虹を繋いで (うめ茶漬け)
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第一部「私たちの"大好き"を」
01 フラれちまった中二の夏


初投稿です。十年ぐらい前に書いてましたが十年経ってるので時効です。

好き放題書いてるので寛大な方向けです。読んで判断いただければ嬉しいです。


 皆、一度冷静になって考えてみて欲しい。

 

 いや、もしかしたら同じ境遇の人がいるかも知れないけど

 もしも、例えば―――。

 

 君の周りに、一番近くに

 可愛くて、優しくて、真心に溢れていて

 桜にように可憐で、清楚で、

 

 そんなフィクションから飛び出てきたような理想的な女の子がいたら

 

 ―――君ならどうする?

 

「―――歩夢が好きだ!俺と付き合って欲しい!」

 

 ―――俺はこうする、そうしたんだ。

 

 中学生の夏、木漏れ日揺れる暑い日

 ずっと心の奥底に秘めていた思いを伝えた。

 

 今にして思うと結果なんて分かりきっていたことかも知れないけど

 あの時の俺は夏の暑い日に当てられて、熱が上がって、冷静な判断が出来なくなってしまっていたのかも知れない。

 

「―――ごめんね」

 

 その言葉を聞いた時、いつも感じていたドキドキとは違う、胸が張り裂けそうなドキドキを感じたっけ。今はもうそんな詳しく思い出せねえけど。

 

「―――だからね、今まで通り幼馴染3人で仲良くしていたいなって」

 

 聞けば心が温かくなる大好きな彼女の鈴の音のような声も、あの時は胸のドキドキを早めるだけで辛かったってこと、それだけはハッキリと覚えてる。

 

 もう一人の幼馴染がいない今が絶好のタイミングだって、服装も髪型もバッチリ決めた勝負の日に俺は負けた―――負けたんだ。

 

 その後のことはよく覚えてない。

 へったくそな嘘と愛想笑いでもして逃げ帰ってきたんだと思う。冷房もかけずに汗だくになりながら自室で倒れていたことが、その何よりも証拠なのだろう。

 

 若かりし頃の中学二年の夏。

 

 俺こと“下海 虹(しもうみ こう)”は

 物心ついた頃からそばにいて、初恋の相手だった彼女“上原 歩夢(うえはら あゆむ)”に

 

 ―――フラれちまったのである。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 春が来て―――桜が咲いた。

 家のそばの桜の木が嬉しそうに揺らめいて、桜の葉が舞い降りる姿が目に入った。

 

 背中に背負ったギターケースにも桜の葉が降り立ち

 温かな春の心地の良い風情を感じさせる。

 

 それだけなら確かに良かったんだけど

 

 綺麗に咲き誇る桜の花びらは、桜のように可憐で、温かい眼差しと優しい声音の初恋の彼女を思い起こさせる。

 

「さて、寮に戻ろう」

 

 そんな(初恋の彼女)から逃げるかのように背を向け歩き出す。

 ―――今日は帰って、せつ菜の曲を詰めなきゃな。

 

 そんなことを考えていた、その時。

 

「―――コウ!!」

 

 俺の名前を呼ぶ声に進んでいた足が立ち止まった。

 そのまま歩き出しても良かったのだが、それはあまりにも彼女に対して心象が良くないと思い、俺はゆっくりと振り返る。

 

 息を切らしながら、チャームポイントであるツインテールを揺らしながら近づく影が一つ。彼女は振り返ったこちらに気付き足を早めた。

 

 日頃運動をしているのだろうか?そんなことは今はもう分からないけど

 肩で息をしながら俺の目の前に立った彼女に声をかける。

 

「どうしたんだ、高咲」

「ハァ……ハァ……つれないな、昔みたいな侑って呼んでよ」

 

 歩夢と一緒で物心ついた時からそばにいた相手

 もう一人の幼馴染、それが彼女―――高咲 侑(たかさき ゆう)

 

 息を整えながら顔を上げた侑はクシャっと笑いながら、言葉を返した。

 

「いや、俺たちもうすぐ高校二年生だろ、未だに名前で呼ぶとか」

「―――でも、この間廊下で見かけた時、他の子呼び捨てにしてたじゃんか」

 

 したり顔で言い返してきた侑。相変わらずこういう所は昔から変わらない。

 

「あれは別だ、ちょっと特殊なパターンだ」

「それは幼馴染より、優先されるパターンなの?」

「まああれは芸名というかキャラ名というか……」

「?」

 

 売り言葉に買い言葉のような感じで言葉を返す侑に、わずかに面倒臭さを感じつつその言葉に答え―――って言うか

 

「それよりお前あの時いたのかよ、全然気づかなかったわ」

「うんっ、ちょうど図書室で歩夢と勉強してた帰りだったから」

「ああ、一緒だったのか」

 

 侑の口から出た歩夢という言葉に少々身体が硬直するが、もう二年以上前のことだと自分に言い聞かせるように、肩から垂れてきたギターケースを背負いなおす

 侑は少し気まずそうな表情で、おずおずと上目遣いでこちらを見上げながら口を開く

 

「歩夢、もう気にしてないと思うよ?」

「俺も気にしてないよ」

 

 侑の言葉にそう答えると、彼女の表情がぱあっと明るく花開いた。

 開いた花はその言葉に応えるように「じゃ、じゃあ!」と言いかけるが。

 

「だけど、俺たちももうお互いを意識する年頃だろ、昔みたいに幼馴染ずっと仲良くってのは難しいだろ」

 

 開いた花を摘むのは躊躇われるが、侑にそんな言葉を吐きかけて俺を背中を向ける。

 

「……コウ」

 

 悲しそうな声色の侑に気の利いた声をかけれるほど、俺はイケてるメンズでもないし、そんな立場の人間でもない。わずかに感じた罪悪感から逃げるように俺は急ぎ足でその場から離れようと歩き出す。

 

 幼馴染なんてそんなもんだ、いつまでも一緒にいられるわけもない、同性ならまだしもそれが異性なら尚更だ。それが―――普通なんだ

 

「で―――でもっ!!!」

 

 自分で自分に言い聞かせるように呟いた心の声かき消すように、後ろから侑の声が聞こえた。

 振り返らない、だからどんな表情をしているかは分からない。だけど彼女は昔と変わらぬ真っ直ぐと強い瞳でこちらを見つめているのだろう。

 

 幼馴染のよしみだ、そんな彼女の言葉を聞くぐらい罰は当たらないだろう。

 

「”難しい”、だけだよね!!―――”無理”じゃないよね!」

 

 風が吹くように叫ばれた彼女の言葉に思わず身が震える。

 

 相変わらずカッケェなアイツ。

 俺が女なら惚れてるわ。

 

 侑の言葉に返すように、背を向けながらも軽く手を振り返し答える。

 

「なら、絶対大丈夫!!」

 

 自信満々に応えた侑に次は少し笑ってしまった。

 本当何なんだろうねアイツ、俺のこと好きなのかな?

 

 なんてふざけた妄言を呟きながら、俺はその場を後にする。

 確かに―――無理とは言ってなかったしな。まあそんな機会があれば、だろうけど。

 




細かな設定や説明などは省略してます。知りたい方は原作を見てね。


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02 優木せつ菜

 ノックをコンコンと二回

「どうぞ」と返ってきた言葉に重っ苦しい扉を押し開く。

 

「情報処理学科二年、下海虹さん何かご用ですか?」

 

 扉を開けた少し先、大きな机にいくつもの書類を広げながらこちらに目を向けたのは、この“虹ヶ咲学園(にじがさきがくえん)”の生徒会長である彼女、中川 菜々(なかがわ なな)その人であった。

 

「えっと、今日は生徒会長だけですか?」

「ええ、他の役員の皆さんはもう下校されてますよ」

 

 お互いを見つめ合い数秒の時間が流れる。

 今、生徒会室には俺と生徒会長の二人しかいない。

 

 俺は静かに生徒会室の鍵を後ろ手で締め、静寂が二人を包み込んだ

 

「……」

「……」

 

 そんな空気を壊すように、ふうと溜め込んだ息を吐き出し歩き出す。

 

「お疲れ、せつ菜」

 

 こちらから目線を外し伸びをする菜々―――改め彼女、優木 せつ菜(ゆうき せつな)のそばへ向かい声をかけた。

 

「もうっ、今は菜々ですよコウさん」

「誰もいないんだしいいだろ、こっちの方が呼びやすいし」

 

 彼女と向かい合うように二つ並んだソファに腰かけ、ギターケースを置く。

 菜々―――せつ菜は机の上に散らばった書類をまとめ、席を立った。

 彼女は俺が座る向かいのソファに腰かけ、微笑みかける。

 

 今日の要件もあってかこちらも労ってくれているのだろうか

 

「出来たんですか私の―――」

「ああ、出来たよ。優木せつ菜のデビュー曲」

 

 ポケットからスマートフォンを取り出し、彼女がお目当てである“優木せつ菜のデビュー曲”を再生しようと操作をするが。

 

「……?どうしたんですか」

「あ、あれ。昨日録音した筈なんだけど……」

 

 スマホを操作する手が止まる、恐れ多くも馴染みのあるアーティストに交じって入れた歌がいくら探しても見つからない。

 録音ミスか、取り込み忘れか。確かに昨日パソコンを―――付けたっけ?

 

 渋そうな顔をしたこちらに、察したようにせつ菜は優しく笑う。

 

「ごめん、スマホに入れるの忘れてたみたいだ」

 

 音源自体は菜々に許可を貰って録音室で確認した筈なんだが、編集し完成したデータをスマホに入れ忘れてしまったようだ。

 

 寮に行けば聞かすことが出来るだろうけど、あの真面目な生徒会長(中川 菜々)が男子生徒と二人で逢引どころか、部屋に連れ込んでいる所を見られると変な噂が立つかも知れん。

 

 せつ菜には悪いが曲はまた今度―――

 

「あの、良ければ今歌ってくれませんか?」

 

「え―――?」

 

 せつ菜の言葉に思わず素っ頓狂な声が出てしまう。

 

「ええ、幸いにも今ここにはあなたと私しかいません。生徒会室は防音もされているので外に音が漏れる心配はないので」

 

 せつ菜は俺と隣に置いたギターケースを交互に見ながらその提案を投げかけてくる。

 確かに譜面は持っているし、自分で作った曲だ。弾くことは出来るのだが。

 

「たぶん下手だぞ?渡す筈だった音源だって編集に時間かかってるし、生歌なんて尚更」

「いえ、聞かせて下さい。私がスクールアイドル“優木 せつ菜”として披露する曲はあなたの声で聴きたいんです」

「いやだから音源は明日必ず―――」

「今、あなたの声で聞きたいんです―――ダメ、ですか?」

 

 小動物のような瞳で上目遣いでこちらを見つめる彼女はズルい、俺を恋にでも落としたいのだろうか。可愛いは罪だなあ。

 なんてこと考えながら断れるわけもなく。

 

 渋々とギターケースからアコースティックギターを取り出し、彼女の前で構える。

 キラキラと子供みたいに目を輝かせ、ワクワクと聞こえてきそうなぐらいこちらを凝視する彼女に少しだけ口角が上がる。

 

 傷心を紛らわすために河原から始めたギターでこんなに期待してくれる人がいるなら、始めて良かったなあって―――さて

 

 目を輝かせる彼女と視線を交わし、歌を―――っとその前に。

 

「それじゃあ聞いて下さい―――CHASE(チェイス)

 

 彼女の始まりの歌に名付けた曲名を彼女に伝え、すぅっと息を吸い込んだ

 

「走り出した、思いは強くするよ―――悩んだら君の手を握ろう」

 

 ギターの弦をかき鳴らし出だしの盛り上がりを作る、音源は色んな音を重ねて大きな盛り上がりを作っているので彼女のお眼鏡に叶えばいいが、今はこれ(ギター)だけで許してくれ。

 

「大事な気持ち、まるで裏切るように過ごした、昨日にはもうバイバイして」

 

 始めて声をかけられたのは文化祭も終わった去年の秋頃。

 生徒会室に呼び出された俺は当時生徒会の書記だった菜々から、この優木せつ菜計画(・・・・・・・)の相談を受けた。

 正直この学園には色んな学部があり、音楽科ような作曲にも精通した人たちがいる中の抜擢だった為、最初は何故自分なんだろうと混乱したが、彼女は深く話してくれなかった。

 

「繰り返したリスクと後悔、言い訳ばかり探して決めつけた、振り回すのはやめて」

 

 確かに失恋に拗らせて恋の歌とか悲恋の歌とか作ってたりもしたので、経験はあるのかも知れないけど―――それでも絶対音楽科の人たちのが良い曲作るし、何で俺なんだろうと未だに謎は残ったまんまだ。

 

「足を踏み出す、最初は怖いかも」

 

 それでも本気で頼ってくれた彼女に応えたいと思ってしまった。

 ま、まあ菜々さんが可愛かったからというのもあるかも知れませんけど。ちょっとね、ほんのちょっと、ちょっとだけだよ本当。

 

 この計画が始まってから―――中川菜々という女の子と関わりを持ってから、彼女のことで沢山知ったことがある。

 

「でも進みたいその心があれば!」

 

 まず彼女はアニメや漫画のような物語というものが好きらしい。

 

 幸い今はオタクにもある程度寛大な世の中にはなっているのだが、彼女の家庭は違ったみたいだ。

 

 違ったと言ってもそんな重苦しい話ってわけでもなく、真面目なご両親に一人娘として育てられて、今までそういったものには触れてこず過ごしてきて。

 中学二年生の頃にきっかけがあって、どっぷりハマってしまったらしい。

 

「―――走りだした!思いは強くするよ」

 

 だけど彼女のご両親は真面目に過ごしてきたからこそ、そんな菜々に良い顔はしなかったらしい。

 

 そんな両親を察して“中川菜々”は自分がどっぷりハマってしまったアニメや漫画を隠すことにしたそうだ。両親の前では変わらず真面目な中川菜々のまま

 

 ―――自分の“大好き”をひた隠して。

 

「悩んだら、君の手を握ろう」

 

 優木せつ菜計画を始めに聞いた時、何故俺なんだと言うと同時に最初は断ったんだ。

 他に適任がいるって。

 

 でも彼女は折れなかった。

 

 そして俺も中川菜々という女の子を知っていく度に

 彼女が自分の大好きに真っ直ぐな子なんだって知って

 

「なりたい自分を我慢しなくていいよ―――」

 

 そんな彼女の“大好き”を―――応援したくなった。

 

「―――夢はきっと、輝きだすんだ!」

 

 だからこれは駆け出す菜々への俺からのほん少しの後押し。

 

 きっと菜々の“大好き”は俺の想像以上に曲のポテンシャルを発揮し、上へと昇りつめていくだろう。そうすれば音楽科の特待生や、もしかしたらスゴ腕の作曲家さんの目に止まって、楽曲を提供して貰えたりするかも知れない。

 

 そうなれば俺はお役御免になるんだろうなあ

 

 ってデビューもまだなのに気が早いか。

 

 かき鳴らす音は最後の弦を叩き、静かな余韻と共に

 生徒会室に静寂が流れた。

 

 俺も張っていた気を緩めるように小さな息を吐き出し、目の前の菜々を見る。

 

 ―――ちゃんと、届いたかな?なんて

 

「―――うぇ?!」

 

 目の前に座った菜々はいつの間にかかけていた眼鏡を外しており、顔を手で覆い隠してその手の隙間から溢れんばかりの涙を流していた。

 

「ちょ、ちょっと中川さん?!せつ菜?!」

 

 俺の演奏が下手でギターの音が甲高くて俺の歌声が気持ち悪くなって我慢してたが思わず泣いてしまったとか?―――うわあ役満だ点数取られました麻雀分かりませんがサレンダーします。

 

 フラれてからの数年でイケてるメンズにはなれなかったので気の利いたハンカチもなく、机の上に置いてあったティッシュを乱雑に取り、彼女の隣へ移動しそれを渡そうとするー――のだが。

 

「―――コウさんっ!!!」

「うぉっ!」

 

 抱きついてきた彼女にその行動は阻止され、ソファに押し倒され身動きが取れなくなってしまう―――な、なに?!絞め落とされるの俺!?

 

 左耳から聞こえる菜々のすすり泣く声にどうしていいかも分からず、空いた右手で彼女の背を擦っていると

 

「―――さい…こうっですっ!!わ、わたし…っこれがわたしの……歌なんで…すね…!!」

 

 涙声交じりで、嬉しそうな声音で彼女はそう言葉を紡いでくれた。

 

「…や、やっぱ…り…!わたしの…目に狂いはなかったですっ!」

 

 少しずつ涙が引いてきたのかハッキリとした声で彼女は喜んでくれた。てっきり首を折られるもんかとヒヤヒヤしましたよ本当。

 

 未だに震える菜々の背を落ち着かせるようにポンポンと優しくたたきながら、胸の中で確かに感じる熱と喜びを噛み締めていた。

 

「―――それでところで菜々さん」

「はいっ!なんですかコウさん!」

 

 胸の中に顔を埋め元気に答える菜々さん、これが彼女がイメージする優木せつ菜の姿でもあるのだろうか。天真爛漫な笑顔でそのギャップに思わず恋してしまいそうになるけれど。

 

 そんな思春期の勘違いを振り払ってでも言わないといけないことがある。

 

 それは―――

 

「その―――そろそろ退いていただけると、その色んなところが密着してて……」

 

 俺の言葉にポカンと無垢な姿を見せる菜々だったが、次の瞬間みるみる顔が赤くなり。謝罪と共にバッとソファに座りなおしたーーーちょ、ちょっと惜しいことしたかなあ……。

 

「そ、その大変申し訳ありません、私としたことが興奮してつい」

 

 へえ興奮するとああなるんだ……ってバカ!!

 平謝りする菜々を宥めるが、そんなことより今は先に確認したいことがある。

 

「その改めて、どうだった?曲」

「最高でした!!やっぱりコウさんの歌、大好きです!!」

 

 ああ…良かったぁ……。

 彼女の嬉しそうに答えたその姿に気が抜けたようにソファから崩れ落ちる。

 自分で適当に作った曲を歌ったり、アニメの曲を真似たりすることはあるけど、頼まれて人に曲を作るのは初めてだったもので自分が思うより気が張っていたみたいだ。

 

 だけど完成して喜んでくれて本当に良かった。

 

 優木せつ菜計画―――一段階目は成功かな。

 

 あとはこれを―――世界にぶつけるだけだ。

 

 ダレた身体を起き上がらせるようにソファに座り直し、菜々を見つめる。

 先ほどのこともあり目を合わせてくれないと思ったが、意図は伝わったようで菜々も真剣な目で俺を見つめ返してくれた。

 

「菜々―――いやせつ菜、あとはこれを新入生歓迎会で」

「はいっ!優木せつ菜―――私の“大好き”をぶつけてきます!!」

 

 夕暮れの日が差し込む生徒会室で俺とせつ菜は互いのこぶしを合わせた。

 頑張れ菜々、せつ菜―――ちゃんとお前の“大好き”を見てるからな。

 



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03 ”大好き”の始まり

 ―――中学二年生の頃、私はいわゆる優等生でした。

 

 朝は遅刻もせず学校に登校し、授業を受ける。

 昼休みと放課後は生徒会室で生徒会の仕事に明け暮れる毎日。

 勿論成績も上位をキープし、二年生ながら推薦の話が出るほどでした。

 

 そんな私に両親も喜んでくれたし、先生方も期待してくれてて。それが嬉しくて誇らしくて、期待されるのだって嫌いじゃなかった。

 

 だけどそんな毎日を過ごして、このまま大人になるのかななんて考えていた、あの日

 

 私は―――あなたと出会った。

 

 

 ◇

 

 

「―――えっと次の試験の範囲は」

 

 学校から配られた試験範囲のプリントを見つめながら帰る放課後

 生徒会の仕事も文化祭が終わった秋ごろからはつい数か月前までの忙しさは何だったのだろうと思うほどに鳴りを潜める。

 

「うーん、苦手なところはないけど飛び抜けて得意なところもなさそうですね……」

 

 クリアファイル越しにテストの範囲が書かれたプリントを見つめながら、そんなことを呟きながら自宅へと帰る途中。

 

 今日はシャープペンの芯が切れていたから文房具屋さんに寄ったこともいつもより遠回りをしている。

 夕焼けに遠くでカラスも鳴いている、お母さんが心配する前に帰らないとな……。

 

 いつも通りの日常、いつもの違う帰り道、ただそれだけだった。

 

「―――うおぉー!!ラッキット!!アイッラッキッ!!」

 

 いきなり遠くから聞こえた歌声に思わず立ち止まる。

 何だろう?そう思った時にはもう足はその方向へと歩き始めていました。

 

 歌声と重なるように描かれるギターの音色は上手とも下手―――寄りな感じで繋がれており、学校やテレビで見るような音とは似ても似つかない微妙な音。

 

「どんな人が歌っているんだろう―――?」

 

 そんな犬も食わないような音楽だったけれど、私の足はその音に誘われるように一直線に向かっていました。ただ一心不乱にかき鳴らす音の元へ。

 

 座っていたのは黒髪の少年―――私と同じか一つ違いの中学生でしょうか?

 

 彼は、道行く人たちがクスクスと笑いながら去っていくことに目も暮れずに、先ほどと変わらない声量と音で歌っていました。

 

「いろどぉり鮮やかな万華鏡ぉ!!この世界があまりにも眩しくて愛ぉしい~!!」

 

 正直その恰好は不格好で。

 

 所々声は掠れて、歌のキーが高いのか分かりませんが歌えていない箇所も沢山あり。ギターの音も止まっては鳴り止まっては鳴りを繰り返していました。

 

 だけどその姿に、私は目を奪われた。

 

 テレビで見るような歌手のような華やかさもなければ、歌や演奏だって上手くない、けれど彼は一心不乱に―――楽しそうに音を奏でていたのです。

 

 彼は歌が“大好き”なんだろうって

 

 彼のことを全く知らない私だけど、そのことだけは分かった。

 

 気が付けば夕日は落ち、街頭が明るい光を辺りに差し込んでいました。

 

 彼もそれに気づき、いそいそとギターをケースにしまうと、見ていたこちらに気付いたのかいざ知らず、駆け足でその場を離れてしまいました。

 

 私は一人取り残され、早く帰らなきゃと思いながら、どうしてか彼の歌が耳から離れなかったのです。

 

「この世界が、あまりにも眩しくて……美しい―――なんの歌だろう」

 

 歌番組でも聞いたことがない歌だったけど、誰かの歌だろうか。

 NMD630……シャイニーズ……どれも違う気がする。

 

「そうだ、お母さんのパソコンで調べてみようかな」

 

 一生懸命に自分の“大好き”を歌っていた彼のことが気になってしまった。

 彼の“大好き”を知りたいと感じてしまった。

 

 ―――それが私の全て、私の“大好き”の始まりでした。

 

 

 ◇

 

 

「―――せつ菜」

「はいっ!」

 

 舞台袖、衣装に包んだ私に彼は優しく声を掛けてくれました。

 大丈夫です聞こえてますよ!

 優木せつ菜、準備万端です!

 

 舞台上から拍手が巻き上がる、どうやら前の部活動の紹介が終わったみたいだ。

 そして―――次は私たちの番。

 

 私の初めての舞台。

 

 緊張がないわけではない、練習が足りたかどうか分からない、体調も良いか悪いか分からない、それぐらい緊張していて心臓がバクバクだ。

 

「ほら、水」

 

 彼が渡してくれたペットボトルを受け取り、喉の渇きを潤す

 

 この舞台は私、中川菜々の生徒会長権限で無理やりねじ込んだ架空の生徒の発表の場。

 

 部員人数二人の未だ部として認められていない、いわば同好会すらなれていないグループの発表会。今日失敗すれば次に場を設けられるかすら分からない崖っぷちの舞台。

 

 そんな場所で私は―――ちゃんと歌えるのだろうか。

 

 いや違う、私は歌を歌いに行くのではない。

 

 私は―――私の“大好き”を叫びに行くのだ。

 

 ペットボトルを彼に渡し、ステージを見つめる。

 

 新入生と一部の在校生たちで溢れる講堂。

 そこに立ち向かうは、活動履歴もステージ経験もなしのずぶの素人の私たち。

 

 振り返り彼を見る。

 

 彼の瞳は“あの時”から変わらず真っ直ぐで、思わず見惚れそうになってしまうけど、それはまた今度。時間が許す時に彼に気付かないようにやろう。

 

「コウさん、私緊張してます」

「知ってる、見れば分かるよ」

 

「練習足りましたかね」

「どうだろうな、でも頑張るせつ菜の姿は見てたよ」

 

「体調も良いか悪いか分からないです」

「もし何かあっても俺が何とかするよ」

 

「副会長に怪しまれませんかね」

「今日はいないし、大丈夫だろ」

 

「架空の生徒の発表なんて、失敗したら大変なことですよね」

「ああ、言わば崖っぷちにいるな俺たち」

 

「そうですね、崖っぷちです―――でも」

「ああ―――だからこそ」

 

「「―――燃える!」」

 

 まるでアニメのワンシーンのように、戦場へ向かうヒーローのように私と彼はそう言い笑い合う。ひとしきり笑った後、私は彼に拳を突き出し笑う。

 

「怖い時、不安な時こそ、笑っちまって臨むんだ!でしたよね」

「ああ、ナンバーワンヒーロー(オールマイト)の格言だな」

 

 彼は私の拳にその大きくてゴツゴツした拳をぶつけ、ニカッと笑ってみせた。

 

「緊張していて喉もカラカラ、練習も足りないかも知れないし」

 

 彼は私の弱音に口を挟むことなく、頷いてくれる。

 

「体調だって緊張で分からないし、怖いし、不安で、もう逃げてしまいたいです」

 

 不安そうな表情を見せた彼は、優しい彼は私に声をかけようとしてくれるが。

 ごめんなさい、コウさんを不安にさせてしまいましたね。怖がらせてしまいましたよね。

 

 大丈夫ですよコウさん

 

 あなたが教えてくれた“大好き”があれば私は何者にでもなれる。

 

「つまりは―――ベストコンディションってことですね!!」

 

 笑顔でステージへ駆け出す、驚いた顔でこちらを見つめる彼に向けて私は叫ぶ。

 

「コウさんっ!!私の―――“大好き”を見ていてくださいッ!!」

 

 さあ、私と彼で作り上げた、優木せつ菜のお披露目だ。

 今―――私たちのステージの幕が開ける。

 




※7月10日変更修正。
劇中の楽曲を「Love U my friends」から「LIKE IT!LOVE IT!」に変更しました。


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04 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

 新入部員が増えました。しかも―――4人も!

 

 皆様こんにちは、下海 虹(しもうみ こう)です。

 新入生歓迎会でのせつ菜のお披露目から早一週間。

 俺たちの環境は大きく変わりました。

 

 まず一つに先ほど話した通り部員が増えたこと。

 2人で始めたスクールアイドル活動でしたが、4人の新入部員が増えて、6人に増えました。

 

 それに伴って環境の変化の二つ目―――部室がもらえました。

 

 虹ヶ咲学園、部室棟の一番奥。端にある教室

 それが俺たち「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の部室です。

 

 人数の関係もあり部ではなく、同好会からのスタートになりますが、学校から部活動として認められたのは大きな進歩だろう。

 

 それもこれもあれから菜々が手続きやらを頑張ってくれたおかげだ。

 俺も何か手伝おうとしたのだが、書類の提出とか細かな手続きはしたことがなく、力になれそうになかった為、断念したのだ。

 菜々は「適材適所ですよ」と言ってくれていたのだが、生徒会の仕事も忙しい中で大変な思いをさせてしまったのは大変申し訳ないと感じている。

 

 

 ―――放課後

 

 これから部活動の時間ということもあり、各々運動着やジャージに着替えて足早にすれ違う生徒たちの波をかき分けながら、俺は部室に向けて歩みを進めていた。

 

 今日は菜々が生徒会の仕事で少し遅れると連絡が来ていたので、菜々が来るまでは各自自主練にでもしようか

 

 そんなことを考えていると、いつの間にか見慣れた部室が目に入ってきた。

 

 ノックを二回「どうぞー」という声に応えるように部室の扉を開き、部室内にいる新入部員たちに挨拶をする。

 

「あー!コウ先輩遅いですよ~!かすみん待ちくたびれました~!」

 

 かすみ草の花のようにパアと明るい笑顔で俺を迎えてくれた彼女の名は一年生の中須(なかす) かすみ。ショートボブの髪を揺らしながら小動物のようにこちらに駆け寄ってくる。

 

 入部前からスクールアイドルに並々ならぬこだわりがあった彼女は自分のことを「かすみん」と呼び、入部後もその可愛らしさをこれでもかというほどに爆発させている。

 

「せーんぱいっ♡これかすみんが愛情込めて作ってきたコッペパンです、どうぞ♡」

「おう、ありがと。―――うわっうまっ」

 

 正直、最初出会った時はとんだぶりっ子じゃんなんて愚かなことを思ったが、凄く健気で優しくて可愛らしくて、これはこれでめっちゃアリだなって思いました(小並感)

 

「本当ですかぁ♡―――しめしめ…これで先輩の胃袋を鷲掴みにして、かすみんに一番の曲を作ってもらえるように」

 

 たまーに黒い顔を見せる時もあるが、そういう所も可愛く見えちゃうんだよなあ。

 

 

「こんにちは虹先輩っ」

 

 次に声をかけてきた彼女の名は桜坂(おうさか) しずく。清楚な雰囲気と柔らかな笑顔で、ハーフアップにしたリボンの綺麗な長い髪はまるで何かの物語のヒロインが迷い込んだような、そんな妄想チックなことを感じてしまう女の子。

 

「ほらっかすみさん、先輩も疲れてるんだし座ってもらおうよ」

 

 彼女―――しずくもかすみと同じ一年生であり、中学は別々らしいのだが入部の際二人と一緒に来るほど仲が良いようだ。よく一緒に帰っている姿も見かけるし良い関係みたいだ。

 

「それで先輩、明日なんですけど演劇部の稽古が入ってまして、部活には……」

「ああ、分かったよ。わざわざありがとな」

 

 そんな彼女はスクールアイドル同好会と兼部して演劇部にも加入しているようで、向こうとこちらをよく行き来している。それぞれの活動をそれぞれの活動のプラスしたいそうだ。かすみのように目に見えてアイドルしてる感じではない彼女だが、やる気は人一倍だ。

 

 新しく入ってきた一年生はかすみとしずく、その二人だ。

 じゃあ新入部員の残り二人は?―――と言われれば。

 

 

「コウくん、チャオ~」

「エマ先輩っ、こんにちは」

 

 椅子に腰かけたこちらに温かな笑顔で手を振るのはエマ・ヴェルデ先輩

 “先輩”と言うように彼女はこの春にこの学園に編入してきた三年生である。

 

 そして彼女はなんとスイスから遠路はるばるこの虹ヶ咲学園に留学に来た留学生。

 

「?エマ先輩、何書いているんですか」

「えっとね、故郷の妹や弟たちに手紙を送ろうと書いてるんだ~」

 

 スイス―――はさすがに教科書やテレビでしか見たことないけど、そんな絵に描いたような山と自然の溢れる彼女の故郷(スイス)を感じさせるような、柔らかな佇まいと優しい雰囲気で、そばにいると不思議と胸がポカポカしてくるような、そんな女の子。

 

 日本語もむちゃくちゃ流暢で本当に留学生なのと疑ってしまうぐらい。

 

 でもそれは彼女が幼少の頃からスクールアイドルに憧れて、スクールアイドルになりたいって勉強を頑張った彼女の努力の賜物だから心から尊敬する。

 

「でもこれ日本語じゃないですか、妹さんや弟さんたち読めるんですか?」

「あー!間違っちゃった!」

 

 たまーに少し天然なのか抜けているところもあって、そういう所が可愛いんだよなあとしみじみと思う。

 

 

 ―――そして最後の一人。

 

 故郷に送る手紙を書きなおすエマ先輩や、かすみ特製コッペパンに舌鼓しながら談笑するかすみとしずく――その席から少し離れたソファに寝転ぶ人影が一つ。

 

 椅子から立ち上がった俺は小さな寝息を漏らす彼女に近づき、優しく肩を揺らしながら声をかける。

 

「彼方先輩、もう部活の時間ですよ。起きてください」

 

 練習着に着替えたかすみ、しずく、エマ先輩と違って彼女―――三年生の近江 彼方(このえ かなた)先輩はまだ着替えを済ませていないようで、制服のままソファに横になり眠りについていた。

 

 正直、ちょっと角度を変えれば見えてしまいそうな、ふともものラインに流れるスカートは思春期真っ只中の青春男子には目のやり場に困る光景だ。

 それもあって早く彼女には起きて、練習着に着替えて欲しい。

 

「う……うーん……あれぇ、コウくんだ~おはよ~」

「おはようございます、彼方先輩。もう部活の時間ですよ」

 

 ゆっくり、ゆったりと瞳を開けた彼女はウェーブのかかった長い髪を揺らしながら、おもむろに起き上がる。眠気眼であくびをする彼女を見ているとこちらも夢の世界に誘われてしまいそうな感覚に陥る。

 

 お気に入りの枕を抱きしめた彼女はふにゃとした笑顔で「あ~もうそんな時間か~えへへ」と笑いかける。妖艶な彼女の雰囲気に当てられクラッと来てしまうが何とか踏みとどまり、ソファの目の前のテーブルに置かれた彼女の練習着を指さす。

 

「ほらっ彼方先輩、早く着替えて下さいね」

 

 ―――俺、部室出てるので。

 

 そう言葉を続けようとしたのだが―――

 

「はぁい、よいしょ」

 

 あろうことか彼方先輩は目の前に俺がいるのにも関わらず、自分の制服のボタンを外し着替え始めたのであった。

 

「ちょ、ちょっと彼方先パァ?!」

 

「「…!?彼方センパイ(さん)!?」」

 

 大声を上げ思わず顔を背けた俺に気付いたのか、こちらを見て状況を察したかすみ、しずくは驚いた表情で立ち上がって彼方に駆け寄り、開いた制服の部分を隠す。

 

「い、いや見てないからギリギリ俺の反射神経のが勝ったから!!」

 

「だ、大丈夫ですよ先輩!で、ですから早く部室から!」

 

「あ、ありがとうしずく、かすみ!」

 

 幸い他のメンバーが着替えていたこともあってカーテンは閉め切られていたが、部室の内部現行犯だと防ぎようがない。

 

 未だにぽわっとした彼方先輩の胸元を抑えるしずくとかすみにお礼を言いつつ、部室の外へ急いで駆け出す。

 彼方先輩は「痛いよ~しずくちゃんかすみちゃん~」と言ってるが、じょ、女性が簡単に肌を見せるもんじゃありません!い、いや見えてねえけど本当だよ本当。

 

 エマ先輩はそんな俺たちのコント染みたやり取りを優しい眼差しで守ってくれていたが、この人もちょっと羞恥心がガバガバなところあるからな……。

 

 部室の扉を開け、すぐに扉を閉めて、扉に背を向ける。

 背を向けた扉の奥、部室内からはしずくとかすみの叱り声と彼方先輩のほんわか優しい謝罪とエマさんの温かな声が聞こえてくる。

 

 ―――いやっマジで焦る

 

 嫌な汗を制服の袖で拭いながら、ふうっと息を整える。

 寝起きとは言えまさか目の前でボタンを外しだすとは……。

 

 

 ―――紫と白の装飾

 

 ごめん皆、俺の反射神経、実は負けてたんだ。

 

 

 モワモワと浮かぶ先ほどの情景を思い出し、思わず熱が入りそうになる。

 ダメだ、熱くなるところじゃない。れ、れれれ、冷静になれオレ。

 

 

 後ろから聞こえる騒がしい声もこんなドタバタな日常も、今じゃそれが当たり前で。

 

 

「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の日常がこうして始まっていくんだ。

 

 そんなことを考えながら、俺はゆっくりと部室棟を見上げた。

 

「何してるんですかコウさん」

「―――あ、な……せつ菜さんこんにちは」

「こ、こんにちは?」

 

 なんか今の俺少し恥ずかしくない?

 

 

 五人と一人の少年の物語が―――始まる、なーんてね。

 



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05 綻び

 スクールアイドル同好会が発足して、二週間が経った。

 

 作曲を担当する俺は曲作りに集中する為、菜々から許可を貰って音楽室にこもっていることが多い。曲のイメージは薄っすらだが浮かんでおり、あとはそれをどう形にするか。

 

 身体作りやダンスの基礎などは菜々―――せつ菜に任せっきりになっており、まあこれも菜々の言う「適材適所」という所だろう。

 彼女たちに何かアドバイスが出来るわけでもない俺は、曲作りをするという手前、日に日に彼女たちと一緒にいる時間も少なくなっていた。

 

 しかしそれもこれも彼女たちの目標(・・)の為、今は致し方ないことなのだ。

 

 スクールアイドル同好会の目標、それは―――ラブライブ!への出場。

 

「ラブライブ!」とは年に二回、夏と冬に開催されるスクールアイドルの祭典。

 全国で行われる予選を勝ち上がった選りすぐられたグループたちがその年の一位を決める。言わばスクールアイドルの甲子園のようなものだ。

 

 その大会に優勝したグループはスクールアイドルとしての名声と栄誉が得られ、優勝グループの中にはそのままプロデビュー、芸能事務所からのスカウトされるなども多い。

 今テレビで見かけるような人たちの中にもスクールアイドル出身の人も多い、綺羅ツバサのような俺でも知ってる有名人もスクールアイドル出身だったりする。

 

 とは言ったものの、我らが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はまだグループ名すら決まっていない弱小。まずは近日に予定しているお披露目ライブを成功させてその足がかりを作る。

 

 そしてお披露目ライブが成功した暁には、本格的に目標をラブライブ!の出場に設定する。そんな話になるだろう。

 

 俺としては彼女たちの活躍が見れればどちらでも良いのだが、ステージが大きいに越したことはない。

 菜々に見せてもらったスクールアイドルの動画でもほとんどがラブライブ!の大きな舞台で沢山の歓声に包まれている姿だった為、彼女たちがそれを目指すのも自然なことだろう。

 

「……今日は練習に顔出すか」

 

 ギターから鳴る音を止め小さく呟く。一人で作業をしてると独り言も多くなるし良くないなあ。

 右手に持ったピックをしまい、ギターをケースに片づける。寮に返ったらメンテナンスをしよう、なんてことを考えながらケースを背負い音楽室を後にする。

 

 時間は放課後、廊下の窓から見える空も夕日が沈んでおり、ちょうど練習も終わる頃合いだろう。

 

 音楽室や寮の自室で黙々と作業する俺とは違って、彼女たちは部活中身体を動かしっぱなしだ、休憩も取るだろうけど少しでも労ってあげたい。

 そう考えた俺は自販機でスポーツドリンクを買い、彼女たちの練習場所に持っていくことにした。

 

 幸いにも虹ヶ咲学園は広いので至るところに自販機があり、彼女たちの練習場所の一番近い場所でスポーツドリンクを買う。

 

 左肩にスクールバック、右肩にギターケース、両手にスポーツドリンクの缶

 

 腕いっぱいに抱え込んで階段を上ろうとするが、いかんせんバランスが悪い。

 缶を落とさないか不安になりながらも、エレベーターがある箇所はここから離れている為、遠回りをするぐらいならこのまま勢いで上った方が早いだろう。

 

「……これ二階で買えばよかったな」

 

 後悔先に立たずといったものだろうか。既に時間も遅いため生徒もまばらだが階段の途中で缶を落として迷惑をかけなければいいのだが…。

 

「あれ?しもみーじゃん、どしたのこんなところで」

 

 そんな不安を感じながら階段を上がろうとしたのだが、背後から聞こえた聞き覚えのある声に後ろを振り返る。

 

「宮下……」

「よっす、しもみーも部活終わり?」

 

 そこに立っていたのは綺麗な金髪をポニーテールに結び、腰にセーターを巻いた彼女―――宮下愛(みやしたあい)だった。

 彼女は俺と同じ情報処理学科の二年生で、クラスは違えど授業などで一緒になる機会も多い。本来席の五十音順では下海の「し」と宮下の「み」は離れているのだが、授業では縦並び順の席ということもあって隣が彼女のこともしばしば。

 

「しもみー、それ貸して」

 

 彼女は俺の恰好をひとしきり見た後、こちらに近づき腕の中の缶を渡してと言ってきた。

 

 突然だったということもあり戸惑ってしまうが、彼女はそんなことはお構いなしに俺の腕の中の缶を手に取り抱え込む。

 

「す、すまん宮下、助かる」

「もー水臭いよ、しもみー。私たちの仲じゃん」

 

 彼女の見た目はまごうことなきギャルなのだが、その実は気が利き優しく頼れる女の子であり、成績も優秀、色々な部活動の助っ人にも出て活躍しているようだ。

 かくいう俺もそんな彼女に助けられることもしばしば、恰好付かねえなあ。

 

 そしてそれは今も。

 

「それにね、しもみー。そう言う時はすまんじゃなくて「ありがとう」って言ってくれた方が相手は嬉しいんだよ」

 

 オタクに優しいギャルはいたのですね―――なんてせつ菜なら言いそうな展開だが、俺もそう思う、都市伝説じゃなかったんだねあれ。

 

「わ、悪い、ありがとう」

「ほらまた悪いって言ってる、ありがとうだけで良いんだって」

「あ、ありがとう宮下」

「愛さん的にはついでに下の名前で呼んでくれたら嬉しいんだけどな~」

「そ、それはちょっと…」

 

 下の名前で呼ぶのは抵抗が……。

 

 同好会のメンバーも最初の頃は中須さんとか桜坂さんとか近江先輩とか名字で呼んでいたんだけど「エマ先輩とせつ菜先輩だけ名前で呼んでるのズルい~!」というかすみのわがままに部員全員賛同し、多数決により名字呼びに禁止令が出ているのだ。

 

 というか当たり前に思うかも知れないけど外国の方の名前って名前が先に来るのね、てっきりエマが名字かと思って、言いやすい名字だなあと……。

 

 しかし俺としては子供の頃ならまだしもこの年で女の子を下の名前で呼ぶのは気が引けるってのが本音だ。だから許してくれ宮下。

 

「それでこの缶、中身入ってるけどどこまで持ってくの?」

「ああ、すぐそこだよ。階段を上がった先に同じ部活の皆が練習してるから」

 

 隣に並んだ宮下はそう聞きながら、歩幅を合わせ一緒に階段を上っていく。

 

「と言うかしもみー部活してたんだね。何部?」

「……スクールアイドル同好会」

「スクール……なに?」

「スクールアイドル同好会だって」

 

 聞きなれない言葉だったのか宮下は首を傾げて俺に聞き直す。創立されたばっかりの部活だし新入生歓迎会で見ていない人たちにとって認知度が低いのは仕方ないことだろう。

 

「学生の……アイドル活動……?」

「まあそんなところだ、俺はそこで作曲を担当してる」

 

 ―――今のところはな。彼女たちが芽吹けばお役御免になるかも知れないが。

 

「へえーしもみー作曲できるの!すごいじゃん」

「まあ素人に毛が生えた程度だけどな」

「てっきりしもみーがシャイニーズみたいに歌って踊るのかと」

「ルックスも歌唱力も足りてねえ」

「えーそう?しもみーの歌声愛さん好きだけどな」

 

 そんな話をしているうちに階段の踊り場を越え二階へとたどり着く。

 あとはテラスへ続く扉を開けるだけだし、宮下にこれ以上手伝ってもらうのも悪い。

 

「ありがとう宮下、ここで大丈夫だよ」

「うん分かった、こちらこそどういたしまして」

 

 宮下から缶を受け取り彼女に別れを告げる。

 挨拶もほどほどに階段を下りていった宮下は、去り際に「歌声だけじゃなくて、しもみーのことも愛さん結構好きだよ」なんてことも言っていたが―――やっぱりオタクに優しいギャルは良くないな。

 

 並の男ならラブソングの一つや二つ作っちまってた所だったんだろうな。恐ろしい女だ宮下愛。

 

 

 腕いっぱいに抱えたスポーツドリンクの缶はまだ冷たい。

 沢山練習して頑張っている同好会の皆に早く渡そうと駆け足でテラスの扉へと向かう。

 

 扉のガラス越しに五人の姿を覗くと、何やら話をしており、見た感じまだ練習しているみたいだ。間に合ったとホッとし俺は身体を使って押し扉を開く。

 

「皆お疲れさ―――」

「―――今のところをもう一度!全然息が合ってませんでしたよ皆さん!」

 

 聞こえてきたのは励ましとかアドバイスとかでなく、ただの怒号―――それがせつ菜の口から出たものだと気付くのに少し時間がかかった。

 普段の彼女―――中川菜々ではなく、今日まで過ごしてきた時間の中で優木せつ菜のあんな声、聞いたことがなかった。

 

「―――あ、虹先輩…」

 

 戸惑いの交じりのしずくの声に呼ばれ、我に返る。

 その声に他の皆も俺の姿に気付き、全員の視線がこちらに向いた。

 

「えーっとお疲れ様、スポーツドリンク買って来たんだど飲む?そろそろ下校の時間だろ」

 

 彼女たちの輪に近づき、腕に抱えた缶を渡す。

 一人一人が缶を受け取り、最後のひと缶をせつ菜に手渡す。

 

「せつ菜、今日のところは終わりでいいんじゃないか?根詰めても良いことねえぞ」

 

 言い方はどうであれ、先ほどの発言が本当なら今日は練習が上手くいってなかったのだろう。まあ何事もそういう時もある。

 たまに遊ぶゲームだって全然クリア出来ないステージも翌日やってみたら簡単にクリアできちゃったなんてことは良く聞く話だし。

 

「……そう、ですね」

 

 いつもは真っ直ぐな彼女と同じように真っ直ぐと合う視線も合わず、視線を落とした彼女は途切れ声でそう答える。

 

「すみません皆さん、今日の練習はここまでで。私は用事があるのでお先に失礼します…」

 

 そう言いせつ菜はその場から逃げるかのようにこちらに背を向けテラスを後にする。

 

「ごめん皆、せつ菜って練習中いつもあんな感じなの?」

 

 俺の言葉に全員が口をつぐみ誰も言葉を発さない。沈黙は肯定ということだろう。

 

「全体での練習が始まってからですかね…、せつ菜先輩いつも私たちにアドバイスしてくれるんですが、たまに熱が入りすぎてあんな感じに」

 

 小さな声でそう話してくれたのは一年生のしずく。

 彼女も視線を落としており、その姿に暗い雰囲気を感じさせた。

 

 スクールアイドルの先輩としてアドバイスを出来るのは経験者であるせつ菜だけだから、それは頷けるんだが言い方が少し気になった。

 

 まあしずく曰くたまに(・・・)と言うことだし、身体を動かすと温まって練習中に熱が入ることもあるだろう。不安も残るけどあの(・・)せつ菜のことだ、さっきのこともあるし頭を冷やして明日からはちゃんと部長らしく頑張ってくれるだろう。

 

 そんなことを考えながら、練習場所のテラスの暗い雰囲気を少し明るくするように手を叩き、彼女たちにも帰宅を促す。部室で着替えた後は各自解散だし、俺も寮に帰ろう。

 

 差し込むオレンジ色の夕日がやけに眩しく目を瞑る。

 強すぎる光は時にして人を盲目にさせる時もある、だけどせつ菜なら―――俺たちならきっと大丈夫だろう。

 

 なんて軽い気持ちで考えていた―――少しずつこの日常が綻んでいくのにも気付かず。

 

 

 ―――それから数日後のことだった。

 せつ菜からスクールアイドル同好会を廃部にするという話を聞いたのは。



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06 けじめ

「―――終わりにしましょう、私たちの関係も」

 

 せつ菜―――菜々から廃部にするというメッセージが届いた翌日の放課後

 夕日に照らされる生徒会室で俺と菜々は生徒会長のデスクを挟んで対峙していた。

 

 この場所で記憶に新しいのは完成したばかりの「CHASE!」を披露したあの日。

 だけど今はあの時は違ってソファに腰かけて話をする余裕なんてなかった。

 

「―――終わりにしましょうって、だからなんでそういう話になってんだよ!!」

 

 自分でも頭に血が上っているのか熱くなっているのが分かる。

 女子に向かって声を荒げるとかだせえな俺。

 

 自己分析は出来ても冷静になんかいられない。それほどに菜々からのメッセージは衝撃だったのだ。

 

「……かすみさん達から聞いてないんですか」

「かすみは教えてくれなかった、しずくからはせつ菜と話してくれって言われたよ。それに俺も菜々の口から直接聞きたい」

 

 菜々の意向でせつ菜の正体が生徒会長の中川菜々ということは俺以外知らない。練習以外でのせつ菜との連絡は基本俺を通して送ることになっている。

 

 だからこそ彼女たち(しずくたち)は俺を頼ったのだ。少なくとも俺はそれに答えたい。

 

 夕日に照らされ影を落とした菜々は重々しく口を開く。

 

「……ただ私が皆さんを傷付けてしまったんです」

「だからそれはこの間みたいにちょっと熱が入っちゃっただけだろ?」

 

 菜々の肩が小さく震える。どうやら彼女にとっても記憶に新しいようだ。

 

 先日、練習終わりに差し入れに向かった時の一幕。

 練習場所であるテラスで見たせつ菜の姿。確かにあの時は驚いたが、一生懸命頑張っている練習の中で思わず熱が入りすぎてしまうのなんて当たり前のことだ。

 

「……それが、どうしてこんなことに」

 

 その場にいたわけでも、練習も見ていたわけでもない俺が、今更とやかく言えた義理じゃないことは分かってる。それは分かっているけど。

 

「私が……私が皆さんのやりたいことを否定して、自分のことばかり押し付けてしまったんです」

「だからそれは仲間内でちょっとぶつかっちゃっただけだろ!お互い頭を冷やせば考えだって変わって……」

「いえ、多分根本的なものだと思います。私は熱くなるとどうにも周りが見えなくなってしまうみたいなんです」

 

 そう言い何かを諦めたように視線を落とす菜々の瞳は、苦しそうで悲しそうで。

 これが彼女なりのけじめだとしても、それをどうにかしたくて俺は言葉を探していた。

 

「それなら俺がそばで見てるよ!間違ってたら教える!言い過ぎたら叱る!それなら―――」

 

 だけど絞り出てきたのはそんなその場しのぎの言葉だけで。

 

「私のわがままでここまで付き合ってもらったのに、これ以上コウさんに迷惑はかけられません」

「俺がやりたくて提案してんだ。別にお前を見てるぐらい、一か月前まで当たり前のことだっただろ!」

 

 菜々から優木せつ菜の計画について聞かされてから、新入生歓迎会までのおよそ半年、生徒会室をはじめ色んな菜々のことを見てきたんだ、今更負担なんてことはない。

 

「それでも一度生まれた溝は埋まらない。私はそれだけのことをしたんです」

 

 こちらに背を向け、生徒会室の窓から沈みゆく夕日を見つめ菜々は言葉を続ける。

 

「自分のことだから分かるんです、こんなんじゃラブライブ!なんて夢のまた夢です」

 

 あの日、スクールアイドル同好会が発足した日。

 笑顔のせつ菜が掲げた目標―――ラブライブ!が今のままでは叶わない夢なんだと、半ば諦めたように呟く菜々の姿に胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 

「でも、それでも、やってみねえと分かんねえだろ……」

 

 伝えなくちゃいけないことがある筈なのに、言葉にしなきゃ伝わらないものがある筈なのに。

 いつもは真っ直ぐと見れる彼女の瞳も今は合わせることすら叶わない。

 

「それに今の同好会を廃部した後、もう一度同好会を作ることまでは禁止していませんよ。……また一から頑張ればラブライブ!の出場だってきっと」

 

 菜々の口から出たその言葉に思わず目を見開く。

 

「……ダメだろそれは、そんなの―――そんなのお前がっ!」

 

「ええ、優木せつ菜だけが消えてすべて元通りの同好会です。次は部長でもやってみたらどうですか?向いてるんじゃないですか私よりずっと」

 

 聞きたくなかった分かりたくなかった、今の言葉が菜々の―――せつ菜の口から出ただなんて。

 彼女の言う通りだったとしても、例えそうだったとしても、それは彼女の―――俺たちの優木せつ菜の全否定になる。

 

 彼女の“大好き(優木せつ菜)”を否定してまでも成したい目標などはない。

 

「―――やらないよ。せつ菜が辞めるなら、俺も活動は続けない」

 

「……そう、ですか」

 

 俺の言葉に一瞬だけこちらを向いた菜々だったが、すぐに視線を外し背を向けた。

 嫌な静けさがその場を支配する。いつもはなんてことない静寂もその日は今すぐにでも逃げ出したいほど嫌で。

 

「……お披露目ライブはどうすんだよ」

「明後日は私が出ます、このままパフォーマンスしても意味がありませんから」

 

「……そうか、分かったよ。俺も見に行くよ必ず」

 

「ありがとうございます。そうですね、あなたと私とで作った優木せつ菜の卒業ライブですからね―――どうかあなたも楽しんでいって下さい」

 

「ああ、そうするよ―――せつ菜」

 

 君と俺とで作った彼女(優木せつ菜)の名で応え、生徒会室の外へと歩き出す。

 生徒会室の扉がいつにも増して重く感じて。扉が閉まる数秒が何時間にも感じられて。

 

 扉の閉まる最後、その隙間から見えた菜々の頬に光った何か(・・)を拭う方法を俺はまだ知らなくて。

 

 そんな自分が不甲斐なくて、無力で。

 強く噛み締めた下唇からは鉄の味がした。

 



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07 ”終わり”と”はじまり”

「―――どういうことですか、それ」

 

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の部室。

 全員の視線が注がれる先、しずくの言葉に応えるように俺はもう一度、その事実を伝える。

 

「―――スクールアイドル同好会は廃部になることになった」

 

 変わらない現実を口にする。その度浮かんできたのは彼女(菜々)の悲しそうな顔で。

 俺は誰にも気付かれないように静かに奥歯を噛み締めた。

 

「……せつ菜ちゃんとちゃんと話せたんだよね」

 

 困惑した表情でこちらを見つめるエマ先輩

 

「ええ、話しました。スクールアイドル活動はもう続けないとそう言ってました」

「……説得、してくれたんだよね」

 

 おどおどした様子でそう聞き返す彼方先輩

 

「はい、だけどせつ菜の答えは変わらないそうです」

 

 こんな結果しか伝えられない自分が不甲斐なくて、ちっぽけに感じて

 

 一番、そばにいた筈なのに。

 一番、優木せつ菜を分かっていたつもりだったのに。

 

 皆からも、頼られてた筈なのに、

 

「ごめん」

 

 浮かばない顔をする皆に向け深々と頭を下げ謝罪をする。

 

「せつ菜のこと止めることが出来なかった」

 

 例えば、俺がアニメや漫画の主人公ならばこういう時、もっと気の利いた言葉を伝えられる筈なのに。

 いやそれならそもそも廃部(こんなこと)にはなっていないか。

 

 純粋な謝罪―――フィクションになれなかった俺に残されたのはただそれだけだった。

 

「せつ菜先輩がスクールアイドルを続けないことは分かりました」

 

 下げた頭に降り注ぐように聞こえた声に顔を上げる。

 視線を向けた先、かすみは俺と目が合うと少しバツが悪そうに口ごもりながらも言葉を続けた。

 

「でも部員は5人いるじゃないですか、それなのにどうして廃部になっちゃうんですか」

「それは……」

 

 返ってきたその問いかけ。

 虹ヶ咲学園の同好会の最低人数は5人、せつ菜が抜けてもまだ5人残っている筈なのに、と。

 

 この答えは自分で決めたことで、彼女たちから非難されても仕方ない答えだってことは分かってる、だけどこんな俺を信じてくれた彼女たちを裏切る行為を―――その言葉を、喉から吐き出すのには少し時間が必要だった。

 

 ほんの少しの静寂が、永遠にも感じられ、喉の渇きを感じたまま俺は小さく口を開く。

 

「……俺が―――」

「……コウくんも同好会、抜けちゃうんだね」

 

 その言葉を遮るように口にされた言葉に全員の視線は彼女―――エマ先輩の元へと注がれた。

 

 エマ先輩は眉を落として、寂しそうに、悲しそうにこちらを見つめており、目が合うと優し気に微笑み、その言葉の審議を問いかける。

 

 もう一度こちらに注がれる視線、俺は彼女に応えるように首を縦に振った。

 

「……ごめんね、私たちが頼りないばっかりにコウくんに辛い役回りばっかり任せて」

 

 違う―――それは違う。これはただの俺のわがままだ。

 優木せつ菜がいない同好会で活動が出来てしまえば(・・・・・・・)、元から優木せつ菜なんていらなかったと証明されてしまう、そう思って。

 

 それが嫌で嫌でたまらなくて―――そんな俺のわがままで。

 

 頼りなかったのは俺の方なんだ。

 皆をサポートする立場にいた筈なのに、こんなことになるまで気付かず、まともに説得すらも出来ない、そしてあろうことか自分で決めたことすら代わりに言ってもらってる始末なんて、本当に恰好が付かないな。

 

「な、なんでどうしてコウ先輩が―――!」

「かすみちゃん!」

 

 かすみは動揺した様子で声を上げるが、意外にもその言葉を遮ったのは彼方先輩だった。

 いつもほんわか落ち着いた雰囲気の彼方先輩だけど、その時だけはハッキリとした視線でかすみを見つめ、真っ直ぐと言葉を向けていた。

 

「彼方ちゃん達ね、きっとコウくんに頼りすぎてたんだよ。せつ菜ちゃんのことも、同好会のことも」

 

 彼方先輩の言葉にかすみも言葉の意図を理解したのか、みるみると目にいっぱいに涙を溜めて、頬を涙が流れる前に背を向けそれを隠した。

 

 俺のわがままで女の子を泣かせてしまった……。

 

 その涙を拭ってあげたいと思うけれど、そんなことをして罪悪感を紛らそうなど、俺にそんな資格はない。今更俺が彼女にして上げられることもない。

 

 そばにいたしずくがかすみにハンカチを差し出しその背中を優しく擦ってあげている。しずくにも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 

「……今日のお披露目ライブはどうするの?」

 

 ちょうど今日この後、予定していたお披露目ライブ。

 本来なら彼女たちがそのステージに立って、華々しくデビューを飾る筈だったのに。

 俺が不甲斐ないばかりに、彼女たちをそのステージに立たせることは叶わなかった。

 

「……せつ菜が出ます、彼女なりのけじめのつけ方だそうです」

「そっか……コウくんは見に行くの?」

「はい、お互い(・・・)最後のステージなので」

 

 その言葉にエマ先輩は落とした影を深くし、悲しそうな顔を見せた。

 

「そ……っか、私たちはその……ごめんね」

「分かってます、今はそういう気分ではないと思うので……。こちらこそごめんなさい」

「それを言うなら彼方ちゃんたちの方だよ、せつ菜ちゃんにも一緒に応援に行ってあげられなくてごめんねって」

 

 最後までせつ菜のことを気にかけてくれている、俺たちは本当に優しい先輩に恵まれたと思う。

 

「あの、もし良かったらまたスクールアイドル活動始める時、何か手伝えそうなことあったら教えて下さい。力になるので」

 

 少しだけでも笑えているだろうか、少しだけでも安心させて上げたいと口にした言葉は、嘘偽りのない本心だ。

 

 エマ先輩と彼方先輩はその言葉に優しい笑顔で「ありがとう」と口にし、涙を拭うかすみに寄り添っているしずくに深く頭を下げ、俺はスクールアイドル同好会を後にしたのだった。

 

 

 ◇

 

 

 ―――遠くまで続く澄み渡る青い空が今のぐちゃぐちゃな気持ちとは清々しいほどに違って。

 

 部室を後にした俺は学園から少し離れた、ダイバーシティ東京のイベント会場―――フェスティバル広場へと来ていた。

 国民的作品の巨大ロボットのモニュメントが見下ろす、観客の集まる一番後ろで俺はその時を待っていた。

 

 優木せつ菜の最後のライブ―――まあそれを知っているのは俺たちだけだが。

 

 本当なら今の時間であればライブが始まる前のせつ菜―――菜々に励ましの一つや二つ送って、ステージへと送り出している筈だったのに。

 

 俺と彼女の関係もまた終わってしまっているのだ。

 

 きっと、俺はどこかで間違えたのだろう―――だから、せつ菜はスクールアイドルを辞めることになって、エマ先輩や彼方先輩には悲しい顔をさせて、しずくに気を使わせ、かすみを泣かせてしまったのだ。

 

 子供の頃憧れたカッコいいフィクションにはなれないなんて、中学二年の夏に嫌というほど知らされたけど、この年になって改めてその事実を突きつけられる。

 

 だけど、もしやり直すことが出来たら。

 そんな叶わない夢物語のようなことが起こるなら、俺はもう―――間違えないと誓おう。

 

 沸きあがる歓声。

 視線を上げると、そこには見慣れた衣装を身に纏うせつ菜がいて。

 

 ステージ上のせつ菜と目が合う。そして互いに視線を外す。

 

 俺が、伝えなくちゃいけなかった言葉は何だったんだろう。

 届けなくちゃいけなかった思いは何だったんだろう。

 

 彼女と出会って、スクールアイドルを知って、彼女を“大好き”を応援しようと思って、一緒にスクールアイドル活動を始めたあの日から今日まで、そこに答えはあるのだろうか。

 

 曇りがかった心ではその答えは見つからない。

 

 ステージ上で歓声に包まれるせつ菜は静かに息を吸い―――歌を歌い始める。

 

 彼女なりのけじめを、スクールアイドル活動の終わりを

 俺と彼女の優木せつ菜を終わらせる―――最後の歌を。

 

 ―――願わくばこのステージが同好会の未来を変えてくれることを祈って―――なんてことあまりにも都合が良過ぎるかな。

 

 こうして、俺と中川菜々のスクールアイドル活動は終わりを告げ

 彼女と出会う前の、代わり映えのしない退屈な日常がまた始まるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 優木せつ菜のステージが拍手と歓声と共に終わりを告げ、まばらになっていく観客の中で、興奮冷めやらぬ様子でステージに目を向ける二人がいた。

 

「―――今のステージ……スゴイっ!」

「―――…うんっ」

 

 彼女たちが今ほど体験した優木せつ菜のステージはそれほどに衝撃的で、情熱的で、心奪われる、そんなステージだったのだろう。

 

「だよね!スゴかったよね歩夢(・・)!カッコ良くて可愛くてヤバいよあんな子いるんだね!」

「う、うんっ」

 

 興奮した様子で饒舌に言葉並べるツインテールの少女は、隣に立つ”歩夢(・・)”と呼んだ右サイドをハーフアップにした少女の手を握り、その感動を分かち合う。

 

「なんだろうこの気持ち!スゴいときめき!なんて名前の子なんだろう!―――あっポスター!」

「わっ、ゆ、侑ちゃん(・・・・)……!」

 

 ”()”と呼ばれたツインテールの少女は、すぐそばにポスターがあるのを見つけ、驚く歩夢の手を握ったままそちらの方へ駆けていく。

 

 ポスターには「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 生LIVE!!」という表記と共にその同好会に所属しているであろう五人の姿が映し出されていた。

 

「あ、あれ……に、虹ヶ咲学園って」

 

 二人にはそのポスターに描かれた学校名に心当たりがあり、二人揃って目見開き目を合わせ、思いのままに叫ぶのだった。

 

「「―――ウチの高校だ~!!」」

 

 

 そうして歯車は動き始める、それが少年の願った叶わない夢物語かは知らず。

 

 ―――少年は言ったそれは“難しい”と

 ―――少女は返した、それでも“無理”じゃないと

 

 少女が真っ直ぐな瞳で願い、少年が機会がないと笑った。

 

 そんな物語がいくつもの偶然と必然を繰り返す中で―――はじまるのだった。

 



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08 誘惑と予期せぬ再会

 目の前のボールが跳ねる。流れる汗を拭って対峙する相手を見つめる

 対峙する相手―――宮下 愛は手に持ったバスケットボールを一定のリズムでつきながら、こちらを隙を伺うように、俺の一挙一動を覗いている。

 

 次の瞬間、宮下はドリブルのリズムを早め、身体がぶつかるほどの勢いでこちらを抜き去ろうと動き出す。素早い身体の動きが優先され、身体は前に、ボールは後ろに流される

 

 俺はその一瞬を見逃さなかった。

 鋭い槍のように手を伸ばし、一直線に彼女の右手側で跳ねるボールを捉える。

 

「―――もらったっ!」

「―――残念、愛さんの勝ちっ」

 

 伸ばした手は空を切り、宮下は後方へ駆ける。

 先ほどまで手と地面を行き来していたボールどこへ、その行方を探そうと振り返った俺の目に入ってきたのは宙を舞うボールと、それをキャッチしゴールへ駆けていく宮下の姿だった。

 

 そのまま誰もいないゴール下、宮下はボールを空へ掲げ投げ入れる。誰の邪魔もなく投げ入れられたボールはそのままゴールすっぽりと入り、地面で強く跳ねた。

 

「どうしたのしもみー、いつもより動きが硬くない?」

「いや……お前、準備運動もなしに連れてこられてお前の相手は荷が重いっての」

 

 跳ねたボールを手に取り首を傾げる宮下に、額に微かに流れる汗を拭いながらそう応える

 

「いやーしもみー暇かなって思って」

 

 時刻は放課後。

 バスケ部の練習着に着替えた宮下に誘われて俺は学園の体育館まで足を運んでいた。

 

 準備もバッチリと済んでいる彼女と違い、こちらは制服でろくに準備運動もしていない為、あまり激しい動きはし辛い。

 まあ準備運動の有無で今の勝敗が変わるわけでもないが。

 

 ケラケラと笑い器用にボールを回す彼女―――宮下愛はバスケ部の部員と言うわけではない。

 

 彼女はバスケ部を始めとした色んな部活を助っ人として回っており、日によってその姿を変える。この前はサッカー部だったっけ?

 

 しかし色んな部活の助っ人と言えど、中途半端な実力なら助っ人として来られても迷惑にしかならないと思うが、宮下愛の運動能力というのは想像以上だった。

 

 試合に出れば勝利に貢献し、練習相手としても申し分ない、部活の面々ともすぐに打ち解け、その持ち前の明るさもあってかムードメーカーとなり、一度助っ人に参加した部活からは本格的な入部を勧誘されるほどに、そのポテンシャルは高かった。

 

 そして今では部室棟のヒーローと呼ばれるほどにその名に箔を付けていた。

 

「……まあ暇だな」

「同好会も抜けたんだってね?」

 

 宮下の言葉に少しだけ反応しそうになるが、今更隠すことでもない。

 

「そうだな、スクールアイドル活動はやめた」

「そっか……」

「ああ、それじゃあ部活の邪魔しちゃ悪いし、俺は退散するよ」

 

 壁に置かれたスクールバックを肩に担ぎ、宮下に別れを告げる。

 バスケ部の面々も着替えを追えたのか続々と体育館に集まっており、準備運動をしている。

 本来なら俺もあれぐらいさせて欲しかったが、彼女の暇つぶしに付き合っただけだし今回はいいだろう。

 

「あー……そういえば、この間スクールアイドル同好会の部室を探してた子がいたよ」

「―――え?」

 

 宮下の言葉に思わず振り返る。振り返ったこちらを応えるように彼女は話を続けた。

 

「普通科の人なんだけど、りなりーが話しかけられてるとこにたまたま通りがかってね」

 

 りなりーと言うのは宮下が可愛がっている後輩の一年生の子。俺も遠目でしか見たことないが綺麗な桃色の髪をしていて背も小さくて可愛らしい女の子、だった筈。名前は知らない。

 

「―――そっか、まあ別におかしなことでもないだろ」

 

 部室を探しているということは入部希望なのだろうか。しかしスクールアイドル同好会は既に廃部になっており、その子には悪いことをしたなと思う。

 だけど部員の面々に会えればちょうど5人で同好会を再建出来る―――もしかしたらあの時のライブで興味を持ってくれた子だろうか?そうだったらいいな、なんて都合が良過ぎるな。

 

「案内してくれたんだよな、わざわざありがとな宮下」

「感謝の気持ちは名前で返してくれたら嬉しいかなーって」

「それとこれとは別だ」

 

 だから何でそんな名前にこだわんのこの子は。呼べりゃあ何でもいいでしょうに。

 

 

 ◇

 

 

「はぁい、始めましてこんにちは」

 

 体育館から出たその後、寮に向かっていた俺の目の前に立ちふさがる一つの影。

 彼女は妖艶に微笑みながら、手を振り挨拶をする―――のだが。

 

「……?」

 

 周りを見渡しても誰もおらず、その場には彼女と俺しかいない。

 だけど俺にはこんなベッピンさんの知り合いはいない。人違いだろうか?

 念の為、もう一度周りを見渡すが彼女に話しかけられたと主張出来るような人はいなかった。

 

「いや、あなたに話しかけてるんだけど。下海虹くん」

 

 何故俺の名前を……?

 もう一度言おう。断じて俺にはこんなベッピンさんの知り合いはいないのだ。

 いやスクールアイドル部の面々や同級生の宮下も含めれば、知り合いの顔面偏差値は高い方か?

 

「え、えっと……は、はぁい、始めまして」

「真似はしなくていいのだけど」

 

 フランクな彼女に合わせて真似てみたが違ったみたいだ。

 彼女はふむふむとこちらを吟味するようにつま先からてっぺんまでを見つめ、妖艶な笑みを浮かべ口を開いた。

 

「初めまして、朝香果林です。親友のエマがお世話になってるわね」

 

 ―――朝香果林。

 その名前には聞き覚えがあった。

 ライフデザイン学科の三年生に雑誌で読者モデルをやっている超絶美人な先輩がいるという話。男子生徒で知らぬものはいないほどにその名前は有名で、俺のクラスにもファンがいるほどであった。

 

「エマ先輩の……」

 

 そしてエマ先輩の親友と名乗った彼女は、噂に違わぬ美人っぷりで。ウルフカットにした綺麗な艶髪を風で揺らし、出るところは出ており引っ込むところは引っ込んでいる、女性からすれば理想的なプロポーション。

 まるでフィクションの世界から出てきたようなペッピンさんであった。

 

「あらあら、そんな熱い視線で見つめられたら照れてしまうわ」

「あ、す、すみません。つい……!」

「冗談よ、そんな警戒しなくてもいいのよ―――今日はあなたに聞きたいことがあって来たのだから」

 

 からかうように微笑む彼女は変わらず妖艶でそんな彼女に見惚れそうになるけど、彼女の口から出たその言葉に少しだけ身体が強張った。

 

「えーっと、俺に答えられることであれば……」

「ええ、むしろあなたにしか答えられないことかも―――」

 

 彼女はそう言いながらこちらに近づく。彼女から漂う柔らかい香水の匂いが鼻孔をくすぐり、思わず男心がグラついてしまいそうになる。

 身体を密着させる勢いで近づいてきた彼女はおもむろに俺の右肩に手を置き、背を伸ばして耳元で囁いた。

 

「―――優木せつ菜さんのこと、教えて欲しいのだけど」

 

 咄嗟に離れる身体、惜しいことをしたなどと呑気なことを言ってる場合じゃない。

 向かい合った彼女はその表情を崩さず、その妖艶さをまといながら言葉を続ける。

 

「スクールアイドルに興味があって、だけど誰に聞いても学科もクラスも分からなくて困っているのよね」

 

 エマ先輩の親友と名乗った彼女が、わざわざ俺に声をかけ優木せつ菜を名指しで指名する理由-――浮かんできたのは俺たち(・・・)にとってあまり良い答えではなかった。

 

「優木せつ菜はもうスクールアイドルを辞めたんです、彼女にスクールアイドルの話をするのはやめてあげてください」

 

 もしかしたら彼女が宮下の言っていた同好会の部室を探していた人なのかも知れない。

 そんな相手を邪険にするのは気が引けるが、まるで優木せつ菜を探るようなことを看過することは出来ない。

 

 それが優木せつ菜とスクールアイドル同好会を終わらせてしまった(・・・・・・・・・)俺なりの譲れないポリシーでもあった。

 

「あら怖い、別に優木さんを取って食おうってわけじゃないのよ。ただ話が聞きたくて」

「せつ菜は会わないと思います。それにスクールアイドルの話ならエマ先輩聞くことだって出来るでしょう」

 

 その言葉に彼女は微笑みを浮かべたまま「そう、残念」と返し、離れた距離を詰めるようにこちらに近付き、おもむろに俺の胸に指を置いた。

 

「もし教えてくれたら、お姉さんがイイこと(・・・・)してあげようと思ったのになあ……」

 

 胸の上をなぞるように指を動かし、彼女は笑う。

 身体の一部分に熱が集まるのを感じ、咄嗟にまた彼女と距離を取る。

 身体を動かしていないのに息は上がり、心臓の鼓動はバクバクとうるさいほどに音を立てていた。

 

「い、イイことってなんですか……」

「イイことはイイことよ、私プロポーションには自信あるの」

 

 自らの身体を抱きしめるように彼女はその豊満な胸と主張し、スカートから延びるふとももを見せ付ける。俺も甘く見られたものだ、こちらハメようなどと侮りやがって……!!

 

「……騙されませんよ、そういう経験ないでしょあなた」

「ふふふ、どうでしょう?」

 

 食えない人だ。変わらず余裕の表情で笑う彼女に警戒心を高め、少しずつ後ずさる。

 

「まあ私もこんなので騙されちゃう子に用はないわ。エマの言う通り、真っ直ぐで良い子ね」

「それは……ありがとうございます」

 

 彼女の一挙一動も見逃さまいと睨みを利かせるが、そんなこちらにはお構いないと言った様子で彼女はこちらに背を向け振り向きざまにその妖艶な笑みを見せた。

 

「それじゃあさようなら虹くん、また会う日まで」

「……はい、さよなら」

 

 遠ざかる背中を睨み、彼女が見えなくなるその瞬間まで神経を張り巡らせる。

 油断すればこっちが食われる、なんて状況フィクションの中だけだと思っていたのだが。

 

「はぁ~~~~~……」

 

 張り詰めていた気を緩めるように大きなため息を吐き出し、忘れていた呼吸を再開する。

 心臓のバクバクは少しずつ止んでいき、正常な心音へと戻っていった。

 

 何だあれ、あんなの歩く猥褻物陳列罪(わいせつぶつちんれつざい)だろ……。

 R-18じゃないのあれ、青少年の教育に良くないでしょ、規制した方がいいって……。

 

 朝香先輩には申し訳ないが、彼女に対する理不尽な文句ばかりに出てくる。

 

 あんなの並みの男ならそのままゲロってホテルへ直行だろ。

 俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかったわ。

 

「……で、でも…イイことかあ」

 

 読者モデルを務めるほどの美貌を持った妖艶な美しい上級生とのワンナイトラブなんて、憧れない男子はいないだろう。断りはしたが想像してしまうのもまた男のさが。

 

「―――ちょ、うわあ!!」

 

 そんな煩悩の中鳴り響いたスマホのベル。ビックリして大声を上げてしまったが周りに人がいなくて良かった……。

 と言うかそもそもさっきの場面を見られてなくて良かった。それは本当に良かった。要らぬ噂が立つところだった。本当もうちょっと場所を考えて欲しいな朝香先輩

 

 いそいそとポケットからスマホを取り出し開くと、珍しくメッセージアプリに一件通知が入っていた。―――相手は中須かすみ。

 

 先日泣かせてしまったこともあり気まずい相手だが、そんなことは気にもしていないような口ぶりで送られてきたメッセージには「会わせたい人がいます」という文章と共に集合場所の地図が乗せてあるだけであった。

 

 

 ◇

 

 

「あ~~♡コウ先輩っ可愛いかすみんはこっちです~♡」

 

 集合場所の付近に着いた俺は聞きなれた甘え声に呼ばれ、その方向へ向かう。

 

 こちらからは彼女の他にも二人、見慣れない姿が見えるが一体誰だろう。

 少しずつ彼女たちの元へ近付いていくと、その姿がハッキリとしてくる。

 

 木漏れ日を避けるように立つ二人の姿をようやく認識して俺は―――

 

「―――え?」

 

 ―――言葉を失った。

 

 

「コウっ!やっぱりかすみちゃんの話してた先輩ってコウのことだったんだね!!」

 

 そこにいたのは、先日一度、実家に戻った時にも偶然出くわした相手である、幼馴染の高咲 侑(たかさき ゆう)に―――。

 

「―――久しぶり、だね。コウ…くん」

 

 鼓膜を震わす鈴の音に心臓が大きくドクンと跳ねる。

 嫌な汗が溢れ、一瞬にして喉の渇きを生んだ。

 

 俺が一番会いたくない、気まずい相手。

 

 可愛くて、優しくて、真心に溢れていて

 桜のように可憐で、清楚で

 

 フィクションから飛び出てきたような理想的な女の子。

 

 それと同時に俺の初恋の相手であり―――中二の夏に俺がフラれた相手。

 

「―――う、上原」

 

 もう一人の幼馴染、上原 歩夢(うえはら あゆむ)。彼女であった。

 



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09 可愛い後輩

「……」

「……」

 

「ゆ、侑先輩、なんであの二人あんな気まずそうなんですか……?」

「あはは……ちょ、ちょっと昔に色々あってね」

 

 お台場の商業施設から少し離れた潮風公園―――そこで俺は予期せぬ再会を果たした。

 

 高咲侑、そして―――上原歩夢。

 同じ虹ヶ咲学園に通う同級生。

 とは言えど、クラスも学科も違う為学校で出会うことなんて今まで一度もなかった。

 

 いやー――俺は避けてきたのだ。

 彼女たちと会うことを。

 

「―――かすみ」

 

「ひゃあ!は、はい!」

 

 かすみはびっくりしたように肩を震わせ、恐る恐るといった表情でこちらを見る。

 そんなかすみの手を掴み、少々強引にその場から離れ、人目の付かない場所へと移動するのだった。

 

 

 ◇

 

 

「聞いてないぞ他にも人がいるなんて……!」

「え、えっと、先輩を驚かせようとかすみんなりの可愛いサプライズを……」

 

 驚かせようと、という点では彼女の計画は成功しているが。もっと別な良いリアクションの取れる驚かせ方もあるだろうが。

 なんて思わず怒ってしまいそうだったが、先日のこともあり強くは言いずらい。

 

 しかしまあ先ほどの話を聞く限りでは歩夢にフラれたことはバレてないみたいだし、その点は安心していいだろう。

 

「で、何でかすみがあの二人と一緒にいるんだよ」

「新入部員なんですよ。侑先輩も歩夢先輩も」

 

 彼女の言う新入部員というのは“スクールアイドル同好会の”という意味が付くのだろうが。

 

「帰る」

「えええ!!ちょ、ちょっと待ってくださいよコウ先輩ぃ!」

 

 端的にそう告げ、背を向けた俺の腕にしがみ付き移動させまいと粘るのだが。

 

「と言うか他の同好会メンバーはどうしたんだ、今日は一緒じゃないのか」

「……しず子は演劇部に行っちゃって、彼方先輩とエマ先輩には連絡が付かなくて…」

 

 落胆したように肩をがっくりと下ろし、弱々しく呟いたかすみ―――それで俺に白羽の矢が立ったというわけか。

 

「お願いしますぅ先輩っ、かすみんにはもう先輩しか頼れる人がいないんですよぉ♡」

 

 正面に向き合ったかすみは、胸元でこぶしを作り、潤んだ瞳でそう懇願をする。

 彼女の甘え声は正直男心をくすぐられる。見た目が可愛いこともあってかその威力は想像以上だ。

 

 しかし、だからと言って全部が全部やること成すことに寛大になれるほど、俺は人間として出来ていない。それに先ほどかすみ自身から言われたようにあの二人と―――特に歩夢と一緒にいるのは単純に“気まずい”のだ。

 

「いや、でもな……」

 

 こちらの事情が事情と言うこともあって、かすみのお願いに二つ返事で答えるわけにもいかない。内容次第と言いたいところだが、俺としてはすぐさまこの場を離れたい気分なのだ。

 それに先ほどの朝香先輩のこともあり、脳みそが少々オーバーヒート気味なのだ。

 

「……何か手伝えそうなことがあったら(・・・・・・・・・・・・・・・)力になる(・・・・)って言ってくれたじゃないですか」

 

 そう頭を悩ませていると、ポツリとかすみの口から出た言葉

 そちらを見ると、先ほどの演技(潤んだ瞳)とは違い、目いっぱいに涙を溜めこんだかすみがこちらを見上げおり、震える声で言葉を続ける。

 

「かすみんもコウ先輩に頼りすぎてたんだって分かりました、同好会のこと、せつ菜先輩のこと。だから―――今度はかすみんが頑張りたいんです」

 

 真っ直ぐと見つめる視線から目を離すことはが出来なかった。

 それほどに真紅に輝く瞳は綺麗で美しく、彼女の熱意がこもっていて。

 

「先輩にまた同好会に戻って来て欲しいなんて、かすみん達には言える資格ないです。でも―――でもっ」

 

 気付けばポロポロと涙を流すかすみがいて

 彼女は真っ直ぐと俺を見つめて、涙声ながらも思いを伝えてくれた。

 

「あ˝のまま……終わりなんて嫌だから…っ!」

 

 あの日、最悪の形で俺たちの虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は幕を下ろした。

 

 せつ菜の“大好き”を守れず、エマ先輩に悲しい顔をさせて、彼方先輩にも辛い思いをさせ、しずくには最後まで気を使わせて、かすみの笑顔を守れなかった。

 

 そんな最後だったということもあり、あれから彼女たちとまともに話してこなかった。そんな資格、俺にはないと逃げていたんだ。

 

 だから宮下の練習相手にも付き合ったし断らなかった、時間をズラして会えない口実を作っていた。そう考えると昔から何一つ変わってないな俺って。

 

 それでも、そんな俺との関係を大切に思ってくれる子がいて。

 繋ぎとめようとしてくれる子がいるー――これを幸せ者と言わず何というか。

 

 そう思うと、目の前で一生懸命に話す彼女が途端に愛おしく感じた。

 

「だ、だからお手伝いはほんのちょっとで頑張るかすみんの姿を―――って先輩?」

 

 首を傾げるかすみの髪に手を伸ばし髪を撫でる。

 

 かすみは驚いた様子で撫でる手の流れに、右左と身体を動かされながら「ちょ、せ、先輩!」やら「か、髪が!」などと慌てているが、それでも彼女の姿は何一つ変わっていなかった(・・・・・・・・・・・・)

 

 ひとしきり撫で終わると、かすみは息を切らしながら手ぐしで髪を整え、ジットリとした目でこちらを睨み、口をすぼめる。

 

「も、もうっ!何してるんですか先輩、かすみんの髪が―――」

「―――大丈夫、どんなかすみでも可愛いよ」

 

 綺麗な艶髪を整えていた手ぐしが止まる。

 一瞬キョトンとした顔を見せるかすみだったが、すぐに顔を茹でだこのように赤くさせ、そっぽを向いた。

 

「あ、あっー!さ、さては先輩もかすみんの健気な可愛さに当てられちゃったというわけですか!ま、まったく先輩ってば―――」

「―――うん、本当にそうかも知れない。本気で―――可愛い」

「ふぇっ!?」

 

 畳みかけるように口から出た言葉にかすみの顔は耳まで真っ赤になり、しゃがみこんでしまう。キャラに似合わず言い過ぎたかな、それでも今伝えたかった。

 

 かすみは真っ赤になった頬を冷ますように手でパタパタを仰いでいるが、少し話が長引いてしまったようだ。先ほどの場所で待っているであろう侑と歩夢に申し訳ない。

 

 俺はしゃがみ込むかすみに手を差し伸べる。

 

「それで俺は何を手伝えばいいんだ」

「!!て、手伝ってくれるんですか?」

 

 バッと顔を上げたかすみは真ん丸と目を見開き、驚きとも喜びとも取れる声を上げた。

 

「まあ、可愛い後輩の頼みだ。俺に出来ることがあれば」

「も、もう先輩、さっきからかすみんにメロメロじゃないですか~♡」

 

 差し伸べた手を取り、かすみは立ち上がる。

 立ち上がったかすみは頬に手を当てて、嬉しそうにクネクネと身体を動かしていた。

 

 ん?待てよ、今の状況を冷静に考えると“後輩の泣き落としに堕とされた先輩”みたいな関係になっていないか……?

 

 冷静な分析をしながら、横目でかすみの方を見る。

 彼女は先ほどと変わらず嬉しそうな満面の笑みを浮かべており。そんなかすみの横顔を見たら泣き落としだとか堕とされたとかどうでも良くなっちまった。本当チョロいなあ俺って。

 

「じゃあ戻りましょうか、侑先輩と歩夢先輩たちの元へ!」

 

 

 可愛い後輩の頼みだ、気まずいけど頑張りますか。

 



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10 自己紹介を撮ろう!

「あー遅いよ二人ともー!帰っちゃったのかと思ったよー!」

「えへへ~ごめんなさい侑先輩~♡」

 

 二人の元へ戻った俺とかすみは待ちぼうけを食らわせていた二人に謝罪する。

 相変わらずかすみの顔は緩みっぱなしだが大丈夫だろうか。

 

 幸い、怒っている様子はなかったが、待望の新入部員だ。俺のせいでかすみの頑張りを無駄にしたとなれば後悔してもしきれない。

 

「―――と言うか今更ですが、コウ先輩と侑先輩と歩夢先輩って知り合いなんですね」

「ああ、まあ知り合い―――「私たちとコウは幼馴染だよ!!」

 

 悪気のない表情で聞いたかすみに返した言葉は、侑が被せてきた声にかき消され、その言葉にかすみは驚いた表情をする。

 

「ええー!スゴイ偶然ですね、かすみんコウ先輩に幼馴染がいるって話初めて聞きましたよ」

「……まあ、特に言う必要もなかったからな」

 

 事実、中二の夏からほとんど話すこともなかったし。

 幼馴染としてもほぼ時効って感じがするけど……。

 

 変わらず侑がそう言い張るなら、世間一般的には幼馴染という括りなのだろう。

 

「中学まではお互いの家が近いこともあって、よく三人で遊んでたんだ」

 

 正確にはよく三人で遊んでたのは俺がフラれる前までだけど。

 それから俺が意図的に距離を取り、避けてた。

 

「でも虹ヶ咲に入ってから、コウは寮にいっちゃったからね」

 

 侑の言う通り、高校生になってから俺は寮に入っている。

 

 寮という半一人暮らしの環境で社会について学びたいとか、寮の共同生活で学友達と親睦を深めて学園生活をより良く充実したものにしたいとか―――全部この二人から離れる為の言い訳なんだけど。

 

 あの頃の俺はそんな体のいい理由を並べ、必死に親を説得して入寮することを許可してもらったのだ。

 

「おばさん達、寂しがってたよ」

「ちょくちょく帰ってはいる」

 

 春休みの時も一度自宅には帰っている、……日帰りだが。

 その時に偶然にも侑と出くわしたというわけだ。

 

 ……こういうことを思い出すからこの二人とは一緒にいたくはないのだ。

 

 そんなことを考えながら、侑の隣にいる歩夢の方を見ると自然と目が合う。

 しかし彼女はすぐさま目を逸らし、影を落とした。

 

 かすみには気まずいからとは言ったが、結局俺がよくても歩夢が気にしてるっつーの。

 

「それでかすみ、今日はここで何をするんだ」

 

 身の丈話もいいが、俺たちの関係上長時間一緒の空間にいるのは精神衛生上良くない。

 呼ばれた用件を早く済ませる為、かすみにそう切り出す。

 

 彼女は俺の言葉に思い出したかのように自らのスクールバックへと駆け寄り、中から何かを取り出すと「じゃーん!」と自慢げに取り出し“それを”俺たちに見せびらかした。

 

「―――あれ?このネームプレートって」

 

 かすみが俺たちに見せてきたのは「スクールアイドル同好会」と書かれたプレート。

 

 その筆跡は同好会が発足した時にせつ菜が丹精込めて書き上げた自信作であり、少し前までは毎日のように見ていた部室プレートであった。

 

 しかしその風貌は以前に比べて変わっており、同好会名の前に黄色の文字で「かすみんの」と付いていたり、周りにハートやキラキラなどの装飾が施されていた。

 

「かすみんが生徒会から取り返してきました!……無断で」

「……お前は何してんだよ」

 

 同好会が廃部になってから誰が保管してたか分からなかったが、生徒会と言うことは菜々が直接保管していたんだろうか。大事になってないといいけど。

 

「だから睨まれてるんだ……」

 

 歩夢がそう言う。え、かすみ生徒会に喧嘩売っちゃったの?

 

 しかしまあリアルな話をすれば、生徒会長は菜々だし幾分かは大丈夫だと思うが。他の人なら同好会の活動自体も危ぶまれるようなことをこの子は……。

 

「ち、違うんですコウ先輩!かすみんはまたスクールアイドル同好会を始める為にと思って!」

 

 形から入ったとでも言うのだろうか。

 まあ今の俺には、生徒会長の中川菜々とも交友関係があるわけでもないし、元部員というだけでしかない。彼女の行動にわざわざ口を出しする権利もないだろう。

 

「何はともあれ、しばらくはここが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の部室ですよ~!」

 

 かすみはポケットからスマホを取り出すと、おもむろにそれを俺に渡し、そばにある大き目の台座に上りこちらを見下ろす。

 

「ダンスや歌の練習はおいおい始めるとして、まずは部員をゲットですっ!」

「何で部員募集からなの?」

「人がいっぱいいた方が可愛いかすみんが引き立つからです!」

 

 かすみの言葉に侑は素朴な質問をぶつけてみるが、返ってきたのはそんな言葉

 引き立て役なんかいなくても、かすみの可愛さなら大丈夫だと思うんだけどなあ。

 

「ともかく!手っ取り早く部員を集めるなら―――」

 

 かすみはそう言い、俺の手に持ったスマホを指さす。

 意図を察した俺はかすみのスマホを起動し―――ってこれ壁紙かすみの自撮りか。めっちゃ可愛いなこれ。

 

 ってそんなことを考えてる暇じゃー――俺はそのままカメラを起動しレンズをかすみに向けた。

 

「やっほー♡皆のアイドルかすみんだよぉー♡かすみん虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の部長になったんだけどー♡そんな大役が務まるかとっても不安~♡でもー応援してくれる皆の為に日本一可愛いスクールアイドル目指して頑張るよっ♡♡♡」

 

 変わり身の早さ。

 

 身振り手振りをしながら語尾の全てに♡でも付けるかのように、甘い声でかすみは自らの自己紹介をさせて見せた。なるほど、今日俺が呼ばれたのは撮影班と言うわけか。

 

 そんなかすみに侑と歩夢の反応は……。

 

「は……?」

 

 歩夢の口から出たのは困惑した声。

 昔から可愛い物好きの歩夢なら多少なりの理解を示すかと思ったが、彼女の思う可愛いとは毛色が違ったのだろうか。その表情から読み取れるのはそんな様子だった。

 

 その一方、侑はと言うと……。

 

「うわぁあ……!!スクールアイドルの自己紹介初めて見た!!ときめいたよかすみちゃん!!!」

 

 目をキラキラと輝かせ、彼女のチャームポイントであるツインテールぴょこぴょこ揺らしながらかすみの元へ駆け寄り、心底感動した様子を見せていた。

 

「……え˝!?」

 

 思わず動揺した声を出す歩夢。

 

 侑がここまでスクールアイドルにハマってるとは俺も予想外だった。しかし夢中になると目をキラキラ輝かせる姿は昔から変わっていないなあ侑も。

 

「えへへ~♡侑先輩~さすがぁ分かってますね♡これを動画サイトに投稿して部員募集をします!次は歩夢先輩ですよ、今みたいな感じでお願いしますね!」

 

 そうして次に白羽の矢が立ったのは歩夢。

 

 彼女は頬を赤く染め「無理無理無理だよ!恥ずかしいよ~!」と混乱した様子だったが、自己紹介はスクールアイドルの第一歩だと言うかすみに押しに押され、その提案を飲み込んだ。

 

 

 の―――だが。

 

 

「……」

「……」

 

「って!!なんでカメラ越しで見つめ合ったままなんですかお二人はーー!!」

 

 かすみの声にカメラの録画を止める。

 

 カメラマンは俺のまま撮影を開始してから数秒、頬を赤く染めた歩夢と見つめ合う形で一度目の自己紹介動画の撮影は失敗に終わった。

 

 今の状況、少なくとも言えるのは彼女が明らかに俺を意識していること。

 そのせいもあってか上手く声が出せないのだろうか。これが三年前とかなら俺も喜んでたんだけどなあ。

 

「……かすみ、カメラ替わってくれ」

「え、は、はい、分かりました。それじゃあ撮りますよ歩夢先輩」

 

 理由が分かれば対策も出来る。

 そう思いスマホをかすみに返し、後ろでその光景を見ることにした。

 後輩のかすみが撮影するなら、歩夢も幾分か緊張せずに出来るだろう。

 

「改めて久しぶりコウ、春休み以来だね」

 

 いつの間にか隣に陣取った侑は、後ろに下がってきた俺にそう話しかける

 

「おう、と言うかお前がスクールアイドルに興味があるなんて驚いたよ。上原と一緒にアイドル志望か?」

「ううん、私は歩夢を応援したくて始めたんだ」

「ん?ああ、そうだったのか」

 

 侑もスクールアイドルをやるんじゃないのか。

 

 こう言っちゃあれだが、侑も顔面偏差値で言えば相当可愛い部類に入る。長いまつ毛に綺麗な艶髪、綺麗なエメラルドの瞳は飲み込まれそうなほどに深い色をしていて。

 

 元々アウトドア好きなこともあってか、スタイルもよく全体的なポテンシャルは高い。

 まあそういう話をすると一番に否定するのは彼女なのだが。

 

「それよりかすみちゃんのこと、名前で呼んでるんだね」

「……まあ、可愛い後輩だからな、元同好会のだけど」

 

 視線の先、撮影を開始した歩夢とかすみは何やらてんやわんやしているが、大丈夫だろうか。

 

「コウもスクールアイドル同好会に入ってたんだね。何で教えてくれなかったの?」

「わざわざ言う必要ないだろ、そもそも滅多に会わないんだし」

 

 意図的に会わないようにしてた、と言うのは言わないでおこう。

 

「それじゃあせつ菜ちゃんのことも――――

「声が大きすぎです!もっとファンの皆を思い浮かべて!」

 

 二回目の撮影を終えたのか、歩夢への総評を述べるかすみの姿に気付き、侑に彼女たちの元へ戻ろうと促す。

 何か言いかけていた途中だったが後でいいだろう。

 

「不合格です」

「い、いきなりは難しいよぉ!!」

 

 かすみの言葉に顔を赤くして反論する歩夢だったが、彼女の言うことも一理ある。

 

「かすみ、何かアドバイスして上げられることはないか?さすがに無茶ぶりだぞ」

「コウ先輩がそう言うなら仕方ありませんねー……」

 

 そう言うと、かすみはおもむろに両手を頭の上に上げ、歩夢にもそれを促す。

 キョトンとしながら歩夢もそれに従うが一体何をするのだろうか。

 

 

「語尾にぴょん♡を付けてみましょう」

 

「ぴょん?!」

「うさぴょん!!」

 

 かすみのアドバイスに歩夢は驚き、侑は喜んだ。

 そして歩夢の顔がみるみると赤くなっていく。

 

 そう言えば幼稚園の頃にうさ耳パーカーを着てあゆぴょんって言ってたっけ……、懐かしいなあ。

 

 そんな呑気なことを考えながら歩夢を見ていると、彼女は滝の汗を流していた。

 

 しかし、そんな歩夢のことはお構いなしといった様子で、かすみは「さあ!」と催促を繰り返す、歩夢の視線は侑に向けられているようだが、残酷にも侑はキラキラと目を輝かせその”あゆぴょん”を今か今かと待ちわびていたのだった。

 

 静寂が流れる―――そしてその数秒後、決心をしたように歩夢はゆっくりと口を開いた。

 

 

「あ、あゆむだぴょん……」

 

「声が小さい!もう一回!」

「歩夢だぴょん!」

 

「もっとうさぴょんになりきって!」

「うさぴょんだぴょん!!」

 

「ぴょんに気持ちがこもってない!!」

「ぴょ~~~~ん!」

 

 

 ◇

 

 

「週末には動画をアップするのでちゃんと自主練しておいて下さいね」

 

 あれから時間は経ち、時刻は夕焼け時。

 場所を移動し、デックス東京ビーチのテラスにて、長めのベンチに四人で腰かける。

 

 かすみのスクールアイドル講座の自己紹介編は一旦終わりにして、週明けに再度撮影をするということだ。

 

「カワイイコワイコワイイコアワイ……」

 

 放心状態でブツブツと呟く歩夢だが、かすみにアドバイスを頼んだのは良かったものの、かすみの言う“可愛い”と歩夢が好きな“可愛い”はどうやら少し違ったみたいだ。

 

 歩夢には悪いことをしたかな。

 

「可愛いって大変なんだね」

「アイドルの基本ですから」

 

 侑の言葉にかすみはそう返す。

 自分の可愛さにこだわる彼女の言葉は、きっと誰よりも説得力があるだろう。

 

「でも、せつ菜ちゃんは可愛いというよりはカッコいいって感じだったなあ~」

「せつ菜先輩のことを知ってるんですか……?」

 

 侑から出たその名前。かすみは不安そうにこちらを見るが、話すことまで禁止されているわけじゃないと、その不安に応えるように大丈夫と小さく頷く。

 

「うん、一度遠くで見ただけなんだけどね」

「ダイバーシティでのライブか」

「え?よく分かったね、そうだよ。歩夢と二人でね、初めて見たライブだった」

 

 事実上のせつ菜の卒業ライブ。あの場に侑と歩夢もいたというわけか。

 あの時は周りを見れる精神状態じゃなかったから、出会わなくて本当に良かった。

 

「気になってんだけど、同好会ってなんで廃部になったの?」

 

 

 何も知らない侑に内輪揉めを話すのは気が引けるが、今スクールアイドルを始めたということは、あの場のせつ菜の姿に憧れたと言うことだろうか?ならば当然そういう疑問が出てくるのも頷ける。

 

 そして、それを聞く権利は彼女にもあるだろう。

 

 かすみはまた不安そうにこちらを見ており、侑と歩夢もその問いに対する答えを待っているようだが、同好会の綻びに気付きもしなかった俺に答える権利ははない。

 

 答えを任せるようにかすみと視線を交わす。

 彼女は少し考えた後に、彼女自身が知る限りの話をポツリポツリと話し始めた。

 

「同好会もグループを結成した時は結構いい感じだったんです。だけどお披露目ライブに目標を決めた辺りから何かピリピリしてきて……」

 

 スクールアイドル同好会を作って、目標を決めて、俺も曲作りに専念しようと、練習に顔を出さなくなった辺りからか。

 俺が見たあの時にはもう手遅れだったんだろうか。今更後悔したって遅いけど。

 

「「こんなパフォーマンスではファンの皆に大好きな気持ちは届きませんよ」って!だから、かすみんもムッキー!ってなっちゃって……そのまま……廃部に」

 

 少しずつ弱くなっていく語尾が話の終わりを知らせた。

 

 それが俺の気付かなかったスクールアイドル同好会の綻びなのだろう。

 

 聞きたい話は聞けたのだろうか

 質問した張本人でもある侑の方を見ると彼女は少しだけ何かを考えた後、おもむろに口を開いた。

 

「かすみちゃんもせつ菜ちゃんもファンに届けたいものがあるんだね」

 

 かすみは“可愛い”を。せつ菜は“大好き”を。

 冷静に考えてみれば、彼女が目指す世界は違っていたのだ。

 

「当たり前ですよ!スクールアイドルにとって応援してくれる皆は一番大切なんですから!より一層“可愛い”アイドルである為に!」

 

 真剣にそう答えるかすみだが、不意に口にした“可愛い”という言葉に頭を抱える人が一人。

 

「可愛いってなぁに?可愛いって難しい……」

 

 先ほどの自己紹介が相当答えたのだろう、頭を抱える歩夢には少し同情する。

 

「もうっ、そんなんじゃファンの皆に可愛いは届きませんよ~……あっ」

 

 そんな歩夢にまたアドバイスを送ったかすみだったのが、言葉の途中で小さく声を上げ、不意に視線を落とした。

 

「かすみ……?」

 

 呼びかけた声に反応はなく、侑と視線を合わせ首を傾げるのだが、視線を落としたかすみがその呼びかけに応えることはなかった。

 

「もしかしてかすみん……同じこと(・・・・)してる……?」

 

 小さく何かを言ってることは分かったのだが、何を言ったかまでは分からなかった。

 

 こうして歩夢の自己紹介動画に関しては、かすみの提案通り日を改めることになりその日は解散となった。

 最後のかすみの様子が少しだけ気がかりだったが、また明日声をかけてみるとしよう。




※デックス東京ビーチからの帰り道。

「あら、虹くんさっきぶりね」

「朝香先輩、何してるんですかこんな所で」
「ねえ聞いていい?虹ヶ咲学園の寮ってどっちの方向かしら」

「…………俺も寮なので送りますよ」

帰り道で迷子になってた朝香先輩を拾いました。
同じ寮のエマ先輩に連絡したけど繋がらなかったって言ってました。


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11 彼女ならきっと

「―――それじゃあ今日はここまで」

 

 担任の締めの挨拶を待っていたかのように、全員が帰り支度を始める。

 

 机の上に並んでいた教科書や筆記用具を鞄の中に投げ入れすぐさま席を立った俺は、クラスメイトたちに別れを告げ早足でクラスを出る。

 

「―――かすみ、もう待ってるかな?」

 

 可愛い後輩の笑顔を頭に浮かべながら、先にホームルームが終わった生徒たちの間をかき分け目的の場所へと急ぐ。

 

 昨日、かすみの様子がおかしかったことが気がかりだった俺は、既に昼食時にメッセージを送り放課後に会う約束を取り付けていた。

 

「あっ、しもみー!」

「すまん宮下、今日は先約ありだっ」

 

 急ぎ足の俺に宮下が声をかけてくるが、今日はかすみとの用事があり助っ人の練習には付き合えない。急いでることもあり出来るだけ申し訳なさそうに彼女にそう答え、目的地へと向かった。

 

「あ、いや、今日はりなりーを紹介しようと……ってもう行っちゃった」

 

 

 

 ◇

 

 

 校舎から見下ろす形である虹ヶ咲学園の校内庭園。

 そこにある柱が目印の七つに分かれた小さな噴水―――そこでかすみと落ち合う予定だったのだが。

 

「……何してんのお前ら」

 

 こちらから呼んだ手前、待たせてしまうのは悪いと思って急いだのだが……。

 

「あ~コウ先輩も~~!」

「あっコウっ!昨日ぶり」

 

 集合場所である噴水を囲んだふちの上で、目に涙を溜めたかすみが侑を押し倒す形で抱き合っており、謎の状況に戸惑いが隠せなかった。

 

「お、おう。そ、それで二人はこんなところで何をしてるのかな?」

 

 人目のつくところで白昼堂々くんずほぐれつするなんて良くないよぉ!ま、まさかこれが百合ィ?!ま、マズい、そんな花園に入ったとなれば俺は、消される…!?

 

「ああ、かすみちゃんの様子がおかしかったから気になってね。コウもそうでしょ?」

 

 かすみと一緒に起き上がった侑はケロっとした表情でそう答える。

 どうやら昨日のかすみの様子が気がかりだったのは俺だけじゃなかったみたいだ、むしろ俺の方が余計なお世話だったかもな。

 

「まあな、だから俺がかすみをここに呼んだんだ」

「あれ、もしかして私お邪魔だった?」

 

 不安そうに首を傾げる侑だったが、部外者の俺より同じ同好会の侑がいてくれた方が何かと助かるし、頼りになる。

 

「いや別に。それよりお前……う、上原はどうしたんだ?」

 

 しかし俺としても一つだけ気がかりがあるとすれば、それは上原歩夢の存在だ。

 

 昨日の今日で気まずさが解消されるわけもなく、今日も一緒と言うならかすみの悩みも侑になら任せてもいいかなという考えだが。

 

「ああ、歩夢はもう少し練習してから公園に行くって」

「そ、そうか、練習か……」

 

 少しだけホッとし、急いで来たせいか額を流れる汗を拭う。

 練習というのは、自己紹介動画のことだろう。その頃にはかすみの件も終わっているといいのだが。

 

 そんなことを考えながら用件の当人であるかすみの話を聞こうと思ったのだが……。

 

「コウ先輩と侑先輩がかすみんを取り合ってるなんて♡あぁ~ん♡かすみん困っちゃう~♡」

 

 両手を頬に当て、満面のニヤけ面でクネクネと身体を左右に動かすかすみの姿がそこにあり、昨日感じた気がかりとは何だったのか冷静に考える自分がいた。

 

「ま、まあとりあえず公園に移動しようか」

 

 そう切り出した侑に応えるように三人で目的地へと歩き始める。

 

「かすみ、いつまでイソギンチャクの真似してんだ早く行くぞ」

「かすみんイソギンチャクじゃないです!!」

 

 

 ◇

 

 

 場所は移り、昨日と同じ潮風公園―――着く頃には既に空は夕焼け模様だった。

 

「―――それじゃあかすみんの話、聞いてくれますか?」

 

 ここに来るまでの時間と着いてから少しの談笑の後。

 意を決したようにそう聞くかすみに俺と侑は何も言わず頷く。

 

 少しだけホッとした様子を見せたかすみは、胸の内に抱えた思いを打ち明けるように話始めた。

 

「……かすみんには一番大切にしたいものがあって」

 

 同好会の活動を含め、かすみを見てきた中で彼女が一番大事にしていたこと。

 

 それは―――純粋な“可愛い”へのこだわり。

 

 彼女の日頃の振る舞いだったり、話し方だったり、髪型や服装や肌のケアや。

 自らの “可愛い”の為ならば自分磨きに全力を注ぎ、決めポーズの一つとっても気を抜かない。

 

「だからスクールアイドルがやりたくて、それはきっと“皆”もそうなんですけど」

 

 だからこそ彼女は志したのだ。

 

 自分の“大好き”を表現出来るスクールアイドルになって、己の“可愛い”を突き詰め、世界で一番“可愛い”スクールアイドルになる為に。

 だけど形は違えど他の皆もそうで、エマ先輩、彼方先輩、しずく、そして―――せつ菜。

 

「やりたいことはやりたいんです」

 

 皆が皆、自分の中の譲れない信念を持っていて、自分の“大好き”を掲げて、スクールアイドルになろうと決めた。

 

「けど人にやりたいことを押し付けることは嫌なんですよ」

 

 皆それぞれに信念があって“大好き”がある。

 かすみの“可愛い”だって、彼女の信念で、こだわりで、世界で自分だけのもの。

 

「なのにかすみん……歩夢先輩にそれをしちゃって……」

 

 しかし自分はそれを歩夢に強要してしまったのだと、それがかすみの悩みだった。

 

「……」

 

 彼女の悩みにすぐにでも答えてあげたいと思うけど。きっとそれは俺が口に出来ない、口にしちゃいけない言葉だった。

 

「つまりそれぞれやりたいことが違ってたってことでしょ?それで喧嘩しちゃうのは仕方ないと思うけどなあ……」

 

 そんな中あっけらかんとした様子で、手すりにもたれた侑は答える。

 

 それぞれに譲れない信念があるから、こだわりがあるからこそ、自分の“大好き”をぶつけてしまえば衝突も起きる。それは至極真っ当なことで当たり前の意見なのだ。

 それを軽い気持ちで一つにまとめようなどと考えていた俺に、そんな当たり前を言う権利はない。俺は彼女たちの思いを何一つ汲み取ることが出来なかったのだ。

 

「仕方ないじゃ困るんです!このままじゃまた同好会が上手くいかなくなっちゃいますぅ!」

 

 だけどかすみはそれをどうにかしたいのだ。

 お互いのやりたいことを、“大好き”をどうすれば、共存させることが出来るのか。

 かすみの“可愛い”と歩夢の“可愛い”が違ったように、この問題をそのまま放置すればきっとまた優木せつ菜(俺たち)の二の舞になってしまうから。

 

 もう自分では八方塞がりなのだと切羽詰まった様子で侑に詰め寄るかすみだったのだが。

 

「―――悩んでるかすみんも可愛いよ。ね?コウ」

 

 そんなかすみの悩みに侑の口から出たのはそんな惚けた答えだった。

 彼女はそう言い、言葉の同意を求めるようにこちらを向き、爽やかな笑顔で笑いかけてくる。

 

「も~先輩~!こんな時にからかわないでくださいよ~!!」

 

 彼女の言葉(悩んでるかすみも可愛いこと)には同意するが、それはかすみが知りたい悩みに対する答えではない。

 ぷんぷんと頬を膨らませたかすみにポコポコと叩かれ「からかってないよ~」と笑顔で弁解する侑だが、もしかしたら彼女自身何か考えがあってのことなのだろうか。

 

「あのさ、侑―――」

「―――遅れてごめんなさいっ!」

 

 もしも何か答えを知っているなら。

 そう思い呼びかけた名前は鈴の音にかき消され、全員が声が聞こえた方を向いた。

 

「歩夢っ」

 

 息を切らしてこちらに駆け寄る彼女に侑は嬉しそうにその名前を呼ぶ。

 俺が、もう何年近くも呼んでいない彼女の名を。

 

 スクールバックについたピンクのパスケースが揺れる。

 急いで走ってきたのか肩で息をしていた歩夢は、こちらに合流した後、少し息を整え顔を上げる。

 

「―――あのっ自己紹介なんだけど!」

 

 その表情には昨日の自己紹介動画で感じた戸惑いや恥ずかしさはなく、晴々とした表情で自信を感じさせるようなそんな姿だった。

 

「今、撮ってもらっていい?」

 

 まるで昨日とは別人のような表情でかすみにそう伝えた歩夢に、俺とかすみは揃って侑を見るが、笑顔の彼女はその言葉に同意するだけで俺たちには何も言わなかった。

 

 歩夢はスクールバックをそばに置き、ゆっくりと深呼吸すると、意を決したように真っ直ぐとした瞳で前を向いた。

 

「じゃあ、いくねっ」

 

 スマホを取り出しカメラを起動したかすみは、歩夢の言葉に少しの戸惑いが混ざった声で「どうぞ」と返し、応えるように録画ボタンを押した。

 

「虹ヶ咲学園普通科二年上原歩夢ですっ、自分の好きなこと、やりたいことを表現したくてスクールアイドル同好会に入りましたっ」

 

 録画が始まり、軽く会釈をし歩夢は自分がスクールアイドルを志した理由を話す。

 その言葉一つとっても昨日感じたような迷いはなく、真っ直ぐと純粋に言葉を紡ぐその姿は、若かりし頃の俺が惚れこんでいた彼女と何ら変わっていなかった。

 

「まだまだ出来ない事もあるけど、一歩一歩頑張る私を見守ってくれたら嬉しいです!―――よろしくねっ」

 

 少しの身振りと手ぶりをしながら、最後には頭の上に手を乗せほんの僅かなウサギの真似を織り交ぜ、彼女が挑んだ自己紹介動画の撮影が終わった。

 

「……ど、どうかな?」

 

 撮影を終えた歩夢は膝に手を置き、緊張を吐き出すように息を整えそう聞くが、こちらがその問いに答える前に興奮した様子で歩夢に飛びつく影が一つ―――無論、侑だ。

 

「うわぁ~!!すっごく可愛い!!ときめいちゃった!!」

 

 ツインテールを揺らし歩夢に抱き着いた侑は嬉しそうにそう叫ぶ。

 

 そんな二人の様子に隣のかすみを見ると、彼女もこちらを見上げており自然と目が合う。

 お互いの意図を察したようにスクールアイドルの先輩としてかすみは、わざとらしく咳ばらいをすると、向けられた二つの視線に言葉を送る。

 

「かすみんの考えていたのとはちょっと違いますけど、可愛いから合格ですっ。コウ先輩もそれでいいですよね?」

 

 続いて向けられる視線、かすみの言葉に応えるよう小さく頷くと、侑と共に嬉しそうな笑顔で喜ぶ歩夢。隣のかすみはそんな歩夢の姿に少しだけバツの悪そうな顔をしていた。

 

「―――たぶん、やりたいことが違っても大丈夫だよっ」

「え―――?」

 

 先ほどの話の続きだろうか。

 おもむろに口を開いた侑の言葉に間の抜けた声がこぼれる。

 

「上手く言えないけどさ、自分なりの一番をそれぞれ叶えるやり方ってきっとあると思うんだよね」

 

 それぞれにやりたいことがあって、譲れない信念があって、自分の“大好き”がある。

 

 そんな一人一人の思いを尊重して、叶える方法。そんな夢物語が果たして本当にあるのだろうか。少なくともあの日何一つとして守れなかった俺には想像も付かないことだろうけど。

 

 もしかしたら侑は、その答えを知っているのだろうか?

 

 俺が喉から手が出るほどに知りたいその方法を。

 俺が見つけなくちゃいけなかったあの日(・・・)の答えを。

 

 俺は何を伝えれば良かったのだろうか?

 どう言葉にすれば良かったのだろか?

 永遠に解けない謎を、迷宮を抜け出す方法、活路を知っているならそれを俺に―――。

 

「―――探してみようよ!」

 

 ―――否、彼女もそれを知らなかった。

 

 けれどそう話す侑の瞳は宝石(エメラルド)のように煌めいていて。

 

 もしかしたら彼女なら見つけてしまえるような、そんな気がした。

 俺が伝えなくちゃいけなかったこと、言葉にしなきゃいけなかったこと、俺に出来なかったことを彼女は出来てしまうような。根拠はないけどそう感じた。

 

「それに、その方が楽しくない?」

 

 風で髪が靡いて、昔と変わらぬ無邪気な笑顔で侑は笑う。

 

 その姿は男の俺から見てもとてもカッコ良くて。

 今の俺じゃ到底彼女のようにはなれないと感じてしまった。そして彼女には叶わないと察してしまった。

 

「―――楽しいし、可愛いと思いますっ!」

 

 侑の言葉に応えるようかすみは笑い、かすみの笑顔に応えるように侑は笑い、歩夢を入れて三人は楽しそうに笑い合う。

 そんな夢の一片が垣間見える空間、ほんの数週間前までこの手の平の中にあった物語。

 

 色んな“可愛い”も“カッコいい”も一緒にいられる、そんな場所が本当に作れるなら、多分それを作るのは俺みたいな人間じゃなくて、侑みたいに真っ直ぐ前を見て仲間と共に歩ける人間なんだろう。

 

 もしかしたらスクールアイドル同好会も、菜々に抜擢されたのが俺なんかじゃなくて侑だったら、同好会も廃部にならずにすんだのかも知れない。

 

 もしもこの先、そんな夢が実現したらその時はどうか菜々を―――優木せつ菜のことも幸せにしてあげて欲しい。

 例えそこに―――俺がいなくても。



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12 意地と本音と

 俺が彼女と、彼女たちと一緒にいた時間。

 遡るとそれは中川菜々から相談を受けた日から始まる。

 

 最初は断りもしたが、彼女と話していく中で、彼女の真っ直ぐな“大好き”を知って、応援したいと、力になりたいと思い、俺は彼女の計画(・・)に乗った。

 

 それから菜々と一緒に新入生歓迎会に向けて、曲を作って歌詞を作って踊りを考え、新入生歓迎会で披露した。

 結果は大成功、新入部員が4人も入部し、晴れてスクールアイドル同好会が発足された。

 

 そして彼女たちはグループを結成し、ラブライブ!に目標を設定し、お披露目ライブに向けて練習をスタートした。

 

 そこからだ、少しずつ崩れ始めたのは。

 

 今にして思う、ちゃんと見ていなかったから、変化に気付かなかったから、相談に乗らなかったから。

 

 もしも音楽室に籠らず、彼女たちと一緒にいたら。

 一人一人のことをちゃんと見れていたら。

 何でもいい、ただ一言声をかけていたら。

 

 もっと彼女たちに寄り添えていたら。きっとこんなことにはなっていないだろう。

 

 せつ菜が間違っていたら教えてあげて、言い過ぎてたら叱ってあげて。ちゃんと彼女の目を見て、彼女の声を聞いて、一緒に悩んで考えてあげられたのに。

 

 かすみ、しずく、エマ先輩、彼方先輩―――皆の良いところも、悪いところも、可愛いところもカッコいいところも、もっと知れた筈なのに。

 

 だけどもし―――もしも菜々に選ばれたのが俺じゃなく他の誰か

 

 ―――例えば、“高咲侑”なら。

 

 皆のことを見て、些細な変化にも気付いて、相談にも乗ってあげる。

 

 誰よりも一人一人に寄り添ってあげられて。

 迷ってたら、悩んでたら、困ってたら、一緒に考えて、一緒に探してくれる。

 

 そんな彼女だったら同好会が廃部になることもなく、彼女たちは今でも幸せに過ごしていたんだろう。

 

 侑はそれが出来る人間だ。昔からそういうことに長けたやつだった。

 

 昨日見た宝石のように煌めく瞳がそれを物語っていた―――あの輝きはまるで子供の頃に憧れたフィクション作品の主人公みたいな、今の俺には決してない眩い光。

 

 結局、俺がやってきたことは最初のちょっとだけで、彼女たちには何一つとして力になれなかったんだと、今にして思う。

 

 それが俺の罪で―――これが俺の罰。

 きっと俺にはもう彼女たちと一緒にいる資格なんてないんだろう。

 

 

 ◇

 

 

「―――は?」

 

 喉の奥から低く深い声を絞り出すように声帯が揺れた。

 スマートフォンを持つ手が小さく震え、心臓の鼓動が早まるのを感じた。

 

 歩夢の動画撮影を終えた日の夜、寮の自室にて久方ぶりに菜々から届いたメッセージ。

 そこに書かれていた文章に動揺が隠せなかった。

 

『今日、エマさん達が生徒会室に来ました。優木せつ菜の正体が私だと言うことに気付かれてしまいまして、明日以降あなたにもご迷惑をかけてしまうかも知れないです、ごめんなさい』

 

 脳裏に浮かんだのは、先日の朝香先輩。せつ菜のことを嗅ぎまわっていたのは分かっていたが、ここまで早いとは予想外だった。

 この文章のエマ先輩達と言うのも、かすみを除いた3人のことだろうか。

 

 確かにいつか正体がバレてしまうことは俺もせつ菜も織り込み済みだったのだが、今このタイミングでなんて……。

 

「―――っ」

 

 その瞬間、携帯が次の音を鳴らした。新着メッセージだ。

 差出人は―――エマ・ヴェルデ先輩。

 

 菜々からのメッセージを閉じ、エマ先輩からのメッセージを開く。

 

 そこに書かれていたのはただ簡潔に一言「明日、会えるかな?皆で話がしたいです」という文章だけであった。

 

 

 ◇

 

 

 翌日、放課後になり俺が向かったのは、エマ先輩達と落ち合う約束をした潮風公園。

 到着した時には既に全員が集まっており、残るは俺だけといった状況だった。

 

「……ありがとねコウくん、わざわざ来てくれて」

 

 開口一番、エマ先輩が申し訳なさそうに口を開く

 

「……いえ、エマ先輩たちだけじゃなかったんですね」

 

 そこにいたのはエマ先輩、彼方先輩、しずく、そして朝香先輩。

 

 元からせつ菜のことを嗅ぎまわっていた朝香先輩、それに菜々から聞いていた三人のことは予想通りだったが。

 

「……コウ」

「……コウくん」

「……コウ先輩」

 

 侑、歩夢、かすみ。彼女たちはそれぞれ俺の名前を呼ぶ。

 その表情は昨日話した時とは違って、三者三様の不安そうな様子を見せていた。

 

「……せつ菜のことはもう聞いてるって感じですね」

「う、うんっ、コウくんこそせつ菜ちゃんに聞いてたんだね……」

 

 切り出した言葉にエマ先輩はそう応える。せつ菜の正体がバレた事実を俺が知っていることには少し驚いた様子だったが、今更わざわざ説明する必要もない。

 

「……コウはさっ、知ってたの?せつ菜ちゃんのこと」

 

 思いつめた表情で侑が問いかける。そういえば侑がスクールアイドルに憧れたのもせつ菜の卒業ライブだったんだよな。

 幼馴染がそんな憧れの相手と特殊な関係にあると分かれば知りたいと思うか。

 

「ああ、優木せつ菜は元々俺と菜々で始めたことだからな」

「……そうだったんだね」

 

 歩夢が驚いた様子で応える。いつもは気まずさを感じてしまう彼女のことも、こんな状況で気にできるほど俺に余裕はなかった。

 

「彼方ちゃんたちね、せつ菜ちゃんと話してきたの」

「ええ、それも菜々から聞いてます」

「……もしかして今でも連絡取ってるんですか?」

 

 彼方先輩の言葉にそう応え、恐る恐るといった様子で問いかけてきたしずくの言葉に首を振って否定を示す。

 

「私たちね、もう一度せつ菜ちゃんとちゃんと話がしたくて…!」

「だけど昨日は取りつく暇もなくって……」

「だからコウ先輩とももう一度……!」

 

 つまり昨日の菜々との話し合いでは、菜々は彼女たちの提案を断ったということだろう。

 だから一番に優木せつ菜―――中川菜々と接点が近かった俺から情報を集めようという。そういう魂胆なのだろう。

 

「―――だったらもういいじゃないですか」

 

 そんな彼女たちに返す言葉はただ一つ、否定の言葉だけ。

 

「俺も、菜々もスクールアイドル活動はやめたんです。それを今更掘り返してきて何だっていうんですか」

 

 菜々が彼女たちを前にして答えを曲げないのなら、俺はその考えを支持したい。

 

 確かに菜々が悪かったのかも知れない。

 だからこそ、彼女は自分の“大好き”を否定して、スクールアイドルを辞める決断をした。

 それがどれだけ辛い選択だったのか俺にも計り知れない。

 

「今はもう新しい部員もいて、同好会だってまた作れる」

 

 せつ菜は傷付いた、苦しんだ、辛い思いをした。俺だって何も出来ずに自分の無力さを思い知らされたんだ。

 これ以上に何を求めると言うのだ。もう死体蹴りはやめてくれ。

 

「そこに何の不満があるんですか?」

 

 件の新しい部員である侑と歩夢を見た。

 侑はただ静かにこちらを見据え、歩夢は今にも泣きだしそうな悲しい表情で俺を見ていた。

 

「でも私たちはまた一緒にせつ菜ちゃんとスクールアイドルがしたくて……!それに、コウくんが作ってくれた歌だって―――」

 

「―――俺なんかより、もっといい曲を作ってくれる人は沢山いる」

 

 彼女たちはもう少し現実を見た方がいい。

 曲作りのことは前々から思っていたことだ。学園にいる音楽科の人たちに頼んだ方が何百倍も良い曲を作れる。

 

 もし彼女たちがこの先、ラブライブ!を目指すならクオリティが高いに越したことはない。素人に毛が生えた程度の実力では門前払いも良いところだ。

 

「それでいいじゃないですか、俺も菜々もスクールアイドルはもう―――」

 

「―――……なんか(・・・)じゃないです」

 

 その言葉を遮るように聞こえてきた声に思わず、口を止めた。

 全員がその声が聞こえた方を見ており、俺も遅れてそちらを向く。

 

「―――かすみ?」

 

 肩を震わせたかすみは目に大粒の涙を溜めており、怒ったような悲しいようなそんな複雑な表情でこちらを睨んでいた。

 

 普段とは違う彼女の様子に少しだけ動揺を感じていると、かすみはそのまま目一杯に大きく息を吸い込み―――叫んだ。

 

「コウ先輩の曲は―――なんか(・・・)じゃないです!!!」

 

 はっきりと聞こえたかすみの言葉。

 そのままかすみはポロポロを涙を流しながらも言葉を続けた。

 

「新入生歓迎会で聞いたせつ菜先輩の「CHASE!」っ˝!!かすみ˝ん本当に感動したんです!!こんな素敵な曲を作る人がい˝るんだって……!!」

 

 涙のせいか言葉に詰まったかすみに変わるように、しずくと彼方先輩も口を開く。

 

「かすみさんの言う通りです!コウ先輩はいつだって私たちの為に最高の曲を作ってくれる!!」

「そうだよ!お披露目ライブで歌う予定だった曲だって、未完成だったけど聞かせてくれた時、スゴく心が温かくなったんだよ!!」

 

 必死に真っ直ぐに伝えてくれたその言葉に嘘偽りは微塵も感じなくて。

 

「な、なんでそこまでして俺の曲を……」

 

 浮かんできたのは純粋な疑問。

 彼女たちの必死な姿に困惑し、呆然としているとエマ先輩で優しい笑みを浮かべ口を開く。

 

「もしかしたらコウくんの言う通り、もっといい曲を作ってくれる人はいるかも知れないね」

 

「―――だ、だったら」

 

「―――でも私たちはコウくんがいいの、コウくんの曲じゃなきゃダメなの」

 

 エマ先輩の言葉に反射的に出てきた台詞は、次に彼女が口にした真っ直ぐで芯の通った言葉にかき消され行き場を失った。

 

 何も変わらず真っ直ぐと見つめる彼女たちの視線にバツが悪くなり、視線を逸らす。

 

「皆にここまで言ってもらえるってスゴイことだよ、コウ」

 

 そんな俺にいつもと変わらぬ様子でそう話すのは高咲 侑―――彼女だった。

 

「もしかしたらそうなのかも知れねえけど……それでも俺は」

 

 彼女たちの言葉に嘘や偽りがないのは分かっている。だけど俺はそれを信じられずにいる。

 

「それに俺なんかよりお前がそばにいてくれた方がいいに……」

 

 もし彼女たちの思いが本当に本当だったとしても、俺が曲作り以外に何も出来なかったことに変わりはない。

 ならば中途半端に一緒にいるよりは離れた方が絶対いい。

 

 侑は少し考えた後、首を傾げ俺に言葉を投げかける。

 

「コウはさ、私になりたい?」

 

 侑の思いがけない質問に驚きが勝ってしまいそうになるけれど、ギュッと拳を握りしめ精一杯に声を張った。

 

「あ、ああ!なりたいよ!お前みたいに真っ直ぐ前を見て歩けるやつに―――!」

「―――でも私もコウになりたいよ」

「は―――?」

 

 すぐに返ってきた侑の言葉に思わず間の抜けた声がこぼれる。

 

「皆にここまで言ってもらえるような人になってみたい、せつ菜ちゃんをあんなにもキラキラ輝かせられる曲なんて私には作れない。だから私はそれが全部出来るコウになってみたい」

 

 恥ずかしげもなくハッキリと言い切った侑に言い返す言葉も見つからず、言葉に詰まってしまう。

 

「出来ることが違うのなんて当たり前で、出来る人に憧れちゃうのも当たり前なんだよ。だから皆、手を取り合って協力する」

 

 侑の言葉に、侑は歩夢と。かすみはしずくと。エマ先輩は彼方先輩と朝香先輩と。

 それぞれの視線を合わせ互いに微笑み、全員から向けられる視線。

 

「コウは自分がやってきたことをもう少し信じてあげてもいいんじゃないかな?ここまで言ってくれて、泣いてくれて、信じてくれる人たちの言葉があってもまだ足りない?」

 

「で、でも俺が同好会を守れなかったのは事実で……!!」

 

 意地を張ってるだけ。そう言われても仕方ないかもしれない。

 

 口から搾り出てくる否定の言葉は、きっと菜々(・・)への償いの呪縛。自分だけが幸せになってはいけないという戒めの鎖。

 

「違うよ!同好会を守れなかったのは私たちも同じ!コウくんだけのせいなわけないよ!!」

「そうだよ!コウくんばかりに頼って彼方ちゃん達が皆を引っ張ってあげられなかったのは事実だもん!!」

「せつ菜先輩を止められなかったのも、コウ先輩に相談しなかったのも全部私たちなんです!!」

「そうです!かすみんにだって悪いところはありました!だから全部自分で背負いこまないでくださいコウ先輩!!」

 

 エマ先輩、彼方先輩、しずく、かすみ。

 互いに思いをぶつけ合うように声を荒げ息を切らしながら、それぞれがそれぞれの言葉を繋ぐ。

 

「……皆が皆、自分たちのせいって言ってるね」

「うん、そうだね、皆似た者同士なのかも」

 

 侑の言葉に歩夢はそう返す。

 歩夢の方を見ると、彼女はこちらの視線に気づき優しく微笑む。

 

 昔と何も変わらない優しい笑顔だ。そうして歩夢はゆっくりと口を開いた。

 

「ねえコウくん、昔から何でも出来ちゃうのがコウくんのスゴイところで、カッコいいところだと思うけど」

 

 優しく温かな鈴の音が鼓膜を揺らす。歩夢は微笑んだまま言葉を続ける。

 

「昔のコウくんはもっと周りを見て、私や侑ちゃんにもちゃんと頼ってたと思うよ」

 

 幼馴染だから分かることや気付くこともあるのだと、彼女は言葉にして伝える。

 

「今のコウくんは周りを見ているようで自分のことしか見れてない。きっと私がコウくんを一人にさせちゃったから、だよね?」

 

 歩夢は何も悪くない、俺が勝手に決めたことだ。

 確かに二人を避け始めて、一人で物事に対処することが多くなったのは事実だ。

 学校生活然り、日常生活然り。進路や寮だってそうだ、誰にも相談しなかった。

 

 もしかしたら自分が気付かない内に、彼女が言うように俺は変わってしまったのかも知れない。

 

「だから私たちが言いたいのは一つ」

「コウはもっと皆と話すべきだと思う、特にせつ菜ちゃん―――菜々さんとはしっかりと」

 

 歩夢の言葉に侑が乗っかる形で言葉を繋げ、真っ直ぐと俺へと伝えてくる。

 

「菜々と話を……」

 

 思い浮かんだのは廃部を知らされた日、生徒会室を出て扉を閉める最後に見た菜々の頬に光った何か―――否、あの光はきっとせつ菜の”涙”だった。

 

 俺はそれをどうしようもなく拭ってあげたいと思っている。

 

 

「―――盛り上がっているとこ悪いのだけど、虹くん」

 

 そんな中、おもむろに手を上げた人物を見た―――朝香先輩だ。

 

 目先の朝香先輩はこちらの視線に応えるように口を開き、問いかける。

 

「一つハッキリさせて頂戴。あなたは優木さんにスクールアイドルを続けて欲しいのかどうなのか」

 

 俺がもう一度菜々と話して、彼女の意見が変わるか分からないけど、少なくとも俺は今でも彼女の意見を尊重したいと思っている。

 

「俺は……菜々が本当に辞めたいと言うならそれを尊重してあげたいです」

 

 それが一緒に始めた人間の責任で、揺るがない答え。

 廃部が俺だけの責任じゃなかったとしても、せつ菜のことを分かってやれなかったのは紛れもない事実だから。

 

「いいえ、私が聞いてるのはそう言うことじゃなくて」

「え……?」

 

あなた(・・・)が優木さんにスクールアイドルを続けて欲しいのかどうなのかよ。優木さんがどうだとかそういう話を聞いてるんじゃないの」

 

 俺自身(・・・)が―――どうか。

 

 思い浮かべる菜々―――せつ菜の姿。

 

 初めて衣装を身に纏った時のせつ菜の姿。

 大好きなアニメや漫画の話をするせつ菜の姿。

 熱心に練習をする、真剣な表情のせつ菜の姿。

 出来上がった曲を聞いて抱き着いて喜ぶせつ菜の姿。

 ライブが成功して嬉しそう飛び跳ねるせつ菜の姿。

 

 ―――無邪気に笑うせつ菜の姿。

 

 彼女との記憶はいつも笑顔と“大好き”で溢れていた。

 

 それをまた見たいかどうか。

 答えは至ってシンプル、YESかNOかで答えろということ。

 

 そもそも俺のことと聞かれれば答えは決まっていた。

 いや最初から何一つ変わってなかったんだと思う。

 それを変に拗らせて贖罪の為だとか言って、菜々を知ったつもりでいて、分かった気でいて、彼女の為だなんて自分に嘘を付いた。

 

「―――いつだって、やってみねえと分かんねえ(・・・・・・・・・・・・)よな」

 

 俺なんかを良いって言ってくれる人がいて。

 俺の為に泣いてくれる人がいて、信じてくれる人がいて、叱ってくれる人がいる。

 

 俺は自分のやってきたことに自信を持っていいのだろうか。

 俺は俺自身を信じていいのだろうか。

 

 いや、いいのだろうかじゃない。

 自信を持とう、信じよう。

 

 こんなにも素敵な子たちにこれだけ言ってもらえる俺はスゴいんだと自惚れてしまえばいい。

 

 そう考えると、いつの間にか曇りがかっていた視界には青空が広がっていて、グチャグチャだった頭の中も今は妙にスッキリして冴えている

 

 背筋を伸ばし、胸を張り、息を吸う。

 今の自分の思いを声にして、広く遠くまで澄み渡る青空へと向けて叫んだ。

 

「俺はせつ菜に―――菜々にスクールアイドルを続けて欲しいです!」

 



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13 伝えたい思いはいつだって

『―――普通科二年中川菜々さん、優木せつ菜さん、至急西棟屋上まで来てください』

 

 軽快な呼び出しチャイムの後、スピーカーから聞こえる歩夢の声。

 その声に気を引き締めるように大きく溜め息を吐き出し、呼吸を整える。

 

 あれから翌日の放課後―――時間的に生徒会の会議が終わる頃か。

 

 校内放送で二人を呼び出した場所である西棟の屋上、そこに俺たちはいた。

 

「侑先輩と歩夢先輩、大丈夫だったみたいですね」

「当然だよ!なんたって二人にはかすみん特製コッペパンを渡してあるんだから!」

 

 しずくがそう言いかすみが答える。

 西棟の屋上には俺とこの二人の他に、エマ先輩と彼方先輩が先に集まっていた。

 

「コウくんはあの二人と幼馴染なんだよね」

「ええ、こんな俺には勿体ないぐらい頼りになる二人ですよ」

 

 こっちの都合で勝手に腐って意図的に距離を取っていたのに、今でも二人は俺なんかの為に力を貸してくれる、本当に俺は幼馴染に恵まれた。

 そんなことを考えていると、ぬっと近寄ってきた彼方先輩がおもむろに両手で俺の顔を挟み込み、眉をひそめた。

 

こんな(・・・)禁止っ、コウくんだって彼方ちゃんの自慢の後輩なんだからね」

「そうだよ、次に自分を貶めるようなこといったら怒るからね」

 

 そう話す彼方先輩の後に続くように、口を尖らせぷんぷんと怒った表情を見せるエマ先輩。

 俺を思って伝えてくれた言葉。どうやら俺は先輩にも恵まれているみたいだ。

 

「コウ先輩はこんなに可愛いかすみんお墨付きの先輩なんですよ!だからもっと自分に自信を持ってくださいっ!」

「虹先輩はいつも私たちに優しくて本当に頼りになる素敵な先輩なんですから、自分を信じることがまだ難しくても私たちの言葉に嘘はないので!」

 

 そう励ましてくれるかすみとしずく。後輩も俺のことを思ってくれている。

 ここ最近の癖で思わず口から出てしまったけど、彼女たちを不安にさせてしまったのなら、これからは少し言葉に気を付けよう。

 

「それに頼りなかったのは私たちの方だよ。いつもコウくんに頼ってばかりだったって分かってた筈なのに、こうやってまたコウくんに頼ってる」

 

 影を落としそう口にするエマ先輩。

 

「あれから皆が頑張ってくれたから俺は今ここにいて。皆が思いを伝えてくれたからもう一度せつ菜―――菜々と話そうと思えたんです」

 

 同好会の部員でもなくなった俺との関係を大切に思ってくれる子がいて。

 廃部のことで自分を貶めていた俺を怒ってくれた子がいて、泣いてくれた子がいて、叱ってくれた子がいて、教えてくれた子がいて、信じてくれた子がいたから。

 

 だから俺は自分のやってきたこと、そして自分自身を信じられたんだ。

 彼女ともう一度向き合おうとも思えたんだ、これが頼りになると言わず何という。

 

「エマ先輩も彼方先輩も、かすみもしずくも俺の最高に可愛い自慢の先輩と後輩ですよ。だからもっと胸張って下さい」

 

 俺がそう言うと呆気を取られたように驚いた四人。あ、あれ俺何か間違ったことを言ったかな?

 四人は互いに目を合わせ小さく笑い、少し赤みがかった頬のまま嬉しそうな表情を見せてくれた。

 

「コウくんの自慢の先輩かあ、嬉しいな」

「うんうん、今の台詞後で録音させてくれないかなあ、毎日聞きたいな」

「も、もうっコウ先輩ったら、かすみんのこと好き過ぎじゃないですか~♡」

「で、でもこう面と向かって言われると嬉し恥ずかしいですね……」

 

 な、なんか変な空気になってる?……まあ皆可愛いからいいか(思考停止)

 

「最後にもう一度確認するんですけど、俺は菜々にスクールアイドル同好会に戻ってきて欲しい。だからこの後説得してみようと思うんですが、皆もそれでいいですか?」

 

 菜々を呼び出す放送から数分が経ち、彼女と向き合う時間は刻一刻と近づいてきている、呑気に話してばかりもいられない。だからこそ今ここで改めて全員の総意を聞く。

 

「……最初、この話をした時ね。果林ちゃん言ってたの、部員も5人以上いて同好会もすぐに発足できる状態なら問題ないでしょって、せつ菜ちゃん本人もやめるって言ってるんだから、無理に引き留める必要ないんじゃないかって」

 

 エマ先輩は悲し気な表情でそう口を開く。

 

 確かにスクールアイドル活動を行う為に優木せつ菜の存在は必要不可欠ではない。ただ部員を集めて同好会を再発足させればいい。

 本人のことだって結局、彼女のやる気次第なのだ。至極当然で当たり前のことを言っている。

 

 だけど―――エマ先輩はそう言うと、その真っ直ぐでグリーンサファイアの宝石のような綺麗な瞳でこちらを見つめ、自らの思いを紡ぐ。

 

「せつ菜ちゃんすっごく素敵なスクールアイドルだし、私はまた皆で一緒にスクールアイドルがやりたいよ!」

 

 強く熱く、自分の思いを叫ぶエマ先輩。

 そんな彼女の思いに繋げるようにアメジストの瞳とブルーサファイアの瞳に煌めく炎が揺らいだ。

 

「彼方ちゃんもエマちゃんと同じ気持ち、虹ヶ咲のスクールアイドル同好会にせつ菜ちゃんは必要だよ!」

「お披露目ライブは流れてしまいましたけど、皆でステージに立ちたいと思って練習してきたんです!せつ菜さん抜きなんてありえません!」

 

 彼方先輩としずく。それぞれがそれぞれの言葉でせつ菜は必要なのだと自分たちの思いを真っ直ぐに叫んだ。

 

「―――かすみんもそう思います」

 

 そして最後の一人、かすみはそのガーネットの瞳に眩い輝きを宿し、前を向く。

 

「せつ菜先輩は絶対に必要です!確かに厳しすぎたところもありましたけど、今はちょっとだけ気持ちが分かる気がするんです」

 

 かすみが歩夢の一番最初の自己紹介動画でやってしまったこと。

 

 自分の中の“可愛い”を他人に当てはめ、歩夢にその理想像を押し付けてしまったこと。

 それは自分の“大好き”を他人に求めすれ違ったせつ菜と同じことだったのだ。

 

「前の繰り返しになるのは嫌ですけど―――きっと、そうじゃないやり方もある筈で。それを見つけるにはかすみんと全然違うせつ菜先輩がいてくれないとダメなんだと思うんです!」

 

 彼女はそれを悔やみ悩んでいた。

 今でもどうしたら良いのか、その答えは誰も分からず仕舞いだ。

 

 だけど今、彼女はその“可愛い”も“大好き”も一緒にいられる場所を探している。

 そしてそこにはせつ菜も必要なのだと叫んだ。

 

 彼女たちは自分の思いを言葉にして口にした―――だから俺がすることはその思いを叶えてあげること。彼女たち全員が一緒にいられる場所を取り戻すこと。

 

 何が出来るか分からねえ、だけどきっと何かは出来る。それだけ分かれば十分だ。

 

「―――皆、ありがとう」

 

 深く深く頭を下げる。

 

 なあ菜々、俺たちはこんなにも素敵で優しい先輩と後輩たちに必要とされているんだぞ。幸せもんだよ、恵まれてるよ本当に。

 

「ありがとうはこっちの方だよコウくんっ」

「先輩は本当に優しいんですから、それが先輩の素敵なところですけど」

「まあかすみんの先輩なんだから当然だけどね!」

 

 俺たちのわがままに巻き込んでしまった。彼女たちの居場所をグチャグチャにしてしまった。

 だからもう彼女たちと関わらない方がいいのだ、そう思っていた。

 

 だけど彼女たちはそれでも俺たちと一緒にいたいのだと、そう言ってくれている。だからこそどれだけ感謝してもしきれないのだ。

 

「顔を上げて」「大丈夫ですよ」そんな優しい言葉に促され顔を上げる。

 

 もうそろそろ侑と歩夢も戻ってくる頃合いだろう。

 それを察してか俺を除いた四人は屋上にある建物の奥の方へと移動を始める。

 

 その背中を見送り、侑と歩夢の到着を待とうと思っていたのだが、不意にエマ先輩が振り返って、こちらへ向かってきた。

 

 どうしたのだろう?何か言い忘れたことでもあったのだろうか

 そんな呑気なことを考えた次の瞬間―――。

 

「エマ先ぱ―――」

 

 彼女はそのまま俺の身体を抱き締め、こちらの頭を抱え自分の胸元へと抱き寄せた。

 

「「ええええええええええええ―――!!!」」

「わあ、エマちゃん大胆~」

 

 柔らかい感触と暗くなる視界の中で聞こえてきたかすみとしずくの驚き声と、のんびりとした彼方先輩の声。

 俺にも一体何が起こっているのか分からなかったが、抱き寄せたエマ先輩が発した言葉だけはハッキリと聞こえてきた。

 

「―――Grazie(ありがとう)Ti voglio bene(大好きだよ)

 

 エマ先輩は一言そう言うと、すぐに身体を離して微笑む。

 

 彼女の故郷の言葉だろうか。どういう意味かまでは分からなかったが、その微笑みからするにきっと他の皆と同じように感謝の言葉とかだろう。

 

 そのまま何食わぬ顔で三人の元へ戻っていったエマ先輩。

 戻っていく後ろ姿にしずくとかすみと声をかけているみたいだが。何を話しているかまでは分からなかった。

 

 ……気持ちは嬉しいが、言葉だけで良かったのに。

 

 生まれてこの方、彼女が出来たことのない俺にとってはあの行動は毒だ。

 心臓はバクバク鳴ってて、身体は彼女の柔らかい感触と石鹸の良い匂いを覚えてしまっている。

 短時間で良かった……長時間なら生理現象で色々と危なかったかもしれん。

 

 身体に溜まった熱を吐き出すように大きく息を吸い、大きく息を吐き出す。

 

 こんなところ、あいつらに見られでもしたら―――。

 

「―――コウ、気合十分だね!」

 

「―――うわっちょちょちょーーーい!!!」

 

 横から突如として聞こえてきた声に思わず驚く。

 そしてそのまま横を向いた先、こちらを見つめる侑と歩夢の姿。

 

 そのリアクションに二人は一瞬ポカンとした表情を見せるのだが、次の瞬間遅れてきたように二人は笑い出した。

 

「あっはははははは!!ちょちょちょーいって、ちょちょ!!い、今時芸人さんでもそんなリアクションとらっ…あっはははははははは!!し、しかもどうしたの今のこ、声あっはははははははは!!!」

 

「ゆ、侑ちゃん……だ、ダメだよ…わ、笑っちゃ…ふふふ……脅かしたのは私た……っ」

 

 ゲラゲラと笑い出した侑と口元を抑え肩を震わせ笑う歩夢。

 どちらかと言うと歩夢さんの方が傷付きますね、はい。

 

「ぐ、ぐぬぬ……お、お前らぁ…!」

 

「ご、ご、ごめんコウちょちょちょい……あっはっははは!!!!」

「やめろ高咲ィ!!!!!」

 

 相変わらずゲラゲラと笑う侑に「ま、まさかあっちの方には聞こえてないよな?」なんてことを考えて振り返ってみると、向こうに隠れる四人は顔を背け肩を震わせていた。

 意図してない笑いなんだから公開処刑止めてけろ~。

 

「あっはは……ご、ごめんねコウ、ほ、放送終わったよ」

 

 ひとしきり笑い終わった後、涙を拭いながらそう言い息を整える侑。

 笑いの基準が赤ちゃんレベルなのは変わってねえんだなお前。

 

「お、おうありがとう」

「コウくんもせつ菜ちゃんと話すことは決まった?」

 

 歩夢も笑いが収まったのか、いつもと変わらない優しい表情でそう問いかける。

 

 せつ菜と話すこと―――俺が彼女に伝えなくちゃいけないこと。

 

「皆の前ではカッコつけてたけど、結局菜々に何を話せばいいんだろうな……」

 

 改まって考えてみると結局俺は菜々に何を伝えればいいのか分かっていない。

 何かは出来ると言った。でも言葉は見つからず、答えは分からず仕舞い。まあ俗にいうアドリブ任せというやつだ。

 

 思わず弱音も出てきてしまうが、そんな俺に二人が見せたのは目を真ん丸くして驚いた表情。俺にはその表情の意図が分からず思わず首を傾げる。

 

「ねえコウくん、一つ聞いていい?」

 

 そんな中、歩夢が言葉を切り出した。

 その問いかけを断る理由もなかったのでそのまま頷くと、彼女は少し言葉をためらった後、胸の前で手を合わせ、思い切った様子で口にした。

 

「私に告白してくれた時、どういう気持ちだった?」

「―――はあ!?」

 

 歩夢の口から出てきた問いかけに思わず声を荒げる。

 

 俺のフラれた時の忌々しい記憶を呼び起こせというのか、しかもそれを言うのが告白された本人という。告白されたという優越感にでも浸りたいのだろうか。

 

 さすがにNOだ。いくらなんでも答えたくはないし、今この状況で答える必要があるとは思えない。

 

「いやさすがにそれは……」

「コウ、答えてあげて。きっと歩夢にも考えがあってのことだからさ」

 

 断ろうとした俺に侑が口を挟む。

 

 その言葉にもう一度歩夢を見ると、彼女は真っ直ぐな瞳で俺を見つめており、心なしかその表情には彼女なりの後ろめたさを感じた。

 そうだ、あの優しい歩夢がなんの考えもなしに自分がフッてしまった時のことなんか聞くわけがない。

 

 だけどそれを答えるには勇気がいる、そう簡単に割り切れるものでもない。

 けれど今、答える勇気を待てるほど時間があるわけではないと言うのもあるが、俺は今すぐにでも中川菜々と優木せつ菜を救いたいんだ。

 

 そして思い出す、目の前の少女に恋をしていたあの熱い青春の日々を。

 告白をしようと決めた熱い夏の日を。

 

「歩夢が好きで、ずっと一緒にいたくて、笑ってほしくて、手を握りたくて、抱きしめたくて、大切にしたくて。そ、その……このままけ、結婚とかするんだろうなあって」

 

 中学二年の頃に感じていた思いを、気持ちを思い出しながら少しずつ言葉にする。

 その度に顔から火が出てきそうなぐらいに恥ずかしくて、身体も熱くて体温も上がってきているのが分かる。

 

 視線もあちらこちらに動き回り、ようやく全てを言い終えた後に横目で歩夢を見る。

 

「あっ、あの……その……あ、ありがとうっ…」

 

 俺と同じ様子で真っ赤なリンゴのような顔をしてお礼を言う彼女は、あの頃と変わらない純真なままで。けれど中学二年の頃から成長して大人っぽくなったこともあり、とても魅力的に見え心臓がドクンと飛び跳ねた気がした。

 

 おいおい、中二の頃思い出したか俺よ。

 

「ごめんねコウ、こんな時に。それとありがとう」

 

 歩夢から視線を外し、冷めない頬を手で仰いでいた俺に侑は申し訳なさそうにそう言う。

 

「別にいいよ、好きだったことどうせお前も気付いてたんだろうし」

「うん、まあね……」

「それでこれが菜々と話すのに何の関係があるんだよ」

 

 俺の問いかけに侑は少しだけ何かを考えた後、口を開いた。

 

「―――歩夢に告白したコウはもうその答えを知ってる筈だよ」

「―――は?」

 

 俺が答えを知っている?

 

 侑の口から出た言葉に驚きが隠せなかった。

 伝えなくちゃいけない言葉を言えずに、何を言葉にすればいいかも分からなかった俺が知っているなんて、とんだ眉唾物(まゆつばもの)だ。

 

 フラれたことが答えとでも言うのだろうか。当たって砕けろ?それぐらいの勇気を持って話せということだろうか。結局根性論なのか?

 

 そう頭を悩ましていると、未だ頬の赤みが冷めない歩夢がおもむろに顔を上げた。

 

「あの、その……気持ちには答えられなかったけど、告白してくれた時のコウくん、す、すっごくカッコ良かったよ」

 

 しどろもどろに伝える言葉。あの時は服装も髪型もバッチリ決めていったと思うのでカッコ良く見えてなきゃ困るのですよ……。

 と言うかそんな時のことも覚えててくれたんですね。少しは意識してもらえたってことだろうか。

 

「ああ、ありがとな上原」

 

 中二の頃の俺が聞けばめっちゃ喜びそうだなあ、なんて。

 

 そんなことを考えながら歩夢から視線を外し、侑を見る。

 

 彼女はしたり顔でこちらを見ており、先ほどの俺と歩夢の話がそんな面白かったのかなんて嫌味の一つや二つも出そうになるが、彼女なりのヒントなのだと今は飲み込むことにした。

 

「コウ、最後に一つだけ―――」

 

 目が合った侑はそう言うと、おもむろにこちらに近付き俺の胸元に人差し指を置いた。

 

「―――伝えたい思いはいつだってシンプルだよ」

 

 見据える視線は真っ直ぐでエメラルドの瞳は熱く深い輝きを灯していた。

 

「歩夢に告白出来たコウならきっと大丈夫、信じてるから」

 

 その言葉に嘘偽りはなく、たった一本の指先から感じる熱は思わず火傷をしたかと錯覚するほどに熱く燃え盛っていた。

 

 指を下ろすと侑は歩夢を連れて四人の元へと歩き出す。

 すれ違いざま、侑は何かを思い出しようにこちらを見上げ口を開く。

 

「そういえば、せつ菜ちゃんが来たら謝っておいて欲しいんだ。昨日会った時に何でスクールアイドル止めちゃったのかなって無神経なこと聞いちゃったから」

 

「あ、ああ、ちゃんと伝えておくよ」

 

 そう返すと侑は満面の笑顔で「ありがとう」と言い、未だ顔が赤い歩夢を引き連れ、同好会の四人が姿を隠している建物の影の方へと歩いて行った。

 

 そして周りには誰もいなくなり、俺はせつ菜―――菜々が来るのを待った。

 

「伝えたい思いはシンプル……」

 

 侑が言っていた言葉。

 

 歩夢に告白した時、色々と考えていることはあったけど、伝えたのはただ“好き”だという気持ち。結果は惨敗だったが、あの時の俺は確かにまどろっこしい言葉ではなく、簡潔に単純な言葉をぶつけていた。

 

 菜々にもそれをすればいいのか?スクールアイドル同好会にお前が必要なのだと、皆ともう一度ステージに立って欲しいのだと。

 それで彼女が考えを変えてくれるのだろうか、もう一度一緒にスクールアイドルをやってくれるだろうか。

 

 俺も彼女の前で活動を続けないといった手前、そんな言葉だけで彼女を説得出来るとは思わない。もっと“何か”、大事な“何か”を伝えなくちゃいけないんだ。

 

 俺はそれを―――

 

 ゆっくりと屋上の扉が開く。

 

 振り返った先、綺麗な黒の艶髪を二本の三つ編みにして白縁の眼鏡をかけたその姿は、いつもと変わらない生徒会長の姿で。

 

 ほんの数週間会わなかっただけなのに、その姿はえらく懐かしく感じられた。

 

「―――久しぶり、菜々」

 

 守れなかった彼女のことを―――助けたい。

 彼女が否定した彼女の“大好き”を―――肯定したい。

 終わりにしてしまった俺たちの関係を―――やり直したい。

 

 スクールアイドルを辞める決断をした彼女を。

 

 目の前の少女、中川菜々を。

 彼女の中に眠る―――優木せつ菜(スクールアイドルへの思い)を。

 

「―――コウ……さん」

 

 ―――救いたい。

 

 ただそれだけの為に、俺はもう一度彼女と向き合うのだ。

 



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14 ”大好き”を叫ぶ

「―――久しぶり、菜々」

 

 曇り空の下、呼びかけた声に驚きと動揺が入り交ざった様子で目を見開く彼女―――中川 菜々(なかがわ なな)とは本当に久しぶりに会う。

 

 今までの頻度が頻度だったということもあり、その姿はえらく懐かしく感じた。

 

「―――コウ……さん」

 

 どこか悲し気な表情を見せた彼女の姿に胸が締め付けられる感覚に襲われる。

 

 今すぐでもその表情を笑顔に変えてあげたい―――彼女を救いたいのだと、俺の心が叫んでいた。

 

「驚かせてごめん。こうでもしないと来てくれない気がして」

「いえ……あなたには借り(・・)がありますから、声をかけてくだされば話ぐらいは聞きますよ」

 

 借り―――もう彼女の中では俺との関係は恩の貸し借りのようなものなんだろうか。

 悪気のない言葉かも知れないが、それがえらく寂しく感じられた。

 

「……それで、エマ先輩たちから話は聞いたよ」

「!……え、ええ。優木せつ菜の正体を朝香さんにバレてしまって」

 

 やはり優木せつ菜の正体を見破ったのは彼女だったか。

 俺以外の情報でそこまで行き付いたということだろうか、かなり頭が切れるみたいだ。

 

「やっぱり、コウさんのところにもエマさんたちが……」

 

 小さく呟いた菜々の表情には深い影が落ち、彼女は申し訳なさそうな様子を見せた。

 

「あなたにも……迷惑をかけましたね……」

「……いや、そんなことないよ」

 

 少なくとも俺にとって彼女たちの存在というのは大きな起点になった。

 伝えてくれた言葉が、思いが、自分を信じようと思えるキッカケになった。

 

「……それで、今日はその時の話ですか?」

「……まあな」

 

 久々に話すけれど、お互いに気まずさのようなものはない。ただ一つ、二人の視線が合うことはないけれど。

 

「……俺さ、もう一度スクールアイドル同好会に戻ろうと思うんだ」

 

 その言葉に菜々の肩が一瞬ビクッと震えた気がした。

 顔を上げた彼女は優し気でどこか儚さを感じさせる表情をその顔に映し出し、応える。

 

「ええ、きっとそれがいいです。あなたの力が彼女たちには必要ですから」

 

 何かを諦めたような、本音を隠すように笑う菜々。

 まるで自分に嘘をつくような下手くそな愛想笑いに、俺はいら立ちを感じずにはいられなかった。

 

「……話が終わったのなら、私はこれで―――」

 

 一言そう言い、話を切るように彼女は背を向ける。

 菜々からすれば、あの日彼女が口にし、俺が否定をした「優木せつ菜だけが消えて全て元通りの同好会」を肯定している。そんな風に見えているだろうか。

 

 だけど違うんだ―――俺が伝えたいことはそんな自分勝手なことじゃなくて。

 

「―――菜々っ!!」

 

 これが叶わない夢物語かどうかはいざ知らず、これが最初で最後のやり直しと言うならば、俺はもう間違えないのだと誓った。

 

 背を向け足早に遠ざかろうとする彼女に手を伸ばし、その小さな右手を掴む。

 

 悲し気な顔で振り返った菜々へ、自分の思いを、言葉を伝える。

 

「だからお前も一緒にスクールアイドル同好会に戻って来て欲しいんだ!!」

 

 ギュッと握りしめた手に熱が集まるのを感じる。

 菜々の小さな手。今度これを離してしまえば、もう戻れないような、そんな気がして。

 

俺たち(・・・)には菜々が―――せつ菜が必要なんだよ!!」

 

 スクールアイドル同好会の全員の総意を、彼女に向けて言葉にして叫んだ。

 

 握りしめた手にも思わず力が入る。

 

「―――痛っ」

「―――あっ」

 

 不意に小さく聞こえた菜々の声に咄嗟に手が離れる。

 菜々は少し驚いた様子で痛みを和らげるよう手を擦った後、優し気な表情を見せた。

 

「気持ちは凄くありがたいのですが、あの時話した通りですよ。私がいるとまた皆さんに迷惑がかかってしまう」

「こ、今度はき、きっと……!」

 

 先ほどのことで動揺してしまったのか、自分でも自分の声が震えているのが分かった。

 

「それにこの先、ラブライブを目指すというなら私の存在は同好会にとってマイナスになる。自分のことですから分かるんです」

 

 そうしてまた彼女は否定する、自分自身の存在を。

 彼女の中に眠る―――“優木せつ菜(スクールアイドルへの思い)”を

 

「……だからそれは、やってみねえと分かんねえだろ」

 

 それがどうしようもなく嫌で、許せなくて―――救いたくて。

 あの日と同じように上手く言葉が出せない自分の不甲斐なさに下唇を噛み締めた。

 

「本当にコウさんは優しいですね、ですが気づかいは無用です。私は生徒会長として、あなたは同好会の作曲担当として、お互いの場所で精一杯頑張りましょう」

 

 そうして彼女はまた笑う。だけどその笑顔はあまりにも不格好で。

 

 上手に笑えていると思っているんだろうか、演技力で言えば彼女のそれはしずくの足元にも及ばない下手くそな笑顔で。

 それを彼女にさせてしまっている自分に俺は苛立ちと焦りを感じていた。

 

「それでは同好会活動、頑張って下さい。何かお力になれることがあればいつでも生徒会室に来てくだされば」

 

 そう言い彼女はまた背を向ける。離してしまった小さな手をもう一度掴むことが出来なくて

 少しずつ遠ざかる彼女背中に何を言えばいいか分からなくて、でも今ここで引き留めきゃもう二度と彼女を救えない気がして。

 

「―――嘘、つくなよっ!」

 

 喉から出てきたのはそんな今の彼女の優しさを否定する、だけど少なくとも今彼女を引き留められる言葉で。

 不意に遠ざかる背が立ち止まる。その背中に向けて有無を言わさぬよう口を開く。

 

「迷惑がかかっちまうとか!存在がマイナスだとか!お前自身はどうしたいんだよ!まだスクールアイドルやりてえんじゃねえのかよ!」

 

 彼女はスクールアイドル同好会にとって自分の存在は不要なのだと否定した。

 

 だけど彼女はその中で自分の“大好き(スクールアイドルへの思い)”は否定したとしても、彼女自身の“大好き”を。本音を口にしたことはなかった。

 

 だからこそ刺さる言葉―――それは良い方向にも悪い方にも、という意味だが。

 

「な、何を言って……」

「今でもちゃんとスクールアイドルが好きなんだろっ!それともお前の“大好き”ってのはこんなことで冷めちまうほどちゃちなものなのかよ!!」

 

 菜々の肩が小さく震え、その手に力がこもるのが分かった。

 

「それなのに自分を否定して、傷ついて、嘘ついて……他のやつらのことなんてどうだっていい!お前は―――お前自身がどうしたいのか言えよ!!」

 

 連ねる言葉の中でだんだんと頭に血が上っていくのが分かった。

 本来なら彼女を引き留めればそれで充分、だった筈なのに口から出てくる言葉は滝のように溢れ出て止まらない。

 

「自分自身を―――お前の大事な気持ち(大好き)を裏切るなよっ!なりたい自分(優木せつ菜)を我慢なんてするな!!」

 

 息が切れる、呼吸をしろと脳が訴えかけていることが熱くなった頭でも分かった。

 それでも言わなくちゃいけない、伝えなきゃいけない言葉があった。

 

「―――なりてえ自分(もん)、ちゃんと見ろっ!!!」

 

 叫んだ声に我に返った俺は忘れていた呼吸を思い出すかのように肺に空気を入れる。

 それでも切れた息はすぐには戻らず、肩で息をしながら目の前の菜々を見た。

 

 少なくとも、彼女の“大好き”は俺が一番よく知っている。

 期間は短くとも一番近くで彼女の“大好き”に寄り添ってきて。一番そばで彼女の“大好き”を見てきた。

 

 そんな彼女が自分の“大好き”をそう易々と否定できるわけじゃないこと。

 それだけはハッキリと分かっていた。

 

「……なんですかいきなり、私のことを分かったような口ぶりでっ……!」

 

 小さく呟かれた声、肩を震わせていた菜々は怒った表情で振り返り、俺を睨む。

 

「私がっ……!!私が自分の“大好き(わがまま)”を貫いた結果がこれなんですよ!!皆を傷付けて、あなたを振り回した!!そんな私がそれでも自分の“大好き”を貫くなんて、そんなこと出来るわけがないっ!!」

 

「だからっ!他の人はどうだっていいって言っただろ!!出来るとか出来ないとかじゃなくて、今菜々がどうしたいのかを聞いてんだよ!!」

 

 菜々の叫んだ声に呼応するようにお互いの語尾が荒くなっていく。

 

「ですからっ!私は同好会にいちゃいけないんです!!私の“大好き(わがまま)”は他の人を不幸にする!!私が同好会にいたら、皆の為にならないんです!!

 

「いちゃいけないなんて誰が決めた!!俺か他の皆か!?それに、誰の為になるからいて欲しいんじゃねえんだよ!!」

 

「それでも私が―――私がいたら!!“ラブライブ!”には出られないんですよ!!」

 

「―――“ラブライブ!”なんて知るかっ!!そんなもん今はどうだっていい!!!」

 

「―――っ」

 

 ラブライブ!―――それは虹ヶ咲スクールアイドル同好会を発足しグループが結成した時に俺たちが掲げた目標。

 

 夏と冬に開催されるスクールアイドルの全国大会で、日夜結成されるアイドルグループのほとんどがその大会を目指して努力し、研鑽を積む。

 そして優勝したグループには輝かしい栄誉と名声が得られ、スクールアイドルの歴史にその名前が刻まれる。そんなスクールアイドルとそのファンにとっての憧れで、最高の舞台。

 

 けれど、俺には最初からそんなことどうだって良かった。

 

 ―――俺が惹かれたのは、俺が憧れたのは

 

 モニターに映る彼女たち(栄誉と名声)ではなく―――目の前にいる彼女(優木 せつ菜)なのだ。

 

 お互いに切れた息を整えながら、お互いを見つめ合う。

 久々に見た菜々の瞳は宝石のように綺麗で、その奥に微かに感じる驚きと動揺に応えるように俺は口を開く。

 

「……俺は、お前に笑って欲しい。お前が笑えないのが嫌なんだ」

 

 彼女と過ごしてきた時間の中で彼女との思い出はいつも笑顔と“大好き”で溢れていた。

 だからこそ、今辛そうに笑う彼女の姿が、自分の気持ちを隠すような笑うその笑顔が無性に許せなかった。単なる俺のわがままだろうか。だけど今の俺が確かに思っていることだった。

 

「確かにラブライブみたいな最高なステージ、立てたらそりゃあスゴイけど、俺にとってはそんなことはどうだっていいんだよ―――菜々が笑ってくれればそれで」

 

 彼女がラブライブ!を目指すというなら俺は全力で力になろう、けれどそれで彼女が苦しむことになるのなら、俺は“ラブライブ!”なんて目指さなくたっていいと思う。

 

 菜々がいれば―――彼女が自分の“大好き”を心から叫べて、彼女が笑顔になれるのならそれでいい。俺はそれがいいんだ。

 

 俺はゆっくりと彼女へ歩み寄り、その手をそっと、きゅっと、今度は菜々が痛くならないように優しく握る。

 

「もう一度、最初からやり直そう。ラブライブに出られなくたって、俺たちならきっと―――優木せつ菜ならきっと、ラブライブなんて目じゃないくらい熱いステージを作れるって信じてるから」

 

 見つめる瞳はもう二度と逸らさない、握りしめた手を握り返すように菜々の手に力がこもる。

 

「……どう……して」

 

 菜々の口からこぼれた小さな声。彼女はこちらを見上げたまま、不安そうな表情で言葉を続けた。

 

「……どうして。どうしてそこまでして私のことを……」

 

 彼女と初めて会った日、優木せつ菜計画のことを聞かされたあの日。

 最初はスクールアイドルに興味なんてなかったし、断りもした。

 

 けれど彼女と一緒に過ごしていく中で、俺は少しずつ彼女の笑顔とその“大好き”に惹かれていった。

 

 彼女の“大好き”は知らない間に俺にも伝わっていて、いつの間にか彼女の“大好き”は俺にとっても大切なものになっていたんだ。

 

 不意に脳裏に侑の言葉が過ぎる。

 

 ―――伝えたい思いはいつだってシンプルだよ。

 

 質問の答えを待つ菜々をしっかりと見つめ、一つ一つ言葉を口にする。

 

「俺は……お前が―――」

 

 出会った日から今までの積み重ねてきた時間で確かなこと。

 

 守れなかった彼女を助けたいとか。

 彼女の“大好き”を肯定したいとか。

 終わった関係をやり直したいとか。

 結局、救うなんてのは聞こえの良い言葉でしかなくて。

 

 そんなのはただの体のいい理由で、単なるカッコつけで。

 そこには菜々の気持ちなんてなくて、俺自身のわがままでしかない。

 

 それよりもっと伝えなきゃいけないこと、俺が言葉にしなきゃいけないこと。

 

 気持ちは真っ直ぐに、思いはシンプルに、伝える言葉を探すけど。

 

 結局浮かんでくるのは彼女との日々、一緒に過ごしてきた時間の中で彼女が教えてくれたこと。

 

 それを口にする。言葉にする。思いにする。伝える。

 

 

 ―――優木せつ菜のことが。

 

「―――“大好き”だから」

 

 

 彼女が教えてくれた思いを、湧き上がる感情を、この愛おしさを。

 彼女がそうしていたように、真っ直ぐと言葉にして伝える。

 

「この“大好き”はお前が俺に教えてくれた思い(こと)だろ」

 

 何かに夢中になる姿が、嬉しそうに喜ぶ姿が、楽しそうに笑う姿が。

 優木せつ菜(彼女の“大好き”)が―――教えてくれたこと。

 

 菜々は揺らぐ瞳の中で震える唇をキュッと結び、先ほどより少し赤くなった頬のまま、一つ一つを口にする。

 

「本当に……本当にいいんですか?私の本当のわがままを、“大好き”を貫いてもいいんですか?」

 

「―――当たり前だろ。菜々が悩んだら何度だって俺が手を握る。だから一緒に歩いていこう。笑っていよう。今日を、明日を一緒に駆け抜けよう」

 

 真っ直ぐと見つめる菜々の瞳に、真っ直ぐと言葉を紡ぐ。

 

「もしかしたらこの先も辛いこともあるかも知れない、泣きたいこともあるかも知れない。だけどこれだけは覚えていて欲しい―――俺はいつだって菜々の隣にいるよ」

 

 菜々の頬を伝った涙。彼女の頬に手を伸ばし今度(・・)はその涙を優しく拭う。

 

 彼女の“大好き”の一番そばで、彼女の隣でその思いを。

 

「だから―――菜々の優木せつ菜(大好き)を日本中。いや世界中に知らしめよう!!」

 

 その言葉に応えるように彼女は笑う―――涙ながらも無邪気に笑うその姿は俺がずっと見たかった大切な笑顔で。

 

 彼女の中の“優木せつ菜(大好き)”がもう一度目を覚ましたんだと。

 空を覆っていた雲の切れ間から降り注ぐ天使の梯子は、まるでそれを祝福するかのように俺と菜々を照らして輝いていた。

 



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15 私たちの”大好き”を

 

「―――いや、それにしても急すぎやしねえか?」

 

「いえ、何事も早いに越したことはないので!」

 

 呆れた表情でそう言う彼に私―――優木 せつ菜こと中川 菜々はそう答える。

 

 私の隣でエレキギターを正面に掛けた彼―――下海 虹。

 コウさんは私の言葉に乾いた笑いをこぼした。

 

 西棟の屋上にて行われた彼との言い争いから翌日の放課後。

 場所は虹ヶ咲学園の講堂―――そこで私たち(・・・)は今日、ライブを行う。

 

 あの後、スクールアイドル同好会に復帰することを決めた私は、コウさんの引率のもと、同好会の面々、そして巻き込んでしまった彼の幼馴染である高咲 侑さんと上原歩夢さんに謝罪をした。

 

 皆さんはこんな未熟な私を許してくれて、また一緒にスクールアイドル活動をしたいのだと言ってくれて、私は思わずまた涙が出てしまいそうになりました。

 

 それから、これからのことを話し―――私は彼に二つの提案をした。

 

「確かにそうだけど、よく昨日言って今日講堂の使用許可が取れたもんだ」

「そこはまあ……生徒会長権限で」

 

 幸いにも今日はどの部活も放課後に講堂の使用はなく、すぐに申請を行ったこともあり彼の言う“昨日言って今日に”私たちが講堂の使用許可を得ることが出来たのだ

 

 そして私が、彼に行った提案、その一つが―――優木せつ菜の復活ライブ。

 

 最初はその提案に驚いた彼だったが、私の話の聞いてくれて、思いを聞いてくれて、その提案を受け入れてくれて今に至る。

 

「皆にも後でちゃんとお礼を言わないとな」

「そうですね、皆さんには言わなきゃいけないことが沢山です」

 

 皆―――それは同好会のメンバーである、かすみさん、しずくさん、エマさん、彼方さんを始め、私たちが抜けた後の同好会に入部した高咲 侑さん、上原歩夢さんのことだ。

 

 彼女らは突飛な私の提案にもすぐに力になってくれて、ステージ照明や音響、ライブ告知などに尽力してくれている。

 

『―――この後、16時から講堂にて優木せつ菜のスペシャルライブを行います。ご参加の方はどうぞ虹ヶ咲学園、講堂へと足をお運びください』

 

 校内スピーカーから聞こえる上原 歩夢さんの声。

 私を屋上に呼んだ時も彼女が放送をしたらしいのですが、とても声が可愛いですね。

 

 そのことを彼に言うと、彼は照れくさそうに頬を掻いていましたが、昔に何かあったのでしょうか?

 

「いやあ緊張すんなあ……やっぱり音源じゃダメなの?」

 

「ダメです、優木せつ菜のはじまりは―――あなた(・・・)()二人で(・・・)やりたいんです」

 

 私の言葉に「うへぇ」という声と共に苦々しい顔をした彼。

 

 私が彼に提案したことの二つ目―――それは。

 

「まさかせつ菜の後ろでギター演奏してくれなんて、嘘だと言ってよバーニィ」

 

 ―――優木せつ菜の復活ライブで、一緒にステージに立ってもらうこと。

 

 これに関して最初は難色を示した彼だったが、その場にいた彼の幼馴染である高咲 侑さんの説得もあってか、最終的に彼はその提案に乗ってくれた。

 

「男に二言はない筈です!」

「いやあそうでもないぞ、二言どころか三言四言話し出す男とかもいるからな」

 

 そう言い返す彼の顔には先ほど変わらず渋い顔が浮かんでおり、その表情に少しだけ不安になる。

 

「……で、でももしコウさんが本当に嫌というなら、私は」

 

 弱弱しくこぼれる声。彼が本当に嫌がるというなら無理強いはさせたくない。

 確かに彼も一度は承諾してくれたが、これは単なる私のわがままで、それを彼に強要させることだけはしたくない。

 

 気持ちがどんどん沈んでいくのが分かる。

 彼を見ていた視線はいつの間にか下へ下へと下がっていき、私の顔に影を作った。

 

「一人でも―――」

 

 そう言いかけた時、彼が不意に私の頭に手を乗せた。

 

「ごめん、少し言い過ぎた。せつ菜の“大好き”に答えるって言ったもんな」

 

 優しく大きな手が私の髪を撫でる。その度に心地よさと温かさで思わず目を細めてしまう。

 

「これが、せつ菜のやりたいことだもんな。なりたい自分なんだよな」

 

 彼の手が離れる。そこに少しだけ名残惜しさを感じるけど、このライブが終わった後、また沢山撫でてもらおうかな。

 少しわがままかな?でもそんな“大好き(わがまま)”も彼なら受け入れてくれる気がして。

 

 時刻は16時ちょうど。

 舞台袖から見えるステージはスポットライトが照らされており、聞こえてくる歓声は今か今かと私たちの二度目の“はじまり”を心待ちにしている。

 

 こうやって誰かに期待されるのは嫌いじゃない。

 だけど久しぶりのステージはやけに大きく感じられて、その重圧に思わず身体が震える。

 

 最初に優木せつ菜をお披露目した時もこんな気持ちだったなあ、なんて懐かしさを感じてしまう。

 

 けれど、あの時と決定的に違うのは―――。

 

 横目で彼の横顔を見つめる。

 

 その視線はステージに向いており、私と同じように緊張しているのかなと思って、少しだけ嬉しくなる。

 

 緊張していて、怖くて、不安で、身体が震えて―――だけど。

 

 あなたと一緒なら、二人ならきっとどんな大きなステージでも大丈夫だって。

 

 あなたが教えてくれたから、信じてくれるから。

 私もそれを信じられる。

 

「―――さあ行きましょうコウさん、これは私たちのはじまりのライブです!」

 

 隣に立つ彼に向けて、私は拳を突き出す。

 

 彼はその拳と私を見つめた後、優しい笑顔を浮かべ、拳を合わせた。

 

「―――ああ、優木せつ菜を、お前の“大好き”を世界に知らしめてやろうぜっ!!」

 

 合わせた拳はあの時と同じで。

 少しだけ違うのは私が向かうステージには、彼もいてくれること。

 

 それが心強くて嬉しくて、だけど―――これが最初で最後。

 

 私はスクールアイドルの優木せつ菜として、曲がりなりにもアイドルを名乗るのだ。

 

 彼がいなくちゃステージに立てないなんてあっちゃいけない。

 

 彼がいなくちゃ、隣にいなきゃ舞台に立てないなら戻ってきた意味などない。それは応援してくれるファンの期待を裏切るどろか、彼を縛り付けることでしかないから。

 

 ステージに彼がいなくても大丈夫。

 いつだって彼は私を信じてくれて、隣にいてくれるから。

 

 それは彼が伝えてくれた“大好き”と、触れあった熱が教えてくれたこと。

 

 沸きあがる歓声に身体は高揚する。

 ステージに立った私たちを迎えたのは講堂を埋め尽くすほどの観客。

 

 ここまで優木せつ菜に期待してくれた人がいたなんて、待っていてくれた人がいたんて、応援してくれる人がいるなんて。

 

 嬉しさに思わず彼の方を振り向く。

 

 エレキギターをアンプに繋いだ彼は小さな音量で音合わせをしており、振り向いた私に気付くと嬉しそうに笑顔を浮かべ、頷いた。

 

 私は前を向き、手に持ったマイクのスイッチを入れる。

 

 彼が教えてくれた“大好き”が、私の優木せつ菜(“大好き”)を作り。

 

 私が間違え、否定してしまった“大好き(わがまま)”を彼は肯定してくれた。

 

 本当は消える筈だった優木せつ菜(“大好き”)も、彼のおかげで今ここにいる。

 

 彼が教えてくれたこと、彼が伝えてくれたこと。

 

 私の“大好き”が“大好き”なのだと叫んでくれたこと。

 

 思い出せば胸がいっぱいになって、自然と“大好き”が溢れてくる。

 私はまた(・・)彼に“大好き”を教えてもらったのだ。

 

 その思いがあれば、あの瞬間があれば

 

 彼が教えてくれた“大好き”があれば

 私はいつだって、何度だって、何者にでもなれる。

 

 忘れるな中川菜々―――いつも心に原点(“大好き”)を。

 

 手を天に掲げ、息を大きく吸い込む。

 

 さあ歌おう、叫ぼう―――私たちの“大好き”を。



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15.5 ”大好き”な日常を

「―――せつ菜ちゃん!!!」

 

 ライブを終え、舞台袖に戻った俺とせつ菜。

 互いに緊張から解放されてほっと一息ついたのも束の間、舞台袖の扉を開けて飛び込んできた彼女―――高咲 侑はそのままの勢いでせつ菜に飛び付き、せつ菜は思わず尻もちをつく。

 

「もうっ大好き!!」

 

「た、高咲さんっ!?」

 

 興奮冷めやらぬといった様子で抱き着く侑に、せつ菜も最初は驚いた様子を見せたが、すぐさまその表情は嬉しそうな笑顔へと変わった。

 

「やっぱりせつ菜さんはスゴイね」

 

 そんな中、侑に遅れてやってのは、もう一人の幼馴染である彼女―――上原 歩夢

 歩夢はこちらに視線を合わせると、スタンドに置かれたギターと俺を交互に見て微笑んだ。

 

「コウくんのギターもすっごくカッコ良かったよ」

「おう、ありがと」

 

 歩夢にフラれた傷心で始めたギターだけど、今となってはあの時始めて良かったなんてことを思う。そしてそのキッカケをくれた歩夢には少しだけ感謝している。

 いや、さすがにそれはお人好し過ぎるか。中二の頃の俺が聞いたら泣きそう。

 

「侑ちゃん、いつまでもその恰好でいたら制服が汚れちゃうよ」

「ほらっ、せつ菜も」

 

 侑が押し倒したこともあり、未だ舞台裏で膝を付く侑と尻もちをついたせつ菜に、俺と歩夢はそれぞれ手を差し伸べる。

 

 侑はすぐに歩夢の手を取って立ち上がり、膝についた汚れを叩き落としているのだが。

 

「―――せつ菜?」

 

 目の前で尻もちをつくせつ菜は中々手を取らず、俺は首を傾げる。

 しかし彼女の宝石のような綺麗な瞳は真っ直ぐにこちらを見つめていて。

 

「もしかしてどこか怪我でも……―――」

 

 一抹の不安が過ぎった、次の瞬間。

 

 せつ菜は俺が伸ばした手を掴み、勢いよく自分の方へと引っ張った。

 

 その勢いは、俺が想像していたものより強く、思わず身体のバランスが崩れそうになるが、咄嗟に足に力を込め、倒れ込んでしまいそうなるのを抑える。

 

 そしてその勢いのまま立ち上がったせつ菜は、そのまま俺の首に抱き着き。

 

「―――え?」

 

 そんなせつ菜に驚いたのも束の間、俺の頬に柔らかい何か(・・・・・・)が触れた気がした。

 

 何かが触れたと、そう認識した時にはもうせつ菜は俺の首から離れていて。

 

 唇に手を当てる彼女の仕草と、赤く染まったその頬に、ほんの数秒前に俺の頬に触れたもの(・・・・・)が、何か分からないほど鈍感ではなくて。

 

「―――これはほんの、感謝の気持ちですっ」

 

 俺を見つめ、上気したように赤くなった顔で、彼女はその言葉を口にした。

 

 と、と言うか。やっぱり今のって、き、キ―――。

 

「あーーーー!!!!せつ菜先輩何やってるんですか!!!」

 

 突然響き渡った声に我に返り、その声がした方を振り返る。

 

 その先、舞台袖の扉の前には、先ほどのライブの手伝いを引き受けてくれた侑と歩夢を除く同好会のメンバーが立っており、かすみを始めとした全員が驚いた様子を見せていた。

 

「せ、せつ菜先輩ぃ!!い、いいいい今コウ先輩に!きっキキキキキ……!!」

 

 大きな声を上げながら、ズカズカと歩み寄るかすみはせつ菜の正面に立つようにして俺の腕にギュッと抱き着いた。

 

「か、かすみんの先輩に!い、いいいいい今何をっ!!」

「何ってキスですよ?それにかすみさんのコウさんじゃありません、皆のコウさんです」

 

「いやそもそも俺は誰のものでもないと思うんだが……」

 

 そんなかすみの後ろに遅れてくるように他の面々も俺たちの周りへ集まってくる。

 

「やっぱり日本でも親しい友達の頬にキスするんだね!てっきり私の故郷だけの文化かと思ってたよ!」

「いやあエマちゃん、日本でも挨拶代わりにキスする文化はないよ~」

「さっきのせつ菜さん、す、すっごい大胆でした……」

 

 手を合わせ嬉しそうにそう言うエマ先輩と、それにツッコむ彼方先輩。少し頬を赤らめ先ほど見た光景を解説するしずく。

 

「いやあモテモテだねコウ、それにしてもせつ菜ちゃんにチューしてもらえるなんて羨ましい!」

「……侑ちゃん、何言ってるの?」

 

 他人事のようにそう言い笑う侑と、そんな侑に疑いの眼差しを向ける歩夢。

 

 ほんの数日前までは想像も出来なかった光景に、思わず頬が緩んでしまった。

 

「あーーーー!!!先輩、今さっきのちゅー思い出してニヤニヤしましたか!?」

「は?!ち、ちげぇよ!!」

 

「ち、違うんですかコウさん……やっぱり私って魅力ないんですかね」

「そ、そういうことじゃなくて……!!」

 

「それじゃあ私も、色々頑張ってくれたコウくんへの労いも兼ねてちゅーしちゃおうかな?」

「え、エマさん!?」

 

「お~何だかよく分からないけど、コウくんを甘やかす流れか~?彼方ちゃんも乗るしかないぜこのビックウェーブに」

「い、いや乗らなくていいんですよ彼方先輩!!」

 

「も、もしかしたらこの先、舞台でキスシーンを演じることも……」

「そこで真面目にならなくていいんだよしずく!?」

 

 ワイワイ、ガヤガヤ。

 耳に聞こえる騒がしい声もドタバタも、確かにここにあって。

 

「コウ先輩ぃ!!ここはもうかすみんにもキスさせてください!!せつ菜先輩だけズルいですぅ!!!」

「はあ?!かすみ?!ヤケになるのはやめろって!!」

 

「えぇ~い!頑張ったコウくんにハグ~!ぎゅ~~!」

「え、エマ先輩?!い、色々と腕に当たってますって!!」

 

「よぉ~し彼方ちゃんは後ろからぎゅ~っとするぜ~」

「か、彼方先輩も?!ぐ、ぐぉおお…背中に柔らかいものが……!!」

 

「ぐ、ぐぬぬ……私が入る隙間が……しょ、正面から!」

「ちょっとしずくぅ!?ふざけてないで助けてよ!!」

 

「さあコウさん!私の“大好き”受け止めてください!!」

「せつ菜さぁん!?今は少しだけ抑えてもらっていい?!」

 

 彼女たちの笑顔が、彼女たちの笑い声が、彼女たちの“大好き”が、そこにはあって。

 

「あははは、すっごいモテモテだねっコウ」

「……男冥利に尽きるんじゃないかなあ」

 

 それは全てを諦めかけていた俺が求めた叶わない夢物語―――かどうかは分からないけど。

 

「ちょ、ちょっと見てないで助けてくれよ!!―――()っ、歩夢(・・)!」

 

 今はこの騒がしい日常を。“大好き”な日常を―――

 

「侑ちゃんっ」

「うんっ、そうだね歩夢」

 

 ―――大切に、守っていこう。

 

 

 ◇

 

 

 その後、侑と歩夢の助けもあって自由の身になった俺は、膝に手を付き肩で息をする。

 

「大丈夫、コウ?」

「侑、お前にはあれが無事に見えてたのかよ」

 

 先ほどの主犯でもある侑と歩夢を除いた同好会メンバーはしょんぼりとした様子で反省した姿を見せており、これで当分は変に暴走することはないと思いたい。

 

 次にあんな嬉し恥ずかし柔らか良い香りに襲われちまったら、さすがの俺でも理性がもたない。さっきも中学の頃の非常勤講師のおばちゃん先生のことを思い出してなかったらヤバかったかも知れない。

 

「ごめんごめん、……ふふっ」

「……?なんだよ」

 

 申し訳なさそうに謝罪をし、侑は何かを思い出しかのように笑声を漏らした。

 幼馴染が困っていたのがそんなに面白かったのだろうか、良い性格してるぜ。

 

 しかめっ面をした俺とは正反対に侑はニカッとした爽やかな笑顔を浮かべた。

 

「コウが言ってたこと―――“無理”じゃなかったね!」

 

 三月の桜が咲く頃、実家に帰った時に侑が言った言葉。

 

 ―――”難しい”、だけだよね!!―――”無理”じゃないよね!

 

 いや正確には俺が言って侑がそう答えた言葉、だが。

 

 彼女たちと関わることはもう二度となく、幼馴染って関係も大人になるにつれ、自然に消滅すると思っていたあの時。

 

 巡り巡って交わって、紆余曲折あって、今こうして俺たちは一緒にいる。

 

「また三人、仲良し幼馴染一緒だねっ」

 

 とは言えど今まで侑と歩夢には冷たい態度ばかり取ってしまっていたのは事実。

 

 フラれた後もどうにか仲を取り持ってくれようとした侑を突き放し、その気持ちを蔑ろにして、フラれた腹いせみたいに歩夢に罪悪感を感じさせるような態度をとっていた。

 

 それでもこの関係を大切に思ってくれていて、ずっと手を伸ばし続けてくれた侑と歩夢に何か埋め合わせが出来ればいいな、なんてことを思う。

 

「―――そういえばなんですけど、コウ先輩ってどうして今まで侑先輩たちと距離を取ってたんですか?」

 

 そんな中、キョトンとした様子でかすみが問いかける。

 

「あっ、それ私も気になりました。少し前に歩夢先輩が言っていた、虹さんを一人にさせちゃったってことと何か関係あるんですか?」

 

 いや関係あるけど、さすがにフラれたことは言わないよ。当たり前じゃん。

 

 代わりに誤魔化してもらうよう侑に目配せをし、侑はその合図に頷き口を開く。

 

「ええと、色々あっ―――」

「―――うん、中学の頃にコウくんが私に告白してくれてね(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 ―――え?

 

 空気が凍る、静寂に包まれる、舞台袖が静まり返る。

 

 歩夢は舌をペロッと出すと、小さな声で可愛らしく「ごめんね」と謝った。

 

 しかし時は遅し。侑は額に手を当てあちゃーといった表情をしており、俺の額からは嫌な汗がとめどなく溢れていた。

 

 全員の視線はゆっくりと俺に注がれ、数秒の後に―――着火した。

 

「こ、コウさん!!私のこと“大好き”って言ってくれましたよね!?あの時の言葉は嘘だったんですか!!」

「せ、先輩!!かすみんのこと本気で可愛いって、メロメロだって言ってくれましたよね!?告白したってどういうことですか!!」

 

 ギラギラした視線で詰め寄るかすみとせつ菜―――確かに言ったけど!そうは言ったけど、それとこれとは話が別なんだって!あとメロメロだとは言ってねえ!

 

「あぁ~これが俗にいうジャパニーズ修羅場ってやつだね!!」

「いやあ三股とはやりよる、プレイボーイだねコウくん~」

「……トライアングル……いやカルテットラブですか…」

 

 そんな二人を尻目にエマ先輩、彼方先輩、しずくは、各々が思ったこと話しており。

 

「侑っ―――!!」

 

 助けを求めた先、幼馴染の侑は肩をすくめて、お手上げといった様子で苦笑いを浮かべていた。

 

「コウさんっ!!」

「コウ先輩っ!!」

 

 ああもう―――前言撤回。

 

 騒がしい日常もいいけど、こんな日常も“大好き”だけど。

 

 しばらくはもう少し静かに落ち着いて暮らしたい―――そう切実に思う俺なのであった。

 




第一部「私たちの"大好き"を」編、完。


~Special Thanks(高評価をして下さった皆様です)~

アニメ好きの福袋 さん/田老 さん/マスターレッド さん/エネゴリくん/詠海@防振り さん

スカイイーグル さん/こんつば さん/ラビタン さん/しーが丸 さん/AtR さん/kai58 さん/ATM223 さん/シロナガシ さん/syouyan さん/hk33 さん/Canopus さん/sparkle さん/ + 非公開評価1名

Kana/sasa さん/止まらない団長 さん

計20名 & お気に入り登録をして下さった179名の皆様(7月2日10時時点)


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第二部「“楽しい”をもっと皆と」
16 あれからとこれから


 目の前で慣れた手つきでボールをつくポニーテールの少女。

 

 その一挙一動を逃さぬように神経を張り巡らせ、正面で対峙する相手―――宮下 愛へと鋭い視線を向ける。

 しかし彼女も同時に、こちらの隙を伺うように強い視線を向けていた。

 

 そして次の瞬間、宮下は素早いドリブルと共に正面右側からこちらを抜きにかかろうと前へ駆け出す。

 咄嗟の動きに負けじと俺も進行方向を妨害するように、素早く左手を伸ばした。

 

「―――残念、こっちだよっ」

 

 そう笑った彼女は、既に動き始めていた身体を強引に左回りに回転させ、伸ばした左手に空を切らせるように正面の左側に移動し、強く足を踏み込む。

 

 ―――のだが。

 

「―――知ってるよ、そこだろ」

 

 素早く肩を動かし、空を切ったと思われた左手を、抉るように左正面へ向かわせ、前に向かっていたボールを弾き、同時に踏み込んでいた宮下の足も止めた。

 

 ボールは弾いた勢いのまま何度か地面をバウンドし、数十メートル先で静止する。

 ―――この勝負、俺の勝ちだ。

 

「あーーー!!しもみーに止められたあ!!」

 

 先ほどの真剣な表情とは違い、子供のように無邪気な表情で悔しがる宮下に思わず笑みがこぼれる。

 

 放課後―――授業が終わった後、宮下から助っ人の手伝いを頼まれた俺は、同好会の皆へ連絡を済ませ、体育館で待ち構えていた宮下にバスケの1on1をふっかけられていた。

 

 勝敗は見てもらった通りだが、気を抜けば抜かれていたのは俺の方だったかも知れない。

 

「いや本当ギリギリだったぞ、紙一重だった」

「ぐぬぬ……でもしもみー準備運動もしてないし、制服じゃんか」

 

 運動着に着替えていた彼女とは違い、授業そのままの制服で体育館に来ていた俺。

 そんな相手に負けたことが余程悔しいのか、宮下はそのまま地面にへたり込んでしまう。

 

「……たまにはそう日があっていいだろ」

「本当っ少し前までとは動きが段違いじゃん……」

「そうか?自分では分からないけど……」

 

 宮下の助っ人の手伝いという名目で何度か練習相手は務めており、しばらく負けっぱなしだったが、ここ最近は彼女の動きが分かってきたのか、いい勝負が出来ていると思う。

 

「まあ慣れってやつだろ」

「とか言って~しもみー今日の体育の授業でも大活躍だって聞いたけど」

「いやまあ今日は俺たちが勝ったけど……大活躍ってほどのことしたかな」

 

 今日の体育の授業―――情報処理学科と普通科の合同で行われたサッカーの練習試合。

 

 ミッドフィルダーを担当した俺の総合戦績は1ゴール、3アシストで、他の皆の助けもあって4-1で普通科に勝利した。

 確かにゴールは決めたが、ほとんどのゴールは仲間の力があってこそだ、俺だけの力じゃさすがに勝てなかった。

 

「普通科の友達が言ってたよ~、スッゴイ目立ってたって」

「ええ……噂されてんの怖いわ……」

 

 良い噂も悪い噂も関係なく、裏でコソコソされんのは怖い……。

 言いたいことがあるなら直接言って欲しいと思う。まあ宮下の友達だし悪口みたいな真似はしねえと思うけど。

 

「本当にしもみー―――スクールアイドル同好会に復帰してから変わったよね……」

 

 宮下の口から出たその言葉に少しだけ照れ臭さを感じ、頬を掻く。

 

 少し前までは自分なんかダメなんだって、彼女たちに相応しくないんだって逃げていた俺だったけど。

 あの日、同好会の皆が教えてくれて、俺を信じてくれたから、もう一度せつ菜とも向き合って話せ、同好会にも戻ることが出来た。

 

 自分の力だけじゃまだまだ全然だけど。その事実は少なくとも、以前に比べて自信を持てるようになった一端は担っているのかもしれない。と自分のことながら思う。

 

「まあ、そうかも知れないな」

 

 彼女たちのおかげで変わることが出来たなら、それがどういう方向であれ嬉しいことだ。

 そう、頭の片隅で彼女たちのことを思い浮かべながら答える。

 

 そのまま地面に転がったボールを手に取り、へたり込む宮下へと投げ渡す。

 

「それじゃあ俺はこれで、今日も同好会があるんでな」

 

 器用にも片手でボールをキャッチした宮下に別れを告げる。

 

 そのまま体育館の壁に置かれたスクールバックを肩に担ぎ、着替えを済ませ集まってきたバスケ部の人たちと入れ替わるように体育館を後にしようとする。

 

「あっ、そういえばしもみーさ!明日は予定ある?」

「ん?同好会以外は特にないかな。でもさすがに連日の練習相手はパスだぞ」

 

 そんな中、宮下からかけられた言葉。彼女の言葉に足を止め答える。

 

 彼女の練習相手自体、嫌ではないが。さすがに連日だと同好会の皆との時間が減ってしまう。それもあり、あまり連日誘われても断らざる得ないってのが正直なところだ。

 

 俺の言葉に首を横に振った彼女は、いつものような太陽のような明るい笑顔で口を開いた。

 

「しもみーに会わせたい人がいるんだよね!」

 

 そう言い笑う彼女に、俺は首を傾げるのだった。

 

 

 ◇

 

 

「そんなわけで紹介するね!私の後輩で一年生のりなりー!」

「……天王寺璃奈です。初めまして」

 

 その翌日、宮下から集合場所として教えられた虹ヶ咲学園の中庭にて。

 呼び出した張本人でもある宮下は、大きく手を広げ“りなりー”と呼ばれた子を俺に紹介し、その子は律儀にもペコリと頭を下げた。

 

 そして顔を上げた彼女は、少しクセのある桃色の髪を揺らし、真ん丸としたレモンクォーツの宝石のような瞳でジッと俺を見つめていた。

 背も小さくその可愛らしい姿も相まって、小動物っぽさを感じた。

 

「えっと初めまして下海虹です。キミが宮下のいうりなりーさんでいいのかな?」

 

 その言葉にコクリと頷いた天王寺さんは、相も変わらずジッと俺を見つめていた。

 

「えーっと……?」

「ごめんねしもみーっ!りなりーちょっと緊張してるみたいでさ!」

 

 ああそうか。宮下の知り合いとは言え、一つ上の先輩で、しかも男の人と来れば何を話せばいいか分からなくなるのも頷ける。

 ここは先輩として頼りになるところを見せてあげたいな。

 

 そう考えた俺は彼女と目線を合わせるように膝を付いてしゃがみ、その緊張が少しでも解けるよう、出来るだけの笑顔を意識し話しかける。

 

「宮下とは同じ学科の同級生で仲良くさせてもらってるんだ。天王寺さんのことも宮下から少し聞いてるよ」

「―――璃奈」

「え―――?」

 

 彼女が呟いた言葉に首を傾げ、聞き返す。

 天王寺さんはそのまま真っ直ぐこちらを見つめ、口を開く。

 

「璃奈って、下の名前で呼んでください。虹……先輩」

 

 そう言い、少し潤んだ瞳で見つめたその姿は小動物のように愛らしく、思わず愛でてしまいそうになるけれど、そんな気持ちを抑え、その言葉に応えるよう彼女の髪に優しく触れる。

 

「分かったよ璃奈ちゃん、よかったら俺とも仲良くしてね」

 

 出来るだけ髪の流れに逆らわないように優しく頭を撫で、笑顔を見せる。

 まだ緊張しているみたいだけど、少しでもほぐれたなら嬉しいな。

 

「えええー!りなりーだけずるいぃ!!愛さんのことも名前って呼んでよしもみー!」

「お前はいいだろ!璃奈ちゃんは後輩なんだから先輩が可愛がってあげるの」

 

 璃奈ちゃんの頭から手を離し立ち上がった俺は、まるで駄々っ子のように文句をいう宮下をバッサリと切り捨て、璃奈ちゃんを見る。

 

 少し楽し気な様子の璃奈ちゃんは、そのクリっとした瞳で一直線にこちらを見ており、そんな彼女に応えるよう俺も視線を合わせて微笑んだ。

 

 きっと妹がいたらこんな感じなのかなー、なんてことを考えてしまう。

 

「それで、今日は璃奈ちゃんとの顔合わせってことか?」

 

 口を尖らせブツブツと文句を垂れる宮下にそう声をかける。

 

 予定はないと言ったが、同好会の活動は毎日のようにある。

 同じ学科の同級生とは言えど、部活に遅れ他の女の子たちと一緒にいる姿が目撃されてしまえば色々と面倒臭い。

 特にここ最近はせつ菜とかすみの圧が強い。二人とも俺を好いてくれているのは嬉しいんだけどさ。

 

「あっ!えーっとね、用件はもう一個だけあって!今日はそれが本題なの!」

 

 ころりと表情を変えた宮下は、そのまま璃奈ちゃんに目配せをし。

 璃奈ちゃんもそれに応えるようにトテトテと宮下の隣へと移動し、横に並ぶ。

 

 首を傾げた俺に二人は再度顔を合わせると、背中に隠していた用紙をこちらに差し出し、声を揃えた。

 

「私たちもスクールアイドル同好会に入部したいんだっ!(ですっ)」

 

 目の前に差し出されたのは「スクールアイドル同好会」の入部届。

 

 突然のことに驚きを感じながら、二枚の用紙を手に取り、顔を上げ並ぶ二人を見た。

 

「この間の講堂ライブをりなりーと見てさ!歌は勿論だけど、隣でかっちょ良くギター弾いてるのが、しもみーと来たもんだから余計感動しちゃって、愛さんあれからドキドキが止まらなくってさ~!」

 

「あ、ああ。お前ら見に来てたのか……」

 

 知り合いに見られたと思うと少しだけ恥ずかしさを感じるが、あの時の講堂ライブでスクールアイドルに興味を持ってくれたなら、それを演奏した本人としては冥利に尽きる。

 

「……虹先輩、スゴくカッコ良かったです」

「そ、そっか。ありがとう璃奈ちゃん、嬉しいよ」

 

 璃奈ちゃんは両手を胸の前で組み、真っ直ぐとそう伝えてくれる。

 照れくささも感じつつも、素直に伝えてくれた彼女に返せるのは、同じく素直な感謝の言葉だけであった。

 

「―――それでどうかな?愛さんたちの同好会への入部」

 

 首を傾げ、その提案を再度問いかける宮下と、手渡された二枚の入部届。

 そんな彼女たちの姿に応えるよう入部届を受け取り、大きく頷いた。

 

「どうかなも何も断る理由はないからな、歓迎するよ―――宮下、璃奈ちゃん」

 

 その答えに目を輝かせた二人は、顔を見合わせ嬉しそうに青空へとハイタッチを響かせるのであった。

 

 

 ◇

 

 

「―――それで同好会の皆ってもう集まってるの?」

 

 あれから場所を移動し、スクールアイドル同好会の部室に向け部室棟を歩く俺たち。

 右隣を歩く宮下はこちらの顔を伺うようにそう問いかける。

 

「ああ、部室の大掃除は一昨日に終わったし、今は活動前のミーティングをしてるってところかな」

 

 手元のスマホに映し出されたスクールアイドル同好会の会議画面。

 そこには、俺が先ほど送った参加が遅れる旨のメッセージと、それに返信するせつ菜のメッセージとスタンプ。

 

 そこまで時間が経ったというわけでもないので、練習を始める時間には間に合いそうだ。

 

「き、緊張してきた……」

 

 左隣の璃奈ちゃんから聞こえてきた声。

 その表情にはまだ微かに不安が残っているようで、そんな不安を和らげるように、頭に手を乗せて髪を撫でる。

 

 ほんの少し驚かせてしまったようで、一瞬身体を震わせた璃奈ちゃんだけど、触れる手に抵抗を見せる素振りはなく、手の流れに気持ち良さそうに目を細めるのだった。

 

「ええー!りなりーだけズルいよ、しもみー!!愛さんも撫でて~ほらほら~!!」

「お前はいいだろ、璃奈ちゃんは緊張してんだから特別よ」

 

 頭を擦り付けるようにグリグリと動かす宮下を一蹴し、もう一度璃奈ちゃんを見る。

 心なしかその表情は先ほどより落ち着いたものになっており、俺もホッと胸を撫で下ろした。

 

「璃奈ちゃん、同好会は皆いい子ばかりだから大丈夫だよ」

「愛さんもいい子だから撫でろよ~ねえ、しもみ~~」

「ちょっと宮下さんうるさい」

 

 今璃奈ちゃんに頼りになるところ見せてる良いところなんだから。

 

「虹先輩……ありがとうございます」

 

 ほら可愛い。璃奈ちゃん可愛い。めっちゃ可愛い。

 

 そんなこんなで部室棟の奥にあるスクールアイドル同好会の表札の前へと辿り着いた俺たち。

 

 いつもは開けること、どうってことない扉だけど、今日は新入部員を連れていることもあり俺も少しだけ緊張してしまう。

 

 扉の奥から聞こえてくるのは、いつもの“大好き”な日常で。

 

 俺を挟む形で左後ろと右後ろに立つ宮下と璃奈ちゃん、その二人にアイコンタクトを送ると、彼女たちも決心がついているのか大きく頷き、二人は扉の先を見つめた。

 

 そして、いつものようにノックを二回。

 扉の先から聞こえた「どうぞー」という声に、扉を開け挨拶をする。

 

「おはよう皆、ちょっと遅くなった」

「おはようございますっ、ちょうどこれから練習を始めるところで―――ってコウさん、後ろのお二方は……?」

 

 挨拶を返すせつ菜の視線が、遅れるように部室に入ってきた二人に向けられる。

 他の面々も挨拶を返してくれるのだが、その視線は皆俺が連れてきた二人にへと向けられていた。

 

「ああ、紹介するよ入部希望の―――」

 

「情報処理学科二年、宮下愛だよ!」

「一年、天王寺璃奈…です」

 

 俺が紹介する前に元気ハツラツといった様子で手を挙げて名乗った宮下と、それに続くよう挨拶をした璃奈ちゃん。

 璃奈ちゃんには微かに緊張の色が見えるが大丈夫だろうか、お兄さん心配だよお。

 

「えーっと、二人はこの前の講堂ライブを見て興味を持ってくれたらしくてさ。スクールアイドル同好会に入部したいんだとさ」

 

 彼女たちの自己紹介に補足を加え、新入部員ということを全員に伝える。

 

 思った通りだけど、その補足に部室全員が歓迎ムードで各々が嬉しそうな表情を見せていた。

 宮下はともかくこれで璃奈ちゃんの緊張も少しはほぐれるかな、と。

 

 そう思った、その時だった―――。

 

「入部は勿論、大歓迎なんですが……」

 

 ポツリと呟くかすみに全員の視線が向けられる。

 

 そのまま新入部員の二人と俺を交互に見たかすみは、ゆっくりとした口調で、ハッキリとした言葉遣いで口を開いた。

 

「お二人はコウ先輩とどういう関係で……?」

 

 あまりにも真剣に話すもので一体何事かと思いきや、かすみの口から出た拍子抜けしてしまう質問に笑いながら答え―――。

 

 ―――ようとしたのだが。

 

「―――私としもみーはねっ!」

 

 左腕に抱き着く柔らかい感触と柑橘系の爽やかな匂い。

 

 気付いた時には彼女―――宮下愛は俺の腕に自分の腕を絡めており、こちらの視線に向けられたことに気付くと、更に力強くギュッと抱きしめ、笑った。

 

「同じ学科の友達で、よく私の練習にも付き合ってくれる大好きな人だよっ!」

 

 一体何を言い出すかと思いきや、大好きな人って少し大げさ過ぎやしねえか…?

 

 そんなことを考えていると、右腕の袖が引っ張られていることに気付き、そちらを向く。

 

 上目遣いで見つめた璃奈ちゃんは振り返った俺と視線を合わせると、服の袖を握ったまま同好会の面々へ視線を移動し答えた。

 

「まだ知り合ってちょっとだけど、虹先輩はスゴくカッコ良くて憧れの……先輩です」

 

 璃奈ちゃぁあん……お兄さんのことそういう風に思ってくれてたの?泣けるよ本当に。

 

 二人とも大げさだけど、各々の思いを伝えてくれて嬉し恥ずかしこそばゆい。

 

 これからは同好会の皆とも仲良く―――そう思いながら見渡すのだが。

 

「こ、コウさん。い、いつの間に宮下さんとあんなに親しく……!」

「ぐ、ぐぬぬ……コウ先輩の可愛い後輩ポジションだけは絶対に譲らないんだから……!」

 

「私たちもコウくんが大好きだし、同じ仲間が増えるのは嬉しいね!」

「いやあ本当コウくんはどこでもモテるんだねえ。後輩、同級生と来て……もしや次は先輩!?満を持して彼方ちゃんの出番なのか……?」

「これはペンタゴンラブ……いやヘキサゴンですか……?」

 

「いやあ、私の幼馴染がこんなにモテるわけがないってね、天晴れだよコウ」

「……また新しい女の子を…」

 

 せつ菜とかすみ、エマ先輩に彼方先輩にしずく、幼馴染の侑と歩夢。

 それぞれがそれぞれ複雑な表情を見せており、俺は思わず首を傾げるのだった。

 

 あ、あれ?思ったより何か変な空気になってない……?大丈夫かこれ。

 



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17 小悪魔な先輩

 ライブでやりたいことリスト

 

 ・かすみちゃん 全国ツアー

 ・エマさん 皆と輪になって踊りたい

 ・しずくちゃん 曲の間にお芝居(寸劇?)

 ・彼方さん お昼寝タイム

 ・せつ菜ちゃん 皆の大好きを爆発させたい(火薬使用)

 ・歩夢 可愛いライブ

 

 

「うーん、こりゃまた……」

「皆言ってること全然違うんだねー」

 

 侑から渡されたメモを手に、そこに書かれた内容に首を傾げ唸る俺。

 その左隣を歩く宮下は、その用紙を覗き込むように顔を近づける。

 

 今日、俺が二人を連れてくる前に話し合っていた内容らしいが、見事に全員やりたいことが違うようで、その内容に彼女も感心したような驚いた様子を見せていた。

 

「でも皆、スゴイやる気……」

 

 右隣を歩く璃奈ちゃんもそのメモを覗き込み、そう呟く。

 

「やる気があるのはいいことなんだけど、ここまで違うとな……」

 

 自分なりの一番をそれぞれ叶えるやり方―――侑が以前話していたことだけど、蓋を開けてみれば全員が全員叶えたい一番がここまで違うときたもんだ。

 

「やっぱり……方法は一つしかないか」

 

 同好会に戻ってきた手前、この問題を見過ごせるわけはなく、講堂ライブの後に一度だけせつ菜と話し合いはしていた。

 しかしそれはせつ菜にとって即決出来るものではなく、その日の話し合いでは保留という形で終わっていた。

 

 結局、今日の話し合いでも考えがまとまらず、俺を除いた全員で話し合った結果―――。

 

「―――いやあでもスクールアイドルの特訓(・・)って何やるんだろうね!すっごく楽しみ!」

 

 全員が出した結論は、一先ずどんなライブをするにしてもパフォーマンスの向上は必要だということだった。

 言い出しっぺはかすみらしいが、俺もその意見には賛成だ。

 

 今はその方法(自分なりの一番をそれぞれ叶えるやり方)を模索するより、同好会全体のパフォーマンスの向上が最優先だろう。

 

 そう結論付けた彼女たちもしばらくの間は「歌」「ダンス」「座学」という三つのグループに別れ、それぞれのやりたい練習に励むということになった。

 

 そして新入部員の二人には、とりあえず三つのグループその全てに参加して貰うことになった。まあそれを言い出したのも新入部員である宮下本人なのだが。

 

 その後、二人には練習着に着替えてもらい、案内役の俺と共にそれぞれのグループが待つ録音スタジオ、西棟の屋上、部室へ向かうことになっていた。

 

 一番最初に向かったのは西棟の屋上

 ここは先日、せつ菜―――菜々と言い合いをしたのが記憶に新しい場所だ。

 

「あ~コウくんに愛ちゃん璃奈ちゃんいらっしゃ~い」

「三人とも待ってたよ~!」

 

 そこには練習着に着替え、並べられたストレッチマットのそばで手を振る二人―――エマ先輩と彼方先輩の姿があった。

 

 ここでは主にダンスの練習を行うということだったが、二人には最初の柔軟にだけ参加してもらうという話になっている。本格的な練習の前に身体の柔らかさとかも先に確認はしておきたいし。

 

 二人に手招きされた宮下と璃奈ちゃんもストレッチマットのそばへ移動し、そんな二人に遅れるようにその後ろを追おうとした―――。

 

 ―――次の瞬間。

 

「―――はぁい♡久しぶりねっ」

 

 耳元で囁かれた甘い声と、背中に感じた柔らかい感触に思わず背筋が真っ直ぐと伸びる。

 

 その場から逃げ出そうとして踏み出した足は、抱きしめるように絡められた腕に止められ、その声の主の策略通り捕まってしまう。

 

「調子はどう?女の子にモテモテの虹くんっ♡」

 

 甘い声が耳の奥でこだまし、その度にゾクゾクと背筋に甘い痺れを感じ、足が震え思わずその場で崩れ落ちてしまいそうになる。

 その声の主の顔はまだ見えないが、漂う柔らかい香水の香りと背中に触れる豊満な胸の感触で相手が誰かということは容易に想像出来た。

 

「あ、ああ、朝香―――先輩っ!」

 

 苦し紛れに出た声とその名前に身体の拘束が弱まり、逃げ出すように勢いよく彼女の身体から離れる。

 

 すぐさま振り返ったその先、妖艶な笑みを浮かべ立っていたのは、先日俺が腐っていた時にせつ菜の正体を聞き出そうと色仕掛けをしてきた、ライフデザイン学科の三年生で読者モデルも務める彼女―――朝香果林先輩、その人だった。

 

「そんなに必死に逃げなくてもいいじゃない。お姉さん傷付いちゃうわ」

「必死に逃げるようなことをしたのは先輩でしょ……」

 

「あら、そうかしら」なんておどけた様子で笑う朝香先輩。

 そんな彼女に警戒心が解けるわけはなく、すぐに動けるよう肩に力が入る―――が。

 

「もう果林ちゃん~、コウくんに悪戯しちゃ可哀そうだよ~」

「ごめんなさいエマ。それに虹くんも」

 

 後ろから聞こえてきたエマ先輩の声に、下をペロッと出しウインク混じりに謝る朝香先輩。

 彼女はそのまま未だ警戒する俺の横を通り、エマ先輩の横に並んだ。

 

「皆あらためて紹介するね。私の親友で同級生の朝香果林ちゃんっ。今日は果林ちゃんに柔軟を教えてもらおうと助っ人に呼んだんだ~」

「おお~モデルをやってる果林ちゃんに教えてもらえるなんて贅沢だね~」

 

 エマ先輩の紹介にのほほんとした様子で喜ぶ彼方先輩。

 

 本人の怪しさは置いといて、現役の読者モデルも務めるそのプロポーションは一朝一夕では作れないもの。

 美容、運動、食生活など―――彼女の日々の努力の賜物と言い切って差し支えないだろう。そんなプロの現場を経験している彼女に柔軟を指導してもらえるというのは、こちらとしてもありがたい。

 

「ねえ虹くん、そんな熱い視線で見つめないで頂戴、照れちゃうわ」

「は、はあ?!み、見てないですぅ!!」

 

 しかし先日の一件もあり、彼女の男を手慣れたその感じがどうにも苦手だ。

 思春期の青少年の教育に良くないし、やっぱり規制するべきだと思う。教育委員会に言えばやってくれるかなあ。

 

 だけどそれでも彼女があの時、菜々と話すキッカケをくれたのは事実だ。

 だから彼女自体が別に嫌いというわけでなく、むしろ好き寄りだ。というかえっちなお姉さんが嫌いな男子はいないんですぅ~(煽り)

 

「ねえしもみーしもみー」

「ん?なんだ宮下」

 

 そんな中こちらに近付き、こそこそと俺に話しかける宮下。

 彼女は柔軟を始める四人を横目に、内緒話のように口に手を当て話を続けた。

 

「しもみーってさ、モデルの朝香先輩とどういう関係なの?」

「どういう関係も何も知り合いってだけだろ、単に遊ばれてるだけだけどな」

 

「さっきの見ての通りな」そう付け加え彼女の質問に答えると、宮下は満足したように笑みを浮かべ、意気揚々と用意されたストレッチマットの方へ駆けて行った。一体何だったんだ……。

 

「ほらほら見て見てしもみー!愛さんの身体っ」

「うわっ柔らかっ、もうT字になってんじゃん……」

 

 その後、前屈を見せた宮下の身体は足を180度広げたまま、マットにお腹が付くよう90度背を曲げており、その身体の柔らかさに他の四人からも感嘆の声があがった。

 さすが色んな部活で助っ人をしてるだけのことはある。

 

「えへへ~、愛さんスゴイでしょ~しもみー」

「ああ、スゴイ柔らかいな……」

 

 身体を曲げたまま嬉しそうに笑う宮下。

 俺も前屈は出来る方だが、彼女はそれより曲がるようで素直にその柔らかさに感動する―――が。

 

「……」

「……しもみー?」

 

 ―――なんかエロイな、その体勢。

 



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18 可愛い後輩

「かすみんの講義を始める前に……一つハッキリさせておきたいことがあるんです」

 

 次に俺たちが向かったのはスクールアイドル同好会の部室

 そこにはかすみとしずくが待っており、彼女たちからの歓迎もほどほどにかすみの「座学」が行われると思われていた。

 

 しかし俺と宮下をソファに座らせたかすみは、どこからともなく取り出した眼鏡―――恐らくあれは菜々の白縁の眼鏡をかけると、おもむろにクイッと眼鏡を上げ、そう言った

 

「お前それせつ菜の眼鏡だろ……」

「あれ、せっつーって眼鏡かけてたっけ?」

「……せっつー?」

 

 もう既にあだ名呼びとは、さすがコミュ力お化けの距離感の詰め方はさすがだ。

 俺とかあなたの呼び名まだ名字ですよ。いやあ同好会に入ったならとは思ったけど、指摘されないししばらくこのままでいいかなーって。

 

「この眼鏡はせつ菜先輩から借りました、……無断で」

 

 それを借りたとは言わないんだよ、この悪戯っ子は。

 

「ハッキリしておきたいこと、それは―――これですっ!!」

 

 そう言い、今日の講義内容である「スクールアイドル概論」と書かれたホワイトボードを回転させたかすみは、その反対側に書かれた文字を声高らかに読み上げた。

 

「―――コウ先輩の一番の後輩は誰か~~!!」

 

「お、おお……」

「おおー!なんかよく分からないけど楽しそう~」

 

 テレビ番組の司会のように読み上げたかすみに引き気味に眉をひそめるが、そんな俺とは正反対に隣に座る宮下は楽しそうに拍手をした。

 

「ここにいる一年生の三人、それぞれがコウ先輩に思うところがある筈……」

 

 思うところって何か嫌な言われ方だな……いや言ってる意味は分かるんだけど。

 

「しかしコウ先輩に思いを伝えられ可愛がってもらえる後輩はたった一人……!今日はこの中からそんなコウ先輩にとっての一番の後輩(・・・・・)を決めたいと思います!!」

 

 ホワイトボードに書かれた可愛らしい文字を指し棒でなぞりながらかすみはそう言い、未だそのテンションに乗り切れずポカーンとした様子の二人を見た。

 

 いやそもそも言いたいことあるなら言って欲しいし、かすみもしずくも璃奈ちゃんも俺にとっては大事な後輩だから可愛がってあげたいんだけど……。

 

「別に可愛がってもらえるのは一人じゃなくてもいいんじゃ……」

「虹先輩は、皆に優しい……」

 

 しずくも俺と同じ意見みたいだ。璃奈ちゃんは嬉しいことを言ってくれるねえ。

 そう反論する二人を一蹴するようにかすみはホワイトボードを手で叩き、二人に向けて一喝する。

 

「甘い!甘いよ二人とも!いつも私たちにも優しいコウ先輩だけど、それってつまりは他の子にも優しいということ!そんな先輩の魅力に気付いた他の子がコウ先輩を篭絡しようとするのも時間の問題!」

 

 大げさな身振り手振りと切羽詰まったような演技でかすみは叫ぶ。

 

「二人はいいの!?そんなどこの馬の骨かも分からない、ぽっと出の後輩にコウ先輩を盗られても!!」

 

 最初は半信半疑のような、もの言いたげな目で見ていたしずくと璃奈ちゃんも、その熱に当てられたのか、喉を鳴らし、みるみるとその表情を真剣なものへと変えていったと思いきや、互いに顔を見合わせ叫んだ。

 

「それはいや(ですっ)!」

 

 そんな二人の姿に口元に笑みを浮かべたかすみは、そのまま彼女のいう“一番の後輩を決める”その選定ルールについて、説明を始めた。

 と言うかしずくは演劇部なんだからかすみの演技なんかに騙されるんじゃないよ……。

 

「ルールは至って簡単、今から一人ずつここにいるコウ先輩と二人の思い出を発表し、全員の発表が終わった後自分以外への投票で一位を決める、というシンプルなもの」

 

 ギラギラとした目で説明をするかすみを見つめる二人。

 説明にも納得したように頷いているようだが。俺が覚えている限りではこの勝負はかすみが一番有利じゃないか……?

 

 先日の侑と歩夢と引き合わせた一件もあれば、菜々と揉めてた時に涙ながら叫んでくれたあの台詞が記憶に新しい。それに加え相手の一人が―――。

 

「……ねえしもみー、これりなりー不利じゃない?」

 

 隣の宮下も気付いたようにこちらに耳打ちをし、俺もそれに頷く。

 

 同好会の結成時からいるかすみとしずくに比べ、璃奈ちゃんは講堂ライブで俺のことを知ってくれていたが、それでも今日がほぼ初対面と言っても過言ではない。

 時間の長さは関係ないと言うが、お互い見知った直後の相手というなら、さすがに分が悪いのは火を見るより明らかだろう。

 

「……しもみー」

 

 聞こえてきた弱々しい声に隣に座る宮下の方を向く。

 その声と同じように不安そうな表情を見せている宮下は、明らかに分が悪い状態で二人と同じ土俵で戦おうとする璃奈ちゃんを心配してのことだろう。

 

 後輩が好いてくれるのは確かに嬉しいが、それを引き合いに出して自分の優位性を確かめたいだけのゲームと言うのはさすがに看過できないな。

 

 別に宮下の為じゃない、それだけは言っておく。

 俺はこれからもしずくと璃奈ちゃんのことを目一杯可愛がってあげたいのだ。

 

「―――かすみ」

 

 立ち上がり、未だ熱弁をするかすみに声をかける。

 一瞬肩を震わせたかすみは恐る恐るといった様子でこちらを見た。

 

「気持ちは嬉しいんだけど、こういうのはなしだ」

 

 そのまま彼女が書いた文字を消すようにホワイトボードを回転させ、本来の議題である「スクールアイドル概論」が書かれたボードの表面に戻す。

 

「ええー!!ど、どうしてですかコウ先輩~!!」

 

 駄々をこねるように叫んだかすみに、未だ状況が分かっていない様子のしずくと璃奈ちゃんに向けて口を開く。

 

「……どう見てもお前が有利な条件に見えるからだ」

 

 俺自身、二人とかすみで関係値に差があるとは思っていない。

 

 だけどここ最近の、特に菜々との一件でかすみに助けられた場面も多く。そのことを引き合いに出されれば璃奈ちゃんは兎も角、しずくとの思い出も弱いのが確かだ。

 と言うか、そもそもの大前提として俺は“大好き”な日常に優劣など付けたくはない。

 

「そ、そんなことないですよ~、皆それぞれコウ先輩との思い出は平等に……」

 

 それでも引かないかすみに、少々気が引けるが少しだけ声を荒くして言葉を返す。

 

「かすみはここで一番の思い出を決めて、それで俺が喜ぶと思ったのか?」

 

 荒くなった語尾にかすみもさすがに怒っていることを気が付いたのか、身を縮こめ視線を下げた。このままかすみを叱るのは簡単だけど、やり方はどうであれ俺を好いてくれた上での行動なのだ、少なくともその思いを無下にはしたくない。

 

「なあかすみ。かすみが俺のことを思ってくれているのは確かに嬉しいよ」

 

 しょんぼりと視線を落としたかすみと目を合わせるよう、ひざを付いてしゃがみ、彼女の顔を覗き込む。

 覗き込んだ先、かすみは悪戯がバレた子供のような表情をしており、全国の子育て世代のパパママの気持ちってこういうのなのかな~なんて年にそぐわないことを考えてしまった。

 

「だけど、ここでお互いに思い出を発表し合って一番の後輩を決めたとして、それは本当に全員が納得出来ることなのかな?」

「そ、それは多数決で決めたことですから……」

 

 出来るだけ語尾を優しく、落ち着いた声で話す。

 かすみの返す言葉も一つ一つを受け止めて、答える。

 

「でもかすみだって、多数決の結果が出たとして自分は一番の後輩じゃないなんて言われたら嫌じゃないか?」

「そ、それは……!!」

 

 かすみは悪戯気が他の人と比べて強いだけで、根は心の優しい良い子だということを俺は知っている。

 そうじゃないと泣きながら言ってくれた言葉も叫んでくれた思いも説明が付かない。

 

「それで俺がその子ばっかに付きっ切りになって、かすみのことを蔑ろにしちゃっても、それをかすみは納得できる?」

「な、納得出来ないです……それは嫌です……」

 

「一番って言うぐらいだから、かすみが勝ったらそりゃ嬉しいかも知れないけど、そんな悲しい気持ちを二人にさせて、それでかすみは本当に幸せになれるかな」

「なれないです……かすみん一人だけ楽しくても……そんなの全然幸せじゃないです」

 

 目に涙を浮かべるかすみを真っ直ぐと見つめ、彼女の髪を優しく撫でてあげる。最初に少しだけ怖い思いをさせてしまったからそのお詫びも兼ねて。

 

「それに一番なんて決めなくたって、俺にとっては皆可愛くて大切な後輩だよ」

 

 そう言い、横を向く。

 その先、不安そうな表情でこちらを見つめているしずくと璃奈ちゃんに向けてゆっくりと口を開く。

 

「しずくはスクールアイドルと演劇を両立しようと頑張っているところが応援したくなるし、いつも一生懸命なところもめっちゃ可愛い」

 

「璃奈ちゃんだって、不慣れなことでも真っ直ぐと伝えようとしてくれるとことか、キュンキュンしちゃって本当、可愛い―――」

 

 そしてもう一度、目の前のかすみの方を向く。

 気付かぬ間に目を拭っていたのか少しだけ赤くなった瞳を見つめる。

 

「そして、かすみは―――」

 

 出会ってからいつも見てきたかすみの色々な表情。

 

 泣き顔も笑い顔も、たまに出る変な顔も。

 俺にとってはそれ(・・)を感じさせる愛しいもので。

 

 俺が彼女たちに見せてきた優しさというものが、かすみを少しでも不安にさせたと言うなら教えてあげたい、伝えてあげたい。

 かすみの言う優しさも、皆にだけの唯一無二のものなんだから。

 

「―――本気で(・・・)、可愛いからな」

 

 そもそもかすみは他の子にも優しいと言うけれど、俺だって誰にでも優しく出来るわけじゃない。

 真っ直ぐと目を見て、嘘偽りのない言葉を言ってくれる彼女たちだからこそ、それに応えたい、少しでも笑って欲しいと優しくしたいと思うのだ。

 

 自分では優しく出来てるか分からないけど、そう言ってくれてるなら、それは彼女たちが言ってくれた言葉が、伝えてくれた思いが、教えてくれたことが、そうさせてくれたものなのだと。

 

「ご、ごめんなさい……コウ先っ輩……」

 

 少し言葉を詰まりながら涙声でそう言うかすみ、けれど。

 

「俺より先に言うべき人がいるんじゃないか?」

 

「しず子……天王寺さん……ごめんなさい。かすみん調子に乗りました……」

 

 俺がそう言うとかすみはしずくと璃奈ちゃんの方へ向き直り、深く頭を下げる。

 

 自分がしちゃったことを間違えだと認めてすぐに謝ることが出来るところが、かすみの素直で優しい良いところだ。

 

 頭を下げたかすみに仕方ないといった様子でしずくは小さく息を吐き出し、璃奈ちゃんと共に口を開く。

 

「いいよっ。私も勢いに乗っちゃってたところもあるし、お互い様だね」

「私も少し驚いたけど大丈夫。何を言おうかちょっとだけワクワクしてた」

 

 あれぇ?璃奈ちゃん思ったより乗り気だったのね。邪魔しちゃってゴメンね。

 

 優しい言葉をかけてくれた二人に肩を震わせるかすみだったが、次の瞬間涙腺が決壊したかのように大粒の涙を流しながら二人の元へ駆け寄りギュッと二人を抱きしめた。

 

「うわぁ~~ん!ごめんね~~!しず子~~りな子(・・・)~~!!」

「―――りな子…?」

「璃奈さんのあだ名だよっ、一年生同士これからよろしくね」

「うんっ、愛さん以外からのあだ名……嬉しいっ」

 

 涙鼻水垂れ流しのかすみに、嬉しそうな様子の璃奈ちゃん、何だかんだで楽しそうなしずく。

 世界平和ってこういうことを言うんだなーなんて、微笑ましい光景に頬が緩んだ俺に近付く影がまた一つ―――っつても宮下しかいねえんだけどさ。

 

「ねえねえしもみーしもみー」

「……なんだ」

「愛さんは可愛い?」

 

 両頬に指を当て、首を傾げながらそう言う宮下。

 

「世間一般では可愛いって思われるんじゃないか、ほらアレだバズりそう」

「ちょっ、なんか愛さんにだけ適当じゃないー?!」

 

 正直可愛かったが、何か言うのは癪だったのでinskogram(インスコグラム)に投稿するならイイねぐらいは付けてやろう。

 



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19 THE FIRST TAKE

※お詫び

今回の話を投稿するに当たって「03 ”大好き”の始まり」の劇中歌を変更しております。以前ご覧いただいていた皆様には先にお詫び申し上げます。

「03 ”大好き”の始まり」変更点
劇中歌を「Love U my friends」から「LIKE IT!LOVE IT!」へ変更。
該当話の後書きにて同内容投稿済み。


 

「いやあスクールアイドルって奥が深いんだね~」

「すごく、勉強になった」

 

 腕を組みしみじみとそう言う宮下と、楽しそうに話す璃奈ちゃん。

 同好会の部室で行われたかすみのスクールアイドル座学を終え、次の教室へ向かう俺たち。

 

 始める前に一悶着あったがかすみの講義自体は滞りなく終わり、二人も満足した様子を見せている。

 

 かすみの講義内容は「スクールアイドルに必要なこと」を主として話が進められた。

 それはこれからスクールアイドルを始める宮下と璃奈ちゃん、現部員のしずくにとってもとても大切なことだろう。

 

 その中で彼女たち一人一人が出した答えは。

 しずくが「自分の気持ちを表現すること」

 璃奈ちゃんが「ファンの人と気持ちを繋げること」

 そして宮下が「分からない」といった様子で三者三様の答えが出た。

 最後の宮下に関しては答えですらなかったわけなのだが。

 

 しかしかすみはその答えの全てに正解を与えた。

 

 かすみ曰くスクールアイドルにハッキリとした答えはなく、ファンの皆に喜んで貰えることならどれも正解なのだと言う。

 聞いていた三人も目から鱗のような様子だったが、かすみのスクールアイドルに対する情熱は本当に尊敬出来る。

 しかもそれをスクールアイドルを始めて数か月のかすみが言うんだから、これまでのかすみの頑張りがその姿勢に表れていることが分かる。

 そういう影ながら努力しているところも可愛くて、凄く魅力的だ。

 

 そんなわけで次の教室―――録音スタジオについた俺たちはそこにいるメンバーたちの練習に合流することにした。

 

 録音スタジオは録音した音源を確認するミキサーブースと、そこからガラス張りで中が見れるようになっている収録ブースの二つからなっている。

 

 基本的には映像系の学科や音楽系の学科が授業などで使うことが多い場所だが、申請さえすればどの学科の生徒でも使えるようにはなっている。

 

 せつ菜のデビュー曲である「CHASE!」のデモテープもここで収録を行った。

 

 扉を開けた先のミキサーブースに人影はなかったが、そこから見える収録ブースには侑、歩夢、せつ菜の三人が身体を寄せ合い何かを話している様子だった。休憩中とかだろうか?

 

 こちらには気付いてない様子だったので、念のため収録ブースの扉をノックをして返事を待ってみたが返事は返ってこず、ガラス窓から見える後ろ姿は相変わらず盛り上がりを続けていた。

 

「ったく、何をそんなに夢中に話してることやら……―――」

 

 驚かせてしまうかも知れないが、この際仕方ない。

 

 そう溜め息交じりに呟き収録ブースへの扉を開け―――。

 

「うわあああ!!侑さんこ、これって小学生の時のコウさんですか?!幼さの中にも今の凛々しさもあって、すっごく可愛いです!!」

「でしょでしょー!この時のコウは本当可愛くて今見てもときめいちゃうな~!!」

「ほらせつ菜ちゃんこれ中学一年生の時にお泊りした時の写真。コウくんって朝がすっごく弱いから言えば何でも言うこと聞いちゃうの、これはふざけた侑ちゃんがコウくんに甘えられてる時の写真」

「う、うわあああ!!あ、歩夢いつの間にこんな写真を!!恥ずかしいから消してってば~!!そ、それなら私だって歩夢が寝ぼけてコウの布団に入ってた写真あるからね~!!」

「う、うううう…!!二人ともズルいです!私もコウさんと写真を―――ってあっ」

 

 不意に振り返ったせつ菜と目が合う。

 滝の汗を流すせつ菜を尻目に、侑と歩夢はお互い思い思いの写真を見せあいながら語り合っている様子だが、これは―――怒っていいんだよな?

 

「もう~突然どうしたのせつ菜ちゃん~!コウたちが来るまでもう少し話を―――あっ」

「そうそうこの写真なんかってどうしたの二人とも誰か来た―――あっ」

 

 三人の視線が一直線に俺に向けられる。

 

 身を寄せ合っていた三人は更に身体を近く寄せ合い震えあがっているが、震えが止まらないのは同級生と可愛い後輩の前で恥ずかしいこと暴露された俺の方なんだが??

 

 今俺はどんな顔をしているのだろうか―――般若か、鬼面か、妖怪、化け物か。

 

 少なくとも今の俺ならアベンジャーズの緑のモンスター(ハルク)になれそうな気がする。

 僕の秘密を教えようか?さすがに怒ってる。

 

 机に置かれたマイクを勢いよく手に取り、縮こまる彼女たちに向け一言。

 

「―――消せぇええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」

 

 その雄たけびは、俺の叫びは、録音ブースのガラスを割り、ミキサーブースのパソコンを壊し、彼女らのスマートフォンを破壊し、部活動をしていた生徒たちの鼓膜を破いたとか何とか。全部嘘じゃねえか。

 

「え~~!!ちっちゃい時のしもみーの写真~!愛さんも見たい見たい~!!」

「私も気になる、小学生の虹先輩、見たい」

 

「やぁめろぉおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

 

 ロボットアニメとかで味方が倒される前の主人公の叫びみたいな声が出ちまった。え、ナニコレ今どういう状況なの?夢?あれどういうこと?

 

 

 ◇

 

 

「―――にしても酷い目にあった」

「あはは……ごめんごめんコウ」

 

 腕を組みプンスカと怒る俺に申し訳なさそうに侑は謝る。

 あれから時間が経ち、練習を開始した俺たちはせつ菜、璃奈ちゃん、宮下、歩夢の順番にそれぞれ歌を披露した。

 と言ってもガチガチに歌うと言うわけではなく、収録ブースに備え付けられたカラオケ機能を使って各々の得意な歌を歌うという至ってシンプルなものだが。

 何曲か歌ってもらい、その中で彼女たちの歌唱時の声質や音域などを確認し、今後曲作りの参考にすると言うものだが。全体的に歌声は綺麗で音域も全員そこそこあるようだ。

 

 今はその合間にせつ菜が熱弁したアニメの話に宮下が乗っかって、アニソン縛りをしてるといった感じだ。

 

「と言うか言い出しっぺは誰だ、お前か歩夢か」

「え、えーと私です……」

 

 申し訳なさそうに手を挙げた侑をジッと睨み、苦々しく笑った彼女は言葉を続けた。

 

「せつ菜ちゃんがね、愛ちゃんと仲良さそうにしてたコウの姿にやきもきしてたみたいでね。元気がなかったからこれなら喜ぶかなって……」

「……あ、そうだったのか。すまん、後でフォローはしとく」

 

 今は楽しそうに歌っているせつ菜だが、思い返せば部室を出て行く時にもあまり良い顔はしていなかったような気がする。

 彼女が俺を好いてくれてることは分かっているのに、新入部員にかまけてせつ菜をしょんぼりさせてしまったようだ。宮下とは同じ学科ってだけのただの同級生なんだがな……。

 

 それに侑と歩夢にも要らぬ気苦労をかけさせてしまったみたいだ。先ほどは勢いに任せて怒ってしまったが歩夢にも後でちゃんと謝っておかないとな……。

 いや待てそれはそうとしても子供の頃の恥ずかしい写真を暴露されたのは怒っていいよな。

 

 そんなことを考えていると、隣の侑が俺を見て何やら笑っている様子を見せた。

 

「……なんだよ」

「私にもあとでフォローよろしくねっ」

「調子に、乗るなっ」

 

 侑にチョップを加え、額を擦る侑を尻目に歌い終わったせつ菜を見る。

 振り返ったせつ菜は本当に楽しそうな表情をしており、あらためて彼女から感じた“大好き”に心が温かくなる。

 

 時刻はそろそろ下校時間かな―――スマホの時計を確認しそんなことを考えていると。

 

「て言うかさ、しもみーとゆうゆは歌わないの?」

 

 逆隣りに座る宮下がそう言い、俺と侑に全員の視線が向けられる。

 

「え、ええー!?い、いいよ私たちは、今日は皆の練習だし!」

 

 手をブンブンと振り断る侑。確かに練習とは言えど、今日はそれぞれ好きな歌を好きに歌い楽しんだだけのカラオケ大会のようなものだ。

 当初の俺の目的であった声質と音域の確認も問題なく行えたし、ここで一曲歌っていくのもいいかも知れない。カラオケボックスに行くより安い、と言うかタダだし。

 いい機会だ、部活動での使用目的であれば利用が許されるカラオケ機能を使わない手はない、学費も払ってるしそれを有効活用せねば。

 

「いいじゃん侑、一曲だけ歌ってこうぜ」

「う、うう……コウ、さっきの仕返しにしてはズルくない?」

「そうか?それじゃあトリは侑に任せるとして……」

「え、ええええ?!ひどいよコウー!!」

 

 そうと決まれば選曲だと机に置かれたカラオケ端末を手に取り、操作を始める。

 最近は流行りの曲を聞くよりも彼女たちの曲を考えていることが多く、あまりレパートリーがないのが現状だ。昔歌ったことある曲なら辛うじて……。

 

 カラオケ端末には先ほど歌ったせつ菜の検索結果が出ており、そのタイトルに思わず懐かしさを覚える。

 

 彼女が調べていたのは三作目の作品だったが、一作目が放映していた中学二年生の頃、始めたてのギターでやけくそに歌っていたのがとても懐かしい。今にして思えば演奏も歌声も残念で道行く人に笑われたり奇怪な目で見られたりしてたなあ。そんなこと言ったってしょうがないじゃないか、始めたてだもん。

 

 そんな懐かしさに従うようにカラオケ端末を操作した俺は、一作目の曲一覧を表示させ、その中から一曲を選ぶ。

 少なくとも三作目の曲が歌えるせつ菜なら、一作目も知っているだろうという安直な考え。

 

「―――これは……!」

 

 ほら食いついた。

 そのまま曲を転送し、目の前のモニターに表示された曲名を見てせつ菜が驚いた声を上げる。

 自分の中では一番歌っている曲だけど原曲を知っているせつ菜に聞かれると思うと少し緊張するな。

 

 曲名は―――「LIKE IT!LOVE IT!」

 

 一作目の記念すべきOPで歌われたこの曲は、ことあるごとに作中に流れ、主人公の進化、覚醒、共闘といった様々なシーンで使われており、そのアチアチな場面展開に胸が熱く心が踊ったのが懐かしい。

 

 収録ブース全員の視線を背に受け、彼女たちの期待を背負い、マイクの前に立つ。

 スピーカーから流れる演奏に大きく息を吸った。

 

 聞け―――これが俺のTHE FIRST TAKEだ。

 

 別に一発撮りも何もしてねえけどその……気分だけ。

 

 

 ◇

 

 

「おおおおおー!!!」

 

 歌い終え緊張を吐き出した俺に、全員が大きな拍手と称賛の声を送ってくれた。カラオケなんてもの久々にしたがこれはこれで楽しい。

 

「しもみー上手っ!初めて聞いたけど愛さんこの曲好きになっちゃったよ~!」

「元の曲と全然違った良さがあった……!」

「コウくんすっごい、昔より歌上手くなってるね!」

 

 それぞれこれでかってくらい歌を褒めてくれる宮下、璃奈ちゃん、歩夢。そんな三人に少し恥ずかしさも感じるが、こう言ってくれるのは素直に嬉しい。

 

「ぐ、ぐぬぬ……これなら四の五の言わず先に歌うべきだった……!!」

 

 そんな中で侑は頭を抱え唸っているようだが、こういう時は後になるにつれてハードルが上がる早いに越したことはないのだ。なんて彼女に鼻で笑ってみせる。

 

 って言っても侑も歌上手い筈だけど。

 

「―――コウさんっ!!」

 

 間の席から出てきたこともあって、元の席に戻るのは面倒臭いので、すぐそばのせつ菜の隣に座ろうとしたのだが。

 突如席を立ち上がったせつ菜に止められ、彼女と向かい合う形になる。

 

 せつ菜は真っ直ぐと俺の瞳を見つめており、彼女の瞳の宝石が煌めいた―――その瞬間。

 

「―――“大好き”です!!!」

 

 俺の手をギュッと握り、そう叫んだせつ菜。

 その姿に思わず面を食らってしまうが、ええっとこれはその―――。

 

「ええっと……曲のことか?それとも作品?俺もどっちも好きだぞ」

 

 そんなせつ菜に冷静に言葉を返す。

 思わず「もしかして―――俺のことか(イケボ)」なんて言いそうになったが、さすがにこの状況では恥ずかしい、というかそれは最早ただの痛いヤツ。

 

 一瞬ポカンとした表情を見せるせつ菜だったが、その言葉にすぐさま手を離して席に座り、赤くなった頬を冷ますように顔を手で仰いでいた。

 

「と言うかせつ菜はともかく璃奈ちゃんもあの作品見てたんだな」

「うんっ、名作中の名作。私もたまに見返す」

「愛さんもその作品気になるなー!せっつーのおすすめと一緒に見てみようかなー!」

 

 俺も久々に見返すかー、昔の作品ってうろ覚えなんだけど逆にその視点だと初見と違った楽しみがあるんだよなー。

 

 そうシミジミと考えていると、侑の持つカラオケ端末から曲が転送された音が聞こえ、モニターを見た。

 

「―――雪の華、か」

 

 そこに映し出されたのは日本レコード大賞金賞にも受賞したことのある楽曲。

 今もなお多くのアーティストがカバーをしており、少し前にはこの楽曲をモチーフとした実写映画が公開され大ヒットを博した。とあるアニメ作品のEDにも起用されたことがあるという屈指の名曲だ。

 

 流れ的に侑もアニソンかと思ったが、王道な恋愛バラードとは。

 

 しかもこの楽曲を歌う侑の姿は俺にとって見慣れたものであり、久々に彼女の歌声が聞けることに嬉しさすら感じた。

 

 侑とカラオケに行った時には彼女が必ず歌う曲で、彼女の綺麗な喉から出る伸びやかな声がバラードとマッチしていてとても良い。

 彼女自身も情感たっぷりに歌うもので最初聞いた時は鳥肌が止まらなかった。

 

 こちらに対抗するように侑ので勝負を仕掛けてきたというわけか。

 ならば見せてもらおうか。高咲侑の十八番(オハコ)とやらを。

 

 席を立ちマイクの前に向かう侑と目が合う。

 彼女はこちらを見て微笑むような様子を見せるが、言葉のわりに余裕そうな表情を見せるじゃないか。

 

「侑ちゃん頑張れー!」

「ゆうゆファイトー!」

 

 歩夢と宮下の応援を背にマイクの前に立ち、流れ始めた伴奏に呼吸を整えるように息を吐き出した侑は、モニターに表示された歌詞を歌うよう息を吸った―――。

 

 これが高咲侑の―――THE FIRST TAKE。

 

 って一発撮りも何も撮ってないんだって。

 



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20 皆の為に

「いやあそれにしても久々の侑の歌は良かったなあ~……」

「も、もうやめてよコウ~恥ずかしいって……」

「侑ちゃん歌上手いんだし、照れることないのに~」

 

 録音スタジオでの練習を終え、スクールアイドル同好会の部室に戻ってきた俺たちは、侑、歩夢と共に残るメンバーの帰りを待っていた。

 

 録音スタジオで一緒に練習していたせつ菜と、部室で座学を行ったしずく、かすみは場所を移動し、西棟屋上でのダンス練習に合流している。

 あれから少し時間が経ったということもあり、そろそろ戻ってくる頃だと思うが。

 

「そ、それにしても愛ちゃんが持ってきてくれたお漬物、美味しいね!」

 

 褒められるのが照れ臭いのか話題を逸らすように侑はそう切り出す。

 

「おばあちゃん特製のぬか漬けだよ!」

 

 侑の手に持った爪楊枝とその先に刺さったキュウリ。

 侑の言葉を返すように宮下は笑顔でそう言い、俺も手に持った爪楊枝に刺さるキュウリを見た。

 

 練習後、部室に戻り談笑をしていた俺たちに、おもむろに宮下が取り出したタッパ。

 その中には彼女のいうおばあちゃん特製ぬか漬けが入っており、同好会へのお近づきの印ということで、差し出した彼女の好意に甘えるように舌鼓をしているというわけであった。

 

「本当おばあちゃんの味って感じだよね~」

「でしょ~」

 

 ポリポリと漬物を食べる歩夢に宮下は嬉しそうにそう応える。

 確かにこの味は寮暮らしの俺にとって心に染みる懐かしい味だ。寮暮らしだと基本食事はコンビニか学食になるから、こういう手作りは泣けてくる。

 

「うぅ…!なんですかこの臭いは…!!」

 

 そんなことを考えていると、不意に同好会の扉が開けられ、残りの面々がその顔を見せる。

 先頭で扉を開けてくれたかすみは漬物の匂いに思わず鼻を摘み、そう言った。

 

「皆も食べる~?」

 

 順番に部室に入ってきたメンバーにそう言い、宮下はタッパの中の漬物を見せる。

 物珍しそうに「食べたい~」と言ったエマさんを筆頭に、漬物に興味を示すようにこちらへ歩み寄るかすみとしずく。

 

「彼方ちゃんクタクタだよ~」

 

 彼方先輩も俺たちの輪に混ざるように、テーブルの椅子に腰かけ突っ伏した。

 時間的にも彼女たちのダンス練習が終わったということであれば、今日はお開きだろうか。

 

「ああ、かすみさんとコウさん、お話があるのでちょっと残ってもらえますか?」

 

 そんな中、漬物に舌鼓をするかすみと俺に向けせつ菜がそう言う。

 かすみは少し怯えた表情を見せたが、俺たち三人での話と言うことであればあのこと(・・・・)だろうか。

 

 入部初日だった宮下と璃奈ちゃんに色々と話を聞きたかったが、それはまた明日。

 

「め、眼鏡のことなら何度もごめんなさいしましたよね…?コウ先輩のこともかすみんもの凄く反省してますし……!」

 

 申し訳なさそうにそう返すかすみ。そんな彼女の否定するように俺は手を左右に振り、せつ菜は苦笑いで返すのだった。

 

「そ、それではなくて……」

「……まあ、今後の話ってとこだろ」

 

 その言葉に新入部員の二人を除いたメンバーがハッとした表情を見せた。

 宮下と璃奈ちゃんもその発言で部室の雰囲気が変わったことに気付いた様子で、不安そうに俺たちのことを見ていた。

 

「それじゃあ今日の練習は終わりってことで」

 

 そう言い、手に持った爪楊枝のキュウリを一口で食べ、おもむろに席を立つ。

 そのまま俺は彼女たちに背を向け、部室の外へと歩き出した。

 

「し、しもみーどこ行くの……?!」

 

 そんな俺に不安そうな様子で声をかける宮下。

 

 その表情には僅かな動揺と気遣わしさがあり、今の状況が分からないながらも声をかけてくれたという彼女に優しさに応えるように、俺は言葉を返した。

 

「ど、どこって着替えるんだったら俺いちゃマズくない……?」

「あっ…………そっか……ごめん」

 

 俺の言葉に頬を赤くした宮下は、視線を逸らして申し訳なさそうにそう言う。

 い、いや俺の方こそ紛らわしくてすまん……。

 

 そのまま俺、せつ菜、かすみの三人以外はお開きということで彼女たち(宮下と璃奈ちゃん)のスクールアイドル同好会の初日は終わりを迎えたのだった。

 

 

 ◇

 

 

「―――……ソロアイドルですか」

「……ええ、あくまで選択肢の一つという話ですが」

 

 重々しく口を開いたかすみに、せつ菜は視線を落としたままそう答える。

 

 つい十数分ほど前まであった騒がしさは鳴りを潜め、スクールアイドル同好会の部室では俺、かすみ、せつ菜の三人が向かい合っていた。

 

 せつ菜が俺とかすみを呼び止めたのは俺の想像通り、先日せつ菜と二人で話し合い保留となっていたこと。

 スクールアイドル同好会のこれから(・・・・)のことだった。

 

「部員一人一人がソロアイドル(・・・・・・)としてステージに立つ、その選択肢は皆さんの頭の中にもあった筈です」

 

 せつ菜と話し合ったこと。

 

 それは虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会はグループではなく、それぞれが自分のやりたいことに挑戦するソロ(・・)での活動をするということだった。

 

 俺たちは一度、それぞれが大事にしていること、叶えたいことを混ぜようとして―――失敗した。

 

 それでも誰一人欠けることなく新入部員を迎え再始動したスクールアイドル同好会だが、さすがに何度も同じ失敗を繰り返すわけにはいかなかった。

 

 けれど全員が全員やりたいことがあって、やる気があって、だけどその中には譲れない信念があって、こだわりがある。

 だからこそそれを無理に混ぜてしまおうとすれば衝突も起きるのは必然で。

 

 誰か一人のやりたいことを優先すれば、別の誰かのやりたいことが蔑ろになって。また別の誰かを優先すれば、また別の誰かが蔑ろになる、今もなおそんな八方塞がりの状態で。

 

 俺は―――彼女たちには笑顔でいて欲しい。

 

 その為には再始動したスクールアイドル同好会も、誰一人我慢することなくやりたいことをやれて、自分の信念を貫けて、こだわりを突き詰められるような。

 そんな、自分なりの一番をそれぞれ叶えられる場所でないとダメなんだ。

 

 俺とせつ菜が話し合った中で出た、皆の思いを汲み取り、かつ以前の二の舞い(俺たちのよう)にならない唯一の方法。

 

 それが―――ソロでの活動。

 

 その考えについては俺も賛成だったのが、せつ菜との話し合いの中で問題点(・・・)が浮上したこともあり、その場では即決出来ず保留という形で終わっていた。

 

 グループとして混ざり合えば反発してしまう俺たちが選べる選択肢はそう多くはない。

 だからこそ慎重にならなくてはいけないし、そう簡単に答えは出せないのも事実だ。

 

「……でもそれって簡単には決められないですよね、それに―――」

 

 かすみはそう言い、視線をこちらへ向ける。

 せつ菜も同じように俺の方を見て口を開いた。

 

「……ええ、少なくとも作曲をお願いするコウさんに負担を押し付ける形になります」

 

 先日、せつ菜と話し合った際に浮上した問題点、それは作曲に関すること。

 

 以前の同好会はグループでの活動がメインだった為、新入生歓迎会で一曲、お披露目ライブで一曲、ラブライブ!に向けて一曲と、作曲のペースとしても早過ぎることはなく十分な時間を取れていたのだが、ソロとなれば話は変わる。

 

 スクールアイドル同好会の部員―――侑を除いた8人の曲を俺一人が受け持つことになる。

 

 全員がこれから活動していくには歌う楽曲も必要となり、その大前提として8人それぞれに歌う曲がなければならない。それに、もし作れたとしても彼女たちが自分のやりたいこと、一番を叶えられるような歌でなければ何一つ意味がない。

 

 ソロでの活動には前向きだったせつ菜も、その問題点が浮かぶや否や難色を見せ、結局先日は保留という形で終わっていた。

 

「……私たちの在り方としてソロアイドルをすること自体は賛成なんですが、コウさん一人に負担を強いるぐらいなら……」

「……はい、かすみんもこれ以上コウ先輩に負担をかけたくないですし、きっと皆も同じ気持ちだと思います」

 

 せつ菜とかすみはお互いの意見にすり合わせるように頷いた。

 

 これからの虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の方向性。

 

 彼女たちは全員がまとまる為、自分たちが叶えたいことを我慢し、自分たちの信念を曲げ、そのこだわりをお座なりにする。

 つまりはそういう方向性を選ぶという。

 

 しかしそれは彼女たちの優しさで、思いやりで、ただ作曲を受け持つ俺に負担をかけたくないからだと言った。

 

 確かに一人で8人分の作曲は難しいのかも知れない。

 俺が思うよりそれは至難の業で、俺にとって負担になってしまうかも知れない。

 

 ―――だけど。

 

「―――悪いが俺は反対だ」

 

 ―――彼女たちが自分たちの “大好き”を叫べないと言うなら、俺はそれに納得できない。

 

 そう言った俺に反発するように、動揺の色が見せたせつ菜とかすみはそれぞれ口を開く。

 

「……コウさん、自分の言っている意味分かっているんですか?」

「……そうです、反対ってことはコウ先輩一人で8人の曲を受け持つってことになるんですよ……?」

 

 この言葉も俺を心配して、負担を掛けさせないようにとかけてくれる言葉。

 

 彼女たちの優しさも思いやりも心から嬉しいし、それだけ俺のことを思ってくれているという事実は確かにありがたい。

 それでも彼女たちが自分のやりたいことを蔑ろにして、“大好き”を叫べないというなら―――そんな優しさも、思いやりも俺はいらない。

 

 彼女たちの優しさに、思いやりに甘える為に俺は選んだわけじゃない。

 

 優木せつ菜を―――中川菜々にスクールアイドルを続けて欲しいと伝えたわけじゃない。

 

 例え難しくとも、困難だったとしても、負担になったとしても

 いつだって、どんなことだって

 ―――やってみないと分からない(・・・・・・・・・・・・)のだから。

 

 不安そうに見つめる二人の瞳を真っ直ぐに見つめ、彼女たちに応える。

 

「―――二人に見せたいものがあるんだ」

 

 

 ◇

 

 

「……使用許可は取ったんですかコウさん」

「固いこと言うなよ菜々、ちょっと使うだけだ」

 

 差し込む夕日が鎮座するグランドピアノを照らし、眩しく煌めく。

 同好会の部室から移動し、彼女たちを連れてきたのは―――虹ヶ咲学園の音楽室。

 

 普段は音楽系の部活動が使っていることの多い教室だけど、完全下校時間が近いこともあってか生徒は残っておらず、俺たち三人はそんな誰もいない音楽室に足を踏み入れていた。

 

「……使うって何をですか?」

 

 俺の言葉にかすみは不思議そうに首を傾げ、そう問いかける。

 

「……まあ、見ててくれ」

 

 閉め切っていた教室は熱がこもっているのか少しだけ暑く、その暑さを外へ吐き出すように窓を開け、そこから舞い込むように風が吹いた。

 

 風通しが良くなったのか開けた窓からは涼しい風が舞い込み、俺たちの髪を優しく揺らすのだった。

 

「コウさん、何を……?」

 

 隣のかすみと同じように状況が分かっていない様子のせつ菜。

 

 いい加減二人の言葉に応えなければと、俺はグランドピアノの椅子に腰かける。

 ふぅーっと息を吐き出し、目の前に並ぶ白と黒の鍵盤に指を乗せた。

 

 そして、そのままゆっくりと指を動かしてみせる。

 

 音楽室に響き渡る旋律。それはまだぎこちない音楽だけど、出来るだけ丁寧に一音一音を大事に白と黒の鍵盤を押すように俺は指に力を加えていく。

 

「これって……!」

 

 驚いた表情で演奏を聞くせつ菜とかすみ。

 

 所々で音は外れ、指もまだ上手に動かせやしないけど、それでも一歩一歩音を進めていき、サビを終えた所で俺は演奏を止める。

 

 鍵盤から指を離すが、張り裂けそうな胸の鼓動と小刻みに震える手が遅れてきた緊張を知らせるようにアラートを鳴らし、それを押し止めるように俺は大きく息を吸い、大きく吐き出した。

 

「……こ、コウさん、今のって」

 

 そのまま、こちらを見つめていたせつ菜とかすみの二人に応える。

 

「ああ「CHASE!」のピアノバージョンってところかな」

「そ、そういうことではなくて……!!」

 

 我に返ったように先ほどの演奏のことを聞き出そうとするせつ菜。

 

 俺が彼女の為に初めて作った曲だ。さすがに譜面は見なくてもある程度は演奏することが出来る。彼女たちに演奏してみせたのだってこれが初めてではない筈だ。

 

「だ、だって、コウ先輩が弾けるのはギターだけだって……!?」

 

 そう、彼女たちが驚いているのは俺が演奏していた(・・・・・・・・)ことではない。

 

 俺がピアノで(・・・・)演奏をして見せたからであった。

 

「ああ、ピアノ、始めてみたんだ」

 

 せつ菜と共にスクールアイドル同好会に戻ったその日、俺は一人で考えたことがある。

 

 それは勿論同好会への復帰のことだったり、同好会メンバーへの感謝だったりが大半だったのだが、その中で彼女たちのこれからの活動自体についても考えていた。

 

 またグループでの活動を再開させるのか。

 新しく少人数でのユニットやソロでの活動を行うことにするのか。

 

 もしこれから全員が一つの目標に向かって進むというならグループだって構わないし、一つのテーマに沿って行うのならユニットだっていいと思う。

 

 だけど皆それぞれにやりたいこと、叶えたい一番が違った俺たちはそのどちらも選ぶわけにはいかなかった。

 

 それは一度目の失敗で嫌と言うほどに身に染みたことであり。

 その方法では彼女たちが心の底から笑顔になれないと思ったからだ。

 

 そうすると自ずと答えは、それぞれがそれぞれのやり方でそれぞれの一番を叶えられるソロでの活動に行き付いてしまうことは言うまでもない。

 

 しかしそこでソロ活動を行うハードルと自分自身の能力とで考えた時、どうしても釣り合いが取れないのが事実で現実だった。

 

 ギター一本で曲を考え、パソコンの慣れない操作で一音一音打ち込みをする今のままでは、彼女たちの“大好き”を表現するには技量が足りなかった。

 

 だからそんな“(ギター一本)”を変えようと思った。変わろうとした(ピアノを取り入れることに決めた)

 

「そ、そんな当たり前みたいに……私たちの作曲の為ですか……?」

「ああ、パソコンで打ち込むよりピアノで弾けた方が早いからな」

 

 せつ菜の言葉に頷きそう答える。

 

 キーボードで打ち込む入力とは違い、鍵盤で打ち込むピアノ―――電子キーボードの方が以前よりも格段に早く音を入力でき、作曲全体のスピードを底上げすることが出来る。

 

 寮には既に購入した電子キーボードが置いてあり、既に何曲か完成しており、次の作曲にも取りかかっている。

 

 俺の言葉に未だ驚いた様子を見せるせつ菜とかすみに話す。

 

「俺は、皆それぞれがやりたいことを叶えられるよう、力になりたいんだ」

 

 ピアノ椅子から立ち上がった俺は、そのまま夕日を背に二人に向け笑いかける。

 

「そりゃあギター一本で叶えられるなら、それにこしたことはないけど、皆の叶えたいものってそう簡単なものじゃないと思うんだよ」

 

 それぞれに譲れない信念も、曲げたくないこだわりもあるからこそ、その一本だけでは支えきれないことは薄々分かっていた。

 

「で、でも!今から覚えていくのってコウさんにとっても凄く大変なことじゃ……!」

「かもな、だけどこれから皆のやりたいことを叶えるには、ギターだけじゃ全然足りないんだよ」

 

 せつ菜には“大好き”を。

 かすみには“可愛さ”を。

 歩夢には“可愛い”を。

 

 今分かっているだけでもそれぞれにやりたいことがあって、叶えたい一番がある。

 俺はそれを叶えてあげたいし、彼女たちを支える存在でありたい。

 

 彼方先輩にエマ先輩にしずく。新入部員の宮下と璃奈ちゃん。

 彼女たちにもやりたいことがあって、叶えたい一番がある。

 その為には叶える方法とその手段を増やしておいた方が良いに決まっている。

 

「それに選択肢が増えるって分かっててやんねえなんて、つまんねえだろ」

 

 それでも、やっぱり難しくて、困難で、負担になるのかも知れない。

 彼女たちの優しさと思いやりを否定してまでやることじゃないのかも知れない。

 

 その優しさに甘えてしまった方が、思いやりを受け入れた方が良かったのかも知れない。

 

 だけど―――

 

「これが、今俺がやりたいことなんだ」

 

 俺にだって“やりたいこと”があって、“叶えたいこと”がある。それは確かで。

 

「ど、どうしてですか……?」

 

 そんな中、かすみがポツリと呟く。

 彼女は不思議そうにその宝石のような瞳でこちらを見つめ、言葉を続ける。

 

「どうして……私たちの為にそこまで……?」

 

「……どうして………ぷっ」

 

 かすみが問いかけた言葉に一瞬呆気を取られてしまうのだが、不意に笑いが込み上げてきて、思わず彼女たちの前で吹き出してしまった。

 

「なっ!せ、先輩!!かすみんは真剣に……!」

「あっ、ああ!ごめっ違うんだよ…!そうじゃなくて」

 

 かすみがあんまりにも当たり前のこと(・・・・・・・・・・・・・)を聞くから、思わず笑ってしまった。

 だけどかすみは今もなお真剣な様子でプンプンと可愛らしく怒ってこちらを見つめている。

 

「そう言えば、ちゃんと言ってなかったかもな―――」

 

 せつ菜―――菜々にはちゃんと言ったけど、他の皆にはまだ言えてなかったっけ。

 

 俺が、作曲の為にピアノを始めた理由。

 “今”を変えようと、変わろうとした理由。

 皆それぞれの一番を叶えてあげたい理由

 彼女たちを支える存在でありたい理由。

 彼女たちの“大好き”を表現したい理由。

 

 彼女たちの心の底からの笑顔を望む理由―――。

 

「だって俺は、皆のことが――――」

 

 せつ菜のことも。同好会のことも。

 何もかも失敗して腐ってた俺のことを

 自分を貶めていた俺のことを

 

 涙ながらに怒ってくれた子がいて。

 素敵な先輩なんだと伝えてくれた子がいて。

 自慢の後輩なんだと叱ってくれた子がいて。

 俺じゃなきゃダメなんだと教えてくれた子がいて。

 

 何年もわざと距離を取っていた俺のことを

 

 何年経っても大切に思ってくれた子たちがいて。

 手を伸ばしてくれて、道を示してくれた子たちがいて。

 

 不甲斐なかった俺のことを

 

 また信じてくれて―――隣で笑ってくれる子がいたから。

 

 そんな―――俺には勿体ないくらいに素敵で、可愛くて、笑ってくれる彼女たちのことが。

 

「―――“大好き”だから、な」

 

 そこまで(・・・・)したって足りやしない。

 それくらい彼女たちの存在は大きく、俺が変わりたいと思えた理由なのだ。

 

 そう言い笑うと、二人は頬を染め口を開いた

 

「そ、そこまで言うならコウさんが“大好き”な私たちもコウさんの“大好き”を否定したくないですからね……そ、ソロ活動でも?」

「そ、そうですね。コウ先輩がこう言ってくれるならかすみんもその意見に賛成です……こ、コウ先輩の“大好き”なかすみんは賛成です」

「ふ、二人ともありがとう……!!」

 

 す、少しだけ変な空気になっているのでこの話はこれで終わり!もう帰るよ!

 

 そのまま二人の横を通り、音楽室の外へと向かおうとする。

 頬を赤くした二人も遅れるように後ろに付いてくるのだが、不意にせつ菜が足を止めたことに気付き、後ろを振り返る。

 

 その先、振り返った先で、ほんの数秒前までとは違って深刻そうな面持ちに変わったせつ菜は、そのまま口を開いた

 

「で、ですけどやはりコウさんに負担をかけること自体は変わりませんよね……?」

 

 確かに新しくピアノを取り入れ、作曲に選択肢が増え、全体のスピードが速くなったとしても、二人が否定した同好会メンバー8人の作曲を受け持つことになるという事実は変わらない。

 

「あっ、そ、そうですよね。かすみんたちの為にそこまでしてくれるコウ先輩の気持ちはすっごく嬉しいですけど、やっぱりソロ活動は……」

「……まあそうだけど、何事もやってみなくちゃ分からないだろ」

 

 せつ菜の言葉にかすみも我に返ったように冷静に返すのだが、勿論彼女たちの考えも一理ある。

 選択肢が増えたとしても、レパートリーが増えたとしても、一人(・・)で8人分の作曲を担当するのは天才音楽家でもなければ至難の業というのは確か。

 

 そう、確かにそうなのだが―――それは本当に一人で作らないと(・・・・・・・・・・・)いけないというなら(・・・・・・・・・)の話だが。

 

「それでももし難しいなーってなったらさ、その時は―――」

 

 俺は知っている―――俺のそばには本当に頼りになる幼馴染と、信頼できる生徒会長と、部室棟のヒーローがいてくれるのを。

 

 俺は知っている―――俺のそばには本気で可愛い後輩と、頑張り屋さんの後輩と、真っ直ぐで優しい後輩がいてくれるのを。

 

 俺は知っている―――俺のそばには間違えた時に優しく叱ってくれて導いてくれる。そんな魅力的な先輩たちがいてくれるのを。

 

 俺は知っている―――俺の周りにはこれでもかってくらい素敵な仲間たちがいてくれるのを。

 

「―――皆を頼るからさ、力を貸して欲しいかな?」

 

 もしも作曲が行き詰った時、どうしたらいいか分からなくなった時。

 辛くて、苦しくて、どうしようもなくなった時は。

 

 その優しさに、思いやりに甘えさせて欲しい。

 もしかしたら都合が良いやつって思われるかも知れない、断られるかも知れない。

 

 だけどやっぱり皆がやりたいことを、叶えたい一番を叶えるってのは、俺がやりたいことで叶えたいことだから。

 

 行き詰った時は―――その時は皆の力を貸して欲しい。

 今はまだ頼りなくて、一人では難しいかも知れないから。

 

 そう言い、申し訳なそうに笑う。

 

 するとせつ菜とかすみはお互いの顔を見合わせ、優し気な笑顔で応えてくれた。

 

「ええ、そうですね、何かあったらすぐに相談してください!」

「はいっ!かすみんたち、全力でコウ先輩の力になりますから!」

 

 そう言ってくれる彼女たちは、本当に素敵で、可愛くて、魅力的で、優しいのだと。

 

 少しだけ泣きそうになる気持ちを我慢して、俺は目の前にいてくれる二人へと笑顔を向けるのだった。

 

「―――ありがとう、せつ菜、かすみ」

 

 例え難しくても―――きっと、無理ではないと思うから。

 俺のやりたいことは、叶えたいことは―――皆の為に。



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21 迷いと悩みとほんの少しの

 コート上でボールが跳ねる。

 

 その勢いに乗り、対峙する白ユニフォームの相手を抜き去ってゴール下。

 そのまま手に戻ってきたボールを持ち上げて、バスケットゴールに投げ込んだ。

 

 ボールはバックボードにぶつかり、そのまま吸い込まれるようにゴールネットに入った―――私たちの得点だ。

 

 体育館の二階にある観戦席から聞こえた歓声。

 

 そちらに視線を向けると、そこには一年生や同じ学年の生徒達の姿が見え、その中に見知った()の姿があるのを見つけた。

 

「―――……しもみー」

 

 観戦する生徒より後方に座って拍手をする彼と一瞬だけ目が合った気がした。

 ……愛さん、ちょっと本気出しちゃおうかな?

 

 

 ◇

 

 

「―――お疲れ」

 

 そう言い投げ渡したスポーツドリンクをキャッチし、目の前の彼を見る。

 

 下海 虹―――私の同級生であり、同じ学科の友達。

 (にじ)と書いてコウと呼ぶのが珍しい名前だと、そう思ったのはいつのことだっただろうか。

 

 こちらを見て笑う彼の姿に、私は質問を投げかける。

 

「皆の練習手伝ってたんじゃないの?」

 

 今日のスクールアイドル同好会の練習は簡単なミーティングだけを行って、明日の休日練習もあり各自自主練ということでお開きとなっていた。

 

 私はバスケ部で行われた紅白試合の助っ人として呼ばれていた為、ミーティング後は自主練に参加せずそのまま体育館に向かっていた。

 確か私が同好会を出る時には彼も部室に残っていた筈。

 

「まあ自主練には侑もいてくれるし、今日は俺も先に上がらせてもらった」

 

 親し気に呼ぶ名前に少しだけ引っ掛かりを覚える。

 

 高咲 侑―――スクールアイドル同好会のマネージャーで学科は違うが、私たちと同じ学年。

 しもみーとは幼馴染の仲らしく、よく親し気に話している姿を見かけることがある。

 

 彼自身が誰と仲良くなっていてもそれは良いことだし、そこに何一つ不満などないのだが。

 私が引っ掛かっている理由。

 

「宮下?」

 

 それは―――彼の名前の呼び方である。

 

 出会ってから今までそう呼ばれ続けてきた名字は、呼ばれるだけで落ち着くし嬉しい気持ちにもなる。勿論、他のクラスメイトにもそう(名字で)呼んでるから、一つもおかしいことなんてない。ないのだが。

 

 せつ菜、侑、歩夢、かすみ、しずく、エマ先輩、彼方先輩。

 

 彼は彼女たち(同好会メンバー)をそう呼ぶ。

 

 これでも彼と出会ってからはそこそこ経っており、親しい間柄と言っても差し支えないと思うのだが。彼は未だに私のことを名前()ではなく苗字(宮下)でしか呼んだことがない。

 

 何度も名前を呼んで欲しいと訴えかけた言葉は、ことごとくスルーされ、未だに私は名前呼びになるまで至ってない。

 

 そう私は―――虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会で、私だけ。

 

 先日(・・)、私が紹介し、一緒に同好会に入部した私の可愛い後輩でもあるりなりーも既に名前(璃奈)呼びされている事実。

 

 先日―――そう先日。

 

 何か月前からなどではなく、数日前に会ったばかりのりなりーに対しても、親し気な呼び方(名前)で呼んでいるのだ。

 

 そのことに対しては直接抗議もしたが、りなりーは後輩だから可愛がってあげるのだとあしらわれてしまって……。

 もしも愛さんがしもみーの後輩だったら、すぐに親し気に(名前で)呼んでくれたのかな、なんてことを考えてしまう。

 

「大丈夫か、助っ人で疲れてるなら少し休んでから帰るか?」

 

 顔を覗き込んでそう言った彼にハッとし我に返る。

 そのまま有りもしないもしもを誤魔化すように笑った。

 

「あっははは、大丈夫大丈夫!しもみーは心配性だなあ!」

「?そうか、それならいいけど」

 

 前言撤回、後輩になっちゃったら今みたいに仲良くしたり、ちょっかい出したり、もしかしたら出会えなかったかも知れないもんね!

 

 そうして校舎を背に彼と並んで歩き出す。

 ……自然にこういう流れになってしまったけど、しもみーがここにいる理由を聞いていなかったと思い出し、隣にいる彼に声をかけた。

 

「もしかして愛さんのこと、待っててくれたの?」

「まあな。宮下の助っ人の手伝いはしたことあったけど、活躍してるとこまで見たことなかったから気になって、そのついでだ」

 

 つれないことを言いながら目線を逸らし頬を軽く掻いた彼。

 その姿がどこかおかしくて、込み上げてくる笑いを抑えながらそんな彼を小突く。

 

「本当かなあ~?ついでにしては練習試合終わってからわりと時間経ってると思うけどね~」

「……じゃあ今後はすぐに帰ることにするよ」

「嘘嘘!ごめんごめんしもみー!愛さんが悪かったから~!」

 

 そう言って早足で行こうとする彼の腕を掴み、笑いながら弁明する。

 足を止めたしもみーはジットリとこちらを向き、仕方がないといった表情を見せた。

 

 そのまま彼に追いつくように歩幅を早め、地面に二つ、長い影を並べる。

 影はゆらりゆらりと揺れているが、並んだ二人の距離は変わらない。

 

「それで、スクールアイドル同好会の方はどうだ?」

 

 話題を切り変えるようにそう問いかけるしもみー。

 欲を言えば先ほどの練習試合で活躍したこととか、同じ学科の授業のこととか課題のこととか、話したいことはいっぱいあったのだが、彼が待っててくれたのは私にそれを聞く為だろうか。

 

「昨日、他の皆とも話してたんだけどさ。他の部ではやってないことばっかりでやっぱり新鮮かな~。しもみー含めてタイプ全然違うけど、皆すっごく優しくて面白くてそこもサイコーって感じだし!」

「……そっか、楽しんでるようなら良かったよ」

 

 笑顔で話す私を見て、彼もそう返す。

 

 同じ歩幅で歩く彼を私も見返す。

 彼が私に聞きたいことがあるように、私だってしもみーに聞きたいことがある。

 幼馴染のこととか、生徒会長―――せっつーやかすみんとの関係性とか。

 私はそう考え、口を開こうとするのだが。

 

「なんか悩んでることとか、困ってることとかはなさそうか?」

「―――え?」

 

 私の聞きたかったことは彼の問いかけた言葉にかき消され、思わず素っ頓狂な声が出てしまう。もしかして悩んでるように見えたのかな?

 

「あはは!大丈夫大丈夫!だからしもみーは心配性だなあ」

 

 嘘。本音を言えば大丈夫じゃなかった。

 それは、私たちがこれから始めること。かすみんに教えてもらったスクールアイドルの奥深さ。

 スクールアイドル同好会に入部してから私が思いもしなかった現実を知ってしまったことで、悩みとまではいかないが迷っていること(・・・・・・・)があるのは事実だ。

 

「さっきも言ったじゃん?皆のことサイコーだって、だから愛さんに悩みも困りごともないよ~」

 

 だけど今日のミーティングで知った彼のこと。

 私たちが活動する際の作曲をしもみーが一人で受け持つという話を聞き、私自身これ以上彼に悩みの種を増やして欲しくないというのが本音だ。

 もしも彼に少しでもそういう風に感じ取らせてしまったのなら、私も気を付けないと。

 

「―――本当か?」

「も、もう~本当しもみーってば心配性過ぎじゃない~?そ~んなに愛さんのことが気になるのかなあ~?」

 

 軽いジョークを混ぜつつ、悟られないよう冗談っぽく笑いながら彼を見る私だったが―――

 

「―――宮下」

 

 見返した先、真っ直ぐと見つめるその瞳に思わず息を飲んでしまう。

 

 こちらを見据えるように向けられた視線は、全てを見透かされてしまうんじゃないかと思うほどに綺麗で美しくて

 次に考えていた台詞も、聞きたかったことも全部抜けてってしまうような感覚がした。

 

「……今、その目で見てくるのはズルくない…?」

 

 彼の瞳。

 その宝石のような瞳で見つめられるのは、何もこれが初めてではなかった。

 

 それは一年ほど前。私たちがそこまで仲良くなかった頃。学科の授業で隣同士になるぐらいの関係性だった頃。

 

 こんな私にもとある一時期、難しい試験と家庭のことが重なって、メンタルがちょーっとだけやられてた時期があった。で、でも本当にちょーっとだったし愛さん自身いつも通り振る舞っているつもりだったんだけど、現に他の友達はいつも通りだったし。

 

 そんな時にしもみーは私を呼び出し、私のことに気付き、その悩みを聞き出そうとしたって話。

 

 あの時の彼の姿は今でも鮮明に覚えており、そんなことは懐かしい思い出なのだと思っていた筈なのに……。

 

 目の前に立つ彼は、あの時と同じように全てを見透かすような瞳で私を見つめていた。

 

「ほんとっ同好会に戻ってからしもみー変わり過ぎだって……」

 

 視線を下ろし、彼に聞こえないぐらいの声量で呟く。

 そのまま顔を上げて、真っ直ぐと見つめる彼に応えるように私は笑うのだった。

 

「愛さんの話ちゃーんと聞いてもらうからね、しもみー!!」

 

 

 ◇

 

 

 東京湾に浮かぶ人工島の都市、お台場。

 商業施設から少し離れた海沿いの公園―――潮風公園。

 

 この場所はつい数週間前にかすみや侑と歩夢、同好会の皆と話し合った場所であり、俺にとって記憶に新しく、感慨深い場所でもある。

 

 その場所で隣にいる宮下は海沿いの手すりを掴み、段々と暗くなっていく空とお台場の海を眺め、潮風に当たっていた。

 

 手すりを背にし、夕日が作る長い影が消えていくのを見ていた俺に、彼女は口を開く。

 

「愛さんさ。同好会に入って、皆と出会って、これからこのメンバーでどんなライブすることになるんだろーってワクワクしてたんだ」

 

 弱々しく呟く彼女の言葉を一つでも聞き逃さぬよう耳を澄まし視線を向ける。

 彼女の横顔は真っ直ぐで凛々しくも、どこか迷いを感じさせるそんな表情で。

 

「でも蓋を開けてみたらグループじゃなくてソロで活動するって聞いて、愛さん一人でステージに立つって考えた時に、一体どんなスクールアイドルがやれるのかなって悩んじゃってね……」

 

 色んな部活動の助っ人として活躍をしてきた彼女がやってきたのは、どれも“皆”でやる競技ばかりで。

 スクールアイドル同好会も他と同じように“皆”でどんな活動が出来るのかと胸躍らせていた。

 しかし知らされたのは“皆”ではなく“一人”でステージに立つこと。

 それは今まで“皆”でやってきた彼女にとって未体験で、未知の領域なのだろう。

 

 何でも卒なくこなす彼女なら、その答えもすぐに見つけると思っていたのだが、俺が想像しているより“一人”と言うのは彼女にとっては頭を悩ませる問題らしい。

 

「スポーツにはルールがあるけど、スクールアイドルにはそういうのないじゃん?だからこそ、愛さんの正解って何なのかなって……」

 

 確かにスポーツや勉強にはルールがあり答えがある。

 彼女が卒なくこなしてきたモノには明確な正解があって、その一つの正解を探せばいいだけだったのに、今彼女が向き合っているスクールアイドルには正解はない。

 

 否―――正解がないわけではなく全てが正解なのだと。

 先日、彼女の入部初日に行われた座学でもかすみが言っていたことだ。

 

 スクールアイドルにはハッキリとした答えはなく、ファンに喜んで貰えることならどれも正解。だからこそ今まで一つの正解を見つけてきた彼女にとって悩みの種ということらしい。

 

 潮風に揺れる綺麗な金髪。

 暗くなった空を眺め、それが難しいと笑う彼女の隣で僭越ながらも俺は口を開く。

 

「なあ宮下。宮下ってスクールアイドルで何がしたい?」

「へ―――?」

 

 間の抜けた声がおかしくて少しだけ笑ってしまう。

 こちらを向いた彼女は少し考えた後、一つ一つ答えていく。

 

「えっと……ダンスに、歌に、ライブに、色んな衣装着たり、色んなスクールアイドルを知ったり……と、とにかく色々したい!!」

「じゃあ、それはどうして?」

「え―――?り、理由……?」

 

 本日二度目の間の抜けた声。

 少しだけヒントを与えすぎている気もするが、悩んだまま難しい顔をしている彼女を俺はそう長く見たくない。

 

 彼女の求める彼女の正解は何となく分かる気がする。

 

 確かに俺が正解を教えるのは簡単だけど、これからスクールアイドルを始める彼女にとってその原点は。

 彼女のやりたいこと(・・・・・・)は彼女自身で見つけなければ意味がない。

 

 だからこそ答えは言わず、彼女に問う。

 今、何がしたいのか。スクールアイドルでどうしたいのか。

 

 うーんうーんと頭を悩ませる彼女に向け、知っている限りの大きなヒントを伝える。

 

「答えは思ってるより簡単だよ。というかお前はいつだってそう(・・)だろ?」

「へ?愛さんがいつもそう……?」

 

 伝えた言葉にはてなを浮かべ頭を悩ませる彼女だが、これ以上はほとんど正解になってしまうので、あとは自分で考えて貰うのがいいだろうと思ったのだが―――。

 

「少なくとも、俺はお前と一緒にいるとだいたいそう(・・)思ってるよ」

 

 ―――ほんの少しの優しさだけ残しておこう。

 俺自身、彼女のそういう所(・・・・・)に助けられたことがあるのも事実だ。故に少しぐらい優しさを見せても罰は当たらないだろう。

 

「え、ええ?!しもみーが愛さんに思ってることってな~に?ね~え~教えてよしもみー!」

「ダメだ、もう少し自分で考えてみろ」

 

 甘えた声を出す宮下を突っぱね、分からないと首を傾げる宮下を尻目に、手すりから離れ事務連絡を兼ねて声をかける。

 

「バス停まで送ってくよ。明日の練習は朝9時にレインボー公園に集合だってさ。俺は先に着いてると思うけど遅れんなよ」

 

 そう言い未だ頭を悩ませる宮下を連れ、夜の街頭が照らすお台場を二人でバス停に向けて歩き出す。

 未だ隣で唸る彼女の横顔を見ながら、そんな彼女の未知を見つけるその瞬間に俺は胸を高鳴らせるのだった。

 

 ―――早く見つかればいいな、お前がやりたいスクールアイドル。

 



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22 Sparkling Day

「……誰もいない」

 

 乱れていた呼吸を整え、顔を上げる。

 

 目の前に広がるレインボー公園にはまだ誰もおらず、昨日遅れるなよと言っていた彼の姿もそこにはなかった。

 ポケットから取り出したスマートフォンの時計は8時を数分過ぎた時刻であり、自宅のある門前仲町からお台場まで走ってきたわけだが、どうやら早く着き過ぎてしまったのは私の方みたいだ。

 

「一時間前か……」

 

 暇を潰すにしてもさすがにこの時間帯はどの施設もまだやっていないし、家を出る前に軽食を済ませてきたこともあり、レストランやカフェに入るのも選択肢としてはなしだ。

 

 そう考えながら辺りを見回していると、ふと少し離れた場所に大きく開けた道があり、そこにそびえる看板に書かれた「レインボーブリッジ展望・遊歩道」という文字を見つけた。

 

 まだ時間はあるし、もう少しだけ走ろうかな―――?

 

 そう考えると同時に身体は動き始めていた。

 

 お台場から向こう岸の都市を繋ぐレインボーブリッジ。何度か車で通ったことはあったが遊歩道を走って渡るのは初めてかも知れない。

 

 風を受けながらスピードを上げていく。

 走るのは気持ちよくて好きだ。

 それに走っている間は悩んでることも全部忘れられるような気がして。

 

「お前はいつだってそう……か」

 

 昨日、潮風公園でしもみーに言われた言葉。

 スクールアイドルを目指す愛さんの正解が何なのか悩んでいた私に、当たり前かのように答えた彼の言葉。やっぱりしもみーは愛さんの正解を知っているのかな?

 

 いや、知っていて敢えて教えてくれないのだろう。

 しかしそれは悪戯に教えないと言うわけではなく、彼自身も考えがあってのことだろうと言うことは分かる。

 

 きっとそれはこれからの私の為。

 

 “一人”でステージに立つ私自身に見つけて欲しいからなのだろう。多分だけど彼はそういう人だ。

 

 しもみーは愛さんなら見つけられると思っていくれたのだろうか。

 出来ることならその期待に応えたいと思う、だけど一晩経った今でもその答えは分からず仕舞いだった。

 

「しもみーが愛さんに思ってくれてることか……」

 

 ―――少なくとも、俺はお前と一緒にいるとだいたいそう思ってるよ。

 

 その後、彼が言ってくれた言葉。

 先ほどの言葉だけでも大きなヒントであることは間違えないのに、その後に続くように彼が残してくれたヒント。

 

 しもみーが愛さんに思ってくれてること……。

 

 可愛い、カッコイイ、賢い、優しい、頼もしい―――“好き”

 って―――違う違う!しもみーはそういうのじゃなくって……!!

 

 熱くなる頬を向かい風で冷ますようにスピードを上げ、遊歩道を駆けていく。

 一瞬浮かんだ煩悩を振り払うように走っていると、道の先の方に見知った女性の姿が見え、私はスピードを緩めた。

 

「―――エマっち~!!」

「―――愛ちゃん!」

 

 視線の先―――髪を三つ編みにした彼女、エマ・ヴェルデ。

 エマっちは呼びかけた声に応え、私はエマっちの元へと駆け寄る。

 練習着に身を包んだ彼女は、タオルを首にかけて汗を拭っているようだった。

 

「どうしたの?」

「ちょっと早起きしちゃって……、愛ちゃんは?」

「一緒っ!」

 

 私がそう言うと、エマっちもそれに応えるよう笑顔で返してくれるのだった。

 

 

 ◇

 

 

「昨日はソロアイドルって聞いて驚いた?」

 

 不意に投げかけられた言葉に、手すりを掴んだ手に力がこもる。

 

 レインボーブリッジの遊歩道の途中に並ぶ橋脚を背に並んでいた私たち。

 そんな中、お台場と向こう岸の都市を隔たる海を眺めていた私にエマっちがかけた言葉。

 

「……確かに驚いたけど、一番驚いたのは自分に対してなんだよね」

 

 今まで私がやってきたこと。

 

 それは色んな部活に助っ人として参加させてもらったこと。

 だけど、そのどれをとっても愛さん“一人”では出来ないことで、助っ人に参加させてくれた皆とだから出来たことばかりだった。

 

「同好会の皆が悩んでるのって、自分を出せるかってことでしょ?」

 

 せっつーとしもみーの講堂ライブを見て、やりたいって気持ちで始めたスクールアイドルだって、他の部活と同じように同好会の皆とどんなライブを、どんなステージを作れるのかなって内心ドキドキしてた。

 

 だけど同好会の皆が選んだのは、皆ではなく“一人”での活動。

 

 愛さんが皆とやってきたことだけじゃ“一人”でどうすればいいか分からなくて、あれからずーっと頭を悩ませている。

 

「今まで色んな部活で助っ人やってたけど、考えてみたら皆とやる競技ばかりでさ……」

 

 私の頭の中に巣食う悩みを吐き出すように彼女に向け、言葉にする。

 そして、そんな私の悩みをエマっちは何も言わずに聞いてくれていた。

 

「スクールアイドルになってやりたいことは沢山ある筈なのに、昨日もしもみーにそのこと聞かれたんだけど答えられなくて……」

「コウくんが?」

 

 ふと発した彼の名前に反応を見せるように、エマっちはその名前を聞き返す。

 

「うん、スクールアイドルになって色々したいって言ったら、それはどうしてかって聞かれて私、答えられなかったんだ……」

「コウくんがそんなことを……」

 

 昨日、彼と話したことをそう伝えると、彼女は何か考える様子を見せた後、再度こちらを見た。

 

「ねえ愛ちゃん、コウくん他には何か言ってたりした?」

「え?え、えーっとしもみーは愛さんはいつもそう(・・)だろって。しもみーはいつも愛さんにそう(・・)思ってるって……」

 

 もしかしてエマっちにはしもみーの考えが分かるのだろうか?

 その言葉に視線を落としたエマっちは、うーんと唸った後、顔を上げて真っ直ぐに私に向け微笑んだ。

 

「きっとコウくんがそう(・・)思ってくれてるのは、愛ちゃんがコウくんに対してそう(・・)してきたから。コウくんにとって愛ちゃんがそういう存在(・・・・・・)だからなんだと思うよ!」

「?……」

 

 ニコニコと笑いながらそう言ってくれるエマっち。

 そう言う彼女には申し訳ないが、そのヒントの意味が分からず、何ならしもみーのと合わせて余計分からなくなってきたかも知れない。

 

「え、ええーーー!!どういうことなのエマっちぃ~教えてよぉ~!!」

「だーめ、これ以上はコウくんにも悪いからね」

「ぐぬぬ……エマっちのいじわる……」

「えへへ~ごめんね~」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべ謝る彼女にジットリとした視線を向けるが、その表情は変わらず、彼女が答えを応えてくれることもない。

 

「それじゃあもう彼も着いてると思うし、コウくんのとこ行こうか。9時だしもう行く時間だよね」

 

 そんな話に一旦区切りを付けるように言ったエマっちの言葉。

 しかし聞こえてきたその言葉(・・・・)に、私は思わず目を見開き身体を硬直させてしまった。

 

「?どうしたの?」

 

 そんな私を心配するように首を傾げるエマっちだったが―――。

 

 ―――ぷっ。

 

「―――あっははははははは!!う、ウケっ―――あはははははっ!!」

 

 耐え切れず噴き出した私の口から絶え間なく溢れる笑い声。

 お腹に感じる痛みはお構いなしといった様子で笑い声は溢れ、腹筋は震え続ける。

 

コウ(・・)のとこ行こう(・・)9時(・・)だしもう行く(・・)時間って――――あははははっははははは!!ダジャレだよね!?」

 

「ダジャレ?―――ああ!全然気づかなかったよ~!」

 

 無意識で言ったというダジャレにようやく気付いたエマっちは笑みを浮かべ、私の笑い声につられるように、二人分の大きな笑い声を遊歩道に響かせるのであった。

 

 ◇

 

「ふふ……愛ちゃんが同好会に来てくれて良かった」

「え?何で?」

 

 ひとしきり笑った後、笑い過ぎて肩で息をしていた私にエマっちがそう言った。

 そのまま顔を上げてエマっちを見ると、彼女は青く澄み渡った空を見つめながら、嬉しそうな声色で言葉を続けた。

 

「すっごく前向きでいてくれるからっ」

「そ、そう?今はめっちゃ悩んでるけど」

 

 買い被り過ぎだ。

 私だっていつでも前向きにいられるわけじゃない。現に今だって自分がどうすればいいのか、彼に聞かれた理由すらも答えられず、分からぬままなのだ。

 

「でも皆といる時、いつも楽しそうにしてるよね?」

 

 そう話す彼女に思わず言葉が詰まる。

 

 だけど、それと前向き(これ)とは全くの別ものだ。

 エマっちが私に対してそう思ってくれているのも皆のおかげ。皆と一緒だとそう感じて、彼女たちにもそれが伝わっているのだろうと思う。

 

「それに知ってる?愛ちゃんが来てから同好会の皆の笑顔もすっごく増えてるんだよ」

「そ、そうなの?自覚ないけど……」

 

 優し気に笑うエマっちの言葉にそう返す。

 

 私の存在が皆にとって―――彼にとって少しでも笑顔になれる理由と言うなら、それはとっても嬉しいことだ。

 

「ないから凄いんだよ。コウくんもきっとそんな愛ちゃんだから力になりたいって思ったんだと思うよ」

「か、買い被り過ぎだよ?そ、それに愛さんだってしもみーとも、皆とも一緒にいると―――あっ」

 

 その時、自分の言いかけた言葉に気付き、言い止めた。

 浮かんだ言葉は頭の中、反響をして一つの答え(・・)に辿り着く。

 

 私がスクールアイドルでとにかく色々したいと思った理由。

 しもみーが私をそうだと言ってくれたこと。そうだと思ってくれていること。

 

 しもみーにとって、私がどういう存在かと言うこと。

 

「―――そっか」

 

「……愛ちゃん?」

 

 呼びかけ、不思議そうに首を傾げるエマっち。

 

 彼女には感謝しなければならない。なんせ私の大事なことに気付かせてくれたのだから。

 

 頭上で光る、熱く眩しい太陽を見上げる。

 その大きな輝きに手を伸ばし、太陽(それ)を掴むようにギュッと拳を握る。

 

「ありがとうエマっち!しもみーのとこ先に行ってるね!!」

 

 そう言ったと同時に足は駆け出していた。

 

 後ろで聞こえたエマっちの驚いた声を背にして、段々とスピードを上げていく。

 先ほどまでは身体を吹いた向かい風も、今は私の背中を押す追い風で。

 

 目に映る光景も、風に乗って流れていく。

 

 遊歩道の入り口を抜け、階段を何段も飛ばし降りてゆく。駆け出した足は止まることを知らず、感じる胸のドキドキに従うようにレインボー公園に向けて走っていく。

 

 そして、先ほどよりも人も増えた公園内―――ベンチの前でしゃがみ込む彼の姿を見つけ、一目散にそちらへ駆け寄る。

 

「―――しもみー!!」

「うおっ!……び、ビックリしたなあ……って宮下か、おはようさん」

 

 身体をビクッとさせ、こちらを見た彼―――下海虹は少し眠たげな表情で挨拶を返してくれた。

 

「おはよう!あのねしもみー!愛さんね!!―――ってそれ……」

 

 しゃがみ込む彼の前のベンチに置かれた小さなスピーカー。そこから流れていた演奏に言葉を言い止め、そのまま彼に問いかける。

 

「ああ、これ。今日の練習で使おうと思ってな。何曲かスマホに入れて持って来たんだよ」

 

 問いかけた私に説明をするしもみー。

 その何曲かを聞かせるように、ポケットの中に入っていたスマホを手に取り触り始める彼。

 

 スマホ操作と共にスピーカーから流れる音が変わり、ポップ調の明るくキラキラとした演奏が流れ始まる。やっぱりこれもしもみーが作った曲なんだろうか。

 

 曲を探すようにスマホをスライドする彼の姿―――出会った頃よりここ最近の彼を取り巻く環境が彼自身を成長させたのか、頼もしさを感じさせるその横顔に胸がトクンと高鳴るのを感じた。

 

 スライドしていた指を止め、曲を切り替えるよう画面をタッチする。

 するとポップ調の可愛い曲から、彼が最近始めたというピアノの旋律がスピーカーから流れ出した。

 

「―――その曲……」

「あーうん、どうかな?本格的にピアノを取り入れて作ってみたんだけどさ」

 

 ピアノの旋律は少しずつリズムを早めながら進んでいき、曲の始まりを告げるように色々な楽器が混ざり合い音楽を奏でる。

 

 聞き入る私の隣で、流れる音楽に心配そうに頬を掻くしもみー。

 

「ねえしもみー、今の曲もう一度最初っからいい?」

「え?あ、ああいいけど」

 

 しゃがみ込む彼にそう伝えると、彼はスピーカーに備え付けられた巻き戻しボタンを押し、スピーカーから先ほどと同じピアノの旋律が流れる

 

 目を閉じ、音を感じる―――彼の作った音、リズム、旋律。

 

 その全てを感じながら、頭の中で一つずつイメージを組み立てていく。

 

「―――やっぱりしもみーってサイコーだ」

「―――え?」

 

 そう言い彼のスピーカーを手に取った私は、ベンチから離れ自分のそばにスピーカーを置いた。そんな私の姿に不思議そうに立ち上がるしもみー。

 

 そんな彼に向け私は精一杯に声を張り上げる。

 

「ねえしもみー!!私見つけたよ!!」

 

 彼が私に聞いてたこと―――スクールアイドルでとにかく色々したい理由。

 

 彼にとって私がどういう存在なのか。

 彼が私をどう思ってくれているのか。

 

 答えは単純だった。簡単だった。

 そんなことで良いんだ。良かったんだ。

 

「私ね―――!!」

 

 大きく息を吸い、一直線に彼へと叫ぶ。

 

「しもみーといると楽しいし!皆といるともっと楽しい!!そしてね、皆に楽しんでもらいたいって思うし、皆が楽しんでもらえることが大好き!!」

 

 私がなりたい、私がやりたいスクールアイドルは。

 

「だから、愛さんがやりたいスクールアイドルはそんな―――“楽しい”やつ!」

 

 私の答え―――。

 

 誰かに楽しんでもらうことも、自分が楽しむことも大好き。

 だから、そんな“楽しい”をもっと皆と分かち合えるスクールアイドル。

 

 きっとそれが出来たのなら、私は未知(ミチ)なる(ミチ)に駆け出していけると思う。

 

 ―――ミチだけにねっ。

 

「見てて!―――しもみー!!」

 

 スピーカーのボタンを押し、曲を巻き戻す。

 音量を最大まで上げ、流れる旋律に合わせ、身体の振りを確認するように軽く動かす。

 

 少し離れた場所でこちらを見つめるその視線―――もっと夢中にさせてあげる。

 

 そうして、私は歌う。

 このサイコーな気持ち(ハート)を声にして、歌詞にして。

 

 

 ―――しもみーとは、同じ情報処理学科で選択授業が被って、その時にたまたま席が隣だったという関係性だったけど。時間を重ね、言葉を重ね、お互いを知って、まだ知らないこともあるけど、今こうして一緒にいる。

 

 それはきっと何億分のどれだけの可能性かも想像出来ないほどの奇跡で。

 

 もしかしたらこんな出会いを運命と言うのかも知れない。

 

 だけど彼の周りには魅力的な女の子が沢山いて、彼はそんな彼女達と通じ合っていて、そんな彼らにヤキモキする時もあるけど。

 

 これから先も彼のそばで、この―――今はまだ名前も知らないキモチ(・・・・・・・・・・)を大事にしていきたい。それだけは分かっていた。

 

 彼のそばで、彼の近くで―――彼の“一番”になる為に。

 

 

 そう、そんな彼と私の日々が―――

 

「―――ほら始まるよ!Sparkling Day!」



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22.5 その為に

「……すげぇ」

 

 湧き上がる拍手と歓声。

 気が付くと俺と宮下の周りには多くのギャラリーが集まっており、その拍手と歓声に、今彼女が見せた即興のダンスとその歌に引き寄せられて来た人達なんだと言うことが分かった。

 

「―――サイッコー!!」

 

 宮下がやりたいと言った―――“楽しい”スクールアイドル。

 

 それは未完成のパフォーマンスだったとしても、ここまで多くの人間を魅了し、老若男女を引き寄せ笑顔にするのかと、その末恐ろしいポテンシャルに驚きが隠せなかった。

 

 無論、俺も彼女が披露したパフォーマンスにくぎ付けになった一人なのは言うまでもない。

 そしてそれと同時にそんな彼女のポテンシャルを十分に発揮させるほどの実力が俺にあるのかと、そう考えてしまったのも事実だ。

 

「―――しもみー!!」

 

 名前を呼ばれ、その声にハッとして顔を上げた次の瞬間―――。

 

 身体に感じた柔らかさと温かさ。

 宮下が俺に抱き着いてきたのだと気付くのにそう時間は掛からなかった。

 

「みっ、宮下ぁ?!」

 

 走った勢いのまま抱き着いたのか、後ろに倒れそうになってしまうけど、数歩下がりながらもしっかりと彼女を受け止め、その顔を見る。

 

「ほんとっ!しもみー最高だよ!!ねえねえ愛さん達って相性バッチリじゃない?あっ!―――アイ、だけにね」

 

 得意げな顔でウインクをし、そう言う宮下だが。それアイって付いてたら何でもありじゃねーか。

 

『―――いやあ熱いねご両人!青春だね~!』

「い、いや違いますって!ちょ、ちょっと離れろ宮下」

 

 不意にかけられた声に今の状況を思い出す。

 俺たちの周りには、先ほどの宮下のパフォーマンスで多くのギャラリーが集まっており、そんな中で宮下が勢い任せに飛びつくもんだから、周りの人達からは俺たちがそういう関係(・・・・・・)なんだと勘違いをされてしまっている状況であった。

 

「え……?違うのしもみー……愛さんとは、私とは遊びだったの……?」

「お前分かってやってんだろ!!」

「てへっ☆バレたか」

 

 しおらしくそう言う彼女にツッコミを入れ、可愛らしく謝る宮下。

 

 さすがにこのままでは気恥ずかしいと、助けを求めるように周りを見回していると。ギャラリーの後ろ―――公園の入り口付近に俺たちを除いた同好会メンバーの姿があるのを見つける。

 

 抱き着く宮下を引きはがしながら、彼女たちに助けを求めるが、その顔は皆何とも言えない表情をしており、特にせつ菜とかすみの顔が怖い。

 

「もう皆来てるから行くぞ、宮―――」

 

 ようやく離れた彼女の手を取り、公園の入り口付近に集まっている同好会メンバーの元へ向かおうとするのだが。

 そんな中、俺はふいに言葉を言い止め、彼女を見た。

 

「……しもみー?」

 

 パッチリとした大きな瞳は真っ直ぐに俺を見つめており、言葉を言い止めたこちらに首を傾げているのだが。

 

 握った手の平から感じる熱。

 彼女の額に微かに流れる汗。

 そこに、彼女の先ほどのパフォーマンスへの真剣さを覗かせる。

 

 彼女がそのパフォーマンスに使ったのは、初めて本格的にピアノを取り入れて作った曲―――そこに正直“不安”はあった。

 

 今までもパソコンの打ち込みでピアノを使っていたとは言えど、メインをギター演奏からピアノ演奏に変えて作った初めて曲なのだ。

 やり方を変えたことで今までの形や俺の作る曲スタイルが変わってたり、皆の為にと取り入れた武器(ピアノ)が不純物になってしまうようじゃ何一つ意味がない。

 

 あの曲は、そんな初めての“不安”と隣り合わせに作った曲だった―――。

 

 だけど彼女はそんな“不安”を“楽しい”に塗り替えて魅せた。

 そんなもの(“不安”)なんて元からなかったかのように。

 

 もう何度目かも分からない。

 こんな“不安”を“楽しい”に変えてもらったのは。

 

 同好会のゴタゴタがあった時もそう。

 状況を知らなかったってのもあるんだろうけど、同好会を辞めた時もいつもと変わらない様子で接してくれて、ほんの少し荒れていた俺に気分転換をさせるよう助っ人の手伝いをお願いして来たり。

 きっとあの時に変に気を使われて、ずっと一人でいたら悪いことばかり考えてしまってダメになっていたかも知れない。

 小さなことで言うと、同好会に差し入れを持っていった時もそうか。

 

 そんな、彼女にしてみれば些細なことかも知れないけど。

 彼女といてその“楽しい”を感じさせる姿に助けられたのも事実だ。

 

 そして極め付けはそんな“不安”を抱えながら作った曲を、あそこまでのクオリティに昇華させた彼女。もしかしたら先ほど言っていた相性が良いってのもあながち間違いでもないかも知れない。

 

 だからか分からないけど―――ほんの気まぐれかも知れないけど。

 

「―――()

 

 そんな彼女を―――()をもっと知りたくなった。

 

「!! し、しもみー!い、今……!!」

「う、うるせえ。何か言うならすぐに戻すからな!―――()!!」

「う、うん!ごめんねしもみー!!」

 

 何故か分からないが再度湧き上がる拍手と歓声。

 そんなギャラリーを掻き分け、愛の手を引きながら、公園の入り口付近に集まる同好会メンバーの元へと急ぐ。ギャラリーの拍手と歓声に愛は丁寧にお礼を言いながら会釈を繰り返してるのだが、何かもう俺だけ恥ずかしいので先に離れてていいですかね!?

 

 

「―――本当スゴかったよ愛ちゃん!」

 

 ようやく集まったギャラリーから抜け出して同好会メンバーの元へ辿り着いた俺たち。

 早速先ほどのパフォーマンスを見ていたらしい侑がキラキラした瞳で愛に駆け寄る―――っておいおい侑さんや、歩夢がこっち見てるぞ。

 

 そんな侑に愛も嬉しそうな表情で後ろ頭に手をやっているが―――ってどうしたその顔、めっちゃふにゃふにゃしてるぞ何があった。大丈夫かそれ。

 

 どうやら先ほどのパフォーマンスを全員が見ていたようで、侑と同じように愛に向けて尊敬と感動の眼差しを向けている―――のだが。

 

 その中で二つ―――それとは違った視線を向ける二人の姿が。

 

「ところで~お二人はいつまで手を握っているんですか~?」

「そうですよコウさん、そんな羨ま―――不純異性交遊は認められません」

 

 ニコニコと笑顔で話しかけるのはかすみとせつ菜。

 手を握ってたのはつい離すのを忘れてしまっていただけだが、不純異性交遊に関しては頬にキスしてきたお前がそれを言うのか……。

 

 まあかすみの言うこともごもっともなので、繋いでいた手を離そうと力を弱めるのだが。

 

「―――愛?」

 

 その手はギュッと握り返した愛の手によって、変わらず繋がれたままであった。

 

 そんな愛に首を傾げ、そちら向くのだが、そのタイミングと同時に彼女はこちらに身を寄せ、腕に抱き着いて笑って見せた。

 

「えへへ―――だって愛さんとしもみーは相性バッチリ、だからねっ」

 

 嬉しそうに楽しそうに笑う彼女に一瞬だけドキッとしたのは内緒だが。

 愛はそのまま「ぐぬぬ」と悔しそうな表情を見せたかすみと驚くせつ菜に向け、不敵に笑ってみせた。

 

「負けないからね―――せっつー、かすみん」

 

 宣戦布告にも取れる台詞。

 しかし同好会のメンバー全員ではなく、せつ菜とかすみだけと言うことは一体何の勝敗についてだろうか。

 そんな愛にせつ菜とかすみもハッとした表情を見せた後、ニヤッと笑いお互いの視線を交わすのであった。

 

「え?なんの話、スクールアイドルの話じゃねえの?」

「ううん!しもみーは関係ないから大丈夫!」

 

 あっ、そうでしたか……。

 問いかけた言葉を元気よく一蹴する愛。彼女はそのまま抱き着いた俺の腕から離れ、せつ菜とかすみと向き合い、バチバチとお互いを見合っているが……。喧嘩だけはするなよ、そう切に願う俺であった。

 

「ねえ、コウ!私、皆のステージも見てみたい!」

 

 そして愛の拘束から解放された俺に、興奮冷めやらぬといった様子で声をかける侑。

 彼女はそのトレードマークのツインテールをぴょこぴょこと動かしながら、言葉を続けた。

 

「“一人”だけど、ひとりひとりだからこそ(・・・・・・・・・・・)色んな事出来るかもって!」

 

 侑の言う通りだ。彼女たちの個性は。それぞれ皆のやりたいことは十人十色。

 せつ菜が“大好き”を大切にするように。

 かすみが“可愛さ”を極めるように。

 愛が“楽しい”を求めるように。

 全員が全員スクールアイドルに対する答えが違って、決して混ざり合えない俺たち。

 

 だけどそれは裏を返せば、違うからこそ一人一人が自分達の色を大切にして、自分達のやりたいことを極め、どこまでも求めるように光り輝けるということ。

 

「そんな皆がライブをやったら、なんかスッゴイことになりそうな気がしてきちゃったんだ!!」

 

 目を輝かせ、宝物を見つけた子供のように話す侑の姿。

 それは確かに叶えば最高な夢のような話だけど、本当に一人一人が輝ける場が作れるかどうかなんて分からない。個性の強い俺たちなら尚更だ。

 けれどその場にはそんな夢物語を話す侑を笑うものはおらず、全員が真剣に、先ほどまで火花を散らしていた三人もまた侑の言葉に聞き入っていた。

 

 キラキラと輝く宝石のような瞳をより輝かせる為に。

 叶えば最高な夢を叶える為に。一人一人が輝ける場を作る―――。

 

「―――ああ、その為に俺がいる」

 

 せつ菜の“大好き”も、かすみの“可愛さ”も、愛の“楽しい”も。

 歩夢、しずく、璃奈ちゃん、彼方先輩、エマ先輩。

 

 皆の個性を、やりたいことを表現して。

 彼女たちの“一番”を叶える。

 それが俺のやりたいことで―――その為の()だ。

 

 集まる視線を見渡し、彼女たちの熱い視線に応えるように俺もまた目を輝かせたのだった。

 

「だからもっと俺に教えてくれ―――皆の“やりたい”ことを!!」

 




第二部「“楽しい”をもっと皆と」編、完。


~Special Thanks(高評価をして下さった皆様です)~

☆10
アニメ好きの福袋 さん/田老 さん/マスターレッド さん/エネゴリくん/詠海@防振り さん/unknownP さん/ラビタン さん(☆9→☆10)/

☆9
スカイイーグル さん/こんつば さん/しーが丸 さん/AtR さん/kai58 さん/ATM223 さん/シロナガシ さん/syouyan さん/hk33 さん/Canopus さん/sparkle さん/rai322 さん/巴投げマミ さん/ヒズナ さん/リインフォース ちゃん/ソネッシー さん/ + 非公開評価1名

☆8
Kana/sasa さん/止まらない団長 さん/

☆7
三日月重教 さん/

計27名 & お気に入り登録をして下さった254名の皆様(7月25日1時時点)


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第三部「“ポカポカ”な毎日を」
23 侑と歩夢とコウ(上)


「コウくん、こんばんわっ」

 

 そう言いニコリと笑う彼女。

 その頬は僅かに火照っており、風に乗って香るシャンプーの匂いが今、目の前にいる彼女―――上原歩夢がお風呂上りなんだと言うことを暗に俺に伝えていた。

 

「……風呂入ってきたのか」

「うん、侑ちゃん家でお先にいただいちゃって」

 

 それもあり日中会う時とは違って化粧も乗せてない歩夢だったが、大きくパッチリした瞳に、キメ細やかな肌。そして、いつものハーフアップではない下ろした髪型にいつもの彼女とのギャップを感じ、不意に胸の鼓動が高鳴るのを感じた。

 

「……コウくん?」

「……歩夢、見ない間に本当可愛くなったよな」

「ふぇ?!」

 

 火照っていた顔を更に赤くし、声を上げる歩夢。

 

 時刻は夕焼けも消え、空が暗くなってから一時間ほど経過した頃。

 寮―――ではなく、実家のマンションの玄関先で歩夢を迎えた俺は、夜風に湯冷めさせてはいけないと頬を赤くした歩夢を家に招き入れる。

 そのまま歩夢をリビングへ案内したいところだが、今日の目的はそれではない。

 

「も、もうコウくん、そういうこと他の女の子には軽々しく言っちゃダメだよ……」

「重々しく言ったらいいのか」

「もう~そういうことじゃなくて……」

 

 玄関先に立つ歩夢の声を背に彼女の言葉に応えながら、自室へ急ぐ。

 俺の部屋は虹ヶ咲学園の寮に入る前と配置は変わっておらず、綺麗に掃除されたその場所は俺がいつでも帰ってきて良いようにと日頃から手を入れているようで、そこにまた母親の愛情を感じた。

 

「定期的に実家には帰ろう」なんてことを考えながら自室の壁に立てかけられたギターケースを手に取り、玄関先で待つ歩夢の元へと急ぐ。

 

「悪い、待たせた」

「ううん、ぜんぜ―――今来たとこっ」

「……なーに言ってんだお前」

 

 語尾に♡でも付けるように甘く言い直した歩夢に正直ドキッとしたが、それを隠しつつジト目でそう応えた。

 まるでデートの待ち合わせのように振る舞う歩夢に男心を弄ばれたのは少々癪だが、そんな歩夢に気の利いた反撃が出来るほど女慣れしているわけもなく、彼女との話もほどほどに家を出た。

 

「―――三人でのお泊り、久しぶりだねっ!」

 

 マンションの廊下を二人で並んで目的地へと向かう。

 隣を歩く歩夢の髪から香るシャンプーの良い匂いが鼻孔をくすぐるのを感じながら、彼女の答えに頷いた。

 

 先日、侑と歩夢から提案されたお泊り会。

 

 長い間距離を取っていた俺とまた三人で話がしたいのだと言う二人の要望に、さすがに最初は難色を示したのだが、今までのことと彼女たちへの埋め合わせが出来ていないことを思い出し。悩んだ結果、最終的には承諾したという、そういう背景がある。

 

 歩夢にしていた態度は勿論のことながら、侑に対しても突き放すような真似をしていた俺には、二人のお願いやわがままにあまり強く出られないというのが正直なところだ。

 

 しかし冷静になって考えてみれば、あの頃からお互い身体も精神も成長しており、そんな男女三人が同じ屋根の下で一夜を共にするなんて、青少年の健全な育成的にはいかがなものか。男同士でも密室だと何が起きるか分かんないこのご時世だし。

 

 しかし隣を歩く歩夢はそんなこと気にしている様子もなく、楽しそうに鼻歌交じりに先の階段を下りる。

 その髪が揺れる度、辺りにシャンプーの良い香りが広がって男心が擽られるのも本音なんだが、幼馴染とは言え本当に無防備だな。

 

「コウくん~!こっちこっち~!」

 

 先を行った歩夢はちょうど下の階の廊下で手招きするように手を振っているが、その服装は就寝時の軽装―――パジャマと言うこともあり、薄い布が浮かび上がらせた胸のシルエットが手を振る度に揺れ、青少年として健全な邪な気持ちが湧き上がるのもまた事実。

 

「……そんなに手振らなくても覚えてるっての」

「えへへ、久しぶりだからつい……」

 

 しかしそんな邪な気持ちに支配されては純粋に幼馴染として好意を向けてくれる歩夢に申し訳が立たないと、遠目でしっかりとその揺れを焼き付け、手を振る歩夢に追いついた。

 

「……にしても、来るのは本当久々な気がするな」

 

 マンションの一室。表札に書かれた「高咲」という文字。

 

 どうやら今日は侑の両親が仕事でいないらしく、それもあってかお泊り会も今週に計画されたという。

 まあ俺自身どういう理由であれ、娘さんに辛い思いをさせたのも確か。そのご両親がいるとなると居たたまれなく断っていたかも知れない可能性を考えると、タイミング的には良かったのかも、なんて。

 

「侑ちゃんも今日のお泊り会すっごく楽しみにしてたからね。じゃあ開けるよ」

 

 そう言い、歩夢は侑の家の扉を開ける。

 扉の先、ルームフレグランスの爽やかな香りを鼻に感じながら、扉を開けてくれた歩夢の後ろに続くよう、俺も玄関に入る。

 並べられた侑のローファーに目新しい玄関マット、リビングへ続く廊下は昔と変らず懐かしさを感じる。侑はリビングで待っているのだろうか?

 

「侑ちゃーん!ただいまー!」

 

 楽しみにしてると言うぐらいだから出迎えの一つでもあるのかと思ったが、侑は一向に現れず、スリッパに履き替えた歩夢は痺れを切らしたように侑を呼ぶ。

 

「うんー!おかえり歩夢ー!」

 

 そうして聞こえてきた侑の声。

 リビングに続く廊下の右奥にある扉から聞こえたその声の主は、何かを急ぐようにバタバタと物音を立てた後、落ち着きを取り戻したようにゆっくりと扉を開け、その姿を見せた―――。

 

「コウならまだ来て、な―――」

 

 それも―――バスタオル姿で。

 

「―――え?」

「―――は?」

「―――あっ」

 

 身体から湯気をあげ、生まれたままの姿にバスタオルを巻いて現れた侑。

 

 いつものツインテールではなく解かれた髪は僅かに湿っており、その前髪から落ちた水滴が彼女の健康的な身体を伝い胸元の谷間へ吸い込まれる。

 半分以上はタオルで隠れてはいるが、隠しきれない上乳はハッキリと見えており、タオルの下から伸びた太ももを含めて綺麗な肌色をしており、思わずその姿に目を奪われてしまう。

 

 そして顔を上げた先、視線が合った侑はみるみると顔を赤くし―――叫んだ。

 

「う、うわああああああ!!な、なんでコココココ、コウが!!!!」

「ゆ、侑ちゃん!早く脱衣所に戻って!!」

 

 思わずその場にしゃがみ込む侑。

 歩夢は焦った様子で侑の元へ駆け寄り、侑の声で我に返った俺はすぐに背を向け、布切れ一枚の侑から目を逸らした。

 しかし侑には悪いがもろアウトだ、色々と見えてしまった。も、勿論中身ではなく外側の肌色のことだが。

 

「ゆ、侑ちゃん!ほ、ほら立ち上がって!」

「こ、コウ!ぜ、絶対後ろ振り返らないでね!絶対だからね!」

 

 ……もしかしてそれはフリなのか?

 

 後ろから聞こえる侑と歩夢のドッタンバッタン大騒ぎにお泊り会に来て早々帰りたさを覚えながら、脳裏に焼きついた侑のバスタオル姿に身体の熱が集まるのを感じ、その気恥ずかしさに思わず目を覆うのだった。

 

 思ったより胸あるんだな……侑。

 

 

 ◇

 

 

「大変申し訳ございませんでした」

 

 リビングの床に頭を付き、綺麗な土下座を披露する侑。

 先ほどの布切れ一枚の状態から着替え、Tシャツとショートパンツを着た侑はソファに腰かける俺へと深々と頭を下げて謝った。

 

「い、いや俺こそごめんって言うか、馳走様と言うか……」

「……コウくん?」

 

 思わずこぼれた本音にキッチンに立つ歩夢の方から聞こえた凍えるように冷たい声と、背中に感じる氷のような視線から逃げるように、リビングの床に膝を付き侑と向かい合う。

 

 侑は恐る恐ると顔を上げ、俺を見た。

 その頬にはまだ微かに羞恥心が残っており、そんな年頃の彼女にしてしまったことへの気まずさと申し訳なさを感じながら、俺も言葉を返す。

 

「本当に悪い、俺もタイミングをもうちょっと考えるべきだった……」

「い、いやコウは悪くないよ。歩夢がコウを迎えに行くってのを聞き間違えたせいだし、これは全面的に私が……」

 

 歩夢の話では侑が風呂に入った直後に、お風呂場の扉越しで俺を迎えに行くと伝えたらしいのだが、シャワーの水の音で聞こえなかったらしく、コンビニへ買い出しにでも行くのだと勘違いしてしまったということらしい。

 

 正直な話、年頃の男の子としてはこういうラッキースケベは願ったり叶ったりであり、眼福だったわけなんだが。相手は幼馴染と言えど年頃の女の子、嫁入り前に彼氏でもない男に裸を見られたとなれば、その心の傷は計り知れない。

 

「こ、コウも災難だったよね。歩夢の裸ならまだしも私みたいな貧相な身体を見ても嬉しくとも何ともないだろうし……」

「……え?」

「大げさに驚いちゃってごめ……え?」

 

 申し訳なさそうに空笑いをした侑に思わず間の抜けた声がこぼれる。

 言葉を言いかけていた侑も俺の間の抜けた声に言葉を言い止め、不思議そうにこちらを見た。

 

「……あーえっと、まあうん。そ、そうだなー災難だったなー。うんうん」

「え?え?え?ど、どういうこと?い、今の間は何なのさコウ?」

 

 先ほどの侑の発言に乗っかる形で同意する俺に焦ったように聞き返す侑だが、変な発言をして黒歴史を残すのも嫌なので、このまま勘違いしてもらった方が都合が良い。

 

 正直、侑は可愛いし、スタイルもちゃんと良い。

 

 引っ込むところは引っ込んで、出るところはちゃんと出ており、思春期の男子としては理想的なプロポーションだと思う。

 そんな彼女の風呂上がりの無防備な恰好を一目でも見れたとなれば、誰もが歓喜の歌を歌いだすこと間違えないのだが、侑自身そうは思わないらしい。

 

「いやいや、全然気にしなくていいよ。うん、あの大丈夫。俺は大丈夫よ」

「えええええ?!ちょ、ちょっと大丈夫じゃなくて教えてよコウ~!」

「ハハハハハハハ」

 

 服を掴んだまま身体を左右に揺らし、詰め寄ってくる侑に空笑いを浮かべながら、彼女と二人、キッチンで夕飯の準備をしてくれている歩夢の到着を待つのであった。

 

 

 ◇

 

 

「「ごちそーさま!」」

「お粗末さまでした」

 

 手を合わせ合掌した俺と侑に、ニコニコと笑顔を浮かべ歩夢はそう応える。

 お皿に盛られたカレーを綺麗さっぱり完食し、歩夢がおかずとして作ってくれた特製卵焼きは塵一つ残さぬように味わった。

 普段、寮での食事は学食かコンビニが多い為、こういう幼馴染の手作りと言うのは本当に心が温かくなって美味しく感じる。

 

「あー……歩夢の料理を毎日食べたい……」

「分かる、歩夢の作ってくれた料理って絶品だもんね。今日のカレーは私も手伝ったけどさ」

「なあ歩夢、残ったやつをタッパーで持って帰っていいか?」

「え?うんっいいよ。侑ちゃん、余ってるタッパーってある?」

「あるけど、コウ。今日のカレー本当に美味しかったよね!あれ実は私も手伝ったんだよ」

「卵焼きも美味しかった……俺は満足だ……」

「卵焼きも同意するけど、あ、あれ?聞こえてないのかな私の声?」

 

 食べ終わった食器を片付け、三人で役割分担をして皿洗い。

 その後はリビングのソファに座って、リビングに置かれたテレビから流れるバラティー番組を見ながら談笑し、時にはツッコみ時間は過ぎて行く。

 

「そういや愛がこのお笑い芸人さん、最近一押しって言ってたっけ」

「へえー、どういうネタする芸人さんなの?」

「いや、ひたすらおやじギャグを言うらしい」

中年(・・)のどこが悪いっちゅうねん(・・・・・)睡魔(・・)に負けてすいま(・・・)せん!許してください!何でもしますから!』

「プッ―――アッハハハハハハハ!!アハハハッハハ!!お、お腹痛い~!!」

「笑ってんのお前だけだぞ……。いや待てよ、テレビに出るほど人気ってことは面白いのか……?もしかしてこの笑いを分からない俺たちの方がおかしいのでは?」

「コウくんが笑いを分からなくなっている……」

「アッハハハハハ!!ハハ……ゲッホゲホッ!!あ、あゆむっ……助けっ……!!」

「も、もう侑ちゃん笑い過ぎだって、ほらお水!」

 

 それは、ほんの少し前までは想像も出来なかった光景。

 

 侑、歩夢、コウ。

 幼馴染の三人がまた一緒に集まって、笑い合っている。

 

 出会ってから長い年月が経ち、それぞれが大人の階段を登り始めた俺たち。

 男女の成長の違いに戸惑い、時に間違えながらも、お互いのことを知っていって、今もこうして一緒にいる。

 それがどれだけ幸運なことなのか想像も出来ないけど、それもこれも俺を諦めてくれなかった二人(侑と歩夢)のおかげであり、そんな二人(侑と歩夢)のことが俺は"大好き"だ。

 

 侑が手を伸ばし、伝えてくれたから。

 歩夢が寄り添い、教えてくれたから。

 二人(侑と歩夢)だったから―――今がある。

 

 だから今度は俺が"二人"のやりたいことを、叶えたい一番を応援する番なのだと。そう思う。

 俺のわがままで二人を悲しませた分、幸せにしてあげたいと心新たに決意するのだった。



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24 侑と歩夢とコウ(下)

「あぁ~「CHASE!」ときめいちゃうなあ~」

 

 両手を頬に当て、クネクネと身体を動かしながらキラキラとした目で見つめる侑。

 彼女からリクエストされた曲の演奏を終えた俺は、緊張を解くようにふうと息を吐き出しソファに深く座り直した。

 

「本当にギター上手になったよねコウくん、せつ菜ちゃんの曲もこれで?」

「ああ、大体の流れはこれを譜面に起こして、仕上げはパソコンで打ち込んで完成って感じかな」

「昔から色んなことが出来るのは知ってたけど、作曲も出来るなんてさすが私たちの幼馴染」

 

 先ほどまでソファの左端に座っていた侑は、場所を移動しちょうど俺の右隣に来ていた。

 それもあって座る配置は変わり、左から歩夢、俺、侑と、二人に挟まれる形で披露した曲だったが、ちゃんと弾けたようで内心ホッとしている。

 

「最近は作曲にピアノも取り入れてるんだよね?」

「ああMIDIキーボードね。幸い配列はパソコンで打ち込みする時と同じだし、おかげで前より仕上げが格段に早く出来るようになったかな」

「みでぃきーぼーど?」

「あー簡単に言うと電子キーボード。パソコンに打ち込む時に使うんだけど、CHASE!の時は色々と初めてってのもあったんだけど、マウスとキーボードで一音一音打ち込んでたからえらく時間が掛かってな」

 

 それも込みで菜々は優木せつ菜のお披露目の半年前に俺に声をかけたのだろうか。

 そんな話をしたことはなかったが、長めの猶予をくれたのは英断と言えるだろう。まあ今では笑い話だけど、最初は普通に断ってたからなあ。

 

「やっぱり作曲って大変なんだね……」

 

 隣でそう応える歩夢。

 歩夢も今はスクールアイドルを始めたばかりだけど、いつか来るステージの為にも彼女に見合った楽曲を作ってあげないとな。とは思っている。

 

「ねえ!コウ!」

 

 そんな中、こちらに体を寄せる侑。

 風呂上がりを目撃してから時間は経っている筈だが、体を寄せたことによって香るシャンプーの匂い。

 歩夢と同じものを使っている筈だが、それとはまた違った心地の良い香りに思わずクラついてしまいそうになるけど、何とかそれを抑え侑を見る。

 

「何か手伝えることがあったらさ、私を頼ってよ!」

「え?な、なんだいきなり……」

 

 突然、侑が言い出した言葉。

 俺が首を傾げていると、侑も先ほどの発言に訂正するように、頭に片方の手を当て申し訳なさそうに笑う。

 

「あ、ああごめんごめん。歩夢を応援したくて始めたスクールアイドル活動だったけど、コウがここまで頑張ってくれてるってこと考えたら、コウの力にもなりたいなって思ってさ」

 

 照れ臭そうにそう話す侑。

 

「気持ちは嬉しいけど、DTMとか出来んのか?」

「でぃーてぃーえむ?あのゲームセンターにある踊るやつ?」

「それはDDR、ダンスダンスレボリューションだろ……」

「あっ……えへへ」

 

 見知らぬ言葉に笑って誤魔化す侑だけど、その気持ちは本当にありがたい。

 

 俺が作曲をするのは皆のため。

 皆が“大好き”だからってのは勿論なんだけど。俺を導いてくれた皆のことを、俺を支えてくれた皆のことを。

 次は俺が導いて支えられる存在になりたいから。

 だから変わりたいと思って、選択肢を増やした。

 

 けれど先日せつ菜とかすみとも話したように、同好会メンバーの作曲を担当するというのは、手札を増やしたとしても至難の業。

 いつか無理が出てくるかも知れない、そんな時には皆を頼りたいと思っていたから。一番身近な存在である侑がこう言ってくれるのは本当にありがたい。

 

 少しだけ不安の入り混じった表情を見せる侑、その頭に手を乗せて優しく撫でる。

 

「でも、気持ちは嬉しいよ。その時は頼るからヨロシクな侑」

 

 俺がそう言うと、侑の表情はみるみると明るく花開くのだった。

 

「―――うんっ!!」

 

 あの時(・・・)みたいに花を摘む真似はもうしない。

 悩んだら、迷ったら、俺にはこう言ってくれる幼馴染も仲間もいてくれる―――これが頼りになると言わずに何というのだ。

 

「わ、私だってコウくんに手料理の差し入れとかするね!私だってコウくんの幼馴染だもん!」

「えっ?!歩夢の手料理?!そっちのが嬉しいかも!」

「コウ?!わ、私もコウの身の回りの世話とかするよ!」

「いやあそこまで日常生活困ってないし……」

「な、何かさせてよ!私、何でもするからさ!!」

「ん?今何でもするって……」

「コウくん?」

「あっ、すみません嘘ですごめんなさい歩夢さん」

 

 

 ◇

 

 

「にしても本当に「CHASE!」って良い曲だよね。コウが作った曲もそうだけど、歌ってるせつ菜ちゃんともベストマッチしてて、初めて見た時は本当にときめいちゃったな~」、

「うん、あの時はスゴかったよね。そういえばなんだけど、コウくんが作曲する時ってどういう風に作ってるの?」

「―――え?」

 

 彼女たちからのリクエストを終え、ギターを腕に抱えていた俺に歩夢から投げかけられた質問。最終的な仕上げは先ほども言った通り、パソコンで打ち込むという形にはなっているが、彼女の言う作曲と言うのは、打ち込む以前の曲のことを言っているのだろうか。

 

「えっと、“イメージ”から弾き起こしてるかな……」

「「イメージ?」」

 

 その言葉に両隣の二人は不思議そうに首を傾げ、聞き返す。

 

「皆のやりたいことを叶えられる曲ってのが一番だけどさ。その子が今感じてることとか思ってることを、その子を見て、聞いて、話して、知って。そういう風に膨らんだ“イメージ”を弾いて譜面に起こしてるって感じ……かな?」

 

 それぞれの叶えたい一番。

 そういう原点みたいのは変わらないと思うけど、人のやりたいことって言うのは日々変化し、進化していく。

 そういうのを知る為にその子を見て、聞いて、話をして。そうして感じたその子の“今”の“イメージ”をギターで形にすることによって曲を作っている。

 

「へえ……天才肌ってやつなのかな……?」

「え?」

「いや、よく聞く話だと楽器を弾きながら譜面に書き起こして曲を作るってのが定番だからさ。コウがやってるのって先にギターを弾いて、後から譜面に起こすってことでしょ?」

 

 言われてみれば……。

 先に“イメージ”を録音しながら弾いて、後から譜面に書き起こすってことならやったことがあるが、先に譜面を書き起こして作曲するってのはやったことがない。

 まあ天才でも秀才でも、彼女たちのやりたいことを叶えられるなら何でも良い。才能があると言うなら、その才能とやらをボコボコになるまで使い潰して彼女たちに仕えようではないか。

 

 まあ同好会以外の作曲とかはやるつもりはないし。

 

「―――じゃ、じゃあさ、コウくん」

 

 そんなことを考えていると、おずおずとした様子で手を上げた歩夢。

 不思議そうにそちらを向いた俺へと、歩夢はその問いかけに続くようにゆっくりと口を開いた。

 

「わ、私のイメージだとどういう感じなのかな?」

 

「え?」

 

 こちらの様子を伺いながら、恐る恐るに言った歩夢に間の抜けた声が上がる。

 勿論それは俺から出た声なのだが、つい先ほど歩夢の曲も作ってあげないとなと思っての発言だった為、少々驚いている。

 でも当たり前だけど、歩夢も自分からスクールアイドルを志した一人。他の部員(せつ菜や愛)のパフォーマンスを見て、自分の曲が欲しいと思ったのも必然か。

 

 しかし先ほども話した通り“イメージ”の上で弾き起こす俺のスタイルでは、今の歩夢のお願いには答えることは出来ない。

 幼馴染と言うこともあり“イメージ”は知っていると思われてそうだが。

 歩夢の叶えたい一番。その原点ってのは昔から変わっていなくても、“今”彼女がやりたいことってのは“今”の彼女を知らなければ答えられない。

 ここで引き合いに出すのは少々酷だが、昔と同じように仲良く出来たとしても、三年という時間で空いた溝はそう簡単には埋まらない。

 三年の間に彼女たちのことで知らないことも増えただろうし、逆に俺のことで彼女たちが知らないことも増えている。

 短いようで長い。三年という時間は歩夢の“今”を弾き起こすには、あまりにも致命的で彼女の問いかけに誤魔化すことしか出来ない自分が情けなかった。

 

「あー……さすがにいきなりってのは難しいな。何か曲を“イメージ”出来るものがあれば別なんだけど」

 

「あっ―――そ、それなら……!」

 

 俺がそう言うと、歩夢は何かを思い出したように立ち上がって廊下の方へ駆けていく、そのまま歩夢の足音はだんだんと遠ざかり、玄関から外に出ていく物音が聞こえた。

 思わず顔を見合わす俺と侑だったが。それからすぐに玄関が開く物音が聞こえて歩夢が帰ってきた。ちゃんと鍵も閉めてるみたいだ。

 そのまま歩夢には珍しくドタドタを足音を響かせながら、微かに息を切らした状態でリビングへと飛び込んできた。

 

「こ、コウくん!これ!!」

 

 そう言い歩夢が差し出したのは一冊の帳面。

 ピンク色のキャンパスノート。

 

「こ、これは?」

 

「か、歌詞!書いてみたの!」

 

 歩夢の言葉に驚き、手に持った帳面を見る。

 歩夢の様子から察するに作詞自体が始めてのようであり、不安と恥ずかしさが入り交ざったその表情に、少しだけ開くのをためらいそうになってしまうが。

 

「見て、いいのか?」

「うん、コウくんに見て欲しい。私のやりたいことを書いてみたから」

 

 不安も恥ずかしさもある。だけど真っ直ぐと芯の通った歩夢の言葉に思わず息を飲む。

 そしてそんな彼女の言葉にしっかりと応えるように、帳面の開きそこに書かれた歌詞に目を通した。

 

「―――これは」

 

 曲名は「Dream with You」

 直訳で―――あなたと夢を見る。

 

 昔と変らず女の子らしく可愛いらしい歩夢の筆跡。

 

 しかし、そこに書かれていた歌詞は俺の知らない“今”の歩夢。

 ダイバーシティでのせつ菜のライブを見て、スクールアイドルを志した彼女が、隣で応援したいという侑と共に、これからの環境の変化や叶えたいことを赤裸々に書き記した歌詞。

 

 彼女が“今”やりたいこと、伝えたいこと、叶えたいこと。

 それは、そんな“今”の上原歩夢の“イメージ”が十二分に詰まった等身大の歌詞だった。

 

「どう……かな?」

「これだったら、いける、かも……。侑、録音頼めるか?」

「え?あ、ああ、うん!任せて」

 

 帳面にある歌詞の書かれたページを机の上に開き、ギターを構える。

 侑の隣で不安そうに胸元で手を組む歩夢と、キラキラとした目でスマホを構える侑。

 

 彼女が書き起こした“今”の自分(上原歩夢)の“イメージ”を。

 その歌詞に感じた“イメージ”を漏らさないように、俺は大きく息を吸い込んだ―――。

 

 

「―――飛び立てる Dreaming Sky 一人じゃないから」

 

「どこまでも 行ける気がするよ 空の向こう―――強く 願う 今」

 

 そうして歌う。俺の知らない彼女を―――上原 歩夢の“今”を。

 

 

 ◇

 

 

 気が付けばギターを演奏は終わっており、俺の耳には二人分の拍手が送られていた。

 ピコンという録音を終える音が聞こえ、スマホを構えた侑を見ると、侑は先ほどよりも鼻息荒く興奮した様子でこれでもかと言うぐらい目をキラキラさせ、顔を近付けた。

 

「最っ高にトキメいちゃったよ!!!!コウ!!!!」

「うっさ……声抑えろ侑……」

 

 こういう時、自分以上に盛り上げっているやつを見ると逆にこっちが冷静になるの法則。

 近所迷惑な声の大きさの侑にツッコみを入れ、近付いてくる彼女を遠ざけるように侑のおでこを押して引き離す。

 

 そしてその後ろで頬を赤く染め、嬉しそうな表情を見せる歩夢に声をかける。

 

「歩夢、どうだった?今の」

「うん!うん!やっぱりコウくんは本当スゴいね!」

「おう。ありが……とう」

 

 その言葉に一気に緊張がほどけたように、ソファの背もたれに倒れ込みそのまま身体を脱力させた。

 お腹に乗せたギターの子守りをするように優しく叩きながら、先ほどの録音データを確認しておきたいと、スマホに目をやる侑へと声をかける。

 

「あー侑。さっきの録音したデータ、俺のスマホに送っといてくれ」

「うん!送っとく!えっと―――」

「コウくん、本当にありがとね!今飲み物用意するから待ってて!」

「ありがとぉ歩夢……」

 

 そう言いパタパタと鼻歌交じりにキッチンへと向かう歩夢と、スマホを操作し先ほどの録音データを送る準備をしている侑。

 そして聞こえたLINK(リンク)の通知音。

 おもむろにポケットから取り出したスマホの画面には、録音データを送ってくれた侑の名前が表示されているのだが。

 

「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会……?」

 

「―――あっ、間違えた」

 

 そこに表示された言葉の意味を理解する前に、次々と鳴り響くメッセージの通知音。

 それは同時に俺のスマホの画面に多くのメッセージを表示し、侑と歩夢のスマホからも同じ通知音が何回にも響き渡っていた。

 一時の放心状態から回復した俺はそのまま音の通知元であるLINKのトーク画面、そこに表示されたメッセージをゆっくりと開いた。

 

< 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会(仮)(10)

 

え?ゆうゆう、この動画どうしたの? 22:**
      

侑先輩?これっていつ撮ったやつですか、かすみんこんなの知りませんよ 22:**
      

それより、どうしてこの動画が侑さんから送られてくるんでしょうか? 22:**
      

侑先輩、もしかして今コウ先輩と一緒にいたりします? 22:**
      

もしかしてコウくんとお泊り会?えー侑ちゃん羨ましいなあ 22:**
      
 

動画のコウ先輩、カッコいい 22:**
      

うわぁ楽しそうだねえ、彼方ちゃんも混ぜておくれ~ 22:**
      

 

+□

 

 

「おまっ……侑!」

 

 状況を理解し、やってしまったという表情をしていた侑を睨んだ。

 そもそも今回のお泊り会自体も、同好会の皆には(幼馴染とは言え)男女が一つ屋根の下で寝泊まりすると言うことで、要らぬ誤解を生まぬよう伏せていたわけなんだが―――って動画?

 

「侑!お前さっきの録画してたのかよ!俺のことは撮らなくていいんだって!」

「あーさっきのコウがあんまりにも様になってたからつい……」

「え、ああ。いや気持ちは嬉しいんだけど……」

 

 侑と話している間にも鳴り止まぬ通知音。

 トーク画面にはせつ菜やかすみたちからのメッセージが時間が経つことに増えており、どうやら個人のトークにも問い質す節のメッセージが送られてきているようであった。

 

「どうすんだよこれ……」

「コウくん!私に任せて!」

 

 今この瞬間にも増えていくメッセージに困惑を隠しきれない俺に、助け舟を出すように自信満々に声を上げる歩夢。そんな頼もしい歩夢の姿に俺も期待せずにいられない。

 すると彼女は手に持った飲み物入りのコップを机に置き、ポケットからスマホ取り出すと、こちらに背を向けおもむろにスマホを構え。

 

「ほら二人とも撮るよ~。はいチーズっ」

「イェイ☆」

「は、はいっ」

 

 そして鳴り響いたシャッター音。

 思わずピースをしてしまったが、歩夢の行動に首を傾げていると、スマホのトーク画面に一枚の写真が投下された。

 恐る恐るそれは見ると、そこには可愛らしく笑顔を浮かべピースをする歩夢と楽しそうにピースをする侑。そして、その後ろで状況が分かっていない様子でポカーンとピースをする俺の写真が上げられていた。

 

 

仲良し幼馴染、お泊り会でーす 22:**
      

楽しんでまーす✌ 22:**
      

 

 

 

「高咲ィイイイ上原ァアアアアアア!!!」

 

 思わず声を荒げた俺に噴き出し、楽しそうに笑う二人。

 正直、本気で一喝したいところだが、そんな二人の笑顔を前にして怒るに怒れず、そんな怒りを発散させるように大きな溜め息を吐き出すのであった、が。

 

「―――ひぃいい!!」

「あっ、通話だよコウ」

 

 先ほどまでの通知音とはまた違った―――着信音がスマホから鳴り、画面に表示された優木せつ菜の文字。

 そこに感じた恐怖に思わずスマホを手から離してしまうのだが、ソファに落ちたスマホからは先ほどと変わらず同じ着信音を鳴り響かせるだけであった。

 

「あっ、コウくん。せつ菜ちゃんが週明けに生徒会室に来て欲しいだって」

「な、なんで俺だけ……」

「ドンマイだよ、コウ!」

「ぐぬぬ、今に見とけよお前ら……」

 

 未だに増え続けるメッセージと代わる代わるに鳴り響く通知音。

 溜め息を吐き出した俺を尻目に楽しそうな笑顔を浮かべる二人(侑と歩夢)

 

 こういうのもまた俺たちの関係性としては正しいのだろうか。まあ二人が笑顔ならそれでもいいか、なんて。

 そんなことを考えながら、三人の時間は過ぎ、夜は更けていくのだった―――。

 

 ―――あー週明け、せつ菜にどう説明しようかなあ

 

 

 ◇

 

 

 そして運命の週明け。

 

 せつ菜―――菜々曰く男女の宿泊は不純異性交遊らしく咎められましたが、私のような監督者がいれば構わないと言っていました(まる)

 単に混ざりたかっただけじゃねーか。

 



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25 お互いの後輩のこと

 侑と歩夢とのお泊り会から数日が経った、ある日の放課後。

 同好会の皆が練習場所としてよく利用する西棟屋上、そこに俺はいた。

 

 いつもはこの時間帯、彼女たち(俺を除いた同好会メンバー)はダンス練習をしている筈なのだが、今日は部室でのミーティングの為、屋上には俺一人だけであった。

 

 今日の議題を何にするかという話は聞いていなかったが、時間内で話がまとまれば合流するということは言ってたし、ミーティングには侑もいてくれている。もう少し俺一人で弾いていても大丈夫だろう。

 

「えーっと……今のは……」

 

 ベンチの傍らに置いたスマホの録音機能を止め、そこから繋がれたイヤホンを両耳に入れる。そして、再生ボタンを押した後に流れ始めたアコスティックギターの音色。

 

 それを自分の耳で確認しながら、屋上から見える青空を見つめているが、口から零れるのはそんな澄み渡った青空とは正反対の重苦しい唸り声。

 彼女たちの“イメージ”を表現するには、まだまだ改良の余地があるみたいだ。

 

「―――下海君」

 

 そんなことを考えながらイヤホンを外し、ギターの音を確認するように弦に触れていると、不意に呼ばれた名前。反射的にその声がした方を振り向いた俺は、呼ばれた声に応えるように彼女の名前を呼んだ。

 

「―――小山先輩」

 

 そこに立っていたのは、三年生を示すオレンジ色の虹ヶ咲学園指定ジャージを身にまとった彼女―――演劇部の部長(・・・・・・)である彼女、小山 華恋(こやま かれん)先輩。

 小山先輩は振り返った俺に応えるようにこちらに歩み寄り、隣のベンチに腰かける。

 

「えっと、すみません。やっぱり練習のお邪魔でした?」

「いや、そんなことはないよ。時折聞こえるギターの音色が心地良かったぐらいだよ」

 

 そういい微笑んだ小山先輩。

 虹ヶ咲学園の屋上は俺たち同好会が練習に使わせてもらうことも多いのだが、その敷地は他の学校に比べても大きく。スクールアイドル同好会の皆が広がって練習をしたとしても、有り余るほどの広さがあるのだ。

 その為、他の部活動が使っている姿も多く見受けられる―――と言っても、このマンモス校(虹ヶ咲学園)自体、体育館やグラウンド、各部活が練習に打ち込める施設が多く備わっており、運動部や野外の部活にも使われていないというのが現実なのだが。

 

 そんな中で屋上に訪れた俺だったのだが、今日は演劇部が屋上での発声練習をしていた為、ギターの音色が彼女たちの練習のお邪魔にならないように、先に声を掛けていたというわけなのである。

 

「それはどうも。他の部員の皆さんは?」

「他の部員はランニングに行かせたよ。とは言っても私もこの後に合流するんだけど」

 

 辺りを見回すのだが、屋上には先ほど練習していた演劇部の生徒たちの姿が見えないことに気付き、彼女にそう問いかける。

 隣のベンチで足を組んだ彼女は、微笑んだままこちらを見つめそう答えた。

 

「……えっと。何か用ですか?」

「用がなきゃいちゃいけないのかい?」

「い、いや、そういうわけでは……」

 

 後で合流するとは言っていたものの、演劇部の人たちをほったらかしにして俺に絡んでくる意図が分からない。

 そう思って問いかけた言葉だったのだが、いなすように返され思わず言葉に詰まる。

 

「冗談だよ。スクールアイドル同好会の方でしずくはどうかなって思ってね」

 

 そんな言葉を訂正するように呼ばれた後輩の名前。

 

 桜坂しずく―――俺の後輩でかすみや璃奈ちゃんとも同じ一年生。

 同年代に比べ、少し大人びた彼女はスクールアイドル同好会と兼部をする形で演劇部にも所属している。

 

「……その折はすみませんでした」

 

 しかし一時期、同好会が廃部になっていたこともあり、しずくが演劇部のみの所属だった時期がある。

 短い間だったとは言え、演劇部の部長である彼女からしてみれば、将来有望な一年生が演劇部一本に絞ってくれたというのは大変喜ばしいことであろう。

 

 しかしスクールアイドル同好会は再建され。また彼女(しずく)も戻ってきて、同好会と演劇部の二足のわらじという形で活動を続けている。

 そして同好会を廃部にした原因(部員の人数不足)の一端を担う俺としても、振り回した小山先輩に謝罪の一つでも必要だろう。

 

「え?あー違う違う、キミたちを責めているんじゃなくて……」

 

 “キミたち”と言うのは、俺とせつ菜のことだろう。

 

 周りからしてみれば、スクールアイドル同好会を抜けた俺と優木せつ菜が復帰ライブを経て同好会に戻っている姿を見れば、嫌でも俺たちが原因だったことを察するだろう。

 それもあって応えた言葉だったのだが、どうやら彼女が言っていたのは違うことらしい。

 

「えっと、スクールアイドル同好会のことはよく分からないけど、しずくが悩んだりしていないかって心配になってね」

「心配……ですか?」

「ああ、しずくは何かあっても大丈夫って答える―――癖みたいなものがあるから。演劇部に来た時は私が見てられるけど、それ以外(スクールアイドル同好会)の時は分からないからさ」

 

 そう言って笑う彼女。

 俺はしずくのこと、一年生にしては大人びている頼りになる後輩ぐらいの認識しかなかったが、演劇部の部長(小山先輩)からしてみれば、その中にもどこか危うさがあるように感じた。と言うことなのだろうか。

 

「……そうなんですね」

「まあ単なる私の杞憂ならそれでいいんだけど、これから先大きな舞台も控えているからね」

 

 知らなかった、と言うのは言い訳なのだろう。

 同好会と演劇部を行き来しているしずくと直接会える時間は平等に与えられている。

 その中で小山先輩に気付いて、俺がそれに気付かないという道理はない。

 それに片やマンモス校の演劇部部長、多くの部員を従えて取り仕切っている彼女と、ようやく10人を越えたほどの部員しかいないスクールアイドル同好会に所属する俺。

 

 しずくが大人びているという先入観で、どこか彼女を特別扱いしていた節があったが、彼女も数か月前に高校生になったばかりの少女。かすみや璃奈ちゃんと何ら変わらない女の子なのだ。

 確かに、移り変わる環境の中で悩みや迷いも出てくるかも知れない。

 

「小山先輩。ありがとうございます」

「私は何もしてないよ。これからもそっちでのしずくのこと頼めるかな?」

「はい。―――その為の俺(・・・・・)ですから」

 

 そうして腕に抱えたギターに視線を向ける。

 彼女たちのやりたいこと、叶えたい一番を叶えるのが俺のやりたいことだけど。

 

 それと同じぐらい“大好き”な彼女たちを支えたいと思うし、心の底から笑って欲しいとも思う。それ故の言葉であり、あらためての全員に向けた決意であった。

 

「……スクールアイドル同好会の皆は本当に愛されてるね」

「……え?今何か言いましたか?」

 

 小さく呟いた言葉は風の音にかき消され聞こえなかったが、そう問いかけた言葉に「何でもないよ」と返した彼女は、ベンチから立ち上がりその場で大きく伸びをした。

 

「そうだ!いつかキミにも演劇部の舞台の音楽を担当して貰おうかな?」

「いやそれはさすがに音楽科に頼んだ方が……―――でもしずくが主演をする舞台ならやらせて下さい。しずくのことは音楽科(他のやつら)には任せられませんから」

「ふふ、それじゃあその時はお願いしようかな―――っと」

 

 そう言いながら彼女は背を向け、歩き出す。

 別れを告げるように軽く手を上げた彼女は、その言葉に付け加えるように、振り向きざまに答えた。

 

「それじゃあ私は失礼するよ―――キミへの来客もいるようだし」

「え―――?」

 

 そう言い、小山先輩が指し示した先―――今、俺のいる西棟の屋上に訪れた人物。

 

 その人は―――妖艶な笑みを浮かべたまま、そのセミロングの綺麗な艶髪を風で揺らし、一直線にこちらに歩み寄ってくる。

 

 逃げなきゃ―――そう、俺の第六感が訴えかけていたが、彼女の何度見ても見慣れない主張するように膨らんだ胸と、見惚れるほどのプロポーションに思わず目が奪われてしまい、その場から動けなくなってしまっていた。

 

「―――朝香、先輩」

 

 そして、気が付けば彼女は俺の座るベンチの目の前で立ち止まり見上げるこちらをその蒼の宝石(サファイア)のような瞳で見つめ、美しく笑うのだった。

 

「―――隣いいかしら。下海虹くん」

 



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26 間接キス

「―――それでね。ソロアイドルをやろうってなってから皆ますます張り切ってるんだ~」

 

 虹ヶ咲学園の食堂―――私が日頃よく利用する窓際の席。

 そこに対面するように座る―――三年になってから知り合った友人である彼女。エマ・ヴェルデは彼女の所属するスクールアイドル同好会の近況を嬉しそうに話し、笑顔を浮かべる。

 

「やっぱりその作曲も―――“彼”が?」

 

 そんな彼女に問いかけるように言葉を返す。

 私の言う“彼”と言うのは、虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の黒一点である少年―――下海虹(しもうみこう)くん。虹と書いてコウと呼ぶ名前を珍しく思ったのはつい最近のことだったかしら

 同好会の作曲担当で優木さん―――生徒会長の中川菜々さんと一緒に虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の創設に関わった男の子。

 エマから聞いた話では、この間知り合った高咲さんはマネージャー的立ち位置で入部したと聞いてるし、やはり“彼”と高咲さんを除いた8人の作曲は“彼”が担当しているというのだろうか。

 

「うん!コウくんね、もう私たちの曲の何曲かを完成しかけているみたいで、すっごく頑張ってくれてるんだ~」

「ソロアイドルをやるって決めたのつい最近じゃなかったかしら……」

 

 虹くんとエマたちとの話し合いに同席してからそう日数は経っていない筈だけど、もう完成しかけているなんて思ったより凄いのね―――“彼”。

 私の知る“彼”は、色仕掛けに顔を赤くしてタジタジになっている姿だけど―――でも優木さんにスクールアイドルを続けて欲しいって言った時の姿はちょっとカッコ良かったかも。

 

「ん~でもなんか土台はすぐに出来てもパソコンの打ち込みに時間がかかるんだ~って言ってたから、やっぱり大変なんじゃないかな」

「そう、彼はいつも部室にいるの?」

「ううん。部室にいてくれる時もあるけど、最近は私たちと一緒に西棟の屋上に来て、少し離れた場所でギターを弾いてることが多いかな?」

 

 屋上ねえ―――一人で弾いてるなら茶々でも入れに行こうと思ったけど、エマたちと一緒に練習していると言うなら行き辛いわね。変に刺激しちゃ彼にお熱な女の子たちに怒られちゃうかも知れないし。

 

「あーあ、果林ちゃんも一緒にやれたらいいのになあ」

「……そういう賑やかなのは苦手って知ってるでしょ、それにこれ以上虹くんの負担(作曲人数)を増やすわけにはいかないでしょ」

「……うん、そうだよね」

 

 彼女の口から飛び出したふとした提案に断りを入れ、気を逸らすように窓の外を見た。

 エマからの誘い、信頼しているからこそのお誘いは確かにありがたい。だけど私には―――朝香果林にはそんな大人数での騒々しい活動は柄に合わない。

 それにそもそもの話、8人もの作曲を受け持っている虹くんにこれ以上負担をかけるのは酷であろう。エマもそれが分かっているのか、一瞬だけその顔に影を落とした。

 

 結局この間の優木さんと虹くんの一件だって、単に悲しんでるエマの姿を見たくなかった。ただそれだけの理由だったわけだし。本来ならばこれ以上彼彼女らに深く関わろうとする理由もないのだが。

 

「なーんか気になるのよね……彼のこと」

「果林ちゃん?」

 

 思わず口からこぼれた言葉にエマは不思議そうに私の名前を呼ぶ。無意識に出てしまった言葉だったが、聞こえていないようで助かった。

 恋愛感情と言うわけではない―――そもそも読者モデルをしていれば彼よりカッコいい人、魅力的な人なんてザラにいるし、そういう安直な理由ではないのだが。

 ただ彼を茶化すのが面白いという、それだけではない気がするのだ。

 

「同好会は今日もダンス練習?」

「ううん、今日は部室でミーティングの予定だよ」

「へえ、ミーティングってことは虹くんも作曲せずに参加するってことなのかしら」

「ん~どうだろ。そういうのは侑ちゃんに任せているみたいだし、私たちより先に屋上で弾いてるんじゃないかなあ」

 

 侑ちゃん―――高咲さんと活動のサポートは分担しているみたい。それじゃあ今日エマたちが合流するまで彼はフリーってことよね。

 

 ―――ふふっ、いい話を聞いたわ。

 

 

 ◇

 

 

「―――隣いいかしら。下海虹くん」

「……ど、どうぞ」

 

 怯えた子犬のような表情で、こちらを見上げる瞳に問いかける。

 そんな私に彼はぶっきら棒に先ほどまで彼が話していた女生徒が座っていたベンチを指差し、そう答えた―――あらっ、早速警戒されてるみたいね。傷付いちゃうわ。

 

 だけど私が座りたいのはそんな離れた場所じゃなくて―――。

 

「それじゃあ失礼して……」

 

 そう言い、一度は彼の示した方を向く私。

 そんな私に、一瞬ホッとした様子と共に見せた隙―――それを見逃す(朝香果林)ではない。

 

 ベンチに座り直した彼の隙を突くように、示した場所とは正反対の―――彼と同じベンチに素早く腰かけた私にギョッとした顔を見せる彼。

 

「あ、朝香先輩。隣空いてますよ」

「―――虹くんの隣がいいの、ダメ……かしら?」

 

 震える声の彼へ身体を近付け、上目遣いで首を傾げる。

 赤くなった頬を隠すように視線を逸らした彼は、そのまま恥ずかしそうに「分かりました」と一言、そう答えてくれた

 

 警戒はされてるみたいだけど、嫌われてはないのかしら。ふふっ、良かったわ。

 

 本気で嫌がられたらどうしようかと思ったけど心配し過ぎだったみたいね。

 そんなことを考えながら近付けた顔を離す私だったが、彼はそんな私の一挙一動にも怪しむような視線を向けるのであった。

 

「もう、そんなに熱く見つめられるとお姉さん照れちゃうわ……」

「は、ハア!?み、みみみみ見てないです!」

 

 自意識過剰とも取られる台詞―――そんな私の言葉に動揺を見せるように声を震わせた彼が可笑しくて少しだけ笑ってしまう。

 っていけないいけない。あんまり彼で遊んじゃ可哀そうね、後でエマに怒られそうだわ。

 

「そういえば、さっきまで一緒に話してた子って知り合いの子?」

「え?あー演劇部の部長さんですよ。朝香先輩と同じ三年生の」

 

 エマのことを思い浮かべながら、話題を切り替えるように問いかけた言葉に、彼はそう答える。

 演劇部の部長さんねえ。お互い面識はないからあまり詳しくは知らないけど、確か二年生の頃に見た演劇部の舞台主演が彼女だったかしら。

 そんなうろ覚えの知識しかない相手ではあったが、そんな舞台主演も務める彼女(演劇部の部長さん)と彼がどういう関係なのか、単純に興味が湧いた。

 

「へえ……親しそうに話してたみたいだけど、二人はどういう関係なのかしら」

「単なる後輩繋がりですよ。桜坂しずく、朝香先輩も知ってるでしょ」

 

 少し鎌をかけながら問いかけた質問に、さも当然かのように返してきた言葉(質問)

 桜坂しずく―――スクールアイドル同好会の部員でエマや彼方たちの後輩。

 優木さんと虹くんの一件があった時に少しだけ会話を交わしたが、年齢のわりに大人びており、他の一年生に比べて落ち着きを感じさせたその姿が記憶にも新しい。

 

「桜坂さんは知っているけど後輩繋がりって?」

「しずくはスクールアイドル同好会と演劇部を兼部してるんですよ」

「そうなのね。それで演劇部の部長とどんな話をしていたの?」

「それは……まあこれからもお互いに後輩をお願いしますって話をしただけですよ」

 

 少し口ごもらせながらも、素直にそう答える彼。

 しかしその後、何かを考えるように唸ったかと思いきや、こちらを向きジッと私の瞳を見つめる彼。思いも寄らぬ熱のこもった視線に恥ずかしさを覚え、目を逸らしそうになってしまうが、それを堪え見つめ返した私に彼はおもむろに口を開いた。

 

「……朝香先輩から見て、しずくってどういう子でしたか?」

「え?」

 

 問いかけられた言葉に間の抜けた声がこぼれる。

 恥ずかしい―――そう思ったが、目の前の彼はそんなことお構いなしといったように、真剣な表情のままこちらを見つめていたのだった。

 

「……えっと他の一年生に比べたら大人びてると言うか、ちょっと達観してるように感じたぐらいかしら」

「まあ……そうですよね……」

「?」

 

 そんな返答にまたもや何かを考えるように唸り、視線を落とした彼。未だ察しのつかないこちらには気にも留めず、腕に抱えたギターの弦に触れ、その音を響かせた。

 恐らく無意識なのだろう。ギターの上部、フレット部分を抑える指に変化を与えながら、響かせる弦の音を変えていく虹くん。

 

 そしてその憂うような彼の横顔が綺麗で、思わず見惚れてしまうが、それを気の迷いだと振り払うように、平静を保ち彼へ問いかけた。

 

「それって……」

「―――え?あ、すみません……。そういや朝香先輩に見せるのも初めてな気がしますね」

 

 その言葉に我に返り演奏を止めた虹くんは、腕に抱えたギター視線を向けた後。先ほどとは違い意識的に左の指先を変え、ギターを構え直した。

 

「―――こんな感じでっ」

 

 そして先ほどのような無意識の演奏とはまた違った、彼の作った音楽を奏でるようにギターの弦を弾き、演奏を始めてみせた―――。

 

 ―――そうして響き渡る旋律。

 

 それは周りを包み込むように優しく温かくて、まるで季節遅れの桜が舞い上がるような。そんな情景を私に思い起こさせた。

 彼が演奏してくれたのは一節ほど。

 しかし私にはそれが永遠のように感じられ、気付けば私は現実に引き戻されており、彼のギターの旋律と共に舞い上がっていた桜もどこかへ消え去っていたのだった。

 そこに僅かに寂しさを覚えた私だったが、隣で緊張を解くように溜め込んだ息を吐き出した虹くんに向け、声をかける。

 

「いい曲ね……それも同好会の子の曲なの?」

「ありがとうございます。これは歩夢の曲です、って言ってもまだ未完成の曲なので他の曲とも並行して詰めてるって感じですが」

 

 歩夢―――上原さんのことだったかしら。確かエマが上原さんと高咲さん、そして虹くんの三人は幼馴染なんだって言ってたわね。

 優し気な瞳でそう言い、笑う彼。

 以前の話し合いの場ではもう少し気まずそうにしていた気もしたが、それは私の気のせいだったのだろうか。まあ今はそんなことどちらでもいいか。

 

 ……それにしても今の演奏。

 エマから作曲を担当しているという話は聞いてはいたが、こう目の前で演奏を聞くとその姿に驚かされる。私が知っていた彼からは想像も出来ない姿。

 

「ねえ……虹くん」

 

 だから、だろうか。

 不意に浮かんだ疑問を言葉にするように、問いかける私。

 

「もしも―――私に作るとしたら、どういう感じになるのかしら、なんて」

「え?」

 

 疑問―――沸きあがった好奇心は留まることを知らず。そう問いかけた私に虹くんは驚いた表情を見せる。そしてそのまま彼は少し悩んだ素振りを見せた後、何かを確かめるようにギターの弦に触れ、一音を鳴らした。

 

暫定(・・)ですが……まあ弾けなくはなさそう、ですけど」

「暫定……?そ、それじゃあお願いしても、いいかしら」

 

 彼のいう暫定という言葉はともかく、弾いてくれるというのであれば彼の優しさに甘えよう―――本当は、色仕掛けの一つでも必要かと思ったんだけど。

 

 そんなことを考えながら、応えた言葉。

 しかし彼は既にそんな私の姿には目もくれず、真剣な眼差しのままギターのフレット部分に視線を向けており、そのまま弦を弾くように右手を素早く動かした―――。

 

「―――!!」

 

 ―――それは先ほどの曲調とは全く異なる鋭く、激しい、情熱的な旋律。

 

 その旋律の中に感じる彼の描く色とりどりの世界―――それはまるで風が吹き抜けるかのように私の胸を突き抜け、駆け抜ける。

 息をするのも忘れてしまいそうなほどにその世界は眩く、思わず目を瞑ってしまいそうになるけれど。そんな私をも嘲笑うかのように浮かび上がっていく色鮮やかな情景。

 その景色は今まで私が見たこともない夢のような世界―――そして、そんな世界に抗えるわけもなく、私の胸もまた大きく鼓動を打った。

 

 そんな彼の描く世界に息をつく暇もなく―――私は。

 

「―――っ!!」

 

 不意にむせ返り大きく咳き込む。

 息をするのも忘れてしまいそうなほど―――と言うのも単なる比喩表現ではなく、私は本当に息をするのも忘れて彼の演奏に聞き入ってしまっていたのだ。

 忘れていた息継ぎを思い出すようにむせ返りながらも肺に空気を送り、平穏を保とうとするのだが。

 

「!?朝香せんぱっ―――」

「ご、ごめんなさ―――」

 

 むせ返った私に驚き、演奏を止めた彼。

 隣でワタワタと焦った様子を見せた彼に申し訳なさを感じてしまうが、ほんの数秒前の真剣な表情の彼とのギャップを感じてしまい、思わず頬が緩む。

 しかし咳き込む喉は変わらず、彼は心配そうに私の背中を擦りながら、解決策を探すように周りをキョロキョロ見回してくれていたが。

 

「―――み、お水っ」

 

 一方が焦っているともう一方が冷静になるの法則、って何かのテレビで見たわね。

 冷静に咳き込む喉でそう伝えると、彼はハッとしたように彼と私の間に置かれた飲みかけのペットボトルの蓋を開け、私に差し出した―――けどこれって。

 

 脳裏に浮かんだ考え。しかし背に腹は変えられないと彼の渡すペットボトルを受け取り、咳き込む喉へと流し込み、潤いを取り戻す。

 

 息を切らしながら飲み口から口を離し、彼の渡してくれたペットボトルのキャップを締める。

 ついさっきまでは焦った様子で心配そうにしていた筈の隣の彼だったが、何やら今は熱っぽい視線を私に向けているようだが―――どうやら彼もそのこと(・・・・)に今更気付いたようだ。

 

「虹くん、これありがとう。助かったわ」

「あ、ああっ!い、いえいえお構いなく……」

 

 平静を装いながら飲みかけのペットボトルを渡し、笑顔を浮かべる。

 そんな私に焦ったように返答を返した彼だったが、私は彼の視線がペットボトルの先に向けられていることに気付き、思わず頬を緩ませた。

 

 ―――やっぱり。

 

 一瞬の静寂の後、私の手に持ったペットボトルを受け取ろうと手を伸ばす彼。

 しかし伸ばした先、掴んだペットボトルは彼の手に移ることはなく、一本のペットボトルが二人の手を繋いだ。理由は簡単なことなんだけど。

 それ(私が手を離していないこと)に気付き、下げていた視線を上げた彼―――頬を赤く染める虹くんに向け、私は囁く。

 

「これって―――間接キス、よね♡」

 

 キス―――その言葉を強調するように人差し指を唇に当て、囁いた言葉

 その言葉により一層顔を赤くした彼はそれを隠すかのように顔を背けてしまい、そんな可愛らしい姿に思わず笑いが込み上げてしまう。

 

「―――あっ、朝香先輩ィ!!」

「ご、ごめんなさいっ。こ、虹くんの反応が可愛くてついっ……ふふふっ」

 

 込み上げる笑いを隠すようにそっぽを向く私だけど。これ以上は本当にエマに怒られかねない。

 そう考えながらも笑いは止まらず。彼への謝罪の言葉を考えながら、怒った様子で私の名前を呼ぶ彼の隣で、二人の時間は過ぎていくのであった―――。

 

 

 ◇

 

 

「ねえごめんなさい。機嫌直して、ね?」

「……」

 

 申し訳なさそうに手を合わせ謝罪する朝香先輩に、そっぽを向きギターの弦を弾く。

 

 彼女との雑談の最中、こちらのギターに興味あり気な様子を見せた朝香先輩に、歩夢の曲の一節を弾いてみせた所。彼女から問いかけられた言葉―――それは自分に作るとしたらどういう感じの曲になるのか、というもの。

 

 作曲の取っ掛かりを“イメージ”から作っていく俺のスタイルなら、本来であればすぐに断れるような提案だったのだが。ふと元々知っていた(三年生に読者モデルをやっている)彼女に対する(超絶美人の先輩がいる)知識と+(プラス)して、最近の彼女との交流が増えたことを組み上げてみたところ、暫定ではあるが“イメージ”を形作れそうだったので試しに演奏してみたという話で―――いや、そこまでは良かったんだ。

 

 一生懸命(ここ大事)弾いている最中に突然、朝香先輩が苦しそうに咳き込み始めたので、手元にあった飲み物を渡した所、優しい俺の良心を弄ぶかのように囁かれた言葉。

 

 ―――間接キス、よね♡

 

 正直俺も朝香先輩が口を付けてからハッとしましたけど、それでも辛そうに咳き込んでた彼女を心配して渡したものだったのに、あんな風に言われると―――。

 

 ―――正直、興奮しますよね。はい。

 

 彼女と出会った最初から言ってるけども、読者モデルを務めるほどの美貌を持った、妖艶で美しい上級生でもある朝香果林先輩と、こういう関係になっていると言うのは本音を言うと嬉しいんです。

 

 し、仕方ないじゃん!!俺だって健康優良児の思春期真っ盛りの男の子なんだし!そ、そもそもえっちなお姉さんが嫌いな男はいねえだろうがふざけんじゃねえぞ!!

 

 とは言ってもさっきのは俺が、じゃなくて朝香先輩が俺の飲みかけを飲んだってだけの話だし、俺がそこまで意識をする必要もないかも知れないけど。

 むしろ朝香先輩が意識でもしてたら~なんてことも思ったが、この様子を見る限りやはり俺はアウトオブ眼中ってことでやっぱり朝香先輩ってそういう経験も豊富なんだろうなあ……。

 

「……はあ。まあいいですよ、飲みかけ渡した俺も悪かったですし」

「ち、違うのよ?咽せたってのは本当で飲み物をくれたのも本当に助かったのよ?本当よ?」

 

 そういう話もあり、彼女と距離を置くように一つ隣のベンチに移動した俺。

 先ほどまで俺も座っていたベンチに腰掛ける彼女はこちらに釈明するようにそう言っているが、さてさてどこまで本当なのやら。

 

 彼女と出会ってから男心を弄ばれるのはこれでもう何度目かも分からない、だからこそあらためて思うのだが……。

 

「……本当今更ですけど朝香先輩ってエマ先輩と全然タイプ違いますよね」

「え?」

 

 そんな今更な問いかけに首を傾げる朝香先輩。

 勿論、俺が知らないだけで似ている部分もあるとは思うが……。む、胸とか?それは知ってたわ。

 

「いえ、性格とかもろもろ全然違うなーって思いまして。そもそもお二人ってどうやって知り合ったんですか?」

「あら虹くん、そんなにお姉さんのこと知りたいのかしら」

「……それじゃあエマ先輩に聞くんでいいです」

「ちょちょちょちょっと待って、虹くん冷たくない?」

 

 問いかけた言葉にまたもや色気を醸し出し微笑む朝香先輩。

 しかしそう一日に何度も弄ばれれば心も凍るというもの。バッサリと切り捨てたこちらに焦る様子を見せた朝香先輩だったが、仕切り直すようにと咳払いをし、釈明するように口を開いた。

 

「どうも何も校門前で寮の場所を探していたエマに私が声をかけたってだけよ」

「寮の場所を?」

「ええ、スイスからこっちに来てすぐだったみたい。見かけない服装だったし、キャリーケースもあったから新入生かと思ってね」

「へえ~……朝香先輩がですか?」

「今の話の流れ的に、私以外に誰がいるって言うのよ」

 

 思わず驚きの声がこぼれる。

 と言うのも噂に聞いていた朝香果林という人物はもっとこう、高嶺の花と言うか、誰も寄せ付けないような美貌と彼女自身もあまり多くの人と関わろうとしないような一匹狼。

 そんな勝手な印象を持っていたわけなのだが。真実は違ったみたいだ。

 

 まあ今こういう風に純情な後輩の男心を弄んでいる辺り、多少はフランクな人なんだとは思っていたが―――。

 

「……俺、朝香先輩のこともっとこう……冷たそうな人だと思ってました」

「……虹くんごめんなさい。さっきのことは本当に謝るから許して頂戴」

 

 あ、何か言葉選びミスったか?

 要らぬ誤解を与えてしまったみたいで、悲しそうな声音で視線を落とす朝香先輩。

 

「あー……いえそういう悪い意味じゃなくて。もっとその困ってる人がいても視界に入れないように入らないようにすると言うか。良い意味でも悪い意味でもクールと言えばいいのか、損得で考えてそうな感じしてました」

「虹くんお姉さんに出来ることなら何でもするから、ね?それ以上はやめて」

 

 えっ―――今何でするって……ってそうじゃなくて!

 

「最後まで話を……。思ってました(・・・・・・)ってだけの話ですから、さすがに今は違いますよ」

 

 少なくとも今の話では彼女がそんな勝手な印象通りの人物でないことは明らかであろう。

 声をかけてもらえたエマ先輩からすれば、スクールアイドルになる為に遥々スイスから留学に来て、頼れる家族もいない異国で、困っていた時に手を差し伸べてくれた相手がいたと言うのは本当に嬉しく喜ばしい出会いだっただろう。

 そしてそれは彼女の気まぐれだったと言うわけではなく、朝香先輩は見かけない人だったからという理由だけで、声をかけてあげる優しい人なんだと言うことが俺にも分かった。

 

「本当良い女ですねえ朝香先輩。寮には無事案内出来たんですか?」

「褒めてるのか貶してるのか分かんないわね……。さすがに学園から寮までの道のりぐらい分かるわよ」

「寮の場所は分かるのにどうしてお台場で迷子になってるんですか……」

 

 数週間前、かすみに呼び出され、侑と歩夢と再会を果たしたデックス東京ビーチからの帰り道の出来事。道に迷っていた彼女を女子寮まで案内したことが一度だけある。

 その時、いつもはエマ先輩に迎えに来てもらっていると言っていたが、エマ先輩と出会う前まではどうやって過ごしていたんだろう?

 

「あ、あの時はたまたまよ。暗くて道が分かり辛かったの」

「別れた時は思いっきり夕方だった気がしますけど……」

 

 必死に言い訳をする朝香先輩に普段の彼女とはまた違った可愛さを感じてしまう。

 そういえば、せつ菜との一件もエマ先輩絡みだったこそ、あそこまで力を入れていたということだろうか。それにしても見知らぬ男子生徒に声をかけて聞き出そうとするなんて、友人の為とは言え普通はやらないだろ……。

 

「ま、まあそれから食堂でエマから声をかけられて今に至るって感じかしら」

 

 そう言い話の区切りを付けるように背を伸ばし、ベンチから立ち上がる朝香先輩。

 無論俺もその動きに反射するように立ち上がり、距離を取る。自然に話が出来たからといって警戒が解かれたわけではない。SAVE THE 思春期の男心(思春期の男心を守れ!)

 

「……今日のところは帰るわ。ちょっとやり過ぎちゃったわね、本当にごめんなさい」

 

 そんなこちらを見てかはいざ知らず、申し訳なさそうに謝った朝香先輩。

 それでも変わらぬこちらの姿に別れを告げるように背を向けた―――その瞬間。

 

「―――?」

 

 軽快な音楽と共に立ち止まった朝香先輩。

 彼女がポケットから取り出したスマホにその音が着信音だと言うことが分かり、電話に出た彼女に警戒を解くように俺は再度ベンチに腰かける。

 別れのタイミングとしてはちょうど良かったな。

 

「―――エマ?どうしたの」

 

 そのままギターを構え直した俺の耳に飛び込んできたその名前―――エマ先輩か?

 まあ俺と彼女の共通の知り合いでエマと言われれば一人しかいないし、彼女たちの練習前の柔軟を朝香先輩に指導してもらっていると言うのは知っているが……。

 もしかしてミーティングがもう終わったのだろうか。それにしても当日電話で誘うのは急な気がするが……。

 

 しかし電話の内容はやはり同好会絡みらしく、振り返った彼女は不思議そうにこちらに視線を向けるのだが、俺にも一体何の相談なのか想像も付かない。

 

「衣装?クラスに服飾同好会の子はいるわね……。まだ校内にいると思うし、聞いてみるわ」

 

 首を傾げる俺を尻目に朝香先輩と、その電話先にいるであろうエマ先輩は話を続ける。

 どんな内容かは分からないが男手が必要であれば、LINK(メッセージアプリ)で連絡が来るだろうと、彼女たちの電話が終わるまでの暇をもてあそぶようにギターの弦を弾き、音を鳴らす。

 

「虹くん?ええ、いるわよ。西棟屋上で会ってさっきまで一緒にお話ししてたの」

 

 指を動かしギターの音を変えながら、彼女の電話が終わるのを待つ。

 ギターを弾き始めたことで、こちらからは彼女たちが何を話しているのかは分からなくなってしまったが、聞いても片っぽの会話だけでは分からないんだし、終わるまで適当に弾いていよう。

 

「え?え、ええ分かったわ。伝えておくわね。ええ、じゃあまた後で」

 

 思ったより話が早く終わったようで、朝香先輩が耳からスマホを離したことに気付き、俺も演奏を止め顔を上げる。

 その視線の先、首を傾げたままの朝香先輩が口を開いた。

 

「中須さんたちが部室を飛び出していったって、エマから」

「?」

 

 そう一言―――え?一体何の話、お手洗いに行ったってこと?

 

 意味が分からず首を傾げる彼女と、状況が分からず首を傾げた俺。

 エマからそう伝えるように言われたというが、どういうことだろうか?

 

 そう、頭を悩ませる俺であったが―――。

 俺がエマ先輩の言葉の意味を知るのは、そのほんの数分後のことであった。

 



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27 執事コウ

「コウ先輩ぁああああああい!!!」

「コウさぁあああああああん!!!」

 

 大声を上げながら、西棟屋上に飛び込んできた二つの人影。

 

 俺のいるベンチからではその姿は米粒程度にしか視認出来なかったが、綺麗な黒の艶髪と暖かな色のショートボブをした彼女たちに向け、手を振る。

 

「おっ。二人ともお疲れー」

 

 こちらに駆けてくる足音と共に米粒サイズだった姿はみるみると大きくなり、練習着を着たままの二人は俺のそばまで来ると、砂埃を上げながら急停止し、キッとした顔でこちらを見た。

 

「こ、コココォウ先輩!!かすみんたちに内緒で果林先輩と2人で何してたんですか!!」

「そうですコウさん!!正直に白状して下さ―――」

 

 必死な形相でそう問い詰めるかすみとせつ菜。

 

 そんな二人に思わず面食らってしまうが、そう言いかけたせつ菜は、隣のベンチに座る朝香先輩の様子に気付いたように言葉を言い止め、こちらを見た。

 

「え?いや、これと言って変なことは……?」

 

 何をしてたかと言われても、男心を弄ばれただけとしか言いようがないのだが……。

 見ての通りであると言わんばかりに、と言うか結局それしか言えない俺は必死な形相の二人にそう答える。

 

「……あ、あれ?」

「えーっとこれは……」

 

 我に返ったようにいつもの様子に戻った二人は、明らかに距離の空いた俺たちにも気付いたようで恥ずかしそうな表情を浮かべた。

 

「な、なんか思ってたのと違いますね……」

「そ、そうですね……」

 

 何を思っていたのかは分からないが、部室からここまで走ってきたのか微かに赤くなっていた頬を更に赤く染め、そんな恥ずかしさを誤魔化すように頬を掻くのだった。

 

「……と言うかせつ菜も走ってきたのか?表では生徒会長やってるんだし、廊下を走っちゃダメだろ。かすみも、誰かとぶつかって怪我でもしたらどうするんだ」

「ご、ごめんなさい……」

「かすみんも反省します……」

 

 

 ◇

 

 

「だから愛さん言ったじゃん〜しもみーなら大丈夫だって」

「まあ、心配してくれたのは嬉しいんだけどね」

 

 両手を頭の後ろに当て、ケラケラと笑いながら俺の隣を歩く愛。

 きっと二人は俺が朝香先輩にイジメられてるんじゃないかと心配して来てくれたんだと思うけど、そんな必死に走ってこなくても……。

 

 あれから西棟屋上に遅れてやってきた愛、しずく、璃奈ちゃんと合流した俺たちは、朝香先輩が紹介してくれるという、彼女のクラスメイトが所属する服飾同好会の部室へと向かっていた。

 俺たちの前には朝香先輩。後ろには反省した様子で肩を落とすかすみとせつ菜。そんな二人をフォローするように両隣にはしずくと璃奈ちゃんといった並びで歩いていたのだが……。

 

「えっと……」

「……部室棟はこっちですよ、朝香先輩」

「え、ええ、そうね。そうだったわね」

 

 この先輩、思っているより方向音痴なのか……?

 

 服飾同好会自体、彼女の紹介ということもあって目的地まで先頭を歩いてもらっているわけなのだが、西棟屋上から部室棟までの短い距離でも何度か道を間違え、その度に今みたいにさり気なくフォローを入れているといった状況であった。

 

「ねえねえしもみー、もしかして朝香先輩って方向音痴だったりする?」

 

 隣を歩く愛は不意にこちらに顔を寄せ、そう囁く。

 

 周りには聞こえないように配慮してくれたのは彼女なりの気遣いだろうが、肩が触れ合うほどに近付いてきたこともあって、彼女から香るお日様の温かな匂いが鼻孔をくすぐり、不意に胸が高鳴る。

 

 無意識での行動に間違いないと思うのだが。ここのところ、言うか同好会に入部してからというもの、彼女の距離がやたら近い気がするのだが気のせいだろうか。

 

 まあ同じ同好会に入って、物理的に会う機会が増えたというのが一番の理由だろうけど。

 単に今まで比べたらというだけの話ではあるし、別に距離が近くなったこと自体が嫌というわけではないのでわざわざ聞いたりしないが。俺の自意識過剰かも知れないしね。

 

「……多分、そうだと思う」

 

 先ほど話してた時は前は暗くて道が分かり辛かったからとは言っていたが、新入生ならともかく二年をこの学び舎で過ごしてきた彼女が、比較的に分かり易い部室棟までの道のりを間違えたと言うのがその(方向音痴の)何よりの証拠だろう。

 

 まあ全てが完璧な人間より、少し抜けてるぐらいが親しみやすくて好きなんだけどさ。……というかそもそも屋上まではどうやって来たんだろ?

 

「果林ちゃ~~ん!皆~!」

 

 そんなことを考えながら部室棟に辿り着いた俺たちは、部室棟のちょうど中央にある写真部や園芸部、美術部の展示コーナーの近くで大きく手を振る人影に気付き、そちらへと足を向かわせた。

 

 部室棟の中央で俺たちを迎えたのはエマ先輩を始めとした部室に残った同好会の面々。

 その中の一人、高咲侑は歩いてくるこちらの姿を見るなり、楽しそうに口元に手を当てニヤニヤと笑いを浮かべるのだった。

 

「……なんだよ、侑」

「いやぁ?私の幼馴染がこんなに女の子をたぶらかして、両手に花どころかもうお花畑だなって思って」

「……お花畑なのはお前の頭の方だろっ」

「あいたっ」

 

 そう言い笑う侑の頭に軽くチョップを入れ、本題に移るように合流したエマ先輩と話す朝香先輩に視線を向ける。

 

 ―――先ほど、エマ先輩が朝香先輩に連絡を入れ、ここに呼んだ理由。

 それは本日のミーティングの議題として挙げられた「PV制作(・・・・)」に関連したお願いということであった。

 

 と言うのも先日投稿したかすみと歩夢の自己紹介動画。その再生数がここ最近伸びていることを受け、今日のミーティングではせつ菜からの提案の元、同好会メンバーそれぞれのソロPVを作ろうという話になったらしく。その内容としては自己紹介や特技など、自分をアピール出来るものを上げていき、作りたいPVのイメージを固めていくといった感じだったのだが。

 

 そんな中、エマ先輩が挙げたイメージというのが「人の心をポカポカ(・・・・)させちゃうようなアイドル」

 しかしそれは、それを挙げた彼女自身にも一体どういったアイドルなのかが分からず、そんな彼女に同好会の皆も思い思いのアドバイスを送ったのだが、個性もタイプも違う彼女たちが出した答えは全員バラバラ。結局は本人のイメージが一番大事という話になり―――。

 

 向けた視線の先、朝香先輩はこちらの視線に気付くと、エマ先輩との会話に一旦区切りを付けるようにポケットからスマホを取り出し、画面を点灯させた。

 

 点灯させたスマホにはどうやら新着メッセージが届いていたようで、素早くを返信を返した彼女は、そのまま顔を上げ視線を向ける俺たちへと応えるのだった。

 

「それじゃあ衣装の準備も出来てるみたいだし、向かいましょうか」

 

 

 ◇

 

 

『―――うわあ~~!!!』

 

 扉を開けた先、服飾同好会の部室に並べられた色とりどりの衣装。

 その様子に喜びとも感動とも取れるリアクションを見せるスクールアイドル同好会の女性陣。つっても俺以外全員女性陣なんだけど……。

 

 胴体だけのマネキン―――トルソーに飾られた衣装に、机の上に置かれた数々のミシンやそれに付随する裁縫を行うための道具。中には立派なフィッティングルームもあり、棚には所狭しと服飾に関係する本や参考書、裁縫道具が収納されているであろう箱などが並べられていた。

 

 彼女たちが入室したのを確認するように遅れて部室に入った俺は、部室内に散り散りとなって裁縫道具や衣装を観賞する彼女たちと共に部室をぐるりと一周見回した。

 

「―――本当にありがとうございます!」

「ん?」

 

 各々が服飾同好会の部員さんに衣装や裁縫道具の説明を受けている中、ハッキリと聞こえてきたせつ菜の声。

 そちらを向くとせつ菜と、彼女(せつ菜)に手を握られ少し緊張した面持ちをした緑色(三年生)のリボンをした生徒―――服飾同好会の部長らしき人物が話している姿が見えた。

 

 朝香先輩の紹介とは言え、急なお願いを快く受け入れてくれた服飾同好会の部長さん―――部員の皆さんには感謝しなければならないな。

 

「あっ、コウさん!」

 

 そう考えそちらへ近付いた俺に、部長さんの手を離したせつ菜はこちらの姿に気付いたように振り返りパァっと笑顔を浮かべた。

 

「えっと、服飾同好会の部長さんですよね。すみません突然のお願いで……」

「あ、ああ、いえ!そ、その作業も落ち着いてた時でしたし全然……!」

 

 せつ菜の隣に立ち、服飾同好会の部長さんにもそう伝えると、彼女は先ほどまでせつ菜と合わせていた筈の視線を下ろし、慌てた様子でそう答える。

 

 先ほどとは違う彼女の様子に首を傾げる俺だが―――あっ、そういやスクールアイドルで活躍しているせつ菜や部室棟のヒーローのような愛とは違い、裏方で仕事をしている俺のことを知らなくても当然か。

 

 そんな相手から声をかけられれば驚くのも当然のこと。

 そもそも彼女からすれば女性だらけの同好会で一人だけ男子生徒が混ざっている姿が異様に見えるかも知れないし、ここで他の同好会からの心象を良くしといて損はないか。

 

「すみません、挨拶が遅れました。えっと俺は下海―――」

「―――下海虹くん、ですよね?」

「え?」

 

 改めて自己紹介をしよう。そう考え口を開いた俺だったのだが、そんな考えを否定するように彼女から呼ばれた名前に思わず間の抜けた声がこぼれる。

 

 気付けば先ほどまで下ろしていた視線はジッと俺を見つめており、そんなギラギラとした瞳に俺は何かを予見するように思わず数歩後ずさった。

 そして服飾同好会の部長である彼女は胸元で手をギュッと握ると、意を決したように息を吸い、周りが振り向くほどの声量を出すのだった。

 

「あ、あの!お願いがあります―――!!」

 

 

 ◇

 

 

『―――おおおおおお~!!!』

 

 ここに来た最初より何倍もの大きな声を上げ、それぞれ思い思いのリアクションを浮かべるスクールアイドル同好会と服飾同好会の面々。

 

 しかし、その視線の先―――執事服(・・・)に身を包んだ俺の表情は浮かなかった。

 

 あの後、服飾同好会部長直々の“お願い”という名目でフィッティングルーム―――試着室に放り込まれた俺は、中に用意されていた衣装への着替えを命じられ―――。

 

「あっはははははは!こ、コウッそのかっこ―――あっはははは!!」

「こ、コウくん。す、スゴイ似合ってるよ……!」

「……」

 

 ―――今に至るというわけなのである。

 

 不服そうに眉をひそめる俺にはお構いなしといった様子で侑は腹を抱え笑い、目を真ん丸くさせた歩夢は驚いた様子を浮かべていた。

 

 いや、さすがに俺も最初の用意された衣装を見た時は断ろうとした。

 

 しかし理由はどうであれ服飾同好会の部長さんがスクールアイドル同好会の皆の為に衣装を貸してくれるというのだ。

 その好意にはそれなりの対価があって然るべきであり、少なくともスクールアイドル活動を続けていく中で、彼女たち服飾同好会の存在というのは、こと衣装の面におおいて大きな力となることだろう。

 

 そう、俺が着せ替え人形となることで、スクールアイドル同好会皆の力になれると言うなら俺は甘んじてその役割を引き受けよう。と

 

 そう考え、意を決して執事服へと袖を通したというわけである。

 

「えっ、ちょ、ちょっと待って。しもみー?え、嘘、ヤバ……」

「こ、コウ先輩……カッコいい」

「うお~……コウくんスゴいねえ、カッコいいねえ」

 

 口元に手を当て早口で何かを呟いてたり、キラキラとした瞳で真っ直ぐに見つめていたり、孫を見るような温かい目で見ていたり。

 各々が各々の反応を見せているのだが―――。

 

「……あの。目的はエマ先輩のPVイメージの為ってことをお忘れなく……」

 

『―――あ』

 

 ―――元々ここに来た理由は彼女、エマ・ヴェルデ先輩のPVのイメージを見つける為である。

 

 と言うのも先ほど、エマ先輩のPVのイメージに対し、部室内での話し合いで本人のイメージが一番大事という話になった後のこと。

 

 少しの間、頭を悩ませていた同好会メンバーだが、しずくがふと口にした「衣装を着るとイメージが湧いたりする」と言う発言に解決の糸口を見出したらしく。

 そして、偶然にもエマ先輩の親友である朝香先輩が衣装―――服飾関係の学科の人物と言うこともあり、そのツテを頼り服飾同好会の部室に辿り着いたというわけなのである。

 

 決して俺にコスプレをさせて辱めようというわけではないのだ。

 

 俺がそう言うと全員が一斉に動きを止め、思い出したかのように焦った様子で動き出した。

 

「ご、ごめんエマさん!こ、この衣装とかどうかな?」

「え、エマさん!こっちの衣装もイメージしやすそうでいいのでは!」

「う、うんっ!そうだね、すぐに来てみるよ~」

 

 忘れてやがったのかコイツら……コスプレ撮影会をしに来たんじゃねえんだぞ。

 そもそも唯一の男子部員だから白羽の矢が立っただけだと思うけど、俺のコスプレとか一体誰得って話だっつーの。黒歴史にならないか心配なんだが?―――と言うか今思ったけど、この衣装思ったより生地がしっかりしてるのな。

 

「―――コウさん」

 

 そんなことを考えながら、ふと身にまとった衣装をマジマジと見ていると不意にかけられた声。

 

「せつ菜?」

 

 その声の主―――優木せつ菜はどこか目を泳がせながらこちらに近付くと、恥ずかしそうに顔を赤らめ、小さく口を開いた。

 

「あ、あの。い、一緒に写真撮ってもらえませんか?」

「―――はあ?」

「お、お願いします!」

 

 突然せつ菜が言い出した言葉に思わず素っ頓狂な声が出る。

 頬を赤らめたせつ菜はポケットから取り出したスマホで顔を隠しながら、緊張した面持ちで頭を下げそう言った―――いや顔は隠れてねえけどさ。

 

「ええっと、まあ一枚ぐらいなら―――」

「!!ほ、本当ですか!そ、それと出来ればその格好で言って欲しい台詞も何個かありまして、私の一押しとしては『白執事』のウイングハイヴ伯爵家の執事のセバスチャンの台詞なんですけど、他にも『カエデのごとし』に出てくる絢崎カエデくんの台詞とか『妖狸×俺SS(ねこおれサーバントサービス)』の御狸神くんとか他にも―――」

「ちょっとちょっと多い多い多い多い!!!!」

 

 こちらが言い切るか言い切らないかのタイミングで早口でまくし立てたせつ菜に、その半分も聞き取れず俺は思わずツッコんでしまう。

 

「あ、ああ……!ごめんなさい、コウさん私っ!」

「まあとりあえず写真は撮るから、台詞も……恥ずかしいけど言ってくれれば―――」

 

「―――お嬢様」

「―――え?」

 

 頭を下げたせつ菜をなだめ、彼女の希望にも出来るだけ添えるようにとしていた中、聞こえてきた声。

 

「かすみ?」

 

 その方向を向くと、真っ直ぐと真剣な表情をしたかすみが俺を見つめており、そのガーネットの宝石のような瞳をこちらに向けたまま、彼女は言葉を続けた。

 

「―――コウ先輩はかすみん王国の姫であるかすみん直属の執事です」

「え……?」

「コウ先輩は代々かすみんの家に仕えてきた執事の家系の末裔」

「か、かすみ……?」

「かすみん達は幼い頃からの幼馴染で、兄妹のように過ごしてきた仲」

「さ、さっきから何を言って……」

「だけど年齢を重ねるにつれ、それぞれが担った立場を意識し始めます」

「あ、あれ……」

「それと同時にコウ先輩はかすみんを姫と―――一人の女性として意識してしまって」

「お、俺は……」

「そんな明くる日の朝。いつものようにかすみん姫を起こしに来たコウは―――」

 

 

 ◆

 

 

「―――姫様、朝ですよ」

 

 大きな城の一室に置かれた天蓋付の大きなベット。

 

 閉じられたカーテンの隙間から漏れる日の光の朝を告げており。

 部屋の中央、ベッドの上で先ほどから微かに揺れ動く寝具が、愛しい彼女がちゃんとそこにいてくれているということを示しており、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 顔まで埋もれるように、膨れ上がった寝具を少しだけめくると、小さな寝息を立てながら安らかに眠る愛しい彼女―――かすみん姫の姿がそこにあって。

 昨日は夜更かしでもしていたのか、未だ夢の中のようで、少しはだけた寝巻を整えることもせず、無防備に眠るその姿に思わず胸が高鳴る

 

「―――ほら、起きて下さい姫様」

「―――んー……」

 

 そんな気持ちを抑え、眠るかすみん姫を優しく揺らし声をかける執事―――コウ。

 

 しかしそんな優しい目覚ましには気付かないといった様子で眠りこけるかすみん姫。揺らす度にはだけた寝巻から覗く白い肌がコウの胸の高鳴りを早めるだけでした。

 

 昔は一緒に寝たこともある仲なのに、今は無防備に眠る姫にそんな邪な気持ちをい出してしまう自分に罪悪感を感じるコウ。しかし、その邪は好きだからこその裏返しなんだと言うことにも気付かぬまま、自分はあくまで姫を支える執事という立場を思い返し、その気持ちを今一度押し殺すのだった。

 

「もうっ王妃様に怒られるのは私なんですからね」

 

 だけどコウも年頃の男児、これ以上姫様のこんな無防備な姿を見ていると頭がどうにかなってしまいそうだと、先ほどよりも強く姫の肩を揺らし、自分の役割を全うしようとするコウだったのだが―――。

 

「姫さ―――うわっ!!」

 

 突然伸ばされた手はコウの腕を掴み、そのまま自ら―――姫の元へと引き寄せた。

 不意を突かれたせいかベッドに引き込まれるコウ。すぐに抜け出そうと考えるのだが、乱暴に抜け出して、目の前の姫に傷をつけてはいけないと抗うことも出来ず、その勢いのまま姫の柔らかな胸に抱きしめられた。

 

「ひ、ひ―――むぐぐっ」

「えへへ~コウ……むにゃむにゃ」

 

 すぐさま抜け出そうとするのだが、まるで絵に描いたような寝言と共にギュッとコウを抱きしめたかすみん姫。

 姫の胸の中に納まったコウはその柔らかな感触と優しい匂い、そんな心地よさに思わず身体から力が抜けていくのを感じた。

 

 ああ、このまま眠ってしまえば―――子供の頃のようにキミの隣でいられるだろうか。

 

 それはただの夢物語。そんなことは分かっているけれど。

 齢15を越えて立派な成人としての責務についているかすみん姫とコウの立場はあくまで一国の姫とその執事。

 姫様と一緒にベッドで眠りこけている姿なんて見られた日には、王国に仕えてきた一族の恥として国から追放される可能性すらある。

 

 抱きしめた力が少し緩んだ隙に姫の拘束から抜け出し、胸の高鳴りを抑えるようにベッドの上で息を整えるコウ。

 赤らめた頬を少しずつ冷ましながら見つめる先、未だ優しい寝息を立て眠るかすみん姫。

 そんな無防備な姫の寝顔に収まっていた筈の鼓動が少しだけ早まるのを感じた。

 

 ―――本当に隙だらけじゃねえか。

 

 眠る姫を起こさないようゆっくりと近付き、ジッと見つめるその寝顔。

 

 長いまつ毛、キレイな鼻、キメ細やかな肌―――柔らかそうな唇。

 

 それはいつかどこかの誰か、今は名前も知らぬ誰かと婚姻を結ぶ時。

 婚約の刻印として使われる―――口づけを交わす部位()

 

「―――姫様が……」

 

 それを、誰かに奪われるぐらいなら―――。

 

 少しずつ、少しずつ、ゆっくりと、より近く、眠り姫へと近付いていく。

 胸のドキドキがうるさい。だけどもう止められない。

 胸の高鳴りに耳を塞ぐように、息がかかるように距離でコウは―――。

 

「―――かすみが悪いんだからな」

 

 無防備に寝ているお前が悪いんだと言うように目を閉じ。

 

 そのまま、口づけを―――。

 

 

 ◆

 

 

「なんて……キャ~~~~~~!!!」

「……何言ってんだお前」

 

 頬に両手を当て身体をくねらせるかすみを呆れたように見つめる俺。

 真剣な表情で何を話すかと思いきや、さっきのせつ菜と言い女の子ってのは執事が出てくる作品が好きなもんかねえ。

 

「さすがかすみさんです。一国と姫と姫に忠誠を誓う執事のラブロマンス。二人は本来幼馴染で親しい仲だと言うのに、年齢を重ねたことによってそれぞれの責務を果たさなければならない立場となり、昔のようにはいられなくなる。だけど心の奥底には幼い頃から感じていた思いが、離れてしまったことによってより強く、互いを異性として意識し始めてしまって―――」

「……おーい、せつ菜―?帰ってこーい」

 

 突如饒舌に語り出したせつ菜と未だイソギンチャクのようにクネクネと動くかすみ。

 

「―――だけど日常では姫と執事という互いの立場として平静していなくちゃいけない。そんなモヤモヤとした気持ちを胸に抱え接している中での出来事」

「だ、ダメですコウっ……そ、そんな……」

「せつ菜?かすみ?おーい」

「無防備に眠る姫の姿とその姿をどうしても意識してしまう執事。朝起こしに来たという習慣的であると思われる行動に邪魔者はおらず、部屋には完璧な二人だけのシチュエーション―――」

「コ、コウ。ダメッ……眠っているかすみん姫に……あ、あぁ~~!」

「……ダメだ、聞いちゃいねえ」

 

 うわ言のように話し続ける二人はひとまず置いといて……。

 

「何やってんのお前らは……」

 

 服飾同好会の部室内―――隣の試着室で衣装に着替えているエマ先輩と、それをすぐにフォロー出来るように待機する侑と歩夢。他の衣装を吟味するようにトルソーとハンガーラックを見ている彼方先輩と朝香先輩。

 

 そして―――。

 

「え?順番待ち?」

 

 目を向けた先。当たり前のようにそう口にする愛と、その後ろに並ぶ璃奈ちゃんとしずくに服飾同好会の面々。

 

「は、はあ?じゅ、順番待ちぃ?」

「かすみんとせっつーの分ってもう終わったよね。だから次は愛さんがお願いしてもいいかな?」

「え、えっと……な、何を?」

「え、写真だけど?あ、愛さんのはそ、そのツーショットで……」

 

 そう言い、少し顔を赤らめてスマホを構えた愛の姿にハッとしたように彼女の後ろに並ぶ列を見た。

 

「ツーショット、スマホの壁紙にしたいからその……」

「わ、私はその演技の参考に……」

 

 璃奈ちゃんとしずくも照れ臭そうにそう言い、更にその後ろに並んだ服飾同好会の人たちのほとんどがスマホを構えており、その姿に愛の言う順番待ちという意味を理解したと同時に開いた口が塞がらなかった。

 

 おいおい。そんな、まさか、まさかそんな―――

 

「―――執事ってこんなに流行ってんのか……?」

「んー……なんか変な勘違いしてるみたいだけどまあいっか。ほらっしもみー撮るよ~!」

 

 そんな俺にはお構いなしといったように、身体を寄せた愛はスマホのカメラを構える。

 練習着姿の愛に執事服姿の俺。スマホの画面越しでもそれは異様な光景であった。

 

 まあ人数もそんなに多くないし、エマ先輩が着替え終わるまでに済ませよう……。

 

 俺がそう決意したと同時に、服飾同好会の部室にスマホのシャッター音が鳴り響いたのだった。



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28 甘~いおねがい♡

「ご主人様お帰りなさいませっ―――なんて」

 

 少し照れくさそうに笑うエマ先輩―――否、メイドのエマ。

 彼女はこの家の使用人であり、下海家の長男である俺こと下海虹直属のメイドである。

 

「―――ただいま、エマ」

 

 扉を開けた先、いつものように主人である俺へとお出迎えをしてくれたエマは、どこか恥ずかしそうな様子を見せていた―――。

 

「―――どうしたんだいエマ?恥ずかしそうな顔をして」

「え?こ、コウくん?」

 

 そう言いながら、纏った上着をエマに渡す。そのまま首に巻き付いたネクタイを緩め、上着をハンガーにかけてくれるエマを一見し、玄関先の扉を閉めようと―――。

 

「―――って何してるのよ」

「ぐえっ」

 

 次の瞬間、服の後ろ襟が掴まれ、不意に後方に引っ張られた。

 それと同時に首に感じた圧迫感を吐き出すように、俺の口からはくぐもった声が零れる。

 

 視界に映る驚いた表情のエマ。

 ま、まさか泥棒―――?

 

 そう思ったのも束の間、先ほどまで視界に映っていた西洋風の大きな玄関はその姿を消し、視界に現れたのは服飾同好会の部室。

 

 視線の先、試着室の中で心配そうな表情をするエマ先輩の姿。

 ぼんやりとした目で引っ張られた先―――襟を掴んだ人物の方を向いた俺は、そんな彼女へと声をかける。

 

「あ、あれ?朝香先輩……俺は一体」

 

 彼女―――朝香先輩は俺の服の襟を離すと、ふうとため息を吐き出し言葉を続けた。

 

「いきなりジャケットを脱ぎ始めて、エマのいる試着室に入っていくもんだから何事かと思ったわよ……」

 

 あれ?え?と言うことは今まで見ていたのは何だったんだ……?確かに俺はエマ先輩のご主人様の筈。

 ならば幻術?いや……幻術じゃない……!これは幻術なのか?イヤ……何だコレは!?―――また幻術なのか!?

 

「……そんなの知らないけど、幻術ではないのは確かよ」

「……はい、ごめんなさい」

 

 冷静にツッコまれたこともあり正気を取り戻した俺は、意味が分からないながらも乗ってくれたエマ先輩がハンガーにかけてくれた上着を受け取り、再度袖を通す。

 まあ写真撮影が終わったようなら早いところ制服に着替えたいが、念の為。

 

「それにしてもメイド服姿のエマさんが可愛いのは勿論だけど、執事服姿のコウと同じ画面に入ると映えるねえ」

「あー分かるかも、どっちもタイプの違う使用人って感じで衣装も似合ってるし」

「メイドと執事が出てくる作品も読んだことがありますが、お二人ともその物語に出てくるような登場人物みたいでとっても素敵です!」

 

 煌めいた視線でそう話す侑に、同意を示すように言葉を続ける愛と目を輝かせながら褒めてくれるしずく。さすがにそこまで言われると何か気恥ずかしいな。

 

 俺もふと隣に並んだエマ先輩の衣装を見る。

 

 黒と白を基調としたロングスカートのメイド服に身にまとい、メイドキャップを被った彼女の姿はとても可愛く、俺はともかくエマ先輩が物語から飛び出してきたメイドさんのようだと言うことは大きく頷ける。

 本当、愛も言うようにスゴく似合ってる。

 

「ねえねえコウくん、折角だし一緒に写真撮ろうよ!」

「え?ああハイっ、撮りましょうか。それじゃあ璃奈ちゃんお願いしていい?」

 

 そんな彼女からのお誘い。

 折角二人で似た系統の服装をしているし、ここで断る理由もない。

 彼女の言葉にそう応え、カメラを構える璃奈ちゃんのスマホ画面に納まるように、メイドと執事で並びそれぞれポーズを撮る―――つっても朝香先輩のようなモデルポーズを取るわけもなく、普通のピースサインなんだが。

 

「それじゃあ。はいチー―――」

 

 璃奈ちゃんの掛け声に、カメラに目線を合わせるようにスマホの背面レンズを見た俺だったのだが―――。

 

「―――えーいっ♡」

「え、エマ先ぱ―――?!」

「―――ズ」

 

 ―――不意に腕に感じた柔らかい感触と、顔を近付けてきたエマ先輩の姿に思わず視線が外れ彼女の方を向く、それと同時に鳴らされたシャッター音。

 

 しまった―――そう感じた時には既に一枚目の撮影は終わっていて。

 

「うん。とってもいい感じ、です」

「……うん。とっても幸せそうに撮れてるよ。コウくん」

 

 撮り終えた写真を見てそう言う璃奈ちゃんに、璃奈ちゃんのスマホの画面を覗き込みジットリとした目でこちらを見つめる歩夢。

 今のは突然のことで驚いたってのもあるけど変な表情にはなってないよな……?

 

 そんなことを考えながら、先ほどから変わらず腕を組み続けているエマ先輩を見る。

 隣で嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべる彼女は、その視線に気付いたようにこちらを見返し、笑顔を見せた。

 

「えへへ~。いきなりごめんねコウくん」

「……いや、まあ全然。いいですよ」

 

 上目遣いの彼女にそんな表情で謝られて怒れる相手がいるだろうか、否いないと思う。しかも突然のことでビックリはしたけどそもそも怒ってはいない―――むしろ今も腕に感じる柔らかい感触がゲフンゲフン

 

 しかし、他の皆と比べて自分から積極的になることが少ないエマ先輩が、いきなり腕に抱き着いてくるなんて……。

 

 見下ろす先、腕に抱き着いたままのエマ先輩は、こちらの視線に気付くと、そんな俺の考えを察してかいざ知らず、他の皆に聞こえないように身体を寄せ耳元に近付き、吐息交じりの優しい声音で囁いた。

 

「ほんとはね。着替えてる最中に聞こえてきた声が羨ましくてお願いしたんだ。ありがとねコウくん」

 

 ―――アッ、耳が幸せ(尊死)

 

 身体を寄せたことで腕に強く感じた大きな膨らみと、彼女の優しい囁きに思わず意識が遠のいていくのを感じ、それに委ねるように俺は後方へ身体を預け―――。

 

「―――パンパカパーン!ここで登場!皆のアイドルかすみ~~~ん!!」

 

 ―――明るく可愛らしい声が鼓膜を震わせ、意識が覚醒する。

 

 天界に誘われるかと思っていた意識は、俺とエマ先輩の間に入るように割り込んできたかすみによってもう一度現世へと舞い戻った。

 

「も~うコウ先輩もエマ先輩もかすみんを放って二人で記念撮影とかズルいですよ~!」

「えへへ~。それじゃあかすみちゃんも一緒に撮ろうよ~!」

 

 生を実感している俺を尻目に、ぷんぷんと可愛らしく拗ねるかすみと嬉しそうにそう応えるエマ先輩。

 ……こ、こう言うと勘違いしてるって思われるかも知れないけど、さっき「(写真撮影が)羨ましくてお願いした」って言ってたから。そ、その、俺とツーショットを撮りたいのかなあなんて思ってたけどさ。やっぱりエマ先輩も―――。

 

「―――執事服が好きなだけなのか……」

 

 よく考えたらいつもはあんなに大胆にはならないし、やっぱり執事服は女性需要が大きいんだね。覚えた、コウ覚えたよ。

 

「―――ほらほらコウくんももう一枚撮ろうよ」

「そうですよコウ先輩~!コウ先輩とエマ先輩はかすみんの執事とメイドさんなんですからね~!」

「さっきより設定増えてるなあ……」

 

 カメラを構える璃奈ちゃんのスマホ画面からフレームアウトしていた俺に向け、エマ先輩とかすみはそう言いながら手招きをする。

 いつの間にか使用人を増やしていたかすみに小さくツッコミながら、その手招きに誘われるように俺は二人の隣に並んだ。

 

「それじゃありな子!お願い~!」

「任せて」

 

 フレームに入ったのを確認したようにカメラを構える璃奈ちゃんにそう声をかけたかすみは、エマ先輩と一緒に両手の人差し指を頬に当て、可愛らしいポーズを決める。

 

 かすみと同じポーズを取りながら、嬉しそうに笑顔を浮かべるエマ先輩。そんな二人の姿を眺めながら、俺もスマホのレンズに視線を向ける。

 

 練習着姿のかすみと、メイド服のエマ先輩と執事服の俺。

 

 かすみの設定上ではかすみ姫とその使用人とは言っていたし、服装的にも傍から見ればそういう風に見えているのかも知れないけど―――なんかこれって。

 

 ―――パシャ

 

 鳴り響いたシャッター音。

 気付いた時には撮影が終わっていて、かすみは撮り終えた写真を確認するように璃奈ちゃんの元へ駆け寄り、そんなかすみに遅れるように俺とエマ先輩も璃奈ちゃんの元へと歩み寄る。

 

「どうどうりな子!可愛く撮れた!?」

「うん、バッチリ。ほら」

 

 そう言い撮り終えた写真を俺たちに見せてくれた璃奈ちゃん。

 

「おお~!可愛く撮れてる~!ありがとうりな子!」

「璃奈ちゃんありがとね!あとでその写真、送って欲しいな!」

「どういたしまして。分かった、送っておくね」

 

 撮り終えた写真を見て、嬉しそうに話すエマ先輩とかすみ。

 璃奈ちゃんが見せてくれた写真。そこには確かに笑顔で可愛らしいポーズを決めるかすみと同じポーズを決め嬉しそうな笑顔を見せるエマ先輩。その隣で笑う俺がいたのだが―――やっぱりこの写真。

 

「コウ先輩。どうかしましたか……?」

「あ、ああ!なんでもないよ璃奈ちゃん!写真ありがとね」

 

 不安げに問いかける璃奈ちゃんに笑顔でそう応え、もう一度写真を見る。

 

「……」

「?コウくん……?」

 

 いややっぱりこれって―――。

 

「……なんかこれってその、家族写真みたいだなーって……」

「え?」

『―――は?』

 

 

 ◇

 

 

「―――それじゃあ、他にも試してみてもいい?」

「勿論!」

 

 三人での撮影を終え、満足した様子でそう問いかけたエマ先輩に応える侑。

 どうやらこちらでワチャワチャしている間に、服飾同好会の人たちと他の衣装の試着についても話をつけていたようで、侑の返答にエマ先輩は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「それじゃあ俺もそろそろお役御免ってことで……」

 

 写真撮影も終わり、皆が“執事”という一大コンテンツを楽しんでくれたということであれば、俺もお役御免だろうと思っての言葉だったわけだが。

 

「え~!コウ先輩もう着替えちゃうんですか~!」

「いやそろそろ良くない?むしろ皆だっていつまで着てるんだって感じじゃ……」

 

 残念そうな表情でそう言ったかすみに反論するようにそう応え、同意を求めるように辺りを見回してみるのだが……。

 

「え……いや……別に……」

「……うん……まあ、似合ってるし……」

 

 あれ?思ってた反応と違う……。

 こちらの問いかけに目を逸らしながらそう答えた愛と頬をポリポリとかきながら答えた侑。

 

 確かにそう言ってもらえることはありがたいことなのだが、今回の衣装については着せ替え人形になることを受け入れた結果の副産物というわけで、本来は服飾同好会の活動で作られた衣装なのだ。

 多少の需要があったとしても、これ以上服飾同好会の大事な衣装を私物化するのは正直気が引ける。

 

「つっても一通り用件は終わったし、用がないなら着替えても―――」

「い~え、コウ先輩にはこれから本格的にかすみんの執事として……」

「―――よさそうだな」

 

 先ほどの創作話(かすみん姫の話)を思い出しているのか、怪しげな含み笑いを浮かべるかすみを一蹴し、着替えようと―――。

 

「―――それじゃあコウくんっ、次はこっちの衣装はどうかな?」

「え?」

 

 そんな中、不意にかけられた言葉。

 俺がそちらを向くと、そこには次に着る衣装を見つけたのか目新しい淡い色を着物―――衣装を手に持ったエマ先輩が立っており、彼女は気付いたこちらに応えるように笑顔を浮かべ、言葉を続けた。

 

「この衣装ね。私のと色違いなんだけど、模様はお揃いなんだよ~」

 

 そう言い彼女が手渡してきたのは、彼女が持った衣装とは色違いの着物―――衣装。

 手渡す彼女に思わず受け取ってしまったが、今回の目的はあくまでエマ先輩のPVのイメージ作りの為であって、衣装を貸してくれた服飾同好会への対価としての、部長直々の“お願い”が達せられたとなれば、これ以上着替える理由もないのだが……。

 

「え、えーっと、エマ先輩……?」

 

 しかし目の前のエマ先輩はそんなこちらの意図にはらぬ存ぜぬといった様子で、楽しそうに笑顔を浮かべたままであった。

 

「あ、あのーエマ先輩、俺そろそろ制服に着替えようかな〜って思ってまして……」

「ええー?!侑ちゃんが許可取ってくれてるし、コウくんも一緒に着ようよ〜!」

 

 そう答えた俺に困り顔を見せたエマ先輩。いつもは同好会の年長者であり、皆のお姉さん的立場である彼女が見せた子供のような表情に可愛さを覚えてしまう、って侑は俺の分の許可を取ってるのかよ……。

 

「い、いや、さすがに俺もこれ以上は気恥ずかしいというか……」

「恥ずかしがることないよ〜!コウくんカッコいいんだし、どんな衣装でも似合うよ〜」

 

 え、えぇ?!そ、そうかなあ……(照れ)って違う違う……!

 誉め言葉に流されるところだった……。

 

「で、でも……その一応俺は裏方の人間ですし、そう言ってくれるのは嬉しいんですけどこれ以上着る理由も……」

「むう……コウくんのいけず……」

 

 いけずって今日日聞かねえな……。

 どうやら諦めてくれたようで、しょんぼりと肩を落としたエマ先輩に微かに申し訳なさを感じながら、手に持った衣装―――着物を返そうとしたのだが―――。

 

「―――エマ、ちょっと」

「果林ちゃん?」

 

 そんな中、不意にエマ先輩を呼び寄せたのは朝香先輩。

 とてとてと駆け寄った彼女に何やら耳打ちをしている様子なのだが、嫌な予感しかしないし、そそくさと着替えてしまおうか。

 

「―――うんっ、やってみるね果林ちゃん!ありがとっ」

「ええ、頑張ってらっしゃい」

 

 そんなことを考えている間に話を終えたのか、こちらに聞こえる声量で意気込んだエマ先輩は「ふんすっ!ふんすっ!」と鼻息多めにこちらへと歩み寄ってくる。

 

 とは言ってもここまで分かり易すぎると、こちらにも心の準備という対策も出来る。さすがに朝香先輩もエマ先輩にエr……大胆なことはさせないと思うし。

 

 エマ先輩には悪いけど、どんな手で来ようとも私は絶対に負けない!

 

「……?エマ先輩」

 

 こちらの正面に立ち、何をするわけでも、何を言うわけでもなくただ視線を落とした彼女に、思わず呼びかけてみるのだが返事はなく、向かい合ったままほんの数秒の時間が流れる。

 

「朝香せんぱ―――」

 

 エマ先輩に一体何を吹き込んだんですか。なんて朝香先輩に小言の一つでも言おうとした―――その時。

 不意に服の袖が掴まれ、反射的に俺はそちら―――エマ先輩の方を見た。

 

 小細工は無く、ただこちらを見つめるグリーンサファイアの宝石()

 

 その煌めきと美しさに思わず息を飲み、視線の先。

 上目遣いのエマ先輩はただ一言。か弱く甘い声で一言―――囁いた。

 

「―――ダメ?

 

 ―――身体を走る電撃。

 

 いつもはその包容力と柔らかな物腰が大人の余裕のようなものを感じさせる彼女。

 そんな彼女が時折見せる無邪気な姿が可愛らしいというのは言わずもがなだが、今回はそれとはまた違った可愛さ。かすみが見せるようなあざとさを感じさせる台詞はいつもの彼女とまた違ったギャップがあり、想像以上の破壊力。

 まるで可愛さの爆弾が爆発したような衝撃に思わず口を覆った。

 

 正直―――めちゃくちゃ可愛いし、愛おしい。

 

「ね~え、コウくん―――ダメ?

 

 そんなこちらの反応を察してかいざ知らず、味を占めたように甘え声で囁いてくるエマ先輩に顔の熱が上がっていくのを感じる。

 

 日頃からかすみを見ていることもあって“可愛さ”にはそれなりに耐性がついているとは思っていたが、彼女が見せたのはそれとはまた違った別次元の可愛さ。それもありそこに俺の抗うすべなどは残されていなかった。

 

「い、いえ、ダメじゃないです……。分かりましたからその……」

 

 これ以上、その声と上目遣いを続けられると心臓が持たない……。

 

「本当?!やった〜!もう言質取ったからね〜」

 

 嬉しそうにそう言い飛び跳ねるエマ先輩。俺はそんな彼女から視線を外し、先ほど余計なことを吹き込んだ朝香先輩を睨んだ。

 彼女も嬉しそうに喜ぶエマ先輩を温かな眼差しで見ていたようだったが、俺の視線に気付くとニヤリとしたり顔を見せ、片目ウインクをして見せた。

 くそぉやっぱり確信犯……。

 

「えへへ~!じゃあ早く着替えようコウくんっ!ほらほら~!」

「え、エマ先輩押さないでっ!ちょ、ちょっといやエマ先輩は隣の試着室では?!い、いや俺は一人で着替えられますから!」

 

 

 

「いやあ果林ちゃん、青春っていいねえ……」

「……年寄り臭いわよ彼方……」

 



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29 黒騎士コウ

「―――これから花火でも見に行こっか」

 

 試着室のカーテンが開き、淡い色をした着物を身にまとったエマ先輩がそう言い笑う。

 その笑顔はまるで空を彩る大輪の花火のように美しく、その整った顔立ちとスタイルの良さも相まって、その姿はスゴく華やかで綺麗だった。

 

 そんな彼女の姿に目を奪われていた俺に気付いたかのように、エマ先輩の視線がこちらに向けられた―――いや向けられたのは、エマ先輩だけではなく同好会全員の視線のようだが。

 

「え……な、なに?」

「ほらー。コウも一緒に着替えたんだから、何か気の利いた台詞を言わなきゃ~」

 

 状況が掴めずポカンとした俺に、侑は呆れた様子で肩をすくめならそう言う。

 

 あの後、エマ先輩におねがい♡され彼女と色違いの浴衣に着替えた俺だったのだが、彼女が言いたいのは折角衣装に着替えたんだからその衣装に見合った気の利いた一言を言え、と言うところだろうか。いや執事の時は何も言ってなかった気がするんだけどなあ……。

 

 なんてことを考えながらも、侑の言葉にけしかけられたかのように、周りの期待を込めた視線がより一層強くなり、仕方なく気の利いた台詞とやらを言ってみる。

 

「あー。その良かったら花火でも見に行かないか?」

「はあ……。コウは本当女心分かってないよね……もう一回やって」

 

 ……侑さんちょっと冷たくない?

 それっぽく言ってみた台詞は、辛辣な幼馴染に突っぱねられリテイクとなってしまう。もう一度をやらせると言うことであれば、二度あることは三度なんてことにならないようにもう少し真面目に考えた方が良さそうか……?

 しかし着物に見合った台詞なんて、いきなり言われても思いつくわけがないのだが―――こういう時アニメや漫画なら……。

 

「コウはさ、もうちょっと女の子を誘う時のイメージを持って言葉を―――」

「―――ほらっ。手、握っててやるから。離れるんじゃねえぞ」

「え……。あ、あ……えっと、その……はい」

 

 思いついた台詞と一緒に差し出した手に乗せられた侑の温かく小さな手。

 目の前の侑も触れた手に気付き、キョトンとした表情を浮かべているが。

 

「……お前、何やってんの?」

「あっ、ち、違っ。こ、これはつい……!」

 

 

 ◇

 

 

「―――いぇい!ごーふぁいと!」

 

 英語のかけ声もまるで言葉足らずの子供のように言ったエマ先輩に、思わずほっこりとした気持ちになる。

 

 この人って一応留学生だよな。

 ……まあいいか、可愛ければ(思考停止)

 

 次にエマ先輩が着替えた衣装は緑を基調としたミニスカートのチアガール。

 緑のカチューシャに黄色のポンポンが想像以上に本格的で、運動部に所属するならこんな可愛いチアガールに応援して欲しいと切に思う。

 

 エマ先輩が楽しそうにポンポンを振るう度、彼女の胸元が大きく揺れ、俺の男心も揺れ動く。これがきっと連鎖反応と呼ばれるものだろう。やれやれ、また一つ賢くなっちまったぜ。

 

 そして、そんな世迷言を考えている俺はと言うと―――。

 

服飾同好会(ここ)って、こんなものをあるのか……」

「はいっ、コウ先輩。これでバッチリですっ!」

「ありがとうしずく。助かったよ」

 

 手を合わせ、笑顔を見せたしずくにそう応える。

 黒色の袴を身にまとい、頭には鉢巻を巻き、脇にタスキをしずくに結んでもらったこの姿は―――俗にいう学校行事での応援団長と言うものであろうか。

 

 しかしこの袴、実際に使われていてもおかしくないほどに精密な作りをしており、先ほどの浴衣もそうだが服飾同好会はこの生地をどう調達したというのだろうか。決して安い生地を使っているという感じではなさそうだが。虹ヶ咲の七不思議にありそうな内容だ。

 

「しっかし応援団長って実際やったことないけど、こう来てみると不思議な感じだな」

「そうなんですか?私は、その中学の時に一度だけ……」

「へえ~、しずくも袴とか似合いそうだもんな」

「そ、そうですかね?自分ではよく分かりませんが……」

「うんっ。カッコいいと思うし、可愛いと思う」

「か、かわっ―――」

「は~いしず子、かすみんの先輩とイチャつかないで下さい~」

「べ、別にイチャついてなんか!」

 

 間に割ってきたかすみに、頬を微かに染め反論するしずく。

 素直に褒めることがイチャつくってことなら、俺は日頃からかすみとイチャついてることになるけどそれはいいのか。まあ俺の後輩は皆可愛いってことでいいか(思考停止)

 

 ちなみに先ほど侑に怒られた気の利いた台詞ってのは、侑からの申し出により俺だけ中止になりました。

 言えって言ったり言うなって言ったり女心はよく分からんな……。

 

 

 ◇

 

 

「―――あれっ。この衣装」

 

 続いて渡された衣装、装飾された黒のジャケットにシンプルな黒のズボン。

 それはまるで中世を舞台にしたフィクションの作品で出てきそうな、一見どこにでもありそうなシンプルな騎士衣装。しかしその衣装にはどこか見覚えがあり、俺は思わず手を止めた。

 

 直後すぐさまジャケットを広げ、感じた既視感に応えるように衣装の隅々を確認する。

 

「……やっぱり」

 

 思わず声が零れる。

 確かにこの衣装はここまで間近で見るのは初めてだったし、実際この衣装を着ている人や着たことがあるわけでもない。しかし今俺が手に持った衣装は俺と―――彼女(・・)にとって大事なものであり、思い入れの深い代物であることは一目見て間違いなかった。

 

「というか本当に色んな衣装が置いてあるんだな……」

「―――あれっ、コウくんは?」

 

 手に持った衣装についつい物思いに耽っていると、試着室の外から聞こえたエマ先輩の声―――どうやら彼女は俺が物思いに耽っている間にもう衣装替えを済ませたようであった。

 

「ううん。着替えまだみたい」

「ちょっと時間かかってるみたいだね。しもみー大丈夫?」

「ごめんっ、ちょっとボーっとしてて今着替える」

 

 エマ先輩の声に続くよう聞こえてきた二人の声。

 こちらを気にかけてくれた愛にそう答え急ぐように着替えを始める。

 しかしそれほど時間がかかるものでもなく、先ほどまで着ていた衣装を脱ぎ、新しい衣装に袖を通し、ズボンを履き、ベルトを固定して身なりを整える。

 最後に試着室の隅に置かれた小道具らしきものの中から取り出した黒の模造剣を懐に差せば完成だ。

 

「……すげぇ」

 

 そうして試着室の鏡に映った自分の姿―――その姿はまるでフィクションの主人公のようで、思わずその衣装の完成度の高さに感嘆の声がこぼれる

 さながら王国騎士のような衣装。正直衣装に着せられてる感も否めないが、そんな姿でもきっと―――彼女なら喜んでくれる気がして。

 

 そんな期待に胸を膨らませながら、試着室で待つ彼女たちと―――彼女(・・)に衣装を見せてあげようと、確認もそこそこに俺は試着室のカーテンを開けた。

 

「―――ごめん、お待たせ」

「あっ、コウくん大丈……」

「しもみー、次はどんな衣装な……」

 

 カーテンを開けた先。こちらの衣装を見るなり言葉を止め、呆然と立ち尽くす愛とクマの着ぐるみに身を包んだエマ先輩――――ってクマ?!

 

「え、エマ先輩それ衣装なんですか……?」

「え、えっ?あ、ああうんそうなの!クマ・ヴェルデだぞ~!食べちゃうぞ~!」

 

 はいっ、エマ先輩可愛い(断言)(真理)(理)(法律)

 

 ってそうじゃなくて―――いやエマ先輩は可愛かったのは本当なんだけど。

 

 てっきり同じ作品(・・・・)の衣装が用意されると思っていたのだが、エマ先輩が着ていたのはクマの着ぐるみ。しかし着ぐるみといってもそんな大それたものではなく、クマの頭の部分からエマ先輩の顔が見えるといった簡易的なものなのだが。

 エマとクマ、そんな子洒落たダジャレを挟みながら、エマ先輩は腕を広げ自分が着ているクマの衣装を俺に見せてくれた。

 

「コウ先輩、それって……」

「おっ、璃奈ちゃんも気付いた?さっすが」

 

 エマ先輩と愛、二人とはまた違った反応を見せたのは後輩の璃奈ちゃん。

 彼女は以前に録音ブースで俺が歌った主題歌の曲を知っていたように、アニメや漫画など多数のサブカルチャーに精通しており、人気作品は勿論のこと、少しコアな作品や作品の音楽など、ことそのカテゴリーにおいて彼女の知っている知識は広く深い。

 

 俺自身、そんな彼女があの作品(・・・・)についても知っていることは予想していたし、分かってはいたものの、こうして作品を知っている人の前でそのキャラクターの衣装(・・・・・・・・・・)を着るとなると、少し気恥ずかしさを感じてしまう。

 しかし目の前の璃奈ちゃんはそんなこちらの不安を払拭するかのように、キラキラとした真っ直ぐな瞳で見つめており、俺もそんな彼女に応えるように腕を広げ、衣装を見せる。

 

「どうかな璃奈ちゃん?俺、似合ってるかな」

「似合ってる。スゴくカッコいい。守られたい」

「ありがとう。えっと―――『キミは死なせない。“キミの命”は俺が守るから』だったよね?」

「っ……合ってる。だけど不意打ちはダメ、ビックリした」

 

 褒めてくれた璃奈ちゃんに思わず真似てみたその作品の台詞は、わずかに頬を赤くした璃奈ちゃんに怒られ咎められてしまうのだが、作品を知っている人が反応を見せてくれたことに、反省しつつも思わず笑みが零れる。

 

「し、しもみー……。え?愛さんの知ってるしもみーだよね?」

「どういう意味だそれ。正真正銘お前の知ってる俺だろ……」

 

 目を真ん丸くして、恐る恐るといった様子で問いかける愛の言葉に、逆にこちらが心配をしてしまうが―――って違う違う、今はそうじゃなくて。

 

 俺がこの衣装に着替えたことを一番喜んでくれそうな。

 そう、俺がこの衣装を着ている姿を一番に見せたい。あの作品(・・・・)が“大好き”な―――。

 

「―――ってあれ。せつ菜は?」

「え?あ、ああ。せっつーならそこに……」

 

 そう言い、愛が指差した先。服飾同好会の部室の隅には、口元に手を当て何やら一人で呟いている様子のせつ菜の姿があった―――もしかしてあれって……。

 

「せつ菜先輩、さっきのかすみんの話をえらく気にいっちゃったみたいで、さっきからずっとあの調子なんですよ~。声かけても反応ないし……」

「そうだったのか……」

「そ、それよりコウ先輩。せつ菜先輩より先にかすみん姫を守る騎士として、かすみんとツーショットの写真を……」

「ごめんかすみ、写真はまた後でな」

 

 かすみん王国での俺の役職は執事じゃなかったっけ―――なんてことを考えながら、かすみの誘いを断り、せつ菜の元へと向かう。

 歩くたびに腰に差した模造の黒剣が揺れ、部室内の視線が向けられが、俺より突飛なクマの衣装を着たエマ先輩がそこにいるのに、この空気に馴染んでいるのは何故だろう……。

 

「―――せつ菜、せつ菜」

 

 案の定、何やら独りでに話すせつ菜の姿。そんな彼女の肩を揺らしながら声をかける。

 

 自分の“大好き”に真っ直ぐ、夢中になれるところがせつ菜の良いところだけど、目を離すとすぐに周りが見えなくなって没頭してしまうことがあるから、こういう時は誰か―――いや、俺が彼女に声をかけてあげたい。

 彼女自身も夢中になると周りが見えなくなってしまうことが分かっているみたいで、気を付けてはいるようだけど、俺としては彼女が自分の“大好き”に嘘偽りなく夢中になっている姿を見れるのは、単純に嬉しいことだ。

 

「えっ。あ、コウさん……ってああっ!ごめんなさい私またっ!」

「おかえりせつ菜。そんなに気にしなくても大丈夫だって、俺の方こそ気付かなくてごめんな」

 

 ハッとし顔を上げ、申し訳なさそうに頭を下げたせつ菜に出来るだけ優し気な声でそう応える。

 そもそもせつ菜はかすみの話に乗って、妄想を膨らませていただけだし、むしろそれに気付かず一人にしてしまった俺の方こそ謝らなければならない。

 

「それよりせつ菜―――どうかなこの衣装」

「?、どうかなってどういう―――えっ」

 

 そう言い、身にまとった衣装をせつ菜にも見えるように腕を広げ、披露する

 

 この衣装は、先ほども言った通り、俺たちにとって思い入れの深い作品(・・)の―――。

 

 目の前のせつ菜はてっぺんからつま先まで衣装を見ると、信じられないものを見たかのように目を真ん丸にして、口を開いた。

 

「―――ユウキくん」

 

 気付いた様子のその言葉に、思わず頬を緩める。

 

「そうっ!この衣装、あの作品(・・・・)の衣装だよな?」

 

 俺が着替えた衣装―――それは黒を基調としたジャケットとズボンに、腰に刺さった剣を固定するように巻かれたベルト。まるで中世に出てくる王国騎士のような衣装。

 

 この衣装はせつ菜の“大好き”な作品―――とあるライトノベルの主人公である「ユウキ」というキャラクターが着ていた衣装、装備であり。

 

 その人物こそ何を隠そう“優木せつ菜”の名字の由来となった人物なのである。

 

 勿論、名字と言うように名前の由来となった「セツナ」というキャラクターもいるわけで、せつ菜―――菜々の活動名を“優木せつ菜”と命名をした時に、生徒会室で菜々からその作品について聞かされたことが昨日のことのように覚えている。

 

「どう、かな?まあコスプレってわけなんだけど、その……似合ってる、かな?」

 

 その問いかけに目の前のせつ菜はただ呆然と口を動かすこともなく、その視線は真っ直ぐと俺に向けられていた。

 

「せつ菜……?」

 

 何も反応を見せない彼女に思わず首を傾げていると、射貫くように向けられていた真ん丸とした瞳が不意に潤んで―――。

 

「―――せ、せつ菜?!」

「あっ―――いや」

 

 突然ポロポロと涙を流し始めたせつ菜。

 いきなりのことだったもので俺も動揺を隠しきれず、両腕で顔を覆った彼女にどうすればいいのかと困惑していると、せつ菜は目を拭いながら微かに赤くなった目元のまま顔を上げた。

 

「ご、ごめんなさい、そ、その……つい思い出してしまって」

 

 そう言い、申し訳なさそうに笑うせつ菜。作中の主人公の「ユウキ」と、その衣装を着た俺を重ねてしまったのだと、そう話してくれたのだった。

 

 と言うのもこの「ユウキ」という主人公が出てくる作品。

 

 俗にいう仮想現実、VRMMOを舞台にした作品であり、主人公の「ユウキ」が先ほど名前を上げた「セツナ」や仲間たちと困難に立ち向かうという話なのだが。

 その中で「ユウキ」は他の仲間たちが反対するような無理を押し通す場面が多く、ファンからは事あるごとに賛否両論の意見があったらしい。

 

 しかし、その実この「ユウキ」という主人公には現実世界で重い病気を患っていたというキャラ背景があり、「ユウキ」が無理を押し通していた理由も―――ってそこまではさすがにいいか。

 まあ、ご都合主義が多い作品ではあるのだが、感動するシーンも多く、最終回では俺もバスタオルを濡らしたものだ。

 

 せつ菜は現実世界で重い病気を患っていながらも、仮想世界で困難に立ち向かっていた主人公である「ユウキ」のことを、俺の姿を見て思い出してしまったと言うことらしい。

 

「す、すみません……これじゃあコウさんが泣かしてるみたいですよね……」

 

 申し訳なさそうな声でそう言い、目を拭うせつ菜だったのだが。

 

「俺は気にしないよ、それより―――」

 

 そんな彼女が拭う手を掴み、目元からゆっくりと離す。そんな俺に不思議そうな顔をした彼女へと、先ほどよりも赤くなった目元に溜まった涙を優しく拭う。

 

「―――そんな強く擦ったら、目に悪いだろ?」

「っ……あ、ありがとうございます。コウさん……」

 

 そう言い笑いかけた俺に、せつ菜は恥ずかしそうに目を逸らした。

 

 “大好き”な作品の“大好き”な人を思い出して、涙を流せるのがせつ菜の優しいところで、真っ直ぐな良いところだと思うから、変にそれを我慢なんてさせたくない。

 何よりそんな彼女の“大好き”に一番に寄り添い、その涙を拭うのは俺でありたいと思う。

 

「それで、どうかなこの衣装……?せつ菜が喜ぶかなって思ったんだけど……」

「は、はい!素敵ですっ、とてもカッコいいです……」

 

 嬉しそうに笑うせつ菜の笑顔にホッと胸を撫で下ろす。

 キラキラとした宝石のような瞳は真っ直ぐと俺を見つめており、そんな彼女と見つめ返すように俺は―――。

 

「―――で?お二人はいつまで自分たちの世界に入ってるつもりですか~?」

 

 そんな中、不意に隣から聞こえてきた声。

 そちらを向くと、頬を膨らませ不機嫌そうにしたかすみが腰に両手を当て立っており、こちらがその姿に気付くと、俺とせつ菜の間に割り込むように腕を広げ俺たちを引きはがした。

 

「か、かすみさん。ごめんなさい私……!」

「ま、まあ今回はちょっと、ほんのちょっとだけかすみんのせいもあるので大目には見ますが、次はないですからね!コウ先輩も!」

 

 かすみは「コウ先輩はかすみんの一の騎士なんですから!」と声高にビシッと指を指した後、皆のいる一角へと戻っていく。元々、俺たちがここにいるのもエマ先輩のPVのイメージ作りの為だし、かすみにも写真を撮って欲しいって言われてた手前、俺たちもほどほどにして戻らないとな……。

 

「ほらっせつ菜、俺たちも」

「はいっ、そうですね。ちょっと暴走し過ぎちゃいましたかね……」

「あれぐらい気にすることねえよ。何かあっても次は俺がちゃんと見てる」

「コウさん……。そう、ですよね。えへへ……」

 

 そう言い頬を緩ませたせつ菜と共に皆が集まる一角へと足を運ぶ、のだが……。

 

「あ~コウくん、せつ菜ちゃんお帰りなさ~い!」

 

 クマの着ぐるみを着て、笑顔で手を振るエマ先輩。

 

「あー……コウ。せつ菜ちゃんとの話終わった?」

「あ、ああ、終わったけど……何やってんのお前」

 

 そんなエマ先輩に抱き着きながら、頬を緩ませそう話す侑。

 ゆるゆるになった顔で何をしているのかと思いきや……。

 

「いや違うんだよコウ。エマ先輩めっちゃ癒されるから……」

 

 エマ先輩は癒しと言うのはとても分かる。少し前に人をダメになるソファと言うのが流行ったが、テレビで見た芸能人の人がこんな顔してた気がするな……。

 つまりエマ先輩=人をダメにするソファ……ふむ、なるほど。

 

 って、違う違うそうじゃなくて。

 

「あ˝あぁ……癒˝される……」

 

 侑が他の衣装についても許可を取ってくれたのはありがたいことだが、本来の目的を忘れてるのではないだろうか。いやこれはもう忘れていると言っていいだろ……。

 

「ねえエマ、こっちはどうかしら?エマに似合うと思うんだけど」

 

 そんな中、脱線していた流れを軌道修正してくれたのは朝香先輩。

 彼女は先ほどからエマ先輩の衣装を探していた様子で、手に持った衣装をこちらに見せた。

 

 白を基調としたその衣装は、胸元からスカートにかけて掛けられた黄緑色のエプロンが、衣装の白色と調和しており、胸元の宝石とエプロンから延びるリボンがとてもチャーミングで可愛らしい、エマ先輩にとても似合いそうな衣装であった

 

「ねえエマさん!次の衣装に着替える前に一緒に写真撮らせて!」

「もちろんっ!」

「だ、だったら私も一緒に!」

「それじゃあ折角だし、皆で撮っちゃおうか!」

 

 クマ・ヴェルデ先輩をえらく気にいったのか写真を撮りたいと伝えた侑と、それに乗っかる歩夢。そんな二人にエマ先輩は全員へ向け、笑顔でそう提案する。

 

「ほらほらコウくんも~!」

「いやこの衣装わりと目立ちますし、エマ先輩をメインに撮るなら俺はいない方が……」

「そんなことないよ~!あっ、そうだ―――皆で撮りたいの、だめ?

 

 止めろめろめろ、味を占めるんじゃない。

 止めてくれエマ先輩。その可愛さはオレに効く。

 

 そう甘えた声でおねがいされては断れるわけもなく、カメラの前に並んだ彼女たちに混ざるように俺も後方へ並ぶ。

 

 並びとしては愛、歩夢、璃奈ちゃん、侑、エマ先輩、かすみ、しずく、せつ菜、俺といった感じでカメラの前で並び、各々ポーズを決めるのだが……。

 

「ってあれ、彼方先輩は?」

「あれっ?本当だ、彼方先輩……」

 

 そんな中、不意に呟かれたかすみの言葉。

 その言葉に部室内を見回すと、彼方先輩は朝香先輩の隣に並ぶようボーっと立っており、こちらのやりとりに気付いて反応を見せる―――と思ったのだが。

 

「彼方先輩……?」

 

 彼女が俺たちのやりとりに応えることはなく、俺は思わず首を傾げた。

 

「―――彼方どうしたの?皆呼んでるわよ」

「え……?あ、ああ!ごめんね皆~ちょっと彼方ちゃん寝ぼけてたみたいだよ~」

 

 そんな中、助け舟を出してくれた朝香先輩にようやく彼方先輩はこちらの呼びかけに気付いたようで「えへへ~」と可愛らしく笑い隣に並んだ。何かあったのだろうか。

 

「大丈夫ですか、彼方先輩。どこか体調悪いとか……」

「えっ?う、ううん。全然大丈夫だよ~。し、心配かけてごめんね」

「?いや別に大丈夫ならいいんですけど……」

「う、うん。大丈夫、だよ。彼方ちゃんは元気~」

 

 どこかしおらしい彼方先輩。あまり見たことのないその様子に俺も首を傾げるのだが、彼女が元気と言うのであれば変に疑うのも失礼だろう。

 

「ねえ!果林ちゃんも一緒に入ろう~!」

 

 そんなやりとりの中、エマ先輩はこちらの様子を眺めていた朝香先輩にそう声をかける。

 

「……私はいいわよ」

「え~?一緒に撮ろうよ~」

 

 その誘いを断った朝香先輩、しかしエマ先輩はもう一度誘う。

 朝香先輩は何故か頑なに輪に入ろうとせず、そんなエマ先輩に向けられた視線を逸らすように視線を落とし―――。

 

 不意に鳴ったスマホの通知音―――誰かのメッセージアプリの新着メッセージか?

 

 すると俺たちの視線の先、朝香先輩はポケットからスマホを取り出し画面を確認する―――先ほど鳴った通知音も彼女のスマホからと言うことだろうか。

 

「……悪いけど行くわね」

 

 通知を確認した朝香先輩は何やら急用が入ったのか、誘いを断るように別れの挨拶を告げ、部室を後にする。まあ最近は会うことも多く身近だったということで忘れていたが、朝香先輩はあれでも人気の読者モデルなのだ、突然仕事の連絡が来てもおかしいことではないだろう。

 

「果林ちゃん……」

 

 しかしそんな彼女を心配するような声音で呟いたエマ先輩。

 少し落ち込んだ雰囲気を感じさせた彼女だが、恐らくそれは先ほどの朝香先輩の態度を感じ取ってのことだろうけど。あの時の朝香先輩、俺にはあれは単純に嫌だったということではないようにも感じた、もっと何か彼女の―――。

 

「ごめん、ちょっと俺も席を外す。すぐに戻るから先に始めといてくれ」

『コウくん(さん)?!』

「えー?突然どうしたのさコウ!」

「えっーっとおトイレだっての言わせんな恥ずかしい」

「えっ?あっ、ごめん……」

 

 そう伝え俺は彼女たちの輪から離れ、そのまま部室の外へと向かう。

 突然のことに驚いた様子の声を背に受けながら、扉を開け―――その先、まだ遠くへ行っていないであろう朝香先輩の後を追った。

 

「―――朝香先輩!」

 

 部室を出た少し先、ちょうど誰かと電話している朝香先輩が目に入り、すぐさま足を止める。

 彼女は呼びかけたこちらの声に気付いたようで、振り返った後に少し驚いた表情を見せるが、すぐさま普段通りの声音で電話先の相手と二言三言会話を交わした後、電話を切った。

 

「すぐに終わる連絡なら一緒に撮ればよかったんじゃないんですか?」

「……わざわざ後を追って、そんなことを言いに来たのかしら?」

「いーえ、撮りたくないなら撮らなくてもいいとは思いますけど」

 

 少し離れた距離で向かい合う俺と朝香先輩。

 こちらの言葉に不機嫌そうに返した彼女にあっけらかんとそう答える。勿論それは俺の本心だ。彼女がやりたくないと言うなら、それが誰であろうと無理に乗る必要はないと思う。

 

「……なら、どうして後を追ってきたのかしら?」

「?……いや、普通にお礼を言いに来ただけですけど」

 

 どこか警戒心を感じさせる朝香先輩にあっけらかんとそう答え、キョトンとした顔を見せた彼女に向け、言葉を続ける。

 

「今日は色々とありがとうございました。エマ先輩の力になってくれて」

「あ、ああ……。それはまあ、クラスにたまたま部員の子がいただけで……」

「それでもです。俺や侑ではその辺りは限界がありますから、朝香先輩がいてくれて良かった」

「……そう。エマは私の大切な友人だからそれぐらいのことなら―――」

 

 そう言いかけて言葉を止めた朝香先輩。数秒の間待ってみたが、次の言葉が紡がれることはなく、突然のことに困惑した表情を浮かべていると―――。

 

「―――ねえ一つ、聞いていい?」

 

 ―――小さく呟かれた声。

 その声はいつもの彼女の余裕あり気で妖艶な大人っぽさを感じさせる声音ではなく、年相応の女の子と言えばいいのだろうか、弱々しく消え入りそうなそんな声だった

 

「もし、もしも私が……―――」

 

 そうして紡がれる言葉。

 何を言おうとしているかまではまだ分からなかったが、真剣な表情の朝香先輩に応えるように俺もまた真剣にその言葉に耳を傾けていた。

 

 しかし―――。

 

「……やっぱり何でもないわ。突然ごめんなさい」

 

 そんな真剣さから手の平を返すようにそう言い、彼女はこちらに背を向ける。

 珍しく真剣そうに話すから何を言うのかと気を張っていたが、妙な肩透かしを食らってしまった。

 

「いやまあいいですけど、ともかく今日は色々ありがとうございましたってことで」

「ええ。……もしかしてそのありがとうってさっきの私の間接キスも含まれてたりするのかしら?」

「しません!!」

 

 俺の言葉に振り返り、いつものように余裕あり気で妖艶な大人っぽい雰囲気をその身にまとい、彼女は艶やかに笑う。

 さっきまで忘れてたのにその時のこと鮮明に思い出しっちゃったじゃねえか……。

 

「ふふふっ冗談よ。それじゃあさようならコウくん」

「……はい、さようなら」

 

 そう言い、手を振りながら遠ざかっていく朝香先輩。そんな彼女を見送りながら俺も皆のいる服飾同好会の部室に―――。

 

「ああ、それともう一つだけいい?」

「はい?」

「さっきからあなためちゃくちゃ見られてるけど大丈夫?」

「え―――?」

 

 周りを見回すと部室棟のホールにいた人たちが、物珍しいものを見つけたかのように、俺たちの姿を遠目から覗いており、そんな彼彼女たちの視線に今自分が置かれている状況―――服飾同好会の衣装を着ていたことに気付き、冷や汗が流れるのと同時に俺も背を向け、その場から走り出した。

 

「す、すみません!ありがとうございました朝香先輩!それじゃあまた!」

「ふふっ。ええ、またっ」

 

 その後、服飾同好会の部室に戻った俺は皆での記念撮影を撮った後。かすみやせつ菜たちとのツーショットの撮影を最終下校時刻になるまで付き合わされるのだが、この時の俺はまだ知る由もない。

 

 余談だが―――その後、虹ヶ咲学園ではモデルの朝香果林に、彼女に仕える黒騎士がいるとかいないとか、噂されてたりされてなかったりしたらしい。

 



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30 『友達』と『その友達』

 服飾同好会での撮影会から翌日のこと。

 

 いつものように目覚ましから少し遅れて目を覚ました俺は、現在の住まいである虹ヶ咲学園の男子寮から学校へ向け、通学路を歩いていた。

 

「―――昨日こんなに撮ってたんだなあ……」

 

 そう言いながらスマホに表示された写真を一枚一枚スクロールして確認していく。

 色んな衣装に着替えたエマ先輩や、俺と一緒に映る同好会メンバーの皆。

 

 ツーショットや複数人での集合写真。

 中には撮られていることに気付いてない俺を含めた同好会メンバーの写真など、その種類は様々―――って本当にいつの間にこんな写真を……。

 

 画面に映るのはクマ衣装のエマ先輩―――クマ・ヴェルデ先輩からかすみん姫(設定上)を守る黒衣の騎士コウ(設定上)という写真を撮った後の写真。

 

 取り出した模造剣が想像以上にカッコよく懐に仕舞えたことが嬉しくなって、一人でほくそ笑んでいる俺の姿。

 数ある写真の中の一枚だが、普通に恥ずかしいな俺……。

 

 本当こんな写真も撮っているなんて油断も隙もない。しかしよく見ると俺を撮った写真が多い気がするんだが……。

 

 執事は女性人気が高いというのはともかく、「ユウキ」の衣装―――黒の騎士衣装を着ている時の写真も多いのはもしかして―――。

 

 ―――「ユウキ」も女性人気が高いのか……?

 

「―――あれっ?あの後ろ姿って」

 

 そんなことを考えながら、送られてきた写真を保存していると前方に見えた人影。

 

 少し背の高いその人影は、スクールバックを肩にかけ三つ編みをゆらゆらと揺らしながら歩いていたのだが―――。

 

「……エマ先輩だよな?」

 

 そう言いながら思わず首を傾げる。

 

 いつもならエマ先輩の後ろ姿を見間違えるわけはないのだが―――その後ろ姿はどこか悲し気で、寂しそうに見えてしまったので本当に本人か悩んでしまったというわけであった。

 

 視線を落とした先。手元のスマホに映る彼女は晴れ渡る太陽のような明るい笑顔で、一枚一枚どの写真を見ても、楽しそうに嬉しそうに笑っていた。

 

 ―――どうかしたのだろうか?

 

 しかし昨日の今日でここまで落ち込むと言うのは、デリケートな問題―――家族のことだって考えられる。

 そこに俺みたいな部外者が突っかかって、優しい彼女の心労を増やしたりはしたくない。

 

 だけど彼女の中に、何かしらの“不安”があるなら俺はそれを拭ってあげたいし、笑って欲しい。

 

 あの日、俺を笑顔にしてくれた優しい彼女を、今度は俺が笑顔にしてあげたい。

 

 スマホ画面に映る、楽しそうに笑うエマ先輩とつられるように笑う俺―――やっぱり俺は、こんな日常が“大好き”だから

 

 ここで何も言わず後悔するより、ここで声をかけて間違ってたら沢山謝ろう。

 

 今度は俺があの子(・・・)のように―――彼女の不安を“楽しい”に変えてあげたい。

 

 それじゃあ第一声はエマ先輩が好きで、喜びそうなこと―――あっ

 

 あった、一つだけあった。

 今の俺だからこそ出来ること、今の俺に打ってつけなこと。

 

 正直恥ずかしいけど、こうなったらもう当たって砕けてやんZE☆

 

 ……でも、これで何ともなかったらめっちゃ恥ずかしいやつだな俺。

 

 

 ◇

 

 

 ―――それは、昨日の出来事。

 

「―――果林ちゃん!もしかして興味ある!?」

 

 私の言葉にベットに腰かける彼女―――果林ちゃんは少し驚いた表情で私のことを見ており、そんな彼女の反応に思わず雑誌を掴んだ手に力が入る。

 

「だったら入ろう同好会!すっごく楽しいよ!皆、本気でスクールアイドルやってて!」

 

 その日、同好会の活動でお世話になった服飾同好会を紹介してくれた果林ちゃんにお礼を言いに来た私は、果林ちゃんの部屋にあるデスクに雑誌―――それもスクールアイドルに関連する雑誌が置いてあることに気付き、そう問いかける。

 

 ―――果林ちゃんと一緒にスクールアイドルが出来るかも!

 

 そう考えるだけで嬉しくなって、胸が“ポカポカ”して。

 そんな期待を膨らませるように、私は果林ちゃんに思いをぶつける。

 

 今日のことや、せつ菜ちゃんとコウくんの時、出会った時のことだってそう。いつも私の力になってくれる優しい果林ちゃん―――。

 

 そんな果林ちゃんと一緒にスクールアイドルが出来たなら―――。

 

「ないわよ―――興味なんて全然」

「え?」

 

 そう考えていた私の期待を打ち砕くように聞こえてきたのは、そんな一言。

 

「その雑誌はエマの為になるかと思っただけ」

「で、でも……」

 

 視線の先、果林ちゃんは私から目を逸らし、変わらぬ口調で淡々と言葉を続ける。

 そんな果林ちゃんの思いがけない一言に、思わず言葉が詰まる。

 

「私、読者モデルの仕事もあるし、スクールアイドルなんてやっている暇ないの―――知ってるでしょ?」

 

 果林ちゃんの言う通りだ―――出会った頃から果林ちゃんはモデルの仕事をしていて、虹ヶ咲学園にはファンもいて、果林ちゃんもモデルのお仕事に誇りを持っていて……。

 

 そんなことは知っていた。

 

 知っていたけど……どこかで期待していた自分がいたのも事実で。

 

「そっか……いつも手伝ってくれてたからもしかしたら一緒に出来るのかもって……。ほ、ほら!最近はコウくんとも仲良くしていたし―――」

 

 今に思えば自分の身勝手な期待をぶつけるように、自分の言葉に言い訳をするかのように、尻すぼみな言葉を向けていた中で、不意に思い浮かんだ“彼”のこと―――。

 

 少し前から果林ちゃんがスクールアイドル同好会の作曲担当であるコウくん―――下海虹くんと仲良くしている姿を見かけていたこともあり、少なからず“彼”と、そこから通ずるスクールアイドルの活動にも興味があるのかもと思っていたけど。

 

「頑張っているエマを応援したいと思っただけよ。彼は……そのついでよ」

 

 ―――果林ちゃんは私の言葉と共に、そんな“彼”との関係をも否定してみせた。

 

「それで、そんな風に思われるなら―――もうやめておくわ」

 

 果林ちゃんはこちらを見向きもせず、吐き捨てるようにそう言う。

 いつもの落ち着いた、優しい彼女からは想像も出来ないような冷たい雰囲気に、その時の私は何を言っていいかも分からず、ただ呆然と彼女を見つめていた。

 

「それ持って行っていいわよ、衣装の参考にでもして―――それと」

 

 そして果林ちゃんは冷たく、突き放すようにそう言い―――。

 

「―――もう誘わないで」

 

 その一言を私へと告げた。

 

 ―――その冷たく、寂しい姿はまるで別人のようで。

 

 それは私の知らない果林ちゃんで。

 

 ねえ、果林ちゃん。

 私の知っている果林ちゃんと。今、目の前にいる果林ちゃん。

 

 どっちが本当の果林ちゃんなの―――?

 

 

 ◇

 

 

「……」

 

 そして―――その翌日。

 

 いつも通りに目を覚まし寮を出た私だったが、その足取り重かった。

 それは勿論、昨日の果林ちゃんとのことがあってなのだが。

 

 私はただ果林ちゃんとスクールアイドルを一緒にやれればと思っていただけなのに、あんなにムキになって―――あれだけ楽しそうにしていた“彼”との関係も

 

 ―――そんなに嫌、だったのかな?

 

 そう考えてはみるが結局答えは出ないまま、前に進む足取りが軽くなることはなかった。

 

 今日は服飾同好会から借りた衣装を着てPV撮影をする日なのに、こんな浮かない調子では皆に心配をさせるどころか、迷惑をかけてしまうかも知れない―――昨日、私のわがままに付き合ってくれた“彼”にも申し訳ない。

 

 そんなモヤモヤを抱えながら、虹ヶ咲学園へと向かっていた私だったのだが―――次の瞬間。

 

「―――エマお嬢様」

 

 ―――不意に、優しい声が私の名前を呼んだ。

 

 その声に、落ちていた視線を前に上げると。

 

「こ、コウくん……」

「―――はいっ、おはようございます。エマお嬢様」

 

 左手を胸の前に構え、軽くお辞儀をした“彼”は顔を上げ優しく微笑む。

 

 そこにいたのはスクールアイドル同好会の作曲担当であり、同好会の唯一の男の子。

 昨日、私のわがままにも付き合ってくれた優しい“彼”―――下海虹くん。

 

 その姿は制服を少し着崩した―――いつもと変わらない装いではあったが、その口調と立ち姿は妙に畏まった様子で、まるで日本の漫画やアニメに出てきそうな執事さんを彷彿とさせるような佇まいであった。

 

「え、えっと……おはようコウくん?ど、どうしたのその口調……」

「はいっ、こちらは―――ってえ?あ、あれ……」

 

 いつもと様子の違うコウくんに首を傾げつつそう問いかけると、彼は先ほどのように畏まった様子を見せた後、我に返ったかのように戸惑いの声を上げ、頬を薄く赤らめた。

 

「え、えっと……これはその……」

「……?」

 

 視線をあちらこちらに動かしながら、しどろもどろに呟くコウくん。

 

「あ、あれぇ……?エマ先輩って執事が好きなんじゃなかったのか……?もしかして衣装がないとダメなのか……?」

 

 こちらに聞こえないほどの声で、何やら呟いている様子のコウくんに私も首を傾げる。

 

「―――お、おほん。そ、そのエマ先輩に後ろ姿を見つけたので、せ、折角なら一緒に行こうかなと……」

「う、うん、ありがとう!私で良ければ一緒に行こっか」

 

 そんな場の雰囲気を仕切り直すように咳払いをし、薄く染まった頬を掻きながらそう話すコウくん。

 

 そんな彼の好意に私もいつものように笑顔で答えるのだが、彼はそんな私をジッと見つめており、その宝石のような瞳と射貫くような視線に、不意を突かれ思わずたじろいてしまう。

 

「ど、どうしたのコウくん?」

やっぱり(・・・・)エマ先輩―――何かありましたよね?」

 

 ―――ドキッとした。

 

 視線の先、真っ直ぐと見つめる瞳から逃げることが出来ず、心配そうな表情を浮かべたコウくんに思わず問いかける。

 

「……ど、どうして?」

「ど、どうしてって言うか、いつもに比べてしょんぼりしてるなーって気がして」

 

 その指摘に思わず息を呑む―――私、そんなに分かり易かったかなあ……?

 

 果林ちゃんは彼にとっても馴染みのある先輩、話せばきっと力になってくれるかも知れない。

 だけど、これはあくまで私たちの問題なのだ。そのことで彼に余計な心配をかけたくないし、負担も増やしたくない。

 

「そ、そうかな?全然そんなことないよ!大丈夫!」

「……」

 

 そう言い笑顔を作った私を変わらずジッと見つめる彼の視線。

 

「そ、それじゃあ遅刻するといけないし、学校に―――」

 

 ちゃんと笑えているかは分からないけど、これ以上詰め寄られてはボロが出そうだと、学校に向けて歩き出した私。

 

「こ、コウくん……?」

 

 しかしそんな考えは、不意に掴まれた手に引き留められてしまう。

 

「言ってくれたら離します」

 

 ギュッと強く握られる手のひら。

 そんなコウくんの姿に驚いてしまうのだが、そんなことは気にも留めずといった様子で彼は私を真っ直ぐと見つめていた。

 

「……本当に言うのが嫌だったら言ってください、言わなきゃ絶対に離さないです」

「ど、どうして……そんなに……」

 

 こんなの少しでも誤魔化せばいいのに、これじゃあ悩んでいることが丸分かりじゃないか。

 

 私は真っ直ぐと見つめる彼の瞳に呑まれるように、そう問いかける。

 

「だって―――こういう時、一人にさせちゃいけないって俺は(・・)知ってますから」

 

 そんな私に彼が答えた言葉―――それは全部を一人で抱え込んでいた彼が、皆と向き合って、せつ菜ちゃんとぶつかり合って知った真っ直ぐとした言葉。

 

「それと―――周りに心配をかけさせたくない人に限って、自信満々に大丈夫って言うので」

 

「―――っ」

 

 こうも自分の気持ちを言い当てられると、どうしていいかが分からなくなってしまう。

 

 だけど私は、一人で私たちの作曲を頑張ってくれているコウくんの負担になりたくない。その気持ちだけは分かって欲しいのだ。

 

「も、もう本当大丈夫だよ~。コウくんは心配性―――」

 

 真っ直ぐとした言葉から逃げるように、抵抗するように腕に力を入れるが、動かそうとした手はビクともせず、そんな驚きに応えるように私は彼を見た。

 

「心配性でも何でも―――エマ先輩を笑顔に出来るなら何でも良いです」

 

 見つめた先、真っ直ぐと見つめ返す彼から目を逸らすことが出来ず、小さな胸の高鳴りを感じた。

 

「……力、強いんだね」

「……まあ、鍛えてますから」

 

 そう答える彼の腕、程よく筋肉のついた腕に思わず目が行く。

 いつもは私たちの作曲の為にギターの優しい音色をかき鳴らすその腕は、こういう時にちゃんとした男の子なんだということを思い出させる。

 

 ―――愛ちゃんの時もこんな感じ(・・・・・)だったのかな?

 

「……やっぱりコウくんはすごいなあ」

 

 自分にしか聞こえないように呟いた声に、キョトンとした表情を浮かべるコウくん。

 

 思い出されるのは少し前、偶然同じ同好会の宮下愛ちゃんの話を聞いた時、それよりも先にコウくんが愛ちゃんの異変に気付いて、相談に乗っていたという話。

 

「―――エマ先輩?」

「う、ううん!な、なんでもないよ!」

 

 首を傾げるコウくんに腕の力を弱めた私。

 向こうもこちらが観念したことを分かったのか、握りしめた手をゆっくりと離し向かい合う。

 

 手のひらに残る温かさを抱きしめるように、私は両手をギュッと握りしめ口を開いた。

 

「私の―――『友達』と『その友達』の話なんだけどね」

 

 少しだけ言葉を濁す。鋭いコウくんなら見透かしてしまうほど簡単なことだけど、私なりのせめてもの抵抗。

 

「―――それでも良かったら、聞いてくれる?」

 

 その言葉に彼は真っ直ぐと私を見つめ、頷いた。

 

 

 ◇

 

 

 その後、人も段々と増えてきた通学路を肩を並べて歩きながら、私は話を始める。

 

「相談してくれた『友達』と『その友達』は進級してから出会ったばかりの関係だったんだけどね。『その友達』の子は出会った時からいつも優しくしてくれて、『友達』が困ってた時はいつも助けてくれたりして、『友達』にとって『その友達』はかけがえのない存在だったの」

 

 ―――私と果林ちゃんの関係は侑ちゃんと歩夢ちゃんや、コウくんとせつ菜ちゃん、愛ちゃんのように長く付き合ってきた間柄と言うわけではない。

 だけど私は皆と同じぐらい仲良しだと思っているし、私にとって果林ちゃんは大切でかけがえのない存在なのだ

 

「だけどね。『友達』が『その友達』をスク……同じ部活動に誘った時、いつも優しい『その友達』がまるで別人みたいにその誘いを断って、『友達』は『その友達』がなんでそこまでムキになって否定したのか、どうしたらいいかが分からなくなっちゃったらしいんだ」

 

 だからこそ私は今そんな果林ちゃんのことが知りたくて、笑ってほしくて。

 もしもあんなにムキになった理由が私のせいなら、本当に嫌だったのならちゃんと謝りたくて。

 

 コウくんはそんな濁した私の言葉を、支離滅裂にも受け取れる私の言葉を一つ一つ真剣に聞いてくれて。

 

 隣を歩くコウくんは私が話を終えると、少し考えるような素振りを見せた後、口を開いた。

 

「エマ先輩は優しいですね」

「―――え?」

 

 思わぬその言葉に私は反射的に顔を上げ、彼の顔を見た。

 コウくんは向けられた視線に応えるように、私に視線を合わせ言葉を続ける。

 

「いえ、『友達』と『その友達』でしたっけ。そんなにも二人のことを考えて悩めるなんて本当に優しいと思います」

「そ、そんなことないよ!わ、私はただ―――!」

 

 隣を歩くコウくんはそう言ってくれるが―――本当に優しいのは私なんかじゃなくて……。

 むしろ私はそんな優しい“彼女”にあんな顔をさせてしまって……。

 

「それでエマ先輩はどうしたらいいと思ったんですか?」

「―――えっ?私……?」

 

 被さるように聞こえた言葉に思わず間の抜けた声がこぼれる。

 

「はい、エマ先輩はその『友達』にそう言われて、分からなくなっちゃったって言われて、どうしたらいいと思ったんですか?」

「私……は……」

 

 いつもの―――私が知っている優しい果林ちゃんが見せた冷たい雰囲気。

 

 私が知っている果林ちゃんと、私が知らない果林ちゃん。

 どっちが本当の果林ちゃんか分からなくなった私がどうしたらいいか。

 

 分からないことが沢山あって、知りたいことが沢山あって。

 そんな私が何をしたらいいと思うか。

 

 そんな自問自答をさせるその質問に、答えが分からないながらも浮かんだ気持ちを言葉にするように口を開いた。

 

「わ、私は……ちゃんともう一度面と向かって話はをした方がいいって思ったかな……」

 

 途切れ途切れになりながらも、言葉を詰まらせながらも言葉を紡ぐ

 

「本当にかけがえのない相手なら、ちゃんと面と向かって話をするべきだって……」

 

 自問自答をするように、分からないことばかりの中でもそう答えた私にコウくんは優しく微笑み、口を開く。

 

「……もう出てるじゃないですか、答え」

「え?」

「もう一度面と向かって話をするべきだって、俺もそう思います」

 

 そう言い前を向いたコウくんは何かを懐かしむような様子で言葉を続けた。

 

「俺もせつ菜と色々あった時、お互いすれ違って、方々に迷惑かけまくって悩みまくって迷走して……まあ色々とありまくりましたけど、最後はお互い面と向かってぶつかりあったから、今もせつ菜の、菜々の隣にいられるんです」

 

 ちょっと強引な方法でしたけど―――そう言いながらクシャっと笑うコウくん。

 思い出されるのは、まるで子供の口喧嘩のように必死でせつ菜ちゃんと言い合っている彼の姿。

 

 あの時、ちゃんと向き合ったから今がある―――向き合った彼だからこそ分かること。

 

「で、でも……本当に嫌で怒らせちゃってたら何を話せばいいんだろ……」

「その『友達』は無理に誘ったとかじゃないんですよね?」

「うん。『その友達』と一緒に出来たらって思ってて、その日ちょっとしたきっかけがあって誘ったらしいんだけど……」

「きっかけ……?」

「う、うん。その子の部屋にその部活動に関する雑誌が置いてあって」

「なるほど……。うーん、俺の時は菜々がスクールアイドルを“大好き”だってことを知ってましたからね……」

 

 その友達が本当にどう思っているのかが分かればいいんですが……。

 そう言い唸りながら真剣に考えているその横顔に、自然と目が行った。

 

「エマ先輩、どうかしました?」

 

 私の視線気付いたのか、こちらを見て不思議そうに首を傾げたコウくんに我に返る。

 

「う、うん!な、なんでもないよ!そ、そのコウくんも優しいなーって!!」

「俺は優しくないですよ。さっきも言ったように俺はただ―――」

 

 コウくんが何かを言いかけた時―――不意に聞こえたチャイムの音。

 

 その音に遮られるようにコウくんは前を向き、遅れるように私も前を向いた。

 

 その先にそびえたつ校舎は私たちの学び舎であり、同時に先ほどのチャイムが―――予鈴がそこから鳴っていたことに気付き、校舎に飾られた時計の時刻が目に入る。

 

「や、やばっ!もうこんな時間?!急ぎましょうエマ先輩」

「そ、そうだね!ごめんね私のせいで!」

 

 気が付けば先ほどまで周りにいた筈の生徒は人っ子一人もおらず、焦った様子で二人校舎に向けて走り出す。

 

「い、いや今回のは俺が変に突っかかったせいですからごめんなさい!それより今日の練習はどうしますか?もし難しければ……」

「う、ううん!それは大丈夫!今日は皆が沢山手伝ってくれたPVの撮影日だから!」

 

 そんな話をしながら、虹ヶ咲学園の校門正面にそびえる特別棟の下を通り、正面玄関を通り、昇降口で靴を履き替える私たち。

 

「そ、そうですか?それじゃあまた放課後に―――!」

「う、うん!―――聞いてくれてありがとねコウくん!」

 

 別れの挨拶もほどほどに教室棟へ向かっていくコウくんへ声をかけると、遠ざかる背中は不意に足を止め振り返る。

 

「―――いえ」

 

 振り返ったコウくんは畏まった様子で左胸に右手を置いたかと思うと―――。

 

「―――お嬢様の為であればお安い御用です」

 

 ―――そう言い、悪戯っぽく笑ってみせたのだった。

 



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31 『コウくん』と『せつ菜ちゃん』

「あれ、コウくんは?」

 

 放課後―――スクールアイドル同好会の部室に着いた私は、撮影の準備をしてくれていた同好会の皆の中にコウくんの姿が見えないことに気付き、そう問いかける。

 

「あーしもみーなら学科の先生の手伝いとかで少し遅れるって言ってたよー」

 

 コウくんと同級生であり、同じ学科の愛ちゃんはその問いかけにそう答えた。

 

「愛さんも手伝おうと思ったんだんだけど、エマっちの撮影のが大事だからって断れちゃったんだよねえ……」

「まあまあ愛ちゃん、コウくんも愛ちゃんを頼りにしてってことだと思うし」

 

 コウくんに断れたのだと口を窄め、腕をぐでーっと伸ばし机に突っ伏する愛ちゃんとそれをなだめる歩夢ちゃん。

 

 ―――そっか、コウくん遅れるんだ。

 

「と言っても今日は撮影だけだし、そんなに重い機材とかを使うわけじゃないから大丈夫だよ」

「侑さん、カメラの準備出来たよ」

 

 今日の撮影に使う機材を準備しながらそう話す侑ちゃん。その隣では璃奈ちゃんが撮影で使うカメラの調整をしてくれていたようで、部室のテーブルには撮影で使われる機材が並べられた。

 

「エマさん、今日の撮影は色々な衣装に着替えて撮ろうと思うんだけどいいかな?」

「え?」

「本当は一つの衣装に絞れたらって思ってたんだけど、どうしても一つに絞れなくて……」

 

 そう言いながら後ろ頭に手を乗せ、空笑いを浮かべた侑ちゃん。

 

「……エマさん?」

「えっ、ああ!ご、ごめんね」

 

 彼女の言葉に反応が遅れてしまい、そんな私に侑ちゃんは不思議そうな顔を浮かべた。

 

 ―――撮影前にコウくんと今朝のこと話せたら良かったんだけど。

 

 しかし折角皆が一生懸命準備をしてくれたのだ。私一人の意見でコウくんを待ってもらうなんて、自分勝手なことは言えない。

 

 胸のモヤモヤは晴れることなく残ったまま、そんな気持ちを押し殺して私は精一杯の笑顔を浮かべた。

 

「う、うん!大丈夫だよ!皆、今日はよろしくね」

 

 ◇

 

 場所は移って中庭―――頭に花の冠を乗せた私は、撮影場所の中庭の芝生に座り、撮影の準備が出来るのを待っていた。

 

 あれから少しの時間は経っているものの、そう易々と気持ちの切り替えが出来るわけもなく、私の心は落ち込んだままであった。

 

「……」

 

 今朝、コウくんに話したこと―――『友達』と『その友達』の話。

 

『―――もう一度面と向かって話をするべきだって、俺もそう思います』

 

 コウくんが言っていたその言葉。

 

 それは私が苦し紛れに出した答えだったが、彼は笑顔でそれを肯定した。

 

 結局、それが正しい答えなのか分からないけど、少なくとも今唯一言えることは、私が果林ちゃんのことを知りたいと思っていること。

 

 知っていることと知らないことが沢山あって、だからこそ私は果林ちゃんと向き合って話をするべき―――だけど、そうだけど。

 

「―――よーいスタート!」

 

 そんな中、不意に聞こえた声にハッとする。

 

 落ちていた視線を上げ、その先でカメラを構えた璃奈ちゃん。撮影機材を持った侑ちゃん達のことを思い出し、先ほどのかけ声が撮影開始の合図だったことに気付き、私はカメラを見つめた。

 

「虹ヶ咲学園国際交流学科3年、エマ・ヴェルデです―――」

 

 今は撮影に集中しないと―――準備してくれた皆の為にも、コウくんの為にも。

 

 ◇

 

「―――それじゃあ着替えてくるね」

「はいっ!」

 

 頭に乗せていた花の冠をせつ菜ちゃんに渡すと、彼女は屈託のない笑顔を見せた。

 

 せつ菜ちゃん―――中川菜々ちゃん。

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の仲間で、あの日コウくんが向き合いぶつかり合った相手。

 

 あの日、お互いの気持ちをぶつけ合って、言い争いをしていた姿は私の記憶にも新しい。

 それを経て、最後にはお互いの手を取り合って二人。そんな二人に自分達を重ねてしまい、羨ましさを感じてしまう。

 

「―――エマさん?」

 

 その声に顔を上げると不思議そうな顔をしたせつ菜ちゃんがこちらを覗いており、彼女の手に持った花の冠が私を現実に引き戻す。

 

「大丈夫ですか?どこか体調とか……」

「う、ううん違うの!ちょっと考え事をしてて、ごめんねすぐに着替えてくるね」

 

 心配そうに声をかけてくれたせつ菜ちゃんにそう答え、早足に衣装が置いてある同好会の部室へ向かおうとした―――のだが。

 

「せつ菜ちゃん」

「はい?」

 

 不意に足を止め、振り返る。

 その先で首を傾げるせつ菜ちゃん。

 

『私』と『果林ちゃん』

『コウくん』と『せつ菜ちゃん』

 

 私は私たちと二人に違いがあるなんて思っていない―――思っていないからだろうか。

 

「と、突然ごめんね。あの日のこと聞いていい?」

「あの日……?」

 

 突然の質問にせつ菜ちゃんはまた首を傾げる。

 

「あっ、えっとね。コウくんとせつ菜ちゃんが言い合った時のこと!」

「えっ……あ、あの日のことですか?」

 

 私の説明でせつ菜ちゃんもその意味を理解したのか、呆気を取られたような驚きを隠せない表情を浮かべていた。

 

「うんっ。あの時コウくんと話して―――っ」

 

 そこまで言いかけて言葉を止める―――そうだ、よく考えてみれば突然聞かれてすぐに答えてくれるようなことではなかった。

 それは今の私が悩みを口に出せないように、せつ菜ちゃんにとって酷なことを聞いてしまった。

 

「ご、ごめんねせつ菜ちゃん!や、やっぱり今の言葉忘れて!」

「え―――?」

 

 冷静になった頭で未だ呆気を取られた様子のせつ菜ちゃんに頭を下げる。

 意見を一転させた私にせつ菜ちゃんはまたもや首を傾げたが、これ以上話しては不審がられてしまうとその場を後にしようと背を向けた―――その時。

 

「―――エマさんっ!」

 

 不意にせつ菜ちゃんが私の名前を呼んだ。

 振り返った先、花の冠を持った彼女は私のそばに寄り笑顔を浮かべた。

 

「せ、せつ菜ちゃ……」

 

「―――ズルいって思いました」

「え?」

 

 不意を突くように呟かれた言葉に間の抜けた声がこぼれる。

 

 視線の先、せつ菜ちゃんは何かを懐かしむように微笑み言葉を続ける。

 

「私だってあの時は色々と考えていたんですよ。同好会の皆さんのことは勿論ですけど、私のせいで同好会を辞めさせてしまったコウさんのことなんかも」

 

 いつものような元気満点の笑顔ではなく、儚さを感じさせる笑顔。

 

「私が抜けて、新しいメンバーが加入して、同好会が再建されて、全く新しいグループでラブライブ!挑戦して、その曲作りを“彼”が担当して……。そんな“優木せつ菜”だけが抜けて、全て元通りの同好会……。私の願いはそれだけでした」

 

「せつ菜ちゃん……」

 

 落ち込んだ声音の彼女に、思わず彼女の名前を呼ぶ。

 あの時の彼女の気持ちを量り知ることは出来ないけれど、彼女が話してくれた言葉の一片に感じる悲壮感に思わず胸が締め付けられる感覚に襲われる。

 

「でも―――そんな私に“彼”言ったんです」

 

 せつ菜ちゃんは手に持った花の冠をギュッと優しく握りしめる。

 

「―――ラブライブなんて知るかって、それよりも私に笑って欲しいって」

 

 ほんの数秒前の悲壮感は何処へ。

 ひまわりのように花開いたその笑顔に思わず私は息を呑む。

 

 頬を染めたせつ菜ちゃんは愛おしさを噛み締めるように目を細め、話す。

 

「私が考えてたことも、スクールアイドル同好会の目標だったラブライブも全部放り投げてまでも優木せつ菜が大好きだって、私の隣にいてくれるって……そんなの嬉しいに決まってるじゃないですか」

 

 ああ、羨ましいな―――なんて思ってしまう、考えてしまう。

 

「だから……コウさんはズルいです。ズルっ子です」

 

 そうしてせつ菜ちゃんは最後にまた笑う。

 その笑顔はきっと“彼”が守ろうとしたもので。

 そしてその笑顔の形は少なくとも私が知らない笑顔の形で。

 

 私たちと近しいと思っていた二人の関係はあの一件を経て、私たちと似て非なる強く固い絆で結ばれた関係になったのではないかとそう思う。

 

「ってこんな感じでいいのでしょうか……?」

 

 そんな中、少し恥ずかしそうに笑いながらせつ菜ちゃんは話を終える。

 

「え、あ、ああ!うん!と、突然ごめんねせつ菜ちゃん!」

「いえ!気にしないで下さい!」

 

 本来なら私が質問した意図でも聞くのが筋だろうけど、不思議と彼女がそのことについて言及することはなかった。

 

「そ、それじゃあ私、着替えてくるねっ!」

「はいっ!いってらっしゃい!」

 

 そうして私は駆け出す。彼女の声を背に受けて。

 

 きっと私たちも話すべきなのだろう。

 真っ直ぐと向き合って、お互いをぶつけ合って。

 それは『コウくん』と『せつ菜ちゃん』を見てきたからこそ分かったこと。

 

 けれどコウくんがせつ菜ちゃんに伝えたような言葉を私は持っていない。

 

 今の私が“彼女”と向き合っても、何を伝えればいいか―――その答えは未だ分からないままだった。



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32 今しかできないことを、ありのままを

 鍵を開け、扉を開ける。

 いつもは軽いスライドの扉も、その日は少しだけ重く感じて。

 

 その先、スクールアイドル同好会の部室は他の皆も出払っていることもあってか誰一人おらず、先ほど来た時と何も変わらないその光景は―――“彼”がまだ部室に来ていないということを私に知らせていた。

 

「コウくん……まだ来てないのか」

 

 思わず零れた言葉。

 せつ菜ちゃんの言葉を聞いて、今すべきことが朧気だが分かった筈なのに、私は未だ何を伝えればいいか分からずにいた。

 そうして落ちていく視線、PVの撮影会だからと上げようと思っていた気分も少しずつだが落ち込んでいくのが自分でも分かった。

 

 それと同時にどうしようもなく思ってしまう、考えてしまう。

 こんな時に“彼”がいてくれたら、と

 

 せつ菜ちゃん、愛ちゃんのように。

 私のちょっとした悩み―――些細な変化にも気付いて声をかけてくれたコウくん。そんな彼の負担になりたくないと思って誤魔化した言葉も彼にはお見通しで、結局その優しさに甘えてしまった。

 

 私たちの為に頑張ってくれているコウくんに心配をかけたくない。負担になりたくない。

 そんなことを考えながら、結局コウくんに頼ってばかりで。

 せつ菜ちゃんの時もそう。

 コウくんはお互い様だって風に言ってくれたけど、年長者なのに何も出来ず、何の力にもなれなかった。本当に恰好付かないな。

 

 だけどこのままじゃダメだってことは自分が一番分かってる。

 無理やりにでも自分を奮い立たせるように顔を上げ、窓の外を見つめ考える。

 

『ないわよ―――興味なんて全然』

 

『頑張っているエマを応援したいと思っただけよ。彼は……そのついでよ』

 

『それで、そんな風に思われるなら―――もうやめておくわ』

 

 冷たく吐き捨てるように、突き放すように言ったその言葉。

 それはスクールアイドルだけではなく、果林ちゃんがどこか目を掛けていたコウくん―――“彼”との関係も否定する言葉で。

 

 出会ってから今まで、初めて虹ヶ咲学園に来た時も、スクールアイドルの夢を話した時も、コウくんとせつ菜ちゃんの時も。いつも親身になって応援してくれて、助けてくれた果林ちゃん。

 それが私の知る果林ちゃんで。

 

「まるで違う人みたい……。一体どっちが本当の―――」

 

 昨日私が見た冷たく寂しそうな果林ちゃんと、今まで私が見てきた優しくて大好きな果林ちゃん。果たしてそのどちらが果林ちゃんの本心だったんだろうか。

 

「―――エ~マさんっ」

 

 小さく言いかけた言葉は不意に開いた扉と呼ばれた声にかき消され、私は微かな期待(・・)を胸に扉の方に振り返る。

 

 しかし、そこにいたのは“彼”ではなく。

 先ほどまで中庭でPV撮影を手伝ってくれていた内の二人である―――。

 

「侑ちゃんと歩夢ちゃん、どうしたの?」

 

 ―――高咲侑ちゃんと、上原歩夢ちゃん。

 

 コウくんとせつ菜ちゃんが同好会に戻ってきたタイミングで一緒に入部してくれた同好会の新しい仲間であり、コウくんとは幼馴染の仲である二人。

 

 ここ最近までは離れ離れだったらしいけど、コウくんとせつ菜ちゃんが戻って来てからは、侑ちゃんのお家でお泊り会なんてもの開催しているほど三人の仲は良く、コウくん自身も二人のことを信頼していることが分かる場面もよく見かける

 

「だってエマさん、着替えから中々戻ってこないんだもん」

「大丈夫ですか、どこか具合悪いとか……」

「ううん。ごめんね逆に心配させちゃって……」

 

 気が付けば先ほどの撮影から時間が経っており、そう話す侑ちゃんと心配そうに声をかけてくれた歩夢ちゃんに申し訳ないと言葉を返す。

 

 迷っていても悩んでいても変わらず時間は過ぎていく。いつまでも分からないことに迷って、悩んで、あげく周りにも心配をかけて……。

 

「本当は皆の心をポカポカにしたいのに……」

 

 これじゃあコウくんの力になるどころか、自分のことすら。

 

「エマさん?」

「ううん大丈夫っ、着替えなきゃだよね。ちょっと待ってて」

 

 小さく呟いた言葉に不思議そうな顔をした二人にそう答え、衣装がかけられたハンガーラックの方へと向かう。

 

 自分の悩みでこれ以上心配をかけるわけにはいかない―――皆にも“彼”にも。

 

 ちゃんと切り替えなきゃ―――。

 

「―――あっ、これ最新号だ!見てもいい?」

 

 そんな中、着替えを待ってくれていた侑ちゃんから問いかけられた言葉。

 その視線の先には開けっ放しになっていた私の鞄があり、その中に見えるスクールアイドル雑誌―――それは昨日果林ちゃんの部屋で見つけたもので。

 

 そう言えばあのまま鞄の中に入れっぱなしにしてたっけ……。

 

「いいよ」

「ありがとう、エマさん!」

 

 そう答えると嬉しそうに鞄から雑誌を取り出し読み始めた侑ちゃん。

 

 ―――その時。

 

「……?」

 

 開かれた雑誌から一枚の紙が落ちていくのが見えた。

 紙は雑誌の間に挟まれていたようで、ひらひらと地面に落ちた用紙を私は拾い上げる。

 

「アンケート……?」

 

 まず目に入ったのは黒の帯に白い文字で書かれたアンケートという五文字。

 

 そして私が大好きな―――優しい彼女(朝香果林)の名前。

 

「これ……果林ちゃん……」

 

 思わず声に出した名前とそのアンケート用紙に書かれた内容に、気が付けば私の身体は動いていた。

 

「エマさんっ―――?」

「ごめんねっ私―――いってくる!!」

 

 不思議そうな顔をする二人を横目に自分の鞄を掴み取り、部室の外へ駆け出す。

 

 

 言わなきゃいけない、伝えなきゃいけない―――私の気持ちを。

 

 聞かなきゃいけない、知りたい―――“彼女”の本当の気持ちを

 

 ―――だけど、だからこそ私は。

 

 

 ◇

 

 

 一人、息を切らしながら廊下を駆けていく。

 放課後ということもあり人も疎らになっている校舎棟の廊下を私は走っていた。

 

 こんな姿、せつ菜ちゃんに見られたら怒られちゃうかな。でも今だけは―――。

 

 もう既に校舎棟には戻ってきているかと思ったけど、本来ならすぐに見つかってもおかしくない人影は未だ見つからずにいた。

 

「―――たしか学科の先生のお手伝いって……」

 

 そう愛ちゃんが言っていたけど、校舎棟をここまで探しても見つからないということであれば、まだ職員棟にいるのだろうか。

 すぐさま方向を変えて校舎棟に隣接されている職員棟へと向かう。

 

 職員棟に近付くに連れ先ほどまで疎らだった生徒もいなくなり、廊下に私の足音だけが響いていた。そのまま走っていき、職員棟へ続く曲がり角で―――。

 

「―――!!」

 

 突如、視界に飛び込んできた人影―――突然のことで驚いてしまうが、咄嗟に身体を捻らせその相手との接触を間一髪で避ける。

 

「あっ―――」

 

 しかしその拍子に半開きになっていた私の鞄からノートや教科書―――アンケート用紙などが地面にバラまかれてしまい、思わず足が止まった。

 

「ご、ごめんなさい大丈夫ですか!!わ、私―――」

 

 だけど今は落とした荷物は二の次に、ぶつかりそうになった相手を―――。

 

「―――エマ先輩?」

 

 そんな時―――私の名前を呼んだ聞き覚えのある声。

 

 顔を上げた先、少し驚いた顔でそう呼んだのは、私が探していた相手―――今、話さなくちゃいけない相手の一人(・・)である。

 

「―――こ、コウくん」

 

 下海虹くん―――彼であった。

 

「―――どうかしたんですか?何か急ぎだったみたいですけど」

 

 コウくんは私に気付くとそう言いながら、地面にしゃがんで散らばった私のノートや教科書を拾い集めてくれていて。ってそれより―――。

 

「こ、コウくんは大丈夫?!本当にごめんね?!ぶ、ぶつかっちゃったり、どこか怪我とかしてない?!」

 

 教科書とノートを揃えるコウくんの肩を掴みそう問いかける。

 急いでいたとはいえ、コウくんを危ない目に合わせかけたのは逃れようのない事実だ。

 

「いや、ちゃんとエマ先輩避けてくれたじゃないですか。大丈夫ですよ?」

 

 そんな私に笑いながらそう答えるコウくん。

 いつもと変わらない優しい笑顔にホッとしたと同時に湧き上がる罪悪感に頭を下げた。

 

「で、でも……本当にごめんなさい……」

「そんなに謝らなくても大丈夫ですって、エマ先輩こそお怪我はありませんか?」

「わ、私は大丈夫!だ、だけど……」

 

 埃を払いまとめてくれた教科書やノートを受け取り、そう答える。

 ズボンについた埃を払い立ち上がったコウくんに促されるように、私も立ち上がる。

 

 私がここまで走ってきた理由。

 “彼”を探していた理由。

 

 コウくん言わなきゃいけないことがあったのに、伝えなきゃいけない気持ちがあったのに。コウくんに心配させて、迷惑もかけて―――これじゃあ。

 

「―――あれ?これもエマ先輩のですか?」

 

 そんな中、不意に問いかけられた言葉。

 顔を上げた私の目に入ってきたのは、少し離れた場所に一枚だけ落ちていた用紙に気付いた彼が、それを拾おうと手を伸ばしている姿で。

 

 だけど、もしかしてそれって―――。

 

「―――こ」

 

 呼びかける間もなく、その用紙を手に取ったコウくんはその用紙へ視線を落とした。

 

 その用紙は―――それは果林ちゃんが読者モデルを務めている雑誌のアンケート用紙で。

 

 ほんの少しの時間が流れる。時間にすれば数秒だけど私にはとても長く感じられて。

 

 アンケート用紙に視線を落としたコウくんは何を言うわけでもなく、そのアンケート用紙を見終えるとこちらに視線を向けた。

 

 だからこそ今、言わなきゃいけない、伝えなきゃいけない―――私の気持ちを。

 

「あ、あのね。こ、コウく―――」

「―――はい。これもエマ先輩のですよね?」

 

「―――え?」

 

 彼の口にした言葉に思わず間の抜けた声がこぼれ落ちた。

 果林ちゃんのアンケート用紙をこちらに向け、いつものように笑いかけてくれるコウくん。

 何も変わらないその様子に戸惑いながらも、差し出された用紙を受け取った私はもう一度彼の顔を見る。

 

 微笑みながらこちらを見つめ返してくれるコウくん。

 いつも私たちの為に頑張ってくれているコウくん―――そんな彼だから私も真剣に向き合わなければならない。今私の胸に抱くこの気持ちと。

 

「あ、あのねコウくん―――!!私ね―――」

「―――エマ先輩」

 

 ギュッと両手を握りしめた私の言葉に、優しい声が重なる。

 目の前のコウくんは真っ直ぐと視線を合わせたまま、口を開いた。

 

「―――俺なら大丈夫なんで、いってきてください」

 

「―――え」

 

 その言葉の一言一句を理解するのに時間がかかった。

 言葉を聞き間違えたわけでもない。彼が言い間違えたわけでもない。

 ハッキリとハッキリそう(・・)聞こえた。

 

 だけど、だけどそれは、その言葉が意味することは―――。

 

「で、でも。だ、だってわ、私まだ―――」

 

 自分から言いだそうとした言葉があった筈なのに、ちゃんと考えていた筈なのに。

 

「まだ、まだ何も―――」

 

 先回りされたように彼から出た言葉に動揺が隠せず、上手く言葉が出ずにいた。

 

「大丈夫ですよ、分かってますから」

 

 だけどそんな中でも私を見つめる瞳は変わらず笑いかけており、その笑顔に自然と私の胸も温かくなっていくような感じがした。

 だけどその温かさは同時に、それとは真逆の冷たさを生み出し胸の内に広がっていく。

 

「―――」

 

 いつも私たちの為に頑張ってくれているコウくん。

 8人の曲を一人で作詞作曲して大変じゃないわけないのに、皆と一緒にいる時間を大事にしてくれて、今日みたいに困ったり悩んだ時は力になってくれて。

 

「―――……よ」

 

「……?」

 

 そんな優しいコウくんにばかりに負担を強いて、自分だけやりたいことを叶えようだなんて―――。

 

「…………めだよ」

 

「……エマせんぱ―――」

「―――ダメだよ!!」

 

 息を全て吐き出すように出た声に目の前のコウくんは驚いた顔を見せた。

 

 ごめんね。だって、でも―――。

 

「分かってる分かってるってコウくんは何も分かってない!」

 

 いつも私たちの為に頑張ってくれているコウくんにこれ以上負担をかけたくない。

 

「今だって8人全員の曲を作るなんて簡単なわけないのに、私がやろうとしていることを聞きもしないで大丈夫大丈夫ってそんなわけない!」

 

 私たちの為に無理して欲しくないし、これ以上要らぬ心配もかけたくない。

 

「でも……!私には私たちには!今日言って明日からコウくんみたいに音楽は作れないから……」

 

 いつも頼ってばかりって分かってた筈なのに。

 いつまでもコウくんの力になれなくて、私じゃあの二人(侑ちゃんと歩夢ちゃん)みたいになれなくて―――。

 

「だから、だから……私はいいから……果林ちゃんを―――」

 

 気が付けば手に持ったアンケート用紙にはしわが出来ていて。

 そのアンケート用紙―――朝香果林と書かれた雑誌のアンケート用紙の問い。

 

今、一番興味があることは?―――スクールアイドル

 

 果林ちゃんの本当の気持ちを聞きたくて、知りたくて。

 でもそれでコウくんを、私たちの為に頑張ってくれている優しい“彼”に負担をかけるぐらいなら私が―――。

 

「―――エマ先輩」

 

 名前を呼ばれ、顔を上げる。

 その先、“彼”は優しい目で私を見ていた。

 

 その宝石のような瞳は真っ直ぐと逸らされることなく私に向けられており、吐き出した自分の言葉に少しだけバツが悪くなり私は目を逸らす。

 

 もっとちゃんと話をしたかったのに、出てきたのはまるで子供のかんしゃくのような言葉で。

 でも、ただ、私はもうこれ以上コウくんに負担をかけたくなくて。

 

「―――ありがとうございます。俺のことそこまで考えてくれて」

 

 その言葉に思わず彼を見た。

 叫んだ言葉に、吐き出した言葉に、かんしゃくのような言葉に、それでもコウくんは優しい目をしたまま、優しい声でそう言い、優しく笑った。

 

「確かに今いる8人全員の曲を作るのは簡単じゃないです。一人一人の個性もやりたいことも違う同好会の皆の曲を一人で作るって今でも本当に難しいのが本音です」

 

「―――だ、だったら」

 

「―――でも、俺は皆の曲が作りたいんです。勿論エマ先輩、あなたの曲も」

 

 コウくんの言葉に反射的に出てきた言葉は、続けて彼が口にした言葉にかき消されてしまい、思わず言葉が詰まる。

 

「それが今の俺のやりたいことで、叶えたい夢……みたいものなんです。誰一人欠けちゃいけない」

 

「で、でも……!そ、それなら尚更私がやろうとしてることはコウくんのやりたいことを邪魔することじゃないの?!」

 

 止めてくれた方がまだ良かった。否定してくれた方がまだ良かった。

 優しいキミだからこそ受け入れて、その結果無理をさせてしまうことの方が何倍も辛い。

 

「でもエマ先輩は朝……果林先輩と一緒にやりたいんじゃないんですか?スクールアイドル」

 

「っ……」

 

 勿論そんな夢みたいことが叶うのならそれが一番だ。

 だけど現実問題それが簡単じゃないことは知っている。

 それはいつも頑張ってくれているコウくんの背中を見てきたからこそ、それぞれの個性を音楽として一人で表現するということは試行錯誤の繰り返しであり、個性もやりたいこともバラバラな私たちなら尚更だ。

 

 だからこそ私はやりたいことを叶える為に、私のやりたいことを―――。

 

「―――エマ先輩のやりたいことを否定するのは、例えそれがエマ先輩自身であっても許しませんよ」

 

 まるで見透かされているかのように出た言葉に思わずコウくんを見た。

 真っ直ぐな瞳は強く熱く―――見つめた先の私はどうしたらいいか分からず視線を落とす。

 

「……でも、でも、それじゃあ、コウくんが、コウくんに、ばっかり大変な、思いを」

 

 そして出てきたのは子供の泣き言のような言葉。

 言葉が定まらなくて、言いたいことが決まらなくて、繋ぎ繋ぎの支離滅裂な言葉を並べて、どうしたらいいか分からなくて、ぐちゃぐちゃで。

 

「―――俺はエマ先輩の一番を叶えたいって、そう思ってます」

 

 そんな中でも変わらずコウくんは真っ直ぐと言葉をぶつけてくれる。

 

「……ダメだよ、それはダメ。だってそれはコウくんが……」

 

 子供の泣き言は気付けば涙に変わっていて、ポロポロと私の頬を濡らす。

 

 今すぐにでも彼の好意に甘えてしまえばいい、自分にとって都合の悪いことはないんだしその言葉を受け入れてしまえばいい。そうすれば私が描いた一番が叶うことは分かっている。

 

 だけど私はその提案を手放しで受け入れることは出来なかった。

 それはいつも私が感じていた気持ち―――力になりたいのに、結局いつも頼ってばかりで、優しい“彼”の言葉に甘えている自分が許せなかったから。

 

「……コウくんが」

「―――エマ先輩」

 

 ふわっと髪を触れる温かな手のひら。

 涙を拭いながら顔を上げると、すぐそばには“彼”の姿があって

 コウくんは髪を優しく撫で上げながら、ポロポロと涙を流す私に笑いかける。

 

「……なら一度だけでいいので信じてくれませんか?俺のこと」

「―――え?」

 

 優し気な声色のままそう口にしたコウくんに思わず驚きの声がこぼれる。

 

「あの日、言ってくれましたよね。俺が良いって、俺の曲じゃないとダメだって」

 

 変わらぬ口調で言葉を続けるコウくん。

 それはあの日、自分の作った音楽を卑下して、自らを貶めていた“彼”に私が言った言葉。

 

「あの時、本当は嬉しかったんです。俺にも出来ることがあるんだって、俺にしか出来ない事があるんじゃないかもって」

 

 まるで昨日のことのように、目を細め嬉しそうにコウくんはそう話す。

 

「あの言葉があったから俺は今ここにいるんです。だから今度は俺に叶えさせてくれませんか?エマ先輩のやりたいことを、エマ先輩の一番を」

 

 そうして“彼”はまた私に微笑みかける。

 まるで涙を拭うような優し気な笑顔は、何度目か分からないほどに私の胸を温かくしてくれて。

 

「それが今の俺がやりたいことで、叶えたい一番なんです」

 

 だけど、その温かさは同時にそれとは真逆の冷たさ―――“罪悪感”を私の胸に生み出し広がっていくのも事実で。

 

「……でもそれじゃあまた(・・)私はコウくんに甘えて、何も出来ないまま……」

 

 その冷たさは、罪悪感は、満杯だった水こぼれ落ちるように弱々しい言葉となってあふれ出していく。私にはそれを止める術も知らず、ただこのまま何も出来ない、甘えてばかりの弱い自分を受け入れてしまえば、もう“彼”にも皆にも顔向けが―――。

 

「なら、こういうのはどうですか?」

 

 そんな時、明るい声でそう言ったコウくんは私はゆっくりと顔を上げる。

 目が合うと嬉しそうに目を細め、彼はその提案を話していく。

 

「これから先、俺がちょーっと大変で、辛くて苦しい~ってなった時は―――」

 

 その提案は―――優しい声で、優しい笑顔で、紡がれるその言葉は。

 

「―――エマ先輩を頼るので、助けて欲しいです」

 

「―――……っ」

 

「俺もさすがに9人はどうなるか分からないんで、もしもの時にエマ先輩が助けてくれたら心強いな~って思ってるんですけど」

 

「……」

「ど、どうですかね……?」

 

「……」

「え、エマ先輩?」

 

 ―――ズルい。本当にズルい。

 

 少しずつ胸に湧き上がっていく感情。それはきっと初めての感情で。

 目の前の“彼”はそんなことは知らないといった様子で私の名前を呼んでいた。

 

 けれど呼ばれる度に湧き上がっていくのはちょっと甘酸っぱいこの気持ち

 

「え、エマせ―――」

 

 そんな気持ちに従うように気が付けば私は目の前の“彼”に抱き着いていた。

 突然のことで驚いた様子だったけど少し後ろに下がりながらも私を―――私の思いを受け止めてくれたコウくん。

 

 せつ菜ちゃんが言ってたことがほんの少し分かっちゃった。

 

「本当、ズルっ子だね……」

「え、エマ先輩?」

「えへへ、ごめんね。何でもない」

 

 変わらず戸惑った様子のコウくんにそう答え、応える。

 

「―――ありがとうコウくん。私でよければいつでも力になるから、どんな時だって、どんなことだって言ってね」

 

「……ありがとうございます。でも、私でよければじゃなくてエマ先輩がいいんです。エマ先輩じゃなきゃダメなんです」

 

「―――っ!!」

 

「俺も、俺を信じてくれる皆だからこそ信じられ―――ってエマ先輩何か急に力がぁっ」

 

 不意を突かれたようなその言葉に思わず腕に力が入ってしまうが、彼の苦しそうな声にハッとし力を緩める。

 しかし身体は変わらず密着したままで、感じる温かな体温に身を預けていると。

 

「あ、あのそれでエマ先輩……早速ですが一つお願いしてもいいですか?」

「!!うん大丈夫だよ!何でも言って!」

 

 その言葉に湧き上がった嬉しさに任せるように見上げた先で、耳まで赤くしたコウくんは先ほどとは違いあからさまにこちらから顔を逸らしており、そんな彼の姿に思わず首を傾げるのだが。

 

「そ、そのずっとこう抱き着かれたままだとき、緊張してしまいまして……」

「え?」

 

 弱々しい声でそう言ったコウくんに気の抜けた声がこぼれる。

 

「出来ればそろそろ離していただきたく発言をば……」

 

 確かに先ほどから微かに感じる胸の鼓動はその脈打つ速度を速めており、彼の言葉に嘘偽りないことを表していた。

 

 だけど―――。

 

「―――だめ、もう少しだけ」

 

 もう少し、あと少しだけこの時間を―――。

 

「えええ……そ、そのこんなところ誰かに見られたら―――」

「―――ねえ、コウくん」

 

 胸の中、鼓動の音を聞きながら私は彼の名前を呼ぶ。

 

「……はい、どうしました?」

「私、果林ちゃんにちゃんと伝えられるかな?自分の気持ち」

 

 聞きたい、知りたい―――優しくて大好きな果林ちゃんのこと。

 

「どう、ですかね……それはエマ先輩自身のことですから俺には何とも」

「そう……だよね」

「……でも―――」

 

 そう言うとコウくんは私の頭を優しく胸元に抱き寄せた。

 

「俺にはちゃんと伝えてくれたじゃないですか、エマ先輩の気持ち」

 

 優しい声音のその言葉に、もう一度彼の胸の鼓動を感じるように胸元に耳を当てる。

 ドクンドクンと脈打つ鼓動。

 

 決意を固めるように私はふぅと息を吐き出して、ゆっくりと彼から離れる。

 

「……私、頑張ってみるね」

 

 そのまま顔を上げて、彼と向かい合う。

 

「ええ、今しか出来ないことを、エマ先輩のありのままを伝えてきてください」

 

 その瞳は変わらず真っ直ぐに私を見つめており、見つめ返す私に彼は目を細める。

 

「うん―――じゃあ、いってくるね」

 

「はいっ、いってらっしゃい。お気をつけて」

 

 そうして私は駆け出す、彼の声を背に受けて。

 

 いつも親身になってくれて、私の夢を応援してくれて、困った時は助けてくれて、そんな優しくて大好きな―――虹ヶ咲学園に来てから初めてできた大切な親友(果林ちゃん)の元へ。

 

 

 

 ◇

 

 

 きっと今はまだ頼りなくって、頼ってばかりの私だけど―――。

 

 いつかあなたが悩んで迷って、辛くて苦しくて、誰かに気付いて欲しい時。

 

 誰よりもそばであなたを守りたいから、あなたの力になりたいから。

 

 あなたがしてくれたように、いつの日かきっと―――いや絶対!

 

 あなたを支えられるように、あなたを癒せるように。

 

 あなたとの時間を、今しかないないこの時間を、そっと育んでいこう。



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32.5 “ポカポカ”な毎日を

「ここのフレーズ少し変えてみようと思うんだけどどう思う?」

「そうですね……。それならこのどこまでも広がる世界ってところを―――」

 

 スクールアイドル同好会の部室。

 ソファに腰かけ、机の上に広げられたキャンパスノートの文字を指でなぞりながら隣でそう話すせつ菜。

 その真剣そうな横顔を一瞬だけ覗き見てから、俺は再度キャンパスノートに視線を移した。

 

 学科の先生から手伝いを任された翌日の放課後―――とある一人を除いた同好会のメンバーは練習着に着替え、練習が始まる前のひと時を各々過ごしていた。

 

 とある一人―――それはスクールアイドル同好会の三年生、エマ・ヴェルデ先輩。

 

 昨日、同好会にて彼女のPV撮影を行う予定だったのだが、その途中で彼女は部活を抜け出し俺の元へ来た。そこで朝香先輩がスクールアイドルに興味があるといった真意を知った彼女から相談を受け、話を聞いた俺も彼女の背中を押したといった話があった。

 

 しかし実際、他の同好会メンバーに今の話を一言一句説明するのは彼女たち―――特に朝香先輩の性格上知られたくないだろうと考えた俺は「エマ先輩は急用が出来て早退した」と説明をし、エマ先輩のPV撮影に関しては延期することになっている。

 

 その後、エマ先輩からメッセージは来ていたのだが俺も詳しい話は―――。

 

「―――皆、おはよう~」

 

 そんなことを考えていると、いつもの優し気な声色の挨拶と共に部室の扉が開けれた。

 

「あっ、エマさん!」

 

 各々のひと時を過ごしていた同好会のメンバーもその声に気付き、彼女―――エマ先輩の元へ駆け寄る。

 

「エマさん、昨日は大丈夫だった?」

「コウくんから早退したって聞いて心配してたんです」

「う、ううん。私の方こそごめんね。ちゃんと説明すればよかった」

 

 申し訳なさそうに謝るエマ先輩。

 駆け寄ってきた同好会メンバーを一見するように彼女は部室を見回し―――不意に目が合う。

 

「―――!」

 

 こちらに気付くと、先ほどとは違いどこか嬉しそうに微笑んだエマ先輩。

 とりあえず俺も会釈だけしておいた。

 

「―――失礼するわね」

 

 そんな中、エマ先輩に遅れるように部室に入ってきた人物が一人。

 

「もうっ酷いじゃないエマ。廊下に置き去りにするなんて」

 

 そこにいたのは―――制服を着ていても見惚れるほどのプロポーションと、そのスラッとした立ち姿と妖艶な佇まいが、虹ヶ咲学園の男女に問わず人気の彼女。

 

「あー!ごめんね果林ちゃん、うっかりしてて」

 

 ―――朝香果林、その人であった。

 

 部室に入った朝香先輩は先ほどのエマ先輩同様、何かを探すように部室を見回したかと思えば、こちらに気付いたように視線を向けた、

 

「?果林先輩、今日はどうしたんですか?」

 

 不思議そうにしたかすみが朝香先輩にそう問いかける。

 

「ええ、今日はちょっと渡したいものがあって……」

 

 朝香先輩はかすみの言葉に答えるように一度視線を外したかと思いきや、鞄から一枚の用紙を取り出すと再度こちらに視線を向け、ソファに歩み寄る。

 

「―――エマから聞いたわ。私たちのこと、ありがとね」

 

 そう言いながら朝香先輩はソファに座る俺に向けて用紙を差し出す。

 エマ先輩から聞いたというのは昨日のことだろうか。

 俺としてもしょんぼりしたままのエマ先輩を見たくなかったし、もう二度と彼女を悲しませないと誓ったから―――って一度間違えた人間が言っても説得力がないけど。

 

「それはまあエマ先輩の為ですから」

 

 その言葉にそう答え、差し出された用紙を受け取る。

 

「かすみんを放って二人でなんの話ですか~?果林先輩も何を―――」

 

 話に割り込むように腕に抱き着きソファの隣に座ったかすみ。

 そのせいで控えめな膨らみが当たって。本当この子って子は……。

 

 そのまま隣で覗き込むかすみにその用紙を渡すと、彼女はそれを受け取り―――不意に立ち上がった。

 

「ええええ~!!こ、これって入部届~~!!??」

 

 廊下まで響き渡るようなかすみの声。

 その声にそばにいた侑とせつ菜もその言葉を確かめるように、かすみが手に持った入部届を覗き込んだ。

 

「と、と言うことは果林先輩もスクールアイドルにぃ?!」

 

 二度見をするように朝香先輩と入部届を交互に見て、かすみはそう叫ぶ。

 

「うんっ、果林ちゃんがいればもっともっと楽しくなるよ~!」

 

 そんなかすみの言葉に応えるようにそう話したエマ先輩。

 その言葉でハッとしたかすみは、何かに気付いたかのようにこちらに視線を向ける。

 

「ってことは、もしかしてコウ先輩はこのこと知っていたんですか?!」

「え?まあ……そうだな」

 

 知らなかったと言えば嘘になるな。

 俺がそう答えると突然、肩をガックリと落とすかすみ。

 

「……かすみんのコウ先輩が……知らないところで果林先輩と密会を……」

 

 恐らく何か盛大な勘違いをしていると思うのだが……。

 そう呟きながら侑に支えられ、ソファを離れていくかすみ。

 かすみから代わるように入部届を受け取ったせつ菜は、入部届に目を通し顔を上げた。

 

「はいっ!確かに入部届いただきました!ようこそ、スクールアイドル同好会へ」

「ありがとう、優木さん」

「せつ菜で構いませんよ!果林さん!」

「ならお言葉に甘えて。よろしくね、せつ菜」

 

 そうして笑顔を見せた朝香先輩。

 生徒会長でもあるせつ菜―――菜々に任せれば書類関係の提出は問題なさそうとして。

 

「―――でも本当に良かったの?」

 

 そんな中に朝香先輩が不意に声をかける。

 顔を上げた先、彼女はどこか不安げな表情でこちらを見ており、顔を上げた俺に応えるように言葉を続けた。

 

「今だって作曲大変なんじゃないの?それなのにもう一人なんて……」

 

 いつもの余裕たっぷりな彼女と違って、どこか新鮮さを感じさせるその表情。

 腹が読めない人だと思ってから、こう気をかけてくれていたのは正直嬉しいが、しかし―――。

 

「俺だって誰でもいいわけじゃないですよ。ですけどまあ、朝香先輩ならいいかなーって」

「……嬉しいこと言ってくれるわね。てっきり嫌われているものだとばかり」

 

 ……嘘は言っていない。

 それにエマ先輩との話を抜きにしても、せつ菜との一件で同好会の皆を含め、多方面に迷惑をかけたと思っているから、どこかのタイミングでお返しができれば考えていたところだ。特に朝香先輩はその中でも功労者と言えるから―――ってそれより。

 

「俺そんな嫌ってるような態度ってしてましたっけ?むしろ朝香先輩はわりと好きな部類だと思いますけど」

「っ……キミってそういうこと恥ずかしげもなく言うのね」

 

 え?俺なんか変なこと言っちゃいましたか?と言うかそもそも思春期真っ只中の男子高校生の中にえっちなお姉さんが嫌いなやついる?いねえよなぁ!!?

 

「ともかくこれからよろしくお願いしますね、朝香先輩」

 

 ソファから立ち上がって、手を差し出す。

 これからは先輩と後輩だけの関係ではなく、スクールアイドル同好会の一員として。

 

 突然のことに少し戸惑った様子を見せた朝香先輩だったが、こちらの視線に応えるようにその瑠璃色の宝石ような瞳で真っ直ぐとこちらを見つめ、ギュッと差し出した手を握ってくれた。

 

「少しずつでいいので、朝香先輩の“やりたい”ことも俺に教えてくださいね」

「ええ、そうね。これから―――」

 

 笑顔でそう話す俺に、彼女も何かを言いかけるのだが―――。

 

「……朝香先輩?」

 

 またもや何かに気付いたように言葉を止めた彼女に、思わず首を傾げる。

 手を繋いだまま、ぐるりと同好会の面々を見回した彼女は最後に俺を見て―――艶やかに笑った。

 

 すぐさま手を離した時には時すでに遅し、先ほどより強く握られた彼女の手によって引っ張られた俺の身体は為す術なく、朝香先輩の元へ引き寄せられて彼女と身体が密着してしまう。

 

 鼻孔をくすぐる甘い香りと大人っぽい色香に思わず意識が飛びそうになるのを抑え、何とか持ちこたえる俺。

 

「「「ああああああああ~~~~!!!!!」」」

 

 廊下どころか部室棟全体に響きそうな大きな声。

 しかし突然のことで俺にも反応出来る余裕はなく。

 

「あ、あああああ朝香せんぱ―――!?」

「そうよね。コウくんには作曲の為にこれからも~っとお姉さんのこと知ってもらわなくちゃね。それじゃあまずは私のチャームポイントの~」

 

 そう言いながら制服のリボンを緩め、ニットベストの下にあるブラウスのボタンに手をかける朝香先輩―――ゆっくりとボタンを外し。

 

「な、何してるんですか果林先輩?!!早くかすみんのコウ先輩から離れてください!!」

「そうですよ果林さん!!ようこそとは言いましたが、こんないきなり部室でようこそするのは羨ま……見過ごすわけにはいきませんよ!!」

「そ、そうだよ~!!愛さんだってしもみーと……じゃなくって、しもみーも嫌がってるんだし早く離れなよ~!!」

 

 え?誰が嫌がってるんですかそれってなんかデータとかあるんですか?―――っておバカ!!

 

 気付けば密着している俺たちを引き剥がそうと駆け寄ってくるかすみ、せつ菜、愛の三人。

 

 しかし元々体幹もあり、鍛えている朝香先輩には三人がかりでも密着した身体は中々剥がれず。

 それどころか朝香先輩も離されないよう先ほどより身体を密着させて、三人も更に負けじと身体を寄せて剥がそうとするものだから三人とも密着する形になって―――。

 

「ちょ、ちょっと皆いくらなんでも近過ぎ―――」

 

 至るところに感じる柔らかな膨らみと彼女たちの甘い匂いに理性を保つのもやっとの状況で。気を抜けば俺の中の男の部分が表に―――耐えろ耐えるんだ俺。

 

「た、助けっ、侑、あゆ―――」

 

 親愛なる幼馴染に助けを求めるように埋もれながらそう呼びかける。

 離れたところでその様子を見ていた二人もそれで察してくれたのか、顔を見合わせた後こちらへ―――。

 

「―――も~ダメだよ皆~」

 

 その時、辛うじて空いていた手に触れた柔らかく温かな手の感触。

 そして子供を優しく叱るような声が聞こえた―――次の瞬間。

 

 身体が引っ張られるような感覚と共に四人の拘束から抜け出された俺は、その勢いのまま手を掴んだ相手へ引き寄せられるように―――。

 

「―――エマせんぱ」

 

 その名前を言いかけて―――不意に暗くなった視界と顔を包んだ柔らかな感触。

 

「いきなりコウくんをいじめちゃ~」

 

 頭上から聞こえた優し気な声と鼻孔をくすぐる良い香り。

 突然のことに状況が掴めずにいると、暗くなっていた視界が急に明るくなる。

 

「―――大丈夫?コウくん」

 

 そう言われ顔を上げると、こちらを覗き込むような視線と目が合う。

 

「あ~~~!!!エマ先輩もかすみんのコウ先輩に何やってるんですか~~!!!」

「も~かすみちゃんも。かすみちゃんのじゃなくて皆のコウくんだよ~」

 

 そして、ぷんぷんと頬を膨らますかすみを宥めるようにそう応える彼女―――エマ先輩。

 

 未だ状況の掴めていない俺だったが、少し低くなった体勢と頭と肩を抱くように感じる腕の感触―――と言うことはさっき俺の顔に包んだ柔らかいものってまさか。

 

 ―――デカ過ぎんだろ……。

 

 正面を向いた俺の視界に広がったエマ先輩の大きな膨らみ。

 

 普段至近距離で見たりすることのないその膨らみに思わず俺は目を見開いた。

 

「コウくん、大丈夫?」

 

 そんな俺に気付いてかはいざ知らず、頭上から聞こえた声に顔を上げると、心配そうな様子でこちらを覗き込んでいたエマ先輩。

 

 そうか、そう言えばさっきまであの四人に囲まれて理性が壊れる寸前の状況だったところを助けてもらったんだ。そんな優しい彼女の好意にかこつけて自分の欲求を満たそうなど言語道断。

 助けてくれたエマ先輩にはちゃんとお礼を言って離れないとな。

 

「あっ。ありがとうございます、エマ先輩。助かったのでそろそろ離してもらって大丈夫ですよ」

 

 視線の先にいるエマ先輩にそう声をかけると、頭と肩を抱くように回された腕が離れようやく俺も自由の身に―――なる筈だったのだが。

 

「……あの、エマ先輩?」

 

 エマ先輩は見上げる俺と視線を合わせたまま腕をギュッと締めると、頬を赤らめ楽しそうに嬉しそうに―――笑った。

 

「―――えへへ。だ~めっ」

「―――え?」

 

 そして暗くなる視界と包み込む柔らかさ―――エマ先輩に抱き締められていると理解するのにそう時間はかからなかった。

 

「な、なななな何やってるんですか!?」

「ちょっとエマさんっ?!」

「エマっち?!」

 

「あら、エマったら大胆ね~」

 

「おお……コウの顔が埋もれちゃってる……」

「……絶対、鼻の下伸ばしてるよ。ふんっだ」

 

 エマ先輩の突然の行動に各々の反応が聞こえてくるが、視界は暗いまま。感じるのは顔を埋め尽くす柔らかさと彼女から香る石鹸の良い香り。

 

ぽお(ちょ)ぽぉっとへまへんぱい(ちょっとエマ先輩)はらひてくだは(離してくださ)―――」

 

「―――も~そんなとこでしゃべったらくすぐったいよコウくん~」

 

 あっ―――これは離せないし、話せないですね。

 

 そう悟った俺は、その柔らかさと香りに包まれるように身体を預け。

 

 ほんの少しだけ騒がしくなった日常の中で。

 少しずつ遠ざかる声と共に、ゆっくりと意識を手放していくのであった―――。

 

 

 ◇

 

 

 胸に抱き寄せた“彼”の髪に優しく触れる―――柔らかくてサラサラの綺麗な髪。

 

 私の一番の夢を、果林ちゃんとスクールアイドルがしたいっていう私のわがままを。

 

『―――俺はエマ先輩の一番を叶えたいって、そう思ってます』

 

 そう言って肯定してくれたコウくん。

 それは簡単なことじゃなくて、否定されたって仕方ないことなのに。

 

『だから今度は俺に叶えさせてくれませんか?エマ先輩のやりたいことを、エマ先輩の一番を』

 

 その言って笑った笑顔がまぶたの裏に焼き付いて離れなくて。

 思い出す度に胸が熱くなって―――愛しくて。

 

 それは故郷の家族や同好会の皆に感じる愛しさとはまた違った気持ちで。

 

 胸に湧き上がるこの“ポカポカ”とする気持ちの理由を私はまだ知らなくて―――でもただ一つ言えるのは、いつもちょっと無理し過ぎなキミを隣で支えたくって、癒したくって。

 

 もしかしたらこれが―――“コイ”なのかな?

 

 それはまだ分からないけど、私の夢を支えてくれて、私のことを守ってくれるキミを、今度は私が支えて、守れるように―――。

 

 あの時、キミがそうしてくれたように―――強く優しく抱きしめる。

 

 胸のドキドキ伝わってるかな。

 伝わってるといいな。

 

 今はまだせつ菜ちゃんのようにキミの隣には立てない私だけど、いつの日か。

 

 だから―――これからもキミのそばで

 

 あなたとの日々を

 

 “ポカポカ”な毎日を一緒に過ごしていきたいな―――。




第三部「“ポカポカ”な毎日を」編、完。

以下高評価をして下さった方の掲載になりますが、今回からは前回のSpecial Thanksから増えた方のみの掲載になります。
ありがたいことに評価を下さる方が増えた為、本当ごめんなさい!中には評価と一緒にコメント下さる方もいらっしゃって、本当に励みになりました!好きだぞお前ら~!

~Special Thanks~

☆10
マスターレッド さん/KeNSuZu さん/Asuha333 さん/しゅてるんるん さん/大和 唯 さん/チキチキ さん/ちーーたら さん/monji さん/

☆9
至高王 さん/レイヴ さん/アッガイ最強説 さん/リインフォース ちゃん/SnowNifl さん/ソネッシー さん/松浦果南の自称兄 さん/廃棄物太郎 さん/KY0N さん/ユン114 さん/チョココロネ@Roseria/fan さん/sparkle さん/三史浦雅 さん/

☆8
三日月重教 さん/

評価を下さった皆様 & お気に入り登録をして下さった479名の皆様(4月8日15時時点)


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第四部
33 優しい彼女からの提案


 

「―――それじゃあエマ先輩。帰りましょうか」

 

 同好会の活動を終え、帰りの準備を済ませた彼女に声をかける。

 

「―――う、うん。いこっか」

 

 その声に少し戸惑いを見せた彼女に首を傾げるが、その後何事もなく鞄を背負ったエマ先輩―――変に気にかけるのも失礼か。

 

 今日はエマ先輩からのお誘いを受け、彼女と一緒に帰るという話になっている。

 

 いつもは朝香先輩と帰路を共にしているエマ先輩だが、今日はモデルの撮影が入っているとかで彼女がお休みだったこともあり、俺に白羽の矢が立ったというわけである。

 

 いつもは部室の鍵を返してから帰ることが多い為、必然的にせつ菜と帰ることが多いのだが、最近は今日みたいなエマ先輩からのお誘いで一緒に帰る機会も増えてきている。

 

 彼女の住む女子寮と俺の住む男子寮は隣接させており、それぞれの行き来は申請がなければ出来ないものの、帰り道はほとんど同じということもあって、それぞれの寮に住まう男女が一緒に帰っている姿を見かけることも多い。

 

 いつも一緒に帰っていたせつ菜には何か埋め合わせを考えるとして―――今日は。

 

「あの、少しだけ寄り道してもいいですか?」

「大丈夫だよ。何かお買い物?」

 

 準備を済ませた彼女にそう言うと、不思議そうに首を傾げるエマ先輩。

 

「いえ、夕飯だけ買って帰ろうかなと」

「お夕飯?」

「はい、と言ってもちょっと帰り道のコンビニでお弁当買うだけですけど」

 

 俺の言葉に目を真ん丸くして、そう聞き返したエマ先輩に軽く説明をする。

 学園から少し足を延ばせば有明ガーデンにSORORがあるから、そこで買ってもいいんだけど、最近は早く帰って曲を詰めたいといった気持ちがあり、近場のコンビニで済ませることが多くなっている。

 

「―――もしかしてコウくん、寮での夕ご飯っていつもコンビニ弁当なの?」

 

 何の気なしに言ったつもりだったのだが、不意にエマ先輩の顔が曇る。

 

「いや、いつもってわけじゃないですけど。有明ガーデンのSORORで買うこともありますし、お米だけ炊いてコンビニの冷食買って済ませることもありますかね」

 

 最近のコンビニ飯は侮れない。お祖母ちゃん食堂やナナプレミアムなど、レンジ一つで家庭の味、自宅でも美味しいご飯は食べれるし。ああいうのって本当一人暮らしの救世主だよな。

 

「でもそれだと栄養のバランスが偏っちゃわない?」

 

 俺としても今の食生活で満足しているつもりだが、目の前の彼女にとってはそうではないらしい。

 

「最近はコンビニでも栄養バランスの取れたお弁当も多いですし、寮に戻ってからは作曲の方を進めたいので自炊ってのはちょっと……」

 

 身体を気遣ってくれるのは嬉しいけど、米を炊くだけとかならまだしも一から食材を買って切って焼いてなどを考えると、どうしても気が乗らないのが正直なところだ。

 別に優先したいことがある現状、そこに時間を割くなら―――といったのが本音。

 

 そこまで話すと一度は言葉を詰まらせたエマ先輩だったが、その後すぐに何か意を決するように顔を上げ―――。

 

「そ、それじゃあコウくんさえ良ければだけど、私がお夕飯を作って―――」

 

 そんな魅力的な提案を―――。

 

「―――ちょ、ちょっと待ったー!!かすみんを差し置いてなに話してるんですかー!!」

 

 ―――言いかけた途中で、エマ先輩の言葉をかき消すように飛び込んできた影が一つ。

 

 かすみん―――中須かすみは腰を手を当てたまま、可愛らしく頬を膨らませてそう言う。

 帰る準備が出来たメンバーから上がってもいいという話だったが、どうやら俺たちの会話を聞いて駆け付けたといった様子であった。

 

「ち、違うよ。私はただコウくんが心配なだけで……」

 

 エマ先輩はそう弁解するが、かすみは頬をぷんぷんと膨らませたままであった。

 

 そしてそのちょっとした言い合いを聞きつけ、駆け寄ってくる人物も一人―――。

 

「ねえねえ愛さんも入れてよー!しもみーが困っているなら愛さんも力になりたいんだけどー!」

 

 聞き捨てならないといった様子で割り込んできたのは―――宮下愛。

 ちょっとした雑談程度の話だったのに、大げさに広がってしまった会話に少しだけ眉をひそめた。

 

「ちょっと待ってくれ、誰も困ってるなんて言ってないし。エマ先輩も、気持ちは嬉しいですけど夕飯を作るって寮の部屋まで来るってことですよね?男性寮に女子生徒を入れるのは申請だとかもありますしそれはちょっと……」

 

 そんな会話を納めるように説明をし、あらためて彼女たちの誘いを断る。

 

 会話に入ってきていたかすみや愛も理解してくれたのか、渋々と納得した様子を見せてくれていたのだが―――エマ先輩だけは違って。

 

 未だ曇った表情。

 確かに魅力的な提案だし、その気持ちは嬉しいのだが―――こういう時のエマ先輩って頑固だからなあ。

 

 どうにか彼女を宥められないかと、何か他の埋め合わせを考えていると―――。

 

「―――!」

 

 曇ってた表情がぱっと晴れ、何かを閃いた様子のエマ先輩。

 

「そ、それじゃあお昼ご飯はどうかな?コウくんってお昼ご飯はいつも学食にいるよね?」

 

 そう問いかけられ思わず頷く。

 いつもはクラスの友人と一緒に食べてて―――。

 

「と言うかエマ先輩もよくご存じですね。いつも学食でお昼食べてること」

 

 そう言うと彼女の頬が赤くなって―――いや夕日のせいでそう見えるだけか?

 

「そ、その!た、たまたま!たまたま私も学食に行った時に見かけてて……!」

 

 なるほど、まあ俺も以前学食でエマ先輩と朝香先輩が一緒に昼食を取っている姿を見かけこともあるし、大きな学園とはいえほぼ毎日いれば見かけるのも普通か。

 

「その―――だめ、かな?私がコウくんにしてあげたいだけだから……」

 

 上目遣いでそう言うエマ先輩―――その顔されると弱いんだよなあ。

 

 しかし俺としても、同好会の練習を頑張っている彼女たちの負担を増やしたくないという思いがあり。その気持ちは嬉しいのだが、彼女たちの貴重な時間を奪ってしまうのは気が引けるというわけで。ほら女の子って朝の準備だとか色々大変だって聞くしさ。

 

 以前のこともありエマ先輩が強く力になりたいと思ってくれるのは本当に嬉しいのだが、そんなわけもあって俺はその提案に頷けずにいた。

 

「―――コウさん」

 

 そんな中、俺たちの間に入るように声をかける人物がいた―――優木せつ菜だ。

 

 今日はエマ先輩と帰ると前もって断りを入れていたのだが、せつ菜は何やら言い合っている俺たちに気付いたのか、仲介をするように間に入った。

 

「お互いに思っていることがあるなら、まずはお試しでというのはどうですか?エマさんもコウさんを思ってのお誘いだと思いますし、コウさんも色々と考えてのことだとは思いますが、一度ぐらいエマさんの好意に甘えてもいいのでは?」

 

 落ち着いた口調で促すようにそう話すせつ菜。

 

 無論俺だってエマ先輩やかすみ達の作ったお弁当が食べたくないというわけではない。

 日頃から寮で自炊しているエマ先輩は勿論ながら、かすみだって日常的に作ってくれるコッペパンでその腕前は折り紙付きだし、愛なんて飲食店の看板娘と来たもんだから。きっと美味しいお弁当が食べられるのは間違えない。

 

 正直せつ菜の話も一理ある。ここまで言ってくれる彼女たちに対してあまり意固地になっても、逆に不安にさせてしまうだけかも知れないし。一度ぐらいその好意に甘えても罰は当たらないのかも知れない。

 

 視線を向けた先、不安そうな表情を浮かべているエマ先輩―――優しい彼女を不安にさせてしまった謝罪の意も込めて、俺は頭を下げた。

 

「エマ先輩。それじゃああらためてお昼のお弁当、お願いしてもいいですか?」

「―――!!うんっ!ありがとねコウくん!」

 

 ありがとうを言うのは俺の方なんだけど……。

 顔を上げると、その返答に晴れやかに咲いた笑顔。

 こんな笑顔が見れるならもう少し早く素直になっても良かったかも、なんて。

 

「―――ちょ、ちょっと待ってください!それならかすみんだってコウ先輩に、かすみんの腕によりをかけたウルトラハイパー美味しいかすみんのプリティキューティ愛妻弁当を……」

「あ、()さんだって!しもみーに()情たっぷりアイ(・・)ディア弁当を作っちゃうよ!()だけに!」

 

 エマ先輩に続くように我先にいった勢いで手を挙げるかすみと愛。かすみのネーミングセンスはともかく愛妻ではないし、愛のダジャレに関してはアイって言いたいだけじゃねーのか。

 

「皆そろって一体なんの話してるの?」

「皆、そろそろ下校時間だよ?」

「侑さん、歩夢さん」

 

 そんな中、こちらの様子に気付いた侑と歩夢に、せつ菜が応える。

 

「エマさんがコウさんにお昼のお弁当を作ってあげるというお話になりまして、かすみさんと愛さんもそれに立候補を」

「ほうほう、私たちの幼馴染がまた女の子を侍らせてるということね」

 

 侍らせてるって人聞きの悪い。

 そう言いニヤニヤと笑う侑に反論するように軽く睨んだ。これは皆の好意―――いや善意だっての。

 

「それなら歩夢も立候補したらどう?幼馴染ここにありってとこ見せちゃいなよ」

「もー何言ってるの侑ちゃん。でも前に手料理の差し入れするって言ってたし、いい機会かもね」

 

 そう話した歩夢に思い出されるのは久々に三人集まって行われたお泊まり会での一幕。

 そう言えばそういう話もあった―――というか気付けば何やら話が更に大きく。

 

「それじゃあエマさん、かすみちゃん、愛ちゃん、歩夢っと。あと一人立候補すれば一週間達成じゃん。コウ、私も幼馴染としても鼻が高いよ」

「……侑、お前今に見てろよ」

 

 凄むように睨んだ俺に、歩夢の背に隠れる侑。

 歩夢を盾にするとはなんて卑怯な幼馴染だ。歩夢も苦笑いしているじゃねーか。

 

「ふふっ、なら私が立候補しましょうか」

「せつ菜ちゃんが?」

「ええ。これでも料理には自信(・・)があるんですよ」

 

 力こぶを見せるように腕を上げ、そう話すせつ菜。

 

 確かに今まで彼女とお昼を一緒にする機会はあったが、その時はお母さんが作ったお弁当だった筈だが。せつ菜が料理を出来るという話は聞いたことなかったがきっと彼女のことだ、料理もそつなくこなすのだろう。

 

「おおっ!これで一週間達成じゃん!どうっすかコウさんもう一周いっちゃう?」

「調子に、のるなっ―――」

「―――あいたっ」

 

 酔っぱらったサラリーマンがもう一軒誘うかのテンションでわき腹を小突いてきた侑の額にチョップを入れる。

 すぐさま歩夢に泣きつく侑だが、今のは自業自得だ。

 

 そんなこんなで彼女たちの手作り弁当をいただけるという、何ともありがたい一週間が始まるのであった―――。



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34 私と先輩

「―――かすみー、しずくー」

 

 お昼休みの中庭。レジャーシートに座って談笑をしていた私たちに遠くから声をかける先輩―――下海(しもうみ) (こう)先輩。

 

 私たちが所属するスクールアイドル同好会で作曲を担当してくださっているコウ先輩。

 本来であれば生徒数も多く、校舎も広い、マンモス校である虹ヶ咲学園の中で先輩のことを知っている人もほんの一握りの人たちだけ―――な筈なのだが。

 

 ここ最近一年生の間でもコウ先輩の話を聞くことが多く、私が兼部している演劇部の中でもコウ先輩のことを聞いてくる女の子たちがいるといった状況なのだ。

 

 その原因は愛先輩と璃奈さんも入部するキッカケにもなった―――せつ菜さんのライブ。

 

 あのライブがあってせつ菜さんとコウ先輩がスクールアイドル同好会に戻ってきてくれたわけだが、どうやらその中でコウ先輩が演奏していたことが彼女たちの目に留まったらしい。

 

 せつ菜さんの圧倒的なパフォーマンスと響き渡る歌声―――その隣でそのパフォーマンスにも歌声にも引けを取らない演奏を見せたコウ先輩。

 

 それで話題にならないわけがなく―――瞬く間にスクールアイドル同好会に所属する下海虹という存在は知れ渡り、今の状況に至るという。

 

 しかし、そんなことを知る由もなく私たちに笑顔で手を振るコウ先輩。

 いつもは凛々しい顔をしているコウ先輩だけど、こういう時に見せる警戒心ゼロの無邪気な笑顔。そのギャップにはドキッとさせられる。

 

「あっ!コウせんぱ~い!」

 

 こちらに歩いてくるコウ先輩に嬉しそうに手を振り返すかすみさん。

 コウ先輩はそのまま靴を脱いで、かすみさんの隣に腰かけた。

 

「お待たせ。悪い、遅くなっちゃって」

「ぜ~んぜんですっ。かすみんたちもついさっき来たばっかりですから」

 

 そう言って謝るコウ先輩に待ち合わせのお約束かのようにそう返すかすみさん。

 しかし今回は本当に彼女の言うとおり、昼休みに合流した私たちがレジャーシートを引いて話し始めたのはつい先ほどで、コウ先輩が来るまでに一分ほども経っていないのだから。

 

「そっか―――それでも二人とも、かすみもしずくも待っててくれてありがとうな」

 

 そう律儀に名前を呼びながら、私とかすみさん一人ずつに視線を向けて笑顔でお礼を言うコウ先輩―――これはズルい。ズルい笑顔。正直キュンとしちゃった。

 

「それでかすみはどんなお弁当を作ってくれたんだ?俺、お腹空いちゃってて」

 

 チラッと盗み見た時には恍惚とした表情をしていたかすみさんだが、コウ先輩の言葉で我に返ったかのようにバッとそばに置いてあったランチバックを見た。

 

「はいっ♡コウ先輩、かすみん特製愛妻弁当ですよ~♡」

 

 そのままウキウキとした様子でランチバックからお弁当を取り出すかすみさんだけど―――。

 

「―――あれ?でもかすみさん、いつもよりお弁当の量が……」

 

 コウ先輩に向け―――そう名指しで渡されたお弁当は確かに鮮やかに彩られた美味しそうなお弁当ではあるのだが、いつも彼女が作ってきているお弁当に比べても幾分か量が少ないように見えた。

 

 作ってきた彼女には申し訳ないが、少なくとも一般の男子高校生が食べる量としては明らかに少なく、放課後にもなれば腹の虫も鳴いてしまいそうな……。

 

 コウ先輩も同じことを思ったのか、嬉しさと驚きが入り交ざったような複雑な表情をしているが……。

 

「ちっちっち~、甘いよしず子」

 

 そんな私の感想を物ともせず、してやったりという顔で人差し指を左右に振るかすみさん―――そのジェスチャーする人、久々に見た。

 

「―――かすみんのお弁当の本当の姿はここからだよ」

 

 キメ顔でそう言い、手に持ったランチバックの中に手を伸ばすかすみさん―――しかし。

 

「あれ―――?」

 

 先ほどまでキメ顔だったかすみさんの表情がだんだんと曇っていく。

 

「ない。ないっ!今朝ちゃんと入れた筈なのに!!」

 

 焦った様子でランチバックの中を何度も漁りながらそう言うかすみさん。しまいにはバックを逆さまにするのだが、薄っぺらになったバックからは何も出てこず……。

 

「もしかして間違えて鞄の中に……」

「か、かすみ?このお弁当だけでも美味しそうだし俺は大丈夫だよ?」

 

 落ち込んだ表情で肩を落としたかすみさんを慰めるコウ先輩。

 

「それじゃあダメなんです!今日のかすみんのお弁当はハイパーキューティースーパーエクセレントウルトラダイナミックコッペパンと合わせて、ようやく完成するかすみんの超大作なので!!そ、それに中途半端なお弁当じゃ他のライバルたちに差が……」

 

 しかしそんな状況でもめげず、すぐ切り替えるように顔を上げたかすみさん。

 

「ごめんなさいコウ先輩!今すぐ教室に戻って取ってくるので待ってて下さ―――」

「お、おい!かすみ!」

 

 そのまま靴を履き、大急ぎでレジャーシートから駆けていくかすみさん。心配そうにしたコウ先輩が彼女のことを呼ぶが、その時にはもうその姿は見えなくなっていて―――あまりの早さに言葉の端が聞こえなかったほどだ。

 

 そして取り残された私とコウ先輩。

 

「……かすみさん、いっちゃいましたね」

「そうだな……途中で転んで怪我とかしないといいけど」

 

 そう呟いた私に不安そうな顔でそう話すコウ先輩。

 かすみさんの思い憂う表情。ふとその横顔を見つめていると彼もそれに気付いたように私を見て、その不安を誤魔化すように微笑んだ。

 

 ―――コウ先輩と二人きり。

 

 落ち着いて考えてみると、コウ先輩と話す時はほとんどがかすみさんや他の誰かが一緒だったり、コウ先輩も普段はせつ菜さんや愛さん、侑さん、歩夢さんの同学年で固まっていることが多く、こういう風に二人きりになって過ごすと言うのは何気に初めてのことかも知れない。

 いつもは普通に話をしている筈なのに、いきなり二人きりにされると何を話せばいいか―――。

 

「―――そう言えばしずく。最近同好会の練習はどうだ?」

 

 そんな中、話題を切り出すように声をかけてくれたコウ先輩。

 

「は、はい!そ、そうですね。最近ですと同好会に果林さんが入って下さったおかげで、柔軟なども教えてもらえて、演劇部の活動にも良い刺激になってます」

 

 問いかけられた言葉にそう切り返し答える。

 

「それなら良かった。そういえば合同演劇祭(・・・・・)ってのもそろそろだったっけ?」

「―――え?」

 

 コウ先輩の口から飛び出した予想外の言葉に思わず言葉が詰まる。

 合同演劇祭―――それは毎年、虹ヶ咲学園と虹ヶ咲と交流のある藤黄(とうおう)学園の演劇部が合同で開催している演劇の舞台、なのだが。

 

「―――は、はい。コウ先輩もご存じだったんですね」

「ん?ああ、演劇祭のこと自体はよく分かってないんだけどさ、一応去年もやってたってのは知ってるし、今年は演劇部にしずくがいるからチェックはしてたよ」

 

 私の問いかけにそう答え、微笑んだコウ先輩。

 私がいるからチェックしてくれたというのは、単純に先輩の立場として私に気をかけてくれているだけだと思うけど、ほんの少しだけ好意を期待をしてしまうのも年頃の女の子としては当然の反応だろう―――コウ先輩、普通にカッコいいし。

 

「あ、ありがとうございます。それでその再来週には合同演劇祭のオーディションもありまして、同好会の練習もお休みを……」

「分かった。皆には俺から伝えておくよ」

「はいっ、ありがとうございます!」

 

「俺も演技のことは力になれないかも知れないけど、何か困ったことがあったら教えてくれよ、しずくの力になるから」

「い、いえ私は大丈夫ですよ!コウ先輩には日頃からお世話になりっぱなしですし、これ以上お手を煩わせるわけにも……」

 

 コウ先輩が提案してくれた言葉を、咄嗟に否定してしまう。

 

 しかしコウ先輩と侑先輩を含めて11人と大所帯になったスクールアイドル同好会。

 そんな中でその全員の作曲を担当して下さっているコウ先輩に、私個人の些細な悩みごとで頼るなんて申し訳ないというか―――特にコウ先輩は少し過保護過ぎるとこもあるし。そうでもなきゃ一人で9人の作曲に名乗り出ないよ普通。

 

 そもそも演劇部とスクールアイドル同好会の両立すると決めたのは私自身だ。それなのに周りを頼るなんて―――。

 

「―――しずく」

 

 真剣そうな声色で呼ばれた名前に、微かな気まずさを感じながらその呼びかけに応える。

 

「それじゃあ別に俺じゃなくてもいいからさ、ちゃんと困ったことがあったら言うんだよ?」

 

 そう言いながら真っ直ぐと見つめる瞳―――その澄んだ瞳は宝石のように綺麗で。

 

「しずくは他の子に比べて大人びてるところがあるから頼っちゃう時も多いけどさ。しずくだって大切な後輩なんだからそれだけは覚えといて欲しいな」

 

 ただ伝えるだけではなく、そう諭すように優しい口調で私に話したコウ先輩―――こういう時、コウ先輩も歴とした年上の先輩なんだなという当たり前のことに気付かされる。

 

 そしてそれと同時にその優し気に微笑む姿は、まるで子供の頃に夢見た―――。

 

「ふぇ~せぇんぱ~い!お待たせしましたぁ~!」

 

 その時、不意に聞こえた聞き馴染みのある―――かすみさんの声に我に返る。

 

 コッペパンを両手に持ったかすみさんは、肩で息をしながら靴を脱いだかと思えば、そのまま倒れ込むようにしてコウ先輩の腕に抱き着いた。

 

「コウせんぱぁ~いお待たせしました~。かすみんの特製ラブリーコッペパンですよぉ」

「おかえりかすみ。途中で転んだり怪我とかしなかったか?」

「はいっ♡あ~ん♡真っ先にかすみんのこと気にかけてくれるコウ先輩♡しゅきしゅき♡」

「でも次は一人で走っていかないようにな。前も言ったけどかすみが誰かとぶつかったりして怪我するのもさせるのも嫌だからさ」

「は、はーい。ごめんなさい先輩……」

「でもかすみが無事ならよかったよ。それじゃあ早く食べたいな、かすみのお弁当」

 

 息を切らしていたのも嘘だったかのようにコウ先輩に甘えるかすみさんと、かすみさんが一人で走っていったのを叱りながらも優しくフォローもするコウ先輩。

 

 コウ先輩の言葉を聞いてウキウキとより一層嬉しそうになったかすみさんは、手に持ったコッペパンの包みを開けてお弁当と共に先輩へと差し出すのであった。

 

「―――ところでしず子とコウ先輩、二人で何の話してたんですか?」

「ああ、ちょっとしずくに演劇部のことを聞いてただけだよ」

「へえ~そうだったんですね。……ってダメだよしず子!いくらコウ先輩がカッコいいからって演劇部にスカウトしようなんて!」

「い、いや別にそんな話は……」

「……いやでも待って、かすみんとコウ先輩が演劇部に入って姫と執事兼騎士兼婚約者で舞台を開くのもアリなのでは……」

「いやなしでしょ……何その役盛りまくりの設定……」

「えーっとかすみ?これ一緒に食べるってどこから食べたら―――」

「は~いせんぱいっ。まずはこっちのコッペパンとおかずを―――」

 

 相変わらず変わり身も早いかすみさん。

 でもそう考えると甘え上手なお姫様という役であれば、かすみさんを抜擢するというのもあながち間違えではないのかも知れない。

 コウ先輩もこの前の服飾同好会で執事服も騎士服もスゴくカッコ良かったな―――私もどさくさに紛れて一緒に写真撮ってもらったし。

 

 って今はそんなことより、私もお弁当食べようっと―――。

 

 その後、かすみさんのお弁当を食べたコウ先輩から勧められ試食させてもらったのだが、本当に想像以上の美味しさだった―――かすみさんスゴイ。

 



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35 私と愛さんとコウ先輩

「―――はいっ、しもみー。あ~ん」

「あ、愛。璃奈ちゃんも見てる前でさすがにそれは……」

 

 頬を赤くしながら、私のことをチラッと見たコウ先輩。

 それでも変わらない様子で、ぬか漬けを食べさせようと箸を向ける愛さん。

 

「えー。それじゃありなりーが見てないところでならいいってこと?」

「……私、席外そうか?」

「あっ……いやごめんね璃奈ちゃん大丈夫だよ。……愛、一回だけだからな」

 

 恥ずかしそうにそう言ったコウ先輩。

 その返答に嬉しそうに笑顔を浮かべた愛さん。そのまま口を開いたコウ先輩にぬか漬けを食べさせて満足そうな顔をした。

 

「どう?どうかなしもみー。このぬか漬け、おばあちゃんと一緒に愛さんが漬けたやつなんだけど」

「璃奈ちゃんの前で辱められて、あまりの恥ずかしさで味が分からなくなったのでノーコメントで」

「ええ~!!そんな~~!!()さん()情込めて漬けたんだよ~!!」

 

()だけに!」というお決まりのダジャレを決めた愛さんだけど、コウ先輩はツンとした態度で言葉通りのノーコメントを貫いており、さすがに愛さんもやり過ぎたと思ったのか先ほどの満足そうな顔から一転、しょんぼりと肩を落とした。

 

 しかしコウ先輩もすぐにそんな愛さんの様子に気付いたのか、愛さんとチラッと見やった後、小さく溜め息を吐き出した。

 

「―――ちゃんと美味しかったよ」

「!!―――本当?!しもみー!」

 

 その言葉にぱあっと笑顔に変わった愛さん。

 そんな愛さんの笑顔にコウ先輩は少し恥ずかしそうに、頬を掻きながら応える。

 

「でも今みたいに食べさせられると本当に味が分からなくなるから、普通に食べさせてくれ……」

「あははは、ごめんごめん―――でも、良かった」

 

 小さな声で呟いた言葉―――コウ先輩の耳には聞こえなかったのか「何か言ったか?」と首を傾げてたけれど、私にはその言葉はハッキリと聞こえていた。

 

 ―――いつもは愛さんと一緒にお弁当を食べることが多いお昼休み。日当たりの良い校舎の中庭にレジャーシートを引いて、色々なお話をしながら過ごす二人の時間。

 

 だけど今日はスクールアイドル同好会の先輩で、愛さんとも同級生の―――下海(しもうみ)(こう)先輩が一緒にお弁当を囲んでいた。

 

 その理由は先週にさかのぼるのだが。

 何やらコウ先輩の日頃の食生活が心配になったエマさんがお弁当を作ってあげたいと申し出たのが始まりらしく。その申し出に乗るようにかすみちゃん、歩夢さん、せつ菜さん、愛さんもお弁当作りに立候補し、その翌週一週間に渡って立候補者がお弁当を作ってくるという話になったらしい。

 

 その日、私は先にしずくちゃんと一緒に帰ってたから後から聞いた話だけど。

 

「璃奈ちゃんもいきなりごめんね。俺、お邪魔じゃなかったかな?」

 

 愛さんからお弁当とお箸を受け取ったコウ先輩は、不意にそう声をかけてくれる―――もしかして私に気を使ってくれたのかな?

 

「ううん。私も一緒に食べれて嬉しい」

「そっか。ありがとね」

 

 こちらを見るコウ先輩をジッと見つめそう答えると、嬉しそうに目を細めた先輩。

 

 あらためて三人で合掌をして、いつもと少し違った三人でのお昼休みが始まる。

 コウ先輩も愛さんも情報処理学科の先輩であり、スクールアイドル同好会に所属する仲間ということもあり、話すのは授業のことだったり活動のことだったり様々で。

 

 そんな私にとって大切で、楽しい時間が流れて―――。

 

「―――ごめん愛。何か飲み物ってあるか?」

「え?うん、水筒ならここに……あっ」

 

 不意にコウ先輩がそう言い、水筒の中身を確認する愛さん。

 しかし手に持った水筒はほとんど空に近かったらしく、水筒の少なさを見せるように軽く水筒を振って見せるのだった。

 

「それじゃありなりーは?」

「私の―――も全然ない」

 

 愛さんに言われて確認してみるが、気付けば今朝買った小さめのペットボトルももう底を付いていた。

 

「ごめーん。そういや今朝バスケ部の手伝いにいった時に少し飲んだの忘れてたよ……」

「いや俺は大丈夫―――って言うかお前放課後の練習はどうするんだよ」

「あはは……そ、それもそうだった……」

 

 困ったように後ろ頭に手を当て、空笑いを浮かべた愛さん。

 そんな愛さんをやれやれといった感じで見ていたコウ先輩は、おもむろにその場で立ち上がった。

 

「それじゃあ俺が二人の分も買ってくるよ」

「ええっ?!そ、それは悪いよ!なんなら愛さんがひとっ走りするし……」

「別にいいよ、美味しい弁当作ってもらったお返しってことで」

 

 私には「璃奈ちゃんにはお昼ご飯、付き合ってもらったからね」と付け加え。

 靴を履いたコウ先輩は「いってくる」と片手を軽く振りながら、飲み物を買いに出て行ってしまうのだった。

 

 少しずつ遠ざかっていく後ろ姿。私は不意に隣に座る愛さんを見た。

 

 少しずつ小さくなっていくコウ先輩の背中を見つめたまま、口を閉ざし、お弁当を食べる箸も止めて。

 

 そして―――私から見えるその横顔はほんのりと赤く染まっていて。

 

 ―――だから。

 

「……ねえ、愛さん」

「ん?どしたん、りなりー」

 

 私がそう声をかけると、ハッと気づいたように愛さんはこちらを向いてくれた。

 その様子は私の知っている大好きな愛さんの姿だったけど、頬はまだ微かに赤くて。

 

「愛さんはコウ先輩のこと、異性として好きなの?」

「―――ぶっ!!?り、りなりー!?」

 

 問いかけた直球な質問に明らかな動揺を見せた愛さん。

 先ほどまでは“微か”だった頬も真っ赤に染まっていて―――こんな愛さんは初めて見たかも。

 

「ちょ、ちょっとりり、りなりー。とっとこと突然なにをを……」

「どうなの?」

 

 何とか平穏を装うとする愛さんに詰め寄るようにもう一度問いかける。

 ジッと見つめる視線に観念したのか、少し考えているような様子を見せた後―――力なく笑った。

 

「……どうなんだろ。ハッキリ聞かれると分かんないや」

 

 そう言い笑ったその笑顔は、いつも隣で見てきたお日様のように明るい笑顔とは違って。

 

「でも―――今はしもみーともっと一緒にいたいって言うか。しもみーのこと知りたいって言うか。しもみーと色んな話をしたり、色んなことを一緒にしたいなーって考えちゃって……」

 

 その笑顔は微かに憂いを帯びた、何かを噛み締めるような―――私も知らない笑顔のカタチで。

 

「ほんとやばっー!って感じなんだけどさ……えへへ」

「―――何がやばーって感じなんだ?」

 

 そんな中、突然割り込むように聞こえた声に私と愛さんの肩と心臓が大きく跳ね上がった。

 

「しっ、しもももももももももみー!!??」

「おおっ。な、なんだお前動揺し過ぎだろ……」

 

 愛さんの驚きように面食らったような様子を見せているコウ先輩。

 さすがに今のはコウ先輩のタイミングが悪かったとしか言えないけど……。

 

 コウ先輩はそのままお水の入ったペットボトルを私と愛さんに手渡す。

 

「あっ、あのお金」

「いいよいいよ。可愛い後輩に先輩からのおごりだよ」

 

 財布を出した私を制するようにそう返したコウ先輩。

 

「あ、ありがとう……」

 

 私も先ほどの驚きを落ち着かせるように、冷たいお水の入ったペットボトルを両手でギュッと握りしめた。

 

「愛のやつは……うん、まあよく分からないんだけどお詫びってことで……。というか普通にお弁当のお礼ってことでもらっておいてくれ」

「う、うん。そうするる……」

 

 未だに顔を赤くした愛さんは、受け取ったペットボトルを頬に当て熱を冷まそうとしており、コウ先輩も状況が分からないながらその様子に申し訳なさそうにそう答えるのだった。

 

「それで愛の話はともかく、何だか盛り上がってたみたいだけど何の話してたんだ?」

「べっ、べべ別に何もないよ!りなりーと練習の話を―――」

「―――コウ先輩の話してた」

「りなりー??!!」

 

 ギョッとした顔で私を見た愛さんだけど、さすがに私も人の恋路を踏み荒らす畜生ではない。それに人の恋路を邪魔する人は馬に蹴られることも知ってる。

 

「コウ先輩と愛さんが仲良しで羨ましいって話をしてた」

「へ―――?」

「俺と愛が?」

 

 惚けた顔をした愛さんと聞き返すようにそう応えたコウ先輩。

 

 愛さんはすぐに意図を察してくれたのか澄まし顔に戻り、コウ先輩はそんな愛さんに視線を向けた。

 

「まあ愛とは話すようになってもうすぐ一年……だっけ?」

「う、うん。大体それぐらいかな?最初の期末があった後からだし」

「へーそうだっけ、って言うかよく覚えてるな」

「へっ?!た、たまたま!たまたま期末と被ってたから覚えてただけ!」

 

 自ら墓穴を掘ってしまったのかコウ先輩の返答に顔を赤くして答えた愛さん。

 

 恥ずかしさを誤魔化すようにふんっとそっぽを向いた愛さんに「なにムキになってんだよ」と不思議そうな顔をするコウ先輩。

 

 私は愛さんとも皆とも出会ってからまだ少ししか経っていないから―――なんだか羨ましいな。

 

 自分から出した話題()だったけど、二人を見ていると不意にそういう気持ちが湧き上がってくる―――だけど決して妬んでるわけじゃない。

 

 今すぐは無理でも、私だって二人みたいな仲良しに―――。

 

「―――璃奈ちゃん」

 

 不意に名前を呼ばれ顔を上げる―――すると同時に頭に触れた少し大きな手のひら。

 

 目の前で私の頭を撫でるコウ先輩は私が顔を上げたことに気付くと。

 

「俺は、璃奈ちゃんとも愛と同じぐらい仲良くなりたいって思ってるから。そこんとこもよろしくね」

 

 優し気に笑った―――無邪気で純粋無垢な笑顔。

 最初に出会った時や初めてお話した時とはまた違ったその表情に思わず不意を突かれてしまう。

 

 しかし当の本人はそんなことを気にする様子もなく私の頭を撫でており、隣の愛さんもその様子をジッと見ていたようで。

 

「……しもみーって本当たらしだよね」

「……え?今ので貶される意味が分からないんだけど……」

「いやその、言葉選びとかタイミングとか……」

 

 もの言いたげな目でそう言った愛さんに「ええ……」と驚くコウ先輩。

 確かにさっきのは場所が場所なら口説いてると思われても仕方なかったかもしれない。

 

「無茶言うなあ。仲良くなりたいのを仲良くなりたい以外の言葉で伝える方法ってあるか?」

「……」

 

 でも私が“そう”思っていて。

 コウ先輩が“こう”言ってくれる―――だから。

 

 ジッと見つめる視線―――それに気付いたように私を見たコウ先輩。

 

 伝わるか分からない。

 受け止めてくれるか分からない。

 また笑ってくれるか分からない―――だけど。

 

 今はその言葉に応えたい―――もっと“繋がりたい”

 

「私も、二人と―――もっともっと仲良くなりたい!」

 



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36 忘れられない言葉

 

「ご馳走様ですっ」

「あっ……え、えーっとお、お粗末さまです」

 

 空になったお弁当箱に手を合わせてそう言うと、食べ終えたことに気付いたエマ先輩は少しぎこちない様子でそう応える。

 そんな俺たちを二人―――彼方先輩と朝香先輩は微笑ましいといった様子で見ていたようで。

 

「コウくん、それでどうだった~?エマちゃんお手製のお弁当のお味は~」

 

「―――っ」

 

 いつものようにのんびりとした口調で問いかけてきた彼方先輩。

 その言葉に水筒カップにお茶を注いでいたエマ先輩の手が止まり、恐る恐るといった様子で俺を見た。

 

「勿論美味しかったです。味付けも俺好みの味付けでしたし、何よりエマ先輩が丹精込めて作ってくれたお弁当ですから」

 

 まるで作ってくれた彼女自身を写し出しているような、優しく温かな味。

 こちらに寄り添ってくれるような温かみを感じさせる、そんなお弁当だった。

 言葉にすると大げさだけど嘘は言っていない。

 

 彼方先輩の問いにそう答えると、エマ先輩は頬を赤く染め嬉しそうに笑った。

 

「―――えへへ。あ、ありがとねコウくん」

 

 ―――はいっ。こりゃもう言うまでもなく可愛いですね。

 

 クシャっと笑ったエマ先輩に俺も思わず嬉しくなる。

 

「良かったわね、エマ」

「うんっ。ありがとう果林ちゃん」

 

 言うまでもなく可愛かったエマ先輩にそう言い、嬉しそうに笑う朝香先輩。

 それが俺の目の前で繰り広げられている光景なわけだが―――。

 

「……」

 

 ―――冷静に考えてみると、俺って今あの(・・)“朝香果林”先輩といるんだよな。

 

 雑誌で読者モデルを務め。その美貌とスタイルでこの学園の男女問わずに大人気の彼女―――勿論俺も入学当初から彼女の存在は知っていたわけだが、そもそも雲の上の存在としてしか考えてこなかったわけで。

 それが今となっては俺の日常にも溶け込んでいて……本当人生って何が起きるか分かんねえもんだよなあ。

 

「?なぁにコウくん。そんな熱心に私のこと見つめて」

 

 しみじみとそんなことを考えながら水筒コップに入ったお茶を飲んでいると、朝香先輩もこちらの視線に気付いたように俺を見て、悪戯っぽく笑ってみせた。

 

「―――っ!い、いえ別に何でも……」

「あらそう?何か気になることでもあったら相談してくれていいのよ?そうね、例えば曲作りの為に私のスリーサイズが必要なんてことも―――」

「―――そ、それはいりませんから!!」

 

 そんなどスケベ破廉恥な曲作りがあるなら是非ともお願いした―――っておバカ!

 

 いつものように妖艶に、これ見よがしの身体のシルエットを見せつける朝香先輩。

 咄嗟に断ってしまったものの、健全な一男子高校生として彼女の誘惑に自然と視線が吸い寄せられてしまうのも―――。

 

「も、もぉ~果林ちゃん!こ、コウくんに悪戯しちゃダメだよ~!」

 

 そんな純粋無垢な男子高校生を誘惑しようとする朝香先輩を見かねて、エマ先輩も助けに入ってくれたのだが―――。

 

「?」

 

 何故だかその行動に違和感を感じてしまい、思わず首を傾げる。

 いや、止めてくれたことに何一つおかしなことはないんだけど。以前に比べて何だろうこの違和感……まあ単なる気のせいだろうか。

 

「あら、エマに怒られちゃったわ」

 

 そう言いつつも余裕のありそうな表情で不意に立ち上がった朝香先輩。

 

「それじゃあ私はこのぐらいで退散するわね」

「果林ちゃん?」

 

 突然のことに不安そうに問いかけるエマ先輩。

 

「誘ってくれたのにごめんなさいねエマ。今日はお昼時間の間に学科の先生に聞いておきたいことがあってね」

 

 しかしそんな不安は何のその、そう答えた朝香先輩にホッとした様子を見せたエマ先輩。

 

「それじゃあエマに彼方、それにコウくんもまた放課後にね―――っとついでに彼方、エマのお膝で休むのもいいけど、ちょっとはエマの気持ちも汲んで上げなさいね」

「か、果林ちゃ?!」

 

 ん?―――エマ先輩の気持ちってなんの話だろうか。

 

 彼女たちの中で俺を他所に何やら話が進んでいることでもあるのだろうか?

 そう言い残し去っていった朝香先輩。当のエマ先輩は顔を赤くしており、様子を伺うように彼女を見ていたのだが、エマ先輩は何故だか恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。

 

「う、ううぅ……彼方ちゃん、エマちゃんには日頃からお世話になっているし、今日のお膝枕パーティは―――」

「だ、だだだだだ大丈夫だよ彼方ちゃん!私のお膝で良かったらいつでも使っていいから!ね?ぜ、全然遠慮とかいらないよ~!」

「お、おお……!神、女神、エマ(がみ)……コウくんには悪いがエマちゃんのお膝枕は渡すわけにはいかねえぜ……すやぴ」

 

 眠気を覚ますように目を擦っていた彼方先輩だったが、必死な形相で説得を試みたエマ先輩によって、吸い寄せられるようにエマ先輩の太ももの上に寝転がって寝息を立て始める。早っのび太くんかねキミ。

 

 先ほどまで何気ない雑談もあり、お互いの声が飛び交っていたわけだが。朝香先輩が先に離れ、彼方先輩も眠ったとなれば、この場に残るのは俺とエマ先輩の二人。

 

 自然と対面上に座るエマ先輩に視線が向かい―――。

 

「―――!」

 

 視線が合う―――そんなことは日常茶飯事なのに、何故だかその時は視線の合ったエマ先輩はすぐさま俺から視線を外して、顔を逸らした。

 

 微かに火照った頬の色。

 不自然に焦った様子の姿。

 先ほど微かに感じた違和感―――もしかしてエマ先輩。

 

「―――エマ先輩」

 

 そんな一つの考えが過ぎったと同時に俺は彼女のことを呼んだ。

 その声にビクッと肩を震わせたエマ先輩は、恐る恐る顔を上げる。

 

「……エマ先輩」

「ど、どうしたのコウくん?」

 

 見つめる先。エマ先輩の瞳。

 逸らさぬようにと釘を指すようにと瞬きもせず、ジッと彼女を見つめる。

 

「……もしかして」

 

 微かに揺らいだエマ先輩の瞳―――やっぱり。

 

 

「―――また何か抱え込んでるんじゃないんですか?」

 

 

「―――え?」

 

 俺の言葉に口をポカンとさせるエマ先輩―――しかし。

 

「さっきの朝香先輩が言っていたこととか。彼方先輩に対してもやけに焦ってたこととか。もしかしてあの時(・・・)みたいにまた何か悩み事を抱え込んでるんじゃないんですか?」

 

 あの時というのは、つい先日登校途中にしょんぼりとしたエマ先輩を見つけて声をかけた時のこと。あの時は結局朝香先輩との話だったわけだけど。

 

 俺の言葉にも目の前のエマ先輩は変わらず呆気を取られた様子で―――もしかして俺に気を使ってくれているのだろうか。やっぱりエマ先輩は優しいな。

 

「……あの時、確かに俺は「エマ先輩の一番を叶えること」それが今の俺のやりたいことだって言いました。あの言葉に嘘や偽りなんてありませんけど」

 

 目の前にいるエマ先輩を真っ直ぐと見つめ、拳をギュッと握り締める。

 

「それだけじゃなくって俺はエマ先輩の―――皆の力になりたいって思ってます!スクールアイドルのことじゃなくたっていい、どんな小さなことでも皆の力になりたいんです!」

 

 スクールアイドル同好会の皆は優しいから、作曲する俺に気を使って何かあっても抱え込んでしまっているように感じる。それは、愛然りしずく然りエマ先輩然り。

 

 けれど優しい彼女たちにそう思わせてしまっているのは、まだまだ俺が頼りないからで。自分なりに頑張ってはみてるものの、彼女たちを支えられる存在には程遠いというわけだ。

 

 だからこそ今の俺に出来ること―――それは彼女たち一人一人と真っ直ぐに向き合うこと。

 見つめる先、エマ先輩は変わらぬ様子で見つめ―――。

 

「―――ぷっ」

 

 不意に―――笑った。

 

「―――え?」

 

 突然エマ先輩は口元を抑えて笑い出し、その反応に呆気を取られた俺をよそに楽しそうな笑い声をあげていた。

 

「え、え?エマ先輩?い、一体どう……」

「あははっ。ご、ごめんね。突然コウくんが真剣な顔で聞いてくるからつ、つい」

 

 そう言って口元を抑えたまま小さく笑い続けるエマ先輩

 

 彼女の反応に俺も少しずつ落ち着きを取り戻し、我に返る。

 冷静になって考えていると、先ほどまでの真剣さは途端手のひらを返したかのように羞恥心になって俺に襲い掛かってきた。

 

「ぐっ……うぅ……そ、その……これは違くて……いや言ったことは違わないんですけど、タイミングとか、正直カッコつけたとかもろもろ……」

 

 ただの“早とちり”だったなんて―――自分でも分かるほどの弱々しい語気で弁解をするが、湧き上がってきた羞恥心は俺の頬を赤く熱く染めていく。

 つい先ほどまで真っ直ぐと見つめていた視線は、気付けば敷かれたレジャーシートに向けられており、その気恥ずかしさを誤魔化すように膝に置いた拳を強く握りしめた。

 

「そ、その……え、えみゃ先輩……今のは一旦、その忘れて下さ―――」

 

 

「―――忘れないよ」

 

 

 聞こえてきたその言葉に自然と視線が上がる。

 

 その先、先ほどと立場を逆転したかのように真っ直ぐと俺を見つめるエマ先輩。

 

 

「―――忘れられない」

 

 

 そんな彼女と同じように真っ直ぐと紡がれた力強い言葉。

 

 エマ先輩の瞳―――見つめる宝石(グリーンサファイア)のような瞳に魅入られるように、その視線を逸らすことなんて出来なくて。

 

「―――ふふっ」

 

 それはほんの一瞬の出来事。

 しかし、まるで止まっていた時計が動き始めたかのように視線は自由を取り戻して、目の渇きを潤すように俺は瞬きをする。

 

 瞬きの後、視線の先にはいつもと変わらない笑顔を浮かべるエマ先輩の姿があって。

 

「私のこと心配してくれたんだよね、ありがとねコウくん」

「あっ、い、いえ……その今のは単なる俺の早とちりだっただけで……」

 

 誤魔化すように咄嗟にそう答えるが。

 

「それでもだよ。果林ちゃんとのことだって、あの日コウくんが私に声をかけてくれたから。コウくんがいてくれたから私は果林ちゃんと向き合えたんだよ」

 

 エマ先輩は変わらぬ様子で、真っ直ぐと俺を見つめ、真っ直ぐと言葉を返した。

 

「あ、あれは、と言うかそもそも俺が声をかけなくてもエマ先輩なら……」

 

 そもそもあの時だって朝会った時には既にエマ先輩の中でも答えは出ており、結論俺がやったことと言えば彼女の悩みを聞き出そうとしたと言う単なるお節介で。

 エマ先輩が朝香先輩とちゃんと向き合えたのも、エマ先輩自身が朝香先輩のアンケート用紙を見つけたおかげで―――。

 

「―――違うよ。例えコウくんがどう思っていても。あの時、私はコウくんに救われた。それだけは変わらない」

 

 言いかけた言葉を否定するように俺の言葉を遮ったエマ先輩。

 視線の先。強い眼差しで俺を見つめるエマ先輩は、いつもの優しい彼女からは想像も出来ないほど真剣な表情で。

 

 しかしそれはほんの数秒だけで。

 気が付けばいつものように優しい笑顔で微笑んだエマ先輩。

 

「だから―――“ありがとう”なんだよ。コウくん」

 

 ―――優しい風が吹くような。心を包み込んでくれるエマ先輩の温かな笑顔。

 

「……エマ先輩がそこまで言ってくださるなら」

 

 そんな彼女の笑顔に頬が熱くなるのを感じながら、誤魔化すように頬を掻いて答える。

 

「うん!ありがとコウくんっ」

 

 頬の熱さに追い打ちをかけるようにパアっと晴れやかに咲いた笑顔。

 

 並みの男子高校生なら勘違いして恋に落ちてしまいそうな破壊力。

 だからこそそんな無邪気な笑顔を無警戒に出して欲しくないとは思うけど、それもエマ先輩の魅力の一つだろうか。

 

「……ねえねえコウくん」

 

 そんなことを考えていると、おもむろに手招きをしてみせたエマ先輩。

 そのまま彼女は自分の隣に座るようにと隣に空いたスペースをポンポンと叩いてみせる。

 

「?はい、分かりました」

 

 突然のお誘いに首を傾げながらも、そのジェスチャーに応えるように彼女の隣に移動する。

 隣に座ったものの、手招きしたエマ先輩本人は膝の上で気持ちよさそうに眠る彼方先輩の髪を優しく撫でており、隣に呼ばれた理由が分からずにいたのだが―――。

 

「―――っ!え、エマせんぱ……」

 

 不意に肩に触れる感触―――エマ先輩が俺の肩に寄りかかったと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 

 至近距離の彼女から香る石鹸の良い匂いが鼻孔をくすぐり、思わず胸が高鳴る。

 

 突然のことに思わず声をあげてしまった俺に、エマ先輩は彼方先輩を指差した後、口元に人差し指を当て「しーっ」と優しくジェスチャーをした。

 

 そのことでハッとしてすぐに彼方先輩を見たが、先ほどと変らず気持ちよさそうに眠っていた彼方先輩の姿に俺もホッと胸を撫で下ろす。

 

「―――ねえ、コウくん」

 

 そんな中、小さく囁くように呟かれたエマ先輩の言葉。

 恐らく今のような状況でなければ聞き逃してしまうほどか細く弱々しい言葉で。

 

 思わず反応が遅れてしまいそうになるが、その言葉に応えるように小さく相槌を打つ。

 

「……私ね。小さい頃に見た日本のアイドルに憧れて。見てくれた人の心を“ポカポカ”にさせるアイドルになりたくて日本まで来たんだ」

 

 そう言い、エマ先輩は静かに語り始める―――確か入部初日にもせつ菜に聞かれてそんな話をしてたっけ。

 

「日本のことを沢山勉強して、日本の言葉も頑張って覚えて。家族も学校の先生もクラスメイトも私なら大丈夫だって、皆が私の夢を応援して、背中を押してくれたの」

 

 例え俺がエマ先輩と同じ立場だったとしても、エマ先輩のようには出来なかったと思う。

 言葉の通じない国に一人で来て。大好きな家族と離れ離れになって。友達も頼れる人もいない。そんな慣れない土地で、それでもひたむきに夢を追い続けるなんて。

 

「自分から言い出した夢だから覚悟は出来てたんだ。それで日本に長い時間をかけて着いて、ここで私の夢を叶えていくんだってドキドキしてた」

 

 彼女自身の覚悟というものがどれだけ重いものだったのか推し量ることなんて出来ないけど、それでも生半可な覚悟でないこと、それだけは分かっていた。

 

 

「でも―――本当はちょっと怖いって気持ちもあったんだ」

 

 

 少し落ち込んだ声をしたエマ先輩に、自然と視線が向かう。

 

 それは当時齢十七になったばかりの彼女からすれば当たり前な気持ち。

 大家族の長女、同い年の子より少しばかり大人びた彼女であっても。

 言葉の通じない国で、大好きな家族もいない、頼れる友人もいない土地で。落ち込んだ気持ちになることだってあるだろう。そんなの当然だ。

 

「上手に話せるかなとか。仲良くなれるかなとか。留学生の私をスクールアイドルの仲間として受け入れてくれるかなとか―――本当に色々」

 

 普段の彼女からは想像も出来ない。俺も知らない彼女の本当の気持ち。

 

 だけど、どうして彼女は俺に話してくれたのだろうか?気持ちを吐露する相手として選んでくれたのだろうか?

 そんな疑問を持ちながら、エマ先輩の言葉に耳を傾けるように彼女を横顔を見ていると―――不意に視線が合う。

 

 顔を上げた彼女は視線が合うと、先ほどとは打って変わって嬉しそうに目を細めて嬉々とした声で言葉を続ける。

 

「だから、だからね同好会の皆が―――せつ菜ちゃんにかすみちゃん、しずくちゃんに彼方ちゃん―――そしてコウくんが。留学生の私を仲間として受け入れてくれた時は本当に嬉しかったんだ」

 

 その日のことを思い出すように、嬉しそうに目を細めたエマ先輩。

 

 あとほんの少し近付けば肌と肌が触れ合ってしまいそうな筈の距離なのに、エマ先輩は恥ずかしがる様子もなく、ただ俺をジッと見つめる。

 

「それだけじゃなくてコウくんはバラバラになった私たちをもう一度繋げてくれて、皆のやりたいことを叶えようと新しい道を照らしてくれて……」

 

 繋げてくれた―――なんて彼女はそう言ってくれるがあの時のことを美談にはしたくない。

 バラバラになった原因は俺にもあって、だけどあの時の出来事があったから今があるのもまた事実。だからこそ難しい話ではあるけれど。

 

「本当、コウくんにはお世話になってばかりで、それでもう十分過ぎるぐらいなのに」

 

 彼女たちには笑っていて欲しい―――なんて主人公(フィクション)の真似事のような気持ちで選んだ選択が彼女たちの新しい道を照らせていると言うなら、きっと俺の選択も間違っていなかったのだろうと自信を持てる。

 

「次は―――私の一番を叶えたい、なんて言ってくれて」

 

 不意に手のひらに感じた温もり―――それがエマ先輩の重ねた手のひらだと言うことは見なくても分かった。

 

「コウくんには、私が出来ることなら何でもやってあげたいって思うぐらい。本当に感謝してる」

 

 そのまま彼女は重ねた手のひらを優しくギュッと握り―――。

 

「だから―――いつか(・・・)私も頼ってね(・・・・・・)

 

 ―――強く、優しく、真っ直ぐな思いを口にしてくれた。

 

「……はい。ありがとうございます」

 

 じんわりと胸を広がる温かさ。

 手のひらから感じる温もりを確かめるように握り返すと、エマ先輩もそれに気付いたように顔を上げ、二人見つめ合って―――。

 

「―――やっぱり彼方ちゃんお邪魔だったかなぁ~?」

「「!?」」

 

 そんな中、不意に聞こえてきた声に胸が大きく高鳴る。

 気が付けばエマ先輩の膝枕で眠っていた筈の彼方先輩は気まずそうにこちらを見上げており、視線の先には手を取り合っている二人―――。

 

「か、彼方ちゃん……いつから?」

「んー……ついさっきだよぉ。コウくんがエマちゃんにお礼を言ってたところ」

 

 まだ少し眠たそうに目をクシクシと擦りながらそう答えた彼方先輩にホッとした様子を浮かべたエマ先輩―――しかし

 

「あ、あの……エマ先輩……」

「?どうしたのコウくん」

 

 俺の呼びかけにいつもと変わらない様子で応えたエマ先輩。

 そんな彼女に呼びかけた意図を伝えるように、視線をゆっくりと先ほどから繋がれた手のひらに向ける―――無論彼方先輩の視線も既にそこに移っていて。

 

「―――っ!!あ、ああ、あのごめんねコウくんずっと握っちゃってて!あ、あのあの違うの彼方ちゃんこれは違くて」

「もう~全然恥ずかしがることなんてないのに~」

 

 向けられていた視線に気付いたようにバッと手を離したエマ先輩は、そのまま珍しく顔を真っ赤にさせ、わたわたと彼方先輩に説明をしているが、当の彼方先輩は微笑ましいといった様子でニコニコ笑顔を浮かべていた。

 

 ◇

 

「そ、それじゃあ私はそろそろお昼休みも終わっちゃう時間だから、さ、先に戻るね!」

 

 彼方先輩への釈明という名の説明をひとしきり終えたエマ先輩は、顔を赤く染めたままそう言い、パタパタと校舎へ戻っていく。

 俺たちが座っていたレジャーシートは彼方先輩が持ってきてくれたものだから、その片付けを手伝って俺も教室に戻ろうかな。

 

「彼方先輩、俺やりますよ」

「おお~。ありがと~コウくん」

 

 いつものようなのんびりとした口調でそう答えた彼方先輩。

 レジャーシートについた汚れを払い、綺麗に畳むように少しずつ形を揃えて―――。

 

「やっぱり―――罪な男だねえ、コウくんは」

「え?」

 

 形を整えている中、不意に彼方先輩が口にした言葉を思わず聞き返す。彼方先輩は変わらぬ口調で「だってね~」と前付けをし。

 

「―――エマちゃんにあそこまで(・・・・・・・・・・・)言ってもらえるなんて(・・・・・・・・・・)

 

「……か、彼方先輩。もしかして本当は起きて……」

 

「ん~?それはどうだろ。コウくんがまた早とちりしてる(・・・・・・・・・)だけじゃないかなあ」

 

「っ!!―――や、やっぱり起きて」

 

「ん〜?それはエマちゃんに悪いからな~いしょ」

 

 折り畳んだレジャーシートを受け取った彼方先輩は、のんびりとした様子でそう言うと、俺に背を向けながら―――こちらを振り返る。

 

「彼方ちゃんも―――もし困ったことがあったらコウくんに相談するね」

 

 先ほどの会話を考えれば、それはもう確信犯とも言える台詞―――しかし。

 

「それ、俺が断れないのを分かってていってますよね」

「えへへ、バレたか~」

 

 悪戯がバレた子供のように返した彼方先輩に「仕方ない」と小さくため息を吐き出し。

 視線の先こちらを見つめる宝石(アメジスト)のような瞳を真っ直ぐに見つめ返し、笑いかけた。

 

「はいっ―――任せてください、彼方先輩」

 



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37 好き≠

 

「コウ、いるー?」

「ゆ、侑ちゃん他の学科のクラスでいきなりそれは……」

 

 昼休み―――お昼に向かうクラスメイトの出入りも落ち着いてきた頃。開けっ放しの教室の扉口から顔を出した侑と歩夢。

 すぐに二人の姿に気付いた俺は、談笑していた友人たちに断りを入れ、侑と歩夢の元へ向かう。

 

「ごめんねコウくん、遅れちゃって」

「別に遅れてないだろ。まあクラスに来るなら行って欲しかったけどさ……」

「へへへ~。そこはそう!サプライズってやつだよ」

 

 とは言うものの、朝イチに侑から来ていた「準備があるから、教室で待ってて!」というメッセージで何となくそういう可能性も考えていたから、そんなに驚いてもないけど。

 

「お友達と話してたみたいだったけど、途中で抜けちゃって大丈夫だった?」

「ああ、大丈夫だよ。アイツらには先に言ってたし」

 

 心配そうにそう話す歩夢の視線が後方、先ほどまで俺がいた席の方へ向けられる。

 

 そんな歩夢の視線に遅れるように俺も後ろを振り返ると、件の友人たちがニコニコ顔でこちらを見ており、こちらが振り返ったことに気付くと、わざとらしく手を振ってアピールをし始めた。

 

「アイツら……」

「えっと……確か上地(かみじ)君と中空(なかぞら)君だっけ」

 

 明らかに茶化している友人たち(二人)にワナワナと拳を握りしめていると、歩夢に遅れて二人の姿に気付いた侑がそう問いかけてくる。

 

「ああそうだけど、よく名前知ってたな侑」

「えーだって、二人とも男子サッカー部とバスケ部でわりと有名だよー?」

 

「……ふーん」

 

 侑の言葉に軽く相槌を打ちながら、二人の横を通るように教室の扉口から廊下へ出る俺。

 後ろでは歩夢が二人に向けて、丁寧に手を振っていたが―――歩夢に色目使いやがったらアイツらぶ〇〇〇〇(ピー)

 

 二人には歩夢の背後から穏便にそう伝えておいた、眼力で。

 

「……と言うかさ、コウってさ」

 

「ん?」

 

「……同性の友達いたんだね」

 

「失礼じゃないか?!」

 

 

 ◇

 

 

「あっ、上原さーん!」

 

 そんな一幕もありつつ、三人仲良く会話をしながら中庭に向かっていると、不意に声をかけられたようで後ろを振り返った歩夢。

 歩夢に遅れるように後ろを振り向くと、侑や歩夢と同じ色のリボンをした女子生徒が歩夢に駆け寄ってくるのが見えた―――歩夢のクラスメイトとかだろうか。

 

「さっき教室で数学先生が呼んでたよ」

「え、本当?分かったすぐ行くね」

 

 どうやら先生からの呼び出しがあったらしく、すぐさまそう答えた歩夢。

 ちなみに歩夢のクラスメイトの言う数学(・・)先生と言うのも、名前の通りうちの数学教師―――数学を愛し、数学に愛された人物(自称)らしい。

 歩夢や侑とは学科が違えど、学年が同じであればこうやって先生が被ることも多い。

 

「ついて行こうか?歩夢」

「ううん大丈夫だよ。すぐ終わるだろうし、先に食べてて」

 

 心配する侑にそう答え、お弁当が入っているであろうランチバックを侑に手渡す歩夢。

 確かに用があるといってもお昼休みであることを考えれば、軽い連絡事項や簡単な手伝いなどすぐに終わる用件だと言うことは想像出来るが―――。

 

「それじゃあ先に中庭で食べてようか、コウ」

 

 歩夢からランチバックを受け取った侑はそう言い、こちらに視線を向ける。

 

 その様子に歩夢もクラスメイトと一緒に教室へ戻ろうとするのだが―――。

 

「―――いや、歩夢のこと待ってるよ」

 

 そう言った俺に、歩夢はこちらに視線を向けた。

 

「私に気を使わなくても大丈夫だよ?用事もすぐ終わらせて合流するつもりだし」

 

 少しだけ不安そうにして話す歩夢、しかし。

 

「気を使ってるわけじゃないんだけど。久々の幼馴染三人でのお昼なんだし、食べ始めも三人一緒がいいと思ってさ。それに折角歩夢がお弁当を作ってくれたんだから、色々と話も聞きたいんだ」

 

 本当のことだ―――歩夢が今日の為に作って来てくれたお弁当。見る楽しみも食べる驚きも出来るだけ歩夢とも共有したい。そう思っての言葉。

 

「ダメ……か?」

 

 しかし先ほどの歩夢の言い分もあるだろうし、あまり遅くならない範囲でというわけだが。

 俺が少しだけ控えめにそう言うと、歩夢は仕方ないと表情を浮かべる。

 

「……もうっ。分かったよ、それじゃあ私も急いで戻らなきゃだね」

 

 そう言って優しく微笑んだ歩夢。

 

 心なしかその頬は赤く染まっており、笑顔と相まってその表情はより一層華やかに感じた。

 

「それじゃあ早く行こっ。先生はクラス?」

「あ、ああ!う、うん行こう上原さん」

 

 そんな歩夢に見惚れたのは俺だけではなく、隣にいた歩夢のクラスメイトも歩夢の呼びかけにワンテンポ遅れて反応を見せ、歩夢と小走りでその場を去っていくのだった。

 

「それじゃあ先に行ってようぜ、ゆ―――」

 

 そんなわけで歩夢と一旦別れ、中庭に向かっていようと隣の侑に声をかけるのだが―――。

 

「……う~ん」

 

 歩夢のランチバックを手に持った侑は何やら小難しい顔で腕を組んでおり、そんな彼女に何事かと驚くが。

 

「あっ、中庭には向かうんだな……」

 

 先ほどの俺の言葉を聞いていたかは分からないが、小難しい顔で腕を組んだまま歩き出した侑に遅れるように、彼女の隣を歩いて中庭へ向かう。

 

 道中、侑はずっと顔をしかめており、そんな可愛らしさすら感じる幼馴染のしかめっ面を横から覗いていると。

 

「―――あのさ、コウ」

 

 そう言い、しかめっ面と腕組みを解いたかと思いきや、不意に立ち止まり真っ直ぐに俺を見つめる侑。

 

「なん―――」

 

 

「コウってさ。まだ歩夢のことが好きなの?」

 

 

「―――は?」

 

 突然の侑の言葉に、驚きと動揺が混ざったような間の抜けた声がこぼれる。

 

「な、何言って―――」

 

「―――答えて」

 

 先ほどの歩夢との一幕をまた茶化しているのかと思ったが、真っ直ぐ見つめる瞳は真剣そのもので。

 突然過ぎる侑の問いかけに思わず俺もたじろいてしまうが。

 

 侑の問いかけ―――“好き”と言うのは恐らくライクではなくラブの意味合い。

 

 単純に―――下海虹が上原歩夢にまだ(・・)恋心を抱いているのかということ。

 

 あまりにも唐突過ぎるとは思いながらも、先ほどの侑の様子の変化を考えれば、歩夢との一幕に彼女がそう思わせる原因があったと言うことだろう。

 

 俺としてはあれが侑だったとしても伝えていた言葉は変わらないのだが。

 

 しかしそれを今彼女に伝えてもそれは彼女の問いかけの答えではなく、変に誤魔化しているように感じさせてしまう可能性だってある。

 他の誤魔化しなんてものはそもそも論外だ。

 

 だからこそ彼女の問いかけに真正面から向き合おうとする―――のだが。

 

「……どうなんだろうな」

 

 ―――残念ながら。その問いかけにハッキリと答えられるような言葉を、俺は持っていなかった。

 

「好きか嫌いかって言われたらそりゃ好きだよ、好きに決まってる。でもそれは歩夢だけの感情じゃなくて(・・・・・・・・・・・)侑にだって(・・・・・)同好会の皆にだって(・・・・・・・・・)感じてる感情なんだ(・・・・・・・・・)

 

 彼女たちと一緒にいて湧き上がる感情(好き)が、以前歩夢に恋焦がれてた時と同じ気持ちかなんて分からない。

 だけど今の俺が感じているこの感情(好き)は、あの時と同じぐらい俺を熱い思いにさせてくれているってこと。それだけは分かっていた―――でも。

 

だから(・・・)歩夢のことは好きだけど、侑が思っているようなことはないよ」

 

 ―――好きのイコールが恋心になるわけじゃない。

 

 俺の中で歩夢にフラれたことはもう気持ちの整理もついていて、時間が関係を解決(リセット)してくれたと思っている。だからこそ今こうして話題の一つとして話せているわけで。

 

 そして、今はそれよりも何よりも、そばで支えたいと思う子たち(スクールアイドル同好会の皆)がいるから。二度目の恋に焦がれる日々なんてものはまだまだ先の話なんだと思う―――次はフラれないようにしなきゃ、なんて。

 

「……そっか」

 

 その答えにホッとした様子を見せる侑。

 

 中二の夏、別々になってしまった―――してしまった俺たちの関係。

 

 長い時間を経て、今こうして一緒にいられる俺たちだけど。

 次に同じようなことが起きれば、もう二度と元の関係に戻れない可能性だってある。

 

 それぐらいお互い年齢を重ねてしまったんだ。

 だからこそ侑が俺たちの関係を、シビアに考えてしまうのも至極当然のこと。

 

「あー突然ごめんねコウ、変なこと聞いちゃって」

 

 ―――しかしそれは逆を返せば、それだけ侑が俺と歩夢との関係を大切に思っているということで。

 

 俺の隣で申し訳なさそうに空笑いを浮かべる侑。

 

「―――侑」

 

 そんな侑の手を取り、こちらを見上げた彼女の瞳を真っ直ぐと見つめる。

 

「俺は―――二人(侑と歩夢)が俺を必要としてくれる限り、もう二度とこの手を離したりなんかしないよ。絶対に」

 

 そうして大切な幼馴染()に向け、笑いかける。

 

 侑が俺と歩夢との関係を大切に思ってくれているように、俺だって侑と歩夢との関係を大切に思っているのだと、伝えたくて。

 

 これで侑も少しは安心して―――。

 

「な、なななな何言ってんのさコウ!も、もうそういうことは私じゃなくて同好会の皆にでも―――」

 

 ―――あ、あれ?

 

 思ってた反応と違い、顔を赤くして手をパッと離した侑。

 彼女はそのまま顔をしかめ、疑うかのように俺を睨んだ。

 

「は、はぁーん。ど、どうせ果林さんにも同じようなこと言って口説いたんじゃないのー?」

 

「はあ?!そ、そんなことしてねえよ。あ、あれはエマ先輩から相談されて……」

「……ふぅーん。どうだか?口説き上手のコウくんは先輩にも幅を利かせたんじゃないのー?」

 

「だ、だからっ……!と言うかいきなり怒ってどうしたんだよ侑っ」

 

 まくしたてるような侑の勢いに気圧されるようにそう言うと、ハッとした侑は目元を隠すように手を顔に当て、その場で深くため息を吐き出した。

 

「……ごめんコウ、ちょっと熱くなった。今のは忘れて」

「あ、ああ……俺は全然気にしてないけど……」

 

 先ほどの発言が侑を不快にさせてしまったのなら、ちゃんと謝りたいけど。侑もこう言っていることだしこれ以上この話題を続けるのはよそう。

 

「……それで、コウがエマさんに相談されたんだ」

「え。あ、ああそうなんだ」

 

 落ち着きを取り戻した侑に内心ホッとしながらも、先ほど出した話題に続くように口にした言葉にそう頷く。

 

「……でも言われてみれば、少しエマ先輩の様子がおかしい時あったかも」

 

「まあ……その。エマ先輩、朝香先輩ともスクールアイドルをやりたかったらしくてさ。だけど作曲をする俺に気を使ってくれて誘えずにいたらしいんだ。だから俺なら大丈夫ですよって話をな」

 

 話題を出してしまった手前、変に誤魔化すわけにもいかず、侑には軽く触り程度の内容で伝える。朝香先輩のアンケート用紙の内容は俺とエマ先輩の中だけに留めておこう。

 そもそも人の本音なんて人様に言い伝えるものでもないからね。

 

「そういうことだったんだね。んーコウが大丈夫だって言うなら私も止めないけど……」

「まあ8人も9人もそう変わんねーよ。知らない相手ならまだしも相手は知り合い(朝香先輩)だし」

 

「そっか……。そう言えばせつ菜ちゃんにはそのこと相談してあるの?」

 

「え、いや」

 

「え?」

 

「え?」

 

 侑の問いかけに首を横に振ると、あからさまにアチャーといった反応を見せた侑。

 

「まったくコウは全然が女心が分かってないなあ……」

 

 侑の様子にも状況が飲み込めずにいると、やれやれといったため息を吐き出した侑。

 

「あのさコウ。例えばだけどさ、せつ菜ちゃんがコウの知らないところで、上級生の先輩だとかコウのクラスメイトの男の子を誘って同好会に入部させたらコウはどう思うの?」

 

「どう思うって……。いや言ってる意味は分かるけどさすがにそれとこれは……」

 

「違わないよ。確かに果林さんには私たちもお世話にはなってるけど、コウのやったことって言うのは女の子からすれば同じようなことなんだよ?」

 

「……せつ菜が別のやつと……」

 

 突拍子もない言葉だったが、妙に説得力を感じる侑の言葉。

 

 俺の知らないところで、知らないやつと仲良くなっているせつ菜の姿。

 

 せつ菜が―――菜々が俺の知らないやつと笑い合って、仲良くなって、いつの間にかスクールアイドル同好会に誘っていて。

 

 二人(俺と菜々)で始めたスクールアイドル活動なのに、まるで俺が蚊帳の外みたいな、そんな光景。

 

「……い、嫌だ」

 

 決してせつ菜を、菜々を束縛するつもりなんてない。

 そういう相手がいて、それが彼女が心から“大好き”だと言える相手だと言うなら、その関係を応援してあげたいとも思う。

 

 だけど、その。そういうのは何かモヤモヤするって言うか。

 ……何だかとっても、嫌な気持ちだ。

 

「でしょー。それと同じようなことコウはやってるんだよー」

 

「……す、すまん」

 

 侑の言葉に罪悪感を感じ、思わず視線が落ちる。

 

「謝る相手が違うんじゃない?もーあれだけ二人はちゃんと話し合うべきだって言ったのにさー」

 

「そ、そうだったよな……」

 

 あの一件で身に染みた筈なのに、俺はまた同じことを繰り返している。

 

『コウはもっと皆と話すべきだと思う、特にせつ菜ちゃん―――菜々さんとはしっかりと』

 

 以前の菜々との一件の際、皆の集まった潮風公園で侑に言われた言葉。

 

 二人で始めたスクールアイドル活動なのに、その方針を相談もせずに決めてしまい、菜々を不安にさせたかも知れないという罪悪感。

 

 そんな罪悪感を感じながら、不意に震えたスマートフォンに届いたメッセージ。

 

「―――菜々」

 

『明日、急遽お昼休みに生徒会の仕事が入りましてお昼をご一緒できそうにありません。申し訳ありませんが、私の番はなしでお願いします』

 

 ◇

 

「お待たせー……ってあれ?二人ともお昼の準備もまだだったの?」

「あっ歩夢。まあ色々とあってね」

「?二人でなんの話してたの」

「んー?コウが朴念仁だって話」

「?」

 



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38 俺と菜々(上)

流れ忘れちゃった方は『37 好き≠』を見ればだいたい分かります。


 

『明日、急遽お昼休みに生徒会の仕事が入りましてお昼をご一緒できそうにありません。申し訳ありませんが、私の番はなしでお願いします』

 

 菜々から届いたメッセージを見つめ、顔を上げる。

 

 侑と歩夢とのランチから翌日のお昼休み―――俺は虹ヶ咲学園の生徒会室の前まで来ていた。

 

 と言うのも昨日のランチ前に侑から言われた―――エマ先輩と朝香先輩の一件に関すること。

 

 正直あの一件はあまり大っぴらにする内容でないとは言え、同好会への勧誘を―――作曲する人数を増やすということであれば、菜々に相談するべきではないのかという指摘。

 

 そもそも俺が今こうしてスクールアイドル同好会の作曲担当としていられているのは、同好会の皆がいてくれたからこそと言うのは勿論なんだけど、元を正せばそれも菜々が俺を誘ってくれたからこそで。

 

 そんな俺と菜々で始めた虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会のことを一人で決めてしまって。

 

 もしもそれが逆の立場だったら。もしも菜々が他の男子生徒を誘って同じように勧誘していたとしたら―――侑に言われ感じた胸のモヤモヤ。

 結果的に俺はそんなモヤモヤすることを、菜々にしてしまっていて……。

 

 いても立ってもいられずに今に至る―――のだが。

 

「ぐぬぬ……」

 

 元々お昼休みは生徒会の仕事あってお昼は一緒にできないって聞いていた、何なら何度もそのメッセージを見返していた筈なのに、ノコノコと生徒会室までやってきて―――本当何がしたいんだ俺は。

 

 そもそも生徒会の仕事があるってことは菜々以外の役員さんもいるわけで、そんな中で生徒会長である菜々と腰をすえて話が出来るわけもなく、何なら生徒会の仕事が本当に忙しくて会えない可能性だってある。

 

 しかしここまで来た手前、引き返すわけにもいかず……。

 

 傍から見ればまるで不審者のようにグルグルと生徒会室の前を歩き回る俺。しかしそんなことを続けてたとしても状況が変わるわけもなく、自然とため息がこぼれた―――そんな時。

 

「―――下海くん?」

 

「―――!!」

 

 不意に聞こえた俺の名前を呼ぶ声。

 その声に反射的に顔を上げ、生徒会室の扉の方を見る。

 

「ぁ……ふ、副会長」

「生徒会室の前でどうなされたんですか?何かご用でも」

 

 しかし、そこにいたのは菜々(生徒会長)ではなく生徒会の副会長である彼女。

 彼女は扉を開けた先で立ち呆けていた俺を見て、不思議そうな顔をしていた。

 

「あ、あぁ……えーっと菜―――か、がわ会長にあ、会いに」

 

 咄嗟に出かけた言葉を引っ込めるようにそう答える俺。

 彼女とは一時期、菜々に呼び出しを食らっていた“俺がスクールアイドル同好会を始めるまでの期間”の間に何度か顔を合わせたこともあり、多少顔見知りではあるものの、せつ菜のことも、菜々との関係性を知っているわけでもない。そんな彼女に菜々との関係性を勘繰られるわけには……。

 しかし菜々の名前を出した手前、ここは腹を括るしかなさそうだ。

 

「会長なら中にいらっしゃると思いますが、呼びましょうか?」

「い、いえ!お構いなく!そ、それより生徒会のお仕事って終わったんですか?」

「?あなたが何故それを……?」

「へ?!あ、そ、その。せ、生徒会室から出てきたのでそうかなーって思っただけで。お勤めご苦労様です姐さん!」

 

 副会長からの思わぬ質問に冷や汗が溢れるが、それを誤魔化すように手を後ろで組み深く頭を下げる。

 

「ふふっ、なんですかテレビの見過ぎですよ下海くん。会長ならまだ残りの仕事があるようで中にいらっしゃいますが、あまり時間を取らせないようにして下さいね」

「は、はいっ!かしこまりました!」

 

 こちらの咄嗟の言動を怪しむこともなく、笑顔でそう答えた副会長。

 背筋を伸ばし元気良く返事をした俺に軽く頭を下げた副会長は、そのままその場を後にしたのだった。

 

 そのまま副会長の姿が見えなくなるまで見送った俺は、再度周りに人がいないことを確認して額に流れる汗を拭う―――いや今のは運が良かった。と言うか顔見知りのある副会長だったから誤魔化せたものの。何だよ姐さんってどこの裏社会だよ。

 真面目な副会長が裏では極道の女親分とか、何それせつ菜が好きそうな作品じゃん。

 

 そんな呑気なことを考えながら、再度生徒会室の扉と向き合おうと振り返った―――その時。

 

「―――コウ、さん?」

「―――な?!!」

 

 微かに開けた扉から顔を出していた彼女と目が合い、思わず驚きの声がこぼれる。

 そこにいたのは綺麗な艶髪を左右とも三つ編みにして、白渕の眼鏡がとてもよく似合う彼女―――中川菜々。

 

「あ……な、菜々……」

 

 今一番会いたかった相手なのに突然のことで頭が追い付いていないのか、俺の口からは震え声しか出ず。不思議そうな顔をする菜々はせつ菜とはまた違った可愛さが―――じゃなくて。

 

「こんな所でどうかされたんですか?」

「あー……えっと……」

 

 現実逃避をしかけた頭を再起動させ、話したかったことやら伝えたかったことを言おうと考えるが、出るのは繋ぎ言葉ばかりで菜々の問いかけに対しても中々まとまった言葉が出ずにいた。

 

「ふふっ、何があったか分かりませんが、ひとまずお話であれば生徒会室の中でどうですか?」

 

 そんな俺を見かねてか助け舟を出してくれる菜々。

 顔を上げた先、菜々は優しく微笑んで俺を生徒会室へと招き入れてくれた。

 

 入室した先、生徒会室の中には俺たち以外の人影はなく、目に映ったのは生徒会長の席に置かれた山積みの書類―――もしかしてこれが副会長の言っていた残りの仕事だろうか。

 

「副会長が出られた後、何やら外から話し声が聞こえたので見て見れば先ほどの声はコウさんと副会長の話し声だったんですね」

「あ、ああ……ちょっとな」

 

 そう言いながら生徒会長席へと戻る菜々。

 その後ろを追いかけるように生徒会室のソファに腰かける俺。スクールアイドル同好会の部室が出来た今では座る機会の減ってしまったここでの俺の定位置。

 

「今日はお昼をご一緒出来ないとお伝えしましたが、何か急ぎの用でしたか?」

 

「そう……なんだけど―――」

 

 問いかける菜々の声に自然と視線もその方―――山積みの書類を手に取り目を通す菜々の方へ向かう。

 

 ―――そして気付く。

 

「―――ぁ」

 

 俺が目のいる彼女は優木せつ菜であり、中川菜々でもある。

 そんな彼女(中川菜々)は生徒会長であり、この学園を背負う代表だ。

 

 だからこそ一般生徒である俺のような人間が知らないような学園のことも知っていて、部活動の申請ことから各学年の提出物に至るまで、全てを円滑に進められるよう動いてくれている。

 

 スクールアイドル同好会の立ち上げ申請の時だって、俺は彼女に全て押し付けて任せっきりにしてしまった。あの時だって生徒会の仕事が忙しかった筈なのに文句一つ言わずにやってくれて……。

 

 そんな日頃からスゲー頑張ってくれている彼女のことを俺は応援したいと思っている。

 

 でもそれはただ任せっきりにするとか、ただ声をかけるとかじゃなくて

 頑張っている菜々の支えになりたいし、力になりたい。そんな俺の自己中心的でわがままな気持ち。

 

 そして―――その気持ちは決して

 

 “生徒会の仕事を残した菜々と話をすること”と共存する存在にはならない。

 

 だからこそ今、俺がやるべきことは―――。

 

「―――菜々」

 

「コウさん……?」

 

 不意に立ち上がった俺に首を傾げる菜々。

 俺はそのまま生徒会長席に座る菜々のそばまで行き、彼女と向かい合うように立つ。

 

「生徒会の仕事!俺に手伝えることはないか?」

「―――え?」

 

 驚いた顔を見せる菜々。そのまま机に置かれた山積みの書類に視線を向ける俺。

 

「それ、全部生徒会の書類だよな?菜々一人じゃ少し多くないか?」

「い、いえ!いつもと変わらない量ですし、そこまで大変というわけでも……」

「なら尚更手伝わせてくれよ。大変じゃないってことは俺にも出来るだろ?その分の余ったパワーは同好会の練習に取っておいてさ」

 

 少し困惑した様子の菜々に、身振り手振りをしながらそう話す。

 せつ菜の時もそうだけど―――菜々は根が真面目で、人一倍責任感が強いから、こういう時誰にも頼らず一人でやろうとする傾向があるように思える。

 

「確かに残った書類はコウさんにも出来る内容ではありますが……。コウさんに手伝っていただくほどのものでも―――」

「なら決まりだな。半分もらってくぞ」

 

 きっとさっき会った副会長も同じように声をかけたけど、気を使って断ったりでもしたのだろう。だからこそ彼女には少し強引に誘うぐらいが丁度良い。

 強引に受け取った書類を生徒会室の机に置き、再度ソファに腰かける俺。

 

「あっ……もう、強引なんですから……」

 

 呆気の取られた様子の菜々ではあったが、こちらの様子に観念したように残った半分の書類を手に取って作業を再開させた。

 

 俺も受け取った書類を一枚一枚目を通しながら、必要に応じて生徒会の判を押していく。

 

 そんな中、ふと横目で見た菜々の表情。

 

 いつも会う同好会での姿(せつ菜モード)とは違って、真面目で落ち着いたキリッとした凛々しい表情と、その中に微かに感じる年相応の幼さ(せつ菜っぽさ)。そんなギャップに見惚れてしまい思わず手が止まりそうになるけれど、そんな雑念を振り払うように書類作業を進めていくのであった。

 




続きも近いうち投稿出来ると思います。
お気に入り登録して待っててくれたら私、嬉しい!


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39 俺と菜々(下)

 

「―――菜々、確認頼んでもいいか?」

「え、あ、ああはい!も、もう終わったんですね」

 

 半ば強引に受け持っていた書類を菜々に手渡す。

 受け取った彼女はそう言いながらパラパラと書類をめくり、少し驚いた様子で顔を上げた。

 

「ば、バッチリです。見た感じミスなどもなさそうですし、凄く早いですね……」

「ありがと。でも今回のはたまたま俺にでも出来る簡単な内容だったってだけで、日頃からこういう作業をやっている菜々はやっぱり凄いな」

 

 それも一人で黙々と……、俺なら絶対に続かない自信がある。

 

「い、いえ、私はそんな……」

 

 俺の言葉に少し照れくさそうに笑う菜々。

 見たところ彼女の机に山積みになっていた書類もキチンと整理され、やり残した仕事はないように見える。

 これでお昼休みに彼女がやろうとしていた生徒会の仕事ってのも一段落するのだろうか。

 

 壁にかけられた時計を見る。

 お昼休みの時間は三分の一ちょっとは残っており、俺がここまできた“本題”を話すには十分だろう。

 

「菜々、そういやお昼はもう食べたのか?」

 

「ああ、はい!先ほど書類整理を始める前に副会長と一緒に」

 

「そっか、なら良かった」

 

 菜々がお昼を食べ終わっていたようで良かった。

 お腹が空いてると午後からの授業にも差し支えるからね。

 

 俺はまあ、適当に学食の余ったパンでも摘まめばいいかな。昨日まで贅沢し過ぎてた(同好会の皆から恵んでもらってた)所だしバランス的にはちょうど良いだろう。

 

「それで、その……菜々。少しだけ菜々の時間をもらってもいいか?」

 

 ―――それよりも何よりも今は菜々に話しておきたいことがあるから。

 

「あ……コウさんが生徒会室まで来た理由のことですか?」

 

「あ、ああ、そうなんだ」

 

「もしかして同好会のことです?」

 

「うん、そう、同好会のこと」

 

 不思議そうな顔をしながらも、どこかで意図を察したように応える菜々。

 

「ごめんなさい。私が昨日同好会に出れていればコウさんにご足労をおかけする必要もなかったのに……」

 

 申し訳なさそうに謝る菜々。だけど―――。

 

「いや、本当に謝らないといけないのは俺の方だから気にしないでくれ」

「謝る?」

 

 俺の言葉に引っ掛かりを感じたのか、訝しそうにそのワードを聞き返す菜々。

 

 正直話し辛いことだから少しだけ躊躇ってしまったけど、今は菜々の貴重な時間をもらっていることということを思い出し、俺も覚悟を決める。

 

「うん。その……朝香先輩のこと」

 

「果林さんのことですか?」

 

「ああ、そのあさ……果林先輩のこと菜々にもちゃんと相談してなくて……」

 

「……はい?」

 

 ―――席に座る菜々の顔を見れない。

 

 それだけ俺は自分のしたことに罪悪感を感じていて、だけどそれだけじゃダメなんだと分かっている。

 覚悟を決めたんだからちゃんと話そう、菜々の言葉をちゃんと聞こう。

 

 生徒会室に僅かな静寂が流れる。

 

 再度意を決した俺は菜々の方を向き、続きを話そうとするのだが―――。

 

「……?それで、それがどうかしたんですか?」

「へ?」

 

 菜々の口から出た言葉に間の抜けた声がこぼれる。

 

 驚いたことに菜々は状況が掴めていないのか首を傾げているのだが、どうやら俺の説明が足りなかったようだ。

 

「その、スクールアイドル同好会、二人で始めたことだったのに菜々に相談せずに果林先輩の勧誘しちゃったことを……」

 

「……なるほど、そういうことですか」

 

 少し間を空けて状況を理解してくれた様子の菜々は口元に手を当て何かを考える様子を見せていた。

 

「その、エマ先輩から相談を受けて。エマ先輩、果林先輩をスクールアイドルに誘いたかったらしいんだけど俺に気を使って誘えずにいたらしいんだ。だから俺なら大丈夫ですよって話をしてそれで……」

 

 そういう経緯があって朝香先輩はスクールアイドル同好会へ入部したのだと、そう話す俺に菜々は静かに一つ変えず話を聞いてくれていた。

 

「元々二人で始めたスクールアイドル同好会なのに、菜々に一つも相談せずに決めちゃったこと謝りたくて。本当にごめん」

 

 菜々に向けて深く頭を下げる。

 

 頭を下げたことで菜々がどういう表情をしているか見ることは出来ないけど、もしも今回のことで菜々の笑顔を曇らせていたというなら俺は俺を許せなくなる。

 

 頭を下げたまま、菜々は何も言わず、先ほどの静寂よりも少しだけ長い時間が流れる。

 

 

「―――コウさん」

 

 降り注いだ声に顔を上げる。

 

 気が付けば先ほどまで生徒会長席に座っていた筈の菜々は俺の目の前まで来ており、ソファに腰かける俺の隣に向かい合うようにして座っていた。

 

 彼女は顔を上げた俺を、その宝石のように綺麗な瞳で真っ直ぐ見つめたまま微笑む。

 

「ありがとうございます。私のことをそこまで考えてくれて。わざわざ生徒会室にまで来て話をしてくれて」

 

「え……?」

 

 菜々の言葉に本日何度目かも分からない間の抜けた声がこぼれる。

 

「エマさんのこと、いつもと様子が違っていたので私も気になっていたんです。その後はいつも通りのエマさんのようだったので杞憂だったのかなとは思っていたんですが、コウさんが裏で動いてくださっていたんですね」

 

 エマ先輩の様子がいつもと違っていたこと。

 昨日の侑も同じようなことを言っていたが、菜々の目から見ても同じだったようで、その時感じた違和感に合点がいったように菜々はそう話す。

 

「ああ、うん。確かにそうだけどやっぱり今考えると少しは菜々にも相談―――」

 

「コウさん」

 

 言いかけた言葉に重なるように呼ばれた名前。

 ゆっくりと下に落ちていた視線をもう一度上げ、目の前の菜々を見た。

 

 

「―――コウさんにはコウさんのやりたいことをやって欲しいです」

 

 目の前の菜々は俺と目が合うと、優し気な口調でそう言葉にした。

 

「私のことを思ってそう言ってくださるのは本当に嬉しい、コウさんからその言葉をいただけただけでも夢心地ですが……」

 

 胸の前で手を組み、言葉を噛み締めるように思いを口にする菜々。

 

「私はコウさんにはコウさんのやりたいこと、思ったことを全力でやって欲しいと思ってます」

 

「……俺の、やりたいこと」

 

「はい!あの日、私の手を握ってくれたあの時のように―――」

 

 あの日、放課後の屋上でお互いの思いをぶつけ合ったあの時のように。

 ただ菜々に笑って欲しくて、自分の思いを真っ直ぐに伝えたあの時のように。

 

「でもそれじゃあ……」

 

 思ったように、やりたいように、そうして欲しいのだと彼女は言った。

 

 それは確かに聞こえのいい言葉だが―――それは、その選択は。

 

「俺は、菜々を置いてけぼりに……」

 

 菜々に誘われて始めたスクールアイドル活動なのに、その彼女を蚊帳の外に置いて一人自分勝手にやりたいことやろうだなんて……。

 

「……大丈夫ですよ」

 

 不意に手のひらに感じた温もり。

 ソファの上にだらりと置かれていた俺の手を両手でギュッと握り、自分の元へ持っていった菜々。

 突然のことに驚いた表情を浮かべる俺に優し気な微笑みを浮かべる菜々。

 

「……コウさんが私のこと―――私たちのことを色々考えてくださっているのも、大切にしてくださっているのも分かってます」

 

 見つめる俺に菜々は言葉を続ける。

 

「私たちを信じてくださっていることも伝わってきますし、だからこそ私たちも同じぐらいコウさんのことを信じていますし、大切に思っています。だから大丈夫なんです」

 

 そう言い菜々は握りしめた俺の手に更に強くギュッと握り締める。

 

「―――それに、置いてけぼりなんかにはならないですよ」

 

 握り締めた手に視線を向けていた菜々は顔を上げ、笑顔が花開く。

 

「だって―――あの日(・・・)、言ってくれたじゃないですか。“いつだって隣にいてくれる”って」

「ぁ……」

 

 

『―――俺はいつだって菜々の隣にいるよ』

 

 

 それは“あの日”、俺が菜々に伝えた言葉。

 そして、今も変わらず俺の胸の中に強く残る思い―――変わることのない気持ち。

 

 菜々の言葉がすぅーっと胸の内、心の奥の奥までじんわりと広がっていくのが分かる。

 それと同時に俺は菜々に気付かれないように静かに唇を噛み締めた―――いつの間にか涙腺弱くなったかなあ俺。

 

「ああ、そうだな……。その通りだ」

 

「はい!だから私たち(・・・)ならきっと大丈夫ですよ!」

 

 そう力強く話す菜々の姿に微かにだがせつ菜の面影を感じる、つっても同一人物なんだけどさ。

 

 手を離した菜々はソファから立ち上がり、生徒会長席に戻っていく。

 その姿を追いながら、ふと侑に言われて思ったこと改めて感じたことを話してみる。

 

「―――でも、やっぱり菜々はスゴイな」

 

「もうっ何ですか。褒めても何も出ませんよ」

 

「いや本当に凄いんだって、今回のことも俺は侑に言われて感じたことだったんだけどさ」

 

「侑さんが?ああそう言えば昨日は歩夢さんの―――」

「逆の立場だったらすげーモヤモヤしてたと思うし」

 

「―――順番で……え?」

 

「だからまっすぐに俺のこと信じてくれた菜々はスゴイなって」

 

「え……あ、あの、えっと、そ、そのー……。こ、コウさんもモヤモヤされるんですか?」

 

「あーうん、まあな。ちょっと恥ずかしいんだけど今まで一緒にやってきたわけじゃん?だからそういうのは何か嫌だなーって」

 

「へ、へぇー……そ、そうなんですか……そうなんですね……へ、へぇー……」

 

 席に座った菜々だが、何やらうわ言のように呟いているがどうしたんだろうか?まあ見た感じ大丈夫そうではあるか。

 そんなことを考えながら、ふと生徒会室の掛け時計を見る。

 

「やばっ、時間!」

「へ?」

 

 気が付けばお昼休み終了までの時間が差し迫っており、今から急いで学食に行けばギリギリ食事にあり付けるかどうかその瀬戸際になっていたことに気付く―――菜々のことに夢中でお昼休みの時間調整のこと完全に忘れてた。

 

 午後は午前中に比べて授業数は少ないものの午後一番の授業は体育と言うこともあり、腹を空かせた状態で授業に挑むのは何とか避けたい。

 もう少し菜々と話をしたかったが、今日のところは菜々に断りを入れて学食に向かおう。

 

「悪い、菜々!実はまだお昼ごはん食べてなくてさ、学食行って買ってこなきゃだから、あとの話はまた放課後にでも―――」

 

 ソファから立ち上がった俺に驚いた様子を見せた菜々に説明をして、急ぎ足で学食へ向かおうと―――。

 

 

「あ、あの!コウさん!!」

 

 

 そのまま生徒会室を出ようとしたその時、菜々に呼び止められ後ろを振り返る。

 

 振り返った先、赤いランチバックを手に持った菜々は少し恥ずかしそうにしながら、振り返った俺に向け意を決するように言葉を続けた。

 

「あの……その……昨日のメッセージでは私の番はなしでとお願いしたんですが……その、実は今日私もお弁当を作ってきてまして……」

 

 そう言いながらランチバックを見せるように軽く持ち上げる菜々。

 

「菜々の手作りなのか?」

「は、はい!もし生徒会の仕事が早く片付いたらダメ元でもお誘いしようと思って作ってきてまして……、その……時間がなくて私の分のお弁当は母に作ってもらいましたが……」

 

 照れ臭そうに笑う菜々。思わず嬉しさがこみ上げる。

 

 お昼休みに生徒会室に来て菜々と会えたことといい、キチンと二人で話せたことといい、どうやら運の女神様は俺に味方しているらしい。

 

「その……コウさんのお口に合うかは分かりませんが……」

「いやすげー嬉しい!菜々のお弁当が食べれるならこの後の体育の授業も怖いもんなしだな!」

「もうっ……褒め過ぎですよ……」

 

 方向転換をして菜々の元へ急ぐ、ソファに腰かけ対面に座った菜々はランチバックからお弁当やお箸を取り出してくれる。至れり尽くせりで申し訳ないな……。

 

 そのまま菜々から箸を受け取り、机に置かれたお弁当を前に手を合わせる。

 

「いただきます」

「め、召し上がれ」

 

 食事の挨拶に少しぎこちない様子でそう返す菜々を一見し、お弁当に視線を移す。

 

 お弁当箱の蓋が色付き蓋と言うこともあり、中を開けるまではその全容が分からないようになっているが、菜々が生徒会の仕事で忙しい中作って来てくれたお弁当だ、俺も一つ一つ味わって食べよう。あんまり早く食べ過ぎたら怒られるかもな、なーんて。

 

 そんなことを考えながらお弁当箱の蓋を取り―――。

 

「―――……え?」

 

 

 ―――むらさき、いろ?

 

 

 思わず口から出たのは驚きからだろうか。

 困惑、動揺、どういう感情から出たものかは俺自身も分からないが、目の前に広がる紫……紫色だよなアレ。

 

 紫の具材と紫の白飯……それってもう白飯(・・)ではないのでは?紫飯……?合成着色料かなあ……いやでも一般家庭で使うこと普通ないだろう。

 

 あっ、そうか!紫色の野菜でも使ってんのかな!えらい食材に凝った料理を作るんだな菜々は。

 色だけで判断するところだった危ない危ない。

 

 そんなことを考えながらお弁当箱を手に取り、箸を構える。

 

「菜々、これは紫芋とか紫キャベツを使っているのか?」

「いえ!家にあった食材を合わせて作りました!!」

 

 ……いえ?いえって何?ああなるほどイェーイってことね相槌ね。Yeah、Yeah。

 

 何はともあれ成績優秀な菜々のことだ、家にあった食材を上手く使って美味しく作ったということだろう。俺も次の体育は学科対抗でのサッカーの試合だった筈だからエネルギーを付けて頑張らなくちゃだな。

 

 食べるまでにあまり時間をかけては菜々を不安にさせてしまうというもの、ここは早速菜々のお弁当の一口目をパクリと―――。

 

 

 ―――あっ。

 




ちゃんと完食しました。


前回の更新久々だったけど感想来ててすごく嬉しかったです。
お気に入り登録も勿論嬉しいけど、声もらえるのが一番元気出るからねえ。

そういや前々回の更新の時に来て凄く嬉しかった感想がいつの間にか消えてて声上げて泣いた。
「その感想、消えるよ」じゃねーんだよ残れ。

とりあえずプロット残ってたやつはここまでで
続きは気長に待っててくだされば嬉しい。


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40 相談

 

 愛さんと出会って広がった世界―――人との“繋がり”

 

 私ひとりじゃ知らなかった、見れなかった景色が更新されていく毎日。

 

 それが楽しくって、嬉しくって。

 

 だからこそもっと多くの人とも“繋がり”たいと思って。

 

 だけど今の私じゃ愛さんのように人と“繋がる”ことはハードルが高くて。

 

 どうすればいいか分からなくて、けれど思いは強くなっていって。

 

 そんな悶々とした思いを空に投げかけていた、あの日―――。

 

「スペシャルライブだってさ、行ってみようよりなりー!」

 

 愛さんに誘われて参加したスクールアイドルのライブ。

 

「えっ?!うっそ!あれってしもみー?!」

 

 隣の愛さんがステージを見て、凄く驚いた表情をしている。

 

 視線の先に映るのは、赤と黒を基調とした衣装を身にまとう少女と、男子の制服を身にまといギターを肩から掛けた少年―――スクールアイドル同好会に所属する黒一点、下海(しもうみ)(こう)先輩。

 

 最近、愛さん経由で名前を知った先輩の一人であり、私が“スクールアイドル”という言葉に聞き覚えのあった理由の一つ。

 

 そのままステージ上でアイコンタクトをする二人―――少女は手を天に掲げ、少年はギターを構える。

 

 そして、次の瞬間―――世界が変わった(・・・・・・・)

 

 響き渡る歌声とギターの音色―――先ほどまでバラバラだった筈の観客は皆一様にその歌声と音色に盛り上がりを見せており、隣に立つ愛さんも何かを感じ取ったかのように楽しそうな表情を浮かべていた。

 

 どこまでも天へと突き抜けるような歌声と、歌声を彩るように駆け抜けるギターの音色。

 見慣れた筈の講堂のステージが、まるで別世界のようで。

 

 ―――スゴイ。

 

 今までの常識を塗り替えるような光景。

 

 そんなステージに私は目を離せずにいた。

 

 歌声で、演奏で、自分たちの世界を描き、見ている人たちを熱狂させている。

 

 そう。こんなにも大勢の人たちと繋がって(・・・・)―――。

 

「―――あっ」

 

 脳裏を過ぎった一つの答え。

 

 悶々としてた気持ちが、漠然としてた思いがその答えを経て形を作る。

 

 これなら―――もっと多くの人と“繋がる”ことが出来るんじゃないか。

 

 これなら―――自分の思いを伝えることが出来るんじゃないか。

 

 これなら―――私も、変われるんじゃないか(・・・・・・・・・・)

 

 燃え盛る炎と広がる青空に煌めく無数の輝き。

 

 そんな煌めいたステージの上でギターの音色を奏でる少年へと視線が向かう。

 

「―――下海、虹……先輩」

 

 それが―――私が初めてコウ先輩と出会った日のこと。

 

 

 ◇

 

 

「えええええ~!ライブ~!?」

 

 驚いた表情で声を上げるかすみちゃん。

 こういう時、かすみちゃんの表情は凄く分かり易くて羨ましい。

 

 そしてそんな表情の豊かなかすみちゃんが驚いている理由と言うのも。

 話は昨日の放課後にさかのぼる。

 

 愛さん、侑さん、歩夢さんの三人で東京ジョイポリスに遊びに行った私は、その中で偶然にもクラスメイトの子たちと出会い、話しかけられた。

 

 どうやら彼女たちも遊びに来ていたらしいのだが、会話の中でジョイポリスのステージがスクールアイドルのライブにも使われているという話を聞き、話しかけてくれたクラスメイトの子たちと友達になりたいと思った私は、その場で彼女たちへ向けジョイポリスでのライブをやるという宣言をしてしまった―――というわけなのだ。

 

「それは急な話ですね……」

 

 頷いた私にせつ菜さんも少し驚いた反応を見せている―――だけど。

 

「色々足りないのは分かっている。でも皆に見て欲しくなって……」

 

 昨日、私たちの活動を応援してくれているクラスの子たちに会って、直接応援の言葉を聞いたからこそ、私のステージを見て欲しい、彼女たちと友達になりたいと思って。

 

 正直、気持ちがはやってしまったのかも知れない、だけど今を逃しちゃいけないとも思うから。

 

「PVはキャラに頼っちゃったから。クラスの子たちは良いって言ってくれたけど……あれは本当の私じゃないから」

 

 私のスクールアイドル紹介PVは、他の皆と違ってキャラクターが動くアニメーション形式のPVにした為、声だけの出演で私が実際にPVに出たわけではない。

 

 昨日話したクラスメイトの子たちは私のPVも褒めてくれていたが、自らが出演した愛さんや歩夢さんはクラスの子たちからファンになったと言われていて。

 私も二人のようにスクールアイドルとして活動していくことを考えると、このままではいけないと言うのも事実だから。

 

「……だめ?かな」

 

 皆の反応が少しだけ怖くて、不安を感じながら振り絞った勇気で問いかける。

 

「―――いいんじゃない!」

 

 そんな不安を吹き飛ばすように明るい声で頷いてくれた愛さん。

 

「決めるのは璃奈ちゃんだよ」

「私は璃奈さんが決めたことを応援しますよ!」

「そうです!チャレンジしたいという気持ちは大事なことだと思います」

 

 顔を上げた私にそれぞれの言葉で背中を押してくれるエマさん、しずくちゃん、せつ菜さん。

 他の同好会の皆もその意見に賛成するように優しい表情で頷いてくれた。

 

「それで……ライブはいつやる予定なの?」

 

 ホッとした私にそう問いかける果林さん。

 

「たまたま空きが出たから来週の土曜……」

「―――本当に急じゃん!」

 

 私がそう答えると、かすみちゃんは本日二度目になる驚いた表情を見せた。

 

「まあまあ。璃奈ちゃん、私もライブ手伝うよ」

 

 そんなかすみちゃんを宥め、ライブの手伝いに立候補してくれた侑さん。

 

 侑さんに続いて、愛さん、歩夢さん、せつ菜さんと、同好会の皆が私のライブを手伝ってくれると自ら手を挙げてくれて。私の不安を吹き飛ばすだけではなく、皆が私の背中を押してくれて。

 その気持ちに嬉しさを感じると同時に少しの気恥ずかしさを感じ、気付かれないように私は視線を下ろした。

 

「―――でもそうなると、コウにも相談しなきゃだね」

 

 そんな中、ポツリと呟いた侑さんに私は顔を上げる。

 

 本来であれば先ほどの話も全員が揃ってから話すべき内容だとは思っていたのだが、同好会の作曲担当であるコウ先輩は、何やら今日は用事があって参加が遅れるというメッセージが今朝来ており、いつ来るかも分からないので先に話していたというわけだが……。

 

「活動には参加すると言っていたので、もうそろそろ来てもおかしくないと思うのですが……」

 

 時計を見てそう呟くせつ菜さん。

 

「単なるお寝坊さんとかなら私が起こしに行くんだけどなあ」

 

「むむっ!聞き捨てなりませんねエマ先輩、コウ先輩を起こしに行くのはコッペパン作りで早起きの実績もあるかすみんしか適任はいないと思いますが?!」

 

「え?で、でも私も果林ちゃもごもご―――」

「はーい、ストップよエマ」

 

「ちょっと待ったー。愛さんも家の手伝いとかで早起きには自信あるんだから、そういう決めつけはよくないぞかすかすー」

「かすかすじゃなくてかすみんです!!」

 

 エマさんのふとした一言から伝播するように騒がしくなる部室。

 

 本当に寝坊と言うことであれば練習前にメッセージも送れないと思うし、学園と男子寮の距離を考えれば既に到着していてもおかしくはない。

 と言うことは本当に何らかの用事で遅れているわけで。

 

 しかし活動に参加すると言うことであれば、せつ菜さんの言う通りもうそろそろ来てもおかしくないと思うのだが……。

 

 ―――コンコン

 

 その時、まるでタイミングを見計らっていたかのように同好会の扉がノックされ、同好会の部室にいる全員が扉の方を向く。

 

「どうぞー」

 

 顔を見合わせる私たち。代表して侑さんがノックに返答を返す。

 

 同好会の共通認識として、コウ先輩が部室に入室する時はノックをしてからがほとんどの為、十中八九彼で間違えないと思うのだが―――。

 

「―――皆、おはよう」

 

 スライドの扉を開けて顔を出したのは、同好会の作曲担当―――下海虹先輩。

 

 皆それぞれの挨拶をコウ先輩に返し、扉を閉める先輩。

 

「コウ先輩っ、おはようございます♡」

「おはよう、かすみ」

 

 その姿を見るなり、ぱあっと明るい表情になりコウ先輩に駆け寄るかすみちゃん。

 いつもの見慣れた光景だが、まるで子犬のように尻尾を振り、駆け寄る姿は同性の私から見ても可愛いと思う。

 

「コウ先輩っ♡今日はかすみん、コウ先輩の為にお昼のコッペパン作ってきたんですが、もしよろしければ練習が終わってからお時間―――」

「おーい、コラコラかすかす。今日は先にりなりーの件相談しなきゃでしょー」

 

 そんなかすみちゃんのリードを引っ張るように、二人の間に割り込む愛さん。

 

「あ……。わ、分かってますよぉ~!と言うか愛先輩!かすかすじゃなくてかすみんです!」

 

 そんな愛さんに一瞬呆気の取られた顔をするが、すぐさま切り替え平静を装ったかすみちゃん。

 

「璃奈ちゃんの件?」

 

 そして不思議そうに首を傾げたコウ先輩。

 

 そのまま愛さんに向けられていた視線がゆっくりと私の方を向き、愛さんはかすみちゃんの肩を抱いてコウ先輩の視界の端に寄る。

 

 ―――自分の口で、言わなきゃ。

 

 見つめる視線に答えるように席を立った私はコウ先輩のそばまで行き、向かい合うようにして立つ。

 

「璃奈ちゃん?愛が言ってた相談ってどういう……」

 

 そう問いかけるコウ先輩に応えるよう、両手をギュッと握り締めた。

 

 ―――どこかで、思ってた。

 

「その、私。来週の土曜日にジョイポリスでライブをすることになって、その曲作りをコウ先輩にお願いしたくて」

 

 ―――私を含めた同好会の全員が、心のどこかで思っていたこと。

 

「急な話でごめんなさい。だけど私、頑張ってみたくて。皆に、私のステージを見て欲しくなって」

 

 真っ直ぐな瞳で見つめるコウ先輩に、私の思いを伝える。

 

「―――来週の、土曜日?」

 

 見つめる先、コウ先輩は私の言葉に目を見開き、そう聞き返す。

 

「う、うん。来週の土曜日、ジョイポリスのステージで……」

 

 ―――彼なら、下海虹なら、きっと私たちの力になってくれるって。

 

 何かを考えるように顎に手を当て、押し黙ってしまうコウ先輩。

 

 他の同好会の皆もその姿に話の雲行きが怪しくなっているのを感じていた。

 

 ―――だからこそ。

 

 

「―――難しい(・・・)、かも知れない」

 

「―――え」

 

 ―――彼の口から出た言葉に驚きが隠せなかった。

 

 

 その場にいる誰も予想だにしなかった回答。

 

 その回答に焦った様子で席を立ち上がった侑さんと歩夢さん。

 

「こ、コウ!急なのは私たちも分かってるけど、何か手伝えることがあれば私たちも力になるからさ!」

「そ、そうだよコウくん!曲作り以外のことだって言ってくれれば私たち皆、力になるから!」

 

 そう言った二人に大きく頷いてくれる同好会の皆。

 その姿に何かを察したのか、焦った様子で両手を左右に振ったコウ先輩。

 

「そ、その違うんだ。ごめん璃奈ちゃん、俺の言い方が悪かった。璃奈ちゃんの曲が作れないとか。作曲が間に合わないとかじゃなくて……」

 

 そう言い、先ほどの発言を訂正するコウ先輩。

 しかし途中まで言いかけた言葉を引っ込め、再度何かを考えるよう押し黙った。

 

「……いや、結果的に、そういうことになるのか……」

 

 そう小さく呟いたコウ先輩は、観念した様子で顔を上げ。

 

「その―――」

 

 私たちに向け、気まずそうな、申し訳なさそうな表情で―――。

 

 

「―――パソコンが壊れて、作曲が出来なくなっちゃったんだ」

 

 ―――そう口にするのであった。

 

 

『え?』

 

『―――えええええええええ!?』

 





これぐらいのペースで更新していけたらいいなあ。

前回前々回と久々の更新でしたが、感想と評価いただけてマンモスうれピー。一瞬ランキングにも乗っててびっくりしました。30位ぐらい。

これも応援してくれる皆のおかげです。へへっ、ありがとよ。

基本的な更新の告知は目途が立った時に感想欄への返信のついでに乗せる予定なので、続きが気になる方は感想欄とか見るといいよ。書いてくれたら尚更いいよ。

お気に入り登録してくれるのは勿論ですが、感想や評価をいただけるのが一番のモチベーションになるからね。

※ちなみに「次話更新いつですか?!」みたいな感想だと規約上NGらしくて運営さんに存在を消されるらしいので、ヘマするんじゃねえぞ♡


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