俺の予感は大体、的中してきた。

 

……まあ、俺達も結局は同じか、今、生き延びたところで、何時か何処かで俺達は必ず死ぬ。

 

今までがそうだったように、当たり前の戦場で当たり前に死んでいく。

 

絶対の常識となった"死"を覆すことなど出来っこないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ明日、死ぬとしてもある種の娯楽は生きていく上で必要となるだろう。

 

娯楽の対象として、俺みたいに音楽を聴く奴もいれば、カイエのように何か物思いに耽る奴もいる。

 

そこに良し悪しなんてものはなく、人それぞれが個別の答えを持っている。

 

「ユウ、お茶が入ったけどいるか?」

 

「ありがたく頂戴するよ。小隊長は?」

 

「ああ、貰うよ……ありがとう」

 

当然のことながら、86にお茶なんて物は供与されない。

 

上の方々が供与してくれる物といえば、プラスチック爆薬のような味の戦闘糧食や固いだけの乾パンくらいである。

 

故に代用品を作る技術は必然的に高くなっていき、サバイバルの知識も同様に深まっていく。

 

「これは……ハーブティーか? 美味しいよ」

 

「気に入って頂けたようで何よりだよ。まだ、あるから欲しかったら言ってくれ」

 

喉を通る暖かさと共に野草の風味が、長時間の操縦で疲労した身体へ染みていく。

 

……心が安らぐっていうのは、きっとこういうことを言うんだろうな。

 

唯一、惜しまれる点としては茶請けが不味い戦闘糧食というところだが、こればかりはどうしようもない。

 

「はぁ……ようやく半分だもんな。まだまだ長いな」

 

ゆらゆらと揺れる焚き火を見ていると、眠くなってくるが、此所で寝ることは許されない。

 

もしものことがあれば、自分はおろか他の隊員にも危険が回るのだ。

 

故に常に周りの様子には注意を配らなくてはならない。

 

「ふぅ……二人とも凄いな。微塵も疲れてなさそうに見えるよ」

 

「まさか、長時間ずっとジャガーノートを動かすというのは退屈だし、けっこう疲れてくるものだよ」

 

「私とユウはある程度、慣れてしまってるからな……ある程度の余裕はあるよ」

 

人の慣れというのは、人間が持っている性質の中で、最も便利な性質だと思う。

 

自身にとって負担やダメージになるとこでも数を幾度とこなしてしまえば、身体も精神面もその事象に対して順応していく。

 

「慣れ……か。そうか、慣れてしまうものか……」

 

「別に小隊長が気に病むことなんてないさ。俺達もあくまで自分の身を守るためにやっているようなものだし」

 

俺達に愛国心やら国の威信やら……そういったことに興味なんて無い。

 

どのみち、戻れない国を愛しても仕方がないし、既に地に堕ちた威信を広い集めても何もないからだ。

 

そして、それを聞いていた小隊長は意を決したように口を開いた。

 

「君達は……恨んでいないのか? 君達を86と蔑み、全てを押し付けた俺達(白系種)を」

 

いきなりの質問に思わず、カイエと俺は顔を合わせる。

 

そして、少しの沈黙の後、最初に口を開いたのはカイエだった。

 

「……もちろん差別されるのは辛いし、悔しい。収容所での暮らしは辛かったし、戦うのは今でも怖いよ。そして、86は人間じゃなくて家畜だとか言うような奴等のことは、やっぱり好きになれない」

 

「……」

 

「けど、小隊長のように白系種全員が、悪人という訳じゃないというのも分かっているんだ」

 

「それは……」

 

「……86にもあるんだよ。俺やカイエみたいな人種へのバッシングかさ。現に今の部隊でもたまにあるし……だからこそ、白系種にもどうしようもない奴がいるように、86にもどうしようもない奴がいるというのも分かっているんだ

 

小隊長から見て、86は白系種の差別を受けている被害者なのだろう。

 

その認識は間違ってはいない、現在進行形で俺達は白系種による差別を受けている。

 

けれど、被害者だからといって、その被害者全員が清廉潔白という訳でもないということだ。

 

「実を言うとな、最初は小隊長のことを内心、馬鹿にしてたんだ。偽善者がやって来たとか、どうせすぐ逃げ帰るとか……ってな」

 

「それは……」

 

「けれど、あんたはこうして残って俺達と同じやり方で戦っている。だから、その……すまなかった。あんたのことを見くびってた」

 

「構わないよ。俺も君達に出会えたことで自分の考えがどれだけ甘かったのか自覚することが出来た。そして、君達のおかげで私も生き延びることが出来たんだ」

 

互いに腹を割って話しているからなのか、聞きたいことというのが次々に出てくる。

 

そんな中で、俺は最初から頭にあったことを聞くことにした。

 

「……なあ、何であんたはそんな、86に拘るんだ? もしかして知り合いの一人に86が居たのか?」

 

「はは、意外と鋭いな。そうだな……俺は実は孤児でね。戦争が始まる前は孤児院で生活してたんだ。そして、俺の面倒を見てくれてたのが、赤系種の女性だった」

 

「……戦争が始まって、その女性は86として徴兵された訳か」

 

「……ああ、その時は彼女が連行されるのを見ているしか出来なかった。だからこそ、軍人になれば彼女を救える……当時はそう思ってたんだ」

 

「……その女性は?」

 

「俺が軍人になる前に、戦死してしまっていたよ。結局、俺はまた傍観してるだけだった」

 

戦争初期に徴兵された86の生存率はゼロと言っても過言ではない。

 

現に今、86として徴兵されて戦っているのは、殆どが俺達に近い年齢の子供だ。

 

「じゃあ、わざわざ最前線に来たのは、その女性への贖罪のつもりか?」

 

「……」

 

小隊長――ニコルは何も答えない。

 

「……今の問答で改めて確信したよ。あんたは此所に居るべきじゃない。直ぐにでも内地に帰るべきだ」

 

「何度も言ったが、俺は――」

 

「死人を戦いの理由にしたら、死人に引っ張られるぞ」

 

小隊長にとって、ただ生きているというのは、許すことができない罪なのだろう。

 

だけど、死人に対して、どうやって贖罪をするというのだ。

 

死人には何かを言う口も、何かを聞く耳もない。

 

結局は自分を危機的状況へ追い込んで行くことしか、出来なくなっていく。

 

そして、それは自分が力尽きるそのときまで続く……そんなもの、ただの生き地獄に他ならない。

 

俺は……どうしようもない善人の小隊長には、こんな所で逝って欲しくないと思っている。

 

未来への希望がない俺達と違って、この人には未来を選ぶ権利があるのだ。

 

「ニコル……あんたには俺達と違って未来への望みがある。だから――」

 

「君達を犠牲にした未来なんて冗談じゃない。こちらから願い下げだよ……みんなで生き延びて、この戦場から脱出するんだ。そうだ――」

 

何かを吹っ切った表情をした、ニコルはその場で立ち上がり、声高らかに宣言した。

 

「俺の戦う理由をさっき聞いたな? 俺達はこの戦場から、生きて脱出してみせる! そのために俺は全力を尽くす!!」

 

「は? いやいや、脱出って……あのなぁ――」

 

「不可能やら、無理だという言葉は聞かないぞ? 必ず、全員で生き延びて脱出するんだ!!」

 

……さっきまで沈んでたくせに、いきなり図々しくなったな。

 

「はは、壮大なスケールな目標だな……」

 

「俺の座右の銘は、為せば為るだからな! ……だから、二人とも俺に力を貸してくれ!!」

 

俺らへと頭を下げたニコルを見て、思わずカイエと顔を合わせる。

 

「そうだな……私も全力を尽くすよ。小隊長殿」

 

「ここで断ったら……なんてな。了解だよ、ニコル」

 

脱出する方法も、そのための準備も――今から何をすれば良いのか、検討も付かない。

 

けれど、何か目標があるというのは、それだけでも違うのだろう。

 

たとえ、断頭台に上がることが決まっていたとしても、最後まで抗うという気概はあっても良いのかもしれないな。

 

この日、『戦場からの脱出』を目標として、俺達の戦いは始まった。

 

そして、それは"あの日"へと向かう始まりでもあった――

 

 

 




主人公の全ての発言の全てが、後にブーメランとなって返ってくるジレンマ


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10話

初速4000メートルの砲弾をどうやって避ければ良いんですか……


"I think that technologies are morally neutral until we apply them. It's only when we use them for good or for evil that they become good or evil." - William Gibson

テクノロジーは倫理的には中立だろう。我々がそれを使うときにだけ、善悪が宿る。 ―― ウィリアム・ギブソン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 8月25日

 

 

 

 

 

火花が夜の帳が降りた広場を鮮やかな色彩で彩っていく。

 

ある者は多彩な火花を吹き出し、ある者は線香のような小さな火花を放つ。

 

そして、夜空には小さな閃光がいくつも打ち上げられて、小さな爆発と共に消えていく。

 

「……まさか、生きている内に、こうやって花火をまた観ることが出来るなんてな」

 

俺が最後に花火を観たのは何時だっただろうか……

 

少なくとも正確な時間を思い出せない程に、昔なのは確かだ。

 

けれど、手に持った線香花火の閃光を見ていると、懐かしい気持ちになるというのは、それだけ印象的だったということだろう。

 

地面に置かれた筒から再び、夜空へと火花が放たれた。

 

「たーまやー……なんて、流石に花火が小さすぎるか」

 

「いいんじゃないか? 私達からすれば、同じくらい綺麗な光景なんだから」

 

隣で、小さな火花を散らす線香花火を見つめていたカイエが口を開く。

 

そうだな……これが俺達にとって、正真正銘の最後の花火なんだろうしな。

 

「しかし、少佐にはいつも驚かされてばかりだな。シンから特殊弾頭って言われた時はびっくりしたけど、中身が花火とは思いもしなかったよ」

 

「物は言い様、ここに極まれりってな……とはいえ、よく監査を通したもんだ。86に送られる物は厳しく見られるだろうに」

 

あの性格で色仕掛けっていうのは、おそらく無いだろうし……十中八九、賄賂とか贈ったんだろう。

 

それに流される監査にも問題ありだが、少佐もだんだんやり方が強引になって来たよな。

 

「そういえば……確か、今日は少佐も向こうで祭りがあるんだったって言ってたな」

 

「ああ、大方、革命祭のパーティーとかあるんだろ。まあ、あの性格からして、今の時期にパーティーを楽しめる質ではないと思うけど」

 

お互いに顔も知らない関係だが、話し掛けてくる奴に片っ端から毒を吐くなりして、あしらってる姿が目に浮かぶ。

 

勿論、浮かんでいる少佐の人物像は、あの豚のお姫様だが。

 

「みんな、久しぶりにはしゃいでいるな……最近はやっぱり余裕がなかったし」

 

「立て続けに出撃させられば、流石の皆も疲れるさ……それに相手方も悪知恵を働かせるようになってきたしな」

 

ここ最近、レギオンの襲撃の頻度が上がってきている。

 

それに加え、レギオン側もこちらの待ち伏せを防ぐために多数の支援砲撃を用いたり、逆に進路上に回り込んできたりと、明確な意図がある戦術を用いてくるようになった。

 

「ユウは大丈夫なのか? この前の戦闘もけっこう辛そうだったけど」

 

「一ヶ月前はみたく、倒れない程度に調整はしてるさ。……それに折角の機会を反古にしたくない」

 

「そうか……」

 

線香花火の火花が次第に、小さくなり、火の玉となって揺らぐ。

 

……そっか、もう8月が終わるんだったか、ということは"最終任務"もそろそろか。

 

今度こそ……本当に死ぬんだな、俺は。

 

「やっぱり、少佐には"あのこと"を、言わないでいいのかな」

 

「言ったって、どうしようもならないだろ? 大丈夫さ……何だかんだで折れにくい人だし」

 

手花火を、命継ぐ如、燃やすなり……誰の詩だったかな。

 

火はやがて消えていく、それは命もそうだ。

 

生きていれば、どんな理由であれ、そいつは確実に死ぬ。

 

「なあ、ユウ。私は絶対に忘れないよ。小隊長は勿論、皆に出会えたことを――ユウに出会えたことを」

 

「……俺にとっては、この四年間は忘れるには刺激が強すぎるからな。忘れたくても忘れられないよ」

 

この四年間、侮蔑に耐えて、喪失の辛さと自身の無力さに唇を噛み締めることもあった。

 

そして、同じくらいに馬鹿なことをやった記憶、一瞬といえど誰かと心を通わせたことは、俺の脳に――いや、俺自身に刻まれている。

 

そして、その切っ掛けはきっと、カイエ――お前なんだ。

 

お前が居たから俺はここまで来れた――お前のおかげで、俺は自分の選んだ道を歩き切ることが出来る。

 

だから、お前には――

 

再び、夜空に閃光が走ると共に、手に持った線香花火の火花が地面に落ちて、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 8月27日

 

 

厚い雲の下、大粒の雫はは止むことなく、地上へと降り注ぐ。

 

今回の戦闘では珍しく、上空に阻電撹乱型が展開しておらず、レーダーにはいつもよりも多くの敵マーカーが映る。

 

『アンダーテイカー。状況の報告を』

 

『戦隊各員傾注、これよりレギオンの前進拠点の制圧にかかる』

 

戦闘において有効な攻撃を行うためには、相手の三倍の兵力が必要とよく言われる。

 

当然ではあるが、展開戦力が多ければ多いほど防衛も攻撃もしやすくなる。

 

しかし、その逆となれば――況してや、戦隊の24名のみで、数百以上の敵が待ち構える拠点に対して攻撃を仕掛けるとなれば、それはただの無謀である、

 

そして、その拠点はあくまで囮で、相手の目的は俺達を寝ぐらから引き摺り出す為ときた。

 

『フェアリー、あんたは大丈夫なの? 一昨日の戦闘じゃ、気絶寸前だったじゃない』

 

「ご心配、痛み入るよ、バーントテイル。けど、昔から身体は丈夫な質でね……それに、こんなアホみたいな作戦が下ったんだ。休んでられないだろ?」

 

敵の前進拠点の制圧――攻撃支援は勿論、増援、許可のない撤退は認められない。

 

ここまで露骨だと、たとえ少佐に言わなくても、この部隊の真の目的か分かりそうである。

 

『フェアリー……本当にごめんなさい。あれだけ言ってた人員増強も結局は……』

 

「構いませんよ、少佐。少佐が尽力はしてくれたというのは、分かっていますから。それに、前回の戦闘でガンスリンガーにキツく言われてたでしょ? これが俺達にとっての普通なんです」

 

そう、これが俺達にとっては何もおかしくない状況なんだ。

 

シンの声であっても、結局は何時か聞いた断末魔を垂れ流されているだけに過ぎない。

 

機体ごと木っ端微塵になるならともかく、痛い、死にたくない、熱い……様々な言葉を吐きながら死んでいくプロセッサーなんて目や耳が腐る程、見てきたし聞いてきた。

 

そして、死んでいく奴等を見ても、楽に死ねる奴の方が少ない。

 

それでも、俺達は生き延びてきた――助けを乞う者や、痛みに苦しむ者……もう助からない仲間を見捨てながら。

 

だからこそ、誰が死んだって俺達にとっては何もおかしいことではないのだ。

 

『ユウさん……』

 

「さて……ここらで一回、見ておくぞ」

 

『アンダーテイカー了解。忘れるな、拠点は囮だ。各員は周辺の伏兵の動きに注意して――」

 

自分の意識を先の光景――数秒後、数分後、数十分後の光景へと集中させる。

 

そして、神経の中を光が走り回るような感覚と共に、その情景が脳裏に映っていく。

 

「……?」

 

これは……太陽の光――いや、違う……!!

 

そして、この情景が真っ先に映るということは、すぐに起こることを意味している。

 

「グリフィン、ファーヴニル!! 離脱しろ!!」

 

その言葉と同時に、厚い雨雲を貫いて白い光が地面へと突き刺さった。

 

今まで聞いてきた、長距離砲兵型の砲弾よりも遥かに大きな爆発と衝撃。

 

「第2射、ポイント257!! 第3射、ポイント297!! 着弾5秒後!!」

 

『五秒だって!?』

 

皆が混乱する間に、五秒のタイムリミットは進み――丁度、五秒後に白い光が二本、再び地面へと突き刺さる。

 

範囲外にいる俺達にも身体が痺れるような衝撃が伝わってきた。

 

『か……解析出ました! 発射位置東北東20km。推定初速は……秒速4000m!?』

 

初速4000mって……音速を遥かに越えてるぞ!?

 

そんなもの、今までの発射薬式の火砲じゃ到底……

 

それは、長距離砲兵型よりも遥かに遠くから、なおかつ遥かに上回る弾速と威力の砲撃を正確な精度で撃ち込むことが出来る新型のレギオンが現れたことを意味する。

 

『作戦中止! 直ちに撤退してください! 少しでも早く戦闘区域外へ!!」

 

『――っ! ……了解』

 

戦隊のジャガーノート各機が命令に従い、後退を開始する。

 

「……すまない」

 

死者に謝っても何も意味はないことは分かっている。けれども――

 

鈍い頭痛と倦怠感に喘ぐ身体に鞭を打ち、機体を走らせる。

 

強く噛み締めた唇からは、いつの間にか血が出ており、衝撃に揺られて流れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

建物の影に機体を隠すように停止させ、各員は一時の休息を得る。

 

とはいえ、追撃の可能性は捨てきれない為、数機は臨戦態勢で控えている。

 

「追撃は振り切ったみたいだな……ユウ、お前は特に休んどけよ? さっき、ぶっ倒れそうになってたろ」

 

「はは……よく見てるな。じゃあ、お言葉に甘えようかな……」

 

結局、あの新型が撃ってきたのは三発のみだった。

 

新型の実戦投入による不具合か、本体の故障かは知らないが、続けて撃たれたら更に窮地に追い込まれていただろう。

 

とはいえ、たった三発で破壊されたジャガーノートは四機――つまり、四人死んだのだ。

 

「逝ったのは、チセとキノ、トーマとクロトか……」

 

「ユウが悪い訳じゃないさ。……あんな攻撃なんて対処できるわけがない」

 

もっと早くに未来を見てれば良かったやら、無理してでも事前に見てれば良かったなど、考えれば考えるほどに事前の解決案が浮かび上がってくる。

 

『い……今すぐ補充を急がせます! 今日にでもすぐに!』

 

少佐が咳き込むように言葉を紡ぐ、その言葉の裏に焦りと不安を潜ませながら。

 

もうきっと、少佐も内心は分かっているのだろう、それを認められるかは別として。

 

「少佐」

 

『だって……こんなのおかしい! 准将だって人員の補充計画は決定していると……』

 

補充計画……ああ、そういうことか……もう、俺達の次の“槍頭”は集まってる訳だ。

 

「ミリーゼ少佐」

 

シンが再び、少佐を強く呼び、流石の少佐も口を閉じる。

 

「総員。……かまわないな?」

 

「……ああ」

 

重い沈黙の中、代表してライデンがシンの問いに答える。

 

『な、何を……』

 

「少佐、もういいです。貴女が何をしても、もうどうにもならない」

 

『ノウゼン大尉……?」

 

「補充は来ません。ただ一人も」

 

「……え? でも……計画は」

 

シンは告げる、この戦場のどうしようもない仕組みを、この部隊の真の役割を。

 

それはこの部隊では、誰もが知っていた真実でありながら、誰もが告げずにいた真実だった。

 

「俺達は全滅します。この部隊は、そのための処刑場です」

 

それこそが彼女に秘匿してきた、どうしようもない現実の答えだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……な……何を言って』

 

真実を隠していたとはいえ、手掛かりなら幾らでもあっただろう。

 

この戦争が始まってから、今に至るまでに共和国に――少佐の周りに白系種以外の人種が存在していたか。

 

シンのように兄弟がいて、クレナのように両親がいたプロセッサーが未だに戦っているこの状況。

 

「少佐が言っている補充ってのは、俺達の次のプロセッサーのことなんですよ。俺達が全滅した後のね」

 

『ユウさん……?』

 

「この前、此方に花火を贈ってくれたでしょう? そのとき同時に新品のジャガーノートも来てたんですよ。次のプロセッサーが使うためのね」

 

プロセッサーの大半は任期満了どころか、一年も待たずに戦死するため、市民権やらの口約束は反古に出来る。

 

しかし、問題は俺達のような死んで当然の戦場で一年、二年と生き延びてしまう“号持ち”のプロセッサーだ。

 

「“号持ち”である以上、そこらのプロセッサーに比べても比較にならないくらい強いし、頭も回る。白豚からしたら反乱の火種になると思ったんだろうな。だから、“号持ち”は激戦区をたらい回しにされる。そこで戦死するようにな」

 

「そうやっても死なない、どうしようもない奴がたどり着く場所が――第一戦区第一防衛戦隊“スピアヘッド”」

 

文字通り、俺達は槍の刃が折れるまで酷使される。どうせ次の槍が控えているのだから。

 

『それでも……それでも、生き延びさえすれば……』

 

「そんな奴等には、直前に特別偵察任務が与えられるのさ。レギオンの支配地域の行けるところまで行けっていうね。目の前にはレギオンの大群、かといって戻ってきたら即時処刑っていうおまけ付きでね」

 

『そんな……そんなもの、ただの虐殺じゃないですか!! 皆さんは知って……」

 

「ああ、すまない……最初から知っていたよ」

 

先程から、沈黙を貫いていたカイエも重い口を開く。

 

『それが分かっていて……なぜ戦ったのですか!? 逃げようと……それこそ共和国に復讐しようとは思わなかったのですか!?』

 

「復讐ってのはそう難しい話じゃない。戦わずにレギオン共を素通りさせてやればいい。俺達も当然死ぬが、それで白豚共を道連れにしてやれる」

 

『なら、どうして……』

 

「俺は俺は12まで第9区の白系種の婆さんに匿われてたんだ。それに俺だけじゃねえ。シンを育てたのは、立ち退き拒否して強制収容所に居残った白系種の神父だし、セオの隊長の例もある」

 

一拍置いて、ライデンは再び話し始める。

 

「勿論、白豚共のクズっぷりは身に染みてるが。クレナは白系種の中でも最悪のクズを知ってる。そして、カイエやユウのように、86からも迫害された奴もいる。帝国や白系種の血を引いたハルトやシン、アンジュもその一人だ」

 

『……』

 

「86にだってそういうクズはいて。それ以上に最後まで戦い抜いて死んでいった誇り高い86は大勢いたし、白系種の大半はクズでもわざわざ死なせることはねぇって奴も中にはいた」

 

雨はいつの間にか止み、大穴が穿たれた雲からは月光が差し込む。

 

「それを踏まえて俺達は決めた。クズにクズな真似をされたからって同じ真似で返したら同じクズだ。ここでレギオンと戦って死ぬか、諦めて死ぬしか道がねえなら、死ぬ時まで戦い切って生き抜いてやる。それが俺達の戦う理由で誇りだ』

 

桃園の誓い……というほど、上等なものではない。

 

ただ、全員でそうありたいと確かめあった、それだけだ。

 

『その果てに……死ぬしかないと分かっていても……ですか?』

 

「明日死ぬからって、今日首括るマヌケがいるかよ」

 

断頭台に登ることは決まっていたとしても、その登りかた、あるいは散り様ぐらいを選ぶ自由はある。

 

鬼を倒すために、鬼にはなってはならない……これも誰の言葉だったか。

 

月明かりは薄く俺達を照らす、俺達の行く道を――そのゴールさえも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機体が地面を蹴る振動に揺れながら、ある人へ同調を繋ぐ。

 

思えば、部隊にいる者以外に対して、自分からパラレイドを繋ぐことがあっただろうか。

 

「聞こえますか? ミリーゼ少佐」

 

『はい、聞こえています。珍しいですね、ユウさんから同調してくるなんて……』

 

生憎なことに、女性と日常会話を繋げていくノウハウがこちらにはないもので。

 

「おそらく、これが最後ですから……今の内にやれることはしておくべきと思いまして」

 

「最後……あの、ユウさん……』

 

「昨日のことでしたら、残念ですが、もうどうしようもありません。貴女の国がそう決めたのだから、軍人の貴女にも従う義務がある」

 

『ですが……!!』

 

「昨日の新型のレギオンも、昨日の戦闘で得たデータを基にさした調整が終わり、本格的な実戦投入が開始されるでしょう。そうなれば、もうどうしようもありません」

 

昨日の戦闘はあくまで新型レギオンのテストのようなものだ。

 

実戦投入が開始されれば、あの光の矢のような一撃で大要塞壁群は瞬く間に陥落する。

 

崩壊した要塞から、無数のレギオンが共和国内へ雪崩れ込む。

 

彼らの予防策ではレギオンを食い止めるどころか、侵攻の遅滞すらままならない筈だ。

 

「今のところ、軍人の中でレギオンが止まらないことを知っているのは少佐くらいな筈です。他の方々は信じるはおろか、耳すら貸さなかったのではないでしょうか?」

 

『それは……』

 

「ですが、それは少佐だけが生き残る術を持っていると言えます。俺達の管制を続けたことで得た知見は無駄にはならない筈です」

 

『それでは、あなたは……あなた方は何も救われないじゃないですか! 自由も未来への希望も……なにもかもが理不尽に奪われて……最後はただ、死ねと言われるだけで……』

 

「俺にとってはそうでもないですよ。ただ、生きるだけというのは、ひたすらに苦痛なんです。俺にとっては」

 

『苦痛って……だからって自ら死にに行くようなことを……」

 

「俺はむしろ、安心していますよ。もう仲間の死に際や、断末魔を聞きながら戦わなくていい……もう“彼ら”の目に怯えながら生きなくていいんですから」

 

『“彼ら”……?』

 

ああ、そうか……少佐には結局、話すどころか、見せてもなかったか。

 

シンの“声”に耐えられたら、見せてやるつもりだったんだが……俺も情が湧いたのかな。

 

でも、きっと見せなくて正解だったのかもしれない。

 

少佐にとって見ず知らずの誰かの死を、遺志を背負うなんてただの拷問でしかないのだ。

 

“彼ら”を背負うのは俺一人で十分だ、これまでも……これからも。

 

「俺達はいつも見られているんです……先に逝った彼らは自分の遺志が何処に行き着くのか、生き残った奴がたどり着く場所は何処なのか、知りたいんでしょうね」

 

『……』

 

「見知った仲間が何もかもを見据えた冷淡な目で、ずっと……日常でも、戦闘中でも、今、この瞬間も――」

 

「ユウさん……貴方は……』

 

「本質は俺の妄想が見せる幻に過ぎないのかもしれません。ですが、俺には見えるんです。死に損ないの俺を、死んだ筈なのに此処にいる俺を蔑む彼らの目が……“裏切り者”と呼んでいる気さえします」

 

だからこそ、俺は必死で戦った――“彼ら”が満足するだろう自己満足な理由を掲げて、ひたすらに貫こうとした。

 

死に恐怖はない、それよりも仲間の見知った目が、“あの目”に変わることの方が怖かった。

 

何度も、理由を貫く内に死ねたら……と思うこともあった。

 

“彼ら”が納得するような死に方で逝けたら、どれくらい楽だったのかなんて、何度も考えた。

 

「少佐、シンに自分たちのことを忘れないでいてくれるかと問われましたよね?」

 

『はい、……私は忘れません。皆さんのことを』

 

「では、俺からも頼みがあります。俺達……いえ、少なくとも俺のことは忘れてください」

 

『……え? ユウさん、何を言って……」

 

「死人のことをいつまでも記憶することは、死人の存在を背負うことに他ならない。同時にそれは自分の命が自分だけのものでなくなることを指す。そうなれば、後は地獄だ。生きるにも、死ぬにも理由が要り、当人が生きている限り、ずっと死者に囚われることになる……少佐にはそうなって欲しくありません」

 

たまに、“彼ら”が見えるのは俺に対する罰なんじゃないかと思うことがある。

 

死ぬ筈だったのに此処にいることへの、仲間が死ぬ傍らで、此処へ戻って来てしまったことの――

 

「少佐には次があるでしょう? 俺達で得た知見は、次の選択の材料にして下さい。そうすることで初めて意味を為すのですから……」

 

『ユウさん……それでは貴方は……!!』

 

「それでは……少佐。俺から言いたいことは以上です。くだらない戯れ言に付き合って下さり、ありがとうございました。……いや、あと少しだけ」

 

『え……?』

 

「この話は出来れば、内密にしていただけると助かります。最近は身体が休まる暇がないのに、皆に無駄な心配をかけたくありません。それと……この後にカイエが何か聞いてきたら黙っていて欲しいのです」

 

『それはどういう……』

 

「カイエが聞こうものなら、きっと付いて来るでしょう。……彼女には俺の分まで生きていて欲しいので」

 

もし、俺が死んだとき、彼女は笑って送ってくれるのか、それとも――

 

「……では、少佐。今まで、ありがとうございました。少佐の武運長久をお祈りいたします」

 

『待ってください!! ユウさ――』

 

少佐が何か言う前に、向こうとの同調を切る。

 

直後に、レイドデバイスが再び、熱を宿す。

 

『ユウ? どうしたんだ……? 昼食も済ませないでいきなり、哨戒に出たって聞いたけど』

 

『いや、少し散歩に出たい気分だったからな……今から帰るよ」

 

空は雲一つない、綺麗な快晴で、水溜まりにはジャガーノートの駆ける姿が映る。

 

死ぬには良い日っていうのは、こういう日のことを言ったんだろうな……

 

そう思っているからか、宿舎へと帰るジャガーノートの足取りはいつもよりも軽やかに感じた。

 

 

 

“あるはなくなきは数そう世の中に あわれいづれの日まで歎かん“”――小野小町

生きている人は死ぬし、亡くなる人は増えていく。私は一体いつまで嘆き続ければいいのよ。




ジャガーノートにモルフォは無理です。白豚は悔い改めて


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11話

更新が遅くなり、申し訳ありません。仕事の疲れも相まって執筆がスムーズにいきませんでした……


"Nearly all men can stand adversity, but if you want to test a man's character, give him power." - Abraham Lincoln

その人物の人格を試したければ、困難ではなく、権力を与えてみなさい。 ―― エイブラハム・リンカーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 9月27日

 

 

 

 

曇天の空から降る雨は弱まる気配はなく、部屋の窓を強く打つ。

 

そんな土砂降りの雨の中でも戦隊メンバーは宿舎の外と中を頻繁に行き来している。

 

それもその筈、明日にはこの宿舎を出て、レギオン支配地域への特別偵察任務に赴かなければならないからだ、

 

一度、出撃すれば、もう此処に戻ってくることはない。

 

だからこそ、宿舎内で必要のない私物や調度品を処分しているのだ。

 

俺のように、あまり私物を持ち合わせていない者はともかく、女性陣などは私物か多い傾向があるため、一部の男性陣が駆り出されている。

 

手伝わされる彼らには気の毒だが、最後に不可侵領域だった女性陣の宿舎へ入れたんだ。

 

それで、チャラということで良いだろう……待ってるのは天国でなく、荷物の山だけど。

 

今頃、女性陣にこき使われてる男子へ哀悼の意を表しながら、俺は箒で床を掃く。

 

「ふう……こんなものかな」

 

普段から、部屋の掃除を余程じゃない限り、サボってきたこともあって時間が掛かってしまった。

 

後は……シーツとかも洗濯した方が良いんだろうけど……この雨だしな。

 

そんなことを考えていると、部屋のドアがノックされた。

 

「ユウ、部屋にいるか?」

 

「居るけど……どうした? 女性陣の手伝いはダイヤ達が行ったろ」

 

ドアを開けて部屋に入ってきたカイエは水筒と何かの缶容器を持っていた。

 

「生憎、私の片付けは終わってるよ。折角だし、コーヒーでもどうだ?」

 

「そりゃいいや……ありがたく頂戴するよ」

 

そういえば、ダイヤ達が言っていたが、コーヒーは淹れる人の性格が現れるそうだ。

 

そして、中でもカイエが淹れるコーヒーはかなり苦めらしい。

 

尤もこの四年間、何度もカイエのコーヒーを飲んだきた為、慣れもあるのだろうが、俺は特に気にならず、爽やかな風味があって良いと思っている。

 

まあ、これに関しては個人の味覚の問題だから、どうとは言えないのだが。

 

「しかし……ユウの部屋は変わらないな。昔と同じで全然、物がない」

 

マグカップを差し出しながら、カイエはそんなことを言う。

 

「別にいいのさ、不便はしなかったんだし……」

 

「それ、前の部隊でも言ってたぞ、そこも変わらないな」

 

「よく、覚えていらっしゃることで……」

 

コーヒーを啜りながら、ビスケットを一枚、手に取る。

 

固いし、味もあまりしないが、むしろそのお陰でコーヒーの風味が一層際立つのだから、組み合わせというのは不思議のものだ。

 

そして、気分が落ち着いてくると!物思いに耽るというのも人間の性なのだろう。

 

……そういえば、“あの日”も同じくらいの時間に、三人でこんな感じで過ごしてたっけ。

 

忘れることのない、二年前のあの日――俺が死んで、戻って来た日。

 

その日も今日のような、曇天で土砂降りの雨が降っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2166年 9月29日

 

 

 

 

 

 

 

外は雨音が薄い窓を伝って部屋の中にまで届き、雨によって冷えた空気が薄い外壁を通り越して部屋に入る。

 

流石にこの時期になると、蒸し暑いということはなく、むしろ空気がより冷えて、肌寒さを覚えるくらいだ。

 

「今日は雨が凄いな……そして、うう……寒いな」

 

「残念だけど、冬になればもっと寒くなるし、窓も最悪凍るぞ」

 

昨年、冬のある日に窓が凍り、開かなくなった経験者は語る。

 

そのときは結局、窓を壊して、無理やり開けるに至ったのだが、その話は別の機会としよう。

 

そんなくだらない話をしていると、部屋のドアが開かれた。

 

開かれたドアから、マグカップとコーヒーポットを持ったカイエが部屋へと入ってくる

 

「小隊長、ユウ。コーヒー淹れてきたけど、要るか?」

 

「ありがとう。カイエ」

 

「おお、ありがとう……カイエ君、君は俺達の恩人だよ!」

 

「はは……流石に大袈裟過ぎじゃないか?」

 

まあ、欲を言うと、もう少し甘いものがあるとお供として最適だったんだが……まあ、無い物ねだりをしても仕方がない。

 

それに、いくら不味い軍用糧食といえど、コーヒーと共に腹に入れる分には気にならないものだ。

 

「もう10月も間近か……この部隊もだいぶ人数が減ったな」

 

「この前の森林地帯の戦いが激しかったからな……木々を抜けなら戦車型がいたっていう即死パターンもあったみたいだし」

 

「しかし……ここまで人的損耗が激しいと、戦隊が機能不全になるぞ。今だってギリギリの状態なのに……」

 

「部隊が機能しなくなったら、解体して別の部隊と組み合わせるだけだよ。俺とカイエとそれでこの部隊に来たんだ」

 

生き残りのたらい回しなんて、この戦場ではしょっちゅうあることだ。

 

それは号持ちとなった俺やカイエでも例外ではない。

 

「そういえば、哨戒組の連絡が遅いな。向こうの方が頭数が多いんだから、俺らよりスムーズに進めるだろうに」

 

「確かに……もうとっくに昼も過ぎて、もう3時になるのにな」

 

「哨戒中に何かあったのか……?」

 

哨戒組がこちらへの同調を意図的に省いているという線もなくはないが、如何せん嫌な予感がする。

 

それに今回の哨戒部隊には号持ちが二人程いた筈だ、仮にも一年以上、生き延びた彼らが定時に連絡を寄越さないってことがあるのか……?

 

そんなことを思いつつ、コーヒーを啜っていると、レイドデバイスに熱が灯る。

 

『ハンドラー・ワンより戦隊各員へ。敵部隊が防衛領域内へと侵攻を開始した。至急、ポイント298へ急行し、迎撃せよ』

 

「フェアリーよりハンドラー・ワンへ。哨戒部隊が未だに帰還しておりませんが、敵の先鋒に撃破されたのでしょうか?」

 

『その通りだ、フェアリー。こちらでは全機、既に撃破されたとなっている』

 

これはまた、最悪なタイミングでレギオンが来たもんだ……

 

たった今、この戦隊は人数不足による機能不全に陥った。

 

しかも、たった今、失った人員に主力の精鋭がいるっていうのが、拍車をかけてる。

 

「フェアリー、了解。直ちに出撃します」

 

ハンドラーとの同調を切り、マグカップを机に置く。

 

「ユウ……」

 

「今回の戦闘は、この前の倍以上にキツくなるぞ……何せ、既に頭数が足りてない上に、戦力にも余裕がないからな」

 

部隊の定数割れは最前線の常と言うべきか……それでも限度はあると思うが。

 

当然ながら、俺達に逃亡するという選択肢はない、したところで逃げる場所なんて何処にもないのだ。

 

「そうであっても……みんなで生き残るんだ。皆で約束したじゃないか」

 

「分かってるよ……俺だってこんな所でくたばる気はない」

 

「皆、そろってここまで生き延びたんだ。だから、今日も上手くやろう」

 

戦力差も性能差も絶望的、況してや頭数もまともに揃っていない。

 

でも、それで戦うしかないのなら、そうするまでだ。

 

逃げ場なんて何処にもなく、俺達にある選択肢は戦場で死ぬか、生き残るかの二択だけだ。

 

窓の外は一向に晴れる気配はなく、雨は降り頻る銃弾の如く、激しさを増していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

轟音と共にビルの一区画が爆ぜる、爆発によって崩れた瓦礫は下層で戦っているジャガーノートと斥候型を諸共に押し潰していく。

 

黒煙の中、味方の残骸を踏みつけて尚も前進する、近接猟兵型をセンサーが捉え、同時にトリガーを引く。

 

放たれた高速徹甲榴弾が近接猟兵型の背部を貫き、信管の作動共に爆ぜる。

 

しかし、目の前で倒れた同胞には目もくれず、斥候型は機銃を撃ちながらこちらへと迫って来る。

 

そして、機体からは弾薬不足のアラートが、敵接近のアラートと一緒に煩く鳴り響く。

 

「クソっ……リロードに入る! 援護頼む!!」

 

機体をビルの影に隠し、背後に控えたスカベンジャーへ補給させる。

 

『キルシュブリューテより小隊各機。こちらも後、二発で主砲の弾薬がなくなる……』

 

『リーダーより各機へ。こちらもリロードに入らないとマズイ』

 

他の小隊はどうしたんだ?……取りこぼすってどころの話じゃないぞ。

 

先程からこちらへと向かって来る敵の数が多すぎる――いや、他の小隊が展開していたエリアからも敵が流れ込んで来ている。

 

「フェアリー、リロード完了。キルシュブリューテ、リーダー! 今のうちに早く!!」

 

『キルシュブリューテ了解。リロードに入る!』

 

『同じくリーダーも了解。頼む、急いでくれ!』

 

マズイな……このままじゃどのみち、数に押し潰されるぞ。

 

『キルシュブリューテ、リロード完了。戦闘に復帰する』

 

『後、数刻で完了する。もう少し持ちこたえてくれ!』

 

リーダーはまだ掛かるか……とはいっても、ここで防衛を維持しているのも流石にキツいぞ。

 

『フェアリーよりリーダーへ。ポイント276まで後退して、体勢を立て直そう。ここで戦っていても埒が開かない」

 

『リーダー了解。各機、ポイント276まで後退する!』

 

『キルシュブリューテ了解』

 

小隊が動き始めた瞬間、機体から新たなアラートが鳴り響く。

 

これは……飛翔物警報……クソっ! マズイ!

 

「近接猟兵型のロケットが来るぞ! すぐに後退しろ!!」

 

前方から侵攻する近接猟兵型達が俺達が潜む廃墟へ向けて、一斉に背部のロケットを放つ。

 

そして、多くのロケットが廃墟の外壁や構造物のみならず、周辺にも着弾して爆発する。

 

その爆炎と衝撃は斥候型の残骸のみならず、こちらを追っていたスカベンジャーも巻き込んでいく。

 

「振り返るな! 止まらずに走り続けるんだ!」

 

背後から迫る無数の銃弾を躱しながら、ただ、ひたすら前へと走る。

 

『……痛い、痛いよ……痛い』『死にたくない……イヤだ』『助けて……見捨てないで』『熱いよ……助けてお母さん』

 

道中で苦痛に苦しむ声や、死への恐怖を嘆く声、助けを乞う声が聞こえても機体を止めることはない。

 

もう彼らは助からない……助けたところで結局は死んでしまうし、こちらが危険に晒されるだけだ。

 

それに、彼らのような者を見捨てるのは、今回が初めてな訳じゃない。

 

これまでの戦闘でも、一年前も自らが生き残るため、何度も仲間を見捨ててきた。

 

だから、彼らだけが特別なわけじゃないのだ。

 

「よし……ここまで来れば……っ!?」

 

突如、鳴り響く大きな発射音――それはビルの外壁を易々と貫き、支柱さえも粉砕する。

 

轟音と共に地上へと落ちてくる瓦礫は、重力の影響を受けて、その一つ一つが強力な質量弾となる。

 

アルミの棺桶と名高いジャガーノートが当たればどうなるか、想像に難くない。

 

『うわっ……っ!?』

 

キルシュブリューテが瓦礫を回避しようとして、横へと回り込むが、既に其処には先客がいた。

 

50トン級の戦車の車体に、一抱えもある八脚の節足を持ち、あらゆる敵を粉砕する120mm滑腔砲を背中に載せた、威圧感溢れる様相は名の通りの“獅子”に相応しいものだろう。

 

『戦車型……キルシュブリューテ! すぐに退避しろ!!』

 

言われなくても分かってると言わんばかりに、即座にキルシュブリューテは後方へと離脱をしようとした。

 

しかし、戦車型は既に巨体の足を振り上げ、今まさに振り下ろさんばかりの様相だ。

 

『……あっ』

 

キルシュブリューテも一年、この戦場を生き延びた号持ちだ。

 

だからこそ、分かってしまう――自分が助からないことを。

 

『逃げろ、カイエ!!』

 

その怒号と共に満身の力を込めて、戦車型の足が振り下ろされる。

 

『えっ……うわっ!?』

 

キルシュブリューテと戦車型の間に張られたワイヤーが巻き取られ、黒い妖精のマークを付けたジャガーノートがキルシュブリューテを蹴り飛ばす。

 

そして、蹴り飛ばした反動で機体の向きを変え、戦車型を正面から見据える。

 

そして、背中の57mm滑腔砲が火を吹くと同時に、戦車型の足がジャガーノートへ叩きつけられた。

 

刹那に放たれた高速徹甲榴弾は弱点の上部を穿ち、内部を食い散らかした後に爆ぜる。

 

戦車型は黒煙を吹きながら、倒れ伏せてそのまま活動を停止した。

 

一方でジャガーノートはまるでゴムボールのように、一度、二度と地面を跳ねて、地面を転がっていく。

 

『ユウ!!』

 

パーソナルネームで呼ばなくはならないことを忘れて、彼の名を叫ぶ。

 

しかし、彼からは一切の返事もない――同調も既に繋がっていない。

 

『ユウ……頼むよ、返事をしてくれ!!』

 

悲痛な叫びが戦場に響くが、返事はおろか、横たわるジャガーノートは微動だにしない。

 

『ユウ……っ!?」

 

機体から鳴り響く、敵接近のアラートと飛翔物の警報。

 

レギオン達は彼らをまだ、逃がす気はないらしい。

 

『……キルシュブリューテ、少しでも遠くへ逃げるんだ』

 

『リーダー……何を?』

 

飛来したロケットが廃墟の外壁を爆砕し、銃弾が地面に無数の弾痕を付けていく。

 

そんな中、小隊長のジャガーノートが迫り来るレギオンの群れに向かって歩き始める。

 

『これから敵の中央に突入して、一騒ぎを起こしてくる。そうすれば、少しの間かもしれないが、向こうの足が止まる筈だ』

 

『無茶だ! 一機であんな群れの中に行くなんて……』

 

『……たとえ無茶でも押し通さないといけない時がある。それはきっと今だ』

 

小隊長の言うように、このままでは二人とも追ってくるレギオンに押し潰されるだろう。

 

故に打開策は必須ではあるが、小隊長が言っているのは蛮勇どころか、無謀も良いところだ。

 

『ここで全滅すれば、何もかもが終わりだ。だから……カイエ、君一人でも遠くへ逃れるんだ』

 

『小隊長……』

 

『ごめんな、カイエ、ユウヤ。……みんなで生き残るって約束した筈なのに結局は俺が破ってしまった』

 

小隊長のジャガーノートが走り出す、大多数で向かって来る死の軍勢に向かって。

 

『どうかせめて、俺達の目標を……俺の分まで――どうか生き延びてくれ』

 

その言葉の直後に、小隊長との同調は切れ、無数の銃弾とロケットの迎撃の中、ジャガーノートは飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分じゃない誰かの最期を見た。

 

悲鳴と断末魔がひしめき合う場所に彼らはいた。

 

恐怖のあまり泣き出す者、おかしくなって狂ったように笑う者。

 

迫り来る殺人機械に対して、必死に抵抗する者。

 

人の生と死における“死”のみを煮詰めたような世界。

 

殺人機械によって振り下ろされる“死”は処刑囚に落とされる断頭台の刃なのだろうか。

 

あるいは、唐突に現れる死神の鎌なのかは分からない。

 

けれど、共通して“死”は唐突にやってきて、無慈悲に命を奪っていく。

 

おそらく、目の前の男性と女性も、きっとそうだろう。

 

彼らもじきに死ぬ、それが殺人機械によるものでなくても、それは変わらない。

 

赤髪の男は腹から大量の血を流し、黒髪の女も既に身体の数ヵ所を撃ち抜かれている。

 

『――』

 

男が口を開く、遺言でも遺そうとしているのだろうか?

 

『――』

 

女も男の言葉に何か、答えるように口を開いた。

 

彼らの様子から何かの安否を案じているようにも思える。

 

彼らには子供がいたのだろうか?

 

幾多の血に濡れて尚、獲物を求める殺人機械が壁際にいる彼らを見つける。

 

『――』

 

女が何かを言う、その穏やかな表情から迫り来る死への恐怖ではないのは分かるが、俺には分からない。

 

『――』

 

女と同じくらい穏やかな表情で、男性も何かを言う。

 

それはきっと親愛や何かへの愛を言っているのだろうが、俺には分からない。

 

そして、殺人機械は死に体の彼らに対して、慈悲を下すことなく、他の者と同様に彼らの命を奪った。

 

刎ねられた彼らの首がボールのように地面へと落ちる。

 

頭部を失くした身体から血が滝のように溢れだす、そして、溢れ流れた血は俺の足元へと拡がっていく。

 

目を離したくなるくらいの凄惨な光景なのに、俺の身体は意に反して動かない。

 

ああ、そうか。これはきっと、俺が初めて何かを喪った光景なんだ。

 

だからこそ、目を離せないし、どうすることも出来ないのだ。

 

『――』

 

誰かが俺の名前を呼んだ。その声の方へ振り返ると、そこは炎に包まれた場所だった。

 

無数の殺人機械に対して、機銃と背中の大砲で必死に迎撃する。

 

先程、彼らの命を奪った殺人機械と同型、一回り大きなものが混在する様は、まるで働き蟻と兵隊蟻のように思える。

 

『――』

 

何故だろう、彼と彼女の声はどこか頭に響く。

 

きっと、俺にとって……大切な人だったのだろうか……

 

『――』

 

彼の声が再び、頭に響く。けれど、彼が何を言っているのか理解することができない。

 

『――』

 

それでも尚、彼の言葉は続く、こちらが理解できていないことを知らぬように。

 

殺人機械の攻撃が近くに着弾する、爆発と共に、それの足の一本がひしゃげて、何処かへと飛んでいった。

支えを喪った、それがバランスを崩して、地面へと倒れ伏せる。

 

近くで戦っていた彼女も弾薬を全て使い果たし、攻撃することはおろか、逃げることすら出来ない彼女は、壁際へと追い込まれていく。

 

地面へと倒れ伏せた彼へと、殺人機械が迫る。

 

ああ、俺は何も変わらないのか……こうしてまた、喪うのか。

 

『――』

 

目の前に迫る殺人機械に臆することなく、彼の言葉は続く。

 

その言葉に釣られてか、俺の身体はそちら(ジャガーノート)へと向かう。

 

俺が行きたいと思った訳じゃない……行かなきゃいけないのだ。

 

何かに腕を掴まれても、そこ(ジャガーノート)へ向かうのを止めない。

 

そして、前へと進もうとすればする程、腕を引く力は大きくなっていく。

 

また一歩、踏み出すと足も掴まれて、受け身を取れぬまま転倒する。

 

しかし、それでも、地べたを這いながらそこ(ジャガーノート)へ向かう。

 

きっと、この先は生きることすら苦痛になる地獄だ。

 

罪悪感に苛まれ、喪ったものを背負い続ける――死ぬことが解放とすらなるかもしれない。

 

それでも、俺の身体はそちら(ジャガーノート)へと向かう、吸い寄せられるように。

 

飛んで火に入る夏の虫の如く、自らを焼く炎と知りながらも、そこに行かずにはいられない。

 

身体を引き千切らんばかりの力に全身が襲われる中、最後の力を振り絞り、右手を伸ばす。

 

――これを手にしたら、俺はもう戻れない。

 

『お前がみんなを守るんだ』

 

――それでも、この瞬間だけでも……一人でも仲間を守れるのなら。

 

俺は満身の力を以て、操縦桿を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がっ!! あがっ……このぉ!!』

 

身体の内側で雷が走ったような感覚――何かを振り切るように操縦桿を掴む。

 

全身が軋むように痛み、口の中に拡がる鉄の味と、鉄の臭い。

 

視界は紅く染まり、目の前の敵を映し出している。

 

脳内を直接、掻き回されるような鈍い激痛に顔をしかめる。

 

しかし、それでも尚、紅い視界の中、機体を翻し、敵へと向かって走る。

 

こちらの接近に気付いた近接猟兵型が脚部を振り上げ、その刃で切り裂こうとする。

 

ジャガーノートの装甲では耐えるどころか、バターにナイフを刺すように、すんなりと刃を受け入れるだろう。

 

しかし、迫る刃と共に脳内にある光景が映し出される。

 

その光景には刃がジャガーノートと接触するまでの動き、回避した後に近接猟兵型がどう動くのかが鮮明に映っていた。

 

どういう原理でこの光景が見えているのかなんて、分かる筈もないし、況してや信じて良いかすら疑問だろう。

 

けれど、そんなことを考える前に彼は動いた。

 

直進していた機体の進路を横に反らし、近接猟兵型の横をすり抜ける。

 

その直後、すぐ隣に近接猟兵型の刃が振り下ろされる。

 

その隙に、側面から滑腔砲を撃ち込み、近接猟兵型が倒れるよりも早く斥候型の背部へ取り付く。

 

そして、ほぼ零距離からサブアームに装備された機銃を撃ち込む。

 

金属と金属同士が高速でぶつかって、削れる音と共に、斥候型の内部までも削り取っていく。

 

『……ユウ? ユウなのか……?』

 

彼女の声に応える間もなく、再び、脳裏にある光景が映る。

 

機銃を撃ちながら、こちらへ詰め寄ってくる斥候型とその後ろからロケットを撃つ近接猟兵型。

 

「どけ……そこをどけ!!」

 

黒煙の中から、機銃から火を吹く斥候型が姿を現す。

 

更にその頭上かろ、近接猟兵型が放ったロケットが降ってくる、

 

斥候型の機銃を躱しながら、ワイヤーアンカーを廃墟の外壁に撃ち込み、外壁を蹴りながら機体を浮かす。

 

直近は、斥候型が三匹……近接猟兵型が四匹……今ならまとめて殺れる……!

 

「――っ!?」

 

その時だった、倒壊した廃墟の瓦礫の向こう側の光景が目に映る。

 

地面に倒れ伏せ、コクピットが開け放たれたジャガーノート。

 

そして、すぐ前には斥候型がおり、一方でジャガーノートにも誰かが乗っている。

 

キルシュブリューテ(カイエ)は向こうにいる……では、あそこにいるのは誰だ?

 

「待て……」

 

作戦ではあそこのエリアには味方は展開していない筈だ。

 

「待ってくれ……」

 

向こうにいたのはキルシュブリューテだけだった。

 

「待てよ……」

 

斥候型の足が上がっていく、それはさながら断頭台の刃のようにも思えた。

 

「頼む……」

 

思わず、手を伸ばす――その手はディスプレイにぶつかり、コツンという軽い音を鳴らした。

 

そして、その音が合図となったかのように、斥候型の足が勢いよく振り下ろされた。

 

「あ――」

 

その一撃を受けたジャガーノートは少し横に傾き、同時に何か黒い物体が落ちていくのが見える。

 

機体が重力に引かれて地面へと落ちていき、斥候型の迎撃が下からやってくる。

 

「――っ!!』

 

外壁を蹴り、真下の斥候型に滑腔砲を撃ち込む。

 

金属の外殻を食い破った砲弾が爆ぜると共に、機体は全速力で走り出す。

 

目の前の近接猟兵型がブレードを振り下ろしてくるが、横に機体を滑らせて、滑腔砲のトリガーを引く。

 

「グッ……ゴホッ……」

 

鈍い頭痛は痛みを増し、鼻、口からは湯が湧き出たように血が流れ出す。

 

身体も既に意識が既に朦朧とし、もう感覚も正常に感じない。

 

「まだ……っ!?」

 

全速力で駆けていた機体の足が吹き飛び、力のバランスが崩れた機体は地面を滑り、その足を更に飛ばしながら停止する。

 

「クソ……こんな時に……」

 

ディスプレイには左前肢と、右後肢が破損表示と映り、脚部モーターも損傷大という警告も出ている。

 

更に動けなくなった機体へ、斥候型が向かって来る。

 

「ゴホッ……まず……」

 

意識が朦朧とするなか、斥候型がこちらの目前までやって来る。

 

操縦桿を掴む手も次第に力が抜けていき、だらりと下がっていく。

 

ああ……クソ……ダメだ……意識が……もた……な……い。

 

消え行く意識の中、斥候型が足を振り上げていくのを見据えて、俺の目の前は真っ暗となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体にひやりとした感覚と共に、何か液体を含んだものが触れる。

 

それをどけようと腕を動かすと、布ようなものが身体に掛けられている。

 

……どうやら、俺はまだ生きているらしい。

 

『ん……ここは……?」

 

重い目蓋をゆっくりと開けると、知らない天井――ではなく、見知った天井が目に映る。

 

俺達の部隊の基地の宿舎の俺とカイエが使っている部屋だった。

 

身体を起こそうとすると、鈍くも強い痛みが身体を襲う。

 

『っ……痛っ、いつの間に戻って来たんだ……?」

 

最後に覚えている光景といえば、機体の足が壊れて、目の前に斥候型が……

 

その時、横でパシャりと水分を含んだ何かが床に落ちる音が聞こえた。

 

「……ユウ?」

 

そこには、鳩が豆鉄砲を食らったような表情でこちらを見つめるカイエがいた。

 

そして、床に落ちた布巾のことに一切、気付いていないのか、カイエはこちらへゆっくりと歩み寄る。

 

「カイエ……戦闘はどうなったんだ? どうやってここ……まで……カイエ?」

 

カイエは何も応えず、その代わりに俺の胸に顔を埋める。

 

普段では考えられない行動に驚き、何も言えなくなる。

 

「……!」

 

胸の中でカイエは震えていた、それは恐怖とも取れるし、何かへの安堵とも捉えられる。

 

カイエの呼吸に交じり、インナーの胸部が濡れて、染みが出来ていく。

 

「……悪いな。色々と心配かけた」

 

「……」

 

身体に巻かれた包帯や、床に落ちた布巾から察するに、ここに戻って来てから、色々と手を尽くしてくれたようだ。

 

今の俺に大したことなんてできないが、せめて今はカイエがしたいようにさせる、胸を貸すくらいのことはしてやりたい。

 

少しの間、再び部屋には沈黙が訪れる、部屋で鳴る音といえばカイエの呼吸が上擦るくらいだ。

 

そして、少し落ち着いて来たのか、目元が赤くはらしたカイエは口を開く。

 

「ユウ……本当に生きてるんだよな?」

 

「生きてるよ……ああ、俺は生きてるとも」

 

本来なら、俺は戦車型に吹き飛ばされた時に死んでいた筈なんだろう。

 

けれど、俺はここにいる――何か大きな代償を払って。

 

「そういえば、ここにいるのは俺達だけか……? あのあと、どうなったんだ?」

 

「あのあと、他の戦隊が救援に来てくれたんだ。ユウのことををここまで引っ張ってくれたのも、その部隊のスカベンジャーなんだ」

 

「わざわざ、そこまでとは……感謝してもしきれないな」

 

というかスカベンジャーが、そんなことまでするなんてな……

 

「……ユウ、その……小隊長は」

 

そう言ったカイエは、言い辛そうな表情で俯く。

 

どうなったか言われずとも、此処にいないというだけで、結果が分かる。

 

俺とカイエだけが生き延びることは、別に初めてな訳ではない。

 

最初の部隊でも、結果的に生き延びたのは俺達だけだった。

 

戦場で、誰が死んでも俺達にとっては特に珍しいことじゃない。

 

それがニコルであっても、他の戦隊員、もしくはその両方でも何ら不思議ではない。

 

「そうか……結局、俺は何も出来なかったんだな……」

 

ただ、結果的にこの小隊で誓い合ったことを、彼に反古にさせてしまった。

 

けれど、もう起こってしまったことを変えることは出来ない――過去はどうやったって変わらないのだ。

 

……ああ、分かってるよ。俺が変えるよ……変えてみせる。

 

過去を変えられないのなら、未来を変えるしかない。

 

呪いのような誓いと、希望のような力――彼の戦いはこの日から始まった。

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 9月29日

 

 

 

 

 

 

 

空を見上げると雲一つない、空が拡がっており、昇りゆく太陽は眩い輝きを放つ。

 

今が戦時中でなければ、ピクニックやハイキングなどのアウトドア活動に最適な天気と言えるだろう。

 

花壇の花々に最後の水やりをしている、カイエが口を開いた。

 

「すっかり晴れたな……幸先は良い感じだな」

 

「案外、てるてる坊主って効果があるのかもな。俺が作って効いた試しがないけど」

 

というか、てるてる坊主を作ってた頃なんて、遥か昔の幼少期と言っていい。

 

どうやら、そんな昔から俺は天気に好かれないようだ。

 

「結局、花は残しておくのか……カイエの世話がなくて、どれくらい保つだろうな」

 

「本当は持っていってやりたいけど……次の隊員が見つけてくれると良いな」

 

仮に次の隊員が見つけても、世話をしてくれる保証はない。

 

先に逝く俺達に出来ることは、俺達が残したものが残り続けることを祈ることだけだ。

 

「というか、ユウが珍しいな……朝にしっかり起きてるなんて」

 

「まあ、これが最後だからな……むしろ、ここで寝坊するわけにはいかないだろ」

 

最後の任務に寝坊して、処刑されるなんて情けなすぎて笑えない。

 

それに……最後くらいはしっかりと仕事をするというのも、良い筈だ。

 

「この部隊に来てから半年……ほんとに色々なことがあったな」

 

「八回連続で寝坊したことか?」

 

何時の話をしてんだよ……まあ、確かにあったことだけどさ。

 

「俺の醜態も出来事に加算されるのかよ……」

 

「冗談だよ。……でも、大変なことも一杯あったし、それ以上に楽しいことが一杯あったよ」

 

俺の醜態はともかくとして……度重なるハンドラーの交代、噂の女ハンドラー、プールに花見も……ほんとに色々あった。

 

ああ、そういえば……少佐は結局、最後まで繋いでこなかったな……仕方ないことだろうけど。

 

先人のお節介とまではいかないが、あの馬鹿真面目で、どうしようもないお人好しに幸があることを願っておこう。

 

「ユウ~、カイエ~!! ご飯出来たよ~!!」

 

遠くで我らが戦隊のマスコット(クレナ)が俺達を呼ぶ。

 

最後の晩餐……いや、最後の朝食だから……朝餉の方が正しいのか。

 

「私達をお呼びだぞ。どうする?」

 

「勿論、食堂へ全速前進だ」

 

腹が減っては、戦は出来ぬ……死出の旅路とはいえ、スタートくらいは最良のものが良い。

 

そう思い、未だに俺達を探しているマスコットの元へ駆け出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

最後の食事は今までの朝食で、最も豪勢なものだった。

 

スクランブルエッグや蒸かし芋といった、定番メニューを完備しながら、贅沢にも20名に一人ずつ目玉焼きが一枚、付け合わせと共に振る舞われた

 

また、日保ちしないため、あまり食べられないフルーツを贅沢に使った盛り合わせも絶品と言えた。

 

そんな、最後の朝餉を済ませ、格納庫へ向かう道すがら、クレナが口を開いた。

 

「そういえば、ユウ。お月見で、月が綺麗ってあまり言わない方が良いって言ってたけど何で?」

 

「随分と前の話をよく覚えてんな……そうだな、クレナがシンのことを意識しているのと似たようなことさ」

 

「なっ!?」

 

「フッ……この場合は死んでも良いって返せばいいのか?」

 

「いや、このタイミングで、それは縁起が悪すぎでしょ……」

 

派生として夕日やら、明日の天気とかあるのだが、極東の文化に理解があるカイエか、常に読書をしてるシンぐらいしか分からないだろう。

 

そんな、他愛もない話で盛り上がっている内に格納庫が目前となり、格納庫の前には既にジャガーノートとファイドが待機していた。

 

「おっ、ファイド。随分と綺麗になったな!」

 

「前は汚かったもんね」

 

「良かったな」

 

綺麗になったボディに対する各々の反応に、喜んだり、落ち込んだりするファイドを見ていると思わず、笑みが漏れる。

 

ほんと……何がどうなったら、こうも感情豊かな機械が生まれるんだろうな?

 

「ジャガーノートも綺麗になってんな……それにマークも」

 

「マークは全員分、しっかりと描き直してあるよ」

 

流石、セオ画伯殿……素晴らしい仕事をするもんだ。

 

ふと、自分のジャガーノートを見ると、コクピットシートに何かが置かれていた。

 

「ん? これは……お菓子か?」

 

「でも、誰が……あっ」

 

振り返ると、宿舎前のオブジェに戦隊の整備士が寄り掛かって、こちらへ手を振っていた。

 

「はは……敵わないな」

 

「ったく……最後まで子供扱いしやがって」

 

それぞれが手を振ったり、頭を下げたり、各々の返礼をした後にジャガーノートへ乗り込んでいく。

 

『各小隊。状況報告』

 

『第2小隊。いつでも行ける』

 

『第3小隊も同じく』

 

『第4小隊、問題なし』

 

『第5小隊。行けるぜ』

 

『第6小隊も準備OK!』

 

一歩、踏み出せば、もう戻れない死出の旅――

 

『シン』

 

『――行こう』

 

各小隊のジャガーノートが動き出す、シンを先頭にし、第2、第3と次々と発進していく。

 

『ユウ』

 

「第4小隊も行くぞ」

 

『『『『了解』』』』

 

眩い朝日の輝きを受けながら、俺達は前進を開始した。

 

そんな俺達を宿舎に吊るされた、てるてる坊主は無機質に見据える。

 

それはまるで、自分の首を吊った死体のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待機モードから通常モードへ移行――目標を捕捉。

 

最優先鹵獲対象の二体と次点鹵獲対象と判別――全機、追跡を開始せよ。

 

ようやくだ……今度こそ、"みんな"で出よう。

 

だから――早く俺に殺させろ、そして此方へ来い。

 

 

 

 

"I think the human race needs to think about killing. How much evil must we do in order to do good." - Robert McNamara

人類は殺戮について考えるべきだ。善のためにどれほどの悪が為されるのかを。 ―― ロバート・マクナマラ

 

 

 

 

 




オペレーションハイスクール買ってみましたけど……本編で白豚レベルMAXだった人がまともな人になっていてビックリしました


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12話

誤字報告ありがとうございます……お手数をおかけして申し訳ありません。




"Any soldier worth his salt should be anti-war. And yet there are things still worth fighting for." - General Norman Schwarzkopf

どんなに有能な兵士でも反戦には変わりない。それでも戦う価値がある時がある。 ―― ノーマン・シュワルツコフ陸軍大将

 

 

 

 

 

いつも、戦場で聞いている亡霊の声が塊となって、まるで津波が押し寄せるが如く押し寄せてくる。

 

助けを乞う絶叫や、熱さに苦しむ呻き、母を呼ぶ走馬灯――あらゆる声がぐちゃぐちゃに絡み合い、歪な交響曲となる。

 

そして、日が遮られた地平を埋め尽くす、青のセンサーの光と、銀の金属光沢は、こちらを誘うかのように揺らぎ、煌めく。

 

また、上空に展開している阻電撹乱型から落ちる鱗粉も相まって、不気味ながらも、何処か幻想的な光景に見えるのだから、人の感性というのは不思議である。

 

『こりゃまた……この辺のレギオン総出でご一行の歓迎ってか?』

 

各々があまりの数に茫然とするなか、ライデンが口を開いた。

 

歓迎ね……たかが、20機の敵機に対しては豪勢過ぎるものだ。

 

そして、膨大な声の中、唐突に"彼"の声は響いた。

 

『シィィィィィイイン!!』

 

いつも聞いているノイズ混じりの"声"と違って、まるで軍団を指揮する指導者のような澄んだ声。

 

指導者は狂ったようにシンの名を呼び続ける――焦がれた愛情と殺意が入り混ざった声で。

 

成る程……これが"羊飼い"なんだな。

 

86の戦死者の脳の中でも、損傷や劣化によるダメージがない完全な状態の脳を取り込むことによって生まれたレギオン。

 

プログラムの命令を受けてただ実行するのみだった、白羊や黒羊と違い、プログラムの命令に対して明確な戦術的な指示を出して、他のレギオンを統率する指揮官機――

 

 

『シィィィィィイインンン!!』

 

 

――妄執に囚われた魂のコピー、これが今のシンの兄の成れの果てだ。

 

前に少佐と話した時は、よく通る声と言っていたが……実際に聞いてみると確かに、喧しいくらい頭に響く声だ。

 

人の思考と機械のプログラムが混ざった姿――人の愛情とレギオンの殺戮本能が絡み合った歪な感情。

 

「声の主は……あのデカブツか」

 

地平を埋め尽くすレギオンの群れの更に奥、機体の望遠カメラでようやく捉えられる程だが、他のレギオンと違う異様な外見は、本能的な驚異と共に目に映る。

 

戦車型よりも遥かに大型なボディと、巨大な主砲……ざっと見て150mm以上の口径はあるだろう。

 

まさに重戦車……または"恐竜"をイメージさせるその姿は軍団を統率する指揮官に相応しい外見と言える。

 

各々が初めて相対する、絶対的な驚異に対して、尻込みしてしまう中、一機だけその場から前へ進み始めた。

 

背のシャベルを持った首のない骸骨――アンダーテイカー(シン)だ。

 

彼は先程から響く呼び声に誘われるかのように進んでいく。

 

『先に行け。森の奥まで入ってしまえばそうそう見つからない……やり過ごして先に進め。ライデン、その間の指揮は任せる』

 

こちらはあくまで同調しているだけで、彼が今、どのような表情をしているのかは分からない。

 

けれど、シンはきっと、狂気的な笑顔を浮かべているに違いない。

 

当然だ、自分がずっと探し求めていた存在があの群れの奥に鎮座しているのだから。

 

『お前は!』

 

『倒してから行く。片づけないと進めないし、進む気もない。それに……逃がしてくれる気もなさそうだ』

 

相変わらず分かりやすいよな……端から逃げる気なんてないだろうに。

 

シンに続く形で、ジャガーノートを前進させる。

 

「この数で森に逃げて、やり過ごすのは流石に無茶があるだろ。誰かが敵を引き付けないと……カイエ、小隊の指示は任せたぞ」

 

『ユウ!! それじゃお前は……!』

 

脳裏に映る、空を彩る無数のロケットの雨、銃弾と砲弾の光彩。

 

圧倒的な物量と火力で迫り来る死の光……それを見た少年の口角が上がっていく。

 

あぁ……俺は今、笑ってるのか……そうか、俺は歓びを感じてるのか。

 

『この利かん坊ども……ふざけんな、誰が聞くか!』

 

先に行く二機に付いていくように、ライデンのジャガーノートが前進する。

 

そして、ライデンが前進をするのを見て、覚悟を決めたのか、各々のジャガーノートも追従する。

 

『仕方ねえから他は支えてやる、とっとと片付けてこい!!』

 

強気で振る舞う声の裏には、強い恐怖を感じる。

 

シンもそれを察したのか、笑みを浮かべながら口を開く。

 

『フッ……馬鹿だな』

 

『お前らには負けるさ……死ぬなよ』

 

機体が走り出すと同時に、無数のロケットが爆音と共に撃ち上げられる。

 

そして、飛来するロケットは平野を抉りながら、ジャガーノートへと迫ってくる。

 

無数の爆発と衝撃を躱しながら、疾走するジャガーノートの中でシンは呟いた。

 

『見つけたよ――兄さん!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レーダーを埋め尽くさんばかりの赤い敵マーカーと共に、飛翔物警報が流れる。

 

自身へ迫るロケットを横に跳んで躱し、小隊へ指示を出していく。

 

「くっ……ミクリ、そっちから回り込めそうか?」

 

『駄目ね……さっきから斥候型の機銃が鬱陶しくて……!!』

 

『やべぇな……ユウの奴、孤立してるぞ!』

 

レーダーには私達とユウを隔てるように、敵マーカーが散在し、ユウの方にも複数の敵マーカーが迫り、消えていく。

 

しかし、依然として、ユウの周囲を囲むように敵マーカーは存在しているのだから、油断は許されない。

 

『くっ! またロケットが来るぞ!』

 

一方で、レギオンは戦車型と近接猟兵型が連携して目標と定めた一機に対して、繰り返しで何度も攻撃を行っていた。

 

その攻撃をから逃れようと遮蔽に隠れると、斥候型が複数で突貫してこちらの位置を割り出し、そこに先程の二機が攻撃を加える。

 

さらには退路となり得るエリアには、長距離砲兵型による砲撃が絶え間なく行われており、その入り口も戦車型達によって封鎖されている。

 

通常のレギオンとの戦闘では、これ程までに、一つの敵に対して精密な攻撃をすることはない。

 

しかし、この徹底した精密攻撃の裏には別の意図があることを既に彼らは見抜き始めていた。

 

『さっきからおかしいわ……こいつら、ユウと私達を引き離そうとしてる』

 

『敵のドンの狙いはシンじゃないのか? なんで、わざわざユウまで狙うんだよ?』

 

「分からない……けど、レギオンがこれ程までに正確に撃ってくるなんて、今まではなかった筈だ」

 

迫り来るレギオンの群れと、絶え間なく撃ち込まれる砲撃の向こう側で戦っているだろう、彼がいる方を見やる。

 

「ユウ……」

 

ディスプレイに映るマーカーなら手を伸ばせば、届くのに、現実の彼は既に遠くに行ってしまった。

 

ユウの直近の敵マーカーは次々に消えていくが、それ以上のレギオンが消えた同胞の穴を埋めていく。

 

一般のプロセッサーにとって、自身のジャガーノートがレギオンに包囲されるというのは死が決定した瞬間でもある。

 

けれど、ユウは特異な能力と、この戦場で生き抜くことで磨いた手腕を用いて、綱渡りな状態ながらも均衡を作り上げている。

 

しかし、やがては均衡も崩れ、ユウも数で押し潰されてしまうだろう。

 

そして、度重なる敵の来襲も相まって、小隊メンバーの疲労も蓄積されていく。

 

主砲の砲弾が迫り来る近接猟兵型の装甲を穿ち、内部で爆ぜると、弾薬不足のアラートが鳴り響く。

 

「くっ……リロード! ミクリ、援護を頼む!!」

 

『もう!? どれだけ撃ったのよ!? アタシ達!!』

 

ジャガーノートを下がらせ、ファイドが控えている物陰まで全速力で駆ける。

 

そこでは、ファイドが別のジャガーノートへ主砲のリロードをしていた最中だった。

 

『カイエか? そっちはどうだ? ユウの所まで行けそうか?』

 

「いや、敵の攻撃が激しくて、こちらも防戦一方だ……」

 

『大丈夫! こっちの敵をもう少し減らせれば、回り込んで――』

 

アンジュがそう言った瞬間、密度が減った敵マーカーの後ろに大量の敵マーカーが映り出した。

 

……向こうは撤退するどころか、こっちを殲滅するまで戦力を投入する気らしい。

 

『……撤退するつもりはないみたいね』

 

このまま戦闘を続ければ、此方の弾薬のストックも尽きる。

 

そうなれば、後はゆっくりと嬲り殺しにされるだけだ。

 

『……はっ、上等だ! やってやろうぜ!!』

 

ライデンが気丈に振る舞うが、その言葉の裏腹には焦りと恐怖が混ざっている。

 

その時だった、耳のレイドデバイスに熱が灯ると同時に、轟音と共に空が赤く爆ぜた。

 

その正体こそ、大要塞壁群に配備されている燃料気化爆弾であり、本来は86のためには撃たれない一撃であった。

 

爆炎と衝撃によって撃破された阻電撹乱型の残骸が、パラパラと墜ちてくる中、聞きなれた"彼女"の声が響く。

 

『シュガ中尉! 左目を借りますよ!』

 

『なっ!?』

 

ライデンのことなどお構い無しに、"彼女"は視覚へ同調を繋げる。

 

『来た……着弾します! 備えて!』

 

先程の爆発で空に穿たれた穴から、無数の弾頭が突入する。

 

それらは空中で弾け、子機をばら蒔いた。

 

ばら蒔かれた子機は小さな爆発と共に、強力な砲弾となってレギオンへ撃ち出される。

 

その一撃に貫かれた、斥候型や近接猟兵型が耐えられる筈もなく、戦車型さえも黒煙を吹いて倒れ伏す。

 

そして、続けて第二波も到着し、同様にして鋼鉄の雨をレギオンへ浴びせる。

 

先程の燃料気化爆弾と同じく、これも大要塞壁群に配備されている自己鍛造弾搭載のミサイルだ。

 

『あんたか……ミリーゼ少佐』

 

『ええ、私です。遅くなってすみません。戦隊各員』

 

先程のことを全く悪びる様子もなく、淡々と答える。

 

『本物の馬鹿か!? 一体何やってんだ!!視覚の共有なんて!! 』

 

『着弾を確認しただけです。ああ、視覚共有の時に気が散ると思うので、左目は閉じるのでご心配なく』

 

『そいつはハンドラーが失明するからやらねえ、って知らねえのか!?』

 

ライデンの怒号は更に続く。

 

『それにこれ迎撃砲だろ!! 俺らに対する支援なんて、許可なんて降りてねえだろ!』

 

『だから何ですか!! 失明なんていつかの話。迎撃砲の無断使用も命令違反も死ぬわけでもあるまいし!』

 

今まで聞いたことがない、ミリーゼ少佐の怒号に流石のライデンも口を閉じる。

 

『どうせ共和国だって、道理なんか弁えてないんです。それなら、私だけ道理に従ってやる謂われなんてありませんし、もっと早くにこうしてればよかったんです』

 

ライデンに怒るというより、自分に怒っているような様子に思わず、小さな苦笑いを浮かべてしまう。

 

これはしまった……少佐を反抗期に陥らせてしまった。

 

張りつめていた気分が少しだけ、ほぐれた瞬間だった、再びレイドデバイスに熱が灯る。

 

『フェアリーより、戦隊各員へ。おそらく、これが最後の予報だ――今すぐ北へ向かって逃げろ』

 

『ユウ!? そっちは無事なのか!? というか、最後って……』

 

『羊の飼い主はシンの兄だけじゃなかった。"もう一人"いた』

 

こちらの疑問に答えず、彼は淡々と言葉を述べていく。

 

『もう目の前にソイツがいる。俺はおそらく、そっちへ合流出来ない。今、シンが戦っているおかげで北の陣地に穴が空いているのが見えた。今から全員で行けば、突破できる』

 

『そんな、それじゃユウは……!!』

 

『カイエ、俺のゴールは此処みたいだ。大丈夫、"コイツ"は刺し違えてでも……俺が殺す』

 

淡々と述べる中、何処か嬉しそうな――長年の悲願がようやく叶ったような口振りで彼は言う。

 

『ふざけんな! 何、馬鹿なことを言ってやがる!!』

 

『カイエ、もし他の奴等がこっちへ来ようものなら、悪いけど止めてくれると助かる』

 

「でも、そんな……」

 

『カイエ、いつか俺に言ったよな。お前は俺の味方だって……頼む、ようやくだ……ようやく満足して逝けるんだ』

 

そうだ、確かに言った――自分はユウの味方だと。

 

自分でも誓った、ユウが願いを叶える、その助けになると。

 

でも、それを履行する日のことなんて、考えもしなかった……いや、どうするのか決めてすらいなかった。

 

いつか、この日が来るとは分かっていた――それでも最後の覚悟は出来ていなかった。

 

「それは……」

 

このまま止めなければ、ユウは行ってしまう――そこで死んでしまう。

 

私を置いていって欲しくない、けれど……ユウが願いを叶えるには――

 

『それじゃ……さよなら。この部隊でお前達に会えて、良かった』

 

「待ってくれ! ユウ……」

 

その言葉が言い終わる前に、同調が切れる。

 

『クソッ……あの大馬鹿野郎。言いたい放題に言いやがって、ふざけんな!』

 

『さっきの砲撃で空いた穴を通れば行けるかも……少佐、不発弾はどれくらいありますか?』

 

『全体の五割は不発でした……なので、少し迂回する必要があります』

 

私は……どうすれば……?

 

ユウの願いを叶えるぺきか、それを踏みにじるのか。

 

ユウが死ぬのも当然、嫌だ、けれど、ユウに拒絶されるのも嫌だ……

 

『カイエ、行こうぜ!! あの馬鹿野郎、一発殴ってやらねえと……気が済まねえ!!』

 

クジョーや他の戦隊メンバーはユウの元へ行く気らしい。

 

「わ、私は……行かない。……いや、皆を行かせない」

 

皆の前に立ちはだかるように、躍り出る。

 

『カイエ! お前、ユウが死んじまっても、良いって言うのか!?』

 

クジョーの言葉はごもっともな意見だ、私はユウを見殺しにしようとしている。

 

けれど……誰がこんな役回りを好き好んでやるものか。

 

そして、いつの間にか私は自身の感情を爆発させていた。

 

『私だって嫌さ!! 誰が……誰が好き好んで、仲間を見捨てたいと思うんだ!!』

 

『ッ! カイエ……』

 

『私だって助けに行きたい! ユウに死んで欲しくない!! でも……ユウは、ユウはずっと死にたがってたんだ! 生きるのが苦しくて、死んでいった仲間のことをずっと悔やんで……そうやってずっと生き残ってきたんだ!!』

 

感情を抑えていた理性はとうに決壊し、溜め込んでいたモノが濁流のように溢れ出す。

 

『私は……ユウに自分の願いを叶えて欲しい。でも、それはユウにとっては自分の死でしか叶えられないんだ! だから、だから……っ!!』

 

いつの間にか私は泣いていた、自分が無力ということからの悔しさなのか、仲間を喪うことへの悲しみなのかは分からない。

 

込み上げてくる何かで、胸が張り裂けそうになる。

 

『……カイエはそれで良いのですか?』

 

「あぉ……ユウが、願いを叶える助けになる為なら、私は何だってする。それしか……それでしか私はユウに報いてやれないんだ」

 

自分の胸が、それは違うと言わんばかりに、強く苦しく拍動する。

 

ユウに死んで欲しくない、私を置いていって欲しくない……でも、そんなことを言えるわけない。

 

もう、ユウは十分以上に苦しんできた、なのに、私の我が儘で……更に苦しめることになったら……

 

『はぁ……カイエ。あんたって、ユウと同じくらい馬鹿なのね』

 

『レッカ……』

 

少女の感情の吐露を黙って聞いていた、レッカが呆れたように口を開く。

 

『あんた、さっき言ってたでしょ。自分も嫌だって……それがあんたの答えじゃない』

 

『でも……』

 

『あたしはあんたと違って、ユウと長く一緒にいたわけじゃないから、ユウが何を思って、これまで生き残ってきたかなんて分からないわよ。けど、あいつがどうしようもないお人好しの馬鹿っていうのは分かる』

 

レッカの言葉は続く、少女の吐き出した感情をものともせずに。

 

『だからこそ、そんな馬鹿げた自己犠牲よりも、もっと楽しいことを示してやるのが"惚れた女"の役割じゃないの?」

 

『でも、それじゃ……ユウの願いは……』

 

『ずっと思ってきた願いだからって、必ず叶うわけじゃないでしょ。なら、他の願いを抱かせるくらいの助けはしてやるのが道理でしょ』

 

レッカのジャガーノートが私の横を通り過ぎていく。

 

『そんな訳で、私は行くわよ。カイエ、あんたが止めようとね』

 

レッカの言葉に呼応してか、ミクリ、クジョー、ダイヤ、ハルトと、各隊員のジャガーノートが横を通り過ぎる。

 

『……カイエ、貴女はどうしますか?』

 

「私は……」

 

……私が本当に望んでいること――ユウに死んで欲しくない。

 

このまま……放っておいて、二度と手が届かなくなるくらいなら……!!

 

ごめん、ユウ……私は本当は酷く、我が儘な女みたいだ。

 

少女はこの時、初めて自分のエゴのために操縦桿を握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カイエ達との同調を切り、目の前の敵集団を睨み付ける。

 

斥候型が三匹と、見たことがない新型のレギオンが一匹。

 

斥候型を付き従わせ、こちらへ攻撃してこない所を見ると、こいつも"羊飼い"と判断すべきだろう。

 

「なっ……!」

 

突如、同胞によって切り裂かれた斥候型が倒れ伏す。

 

尤も、当の本人はそうは思っていなかったようで、倒れ伏した斥候型の残骸をその脚で踏みつける。

 

蜘蛛のような四脚の下半身に、人の上半身のようなボディ。

 

そして、何よりも特徴的なのが、ソイツの両腕と一体化している青く光る大型のブレードだ。

 

切れ味は……先程、一振りで切り裂かれた斥候型を見れば一目瞭然だ。

 

あんな得物でこちらが斬られようものなら、どうなるかなど、想像するまでもない。

 

そして、ソイツは邪魔だと言わんばかりに、残りの斥候型も一振りの元、両断してしまう。

 

そんな裏切りとも思える行為をしながらも、ソイツの目はこちらを見据えていた。

 

成る程……こいつはどうやら、一騎討ちがお望みのようだ。

 

こちらが動くと同時にソイツも動き出した。

 

こちらへと跳躍し、青白く輝く巨大な一閃を振るう。

 

その刃を数センチ程の間隔で躱し、その脇腹へ滑腔砲を放つ。

 

「――っ!?」

 

放たれた砲弾は、もう一方のブレードで防がれるどころか、信管ごと切断される。

 

脳裏に映る、機体を掠める青白い一閃と共に、迫る追撃の一太刀。

 

すかさず、ソイツの背後の廃墟へワイヤーアンカーを撃ち込み、巻き上げと同時に、斬りかかってくるソイツの背後へと回り込む。

 

しかし、外壁にジャガーノートの足が着いた瞬間だった。

 

ソイツは文字通り、跳んだ――一俺と同じ高さまで。

 

「くっ……!」

 

こいつ……運動の精度も、出力も他のレギオンの比じゃないぞ……!?

 

すぐさま、外壁を蹴り、地上へとアンカーを撃ち込み、ワイヤーに引かれながら降りていく。

 

ソイツが振るった刃は、バターを掬うように、コンクリートの外壁を切り捨てる。

 

そして、こちらと同じように外壁を蹴りながら、こちらへと刃を振るう。

 

「クソっ……!!』

 

機体を後方へ跳ねさせ、細い路地へと逃げ込む。

 

その直後、大きな衝撃と共に、ひび割れたがアスファルトが刃の一振りによって大きく抉られる。

 

細い路地裏を全速力で駆けながら、次の策を練る。

 

しかし、そんなことを許さないと言わんばかりに、脳裏に外壁を破壊しながらこちらへと迫るソイツが映る。

 

そして、その光景が見えた数秒後、廃墟の外壁が一瞬の青い光が交差して、土煙と共に崩壊した。

 

「こいつ……無茶苦茶すぎだろ!」

 

崩れ行く外壁の破片を躱しながら、別の廃墟の外壁にアンカーを撃ち込み、外壁を蹴りながら即座に巻き上げる。

 

しかし、既にソイツは跳躍してこちらと同じ高さまで迫ってきていた。

 

その青い刃が振るわれると同時に、もう片方のアンカーを外壁に撃ち込み、巻き上げの僅かな加速を利用して機体を翻す。

 

機体のすぐ真上を刃が通過し、その背部へと回り込んでいく。

 

そして、がら空きの背中に対して、滑腔砲を放つ。

 

「完全な死角なら……!!」

 

発射すると同時に、背部の装甲が開き、目の様なものがこちらを覗く。

 

目の様なものはすぐに閉じ、次の瞬間には青い刃によって砲弾が切断された。

 

こいつ……身体中に目を持ってるのか……とはいえ、ある程度は分かってきたぞ。

 

続けて振るわれる刃を外壁を蹴って、地上へ降りることで回避する。

 

まず、こいつは最初に見た、デカブツと違って、装甲は大したことはない。

 

でなければ、わざわざ、ブレードを使って防御しなくて良いからだ。

 

よって、こちらの貧弱な主砲でも十分に撃破可能と言える。

 

しかし、その問題となるのが、桁外れの運動精度とその出力、全身の死角をカバーするセンサーだ。

 

先程の攻撃では、背後という完全な死角から攻撃したのに背部のセンサーがそれを感知して、防がれてしまった。

 

そして、ブレードの破壊力は十分に堪能したが、それを砲弾などの高速で飛翔する物体にも合わせることができる運動精度も通常のレギオンとは比較にならない。

 

「チッ……もう来るのか」

 

ジャガーノートを横に跳躍させ、飛び掛かりの一太刀を躱し、ブレードを展開して脇腹へと飛び掛かる。

 

キンッという甲高い金属音と共に、一瞬の火花が散る。

 

「クソっ……近接の対応も早いな……ッ!?」

 

敵接近のアラートと共に、近接猟兵型が前方から飛び出てくる。

 

機体に急ブレーキを掛け、後方へ下がろうとした瞬間、厚く重なった機関砲の発射音と共に、近接猟兵型のボディがズタズタに引き裂かれていく。

 

振り替えると、こちらを追っていた"羊飼い"がブレードと一体化した腕をこちらへと向けていた。

 

その腕部からは、硝煙が出ており、先程の機関砲はこの"羊飼い"が撃ったものと推測できる。

 

「……殺すのは自分ってわけか。良いじゃないか……刺し違えてでも殺してやる」

 

その言葉が届いたのかどうかは分からないが、"羊飼い"がこちらへと跳躍する。

 

しかし、死角からの攻撃では結局、センサーに感知されて防がれる――一ならば。

 

「――ッ!」

 

全ての意識を"羊飼い"へと向ける、ブレードが振るわれる方向、通過時間、致命傷を避けるために必要な距離。

 

それを以て、飛び掛かる羊飼いに対して、こちらもブレードを展開して飛び掛かる。

 

振り下ろされる刃に対して、機体を捻らせて、直撃のコースから外れさせる。

 

機体の上面装甲が掠めたブレードの熱を受けて、赤く融け落ちていくが、ジャガーノートは"羊飼い"の足元へ潜り込んでいた。

 

展開したブレードが四脚の両方の後脚を切り裂いていく、予測した通り、装甲自体は普通のレギオンと大差なく、すんなりと刃を受け入れていった。

 

カウンターの一撃で後脚を失った、"羊飼い"は体勢を崩し、地面へと倒れ込む。

 

そして、巨大過ぎるブレードが地面へと刺さり、図らずも"羊飼い"の身体を拘束する。

 

その隙を逃さず、"羊飼い"の腹部へ滑腔砲を放つ。

 

今度放った砲弾はブレードによって塞がれることもなく、すんなりと腹部へと着弾し、爆ぜた。

 

「はぉ……はぁ……ゴホッ……」

 

鈍い頭痛と共に呼吸が乱れる……視界もちらほら霞み、身体の限界が迫っているのをひしひしと感じる。

 

「クソっ……流石に時間を掛けすぎたか……でも、これで……っ!?」

 

突如、脳裏に走る光景――黒煙を振り払う何かと、強い衝撃。

 

「まさか……ぐっ!?」

 

振り返った瞬間、強い衝撃と共に機体が二転三転と地面を転がる。

 

そして、黒煙を切り裂くように、巨大な青いブレードを持った人型が姿を現した。

 

「ぐっ……そんな、後脚を斬って……!?」

 

ソイツの姿は先程とは、少し異なっていた。

 

蜘蛛のような四脚は、人のような二脚へと変わり、その脚で直立していた。

 

そして、背後には黒煙を吹く、破損した二本の脚部の脱け殻が転がっている。

 

「クソっ……マズイ! 回避が……」

 

強靭な二脚を持った姿へと変貌を遂げた"羊飼い"はこちらへと駆け、ブレードを振り下ろす。

 

その一方で、こちらは先程のダメージと身体の限界による行動の遅れで、回避が間に合わない。

 

青の閃光が、頭上から迫ってくる――死の直感とともに。

 

しかし、死が目前に迫っているというのに、不思議と心は穏やかで、何処か安堵を覚えていた。

 

それもその筈、この結果を俺自身が望んだからだ……

 

彼らは逃げ延びてくれただろうか……カイエは引き止めてくれただろうか。

 

これで俺は終わる……ただ、せめて……こいつだけは仕留めたかったな。

 

『ユウ!!』

 

何かが風を切る音ともに、聞き慣れた、この場には来ない筈の彼女の声がする。

 

飛来する砲弾を捌きながら、"羊飼い"は一旦、俺から距離をとる。

 

「……カイエ?」

 

『後退しなさい! こっちで援護するから!!』

 

「レッカも……なんで?」

 

あの時、来るなといった筈だ、カイエには止めてくれと頼んだ筈だ……

 

『この大馬鹿野郎が!! 一人で死ぬなんて、馬鹿な真似をすんじゃねえ!!』

 

『おいおい、水臭いじゃないか。こんな大物を一人占めってさ……!!』

 

『クジョー……ダイヤ……』

 

……止めてくれ、お前らまで付き合う必要なんてないんだよ。

 

『ユウ、先に謝っておく。私はユウとの約束を破ってしまった。本当にすまない……』

 

カイエは一拍、間を置いて口を開いた。

 

『何度も助けてもらったのに、その恩を私は仇で返してしまった。卑怯と言われても仕方がないことなのは分かってる』

 

違う……違うんだよ、カイエ。俺は……

 

『それでも、私はユウに生きていて欲しいんだ。いや、ユウが生きていないと嫌だ。だから……私を置いて行かないでくれ』

 

『おっ、熱いねぇ。二人とも! ……おわっと!?』

 

『おい、ハルト! 油断して斬られるんじゃねえぞ!』

 

今まで、相対したことがない驚異に対しても、普段通りの様子を崩さないのは流石と言える。

 

ほんと……馬鹿な奴等だよ、どうしてお前らは――

 

『ユウ、そっちへ向かったぞ!!』

 

――俺を死なせてくれないんだ。

 

"羊飼い"は他の敵など眼中にないといった様子で、立ち上がった俺へと向かってくる。

 

ブレードを展開すると同時に、奥の廃墟の外壁へ撃ち込む。

 

そして、地面を蹴ると同時に、ワイヤーを巻き上げる。

 

宙へ浮かぶ機体に、青い一閃が振るわれる。

 

「……っ!!』

 

ブレードを展開したまま、機体を捻らせて、宙を回る。

 

身体を襲う、重力の反動を堪えながら、その一閃を躱し、その腕を斬り落とす。

 

"羊飼い"の左腕があった場所から、血のような液体が吹き出し、落ちた腕は地面を転がっていく。

 

「うぐっ……っ!!」

 

身体はとうに限界を迎え、倦怠感と共に鈍い頭痛が身体を蝕む。

 

けど、まだだ……今まで散々、無理をしたんだ、この程度……付いてきて見せろ。

 

『各機、攻撃を続けるんだ!!』

 

『了解! こんどはこっちの番だぜ!!』

 

廃墟の上や外壁の陰から無数の砲弾と、銃弾が"羊飼い"へと襲いかかる。

 

"羊飼い"も当然、飛来する砲弾を切り落としていくが、片腕を喪った代償は重く、数発は切り裂くことが出来ずに、着弾を許す。

 

致命傷となり得る一撃は防いでるとはいえ、砲弾の爆発や、度重なる銃弾の被弾で、脚部や肩部へダメージが蓄積していく。

 

しかし、"羊飼い"もやられるままであるわけがない。

 

『……ッ! 撃って来るぞ!!全機回避!!』

 

右腕から無数の破裂音と共に機関砲が放たれる。

 

放たれた砲弾は、廃墟の外壁やその支柱を抉っていく。そして一棟の廃墟を倒壊させる。

 

『ちょっ……キャッ!?』

 

その倒壊に一機のジャガーノートが巻き込まれ、地面へと叩き落とされる。

 

そして、"羊飼い"はそのジャガーノートに狙いを絞り、右腕を振り上げた。

 

『レッカの援護に入れ!! 』

 

『クソっ! やらせるかよ!!』

 

体勢を立て直した、数機のジャガーノートによる援護射撃が加わるものの、"羊飼い"の足を止めるには至らない。

 

その時だった、"羊飼い"の胴体にアンカーが撃ち込まれる。

 

直後に、ヒュンっという風を切る音と共にブレードを展開したジャガーノートが飛び掛かる。

 

刃と刃がぶつかり、一瞬の火花が散った後、甲高い音ともに、出力で劣るジャガーノートの刃が折れる。

 

"羊飼い"が宙を舞う折れた刃に気をとられ、ほんの少しの隙が生まれる。

 

その隙を逃さず、主砲の狙いを羊飼いの胸部の一点に絞り、その引き金を引いた。

 

砲弾は胸部装甲を穿ち、信管の作動と共に内部で爆ぜる。

 

『やった……のか?』

 

「っ!! いや、まだだ!!」

 

"羊飼い"の切断した左腕が付いていた箇所から銀色の腕が伸びる。

 

まるで鞭のようにしなやかに曲がるそれは、少年のジャガーノートを弾き飛ばした。

 

そして、弾き飛ばされたジャガーノートは廃墟の外壁へ叩きつけられて、その動きを停める。

 

『ユウ!!』

 

少年を呼ぶ声に返事はない――彼は衝撃で失神してしまったのだ。

 

"羊飼い"は胸部から黒煙を吹きながら、ゆっくりと立ち上がり、横たわるジャガーノートへと歩みを進めていく。

 

『援護急げ!!』

 

無数の銃弾を喰らっても、"羊飼い"は足を止めない。

 

破片と血液を撒き散らしながら、彼へと歩みを進める。

 

その巨大な腕は失くした何かを求めるかのように宙を彷徨っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、ユウ。遅刻するぞ、起きろ!!」

 

誰かが俺を呼ぶ、やけに聞き慣れた声で。

 

「ん……カイエ……?」

 

何処かの民家の一室、俺はそこで目覚めた。

 

「こらっ、ユウヤったらいつまで寝てるのよ! 折角、海恵ちゃんが起こしに来てくれてるのに! 早く支度なさい!」

 

カイエと黒髪の女性が部屋の入り口に立っていた。

 

「えっと……ここは?」

 

あれ、さっきまで、俺は何をしていたんだ……?

 

確か、――と戦っていて、あれ? ――ってなんだ?

 

「おいおい、寝ぼけないでくれ……今度、遅刻してレーナに怒られるのは嫌だろう?」

 

レーナって……ミリーゼ少佐のことか? って……ミリーゼ少佐って誰だよ、何処かの軍人かよ。

 

「あぁ、うん……今から準備するよ」

 

朝から違和感しかない目覚めだな……何か変な夢でも見たのかな?

 

そんなことを思いながら、彼――神代勇也は制服へ着替え始めた。

 

 

 

 

 

"When the pin is pulled, Mr.Grenade is not our friend." - U.S. Army Training Notice

ピンを抜いた瞬間から、手榴弾くんは私たちの友だちではありません。 ―― アメリカ陸軍 訓練教則

 

 

 




原作読んだ後にオペレーションハイスクール読むと、心が締め付けられますね……

オリジナル羊飼いの元ネタ分かる人はいるだろうか……?


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13話

お待たせしました。毎回、誤字報告助かっています。自分でも読み直して、見つけ次第に直していきますので、よろしくお願いします。


 

 

 

"Concentrated power has always been the enemy of liberty." - Ronald Reagan

権力の集中は常に自由の敵である。 ―― ロナルド・レーガン

 

 

 

 

 

 

アスファルトで舗装された道を、息を荒げながら駆けていく。

 

現在、時刻は既に8時をとうに過ぎており、校門が閉じられるまでのタイムリミットが刻々と迫っていた。

 

「まったく! ユウが寝坊したせいで、私まで遅刻しそうだぞ!!」

 

「……悪かったよ。ちょっと変な夢を見てさ……」

 

ここじゃない何処かで、虫みたいなロボットに乗って戦う夢。

 

夢にしてはえらく、精巧で現実味があって……既に起きているのに、夢の中の操縦桿の感触が今も残っている。

 

そして、見知った顔がそのロボットに乗っていて――

 

「それ、ただ単にユウが見ている漫画やアニメに影響されただけじゃないか? 」

 

「流石にそこまで、ガキじゃないぞ……」

 

中学二年の頃は、自分に何か特殊な力があるみたいな妄想はしていたが、流石に高校に入学する前には卒業している。

 

結局は俺もそこらの学生や大人と同じ、平凡な人間でしかなかったのだ。

 

「さて、どうだか……分かってると思うけど、レーナの服装チェックを受けている余裕なんてないからな」

 

「分かってるよ……全速で切り抜けるさ」

 

我らが生徒会長には申し訳ないが、遅刻を回避するためにはやむを得ない。

 

お説教なり、お小言などは後ほど、受ける所存なので許してもらいたいところだ。

 

「よし、近道をしよう。こっちだ!」

 

カイエが商店街の細い道へと入り、路地裏へと入り込んでいく。

 

無造作に置かれたゴミ箱や、捨て置かれた粗大ゴミを器用に避けながら、路地裏の奥へと走っていく。

 

『――――!』

 

「えっ?」

 

突如、頭の中に響いた声に思わず、足が止まる。

 

周囲を見回しても、人の気配はなく、暗く湿った空間が広がっている。

 

今のは……気のせいなのか? いや、でも――

 

今朝から感じていた違和感……いつも通りの筈なのに何故か、俺自身の身に覚えのない日常。

 

そして、無意識の内に身体は暗い空間の更に奥へと足を踏み出す。

 

この暗闇の先に何か……確証はないけど、この違和感の答えとなる何かがある気がする。

 

まるで、誘うかのようにその空間は、光と共に身体を呑み込んでいく。

 

「おい、何処に行くんだ! そっちは違うだろ!」

 

突如、聞こえてきた見知った声によって、俺の意識は現実へと戻される。

 

「あっ……いや、すまない。つい……」

 

「ついって……とりあえず、もう時間がないんだ。急いで行くぞ!」

 

俺のはっきりしない返答に呆れながらも、カイエは俺の腕を掴んで、路地の出口へと引っ張っていく。

 

腕を引かれながら、後ろを振り返っても何もない――けれど、何故か、その暗闇から目を離すことが出来ない。

 

そうしている間に、俺達は路地裏を抜けて、住宅街の方へと飛び出していた。

 

その住宅街を少し進んだ先に、俺達が通っている高校がある。

 

白い校舎の前にある門では、一人の生徒が走って校舎へ入る生徒を注意したり、制服を着崩した生徒へ直すように説教したりと、忙しく動き回っている。

 

「レーナも朝から忙しそうだな……ユウ、後でちゃんと謝っておけよ?」

 

「分かってるよ……別に我らが生徒会長を困らせたくて、やってるわけじゃない」

 

我らが生徒会長が超が付く程の真面目な性格であることは、百も承知だ。

 

そして、同じくらいに他人のことを気に掛けられる優しい人間でもある。

 

それをお節介と捉えるかどうかは、当人次第だが、彼女が生徒会長になってから、多くの生徒が一度は彼女に注意されたことだろう。

 

しかし、元を正せばルールに違反しているのはこちらであるし、それを正そうとしているのだから、本来、ありがたいと考えるべきなのかもしれない、

 

まあ、遅刻回避の為に全力疾走している時点で、俺が言えたことではないのだが。

 

当然、後で理由については説明するし、謝るつもりではある。

 

生憎、美人を泣かせて喜ぶ趣味は……あれ? レーナってどんな顔だったっけ……?

 

毎日、教室で合わせるクラスメイトの顔を知らない筈がない。

 

そうである筈なのに、彼女の声と髪の色くらいしか思い出すことが出来ない。

 

というか、なんで白系種と俺達が一緒の学校に通っているんだ……?

 

身に覚えのない日常と遭遇する度に感じる、強烈な違和感。

 

先を行くカイエ達にとってはいつも通りの日常なのかもしれない。

 

けれども、当の俺にはその日常を過ごしていた記憶も、感覚が存在しないのだ。

 

『――――!』

 

まただ……この声は――

 

声が頭の中で響くという、感じたことがない感覚に、思わず頭を抑える。

 

「ユウ! 前! 危ないっ!!」

 

「えっ? あっ――」

 

視界一杯に広がるコンクリートの柱――直後に大きな衝撃と鈍い痛みが頭部を襲った。

 

遠のいていく意識の中、カイエと生徒会長が駆け寄ってくる姿が、まるで炎が燃えているように揺らいで見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の魂の定義は、人類が哲学という学問を始めた遥か昔から、私達が生きている現代においても明確にされてない。

 

ある者は大脳の記憶野にあると説き、もう一人は人の感情こそが魂であると説いた。

 

前者は生物学部的な観点で見れば、信憑性があるだろうし、後者は心理学の観点で見れば、信憑性があるのかもしれない。

 

以前、機械の中の幽霊という言葉を聞いたことがある。

 

その言葉はある著書の、我々は機械(身体)の中に住む幽霊()だと表現したことが由来となっているらしいが、それを当てはめると、人間の魂とは機械の中に住む幽霊であることになる。

 

では、身体という機械から別の機械へと魂を移すことは可能なのだろうか?

 

答えはもう出ている――きっと可能なのだ。

 

そう、人の魂はきっと肉体という縛りがなくても、喧しい感覚という情報がなくても存在できる。

 

あの時、俺は死んだ――でも、こうして蘇った。

 

もう表情も声も、味も感覚も失くしてしまったが、俺という魂はこうして存在している。

 

ユウ……

 

かつて、共に戦い――共に夢を誓った少年。

 

彼に呼び掛けても、声は聞こえないし、顔も既に変わってしまっているから、おそらく分かってもらえないだろう。

 

けれど、そんなこと人間の身体を捨ててしまえば、解決する些細な問題だ。

 

彼との戦闘で受けたダメージで、身体の各部位から損傷の警告がなされる。

 

我ながら、手加減しすぎたのもあって、随分とダメージを負ってしまったものだ。

 

彼の駆る機体はどうしようもなく脆くて、低性能なガラクタだから……彼ごと壊さないようにするには骨が折れた。

 

彼の他にも、まだ虫けらは周りにいるが、そんなものは後で根絶やしにすればいい。

 

地面へと横たわる、彼の元へ一歩、歩く。

 

同時に無数の銃弾が飛来するが、そんなものでは活動不能には至らない。

 

ここまで長かった……でも、ようやくだ。

 

多くの戦場を(斥候型)を使って見ていた時に、彼のマークを見つけた時は驚いたものだ。

 

彼はてっきり、あの日に死んでしまったものと思っていたから。

 

自分と同じで蘇ったか、はたまた偶然にも一命を取り留めていたかなどはどうでも良い。

 

これでまた、あの時、三人で契った、約束を守ることができる。

 

大丈夫、あの時の弱い俺とは違って、今度は力を持っている。

 

だから、俺が守ってやれる――だからこっちへ来い……!!

 

彼が――蘇った彼の形となったものが、己のすぐ前にある。

 

故に彼は、それへと手を伸ばす――その手で誰かの手をとることなどもう出来ないと知りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

各員のジャガーノートが"羊飼い"に機銃を掃射するが、多くはブレードによって防がれ、命中しても有効打にはなり得ない。

 

黒煙を吹きながら、"羊飼い"は未だに地面に倒れ伏せているジャガーノートへと歩みを進めていた。

 

『クソっ……駄目だ。機銃じゃ足止めにもならねえ!!』

 

『でも、滑腔砲じゃ……』

 

あの"羊飼い"を全機で取り囲んで滑腔砲を撃てば、仕止めきれるかもしれないが、この距離ではユウも巻き添えを喰うだろう。

 

ジャガーノートの装甲の脆さについては折り紙付きだ……自身の主砲の榴弾の破片ですら脅威になる。

 

何か……何かないのか? あの"羊飼い"の足を止めることができる何かが……!

 

『っ! あんた、起きなさいよ! 今度は戦場でも寝坊するつもり!?』

 

『そうだぜ、だから起きろ! 寝坊助!!』

 

そう呼び掛けたクジョーとレッカが同調を試みるが、意識を失った者と同調できる筈もなく、その言葉も彼には届かない。

 

そうしている間に"羊飼い"はユウへと、どんどん歩みを進めていく。

 

その時、誰かとの同調が復帰すると同時に、クリアな声が頭の中へ響いた。

 

『ユウ……ユウ……約束を……』

 

「っ!? そんな……」

 

この澄んだ声はおそらく、群れの向こう側にいたレギオンと同じ、"羊飼い"の声だ。

 

そして、私はこの声が誰のものか、知っている――いや、この声を忘れる筈がない。

 

「皆、聞いてくれ。一つだけ……策を思い付いた」

 

あの"羊飼い"が"あの人"であるならば――"羊飼い"は必ず足を止める。

 

おそらく、"羊飼い"の人格を構成している柱は、きっとあの"誓い"だ。

 

故にレギオンのネットワークに取り込まれながらも、ユウに対してあそこまでの執着を見せたのだ。

 

これを利用しない手など――存在しない。

 

『いいか? 今から――」

 

私の策を聞いた皆から驚きや否定の言葉が挙がる。

 

当然だ、端から見れば、こんなものは策なんかではなく、ただの自殺行為に他ならない。

 

けれど、あの"羊飼い"ならきっと足を止めてでも、対応しようとする筈だ。

 

そして、どのみちこのまま機銃を撃っていてもどうしようもないことに変わりはない。

 

『……分かったわ。あんたを信じるわよ、カイエ』

 

『ったく……カイエのそういうとこ、ユウに似てきたよな。……死ぬんじゃねえぞ』

 

「……ありがとう、皆』

 

今から私は、"あの人"がレギオンに成り果てても、守ろうとしている"誓い"を利用しようとしている。

 

"あの人"の遺志を自分のエゴの為に利用しようとしているのだ。

 

今の私は人として、卑劣で信頼を裏切るような真似をしようとしているのかもしれない。

 

けれど……それでも、私はユウに死んで欲しくない。

 

だから、どんな卑怯なことをしてでも、ユウを連れて行かせたりさせないぞ――小隊長殿。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

センサーが先程から邪魔をしてくる虫けらの動きを感知する。

 

虫けらどもが……無駄なことを。

 

装甲を犠牲にしてまで、搭載された全身のセンサー群は全周囲を警戒することが出来る。

 

左右から飛翔物……これはワイヤーアンカーか。

 

いくら装甲が薄いとはいえ、この程度では俺はやられない。

 

ワイヤーが肩や、腕、脚に引っ掛かり、少々煩わしいが、そもそもの出力が俺と連中とでは天と地ほどの差がある。

 

少し力を入れて腕を振ると、拘束してた一機が宙に浮かび、そのままもう一機へと激突する。

 

お前らの相手は後だ、虫けらどもが……まずはユウの回収を――

 

その時、敵接近の警告と共に、廃墟の陰から一機、飛び出してきた。

 

たかが一機で……虫けら風情が俺の邪魔をする……っ!?

 

ブレードと一体化した腕で薙ぎ払おうとした時だった、メインセンサーはその機体のマークを鮮明に映し出す。

 

桜の花弁のマーク……ああ、君も此所にいたのか。探す手間が省けたよ……

 

これであの時の三人がようやく揃ったな……今度こそ、三人でこんなふざけた場所から出よう。

 

そのためにも、人間の身体を捨てて――っ!?

 

ユウだけでなく、彼女も見つけることが出来た安堵から、ほんの少し警戒が緩んでしまった。

 

無数のロックオン警告、そして全方位から飛来してくる無数の砲弾。

 

この、虫けらども……ユウやカイエも巻き添えにするつもりか!?

 

ふざけるな……何処まで彼らをコケにすれば気が済むんだ!

 

ブレードと左腕を構え、飛来してくる砲弾から可能な限り、彼らを隠す。

 

今度こそ、俺が……皆を守るんだ!!

 

右腕の横薙ぎの一閃で、ユウとカイエを巻き込む砲弾を切り落とし、左腕を膨張させて自分へと飛来する砲弾から身を守る。

 

流体マイクロマシンで構成された左腕に砲弾が命中し、大きな衝撃と共に爆ぜていく。

 

絶え間なく、後ろの彼らへと飛来する砲弾と全身を揺さぶる衝撃は、中枢処理系に多くのエラーを頻発させて、彼の思考を漂白していく。

 

しかし、彼も咄嗟の行動とはいえ、右腕の機関砲を前方へ乱射する。

 

そこらの廃墟の陰に隠れながら、こちらを撃っている敵を仕止めることは出来ずとも、散らすことは出来る筈だ。

 

甲高い破裂音の後、敵の砲撃が止み、その間にセンサー系、中枢処理系の回復が終わる。

 

後方から敵機急速接近……まさか……!?

 

そして、背後を振り返ると、先程まで倒れ伏せていた黒い妖精のマークを付けた、彼の機体が飛び掛かって来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橙色に輝く夕陽が部活動に勤しむ生徒達を眩しく照らす。

 

校庭では陸上部がハードル走をしていたり、短距離走のタイムを測って一喜一憂の声を出している。

 

また、登下校で使う道では、野球部がランニングをしており、不規則な足音と共に、地面を踏みつける音が鳴り響く。

 

「ユウ……? 動いて大丈夫なのか?」

 

「ああ、おかげさまでゆっくり休ませてもらったよ」

 

我ながら、電柱にぶつかって失神とは情けない醜態を晒したものだ。

 

まあ、特に身体に問題はなく、むしろそのおかげで授業を丸々、休むことが出来たのは不幸中の幸いといったところだろう。

 

「まったく……今日は何か変だぞ? 朝から心、此所に在らずって感じで」

 

「変……そうか、そう見えたか……」

 

普段から顔を合わせている筈の、顔が思い出せないクラスメイト、俺達のような奴等が白系種と普通に一緒の学校にいること。

 

それが当然であるという知識があるのに、本能的な違和感はどうやっても拭えない。

 

「まあ、身体に影響がないようで良かったよ……早く家に帰ろう」

 

「家……ああ、そうだな……帰らなくちゃな」

 

先を歩くカイエの後に続き、俺も帰路に着く。

 

彼女の言う通り、存在する場所も、帰り方すらも分からない家へ――帰るのだ。

 

校舎を出ると眩い夕陽の光が身体を包み込み、先を行くカイエの姿が霞む。

 

「すっかり、日も暮れてしまったな……今日は何処か寄るのか?」

 

「いや……そのまま帰るよ。もう……"帰らなきゃ"」

 

このまま帰れば、きっと何も知らないままでいられる。

 

この違和感の正体も、救いのない現実の答えさえも――

 

昔、読んでいた、ある本で赤ん坊が泣く理由として、この世に産まれてしまったことを嘆いて泣くと書いてあった。

 

確かにこの世は地獄なのだろう、誰もが恒久の幸せでありたいと願いながら、現実という絶望を知り、無差別な不幸に身を震わせる。

 

そして、最後は誰もが同じ――死にたくないと思いながら死んでいく。

 

俺達の命を零と一という変数で表すとしたら、俺達の思想やら感情というのはどれ程、無力なのかと嗤うだろう。

 

誰もが絶対の()へ向かう中、その狭間で必死に抗って屈していく。

 

けれど、住めば都という言葉があるように、どうしようもない地獄でも僅かな余裕がある。

 

そこには快楽、娯楽、喜怒哀楽といった結果が凝縮されている。

 

それがきっと人の生きていける所以なのかもしれない。

 

だから――自分だけの幻想に逃げるのは終わりだ。

 

「なあ、カイエ。……今朝からずっと何か忘れているような気がするんだ」

 

「……ユウ?」

 

校門へ行く道で、歩みを止める。

 

「きっとこの世界は幸せなんだろうな。戦争もなくて、86もいなくて、レギオンもいない」

 

先を行く彼女が夕陽を受けて、眩い輝きで姿を捉えられなくなる。

 

「忘れられたらどれだけ楽か、このまま幻想に浸っていたらどれだけ幸せだったか……でも、ここまで満たされても何かが足りないんだ」

 

どれだけ楽でも、どれだけ幸せになれても、足りない何か。

 

どれだけ、頭を使っても正確な答えは出てこない。

 

けれど、それがとても辛いもので、それでもやらなきゃいけないことだというのは無意識に分かっている。

 

もしかしたら、この幻想のような世界が本当にあるのかもしれない。

 

だが、俺が生きるべき世界は違う、それは変わらないことも分かっている。

 

「……楽しかったらそれで良いんじゃないか?」

 

黒い影しか見えない彼女は、俺に問いかける。

 

「そうかもしれない……でも、俺にはやらなきゃいけないことがある」

 

先に逝った彼らに約束したことを俺はまだ果たせていない、そして――

 

「前に言ったよな。桜を見に行きたいって……俺はそのとき、何も言わなかった」

 

側にあった桜の並木に手を触れる。

 

ゴツゴツした感触に紛れるように、どこか瑞々しい感覚を覚える。

 

「なあ、カイエ……実は俺も見に行きたいんだ。だから、それを伝えなくちゃいけない。現実のお前に」

 

86の願いが叶う保証なんてない、むしろ叶う前に力尽きることがほとんどだ。

 

でも、願うなら……願いを共有することぐらいは俺達にも出来る筈だ。

 

「……ずっと、幻想(ユメ)を見ていたいって思わないか?」

 

「幻想だから覚めるんだよ。……だから、俺はそっちへは行けない。まだ、やらなきゃいけないことがあるから」

 

もう少女の姿も、校舎も、生徒の姿も見えない。

 

見えるのは、コクピットが開け放たれたジャガーノート一機のみ。

 

今度は誰かの声に惹かれてではなく、自分の意思でジャガーノートへ乗り込む。

 

さあ、行こう。約束を守るために――願いを彼女に伝えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭が鈍痛に痺れてぼうっとする、身体中が痛くて、動かすとまるで石のように重い。

 

それでも、両手の操縦桿だけは手離さずに、そのトリガーへ指を掛けていた。

 

ずっと何か、夢を見ていた気がするが、鈍痛で痺れた頭で思い出そうとすると億劫になるので止めた。

 

サブスクリーンにはヒビが入って、外の情景をまともに映さない。

 

機体も度重なる戦闘のダメージで、各所の部位が既に悲鳴を上げている。

 

メインスクリーンには、カイエのジャガーノートが映っており、その前には、こちらへ背を向けた、あの"羊飼い"がいた。

 

何故、こちらへ背を向けているのかなんて分からない。

 

況してや、今の状況がどうなって、他のレギオンのことさえも分からない。

 

けれど、この機を逃すという手はないのは確かだ。

 

各所が悲鳴を上げる機体と、自身の身体に鞭を打ち、出力最大で飛び上がった。

 

それと同時に残った、片側のブレードを展開する。

 

もう既に"羊飼い"がこちらの接近に気付いて、振り返るのは見えている。

 

甲高い音と共に刃と刃が交差して、僅かな火花が散る。

 

「うぐっ……こんのぉっ!!」

 

身体の悲鳴を歯を食いしばって堪え、機体の足が着く前に地面へアンカーを打ち込み、それを軸に機体の向きを変える。

 

再び、"羊飼い"を機体正面に捉えると、先程と同様に飛び掛かっていく。

 

刃のぶつかり合いで火花が散ると、流体マイクロマシンで形成された左腕が襲い掛かる。

 

「くっ……!!」

 

アンカーを地面へと打ち込み、機体の向きを変えると同時に捻らせる。

 

そのすぐ隣に、"羊飼い"の左腕が叩きつけられた。

 

『今だ! 各機射撃開始!』

 

『『『『『『了解!!』』』』』』

 

廃墟の陰や、廃墟の上層に隠れていたジャガーノートが号令と共に一斉に射撃を開始する。

 

全方位から襲ってくる無数の銃弾の雨に、"羊飼い"も防御体勢を取る。

 

『行け! ユウ!!』

 

「……っ!!」

 

"羊飼い"の懐へと飛び込み、がら空きとなった右腕を切り落とす。

 

しかし、その拍子に高速で向かってきた左腕によって機体の足が掴まれる。

 

「くそっ……!?」

 

そして、右腕からも血と破片を吹き出しながら、黒い右腕が飛び出る。

 

ジリジリと持ち上げられる中、胸部に向かって滑腔砲を連射するが、その度に機体を振り回されて、砲弾は明後日の方へ飛んでいく。

 

『ユウ!』

 

それでも、連射をするのを止めず、ひたすらにトリガーを引き続ける。

 

残弾は残り五発。

 

トリガーを引いたものの、機体を逸らされて外れ。

 

残弾、残り四発。

 

"羊飼い"の肩を掠めたものの、撃破には至らない。

 

残弾、三発。

 

"羊飼い"の足元に着弾、脚部へのダメージはあるが、撃破には至らない。

 

後、二発。

 

"羊飼い"の体勢が崩れ、片膝を付くが、それでもまだ足りない。

 

そのとき、二発の砲弾が飛来し、一発は左腕を、二発は右腕を根元から吹き飛ばした。

 

カイエのジャガーノートとレッカのジャガーノートからは、白い煙が出ており、自身の機体も重力に引かれて落ちていく。

 

「……これで終わりだ」

 

最後の一発を"羊飼い"の胸部を狙って撃つ。

 

発射薬の爆発で飛び出した、砲弾は胸部から内部に侵徹して、炸薬が信管によって爆発し、内部の構造物を食い荒らしていく。

 

『ありがとう』

 

「……えっ?」

 

機体が地面へと落ちる衝撃と共にそんな声が、確かに頭の中へ響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は自分に向けられた滑腔砲をセンサーで見つめながら、"彼ら"へ意識を向けていた。

 

直後に、発射炎が閃き、放たれた砲弾が胸部から侵徹するのを感じる。

 

しかし、彼はそんなことを気にも留めず、"彼ら"を注視していた。

 

何故か"彼ら"の姿が見えた気がしたのだ。

 

見知った少女と少年……そして、知らない顔の多くの少年と少女達。

 

彼は既に死んだのだ、知っている筈がないし、知る余地もない。

 

もう彼は何処にも行けないし、生きている者はそんな彼を気にもせずに先へ向かっていく。

 

唐突に、内部に衝撃が走り、思考にノイズが走る。

 

どうやら侵徹した砲弾の信管が作動したようだ。

 

あらゆるステータスがエラーとなって機能停止していく中、せめて何か伝えようと言葉を考える。

 

しかし、内部の破滅的な破損は途端に彼の思考能力を奪い去り、ようやく紡げたのは単調な言葉だけだった。

 

『ありがとう』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機体が地面へと叩きつけられる衝撃を受けながら、荒い息を吐き出す。

 

「はぁ……はぁ……!!」

 

身体を襲う鈍い痛みと、忘れてしまっていた感情の昂り。

 

その脳裏に浮かぶのは、かつて交わした筈なのに忘れてしまった言葉とその情景だった。

 

『ユウ! 見ろ! この時計! まだ動くぞ!』

 

何か見つけることが出来て嬉しいのか、見せつけられた傷だらけのおんぼろな針時計。

 

『空を見てみろ! 星が流れてる!!』

 

真っ暗の戦場で三人で見た流星群。

 

『どんな時も夢を抱きしめて、それを諦めるな!」

 

多数のレギオンと対峙する羽目になった時の声。

 

『ありがとう。仲間と認めてくれて』

 

三人で小隊の目標を誓い合った日の夜に交わした言葉。

 

『皆の故郷にいってみたいな。本場の桜を見てみたい』

 

宿舎で互いの故郷の話を交わした時の言葉。

 

『みんなでこの国から出るんだ!』

 

戦闘中に皆を鼓舞するような言葉。

 

『ごめんな。結局、約束を守れなかった』

 

自らの死の直前に溢した言葉。

 

「あ……ああっ……」

 

長年、封じ込めていた感情が溢れ、胸を込み上げていく。

 

そして、脳内を掻き乱す感情の衝動に駆られ、機体のコクピットを開ける。

 

しかし、戦闘の負担が癒えてない身体は、自身の体重を支えきれずに倒れる。

 

転倒した拍子に、額を切り、出血する。

 

それでも、身体を引き摺っても、そちらへ向かおうと身体を動かす。

 

「はぁ……はぁっ!!」

 

日常も、戦闘中も――見ていた"彼ら"が火の向こう側に消えていく。

 

いつもの冷淡な目ではなく、どこか安堵したような表情で、"彼ら"は火の中へ消えていった。

 

待ってという言葉すら出ずに、そちらへ向かおうとする。

 

そのとき、誰が背中にすがり付く――そちらへ行かせないように。

 

「もういい! もう……いいんだよ」

 

「ああっ……うっああ……」

 

もう涙なんて荒れ果ててしまったと思っていた。

 

こうして、戦場へ出てから泣くことなんて一度たりもなかったからだ。

 

戦場で何かを喪うなんていつものことで、そんなことで泣いてたらきっと戦えないから……

 

止まらない涙に身体を震わせていると、少女が静かに身体を抱き寄せる。

 

「いいんだよ……もう一人で背負わなくて。私も一緒に背負うから。だから、もう一人で苦しまなくていいんだ」

 

人の暖かな体温と、彼女の命を繋ぐその鼓動は、凍った彼の感情をゆっくりと溶かすように、優しく身体へと伝わっていく。

 

「ユウ。……生きて帰ってきてくれて、ありがとう」

 

「っ! うああぁぁぁぁぁ!!」

 

そして、少年の心の堤防が決壊し、少女の胸の中で声を挙げて泣いた。

 

その涙が嬉しさから来るのか、悲しさから来るのかはもう分からない。

 

ただ、涙は次々と溢れ、止まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

長い戦闘が終わったときには既に日がくれており、戦場となった平野には夜の帳が降りようとしていた。

 

戦闘の損傷でぎこちない音を立てながら、戦隊の集合地点の丘の上を目指す。

 

『ユウ、機体は大丈夫なのか?』

 

「ああ、戦闘は流石に無理だけど……歩くだけなら何とかなりそうだな」

 

『というか、これからの進路ってどうするのかしらね……不発弾凄いんでしょ?』

 

えっ……不発弾? レッカは何の話をしてるんだ……?

 

「不発弾って……何があったんだよ?」

 

『あー……話せばちょっと長くなるから、後で話すよ。……どうやら向こうも揃ってるみたいだ』

 

メインスクリーンに五人の少年少女が手を振る姿が映る。

 

そして、我らが戦隊副長が意地の悪い笑みを浮かべて、口を開く。

 

『おっ、利かん坊二人目もご帰還だな』

 

「うっ……その節は、世話になったよ。ほんとに……」

 

今回ばかりは怒鳴られても仕方ないと思っていたのだが、存外考えすぎだったのかもしれない。

 

『とりあえず、罰としてユウは二週間、食料調達と料理当番ね!』

 

前言撤回、けっこうキツめの罰が下ったぞ……

 

「いやいや、食料調達はともかく、料理当番って料理もしなきゃいけないのか!?」

 

『豊かな旅には豊かな食事が付き物だろ? ユウの腕前に期待してるぜ』

 

そんな、他人事みたく、軽く言ってくれやがって……

 

どうやら、明日から激務の日々が続くことは、既に決定事項のようだ。

 

唐突な有罪判決に思わず、空を仰いでいると、耳のレイドデバイスに僅かな熱が灯る。

 

『状況終了。戦隊各員、お疲れさまでした』

 

「少佐……貴女もいたんですね」

 

少佐と最後に話したあの日以来、少佐が同調を繋いできたことはなかった。

 

こちらとしても、もう繋ぐことはないと思っていたのだが……案外、この戦隊とは太い縁で結ばれているようだ。

 

『当然です、私はあなた方のハンドラーなのですから。……ユウさん、とりあえず言いたいことはたくさんありますが、ご無事なようで安心しました』

 

「えっと……はい。まあ、その節では少佐にも、お世話になりました」

 

『ええ、本当にそうですね』

 

……マズイな。これ少佐、怒り心頭だぞ……間違いない。

 

少佐が怒っているところは見たことはないが、こういうタイプの人種を怒らせると怖いというのは、思い知っているつもりである。

 

『さてと……ファイド。コンテナを繋ぎ直したか?』

 

ピッという電子音と共に、ファイドが頷く。

 

『整備と修理は寝るとこ決めてからだな……初日でこんなに弾薬を使っちまったのは痛いな』

 

最終的に今回の戦闘で消費した弾薬は、備蓄の2割強ほどであった。

 

状況的に仕方がないとはいえ、初日の消費としては看過できないものだ。

 

『その分倒したんだし。まあ、良いんじゃないの?』

 

『だな、それじゃな、少佐。こっからも元気でやってくれ』

 

『えっ、あっ……皆さん』

 

あまりにも普通の調子で別離の挨拶を投げられて、少佐は狼狽する。

 

そう、特別偵察任務は今日が初日。死出の旅はまだ始まったばかりなのだ。

 

『ユウヤ君とシン君も頑張って付いてきてね?』

 

「了解。とりあえずは何とかなりそうだから、気にせず進んでくれ」

 

歩く度にぎこちない音を立てているが、とりあえずは今日の寝床までは保たせてみせるつもりだ。

 

『ねえ、そういえばここって、このまま進んでいいの? 不発弾すごい出てたよね?』

 

『うーん…… 地雷原みたいなものだし、このまま進むのはちょっと危ないかも。シン君、迂回路ってすぐ見つかるかしら?』

 

『近隣に遭遇しそうなレギオンはいないから、どこでも選べるけど。……不発弾?』

 

どうやら、シンも不発弾のことは理解していないようだ。

 

『歩きながら話すよ……っていうかシン、本当に周り見えてなかったんだね』

 

沈む夕陽の輝きを受けながら、全てのジャガーノートが東へと歩みを進める。

 

この先はレギオン達が支配する、未踏の戦域――ここから生きて戻ることはない。

 

『待って、待ってください……』

 

少佐の声で足を止める者はいない。

 

そして、これ以上、進むとなると少佐との同調は距離の問題で、繋がらなくなる。

 

これが本当の意味で、少佐との最後の交信になる。

 

『置いていかないで』

 

少佐が溢した言葉に皆が、優しげな笑みを浮かべる。

 

まるで手の掛かる妹や弟に浮かべるような、優しい親愛の笑み。

 

『あぁ、いいな。それ――俺達は追われるんじゃない。行くんだ、どこまでも、行ける所まで』

 

その言葉から生きることを諦めた諦感の意は一切、感じない。

 

それどころか、未知の場所へ向かおうとする冒険家のような、広い大地を好きなように駆け回って遊ぶ子供のような、純粋な興味と楽しみを感じる。

 

もう誰も彼らを止めることはできない。

 

自分が行けるところまで行って、僅かといえど、好きなように生きて、好きなように死ぬ。

 

誰のためでもなく、自分の意思で――自分の終わりを決められる。

 

でも、少佐は納得できないのだろう。

 

彼女は法の下の平等の権利を与えられて、同様に自由の権利も与えられていたから。

 

だから、こんな放逐とも呼べる様を決して納得したりしない。

 

少佐のそんな様子を察したのか、シンは優しい笑みを浮かべて言った。

 

それは今までとは違い、憂いなど一切感じられない――清々とした穏やかな笑みだった。

 

『先に行きます。少佐』

 

その言葉の直後、少佐との同調は切れて、レーダー上でも彼らのマーカーが消える。

 

そして、各々が他愛もない話で盛り上がる。

 

『夕ご飯どうしよっかー? 初日なんだし折角だから豪勢にいきたいよね!』

 

『だそうだ、ユウ』

 

「えっ? 罰って今日からなのか?」

 

俺達は知らない。少佐が必死に走っていることを。

 

『それより、とっとと寝たいよな……今日は疲れたぜ』

 

俺達は知らない。少佐が帽子を落としてでも走っていることを。

 

『それじゃ、明日の目的地はあの建物ってことで。時間もあるし何か賭ける?』

 

『そうね……明日の洗濯の当番とかどうかしら?』

 

俺達は知らない。少佐が信号を無視してでも走っていることを。

 

『イヤよ。自分のものくらい自分で洗うわよ』

 

『あれ?何か見えない? 建物みたいなの』

 

『教会かな?』

 

『お城かお屋敷だったら素敵よね。一晩、泊まれそうならもっといいわ』

 

俺達は知らない。少佐が涙を滲ませながら走っていることを。

 

『お城とかも、戦区の向こうの方とかにあるのを遠目に見ただけで、入ったことはないよね』

 

『宝探ししよ!』

 

『そうだな。先を急ぐ旅ってわけでもないしな』

 

俺達は知らない。少佐が荒い息を吐きながら、身を震わせて涙を流していることを。

 

『あっ……』

 

『一面、真っ赤……綺麗』

 

『って、これ彼岸花じゃないか!』

 

『彼岸花?』

 

俺達は知らない。少佐が声を挙げて泣いているのを。

 

「こいつは花が咲き、後から葉っぱが伸びるっていう普通の花とは逆の生態を持ってるんだよ。そのせいで、葉と花を一緒に見ることがないから、死人花や地獄花なんて呼ばれるようになっちまったのさ」

 

『えっ!? こんなに綺麗なのに?』

 

「まあ、俺達が勝手に悪く言ってるだけでもあるけどな。彼岸花の花言葉って良い意味があった筈だし」

 

『へぇ、どんなの?』

 

「そうだな――」

 

情熱、想うは貴方一人、と色々な花言葉があるが、きっと今、相応しいのはこれだろう。

 

「また会う日を楽しみにってね」

 

 

 

 

"From time to time, the tree of liberty must be watered with the blood of tyrants and patriots." - Thomas Jefferson

自由という木には、時々独裁者と愛国者の血をやらなければならない。 ―― トーマス・ジェファーソン

 

 

 

 




花言葉ってけっこう奥が深くて面白いですね


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14話

追記:ファイドの声を直しました


"Honor the dead, fight like hell for the living." - Anonymous

 

―― 死んだ者を称え、生きている者の為に死に物狂いで戦え。作者不詳

 

 

 

 

 

忙しなく動く機械の音に、驚いた小鳥が飛び立ち、彼方へと飛び去っていく。

 

その際に抜け落ちた小さな羽が、朽ちたジャガーノート(先人)へとふわりと落ちる。

 

かつて、誰かが戦って散っていった場所には花が咲き誇り、彼らの名残を埋め尽くしていく。

 

そんな青い空の下、彼らは歩き続ける、家屋や、兵器にも草花が生え、死体さえも地に還っていった大地を。

 

先頭を歩く一機の指示に従って、進路の向きが変わる。

 

彼らの行軍に目的地なんてない――ただ、ひたすらに行ける場所まで行く。

 

その到達点が自らの最期の地であったとしても、最期まで楽しく、誇りを持って逝く。

 

これから語るのは、そんな死出の旅へと赴いた、彼らの僅かな足跡である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 10月10日

 

 

 

二機のジャガーノートが、色鮮やかな枯葉が散乱する森林の中を進んでいく。

 

それもその筈、数えた限りで、今はもう10月――紅葉の季節である。

 

ここが戦場でなければ、紅葉狩りなどを楽しむことが出来たのだろうが、受けた仕事は確実にこなさなければならない。

 

『すっかり秋だな……葉も綺麗に色付いている』

 

「カイエ、紅葉に見とれているのは構わないけど。寝床探しを忘れるなよ? でないと、第4小隊は車中泊だ」

 

この場合、車中泊というより、ジャガーノート泊と言うべきなのかもしれないが、どっちも似たようなものだろう。

 

しかし、ジャガーノートのシートにくつろぎを求めるのは大間違いである。

 

完全固定されたシートにリクライニングなんて出来る筈もなく、反発しかない硬い生地は疲れを取るには至らない。

 

むしろ、身体の節々が痛くなるくらいの有り様だ。

 

『分かってるさ……やっぱり、ここまでたどり着いた人もいたんだな』

 

視界の隅に、自身の半身を池に沈めたジャガーノートの残骸が映る。

 

この先人は何を思って、どのようにしてここまで来たのだろうか?

 

「……行こう。ここで止まってなんかいられない」

 

その問いに答えられる者がいる筈もなく、朽ちたジャガーノートはこちらを無機質に見据えるのみだ。

 

分かりもしないことをいちいち気にしていては埒が空かないし、時間の無駄でしかない。

 

そして今、俺達がすべきことは先人の弔いでもなく、俺達の寝床を探し当てることである。

 

「出来れば、火が焚けたり出来る所がいいんだが……そう上手くはいかないか」

 

『この後は雨が降るんだったよな……あっ、あそこなんてどうだ?』

 

そこには地面が小高く盛られ、下部には覗き穴のような、明らかな人造の木組みがあった。

 

「よし、俺が先に中を見てくる。カイエはクジョー達を呼んでおいてくれ」

 

『了解』

 

ジャガーノートのコックピットを開け、小銃を持って外へ出る。

 

小銃を目の前の峰へ構えながら、ゆっくりとそちらへ向かっていく。

 

「これは……塹壕か」

 

盛られた地面の峰を上りきると、朽ちた支柱と、通路と思える空間が空いていた。

 

その空間に降りてみると、足元には木の板が敷かれていた。

 

長い間、放置されていたというのもあって、木組みと同様に板はポロポロで、所々埋まってしまっているが、大した問題にはならないだろう。

 

そして、上のトーチカと違い、こちらは半地下式のものであるため、暗いが、火を焚く関係上、問題にならない。

 

「これなら使えそうだな……ん?」

 

トーチカの奥の壁に、何かがもたれ掛かっている。

 

"それ"は、ぼろぼろの野戦服を纏い、変色して崩れ去った手で、それでも赤錆びた小銃を離さずに抱えていた。

 

死して尚も――文字通りの白骨に成り果てても、此処を守らんとする"それ"に静かに触れる。

 

崩してしまわぬように慎重に、銀の認識票が掛かった首の骨に触れる。

 

認識票があるという時点で、この遺体は俺達のような86ではなく、戦争初期に散った共和国軍の将兵のものだろう。

 

せめて、名前ぐらいは確認しようと思ったのだが、認識票の記載は既に擦り消えており、名前を伺い知ることすら出来なかった。

 

「……お疲れ様」

 

しかし、死んでも尚も小銃を離そうとしなかった辺り、最期までここを守ろうと戦ったのだろう。

 

そんな"彼"を白系種だからと言って、白豚扱いする事は出来ない。

 

そして、死して尚もここを守ろうとする遺志を、反故にする事もしたくない。

 

「……カイエ。ここは駄目だ。既に先客がいたよ」

 

『先客って……何かいたのか?』

 

「ああ、……最期まで勇敢だった奴がここで眠ってる」

 

『……そうか。なら、他の場所を探さなきゃな』

 

物言わずに、壁にもたれ掛かっている"彼"に対して、敬礼をする。

 

正規軍でもない86からの敬礼に、さほどの価値がないというのは分かっているが、少しでも"彼"に対して何か応えたかった。

 

少しの間、空白の時間が生まれる。

 

木々が風で揺れて、紅く染まった葉はふわりと宙を舞いながら、地面へと落ちていく。

 

そんな中、何かが駆動する音が、風の音と鳥のさえずりに混じって聞こえてきた。

 

どうやら、カイエが呼んだ彼らもこっちへ向かって来ているようだ。

 

となれば、ここを出て、別の場所を探しに行かなくてはならない。

 

手を下げ、トーチカの出口から来た道を引き返していく。

 

空には既に雨雲が拡がっており、いつ降りだしてもおかしくない状態だ。

 

『ユウ! どうしたんだよ? いきなり場所変更とかって……』

 

「それについては後から説明するよ……早くしないと降ってくるぞ」

 

ジャガーノートに乗り込み、掘られた塹壕に沿って移動を開始する。

 

そして、各員のジャガーノートも彼の後に続いて、駆け出していく。

 

曇天の空から雨粒が降り注いだのは、その数十分後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

降り注ぐ雨粒が地面を打つ音を聞きながら、野草を使ったハーブティーを口にする。

 

苦味はあるが、豊かな風味とその香りは、代用茶といえど、侮れないポテンシャルを発揮している。

 

また、季節が秋になったことで夜が冷え込むようになり、身体を暖めてくれるという意味でも重宝している。

 

「良かったな。すぐ近くに別のトーチカがあって」

 

「ああ、悪いな。俺の我が儘に付き合わせて」

 

本来なら、遥か昔の戦死者の遺体など気にする必要もなく、退かしてしまえばあのトーチカを利用できたのだろう。

 

けれど、最期まで必死に戦って……死んで尚も、あそこを守ろうとしている姿を足蹴にすることは、どうしても出来なかったのだ。

 

「別に構わないよ。ユウがそうしなきゃいけないって思ったんだろ? なら、私はそれに従うよ」

 

「そうそう、我らが小隊はユウのお導きがあってこそなんだからな!」

 

「……ありがとう。いつも悪いな」

 

今となってこそだろうか……仲間のこうした一面に何度も救われてきたんだと俺は思う。

 

俺の異能があっても、一人相撲になれば、何の意味も為さない。

 

「……ッ!」

 

その時、脳裏に暗闇の中を進んでいく青い光の大群が映る。

 

それが何かと判断する前に、身体は動いていた。

 

「カイエ、火を消せ。向こうの橋に大群だ」

 

「分かった」

 

青い光の大群が橋へと到達する前に、カイエが焚き火を消す。

 

火が消えると、途端に夜の暗闇にトーチカは呑まれる。

 

暗闇の中で見えるのは薄い月明かりで照らされた、僅かな空間と橋を渡っていく無数の青い光の群れだけだった。

 

「たくさん……いるな」

 

「ああ、ざっと数個師団ぐらいか……あれだけいるのは見たことがないな」

 

今、思えば、あんな化け物どもとよく勝ち目のない戦争をしていると思う。

 

こちらが死に物狂いで、かき集めた一個師団をレギオンはいとも簡単に同数以上の数を生み出してみせる。

 

補充も儘ならないこちらと違って、喪えば同数をすぐに補充し、それどころか更に増強していく。

 

これを見て、今の共和国民がレギオンに勝ち目があるかと聞かれれば、誰もがきっと首を横に振るだろう。

 

数万を越す、レギオンの群れの進行に呼応するように雨の勢いが増して、外を吹き付ける風も強くなっていく。

 

どうやら、今夜は嵐の夜になりそうだな……

 

「外、凄いわね。そして、うう……寒い」

 

「ほら、毛布貸してやるから、今はくるまっとけ。休める時に休んどくんだ」

 

身を震わせたミクリに毛布を投げ渡す、薄いが、無いよりはマシだろう。

 

「ユウは……?」

 

「生憎、昔から身体がやたら丈夫な質でね。見張りは俺がやっておくから今はくるまって寝とけ。野郎と抱き寄せ合って寝るのは嫌だろ?」

 

『おい!』

 

トウザンとクジョーが抗議の声を漏らすが、聞く耳を持たない。

 

それを聞いて少しは安心したのか、ミクリが毛布にくるまる。

 

「お前らも今は寝とけ。この雨だと当分は止まないだろうし、レギオンも偵察の連中が暫くは彷徨くだろうからな」

 

「はいよ……というか、マジで抱き合って寝なきゃいけないのか?」

 

「いや、毛布はそこに人数分あるから……どうしてもと言うなら止めないけど?」

 

クジョーはともかく、トウザンがどうしてもと言うのなら、こちらとしては止めるつもりはない。

 

人の好みとは多種多様で、時に自らの常識に当てはまらないことだってあるのだ。

 

「よし、寝るわ! おやすみ!」

 

クジョーが逃げるように毛布にくるまる。

 

「ばっ……はぁ、とりあえず俺も寝るわ」

 

件のトウザンもこのやり取りに疲れたのか、毛布に身をくるめる。

 

「……カイエ、お前も寝ていいんだぞ?」

 

「いや、私はまだ大丈夫だよ。……隣、良いか?」

 

「勿論」

 

返答を聞いたカイエが立ち上がり、真横の壁に寄り掛かる。

 

外の雨音は更に激しさを増し、吹き付ける風の音も大きなものへと変わっていく。

 

「なんかこうしてると……一年目のあの日を思い出すよ」

 

「あの時とは状況が違うけどな……あの時は味方が壊滅してたし」

 

戦闘の損傷で使い物にならなくなったジャガーノートを放棄して、二人で森の中を逃げ惑ったあの夜。

 

あの夜もこんな感じで洞穴で、焚き火の近くで身を寄せ合って、夜を明かした。

 

そんな懐かしい出来事を思い出していると、唐突に左手が握られる。

 

左手を通して伝わる、体温の温もりと指の動き。

 

「……カイエ?」

 

「……すまない。あの夜を思い出して……少しだけこのままでいさせてくれないか」

 

あの夜、今と同じように手を握らせて欲しいと頼まれた。

 

その時、握られた手は今と同様に、先が見えない不安に震えていた。

 

だが、あの夜と違い、握られたカイエの手をそっと握り返す。

 

「……ユウ?」

 

「カイエ、いつか俺に言ったよな……二人で桜を見に行きたいって」

 

「ああ、確かに言ったけど……」

 

俺達は文字通り、明日も知れない身だ。

 

もし、運悪くレギオンの偵察部隊がこちらに気づけば、たちまち橋を渡っているレギオンの一団が押し寄せてくるだろう。

 

そうなれば、数も物資も、機体の性能だって満足にない俺達は容易く蹂躙される。

 

また、そうならずとも、食糧がなくなれば、飢え死にしてしまうだろうし、何か病気にでもなれば、途端に衰弱するだろう。

 

故に何かをしたいと願っても、それを叶える為には幾多の苦難と万に一つの幸運が求められる。

 

でも……だからこそ――

 

「俺も見に行きたいんだ。カイエ、お前と一緒に。だから――俺に守らせてくれ。お前を、そして皆を……」

 

死なないでくれ、と頼むことは出来ない。

 

俺達の行き着く先は"死"であることに変わりはないからだ。

 

けれど、人は何かにすがっていなくては生きていくことさえも出来ない。

 

皆が初日の誓いにすがっているように、シンが兄にの弔いにすがっていたように……人は何かに酔っていないと満足に生きれないのだ。

 

「ユウ……なら、私とも約束して欲しい。――ユウが背負っているものを私にも背負わせてくれ」

 

「カイエ……」

 

明日の未来が見えていても、明後日の未来は分からないように、俺達の未来がどうなっていくのかなんて、曖昧すぎて分からない。

 

明日死ぬかもしれないし、明後日、明々後日、来週、来月と、俺達の最期は何時でも来る可能性はある。

 

もう俺には"彼ら"が見えない、ただ、"彼ら"が浮かべた安堵の表情は今もなお、記憶に焼き付いている。

 

きっと、俺は託されたのだろう――"彼ら"が歩もうとした道を、一分一秒の時間を。

 

だからこそ、この時間を――刹那の瞬間さえも、定めた目的に向かって全霊を以て生きる。

 

それが背負った死者の遺志に出来る、唯一の返礼だろうから。

 

「ユウがずっと一人で背負ってきたのは分かってる……でも、私だってユウの仲間だ。だから――」

 

握られた左手に掛かる力が強くなる。

 

「――ユウと一緒に背負わせて欲しいんだ。今までのも、これからも」

 

僅かな光がトーチカ内部へと差し込み、少年と少女を僅かに照らす。

 

すぐにでも消えてしまいそうな、細い光ではあるが、今のお互いの顔を認識するには十分だった。

 

「……月が綺麗だな」

 

「……私は最期までユウと一緒なら、死んでもいいよ」

 

「馬鹿だな……死なせるもんかよ」

 

お互いに目を閉じて、顔を近づけていく――唇で感じる少し濡れた感触と、互いの温もり。

 

ほんの数秒程度なのに、世界の時間が止まったような感覚は、不思議と身を落ち着かせる。

 

「……はは。ファーストキスは甘酸っぱいってよく言うけど、嘘だな。味なんか分からないよ」

 

「それ、確か連想の例えだから、明確な答えは出てないらしいぞ」

 

又聞きではあるが、だいぶ歳を取った人が初恋を連想したものが、曲解されて表現されたことが由来らしい。

 

尤も、この場で特に役に立つような情報というわけではないのだが。

 

「ふむ……それなら、私達で確かめようじゃないか。どんな味がするのかさ」

 

「あのな……もう少し、んむっ……」

 

言葉が言い終わる前に、唇が塞がれる。

 

今度はさっきよりも長く、互いに啄むような接吻。

 

光は既に消え、トーチカの内部は暗闇へと呑まれていく。

 

しかし、互いの存在を確かめるように、唇の交わりは激しさ増していく。

 

嵐の夜はそんな彼らを他所に、より更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 10月13日

 

 

 

 

 

 

三日ぶりの朝陽が身体を照らし、その温もりを受けながらまた一つ欠伸を漏らす。

 

目の前を流れる広大な河川には、朝陽の輝きで彩られた青空が反射して映り込む。

 

「んん……」

 

三日間も冷たいコンクリートの上で寝るというのは意外と堪えるものだ。

 

少し顔でも洗おうと川原に降りると既に其処には先客が二名いた。

 

「おっ、ユウか。そっちはどうだ? 何かあったか?」

 

「おはよう、ユウ」

 

「ああ、おはよう。シン……後、特に報告するようなことは起きてないよ。ライデン」

 

流石、戦隊長と副長といったところか、戦隊メンバーの誰よりも早く起きてくるとは。

 

感心している俺を他所に、ライデンが広大な河川を眺めながら、口を開く。

 

「……この川、渡れるわけないよな?」

 

「当たり前だろ」

 

シンが素っ気なく答えるが、当然の返答である。

 

ジャガーノートは機体の構造上、キャノビを閉めても、微妙な隙間が生じる。

 

そんな有り様で、渡河しようものなら浸水して、水没するのは目に見えている。

 

そして、それ以前に各部位の防水性も問題しかない為、ジャガーノートで渡河するなど、土台無理な話なのだ。

 

「ふあぁ~……おはよー。三人で何の話してんの?」

 

欠伸を漏らしながら、下りてきたのは我らが戦隊のマスコット――クレナである。

 

その後ろから、アンジュ、セオと続いて川原へ下りてくる。

 

「コクピットが隙間だらけで、水が入ってくるって話さ」

 

「ああ、成る程……じゃあ泳いで渡る?」

 

おい馬鹿、止めろ。それは俺にとっては致命的だ。

 

「ダイヤかハルト、クジョーとかなら飛び込んで行きそうだな……とすればは泳ぐという手も」

 

「ライデンは俺に死ねと言いたいのか?」

 

「いや、冗談だ……だからそんな必死な形相で俺を見るなよ」

 

冗談にも言って良いものと、悪いものがある――泳ぎに関しては断然、後者だ。

 

俺が冗談で済んだことに安堵していると、クレナが大きく身体を伸ばす。

 

「あー……三日間長かったね」

 

「仕方ないだろ。あれだけ偵察部隊がいる中で動くわけにはいかねえ」

 

「でも、雨風は凌げたからだいぶ助かったわよね」

 

レギオン支配地域を進んでいく程に、偵察部隊の数が多くなってきた。

 

当然ではあるが、この地域で一度でも戦闘を起こそうものなら、たちまち、この地域のレギオンが俺達への攻撃を開始する。

 

そうなれば、何もかもが終わりだ。逃げても結局は追撃されるし、弾薬などの物資にも限りがある。

 

「特別偵察に出てからもう半月? 案外、保ったね。すぐ死んじゃうかと思ったけど……」

 

「レギオンとの遭遇は避けて通れてるとはいえ、ユウのおかげで通るコースも分かるのが大きいだろうな。そのおかげで、スムーズにここまで到達できた」

 

レギオンとの遭遇を回避するためには、そもそも偵察部隊の進路を予め避けてしまえば、遭遇を気にすることなく、前進できる。

 

故に、偵察部隊は予めに未来視を利用して、その数と進行コースを割り出しておいたのだ。

 

その情報を基に、シンが直近のレギオンの位置を観測して、戦隊の進行ルートを決める。

 

それが功を奏して、ここまで誰一人欠けることなく、たどり着くことができた。

 

「で、どうする? 進みたきゃ橋を渡るしかないが、偵察部隊が戻ってくる可能性も……」

 

前述の通り、ジャガーノートで渡河することはできない。

 

そのため、先に進む為には橋を渡っていくことになるが、この橋を利用するのは人間だけではない。

 

先日の嵐の夜のように、レギオンも移動のためにこの橋を利用するのだ。

 

そのため、俺達が橋の上を移動している最中に、偵察部隊が戻って来て、鉢合わせになる危険性がある。

 

皆がシンを見つめるなか、当のシンはゆっくりと口を開いた。

 

「まあ……まだ進まなくてもいいんじゃないか?」

 

「えっ?」

 

正直、驚いた。シンがそんなことを言うとは思ってもいなかったからだ。

 

尤も、三日間も動けずにいたことが堪えていたのか分からないが、おそらく、皆と同じで少しはゆったりしたいのかもしれない。

 

「そうね。折角の洗濯日和だし、まとめて洗濯もしたいわね」

 

「まあ、先を急ぐ旅じゃないしな」

 

嵐が明けた本日は、どうやら小休止の日になるようだ。

 

ということは、身に残った疲れを癒す絶好の機会と言える。

 

……まあ、ライデンの言う通り、先を急ぐ旅じゃないし、こんな日があっても良いだろう。

 

こうして、スピアヘッド戦隊の僅かな休日が幕を明けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャガーノートの滑腔砲の砲身とファイドのクレーンアームを物干し竿にして、野戦服と毛布が風に揺られている。

 

その光景を横目に、木の棒にワイヤーと釣り針を結び付けた程度の、即席釣竿を揺らす。

 

ふと、隣のライデンが口を開いた。

 

「なんつうか……この世にもう俺達だけしかいないみてえな風景だな」

 

その言葉にシンの視線がライデンへと向かう。

 

シンを見返すことなく、ライデンの言葉は続く。

 

「もしかしたら、俺達はとっくに死んでて、実はここが天国の入口……みたいな」

 

「フッ……『最後に見るのが、流星雨(これ)なら悪くない』――だったか?」

 

確か、シンとライデンが戦場で流星雨を見た時にライデンが言った言葉だったか……

 

少しバツが悪そうな顔で、ライデンが言う。

 

「……なんだよ?」

 

「詩的なんだよな。意外と」

 

ライデンをからかうような口調で、シンは言葉を続ける。

 

「……うるせえ」

 

当のライデンは恥ずかしいのか、少し唸りながらそっぽを向く。

 

それを見たシンは小さく声を立てて笑った。

 

その微笑ましいやり取りを見ている俺も思わず、笑みが溢れる。

 

特別偵察の初日、シンが兄を討ってから、シンは何処か肩の荷が下りたように穏やかな表情を見せることが増えた。

 

胸のわだかまりが取れたように、課された刑罰が終わったように、雰囲気が和らいだのだ。

 

戦隊員の他愛もない雑談に乗ってきたり、今みたいに冗談を度々言うようになった。

 

――先に行きます、少佐。

 

兄を討った直後の、少佐との別れの言葉。

 

それはきっと願いなのだろう。自分が倒れた後も、自分のことを覚えながら、生き延びて欲しいという小さな願い。

 

シンにとってはささやかではあるものの、得難い救いだったに違いない。

 

「もう死んでるってことはないと思うけど、死んだらそのまま消えるだけだ。意志も意識ももう残らない」

 

レギオンに憑いた亡霊の声が聞こえるが故の価値観だろう。

 

尤も、シンを通さなくては、その声が聞こえないのだから、理解が及ばないところが多々あるのだが。

 

「そういや、ユウ。カイエと何かあったのか? お前ら、前よりも距離が近くなったように見えたが」

 

「ぶっ! べ、別になんてことないよ。昔の話で盛り上がっただけさ」

 

あの夜の出来事を思い返すと、自然と顔が熱くなる。

 

その反応を見たライデンが意地悪く笑い、シンも穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ほう……何だ。お前ら行くところまで行ったのか?」

 

「へぇ、ユウも隅に置けないな」

 

「……ノーコメントで」

 

ライデンはともかく、シンにまで弄られるとは思ってもいなかった。

 

唇で感じた少し濡れつつも、暖かな感触、鼻腔を擽る女性の匂い――いや、何を考えてるんだ俺は。

 

そんな時だった、河川に垂らした釣り針が、奥へと引き込まれる感覚がやってくる。

 

「ユウの方に食い付いたな」

 

「マジか!? 早く引け!!」

 

「わ、分かってるさ!」

 

釣糸はピンと張り、かかった獲物は糸を引き千切らんと、強く引く。

 

この釣竿にリールなんてものはなく、自身の力で獲物を引き上げなくてはならない。

 

「意外と引く力が強いな……大物か?」

 

釣れても所詮は小魚が関の山と思っていたが……餌の芋虫は意外と頑張ってくれたらしい。

 

水面にはバシャバシャと水飛沫を上げる魚影が映る。

 

「もう少しだ! 一気に引け!」

 

「分かってるよ……へぶッ!」

 

一際、大きな水飛沫が上がると、竿に引かれた魚が飛び出てくる。

 

それまでは良かったのだが、強い力で引かれた魚は失速することなく、俺の顔面に突っ込んできた。

 

一瞬の冷たさと共に、大きな衝撃が俺の顔面を襲う。

 

釣れた獲物は釣り針を口に掛けながら、川原で元気よく跳ねる。

 

「こいつは……(ウグイ)か?」

 

「ユウ、大丈夫か?」

 

「ああ……大丈夫」

 

我ながら、なんともしまらない格好を晒してしまったものだ。

 

少し恨めしげに、未だに活発に跳ねる鯎を見る。

 

その後、シンとライデンが粘ってくれたおかげで、鮒などの小魚で大量に釣れた。

 

こうして、ほんの少しのアクシデントはあったものの、本日の昼食は無事、確保することが出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

焚き火の周りに並べられた魚の香ばしい匂いが立ち込め、松の葉で淹れたお茶からも上品な香りが香る。

 

トーチカの中では持ち前の不味い軍用糧食で凌ぐしかなかった為、ただ焼いただけの魚といえ、格別に美味い。

 

俺の顔面に飛び込んで来た鯎も、こうして俺の腹を満たしてくれているのだから、なかなか憎めない奴である。

 

……まあ、顔面に飛び込む必要があったかは疑問ではあるが。

 

「やっとお洗濯もできたことだし……後はドラム缶か何か、とにかく、水がいっぱい入るものがあればいいと思うのよね」

 

先に昼食を済ませたアンジュが、唐突にそのようなことを言う。

 

「何の話?」

 

「ぴっ!」

 

ファイドが自分に良い考えがあると言わんばかりに、自身のクレーンアームを振る。

 

他のスカベンジャーに比べて、電子音や身振り手振りによる感情表現が多彩なファイドであるが、彼が伝えようとしていることは分からない。

 

ただ一人の例外を除いて――

 

「お前のコンテナのことなら、溶接が甘いのは布でも詰めればいいにしても、あの大きさをいっぱいにする水を沸かすのは、流石に無理だ」

 

「何で分かるの……?」

 

セオがシンとファイドのやり取りに思わず、ツッコミを入れるが、二人は意に返さず会話を続ける。

 

「ぴっ!」

 

「そんな火を焚く燃料がない。風呂が恋しい気持ちは分かるけど、流石に無理があると思う」

 

どうやらこの二人のやり取りから察するに、空になった自身のコンテナを浴槽の代わりとして使うことを提案していたようだ。

 

「いや……なんでそんな細かい所まで分かるのさ?」

 

まあ、シンの言う通り、仮にコンテナいっぱいの水が用意できたとしても、それを沸かす燃料がなければ意味がない。

 

それに、10月にもなって水風呂に入るというのは、苦行でしかないだろう。

 

「ぴっ!」

 

「近くに町があるのか。まあ、探すのを止めはしないけど」

 

「だからさ……何でそれ分かるのって」

 

セオ君、細かいことを気にしていてはいけない。頭が禿げてしまうぞ。

 

というか、近くに町があるなんて、よく分かるな。

 

潜伏してた三日間、探索なんて行ける状態じゃなかっただろうに。

 

「いいの? シン君、お風呂……」

 

「別に目的のある旅でもないし、そろそろ旧帝国領に入った筈だ。それに折角の機会だし、帝国の町がどんなものかも見ておきたい」

 

どうやら、俺達の次の目的地は決まったようだ。

 

「ん?」

 

何かの気配を感じて、横を見ると狐がこちらを興味津々という様子で見つめていた。

 

いや、正確には俺達が食べている魚――と言うべきだろうか。

 

「……ほれ、やるからどっかに行きな」

 

食べられる部位が少ない、小振りな鮒を狐に向かって投げてやる。

 

当の狐はびっくりしたようで、一瞬だけ警戒を見せる。

 

しかし、投げた魚の匂いを嗅いで、食べられると判断したのか、魚を咥えて茂みの中へ入っていった。

 

「さて……そろそろ準備しないとな」

 

すっかり乾いたインナーと、野戦服を着込み、腰に拳銃のホルスターを装着する。

 

そっか……もう俺達は共和国領を越えたんだな。

 

今、思い返してみれば、あっという間な出来事だと思う。

 

初日から今日まで……ひたすら、レギオンを避けながら歩き続けて、86区を越えて、帝国の領内まで歩き着いた。

 

……アイツ(ニコル)がこの景色を見たら、どんな反応をしたんだろうな。

 

目標に辿り着いた高揚ではしゃぎ回ったのか、それとも――

 

「どうだ? 俺達は遂に辿り着いたぞ……」

 

空に向かって呟いた言葉に答える者なんていない。

 

分かってるさ……俺は最期まで俺らしく生き抜いて見せるよ。

 

少女に誓った願いがある、契った約束も――託された遺志と共に少年は歩き始めた。

 

その足取りは、枷が外れたかのように軽やかなものだった。

 

 

"A man who won't die for something is not fit to live." - Martin Luther King, Jr.

 

―― 何かの為に死ぬことができない者は生きるに値しない。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

 

 



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15話

更新が遅くなり申し訳ありませんでした……暑さと仕事の疲れでバテてました

追記:誤字修正ありがとうございます。


"War is the science of destruction." - John S. C. Abbot

「戦争とは破壊の学問である。」――ジョン・S・C・アボット 

 

 

 

 

メインストリートに出ると、様々な商店が軒を連ねて、かつては多くの人が見ていただろう、割れたショーケースウインドウが両側に並ぶ。

 

この点は共和国と一緒であるが、殆どの店の名前は聞いたことが無いものばかりだ。

 

一部、チェーン店と思える飲食店があったものの、共和国にもあったかは分からない。

 

そもそも、戦場に出る前の生活など、あまり覚えていないのだ。

 

汚れてしまった婦人服が飾られた洋服店、椅子が倒れ、割れた瓶が散在する喫茶店――

 

かつては多くの婦人がこの服を見て、自らを着飾り、近くの喫茶店で一息を付いたりしていたのだろう。

 

「しかし、こうして町を歩いていると、何か店に入ってみたくなるな」

 

隣を歩くカイエが唐突にそんなことを口にした。

 

「何処も営業してないけどな」

 

「分かってるよ。でも、こうやってゆっくりと町を歩くなんて戦争が始まってからはなかったじゃないか」

 

「まあ、確かにな……」

 

戦争が始まり、86として収容所に放り込まれ、戦場に出て今日に至るまで、誰かと町を巡る日が来るとは思ってもいなかった。

 

周りの廃墟も経年劣化などによる建物の損傷はあるにしても、倒壊している建物は一切なく、全体的に町並みが保全されていると言える。

 

共和国でも戦場で哨戒や探索で、廃墟の市街地に赴くことはあっても、建物が倒壊していたり、砲弾の着弾痕で地面がボコボコになっていたりしていた。

 

まあ、徹底抗戦を続ける共和国と違って、この町は比較的、初期に放棄されたという理由もあるのだろうけど。

 

「ユウ! 次はこっちに行こう!」

 

「はいはい、そう急かすなよ」

 

こうやって、今まで見ることが出来なかったものを目の当たりにして、はしゃいでいるカイエを見ていると俺達はまだ子供だと改めて思う。

 

そもそも、戦争がなかったのなら、俺達は平和な町を歩くありふれた少年少女だったのだ。

 

ただの子供として、各々がいる場所で学生をやったり、社会人になったりして、ありふれた一生を生きていけたのだろう。

 

こうした、休日には誰かと談笑しながら、ショッピング等を楽しんでいたのかもしれない。

 

しかし、戦争がなかったのなら、俺達が出会うこともなかっただろう。

 

俺のように外部から移住してきた奴もいるだろうし、元は首都や副都に住んでいた奴だっている。

 

仲間の出身地はばらばらで、本来なら接点すらなかったかもしれない。

 

戦争がなければ、86として戦っていなければ、互いに生涯、出会うことはなかった。

 

そう思うと、こうやって談笑しながら一緒に町を歩いているのが不思議に思えてくる。

 

そんな物思いに更けていると、隣を歩くカイエの足が止まった。

 

「この店だけ……何か雰囲気が違うな」

 

周りの華やかな服飾店や喫茶店に比べると、飾り気は一切ないが、本でしか見たことがない造形のスタンドや、家具が並んでいる様は、高貴な威圧感を醸し出す。

 

建物自体もそれよりに年月が経ったものらしく、石の支柱には細かい傷が幾つもある。

 

「アンティークショップ……なのかな? 家具とかもかなりの年代物みたいだけど」

 

生憎、当の俺には古い物を収集する趣味はなく、これらの希少性を問われてもさっぱり分からない。

 

「折角だし、入ってみよう。何か使えそうな物があるかもしれない」

 

「了解。ライターとかあったら持って帰りたいな」

 

当然のことだが、電気が来ていない以上、店内は暗いままである。

 

夕陽が照らしてくれるのは店内の入り口付近のみだ。

 

流石に柱時計を持って帰る訳にもいかんしな……

 

別に成果を挙げることを求められている訳ではないが、手ぶらで帰るというのも、それはそれで勿体ない気がする。

 

「ユウ、これを見てくれ!」

 

「ん? おお、着物じゃないか」

 

カイエが持ってきた、黒の布地に鮮やかな花の刺繍が目を引く一枚の衣服。

 

それは紛うことなき、極東の着物だった。

 

「これが着物か。どういう物なのかは聞いたことがあったけど……」

 

「実物を手に取るのは初めてか? まあ、今時、日用着で着物を着る奴なんていないからな」

 

日用として用いるにしては、動きづらい上に、着付けが大変というのもあって、原産の極東でも祭日などの特別な日に着用するのが一般的である。

 

とはいえ、こうして見せられてすぐに着物という回答が出てくるように、極東の人々の生活の中の一部となっているのも事実だ。

 

「ユウは着物を着たことがあるのか?」

 

「小さい頃にな、確か……親に夏祭りに連れて行ってもらったときだったかな」

 

その記憶は既に曖昧で、その祭りで何があって、何をしたかなど定かではない。

 

けれど、道行く人々の声と、屋台の熱は今もなお、朧気ながらも覚えている。

 

「祭りか……きっと色々な屋台とかあったんだろうな」

 

「ああ、素人クオリティ丸出しで、ぼったくり価格な品々が勢揃いさ。……でも、楽しかったんだろうな」

 

故にひどく懐かしいと思ってしまうのかもしれない、過ごした時が短くとも、極東のあの国は俺の生まれ故郷なのだ。

 

もはや国の名前も忘れ、その国にいた記憶も磨耗して、消えかけていたとしても――確かに、俺はその国で生まれたのだ。

 

「……帰りたかったり……するのか? 自分が生まれた国へ」

 

「そうだとしても、帰る場所が分からないんじゃどうしようもないだろ?」

 

もう、場所も名前も分からない国へどうやって帰るというのか。

 

そもそも、俺達の終着点というのはとっくの昔に決まっている。

 

あるのは"そこ"にたどり着くのが、早いか遅いかの違いだけだ。

 

その時、両者の耳のレイドデバイスが僅かな熱を灯した。

 

『ユウ、カイエ! スゴいもの見つけたよ!! 町の入り口まで来て!!』

 

『クレナちゃん、落ち着いて……せっかく、二人きりなのにごめんなさいね。デートが終わってからでいいからね?』

 

デートって……いや、間違ってはないけども……

 

言われるまで意識してなかった為か、途端に顔が熱くなる。

 

「あはは……デートって……いや、男女で町を回ってるんだから間違ってはいないか」

「……まあ、そうだな。で、どうする? クレナが言うスゴいものでも見に行くか?」

 

わざわざ、同調してきてまで伝えてくるのだから、それは確かになスゴいものなのだろう。

 

「そうだな……陽も沈みそうだし、そろそろ帰ろうかな」

 

「了解。それじゃ――帰ろうか」

 

その言葉と共にカイエに手を差し出す――情けないが、今の俺にはこれが精一杯だ。

 

「ふふ……それじゃ、エスコートを頼もうかな」

 

カイエは柔らかな笑みを浮かべ、差し出した手を取る。

 

握られた手はあの嵐の夜の時のように暖かく、お互いの指の感触がより鮮明に感じるような気がした。

 

斯くして、沈み行く陽を背に、少年と少女を歩き出す。今、お互いが帰るべき場所に帰るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古来より女性の身体――人体というのは美術の対象となってきた。

 

絵画は勿論、彫刻、果てには建築においても人体を基にしたものが存在する。

 

昔の人々が何故、ここまで人体に拘ったのかは知らないが、おそらく、目の前の三人よりは高尚な目的があったに違いない。

 

「ダイヤ、仲間としての忠告だ。命が惜しいなら止めておけ」

 

「し、しかし すぐそこに天国が……」

 

確かに逝けるだろうな、文字通りの天国に。

 

というか、未だに懲りてなかったんだな……なんというか、単純というか、自分に正直というか。

 

覗き組の無謀な行動に呆れていると、この大岩の向こう――彼らの言う天国から一際、大きな声が響いた。

 

「ぬわぁあぁたかぁあぁぁあぁい!!」

 

狼の遠吠えでも、鳴き虫が発する音でもない――だが、知っている声。

 

「クレナちゃん。あんまり大声出すとレギオンに見つかるからね」

 

『あぁぁあぁ……温か~い』

 

アンジュの注意も、入浴でテンションが上がりきったクレナには届かない。

 

もし、彼女に尻尾があったのなら、それははち切れんばかりに振っているに違いないだろう。

 

そして、そんなこちらのことをいざ知らずといった天国に手を伸ばす者がまた一人――

 

「ダイヤ、ストップ」

 

「止めるな! ユウ! 俺は……!!」

 

いや。止めるわ。仲間としては勿論、道徳的にも。

 

「気持ちいい……時間経ったらちょっと冷めちゃうだろうし、シン達も一緒に入ればよかったのに」

 

『『『『『えっ!?』』』』』』

 

当然ではあるが、彼女達の間に男子はいない。

 

俺達、男子組は岩の裏でファイドの空いたコンテナに缶詰めなど、町を回って見つけたものを積み込んでいる。

 

しかし、彼女達と俺達の間に音を遮るものなんて、何もないため、向こうの様子が殆ど丸聞こえなのだ。

 

「ほら、そういうところよ。大胆なことを天然で言うのに、するべきアプローチは全然出来てないんだもの」

 

一瞬、クレナは何を言っているのか、分からないと首を傾げたが、一拍置くとすぐに言われていることを理解した。

 

耳まで顔を紅くしたクレナはアンジュへ反論する。

 

「ち、違うもん!! あたしは別にそんなつもりじゃ……!!」

 

「それ、何時ぞやの水浴びの頃にも言ってたぞ。というか、『一緒にお風呂入ろー』というのも小さい子の台詞だからな? しかも、当の兄からは鬱陶しがられてる類いだ」

 

カイエからの思わぬ指摘に、クレナは真っ青になっていく。

 

そして、そんなやり取りは岩の裏にいる俺達にも聞こえているもので……

 

「……なぁ、なんでクレナは中身が成長してねえんだと思う?」

 

「それを聞かれてもな……」

 

出会った当初から子供っぽいとは思っていたが……流石にこれは頂けんよな。

 

「でもよかったね、お風呂。ファイドがボイラー見つけたから」

 

「しかも燃料付きでな!」

 

「帝国の奴等、燃料ごと置いて逃げてったんだな……まあ、そのおかげで俺達が使えるんだが」

 

置いて逃げたとはいえ、九年間、整備もされず、放置されていたのに問題なく使えるというのは恐れ入った。

 

あのレギオンを生み出した国の技術力は伊達ではないということか。

 

「そのおかげで風呂を楽しめる。よく見つけてくれたな、ファイド」

 

「ぴっ♪」

 

ファイドが飼い主に褒められた犬のように自らのクレーンアームを振る。

 

「ふふふ……」

 

ファイドが何かシンの琴線に触れることを述べたのか分からないが、シンが笑い出す。

 

憑き物が完全に落ちたように穏やかに笑うシンを見て俺は思う。

 

シンは今、何を生きる理由にしてるんだろう。

 

兄を弔う、長年追い続けた目標を達成して、重圧から解放されたのは分かっている。

 

そのおかげか、最近は笑うことや冗談を言うことも増えた。

 

けれど、時々、俺はこいつはもう脱け殻になってしまっているのではないかと思うことがある。

 

そう、後はいずれ来るだろう最期を待つだけの――

 

「そういうカイエだって今日、ユウと手を繋いで帰って来てたじゃん! あたし見たもん!!」

 

「ブフっ!!」

 

クレナの思わぬ爆弾発言に、口にしていたお茶を思わず噴き出す。

 

女子の視線はカイエと、男子の視線は俺へと集まる。

 

「いや、別に……まあ、手を繋ぐくらいなら何ともないだろ? その、キスとかに比べたらさ」

 

「これは……やってるわね。カイエちゃん……相手はユウヤ君かしら」

 

「えっ? いや、まあ……その……そうだけど」

 

「ええっ!? どんな感じだった!? 何か味とかあったの!?」

 

「その時はその……心拍が上がりすぎて、よく分からなかったというか――」

 

「誰から言ったの!? ユウから? それともカイエから!?」

 

「それから――」

 

水を得た魚のようにテンションを最大まで上げた、女性陣の質問ラッシュを受けるカイエを他所に、こちらも戦端が開かれようとしていた。

 

「お前ら……そこまで進んでたのか」

 

ライデンが驚愕の表情を浮かべながらこちらを見る。

 

「いや、まあ……一番、付き合いが長い訳だし……」

 

「成る程……もうヘタレなんて呼べないな」

 

そして、まさかのシンからも何時ぞやの不名誉な渾名で突っ込まれる。

 

「お前……俺達を置いて、男になったのか!?」

 

待て、ダイヤ。別に俺はお前らを連れていくつもりはないんだが。

 

「あの三日間、俺達が寝てるときになにしてたんだよ!」

 

「ま、まさか……キスの先までいったのか!?」

俺とカイエへの弄りとともに質問のペースが際限なく上がっていく。

 

そんな中に俺達が出した最適解こそ――

 

『ノーコメントで……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンがいなくなったという急報を受けたのは朝の七時頃だった。

 

すぐさま、同調を試みたが、向こうから切られた。

 

一方で、ジャガーノートは残っており、ジャガーノート内部にも小銃が置いてあった為、おそらく緊急性はないと思われるが、仮にもここはレギオンの支配地域だ。

 

実際、少し待っていても帰ってこなかった為、最低限の人員を残してシンの捜索へ向かうことになった。

 

最初は近くの川原を捜索したものの痕跡は一切、見つけることが出来なかったが、幸いにも塒の近くにシンの足跡らしい痕跡があった。

 

足跡自体は途中消えていたものの、町の外縁へと向かっていたのと、道端に残された標識を便りに歩いていく。

 

「これは……動物園か?」

 

くすんだ白い石材と槍を思わせるデザインの柵の上に、蔓薔薇を模したゲートに金彩の文字が描かれていた。

 

国が関わるような大きな動物園ではなく、見せつけるように凝った造形をしていることから、貴族が道楽で作ったものを近隣の街の住民に公開していたというところだろうか。

 

とはいえ、華やかな動物園の面影なんてなく、残ったのは寂れた動物園の名残だけだ。

 

街と同様に、迫り来るレギオンから逃れるために放棄された際に多くの物資を放置していたことから、それが統率のとれたものじゃないというのは容易に想像が付く。

 

そんな中で、動物園の獣達を連れていく余裕などあるだろうか?

 

「これは……」

 

くすんだプレートが付けられた檻には、百獣の王ことライオンが無惨な姿で転がっていた。

 

特徴的なたてがみも、堂々たる体格も跡形もなく、朽ちていた。

 

ライオンだけじゃない。熊、孔雀、鷲、シマウマ――彼らの白骨が檻に転がっている。

 

おそらく、侵攻してきたレギオンによるものではなく、餌の不足などの渇きで力尽きたのだろう。

 

「まるで終末だな……」

 

遠い異国の大地を駆けていた獣達は、勝手な都合で連れて来られた挙げ句、生涯を檻に閉じ込められて、ただ渇き果てて死んでいく。

 

その末路も土へと還ることなく、コンクリートの上でただゆっくりと腐り果てていくのみ。

 

なんと酷く虚しい話だろう。結局は飼い殺しで自らの命を終えるというのは。

 

その生涯で何も為せず、何も残せないで死んでいく――俺達(エイティシックス)と同じ。

 

俺達にとって白骨死体なんて珍しいものではない、ただ、自由となったからこそ、意味もなく死んだ獣達の亡骸に思うことがあるのだ。

 

各々がその亡骸を見つめる中、クレナが口を開いた。

 

「あたし達も、こんな風に――」

そこまで言葉を紡ぐと、クレナの口が固く閉じられる。

 

自分の言おうとしたことを恐れるように……

 

だが、クレナが言わんとしていることは全員、分かっていた。

 

否、最初から誰もが思っていて、考えないようにしていただけだ。

 

俺達もこの獣達のように、誰にも知られず、誰の目にも触れず、ただ忘れ去られながら死んでいくのか。

 

目の前の檻で横たわる象の骸は何も語らない。

 

「行くぞ。さっさとシンを見つけねえと」

 

ライデンの言葉に従い、死の展示が続く道を歩き出す。

 

そして、最奥の広場――そこにシンは佇んでいた。

 

倒れ伏した戦車型の眼前で。

 

戦場では見慣れてしまったシルエットであるが、生身を通して見るとその威圧感は凄まじいものだ。

 

咄嗟にライデンが小銃を構えて、シンの前に躍り出る。

 

「――シン!? お前、何やって!?」

 

「平気だ、ライデン。こいつはもう動けない」

 

シンの声は静かだった。

 

八脚を折り、地に倒れ伏した戦車型は砲塔を横に傾けたまま動かず、120mm滑腔砲は砲身の側面が抉れ、砲塔側面には大きな穴が穿たれている。

 

その大穴からレギオンの神経とも血とも言える、流体マイクロマシンが流れ出ており、神経系の形状を維持できていないのは明白だった。

 

おそらく、これが戦車型にとっての致命傷となったのだろう。

 

大口径のAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾) による一撃。

 

「昨日から少しずつ、近づいて来ているのは分かってて、斥候でも偵察でもないし、向かう先も違ったから放っておくつもりだったんだが……今朝、呼ばれたように思ったから」

 

「……呼ばれた?」

 

「こいつは元は俺達と同じ86だ。話はできないけど声は聞こえるから……」

 

成る程、この戦車型は元は86の黒羊だったのか……

 

「……なんて言ってるんだ?」

 

「かえりたい」

 

静かな声ではあるが、切実な願いと微かな渇望を帯びていた。

 

かえりたい……ああ、そうだろう。きっと誰もがそう思った筈だ。

 

帰りたい、家族の元へ。帰りたい、自分の家へ――

 

でも、それは何処にある?

 

家族はもういない、家の場所なんてもう覚えていない――もう何処にも帰れない。

 

この黒羊はきっと、最期まで自分の故郷や家族を覚えていられたのだろう。

 

プロセッサーとして長生きは出来なかったのかもしれないが、この戦車型は死して尚も故郷に焦がれ続け、身体が壊れても其所へと帰ろうとした。

 

そして、結局は其所へとたどり着くことは出来なかったのだ。

 

戦場という檻に閉じ込められ、戦場で生きて、戦場で死ぬことを定められた86に帰る場所なんてない。

 

俺達はもう戦場でしか、生きることが出来ないのだ。

 

「こいつも……連れていってやるのか?」

 

「それは流石に無理だな……名前も何も分からない」

 

今までもそうだったように、レギオンの声が聞こえていても、意思の疎通が出来たことはなかった。

 

それもその筈、レギオンは人間の脳構造を自らの処理装置として流用しているだけで、声が生じるのは副産物に過ぎない。

 

その本質は外敵を殲滅する事のみを使命とした殺戮兵器なのだ。

 

それは黒羊や羊飼いであってもきっと変わらない。

 

「けど、せめて……見送ってやるくらいは」

 

シンが戦車型へ歩みを進めると、戦車型の脚部が鳴り始める。

 

それはレギオンの殺戮本能がさせるのか、取り込まれた魂の残り火がそうさせるのかは分からない。

 

けれど、その身体を支えることすら儘ならない様は、酷く哀れに思えた。

 

レギオンの青い光学センサーが点滅する。

 

「もういい」

 

点滅の間隔が短くなり、脚部の音も小さくなっていく。

 

シンは拳銃を手にし、尚も優しく、穏やかに語りかける。

 

「もう――かえっていい」

 

流体マイクロマシンが流れ落ちる砲塔側面、その痛々しい破砕孔へ拳銃を持った手を入れる。

 

思い出の中の、帰りたいと焦がれた懐かしき我が家へ。

 

または、あの暗闇の中へ――死神が引き金を引く。

 

死にきれない仲間を楽にし、自身が死に損なった時に楽になるための武器。

 

その銃声は廃墟の奥で木霊し、他の誰にも届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠に倒れ伏した戦車型を再度、見つめる。

 

注目しているのは戦車型の致命傷となったであろう、大口径のAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾) の貫通跡だ。

 

ジャガーノートの主砲の口径は57mm。ミリーゼ少佐が無断使用した迎撃砲は155㎜。

 

よって、この戦車型を撃破したのは同じ戦車型か、あるいは――

 

「ライデン、ユウ。もし、共和国の他に生き残っている勢力がいたら……」

 

「何度か聞いたな、その話。旧国境を越えてレギオンの支配域も越えたその先にレギオンのいない地域がある。もしそこに生き残りがいたら、ってことか?」

 

確かにこの戦車型を見れば、その線はあり得るかもしれないが……

 

「そこに言って平和に暮らすか? 想像つかないな」

 

「おとぎ話ならこういう旅は最後に理想郷に辿り着くものらしいけど」

 

理想郷……ね、そんなものがこの世にあるとは思えないけど。

 

「理想郷……か。んなもん期待するなら、とっくの昔に自分で自分の頭吹き飛ばしてるよ」

 

現実というのは何処までいっても非情だ。

 

故におとぎ話が生まれ、人々の空想の理想郷が生まれた。

 

「少なくとも、まだそこまで現実逃避はしてないさ……逃げたところで結局は追い付かれるんだからな」

 

自分から楽な道を選ぶ奴なんて何度も見てきたし、そいつらがどうなったのかも散々見てきた。

 

けれど、どんな奴でもいくら逃避したところで結局はその現実というものが追い付き、潰されていった。

 

それに、俺には誓った約束と、引き継いだ遺志がある。

 

それらは俺の独り善がりかもしれない。

 

けれど、きっとそれが人が人として生きていくために必要な理由なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廃墟の物陰に隠されていたジャガーノートが行動を開始し、橋を渡っていくのを確認した。

 

それと同時に身体を持ち上げる――どうやらもう一方も動くようだ。

 

彼らがいた河畔から七キロの後方で、ずっと彼らを見ていた。

 

当の我々は最早、人間ではない。殺戮機械に憑いた亡霊でしかない。

 

そして、近いうちに自ら壊れ果ててしまう身だ。

 

だが、人類の敵として相対してきた彼らは知っている。

 

彼らの旅路の先にあるもう一つの国家の存在を。

 

故に歩き出す、先を行く彼らが其所へとたどり着けるように。

 

彼らが自らの夢を抱けるように――

 

 

 

"Only the dead have seen the end of war." - Plato

「死者だけが戦争の終わりを見た。」――プラトン

 

 

 




別巻で死亡キャラのエピソードがあるって卑怯やん……何で死んでしまったんだって思うじゃん……


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16話

これからしばらく番外編の執筆をするつもりです。


If you can't remember, the claymore is pointed toward you." - Unknown

もし忘れてしまったなら、クレイモアはお前の方を向いていると思え。 ―― 不詳

 

 

 

 

 

 

 

 

モーターの全力稼働によって金属が軋む音ともに脚が花を踏み潰し、砲弾の爆轟が花畑を吹き飛ばしていく。

 

僅かに残った草花も風を切る銃弾の雨に打たれ、その身をむしり取られる。

 

一方で、眼前の機械の軍勢は、そんなことを気にも留めずにこちらへ攻撃を続ける。

 

絶えず撃ち込まれる砲弾と銃弾は大地を容赦なく抉り、こちらの動きを狭めていく。

 

そして、当の俺達は駆っているジャガーノートの限界にも追い詰められていた。

 

『チッ……ダメだ! 脚がイカれやがった!!』

 

『こっちも機体が動かない!!」

 

ある者は度重なる負荷によって脚がもげ、別の者は脚部のモーター自体が死んでいたりする。

 

そんな彼らに対して、レギオンは一斉に集まって来る。

 

「クジョーとミクリは早く脱出しろ! カイエは脱出した奴らのカバーに入れ!」

 

『了解! レッカ、クレナは!?』

 

『大丈夫、気を失ってるだけよ……けど、ジャガーノートはもう駄目ね』

 

先程からこちらへと機銃を撃ってくる斥候型をブレードの一閃で黙らせ、後方にいる戦車型へと機体を走らせる。

 

こちらの接近に気付いている戦車型は主砲をこちらへと放つ。

 

発射薬の爆発と共に、砲弾が飛び出し、全速力で走るジャガーノートへと高速で飛来する。

 

即座にジャガーノートを跳ねさせるが、一つ問題が起こった。

 

「クソっ……反応が悪い!」

 

機体は自分が思っていたように跳ねず、背後へ着弾した砲弾の衝撃を浴びる。

 

しかし、その衝撃を受けながらも無理矢理、機体を飛び上がらせ、弱点の上部装甲へトリガーを引く。

 

発射炎と共に撃ち出された砲弾は上部装甲を易々と貫き、戦車型の内部で爆ぜる。

 

『ユウ! 大丈夫か!?』

 

「大丈夫だよ……なんとかな」

 

黒煙を吹きながら、頽れる戦車型を尻目に背後の丘を見る。

 

……もう、三機しか動けないのか。

 

脱出した者は動けなくなった自らのジャガーノートを盾に、小銃で攻撃するが、自走地雷を散らす程度で斥候型はおろか、戦車型には傷一つ付けられない。

 

更に、時間が経てば経つほどに、動けなくなるジャガーノートの数は増えていく。

 

それもその筈。元々、機体自体が壊れやすい上に、特別偵察に出てからは簡単な整備しかしていない為、各部の耐久性が限界を迎えつつあるのだ。

 

そんな状態で戦闘なんかすればどうなるか、聞くまでもないだろう。

 

そして、そんな中でも俺の未来視による、敵の予報は鳴り止まない。

 

「っ!? シン、後ろから戦車型が撃ってくるぞ!!」

『なっ!?』

 

戦車型が放った砲弾に対して、シンのジャガーノートは回避の予備動作に入ってすらいない。

 

しかし、迫り来る砲弾に対して、突如見馴れた巨体が間に入ってその一撃を代わりに受けた。

 

「ファイド!?」

 

地面を二転三転と転がり、被弾箇所から火花を散らす。

 

そんな致命傷を負いながらも、身体を起こそうとするが、既に限界を迎えた身体が応じる筈もなく、カメラアイの光彩が消えると共に頽れる。

 

「……クソっ!!」

 

モーターの不調を訴える機体に鞭を打ち、再び全速力で走らせる。

 

迫り来る砲弾と銃弾を躱しながら、レギオンの群れとへと飛び込んでいく。

 

砲弾の着弾によって舞い上がる土煙を飛び越えて、眼前の敵へ向けてブレードを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

阻電攪乱型の霧が晴れ、空が青空へと戻っていくと、平原には暖かな太陽の光が差し込む。

 

差し込む光はボロボロに壊れたジャガーノートとレギオン達を照らし、反射によって煌めく。

 

倒れ伏せたファイドを調べるシンへ、彼の容態を尋ねる。

 

「……どうだ?」

 

「駄目だな……もう、連れていけない」

 

「そうか……ファイドも逝ったのか」

 

スカベンジャーなのに、やたら人間について学習し、戦闘だけでなく、生活でも常に戦隊の皆の助けになってくれていたファイド。

 

特別偵察に付いてくる以上、いつかこんな日が来るというのは、分かっていたつもりだった。

 

けれど、胸を襲うこの虚しさは……今は消せそうにない。

 

そんな時、シンが自分のジャガーノートから金属のケースを取り出した。

 

じゃらじゃらと音を立てるケースは、同じ金属の物で満たされている。

 

あれがシンが死神と呼ばれる本当の理由だ。

 

本人の話だと、最初の部隊である約束をしたらしい。

 

死んだ奴の名前を機体の破片に刻んで、生き残った奴が持っていよう。

 

そして、最後まで生き残った奴が行き着く場所まで、全員を連れて行こう……という約束。

 

それをシンは今、この瞬間までずっと続けて来たのだ。

 

先に逝った奴を此処まで連れてくるために……

 

「それは……良いのか? 此処で」

 

「ああ。あいつはもう連れていけないからな……せめて、これくらいは報いてやりたい」

 

「そうか……」

 

ファイドの亡骸の前に供えられるように置かれたケースは、死して尚もファイドに守らせているように思えた。

 

記録されずとも、確かに彼らがこの戦場にいた証を――

 

「それに……俺達もそう長くは進めないだろう」

 

先程の戦闘で、弾薬と燃料を備蓄していたコンテナが、敵の攻撃によって引火し、数少ない備蓄の大半が燃えてしまった。

 

更に、被害はそれだけに留まらず、食糧の備蓄も火の巻き添えとなり、見事な炭へと変貌してしまったのだ。

 

そして、泣きっ面に蜂と言わんばかりに、現在、稼働しているジャガーノートの残数も致命的である。

 

「結局、まともに動くのは、俺、シン、カイエのジャガーノートだけか……」

 

「そうだな……でも、意外だな。カイエはともかく、ユウのジャガーノートも残るなんて」

 

「その台詞、そっくりそのまま返すよ」

 

以前、カイエのジャガーノートの扱いは丁寧だと整備班長が説教中に言っていた。

 

当時は軽く聞き流すだけで、あまり意識はしなかったのだが……こうやって響いてくるものか。

 

まあ、尤も俺のジャガーノートもまだ動くだけで、モーターやら細かい所には既にガタが来ている。

 

他の機体と同様に、動けなくなるのも時間の問題だろう。

 

「シン、ユウ! こっちは準備できたぞ!!」

 

「分かった。すぐ行く!」

 

どうやら、向こうは出発の準備を済ませたようだ。

 

「しっかし……随分と荷物も軽くなっちまったな」

 

カイエのジャガーノートに連結されたコンテナを見ながら、ライデンが言った。

 

「小銃と拳銃があるとはいえ、弾にも限りがあるしね……」

 

「で、操縦はどうする? ずっと、カイエとユウ、シンにやらせる訳にはいかないだろ?」

 

「じゃあ、私が最初にカイエのやつに乗るよ! 最初にやられちゃったから全然、疲れてないし!」

 

「大丈夫か? 無理はしなくていいんだぞ?」

 

本人は気丈に振る舞っているが、クレナは先程まで、失神していたのだ。

 

特に今の物資の状況では、誰かの不調が戦隊全体の安否に関わる。

 

「大丈夫!辛くなったら言うから!」

 

「OKだ。カイエのジャガーノートにはクレナだな。ユウとシンはどうする?」

 

「うへぇ……ユウはパラメーターは色々、設定弄ってるし、シンのはやたらと遊びが少なくて正直怖いんだよね」

 

俺からすれば通常のパラメーター設定だと遅すぎて、逆に使い辛いんだがな。

 

「ユウのなら私が乗るわよ。……あの時の借りも返したいしね」

 

「ユウのにはレッカだな。シンのには……俺が乗るか。俺も割りと早くやられちまったからな」

 

「分かった。もし、レギオンが出てきたら乗っている奴が戦うってことでいいな?」

 

『了解』

 

その言葉と共に空になった最後の木箱が、空に投げ捨てられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャガーノートの駆動に合わせて、コンテナが揺れる。

 

身体を休めるという目的にしては、やたら硬い上に、狭いため、寝心地は劣悪の極みだ。

 

しかし、人間というのは、疲れていればどんな場所でも寝れるのか、硬い鉄板の感触に顔をしかめながらも寝息を立てていた。

 

「……一雨来そうだな」

 

空を見上げていたカイエの言う通り、青空には厚い雲が立ち込めていた。

 

「そうだな……何処か、雨宿りできそうな場所があるといいけど……」

 

当然ではあるが、俺達がいるコンテナに屋根なんてものはない。

 

もし、雨や雪が降ろうものなら、ダイレクトに被害を受けることになる。

 

雨宿りができそうな場所がないか、周囲を見渡していた時だった。

 

脳裏に雨に打たれながらも、俺達が通る道を進む軍勢のビジョンが映る。

 

「……っ! レギオンが来るな。クレナ、レッカ、ライデン、このまま左に逸れて、林の中へ入れ。そこに洞穴があるから、一旦身を隠そう」

 

『『『了解』』』

 

三機のジャガーノートが左に進路を逸れ、木々が生い茂る林の中へ入っていく。

 

それと同時に曇天の空から、雫がポツポツと降り落ち、その数と勢いは次第に増していった。

 

『洞穴は……あそこだな。とりあえず、クレナは洞穴に入れ。コンテナを水浸しにするわけにはいかないからな』

 

『分かった』

 

『とりあえず、ここらで操縦は交代しておくか。ちょうど休憩も挟めそうだしな』

 

「了解……雨も本降りになってきたな」

 

空から勢いよく落ちてくる雨の雫は、外で待機しているジャガーノートへにも降り注ぎ、図らずも付着した土汚れを流していく。

 

「っ!! ……来たな」

 

外で待機しているジャガーノートの視線が、先程まで歩いていた道へと集まる。

 

雨に打たれながらも、群れの先鋒で忙しなくその足を動かす斥候型、そんな彼らを守るように後ろに付く近接猟兵型、まるで地面を踏み潰すように歩く戦車型。

 

このレギオンの群れの規模は推察に過ぎないが、先に戦った群れの倍はあると言っても良いだろう。

 

こんなのと戦ったらどうなるのか、答えは考えるまでもない。

 

「やはり、レギオンの数が増えているな……奴らの本拠地が近いのかな?」

 

「さあな……どっちみち、今の状態だと普通の群れですら相手に出来ないからな、避けていくしか出来ない」

 

未だに勢いを増していく雨と、尚も減らないレギオンの行進。

 

彼らは大挙して何処へ向かうのだろう? 共和国に侵攻するのか、あるいは自らの領地へ入り込んだ虫を探しているのか。

 

彼らがその問いに答える筈なく、降りしきる雨の中、ただ進んでいくのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、吹き付けた涼しい風が頬を撫でる。

 

その風に当てられたススキが白い穂を揺らし、長い葉が互いに擦れ、ざわざわと音を鳴らす。

 

時刻は既に夕暮れ、林の洞穴で雨とレギオンの群れをやり過ごしてから、かれこれ二時間以上が経過していた。

 

出発した頃は他愛もない雑談で盛り上がったりしていたが、流石に戦闘の疲れが響いたのか、今は寝息を立てる者が殆どだ。

 

そして、現在の俺達は今日の寝床を探して、彷徨っている最中である

 

「皆、寝てしまってるな……」

 

「今日の戦闘は今まで以上にキツかっただろうからな……なんせ生身だし」

 

今回の戦闘における、ジャガーノートの喪失と物資の喪失は戦隊にとっては致命傷だろう。

 

今のコンテナにある食糧だけでは数日も保たないだろうし、健在のジャガーノートも、いつ壊れてもおかしくないというのが現状だ。

 

残った食糧とジャガーノートの寿命――このどちらかが尽きた時、俺達の旅は其処で終わる。

 

レギオンに見つかって殺されるのか、それともあの動物園の獣達のように渇きで死んでいくのかは分からない。

 

けれど、俺達の終わりがすぐ其処にあるというのは、誰もが分かっている事実だった。

 

『皆、前を見て』

 

ジャガーノートを操縦していたセオが前方に何かを見つけたようだ。

 

コンテナから身を乗り出し、セオが言った前方の確認をする。

 

「あれは……町か?」

 

以前、見つけた都市と比べると小規模な町であるが、あの都市と同じように遠くからでも町だと分かる程、外観は保全されている。

 

『行ってみよう。寝床に使えるかもしれない』

 

『了解』

 

ジャガーノートが前方の町へ向けて、前進を始める。

 

俺はコンテナから外の情景を見ていたが、ある光景に目を奪われた。

 

「もしかして、これって……田んぼか?」

 

今、通っている道に沿って、水路に囲まれた区画があるが、おそらく田んぼだろう。

 

「田んぼって……ここは旧帝国領だろ? 何でこんなところにあるんだ……?」

 

「分からない……もしかしたら、ここの地域は帝国の中でも特殊な場所だったのかもな」

 

野草が生い茂る田んぼを横目に、前進するジャガーノートは町へと入っていく。

 

そして、そこでもまた、珍しいものが目に映った。

『これって……なんて書いてるのかな?』

 

「漢字と片仮名で写真のキムラって書いてるな。おそらく写真屋の案内だろう」

 

普通の町でも電柱に店の案内が記された看板が括り付けられていることが希にあるが、この看板に書かれているのは漢字と片仮名の文字だ。

 

これらは、俺が生まれた極東の国で日常的に用いられている文字なのだが……何故、帝国にこんな場所があるのだろうか?

 

『へぇ……これがユウが生まれた国の文字なんだ。文字というより、何か絵みたいな感じだね』

 

流石、セオ。普段からスケッチを描いているからか、着眼点がそこにいったのか。

 

「漢字の元は対象の絵だからな、だから文字一つだけで意味があるんだ」

 

両親に連れられ、共和国に移住してからは基本的に英語の表記しか目にしていない。

 

こうして漢字や片仮名といった極東の文字を見るのは、随分と久しいものだ。

 

『町自体もけっこう保全されてるし、寝床には最適だな……後は何処にするかだな』

 

『ある程度、大きな建物があると良いんだが……』

 

保全されているのは良いのだが、戦隊の全員が寝泊まり出来そうな、丁度良い大きさの建物はない。

 

そもそも、町自体も住人がそれほどいなかったのか、商店街のような場所を過ぎると、再び小さな田畑が点在するようになった。

 

『ねえ、あそこなんて良いんじゃないかしら? 丘の上の建物』

 

アンジュが言った丘の上に戦隊の皆の視線が集まる。

 

「あれは……学校か」

 

『学校? あれが学校なの?』

 

ああ、そうか……クレナは学校に行ったことがないんだったか。

 

「多分な……見た目からして、小学校かな?」

 

『国や文化が違っても、学校ってのは似るもんだな』

 

『あれが……学校。……ねぇ! 今日はここで寝ようよ!』

 

新しい玩具を与えられた子供のようにクレナが無邪気な声で提案する。

 

尤もクレナにとっては初めての学校だ、見てみたいのは当然と言える。

 

「良いんじゃないか? 全員が入るには十分な大きさだ」

 

『了解。じゃあ、あの学校に向かうよ』

 

ジャガーノートが丘の上に学校に向けて移動を開始する。

 

学校……か、学校に行ってた頃は、其処で何をやってたのかな……

 

戦争が始まる前、86になる前は、俺も当然、学校に通っていた。

 

けれど、こうして戦場で戦う内に、それらの記憶は磨耗して喪われてしまった

 

「……はぁ」

 

通常なら、今の俺達の年齢では大体、高等学校に通っているような年頃だろう。

 

そこで学友と馬鹿なことで盛り上がったり、気になる女子にアプローチをしたりと、所謂、青春というものを謳歌していたのかもしれない。

 

しかし、俺達にそんな時間が来ることは有り得ない。

 

俺達の最期はもうすぐ側にまで迫っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

割れた窓から夕陽が差し込み、廊下を薄い橙色に染めていく。

 

廊下の壁には子供でも分かるように、平仮名で手洗いの奨励、廊下を走ることへの注意書きが掲示されている。

 

そして、廊下を歩く足音と共に、少女の歓声が挙がる。

 

「ユウ! これってなんて書いてあるの!? 」

 

「学級目標、みんな仲良く手を繋ごうよ……って書かれてるな」

 

「学級目標! クラスの皆で達成を目指すんだね!」

 

まあ、一応はその通りだな……達成出来るかどうかは別として。

 

「ねぇ! これは!?」

 

「ドッチボール大会のお知らせって書いてあるな。所謂、学校行事の告知だよ」

 

「学校行事! そんなこともするんだ!!」

 

ドッチボールか……まあ、小学生らしいと言えば、らしいけどさ。

 

「はは、クレナはいつも以上にはしゃいでるな」

 

「クレナにとっては何もかもが初めてのものばかりだからな……はしゃぎたくもなるだろ」

 

学校に行ったことがないクレナにとっては、学校行事は勿論、学級目標といった学校生活でありふれたものにさえ、目新しいものに映る筈だ。

 

また、俺やカイエは僅かとはいえ、学校に通っていた時期がある為、はしゃぐことはないものの、やはり久しぶりの学校には懐かしさを感じずにはいられない。

 

「ねぇ! 教室に入っても良いのかな!?」

 

「俺達はともかく、クレナには初めての学校なんだ。遠慮せずに入ってみな」

 

「うん!」

 

クレナもその生涯で、最期まで学生として青春を謳歌することは出来ないとはいえ、この機会に僅かでも学生気分を味わってもらいたい。

 

「わぁ……これが教室。……後ろにも黒板にも一杯、書かれてる」

 

「後ろのは習字で書いたんだろうな。黒板の方は……戦争が始まって離れ離れになるから、寄せ書きを残したのかもな」

 

「……なんて書いてるの?」

 

「黒板は……『また会おう』『離れても一緒』とか書かれてるな。後ろのは習字は、『夢』『平和』って書いてあるな」

 

皮肉なものだ、帝国の子供達が残した願いや思いがこもった寄せ書きなどを、敵国である俺達が見ている。

 

「おほん……よし、みんな席に着け。出席を取るぞ。ユウヤ・カジロ君!」

 

「……カイエ?」

 

唐突にカイエが教壇の上に立ち、あたかも担任教師のように俺の名を呼ぶ。

 

その意図を察した俺は、言われた通りに近くの席に座り、勢いよく手を上げた。

 

「はい、居ます」

 

「ユウヤ君はいる……と。クレナ・ククミラ君!」

 

「……っ! はいっ!!」

 

自分の名を呼ばれたクレナは同じように近くの席に座り、勢いよく手を上げて返事した。

 

そして、興奮したようにクレナが口を開いた。

 

「私もやっていい!?」

 

「勿論」

 

そう言って穏やかな笑みを浮かべながら、席に着く。

 

「じゃあ……カイエ・タニヤ君!」

 

「はい!」

 

「ユウヤ・カジロ君!」

 

「はい」

 

一日に何回、出席を取るのやら……まあ、クレナが楽しんでるならそれで良いか。

 

「次はユウの番ね!」

 

「俺もやるのか? ……では、カイエ・タニヤ君」

 

「ユウがやると元気ないな」

 

この生徒、やけに毒舌だな。これが俺の普通なんだよ……

 

「おやー、カイエ君はいないのかな?」

 

「はい、居ます」

 

「OK……次、クレナ・ククミラ君」

 

「はい!」

 

うむ、元気な返事で何より。何処かの毒舌な生徒にも見習って欲しいもんだ……ん?

 

俺が座っていた机の中に何か入っている。

 

「これは……絵本か?」

 

おそらくはこの机の生徒が読むために借りていたのか、あるいは誰かに読み聞かせていたのか。

 

真相は定かではないが、磨り減った表紙にうっすらと竹の絵柄が見えるため、内容は極東の民謡だろう。

 

「何の絵本かな……ユウ、読める?」

 

「中身が表紙みたいになってなければな……っ! これは……」

 

本の中身は表紙と違い、綺麗なままだった。

 

しかし、俺の意識は別のところへ集中していた。

 

「ユウ……?」

 

その様子を見たカイエが怪訝な表情で俺の名を呼ぶ。

 

「あっ……いや、この絵本が親がよく話してた昔話だったから、それを思い出してた。えっと……内容だな――」

 

内容としては、竹を使って道具を作り、それを売ることで生計を立てていた老夫婦がある日に金の竹を見つけて、その中には赤ん坊がいた。

 

子供が老夫婦はその赤ん坊を連れて帰り、愛情を込めて育て、その赤ん坊を拾ってから、竹の中から小判が出るようになり、老夫婦はたちまち大金持ちになった。

 

そして、月日が経つ内に竹の中にいた赤ん坊も成長し、絶世の美女と呼べる美しい女性となり、その姿は多くの男を虜にした。

 

多くの男性がその美女に婚約を申し込んだが、彼女が言う条件を達成できた者はおらず、誰とも結ばれることはなかった。

 

そうして、また月日が経つ内に月を見て、彼女は泣くようになった。

 

老夫婦が何故、泣くのか理由を聞くと、彼女は自分が月の住人であることを明かし、次の満月の夜に月へ帰らなければならないことを打ち明けた。

 

老夫婦はその話を聞いて心底、驚き、朝廷の帝に彼女を守って欲しいと頼んだ。

 

帝もそれを了承し、老夫婦の屋敷に多くの武士を派遣した。

 

そして、満月の夜がやって来ると、月から彼女の迎えらしき一団が現れ、武士が一団に弓を放つも、まるで効果がなかった。

 

それどころか、弓を放った武士が倒れていき、一団は彼女の前に降り立つと、羽衣を差し出した。

 

別れを惜しむ老夫婦に不老不死の秘薬を形見として預けると、羽衣を纏い月へと帰って行った。

 

「――とまあ、こんな話だ」

 

「なんか……悲しい話だね。最後はお別れしちゃうなんて」

 

「意外と民謡って残酷なところがあるからな……」

 

民謡というのは、教訓を伝えることに用いられるという話を聞いたことがある。

 

人として生きる上での教訓を教えるために、敢えて残酷な結末や描写がされると。

 

となれば、この物語では、『人との別れ』がテーマになっていると考えるべきだろうか。

 

確かに別れというのは何時だって唐突だ。

 

それが永遠のものになるかもしれないし、また再会することだってあるかもしれない。

 

前者か後者のどちらか、その時が来るまで分からないのだ。

 

けれど、仮に別れるとしても、その出会いが遺すものもあるのだ。

 

況してや、それが本来、交わることがなかったものであったなら尚更である。

 

その遺されたものが、福をもたらすのか、それとも厄にしかならないのか……それは誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋の夜というのは、心地が良いものだ。

 

秋になる前に夏のじめじめした気候や、熱帯夜に悩まされたことが影響されているのかもしれないが、秋の夜風は爽やかで涼しく、気候も過ごしやすい。

 

夜風に当たっていると、背後から声を掛けられた。

 

「……ユウ?」

 

「カイエか。どうした、寝れないのか?」

 

「少し目が冴えてな……ユウは?」

 

「夜風に当たりたくてな……」

 

初めての学校ではしゃぎ回っていたクレナも身に積もった疲れには勝てず、すぐに眠ってしまった。

 

目の前の焚き火がパチパチと火花を鳴らすと共に小さな火の粉を散らした。

 

空を見上げると、僅かな雲が風で流れ、満月が静かに光っている。

 

「今日は満月か……」

 

「そういえば、クレナに話してた民謡も満月の夜だったな」

 

何処の国でも満月というのは特別な価値観があるものだ。

 

こちらでも狼男が変身するトリガーが満月だったり、極東では中秋の名月だったり、件の民謡と、内容が違ってもそのキーワードが満月であることに変わりはない。

 

「……実はな、クレナにした昔話だけど、俺が両親から聞いた話は少し違うんだよ」

 

「えっ?」

 

いきなり話題に驚いたのか、カイエも思わず呆気に取られる。

 

そんなカイエを尻目に、俺は話を続ける。

 

「俺が聞いてた話だと、帝と月から来た女性には一人の子供がいたそうだ。そして、その女性が帰った後も、その子供の一族は今も何処かで静かに暮らしている……らしい」

 

だからこそ、あの絵本を見たときは少し驚いたのだ。

 

自分が知っている話と殆ど、同じである筈なのに、絵本では不死の秘薬のみを遺したとされていた。

 

どちらが間違っているのかなんて分からないし、何故、両親が絵本とは異なった、この話を何度も俺にしたのかも、今となっては知ることすら出来ないのだ。

 

「そうなのか……そう考えると、少しは幸せだったのかな? その女性も」

 

「さあな……結局は互いに別れる話なのは変わらないし、残された子供の一族だってどうなったのかは明言されてないんだ」

 

とうに血筋は途絶えてしまったのかもしれないし、そもそも存在していない空想のお伽噺かもしれない。

 

というか、断然、後者の筋が強いだろう。

 

「何でクレナには伝えなかったんだ? クレナ的にも今の話の方が楽しめただろうに」

 

「あくまで両親から聞かされた話でしかないからな。それに絵本通りに呼んだ方が曲解させずに済むだろ?」

 

「確かにそうだけど……私は断然、ユウのご両親がしてた話の方が好きだな」

 

気に入ってもらえたようで何より……まあ、両親が他の誰かに話してたのかなんて分からないけどさ。

 

焚き火に燃料として、破壊した椅子の破片を投げ込む。

 

「むぅ……やっぱり何か少し、罪悪感があるな……」

 

「どうせ、誰も使わないんだ。物資は最後まで有効活用するべきだろ?」

 

「それはその通りだけど……」

 

投げ込んだ破片にも火が広がり、バチバチという音を立て、火の粉が空に上がる。

 

そういえば、あの絵本の話には後日談があった。

 

結局のところ、月の使者から彼女を守れず、手元には不死の秘薬のみが遺された帝。

 

帝にとって、彼女がいない世界で不死になっても苦痛なだけで、せめても自分の思いが届くようにと、自らの思いを綴った手紙を不死の秘薬と一緒に燃やしてしまった。

 

そして、極東で最も空に近い場所で、今もその煙は上り続けているという。

 

「……ユウはどうだった? この特別偵察」

 

「いきなりどうしたよ?」

 

空に上っていく火の粉を見ていると、カイエはそんなことを言った。

 

どうだった……って言われてもな……

 

「……まあ、退屈はしなかったよ。今まで見れなかったものも見れたし、懐かしいものも見れた。後は色々と忘れられない思い出も出来たし、……まあ、結果的には楽しかったんじゃないかな」

 

「そっか。私は少し、心残りがあるかな。……もっと、ユウと一緒にいたかった。色々な所に行きたかった。二人でもっと色々なことを……したかった……」

 

俯きながら紡いだカイエの声は震えていた。

 

「はは……私は我が儘だよな。こんなにユウと色々なことが出来てるのに、それでも足りないって思ってしまうんだ。もっと色々なことをしたいって……」

 

「……むしろ、我が儘なぐらいが丁度良いんじゃないか? 別に今から死ぬ訳じゃないんだ。今だってやりたいことをやれはいい」

 

カイエはその真面目な性格故に、昔から自分を抑えてしまうところがある。

 

だからこそ、せめて今は……自分がしたいようにするべきだ。

 

「ユウ……じゃあ、抱き締めて欲しい。苦しいって思うくらい強く、絶対に離れないって思えるぐらい」

 

「仰せのままに」

 

彼女の華奢な身体に手を回し、そのまま抱き寄せる。

 

彼女が望む通りに強く、けれどもガラス細工を扱うかのように繊細に。

 

「やっぱり暖かいな……それに安心する。……ユウ」

 

潤んだ瞳がまた、何かを欲してこちらを見つめる。

 

彼女が何を欲しているのか、考える前に俺の身体は動いていた。

 

「んっ……」

 

唇で触れるだけの軽い接吻、けれども彼女の潤んだ瞳はまだ足らないと訴える。

 

「もっと……」

 

そう言って、首に彼女の手が回され、再び重なる互いの唇。

 

「んむ……ん……」

 

その時、より強く重ねられた唇の感触と共に、濡れた何かが口の中に入り込んできた。

 

それはまるで自我を持った生き物のように、歯の間をすり抜けて口内を這い回っていく。

 

舌を使ってそれを抑えようとするが、返ってそれは互いに深く絡み合っていく。

 

未知の感覚に思考が麻痺していくなか、身体は酸素を求めて息苦しさを訴える。

 

「ん……はぁはぁ……」

 

流石の彼女も息が続かないのか、名残惜しそうに唇を離した。

 

両者の間を銀色の細い糸が結び、やがて消えていく。

 

「カイエ……」

 

「怖いんだ。みんなと、ユウと一緒に過ごす時間がなくなってしまうことが……覚悟してた筈なのに……死にたくないって……思ってしまうんだ」

 

胸の中で身体を震わせ、絞り出すように言葉を紡ぐ彼女は、今にも折れてしまいそうだ。

 

死にたくない……きっと、これが彼女の本音なのだ。

 

別に何もおかしいことではない、この戦隊のメンバーだって大半はそう考えているだろう。

 

彼女の身体を抱き締め、空いた手でその頭を撫でてやる。

 

情けないが、今の俺に出来ることといえば、これぐらいなのだ。

 

「……ユウ、もう一つ我が儘を聞いて欲しいんだ」

 

「良いよ。俺に出来ることならいくらでも」

 

胸の中で、彼女は穏やかな笑みを浮かべる。

 

「今夜はこのまま寝たくない。……今日だけでいいから」

 

何かに焦がれるような瞳は扇情的に揺れる。

 

「……服、しわになるぞ?」

 

「いいよ……」

 

再び、唇が重なる感触と共に、焚き火に照らされた影が一つになる。

 

この日、この夜に起きたことは誰も知らない。

 

この瞬間、何があったのかを知るのは彼らだけ――彼らの秘め事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、朝食の不味いレーションを咥えながらジャガーノートの補給を済ませていく。

 

「三機とも、保って今日いっぱいってところか……」

 

既に燃料は三機分もないので、残りの燃料を三機に回し入れても、その程度しか保たない。

 

「楽しいハイキングもこれで終わりか……」

 

ジャガーノートが止まれば、コンテナを伴った長距離の移動だって出来なくなるし、レギオンとも戦えなくなる。

 

更に、件のジャガーノートもいつ壊れてもおかしくないような状態だ。

 

ふと、ライデンが何かに気付き、口を開いた。

 

「そういえばよ。ユウ、首もとの赤いの……虫にでも刺されたのか?」

 

「えっ? ああ、うん……そんな感じだ」

 

昨日の夜、何があったのかなど言える筈がない。

 

「さて……ジャガーノートが止まったらどうするかね」

 

空になった燃料のボトルを投げ捨てながら、ライデンはそんなことを言う。

 

「とりあえず、歩いて行けるところまで行ってみるか?」

 

「それもいいが、ここら辺は起伏が激しいからな。歩くとなると骨が折れそうだ」

 

兵法において山越えというのは、昔から労力が掛かり、危険も伴う。

 

持ち運べる物資も限りがあるだろうし、何よりも各員への負担がやはり大きい。

 

況してや、戦隊のメンバー殆どに疲労が蓄積してきている状況である。

 

「まあ、それは進みながら考えるか……いつまでも此処へいるわけにはいかないしな」

 

ここらに来て、展開してるレギオンの数は更に増えた。

 

おそらく、近辺に彼らの拠点、あるいは彼らの指揮官(羊飼い)がいるのかもしれない。

 

「……これでよし。お前ら、そろそろ出発するぞ!」

 

『了解ー』

 

「確か、午前中は俺とカイエ、シンだったか」

 

「だな、よろしく頼むぜ」

 

ライデン達が空のコンテナへ入っていくのを尻目に、こちらもジャガーノートに乗り込み、システムを立ち上げる。

 

機体ステータスは……まあ、見事に真っ赤なもんだ。

 

脚部をはじめとした、機体の関節部分、モーターなどの駆動部も、早急の交換を要する警告色へと染まっている。

 

こいつは、ほんとに途中でお釈迦になるかもな……

 

『学校は一日で卒業かー……』

 

クレナが少し、名残惜しそうに言った。

 

『すご、僕ら優秀じゃん』

 

卒業っていうか、どっちかと言うと退学な気がするけど……まあ小学校に退学もへったくれもないが。

 

『ああ、これは将来、有望株だな』

 

各々が他愛もない雑談で盛り上がるのを聞き流しながら、ぎこちない音を立てるジャガーノートを歩かせる。

 

『ユウのジャガーノート、大丈夫? たまに変な音が出てるけど……』

 

「大丈夫って言いたいが、ときどきモーターが息をつくな……まあ、一応は歩けてるし、まだ大丈夫そうだ」

 

流石、我らが愛すべきアルミの棺桶といったところか。

 

動き出して、早くも悲鳴を挙げ出す駄作っぷりには毎度、恐れ入る。

 

まあ、こんなのでも生身で戦うよりは数倍、マシであるのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道沿いに進んでいくと機体は山の中へ入っていた。

 

僅かながら整備された道を進みつつ、隣でそびえる崖を見上げる。

 

『これを登っていくってのは……まあ、無理だよな』

 

「お前らがコンテナから振り落とされるか、ジャガーノートの足がもげるか、どっちが早いかだな」

 

『うへぇ……どっちもロクなもんじゃないな』

 

『しっかし、まあ……景色だけ見るってのも飽きるもんだな」

 

まあ、ライデンな言う通り、同じような景色が続けば飽きるのは当然である。

 

普段は見ることが出来ないからこそ、絶景と呼ばれるのであってそれが恒常的なものになれば、それはただの風景でしかないのだ。

 

『そういえば、カイエちゃん。何か雰囲気が変わったわよね。何か大人びたっていうか……』

 

『えっ!? そ、そうかな……?』

 

『ユウも今日はいつもより、早く起きてたよね。いつもなら普通に寝てる時間じゃん』

 

「あっ、えっと……その 今日はたまたま早く起きたというか、起こされたというか……」

 

『いや、何で動揺するのさ?』

 

そうだぞ……一旦、落ち着け。何も昨日のことが知られた訳じゃないんだ。

 

「……っ!」

 

その時、脳裏にあるビジョンが映る――地平から現れる幾多の機械の軍勢の行進。

 

『シン? どうした……っ!?』

 

シンが機体を跳ねさせ、崖にワイヤーアンカーを撃ち込み、それを勢いよく引き抜いた。

 

アンカーが引き抜かれた反動で、崖の一部が崩れ、その破片がシンと俺達の間へ落ちてくる。

 

『乗ってる奴が戦う。そういう決まりだったな』

 

『お前……!!』

 

『俺達の進んでいく方向にどうやっても回避できない部隊がいる。回避できないなら戦うしかない』

 

『そんな……』

 

馬鹿が……たかが一機でレギオンに勝てるわけないだろ……

 

機体を跳ねさせ、崩れた崖を乗り越えようとした時――

 

『ユウとカイエは残れ。ユウの目はこの先に進むのに必要だ。カイエは皆を守ってやってくれ』

 

「お前、それじゃ……クソッ! 同調も切りやがった!!」

 

その言葉と共にシンとの同調が途切れ、同調を試みるも一切の反応がない。

 

仮に今からシンを助けにいっても、レギオン相手にこの数じゃ焼け石に水もいいところだ。

 

かといって、こいつらも一緒に連れて行っても……

 

『ユウ……』

 

「……全員に質問だ。このまま進むか、あの馬鹿を追って死にに行くか。どっちかを選んでくれ」

 

シンの言うとおり、このまま進めばひとまずの生存は可能だろう――シンを除いて。

 

そして、今からシンを追いかければ、俺達全員がレギオンと出会すことになる。

 

そうすれば大半、あるいは全員が死ぬことになる。

 

『そんなの……決まってるだろ!』

 

ライデンが小銃をコンテナから取り出す。

 

そして、ダイヤ、ハルト――戦隊各員が小銃と拳銃を携えてコンテナから降りる。

 

「他は……聞くまでもないか。カイエ、お前はどうする?」

 

『当然、行くに決まってるだろ。そういうユウだって最初から行く気満々じゃないか』

 

流石、カイエ。最初からお見通しだったか……

 

「まったく……行くぞ、あの馬鹿を連れ戻しに」

 

『『『『『了解!!』』』』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

其処では既に戦端が開かれ、複数の戦車型が一機のジャガーノートに対して同時に砲撃する。

 

そして、長距離砲兵型の砲撃が一機のジャガーノートの進路上へと降り注ぐ。

 

「クソッ……もう始まってたか!」

 

放たれる無数の銃撃と砲弾を躱しながら、戦車型の足元へ回り込み、側面から滑腔砲を放つ。

 

黒煙を吐いて倒れ込む戦車型を横目に、後方で迫る斥候型から戦隊員を守るカイエに指示を飛ばす。

 

「カイエは皆の保護を優先しろ! シンの所には俺が行く!!」

 

『了解!』

 

近接猟兵型の一振を横へ跳んで、回避してがら空きの胴体をブレードで切り裂く。

 

シンは……何処だ? あそこか……!

 

こちらへと向かって来る複数の戦車型の向こう側で、多数の近接猟兵型と戦車型を相手にしていた。

 

後退しながら、こちらを撃ってくる斥候型の横をブレードで切り裂きながら通り抜け、戦車型の砲撃を近接猟兵型を盾にしてやり過ごす。

 

「よし、すぐに目の前の戦車型を……っ!?」

 

唐突に脳裏に映る、上空へ撒かれた阻電攪乱型の霧を貫いて地上へと落ちる光の矢。

 

それはあの時、共和国でレギオンの前線拠点の攻略任務が下ったときに見た光景とまるっきり同じだった。

 

「まさか、あの時の……うわっ!?』

 

空から落ちた光の矢は巨大な爆轟を轟かせ、その有り余る衝撃はその場にいるレギオン、ジャガーノート問わずに襲い掛かる。

 

その衝撃に耐えきれず、機体が宙に浮き、受け身を取れぬまま地面へと叩きつけられる。

 

「うぐっ……シンは……?」

 

全身を走る痛みに、意識が朦朧とする中、シンのジャガーノートを探す。

 

「シン……っ!?」

 

シンのジャガーノートが戦車型に蹴られ、その四本の脚を散らしながら宙を舞う。

 

地面を二転三転と転がるジャガーノートに戦車型はゆっくりと迫っていく。

 

「クソッ……っ!!」

 

全身が軋むような痛みをこらえ、身体と同様に各所が悲鳴を挙げるジャガーノートを走らせる。

 

異音を撒き散らしながら、眼前の戦車型の側面に滑り込み、操縦桿のトリガーを引く。

 

背部の滑腔砲から放たれた高速徹甲榴弾は側面装甲を貫き、その内部で信管を作動させる。

 

戦車型が倒れると同時に、再び光の矢が地に降り注ぎ、同胞たる斥候型や近接猟兵型を粉砕しながら、巨大な爆轟が轟く。

 

「チッ……何っ!?」

 

迫り来る光の矢から離れようとするも、甲高い金属音が鳴ると同時に機体の足が跳ぶ。

 

「クソッ……こんなタイミングで! うぐっ!?」

 

三本目の光の矢が上空の霧を貫き、自らの近くへと着弾する。

 

全身がバラバラになりそうな衝撃と脳が揺さぶられるような轟音。

 

その衝撃で機体の足が全て吹き飛び、脚を喪ったジャガーノートは無様に転がっていく。

 

そして、完全に動けなくなった二機のジャガーノートに対して、レギオン達はゆっくりと歩み寄る。

 

『ユウ!! くっ、また地雷が……』

 

前の彼らの後方で戦っている彼等にも無数の人型の爆弾が迫り来る。

 

ジャガーノートの機銃で簡単に倒れるものの、これだけ数が多いと弾の消費が馬鹿にならない。

 

『クソッ! クソッ!! この屑鉄ども、こっち向けよ!!』

 

『セオ! 左からも来るぞ!』

 

『えっ? うわっ!?』

 

頭部に銃弾を受けた自走地雷がセオの近くに倒れ込み、そのまま爆発する。

 

爆発の衝撃で地面へと強く叩きつけられたセオは、そのまま意識を失う。

 

「セオ! この……っ!?」

 

セオが倒れた方から迫ってくる自走地雷に向けて機銃で弾幕を張るも、その弾幕はすぐに途切れた。

 

モニターに映る弾薬不足のアラート――手持ちの弾が尽きてしまったのだ。

 

「そんな……こんな時に! うぐっ!」

 

長距離砲兵型の砲撃が付近に着弾し、爆発による衝撃波がジャガーノートに限らず、生身のライデン達にも襲い掛かる。

 

「皆……っ!?」

 

土煙の中には倒れたライデン、アンジュ、クレナ――

 

そして、四方から敵接近のアラートが鳴り止まない。

 

『くっ……っ! しまった!!」

 

目の前に迫った近接猟兵型のブレードの一閃を受けて、強烈な衝撃と共に脚を喪った機体が地面へと倒れ込む。

 

そうか、こいつらの狙いは――私達の首か。

 

朦朧とする意識の中、コクピットハッチがギシギシと音を立てて、抉じ開けられていく。

 

「ユ……ウ……」

 

コクピットが完全に開かれ、銀色の殺人機械の姿が露となる。

 

そして、開かれると同時に、私の意識は深い闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感覚は痛みで麻痺し、軋む身体は指の一本さえも動かすことを許さない。

 

近くで響いている筈の爆音も、何処か遠いものに感じる。

 

機体が大きく揺れて、金属が軋む音を立てる。

 

その音が大きくなると共に、コックピットがゆっくりと開いていく――否、開けられているのだ。

 

ぎこちない音を立てながら開いていくコックピットからは銀色の身体と青いセンサーの光が見える。

 

……レギオンになった俺は……なんて叫びながら彷徨うんだろう?

 

誰かの名前? 憎しみ、悲しみ――何を叫ぶかは分からないが、きっと空虚な叫びを抱きながら、戦場を彷徨うのだ。

 

コクピットが完全に開かれ、戦車型の巨体がその目に映る。

 

まあ……俺にしては……よく、出来た……のかな……

 

そんなことを思いながら、迫る死に備えて静かに目を閉じた。

 

 

 

"So long as there are men there will be wars." - Albert Einstein

人類が存在する限り、戦争はなくならないだろう。 ―― アルバート・アインシュタイン

 

 

 

 



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17話

二期開始までもう少しということで、久しぶりの本編更新です。とはいってもプロローグみたいな感じです。

一部ネタバレになるかもしれませんので、お気をつけください。


 

 

全身が軋むような痛みの中、何処か遠くで声が聞こえた気がした。

 

『驚いた…… 損傷を受けた箇所が再生、いや、既定の状態に戻ろうとしているのか』

 

『それだけじゃありません。先に収容した“彼ら”と違い、通常の血中成分が半数程しか存在せず、残りの半数は未知の物質が検出されています』

 

ツンとした薬品の匂いが鼻を突き、身体には再び注射針が刺される。

 

少しでも気を許せば、沈んでしまいそうな意識の中、目を開けようとするが、痛みに軋む身体と心地よい倦怠感は、それを許さなかった。

 

『この血中成分を……あるいは似た物質を持つ生物は?』

 

『存在しません。自己再生はともかく、細胞自体が既定の状態に戻ろうとするなんて……』

 

一人の白衣を纏った男が、様々なグラフが記された紙を壁に貼っていく。

 

そのグラフを見たもう一人の男は、思わず目をしかめる。

 

『……現在、コード404のテストにおいて一次同調に成功した者はいません。その要因として殆どが404から受ける情報量に耐えられないためです。しかし、彼ならば……』

 

『彼を実験台にするつもりか? 確かに404の実戦投入が成功すれば、フェルドレスの技術革新が望めるかもしれない。だが、それでは共和国と変わらないだろう』

 

もう一人の男は更に言葉を続ける、手術台の上に乗せられた少年を見下ろしながら。

 

『彼もあんな機体で戦い抜いて、ようやくの思いでここまでやって来たんだ。ならばこそ、彼らには平穏というものを与えてやりたい』

 

白衣の男も思わず俯く、彼らが駆っていたジャガーノートの分析結果は彼の元にも届いていたからだ。

 

貧弱な主砲、歩行システムの未熟と華奢で脆い脚部、機体重量にそぐわない機動性――欠陥を挙げるとキリがない。

 

搭乗者を生かすどころか、むしろ殺すために作られたような設計は人としても、技術者としても到底、理解することができなかった。

 

しかし、機体の戦闘記録は今まで閲覧したどの部隊のものよりも素晴らしいものがあった。

 

“彼ら”の戦闘記録も目を見張るものがあったが、まるで敵の動きが分かっているかのような動きや、正確な回避と反撃は、得難い貴重な実戦データである。

 

そして、それを機体の欠陥込みで行うのだから、なおのことであった。

 

『とりあえず、彼からも人体に有害となる物質は検出されなかったのだろう? 経過観察は少し長くするにしても、後は“彼ら”と同じように迎えてやろうじゃないか』

 

たしかに未知の血中成分に関しても、確認されたのは、損傷の回復を促す効果のみだ。

 

しかし、技術者としての性なのか、彼からは今まで配属された者よりも遥かに優れたポテンシャルを感じるのだ。

 

逃すには惜しい人材であることには違いないのだが、“彼ら”は86と呼ばれ、共和国で人の扱いをされてこなかった。

 

一人の大人として、“彼ら”には平穏というものを体感してもらいたいのも本心だ。

 

『……難儀なものだよな。大人というのは』

 

『ええ、まったくです』

 

“彼ら”が与えられた平穏を通して、自らの未来をどう考えるかは分からない。

 

“彼ら”の親でも血縁者でもない自分がとやかく言える立場ではないのかもしれないが、願わくは“彼ら”の選択に幸があることを願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めたら知らない天井が拡がっていた。

 

目が覚めた当初はレギオンに捕まったのかと思ったが、レギオンが欲するのは頭部なのだから、今のように五体満足でいられる筈がない。

 

その証拠に側の機器では心拍数や脳波がモニタリングされており、部屋全体は消毒薬の匂いで立ち込め、点滴の薬品は静かに身体へと流れ込んでいた。

 

それに部屋の角に設置されたカメラからして、俺をここに閉じ込めているのは人間だろう。

 

では、誰が何のために?――答えなど分かりきっている、

 

俺達はとうに共和国領を越えて、旧帝国領内に入っていた。

 

そして、レギオンの支配地域である旧帝国領内を彷徨くことができる人間というのは限られている。

 

俺達と同じ共和国からやって来た86、あるいは――

 

「驚いた……手術後なのに、もうそんなに動けるんだね」

 

「……監視カメラをの映像を見れば、一目瞭然じゃないですかね?」

 

取っ手がないドアがひとりでに開き、開かれたドアの向こうにはスーツ姿の壮年の男性と看護服を身に纏った女性が立っていた。

 

白髪混じりの黒髪ということで、共和国名物の白豚こと白系種ではないことは分かる。

 

また、度の強い眼鏡を掛けた男性の立ち姿からは、様々な修羅場をくぐり抜けたが故の独特な威圧感を感じさせた。

 

――軍人……いや、元軍人か?

 

「閣下、彼も手術後ですので、あまり無理は……」

 

「分かってるさ。少しだけ話をするだけだよ」

 

穏やかな口調で壮年の男は言葉を続ける。

 

共和国で大人からは罵詈雑言しか聞いてこなかったからか、少し落ち着かない。

 

「さて、まずは君の名前を聞いても良いかな?」

 

「……ユウヤ・カジロです」

 

「ありがとう、私はエルンスト・ツィマーマン。共和制ギアーデ連邦の暫定大統領だよ」

 

「共和制……ギアーデ連邦……?」

 

俺達が知っているギアーデという国は帝政だった。

 

そんな国が共和制に移行しているということは、答えは一つだけだ。

 

「……市民革命が起きたのか」

 

古来より帝政の国家が崩れる要因として、外部からの干渉、あるいは内部での革命の成就が挙げられる。

 

レギオンによって圧倒的な軍事力を誇る帝国が、他の国の干渉によって滅ぶ訳がない。

 

であれば、考えられる要因は後者のみだ。

 

確かに白豚達が口々に言うように、ギアーデ帝国は滅んでいた。

 

しかし、それはあくまで市民革命によってであり、国体自体はこうして名前や制度を変えて受け継がれている。

 

「……そちらもレギオンと戦っているのですか?」

 

「ああ、今も各戦線で侵攻を押し留めているよ」

 

帝国で生み出されたレギオンは帝国の敵を滅ぼすためのプログラムが組まれている。

 

故に市民革命を行った時点で、このギアーデ連邦と敵として攻撃しているのだろう。

 

皮肉なものだ、帝国から生まれ変わった国が、今度はその遺物に頭を悩まされるというのは。

 

「俺は……いや、俺達は何時からここに?」

 

「そうだね……三日前くらいかな。ふむ……身体の余裕があるなら、君達がここに来るまでの経緯についてこちらが知っている限りのことを教えよう」

 

壮年の男性……いや、エルンストは近くの椅子に腰掛け、話し出した。

 

あの場で何があったのか、俺達が今、どんな状況にあるのかを。

 

 

 

 

 

 

 




主人公はナニカサレタようだ


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18話

一話を視聴しました。いや~ずっと待ってた甲斐がありましよ


戦車型の光学センサーがコクピットの内部で気絶した少年を捉える。

 

全敵性体の沈黙及び無力化を確認。敵フェルドレスに搭乗していた三体の内、二体は最優先鹵獲対象と断定。

 

光学センサーを通して得た情報を彼らを統括するネットワークに送信する。

 

彼らに意思というものは存在しない、ただ与えられたプログラムの命令に従うのみの存在だ。

 

このように、わざと相手を可能な限り、殺さずに無力化に留めることでも、プログラムが命令すれば、どんなことでもやる。

 

地面で倒れている敵性体も僅かな外傷はあるものの、生命活動は停止していない。

 

また、戦車型は別のこともネットワークを通して報告していた。

 

先程の『試作型』による火力支援では、目的の敵フェルドレスの無力化は達成できたものの、その為に一個部隊が損失してしまった。

 

さらには鹵獲を目的としているのにも関わらず、砲撃によって撃破しようとしたのも問題である。

 

故に再調整の必要をネットワークに要請し、同時に敵性体の輸送を要請しようとした。

 

これらの個体は性能で遥かに劣るジャガーノートで、ここまでの損害を被らせたのだ。

 

これを友軍機に適用すれば更なる戦果拡大に貢献するだろう。

 

ネットワークに映し出されたレーダーが友軍機の二体の急接近を通達する。

 

そして、すぐに接近していた二体の応答信号が敵味方識別へと返る。

 

戦闘部隊未所属の重戦車型と高機動試作型――前者の砲撃を検知したものだろう。

 

155mm滑腔砲の轟音とも言える砲撃音が大地に鳴り響く。

 

そして、直後に大質量の高速徹甲弾が戦車型の正面装甲を貫いた。

 

友軍誤射――プログラムによって動く彼らにとっては有り得ないことだった。

 

友軍機と認識しながらの砲撃、つまりは敵。彼らは直ちに判断した。

 

辛うじて中枢処理系が生きている戦車型もネットワークに、会敵の報告と敵味方識別の更新を要請すると共に自身の120mm滑腔砲の照準を重戦車型へと向ける。

 

ふと、レーダーにもう一体がこちらへと急速に接近しているのが映る。

 

その直後、青い残光が戦車型の上部装甲を溶かし、侵徹した膨大な熱は内部の中枢処理系を焼き尽くす。

 

機能を停止する戦車型はそれが、もう一機の敵対行動であることを理解する間も無い。

 

両腕に青く光る大型のブレードを携えたそれは、得物を戦車型から引き抜くと、再び大きく跳躍した。

 

そして、再び振るわれた一閃は彼らを囲んでいた斥候型を両断し、近接猟兵型の胴体を切り裂く。

 

再度、鳴り響く轟音。放たれたタングステン弾芯の高速徹甲弾は近接猟兵型を貫き、その後ろの斥候型さえも粉砕していく。

 

意思や恐怖といった感情を持たない彼らは知ることはないだろう。

 

擱座したジャガーノートに乗った彼らに被害が及ばないよう、重戦車型は成形炸薬弾ではなく、高速徹甲弾を使ったのだと。

 

地面へと倒れている彼らが砲撃の余波を受けないようにするために、試作型は突貫したのだと。

 

そして、重戦車型の滑腔砲が火を吹くと同時に、四脚のそれは両碗の得物を振るう。

 

長距離レーダーに映る彼らの敵達が、こちらへと向かってくるのを見つめなから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、連邦の報道番組での発表によって連邦市民は大騒ぎとなった。

 

西部戦線の連邦軍の哨戒線上で、他国の軍の所属とみられる少年、少女が保護されたというのだ。

 

その数は20名、彼らは首狩りの重戦車型と未確認の新型機に囚われており、それらを前線部隊が撃破し、彼らを収容したと発表した。

 

彼らが着用していた野戦服と、彼らと共に回収された型式不明のフェルドレスのOSからサンマグノリア共和国の所属と推測されるという。

 

この発表に対して、連邦市民は歓喜に沸いた。

 

まだ、自分たちの他に生き残っている勢力が存在することを喜び、別の者は隣国の戦況を案じた。

 

こんな子供までも前線に投入しなければならないほど、逼迫しているのかと、あるいはもう既に虫の息になってしまっているのではないかと。

 

当初は彼らの祖国を案じる話題で持ちきりとなったが、それはすぐに隣国への怒りと侮蔑へと変わることになる。

 

後日、保護された少年達の事情聴取の内容が報道された。

 

彼らは86と呼ばれ、共和国において人間として扱われず、回収されたフェルドレスの部品としてみなされていたというのだ。

 

また、彼らが共和国から受けた仕打ちや、ここに来ることとなった経緯について語られると、彼らへ対する同情の意見が多く集まるようになった。

 

菓子類やメッセージカード、やがては募金と彼らに対する援助が収容施設にひっきりなしに贈られ、今朝も山積みの菓子類が基地へと届いたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――とまあ、これが君達がここへ来るまでの経緯なんだけど……君は何か覚えているかい?」

 

「……いえ、戦闘の途中で意識を失っていたので」

 

共和国で俺達を襲ったあの砲撃……そして、初日で遭遇した二機の"羊飼い"と同型のレギオン。

 

それだけの敵に絡まれながら、よく助かったものだと思う。

 

彼の話を聞いていく内に、ぼんやりとしていた頭が鮮明になっていく。

 

そして、ふと思い至ったことを口にする。

 

「あの……俺の仲間は……無事なんですか?」

 

俺と同じように収容されたと言っていたので、おそらくこの施設にいるのだろう。

 

しかし、今に至るまで姿が見えないこともあって、一抹の不安が脳裏を過る。

 

その言葉を聞いたエルンストは笑う。

 

「ああ、ごめんごめん。さっきまで眠っていたから透過率を0にしてたんだった。大丈夫、彼らも元気だよ」

 

エルンストは傍に控えた看護師に対して、何らかの指示を出す。

 

その瞬間、白い壁が一瞬にして透明になり、隣の小部屋から見知った顔がこちらを覗いていた。

 

『ユウ……こんなところでも、お前は寝坊助なんだな』

 

「開口一番がそれかよ……」

 

自分と同じ黒髪を持った少女はいつもと変わらない様子で言う。

 

けれど、その目尻には涙の跡が残っており、強い不安を強いてしまっていたことが察せられる。

 

「……ごめん、心配をかけた」

 

『ああ、本当にそうだよ。ほんとに……心配したんだからな』

 

そして、別の小部屋からも見知った南方黒種の青年がこちらを見て、口を開いた。

 

『おっ! ようやく起きたんだな! まったく、大変だったんだぜ? ユウがまだ眠ったままって聞いた途端に泣きそうになって――』

 

『クジョー!!』

 

「ぷっ……」

 

まるで特別偵察に出る前の、基地にいたあの頃のようなやり取りに思わず笑みが漏れる。

 

そうか……俺は、俺達はまだ生きているんだな。

 

そして、他の戦隊員とも話そうと思い、耳のレイドデバイスに手を伸ばす。

 

しかし、耳のデバイスに手が触れることはなかった。

 

「あれ……?」

 

『ああ、目が覚めたら私も外されてたんだ。首の後ろのインプラントも無いみたいだ』

 

俺達のような86は、首の後ろに直接疑似神経結晶素子を埋め込む手術を受けさせられる。

 

手術の対象が86である故に、その手法はかなり雑であり、麻酔無しで皮下に埋め込まれる素子は稀に脊椎を傷付け、下半身不随となって処分される86もいるくらいだ。

 

その為、本来なら自分の意思で取り外せるようなものではないのだが……

 

「そういえば、カイエはあの戦闘のことはどれくらい覚えてる?」

 

『私もユウと同じで、途中で気を失ってしまったからな……確か、初日に遭遇した"羊飼い"のレギオンに捕まっていたって言ってたけど、そんなもの私は見なかったよ』

 

「だよな……」

 

それに関してはカイエと同意見で、レギオンとの戦闘に入った後でも"羊飼い"の姿は見ていない。

 

というか、俺達を捕らえていたのは、戦車型を主軸とした群れだ。

 

であれば……何故、"羊飼い"のレギオンが俺達を?

 

レギオンが敵である人間を助けた……? いや、まさかな……

 

『しっかし……同調がなくなるってのは、案外、不便だな』

 

クジョーの言う通り、これでは別の小部屋にいる仲間と連絡することは出来ない。

 

俺やカイエやクジョーのように、互いの距離が近いところにいれば問題ないだろうが、別の部屋にいるだろうシンやライデン達にあの時の戦闘のことを聞くことは不可能だ。

 

そして、この部屋に軟禁されているこの状況。

 

今はこうして、各々が治療を受けているが、情報を引き出したら用済みということも有り得る。

 

共和国では人型の豚と呼ばれ、ロクな扱いを受けてこなかったこともあり、無条件に援護や保護を期待するほど楽観的になれない。

 

このまま缶詰めか……あるいは、必要がなくなったら処分されるか。

 

そんなことを思いながら、部屋を見回している姿を見て、エルンストは何かを思い出したように口を開いた。

 

「すまない、閉じ込める形になっちゃってるのは生物災害対策のためで、悪いようにはしないから安心してくれ」

 

安心ね……閉じ込められている時点で、安心もなにもない気がするが。

 

「何はともあれ……君達は建国以来初めての外国からのお客様なんだ――ようこそ、ギアーデ連邦へ!」

 

まるでピエロのように両手を広げたエルンストに各々が沈黙と冷たい視線を向ける。

 

尤も当の本人は特に気にしてないようで、言葉を続ける。

 

「もし、君達が最後に戦っていたときの事について何か思い出したら、話して欲しいんだ。こっちも全然、当時の状況が理解できてないという状態でね」

 

「分かりました……でも、俺達も殆ど覚えてないので、あまり期待はしないで下さい」

 

「うん、ありがとう。それじゃ、そろそろ怖いお姉さんに怒られるだろうから、私は失礼するよ」

 

そう言ったエルンストの背後では看護師が静かな威圧感を発しながら、暫定大統領殿を睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エルンストが去った後、とりあえずはグループ全員が目覚めたということで、別の小部屋へと俺達は移された。

 

相も変わらず、外の光景が見えず、一面真っ白な壁が広がっている退屈な様相ではあるが、ベッドの脇のテーブルには『消毒済み』とラベルが貼られた菓子類、玩具が置かれていた。

 

「はは……こういうステッキの玩具を見るのって何年ぶりかな」

 

「というか、このベルトの玩具とか、明らかに対象年齢を間違えている気がするんだが?」

 

確かに連邦側から見れば、俺達は子供に分類されるのだろう。

 

けれど、子供といっても、年齢によっての嗜好というのはまるっきり違ってくる。

 

況してや、もう少しで二十歳、あるいは二十歳目前となる青年、少女が幼児向けの玩具を渡されても困るというものだ。

 

「おっ、このスナック菓子、うめえな!!」

 

いや、開けるの早いなクジョー……もう少し警戒とかないのか?

 

まあ、とりあえずクジョーがうめえ、うめえとスナックを貪っている以上、何か変なものが入っているということはなさそうだ。

 

「しかし、こうやって外も見えないとなると、まるで監獄だな……」

 

「待遇とかは共和国に比べたら全然、良いんだけどな」

 

この小部屋に閉じ込められていることを除けば、三度の食事はどれもまともなものが出てくるし、机の上の菓子類も無くなればすぐに新しいものが出てくる。

 

とはいえ、こんな白い空間を延々と眺めるというのは退屈極まりない。

 

更には知覚同調が使えないため、他の仲間の様子を伺うことも出来ないのだ。

 

けれど、各自個別で行われる事情聴取は穏便なものだったし、傷が完治している俺は兎も角、各々の治療も衛生面を徹底していた。

 

これが共和国であれば、間違いなく見捨てられていただろう。

 

「とりあえず、今は向こうに大人しく従うしかないか……」

 

共和国より遥かに良い待遇とはいえ、連邦を完全に信用は出来ない。

 

彼らの都合が悪くなれば、俺達は問答無用で処分されるだろうし、他の戦隊員と連絡が取れない以上、人質に取られてるといっても過言ではないのだ。

 

下手に勝手な行動すれば、かえって自分たちの首を絞めることになる。

 

「ユウ、隣良いかな?」

 

「ん? ああ、別に構わないけど……」

 

カイエが俺が使っているベッドの上に座る。

 

ふと、廃墟の小学校で一夜を共にした記憶が頭を過り、思わず目を逸らしてしまう。

 

そんな俺を他所に、左手にカイエの右手が重ねられた。

 

「やっぱりユウの手は暖かいな……心が落ち着くよ」

 

「そりゃ生きてるんだから……暖かいのは当然だろ」

 

「いや、そういう意味じゃないんだ」

 

重ねられた手に指が絡んでいく、"あの夜"のように。

 

「最初はとても安心した、どうしようもない不安から私を救ってくれた」

 

隣に座ったカイエがこちらへと寄ってくる。

 

「次はとても愛おしかった。ずっとこの温もりを感じてたいと思った」

 

再び、二人の距離が詰まり、互いの肩が触れた。

 

「その次はとても熱かった。私達の熱が混ざったような感じがして、とても心地よかった」

 

カイエが肩にもたれ掛かる。部屋の消毒用のアルコールの匂いに混ざり、女性特有の香りが思考を鈍らせる。

 

「そして、今は……この手を離したくない。ずっと握っていたい」

 

カイエが潤んだ瞳でこちらを見上げる。

 

気恥ずかしさから思わず目を逸らそうとするが、何故か身体は動こうとしなかった。

 

あの小学校で感じた理性が痺れていく感覚――次第に近付いていく顔。

 

理性が痺れる感覚を受けながら、何か言葉を紡ごうと鈍る脳の思考領域を総動員して考える。

 

「か、カイエ……ここは皆がいるから」

 

「あっ……」

 

ほんの数センチで互いの唇が触れそうな距離――それを目を見開いて見つめる第4小隊のメンバー。

 

こういう時、騒ぎそうなクジョーでさえ、目を見開いてこちらを見ていた。

 

流石のカイエも冷静さを取り戻したのか、顔をみるみる内に赤くする。

 

「え、えっと……いや、その……これはだな」

 

カイエが目を泳がせながら、弁明しようとする。

 

その瞬間、小部屋が揺れんばかりに沸いた。

 

「えっ……ユウとカイエって、いつの間にそんな関係に!?」

 

「お、お前ら!! やっぱり何かあったんだな!?」

 

「あ、あれか!? "セキハン"ってやつを炊かなきゃいけねえやつなのか!!」

 

先程までの光景が嘘のように、活気に満ちる部屋。

 

その活気は当事者の二人を置いて、更にその熱を増していく。

 

二人は後に、この瞬間だけ知覚同調が使えないで良かったと語る。

 

この戦隊の隊員は総じておしゃべりな傾向があり、こんな新鮮な話題を投下されたら、爆発するのは目に見えている。

 

そんな少しの安堵とともに、興奮しきった少年少女の質問の嵐に二人は身を投じることになった。

 

 

 

 

 

 

 




攻められると弱い主人公君


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19話

最新話の予告を見て、いてもたってもられませんでした。


『そんなわけで、君達は今日から連邦市民ってことになったからね!』

 

一月ぶりにその姿を見せた、ギアーデ連邦暫定大統領殿はそう言い放った。

 

「……開口一番でそんなことを言われても、困るんですけど」

 

というか、俺達を連邦市民とするのなら、事前の通達やら手続きやらあると思うのだが。

 

尤も、小部屋の向こう側にいる暫定大統領殿には関係ないらしい。

 

「なぁ、ユウ。あのオッサンはいきなり何を言ってんだ?」

 

「俺達は今日からこの国の国民になったんだとさ。ほんとにいきなりだけど」

 

まあ、このまま此処で延々と隔離生活を強いられるよりは遥かにマシではあるのだが、いきなり国民になりましたと言い放たれてもこちらは付いていけない。

 

況してや、かつての共和国での扱いもあり、警戒せずにはいられない。

 

「そういえば、前にこれからの処遇とか説明があったな。そのときは悪いようにはしないって言われたけど……」

 

「ああ、確かそんなこともあったな……」

 

担当官からこれからの希望があるかと問われた際に、俺は従軍を希望した。

 

この希望に対して深い理由はない。今更、自由や平穏というものを与えられても、それに馴染めないというだけだ。

 

そして、ここにいる面々もそれは同じなのだろう。

 

そんな俺達の内心を察してか、エルンストは薄く微笑み話を続けた。

 

「とりあえず、しばらくは僕が後見になるから、まずはゆっくり休んで、この国を見ながら、自身の身の振り方を考えるといいよ」

身の振り方……もうレギオンと戦わなくても良い人生。

 

そういえば……共和国で戦っていたときも聞かれたっけか。

 

あの、どうしようもなく真面目で、世間知らずなお人好しの少佐は、『自由になれたら何をしたいか』と俺達に問うた。

 

しかし、あの頃の俺達は、いずれ死ぬと確信していたのもあって、その問いに真面目に答えることはしなかった。

 

果たして、その少佐は今、どうしているのだろうか?

 

今もなお、攻めいる亡国の軍勢を前にして……

 

そのとき、トウザンが意地悪く嗤った。

 

「仮にも敵国の人間を国民にして良いんすか? 内乱の火種にだってなるかもしれないのに」

 

『では、君は殺して欲しいのかい?』

 

「……いえ」

 

微笑みを浮かべながら、そう言ったエルンストに思わず口をつぐむ。

 

此処にいる誰しもが殺されたい訳ではない。だが、俺達は戦場しか知らない。

 

周りが言う“普通”の生き方なんて、とっくに忘れてしまっているのだ。

 

エルンストは微笑みを崩さぬまま、言葉を続ける。

 

『利益がなければ、目の前の子供も助けない社会を良しとする方が結局は誰にとっても不利益だ。それに――』

 

彼はひどく酷薄な笑みを浮かべていた。

 

常人にとって、この世の地獄とも思える光景を幾度も見てきた小隊の面々も口を閉ざしてしまうほどに。

 

『それに得体が知れない、万が一そんな理由で子供を殺さないと生き延びられないなら、人類なんて滅んでしまえばいいよ』

 

初めて会ったときから思っていたことだが、この暫定大統領殿にも裏があるのだろう。

 

何時の時代も、革命とは犠牲がつきものだ。

 

況してや、あのギアーデ帝国を倒すともなれば、相応の犠牲を容認しなければならない。

 

ふと、強化アクリル板の向こうのエルンストは何か思い出したようだ。

 

『あっ、ユウヤ・カジロ君。君には申し訳ないんだが、後一日ほどはここにいて欲しいんだ』

 

「……何故でしょうか?」

 

『いや、君のジャガーノートの戦闘データを見た。研究者の面々がどうしてもと聞かないものでね。優秀ではあるんだが、何かと暴走しやすい質だからね……」

 

エルンストは頭に手を当てながら、困ったように薄く笑う。

 

どうやら、暫定大統領といえど部下の暴走には手を焼くらしい。

 

まあ、これまでのこともある、残って欲しいと言われたのなら従う義務はあるだろう。

 

「分かりました。俺で良ければ、その通りに」

 

『ありがとう。代わりと言うのもアレなんだが、何か欲しい物があったら言ってくれ。明日までに用意させるよ』

 

欲しい物ね……そうは言われても、何もないんだがな。

 

その時、小部屋の扉が開かれ、初日にエルンストを睨んでいた看護師を筆頭に部屋へと立ち入っていく。

 

そして、一人一人にある小包が渡された。

 

「これって……軍服か?」

 

『君達は着替えを持ち合わせてないと思ってね、軍の制服ですまないが、外へ出る時に使うといいよ」

 

まあ、確かに病院着で外へ出るってわけにはいかないもんな……

 

「けど、ユウは……」

 

「俺のことは気にしないでいいよ。それよりも折角、外に出れるんだ。先に楽しんできな」

 

まだ、この部屋の外を見ることが出来ないというのは残念ではあるが、その鬱憤は暫定大統領殿にたかることで晴らすとしよう。

 

けれど、カイエの表情はまだ、浮かないままだった。

 

「今生の別れって訳じゃないんだ。すぐ、そっちに追い付くよ」

 

「……ああ、先に行って待ってるよ」

 

カイエは穏やかな笑みを浮かべ、小部屋の扉へと向かって行く。

 

そして、先に出ていったカイエに続き、他の面々も外へ向かって行く。

 

「ユウ、先に行ってるからな!」

 

「うめえ物見つけたら、教えてやるからな!!」

 

「じゃあ、先に行ってるね」

 

こちらを振り向いて、言葉を残していく仲間達。

 

俺はそれを小さく手を振って見送っていた。

 

彼らの背中が見えなくるまで、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小部屋で渡された軍服に着替え、適当に時間を潰していると、今度は看護師ではなく同じ軍服を着た軍人が部屋に訪れた、

 

顔の古い傷痕と、右の脚には義足を填めた男はこちらを見て穏やかに微笑む。

 

「君がユウヤ・カジロ君かい? 私はギアーデ連邦軍第一特殊設計局局長のニコライ・グラーニンだ」

 

「はじめまして、ユウヤ・カジロです」

 

差し出された手を取ると、ゴツゴツとした男性特有の肌触りと皮膚とは違う硬い感触を感じる。

 

人の温もりに混ざる人工物の冷たさ――この人も暫定大統領と同じで、かつては何処かで戦っていたのだ。

 

「ん? ああ、これか。昔……戦場でヘマをしてしまってね。とはいえ、命があるだけマシな方さ」

 

「……レギオンですか?」

 

目の前の男は穏やかに微笑みながら、頷く。

 

「まあ、今は見ての通り、前線を退いて連邦の兵器開発を任せてもらってる。今日、君と面会させてもらったのはあるレギオンについて話を聞きたいからなんだ」

 

「……」

 

俺達を捕らえていたという、二機のレギオン。

 

その両者ともが特別偵察初日に遭遇した“羊飼い”と同型の機種であった。

 

「とりあえず、実物を見ながらの方が何か思い出せるだろう。ついて来てくれ」

 

その言葉に従って、小部屋の外へと出る。

 

そこは何処かの格納庫であり、俺達が収容されていたのはその格納庫内に建てられたプレハブ小屋だった。

 

そして、その隣には戦車型よりも一回り巨大なレギオン――その残骸が鎮座していた。

 

重戦車型(ディノザウリア)……」

 

「ああ、それは大丈夫。もう完全に破壊されている」

 

共和国で一回だけ遭遇した、シンの兄の脳を取り込んだ個体。

 

ジャガーノートの主砲を如何なる距離からも弾いていた装甲は、大口径の砲弾の集中砲火を浴びて、穴空きチーズのような状態となっている。

 

奥には大口径の徹甲弾に貫かれたのか、大穴を空けた近接猟兵型の胴体が吊るされていた。

 

「こっちだ、肝心の個体は隣の格納庫に収容している」

 

廊下には俺達の他には誰もおらず、互いの足音のみが空間に木霊していた。

 

「おっと。遅くなったが、連邦へようこそ。大統領と同様に我々は君達を歓迎するよ」

 

「……ありがとうございます」

 

レギオンに囚われていたつもりが、レギオンを生んだ国に保護されて、しまいにはその国の国民となった。

 

戦場で予想外の出来事には何度も遭遇してきたが、こんなことになるなんて誰が予想できただろうか。

 

「君は、ここを出て何かしたいこととかあるのかい?」

 

「いえ、俺は……」

 

従軍を希望した身ではあるが、エルンストが言ったように一度、身の振り方というのは考える必要があるだろう。

 

多くの86が戻りたいと願い、遂に叶うことがなかった“平穏”が俺達の前にある。

 

戦場に戻るのはそれからでも、遅くはない筈だ。

 

「大統領殿から、君達の事情は聞いているよ。君達が共和国でどのような仕打ちを受けてきたのかもね」

 

「……」

 

色付きの豚と差別され、戦場にいるのが当たり前となっている自分。

 

共和国でそれを否定する人間は“アイツ”と“少佐”以外、出会うことはなかった。

 

「だからこそ、君達には平穏というものを知ってもらいたい。今の君達には戦わなくても良いという選択肢があることもね」

 

「戦わなくても良い……ですか」

 

俺達は共和国の外の世界について、これっぽっちも知らない。

 

86の烙印を押されてからは、いつ死ぬかの違いしかなかった。

 

「だが当然、従軍するという選択肢だって君達にはある。君達がどちらを選ぶにせよ、私は君達の選択を尊重する」

 

「……意外ですね。大統領は俺達には従軍して欲しくないみたいな様子だったのに」

 

「連邦の代表としては、君達のような子供を最前線で戦わせたいとは思ってないのさ。だからこそ、大統領は君達の後見になって国民が送っているごく普通の生活を体感させようとしている」

 

誰かの死が日常じゃない世界、少佐が聞こうとしていた普通の生活。

 

「けれど、それはあくまで我々の希望でしかない。選ぶのは君達だ。これからどうやって生きていくのか、どうやって選択の責任を取るのか、君達にしか決められない」

 

選択の自由とその責任……連邦市民となれば、市民の義務を果たす必要があるように、軍人となれば国家の防衛の為にその身を削ることを要求される。

 

代償がない選択は存在しない、一つの選択肢を選ぶ度に何らかの代償を負わねばならない。

 

「私は情けないことに、楽に食い扶持を得るために軍に入った身でね、結果としては後悔した。自分の楽観的な選択にね。けど、君達はまだいくらでも時間は使えるんだ。だからゆっくりと考えると良い」

 

ふと、前を歩く男の足が。目の前の厳重なロックがなされた扉の前で止まる。

 

「これを見せるのは、ここまで辿り着いた君達への敬意でもあり、誠意でもある。連邦市民となった以上、君達の奮闘には敬意と誠意を以て応えたい」

 

そう言いながら、彼は扉の横にある液晶ディスプレイに自分の手をかざした。

 

センサーが彼の手を読み取る電子音と、赤のランプが緑へと変わっていく。

 

重々しい金属音とともに扉のロックが外されていき、扉がゆっくりと開く。

 

扉の向こうは一切の光が存在せず、底が見えない暗闇が広がっていた。

 

けれど、何も見えない筈なのに、何かただならぬ気配だけは強く感じる。

 

そして、ニコライが何かのボタンを押すとと同時に格納庫の照明が一斉に光り出した。

 

「っ!? これは……」

 

目の前には“レギオン”がいた――長い両腕の得物と胴体を支える四脚のシルエット。

 

間違える筈がない、あの時……特別偵察初日に撃破した“羊飼い”だ。

 

「ああ、君達を捕らえていたもう一機だよ。元はね」

 

先程、格納庫で鎮座していた重戦車型と違い、機体自体に目立った損傷はなく、今にも動き出しそうと思えるぐらい完全な状態だった。

 

「我々はこの新型レギオンを白兵型(パルヴァライザー)と名付けた。尤も白兵型に分類される個体はこの一機のみしか確認されていないのだけどね」

 

パルヴァライザー……“粉砕する者”か。

 

確かにあのブレードをまともに喰らったら、どんな機体であってもひとたまりもないだろう。

 

「そして、今は秘匿呼称“コード404”の名で、再開発されている」

 

「再開発って……」

 

「“レギオン有人兵器化計画”……その雛形たる機体がこのコード404だ」

 

彼は目の前の機体を見ながら、薄く微笑んだ。

 

「レギオンの兵器の進化速度というのは素晴らしい。我々が必死で編み出した成果をいとも簡単に乗り越えてくる」

 

確かに、レギオンの進化の恐ろしさは身を以て経験している。

 

あの場所で襲ってきた、あの長距離砲型のレギオンは最たる例だ。

 

発射初速4000メートルの長距離砲なんて、共和国の全ての技術を動員したところで開発の目処すら建たないだろう。

 

「搭載されている兵器も、この機体のように大型ブレードと機関砲の複合兵装。あるいは現行の装甲戦力を上回る重戦車型の155mm滑腔砲と同軸75mm副砲。これをヴァナルガンドに搭載するのはまず不可能だ」

 

予算、安全性、積載量……と人が乗り込む兵器は様々な制約を受ける。

 

だが、レギオンはあくまで無人のAIだからこそ、安全性を度外視した設計や動きをするし、兵器の開発も予算の制約を受けることなく、進めることが出来るだろう。

 

「我々が国として戦っている以上、レギオンとの格差は埋められない。であれば、こちらもレギオンの力を利用するしかないだろう?」

 

薄い笑みを浮かべながら話す男に思わず顔をしかめる。

 

技術者としての狂気というのだろうか……エルンストとは違った、恐ろしい何かを感じる。

 

ある技術者は戦争は発明の母と言った。

 

戦争に勝つという名目で、あらゆる技術開発やその実証をすることが出来るからだ。

 

たとえ、どれほど残酷な人体実験を行っても、一度爆発すれば数百万の命を吹き飛ばす戦略兵器を使ったとしても、戦争に勝てば全てが有耶無耶に出来る。

 

だからこそ、倫理や道徳などを捨てた狂気の産物というのは生まれる。

 

そして、それを生み出すのは、その技術に心を奪われた人々だ。

 

人は敵に勝つためなら、血も涙もない鬼になれる――この人はとっくの昔に捨てたのだろう、血も涙も、道徳さえも。

 

レギオンに勝つために、レギオンに人を乗せてまで、その技術を得ようとしている。

 

そんな、人間の狂気を殺戮機械であった“彼”は無機質に見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輸送機の窓からは濁った白の光景が一面に広がっている。

 

それもその筈、今の季節は冬であり、この雲の下では細かな雪が舞い落ちているだろう。

 

耳に付けたイヤホンから流れる曲が少しの空白の後、切り替わる。

 

先程まではハイテンポなリズムを刻んでいた曲調は、静かであれど、確かな響きが耳に残るクラシックへ。

 

そんな様子を横で見ていたエルンストは思わず、声を掛ける。

 

「渡したイヤホンの調子はどうかな? 満足頂けたかな」

 

「はい、共和国で使っていたものよりも断然、音質が良いです。わざわざありがとうございます」

 

彼が言う共和国で使っていたイヤホンというのは、大抵が廃墟で拾ったものだ。

 

そして、その大半が何らかの損傷があり、それを応急処置を施して何とか使えるようにしていた。

 

そのため、音楽の再生中にノイズが混じることもあったし、音質の劣化、果てには片耳しか聞こえなくなるということが度々あった。

 

「気に入って貰えたようで何より。それは我が国の最新モデルだからね、今後ともご贔屓に頼むよ」

 

「最近のイヤホンは無線式なんですね……あと、音楽プレーヤー単体でも色々、出来るみたいだ」

 

共和国で無線式のイヤホンなど見かけることなんてなかったし、況してや86にこのような携帯端末など、供与される筈がなかった。

 

物珍しそうにその端末を弄る彼は、新しい玩具を与えられた子供のようだとエルンストは思う。

 

そして、同時に彼らはこんな娯楽ですら、満足に与えられずに成長してしまったのだと痛感した。

 

厚い雲の隙間から、下の市街地の生活の明かりが僅かに覗く。

 

「街だ……」

 

86となってからは廃墟の街並みしか見てこなかったため、彼にとっては生活の明かりで輝く街を見るのは実に九年振りである。

 

この下では、多くの人々が行き交い、家族で笑い合ったりしているのだろう。

 

それらはかつて、自分も経験した情景である筈なのに、何処か遠い物のように感じる。

 

最初は帰りたいと強く思っていた筈なのに、戦場で過ごす内に忘れてしまった“平穏”は、今の俺達には手に余る代物になってしまったのだ。

 

『当機は間も無く着陸態勢に入ります。着陸時の衝撃にご注意下さい』

 

どうやら、空の旅はそろそろ終わりのようだ。

 

「さて、ユウヤ君、そろそろ着陸するからシートベルトは締めておいてくれ」

 

「はい、分かりました」

 

エルンストが窓の外を見ると、黒塗りの護送車が待機していた。

 

輸送機が基地に着いたら、車で移動することになる。そして、そこから首都のメインストリートへ向かう――そのような手筈になっている。

 

輸送機がだんだんと降下していき、厚い雲の下には基地の滑走路が見え始める。

 

エンジンの駆動音が地面から跳ね返って、機内にも大きく響く。

 

タイヤが地面に触れ、機体が持っていた運動エネルギーによってタイヤの回転数が大きな音とともに跳ね上がっていった。

 

そして、完全に接地すると跳ね上がっていくタイヤの回転数をブレーキが押さえ込んでいく。

 

スピードが落ちていくにつれ、機体の揺れは緩やかになり、主翼のエンジンも駆動が止まった。

 

「さて、到着だよ。ここからは車での移動になるけど、空の旅よりは長くならないから安心してくれ」

 

立ち上がったエルンストに続き、輸送機の搭乗口から出ると、冷たい空気が肌を撫でた。

 

空調が整った環境にいたせいか、思わず白い息を吐く。

 

「久しぶりの外の空気はいかがかな?」

 

「どうってほどでは……ただ、少し解放されたような気がします」

 

流石に一月以上も軟禁状態であれば、外の空気が恋しくなる。

 

況してや四六時中監視付きともあれば、なおのことだろう。

 

まあ、ここからは車の移動になるのだが……

 

そんな時、ふとある疑問が頭をよぎる。

 

「そういえば、俺は今日は何処に泊ればいいんですか?」

 

「それに関しては此方で用意させてもらったよ。同居人も君が来るのを待っているだろうしね」

 

「同居人……?」

 

泊まる所を用意してくれたのは分かるが、同居人とはなんだろうか。

 

「それについては車の中で話すよ。同居人のこともね」

 

車のドアがひとりでに開き、内部は如何にもセレブが使ってそうな豪華な装飾で彩られている。

 

そして、いざ乗り込んでみると、シートは低反発でありながら、身体が完全には沈み込まない絶妙な具合をキープしており、座る者に心地よい感触を与えている。

 

「さて、君達の今の扱いだけど、今は政府が借り上げた集合住宅の部屋を使ってもらってるよ。ほんとは僕の家に住まわせてあげたかったけど、如何せん全員を住まわせる訳にはいかなくてね」

 

まあ、確かに、どんな家庭であってもいきなり20人もの同居人を受け入れることはできないだろう。

 

それに、親しき仲にも礼儀ありというように、個人のプライベートというのは尊重するべきだ。

 

「それに君としても恋人と二人きりの時間があった方が良いだろう?」

 

「こいっ!? ゴホッゴホッ!!!』

 

唐突な爆弾発言に動揺して、口にしていたオレンジジュースが気管へ入り込む。

 

「あれ? 隔離していた時に大騒ぎしてたから、あの子とはそういう関係だと思ったんだけど」

 

「ゴホッ……いやっ、その……」

 

よく考えれば、あの部屋は24時間、カメラによる監視態勢が敷かれていたのだからあの時の出来事は当然、エルンスト達に知られている。

 

いや、まあ確かに……端から見ればカイエとは恋人と捉えられるようなことはしているし、戦友という範疇を超えた関係ではある。

 

「そうだ。 せっかく外に出たんだし、明日にでも彼女をデートにでも誘ってみたらどうかな?」

 

「で、デートですか……といっても、この国じゃどういう店が人気なのか分かりませんし……」

 

世間一般の男性のように、気が利いたデートスポットを選ぶことなんてできないし、況してやこの国のことなど殆ど知らないのだ。

 

そんな俺の考えを見据えてか、エルンストは穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「それは彼女も一緒さ。むしろ、二人で憩いの場所を探す、それだけでも立派なデートになると思うよ」

 

「……」

 

「それに……車の外を見てごらん」

 

エルンストの言う通りに、車のカーテンを捲ると、きらびやかな街の情景が目に飛び込む。

 

行き交う、様々な色の髪や瞳を持つ人々。

 

我が子と手を繋いで歩く白系種と黒系種の夫婦、カフェで談笑する金系種と赤系種のカップル。

 

白だけでない多彩な色彩が入り乱れる街並み――かつて共和国でもあった当たり前の光景。

 

空の上から見るのとはまるで違う、人々の活気に抱くのは、懐かしさ、喪失感、自分との隔絶だった。

 

ふと、公園の前を通過した時、見知った数字が目に飛び込んだ。

 

86――共和国において、人型の豚とされた色付きの人間擬き。

 

『憐れな同胞達を助けよう! 彼ら86は犠牲者だ!』

 

そんなことが書かれた看板の前には多くの人が集まり、指導者の言葉に皆が賛同していた。

 

「彼らも嬉しかったんだ。君達が保護されたというニュースで、自分達の他にも生き残っている国があることが分かってね。そして、君達が共和国で受けた仕打ちを知ると、君達と、その仲間を助けたいと奮い立っているんだ」

 

確かに彼らから見れば、86というのは共和国に虐げられた犠牲者なのだろう。

 

けれど、彼らが犠牲者と叫ぶ86にも、白豚と同等のクズはいるし、況してやカイエや俺のような奴はそいつらのスケープゴートにされてきた。

 

だからこそ、彼らがやっていることは、どうしようもなく滑稽に思えるのだ――出会ったばかりの頃の少佐のように。

 

「共和国人は確かにロクでもない奴ばっかりでしたけど、それでもどうしようもなく、お人好しな人間というのもいましたよ」

 

今、共和国はどうなっているのだろうか。

 

おそらく、俺達が特別偵察で抜けたことで、前線は更に下がっている。

 

仮に86を総動員したところで、レギオンの足は止まるどころかより強力になって自らの喉元まで迫るだろう。

 

俺達が共和国で戦っていた時点で、通常のレギオンより黒羊の方が多かった。

 

そして、確認されていないだけで、黒羊はおろか、“羊飼い”となった戦死者も多数いる筈だ。

 

共和国によって飼い殺しにされた86の亡霊が軍勢となって共和国へと押し寄せる。

 

たとえ道中に地雷原や大要塞壁群があろうと、容易く突破されるだろう。

 

もう共和国の敗北は覆すことはできない――もはや、戦えない俺達に出来るのは案じることだけだ。

 

あのどうしようもなく真面目で、お人好しで、馬鹿正直な少佐の無事を……

 

 

 

 

 

 

 

 

車は質素な装飾で彩られた入り口の前で止まった。

 

想像と違って、こじんまりとした建物に思わず拍子抜けしてしまう。

 

しかし、入り口は電子ロックと防犯カメラも完備しており、キーパッドも第三者から見えないよう、手元がしっかりと隠されている。

 

政府が借り上げたということもあって、セキュリティー設備は万全のようだ。

 

エルンストとの別れ際に教えてもらったパスコードを入力すると、固く閉ざされていた自動ドアが開く。

 

エレベーターを待つついでに、音楽プレーヤーの画面を灯す。

 

液晶画面に表示された時刻は既に18時を回っており、ドア越しに見える外の住宅街には光が灯っている。

 

――カイエに会ったら、なんて言おうか。

 

久しぶり? いや、一日だけ顔を合わせなかっただけで久しぶりはないな。

 

こんばんは? いや、それはそれで違うだろ……もっと、こう――

 

そんなことで悩む内に、エレベーターは一階まで降り、電子音と共に扉が開く。

 

頭の中で何度もシミュレーションをしている内に、俺を乗せたエレベーターはあっという間に三階へと到達する。

 

しかし、エレベーターを出てもなお、カイエが使っている部屋を前にしても考えはまとまるどころか、より複雑になっていく。

 

そして、心ここに在らずという状態で、インターホンのスイッチを押した。

 

ピンポーンという音が鳴ると共に、中の反応を待つ。

 

しかし、インターホンへの反応はおろか、中から一切の音が聞こえない。

 

「あれ……?」

 

再度、インターホンを押すが、先程と同様に何の反応もない。

 

さて、これは困ったことになった――反応が無いとなると、この寒空の下で閉め出しを喰らってしまったことになる。

 

流石の俺でも、冬の寒空の下で待ちぼうけが出来るほど、堪え性は強くない。

 

というか、早急に暖を取りたいまでもある。

 

「こうなったら仕方ないか……」

 

もし、カイエにいきなり入って来たことを咎められても、そのお叱りは甘んじて受けよう。

 

このまま延々と閉め出しを喰らうよりはマシである。

 

コートのポケットから、エルンストから貰った合鍵を取り出し、ドアの鍵穴へと差す。

 

すんなりと入った鍵を右へと回し、その錠を解く。

 

ドアを開くと、照明は点いておらず、廊下の奥の部屋の時計の薄明かりだけが暗闇で薄く光っている。

 

手探りで近くのボタンを押していると、廊下の照明が一斉に光を灯した。

 

廊下にはあまり物は置かれておらず、一方で綺麗に磨かれているところが実にカイエらしい。

 

そして、廊下を進み、リビングの照明をまた手当たり次第に点けていく。

 

部屋の照明が白い光を灯し、部屋全体を照らすと、件の少女が小さなテーブルに突っ伏していた。

 

穏やかな呼吸とともに上下する胸部――どうやら彼女の意識は絶賛、夢の中らしい。

 

そんな様子を見ていると、思わず笑みが漏れる。

 

「……ふっ、こんな所で寝てると風邪引くぞ?」

 

肩を揺するものの、少し唸るだけで起きる気配はない。

 

「まったく、しょうがないな……」

 

ソファーの上に置かれた毛布を取り、カイエの肩に掛ける。

 

「お疲れ様」

 

カイエもいきなり、この部屋で生活することになって大変だったのだろう。

 

部隊の宿舎とは違う環境、生活の用意だったりと、色々と忙しくしていたことがその無防備な姿から伺える。

 

「とりあえず、コートとか掛けたいんだが、ハンガーとかあるかな……」

 

あまり部屋のものを弄らないようにしたいが、いつまでもコートを持って突っ立っている訳にもいかない。

 

さて、どうしたものかな……

 

「う……んん……?」

 

その時、背後で寝息を立てていた少女が肩に掛けられた物の感触を受けて、うっすらと目を開ける。

 

「……ユ……ウ……?」

 

「ご名答。ようやく出所のユウヤさんだよ」

 

カイエの目が徐々に開いていき、見知った瞳がこちらを見つめる。

 

その瞳は潤んでおり、また彼女に負担を強いてしまったことを痛感させた。

 

「ごめん、遅くなった」

 

「ああ、遅いよ……ほんとに……ずっと待ってたんだからな」

 

先程まで、なんて話しかけようか迷っていたのが嘘のように、言葉が次から次へと溢れてくる。

 

むしろ、どんな言葉であってもこの胸中のざわめきを伝えることは不可能だろう。

 

でも、一言だけ……どうしても伝えたいことがある。

 

ようやく、彼女の元へと帰って来られたのだ――だから、ちゃんと伝えないと。

 

「“ただいま”。カイエ」

 

「“おかえり”。ユウ」

 

そして、二人の距離はゼロとなった。

 

 

 

 

 




ユウとカイエの関係はジャコウアゲハとある桜の関係をモチーフにしています。


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20話

更新が遅くなり申し訳ありません。仕事とコロナのワクチンでダウンしてました


 

『ついに来週は生誕祭! 町は生誕祭本番に向け、大きな盛り上がりを見せています!今日はその熱気をお届けしたいと思います!』 

 

テレビを点けた途端、マイクを持ったリポーターが宣言した。

 

だからなんだと言うこともなく、俺達は夕食に舌鼓を打ちながらその映像を見つめる。

 

リポーターはセレブ御用達のレストランや、市民に人気のスイーツ店と様々な店を回り、その店の自慢の一品後口にしていく。 

 

レストランでは最高級の羊の肉だったり、スイーツ店では色鮮やかな果物で彩られたケーキと、如何にもセレブ御用達な品々だと思う。

 

「最近、いつも同じような番組をやってるな……この前はなんだったかな」

 

「確か……パスタ専門店の特集だな。ミートソースとカルボナーラについて色々リポートしてたぞ」

 

まあ、生誕祭という祭りが来週に迫っているというのもあって、テレビなどのメディアが町の飲食店やら、アミューズメント施設を取り上げるというのは分からなくもない。

 

けれど、俺達のように庶民的な暮らしに触れたばかりの連中からすれば、そんな贅沢をしている訳にもいかない。 

 

生活用品は勿論、日用品、自らの娯楽品、嗜好品といった品々を取り揃えるのも一苦労だし、そもそも何処で手に入るのかすら、いまいち把握しきれてないのだ。

 

それに、このリポーターが言うように最高級の羊肉など、手を出せる代物ではなく、市販のブロック肉が精一杯である。 

 

かといって、この番組が取り上げる情報が全くの無価値という訳でもなく、俺の関心は別の所にあった。

 

『ご覧ください! こちらでは数々の屋台が開かれ、多くの市民で賑わっております』 

 

リポーターが示した方向へカメラが向き、目の前の盛況を映し出す。

 

屋台で売られている物として、ミートパイやクレープといってた食品は勿論、熊のぬいぐるみやツリーの飾り物といった品々も見受けられる。

 

そして、何よりも行き交う人々の多くは俺達と同年代、あるいは少し上の世代ばかりであり、なおかつ男女二人組が殆どだった。

 

「共和国の革命祭もこんな感じだったのかな。あの時は少佐が花火を贈ってくれたけど」

 

「……」

 

目の前の少女がローストビーフを口しながら、かつてのことを懐かしんでいるの横で俺は思考を巡らせる。

 

そんな彼女を見ながら思い出すのは、我らが第4小隊の隊員にして、スピアヘッド戦隊の女子三人衆の一人の彼女(ミクリ)の言葉。

 

『初デートって男女の関係で最初の節目と言っても良いんだから、ちゃんと場所も考えなきゃ駄目よ』

 

流石、女子三人衆の一人と言うべきか、この手の話題には滅法強い。

 

ちなみに我らが第4小隊の男子達も良いサイトを見つけたと、慣れない携帯電話でメールをURL付きで送ってきてくれた。

 

尤も、その全てが訳が分からない販売サイトに飛ばされたのだが……

 

前なら同調(パラレイド)を使えば、すぐに情報共有することが出来たのだが、同調が使えない今、この携帯電話で連絡をとるしかない。

 

不便ではあるが、連邦という郷に入った以上、郷の常識に従う他ない。

 

それよりも、今の俺にとって重要なのはどうやって切り出すかである。

 

こんなテレビを見ながら、明日出かけようってのは流石に雰囲気的に有り得ない。

 

かといって、このまま考えていても、いつまで経っても切り出せないだろう。

 

「ユウ? さっきから、私のことをじっと見つめてるけどどうしたんだ?」

 

「えっ? あっ、いや、そのだな……お互い、この生活にも慣れてきたなって思ってさ」

 

この生活が始まった当初、生活用品や日用品といったものを手に入れるのに奔走していたのが懐かしく感じる。

 

共和国にいた頃は、民家の廃墟などから勝手に持っていけばよかったが、この連邦でそんな盗人紛いなことをするわけにはいかない。

 

ちゃんとした法治国家である以上、何かを得るにはちゃんとした対価を払わねばならない義務がある。

 

幸い、生活費に関しては政府から支援金という形で支給されているのもあって、連邦に来て早々に一文無しといった事態は避けることが出来た。

 

「そうだな……最初に出掛けた時なんて、ユウが軍服しか持ってないものだから、モールに行った時は注目の的だったな」

 

カイエがニヤニヤとあの時の光景を面白がるように言う。

 

確かに私服の少女の隣に軍服に身を包んだ奴がいれば、良くも悪くも目立つ。

 

そのせいで、モールを歩いている時はおろか、服屋の店員から奇異の目でみられる羽目になった。

 

「あの時は……仕方ないだろ? 私服はおろか、部屋着すら持ってなかったんだし」

 

「まあ、そうだけどさ……でも、なんかSPに守られてるみたいな感じがして、私は悪い気分じゃなかったぞ?」

 

「それは何よりで……」

 

俺としては滅茶苦茶、疲れただけだったのだが、彼女には意外にも好評だったらしい。

 

確かに、軍服着た奴がモールで一人の女性に付き添っているのを見て、要人警護をしていると捉えられるだろう。

 

尤も、軍服は貰い物で、当の本人は軍属ですらないのだが。

 

いや、今はそんな昔のことはどうでもいい。

 

今、俺が求めているのは彼女をデートに誘う切り口だ。

 

共和国にいたなら哨戒やら、散策やらでもっと気楽に誘えたんだろうが、この連邦に散策する廃墟も、市民が哨戒する義務はない。

 

「な、なあ……カイエ」

 

「ん? どうかしたのか?」

 

“ 明日、一緒に出掛けないか ”、そう伝えるだけなのに、一言たりともその言葉が出てこない。

 

顔が水を熱せられたが如く、紅潮して熱が高まっていく。

 

「あのさ、明日なんだが……その…」

 

今まで、自分からこうやって誰かを何かに誘ったりすることはなかった為か、このときばかりはダイヤや、クジョー達の行動力を羨ましく思う。

 

一旦、落ち着け……誘った後のことは、言った後に考えれば良いんだ。

 

半ば自棄になりながら、思わず声を張り上げた。

 

「明日、俺と一緒に――」『かわいい~!!』

 

突如、テレビから飛び出してきた大きな女性の声。

 

不幸なことに、俺が口を開いたタイミングて綺麗に合わさり、上書きされてしまった。

 

ああ、忘れてた……テレビ点けっぱなしだった。

 

「はは、テレビの電源が点いたままだったな」

 

カイエが脇に置いてあったリモコンを取り、テレビの電源を落とした。

 

そして、リモコンを再び脇に置き、俺へと向き直る。

 

「それで、ユウ。明日がどうしたんだ?」

 

「いや、その……ここでの生活も落ち着いてきたし、この機会に一緒に何処か遊びに行こうって思ってさ」

 

カイエの顔を見てられず、目を逸らしながらぶつぶつと口を開く。

 

そんな俺の様子を見ながら、カイエは笑みを浮かべた。

 

「それって……私をデートに誘ってるってことで良いのか?」

 

「ま、まあ……そういうことになるな」

 

それを聞いたカイエは、笑みを崩さぬまま返事を言った。

 

「ああ、ぜひ、行こうじゃないか。何処に行くかは決めてるのか?」

 

「一応、この前に行ったモールで映画館があったから、ニュースで話題になってた映画を観ようかなって思ってる」

 

「成る程……映画を終わった後も、食事とか買い物も出来るな。流石、ユウ。事前調査は万全だな」

 

我らがミクリ大先生の教えにあった、デートスポットな事前リサーチは万全である。

 

モールの映画館が開く時間は勿論、レストランのランチタイムやディナータイム、モール付近に存在する店についても調査済みだ。

 

ふと、カイエが何かに気付いたのか、俺へと向き直る。

 

「もしかして、さっきからユウが落ち着きがなかったのって、私をデートに誘おうとしてたからか?」

 

「うっ……さっきの俺って、そんなに変だったか?」

 

「そうだな……何かそわそわしてたし、話しかけても心ここに在らずって感じだったぞ」

 

戦場から離れて、もうそれなりになるが、俺は今まで戦場の雰囲気に甘えていたと改めて痛感する。

 

戦場では互いに明日が知れぬ身である以上、ある意味では肉体的、精神的にも解放されていた。

 

況してや、俺達のような86は娯楽というものはなく、戦場で必ず死ぬことが運命付けられていた為か、なおのことだった。

 

しかし、こうして明日、明後日のことを考えられる生活になってからは戦場を理由にすることが出来ず、さっきの俺のように何かを言い出すというのが難しく感じるのだ。

 

「そっか……悪いな、未だにこういうのは不得手でさ」

 

「いや、気にしなくて大丈夫だよ。それよりも嬉しかったよ、私の為にそれだけ考えてくれてたなんて」

 

そう言って微笑むカイエを見て、俺も安堵の笑みを浮かべた。

 

男として情けないことだが、今はこんな距離感の方が俺には良いのかもしれない。

 

そして、長い時間が掛かったものの、ようやく初めの一歩を踏むことが出来た。

 

とはいえ、俺の性格では次の一歩を踏むことも、相応の時間を要することになるだろう。

 

この生活がいつまで続くのかは分からないが、いつか必ず彼女に応えたいと切に思う。

 

まるで桜の花のように、小さくも可憐な笑みを浮かべる彼女に応えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

冷たい風が頬を撫で、思わず身体が震える。

 

連邦市民となって、市民としての生活が始まってそれなりになるが、この寒さにはまだ慣れない。

 

今の季節が冬というかこともあるだろうが、共和国の冬とは違って、防寒具を纏っていても身を刺すような寒さは、いくら元86であってもキツイ。

 

吐く息は白い煙のように揺らぎ、宙に消えていく。

 

そんな寒空の元で少年は、待ち人の到来を待ち続けていた。

 

「ほんと寒いな……マフラーよりもネックウォーマーとかの方が良かったか?」

 

とはいっても、今更取りに帰るのも面倒だし、未だに服飾を選んでいる彼女の邪魔をするのは無粋というものだ。

 

さて、肝心のモールまでは、それなりに時間が掛かるんだが……まあ、この時間なら歩いて行っても十分、間に合うか。

 

それに、ここは仮にも連邦の首都の一画だ。

 

連邦を見て回るという意味でも、いい機会だろう。

 

その時、入り口の自動ドアが開き、中の空気が風となってこちらへと吹き付ける。

 

そして、入り口の前には走ってきたのか、少し息を荒げた少女が一人。

 

「すまない! 遅くなった……」

 

「いや、そんなに待ってないし、大丈夫。それよりも、そのマフラーよく似合ってるよ」

 

「えっ? あ、ありがとう……」

 

ミクリ大先生の教え②、デートに行く相手の服装のチャームポイントを見つけてあげること。

 

胸を撫で下ろしているカイエは、茶色のコートに身を包み、薄いピンクのマフラーを首に巻き付けている。

 

茶色のコートという大人っぽい格好をしながらも、自身のチャームカラーでもある薄いピンクを混ぜるのは流石、カイエといったところか。

 

「ユウもその黒色のコート、似合ってるぞ。私が苦労して選んだ甲斐があったな」

 

「はは……その節ではお世話になったよ」

 

残念なことに俺は服飾を選ぶセンスが皆無のようで、実際、服を買いにいった日は殆ど、カイエに選んで貰った。

 

当の俺も着れれば良いというような考えであったため、生まれつきこういう性質なんだろう。

 

「それじゃ行こうか。時間はあるし、ゆったりとさ」

 

「ああ、今日はエスコートをよろしく頼むよ。ユウ」

 

差し出されたカイエの手を握り、カイエも俺の手を握る。

 

こういう時に、もっと距離を詰められれば、なお良いのだろうが、如何せん今の俺では恥ずかしくて出来そうにない。

 

普通の人々からしたら、遅すぎる一歩かもしれない。

 

けれど、今の俺には精一杯の一歩なのだ。

 

だから――

 

「なあ、カイエ」

 

「どうした? ユウ」

 

「――いや、やっぱりなんでもない」

 

今はこの小さな一歩の余韻に浸っていよう。

 

そして、次に誘う時はちゃんと伝えよう、自分の精一杯の言葉で。

 

そんな小さな誓いを空いた手で握りしめ、少年は少女の手を引いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて歩んだ廃墟の町とは違う、人の活気と蠢きで満ち溢れた世界。

 

焼き上がったパンを宣伝する白系種の女性、靴屋でブーツを選ぶ翠緑種の男性、スクールバッグを肩に掛けた緋鋼種の学生。

 

様々な人種で入り乱れる街道は、キャンパスを多種多彩な色で彩っているようにも思える。

 

「やっぱり、街の近くまで来ると賑やかだな」

 

「そうだな、どこの店も今の時間から開くらしいし、もしかしたら、掘り出し物とか見つかるかもな」

 

携帯の画面を点けると、表示された時刻は既に9時を回っている。

 

映画館が開くまで、一時間ほど余裕があるな……折角だ、少し辺りの店を覗いてみるか。

 

「あら、そこの可愛いお二人さん! 貴方達、写真に興味ない?」

 

突如、横からガタイの良いスキンヘッドの男性が声を掛けてきた。

 

「えっ? 俺達……ですか?」

 

「そう! 貴方達の初々しい姿を見てたら、ビビっとインスピレーションが沸いちゃった! どう? お試しってことで、タダで最高の一枚を撮ってあげるわよ?」

 

「あはは……どうしようかな」

 

い、いかん……この人の見た目のインパクトが強すぎて、話に付いていけてないぞ。

 

共和国の86にも、この連邦にも色々な人種がいたが、こういうタイプの人とは出合ったことがない。

 

そして、流石のカイエも衝撃を受けたのか、思わず苦笑いを浮かべながら口を開いた。

 

「はは……折角だし、良いんじゃないか? 記念に撮ってもらおう」

 

「そ、そうだな。それじゃお願いします」

 

男性は最高の素材を手に入れたと言わんかりの、笑みを浮かべた。

 

……なんだろう? なんか悪寒がするんだが、俺だけか?

 

「ウフ、この私に任せなさい。私、ギルベルトっていうの。そこの写真館の店主をしているわ」

 

男性が指した方に目を向けると華やかに彩られた看板が、視界に飛び込んでくる。

 

決して大きな建物という訳ではないが、レンガ造りの建造物からは趣を感じる。

 

「ユウヤ・カジロっていいます……えっと、よろしく頼みます。ギルベルトさん」

 

「カイエ・タニヤです。よろしくお願いします」

 

「ユウヤ君とカイエちゃんね。メリーちゃん! お客様のご来店よ!」

 

ギルベルトが写真館の入り口から出てきた金系種の女性へ呼び掛けた。

 

「は~い、お二人様、こっちですよ~」

 

呼び掛けられたメリーという女性はふわふわとした様子で応えた。

 

なんというか……個性的な人達だな、悪い人っていうわけではないんだろうけど。

 

女性の招きに連れられて、写真館の中へ入ると華やかなドレスやタキシードといった様々な衣装が展示されていた。

 

そして、展示されてる衣装の脇にはステッキや、造花の花束といった小道具が箱に入れられている。

 

「二人とも見る限り、極東のルーツね……なら、あの衣装が一番ね。メリーちゃん、カイエちゃんの着付けをお願い。私はユウヤ君の着付けをするわ!」

 

「は~い。じゃあカイエさん、こっちに来てね~」

 

「分かりました。それじゃ、行ってくるよ」

 

「あ、ああ……行ってらっしゃい」

 

……実を言うと、俺を一人にしないでくれと声を大にして言いたいが、そんなことは出来る筈がない。

 

「ウフフ、安心して。最高にカッコ良く仕上げてみせるわ!」

 

「お、お手柔らかにお願いします」

 

お、落ち着け……ただ、写真を撮るだけだ。

 

そう、ただ、写真を撮るだけ……しかも無料で。

 

「という訳で、とりあえず服を脱いでくれるかしら?」

 

「……はい」

 

正直、この人の前で服を脱ぐというのは、気恥ずかしさよりも、何かの危機感を感じるのだが。

 

とはいえ、既に写真館に招かれた以上、急にキャンセルという訳にはいかない。

 

「あら、イイ身体……ますます好みだわ」

 

「はは……あ、ありがとうございます?」

 

俺の身体を見て何処が良いのかは聞くまい、聞いてはならないと防衛本能が言っている。

 

「そういえば、外で見た時から思ってたのだけど、カイエちゃんとは付き合いが長いのかしら?」

 

「え? あっはい。だいたい4年ぐらいの付き合いになります」

 

背中に掛けられた衣装に袖を通しながら、彼の問いに答える。

 

当然ではあるが、俺達が連邦のニュースで話題となった共和国の86である事実は伏せられている。

 

それは俺達に限らず、ここへと辿り着いたスピアヘッド戦隊全員の共通事項だ。

 

「4年ね、やっぱり長いわね。見た時も初々しい夫婦って感じだったし」

 

「夫婦って……俺とカイエは別に……」

 

そうか……今まで考えもしなかったけど、今はそんな選択肢もあるのか。

 

壮絶な戦場から永遠に離れて、ここで静かに暮らしていく、今の俺達にはそうすることも出来る。

 

「あら、そうなの? でも、二人ともお似合いだと想うわ」

 

「はは……ありがとうございます」

 

此処に来た当初は戦場へ戻ることを希望した、俺達の生きる場所はもう其処にしかないと思っていたから。

 

けれど、こうして、ごく普通の生活に触れていく中で、この生活の良さを知った。

 

ただ家に帰って、何気ない話をして、次の日に備えて寝る。

 

明日、死ぬかもしれないと思うこともなく、誰が死ぬのかなんて考えることもない。

 

そんな平凡で、変化のない平和な世界。

 

けれども、骨の髄まで染みた戦場の感覚は、消えぬ違和感として今もなお残り続ける。

 

「で、実際はどうなの? ユウヤ君的にはその気はあるの?」

 

「いや、それは……」

 

この生活に違和感を感じる反面、この生活を続けても良いと思う自分。

 

戦場を忘れ、共和国に遺したものを捨てて、ここで一から自分の人生始めることだって出来るのだ。

 

「俺は……」

 

目の前の少年が言葉に詰まるのを見て、ギルベルトは笑みを浮かべる。

 

若いなと、少年を見ててそう思った。

 

「ユウヤ君もこれから色々あると思うけど、想いを伝えたい相手がいるのなら、いつかは伝えてあげないと……いなくなってからじゃ遅いからね」

 

「……ギルベルトさんは……そういう人が居たんですか?」

 

「ええ、でも……みんな、いなくなっちゃったから。ユウヤ君はダメよ? 私みたいな大人になっちゃ」

 

いなくなってからじゃ、遅い……か。

 

自分には時間があると思っていた、まだ選択の猶予がある気でいた。

 

でも、それは俺の勝手な甘い思い込みでしかない。

 

現実というのは、唐突にそんな甘い希望を、無慈悲に打ち砕いていくのを何度も痛感していた筈だ。

 

何度も喪って……幾度も悔やんできた筈だった。

 

「はい、湿っぽい話はお仕舞い! 写真に映るときくらいは最高の姿でいないと!」

 

そう言って、ギルベルトさんは衣装掛けの脇に置いてあった鏡を持ち上げ、俺の前に置いた。

 

「これは……」

 

「どうかしら? 二人とも極東のルーツみたいだし、コレが似合うって思ったのだけれど」

 

黒を基調とした生地によって、胴に巻かれた帯の模様が際立つ。

 

「着物、か……」

 

自分が生まれた国の衣服を見たことがない訳がないし、幼い時に何度も着る機会があった。

 

けれど、共和国に移住して、86となってからは、再び着ることはないと思っていたのだが……

 

ふと、後ろの更衣室のドアが開き、先程の金系種の女性が出てきた。

 

「ギルベルトさ~ん、こっちも終わりましたよ~」

 

「待ってたわ! メリーちゃん! 早速、撮影の準備よ!!」

 

「は~い、カイエちゃんも、ユウヤ君と一緒に部屋の外でちょっと待っててね~」

 

「わ、分かりました」

 

そう言って、カイエも更衣室の外へと出てくる。

 

カイエが着用している着物は、桃色の生地に桜の花が描かれ、一歩進む度に、その花弁が揺らいでいるように見える。

 

また、髪型もいつものポニーテールではなく、花を模した髪飾りで束ねていた。

 

「ど、どうかな……?」

 

「いや、普通に見とれてた……似合ってるぞ」

 

今のカイエは端から見れば、同年代の少女ではなく、何処かのお姫様、あるいは名家のお嬢様にも見えるかもしれない。

 

「そういえば……着物を見るのは、特別偵察以来だったか」

 

廃墟の街でアンティークショップの一画にあった花の刺繍で彩られた一着の着物。

 

あの時は見てるだけだったが、こうして着てみると、やはり懐かしさを感じずにはいられない。

 

「お二人さ~ん、準備が出来ましたので、こっちへお願いしま~す」

 

「分かりました」

 

ふと、先程の言葉が脳裏を過った。

 

“いなくなってからじゃ遅い” けれど、俺達のこれからがどうなるのかも分からない。

 

また、戦場に戻ることだってあるだろうし、戦場から離れて連邦の一市民として生きていく選択肢もある。

 

「うん、やっぱり私の目に狂いはなかったわ! これは今季の中でも最高の一枚になるわよ!!」

 

戦場と平穏、どちらを選ぶのか。

 

「では、初々しい二人の門出を願って!」

 

「なっ!?」

 

カシャッという音と共に、シャッターの閃光が目に飛び込む。

 

一月前なら答えられた問いの答えを、俺は出すことができなかった。

 



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21話

お久しぶりです。体調を崩してしまい、投稿が大幅に遅くなってしまいました。


『好きだ』

 

相手への愛しさを現すその言葉。

 

たった三文字の、それだけの言葉を伝えられる人は一体、どれほどいるだろう。

 

秘めた思いを伝える気恥ずかしさは勿論、関係が変わることへの不安や敗れた時の恐怖というのは計り知れない。

 

だからこそ、人は逃げ道を作りたがる。

 

『好き』という言葉に幾多の言い回しがあるように、自分の傷が深くならないよう、互いの秘密にするためにも、古来から人は多くの逃げ道を用意してきた。

 

されど、人は逃げ道を作ったにも関わらず、その言葉に一種の憧憬を抱く。

 

ある時は夢となり、それは字となり、字から詩へと、詩は物語へと――憧憬は創作として形へとなっていく。

 

故に人の恋の物語というのは、多くの人々を惹き付けるのだろう。

 

誰しも、誰かと特別な関係になりたいと思うことがある。

 

それは連邦の市民、共和国の市民、俺達のような86にだって当てはまるのだ。

 

「おお……」

 

スクリーンに映し出される情景に目を奪われている彼女のように、人とは存外、夢見がちな生き物なのだろう。

 

スクリーンの木葉が風に吹かれて舞った。

 

それは新しい始まりを告げるように、或いは止まった時が再び動き出すかように。

 

『わたしはあなたが好きです』

 

木葉が舞い上がった空は雲一つない青空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画館から出ると、何か世界が変わったような感覚に包まれる。

 

夢が終わってしまったような、現実に引き戻されたような、言葉にし難い複雑な感覚。

 

これが良い映画を観たというものなのだろうか?

 

「凄かったな……なんというか、ずっと目が離せなかったよ」

 

「流石、ランキング一位の映画だな。テレビで観たドラマとかとは、全然違う」

 

内容としては、ありきたりな少年少女の恋愛であったが、彼らの馴れ初めから関係が深まっていく過程を急かし過ぎず、適度に焦らして描くのは秀逸と言える。

 

尤も、比較になるような映画のレパートリーなど持ち合わせていないのだが。

 

「ふう……モールもだいぶ賑わってきたな」

 

「もう昼時だからな。俺達も軽く何か食べていくか」

 

とはいえ、先程までポップコーンを口にしながら映画を観ていたのもあって、空腹かと言えばそうではない。

 

かといって、腹が満たされているというわけでもなく、何か軽く食べられるものが欲しいところだ。

 

「そういえば、来週は生誕祭だし、表でお菓子とか売ってるかもな。折角だし見に行ってみるか」

 

「良いなそれ。そうと決まれば、全速前進だ!」

 

お菓子というワードを聞いた途端、カイエは俺の腕を引っ張って行く。

 

「ちょっ、引っ張んなって……そんなに急がなくてもお菓子は逃げないぞ?」

 

「いや、スイーツ巡りというのは、時間と他の客との戦いなんだ。少しでも遅くなったら売り切れてしまうなんてザラなんだぞ?」

 

「そ、そうか……」

 

連邦に来てからそれなりになるが、どうも彼女は期間限定やら、当日限定といったワードに弱い。

 

確かに限定と付く以上、普段は手に入らない貴重な代物というのは分かる。

 

しかし、今のように、対象がスイーツとなった途端、彼女のスイッチが入る。

 

こうなった以上、俺に止める術はない――ただ一つの方法を除いて。

 

「これ……俺の腹が保つかな……?」

 

どうやら、これは彼女の別腹を満たすまで、付き合うことになりそうだ。

 

そうして少年は、意気揚々と腕を引きながら、外へ歩みを進める彼女の傍らで一つの覚悟を決めた。

 

これから、舌と胃に迫るであろう甘味の暴力に対して……

 

 

 

 

 

 

 

 

視界が白濁の物体に覆い尽くされ、味覚は過度な甘味に麻痺する。

 

「クリーム……クリームの海が襲い掛かってくる……」

 

「だ、大丈夫か?」

 

今は何も口にしていない筈なのに、口の中では今もなお、溺れる程のクリームが詰め込まれているようだ。

 

校内で尚も拡がり続ける幻の甘味は味覚を侵食し、もはや視覚も触覚すらも侵していた。

 

「私もさっきのクレープは確かに効いたな……凄くクリームが多かったし」

 

「というか、殆どがクリームだろ……生地とかフルーツとか食べた感覚がなかったぞ」

 

別に先程食べたクレープが決して美味しくなかった訳じゃない。

 

むしろ、普通に美味しいクレープだったと思う。

 

けれども、何事にも限度があるように、何度も甘味を摂り続けるというのは流石の俺でも堪える。

 

というか、隣でフルーツジュースを口にしている彼女は何故、平気なのだろうか?

 

彼女も先程、俺と同じクレープを頼んでおり、何ならその手に持ったジュースは追加で購入した物である。

 

それにも関わらず、当の本人はけろっとしているのだからなおのことだ。

 

これが世に言う、『甘いものは別腹』というやつなのだろうか……

 

「何か飲み物を買ってこようか? コーヒーとか」

 

「ああ、情けないけど頼む……お金は後から返すよ」

 

腰掛けていた長椅子を立ち上がり、人混みの中へ駆けていくカイエの背中を見送る。

 

我ながら情けない醜態ではあるが、何かで口の中をリセットしない限り、この幻の味覚に苛まれ続けるだろう。

 

「はぁ……当分、甘い物は要らないな」

 

未だに口内に残り続けるクリームの風味に思わず、ため息をついてしまう。

 

そして、顔を上げると紅い双眸がこちらを見つめていた。

 

「……」

 

見る限りだと、八から九才あたりの年頃だろうか……何時からかは分からないが、こちらをじっと見つめている。

 

当然だが、彼女がこちらを見つめる理由なんて知らないし、況してや彼女が喜びそうなものなんて持ってすらいない。

 

迷子か……? 困ったな、近くに迷子センターとかあったっけ……?

 

「そこのお主」

 

こちらを見つめていた少女が、古臭い口調で誰かを呼んだ。

 

少女が知る誰かが近くにいると思い、周囲を見渡すが、それらしい人はいない。

 

「ええい! そこに座っているお主じゃ!!」

 

「……俺?」

 

紅い双眸の幼女はそうだと言わんばかりに頷いた。

 

「すまない。迷子センターに連れていけって言われても、場所が分からないんだ」

 

「誰が迷子じゃ! まったく、お主もあやつと同じで――ッ!?」

 

ふと、幼女がその偉そうな口を閉じて、何かに脅えたように顔を引きつらせた。

 

……彼女の地雷か何かを踏み抜いてしまったのだろうか?

 

「そなた……何故――」

 

「――ユウ?」

 

幼女の背後から、幼女と同じ紅い双眸を持った青年が現れる。

 

共和国にいた頃と違い、首にはスカーフの代わりにマフラーを巻いているが、その姿を見間違える筈がない。

 

「シンか。久しぶり」

 

「ああ、久しぶり。ちゃんと出所できたんだな」

 

この死神様は俺がいつ、何処で犯罪を犯して捕まったというのだろうか?

 

それはさておき、連邦でごく一般の生活をするようになってから、カイエを除いたかつての隊員と顔を合わせたことはなかった。

 

それ故か、こうして顔を会わせると再会の喜び共に懐かしさを感じる。

 

「珍しいな。ユウがこうやって外に出掛けているなんて」

 

「別に珍しくはないだろ……そもそも、今回は俺の個人的な理由だし」

 

ふと、シンは何かを察したように薄く笑みを浮かべる。

 

「そうだな……今はカイエとのデート中だったな」

 

「ぶっ……な、何でそれを?」

 

「皆、口が軽いからな。今はユウとカイエの話題で持ちきりだぞ?」

 

そうだった……この戦隊は良くも悪くも情報が伝播するのが早いんだった。

 

特に女子勢やクジョー、ハルト辺りに伝われば、瞬く間に全員に知れ渡る。

 

「フッ……そう気を落とすなよ、二人のことは応援するし、皆もそれは一緒だから」

 

「そ、それはどうも……」

 

なんか言いくるめられた気がするが、とりあえず今はいいだろう。

 

「お主ら! 妾を除け者にするでない!!」

 

おっと、久しぶりに積もる話もあって、この子のことをすっかり忘れていた。

 

「えっと……シン、迷子センターって何処にあるか分かるか?」

 

「ここから向かいの建物に入った所だ」

 

「シンエイ! お主は妾のことを知っておるだろうが!!」

 

「……もしかして、この子ってシンの親戚か何か?」

 

シンと同じ黒髪に紅い双眸、何よりもこの子はシンのことを知っているみたいだし……有り得ないとは言い切れないだろう。

 

しかし、シンは首を振りながら即答した。

 

「まさか」

 

「そ、そうか……」

 

まあ、シンの親戚ではないにしろ、とりあえず知り合いみたいだし……俺が下手に首を突っ込まない方がいいか。

 

「まったく……さて、お主。そなたの名は?」

 

「えっ、ユウヤだけど……?」

 

さっきから思っていたが、この幼女はどうしてこんな古臭い話し方をするのだろう?

 

まるで物語に出てくる女王や、貴族のような話し方……これが所謂、中二病というヤツなのだろうか。

 

「フム、ユウヤとな。妾はフレデリカ・ローゼンフォルト。そこのシンエイには既に言ったが、大ギアーデはそなたらの来訪を歓迎するぞ」

 

……身体は小さい割に、態度だけは大きいな。

 

まあ、俺よりも背が低い身体でそんな事を言われても、威厳など欠片もないのだが。

 

「ユウ、とりあえずコーヒーを買ってきたけど……って、シンじゃないか」

 

「ああ、久しぶり。カイエ」

 

そうこうしていると、両手に紙コップを持ったカイエが人混みの中から出てくる。

 

「珍しいな。シンがこういうお祭りに来るなんて」

 

「いや、本当は来るつもりはなかったんだが……ユウがフレデリカを拐わないか心配でな」

 

「ちょっと待てや。何で俺が誘拐犯になってんだよ?」

 

むしろ、迷子センターに連れていこうとした優しいお兄さんではなかろうか?

 

ふと、傍らで俺達のやり取りを見ていたカイエが悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべた。

 

「ああ……なんてことだ。折角、出所したばかりなのに、また司法のお世話になってしまうなんて」

 

「カイエさん? いつ、俺は前科持ちになったんですかね?」

 

というか、俺に関しては国の都合で拘束されていた身である。

 

悪いのは俺じゃない、国のお偉いさんが全て悪いのだ。

 

「大丈夫だ。今から自首すれば、罪は多少は軽くなる筈だ」

 

「自首もなにも無実なんですけど!?」

 

こうやって無実の罪人は生まれていくのか……理不尽にも程がある。

 

ふと、俺達の茶番を後ろで眺めていたシンが小さな声で呟いた。

 

「……そうか。ユウは帰る場所を見つけたんだな」

 

「シン……?」

 

そんな事を呟いたシンは何処か寂しげで、今にも折れてしまいそうに見える程、弱々しく思えた。

 

「ユウ、俺達はそろそろ行くよ。二人の時間をとって悪かったな」

 

「えっ? あ、ああ……分かった。またな、シン」

 

「なっ!? シンエイ! 妾を置いていくでない!」

 

俺達に背を向けて歩いていくシンの後ろを追うフレデリカ。

 

その姿は、二人の容姿も相まって本当に兄妹のように見える。

 

「ハハ……嵐のような二人だったな」

 

というか、シンとカイエの二人に良いように弄られただけだった気がするが……

 

まあ、こうやって久しぶりに会った仲間と他愛もない話や冗談を交わすというのも悪い気はしない。

 

「でも、こうやって顔を合わせられて良かったよ。向こうもそれなりに暮らしていけてるというのが分かるし」

 

「俺としては料理の腕の改善の有無に興味があるけどな」

 

「シンは……どうだろうな? 練習しているイメージが湧かない」

 

共和国にいた頃にクレナはアンジュと一緒に指導した結果、ほんの少しの改善が見られた。

 

しかし、料理というのは経験がものを言うもので、練習を継続しなければ、たちまち振り出しに戻るだろう。

 

況してや、戦隊の皆が承知の料理下手なら尚更である。

 

「まあ、一緒に暮らしている奴は気の毒だが、帰ったらダークマターが食卓に置かれていることを覚悟しておいた方が良いかもな」

 

「ダークマターって……否定できないな」

 

かつて、夕飯の当番をシンに任せたときの惨状を思い出したのか、カイエも思わず苦笑いを浮かべた。

 

哨戒という名の散歩から帰ってみたら、元が何なのか分からない物体が食卓に並んでいたのだ。

 

その時、食堂にいた者は勿論、帰って来た俺達も思わず天を仰いだのを覚えている。

 

むしろ、どうやったら厚い猪の肉が硬いダークマターに変わるのか……今となっても謎である。

 

そんな、懐かしい出来事を思い出していると、先程のシンが呟いた言葉が脳裏を過る。

 

『ユウは帰る場所を見つけたんだな』

 

帰る場所……そうか、もうシンには何もないのか。

 

討ち果たす兄の存在も、自らが存在した証を託した人も――

 

今までも、 シンはずっと置いていかれてばかりなのだ。

 

兄にも、仲間にも、少佐にも――思いを託していた者は彼の元から皆、去っていく。

 

故にシンには帰る場所がない。自分のいたい場所、いるべき場所はもう存在しないのだから。

 

そして、今のシンにとって帰るべき場所――自分の思いを託した相手こそ――

 

「はぁ……」

 

どうしようもない無力感に思わずため息を漏らす。

 

死神は死なず……誰が言った言葉だったか。

 

結局、花を供えてもらうつもりが、こっちが供える側になってしまった。

 

レギオンが何処まで進んでいるかは分からないが、共和国が地図から消えるのは時間の問題だ。

 

あの時の少佐が言った質問……ちゃんと考えておけばよかったな。

 

「……苦っ」

 

再び、口にしたコーヒーは今まで飲んできたどのコーヒーよりも苦かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

世界はどうしようもなく、醜くて、汚くて、残酷なものだ。

 

人が人を豚として蔑み、あらゆる責任を転嫁する。

 

一つの技術の為に、多くの少年少女を実験台として平然と犠牲にしてきた。

 

御伽のようなヒーローや救世主なんてものはなく、踏みにじられた者は延々と踏みにじられ続ける。

 

『ユウ! もう少し右だ!」

 

『分かってるよ! あと少し、アームを寄せれば……』

 

でも、それはあくまで人間の主観、倫理観による勝手な解釈にすぎない。

 

この世界は本来、弱者は生きていくことすらできない弱肉強食の世界だからだ。

 

だからこそ、俺達が踏みにじられ、虐殺されるのは、ある意味では世界の摂理の原点に還ったとも言えるかもしれない。

 

生まれ、立場、情勢によってどんな人間であっても簡単に弱者となり得る。

 

それでもなお、俺達は抗い続けた、戦場で迫る死と戦い続けた。

 

ただ死んでたまるか、己が死ぬ前に何かを――それだけを頼りにして。

 

『よし、きたっ!!」

 

『おお!よくやった!!』

 

だからこそ、人だけがこんな世界に美しさ、愛おしさを抱くことができる。

 

こんな生と死という結果しかない、抗うことしか出来ない摂理の中、生きる意味、目的を見出だせるのかもしれない。

 

思えば、人擬きと呼ばれた俺達(86)が人間の生きる理由を考えるということ自体、おかしなことである。

 

けど、そうでもしないと絶死の運命を受け入れられなかったのかもしれない。

 

きっと、この連邦――殆どの国に住む人々は生きる意味、死ぬ意味なんて考えもしないだろう。

 

俺達がまともじゃないからかもしれない。

 

こうして平穏を与えられてなお、戦場に執着しているのは、正気の沙汰ではない筈だ。

 

では、俺達はどうすればまともでいられたのだろう?

 

肌の色? 生まれた時代? 生まれた場所?――何が足りなかったのだろうか。

 

『ユウは、やっぱり凄いな!』

 

彼女が微笑む――かつて桜花の名前を携えて共に戦った彼女が。

 

脳に伝わる積もった雪が融けていくような暖かな衝動。

 

ああ、そうか……そうだった、俺はずっとそうだったのだ。

 

『喜んでもらえたのなら、何よりだよ』

 

俺は何時だって彼女に救われていた。

 

共に戦った仲間が戦場で散っていく中、傍らにずっといてくれた。

 

自棄になっていた俺に親しみと愛おしさ――人を慈しむ感情を与えてくれた。

 

『……カイエ、ありがとう』

 

『ん? いきなりどうしたんだ? 私が何かしたか?』

 

『いや、別に気にしないでくれ。それよりも夕食の時間が近いし、何処か良いところを探そう』

 

ここに来てから、ずっと問い続けた答えはすぐ傍にあった。

 

なら、俺がこれからすべきことは、とうに決まっている。

 

そんな思いを胸に、右のポケットの中に入れてある"ソレ"を握りしめる。

 

ポケットの中にある"ソレ"はいつの間にか暖かな熱を帯びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

不意に吹いた冷たい風が頬を撫でる。

 

けれど、食事の熱で火照った身体にはむしろ丁度良い冷たさだ。

 

「すっかりこんな時間か……」

 

周りを見ると、既に陽は彼方へと沈み、街灯や通りの店の明かりが街を彩っていた。

 

「あ~……もうお腹いっぱいだ」

 

「あれだけお菓子を食べた後で、よく胃が保つな。俺はしばらくは菓子類を見たくないぞ……」

 

お菓子がトラウマになるというのもおかしな話ではあるが、クリームの幻覚に苛まれるのはもう勘弁願いたい。

 

「言っただろ? 甘いものは別腹なんだ。それに夕食に関してはユウも同じものを食べてたじゃないか」

 

「まあ、あれから色々と歩いて回って、腹も減ったからな」

 

俺の両肩に掛けられた紙バッグはそのときの戦利品である。

 

タイムセール、限定セット……この単語を何度、耳にしただろうか。

 

とはいえ、満足気に戦利品をながめる彼女を見ていると、怪我の功名とまではいかないにしても、頑張った甲斐があったと思う。

 

「ハハ……でも、今日は本当に楽しかったな」

 

「それは何より。慣れないことをした甲斐があったよ」

 

それから、他愛もない言葉を交わす。

 

今日はどうだったか、何が美味しかったか、どんなものを買ったのか――

 

そうして、冬の夜の空気を身体で感じながら、彩られた街を歩いていく。

 

ふと、広場の巨大な松の木の姿が目に飛び込む。

 

きらびやかな装飾で彩られた樹木の下で、若いカップルや幼い子供を連れた親子、老夫婦が笑顔を浮かべて談笑している。

 

「やっぱり賑やかだな……共和国でも、こういう催しとかあったのかな?」

 

「あったんじゃないかな? 確か、何処かの戦線でイベントの装飾がされたままの地区があったし」

 

そのときも丁度、今ぐらいの時期だった気がする。

 

レギオンとジャガーノートの残骸が横たわる中、大きな松の木の

てっぺんに星の飾りがあった。

 

明かりも、人も、何もかもがなくなった場所で寂しく輝いていたのを今でも覚えている。

 

もし、戦争がなかったら、目の前の彼らのように人々が笑顔で行き来う場所になっていたのだろうか。

 

「あっ……雪だ」

 

彼女の声に釣られて、空を見上げる。

 

一面の黒と僅かな星明かりに彩られた空から、白い粒が降り落ちていた。

 

空から落ちた白い粒達は街の明かりを反射して、まるで宝石のように煌めく。

 

「綺麗だな……」

 

「そうだな……昔ならそう思いもしなかったな。……カイエ」

 

「ん、なんだ? 急に改まって……」

 

俺達が謳歌している平穏もいつまで享受できるかなんて分からない。

 

連邦は共和国に比べて、レギオンに対してある程度の優勢を保てている。

 

けれど、レギオンがいつ連邦の優勢を崩して、攻め入ってくるのかなんて誰にも分からない。

 

少なくとも、俺達はそれを身を以て思い知らされた。

 

既にレギオンは人間の予測を遥かに超える進化を遂げている。

 

だから、この平穏も……いつ消えてもおかしくはないのだ。

 

「……最初、連邦に来たときは戦場に戻ろうと思った。今さら、普通の生活をしたって馴染めないと思ったから」

 

「……」

 

「けど、今はどっちが良いのか……分からなくなった。この生活に違和感があるのは変わらない。でも……この生活を続けても良いって思うようにもなった」

 

いつかは選ばなくてはならない、この二つの選択肢。

 

それを選ぶのは、今のこの瞬間なのだ。

 

「でも、あの時のようにレギオンがいつ、こっちに向かって撃ってきてもおかしくはないんだ」

 

きっと、カイエもそれは分かっている。

 

現に仲間をそれで失って、二度目は自らも死にかけた。

 

「だから、俺は決めた。俺は……"戻る"よ。皆を――お前を守るために」

 

この生活に馴染めないからじゃない、この平穏を守るために戦う。

 

レギオンという進化する絶対の脅威がいる以上、いつこの街が撃たれてもおかしくはないのだ。

 

「だから……今のうちに……生きている内に伝えておこうと思う」

 

一拍、大きく息を吐く。

 

「共和国でお前に出逢って……俺は救われた。人擬きの86から僅かでも人間に戻れたんだ」

 

「ユウ……」

 

「そして……今も掛け替えのない感動と思い出を貰った」

 

ずっとポケットの中で握りしめていた"ソレ"を取り出した、

 

「だから……俺が"此所にいた証"を貴女に預けます。だから、貴女の"これから"を俺に守らせてください」

 

開けられたケースの中で銀色の二つの指輪が煌めく。

 

銀の桜の花には、銀の蝶が止まっている。

 

「……フフっ。なぁ、ユウ……それは私に対してのプロポーズって捉えても良いのかな?」

 

「えっ? あ、その……うっ……そう捉えて貰っても……構わないぞ」

 

カイエが微笑む、とびっきりの笑顔で。

 

「ユウは私に救われてたって言ってくれたけど……私もユウにずっと救われてたんだよ」

 

カイエの手が俺の手に重なる。

 

互いの体温、脈拍さえも混ざり融けていく。

 

「ユウは私を初めて仲間として見てくれた。そして、私の命も心も救ってくれた。ユウがいてくれたから、私はここまで来れた」

 

重なった手に指が絡んでいく。

 

「こうしてユウが手を重ねてくれるから……怖くてもレギオンに立ち向かえた」

 

心臓が一際、高鳴るのを感じる――破裂してしまいそうな勢いで拍動する。

 

そんな中、彼女は言葉を続けた。

 

「――ユウヤさん。私の"これから"を全部、貴方にあげます。だから……貴方の"これから"を全部、私にください」

 

頭の中で火が燃えているかのような熱が思考、感覚さえも揺らいでいく。

 

「カイエ……」

 

「あの時、言っただろ? ユウが背負っているものを私にも背負わせて欲しいって、だから、ユウが戻るのなら、私も一緒に行くよ」

 

「けど……」

 

戦場に戻るということは、再びレギオンの脅威に直接、晒されることになる。

 

あの時のような……或いは、さらに酷いことだって起こり得るだろう。

 

「私だってユウのことを守りたい。ユウとは対等でいたいんだ。それに――」

 

カイエが悪戯を思い付いたかのように、笑った。

 

「ユウが他の女子を口説いてないか、見張らないといけないからな」

 

「いや、口説いてないし……今までもそんなことはなかっただろ?」

 

「さあ、どうだか? ユウは案外、無自覚なところがあるし、肝心の本人は朴念仁だからな」

 

無自覚って……今まで、そのようなことがあっただろうか?

 

「ユウ、その指輪を嵌めてもらっていいかな?」

 

「えっ? あ、ああ……」

 

銀色に煌めく指輪をケースから取り、差し出された左手の薬指へと嵌める。

 

まるで型にすっぽりと収まるかのように、嵌められた銀色の指輪を見て、彼女は微笑む。

 

「なあ、ユウ」

 

「ん? どう――」

 

唐突に柔らかい湿った感触に唇が塞がれる。

 

そして、互いの唇が離れると、目の前の彼女はしてやったりと言わんばかりに微笑んだ。

 

「フフ……まずいな、一回だけじゃ全然、足らないな」

 

「奇遇だな。俺もだ」

 

今度は自分から。彼女の唇に自分の唇を重ねた。

 

互いの拍動と熱で融けてしまいそうな感覚に襲われながら、この胸の高鳴りに身を任せる。

 

好き、大好き、愛している――この胸の高鳴りを表現するにはどんな言葉であっても不足だろう。

 

唇を話すと、彼女が再び微笑んだ。

 

「一つ我儘を言っても良いかな? ……今日はこのまま帰りたくない。まだ一緒にいたいんだ」

 

「そうだな……折角だし、今日は外泊で良いかもな」

 

互いの手を重ね、再び七色に彩られた夜の街へと戻っていく。

 

彼らがこの後、何処へ行ったのかを知る者は誰一人としていない。

 

夜の街がそんなことを問うはずもなく、彼らを受け入れるのみだ、

 

周囲に夜の帳が落ちようと、街はまだ眠らない。

 

夜の街は目覚めたばかりなのだ。




皆さんもお身体にはお気をつけください……


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22話

更新、大変遅くなり申し訳ありません。最近は仕事も忙しくくなって、あまり執筆の時間が取れていませんでした。クリスマス、年末と更に更新が遅くなると思いますが、どうかお付き合いください……


これはきっと、俺が失くしてしまったであろう思い出だ。

 

確かにあったと分かるなのに、その記憶がない。

 

その思い出では、周りで白い肌、白い髪の人々がストリートを行き交っている。

 

それもそのはず、此処は確か共和国の首都の一画だったからだ。

 

田舎や衛星都市ならともかく、ここに居るのは基本的に白系種のみだろう。

 

しかし、純白の人の往来の中、道路脇に赤と黒の異なる色があった。

 

若い夫婦が子供の手を引いて、その往来の中を歩いていく。

 

二人に連れられている子供はどこか居心地が悪いのか、周りを頻りに気にしていた。

 

往来の人々は目だけをその子供に向ける為か、頻りに辺りを見回す子供の姿がよく目立つ。

 

その子供には、この国で友達と呼べる人はいなかった。

 

国民の多くが白系種であるこの国は、異なる色を持っているだけで寄異の目で見られる。

 

子供はその目を向けられるのが嫌で仕方がなかった。

 

自分は此所にいてはいけないと言われてるみたいで、誰もが仲間外れにしているみたいで、

 

ふと、向かいの道路を見ると、赤い髪の男性が黒い髪の少年をおんぶしていた。

 

おんぶされている少年は、男性の眼鏡を取ったり、頬を引っ張ったりと悪戯をしており、当の男性は苦笑いをしながら、されるがままだった。

 

あの二人は兄弟なのだろうか、それとも親戚だろうか?

 

そのどちらにせよ、子供にとっては羨ましい光景であった。

 

「大丈夫よ、いつかは――にもお友達がいっぱいできるから」

 

子供と同じ黒い髪の女性は優しくそう言う。

 

その“いつか”は一体、いつになるのだろう?

 

明日? それとも来週、はたまた来年だろうか。

 

それを聞いても、女性は“いつか”としか答えない。

 

この女性が『そうなる』と言ったことは必ず言うとおりになった。

 

けれど、子供にとって “いつか”と言われても、実感なんてないし、況してや肝心のその時が分からないのだ。

 

「今はまだ、難しいかもしれないけど。――は優しい子だから、すぐに沢山のお友達が出来るよ」

 

赤い髪をした男性は空いた手で子供の頭を撫でる。

 

ふと、目の前の信号が赤へと変わり、人々の往来が止まる。

 

車道の信号が青へと変わると、停止していた車や路面電車が一斉に動き出した。

 

「そうだ、――。父さんと一つ約束をしようか」

 

子供の頭を撫でながら、赤髪の男性は微笑みながら言った。

 

「きっと、――はこれから沢山の人達、お友達と出会うだろう。そして、何度も別れを経験するだろう」

 

子供は首を傾げる、男性が言うことの意図が分からないと言わんばかりに。

 

それでも、男性は言葉を続けた。

 

「でも、 だからこそ……父さんと母さんと約束をしよう」

 

男性は一拍、置くとその“約束”を口にした。

 

『――――――』

 

かつて交わした約束。きっと、この子供は忘れてしまったのだろう。

 

まるで壊れたビデオテープのように焼け落ちてしまった記憶。

 

この途切れた空白の言葉が何だったか。

 

いくら考えても、何度、思い出そうとしても、その一文字さえも脳裏に浮かぶことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の冷たい空の下でも、公園には何かと人が集まるものだ。

 

ボール遊びに興じる幼い子供、それを見守る母親。

 

別の方を見れば、ベンチに腰掛けて談笑している老夫婦。

 

以前、デートの際に行ったショッピングモールと比べれば、その数は少ないかもしれないが、ここにも様々な人々が集う。

 

これも人が多い証拠であり、何よりも平穏が保たれている証でもある。

 

まあ、目の前の光景を客観視している俺自身は、特に理由もなく辺りをぶらついていただけなのだが。

 

ふと、口から漏れた白い大きな欠伸と共に、子供の泣き声が向かいから聞こえてくる。

 

「お母さん! 風船! 風船が!!」

 

「もう! ちゃんと持ってなさいって言ったでしょ!」

 

その声がする方を見ると、大きな樹の枝に引っ掛かった赤い風船を指差しながら子供が泣いている姿と、困ったと言わんばかりの表情を浮かべた母親の姿が目に映る。

 

状況から察するに、あの子供が風船を誤って手放してしまい、それがあの樹に引っ掛かってしまったようだ。

 

「お母さん! 取って!!」

 

「お母さんの背じゃ届かないわよ……こら! 危ないからやめなさい!」

 

「やだ! 風船!!」

 

母親が諦めさせようとするが、子供は一向に聞かず、あろうことか、幹に足を掛けて登ろうとする。

 

当然、母親はそれを止めるが、そうすると子供はより一層、大きな声で泣いた。

 

子供の方も大変だけど、親ってのも色々と苦労するものなんだな……

 

尤も、子供がいない上に、自分の両親のことさえも殆ど思い出せない俺が親子の大変さを語るというのもおかしなことだ。

 

とはいえ、このままでは、あの二人のやり取りは永遠に終わらないだろう。

 

自分が座っていたベンチから立ち上がり、大きな声で泣く子供の所へ歩き出す。

 

「ひぐっ……ううっ……?」

 

そして、嗚咽を漏らし、目元を赤く腫らした子供の小さな瞳が、歩み寄る俺へと向く。

 

子供からしたら、いきなり見知らぬ男が自分へと歩み寄ってくるのだ、流石に少しの警戒はするだろう。

 

そんな子供の警戒心を和らげるべく、優しい声のトーンを意識しながら、子供へ声を掛けた。

 

「こんにちは。よかったら、お兄さんがぼくの風船を取ってあげようか?」

 

「ううっ……ほんと?」

 

「ああ、大丈夫。お兄さんを信じて」

 

「あの本当に良いんですか? けっこう高いところに引っ掛かっちゃってますけど……」

 

子供の母親が申し訳なさそうに言うが、俺としてはこの程度なら全然、登れる高さである。

 

「ええ、大丈夫ですよ。少し離れててくださいね……っ!」

 

軽い助走をつけて、勢いよく樹に飛び付き、その勢いに任せて、樹の枝と幹の凹凸を掴み、登り詰めていく。

 

そして、赤い風船が引っ掛かってる枝と同じ高さまで登ると、赤い風船へと手を伸ばす。

 

無理に引っ張ってしまうと、小枝によって割れてしまう為、ゆっくりと手を伸ばし、近くの小枝を避けながら手繰り寄せていく。

 

「よし……これで大丈夫」

 

手繰り寄せた風船を抱え、地面へ飛び降りる。

 

ダンッという大きな着地音とともに、小さな砂煙が舞った。

 

目を丸くして、その様子を見ていた子供に抱えた風船を差し出す。

 

「わぁっ……お母さん! 風船取ってくれた!」

 

「すみません。うちの子の我儘に付き合わせてしまって……ほら、お兄さんにちゃんとお礼を言わないとダメでしょ?」

 

「うん! ありがと!! お兄さん!」

 

「どういたしまして。大切なものなら、今度は離しちゃ駄目だぞ?」

 

風船を大事そうに抱える子供を見て、思わず笑みが漏れる。

 

もし、自分に子供が……あるいは小さな弟がいたとしたら、こんな感じで我儘を言われたりするのだろうか?

 

あるいは、自分がこれくらいの年の時には両親にこうやって我儘を言ったりしてたのだろうか……

 

「お母さん、帰ろ!」

 

「そうね……すみません。本当にありがとうございました」

 

「いえいえ……これくらいの事なら全然、大丈夫ですよ」

 

子供の母親が軽く会釈して、子供の手を取って歩き出す。

 

母親に手を引かれながら、時折、子供がこちらへと振り返り、大きな声で言う。

 

「お兄さん! ありがと!」

 

風船を持ちながら振る腕に、こちらも軽く手を振りながら、その後ろ姿を見送る。

 

そんなとき、背後から聞き慣れた声が投げ掛けられた。

 

「へぇ、無視すると思ったら、けっこう優しい所あるじゃん」

 

「はぁ……いつから見てたんだよ? セオ?」

 

後ろを振り返ると、スケッチブックを脇に抱えた翠緑種の少年が立っていた。

 

「ユウがそこのベンチに座ってたところからね。声を掛けようとしたら、あの子の方へ歩いて行ったからさ」

 

「要は最初から見てたのか……やっぱり慣れないことはするもんじゃないな」

 

「そうかな? けっこう様になってたと思うよ? "お兄さん"」

 

意地が悪い笑みを浮かべながら、セオは言う。

 

「そういえば、ユウは一人なの? てっきり、カイエと一緒に来てると思ったんだけど」

 

「そうだよ。カイエなら今頃、レッカ達とショッピングとかしてるんじゃないか?」

 

カイエ曰く、戦隊初の女子会だとか何とからしい。

 

まあ、同じ女性同士で積もる話もあるだろうし、折角の催しをたのしんできて貰いたいものだ。

 

「そう言うセオはどうなんだ? 一人で風景画でも描いていたのか」

 

「さっきまではね。今は――」

 

「あら? ユウヤ君じゃない。久しぶりね」

 

「ああ、久しぶり。アンジュ」

 

肩にバッグを掛けた銀髪と青い瞳が特徴的な少女が微笑む。

 

「どうした? 二人とも、逢い引きの最中か?」

 

「違うし……ちょうどいいや。アンジュ、ユウにも手伝ってもらったら?」

 

「そうね……人手は多い方が良いわね」

 

おっと、雲行きが急に怪しくなってきたぞ?

 

君子危うきに近寄らず……この場はさっさと離脱した方が身のためだな。

 

「……あっ、急な用事を思い出したわ」

 

「どうせ外をぶらつくだけでしょ? というか、こういう時のユウって毎度ワンパターンだよね」

 

大きなお世話だわ……口下手に言葉のバリエーションなんてあるわけないだろ。

 

「はぁ……で、何をご所望で? 荷物持ちですかい?」

 

「流石ユウヤ君、大正解。それとカイエちゃんとの生活の近況も聞きたいわね。……ってその指輪!」

 

アンジュは左手の薬指に嵌めてある指輪を見て、思わず声を飲み込んだ。

 

セオもアンジュが言ったことで気づいたのか、思わず目を見開いた。

 

「セオ君、どうやら私達が思っていた以上に二人は進展してたみたいよ……」

 

「だね、これは何がなんでも話を聞かなきゃね」

 

そして、同時に、目の前の二人によって両腕を凄まじい力で掴まれる。

 

この細い腕の何処からこれ程の力が出てくるのか、振り払うことはおろか、満足に動かすことも出来ない。

 

「ちょっ……ま、待て! 俺を何処に連れていくつもりだ!?」

 

「大丈夫。代金は私達が持つから」

 

いや、別にこれからの代金の心配している訳じゃないんだが……

 

ふと、セオがかつて共和国にいた頃のように、戦隊メンバーへと同調しようと耳元へ手を伸ばす。

 

しかし、今は外されたレイドデバイスにその手が触れることはなく、伸ばした手は空を切った。

 

「ああ、そうだった。まったく……ほんと便利になったよね。この電話を使わないと皆に連絡出来ないし、番号を知らなかったり、電源が切れたりしてたら、そもそも連絡出来ないし」

 

便利と言う割には、携帯電話に対する不満を口々に漏らす。

 

まあ、皮肉屋のセオらしいといえば、そうらしいが、セオと同じく、今まで何気なく使っていたパラレイドが如何に便利だったかを、戦隊の誰もが痛感している。

 

尤も、パラレイドでもハンドラーが変わる度に、同調対象の登録などしなくてはならなかったが、今よりは楽だったのは確かだ。

 

「そうね……こんな重要なことを皆にすぐに伝えられないのは不便よね」

 

「こうして俺が両腕を掴まれて、連行されることもなかった訳だ。というか、分かったから腕を離してくれないか?」

 

「離したら逃げるでしょ?」

 

流石、絶死の戦場を共に駆け抜けた戦友と言うべきか、俺の目論見はお見通しらしい。

 

「で、俺はこれから何処に連れていかれるんですかね?」

 

「アンジュ行きつけの喫茶店」

 

「折角だしコーヒーでも飲みながらゆっくりと話しましょ? 荷物持ちはそれからやってもらうから」

 

……俺達が荷物持ちをやるのも、既に決定事項らしい。

 

そして、腕を掴まれたまま、前の二人に引かれて俺も歩き出す。

 

他愛もない談笑をしながら前を歩く二人の間で、これから身に降り掛かるであろう質問の嵐に対して、思わず自らの肩を落とすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暖房の暖かな空気を身に受けながら、彼らの質問のスピードは増していく。

 

たまに、おめでとうなど祝福の言葉があるにしても、あの時のことを思い浮かべながら、誰かに話すというのは、気恥ずかしいものだ。

 

「へぇ……結局、ユウから言ったんだ。あのヘタレなユウから……」

 

「意外ね……てっきり、カイエちゃんがアクションを起こしたのかと思ったのだけど」

 

皆さん? ヘタレなことに自覚はあるとしても、何度も言われるのは流石に傷つくんですけど……

 

「まあ、その……俺だってやる時はやるさ。でないと本当に格好がつかない」

 

「フフ……でも、そこがユウヤ君の良いところだと思うわ。そうやって、本人の思いに応えようとしてくれるのは、される側も嬉しいもの」

 

「……それはどうも」

 

良いところと言われて悪い気はしないが、面と向かって言われると少しばかり気恥ずかしいものである。

 

その時、見慣れた青玉種のウェイターがパンケーキを持ちながら、こちらへとやって来た。

 

「はい、パンケーキ二人分お待たせ……ところで本当に良いのか? ユウはコーヒーだけで」

 

「いいもなにも当の本人がそれで良いって言ってるんだし、良いんじゃない?」

 

「個人的な理由があってな、今は甘いものを摂らないようにしてるのさ」

 

カイエとのデートでお菓子を食べ過ぎて、甘いものがトラウマになってるなんて言える筈わけがない。

 

「個人的な理由って……普通、コーヒー単品だけ頼む人なんていないし」

 

「じゃあ、俺が稀有な第一号ってわけだ」

 

まあ、確かにわざわざ喫茶店に来て、コーヒーしか頼まないという客は普通はいないだろう。

 

とはいえ、どんなことに例外事項というのものがあるものだ。

 

この貴重な経験を是非とも、彼の今後の仕事に活かして貰いたいものである。

 

「それにしても……ウェイター姿も様になってるぞ。ダイヤ君」

 

「それはどうも……といっても、俺はただのアルバイトだけどな」

 

かつて、スピアヘッド戦隊の第5小隊の小隊長を務めていた(ダイヤ)は今、喫茶店でのアルバイトに勤しんでいた。

 

アンジュ曰く、アルバイトの身ながらも色々な仕事を任されてるらしい。

 

例えば調理、接客は勿論、売り上げの管理や食材や消耗品の発注といった店舗の営業管理にも関わっており、何かと忙しい日々を送っているとのことだ。

 

「フフ、いきなりごめんなさいね。ダイヤ君も仕事で忙しいのに」

 

「えっ!? ああ、いや……この時間はお客さんはそんなに来ないから、大丈夫っていうか……俺も役得というか……と、とりあえず、大丈夫だ、問題ない!」

 

「ダイヤ、いきなりテンパりすぎでしょ。アンジュに話しかけられてそんなに嬉しかった?」

 

「べ、別にテンパってないぞ? 俺はいつも通り……だぞ?」

 

そんなに目を泳がせながら言われても、まったく説得力は無い。

 

セオが維持悪い笑みを浮かべながら、ダイヤをからかい、当のダイヤはより一層狼狽する。

 

共和国にいた頃に何度も見たようなやり取りであるが、久しぶりに目にすると懐かしさと共に安心感を抱く。

 

共和国の86から連邦市民となって、俺達を取り巻く環境がガラリと変わったが、それでも変わらないものはあるということを再確認できたからだろうか。

 

「おほん!……今日はどうしたんだ? ユウを抱えて来た時も驚いたけど、何か追及することがあるとか言ってたよな?」

 

「ダイヤ君。ついにあの二人がゴールインしたのよ」

 

「ん……? ゴールイン? あの二人?」

 

「ダイヤ、分からないの? ユウの左手の薬指を見てみなよ」

 

セオに呆れたように言われ、渋々と俺の左手に視線を落とす。

 

「えっ?……ええっ!? ……あだっ!!」

 

ダイヤが再び驚いた声を挙げながら、後退りして、ドゴッという大きな音を立てて背後のテーブルに激突する。

 

「いや、驚きすぎでしょ……大丈夫? ダイヤ」

 

「あ、ああ……いや、それよりも! ユウ……まさかそれは!?」

 

「えっと……まあ、アンジュの言うとおりゴールインしました。はい」

 

再び、ドゴッという音を立てて、ダイヤが尻餅をつく。

 

見ている方からすると、けっこう痛そうな様だが、それに構わずダイヤは続ける。

 

「も、もしかして、相手はカイエ……?」

 

「……ご想像の通りで」

 

「お、おお……あのヘタレなユウが……まさか、最初にゴールインするなんて」

 

「これでもうヘタレとか言えないね。ダイヤ」

 

そう言うセオだが、先ほど何度もヘタレと言ってくれたのを俺は忘れていない。

 

とりあえず俺の、いつか仕返ししてやるリストに彼の名前を入れておこう、

 

「とはいっても、クジョーとミナもそうだし、戦隊の中にもそうなりそうなメンバーはいるだろ?」

 

「いやいや! 前にお前らがいつ、結婚するんだって話していた矢先にだぞ? これが驚かずにいられるか!」

 

俺の中では、ダイヤとアンジュもいつかはそうなりそうな候補に入っているのだが……ダイヤの様子を見る限り、まだ先のことなのだろう。

 

「そういえば、式とか挙げるのか? ちょうど、ほら……もう少しで生誕祭だっけか? それがあるじゃん」

 

「そういえば……テレビ点けたら毎日のように後、何日とか言ってたね」

 

「そうね……それに、生誕祭が終わったら、今度は年が明けちゃうもの。時間が経つのって早いわね」

 

年明けか……共和国にいた頃じゃ、考えもしなかったな。

 

今はこうして、各々が自由に暮らしているが、流石に年明けまでには自分の進む道について考えねばならないだろう。

 

知識を身に付けるために進学、この国で暮らしていくための仕事をしたり……或いは家庭を持つことも選択肢となり得る。

 

「いや、まだ決めていないんだ……というか、お前らもこれからどうするんだ? そろそろ決めなきゃいけない時期だろ?

 

「これからのことね……考えてはいたの。ここの生活も特段、悪いって訳じゃないし、今まで触れられなかったことに触れられるのは、とても楽しいもの……けど――」

 

言葉を区切って、アンジュは儚く笑う。

 

「それでも、したいことは結局、同じなの。するべきと思うことも、居るべき場所も」

 

「そうだね……僕も結局、同じかな。僕には多分、それだけだから」

 

「……だな。まっ、働けばちゃんと給料が出るってのは、悪くないんだけど」

 

きっと、戦隊の皆がそうだったんだろう。

 

俺達はあの場所で死んでた。それはどうしようもないことで、誰もがそれを受け入れて、いづれやって来る最期まで抗うことを支えにやって来た。

 

だから、それ以外のものは全て捨てた……筈だった。

 

戦場に囚われてると言えば、その通りだが、逆に囚われていたからこそやってこれたのだ。

 

人は何かにすがらないと生きていけない。

 

それが、愛、使命、約束――シンも、アンジュも、セオも、それは変わらない。

 

そして、俺達にとってすがるものは戦場だった、それだけの話だ。

 

「そう言うユウ達はさ……これからのことを決めたの?」

 

「俺達は……従軍することにした』「やめときなよ」

 

間髪いれずにセオが強い口調で言った。

 

「ユウはちゃんと見つけられたわけじゃん。普通の幸せってヤツをさ……だから、戦場に行くより、カイエのことをちゃんと幸せにしてあげなよ」

 

「カイエちゃんね、ユウヤ君が何か無茶する度に泣きそうになってたんだから、もう、カイエちゃんを泣かせるようなことをしたゃダメよ」

 

「そうそう、だから安心して、新婚生活を満喫しやがれ!」

 

こいつらの言うとおり、俺達はきっと向こう見ずな選択をしたのだろう。

 

普通に考えて、新婚の人間が戦場に戻ろうたすること自体がおかしいことだ。

 

けど――

 

「なぁ、あの時……キノとチセ、トーマ、クロトが逝った時のことを覚えてるか?」

 

「……」

 

沈黙とともに皆が俯く、そうだ……戦隊の誰もが忘れる筈がない。

 

あの少佐が言った――推定初速、秒速4000m。

 

戦車型、重戦車型の主砲よりも遥かな大口径の砲でありながら、前者のどれよりも速い一撃。

 

それが直撃したキノとチセは機体もろともに消滅した。

 

トーマとクロトと第2射、第3射の余波で吹き飛ばされて、崩れた瓦礫に潰されて死んだ。

 

「あの時、撃たれたのは三発だけだった。そして、撃たれたのは俺達だけだったから……他は撃たれずに済んだ」

 

けど、今はどうだ? あの一撃は既に共和国に撃たれているかもしれない。

 

では何処だ?86区? 大要塞壁群? それとも共和国首都?

 

その次は何処だ? 連邦の兵士が戦ってる戦場? 或いは、今、この場所に撃ち込まれるかもしれない。

 

「たとえ、戦場に行こうが、行かずとも結局は変わらないんだ。もう俺達……いや、連邦の市民全員が既にレギオンの脅威に晒されている」

 

では、どうするか? ただ、あの一撃が撃ち込まれる日を待つだけなのか?

 

明日かもしれない最期を待つだけなのか? そんなの、共和国にいた頃と何ら変わらない。

 

「だったら……抗うしかないだろ。勝機が万に一つであっても」

 

死ぬと分かっていて抗うのではない、死にたくないから抗うのだ。

 

失いたくないものがあるから、守りたい場所があるから……俺達は、また銃を手に取る。

 

「……そっか。ユウも馬鹿だね。自分から辛い方へ行くなんて」

 

「お互い様だろ? 戦うなって言われてるのに、また戦うっていうんだから、お互いに馬鹿じゃないと選べない選択だろ?

 

「そうだな……まっ俺達、馬鹿だから案外、気楽に戦ってこれたのかもな!」

 

ダイヤが気楽に言うが、おそらくダイヤ自身も分かっている。

 

また戦場に戻るとなれば、今度こそ自分は死んでしまうかもしれない。

 

一緒に馬鹿をやった連中が、次の日にはいなくなって、また別の日に戦場で戦友の亡霊に出会す――なんてことは共和国で何度もあった。

 

そんな、戦場から離れられるというだけでも、それは幸福なことだろう。

 

けれど、同じ大切な人が、守りたい彼女がいるからこそ、この少年の言うことが分かるし、共感できる。

 

レギオンに対して優勢を保っているとはいえ、それはこちらが勝手に判断した結果だ。

 

それは、大要塞壁群の内側にいた白系種が二年で戦争が終わると、楽観視していたのと大して変わらない。

 

「はぁ……」

 

改めて、俺達を取り巻く状況を考えると、思わずため息が出る。

 

けれど、こうやって同じ目的を共有して、その真意を理解したという、どこか満ち足りた満足感は嫌いじゃない。

 

あの時、皆で食堂に集まって、誓ったことを思い出す。

 

思えば、だいぶ経ったよな……あの日から。

 

ふと、アンジュが思い出したかのように、自らの白い手を叩く。

 

「それはそれとして、ダイヤ君、もう少しで上がりよね?」

 

「えっ? ああ、そうだけど……?」

 

……やべっ、そうだ。これからアンジュの買い物の荷物持ちをしなくちゃいけないんだっけか。

 

「これから買い物に行くんだけど、ダイヤ君にも手伝って欲しいの」

 

「お、おう……任せとけ!」

 

手伝いといっても、俺達と同じ荷物持ちだろうが、こちらとしても人手が増えるのはありがたい。

 

「……フッ」

 

共和国でも似たようなことがあったっけか……

 

アンジュに何か頼まれて、あたふたするダイヤ。

 

そして、あたふたするダイヤをからかう、セオやその他のメンバー。

 

俺達がいる場所が変わっても、変わらない光景に懐かしさを覚えずにはいられない。

 

これから、俺達がどうなるか分からないが、今はこの心地良い束の間の時間に浸っていよう。

 

どうか、この素晴らしき馬鹿者どもの道末に祝福を。

 

何時かのテレビでやっていたように、左手で小さく十字を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




執筆を一気に進められる日が欲しいです……切実に。


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23話

お待たせしました……年内はあと、プロット段階でボツになった小話をまとめたものを投稿しようと思っています。


通りには多くの人々が集い、賑やかな行進曲と共に巨大な八脚の"ソレ"はストリートの舗装を踏み潰さんばかりに歩いていく。

 

鋼色の"ソレ"は、無骨な120㎜滑腔砲を背負い、行進曲に混ざるその駆動音はまるで――

 

「ヴァナルガンド……だっけか? あの機体」

 

「ああ、確かそんな名前だったよ。しかし……色以外は戦車型にそっくりだな」

 

連邦の主力フェルドレス、ヴァナルガンド。

 

兵装は長砲身の120㎜滑腔砲に、副兵装として12.7 mm重機関銃を2丁装備している。

 

また、外見からも見てとれるが、斥候型、近接猟兵型なら圧倒できる程の重装甲を誇り、戦車型には僅かに劣るといえど、十分に渡り合える性能を持っている。

 

機動力においては、重装甲故に低そうではあるが、装甲はおろか、主砲も機動力も、何もかもが不足している、共和国のジャガーノートとでは比較にもならない。

 

「確か二人乗りなんだよな? 操縦士と砲手で」

 

「ああ、まあ……妥当なんじゃないか? あれだけデカい機体を動かしながら戦わなくちゃいけないんだから」

 

レギオンはあくまで無人兵器であるため、有人兵器には出来ない機動や、高度な情報処理能力を備えている。

 

一方で、こちらは有人兵器である以上、情報を処理するのも、機体を動かすのも人間である。

 

当然、搭乗者による個人差もあるし、況してや混濁する戦場の情報を処理しながら戦うというのは、搭乗者にかなりの負担を強いることに他ならない。

 

ふと、行進曲と共に響いていた歓声が止み、高らかな行進曲だけがストリートを埋め尽くす。

 

軍人の凱旋を見送っていた退役軍人であろう男性、女性がその彼らの行進に合わせて敬礼し、群衆も各々が胸に手を置いて黙祷を捧げる。

 

ストリートを歩んでいくヴァナルガンドには喪の色彩の黒布が掛けられており、砲塔にはこの凱旋に至るまでの戦死者・行方不明者の数が掲げられていた。

 

「やっぱり……ここでも沢山の人が死んでいるんだな」

 

眩暈がするおびただしい数、その一つ一つが個人の人生を持っていた。

 

これからも、この数字は増えていくことになるだろう。

 

どれだけ機体の性能が良くても、それだけではレギオンには勝てないのだ。

 

俺達からすれば、見ず知らずの他人ではあるが、彼らも命を賭してレギオンと戦い、そして死んだ。

 

だから、せめて……これくらいは――

 

目を閉じ、ストリートを進む彼らへと黙祷を捧げる。

 

人々の沈黙の中、尚も高らかに鳴り響く行進曲は俺達ではなく、先に逝った仲間達へと手向けている……そう、思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生誕祭の前夜祭ともあって、市場は多くの人々が行き交っていた。

 

客引きの青年が、道を行く人々に声を掛け、赤い特徴的な帽子を被った女性がビラを配る。

 

「エルンストさんの所に行くまで時間があるけど……どうする?」

 

「何か土産とか持って行った方が良いのかもしれないけど……相手はこの国の大統領だからな……」

 

この国の大統領に自国の土産というのも、おかしな格好ではあるが、当の俺達に帰る国なんて存在しないのだ。

 

まあ、少し高そうなお菓子辺りを見繕うのが安牌だろう……どうせ、俺は食べないし。

 

「なあ、ユウ」

 

「なん……何だこれ?」

 

唐突にカイエが俺を呼び、その声に振り向くと頭に何かを被せられる。

 

これは……とんがり帽か?

 

「うん! 案外、似合っているじゃないか」

 

「いつの間に手に入れたんだ……って、そこらで配ってるのか」

 

すぐ背後で、トナカイの着ぐるみを着た男性が道行く人々に、装飾された赤いとんがり帽を配っている。

 

そんな情景を他所に、カイエは両手をこちらへ差し出した。

 

「ほら、ユウは良い子にプレゼントをあげなきゃいけないんだぞ?」

 

「良い子って申告制なのか……? まあ、いいや。良い子のカイエにはこれを買ってあげよう」

 

近くの自動販売機に貨幣を入れて、暖かいミルクティーのボタンを押す。

 

ピッという電子音の直後、吐き出されたボトルを手に取ると、程よい暖かさが身に沁みる。

 

「おお……流石、ユウ。太っ腹じゃないか。後は自販機でなかったら完璧だな」

 

「そいつは悪かったな。生憎、持ち合わせは俺の飲みかけしかなくてね」

 

そう言い返すと、カイエは少し考える仕草を見せて、すぐに笑みを浮かべた。

 

「そうか。私は別にそれでも構わないぞ?」

 

「ぶっ……ゴホッゴホッ!! お、お前、いきなり何を言ってるんだ!?」

 

危うく口の中の紅茶を吹き出すのをすんでの所で堪えるが、紅茶は鼻へと逆流して、激しく咳き込む。

 

鼻の奥で走るツンとした刺激に思わず顔をしかめるが、横にいるカイエの笑みは崩れない。

 

「おや? 何か不都合なことでもあるかな?」

 

「不都合って、こんな公衆の面前で……いや、そもそも衛生的に……アレだろ……?」

 

言葉に詰まる俺をカイエは悪戯を果たしたと言わんばかりに、楽しげに見つめる。

 

勿論、冗談というのは分かってはいるが、如何せん俺自身が口下手なのもあって上手い言い返しが思い付かない。

 

しかも、カイエの場合、それを分かってる上で冗談を言うのだから余計に質が悪い。

 

けど、このままやられっぱなしというのも、悔しいと思うのも男の性なのだろう。

 

「そうかそうか……なら、これもあげようじゃないか」

 

「えっ……?」

 

そう言って、さっき自分が飲んでいたペットボトルをカイエに突き出す。

 

「せっかくの前夜祭なんだ。プレゼントは多いに越したことはない。うん、そうだとも!」

 

半ば勢いに任せて、自棄になっているが、当のカイエは言い返してくると思ってなかったのか、きょとんとした顔でこちらを見つめる。

 

……なんか、自分で言った癖に、急に恥ずかしくなってきたぞ。

 

「フフ……それ、本当に飲んで良いのかな?」

 

「えっ? あぁ……いや、そのだな……」

 

カイエは再び笑みを浮かべ、俺をからかうように言った。

 

どうやら、この手の切り返しというのは未だに彼女の方が一枚上手らしい。

 

そもそも、彼女もズルいものだ、俺がこの手の話は不得手ということを知っている上で、いきなり振ってくるんだから。

 

「ハハ、悪い悪い。冗談だよ。その帽子があんまりにも似合うものだから、ついついからかってしまった」

 

「まったく、冗談にしては質が悪いぞ……」

 

「ああ、すまない。でも――」

 

カイエがこちらへと詰め寄り、そっと耳打ちする。

 

『私は別にユウのなら構わないからな?』

 

唐突に、鼓膜へと伝わる柔らかな声に、思わず全身が身震いする。

 

そして、声と一緒に漏れた吐息は、耳の中へと入り、くすぐったくも、心地よい不思議な感覚を遺していく。

 

『……っ!? あ、あのなぁ!」

 

「フフ……ほら、早くお土産を選びに行こう。お店が混んでからじゃ大変だ」

 

まるで、花が咲いたような笑顔を見て、改めて敵わないなと思う。

 

冗談と分かっているのに、彼女の言葉や仕草にどぎまぎせずにいられないのだ。

 

しかし、先を行く彼女を後ろをついていく俺は気付かない。

 

彼女の頬が紅潮し、心拍がうるさいほどに鳴り響いていることに。

 

そして、耳まで赤くなった顔をどうにか隠そうと、思考を巡らせていることに、俺は気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流石、生誕祭の前夜祭というべきか、どこの家も華やかな飾りが来る者を出迎えた。

 

そして、それはこの国の大統領であっても例外ではないらしく、大広間に照明に反射した、装飾が煌いている。

 

「意外だな。大統領というもんだから、もっと凄い所に住んでると思ったんだけど」

 

エルンストの私邸は住宅地の一画に佇む小さな屋敷であり、とてもじゃないが、国のトップが住むような場所には見えない。

 

とはいえ、いくら小さな屋敷でも、スピアヘッド戦隊の20名が入れる大広間があるというのは流石というべきか。

 

連邦で過ごすようになってからは、各々が独自で集まったりはしていたものの、こうやって戦隊全員が集まる機会はなかった。

 

その一方で、共和国にいた頃から、皆が噂好きというのもあるのか、話題の種が途切れることがない。

 

現に、あちらではミクリとマイナに捕まったカイエが質問の嵐を投げ掛けられている。

 

流石、音に聞こえたスピアヘッド戦隊と言うべきか、パラレイドが無くても情報の伝達速度は並外れている。

 

「当然でしょ。皆、噂好きなんだから」

 

「ハハ……噂好きでこの速度なら、パラレイドが無くても全然、やっていけるな。……久しぶり、レッカ」

「ええ、久しぶり」

 

俺の背後から声を掛けてきたのは、我等がスピアヘッド戦隊の女子三人衆の一人――レッカ・リンである。

 

というか、俺の中では彼女もこの手の話題で、一緒に大盛り上がりする質と思っていたのだが……

 

「何よ? そんな意外そうな目で見て」

 

「ああ、いや……俺の中だと、向こうでカイエを絞ってるあの二人か、クレナと一緒にいるイメージだったからさ。こうやって一対一で話すってのは珍しいなと……」

 

というか、レッカがこういう催しで一人でいるところを初めて見たくらいである。

 

「……別に、私にだって一人で話したい時ぐらいあるわよ」

 

「そ、そうか……」

 

俺の知ってる彼女の人物像としては、こういった時はぐいぐい押してくるイメージなのだが……

 

今の彼女はしおらしいというか……いつもと何か違うのだ。

 

「ああ、忘れてたわ。おめでとう、ユウ」

 

「えっ? あ、ありがとう……」

 

いつもなら、ここでからかわれたりするのだろうが、今の彼女は儚い笑みを浮かべるだけだ。

 

何かあったのは確実だけど、今のレッカに聞いてもはぐらかされそうだしな……

 

「なぁ、レッカ。その……ごめん、やっぱりなんでもない」

 

何と言葉を続ければよいか思い付かず、結局は言いとどまってしまう。

 

とはいえ、いつものレッカなら、ここで手痛いツッコミをくれる所だが……

 

「そう……」

 

当の彼女は、からかうのでもなく、ツッコミを入れるのでもなく、ただ彼女はある方向を見つめていた。

 

彼女が見つめる先には、未だに質問責めを受けているカイエ。

 

そして、彼女らを見つめる瞳に微かな羨望が含まれていることに、俺はこの時、気付くことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

大きな音を立てて、沢山の資料が床へと落ちる。

 

資料には連邦でも有名な高等学校だったり、専門学校の募集要項が記載されており、各々の個性に合わせて選んだことが伺える。

 

「ど、どうしてさ!?」

 

エルンストが床に散乱した資料を顧みず、大きな声を挙げた。

 

「どうしてかって……それは」

 

「最初から言ってたじゃん。選んでいいなら軍に入るって」

 

そう……連邦に来て初めの頃、これからの進路について問われた時、俺達は従軍を希望した。

 

そして、連邦の一市民として普通の生活を体験した上で、この日に従軍の道を選んだのは戦隊20名の内、12名だった。

 

「正直な話、最初は疑ってたんだ。ここでも結局は共和国の頃みたいに扱われるんじゃないかってな。けど、ここは良いとこだ。だから……長居しすぎちまった」

 

ライデンが薄く笑う、ここに来てアルバイトを通して友人も多く出来た彼が。

 

「でも、だからって戦場に……」

 

きっと、従軍を選んだ皆にとって、心に決めたというより、戦場に在るということが至極当然なことなのだろう。

 

以前、アンジュが言っていたように、最初から答えは出ていたのだ。

 

そして、この一ヶ月はそれを確認するための――自らの在り様を確かめていただけだ。

 

ふと、狼狽するエルンストを見つめていたシンが口を開いた。

 

「俺達は運が良かっただけです」

 

彼には全てのレギオンの声が聞こえる耳があり、俺には必ず来る未来が見える目があった。

 

共和国を出る時もあの馬鹿なお人好しのハンドラーが自らを顧みず、助けてくれた。

 

何度、死にかけても……彼女がいたからこそ、俺は戻ってこれた。

 

戦場で死に別れた仲間はきっと、それらがなかった。

 

だから、号持ちだろうと、異能を持っていようと関係なく、俺達はただ、運が良かっただけなのだ。

 

「それは……ユウヤ君! 君も何故……!!」

 

共にあることを誓った存在がいるのに、況してやその彼女も戦場へ戻るというのだ。

 

エルンストにとっては理解できないだろうし、はなから理解してもらおうとは思っていない。

 

「レギオンは常に進化しています。ただのAIが人を取り込み、人以上に物事を考え、ただの殺戮兵器から、人類の絶対脅威へと成り上がった」

 

兵器である彼らには人の倫理観や道徳なんてない、だから自分の行動で幾千、幾万の人々が犠牲になろうと、躊躇いなく実行する。

 

戦場の兵士はおろか、無抵抗の市民を虐殺することになってもその歩みを止めたりはしない。

 

だから……いつ、この国が、この場所がレギオンに灼かれたとしてもおかしくはない。

 

「いつかくる最期を待つより、それを退ける為に戦うと……俺達はそう、決めました」

 

かつて、共和国で誓った死ぬまで生き切るのではなく、自分が死なないために、自分の居場所を守るために戦う。

 

実際の勝機なんて限りなくゼロに近いというのは分かっている。

 

けど、たとえ……万に一つのものであっても、俺達には十分すぎる代物だ。

 

死ぬまで戦うのではなく、死にたくないから戦う。

 

かつての仲間、戦隊の仲間達とではなく、俺と彼女の二人で交わした二人だけの誓い。

 

「それに……自分の喉元に刃物を突き付けられて、抵抗しない人なんていないでしょ?」

 

少し冗談交じりで薄く笑いながら言う。

 

何かと胡散臭い所があった大統領閣下だが、彼の思惑のおかげで、俺達は自分の道を決めることができた。

 

だから、誰かに強いられたのではなく、自分で選んだ……ということを彼に伝えたかった。

 

それでも――彼には届かない。

 

「違う……違うよ!」

 

かつて、ギアーデ連邦は帝政国家だった。

 

それを市民革命によって変えたとはいえ、敵味方問わず、多くの血が流れた。

 

その血溜まりに倒れる人々の一人一人に家族がいて、守りたい人がいた。

 

生き残った者にも、『自分だけが生き残ってしまった』という罪悪感に苦しみ、先に逝った者達の後を追ってしまった者も少なくない。

 

だから――そんなことでは人は未来永劫、幸福になどなれない。

 

幸福こそが全ての人の願望であり、理想である筈なのに。

 

再び、エルンストが言葉を続けようとした時――

 

「やめよ、エルンスト」

 

――静かな、けれども凛と響く声がした。

 

「傷ついた鳥に居心地の良い場所を与えるのは優しさじゃ。じゃが、其処から発つのを許さぬと言うのなら、ただの檻じゃ。そして、その檻に閉じ込めることが、共和国とやらの仕打ちと同じことだと分からぬか」

 

シンと同じ鮮血のように紅い瞳が厳しい目付きで言う。

 

いつの間に其処に居たのか、フレデリカが立っていた。

 

「その者らは物の分からぬ幼子ではないのじゃ。行きたいと望んだのなら行かせてやるがよい」

 

その言葉にエルンストは黙る――身の丈の半分程の少女の言葉に。

 

場の静まりかえった空気に耐えかねたのか、ハルトがいつもの調子で言った。

 

「まっ、先に行くって言って、追い付かれたらカッコ悪いもん

な!」

 

「それ、言ったのはシンだろ?」

 

ダイヤの的確なツッコミに、戦隊の皆に笑みが浮かぶ。

 

「……礼を言った方がいいか?」

 

「ふん、そこの石頭に言いたいことを言っただけじゃ。それに妾にも思惑あってのこと、礼を言われる筋合いはないわ」

 

この前、迷子になっていたとは思えない尊厳な立ち振舞いには頭が上がらない。

 

ふと、シンが何かを思い出したかのように、口を開いた。

 

「思い出した。その発音の癖、母さんと同じだ」

 

シンと彼の兄は共和国の生まれだが、彼の両親はギアーデ帝国の出身だと前に聞いた。

 

「ふむ……そういえば、そなたの親御は帝国貴族の出であったの。探せば縁者もいように、会いたいと思わないのは誉められることではないぞ。して、ユウヤよ」

 

唐突にその紅い瞳は俺の方へと向く。

 

「俺……?」

 

「そなたの父も確か、帝国貴族の出であったな。お主は親御から縁者について聞いておらぬのか?」

 

正直なところ、俺は両親が何処で出会って、何の切っ掛けで結ばれたのかというのは、俺自身も殆ど分からない。

 

両親が自らの過去をあまり話さなかったのもあるし、話してくれたとしても、俺自身がもう覚えていないのだ。

 

「すまない……俺自身、殆ど覚えてないんだ。けど、何で俺の父親が帝国貴族の出だって分かるんだ? そんなこと、前会ったときは話してなんてないだろ?」

 

「そうじゃの……妾もそなたの"目"と似た能力を持っているといえば、分かりやすいかの?」

 

俺の"目"と似た能力……つまり、フレデリカもシンと同じで何かの異能を持っているということか。

 

「見知った者の現在と過去を覗き見るのが、妾が受け継いだ血の力。そして、妾の真名は――」

 

場が沈黙するなか、尚もフレデリカは何かを決したかのように、静かな声を轟かせた。

 

「――アウグスタ・フレデリカ・アデルアドラー。レギオンどもに号令し大陸全土に侵略を仕掛けた、大ギアーデ帝国、最後の女帝じゃ」

 

目の前のお姫様――いや、亡国の女帝は言葉を続ける。

 

「そなたらの親兄弟、故郷を奪った一人が妾じゃ。責めると言うなら、聞いてやろうぞ?」

 

誰も声を挙げない――驚愕の声も、憎悪の怨嗟さえも。

 

皆が小さな女帝を見下ろす中、ライデンが口を開く。

 

「仮に号令を掛けたとして、その時のあんたは何歳だよ?」

 

今のフレデリカは10歳――この戦争が始まったのは、彼女が赤ん坊の時なのだ。

 

赤ん坊の彼女に帝位を与えている時点で、彼女がただの傀儡でしかないというのが分かる。

 

それに一つ、彼女は思い違いをしている。

 

「俺達から色々なものを奪っていったのは、あくまで共和国の白豚どもだ。女帝様は責任を感じているのかもしれないけど、それはただの勘違いだ」

 

戦争はただの切っ掛けに過ぎない、赤ん坊の彼女が宣戦布告をしなくても、何らかの形で俺達は差別されていただろう。

 

それを……怒りを向ける対象を、俺達が見誤ることは決してない。

 

「すまぬ……エイティシックス達よ、お主らのその誇りを見込んで頼みたいことがある」

 

フレデリカは少し俯いた後、再び俺達を見上げて言った。

 

「戦場に戻るというのなら、妾も連れていけ。そして、未だ尚も戦場を彷徨う我が騎士の亡霊を討つ手助けをしてくれまいか?」

 

86だから……いや、このスピアヘッド戦隊だからこそ分かる、その言葉の意味。

 

そうか、彼女の騎士とやらは……

 

「レギオンに取り込まれたのか」

 

彼女は静かに頷く。

 

「そなたらが連邦に来る直前、そなたらを襲ったレギオンじゃ。そなたらは"羊飼い"と呼んでおったか」

 

俺達が連邦に来る前に遭遇した"羊飼い"……あの砲撃を撃ってきたレギオンか。

 

つまり、あれが彼女の騎士の成れの果てということだ。

 

「妾には見ることしか出来ぬ。死して尚も、戦場で啼く我が騎士を。じゃから……どうか、手を貸して欲しい。妾の騎士を救ってやって欲しい」

 

フレデリカは消え入りそうな声で言った後、頭を下げる。

 

その小さな姿は、女帝というには、あまりにも脆くて、今にも砕けてしまいそうだった。

 

皆の目が"俺達の死神"へと集まる。

 

シンは目を閉じ、何かに思いを馳せていた。

 

「――ああ」

 

そして、静かに短く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

暗い夜道を、男二人が何も喋らず歩いていく。

 

前で女子二人が談笑している一方で、俺達は何を言うまでもなく、その後ろを付いていくだけだ。

 

今日、この日から俺達の進む道は分かれることになる。

 

一人はかつて駆け回った戦場へ、もう一人はこの平穏へ。

 

「なぁ……ユウ」

 

「どうしたクジョー? 珍しく大人しいじゃないか」

 

一等星のパーソナルネームの通り、戦隊の中でも一番に明るく騒がしい彼か珍しく口を閉ざしている。

 

「いや、その……」

 

「別に気負わなくていいのに、誰もお前を責めたりなんてしないさ」

 

むしろ、戦場に代わる拠り所を彼らは見つけることができたのだ。

 

それは戦場に戻ることを決めた面々も理解しているし、誰も彼らのことを責めたりは出来ない筈だ。

 

「それに……俺達だってすぐに戦場へ放り出される訳じゃないんだ」

 

エルンストからは、俺達が従軍をする上で、特別士官学校を経由して士官として入隊することを条件として言い渡された。

 

確かに兵卒で入隊するよりも、士官として入隊する方が、これからの選択肢が増えるというのは間違いない。

 

どのような形であれ、この戦争はいつかは終わる。

 

折角、生き延びた後に、今度は仕事がなくて路頭に迷うというのは御免被りたい。

 

「俺とカイエはあくまで、二人で話し合って決めたんだ。それをお前達にまで要求するなんてしないよ」

 

俺達が自分たちの意思で従軍を決めたように、クジョーも戦場から離れた新しい生活が待っている。

 

「そうだ。もし、ミナと式を挙げるときは教えろよ? 軍のフェルドレスを引っ張ってでも行くからさ」

 

「なっ!? お、お前なぁ……」

 

クジョーの驚愕の表情を見て、思わず笑みが溢れる。

 

向こうも俺達のことを散々、話題にしてくれたのだ。

 

だったら、俺にも二人をからかう権利というのが、ある筈である。

 

「っ……だあっ!! わかったよ! 呼んでやる! 全員、呼んでやるからな!!」

 

羞恥に堪えられなくなったのか、クジョーが前の女子二人を気にも留めず、大きな声で叫んだ。

 

静かな夜道に彼の叫びが反響し、それに驚いた前の二人がこちらへと振り返る。

 

「呼んでやる。呼んでやるから……絶対に死ぬんじゃねえぞ」

 

「――ああ、勿論」

 

そうだ、俺達は死ぬ為に行くんじゃない――生き延びるために向かって行くんだ。

 

「どうしたんだ? いきなり叫びだして……」

 

「クジョーとミナの進展の話を聞いてただけだよ」

 

「ユウ!? おまっ――」

 

俺達がこれから歩む道は別のものになる。

 

けれど、生きてさえいれば、また歩み寄れる。

 

生き延びさえすれば、また出会うことは出来るのだ。

 

導火線に火が着いたが如く、騒がしくなった彼らの遥か頭上の夜空に冬の大三角が爛々と輝いている。

 

その中の一等星が一際、輝いた――そんな気がした。




皆様、良いお年をお迎えくださいませ


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24話

大変お待たせしました……


"Battles are won by slaughter and maneuver. The greater the general, the more he contributes in maneuver, the less he demands in slaughter." - Winston Churchill

 

殺戮と作戦で戦闘に勝利する。将軍が偉大なほど、作戦に寄与し、偉大でないほど、殺戮を要求する――ウィンストン・チャーチル

 

 

 

 

                      

 

悪魔のようだとその者は言った。

 

自らに迫っていた近接猟兵型の残骸を見て、彼の者は再び言った。

 

“アレ”に乗っているのは人ではない、きっと悪魔が乗っているのだと。

 

でなければ、自らの命を屠るであろう砲弾と銃弾の雨に向かって行ける筈がない。

 

況してや、まともに被弾すれば助かる見込みなんてないのだ。

 

そんなこちらの思惑など気にもせず、悪魔はレギオンへと襲い掛かる。

 

それは群れた羊を喰い殺す飢えた狼の如く、獰猛で、精密で、圧巻の狩りだ。

 

XM2――レギンレイヴ。現行の主力のヴァナルガンドよりも後発で開発された第三世代フェルドレス。

 

ヴァナルガンドは重複合装甲の防御力と120mm滑腔砲の貫徹力を重視した設計に対し、レギンレイヴはその真逆を行く。

 

装甲はバイタルエリアのみに限定し、主機の大出力を機動力へと回すことで可能となった三次元機動。

 

しかし、その機動性の高さは搭乗者の身体を壊しかねない程のものと化した。

 

黒煙を吐く戦車型の上に跨がっていた悪魔はこちらへと自身の赤目を向ける。

 

背部にはラッチェ・パムの異名を持つ88mm滑腔砲、サブアームには妖しく煌めく高周波ブレードを携えていた。

 

「これが……共和国の連中が生んだ――」

 

レギオンの支配地域の向こう側に存在するサンマグノリア共和国が運用していた有人搭乗式無人機、この悪魔の基はそれだった。

 

無人機と称しておきながら、実際は人が搭乗しなくてはならない矛盾の塊。

 

人道も、安全性も何もかもが欠けた悪魔の兵器、そしてそれを駆っていた共和国の獣達。

 

黒い妖精のマークの悪魔が再び、獲物へと走り始める。

 

恐怖など感じない屑鉄どもを本物の屑鉄に変えながら――前へと突き進んでいく。

 

「――エイティシックス……戦狂いの化け物め」

 

部隊の誰かがひきつった声でそんなことを漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふわぁ……」

 

心地よい気候に晒されている故か、どうも今朝から欠伸が絶えない。

 

こういう時は丁度良いところを探して惰眠を貪るのが一番なのだが……

 

「次、カジロ候補生!」

 

「はい」

 

おっと、危ない危ない……欠伸してるのを見られてたら、筋肉モリモリマッチョマンの教官にまた大目玉を喰らわされるところだった。

 

突撃銃(アサルトライフル)の二脚を立て、マガジンを差し込む。

 

コッキングレバーを引いて、アイアンサイトから300メートル先の人形を望く。

 

「よし、撃て!」

 

教官殿の号令と共に突撃銃の引き金を引く。

 

銃口が乾いた銃声を吐き出すと同時に、空薬莢が地面へ落ちて転がっていく、

 

存外、楽な仕事だと思う。動かない的の急所を狙って、ただ撃てば良いのだから。

 

「撃ち方止め!」

 

再度、教官の号令がすると、引き金から指を離す。

 

双眼鏡を覗いていた教官は一瞬、神妙な表情を浮かべるといつものしかめっ面に戻った。

 

「胸と頭を的確に狙っているのは誉めてやる。命中率も確かに良い。だが、先程の欠伸はなんだ?」

 

――どうやら普通にバレていたらしい。

 

「貴様には訓練への心構えが足りないらしい。少し走りながら訓練の意味について考えてこい」

 

「了解しました。教官殿」

 

ため息を漏らしそうになるすんでの所で堪え、教官の言う通り突撃銃に安全装置を掛け、その場に置いた走り出す。

 

というか、ここ最近になって、何かと理由を付けて走らされることが増えた気がする。

 

まあ、他の候補生みたいに、腫れ物扱いされてないだけマシではあるのだが。

 

ふと、前に宿舎裏で誰かが言っていた渾名が頭を過る。

 

戦狂いか……別に好きで戦ってきた訳じゃないんだけどな。

 

戦狂いのエイティシックス、共和国の戦闘兵器、死にたがりの戦争犬、ここに来てから俺達の渾名は増えていく一方だ。

 

共和国では豚扱いだったのが、こちらでは得体の知れない獣扱いになったという所だろうか?

 

といっても、別に辛いとは思わない、誰かの侮蔑や差別なんて共和国にいた時から白豚だけでなく、同じ86からも散々受けてきた。

 

むしろ、まだ陰口で済んでいるだけ、此方の方が何十倍も良い待遇だろう。

 

丁度、演習場の角に差し掛かった時、見知った声が物陰から聞こえてきた。

 

「あら、ちゃんと訓練に励んでいるようね。感心感心」

 

「罰として走っているだけですけどね……今日は何かご用で?」

 

物陰から現れた金髪の女性――グレーテ・ヴェンツェル中佐は苦笑いを浮かべる。

 

少しは表情の変化を期待したのだが、彼の如何にも面倒と言わんばかりの表情が崩れることはない。

 

「如何にも面倒くさいって顔ね……まあ、良いわ。今日も貴方達に少し付き合って貰いたいの。許可は既に取ってあるし、教官には私から言っておくから」

 

いきなりの要求に、再びため息が出そうになるが、これも何とかすんでの所で堪える。

 

前に聞いたことだが、中佐は今、新型のフェルドレスの開発に携わっているらしい。

 

そして、その新型はあろうことか、共和国のジャガーノートを参考にして開発されているという。

 

参考にする以上、かつての搭乗者がテストするのが一番良いデータが取れるということで、中佐にはこうして度々、呼び集められている。

 

尤も、あんなアルミの棺桶の何処に参考にする所があるのか、甚だ疑問なのだが。

 

「分かりました……すぐに準備します」

 

面倒ではあるが、上官の頼みを面倒くさいという理由で、断る訳にもいかない、

 

「カジロ候補生。上官……いえ、人生の先輩としてのアドバイスよ。いくら面倒と思っても、顔に出さないように心掛けなさい」

 

「はは……肝に銘じておきます」

 

……どうやら、ため息は出ずとも、表情には出ていたようだ。

 

「そうそう。貴方達、もう少しで特士校卒業でしょ? 卒業祝いという訳ではないけど、サプライズも用意したわ」

 

「サプライズ……ですか?」

 

「何かは来てからのお楽しみ。さぁ、他の面々も現地で落ち合うことになっているから、急いで行くわよ」

 

どうやら今回の呼び出しは新型機のテストという訳ではないらしい。

 

「了解しました。中佐殿」

 

この人が言うサプライズとは何かは分からないが、こうやって広い演習場を走らされるよりはマシなのは確かだ。

 

況してや、流石の教官も上官の口添えがあれば、何とも言えない筈だ。

 

そんなことを思いながら、俺は足早に停めてある輸送車へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの日を受けながら、輸送車が草原を走っていく。

 

連邦に来てからは都市の賑わいを、特士校に入ってからは演習場の岩場ばかりを見てきたからか、このように一面の緑の光景というのは随分と久しぶりな気がする。

 

そう……確か最後にこのような光景を見たのは特別偵察の頃で、俺とシンとカイエ以外のジャガーノートが駄目になった時だったか。

 

ファイドが遺したコンテナを引いて、レギオンの残骸が転がる草原を進んでいった。

 

迫る死が間近になって、不安を少しでも紛らわそうと戦隊の皆が他愛もない話で盛り上がったのをよく覚えている。

 

俺達がレギオンを必死で退けて、通った道を輸送車はゆったりと走っていく。

 

何とも言えない不思議な気持ちだ……こうして自分が進んだ道を逆向きに進んでいくのは。

 

ふと、窓の外の光景を見ながら、中佐が口を開いた。

 

「この場所はね、かつてはレギオンの支配下だったの。けど、この半年で私達はここまで取り返したのよ」

半年……そうか、もう半年も経っていたのか。

 

俺達が特別偵察に出て、色々な所を回って、連邦にたどり着いて、享受された束の間の平穏からもう半年も経っていた。

 

時間が流れるのは早いものだ、良くも悪くも……

 

「見えてきたわ。あそこよ」

 

「あれは……」

 

小さなボディに57mm滑腔砲を背負い、今にも折れてしまいそうな細い脚部。

 

見間違える筈もない、俺達がかつて駆っていたジャガーノートだ。

 

そして、その中央には何かを守るように倒れているスカベンジャーの亡骸が安置されていた。

 

そんな、かつての道の名残の前に“彼ら”は集まっている。

 

「もう皆、集まっているみたいね。特士校に入ってからバラバラになることが多かったんだし、積もる話もあるんじゃないかしら?」

 

「大半が色々やらかして教官に怒られた話になりそうですけどね」

 

特士校に入ってから、俺達は良くも悪くも話題に挙がる。

 

この前は確か……ヴァナルガンドで跳躍機動をして、足回りを壊したヤツがいるって話してたっけか。

 

そして、誰がそんなことをやったのか、考えずとも検討がついてしまうのも、付き合いが長い証拠だろう。

 

「あっ……」

 

夕暮れの草原に一つ風が吹く。

 

懐かしい……とまではいかずとも、かつて自分が通った道を再び、自らの足で歩くというのは、何処か感慨深いものだ。

 

皆が死という終着点へ向かっていた旅、けれど今は先の未来へ……明日へ目指すために歩いている。

 

だから――これはある意味では、一つの区切りなのだろう。

 

「おっ! ようやく遅刻及び寝坊常習犯が来たぞ!」

 

「誰が遅刻常習犯だよ。プライベートでの寝坊はともかく、こっち来てからは無遅刻の皆勤賞だ」

 

「結局、寝坊癖は治ってないのな……久しぶりだな。ユウ」

 

「ああ、久しぶり。ライデン……ついでにハルトも」

 

「ついでって何だよ!?」

 

騒ぐ緋鋼種の少年と、それを面白げに見下ろす黒鉄種の青年。

 

環境も、制度も、身分もあらゆるものが変化する中で、ただ変わらない――彼らの姿。

 

そして、こちらへ振り返った彼女も――何も変わっていなかった。

 

「久しぶり、カイエ」

 

「ああ。久しぶり」

 

微笑む彼女に釣られてか、思わず俺も笑みが漏れる。

 

互いに離れていたのは少しの間だけだ。

 

けれど、話したいことや言いたいことが、安堵と共に頭の中を埋め尽くしていく。

 

「ん……?」

 

ふと、彼女らの背後にある石碑が目に映る。

 

何らかの記号がびっしりと刻まれた碑――その記号は全て誰かの"名前"だった。

 

「これは……」

 

「連邦軍が戦線を押し上げた時に、擱座していたジャガーノートと一緒にあのプレートを見つけたそうだ」

 

俺達、86には墓は存在しない――遺体の回収はおろか記録すらもされない。

 

それでも、共に戦ったヤツがいた証をどうにか遺そうと、自らが行き着く場所まで共に連れていこうとした――優しい死神が背負った"彼ら"の証。

 

「成る程な。これで……少しは遺せてやれたのかな…… なぁ? "死神"殿」

 

俺の背後で、この名前だけの慰霊碑を見つめる死神の表情は変わらない。

 

「……そうだな。墓……とまではいかなくても、皆の名前がここに在る」

 

我らが死神殿は淡々と答えるが、その声からは僅かながらも安堵の感情があった。

 

555人――シンと共に戦って死んだ、彼らの名前。

 

シンは一人として欠けることなく、555人のことを覚えている。

 

先に逝った彼らの名前を、思いを、生きた証を行き着く場所へと連れていくために。

 

「連邦では戦死者の名前は必ず国立墓地の慰霊碑に刻まれるの。けれど、プレートにあった彼らの名前は、此処に残されるべきだと思ってね。それでこうなったの」

 

「……お気遣いありがとうございます」

 

本来、シンの中では此処こそが終着点として、自らも終わる筈だった。

 

けれど、こうして生き延びて、連れてきた彼らの終着点よりも先の場所が望めるようになって、シンは何処へ向かおうとするのだろう?

 

連れていく仲間も、討つべき存在も……彼の理由だったものは何もない。

 

そして、シンが自らの思いを託した少佐も――

 

「特士校を卒業したら、正式に貴方達はギアーデ連邦の軍人よ。そして遠からず実戦に投入されるわ」

 

まあ、当然といえば、当然の扱いだろう。

 

レギオンから此処まで土地を奪い返したとはいえ、未だにレギオンの支配地域は広大で、その軍勢は今も強化されている。

 

そんな状況で新兵を気遣ってる余裕などある筈もなく、多くの者がいきなり最前線に放り込まれることになるだろう。

 

俺達は再び、篩に掛けられることになる――この連邦でも戦えるのか。

 

「貴方達には私の指揮下にある実働部隊"ノルトリヒト"に所属してもらいます。1028試験部隊部隊長グレーテ・ヴェンツェル中佐よ。改めてよろしくね」

 

「よろしくお願いいたします――」

 

「うきゃーっ! こら! いきなり振り落とすことはなかろうが!」

 

後ろから何かが落ちる音と子供が怒る声がする。

 

ああ……そういえば、ここではマスコットも付いてくるんだっけか。

 

「ほんと、通常時は威厳の欠片もないよね。……で、何やってんの?」

 

旧ギアーデ帝国の女帝陛下改め――フレデリカ・ローゼンフェルトの背後には黒いシートを掛けられた物体が鎮座していた。

 

「というか、後ろのデカイのって何?」

 

「乗り物……じゃないよね」

 

「見るでない! これはサプライズじゃ!」

 

サプライズ……そういえば、中佐も言ってたな。

 

しかし、何処かで見たことがあるようなシルエットなんだが……

 

「なっ!?」

 

その物体がこちらへと跳躍する――宙を舞うシートなら大きなアームと、赤い光彩を放つカメラアイがこちらを覗く。

 

いきなりのことに皆が思わず身構えるが、すぐにその警戒は解かれた。

 

「これって……スカベンジャーだよな?」

 

「何で共和国のスカベンジャーがここに……?」

 

「――ぴっ!」

 

そのスカベンジャーは聞き慣れた電子音を発しながら、そのアームを振る。

 

「ファイド……」

 

『え?』

 

皆がシンの方へ振り返る。

 

当然の反応だ、だってファイドはあの時の戦いで――

 

「いや、こやつは正真正銘、ファイドじゃ。お主らと共にあったな」

「貴方達の機体が発見された時の調査で、この子のコアユニットまでは破壊されていないことが分かったの。ボディはコアのデータを基に復元して、コアをそのまま移植したってわけ」

 

「ぴっ♪」

 

まるで離れ離れになった飼い主をようやく見つけた犬のように、身体を揺らすファイド。

 

「最初は死んだと思っておったのか、起動もせなんだ。でも、シンエイ――お主の名を聞いた途端に飛び起きたのじゃ」

 

シンとファイドが出会ったのは、敵も味方も互いに壊滅した戦場だと聞いている。

 

そして、共和国で戦っている間、片時もシンの下から離れることはなかったという。

 

戦隊の皆が呆気に取られる中、シンは何も言わずに、ファイドの下へ歩み寄る。

 

「お前、まだ生きてるのか? 朽ち果てるまで……と命じただろう?」

 

「ぴっ……」

 

飼い主に叱られた犬のように、俯くファイド。

 

けど、そう言うシンの声音は何処か嬉しそうなものだった。

 

「まあでも……また一緒に帰るか?」

 

「ぴっ!!」

 

その言葉を聞いた途端、ファイドが再びシンに向かって跳躍した。

 

そして、シンが避けたことで、大きな音を立てて巨体が地面を転がる。

 

「はは、前よりも動くようになったもんだ」

 

「ボディは元のものより数段アップさせたもの……って! 貴方達、少しは彼の心配しなさい!!」

 

「大丈夫っすよ。お約束みたいなもんなんで」

 

「そうそう、あれくらいじゃファイドは壊れないし!」

 

「シンエイの方じゃ!」

 

確かにパワーアップしたファイドの体当たりを喰らおうものなら、文字通りの木っ端微塵になりそうだが……

 

俺達はともかく、シンにはファイドの言いたいことや動きが分かるみたいだし……多分、問題ないだろ、うん。

 

「フフっ……あれは正真正銘、ファイドだな」

 

「だな……まぁ、随分とじゃじゃ馬になったもんだ」

 

避けられると分かっていても、尚も跳び跳ねるファイド見ていると、思わず笑みが漏れる。

 

そして、それはファイドを躱すシンも同じらしい。

 

それを見ていた中佐が呟く。

 

「彼……あんな顔もできるのね」

 

「シンは……皆に置いていかれてばかりでしたからね。こうやって帰って来ることなんて決してなかった」

 

家族にも、仲間にも、少佐にも……置いていかれるばかりだったシンにとって、僅かな救いであることは違いない。

 

……けれど、シンはそれだけではきっと足らないのだ。

 

仲間がいた証も此処に在る――では、彼には何が残っている?

 

「ところで、シンエイ。お主にもう一つサプライズじゃ」

 

そう言ってコートのポケットから、黒光りする物を取り出す。

 

拳銃だ、しかもシンが共和国にいた頃からずっと持っていたものだ。

 

「エルンストから預かってのう。お主にとって大切なものなのじゃろう?」

 

シンの死神たる象徴――多くの仲間を楽にしてやった、或いは自分が楽になるための血塗れの武器。

 

あまり物事に関心を示さないシンが決して譲らなかった彼の役割。

 

「フっ……またよろしくな」

 

「よろしく!」

 

「よろしくさん!」

 

「よろしくね――」

 

皆がよろしくと、彼に言う。

 

それはこれから背中を任せるという意味なのか、それとも自らの最期のことを示唆しているのか。

 

「――ああ、よろしく」

 

シンが拳銃を手に取る。

 

「ユウもよろしくな。妖精様のお導き、期待してるぜ」

 

「妖精呼びはやめてくれって……けど、任せとけ」

 

俺が此処にいるのは死ぬためじゃない、この先も生き延びるためだ。

 

だから、何がなんでもその未来を掴んでみせる。

 

各々の誓いを胸に、かつて駆っていた戦場の遥か彼方で、彼ら(86)は帰還した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2149年 7月28日

 

 

広域マップの友軍マーカーが赤の敵性マーカーが陣地を進む度に消えていく。

 

共和国で散々見慣れた光景だが、青のマーカーが消える度に誰かがそこで死んでいる。

 

……かなり、食い込まれているな。このままじゃ、全滅も時間の問題か。

 

「小隊傾注」

 

今回の任務は敵部隊に包囲された友軍の救援及び包囲部隊の殲滅。

 

いきなりハードな命令が下されたものだが、上層部がそうしろと言うのだから、指揮下の俺達に拒否権なんてものはない。

 

「1200m先のエリア268に敵部隊が展開している。構成は戦車型24体、近接猟兵型38体、斥候型54体。現在、友軍の機甲部隊と交戦中だ」

 

『交戦中……というより、一方的に嬲られてそうね。さっきのを見た感じ』

 

『戦車型と斥候型がセットでいるからな……どうする? フェアリー』

 

足が遅く、図体の大きいヴァナルガンドは戦車型にとって格好の的だろう。

 

かといって、後退中の所を割り込んだところで、今度は俺達が集中砲火を浴びるだけだ。

 

「小隊を二分する。マーチヘアとレウコシアは側面から回り込んで、味方を撃っている連中を横から撃て。俺とキルシュブリューテで連中の包囲網を掻き乱す」

 

『マーチヘア、了解。ねえ、前もこんな感じで動いてたの?」

 

『そうね……フェアリーが突っ込んで、私達が援護するみたいなことはしょっちゅうよ』

 

「という訳だ。栄えある我ら第4小隊の一員になった以上、頑張ってくれたまえ」

 

『なんだ? クジョーの受け売りか? それ」

 

別に意識した訳ではないのだが……確かオリジナルはスピアヘッド戦隊にクソ栄光あれ……だったか。

 

まあ、その正誤を確かめようにも、当の本人がいない為、確かめようがないのだが。

 

「しかし……随分と女手が増えたもんだな。うちの小隊も」

 

『というか、男子はフェアリーしかいないからな。どうだ? 男にとっては夢のような状況じゃないか?』

 

何故、プロポーズした相手に女子の多さでからかわれねばならんのか。

 

「ハイハイ、ちょー嬉しいです。ほら、仕事の時間だぞ?」

 

『了解、いくら二人の仲でも戦場で惚気ちゃ駄目だからね?』

 

二機の"ジャガーノート"が進路を逸れ、敵部隊の側面へ向かって進撃していく。

 

さて、俺達も自分の仕事をこなすとしよう。

 

「距離が500を切り次第、砲撃を開始。前衛に穴を開けたら、そのまま俺が主力に切り込むから援護は任せるぞ。キルシュブリューテ」

 

『キルシュブリューテ、了解した。間違っても当たるなよ』

 

敵部隊との距離は既に600を切った、そして同時にこちらの接近に気付いた斥候型が機銃を掃射する。

 

無数の曳光弾の雨を躱しながら、彼我の距離を詰める。

 

そして、ついに距離が500を切った。

 

「撃て」

 

背部の88mmから放たれた成形炸薬弾が斥候型の装甲を易々と食い破り、内部で炸裂する。

 

すぐさま第二射を近接猟兵型へ叩き込み、後方からの砲撃で奥の戦車型が黒煙を吐いて沈黙した。

 

「ちっ……遅かったか」

 

残骸と成り果てたヴァナルガンドを横目に、こちらへ砲口を向けた戦車型へ肉薄する。

 

その威圧的な120mm滑腔砲が火を吹き、機体のすぐ横を放たれた砲弾が通り抜けていく。

 

「流石、新型。ちゃんと動いてくれるだけで大助かりだ」

 

共和国のジャガーノートでは相当な無茶を掛けないと出来ない機動もこの新しい"ジャガーノート"は難なく対応してくれる。

 

戦車型をブレードで切り裂き、傍らの斥候型をその切っ先で貫く。

 

『フェアリー、2時方向から近接猟兵型が突っ込んでくるぞ』

 

「了解」

 

機銃掃射を受けた斥候型が崩れ落ち、その背後からブレードを振り上げた近接猟兵型が飛び出す。

 

銀色の一閃を懐に飛び込んで躱し、そのまま機体を回転させて近接猟兵型の腹を裂く。

 

バターのように裂かれた腹部からは流体マイクロマシンが血のように吹き出し、"ジャガーノート"のボディへ付着していく。

 

然れど、レギオンは決して動揺しない。

 

今にも戦車型がこちらを踏み潰さんと、60トンの巨体を跳躍させていた。

 

けれど、動揺など無いのは此方も同じ――況してや、これよりも酷い状況なんて幾度もあった。

 

着地した戦車型のボディが土煙を上げると同時に、その上部へと乗り移る。

 

間髪入れず、脚部の耐装甲パイルドライバーを起動。

 

放たれた57mm口径の杭は上部装甲を易々と貫通し、その内装を破壊しながら深く食い込んでいく。

 

周りのレギオンも、奧へと逃げたヴァナルガンドよりこちらの排除を優先すべきと判断したのか、こちらへ砲口を向ける。

 

そして突如、俺達を狙った二体の戦車型が側面からの砲撃を受けて沈黙した。

 

『マーチヘアよりフェアリーへ。ごめん、遅かったかな?』

 

「いや、丁度良いくらいだ。このまま一気に平らげるぞ」

 

『『『了解!』』』

 

"ジャガーノート"の赤い光彩がレギオンを見据え、再び煌めいた。

 

後に彼らの戦闘を見た兵士はこう述べる。

 

彼らは我々を助けに来たのではない――彼らは狩りをしに来ただけだと。

 

彼らは血に飢えた狩人なのだと。

 

 

 

 

 

人間という生き物は同じ考えを持った者で、徒党を組む生き物だ。

 

「何でノルトリヒト戦隊の奴らがいるんだ?」

 

「昨日、うちが救援要請を掛けたからだろ……?」

 

そして、組まれた徒党はどうも余所者を嫌う傾向にあるらしい。

 

まあ、誰かに後ろ指を差されるのは、今に始まったことでもないし、別に気にもならない。

 

「結局、何処に行っても86はお断りなのね」

 

マイナは呆れたと言わんばかりに、ため息を漏らしながらオムレツを口にする。

 

「まあ、こっちに実害がないだけ、まだマシな方じゃないか? カイエにシバかれるヤツがいないってことだし」

 

「おい、私がいつ、誰をシバいたって言うんだ?」

 

そりゃ……色々だよ――共和国にいた頃も含めて。

 

「でも、正規の部隊でも案外、損害が出てるのね。けっこう優勢なのかなって思ったけど」

 

「まあ、斥候型や近接猟兵型は装甲でゴリ押せるからいいけど、戦車型は装甲も機動力も及ばないからな。集まられるとキツいんだろうよ」

 

とはいえ、確かにレギオンの撃破数とこちらの死傷者数が合っているとは言えない。

 

俺達が所属するノルトリヒト戦隊も、元は大隊規模の隊員がいたのに、今では中隊規模しか残っていない。

 

そして、正規軍でも半数が戦死及び行方不明となっている部隊もあるそうだし、戦線全体で壊滅寸前の所を何とか踏みとどまっているという状況だ。

 

「確かに……勝ててる感じではないよな」

 

「この前の戦闘で先輩方はみんな死んじまった訳だし……」

 

俺達の主任務はあくまで新型の"ジャガーノート"の運用試験。

 

その性質上、"ジャガーノート"の機動に耐え得る人員が選抜されていた筈なのだが……

 

「篩に掛けられた……というには大きすぎる損害だな」

 

この前の戦闘で先輩方が全滅した結果、俺達が多数の部隊の救援要請に応えなくてはいけなくなった。

 

いくら戦場に慣れているとはいえ、あっちこっちも駆け回されるというのは勘弁願いたい。

 

「ほんと、馬車馬みたくこき使ってくれるよな。こっちでもさ……それに悪い知らせが一つ。レギオンが来るぞ」

 

「OK。何時?」

 

「今から二時間後だ。多分、すぐに管制もレギオンの接近に気付くだろうよ」

 

「毎度、タイミングが悪いわよね。この前もこんな感じだったし」

 

頭に映像が流れ込む感覚――機械の軍勢が炎上したヴァナルガンドを踏み潰し、こちらへと進撃していく。

 

おそらく、今回も少なくない数の連邦兵が死ぬことになるだろう。

 

この西部戦線は他の戦線と異なり、平野での戦闘が多くなるため、どうしても正面からの戦闘が多くなる。

 

"ジャガーノート"ならともかく、機動力の低いヴァナルガンドではどうしても、後手に回ってしまう。

 

そういう意味では、"ジャガーノート"の機動防御というコンセプトは理に叶っている。

 

尤も、ソレを乗りこなせるのが前提の話ではあるのだが。

 

「あっ、警報も鳴ったね」

 

食堂のスピーカーから穏やかなクラシックに変わって、けたましいサイレンが拡散される。

 

前線基地全体に鳴り響く、敵接近の警報音。

 

最前線では当たり前の日常、属した国が変わろうと俺達の仕事は変わらない。

 

ふと、無意識の内に耳元へ手を伸ばす――あの少佐に伝えようと……

 

「おっと、またやっちまった……」

 

当然、あの少佐は此所にはいない。

 

ここは連邦の西部戦線の前線基地――少佐がいるのは遥か彼方の共和国だ。

 

今もなお、無数のレギオンが迫る中、勝つために必死で抗っているか、もしくは……

 

それを見ていたカイエが微笑む、あの日々を懐かしみながら。

 

「私もたまにそうなるよ。無意識の内に当たり前になってたんだな……少佐がいるのが」

 

最初は理想しか見てない白豚のお姫様としか思っていなかった。

 

でも、俺達の本当の名前を教えて、他愛もない話をして、レギオンの"声"を聞いても尚もハンドラーで居続けた。

 

そして、あろうことか、特別偵察の初日は少佐の無茶で助けられてしまった。

 

たかが86のため、ロクに動かない迎撃砲を引っ張り出して……況してや俺達を死なせる為の任務であったのにも関わらずだ。

 

そんな、どうしようもなく真面目な姿を小馬鹿にしながらも、皆も本心では認めていたのだろう。

 

「共和国は今、どうなってるんだろうね……もうやられちゃってるのかな?」

 

腐りきった軍部はレギオンが86の脳を取り込んで、自らの寿命を克服していることなんて知りもしない。

 

更には人間と同等、或いはそれ以上の思考能力を持った個体もいるなんて、考えもしてないだろう。

 

自らを荒事から遠ざけ、その怠慢さから自らを守る術さえも喪った共和国がこの先も生き残ることはまず、不可能だ。

 

前線にいる86が突破されて、内地への侵攻を許した時、きっと初めて気付くのだろう。

 

自らの死を目前にして、ようやく真実を知るのだ。

 

自分が信じていた言葉が、都合の良い戯れ言でしかなかったのだと。

 

レギオンにとって市民も軍人も関係ない、彼らには敵かそうでないかの二択のみだ。

 

デカイ大人も小さな子供も彼らにとっては撃つべき敵、或いは自らの強化材料でしかない。

 

「……いこう。俺達は此所で止まっている訳にはいかない」

 

共和国は怠慢によって歩みを止めてしまった、故に何も出来ずに滅ぶのだろう。

 

しかし、ここも結局は前線で兵士の命を湯水のように使って、ようやく現状を維持している。

 

無理かもしれない、無謀かもしれない――でも、"それでも"と言って足掻く限り、無駄にはならない。

 

どれだけ辛くても、苦しくても、前に行かない限り、いつか死に追い付かれる。

 

だからこそ、俺達は彼方の戦場で死に物狂いで抗っている。

 

自らの未来を――明日を掴むために。

 

 

 

 

 

 

"Our greatest glory is not in never failing, but in rising up every time we fail."- Ralph Waldo Emerson

 

偉大な栄光とは失敗しないことではない。失敗するたびに立ち上がることにある――ラルフ・ワルド・エマーソン

 

 

 

 




なんだかんだ戦隊全員がレーナさんのこと認めてるの良いですよね……


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25話

何でクロゴケグモが未亡人と関係あるのかというと、英名の直訳が「黒い未亡人」と読むそうです。蜘蛛の生態でも雌が雄を食べてしまうところから来てるそうです。


"Mankind must put an end to war, or war will put an end to mankind." - John F. Kennedy

我々が戦争を終わらせなければ、戦争が我々を終わらせるだろう――ジョン・F・ケネディ

 

 

 

鼻を着くオイルの匂いと金属のひんやりとした感覚。

 

暖房のような空調設備など無いためか、とても寒い。

 

此所は……何処なのだろう?

 

この金属の箱庭には人はおろか、生物の気配など一切、存在しない。

 

けれども、何かが蠢いているのを感じる。

 

モーターの駆動とより強まるオイルの匂い――何かが其処で作られている。

 

アームに掴まれているのは戦車型の砲塔、巨大な八脚の胴体に載せられ、光学センサーに光か宿る。

 

斥候型にインプットされていく、誰かの脳構造。

 

其処で彼らは生まれる、ただ敵を滅ぼす為だけに。

 

ああ、そうか……これはただの記憶だ。

 

きっと、これはレギオンの――誰かの“亡霊”が見たものだ。

 

ふと、ある区画に差し掛かると身体が動かなくなる。

 

いや、違う……動かないんじゃない、最初から自分の首から下が無い。

 

自分で動いていたつもりが、実際は作業機に運ばれていただけだったのだ。

 

自分を運ぶ作業機はその区画の前で、何かを待っている。

 

でも、何故か分かった。

 

見たことなんてないし、確たる証拠もないけど――これはロクなものじゃない。

 

きっと今。この向こうで亡霊が作られている。

 

死んだのに消えられない、死の直前を想起するだけの、誰かの残骸。

 

再び、身体が動く、否――首が運ばれている。

 

其処は存外、綺麗にされていた。

 

手術台を思わせる金属の作業台の上には無数のアーム群が首が来るのを今か今かと待ちわびている。

 

そうか……此所で“亡霊”は生まれるのか。

 

黒羊になるのか、羊飼いになるのか、それは定かではないが、きっと此所で生まれた“亡霊”は今も戦場を彷徨っているのだろう。

 

一つアームがこちらへと下がっていく――先端には鋭利な刃が煌めいている。

 

ふと、その首というより、首の持ち主だった者の口が動いた気がした。

 

その者は当然、死んでいる筈だ……だから、気のせいの筈だ。

 

誰かの名前を呼んでいる……一体、誰の名を呼んでいるのだろう?

 

また、その口が動く。

 

『ユウ!』

 

 

 

 

 

 

 

呼ばれて飛び起きたと同時に、大きな衝撃が脳を揺さぶった。

 

神経に刺さる鈍痛が、寝起きの意識を鮮明にしていく。

 

「いってぇ……」

 

「おいおい、大丈夫か……?」

 

黒髪の少女が案じる声を聞き、思わず自分の首に手をやる。

 

俺の首はちゃんと胴体と繋がっており、身体にも欠損した箇所は一つとして存在しない。

 

思わずため息を吐きながら、先程まで見ていたのが夢だと気付く。

 

……夢にしては偉くリアルで、記憶に残っているのだが。

 

「はぁ……ところでどうしたんだ? 上から新しい命令でも来たのか?」

 

「ああ、ノルトリヒト戦隊は17:00(ヒトナナマルマル)に13号前線基地へ集結せよとのことだ」

 

「13号前線基地か……また、随分と西へ走らされるな。マイナ達には伝えたのか?」

 

「既に伝えてる。ユウの指示があれば、いつでも動けるよ」

 

「なら、直ちに出発だ。遅刻したら大目玉を喰らいそうだからな」

 

とはいえ、ノルトリヒト戦隊を同じ基地に全員集めるなんてな……ただ事じゃなさそうだ。

 

命令である以上、こちらは従う他ないが……どうも嫌な予感しかしない。

 

それに士官の間では、レギオンの大規模攻勢が近々、起こるとの噂もある。

 

更に、この前の戦闘でも多くの兵士が戦死し、その補充すら終わっていない。

 

部隊の定数割れというのは、共和国でも何度もあった状況だが……

 

そして、もう1つ……あの時、襲ってきたレギオン――フレデリカの騎士が一向に動きを見せないというのが引っ掛かる。

 

阻止不可能な一撃を放てるレギオンが存在し、いつ撃ってきてもおかしくないという状況。

 

噂されている大規模攻勢に備えているのか……それとも、別の理由があってか。

 

仮に大規模攻勢が起きようと十分に迎え撃てると、特士校の教官は言った。

 

けれど、俺には到底、そうだとは思えない。

 

今の戦線の現状を知った上で、自らの経験を照らし合わせても、導かれる答えは同じだ。

 

このままでは連邦はレギオンに負ける。

 

そして、噂の大規模攻勢――これはきっと連邦……いや、人類がこれからも存続できるか、否かの分岐点になるだろう。

 

実際に未来を視たわけではないし、これはあくまでも俺個人の考えでしかない。

 

けれども、必ずそうなるという確信がある。

 

そんなどうしようもない苦境を見据えながら、“ジャガーノート”のコックピットに座り、機体のシステムを立ち上げる。

 

「各機、状況報告」

 

『キルシュブリューテ、何時でも出れるぞ』

 

『レウコシアも同じく』

 

『マーチヘア、何時でも行けるよ!』

 

「フェアリー了解。これより第4小隊は13号前線基地へ向かう。指定時刻は17:00(ヒトナナマルマル)だ。くれぐれも遅れるなよ」

 

先の未来を憂いても、今の俺に出来ることは、与えられた仕事をこなすことだ。

 

俺一人でレギオンの大規模攻勢を防ぐことなんて出来る筈がない。

 

“ジャガーノート”のメインセンサーが紅く輝き、黒い妖精のエンブレムが描かれた機体が格納庫から歩きだす。

 

その一機に続き、もう一機、更にもう一機と――四機の“ジャガーノート”が基地のメインゲートへと向かう。

 

何やら端末を覗き込んでいた守衛が驚いたように、こちらを見る。

 

部隊の同調から無線へと切り替えて、ゲートの守衛に言う。

 

「こちらノルトリヒト戦隊第4小隊長のユウヤ・カジロ少尉だ。司令部よりFOB13への転属命令を受けている」

 

『あ、ああ……命令は確認している。今、ゲートを開ける』

 

固く閉じられていたゲートが開く最中、守衛が口を開いた。

 

『なぁ、隊長さんよ。この前は助かった……おかげで命拾いをした』

 

「この前?」

 

『この前の戦闘で、あんたらが歩兵部隊の救援に来てくれたろ? その場に俺も居たからさ……一応、礼を言っておきたくてな』

 

確かにこの守衛の言う通り、歩兵部隊の救援には行ったが……着いた時には、既に半数以上が死亡しており、部隊として壊滅状態だった。

 

『他の奴等はさ、あんたらのことを共和国の化け物とか言っているけど……』

 

守衛にはそれでも、と言葉を区切る。

 

『それでも、あんたらのおかげで助かったヤツもいるんだ。あんたらがどう思ってるかは分からんが……感謝してるヤツもいる。それを知っておいて欲しくてさ』

 

正直、意外だった。

 

共和国にいたときから家畜扱いで、こっちでも腫れ物扱いされることに慣れてしまったこともあるのだろう。

 

況してや、こうして感謝を伝えられるなんてことは一度としてなかった。

 

「そうか……まあ、どういたしまして。短い間だけど世話になったよ」

 

『ああ、あんたらも死ぬんじゃねえぞ』

 

ゲートから“ジャガーノート”が飛び出し、西へと進路をとる。

 

ふと、後方から続くカイエ(キルシュブリューテ)が口を開いた。

 

『何か不思議な感じだな。意識してやったわけじゃないのに、礼を言われるなんて』

 

『そうね……お礼を言われるなんて、今までなかったし』

 

『でも、悪い気分じゃないよね』

 

彼女達に限った話ではない。

 

誰もがあの守衛を助けようと思って戦った訳じゃない。

 

ただ上から命令された通りに戦った――それだけである。

 

『そういえば、此所からFOB13か……遠いね』

 

『どうする? 何か賭けるか?』

 

「賭けてもいいけど、何で賭けるんだ? 商品も何もないぞ?」

 

『じゃあ、ユウとカイエの話を聞かせてよ!』

 

『なっ!?』

 

「それ、カイエから散々、絞ったんじゃないのか?」

 

『カイエからはともかく、ユウからは全然、聞いてないし。折角二人とも揃ってるんだから、聞いておかないと』

 

聞いておくと言っても、殆どがカイエが話したものと同じ内容になりそうなのだが……

 

まあ、このまま何もせずに機体を走らせるというのも退屈だし、差し支えない程度で話せばいいか。

 

「そうだな……カイエが初陣で色々な意味で大暴れした話でもしようか?」

 

『おい、ユウ!』

『えっ、何それ? 聞いたことないよ!?』

 

ほう……カイエの奴、この話は二人には避けてたな?

 

『ユウ、変なことを言ってみろ。ユウが哨戒で溺れ死にかけた話をするぞ』

 

「ちょっと待て、それについては少し語弊があるぞ!」

 

いや、確かに哨戒中ではあったけどさ。溺れ死ぬって……いやまぁ、間違いではないんだけど。

 

付き合いが長い分、互いに赤っ恥をかいた話はいくつもある。

 

『哨戒中に溺れ死ぬって……フフ』

 

『カイエ詳しく』

 

おい、そこ。笑うんじゃない。

 

超が付くレベルのカナヅチには本気の死活問題だったんだ。

 

『そうだな……あの時はユウと私の二人で哨戒しててな。廃墟のスポーツセンターで――』

 

「すいません、俺が調子に乗ってました。カイエさん、どうか勘弁してください」

 

意気揚々と話を続ける少女と、必死で弁明する少年。

 

平穏も、人生も、故郷も何もかもを奪われた彼らにとって、これは彼らなりの青春なのだろう。

 

もし、レギオンが兵器としてでなく、人の暮らしを助ける“パートナー”として開発されていたら……

 

きっと、各々が出会った者とこんな雑談を交わして、町を歩いていたのかもしれない。

 

けれど、レギオンは兵器として生まれ、彼らは86として何もかもを奪われた。

 

だから、きっと歪な思い出を抱えたまま、彼らは大人になっていくのだ。

 

四機の“ジャガーノート”が西へと駆けていく。

 

そんな彼らの上で、太陽は燦々と輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第13号前線基地へ到着したの頃には、既に日が暮れていた。

 

基地の白系種の守衛に指示された格納庫へ機体を入れて、戦隊の集合場所へと向かう。

 

目まぐるしく、多くの士官や整備士が走り回る中。“彼ら”は其処で待っていた。

 

「ファイド」

 

「ぴっ!」

 

夜黒種の黒髪と血のような赤い双眸を持つ少年が紙の束をスカベンジャーの前へと置いた。

 

そして、器用にも大きなクレーンアームで細いペンを持ったスカベンジャーは高速で紙に何かを書き込んでいく。

 

「……是非とも今度はうちに貸してくれよ。書類には俺もうんざりしてるからさ」

 

「機会があればな……早いな、第4小隊はもう全員来てるのか?」

 

「ああ、四人全員な。他に着いたのはいるのか?」

 

「ハルト、ライデン、セオ達は既に到着してる。ダイヤとアンジュ、そしてクレナとレッカはまだ掛かるそうだ」

 

まあ、四人とも西部戦線の端の方に行っていたみたいだし……いきなり、此方に集まれといっても時間は掛かる。

 

「やっぱり何人か分けようか? 第4小隊だけ定数揃える訳にもいかないだろ?」

 

「いや、問題ない。カイエとミクリはユウの指揮の方がやりやすいだろうし、マイナの戦闘スタイルも第4小隊に合っていると思う」

 

基本的に小隊の分配はかつてのスピアヘッド戦隊のものを踏襲している。

 

ライデンが小隊長を務めていた第2小隊は彼一人しかいない為、セオが彼の指揮下に入っている。

 

しかし、第5小隊のダイヤとアンジュ、第6小隊のクレナとレッカのように、基本的な構成はそのままだ。

 

「それにユウの“目”は戦隊が戦っていく為に必要不可欠だ。だから、ユウをカバーできる要員は多いに越したことはない」

 

「そうか……」

 

戦隊長であるシンがそう判断した以上、何も異議を唱えるつもりはない。

 

でも、何処か……シンに余裕のなさというか、焦りというか、何かに追い込まれているような印象を覚えた。

 

ふと、彼らの背後から黒鉄種の青年が声を掛ける。

 

「おっ、ユウも来たのか。そっちじゃどうだったよ?」

 

「想像通りさ。多数の死人を出しながらも、何とか前線を維持してる」

 

「成る程ね……そういうのは何処も一緒なんだな」

 

俺達が駆る“ジャガーノート”はあくまで試験運用の扱いだ。

 

そのため、正規部隊よりも補充が来るのは遅いし、基地での要請も後回しにされることが多い。

 

その割にはやたら書類が来るし、要らぬプレゼントも贈られてくるしと……うんざりする業務はたんまりとある。

 

まあ、遅いとはいえ、補充が来るだけ共和国よりは遥かにマシと捉えるべきだろう。

 

「そういえば、こっちでもレギオンの大規模攻勢が近いって噂で持ちきりだったんだが、シンの予想的にはそろそろなのか?」

 

「そろそろというより、いつ来てもおかしくない。その時が来れば、ユウにも見える筈だ」

 

シンは立上がり、テントを後にする。

 

レギオンの声が日に日に増えていくというのは、どういう感覚なのだろう?

 

一分一秒さえも休まること無く、増えていく膨大な死者の嘆きを受け止めるというのは……

 

俺にはその声は聞こえないし、彼の苦悩の全容を理解してやることは叶わないが、きっと何かを磨り減らさないと耐えることも儘ならないのだろう。

 

夕暮れの下、先を歩いていく我らが死神。

 

その背中は今にも倒れてしまいそうと思ってしまうほど、弱々しく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、起きて食堂に行ったら何故か、うちのマスコットが顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏していた。

 

その隣でシンが如何にも面倒くさいと言わんばかりの表情を浮かべている。

 

「……今日は何をやらかしたんだ?」

 

「なっ!? 『今日は』とは何じゃ!? 妾がいつ問題を起こしたと言うのじゃ!!」

 

「今朝はやらかしたんだろ?」

 

「うっ……」

 

「はは……ユウが遅起きで良かったな。フレデリカ」

 

カイエが苦笑いを浮かべながら言うのを見て、随分と面倒なことがあったと察した。

 

とはいえ、シンがあそこまで面倒くさそうな顔を浮かべたのは、少佐に報告書をちゃんと提出しろと言われた時ぐらいか。

 

そう意味では案外、シンにとっては感情を顕わに出来る貴重な相手なのだろう。

 

「あっ、おはよう! ユウ!」

 

「ああ。おはよう、クレナ。朝から元気だな……レッカもおはよう」

 

「ええ、おはよう」

 

……いかんな、エルンストの屋敷で二人で話してからどうも、レッカとは何かぎこちないんだよな。

 

いやまあ、共和国でも積極的に話してたわけではないんだけど……

 

不意に、誰かが俺に個別での同調を求めてくる。

 

「どうした? クレナ」

 

『えっと……レッカと何かあったの? 何か少し話しづらそうにしてたけど……』

 

ほんと、よく人のことを見ていると思う。

 

当の本人に悟られぬよう、わざわざ個別で同調を求めてくるところからも彼女の気遣いを感じる。

 

「生憎、俺にも分からないんだよ。そっちではいつも通りだったのか?」

 

『うん、そうだったけど?』

 

困ったことになった、このぎこちなさの原因は、おそらく俺にあるのだが、その原因については全く心当たりがない。

 

かといって、俺が本人に聞こうにも、はぐらかされてしまうだろう。

 

「上は此処に俺達全員を集めてどうする気なんだろうな?」

 

「機甲部隊はだいぶやられたみたいだし、哨戒に行かされるんじゃね?」

 

「別に行く必要なくない?」

 

「俺達はそう分かるけど、上に今日はレギオン来ないので、哨戒はしませんって言うわけにはいかんだろ」

 

レギオンが来るなら、シンも俺も分かるが、たかが一介の将校の言葉に軍全体が納得するわけがない。

 

況してや、86の言うことであれば、尚更だろう。

 

まあ、共和国の情報の管理体制が杜撰だっただけで、本来ならこれが普通なのだ。

 

そんな俺達の様子を見ていたフレデリカが溜め息を漏らした。

 

「まったく……そなたら、あちこちからこき使わるのにすっかり慣れてしまったようじゃの。じゃが、今日赴くのは哨戒ではない。久方ぶりの我らの本拠地じゃ!」

 

我らがマスコット及び小さな女帝殿は声高らかに宣言した。

 

「そうか。じゃあ、なおさら半裸で動き回れないな」

 

「なっ!? ユウヤよ! 何故、そなたが知っておるのだ!?」

 

自信たっぷりに胸を張っていたフレデリカの顔が一瞬にして真っ赤になる。

 

バレぬよう、クレナとの同調を切り、不敵な笑みを浮かべる。

 

情報共有は人間生活の基本だぞ? 女帝様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第177師団司令部基地は旧帝国空軍基地を流用しているため、多くの格納庫やフェルドレスの整備場を抱えている。

 

また、運航は内地限定とはいえ、貴重な航空機も多数残存しているのもあって連邦軍にとって戦略的な重要度はかなり高い。

 

「まずは毎日の救援任務、お疲れ様」

 

戦隊指揮官グレーテ・ヴェンツェル中佐は各々の報告書を傍らに笑みを浮かべる。

 

隊舎のブリーフィングルームに集められたのは各小隊で小隊長を務める五人と研究班と整備班の責任者だ。

 

実働部隊の第1小隊からはシン、第2小隊からはライデン、第3小隊からはダイヤ、第4小隊からは俺、第5小隊からはクレナが召集された。

 

「戦闘要員は一月前とだいぶ変わってしまったけれど……レギンレイヴは貴方達、エイティシックスや傭兵達の方が相性が良いみたいね」

 

中佐が深く笑う――自分の作品の感想を知りたがる芸術家のように。

 

「どうかしら少尉。気に入ってもらえて?」

 

「評価報告はパラレイドのそれと併せて提出していますが?」

 

「ええ。だから聞きたいのは感想よ。かつて共和国で同系統のフェルドレスを駆ったあなた達のね」

 

「はぁ……あなたが作った方の"ジャガーノート"についてでしたら――」

 

「レギンレイヴよ」

 

「ジャガーノート」

 

「レギンレイヴだって」

 

「ジャガーノート」

 

決して"ジャガーノート"呼びを譲らないシンを見てか、戦隊全員の口から笑みが漏れる。

 

はは……これはあいつらへの手紙に書くことが増えたな。

 

そんなやり取りを数回やると、中佐も諦めたのか、溜め息を吐きながら言った。

 

「……もういいわ。それで? どうだったのかしら?」

 

「共和国のジャガーノートよりは多少上等なアルミの棺桶です」

 

「機動性だけで、中身の安全なんて考えられてないよね」

 

「搭乗者クラッシャーなんてよく言ったもんだな」

 

「もしかして気付いてなかったの?」

 

「なっ……!?」

 

一同からのアレな言われように、中佐の驚愕の表情が浮かぶ。

 

そんな光景を尻目に横の格納庫を見る。

 

一月前、横の格納庫には多くの"ジャガーノート"が並び、それは壮観だったが、今は20機余りの"ジャガーノート"と88mmの砲弾コンテナ、戦場から回収された残骸が鎮座している。

 

俺達はあくまで試験部隊である以上、"ジャガーノート"である程度の結果を出すことが求められる。

 

しかし、一部の戦果は凄まじいとはいえ、一月でこれ程の損害を出してしまったのもあって、撃墜比(キルレシオ)はヴァナルガンドと大差ない。

 

というのも、連邦兵は殆どがヴァナルガンドで訓練するため、フェルドレスの運用の下地がどうしてもヴァナルガンドに寄る。

 

故にヴァナルガンドとは真逆の設計思想を持つ"ジャガーノート"を乗りこなすというのは難しい。

 

他にも機動性に関しても、慣れている者はともかく、新兵などが扱えば彼らの身体を壊しかねない程に強烈である。

 

その上、機体の装甲も共和国のジャガーノートよりはマシとはいえ、ヴァナルガンドと比較すれば遥かに劣る。

 

これらの事を踏まえても、運用の実績としては芳しいものではないが、まだ結果を決めるには時期尚早だろう。

 

「でも、メリットはあると思いますよ。確かに機動性に関しては万人受けするとは言い難いですが、乗りこなせれば、ヴァナルガンドではなし得ない機動を実現できます。それは戦術の多様化に繋がるのは間違いありません」

 

特に平野での戦闘が多い西部戦線では、数を揃えるしかなかった戦法が、高機動を活かした浸透攻撃、強襲攻撃といった様々な戦法がとれるようになる。

 

山岳部でも地形が三次元機動を補助してくれる為、敵の予想外の所から攻撃出来たりと、メリットが全くない訳ではない。

 

シンの言うように確かにジャガーノートを順当強化したアルミの棺桶と言える様だが、そもそもヴァナルガンドであっても、孤立すればデカイ棺桶にしかならない。

 

結局、どの機体であっても戦車型等の攻撃を喰らえば、一撃で致命傷になり得るのだから、そんな大差はない。

 

「カジロ少尉……貴方、もしかしたら参謀に向いてるかもしれないわね。どう? 私から推薦しておくわよ?」

 

「気持ちは有り難いですが、たかが一介の将校が参謀になれるほど、空枠は無いでしょう? 況してや86に」

 

連邦軍の上層部は今も帝国時代の元貴族が多くを占めているという。

 

そんな環境が新参者を――腫れ物の86を受け入れるとは到底、思えない。

 

「そう……とりあえず、貴方達のレギンレイヴへの意見は今後の改修に反映させて貰うわ。でも、それなら何故、オペレーターを引き受けてくれたのかしら?」

 

「候補に加えたのは中佐ご自身と聞いていますが?」

 

「あくまでテスト要員としてよ。あなた達のような少年兵が前線に出るのは本当は反対なの。ましてあなた達86は特にね」

 

まだ二十歳にも満たない少年少女が前線で戦い、命を落としていく。

 

それはまともな法治国家から見れば、異常で残虐な様に見えるのだろう。

 

けれど、旧歴史で存在した国家がやったように、人は追い込まれるほど形振り構わなくなる。

 

たとえ、人に爆弾を抱えさせて戦車に突っ込ませようと、国民を絶死の自爆兵器に乗せようと、戦火の最前線に放り込もうと、何も違和感を覚えなくなる。

 

国のために死ぬのは名誉だと、逃げる者は臆病者だと。

 

迫る死から遠ざかる為に、より多くの人々を死なせていく。

 

旧歴史に存在した国家も、俺達がいた共和国も――結局は同じことを繰り返しているに過ぎないのだ。

 

「私もヴァナルガンドに乗っていたの。10年前、レギオンとの戦争が始まった時、今のあなた達と同じぐらいの歳だった」

 

忘れもしない、俺達が人ではない、人型の豚としての烙印を押された時。

 

「仲間は沢山、死んだわ。ノロマなヴァナルガンドのせいで。もっと足の速いフェルドレスがあればって……何度も思ったわ。レギンレイヴを作らせたのもその為よ」

 

追憶に伏せた眼差し――きっと、死んでいった仲間に中佐の大事な人もいたのだろう。

 

そんな喪失を負って尚も、こうして此処にいるのは責任故か、或いは執念なのか。

 

たとえ、レギオンに勝ったとしても喪ったものは戻らない。

 

死んでいった人々が還ってくることはない。

 

「忌憚のない意見をありがとう。次の改修ではもうちょっとマシな意見を言わせてみせるから期待していて」

 

そう言って、中佐は微笑むと手元のタブレット端末に視線を落とした。

 

「さて、通達の前に一ついい報せがあるわ。ロア=グレキア連合王国、ヴァルト盟約同盟の生存が先日、ついに確認されたそうよ」

 

「え? それって何処?」

 

「確か、北と南にある国だっけ」

 

この二ヶ国は、前者は共和国と連邦の北部に隣接していた専制君主制国家で、後者は南隣に存在していた武装中立国家である。

 

阻電錯乱型の電波妨害もあり、互いに連絡はおろか、生存確認さえも出来なかったのだろう。

 

「彼らも何とか防衛線を構築して、生存圏を維持しているそうよ。連合王国は南進にも成功しているから、いずれは行き来も可能になる。二ヶ国による協同作戦も、そのうち出来るようになるかもしれないわ」

 

確かにそれは良い知らせだ。

 

元の国力は無いとはいえ、レギオンの侵攻から己を守れる二ヶ国が協同できるというのは心強い。

 

尤も、かつてレギオンを生んだ国に対して、すんなり協力してくれるかどうかと言えば疑問ではあるが。

 

「ただ、それ以外の周辺国や、西のサンマグノリア共和国については、まだ無線も捕まらないみたい」

 

別に誰も落胆したりしない、どうでもいいと言わんばかりの反応。

 

当然だ、祖国に対する愛国の意なんてとうの昔に消えており、共和国が負けるというのは既に決まった結果だからだ。

 

俺達からすれば、怠惰を貪っていた共和国民がいくら死のうと気にすることも無いが……

 

ただ、それでも一つだけ――たった一人、気になることがある。

 

「さて、此所からが本題だけど……悪い知らせよ。大規模なレギオンの攻勢が、近いうちにあると予測が出たわ」

 

先程まで、どうでもよさそうに話を聞いていた面々の目が一斉に中佐へと向く。

 

それはまるで、獲物の存在を知った狩人の如く、鋭利な刃物を思わせる鋭いものだった。

 

「これを受け、西方方面軍は戦力増強と再編成を実施。我々も、正規の機甲戦力としてFOB15に配属。戦隊は141連隊隷下となり、私が直接、指揮を執ります。これまでのように、小隊単位でバラバラに使い回されることは今後はないわ」

 

「規模は?」

 

「現行戦力で充分に迎撃できる程度と予測されているわ。戦力増強はに万が一に備えてのものよ。そういえば、この件について貴方からも上申が上がっていたわね、ノウゼン少尉」

 

特士校でも言われた、同じ言葉。

 

そして帰ってくる答えも――同じものだった。

 

「興味深く読ませてもらったけどやはり少尉の予測した敵の数は荒唐無稽だわ。統合分析室の予測を大幅に超えている」

 

そう、端から見たら荒唐無稽。でも、それはいつも唐突に起きてきた。

 

確かに連邦は共和国と比較すれば、段違いに戦闘準備が出来ていると思う。

 

情報収集は勿論、兵装も整備が行き届いており、仲間の救援にも果敢に応えようとする。

 

でも、レギオンはそれすらも上回っていく。

 

以前、共和国で少佐がシンに話していた『観測できるレギオンは減っている』と。

 

レギオンにとって、共和国はあくまで"狩り場"でしかないのだ、後方に控える数を増やしていたのはこれらの国に対応する為。

 

共和国で得られた"素材"を使って、軍勢を強化し、これらの国に対抗するための用意。

 

おそらく今現在、存在している"羊飼い"の多くが元は86だろう。

 

彼らがどう動くのかは、いづれ分かる。

 

それを俺が視て、手遅れなのか、まだ首の皮が一枚繋がっているのかは別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カジロ少尉」

 

「……なんでしょうか? 中佐殿」

 

格納庫から自分の部屋へ帰ろうとした矢先、中佐に呼び止められる。

 

「貴方が個別でくれたレギンレイヴの改修案、読ませて貰ったわ。だから、是非とも理由を聞いておきたいの。何故、ここまで密集格闘戦を重視したのかしら?」

 

「平野部での戦闘では、通常の88mm滑腔砲が適していますが、都市部での戦闘や狭い場所での戦闘では取り回しづらい上に、不意の遭遇時に確実な対処かしにくいと感じました」

 

近距離の戦闘は如何に無駄なく、相手を屠る一撃を喰らわせるかに掛かっている。

 

確かに88mm滑腔砲の火力は素晴らしいのだが、近距離の戦闘でも重宝するという訳ではない。

 

況してや、自ら敵との距離を詰めていくとなれば、ブレードのような展開も早く、確実に撃破できる武器の方が重宝する。

 

「成る程ね……分かったわ。次の出撃までには、研究班に少尉が提案した仕様の装備を用意させるわね」

 

「お気遣いありがとうございます」

 

「そうだ。さっき、格納庫でタニヤ少尉と仲睦まじく話してたのを見たのだけど、彼女とはやっぱり親密な関係なのかしら?」

 

「まあ……仲間の中でも一番、付き合いが長いので」

 

少し目を逸らしながら言う少年を見て、彼女とはどういう関係を察した。

 

やっぱりまだ若い――懐かしさと憧憬が入り交じった不思議な感覚に襲われる。

 

もう自分には、永遠にないだろう瑞々しい時代。

 

だからこそ、どうしても重ねてしまう。

 

「通達の時、言ったわよね? 本来なら、貴方達のような少年兵が前線に出るのは本当は反対って」

 

「……はい」

 

「私、夫がいたの。式も挙げる直前だった――尤も、先にドレスより喪服を着ることになってしまったのだけれどね」

 

「……」

 

どう、答えれば良いのか……分からなかった。

 

中佐は軽く言ってみせたが、今も旦那さんの死を引きずっているのは分かる。

 

互いに軍人で、況してや戦時中であれば――

 

「選ぶのは貴方達だから、深くは言えないし、決断も貴方に委ねるけど……此所から離れることは何時だって出来る。少なくとも連邦はね」

 

エルンストも言っていた、別に戦わなくてもよいと。

 

戦えばどちらかが、或いは二人とも死ぬかもしれない――そんなこと、共和国にいる頃から分かっている。

 

それでも、明日を――望めるのなら、俺はそれが欲しい。

 

故郷も、家族も、誇れるものも何もないけど……それでも託されたものがあるし、託したものをもある。

 

それを無下にしたくない――いつか来る死の軍勢を待つくらいなら……

 

「同じ事を前にも言われました。もう戦う必要はないと……でも、レギオンはいずれは防衛線を越えて、此方へと迫って来るでしょう」

 

仮にそうなったとして、連邦がどうするのかは分からない。

 

「俺達に本来、明日はなかった。でも、こうやって明日を望めるようになったからこそ……戦うことを選んだんです」

 

誰かに強制されたり、強迫観念に圧されてではない。

 

互いに思いを吐露して、互いに誓った、二人だけの理由。

 

失くすばかりの俺が唯一、見つけることができた生きる理由。

 

それをいずれ奪われるぐらいなら、死に物狂いで抗う方がマシだ。

 

「俺は大切な何かを奪われない方法なんて、戦って、抗うしか知りませんから……」

 

「そう……なら、尚更死んじゃ駄目よ。何がなんでも生き延びるの。でないと、後が怖いわよ?」

 

この少年もきっと共和国で多くのものを亡くしてきた。

 

願わくは自分のようにはなって欲しくない。亡くした者に引っ張られるとロクな目に遭わないのだ。

 

それは痛いほど経験してきたし、今もそれは続いている。

 

「ええ、彼女を怒らせると怖いというのは、痛いほど知ってますから」

 

「そうよ。レディを怒らせると形振り構わなくなるのよ? 覚えておきなさい」

 

共和国で人型の豚として迫害され、虐殺されてきたエイティシックス。

 

けれど、彼らだって喜怒哀楽の感情はあるのだし、こうやって冗談笑うことだって出来るのだ。

 

まだ、彼らに完全に信用された訳ではないだろう。

 

けど、少し……ほんの少しだけ、彼らの子供としての側面を見せてくれた。

 

――そんな気がした。

 

 

 

 

"My first wish is to see this plague of mankind, war, banished from the earth." - Geoge Washington

私の第一の願いは、人類の病「戦争」が地上から消え去るのを見届けることだ。 ―― ジョージ・ワシントン

 

 




カイエが誰かをシバいた話は原作でどうぞ


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26話

モルフォって何気に化物性能ですよね……中の人も近接得意と来てるし。


My name is Legion, because we are many. - New Testament

 

我が名はレギオン、我ら多きが故なり。――新約聖書

 

 

 

地平線を埋め尽くす銀の煌めき、照明が落ちた廃都を緋色に染める戦火。

 

其処は人にとって、地獄の釜の底だ。

 

機械的ね殺意が犇めく、あらゆる命を喰い尽くさんばかりに彼らは前へと進む。

 

確か……以前、シンから借りた聖書にはこう書かれていたか。

 

レギオンとは多数が故にそう呼ぶと。

 

では、きっとこれが彼らの本当の姿なのだ。

 

圧倒的な機械の軍勢が平野を、山道を、河川さえも乗り越えて迫る。

 

ほどなくして彼らは此所へと迫って来る――これが映った時点で、それは決定した未來だ。

 

タオルケットを押し退け、レイドデバイスへと手を伸ばす。

 

同調の対象は戦隊全員へ――しかし、それよりも早く、死神の同調が繋がる。

 

『ユウ、見えたんだな?』

 

「ああ……でも、あんな数は今まで見たことがないな……っ!? クソ……これ以上、深く見るのは……流石にキツいな」

 

『見えたのならそれで十分だ。ユウもライデンと一緒に他の面々を起こしてきてくれ』

 

まるで金槌で殴られたかのような鈍痛が脳、神経、全身を蝕んでいく。

 

今まで感じたことがない……圧倒的な情報。

 

あまりの情報量でレギオンの総数はおろか、構成を見ることも儘ならない。

 

そして、シンを通して"彼ら"のノイズが鈍くなった脳内へと響く。

 

壊れたラジカセのようにつんざくような大音量で響くノイズ、先程の痛みもあってか、思わず顔をしかめる。

 

一方で、流石のシンも今回は辛いのか、余裕のない声を絞り出した。

 

『……っ! 今日の戦闘は……必要な時以外は繋がない方が良い。慣れたつもりだったんだけど……正直、今夜のこれはキツい』

 

「分かった、すぐに起こしてくる。出撃準備もさせておくから、出るときは何時でも言ってくれ」

 

『ああ、頼む……俺も"全軍"を叩き起こしてくる』

 

そう言って、シンとの同調が途切れ、脳内に流れ込んでいたノイズがプツリと止まる。

 

すぐさま、レイドデバイスに手をやり、第4小隊へ同調を試みる。

 

『ユウか!? ということは……』

 

『ああ、レギオンが来る。それも今まで見たことがないぐらいの大群だ」

 

思わず息を飲む少女――互いに最早、余裕なんて無い。

 

『カイエはすぐに女性陣を起こしてくれ。そして、すぐに出撃準備をさせろ。状況はもう最悪な所まで来ている」

 

『分かった!』

 

慌ただしい物音と共に同調が途切れ、静かになった部屋に空調の音が淡々と響く。

 

レギオンの大規模攻勢があるというのは、前々から分かっていたことではあった。

 

けれど、これ程の数の軍勢を差し向けてくるとは、軍の参謀はおろか、俺やシンも予測していなかった。

 

むしろ、その時は無理して見ないで正解だったとも言える。

 

先程、映り込んだビジョンだけで、身体が警鐘を鳴らしているのだ。

 

あの時に見ようとしたら、間違いなく脳がパンクしていた。

 

「クソっ……」

 

未だに脳を蝕む痛みに顔をしかめながら、思わず悪態を漏らす。

 

おそらく、他の三国に振り分けると想定されていた兵団の一部を連邦――この西部戦線へと送り込んだのだろう。

 

一方で、西部方面軍は先の戦闘による補填がまだ終わってすらいない。

 

頼みの綱の機甲部隊も幾つか定数割れを起こしている所もあるし、そもそも全ての戦力をかき集めたとしても、満足な数ではないだろう。

 

そんな状況で国殺しの軍勢に抗わなくてはならない――少なくとも他の戦線の部隊が救援に来るまで。

 

警報が鳴り響く廊下で、搭乗服を雑に着ながら足早に格納庫へ向かう。

 

ドアを抜けると、既に戦隊のメンバーは各自の搭乗機で各々の改修の説明を受けていた。

 

「カジロ少尉!」

 

俺の機体の整備担当である金系種の男が、"ジャガーノート"の最終チェックをしていた。

 

「出せるか?」

 

「はい、何時でも出せます。ですけど、カジロ少尉の兵装は予備があまり無いんです。それだけは頭に入れておいてください」

 

まあ。そうだろうな……いくら中佐の口添えがあったとしても、こんな誰が使うか分からないの兵装を用意するのは時間を要する。

 

むしろ、十分な数ではなくても、出撃には間に合わせてくれただけでも感謝するべきだろう。

 

尤も、予備がなくなったら通常兵装で出るだけだ。

 

「戦隊傾注」

 

死神の号令と共に戦隊全員の視線が死神へと集まる。

 

「現在、レギオンの大軍勢が西部戦線第一防衛線へと差し掛かっている。敵の総数は不明。だが、俺達が共和国で戦って来た群れとは比較にすらならない数だ」

 

「現在の前線の戦力は?」

 

「塹壕に装甲歩兵大隊、後方に砲兵隊が控えているが、長くは保たないだろう。よって俺達が各部隊の撤退を支援及び、前線の維持を受け持つことになる」

 

中隊規模の部隊に課せられる任務としては、オーバーワークも甚だしいところだが、即応出来る部隊は今のところ俺達ぐらいだ。

 

とはいえ、このままレギオンの侵攻を許せば、西部戦線が崩壊する。

 

そうなったらレギオンは連邦の――人々が賑わう街へと歩んでいく。

 

それだけは駄目だ……何があろうと、それだけは絶対に許してはならない。

 

"ジャガーノート"のコクピットが閉まり、機体のメインシステムが作動する。

 

そして、シンが司令室にいるであろう中佐へ、通信を繋ぐ。

 

『中佐』

 

『っ! ノウゼン少尉!? 状況は? 何時出られる!?』

 

『何時でも。ノルトリヒト戦隊は既に出撃準備を完了しています』

 

無線越しからでも、管制官達のざわめきが聞こえる。

 

『どうして……こんなにも早く……?』

 

当然の反応だ、他の面々が警報に叩き起こされて、出撃準備に奔走している中、ノルトリヒト戦隊はまるでレギオンが来るのを分かっていたかのように準備しているのだ。

 

そんな彼らを気にも留めず、シンは淡々と続ける。

 

『ご命令はありませんでしたが、叱責は後でお受けします』

 

『いいわ。石頭のクソジジイどもがグダグダ言っても絶対に庇ってあげる。だから……他部隊の準備が完了するまでなんとしても前線を維持して!』

 

『了解』

 

「……?」

 

ふと、シンの声に違和感を覚える。

 

声音は先程のように淡々としたものだ、かといって言い方がおかしいわけでもない。

 

でも、何処か……何か違和感があるのだ。

 

そんなことを脳裏で考えていると、脳内に死神の声があのノイズと共に響く。

 

『各小隊聞いていたな? 俺達の任務は他部隊の展開までの時間稼ぎだ」

 

『りょーかい! まっ、俺達で全部、ちょちょいと倒しちまってもいいんだろ?』

 

緊迫した雰囲気の中、ファルケ(ハルト)がふざけながら言う。

 

空気を読まない発言ではあるが、それでも僅かでも針詰めた空気を和らげるには十分だった。

 

『あのなぁ……俺達が今まで戦ってきたやつよりも多いんだぜ?』

 

ブラックドック(ダイヤ)が苦笑いを浮かべながら言う。

 

共和国で戦っていた時も、何度も似たようなやり取りがあった。

 

その時はあまり気にしてなかったが、今だからこそ、そんな下らない冗談などに救われていたのだと痛感する。

 

『何? 怖いの、ブラックドック?』

 

『べ、別にそうは言ってないだろ!?』

 

『そうそう、スノウウィッチ(アンジュ)に良いとこ見せるチャンスだぜ?』

 

『フフ……援護はお願いね?』

 

『お、おう!! 任せとけ!』

 

『お前ら、お喋りはそこまでだ。……行くぞ』

 

メインセンサーに光が灯った"ジャガーノート"達が夜の闇に満ちた外へ飛び出していく。

 

ある者は赤い残光を残しながら暗闇を進んでいく彼らを見て、狩りに赴く獣と呼んだ。

 

そして、もう一人は自ら火の中へと飛び込んでいく――火中の蟲だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緋色の光が砲弾の爆音と共に揺らめいた。

 

其処ら中から火の手が上り、それは絶えぬ爆炎と延焼によってその勢いを増す。

 

建物も、人も、あらゆるものが燃えている……地獄の底のような光景。

 

そんな紅蓮の地獄の中をレギオン達は進む。

 

彼らに熱さはおろか、痛みも恐怖も感じない。

 

ただ、彼らの中にあるのは敵を撃滅する――遺されたたった一つの任務。

 

『退避しろ!! もたもたするな! 急げ!!』

 

『屑鉄どもはすぐ其処まで来てるぞ!!』

 

全身に装甲を纏った兵士達が走る、無数の銃弾の雨から逃れるために。

 

『クソっ……味方の機甲部隊はまだか? このままでは――』

 

言葉を言いきる前に、後方から飛来した榴弾が着弾した衝撃と共に彼の身体がバラバラになって宙を舞う。

 

血飛沫と臓物を撒き散らしながら、彼だったものが地面へと叩きつけられる。

 

『小隊長!!』

 

『よせ、あれじゃ助からん……今は急いでこの場から撤退を……っ!?』

 

再び爆音が鳴り響き、前方の建造物が崩れ、前を走っていた何人かがその下敷きとなった。

 

そして、土煙の中から現れたのは――8本の太い肢と、威圧的な巨体。

 

戦車型だ、その傍らには斥候型も随伴している。

 

『くっ……』

 

戦車型の120mm滑腔砲の砲口が彼らへと向く。

 

避けられない死の直感に身体がすくむ――その後方から鋭い金属の足音が幾つも此方へと迫ってくる。

 

まだ来るのか……いや、違う!

 

その影が飛び上がった共に戦車型が胴体と砲塔が分離し、断面から流体マイクロマシンを吐き出して、沈黙する。

 

傍らの斥候型もボディを両断され、力なく崩れ落ちた。

 

『これは……」

 

レギオンの返り血を受けて銀色に輝く、大剣の切っ先を斥候型へと突き刺し、ゴミを投げ捨てるように大きな火を挙げる廃墟の中へと放る。

 

白いボディはレギオンの返り血で汚れてしまっているが、そのマークは見て取れた。

 

黒い妖精……いや、羽の形から蝶にも見える。

 

ああ、確か……共和国から来たという少年少女にこのようなマークを使ったいた者がいた。

 

『レギンレイヴ……』

 

背部で展開してた大型ブレードを閉じ、そのマークの機体が此方へと向き直った。

 

ほどなくして搭乗している少年が外部スピーカーから声を発した。

 

若い……彼の声を聞いた第一印象がそれだった。

 

『こちらはノルトリヒト戦隊第4小隊長のユウヤ・カジロ少尉です。他に残存している部隊はいますか?』

 

『……っ!! カジロ少尉だったか……救援感謝する。このエリアにいるのは我々で最後だ。他は……皆、屑鉄どもにやられた』

 

気づけば周囲の建物の上に、背負った装備は違うが、同じレギンレイヴ達が辺りを見渡していた。

 

成る程……先程、聞こえた足音は彼らのレギンレイヴのものだった訳だ。

 

黒い妖精のマークを携えた機体がその報告を受けて、淡々と応えた。

 

『了解しました。歩兵部隊はこのまま後退して、体勢を立て直してください。このエリアは俺達が保たせます』

 

『ああ、頼んだぞ。エイティシックス』

 

そう、彼らはエイティシックス――それは絶死の戦場を潜り抜けた獣の名だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ワイヤーアンカーを外壁へ打ち込み、外壁を蹴る勢いで機体を回転させる。

 

銀色の刃が戦車型の上部を裂き、その膨大な熱は内部の砲弾へと到達する。

 

蓄えられた砲弾の発射薬が一斉に着火し、内部で爆発する。

 

ボディのあらゆる箇所から火を吹いて倒れる戦車型を尻目に、ブレードの加速スラスターを起動。

 

ブレードの峰に内蔵された小型スラスターが火を吹き、機体を瞬間的に加速させる。

 

神速の斬撃は一瞬で戦車型のボディを切り裂き、後方に控えていた斥候型へ刃を振り下ろす。

 

『うへぇ……それ凄いね。ビュンビュン跳ぶじゃん』

 

「何なら使ってみるか? 予備は少ないけど一応、あるし」

 

『やめとく。目が回りそうだし』

 

『そもそも、この隊でブレードを使うのなんて元々、フェアリーだけだからな』

 

『ほんと、よく突っ込んでいけるわよね。況してや、今なんて蟻みたいにうじゃうじゃいるのにね!』

 

俺が中佐に提出した"ジャガーノート"改修案とは背部に大型の高周波ブレードを搭載し、機動格闘、密集格闘戦に特化させるものだ。

 

その要望の答えとして出されたのが、峰に小型スラスターを内蔵した大型高周波ブレードユニットである。

 

これはブレード内部に搭載された専用カートリッジを使用し、スラスターを点火させることで、瞬間的に機体を加速させる事が可能だ。

 

これを突貫時に併用することでより早く敵との距離を詰めることは勿論、より早く敵を両断することも可能となった。

 

一方で、弱点となる射撃戦についてはサブアームの副兵装を他の"ジャガーノート"と同様の重機関銃を選択しており、差し込める程度には射撃戦も可能となっている。

 

『マーチヘア、左の奴等をお願い!』

 

『了解! 任せて!」

 

ビル上を陣取ったレウコシアとマーチヘアが下の道路を通過していく群れへと、砲撃と機銃掃射を加えていく。

 

戦車型ですら耐えられない88mm滑腔砲の成形炸薬弾を斥候型が耐えられる筈もなく、一撃で爆散した。

 

重機関銃から吐き出される徹甲弾は近接猟兵型のポディを容易に貫いて、その血液を地面へとばら蒔く。

 

とはいえ、レギオンの数は衰えることはなく、同胞の死体を踏み越えながらも歩みを進めていく。

 

「流石に数が多いな……スノウウィッチ、聞こえるか?」

 

『ええ、問題ないわ。制圧が必要かしら?』

 

「ああ、ポイント265の面制圧を頼む」

 

『了解。それじゃ始めるわね!』

 

後方から空へ向けて誘導弾が放たれ、各々の軌道でレギオンの群れの上へと飛来する。

 

そして、設定距離へ到達すると同時に、外殻が飛散し、内部のクラスター爆弾が地上へとばら蒔かれた。

 

レギオンの群れを無数の爆炎と、大きな爆轟が包み込み。爆弾の直撃を受けた斥候型達が爆散し、近接猟兵型もボディを炎上させながら倒れた。

 

『フェアリー、まだ飛び出てくるから私に任せて!」

 

燃えながら飛び出てきた戦車型も長距離からの狙撃で黒煙を吹いて、沈黙する。

 

「助かるよ。ガンスリンガー」

 

統制が崩れた群れの中へと飛び込み、道中の戦車型と斥候型の腹を裂いていく。

 

『これで敵の先遺隊は大方、片付いたのかな?』

 

「だろうな……でも、ここからが本番だぞ?」

 

あくまで今のレギオンは先遣隊、次の第二陣が本隊だ。

 

本隊の戦力は少なく見積もっても、撃退した先遣隊の数倍はくだらない。

 

今、俺達がここで退がれば、この戦区は陥落する。

 

『戦隊各員、聞こえるか? 』

 

我らが死神からの同調――その声と共に無数のノイズが響いてくる。

 

俺達の同調強度は最低まで下げてあるが、それでもノイズ混じりの声は響いてくる。

 

当のシンさえもキツいと溢すほどの声だ……まともに受け止めざるを得ない彼は果たして大丈夫なのだろうか?

 

『俺達はこれより本隊の迎撃に移る。死にたくなければ付いてこい』

 

そう言って同調が一方的に切断された。

 

今のシンには精神的な余裕なんてない……いや、最初から余裕なんてないのだ。

 

彼の様子を上手く言葉に現せないが、どうも何か危ない何かに惹かれている……そんな気がする。

 

『フェアリー』

 

「俺達も行くぞ。シンを一人で敵地に突っ込ませる訳にはいかない」

 

『『『了解!』』』

 

どうも嫌な予感がする……シンのことも、これからの戦いにも。

 

レギオンの残骸を踏み越え、旧鉄道のルートを進んでいく。

 

戦闘を開始して、どれくらい経ったのだろう……阻電撹乱型の黒い雲は未だ晴れる気配はない。

 

まだ夜明けは遠い――傍らで明るく光る紅蓮の業火を見て、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無数の残骸と同胞達の死体を飛び超えて、赤と黒で輝く戦場を走る。 

 

既に死んだ同胞など気に留めず、絶えずレギオンが襲い来る最前線で一歩も退くことなく、彼らはただレギオンを屠り続ける。

 

血に飢えた獣が獲物を噛み殺すかのように豪快に、狙撃手が標的の急所を射抜くかのように正確に。

 

彼らは機械の軍勢たちとの殺戮の只中にいた。

 

かつて、共和国に迫害され、戦いを強要され、その果てに棄てられたエイティシックス。

 

戦場こそが自らの故郷となった旧戦闘属領兵(ヴァルグス)達からも彼らの戦いぶりに感嘆の声が漏れた。

 

心強い戦友として、彼らがレギオンの残骸を積み上げる度にその口端を上げた。

 

けれど、多くの者に彼らは異常に映る。

 

それは装甲歩兵、ヴァナルガンドのオペレーター、司令部の管制官――その誰かが言った。

 

『ば、化け物だ……あいつらはやっぱり人間じゃない……ッ!!』

 

多くの将兵が彼らを憐れな子供だと思っていた。

 

戦場しか居場所を知らない、身勝手な都合で歪められた迫害の被害者だと。

 

彼らに守るべき祖国も、戦い続ける理由なんてないと……誰もがそう決めつけた。

 

けれども、彼らは今、こうして地獄の最前線で戦っている。

 

弾が足りなければ、死んだ同胞から奪い取り、遮蔽がないなら、仕留めたレギオンを壁として、あらゆるモノを使い捨てて尚も戦い続けていた。

 

健常な将兵達には彼らが自ら地獄を――闘争を求めているように見えてならない。

 

彼らは憐れな子供達ではない、破壊と殺戮に囚われた人型の化物と……将兵達はそう吐き捨てた。

 

彼らを知らぬ将兵達に彼らを救う術なんてない。

 

結局の所、誰も彼らを知らないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロケットと砲弾の豪雨の中、既に息絶えたレギオンを盾にその巨体へと肉薄する。

 

戦車型の蹴撃をすんでの所で躱し、その懐へ飛び込みボディ喰い込んだ刃が中枢系ごとボディを破壊していく。

 

既に幾多のレギオンの返り血を浴びた"ジャガーノート"は銀色と灰色が斑となっている。

 

「はぁはぁ……全く、数だけは本当に多いな!」

 

本隊を相手にしてから、いったいどれだけのレギオンを撃破したのだろうか?

 

無数の積み上げた残骸を尻目に、思わず溜め息が漏れる。

 

既に背部の大型ブレードのブーストカートリッジは残弾0となり、機体の出力のみで突貫している状態だ。

 

「アンダーテイカーは……?」

 

レーダーに映る友軍マーカーの内の一つが無数の敵マーカーを消しながら前進していく。

 

機体の残弾が心許なくても、コックピットに損傷を受けながらも、ただ目の前の敵に向けて前進する。

 

やっぱりだ……さっきから何かおかしいぞ、シンのヤツ。

 

「フェアリーよりアンダーテイカー。……クソっ! フェアリーよりアンダーテイカー! 頼む、応答してくれ!」

 

駄目だ……こっちからの同調に一切、応えようとしない。

 

ふと、レイドデバイスに熱が灯り、誰かから同調を求められる。

 

『フレデリカか。こんな時にどうした?」

 

『ユウヤよ。シンエイが……あの時のキリと同じなのじゃ』

 

「何だって? シンがどうかしたのか!?」

 

フレデリカが言う"あの時"というのが何時のことなのか定かではないが、彼女の怯えた声からして只事では無いというのは分かる。

 

どうすれば良いのか考えるより先に身体は既に動いていた。

 

「フェアリーより、ヴェアヴォルフ! アンダーテイカーが突出し過ぎだ! そっちから援護に入れるか!?」

 

『任せろ!! あのバカ野郎……ガンスリンガーは後方からの援護を頼む!』

 

『了解! 援護は任せて!』

 

そんなやり取りをしている間に、アンダーテイカーはレギオンの群れの深奥へと飛び込んでいく。

 

まるで身を焦がす闘争に誘わられるかの如く。

 

身を焼くと知りながらも、それでも火に飛び込む羽虫のように彼は敵へ飛び込んでいく。

 

「シン!!」

 

最早、パーソナルネームではなく、彼の名を呼んでも、当の彼は応答することはない。

 

そして、戦車型の主砲が彼を正面に捉えた。

 

『そっちに行くでない! シンエイ!!』

 

『っ!!』

 

小さな女帝の叫びが脳内へと響き渡る――それは彼も同じのようだった。

 

戦車型の砲撃を掠めながら、その上部へ飛び掛かる。

 

直後に爆発、爆煙の中から飛び出たのはスコップを携えた首のない骸骨。

 

ふと、空を見上げると阻電攪乱型の雲が既に晴れて来ており、力尽きた阻電攪乱型が地面へ落ちてくる。

 

そして、一滴、また一滴と厚い雲から大粒の水滴が溢れ出す。

 

既に夜は明けており、雲の隙間には弱々しいながらも朝日が覗いていた。

 

『司令部よりノルトリヒト戦隊へ! お疲れ様、レギオンは撤退しているわ。あなた達も帰投してちょうだい』

 

『……了解』

 

勢いを増していく雨に打たれながら、"ジャガーノート"は自らの寝蔵を目指して駆け出していく。

 

少なくない犠牲を払いながらも、連邦は再び夜明けを迎えることができたのだ。

 

帰り道、戦隊の皆は何も喋らない、もうそんな気力も残っていないのだ。

 

誰も称賛も叱責も、褒賞も名誉も必要としていない――今はただ休みたい、それだけを思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の昼、俺達はフレデリカによって応接室に集められていた。

 

確かに休めたとはいえ、今朝の戦闘の疲れが完全にとれた訳では無く、応接室に集まった面々の多くが度々、欠伸を漏らしていた。

 

「で、どうしたんだよ? わざわざ全員を集めてさ」

 

「うむ……まずは先の戦闘については大変、ご苦労じゃった。そなたらも疲れてるのも承知しておるが、それでも伝えておきたいのじゃ」

 

「……フレデリカの騎士のことか?」

 

シンの問いかけにフレデリカが神妙な顔で頷く。

 

「昨日の戦場にキリはおらんかった。キリがいたのは共和国じゃったからじゃ」

 

昨夜からの大攻勢で標的となったのは、俺達がいる連邦、南のロア=グレキア連合王国、北のヴァルト盟約同盟。  

 

そして、西のサンマグノリア共和国もその標的となっていたということになる。

 

「あの日……キリは共和国を襲っておった。妾に見えたのは破壊された壁と燃える五色旗。そして巨大なレギオンじゃった」

 

フレデリカが見た破壊された壁というのは、恐らく大要塞壁群のことだろう。

 

そして、共和国を襲っていた巨大なレギオン……きっとそれが、俺達が共和国と特別偵察のときに遭遇したフレデリカの騎士の脳を取り込んだ羊飼い。

 

「大要塞壁群が陥落したってことは……」

 

「もう85区内に攻め込まれているだろうな……」

 

「それって……もう手遅れじゃないか?」

 

いつかは来たであろう、共和国が滅ぶその日。

 

少佐は……今も戦っているのだろうか? 身を守る術さえも知らない共和国民の前で。

 

「……ところで、そのレギオンはまだ共和国を襲ってるの?」

 

「いや、今は――っ!?」

 

突如、脳内へと焼き付く光の柱、同時にあらゆるものを粉砕していく要塞全体を揺るがさんばかりの衝撃波。

 

一緒だ……チセ、トーマ、クロト、キノが死んだあの日と、連邦に辿り着くきっかけとなったあの時と。

 

「ユウ……?」

 

カイエが怪訝な表情を浮かべる。

 

「ユウヤよ、そなたにも……」

 

その声に答えず、ただひたすらに声を大にして叫ぶ。

 

「全員、伏せろぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

直後、あまりの大きさに無音にも聞こえる大音響が、巨大な雷の如く大気を引き裂き、衝撃波が要塞全体を揺るがした。

 

 

 

 

 

 

 

The road to heaven begins in hell. - Dante Alighieri

 

天国への道は地獄からはじまる。―― ダンテ・アリギエーリ




ユウヤさんの装備ですが、あるガンダムが元ネタだったりします


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27話

更新が遅くなり申し訳ありません。詰め込みすぎた結果、話を分けることにしました……


床へ落ちたガラス片が、慌ただしい足音に揺られ、硬い軍靴の底がそれらを踏み砕いていく。

 

悲鳴と絶叫と……何処か生々しい鉄の匂いが割れた窓枠から運ばれてくる。

 

未だ衝撃の余波に震える身体へ鞭を打ち、フラフラと覚束ない足取りで立ち上がる。

 

「うう……皆、無事か?」

 

「な、なんとか……でも、身体がまだフワフワしてるよ」

 

「ユウこそ大丈夫か? 頬に血が付いてるぞ」

 

ソファーを支えにした黒髪の少女に言われ、頬に手をやると紅い粘性の液体が手に付着する。

 

割れたガラス片が掠めたのだろうか……まあ、血自体もうは止まってるし、問題はないだろう。

 

「外は……ッ!?」

 

あの砲撃が来る前、この建物の向かいには格納庫があり、整備を待つヴァナルガンドの往来があった。

 

だが今、向かいにあるのは格納庫ではなく、巨大なクレーターがあるのみだ。

 

地面を直接、抉り取ったような破壊の痕には、ヴァナルガンドの残骸らしき破片が散乱しており、折れた鉄筋の支柱は近くのバラックに突き刺さっている。

 

また、崩れた建材の間には人の足や腕のようなものが挟まり、赤い染みを拡げていた。

 

「あの中にいた人達は……言うまでもないか」

 

おそらく、全滅だろう……寧ろ、死体が残っているだけ、幸運とも言える。

 

「まさか……直接、基地を撃ってくるなんて」

 

「いや、俺達の所に飛んできたのはただの流れ弾だ。本気になって撃ってきたなら、俺達全員が木っ端微塵だよ。……あっちを見てみな?」

 

カイエが指を差した方向へ、目を凝らす。

 

俺が指を差したのは、この基地から10km程度前方に存在していたFOB14である。

 

以前までなら、辛うじて目視できたその基地は一切が消滅しており、代わりに巨大なクレーターが出来ている。

 

流れ弾でこれ程の被害なのだ、砲撃の直撃を受けたであろうFOB14の人員はもう……

 

「俺達の機体がある格納庫が無事だったのは……不幸中の幸いだな」

 

「でも、この状況じゃ出撃も儘ならねえな……こんな時にレギオンが来たら打つ手なしだぜ」

 

「これを――」

 

ふと、シンに抱えられるようにして、守られていたフレデリカが声を震わせながら言った。

 

「――キリが……キリが皆、殺したのか?」

 

共和国、特別偵察で俺達を襲ってきたフレデリカの騎士。

 

シンの兄がそうだったように、レギオン(羊飼い)となった者に人間の倫理や道徳なんて存在しない。

 

黒羊が死の直前の言葉を反復するように、死の間際の執念、悔いをレギオンの殺戮本能に歪められ、歪んだ意志を胸に殺戮へ身を投じる。

 

愛も、親みも、憎しみも――かつての残滓は何も残らない。

 

「フレデリカ、部屋に戻っていろ……アンジュ、頼めるか?」

 

「ええ……フレデリカちゃん、危ないから此方へ」

 

アンジュがフレデリカの手を引き、廊下へと出ようとする。

 

しかし、その手を振り払い、フレデリカはシンに駆け寄った。

 

今にも泣き出しそうな脆い瞳――そんな彼女を止めることは誰も出来なかった。

 

「……どうした?」

 

「そなたは……こうはならぬであろうな? キリと同じのようには――」

 

「当たり前だ、俺はレギオンになりたい訳じゃない」

 

……違う、フレデリカが言っているのはそういうことじゃない。

 

フレデリカは恐れてるんだ、あの夜のシンのように……目の前の闘争に引っ張られてしまうことを。

 

フレデリカはシンに自分の騎士の面影を重ねている。

 

だから、分かるのだろう。戦いに囚われたものが最期にどうなるのかが……

 

戦いの理由も無くしてしまった時――どのように破滅していったのか。

 

シンにとって、俺達はあくまで戦いの理由でしかないのだろう。

 

だからこそ……俺達以外の誰か、シンには誰かの言葉が必要なんだ。

 

「ユウ……」

 

「とりあえず、俺達は指示を待とう。あの夜みたいに、こんな状況で勝手に動く訳にはいかない」

 

今から反撃に行こうにも、肝心のフレデリカの騎士がいるのは数百キロ先だ。

 

そして、その道中には数万規模ののレギオンの群れが待ち構えている。

 

これは共和国の特別偵察のようなレギオンの支配域に放り出すとは訳が違う。

 

明確な目標がある以上、其処に向かって進むために、幾度の戦闘は避けられないし、かといって戦闘になれば周辺の群れが一斉に此方へと迫ってくるだろう。

 

さらに、仮に撃破したとしても、帰りはどうすればいいのか。

 

支配域の最奥から連邦の勢力下まで戻るのに、最初と同じように数万の群れの中を潜り抜けなくてならない。

 

そして最後に生贄――作戦の実行部隊を何処にするのか。

 

ただでさえ、前進も後退も遅いヴァナルガンドは元より論外だ。

 

となれば、選ばれるのはヴァナルガンドよりも機動力に長けた機体を運用する部隊――死んでも惜しまれない人擬き達だ。

 

そして、おそらくそれは皆が分かっている。

 

こんな無謀な内容でも成功させねば、連邦はおろか人類に未来はない。

 

一個部隊の命と連邦市民全ての命――秤に掛けるまでもない。

 

こうして再び俺達ほ国に命令されることとなった。

 

――『国の為に死ね』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

士官の間で話題になっている新型のレギオン。

 

軍上層部はこの個体を電磁加速砲型(モルフォ)と命名した。 

 

モルフォは主武装として、主砲口径800mmの電磁加速砲(レールガン)を装備しており、副兵装には対空•対地の両方で活用出来る大口径の機関砲を機体の各所に備えている。

 

また、推定重量1400トンという巨体を動かす為にモルフォは列車砲の形を取り、旧鉄道線を利用することで迅速な陣地転換が可能とのことだ。

 

「その報告書、例の……モルフォだったか? もう報告書が出回ってたんだな」

 

小隊副官であるカイエが、両手一杯の書類を机の上に置く。

 

「何せ今の最優先標的だからな。もう形振り構ってられないんだろ」

 

強烈な奇襲を受けた西部方面軍ではあるが、反撃として方面軍が保有する全ての巡航ミサイルによる飽和攻撃を実施し、撃破に至らずとも大破までには持ち込んだそうだ。

 

とはいえ、この反撃で撃破出来なかった以上、修復後に確実に攻撃してくる。

 

今度は中央軍司令部、或いは残存国家の首都か。

 

そのどれもが鉄道線を移動するモルフォの射程内に入る。

 

どんな生き物であっても、組織であっても、その頭を壊してしまえば、後は鎧袖一触だ。

 

俺達に与えられた猶予は最低でも8週間――この時間が連邦、隣国の勝敗の決定する。

 

「しかし、これだけの被害を受けても、表立っての騒ぎは一つも起きてないのは流石だな」

 

「表立ってはな。でも、自分がいつ吹っ飛ばされたっておかしくは無いんだ。内心は気が気でないんだろうよ」

 

今朝の食堂、隊舎にいる者も前のようなくだらない雑談をする者はおらず、ただ何処か重苦しい緊張に満ちた表情を浮かべていた。

 

そんな中、俺達のような86に向けられる視線は到底、良いものではなく――

 

「そうだな……今日も親の仇みたいに睨まれるしな」

 

「そんなの共和国でもう慣れただろ? 何処もこういうのは結局、同じってわけさ」

 

――共和国の化物、何処の誰かは忘れたが、そんなことを言っていたか。

 

別に俺達がレギオンを呼び寄せた訳でもなければ、彼等の仲間を殺した訳でもない。

 

けれど、人間というのはどうしようもない不条理を強いられた時、誰かのせいにしたがるのだ。

 

それが共和国であっても、連邦であっても変わることは無い。

 

人の世界というのは、いつも少数に、社会は"普通"から外れた者に冷たいのだ。

 

「まあ、何はともあれ……今の俺達が出来るのは上の命令に備えることくらいだよ。それがロクでもない命令でもな」

 

後、強いて言うとなれば……この書類の山の処理くらいか。

 

傍らの紙の山から一枚を手に取って、自分の名前を書き込む。

 

「それ、ちゃんと読んでるのか? 前に整備班長が愚痴ってたぞ」

 

「どうせ殆どが補給品の云々なんだ。実際は俺よりも整備班長の方が分かってるだろ?」

 

先の砲撃により基地機能の一部が麻痺したこともあって、内地から緊急補給が行われた。

 

兵糧、生活用品といった物資は勿論、ヴァナルガンドとジャガーノートの予備パーツ、弾薬、予備機と多くの物がこの基地へ届いた。

 

特にジャガーノートのパーツや弾薬は使う者が限られることもあって、随分と確認する書類が多い。

 

尤も各物資の受領を担当しているのは整備班で、内訳を理解しているのも彼等である。

 

しかし、形式上は俺達の部下であるので、形式に過ぎずともこの手の執務は要求される。

 

非効率だとは思うが、ただでさえ、俺達の印象が最悪の中、職務放棄で無駄な叱責を受けるのは勘弁願いたいところだ。

 

「……フレデリカが言ってたよな。あの時、モルフォが襲ってたのは共和国だって」

 

「そうだな」

 

フレデリカは燃える五色旗と破壊された壁が見えたと言っていた。

 

報告書に挙がっていたモルフォの推定スペックからして副都は勿論、行政区さえもその射程に入る。

 

俺達がこうやって書類とにらめっこしてる最中、レギオンは共和国を蹂躙し尽くしている筈だ。

 

逃げる市民を殺戮し、或いは自らの部品として鹵獲する。

 

今頃、役立たずのハンドラーから我先にと共和国から逃げ出しているのだろう。

 

だが、果たして彼らに逃げる場所があるのか。

 

無数のレギオンの包囲網をロクに戦えない共和国軍人が抜けられるのか。

 

分かり切った問の答え――彼女が気にしているのはそれでは無い。

 

「少佐は……今の私達を見たらなんて言うのかな?」

 

「泣いて喜ぶんじゃないか? あの人にとって俺達は多分、故人だし」

 

尤も実際に顔を合わせても、互いに誰なのか分からないだろうけど。

 

少佐は白系種で、安全だった壁の中でただ指示を出すだけのハンドラー、前線で戦う俺達とは程遠い存在だった。

 

だからこそ、共に戦う仲間とは違う……理想を夢見るお嬢様でしかない。

 

俺達の名前を教えた日にライデンが言っていたか。

 

俺達を踏みつけた上で、綺麗事を吹くアホだと……確かにそれはどうやっても変わらなかった。

 

それでも……どういう質の人間なのかは僅かながらも理解があるつもりだ。

 

況してや、俺達はそんな馬鹿真面目か少佐の無茶に一度、救われてしまっている。

 

「はぁ……」

 

延々と同じような書類の山を見ている為か、思わず溜め息が漏れた。

 

「ハハ……随分とお疲れみたいだな。小隊長」

 

「お陰様でね……全く身体が休まらないよ」

 

突如のモルフォの砲撃を受けてから、要塞基地もそれなりに復旧してきたとはいえ、未だにその傷痕は強く残っている。

 

そして、モルフォの修復が完了するまでの最低猶予である8週間の内にモルフォを排除しなければ、西部戦線は崩壊し、首都にまであの砲撃が飛んでくるだろう。

 

そうなれば、今度こそ連邦は終わりだ。共和国と同じように国内を蹂躙されることになる。

 

さらに、先の大規模攻勢から休む間もなく、戦略兵器クラスのレギオンを相手にするとなれば、前線の兵士は心身ともに余裕なんてない。

 

気丈に振る舞ってもいつかは限界が来る。

 

それは連邦の兵士だけでなく、俺達のような86も同じだ。

 

「……そうだ! ユウ」

 

「ん? どうした……?」

 

傍らで書類を眺めていたカイエが何かを思い付いたように、自身の手を叩いた。

 

そして、ソファーに腰掛け、笑みを浮かべながら自身の膝を軽く叩き出す。

 

「えっと……どうしたんだ? 自分の膝をポンポン叩いて」

 

「日頃の執務でお疲れの小隊長殿を労ってやろうと思ってな。ほら、こっちへ来てくれ」

 

まあ、確かに疲れているかと言えば、疲れてはいるけども……

 

「それに……お互いに軍に入ってからはこういう時間はあまりなかっただろ?」

 

カイエの言う通り、特士校では日々の訓練、軍では味方の救援任務と多忙な日々が続いていた。

 

そんな日々の中では、二人きりの時間などある筈もなかったし、与えられることもなかった。

 

「仕事、まだ終わっていないんだけど?」

 

「どうせ、中身なんて見もせずに名前を書くだけだろ?」

 

流石、カイエさん。俺の性格をよくご存知のようで。

 

普段なら恥ずかしいから止めろとか言うのかもしれないが……俺も心身ともに限界が近かったのだろうか。

 

彼女の提案に異を唱えることもなく、彼女の膝に頭を乗せる。

 

「なんか不思議な感じだな。いつも見ている天井なのに」

 

彼女の温もりがすぐ側にあるからだろうか……言葉にしづらい不思議な感覚。

 

まあ、彼女の体型だからこそ、こうして天井に目が行く――

 

「あいたっ……❳

 

「親しい仲でも、本人を前にあまり不躾なことを考えるものじゃないぞ?❳

 

こちらの心内をを読まれたのか、脳天に軽いチョップが振り下ろされた。

 

「はは……肝に銘じときます」

 

「うん、良い心掛けだ。さて、少し横を向いてくれるか?」

 

「ん……こんな感じか?」

 

「ああ、それで大丈夫だよ」

 

そう言って、彼女は軍服のポケットから棒状の何かを取り出した。

 

彼女がその棒を指で回しながら、微笑んだ。

 

「最近、耳掻きとかしてるのか?」

 

「そうだな……やっても大雑把にしかやってないかな」

 

「なら丁度いいな。最初は浅いところからいくぞ」

 

その言葉と共に耳かき棒の先端が耳の中へと入ってくる。

 

彼女の言う通り、浅いところからコリコリと汚れを取り除いていく。

 

「結構、貯まってるな……駄目だぞ? こういうのはしっかりやらないと」

 

「はは……最近は、部屋に戻るとそのまま寝ちゃうからかな。以後、気を付けるよ」

 

だらしないことこの上ない様だが、最近は疲労の方が勝っているからか、何かとルーズになりがちだ。

 

共和国では私生活がだらしなくても、ある程度は許されたが、正規の軍人である今は、叱責の対象になり得る。

 

「……改めて思うけど、ユウの髪は綺麗だな。髪質もサラサラだし……女としても少し羨ましいぞ」

 

「そうか? カイエのとそんな大差ないと思うんだけど……」

 

カイエ達のような女性陣はどうかは知らないが、共和国にいた頃から別に髪に気を使ってはいない。

 

男子の面々と同じように洗って、適当に乾かす――やっていることと言えば、これくらいである。

 

「やれやれ……女性はな、髪や肌のケアにはとても気を遣うんだぞ?」

 

「そ、そうですか……それはご苦労なことで」

 

そんなやり取りの中、耳かき棒は耳の深い所まで入り込んで行く。

 

くすぐったいような、気持ちが良いような不思議な感覚に思わず身体が震える。

 

「そういえば、私がこうやって膝枕をしたのって共和国にいた頃以来か」

 

「ああ、あの時か。あの時は驚いたな……何かしようとした瞬間に皆が代わろうとしてくれるし。常に誰かが監視してるみたいな感じだったし」

 

思い出すのは共和国で“目”を使い過ぎて、倒れてしまった日の翌日のこと。

 

彼等曰く、俺の休日という体らしいが……その時は皆が何もかも仕事を代わってくれた為、特にやることもなく適当に過ごしていた。

 

そう、確か……あの時もこんな感じで――

 

「ふわぁぁ……」

 

ほど良い温もりと快感に絆され、思わず大きな欠伸が漏れる。

 

そして、脳を襲う強烈な眠気に視界が揺らぐ。

 

「フフ……寝ちゃっても大丈夫だぞ?」

 

「いや、まだ書類が……」

 

「ユウの名前を書くくらいなら私にだって出来るさ。それに私はこの隊の副官だからな。隊長の補佐も私の仕事だよ」

 

「そう、じゃあ……悪いけど頼む……」

 

重い瞼がゆっくりと閉じられ、意識が心地よい感覚と共に闇へと沈んでいく。

 

少年の穏やかな寝息と微かな胸の上下を感じながら、少女は微笑む。

 

「いつも私達の為にご苦労さま。今ぐらいはゆっくり休んでくれ」

 

私は未来は見ることは出来ないし、シンのように死者の声が聞こえる訳でもない。

 

けれど、それが楽なことではないというのは私にも分かる。

 

況してや、この少年が倒れるのを目撃しているのだから尚更だ。

 

「すぅ……」

 

「やっぱり気が気でないよな……私もだけどさ」

 

モルフォの驚異に曝されて、心身ともに余裕がないのはこの基地の将兵に限ったことではない。

 

私達のような86もいつモルフォが撃ってくるのか。モルフォの撃破の命令はいつ下るのか。

 

皆、平静を装いながらも内心はそればかりを気にしている。

 

「ん? これは……手紙か?」

 

膝の上の彼の名前を書く手が止まり、その手は一枚の便箋へと伸びる。

 

当然だが、私に手紙のやり取りをしている相手はいない。

 

整備班の誰かが一緒に紛れ込ませたのだろうか? 宛先も彼の名前が記載されている。

 

「差出人は――っ!!」

 

手から滑り落ちたペンが床へと転がり、黒のインクが漏れ出していく。

 

けれど、そんなことを気にもせず、私の意識は便箋へと向いていた。

 

差出人のはミナ・シロカ――かつてスピアヘッド戦隊第3小隊の前衛を担当していた少女で、パーソナルネームは"アルテミス"だ。

 

尤も彼女は私達と違い、従軍せずに今は連邦の一市民として暮らしている。

 

戦隊の任務が多忙を極めるというのもあるが、如何せん最前線から内地への連絡便は手紙だけでもそれなりの期間を要する。

 

況してや、従軍を選ばなかった彼女達はパラレイドを使えないのだから、尚の事だろう。

 

「ハハ……この落書きを描いたのはクジョーかな」

 

便箋の縁に描かれた子豚の落書きを見て、思わず笑みが漏れる。

 

彼女と長い付き合いであるクジョーも従軍せず、彼女と共に暮らしている。

 

手紙によると、まだ戦場にいた頃の感覚が抜けておらず、日常生活も勝手が違って大変らしいが、充実した日々を送れているそうだ。

 

「そうか……二人とも上手くやれてるんだな」

 

今、この場にいないとはいえ、かつては死線を共にした仲間だ。

 

それぞれが別々の道を歩むようになった今でも、それだけは変わらない。

 

次に会ったとき、どんなことを話そうか。

 

近況、仕事、二人の仲の進展――話題は幾らでもある。

 

そんな小さな未来への期待を胸に、少女はまた一枚、名前を書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2148年 9月2日

 

 

 

 

 

スクリーンに映し出される映像を横目に少し、昔のことを思い出していた。

 

まだスピアヘッド戦隊に配属される前……確かまだ、19戦区にいた頃だったか。

 

哨戒という名の散歩で拾ったビデオ作品で作中のキャラクターがこんなことを言っていた。

 

『必死と決死は違う』

 

必ず死ぬと覚悟するのと、絶対に死ぬと分かった上で覚悟を決めるのとでは何が違うのだろう。

 

絶死の自爆兵器で死ぬのと、仲間と共に全滅するまで戦い続ける――過程が違うだけの同じ末路。

 

「――作戦の説明は以上だ。何か質問がある奴はいるか?」

 

我らの死神が淡々と今回の作戦内容を説明する。

 

「おうおう、これまた随分なご命令が飛んできやがったな」

 

ハルトが薄く笑いながら言うが、感じていることは皆と同じだろう。

 

「というか、これが作戦と言っても良いのか怪しいところだよな」

 

溜め息を吐きながらダイヤが言うように、確かにこれは作戦と言えるような代物ではない。

 

ノルトリヒト戦隊によるレギオン支配域深奥への浸透作戦――その最優先目標は電磁加速砲型(モルフォ)の排除。

 

第一段階として、西部方面軍がレギオンに対し、機甲部隊による同時攻勢をかけ、自らを囮としてレギオンを惹き付ける。

 

そして、第二段階は彼らがレギオンと対峙している間に、俺達彼らレギオン支配域深奥へ浸透し、其処に控えているモルフォを撃破する。

 

また、俺達の回収は囮となった本隊に一任されており、仮にモルフォを撃破できたとしても、本隊が前進できていなければ俺達は置き去りにされたままである。

 

文字通りの片道切符――図らずしも共和国の特別偵察と同じ様相なのは皮肉なことだ。

 

「まあ、こんなヤバいとこに選ばれたのは僕達がエイティシックスだからだよね」

 

セオが自嘲気味に薄く笑う。

 

俯きながら口を閉ざす中佐に叱責の言葉を吐き捨てるわけでもなく、ただ仕方ないと言わんばかりに。

 

実際、仕方ないことだと思う。

 

モルフォ単体でも通常のレギオンを遥かに上回る戦闘能力を持つのに、その前段階に幾万のレギオンが犇くその支配域を抜けていかなくてはならない。

 

そして、帰還も本隊頼りである以上、無事に帰還できる保証がない。

 

そんな作戦に帰る場所がある既存の連邦の兵士を充てるわけにはいかないだろう。

 

選ぶべきは、たとえ死んだとしても誰にも惜しまれない存在――

 

「仕方ないことなんだろうけど……少し寂しいかな」

 

連邦は共和国よりも遥かに良い場所だ。

 

そんな国からも匙を投げられるというのは、確かに寂しい。

 

とはいえ、結果的に差し伸べた彼らの手を振り払ったのは俺達だ。

 

戦わなくても良いのに戦場へ立ち、味方に化物と呼ばれようと意にも介さなかった。

 

全ては俺達が自分自身で招いた結果――こうなるのも覚悟の上、皆が此処にいる。

 

「まっ、別に死んでこいって言われてるわけじゃないんだ。生きて帰れるなら泥水啜っても、地面を這ってでも帰り着いてみせるさ」

 

「そうだな……死にに行く訳じゃないんだし。でも、こんな大変な任務なんだし、帰ってきたら休暇とか欲しいかな」

 

「それいいね! 戦隊の皆で何処か行く?」

 

「そういえば、ユウがこういうの色々調べてたわよね? 何かオススメある?」

 

「任せろ。レストランも、アミューズメントパークも有名なやつは全て抑えてあるぞ」

 

何なら、周辺の店舗や営業時間などの詳細なデータもあるおまけ付きだ。

 

「お前らなぁ……ハイキングや遠足に行くわけじゃねえんだぞ?」

 

そう言うライデンも思わず笑みを浮かべている。

 

皆、分かっているのだ、自身の生還率なんてほぼ無に等しいことは。

 

そもそも、無謀な作戦を押し付けられるのなんて。別に今が初めてじゃない。

 

初めて戦場に出た年も、その次も、また次も、スピアヘッド戦隊に配属されてからも……何度もあった。

 

それに慣れてしまっているのも甚だおかしいことなのだろうが、目の前の現実を悲観していても状況はいっさい変わらない。

 

なら、せめてその後の……生きて帰った後に何をしたいか、それを考えている方が有意義だろう。

 

笑えなくなったら負け……まさにその通りだ。

 

「流石、ユウ! じゃあ、ユウの奢りでどっか行こうぜ!」

 

「ちょっと待てや。何で俺が奢ることになってんだ」

 

あくまで、俺がしようとしたのは場所の提案である。

 

全員分を奢るとは一言も言っていない。

 

「ハハ、口は災いの元だな。財布が軽くなることを覚悟しておいた方がいいぞ」

 

今の発言の何処に災いの元があったんですかね……?

 

「あの、カイエさん? 俺の財布事情をご存知ですよね? マジで言ってます?」

 

「勿論、分かった上で言ってるぞ。ユウが何かとケチるのは昔からだからな」

 

なんだろう……俺のことをしっかり理解してくれてるってことなんだろうけど、今回ばかりは全く嬉しくない。

 

というか、俺が全員分、奢るのは既に決定事項なのか?

 

絶死の特攻作戦前だと言うのに、ブリーフィングルームは盛況としている。

 

本来なら戦隊長のシン、或いは戦隊の指揮官である中佐が咎めるべきなのだろう。

 

けれど、その二人は目の前の喧騒を咎めもせず、ただ静観している。

 

一人は懐かしさと迷いと共に、もう一人は自身の愚かさとある決意を胸に――

 

『……』

 

――ただ、彼らを遠い目で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜、格納庫の中でジャガーノートの瞳の赤い光彩が点滅する。

 

整備班は勿論、他の戦隊員も寝静まった深夜に格納庫に立ち入る者はいない。

 

そう、彼女を除けば――

 

「あら、カジロ少尉。こんな遅くまで何をしているの?」

 

「ああ、中佐でしたか……機体の細かい調整を少し」

 

「あのねえ……仕事熱心なのは良いけど、休むべきときはしっかり休みなさい。それも軍人としての仕事の一つよ」

 

「はは……分かってはいるんですけど、機体の反応速度とか、どうしても少し弄りたい所がありまして」

 

まあ、確かにこんな夜中に機体の微調整をしているのもおかしいことではある。

 

共和国では誰も咎める者はいなかったからか、ここらの感覚が普通の士官達とズレているのだろう。

 

とはいえ、いざ実戦になって機体の反応速度が遅いとなるのは困るし、戦場では些細なトラブルでさえ、即命取りになる。

 

自分が生き残る為にも、自身が駆る樹体には妥協を許したくない。

 

「ところで、中佐は格納庫に何かご用で?」

 

「そうね……少し此処の空気に当たりたかったって所かしら。ごめんなさいね、私も人のことを言えないわね」

 

「そうですか……まあ、自分は特に気にしないので、どうぞごゆっくりお過ごしください」

 

確か、中佐は元空軍のパイロットだったと前に言っていたか。

 

ここの基地は元は帝国の空軍基地だったのだから、中佐としても格納庫には何かしらの思い入れがあるのだろう。

 

「やっぱり戦闘機とかなくなると広いわね。此処」

 

「みんな処分してしまったのですか?」

 

「ええ、実戦で使えない以上、維持費を喰うだけだもの。一部の機体を除いて、みんな解体してしまったわ」

 

レギオンによって制空権が奪われている現在、空軍に所属していた兵士は殆どがヴァナルガンドのオペレーターとなったそうだ。

 

しかし、航空機と陸戦兵器では求められる性能の違いもあり、況してやヴァナルガンドの走行速度は航空機よりも遥かに遅い。

 

空中での高速戦に慣れた空軍パイロットがこれに慣れるのは至難を極め、殆どが戦死してしまったと中佐から聞いている。

 

おそらく、中佐の旦那さんもその中にいたのだろう。

 

羽をもがれた鳥が生きていける程、この世界は甘く出来てはいない。

 

「……失望したかしら? 辿り着いた先がこんな場所で」

 

「……いえ、モルフォの驚異が間近にある以上、もう形振り構ってられないというのは分かっているので」

 

「ノウゼン中尉も同じことを言っていたわ。射程に入ってるのに逃げないだけで充分だってね」

 

「実際、共和国軍人ならとうに逃げ出しているような事態ですからね。でも……"少佐"は多分逃げないだろうな」

 

「少佐?」

 

ああ、そうか……中佐に共和国時代の話なんて殆どしたことは無いんだった。

 

「そうですね。俺達の前の指揮官……いや、管制官の方が近いかな。まあ、俺達の指揮•管制を担当してた人がかなりの変わり者だったんですよ」

 

「変わり者ね……どんな人だったのかしら?」

 

変わり者といえば、十分なくらい中佐も変わり者だが……まあ、これに関してはとりあえず置いておこう。

 

「共和国軍人の癖して、エイティシックスに本気で向き合おうとする、馬鹿が付くぐらいの真面目な人でしたよ」

 

どうせ死ぬだけの俺達に共和国民に戻ったら何がしたいかとか、来るはずもない人員増強やら……色々、やってたよな。

 

あろうことか俺達に特別偵察をやる必要が無いとか言って、シンにキツく言われてたっけか。

 

「でも、その人が居たから、俺達は此処にいるんです。馬鹿にしてたつもりが、最後はその人の無茶に助けられてしまった」

 

「そう……是非とも、会ってみたかったわね。貴方達のかつての上官に」

 

「お互いに顔も見たこともありませんけどね」

 

背負うばかりだったシンが、思いを託したただ一人の相手。

 

僅かながらも確かにあった彼だけの救い。

 

けれども、現実は無情にもその救いを踏み躙る――残るのは虚無だけだ。

 

「だから、なのかもしれませんね……シンが戦うことに固執するのは」

 

「私、傲慢だったわね。貴方達を溺れた犬を助けるみたいに、軽い気持ちで手を差し伸べていたわ。貴方達の真意を知ろうともせずに」

 

「シンも……戦隊の皆も分からないんですよ。何を目的に生きれば良いのか」

 

生物が生きるのに何か目的がある――子孫繁栄、個体の維持……原始的な生物でもそれは決して変わらない。

 

中でも人間は原始的な目的に加え、自らを確立する個人の目的を必要とする。

 

肉親を開放する、敵を討つ、誇りを全うする……目的は人の数だけ、存在して、一つでも欠ければ生きる意義など最早、見出だせない。

 

かつての俺が意味のある死を望んでいたように……自らの破滅さえも人間の目的足り得てしまう。

 

「分からないから、踏み出すのが怖いから……だから、見知った場所に身を置いておきたいんだと思います」

 

それが俺達には熾烈な戦場だった……それだけのことだ。

 

でも、生きていくための目的は変わることだってある。

 

俺がそうだったように、なにかの切欠で……自分の大切なものをまた見つけることだって出来るんだ。

 

「生きて……生きてなければ何も見つけられない。だから、俺は死にたくないし、共に生きて帰りたいと思うんです。俺達が居たい場所に」

 

皆が生きる理由を見つけられるのが何時になるのかなんて誰にも分からない。

 

けど、生きて――生き抜いてこそ、何かが見つけられる。

 

「それがカジロ少尉――貴方の答え?」

 

「ええ。でも、今の俺が背負っているのはそれだけじゃないんです」

 

ポケットから取り出したのは、少しシワが付いてしまった一枚の便箋。

 

「今、この場に居なくても……この国には俺達の仲間がいる。まだ見ぬ場所へ新しい一歩を踏み出した勇敢な仲間が」

 

今、彼らは何をしているのだろう。

 

仕事で奔走しているのか、日々を遊んで暮らしているのか、新しい何かを学んでいるのか。

 

この便箋には彼らのそんな一面が綴られている。

 

「だから……守ってあげたいんです。レギオンにあいつらの未来を奪わせたくない」

 

「そう……カジロ少尉って見かけによらず優しいのね」

 

「見かけによらずってなんですか。言っておきますが、中佐も、さっき言った少佐と変人度合いではいい勝負ですからね?」

 

「ちょっと! 変人ってどういうことよ!?」

 

深夜の格納庫に中佐の声が木霊する。

 

近所迷惑も甚だしいところだが、この時間を悪くないと思う自分がいる。

 

「オホン……カジロ少尉、とりあえず今日は寝なさい。これは上官命令よ」

 

「ハハ……了解です」

 

ふと、隊舎へ向かっていく中佐の足が止まる。

 

「そうだ、忘れてたわ。カジロ少尉、今回は不問にしといてあげるけど、報告書を確認するのは自分でやりなさい。一応、私も確認するんだから」

 

どうやらサインをカイエに書いてもらっていたことがバレていたらしい。

 

「了解しました。肝に銘じときます」

 

……今度はシンにファイドを貸してもらうよう頼むか。

 

少年の言葉と裏腹に全く懲りてないことを彼女は知らない。

 

人間、誰しも秘密を抱えている――それもまた当然の摂理なのだ。

 

 

 

 

 

 




ハルトとダイヤがいるおかげで他の面々の精神的余裕が凄い。


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28話

大変お待たせしました……


星歴2143年 9月13日

 

 

 

 

 

ノルトリヒト戦隊が使用している格納庫の奥には開かずのシャッターと呼ばれている区画がある。

 

尤も、俺達がではなく、主に整備班の面々が呼んでいるのだが、彼らが着任した時から閉じたままだったそうだ。

 

いつから閉じたままなのか、内側に何があるのか、その詳細を知るものはおらず、この部隊の指揮官である中佐に聞いても、詳しいことは教えてくれないそうだ。

 

「今まで特に気にすることもなかったけど……何があるんだろうな?」

 

「格納庫の大きさから察するに多分、地下の施設に続いているんじゃないか? まあ、中に何があるかはわからないけど」

 

巷では旧帝国軍の秘密兵器やら、貴族専用の脱出路、或いはシェルターなど様々な憶測を呼んでいる。

 

況してや、此処の施設を熟知している中佐もその詳細をはぐらかすのだから尚更というものだ。

 

「これでよし。皆、シャッターが上がるわよ」

 

件の中佐がシャッターの操作盤のスイッチを入れるとと共に、重々しい音と共に鋼鉄の幕が上がる。

 

闇に包まれていた空間に光が差し込み、僅かながらも中の様子を伺うことができた。

 

シャッターの向こう側は100m以上もの横幅を持つ傾斜路が暗闇に包まれた地下へと続いている。

 

中佐が昇降機を操作すると、ゆっくりと暗闇の中へと沈み込んでいく。

 

「この格納庫は元々、旧帝国空軍の実験機を収容していたの」

 

「実験機って……飛行機っすか?」

 

「ええ。試験飛行も各種テストも終わって、量産間近だったのだけれど、その頃に戦争が始まって基地ごと一時放棄しなくてはいけなかったの」

 

この基地は連邦の国境のすぐ傍に存在する。

 

戦争が始まった当初、あっという間にレギオンの大群が押し寄せてきたのは想像に難くない。

 

では何故、国境の近くで実験機の開発をおこなっていたのだろうか?

 

「地下にあるのは機密保持という意味では分かりますけど……わざわざ、何で国境付近のこの場所で試験を行っていたのですか?」

 

「あの子は用途上、性能は機密事項ではなかったわ。あの子は何よりも“見えない”ことが重視されたの。だから、試験飛行は何も無い平野で行う必要があった。それに、この子に高高度性能は求められてないしね」

 

高高度性能を求められなかった……つまり、戦闘機や爆撃機、既存の輸送機とも違うという訳か。

 

「地下にあるのは敵国の空爆への備えもあるけど、性能要求に応えた結果、機体サイズも大型になってしまって、カタパルト射出が必要になったわ。だから、地下の方がそれらの設備の設営や維持管理には都合が良かったのよ」

 

確かにカタパルト射出なら滑走路が無くても、高速で離陸することが出来る。

 

況してや、大型機となれば機体重量もそれだけ増すだろうし、付随する離陸事故の発生確率を低く抑えることも出来るだろう。

 

「それに、地下にあったおかげでレギオンに持っていかれずにすんだわ」

 

昇降機が止まり、照明が一切ない中、中佐が慣れた足取りで暗闇へと立ち入っていく。

 

軍靴の反響音が空間に響き渡り、少し続いた後に止まる。

 

反響が止まると同時に今まで一切の光を灯さなかった照明が一斉に輝き出す。

 

「うっ、眩しっ……」

 

暗闇に目が慣れていたせいか、いきなり目に差し込む光から思わず目を逸らす。

 

手で光を遮りながら、前を見るとその光景に思わず息を呑んだ。

 

それはこの格納庫で長く過ごしている整備班も、歴戦のプロセッサー達も同じだった。

 

そんな彼らを墓から這い上がる亡者は静かに見つめていた。

 

「これが試作型地面効果翼機、XC―1 ナハツェーラーよ。今はまだ、お休み中だけどね」

 

鈍い鋼色の機体は平面的な構成で、機体は巨大なブーメランの形をしていた。

 

ステルス機に求められる平面構成、更に全翼機であることもステルス性を補助している。

 

「巡航速度と航空機と同等。機体の積載重量は公称250トン、でもマージンを取らなければ300トンは載せられる。レギンレイヴなら本作戦に投入される全機を載せられるわ」

 

地面効果翼機――航空機が地表や水面近くを飛行する際に、翼が受ける揚力か大きくなる現象を利用する航空機のことを指す。

 

これらの機体のメリットとして、先に中佐が述べたように大きな積載量を持てるのと、燃費の良さが挙げられる。

 

「この子ならノロマな輸送ヘリよりもずっと早く、モルフォの所まで貴方達を運んであげられるってわけ」

 

中佐の言う通り、巡航速度が速く、レーダー網の下の超低空を飛び、輸送ヘリに比べて静粛性に優れるなら、航路の危険度は確実に低くなる。

 

積載量も作戦に参加するメンバーの期待は勿論、予備機も乗せることが出来るのは確かに便利だ。

 

だが、これを使うこと特有の危険性も出てくる。

 

「ねぇねぇ、ユウ」

 

「どうした? クレナ」

 

後ろからクレナに肩をつつかれ、思わず振り向く。

 

「地面効果……だっけ? それって何?」

 

「そうだな……地面スレスレを飛ぶとデカい飛行機でも戦闘機並みの速さで飛べるんだよ」

 

「地面スレスレって……それ、建物にぶつかっちゃうじゃん!」

 

そう、地面効果翼機の欠点としてこれが大きい。

 

以前に読んだ戦前の記録で、同様の水面効果機を建造した航空会社が試験飛行の時、機体の尾部が波によってもがれるという事故を起こしたというものがある。

 

このナハツェーラーも当然、同じリスクに晒される。

 

況してや、今回の作戦は陸上且つ飛ぶのはレギオンの支配域――事故なんて起こそうものならどうなるか。

 

「あら、物知りね。そうよ、カジロ少尉の言う通り、機体最下部と地面の間隔は数mしかない」

 

中佐は笑って言うが、乗せられる身としては不安しかない。

 

中佐は言及しなかったが、この機体でレギオンに見つかれば、対空砲兵型による迎撃は勿論、本来は仰角砲撃を苦手とする戦車型にすら撃墜されかねない。

 

おまけに機体のサイズもあり、被弾面積も相当だろう。

 

「心配しなくても大丈夫よ。今回の作戦エリアは元は帝国領、地形データは揃っているわ。それにレギオンは建物を作らないしね」

 

「確かにそうですが……」

 

中佐の言う通り、人が立ち去ったとはいえ、飛ぶのはかつては帝国領だった場所だ。

 

となれば、地形データは詳細なものが残っているだろう。

 

それに、レギオンの建造物にあたる自動工場型や発電プラント型は前線にはいない。

 

故にかつての地形データと然程の変化はないと言える……しかしだ。

 

それでも相当数のレギオンがモルフォを守るために支配域に展開している。

 

斥候型や近接猟兵型は勿論、戦車型や重戦車型といった大型のレギオンが待ち構える支配域を浸透していくというのは俺達であっても困難を極めることに変わりはない。

 

況してや簡単に撃墜される機体を飛ばすともなれば尚更である。

 

「元からいるレギオンについてはノウゼン中尉が位置を把握できるし、帰りに関しても本隊が回収することになっている。迎えの本隊のためにも貴方達を確実に送り届けないと」

 

「ハハ……そういえば、そういうことになってましたね」

 

俺達がモルフォを撃破するまでの間、三国合同軍がレギオン支配域へ同時攻勢をかけて、レギオンの注意を惹き付けることになっている。

 

俺達がモルフォを撃破する為の囮として、眼前の幾万もの大群へと向かっていき、その多くが犠牲となるだろう。

 

その一方で俺達が道中で全滅するようなことがあれば、彼らの奮闘の一切が無駄となる。

 

「あのマーク、何か怖いね。シンのマークとちょっと似てるけど」

 

「機体名からして連邦東南部の御伽話が由来みたいだからな……確か吸血鬼の話だったか」

 

彼の者は墓から蘇り、自身の影を引きずって墓地を這いずり、教会の鐘を突くという。

 

また、自身の影に触れた者を呪い、鐘の音を聞いた者を皆殺しにするとか、やたらと殺意が高い化物だった記憶がある。

 

そして、いつか読んだ文献では、ナハツェーラーは典型的な「早すぎた埋葬」――生きているにも関わらず、土葬されてしまった話が元になっているらしい。

 

早すぎた埋葬者(ナハツェーラー)葬儀屋(アンダーテイカー)が乗るというの皮肉と言うべきか。

 

「そういや、こいつでモルフォに詰め寄るのは分かったが、誰がこいつを操縦するんだ?」

 

ふと、ライデンが思い出したように問う。

 

今の連邦に空軍は存在せず、かつてのパイロット達の殆どが既に戦死しているこの状況。

 

内地の輸送機はともかく、地表スレスレを飛ぶこの機体を、長い間、量産されずに放置されていた試験機を動かせるパイロットか果たして存在するのだろうか。

 

「あら、そんなの決まっているじゃない。私よ」

 

中佐が自身の軍服の金色の空軍章を指差す。

 

「あの……それ、マジで言ってます?」

 

「何よ。私以外、誰がこの子を動かせるというの? 試験飛行でこの子を操縦した経験があるのなんて、もう私くらいしか残っていないわ」

 

ダイヤの怪訝な表情に子供のように口を尖らせる。

 

中佐の言う通り、通常の輸送機とはまるで違う性質の機体を通常の輸送機パイロットに任せるわけにはいかない。

 

仮に操縦したところでレギオンに撃墜されるか、良くて墜落するのがオチだろう。

 

そういう意味では、適任者は中佐しかいない。

 

「まあ、動かしたのはずっと前だし……ブランクは残っているけどね」

 

「え?」

 

……今、中佐が凄い不吉なことを呟いていた気がするんだが、俺の杞憂か?

 

ま、まあ……仮に操縦のブランクがあるとはいえ、中佐も修羅場を潜り抜けた猛者なんだし、きっと大丈夫だろう。

 

「でも、本社にフライトシミュレーターが残っててほんと良かったわ」

 

前言撤回、ものすごく不安になってきた。

 

「おうおう……途中で墜落とか勘弁ですぜ? お嬢」

 

「だ、大丈夫よ! 感覚はだいぶ取り戻してきてるんだし……シュミレーターでも事故は減ってきた……筈よ」

 

漏れた中佐の言葉に何人か呻くものの、もはや俺達に他の代案など存在しない。

 

いや、もはや代案なんて無いのは俺達に限ったことではないのだ。

 

他の将兵も、司令部の指揮官達も、軍の幹部、他の二国の兵士達も皆が分かっている。

 

命、倫理、人間性……何もかもを捨て去ってでも、モルフォを排除しなければ、俺達に明日はない。

 

チェックは既に掛けられた以上、逆転するには大博打を打つ他ない。

 

故に人は"それ"をこう呼ぶのだ――

 

 

――『奇跡』だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2143年 10月7日

 

 

特攻作戦がいよいよ明後日に迫ってくると、整備班の面々は勿論、俺達も忙しくなってくる。

 

中佐の具申もあってか、俺達のモルフォ行きの列車は輸送ヘリではなく、ナハツェーラーへと変更された。

 

輸送ヘリよりも確実性があるからか、中佐が無理を押し通したか真相は分からないが、行きの列車が早くなることに越したことはない。

 

そのため、整備班総出による急ピッチでナハツェーラーの整備が行われ、急遽、実働部隊の俺達にもパラシュート降下の訓練が課せられた。

 

尤もパラシュートはジャガーノート自体に搭載されるので、俺達がやることは、落下の衝撃に耐えつつパラシュートを開くくらいなのだが。

 

共和国で各戦線をたらい回しにされたとはいえ、レギオン支配域への降下作戦なんて皆が初の経験なのだ。

 

普段はお気楽なハルト達も、このときばかりは緊張感を持った表情を浮かべていた。

 

「グヌヌ……と、届け……」

 

そうそう……確かこんな感じのしかめっ面だったっけ……ん?

 

「……戦隊のマスコットが何故、自販機の前で必死に背伸びしてるんですかね?」

 

「ぬぬ……! ユウヤよ、ナイスタイミングじゃ……ちと手を貸してくれんかの……!」

 

「はぁ……何を御所望で?」

 

必死の形相でこちらを振り返ったフレデリカを見て、思わず溜め息が漏れる。

 

何か色々と考えるのがバカらしくなってくるな……

 

「さ、三段目の……じ、ジュースを……」

 

「はいよ……」

 

既に自販機にはお金は入っていたようで、ボタンを押した瞬間にフルーツジュースが入ったペットボトルが落ちてくる。

 

当のフレデリカは一仕事を終えたと言わんばかりの表情を浮かべ、ジュースを手に取った。

 

「ふぅ……ユウヤよ、礼を言うぞ。あのままでは、何時までもあそこで奮闘せねばならんかった」

 

「普通に誰か呼べば良かったんじゃないか?」

 

レギオンが絡まないと何というか年相応の少女……いや、姿格好からして幼女と言うべきか。

 

そんなことも有ってか、彼女は何かと背伸びをしたがる――精神的にも物理的にも。

 

そういえば、この前は……カイエにコーヒーを淹れてもらって涙目になりながら飲んでたか。

 

淹れたカイエも思わず苦笑いを浮かべながら、フレデリカを案じていたのを覚えている。

 

そんなどうでも良い出来事を思い出す傍ら、ふと脳裏では別の疑問が浮かぶ。

 

「そういえば、まだ帰り支度はしてなかったのか? もう帰るようには言われてるんだろ?」

 

戸籍上とはいえ、フレデリカは大統領の娘という扱いになっている。

 

当然ながら、フレデリカには既に安全な内地への退避の指示は出ており、既にこの基地から発っている予定なのだが……

 

「む……妾もノルトリヒト戦隊の一員じゃ。なればこそ、妾も見届ける義務があろう」

 

「はぁ……別に誰も逃げやしないんだ。人質は要らないぞ?」

 

以前、フレデリカに聞いたことがある。

 

帝国軍ではフレデリカと同じ年頃少女を戦闘部隊に加え寝食を共にさせる風習があったと。

 

戦場に、況してや自分達の部隊に自分の子供と同じ年頃の少女がいれば部隊が一丸となって守ろうとする。

 

そんな擬似的な家族を得た彼らは逃げることはおろか、命を惜しむことなく戦う。

 

戦場に人を縛る楔、或いは人質――それがマスコットの役割だと。

 

「それに……此処もいつまで安全かなんて分からないんだ。退避出来るなら早いうちにしといた方が良いぞ」

 

「……何故じゃ? 何故……そなたもシンエイと同じなのじゃ?

どうして皆、自ら死へと向かおうとするのじゃ。ユウヤよ……そなたにだって……カイエと共に……」

 

フレデリカの言葉が続くことはなかった、代わりに彼女の目尻からは大粒の涙が、小さな口からは嗚咽が溢れる。

 

そうか……これがフレデリカの本音なのか。

 

女帝としてでも、大統領の娘としてでもない――たった一人の子供の願い。

 

"誰にも死んで欲しくない"……そんな小さな一つの願いさえも今は、叶わない。

 

だからこそ――

 

「そうだな。俺は確かに死にたくない。出来るのなら……ずっと平穏無事でカイエと生きていたい」

 

傍から見たら俺達は矛盾ばかりなのだろう。

 

俺達にも確かにあったんだ、この場に居ないという選択肢も。

 

「でも、俺達は馬鹿だからな。戦うしか知らないんだよ……大切なものを奪われない方法をさ」

 

レギオンが犇く絶死の世界を潜り抜けたからこそ、レギオンの脅威に晒され続けたからこそ――俺達は選んだんだ。

 

「……ッ! じゃが、此度の作戦は……」

 

フレデリカは納得しない、当然だ。

 

自身の願いが叶わないと断言されて、納得できる人間なんて存在しない。

 

「ああ、生還は絶望的、かといってモルフォへの到達も困難。司令部も作戦の成功率は限りなく低いと言ってるな」

 

だからこそ、俺達が選ばれた――連邦にとって死んでも惜しくない俺達が。

 

それでも――

 

「でも、大切なものを奪われたくないから、カイエを守りたいから、俺は行くんだ。戦わなくちゃいつかは奪われてしまうから……」

 

成功する確率なんて万に一つかもしれない。

 

いや、億、兆……もしかしたら那由他の先なのかもしれない。

 

失敗する未来が幾つだって存在する――けど、その中で成功する未来は確実に一つ存在する。

 

ならば、それだけで俺には十分だ。

 

その一を獲るために何もかもを投げ出してみせよう。

 

「それに……どんな作戦でも、そもそもやらなきゃ成功なんてしないんだ。だから、偉い奴が勝手に決めた基盤なんてひっくり返してみせるさ」

 

いつだってそうだった、生き抜くために大博打を賭けてきた。

 

共和国でレギオンと戦っていた時も、特別偵察の果てに連邦に辿り着いたときも――誰もが無理と言ったことを成し遂げてきた。

 

俺達だけじゃない、きっと人類の全てがそうなのだ。

 

遥か昔、誰もが空を飛べないと思っていた。

 

そんな中、何処かの誰かが空を飛ぶために大博打を打った――それに勝ったからこそ、飛行機が存在する。

 

遥か昔、誰もが勝てないと諦めた大国の侵略があった。

 

周りの諦観の中、彼の国は自国の全てを天秤に賭けた――それに勝ったからこそ、その国は存在していた。

 

だから……俺達もその有り様は変わらない。

 

「だから、泣くなよ。何も断頭台へ突き進む訳じゃないんだ。帰って来れるなら、何が何でも帰ってみせるさ」

 

優しい幼き女帝は身近な人々が帰らぬ人になっていくのを間近で見てきたのだろう。

 

彼女の騎士も自らを擦り減らし続けた結果、怪物になってしまった。

 

俺達は彼女の騎士の代わりにはなれない、幼い子供には残酷すぎる事実だ。

 

でも、せめて……"其処"から引っ張り上げてやるくらいなら……マスコットとして、俺達に必死で付いてきた彼女に報いることが出来る筈だ。

 

「そうだ。俺が生まれた国にはこんな風習があってな……小指を立ててくれないか?」

 

「うむ……」

 

小さく細い小指に俺の小指を絡ませる。

 

そして、"おまじない"を唱えた。

 

「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。指切った」

 

俺が生まれた国で昔から伝わる、互いに約束するときのおまじない。

 

「これは……?」

 

「俺の生まれた国で、互いに約束をするときのおまじないさ。約束を破ったら指を切り落として一万回殴られて、針を千本飲まされるんだぞ?」

 

「そ、そんな恐ろしいおまじないなのか!? これは!」

 

「そうだぞ。俺が生まれた国じゃ約束を破ることは禁忌に近いからな」

 

まあ、流石に嘘だけど……でも、フレデリカの気が少しでも紛れたのなら、それはそれで良いことだろう。

 

それに俺も一万回も殴られるのは嫌だし、針を千本も飲まされるのも御免こうむる。

 

だから、必ず帰ってこよう――約束したら守る、それは当然のことなんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2143年 10月9日

 

 

 

慌ただしい人の足音と重量物か床を踏み締める音が地下に反響する。

 

整備班の面々は実働部隊のジャガーノートの各種最終点検を行い、点検が終わった機体をナハツェーラーへと収容していく。

 

「フレデリカちゃん、大丈夫かしら……」

 

「自分だけ置いていけぼりだからな……」

 

「大丈夫さ。俺達がモルフォを撃破して、無事で帰れば良いんだ」

 

「珍しいな。ユウがそんなことを言うなんて」

 

「生憎、死にに行くつもりは更々なくてね。それに……"約束"したからな」

 

思えば、今の俺はどれほどの物を背負っているのだろう。

 

カイエとの誓い、先に逝った仲間の命、新たな道を進んだ仲間たちの未来、フレデリカとの約束。

 

空っぽの死に損ないでしかなかった俺がこんなにも多くの物で満たされている。

 

「戦隊の皆さん! そろそろ搭乗してください!」

 

ジャガーノートを収容し終えた整備班の一人が格納庫の片隅で屯している俺達へ呼びかける。

 

「よし、それじゃ行くか」

 

最初に立ち上がったライデンに続き、作戦に参加する面々がナハツェーラーへと搭乗していく。

 

そして、収容された各々のジャガーノートに乗り込むと、メインシステムを機動した。

 

直前まで整備されていたのもあって、各システムに異常は無く、ジャガーノートの赤い光彩が内部て灯る。

 

ふと、戦隊員とは別の誰かから、同調を須められる。

 

『戦隊各員、聞こえるかしら?』

 

『おっ、中佐じゃないすか……というかマジだったんですね、この飛行機操縦するの』

 

『前にも言ったけど、今の連邦軍でこの子の操縦経験があるのは私くらいなのよ。ただでさえ、扱いが難しいこの子を其処らの輸送機パイロットに任せられないわ。それにね――」

 

そう言って言葉を区切った中佐が同調の向こうで薄く笑う。

 

『やっぱり、私も貴方達のような子供が戦場に出るのは反対なのよ。戦って、抗うことが貴方達自身が選んだ答えだとしても、それは変わらないわ』

 

だから――と中佐は言葉を続ける。

 

「戦い抜くというならせめて最後まで戦い続けられるように一緒に戦うのが私の役目よ」

 

以前、少佐が言っていた。一緒にレギオンに勝とうと。

 

俺達ではなく自らも言い聞かせるように、現実を認めたくないように……それでも、少佐は奔走した。

 

結果、その言葉が叶うことはなく、あろうことか自らの喉元にまでレギオンが迫ってきているという有様だが、それでも無駄ではなかったと思う。

 

抗うことを止めたら、後は呑み込まれるだけなのだから……

 

『貴方達が辿りついたこの国も所詮、理想郷にはほど遠いけれど、この国では誰も、貴方たちの戦死を望んではいない。むしろ死なないでほしいと願っているの。私も、師団長も、部隊の皆も』

 

ジャガーノートのシステムが完全に起動し、外の情景がスクリーンに映し出された。

 

ナハツェーラーの後部が閉まっていく最中、整備班の面々が手を振っている。

 

もう隔壁が機体の殆どを覆い隠しているのに関わらず、彼らはその手を振るのを止めない。

 

『それに、この方もね』

 

『やあ、久しぶりだね。元気かい? 君達』

 

穏やかな、そして意外なその声――忘れる筈がない。

 

『何故、貴方が? エルンスト』

 

『いや、あの僕一応、連邦軍の最高司令官だからね? 連邦市民及び国土、周辺諸国の存亡の危機なんだから、当然、僕が督戦に来るさ。況してや君達はこの作戦の要なんだから』

 

一泊置くと、エルンストの目が指導者のそれへと変わる。

 

其処に俺達が知るお茶らけた中年の姿はなく、代わりに十年に渡って連邦を導いてきた威厳に溢れた男が其処に座っていた。

 

君達(ノルトリヒト戦隊)の働きに連邦と周辺国、人類の行く末がかかっている。そのことを心得て、必ず電磁加速砲型(モルフォ)を撃破するように。……期待しているよ』

 

『了解』

 

『それから――』

 

シンの淡々とした返事に頷きながら、エルンストは言葉を続けた。

 

『――全員で帰って来なさい。これが最優先任務だ』

 

「……?」

 

端から見れば、エルンストのこの言葉は名誉ある激励に違いない。

 

だが、何故だろう? 妙に空々しさを感じるのは。

 

まるで、俺達ではなく、自分自身に言い聞かせるような……

 

『……善処はします』

 

『それじゃダメだ。帰って来なさい、全員で』

 

彼の言葉に違和感はある。

 

けれど、彼の思惑は何であれ、俺は此処で死ぬつもりはない。

 

『戦い抜くのだろう? なら戦争が終わるまで生き残らなければね。だから帰っておいで……必ず』

 

最後にそう言ってエルンストとの通信が途切れ、作戦開始までのタイマーが表示される。

 

タイマーの数字は既に作戦開始まで五分前程に差し掛かっていた。

 

『ユウ』

 

「どうした? カイエ」

 

唐突に頭へと響く彼女の声、その声は平静を装いながらも何処か不安を隠しきれていない。

 

不安がないと言えば、それは嘘だ。

 

けれど、誰かが結局はやる羽目になったこと――それが俺達だっただけの話だ。

 

「フッ……言わないからな?」

 

『っ!……ああ、そうだな、わざわざ言う必要なんてないな』

 

生きて帰る、愛してる、そんな分かり切ったことを言う必要なんてない。

 

エルンストの言葉を借りるつもりはないが。最優先事項を果たすのは当然の務めなのだ。

 

そして、いよいよ作戦開始まで五分を切ったとき、西部方面軍全体の無線から最高司令官の声が発せられる。

 

『戦士諸君。傾注せよ』  

 

先程の穏やかな声と打って変わって、厳格な歴戦の勇士の声。

 

俺達のみならず。西部方面軍の全てがその声に耳を傾ける。

 

『これより西方方面軍は全軍を以てレギオン支配域に進軍する。これは我等、共和制ギアーデ連邦及び、友邦ロア=グレキア連合王国・ヴァルト盟約同盟のみならず、助けを求める声さえ届けられずにいるかもしれない周辺諸国の命運をも左右する人類史上最大の作戦である!』

 

戦隊の誰もがエルンストの訓辞に耳を傾けながら、スクリーンのタイマーを見やる。

 

作戦開始までのタイマーは既に三分を切っていた。

 

『諸君は祖国同胞を継受する強き盾であり、また人類の未来を切り開く鋭き剣だ。我等、世界に誇る正義たらん。戦い、勝ち取った使命を胸に、勇猛に果敢に、前進せよ!』

 

その言葉と共に前線の連邦兵が湧く――過る不安を振り払うように。

 

そして。彼らの大歓声の中、ついにタイマーは全ての数字が0となる。

 

『――作戦開始』

 

静かな号令と共に数発の砲弾が無数の斥候型と近接猟兵型が伏せる大地に突き刺さる。

 

その衝撃で周りの斥候型達が飛び起きると共に破砕の雨が彼らを砕いた。

 

西部戦線のありとあらゆる陣地の砲とロケットが火を吹く。

 

絶え間なく響く砲轟に、思わず無音と感じてしまいそうになりながらも、彼らはひたすらに撃ち続ける。

 

その様子を管制室で見つめるオペレーターが声を張り上げた。

 

『レギオンが動き出しました。第一フェーズ完了! これより第二フェーズに移行します! ナハツェーラー発進してください!』

 

『了解! さぁ、貴方達……行くわよ! ナハツェーラー発進!!』

 

中佐の楽しげな声と共に、強烈な加速が襲い掛かる。

 

電磁カタパルトが600トンもある機体を押し出し、夜の地平へと吐き出した。

 

『こ、これは……強烈だな……』

 

『いやいや、最初にこれ作ろうとした奴、絶対に頭おかしいでしょ!?』

 

『あら、怖いもの知らずの貴方達にそう言ってもらえるなんて光栄ね。でも、この子は時速800kmまで出せるわ。このまま9分ちょっとの空の旅を楽しみなさい!』

 

中佐も久しぶりの操縦故か、いつもよりもテンションが高い。

 

やっぱりこの人は変人だと思っていると、方面軍の共通の無線から前進していった彼らの声が聞こえてくる。

 

『4号機、信号途絶!』

 

『第2中隊の反応消失!!』

 

『取り乱すな! 2号機、3号機、前進を続けろ! 歩兵部隊は俺達の後に続け! 損傷機は――』

 

そう言った士官の声が一瞬のノイズと共に途切れ、別の無線から声が流れる。

 

『た、退避!!』

 

『く、クソっ……こ、ここまで……かよ……』

 

『損害を報告! まだ戦闘は終わってないぞ! お前達に守りたいものがあるなら戦え! 顔を挙げろ! 前に進むんだ!』

 

この無線の先で、誰かが死んでいる。

 

でも、俺達にはどうしてやることも出来ない。

 

それでも、声だけは続く。

 

『もう少しだ! あと少しだけ持ちこたえろ! そうすれば、あの忌々しい86共が……そうしたら、俺達の勝ちだ……』

 

声が途切れる――彼がどうなったのか、言うまでもない。

 

『退かないんだね……連邦は』

 

『そうだよね……私達がモルフォを撃破すれば、皆の勝ちだよね』

 

『期待されている以上、応えてやらねえとな』

 

レーダーは無数のレギオンの反応で埋め尽くされ、こちらのマーカーさえ見えなくなる。

 

首元に提げた指輪を握り締める……やるべきことは分かっている。

 

『中佐、進路上に二個中隊規模です。回避は可能ですか?』

 

『ええ、捕捉したわ。けど、難しいわね……この子、旋回は苦手だから』

 

地面効果翼機は地表近くを飛ぶため、機体を傾けての旋回ができない。

 

方向舵を使うにしても、おそらくは間に合わない。

 

「仕方ないわね。本当なら着陸してから降ろしてあげたかったけど……」

 

地表を飛んでいたナハツェーラーが一気に高度を上げる。

 

航空機の天敵と言える阻電撹乱型が空を舞う中、地表の無数の青い光を飛び越えるが如く、どんどん高度は上がっていく。

 

当然のことながら、対空砲兵型のレーザー照準がナハツェーラーへと集中し、既にロックオンアラートは鳴り響いている。

 

『ま、まさか、この高度で落とす気!?』

 

『大丈夫、訓練通り、衝撃に備えれば問題ないわ。まあ、シミュレーターより強烈だろうけど」

 

「けど、中佐は……!」

 

『私達の事は心配しないで頂戴。このために予備機も積んでるわ』

 

それは分かっている。けど、こんな乱戦の中じゃ………

 

『中佐。陽動なら交戦する必要はありません。接触した後は森の中に退避してください』

 

『あら、心配ありがとう。でも、ナメるんじゃないわよ。ガキ』

 

声を挙げて、中佐は笑う。

 

何処か懐かしげに笑いながら、彼女はあるスイッチをオンにする。

 

『それじゃ貴方達――神速の加護があらんことを(ゴッドスピード)!』

 

中佐との同調が途切れ、ロックが外れたガイドレールに沿って外へと放られる。

 

身体がふわりと浮くような感覚、当然ながらジャガーノートに飛行能力などない。

 

高所から空に放られれば、重力に従って地面へと落ちていくだけだ。

 

『わわっ!? お、落ちる!!』

 

『こ、これ、本当にパラシュート開くんだよね!?』

 

『開かなかったら文字通りの投身自殺だぞ!?』

 

高度が下がっていくにつれ、市街地のビル群、遥か向こうでの戦闘の光、そして後続の青い光の群れがはっきりと見えてくる。

 

直後、パレットのパラシュートが開傘、急減速による強烈なGに思わず歯を食いしばる。

 

そして、機体だけでなく、身体さえも揺さぶらんばかりの衝撃が全身に襲い掛かる。

 

「うぐっ……第四小隊各機、状況報告」

 

『キルシュブリューテ、とりあえず問題はないよ』

 

『レウコシアも同じく……』

 

『マーチヘア、こっちも何とか……』

 

無事……とは言えないが、第四小隊は着陸することが出来たようだ。

 

だが、俺達の作戦はここからが本番だ……

 

無事に着陸出来たとはいえ、此処はレギオン支配域の奥地、もたもたしていれば、あっという間にレギオンの大群に呑み込まれる。

 

『な、ナハツェーラーが……!』

 

『っ!!……そんな……』

 

未だにくらつく頭を上げると、森林の向こうでその巨大な翼から黒煙を吹き出す巨影。

 

そして、一筋の流星のように緋色の光が天を衝いた。

 

『戦隊各機、足を止めてる暇はない。行くぞ』

 

既に木々の向こうからは無数の青い光が此方へと向かってきている。

 

「9時方向から斥候型の群れだ。その後ろには近接猟兵型、戦車型もいる」

 

『了解。戦隊各機、このまま突破するぞ。何があっても足を止めるな』

 

『『『『了解!!』』』』

 

警鐘のように頭に焼き付く情景に顔をしかめながら、ジャガーノートは森の中へと前進する。

 

無数の曳光弾が木々を穿ち、飛来するロケットと砲弾は土煙を撒き散らして地面を抉っていく。

 

そんな戦轟の中、小さな火花と共に青い光が消えていく。

 

ある斥候型の高性能センサーが黒い影と共に白い閃光を捉える。

 

月の光に照らされたソレはさぞ、幻想的に見えただろうが、彼らにそのような感性はおろか、知性さえも存在しない。

 

また一機、自らの傍を白い閃光が走ると共に、沈黙する。

 

そして、その白い閃光はついに自分の方へと向かってきていた。

 

自らが見ていた白い閃光は月に照らされた刃であることを理解したのは、自らの腹に刃が食い込んだときだった。

 

 




最新話間もなくですね……楽しみです。


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29話

二話同時に執筆するのは流石に、骨が折れました。最神話も9割方執筆が済んでおります……


脳内で響く嘆きの騒音と、神経そのものに焼け付くような眩しく紅い炎の情景に歯を食いしばる。

 

特別偵察の初日――シンの兄の亡霊が率いていた軍勢のそれよりも遥かに多い。

 

『この虫けら共がァァァァ!!』

 

もはや気にも留めない騒音の中、クリアな声がする。

 

淡々と同じことを喚く羊達とは違う、明確な殺意と怒りを持った声。

 

この声の主は……“アレ”か。

 

連邦の現行装甲兵器全てを破壊しうる絶大の威力を誇る155mm滑腔砲。

 

75mm戦車砲を同軸副砲として備え、これも主砲に劣るとはいえこちらを破壊するには十分な威力を持つ。

 

また、砲塔各所に設置された12.7mm重機関銃を不用意な接近を阻む。

 

『お前らも、あいつらも、皆、殺してやる! 踏み潰して、粉々にして、灼いてやる!!』

 

悲鳴の如き怨嗟は止まらない、レギオンの殺戮本能がそうさせるのか、或いは死の直前の憎しみ故かは分からない。

 

通常のレギオンの中では最強格の重戦車型はその堅牢な機体故に羊飼いの器として利用されることが多いそうだ。

 

あの重戦車型に搭載された脳が何処の誰のものなのか、何処で死んだ人なのかなんて分からない。

 

「悪いけど……お前に構ってる時間は無いんだよ」

 

こうして怨嗟の声を張り上げるということは、生前にそれ程の未練や後悔があったのだろう。

 

だけど、俺達にそれをどうしてやることも、その感情の濁流から救うことも出来ない。

 

其処に立ち塞がるのなら、壊す――ただ、それだけだ。

 

ビルに打ち込んだアンカーが巻き取られ、それに引かれたジャガーノートが重戦車型の頭上へと飛び上がった。

 

同時に背部のブレードを展開し、スラスターの加速と共にその刃を振り降ろす。

 

高周波による熱によって白く光る刃は、バターを掬うかのように装甲の内側へと入り込んでいく。

 

怨嗟の声が途切れる――それでも静寂は訪れない。

 

「キルシュブリューテ、左の路地から斥候型の群れが飛び込んで来るぞ。接敵まで20秒!」

 

『了解。マーチヘア、援護を頼む』

 

『マーチヘア了解。今、向かってるよ!』

 

後方から飛んできた飛翔体がレギオンの頭上で弾け、ばら撒かれた子爆弾が市街地を闊歩する一団を爆砕していく。

 

同胞が爆炎に灼かれるなか。突撃する斥候型達がビルの上からの掃射によってズタズタに引き裂かれ、戦車型が88mm滑腔砲の直撃を受けて沈黙する。

 

『マズいね……このまま戦ってても埒が明かないよ』

 

『戦闘が長引けば、私達の手持ちの弾薬も尽きるからな……なんとしてでも鉄道ターミナルまで抜けないと』

 

「距離は詰めてる筈だ。このまま最短で突っ切るぞ」

 

戦車型の残骸を飛び越え、ビルの壁へアンカーを撃ち込み、そのまま駆け上がる。

 

絶え間なく飛来する砲弾と銃弾の中、ビルからビルへと飛び移る最中、巨大なオブジェのようなものが見えた。

 

「あれがモルフォか……確かにデカいな」

 

『何かムカデみたい……』

 

『ちょっと止めてよ……気持ち悪い』

 

共通の前提として、レギオンは建造物を作ったりはしない。

 

彼らはあくまでプログラムに従う兵器であるため、娯楽、感情表現をする必要を見出さない。

 

先程、オブジェのように見えたそれは、モルフォの主兵装たる巨大レールガンだろう。

 

しかし、レールガンは勿論、そのボディも規格外だ。

 

まるでビルを横倒しにしたような巨体はかつて、本で見た原生生物の骨格を思わせる。

 

人間という生物が生まれる遥か前に、地上や海中を支配していた絶対の強者。

 

人間――いや、全ての哺乳類の始祖はネズミのような小さく、弱い生き物と言われている。

 

強者の食べ残しや同胞の死骸を漁り、強者にとっては簡単に捕れる獲物。

 

だからこそ、幾万もの進化を重ねても、圧倒的な存在に畏怖を抱かずにはいられないのだ。

 

『――殺してやる』

 

その声を戦隊の皆が聞いた。

 

先程、撃破した重戦車型のソレとまるきり違う――人類そのものへの憎悪。

 

ただの声の筈なのに、内に潜む研ぎ澄まされた殺意に思わず身震いしてしまう。

 

侮蔑ややり場のない憎しみをぶつけられるのは慣れたつもりだった。

 

けど、これに比べればそんなものなんて可愛く思える。

 

かつて、幼き女帝に微笑みかけていた騎士はもういない。

 

此処に居るのは、人類そのものを憎む――殺意の化物だ。

 

『殺してやる』

 

俺たちが一歩進む度に、その声は次第に大きくなっていく。

 

『何もかも全て、殺してやる……!!』

 

一際大きくなった呪詛と共に化物が大きく首を上げた。

 

眠りから覚めた龍の如く、その砲身を天に向ける。

 

『まさか……修復が終わってたのか!?』

 

「いや、待て……何か、変だ」

 

今の状況を見るに、砲撃機能の復旧を最優先に修復したと見える。

 

しかしだ、普通に考えて全身を支える脚部よりも、遥かに重い砲を先に交換するか?

 

嫌な汗が額を伝る――同時にある情景が脳に焼き付いた。

 

それはあらゆる物を粉砕する破滅の光――答えはすぐに出た。

 

「フェアリーより戦隊各機! 今すぐそこから退避しろ!!」

 

『下がれ、シンエイ! そなたが見ておるそれはもうキリではない!』

 

フレデリカの騎士の呪詛の声が途切れ、同時に周りの黒羊の声も遠のいていく。

 

何故、フレデリカが同調したのか、それを問う者はいない。

 

そんなことを気にしている余裕なんてなかった、

 

『殺してやる!! 何もかも全て!! 殺してやる!!』

 

一際、大きな怒声が脳内へ流れ込む。

 

『っ!! 総員退避!!』

 

『え!?』

 

『何かあったのか!?』

 

いきなりの指示に誰もが戸惑いを隠さない。

 

だが、かつてのスピアヘッド戦隊の号持ちたる彼らは考えるよりも先に身体の方が動いていた。

 

進路を回頭し、ジャガーノート達が全速力で駆け抜けていく。

 

市街地の向こう側で一筋の光が灯り、それは蝶の羽のように拡がった。

 

青い輝きと共に消えていた無人の市街地の街灯が灯っていく。

 

青い輝きが大きくなる度にその明かりは強くなり――唐突に全てが弾けた。

 

視界が眩い光で埋め尽くされると同時に、放たれた怨嗟の雷が都市の一角を消し飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

巨大な爆炎が挙がる市街地を"彼ら"は見つめる。

 

ノゥ・フェイスの予測通り、敵はペイルライダーの存在を察知して侵攻してきた。

 

そして、ペイルライダーの破損した機体に気を取られた敵は予備機からの砲撃を受けて、閃光の中へと消えた。

 

『君は、ペイルライダーが彼らを撃破できたと思うかい?』

 

"彼女"は微笑む――物を言う口など既に無いが、もしあったのなら彼女を笑みを浮かべているだろう。

 

『無理ね。だってあの子がいるもの』

 

ノゥ・フェイスの予測は完璧だ、あらゆる戦況を分析した結果、今回のスケジュールを立てている。

 

けれど、"彼女"は無理だと言い切った――どちらを信じるかなど論じるまでもない。

 

『そうか……あの子がいるのなら、きっと無理だろうな』

 

『そう早まらなくても大丈夫よ。すぐにあの子は私達の前にやって来る』

 

早まる……ああ、そうか。この昂りこそが心が早まってる証拠か。

 

彼女がすぐに来ると言うのなら、きっとそれはすぐなのだろう。

 

『私達も今は戻りましょ。ノゥ・フェイスが口を出してくるわ』

 

『そうだな……でも、早く逢いたいな。なぁ、ユウヤ?』

 

従えた斥候型達と共に"彼ら"は踵を返していく。

 

殺戮機械にあるまじき、期待を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

未だ耳鳴りが残る頭を振りながら、転倒した機体を立ち上がらせる。

 

ジャガーノートのシグナルは第四小隊を含め、ロストした者はいない。

 

警告は何とか間に合った――僅かな安堵と共に息を吐く。

 

旧帝国市街地の建造物が堅牢に作られ、それらが密集する中心街へ砲撃が飛んできたのは不幸中の幸いだった。

 

『ま、まさか……自分を囮にするなんて』

 

「別によく考えればおかしいことじゃない。機体の頭が無事なら別の機体に差し替えれば良いんだからな」

 

モルフォくらいの巨体となれば、破損した全ての部品を交換するよりも、中枢部を別の機体に差し替えた方が早い。

 

尤もレールガン二本と、巨体な機体のコストを考慮しなければだが。

 

『本物が別にいるとはね……お前でも気が付かなかったのか?』

 

『……戦隊各員、目標変更。方位280、距離5000。弾種成形炸薬弾(HEAT)。配置に急げ』

 

アンダーテイカーの指示と同時にジャガーノートが移動を開始する。

 

巨大なクレーターと成り果てた鉄道ターミナルの周辺、倒壊したビルの陰からモルフォへと砲火を集中する。

 

88mmの成形炸薬弾と対装甲榴弾が未だ光が見えぬ夜空へ弧を描いて、モルフォの巨体へ飛来していく。

 

しかし、モルフォの背部が光ると同時に飛来する成形炸薬弾が独特な咆哮を挙げる機関砲に撃ち落とされた。

 

モルフォは主兵装のレールガンの他に近接防御及び対空防御の為の大口径機関砲を搭載している。

 

巡航ミサイルの飽和攻撃にすら対応しうるそれは、たかが十数発の砲弾など自らへの接近さえも許さない。

 

砲弾に遅れてスノウウィッチの誘導弾が飛来し、中の子爆弾がばら撒かれ炸裂するものの、自身の装甲で容易に受け切る。

 

「やっぱり、硬いな……」

 

放物線を描いて飛んでいく砲弾を見上げながら、倒れたビル群を飛び越えていく。

 

通常のレギオンが相手ならその一団ごと屠るには十分な火力を投射している筈だ。

 

けれど、モルフォ相手には一打すら与えられない。

 

その時、自分の反対方向の鉄塔に登っていたアンダーテイカーが砲撃――後方で撃ち続ける成形炸薬弾と対装甲榴弾とは違う高速徹甲弾(APFSDS)による一撃。

 

高速徹甲弾はその破壊力の大半が弾速によって左右される。

 

そのため、目標との距離が近ければ近いほど威力は増すのだが、これだけ近づいても貫徹には至らない。

 

「くっ……やっぱり肉薄しないと駄目か」

 

とはいえ、全身を防御火器で固めたモルフォへ肉薄するのは困難です極めるだろう。

 

そんな中、モルフォの光学センサーの青い眼光が接近していたアンダーテイカーへと向けられた。

 

巨竜の巣に踏み入った侵入者を焼き尽くさんとばかりに、その巨体が蠢く。

 

それは海老を思わせる節足動物のような、或いは蟲のような不気味な情景。

 

明け方の夜空に(モルフォ)の青い翅が拡がる――同時に巨砲に迸る青い閃光。

 

何をしようとしているかなど、一目瞭然だ。

 

『どうする!? もう一回、喰らわせてやるか!?』

 

『シン!』

 

死神(アンダーテイカー)は何も答えない。

 

ただ、前へ、眼前の敵へと疾走していく。

 

その最中、殺意の絶叫と共に無数の青い光弾の雨が道中へ降り注ぐ。

 

普通の機関砲……ではない、明らかに通常のものと初速が違いすぎる。

 

『そうやって、殺意だけを撒き散らしていれば……楽だよな』

 

「――っ!?」

 

今までのシンから聞いたことがない、空虚な呟きに思わず身を震わせる。

 

それは何処までも空っぽで、無意味で、無価値で、今にも砕けんばかりの――

 

「なっ!? モルフォが……」

 

突如、拡げていた翅がしまわれ、巨砲の閃光が消える。

 

無数の節足が蠢き、足元のレールを噛みながら、モルフォが地平へと下がっていく。

 

瞬く間にその巨体に見合わない高速に達し、暗い地平の先へと姿を消す。

 

退却……ではないな。単に次の目標へ移動しただけか、若しくは俺達を更に奥地へと誘い出す為か。

 

真相は定かではないが……あのまま、戦っていたとしてもモルフォを撃破出来たかと問われれば、首を振らざるを得ない。

 

『あっ! シン!?』

 

シンのジャガーノートが勢いよく地面を蹴り出す。

 

「なっ!? ああ、クソっ……』

 

背部のブレードを展開し、跳躍すると同時にスラスターを噴射。

 

地面を疾走するだけでは得られない強烈な加速。

 

先を疾走するジャガーノートとの彼我の距離が詰まっていく。

 

そして、ジャガーノートへと躍り出ると、前脚を振り上げて押さえ込む。

 

金属同士がぶつかる甲高い衝突音、強烈な衝撃に襲われながら、後脚のパイルドライバを地面へと撃ち込み、その速度を受け切る。

 

「ぐっ! このっ……いい加減、周りを見ろ!」

 

『――っ!! ユウ……』

 

ようやく、シンも我に返ったのか、その歩みを止める。

 

『シン!! どうしたの!?』

 

『おい! このままじゃ包囲されるぞ! どうする!?』

 

死者の絶叫と生者の呼び声、システムの無数のアラート、耐え難い騒音が疲れ切った頭の中へと響く。

 

シンがそれらを煩いと言わんばかりに大きく息を吐く。

 

『……っ! 戦隊傾注。これより俺達はこのままモルフォを追撃する』

 

『なっ……正気ですか!? 戦隊長!』

 

旧戦闘属領兵(ヴァルグス)の一人が驚愕する。

 

このまま戦隊を集結させれば、本隊の到着まで保たせることは出来る。

 

そうすれば、今だけは全員が生きて帰ることができる。

 

だが、それは只の延命措置でしかない――それは同時に破滅を意味する。

 

『作戦目標はモルフォの撃破だ。この町を制圧することじゃない』

 

街の制圧は後からくる本隊に任せても何ら問題はない。

 

むしろ、俺達がモルフォを逃した以上、否が応でも追撃しなくては彼らがモルフォの砲火に晒される。

 

戦隊各員が無言の了承を示し、歩み始めたシンの後から続く。

 

ふと、コンソールを叩く鈍い音と共に数機のジャガーノートが回頭する。

 

『はぁ……まったく、あんたの下になっちまったのが運の尽きですよ。とんだ貧乏くじだ――野郎共! 喜べ、お前らの大好きな地獄だぞ!!』

 

地平の彼方に見える青い光群――それらが全て此方へと向かってきている。

 

旧戦闘属領兵の一人が自らを鼓舞しながら言葉を続けた。

 

『ここは受け持ちます。業腹だが俺達でもあんたらの機動にはついてけねぇ。ガキ共の足手まといになるのなんざ御免だ』

 

彼らは常に言っていた、生まれ故郷でもない国なんかのために命懸けになれるのかと。

 

彼らもエイティシックスと同じく十代半ばから、戦闘を経験しており、戦歴においては俺達の十年以上も上回る。

 

――それ故、だろうか。

 

『どうかご武運を』

 

その言葉はまるで父親のように、力強くも優しく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、今の状況を軽く整理しよう。

 

現在、三国協働軍は街道回廊の奪取を完了し、残敵の掃討を実施している。

 

一方で、俺達は当初の目的であるモルフォの撃破を失敗し、その追撃に応っている。

 

既に本隊とは70km程、離れてしまっており、砲撃支援はおろか、直掩すら出来ない。

 

それに際し、三国協働軍は再び進軍を開始。

 

旧高速鉄道の軌道周辺を中心に制圧していき、モルフォを追いつつも、移動可能範囲を狭める形で進軍する。

 

俺達はシンが聞く声を頼りにモルフォを直接的に追う。

 

そして、現在は斥候型の哨戒から逃れる為に、森の中の窪地に身を潜めている最中だ。

 

ふと、機体の外殻が何者かによって軽く叩かれる。

 

ディスプレイには欠伸を漏らすマイナが映っていた。

 

「ユウ、交代するよ」

 

「あいよ……じゃ、頼むよ」

 

ジャガーノートのコクピットを開けると、木々の間を通り抜けた太陽の光が目に差し込む。

 

眩しいと思いながらも、何処か心地よい温もりが身体を包む。

 

「ふぅ……ずっと乗ってると身体がバキバキになっちまうな」

 

「これでも共和国のよりは全然、マシなんだけどね……」

 

尤もフェルドレスに居住性を求めるのもどうかとは思うが……

 

とはいえ、狭苦しい空間に長時間、座っていなくてはならないというのは身体に堪えるのも事実だ。

 

「おっ、ユウも休憩か。お疲れさん、コーヒーいるか? 代用だけど」

 

「有り難く頂くよ……」

 

ダイヤから小さな凹みだらけの金属カップを受け取る。

 

暖かな温もりと独特の風味と苦味が疲れた身体へと染み渡っていく。

 

代用とはいえ、こんなレギオンの支配域でもコーヒーが飲めるのは連邦の厚生があってものだろう。

 

「ふぅ……」

 

穏やかな風が頬を撫で、木々が僅かに揺れる。

 

仮にもレギオン支配域である以上、油断は禁物だが、こうした僅かな安らぎは必要だ。

 

「ん……?」

 

ふと、横を見ると休憩中の面々がファイドの牽引コンテナの一つを凝視していた。

 

「なぁ……何で皆、コンテナをじっと見てるんだ?」

 

「ああ、それはだな――」

 

その時、コンテナの中の“何か”が鳴いた。

 

『にゃー! にゃー!にゃー……にゃーにゃー、にゃー!』

 

「……」

 

その声を聞いて、思わず俺もコンテナをジト目で凝視してしまった。

 

馬鹿かとツッコミたいところだが、やってる本人は結構、本気なのかもしれない。

 

「ぴっ……」

 

「ファイド」

 

居心地が悪そうにしているファイドを一瞥し、シンが明らかに苛ついた声で言う。

 

紅い光学センサーがシンからそっと逸れる。

 

「ファイド、命令だ。コンテナを開けろ」

 

今度は前脚に蹴りをいれながら、シンが言う。

 

『なっ!? な、ならんぞ! ファイド! コンテナを開けてはなら――あっ……」

 

顕になったジャガーノート用の砲弾とエナジーパックの間、其処にフレデリカが縮こまっていた。

 

思わず頭に手を置く――これはとびきり面倒なことになった。

 

「何やってるんだよ!!」

 

セオの雷のような怒号が森の中へ響く。

 

「帰れないかもしれないって分かってるだろ!? 何ついてきてるんだよ! 何かあったら一緒に死ぬ破目になるっていうのに!」

 

『帰れない』、その言葉を聞いた途端、フレデリカの目が煌いた。

 

「その根性が気に喰わぬからじゃ! この戯け共が!!」

 

先程のセオに負けす劣らすの大声に、思わず皆が黙る。

 

当の本人もしまったと言わんばかりに辺りを見回す。

 

哨戒の斥候型達は既に遠く離れたのか、或いは敢えて無視しているのか……とりあえずは此方へ迫る様子はない。

 

フレデリカも異常がないことに安心したのか、ほっと息を吐く。

 

「そなたらときたら一体いつまで、必ず死ぬと定められた86区の戦場に囚われたつもりでおるのか。必ず帰れと、エルンストめも言うたであろうが」

 

「けど――」 「セオ」

 

セオの緑の瞳と、フレデリカの紅い瞳がこちらへと向く。

 

「フレデリカ。生憎、俺は死ぬつもりはないよ。約束しただろ? それとも、信じられなかったのか?」

 

「妾も戦隊の一員、同時に人質じゃ。戦場からではない。生還の義務からそなたらを逃がさぬためのな」

 

恐怖が隠しきれていないわずかに青い顔。

 

その顔のまま、口元だけは笑みの形を作っている姿を見て、シンが溜め息を漏らした。

 

「……ライデン、連れて帰れと言ったら?」

 

「馬鹿言うな。それが出来んのはお前とユウくらいだろ」

 

俺達が止まっている間に、モルフォはどんどん支配域の深部へと移動する。

 

そうならば、今度こそ手の出しようがなくなる。

 

皆の沈黙の中、ライデンが一際、大きな溜め息を吐いた。

 

「……仕方ねえ。俺が連れてくよ」

 

「……すまぬ」

 

今更、バツが悪そうに俯くフレデリカに軽くチョップを落とす。

 

「うきゃっ!?」

 

「謝るくらいなら最初からやるなよ。心配しなくても端から死ぬつもりなんてないんだから」

 

「……うむ」

 

それを見ていたシンが腰のホルスターを外し、フレデリカへと投げ渡す。

 

唐突なことに驚きながらも、何とかそれをキャッチする。

 

「なっ……シンエイ、これは」

 

「使い方は分かるな? もし、俺達が全滅して本隊とも合流できなかったら……それで自分の始末をつけろ」

 

連邦軍制式拳銃とは違う大型の――共和国陸軍の制式拳銃。

 

死に損なった仲間を楽にしてやった、シンの死神たる所以。

 

「よいのか……? そなたの戦友らにとどめを刺してやった拳銃であろう?」

 

「目を閉じていろと言ったろ」

 

「たわけ。見えたのは記憶の方じゃ。そなたが全員背負うてやっているから……」

 

フレデリカが言い噤み、受け取った拳銃を胸に抱いた。

 

そして、強がった笑みを浮かべながら言う。

 

「このような重い物はか弱いわらわの手には余るわ。基地に戻ったら突き返してやるゆえ、……必ず、共に帰るのじゃぞ」

 

「そうだな……フレデリカも帰ったらエルンストさんに今回のことを事細かくチクってやるから覚悟しとけよ?」

 

「なっ!? ユウヤよ、そなたは鬼か!?」

 

いいえ、俺は人間ですとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辺りに夜の帳が下り、森の中は一寸先すら見えないほどこ暗闇に包まれる。

 

人の世界から遥か離れた此処で鳴る音は風に揺られた木々の葉が擦れる音や虫の鳴き声ぐらいだ。

 

しかし、木々の間から覗ける夜空には満天の星空が拡がっている。

 

86の戦場でも灯火管制により、夜になると殆ど明かりは無く、このような星空は珍しくはなかったのだが……

 

そういえば、戦隊の皆で花見をした時も、こんな感じの星空だったか。

 

カイエやハルトのように同じ隊から来た者もいたが、殆どが初対面だったあの時――

 

ふと、空を見上げるが、夜空に星が流れることはない。

 

「あれから随分、経ったな……」

 

やはり、モルフォを追っている中でかつて、通ったであろう道を進んでいるからだろうか。

 

共和国で戦っていた頃のことが度々、脳裏に浮かんで、その度に懐かしさを覚えてしまうのは……

 

そして、それはどうやら彼も同じらしい。

 

「シン。あまりフラフラしてると、またライデンに怒られるぞ」

 

「別に一人で行くわけじゃない。……少し、風に当たりたかっただけだ」

 

僅かな星の光に照らされた仏頂面を見て、思わず笑みを漏らす。

 

ああ、そうだ――彼と初めて身内の話をした時もこんな感じだったか。

 

「足音を消す癖は変わらないんだな」

 

「そう言うユウもよく気づいたな」

 

「生憎、今夜は皆様の見張り役を拝命しているものでね」

 

足音を消せても、草木の擦れ、小石が転がる音、虫のざわめきといった周囲の音に必ず違和感が残る。

 

僅かに脚が草を踏みつける音、鳴くのを止めた虫――何かの存在を察知するには十分なファクターと成り得る。

 

「……一人で行った方が、気楽ではあるんだけどな」

 

「それ、ライデン達の前で言ってみろ。今度こそ殴られるぞ?」

 

夕暮れ、ライデンとシンの間で一悶着あったというのはカイエから聞いている。

 

俺はその場には居なかったものの、最近のシンの行動がおかしいというのは分かるし、何より一番、付き合いが長いライデンなら尚更だ。

 

「別に死ぬつもりは……」

 

「でも、生きて帰るつもりもないんだろ? それじゃ一緒だよ」

 

今なら分かる気がする……モルフォと対峙したシンから漏れた空虚な呟きの意味が。

 

ただ、感情のままに力を振るうというのは確かに楽だ。

 

一時とはいえ、後の事を考えなくても良い。

 

辛い現実も、虚無感、乖離さえも忘れていられる。

 

「……なら、何のためだ? 何の為に俺は……」

 

「さぁ? そんなの、俺が分かる訳がないだろ?」

 

人が生きる為の理由なんて人の数だけ存在する。

 

誰かとと共にある、死にたくない――無数にありながらも自分しか価値を見いだせない。

 

だから、シンの生きる為の理由なんて俺には分からない。

 

本人が見出さないモノを赤の他人が干渉するなど不可能なのだ。

 

俺達が手をいくら差し伸べても、最後に立ち上がるのがシンでなくては結局、変わらない。

 

状況に引っ張られ、目の前の現実に引き摺られるだけの空虚な脱け殻。

 

だから――

 

「ほんと、嫌になるよな。皆して馬鹿やってたら、いつの間にかソイツらが皆、遠くに行っちまう」

 

「……」

 

シンは何も答えない、けれども俺は続ける。

 

「どんなに疾く走っても追いつけないし、そもそも何処に行ったかすら分からない」

 

昔の俺ならこんなことを言わなかった、死に向かうだけだった時の俺なら。

 

「でも、同時に残るんだ。記憶が、名前が、言葉、軌跡……どれも生きている奴が忘れない限りさ」

 

人は何かに縋らないと生きていけない――俺達がシンが縋る先を用意してやるなんて出来ない。

 

「俺達はお前を救ってやれない。結局、自分の生きる理由を見つけられるのは自分だけだからな」

 

そう、救ってやれない――だからこそ、これだけは伝えておきたい。

 

「皆、あの頃とは違う。自分の過去だけじゃない、未来も自分の手に託してるんだ。だから……誰もお前のことを置いて逝かないよ」

 

「……っ!」

 

俺達は無責任にも、シンに生きた証を全て託そうとしていた。

 

シンのことを顧みずに、シンの孤独を理解していながら、結局は自分本意でしかなかった。

 

だから……せめて、この優しい死神が少しでも未来に光を見えるように手を貸すのが俺達がすべき事だ。

 

白豚に負けず劣らず、傲慢だった俺達の出来る唯一の返礼の筈だ。

 

既に遅いのかもしれない、割にも合わないのかもしれない。

 

けど、やって無駄と言うより、やらないで無駄と言うよりも、やって報われる方が断然、良いに決まってる。

 

「それに……『雨降って地固まる』って言葉もあるんだ。ここまでドン底に落ちたのなら、後は上がるだけだよ」

 

「フッ……その前に、足をすくわれそうだけどな」

 

「おまっ……俺の台詞が台無しだよ」

 

我ながら良いことを言ったと思った矢先に、鼻で笑ってくれる我らが死神殿。

 

常に鉄面皮の彼が、ほんの少しだけ……心から笑ってくれた――そう、思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕陽が彼方へと沈み始める頃、俺達はモルフォ直掩の偵察部隊と思われる部隊と遭遇した。

 

レギオンの支配域である以上、可能な限り戦闘は避け、どうしても回避できない場合は奇襲戦法で手早く片付けることで対応していたのだが、それが何度も通じる程、レギオンも馬鹿じゃない。

 

戦闘が重なれば、機体のダメージは蓄積していくし、整備も簡単なものしか出来ないこともあり、機体のコンディションも悪くなっていく。

 

そのせいで、俺のジャガーノートは右のスラスターか咳き込み始め、左右の後脚のモーターが時々、息をつくという有様だ。

 

「とりあえず……これで打ち止めみたいだな」

 

『はぁ……やっとか』

 

貫いた斥候型を振り落としながら、後続のマーチヘアとレウコシアと合流する。

 

「そっちも片付いたか?」

 

『うん、なんとかね……でも、さっきの戦闘で右の機銃吹っ飛んじゃった』

 

『私もパイルドライバーが抜けなくなったわ……そろそろ、皆の損耗もキツくなってきたわね』

 

レギオン支配域に突入する関係上、弾薬等の物資や予備パーツも多めに用意されていたとはいえ、元々は半日程を想定した量だ。

 

数日以上の作戦行動にはとてもじゃないが、足りる量ではない。

 

『私も破片を喰らってるからな……これ以上のダメージは戦闘に響くな』

 

「まだ、動けるだけ儲け物……だろうな。こればかりは連邦さま様だ」

 

とはいえ、共和国のアルミの棺桶と異なり、高機動に耐え得るよう頑丈に作られているにしても、こうやってガタが来るのだから恐ろしいものだ。

 

『フェアリー、そっちは片付いたか?』

 

「とりあえずは問題無いよ。アンダーテイカー……損耗はそっちも似た感じか」

 

『ああ、俺のはどうも駆動系の調子が悪い。まあ、しばらく整備で誤魔化せそうだけど』

 

どうやら自分の機体の足回りを壊す癖はまだ直っていないらしい。

 

「どうする? 部隊の進路はこのまま西でいいのか?」

 

『あぁ、モルフォはこのまま西のエリアに駐留している』

 

駐留ね……どう見ても俺達を待ち構えている感じだけど。

 

既にレギオン全軍に俺達が支配域を進んでいることは筒抜けだろう。

 

最初は偶発的な遭遇をしてしまう程度であったが、先程は俺達の進路に予測して部隊を展開していた。

 

『あっ……皆、見て! 二時の方向!』

 

『二時の方向……あっ』

 

其処には"空が"拡がっていた。

 

正確には湖の水面に映り込んでいるのだが、茜色の空が水面に映るその光景は人が決して作り出すことが出来ない情景だ。

 

湖畔にレギオンの残骸が転がっているのなんて気にもならない、静かでありながら、圧倒的な光景。

 

世界とは美しい――故に世界に人間は要らない。

 

誰が言った言葉だったか……でも、今だからこそ、言葉の意味が分かる気がする。

 

美しさを見出すのが人間であれば、それを壊すのもまた人間だ。

 

むしろ、それを勝手な理由で壊すことの方が遥かに多い。

 

本来、自然は人間の管理がなくても、独自に存続する。

 

静謐で美しい物を壊すしか能がなく、況してやくだらない利権で汚し合うことしか出来ないのなら――いっそ、滅んでしまえと。

 

『特別偵察のときも似たような光景を見たよな。まるで海みたいに大きな湖をさ』

 

『うんうん! 確かにあったね』

 

カイエの言う通り、確かにそんな光景を見た記憶がある。

 

尤も共和国は南部にしか海はなく、少しでも内陸にいるともう草原と湖畔が広がっている。

 

『ユウは海の向こうの国で生まれたんだよね? 海がどんなだったか覚えてないの?』

 

「どんなって言われてもな……ずっと青い水平が続いていた。それくらいしか覚えてないな」

 

そうか……思えば両親に連れられて、共和国に移住してからは一度も海に行ったことはなかった。

 

『でも、いつかは行ってみたいな。海にもユウが生まれた国にも』

 

地平の向こうの海、その水平の彼方にある俺の生まれ故郷。

 

其処にどんな人が居て、どんな風に暮らしているのか、もう俺は覚えてすらいない。

 

今も……その国は存在しているのだろうか?

 

ただ、夕陽は西へと沈んでいく――暗い夜はもう近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モルフォを追跡して三日目、戦隊の物資や損耗からして今日がどうなっても最後の追跡となる。

 

こうなっては一時の猶予もない、まだ朝日が登り始めたばかりの時間であってもジャガーノートは全機、前進し続けていた。

 

ボロボロに崩れた廃墟が並ぶストリートを進むと、今度は首が折れた像が見える。

 

聖女マグノリアの像……此処はかつては共和国領の小都市だったようだ。

 

瞬間、脳裏に焼け付く西の空が光る情景――ついに仕掛けてきた。

 

「砲撃が来るぞ! 着弾は800m後方、着弾まで25秒!」

 

『っ!? モルフォか?』

 

モルフォ……ではないな。明らかに砲撃の速度が違いすぎる。

 

「いや、これは長距離砲兵型だな。しかし、随分と的外れな……いや、違う!」

 

やけに頭に残る、この辺りが燃えている光景は……ただの面制圧の砲撃じゃない。

 

予知の通り西の空から飛来した砲弾は俺達の後方へと着弾し、大きな土煙を上げる。

 

そして、その土煙を追うようにして飛来した砲弾は、紅蓮の炎を撒き散らした。

 

『こいつは……焼夷弾か!?』

 

『俺達をあぶり出す気だな……向こうも本気ってわけだ』

 

いくら最新鋭の機体といえど、燃え盛る炎の中を行軍できることは出来ない。

 

そんなことをすれば機体の冷却系が真っ先に死ぬだろうし、そもそもナパームの燃焼によってコクピット中の俺達が窒息してしまう。

 

「更に悪い知らせだ。この先に、これまた大きな大群だ」

 

『出るしかないな。総員、戦闘用意。このまま敵の左翼から突破する』

 

『『『『了解!』』』』

 

飛来した砲弾が風を切る音ともに、ジャガーノートが疾走する。

 

着弾と共に撒き散らされた紅蓮の炎は、森の一画を瞬く間に呑み込み、空へと立ち込める煤塵が風に乗って街へと降る中、街の一画も紅蓮の炎で包まれた。

 

間一髪で飛び出したジャガーノートのレーダーには無数の敵性マーカーが進路上へ映り、地平線からは銀の巨群が沸いて出る。

 

『なんて数だよ……』

 

『やるなる斥候型を優先して叩け。でないと、砲撃が飛んでくる』

 

此方へとセンサーを向けた斥候型を両断しながら、銀の群れへと走っていく。

 

まともにやり合えば負けは必至、俺達の手立ては全速力で群れの間を通り抜ける他ない。

 

『クソっ! 相変わらずウジャウジャ沸いてきやがって!』

 

『戦隊各員、何があってもスピードを緩めるな。此処でもたつけばモルフォまで辿り着けない』

 

『『『『『了解!』』』』』

 

 

 

 

 

 

 

塵芥が混ざった黒い雨が機体を激しく打つ中、平野を越えたジャガーノートは低い山道を疾走していた。

 

低いとはいえ、木の根や枝が入り組む起伏が激しい山道は戦車型などの大型機の侵入を阻む天然の防壁となる。

 

しかし、焼夷弾の雨は止んだものの、今度は榴弾による爆轟が鳴り止まない。

 

また、山道を無理に上がろうとした戦車型が滑り落ちていく最中、機体重量が軽い斥候型達は俺達の追跡を続行していた。

 

「アンダーテイカー! モルフォまでの距離は?」

 

『直線で15000だ。少し移動して止まった……理由は分からないが、詰めるなら今しかない』

 

既に俺達の位置も把握されている以上、正面切っての戦闘となるのは避けられない。

 

尤も…ませそれまで、俺達が、ジャガーノートが保てばの話ではあるが。

 

「っ!? 下の戦車型が撃ってくるぞ!」

 

七時方向、ボディを跳ね上げながら、無理やり砲塔を旋回させる戦車型の主砲が吠える。

 

「きゃっ!!』

 

放たれた砲弾は後列のスノウウィッチとの間の地面に着弾し、大きな衝撃と抉られた泥土が巻き上がる。

 

そして、足を止めたジャガーノートへ長距離砲兵型の榴弾の炸裂が山道の一部を崩した。

 

崩れた土砂に巻き込まれる形でスノウウィッチが落ちていく。

 

『アンジュっ!!』

 

『私は大丈夫! でも……機体は登れそうにないわね』

 

土砂に埋もれた足を引き抜きながら、ジャガーノートが尚も此方へ砲塔を向ける戦車型へ向き直る。

 

『此処は私が足止めするわ。皆はモルフォの所へ急いで!』

 

『っ!? 了解……』

 

崩れた山道を飛び越えながら、ジャガーノートが疾走を開始する。

 

しかし、皆が走り抜けていく中、一機だけ崩れた山道を滑り降りた。

 

『ダイヤ君!?』

 

『これだけの敵がいて、一人だけ置いていくわけにいかないだろ。ファイド! ミサイルのコンテナと砲弾のコンテナを置いていってくれ!』

 

追従していたファイドのコンテナが展開され、ミサイルと砲弾のスペアユニットが滑り落ちた。

 

『もう……援護はお願いね』

 

『ああ、任せろ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山道を抜けてもレギオンの追跡の手は緩むことはない。

 

それもその筈、此方が群れを撒く度に直近の別部隊が追撃してくるのだ。

 

況してや、この先は平野が続いているのもあって、その数は先程よりも多い。

 

『次来るのはざっと一万くらいか……ほんとしつこいな!』

 

小都市を駆け抜けていた一団からラフィングフォックスとファルケがその進路から逸れる。

 

『このまま付きまとわれるのも邪魔だし、此処で足止めしとくよ!』

 

『モルフォのことは頼んだぜ! という訳で砲弾のスペアだけよろしく!』

 

ファイドがコンテナを切り離すのを尻目に眼前には平野が再び拡がる。

 

誰も後ろを振り返ったりはしない。

 

背後の爆発音がみるみる間に遠いものになっていく。

 

『モルフォまで5000を切った……こちらを待ち構えているな。さっきから一切、動いていない』

 

「ハハ、そいつは恐ろしいもんだ……っ!?」

 

唐突に、脳内に焼け付く情景。

 

同時に機体を急停止させる――どうやら次は俺の番らしい。

 

『どうした!? ユウ!』

 

「ライデン達はこのまま先に進め。俺は此処に残る」

 

『お前、何を言って……!?』

 

ライデンの問いかけと同時に、空から銀色の巨人が降り立つ――両碗の青き巨刃を妖しく輝かせながら。

 

その威圧的かつ細身のシルエットを忘れる筈がない。

 

『こいつは……!?』

 

「仮にモルフォを倒せても、誰かがこいつを何とかしないと、俺達は全滅するぞ」

 

レギオンの指揮官機の中で、異例の白兵戦に特化したタイプ――白兵型(パルヴァライザー)……共和国で出会った同型の機体。

 

そして、ジェットのような轟音と共にもう一体、銀の巨人が降り立つ。

 

『なっ……二体だと?』

 

『それだけじゃない。……向こうも見てみろ」

 

地平の向こうで銀の一団が蠢く――ソレが何かなど言うまでもない。

 

『大丈夫、一度、況してやアルミの棺桶で勝った相手さ。ちゃちゃっと片付けて追いついてみせるよ』

 

『……分かった。此処は任せた』

 

再び速度を上げて、地平の向こうへと疾走するアンダーテイカー達。

 

それを見送りながらも、意識は眼前の敵から離さない。

 

「別にお前達も残る必要はなかったんだぞ?」

 

間髪入れずにカイエ(キルシュブリューテ)が答える。

 

『まったく、何を言ってるんだか。この数を一人で相手できるわけないだろ?』

 

『そうそう、ユウだけ美味しいところを持って行こうなんて、水臭いじゃない』

 

『イチレンラクショウ……だっけ? アタシたち、それじゃん』

 

『マイナ、それを言うなら一蓮托生だ』

 

「フッ……第四小隊、傾注。作戦完遂まであと少しだ……何が何でも皆で生きて帰るぞ」

 

そう、ソレが俺達のモルフォ撃破と、同等の最優先任務。

 

もうゴールは目前にまで迫っているのだ、後は走り抜けるのみ。

 

『『『了解』』』

 

白兵型が青き巨刃ともに、高く跳躍する。

 

それを合図に。四機のジャガーノートが一斉に突撃した。

 



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30話

お待たせしまった……最神話の感想は最早言うまでもありません。原作者様、アニメスタッフの皆様、大変お疲れ様でした


青い剣光が振るわれると、甲高い音と共に一瞬の火花が散る。

 

互いに刃がぶつかるも、どちらも致命傷と成り得ない。

 

突貫した勢いを殺さず、機体を180度回転させ、再び駆け出す。

 

当の相手は追撃するわけでもなく、こちらを静観していた。

 

「クソっ! こいつ、さっきから……やり辛い!」

 

既に幾度、刃がぶつかったのか数えてもいない。

 

こちらが攻めに踏み込めば、相手も即座に守りに入る。

 

故に一向に攻めきれない。どうやっても、こちらの攻撃がいなされる。

 

いや……俺の動きに、完全に同調していると言うべきか。

 

自分でも気味が悪い憶測ではあるが、こちらが攻めれば、動きに合わせて攻撃をいなし、自分が攻める際には俺と同じように踏み込む。

 

当然ながら、俺にレギオンの知り合いはいないし、況してやこの個体とは初遭遇だろう。

 

俺と同じように攻めて、同じように守る――まるでこちらの思考が読まれているように。

 

そして、もう一つ気になるのが、一つ。

 

「……もう一機は見てるだけか。それとも、こっちに介入するタイミングを見計らっているのか」

 

眼前の白兵型の後方から、俺達の剣戟を見下ろすもう一機の白兵型。

 

先程からこちらの戦闘に介入するのはおろか、自らの軍勢に加勢する素振りもない。

 

その意図は分からない――こちらが牽制射撃をしても、それを弾くのみに留まっている。

 

敵意が無い……ということは有り得ないだろうが、今までのレギオンとは違った明確な意図があるのは確かだ。

 

しかしである、両者ともに戦隊の明確な脅威なのも事実。

 

況してや、モルフォの直掩である以上、戦隊の無事の為にも排除しなくてならない。

 

こちらへと迫っていた近接猟兵方を両断し、斃れたボディを足場にして機体が跳躍する。

 

スラスターの噴射と共に敵へ突貫――大きな運動エネルギーを得た白く輝く刃は戦車型のボディさえも両断できる凶刃と化す。

 

「……くっ!?」

 

重質量の金属同士が衝突する激しい衝撃と、飛び散る高熱の火花。

 

しかし、相手はその刃を受けると同時に自身のボディを反らし、青き刀身でその一閃を受け流す。

 

そして、間髪入れずに横を通り抜ける自機に対して、カウンターの一振りが振り下ろされる。

 

こちらもワイヤーアンカーを地面へ向けて射出、刺さると同時に巻き上がる。

 

高出力の主機がジャガーノートを地面へと引っ張り、地に脚が着くと同時に機体を翻す。

 

既に背後から追撃の一振を振りかぶった敵が迫っており、その胸部を狙って機銃のトリガーを引く。

 

「相変わらず、早いな……」

 

放たれた重機関銃弾が高熱の刀身に阻まれ、熔けて地面へと飛び散っていく。

 

さて、こちらはどうしたものか……このままでは埒が明かない。

 

戦闘が長引けば長引くほど、俺達のジャガーノートの限界が近づいてくる。

 

それは十分、承知しているのだが、こちらが攻めきれない以上、一進一退の攻防は続く。

 

そんな中、脳内にひどく狼狽したミクリの声が流れ込む。

 

『ユウ! あ、あれを……!!』

 

「どうした……なっ!?」

 

地平の向こうで一瞬、青い巨大な光が迸った――ここからでも聞こえる巨砲の咆哮と共に。

 

地平の向こう……シンたちが進んでいった方向だ。

 

脳裏に過ぎる仲間の危機にほんの一瞬、意識が敵から逸れた。

 

「っ!?……しまった!!」

 

気付いて反応した時にはもう遅かった。

 

ジェットの噴射と共に詰めてきた巨人の蹴撃がジャガーノートに直撃する。

 

身体がばらばらになってしまいそうな、強烈な衝撃が思考と呼吸を砕く。

 

右の前脚と左の後脚が吹き飛び、機体が球が地を跳ねるかのように転がった拍子に、宙を舞った右側の刃が地面へと突き刺さった。

 

『ユウ!!』

 

「ゴホッゴホッ……うぐっ……」

 

未だ脳が振動しているのか、頭痛と倦怠感が治まらない。

 

コクピット内部も衝撃で歪んだフレームによってディスプレイはひび割れ、シートにも飛び散った破片が突き刺さっている。

 

右前脚、左後脚を喪失……背部ブレードも右側はどっかに吹っ飛んでしまった。

 

白兵戦を続ける上では致命的な損傷、普通なら脱出案件だな……

 

尤も脱出したところで、眼前のレギオンが大人しく見逃してくれる筈がない。

 

割れた破片で切ったのか、額から鉄臭い生暖かな感触身体が頬を伝う。

 

喧しいアラートに敵接近のものが加わる。

 

何が迫っているなんて考えるまでもない。

 

これは……詰みかもしれないな。

 

歴戦の経験故か、頭から血を流しているからかは分からないが、思考が妙にクリアだ。

 

意識が揺らぐ――あの時と同じ感覚。

 

己の何もかもが暗黒の中へ沈んでいく、心地良くも恐ろしい……あの……

 

思考も、意識と闇に沈みゆく中、その声ははっきりと響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おまえがみんなを守るんだ』

 

誰かと交わした……大切な――大切だった約束。

 

走馬灯というやつなのだろうか……妙に頭に響く。

 

でも、何故だろう……これに落ち着く自分がいる。

 

『俺の座右の銘は、為せば為るだからな!』

 

ああ、そうだ……確かニコルもそんなことを言っていた。

 

やらないことは簡単だ、諦めるのはもっと楽だ――でも、やらなくちゃ成功はない。

 

成功率なんて僅かかもしれない、現実に思い知らされるだけかもしれない。

 

もう遅いのかもしれない、けど……やらないで失意に呑まれるくらいなら。

 

やりきる方が、断然良いに決まっている。

 

ああ、やってみせるよ……一度は出来たんだから。

 

俺が生きていたいと思う理由、俺を生きていて良いと思ってくれる仲間を、俺が絶対に守りたいと人を――守ってみせる。

 

そのためなら、妖精でも、悪魔でも何にでもなってやる、必要なら人間だって辞めてやる。

 

「うぐっ……がっ!!」

 

軋む身体に鞭を打ち、未だアラートが鳴り響く機体を起き上がらせる。

 

『ユウ!?』

 

まるで産まれたての仔鹿のように震えながら、残った二脚で立ち上がるジャガーノート。

 

「……悪い。こいつを倒すのは俺一人じゃ荷が重い。だから、皆の力を貸してくれ」

 

真っ先に反応したのはカイエだった。

 

自らの命の危機が目の前にあるにも関わらず、何処か嬉しげに笑った。

 

『……何を言うかと思ったら、そんなの当然のことじゃないか。私は何があろうとユウに力を貸すよ』

 

『そうそう。私だって共和国からこの小隊にいるんだから……サポートは任せてちょうだい』

 

『アタシに出来ることなら何でも言って! 作戦完了までもう少しなんだから!』

 

ああ、そうだ……皆で生きて帰る、そう約束したのだから守らなくては。

 

頬にへばり付いた乾いた血を拭う。

 

『それで、どうするんだ?』

 

「俺一人じゃどうも攻めきれない。向こうは何故か、俺の動きが分かるみたいに動いてくるんだ」

 

『何それ……まるでテレパシーみたいじゃん』

 

テレパシー……案外、マイナの指摘は的を得ているのかもしれない。

 

俺達が当たり前に使うパラレイドも、客観的に見ればテレパシーのようなものだ。

 

『相手がユウの動きを分かると仮定して、どうするんだ? もう一機もいつまでも見ているだけの保証はないぞ?』

 

「作戦はある――まず、役割を囮、サポート、アタッカーに分ける。それで、囮がアイツにひたすら攻撃を行う。サポートは囮の掩護を担当。アタッカーはアイツが囮の攻撃を受け流している内に、死角から急所を狙い撃つ」

 

共和国での戦闘経験から、アイツの素の防御力は大したことはないのは分かっている。

 

脅威なのは、巨体に見合わない運動性能とその精度だ。

 

高速で飛来する砲弾をどの位置からでも正確に斬り落とすのだから、アイツの注意を惹く囮は必須と言える。

 

『成程な……よし、分かった。とりあえず囮は私が……』

 

「いいや、俺がやるよ。俺が攻撃しても動きを見切られて、防がれるだけだ。それにこの面々で近距離の格闘戦が出来るのは俺だけだろ?」

 

『でも……その機体じゃ』

 

「ああ、長くは保たない。だから短期決戦で頼む。……背中は頼んだぞ、カイエ』

 

『ああ、任せておけ』

 

今のジャガーノートの状態では、通常のレギオンの相手さえも困難を極める。

 

今にも倒れそうな機体を何とか安定させて立ち上がると、同時にワイヤーアンカーを射出。

 

元々のジャガーノートでも、アルミの棺桶の異名に見合わない強靭さから、自機の移動などに利用しているプロセッサーが多くいた。

 

それを踏襲したこの機体も、より強靭なものが採用され、特有の三次元機動に一役買っている。

 

故にワイヤーアンカーの巻取りだけでも十分な速度を得られる。

 

背部のブレードは右側しか残っておらず、スラスターも咳き込むせいで安定した高速を発揮できない。

 

再び鳴り響く、金属同士がぶつかる甲高い衝突音。

 

先程とは違い、方向転換もすぐには出来ないため、容赦なくフラフラと立ち上がるジャガーノートに追撃か迫る。

 

その瞬間、反対の方から砲撃――すぐさま向き直り、その砲弾を斬り落とす。

 

刀身の高熱に晒された砲弾が爆発し、黒煙が視界を覆う。

 

『今だ! ミクリ、マイナ!!』

 

『『了解!』』

 

黒煙の横から周り込んだ、マーチヘアとレウコシアの二機が弱点の胸部を狙う。

 

すかさず同時にトリガーを引くも、二人の接近にいち早く反応した白兵型の斬撃が砲弾を斬り落とす。

 

爆発すると同時に撒き散らされる黒煙を振り払い、白兵型がマーチヘアへと迫る。

 

『マイナ!』

 

刹那、両者との間にワイヤーアンカーが撃ち込まれ、巻き上げと共にジャガーノートが突貫。

 

それを察知した白兵型は飛び込んでくるジャガーノートにターゲットを変える。

 

咳き込むスラスターを噴射させ、可能な限り速度を稼いだジャガーノートが白兵型へ向かう。

 

甲高い衝突音と共に、白兵型が地面へと叩きつけられる。

 

幾ら軽量とはいえ、1トンをゆうに超える質量が高速で衝突するのだ。

 

流石の白兵戦に特化したといっても、その重量をまともにぶつけられば、体勢は崩れる。

 

しかし、それは少年のジャガーノートも同様である。

 

衝突した衝撃と、地面へ叩きつけられた衝撃で、機体の駆動系は虫の息となり、背部のブレードも故障したのか、その振動を止めた。

 

「ほら、どうした……狙いは俺の首じゃないのか?」

 

誰が見ても満身創痍――それでも最後の力を振り絞ってジャガーノートが立ち上がる。

 

ワイヤーアンカーを射出すると同時に地面を蹴る。

 

それを察知した白兵型が剣を構える。

 

そして、互いの距離がゼロになる瞬間――後脚のパイルドライバーを打ち込み、機体にブレーキを掛けた。

 

甲高い音ともに後脚が弾け、機体が地面に擦れる。

 

頭上で振るわれた斬撃が、コクピットの上面装甲と背部のマウントアームを切り裂き、肉眼に敵の姿が映った。

 

「カイエ!」

 

倒れ伏したジャガーノートの真後ろから飛び上がるキルシュブリューテ。

 

そして、背部の88mm滑腔砲が火を吹く。

 

間髪入れず、放たれた対装甲榴弾が炸裂――劈くようや爆轟と金属が燃える匂いと共に黒煙が撒き散らされる。

 

それでも、白兵型は斃れない、胸を焼かれながらも腕部の機関砲をキルシュブリューテへと照準していた。

 

すかさず。残った前脚で地面を強く蹴り、勢いのまま前脚を胸に突き立てる。

 

格納されていた57mm口径の対装甲パイルドライバーが白兵型の胸部に深々と突き刺さっていく。

 

『打てる手は全て打った……これで倒れないなら打つ手なしだな」

 

胸部から火花を散らしながら、尚も立ち上がろうとする白兵型。

 

そんな白兵型をレウコシア、マーチヘア、キルシュブリューテが取り囲み、88mm滑腔砲の照準が敵を捉えた。

 

『撃て!!』

 

一斉に火を吹く滑腔砲、いくら白兵型といえど、直撃すれば助からない。

 

そして、全ての砲弾が白兵型に着弾することなく、爆ぜた。

 

『なっ!?』

 

地に伏せた白兵型の前に立ち塞がるのはもう一機の白兵型。

 

先程まで、戦闘に参加せず、ただ静観していた個体だ。

 

僚機が虫の息になったからか、或いはこちらの消耗を待っていたのかは分からない。

 

理由は何であれ、最悪のタイミングであることに違いはない。

 

誰もが新たな激戦に身構える中、その個体は何も動かない。

 

そんな中、白兵型の光学センサーが倒れ伏したこちらへと向く。

 

「……っ!?」

 

思わず身構えるが、センサーをこちらへ向けただけで何かしてくる様子はない。

 

まるで永遠のようにも思えた刹那――誰もが動けない。

 

そして、俺達の警戒を他所に、胸部から火花を散らす僚機を抱えると、ジェット噴射の轟音と共に大きく跳躍した。

 

それに呼応してか、付近のレギオン達も撤退を始める。

 

「て、撤退した……?」

 

倒すべきが眼前にいるというのに、一切の目もくれず、銀色の軍勢が立ち去っていく。

 

連邦は勿論、共和国で戦っていた時でも体験し得なかったことに困惑が隠せない。

 

『に、逃げたのかな……?』

 

『でも、向こうは全然、戦力が残っていたぞ……?』

 

「逃げたというより、敢えて見逃されたような気もするけどな。けど、命拾いしたな……あのまま戦っていたら確実にやばかった」

 

大破したジャガーノートから脱出すると、思わず息を吐く。

 

外の冷えた空気がやけに心地よい。

 

レギオンが何故、俺達を見逃して撤退したのかは分からない。

 

レギオンの戦略的な理由なのかもしれないし、或いは何か思惑があってのことかもしれない。

 

けれど、何はともあれ、全員欠けることなく切り抜けることが出来た。

 

それは揺るぎようがない事実なのだから、喜んでもいいことだ。

 

だが、まだ作戦は終わってはいない……急いでシン達に追いつかなくては。

 

『ユウのジャガーノート、見事なくらいボロボロになってるわね』

 

「そういうミクリのやつも、既に虫の息だろ?」

 

まったく情けない話ではあるが、ジャガーノートがなくては俺達は何も出来ない。

 

先の戦闘て小隊のジャガーノートの限界は既に目前、次に戦闘を行えば確実にお釈迦になる、

 

かといって此処で立ち往生して、レギオンに見つかるのもマズい……

 

『ん? 東から何かこっちへ接近してくるな。これは……っ!』

 

レーダーを見ていたカイエが息を呑む。

 

『どれどれ……えっ? これって!!』

 

マイナも驚愕の声を挙げずにはいられない。

 

当然だ、それはレギオン支配域――況してやその深奥などで見れる筈がない光景だからだ。

 

東……俺達が通ってきた道から此方へと接近するもの。

 

それは無数の連邦軍の友軍マーカーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エビを思わせる無数の節足が地を蹴り上げ、巨竜が躍動する。

 

その姿は、いつか本で見た原生海獣(クジラ)が飛び跳ね、海面を舞う姿のようにも思えた。

 

それくらい圧倒的で、圧巻な光景――無傷の対空機関砲が此方へと向く。

 

文字通り、叩きつけられた超重量に耐えられず、軌条の鉄骨が折れて宙を舞っていった。

 

いくら強固な設計のレギオンでも、想定されてない機動をしたことで、移動手段は壊れ、内部構造にもダメージがいっている。

 

だけど、眼前の敵を葬るには惜しくないのか、殺意の奔流に呑まれてしまってるからか、彼が気にする様子はない。

 

去れど、全てを対価にして対空機関砲の照準はシンのジャガーノートを捉える。

 

十字砲火の焦点、逃げ場など何処にもない。

 

更に、駄目押しと言わんばかりに、800mmの巨砲が旋回する。

 

エネルギーは既に充填されており、基部には紫電が煌めいていた。

 

『シン! 下がってろ!』

 

ライデンのジャガーノートから機関砲から放たれた砲弾が側面に着弾。

 

どれも貫徹には至らずとも、流石のモルフォも砲身を揺るがせる。

 

『横槍を!』

 

殺意の化け物はさぞ恨めしそうに言った。

 

声だけでも分かる苛立ち、その砲火に晒されながらも主砲が旋回した。

 

巨砲から閃光が迸ると同時に衝撃波が――大地を激震させた。

 

ライデンを呼ぶよりも先に、ライデンがいた丘がその頂ごと吹き飛ぶ。

 

あそこにいたライデンがどうなったかは……分からない。

 

ライデンの援護にモルフォが気を取られたことが幸いし、回避不可のバルカン砲の掃射から退避することが出来た。

 

しかし、僅かに遅れながら、三門の機関砲がその軌道に追従する。

 

青い電磁波を帯びた火線がシンの動きを遮る。

 

状況は悪くなる一方だ……相対距離は伸びて既に1000ほど離れ、防護機銃も健在。

 

無意識の内に冷えた笑みが漏れる。

 

……これは詰み、かもしれないな。

 

そんな思考を他所に、彼の闘争本能は接近経路を探す。

 

そんな中、モルフォの機銃が冷却が終わったのか再び銃身を高速回転させる。

 

張り詰めた氷が砕けるかのような刹那の瞬間、ホルスターから拳銃を抜くかのように、攻撃の予備動作に移る。

 

その時、脳内に二つの声が響いた。

 

『方位120、距離8000、弾種対装甲榴弾! ──撃ぇッ』

 

『シン! すまん、遅くなった!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青い花畑を躍進しながら、アンダーテイカーの元へと駆け寄る。

 

さっき……モルフォのレールガンの閃光が見えた時は思わず、冷や汗を搔いたが、シンは無事のようだ。

 

『ユウ……なのか?』

 

「正真正銘、ユウさんですとも。まあ、ジャガーノートはカイエのだけど」

 

流石にシンをお釈迦になった機体で、追うわけにもいかず、苦肉の策でカイエから機体を借りたのだが……どうにか間に合ったらしい。

 

直後、モルフォの全身で砲弾が炸裂した。

 

特別偵察の時とは違う、小口径砲弾による細やかな爆炎。

 

しかし……一体、何門の火砲を撃っているのか、豪雨のような火線の集中砲火には思わず目を瞠る。

 

そして、不明な同調対象――声からして女性と思われる人物の声が頭に響く。

 

『各自射撃続行、反撃を受けた場合は各自の判断で退避! 所属不明機! 接近を試みているのでしょう? こちらで動きを止めます、その間に攻撃を!!』

 

移動手段を失ったモルフォはその集中砲火を避けることが出来ず、その猛火に硬直する。

 

そのどれもが装甲を貫通し得ないが、それでも着弾の衝撃と閃光はモルフォの中枢処理系を一時的に麻痺させていた。

 

「シン! 今の内に!」

 

『ああ、援護を頼む』

 

空に一筋の火線、それはあの特別偵察でみた短距離ミサイルと同じものだった。

 

ミサイルはモルフォ上空に到達すると、外殻が弾け、無数の自己鍛造弾の雨を撒き散らす。

 

降り注ぐ槍の雨は対空機関砲の砲身と機関部を穿ち、無数の節足の一部をもぎ取っていく。

 

同時にモルフォへ向けて疾走――モルフォの翅が解け、解けた翅が無数のワイヤーとなって襲いかかる。

 

機体側面に掠めながらも何とか回避するが、シンの方は僅かに間に合わなかったらしく、閃光の一舞に弾かれる

 

「シン! 大丈夫か!?」

 

『クッ……ああ、なんとかな。今のは導電ワイヤー……か」

 

おそらく、あの導電ワイヤーに使われているのはモルフォ自体を動かすものと、レールガンのエネルギーだろう。

 

もし、そんな膨大な電磁波をまともに喰らえば、機体はおろか内装も無事では済まない。

 

『ワイヤーへの接触は避けてください。貴方達といえど、兵装や駆動系が保ちません』

 

そんなことはこちらも分かっている……しかし、近付かずにどうやってモルフォを倒せと言うのだ。

 

雑音ばかりで定かではないが、同調している向こう側でも一悶着あったのか、何かを言い合っているようにも思える。

 

『――ええ。ですから、それは――』

 

飛翔物接近のアラートがなると同時に空を見上げる。

 

再び、ミサイルが飛来し、鞭のように撓ったワイヤーがそれを切り裂く。

 

しかし、内部からは子爆弾ではなく、代わりにどろりとした粘性の高い液体が飛び散り、モルフォのワイヤーのみならずボディをも汚していった。

 

『――こちらで何とかします』

 

刃物のように研ぎ澄まされた、凛然たる戦意の響き。

 

まるで、あのときの少佐のような様相に、懐かしさを覚えずにはいられない。

 

そして、その言葉と共にモルフォの身体が激しく燃えだした。

 

焼夷弾(ナパーム)か!?」

 

『今しかない。行くぞ』

 

再度、モルフォへと疾走する。

 

未だ自身のボディが燃える中、無数のワイヤーが降り掛かる。

 

傍らのアンダーテイカーはそれをブレードで切り裂きながら、強引に歩みを進める。

 

それでも尚、シンを切り裂かんとするワイヤーの基部を主砲で弾き飛ばし、声を大にして叫ぶ。

 

「行け! シン!!」

 

すかさず無数の援護砲撃がモルフォに着弾し、紫電をいくらか弾いた。

 

一方で、ワイヤーの斬撃を掠めながらも、アンダーテイカーがモルフォへと取り付く。

 

そして、足を紫電が迸る斬撃にもがれながらも、ワイヤーアンカーを使って登っていく。

 

『フレデリカ。お前の騎士はどこにいる?』

 

『キリがおるのは……主砲の後ろ、一対目の羽根の間じゃ!』

 

その言葉と共にアンダーテイカーの元へと跳躍し、フレデリカの言った主砲後部、一対目の羽の間に取り付いた。

 

そして、残った脚部のパイルドライバーを作動させ、機体を固定する。

 

『姫様……姫様……姫様!』

 

シンから聞こえるフレデリカの騎士の声は泣いているようにも思えた。

 

彼が生きていた時、最期の言葉を……あらゆる怨嗟に乗せ、本当に求めていた者の名を。

 

『もういい』

 

シンの呟きが静かに響く。

 

ああ、そうだとも……本当の死者はどうやっても生者とは交われない。

 

絶対の事実は覆せないし、俺達は否応なしに未来へと歩まされる。

 

「残っていても、何にもならない。どこにも行けない。だから……もう消えていい」

 

最後の一発の砲弾がモルフォの中枢処理系を穿つ。

 

怨嗟の声が途切れ、モルフォの動作の一切が停止する。

 

しかし、その刹那……巨大な爆炎と燃え盛るモルフォの情景が脳裏に映る。

 

「シン!! 今すぐモルフォから離れろ!!」

 

「っ!?』

 

その瞬間、重量千トン超の機体を余さず破壊し尽くす爆轟が花畑を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンダーテイカーは花畑の一画に吹き飛ばされていた。

 

コクピットのハッチを開けると、穏やかな風が流れ、その風に花弁が舞う。

 

「……ユウヤよ。よく来てくれたな。おかげで助かった」

 

「追い付くって言っただろ? それに……シンを一人にするわけにはいかないさ」

 

花畑の中央では30mを超す砲身を天に向け、業火に包まれる巨竜の亡骸。

 

終わったな……もう騒ぐ気力すら残ってない。

 

「うっ……」

 

どうやら、寝坊助も目が覚めたらしい。

 

「おはよう、シン。まるで死んだみたいに気絶してたぞ」

 

「そうか……まさか、ユウに起こされる日が来るなんてな」

 

開幕、失礼なことを言うやつに、ツッコミ代わりの蹴りをシンのジャガーノートに入れる。

 

コンという軽い金属音が鳴り響くと共に、フレデリカが何かを思い出したかのように懐に手を入れる。

 

「シンエイ……すまぬ。そなたから預った拳銃」

 

「ああ……」

 

シンが死に損なった仲間にとどめを刺してきた拳銃。

 

連邦に辿り着いても持ち続けたソレをシンは無造作に投げ捨てた。

 

「なっ!? シンエイ、何も捨てんでも……」

 

「どうでもいい……あいつらのことも、結局は戦場に戻る言い訳にしていただけだった」

 

シンとフレデリカの言い合いを尻目に、投げ捨てられた拳銃を拾う。

 

投げ捨てられた拳銃は何かの破片でも喰らったのか、排莢孔からその前のフレームにかけて、大きな亀裂が走っていた。

 

おそらく、薬室内部から銃身にまで達しているだろう。

 

拳銃としては致命的な破損であるのは言うまでもない。

 

まるで今のシンのようだと、思ってしまうのはやはり俺の驕りなのだろうか。

 

でも、驕りであっても、シンの言うことばかりが正しくはないというのは分かる。

 

「少なくとも、俺は死んでも誰かに覚えてもらえていたら……救いにはなった……そう思うよ」

 

「ユウ……?」

 

シンは何もかもを自分で背負ってきた、だからこそ……仲間たちと交わした情が熱く、絆が眩しくて痛くて、目が眩むのだ。

 

一匹の蝶が花畑を舞う――同時にシンのジャガーノートのメインシステムが再起動した。

 

いや、これは蝶ではない――全てが阻電錯乱型だ。

 

花に留まっていた阻電錯乱型が、一斉に飛び立つ。

 

異様でありながら、何処か幻想的な光景に目を奪われる。

 

そして、阻電錯乱型が飛び立った花畑は真紅に染まる。

 

紅の彼岸花……これも特別偵察以来か。

 

そういえば、あのとき……仲間に紅い彼岸花の話をしたっけか。

 

不吉なイメージが多い彼岸花だけど、紅の彼岸花の花言葉で――

 

誰かが花々を踏み越えて走り寄ってくる。

 

――また会う日を楽しみに……というものがあると。

 

息を弾ませて、白銀の髪と瞳の、紺青の軍服の少女が駆け寄る。

 

「フレデリカ、念の為にジャガーノートの陰にいろ。シンも、とりあえずは俺が対応するから、相手を刺激するなよ?」

 

『……』

 

フレデリカは頷くも、シンは何も答えない。

 

シンのことは置いておき、目の前の少女へと向き直る。

 

白銀の髪と瞳、そして紺青の軍服……間違いない、この少女は共和国軍籍の者だ。

 

「はじめまして。サンマグノリア共和国軍、指揮官の方とお見受けしますが、相違ないでしょうか?」

 

「は、はい! 貴方は……?」

 

「失礼いたしました。自分はギアーデ連邦西方方面軍、第177機甲師団所属の者です」

 

有色人種に対して、開幕一番に侮蔑が来ないところを見るに、この人は共和国軍人と言っても、変わり者の類らしい。

 

とはいえ、ギアーデという国名から俺達がレギオンに深く関わった国の所属というのも向こうも分かる筈、下手に奥手に出たり、強気に出るのは危険だ。

 

どう切り出したものか考えていると、少女の方が口を開いた。

 

「あ、あの……そちらの機体の方は無事なのでしょうか?」

 

「えっ? ああ、とりあえずは無事ですよ。ただ、爆発のショックで気絶してましたので、大事を取って安静にして貰ってます」

 

「そ、そうなんですね! それは良かったです」

 

「ところで……先程の戦闘における、モルフォへの砲撃は貴方の指示でしょうか?」

 

互いに当たり障りない話をしただけだが、とりあえず分かったことはこの女性は共和国軍籍の指揮官であること。

 

そして、俺達が知る共和国軍人とは何処か違う……所謂、少佐のようなタイプの人ということだ。

 

「はい、そうですけど……」

 

「貴方がたのご支援がなければ、我々はモルフォの排除という任務を完遂することは出来ませんでした。小隊長に代わり、心より感謝いたします」

 

「い、いえ……あの、あなた方の二人だけなのですか? そんな少人数でレギオン支配域の突破を?」

 

少女も似たような任務に心当たりがあるのだろう。

 

事実上の86の放逐とも言えるレギオン支配域への特別偵察。

 

「ふっ……いいえ、我々の後続に本隊が控えていますので、ご心配は無用ですよ」

 

「そうなんですね! 良かった……」

 

「……もし、よろしければで構わないのですが、現在の共和国の戦況などについた教えて頂けないでしょうか?」

 

「えっ……?」

 

我ながら、少し踏み入ったことを聞いていると思う。

 

しかし、共和国のことが気になっていたのは戦隊の皆が同様だ。

 

なればこそ、その疑問を解決しとくに越したことはない。

 

途端に少女が俯く――返ってきた答えはひどくも予想通りだった。

 

「状況は芳しくありません。既に主要都市はレギオンに蹂躙され、何とか防衛線を築いて居るのが現状です」

 

それでも、と少女は言葉を区切った。

 

「私はこの国を、私の下で戦う部下達を見捨てません。たとえ、力及ばず、敗北するのだとしても……私は此処で戦います」

 

もし、少佐がもっと早くにこんな人と出会っていれば、少しは変わったのだろうか?

 

進んだ時は戻らないからこそ、人は思わず『もしも』の問いを自問自答する。

 

「そうですか――」 『何のために?』

 

背後に鎮座する大破したジャガーノートから声が漏れる。

 

戦闘の損傷故か、外部スピーカーは酷く音割れしており、最早、別人の声にも思える有様だ。

 

『死に急いでいるのですか? それならいっそ戦わなければよかったでしょうに』

 

その言葉は目の前の女性指揮官でなく、何処か自分に言っているようにも思えた。

 

それでも、少女は臆することなく答える。

 

その銀の瞳には、俺達が知る少佐と同じ確かな決意を宿しているように見えた。

 

「たとえ、力及ばなかったとしても、諦めて膝を折るような無様はしない。命尽き果てるその最後の瞬間まで投げ出すことなく戦い抜く。そう言って生き抜いた人達がいて同じようにあれると彼らは私を信じてくれました』

 

いつか、ライデンが同じようなことを少佐にも言っていた。

 

死ぬ時まで戦い切って生き抜いてやる――と。

 

少女の銀髪の中で、一房の赤い髪が揺れた。

 

「だから、私達は……私は、生き抜いた彼らに追いつくために彼らを連れてその先まで進むために戦うんです!」

 

その言葉を聞いた途端、欠けていたピースがすんなり嵌った、そのような感覚に襲われる。

 

いや、そうか……そうだったのか。

 

少女、否――ハンドラー・ワンが声を高らかに言う。

 

「私は旧共和国防衛部隊指揮官ヴラディレーナ・ミリーゼ大尉! 私はこの戦いから決して逃げません!」

 

ちゃんと……追い付いて来られたんだな。

 

『……っ! その彼らはとうに死んだ人間でしょう。死人を相手に何の義理が?』

 

先程まで、無関心だったシンの声に動揺が見て取れる。

 

繕った声で敢えて突き放すように、それでいて何処か縋るように。

 

「『忘れないで』と……言われましたから」

 

ほんと……超が付くレベルの馬鹿真面目だよ、アンタは。

 

でも、だからこそ……シンも皆も託していけたのかもしれないな。

 

「その人がこの破局を……レギオンの大攻勢を教えてくれたから私は生き延びられた。生き残ってほしいと願ってくれたから、いつか会えたらと言葉を残してくれたから、私はまだ戦える」

 

『――っ』

 

『その人がいてくれたから、私はこうして生きていられる。だから応えたい。もう彼らはいないけれど……せめてその行き着いた先に辿り着きたい』

 

あれから、短くない時間が経った。

 

少佐も挫折や失意に苛まれる日々を送ってきたのかもしれない。

 

けれど、俺達が託したものを、此処まで持ってきてくれていた。

 

是非とも、少佐に教えてやりたい――其処の大破した機体の中にいるのがその人なのだと。

 

でも、それはきっと今じゃないし、名乗るのはもっと後で良い。

 

「あなたも……あなた方もそうでしょう。戦い抜いたから生き抜いたから今、そこにいる」

 

「……」

 

「そのことをもっと誇ってもいいのだと思います」

 

「――っ!!」

 

そっか……これがシンが求めていた言葉だったのかもな。

 

「あっ……すみません! 私ばっかり話して……あの、今更なのですが、あなた方のお名前をお伺いしても良いでしょうか?」

 

「えっ? ああ……俺はですね。――っ!?」

 

脳内に飛び込む阻電錯乱型の雲、距離は此処からそう遠くない。

 

『ユウ……レギオンの規模は?』

 

「一個大隊くらいだな。ミリーゼ少佐……いや、大尉。今からレギオンが来ます」

 

「えっ? あ、あの……なんで私の前の階級を?」

 

少佐の質問に応えず、東の空を見上げる。

 

さて、来るとしたら……そろそろか。

 

『ご苦労だった。中尉、少尉。後は我々に任せろ』

 

戦隊のものでも、共和国のものでもない無線が割り込むと同時に、青空を空対空ミサイルが東から北へと疾走していく。

 

『無事なの? ノウゼン中尉、カジロ少尉も』

 

『生きていたんですね……中佐』

 

『ええ、おかげさまで。それよりも、作戦目標を完遂したのならちゃんと報告しなさい。まあ、今回は他の子が報告してくれたから良いけど』

 

『……生き残ったやつが?』

 

『ったく……お前な、そういうことは真っ先に報告しろ』

 

『ぴっ!』

 

横転したファイドの傍からライデンが。

 

『また、クレナが大泣きして大変だったよ。なんか攻撃を受けたらレイドデバイスが壊れて、よりによってシンだけに繋がらなかったんだってさ』

 

『ほんと、宥めるの大変だったんだぜ?』

 

『な、泣いてないし!!』

 

『そう? 戦闘の合間にずっと言ってたじゃない。〘シンたち。大丈夫かな。大丈夫だよね〙って』

 

上空の輸送ヘリでクレナをからかうセオ、ハルト、レッカが。

 

俺達の仲間が、誰一人欠けることなく此処にいる。

 

「フッ……言っただろ? 誰もお前を置いていくつもりなんてないって」

 

『ああ、そうだな……』

 

遠くの空でミサイルが炸裂、無数の阻電錯乱型が焼け落ちる様はまるで朝焼けにも思える。

 

長い一夜が終わった――多くの犠牲を払いながら、俺達は此処に辿り着いた。

 

でも、俺達が生きて戦い続ける限り、この道は続く。

 

過酷な旅路になるのは言うまでもなく、暗雲は未だ晴れない。

 

連邦軍在籍の輸送ヘリが着陸すると、装甲歩兵と共に左眼に眼帯を付けた一人の男性が降りてくる。

 

少佐も初めて見る装甲歩兵に思わずポカンとした表情を浮かべていた。

 

そして、その一団の中に将官用の軍服を纏った男がこちらへと敬礼しながら少佐へと向かう。

 

思わぬ再会に気が緩んでいたからか、少し遅れて俺も返礼を返す。

 

「フッ……ご苦労だった。少尉、中尉」

 

「はっ……」

 

確か……うちの部隊の師団長だったか。

 

中佐なら兎も角、流石に師団長のような将官の人とは顔を合わせる機会というのはあまり無いからか、いまいちどういった人というのかが分からない。

 

中佐の話では、空軍時代の上官だとか、先輩だとか言っていたか。

 

とはいえ、俺達にとっては遥か上の階級の人間である。

 

従軍してから嫌というほど上下関係の云々を叩き込まれた故か、思わず身構えてしまう。

 

師団長は少佐に軽く会釈し、何やら話し始めた。

 

大方、自分らが此処にいる理由やら、本作戦の目標やらについて話しているのだろうが……

 

そんな二人の様子を遠巻きで眺めていると、先程からあることを忘れていた。

 

「シン、良いのか? 少佐に顔を合わせなくて……」

 

「ああ、こんなザマじゃ、まだ名乗れない」

 

「……そっか。なら、また今度だな」

 

尤も俺も顔を合わせただけで、名乗ってはいないのだが。

 

俺も彼女(カイエ)の前で色々とカッコつけようとしたからか、シンの気持ちが自然と分かる気がした。

 

そうだよな……初めて会うんなら、もっと相応しいタイミングがあるもんな。

 

こんな満身創痍で、心身ともに疲れ果てた姿じゃない。

 

もっと希望に満ちた――あのときの少佐の問いに答えられるような、そんな姿が良い。

 

師団長らに連れられて乗った輸送車から此方へと手を振る少佐に手を振り返しながら、後方から来る車列に目を向ける。

 

「俺達も帰ろうか」

 

『ああ……帰ろう』

 

急ぐ必要はない、ゆっくりでも良い。

 

今は帰ろう――帰ればまた会えるんだから。



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31話

お待たせしました……暫くは番外編の執筆を進めようと思います


朝の木漏れ日が部屋のカーテンの隙間から差し込む。

 

頬に感じる僅かな日の温もり、されど冬の寒さ故に身体は布団から出たがらない。

 

いや、起きねばなるまい……今日もいつ出撃が――

 

嫌々に重たい瞼を上げると、宿舎の無機質な光景ではなく、ある住居の一室の光景が飛び込む。

 

私物はそれほど多くなく、それ故か机の上に置かれた仲間たちとの集合写真が目立つ。

 

別に驚かない、というか我が家の自室の光景で驚くなんてそうそう無い。

 

「そうだった。今は休暇中だっけか……」

 

軍人生活が染み込むとここまでになるのか……まあ、基地にいる時間の方が長いっちゃ長いけども。

 

このまま二度寝をするという選択もあるが、このまま寝たら昼ぐらいまで寝てしまうだろう。

 

流石にそれは勿体ない、久方ぶりの自宅なのだ。

 

窓の外では細かな雪が降り、防寒着を着た子供が親の手を引いて走っていく。

 

大方、早くプレゼントを買ってもらいたくて仕方がないといったところだろうか。

 

「もう二回目の生誕祭だっけか……」

 

思えば時間が経つのは早いもので、俺達が連邦に来てからもう一年経つ。

 

現在、俺達はモルフォ討伐の任を終えたことで、本国から休暇を拝命している。

 

あれだけ無謀と言われた作戦を完遂したのだから、それくらいあって然るべきとの話だそうだ。

 

まぁ、たとえ厄介払いだとしても、身体が疲労を訴えていた矢先に休暇を貰えるというのは確かに有り難いとのことで、各々が過ごしたいように過ごしている、

 

尤も、ついこの前まで戦場に居たということもあり、戦場の感覚が抜けていないのだが。

 

「んっ……ううん……」

 

ふと、布団の中から可愛らしい声が漏れた。

 

これは珍しいこともあるものだ、普段は俺が起こされてばかりだというのに。

 

「ん……? ユウ……?」

 

「ああ、おはよう。珍しく遅いお目覚めだな」

 

普段から生活リズムが整っている彼女でも、布団の誘惑には勝てないようだ。

 

まぁ、何かと警戒が必要だった世界から、無警戒でも問題ない世界に戻ってきたんだ。

 

気が緩むのは仕方がないし。戦場でも援護や指揮を任せたりと、何かと彼女に負担を強いてしまっている以上、こういう時くらいはゆっくり休んで欲しい。

 

「ユウこそ珍しいな……いつもなら寝てる時間じゃないか」

 

「どうも、俺も軍人感覚が抜けてないみたいでね」

 

そういえば、髪を降ろしたカイエを見るのは随分と久しぶりだな。

 

最後に見たのは何時だっただろうか……共和国でスピアヘッド戦隊に配属される前だったか。

 

……いや、最後に見たのは去年の聖誕祭だったな。

 

そう、確かあのときは――いや、よそう。思い浮かべるだけで顔が真っ赤になる。

 

「むしろ、私は抜けすぎてるのかな……ふわぁ」

 

未だ眠気が残る眼差しのまま、少女が欠伸を漏らす。

 

普段、しっかり者というイメージがあるからか、イメージとのギャップもあって、なかなか愛らしい。

 

「せっかくだし……髪でも漉いてやろうか?」

 

「ん……出来るのか?」

 

「シンに何度か押し付けられたおかげでな」

 

誰のかは言うまでもあるまい――当の幼き女帝は今頃、算数ドリルの山に悲鳴を挙げていることだろう。

 

まあ、こればかりは自業自得……学んだ経験と知識は是非とも今後の人生に活かして貰いたいものだ。

 

「じゃあ、お願いしようかな……」

 

言葉の節々に未だ眠気を孕みながらも、少女が身体を預けてくる。

 

少しの寝癖が目立ち、互いに絡まった髪をブラシで解いていく。

 

絹糸を思わせる繊細な黒髪を抜いてしまわぬよう優しく、丁寧にブラシを掛けていく。

 

「んっ……上手いじゃないか。その調子で頼むよ……」

 

「仰せのままに」

 

早起きもたまには良いものだ、互いに多くを知り合った仲の意外な一面を見ることが出来る。

 

所謂、ギャップ萌えと言うやつだ……いや、少し違うか。

 

まあ、兎にも角にも、こういうゆったりした時間を心から楽しめるようになったのは、連邦に来てからの俺達の大きな変化だ。

 

「今日は昼過ぎからシンと約束があるんだったか?」

 

「ああ、国立墓地に行くそうだ。近況報告をしたいんだとさ」

 

モルフォ討伐の任務から辛くも帰ってきて、正確には少佐と相見えてからシンは少し変わった。

 

読み漁るだけだった本の知識を活用して、苦手だった料理に挑戦したり、街の名所を教えて欲しいと頼まれたこともある。

 

そして、今日も近況報告を終えたら、街の案内をするという約束だ。

 

「やっぱり、少佐に会えてからシンは変わったな。自分のしたいことを考え始めてるし、色々なことに触れようとしている」

 

「ああ、そうだな」

 

まだまだ、自分の生きる理由を完全に見つけることは出来ないかもしれない。

 

でも、迷い果てた結果、ようやく先への一歩を踏めた。

 

今まで手を差し伸べてくれた仲間、先に逝ってしまった戦友達に向き合うことが出来るようなったのだ。

 

それを俺は嬉しく思うし、戦隊の皆もそれは同じだろう。

 

「ふわぁ……また、眠くなってきた」

 

「寝ても構わないぞ。昼過ぎまでどうせ暇なんだし」

 

休日だからこそ、何もしないで寝て過ごすのというのも良いものである。

 

早寝遅起きが常習の俺が言うのだから間違いない。

 

「ん……じゃあ、ユウも一緒に寝よう」

 

こちらが何か言う前に腕を引かれ、そのままベットに引きずり込まれる。

 

布団の柔らかな感触と共に伝わる彼女の鼓動。

 

穏やかな呼吸をする度に、その吐息が肌に降り掛かり、それが何ともむず痒い。

 

しかし、胸中で寝息を立てる彼女の寝顔を見ると、とても安らかな、穏やかな表情を浮かべていた。

 

「フッ……そうだな。寝ても良いって言ったもんな」

 

たまにはこんな日があっても良いだろう。

 

こんな姿と俺達二人きりだからこそ、見せれる姿なのだ。

 

約束の時間も昼過ぎ、怠惰に過ごす時間も十分にある。

 

「なんだか俺まで眠くなってきたな……」

 

間近でこんな気持ち良さそうに眠っているのだ、こちらに眠気が伝染しない訳がない。

 

また、程よい人肌の温もりと、僅かなシャンプーの匂いが芽生えた眠気を更に刺激する。

 

そんな本能の誘惑に抗える恥ずもなく、ゆっくりとその瞼を降ろす。

 

二つの寝息が重なるのを他所に、時計は刻々と進む。

 

良い時間というのは過ぎるのが早いものだ。

 

結局のところ、二人が起きたのは昼直前となったのは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

連邦では戦場で散った者は国立墓地の慰霊碑にその名が刻まれる。

 

共和国とは違い、どんな人種であれ護国の任を全うし、その果てに力尽きたとなれば讃えられて然るべきだと中佐は言っていた。

 

また、レギオンとの戦争が始まって以来、此処に記載される名前は増えていく一方だ。

 

俺達よりも遥かに年上な人も、俺達とあまり変わらない奴も、死んだら此処に刻まれる。

 

況してや、先の作戦では結果としては成功したものの、西部方面軍の6割を損耗。

 

加えて、レギオンを生み出す自動工場型などには全くのダメージを与えられていない。

 

また、モルフォが――それ以上の怪物が生み出されてもおかしくないのだ。

 

これに対応して、軍部は全ての士官学校、特士校、新兵訓練基地の訓練期間を繰り上げることで、その補填に充てている。

 

しかし、殺戮機械であるレギオンは生産されたと同時に一戦力として扱えるが、人間はそう上手くはいかない。

 

訓練期間が繰り上げられれば、それだけ経験不足のまま前線に放り込まれることになる。

 

頭数を増やすだけで張り合えるほど、レギオンの攻勢は易しいものではない。

 

今後の戦いは確実に戦況が悪化する、もしかしたら今回の犠牲を遥かに上回ることだって有り得る。

 

「ん? あれは……」

 

ふと、車の外を見ると先に入ったシンと同じ軍服を着た青年と、白系種の少女が墓地へ入って行った。

 

少女はフレデリカより、少し下……くらいの年齢だろうか。

 

そんな少女が此処に来る理由など、一つしか存在しない。

 

「確か……シンが報告したいって言った人も白系種だって言ってたか」

 

妹役為に軍に入って、よく妹のことを話していたと言っていた。

 

そして。妹に海を見せてやりたいと……最後に話した時に言っていたそうだ。

 

死というのは何時だって唐突だ、どんな人間であろうと関係ない。

 

「……あの時の守衛の人の名前、聞いておけばよかったな」

 

モルフォの砲撃が来る前、俺達にわざわざ礼を言った兵士。

 

彼の遺体は残ってないだろう、あの砲撃で前線基地は消滅したのだから。

 

「ユウ」

 

コンコンと、車のミラーが軽く叩かれる。

 

どうやら。シンの用も済んだらしい。

 

「鍵は開いてるよ」

 

「分かった」

 

車のドアが開くと、外の冷たい風が入り込み、思わず身震いする。

 

軍服のコートに付いた雪を払いながら、シンが助手席に座った。

 

「もう、いいのか?」

 

「ああ。伝えてたいことは全部、伝えてきたから」

 

シートベルトを締め、車を発進させる。

 

次の予定としては、シンに街の名所を案内するということになってたのだが……

 

「意外だな。ユウが車の免許を取ってたなんて」

 

「街中をジャガーノートで走るわけにはいかないだろ?」

 

尤も、取りたくて取ったわけではなく、世間一般の普通というやつを享受していく中での副産物のようなものだ。

 

まあ、戦場にいる時間が長い関係上、あまり活用されることはないが、別にあって困るものでもない。

 

むしろ運転よりも、身分証明だとか、何かの手続き等で、役に立ってくれている。

 

「で、街のどんな所とか知りたいんだ? 名所って言っても色々、あるぞ?」

 

「……とりあえず、俺が見たことがないものを見てみたい」

 

「はは、了解だ。じゃあ、近いところから手当たり次第に回っていくか」

 

本日の俺はあくまでガイド兼運転手である。

 

となれば、シンの希望に応えるのも俺の役目だ。

 

「とりあえず首都のメインストリートまで行こうか。あそこに色々な店が集まってるし」

 

「分かった」

 

いつも通りの無愛想な淡々と返事。

 

けれど、今だからだろうか……何処か幼い、まるで新しい玩具を待ち望む子供のような期待を孕んでいる。

 

「そうだ。今朝、ハルトからこんなメールが来てたんだが」

 

「ハルトから? 既に嫌な予感しかしないんだけど……」

 

赤信号の前に車を止めると、シンが横から携帯のメールを見せてくる。

 

そこに書かれていたのは、休暇明けに着任する俺達の指揮官へのサプライズ計画だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星歴2150年 3月20日

 

 

 

 

「これはこれは、お待ちしておりました。鮮血女王(ブラッディレジーナ)

 

ギアーデ連邦暫定大統領、エルンスト・ツィマーマンは手を広げて声高らかに言った。

 

側には以前、電磁加速砲型撃破の際に出会った連邦軍の司令官とその参謀が控えている。

 

そして、もう二人――彼らには共和国での激戦を乗り越えた彼女も困惑を隠せなかった。

 

一人は紅い瞳を持った夜黒種の青年。

 

細い体型でありながらも、鋭利な刃のように研ぎ澄まされた佇まいは一目で歴戦の猛者であることが察せる。

 

しかし、もう一人……この人は、どうしたというのか。

 

まず、性別は明らかに男性なのだが……明らかに人工の金髪を特徴的な黒髪の上に被っている。

 

容姿を気にしているのかもしれないが、それにしては黒髪が目立ち過ぎだ。

 

率直に言ってしまえば、カツラを被る必要はないくらいに髪は生え揃っている。

 

いや、もしかしたら一部だけというのもあるかもしれないが、わざわざ、地毛とは別の色のカツラを用意するだろうか?

 

そして、男性が掛けている丸眼鏡……度が入っていないから伊達なのだが、これが不自然さに拍車を掛けている。

 

まるで素顔を無理やりでも隠そうとしているような……

 

「早速ですが行きましょう。貴女にお見せしたいところがあります」

 

こちらの内心を知る由もないエルンストは、足早に行ってしまう。

 

傍らに控えていた夜黒種の士官がこちらにより言う。

 

何処か聞き慣れた声に思えるのは、私の勝手な思い込みだろうか。

 

「お荷物は私がお持ちしますので、俺達も行きましょう。ミリーゼ大佐」

 

「はい……」

 

ふと、私の内心を察してくれたのか、その人は微笑んで言った。

 

「ああ、彼の容姿は気にしないでください。俺達の事情に合わせているだけですので」

 

「そ、そうなのですか……」

 

その事情が気になるのだが……いや、気にするなと言っているのだから、そうするのが吉だろう。

 

連邦の地を踏んだ瞬間から、私が彼らにとって有益な人物なのか試されている。

 

思わぬ出来事で緩んでしまった気を引き締め直した瞬間、件の男性がこちらを一瞥した。

 

まるで血のような紅い瞳、それを見た瞬間、何か欠けていたものが塡まるそんな感覚に襲われた。

 

「あっ……」

 

そうだ、この目には見覚えがある。

 

あの日……電磁加速砲型を撃破したあの時の花畑にいた連邦軍士官の青年と同じ紅い目だ。

 

「あ、あの……」

 

彼は何も言わず、エルンストたちの後に続いていった。

 

「さ、俺達も行きましょう。置いていかれてしまいます」

 

「は、はい!」

 

何処か拭えない既視感を何も解決できないまま、彼らに続く。

 

結局、乗り込んだ輸送者の中でも彼のことを伺うことが出来ないまま、私は外の景色が変わっていくのをただ見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朽ちたジャガーノートと最期まで連れ添ったであろうスカベンジャーの亡骸の前に、彼らの墓標があった。

 

かつてスピアヘッド戦隊の戦隊長が言っていた。

 

彼らが生きた証を自分が行き着く場所まで連れて行く……と。

 

其処には私が聞いたスピアヘッド戦隊員の4名の名前を含めた、556名の名前が刻まれていた。

 

その全てが戦い抜いて、ここまで辿り着いた……ただ一つの証。

 

けれど、其処に特別偵察へ出向いて行った彼らの名前は無い。

 

「……忘れません」

 

此処がそうなのだ……自由となった彼らが最期に辿り着いた、最期の場所なのだ。

 

込み上げる涙と慟哭を歯を食いしばって、すんでの所で抑える。

 

まだ、私は此処に行き着いていない。

 

だから……まだ、彼らに花を供える資格は私にはない。

 

「すみません、閣下。お待たせいたしました」

 

「いいえ。誰かを悼む時間を遅いなどとは思いませんよ」

 

エルンストは柔和に目を細め、笑みを崩さずに言った。

 

「どうぞ、こちらへ。貴女にお預けする部隊の隊員達をご紹介します」

 

戦おう……彼らが行き着いた最後まで進み続けた者しか辿り着けない場所に行きつくまで。

 

連邦軍の鋼色の軍服を纏った同年代の10名の士官たち。

 

「なあ。ほんとにあれか?」

 

『いろいろあったんだろ」

 

「違えねえ」

 

「なんだっけ……〝鮮血の女王〟だっけ? 趣味悪いなあ。ありえないよね似っ合わない」

 

休めの姿勢を崩さぬまま、彼らは愉しげに笑う。

 

「ねえ、あたしたちのことすぐわかるかな」

 

「うーん……気づいてくれたら嬉しいけど、気づかないのもそれはそれで楽しそうよね」

 

「私達って、バレたりしないかな?

 

「あの二人が上手くやってるでしょ? 一人だけ変装が滅茶苦茶だけど」

 

何やら呻く緋鋼種の青年と、彼にツッコミを入れる青玉種の青年。

 

「うぬぬ……流石にカツラじゃ無理があったか」

 

「まあ、とりあえず後でアイツがお前に襲いかかるのは間違いないな」

 

そして、大統領と私が彼らに向き直ると、踵を鳴らして一糸乱れぬ敬礼をくれた。

 

彼らに答礼を返し、未だ込み上げていた感情を隠しながら、口を開いた。

 

「サンマグノリア共和国軍大佐、ヴラディレーナ・ミリーゼです。初めまして」

 

そう名乗った時、彼らは悪戯を大成功させた子供のような笑みを浮かべていた。

 

そして、極東黒種の少女が彼らを代表して答える。

 

「はじめまして……ではないよ。尤も顔を合わせるのはこれが初めてだけど」

 

「えっ……?」

 

「久しぶりだな。ハンドラー・ワン。元スピアヘッド戦隊、パーソナルネーム、キルシュブリューテ――カイエ・タニヤだ」

 

「あっ……」

 

その瞬間、頭の中が真っ白になった。

 

彼らの顔を私は知らない――遺してくれた写真は画像が粗く、結局は誰が誰なのか分からなかった。

 

けれど、声は……毎晩、着任してからずっと聞いてくれていた彼女らの声は。

 

「カイエ……?」

 

「ああ、会えて嬉しいよ。ミリーせ少佐」

 

生きていた……彼女が、先に行った彼らが。

 

「ったく……あんた、本当の馬鹿だな。少佐」

 

「えっ、これって僕達?」

 

ライデンとセオが――

 

「生きててよかったね」

 

「マイナでーす! 覚えてる?」

 

「マイナ……一応、私達の上官だからね?」

 

クレナ、ミクリとマイナが――

 

「にゃ〜♪」

 

先程から傍らを一時も離れなかったティピーが嬉しそうに鳴く。

 

「キティ……猫、ありがとうございます」

 

「俺からもありがとうございます。少佐」

 

アンジュとダイヤが――

 

「おっす、少佐。ハルトでーす」

 

「レッカでーす」

 

レッカとハルトが――

 

「皆……」

 

「此処にはいないけど、従軍しなかった面々も元気にやってるよ」

 

それに、とカイエは穏やかな笑みを浮かべて言った。

 

「そろそろ、良いんじゃないか? 二人とも」

 

その声は私の後ろにいる二人に向けられていた。

 

まず、夜黒種の青年が黒髪のウィッグを外し、自らの名を名乗った。

 

「フッ……そうだな。お久しぶりです、ハンドラー・ワン。ギアーデ連邦軍大尉、元スピアヘッド戦隊戦隊長――シンエイ・ノウゼンです」

 

夜黒種の青年――シンは優しげな笑みを浮かべながら敬礼する。

 

「あっ……」

 

言葉が何も出てこない……いや、言いたいことが多すぎて頭の中がパニックを起こしている。

 

一時の沈黙の後、自身の口がようやく言葉を紡ぎ出した。

 

「シン……?」

 

「そう呼ばれるのは初めてですね。ええ、俺です」

 

「生き、て……」

 

「ええ。また死に損ないました」

 

何処か素っ気ない声音も、身も蓋もない言い様も……あのときの彼と変わっていない。

 

途端に涙が溢れそうになるのを堪え、何か……何か言葉を紡ごうとする。

 

「でも、それは俺だけじゃありませんよ。そうだろ? ユウ」

 

シンの問い掛けに答える代わりに、彼は自らの頭に載せたソレと不似合いの丸眼鏡を外した。

 

純黒の頭髪と、血のような紅い瞳……間違いなく、あのときに出会った連邦軍士官だった。

 

完全に呆気にとられた私を見て、青年はクスリと笑う。

 

「また、お会いしましたね。改めまして、俺がユウヤ・カジロです、ミリーゼ少佐……いえ、今はご昇進されて大佐でしたか」

 

「ユウさん……?」

 

「はい、正真正銘のユウさんです」

 

今、私は酷く不格好な顔をしているだろう。

 

泣くのを堪えていた筈が、涙がボロボロと溢れてくる。

 

「そんな泣かないでくださいよ。前に教えたでしょ? 笑う門に福が来るんですから」

 

そうだ、彼らの管制を担当するようになって少し経ったとき、教えて貰った極東の国の言葉。

 

悲しいことや苦しいことがあっても、希望を失わず朗らかに生きていれば幸せが訪れる――そんな意味の言葉だった。

 

この二年、共和国が自身の怠慢によって滅びる最中、シンやユウさん、此処にいる面々、此処にはいない面々には何があったのだろう。

 

私に言った誇りを胸に、この異郷の地へと辿り着き、自らその軍服に袖を通し、或いは別の道へと進み、この瞬間を迎えた。

 

それは決して楽な道のりではなかった、そんなこと聞かずとも分かる。

 

「ずっと……追いかけてきました」

 

「ええ。知っています」

 

シンが微笑みながら答え、その手を差し出す。

 

最早、涙が溢れ落ちるのを気にせず、その手を両手で取る。

 

共和国では決して言うことは叶わなかった、けれど……今なら、今なら言うことができる。

 

「これからは、わたしも、一緒に戦います」

 

ずっと、伝えたかった言葉を今、ようやく伝えることが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーい! 笑って、笑って! 人生最高の記念すべき写真だよ〜!」

 

上官もいるにも関わらず、ハルトがおちゃらけた声を挙げる。

 

「ハハ……共和国でスピアヘッド戦隊に配属された時もこんな感じだったな」

 

「そうだな……あのときは人生最後の写真とか言ってたっけか」

 

でも、まさか少佐が共に写る日が来るとは、今まで思いもしなかった。

 

俺達も楽な道のりを歩んできたわけではないが、少佐も四苦八苦の道のりを歩んできたのは分かる。

 

多くの犠牲を乗り換え、自らが選んだ道を進んで此処まで追いついてきた。

 

ふと、以前にフレデリカに言われた――正確には問い掛けが頭を過ぎる。

 

『お主が見えているのは本当に未来なのか?』

 

それは、俺の異能の問い。

 

本当に未来も何も、実際にその通りになるのだから未来が見えていると言って差支えないと思うのだが。

 

そう答えると、フレデリカは少し俯き、俺と初めて出会った時のことを話し始めた。

 

『お主と初めて会ったとき、既にシンエイの記憶を見たのもあって、すぐに同胞だと分かった』

 

見知った者の現在と過去を覗き見る、それがフレデリカの異能。

 

『その時じゃ。妾も理由が定かではないのじゃが、無意識に妾はお主の過去を覗き見てしまったのじゃ』

 

では、俺がこの能力に目覚めた切っ掛けも見たのかと問うと、彼女は首を振った。

 

『妾の目に映ったのは、幾千……幾万。否、それよりも遥かに多い……そなたの死体の山じゃ』

 

俺の死体の山? でも、俺は今、こうして生きているのだが?

 

フレデリカは俯きながらも言葉を紡ぐ、その声は得体の知れない恐怖に震えていた。

 

『そして……その死体の山を、平然と見据えている者が居た。それが――其奴もまたお主だったのじゃ』

 

恐怖に震えたまま、フレデリカは続けて言った。

 

『其奴は気付いておったのか……一瞬だけ、妾を見たのじゃ』

 

その瞳は空虚で、氷獄のように冷徹な、何よりも得体の知れない狂気を孕んでいたと。

 

どれほどの業を重ねればあのような姿になるのか……

 

それは、モルフォに囚われていたフレデリカの騎士と同じ――それをはるかに上回る、酷い様だったと言う。

 

『堪らず、妾は見るのを辞めた。あれ以上見るのが、恐ろしくなったからじゃ』

 

その光景が見えたのは、初めて会ったときの一度きりで、それ以降は共和国での記憶やここに来てからの記憶などを覗き見ることが出来るそうだ。

 

想起された恐怖に震えながら、フレデリカは俺に問い掛けてきた。

 

『ユウヤよ……そなたは妾達が知るユウヤで良いのだな? 決して……あのような姿にはなるまいな?』

 

当たり前だ、俺は俺のままだ。

 

此処にいるのは、俺自身が選んで決めたことであって、誰かに強制されたことではない。

 

「3!」

 

「ユウ、どうかしたか? そんなに考え込んで」

 

「えっ? あぁ……いや。なんでもない。少し呆けてただけだよ」

 

仮に狂気に呑まれた俺がいたとして、ソレが今のようなことを赦したりしないだろう。

 

でも……

 

「2!』

 

フレデリカが言った、無数の俺の死体とはどういうことなのだろう?

 

今、俺はこうして生きている――心臓も、脳髄も、呼吸も人々と同じように動いて生きている。

 

「1っ……!!」

 

写真はその時間の一部を切り取るという。

 

フラッシュが光る刹那、その一瞬だけ少年の瞳が酷く空虚なモノになったのを誰も気づくことはなかった。



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番外編
プール(仮)設営作戦・①


閃光のハサウェイを観てきました……ありゃ凄い映画だわ。今回は番外編みたいな感じです。


"The commander in the field is always right and the rear echelon is wrong, unless proved otherwise." - Colin Powell

大方のところ、前線の指揮官の判断は正しく、後方は間違っているものだ。 ―― コリン・パウエル

 

 

 

 

 

 

「水着って素晴らしいと思わないか?」

 

「いきなり、何を言ってるんだ? ダイヤ」

 

ぐっすりと眠っていた人を叩き起こして、第一声がそれかよ。

 

「普段、人目に晒されることのない美貌。そして、裸体とは違った扇情的な――」

 

「はいはい、水着最高、ちょー最高」

 

ダイヤがこういったことで話しかけてくる時というのは大抵、ろくなことが起きない。

 

というか、この前に女子の水浴びを覗いて捕まったのに、再起するの早いな。

 

「待て待て、ユウヤ。これからする話はお前にもメリットがあるんだぞ?」

 

「覗き組の援助にどんなメリットがあるんだよ? また女子にボコボコにされるぞ」

 

彼ら、覗き組が求めてやまない、"天国"がどんなものかは知らないが、勇敢と蛮勇は違うものだ。

 

それに、わざわざ女子の鉄槌を下されるリスクを負うくらいなら、不干渉でいた方が安全である。

 

「いや、まあ、確かにあの時は……だが、今回は大丈夫だ!」

 

「まったく大丈夫な気がしないんだが……というか、クジョーとかに相談しろよ。アイツなら面白そうと思ったら快く手伝ってくれるだろ?」

 

俺の住んでた国でも、『君子危うきに近寄らず』といった言葉がある。

 

意味としては、教養があり、徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないということだ。

 

「前回の反省を踏まえて、俺達はこう考えたんだ。合法で見れるようにすれば、シバかれることはないってな」

 

「いや、その前に覗きを止めろよ。それが何よりも平和な解決法だよ」

 

覗きに合法も違法もない、該当する女性が拒否すれば、それまでである。

 

まあ、尤も……止めろと言われて、止めてるなら、俺のところに来たりはしないのだが。

 

「俺達は故に探したんだ……そんな、夢のような楽園を体現できる場所をな!」

 

「人の話は聞けよ。それで……あったのか? その、楽園だとか天国とか」

 

あぁ……なんかこれ面倒なことに巻き込まれそうだぞ。

 

さっさと要件だけ聞いて、早急に離脱しないとヤバそうだ……

 

「そして、楽園の探求はある答えを得たんだ!」

 

ダイヤが懐から一枚の紙を取り出し、それを手渡してくる。

 

この紙は……いや、スケッチブックのページを切り取ったのか……

 

おそらく、このスケッチはダイヤ達と共に同行していたセオが描いたものだろう。

 

そして、そのスケッチブックには、ある建物が描かれていた。

 

「この建物……市民プールか。というか、これまた綺麗な廃墟じゃないか」

 

この周辺の廃墟はレギオンの襲来や戦闘によって、多くのものが損壊してしまっている。

 

内部の施設の惨状は勿論、経年劣化や戦闘で、支柱等が破壊されて倒壊してしまうことも珍しくない。

 

しかし、スケッチブックに描かれた市民プール施設は、窓ガラスが幾分か割れてる程度で外装などに著しい損傷は見受けられない。

 

つまり、一時的な復旧が可能である見込みがあるのだ。

 

成る程……水着やら合法とか、言ってたのはこういう訳があったからか。

 

なんだ、結構、ちゃんと考えてるじゃないか……根底の理由は兎も角として。

 

「……で、市民プールの復旧に必要な頭数をかき集めてる訳か。ところで、塩素の確保は勿論、肝心の水の出所とか、ちゃんと把握してんだろうな?」

 

「そのためにユウに声を掛けたんだ」

 

前言撤回、こいつら全然、考えられてないじゃないか。

 

「そのために……って。俺を何処ぞの猫型ロボットと勘違いしてんじゃないのか? 流石に対応出来ないものだってあるぞ」

 

「猫型ロボット……なんだそりゃ?」

 

あぁ……猫型ロボットの例えはカイエぐらいじゃないと通じないか。

 

「プールに水は当然として、衛生的にも消毒しないと危ないだろ。人間ってのは雑菌の塊って言っても過言じゃないんだから」

 

人間の身体には100兆個を超える数の主に細菌を中心とした微生物が存在する。

 

そういった人の健康に害をなさない常在菌が多くいる中、黄色ブドウ球菌といった病原菌も存在しているのだ。

 

また、いくら水に塩素が混ぜられているとはいえ、時間が経てば減衰していき、十分な消毒が出来なくなる。

 

更に、プール自体も長年、放置されてるのもあって、汚れが酷いだろう。

 

「とにかくだ。復旧させるにも水と塩素の確保は必須だし、プールの掃除もしなくちゃならない。とてもじゃないが、短期間で終わる作業じゃないぞ?」

 

「ぐぬぬ……でも、もう他の女子とかに声を掛けちゃったし……」

 

マジかよ……当然だが、今日一日使っても間に合わないぞ?

 

「成る程。現在、女性陣は揃ってお召し物を探してるって訳か」

 

今朝、各小隊の女性陣全員が揃って探索へ行った時は何事かと思ったが、そういう理由があったわけか。

 

どうにも、この隊の男女はお祭り事になると、後先を考えないのは同じらしい。

 

「ダイヤ、他の男子の面々にはこの話はしているんだよな?」

 

「え? ああ、勿論……」

 

「既に蒔いてしまった種を今から駆除してちゃ間に合わない。それに女子の気分を損なわすのも嫌だろ?」

 

プールの復旧は無理といえど、代用案での実施ならば、まだ間に合うかもしれない。

 

「とりあえず、男子を集めて、ジャガーノートの準備だ。置かれている状況の共有と代用案の策定をする。その後は実地偵察に加えて、そのまま設営作業もしなきゃいけなくなるかもしれん」

 

「わ、分かった!」

 

プールを利用する以上は清掃が必須だが、その点はやむ無しだ……是非ともダイヤ達にも頑張ってもらおう。

 

問題は塩素と水だ、プールに水がなければ話にならないし、従来通りのプールならば塩素消毒も必須だ。

 

考えれば、考えるほどやらなくてはならない課題が次々と出てくる。

 

斯くしてスピアヘッド戦隊男子による、プール(仮)設営作戦が幕を開けたのだった。

 

 

 

"The truth of the matter is that you always know the right thing to do. The hard part is doing it." - General Norman Schwarzkopf

問題を解決する方法は大抵分かっている。難しいのはそれを実行することだ。 ―― ノーマン・シュワルツコフ陸軍大将

 

 

 




水着姿……観たいじゃん?

追記:誤字報告ありがとうございます


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プール(仮)設営作戦・②

毎回の誤字報告、本当にありがとうございます。書いてる時は全く違和感がないのに、報告を頂いて読み返すと日本語として大丈夫なのか……今日は番外編ということで短めです


 

 

"Any soldier worth his salt should be anti-war. And yet there are things still worth fighting for." - General Norman Schwarzkopf

どんなに有能な兵士でも反戦には変わりない。それでも戦う価値がある時がある。 ―― ノーマン・シュワルツコフ陸軍大将

 

 

 

 

 

 

「よし、揃ったな。……傾注」

 

静かでありながら、何処か力強さを感じさせる戦隊長の声に従い、男子全員が姿勢を正し、戦隊長へと視線を向ける。

 

……というか、いきなりとはいえ、シンも意外とノリノリだな。

 

「俺達はポイント287に存在する廃墟へと赴き、同施設の設備及び物資の制圧と確保を行う」

 

「戦隊長、最優先に確保すべき対象は何でしょうか?」

 

「同施設のプール設備と貯水槽の水だ。また、それ以外の各設備も可能な限り、復旧するように努めろ」

 

プールのような公共設備は災害のような非常時において、緊急水源として利用するために、設備の運営に必要以上の水を保有する。

 

そして、貯水槽は長期間の保存の為に耐久性は勿論、抗菌といった衛生的な処置が施されている。

 

尤も、さすがに何年も整備されずに放置されれば、設備も劣化するため、貯水槽の水をそのまま利用するつもりはない。

 

「各小隊の担当をこれより発表する。俺を含めた第1小隊と第4小隊は施設内部においてプール施設の確保及び、清掃を受け持つ。第3小隊と第5小隊は貯水槽及び、水の確保だ。第2小隊はそれ以外の設備の復旧を目指してくれ」

 

本作戦には女子はいないため、第5小隊のような女子が多く占めていた小隊は、他の小隊と合併している。

 

「全員が承知しているだろうが、今回の作戦は女子に気取られないようにするのが望ましい。本作戦中に女子と遭遇した場合、自身の言動などには気を付けろ」

 

『了解』

 

「よし、各小隊ごとに必要器具を持って発進。ポイント287へ向けて進行せよ」

 

戦隊長の命令に従い、掃除用具や工具を縛り付けた、各員のジャガーノートへと乗り込む。

 

……端から見れば、ある意味で異常な光景だよな。バケツとかモップを括り付けたジャガーノートって。

 

まあ、どうせ他の奴が見たところで、気にしはしないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一擦りは仲間の為、二擦りは女子の為、三擦りは仕事の為……いや、これは別に仕事ではないな。

 

むしろ、俺がやっているのはボランティアなのでは……?

 

「ファイド、こっちに水を撒いてくれ」

 

「――ピッ」

 

ファイドのアームが水が入ったバケツを持ち上げ、汚れに向けて掛ける。

 

ぱしゃっという音ともに、濃緑の汚れに水が拡がっていく。

 

「……俺もハルト達みたいに中の掃除が良かったな」

 

「抽選の結果だからな。仕方がない」

 

コケ臭い上に、汚れにまみれ、更に汚れも落ちにくいと来ると、流石に貧乏くじも良いところだ。

 

「とはいえ……ダイヤ達もこんな大きいプールをよく見つけたな。それに建物も全然、壊れてないんだしな」

 

「このエリアは、レギオンの主な侵攻ルートから外れているというのが大きいだろうな。だから、比較的に損傷も軽微なんだろう」

 

まあ、レギオンからすれば、わざわざプールを踏み荒らす必要なんてないわけだしな。

 

効率の良いルートがあるんだったら、そっちを選ぶに決まってる。

 

「しっかし……こうも広いと掃除する側は大変だよ」

 

俺自身の偏見ではあるが、こういった市民プールの長さというのは25メートルというイメージがあった。

 

しかし、このプールはその二倍、50メートルはある。

 

「戦争が始まる前は、市民だけでなく、市民大会の会場としての利用もあったのかもしれない」

 

「確かに、そうかもな……」

 

シンの言う通り、この戦争が始まる前は大会、または市民の憩いの場として多くの人々に利用されていたのだろう。

 

けれど、もう此処に戻ってくる市民はいない、これからもずっと……

 

「年月をいかでわが身に送りけむ きのふの人もけふはなき世に……まあ、俺は西行法師ではないけどさ」

 

「極東の"ワカ"だったか? どういう意味なんだ?」

 

「無常なこの世で、昨日まで健在だった人が、今日は故人になってしまったって意味さ」

 

先に逝った彼等と、ここにいる俺達は早いか遅いかの違いでしかない。

 

人はどうやってっも、いずれは死んでしまう。

 

戦場で死ぬのかもしれないし、自分で死ぬかもしれない――

 

「さ、手を止めないでさっさと仕事を終わらせよう。コケ臭くて敵わない」

 

「ああ」

 

そうして、未だに残る濃緑の汚れに向き合ったとき、勢いよく給水ポンプから大量の水が飛び出してきた。

 

「おわっ……!?」

 

「水が出てきた……向こうはどうやら仕事を終わらせたらしいな」

 

これでとりあえず、一つの目標である水の確保は達成か。

 

拡がっていく水の感触を裸足で感じている中、ダイヤが走ってきた。

 

「おーい! 二人とも! やったぞ、水がようやく出た!!」

 

「ああ、ちょうど確認したよ。ところで……ちょうど良いタイミングで来たな? ダイヤ」

 

そちらの仕事が終わったというのなら、是非とも手伝っていただこうじゃないか。

 

「え?」

 

「そんな仕事熱心な君には、新たな仕事として、このたわしでコケを落とすという仕事を授けよう」

 

満面の仕事スマイルでダイヤにたわしを渡す。

 

「いや、その……」「ダイヤ」「はい、やります……」

 

「水の確保が出来たのはいいが、消毒剤はどうするんだ? すぐに撒くわけにはいかないんだろ?」

 

「ああ、それに関してはある考えがあってな。その日限りならそれでなんとかなるかもしれなッ!?」『

 

パシャりと跳ね上げられた水が俺の顔面に直撃する。

 

水を掛けたダイヤはニヤニヤと笑いながら口を開く。

 

「へへへ、油断大敵ですぞ? ユウヤ君?」

 

……上等じゃないか、そっちが先に引き金を引いたんだからな?

 

「ファイド、新しいバケツを持ってきてくれ。少々、お掃除が荒くなるからな!」

 

「ちょっ!? ま、待て! バケツはなし……うぉっ!?」

 

バケツに入った水をダイヤに向かってぶちまける。

 

バシャッと重い水の音とともにダイヤの顔だけでなく、半身さえも水浸しにする。

 

「ユウ! お前、バケツはなしだろ!」

 

「俺の国にはこんな言葉があってな――やられたら、やり返す。倍返しだ」

 

『シン~? こっちも掃除が終わったぞ……ってなんだなんだ?」

 

建物の中から出てきたハルトはプール上で繰り広げられる仁義なき戦いに興味を向ける。

 

「お、なんだなんだ? 早速、遊んでんのか?」

 

「おいおい、お前らもガキじゃねえんだから……」

 

そのやり取りに混ぜろと言わんばかりのクジョー、呆れるライデン。

 

「喰らえ、殺人スイング!」「ほんと……子供じゃないんだから。へぶっ!!」

 

ハルトがバケツを大きく振りかぶって、中の水をぶちまける。

 

そして、解放された水弾は不運にも目の前のやり取りを傍観していた、セオに直撃する。

 

「あっ、悪い」 「やったな!」

 

びしょ濡れになったセオがやり返そうとバケツの水をフルスイングでぶちまける。

 

しかし、狙いは大きく逸れ、先程までのセオと同じく、呆れながら傍観していたライデンに直撃してしまう。

 

「あっ」 「……成る程。お前ら、覚悟しろよ」

 

『おわっ!?』

 

ライデンによるバケツ二刀流のスイングにより、ダイヤとクジョーの顔面に水がぶちまけられる。

 

「うわっ……顔に勢いよくいったな」

 

事の発端の俺が言うのもアレだと思うが、ここに来た目的を忘れてないか?

 

まあ、各自が本気で嫌がってる訳でなく、一周回って楽しんでいるみたいだし、収まる所には収まったのかもしれない。

 

「案外、俺達も思った以上にガキなのかもな」

 

「ふっ……どうした? いきなり」

 

今はレギオンとの戦争で、同じ86として共に戦っている関係であるが、この戦争がなければ、そもそも出会うことすらしないで各自の人生を送っていたのだろう。

 

そして、この場にはいない女性陣にも同じことが言える。

 

「いや……なんでもないよ。」

 

「おーい、そこの仏頂面二人組! こういう時は思いっきり楽しまねぇと! だって笑えなくなったら負けだぜ!!」

 

ったく……誰が仏頂面だよ、少なくともシンよりは表情豊かなつもりだよ。

 

「……だそうだ、死神殿。ここは1つ共闘といこうじゃないか」

 

「そうだな……」

 

あったかもしれない人生の光景など、女々しい妄想でしかない。

 

今、この瞬間を精一杯、自分のすべきことへと費やす。

 

それが俺の人生の使い方だ。

 

その後、プールの清掃が終わったときには全員の野戦服がびしょ濡れになっており、整備班長と洗濯当番の女子からキツいお達しがあったのは別の話である。

 

 

 

 

 

 

"If a man does his best, what else is there?" - General Geoge S. Patton

人間が最善を尽くせば、他に何が必要だろう? ―― ジョージ・S・パットン将軍




こんな子供時代を送りたかった、ジャガーノートに乗るのは勘弁な!


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プール(仮)設営作戦・③

ひとまず、設営作戦シリーズはこれで最後となります。次は花見回でも書こうかな……


"Nothing in life is so exhilarating as to be shot at without result." - Winston Churchill

撃たれても無傷なほど爽快なことは人生にはない。―― ウィンストン・チャーチル

 

 

 

 

 

 

大きな仕事を終えた後の夜風というのは、いつも以上に心地が良いものだ。

 

あまり身体を冷やすというのも良くはないのだが、今日くらいは許して欲しい。

 

そんな中、こちらへと近付いてくる気配を感じ、思わず口を開いた。

 

「どうした? こんな時間まで起きて。明日に響くぞ」

 

「それはユウもそうだろ? 遠足が楽しみで眠れないのか?」

 

廊下の陰から現れた少女――カイエ・タニヤは少年のような笑みを浮かべながら話す。

 

「その遠足の為に、今日は大仕事をしなくゃいけなかったもんでね……」

 

「私も驚いたさ。帰ってきたら男性陣がみんな出掛けてて、帰って来たと思ったら、全員がびしょびしょに濡れて帰って来たんだからな」

 

おかげ様でジャガーノートのシートがびしょびしょに濡れてることで整備班長に怒られ、洗濯当番のアンジュからもキツいお叱りがあった。

 

仕事を増やして悪いとは思ってはいるが、プールという環境上、ああなってしまうのは仕方ないことだと思いたい。

 

「アンジュ達には悪いと思ってるさ……まあ、遠足に行けばびしょびしょになるのは目に見えてるんだから。その予行ということで一つ」

 

「それで本人が納得するのならな。まさか、戦場に出てプールに入ることが出来るとは思わなかったな」

 

「そう言って花見とかもしたんだ。良いんじゃないか? 催しが多い方が退屈はしない」

 

端から見れば、皮肉なことだろう、文字通りの最期の任地で生を謳歌するというのは。

 

だからこそ、大きな催しも小さな催しも全力で、今を楽しんで生きているのだ。

 

笑えなくなったら、負けか……案外、クジョーの言葉を的を得ているのかもしれない。

 

「それにダイヤ達にとっては、ある意味、天国かもしれないしな」

 

「ユウ。一応、私も女なんだが……下心がひしひしと感じるぞ?」

 

「誘いに乗った時点である程度は分かっていただろ? それに覗きを敢行されるよりはまだ、合法だろ?」

 

「まあ、そうだけどな。私だって誰彼構わず、肌を晒したりはしたくないってことさ」

 

別に誰にその肌を晒すかは彼女の好きにしてもらって構わないが……

 

まあ、彼女なりの感じ方があるみたいだし、とやかくは言わないでおこう。

 

そんなやり取りをしている内に、カイエがかわいらしい欠伸を漏らす。

 

「ふあぁ……すまない。はしたない所を見せたな」

 

「別に気にしないから良いよ。それよりも早く寝たらどうだ? 夜更かしは美容の大敵だぞ?」

 

「むぅ……少しぐらいは――そうだな、私もそろそろ床に着くことにするよ。おやすみ朴念仁」

 

朴念仁ってなんだよ……今のやり取りでなんかやっちゃいけないことでもやったか?

 

まあ、いいや……何時ぞやみたく、ヘタレとか言われるよりはまだ良い。

 

「あぁ、おやすみ。また明日な」

 

自分の部屋へと戻っていくカイエを横目で見送りながら、懐の音楽プレーヤーを取り出す。

 

夜更かしが云々とカイエには言ったけど、俺はもう少し夜風に当たらせてもらおうかな。

 

「――♪」

 

俺の主観でしかないが、一人でこういう夜の日には穏やかな曲が合っている気がする。

 

――月が綺麗……なんて、言う相手がそもそもいないけどさ。

 

イヤホンから響くピアノの旋律と身体を撫でる夜風に身を委ね、少年の夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日の天気は見事に快晴、プール開きにはもってこいの天気と言える。

 

故に設営を担当する、男子退院は朝早くから大忙しである。

 

「シンのジャガーノートは其処に、俺のジャガーノートは対岸へ配置してくれ」

 

「分かった。ファイド、頼む」

 

「――ピッ!」

 

ファイドが俺のジャガーノートを50メートル先の対岸まで牽引する。

 

プール槽の中に高周波ブレードが入る体勢で、ジャガーノートが屈む。

 

ブレードの角度や、ジャガーノートの体勢の角度を確認した後に、貯水槽の方で待機しているダイヤにパラレイドを繋ぐ。

 

「よし、ダイヤ。水をこっちへ流してくれ。深さはこっちで指示する」

 

『了解! 今から流すぞ』

 

その言葉と共に、給水口からは水が勢いよく流れ出した。

 

よし、給水は問題なく出来てるな、後はこっちの作業を済ませれば、一通りの工程はクリアだな。

 

「ライデン。ジャガーノートをシンと同じような感じで屈ませてくれ」

 

「了解だ。しっかし……お前らいつもはこれで、レギオンに突っ込んでんだな」

 

「慣れれば、けっこう使いやすい物だよ。……もう少し屈ませてくれ、ブレードの真ん中がプールの中に入るくらいな感じだ」

 

「俺には到底、無理だろうけどね……こんなもんか?」

 

流石、ライデン。かなりアバウトな指示を出してしまったつもりだったが、綺麗に合わせてくれるとは。

 

「パーフェクトだ。クジョーもライデンと同じような感じで頼む。間違ってもプールに落っこちるなよ?」

 

「おう、任せとけ!」

 

よし、クジョーの方もブレードと機体の角度的にも問題は無さそうだ。

 

二人の作業工程を見守っていると、後ろから一人の大人が声を掛けてくる。

 

「おう、ユウヤ。配電盤とパワーパックとの電路構築が終わったぞ。これで何時でも電気が流せる」

 

「ありがとうございます。こんな朝早くから手伝ってもらってすみません。整備班長」

 

「馬鹿野郎、こういうのは大人にちゃんと相談しろってんだ。お前らが触って事故でも起きたらどうするんだ!」

 

整備班長のご指摘はごもっともである、戦隊メンバーに電子工学を修めている者なんている筈もない。

 

とはいえ、まさか、早朝から格納庫前で待ち構えているとは……見かけた時は驚いたな。

 

そして、あろうことか設営の手伝いまでしてくれるとは予想外だった。

 

まあ、そのおかげで電気関係の復旧が迅速に進んだし、なおかつジャガーノートの調整もスムーズに出来た。

 

「しかし、足りない電力はジャガーノートのパワーパックから補い、水はブレードの熱で温めるか……面白いことを考えるじゃないか」

 

「当初は消毒もジャガーノートのブレードの熱で行うつもりでしたが、整備班長のおかげで消毒設備が復旧したので、だいぶ楽することができました」

 

「ヒーターが死んでなければ、そうする必要はなかったが、流石に館内の予備部品だけじゃ足らねえからな」

 

「消毒設備が無事に復旧しただけで大分、助かってます、薬剤の備蓄が倉庫にあったのも幸運と言えますし、これ以上を望むのは贅沢が過ぎるかと」

 

「馬鹿野郎、ガキは我が儘なくらいがちょうど良いんだよ」

 

我が儘……か、普段からけっこうワガママに生きてきたつもりだったけど、この人にとってはそうでも無いみたいだ。

 

「ん? 水も貯まってきたな……よし、ダイヤ、水を止めてくれ。シン達もブレードの用意だ」

 

『了解、止めるぞ!』

 

「ブレードの周波数は下げてあるとはいえ、止めて水から離しても暫くはそのままにしとけよ?」

 

「了解です」

 

整備班長の元を離れ、自分の機体が鎮座している対岸へと駆ける。

 

早朝から予想外な出来事に見舞われたが、むしろそのおかげで女子が来るまでに設営を終わらせることが出来る、

 

整備班長のお節介には毎度、頭を下げずにはいられないな……

 

「ファイド、水温の計測は任せるぞ」

 

「――ぴっ♪」

 

任せろと言わんばかりにアームを揺らすファイドに思わず、笑みが漏れる。

 

そして、ジャガーノートに乗り込み、シン達と同じような角度で機体を屈ませる。

 

「よし、各員ブレードを起動してくれ」

 

キュィィという振動音と共にブレードが振動を開始し、ブレードの刃の中ほどまでを水中に沈める。

 

さて、後はファイドの合図を待つだけだな……

 

作業を始めたのは太陽がまだ、登り始めた時だったのだが、既に太陽は燦々と輝いており、昼の到来を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな水飛沫とともに、歓声が沸き起こる。

 

跳ね上がった水は男女問わずに降りかかり、一人は水を掛けて反撃を試み、もう一人は自らの身体を使って、水を跳ね上げる。

 

ある者から見れば、児戯とも言えるし、別の者からすれば天国とも言えるだろう。

 

「いやはや……これまた、大盛況だな」

 

「あら、ユウヤ君は入らないでいいの? 気持ちいいのに……」

 

そう聞いてきたのは、黒のラッシュガードを着込んだアンジュ。

 

「生憎、そうしたいのは山々だけど、特殊な事情があってな……」

 

「事情?」 「単に泳げないだけだろ? ユウ」

 

……なんで本当のことをすぐに言っちゃうのかね、カイエさん?

 

俺が戦隊メンバーに隠してきた秘密をあっさりと暴露したカイエは薄い桃色のワンピース水着を着用している。

 

「あら、意外……」

 

「……そうですよ。生憎なことに俺は超が付くレベルのカナヅチなものでね。腰から上に水があるなら泳がないようにしてるんだよ」

 

俺も残念なことに完璧超人という訳でなく、人から生まれた人の子である。

 

苦手なことが一つや二つあったとしても、仕方がないことである筈だ。

 

それに無理に克服しようとして、死因がプールでの溺死と記録されるのは御免被りたい所である。

 

「おーい! 三人とも何してるの? こっちに来なよ!」

 

赤いフリルビキニを纏った、クレナがこちらへと手を振る。

 

戦隊のマスコットキャラ的な位置付けの彼女だが、幼い見た目に反して女性らしさというのは、しっかりと成長しているのだから、人間の成長とは全く不思議なものである。

 

『おー……』

 

そこの覗き組諸君、反応するのは分かっていたけど、もう少し隠す努力をしたらどうだ?

 

「どうするんだ? クレナがお呼びだぞ?」

 

「二人が行けばいい。俺はこうしてても楽しいからさ」

 

クレナに悪気がないのは分かっているのだが、誘いに乗って溺れるくらいならここでゆったりと過ごさせてもらう方が良い。

 

それに、カナヅチであることも秘匿できる――まさに一石二鳥というわけだ。

 

「カイエちゃん」 「ああ。なあ……ユウ」

 

アンジュとカイエが何か結託してるみたいだが、ここのポジションから一切、動くつもりはない。

 

「何さ? 俺はここを動く気はないぞ?」

 

「私、思うのよ。折角のクレナちゃんの誘いを断るって心が痛まない?」

 

「いや、申し訳ないとは思うけど……対応出来ないことを求められても仕方ないだろ」

 

「ユウはクレナに料理の仕方を教えているんだったな。なら、今日はクレナに泳ぎ方を教えてもらうというのは、等価交換として成立するんじゃないか?」

 

……え? これって俺の身がヤバくないか?

 

嫌な予感を察知して未来視を使うと、二人に両側から押さえ込まれている情景が映る。

 

……よし、逃げよう。

 

「あ、あっちにUFOが」

 

「そんなことで逃げられると思ったら、大間違いだぞ?」

 

「うふふ……大丈夫よ。先生が手取り足取り教えてくれるから」

 

カイエに左側を、アンジュには右側をしっかりと押さえ込まれ。その場で拘束される。

 

そして、ジリジリとプールの元へと身体を引かれていく。

 

「ちょっと待て、お前らに人の心はないのか!?」

 

「クレナ、ユウは泳ぎに自信がないようだ。だから、先生としてしっかり教えてやってくれ!」

 

「おい、何言って……おわっ!?」

 

背中を強く推され、前方へ倒れ込む。

 

その拍子に視界にはプールの青い光景が拡がり、その直後に水の冷たさと重みに身体が包まれる。

 

「ぶばっ……いきなり、何をするんだ!?」

 

「ふふ……ユウ君!」

 

プールの岸辺を掴み、何とか身体を安定させて、不敵な笑みを浮かべる二人に抗議してやろうとした瞬間、クレナに腕を掴まれる。

 

いやいや、何でそんなに楽しそうなのさ……俺は泳げないんだよ?

 

「大丈夫!泳げなくても、先生がしっかりと教えてあげましょう!」

 

「教えてもらわなくていいんで、陸へ上がらせてもらえると助かります」

 

気分が上々のクレナに俺の意見は一切、届かず、水深が深い方へと腕を引かれる。

 

……畜生、後で覚えとけよ、

 

俺の嘆きは二人には一切、届かず、俺の身体は水の中へ引かれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

先生(クレナ)に腕を引かれて、ばた足をする少年の姿を見て、思わず笑みが漏れる。

 

「カイエちゃん、なんだか嬉しそうね?」

 

「いや、久しぶりに素のユウが見れたって思ってな……いつもは色々と強がってるから」

 

どうしても私達はシンやユウの"目"や彼らの戦闘力を頼ってしまうことが多い。

 

けれど、彼らだって人間であることは分かっているし、苦手なことがあることぐらい承知の上だ。

 

でも、ユウはそれらを見せまいと強がることが多い。

 

そして、それは戦闘中でもそうだ。

 

未来視の使いすぎで身体が悲鳴を上げていても、私達にはいつも通りに接しようとする。

 

本当は立つのだって辛い筈なのに、誰かを手伝おうとする姿を見ているのはとても辛い。

 

戦隊の皆もユウが無茶しがちなのは、分かっているし、負担を少しでも削ろうと努めている。

 

けど、分かっている筈なのに、何処かでユウの無茶に甘えてしまっている自分もいるのだ。

 

それがユウ自身の命に関わるようなことであったとしてもだ。

 

「フフ……よく見てるのね、ユウヤ君のこと」

 

「そうかな……?」

 

私にとって、ユウは何度も命を救ってくれた恩人だ――いや、それだけじゃない。

 

私に初めて手を差し伸べてくれて、初めて仲間と呼んでくれて、初めて心を交わした……大切な存在だ。

 

ユウはこれっぽっちも意識なんてしてないだろうが、数え切れないモノを私はユウから貰った。

 

だからこそ、私はユウが願いを叶える助けになりたい……でも、今のユウの願いは意味のある"死"だ。

 

ユウの願いを叶えることを一番と考える私と、ユウの願いを踏みにじってでも、生きていて欲しいと願う自分勝手な私。

 

……私はユウの何になりたいんだろうな?

 

そんな疑問が脳裏に浮かんでは、答えが出せぬまま消えていく。

 

「カイエ! アンジュ! 二人も一緒にユウに泳ぎ方を教えようよ!」

 

「あらあら……先生役一人じゃ、荷が重いみたい」

 

「そうみたいだな……私達も行くか!」

 

そう言ってプールへと勢いよく飛び込む。

 

勢いよく跳ね上がった水飛沫は生徒(ユウ)へと襲いかかる。

 

「ぷはっ……何で飛び込んでくんだよ……?」

 

「いやはや、教官殿の直々のご指名とあらば、早急に加勢しなくてはいけないだろう?」

 

ユウの願いがいつ、叶うのかなんて私には分からない。

 

もしかしたら最後の任務まで叶わないのかもしれないし、明日に叶うのかもしれない。

 

もしも、その願いが叶う時が来るとしたら、私は側に居れるのだろうか? そして、それを素直に祝福できるのだろうか……?

 

でも……今は、せめて今、こうして楽しい時間の時は……私からユウを奪わないでくれ。

 

時間は進む、楽しい時も辛い時も関係なく――彼女の答えが出る時は刻々と迫っているのだ。

 

 

 

"As we express our gratitude, we must never forget that the highest appreciation is not to utter words, but to live by them." - John F. Kennedy

最高の感謝の表し方とは、言葉ではなく、それを指針として生きることだ。 ―― ジョン・F・ケネディ

 

 

 




水着のイメージが一番悩みましたが。皆さんはどうでしょうか?


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阿吽の呼吸観察記録・①

時系列は4月~5月辺りをイメージしてます


"Only those who will risk going too far can possibly find out how far one can go." - T.S. Eliot

「危険を冒してでも可能な限りやろうとする者だけが自らの可能性を知る事ができる」――T・S・エリオット

 

 

 

阿吽の呼吸という言葉をご存知だろうか?

 

言葉の意味としては、二人以上が一緒にある物事をするときに相互の気持ちの一致することやその微妙なタイミング、またその間合いを巧みにつかむことを指す。

 

要するに相手の考えていることや、相手が欲しているものを察しすることなのだが、実際にやってみるとかなり難しい。

 

そもそも、相手が何を欲しているのかなんて、相手に聞かないと普通なら分からないし、況してや考えていることなんて心を読むことが出来なければ、知ることすら出来ない筈だ。

 

故に阿吽の呼吸を実践するというのは、両者が深い関係でないと意思の疎通すら儘ならないのである。

 

尤も目の前の二人は、そんなことなど意識してすらいないのだろうが。

 

「ユウ、あれって何処にやったんだ?」

 

「食堂の棚の中にあるよ」

 

「……」

 

目の前の二人のやり取りをじっと見つめるのは、スピアヘッド戦隊のマスコットことクレナ・ククミラ。

 

普段は子供っぽい言動と行動が目立つ彼女が大人しく彼らを見つめている理由は三時間ほど前に遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

本日の天気は雲一つない快晴で、絶好の探索日和と言える。

 

そのため、第4小隊と第6小隊は散歩と称して、郊外の農場までやって来ていた。

 

ここらの農場はかねてより、野生化した栽培物が多くある場所で、俺達にとっては貴重な果物を採取できるスポットである。

 

また、ここに探索に来る小隊には採れた果実の幾つかを食べて良いという暗黙のルールがあるため、ここの探索だけ抽選になるくらいには人気がある。

 

そして、今回は幸運にも、我ら第4小隊と第6小隊が抽選を勝ち取り、ここへ赴いたのだ。

 

「まさか、カイエが当選するとは……これは第4小隊の抽選代表をクジョーからカイエに変更した方が良いかもな」

 

「ふふ、私は一向に構わないぞ? 」

 

遠くでは、男子が木に登って遊んでおり、一方の女子は採ったサクランボに舌鼓を打っていた。

 

本来、こうして郊外に出る者にはレギオンに対する哨戒、戦隊のための物資回収という役割が与えられる。

 

しかし、この戦隊ではシンの異能や、俺の目があるため、こうして遊んでいる余裕が出来るのだ。

 

「あっ、ユウ~、カイエ~!! こっちこっち!」

 

サクランボを口に咥えながらこちらを呼ぶのは第6小隊の小隊長であるクレナだ。

 

「あまり食べすぎるなよ? まだ、夕飯があるんだからな」

 

「大丈夫、果物は別腹だから!!」

 

いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだが……まあ、いいか。

 

「ん? そういえば、ユウ。アレはどうしたんだ?」

 

「ああ、ついでだしファイドに運んでもらうことにしたよ」

 

「えっ……?」

 

今の会話は、当の二人にとっては何も変哲がない会話である。

 

しかし、その会話に一つ疑問を抱いた少女は思わず、問いかけた。

 

「ねえ、ユウ、カイエ。何の話をしてたの……?」

 

「いや、ハーブティーに使う野草も、缶詰と一緒にファイドに運んで貰おうって話だけど……?」

 

目の前の少年は質問の意味が分からないと言わんばかりの表情を浮かべる。

 

ふと、もう一方の少女が何かを思い出したような様子で口を開いた。

 

「あっ、確かまだ……」

 

「あぁ、分かった。帰ったらやっとくよ」

 

「ありがとう。面倒をかけてすまないけど、お願いするよ」

 

……まただ、この二人はこれで会話が成立しているのだろうが、旗から見ていると何について話しているのかさっぱりだ。

 

「カイエ、今のは何の話……?」

 

「えっ? 前に使いきれなかった野草の残りを処分できてなかったから、処分を頼んだだけだが……」

 

「へぇ……」

 

彼らは別にパラレイドを使っているわけではない。

 

普通に会話をして、普通に意志疎通を図っているだけである……少なくとも当の彼らにとっては。

 

しかし、彼らの会話を聞いていると、名詩を使っておらず、更にはお互いの話題についても全くの齟齬がないのだ。

 

二人はテレパシーでも使えるのだろうか……それとも、読心術か?

 

この時、少女は以前、廃墟の図書館で読んだ漫画の内容を思い出していた。

 

その漫画の中でも、主人公とヒロインがまるで、互いに通じあっているかのように、会話をしているシーンがあった。

 

「これって……二人は!!」

 

少女の脳裏では、かつて読んだ漫画のシーンが、目の前の少年と少女に置き換えて再生され、内容もエスカレートしていく。

 

漫画では、主人公とヒロインの二人は、互いに運命の相手と言われていたが……

 

ふと、何を思ったのか、脳裏でリピートされる漫画のシーンを自分とスピアヘッド戦隊の戦隊長である黒髪の少年に置き換えてみる。

 

「あっ……」

 

その瞬間、少女の脳は計り知れない高揚と歓喜のあまり、ショートしてしまった。

 

目の前の二人のように、以心伝心を体現することが出来れば、彼の役に立てることは間違いないし、きっと今以上に親しい関係になれるだろう。

 

そうとなれば、自分がすべきことは――彼らの観察である。

 

昔の言葉で、彼を知り己を知れば百戦殆からず、とあるように古来から情報の重要性は説かれてきた。

 

彼らとて、人間だ。きっと何か意図を伝えるようなアクションがあるに違いない。

 

そう考えた少女の目は、獲物を見据える狙撃手のように真剣なものになった。

 

こうして、無謀とも言える、少女の阿吽の呼吸観察記録が始まったのだった。

 

 

"Five second fuses only last three seconds." - Infantry Journal

5秒の信管は、残り3秒しかない。 ―― インファントリー・ジャーナル誌

 



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阿吽の呼吸観察記録・②

大変おまかせしました……


 

 

"Ask not what your country can do for you, but what you can do for your country." - John F. Kennedy

国家が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国家の為に何ができるかを問いなさい。 ―― ジョン・F・ケネディ

 

 

 

 

 

 

豊かな食事というのは、自然と箸が進み、人との会話も弾むものである。

 

また、自分から会話に参加しない質であったとしても、豊かな食事をとれることが精神的にも良いことであることに変わりはない。

 

故に皆が集まる食堂では、各々がわだ話題を持ち出し、ざわつきが途切れることはないのだ。

 

そう、途切れることはない筈なのだが……

 

『……』

 

俺とカイエは思わず口を閉ざす。

 

いつもならカイエが話題を振って、適当な受け答えをするというのが通例である。

 

しかし、今日に限っては両者ともに思わず、口を閉ざしてしまっていた。

 

そんな彼らをスプーンを咥えた赤髪の少女は、じっと見つめている。

 

「なぁ、ユウ……クレナはどうしたんだ? ずっと私達を見てるが……」

 

「むしろ俺が知りたいよ……」

 

俺達のやり取りをまるで敵に狙いを合わせる狙撃手のような眼差しで見るクレナ。

 

彼女がこうなったのは今朝からのようで、カイエが花に水やりをしてるときから片時も目を離さないで、見ているらしい。

 

当初はカイエがシンのことでクレナを弄ったのかと思ったのだが……俺も彼女の偵察の対象となると、それは違うと判断した。

 

かといって、俺達がクレナに何かしたのかといっても、当の俺達に心当たりは一切存在せず、真剣な瞳で見つめる彼女に理由を問うことも出来ずにいた。

 

「見た感じ……何か観察してるって感じだが……」

 

「私達の何を観察してるんだ? 特別なことなんて何もしてないだろ?」

 

事実、俺達はいつも通りに過ごしてるつもりだ。

 

クレナにとっても、特に凝視するようなことなんてないと思うのだが……

 

「なぁ、レッカ。クレナ……どうしたんだ?」

 

「さあ? とりあえず今朝からあんな調子よ。あんた達こそ、心当たりとかないの?」

 

その心当たりがこちらにはないんだが……

 

クレナのルームメイトであるレッカにすら分からないとなると、男子の俺にはお手上げもいいところだ。

 

「やっばり、本人に聞くのが一番手っ取り早いか……」

 

「そうなんだが……声をかけても、はぐらかされてしまうんだ」

 

となれば、俺が普通に聞いたとしても同じ結果になるだろう。

 

「かといってずっと見られてままというのもな……カイエ、それを食べ終わったらちょっと付き合ってくれないか?」

 

「えっ? いいけど……成る程、そういうことか」

 

初めは俺の提案に対して、首を傾げていたカイエだが、すぐに意図を察したようでニヤリと笑う。

 

やり方としては少しばかり強引になってしまうが、わだかまりを残したままにするよりは良い筈だ。

 

それに、親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるようにプライベートの時間もずっと見られるというのは、勘弁願いたいところである。

 

スプーンをプレートに置き、席から立ち上がった。

 

「ごちそうさまでした」

 

「私もごちそうさまでした」

 

俺が立ち上がったのを合図に、カイエもプレートを持って立ち上がる。

 

さて、クレナは……予想通り、急いで残りを食べだしたな。

 

クレナが俺達の何を観察しているのかは分からない。

 

けれど、本人が何かを知りたがっていて、その過程で俺達の観察をしているということは分かる。

 

であればこそ、本人に話を聞かなくてはならない。

 

廊下の突き当たりを曲がり、その場で足を止める。

 

「尾行とは穏やかじゃない。そう思わないか?」

 

「――っ!?」

 

俺達が足を止めたとは知らない赤髪の少女は、驚きを隠せず数歩ほど後ろへと下がる。

 

そして、少女の後ろからはカイエが逃げ道を塞ぐように現れた。

 

「クレナ、今日はどうしたんだ? ずっと私達のことを見ていたが……」

 

「えっ!? あっ、その……」

 

「クレナ。別に俺達はクレナのことを咎めようとしてるわけじゃないんだ。もしかしたら力になれるかもしれないからな」

 

「……この前、ユウとカイエが話してるのを見て、それで……」

 

この前……農場に探索に行った時のことか。

 

確かにカイエと会話してたけど……そんなことでずっと俺達を見てたのか?

 

「確かに話してたけど……別に特別なことはしてなかったぞ?」

 

カイエの言うとおり、俺達は特別な話をしてたわけでもなく、日常会話を多少していた程度だ。

 

「……『アレ』とか『それ』だけで話してた」

 

「まあ、確かに話してたけど……まさか、それでずっと俺達を見てたのか?」

 

クレナがバツが悪そうな表情で頷く。

 

「つまり……私達が『アレ』とか『それ』って言うだけで会話が成立してたのが気になったということか」

 

まあ、確かに端から見たら何故、会話が成立するのか、疑問になるくらいのやり取りをしてるんだろうけど……

 

かといって、当の俺達は特に意識しているようなことはなく、なんとなく相手の考えが分かる程度の認識だ。

 

そして、クレナとってそんな関係になりたいと思う人物は一人だけだろう。

 

「成る程……要はシンとこんな感じでやり取りをしたいって訳だな」

 

「えっ!? あっいや……そういう訳じゃなくて、そんなやり取りが出来たらもっと役に立てるかなって思って……別にシンのためだけって訳じゃ……」

 

クレナの反応からして、どうやら図星らしい。

 

しかし、俺達も意識していた訳じゃないからな。どうしてやればいいんだろうか。

 

「……とりあえず、何かで試してみるか?」

 

「試すって言ってもな……」

 

今の状態でシンとこのやり取りをしても、確実に首を傾げられて終わりだろう。

 

とはいっても、俺が練習相手になったところで、進展はないと思うのだが……

 

「まあ、やらないよりはマシなのかな……んじゃ、とりあえず今から食堂に戻ってマヨネーズを作るから、それでやってみるか」

 

「よ、よろしくお願いします! ユウ先生」

 

斯くして少年と少女による阿吽の呼吸会得訓練が幕を上げたのだった。

 

しかし、少年は未だ知らない。その訓練が少年が思う以上に前途多難のものになることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……クレナ。それを取ってもらえるか?」

 

「えっと……はい!」

 

少し考えた後、クレナが塩が入った容器をこちらへと差し出す。

 

「いや、そこの酢が欲しかったんだけど……」

 

「えっ? こっち!?」

 

まあ、当然こうなるよな……

 

やってみると言った手前、途中で投げ出すつもりはないが、如何せん続けることに意味を見出だせなくなってきた。

 

「ユウ、ごめん……」

 

「いや、むしろ俺の方こそ悪いな。分かりにくくて」

 

ボールに卵黄と塩、クレナに取ってもらった酢を入れてかき混ぜていく。

 

分かりにくいもなにも、そもそも相手が欲しているものが分かりようがないもんな。

 

「アドバイスしようにも、こればっかりはな……」

 

「……カイエは今の分かったの?」

 

「そうだな。お酢が欲しいんだろうなって頭に浮かんだよ」

 

「そっか……全然、分からなかった」

 

「別に焦る必要はないぞ。俺とカイエの場合は付き合いが長いってのもあるんだから、むしろクレナの反応が普通なんだ」

 

そう、むしろ俺とカイエがプロセッサーの中でも異例なのだ。

 

大概のプロセッサーで生き残る同期というのはいても二、三人程度で、一年も経てば、大半が死亡している。

 

そんな中でも最初の部隊から一緒――つまり、四年も共に生存しているというのは異例と言えるだろう。

 

「クレナはクレナのペースでやっていけば良いんだ。まだ時間はあるんだからな」

 

羅馬は一日にして成らずという言葉があるように、人との関係は短時間では成立せず、長い積み重ねがあってこそ可能である、

 

それを焦って進めても結局は瓦解してしまうのだ。

 

「うん……ありがとう」

 

その時だった、脳裏にあるビジョンが映ると同時に、レイドデバイスに熱が灯る。

 

廃墟の街に向かって歩みを進める数多の機械の軍勢――レギオンのご来訪だ。

 

「レッカか。どうしたんだ?」

 

『悪い知らせよ。一波来るらしいわ』

 

「こっちも見えた。今から二時間半後だな……構成はいつもの群れと同じで、後方に戦車型が控えてるな」

 

『了解。伝えておくわ』

 

「あいよ……という訳で二人とも、仕事の時間だ」

 

レギオンも悪いタイミングで来たものだ……まあ、向こうにとっては良いも悪いもないのだが。

 

「ハンドラーからの同調は……今日もなしか」

 

カイエが呆れたと言わんばかりに肩をすくめる。

 

前回に引き続き、今回もサボタージュかい……ほんと良いご身分なもんだ。

 

「別に白豚なんかいなくても、私達だけで大丈夫でしょ」

 

そうだな……役立たずのハンドラーが居ても居なくたも、いつも通りにこなすだけだ。

 

そんなことを思いつつ、ボウルを冷蔵庫にしまい、少年達は食堂を後にした。

 

 

 

"As we express our gratitude, we must never forget that the highest appreciation is not to utter words, but to live by them." - John F. Kennedy

最高の感謝の表し方とは、言葉ではなく、それを指針として生きることだ。 ―― ジョン・F・ケネディ

 

 

 

 



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阿吽の呼吸観察記録・③

ようやく二期開始ですね……もう長くは語りません。原作者の安里アサト先生、アニメ制作に携わる皆様、二期開始おめでとうございます。


 

 

 

大口径の滑腔砲がビルの外壁を貫き、飛来するロケットの爆轟は支柱を粉砕していく。

 

重力によって落ちてくる破片を避けながら、彼らは次の隠れ場所へと逃げ込む。

 

「10時方向から近接猟兵型のロケット! 着弾まで20秒!!」

 

『またか!? いったいどんだけ撃ってくんだよ!!』

 

アルミの棺桶相手に随分な浪費だと思うが、当のレギオンに弾を惜しむ思考なんてない。

 

圧倒的な性能と数を以て敵を殲滅する――それこそがレギオンの戦術なのだ。

 

故に同胞が幾ら倒れようが、自らが倒れようが、レギオンはその歩みを止めない。

 

しかし、こちらとて、ただ撃たれるのみという訳ではない。

 

ロケットの爆発によって宙を舞う土煙は、ビルの残骸に身を潜めた彼らの姿を隠すものの、無数の銃弾が砂煙の向こうから撃ち込まれる。

 

『毎度、アルミの棺桶に大盤振る舞いで涙が出るぜ……フェアリー、そっちから奥の近接猟兵型を狙えるか?』

 

「今、回り込んでる。そのまま前の群れに突っ込むから、出てくる奴は任せるぞ』

 

『おう! でも、無茶はすんなよな! 帰ったらオッサンが怒るからな』

 

確かに、我らが戦隊の整備班長の雷を落とされるのは勘弁願いたいところだ。

 

ならばこそ、厄介事はさっさと片付けるに超したことはない。

 

崩れたビルの隙間から飛び出すと、足元には無数の金属特有の光沢が広がる。

 

一周回って幻想的にも見える光景のそれは、一体一体が蠢き、こちらに迫る敵を殲滅せんと携えた武器を向ける。

 

瞬間、脳裏に映る斥候型の銃弾の軌跡と、近接猟兵型のロケットの噴炎。

 

そのどれもが、こちらの致命傷なり得る一手となる。

 

ロケットランチャーを開いた近接猟兵型と目が合うと同時に、背部に背負った滑腔砲のトリガーを引く。

 

放たれた徹甲榴弾は近接猟兵型のランチャーへと突き刺さり、内部のロケットと共に爆ぜる。

 

大きな爆煙は轟音と共に瞬く間に拡がり、ジャガーノートの内部にも焦げ臭い匂いが染み込んでいく。

 

「まずは一体……」

 

爆発の反動によって機体が揺らぐと同時に、近くのビルの支柱にアンカーを撃ち込む。

 

ワイヤーがアンカーに引かれ、機体の足がビルの壁に付く。

 

そして、ビルの壁を蹴り、サブアームのブレードを展開して、未だ黒煙が立ち込める地面へと飛び込む。

 

機銃を乱射する斥候型を切り裂き、同胞の撃破を察知した近接猟兵型は飛びかかるように脚部のブレードを振るう。

 

その一閃を躱しながら、近接猟兵型の即目へと回り込み、至近距離から滑腔砲を叩き込む。

 

黒煙を吐きながら倒れる近接猟兵型の後方から、斥候型が機銃を乱射しながらこちらへと迫る。

 

掃射を避けながら、ビルの間の路地へと逃げ込む。

 

その時、こちらを追っていた三体の斥候型がビルの上からの砲撃によって爆ぜる。

 

「ナイスショット。キルシュブリューテ」

 

『まったく、無茶しすぎだ! そっちに当たらないかヒヤヒヤしたぞ!』

 

怒りながらも、こちらの無茶に応えてくれるのは流石と言うべきか。

 

もはや、言うまでもないが、ジャガーノートにこんな動きは想定されていない。

機体のリミッターを外したり、モーターの出力を弄ったりと各々に会わせた設定にすることで初めて可能となる。

 

しかし、それは逆を返せば機体を酷使していることに他ならない訳で、戦闘後には足回りの部品が悲鳴を挙げているなんてザラだ。

 

『しかし、今日は数が多いな』

 

「だな……こっちも片付き次第、第3小隊の援護に回るぞ」

 

『了解』

 

すれ違い様に斥候型をブレードで切り裂き、第3小隊が受け持つ区画へと向かう。

 

『さっすがフェアリー! 今日も絶好調だな!』

 

「お褒めにあずかり恐悦至極。まあ、"羊" だけならこんなもんだろ」

 

性能差と数を活かした力押し、レギオンの基本戦術だが、裏を返せば"羊" のレギオンにはそれしか能がない。

 

脅威ではあるものの、単純な力押しに対するやり方というのは最初から心得ている。

 

ジャガーノートのレーダーにレギオンの赤いマーカーの他に、青い友軍マーカーが映り出す。

 

そして、砲弾の爆音が鳴り響くと同時に、一機のジャガーノートか隣のビルへと跳び移っていく。

 

「随分と手間取ってるみたいだな? ラフィングフォックス」

 

『おかげさまでね。さっきからロケット撃たれたり、機銃撃たれたりと大忙しだよ』

 

苛つきが混じった声でそう言った少年のジャガーノートがビルの下を進んでいく斥候型を撃つ。

 

『だそうだ。シリウスとレウコシアはそのまま、地上でアルテミス達の加勢に入れ。キルシュブリューテとガンメタルスコームはビルの上から下の奴等を撃ち下ろせ』

 

『『了解!』』

 

『ラフィングフォックス、こっちはそのまま群れに突っ込むから、俺を撃たないでくれよ?」

 

『ラフィングフォックス了解。間違っても当たんないでよね、フェアリー!』

 

機体を全速力で走らせ、細道から大通りへと飛び出す。

 

先鋒の斥候型がこちらの接近に気付き、複数で機銃を掃射してくるが、機体を屈めながら滑らせて掃射を避ける。

 

斥候型も機銃を撃ちながら、こちらを追従するが、ビル上からの砲撃がその身体へ突き刺さる。

 

砲弾の爆発によって他の斥候型が止まり、こちらは舞い上がる土煙の中へ飛び込み、ブレードを展開する。

土煙に紛れながら、通り際に一体の横腹を切り裂き、もう一体の懐に飛び込み、滑腔砲を撃ち込む。

 

『ほんとよく銃弾の雨の中に突っ込んでいけるよね。絶対、何発か当たるでしょ』

 

「当たったらマズイやつだけを躱せばいいだけさ。ほら、20秒後に新しい群れがこっちの大通りに入って来るぞ」

 

『それ、出来るのフェアリーだけだから……ラフィングフォックス了解。このまま上を取るよ』

 

ブレードの一閃を受けた近接猟兵型が崩れ落ちるのを傍目に、笑う狐が描かれたジャガーノートが隣のビルのへと跳び移り、大通りの奥へと向かっていく。

 

「シリウス、そっちの進捗はどうだ? 片付きそうか?」

 

『とりあえずはどうにかなりそうだぜ! けど、そろそろリロードしねえとマズイな』

 

「よし、折を見て残弾が心許ない奴は補給に下がれ。俺達はこのまま大通りの群れの迎撃に入る。下がった奴もポイント265で合流しろ」

 

『キルシュブリューテ、了解。そっちへ向かうよ』

 

機体を再度、全速力で走らせ、脳裏に映った場所へと向かっていく。

 

斥候型が近接猟兵型一体につき、七体くらいか……数だけはホントに多いな。

 

大通りの奥には既に銀色の煌めきと、センサーの光彩が蠢いている。

 

蠢く群れから無数の火玉のような閃光がこちらへと風切り音と共に飛んでくる。

 

「流石に撃ってくるか……さっさと片付けないと補給に下がった奴等が危ないか」

 

ビルの外壁にワイヤーアンカーを撃ち込み、機体が宙に浮く感覚を感じながら、ビルへと張り付く。

 

そして、すぐにビルの外壁を蹴り、足元にいる近接猟兵型へ砲撃する。

 

砲撃を受けた近接猟兵型は二本の足が吹き飛び、地面へと倒れ込む。

 

倒れ込んだ近接猟兵型をビルの上からの砲撃がその身体を穿っていく。

 

しかし、黒煙を吐き出す近接猟兵型の側面から機銃を撃ちながら二体の斥候型が迫る。

 

「キルシュブリューテ」

 

『了解、援護は任せてくれ』

 

機銃を避けながら、ブレードを展開して、接近した一機の胴体を切り裂く。

 

前の一体が崩れ落ちると同時に、もう一体の斥候型もビルの陰からの砲撃を受けて爆ぜる。

 

『待たせたな! 俺達も参戦するぜ!!』

 

ビルの陰や上に展開したジャガーノート達の機銃掃射によって正面に展開していた斥候型が倒れていく。

 

よし、これでこっちの戦力は整った……後はここを守り通せば勝てる。

 

レギオンは自軍の損害が一定の割合を超えると、どんな状況であろうと撤退行動を取る。

 

それが斥候型、近接猟兵型、戦車型であっても変わらない。

 

ビルの陰から飛び出し、足が止まった近接猟兵型の懐へと入り込む。

 

「っ!?」

 

唐突にその光景が脳裏に映る。

 

ビルの細い路地を全速力で走る近接猟兵型、細い路地の先には機銃を撃っているジャガーノート。

 

刻々と距離が迫っていく内に、機体に描かれたマークが鮮明に映る。

 

弓を携えた女神のマークは、パーソナルネーム・シリウスことクジョーとは長い付き合いという彼女のものだ。

 

『アルテミス!! 左の路地から近接猟兵型が突っ込んで来るぞ!! 今すぐ退避しろ!!』

 

『えっ!? あっ……』

 

「クソっ……!!」

 

目の前の近接猟兵型のブレードが展開したブレードにぶつかり、明後日の方向へ弾き飛んでいく。

 

機体を横に反らせ、その一閃を躱し、至近距離で滑腔砲を放つ。

 

……ダメだ、ここからじゃ間に合わない!

 

機体を全速力でアルテミスの方へと走らせるが、長年の経験は彼女がもう助からないということを悟っていた。

 

ただでさえ、脆い機体に近接猟兵型の突貫なんて喰らったらどうなるかなんて言わなくても分かる。

 

ミナがやられる――唇を強く噛むと同時に、耳のレイドデバイスが熱を宿す。

 

『ミナ! じっとしてて!!』

 

後方から聞こえる砲撃音。

 

放たれた高速徹甲榴弾は路地を飛び出してきた近接猟兵型を貫き、その内部で爆ぜた。

 

力なく倒れる近接猟兵型を傍目に、砲弾が飛んできた方向を見上げる。

 

『みんな、お待たせ! 後ろからの援護は私達に任せて!』

 

「ナイスカバーだ……アルテミス行けるか?」

 

『うん……ありがとう、クレナ。おかげで助かったよ』

 

機体を反転させ、再びこちらへと向かってくるレギオンの群れへと進路を向ける。

 

『ユウ! 左右から来るよ!!』

 

「了解だ、右のは任せた」

 

左側のブレードを展開し、斥候型へと飛びかかる。

 

金属と金属がぶつかり合う甲高い音とともに斥候型の横腹から火花と流体マイクロマシンが溢れだす。

 

右から回り込んで来た斥候型も後方から飛来した砲弾の直撃を受けて爆散した。

 

「よし……このまま一気に押しきるぞ!」

 

『『『『了解!!』』』

 

その声と共にに銃火と砲撃の爆音が彩る戦場の中、黒い妖精がまた一体の敵へと飛び掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕食はまるで祝勝会のような盛り上がりを見せていた。

 

大騒ぎしている彼ら曰く、ミナの奇跡的な生還やら、クレナの大活躍などと様々な理由を口にしている。

 

まあ、確かにどちらも祝うべきめでたいことであるのだが、彼らとしては大騒ぎできそうな理由であれば何でも良いのだろう。

 

死ぬことが確定している身の上であるとはいえ、常に死のことを考えているなんて馬鹿らしいし、何より面白くない。

 

ミナとクジョーを取り巻いている一団を遠くから眺めながら、コーヒーを口にする。

 

「コーヒーって……こんな甘かったか?」

 

完全に甘いという訳ではないのだが、何処か舌に残る甘さを感じるのだ。

 

いつもの素材とは違っているのか……苦くなるなら兎も角、甘くなる素材ってあったか?

 

コーヒーの味の変化に思考を巡らせていると、横から声を掛けられる。

 

「ユウ、今日はお疲れ様」

 

「ん? ああ、クレナか。お疲れさん、今日は大金星じゃないか」

 

「そんなことないよ……結局、最後はシンやユウが一番頑張ってたじゃん」

 

「謙虚なのは美徳だけど、たまには自分の戦果を誇ったって良いんだぞ。実際、クレナがいなかったら、ミナはこの場にはいなかったんだからな」

 

隣の赤髪の少女は照れくさいのか、少し顔を俯かせる。

 

ふと、ある光景が脳裏を過る。

 

基地に帰って来た後、クレナにミナが飛び付き、何度も口にしていた感謝の言葉。

 

「……人って不思議だよな。親しい間柄なら、ちょっとした考えとか言葉にしなくても伝わるのに、肝心な思いとかってのは言葉にしなきゃ伝わらない」

 

「……うん、そうだね」

 

俺とカイエだってそうだ、双方の癖とか理解しているから日常の何気ない瞬間では言葉を交わす必要はないのかもしれない。

 

けれど、カイエが俺のことをどう思っていて、何を望んでいるのかというのはこれっぽっちも分からないのだ。

 

そして、おそらく当のカイエもそれは同じだろう。

 

「あたし……きっと羨ましかったんだと思う。カイエとユウはお互いに恥ずかしくなったりしないでいられるから、思いが通じ合っているように見えたから……」

 

「そんなことないさ。俺にだってカイエに知られたくないことだってあるし、カイエだって俺に知られたくないことが一つや二つはあるだろうさ」

 

それが重要なことや、他愛のないことであれ、人との関係には秘密という壁が必要であることに変わりはない。

 

俺達はいくら親交を結んでも、相手の全てを知り得ることは出来ないのだ。

 

「まったく、人間って面倒な生き物だよな……」

 

人間は昆虫のように生存と子孫繁栄のプログラムのみに従って生きることは出来ない。

 

感情という不確定なルーチンを以て、時には笑い合ったり、時には罵り合ったりもする。

 

動物のように互いの関係を明確にするものなんてなく、一方が好ましく思っていても、もう一方はその好意を裏切るかもしれない。

 

けれど――

 

「でも、少しでも相手のことを分かることができたら、きっと楽しくなるよ」

 

僅かに通った感動によって人は再び、言葉を紡ぐのだろう。

 

その言葉の反応に一喜一憂しながら、何度も手探りで。

 

「そっか……いつか、伝えられるといいな?」

 

「うん……」

 

もしかしたら、その言葉を伝えられることなく、何処かの戦場で散るかもしれない。

 

伝えたところで、相手が応えてくれる確証なんてない。

 

俺が急かしても、選ぶのはクレナだ。

 

伝えるのも、伝えないのも彼女の自由意思によって決められる。

 

だからこそ、俺は皆のために一生懸命な少女に僅かといえど、その選択に幸があることを願う。

 

夜は更けても、喧騒は収まる気配はない。

 

そんな中、少女の溢した言葉を知る者は誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

阿吽の呼吸――二人以上で一緒に物事を行うときの、互いの微妙な気持ち。 また、それが一致すること。

 

あなたは、あなたの大切な誰かに思いを伝えられましたか?

 

 

 

 



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花に想いを、星に願いを

お待たせしました……少しずつ執筆をしていたつもりがこんな時間になっていました。


星歴2148年 4月5日

 

 

 

満開に咲いた桜が風に揺られて、その花弁を散らす。

 

枝を離れた花弁は宙を舞いながら、路上で止められたジャガーノートへと落ちていく。

 

そんな風流を感じる光景を他所に、彼らは各々の話題で盛り上がっている。

 

向こうの男子達は気になる女子隊員の話を、あちらの女子隊員は前の部隊の話を。

 

当の俺は木の陰に腰掛けて、音楽鑑賞を楽しんでいた。

 

イヤホンから流れる奏でられるピアノとバイオリンの交響に心は安らぎながらも、テンポアップしていく曲調に沿って気分も高揚していく。

 

そして、サビを迎えるとハイテンポなリズムと、繊細な音調が合わさって、高揚した気分のボルテージは更に上がる。

 

「――♪」

 

高揚のあまり、思わずそのリズムの一部を口ずさんでしまう。

 

此処に楽器などがあれば、自分でそのリズムを奏でるという楽しみが増えるのだが、86である俺達に楽器どころか楽譜の一枚さえも与えられることはない。

 

サビを終えた楽曲は心地の良い余韻を聴覚に残しながら、静かになっていく。

 

「見ないと思ったら、ここに居たのか」

 

そんな余韻に浸っていると、唐突に声をかけられた。

 

イヤホンを外し、顔を上げてみると、顔馴染みの少女が赤毛の少女と共にこちらを見下ろしていた。

 

「どうした? ユウ。えらく機嫌が良いじゃないか」

 

「この前、録音したやつがかなり良い曲なもんでな……聞き入っていたのさ。……そちらのお嬢さんは?」

 

「ああ、紹介するよ。こいつはユウヤ・カジロ。私はユウって呼んでる」

 

「えっと……ユウヤ? 私はクレナ・ククミラ。よろしくね」

 

「呼びにくいなら、カイエと同じでユウでいいよ。これから半年よろしく頼む」

 

これから半年、この場にいる面々とは生活を共にすることになる。

 

戦場でも互いに背中を預けたり、預けられたりすることが度々、あるだろう。

 

まあ、尤もこの場にいる時点で、俺とカイエは勿論、このクレナという少女もこの戦場で四年も生き延びた“号持ち”であるため、改めて意識するまでもないのだが。

 

「うん、こちらこそよろしく。ユウは何処の隊から来たの?」

 

「カイエと同じでルスキニアだよ」

 

「ユウとは最初の部隊からの付き合いなんだ」

 

カイエの言うとおり、最初の部隊で一緒になってから、今に至るまでもう四年の付き合いとなる。

 

出会った当初はどっちかが死に別れると思っていたのだが……まあ、本来ならそうなっていたのだろう。

 

死ぬ筈だったのに、戻ってきてしまった死に損ない――それが俺だ。

 

とはいえ、この部隊が俺達の最後の部隊で、この部隊で戦う場所が最後の任地となることに変わりはない。

 

「それにしても、音楽を聞いているのは変わらないんだな」

 

「生憎、自分から声をかけられない小心者でね」

 

向こうから話しかけてきたのならまだしも、未だに初対面の相手に自分から話すというのは不得手だ。

 

しかし、こうして僅かでも誰かと話すようになったとを思うと、初期よりはだいぶ丸くなったと思う。

 

「ふふっ……でも、かなり物腰が柔らかくなったと私は思うよ。最初なんて、基本的に無視してたじゃないか」

 

まあ、あの頃の俺は精神的に余裕がなかったというか……やり場がない感情に苛まれていたというか……とにかく、余裕がかなかった。

 

しかし、そんな中でも一年、二年と生き延びると、ある程度の余裕は出来てくるものだ。

 

仲間のことはしっかり見ろ……アイツはそんなことを言ってたか。

 

喧しいと思うぐらいに聞いた言葉が、いつの間に俺の指針にもなっている。

 

あの頃から変わったとまではいかないけど、少しはマシになれたのかな……

 

「おーい、クレナー! ちょっといいか?」

 

ふと、向こうでバーベキューで盛り上がっていた面々の一人が目の前の赤毛の少女を呼ぶ。

 

ガタイのいい身体と、古い傷痕が残る顔立ちが特徴なあの青年は戦隊副長のライデン・シュガだったか。

 

「うん、今行く! それじゃ、カイエとユウもこれからよろしくね!」

 

「ああ、よろしく頼む」 「よろしく」

 

バーベキュー組の方へと駆けていくクレナと、金髪の少年をからかう面々のやり取りを横目に、足元へと落ちてくる花弁を見る。

 

「今日は良かったな。花見をやれて……内心、レギオンの襲撃があったらと心配だったが。無事に事が進みそうだ」

 

「相変わらず心配性だな。とりあえず、レギオンが来るのは見えてないし、戦隊長も来ないって太鼓判を押してただろ?」

 

我らが戦隊長こと、東部戦線の首のない死神の噂というのは、別の部隊にいた時から耳にしている。

 

皆が揃って死神と呼ぶものだから、少しばかり身構えていたのだが、実際に会ってみれば寡黙な青年というのが第一印象だ。

 

「それはそうだが……」

 

俺はともかく、戦隊長がレギオンの襲来がないと分かる理由は知らない。

 

この激戦区で五年も生き延びてきた故の経験かもしれないし、或いは別の理由があるのかもしれない。

 

まあ、それは共に戦っていく中で明らかになるだろうし、何よりも五年も戦場で戦ってきた手腕への期待は大きい。

 

「おっ、そこのアベック! お前らもこっち来いよ!」

 

いつの間にかバーベキュー組の近くで出来ていた人だかりから、黒い肌と黒い髪が特徴的な南方黒種の青年がこちらへと声をかける。

 

「向こうも何か盛り上がっているみたいだな。私達も行ってみるか?」

 

「そうだな……折角の催しで音楽鑑賞だけってのも勿体ないしな」

 

イヤホンを胸ポケットへとしまい、カイエと共に数を増す人だかりへと混ざる。

 

彼らの注目はの翠緑種の少年が持つスケッチブックへと集まっていた。

 

その画面には上品なドレスを着込んだ豚のイラストが描かれている。

 

「一体、何の話をしているんだ?」

 

「クジョーの話だとハンドラーをやっているお嬢様がいるらしいぜ」

 

「成る程。さしづめ、白豚のお姫様ってわけか」

 

確かに思い返してみれば、俺達のハンドラーは男ばかりだった。

 

おまけに性格も一癖も二癖も、軍人としては問題しかない人種ばかりである。

 

他の面々もそれは同じらしく、各々が抱くイメージを口にしていく。

 

「これはアレね……語尾は『ですわ』で、一人称は『私』」

 

「なら、許可は『よくてよ』、挨拶は『ごきげんよう』よね 」

 

「うわ……最初の一言でキレるかも。自信ある」

 

いつの間にか、イラストの周りに集まった人数は倍近くになり、白豚のお姫様のキャラ付けがより多彩なものになっていく。

 

「いやいや、もしかしたら針より重たい物を持ったことがない深窓のご令嬢かもしれないぜ」

 

「雨風強い! 日差しが強すぎて死んじゃいます! ……みたいな?」

 

「それって軍人というか、人か怪しいレベルだね……」

 

「そんなのに臆病な声で、ポソポソと話されたら……流石にイラつくな」

 

「しかも極度のマニュアル信者だったりな」

 

態度がデカイのも確かにあれだが、かえってこういうタイプは面倒くさい。

 

戦場は仲良しこよしの場所ではい、況してやこっちは、こいつらのような白豚に戦わされている身である。

 

「諸君、落ち着きたまえ。どうせ、行き遅れの不細工の厄介払いだ。そうに決まってる」

 

「いやいや、きっと女神だよ。哀れなる我ら86を救おうとこの醜い現世に降り立った女神様さ」

 

女神様ね……俺らを救おうとしている女神様が白豚の姿をしているのは何とも皮肉なものだ。

 

「まあ、どんな奴かは分からないけど……もし、実際にいるのなら会ってみたいもんだな」

 

「そんなのいるわけないでしょ。どうせ白豚のお姫様なんだからさ」

 

「だよねー」

 

もしかしたら彼の言うとおり、他の白豚と86の扱いが違う奴もいるのかもしれない。

 

しかし、そんな彼らが86を差別しないとか、豚扱いしないなどと綺麗事を述べたところで、彼ら自身が86を踏みつけることの恩恵を得ている時点で他の白豚と大差ない。

 

そして、それに気付くこともなく、理想論や希望論を垂れ流してくるのなら、聖女気取りも良いところである。

 

「ユウはどう思う?」

 

「さあ……とりあえず、自分の仕事をしてくれるのなら何でもいいよ」

 

居るかも分からない白豚のお姫様の人物像など、正直なところ、どうでもいい。

 

俺が白豚に求めるのは、やるべきことをやって、こっちに余計な仕事を持ち込まないことのみだ。

 

86を差別しようが、しなかろうが、向こうの好きにすれば良い。

 

ただ、一つ言及することがあるとすれば、高尚な理想の実現というのは必ず痛みを伴うということだ。

 

痛みを知らない理想というのは、口だけの空想に堕ちる。

 

況してや、大多数の当たり前の常識に反抗するとなれば、尚更だ。

 

周囲からは奇人、変人、或いは狂人として侮蔑され、寄り添ってくれる友人さえも失うかもしれない。

 

それでも、尚も理想の実現のために走れるのなら、その理想の根源がどうであれ、きっと本物なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

桜と歓声が舞う夜空の下で、拙い動き……というより、何かの見よう見まねの踊りが披露される。

 

まあ、86がダンスを習う機会はおろか、実物を見ることすら出来ない為、拙い動きなのは仕方がない。

 

尤も当の彼らはそんなことを気にすることもなく、場の雰囲気に身を任せているのだろうが。

 

まるで宴会の出し物みたいだな……実際はどうか分からないけど。

 

彼らを見ていると、その顔は紅潮し、気分も開放的なものになっているようだ。

 

「なぁ……コップの中身って水だよな?」

 

「水だな。少なくとも俺のは」

 

当然ではあるが。俺達86に酒類のような嗜好品が支給されるということはない。

 

そのため、必然的にこのような催しでも飲めるのは水、或いは茶……の筈である

 

というか、俺達の殆どが未成年であり、酒への抵抗力というのはあまり持ち合わせていないだろう。

 

まあ、そこのところは自己責任となるため、俺はとやかく言うつもりない。

 

「あいつらが持ってるコップに火を付けたら燃えたりして……」

 

「ユウ、それは物騒すぎるぞ」

 

アルコールは揮発したアルコール分に引火するため、その度数が高ければ、青白い火と共に燃え出すだろう。

 

仮にそうなったら、大惨事となるのは間違いないし、酒に酔っ払って絡まれるのも、勘弁願いたいところである。

 

そんな向こうの喧騒を他所に、風に揺られた桜はその花弁を散らし、花弁はふわりと舞い上がっていく。

 

舞い上がった花弁は空中をひらりと漂いながら、ある一人の肩に着地する。

 

「……ユウ? どうした、戦隊長殿をじっと見て」

 

「いや、戦隊長もあいつらみたいに踊り出すか見てただけだよ」

 

遠めから彼らの踊りを眺めているということは、彼のコップの中身は紛れもない水なのだろう。

 

そのことを当然と思う一方で、踊り出す光景を見てみたかったという欲があったのは秘密である。

 

ふとそんな時、首にスカーフを巻いた黒髪赤目の少年と偶然にも目が合った。

 

少年はこちらへと歩み寄り、口を開いた。

 

「……何か期待した眼差しでずっと見ていたけど、どうかしたのか?」

 

おっと……秘密のつもりが、どうやら眼差しは隠しきれてなかったらしい。

 

「戦隊長殿が踊り出すか見物してたそうだ」

 

「ちょっ……何故、バラす?」

 

戦隊長の少年は少しの笑みを浮かべ、からかうように言った。

 

「フッ……生憎、俺のコップの中身は水でな。酔うことは出来そうにないな」

 

「はは……そうか。それは良かった」

 

ぎこちない笑みを浮かべる俺の頭に一枚の花弁が静かに落ちる。

 

「……桜は戦場に赴く人には嫌われていたんだ。花は美しくても僅かな間しか咲かず、すぐに散ってしまうから」

 

カイエの言う通り、桜の花の寿命は開花から数えても二週間程で、満開となるのも一週間程である。

 

あっという間に咲き誇り、僅かな時間で散っていく。

 

俺が産まれた国でも、桜というのは儚さや命の終わりを表現する際に用いられることが多い。

 

「小さな花びらは未練なんて持たぬかのように容易く枝を離れ、二度と戻ることはない……でも、私はその潔さが好きなのだ」

 

一瞬にしてそれは滅んでしまう故の美しさ――滅びの美学。

 

俺自身は潔さとは正反対の質であるが、それ故にこの潔い散り様にある種の羨望があることは自覚しているつもりだ。

 

「ほら、自分の機体のマークにもしているんだ。戦隊長殿はどうなんだ? あのマークにも由来があるのだろう?」

 

カイエのパーソナルネームは桜を意味するキルシュブリューテ。

 

戦隊長――シンエイ・ノウゼンのパーソナルネームはアンダーテイカー、意味は葬儀屋だ。

 

一方で、シャベルを背に持った首のない骸骨のマークは首なし騎士(デュラハン)を連想させる。

 

「だと思う」

 

「思う……?」

 

「……元は俺のものじゃないから」

 

号持ちのプロセッサーのマークの由来として、本人の好みや戦闘スタイルが反映されたものは多い。

 

一方で戦死した仲間が使っていたマークを引き継いだり、あるいは自分用に少し手を加えたものも一定数、存在する。

 

 

戦隊長(シン)も この類いなのだろう。

 

 

「……ユウヤはどうなんだ?」

 

「ユウでいいよ。とはいっても、俺のパーソナルネームもマークも俺が決めた訳じゃないんだ」

 

「……どういうことだ?」

 

「本当は蝶だったんだよな? なあ、カイエ」

 

「うっ……その話もするのか」

 

そう、俺のマークもパーソナルネームもカイエが原案なのだ。

 

カイエは少しバツが悪そうな表情で口を開いた。

 

「ユウと私は最初の部隊からの付き合いでな……自分の機体のマークを決めるとき、私に丸投げしてきたんだよ」

 

おいおい、流石に丸投げはしたつもりはないんだが……?

 

「丸投げって……たしかに頼みはしたけどさ。そこまで投げやりじゃなかった気がするんだが?」

 

というか、むしろけっこう乗り気でやってくれた気がするのだが……

 

「つまり……ユウヤのマークはカイエが考えたのか?」

 

「正確には原案は私で、実際に機体に描いてくれたのはその部隊の整備士だったんだ」

 

「成る程。何故、黒の蝶なんだ?」

 

「極東の国の話で黒い蝶は、自分に危険が迫っていることを教えてくれたりしてくれるっていう話があって、それに肖ったんだ」

 

極東で蝶は死後の魂を極楽浄土に運ぶ生き物として神聖視されている。

 

中でも黒い蝶は墓場周りを飛ぶことが多いらしく、あの世とこの世を繋ぐ役割があるそうだ。

 

また、先祖の魂が生者に言伝を伝えるメッセンジャーとしての役割も孕んでいるらしい。

 

「とはいえ、こっちではあまり縁起が良くないらしいな。なんかトラブルに巻き込まれるとか、家人が死ぬとかの逸話があるそうで」

 

それに加えて、黒という色自体、ネガティブなイメージが強いってのもあるんだろう。

 

況してや戦場じゃ、黒の蝶なんて死が迫ってるのを意味しているようなものだしな。

 

「そんな理由があって、その折衷案としてパーソナルネーム・フェアリーの通り、機体のマークも妖精になったわけだ」

 

「成る程……これが19戦区の妖精の誕生秘話か」

 

「それ、やめてくれ。聞いてて、こっちが恥ずかしくなってくる」

 

尤も、彼の死神という異名の知名度には負けるだろうが。

 

「……そういえば、ユウはレギオンの襲撃がないと分かっていたそうだが、ユウは“声”が聞こえるのか?」

 

「声……? そもそもレギオンって人の言葉を話すのか?」

 

「いや……すまない、変なことを聞いたな。今のは忘れてくれ」

 

レギオンとの戦闘はこれまで何度もこなしてきたが、一度たりともレギオンが声を発しているところは見たことがない。

 

何か引っ掛かるが……まあ、今は別にいいか。

 

折角の催しでレギオンのことを考えていては、心身ともにリフレッシュなんて出来る訳がない。

 

「おーい! そこの三人組! こういう時は、細かいことを気にしないで、思い切り楽しまねえと! 笑えなくなったら敗けだもんな!!」

 

『だもんな!!』

 

笑えなくなったら敗けか……案外、その通りなのかもしれないな。

 

「……だそうだ。戦隊長も向こうで踊ってみるか?」

 

「フッ……俺は遠慮しとくよ』

 

おや、残念。面白いものを見れると思ったのだが。

 

俺が少し残念に思うのを他所に、先程の赤毛の少女と三人組の女性隊員がこちらへと歩み寄る。

 

「あんた達が、東部戦線の首のない死神と19戦区の妖精ね。噂は聞いてたけど本当なんだ」

 

「なんか、なくした首を探してるって聞いたけど?」

 

「そのスカーフ取ったら、もしかして、首がないの?」

 

女性陣の質問に対し、シンは特に何か言うわけではなく、無言でスカーフをずらした。

 

『っ!!』

 

ずらされたスカーフからは、過去に負ったであろう、痛々しい痣の跡が姿を見せる。

 

過去に首を絞められたことで出来た痣の跡は、頭部と胴体を分断しているかのように見えるのは気のせいだろうか。

 

いきなりの光景に呆気に取られたのか、おしゃべりだった女性隊員達は何も言わない。

 

クレナは言っちゃダメと言わんばかりに、口元に人差し指を立てた。

 

その沈黙に耐えきれなかったのか、カイエが口を開いた。

 

「えっと……その……」

 

「あっ、だから骸骨のマークにも首がないんだ!」

 

『成る程ー!!』

 

女性隊員達の思わぬ反応に、こちらも呆気に取られてしまう。

 

どうやら先程の沈黙は、彼の首と機体のマークとの関連性を考えていたようだ。

 

そして、当の彼もこの反応は予想外だったらしく、驚愕の表情が顔に浮かび、すぐに穏やかな表情へと変わる。

 

「このマーク可愛い! これって妖精さんの?」

 

「そうだけど……妖精さんってのは勘弁してくれ。普通にユウとか、ユウヤで良いからさ」

 

「あら、噂じゃ妖精の指示を聞かないと死ぬとか言われてるけど、意外と可愛いところもあるのね」

 

随分と物騒な噂だな……妖精っていうより、むしろ悪魔の方がイメージ的に近くないか?

 

確かに俺が言ったことを無視して、死んだ奴もいるが、別に必然的に死ぬって訳じゃない。

 

「そうそう、前の部隊で聞いたんだけど、ニンジャ……だったかな? ユウってそのニンジャなの?」

 

「忍者って……俺の何処が忍者なんだよ」

 

「近くに居ても、誰にも気付かれないところじゃないか?」

 

カイエが意地の悪い笑みを浮かべながら、そんなことを言う。

 

「誰にも気付かれなくても、お前が気付いてくれるだろ?」

 

というか、さっきもカイエが真っ先に俺のことに気付いてたしな。

 

まあ、一緒にいる期間が長いというのもあるのだろうが、互いに行動を把握できる相手がいるというのは便利であることに変わりはない。

 

「なっ……い、いきなり、何を言うんだ!」

 

「何って……お前が俺のことを気付いてくれるって」

 

「いや、その間違ってはないんだが……その、皆の前でそんないきなり……」

 

何故、カイエはそんなに慌ててるんだ? 別に変なことを言ったつもりはないんだが。

 

「えっ……もしかして二人ってその……デキてるの?」

 

「いや、まったく。付き合いは確かに長いけど、別にそういう関係じゃないぞ」

 

付き合いが長い分、かなり込み入った話や互いのプライベートについて話すことがあるものの、別に恋愛関係へと発展する要素はなかった。

 

というか、戦場で生き延びることに必死で、互いにそんなことを意識している余裕なんてない、

 

「あら、そうなの? まるでおしどり夫婦って感じだけど」

 

「おしどり夫婦って……別に特別な付き合いなんてしてないし、ごく普通な付き合いだよ。なぁ、カイエ?」

 

「えっ……あ、ああ……そうだな。普通の関係だな」

 

なんか歯切れが悪いな……特に変なことは言ってない筈だが。

 

目の前の茶髪の少女は訝しげな視線をこちらに向けて、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。

 

「ふーん……何か引っ掛かるわね。まぁ、いいわ。私はレッカ、これから半年よろしくね」

 

「マイナでーす。よろしくね!」

 

「私はミクリ。これからよろしく!」

 

レッカに続き、目の前の女性陣が簡単な自己紹介をする。

 

そして、それを見ていた彼らも彼女達の後に続く。

 

「さっきも言ったけど、よろしく!」

 

「シンエイ・ノウゼンだ。よろしく」

 

「私も改めてよろしく頼む。ユウ」

 

「ああ、よろしく頼むよ」

 

昔はこうやって誰かと言葉を交わしたり、こうやって誰かと共に過ごすことなんて考えもしなかった。

 

ただ、レギオンと戦って、ただ死んでいくだけだと、そう思っていた。

 

最初と比べて、我ながら、かなり丸くなったと思う。前の俺なら、どうしてたんだろうか。

 

俺自身が変わった……と言える程、劇的な変化をしたわけではない。

 

ただ一つ変わったとすれば――

 

「あっ、流れ星!!」

 

「えっ!? ホントだ!」

 

「おいおい、追っかけてくなよ。子供か」

 

空を見上げると、夜空に風では舞った花弁と共に幾つもの細い光が駆けていた。

 

一瞬の輝きと共に彼方へと消えていく流星が、黒い夜空を彩るその光景は刹那の出来事だというのに、脳裏へと焼き付く。

 

「流れ星か……あの時の哨戒以来だな」

 

「……そうだな、そうか。もう二年も前なんだな」

 

時間が過ぎるのは早いものだ。それが幸福なものであれば尚更に。

 

あの時、彼は言っていたのだろう……もう、そんなことさえも思い出せなくなっている。

 

「ユウ」

 

カイエはそう言うと同時に俺の右手を取り、前へと引いていく。

 

「ちょっ……カイエ?」

 

「こういう時はちゃんと楽しまないと。笑えなくなったら敗けだからな!」

 

「……ああ、そうだな。さっき、そう言ってたな」

 

俺が産まれた国では流れ星が消える前に三回、自分の願い事を言えたら願いが叶うという話がある。

 

とはいえ、流れ星が光っているのはほんの一瞬であるため、そんな僅かな間に願い事を三回も言うなど、無理な話だ。

 

だが、せめて――願いを馳せるぐらいは。

 

俺達はこれから多くの激戦を経験していくだろう。

 

その激戦の最中に、こうして流星を見ている仲間が倒れていくかもしれない。

 

そして、仮に半年、生き残ってたとしても、レギオンが支配している土地へ放り出される、特別偵察が待っている。

 

そんなことは此処にいる誰もが分かっているし、とうの昔に覚悟は出来ている。

 

この現状は俺達がいくら懇願しようが、変わらないし、覆すことも出来ないだろう。

 

だからこそ、このどうしようもない現状の中で少しでも多くの仲間が生き抜くことを俺は望む。

 

死ねば何もかもが終わりだが、たとえ絶望的な状況であっても生き抜けば、その先を臨むことができる。

 

一瞬しか輝かない流星にこれからを望むというのは、なんとも皮肉なことだが、その一瞬で流星は俺達が知らない遥か遠くの場所まで飛んでいく。

 

散りゆく花に想いを、夜を駆ける星に願いを。

 

また一つ、宙を舞った桜の花弁と共に、人生で最後となるだろう流星は夜空を駆けていった。

 

 

 

 




一度は夜に花見に行くのも一興なのでオススメです。


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暗中の君へ

9月も中旬に差し掛かりましたが、まだ暑いですね……今回の話は時期は外れてますが、肝試しの話です。


 

肝試し、それは俺が生まれた国の催しである、

 

墓場や廃墟といった人気がない暗い場所で主に行われ、当人の度胸を試す。

 

墓場の奥に行って戻って来るだったり、廃墟の奥に置かれた物品を持ってくるなど形式は様々だが、どれも恐怖体験を与えるものであることに変わりはない。

 

そのため、夏の風物詩として、俺の国では親しまれているのだが、古来よりこの手の催しには奇怪な出来事が起こるものである。

 

これより、皆様方に話すのはそんな夏の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『肝試しっていうのをやりたいぞ!』

 

 

そんなことが食堂で叫ばれたのは、戦隊が朝食をとった直後だった。

 

『肝試し?』

 

俺とカイエを除いた面々は怪訝な表情を浮かべ、ダイヤとハルトを見つめていた。

 

「肝試しか……確かにそんな時期ではあるな」

 

「前から思ってたんだが、一体どこからそんな催しの情報を手に入れてるんだ?」

 

「フフン、祭りの神様が俺に囁くのさ」

 

嘘付け、カイエ辺りが言っていたのを聞いただけだろ。

 

とはいえ、確かにこの頃は暑くなってきたし、カイエの言う通り肝試しにはうってつけの時期ではある。

 

それにここの所、戦闘続きだったし、息抜きにもなるだろう。

 

「ねえねえ、ユウ。肝試しって何?」

 

早速、彼らと同じく祭り事を好む少女がこの催しについて問う。

 

「所謂、度胸試しさ。一人や二人で暗い中を歩いていってゴールを目指すって感じかな」

 

「へぇ……」

 

86の中でも最も長く戦場にいる俺達に、肝試し程度で悲鳴を挙げるというのはないだろうが、先が見えない暗闇というのは無意識の危機感がある。

 

そう言った意味では、たとえスピアヘッド戦隊の各々の肝を冷やすことは出来るかもしれない――同時に銃弾も飛んできそうだが。

 

「折角だし、シンとペアを組んで参加したらどうだ? ライデンとかには根回ししとくからさ」

 

「えっ!? あ、いや、私は別にシンと一緒が良いって訳じゃ……」

 

ほんと、反応が分かりやすいよな……まあ、そこがクレナの美徳ではあるんだが。

 

「時は金なりって言うくらいだ。こういうチャンスを活かさないといつまで経っても妹扱いのままだぞ?」

 

「うう……で、でも……」

 

「そう難しく考えなくても大丈夫だよ。いつも通りに話したりすれば良いんだ。それに肝試しってこういった男女の仲を深める催しでもあるんだぞ?」

 

尤も、シンに吊り橋効果が作用するのかどうかは疑問だが、やらないよりは良いことに変わりはない。

 

それにここのところは戦闘続きで、肉体だけでなく、精神的にも疲労が溜まっていたし、ストレスの発散も望めるだろう。

 

「それに……ミリーゼ少佐にシンを取られっぱなしなのも嫌だろ?」

 

「……」

 

複雑な表情を浮かべながら、彼女は小さく頷く。

 

クレナも少佐に対して、良くも悪くも思うところがあるのだろう。

 

でなければ、ここまで悩んだりしない。

 

自らにとっては憎むべき白系種でありながら、ここまで付いてきた少佐の心意気は認めつつある。

 

……複雑だよな、憎い筈なのに憎みきれないってのは。

 

「だったら、今日のチャンスをものにしないとな」

 

「……うん。ありがと」

 

こちらとしても、この頃の暑さにはうんざりしていたところだ。

 

たまには背筋がヒヤリとした体験をするのも、悪くない。

 

「今回は珍しくユウも乗り気だな。これは明日は雨が降るかな?」

 

「残念ながら明日は晴天だよ。皆と同じでここのところ暑いし、レギオンは来るしで鬱憤が溜まってるのさ」

 

「まあ、確かに……心身ともにしんどい状況が続いていたしな」

 

「だろ? それに少佐が着任してから、こういった催しがあまり無かったしな」

 

「そうだな……やったといえば射撃大会くらいか?」

 

ああ、そういえぼやってたな……ものの見事にカイエが玉砕していたのはよく覚えている。

 

なんか久しぶりだな、少佐がこっちに関与しないってのは……

 

少佐が俺達のハンドラーとして着任してから、夜の定時連絡、プライベートな会話と、少佐と同調しない日が殆どなかった。

 

前はハンドラーと話すこと自体が珍しかったしな……殆どが罵倒だけどさ。

 

そもそも、少佐の前のハンドラーが同調してくる時は大抵、向こうの虫の居所が悪いときとか、そういう時ぐらいだった。

 

少佐と話すのが嫌というの訳ではないが、たまには仲間内で何かやりたいというのもある。

 

そういう訳で、今回ばかりは水入らずで楽しませて貰おうか。

 

こうしてスピアヘッド戦隊だけによる肝試しが幕を開けた――

 

 

 

 

 

 

 

――筈だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の暗闇に沈んだ森の中に細い光が、男女の談笑と共に幾つも交差する。

 

向こうでは男子達が懐中電灯の光を剣に見立て、チャンバラをしていたり、別の男子は手持ちの書籍に光を当てて、読み耽っていたりと各々が自由に過ごしている。

 

そんな中、顔の傷跡がトレードマークの男子が口を開いた。

 

「よし、とりあえずルールを確認するぞ。二人組のペアを組んで、この道の奥にある木に向かって歩く。そして、木を見つけたらこっちへ戻って来るだけだ。何か質問はあるか?」

 

「おう、問題ないぜ!」

 

「よし、行く順番だが……とりあえず、ユウとカイエは最後で良いか?」

 

「ああ、こっちは問題ないよ……ですよね? “ミリーゼ少佐”」

 

『はい! 私も大丈夫です!』

 

少佐が着任してから、何度も思ったことだが……どうして毎回、こうも間が悪いんだ?

 

別にこれに関しては少佐が悪いわけではない。

 

少佐もこっちが何か催しを楽しんでいることなんて知り得ない訳だし、少佐にも都合だってある。

 

しかし、何故か同調してくるタイミングが催しの只中だったり、或いはいざ始めようとした瞬間だったりと――今回はまさに後者だ。

 

「肝試しは見える光景が肝心なんだが……視覚も同調するわけにはいかないしな」

 

「まあ、聴覚の同調だけで申し訳ないのですが、雰囲気だけでも体感して貰えれば幸いです」

 

『大丈夫です! 今、部屋の照明を消して、アイマスクをして視界を遮っています!』

 

いや、別にそこまでやらなくても……まあ、少佐が良いのならいいか。

 

「あっ、言い忘れてました。怖くて耐えられないなら、何時でも同調は切って貰っても構いませんよ?」

 

『わ、私だって共和国の軍人です! そう簡単に怖がったりしません!』

 

さて、どうだか……案外、怖い話とか苦手そうなイメージあるけど。

 

「とりあえず、私達が行くのは最後だし……そうなると少し暇だな」

 

「確かに……折角だし、怪談でも話してみるか?」

 

『か、怪談ですか……?』

 

俺の国では肝試しには怪談は付き物である。亜種として百物語という催しだってあるくらいだ。

 

「少佐もいるし……ポピュラーなこの話にするか」

 

 

 

 

 

 

ある夫婦はとても仲が悪く、喧嘩が絶えなかった。

 

酒、預金、近所付き合い……理由は様々だが、毎日のように罵詈雑言が飛び交っていた。

 

しかし、ついにある日、口論の末、夫はカッとなって妻を殺害してしまった。

 

妻の遺体を山中へと捨てた夫は、何事もなかったように過ごそうとするが、一つだけ問題があった。

 

その夫婦には小さな子供がおり、この子供は殺した妻と仲が良かったのだ。

 

「子供には何と言えばよいのか……」

 

大切な我が子を手にかけるなど出来る筈もなく、数日、一週間と時が経ち、一ヶ月が過ぎても良い案は浮かばなかった。

 

だが、不思議なことに、子供は全く母親の行方を聞こうとしない。

 

もしやこの子は母親が嫌いだったのか? いや、妻とあんな楽しそうに遊んでいたではないか。

 

耐えかねた夫は、思い切って探りを入れてみることにした。

 

「なぁ、お父さんに聞きたいこととかあるかい? 例えばお母さんのこととか」

 

すると、子供はこう答えた。

 

「う~ん……あっ、お父さんは何でいつもお母さんをおんぶしてるの?」

 

 

 

 

 

 

 

「――以上です。お楽しみいただけましたか?」

 

少佐は何も答えない、目の前にいるカイエも身震いしている。

 

「……少佐?」

 

『えっ? は、はい! 私は大丈夫です!!』

 

いや、まったく大丈夫なように思えないんですが……

 

「いや、正直なところ私も怖かったな……こういった話は戦うのとは別の怖さがあるよ」

 

「俺が生まれた国じゃけっこうポピュラーな話なんだけどな。実際、似たような話がかなりあるし」

 

『い、今のが、ポピュラーな話なのですか……?』

 

こちらの怖い話といえば、怪物が出て暴れるというものが多い。

 

そういう意味では、俺が生まれた国の話は新鮮なのかもしれない。

 

憎しみのまま暴れる訳でもなく、誰かを食い殺すのでもなく、ただ其処にいるだけの恐怖。

 

「おーい、ユウとカイエ! 次はお前らの番だぞ!」

 

「分かった、すぐ行く」

 

気付けば先に行った面々がこちらへ戻ってきており、各々によって興奮していたり、ガタガタ震えていたりと様々な反応だ。

 

「俺は見たんだよ! 何かがこっちを見てるのをさ!」

 

「どうした? ハルト。そんな慌てて」

 

「いや、何か森の中で何かに尾けられてたらしくてさ。確かに僕が行ったときも何かの気配はあったな」

 

ハルトはともかく……セオもここまで言うなんて珍しいもんだ。

 

どうやらここの森では “何か”出るらしい……

 

「成る程……どうします? 降りるなら今のうちですよ?』

 

『い、いえ、私は大丈夫です。それにこちらの地区に何か異常があるのなら、なおのこと見過ごす訳にはいきません』

 

「私も行くよ。ハルトが言った尾けてきた何かを明らかにしないと」

 

「了解……それじゃ行こうか」

 

懐中電灯の細い光を頼りに、暗い森へと足を踏み入れる。

 

先程の話を聞いたからか、空気が淀み、何かに誘われている……そんな気がする。

 

ただ真っ直ぐ進んで、戻って来るだけ……それだけなのに、道が果てしなく続いているような感覚。

 

確かにこれは “何か”あるな……それは間違いない。

 

そんな一抹の不安を胸に、俺達は暗い夜道を歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一筋の細い光がゆらゆらと揺れて、地面に生えた草を踏み締める音が鳴る。

 

森に入る前に鳴いていた虫の鳴き声は何処か遠くのものとなり、暗い森の中には時折、吹く風と俺達が草を踏み締める音が木霊するのみだ。

 

ふと、ミリーゼ少佐が重い口を開いた。

 

『あの……ユウさん?』

 

「はい、なんでしょう?」

 

『肝試しのルートは真っ直ぐ進むだけでしたよね……?』

 

「ええ、そうですね……」

 

『シュガ中尉が言った木は……ありましたか?』

 

「いえ、それらしいものは全く」

 

というより、先程から同じ道を何度も歩かされているような気がする。

 

『これって……もしかして、ユウさんとカイエは』

 

「ええ、確実に迷っていますね……というより、同じ道を何度も辿ってるような状態です」

 

『そんな……カイエ、貴女からは何か目印になるようなものは見えますか?』

 

少佐が呼ぶ声に応える声はない。それもその筈、肝心の少女の姿もないのだから。

 

『カイエ……? 応答してください! カイエ!!』

 

少佐や俺との同調は切れてはいないが、カイエの姿は其処にはない。

 

「……一つだけはっきりしました。この森は普通じゃない。詳しくは分かりませんが、“何か”あります。少佐、今のうちに俺との同調を切った方が良いかと」

 

カイエとの同調が切れてない以上、向こうは向こうで健在なんだろうが、連絡がとれないのではどうしようもない。

 

そして、俺と少佐だけ同調が繋がっているというのは、少佐もこちらの巻き添えを喰っていることに他ならない。

 

『しかし、それではユウさんが……』

 

「俺だけならともかく、少佐にも影響がある時点で明らかに意図があります。この場合は最悪な事態を想定して行動するべきです」

 

ふと、背後から草が揺れる音と共に見知った声が聞こえてきた。

 

「ようやく見つけたぞ」

 

『この声……カイエですか?』

 

「……ええ、そうですね」

 

見知った少女はこちらへと近寄り、再び口を開いた。

 

「まったく……いきなり、いなくなったから心配したぞ。早く皆のところにいこう」

 

『ユウさん、良かったですね! カイエとは合流出来ましたし、後は戻るだけです』

 

「……」

 

先を歩く少女の後を追って、草が生い茂った道を進んでいく。

 

人の手が入っていないこの森に整備された道など存在しない。

 

故に生い茂った草を払い、乱雑に落ちた枝を踏み折り、足元の段差に足を取られたりと進むだけで労力を必要とする。

 

目の前の少女はこの獣道を、まるで苦にせずに歩いていく。

 

『それにしても、カイエ。貴女はどうやって私達を見つけたのですか? 同調は繋がっていてもまったく応答がなかったのに』

 

目の前の少女は少佐の疑問に答えることなく、ただ前へと進んでいく。

 

『あの、カイエ……?』

 

「少佐。今、一つ怪談を思い付いたのですが、いいですか?」

 

『えっ、今ですか? 今はそんなことを話してる場合じゃ……』

 

「聞くだけで良いので」

 

少佐の言うことを無視して、俺は話し始めた。思い付いたばかりの怪談を。

 

 

 

 

ある二つの国が戦争をしていた。

 

一つの国はとても強い兵器を使って、もう一つの国を蹂躙していった。

 

一方でもう一つの国は対抗できる兵器を作れず、市民を無理矢理、徴兵してなんとか抵抗していた。

 

少女はその国で徴兵された兵士の一人で、彼女の家族は皆、戦死した。

 

しかし、その少女は配属された部隊で虐められていた。

 

理由は簡単、少女が小柄で、彼らの中で珍しい人種だったからだ。

 

毎日、死が隣り合わせな戦いの恐怖と、同じ部隊からの虐めで心を磨り減らしながらも、少女は辛くも生き延びていた。

 

しかし、ある日の戦闘で乗っていた兵器が壊れてしまった。

 

すぐさま、兵器から脱出して、爆轟に混じって悲鳴が飛び交う森の中を当てもなく逃げ回った。

 

ただ、死にたくない、その一心で。

 

だがその最中で、運が悪く敵の銃撃を受けてしまった。

 

腹部から血が濁流のように溢れ、口の中も鉄の味と匂いで満ちていく。

 

目の前も霞み、身体にはもう力が入らない。

 

最後の力を振り絞り、前へと進もうとするが、力が入らない身体がそれを許す筈もなく、近くの木にもたれ掛かる。

 

確実に迫る死の恐怖に耐えかねた少女は今まで、押し殺していた感情を爆発させる。

 

憎しみの絶叫を、怒りの怒号を、死への恐怖の悲鳴を、霞む意識の中、声が枯れ果てるまで叫んだ。

 

死して尚も潰えぬ怨念は誰かを連れていこうとするだろう。

 

それも、相手の仲間に化けて、自分と同じ――暗黒の中へ。

 

 

 

 

 

 

『ユウさん……それは……』

 

生暖かい風が頬を撫で、懐中電灯の細い光が暗闇の中で揺らぐ。

 

何処か遠くで草木が勢いよく踏み折られる音が聞こえる。

 

一際、強い風が吹き、散った木の葉が宙に舞っていく。

 

もう、前を歩く少女の姿は見えない。

 

それどころか、懐中電灯が照らす先は暗闇しか見えない。

 

けれど、そんな暗闇の中でなにかが鳴き声を発しながら、こちらへと迫っている。

 

おそらく、それは人間ではない。人間ならこんな大きな音を出さないからだ。

 

草木を踏み折る音は次第に大きくなり、鳴き声と思ったそれはモーターの駆動音だということがわかった。

 

『ユウさん……』

 

向こうはこちらを捉えているのだろうか、暗い闇の中に一つの赤い光彩が映る。

 

その、赤い光彩は迷わず、こちらへと向かって来ている。

 

『ユウさん!!』

 

少佐が声を張り上げると同時に、迫っていた“それ”は姿を現す。

 

赤い光彩に見えていたものは、“それ”の目であり、蜘蛛のような様相の“それ”は――紛うことなきジャガーノートだった。

 

『ユウ!! お前は何処をぶらついているんだ!!」

 

聞き慣れた少女の声が頭の中へ響く。

 

少女の様子から察するにかなりのお怒りのようだ。

 

『……カイエ? カイエですよね?』

 

『少佐もどうしたんだ? 私は私しかいないぞ?』

 

『えっ……でも、さっき……』

 

「確かにいましたね。そっくりさんが」

 

『ええっ!? じゃ、じゃあ……あれは……まさか!』

 

『フッ……さっき話した話はあの場で適当に思い付いただけの話です。それは誓って本当です」

 

確かにあのカイエのそっくりさんの正体は気になるが、おそらく害とはならないだろう。

 

仮に俺を連れていきたいのなら、怪談の通りにやらなくても、もっと他に良い方法なんて幾らでもある。

 

わざわざ、バレるなりすましなんてする必要はない筈だ。

 

『それじゃ一体……』

 

『さあ、狐か狸に化かされたというのもあるかもしれませんが、もしかしたら……誰かに見つけて欲しかったのかもしれませんね」

 

懐中電灯が照らすその先には、朽ち果てた白い亡骸が鎮座していた。

 

木にもたれ掛かった、“それ”は元がどのような人種で、どちらの性別だったかさえも分からない。

 

ただ、朽ち果てた白い手には花を模した髪飾りが握られており、この亡骸にとって大事なものであったことは容易く察せる。

 

『ユウ……それは』

 

「認識票がないからおそらく、俺達と同じ86だろう。しかも背格好からして同年代くらいか」

 

詳しい死因は分からないが、近くにジャガーノートの残骸などは見当たらなかったため、何処かの戦場から逃れて、ここで野垂れ死んだのかもしれない。

 

「……カイエ、一つ頼みがあるんだが、良いか?」

 

『私に出来ることならなんでもいいよ』

 

俺達、86が公式な記録として残ることはない。

 

どのように生きて、どのように死んでも、結局は大勢によって塗り潰される。

 

けれど、もし……誰かに見つけて貰えたのなら、きっと少しは報われる筈だ。

 

僅かでも彼らが其処にいたということを知る誰かが生まれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある森の奥、一本の木の下に板で作られた十字架が建っている。

 

板と板を釘で打ち付けただけの雑な作りだが、それでも最低限の形にはなっていた。

 

いつ、誰を弔うために建てたのかは不明だが、木の十字には花を模した髪飾りが掛けられており、穏やかな風に揺れていた。

 

そして、十字の下には一輪の花が植えられており、細い茎と小さな花弁は今にも折れそうに見えるのに一枚もその花弁を散らすことなく、そこに在る。

 

しかし、やがてはこの花も枯れていくだろう。

 

けれど、もしかしたら子孫を残して再びこの場所で花を咲かすかもしれない。

 

再び、強い風か森を駆け抜けていく。

 

木々の木の葉は宙へ舞い、花弁は揺れて、掛けられた髪飾りもゆらゆらと風に揺られている。

 

もう夏も終わり、秋がやってくる。

 

そんなことを知らぬ小さな花は瑞々しく揺れ、錆び付いた髪飾りは僅かに輝いた。

 

 

 

 

 




何気にレーナさんが番外編に出るの初めてなのでは……


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桜花爛漫

お久しぶりです。ついに自分もコロナに罹患してしまい、回復したあとも、仕事の疲れも重なって執筆が全く進められないでいました。皆様もお身体にはお気をつけください……


 

 

 

 

火照った身体を秋の冷たい空気が身体の内と外をゆっくりと冷ましていく。

 

まだまだ熱いと思いながらも、熱が鎮まるこの感覚は嫌いじゃない。

 

「フフ……私達、スゴイことをしちゃったな」

 

先に呼吸が落ち着いたのか、傍らの彼女が微笑む。

 

服がはだけ、彼女の肌が顕になったその姿はどこか妖艶で、妙に扇情的だ。

 

「そうだな……」

 

生まれてから、況して86となってから男女の恋愛とは無縁に等しかった。

 

彼女と出会ったのは戦場、そんなことにうつつを抜かす余裕なんてなかったし、そういう奴から真っ先に死んでいく。

 

それが最早、当たり前で、揺るがない定義になっていた。

 

しかし、先程の自分達の行為がどのような意味があるかというのは重々、理解はあるつもりだ。

 

そして、まさか最初の部隊で初めて話した少女となんて、昔の俺は考えもしなかった。

 

こうして誰かと手を繋ぐなんてしようともしなかった筈だ。

 

目を閉じ、昔の記憶に思いを馳せる。

 

思えばあの日から幾分と経った。

 

今宵、思い馳せるのは彼女と――誰かの手を初めて取った記憶。

 

人に絶望して、自棄になっていた俺に初めて心を許せる仲間が出来たあの日の出来事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まったく、いちいちギャーギャー五月蝿いんだよ。豚は黙ってくたばれねえのか?』

 

戦場から基地に戻った俺達を待っているのは祝福などではなく、人間様からの有り難い罵倒だった。

 

此処では別におかしいことではない――至って普通で、日常的なこと。

 

そんなことは収容所にいた頃から分からされてきたし、今更どうだと思うことはない。

 

人種や性別は色々でも、そこだけは共通している俺達(86)の認識。

 

だから、有り難い人間様の言葉に何か言う奴なんておらず、基本的に無視するか、向こうとの同調を切る。

 

そして、やり場のない苛立ちをぶつける相手を探すのだ。

 

その相手が自分のジャガーノート(棺桶)になるならまだ良い――このような状態になるともう収拾がつかない。

 

「あ~あ、何処かの奴等が援護しねえからアホみたいに死んじまったよ。どうよ? 仲間見捨ててガン逃げして、生き延びた気分は」

 

「何よ。アンタたちこそ、アタシ達に持ち場を丸投げしたじゃない」

 

たった二人の言い合いが空きスペースが目立つ格納庫で木霊する。

 

けれど、そのような小さな種火でも火薬庫を爆発させるには十分すぎた。

 

「ダニーもミケルも報われないよな、こんな奴らの為に囮になったんだもんな」

 

「アンタらが見捨てたんでしょ? 勝手に人のせいにしないでくれる?」

 

誰かの言葉にまた誰かが反応し、また一人と言い合いが始まっていく。

 

まるで炎が燃え広がるかのように、格納庫では互いの罵倒が反響する。

 

『お前が――!!』

 

『アンタらが――!!』

 

『――――!!」

 

『――――――!!』

 

飽きもせず繰り返される言葉、さっさとこの場を離れた方が身のためだ。

 

懐から取り出した音楽プレーヤーの電源を入れ、傍らの喧騒をシャットアウトするかのように音量を上げる。

 

整備士の仲裁も意に介さず、ますますヒートアップする喧騒を横目に足早で格納庫の外へと向かう。

 

そんな俺を見つめる一人の視線を感じたが、俺は敢えて無視してそのまま格納庫を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

基地の裏手にある物置に通じる階段――そこが俺の食事場だった。

 

食事といっても、口にするのは不味い軍用糧食のみで、生きるのに必要なエネルギーを得るだけの行為でしかない。

 

「……」

 

噛んでも味が変わるなんてことはなく、ただひたすらに不味さが口内に拡がっていく。

 

まるでプラスチック爆薬のような壊滅的な味だが、基地で手に入る食べ物はこれしか存在しないのだ。

 

もし、これ以外を求めるのなら、自力で調達しなくてはならない。

 

いつ、レギオンが襲来するか分からない戦場でそんなことをしている余裕なんてなく、仮に手に入ったとしてもそれが食べられるのか、食材の調理の知識も必要だ。

 

「ん……また来たのか」

 

「ハハ……私もお邪魔していいかな?」

 

バツが悪そうな表情で柱の陰から出てきたのは、同じ小隊の……確かカイエと言ったか。

 

当の彼女はこちらの返答を待たず、勝手に座るが、特に追い返すようなことはしない。

 

別に心を許した訳ではない、ただ俺に害を為す存在じゃない――それだけだ。

 

そして、今日も変わらず、あの面々に仲間外れにされたようだ。

 

「皆、何かと苛立ってるな……今日がだいぶやられたのもあるけど」

 

「別にこんなことなんて何度もあったさ。弱い奴が勝手に苛立ってるだけだろ」

 

此処では部隊が壊滅するなんて、珍しいことじゃない。

 

どうせ替えなんて幾らでもいるし、生き残ってもいつかは死んでいく。

 

弱い奴、運のない奴、馬鹿な奴は此処では生き残れない。

 

俺自身も今日、死んだ奴のことなんて覚えていない――覚える価値すらない。

 

「どのみち……なあ、どうしたんだ? その頬」

 

「えっ? ああ……格納庫のいざこざでちょっと……な」

 

お互いに極東黒種の血を引いてるというのもあるだろうが、彼女の肌の色や髪の色などは分かりやすい。

 

故に赤く腫れている所などくっきりと浮かび上がる。

 

どうやら、俺が離れた後、あの喧騒は暴力沙汰になったらしい。

 

「はぁ……お前も少しは厄介事から離れるようにした方がいいぞ。此処での俺達なんて体のいいスケープゴートでしかないんだからさ」

 

そう、白豚達が有色人種を蔑視しているように86でも少数の民族に差別がある。

 

共和国では、俺やカイエのような極東黒種なんて滅多に見ないし、体格も他の面々に比べて小柄というのもあって、俺達の扱いは八つ当たり用のサンドバッグに近い。

 

尤も、そうした状況が収容所にいた頃から続いた為、危機察知能力や身を護る術が洗練されていったのは皮肉と言うべきか。

 

戦場に放り出されてから半年、今日まで五体満足で生き延びることが出来ている。

 

「ハハ……そうだな。肝に銘じておくよ」

 

「……そういえば、お前のレーションはどうしたんだ? 味がアレでも、人数分は来るはずだろ?」

 

「えっ? あぁ……いや、その……」

 

バツが悪そうに言い淀む彼女を見て、大まかな理由は察せた。

 

彼女は確かに部隊内でイジメを受けている身だが、別に物腰が弱いとか、力が弱いとかではない。

 

普通に襲われそうになったら、相手を返り討ちにしているし、身を守る能力があるのは分かっている。

 

「私が間に入ったのが気に食わなかったかな。いざ、私のを取りに行ったら……な」

 

「ああいうのは好きにやらせておけばいいんだよ。干渉したらこっちに飛火するんだし。『君子危うきに近寄らず』とも言うだろ?」

 

彼女のお人好しぶりに呆れながらも、糧食(レーション)の包みからもう一個を取り出す。

 

怪訝な顔を浮かべる彼女に構わず、ソレを彼女の手に押し付けた。

 

「えっと……?」

 

「どうせ不味いんだから一個やるよ。万が一、戦闘中に倒れられても困るしな」

 

配属から今日まで生き残っている以上、彼女は腕が立つことに変わりはない。

 

自らの保身のためにも、彼女にくだらない理由で死なれては困る――それだけだ。

 

「……ありがとう。やっぱり優しいな。ユウは」

 

「……っ! どうでもいいから俺の気が変わる前に早く食べるんだな。どうせ明日もロクなことにはならないんだし」

 

そう、あくまで俺の保身のため――それ以外の意図なんて無い。

 

どうも彼女と話すと調子が狂う、一時の気の迷いが死に直結するというのに。

 

形容し難い感情の昂りに少し苛つきながら、また糧食を齧る。

 

普段なら顔を顰める不味さも、何故か今だけは気にならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両親と過ごした思い出は次々に忘れていってしまうのに、何故か彼らが死んだ日だけは今も鮮明に覚えている。

 

正確には、両親が戦場で死んだことを知った日――

 

別に遺体が戻ってきたとか、遺品が持ち帰られたとか、そういうわけではない。

 

ただの紙切れにそう書かれていただけだ。

 

何処で、どのように、何時、死んだのかなんて一切、書かれていなかった。

 

二人とも死んだ――書かれてたのはそれだけだ。

 

泣くことは無かった、そんなの分かりきっていたから。

 

小さな子供がいた夫婦も、恋人と一緒にいた若者も、結局は誰一人として帰ってくることはなかった。

 

幾百と積み重なった結果からの予測は、未来予知と然程、変わらない。

 

だから、もしものことなんて考えない――ただ辛くなるだけだから。

 

泣いた所で何も変わらない、生き抜くのに必要なのは知識と力だ。

 

馴れ合いでも、罵倒でも、くだらない感情なんて邪魔になるだけだ。

 

白系種も、同じ86も、大人も子供も、誰も信じられない。

 

だから、俺は一人で生きる――己が斃れるその日まで。

 

そうやって俺はやってきた、自分で戦う術を身に付かた、自分で生き抜く知識を学んだ。

 

これからも、それだけは変わらない……筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大規模なレギオンの襲来が伝えられたのは夕方だった。

 

哨戒に出ていた部隊が地平を埋め尽くさんばかりの大群を無つけたそうだ。

 

現在、レギオンは群れをそれぞれの戦線へと分けて、数に物を言わせて、強引に進撃している。

 

対する此方は、先の戦闘での補填はされておらず、数に押されて既に防衛線は瓦解しかかっていた。

 

『9時方向に戦車型! もうこっちを捉えてるぞ!!』

 

『第2小隊、何やってんだ!! 早く援護をっ――』

 

戦車型の無慈悲な一撃でジャガーノートが爆散する。

 

共和国が誇る駄作機たるジャガーノートは、機体重量に見合わぬ低い機動性や断片はおろか、重機関銃弾にすら貫徹を許す装甲も災いして、アルミの棺桶の異名で呼ばれる。

 

いくら木々の隙間に隠れようと、戦車型の120mm滑腔砲から放たれるAPFSDSはジャガーノートを樹木諸共に粉砕していく。

 

爆炎の向こうから、斥候型の曳光弾の弾幕が木々を穿ち、細型に弾け、地面へと落ちていった。

 

「D2.まだ生きてるか?」

 

『ああ、なんとか……な!』

 

D2(カイエ)が近接猟兵型を撃破しながら、此方へと向かってくる。

 

とはいえ、俺達が合流したところで、どうにかなる数ではないか。

 

阻電錯乱型の妨害を受けていながら、敵性マーカーの表示は一向に減る気配はなく、友軍マーカーだけが囲まれて消えていく。

 

既に俺達の戦隊長との同調は途切れ、戦隊の過半数のシグナルは消えている。

 

戦隊としては既に壊滅……最早、全滅寸前といった所か。

 

『ハンドラー・ワンよりD1。アルタイルはどうした?』

 

『既に戦死されました。そちらで確認できないのですか?』

 

向こうの人間様が舌打ちするが、別に今に始まったことじゃない。

 

『チッ……役立たずどもが。D2、お前は第3小隊の直掩に行け。D1、お前は第1小隊の尻を拭え』

 

『……了解』

 

向こうはたかが一機のジャガーノートに何が出来ると思っているのだろうか?

 

第3小隊などもう二人しか残ってない上に、既に包囲されている。

 

第一小隊に限っては……もう一人しか生き残ってないのか。

 

「了解しました、ハンドラー・ワン。精々、足掻いてみせましょう』

 

ハンドラーとの同調を切り、第1小隊が展開していた方へとジャガーノートを走らせる。

 

「聞いていたな? D2、お前は西だ」

 

『ああ……ユウ、死ぬなよ』

 

D2との同調が途切れ、彼女のマーカーが離れていく。

 

何が死ぬなよだ、他人の心配をするくらいなら自分の心配をしろよ……

 

互いに貧乏くじを引かされてしまったが、俺のやることは変わらない。

 

「……アイツとはこれまでかもな」

 

彼女が援護に入る前に、第3小隊は全滅するだろう。

 

その次に屠られるのは誰かなんて、言うまでもない。

 

「……」

 

このままでは、確実にカイエは死ぬ。

 

そんな分かりきった結果に妙な苛つきが心をざわつかせる。

 

「クソっ……!」

 

さっきから何なんだ、この妙な苛つきは。

 

最初からそうだったじゃないか、カイエとの付き合いなんて自分の保身のためだった筈だ。

 

だから、いつかこんな日が来ることなんて分かってた。

 

レーダー上から最後まで残っていた第1小隊の反応が消える。

 

それに構わず、木々の合間から見えた近接猟兵型のボディの側面を狙う。

 

「俺は……」

 

引き金を引く瞬間、頭に過ぎったのは彼女の儚い笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地に伏せた戦車型の亡骸を飛び越え、背後の近接猟兵型を撃つ。

 

戦車型に遥かに劣る装甲は安々と砲弾の貫徹を許し、信管が作動すると内部で爆ぜる。

 

黒煙を吹いて倒れた近接猟兵型を盾にして、木々を吹き飛ばしながら迫る戦車型の一団から離れる。

 

「弾薬も3割を切ったか……そろそろ限界だな」

 

果たしてどうしたものか、このままではジリ貧なのは分かっている。

 

かといって逃げた所で、行く当てなんてない。

 

八方塞がりの状況に思わず歯軋りをした矢先、ハンドラーからの同調が頭に響いた。

 

『ハンドラー・ワンよりD1。運が良かったな、役立たずのお前達のツケを第2戦隊が払ってくれるそうだ。第3戦隊は撤退しろ』

 

「撤退については了解しました。しかし、現状ではD2の離脱は困難に思われますが?」

 

『そんなこと、俺が知ったことか。お前達の不手際ぐらいお前達でどうにかしろ』

 

苛立った声で同調が切られる、どうやら手柄を立てれず、ご立腹のようだ。

 

とはいえ、渡りに船と言うべきか、此処から離脱する理由が出来た。

 

「カイエは……ダメか」

 

D2は既に敵に包囲されており、何とか生き延びてはいるものの、撃破されるのは時間の問題だろう。

 

まあ、分かりきっていた結果だ、だから――

 

「……いや、俺は馬鹿か? 俺が行ったところでどうにもならないだろ」

 

既に弾薬は3割を切り、連戦によって足回りにもガタが来始めている。

 

そんな状態で敵の包囲網を突破するなど、愚の骨頂も良いところだ。

 

別に同じ部隊の誰かを見捨てるなんて、初めてのことではない。

 

此処にいれば見捨てる側にもなるし、見捨てられる側にも成り得る。

 

少年のジャガーノートが走り始めた。

 

「……っ! 最初に決めたじゃないか、もう誰にも頼らないって」

 

信じたって裏切られてきたじゃないか、手を伸ばしたって届かなかったじゃないか。

 

だから……何もかも諦めたんじゃないか。

 

木々の合間から無数の光沢と青い光学センサーの光が覗く。

 

直後、放たれる無数の砲弾と銃弾を躱し、殺人機械の群れを飛び越えていく。

 

「俺は……」

 

無数の敵性マーカーが蔓延るその深奥に唯一映る味方のマーカー。

 

其処に向かって、悲鳴を挙げる機体に鞭を打ち、全速力で駆け抜ける。

 

舞い上がった小石や枝が機体にぶつかる最中、何か高速で熱を帯びた物も機体を掠め、ボディを削り取っていく。

 

甲高い金属の衝突音が鳴り響き、削れた装甲の隙間から曳光弾の煌めきが覗く。

 

再びの衝突音と同時に、頬にそれが掠め、一瞬の肌を焼く熱と共に何か生暖かく、鉄臭い液体が滴る。

 

ヒリヒリする痛みと生臭い匂いに顔を顰めながらも、構わずに前へと突き進む。

 

立ちふさがった斥候型を機銃で黙らせると、擱座したジャガーノートを取り囲んだレギオンが一斉に此方へと向く。

 

そして、恐怖の涙を滲ませた彼女も呆気にとられた表情で凝視する。

 

頬の痛みを堪えながら、声を大にして俺は叫んだ。

 

「死にたくないならじっとしてろ!!」

 

 

 

 

 

 

 

『死にたくないならじっとしてろ!!』

 

頭の中と外部スピーカーから響いた声に思わず、呆気に取られた。

 

そして、我にかえった時に浮かんだのは疑問だった。

 

何故、ユウが此処に? 既に離脱した筈じゃ……? 

 

敵の接近に気づいた斥候型が両脇の機銃を掃射する。

 

ジャガーノートの装甲ではそれすらも致命傷に成り得るのにも関わらず、銃弾を掠めながらも強引に距離を詰める。

 

斥候型の機銃と違う、重い低音がジャガーノートから鳴り響く。

 

重低音と共に放たれた弾丸の雨をまともに受けた斥候型が倒れ、戦車型の砲塔がジャガーノートへと向いた。

 

耳を塞いでいても、頭が痺れてしまいそうな轟音。

 

舞い上がった土煙のせいで、ジャガーノートの様子は分からない。

 

されど、この距離で戦車型の攻撃を受けたとなれば、文字通りの木っ端微塵だろう。

 

しかし、感覚が回復してくると、やかましいモーター音が土煙の中から聞こえてくる。

 

赤い一つ目の残光が戦車型の側面へと滑り込む。

 

そして、戦車型のものよりは軽い砲撃音と共に戦車型のボディが火を噴いた。

 

残りの斥候型も続けての第ニ射で爆散し、最後の一機も機銃掃射を受けて沈黙。

 

私を取り囲んでいた殺人機械の一団は、全て鉄屑へと還った。

 

ボロボロのジャガーノートがこちらへと向き直り、そのコクピットハッチが開く。

 

小銃を肩に掛けた少年がこちらへと駆け寄ってくる。

 

頬は何かで切った、或いは何か掠めたような傷があり、傷から血が流れていた。

 

「はぁはぁ……無事か?」

 

「どうして……?」

 

少年がその質問に答えることはなく、返答の代わりに手が差し出される。

 

「動けるならさっさと離脱するぞ。此処にいる理由なんて後で幾らでも話してやるから」

 

息を荒らげながらも、普段と変わらない口振りに思わず笑みが漏れる。

 

でも……こうやって、この少年から手を差し伸べられたのは初めてのことだ。

 

「ありがとう、ユウ。やっぱり……ユウは優しいな」

 

「……っ! いいから早くしろ。レギオンもすぐに来るぞ」

 

差し伸べられた手を取り、擱座したジャガーノートから抜けだす。

 

そうか、私はまだ生きているんだな‥…

 

少年の手から感じる温もりが、その事実を改めて実感させてくれる。

 

再び涙が込み上げてくるが、先程のとは違う――溢れんばかりの安心と喜び。

 

でも、今は堪えよう、少年の言う通り、レギオンがいつ襲ってきてもおかしくはないのだ。

 

「流石に二人も乗ると、コクピットが閉められないよな……」

 

当然だが、ジャガーノートは二人乗りなんて想定されていない。

 

だから必然的にコクピットは開けっ放しになるのだが……

 

ふと、横を見ると少年は木々の奥を見つめていた。

 

「ユウ……?」

 

突如、強い力で腕を捕まれ、少年もろとも地面へ倒れ込んだ。

 

強い衝撃に脳が揺さぶられ、同時に鈍い痛みが走ると同時に、巨砲の轟音が森に木霊する。

 

木々が弾け飛び、私達の真上を何か重いものが超高速で飛び抜けていく

 

直後、背後で爆轟と共に大きな黒煙が舞い上がる。

 

「クソっ……早く立て! レギオンが追ってくるぞ!!」

 

「……っ!」

 

半ば彼に引き摺られそうになりながらも、何とか立ち上がって、走る。

 

彼に手を引かれながら、森の奥へと、ひたすらに奥へと。

 

既に森には夜の帳が下り、一寸先の様子さえも伺い知れない。

 

それでも、『死にたくない』――その一心で、私達は暗闇に呑まれた森の中を走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洞窟の奥で、火の粉がバチバチと音を立てては消えていく。

 

既に季節は冬に差し掛かっているのもあって、夜は非常に冷える。

 

格好は原始的であるが、こうやって焚き火の側にいるだけで暖を取れるのだから侮れない。

 

「すごいな……よく森の奥にこんな洞窟があるなんて知ってたな」

 

「前に哨戒で近くに来た時に見つけたんだ。その時も丁度、同じ夜だったし」

 

尤も、この森には別の理由で度々、訪れていたのだが……まさか、それが功を成すとは思いもしなかった。

 

幸い、俺達が身を潜めている洞窟もそれなりに広いこともあって、夜を明かすには事欠かない。

 

とはいえ、つい先程まで必死の思いで、迫るレギオンから逃げ回っていたのだ。

 

故にいつ襲われるのかという不安は拭えないし、万が一のこともあるため、気を緩めることはできない。

 

「……隣、良いかな?」

 

「……あぁ」

 

反対側にいたカイエが立ち上がり、俺の左隣に腰掛ける。

 

そして、特に言葉を交わすわけでもなく、ただ黙って揺れる焚き火を見つめていた。

 

そんな少しの静寂の中、最初に口を開いたのはカイエだった。

 

「……改めて、本当にありがとう。ユウのおかげで命拾いしたよ」

 

「……別に礼を言われるようなことはしてない。況してや、最初はお前を見捨てようとしたんだぞ」

 

ほんと……何故、こんな無茶をしてしまったんだろうか。

 

「たとえ、そうだったとしても……結果としてユウは私を助けてくれた。その事実は揺るがないよ」

 

「……違うんだ。俺は――」

 

俺は彼女のことを都合の良い弾除け程度にしか思っていなかった。

 

だから、彼女を助けたのは……あくまで自分の為の筈だ。

 

けれど、当の彼女は俺が見捨てようとしたことを糾弾する訳でもなく、あろうことか感謝の言葉を口にする。

 

「俺は――」

 

俺は――何故、彼女に死んで欲しくないと思ったんだろうか。

 

「フフ……やっぱりユウは優しいな」

 

彼女が俺の手を取る――優しく、その小さな両手で包みこむように。

 

「ユウが何を理由にして、私を助けてくれたのかは分からない。でも……ユウのおかげで、私は此処にいる」

 

「……今日は運が良かっただけさ」

 

戦場では歴戦の猛者だろうが、未熟な新兵だろうが、死んでいく人間に分別はない。

 

あらゆる要因が一つ変化するだけで、猛者も新兵も簡単に死んでいく。

 

だから、今日は助かっても、明日は助からないかもしれない。

 

「そうかもな。でも。今日はユウが助けてくれたから、私は生き延びることが出来たんだ。その事実は揺るがないし、それを私はずっと感謝し続けるよ」

 

俺達に明日の保証なんて無い、たとえ運良く生き延びても、いつかはこの戦場で死ぬ。

 

そんなことなんて戦場に出る前、収容所にいた頃から嫌でも思い知らされてきた。

 

「だから、約束する。今度は私がユウの助けになってみせる。何時になるかは分からないけど……」

 

約束、誓い――命や思いなど簡単に踏み躙られるこの場所で。

 

それでも彼女は誓った、このどうしようもなく不器用で、無愛想で――誰よりも優しい少年の力になると。

 

きっとこれは、その最初の一歩だ。

 

「改めて……私はカイエ•タニヤだ。これからよろしく頼むよ」

 

「何故に今更……」

 

「あのとき、私が一方的に喋っただけだからな。これから一緒に戦う仲間なんだ。だから、今度は私にユウのことを教えて欲しいんだ」

 

『……ユウヤ•カジロ。その……よろしく」

 

差し出した手に恐る恐るといった様子で、少年もその手を伸ばす。

 

きっと、この少年も86となってからは、様々な苦悩に苛まれてきたに違いない。

 

理不尽に肉親も人生さえも奪われ、多くの人に蔑まれ、裏切られてきたのだ。

 

だから……せめて私は――私だけでも彼の味方になってあげたい。

 

今は完全には信じてもらえないかもしれない、けれど彼が行動で報いてくれたように、私もいつかは――

 

「あっ……」

 

焚き火が燃える音に混じり、少女の腹がぐぅーと唸る。

 

少女はおろか目の前の少年もこれには呆気にとられ、暫し驚愕したまま固まっていた。

 

そして、込み上げてきた笑いを堪えきれなかったのか、笑いながら言う。

 

「アハハ……いや、そうだな。此処に逃げ込んでから何も食べてないもんな」

 

人の身体というのはどうも不便なもので、腹が減ったとなれば、取り巻く状況など、関係ないと言わんばかりに鳴るものだ。

 

況してや、戦闘直後に森の中をひたすらに走り回ったのだ、腹が減らないわけがない。

 

「えっと……その……」

 

顔を真っ赤にして、俯く少女の前で腰のポーチから何かを取り出す。

 

「いつものビスケットと、乾燥させた野イチゴだ。大層なものじゃないけど、硬いだけのビスケットだけよりは美味しく食べられると思う」

 

「あ、ありがとう……」

 

プラスチックの袋を開けると、イチゴ特有の甘い匂いが香る。

 

86として戦場に身を投じるようになってから、果物のような物が与えられることはなく、運良く缶詰でも入手するかぐらいでないと口にはできない代物だ。

 

野生のものを利用しようにもどれが食べられのか、或いはどのような処理をしなくてはならないのかを熟知している者はそうそういない。

 

「ん……美味しい」

 

無味のビスケットに甘酸っぱい苺特有の味が合わさり、まるでお菓子を食べているかのような感覚。

 

それは、もう既にいない両親たちと過ごした普通だった日々を想起させるには十分すぎた。

 

そういえば、戦争が始まる前、母さんに似たようなお菓子を作ってもらったっけ……

 

もはや、摩耗しきってしまった記憶でも、かつては日常であった思い出。

 

溢れ出す懐かしさを噛み締める度に少女の目尻に涙が溜まっていき、それが一筋流れた。

 

「……っ! ぐっ……ひぐっ……!」

 

分かっている、もうあの日々が帰ってくることはない。

 

けど、普通の日々の記憶が摩耗していく中で、確かにあった情景を恋しいと思わずにはいられないのだ。

 

「まだあるから……好きなだけ食べて良いぞ」

 

「っ……! ありがとう……ありがとう……!!」

 

嗚咽と溢れ出す涙で震える手で、少年が差し出した袋を取る。

 

どれだけ泣いても、私達を取り巻く状況もこれからの未来も、何も変わらない。

 

それでも、今ばかりは涙を流さずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣き疲れたのか、或いは腹が満たされたからなのか、どこか意識がぼんやりしたまま、揺れる火を眺めていた。

 

火が弾ける音と、たまに燃料の枝を放り込む音が一定のリズムとなって、ぼんやりした意識を微睡みに誘う。

 

「……」

 

既に時間は深夜を回っており、遠くでたまに聞こえていた爆発音もすっかり聞こえなくなっていた。

 

とはいえ、油断は禁物だ――哨戒のレギオンが……

 

「わわっ……?」

 

沈みそうになった意識を何とか引き締めた途端、隣から何か投げ渡される。

 

それは見慣れた野戦服の上着だった。

 

「……ほら、眠いなら寝ていいんだぞ?」

 

黒のインナー姿になった少年が火に枝を放り込みながら言う。

 

「でも……」

 

「俺は大丈夫だから。それよりも、カイエに風邪でもひかれたら一大事だ」

 

「あっ……」

 

初めて、ユウに名前で呼んでもらえた……

 

別に名を呼ぶことに特別な意図なんてないだろう、けれど私の心に何かじんわりと温もりが拡がっていく。

 

だからだろうか、こんな"我儘"を言ってしまうのは。

 

「分かった……でも、一つだけ頼みがあるんだけど、良いかな?」

 

「ああ。その頼みって何だ?」

 

「手を握らせて欲しいんだ……そうすれば、きっと怖くないから」

 

目の前の少年は少し驚いたのか、ポカンとした表情で見つめる。

 

そして、我儘の返事の代わりにその手をさっと差し出した、

 

「ありがとう……」

 

握った手から伝わる少年の体温は暖かくて、とても安心する。

 

もう私は一人じゃない……ユウがそこにいてくれるから。

 

襲いかかる睡魔に身を委ね、目を閉じる。

 

自らの手から確かに感じる温もりに微笑みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、私達は哨戒中だった別の戦隊に保護され、その翌日には別の部隊への編入となった。

 

所属する部隊が変わっても、私達を取り巻く環境というのは然程、変化はなく、私達へのバッシングというのは依然としてあった。

 

でも、変わったことが一つだけあった。

 

「どうした? いきなり笑顔になって……」

 

「いや、私も案外、幸せ者なんだなって思ってさ」

 

「……全く以て意味が分からないんだけど」

 

少年が怪訝そうな顔で、ビスケットを口へ放る。

 

やれやれ……普段は勘は鋭いのに、相変わらずこういう所は鈍いんだな。

 

「ん……そろそろ良いんじゃないか?」

 

「そうだな……うん、いい塩梅の出来だ」

 

あれから、この少年と一緒にいることが増えた――いや、殆どの時間を一緒に過ごしている。

 

だから、こうして他の戦隊員が味わえない楽しみを体感することが出来るわけで。

 

「ふぅ……こんな戦場の只中で、カモミールティーを飲んでるのなんて私達くらいじゃないか?」

 

「材料と淹れ方さえ分かれば、誰でも出来るけどな」

 

それをしっかり理解しているのはごく少数なんだけどな。

 

「とはいえ、カイエもだいぶ上手くなったじゃないか。教えた身としては。鼻が高いよ」

 

こうして一緒に過ごしている中で、少年から色々なことを教えてもらった。

 

野草を使ったお茶やコーヒーの淹れ方や、動植物の処理の仕方など、この戦場で贅沢をするための必須知識。

 

そのおかげで、前は溜め息しか出なかった食事も、日々の癒やしへと変わり、生活にもだいぶ余裕が出来るようになった。

 

そして、この戦場に出てから、もう少しで一年になるため、私達も号持ちとして扱われるようになっていた。

 

「むぅ……やっぱり、黒い蝶も斬新で良かったと思うんだけどな」

 

「またその話か? 縁起が良いって言っても、あくまで極東での話だからな。ある意味、仕方がないんじゃないか? まあ、我ながら随分とメルヘンチックなパーソナルネームだとは思うけど」

 

私のパーソナルネームは桜を意味するキルシュブリューテ、そして少年のパーソナルネームは妖精を意味するフェアリー。

 

尤も少年のパーソナルネームは元々、私が考えるように頼まれ――丸投げされたのたが、どうも縁起が悪いとのことで却下されてしまった。

 

尤も、丸投げした張本人はどうでも良さそうに音楽鑑賞に勤しんでいたのだが。

 

「まあ、整備士の人も気を使ってくれたんだろ……それに、俺達の迎えも来たみたいだ」

 

荒々しい足音と共に現れたのは白銀の髪と瞳、そして紺青の軍服を着込んだ中年男性。

 

どうも、彼の様子から察するに虫の居所が悪いらしい。

 

「貴様ら、いったい何処で油を売っていたんだ?」

 

「何処にいろといったご命令も無かったので」

 

音楽プレーヤーから目を離さず、淡々とした様子で答える少年を見て思わず苦笑いを浮かべてしまう。

 

最早、眼中にないと言わんばかりの対応に、白系種の士官も憤慨を隠さない。

 

「豚どもの事情など俺が知ったことか! 第一、貴様らは――」

 

「お忙しいのは分かりますが、いかなる時も冷静を繕う努力はなされた方が良いかと。それだから、御婦人に見向きもされないのでは?」

 

「なっ、何故……」

 

大方、適当に言っただけたろうが、どうやらこの白系種の男性には図星だったらしい。

 

とはいえ。罵詈雑言を浴びせられながらも、淡々と相手を煽る少年の胆力には毎度、恐れ入るものだ。

 

羞恥と怒りに歯を食いしばる士官を他所に、少年が立ち上がる。

 

そして、振り返って私に手を差し出した。

 

「それじゃ、行こうか?」

 

「ああ、付いていくよ。どこまでも」

 

そう、彼がいてくれるのなら、私は何処へだって行ける。

 

戦うのは今でも怖い、けど私はもう一人じゃない。

 

命が簡単に踏み躙られ、絶望が支配するこの場所で、少女は希望を胸に彼の手を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




カイエさん、ストレートでも絶対に可愛いと思うんだ(漫画版参照〕


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小噺

年内に投稿するつもりが年どころ、正月も明けていた……だと?

皆さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


 

EP1 『ユウヤさんの最大の敵』

 

 

古い傷だらけのフライパンの上で半熟の卵が踊る。

 

『――ユウさんはお料理がお得意なんですね!』

 

この戦場から遥か後方の、安全な壁の中にいる上官が声を大にして言う。

 

五月蝿いと思うが、いちいち口にするのも面倒なので、彼女の相手を“相方”に任せて目の前の卵に意識を向ける。

 

その様子を見ていた黒髪の少女は思わず苦笑いを浮かべ、代わりに言葉を返した。

 

「ああ、戦隊でも料理が出来る隊員はそんなにいないけど、ユウはその中でも指折りの実力だよ」

 

卵の天地を返しながら、傍らの鍋へと目を向けると、煮立ったトマトスープが鍋の中で外へ出るのを今かと待ち望んでいる。

 

うん、スープは頃合い……後は盛り付けるだけだな。

 

フライパンのオムレツを皿に盛り、事前に作っておいたソースを小さなカップへ入れて、オムレツの側に添える。

 

そして、空のお椀にとろみが付いたスープを盛り、オムレツと一緒にテーブルへ置く。

 

「ほら……完成したぞ」

 

「お~……流石、ユウ。いきなりのリクエストで、これ程の品を作れるとは」

 

食堂の余り物を活用しただけだが、彼女が満足なら問題はないだろう。

 

『何を作られたんですか?』

 

『オムレツとトマトスープだな……ソースもしっかり作ってくれてるぞ」

 

『そ、それは凄いですね……ユウさんは何処かでお料理を習われたんですか?」

 

「いえ、独学です。ここでの生活では、こういったことを覚えておいた方が何かと便利ですから」

 

俺自身、料理を始めた切っ掛けというのは、よく覚えていない。

 

戦争が始まる前……まだ、普通の“人間”であった時だとは思うのだが……

 

まあ、切っ掛けはどうであれ、こうして役に立っているのだから無駄ではなかったのだ。

 

「ところで、少佐は料理はされないのですか?」

 

『うっ……えっと、私はその……』

 

投げ掛けた問いに声を詰まらせた少佐に、俺は一つの答えを確信した。

 

ああ、成る程……料理が出来ないタイプの人か。

 

「まあ、無理にとは言いませんが、平常時でも緊急時でも活用法は幾らでもあるので、覚えておいて損はない技術ですよ」

 

『そ、そうなのですか……?』

 

いずれ死ぬ俺達はともかく、少佐のように普通に暮らしている人には様々な場面で役に立つだろう。

 

たとえば――

 

「少佐殿の恋人に手料理を振る舞う……なんてどうでしょうか?」

 

『こ、恋人って!! わ、私はまだ……!!』

 

「たとえばの話ですよ。そんなに動揺しないでください」

 

『ううっ……でも、もし仮にそのようなことがあったとして、私に上手くできるでしょうか……?』

 

確かに料理下手が料理を……況してや、人に出す料理を作るというのは非常に難しいことだろう。

 

クレナの例もあるし、その不安というのは俺にも分かる。

 

人に出す以上、確かに料理の出来は重要だ――けど、それだけではないのだ。

 

「料理自体が上手くなるには数をこなすしかありません。けど、それよりも食べる人の姿を思い描くことが何よりも重要です」

 

当然ではあるが、誰も好き好んで不味いものを食べたいとは思わないだろう。

 

食べる人が自分であったとしても、可能な限り美味しいものを食べたいと思う筈だ。

 

だからこそ、どうすれば美味しいものが出来るのか、食品の衛生状態は勿論、下ごしらえ、味付け、調理、盛り付けといった工程で常に考えなくてはならない。

 

食べる人の健康は勿論、精神の安定剤になってこそ、初めて美味しい料理となる――俺はそう思う。

 

『食べる人のことを思い描く……ですか?』

 

「はい、それが出来たのならば、完璧とは言えずとも美味しいものは出来上がります」

 

そして、逆に捉えれば、それを阻害するものこそ――

 

腰のホルスターから拳銃を抜き、隠れて食堂の床を走る“ソレ”へとトリガーを引く。

 

乾いた銃声と共に放たれた銃弾は“ソレ”の頭蓋を砕き、その内側の脳髄ごと粉砕する。

 

「食堂を走り回るネズミどもは――何があろうと絶対に赦してはならない“敵”です」

 

『は、はい……』

 

後に“鮮血女王(ブラッディレジーナ)”と呼ばれる彼女はこう語った。

 

『食堂は神聖にして侵すべからず』と。

 

 

 

 

 

 

 

EP2 『風邪にはご用心』

 

 

 

「ゴホッゴホッ!うう……参ったな」

 

暗い部屋の中、ベッドの中で少女は咳き込んだ。

 

86となって迫害される身になってからは、自分の健康には気をつけるようにはしていた。

 

満足な医療品も供給されない以上、風邪などの病気も自分で対処しなくてはならないし、こちらが病を患っていたとしても、レギオンは歩みを止めてくれない。

 

「ミクリに明日、謝らないとな……」

 

本来なら、今日のの探索はミクリと私の担当だったが、私がこの様であるため、彼女に全て任せきりとなってしまった。

 

早く治すためにも今日は安静にしなくてはならない――それは分かっている筈なのだが。

 

……こうやって一人になるのはいつぶりかな、

 

スピアヘッド戦隊に配属されてからは常に仲間と一緒で、それ以前もあの少年とずっと一緒だったからか、自分一人でいるということがあまりなかった。

 

だからだろうか……こうやって自分一人になると、人肌が恋しいというか、一年目のあの夜を思い出して不安になるのだ。

 

迫る死から必死で逃げ惑って、恐怖でどうにかなってしまいそうな時を――

 

「……ユウ」

 

無意識に私を助けてくれた少年の名前を口にする。

 

駄目だな、どうやら私も風邪でかなり参っているらしい……

 

でも、もし来てくれたなら――

 

そんなことを思いながら少女の意識は闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

身体が重い中、必死へ前へと走る。

 

頭は鐘が鳴り響いているかのように痛み、足元さえも覚束無い。

 

そんな私に構わず、背後からはまるで虫のような殺人機械がその目を爛々と光らせて追ってくる。

 

その距離はどんどんと近付いていく。

 

「嫌だ……」

 

怖い。

 

「死にたくない」

 

目の前は行き止まりで、その殺人機械はすぐ後ろで両脇の機銃をこちらへと向けていた。

 

「……っ」

 

恐怖で声も出てこない、なのに叫びたいくらいに怖くてたまらない。

 

「助けて……」

 

誰か……

 

「ユウ……!

 

『死にたくないならじっとしてろ!』

 

そんな聞き慣れた声が耳元で響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……んん?」

 

先程から、部屋で何か物音がする。

 

少なくとも今は私しかいない筈なのだが……

 

「……ユウ?」

 

「目が覚めたのか。どうだ? 身体の具合は」

 

見間違える筈もない馴染みの少年はタオルを絞りながら、こちらへと微笑む。

 

思わぬ来訪者の登場に驚き、身体を起こそうとすると、額から水分を含んだ何かが落ちる。

 

別になんてことない濡れたタオルだが……ユウが看病してくれていたのか?

 

「これは……」

 

「最初は軽い差し入れだけにしようかと思ったんだけど……アンジュ達に言われてな。だから、正拳突きは勘弁してくれよ?」

 

冗談交じりの笑みを浮かべながら、机の上に置かれていた盆を取る。

 

盆の上には茶碗が置かれており、その茶碗から真っ白な湯気が上っていた。

 

「とりあえず、オートミールで卵粥を作ったんだが……食べられそうか?」

 

「ありがとう……いただくよ」

 

時刻は既に17時を回っており、流石に少しは何があろうと食べたくる頃合いだ。

 

「暖かい……」

 

卵のふんわりとした食感と薄すぎず、かといって濃いわけでもない不思議な味が身体に染み渡る。

 

そして、染み渡る粥の熱は自身の心さえも暖めていく。

 

優しい味というのはこういうのをいうのだろうか……何処か懐かしい。

 

「良かった。さっきは寝苦しそうにしてたからキツイかと思ったが……その様子なら大丈夫そうだな」

 

少年がそう言って立ち上がると、私は無意識の内に少年の腕へ手を伸ばした。

 

自分でも何故、そうしたのか分からない。

 

先程まで、“あの日”のことを夢で見ていたからか、もしくは寂しくて仕方なかったのか。

 

ただ、この少年には……側にいて欲しかった。

 

少年は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。

 

「どうした? 悪い夢でも見たのか」

 

身体の倦怠感、粥の熱た体温が合わさって再び、眠気が脳を襲う。

 

先程までの不安はない、むしろ一人じゃないということ安心を覚えている。

 

「手を……握っていて欲しい」

 

「しょうがないな……今回は特別だからな?」

 

ああ、そうだ……私は病人なんだ。

 

だから……仕方ないよな?

 

「ほら……おわっ!?」

 

握った少年の手をこちらへと引き、こちらへと倒れてきた少年を毛布の中へと引き込んだ。

 

逃げられないよう、少年の身体をホールドすると、少年の胸の鼓動が耳に響く。

 

「ユウは暖かいな……」

 

「お前なぁ……」

 

満腹感と人の温もりの幸せな倦怠感の中、瞼を閉じる。

 

この温もりがずっと続くことを僅かに願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最新話まで今までの見返していこうかな……


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小噺②

お久しぶりです。身の周りのことが漸く一段落しましたので、執筆を再開していきます。

今回のは執筆中にボツにした原稿を少し弄ったものです


 

 

 

 

EP1『それぞれの重さ』

 

俺が生まれた国では、年末になると大掃除をする風習がある。

 

その起源は昔の高級階級の人々が宮中の煤を払うことと言われている。

 

今と違い、囲炉裏や火鉢を使って火を焚く生活であったため、天井や柱には煤が溜まっていく。

 

そこで年末にそれらの汚れを掃除すると同時に、溜まった厄を払い、年神様を迎える準備をする。

 

「んくぐ……やっぱり、クローゼットの隅とか埃が溜まってるな」

 

「普段は掃除できないからな……こっちは大体、綺麗になったぞ」

 

雑巾を絞りながら、小柄な身体を精一杯に伸ばす彼女を見やる。

 

俺も人のことを言える立場ではないが、彼女の体格だ高いところの掃除というのは骨が折れる作業だ。

 

脚立があるにしても、奥まで掃除するには目一杯に身体を伸ばさなくてはならないし、掃除する箇所によっては普通に届かない。

 

「もう少し長い脚立を買った方がいいな。届かない箇所があるのは予想外だった」

 

とはいえ、普段の生活で掃除出来ない箇所は一通り済ませたし、年越しの準備としては十分だろう。

 

後は引っ張り出した物を元の場所に戻すだけだ。

 

「そうだな……ユウ、そこに置いてるやつを取ってくれ」

 

「はいよ」

 

プラスチック製の収納ケースには特士校時代に使用していた教本などが一杯に入っており、意外と重量がある。

 

「おっと……意外と重いな」

 

「気を付けろよ。それをぶち撒けでもしたら俺が大変な目に遭うからな」

 

「分かってるよ」

 

小さな身体を伸ばし、クローゼットの上段にしまっていくのを眺めながら漸くの休憩に息をつく。

 

互いにそこまで私物を持っている質ではないのだが……まあ、掃除ができなかった期間が長かったし、掃除というのは継続してこそである。

 

こればかりは軍人という仕事を選んだ以上、仕方がない問題なのだろう。

 

「よし……わっ!!」

 

傍らの少女が身体を戻した瞬間、脚立が大きく揺れて、少女の足がその上から離れた。

 

「――っ!? カイエ!」

 

重い金属が床に激突する音と、重量物が倒れ込む音が重なり、静かな部屋に響き渡る。

 

「んっ……ててっ。大丈夫か? カイエ」

 

「うん……ありがとう、ユウ――あっ」

 

眼前には彼女の黒い瞳があり、密着した身体からは体温とその鼓動がゆっくりと伝わる。

 

まるで時間が止まったかのような一秒一秒の流れ、何をするまでもなく、ただ互いの瞳を見つめ合っていた。

 

「……軽いな」

 

「こら、私の何処を見て言っているんだ」

 

どうも、俺達はロマンチックな展開というのに無縁な人間らしい。

 

育った環境が原因なのか、元々のものなのかは分からないが、それでも俺達は良いと思う。

 

お互いにそれを分かっているのか、二人とも見つめ合ったまま、その口からは笑みが漏れた。

 

ロマンも夢もない物語でも、俺達にとっては十分に幸せな物語なんだから――だから、これで良いのだ。

 

「んっ……」

 

僅かに唇に触れるだけのキス――少しの濡れた感触と、体温とは違う別の温もり。

 

永遠に思える一秒――否、一秒さえも経っていないのかもしれない。

 

「一回……だけなのか?」

 

紅潮した頬を隠すことなく、潤んだ瞳のまま彼女は告げる、

 

返答の変わりにその瞳が閉じられ、ゆっくりとその距離は再びゼロとなった。

 

「好きだよ」

 

「俺もだよ」

 

軽いようで、何よりも重く、愛おしいその言葉。

 

互いに指が絡めれた手には銀色の桜と蝶が静かに煌めいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

EP2 酔いどれカイエさん

 

 

 

お酒は飲んでも、呑まれるなという言葉がある。

 

嗜好として酒を飲むのは個人の自由ではあるが、節度はあるということを指すが、いつの世にも酒に呑まれる者は存在する。

 

況してや、それが偶然が折り重なったとなれば尚更である、

 

「ユウ〜? 私の話を聞いてるのか〜?」

 

「はいはい、聞いてますよ」

 

少し、会話が止まった途端にコレである。

 

事の発端は先の作戦の成功を祝した席にて、どうやら彼女は中佐達用の酒類を飲んでしまったそうだ。

 

生憎、その場に俺は居合わせなかったということもあり、俺が出向いた時には既に出来上がっていた。

 

そのため、今はこうして彼女の介抱兼、彼女の話し相手という役目を担っている。

 

共和国で花見をやったときにダイヤとアンジュが踊りだしたのを見ていた為、酔っ払いに対してある程度の理解はあるつもりだったのだが……

 

「ん、よろしい。それでな――」

 

最早、何度目か分からない極東の国の話、月見やら桜の逸話やら、話しを振られる度に俺もその解説をする。

 

だが、相手が相手のためか、不思議と面倒という感情は湧いてこない。

 

しかし、カイエは酔っぱらうとこうなるのか……彼女とは長い付き合いだが、意外な変化に驚きを隠せない。

 

酒に酔うと本人が普段は心の中に秘めているものが顕わになるという。

 

彼女自身、元々が真面目な性格なこともあって、俺の怠惰な生活の注意を言ったり、自分が普段やっていることを熱心に解説してくれる。

 

「――だからな、ユウももっとしっかりした方がいいぞ」

 

「分かったよ。次からは心掛けるようにするよ」

 

そう言って、自分の成果を誇らしげに語るカイエの頭を撫でてやる。

 

「んっ……私は子供じゃないんだぞ……えへへ」

 

まるで親に褒められた子供のように、恥ずかしがりながらも嬉しそうに笑う。

 

いくら年長者といえど、結局は子供、内心では誰かに認められることを求めているのかもしれない。

 

もし、仮に俺に子供ができたら、こうやって子供の頭を撫でてやったりするのだろうか。

 

喪失の過去よりも、可能性の未来を――謝罪よりも約束を。

 

俺達が戦いはまだまだ続くし、更に苛烈を極めていくだろう。

 

戦わなければ生き残れない、喪いたくないものを守るためにこそ――

 

「なぁ、カイエ……って、あれ?」

 

「んん……すぅ……」

 

返答の代わりに何とも幸せそうな顔で寝息を立てる彼女を見て、思わず笑みが吹き出す。

 

まるで。本当に自分の子供みたいだな。

 

「おやすみ、カイエ」

 

俺の膝上で幸せそうに眠る彼女の頭を撫でながら、俺も静かに自らの瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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