正しい恋はどこだ? (嵯峨野広秋)
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新たな恋を

 告白成功率100%なのに、彼女がいない。

 その理由はわかっている。

 わかってて、ずっと、もがきつづけてるんだ。

 

「ごめん。ムリ。わかれよ?」

 

 一文字のムダもない、三連発のライン。

 またフラれた……か……。

 

「だよね。わかれよう」

 

 せいいっぱい強がった、タメ口かつポップな返事をうつ。

 進歩したな、と思う。

 最初のほうは、なんで! なんでっ? なんでっっっ⁉ と相手に泣きつくようなみっともない返事だったのに。

 今となってはじつに、あっさりとしたもんだ。フラれなれてきたかな。……よくない傾向だ。

 

「……」

 

 学校の帰り道の商店街。

 ケーキ屋のショーウィンドウに映る自分の姿。

 長身。七頭身半(ななとうしんはん)のスタイル。ほどよくひきしまった体。トレンドをおさえた髪型。母親似の大きな目。父親似の精悍(せいかん)な口元。

 ナルシストでけっこう。

 すっ~~~~~~~~~~~~げ~、かっこいーぜ! おれ!

 

「なにポーズつけてんのよ。アホか」

 

 バドミントンのラケットで、ハエたたきのように頭をたたかれた。

 ハラはたたない。

 こいつとは、つきあいが長いからな。

 

(ゆう)。部活は?」

「もともと今日は休み。んで、こうやってラケットふって自主練しながら帰ってるのよ」

 

 勇、とおれはもう一度こいつの名前をよぶ。 

 

「またフラれたよ」

 

 明日は雨らしいぞ、と言われたときのような「へぇ」。

 おれがなれてるように、こいつもなれている。

 なんせ、今回で13回目だからな。

 

「こりんのぅ」

 

 と、勇は年寄りみたいな口調で言う。

 ケースに入れていないラケットを、つえのようについた。

 

「三つ向こうの駅の女子高のコだっけ?」

「そうだ」ぐっ、とおれはボディビルダーみたいなポーズをとった。「まだ彼女とはデートもしてない。やるせないよ」

「いつ?」

「数秒前」

 

 あきれた、という感じで勇が真上を見上げた。

 

「私はね、(しょう)

 

 あいづちもうたず、おれはべつのポーズをとる。うん。カンペキな見た目だ。このまま石膏(せっこう)でかためてくれたら、きっとルーブル美術館に置かれていても違和感あるまい。

 

「失恋したらキズついて、ちゃーんと落ち込む人間でいたいよ。正みたいになりたくない」

 

 ガン‼ と鈍器でぶったたかれたような気がした。

 たしかに……それは、そのとおりだ。

 おれはポーズをやめて、幼なじみの勇に向きなおった。

 

「おまえはさ……彼氏とその……うまくいってるのかよ」

 

 待ってました、とばかりに「おかげさまで」と明るく言った。

 勇……この小憎(こにく)たらしい女子は、幼なじみの伊良部(いらぶ)勇。

 ショートカットで活発っていう、小・中・高、必ずクラスに一人いるようなタイプ。

 

「で、次はどうするの? わたしにチャレンジしてみるか?」

 

 ぴっ、と勇はあごに人差し指の先をあてる。

 

「おれは彼氏もちだけにはコクらないんだよ。それだけは、絶対的なルールだ」

「あ、そ」

「なあ……おれ、どうしたらいいと思う? 助けてくれよ、幼なじみとして」

「――って言われてもねぇ。なまじアンタは容姿がよすぎるから、減点法でキラわれてるだけじゃない?」

「減点?」

「アンタ、中身がスッカスカじゃん」

 

 ガン‼‼ と心に衝撃。

 

「勉強ダメ。運動ダメ。オンチ。絵がヘタ。自転車のれない。キャラの名前とかおぼえられないからドラマやマンガの話ができない。私服がださい」

「勇」

「えーと、あとゲームもヘタでしょ。ボウリングも。それと時間にルーズで、遅刻もおおくて……」

「勇!」

 

 真ん丸なネコみたいな目をほそめて、口に手をあて「ししし」と笑うそぶり。

 おれはつい大声になった。

 

「言いすぎだろ。親しき中にも礼儀ありだ」

「親しき〈仲〉ね。真ん中の〈中〉じゃないゾ」

 

 う……。

 なんでこいつ、おれの頭の中の字まで読めるんだよ。

 カンがいいというか、なんというか。

 おそるべき幼なじみだ。

 そして、まさかこいつが――妹――になろうとしてるなんてな……。

 

 ◆

 

「ただいまー」

 

 と勇と同時に口にした。

 おれたちの帰る家は同じだ。住宅地にあるふつうの一軒家。

 来年の春、おれの父親と、勇の母親が、籍をいれる予定で、このようにもう共同生活は開始している。

 

(あー、彼女がほしい!)

 

 おれはベッドにねころんだ。

 

(彼女だ彼女! おたがいをわかりあえるパートナー。……エッチなことは、とりあえず高校卒業するまではガマンするから)

 

 ガマンできる自信はある。

 なぜって、おれはつきあった12人の女の子と、手さえつないでいないんだから。

 つなげていない、というべきか、

 つなごうとする前の段階で、ソッコーで全員にフラれているから。

 

(おれ……もしかしたら、なんかの病気なんじゃないか? 異性にめちゃ嫌われるフェロモンがでてるとか)

 

 気になってきた。すごく不安だ。

 ネットで調べたいな。

 しかし、ウチはスマホを帰宅と同時に両親にあずけるシステム。したがって今、手元にない。

 パソコンもない。

 家に回線はある。

 安いノートぐらいなら買えるけど、「ろくな使い方しない」と、父親に持たせてもらえないんだ。 

 勇は持ってるのに。

 差別だ。男女差別。

「ろくな使い方をしない」っていうのは、きっと父さんがそんな使い方をしたからだと思っている。

 

 とととん

 

 と、この足音のリズム。

 勇が階段をおりる音だ。

 時間帯からして、その目的は入浴。

 

(かりるか)

 

 おれはためらわず、あいつの部屋を目指した。といっても、すぐとなりの部屋だ。

 

(すっかり女子の部屋になったな)

 

 一年前は、ただの物置き部屋だったのに。

 黄色をベースにした、なんともかわいらしい空間。

 中央にあるひくいテーブルの上に、目的のブツがある。さいわい、起動中でロックもされていない。

 画面はユーチューブのトップページ。サムネがならんでいる。

 長居無用。

 すかさず、検索して用をすませることにする。

 

(えーと、「嫌われる」「フェロモン」……)

 

 と、調べたところで、おれは地頭(じあたま)がよくないから、あまりスッとしない。

 オッサンの加齢臭みたいなものを女の子はイヤがるらしい、っていうのはわかった。

 おれ……加齢臭ある? 17才で?

 くんくん、とかいでみるが、無臭だとしか思えない。

 はあ……やっぱり、原因はフェロモンとかじゃないか……。

 ついでに、おれは「つ」と入力した。

 つらいときに元気が出る何か、みたいなことを調べようとしたんだ。

 

 おれは、フリーズした。

 

 文字を入れると、だいたい、スマホやパソコンっておせっかいになる。

「あ」→「ありがとう」とか、「り」→「了解」とかが、勝手に出てくるんだ。

 

(これ……勇がつかってるパソコンだよな?)

 

 検索ワードを入れるスペースで、「つ」から先回りして出された言葉。

 たぶんこれって――あいつが以前に検索したことのある言葉。

 

 

 連れ子同士_結婚できる?

 

 



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再告白の前ぶれ

 画面を見つめたまま、どれだけ時間が()ったかわからない。

 おれの出来(でき)のよくない頭を占めているワードは「連れ子」と「結婚」。

 ツレゴってアレだよな、一回結婚して、離婚した人がツれてる子どものことだよな?

 つまり「おれ」と、幼なじみで男勝りな女子の「(ゆう)」のことだ。

 それが「結婚」だって?

 勇のやつ……パソコンでなんでそんなこと調べてんだ?

 そこでいきなり、

 

 がちゃ

 

 とドアがあいた。

 心臓が、のどからとびでるかと思った。

 まさか勇⁉

 あいつって、(はや)風呂だったっけ?

 

「!」

「あれ? 正ちゃん?」

 

 抱くように洗濯物をもった、勇のお母さん――おれのお母さんになる予定でもある――が部屋に入ってきた。

 お、お、おちつけ。

 キャッカン的には、おれはただパソコンをさわっているだけだ。

 下着を漁ったりだの、ベッドをくんかくんかだのをやっていたわけじゃない。

 

「パソコンなんて、めずらしいね。なになに」お母さんの目が細くなる。この目。ネコのように愛嬌があって、大きさも形も、ほんとに勇そっくりだ。「えっちな動画とか見てたクチ~?」

 

 それだ!

 そういうことにしたら、おれがヘンな検索履歴をみつけてしまったことが、ばれないぞ!

 いけっ!

 

「そうなんですよ……はは……」

 

 アリバイづくりで、おれはエロい動画がめっちゃあるページにとんだ。

 とんだだけなのに。

 いったいどういう神様のイタズラが、発動してしまったんだろう。

 

「……ん……んっ、……こら、だめだってば」

「母さん‼」

 

 大音量で何かの動画の再生がはじまった。

 画面では、もうどうしようもないくらい〈からみ〉まくっている。

 

「あん」

「き、きもちいい?」

「ナマイキね。つ……、うっ、つ、連れ子のくせに……」

 

 洗濯物を床にぼろりと落とし、勇のお母さんの足が後ろに退()いた。

 

 ◆

 

 翌日は日曜日。

 おれは病院のロビーにいた。

 

「すこし、話をしようや」

 

 目の前にはシブいオジサン。ただのオジサンじゃなくて、家族のオジサン。おれの父さんのお兄さん。

 

「ずいぶん寒くなったなぁ……」

 

 ガラス張りの向こうの中庭をみながら言う。

 すこし雪がふっている。

 もう12月。クリスマスも近い。あと、あんまり考えたくないが、来週には期末テストがある。

 

(しょう)

 

 ひげを生やした顔に、刑事のようなロングコート。

 身長はおれと同じぐらい。

 この人が、ほんとまじでシブい。映画俳優みたいに。

 近くをとおった人が、撮影? とつぶやいて、カメラをさがすようにきょろきょろしている。

 確かにおれとオジサンのツーショットは、やばいぐらい()がきまっている。

 

「ばあちゃんのことだがな……」

 

 リアルな話題で、急に現実にもどされた。

 今、ここに入院している、おれのばあちゃん。おれの父さんのお母さん。

 まだ60とかだと思うけど、病弱で、おれが小学生のときからばあちゃんは入退院をくり返していた。

 オジサンはいう。

 今回は、覚悟しといてくれ、と。

 

「そんな……」

 

 目の前がまっくらになった。

 あの……やさしい、ばあちゃんが?

 甘やかしすぎだって父さんから注意されるぐらい、おれをたくさん甘やかしてくれたばあちゃんが?

 

「年末までには退院できるって……」

「できるさ。なにも、問題がなければな」

「そんなにわるかったんですか?」

「そんな気はしなかったか?」

「いえ――」

 

 今年の夏から秋にかけて、ばあちゃんは急にやせた。

 だから、だからおれは〈急がないといけない〉って思ったんだ。

 

 ばあちゃんを、安心させたい。

 

 それには(こい)

 想い想われの恋人を紹介することで、それができると信じてる。

 プラス、ぜひ未来のパートナーに、ばあちゃんに会ってもらいたいんだ。おれっていう人間を、つくってくれた大事な家族に。

 

 おれはバカだから、まちがっているかもしれない。

 そんなことしなくていいのかもしれない。

 でも……

 

「正くん。うわー、相変わらず、あんたは“イケメンさん”やねぇ」

「だろ?」

 

 ばあちゃんのベッドの横で、かっこよくポーズをきめる。

 オジサンはロビーに残ってる。

 今は先生も看護師さんもいない。

 部屋には、おれとばあちゃんの二人きりだ。

 ばあちゃんはうすいブルーの、浴衣みたいな形の服をきている。

 

「これならモテモテよね?」

「まあね」

「だったら――――」

 

 ばあちゃんは、ちょっとかすれた声で、こう言った。

 

「正くんの彼女に、一目(ひとめ)、会いたいなぁ……」

 

 不覚にも泣きそうになった。

 バカ。おれが泣いてどうする。

 元気づけるために、ここにきたんだろ。

 

「ああ! いいぜ! 今度……つれてくるよ。絶対。今度な。だから、さ」

 

 ばあちゃんは、うなずいた。

 そのゆっくりした動きと、ほほえんだ顔だけで、コトバはいらなかった。

「いつまでも待ってるわ」という気持ちが、はっきり伝わってきた。

 その()、先生たちが入ってきて何かやりはじめたので、邪魔になったおれは部屋を出た。

 

「勇」

「あっ」

 

 病院の廊下で、向こうから来たあいつと出くわした。

 伊良部(いらぶ)勇。

 昔から家族ぐるみのつきあいをしてて、とうとう家族になることになった幼なじみ。

 

「ばあちゃん、今なんか検査みたいなのしてるから」

「そう。じゃ、あとにしようかな」

 

 一階に移動し、自販機の横にある休憩スペースにきた。

 

「なんか飲むか?」

「いい」

 

 おれは缶コーヒーを買った。

 

「急いでよ……14人目」

「わかってるさ」

「わたしでもいいんだよ?」

「冗談はやめろ。おまえにはとっくに彼氏がいるだろ」

 

 コーヒーは、想像よりもだいぶ甘かった。

 おれはポエムみたいなことを考える。

 おれは〈正しい恋〉をさがしてる。

 一方通行じゃなく、どっち通行でもある、つよい恋心。それによって、おたがいが満たされた関係。

 好き↔好き、って状態のことだ。

 それをさがして、13人もの女子に告白に告白を重ねたんだが、おれの中身に魅力がまったくないせいで、どれもうまくいってない。

 

(時間がない、か……)

 

 ふっ、とかすかなため息をつく勇。

 シックなモノトーンのアウターに、あまり色落ちしてないデニムパンツ。

 おれほどじゃないが、こいつも、まあまあ……きれいな横顔のラインしてやがるな。あごや首回りに、ムダなぜい肉がついてなくて。

 体も、出るトコは出て……ガサツな性格のわりに女の子してるっていうか――

 

 連れ子同士_結婚できる?

 

 昨晩のあの画面がフラッシュした。

 

 連れ子同士_結婚できる?

 連れ子同士_結婚できる?

 連れ子同士_結婚できる?

 

「ええーーーい!」

 

 ばっさばっさと、頭のまわりを両手ではらう。

 

「……どしたん?」

「気にするな。ただの発作(ほっさ)だ」

 

 ちょうど近くをとおった白衣の人が、えっ、という顔でこっちを見た。

 ちがうんです、とおれはへらへらしてあやまる。

 

「おバカ。病院で、まぎらわしいこと言わないの!」

「はは……」

 

(まったく調子がくるうぜ。あんなものを見ちまったから)

 

 スマホがぶるった。

 この名前。

 最初に告白した子だ。

 ラインでみじかいメッセージ。

 

 

 わたしと、よりをもどさない?

 

 



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たとえ痛い思いをしても

 おれの告白には歴史がある。

 最初の告白は一年前の夏。

 

「つきあう?」

 

 半疑問形の、ちょいズルい感じのラインだった。

 そもそもの出会いは、おれの悪友(あくゆう)がセッティングしたコンパ。

 あきらかに〈好き〉って感じの態度をみせてて、おれのほうもわるくないなと思って、んで告白っていうものは男からするものだと思ってたから、その夜にラインでコクったんだ。

 結果成功。

 そして一週間後にフラれる。

 いま「よりをもどそう」ってメッセージしてきたのは、そんな女の子だ。

 

「ユウカって誰よ?」

 

 ぴとっ、と肩から二の腕に体をくっつけて、おれのスマホをのぞきこんでくる。

 

「本気かね~? (しょう)とよりを~? 正気じゃないね」

 

 さらに、画面の中に入ろうとするかのごとく、頭をぐーっとのばす。

 ショートカットのアホ毛の部分がおれの鼻先をくすぐった。

 プライバシーもマナーもおかまいなしに、指を下にすべらせて履歴までがっつりチェック。

 ねぇ、と首を回して(ゆう)の目が向く。

 

「一年以上も音沙汰(おとさた)なくて、いきなりこれ。意味わかる?」

「なにが?」

「ふつうにワナだよ。まー、ワナっていうか……ただ誰かをキープしたいだけの女。クリスマスも近いし。正って見た目だけはいいし」

「なんで『だけ』のトコだけ微妙にボリューム上げるんだよ」

 

 見た目だけはね、とまた言った。「だけ」をやけに強調して。

 勇が体をはなして、おれのスマホを指さす。

 

「会わぬが(きち)とみたゾ。おとなしく勇お姉ちゃんの意見をききなさい」

「おまえ、妹だろ」

「精神年齢じゃ上」

「おれは彼女を信じる。いつだって、女の子を疑うってのは最後の最終手段だ」

「それじゃバカをみるだけだって。いい? この件はスルーすべし! おけ?」

 

 おれは勇の後ろ姿を見送った。

 

 おけ

 

 と、おれはユウカに返信した。

 

 ◆

 

 幼なじみの勇はワナだと言う。

 たしかに、この恋は〈正しくない〉のかもしれない。

 

「おっはよー」

 

 こみあう駅の出口で、彼女が片手をあげた。

 おはよう、とおれもさわやかに返事する。

 登校デート。

 彼女はいきなり、おれと腕を組んだ。

 ハタからみたら立派なリア充カップルの誕生だ。 

 

「じっとしてて」

 

 と、おもむろにマフラーをこっちに伸ばす。赤いチェック模様のマフラー。

 

「よし、できた。いい感じ」

 

 おたがいの首と首をマフラーでつなぐスタイル。

 リア充オブリア充。

 よりをもどす、ってすげーな。

 こんな急接近する?

 おれがこの子にコクって、フラれるまでのみじかい期間ですら、こんなに親密じゃなかったぞ……。

 

「どうしたの?」

 

 うっ。

 さっそく顔色にでちまったか。我ながらウソのつけない男だ。

 

「な、なんでもないよ」とおれはとぼける。「今日も寒いね」

「そうだね」

「冬って寒いよね」

「……」

 

 ひさしぶりのこの感覚。

 実際に口に出されてはいないのに、つまんない、っていうのがアリアリの空気。

 そう。

 はっきり言って、おれは話し下手(べた)なんだ。

 会話で女の子を楽しませたことなんて一度もない。

 わるいことに――

 

「知ってる? 駅前にスイーツのおいしいお店がオープンしてさぁ」

「へー」

「……。あ、あのさ、今日の私の髪型どうかな? サイドを()()みにしてるでしょ? これ早起きしてがんばったんだよねー」

「早起きしたんだ」

 

 そっちじゃねぇよ、って表情になった。

 それは読み取れる。

 でもリアルタイムの会話でうまく〈読む〉ことができない。おもしろい話の流れや、相手の興味などを。すなわち、

 

 ――聞き下手(べた)でもある。

 

 おれが13回もフラれた原因は、まちがいなくこれだろう。

 沈黙が金、とばかりに彼女は静かになってしまった。

 記念すべき一回目の告白を受けてくれた彼女。

 

 朝比(あさひ)夕夏(ゆうか)

 

 先生のチェックにひっかからない程度に、すこしだけ髪を赤茶色にしている女の子。

 同じ学校の同じ学年で、クラスはとなり。

 

(ん? やけに、まわりを気にしてるな)

 

 きょろきょろと横をみたり後ろをみたり。

 まるで、誰かをさがすみたいに。 

 まあ、いいか。気にしない。

 せっかくよりがもどったんだ。

 おれは、この朝比さんを相手に、今度こそ正しい恋をつくってみせよう。

 

 ◆

 

「やったの?」

 

 そう言って、せわしない(はし)さばきで、弁当をパクパクたべる男。

 

「やってない」

「んはっ!」口から米つぶが飛び、おれの机についた。「ちょっ。わらわせんなよショー!」いつものように、歯の間からジェット気流のように空気をはきだして「ショー」と発音する。

 

 昼メシの時間。

 おれは食べもののにおいの満ちる教室で、友だちと弁当を食っている。

 

「じゃ、あのラブラブはなによ~? おかしーだろって」

「おかしいか?」

「やったべ」

 

 やってない、とまた言った。

 

「欲望のかたまりだな」

 

 と、これはおれのセリフじゃない。しゃべったのは紺野(こんの)で、一つ前のは児玉(こだま)

 わかりやすく、紺野は優等生タイプで、児玉は不良タイプ。ただしガチじゃないマイルドな不良。

 

「おれもやりたかったんだけどなー。案外、ああみえてガードがかてーんだよなー朝比ちゃんって」

「やめろ」

「もー、おこんなよ~コンちゃ~ん」箸をもったまま、となりに座る紺野と肩をくむ。「おれはショーを祝福してるだ・け・さ」

「それと『やった』となんの関係がある」

「男女の仲をもっとも深める行為がそれだからじゃんよ」と、紺野のほっぺを人差し指でおした。「まっ、やってないとしたって、親友が女の子とラバーになれたんだ。これが祝福せずにいられるか!」

 

 ちかくの女子たちから冷たい視線を感じる……。

 おれは児玉をなだめ、べつの話題にかえた。

 明日から期末だな、と切り出したら、いとも簡単にそっちの話になる。

 その日は下校のときも彼女といっしょで、またマフラーを恋人みたくつないだ。

 

(地獄だな)

 

 テストの出来(でき)が。

 留年しないように、なんとしても赤点だけは避けたいところだ。

 火曜日の今日から金曜日まで地獄はつづく。

 ……がんばるしかない。

 

「友達と予定入れちゃった! いっしょに帰れなくてゴメンね」

 

 と、さっきラインがきた。冷や汗の顔と、両手を合わせた絵文字つき。

 ふっ。今までのおれなら、おとなしくあきらめていただろうが……

 

(よし! ひげよし! 鼻毛よし! 眉毛よし!)

 

 男子トイレの鏡の前で指さし確認する。

 本日も、ぶっちぎりでおれはかっこいい。 

 

(もう、のんびりできないからな)

 

 強引にいくぞ。

「友だちより、おれとつきあえよ」――これだ。

 校門をすこし出たところで、一時間ちかく待った。

 学校の出口はほかにもあるけど、昨日もここだったから、きっとここを通るはず。

 

(あ。朝比さん?)

 

 小さな姿がみえる。

 一人きりだ。すこしうしろを見たが、誰も彼女についてきていない。

 

(友だちより、おれと――ちゃんと顔もキメて)

 

 シミュレーションしながら、おれは彼女のほうへ歩いていく。

 と、

 校門前に、一台の車がとまった。

 赤いスポーツカー。かっこいいデザイン。

 車は右向きで、ハンドルが奥の席……ってことは左ハンドルか。

 邪魔だな。

 思いっきり、校門前の通行をさえぎるようにとめている。マナーわりぃなぁ。

 あれじゃ彼女をとおせんぼして通れないぞ。

 

(あっ)

 

 なんか話してる。楽しそうに。

 そして小走りで車のうしろを回り、助手席のほう、つまりこっちにくる。

 

「あっ」

 

 おれに気づいた。

 彼女はひくく頭をさげて、運転席に向かって〈ちょっと待ってて〉のジェスチャーをする。

 

「あ、あれって……」

 

 にっこり、彼女は笑った。

 CGみたいな笑顔にみえた。

 なぜか背筋がゾッとした。

 

「あれ? お兄ちゃんだよ」

「え? ああ……そうなんだ」

「まじまじ。じゃ、いそぐから」

 

 自動的に体がうごいた。

 おれは彼女の手を、つかんでいた。

 

「信じていいのか?」

「…………」長めの無言のあと「……うざいなぁ」

 

 ばっ、と手をふりほどかれた。

 その手を赤い車に向ける。

 

「あれ彼氏。なんか文句ある?」

「いや文句とかじゃなくて……」

 長い髪を耳にかきあげる。不満そうな顔で。「クラスにストーカーっぽいのがいてさー、しつっっこいんだよねー。正クンとつきあってるのアピールしたら、そいつもあきらめるかなって思っただけ。それだけよ。いいじゃん。正クンも、そっちのがカッコつくでしょ? そんだけイケメンで彼女いないと、やばいやつかと思われるよ?」

「おれは……」

「ね? もうちょっとだけ恋人の演技して?」まっすぐおれの目をみつめて言った。「私もガマンするから」

 

 そのときおれの左で、黒い影がうごいた。

 イノシシのように朝比さんに突進していく。

 距離をつめ、その影は右手を斜め上に高々とあげた。

 あきらかにビンタのモーション。

 

「ふざけんなっ‼」

「やめろ! 勇!」

 

 おれはダイブするように、いや実際にダイブして、二人のあいだに割り込んだ。

 

 ばっちーん

 

 火花のちる景色。

 ななめに流れる青空。

 おどろき顔の朝比さんとしまった顔の勇がどっちもみえる視界。

 おれは、バドミントン部のエースのスナップがききまくった平手打ちをうけて、地面にダウンした。

 うすれゆく――いや、それほどでもないが――意識で考えていることは一つ。

 

 

 正しい恋はどこだ?

 

 



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あいつはノーガード

 ばたん、ぶーん、という音が頭のうしろで聞こえた。

 頭の斜め上では、(ゆう)がかみつく前のネコみたいな顔で遠くをにらんでる。

 

「おちつけよ」

 

 おれは地面にあぐらをかいたままで言った。

 

「ナイスビンタ。脳がシビれたぞ……いてて……。しかし仕上がってんなー、おまえの体」

「…………エッチな意味?」

 

 なんでだよ、とおれは立ち上がる。

 おれは177。幼なじみのこいつは157。その差はぴったり20センチ。

 

「ぶたれたのがおれでよかったよ。朝比(あさひ)さんにこんなハードなやつ、絶対にダメだ」

「あさひ……、あっ」

 

 何かを思い出したように、えんりょもなくおれの制服に手をつっこむ。

 くすぐったい。

 その動きがとまったかと思うと、

 

「ロック解除。ほら急いで!」

 

 スマホを警察手帳みたいにおれにつきつけて、そう言う。

 わけもわからず、おとなしくそうする。

 

「えーと、あさひあさひ……」

「なにやってんだ?」おれは画面をのぞきこむ。

「削除とブロック! あったりまえでしょ!」

「そこまでしなくても……べつに彼女、わるいことしたわけじゃ……」

 

 (しょう)、とおれの名前を言いながらこっちに向く。

 顔はマジ。

 

「しつこく言い寄る男子をおっぱらうためだけに『よりをもどそう』とかいって、実際はクルマ持ちの本命彼氏がいて、あまつさえ『私もガマンするから』とかぬかしやがったんだよ?」

「……」

「友だちとして、ガマンできなかった。つい……カーッって熱くなったのよ」

「だからって暴力はダメだろ」

「そこは同意する」スマホから片手をはなして、びゅん、と風を切ってビンタのようにふる。「あれ、まじで当てると思ってた?」

「え?」

「す・ん・ど・」その手が上に伸びて、おれのひたいを人差し指で押した。「めっ! だったんだから」

「説得力ねーよ。完全にフルスイングだったじゃん」

「はい。返す」

 

 手渡されたスマホをながめる。

 もう、ここには彼女のデータはない。たぶん。

 

「正。肩が落ちてる。ほら、ちゃんと胸はって。イケメンが台無しだゾ?」

「お、おう……」

「あんな子のことは忘れて、新しい恋をさがす。おけ?」

 

 スマホの真っ黒なスクリーン。

 そこに映るおれの顔。

 自信がよみがえってきた。ナルシストでけっこう。

 

「やっぱり、カッコいいぜ……ホレボレするよ」

「よしよし。正はそれでいいの。ねっ?」

 

 すこし首をかしげて、すこし笑った顔でいう。

 パシャッ――と心のシャッター音が鳴った。

 また、幼なじみの思い出の一枚が追加されたみたいだ。

 ショートカットの前髪が風になびいている。

 

「ところで勇、おまえ何してたんだ? めっちゃタイミングよく出てきたけど」

 

 ひく、と笑ったままでくちびるの端っこがひくついた。

 

「え? えーとねー、正の姿みかけたからスパイしてやろうと思って……」

「いつから?」

「いつからでもいいじゃん」ぷぅ、とほっぺがふくらむ。

「彼氏は?」

「あいつは自転車通学だよ。知らなかった?」

「でもたまに、駅までいっしょに歩いてるだろ?」

「ミョーに()めてくるねー」

 

 と、勇は歩き出す。

 学校から駅までは、だいたい徒歩10分。

 

「テストできた? って、できるわけないか。正は全教科、まんべんなく不得意だもんね」

「勇」

 

 おれは立ち止まった。

 

「……なに?」 

 

 おれは真剣にみつめた。

 まちがいない。これは。

 

「じっとしてろ」

「えっ」

 

 ウワサではきいたことある。

 でも実際に目にしたのは、はじめてだ。

 

「そのまま……」

「ちょっ。肩つかむなっ!」

 

 おれは勇のキャシャ――運動部のエースにしては――な肩をもつ手に力をこめる。

 

「こんなところに、いたんだ」

「アンタねぇ……」

「おれ。ずっとさがしてたんだよ」

「……」

 

 えっ。

 どうしてかわからないが、いきなり勇が目をつむった。

 気持ち、あごをあげて。

 

「いいのか?」

 

 ん、とかすかな息の音。

 

「ほんとにいいのか?」

「しつこい」と、ささやくような小声で言う。「いいから……正だったら……」

「おでこにテントウムシとまってるんだぞ?」

 

 ひぃっ⁉ と表情だけで悲鳴をあげた。

 

「とって! バカ! はやく言えっ!」

「はいはい」

 

 手をうちわのようにして、テントウムシに風を流すと、そいつはすぐに飛んでいった。

 珍しかったなぁ、冬場のテントウムシ。子供のころに読んだ図鑑に『成虫のまま冬を越す』って書いてたから、いっぺん見てみたかったんだよ。

 

「もういったぞ」

「もー」何度もおでこをさわりながら、うらめしそうな目を向ける。「バカ……」

 

 その帰り道、勇は話しかけても口をきいてくれなかった。

 

 ◆

 

 やっと期末テストが終わった。

 今、カラオケボックスにいる。

 

「災難だったな」

 

 友だちの紺野(こんの)と、

 

「女ってこえーよなー」

 

 児玉(こだま)

 二人とも、おれが朝比さんとエンを切ったことを知っている。

 その反省会というか残念会というか、今日のカラオケはそんな感じだ。

 

「女ってよぉ……」

 

 と、児玉がコースターがくっついたグラスをあげる。中はウーロン茶。

 

「あーあ。カラんなっちった!」

「飲み放題だからってどんだけ飲むんだよ」

「うるせーなぁ! だからおめーは女にナメられんだよ、正」インターホンをとり、「あー、ウーロン茶。ソッコーで」がっちゃん、と大きな音をたてて受話器をおく。

「おいカズ」と、紺野が見かねていう。「態度がわるいぞ。店員さんに失礼だろ」

 

 知らねーし、とどかっとソファに座った。

 店員さんがきた。

 ウーロン茶をおいて、空のグラスをとって部屋をでていく。

 

「うぃー」

「まてカズ」紺野が制止する。「正。ちょっと味見してくれ」

「えっ?」

「なんか、おかしい気がしてたんだ」

 

 グラスの中を一口のんだ。

 味は……ふつうのウーロン茶……か?

 

「いいか?」紺野がおれからグラスをとる。「あっ! やっぱりだ! これ酒はいってるぞ!」

 

 うぃー、と顔を赤くした児玉が返事ともつかない声をだす。

 

「ちょっと文句いってくる。……ただのミスとは思えねーな。こいつの態度がわるかったから、たぶんわざとだ」

 

 紺野がおこった顔で出ていった。

 おれは部屋に残り、児玉のとなりに座る。

 

「……ふーっ」

 

 なるほど、よくみるとちょっと顔が赤くて、息もヘンなにおいだ。

 

「大丈夫か」

「おーっ!」と、こぶしを突き上げる。

 

 室内は、誰かの曲が流れていた。女の人の、しっとりした曲。

 

「つれーよなー、正。おれ知ってんぜ? おまえがフラれっぱなコト……」

「つらくないよ。それに、フラれるのは全部、おれのせいなんだから」

「ちげー」児玉は片手で自分の顔をおさえて、首をふる。「ちげーちげー」

 

 おれの悪友、児玉和馬(かずま)

 前髪をツンツンさせた短髪で、黒くてふちの太いメガネをかけているという、ぱっと見ではスポーツマンなのか勉強できるヤツなのかわかりにくい男。

 

 モテる。

 

 おれが知ってるかぎり、こいつの彼女が途切れたことは一日もない。

 すなわち、一人と長くつきあうスタイルじゃないってことだ。

 

「正はなーんも、わるくねー」

「おい」

「なーんも、これっっっぽっちも」

「おいって」

「はぁ~、たくましい胸板(むないた)だぜ~」

 

 しゃべりながら制服の上着をぬがしてきて、おれの胸にほっぺをこすりつける。

 なんだこれは?

 これが〈酒グセがわるい〉ってやつなのか?

 

「おれ、もしかしたら、正のこと……好きかもな。くだらねー女なんかよりも」

 

 ぴたっ、と室内のBGMが停止した。

 

「くだらなくないだろ。おまえの彼女が聞いたら悲しむぞ」

「正!」

 

 トビウオみたく、クチをつきだしたあいつが、体ごとおれに飛びかかってきた。

 なんて情熱的なんだ。

 とっさにスマホでガード。

 デジャブ、ってコトバだっけ。

 前もこんなことがあった。

 朝比さんの次に告白した女子。あの子もカラオケボックスで、こんなふうに熱烈にアタックしてきたんだ。

 あのとき、もしガードなんかしなければ……

 

「んなことされたら、キズつくだろぉ~、正~」

 

 彼女をキズつけて、フラれることもなかったのかもしれない。

 でも、体が勝手にうごいたんだ。あのときも今も。

 児玉はともかく、あの子のことは嫌いじゃなかったのに。

 ふと、幼なじみの勇を思い出した。

 

「あれ」

 

 思わず声がでた。

 児玉はおれの膝をまくらにして、寝てる。

 

「あれっ?」

 

 もう一回イメージして、もう一回つぶやいた。

 何度イメージしても、結果は同じ。

 部屋にはノリのいいロックが流れている。

 

(あれ……?)

 

 

 勇がいきおいよく体ごと向かってくるのに、想像上のおれは、ちっともガードしようとしない。

 

 



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忘れものをとりに

 けっこうヤバかったかもな。

 まちがえて出されたとはいえ、高校生なのに飲酒してたんだから。

 結局、お店の人が本当にまちがえたのか、わざとだったのかはグレー。

 

「うげー。きもちわりー。いま帰宅」

 

 児玉(こだま)からラインがきた。

 ちょうど六時で、こっちもちょうど家についたばかりだ。

 五時ごろまで、おれたちは公園のベンチにすわって児玉の酔いをさますのにつきあっていたからな。

 

 コンコン

 

 ドアがノックされた。

 

「正ちゃん。お食事の用意ができてるわよ」

「……」

「もしかして、一人でいかがわしいことしてるのカナ? あら~若いわねぇ~」

 

 おい、と学習机の椅子にすわったまま言うと、ドアをあけて入ってきた。

 幼なじみで妹の(ゆう)

 白Tに黒いショートパンツという夏場みたいなかっこう。

 こいつは、冬でもこんな感じだ。部屋をカンカンに暑くして薄着(うすぎ)するタイプ。

 

「似てないんだよ。おまえの、お母さんのモノマネは」

「正ちゃん」

「だから似てないって……」

「コダマのヤツは大丈夫だったの?」と、みじかい髪を耳にかきあげる。

「ああ。帰宅したってラインがあった。でも……おまえ、ほんとに児玉には当たりが強いよな」

 

 あいつは女子の敵っ! と、ベッドのふちに腰をおろす。

 黒いショートパンツからのびる足はツルツルで、いかにも女子の足だ。

 

「めっ~~~ちゃ評判わるいんだよ? 女の子を泣かせまくってるって。一時期は五股(ごまた)もしてたっていうし。まあ……正の友だちでもあるから、あんまりひどいことはいえないけど。まじで、学校一のヤリチ…………」

「ヤリチン?」

「もう! ヘンなこと言わせるなよっ!」

 

 三文字目まで自分で言っといて、それはないだろ。

 気むずかしいヤツだ。

 こいつの彼氏も、きっと、こんなところに手を焼いているんだろうな。

 

「なあ勇」

 

 ん? と、おれをみる。ちょうど照明のかげんで、瞳がキラキラ光ってみえた。

 

「児玉は、いいヤツだぜ? そりゃあ女グセはわるいかもしれねーけど……フッたりフラれたりは半々だっていうし、とくに女に冷たいようにも見えない。それに、ウワサってやつは盛られるもんだからさ、おおかたフラれた側の女の子がわるい評判を立ててるんじゃねーの?」

「う……正にしては、いつになく冷静な意見じゃん」

悪友(あくゆう)とはいえ友だちだからな」

「こんだけ友だち思いで――以下省略」

「省略すんな。――どうして女にフラれまくってるのか、って言いたいんだろ?」

 

 おれは椅子から立って、勇のとなりにすわった。

 ぎしっ、とベッドがきしむ音がした。

 

「ちょっといいか。マジメな話をしても」

「へっ? 今ので(おこ)った?」

「ちがう。べつの話だ」

「えぇ……なんだろ……、あ、テントウムシの件なら、もう気にしてないよ?」

 

 決めに決めまくったキメ顔で、おれはいう。

 

「おれの胸に、飛びこんでくれないか?」

「は、はい?」

「ずっとモヤモヤしてるんだよ。頭ん中でおまえが、おれに何度も何度もキスしてきて」

「ちょっちょっ、タイム! わけわかんない」

 

 勇が爆速で立った。

 おれも負けずに立つ。そして両手をひろげる。

 

「こいよ。ほら。おれ……ちゃんとガードするから。絶対にキスさせない。だっておまえには、ちゃんと彼氏がいるんだもんな」

 

 とんできた。

 床のクッションが。

 鼻の先っちょにあたって、すこしツーンとする。

 

 勇は何も言わずに部屋を出ていった。

 

 あまりにも説明不足すぎたか……?

 大事な確認だったんだけどな、おれにとっては。

 それにしても、あいつ、そもそもなんの用があっておれの部屋にきたんだよ。

 ふつうの〈妹〉っていうのは、みんなこんな感じで、なんとなく兄貴の部屋に入ってくるもんなのか?

 

 ◆

 

 翌日は土曜日。

 うちの高校は、しっかり週6で授業がある。

 ありがたくはない。正直、週休二日にしてほしい。

 

(……と、今までのおれなら思っていたが)

 

 もうそうじゃない。

 おれは心をいれかえた。

 フラれたほうが負けってわけじゃないけど、負けっぱなしってのも芸がないぜ。

 ばあちゃんのこともあるしな。

 

(努力だ! 努力!)

 

 おれがフラれつづけた原因が、勇のいうとおり「中身がスッカスカ」だっていうんなら、中身をぎっ~~~しり詰めりゃいい。

 その努力だ。

 まずは、期末テストの補習の予習をする。

 はやくももどってきた英語のテストが、いきなり赤点だったからな……つまり補習確定。

 

(よし、がんばるぞ!)

 

 四時間目が終わって放課後になったあと、おれは図書室にきた。

 学校ジマンじゃないが、めちゃめちゃ豪華で広いところだ。

 本がたくさんあり、個別に仕切られた自習用の席が100はある。

 

「めずらしいな」

 

 背後から声がかかる。

 ふりむくより前に、なつかしいにおい。

 香水なのか柔軟剤なのかわからないけど、幼稚園のときの女の先生と同じにおい。

 なんかこのにおい……〈いい〉……んだよな。うまくいえないけど。 

 

小波久(こはく)。やっと勉強する気になったか」

 

 うなじで分岐した二本の髪を胸の前に垂らし、その髪が体のふくらみで盛り上がっている。

 スタイル抜群の文学女子。

 水緒(みお)さん。三年の先輩だ。

 おれが5人目につきあった人。

 

「小波久」

 

 おれのとなりの空席にすわる。

 

「私が教えてやろう」

「あ、大丈夫です」

「教科は英語か。なるほど英表(えいひょう)だな」

「だいじょ……」

 

 神速。

 まさに、カミワザのはやさだった。

 

「……んっ」

 

 先輩が吐息みたいな音をもらす。図書室っていうのを思わず忘れるぐらいセクシーに。

 一瞬でくちびるを奪われた。

 他人の目からは、そう見えるだろう。

 しかしおれは奇跡的な反射神経で、くちびるを横にずらしていた。

 つまり先輩があてているのは、おれの口の、数センチ横。

 

「またとれなかったか」

 

 至近距離で言う。

 水緒先輩の目は、すこしグリーンが入っている。

 

「すごくキズついたぞ。まったく……女心がわかってない男だ」

「すいません」

「あやまるな」

 

 視線をおれから外し、

 

「だが、彼女には〈してた〉ように見えただろうな。この角度だと――」

「えっ」

 

 横顔を向ける。

 その先には、

 

 

「勇」

 

 

 あいつがいた。

 

「勇!」

 

 なんで逃げるんだよ。

 おれは追いかけた。運動神経はあっちのが上だから、なかなか差がつまらない。

 

「勇って……はぁ、ちょっと、待ってくれ……」

 

 お情けをかけたように、立ち止まってくれた。

 こっちに歩いてくる。

 

「なにしてんの?」

「なにって、はぁ、はぁ、おまえが逃げるから」

 

 正面玄関ちかくのスペース。そばには身だしなみチェック用の大鏡がある。

 はぁ、はぁ、ふっ、息を切らしてるおれも、やっぱり、かっこいいな――とかいってる場合じゃない。

 

「忘れ物に気づいただけだよ。私が正から逃げるわけないじゃん」

「さっきの、見たか?」

「見てないよ」

「ウソつけよ。見ただろ?」

 

 あれはな、と誤解をとこうとしたとき、

 

「正も……コダマといっしょだ」

「え」

「女ったらし!」

 

 そう大声で怒鳴ったのとは反対に、勇の顔は笑っていた。

 ニッコニコだ。

 でもなんか、いつもの笑顔じゃない。

 

「あの人、三年でしょ? ははっ、やっぱり大人の色気があるよね~。私なんかと……ちがって」

「勇」

「さっ、忘れもの忘れものっ」

 

 楽しそうにつぶやきながら、勇は背中を向けた。

 その小さな背中と顔を同時にみてる。

 あいつは、ふりかえりもせず行ってしまった。

 顔をちょっと下に向けていたから、気づかなかったのか?

 おれにはぜんぶ、鏡でみえてたんだぞ。

 

 

 おまえが泣きそうだったのが。

 

 



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見たくないの向こうがわ

 めずらしいことはつづく。

 病室のばあちゃんからラインがきた。

 っていっても、ばあちゃんはスマホをもってない。(ゆう)のお母さんが代理でおくってるみたいだ。

 

 ――ばあちゃんは元気ですよ。

 ――気にしないでね。

 

 すかさず「お見舞いにいくよ」と返したが、「いいから」と返ってくる。

 そのラリーがしばらくあったあと、勇の話題になった。

 

 ――勇ちゃんはいい子よ。ほんとにいい子。

 

 おれは、そこで返せなくなった。

 スマホをポケットにしまう。

 おれ、最低だよ。

 その〈いい子〉を、ついさっきキズつけたばっかだ。

 

(しかしなんで……水緒(みお)さんはおれにいきなりキスしてきたんだ?)

 

 プラス、なんであの場につごうよく勇がいたのか。

 まるでキスの現場を見せつけるのが目的みたいに……いや、考えすぎか。

 おれはバカだが、バカなりに気をつけていることがある。

 それは〈女の子を疑わない〉ってことだ。疑うのは最後の最終手段。

 きっと、ただの偶然だ。うん。

 

 おろろ?

 

 図書室に荷物をとりにいって、食堂前のベンチになんとなく座っていたら、奇妙な声。

 このクセのある感じは……

 

「陽キャだ。陽キャがおる」

 

 小学生なみに背がひくく、さらに結び目の高いツインテールにしてて強調されてる子どもっぽさ。

 小学生にあがる前っていっても、通用しそうだ。

 

「部活、今日からはじまっておるぞ?」

「そうだっけ」

「正よ……おぬし、なんぞあったんか?」

 

 なのに、しゃべりかたはなんか年寄りくさい。

 見た目と中身にギャップがあるヘンな女の子。

 片切(かたぎり)さんだ。

 

「泣きすぎて、目がはれておる」

 

 えっ、とおれは目元を確認する。

 

「ほい、ひっかかった」

「いやおまえ……文化祭でやった老婆(ろうば)の役がまだ抜けてないのかよ」

「抜けるのに、半年はかかる」ぐっ、と片切はなぜか親指をたてた。「わしは憑依型(ひょういがた)じゃからの」

「そういやいつだったか、おまえの口調を勇がマネしてたぞ。あいつ、モノマネが好きだから」

 

 そんなことより、と片切はおれの二の腕をとった。

 

「部活にいくぞい。ほれほれ」

 

 両手で、よいしょ、よいしょ、とまるで大根を引き抜くがごとくがんばっているが、おれの体はうごかない。

 ちっちゃいながらもソフトな感触が、テンポよく二の腕にあたってくる。

 

「あんま……気分じゃないっていうか」

「ばかもん。そういうときにこそ部活じゃろが」

「うーん……」

 

 けっきょく押し切られた。

 第三校舎の三階に移動する。

 なんのヘンテツもない部屋の前にかかる、表札みたいなやつには、

 

 演劇部

 

 と、解読できないぐらいの達筆で書かれていた。

 すべての部活の中で、もっともおれにふさわしいと思える部。

 ただ、セリフのおぼえがめっちゃわるいから、まだメインどころの役は一回もやったことがない。

 

「うーっす……って」おれは部屋の中を見わたす。「誰もいないじゃん」

「それはそうじゃよ。今日は活動日にあらず!」堂々と胸をはって、両手を腰にあてた。「すこしばかしケイコをつけてやろうぞ」

「やっぱ帰るか」

「待て正よ」片切はこうしておれを「(しょう)」と呼び捨てる。違和感はない。こいつは一応、元カノだからな。「おまえを見ていていつも思うことがあってのぅ。おまえは――足りん!」

「足りん?」

「みよ、そこの鏡を」

 

 みた。

 そこにはスーパーイケメンがいる。

 ファッション雑誌でよくあるようなポーズをとってみた。

 モデルに負けないほど、かっこいい。

 

「な? 一目でわかる、モテモテの陽キャじゃろ? なのに、当の本人にモテのオーラがない」

「はぁ? オーラってなんだよ」

 

 ずばりいおう、とこいつが前置きするときは、いつもロクなことをいわない。

 今回もそうだった。

 

「おぬしはな……ドーテーくさいっ‼」

 

 ぱぁん、と見えないハリセンでたたかれたような感覚。

 すなわち音のみで痛くない。ダメージはない。

 片切はすたすたと窓際まで歩いて、カーテンと暗幕(あんまく)を手にとり、しめている。

 センサーが作動して、部屋の電気がついた。

 

「しょうがないだろ……そういうことしたら、カンドウされちまうんだから」

「感動か?」と、片手で涙をふくようなアクションをする。カーテンをしめきると、またおれの近くにきた。なんかラムネみたいな香りがするヤツだ。

「そうじゃなくて、エンを切るほうの意味」

 

 これは小波久(こはく)家の家訓だ。

 きちんと責任がとれるようになるまで、女の子とはするな。

 父さんも、その父さんも、そのまた父さんも、おれぐらいの年で女の子を妊娠させて、えらい目にあったらしい。……それは自業自得だと思うんだけど。とにかく、家の決まりでそういうことになっている。

 

 片切が、また一歩、身を寄せた。

 

「家訓など破るためにある。今日は誰もここにこない。な?」

「え」

「するぞ」

「え」

「女に恥をかかすな」

 

 押し倒された。

 おれの半分の体重ぐらいの、小柄な女子に。

 片切ははやくも制服の上着をぬぎ、赤いリボンタイに白いシャツの姿。黄色いブラジャーが、うっすら透けている。

 

「どうした正? おぬし……はやカンネンしたか?」

「片切」おれは彼女の目を、ひくい位置からまっすぐ見上げた。「これは正しい恋じゃない」

「……言いおる」

「照れかくしで演技すんのもやめろ。おれにはわかってんだぞ?」

 

 はぁ、とあいつが吐いた息で、おれの前髪があがった。

 

「ときどき、キミはするどいよ。正。私が、告白をオッケーしただけのことはあるね」

「おまえも、おれが告白しただけはあるよ。おまえなりの元気づけだろ? どうせ誰かから朝比(あさひ)さんのことを聞いたんじゃないのか?」

「ビンゴ」

 

 と、あいつはおれの頭をくしゃくしゃとやる。

 鏡でその乱れを直している間、片切はカーテンをあけにいく。

 その何歩目かで、ぴたりととまった。

 

「片切?」

「正。こい。はやく」

 

 高速の手招き。

 

「どうしたんだよ?」

 

 無言で、窓の外を指さす。

 そこには自転車置き場があって、生徒もそこそこいる。

 まちがいさがしも、メガネの人をさがす絵本も得意じゃないのに、ふしぎとすぐに見つかった。

 屋根と屋根の間に、その姿がみえる。

 

(勇)

 

「正。あの、勇ちゃんのうしろにいる坊主頭のアレは」

「彼氏だ」

 

 勇と同じクラスの野球部。

 人となりは、なんとなくあいつから聞いてる。おとなしくて紳士的――みたいに言っていたが……

 

「おろろっ?」

 

 片切が声をあげる。 

 自転車が横倒しにたおれた。彼氏のほうの自転車だ。そのままあいつの両肩をつかみ、強引に、背中を向ける勇をぐるっと回す。

 

「これは……やっちゃう流れ?」

「やっちゃう?」

「ドンカンだね、正」ちゅっ、とおれに投げキッスをした。「なんか、坊主くん、ちょっとおこってるように見えるなー」

 

 そりゃあ……自分の彼女が誰かに泣かされそうになったら、おこるのは当たり前だし。

 

「で、勇ちゃんもそんなにイヤがってない感じ。キスするかどうか、ジュースかける?」

「バカ」

「ほら、ゆっくり二人の顔が接近してる」

 

 おれは窓から視線をはずす。

 

「もう帰るからな」

「あーーーっ‼」

 

 びくっ、とおれのからだが緊張したのは、たぶんこいつの大声のせいじゃない。

 

「うわぁ……」

 

 おれの体はうごかなかった。

 すこし首をうごかし、すこし目線をうつすだけでいいのに。

 

「急展開。あっちゃー、あんなことになっちゃうかー」

「片切」

「ん?」

「その……勇のやつ、どうなったんだ?」

「知りたい?」

 

 知りたいと知りたくないがおれの心の中でケンカしてる。

 

「正。どうして自分の目で見なかったのかな?」

「……」

「じつは私がキミをフッた理由も、そのあたりにあるんだよ?」

 

 おれは演劇部の部室をでた。

 昨日の児玉(こだま)じゃないが、酒でも飲みたい気分だ。もし酒ってやつが、このモヤモヤをきれいに吹き飛ばしてくれるんなら。

 なにやってるんだ、おれは。

 大事な幼なじみをキズつけて、その幼なじみの彼氏をおこらせて、あいつらのキスから目をそらして。

 なにやってるんだ……

 

(かっこよくねー。これがおれかよ)

 

 帰り道で、ケーキ屋のショーウィンドウにうつる自分の姿は、どこかなさけない。 

 ……! いかんいかん!

 頭のよくないおれが落ちこんだところで、どうせラチはあかないんだ。

 せめてポジティブにいこうぜ!

 にっ、とまず笑顔をつくった。

 うん。わるくない。いい顔だ。

 

「いい顔だな。小波久(こはく)

 

 幼稚園のときの女の先生と同じにおいが、そよ風にのって流れてくる。

 みると、スクールバッグを後ろ手にもった水緒(みお)先輩が立っていた。

 相変わらず、この人と話すときは、視線をバストのほうに下げないようにするのに苦労するよ。

 

「明日、なにか予定はあるか」

「いえ。べつに」

「じゃあ私とデートだ」

 

 有無をいわせない強さで、水緒さんは断言した。

 ちょうど彼女の真後ろの高いところに、太陽がある。

 地面にのびる彼女の影さえ、おどろくほどスタイルがいい。

 

「いいな?」

「まあ……いいですけど」

「コースは私がきめる。小波久は体調をととのえておくだけでいい」

 

 そして、彼女はさりげなく言った。

 食べ物や飲み物を「一口ちょうだい」ぐらいの気軽さで。

 

 

「おまえの童貞をくれ」

 

 



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ハートはハダカになりたがる

 次の日のデートは、いきなりクライマックスだった。

 まちあわせの時間が夕方の5時っていうところから、あやしかったんだ。

 ラブホがめっちゃある通りに入って、そのうちの一つにチェック・イン。

 

(昨日のセリフ……まじに実現させる気か?)

 

 ちら、と盗み見る。

 三年の先輩、水緒(みお)さんを。

 土俵のような丸いベッドのふちに座る彼女を。

 

「どうした? ビビってるのか?」

 

 腕を組み、足も組み、挑発的な目つき。

 

「いや……ビビッてないですよ。おれも男ですから」

「ほら」と、ベッドを手でたたく。「こっちにこい」

「大丈夫です……ここで」

 

 おれは床に正座していた。Tシャツにパンツ一枚という姿で。

 

「立てない理由でもあるのか?」

 

 水緒さんの視線が〈一点〉に集中する。

 おれも意識を集中して、必死にあらがう。

 

(目をつむれっ! おだやかな海や草原をイメージして……)

 

 ちょっとおちついた、か?

 しかしハードな状況だ。

 男の本能が、どうしても反応しようとする。

 

「あの……」

「なんだ?」

「おれの体を、デッサンするためにここに入ったんじゃないんですか?」

「あれはウソだ」

 

 と、すがすがしく真顔(まがお)で言い切った。

 まったくこの人には、かなわないよ。

 読書家で芸術家。

 おれの5回目の告白をOKしてくれた、元カノ。

 

「相変わらず、おまえは疑うということを知らないな……」

 

 横顔を向けた。

 チャンス! じゃないけど、今のうちにじっくり見て見なれておこう。

 上下黒の下着姿で、ガーターベルトまで黒。もちろんガーターストッキングも黒。マニキュアも黒。ペディキュアも黒。どんだけ黒が好きなんだよ。

 長い髪を体の前に垂らし、首のとこで二つにわかれている。

 その髪の毛先は空中で、ふわふわゆれている。

 そのわけは、途中にある二つの丘――いや山――で、ぐーっと持ち上がっているからだ。

 

「水緒さん」

 

 む? と顔がこっちに向く。

 

「これは正しいことじゃないですよ……出ましょう」

「出る、だと? もう? 5分もたってないのに?」

「はい」

「すこしばかり――早すぎるぞ」

 

 にぃ、と口元だけで笑った。

 ?

 なんだ? どういう意味?

 

「冗談はさておき」

 

 間接照明で、水緒さんの右半分だけがオレンジっぽいあかりで照らされていた。

 

「説教の時間だ」

「説教?」せっ、と彼女が口にしたコンマ何秒の瞬間に頭によぎった予想が、みごとに裏切られる。「せ、説教ですか?」

「私にとっておまえ……小波久(こはく)(しょう)という存在は忘れものだったんでな」

 

 なんか言ってる意味がよくわからない。

 おれがバカだからという理由だけじゃないような気がする。

 

「ここじゃないとダメだったんですか?」

「小波久。人間、喜怒哀楽をつよく感じたときに記憶力も高まるものだ。これからする説教をおまえの胸にしっかりと刻むために、こうすることが最適だった。すなわち文字どおり……『一肌ぬいでやった』というわけだ」

 

 やっぱり、よくわからん。

 ヘンにさからわず、おとなしく話をきくか。

 

「ちょうど去年の今頃だったな、おまえが私に告白したのは」

 

 はっきりおぼえていないが、この人が言うのならそうなんだろう。

 

「どうして私を選んだのか、というヤボなことを聞くつもりはない。問題は〈私がおまえをフッた理由〉のほうだ」

「それは……おれ頭がよくないし、小説とか絵の話題にもついていけなかったから――」

「私もそう思った。美人は三日であきるというが、たしかに、三日ほどでおまえの美貌(びぼう)は気にならなくなったからな。そして、あまりの中身のなさに絶望したものだ」

「これ処刑ですか?」

「まあ聞け」

 

 手のひらをおれに向ける。

 

「下校デートで立ち寄った公園のベンチで、私はおまえにキスをしようとした」

 

 おれはそのときの記憶を思い出した。

 遠くで子どもがバドミントンをしてたっけ。 

 

「が、おまえはスマホでガードした。そうだな?」

「……はい」

「そのとき私はフッたんだ。『こんな恋人があるか』と怒鳴ってな。ふっ。一年前は……私も幼かったようだ」

「すみませんでした」

「あやまるな。しかし、今日の目的は(まさ)にそこにある。小波久。心して聞け――」

 

 

 なぜ、おまえはキスができない?

 

 

 ちっ、ちっ、と時計の秒針の音。

 壁にはカーテンのようにゆれるオーロラの絵。

 ぶーん、と鳴く冷蔵庫。

 

「それは……おれの家の決まりで……」

「ほう」

「一人前になるまで女の子とは〈するな〉って言われてるから……」

「〈するな〉っていうのは、セックスのことだな?」

 

 おれはうなずいた。

 

「キスのことではないな?」

「いやでも……そういうことって、ほら、だいたいキスからはじまるじゃないですか」

「なにをうろたえている? なら、私がはっきり言ってやろう」

 

 立ち上がっておれに近づき、ぺたんとおしりをつけて座ると、正座するおれの首筋に手を回した。

 

「おまえは、あの幼なじみが――」

 

 ◆

 

 帰宅した。

 その5分後ぐらいに、「ただいまー」と(ゆう)も帰ってきた。

 

「おまえも出かけてたのか?」

「なによ。いいじゃん。べつに」

「デートか?」

 

 すこし()があって、

 

「だよ」

 

 と二文字でこたえた。にひっ、という笑顔つきで。

 

「正もでしょ?」

「まあな」

「女の子と予定のない休日なんて、女ったらしの恥だもんねっ!」

 

 べー、と勇は小さな舌をだした。

 白いダッフルコートを脱ぎながら、おれの横を抜ける。

 いかにも女の子っていう、ナチュラルないい香りがした。

 

(まだ根にもってんのかな……)

 

 もともと、ネガティブなことをひきずらない、カラッとした性格のやつなんだけど。

 図書室でおれがキスされそうになったシーンを見たことも、しばらくしたら忘れてくれるだろう。

 あのときは……なんか泣きそうな顔してたけどな……。

 たまたまホコリが目に入ってツラかったとか、そういう可能性だってある。

 

(ふー)

 

 食事も終わってフロにも入って、おちついた。

 あとは寝るだけ――いや、

 

(努力なくして正しい恋は見つからないぜ!)

 

 おれはもっと中身のある人間になるんだ。その第一歩。

 父さんの部屋から一冊、本をかりてきた。タイトルは『竜馬がゆく』。

 まわりを観察すると、頭がいいヤツはたいてい本を読んでる。

 おれも、頭がよくなりたいんだ。話題の引き出しもほしい。

 きっとソンはしないだろう。坂本竜馬も、けっこう好きだしな。

 

(…………あっ)

 

 三ページ目ぐらいではやくもウトウトしかけたころ、クローゼットの中でスマホがぶるった音がした。

 忘れてた。ウチは在宅中は親にスマホをあずけるシステムなのに。

 まあ……今日は忘れるぐらいインパクトのあるイベントがあったからな……。

 メールがきてる。

 水緒先輩からだ。

 

(件名なし、本文なし?)

 

 なんだこれ。

 下にスクロールすると、画像がでてきた。

 

(おれじゃん)

 

 待ち合わせ場所で水緒さんを待ってるおれだ。スタジャンを着てマフラーを巻いてる。

 

(こっそり撮ってたのか)

 

 一人で立ちつくしてるときでも気を抜いてなくて、スキのないカッコよさ。ドラマのワンシーンのようだ……ってナルシストやってる場合じゃないな。

 なんでこんなの送ったんだ?

 おれはしばらくその画像とにらめっこした。

 ふと、玄関先の勇を思い出した。

 新しい雪みたいに白いダッフル。

 おれが立ってる場所のずっと奥に、人ごみにまぎれるようにして真っ白い一点がある。

 スマホを操作して拡大してみた。

 まちがいなかった。

 

 

 遠くからおれの様子をうかがう勇が、そこにいた。

 

 



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妹と妹

 おれもあいつも外に出かけていた日曜日。

 おれがラブホで説教されているとき、あいつは彼氏とデートしてたはずだ。

 なのに……

 スマホの画面を指でつまんで、もどして、をくり返す。

 

(やっぱり、ここにいるのは(ゆう)だ)

 

 ふわっとした黒髪のショートといい、身長といい、服装といい、まずまちがいない。

 

(デート行ったってウソだったのか? ちょっと本人に確認を――)

 

 って、待てよ。

 しれっとスルーしとくのがよくないか?

 それが正解だろ。

 それにこの写真は盗み撮りだし。フェアじゃない。

 いやでも……遠回しにさぐりを入れるぐらいだったら……。

 だめだ。

 おれのモットーは〈女の子を疑わない〉だっただろ?

 しかし気になる。なりすぎる。

 

(デートデートデート……)

 

 暗示をかけるように心の中で何度もくり返して、あいつの部屋の前まできた。

 こうなったら、あいつの口から今日のことを話してもらおう。

「デート楽しかったよ」ってひとこと言ってくれたら、きっとこのモヤモヤは晴れる。

 

(ん?)

 

 ドアごしに何かがきこえてくる。

 すん、すん、と鼻をすする音。

 ガキのころから元気のカタマリで、花粉症もないし、めったにカゼもひかないのに。

 あいつ……もしかして泣いてるのか?

 じゃあ、その理由って――――

 

(―――やばっ!)

 

 ドアの横につんであるダンボールに体があたってしまった。

 そのてっぺんにあった、バドミントンの大会のトロフィーが床に落ちる。

 けっこう派手な音がした。

 勇にもきっと届いただろう。

 

「……誰かいるの?」

 

 立ち聞きがバレた。

 いや、もともとそんなつもりはなかったんだが。

 返事もせず、おれは足りない頭をフル回転して、これからの展開を考える。

 ドアがあいた。

 

「やっぱ正か」あきれたっぽく言う。「なにしてたの?」と、いつもどおりの顔で首をかしげる。

「え、えーとな……これって正しいのかなって……」

「はい?」

 

 視線をはずした先に、ぴったりのものがあった。

 

「ドアのネームプレート! おまえ〈Y・O・U〉ってつけてるけど、これだとさ……ヨーじゃね?」

「いいでしょ、べつに」

「ワイとユーじゃないのか?」

「雰囲気だからいいの。こっちのほうが絶対かわいいじゃん」

 

 YOUの〈O〉の中には、蛍光ペンでニコニコした顔を書きこんでいる。

 たしかに、こっちのほうがめっちゃ勇らしい。

 てか、さっきまでの鼻すんすんはどこへ消えた?

 テレビか動画の音を、聞きまちがえたのかな。

 

「それもそうか。じゃ、これで……」

 

 おい、とパジャマのすそをつかまれた。

 身長差のせいで、あいつの胸の谷間がシャッと一瞬だけみえた。

 やや首回りのゆるくなった白Tにうすいピンクのショートパンツ。

 

「ほんとの用事は、なーに?」イタズラっぽく目をほそめる。

「いや……」

「ききたいことがある、って顔に書いてるよ?」

「まじか」

 

 わざとらしく、自分の顔をペタペタとさわってみせる。

 無言でジト目された。

 ユーモアとかお笑いの方面も、おれは0点だからな。

 あのな、と前置きして、

 

「今さ……なにしてた?」

「はい、兄貴失格」

 

 勇は胸の前で両手でペケをつくった。

 

「干渉しすぎ。ふらっと妹の部屋にきて、そんな質問していいのは小学生までだから」

「シスコンって言いたいのか?」

「シスコンっていうかオサコンっていうか……」あ、と勇は眉毛をあげる。「オサコンは幼なじみコンプレックスの略だよ。あしからず」

「おれはべつに……」

 

 勇がおれの腕をとった。

 

「ま。なにも出ませんけど、どーぞ」

 

 部屋に入れられる。

 あわい黄色をベースにした女の子らしい部屋。

 妹の部屋だ。年が明けて春がきたら、勇は正式におれの妹になる。

 クッションに座りながら問いかけた。

 

「デート、どうだったんだよ」

「気になるの」

「なるよ」

 

 みじかい時間、なんか勇の体がピタッと止まった気がした。

 あいつは学習机の前にいる。

 

「一応、おれはおまえの兄ちゃんになるんだからさ」

 

 ふーん、とつまらなそうにつぶやくと、机の引き出しをあけて何かを取り出した。

 

「ほれっ。今日は、これ見てきたよ」

「え……?」

 

 ローテーブルの上に置かれたのは映画のパンフレット。

 有名なマンガを実写化したっていう、いま話題のヤツだ。

 

「ま、まじか」

「そんなにおどろく? 正もみたかったの?」

 

 いや、おれがおどろいてるのは〈そっち〉じゃない。

 だいたい、こういうものは実際に映画館に行かないと手に入らないからな。

 

「まじでデートしたんだな?」

「……なんの容疑やねん」

 

 と、勇はおれの肩をシバいた。

 ちょっと笑ってる。

 はは……やっぱおれのトリ……なんだっけ、トリなんとか苦労だったわけだ。よかったよかった。

 勇、とおれは顔をしっかり見ながら言う。

 

「あれ……なんていうんだっけ。出会ったらヤバいっていう……自分とうりふたつの」

「ドッペルゲンガー?」

「それだ!」

「それが何?」

「無事でよかったな、勇」

「?」

 

 おれは立ち上がった。

 すると、出窓のとこにあるミニサボテンが目にとまった。

 白い、バドミントンのシャトルみたいな花をつけている。

 

「アンタこそ、どうだったのよ? もう彼女と最後まですませちゃった?」

「すませる? それってエッチのことか?」

「直球かよ……。なんのためのオブラートかわかんないじゃん。まっ、こういうのが正らしいか」

「してないぞ」

「えっ」

「おれは小波久(こはく)家の家訓をちゃーんとまもってる。心配するな」

 

 心配とかじゃなくて……と、うつむきながら言った。聞きとりにくい小声で。

 一秒か二秒後、勇は顔をあげた。

 20センチの身長差でおれたちは目を合わせる。

 

「そう。じゃあ、お赤飯はまた今度だね」

「そんなのいらねーよ。ふつうの晩メシでいい」

「なに言ってんの。お祝いはしてあげるよ? 幼なじみとして」

 

 お祝い、か。

 

「正にはじめての彼女ができたときも、私、シャンメリ買ってお祝いしてあげたでしょ?」

 

 その言葉で、そのときの光景を思い出す。

 おれの部屋で「カンパーイ!」と、あいつはふだんよりも明るい声で言ってたっけ。

 意外だった。

 勇だったら、怒るかと思ってたのに。「バカ!」って。

 ん?

 あらためて考えたら、どうして勇が怒るんだ?

 

「……おれもするよ」

「お祝い?」

 

 想像した。

 その最中っていう生々しい映像じゃなくて、彼氏がとなりにいて、おれににっこりと微笑む勇の姿を。 

 あまり祝福できるテンションじゃない自分を。

 

「いや。できないかもな」

 

 正直に白状した。

 正直すぎたか?

 ヘンな空気になるのを()けるために、おれはあわてて質問を投げる。

 

「そっちは、もうやったのか?」

「ひ・み・つ」

 

 つ、のところで、ちっちゃいジャンプをして後頭部をたたかれた。

 手加減がわかる弱い力だ。

 エッチ関係の話題は、こうやって勇はいつもはぐらかす。

 おれは部屋を出た。

 

(ひみつか)

 

 ドアのネームプレートをみながら考える。

 はぐらかさなかったとしても、それはそれで困るのかもしれないな、と。

 

 ◆

 

 次の日の朝。

「ゆう」からラインがきた。

 幼なじみと同じ名前の女の子。

 

 ――駅で会えません?

 

 と、いう内容。

 待ち合わせの場所以外に、詳細はない。

 おれは家を早めにでて、学校がある駅の一つ手前のその駅に向かった。

 

(ゆう)ちゃん」 

「センパイ‼」

 

 まわりの視線も気にせず、情熱的なハグ。

 彼女の両足が宙に浮くぐらいのいきおいで。 

 

「会いたかった……センパイ! やっぱりセンパイは死ぬほどかっこいいですっ‼」

「はは」

 

 おれは苦笑いをかくしつつ、優ちゃんにきく。

 

「兄貴は?」

「ぶー。今はあんなヤツはいいんですぅ」

 

 そう言って、ほっぺをふくらませた。

 この子の兄は、おれの友だちの紺野(こんの)

 この子は、おれが告白した7人目の女子。

 

「えーと、じゃ彼氏は?」

 

 もちろん、この子もおれをフッている。

 理由は〈幼なじみにコクられた〉から。

 それなら、と、おれはむしろよろこんで身を引いたんだが……

 

「わかれました。でも……ヤツとは、ひととおりすませましたからっ‼」

 

 ぶー! と頭の中のおれが液体状の何かを口から吐いた。

 す、すませた、だと⁉

 

「もう一人前のオンナなんです。センパイ――」

 

 駅前はまあまあのビル街。

 ビルの間をふく強風が、彼女のポニーテールをくるりと回転させた。

 目の前にいるのは、中三のポニテ女子。

 胸の前でお祈りのように手を組み、人目も気にしない大声でこう言った。

 

 

「抱いてくださいっっっ‼」

 

 



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言う?

 かつて、ここまでまっすぐセマられたことはなかった。

 つきあってた子たちからは、一度も。

 おれの元カノ、13人もいるのに。

 理由は単純だ。

 女の子が「そういう気持ち」になる前に、おれの内面のイケてなさがバレて、全員にフラれてきたから。

 

「え?」

 

 おれは、その場しのぎをする。

 聞こえているのに聞き返すっていうベタなやつ。

 

「もー」

 

 (ゆう)……いや、(ゆう)ちゃんは、おれの首のうしろに手を回してうなじをぐーっと引っぱる。

 強制的に頭の位置を下げられ、彼女と顔が近づいた。

 優ちゃんはおれの耳にくちびるをあてて、

 

「…………抱いてください……っていったんです。聞こえてたくせに……」

 

 ぶわぁぁぁっ、と肩から背中にかけてゾクゾクが走った。

 体ってふしぎだ。

 ふだんと同じ声なのに、耳とゼロ距離でやられたら、こんなにもセクシーに聞こえるなんて。

 男の本能が――くっ!

 そ、その場しのぎを、もう一発だ!

 

「こうかな?」

 

 おれは優ちゃんの左右から腕をまわして、よわいハグをした。

 抱く(イコール)ハグ。

 駅前で、めっちゃ朝のラッシュの時間帯。

 スーツの人も学生もたくさんいる。

 じろじろみられて恥ずかしいが、背に腹はかえられない。

 

「……」

 

 優ちゃんはなにも言わない。

 ハグを解除して、正面から彼女を見つめてみる。

 おれの仲のいい友だちの妹の、紺野(こんの)(ゆう)

 風のイタズラで、この子のポニーテールが垂直に、鬼のツノみたくにょきっと伸びた。

 

「まっ、いいでしょ。前菜ってことにしてあげます」

「え?」

「で、これからどうします? ホテルに直行します?」

「いや……」おれはキラキラした彼女の目から視線をはずした。「学校に直行するよ。おれ、成績がわるいぶん遅刻や欠席はしたくないからさ」

 

 へー、と優ちゃんはつぶやく。

 じゃあ、と片手をあげるおれ。

 その、だいたい15分後――

 

「緊張するー!」と、うれしそうな声。「ヤバいぐらい目立ってる! ほら、みーんなこっちをみてますよ、センパイ‼」

 

 駅から学校へのルートは、この時間帯、生徒でびっしりだ。

 いうまでもなく〈おれの学校の生徒だけ〉でいっぱい。

 こんなとこに他校の制服の子がいたら、そりゃあ目立ちに目立ちまくる。

 しかも優ちゃんが着てるのは有名女子中学の真っ赤なブレザー。通称〈(あか)ブレ〉。

 

「よう、正クン。朝っぱらからやるねー」

「やっぱすげーよ、正クン」

「となりにいる子って、ひょっとしてアイドル?」

 

 歩いていると、おれの知り合いから何回か声をかけられた。

 そのたびに、となりで「えへへ」と照れ笑いした優ちゃん。

 まるでカノジョのように。

 

「最高です。みんなオトナにみえますし。あーあ、わたしもはやく高校生になりたいなぁ」

「今の学校は楽しくないの?」

「ぶー。そういうことじゃないんです、センパイ。ここはですね……『優。おまえ来年は、もちろんオレの高校にくるんだろ?』……これですっ! これで即落ちですよっ!」

 

 声が大きいって。

 ただでさえこの子の赤ブレは注目されるのに。

 ちょうどここから校舎の大時計がみえる。

 おれはハッとした。

 

(この時間は、よくないな)

 

 あいつがくる。

 おれは優ちゃんと向かい合った。

 

「じゃあ、このあたりでいいか? もう登校デートは楽しんだだろ? ほら、はやくもどらないと、そっちが遅刻しちゃうよ?」

「えー。もう期末も終わったし授業もおさらいばっかだから、そんなの気にしなくていいですよぅ」

「でも、優ちゃんは学校の中には入れないし……」

「本命の女の子がいるんでしょ?」

 

 きっ、とにらむような強い目つきになった。

 友だちの妹だし、二つも年下で〈かわいい〉というイメージしかなかったから意外。

 

「わたし……じつはプライドがキズついてたんです」

 

 赤ブレの、赤いリボンが北風でゆれた。

 多めに下ろしている前髪も、すこしななめに流れた。

 

「だってセンパイ、あのときよろこんだじゃないですか」

「あのとき?」

「動物園でフッたときです。忘れません。わたしが『幼なじみとつきあうから』って言ったとき――」

 

 今年の春のことだ。たしか入り口のそばにあった桜は満開だった。

 フラれたのはアルパカの前だったと思う。

 おれは急に「幼なじみ」って言われて、びっくりして、勇を思い出して、なんかホッとしたのをおぼえてる。

 彼女の言葉にウソはない。

 あのとき、たしかにおれは〈よろこんだ〉んだ。

 

(それは申し訳なかったけど……そろそろ、あいつが登校して―――)

 

「センパイ? きいてます?」

「うん、ちゃんときいてるさ。わかってるよ。あのときはほんとごめん。まじでごめん。あのときのおれはバカだったんだ」と、不自然なくらいの早口で言う。「じゃあ、そういうことで……」

「センパイ。また、わたしのプライドをキズつけるんですか?」

「優ちゃん」おれは最高のキメ顔をつくった。「そんなつもりはないよ。おれは優ちゃんとも(ただ)しく恋愛ができると思ってる」

「え⁉ は、はい……」

「でもそれには時間が必要だ。おれは心の底から愛している子じゃないと、そういうことはできない」

「ぶー。テイよくフッてる流れじゃないですかー。やっぱり、センパイくらいカッコいいと、二番手ぐらいでガマンしなきゃなのかー」

「駅までの道はわかる?」

「……おっぱらう気マンマンですね」

 

 優ちゃんが、頭に〈!〉がみえるような表情になった。

 目をぱっちりひらいて、ちょっとアヒル口になって。

 イヤな予感。

 

「んじゃ、『あいしてる』って言ってください」

 

 ふくみ笑いのような、年下の女の子らしいチャーミングな表情をうかべている。

 おれが言うのか?

 しょうがない。

 

「あいしてる」

「だめです。もっと心をこめてください」ぱちっ、と優ちゃんはウィンクした。「合格したら、わたし帰ります」

「……あいしてる」

「まだまだ。センパイ、演劇部でしたよね? もっとできるんじゃないですか~?」

「あい……してる」

「ボリュームをあげてみて、いっそのこと絶叫系でいきません? わたしの名前も呼んでください」

 

 おれは覚悟をきめた。

 お望みどおり、叫んでやるさ。

 まわりにはそれなりに生徒がいるが、そのぶん雑音だって多いからな。

 

「優! あいしてるぞ!」

「……」

 

 こんなことがあるのか。

 あれだけワイワイガヤガヤでうるさかった周囲のノイズが、おれがしゃべる一秒前に、なぜかピタッととまった。

 おかげで、ひびきにひびく愛の告白。

 

「……」

 

 無言の視線。

 これは優ちゃんのじゃなくて。優ちゃんは、今、ほっぺをおさえて恥ずかしそうにうつむいているから。

 この「……」は、あいつ。

 無表情で感情はわからない。

 

「勇」

「また名前を……ステキですセンパイ。やっぱり、センパイは死ぬほどかっこいい……」 

 

 おれの胸におでこをあてる優ちゃんの向こうに、じーっとおれをみている勇がいた。

 

 ◆

 

 今日の体育は大ハズレだ。

 マラソンって。

 校舎の外周を走るだけって。

 が、それよりなにより、おれは運動神経もスタミナもないから、めっちゃ苦痛。

 うっ……昼にたべたものが……

 

「大丈夫?」

 

 大幅にペースダウンして走っているおれに、うしろから声をかけてくれた女子がいる。

 ほかの組の女子も、いっしょにマラソンしてるみたいだからな。

 

「だ、だいじょうぶ、さ」

「ムリしないで」

 

 と、背中に手をあててくれる。

 おれは立ち止まって、ふりかえった。

 

「あ。勇の……」

「うん。やっと気づいた?」

 

 マリカワさんだ。

 バドミントン部で、勇とダブルスを組んでる女子。

「マリ」の字はボールみたいなヤツの「マリ」。カワはシンプルなほうの川。おれにはむずかしすぎて、マリを漢字で書けない。カタカナをイメージして、いつも「マリちゃん」と呼んでいる。

 どこかお嬢様っぽい感じの子だ。長い髪の毛先をカールさせてる。

 ちなみに、友だちの妹に手をだしたおれでも、幼なじみの親友である彼女には――さすがに――手を出していない。

 

「ちょっと、お話がしたかったの。ちょうどいいタイミングね」

 

 マリちゃんは髪をかきあげた。

 一点のスキもないキレイ系の顔立ちだ。

 もし彼女が勇と無関係だったら、告白してたかもしれない。

 

「元気がないの」

「えっ」

「勇のこと。さっきの昼休みも、あの子のクラスをのぞいたら、一人で机に……なんて言うのかな、寝てるっていうか」

「つっぷす?」

「そうそう。机につっぷして寝てて。なんだか勇らしくないなって。小波久(こはく)くん……心当たりはない?」

 

 ある。

 あるけど……、おかしな気もする。

 勇にはもう、りっぱな彼氏がいるんだ。

 なら、おれがほかの女の子とどうこうしたところで、ヘコんだりするわけがない。

 

「さ、さあ……彼氏とケンカとかじゃないかな? それか、テストの成績がわるかったとか」

「うーん……」

 

 マリちゃんは首をかしげ、右手の指先をかるくほっぺにあてる。

 指にはいくつかテーピングがしてあった。

 運動部で努力してる人の指だ。

 おれは目をつむって、机につっぷす勇の姿を想像した。

 

(もし落ちこんでるんなら……その理由は……)

 

 だめだ。

 頭からケムリがでる。

 たくさんの糸が頭ん中でからんでる。

 その糸のからみを、マリちゃんが一刀両断にしてしまった。

 勇はね、と小声で口にしたあと、まるで秘密をうちあけるように彼女はこう言った。

 

 

「あなたのことが大好きなんだと思う」

 

 



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わかれる予定

「おれは、キミのことが大好きなんだ……と思う」

「こらっ!」

 

 丸めた台本でかるくたたかれた。

 

「そんなのセリフにないでしょ! 勝手に『と思う』とか付け足さない!」

 

 すいません、とおれは頭をさげる。

 放課後。

 演劇部のおれは、校舎の地下にある多目的ホールの舞台にたっていた。

 

「どうしたもんかねぇ。正ちゃんのセリフおぼえのわるさは」

「はは……」

 

 台本で胸のあたりをグリグリされながら、そんなことを言われる。

 この人(エス)()が強いからなー。

 下側だけにふちのある赤いフレームのメガネをかけた、165センチぐらいのすらっとした女子。

 この人が演劇部の三年の部長だ。

 そういうヒトしかこの部にいないってわけじゃないけど、部長も顔面偏差値がそうとう高い。……おれには負けるけどな。

 

「うーん。ちょっと正ちゃん、いったんケイコからはずれよう。そのへんで休憩してちょ」

 

 おれは舞台のそでに移動した。

 はぁ……またこのパターンかよ。

 いったんメインどころに組まれるものの、やっぱりダメだと言われてはずされる。

 あーあ……

 

 ――思う

 ――と思う

 ――大好きなんだと思う

 

 頭の中では輪唱のように、体育のときに聞いたアレが回りに回っていた。

 このおかげで、さっきのセリフもトチったんだ。

 はぁ~……っ! いかん! もうため息はやめよう。 

 

「飲むかい?」

片切(かたぎり)

 

 同じ部の元カノが、ペットボトルの水をもってきてくれた。

 頭の高いところで結んだツインテール。身長も体重も小学生なみのミニな女子。

 

「サンキュー」

「ノー」一瞬でペットボトルをひっこめた。「正しい発音はこう。サンキュー」

「おれには、そんないい発音はできないよ」

「ふふ」

 

 壁に背中をつけて三角座りするおれに、片切は水を投げた。ちょうどそれが、ひざとひざの間にスポッとはいる。

 

「おまえはなんか役もらえたのか?」

「もらえたよ。ストレッチしよ」

 

 おれの正面に同じように座って、おれの両手をとる。

 

「嫌われ者のイヤミな帰国子女の役。ピッタリでしょ?」

「……だな」

「実際、私ってクラスで浮きまくってたからね~。あざといツインテに、あざとい演劇部でさ」

「部活は関係ねーよ」

「一番デカかったのは、みんなより〈一つ年上〉ってところだったかな。海外に一年間留学してたから、ま、しょうがないんだけどね」

 

 そう。

 片切は年齢でいえば、おれよりも上。

 

「クラスに親しい友だちもいなくて……そこで正だよ」

「えっ?」

「去年の文化祭のあと、キミが告白してくれて、私たちつきあいはじめたでしょ? あれでさ、だいぶ風向きが変わったんだよね~」

 

 それは初耳だ。

 

「クラスのみんなの見る目が変わった。で、壁がなくなったみたいに、気軽に話しかけてくれるようになって」

「うん」

「だから正は」ぐぃぃぃ、っと片切は両手をひいた。「私の恩人。ね? 今みたいに落ちこんでたら、いつだってなぐさめてあげるんだから」

 

 そう言って、ぐっ、と親指をたてる。

 いいこといってくれるぜ。

 おまえは、いい元カノだよ片切。

 やがて舞台での練習も終わって、ジャージ姿の演劇部がひきあげていく。

 

「正ちゃん」

 

 背後から部長に声をかけられた。

 

「すまんな。役をはずして。なんていうか、クリスマス公演のあれはな、ぶっちゃけ『セリフ忘れました』の空気が出たら完全にオシャカになるタイプのシリアスな芝居だから……」

「わかってます。おれバカですからね。もっと勉強しますよ」

「おお、なんとキュンとくるポジティブ!」

 

 部長は両腕で自分を抱きしめる。

 がこん、と音がして照明が落ちた。

 青っぽいライトだけになる。部長の向こうに、ずらっとならぶ無人の観客席がみえる。

 

「正ちゃん、その代わりといってはなんだが、一つ提案がある」

「はあ……」

 

 なんだ?

 このタイミングで退部をすすめられるなんて、ないよな?

 

「ほかでもない」

 

 ドゥロロロロロ……とスピーカーから音。ドラムロール。

 えっ?

 なにこれ?

 サプライズかなんかか?

 

 ドラムがとまった。

 

「一人芝居をやれっ‼」

 

 うぇーい、とわきにかくれてたみんなが拍手しながら出てきた。

 照明もついた。

 さらに部長は言う。

 

「テーマは〈告白〉! おまえが大事な誰かに告白をする芝居なのじゃあ~~~‼」

 

 じゃあ……じゃあ……じゃあ……と、長引くエコー。

 やまない拍手。

 ことわれない空気。

 もう、やるしかないみたいだ。

 それはいいよ。

 一人芝居はいいし、テーマが告白ってのもいい。

 問題はひとつだけ。

 告白の相手って――だれ?

 

 ◆

 

「よかったじゃない、正」となりを歩く片切がいう。「ダイバッテキだよ? まあ……日ごろから正のエチュードのうまさには、みんな一目(いちもく)おいてたからね」 

「エチュードって……あの、好き勝手やっていいやつ?」

「そう、即興の劇。自覚があるか知らないけど、正ってアレ、天才的なんだから」

 

 たしかに、いつもおどろかれる。

 ナチュラルすぎて、びっくりするんだ。

 素直にやってるだけなんだけど……セリフを思いつかないときは「思いつかねー」とか言って。

 

(それどころじゃないけどな)

 

 今は「大好きだと思う」発言で、まだ心がゆれている。

 

「クリスマス、楽しみだな~」

「はは……」

 

 学校から駅までの道を、片切と二人で歩いている。

 あたりは、まあまあ暗い。

 冬は、夜になるのがはやいからな。まだ7時にもなってないと思うけど。

 

「チカンがでたら、ヘルプだよ正」

「でねーよ。そんなん……」

 

 と言いつつ、心配だ。

 こいつを一人だけで夜道を歩かせたら、どんなイレギュラーがあるやら。

 彼女でもないのにツーショットで下校する理由の、大部分はそれだったりする。

 

「ほう。前をいくのも、私たちと同じくカップルのようじゃのう」

老婆(ろうば)の役はいいよ、片切…………っ⁉」

 

 あれは。

 チャリをひく男子と、その横をあるく女子。

 あのシルエット。

 (ゆう)だ。

 

「やっぱり、あの子は正の幼なじみちゃんだったか」

「片切」

「ん?」

「なんで早歩きになってんだよ」

「ムフフ」

 

 簡単なことだ。

 ぴっ、と手をひけば、片切の(いさ)み足はとめられる。

 なんだかんだ、ついていってるおれって……。

 

 会話がきこえる距離に入った。

 

「……本気?」

 

 これは勇の声。

 おれと片切は、勇のすこしうしろで、ニンジャのように気配を消していた。

 

「ほんとに……本気なの?」

「ああ。おれ、もう決めた。家族も、その日は旅行で、家には……誰もいないから」

「でも」

「勇ちゃん!」

 

 男のほうが足をとめた。

 反射的に、おれも片切もスクワットのようにして体を落とす。

 

「おれ、勇ちゃんのこと、まじで好きだから」

「……うん」

「つきあって、そろそろ一年以上になるだろ? 勇ちゃんが好きだから……ずっといっしょにいたいと思うんだよ」

 

 どっ、どっ、と力強く全身に血がめぐるのを感じる。

 盗み聞きのうしろめたさもどこへやら、一言(ひとこと)も聞き逃すまいと必死になっている、自分がいた。

 (いの)ってる自分もいる。

 祈るって、なにを?

 クリスマス公演のことで、神サマが頭に残ってるからか?

 

「クリスマスの日。お、おれの」

 

 勇と彼氏が、10センチぐらいの身長差で向かい合っている。

 影絵のようで、彼氏の口元だけが、パクパクとちいさく動いている。

 その動きが、急に(はや)くなった。

 

「家にきてくれないか!」

 

 言った。

 いくらニブくてもわかる。

 それってそういう意味だって。

 バカなおれでさえわかったんだから、勇にわからないわけがない。

 

(返事は……?)

 

 ちょうどそこで、原付が横をとおりすぎた。バリッバリにエンジンをふかして。

 

(えっ? おい! 勇はどう答えたんだ?)

 

 ふたたび二人があるきだす。

 追いかけようとすると、

 

「ダメ。なんか警戒されてる。じっとしてて」

 

 片切がおれのそでを引く。

 しかたなく、しばらくそこで待機した。

 もう二人の姿は見えない。

 

「片切……きこえた?」

「パードン?」

「まじで」

「うっ……そんな真剣にならないでよ。かわいい冗談じゃん」

「どうだった?」

「きこえてない」

 

 片切は断言した。

 ふざけるのが大好きなこいつの言うことだからあやしいが、ここは信じよう。

 片切も女の子だ。おれは〈女の子は信じる〉ことにしている。 

 ただね、と、そこに思わぬ追加情報があった。

 

 

「ほんのちょっと、うなずいてたような気もする」

 

 



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考えるよりも、はやく

 幼なじみのクリスマスの予定がうまる瞬間に、立ち会ってしまった。

 もちろん相手はおれじゃなくて。

 ()がわるくて返事を聞きのがしたのが、残念、というか気になるというか……。

 

(でも、かりに返事を聞いたとしても――)

 

 おれには関係なくないか?

 ドラマみたいに「やめろよ」なんて言うわけじゃないし。

 

「正。さっき、なんでコンビニ寄ったの?」

「いや……あのまま駅にいってたら、ハチあわせてたからさ」

 

 片切(かたぎり)の目が細くなった。

 赤いマフラーを少し口元から下げて、

 

「ハチあわせても、いいじゃん」

「気まずいだろ。幼なじみに、彼氏といっしょのところを見られるのって」

「そーかなー」

 

 じゃね、と片切はかるく手をふって、階段をあがっていった。

 ここは駅の中の連絡通路。

 おれはさらに前進して、つきあたりの階段をのぼる。

 考え事をしながらだから、一段一段、ゆっくりあがってる。

 その何段目かで、

 

「ロリ?」

 

 と、ふいうちをくらった。

 

「センパイ、ロリなんですか?」

 

 ハッとするほどあざやかな赤いブレザーを着た女の子。

 友だちの妹、(ゆう)ちゃんだ。

 

「まさか、さっきのロリっ子がセンパイの本命? なら、わたしにもチャンスがありそうですね。あの子より胸はあるし、たぶん夜のテクニックもわたしのほうが……」

「ちょ、ちょっと待って、いろいろ急だな」

「待ちません。女の子はいつだってフルスピードなんですよ、センパイ」

 

 ぐいっ、と腕をとられた。

 当然のごとく、おれのひじあたりに、あててくる。

 階段の上のホームから、つよい風がふいてくる。

 優ちゃんのポニーテールが、(こい)のぼりのように横向きに流れた。

 

「ずーーーっと待ってました。そこの駅前のカフェで」

「そうなんだ」

 

 ホームを移動して、あいているベンチにすわった。

 にゃん! と元気よく言い、優ちゃんはおれの肩に頭をのせる。

 

「もう〈つきあってる〉ってことでもいいですか?」

「それは……ちょっとちがうかな」

「ならセンパイ、おしえてくださいよ。本命は誰ですか? わたし、その子と勝負がしたいです」

「本命も何も、おれ今、彼女はいないから……」

 

 スマホから音が鳴った。

 ラインか?

 どうやらおれじゃなく、優ちゃんのようだ。

 

「あっ。まーたかぁ」

 

 おれの肩を枕にしたまま、高速でフリック入力をはじめた。

 こういうのは、いけないことだ。

 と思いつつ、おれの目は、こっそりと彼女のスマホの画面をのぞく。

 

(!)

 

 この内容は、もしかして――

 

「元カレ?」

「そうです。エンリョせずに、もっとしっかり見ていいですよ」

「もう一度あいたい、とかあるけど」

「ありますね」

「おれがわるかった、とか」

「はい」

 

 どれに対しても、ようしゃないリプを返してる。

 けっこう(エス)なんだな――じゃなくて、これって、相手が仲直りしたがってるんじゃないか?

 

「まったく。もう……」

 

 そして、素直になれない優ちゃん。

 なんとなくわかってきた。この二人がどういう状況なのかが。

 と、おれにもラインがきた。

 

(ゆう)だ)

 

 あいつ……。

 このタイミングでくるってことは、内容はたぶん、クリスマスのアレのことしかないよな。

 どうしよう。

 いったんスルーするか?

 

「あやしい~~~」

 

 優ちゃんが、おれの顔を横からのぞきこんで言う。

 

「あやしくないって。家族からだし」

「ほんとですか~?」

 

 と、優ちゃんがおれのスマホに手をかけようとしたとき、

 

「あっ!」

 

 彼女のスマホが手からはなれた。

 地面に落ちる。

 ここからが、我ながら神ワザ。

 頭じゃなんも考えてないのに、にゅっ、と自然に左手がのびた。

 

 キャッチ。

 

「すごーい!」口元に手をあてる。「今のすごかったです! やっぱり、センパイは死ぬほどかっこいいですよっ‼」

「はは……」

 

 彼女のスマホの画面、すでにバッキバキにひびが入っていたけど、ひびはすくないほうがいいだろう。

 ささやかなファインプレーができて、おれもちょっと元気がでた。

 それから電車にのって、優ちゃんとわかれて、家が近づくまでスマホはさわらなかった。

 いつだって勇からの連絡はすぐにチェックしてたのに。

 こんなことは、はじめてだ。

 

(ええいっ‼)

 

 夜道で一人、スマホをひたいにあててカットウするおれ。

 街灯に照らされて立っている姿も、ぶっちぎりでかっこいい。自分じゃ見れないけど。

 ただ――えんえんと迷いつづけているのは、かっこわるい。

 

(よし、いくぞっ‼)

 

 覚悟をきめて、みた。

 

「まだ帰ってないの?」

「トンカツ、ぜんぶ食べちゃうよ?」

 

 おれは力が抜けた。

 こんなバカな。

 ゆ、夕食の話題かよ。

 

(まあ、おれが勝手に決めつけてただけだけど……)

 

 食べ終えて、部屋にもどると、

 

「おかえり」

 

 勇が、クッションに座っていた。

 服はいつものように、白Tに黒いショーパン。

 あぐらでくつろぐことが多いのに、今は、クッションにおしりをつけて〈W〉の字みたいに足を曲げて座っている〈女の子すわり〉のポーズ。

 めずらしいな。

 おれは学習机の前の椅子にすわる。

 

「正。どう、14人目はみつかりそう? もう目星ぐらいはついてる?」

「んー」優ちゃんのことが頭に浮かぶ。が、現時点では〈正しい恋〉の候補ではない。「まだ、だな」

「じゃ、私がなりまーす」ばっ、と手をあげた。瞬間的にわきから、もうちょっと奥のほうまで見えてしまってドキッとする。

「おまえには彼氏がいるだろ」

 

 にっ、と勇は笑った。

 その顔がグラデーションみたく、だんだんまじになって、

 

「……やっぱり、だいぶよくないみたい」

「ばあちゃん?」

「年を越せるかどうか……って」

 

 おれは言葉をうしなった。

 いま入院している、ばあちゃん。

 おれを(だい)~~~っ()に育ててくれた、たいせつな人だ。

 いなくなってほしくない。もっともっと長生きしてほしい。できれば元気になってほしい。

 

「最近、よく言ってるんだって。『正の彼女がみたい』って。『みて安心したい』って」

「うん……」

「私が彼女だと、だめ?」

 

 えっ、とおれは下げていた視線をあいつに向けた。

 

「あ。誤解しないでね。ほんとの恋人っていうことじゃなくて、安心してもらうためにっていうか……」

「ばあちゃんに、ウソつくのか?」

「たとえばそういうやりかたもあるでしょ、って話」

「わるい、勇。それは絶対にないよ」 

「そこまで言わなくていいじゃん」

 

 ぷー、と勇はほっぺをふくらます。

 

「そんなに私がイヤ?」

「ちがうよ。だますようなことは、したくないんだ。それに……ばあちゃんだって、まだずーっと生きるかもしれないだろ?」

 

 勇は何も言わない。

 おれは無言でいるのがつらくなって、つい、

 

「ところでクリスマスはどうするんだ?」

 

 と質問してしまった。

 

「うん」

 

 勇は、ためらいもなくこたえた。

 

「彼氏ん()いく」

「……だと思ったよ」

 

 おれは心の(うち)をかくしたくて、反射神経で即答した。

 圧倒的なスピード。

 なんだったら、あいつが言葉を言い切る前におれも言いはじめて、一文字か二文字ぐらいかぶってたと思う。

 

「ウソばっか」

「ウソじゃないよ」

「あー、なんかつまんない。もう自分の部屋にかえろっと」

 

 勇は立ち上がった。

 背筋をシャンと伸ばしたいい姿勢、きれいな後ろ姿だ。

 

「……じゃあね」

 

 勇がノブに手をかけた。

 その〈手〉を、おれはつかんでいた。

 

「いくなよ、勇」

「え……」

「いくな。彼氏の家になんか、いくな」

 

 おれは勇をうしろから抱きしめた。

 自分は、いつ椅子から立って、勇に近づき、その体に()れたんだろう。

 気がつけば、うごいていた。

 勇をキャッチしていた。

 

「正」

 

 肩ごしにふりかえる。

 顔は、よく見えない。

 

「あ、わるい!」

 

 あいつの体から手をはなす。

 今のおれの、頭は()えてる。

 とっさに言いわけができあがった。

 演劇部の練習。

 そういうことにしたらいい、って。

 

「これ……クリスマス公演の練習で、な。大事なシーンだから、ずっと気にかかって――――」

 

 あいつは笑顔になった。

 そしておれのベンカイをさえぎって、

 

「だと思った」

 

 得意げに、そう言う。

 

「まじか?」

「まじまじ」ぽん、とおれの肩を押す。「女子にさわる口実なんでしょ? このエッチ」

「いや……」

「正が『いくな』なんて、私に言うわけないもんね~」

 

 勇は部屋を出ていった。

 ん?

 いつも明るくハキハキの勇が、めずらしく音声をミュートした?

 めっちゃ小さな声。

 それが聞こえたのはドアをしめきった、ほんの一秒後。

 

 

「……でもちょっとだけ、うれしかったよ……」

 

 



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二言をさけべ

 その日の夜は、あいつを抱く夢をみた。

 抱くっていうか、抱きしめる。

 数時間前に現実におきたことと同じ光景だった。だから夢じゃなくて、ただの記憶だったのかもしれない。それを思い出していただけかも。

 とにかく、フトンをぎゅーーーっとしてるポーズで、おれは目がさめた。

 

「おはよ」

 

 (ゆう)の様子はふつう。

 

「じゃ、先いくね」

 

 こいつはだいたい一日おきぐらいで、部活の朝練にでてる。

 そういう日は、おれより一時間以上はやく家を出るから、ほぼ朝に顔をあわせることはない。

 いまみたいなケースは、けっこうレア。

 

「……勇」

「髪ぼっさぼさじゃん! アンタ、昨日どんだけはげしい夢をみたの?」

「おまえの夢をみたよ」

 

 一瞬で、かーっ、と勇の顔が赤くなった。

 

「おい正……。夢で私に何をしてくれた」

「え」

 

 起きたてで、頭があんま回らない。

 体も。

 おれは、少しブショウして両手を斜め下までしかあげず、

 

「いやべつに……こう、うしろから」

「バカっ‼」

 

 タオルを投げつけられた。

 そのまま、勇はおれの横を抜けて玄関にむかう。

 いってきまーす、といって出ていくまで、そこから見送った。

 冬なのにスカートはみじかいわ生足だわで、女子ってほんとにタイヘンだよな。

 そんな一日のスタートだった。

 そして放課後――

 

「古典のせんせってほんまセッカチよね」

「そうだね」

 

 べつのクラスの教室に、おれはいた。真ん中あたりの席にすわって。

 ほかに、もう一人だけいる。

 加賀美(かがみ)さん。

 おれが告白した、2人目の女の子だ。

 

「再テストはやすぎやし……できた? みしてん」

「いや、それカンニングだから」

「わかっとらんね~」

 

 ぶるるっ、と首を痛めそうなハイスピードで、首を横にふる。

 遠心力で彼女の髪がゆれた。

 つねに〈八〉の字に広がっている、毛先がクネクネしたヘアスタイル。

 

「正。私はな、じぶんの告白をオッケーしてあげたけど、三日でフってもーた。なんでやと思う?」

「なんでって……」理由はいろいろ思い当たるものの、それを自分から言うのは(せつ)ない。「うーん……」

「正はピュアすぎんねん!」

 

 と、おれの机から答案用紙をとりあげた。

 

「な? いまみたいに大人がみてない状態でのテストってな、こういうことやねん。〈ご自由にカンニングどうぞ〉ってことなんよ。大人も、私らを卒業させたいんやから」

「でも……、ズルして100点とかとっても、あきらかに不自然だろ?」

「そこは、うまいことやんねん」

 

 おー、と窓の外から運動部のかけ声がきこえてきた。

 空は夕焼けで真っ赤。

 この時間、勇も体育館でバドミントンをがんばっているんだろう。

 

「ところで正」ほおづえをついて、こっちをみる。「風のウワサでまだフリーってきいたけど、ほんま?」

「ほんま」と、おれは関西弁をマネた。

 

 ふーん、じろじろと視線。

 目と口は、すこし笑っている。

 

「ん……やっぱ、フリーの男って感じやわ~。オーラがない。いまいち()えん」

 

 なんか似たようなことを、同じ演劇部の片切(かたぎり)にも言われた気がする。

 

「恋はやっぱり、略奪愛やで」

 

 ぴくっ、とおれの体のどこかが反応した。

 

「りゃ、略奪……」

「彼氏もち、彼女もちからブンどるってことや」

 

 加賀美さんはほおづえをやめて、おれをまっすぐみつめてくる。

 

「正。まさか、自分と同じようなフリーの相手をさがしとんちゃう?」

 

 おずおずと「そうだけど」とこたえる。

 理由はわからないが、ドキドキしてきた。

 

「あ・ほ」

「え?」

「ピュアにもホドがあるで。この世のどこに〈フリー&フリー〉ではじまる恋愛があるん? そんなんあるとしても、中坊までよ。だいたいは、どっちかの恋人がバッティングしてる期間が、ぜ~~~ったいにあるもんなんやから」

「バッティングって……」

「第三者的にいうたら〈うわき〉の状態」

 

 くちびるに、縦に人差し指をあてた。

 リップのせいか、めっちゃプルプルだ。

 思い出した。

 加賀美さんってすっごく、大人なんだ。考え方とか行動が。そこにギャップを感じて、おれのほうも気おくれした。よかった、っていうのは言いすぎだけど、フッてくれたときに妙に安心したのをおぼえてる。

 

「正。私ねぇ」

 

 椅子をがーっと動かして、こっちに近寄った。

 そして、おれの両手をとる。

 

「正にも、うす汚れてもらいたい」

「はい?」

「ドロドロの恋愛を、経験してほしいんよ」

 

 そろっ、と視界のすみで戸があくのがみえた。

 教室のうしろから、誰かが入ってくる。

 

「あー、きてくれたんやねぇ」

「…………まぁ」

 

 気のないセリフ。

 土でよごれたユニホーム。野球部の。

 おれも彼も、おたがいに顔を見合わせて、あっ、という表情になった。

 でも、すぐに彼は元の顔にもどして、

 

「あの……あんま……時間ないんで」

「うん。私な」立った瞬間、おれに向かって片目をつむった。どういう意味?「キミのことが好き。私とつきあってくれん?」

 

 コクった!

 電撃のはやさ。

 しかも、おれが見てる前で。

 しかも、幼なじみの勇の彼氏に。

 

「……ふざけてんスか」

「ん? どして?」

「おれ、彼女がいますから。それじゃ」

 

 教室をでていく寸前、ちらっとおれのほうを見た。

 おまえに言いたいことがあるんだけど、の空気がすごかった。

 たぶん彼は、おれのことをよく思ってないんだろう。

 

「フラれたな~。作戦失敗や」

「作戦?」

「ピュアなキミには、ないしょないしょの作戦やで」

 

 にっこり、と加賀美さんは満面の笑み。右目の目尻にあるちいさな泣きボクロがやや上にうごく。

 そこでチャイムが鳴って、先生がもどってきた。

 もっと話が聞きたかったけど、彼女は逃げるようにどこかへ行ってしまった。

 

(さて)

 

 今日は部活もないから、まっすぐ家に帰るか。

 帰り道で、加賀美さんのことを考えた。

 夕陽にむかって歩きながら考える。

 おれ、どうして彼女に告白したんだっけ?

 最初の朝比(あさひ)さんにフラれて……あれは夏休みに入る前の暑い日で……

 

「キミ、なんか、さみしそうやな~」

 

 そんなファーストコンタクトだった。

 話しかけてくれたんだ、彼女から。

 作戦みたいなのを感じない、とても自然な言葉だった。だからなんかグッときたんだ。胸にささった。

 やさしいな、と素直に思った。

 

(!)

 

 急に、ひらめいた。

 作戦のこと。

 あれって、もしかして……

 

(勇をフリーにするつもり――だったのか?)

 

 おれのために。

 だとしたら〈やさしい〉どころじゃない。

 おそるべき〈やさしさ〉だ。

 頭の中に浮かんだ彼女が、にっこり、と笑った。

 

「ちょ……ちょっと待って!」

 

 うしろから声。

 走ってくる足音。

 

小波久(こはく)くん!」

 

 ふりむくと、勇の彼氏がいた。

 ユニホーム姿で、頭はさっぱりとした、丸坊主以上スポーツ刈り未満ぐらいの短さ。

 

「いっこだけ聞かせてくれ! 勇ちゃ……伊良部(いらぶ)さんのこと、どう思ってる!」

 

 疑問形みたいに最後の音が上がらずに、怒鳴ったような感じだった。

 おれに怒ってるっていうか、「どうとも思ってないよな!」と、念を押すようで。

 

「勇は……友だちだよ」

「友だち……。じゃあ、彼女に恋愛感情は、持ってないんですよね?」

 

「持ってる」――とは言い返せなかった。そこは自分でも、確信がないからだ。ただ友だちよりも大事な存在だとは思っている。つきあいが長いし、ゆくゆく家族にもなるわけだし。

 

 おれは彼に言った。

 

「持ってない。おれ……キミと勇のこと、応援してるから」

 

 しばらく無言でじーっとおれのことを見たあと、彼は背中を向けた。

 おれも背中を向けた。

 むこうは勇に近づき、おれは遠ざかる……そんな予感がした。

 ビターだ。

 にがい大人の味。

 おれは……

 

 

「やっぱナーーーシ‼」

 

 

 遠いところで、ふりむく勇の彼氏。

 犬を散歩させてた人が、突然の大声に肩をびくっとさせた。

 下校している同じ学校の生徒も、おれに注目する。

 

「『持ってない』って言ったの、ナシ‼ 取り消す‼」

「……」

 

 加賀美さんの望みは、もしかしたらコレだったんだろうか。

 おれも少し、大人になれたか?

 略奪愛のドロドロに、つま先だけはつけてしまったようだ。

 



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乙女は瞳をそらさない

 昼休み。

 弁当を食べ終えると、

 

「ナシってなにが?」

 

 と児玉(こだま)がきいてきた。ツンツン短髪と黒ぶちメガネのモテ(おとこ)

 どきっとする、おれ。

 

「おい。急になんの話だよ」

 

 と紺野(こんの)がききかえす。サラッとした髪を清潔感のある長さでキープした、どこか上品な感じの男子。実際、実家はそうとうお金持ちらしい。

 おれの席を真ん中に、児玉が右、紺野が左に立っている。おれは椅子に座ってる。

 

「聞いた話だけどよぉ、おまえが『ナシー! ナシー!』ってさけんでたって言ってたぞ? 下校の途中で」

「ほんとか?」と、児玉に向いていた紺野の顔がおれに向く。

 

 昨日のアレ、やっぱりウワサになってるみたいだ。

 いや待て待て。

 あの大声でさけんだことだけじゃ、他のヤツには意味はわからないはずだ。

 そ、そうさ。

 アセることはない。

 

「児玉。あれはな――」

「どうせ(ゆう)ちゃんのことだべ」

 

 ぶっふぅぅぅー、と脳内イメージのおれが口から何かを霧状(きりじょう)にはきだした。

 バレとる……なんで……

 

(そうか! さけんだ〈相手〉か! あいつと勇がつきあってるってのは、みんな知ってるからな)

 

 幼なじみの勇と野球部の彼は、運動部のベストカップルとして校内でも評判だ。

 すなわち彼から勇を連想しても、なんらフシギじゃないってことだ。

 んー……。

 もはやウソをついてもしょうがない、正直にいくか。

 

「おっ! それ、まじかよ正‼」

「おお……」

 

 と、ふだん冷静な紺野まで、どこか興奮ぎみだ。

 ありのままを説明しただけなのに。

 

「ついにやるか! なぁ! NTRがえしだぜ!」

「えぬ……なんだそれ?」

「正は知らなくていンだよ。それよか、さっさと勇ちゃんとくっつけって! なっ?」

「バカが大声だしてる」

 

 ふわっ、と女子のいいにおいがした。

 児玉のとなりに、スカートのポケットに左手をつっこんだ女の子がいる。

 男子ならともかく、女子はあまりしないポーズだ。

 この子がこういうポーズをよくやるせいで、おれはスカートにもポケットがあることを知り、それが左側だけにしかないことも知った。

 

「はぁ? 大声だとぉ? そんなもん休み時間なんだから、みんな出してっだろーが」

「だまれカス」

 

 こんな感じで、彼女は口がわるい。

 ときどきこうやっておれたちの会話に入ってくるんだ。

 国府田(こうだ)さん。

 このクラスの女子のリーダー格。セミロングの髪に、ちょっと茶色がはいってる。

 

「それより……NTRってなによ。くわしく教えなさいよ」

「おほっ! おまえ、そういうの好きなクチだったのかよ!」

 

 あん? とポケットに手をつっこんだ姿勢で、ななめ下から児玉を見上げる。

 まるでヤンキーだ。

 

「さっき勇って言ってたの、伊良部(いらぶ)のことでしょ。あの子、野球部とつきあってるんじゃなかったっけ?」

「それをよぉ……これから正がうばうって話よ」と、児玉はなぜか(ほこ)らしげに語る。

「正クンは、伊良部の幼なじみでしょ?」

「そうだよ」

児玉(こいつ)の話、まじ?」

 

 フリーズした。

 まじ、と断言できるほど、まだ覚悟はきまっていない。

 こういう優柔不断なトコも、おれが〈中身が0点〉たるゆえんなんだろうな……。

 アイマイにだまっていると、

 

「私、あの子とおフロはいったことがあってさ」

 

 と、会話があらぬ方向にすすんだ。

 

「すっ~~~ごいキレーだったんだよ」

「どこが?」と、真っ先に質問したのは、この中でいちばん真面目な紺野だった。おれと児玉の視線に気づき、こほん、と白々しいセキをする。「いや会話のリズムだろ。たまたまだ、たまたま」

「そういうことにすっか」児玉は声をひそめ「で、どこが?」

 

 ばしん、と、両手をつかって、二人同時に頭にチョップされた。

 おれはされていない。

 が、当然、おれだって知りたい。

 国府田はひとつため息をついて、

 

「おかしな想像すんなよ……。キレーっていったのは、おしりだよ。ツルッツルのプリップリでさ。みとれたね。まじで感動した。あれはすごかったなー」

「どこで見たの?」と、おれが質問。

「夏の合宿。あのね、(じょ)バスとバド部が合同だったから」

「コーちゃんよぉ、そんなこと勝手にいっていいのかよ。本人いねーのに。いくらほめ言葉っつっても、プライバシーってもんがあんじゃね?」

 

 児玉の頭に、またチョップが入った。かけているメガネがすこし下にずれる。

 言わせておいて何をいう、という意味でやったんだろう。

 

「おまえが心配せんでいい。私、伊良部とは仲いいもんね~。ガールズトークもけっこうするよ?」

 

 へえ、とおれがつぶやいた数秒後、

 疑惑の事件はおこった。

 

「信じられないよね。あれだけいい体しといて、まだバ…………」

 

 キラン、と児玉の目元が光った気がした。たんにレンズの反射かもしれない。

 

「バ」と、児玉がその重要な一文字をくりかえす。

「うう……口がすべってしまった……不覚(ふかく)

「いや国府田。まだ間に合うぞ」紺野がおちついた口調でいう。「バ……なんだ?」

「ま、まだバ……ドミントンがうまくないなんて……とか?」

「インターハイでてるだろ」

「う……冷静につっこまないでよ」とん、とかるく紺野の肩をおす。頭にチョップはしなかった。どうやら児玉よりは、紺野のほうに好意があるようだ。

 

 ――とか、ブンセキしている場合じゃない。

 

 勇から直接はきいてないけど、つきあって一年以上になるから、さすがにそういうことは〈してる〉と思っていた。

 でも心のどこかでは、〈してない〉でくれとも思ってた。

 だから、おれはそういう話題になっても、ふかくつっこまないようにしてたんだ。

 なんか胸からへそにかけて、体がくすぐったい。

 うれしいことがあると、よくこうなるんだ。

 

(うれしい?)

 

 その事実におどろくよ。

 ってことは、おれはやっぱり勇のことが……

 

「正。ちょっといいか?」

 

 紺野が親指の先を、廊下のほうに向けている。

 おれは立ち上がって、ついていった。

 同じくついてこようとする児玉は、手のひらでストップさせた。

 

「ほかでもない。妹のことなんだが」

(ゆう)ちゃん? どうかしたのか?」

 

 廊下のつきあたりで立ち止まった。

 正面には白い壁しかない。

 

「おまえにしつこく言い寄ってるみたいだな。わるいな」

「いいよ。べつに」

「どうもな……原因は浮気らしいんだ。それもよくよく聞いたら、ただのあいつの誤解だった。男のほうがパーティーっぽいのに出たっていうだけでな。完全にシロだ。いまはヒステリックになってるけど、じきに元のサヤにおさまるはずだから……まあ、うまくかわしてやってくれ」

 

 わかった、とおれが言い、話は終わるものと思ったが、

 

「幼なじみってのは、むずかしいんだよ」

 

 紺野がおれの肩に手をおいた。

 

「正。おれはおまえのことを、最高にいいヤツだと思ってる」

「よせよ。まさか、このまま告白でもする気か?」

「きいてくれ。優たちを見ていたら、幼なじみ同士の恋愛が一筋縄じゃいかないのがよーくわかったんだ。ガキのころから知り合ってて、いざ思春期とかになって、そのままおつきあいしましょうとは、なかなかならない。ハードルがあるんだよ」

「ハードル……」

「おまえはいいヤツで、おまけに顔もいい。背も高い。なのに、なんで伊良部さんがおまえを〈選ばなかった〉と思う?」

 

 わからない。

 授業5分前の予鈴(よれい)が鳴った。

 

「きっとそこが重要なんだ。思い出すんだ。むかし、彼女によけいな一言とか言ってないか?」

「よけいって?」

「つきあいが長すぎて恋人として見れない、とかそんなやつだよ」

「おれ……記憶力わるいから」

 

 そこまでで、おれたちは教室にもどった。

 紺野は「幼なじみの恋愛はムズい」って言った。

 ハードルがあるって。

 そっから放課後になって、部活して、家に帰った。

 

(よけいな一言か)

 

 どこかで口にしたかもな。おれバカだから。

 湯舟につかったまま、もの思いにふける。

 はー、これからどうしようか。

 思いきって勇に告白するか――って、おれは彼氏もちの女子には告白しないんだよ。

 ん?

 このルール、いつから実行してるんだっけ?

 あえて勇を恋愛対象の(そと)にするかのような、このルール。

 これ、自分で考えたのか……

 

「長いぞ」

 

 すりガラスごしに、あいつが見える。

 いつものように白Tに黒いショーパン。

 

「さっさと出てくれる? こっちは部活でめっちゃ汗かいてるんだから」

 

 あいつは、おれに背中を向けてる。

 つまり、ガラスごしに、ぼやぁ~っと勇のおしりが確認できた。

 国府田さんに「きれい」と言わせた、おしりが。

 

「勇」

「なぁに? おにいちゃん」

「……それ誰の声?」

「ただのアニメ(ごえ)

 

 勇のおしりが、ガラスに押しつけられてる。おしり〈だけ〉がだ。

 

「おれたちの間の、ハードルってなんだ?」

 

 おしりが、すーっと下にさがっていく。

 床についた。すりガラスを背にして、座っているようだ。

 

「……なにそれ」

「幼なじみから恋愛関係に発展できない理由っていうか、そういうヤツ」

「そんなの、いっぱいあるよ」

「たとえば?」

「成長して格差がグーンとひらくパターンとかね。かたや学園一のスーパーイケメン君になって、かたや内気で地味な女の子のままで、みたいな」

「勇のことじゃないよな?」

「さ・て・ね」

 

 勇はそのまま出ていってしまった。

 おれもフロからあがり、更衣室で鏡をみる。

 ぬれた髪。

 シャープなあご回り。ひきしまった口元。ベストな形の眉毛に、りりしさも愛くるしさも合わせ持つ目。

 ため息がでるほどかっこいい。ここまでレベルが高けりゃ、べつにナルシストって言われてもいいぜ。

 

(……これがハードルか?)

 

 ふと考えた。

 もしおれがこんなにカッコよくなかったら、勇は、おれと……つきあって、とっくに一線を……あいつのバ、バージンを――

 いかん。

 いま、めっちゃなまなましい想像をしてしまった。

 下半身のほうで、ムクムクとたちあがる感覚が。

 

「まだいるの?」

 

 がちゃ、っとドアをあけて勇が入ってきた。

 

「……!」

 

 視線が下に向く。

 まずい。

 おれ、まだ服を着てないし、なにより、状態が――

 

(ええぃっ‼)

 

 おれは両手を広げた。

 もうかくしても遅いんだ。遅すぎる。

 なら堂々とすればいい。

 

「勇」

「……ヘンタイ‼」

 

 洗面器が飛んできた。

 勇がむかしから使ってるやつだ。チョコレートの色で、側面に「ゆう」と白いペンで大きく書かれている。

 みごとにヒットした。

〈どこに〉とはいわない。

 ただただ、大ダメージ。

 

「アンタ、おフロでなにしてたのよ、バカっ!」

「…………し、してないって、何も」

「最低!」

 

 紺野は正しかった。

 たしかに幼なじみはむずかしいよ。

 こんなにつきあいが長いのに、こんなふうに一瞬でキラわれるんだから。

 

(でも――意外と、しっかり見やがったな)

 

 時間にして10秒くらい。

 勇のヤツには、口がさけても言えないけど。

 



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13回目の夜

 寒い外を歩いてる。

 空には満月。

 ぶるるっ、と勝手に体がふるえた。まじで寒い。さっきフロからあがったばかりだから、その影響もあると思う。

 

「正。湯冷(ゆざ)めするって」

 

 となりにいる(ゆう)は、あきれている。

 黒髪のショートヘアがときどき強風にあおられて、ウニみたいになってる。

 

「こなくていいって言ったじゃん。今からでも家に帰りなよ」

「いやだ」

「なんで?」

 

 びゅう、と風がふいて、前髪で勇の片目がかくれた。

 

「散歩だよ散歩。べつにいいだろ」

 

 じーっと、おれを下からのぞきこんでくる。

 自白したまえ、とばかりに。

 

(……人気(ひとけ)のない夜道を、女のおまえ一人で行かせられるかよ)

 

 しばらく前、おれがフロからでると、勇がおつかいを頼まれていた。

 なんでも朝食の玉子がないらしい。

 勇のお母さんは朝メシとともにおれの弁当もつくってくれてて、ほんのりダシがきいてちょっぴり塩っ()のある玉子焼きは好物のひとつだ。いかない選択肢はない。

 おれがいってくるよ、と言ったんだが、勇はガンコだった。

 

「デブショウのアンタが散歩ねぇ……。私のことが心配とかじゃないの?」

「おれがデブ(しょう)? どこがだよ? めっちゃスマートだろ」

 

 一瞬、勇がくすっと笑った。

 矛先をそらすための冗談が、いいほうに作用したぜ。

 

「くだらない」

 

 そこで会話はとぎれた。

 目的のスーパーまで、家から歩いて15分はかかる。勇は自転車で行こうとしたんだが、風が強いからやめとけといって()めたんだ。ちなみにおれは自転車に乗れない。

 車一台とおれるぐらいの道に、同じ間隔で街灯がつづいている。車道は紺色で、歩道はうすい赤色のアスファルト。

 と、

 

「勇。それ何?」

「散歩」

 

 勇がダウンジャケットのポケットから右手をだして、まるで握手してるような形で前に伸ばしている。

 

「あっ。ほらすごい、ポールの上にのったよ」

 

 数メートル前を見ながら言う。

 おれも視線の先を追う。でも何もない。

 

「エア散歩」

「エア?」

「あっ、そっち行っちゃダメだぞ、にゃん(きち)

「しかも猫だったのかよ……。いや、猫って散歩しなくね?」

 

 するよ~、と夜道に似合わない明るい声をだした。

 

「体にハーネスつけてね、そこからびーってリードのばして……」

「へー」

「いま交渉中なの。ね? 正もペットとかさ、いいと思わない?」

 

 世話がたいへんそうだよな、というと、勇はぷいっとソッポを向いてしまった。

 またやった。っていうか久々にでてしまった、おれの会話力のダメさが。

 こういう小さな〈ぷいっ〉が重なって、おれはたくさんの女の子にフラれてきたんだ。

 

(えーと、今の場合は……まず〈共感〉しないといけないのか。勇は、べつにリアルな話がしたかったわけじゃないから――)

 

 時すでにおそし。

 あいつはエア散歩もやめて、すこし早足になった。

 おれとの距離が5メートルくらい()く。あいつは気まぐれに、右に左にとジグザグ気味の歩行。運動部のエースらしい軽快なステップ。ほっといたら、人ん()(へい)の上でも簡単に上がってしまいそうだ。それこそ猫みたいに。

 

(いや実際、あそこの家の塀に勇がのぼったことがあったな)

 

 あれは小学生のとき。

 勇といっしょに下校してて、なんか〈白いトコ〉しか歩いちゃいけないルールみたいな遊びをはじめて、そういう成り行きになった。

 

(スカートもおかまいなしで、あんなトコによくのぼったよ……)

 

 家の人に見つからなくてよかった。

 ほんと……なんていうんだっけ、活発な女の子って……ああ、オテンバだ。

 勇はオテンバだよ。むかしも今も。

 思い出にひたりながら背中をながめていると、いきなりこっちに向いた。

 

「…………私をエア散歩させてないでしょうね」

「なんでだよ」

「首輪とかつけてさ」

「そんな性癖(せいへき)ねーよ」

「性癖?」勇は首をかしげる。「あっ、そういうことか。野外プレイみたいなヤツだ?」

 

 しっ、とおれはジェスチャーした。

 顔見知りのご近所さんがおおい場所で「野外プレイ」というワードはまずい。

 しかもこのあたりは、夕方になるとピアノやバイオリンの音がきこえてくる、けっこう上品なエリア。

 

「……ねぇ」

 

 ささやき声。

 上のほうからだ。

 

「あなた、ひょっとして正ちゃんじゃない?」

 

 右手の家の、二階のバルコニーに誰かいる。

 部屋の明かりが後ろからきているせいで、逆光になって顔はみえない。でも女の子だ。手すりに手をついて、おれを見下ろしている。

 

「久しぶりね」

「あ……。そうか、お(うち)ってここでしたっけ」

「おぼえてる? 小学校を卒業して以来かな。正ちゃん、ずいぶん背が伸びたのねぇ」

 

 風にのって、においが届いた。

 彼女の手元から、かすかに煙があがっているのがわかる。

 

(タバコ……? あの塔崎(とうざき)さんが?)

 

 信じられない。

 彼女は小学校で勉強もスポーツもトップだった、すっごく真面目な子だぞ?

 

「向こうにいるのはラブちゃんかな? ふふっ、それペアルック?」

「いや、たまたまです」あいつと白いダウンがかぶったのは、ほんとに偶然だ。「ちょっとスーパーに」

「え? もしかして同棲(どうせい)してるの?」

 

 はは……と、おれは愛想笑いした。

 

「親同士が結婚することになって、おれたち家族になるんですよ」

 

 そうなんだ、と、かくすそぶりもなくタバコを口にもっていく。

 おれは表情に出さないようにしていたが、

 

「おかしい? 『トーザキさん』が、こんなの吸うとか」

「んー……」

「ほら、もう行って。ラブちゃんを……追いかけてあげて?」

 

 ふっ、と体がうしろに動いて、塔崎さんは見えなくなった。

 同じ小学校だった女子。

 おれは13人の女の子にフラれているが、告白は12回しかしていない。

 その理由は――

 

「……」

「どうしたの? こんなところに呼び出して?」

「……」

「だまってちゃ、わからないよ?」

 

 クラスの男子に「お似合いだ」ってハヤされて、なぜかあんなことになったんだ。

 たのんでもいないのに〈告白のお膳立て〉をされた。

 

「……」

 

 おれはそのとき勇気が出なかった。

 正直に言うと、塔崎さんは初恋の子だった。

 もしかしたらもっと小さいころ、幼なじみの勇にそれに近い感情をもってたのかもしれないけど、胸をはって初恋といえるのは彼女のほう。

 いるんだな、と思ったよ。

 イケまくってる外見に中身が釣り合った――パーフェクトな人間が。

 

「ごめんね」

 

 彼女はもろもろを察して、こう言い残して立ち去った。

 告白せずして、おれはフラれたんだ。

 それが小5の冬。ちょうど今ごろの季節だ。

 

「おい」

 

 スーパーに入ったところで、勇が言った。

 

「ガムでもふんじゃった? めっちゃテンション下がってるじゃん」

「ちょっとな……」言うか。言えばラクになるかな。「さっき塔崎さんに会ってさ」

「え? どこで?」

「彼女の家の横をとおったとき、バルコニーから声かけられた」

「こんなに寒いのに?」

「そりゃ、タバ――」これはかくしたほうがいい。「た、たまたまだよ。空気の入れ替えしてたって」

 

 ふーん、と言ったきり、意外にも勇は話題を深掘(ふかぼ)りしない。

 目的の玉子と、適当に何品(なんしな)かをえらんでカゴに入れて、レジで会計。

 当たり前のように袋をおれに渡し、あいつは先に行く。

 

「あっ」

 

 店を出るとき、自動ドアにうつる光の反射をみて、勇がおれのほうにふりむいた。

 

「私たちペアルックじゃない?」

「それ、塔崎さんに言われたよ。『ちがう』って言っといたけど」

「なんで?」

「え?」

「そこは『ペアルックですが何か?』でしょ?」声のボリュームを落として「『あいつ、おれの彼女ですけど何か?』…………でしょ」

「ウソはよくないだろ」

「ウソだっていいじゃん」

 

 スカッとした笑顔を浮かべて、勇はくるりとターンして前を向く。

 しばらく歩いて、われながらおそすぎる時間差で、おれは言った。

 

「ウソでもいいのか?」

 

 ひろい駐車場を、横切るように歩いている。

 車は、ほとんどとまっていない。

 

「じゃあ、今からウソつくぞ?」

「……はい?」

 

 ウソは正しくない。だけど、あらかじめウソって宣言したんだから、これは正しい。

 きっかり12回の告白は、おれを成長させてくれた。

 小5のときとは、勇気がケタちがいだ。

 

 

「勇。おれ、おまえのことが好きだ」

 

 



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きっと欲しがる

 おれは演劇部だ。

 だからウソをつくことにかけては、そこそこ自信がある。

 

「おまえが好きだったんだ、ずっと」

 

 観客とかカメラの位置とかを意識して、いかにも真剣な表情をつくってる。

 夜の駐車場。

 ちょうどおれたちの周囲だけ、スポットライトみたいな光で照らされている。

 演技のポイントは、自分で〈ウソ〉だと思わないことだ……って部の先輩は言ってた。

 

「うれしい。ありがとね」

 

 ストレートに返された。

 まるでほんとの告白の返事みたいに。

 予想外のことにキョドりそうになるが、がんばって演技をキープする。

 勇のことだから――「はいはい」とか「あーそうですか」ぐらいの冷めたリアクションをすると思っていたのに。

 

「私も好きだよ」

「えっ? あ、ああ……」体の内側からカーッとくるものがある。今のおれの顔、赤くなってないよな? どうにか冷静をよそおって「まあ、ウソなんだけどな」と念をおす。

「わかってるって」

「おまえも……ウソで返してくれたんだろ?」

「さっ、帰ろっ?」

 

 スカされた。

 いや、スカすなよ。

 大事なところだろ、おれたちにとって。

 

(いまのが、ひょっとして勇の本心――だったりするのか?)

 

 スーパーの袋をさげて、勇のとなりにならぶ。

 でも、もう問いただすことはできない。

 すごくムシ返しにくい雰囲気になった。

 そしておれ自身も、イエスでもノーでもないほうがいいんじゃないかという気がしている。

 

(……ウソの告白なんか、するもんじゃないな)

 

 あとちょっとで家がみえる、というところで勇が唐突にいった。

 

「こんどの日曜日、デートしない?」

 

 ◆

 

「ふぅ~~~~~っ‼」

 

 親指と人差し指と小指を立てた手を天たかくあげ、児玉(こだま)がバカみたいな声をだしてる。

 女子はほぼ全員、ジト目。 

 彼女がいない日が一日もないくらいモテる男なのに、この嫌われようだ。

 スキとキライはセットっていうのは、こういうことじゃないと思うんだが……

 

「おいカズ」と、紺野(こんの)が制服のそでをひく。「女子がひいてる。やめとけ」 

「お? しゃーねーな、わかったよ……」と、今度は両手をあげて「ふぉぅ~~~~~っっ‼」

「やめろって」と、おれもなだめた。

「んだよ、ノリわりーな、てめーら」

 

 ぶすっとした顔で児玉が椅子に座る。

 6時間目のホームルームに、学期末恒例のクラスレクをやっている。

 先生が発表したときはブーイングもあがったが、やりはじめるとこれが意外に盛り上がった。

 

 イスとりゲーム。

 

「もってる男ってこーゆーことなんだよ」と児玉は上機嫌だ。「つぎ(じゅん)ケツだべ? じゃ、あと2回で優勝じゃん。負けねーぞ、正!」

 

 なんの奇跡か、おれも勝ち上がっていた。 

 スポーツじゃないにしても、こういう体をうごかす遊びはめっぽう弱いのに。

 そして――――

 

「うそだろ」

 

 おれが、優勝してしまった。

 賞品は先生がUFOキャッチャーでとったっぽい、ぬいぐるみ。レアって言ってたけど、ほんとかどうかわからない。三毛猫が海賊船の船長みたいなカッコしてる。

 放課後。

 教室を出た女の子を、おれは追いかけていた。

 

「ま、待って!」

「……え?」

 

 小柄な背中がふりかえる。

 同じクラスの三城(みき)さん。

 下の名前は、むずかしい当て字で愛恵(めぐみ)

 おれはいつもひらがなをイメージして「めぐみ」と呼んでいる。

 

「私に何かご用?」

「いや、その」

 

 ふっ、と口元が笑った。

 目は、よく見えない。目がかくれるくらい前髪をのばしているからだ。で、その前髪をほぼ横一直線に切りそろえている。

 彼女の性格も、すこし髪型に似て、誰かのうしろにかくれがちで控えめ。

 口のわるい児玉なら、彼女をようしゃなく〈(いん)キャ〉と呼ぶだろう。

 

「移動しようか。ここじゃ教室も近いし」

「べつにおれは、誰かに見られたっていいよ」

「正がよくても、私がダメ」

 

 さらっとおれを呼び捨てにした。

 クラスの女子がみたら、さぞおどろくだろう。「あのおとなしい三城さんが⁉」って。

 なにも不自然なことじゃない。

 おれたちは、つきあっていたんだから。

 めぐみは特別教室がならぶ校舎の非常階段まで歩いた。

 なるほど、ここなら誰にも見られることはないだろう。

 

「これ」

 

 おれは、イスとりゲームの賞品をさしだす。

 

「決勝で、わざとおれに負けただろ?」

「なんの話かな~」

「どうせ自分が勝っても盛り上がらないから、とか、そんな感じだろ?」

「へぇ、正にしてはいい推理したね」

「これでも……最近小説とか読みはじめたからな」

 

 くすくす、とめぐみが口元に手をあてて笑う。

 冷たい石の階段に、スカートも下にしかず、下着をじかにつけて座っている。つよい風がふくたびに、チラッ、としそうで気になってしょうがない。おれは手すりに背中をつけて立ったままでいる。 

 

「では、もらっておこう」

 

 細い手がのびて、ぬいぐるみをつかんだ。

 よしよし、と〈三毛猫の海賊〉の頭をなでながら、

 

「いや~じつはコレ、すっっっごいほしかったんだよねぇ~。だから運動不足のオタの体にムチうって、がんばったんだよぉ~」

「それじゃあ、どうして決勝でおれに勝ちをゆずったんだ?」

「んー、あそこはさぁ、人気者の正が勝ったほうが絶対にいい場面だったから。地味でくらい私が優勝するよりかは、ね……」

「もし児玉だったら?」

「全力で勝ちにいってた!」

 

 あはは、と彼女は無邪気に笑う。

 教室では、こんな明るい顔をみせたことはない。

 軽くおしゃべりする相手はいるみたいだけど、親しい友だちはクラスにはいないみたいだから。

 

「まーでも、しかし」じろじろ、とおれの全身をながめる。「どこに出しても恥ずかしくない、ダントツのグッドガイですな。私なんかとは世界がちがうわ……」

「そんな言い方するなよ」

「では……」

「待てよ。せっかくだから、少し話さないか?」

 

 ここで、めぐみがみごとなカンの良さをみせた。

 

「恋愛相談?」

 

 うっ、とおれの心がモロに顔にでた。

 

「相手は誰かニャ?」と、ぬいぐるみを斜めにかたむける。

「いや、その……」

「かわいい幼なじみちゃんだニャ?」

 

 ニャ? と頭の中にあらわれた勇まで首をかしげた。

 もう観念するしかないな。

 

「あのさ、幼なじみが彼氏彼女に発展しないパターンって、何が原因だと思う?」

「うまくいってないの?」

「まあ……一般論ってことで」

 

 ニヤニヤしてる。

 この状況を楽しんでいるようだ。

 

「シビアに言うと、どっちかの魅力不足」

「ほかは?」

「仲のいい関係を壊したくなくて、どっちからも一歩をふみだせないパターンとかがあるよね」

「で、でもさ」

 

 近くに誰かが歩いてくるのを感じて、声を小さくする。

 

「たとえば相手にすでに彼氏がいたら、ふみだせなくても当たり前だろ?」

「ノゥ!」と、めぐみが声をはりあげる。「好きならうばいとる。これ常識」

「そんなの……彼氏にわるくないか?」

「本当に勇ちゃんのことを思いやっていれば、彼だって自分から身をひくでしょ」

「さらっと実名をだすなよ」

 

 あっはは、と足をバタバタさせて笑った。

 スカートの生地の向こうに、わずかにのぞいたのは〈黒〉……意外というか、キャラどおりというか。

 指で目をこすりながら、

 

「まー、はっきり言って当事者じゃないとわかんない。私には幼なじみくんもいないし、彼氏も……今はいないし」

 

「今は」をずいぶん強調して言った。しっかりおれの目を見ながら。

 そう言われてもな……フッたのはそっちだし。

 おれが彼女に告白したのは今年の4月末。で、ゴールデンウィークに2回デートして、連休明けにフラれた。

 理由は、はっきりとは()げられていない。

 デートの服装がダサかったからかな……と勝手に想像している。

 

「恋愛とはとどのつまり、イスとりゲームなのだ」

 

 めぐみはそんなことをドヤ顔で言う。

 風でゆれて、長い前髪の下の目がチラ見えした。

 ぱっちりとした、手にもってるぬいぐるみそっくりの大きい目だ。

 

「重要なのはタイミングと、すばやさと、力ずくでもとってやろうという気合」

「おれ……まだイスに座れるかな?」

「逆に聞こう。どうして正は、今日のゲームで決勝までのこれたのかな?」

「えっと、そのぬいぐるみが――」

 

 ちゅっ、とおれのほっぺに、猫の口があてられた。

 

「勇ちゃんなら欲しがると思った。そうでしょ?」

 

 そうだよ、と心でおれは即答していた。

 だけど、そんなふうに答えたら、それを受け取ってもらえなくなる。

 

「ほら。あげる」おれの手をとり、ぬいぐるみをつかませる。「私からのセンベツ。そのかわり、ちゃんとつかまえてあげてね?」

 

 手をひらひらふって、めぐみは行ってしまった。

 結局、彼女にあげたものが、そっくりそのまま帰ってきてしまう。

 ――その夜。

 

「まじ? いいの? やったー‼」

 

 おれがプレゼントすると、勇はよろこんだ。

 が、それもつかのまで……

 

「……どういうつもり? 私の私物、なんか壊した?」

 

 めっちゃ疑いぶかそうな目になった。

 

「いや言っただろ、クラスレクで偶然勝ったから……」 

「ウソウソ」

 

 パッと笑顔にもどる。

 

「ありがと。大事にするね」

「ああ。ちゃんと添い寝してやってくれ」

「正と? いいよ」

 

 近くで話をきいていた勇のお母さんが「なっ⁉」という表情になった。おれの父さんは平然としてる。

 

「正が私にプレゼントなんて、明日は大雨かな?」

 

 ちょうどテレビでは天気予報をやっていた。

 おれたちが住んでいる場所には、勇が口走ったとおり、傘マークがついていた。

 



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果報は寝てまって

 デートが近づいている。

 幼なじみのあいつは「お出かけ」でも「外出」でもなく確かに「デート」って言った。

 

(ゆう)のヤツ、どこまで本気なんだか……)

 

 金曜日の朝。

 おれは電車に乗っている。勇は朝練がある日だから、今ごろは体育館で汗を流してるはずだ。

 つり革をにぎって、片手でスマホを操作する。

 しらべているのは〈デートの常識〉。

 

(なになに……レディーファーストをやりすぎるな? 女子は自分をひっぱってくれる、多少オラオラ系の男子が好き……これほんとか?)

 

 お店のドアをあけてあげたり、男は車道側を歩くっていうのは、必ずしも正解じゃないらしい。

 デートっていうのは、なかなか奥がふかいんだな。

 なにが正しいかを考えはじめたら、それこそキリがなさそうだ。

 ま、でも……相手は勇だし、とくに気をつかう必要もないか。

 おれはスマホをポケットにしまった。

 

(とはいえ、デートな以上、やっぱ緊張するな……)

 

 窓の外はどしゃぶり。視界が白くかすむぐらい、めっちゃ雨がふってる。

 

(ん?)

 

 いま、なんか……。

 気のせいか?

 

伊良部(いらぶ)だろ?」

 

 気のせいじゃない。

 おれの幼なじみの、めずらしい名字が話題にでている。

 声がした方向をみると、同じ学校の生徒がいた。入り口のそばでドアに背中をつけて立っている。

 おれは耳に全神経を集中した。

 

「おれ、彼氏のほうとめっちゃ仲いいよ」

「まじかよ」

 

 片方は、ヘアスタイルから考えておそらく野球部。もう片方は、ちょっと茶色い髪。

 

「すげーの?」

「なにがだよ」

「いや、バド部のエースだろ? スポーツ選手ってヤバいぐらい激しいって言うじゃん」

「だから、なにがだよ」

 

 と、すこし笑ったほうが野球部のヤツだ。

 茶色い髪のほうが前髪を指でととのえながら、

 

「やることはやってるっしょ? そいつら、つきあって一年とかだろ?」

「いや……なんかガチガチにかてーって。そういうこと、全然させてもらえてないってよ」

「まじ?」

「キスでさえ、なんか(こば)まれるってグチってた」

「ないわー。それさぁ、つきあってねーんじゃねーの? 男のほうが思いこんでるだけってオチじゃね?」

「つきあってるんだよ、これが。でな、クリスマスに彼女を家によぶって――――」

 

 あっ。

 しまった。あまりにもガン見してたもんだから、こっちに気づかれた。

 おれは学校じゃ有名で、おれと勇の関係性も同じくらい有名。

 

「……」

「……」

 

 二人とも急に静かになった。

 おれも、そしらぬ感じで、しまったスマホをまた取り出して画面をみるフリ。

 

(まいったな)

 

 しかしインパクトのある内容だった。

 勇は……まだだって?

 キ、キスも?

 

「うれしそうだな」

 

 一瞬、誰がしゃべったのかわからなかった。

 が、よく見ると目の前の座席に、ゆたかなバストを持ち上げるようにして腕を組んだ元カノがいた。

 

水緒(みお)さん」

 

 電車がとまって、ちょうど彼女のとなりがあいた。

 ホコリがたつほどバンバンとたたき、おれに早くすわれとアピールする。

 

「……失礼します」

「うれしそうだな」と、さっきのセリフをリピート。「やはりおまえには、あの幼なじみしかいない」

「勇のことですか?」

「彼氏が極端なオクテでもないかぎり、つきあって一年でキスなしは、なしだ」

 

 がたん、と電車がスタートする。

 そんなにゆれてないのに、水緒さんはおれにぎゅーっと体を押しつけ、そのままおれの肩に頭をのせた。

 鼻からスーッと、幼稚園のときの女の先生と同じな、なつかしい香りが入ってくる。

 

「水緒さん?」

「このほうが話がしやすい」いや絶対ウソだろ。「それで……おまえはまだアクションを起こしていないのか」

 

 いつのまにか彼女にスマホをうばわれていた。

 なれた感じで操作して、つきつけられた画面には、

 

「なんですか、これ?」

「『卒業』という古い映画があってな。そのワンシーンだ」

 

 白いウェディングドレスの女の人が、男の人と走っている。

 どっちも、いい笑顔だ。

 

「幼なじみを、結婚式当日に新郎からうばいとるというストーリーで、今のおまえにぴったりだ」

「はあ……」

「アクションを起こせ、小波久(こはく)。私がなんのために、図書室であんなことをしたと思う? どうして貴重な休日をつぶしてまで、ラブホテルにおまえをさそったと思っているんだ?」

 

 ってことは、図書室のアレは確信犯だったのか……。

 この人の狙いはなんだ?

 

「幼なじみをモノにしろ。それだけだ。私が望むことは」

 

 肩に頭をのせたままで言い、おれのひざに指で〈の〉の字を書き続ける。

 ヘンな気持ちになるよ。

 

「勇には彼氏がいて――」

「関係ない」

「それは……正しいことですか?」

 

 ふ、と小さく息をふきだした。

 そして水緒さんは、どこかさみしそうにこう言った。

 

「やはり、私はおまえがきらいだよ。だが、そのムクな心はうらやましい……」

 

 そこで目的の駅について、水緒さんは他人のようにさっさと立ち上がって行ってしまう。

 ドアがあいたら、雨の音がめっちゃうるさかった。

 

 ◆

 

 ぬれたぬれた、とやかましい児玉(こだま)の相手をしていたら、

 

「お客さんだよ」

 

 女子の一人がおれの肩をたたいてそう言った。

 正クンにさわっちゃったー! と、楽しそうに友だちのところにいく後ろ姿。

 

(お客……?)

 

 廊下にでた。

 

「マリちゃん」

 

 バドミントン部で勇とダブルスを組んでる女の子。

 まだ着替えてなくて、体操服のままだ。もう一時間目がはじまるのに。

 ……すごくいやな予感がした。

 

「ど、どうしたの?」

「あのね、勇がね」どくんどくん、とおれの心臓が少しはやくなってる。「練習中にケガしちゃって。今日は早退するから」

「ケガ?」

「うん。アキレス(けん)をね……」

 

 デリケートなところじゃないか。

 勇がリビングでくつろいでるとき、その部分を自分でマッサージしていることがよくある。

 デリカシーもなく、

 

「切った?」

 

 と、マリちゃんにきいてしまった。髪切った? みたいにあっさり。

 アキレス腱を切るなんて、部のエースのあいつにとっては、ただごとじゃないのに。

 

「あ。大丈夫」

 

 そこで彼女がほほ笑んでくれて、ちょっと安心できた。

 

「痛みがでただけだって。なんかアキレス腱炎(けんえん)っていうみたい。炎症だって。でも切れちゃう原因にもなるから、大事をとって安静にしてる。いま保健室にいるの」

「まじか」

 

 あ、と体を動かしたおれを見て、マリちゃんが口を大きめにあけてつぶやいた。

 頭のわるいおれが、その一瞬ですべてをさとった。

 

(保健室に……おれが行っちゃいけないんだ。勇の彼氏がきてるんだな……) 

 

 マリちゃんに礼を言って、おれは教室にもどった。

 一時間目が、はじまる。

 好きでも嫌いでもない現代文の授業。

 

(勇)

 

 ほんとに大丈夫なのか?

 健康のカタマリみたいなあいつが学校を早退なんて、はじめてのことだぞ。

 でも、勇のそばには、れっきとした彼氏がいる。

 おれが出る幕じゃない。

 おれの出番じゃ、ないんだよ…………

 

 

「せ、先生!」

 

 

 おれは手をあげた。

「トイレにいっていいですか?」と。

 くすくす、みんなに笑われる。

 すぐに許可をくれた。

 おれが行く先は決まっている。

 おれは『卒業』とかって映画はみたことないけど、あの男の人も、アクションを起こす前はこんな気持ちだったのかな。

 ドキドキする。

 まだ彼氏のヤツはいるだろうか。

 

(ええぃっ‼)

 

 力任せに保健室のドアを横にひいた。

 勢いがつきすぎて、あわててドアをつかんでとめる。

 

「……あれ?」

 

 保健室の先生らしき机の前には、誰もいない。

 ベッドのそばにも、いない。

 ベッドには――

 

「勇。大丈夫か?」

 

 後頭部をこっちに向けて寝ている女子は、あいつだ。

 髪……いや、つむじの形でわかる。

 

「寝てる?」

 

 返事はない。

 かんじんのアキレス……足は、ふとんでかくれてるな。

 

「早退するんだろ? 家につくまでは寝るなって」

「……んー」

 

 起きた?

 勇が寝返りをうって、顔がこっちに。

 目は、しっかりとじている。

 

「切れなくて、よかったな」

 

 小さな寝息のみで、なにも言ってこない。

 

「なあ、勇。おれたちも『卒業』するか?」

 

 もし起きてたら、それどういう意味⁉ って聞き返すだろう。

 そうせざるをえない、突拍子もないセリフだ。

 

「んっ」

 

 ふとんをひっぱって、顔が半分くらいかくれた。

 おれは近寄って、もっと近寄って、勇の顔をかくすふとんを手にとる。

 

(キスしていいか?)

 

 とは、口にできない。

 いったい何を考えてるんだ、おれは。

 実際、寝てる女の子に同意もなくそんなことをしたら、ガチの犯罪だぞ。

 勇なら――――許してくれるか?

 

「……」

 

 ふとんを、そーっとひく。

 あらわれる、横向きに眠る勇の姿。ブルーのジャージで、胸元までジッパーをさげている。

 また寝返りをうって、あお向けになった。

 

「……」

 

 外は雨。

 窓は部屋の湿気で真っ白になっている。

 きこえるのは雨音だけ。

 口を近づける。

 もっと、そばに。

 勇の毛穴がみえるほどの距離まで。

 

 あと数センチ。

 

 そこから先にすすめない。

 

 たぶんこれは時間の問題じゃない。一時間かけたって、きっと体勢はこのままだろう。

 

 心の問題だ。

 

 おれは、勇にふとんをかけてやった。

 ゆっくり休ませてやることにして、保健室を出る。

 教室にもどると、

 

「おいおい、ずいぶん強敵だったみたいね~」

 

 と、児玉が大きな声で言いやがった。 

 そこそこの笑いがおきる。

 いいんだよ。おれが笑われたり、トイレで(だい)してきたって思われることは、べつになんでもない。

 それより――

 

(正しかったのか? おれの選択は?)

(正しいじゃん。ノーガードの女の子に無断でキスするなんて、男のすることじゃないぜ!)

(でも相手は勇だ)

(でも、他人の〈彼女〉だろ?)

 

 くそっ。

 頭におれが何人もいるのに、バシッと答えが決まらん。

 昼休み。

 児玉と紺野(こんの)が連れだって手洗いにいったところで、勇からラインがきた。

 

「あー。しくったー。朝練でケガして早退したよぅ」

「知ってる。マリちゃんからきいた」

「レスはやっ。あ、そっか、いま昼休みか」

「お大事にな。明日は休むのか?」

「んにゃ、一応出席の予定だね」

 

 そこでやりとりが終わったと思って、おれはスマホをしまった。

 ぶるるっ、とポケットの中でバイブした。

 勇から追加のメッセージ。

 

(!)

 

 冷や汗がでそうだった。

 やっぱり、おれの判断は、まちがってなかった…………か?

 

 

「ところで『卒業』って、なぁに?」

 

 



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彼氏の気分

 そしてデートの日がきた。

 あいつのアキレス(けん)の具合はというと……

 

「問題ない」

 

 と、即答。

 まあ、痛めた次の日も、ふつうに登校してたからな。

「駅で彼氏に待たれてるから、時間ずらしてね」と、おれが20分はやく登校したのが昨日の土曜日。

 

「だから、はやく教えてよ。『卒業』ってなんの話なの?」

 

 幼なじみの(ゆう)は、ちょっとイタズラっぽい表情でおれにきく。

 まだ午前中で、天気は晴れ。

 駅のホームのベンチに座って、二人で電車をまっている。

 

「いいだろ、べつに。そっちこそ、タヌキ寝入りなんかするなよ」

「話そらしちゃって」

「電車きたぞ」

「あ。これじゃない。次の快速」

 

 電車の風圧で、となりの勇のにおいが流れてくる。同じもの食って、同じシャンプーつかってるのに、なんでこんなにもおれとちがうんだ? ていうか、気がつかないだけで、おれも自分の体からこんなに〈いいにおい〉が出てたりするのか?

 

「……どうしたの。服のそでをクンクンして」

「おれと勇のにおいって、ちがうか?」

 

 なぜか顔が、ちょっと赤くなった。

 

「ちょ、ちょっと待って。私の体からヘンなにおいがしてるってこと?」

「そんなにアセるなよ。してないよ」

 

 ぐっ、とひじで強く押された。

 

「13人にフラれた理由がよーーーくわかりました。やっぱ正ってバカ……っていうか、コトバがよくない」

「なにが?」

「今のだと『キミはいい香りがするね』って甘い声で言っとけばいーの。自分とのちがいなんかどうだっていいから。正ほどカッコよけりゃね、それだけでキュンてするんだよ」

 

 なんかダメ出しされてるが、うまく話はそらせた――はずもなく、

 

「そんなことより『卒業』。いいかげんに教えなさいよ」

 

 人差し指をつきつけて、有無をいわせない顔つきだ。

 顔といえば、あんまりふだんと変わらないように見える。

 個人差はあるが、デートっていったらだいたい女の子はメイクをしてくるもんだ。おれの経験ではそうだった。

 勇はガチガチに化粧しない派か? ナチュラル派?

 質問してみたいところだが、地雷の可能性もあるしな。やめておこう……。

 

「ねぇ、答えてったら」

「あーもう!」おれは勇の肩をすこし押した。「わかったよ、言うよ。そのまんま。そのまんまの意味だよ」

「え?」

「思いきって男女の関係になろうってこと。つまり卒業っていうのは、おれからしたら〈童貞〉で……」

「は、はぁ?」

「あのまま保健室でエッ」

 

 ちっ! と、曲がったおれの口から飛びでる。勇のヤツ、人差し指をほっぺに押しつけやがった。

 

「……スケベ」

「なんかムラムラしたんだよ」

 

 そのあと、入院してるばあちゃんの話になって、お互いにしんみりした。

 またお見舞い行こうね、と勇が言う。

 ほんとは今日いきたかったんだけど、検査とかであまり都合がよくないらしくて、行けなかった。

 

「ばあちゃん、おれと勇のこと、どう思ってんのかな?」 

「仲のいい友だちでしょ」

 

 だよな、とつぶやいたあとに電車到着のアナウンス。

 おれたちはベンチから立った。

 

(スケベ認定はされたが、そのかわり『卒業』の話はウヤムヤにできたな……)

 

 ひそかにホッとする。

 実際、幼なじみを婚約者からうばいとるストーリーだなんて、幼なじみで彼氏アリの勇には言えないよ。

 車内はまあまあ混んでるけど、ひとつ座席を確保できた。

 もちろん勇に座らせる。

 

(おれは立ってるし、雑音が多いから会話しようにも――)

 

 スマホがふるえた。

 

「これで、おしゃべりでもする?」

 

 ラインだ。

 いいアイデア。

 

「今日は、どこに行くんだ?」

「今ごろ? もっとはやく質問しろ!」

「いや、今朝からおまえ、卒業卒業ってうるさかったから」

「スケベ」

「それはもういいだろ」

「プレゼントを買いに行くんだよ」

 

 そこでおれの手がとまった。

 いつになく()えるおれの頭。先読みができた。

 デートって、そういうことか……。

 

「おれとおまえの彼氏じゃ、サイズがちがうぞ?」

「服じゃないし」

「じゃ、何」

「てぶくろ」

 

 なるほどな。

 高校生で、彼氏へのプレゼントだったら、ぴったりだ。

 おれはスマホをにぎったままで、次のメッセージが思い浮かばない。

 すると、

 

「男目線で、アドバイスちょうだい?」

 

 と送られてきて「ああ」と返した。

 勇にはわるいが、すこしテンションが下がった。

 そこを見抜かれないよう、

 

「おっ! これとか、すげーいいぜ?」

 

 お店では、あえて元気がある演技をした。

 こういうときのための演劇部だ。コツはハキハキした発声と、あざといぐらいのジェスチャー。

 デパートの中のお店で、勇が品定めをしてる。

 

(すげーいいけど……)

 

 おれの評価にウソはないが、なかなかの値段のモノだ。

 

「いや勇……これ(たけ)ぇだろ」

「いいの。正だって『いい』って言ったじゃん」

 

 勇はそれをレジにもっていった。

 その背中を見てるとフクザツな気持ちになる。

 

(クリスマスに勇はあのてぶくろをプレゼントして、か、体も――)

 

 なんだこの感情は。

 くやしいっていうのも、ハラがたつっていうのも、どっちもちがうけどそれに近くて。

 いったん深呼吸するか。

 そもそも、なんでクリスマスに彼氏ん()なんかいく?

 去年みたいに、家族4人でしっとりすごそうぜ。

 

(きれーなラッピングだな)

 

 ピカピカした銀色のふくろの口を、赤と緑のチェックのリボンで結んでいる。

 そのあと駅地下で昼食にパスタを食べて、いっしょに映画をみにいった。

 昼食のとき、

 

(いつもの白いダッフルの下、みたことない服きてるな……)

 

 と気になっていて、

 

「そんなの持ってたか?」

 

 上映前の明かりがついてるときに、おれはきいた。

 

「最近、買った」

「へー」

 

 ちっちゃめのベストのような形。色は赤。

 それを、インナーのうすいピンクのタートルネックの上に合わせている。

 

「ベスト?」

「ちがう。ビスチェ」ぴっ、とそれを指でつまみながら言う。「じつは下着だよ」

「下着?」

「スケベ」

 

 ひざにのせたダッフルを引き寄せ、体をかくすような仕草。

 はは……と愛想笑いする。

 

(勇なりに、おしゃれはしてくれたのか)

 

 と思えば、やっぱり今日はデートだという気がしてきた。

 その()の本編の約二時間、おれは横目でときどきとなりの勇の様子をうかがった。 

 

「まあまあかな。正はどうだった?」

「うん」

「じゃなくて、感想は?」

 

 途中で寝た、とこたえたら、勇はあきれた。

 

(おまえを気にしすぎててストーリーを見失ったんだよ)

 

 映画館はエロいことする場所だ、っていう児玉(こだま)の言葉を思い出したのもいけなかった。

 ようするに気が散りすぎたんだ。

 

「じゃ……帰る?」

「そうだな」

 

 駅までの道をあるく。

 当然、手をつないだりはしない。男女二人がならんで歩くなら、手をつなぐのが当然なんだが。 

 けっこう人通りがはげしい。肩を寄せ合わないと、他人とぶつかりそうだ。

 そんなおれの心を読んだかのように、

 

「腕、組もうか?」

「やめとこうぜ。恋人同士でもないんだから」

「まー、そういわず……にっ!」

 

 がしっ、といきおいよく左腕をとられた。

 腕に、ほわん、とした感触があたる。でもぶあついコートごしだから、うれしさは半減。

 オルゴール風のクリスマスソングがきこえてきた。

 駅に近づくほど、お店も人も増えてゆく。

 すれちがった人を、肩ごしにふりかえった。勇も同じようにそっちを見る。

 

「めずらしいな。はじめて見たよ、グレーの学ランなんて」

「あー、あの制服は――」と、学校の名前を言う。「で、めっちゃスポーツ強豪校」

「なんで知ってんの?」

「よく練習試合で行ってるから。また強いんだよね~、ここのバドの子がさ」

 

 なんてことない、やりとりだった。

 一晩寝たら忘れるぐらいの。

 が、よくよく考えれば、ムシのできない内容だった。

 

 とくに〈練習試合〉ってところが。

 

「――――あ」

 

 声をあげたのは勇。

 おれもおどろいた。こういう出会いがしらを避けるために、学校から遠い場所をえらんだはずなのに。

 おかしくないんだ、彼がここにいても。

 野球部だって、他校との練習試合はする。

 遠目に同じ学校の制服の集団を見かけたとき、ちゃんと遠回りすべきだった。

 

「……どういうことですか」

「あ、こ、これはね。えっと」

 

 めずらしい。勇が動揺してる。

 こいつの、こんなところは見たくない。

 おれは胸をはって言った。

 

「親へのクリスマスプレゼントを買ってたんだ。いっしょに。おれたちは親同士が結婚する予定だから」

「それは……知ってますけど」

「誤解しないでくれ」

「そう言われても」彼が横顔を向けた。試合でケガしたのか、ほっぺに少しすりキズがある。

「おれがいっしょに行こうって誘ったんだ。まじで」

「腕、組んでませんでした?」

「それもムリヤリたのんだんだよ。彼女がいないから、せめて気分だけでもと思ってさ」

 

 いくぞー、と彼氏が部の仲間から声をかけられた。

 にらむ、ってほどじゃないけど、まっすぐな視線をおれに向けつづけてる。

 

 

「勇ちゃんは、おれの彼女ですから」

 

 

 捨てゼリフみたいに言って、彼は行った。重そうなスポーツバッグをかかえてる。もしかして、学校にもどってからも、まだ部活とかするんだろうか。

 

 勇は、下を向いている。

 おれの背の高さだと、こいつのつむじがよく見える。

 

「あいつらと同じ電車になるのもなんだし、どっかで時間つぶすか?」

「正」顔が、あがった。ただの光の反射かもだが、目がうるんでいるようにも見える。「あの、ありがと……」

「いいよ」

「カッコよかったね」

 

 それはおれのことなのか、それとも、彼氏のことなのか。

 きちんと「どっちが?」って確認しとけばよかったな。

 駅まで迎えに来てくれた勇のお母さんの車の中で、そんなことを考えたんだ。

 



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背中の駆け引き

 じつは連絡先を知っている。

 (ゆう)の彼氏のケータイの番号とメアド。

 朝、はやめに登校してあんまり人のいない教室で、スマホをながめながらおれは迷っていた。

 窓の外はくもり。

 

(連絡してみるか)

 

 昨日の日曜日、デートの終わりぎわにあんなことがあったから。

 いやいや、あんなことがあったからこそ、逆に連絡とかしちゃいけないだろ。

 うーん……。

 登録名はシンプルに名字だけ。

 ガイイ――じゃなくて、これは外井(そとい)と読むらしい。

 

「ずいぶん早いじゃないか、正」

「おっす」

 

 友だちの紺野(こんの)がやってきた。

 

「コミ(えい)の問題でもあてられてるのか?」

 

 いや――と、同居する(ゆう)より20分もはやく家を出なければいけない理由を説明する。

 

「へー、登校デートか。彼氏にすれば『ケガ人につきそう』っていう、かっこうの口実ができたわけだ」

「あ、あのさ」

「どうした?」

 

 さわやかな笑顔を浮かべ、すこし顔を斜めにする。

 おれほどじゃないにしても、みごとなイケメンだ。

 清潔感があるマジメ男子系のかっこよさ。おれとちがって運動神経もいい。

 背も高いんだよな。

 ここにいない児玉(こだま)もそうだが、よくツルむおれたち3人は、みんな175センチ以上はある。だから廊下を歩くとめっちゃ目立つんだ。

 

「わるい、ちょっと」と、教室のスミに移動した。あまり人に聞かれたくない内容だからだ。「たしか紺野って、一年のとき勇と同じクラスだったよな?」

「そうだよ」

「ってことは、外井も知ってるだろ?」

 

 勇と彼氏がつきあいはじめたのは、一年前の夏。ちょうど梅雨明けのときぐらい。

 同級生ですごく気が合う男子がいて告白されちゃってさ、というのが、つきあいはじめた理由らしい。

 

「どういうヤツか、教えてくれないか?」

「おいおい。探偵ごっこでもはじめるつもりか?」

「いいヤツ?」

「それは、おれの口からは何とも言えないよ。でも、まあ、わるいヤツではないな」

 

 聞けば、何回かいっしょにカラオケやボーリングに行ったことがあるらしい。

 

「ただ、その……難点をあげるとしたら、なんか〈距離がある〉感じっつーか、うすいカベがある感じみたいなものはあったな」

「どういうこと?」

「急にふらっと一人になるとか、そんな感じのヤツなんだよ」

 

 と、言われてもイマイチよくわからない。

 実際に会ったほうがはやい気もしてきた。

 

「妹のことなんだけど」

 

 紺野は話題をかえた。

 

「ほとんど元サヤにおさまりかけてる。ちゃんと誤解もとけたらしい」

「そういえば……ここ何日か(ゆう)ちゃんを見てないな」

「いろいろあっても、つきあいの長さはウソをつかないってことだ」

 

 ぽん、とおれの背中をたたいて、紺野はさわやかに笑った。

 まるで「おまえも幼なじみとがんばれ」って言われてるみたいだった。

 

(ふらっと一人になる――か)

 

 勇のヤツは、あいつのそういうところを好きになったのか?

 なんだっけ……孤独を好む、一匹オオカミ?

 たしかに、おれには無かった個性かもしれないな……。

 で、放課後。

 意味もなくぶらりと一人で歩いている。

 勇の彼氏をマネして。

 

「ちょっと! ここ男子禁制!」

 

 おれは声がでなかった。

 おどろきだ。

 だって目の前に、いきなり水着姿の女の子があらわれたんだから。ただ残念なのはスク水やビキニじゃなく、ガチの水泳選手が着るガチの水着だという点。下半身もハーフパンツみたいな形になってる。

 

「水泳部の女子更衣室の前で」片手を腰にあて、すこしあごをひく。「何をしてたんだ?」

「ごめん。気づかなかった」

「入り口の看板にも? 〈男子はアッチ!〉ってでっかく書いてたでしょ~?」

「一匹オオカミに、なりたかったからさ」 

 

 わけわかんない、と女の子の眉尻(まゆじり)がさがった。

 

「アンタを見つけたのがアタシでよかったぞ? 正ちゃん」

 

 両肩をつかんで、くるっ、とおれの体をターンさせる。

 久しぶりに「正ちゃん」と呼ばれた。

 元カノの、彼女の口から。

 

「ほら歩いて」

 

 背中を押される。

 

「えっ、こっちって」

「せっかくだからプールみてけ。今の時間、誰もいないから」

 

 消毒のにおい。

 高い天井の室内プールにつれてこられた。

 きゅう、っと身がちぢむ思いがする。

 運動のできないおれは当然およげないからだ。水に顔をつけるのも苦手。

 

「ストレッチ手伝って。ほら背中押してよ」

 

 手のひらから水着ごしに体温がつたわる。

 

「もっと強く。もっと! ぐーっとやって」

 

 このマイペースな感じ、いつものノゾミちゃんだ。

 望むに海で、望海(のぞみ)

 水泳部のエース。

 

「……うん、こんなもんでいっか」

 

 高いところにある、横一直線のすりガラスは真っ赤。夕焼けの色だ。

 そのせいか、彼女のショートカットまで、赤い色にみえた。

 勇によく似た髪の長さ。

 性格とかも、どことなく似てる。

 

「ところで正ちゃん、アタシまだ許してないよ」

 

 うっ、とふいうちをくらった。

 

「幼なじみに似てたから好きになった、なんて――」ゆっくり歩いて、おれの背後に回る。「ふつう言う? しかもその幼なじみって同じ学校だっていうし」

 

 おおくを語る必要はないだろう。

 今のコトバに、おれがノゾミちゃんにあえなくフラれたすべてがある。

 おれの背中に彼女の手があたった。

 

「アタシはその子のかわりじゃ……」

「ノ、ノゾミちゃん?」

「ありません、よっ、と!」

 

 うそだろ⁉

 お――押される!

 プールサイドから、一気に、プールまで。

 おれ制服だぞ?

 ポケットの中には、スマホだってある……っていうか、今、冬じゃないか。

 

「ちょっ、待って!」

「あやまる?」

「いや」トットットッと足がどんどんプールに進みながらも、おれはおちついて言う。「あやまらない。それを言ったおれの気持ちに、ウソはないから」

 

 ぴたっ、とストップした。

 おれの両足のつま先は水面の上にあって、まさに危機イッパツ。

 

「は~あ、たまんないね」

 

 制服をぎゅっとつかんで、ひっぱる。

 おれの体が反転して、ちょうど彼女と至近距離で向かい合う体勢になった。

 

「…………身代わりでもよかったかな、って思っちゃうじゃん」

「えっ」

 

 にっ、とノゾミちゃんの口角があがった。

 

「うらやましいよ。その幼なじみの子が。バド部の子だっけ? まー、たしかに似てるちゃ似てるよね」

「ごめ――」

 

 手のひらを横向きにして、おれの口にあてられた。

 

「言うな。アタシ絶対、アンタ以上の男を見つけるからさ」

 

 手がはなれる。

 

「ノゾミちゃん」

「外見がいくら似てたって、二人の思い出までは似てないでしょ?」

 

 おれはバカだから、彼女が遠回しに言ったことを理解するのがおくれた。

 返事もできずにいると、

 

「それに……アタシが幼なじみに似てれば似てるほど、かえってツラくならない?」

「そう、かも」

「な? だからアンタは、その子とつきあえ」

 

 やさしく背中を押されて、室内プールをでた。

 校舎につながる渡り廊下を一人であるく。

 

(つきあえ、か)

 

 そんなカンタンにはな……。

 ともかく、ノゾミちゃんのときみたいに勇に似てる子をさがすっていうのは、もうやめにしよう。

 ところで、勇の彼氏って、おれに似てるか?

 すこしも似てないな。

 それって……あいつは、彼氏がおれに似てないほうがいいと思った――つまり、彼氏はおれじゃないほうがいいと思ったってことか? いやいや! そういうことじゃないだろ。

 

(ん?)

 

 似てる声の女子じゃない、これ勇の声だ。

 上のほうから。

 

「うん、大丈夫」

 

 校舎の二階にみなれた背中。

 すこしあいた窓から、あいつの声だけが聞こえてきた。

 

 

「正にはまだ、バレてないから」 

 

 



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合図をキミに

 その晩、ふとんの中で考えた。

 あいつが……幼なじみの(ゆう)が、おれにウソをついたことがあるかどうかって。

 

 ない。

 

 それこそ、関係がはじまるトコまでさかのぼってみたけど、やっぱりない。

 っていっても、関係がはじまったのは物心のつく前だ。

 おれたちが幼なじみになったのは、たんに家が近かったから。勇の家がとなりのとなりのとなりだったんだ。その家は今もある。()()になってるけど。

 出会って何年かは、髪が長かった。

 それをうなじのあたりで二本に分けて結んで、ふつうに女の子してた。

 勇が髪をショートにしたのは小五の秋。

 女の子が突然髪をみじかくすることにメンエキがなくて、けっこうドギマギしたことをおぼえている。

 

(おれに『バレてない』って、なんのことだよ、勇)

 

 あいつは最初からフレンドリーだったと思う。

 逆におれのほうが、大人の背中にかくれたりしてた。

 でもすぐに仲良くなったな。

 おれは勇を好きになった。

 性格がサバサバしてて、ものの言い方がストレートで、あんまウソとか好きじゃなくて。

 

(その勇が、おれに〈かくしごと〉か……)

 

 おれのほうもウソなんかつかず、素直にあいつと接してきたつもりだ。

 小学生の低学年のときにおねしょしてしまったことも伝えたし、中学の入学式の日、強風であいつのスカートがふわっと浮き上がったときもちゃんと「みえた」と白状した。そんとき、勇は「そっか」と言って明るく笑ったっけ。

 

(――そういえば、アレも〈かくしごと〉か?)

 

 勇がいないときにパソコンをさわってたら出てきた、連れ子同士_結婚できる? の検索履歴。

 でもアレは、よーく考えたらそんなにマジじゃない気もしてる。

 なんとなく調べてみただけだった――って感じで。

 いわゆる興味ホンイってやつで。

 えーと、ところで、それって……

 

「できるんだっけ?」

「ホワッツ?」

 

 次の日の放課後。

 おれは演劇部に出て、部活中。

 校舎三階にある部室。

 ここはいつも文化祭の一週間前みたいに、いろんなものがちらかってる。

 

「それはともかく、絵の具、鼻についてるよ?」

 

 片切がその部分を指さす。

 まじかよ、とおれはすぐに男子トイレに向かった。

 片切もついてくる。

 歩く姿に〈チョコチョコ〉とか〈とてとて〉という音がぴったりの、ミニマムな女の子だ。おれの元カノ。今日もツインテールで、体の動きにともなってよく()れている。

 

「正は小道具作りもセンスないな~」

「はっきり言うなよ。悲しくなるだろ」

「はいタオル」

 

 サンキュー、とおれは顔をふいた。ふわふわで気持ちいいタオルだ。

 

「洗って返すよ」

「いいから」と、片切はおれの手からブンどる。「気にしなさんな。私たち、もともとつきあってた間柄(あいだがら)でしょ?」そしてタオルを見つめながら声色(こわいろ)をかえて「ぐふふ……イケメンのエキスをもらったゾイ」

「おい」

「ははっ。ジョークジョーク」

 

 今日の演劇部は、部員みんなでクリスマス公演のセットづくりをしている。

 おれは最初、クリスマスツリーを担当していたが、ミスって枝を三本も折ってしまった。

 で、担当をかえられて、部屋のすみで小物に赤い絵の具をぬっていたところだ。片切といっしょに。

 

「それで、さっきの話はなぁに?」

 

 あ、と思い出す。

 

「いや……連れ子同士ってさ、結婚できたんだっけ?」

「知らないよ、そんなの」ぷー、と片切のほっぺがふくらんだ。「私と、じゃないの?」

「おまえ、おれをフッたじゃん」

「それはフラれる理由がキミにあったからだよ、小波久(こはく)少年」

 

 男子トイレの前からすこし移動して、廊下の窓のそばに立つ。

 

「ノドから手がでるほど勇ちゃんと結婚したいんだね?」

「そうじゃなくて……」

 

 いいから、と片切はスマホを出す。

 そして、

 

「あー、できるってさ。法律的な問題はナシ。コングラッチュレーションズ。おめでとう。式には、私も呼んでね?」

 

 あー呼ぶ呼ぶ、とおれは適当にこたえた。

 内心、ひそかな安心感がある。

 そうか。できるんだ。連れ子同士――つまりおれと勇で――結婚するっていうのは。

 

「あ? 勇ちゃんだ!」片切が窓の外を見下ろして言う。

「え?」

 

 いくらなんでもタイミングがよすぎる。

 ウソだとは思いながらも、おれはあいつの姿をさがしていた。

 やっぱり、どこにもいない。

 じろっ、と片切に流し目すると、

 

「ごめんごめん。でも正は正直だね。あの子の名前を耳にしたら、あっというまに目つきがかわったよ?」

「どんなふうに?」

「いとしい人を見つめるまなざし、って感じ」

 

 そう言って、片切はウィンクした。

 まったく……こまった元カノだ。

 ん?

 片切といっしょに窓から見下ろす……最近、なんか似たようなシチュエーションがあったな、と思い出した。

 

「あ!」

「えっえっ、どーしたの?」

「片切、あのとき見たよな? 勇のこと。勇が彼氏といるところを」

 

 場所は自転車置き場の近く。

 図書室でおれが水緒(みお)さんとキスした……って勇に誤解されたあの日に、部室の窓から見たんだ。彼氏とそこにいる勇を。

 

「もうハラくくって聞くよ。あんとき、勇はキスしたのか?」

「おろろ?」片切はニヤニヤ笑いながら、おれをひじでつっついた。「どういう心境の変化カナ? やっと彼氏くんと対決する気になったのかい?」

「片切。まじだ」

 

 おれは両肩をつかんだ。

 腕力のないおれでも〈たかいたかい〉できそうなぐらい、体格差がある。

 

「たのむ」

「お……おお、確かにマジだね……イッツシリアス……」

「してたのか?」

「……オッケー、まず手をはなしてよ、正」

 

 おれは、あわてて手をはなす。

 

「結論からいおう」

 

 と、片切は指を一本たてた。研究者かなんかのキャラか?

 

「ノーキッス、であると」

「ほんとか?」

「もちろん」

「じゃ、向かい合っただけ、って感じなのか?」

「実演しちゃる」

 

 そう言うと片切は、おれの両手をとった。

 

「こんな感じ」

「両手で握手?」

「……だね」

「勇と彼氏が?」

 

 だよ~、と片切は部室にもどっていった。

 その場に立ちつくす、おれ。

 

(握手って……そんなことするか? 手をつなぐっていうんならわかるけど……)

 

 考えていたら、どん、と背中に何かあたった。

 ワンテンポおくれて、やわらかいものがあたった感触。

 ふりかえるまえに「女子だ!」とおれの心が判定した。

 

「ごめんなさい! 考え事してて前をよく―――」

 

 ジャージ姿の女子。

 髪はみじかくて、かすかに深海の色みたいなブルーが入ってる。

 手には、何冊ものノート。

 

野崎(のさき)さん」

「えっ?」下げていた頭を、ゆっくり上げる。「正くん! なーんだ。あやまってソンしちゃったな、うん」

「いま部活?」

「そうなの。データを整理しようと思って、パソコンがある部屋に……」

 

 野崎さんの両眉があがった。ただでさえおっきい目が、もっと大きくなる。

 

「正くん、伊良部(いらぶ)さんといっしょに住んでたっけ?」

「はは……ナイショにしてたんだけどね」ウワサは一人歩きする。今では、おれと勇が同じ屋根の下に住んでいることは、みんな知っていた。中には、よからぬ想像をするヤツさえいる。「それがどうかした?」

「ナイスタイミングなの、うん」

 

 この「うん」は彼女の口癖だ。

 どうしてそんなことを知っているかというと、片切と同じく彼女も元カノだからだ。

 ときどき、この「うん」といっしょに片目をつむったりする。それが最高にかわいいんだ。

 

「これ」

 

 一冊のノートをわたされた。

 

「リハビリのメニューとか、練習再開までにしておいてほしいこととか、いろいろ書いてるの。お願いできるかな?」

 

 ことわる理由もないので「もちろん」と返事した。

 野崎さんは運動部のマネージャーをやっている。

 注意すべきは、彼女は勇の所属するバドミントン部だけのマネージャーじゃないってことだ。

 うちの学校は個別じゃなくて〈スポーツ・マネジメント部〉っていう大きな部が一つだけあって、そこがすべての運動部を管理している。担当する部も固定じゃなくて流動的らしい。

 

「もう帰っちゃってたから、どうしようかと思ってたの。大助(おおだす)かりだよ~」

 

 まぶしい笑顔。

 この野崎さんに、陽キャの運動部の男子たちはデレデレにデレている。

 だから当然、彼女とつきあったときは、彼らからバリバリに反感を買った。

 

「元気にしてる?」

「あ、ああ……まあね」

「ごめんね。フッちゃって」

 

 さらっと、あやまってくれた。

 さらっと、あやまれる人なんだ。

 こういうところを、おれは好きになった。

 

「部のほうに打ち込みたかったから……今ね、すごく充実してるんだ」

「それは、よかったよ」

 

 うん、と野崎さんはちいさな声でつぶやいた。

 

「じゃあ、おれ行くから」

「あっ、待って!」

 

 ぎゅっと制服のそでをつかまれた。

 わるい気はしない。

 できれば、いつまででも、つかんでいてほしいぐらいだ。

 

「伊良部さんね……あのね、足をいためる前から、あんまり調子がよくなくて……」

 

 意外な内容だった。

 勇の態度はふだんどおりに見えたけど、じつはスランプとかだったのか?

 

「でね」

 

 野崎さんが、おれの腕をひっぱり、背伸びして耳打ちする。

 

「野球部の外井(そとい)くんも、ずっと調子がよくないの」

「勇の彼氏?」

「そう」

 

 もとの姿勢にもどった。

 彼女は片手を口元にあてる。

 

「あんまり、ないんだけどな……」

「何が?」

「カップルで、同じタイミングで調子がわるくなっちゃうパターン。これだと、まるで〈同じ悩み〉をかかえてるみたいで……」

「ケンカとかしてたら、そういうこともあるんじゃないかな?」

「ケンカのときはね、女の子のほうがすごく調子よくなるの」

 

 まじ?

 データを豊富にもってる彼女の言うことだから、ヘンに説得力がある。

 

「ね、正くん。ケンカ以外で、二人に〈同じ悩み〉があるとしたら、それってなんだと思う?」

「うーん……」

「二人に何か共有する目的があるのなら、不自然じゃないと思わない? うん」

 

 ウィンクした。

 その直撃でドキドキしてるうちに、野崎さんはこんなことを口にした。

 

 

「私ね、あの二人……ほんとはつきあってないんじゃないかって思ってる」

 

 



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ホットが恋

 すっかり暗くなった。

 野崎(のさき)さんに気になることを言われたあと、おれは演劇部で過去イチぐらいシゴかれた。まず有名な俳優さんの一人芝居の動画をみせてくれて、感想をくわしく聞かれ、そのうえで実際に一人で芝居して動画を撮り、どこがダメなのかをみんなに指摘してもらうっていう流れを何回かやって……とにかくつかれた。

 でも気分がいい。

 楽しかった。いい汗かいた。

 めっちゃ不安だけどな……このおれがクリスマスに一人だけで芝居するなんて。

 しかも――

 

(テーマが〈告白〉で、ちゃんと目の前に想いを伝える人がいるかのように演技する、か……)

 

 キレーな女優さんを思い浮かべるっていうのは、たぶんちがうんだろう。

 適当なクラスメイトの女子っていうのも、ちがうと思う。

 まじに、おれが心から〈好き〉な子じゃないと、芝居に現実味が出ないから。

 

(つまり、はやく彼女をみつけろってことだな)

 

 入院してる、ばあちゃんのこともある。

 最高のパートナーといっしょにいる姿をみせて、ばあちゃんを元気づけないと。

 駅の改札をでた。

 ここから家までは歩きだ。けっこう距離があるけど、ショートカットできる道をいくつも見つけてるから、それほど苦じゃない。

 駅前のコンビニの近くを通りかかった。

 ガラスにうつるおれの姿をチェック。

 よしよし。ばっちりカッコいいぜ。正面。右向き。左向き。また正面。最高だ!

 これで彼女ができないはずが……って、見た目にたよっちゃダメか。そのせいでおれは、13人もの女の子にフラれてきたんだから。

 地道にがんばろう。

 

(かえって勉強して、読書して、あたらしい趣味でもはじめるか)

 

 買ったものの挫折した、ギターをやり直すとか……

 

「あ」

 

 目が合った。

 (ゆう)だ。

 コンビニで立ち読みしてる。

 

「なにしてんの?」

 

 外に出てきて、白い息をはきながら言う。

 

「おまえこそ」

「ふつーに買い物ですけど」と、白いコンビニ袋を見せつけるように上げた。「そっちは部活?」

「ああ」

 

 勇は背中を向け、そばにある自転車のカゴにその袋を入れた。車体がシルバーの男っぽいチャリ。これは勇の自転車だ。

 かしゃん、とスタンドを蹴ってあげる。

 

「わざわざこんな遠いコンビニじゃなくても……家の近くにもあっただろ?」

「いいの」

 

 自転車を押す手には白い手袋をはめていて、コートも同じような白さのダッフルコート。

 となりを歩くおれを45度ぐらいで見上げながら勇は言った。

 

「今日ね、パパとママが二人とも仕事がはやく終わったみたいでね、私もいっしょにリビングにいたんだけど……なんか二人がいい感じになってたから」

「空気を読んだのか」

「まあね。なんかジャマしたくなくて」

「いい感じっていうのは……」

 

 ジト目になった。

 ひゅー、と冷たい風がおれと勇の間をふき抜ける。

 

「…………パパはともかく、私のママでそういう想像しないでよね」

「まだ何も言ってないだろ」

「顔に書いてたじゃん。まさか17もはなれた弟か妹ができるのかっ⁉ って」

「赤い絵の具が、まだ残ってたか?」

「なにそれ?」

 

 今日、演劇部であったことを話す。

 もちろん野崎さんのあの〈一言〉はカット。ただ、いま部活を休んでいる勇をケアしたノートをあずかっているから、彼女と会ったことだけはしゃべった。で、ノートをわたす。

 

「わっ。すごーい」

 

 それをひらいてすぐ、勇がそんな声をあげた。

 目も、キラキラさせてる。

 

「ノサッちゃんには、頭が上がらないね」

「野崎さんと仲いいのか?」

「もちろん、いいよ。うん」と、野崎さんのモノマネを、ウィンクつきでする。なかなか似てた。勇は器用だから、こういうことが得意なんだ。

 

 そこからバドミントン部の話になって、おれはしばらく聞き手に回った。

 心なしか、勇の歩く速度がおそい。

 足の痛みのせいか?

 じゃあ……おれも、のんびり行こう。

 

「寒くてもよかったら、ちょっと()るか?」

「えっ」

 

 右手に児童公園。

 光で照らされてみえる範囲には、ちょうど誰もいない。

 勇は自転車を入り口におき、おれたちはベンチにすわった。

 

「よかったら、のむ?」

 

 小さいサイズのホットのお茶を、おれにさしだしてくる。

 

「サンキュー」

「じゃ、乾杯」

 

 勇はホットのミルクティーをあけて、ごちん、とおれが持つお茶にかるくあてた。

 

「なつかしいねー、この公園」

「おぼえてるか。そこの蛇口」

「ああ。アンタがころんだアレ?」

 

 何才ぐらいだったか、4才か5才のときかな。

 この公園で勇といっしょに遊んでて、おれがコケた。足をすりむいて、口にめっちゃ土が入った。もちろん、当時のおれは泣いた。

 

「正は、昔っから運動が苦手だったから」

「まあな……」

 

 泣いてたら、気がついた勇が傷口を水ですすいでくれて、さらに手の中に水をためて、おれの口元にもってきてそれを飲ませてくれた。おかげで口の中を洗えて助かった。

 この公園のあの蛇口には、そんな思い出がある。

 

「勇はつまずいたことがあるのか?」

「な~に? 重い話とかするの、ヤだよ」

「単純に、ころんだことがあるかって話」

「あー……ないかも」

 

 まじか。

 ころんだ記憶がないって、ころびまくってた――今でも何年かに一度はころぶ――おれからすれば、超人的だ。

 ん?

 スマホに着信。

 児玉(こだま)だ。クリスマス直前にでっかいコンパしねー? ってきた。

 

「おまえ彼女いるだろ」

「それはそれ。これはこれ」

「彼女が泣くぞ」

「正よ。泣いたあとの仲直りでやるとな、これがアチアチに()えるんだよ!」

 

 なんてヤツだ、まったく……。

 勇もいるから、ラインのやりとりはそこでやめた。

 

「バカ。あいつ、大っ嫌い」

 

 スマホをのぞいていた勇が言った。

 おれはなにげなく、

 

「彼氏って、あんま連絡してこないタイプなんだな」

 

 と口にした。

 勇が、「嫌い」とくちびるをとがらせたまま、かたまった。

 なぞの沈黙が数秒あったあと、

 

「……ん?」

「いや連絡だよ連絡。ラインとかSNSだったり。つきあってたらけっこう(みつ)にやるもんじゃないか?」

「えっ? あー」と、勇は今さらのようにスマホを出す。「私はエチケットかな~、と思ってね、ガマンしてしなかっただけ……だよ?」

 

 ほんのわずかにドーヨーがみられる。

 キョドってる感じ。気のせいレベルではあるけど。

 

「向こうは? してこないのか?」

「いやほら……、ねぇ? 野球部って練習がハードだから」

「彼氏とは、うまくいってるんだよな?」

「当たり前でしょ! ラブラブなんだから!」

 

 そこまではっきり言われると、それ以上何も言えなくなる。

 やれやれ。やっぱり、なれないことはするもんじゃないな。

 

(ひょっとして、ウソで彼氏とつきあってるのかと思って、カマっていうのをかけてみたんだけど……)

 

 勇の返答だと「ラブラブ」。

 なら、おれはこいつを信じなくてはいけない。

 おれのポリシーは〈女の子を疑わないこと〉だからな。

 

「そろそろ帰るか」

「うん」

 

 家に近づいたところで、

 

「あれ?」

 

 おれたちが、同時に言った。

 

「勇の家……明かりがついてるな」

「もう私の家じゃないけど」

 

 赤い屋根の、二階建ての家。

 勇は今年の夏休みの終わりごろに、この家を出ておれの家に引っ越してきたんだ。

 

「あれって、だいたい半年前か。もう誰か新しく入ってきたんだな」

「住み心地バツグンの家ですからね」と、勇が自転車のハンドルをもったままで胸をはる。「ここには思い出だっていっぱいあるし」

 

 ちらっと見たが、まだ表札はかかっていない。

 どんな人が引っ越してきたのか気になったけど、そのまま通りすぎて帰宅した。

 

「あっ、勇」スリッパをパタパタとならして、玄関で靴をぬぐおれたちのところにやってくる勇のお母さん。「おかえり。よかった~。ちゃんと正ちゃんをお出迎えできたのね?」

 

 勇はちょうど、おれの視界のうしろの死角にいる。

 バッ、と空気がうごいて、勇がなんかアクションしたみたいだったけど……。

 

「もう」

 

 と、つぶやいて、お母さんは背中を向けた。レンガ色のタートルネックに、ぴちっとしたスキニーの白いパンツ。こんなふうに、家の中でもだらしない格好はしない人だ。いつも白Tにゴムのゆるみかけたショーパンの勇とは大ちがい。年も、まだ30代で、スタイルがよくて、大人の色気もあって――――

 後頭部に熱い視線を感じる。

 

「……正? それだけは、ぜ~~~ったいに許さないんだからね?」

 

 ふりかえると、腕を組んでけわしい顔つきをした幼なじみがそこにいた。

 人差し指の先をトントンさせているあたり、いかにもイライラしてるって雰囲気だ。

 

「お母さんとおれが、ってこと?」

「ゼロパーじゃないでしょ?」

「安心しろ。完全にゼロパーだよ。おれにとっては、それは正しい恋じゃないから」

 

(さて――)

 

 夕食を終えて、ごろんとベッドに横になる。

 

(彼女でもさがすか……って、そんな簡単に見つからないけどな……)

 

 いままで12人の女子とつきあえたのは、ほんとに偶然とラッキーのタマモノだった。

 最初の子は、児玉につれていかれた合コンで出会ったんだっけ。

 いま一度、あの悪友(あくゆう)にたよってみるか?

 

(でも今までは、なんか流れに身をまかせてっていうか――成り行きでそうなったっていうか)

 

 ガシッ‼ とハートをワシづかみされたような、熱い恋愛のスタートじゃなかった。

 思えば、おれは〈一目ぼれ〉って、したことない。

 してみたいもんだぜ。どっかに、ころがってねーかな……

 

(雪?)

 

 カーテンのスキマから、白いつぶが落ちるのが見えた気がした。

 カーテンをあけて、窓をあける。

 

(気のせいか……)

 

 窓をしめようとして、

 手がとまった。

 そのまま。

 ストップしてしまう。

 

 家の前の道路に女の子がいる。

 同い年か、もしかしたら年上かも。

 赤いダウンジャケットを着ていて、そのポケットに両手をつっこんでいる。

 

 その子と、目が合っている。

 

 おれは見下ろして、彼女は見上げて。

 

 目を、はなせなかった。

 

 ほかのところじゃなく、ずっとそこを見ていたいという、不思議な気持ちになってる。

 長い髪が風でゆれた。

 あの子は誰だ? この近所じゃ、見たことないぞ。

 おれを見つめて、なんとなく笑ってるような、やさしい表情。

 おれも見つめ返している。

 まるでチキンレース。

 どっちが先に視線をはずすのか、はずしたら負け、みたいで。

 

「正~、いる~?」

 

 ノーノックで部屋に入ってくる勇。

 

「さっむ! なにしてんの、窓なんか閉めなさいよ」

「え?」

 

 と、部屋の中に顔を向けた。

 

「星空をながめるなんてタイプじゃないでしょ、アンタは」

「ちょ……ちょっと、きてくれ」

「ん?」

 

 勇が窓際にきたので、

 

「あれって誰か知ってる?」

 

 とたずねた。

 

「外? こんな寒いのに、外に誰かいんの?」

「いいから」

 

 勇の背中を押して、強引に外を見てもらう。

 

「…………」

「どうだ?」

「正……彼女がほしすぎて、まぼろしの女の子でも見た?」

 

 えっ、と確認したが、たしかに道路には誰もいない。誰も。

 そんなバカな。

 勇があやしむような表情になった。

 

「それとも、これも演技の練習?」

 

 両手を腰にあてる勇のTシャツに、すこし()けるグレーのブラジャー。

 おれは、わからない。

 これを見てるせいなのか、さっきの女の子のせいなのか。

 

 

 すごくドキドキしてて、胸が熱い。

 

 



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目と目と、目

 

「ドーパミン。オキシトシン。それとフェニルエチルアミンね」

 

 こつん、と手の甲でホワイトボードを三回たたく。

 上のほうには〈一目ぼれの正体〉とていねいな字で書かれていた。

 

「……以上」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 おれはイスから立ち上がった。

 同じ部屋にいる白衣を着た人たちが、じろり、とおれに冷たい眼を向ける。

 ここは科学部の部室で、ここにはめっちゃ頭がいい人しかいない。

 

「なんなんですか、それは?」

「正。あなたにも血が流れているでしょう?」

 

 両手をうしろで結んで、おれのほうにゆっくり歩いてくる。

 もちろん彼女も制服の上から白衣を着てる。

 元カノ。

 一目ぼれってあるんですか? とスマホで彼女にメッセージを送ったら『放課後、科学部にきなさい』と返信されて今にいたっている。

 

「その血の中にある物質よ。ここに書いてる3つがそろったら、一目ぼれの出来上がり。まあ、一目ぼれというよりは、恋愛感情が高まって興奮状態にあるときというほうが正確だけど」

「おれは一目ぼれの理由を――」

「誰かに一目ぼれ、したんだ?」

「よくわからないけど、したっぽいような……」

 

 おれはまたイスに座り直した。

 すると、彼女が前かがみになって、おれのおでこを人差し指でかるく押した。

 

「いけない子。みじかい間とはいえあなたの彼女だった私に、『ほかの女に一目ぼれしたよ』とか、ふつう相談にくる?」

「ごめん。でもほかに聞ける人がいなくて。自分でネットで調べても、全然ピンとこないし……」

 

 はぁ、とため息をつきながら髪をかきあげる。

 セミロングで、前髪はつくってなくてサイドと同じように長く伸ばし、それが片っぽの目だけをかくしていて、やたらとセクシーだ。

 彼女は、広尾(ひろお)さん。おれと同じ二年生。科学部の部長。

 おれは下の名前でユナさんと呼んでいる。

 

「こまった元カレだこと。ま、たよられてわるい気はしないけどね。じゃあ、そのときの状況をくわしく教えてもらえる?」

「えーと……簡単にいうと、はじめて見る女の子と目が合って、そのまま目がはなせなくなったんだ」

 

 ユナさんがおでこに片手をあてる。

 考え事をするときに、彼女がよくするポーズだ。

 

「容姿は好みだった?」

「たぶん」

「芸能人とか女優とか、または、あなたがこれまで会った女性に似てる人はいる?」

「いない……かな」

 

 質問を変えましょう、と言いながら近くのイスを引き寄せてすわる。

 

「あなた、どうして困ってるの?」

 

 それは予想外の角度からの問いかけだった。

 

「正を見てたら……『おれ一目ぼれしちゃったよ、どうしよう』みたいな感じがしてね。べつに気にすることないじゃない。好きになったんだったら、アタックあるのみ――でしょ?」

「アタック」と、おれは単語をくり返す。

「あなたと何回かデートしたときも」ふわさっ、とユナさんは髪をかきあげる。「同じ感じがしたよ? 『おれ今この子といっしょだけど、どうしよう』って。どことなく、とまどってるっていうか、まるで〈絶対的な本命の子〉が――」

 

 かくれてないほうの片目だけで、じーーーっと見つめてくる。

 妙に迫力があって、目線をはずすことができない。

 

「いるみたいに」

「……すみません」

「あやまらなくてけっこう。私はそこがひっかかったから、あなたをフッただけ。泣く泣くね」

「泣く泣く?」

 

 は! と切れ長の二重の目が、まん丸になった。

 あわてて横を向き、

 

「い、いや失言。ていうかリップサービス……ね。ほんとよ? あなただって、むかしの彼女にミレンを持たれてたほうが、気分がいいでしょ?」

「全然」おれは言う。「ユナさんには、新しい彼氏とかみつけて、しあわせになってほしいです」

「ふー」長い息をはきながら、彼女はなんども小さく首をふった。「そんな恥ずかしいセリフを、まっすぐな目でいえちゃうんだから……つくづくツミな男だよね、あなたは」

「ウソじゃないですよ」

「わかってる」

 

 じゃあ、とおれは立ち上がった。

 ユナさんに話を聞いてもらえてよかった。なんかふっきれた。

 そうだよ。好きになったなら、アプローチして、そのうえで想いを伝える。これっきゃない。悩んだり迷ったりしなくていい。

 

「それで? 正、これからどうするつもり? あの幼なじみの子にアタックするの?」

「え? いや……あいつには、彼氏がいるんで」

 

 きっ、とほんの一瞬、ほんとに一瞬だけ、ユナさんがきびしい表情になった。

 何かに怒ってる、ような。

 もしかして、おれに対してキレてる?

 

「ユナさん?」

「……なるほどね。それがあの子の選択……か。どうしてもっと……素直になれないかな……」

 

 ぶつぶつと、ひとり言のように言ってる。

 なんかイライラしてる雰囲気。

 気づかれないように、そーっと部屋を出ていこうとすると、

 

「正!」

 

 うしろから呼び止められた。

 

「待って! あとひとつだけ!」

 

 長い白衣をひるがえして、彼女が小走りでやってくる。

 ほかの科学部の人たちは、とくにこっちを気にしていない。みんな自分の世界にボットウしているみたいだ。

 

「一目ぼれの子に恋をするのもいいけど、その前に」

 

 ぐっ、と制服のそでをつかまれた。

 なんだか知らないが、ユナさんは真剣だ。

 

「ひとつ、あなたに魔法をあげるよ。本当の……正しい恋をみつける魔法。ね?」

「魔法ですか?」

 

 ユナさんの口から、こんなファンタジーなワードがでるなんて。

 科学部っぽくないですね、とツッコミそうになった。

 が、あまりにも彼女の目はマジで、冗談をいえる空気ではない。

 

「いい? あの幼なじみの子に、あなたは言葉の意味もなんにも考えずに、今から私がおしえるたった一言だけを口にすればいいから――――」

 

 ◆

 

 その日の帰り道。

 電車がとまってドアがあき、赤いブレザーの女子が乗ってきた。

 

(もしかして(ゆう)ちゃん?)

 

 赤い制服と、ポニーテールの髪型だったから、反射的にそう思った。

 反対側のドア付近に立つおれのほうへ、スタスタ歩いてくる。

 

「……あ」

 

 ちがう。

 でも、ちがわない。

 おれが、すごく会いたかった子だから。 

 

(家の窓から見かけた、あの子だ!)

 

 目の前にきた。つり革はもたず、しまったドアに背中をあずけている。

 もちろん、とっくにおれには気づいている。

 また見つめ合うことになるのかな、と思っていたら、

 

(……あれ?)

 

 くるっと回って背中を向けてしまった。

 

(こっちに気づいてない……? いや目は合ったんだけど……)

 

 と、またくるっと回って、

 

「また会いましたね」と、はにかんだような顔で言った。

 

 音で表現すれば、ズキューーーン‼

 一撃でやられた。

 か、かわいい。

 あのドキドキがよみがえる。

 ちょっと待て、あせるな。

 おれだって12人の女子とつきあってきたんだ。恋愛経験値はおれのほうが上のはず。

 ここは気さくに、

 

「また会えると思ってたよ」

 

 こう返すんだ。100点のキメ顔で。

 電車が発車した。

 やさしく笑ったまま、彼女は目を細めた。

 

「……ほんとに、そう思ってました?」

「もちろん」

「あの家の人ですよね? 私、近所に引っ越してきたんです」

「そうなんだ。まさか中学生とは思わなかったよ」

「中学生? ふふ……そんなコドモっぽくみえます? ショックだなー」

「え? でも、その制服って有名な女子中の……」

「高校もあるんです。中高一貫ですよ、あそこは」

「そうなんだ」

 

 楽しい時間は、はやく流れる。

 おれはすっかり浮かれてしまって、そこから会話の内容をあんまりおぼえていない。 

 彼女は寄るところがあるらしく、次にとまった駅で電車をおりてしまった。

 

(やっぱり一目ぼれ……してたか)

 

 自分の気持ちを確認することができた。

 大きな収穫だ。

 連絡先も交換できた。

 彼女の名前は――

 

 星乃(ほしの) (しょう)

 

 同じ名前だね、と彼女はよろこび、おれもよろこんだ。

 同じ音で「ショウ」。こんな偶然あるんだな。

 

「運命ですね」

 

 と、彼女はなにげなく言ったけど、もしかしたら、ほんとにそうかもしれない。

 運命のパートナー。

 おれの家は帰宅したら親にスマホをあずけるシステムだから、もう今日は星乃さんと連絡し合うことはできない。

 また明日だ。

 楽しみでしょうがない……ん? なーんか、忘れてるような気が……なんだっけ?

 

「正、どうしたの? 腕組んで考えこんじゃって」

 

 下からおれの顔をのぞきこむ勇。

 マンガを手に、一口サイズのチョコレートをつまんで、横に寝そべって――ようするにリラックスしまくってる。人の部屋なのに。

 黄色いショーパンからのびる健康的な足に、ゆるくなったTシャツのえりの奥からチラッとしてる胸。

 よく知らないけど、一般的な〈いもうと〉ってこんな無防備なのか?

 

「忘れてるんだ」

「えっ?」

「大事なことを……一目ぼれじゃなくて、えーと」

「それちがうよ。正確にはね、ホレ直すっていうの」勇は自分を指さした。「私のことでしょ? これだけつきあいが長いんだから、もう一目ぼれでもなんでもないじゃん」と、ニコニコした顔で言う。「魔法で記憶を消したんなら、話はべつだけど」

「魔法……あっ‼」

「どうしたのよ、いきなり大声だして」

 

 ベッドのふちから立ち上がる。

 つられて、勇も立ち上がった。

 

「それだ。魔法だよ。ユナさんから――」

「ユナサン? それって、前につきあってた科学部の子?」

「それは、今はいいんだよ」

 

 おれは勇の肩をつかんだ。右も左も。

 あいつが逃げていかないように、しっかりとホールドして。

 

「正?」

「えーと……」

 

 思い出したコトバを、頭ん中でリピートする。

 ほんとに、この魔法で正しい恋が見つかるのか?

 おれはバカなんだから考えても仕方ない。

 

「いくぞ?」

 

 ん? と勇が無言で首をかしげる。

 

 

「お……『おまえの彼氏からぜんぶ聞いた』よ」

 

 

 あっ。

 勇の表情が変わった。

 目を大きく見ひらいたあと、がっかりしたような顔になる。

 

「そっか……(そと)っち、とうとう……言っちゃったか」

 

 予感がある。

 よけいな口をはさむな、という予感。

 このまま、勇にしゃべってもらえ、という予感。

 何かが大きくうごきだす予感。

 

「そうだよ。私たちじつは……つきあってないから」

 

 つきあってない? あいつと?

 じゃあ、勇は、最初から彼氏もちでもなんでもなかったのか?

 どうしてそんなウソを――

 

(!)

 

 いつのまにか勇が近い。

 ショートカットで明るくて強気な性格のこいつが、静かにだまって寄り()って、おれの胸におでこをあてている。

 

「どうして? って言いたいんでしょ? それは、私はずっと正のことが――」

「あのー」

 

 おれと勇、同時に体がビクンとした。

 聞きなれない声、すくなくとも家の中では耳にしたことない声が、ドアのところからきこえる。

 勇といったん目を合わせ、そこからシンクロしたように声の(ぬし)のほうをいっしょに見た。

 

 

「……私、お邪魔でした?」

 

 

 赤いニットにベージュのスカートの女の子。

 星乃さんが片手で口をおさえて、おれたちを見つめていた。

 



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運命は同時進行で

 はずかしい告白をする。

 おれは、12人もの女の子とつきあいながら、1人も自分の部屋にあげたことがない。

 そうなる前にフラれたからだ。

 つまり、彼女は――

 

「あ。ありがとうございます」

 

 幼なじみの(ゆう)以外で、はじめておれの部屋に入った女子……ということになる。

 紅茶のいい香り。ティーカップもオシャレ。

 ごゆっくりね、と3人分の紅茶をはこんでくれた勇のお母さんが笑顔で部屋をでていった。

 まるいローテーブルを三角形をつくるように座っていて、おれは正座、勇はあぐら、星乃さんは足をひかえめに横に出して座っている。

 

「ほんとに……さっきは、ごめんなさい!」

 

 ばっ、と頭をさげて、長い髪の毛がゆれた。帰り道で会ったときはポニテにしてたけど、今はとくに結んだりくくったりしていない。こめかみのあたりに〈天使のわ〉がハッキリできていて、メンテばっちりって感じのキレーな黒髪だ。すごくサラサラで、静電気でちょっと浮いてる髪もあって――

 

「……見すぎじゃない?」

 

 じと……と勇が細めに細めた目でおれを見る。

 しかも頬杖(ほおづえ)までついて。

 と、その目を一瞬でふつうの目にもどして、星乃さんに向けた。

 

「いいのいいの! 頭をあげてよ。べつに……ねぇ?」

 

 パス、とばかりにおれに目線。

 星乃さんも、上目づかいでおれに目線。

 もうしわけなさそうな表情をしているが、はっきり言って彼女にツミはない。

 うちにアイサツにきたら、勇のお母さんが茶目っ気をだして「おどろかせてあげてよ」と、おれの部屋に通してあげたというだけの話だ。

 おれには聞こえなかったけど、きっとノックもしてたんだと思う。

 気づかなかったおれがわるいんだ。

 

「そ、そうだよ。おれも勇も気にしてないし、何かしてたっていうわけでもないし……」

「でも……いいムードでしたよ?」

「演技だよ演技」と、おれにしては会心の切り返しができた。「ちょっとつきあってもらったんだ。おれ、演劇部だから」

「そうなんですか?」

「そうそう。おれたち、どっちもマジじゃないから」

 

 何か言いたそうな顔をおれに向けたが、それだけで勇は何も言わなかった。

 そして何秒か静かな()があったあと、それよかさ、と勇が話題をかえる。

 

「あなただったんだね。新しく引っ越してきた人って」

「はい」

「…………かわいい」

「はい?」

 

 着てる赤いニットの胸元を片手でおさえて、ちょっと首をかしげる。

 

「めっ~ちゃかわいいじゃん!」

「そ、そうですか?」

「かわいすぎだよ。しかもこの透明感。彼氏はいる?」

「いえ、その……女子校なので」

「それは関係ないよー。むしろ女子校の子のほうがすすんで――」

「勇。まずは自己紹介からだろ」助け舟のつもりで、口をはさんだ。しかし、さりげなく〈彼氏いない〉の情報が引き出せたのは、勇にグッジョブと言わざるをえない。「名前もまだ教えてないんだし」

 

 おれは言いながら、紅茶に手をのばした。

 すこし、手がふるえてる。ドキドキもしてる。顔も赤いかもしれない。

 おれは急いで手をひっこめた。

 さいわい勇には気づかれていない。

 勇は、お母さんがもってきてくれたマドレーヌをパクパク食べている。

 

(わからない……これって星乃さんが目の前にいるからなのか)

 

 私はねぇ~、と明るく名乗っている幼なじみの横顔を見た。

 

(それとも、こいつのせいなのか。なんなんだよアレ……『つきあってない』って。そんなのアリか?)

 

「ほら」と、勇がおれの肩をゆする。

「え? 何が?」

「つぎは正の番でしょ、自己紹介」

「おれはいいよ」

 

 勇に、今日帰り道で彼女と会ったことを話す。

 

「へー、そうなんだ。すっごい偶然じゃん」

「たまたま同じ車両に彼女が乗ってきたんだ」

「へー」

「連絡先も交換した」

 

 会話の流れ上、ここにも「へー」とか「えっ?」と勇がアイヅチを入れるはずなんだが、

 

「……」

 

 だまってしまった。

 昔から、こいつはおどろいたときに無言になるクセがある。

 おどろいた、というか自分にとっていやなニュースを耳にしたときというか。

 最近だと、おれがまちがえて勇のプリンを食べたと伝えたときもそうなった。

 

「……そう」

 

 でもなんか今までとちがう感じがする。

 プリンのときみたく、だまったあとにパンチやキックもしてこない。なんかシュンとしてるような……。

 

「正ったら、手が早いんだから」

 

 声にも、あまり明るさがない。

 星乃さんは空気を読んだのか、そこで「そういえば宿題があって」と思い出したように言って、ササッと帰ってしまった。

 

 ◆

 

「危機感あるんじゃない?」

 

 突然、そう言われた。

 朝の教室。外は雨がふってる。

 スカートのポケットに左手をつっこんだ女子が、右手をおれの机においた。 

 国府田(こうだ)さんだ。

 このクラスの女子をひっぱる、ちょいヤンキーっ()もある女の子。セミロングの髪はほのかに茶色。

 座ったままで彼女を見上げながら言う。

 

「危機感って何?」

「正クンが、女子人気ナンバーワンから落ちるかもってこと」

「え?」

「知らないの? 情報おそいなぁ。あのね――」

 

 はじめて聞いた。

 昨日、べつのクラスに転校生がきたらしい。

 勇と同じクラスに。

 おれより背が高いとか美形とかいうより、はっきり言ってそっちのほうが圧倒的に気になった。

 

「いやー!」

 

 と、おれたちの会話に児玉(こだま)も割りこむ。

 

「おれもさっきチェックしてきたけどさー、ありゃーレベチ。別次元だわ」

「そうか」と、おれはそれほど興味がない。「モテるんだろうな」

「バカいえ。おれン中では、ショーのが上よ。ショーにだったら抱かれてもいいけど、あいつはイヤだね」

「朝からする話じゃないでしょ」と、国府田さんが児玉の肩を押す。「でも面白い子が入ったよね。来年のバレンタインとか、チョコの数じゃどっちが勝つのかな~」

 

 かんべんしてくれよ、と国府田さんに言い返したとき、かぶせるように児玉が聞き捨てならないことを言った。

 おれは立ち上がる。

 

「わるい。もう一度、言ってくれ」

「へっ? だからよぉ、転校生のヤロウめ、楽しそうに勇ちゃんとツーショットでしゃべりやがって、って」

「まじか」

「ん? ショー、どーしたのよ?」

 

 いきおいで廊下にでた。

 でも、どうする。

 いくのか?

 

(勇)

 

 いこう。

 いかなくちゃ、この気持ちにおさまりがつかない。

 自分の目で確認したい。

 だいたい、児玉のヤツは話を盛りがちだからな。

 どうせさっき言ったことだって、フツーに、転校生がほかの男子や女子といっしょに――

 

(ツーショット‼)

 

 一瞬、息がとまってしまった。

 児玉は、話を一ミリも盛っていなかった。

 教室のスミに、勇と向かい合う、背の高い男子がいる。

 めっちゃ盛り上がってる。

 勇なんか、手をたたいて笑ってるぞ。

 おれは会話力も笑いのセンスも0点だから、あんなに勇を笑わせたことは……ひょっとしたら、ないかもしれない。

 

「――? ――」

「――!」

 

 何を話しているかは、聞こえない。

 ただただ楽しそうだ。勇の目も、心ナシか、ふだんよりキラキラしてるような……。

 相手の転校生は、国府田さんの情報どおりで超絶イケメン。スタイルもいい。おれより5センチは背が高いだろう。

 男を見上げて、気持ちよさそうに話している勇。

 まるで、おれがよく知ってるあいつじゃないようで……。

 くそっ!

 なんか、よくない感情で胸がいっぱいになってる。ヤキモチとかシットとかジェラシーとか、そんなヤツ。

 

(見に行くんじゃ、なかったか……)

 

 ていうか、なんで落ちこんでるんだ、おれ?

 そもそも、あいつには〈彼氏〉がいたんじゃないか。

 彼氏となら、おしゃべりどころか……もっと親しくするもんだろ? 

 ヤキモチなんか、今さらすぎないか?

 どうしたんだよ。

 まったく。

 廊下の窓の外は雨。

 窓ガラスに映るおれが、すこし猫背になってる。

 どこか表情も暗い。

 えーい! 笑顔笑顔! んで、シャキッと胸をはれっ!

 もどってこい! 最っ~~~高にかっこいい、おれっ!

 

(ん?)

 

 スマホに着信。

 星乃さんからのラインだ。

 あやしげな感じがする出だしだった。

「運命って信じますか?」なんて。

 とりあえずノリを合わせて、「信じるよ」と、おれは男前に返す。

 すると、 

 

「私も、信じてみます!」

 

 なにを? と打ち返す前に、追いかけるように向こうからメッセージがきた。

 

 

「私たち、おつきあいしませんか?」

 

 



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2度ある告白は3度ある

 告白されたことは、たくさんある。

 こんなのジマンになるだけでイヤミだけど、たくさん――回数をカウントできないほどに。

 バレンタインのチョコにそえられた手紙とかもカウントしたら、3ケタはいくかもしれない。

 でも、何回されたっておれには価値がないんだ。

 告白は〈おれ〉からするものだって、思ってるから。

 

(これって告白? 出会ってから、こんなに早く?)

 

 ご近所さんの星乃(ほしの)さんから「おつきあいしませんか?」のライン。

 いったん、心を落ちつかせようと目をつむる。

 カンでわかる。

 これは……返信までに長い時間をかけちゃいけないタイプのヤツだ。

 

(どうする――?)

 

 こういうのは長引けば長引くほど返しにくくなるし、向こうでもヘンに誤解して、泣いたり落ちこんだりっていうことにもなる。

 おれは、ひきょうなアイデアを採用することにした。

 

「いいね!」

 

 と、ただのノリとも本音とも受け取れるメッセージをおくった。

 

「よくないでしょ!」

 

 と、(ゆう)なら言うだろう。

 おれも……じつは、そんな気がするよ…………でも、あいつだって、ほかの男子と……

 

「あん」

 

 しまった。

 誰かとぶつかった。前を、よく見ていなかったから。

 ぺたん、とぶつかった相手がシリモチをついて、スカートが足の付け根のあたりまであがってしまう。

 おれはあわてて手を伸ばした。

 

「ご、ごめん!」

「いいえ~」

「大丈夫?」

「はい~」と、おれの手をとって、ゆっくり立ち上がる。「こちらこそ、ぼ~っとしておりまして……あれ~? 小波久(こはく)さんではないですか~?」

「あっ。ユッキー?」

 

 肩まで届かない短い三つ編みを二本つくった女の子。

 古代(こしろ)ゆき。

 おれの6回目の告白をオーケーしてくれてつきあった、元・彼女だ。

 

「ケガがなくて、よかったよ」

「ふだんから、ころびなれておりますので~」

「ほんとに平気?」

「はい~」

「そっか」

 

 ここで、にこっ! とおれはせいいっぱいの笑顔をつくったつもりだが、

 

「……なんか、ムリされてませんか~?」

 

 一発で見抜かれてしまった。

 さすがのユッキー。

 

「わかる?」

「これでも、あなたのカノジョですから~」

 

 え⁉ とそばを歩いていた女子がこっちを見た。

 カノジョっていっても〈(もと)〉なのに、進行形だと思われてウワサが広がるぞ。おれはべつに気にしないけど。

 こんな感じで、こまかいことは気にしない子だ。

 だいたい、すでに話し方からマイペースなんだ。

 しかし、このペースになれてしまうと、不思議なもので音楽みたいに耳に心地よくなってくる。

 

(もしかして、おれをフッてないと思ってる?)

 

 ユッキーにかぎり、その可能性すらある。

 約1年前、帰り道で夕日をバックに「おわかれしましょう」って、はっきりフラれているんだが。

 

「そんなに気になりますか」

 

 彼女にしては強い口調で、おれの手を指さす。

 にぎっているのはスマホ。

 話しながら何度もチラチラ見てたのが、バレてたか。

 

「え? ああ……さっき女の子から告白されて」

 

 まぁ、と両手で口元をおさえる。

 おこっている感じはない。むしろ、うれしそう。

 元カノにバカ正直に言うおれもおれだが、ユッキーもなかなかユニークな女の子だ。

 

「とりあえず返事はしたんだけど、まだ迷ってるんだ」

「あ……お時間が……そろそろ行きませんと」

「ごめん、話しこんじゃったね。久しぶりにキミに会えて、うれしかった」

「……」

 

 さわやかな表情で、さっそうとターンしようとした瞬間、制服の胸のあたりをつかまれた。

 そのつかんだ手に力をこめてユッキーが背伸びし、おれに耳打ちする。

 

「――連絡します。お使いの携帯、音も振動もオフにしておいてくださいね」

 

 と、過去イチの早口で言った。

 連絡?

 とにかく、チャイムが鳴ったのでおれも急いで自分の教室にもどる。

 連絡って……。

 ホームルームが終わって、一時間目がはじまった。

 

(きた!)

 

 ユッキーからライン。

 先生にバレバレだとは思いつつ、教科書を立ててバリアをつくって、こっそりスマホを操作。

 

「やっほー!」

 

 と、元気のいいメッセージ。

 そうだ。思い出した。ユッキーって、メールとかラインだと別人みたいになるんだ。

 

「さあ、さっきの続きだよっ!」

「うん」

「迷ってるって、どういうことダイ?」

「告白してくれた子と、つきあってもいいのかな、って」

「というと?」

「おれにはもう一人」前の席の女子が髪をショートにしていて、たまたま〈あいつ〉にそっくりだった。「好きな子がいるんだ。どっちが、自分にとって正しい恋なのか、わからない」

「よし! じゃあタロットで占ってしんぜよう!」

「え?」

 

 そこで、やりとりが一時停止した。

 10分ぐらいして、

 

「結果が出たよ!」

 

 なぜか、おれは緊張していた。

 そのワケは、ユッキーの占いはよく当たるからだ。不気味なほど当たる。おれが「13人の女の子にフラれる」ことも占いで言い当てているんだ。…………あれ? ってことは、もうこれ以上おれはフラれないって意味にもとれるような……そんなことはないか。

 

「ききたい?」

「ここまできて、それはないよ」

「うふふ。では結果発表じゃ~~~‼ 正しい恋の相手は――」

 

 古典の授業が、壁の向こうでやってるみたいに、ほとんど耳に入ってこない。

 おれはスマホをじーっと見つめつづけていた。

 

 

「 ? 」

 

 

 ん?

 なんだ、これ。ハテナマークだけしかない。

 

「どういうこと?」

「天秤がつり合った。こんなの……はじめて♡」

「なんでハートマークなんだよ」

「うふ。とにかく、その二人で占ってみたけど、差がつかなかったのよぅ」

「どっちが正しいかわからないってこと?」

「そもそも恋愛に正しいなんてあるのカイ?」

 

 う……なんかいい感じっぽく言って、強引にまとめられたぞ。

 まいったな。

 そもそも、占いにたよろうとしたのがダメだったか。

 おれが、おれの恋愛をするんだ。おれが選択できなくてどーする。

 

「ありがとう。なんかスッキリしたよ。おれ、授業にもどるから」

「……くやしい」

「ユッキー?」

「二者択一じゃなくて、できれば三者択一がよかったな~なんて!」

 

 最後のコメントの下に画像つき。

 自撮りで、みじかい三つ編みの彼女が目をぎゅっとつむって小さい口を四角くあけ、イー! としてる。

 思わずキュンときた。

 かわいい。

 

(勇も昔は「イー!」ってよくやってたな)

 

 今も、たまにするけどな。

 

(三者択一か……まさか、まだユッキーもおれのことを……)

 

 いや。

 たしかに、フラれてる。これはシャレで言っただけでマジじゃないと思うんだ。

 もしかしたら……おれが本当は誰が好きなのかを占いで見抜いて、自分から身をひいたってことは考えられるけど。

 

「はー」

 

 つかれた。

 授業をこなして、放課後に演劇部で演技の特訓をみっちり受けて、やっと下校。

 雨がシトシトふる帰り道。

 やっと駅についたところで、

 

小波久(こはく)くん!」

 

 うしろから声をかけられた。

 今までと声色(こわいろ)がだいぶちがったから誰かわからなかったが、

 

外井(そとい)……くん?」

「はい。ずっと、ここで待ってたんですよ」

 

 片手でスクールバッグを肩にかつぎ、片手でビニール傘をさしているのは、勇の彼氏。

 ちがう。

 勇が自白したじゃないか。彼は、彼氏じゃないって。

 実際、彼からはもう〈彼氏役〉を()りたみたいな自由な空気を感じる。

 おれは笑顔をつくって片手をあげた。

 

「やあ。そっちも部活だった?」

「いえ、今日は休みました」目線を横にそらして「すこし、おれと話しませんか?」と言う。

 

 おれたちは駅の待合室のベンチにならんで座った。

 もう日は落ちてうす暗くなっていて、正直、めっちゃハラがへっている。

 

「いや~」と、彼は自分の頭をワシづかみするようにさわった。「うまくやってたつもりですけどね。やっぱ、ボロが出ちゃったか。どこで気づきました? おれたちがカップルじゃないってことを」

 

 外井くんは、さらっと大事なことを告白した。なんでもないことみたいに。

 心のどこかでは半信半疑だったおれも、もはや信じざるをえない。

 

「あれ? もう、バレてるんですよね? 勇ちゃんから、そう聞いたんですけど……」

「おれは気づいてなかったよ」

「えっ」

「ある人が、魔法をくれたから」

 

 おれは勇のウソを見破れた理由を説明した。

 

「あー、なるほど、そうきましたか。やばいぐらい頭がいーっスね、その〈ユナさん〉って人」

「あの……どうして二人は」

 

 外井くんは顔をくしゃっとさせて笑い、そのままペコッと頭をさげた。

 

「くわしいことは、おれからはちょっと……。そのうち、勇ちゃんから聞けると思いますよ。ほんとに、すみませんでした」と、また頭をさげる。

「いいよいいよ、気にしないで」

「あのとき……」

 

 彼はまっすぐな目で、おれをみた。

 

「心の底からうれしかったんですよ。ははっ。おれ、感情が顔にでないように、かくすのに必死でした」

「え?」

「ほら、放課後に『やっぱナーーーシ』って叫んでくれたじゃないですか」

 

 パッとあの日の記憶がよみがえった。

 外井くんに、幼なじみの勇をどう思っているかをきかれた場面を。

 おれは「友だちだよ」ってこたえて「恋愛感情は持ってない」とも言ったけど、それを「ナシ」ってソッコーで取り消したんだ。

 

「勇ちゃんを、お願いします!」

 

 かるく手をふって、駅の改札と反対方向に走っていく。そういえば彼って自転車通学だったか。この雨のなか帰るのは、大変そうだな。

 

(とにかく――これで完全に、彼と勇がつきあってるセンは消えたわけか)

 

 電車の中ではずっと、勇のことを考えていた。

 つまり〈どうしてウソをついたのか〉ってことだ。

 ドッキリやサプライズにしては、手がこみすぎているし、実行した期間も長すぎる。

 

(ウダウダ考えるより、直接きくか)

 

 それがよさそうだ。

 おれは頭がよくないし、かけひきだってヘタなんだから。

 電車をおりると、雨はやんでいた。

 いつもの道を歩いて帰る。

 前に勇が立ち読みをしていたコンビニをのぞいたが、今日はいなかった。児童公園にも、当然いない。前から自転車がくるたびに、つい勇じゃないかと確認してしまう。

 

 気がつけば、おれは勇をさがしてばかりいる。

 

 家が近づいてきた。

 

(……ん)

 

 声がきこえる。

 あいつの声。

 

「…………正とは、そういうんじゃないけど」

「だったら」

 

 家の前に人影が二つ。

 向かい合っている。

 勇と、ずいぶん背の高い男が。

 男は学校の制服――っていうか、あれは転校生! どうしてここに!

 おれよりも少しトーンの低い、声優のような聞き取りやすいイケボで、転校生は言った。

 

 

「オレとつきあってくれ」

 

 



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彼と彼女の宣戦布告

 やんでいた雨が、またふりだした。

 はやく家の中に入りたいけど、それはできない。

 おれは今、数メートルはなれた電柱のかげにかくれている。

 お気に入りの白いダッフルコートを着た勇と向かい合う、180以上はあるスマートな男。おれからは彼の後頭部しか見えないけど、かなりのイケメンだということはとっくに確認ずみだ。

 制服の上着のすそから、白いYシャツのすそがチラ見えしてる。

 転校生なのに、はやくも制服を着崩してるのか……って、そんなことはどうでもいい。

 

「もう一度いう。つきあってくれ。オレは伊良部(いらぶ)……いや、(ゆう)のことが好きだ」

 

 呼び捨て!

 あいつ、いくらなんでも勇と距離をつめるのが速すぎるだろ。今日「昨日転校してきた」って聞いたから、まだ2回、これをいれても3回目なんじゃないか?

 たしかに、やたらとスピード感があるっていうか、最初から女子を下の名前で呼ぶ男子もときどきいることはいるけど、たいてい「さん」や「ちゃん」ぐらいはつけるぞ?

 

「気持ちはうれしいけど」

「勇」

「いきなり、そんなこと言われてもさ……」

 

 迷ってるそぶりはあるが、「勇」と呼ばれること自体はイヤがってない。表情や態度でわかる。

 つまり、もうそこまで親密になってるってことか?

 おれの知らない間に。

 まさかオッ、オッケーとか、しないよな⁉

 

「オッケー――」

 

 ‼

 

「――とかダメとか、いえないよ。突然すぎて」

「わかってる。返事はあとでいい。ごめんな。困らせるつもりは、なかったんだ」

「うん……」

 

 右手をのばし、そっと勇の肩にのせる。

 何か言っているのかも知れないが、ちょっと小声すぎて聞き取れない。

 

「じゃあ。また明日、学校でな」

 

 家の玄関のドアをあけた勇の背中を見送ると、くるっと彼がおれのほうに向いた。

 やばい!

 こっちにくる!

 いや、べつにきたっていいだろ……とは思いつつ、電柱にくっついて息をひそめて、どうにかやりすごそうとする。

 

「お兄ちゃーん!」

 

 ききおぼえのある声。

 

「ぬれちゃうよ! ほら傘に入って」

「いい。こんなの小雨(こさめ)だ」

 

 そーっと、顔を横にスライドした。

 忍者のように気配を消して。

 あれは……やっぱり星乃(ほしの)さんじゃないか。勇が住んでいた一軒家に引っ越してきた女の子。

 おれが一目ぼれしてる――かもしれない子。

 

(しょう)。いいから、先に家に入ってろ」

「でも」

小波久(こはく)さんの家に忘れ物した。すぐにもどるから」

 

 もー、とスネたようにいって、赤いダウンジャケットを着た星乃さんがUターンした。

 え?

 今のきょうだいみたいなやりとりは……。

 考えていたら、

 

「…………お互い、体がデカいと大変だよな。かくれんぼもできない」

 

 こんこん、と電信柱にノックの音。

 まいったな。

 

「よう」

 

 観念して姿をあらわしたおれに、まずアイサツしてくる。

 そして笑顔。

 意外なことに、人なつっこい。

 

「……はじめまして」

「オマエが小波久正だな?」

「そうです」

「あれっ」ははっ、と前髪をかきあげながら笑う。「タメなのに敬語とか。けっこー人見知りするタイプなんだ?」

 

 それより! と、おれは強いまなざしで彼をみる。

 

「告白したんですね。勇に」

「おいおい、まさか立ち聞きしてたのか?」

「立ち聞きしてました」

「うわ。めっちゃ好きなタイプだわ。オレ、ウソつかないヤツ大好きなんだよ」

 

 すっ、と手をだす。

 

「ぜひ友だちになってくれ。なっ? 握手しよう」

 

 おれは、彼の手をとらない。

 正体不明の感情が、この手をとるな、と言っている。

 

「……勇に告白したって、ムダですよ」

「は?」

「クラスメイトから聞いてませんか? あいつには彼氏がいるんです」

「だから何? オレのほうが勇を幸せにできるけど?」と、だしていた手をひっこめて、ズボンのポケットにつっこんだ。

 

 なんだこの自信満々ぶりは。

 また「勇」って言ってるし。

 だんだんハラがたってきた。

 

「あいつを呼び捨てにするのだって……、どうかと思います。たぶん、そっちが転校生だからスルーしてるだけだと思いますよ」

「へえ」

 

 ぎらっ、とするどい視線。

 中学のとき、ヤンキーくんにこんな目で見られたことがある。

 水もしたたるなんとか――で、正面からのアングルは完全にいい男でキマってる。

 いや!

 絶対(ぜ・っ・た・い)に、おれのほうがカッコいいけどなっっっ‼

 前髪にシャッと手櫛(てぐし)をいれて、背筋をシャンとのばして、気づかれないよう少しカカトを浮き上がらせた。これで身長差はほぼなくなったぞ。

 

「はー……なえるわ」

 

 彼が目をつむって、肩をすくめた。

 

「わかりやすくケンカ売ってんのに、ちっとも買うそぶりがねー。オマエ、やっぱりいいヤツだな」

「ケンカ?」

「ちなみにオレは、シュートやってる。ヘンな気をおこさなくて、よかったのかもな」

 

 シュート……サッカーのことだろうか? それともバスケット?

 

「勇はさ」近づいて、おれの真横にきた。「いい女だ。オレ……ぶっちゃけ女ってあんま好きじゃねーんだよ。どいつもこいつも、オレの〈見た目〉だけにしかキョーミを示さないからな」

 

 また、おれをにらんでる?

 と思ったら、彼は肩ごしにおれの家のほうを見ていた。

 すこしトーンが低めの落ちついた声で、彼はつづける。

 

「でも勇はちがう。あいつは男を外見だけで判断するような安い女じゃない。オレにはそれがわかった。だからコクったのさ」

「……」

「理由はもう一つある」

「えっ?」

「家の前で勇としゃべっていたとき、遠くを見て、いきなり顔つきが変わったんだ。たった一瞬で、うれしそうな顔にな……それがグッとくるほどいい表情だった。彼女の目線の先を追ったら、道を歩いてくるオマエがいた」

「おれが? ……えっ? ちょっと待って。じゃあ、おれがいるのを知ってて、勇に告白を――」

「雨が強くなってきたな。さ、お互いウチに帰ろうぜ?」

 

 歩いて背中を向けて、彼はダルそうに片手をパーにしてあげる。

 いろいろありすぎて、理解が追いつかない。

 遠くで、もともと勇の家だった家にあがっていく彼の姿がみえる。

 星乃さんが「お兄ちゃん」と呼んでいたから、きっと彼女の兄なんだろう。

 その兄が、勇に告白した。

 おれが近くにいることを知ってて。

 おれに告白を見せつけるかのように。

 

 がちゃ

 

 と、数えきれないほど耳にしてきた、家のドアがひらく音。

 

「あーあー、ぬれてるじゃん」

「勇」

 

 はやくはやく、とドアをささえたままでおれに手招き。

 ちょっと笑いながら。

 

「……ただいま」

 

 玄関で靴をぬぐおれに「おかえり」と返す勇。

 そして単刀直入に、

 

「聞いた?」と聞いてくる。

「聞いた」と正直にこたえる。

「私も、まさかだよ。あんなこと言われるなんて」

「まー……」ここが演劇部のワザのみせどころだ。さらっと、ふわっと、ナチュラルに、いかにも気にしていない(ふう)に「ことわるだろ?」

 

 ふぇっ? とハトが豆鉄砲みたいな顔になった。

 意外なことをいわれた、というリアクション。

 それが、グラデーションのように、だんだんイジワルをたくらんでるっぽい顔に変わっていって――

 

「それは、どうかなー?」

 

 片手を口元にあて、どっちつかずなことを言った。

 

 ◆

 

 再度、トライした。

 あの告白に対して、勇がどう返事するかの確認。

 おれなりに頭をつかって、今度は角度をかえる。

 

「つきあえないだろ?」

 

 ちらっ、と横目でおれをみるも、何も言わない。

 

「一応、おまえは〈彼氏アリ〉ってことになってるんだから」

「まーそーだねー」

 

 と、またマンガに目をもどす。

 おれのベッドを占領して、一人で寝っ転がってる勇。

 あお向けで、両手で天井につきあげるようにしてマンガを読んでいる。

 

「そんなに気になるの?」

 

 うっ。

 おれのほうを見もせず、なんでもないことのように言いやがって……。

 クリティカルな一言を。

 気になるに決まってるだろ。

 だからおまえを、おれの部屋に呼んだんだよ。

 

「ジョーはさ、おっかしいの」

 

 と、勇はマンガをおいて話す。

 

 星乃(ほしの) (じょう)

 

 それが彼のフルネームのようだ。

 勇の話から、彼と初対面(しょたいめん)の状況を再現すると、

 

「オマエ、むかし飼ってたネコに似てるな」

「誰がよ。しかも、いきなりネコ呼ばわりするなんて、レディーに失礼でしょ?」

「レディーにしては色気がないけど」

「それはただ、キミに女を見る目がないだけ」

 

 ははは、とここで二人同時に笑って、いきなり意気投合したらしい。

 

「最初から『オマエ』とか言われるのはイヤだったけど、あれがジョーのキャラだし」

「キャラか……」

「彼女がほしかったら、あいつを見習いなよ? あれぐらい押しの強いほうが、女子にはウケるのかも」

「おまえも、ウケたのか?」

 

 ぴん、と部屋が静かになった。

 

「どういう意味カナ?」

 

 おれは床のクッションから立ち上がる。

 勇は、枕を抱き込むようにしてうつ伏せになってしまった。顔だけ横向きに、おれのほうに向けて。

 ショートパンツからすらりと伸びる足。

 思わずエッチな目で見そうになるが、今はそういう空気じゃない。

 

「だから……あいつを好きになったのか、って」

「好きだよ」

 

 あまりにもあっさりと、言ってくれる。

 おれの気持ちも知らずに。しかも、おまえは〈彼氏がいる〉なんて長い間ウソまでついてる。

 カーーーッとくるものがあった。

 言うな言うな言うな、とおれの中のおれが止めるが、止められない。

 

 

「そうか。おまえって、けっこう軽い女なんだな」

 

 

 勇の反応は、はやい。

 ベッドの上で体を起こして、ななめにおれを見上げる。

 

「ちょっと! 『軽い』ってなによ!」

「軽いだろ。カンタンに男子を好きになってるわけだし」

「バカ! 好きってそういう意味じゃない。好きにもいろいろあるんだから! 友だちだって『好き』って言うでしょ? アンタは……あの女ったらしでロクでもない児玉(こだま)のことだって好きって言うんでしょ?」

「おい勇。おれの友だちをわるく言わないでくれよ」

「あー、ハラたつ!」

 

 乱暴にドアをしめて、勇は出ていった。

 部屋には、女の子のいいにおいだけが残っている。

 

(まったく……バカだなおれは……)

 

 言わなくてもいいことを。

 ブレーキがきかなかった。

 あまりにも、あいつが楽しそうに(じょう)とのことを話してたからか?

 たまっていたシットやジェラシーが暴走してしまったのか?

 

(勇とケンカなんて――いつ以来だろうな)

 

 思い出せない。

 つまり、それぐらいレアってことだ。

 ということは、仲直りの仕方も忘れている。

 ま……「ごめん」とあやまるのが一番だ。

 部屋の中が、勇がいた反動でさびしくなった。

 テレビでもつけるか。

 生放送の歌番組をやってる。女の子のアイドルグループが、歌い終わった直後のようだ。

 

「最近人気だよねぇー、みはるんるん」

 

 みはるんるん、とは彼女のあだ名。

 制服のブレザーを改造したみたいなキュートな衣装を着て、司会らしい男の人にマイクを向けられている。

 

「はいー。でも、すごいショックなことがあってー」

「そうなんだ」

「ある男の子に、まちがえてラインしちゃったんです。わかれよ? ってラインを」

「えっ」

「よく確認してなくて、めっちゃ本命の子にそれ送っちゃったんですよー。でぇ、そのまま関係が終わっちゃってー」

「あ……そ、それ……ではっ! 次のアーティストっ!」

 

 司会の人が、すごくあわてていた。

 やばいと思ったんだろう。たしかにアイドルらしからぬ話題だった。

 現役女子高生のアイドルの、立森(たてもり)さん。

 おれは彼女に、ごく最近フラれたばっかりだ。

 13回目に、おれをフッた女の子。

 ため息とともに、おれはテレビを消した。

 

(すごくおれのことっぽいけど、ちがうだろうな……)

 

 幼なじみにさえ愛想をつかされるんだ。

 アイドルになんか、想われるわけがない。それほどの男じゃないよ。

 

 そして翌朝――――

 

「勇」

 

 玄関で靴をはいている勇に声をかける。

 

「昨日は、その……ご」

「ん?」

「ごめん。言いすぎた」

「正が『軽い』って言ったヤツ?」

 

 おれも靴をはいて、いっしょに家をでる。

 天気は快晴。

 

「おまえは軽くなんかない。おれ、ちょっとどうかしてた」

 

 きゅっと勇の目が細くなった。

 これは、よからぬことをたくらんだときの目だ。

 

「よし。キャラメルフラペチーノでゆるそう」

「おいおい」

 

 と、二人でならんで数歩あるいたところで、

 

「えいっ」

 

 勇と逆サイドから、腕をとられた。

 ふにっとした感触が、手首あたりにふれる。

 風でふわりと浮いた長い黒髪が、おれの鼻先をくすぐった。

 今日はポニーテールにしていない。

 かわりに、赤いカチューシャをつけている。

 

「待ってたんです。駅まで、いっしょで――いいですよね?」

 

 正、と彼女のくちびるが、おれの名前を呼び捨てた。

 

「あ、あの……星乃さん?」

「どうしたんです?」

 

 わざとなのか、すぐ近くにいる勇には、一回も視線も向けない。

 勇のほうを見ると、めっちゃこまった顔をしていた。

 

「正」

 

 と、勇と彼女が同時に口にした。

 ぐいーーーっと、力いっぱいおれを自分のほうに引き寄せて、

 

「私たち、つきあってるんです‼」

 

 勇に挑戦的なまなざしを向け、元気いっぱいに言った。

 



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「どうしてここに⁉」は、おたがいさま

 はっきり言って、彼女は正しい。

「おつきあいしませんか?」に対して、おれが「いいね!」って返事したわけだから、ふつうにカップル成立だ。

 で、カップルだったらおかしくない。

 顔を合わせるやいなや、がばっ、とおれと腕を組んでも。

 たとえ、おれの幼なじみの女の子がそばを歩いていたって、気にしなくていい。

 

「あの……」

 

 と、申し訳なさそうに(ゆう)に声をかける。

 位置関係は向かって左から、勇、おれ、星乃(ほしの)さん。

 今日も彼女の髪のキューティクルはみごとで、頭にはくっきりとした〈天使のわ〉が浮かんでいる。

 

「勇さんは……正と、つきあって……ないんですよね?」

「正と?」と、勇はおれを指でさす。「じゃ逆に聞きたいけど、私ってこいつの彼女みたいにみえちゃう?」

 

 フレンドリーな表情を星乃さんに向けた。

 こいつは超がつくくらい社交的で人当たりもいいからな。

 安心してみてられる。

 きっと、すぐに星乃さんとも友だちに――――

 

「…………みえません」

 

 なーーーっ⁉

 勇と対照的な、しずんだ顔つきに重苦しいトーンの声。

 赤いカチューシャの下の前髪も、一瞬で数センチ伸びたように目元が暗くなって。

 空気がわるくなった。

 や、やばいって、これは。どうにかして場をなごまさないと……

 

「あっ、ごめんなさい。ウソです! ウソ!」

 

 あわてて、両手をバイバイみたいにふっている。

 顔は、少し笑って少し恥ずかしそう。

 

「演技してみただけなんです……。ほら、正が演劇部だから」

 

 そういうことか――って、あれ?

 おれ部活の話まで、もう彼女にしたっけ?

 まー、知ってるってことは、どこかでしたんだな。記憶にはないけど。

 

「あはは」勇が小声で笑う。「一本とられちゃったみたい。ところでさ、二人がつきあってるっていうのは――」

 

 突然、静かな住宅街にバイクのエンジン音がひびく。

 うしろからだ。

 近くを歩いている集団登校中の小学生は全員、そっちに顔を向けている。

 ふりかえると同時に、

 

「おい、勇‼」

 

 と、おれの幼なじみを呼び捨てる大声。

 カシャッとメットの前の部分を上にスライドさせると、そこからシャープなイケメンの目があらわれた。

 バイクに乗っているのは(じょう)だ。星乃さんの兄キ。真っ黒なライダースーツで。

 

「あれっ、ジョーだ。どうしてここに? っていうか、すごいのに乗ってるじゃん」

「すごいだろ? のってけよ。のせてやるから」

 

 ばっ、と勇に向かって黒いジャケットをほうりなげた。

 それを受け取って、すんなりそでをとおしたのを見て、おれは思わず声をかける。

 

「勇。本気か? あぶなくないか?」

「……面白そうだよ。いっぺん、のってみたかったし」

 

 うそだ。

 おまえ、絶叫系の乗り物、めっちゃ苦手だろ?

 バイクに興味があるっていうのも、聞いたことがない。

 

「……」

 

 丈に渡されたヘルメットをかぶったところで、ちらっ、とおれのとなりを見る。

 まさか――おれと星乃さんを二人きりにするため――とかじゃないだろうな?

 それとも、苦手でもガマンできるぐらい、そいつのことが好きとか……いや、それはない……ないと思う。

 

 バイクが発進した。

 

 おれはその場に、星乃さんと、ささやかなモヤモヤとともに残る。

 

 ぎゅっ、とひときわ強くおれの腕を抱きしめる星乃さん。

 

 二人乗りのバイクは、すぐに見えなくなった。

 

「行こっ?」

 

 口のまわりを白くして、彼女が言う。

 息が白くなるぐらいだから、当然さむい。今は12月だ。おれは乗ったことないからわからないけど、バイクとか(こご)えるんじゃないのか?

 

「わぁ、すごーい。こんな近道あったんですね」

 

 そう無邪気に話す彼女は、とてもかわいい。

 いっしょに歩いていたって、すれちがう中・高の男子はほとんど星乃さんを二度見していく。

 ま……はり合うわけじゃないが、中・高の女子からの視線なら、おれも同じ数ぐらいは集めていると思う。

 

「じゃあね、正。また……」

 

 電車のドアがしまった。

 彼女の目はまっすぐ、おれをとらえてる。

 ドアごしに見つめ合うおれたち。

 すーっ、とホームに立つ彼女の姿が横に流れる。

 視界の限界ギリギリまで、見つめ合った。なぜなら、彼女がおれからずっと目をはなさなかったからだ。こっちからも視線を外せなかった。

 一人になった車内で、おれは思った。

 彼女にきくことじゃないし、誰も教えてくれることじゃないけど――

 

 おれたちって、つきあってるのか?

 

 ◆

 

「すげーすげー! ドゥカティだよドゥカティ!」 

「ああ。あれはパニガーレだな」

 

 どぅか……? ぱに……?

 ツレの児玉(こだま)紺野(こんの)がおれを置いてけぼりにして、暗号のようなやりとりをしてる。

 

「なんの話だよ」

「正、チャリ置き見てねーの? クソほど人ごみできてたべ?」

「カズ。正は電車通学だから、見てなくてもしょうがないさ」

「それよりコンちゃんよぉ、あれバリ高いっしょ。100か200だっけ?」

「いや……たぶん400以上」

「だから、なんの話してるんだって」

「単車の値段だよ」紺野が説明してくれた。「かるく400万はするだろうな。ふつうの高校生が出せる金額じゃないよ」

 

 あー、あの真っ赤なバイク、そんなにするのか。

 そうとうバイトしないと買えないな。

 おれも女の子をうしろに乗せたいとか、ちょっとだけ考えたけど――自転車にも乗れないのに。

 

「でもさ」と紺野が言う。「うちの学校、バイク通学ダメだよな」

「えっ」

「あー、そうソレな。ソッコー先生に校門でとめられたんだろ? すっげーバカじゃん! やー、転校早々笑わせてくれるよなー」

「とめられた……って、それほんとか?」と、おれは児玉の肩をつかむ。

「マジマジ。で、なんかニケツしてたとかなんとか……」

 

 こうなると、ウワサが広がるのは早い。

 午前中のうちに、許可されてないバイク通学をして生徒指導室に呼ばれた丈と、そのうしろに乗っていたのが勇だということが、みんなの耳に入ってしまった。

 

(よくないな)

 

 いろいろ。

 まず勇のこと。

 一応、あいつには彼氏がいることになってる。なのに他の男子といっしょに登校――っていうのは、はっきり言って印象がわるいだろう。とくに女子たちに。

 ま……あいつのキャラからいって、ハブられるとかはないと思うけど……。

 もういっこ。

 生徒指導室に呼ばれて、勇もいっしょに先生に叱られたっていうところだ。

 だいたい、しんどい思いを共有するとキズナってふかまるからな。

 このことをきっかけにあいつと勇との仲がさらに進展することもありえる。

 不安のタネはつきない。

 とりあえず児玉と紺野には、丈が近所に引っ越してきて、勇はたまたまバイクにのせてもらっただけだって言っておいた。児玉のヤツは「またNTRされたんじゃねーの?」と、しつこかったが。

 

 そして放課後――

 

「ごきげんよう」

 

 教室に春の風がふいた。

 いまは冬の真っただ中だけど。

 何事かを察知した児玉と紺野が、スススとおれからはなれてゆく。

 

「お変わりはありませんか?」

「はは……まあ体は元気かな」

「あら、よかった。私、あなたの体が欲しかったのです」

 

 なんてことを言うんだ、まだクラスメイトがたくさんいる教室で。

 かかか、体が欲しい?

 水緒(みお)さんもなんかそんなことを口にして、おれにセマってきたけど……

 

「急なことなのですが、明日の夜、時間を空けておいてください」

 

 体が欲しくて、しかも〈夜〉だと⁉

 もはやアレしかないじゃないか、アレしか。

 心の準備が――いや、おれには〈好きな子〉がいるんだ。キゼンとした態度でことわらないと。

 

伊礼院(いれいいん)さん!」

 

 はい? とゆったりした声で返事して、すこし顔をかたむける。

 ポンパドールっていう前髪をガーッとあげておでこを出したヘアスタイルに、ウェーブのかかった長い髪。

 つねに春の陽射(ひざ)しに包まれているような、ほのぼのした雰囲気の女の子。

 その正体は、レベルちがいのセレブ。

 家はプールつきのお屋敷で、コスプレじゃないマジの執事とメイドさんがたくさんいた。

 

「おれ……、おれは……」

「時間がきたらお迎えにあがりますので」

「いや、その」

「あなたは体ひとつだけを、ご用意しておいてください」

「……わかりました」

 

 押し切られた――のか?

 伊礼院さんは、ほんわかしてるようでも強引だからな。

 思い出す。

 今年の夏休み、あっちへこっちへと彼女にふり回された日々を。すぐフラれたけど。

 

(元カノと週末の予定が入ったか……)

 

 その日、家に帰っても、とくに勇はバイクの話も丈の話もしなかった。

 次の日、勇はよけいな気をきかせたのか、おれよりも早く家を出ていた。

 まだ朝練を再開できるほど、足は治りきっていないと思うのに。

 おはよう、と家の前で待ってくれていた星乃さん。

 髪はポニーテールにしていた。その日の気分でヘアスタイルをかえるタイプの子らしい。

 

(完全に彼氏だ)

 

 カーブミラーに小さく映る、腕を組んで歩く男女。

 どこからどう見てもカップル。

 なのに、なんでおれの心は浮かないんだろう。

 もっとウキウキしろよ、おれ。

 彼女は、こんなにうれしそうにしてるのに。

 まだチラついてる。

 バイクのうしろにのって遠くに行った勇のことが。あのときの映像が。おれたちが、はなればなれになるイメージが。

 

(兄キは勇にアタックして、妹のほうはおれにグイグイくる、か)

 

 いろいろ考えていたら約束の時間になった。

 ラインがきた。

 

「玄関の前にきております」

 

 えっ?

 あらためて、ほんとに体だけでいいのか?

 スタジャンにチノパンっていうラフなかっこうでいいの? と言って、デートのときはもっとオシャレするってこともないんだが。

 

「ごきげんよう」

 

 と、車の後部座席の窓を下げて伊礼院さんが言った。

 

「では参りましょうか」

 

 もの言いはソフト、しかし有無をいわせない静かな迫力がある。

 参る、の一択のようだ。

 その高級外車に乗りこんで、途中で高級ブティックに寄って、たどりついたのは夜の港。

 車から彼女がおりたとき、カツン、とハイヒールの音が高く鳴った。

 

「エスコートをお願いします。私の手を、おとりになって」

 

 おれたちを冷たい風からまもるように黒服の人がまわりを取り巻いた。

 目の前には、想像よりだいぶ大きい、世界で一番デカいんじゃないかっていう乗り物。

 

「この豪華客船は?」

「何もお考えにならずに、私に身をまかせてください」

 

 おれが手をひいてエスコートしているはずの彼女が、おれの前に出てしまう。

 そのままみちびかれて、

 

(すごい人がいるぞ。これパーティー?)

 

 上にも横にも広い空間に、優雅な服装の男女。年齢はバラバラで、外国の人もいる。

 見わたす限り、きらびやかでゴージャス。

 

「正さん。こちらへ」

 

 と、おれを手招きして、誰かに紹介してくれた。

 よくよく聞くと、芸能関係のえらい人らしい。

 ほかにも劇場の経営者とか、映画関係とか、テレビ局の人ととかのところへつれて行って、おれを休ませない。

 

「あなたの将来のために、大事かと思いまして」

 

 二人きりになったタイミングで伊礼院さんはそう言った。

 

「恋人ではなくなりましたが、私はあなたの演劇の一人目のファンですから……」

 

 そうだ。

 一学期の終わりに演劇部の公演をしたあと、彼女に「ファンになりました」って声をかけられたんだ。

 一言もセリフがない端役(はやく)だったんだけどな……もしかして、セリフがないほうが上手にやれるってことか?

 すこし席を外しますね、とブルーのドレスを着た彼女が遠ざかっていく。

 胸元が大胆にあいていてめっちゃセクシーなドレスだった。しっかり目に焼きついた。

 

(まいったな)

 

 一人、とり残されてしまった。

 とりあえず、近くの反射するもので身だしなみをチェックだ。金とか銀とかキラキラしたものは多く、鏡がわりをさがすのには苦労しない。

 仕立てのいい黒のタキシードに白いシャツに黒い蝶ネクタイ。

 オーケー。

 ベストオブベストなイケメンだ。セレブのパーティーにいたって見劣りはしない――と、ちかくの人と自分をくらべてみる。

 

(…………けっこう、あいつもかっこいいな)

 

 真っ赤なスーツを着て金髪で、かなりの長身。モデルのようなスタイルに、ただ者ならぬオーラ。ぺらぺらと英語をしゃべっている。

 パートナーらしい女性を一人つれている。この人も彼と髪の色が同じ。

 純白のドレス。ノースリーブで、この季節にはすこし寒そうだ。胸に赤いバラのコサージュ。耳にはシンプルなイヤリング。デコルテには白い真珠のネックレス。

 

(きれいな女の人だな――って、最近一目ぼれしたばかりだろっ! 気が多すぎるぞ!)

 

 心で自分をドヤしつけるも、おれの目は彼女にクギヅケだった。

 黄金色(こがねいろ)の髪はショートカットで、活発な印象。まるで勇みたいだ。

 男に話しかけている声も、勇にそっくり。

 ん?

 そっくりじゃなくて……あれは……。

 もっと近づいてみよう。

 じーっと見続けるおれに気づいて、あいつは他人に向けるようなまなざしをこっちに向けた。

 それが「あっ!」という表情になって、

 

 

「どうしてここに⁉」

 

 

 おれたちはおたがいの体を指でさし合って、ハモった。

 



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ゴールデン・バッド

 幼なじみが金髪になった。

 べつに髪の色を変えるぐらい、なんにもわるいことじゃない。

 問題はほかのところに、たかく山積みになっている。

 

「勇! ……だよな?」

「……」

「勇。頭、それカツラか?」

「……」

「なんでこんな場所にいるんだ?」

 

 目をふせた。

 しかし、今、たしかに勇の声を聞いたし、見た目だって本人そのもの。

 疑う余地なんか一ミリもない。

 

「……」

「どうしてだまってるんだよ!」

 

 大声で視線がおれたちのほうに集まる。

 これが大声を出さずにいられるか。

 たのむから「そうだよ」ってあっさり認めてくれ。言って、にこっといつもみたいに笑ってくれよ。

 それとも、だまらなきゃいけないような、うしろめたい何かがあるのか?

 

「Sorry」

 

 それだけ、聞き取れた。

 その英単語とともに、赤いスーツの男がおれと勇の間にスッと割って入る。

 

(じょう)? おまえは星乃(ほしの)丈だろ?」

 

 問いかけても、こたえない。

 片っぽの口角だけをぐーっとななめに上げるフテキな表情。

 勇ほど確信はないが、こいつはたぶん丈だ。髪をブロンドにして、目には青いカラコンまで入れている。

 

「どいてくれ。おれは勇と話がしたい」

「―― ――! ――――」

 

 おそろしく早口の英語。

 まったくリスニングできない。

 というより、ただまくしたてるためだけに、しゃべっているような感じだ。

 

「――?」

「いや……わからないです。ちょっと、そこをどいてくれませんか」

 

 赤スーツが「やれやれ」の顔つきでゆっくり首をふる。

 これは長期戦か――と思ったその瞬間、すんなりワキにどいた。

 あらわれる勇の姿。

 白いノースリーブの華々しいドレス。スカートは床をこするほど長い。まるでウェディングドレスだ。

 

「勇!」

 

 おれの呼びかけに、はっと顔をあげた幼なじみ。

 一歩、近寄ったそのとき、

 

 チュッ

 

 と、赤いスーツの男が頭をお辞儀のように下げて、勇の(ほほ)にキスした。

 ただのアイサツみたいに。

 目を丸くしておどろいてる勇。

 エアコンの風のせいか、ぶわわっ、とショートの髪の毛先が静電気で逆立(さかだ)ったように浮く。

 そのまま、くちびるをつけたまま、男の目だけが横に流れておれを見る。

 

(勇はオレのものだ)

 

 そんな挑発的な目だった。

 

「……ちょっと!」

 

 男に手を伸ばそうとしたタイミングで、わーっ! とパーティー会場全体が拍手と歓声で()いた。

 みんなの視線は上に集中している。

 ふき抜けの二階の手すりのところに、誰か知らないけど、パーティーの主役のような人がいて両手をふっている。

 と、まわりにつられておれもそこを見た一瞬のスキに、

 

(うそだろ)

 

 男と勇がいなくなっていた。

 男……あいつはまぎれもなく丈だ。

 丈が、ほっぺとはいえおれの幼なじみに……

 

「あら? こちらにいらしたの?」

伊礼院(いれいいん)さん」

「まだ、あなたを紹介したい(かた)がおります。さあ、いっしょにきてください」

 

 両手で腕をとって、おれをひっぱる伊礼院さん。

 きっちりとまとめたポンパドールの黒い髪が、シャンデリアの光に照らされている。

 大急ぎで360度、勇をさがしたけど、いない。

 そもそも人の数が多すぎる。

 

「正さん? どうかなされました?」

「いえ……」

 

 その後も、タイミングをみて勇を見つけようとしたけど、ダメだった。

 ではそろそろ、と伊礼院さんの車に乗せられて帰宅したのが夜の9時前。

 

(いる)

 

 勇のクツ。

 外出用のお気に入りの白いスニーカー。学校用のはき古したクツもちゃんとある。

 リビングにはいない。

 じゃあ、自分の部屋にいるのか……。

 食事のとき、勇のお母さんにあいつがいつ帰宅したかをきいてみたら、だいたい一時間前だって言った。

 そしてフロに入って、

 

「あっ」

 

 入れない。

 先客がいた。

 湯舟につかる勇を見てしまった。「あっ」と声をあげたのは、おれ。

 髪は黒かった。

 そして、ここが(まさ)しく重要なところだが、勇が見られたくないと思う部分はまったく見ていない。

 

(やってしまったな……ばっちり目も合ったし)

 

 まーでも結果オーライじゃないか?

 あいつにどなられる、からの、どうしてあそこにいたんだよ、となって、じつはね……みたいな流れに持っていけそうだ。

 しかし……勇も、もっと「入ってるから!」のアピールをしてくれよ。

 着替えのスペースはカギかけられないんだから、外のプレートを〈使用中〉にしておくとか、目立つように着替えの服をおくとか、ぱしゃぱしゃ音をたてるとかだな……あまりにも静かで中には誰もいないと思ったぞ。

 そろそろ、くるか?

 

(………………あれ)

 

 こない。

 いくら待っても「バカ!」がこない。

 それどころか、このクスンクスンいってる音はなんだ?

 もしかして、泣いてるのか?

 ちらっとみえた姿も、そういえば片方のほっぺをおさえていたし……

 

(まさか)

 

 アレが原因か?

 船の上であいつにされたキスが。

 だとしたら――

 

(いや、今から外行きに着替えてどーするんだよ!)

 

 自分の部屋で、いったん深呼吸する。

 ぼすん、とベッドにすわった。

 そこでスマホに着信。

 ウチのルールで夜間はスマホ使用禁止で親にあずけないといけないんだが、あずけるのをすっかり忘れていた。

 

(そのルールを友だちはみんな知ってるから、おれに夜に連絡がくるってあんまりないんだけど……)

 

 (むな)さわぎがした。

 それも、かなりわるい予感。

 

「あ。よかった。レスきた」

 

 ラインしてきたのは、クラスメイトの国府田(こうだ)さんだった。

 おたがいに連絡先の交換はしてるけど、彼女とプライベートなやりとりをしたことは一度もない。

 もしや告白されるのか、とも思ったが彼女にかぎってそれはないだろう。彼女から〈好き〉のサインを感じたことはないからだ。

 ぼんやり頭に浮かんだ国府田さんが、すこし茶色の髪をサッと耳にかきあげる。

 

「緊急でね。学校じゃちょっと……の内容だから」

「なに?」

「ところで伊良部(いらぶ)は元気?」

 

 ドキッとした。

 なぜ、いきなりあいつの話になるんだ?

 

「勇なら元気だよ。どうして?」

「転校生クンになんかされてない?」

 

 なんだ、このラインは。

 船でのことを見てきたかのような。

 どんどんドキドキがはやくなる。

 ……お、おちつけ。

 こういうときこそ、平常心だ。平常心。

 

「あのさ、学校の裏サイトでね、よくないウワサがあるの」

「裏サイト?」

「あー! 正クンはそこは知らなくていいの。あそこはうす汚れてるからね、かかわらないほうがいい」

「わかった。じゃ、そのウワサっていうのは?」

 

 衝撃の内容だった。

 あいつ……星乃丈が、よそで暴力事件をおこして転校してきたという話。

 

「確定じゃないけど、どうもマジっぽいんだよねー」

「そうなんだ……。さっき勇のことを気にしたのは?」

「彼のほうがお(ねつ)だからよ。教室でもずっとワンアンドオンリーっていうし」

「ワン……? ごめん、英語わからない」

「二人だけの世界をつくってるっていうか、そんなヤツ。女子のグループも、とうとう伊良部のことを避けはじめたみたいでね」

「いや勇はわるくないだろ!」

「おこらない。私、そんなつもりで忠告したんじゃないから」

 

 スマホの画面はそのままで変わらない。

 おれはじっと画面を見つめている。

 しばらくして、

 

「とにかく伊良部を気にかけてあげてね?」

 

 と、国府田さんから最後のラインがきた。

 おれはベッドに寝た。

 やっぱり思ったとおりだ。勇のクラスでの立場が、わるいほうへ進んでいる。

 

 時計をみた。

 もう夜もおそい。

 

 明日だ。

 明日、おれは――――

 

(文句を言う‼)

 

 朝の9時。

 おれは、となりのとなりのとなりの家のインターホンを押した。

 もう決心はついてる。

 丈に、おれが言いたいことをぶつける。その結果、どうなったってかまわない。

 たぶんあいつはむちゃくちゃケンカが強いんだろう。

 おれはボコボコにされる。

 たった一つだけ他人にジマンできる最高のイケメンフェイスも、ひじょうに残念なことになるはずだ。

 

 かまわない。

 それでもいい。

 

 おれは大切な幼なじみを泣かせたあの男を、絶対にゆるすことができない。

 

「おー正じゃん」

 

 運よく、玄関から出てきたのは丈。

 すこしボサついてる髪は……真っ黒だ。やはり彼もカツラとかだったのか。

 

「顔……かしてください」

「ははっ。敬語でいうセリフじゃねーな、それは」

 

 ダルそうに言ったが、それでも彼はおれについてきてくれた。

 上下黒のジャージの上に、こげ茶色の革ジャンを着ている。

 近くの公園のベンチに、どかっと腰を下ろす丈。

 

「朝はえーから、誰もいねーな」

「昨日の話ですけど」

「おまけにこの寒さだ。さっさと用件をすませてくれ」

「勇にキスを――」

 

 丈の目つきが変わった。

 異様にするどい。

 ケンカ寸前の空気。

 

「オマエはナニモンだよ」

「え?」

「勇の恋人じゃないよな。そこについては勇に何度も確認をとったんだ。まちがいはねー」

「それは……」

「たしかに、あのパーティーに勇をさそったのはオレだ。だがムリ()いしたおぼえはない。あくまでも、あいつはあいつの意志であの場にいたんだ。ここまではいいか?」

「勇が……」

「オマエがキスしたことをどーこーっていうなら、それもスジがちがう。だってよぉ、オマエは彼氏でもなんでもないんだからな。オレは勇になら(おこ)られてもいい。グーでなぐってもいいし、ビンタだってよろこんで受けるぜ」

 

 丈は座ったまま、ハグを求めるように両手をひろげた。

 

「ただしオマエには、とやかく言われたくないね。ま……くちびるを奪ったわけじゃねーんだし、ガタガタさわぐなよって感じかな」

「勇に手をだすな」

「あ?」

 

 おれは、ショードー的というか、何かみえない力で動いていた。

 胸倉(むなぐら)をつかみ、強引に丈をベンチから立たせる。

 

「勇はおれの…………」

「ちっ」

 

 イヤそうに、おれの手を手の甲ではらう。

 つよい力だ。手首がジンジンする。

 

「正。今からちょっとクセ―こというぞ。鼻、つまんどけよ」

 

 そうおれに面と向かって言って、にっ、と片方の口角だけをあげる微笑。

 

「恋に早いモン勝ちはない……ってな」

 

 背中を向けて、丈が公園から立ち去った。

 やむをえず、おれも家に帰る。

 その日、リビングでくつろいでいたら、テレビでインフルエンサーの特集をしていた。ようするにSNSの有名人のことだ。

 

「あら? これ星乃さんの息子さんに似てるわねぇ~」

 

 とお母さんが言う。

 まさか、と思っておれも見たら、本当に激似(げきに)だった。

 っていうかこれは……

 

(豪華客船で会ったときの丈じゃないか!)

 

 名前はジョー・スター。

 金髪で青い目。長身でモデル顔負けのスタイルに、美形の顔。

 

(インフルエンサー……だからあんなセレブのパーティーにいたのか?)

 

 なぞが少しとけた。

 ところで、今このリビングに、勇はいない。

 自分の部屋から、出てこないんだ。

 部屋の外から声をかけても、返事はない。

 

(……あいつらしくないな)

 

 落ちこんでるんだろうか。

 でも何が理由で? やっぱり、キスされたことか?

 くそっ。

 もっとキツーーーく、丈に文句を言っとくべきだったか……。

 

「どうした? 元気ないな」

 

 月曜日の朝、おれをみかけた紺野(こんの)の第一声がそれだった。

 勇の落ちこみがおれにもデンセンしたみたいだ。

 児玉(こだま)のヤツは、なんも気にしてなかったけど。

 授業もうわの空。

 あっというまに放課後になった。

 

「やべー! やべーって‼」

 

 一度教室を出ていった児玉がもどってきて、補習の準備をしていたおれのところにやってくる。紺野はもう部活にいってて、いない。

 

「どうしたんだよ」

「あれはスト()が9……いやひょっとして10かぁ? テンションあがるわー」

「おい」

「いーからいーから」

 

 おれを手招きして廊下につれ出す。

 ちょうどここから、学校の正門が見下ろせる。

 門の近く、人の流れをさけて、ぽつんと立っている他校の女子。赤いブレザー。

 

「あの子だよ。やべーだろ? ぶっちぎりでかわいいじゃんよ!」

(しょう)

「へっ? ショーってなに」

「彼女の名前。おれ、あの子を知ってるんだ」

 

 まじか? さすがショーだぜっ! と、児玉はうれしそうに言う。

 ははは……と愛想笑いを返しながら、おれは心中おだやかではない。

 彼女――星乃翔が突然あらわれたのは、もちろんおどろきだ。

 しかし、それとはちがう角度のショック。

 ホラーといっては彼女にわるい。だが、こわいものに()れたときに近い感情になっている。

 おれの背中を、つめたい汗が一筋、ツーッと流れていった。

 

(どうして、あの〈髪型〉にしてるんだ? まるっきり、伊礼院さんと同じじゃないか)

 

 はるか遠くに見える彼女は、前髪をすべて上げてまとめるポンパドールと呼ばれるヘアスタイルにして、ロングの髪にはゆるやかなウェーブをかけていた。

 



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揺れ

 たまたま、ってことはある。

 たとえばおれと彼女は、たまたま名前が同じだ。正と(しょう)で、漢字がちがうだけ。

 それに、あの子は髪型をよくかえていた。

 たまたま、おれの元カノと同じヘアスタイルになっても、べつに――――

 

「ちょっ。おまえもくるのか?」

「いーからいーから」

 

 急いで階段をおりるおれのうしろを、児玉(こだま)がついてくる。

 

「あれだけの女の子を前にして、ただのギャラリーじゃいらんねーよ。おれにだってワンチャンあるべ?」

 

 ツンツンした前髪の先を指でねじりながら言う。

 こいつには「おまえ彼女いるだろ」というリクツはつうじない。さらに「彼女をキープする」という、おれにはすこし理解しがたい考え方までもっているヤツだ。

 

「邪魔はしないでくれよ」

「しねーよ。おお! やっぱレベル(たっけ)ぇー!」

 

 校門のそばで立っている星乃(ほしの)さんがおれに気づき、ぺこっと頭をさげた。

 彼女のバックに、赤い夕日がある。

 

「正!」

「どうしたの、おれの学校まできて……」

「会いたかったから」

 

 言葉もまなざしも、まっすぐ。

 はやくもハートがやられそうになる。

 いや……やられてる場合じゃないんだ。

 おれは彼女を、好きになりすぎちゃいけない。

 

「ありがとう。うれしいよ、おれに会いに来てくれて」

「いいえ」

「それで、その、言いにくいんだけどさ」

「はい?」

「ちょっといっしょに帰るのは、むずかしいかなって」

 

 シズむ、とみたが、おれの予想ははずれた。

 気落ちした様子もみせず、ぜんぜん平気な顔をしてる。

 

「今から補習ですか? それとも部活?」

「え……」

 

 おかしい。

 どうしてこんなにピンポイントで当ててくる?

 おれ、成績がよくなくて補習を受けてるなんて、彼女にぶっちゃけただろうか……?

 

「あー、えっと、両方あるんだ。補習が終わったあとで部活にも出ないといけなくて。ざっと二時間以上はかかるから――」

「まちます!」

 

 すっきりと出したおでこの下のつぶらな(ひとみ)が、おれをじっと見る。

 

「そんなことさせられないよ。寒いし、だんだん暗くなってくるし、一人ぼっちだし」

「大丈夫です。私、まちますから」

「オッケーわかった‼」

 

 おい児玉。

 ここで出てくるなよ。

 

「じゃあ、おれが時間つぶしの相手になるぜっ。おごるから駅前のカフェにでも――」

「けっこうです」

 

 くるっと回って背中を向けた!

 ここまで圧倒的な〈NO〉には、そうそうお目にかかれない。

 言葉も態度も、カチンカチンに冷たい。

 

「そ、そっか…………。おう……じゃ、また明日な、ショー……」

 

 がくんと肩とテンションを落として、児玉が遠ざかってゆく。

 おれも13回もフラれてはいるが、今この瞬間のあいつのダメージのほうがはるかに大きいような気がする。

 

「私、ああいう人きらいです。初対面なのになれなれしいなんて」

「でもいいヤツだけど」

 

 さっ、と彼女が目線をおれからはずす。

 数秒の静かな()

 北風が星乃さんの長い髪をゆらす。ウェーブでうねっている部分が、ところどころキラキラひかってる。

 いつのまにか、すこし人だかりができていた。おれたちを丸く囲んで。

 やばい。

 注目を浴びてるのがじゃなくて、そろそろ補習開始のチャイムが鳴る。

 

「星乃さん。とにかく、今日はおれを待たずに帰ってほしい。たのむ」

「私のことなら、気にしなくていいのに。やっぱり正ってやさしい……」

 

 おれと目線と彼女の目線が交わった。

 まただ。この感覚。目を外すことができない、フシギな魔力。心を()さぶられて、ずっと見つめていたいと思ってしまう。

 

 

「正!」

 

 

 おれを呼ぶ声にハッとする。

 これは(ゆう)

 数えきれないほど耳にしてきた、あいつの声だ。

 この声で、安心した自分がいる。

 おれはやっぱり――

 

「アンタ、ダブってもいいの?」

 

 おい。

 いくら幼なじみでも、それが一言(ひとこと)めで言うことかよ。まわりのみんなも聞いてるのに。

 しかし、なんだこの、胸の奥からホッとする感じは。

 

「勇……」

「ほら、はやく」

 

 と、顔をおれに向けたまま教室のほうを指さす。

 

「家にもどったら(はな)そ? 私、正に伝えたいことがあるから」

「えっ」

 

 とことこ歩いて、おれと星乃さんの間に割って入る勇。

 何を言いだすのか、と待っていると、

 

「ここは私と帰ってみるのはどう? そしたら正の小さいときのイロイロも教えてあげるよ?」

「……興味ぶかいですね」

 

 チャイムが鳴った。

 じゃおれ補習に行くからなあとはたのんだぞ勇、と舌をかみそうな早口で言って教室にかえる。

 

(イロイロってなんだよ)

 

 いったいどんな恥ずかしい思い出をバクロするつもりだ?

 心当たりがありすぎて、おれは気が気でない。

 ダッシュで階段を上がって、廊下の窓から校門を見下ろすと、二人はもういなかった。

 

 ◆

 

 ジタバタしたって時間はない。

 なるようになるだけだ……っていうのはクリスマス公演の話。

 学校の外でやるイベントだからあまり教室とかでは話題にならないけど、一応、うちの演劇部が一番チカラを入れている。ひそかに業界の人もめっちゃくるらしい。

 

(おれが一人芝居って)

 

 大丈夫か?

 今さら「やめます」とは言えないが。

 

(テーマは『告白』……)

 

 一人でやるんだから、もちろん舞台の上にはおれ以外に誰もいない。

 すなわち告白相手をイメージしなければならない。

 たぶん初恋の人の、塔崎(とうざき)さんを思い(えが)くか? いや、フラれてるっていう事実があるからダメだ。同じ理由で元カノの12人もダメ。

 ちがうだろ。

 おれはどうして、こうやって目をそらしてしまうんだ?

 告白したい相手は、一人しかいないだろ。

 

「どーぞ」

 

 ノックの返事があって、勇の部屋に入る。

 あわい黄色をベースにして、女の子らしい小物がたくさんあって、なぜかおれの部屋とちがっていいにおいのする部屋。

 時間は9時。この時間になったら私の部屋にきて、ってあらかじめ言われてたから。

 

「さてさて……何から話そうかなー」

 

 ぽふっ、とクッションの上におしりを落とす勇。リラックスしきった、あぐら。

 ただいつもとちがい、服がだらしなくない。

 首回りが少しヨレたTシャツにショートパンツじゃなく、しっかり上までジッパーをしめたグレーのパーカーに白いハーフパンツという服装だ。めずらしい。

 

(おれを〈男〉として警戒してるのか? ……まさかな)

 

 とりあえずこっちからジャブを打つことにする。

 

「星乃さんには、なにを話したんだ?」

 

 あー、と勇はつぶやく。

 

「あー、じゃなくて」

「いやさぁ、あの……しゃべってないんだよね」

 

 よく聞けば、今日の帰り道、どっちもほとんどしゃべらなかったという。

 ゾクッとした。

 なにかイヤな予感というか、わるい何かが水面下で進行しているような……。

 

「ま、まあ、おまえとちがって彼女はシャイだからな」

 

 そうお茶をにごして、話題をかえる。

 

「ところで、おれに伝えたいことってなんだ?」

 

 勇はローテーブルに頬杖(ほおづえ)をついている。

 おれはクッションに座ったままで、気持ち背筋をのばした。

 

「だいたい、わかるでしょ?」

「土曜日のことか?」

「うん……」

 

 頬杖をやめる。

 そして、正座になって、ふかぶかと頭をさげた。

 

「ごめん」

 

 言い終わると、ばっ、と下げたときの倍のスピードで頭を上げる。

 

「はー、すっきりしたーっ!」

 

 はればれとした顔で言い、気持ちよさそうに両手を「うーん」とのばす。

 手をのばした瞬間、小さく胸が()れたな――とか言ってる場合じゃなくて。

 あっけにとられる、おれ。

 何に「ごめん」なのか、まったくわからない。

 

「勇」

「あやまった理由でしょ? それはね……私が勝手に落ちこんじゃって、正に迷惑をかけたから」

「迷惑とかは、思ってないけど」

 

 ふっふーん、と勇はなぜかドヤ顔をする。

 姿勢も、あぐらにもどした。

 人差し指の先をおれに向け、トンボの目を回すようにくるくると回す。

 

「私、正ならそう言ってくれると思っていたよん」

「迷惑でもないし、あやまる必要もないよ。おれとおまえの仲だろ?」

「キュンとすること言うじゃん」

「そもそも、どうして落ちこんだんだ?」

 

 やっぱりあのキスか? とつづけそうになった。

 だがブレーキをふむ。

 なんとなく、あのキスのことは勇には思い出してほしくないからだ。

 

「どうして? んー……自己嫌悪っていうのかな……なんかね、あの場に私がいたこと自体、正にわるいような気がしてさ」

「わるくないだろ。そんなにアヤしいパーティーでもなかったし」

「ははっ。そうだよね」

 

 勇が笑ってくれて、部屋がいいムードになった。

 押せ! と、おれは心で思った。

 ただし、つきあってくれとか彼女になってくれのド直球じゃなくて――――

 

「と、ところで」

 

 つきあいが長すぎて家族にまでなろうとしている女の子の前で、おれは緊張している。

 

「クリスマスは……どうするんだ?」

「ん?」

「もう〈彼氏〉との予定はなくなっただろ? おまえに〈彼氏〉なんか、最初からいなかったんだから」

「トゲのある言い方だなー」ぷー、とほっぺをふくらませる。「彼氏じゃなくても、私にだって言い寄ってくる男の子ぐらいいるんだから」

「それ……(じょう)のことか」

「じつはさ、またバイクに乗らないかってさそわれてるんだよね。で、イブの日に、二人で遠出(とおで)してみないかって」

 

 丈。

 星乃さんの兄キ。

 機嫌よくしゃべる勇のうしろにあいつがチラついた気がして、おれは()れた。

 ブレーキが壊れた。

 

「やめとけよ」

「えっ?」

「知らないのか。星乃丈って、よそで暴力事件を起こしたせいで転校してきたって――――」

 

 喜怒哀楽、どれでもないような勇の顔。

 もとから静かだったけど、さらに静かになったような部屋の中。

 もう後悔はしてる。言わなきゃよかったって。

 

「正……それ、丈のヤツが自分で言った? あいつが私に話してもいいって……自分から言った?」

「あ、いや」

「バカ! そんなの…………かるがるしく言っていいことじゃないでしょ!」

 

 ばん、と手のひらでテーブルをたたく。

 その振動で、テーブルの上のペットボトルが()れて床にころがった。

 

「おれは……」

「出てって」

 

 勇が横顔を向ける。

 さっきの勇のように「ごめん」とあやまろうにも、今はタイミングがわるい。

 仕方なく立ち上がる。

 目にとまったのは、出窓のとこにあるミニサボテン。

 トゲトゲのてっぺんにある小さな白い花は、しおれていた。

 

(口がすべったな……丈にもわるいことをしたか)

 

 ただ言いわけをさせてもらえるなら、おれは本当に、勇のことが心配だったんだ。

 こうして、また勇との間にミゾができてしまった。

 いつ仲直りできるんだろう。

 もう明後日(あさって)は、クリスマスイブだっていうのに。

 



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最後のインビテーション

 最近、おれと(ゆう)の関係がおかしい。

 ケンカっていうか、すれちがいっていうか、そういうのが増えている。

 前は、こんなことはなかった。

 ちょっとした口ゲンカさえ、ほとんどなかったんだ。

 これは、どういうことだ?

 もしかして、ふつうの幼なじみの関係から変化しつつあるからなのか?

 

(きっかけはどう考えても〈あの二人〉だよな)

 

 星乃(ほしの)さんと、その兄キの(じょう)

 朝の時間、アツアツのトーストをかじりながら、そんなことを考えた。

 

 家を出る前にリビングをのぞくと、勇が背中を向けてソファに座っていた。

 すでに制服姿。

 もしかして、おれを待っていたのかと思って、

 

「いっしょに行くか?」

 

 さわやかに声をかけた。

 順番から言えば、まずおれがあやまるのが先なんだけど、それはあとでどうにでもなる……

 ……という読みは、甘かった。

 

「やだ」

 

 と一刀両断。

 しかも背中を向けたままで。

 

「気をわるくしないで。先客(せんきゃく)にエンリョしてるだけだから」

「先客?」

 

 玄関の方向を指さす。

 

「私より100倍かわいい女の子が家の前で待ってるよ。はやく行ってあげて?」 

「勇。まだ(おこ)ってるのか?」

「……」

「せめてこっち向いてくれよ」

 

 そこで、勇のお母さんがおれを呼びに来て、外は寒くて待たせるとわるいからって背中をグイグイおされてしまった。

 イヤな予感。ケンカ……ってほどでもないけど、このケンアクな感じが長引いてしまう予感がした。

 できれば今日、演劇部のクリスマス公演の話をして、そこに勇を(さそ)いたかったんだけど……。

 

「おはよう、正」

 

 よくみかけるスクバじゃなく、ちょっとレトロな学生カバンを両手で……カバンの一番上の取っ手の部分を両手でもって、両腕のラインが〈V〉みたいになっている。

 真っ赤なブレザーに、赤いチェック模様のスカート、白いマフラー。

 160ちょっとだろうけど、頭が小さくてスタイルのいい、堂々たるモデル体型。

 風で横に流れる長い髪。

 少しはにかんだような笑顔。

 どこをどの角度から見ても、()

 自分がぶっちぎりのナルシストなことも忘れるぐらい、彼女に心をうばわれそうになった。

 そして多くの男子女子の視線を集めながら、おれは星乃さんと登校ルートをあるく。

 

「静かに歩きたい気分ですね」

 

 口下手なおれを気づかってか、彼女がそんなことを言ってくれた。

 たしかに、女子と一対一のトークはニガテだからな。

 それを理由に、フラれたりもしてるし。

 おもむろに腕を組んでくる星乃さん。

 肩のあたりから、ふわっ、と彼女の髪のいい香りがくる。

 

(まぎれもなく登校デートだな……)

 

 電車の中。

 通学の時間帯だけど、けっこう()いていた。もう二学期が終わっている学校も多いからかな。うちも今日で終わる。今日が終業式だ……っていう話をしたあと、いきなり髪型の話になった。

 

「昨日は失敗しました」

「え? 何が?」

「なれないヘアスタイルだったから時間がかかりすぎたんです。もう少しで遅刻しちゃうトコでした」

 

 なるほどな。

 それで昨日の朝は、家までおれを呼びにこなかったのか、と納得。

 この流れで「あれは元カノをマネたの?」と突っこんで質問してみたいところだが、今はやめておこう。

 

「これが一番楽なんですけど」自分の頭に片手をあてる。「なんか手抜きしてるみたいにみえません? 女の子をがんばってない感じっていうか……」

 

 長い髪を、ゴムも留め具もつけずにただ垂らしている髪型。

 彼女をはじめて見たときも、この髪型だった。

 

「いや、いいと思うよ」

「ほんとに?」

 

 となりに座っている星乃さんが、うれしそうな顔でおれを見る。

 彼女は長いシートの端っこにいて、おれの位置はそのすぐ横。

 

「正」

 

 まっすぐな視線。

 

「私、正の好みにしたいの。ねぇ、どんなヘアスタイルが好き?」

「どんなって……べつに……気にしたことないよ」

「言って?」

 

 がたんがたん、という音だけになった。

 耳をすませてるわけじゃないと思うけど、まわりにはおれたち以外しゃべっている人がいない。

 ふと、出がけのあいつのことが気になった。

 ショートカットの後頭部。

 

「勇さんのことを考えてます?」

「まあね」と、おれはウソをつかない。自分でも、なんでこんなナチュラルに受け答えしてるのか、よくわからない。「おれは髪のみじかい女の子が、好きなんだ」

 

 ほんとですか……と、あきらかに彼女のテンションが下がってしまった。

 おれのせいだ。

 ウカツなことを言ったから。

 信じられないミスだ。

 急いでフォローする。

 

「いや、ごめん、冗談だよ。イジワル言ってみたくなっただけさ」

「ずっとそう」

「え?」

「ずっと正は……勇さんのことを考えてる。私じゃダメですか? 彼女になれませんか? まだ彼女にしてくれないんですか?」

 

 たて続けのハテナマークが、いちいちおれの胸にササる。

 なにも言い返せない。

 ダメだ。

 ここは演劇部の演技力を()かして、どうにか――

 

「あ。友だちからラインが」

 

 なるべく自然な感じをよそおって、おれはスマホに一時避難した。

 

「…………私もです。お兄ちゃんから、きてますね」

 

 丈か。

 まあ、家族間の連絡みたいなことだろう。

 とくに気にすることもないな。

 

「勇さんといっしょに登校してるって。今、駅だって」

「えっ! まじか‼」

 

 星乃さんの目が、かなしそうになった。

 数秒おくれて、ミスを重ねてしまった自分に気づく。

 

「……ウソです。ラインなんかきてません。でも、やっぱり正は、勇さんのことを……」

「ごめん」

「いいんです」

 

 車内にアナウンスが流れた。

 次の駅は、彼女がおりる駅だ。

 ふかい意味はないんですけど、と前置きして、おれの目をじっとみて話す。

 

「お兄ちゃんは、妹の私から見ても、かなりカッコいいです。正も、そう思いませんか?」

「そうだね」いーや、おれのほうがずーーーっとカッコいいよ‼ って反論は、心の中だけにしておいた。ふざけている場合じゃないからな。「あれだけカッコいいなら、彼女も――」

「いません。ああ見えて、一度もつくったことないんです」

 

 えっ、とおどろくおれをそのままに、彼女は席から立ち上がった。

 前かがみになって、おれの耳元に口を寄せる。

 

 

「お兄ちゃんが本気になったら、どんな女の子だって彼女にできます」

 

 

 ほんとにふかい意味はないんですよ? とダメ押しして、彼女は電車をおりた。

 

 ◆

 

 あの校長よぉ、高校生にお年玉をムダづかいするなとかフツー言うかぁ? とグチる児玉(こだま)をふりきって、おれは部活に急いでいた。

 終業式も終わって、明日から冬休み。もっといえば明日はクリスマスイブ。

 

「おろっ? 正、勇ちゃんといっしょじゃないの?」

「あいつはバドミントン部だろ」

 

 にかっ、と笑う背のひくいツインテ女子。

 同じ演劇部で元カノの片切(かたぎり)だ。

 

「さっ、いこーよ。ん? どうしたの? 名残りおしそうに校舎のほうを見ちゃって」

「いや……」

 

 ほんとは、あいつに一声(ひとこえ)かけたかった。

 まず「ごめん」からスタートして、関係を元どおりに直したかったんだ。

 

「ほれほれ」

 

 腕を両手でつかまれ、片切はおれの体をひっぱる。いつかのように、彼女のひかえめなふくらみが何度も腕に当たってきた。

 わかったよ、といっしょにバスに乗りこんだ。学校の正門の近くにとまっている、遠足のときに乗るような大型のバスだ。

 乗っているのは、演劇部のみんな。

 これからとなりの街の大きなホールに移動する。

 

「えー、じゃみんな、いいかい? これから明日の公演のゲネプロをして……」

 

 バスの中で、バスガイドさんがいるような位置に立って、部長が説明してる。

 横にいる片切に小声で質問。

 

「ゲネプロって何?」

「通し稽古(げいこ)。演目を、最初っから最後までやるんだよ」

「へー」

 

 そして目的のホールに到着した。

 

「うわぁ……すっごーい!」

 

 片切が感動したような声をだす。

 その声にめっちゃエコーがかかった。

 おれも感動……っていうか、びっくりしてる。

 あらかじめ客席の数は800って聞いていて、有名なコンサート会場が一万とか二万とかだから、そんなに大したことないんじゃないかと内心ではタカをくくっていた。

 が、甘かった。

 舞台も、舞台からのこの客席の景色も、とほうもなくデカい。

 

「こんなところで一人で()れとか言われたら、私なら逃げるね」

「おれも、逃げたくなってきたよ」

 

 ぱん、とおれと片切が同時に、丸めた台本で頭をたたかれた。

 

「弱気にならない。とくに正ちゃん、そんなことでどうするさ?」

「部長」

 

 赤いアンダーリムのメガネを、くいっ、と親指のハラあたりで押し上げた。

 

「私の見立てにまちがいはない! 正ちゃんならきっといい芝居ができる! ね? あ、そうそう。忘れないうちに言っとかないと」

 

 スマホをだして、と言われた。

 なにかデータを飛ばしたようだ。

 

「ほい、これ電子チケットだよ。片切は2人分ね。正ちゃんは、一人芝居の大役(たいやく)があるからフンパツしといたゾ」

 

 と、なんとおれにくれたチケットは、13人分!

 そこから部長が集合をかけて、ゲネプロっていうのに入った。

 みんなでやる劇では、おれの出番はない。

 で、ながい劇が終わって、やっとおれの出番かと思ったら――――

 

「正ちゃんは立ち位置のチェックだけでいーから。あとは本番まで、とっておこう!」

 

 おい、まじか。

 大筋(おおすじ)からセリフから、ぶっつけ本番ってこと?

 んー……さすがにやばくないか、それは。

 そこからおれは、ずっと考えごとをしてた。あの片切でさえ話しかけてこなかったから、よっぽど声をかけづらい雰囲気が出てたんだろう。

 

(悩みはまだある。電子チケットで、13人をホールに招待できるみたいだけど)

 

 なんの偶然なのか、おれの元カノの数と……いやちがうな、おれをフッた女の子の数とぴったりだ。

 まず……父さんたちは予定があるって言ってたからダメだ。ばあちゃんもまだ体調がよくなくて入院中だし、ほかの親戚の人とかに、おれなんかがいきなり「劇に招待したい」って言っても迷惑かもしれない。

 じゃ、やっぱり元カノのセンしかないな。

 数が合ってるのも、きっと何かのエンだ。

 

(しつこいな。知らない番号から何度も)

 

 駅前のファストフードのお店に入ってチケットの送り先を考えこんでいるんだが、考えを中断するようにスマホに着信がきている。

 何回めかで、とうとうおれは出た。

 

「……もしもし」

「あーっ‼」

 

 大音量。

 思わず耳からスマホを遠ざけた。

 

「おそいよー! 正クン、もっと早く出てよー!」

「え? もしかして、朝比(あさひ)さん?」

 

 予想外の相手。

 おれが人生ではじめて告白してつきあった、(はつ)カノだ。

 どうして番号が……あ、そういえば(ゆう)が彼女の連絡先を削除&ブロックしたんだった。

 

「友だちのヤツからかけてるの。番号とかメアドとかはまた送れるから、とりまブロックをとっぱらってよ」

 

 迷ったが、ここまでしてくれた彼女に対して迷うのも失礼か。

 おれは言われたとおりにした。

 さっそくラインが飛んでくる。

 

「ごめんね」

「えっ? なにが?」

「こっちもガマンするから正クンに彼氏やってよって話。反省してる」

「気にしてないよ。それより元気だった?」

 

 なかなか返信がこない。

 あれ? おれなんかヘンなことを書いたか……?

 

「あの車持ちの彼氏とは、とっくに破局。あーあ」

 

 また、長めの()があって、

 

「いないね、ほんと。正クンみたいな男の子って」

「イケメンだからね」と、冗談のつもりで送る。

「ちがうちがう。そうじゃなくって、ハートの話。いまさ、元気だった? って聞かれたとき……正直、ジワっときたんだよね。私、あんなにひどいことしたのに」

 

 そこから学校の話や冬休みの話とか、あたりさわりのないラリーがあった。

 ラリーの終わりぎわ、

 

「明日、おれ一人だけで芝居するんだ」

 

 と伝えて、電子チケットをおくった。

 絶対いくよ、と朝比さんは即答してくれた。

 そのいきおいで、残りの11枚も、一気に元カノにおくった。

 残るは1枚。

 元カノの中に同じ演劇部の片切がいるから、この余分ができた。

 これを渡す相手は……勇だ。

 

(すっかり暗くなったな。雪までふってるし)

 

 外に出ると、小さなつぶの粉雪が顔にあたった。

 量は少ないから、たぶんつもらない。今だけの、ちょっとした雪だろう。

 あー寒い。

 肩をすくめて歩き続けて、やっと家が近づいてきた。

 あれ?

 勇か? どうしたんだ、家の前にぽつんと立って。

 

 

「正」

 

 

 赤いダウンジャケットを着た人影が、うごいた。

 小走りでおれのほうにやってくる。

 理解が追いつかない。 

 てっきり勇だと思っていたのに。だって――――髪がショートだから。

 

「うそだろ! 星乃さん、どうしたのその髪は⁉」

「切りました」

「え……」

 

 あんなに長かった髪の毛がない。

 みじかくなっている。

 勇と同じくらいに。

 

「そんな顔しないでください。正が、ショートが好きっていうから……」 

 

 まっすぐ見つめ合うおれたち。

 彼女のうるんだ片目から涙がこぼれた。

 

「ひきました? そ、そうですよね……こんなことされるのって、重いですよね……」

 

 白状すれば、ひいた。

 でもそれ以上に、ここまでしてくれた彼女のことが(いと)おしい。

 

 

 おれは(しょう)を抱きしめた。

 

 

「あ……」

「……その髪、とても似合ってる」

「うん……」

「翔はすごいよ。ストレートで行動力があって……たしかにちょっと、重いとは思うけど」

 

 くすっ、と彼女がおれの胸の中で笑った。

 

「あなたの彼女にしてくれますか?」

 

 両肩をやさしくつかんで、慎重に、ゆっくりと自分の体から翔をはなしていく。

 彼女と目と目を合わせて、言った。

 

「お願いがあるんだ」

「お願い?」

「明日、おれの〈告白〉を聞き届けてほしい。それがおれの……答えだから」

 

 クリスマス公演のチケットのラスト1枚。

 おれはそれを、幼なじみの勇ではなく、彼女におくった。 

 



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12月24日

 カーテンの向こうは、まだ暗い。

 デジタルの目覚まし時計をみると〈4:44〉。おいおい……めっちゃ不吉(ふきつ)な数字じゃないか。

 ちょっと早く起きすぎたみたいだ。

 と言って、二度寝もできそうにないし。

 

(ゆう)の夢を見てた気がするな――おぼえてないけど)

 

 とりあえず起きて、朝食の時間まで勉強することにした。

 

 

「アンタ、中身がスッカスカじゃん」

 

 

 はは……いつだったか、あいつにそんなことを言われたっけ。

 また同じことを言われないように、少しは努力しないとな。

 こんな、みんなが寝静まってる時間帯に机に向かうなんて、久しぶりだ。

 たぶん高校受験のとき以来だな。

 

 

「うっそ!」

 

 

 と、当時の勇はおどろいた。

 担任も、あまり態度には出さなかったけど、おどろいた。

 父さんは「そうか」って言って、おどろきはしなかった。

 勇が「バドミントン部が強いから」という理由でえらんだ、偏差値がちょっとだけ高めの高校。

 おれもそこに、進学することにしたんだ。

 おれの成績では合格なんて絶対にムリだって言われたところに。

 

 

「信じらんない! やったじゃん、正!」

 

 

 合格発表の日。

 ハードな勉強の日々の反動で、体調をくずしていたおれに満面の笑みで報告しにきたあいつ。

「マークシートの神様が、おりてきたんだな」と、ベッドに寝そべったままでおれは言ったんだ。

 そしたら、すぐに、

 

 

「バカ! 私のおかげでしょっ!」

 

 

 大声でどなられた。

 でも大声だけど、かすかにふるえているような、微妙な感じ。

 おいおい。

 たしかにおまえに勉強とか試験の対策を教えてもらったりしたけど、おれの努力を認めてくれたって……と、寝たまんまで抗議の視線を向けたら、勇の目がうるんでいたのが見えて、何も言えなくなった。

 

 

(おまえのおかげだよ)

 

 

 実力でもラッキーでもどっちでもいい。

 とにかくおれは、おまえと同じ高校がよかったんだ。

 ここでもう、答えは出てた。

 何も迷うことなく、ためらわず、こわがらず、おれから告白できていれば――――

 

「あ」

「……おはよ」

 

 リビングで朝食をとっていると、勇が起きてきた。

 グレーのパーカーに下はショートパンツ。パーカーの(たけ)が長いのか、ショーパンの丈が短いせいか、下になにもはいていないように見えてしまう。

 

「おはよう。早いな」

「アンタこそ」

 

 今日、祝日じゃないけど、たまたま家族全員ここにいる。

 だから切り出しにくい。

 いきなり「ごめん」とか言いだしたら、いったい何事かと思われてしまう。

 まずは様子見(ようすみ)か。

 

「クリスマスだな」

「そうだね」

「おっ。ほら、天気予報が今日は〈くもり〉だってさ。で、夜に雪がふるかもって言ってるぞ」

「ふーん」

「ドキドキしないか?」

「ホワイトクリスマス?」勇は窓のほうへ視線を向けた。「バカみたい……」

 

 バカってなんだよ、っておれは反論する気マンマンだったんだが、父さんにクリスマス公演の話をふられてしまった。

 がんばれよ、と応援されて、勇のお母さんもエールをくれる。

 明日、ホールの上演を録画した動画を家族みんなで見よう、という話になったとき、勇はもうそこにいなかった。

 

(おれを()けてるのか?)

 

 だとしたら、強引にあいつの部屋に押しかけるのも考えものだ。

 (なや)む。

 緊張もしてきた。

 あの大きなホールでたった一人で舞台に……ナルシストだから「おれをみてくれ!」っていう気持ちはそこそこあるものの、視線の数がケタちがいだ。それに、お客さんは演劇がみたいのであって〈おれ〉が目的じゃない。中には観劇(かんげき)のベテランだっているだろう。演劇部のみんなも期待していると思う。ハードルはかなり高いところにあり、おれはそれを越えなければならない。

 

(今さら演技のテクニックとか知ったって、つけ焼き()だしな……どうしたらいいんだ)

 

 そんな緊張を、ときほぐしてくれるヤツらがきた。

 

「うぇーい」

 

 ラインがきて、玄関のドアをあけると児玉(こだま)がいた。黄色いダウンコートをラッパーみたいに着こなしてる。

 

「わるいな、急におしかけて」

 

 紺野(こんの)もいる。こっちはシックな黒のロングコート。

 まあ上がってくれよ、とおれは二人を自分の部屋にあげた。

 時刻は〈10:00〉ぴったり。

 

「どうしたんだ? おれ……今日は遊びとか合コンはいけないぞ?」

「わーーーってるよ!」児玉があぐらをかいたまま、指をパチンと鳴らす。「打ち入りだべ。打ち入り」

「うちいりって……武士が剣もってやるやつか?」

「それは赤穂浪士(あこうろうし)だな」と紺野が冷静につっこむ。「カズが言ってるのは、打ち上げの逆の、これから何かをするぞってときにみんなでやる飲み会のことさ」

「飲みって……べつにカタいこと言うつもりはないけど、今日はちょっとな……」

「知ってるぜぃ。じゃーん」と、児玉が袋から何か出す。「これなら、ちょっとはアガるっしょ?」

 

 シャンパン? いや、これはシャンメリだ。

 

「おれもカズも用事があって長居(ながい)はできないが、せめて祝わせてくれ」

「紺野……」

「そーだっつーの。ショーの記念すべき初主演の舞台なんだろ?」

「児玉」

 

 こいつは紺野より、つきあいが一年長い。

 中学からの友だちも知り合いも一人もいなかったおれに「おめーカッコいいじゃん」と、声をかけてきた出席番号がひとつ前の男。それが児玉だった。

 がしっ、と無言で握手する。

 女グセがわるいとか浮気っぽいとかで女子からの悪評(あくひょう)は絶えないが、こんなふうに友情にアツい、いいヤツなんだ。

 紺野とも握手したあとで、おれは言った。

 

「二人とも、ありがとな。でも、わるいけどシャンメリはやめとくよ」

「へっ? 正、これキラいなん?」と、児玉がビンを持ち上げて言う。

「うーん……これ飲むと、あとで少し目がはれたりするだろ? ちょっと充血(じゅうけつ)したりとか」

「まてよ、正。ひょっとしてアルコールとカンちがいしてないか? これはシャンパンの雰囲気を楽しむだけの、ただのジュースだぞ?」

「ジュースなのは知ってるよ。成分なのか材料なのかは知らないけど、前に勇がそうなったからさ……」

 

 児玉と紺野が、おたがいにキョトンとした顔で見合っている。

 何秒かしたあとで、紺野が質問してきた。

 

「…………それって、いつの話だ?」

「おれにはじめての彼女ができて、あいつが祝ってくれたときだよ」

 

 先に紺野がニヤッ、おくれて児玉がニヤァ~、という表情になった。

 なんだ?

 二人とも「そういうことか」って言いたげな顔してるけど……

 

「正。幼なじみを大事にしろよ」

「え? おい紺野、どういうことだよ」

「あーあ、一気に食欲なくなったわ。ポテチ一枚も入らねー。ごちそうさん、だぜ……まったく」

「説明しろって、児玉」

 

 結局、大事なところはハグらかされてしまう。

 そこから二時間ぐらい学校の休み時間みたいなおしゃべりをして、あいつらは帰っていった。

 帰りぎわに玄関で、

 

「そういえば(ゆう)のヤツが言ってたな。彼氏とクリスマスの予定でモメたって」

 

 と言われて、おれはすぐにモメたわけがわかった。

 

「あっ! それ、おれのせいだ」

 

 紺野の妹の優ちゃんに、今日の公演のチケットをおくったことを伝える。

 

「なるほど、正が招待したのか。それで昨日、ホールの場所を知ってるかおれに聞いてきたんだな」

「場所を? ってことは、優ちゃんは来てくれるってことか?」

「だろうな」

「……彼氏にわるいことしたな」

「気にしなくていいさ。彼氏のほうには、おれからうまく言っておくよ」

 

 家の前に立って、二人を見送った。

 ふう……。

 あいつら、これから彼女とデートなんだよな……うらやましいよ。

 リビングでかるく昼食をとって部屋にもどると〈13:00〉。もうこんな時間か。

 クリスマス公演の開始は18時で、現地集合の時間は16時。そろそろ出かける準備をしなければいけない。

 おれは早歩きで、勇の部屋にいった。

 

(反応がない……。ムシしてるっていうより――)

 

 やっぱり。

 ドアをあけて中をのぞくと、部屋はカーテンがしめられていて暗かった。無人だ。昼食のとき、家のドアを()()めする音がしたみたいだったけど、やっぱりあのときに勇は外出していたんだ。

 出かけるね、ぐらい言ってくれよ……。

 

(プリンでも買いにコンビニでも行ったか? いや、そういえば)

 

 クリスマスイブの予定について、まえに勇が何か言っていた。

 ふいに窓の外から、うるさい音。バイクの音だ。

 バイク…… 

 

(勇‼)

 

 カーテンをあけて、窓もあけて外をみる。

 やはり、乗っているのは星乃(ほしの)(じょう)

 家の前の道を、さっそうと、横切るように走ってゆく。

 白いダッフルコートを着た女の子と二人で。

 

「勇――――っ‼」

 

 おれは叫んだ。

 届いたのかどうか、一瞬、赤いバイクのうしろに乗る勇の頭がこっちに向いた。

 もう追いかけたって、どうにもならない。

 体がボロボロになっても、あいつらを追いかけたい気分だが…………

 

(くっ!)

 

 床にくずれるように座りこんで、力任せにクッションをたたいた。

 おれは、何をやってるんだ。

 (なさ)けない。

 いくらでも、あやまれるタイミングはあっただろ?

 幼なじみだからって、その関係性に甘えていたんじゃないのか?

 おれを本当に嫌いになるはずがない、おれを裏切ることはない――って一人で勝手に思いこんで。

 

(おちつけ)

 

 こんなんじゃ、今日呼んだ元カノ全員をウンザリさせてしまう。

 もちろん(しょう)も。

 おれは、立たなきゃいけない。

 このあと大事な〈告白〉があるんだ。

 

(……ん?)

 

 立つとき、勇のクローゼットが目にとまった。両開きの真ん中のところから、服がすこし外にはみ出している。

 直してやるかと、そこをあけると、

 

(子供服?)

 

 どう考えても勇じゃ着れないサイズの服だった。

 赤い服。

 赤い……まてよ……

 

「あら? どうしたの正ちゃん。勇の部屋で」

 

 あけたままのドアの近くから、おれに声がかけられた。

 

「お母さん!」おれは服を手にしたまま、母親に詰め寄った。「これ……この服は、勇のですよね?」

「もちろんよ。おぼえてない? むかし、勇はよくこの服を着ていたの」

 

 お母さんが、ぱちっ、とウィンクした。

 

「それにね……勇が、正ちゃんとはじめて出会ったときに着てた服でもあるのよ」

「はじめて出会ったとき、ですか?」

「その服で、二階にいた正ちゃんを見上げたんだって」

 

 ‼

 思い出した!

 そうだ! たしかに、そうだった! 二階から、あいつを見た!

 お母さんに服を手渡して、あわてて部屋にもどる。

 

(やっぱり。あの場所だ。あそこに翔が立っていた。子どものころの勇と、まったく同じところに――)

 

 だからあの〈見つめ合い〉は特別だったんだ。

 勇とも、〈見つめ合った〉ことがあったから。

 おれが一目ぼれしたように感じたのは……翔だからということだけじゃなく……遠い記憶の勇がそこにいたせいでもあったのか。

 スマホを手にとった。

 勇にメールする。

「きてくれ」と言いたい気持ちをぐっとこらえて、ただ公演の時間と場所だけを送った。

 

「正。そろそろだよ」

 

 片切(かたぎり)が耳元でささやく。

 出番のときがきた。

 舞台の上に、たった一つのスポットライトが明るく照らされている。

 



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そして、正しくなれる

 はじめて辞書を引いた言葉を、今でもおぼえてる。

 それは〈眉目(びもく)秀麗(しゅうれい)〉。

 父さんの兄さんのオジサンに「ビモクシューレーだな」って会うたびに言われて、まずその音が耳に焼きついた。

 意味を知ってからは、そう言ってもらおうとオジサンの前でキリッとした顔をするようになった。

 それがたぶん、おれのカッコつけ――もしくはナルシスト――の、はじまりだ。

 

(ついにきたか)

 

 大舞台(おおぶたい)

 ひとつ前の演劇の途中、チラチラと舞台のそでから客席のほうを見てみたけど、ひとりも元カノは見つけられなかった。もしかしたら、誰も来てくれてないのかもしれない。まあ……しょうがないよな。おれ、その全員にフラれてるわけだし。

 しかも今日は、クリスマスイブだ。

 やっぱり招待なんかするんじゃなかった。即決(そっけつ)で行かないと決めた子だったらまだしも、もし、チケットを送られたこと自体がイヤだったり、どうしようとナヤませてしまった子がいるのなら、(あやま)りたい。

 本当に、おれはいつだって自分のことしか考えてない、半人前だ。

 変わりたい。もっと成長したい。

 あいつのためにも。

 この一人芝居を演じ切ったら、おれは…………

 

(よし。いこう)

 

 舞台のそでから、スポットライトで照らされているところまで、ゆっくり歩いていく。

 衣装は、ふだんどおりの学生服。髪型もいつもと同じ。

 革靴の底をキュッと鳴らして、おれは客席のほうへ向いた。

 

「え、えーと……」

 

 光はスポットライトだけで、お客さんはほぼ見えない。

 だから、わからない。

 この中に12人の元カノがいるのかも、(しょう)がいるのかも、(ゆう)がいるのかも。

 

「えー……」

 

 まずい。

 ()てる人たちが、ざわざわしはじめている。

 頭が真っ白になった。

 何もできない。

 そうだよ。

 おれは、13人もの女の子に愛想(あいそ)をつかされた男なんだ。

 そりゃ、何もできないさ。

 うまい一人芝居なんか、できないよ。

 そもそもセリフがでてこない。

 じゃあ、こんなところに棒立ちになって、なにをしてるんだ?

 今この瞬間にも、勇は(じょう)の彼女になろうとしてるかもしれないのに。

 

「あ……その、えっと……」

 

 もうダメだ。

 やめたい、はやく舞台をおりたい、そんな弱音を心で口にしたとき――

 

 

 なにやってんのよっ

 

 

 バドミントンのラケットで、ハエたたきのように頭をたたかれた――――気がした。

 びっくりして舞台の上を見回したが、当然、誰もそこにいない。いるのはおれ一人。

 ? なんだったんだ?

 でも、気持ちが、一気にラクになったよ。

 あらためて正面を向く。

 

「今からするのは、芝居じゃないんです。ただ、おれが、正直に話すっていうだけで……。

 最後まで聞いてくれると、うれしいです。

 おれには好きな人がいます。

 その……好きな人の話をする前に、おれは13人の女の子にフラれてます。

 13人とか言うとめっちゃリア充で、モテモテで、どうしょうもない女ったらしみたいですけど、なんて言ったらいいか、ぶっちゃけると……女の子に対して〈したい〉って思うことができる前に関係が終わってますから、べつにジマンでもなんでもありません。

 はっきり言うと、おれエッチとかしたことないんです。キスも。

 はは……舞台の上で言うことじゃないですよね、これ。

 バカだよな……。

 それで、ちょっと、おれ最近気づいたことがあるんです。

 っていうのは――おれは、その13人の女の子の中の〈好きな人〉をさがしてたんじゃないか、っていうことなんです。

 言いまちがえてないです。

 中に、じゃなくて、中の。

 おれは、つきあった女の子の中の〈好きな人〉を求めてたみたいなんです。

 個性の一部――というか。

 カケラっていえばいいのかな。

 たとえば、ある女の子は努力家だったり、ある女の子は妹っぽいかわいさがあったり、ある女の子は単純に外見が似てたり、ある女の子は誰からも好かれる性格だったり……みたいな感じで。

 それをですね……そのカケラを13コ集めて、ぎゅーーーってしたら〈好きな人〉ができあがるんじゃないか、ってヘンなことを考えちゃいました。

 つまり13……いや、12人の女の子に告白するっていう、ずいぶん遠回りをしちゃったんですよね。

 彼女は幼なじみで、おれ、小さいころから知ってます。

 明るくて、活発で、スポーツができて、家族みたいになんでも話せる存在で。

 告白します。

 おれは」

 

 観客は、静まり返っている。

 すこし目がなれて、暗い中に座っている人たちの影がぼんやり見えはじめてきた。

 

「あいつのことが好きで好きでたまらないのに、ふつうの幼なじみみたいな演技を、おれ……ずっとしてたんです」

 

 想いを言葉にした瞬間、胸がいっぱいになって、そこから何も言えなくなった。

 

「………………」

 

 突然どこかで、ざわっ、とどよめいた。

 誰か一人、いきなり席を立ったようだ。

 

「――ウソですっ!」

 

 この声は(しょう)だ。

 右側の客席の真ん中あたり。

 片手を胸にあてている。その手が、着ているセーターをにぎりしめているのがわかる。

 

「ウソって言ってください‼ お願い! 正! その子に負けないぐらい、私だって」

 

 おれのほうへ来ようとしている。

 今の翔は、あきらかに冷静じゃない。

 とめないと、と一歩ふみだしたと同時、

 

「なんですか、あなたは! どいてください!」

「悪いが、ここは通行止めだ。よそへ行け」

「なっ……!」

 

 顔も体も舞台(こっち)に向けて腕を組み、通せんぼするように堂々と立つあの姿。

 あれは三年の先輩の水緒(みお)さんだ。おれの招待を受けて、わざわざ来てくれてたのか?

 翔はあきらめて、こんどは水緒さんが立っていないほうから通路に出ようとする。

 

「こっちもダーメ。なんなら超高校級の水泳部の女と、力くらべしてみる?」

 

 水泳部……? あっ、望海(のぞみ)だ、あれはノゾミちゃんだ。

 翔は彼女たちに、両サイドをはさまれている。通路に出ることもできない。

 

「ど、どいて……っ‼」

小波久(こはく)が好きなら、わかるはずだ」ノゾミちゃんにつかみかかる翔の背後から、水緒さんが声をかける。「芝居の邪魔をするな。そして、あいつはこれから舞台を飛び出して、真実の〈告白〉をしに行くんだよ」

「何……? いったい何を言っているんですか⁉」

 

 翔が肩ごしに水緒さんをみる。

 感情むき出しの、するどい眼。

 それを受け流すように、水緒さんの口調はとてもおだやかだ。

 

「その〈告白〉を心から望み、ただ見守る……それが、小波久正という男を好きになった女たち全員の総意(そうい)だと私は思っている」

 

 いつのまにか客席のバラバラの位置で、何人かが立ち上がっていた。

 不思議と、数えなくても、その数がわかる。

 右半分に6人、左半分に6人。

 みんな、思い思いの立ち姿で、おれのほうに顔を向けている。舞台のそでからも、片切(かたぎり)がじっと見ている。

 

(さあ!)

 

 と、彼女たちに応援されているようだった。

 待たれている。期待されている。

 でも、どこに行けばいいのかわからない。

 でも、少なくともここに勇はいないんだ。

 さがそう。

 くたびれてヘトヘトになるまで。

 

「……みなさん、すいません。

 聞いてくれて、ありがとうございました。

 じゃあ、おれ行きます。

 行ってきます。

 あいつに……勇に……告白してきます‼‼」

 

 舞台をジャンプでおりて、階段みたいになってる客席の通路を駆け抜ける。

 出るとき、近くの席で立っていた塔崎(とうざき)さんが、コクッと力強くうなずいてくれた。

 出口の扉がしまる寸前、かすかに手をたたく音が――いや、まさかな。こんな芝居でもなんでもないモノに、拍手なんかもらえないって……。

 

(雪?)

 

 顔に冷たい何かがあたった気がした。

 でもあたりを見回しても、何もふっていない。

 冷たい空気。すこし風も強い。

 大きなホールのエントランスを出て、その前に広がる場所にいる。

 地面は一面の赤レンガで、あたたかい色の光でライトアップされている。中央には小さなクリスマスツリー。

 

「ちっ。出てきやがったか」

 

 その声にふりかえると、やっぱり丈だった。

 おれは、つかみかかるぐらいの勢いで彼に近づく。

 丈のすこしニヤけた表情を見れば見るほど、どんどん胸がチリついていく。

 

「勇はどこだ? いっしょに……いたんじゃないのか?」

 

 こぶしを握りしめる。

 もしかしたら、おれは生まれてはじめて、本気のケンカをするかもしれない。

 

「まてまて。熱くなるな。まず、オレに礼をいえ」

「礼……?」

 

 黒い(かわ)ジャンに、下も黒い革のパンツ。

 首元に、赤いマフラーがわずかにのぞいている。タイトに巻いて、大部分を革ジャンの中にもぐりこませていた。

 

 

「正!」

 

 

 この声は……。

 

「待ってくださいっ!」

 

 翔だ。

 おれのあとを追って、エントランスから出てきた。一直線にこっちに来る。

 

「……礼っていうのはな、ここまで勇をつれてきたことだ」

 

 丈がおれの肩に手をおく。

 

「心配しなくてもあいつは近くにいる。が、その前に、オマエはおれの妹に言うことがあるだろ?」

「そうだな……」

 

 赤いセーターに、チョコレート色のスリムなパンツ。

 黒髪ショートに、きれいすぎる顔立ち。

 本当に、おれにはもったいない女の子だ。

 急に走って乱れた彼女の息が(ととの)うのを待って、おれは言った。

 

「翔。ありがとう」

「えっ……」

「こんな中身ゼロの男を好きになってくれて、『つきあいませんか』まで言ってくれて、みじかい間だったけど、翔みたいな女の子の彼氏気分を味わえて、いい思い出になったよ」

「…………それ、演技ですよね? まだ演技してるんですよね? ほんとじゃない……ですよね?」

「もうおれは演技してない。これから勇に告白するんだ」

「正」

「ごめん。おれが、はっきりしない態度をとり続けたことも、よくなかった」

 

 きおつけの姿勢で、彼女に頭を下げた。

 

 

「翔とはつきあえない」

 

 

 だまって地面をみつめる。

 翔が何か言ってくれるまで、頭を下げつづけようと決めた。

 

「おい」

 

 丈の声。

 

「こいつはこいつなりに、ちゃんとセイイってのをみせてる。なんか言ってやれよ」

「お兄ちゃん……」

「あーあー、そんな顔すんなって」少し声が出る位置が低く、おれの耳に近くなり――「もういいよ。頭をあげろ。妹にかわって、オレが許可してやっから」

 

 目の前には、翔の両肩をやさしく支える、兄の姿があった。

 

「正。ハンパな断り方をしやがったらタダじゃおかなかったが……ま、合格だ」

「おっ……お兄ちゃーーーん‼」

「泣くなって。なっ? ずっと乗りたがってたバイクのうしろに乗っけてやるから」

 

 胸に顔をうずめて泣く翔の頭をなでてやりながら、おれと目を合わせる。

 

「オマエは幸せモンだよ」

「え?」

「こーんな超絶かわいい妹と、勇のハートまで持っていっちまうんだから」

「丈。勇は……」

 

 無言で指をさした。

 そっちを見ると、飾り付けされたツリーにかくれるように、静かに立っている姿。

 

「オレはマジだった。マジで、日付をこえるまでは勇を手放す気はなかったんだ……」

 

 横顔を向けて話す丈とおれの間に、小さくて白いものが流れた。

 雪だ。雪がふってきた。

 

「押し切られたよ。オレの革ジャンを両手でつかんで『いって!』ってな。で、『チケットがないから』って、あそこで待ちつづけてる。はやくいってやれ」

 

 丈は、わしゃっ、と自分で自分の髪をさわった。

 両目が前髪でかくれて、ニッ、と片方の口角があがる。

 

「正。前に言ったの、訂正するぜ。やっぱり恋に早いモン勝ちはある。まったく計算外さ……好きになった女に、オマエみたいな幼なじみがいたなんてな」

 

 丈が背中を向けた。

 翔も、もう話しかけてくる様子はない。

 それより――おれも行かないと。

 ぴん、と緊張してきた。自然と背筋がのびる。

 一歩一歩、あいつとの距離が(ちぢ)まる。

 クリスマスツリーのそばに立つ、真っ白なダッフルコート。

 待ちきれず、ずいぶん手前でおれは、

 

「勇!」

 

 と声をかけた。

 ん? とツリーの奥の人影がうごく。

 

「好きだっ!」

 

 フライング気味に、おれはコクった。

 そんなにたくさんいるわけじゃないけど、まわりを歩く人たちから注目される。 

 勇は少し、首をかしげるアクション。

 あれ? 聞こえなかったのか?

 

「勇」

「劇、終わった?」

「ああ。いや……」

「このツリー、ちょっとちっちゃくない?」背比(せいくら)べのときみたいな手を、自分の頭のてっぺんと、真横にあるツリーにあてる。「だいたい二メートルくらいかな~」

「勇」

「もっとおっきくたって、いいよね? そう思わない? サイズが微妙だからさ、写真とってく人もあまりいないみたい」

「おれ……勇のことが好きなんだ」

「私も好きだよ」

 

 まるで朝のアイサツみたいに、勇は言う。

 ……ん?

 なんか、おかしくないか?

 告白って、こんなんだっけ?

 

「どうしたの? 私の顔、じーっと見ちゃって」

「勇。聞いてくれ。おれずっと演技してたんだ」

「演技って?」

「おまえが好きなのに、好きじゃない……っていうか、ただの幼なじみを演じてた」

「そんなの――――おたがいさまでしょ?」

 

 えっ。

 それって、どういう……

 

 

「ほめてよ、私の名演技。ずっとずっと、ずーーーーーっと、ただの幼なじみをやってたんだからね?」

 

 

 おれは、そんなことを笑顔で言った勇に、心も体も引き寄せられた。

 正しい恋はここにあった。

 勇を抱きしめる……

 

「っ! ちょっと! やめて。恋人同士みたいじゃない」

 

 ……つもりだったが、寸前で両手パーで押し返され、体を(はな)されてしまった。

 

「冷たっ! も~、雪が目に入っちゃったし」

「おれのせいじゃないだろ」

「雪が……」

 

 人差し指を曲げて、目の下にあてている。

 顔は、下に向けて。

 

「勇。あまり、こすったりしないほうがいいぞ」

「ちがう、バカ!」

「え?」

「フツーわかるでしょ?」

「いや……雪が目に入ったんだろ?」 

「そういうとこなのよ」

 

 そう言って、20センチ背の高いおれの顔を見上げてくる。

 

「ニブいっていうか、想像力がないっていうか、ウソを見抜けないっていうか、疑うことを知らないっていうか――」

 

 勇の(ひとみ)がキラキラ光っている。

 

「そんな正が、大好き……」

 

 目をつむった。

 さすがに、この意味がわからないほどニブくはない。

 キスした。

 あまり長いのはわるいかなと思って、1、2って頭で数えて、3秒でやめる。

 目をあける勇。

 

「……ほかの女の子にも、そうやってキスしたの?」

「してないよ。だって、はじめて――――」

 

 おれはバランスをくずして、倒れそうになった。

 

 

「絶対そうだと思った‼ 信じてたんだから‼」

 

 

 思いっきり、抱きつかれている。

 首のうしろに両手を回していて、しかもそこから、足を浮かせてグルグル回ろうとしてる。

 いや……ム、ムリだって……。

 おれはひざをついた。

 ほっぺにほっぺをくっつけてきて、勇が耳元でささやく。

 

「やっと恋人同士になれたね」

「ああ」

 

 ビュッと強い風がふいて、夜空に吸い込まれるように、白い雪が高く舞い上がっていった。

 

 ◆

 

 昔のことを思い出している。

 

 あの日のことを。

 あの日から、おれと勇の新しい関係がはじまったんだ。

 幼なじみでも妹でもない――っていうか、幼なじみで妹っていうところに、一つプラスされた。

 彼氏彼女の間柄(あいだがら)になった。

 

 実家の自分の部屋の窓から、外を見下ろす。

 誰もいない。真冬の季節だしな。

 ちょうどあの場所に、星乃(ほしの)さんが立っていたんだ。

 今は女子大に進学して、彼女もおれと同じように家を出たらしい。

 (じょう)ももう、家にはいない。外国へ行った。たまに「正もこっちに来いよ」と、あいつらしいメールが届いている。あの日から高校を卒業するまでの間に、おれたちは親友になっていた。児玉(こだま)紺野(こんの)ともウマが合って、4人でよくツルんだんだ。ちなみに、あいつが暴力事件を起こして転校してきたっていうウワサは、根も葉もない真っ赤なウソだった。

 

(って、丈からメールか? すごいタイミングだな)

 

 みじかい内容。

 勇がフリーになったら即連絡しろ、ってまた勝手なことを……。

 おまえこそ、こっちが恋しくなって帰国したら即連絡よこせよ、ってメールを返しておいた。

 あいつは恩人だ。

 丈がいなければ、たぶん、おれたちが幼なじみの関係から進むことはなかっただろう。

 ……って、そんなこともないか? 持ち上げすぎかもな。

 

(またか。こんどは……)

 

 スマホの画面をみる。

 勇の〈彼氏〉を演じていた、外井(そとい)くんからのラインだ。

 

「ドラマみました。やっぱ、小波久(こはく)くんはかっこいいですね。光ってました」

「ありがとう。でも、まだまだ未熟だから、もっとがんばるよ」

 

 親指をたてたイラストのスタンプが返ってくる。

 相変わらず、いいヤツだな。

 こんないいヤツを……勇が〈彼氏〉にして巻き込んでしまったことが、ほんとに申し訳ない。

 聞けば、勇は〈おれのため〉に外井くんとつきあったフリをしたらしい。

 おれが中学のときも、高校に上がってからも、誰ともつきあおうとしないのが〈自分のせい〉だって、あいつはカンちがいしてたみたいなんだ。

 勇にエンリョして、おれが女子とつきあおうとしない――だったら、自分が男子とつきあってるってことにすれば、(おれ)も女の子と自由に恋愛するだろう――そんな考えだったらしい。

 今となっては、笑い話だ。

 よくそのネタで、勇をからかってる。

 たぶん、今日も……

 

「あーっ‼」

 

 部屋のドアがあいた。

 

「玄関にクツがあったから、もしかしたらと思ったけど……」

「うん。久しぶりだな」

 

 ぎゅっ、とハグし合ったあとで、まっすぐ見つめる。

 

「勇。大事な話があるんだ」

「えっ。な、なによ…………真剣な顔しちゃって……それにそのスーツは何? サラリーマンにでも転職する気になった?」

「おれと結婚してくれ」

「えーーーーーっ‼」

 

 部屋に勇の声がひびいた。

 あの日から恋人になったおれたちは、その週末に、ばあちゃんに会いに行った。

 で、報告したんだ。つきあうことにしたよ、って。

 ばあちゃんは涙を流してよろこんでくれた。

 そしてここからが大事な点だ。

 ばあちゃんの体が、みるみる良くなっていったんだ。お医者さんもおどろくほどに。

 おれは詳しいことはわからないけど、気持ちがポジティブになったら、体のわるいものが小さくなったり無くなったりすることがあるらしい。

 ずいぶん顔色も良くなって、ばあちゃんは「100まで生きるからね」と、今でも元気いっぱいだ。

 

「ダメか?」

「ダメじゃないけど……私まだ大学生だし……」

「これ、指輪」

「バカ。そんな、あっさりと渡していいもんじゃないでしょ!」

 

 と、抱きついてくる。

 はずみで、指輪のケースを床に落としてしまった。

 たぶん指輪も約束も、おれたちには必要ないんだ。

 

「ねぇ正……私たちみたいな、連れ子同士が結婚できるかどうか、知ってる?」

 

 至近距離でおれを見上げながら勇が問いかけた。

 

「知ってるよ」

「……そっか、それぐらい、あらかじめ調べてるよね」

「おまえも知ってただろ?」

 

 勇の顔が赤くなった。

 赤くなった理由は、勇と、おれだけが知っている。

 

 

   [完]

 

 



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