女ばかりの世界に迷い込んだ俺と、そんな世界へ「異世界TS転生」をしていたあいつと (あずももも)
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0話 【本編ではありません】注意事項&人物紹介(話が進んだら)

あらすじにもありますが、こちらが注意事項です。

 

☆このおはなしは異世界でひとりぼっちになった主人公の直人くんと、もうひとりの主人公のTSっ子が彼と友情を育む物語です。後半からふたりは仲良くなりますが、【ふたりがくっつくことはありません】。こちらをご承知置きの上でお読みいただければと思います。

 

☆構成上後半までTSっ子が本格的に入って来ません。TSっ子視点も一切にありません。男の子の方の主人公視点です。TSの肝心となる性別が変わった場面や葛藤はこのおはなしでは欠片も存在しないことを先にお知らせします。あくまで男友達同士の友情?物語です。

 

☆他の作品同様主人公の一人称視点かつ主人公がもやもやと考える場面重視の構成のため、意図的にテンポを悪くしている場面が多々あります。これを楽しんでいただけたら幸いですが、それでもある程度まとめ読み&地の文の読み飛ばしを推奨です。

 

☆7月19日(月)完結しました。

 

☆かんたんな登場人物紹介

 

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。華やかな体育会系……ではない方の「普通の男子高校生」な1年生。見た目も中身もごくごく普通、それゆえに悩みに悩んで……という目に遭う男の子。普通なので特に喜びすぎることもなく、かと言って引きこもったりするほどには落ち込みもしません。知らない人とも普通に話せてしまい、傍目から見たらどのようなことがあっても落ち着いている。そのような性格のせいで……。

 

野乃早咲ちゃん:男装している女の子。訳あって制服は男子のもの、スレンダーな体つきと短めの髪の毛のおかげで男の子に見えなくもない見た目で学園に通っている子。背は男子の平均な直人くんと同じくらいでやや高め、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。

 

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。生徒からはさぼれば厳しいけれどがんばれば笑顔で優しく褒めてくれると評判。

 

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。もちろん外国語担当で、少し話し方に特徴がありますー、という感じ。一方で、授業以外のお仕事もある様子。

 

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。早咲ちゃんにべったりで甘えんぼ、一人称が自分の名前。そのせいで、男の子の背丈な早咲ちゃんに小学生の背丈でしがみついている姿が余計にこどもっぽさを見せています。

 

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねいでまさにお嬢様。早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。直人くんの安全のために「婚約者」になる子、その1。

 

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。男の子慣れしているのである意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる貴重な子。ひなたちゃんと同じく一人称は自分の名前。肩までのふわふわな髪の毛。直人くんの安全のために「婚約者」になる子、その2。

 

 



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1話 目が覚めた先は、真夜中のグラウンド

改めまして数ヶ月ぶりの新作です。よろしくお願いします。0話に記載していますが改めての注意です。このおはなしは前2作とは異なり、寝ているあいだに投げ出された彼、直人くんと、TSっ娘なもうひとりの主人公との友情がテーマとなっております。そのために彼らがくっつくことはなく……今回出てきたヒロインと思しき子たちはヒロインではありません。ご了承の上お読みください。


 

まぶしい。

 

何も見えない。

 

真っ白/黒だ。

 

なのに、光があることだけは分かる。

 

その光が降ってくる。

 

その光が昇っていく。

 

その光に合わせて、俺も昇っていく。

 

その先には、天を覆う光の扉があって、……俺に迫ってくる。

 

ぶつかる、と思ったら……それはぶつかる直前でぎい、と軽く開き、俺を通す。

 

後ろでそれが、ばたん、と閉まる音が聞こえた気がする。

 

そこは、闇。

 

さっきまでのように真っ白だったのとはちがって、闇。

 

一切の光がない。

 

光がない。

 

くらい。

 

暗い。

 

黒。

 

漆黒。

 

 

 

 

………………………………ん?

 

なんだか変な夢……のようなものを見た気がするな。

 

夢のようなもの……浮かんだって言うよりは、飛んだ?感じで、どこかを通り抜けた……みたいな感じか?

 

………………うーん、よく表現できないし、よく覚えていない。

 

とにかくまぶしかったり暗すぎたりしたことだけは覚えている。

 

ま、夢だしこんなもんか。

 

どうせいつも起きてすぐに忘れているんだもんな、夢なんて。

 

……こうして考えているあいだにも、目が覚めつつある今でさえも、どんどんと遠くに行っているんだからな。

 

………………………………………………………………ああ、眠い。

 

二度寝したい……けど、たぶんこれはアラームが鳴る少し前なんだろうな。

 

たまにあるように、セットした時間のほんの10分20分前とかっていう、ものすごく絶妙なタイミングで目が覚めるやつだ。

 

できればそうしていたい……けど、これがもし、もうすでに1回無意識で止めて寝直したあとだったりなんかしたら、確実に遅刻だろうな。

 

今日も学校だし、早く起きるに越したことはない。

 

じゃなきゃ、ただでさえ朝は機嫌悪い母さんだ、せっかくの俺の気持ちいいまどろみを大声と布団を引っぺがすっていう荒技でどやしつけられながら起こされかねない。

 

ああ、寝ていたかった。

 

けど、母さんには逆らえない。

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

……やっぱり、大声が近づいてくる。

 

母さんのだろう。

 

ってことは、今考えたように寝坊なのか、俺は。

 

二度寝ならぬ三度寝をするところだった……したかった……けど、こればかりはなぁ。

 

学生とはつらいもんだ。

 

んじゃ、気合い入れて起きますか……、っと?

 

「………………………………ねぇっ! 君、大丈夫っ!? ねぇってばっ!」

 

ん……?

 

声?

 

母さんのものじゃないよな?

 

母さんよりも明らかに高くて、幼い感じの声だもんな。

 

かといって、こんなボイスアラームに設定した覚えはないし。

 

………………………………。

 

だよな?

 

昨日寝る前にぼんやりしたとかいうオチで、それが今、耳元で叫ばれているかのような大音量で流れているわけ……じゃないよな?

 

だったらヤバい。

 

母さんに……俺がこういうのに興味があるっていうのがバレるのと近所迷惑やらかしたってことで、かなり本気のゲンコツを落とされかねない。

 

……が、得てして寝ぼけているときっていうのは、意識が先で体は後で。

 

だから、………………………………動けない。

 

「……榎本先生と……に連絡してきます! ひなたは彼を介抱して……」

 

また別の声。

 

………………………………そこでどうして母さんの名前が出るんだ?

 

やっぱり寝ぼけてるのか?

 

普段なら俺の名前を呼びながらゲンコツだろう?

 

いやしかし、意識はもうすぐ起きそうになっている感じなんだけど。

 

あ、ほら、指先とかあったかくなってきたしな。

 

けど、これって……母さんの教え子の人とかが来ていたりするのか?

 

家に?

 

早朝に?

 

なぜ?

 

いや、でも、それならボイスでのゲンコツは避けられるけど、逆になおさらに分からない。

 

だって、……俺を知らない相手が、俺と同い年くらいの生徒……それも女子が、俺の部屋に?

 

んなわけあるか?

 

………………………………。

 

ない。

 

……と、思いたいけど。

 

俺の体が、揺さぶられる感覚がある。

 

肩を掴み、……声の方向から察するに、俺の目の前にかがみ込んで来ていて。

 

………………………………かがみ込んで?

 

「ね、……あの。 目、開けて? ………………………………起きないの。 お薬とか、盛られているのかなぁ……ん――……」

 

……この声。

 

けっこう幼い感じだけど、でも、スマホとかからじゃなくて、現実の女子の声で……いやいやだからなんで知らない女子が俺の部屋に入って来ているんだ!?

 

「……え、と。 ケガとかは……ない、のかな?」

 

待って待って待って待って。

 

ちょっと待って。

 

俺の部屋に来たのが俺を起こせって母さんに言われて来ているんじゃなくて、いや、それでも充分におかしいんだけど、なんでケガがないのかどうか調べようとしているのかとか、知らない男子の部屋に勝手に入ってきて平気なのかとか、肩とか顔とか頭とかをぺたぺたぺたぺたと触られているのかとか、そんなことはどうでもいい。

 

手が柔らかいなとか小さいなとかもまたどうでもいい。

 

寝起きは、まずい。

 

なにがって、………………………………その、寝起きの布団の中が。

 

いや、大丈夫だとは思うけど、その感覚はないから大丈夫だとは思うけど、でも、万が一にも目立つ状態だったとしたら――――――目も当てられないことになるのは明らかだ。

 

母さんなら、ふん、とか言っておしまいだけど、もし年の近い女子にそれを見られたら。

 

俺はもう婿に行けない……じゃないけど、少なくとも数週間は凹むだろう。

 

ついでに、相手からは学校中に広められることまちがいなしだ。

 

端的に言うと、………………………………やばい。

 

男の尊厳の危機だ。

 

ついでに学校生活の危機でもあるな。

 

「…………ん。 服も脱がされたりした跡はない、ね。 ……や、そういう風に着させられたとかかもしれないし。 なら、もう少し調べないとっ」

 

これは男の沽券、存亡に関わる一大事だ。

 

もしそれを見られ、泣かれ、それを聞きつけた母さんが部屋に来たら……ゲンコツどころじゃ済まない。

 

それをさせたのが母さんだろとか言っても問答無用で、どんな目に遭うか想像もできない。

 

学校では優しいフリをしている……それでも「実は榎本先生って結構こわいんだね、淡々って感じのお説教、みんな怖がってるもん」とかよく言われるけど、家で怒るときはほんとうにこわいんだ、俺の母さんは。

 

だから、早く。

 

早く、起きないと………………………………!!

 

焦ったからか、急にからだが熱くなってきて一気に覚醒した感覚。

 

俺は、布団の下をのぞき込まれないようにと、惨劇を起こさないようにと、全力で両手を……はがされそうになっているだろう布団へと伸ばそうとして、体も起こして。

 

――――――――――――ごつん。

 

と、焼けるような痛みと光がひたいに走り、俺は悶えた。

 

 

 

 

痛いと言うよりは熱い。

 

火花が散るような、っていうのを俺自身が経験するのは初めてだけど………………………………いや、これ、時間が経つにつれて痛くなってきたぞ!?

 

めっちゃ痛い。

 

泣きそう。

 

というか涙がにじめ出る感覚。

 

とにかく痛い。

 

「~~~~~~いっ………………………………」

「………………………………たぁ――っ……」

 

本気で痛いときっていうのは、痛いところに手を当てて目を閉じて、ただただうめくことしかできない。

 

端から見たら情けない感じにうずくまっているだろうけど、しょうがないだろう。

 

だけど……それは、俺に頭突きを食らってしまったはずの女子にも言えることで。

 

……まさか、ほんとうに顔の真ん前までのぞき込まれていたっていうのは想像していなかった。

 

悪いことした……っていうか、なんでそんな近距離まで近づいてきていたんだよ、この子。

 

警戒心ってものがないのか?

 

……そんな考えをできるようになって来るくらいには楽になってきたから、俺は変わらない痛みに悶えつつも、布団に手を伸ばし……、伸ばし。

 

伸ばし。

 

伸ばし?

 

………………………………………………。

 

………………………………布団が、ない?

 

まさか、もう取られて?

 

……いや、とにかく謝らないと。

 

「す、すみません! 思いっきり起きちゃって……大丈夫ですか!? 俺、その、まさか目の前にいただなんて」

 

と、ものすごく甲高い声で悲鳴に近いものを上げていた女子に、母さんの生徒か誰かに対して、声をかける。

 

そのために目を開けて、頭をあげる。

 

………………………………。

 

……そこには、小さな女の子がいた。

 

ああ、いや……予想通りに母さんの教え子らしく、俺の学校の制服を着ている以上には最低でも同い年なんだろうが……とにかく小さい、というか幼い。

 

さすがに小学生……にも見えなくもないけど、全体的に小さい。

 

………………………………なぜに母さんは、こんな子を俺の部屋に入れた。

 

……分からない。

 

小さすぎるから大丈夫だろうとかいう理由なのか?

 

分からん。

 

母さんの考えが分からない。

 

母親で教師なのにな。

 

……とにかくその、……涙目というか涙が出ているしちょっとしゃくり上げているし、ひたいに両手を当てつつも俺を……上目遣いになって見ているその子。

 

ああ、ただでさえ幼い感じなのに髪の毛がかなり長いから余計にそう見えるのか……なんてしばらくぼけっとしていたのか、その子の痛みもようやくに収まったらしく、両手を下ろした。

 

……まだまだ顔は半泣き以上のそれだけど。

 

というかけっこう涙出てるし。

 

こんなところに母さんが来たら、俺、酷い目に遭うなぁ……確実に。

 

「…………ううん、悪いのはこっち。 ごめんね……。 ………………………………じゃなかった! 君、大丈夫なの!? 誰に、何されたの!?」

 

半泣きが消え、痛かったことを忘れたかのような表情になってがばっと起き上がった彼女は、再び俺をのぞき込むような姿勢になって来て………………………………俺は、後ろへ後ずさる。

 

だって、またぶつけたら今度こそ大変だもんな。

 

俺よりも、この子の方が。

 

と、後ずさるために着いた手のひらからは、ざりざりとした地面の感覚。

 

尻も、下がベッドなんかじゃなく、もっと硬い平坦なものに支えられているのが分かって。

 

――――――――――靴も、履いているみたいで。

 

………………………………。

 

あれ。

 

なんで、俺……?

 

ざりざりざりと、何度も触ってみてなんとなく分かる。

 

これは……アスファルトの感触か?

 

ついでに思い出したように、背中からは硬いところで寝ていたときのようにあちこちが痛む感覚がズキズキと響いてきて。

 

……布団なんて、当然に無くて。

 

…………俺もまた、この子と同じように、制服を着ていて。

 

目に見える景色は、薄暗くて。

 

ちらほらとまたたいている光は、きっと星……それ以外は真っ暗な夜空で。

 

どう見ても朝の俺の部屋じゃなくて。

 

「……ごめんねぇぇぇ……ふぇぇぇぇ……」

 

と、俺が下がったのを見て……また泣き出しそうな顔をして、その子も1歩2歩とよろよろ後ろへと下がって、ぽすんと腰を下ろした。

 

スカートのままで。

 

それが視界に入り、この子が俺と同じ地面に立っているらしいのにやっと気づく。

 

この子は立っていて、俺は寝転がっていたところから軽く起き上がっただけ。

 

だから、しゃがんだ瞬間にスカートが浮かんで中が見え、……じゃない、今はそんな場合じゃないんだ。

 

というか、こんなに幼い子のスカートに反応したらさすがにまずいだろ、俺。

 

まあ、幸いにして影になって見えなかったからよかったけど。

 

自分でも引く一瞬だったけど……しかしながら男の本能で無意識に目で追ってこうして考えてしまうのが情けない。

 

……母さんからゲンコツ、もらった方がよさそうだな。

 

「ひなたが聞いていいことじゃなかったね。 ごめんなさい……。 ………………………………。 ……あの。 ごめんついでに、あなたを今から介抱しなきゃなの。 このままじゃ、ここにいたら危険なの。 でも大丈夫、きっとすぐにお医者さんとか先生たちが……」

 

その子が……たぶん名前がひなた、なんだろうな……なんてことを考えながらも、俺はろくに話も聞かず、周りを見るのに必死だった。

 

頭が起きてきたら、この子のスカートの中とか母さんのゲンコツとか、そんなものはどうでもいいことだって分かってきてしまったからだ。

 

………………………………なんで、俺は外にいるんだ。

 

俺は昨日、いつもどおりに寝たはずだ。

 

なのになぜ、俺は外で寝ていたんだ。

 

それも、……暗くてはっきりとは分からないけど、だけどたぶんここは、俺の学校の………………………………グラウンドで。

 

制服を着て、夜空にひとり、校庭で寝ていた俺。

 

しかも、空を見た感じにはまだまだ夜中だ。

 

ほら、真上近くを見てみれば満月だって浮かんでいるし。

 

明かりが月と校舎の窓からしか来ていないくらいだし。

 

さっきの星は……目が明かりになれたら見えなくなったな。

 

……けど、まさか俺、夢遊病とかでこんなところへ?

 

いやいやいや、夜中に校庭に入ろうとしたらあっという間に警備員に見つかる、警報装置もなるだろうし、っていうか、そもそも家から学校まで……ここまで、電車の距離だぞ?

 

……いや、でも、それよりも。

 

俺を見ているのが、どうして同じ学校……の女子なんだ。

 

制服が同じな以上、この子もまた俺と同じ学年以上のはずで。

 

その子が、なんでこんな真夜中に?

 

そっちの方が、より不自然に思える。

 

………………………………俺、混乱してるな。

 

元はと言えば、俺がここで寝ていた方がおかしいことなのに。

 

俺自身のことを考えたらいいのか、この子のことを考えたらいいのか……すぐに母さんが呼び出され、このまま病院へ連れて行かれる心配をしたらいいのか。

 

それが、なにも分からない。

 

頭の中でぐるぐるとおんなじ疑問が繰り返される。

 

「…………ね、ねぇ、大丈夫!? しっかりしてぇ!」

 

「………………………………あー、やっぱり。 ……はいはいひなた、落ち着いてくださいね。 他の人はすぐに来るそうです。 ……それで彼……ああ、起きたんですね、どんな感じです?」

 

分からないままでもう1回同じようなことを考えてぐるぐるとしていたら、少し離れたところから誰かが走って来る音がする。

 

そのまま顔を上げると、もうひとり……これもまた女子だ……が、息を弾ませながら走り寄ってきて、ひなただと確定した小さい子に話しかけるのが聞こえる。

 

身長差で、……新しく来た子を女子の平均だと考えてみても、それから頭ひとつ以上小さいから余計に幼い感じに見えるしな、……えっと、ひなたという子。

 

「まずい、んだと思うよぉ。 だってだって、ぱっと見ただけだとなんにもないけど、でもっ。 ぼーっとしてて、あんまり反応がないの! これ、……思いたくないけど、お薬盛られて連れて来られた可能性あるかもっ! なのに私、いきなりごっつんこしちゃって、びっくりさせちゃって、怖がらせちゃって………………………………ふぇ、だからお願い、代わって早咲ちゃん」

 

俺は人の顔と名前を覚えるのは得意じゃない。

 

特徴を覚えておくのも苦労する有様だ。

 

けど、いくらなんでもこんな突拍子もない状況で……まだふたりしかいないからこそ、俺の頭が必死になって覚えようとしている。

 

俺を起こしてくれた、……俺の頭突きをまともに受けて泣かせた、ひなたという下の学年……中学生に見える女子。

 

そして、もうひとり。

 

……ひなたを抱きしめるようにして、もういっかい泣きじゃくりはじめた彼女をあやすようにして、俺の方に視線を流してきたのは……早咲、と思しき女子。

 

満月を背にして、あまりよく見えないけど……ひなたとは違い、ぱっと見て俺と同学年な体格で、髪の毛は肩……くらいまでで……男子の制服を着ているけど、女……だよな?

 

髪の毛だって肩くらいまで伸ばしているし、なによりも声と雰囲気が女子だし。

 

そんな、幼い顔つきとは反対に……落ち着いていて、目が慣れてきたからなんとなく分かるようになってきた顔は落ち着いていて、そんな雰囲気の男子……に見える、女子。

 

それが、――――――――俺が「こっち」へ来て、はじめて出会ったふたりだった。

 



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2話 須川ひなた(仮)と野乃早咲(確定)と……母さん(未確定)

夜の校庭、わずかな灯りの下での邂逅。2話にして直人くんにとって残酷な事実が突きつけられます。


 

「あ――……ひなたちゃん、いきなりなにかが起きるとパニックになってしまいますものねぇ……。 ……で。 えー、と。 そこの君、ごめんなさいね、いきなり。 ……よろしければ名前とか教えてもらってもいいでしょうか? ああいえ、分かるでしょうか? ……覚えていたとしても言いたくなければ、上か下どちらかでいいんですけど」

 

「ふぇぇぇん、早咲ちゃぁぁん……」

 

小さなひなたという女子をあやしつつ、早咲という……胸もかすかにある……ない?

 

いや、どうなんだろう。

 

よく分からないままだ……暗いし男の制服着てるしな……とにかく早咲という、男か女か分からない生徒が尋ねてくる。

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

いや、ひとまず男だと思っておこう。

 

女顔だけど、それくらいなら学校にも何人かいる感じだし、さして珍しくもない……だろう。

 

髪の毛が長いっていうのは……ま、まあ、同じ学年にもいた気がするしな。

 

声も雰囲気も、男と言えば男って感じだし。

 

……俺、ひなたという子も目の前の男子生徒も、顔さえ見かけたことはないけど……そう思っておいた方が、ひとまずは楽だしな。

 

初対面なわけだし。

 

初対面の女子とまともに話すのは、特に寝起きのこの状況ではそれなりにハードル高いし。

 

「………………………………俺、は。 榎本……直人、だ」

 

「榎本、………………………………直人、君ですね」

「榎本……あれ、先生の」

 

「ああ、榎本美奈子……母さんの息子なんだ。 で、俺なんだが……こんなところで寝ていて言うのもどうかと思うんだけど、俺自身がどうやってここに来たのかとか、何も分からないんだ。 夢遊病としか思えないけどな」

 

「……そう、なんですか」

 

「そうなんだ……と、思う。 起きたばっかりで何も分からないけど。 それで、悪いんだけど母さん、榎本美奈子先生はいるのか? ああいや、今日当直じゃなかったし、夜家にいたからいないか……なら別の先生を呼んで来て欲しいんだ。 そうすれば、きっと」

 

キツいおしおきは待っているだろうけど、これ以上他人に迷惑をかけずには済みそうだと思って母さんを……って思ったけど、いないんじゃしょうがない。

 

とにかく、「榎本美奈子という教師の息子」として他の先生にも顔を知られているんだし、誰でもいい。

 

説教はとんでもないことになりそうだけど、こうして初対面で泣かせてしまった子と、男か女か分からない同級生……と、一緒にいるよりは、ずっと。

 

はっきり言って、ものすごく気まずいし。

 

あ、あとぼんやり考えていたけど早咲って……字は適当に当てただけだし、もしかしたら愛称かもしれないのか、女に見えるからって。

 

さき、さき……ナントカ崎とか、名字から取った可能性もあるしな。

 

男子だと思うと気が楽になる……から、「早咲」という奴には、そこまで緊張せずに話しかけることができたらしい俺。

 

……いや、さっきのひなたさんっていう子は中学生に見えるから楽だったけど、知らない同学年以上の女子とか女性に話しかけるのって、俺からは無理だし。

 

それができる度胸があれば、彼女は無理でも女友達くらいはできていたはずだもんな、俺。

 

クラスで話せるのが男子だけという寂しい高校生活は送っていないだろう。

 

こんなことを考えている時点で悲しいけどな、俺自身が。

 

「……えっと、これは…………………………。 いえ、でも……それはありえないでしょう。 そんな、まるで……」

「?」

 

「………………………………失礼しました。 とりあえず、榎本先生の「お知り合い」っていうことでいいんですよね? あなたみたいなお知り合いがいるだなんて、聞いたことはありませんでしたけど……。 で、ですね、先生はもう呼んであるので、少しだけここで……体に痛みとか吐き気とか、そういうものがないのでしたら静かに待っていてくださいますか? そうしたら、たぶんすぐに」

 

「……おい、野乃! 野乃早咲はいるか!」

 

「あ、いらっしゃいましたね。 なら、あとは大丈夫でしょうか。 ……私たちが側にいるといけないでしょうし、少し離れていますね」

 

と、そそくさという感じでひなたという子を抱えつつ離れて行く……早咲、という生徒。

 

私、……ってことは、やっぱり女子なのか。

 

作り笑顔だろうけど、俺に向けてきたそのついでに軽く首をかしげているし。

 

……なら、なんで男の格好なんかを?

 

………………………………。

 

待て。

 

今の会話に、唐突な疑問が浮かぶ。

 

会話と言うよりも一方的に情報をもらっただけだけど、今はそんなことは関係無い。

 

………………………………俺が母さんの、「知り合い」?

 

「聞いたことがない」?

 

……母さん、俺のこと、母さんの教えている学校に通っている「俺」っていう生徒のことは、さすがに伝えているはずだよな?

 

いくら俺に厳しいと言っても身内……しかも息子のことを隠す人じゃない。

 

まぁ、クラスは別だし、聞かれなきゃ言わない程度かもしれないけど……そうだとしたら少し凹むな。

 

けど、他の先生とか通りがかった知らない生徒から「榎本息子」とかからかわれることあるし、そんなわけはないか。

 

先生の知り合いの生徒なら、まず間違いなく知っているはずだ……俺という、母さんの息子という存在を。

 

……なら、なんで。

 

どうして、だ。

 

そうして頭がもやに包まれたようになっていると、遠くから砂を駆ける音が近づいてくる。

 

……ああ、教員室のある校舎からここまでなら、たしかに校庭をそのまま突っ切った方が早いもんな。

 

面倒くさいものには構わず、最短距離を突っ切る……そんなところは母さんだし、大丈夫だな。

 

ああ、きっと大丈夫だ。

 

「………………野乃! 須川! 通報と介抱と警護、すまない! 助かった!」

 

「いえ、平気です。 ね? ひなた?」

「……………………おでこ、いたいぃ」

 

野乃早咲と、須川ひなた……か。

 

後から来た早咲はともかく、ひなたさん、には悪いことしちゃったな。

 

明日にでもなにかお詫びしないと……いや、させられるか、まちがいなく。

 

だって、母さんだから。

 

「………………………………母さん!」

 

まだずきずきする……なら、ひなたさんはもっと痛いだろうな……頭をさすりつつ立ち上がり、薄明かりの中でようやくに見えてきた母さんの元へ走り出す。

 

……よかった、母さんだ。

 

これからの折檻が確定してはいるけど、それでもやっぱり、まったく分からない状態に肉親が、ただひとりの母さんっていう肉親が来るだけで、嬉しくなる。

 

今だけはマザコンだって噂されてもいいくらいには、安心しているんだ。

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

「母さん! よかったよ! 俺、どうしてここにいるのか、どうして母さんまで……当直とかじゃなかったはずだよな? いるのか分からないけど! でも、よかった! ……ところで俺はともかく、母さんはどうして」

 

そうしてついまくし立てた……………………けど。

 

「――――――――――――ごめんな、少年」

「………………………………………………え?」

 

すぐそばまでたどり着いて、今年になってようやくに背で1センチ勝てた、女性としては高い方の身長の母さんは………………………………俺が、見たこともないような表情をしていた。

 

泣きそうな、ひどく傷ついているような、そんな顔をして。

 

そんな母さんを見て、俺の足は母さんにたどり着く少し前で止まる。

 

「今の君にこんなことを言うのは酷だろうけど、それでも伝えておかなければ……いけないというものだろう。 これは、必要な会話なんだ。 すまない。 ………………………………私には君と、どこかで会った記憶というものがないんだよ。 いや、そこまで親しく話しかけてきてくれているから、もしかしたらということもあるのかもしれない。 でも、な?」

 

そんな、母さんらしくない顔をして、声をして……壊れそうなものを抱きしめるように、優しすぎる口調で――――――――――残酷なことを言ってきた。

 

「ごめん。 ごめんよ、少年。 私には、君の顔も名前も……母親、という関係性も。 その、一切に……覚えがないんだ」

 

「………………………………え? ……か、母さん、いくら俺が夜中に出歩いたからって言っても、なにもそこまで言うことは」

 

頭がぐるぐるとする。

 

母さんから、俺の母親から……母さんらしくない冗談が、出てくるなんて。

 

冗談。

 

あるいは、……そうだ、俺を突き放そうと、…………それは、なぜだ?

 

……いや、やっぱりらしくない。

 

母さんなら、もっとストレートにゲンコツが先に飛んでくるはずで。

 

「……それで、彼の名前は? 覚えているもの、あるいは擦り込まれたものは聞き出せたか?」

「はい、それなんですけど……」

 

いつの間にか泣き止んでいて、俺の顔を見ていて、……哀れむとでも言いたげな目を向けていたひなたさんは、母さんをまっすぐに見上げて。

 

「…………………………この子は、その。 この子、自身のことを、………………」

 

俺と、ぴたりと視線が合って。

 

「「榎本直人」くん――――――――って。 ぐす。 それで、この子の感じ、しかも寝起きでなので、ひぐ、きっと、その通りだと思っているはず……ですっ。 あの、いえ、もしかしたら……うん、きっと、先生の思っているかもな通りで」

 

「……そう、思い込まされている……みたいですね。 私も、そう思います。 ………………………………そうですよ、そんなことはあるはずが……」

 

ひなたのあとを引き継いで、これもまたいつの間にか俺のそばに来ていた早咲が……ちょっと何かをつぶやいていたと思ったら見上げてきて、続けた。

 

「嫌な話ですが……記憶を改竄するついでに、適当……それらにとって、ですけれど……そのような記憶を植え付けて、前のものはすべて消して。 足がつかないようにして、捜査を攪乱して。 ええ、よくある……とまではないでしょうが、男性を拉致して……そのあとに解放するときに、使われることの多い、卑怯な手、です。 ……その対象を、よりにもよって榎本先生に押し付けるなんて」

 

………………………………。

 

俺には、さっきから。

 

この3人の言っていることが、さっばり分からない。

 

理解できない。

 

…………いや。

 

理解はしている。

 

事情は分からないながらも、はっきりと冴えてしまったこの頭が、理解を拒んでいるんだ。

 

「……困ったことになった、な」

 

母さん……が、俺のそばまで来て、恐る恐るという感じで手を伸ばしてきて、軽く肩に手を置いてきた。

 

「…………………………………………………………………………………………」

「…………………………………………………………………………………………」

 

「……なるほど。 私に対しては、恐怖心がないようにしていると。 まるで、私を容疑者に仕立て上げようとしているかのようだな。 あるいは体のいい保護者として後始末を押し付けようと」

 

「はい……です、たぶん。 あ、もしかすると先生と国との関係を使って……とか? です、か?」

「そうかもしれませんね、ひなた」

 

だから、俺に分かるように説明してくれないと困るんだ。

 

理解したくない俺の頭でも分かるように。

 

「……はあ。 記憶から改竄され、洗脳されていたりすると、下手人を見つける以前に彼のメンタルケア自体が厄介なことになりそうだな。 かわいそうにな、そんなことに巻き込まれていて……」

 

………………………………。

 

だから、さっきから母さんは、何を言っているんだ。

 

だって、俺は……母さんと俺は、つい数時間。

 

そうだ、寝る前、たったの数時間前までは一緒に。

 

……風呂の掃除が足りないとか怒られて、だけどいつも通りの夜を迎えて、仕事のために先に寝るって、俺よりも先に寝たけど。

 

でも。

 

…………………………一緒に、そばにいたじゃないか………………………………。

 




序盤はこのように話が進みます。3話は21時前後の予定です。


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3話 追加でローズマリー・ジャーヴィス先生(顔だけは知ってるから確定?)

 

………………………………疲れた。

 

俺、病院とか……軽いケガとかカゼとかでしか来たことがなかったから……精密検査、ってやつは、生まれて初めて経験したんだからな。

 

何時間かかったんだろうか。

 

退屈だったから余計に長く感じたんだろうけど。

 

それにしても、病院でもない保健室……の裏側に、ものすごくたくさんの機械があって、こんな夜中なのにお医者さんとか看護師さんとかが常駐しているとか。

 

……ここ、俺の学校だったはずだよな……?

 

校舎の感じとかはそのまんまだし。

 

……母さんに言われるままに勉強して、この春にどうにかして入った……けっこうに偏差値の高い、いい高校。

 

俺にしては相当無理をしたなって思うけど、結果的にはよかったんだろう選択。

 

……受験勉強は母さんが仕切っていたから、そりゃあ酷いもんだった。

 

おかげで無事に入学できたんだから文句は言えない。

 

酷かったけど。

 

……だけど、この高校にこんな施設があるだなんて、知りもしなかった。

 

ああいや、たしかにこの機械が詰まっている部屋への入り口自体はあったけど、でも、ここは当直の先生たちの寝起きする場所だって噂だった気がするんだけど……?

 

と、検査を受けるための微妙な服に着替えさせられていた俺は制服を着直した……うん、シャツもパンツも、寝る前に来たものだったな、たぶん……と、昨日の夜に着たはずのそれらの上に、ハンガーに掛けていたはずの制服を着ているっていう奇怪極まる状態になっていたっていう事実にもやもやしていたところで、保健室の方から入って来た母さん?……母さん、から声をかけられた。

 

「検査はひとまず終わりだ、お疲れさまだな、直人君。 すぐに結果が出るよう急かしているから、じきに出ると思う。 保健室の方のベッドでしばらく楽にしていたらどうかな?」

 

「………………………………分かりました」

 

……やっぱり、他人行儀……いや、きっと、母さんが生徒たちに対して接している、ごくふつうの態度だ。

 

母さんの、……外行きじゃなくて、こうしてふたりのときだったら、こんな態度は絶対に取らない。

 

機嫌が良くったってもう少し言葉づかいも荒いし、あれをやれ、それを取れってせっついてくるんだから。

 

なら、名前も見た目も同じだけど、他人の空似……ってやつか?

 

いやいや。

 

ここまで……どう見ても母さんなんだ、そんなことがあるはずは。

 

母さんに言われるままに保健室へ向かおうとしていたら、こんこん、とノックの音がして、母さんのいいぞという声の後に入って来たのは……えっと、早咲さんって名前だったか、あの中性的な男……女子生徒だった。

 

さっき校庭で見た通りに一部の女子にものすごく人気が出そうな中性的な顔で、髪の毛も長めで、……だけど制服は男のそれのままで、俺と一緒な生徒が。

 

でも……さすがに明るいところで見たら分かる、こいつ、いや、この子は女子だ。

 

男だと思いたかったけどな。

 

でも、少し話した記憶があるからか、そこまで困る感じもしなくなっている。

 

思い込みってすごいな。

 

「……はい、直人くんもこれ、どうぞ? なんにもできなくて退屈で眠くなったり冷えたりしているでしょう? こんな夜中ですがまだしばらく起きていないといけないでしょうし、カフェインは大切ですもの。 私も眠いし、この缶コーヒーはついでですっ。 あ、先生もどうぞ」

 

「うん、……ええと、早咲、さん。 ありがとう」

「………………………………。 野乃、助かる」

 

そうして手渡された、見慣れた缶を……熱いくらいのそれを受け取り、ぷしゅ、と空け……いつもの味と香りが、昼を学食で食べた帰りに買って飲んでいるそれが、口から喉へと流し込まれる。

 

その液体は、さっきまでの機械から聞こえてきていた轟音や金属の冷たさと同じように、俺が紛れもなく現実にいるんだと言うように、口から喉までを暖かく……苦く、染める。

 

「けどっ、さっきの話は……なんていうか、すごいねっ。 想像もしたことないよ、そんなのっ。 ……あ! あの、あんまり信じられないわけじゃないけど、でも、えっとね、実感が湧かないっていうかっ」

 

幼い声が下の方から聞こえたと思ったら、ひなたの長い黒髪が目に入る。

 

俺の視界に入ろうとしてか、ぴょんぴょんと跳ねているちっこいのが。

 

………………………………。

 

……こうして俺が座っていてこの子が立っていても、いくら母さんたちと話していたから顔を上げていたとしても、それでも小さいってことは……初めの印象どおり、この子は相当に幼い見た目……背丈なんだな。

 

「あ、ごめんね? 直人くん。 だけど、そう思えるの。 ……やっぱり先生が言っていたように、記憶をぜーんぶ。 一般常識っていうものからぜんぶ、書き替えちゃうことで直人くんが思い出すまでの時間を稼いでいるのかな? だとすれば……っ、て、あわ、ごめんなさいっ、大変な直人くんの前で、ひなた、悪いこと言っちゃってっ」

 

「………………………………いや、いいよ」

 

俺に話しかけていたと思ったら次第に考えていることが口から出たのか、ちょっと声のトーンが下がったかと思いきや、あわあわという感じで慌てだしたひなたという女子。

 

……控えめに見ても中学生だ。

 

いや、下手したら。

 

「落ちつけ、須川」

 

と、いつの間にか横まで来ていた母さんが、ぽん、と俺の肩に手を置く。

 

「……だが、直人君も、私たちの言うことに不快なものがあったりしたら遠慮なく言って欲しい。 遠慮なく、な。 大丈夫、私たちは味方だ。 むしろ遠慮されてしまうと、どこまで配慮したらいいのかが分からないからな。 ……だが、こちらが思っているものも納得はしなくてもいいが理解はして欲しいんだ。 なにせ、君の常識……というものは、たしか。 「男女の出生割合がほぼ同じままという奇跡が起きて世界が今日まで来ている」……という、私たちで言うところの戦前までの状態のような……理想の世界そのものなんだからな。 まったく、あるとすればうらやましい限りで、みなの不安など一気に吹っ飛びそうなものだからな。 ………………………………それが、そんな世界が、存在するとしたら、だが」

 

………………………………。

 

……さっきまで検査中の雑談ということで白衣を着た人たちにあれこれと、ヘンなことを聞かれていた。

 

誰でも知っているような常識だとか、歴史だとか……まあ俺はそこまで歴史で良い点取ってなかったから、詳しくもなければ間違っているところもあるだろうけど……だとか、今の世界情勢だとか、少子化だとか、遺伝子技術だとか。

 

ちょうど受験で必死こいて勉強したから、他の生徒並には答えられはしたと思う。

 

受験が終わった途端にかなり頭から抜け出たから、自信は無いけどな。

 

………………………………。

 

……とにかく、母さんたちも、冗談とか悪ふざけとかじゃなくて、本気で俺のことを心配してくれているみたいだし、ひとまずは話を合わせてみよう。

 

そうでもしないと話が進まなさそうだしな。

 

「……え、ええと。 それならこの……世界?は、ちがうんですか? その言い方ですと、まるで……その、男と女のバランスが悪い、みたいな? いや、そんなまさか。 たしかに江戸時代は男余りだとか聞いたことはありますけど、でもそれはずっと昔のことですし」

 

と、口にしてはみたけど、やっぱりないな。

 

たしか生物の授業とか何かで、どの生物も、よっぽど特殊な環境じゃない限りは男女、オスメスの割合はほぼ同じだったはずだしな。

 

よっぽどのことがなければ。

 

……そんな話は俺でさえ知っているんだ、いくらなんでもダマされたりはしない。

 

「……あ、あはは、ありえないですよ。 俺、あんまりニュースとか見ないし、熱心にそういうのを勉強したりもしていないですけど……あるいは、もしかしたら最近の少子化で、今年生まれたこどもの割合が……たとえば男が少なかったりしたり、かもですけど。 でも、それだって精々が数%くらいで」

 

「1対1000……です」

 

透き通った声が響く。

 

響いたように聞こえる。

 

早咲っていう子の口から。

 

俺と同じ缶コーヒーを、両手で持っている彼女が。

 

「……………………え?」

 

そう返すマヌケな調子の俺の声も、部屋に響くように聞こえる。

 

口が、……笑った形のままで、けど、どう反応したら良いのか分からない数字を聞かされて、俺はその声の主――野乃早咲へと振り向いた。

 

そんな早咲さんは、……いつの間にか後ろを、部屋の入り口を振り返っていた。

 

「あ、いえ、最近また急に変わったから、そろそろ1対1500くらいになりそうなんでしたっけ? ねぇ、ジャーヴィス先生?」

 

「……そうですねー、少なくとも数年のあいだにはそうなりそうですねー。 私の国ではもーとっくになっていましたがー」

 

………………………………また人が増えた。

 

しかも、また女の人だ。

 

だから、もういちど居心地が悪くなって来ている俺がいる。

 

俺、母さん以外の女の人や女子と話すと緊張するんだよなぁ……。

 

……そう勝手に落ち込んでいるところに入って来たのは、外人の先生だ。

 

たしか、今早咲が言っていたように、ジャーヴィス先生とか。

 

うちのクラスの担当じゃなかったから残念だってクラスの誰も(男子はもちろん女子も)が落ち込んでいた、美人な……いわゆる金髪美人な人。

 

もちろん面識なんてないし、廊下で見かけたことがある程度だから、俺だってよくは知らない。

 

「ハイ! こんばんは、直人サン。 私はローズマリー・ジャーヴィスと言います! 英語と物理化学を教えています! よろしくお願いしますねー!」

「…………………………………………………………………………………………」

 

………………………………。

 

……見た目よりもずっとナチュラルな話し方だった。

 

というか、イントネーションが完璧に日本語だ。

 

「でー。 さっきまでねー、私が君の遺伝子情報とか調べさせていたのでー、ようやくにお会いできましたね? よろしくお願いしますねー? あ、これからは私が直人さんの健康管理担当にもなりましたー、お仕事いっぱいですよー」

 

けど微妙に言い回しが変で…………………………そして、やけにフレンドリーだ。

 

いや、これが外人の距離感なんだろう、英語の読解とかであった気がするし。

 

で、ジャーヴィス先生は他の人たち……母さんと早咲……野乃さんとひなた……須川さん、だっけ……あとは他には白衣の人たちくらいしか会っていないけど……とは違って、スキップするように近づいて来ては俺の前まで来て、じぃっと見つめてくる。

 

ものすごく整った顔をした人が、俺を。

 

香ってきたのは香水なんだろうか、それともシャンプーの匂いなんだろうか。

 

そんな衝撃が急に来たもんだから思わず顔を背けてしまったけど……そりゃあ人気も出るわけだな、ただでさえ男子どころか女子までの憧れなんだろうし、そんな人が外人特有の距離感で話してくれたら。

 

見つめられるだけで惚れそうなのは、きっと俺だけじゃないんだろう。

 

けど、今おかしな言葉が聞こえた気がする。

 

「……こちらこそ、ジャーヴィス先生。 で、えっと。 今の、は」

 

「……hmm、その反応からしますと、ちょろい、ではなくちょろんっと聞いていましたように、ほんとうにメモリーを、それも、かなりにいじられちゃってますねー。 徹底的ですねー。 ………………………………。 あ、ハグしてあげましょうか? みなさん、ハグ好きですよねー? 毎朝と下校のときにハグしましょうって言うとぎゅうって来てくれるんですよー。 ……あ、男の子は初めてですけどー?」

 

「………………………………………………………………いえ、お構いなく」

 

このお方とふたりきりだったらまだしも、ここには他にもいるんだ、さすがに断らざるを得ない。

 

……俺の理性は相当だからな、この程度は態度に出さずに流せるんだ。

 

使う機会がほとんど無い理性だけど。

 

「かわいそうだけど、いろんな検査機器に入ってもらったり、血をもらったりしましたねー、ごめんなさいねー、痛かったですかー? でもろーほーですっ、体に害のありそうなモノは、とりあえずでは検出できませんでしたし、バイタルも正常でしたからー。 ……あ、ちょーっとやせ気味かもなのはダメですよー、もりもり食べてくださいっ」

 

「…………とりあえず何もなさそうで、よかったです」

「そうですね。 よかったです、直人さん………………………………ほんとうに」

 

心持ち近づいてきていたらしい……背が低いからな、気がつかなかった……ひなたさんと、彼女と寄り添うようにしている早咲さんが、ジャーヴィス先生と二言三言交わしている。

 

「……………………………………ええ、そうですねー。 これからは時間をかけながらカウンセリングと……必要ならヒプノ……催眠療法、でしたかー? ……を使って、地道ーに時間をかけながら洗脳を解いていくしかありませんねー。 …………その過程であまりにもかわいそうな記憶があったなら、中止してこのままを維持するという選択肢もありますねー。 でもそれは私のメイン分野ではありませんし、専門家の人を呼びたいところですー、けどー」

 

改めて見ると、ジャーヴィス先生って、その、スタイルが……じゃない、今は集中だ。

 

「……やっぱり、ですか?」

 

「ですねー。 この話、直人サン……さん、のことをこの学園から漏らしてしまいますとー、絶対に「連れて行かれる」のはまちがいありませんからねー」

 

………………………………。

 

連れて、行かれる?

 

どこへだ?

 

警察か?

 

……、いや。

 

俺だって、バカじゃない。

 

これだけの人たちが、真剣に……俺について話しているんだ。

 

母さんまでが、俺を知らないだなんて……冗談でも口にはしないはずのことまで言って。

 

だからきっと、これは。

 

「……やるしかないですねー。 大変そうですー」

「大丈夫ですか、ローズ……ジャーヴィス先生?」

 

「はい――……ここまで来ますとー、たぶんですが。 テロ組織やどこの国の権力……私の国も含めて……などの、お偉いさんとかが――……そですねー、直人さんだけでなく、他の男の子もまとめて「管理」してー。 ……完全に外から閉じ込めていたのか、お薬を使っているのかは分かりませんけどもー。 ヘタをしますと、たくさんたくさん、こどものころからずーっと洗脳しつつ閉じ込めていたーと、そういう考えまで浮かびます。 やですねー」

 

「……ひどい話ですね、ジャーヴィス先生」

「そですー、けど、私の国でもしょっちゅう起きているようなものですからー」

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

ほんとう、なんだろうな。

 

ほんとうにこの人たちは……俺のことを、母さんも含めて知らなくて。

 

たぶん、……俺の記録とかも、なくて。

 

それで、「どこかから連れ去られてきた」と、本気で考えていて。

 

それは、分かってしまう。

 

分かってしまうんだ。

 

……だけど、それでも俺は、か細い希望に縋って言うしかない。

 

分かっているのに、でも、嘘だって言ってほしくて口から出て来てしまう。

 

………………………………そんなの、物語のキャラクターの情けないセリフだって思っていたのに。

 

「……あの。 みなさん? これ、ドッキリですよね? 文化祭とかで使ったりするための……で、その、俺のリアクション、どっかから撮っているだけ、ですよね? ほら、よくテレビでやってるみたいな? あ、はは………………………………」

 

と。

 

現実じゃないはずのことを、現実だと思いたくて。

 

現実を、現実じゃないって思いたくって。

 

そう、思いたかったから。

 




外国語訛りってかわいいですよね。あまりに現実離れした話を聞くと、嘘だと思いたくなる心理でいっぱいの直人くん。助けが来るのは16話あたりです。4話からは1日1話、この時間に投稿です。


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4話 居心地の悪い空間と居心地の悪い空間

 

「ドッキリ……?」

「直人さん……」

 

「あぅぅ……かわいそう……」

「………………………………」

 

「……そうか、そこまで……」

 

………………………………。

 

……誰もが俺に、可哀想な人を見る目を投げかけてくる。

 

だから俺はまた、情けない声で情けないセリフを吐く。

 

「……ごめん母さん、何か俺、しちゃってたりするかな? そりゃあ成績だって……この前のは少し悪かったし、最近家事の手伝いも言われなきゃしなかったし、買い物だって渋ることも多かった。 母さんが怒る、夜更かしも多かった。 だけどさ。 だけど、………………………………もう、やめてくれよ。 もう、苦しいんだよ、俺のこと、息子じゃないとか母親に真顔で言われるのって。 そうやって、そんな目で見ながら言ってくるっていうのは。 後で情けないって笑いものになってもいいから、もうネタばらししてくれないか。 ……その。 その態度が、他人みたいなそれが、俺にはとってもキツいんだよ。 いつもの母さんに戻ってくれよ。 頼むよ。 ……俺が、知らない内になにかしていたんだったら、本気で謝るからさ」

 

ああ、人間って動揺すると小説とかアニメみたいなことを口走るんだな。

 

「…………………………………………………………………………………………」

「…………………………………………………………………………………………」

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

「………………………………………………………………そう、ではない、んだ」

 

だけど。

 

やっぱり。

 

……帰って来たのは、4人分の絶句とも言える表情と、無音で。

 

………………………………さすがに人前では泣きたくない。

 

けど、どうしても体が震えて、そうなってしまいそうで。

 

母さん以外の人たち……女子たちと女性がいなければ、間違いなく泣いているだろう。

 

なんとかそれを、少しのところで踏ん張って、俺は、………………………………。

 

「……せ、先生たちっ、早咲ちゃんっ! あの、今日はもう遅いっていうか明日の方が近いっていうか……じゃなくて、あ、違くて、とにかくそうですしっ。 あと……直人、くん、にとって、この状況はぜんぜん知らないとこに投げ出された感じなんでしょ? こわいんでしょ? 頭ぐちゃぐちゃなんでしょっ!? ですから、だからぁ……ううぅ、ぐす」

 

「………………………………、そうですね、ひなた」

 

ぎゅ、と腰に温かい感触があったから見下ろしてみたら、ひなたさんの長い髪の毛が広がる頭が、俺の横にしがみついていて……その両肩には早咲さんの手が、優しく乗っていた。

 

恐る恐るで早咲さんを見ると、優しい目をしていて……こくり、とうなずいてくる。

 

と、ばっと起き上がって……泣き顔をぐしぐしと擦りながらひなたさんが言う。

 

「と、とりあえずでっ! ですっ! 今日はもう寝てもらって、明日にっ、じゃなくて朝にっ……ごはんいっぱい食べて、静かなとこで過ごしてもらって、それから続きじゃダメなんですか? 人って、いっぱいいっぱいになっちゃうと……えっと、大変なんですもんっ!? ほらっ、今の私みたいにっ」

 

「……そですねー、ひなたさん。 私たち、びっくりし過ぎて直人さんのこと、考えるの忘れてしまっていましたねー、これは直人さんのためなのにです。 ありがとございますっ、ひなたさんっ」

 

「い、いえっ。 ……せ、洗脳、とかだったりしても、先生ならもっと詳しく知っているんでしょうけど、あの、暗示とか、下手にするともっともっと深くなる?とか聞いたことありますしっ」

 

「………………………………たしかに須川の言うとおりだ。 ごめんな、少年……じゃないんだったな、直人くん。 ……いや、今は直人、と呼んだ方が良いのかな」

 

「…………………………………………………………、はい。 お願い、します」

 

母さんから、ようやくいつもの呼び方で呼ばれただけで……たとえ、俺のことを完全に忘れていたとしても、忘れたフリをしていたとしても……でも、やっぱりそれだけでほっとしている俺がいる。

 

体の震えも、それだけでぴたっと止まった感覚もある。

 

………………………………。

 

だって。

 

だって、俺の、母さん……だからな。

 

とても口にはできないけど……でも、なにかあったときに頼れるのは、母さんだ。

 

俺には父さん、もう、いないしな。

 

たったひとりの肉親だから。

 

だからこそ。

 

「ほう……、なら、そうしよう。 建前上も私の血縁ということにした方が、君、いや、直人くんにとっていいだろうな。 ともかく、このちっこい」

「先生? ひなたちゃん、気にしているんですよ?」

 

「……こほん、気配りのできる須川の言うとおりだ。 今夜はもう寝てもらい、また明日……充分に英気を養ったところで、精神的にも落ち着いたところで改めて話そうと思うんだけど、どうかな?」

 

「母さ、……はい、お願いします」

 

ドッキリ……で、あってほしいけどな。

 

今でなくたっていい。

 

明日の朝、そこの宿直室とかで寝ているところをいきなり起こされ、カメラが回っている状態でドッキリでした、って言ってくれたら。

 

そう、……どんなにいいか。

 

なあ、母さん。

 

「よし、それでは空いている男性用の部屋と警護を至急用意して……………………」

「おーらいっ、任せてくださいみなこさんっ! ……あ、もしもしー? 私ですー」

 

………………………………。

 

ん?

 

また俺の頭がおかしくなったのか?

 

警護?

 

 

 

 

「……そーりー、あ、ごめんなさいねー、こんな時間にコールをかけてしまいまして。 でもー、絶対に情報を漏らさなくて、それでもって万が一にも男性を襲わない、そのくらいなら……という方たちは、あなた方くらいですからー。 一般の方たちはムリですものねー?」

 

「いえ、問題ありませんジャーヴィス博士。 我々は24時間待機しております。 それに、研究所からの移動だけでしたので待機の隊員たちを叩き起こす程度で済みましたゆえ」

「部下さんたちはお大事にねー?」

 

「無論であります。 ……それでは、これからそちらの彼を警護致せばよろしいので?」

「はいー、よろしくお願いしまーす。 ……セキュリティは最高がいいですよー?」

 

「承知致しました、博士」

 

……………………そんな会話が響いているここは、俺の知っている校舎じゃない。

 

校門から一直線な校舎の入り口から続いて、渡り廊下で繋がっているふたつめの校舎とその横のグラウンド、その先の部室棟まではおんなじなんだろう。

 

けど……つい数日前には学校を囲むようにして俺の背丈ほどのフェンスがあって、園芸部とかの植物があった空き地になっているスペースがあったっていうのに、それがなくなっていて。

 

そして、さらにはその先の住宅地ってのもなくなっていて……バカでかくていかめしい、フェンスのがっちりしたのが2階……いや、3階くらいまでかな……っていうものがあって、周りの家がぜんぶなくなっていて。

 

……校舎の灯りだけだから確実じゃないけど、でも、多分合っているはずだ。

 

で、そんな場所にそびえるのは明らかに学校に合わない感じのコンクリートな建物だ。

 

しかも校舎からそこまで廊下作られていて、俺はそこを歩かされていて……その先にフル装備みたいな感じの、映画とかで出てくるような武装をした人たちがいたんだ。

 

端的に言うと戦場の兵士って感じの。

 

………………………………そして、ぱっと見て分かるとおり、みんながっちりした体とアーマーこそつけているものの、声も、体つきも……女性だ。

 

……あんなにでかい銃持っているの、こわいんだけど。

 

というか、あんなにごつくて長いのは銃って枠組みなのか?

 

「では、今の通りに。 各班状況開始だ。 警戒レベルは「4」……今のところな。 レベル5は許可が下りなかったらしいが……いずれ下りる。 そしてこれが当面は続くだろう。 また、不測の事態に備え、α隊とβ隊は敷地周辺、他は学園内に潜伏し、速やかに警戒態勢を整えよ。 なお、今作戦はできるだけ発覚が遅れるよう隠蔽を最優先とする。 緊急時には自己の判断で交戦も……」

 

隊長さん……と思しき人は、女の人なのに野太い声で、これもまた映画みたいな台詞を口にして……たぶん外を走っているんだろう、他の兵士の人たちにも小さなマイクみたいなもので命令し……何人かだけをここに残して、ジャーヴィス先生たちや俺に敬礼みたいなものをし、走って行った。

 

「どうですかー? これで少しは安心できましたかー? この学園の誇る精鋭のみなさんですよー?」

「………………………………え、ええ……」

 

むしろ怯えさせられただけな気がするけど、言わないでおこう。

 

「それはよかったですねー。 ……で、直人さん。 これで、よっぽとのことがあっても、あなたを安全な場所に逃すくらいの時間は稼げるはずですー。 安心して寝てくださいねー。 睡眠こそが全てですよー」

 

「そういうことだ、直人。 少なくとも数日は何も、起きることすらないはずだ。 安心して眠ってくれ」

「母さ、……えっと、榎本先生?」

 

「ああ、君の気持ちが休まるのなら、母さんで構わないよ。 話し方も自由でいい。 私も、できることなら君のような息子が欲しかったところだからね……と。 君は起き抜けだろうから実感が湧かないだろうけど、もう夜更けだ。 これから……浴びたければシャワーや風呂で疲れを取り、用意してある軽食でも口にしてぐっすりと寝るといい。 何、部屋に入れば分かるだろう」

 

俺から1メートルくらいは絶対に離れるっていう、ここに来てからの他の人たち……ああいや、須川ひなたさんと野乃早咲さんは別か?……と同様に、母さんとジャーヴィス先生は俺から距離を取ったままここへと案内してきて、さっきの会話をして……いかめしい建物の中をずっと歩き続け、エレベーターで上がった先にあるドアを指す。

 

「私たちが君を……いや、直人、を起こすことはない。 ローズ……ジャーヴィスが言うように睡眠は何よりも大事だからな……存分に寝坊してくれ。 何しろ、今日は大変だっただろうからな。 そうして明日……ああ、時間は指定しないよ、なんなら昼過ぎでもいい、起きてひと息ついて、外へ出られそうなら。 ………………………………あるいはなにかを思いだしてしまったら、部屋の中にあるモニターを操作して知らせてくれ。 それか、そこここにあるだろう赤いボタンを押すのでもいい。 私たちが入ることはないから説明はできないが……見たら分かると思う。 スマホやタッチパネルの操作、というものはできるかな?」

 

「え、ええ」

 

「それはよかった。 ではな、直人。 ゆっくり休んでくれ。 ……お休み」

「直人さん、おやすみなさいですよー」

 

促されるままに開けられていたドアからその部屋に入ると、後ろから声をかけられ、振り向いたときには扉が……これもまた、映画みたいに左右からのスライドなやつだ……閉まり、カチャンカチャンカチャンと鍵がいくつか掛かる音がした。

 

途端にしんという静けさで耳が痛くなる。

 

………………………………。

 

閉じ込められた、……とは、考えたくないな。

 

だけど、なぁ……。

 

室内を見渡すと、そこもやっぱり画面越しに見たことがあるような、スイートルームって感じのバカでかい空間。

 

高級マンション……あるいはホテルの、そういうものみたいな感じ。

 

さっきの物々しさから一転、素人目からしてもひとつひとつが高そうな設備が揃っている。

 

絨毯だってふかふか……あれ、これって靴は……脱ぐべきなんだろうか? ……だし、天井は高くて羽がくるくると回っているし、小さいけどクラシックがかかっているし、大理石か何かでできていそうなテーブルの上にはバイキングみたいにたくさんの食事と……酒まである。

 

いや、軽食だって言っていた気がするんだけど?

 

と言うか、俺、未成年だから酒なんて置いたらダメじゃ?

 

もちろん呑みやしないけどさ。

 

………………………………。

 

……結局靴を脱いで、柔らかすぎて歩きにくいくらいの絨毯を歩き回り、ここがリビングと寝室と風呂トイレ完備な、ひと晩何万とか行きそうな部屋って分かった。

 

いや、それ以上しそうな感じがするけど、金銭感覚が庶民だから分からない。

 

でも、ここにいるっていうだけで緊張しそうな……ソファひとつとっても新品で、腰掛けたら悪い気がしそうな家具とかを見たら、とても母さんとの旅行で行くようなランクのところじゃないっていうのだけは理解できるんだ。

 

 

 

 

俺は浴槽までバカでかい風呂を後にして、慣れない新品のパジャマを着たまま寝室へとさくさく歩いて行き……ベッドへ倒れ込もうとして、これもまた柔らかすぎるんじゃないかと手で押してみると、予想どおりだったことに、軽くため息が漏れる。

 

俺の部屋のベッドみたいな調子だったら気楽だったのにな。

 

「………………………………………………………………、はぁ――……」

 

何をするにもため息が出る。

 

………………………………早く、寝よう。

 

寝てしまおう。

 

俺はベッドの布団を……なんでホテルのとかって、足の辺りに邪魔なもんが横に敷いてあるんだろうな、どうせすぐに落ちるのに……はぎ取って、持ってきた制服を近くのハンガー掛けって言うのか? ……に掛けると、ふかふかすぎるベッドへと体を滑り込ませる。

 

と、灯りはどうしたら?

 

……ああ、枕元に謎の機械が。

 

感覚で操作して、灯りを足元だけ……これだけは消し方が分からなかったんだ……にして、ついでに音楽も止め。

 

ようやくに暗くて静かで、俺が寝る前だった環境になる。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

ああ、静かだ。

 

……静か、だけど。

 

さっきの母さんの態度も、他の人の反応も。

 

話されたこととかも、聞かれたこととかも。

 

俺には、なんにも分からなかった。

 

理解できなかった。

 

……いや、うっすらとは理解しているけど、でも。

 

ああ、そういえば地面に寝ていたから背中が痛むのか、とか思いつつ寝返りを打つこと数回、少しずつ眠気が頭を支配してきた。

 

さっき、起きたばっかなのにな。

 

………………………………。

 

……俺の知っている、俺が通っている学校……いや、学園とか言っていたっけか……の生徒らしいふたり。

 

俺を助けてくれたひなたさんと早咲さんっていうふたりも、見たことすらない。

 

ジャーヴィス先生も廊下ですれ違った程度。

 

直接に知っているのは、母さんだけだ。

 

だけど、その母さんも。

 

…………………………………………………………………………………………。

 

………………………………………………………………これが夢、だったらなぁ。

 

これが、みんな、タチの悪い夢だったら嬉しかった。

 

けど。

 

夢にしては……この、ベッドの感覚も、知らない部屋の匂いっていうものも、なにもかもがリアルすぎるし、なぁ……。

 

そう、考えているうちに俺の意識は沈んで行った。

 

もういちど起きたら、いつものように母さんに叩き起こされますように。

 

そう祈るようにしながら。

 




何やら物騒な会話と、超高級ホテルみたいな部屋と。ようやくプロローグが終わりました。肝心のもうひとりな主人公のTSっ子が現れるまで12話ほどです。長いですが、必要な長さですのでご承知置きくださいませ。


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5話 男の少ない/ほとんどいない世界というもの

 

「……………………………………………………………………………………」

 

さっきから俺の目に映っているのは、ばかに高い天井。

 

俺がこのベッドに立っても届かないだろうその天井からつるされている、これまたバカでかいカーテンのすき間からは……朝の光が漏れている。

 

周りの壁を見ると、至る所にパネルだったり絵だったりが模様みたいにくっついている。

 

これが高級仕様というものなんだろうか。

 

そんなことを思いつつ頭を後ろの方へ……枕に沈ませながら見てみると、母さんに無理やり連れて行かれる家族旅行とやらで泊まるようなホテルにある、時計とかラジオとか……小さいモニターまでがあって、昨日いじくったボタンとかがいくつもついている機械のようなものがある。

 

もっとも、俺がいつも見ていたようなものよりずっと大きいし、明らかに高級品だけど。

 

………………………………こんなことを観察するくらいには、目が覚めてから時間が経っている。

 

ただ俺は、目が覚めてからずっと、それを認めたくなかっただけ。

 

でも、観察するものがなくなった以上には認めないといけないようだ。

 

こうして、きちんと朝に起きた感覚があって、意識がはっきりとしている以上には受け入れざるを得ない。

 

なにしろ2度目の寝起きだからな。

 

……俺が横になった場所は、環境は、夢だと思っていた世界で寝たときと少しも変わっていなかった。

 

俺は、十数年慣れ親しんだ……くたびれて微妙に曲がっているマットレスなベッドがあって、どこもかしこもが俺の物だけで占められている狭い俺の部屋じゃなく。

 

豪華……すぎて、柔らかすぎてよく眠れなかったバカでかいベッドと、バカでかい部屋で寝ていたんだってな。

 

「………………………………………………………………、はぁ…………」

 

これからどうしたら、という気持ちで思わずため息が出た。

 

ため息なんて、少ない小遣いと悪い点数と……母さんの説教のときくらいしかしないのに、な。

 

 

 

 

「ぐっもーにん直人さん直人サン! ずいぶんと早起きでしたねー、あ、眠ってからの時間的に? ですけどもー。 まー、いきなりだったのでしょうがないですかねー? 無意識ではまだまだ緊張しているでしょうけど、それはそれとして直人さん、あれからまだまだ……えーと、数時間しか経っていませんが、記憶の方はどーですかー? まだあのときの、真夜中に会ったときと変わりないですかー? イセカイ出身ですかー?」

 

寝る前にもちらっと見えた、テーブルに作り置きしてあったやけに豪華……過ぎて、朝にはちょっと重すぎる感じのものを適当に食べ、壁に備え付けのモニターから連絡したところ、じゃあ開けますね……と、心の準備もなしにドアを開けてきたのは昨日の武装した女の人たちだった。

 

心底縮こまる勢いだった。

 

あの、俺、パジャマだったりしたらどうしたんだって。

 

あ、いや、そうじゃなく……一晩中警備ってのをしてたんだって、分かって。

 

俺だけのためにって。

 

…………………………………………………………俺が、なにをしたってんだ。

 

俺はただ、俺の部屋の本やマンガで狭くなったベッドで寝ただけだったはずなのに。

 

……すぐに呼ばれるかもって着替えたり顔を洗ったりしていたおかげでなんとか平常心のままに、適当な相づちを打ちながらその人たちに案内されることができたけど……着いたのは、校長室かって思えるような、これまた豪華な部屋だった。

 

なんか鹿の剥製とか壁にあるし。

 

んで、そこにはすでに……寝る前に会った人たちが揃っていた。

 

時計を見ると、まだ10時。

 

学校はとっくに2時間目に入っている時間だな。

 

あれが深夜だったとすると……少し寝不足ってところなんだろう。

 

だけど俺には、そんなことを感じている余裕がない。

 

だって、俺は今みたいに注目されている状態は苦手だから。

 

だから、なんとか用意して置いた言葉を絞り出す。

 

こういうのは得意な方なんだ、だからここも、何とかやり過ごそう。

 

「え、ええと……おはようございます、みなさん。 まず、昨日はありがとうございました……、で、あの、俺、やっぱりどうしても…………俺は昨日、あそこで起こされるまでは昨日話したとおりの世界ってので、俺にとってのふつうの世界で、そこの母さ……榎本先生」

 

……と思ったけど、すぐに頭がぐちゃぐちゃになって訳がわからない話に。

 

「先生、ではなく母さんでいいよ、直人く……直人。 それに、「偶然」とはいえ君の名字も私のものと同じなんだろう? わざわざ自分の名字を他人に言うのも落ち着かないだろうし、かといって下の名前で呼ばれても……その、いきなりだしな、私が困る。 君のメンタルのためでもあるし、ひとまず、落ち着くまでは「母さん」でいいさ。 そう呼ばれて嫌な気持ちはしないからな」

 

「んー、でもみなこー? みなこ、高校生のお子さんがいるにはちょっとばかり産むの早すぎませんかー?? その設定ですとみなこがまだ……えと、小学生のときに」

 

「別にいいじゃないか、ローズ。 あくまで設定だ、それに彼のことは親戚の子とでもする予定だしな。 母さん呼びは……おばさん呼びが癪に障るからという理屈でどうだ? ああ、引き取った先の義母という意味での母さんもいいかもな?」

 

「ん――……そーいうものですかねー?」

 

と、美奈子さん……母さんとよく似た人とジャーヴィス先生が話しているのを聞いているうちにひとつ、気づいたことがある。

 

母さんが、この人が……………………………………とんでもなく若いって。

 

いや、若いなんてもんじゃない。

 

夜にはまだ動揺していたし、なによりも暗かったからよく分からなかったけど……ここの母さん、いや、美奈子さん、下手したら20代なんじゃないかって見た目なんだ。

 

若作りとかじゃなく……そうだ、昔のアルバムにいた母さんみたいな感じなんだ。

 

うん、少なくともおばさんよりはお姉さん寄りの歳って感じ。

 

だから母さんとは思っていたくても、やっぱり別人なんだって俺の意識が認識している。

 

……ってことは、つまり、ここが俺のいた世界じゃないっていうのは。

 

………………………………。

 

「んんっ、話を戻そう。 ということはだな、直人。 君は厄介な状態に置かれているということになるんだよ。 なにせ君の記憶は、少なくともひと晩寝た程度ではまったく動揺しないくらいには徹底的に変えられている……暗示されていると想定できる。 あえて君を、この学園という場所に置き去りにしたくらいだ、よほどの理由があってのことで、よほどの方法で……数ヶ月程度では解除できないようになっているだろう。 その自信がなければ、連れ去って記憶を改竄した男子を解放なんてしないはずだものな。 それに」

 

「すとーっぷですよ、みなこー。 いっぺんに話しても理解が追いつきませんよー? それに、直人さんはまだ、私たちの知っている現実というものを受け入れられていませんのでー」

 

「済まない、直人。 つい、熱が入ってしまって」

「…………いえ、平気です」

 

俺は、連れ去られて記憶を改竄された……ということで、このふたりは話を進めている。

 

ジャーヴィス先生は俺を擁護してくれているように見えるけど、あくまでそれは先生たちが言っている……言っていたような「世界という設定」を、俺がまだ信じていないっていうニュアンスなんだ。

 

だけど、昨日の話からするに、俺以外の全員がおんなじことを考えていて……俺ひとりが、別の記憶、別の世界の記憶を持っていて。

 

だから、俺の方がここでは………………………………異質。

 

「んー? すまーいるですよ、直人さーん?」

「………………………………、はい」

 

にー、っとジャーヴィス先生が指で自分の口元を上げるのに釣られ、少しだけ……演技だけど笑ってみせる。

 

「……ん、いいですねーっ、まだ硬いですけどそれでもぐっどですー。 あ、それで、直人さんはこれからどうしたいですかー?」

 

「これから、ですか?」

「ですー、これからですー」

 

……………………………………………………………………………………。

 

……そうか。

 

この人が、美奈子さんが、俺の母さんによく似た人が母さんじゃないんだったら、下手をすると……俺が住んでいた家すらも、家ならまだしも部屋もないってことになっている。

 

ということは、俺は着の身着のまま何も持たず、誰も知らないままにここへ連れて来られたのも同然っていうわけで。

 

「そですねー、私たちとしてはー、学園の先生している私たちとしてはですねー? 直人さんをいちばんに安全で自由にできるという環境な、ちょーっと特殊なこの学園の敷地内で暮らしていただいてー。 あなたの記憶が戻るか、あるいは戻らなくてもここでの生活に慣れて……暮らせるようさぽーとしてあげたいと考えているんですねー?」

 

さっきから黙ったままだけど、優しく接してくれるとは言っても若返ったようで、……まるで俺の、年の離れた姉さんとでも思える母さん。

 

でも、俺の知っている母さんと性格は似ているようで、話し方がところどころ厳しいのは一緒だ。

 

真剣になるとこうして眉間にしわが寄ったままになるのも同じ。

 

それに対してジャーヴィス先生は……前に会ったことが、残念なことにクラスがちがったばかりにないから分からないけど、この人はのんびりした話し方……聞いているだけで落ちついて、だから人気があるんだろうなって思える。

 

………………………………。

 

母さん……みたいな人、については、俺が知っている母さんの印象が強すぎるっていうのがあるんだろうけど。

 

「ただですねー、直人さん」

「はい」

 

「直人さんにとって、私たちの言うことが信用できるかどうか分かりませんですね?」

 

「…………………………………………………………え? いや、別に、あの」

 

「だってー、直人さんにとって私たちはアカノタニンというものでー、しかも私たちは直人さんのこと、記憶を書き替えられた、何かの事件の被害者さんと思っているのですから……ですよねー?」

 

「………………………………………………………………………………」

 

ずい、と顔を近づけてきたジャーヴィス先生に、思わずどきっとする。

 

……金髪碧眼……って言うんだっけ、な美人さん、それも胸元が開いた服装の人がいきなり近寄ってきたって言うのと、俺が考えていたことが筒抜けだったみたいな気がして。

 

「正解でしょーか? ……なのですねー、なら、聞いてくれたらいくらでもいつまでもご質問にお付き合いしますよー? この世界……直人さんにとっては、最近生徒さんたちがよく勧めてくれますイセカイもの?というものでしょうからねー。 なので、どんな情報でも。 あ、教科書とかならもちろんいっぱい揃っていますし、テレビもウェブも好きに使ってもらっていいのですけども――……それは、直人さんに決めてもらわなきゃなんですねー、結局のところー。 人って、自分で調べて自分で経験して、自分で納得したものしか判りませんものー」

 

「……ローズばかりまくし立てても直人が困るだろう。 私からもいいか?」

「はい、どうぞー。 ……あれ? 私、まくし立てしてました? はぇ?」

 

と、ジャーヴィス先生の独特の口調でぼーっとしていたら、母さんがこの部屋……昨日この人たちに囲まれながら話をした部屋だ……の真ん中のテーブルには、いつの間にかなにやらのパンフレットが揃えられていた。

 

それも、俺の知っている名前の高校……なはずなのに、「学園」とだけ変わっていて……そして、写真に写っている校舎の様子とか、なによりも。

 

「表紙から見ても分かると思うが、この学園は少しばかり特殊なんだ、直人。 君は、同じ名前の高校……同じ場所で、校舎も見慣れたもので、そして、……偏差値も少し高め程度のものだったんだろう?」

 

「え、ええ……まあ……」

 

程度って。

 

……ま、家に近いからっていう理由で選んだんだしな。

 

去年にそう言ったら、母さんは……とりあえずでゲンコツを落としてきて。

 

『だがまあ……悪くはないところだし、しっかり勉強すればお前なら入ることができるだろう。 私が教師をやっている学校に息子が入ってくるというのは、少しばかり、同僚からいじられそうで嫌だがな』

 

………………とかなんとか言っていたっけ。

 

俺の知っている、受験に入る前のころの母さんは。

 

「だが、ここはちがうんだ。 君の知っている学園ではない。 ……恐らく立地も異なっているはずだしな。 というのはだな、ここは各国のエリートや上流階級……無論うちの国の生徒の割合が多いんだがな……が集まっている。 だから、世界の」

 

「トップテンのひとつにランクインしていますねー。 私も働きがいがありますー。 やー、がんばって新しい言語をちょいちょっと勉強して来た甲斐があったというものですねー」

 

………………………………。

 

は?

 

進学校じゃないから雰囲気が緩いって評判だった、この学校が?

 

偏差値……家から無理なく通える範囲ではいちばんだったけど、そこそこ止まりな高さだったはずの、この高校が?

 

嘘だろ?

 

トップテン?

 

………………………………………………………………。

 

……ああいや。

 

学園、なんだっけ。

 

それも、兵士さんとかがうろうろしているくらいには重要な。

 

つまりは、ここと俺の知っている学校とは別物ってわけで。

 

「だからだな、世界中のお偉いさんの子女が集まっているというわけだ。 理由については、理解が追いついてから改めてにしようと思っているが……だが、先に言っておく。 ここは、一種の治外法権が適用されている、半独立国……のようなものなんだ。 だからこそ、セキュリティに察知されずに君が運ばれてきたルートを探すので、裏では大わらわなんだがね」

 

「みたいですねー、私の下の人たちも、直人さんの警護の人がうらやましいってずーっとインカムでぶつぶつ言ってこられるくらいには大変みたいですー。 あー、ずーっとお耳がきんきんしてますよー、みなこー、後でお耳をふーって」

 

「と、いうことで、だ」

「What!? ……ひどいですよ、みなこー」

 

「……仮定としてだけでも、なんならそういう設定だとでも思ってもらってひとまずで理解してもらいたいところなんだがな? 直人。 この学園の敷地内は、この国の法律ではなく、この学園の法律と……私たち教師陣の判断でどうにでもなるんだ」

 

「……まるで、よくあるマンガに出てくるみたいなものですね」

「うん、そう考えてもらって構わないよ。 今はそう思っておいてほしいだけなんだ」

 

「なんならハリウッドのB級ものでもいいですよー? 今度おすすめ貸しましょうかー? あ、後でお部屋のおすすめ配信こんてんつに載せて」

 

「……ローズ。 それは後にしてくれないか?」

「ぶーぶー。 みなこずるいですー。 けちんぼー」

 

「こほん……すまない。 そういうことでだ、直人。 君がここにいると、残ると決めるのであれば、私たちが全力で君の男性としての人権を守る。 なにがあってもな。 だから、直に嗅ぎつけてくるだろうマスコミや各国の権力者からも……しばらくは守ってあげられるだろう。 …………もっとも、これは君が私たちの言うことを信用してくれて、安全だと思ってくれて。 仮にでも……そうしてくれて、ここに留まってくれるのであれば、だがな」

 

「そですねぇ、直人さんにとってはここではなくここから数キロ先の故郷の方が馴染みがありますからねー。 あちらの政府の方に保護していただいた方が安心はできるかもですねー。 ……私としては、私の祖国と同じくらいに信用できませんけど、東側よりはずっとずっとずーっとマシですよー?」

 

「……………………………………………………………………………………」

 

昨日、夜、目が覚めてから。

 

初めに幼い声、次に頭の強烈な痛み、そんでもって校舎の先にあったいかめしい建物と、その中の広さと。

 

まるで俺の方が間違っているかのような説明を次々と浴びせられ、ようやくのことで寝心地の悪いベッドで寝たかと思ったら、もう1回……今度は、よりドッキリというよりも電波な説明を浴びせられて。

 

………………………………だけど。

 

目の前には、確かに。

 

母さん……のはずだけど、でも、10歳以上は若返っている女性が、いて。

 

そして、なによりも。

 

昨日から、ずっと感じていたけど。

 

………………誰も彼もが、俺から、必要がない限りには、俺から距離を取る。

 

それが、あたかも当然のように。

 

俺と、絶対に触れない距離に……母さん、美奈子さんとひなたさんのあのときのそれ以外は、それはもう絶妙に、間違って触ったりしないようにって離れているようで。

 

……まだ俺が知らない「何か」が原因で、そうなっているかのように……。

 




ひと晩眠っても見知らぬ世界にいたままどころか、さらにどんどんと知らない「設定」を聞かされる直人くん。美奈子ちゃん(推定20代後半の髪の毛を短めに整えて凜とした表情と態度な女教師)とローズマリーちゃん(話し方がかわいい、ザ・きんぱつで服装がいろいろとゆるいほわほわとした女教師……?)に囲まれていますが、事態はそれどころではありませんね。TSっ子の助けはまだまだ先のようです。


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6話 なけなしの覚悟

なまじ言葉が通じ友好的だからこそ困惑している直人くん。常識的に考えたら何かの演技やドッキリでしかありませんが、その「常識」が根本から違っていたら。彼は、その違っている方を信じてみることにしたようです。


 

「………………………………俺。 あれから、考えた、んですけど」

 

放っておくと、……、母さん、がまだまだいろんな説明をしてきそうだったから、いちど俺の方からも話をしてみる。

 

ああ、そうだ。

 

話し始めると……特に教えるとき、叱るときにはいつまで経っても終わらないっていうのが母さんなんだからな。

 

しかも、聞くところによる友だちの母さんたちとは違って、理詰めでこんこんとって感じなのがまた困るし……口を挟むとどんどん延びるっていうタチの悪いものなんだ。

 

だからついつい、で聞いちゃっていたけど……って思って、口を開いてみた。

 

だけど、俺が声を出すと、……少し警戒……いや、怯えて? いや、そんなはずはないだろうな……よく分からない表情をして、ふたりが口を閉ざして俺を見てくる。

 

………………………………。

 

ものすごく注目されている。

 

いちいちこういう態度取られるとなんだか腫れもの扱いみたいで嫌なんだけどなぁ……。

 

だけど、でも。

 

聞いた話がほんとうのことだったなら、ムリもないのかもしれない。

 

「……ええと。 ……母さん、とジャーヴィス先生は、俺が記憶をどうとか、事件がどうとか言っていて……いますけど。 俺にとってはやっぱり、俺自身の記憶、俺が昨日まで持っていたそれっていうのは正しいもの……で、俺の知っている……世界。 そう、それが俺の世界で」

 

もちろんあれからまったくに考えていない。

 

考えるヒマなんて、なかったんだから。

 

部屋に入るまでは知らないことばかりを聞かされて調べられ、あれよあれよと押し込められ、それからはちょっとだけ食べて寝て、起きて軽く食べて相談するためにモニターを操作したら開けられたんだもんなぁ。

 

そうしてそのままここに連れて来られたんだ、そんな余裕なんて欠片もない。

 

………………………………。

 

あれ。

 

そういやあの扉、ドアノブも鍵もなかった気が。

 

あの扉ってもしかして内側からじゃ、なんもできない……?

 

つまり、監禁……じゃなくて、軟禁ってことか?

 

………………………………。

 

……いや、なんにもされなかったんだ、とりあえずではあるけど信用しないと。

 

少し考え込んだ感じにうつむいてみていたけど、ふたりは沈黙のままだ。

 

なら、まだ頭の中がぐちゃぐちゃしているけど、でも、なにかを言わないと、またあの部屋に閉じ込められるだけだ。

 

「……正直、俺の知っている母さん……よりは、けっこうに若くなってますけど、でも中身はおんなじ母さん。 あなたしか知っている人も、信頼できる人もいません。 あ、もちろん親身になってくれて……くださっているジャーヴィス先生も、疑っているわけじゃないですけど。 ……で、えっと、………………かといって、部屋にあった家具とか電化製品とか見ても、見た目はそっくりでも俺の知らないメーカーのロゴとか、椅子とかの形が俺の知らない感じになっていたりして。 えっと、機能は一昔前みたいな印象でしたけど……って、すみません。 とっ、とにかく……ここが、俺の知らない世界だと、信じるしかありません。 記憶が変わっているんじゃなく、世界が変わったんだって。 俺が、こっちへ来たんだって」

 

そうだ。

 

よく似てはいるんだけど、でも、ちがうんだ。

 

液晶とかの操作だって、なんだかもっさりしていたし、テレビも……えっと、アナログだっけ?な感じになっていたし。

 

画素数みたいなものが少ない印象だったしな。

 

詳しくないし、ちょっと見ただけだからあくまで印象だけど。

 

それに、家具……インテリアって言うんだっけ?……のデザインなんかは、おしゃれな感じに揃えたならこうなるのかもしれないってものだったけど、でも、学校に置いてあるっていうのが不自然なものばっかりだったしな。

 

「……だから俺、おふたりを含めて、みなさんのこと、信じてみます。 もちろん、母さん……にそっくりなあなたがいるからっていうのがいちばん大きいんですけど。 でも、みなさんを疑っているままじゃなんにもできませんから。 なにより、昨日聞いたことが本当なら、俺、寝ているあいだに……その。 襲われても、おかしくなかったんです……よね? 俺、その話が本当なら……俺の世界での女みたいなんですよね? ………………………………だからこその、あの警備だったんで」

 

物騒な武装の人たちがいっぱいいたしな。

 

この人たちが俺をどうにかしようとしていたら、もう、とっくにしているはずだ。

 

なにせ、中からは何もできなくて外からだけ開くんだから。

 

……こうして安心させておいて……だとか、絆してとか。

 

そんなことまで考えるのは、ただの高校生な俺にはとうてい無理だ。

 

だから、母さんを見て……母さんに似ている人を見て、信じてみるしかないんだ。

 

ここまで話してもまだ俺から距離を取ろうと、いつの間にか座っていたソファにめりこむようにして座っているふたりを見て少しだけ笑いもこみ上げてきたけど、その勢いで気が楽になったから一気に言ってみる。

 

ああ。

 

この世界じゃ、男と女の関係はそうなんだな……って。

 

稀少な男と、大多数の女。

 

その関係性を考えたら、男な俺は高級なガラス細工みたいなもの。

 

「ですから、とりあえずで申し訳ないですけど。 あの、俺、ここでみなさんのお世話になりたい……です。 対価とか、そういうものは無理ですけど……、でも。 もしほんとうに、この世界が……俺みたいな男、っていうのが貴重なものだったら。 きっと、外に出たって……まともな生活、できないと思いますし」

 

1対1000。

 

ああいや、1500だったか。

 

まあ、そこまで来たらもうどっちでも変わらないだろうな。

 

男ひとりに対して女1500人。

 

バカみたいなシナリオの……えっと、マンガとかで、その逆のシチュエーションを想像したら、俺にだって分かる。

 

………………………………まちがいなく、「種馬」だ。

 

人間としての尊厳なんかない……ただただ飼われるだけの、ヒト以下のモノ。

 

悲しいことに、いいなと思っていたそういうものが、いざ俺の身に降りかかってみた途端どうしようもない恐ろしさって言うものがこみあげてくる。

 

俺なんて、しょせんその程度の学生なんだからな。

 

人並み以上でも以下でもない、いや、対人関係は少し以下かもしれないけど……でも、人並みの範疇ではあるだろう、ただの高校生なんだ。

 

だからこそ、せめて……顔見知りくらいには感じる母さん似のこの人と、この人と仲がよさそうで物騒な人たちを指揮していたジャーヴィス先生に、頼るしかない。

 

じゃないと、きっと、そのうち……だから、な。

 

 

 

 

「……承知したよ。 直人く……直人。 君が現実を受け入れなかったり、この話を聞いて取り乱したり、そうしてあの部屋に引きこもってしまったり……そういう男子じゃなくて、冷静に、知的に……理性的に考えられる子でよかったと、心から思う。 私、……ここの私には息子などいないし、そういう縁もなかったんだが……世話をしてやりたいと思う程度には、私の好みの考えを持った男子だ。 ああ、もちろんここの、こちらの基準で、な。 ………………………………。 ああ。 もし君の言う世界に私が行ったのなら、君みたいな男子学生たちにも教導をしてやりたかったと思うくらいには」

 

なんども確認されて、俺が取り乱したりなんかしない……いやだって、少なくとも今のこの状態で俺の身を考えたなら、この人たちのお世話になるっていうのが最も安全なんだし、むしろダメだって言われたら何をしてでもお世話にならないといけなさそうだから、大丈夫ですを繰り返すこと数分。

 

ひとしきりの毎回長い母さん……似の人と、それに相づちを打つ感じのジャーヴィス先生の会話があって。

 

「……なら、どうしようかローズ」

「そうですねぇー、とりあえずー」

 

そんなわけで、母さんによく似た人は、これもまた母さんに似て……真剣に相談をしたときみたいに俺の意志をひとつひとつかみしめるように確認していって、それでようやく納得してくれたみたいで、隣で静かにしていたジャーヴィス先生に話しかける。

 

ちょっと考えたジャーヴィス先生は……ぱぁっ、と。

 

ああ、こりゃ金髪美人とかいう見た目じゃなくても男女関係なく人気出るよな、って感じの……人なつっこいような笑顔を俺に向けてきて。

 

「……おーらいですっ! それじゃあ早速ですねー、この学園の裏の権力をいただいている私がー」

 

………………………………ん?

 

裏?

 

権力?

 

「できる範囲の……あ、ほとんどぜんぶですねー、つまりは総動員というものをしましてー、トーカ、あ、10日ですね、かからないうちに直人さんについての情報というものをなんとかしまーすっ。 なのでー、ちょーっとだけ待っていてもらえたらー、んー、来週っ。 来週にはお外を自由に歩くことができるくらいにはしてあげますのでー、期待していてくださいねー?」

 

「は、…………はぁ。 ありがとうございます」

 

ジャーヴィス先生は自信満々みたいだけど……逆に言えば、なんだか特別らしいこの学校……学園、の力を持ってしても、このままの状態で外へ出入りするっていうのは難しいことだっていうのが分かる。

 

………………………………。

 

……ここは、ほんとうに、どんな世界なんだよ……。

 

「ああ、そうだ直人」

「あ、はい、なんでしょう母……さん」

 

「もし……仮に、仮にだけども、君が私たちの庇護の元で暮らしていく方針を変えないのだとしたら、今教えておいた方がいいだろう事項がある。 とても、大切な、ものだ。 衝撃的ではあるだろう。 だが、しかし」

「……今度はなんですか?」

 

母さんが若くなって、……まるで姉さんとでも言いたくなる感じな人は、最初の頃みたいに真剣な表情をしている。

 

……まだなにかあるのか……?

 

俺、正直このままあの部屋に戻って頭を休めたいところなんだけど。

 

「――――――――――この世界ではな? 直人。 原則として男性は……その。 君の話を聞く限りには、君の世界では男女はひとりずつ結ばれるのが一般的のようだが、こちらでは……。 ………………………………。 ……少なくて数人。 少なくなくて数十人、多くて数百人の……ああ、これはさすがに書類と肉体関係上だが……その数の女性と、結婚することになっている」

 

「………………………………………………………………、は?」

 

「これは、よほどの事情がない限りには強制のようなものでな」

「………………………………………………………………、え?」

 

数人ならともかく、10を超える……100人以上の女の人と?

 

そんなわけ、………………………………。

 

………………………………1対、1500。

 

それに比べたら、まだ温情な方だと思えてしまう数字だ。

 

そう、数字。

 

「いずれ……たとえローズの工作がすべて成功しても、必ずにあらゆるところからの女性たち……年齢、出身を問わずにアプローチがひっきりなしに来るはずだ。 それも、彼女たちの人生をかけた、熱ーいものが、な」

 

「……は、はぁ……」

「だからな、直人。 私は」

 

「……………………………………おはなしに夢中なところごめんなさい。 失礼しますね? 先生たち、直人さん。 ……それでですね? 榎本先生。 そんなに一気に知らなかったことを教えられても、教えられる側の生徒としては困ってしまいますよ?」

 

「む、……野乃か」

 

「はい、みなさんおはなしに夢中だったようでしたので、ノックはしたのですがお返事がなく……ロー、ジャーヴィス先生が鍵を開けてくれていましたので、勝手に入ってきてしまいました。 申し訳ありません」

 

その声がした方へ顔を上げると……入り口の扉が開いていて、気がつかない内にかいていた汗がひんやりとするくらいに涼しい風が入ってきていた。

 

そして、昨日会った……野乃……えっと、早咲、さん、だったか?

 

普段は覚えの悪い頭を何とか使って……数時間前にあったばかりの女子の名前を思いだす。

 

あいかわらずに男か女か分からない格好をして、優男とでもヅカ系?とでも見えるし声だってどっちとも聞こえる彼女が歩いてくる。

 

ああ、あと、その下の方にはちっこいのも。

 

ひなた……須川さん、だったか。

 

「彼が私たちを信じてくれる……ことになったんですよね? なら、私たちだけでも彼の言うことを信じて。 そして、彼のペースに合わせないといけないのではないでしょうか? ………………………………ね? 直人さん?」

 

………………………………。

 

母さん似の人からの情報の嵐から解放してくれた早咲さん。

 

……私とか言っているし、やっぱり女……なの、か?

 

……微妙なところで、雰囲気とか話し方とかで女だろうって分かってはいるんだけど、なんだか妙に気になってしょうがない。

 

なぜかは分からないけど……熱くなった母さんは止まらないから、それを抑えてくれるだけで助かる。

 

それを止めてくれた彼……みたいな彼女には、感謝しないとな。

 

だけど、何か。

 

何かが引っかかる気がするんだけどな、早咲さんという人は。

 



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7話 「無人島」

投稿時間は早くなることもあれば遅くなることもあります。プラスマイナス1時間程度、ご容赦くださいませ。

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。
榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。
ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。
須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。
野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。


 

ちっこいの……失礼だけど、でも小さいよりもちっこいっていう表現の方がしっくりくるから仕方ないよな……ちっこいひなたさんがすぐ目の前に来た。

 

でも、ちっこいとは言ってもソファに座っている俺よりは目線が高いからか、少しだけ腰を落として俺に話しかけて来る。

 

………………………………髪の毛、長いなぁ……。

 

でもこれで、同い年なんだよなぁ……。

 

いつもくっつくようにしている早咲さんと……背の高い早咲さんとの差で、余計にちっこく見えるんだよなぁ……。

 

「おはよっ、直人くんっ」

「あ、うん。 おはよう」

 

「……ああ、済みません、ご挨拶もせずにおはなしを遮ってしまいまして。 榎本さん……よりは、直人さんの方がいいのでしょうか。 昨日はとりあえずで下の名前で呼んでしまいましたけれど……あ、私も。 おはようございます」

 

「ああ、うん、下の名前でいいよ……で、早咲さんも、おはよう」

 

ちょっとしか視線を下げなくていいひなたさんとは違って早咲さんの方は背が高いから、かなりのぞき込んでくるようになって来て、髪の毛がふわりとなって……俺の中までをのぞき込んで来ているかのような目が、俺を見てくる。

 

「……………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」

 

………………………………?

 

妙な沈黙が。

 

「あのっ、話っ、おはなし戻しますけどっ、榎本先生のおはなしはいつも分かりやすいですっ。 で、あの、私にとっては、授業で難しいことしてるときみたいなので何とかついてつける感じなのでいいんですけどっ、でもっ。 まだなにも、この、あう、えと、私たちの世界?について知らない直人くんにとっては、ちょっといっぱいいっぱいになっちゃうかもですっ」

 

「……そう、だな。 つい熱が入ってしまって」

「先生が生徒想いなのはみんな知ってますっ!」

 

「それが美奈子のいいところなのねー」

「はい、まさに熱血先生という感じですね」

 

「あ、で、ですねっ? もっと時間をかけて、ゆっくりとっ。 ……私だって、理科とか古文とか、授業だけじゃよくわかんなくて、いつも早咲ちゃんに授業のあとに聞いて。 それでも宿題とかしようとすると、またよくわかんなくなっちゃってもう1回聞くから……んで、あの。 だから、そんな私みたいに、ですね……んと」

 

「……落ち着いて、ひなた。 大丈夫ですから。 ゆっくりと、ね?」

 

「……ふぅ、ありがと、早咲ちゃん。 ……あ、で。 その、たぶん、直人さんがとりあえず知らなきゃいけないことからちょっとずつ教えていってもらって。 で、直人さんが大丈夫だからもっと知りたいって言ったなら、そのときに他のこととかを教えてあげて。 そんな感じにしたら、まだなんにも知らなくて、なんにも分からなくて。 …………、なにも、だれも、ほんとの意味では信用できていないはずの直人くんにとって、いいと思いますっ。 あの、精神的に、とか」

 

………………………………。

 

ああ。

 

昨日も、なんとなくで思っていたけど……この人たちは、いい人たちだ。

 

俺になにも説明せずにいれば楽なはずなのに、わざわざ教えてくれて。

 

こうして、みんな、方向性はちがっても、俺のことを気にかけてくれて。

 

昨日会ったばかりで他人でしかない……そして、説明が真実だとしたら、じゃない、説明通りなら厄介者でしかない俺に対して、ここまでしてくれているんだから。

 

「ごめんな、直人。 つい、いつもの癖で……ああそうだ、須川にも忠告されたように、私はきちんと教えようとすればするほどに手と口が速くなってしまってね……。 須川の言うとおり、君の身を案じてのことだとは言っても、先走りすぎた。 ……黒板がないから、さらに早く説明してしまっていたな……反省だ」

 

「い、いえ、大丈夫です。 話にはついていけていました……から」

 

「んー、気持ちの方はだいじょぶなの? 直人くん」

「うん、平気……だと思う。 ありがとう、ひなたさん」

 

「……けれど、精神的な負担というものは、得てして自覚が薄く、あとでまとめて来るものです。 ご自愛くださいね、直人さん」

「あ、ああ……早咲さんも、ありがとう。 いや、野乃さんって呼んだ方が」

 

「私も下の名前でお願いできますか? ……ひとりだけ仲間はずれはイヤですもの。 ひなたちゃんと一緒がいいですっ」

「あ、なら私もお願いしまーす直人さーん、ローズ、ローズマリー、ですーっ」

 

「あ、え、えっと、はい」

 

男が少ないって言うから、てっきり……悲しいことに、女子校……あ、こっちじゃなくてあっち、俺がいた世界の……っていう夢の場所だと、なにがどうしてか、女子が男子化するって、ぼんやりと聞いたことがあるけど。

 

少なくともここではちがうようだ。

 

なんとなく……えっと、姦しい、って言うんだったか?

 

そんな雰囲気が、漂っているから。

 

長い金色の髪の毛をかきあげたジャーヴィス先生が……俺はローズマリーさん、と呼ぶことで決まったらしい……ソファから立ち上がって、その大きい胸を張りながら言う。

 

「それじゃー、私は失礼しますねー。 これからねつぞ……じゃないですねー、かいざ……んでもないですねー。 んー。 あ、そうです、直人さんの個人情報というものを、プレス、外向けに、政府向けにですけどもー。 話題にはなっても適当なところで静かになってー、ずーっと引っ張りだこにはならない軽度に作ってきますっ。 楽しみにしていてくださいねー、ではまたですよー、直人さんっ」

 

「……はい、ありがとうございます」

「問題ありませんのでー」

 

そう言い残して……あと、いい香水の香りを残して、ジャーヴィ……ローズマリー先生が出て行った。

 

 

 

 

「……あうー、私から言い出しておいてーなんだけど。 常識、世界が違うっていう直人くんに対して、私たちのここの当たり前っていうの、分かりやすく教えてあげるっていうのってとっても大変だよね………………………………うー、早咲ちゃーん、どうしよ――……これじゃあ美奈子先生も困っちゃうよぅ」

 

……さっきは、小さいけど頼りがいがあるかも……って、一瞬だけ考えたんだけど、やっぱりひなたさんは見た目どおりの性格らしい。

 

俺を見ながら考えていたかと思ったら急にべそをかきはじめ、早咲さんにすがりついている。

 

そういう様子を……抱きつかれているのをなだめている早咲さんを見ていると、なんだか、なぜだか……あ、やっぱり男なのかな、って感じる瞬間はある。

 

いや、でも、なぁ。

 

名前とか、話し方とか、顔とか……一人称とかは女、なんだよなぁ。

 

……頭が混乱しそうだ、後回しにしよう。

 

それに、男だったなら……そう、俺の気が休まるからとかで絶対に言ってくるはずだもんな、自分が男だから安心しろって。

 

でも、そんな気配はない。

 

だから、早咲さんは男装してはいるけど女子で。

 

そうだ、何も言ってきていない以上、男装している女子なんだろう、うん。

 

「よしよし、大丈夫ですからね、ひなた。 ……うーん、そうですねぇ。 分かりやすく……分かりやすく、ですか。 ………………………………。 ……あ、直人さん」

「なんだ……ですか、早咲……さん?」

 

「あは、同学年なんですからふつうに話していただいて構いませんよ? 私のは……癖、ですし。 あ、で、話を戻しますが、そちらの世界、直人さんのいらっしゃった世界の娯楽についてなのですけども。 小説、戯画……ああ、コミックとかマンガとかで通じるでしょうか? …………よかったです、あとは映画など、そういうものがある……のですよね、きっと。 それで、その題材などでですね、無人島や荒廃した世界で生き延びる……といったものは存在しますか?」

 

「うん、あるな。 読んだことも観たこともある、…………けど」

「それなら話は早いですね。 ……落ちついて聞いてくださいね」

 

と、さっきまでローズマリー……先生、が座っていた席に腰を下ろした早咲さんは、俺を見据えるようにして、真剣な表情のままで言う。

 

「その……無人島でいいですね。 絶海の……地形まで同じ地球というものでしたら、太平洋や大西洋の外れも外れ、まさに孤島。 そこへ、例えば男性ひとりと女性10人とが漂着したとします。 救助は恐らく来ない、他の島へでさえもたどり着くことは不可能、しかし生きていくだけの物資や設備があって、動物や病気の脅威というものはない。 そして食料などは、数世代分が……どうにかして、あります。 そのような状況で、ですね? いちばんに問題になることというのは何だと思いますか? ああ、とりあえずで誰がリーダーかとか、権力を持つかとか、病気だとかそう言った面倒くさいことは抜きにして。 ドラマチックな人間関係とかもなく、みなさんが仲良しだとして、です」

 

「……………………………………………………………………………………」

 

無人島。

 

男ひとりと女10人……これは、俺に合わせてくれたんだろう……そして、ずっと生きていくだけの環境は整っていて、全員の仲は良好で、平等。

 

そんな環境、だったなら。

 

……やっぱり、さっき考えたみたく。

 

「……早咲さんが言いたいことは分かるよ。 子孫を残していくことが最優先、だろう? 助けは来ない、求める手段がない。 だとしたら」

 

「はい、そうです。 直人さんにとっては……恐らく、こちらのように男女比が偏っていないのであれば、昔のように……まだまだ結婚などはずっと後でしょうから、このような話は酷、だとは理解していますが。 ……ええ。 生きていく、生き延びていく以上には、どうしてもこどもというものが必要です。 それも、なるべく早くに妊娠と出産とを繰り返して、ひとりでも多くのこどもが。 ……なら、その11人はどのようにしたらいいか? …………と、そのような感じです」

 

「………………………………、うん」

 

「はー、早咲ちゃんすごいねー、さっすが万年学年主席さんだねっ」

「いえ、それほどでも。 直人さんにもご理解いただけたようですもの」

 

「よくそんなに、すらすらーっと先生みたいに口が動くねぇ。 ……いつもどおりにぃ――……むぅ」

「はいはいひなたちゃん、今は置いておいてくださいな」

 

「むぅぅぅ――……あ、えっと、それで、早咲ちゃんが言ったみたいな感じ……かな? でね、えっと、ここではその無人島がものすごーく大きくなって地球になってっ。 つまりは世界規模で、世界中どこを見てもほとんど女の人でっ。 ……だから、女の人の社会っていうのにずいぶん前になって、ね? ………………………………男の人の価値……やな言い方だけど、それが、とっても高いの」

 

「価値……」

 

「ええ、価値、です。 戦略的に……人類としての、種の価値として、ですね。 ですから、男性と結婚して子を授かることができる、それも自然な形で……というのは、ひとにぎりの特権階級の方たち。 それと、男性自身が気に入った……せいぜいが数えられる程度ですけれども。 でも、多くて妻の数は10人から50人程度、それ以上は年に数回会えたら良い程度の薄い関係でして。 ……お分かりでしょうが、女余りというものが社会問題なんです。 人類自体の問題なんです。 女だらけ、なんですね。 世界規模の孤島なんです」

 

………………………………。

 

これで、まだ抑えているって言うことは、まだまだあるってことだよな。

 

知らなきゃいけなくて、しかも、俺のショックを考えてくれて抑えめにしてこれって。

 

……これ以上、この……どう考えても滅びそうな世界に、まだなにがあるっていうんだ。

 



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8話 転入

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。
榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。
ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。
須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。
野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。


 

「いいだろうか、直人」

「あ、はい、母さん」

 

「あー、たしかに直人くん、美奈子先生に似てるかもー」

「はーい、ひなたー? 今からは静かにですからねー?」

 

「……野乃、助かる。 須川はもう少しおしゃべりの癖をだな……と、それで、だ、直人。 先ほどの発言は彼女たちから聞いたような私たちの世界の常識の元にしたものなんだ」

「はい、今は理解しているので大丈夫です」

 

「そうか、それはよかった……の、だが。 ここでもうひとつ、君の存在がローズの工作が済む前に……いや、済んでもだな。 君がここにいるとごくわずかの人間にでも露見することになれば、少なくとも数年、長ければそれ以上の期間。 世界に対して公になる前に、先ほども出てきていた特権階級層の女性で、出産までたどり着けなかった方たち……強引に押し通す権力があって、出産限界に近い年齢の60、70代の女性のところから、有無を言わさずに連れて行かれることになると予想される」

 

「……は? な、70!? それって!?」

 

せっかく分かりやすい例えを持ち出してくれて、雰囲気も落ち着いてきたから気持ちも楽になってきたと思ったのに、とんでもない数字が出て来てそれどころじゃなくなってきた。

 

いや……聞き違いであってほしい。

 

70?

 

70だぁ?

 

60でも充分な婆さん……ああいや、確かに最近の年寄り……お年寄り?は、テレビとかに出ている人たちはもっと若く見えるけど、それにしたって。

 

………………………………いや、待て。

 

確か、保健で習ったとおりだとすると。

 

「待ってください、70と言ったら、いえ、60でも、その……とっくにこどもなんて」

「ふむ、そちらではまだ……いや、必要がないからか、遺伝子を操作しての妊娠環境の維持は行われていないのだな。 肉体への副作用は大きいのだが、こういうのは得てして地位が高く、しかも30代までに子を持てなかった女性ほど受けるものなのだが……しかし、な」

 

頭がぐるぐるする。

 

だけど、母さんに似たダレカの話は止まらない。

 

さっきまでよりもずっとゆっくりと話してくれているのに、いるから、理解できてしまう。

 

無人島だなんて、生やさしい例えだったんだって。

 

「こちらの世界ではな、直人。 最近では80代でも、子を産むことはできるようになっているんだ。 男性は元からだが、女性ですら……健康な子孫を、な。 まあ、ここまで来ると資金と権力と、なによりも精神力がなければ不可能だが……けれども、可能ではあるんだ。 そして、それなりに普及しているんだよ。 だから、直人、よく聞いてほしい。 君の、男子、青年としての……これまでは自由な恋愛の価値観の元で育ってきたという君には残酷だろうが、だからこそ、君の自由意志を尊重して言わなければならないんだ。 ……いいか?」

 

「………………………………………………………………、はい」

 

このヒトは、少なくとも俺に対して悪意はなくて、俺のことを想って言ってくれているんだ。

 

だから、しっかり聞かないといけない。

 

「なら、……そうなる前に。 君が明らかに顔を青くするような、そのような女性を相手にしたくないのであれば、だ。 ただ子を成すという目的にだけ囲われて何人も、何十人ものそれらの相手をさせられる時間を過ごしたくないのであれば。 最低でも……そうだな、数人は必要だろう。 数人の嫁を、妻を、その前に得ておき……可能であれば、産まれていなくとも子ができていることが望ましい。 そこまで行っていれば、その相手の家族が盾となり矛となり、君を守るだろうからね」

 

「……………………………………………………………………………………」

 

「……これで最後だ、何とか気を張ってくれ、直人。 この学園は、幸いにして特殊な事情ゆえに各国の権力者の娘で、まだ相手のいない生徒が大勢いる。 だから、それらを嫁にしてしまうんだ。 ひとりでもいい、ふたりでもいい。 もちろん多いほどにいいが…………そうすれば、君は……見た目でも性格でもなんでもいい、ある程度は好きで、ある程度は好みで、ある程度は自由に、年が近くて好いた女子と結ばれることができる。 そうして、この学園の関係者ならまず間違いなく君をそういう輩から遠ざけておけるだろう。 だから直人。 ローズの工作が済み次第、君には私の受け持つクラスに通ってもらう。 そこで気に入る者がいたなら、早い内に結ばれるといい。 いや、結ばれなければならない。 なるべく早く、遅くとも……そうだな、1、2ヶ月以内には」

 

「なぜなら、君には――――極めて健康な男子で、しかも嫁がゼロという君は、世界中の女性たちが、なにをしてでも手に入れて囲い、閉じ込めてしまいたい存在なのだから……ね。 分かってくれ、直人」

 

 

 

 

こういうのは、とにかく早い方がいい。

 

考えるのはローズ……先生たち大人に任せろと。

 

そう、母さ……美奈子さん、に言われた。

 

それに、すでに俺という男がいたと知られている可能性もあるとか。

 

あの夜に俺が校庭で寝ていたのとか、起きて大声を出したりしたのとか……校内を歩いていたのとか、それをあのとき俺のそばにいた人たち以外の誰に見られているから分からないから、らしい。

 

ローズ先生が監視カメラとかの情報を何とかしてくれているらしいけど、そのときに映像を観ていた人が俺を見たのか、そしてすでに誰かに連絡を取ったのかは調べている段階だそうで。

 

それに、いちおう先生たちのできる範囲で俺を守ってくれるとは言っても、いずれは漏れる。

 

俺という、学校どころか国へも登録されていない男という存在がいるという情報は、必ず。

 

そもそも男の数が極端に少ないんだ、だからこそ近くにいる、住んでいる男の顔なんてその周りの人たちはみんな知っているわけで、さらにここは学校。

 

男子生徒なんて10人を超えている年があるだけで奇跡だと言うくらい。

 

だから………………………………「というわけ」、なんだそうだ。

 

目の前には女子校としか思えない教室……の生徒たちの全員が俺を見ている光景。

 

もっとも、こうして俺が壇上に立たされ……目に映るクラス全員が女子というとんでもない事実に圧倒されて、ただぼーっと突っ立っているしかなかったわけだけど……美奈子さんたち、あのときにいた人たちの前で聞かされたものとは結構に違う説明を横から聞き流していた……というわけだ。

 

これが、「というわけ」。

 

何やらを隠すには森の中、というわけだと。

 

……物事って、隠せば隠すほどにヤバそうに感じるもんだな。

 

少なくとも、当分はこれで通すらしい意味深な説明を聞いていた俺は思う。

 

ことごとく主語を省き、有無を言わさない調子で淡々と説明し、理解が追いつく前にさっさと終えてしまうという魔法のような言い回しを。

 

………………………………素直に「起きたら俺にとっての異世界の校庭で寝ていました」の方がよっぽどに簡潔なんだろうって思える。

 

もちろん、こんなの誰も信じないわけだけど。

 

信じられないわけだけど。

 

「……で、だ。 今の話を聞いたお前たち、私のクラスの生徒なら察せられるだろう」

 

突っ立って30人以上の女子の視線を受け止めなきゃならない俺としては、ただそれをぼんやりと受け流すしかない。

 

だから無意識に考えないようにしていたんだろう。

 

頭の中がぐちゃぐちゃした状態から、少しずつ正気に返りつつある感じがする。

 

だって、……このクラスの生徒、ほぼ女子であって……残りは、在籍はしているけど出席はしていない、机すら使われたことの無さそうな綺麗な空席がふたつ。

 

そのふたつのためのふたり以外はみんながみんな女子であって……驚くほどに顔が整っているんだからな。

 

今日のために顔が綺麗な人たちを急いで揃えたって言われても不思議には思わないくらいだ。

 

ただでさえ女に免疫がなくって、しかも昨日の説明がまだ頭の中でぐるくるしている。

 

だから、教室の造りにでも興味のありそうな顔をしつつ、30対もの視線を受け流さなきゃならなかったんだ。

 

もっとも、美奈子さん曰くこのクラスは「この世界でも飛び抜けてマシ」なんだそうだが。

 

……訳アリの転校生を見るみたいな視線が来るだけというでもありがたいんだと。

 

「彼、直人君については……この学園の教師陣の判断次第でいかようにもできる。 いずれはと考えているものの、男性を保護する国内外の条約の中で最も有利なものを、とな。 けれども、それには少々の時間が掛かるのは義務教育でさんざんに聞かされただろう」

 

と、肩に手の置かれる感覚がして、俺はようやくにクラスの全員からの視線を美奈子さんだけに絞ることができるようになって、背中に冷や汗をかいていたのに気がつく。

 

………………………………………………………………、気持ち悪い。

 

「直人君……、直人は現在、身寄りがない形となっている。 だからこそ、彼の姓を「榎本」……私の家に縁のある者とする手続きが完了するまでのあいだ、このクラスで保護することとした。 このクラスの生徒である以上、お前たちは馬鹿な真似をしないという確証があるからな。 だからこその私の生徒、特別クラスなのだから」

 

この辺のことについてはまたあとで、と言われていたからよく分からないけど、とにかく今すぐに俺を取って食うような生徒でも、そんな輩がバックにいるわけでもないらしい。

 

いきなり襲ってきたりはもちろんしないし……する人が大半だって聞いたときにはドン引きしたけど……ノコノコと誘われて人目につかないところに行かない限りには、まず大丈夫な生徒が選抜されているんだと。

 

だけど、安心は……できない。

 

だって、ここは別の世界だ。

 

俺の常識に合わせたら、男女をもっかい逆にして……つまりは俺が男だらけの世界に飛ばされてきた女で、周りのほとんどは独身の男しかいなくて……とかいうトンデモな状況なんだ。

 

だったら、この世界の女にしてみれば、俺はそんな女……ああいや、男に見えてはいるはずで。

 

だから、安心はできない。

 

それは、あの場にいた人たちもおんなじだ。

 

………………………………後ろ盾も何も無い、そもそも説明を受けた内容がほんとうかどうかも分からないけど、いちど信じるって言った以上、思った以上には、あの人たちだけでも信じるしかないんだけどな。

 

最低でも、目の前の……とんでもなく若くした母さんに似た人、美奈子さんだけは信じたい。

 

じゃないと、どうにかなってしまいそうだから。

 

「で、だ。 先ほどの用紙は国際法上極めて重要な意味を持つというのは理解しているだろう? できるだけ……と言っても、数日で全校生徒が知ることとなるとは思うが、とにかくできるだけでいい、彼への過剰な接触と、彼についての情報漏洩には細心の注意を払って欲しいんだ。 ………………………………私だって、受け持ちの生徒傷つけたくは無い」

 

美奈子さんは、俺を見たままもう片手を挙げ……そうすると、教室の四隅と俺の後ろにいた数人の「兵士」さんたち、映画とかでしか観たことがなかった武装をした兵士の人たちが、カチャ、と銃を鳴らす。

 

……見慣れてきたとは言っても、やっぱりこわいものはこわいな。

 

「これからは、どこでも……直人のいる場ではどこでも、常時数名の護衛が付く。 はじめは緊張もするだろう。 しかし、いずれは慣れる。 彼だっていきなりこの場に連れ出されて恐怖に襲われているんだ、どうか君たちも耐えて欲しい」

 

いや。

 

いやいや。

 

……一応誰にも向けてはいないけど、あっちこっちに銃口をこれ見よがしに構えている兵士の人たちを見て、これからずっとこうだからと言われてびびらない女子はいないと思うんだけど。

 

ああいや、この世界の女子……女性のメンタリティってやつは男に近いんだっけ?

 

男女が逆転し切っているから。

 

「もし……もし、だ。 無いとは信じているが、直人に対して明らかに同意のない接触やそれ以上の行為を働いたり、または働こうとしたならば」

 

カチャ、と、いくつもの金属音が静かに響く。

 

「護衛には、各々の判断での発砲も許可してある。 やり過ぎだとは理解しているが、彼の立場を考えてみたらこれでも優しいくらいなんだ。 ……済まないな、みんな。 最初くらいは強く言っておかないと、なにかがあってからではみんなが不幸になる。 それに、余程のことをしない限りには撃たないようにも言い含めてある。 だが、生徒に銃口を突きつける生活を送らせてしまうのは……申し訳ない限りだ。 済まない、どうか彼のため、耐えてくれ」

 

そう言って、美奈子さんは俺の1歩前に出て………………………………生徒たちに向かって深く頭を下げた。

 

まるで、本物の「母さん」のように。

 




少しずつ大ごとになっていく直人くんの周り。 そうして少しずつ、直人くんのストレスも……。


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9話 結婚制度、など

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。
榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。
ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。
須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。
野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。

ほぼ説明回ですので流し読みで充分です。序盤に説明が多くなってしまうのはおはなしの都合上避けられませんので。いちばん下に要約するのでそちらだけでも問題ありません。


 

「……さて。 では少しばかり長引いたホームルームは終了だ……が、事情が事情だ、しばらくは私がすべての教科を預かることにした。 安心してくれ、普通教科はよく頼まれて引き受けているし、体育などは……そうだな、教室で教科書を、という形にでもしようと思っている。 体なら放課後に動かしてくれ。 ……さ、5分の休憩ののちに1時限目を……と、立たせっぱなしで申し訳ない。 直人はそちらに用意してある席へ頼む。 みんなも、気持ちは分かるが彼をあまりじろじろと見てくれるなよ」

 

「「「は、………………………………はいっ!」」」

「……………………………………………………はい」

 

先生……母さん似の、の号令でここまで高い声しか聞こえないのは、やっぱり女子しかいないからなんだな……とか考えつつ、俺はようやくに腰を下ろすことができた。

 

もっとも、教室を……いちばん奥の席、窓際という席まで移動するあいだ、もちろんに知らない女子たちからの視線をこれでもかと浴びていたけど。

 

………………………………男女を逆にして考えたら、無理もないか。

 

いや、そうじゃなくともある日突然にこんな警備がつくことになれば当然だし、俺の世界でも転校生なら同じ目に遭うはずだもんな。

 

それに、この席……ヘタに前の方の席で、1日中視線が刺さるようなのに比べたら……と思えば、アニメとかでよくあるような特等席がいろいろと都合のいい場所だっていうことに気が付いて、同時に美奈子さんの気づかいも分かる。

 

ちらちらと振り返る女子はいるけど、ずっと見られるわけじゃない。

 

ずっと来るのは教卓からは美奈子さん……先生と兵士さんたち、俺のすぐ後ろとドアの手前からも兵士さんたちからの視線だけ。

 

…………俺の立場的には、これ以上安心できるものはないものな。

 

 

 

 

授業が始まる……と美奈子さんは言っていたけど、実際には雑談に近いものだ。

 

教科書を開かせて黒板に書いたりはするけど、肝心の中身のことは話していないみたいだし。

 

周りの生徒たちも……この世界の生徒たちも、女子たちも、机に手を載せたままだしな。

 

……だから俺に、鞄どころかノートやペンも要らないからとにかく着いてこいって言ったわけか。

 

たぶん俺への一般常識の説明ついでなんだろう、時事ネタや歴史やら、他の生徒に変に思われない程度にしていって、ときどき俺の「特殊な転校生」という設定をちらっと口にする。

 

それだけで、俺以外の生徒……女子たちの意識は美奈子さんだけに向かっている。

 

さすがは先生だな。

 

………………………………。

 

……母さんも、こんな感じで教えていたんだろうか。

 

………………………………………………………………。

 

だけど。

 

いくら俺のためとは言っても、俺のすぐ後ろで身動きひとつせずに立ち続けて銃を構えている兵士さんの圧というものを感じるのには、どうしても慣れないな。

 

これが今日だけならともかく、昨日の話がほんとうなら……これからずっと、なんだろうから。

 

いや。

 

………………………………学校を卒業しても、どれだけ経っても。

 

俺が、元の世界に戻れなきゃ、ずっと、このまま……こうしているしかないだろうから。

 

 

 

 

「………………………………けっ、結婚って。 俺が? まだ16ですよ!? いくら男が少ないからって、いくら何でも早すぎますって! 男は18からで女子は16からって習って、……………………あ」

 

雑談混じりの授業、休み時間も話す相手はみんなよそよそしいというか話しかけてこず、誰ひとりとして……ほぼ知り合いはいない。

 

そんな時間を過ごしていたら、ぼーっとして意識が適当なところへ行くのは当然だ。

 

だから俺の意識は……俺が「このクラスに通って早く何人かと結婚した方がいい」と勧められた場面へと戻って来ていた。

 

「そうなんですかぁ、直人くんのいた世界じゃあ男の子の歳の方が上じゃないとなんですねぇ。 変なのー」

 

「いえ、ひなたちゃん。 たしかこちらでも、……ええと、男性が生まれなくなってきてもしばらくはそうだったはずですよ? 出生率が激減してきてから一気に法律がいろいろと変わったと歴史の授業で聞いた覚えがあります」

 

「あれー?」

 

「………………………………今年も勉強、がんばりましょうね、ひなたちゃん。 まぁ、今のは試験には出ないでしょうけれど、今授業でやっていることは……ね?」

「あう――……早咲ちゃーん……」

 

涙ぐみながら早咲さんの胸に頭ごと包まれに行っているのは、やっぱりどう見ても数歳年下にしか見えないひなたさんだ。

 

もっとも、早咲さんもひなたさんほどじゃないけど胸は貧……と、いくらなんでも失礼だな。

 

でも、わざわざ男装しているんだ、実はそこまでのことじゃないのかもしれない。

 

胸だって、無いように見えるし。

 

まあ、上を着ているからかもしれないけど。

 

………………………………。

 

それにしても、この世界の常識手特に男女のそれについては早く教えてもらわないとなぁ。

 

事あるごとにこうして驚かされていたんじゃ、俺の身が持たない。

 

……まずはこの、俺がすぐに結婚とかいう大問題だけど。

 

「……と言いつつも、私も詳しい年号まではもう忘れてしまいましたけれど。 でも、昭和の半ばまで……あ、年号とかは」

 

そう。

 

これだけいろいろと変わっていても、そういうところは。

 

「……同じ、だったな。 変わる年まで……とりあえずで明治からずっと」

 

「世界が違えども、こんなに違ってもこういうところは同じなんですか。 ……何だか不思議ですね? 直人さん」

 

早咲さんは、……どう見ても俺の世界……だったところにも滅多にいないような、お淑やかな雰囲気を醸し出しつつもひなたさんを撫で続け、ぐずっていた彼女をたちまちにごきげんにしていた。

 

……だから余計に優男っぽく見えるんだよなぁ。

 

「……すんっ」

「いい機会だ、須川。 中学のときの歴史の授業を思い出してみて、かんたんに……むしろこの方が彼にとってもいいだろう、教えてやってくれ。 こちらの今というものを」

 

「うぇ、せんせー!? はっ、はいっ。 ……えっと、こっちでは、ですね。 最近の法律では、結婚年齢を昔の……えっと、元服っていうのに合わせて、いえ、戻してですねっ。 男の子は13くらいの……その、は、恥ずかしいですけど……せっ、生殖可能年齢?になったら、ふたりがいいって思ったら結婚できるようになっていますっ。 ……ですっ?」

 

生殖、という言葉とともに顔を真っ赤にするこの子は、やっぱり、どう見たって中学生にしか……。

 

いや、俺だって女子にこんな話題を話せと言われたらそうなるだろうけど。

 

「……で、ですねっ。 あの、それで、男の子なんですけどっ! ほとんどはちっちゃいときから許嫁っていう子が何人も当てられていて、まずはその子たちからお嫁さんになっていくっていう仕組みですっ。 ………………………………残念だけど……いえ、私はそのおかげでよかったのかもしれないんですけど、……あ。 わ、忘れてください今のっ! ……とにかく私や早咲ちゃんには許嫁さんがいなかったから、こうして結婚しないで学校に来ているんですけどっ」

 

「はーい、お疲れさまです、ひなたさん。 ……で、直人さん。 この世界の男性は、あなたに取ってみれば「まだ」中学生になるころにはもう、よっぽど嫌では限りには何人もの女子を娶って、お嫁さんにして。 ほとんど強制的に結婚をして、させられて……その、大体は1年以内に誰かしらのお父さんになります。 ……恥ずかしいでしょうけれど、辛抱してくださいね? これを知っておかないと、あなたがなぜ、急いで……美奈子先生の仰ったように結婚をしなければならないのかが分かりませんから」

 

そう言う早咲さんは、まだ顔を真っ赤にしながらあわあわ言っているひなたさんとは対照的に、とても落ち着き払って、淡々と……静かながらもよく透き通る声で教えてくれる。

 

「まあ、女性同士でもこどもはできるのですけれどね」

「…………………………………………………………え?」

 

ついでのように、とんでもない事実も。

 

「女……同士、で?」

 

「くすっ、やっぱり。 ……私、SF小説は好きなので、「もし世界から男性が一気に生まれなくならなかったら?」というような趣のものも読んでいますので、直人さんの驚きようも半ば予想はしていたのですけれど……くすくす。 そんなに驚くことでしょうか? そちらにも、似たような技術は存在すると言っていたでしょう?」

 

「え………………………………っと、そう、だな。 少なくとも俺のいたところでは、そういうのはまだ完全には実用化……いえ、技術はある、とは……いや、もしかしたら俺がニュースを見ていなかっただけで、実は始まったりしていたのかも……だけど」

 

「倫理的……いえ、なによりも需要がとても低いから普及していないのでしょうね。 話を聞く限り、そちらは少しばかり技術が進んでいるようですし。 電化製品とか……。 ですがこちらは逆に、しなければ人類の滅亡が……核戦争よりも明らかなそれが目に見えていたので、倫理的ないろいろは私たちが生まれる前にはとっくにクリアされていたのでしょうね。 でも、ですね? ――いくらそうだとしても、たったの3世代前。 ほんの100年にも満たない過去までは、男性と女性は、直人さんの知っているような「普通」のやり方で結ばれていたんです。 なので、それに対する憧れは……とっても、強いんです。 だからこそ男性の取り合いになって………………………………ですよね? 美奈子先生」

 

「そうだな、いつもどおりに大変優秀で結構だ、野乃。 だが、私たち教師と同じように説明が長くなりがちな欠点には気をつけた方がいいぞ? 助かるが、な」

「………………………………ご忠告、痛み入ります、先生」

 

静かに下げていた頭を、長い前髪と一緒に持ち上げる早咲さんと、まだ彼女にひっついているひなたさん。

 

そして、ふたりの説明が終わるのを待っていたらしい美奈子……さんは、改めて俺に向き直り、続きを口にする。

 

「……直人くん、まだ頭は着いて行けているか? 別に、この場でまとめて話す必要もないし、なんなら」

「………………………………いえ。 大丈夫、です。 まだ、今だからこそ逆に頭に入ってくる気がします、から」

 

「そうか。 強いな、君は……なら続けよう。 たった今野乃が言ったとおりだが、君の危機感を煽るために先に言っておこう。 ほんの30年前……私が産まれるほんの少し前までは、男性が襲われる事件は数え切れないほどだった。 もちろん、性的に、だ。 ――何せ、人工授精ではなく本物の男性と結ばれるというのは、この世界でのステータスでもあり、そのためならいくらでも金を出す輩がいたからな。 だからこそ、男性は1カ所に隔離されるようにして……守られて、生きていた」

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

男だけが、守られるためだけに。

 

それじゃまるで、絶滅危惧――――――――――種、だったな。

 

「脅した形になって悪いが、今はそんなことはないよ。 警備はつくものの、普通に家族と暮らし……その家族という定義こそ変わりはしているけどね……外出もできる。 好きなところへ、な。 だが、それでも男だというだけで……平均よりも嫁やこどもの数が少ないと言うだけで、幾つになってもしつこく狙われるのは……最早この世界の宿命と言ってもいいだろう。 こうして口にしてみるととんでもなくねじ曲がった世界だが、これがこの世界というものなんだよ」

 

美奈子さんは……やっぱり俺の母さんによく似ている。

 

俺が不安じゃないかと……話し方ははきはきしたものに優しさが混じっているけど、目はとても心配しているって言っているようなもので。

 

それは、俺が小さいころ、よく叱りながら俺に向けていたような目つきで。

 

「……だから、直人君。 よほどの事情がない限りには、成年の男子……君も、この世界ではそう数えられるんだ……嫁は、最低で数人。 さらに、30、40くらいまでは内縁という形でさらに10人以上の女性が………………………………言い方は悪いが、要は男性の気分転換のための順番待ちという具合で待っているのが、私たちの世界での当たり前、なんだよ」

 




要約:直人くんの入った教室は、しばらく直人くんのためだけのカリキュラムになり、この世界では男の子は13歳くらいから女の子に囲まれてたくさんのこどもを産ませる生活を送るようになると伝えられ、あとは女の子同士でもこどもができたりするということまで教えられました。

面倒くさいことを除けば男の子の夢のような世界。しかし、実際に放り込まれるとそれどころではありません。だって、直人くんは「常識的な普通の男子高校生」なのですから。


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10話 「ディストピア」

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。
榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。
ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。
須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。
野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。


 

「………………………………。 ここがそういう世界、そう言う理屈な場所って言うもの自体の理解は追いついていますし、できています。 理屈も、もちろん……ただ、納得はまだ」

「当然だろうな。 直人君からしてみれば、夢物語を通り越した先のホラーな世界なのだからね」

 

「ホラ――……。 ……ええ、そうでしょうね。 男女の数が自然でした私たちの世界の過去、戦前から来たのと変わらないのですから」

 

「早咲ちゃーん、それって……えっと、でぃすとぴあ的な映画みたいな?」

「そうですねぇ。 そうかもしれませんね、ひなた」

 

男が、ある時点から激減して、だからこそ変わった歴史の先の世界……それが、俺が説明を受けた、俺が来てしまったここなんだもんな。

 

まさに、ひなたさんの言うようにディストピアだ。

 

その原因が疫病やらロボットやらAIやら戦争じゃなく、人類を襲った特殊な……前兆もなく、じりじりと毎年に生まれる男の数が減っていくって言う、種の繁栄そのものの危機っていうものであるだけで。

 

「だけど、です。 理解はしているんですけど、納得できるまでには時間がかかると思うんです。 だってここは、ひなたさんの言うように……俺にとっては、いきなり過ぎる映画とか……マンガとかみたいな世界なんですから」

 

そう。

 

俺に取っちゃ、メインターゲットな青少年な男子に人気な設定の世界。

 

そんなマンガの設定をみんなで語っているようにしか聞こえないんだ。

 

………………………………だけど。

 

それを、大のおとなまでが真剣に話し合っていて、……俺を騙す意味なんてなくて。

 

「……だから、考えたくないくらいなんです。 だってそうでしょう? 俺が、寝て起きたらそんな……すみません、ですけど、この世界、イセカイに来ていただなんて。 ……いえ、もちろんただの愚痴です。 みなさんの話し方から、それがきっと事実なんだって分かっています。 分かっているんです。 ですけど、ちょっとは時間の猶予があったって」

 

「だろうね。 そうだろうとは思っていたよ」

「か、……美奈子、さん?」

 

「……君にとっては、私は母親にそっくりな人間なのだろう? なら、別に好きに呼んでくれてもいいんだよ? ……と、まあ、君がひと晩眠って気持ちの整理が付いて、少しは話ができそうだからとあえてまとめて話させたんだ。 恨むならこの子たちではなく私を恨んでくれ」

 

「………………………………いえ。 俺の知っている……母さん、でも、こういう大切な話のときにこそ直球で、対等な人間として扱ってくるでしょうから、むしろその方が安心します」

「そうか。 ……私、この世界の私も、子に恵まれていたら、あるいは。 ………………………………すまない、直人」

 

……そういえば、美奈子さんの年齢のころには、俺の母さんは俺をとっくに産んでいたはずだ。

 

なのに、「子に恵まれていたら」……と。

 

………………………………。

 

……男が少ないって言うのは、やっぱり。

 

「……私が口を滑らせて変な空気にしてしまったね。 では、改めて、君の結婚の話に戻そう。 それが今、君が……来たときと同じように唐突に、数日の内に君の世界に帰ることができないのだとしたらまずしなければならないことだからね。 ………………………………大丈夫か?」

「………………………………はい。 お願いします」

 

「……早咲ちゃん、眠いよぉ――……」

「もう少し我慢ですよ、ひなたちゃん」

 

これまでの会話にふさわしくないような、甘えた感じの声がしてきて、俺は少しだけほっとする。

 

…………まさか、これを見越してこの子たちを連れてきたんだろうか。

 

だって、いくら昨夜俺を見つけてくれたひなたさんと早咲さんだとは言っても、話さないように注意して俺に関わらせないようにすることもできたはずなんだ。

 

先生たちや、あのときにいたお医者さんたち……あとは護衛の人たちだけで充分だったはずなんだから。

 

なのに美奈子さんは、わざわざこの子たちを俺の前に連れて来て、彼女たちにもこの世界について話させた。

 

……俺の、気を紛らわせるために。

 

そう思ったら、脚に力が入っていたのに今さらながら気がついて、この瞬間まで無意識に緊張していたんだなって、実感してきた。

 

「さて。 この世界の男子には結婚相手がいなければ我先にと後がない輩が見境無しにきてしまう。 だから急がなければならないのはいいね? ……だが、君には。 この世界の多くの男性のように、教育と環境のせいで……極端に人任せに生きるようになるか、あるいは人間不信になるか、それとも完全に考えることなく言いなりになるか。 そのように洗脳されて生きてきた男子たちとは違い、君は外から来た。 ……自由な世界、自由な価値観、自由な恋愛と結婚というものを常識としてきたんだ。 だから、いきなりというのは受け入れ難いだろう?」

 

「………………………………ええ」

 

「だから、だ。 その相手を、……ああ、もちろん気に入らなければ断ってもいいようにしてあるからね? ……私が選んでおいたんだよ。 いずれ打ち明けることになるかもしれないけれど、話さなくても話せない事情というものをくみ取ってくれ、その子たちの家自身も切羽詰まっていないゆえに君に強引に迫るよう指示をするようなこともしないと確信が持てて。 さらには直人が嫌だと言えば素直に手を引くと契約書を交わすことができそうで……今朝交わしてきた相手が。 事後承諾になって申し訳ないが、まずふたり、そういう相手を……君を守るために用意してあるんだ。 彼女たちには君の盾として、ひとまずの期間を守ってもらう」

 

すっ、と、美奈子さんが履歴書みたいな……履歴書なんだろうな、テーブルに伏せてあったクリアファイルの中にあったそれを、俺の方に差し出してくる。

 

「君に、これから転入先として通ってもらうことになる私の受け持ちのクラスで、君の、秘密の間柄だった許嫁………………………………だった、という設定を、今朝双方の家とも交わしてある。 もちろん彼女たちも承諾済みだよ。 これで、ひとまず君が知られることになっても、いきなり手を出してこようとする輩からは距離を置くことができるだろう。 ……ぜんぶがぜんぶ、今朝になってローズと出した結論ありきで動いたからな、今になってからで申し訳ない」

 

「くすっ。 先生? 謝ってばかりですよ?  直人さんにとっては、お母さまやお姉さまのような方に、そうもかしこまられては彼も困ってしまいます。 ね?」

「あ、………………………………はい、早咲さん。 じゃなくて、野乃さん……って呼んだ方がいいのか。 話し方も……、だって俺たち、会ってまだ間もないですし」

 

「早咲でいいですよ。 もちろんこちらのひなたちゃんも、ひなた、で。 私たち、クラスメイトということになるんですから」

「うゆー?」

 

……寝ていたのか、名前が出て来てから変な声で返事をしてくるひなたさん。

 

………………………………うん。

 

こういう子は、恋愛対象じゃなくても守ってやりたくなるな。

 

まあ、この世界ではこの子よりも俺の方がずっと危険なのは聞いたとおりなんだけど。

 

「……やはりお前たちに任せて正解だったね、野乃。 これからも、彼の手助けを頼めるか?」

 

「はい、もちろんです。 ……数奇な運命ですものね、私はひなたさんがいちばん大切ですけれど、直人さん、あなたも同時に守って差し上げますっ。 これでも学年主席、運動も抜群なんですよ? 文部両道、才色兼備というものですっ」

 

「……それを自身で自慢し、それでいながら文句のつけようがないところが困った奴なのだがな……」

 

実にあざとい仕草……この世界ではどうなんだろうか?……指をほっぺたに当ててウインクをしてくる早咲さん。

 

正直、俺にとっては会ったことすらない子よりも、このふたりに、形だけでも婚約者とやらになってもらった方が気が楽なんだろう。

 

けど、贅沢を言っちゃいけない。

 

事情を知る人が多くなるほどに秘密がバレやすくなるのは美奈子さんだって、朝まで一緒に相談してくれていたというジャーヴィ……ローズ先生だって分かっているはず。

 

なのに、あえてこのふたりじゃない人を選んだんだ。

 

なら、きっと相応の理由があるはずだもんな。

 

……好意に甘えているだけの俺が言っていい贅沢じゃないだろう。

 

それに、恋愛をすっ飛ばした結婚とかを抜きにして話ができる同世代っていうのも、この先きっと必要だしな。

 

「こほんっ。 で、そちらの方たちのプロフィールに目を通してくださいますか? 直人さん。 その方たちは、信頼できる名家のご令嬢の……3女と4女ですので、結婚にそこまで焦る理由がないというのがひとつ。 ご本人たちがそこまで結婚も出産も望んでいないというのもポイントです。 私が知る限りでも極めて常識的かつ理性的で、人柄もいいので間違いもないと信頼できる方たちというのがふたつ……です。 もちろん私個人も親しくしていただいています」

 

ぱら、とめくってみると……こっちに来てからというもの、誰も彼も。

 

いや、誰も彼女も……美奈子さんにローズ先生、早咲さんにひなたさん、その誰もが俺の世界にいたらまず学校中に名前が知れているだろう……、早い話が美しい、かわいい人たちなんだけど……この写真の子たちも、また。

 

クラスどころか学校に何人いるかいないかっていう感じで。

 

うん。

 

普段着かどうかは分からないけど、和服で早咲さんよりもお淑やかそうな子と、ジャージを着て泥だらけの子。

 

なんでこんな写真を……ああ、あえてどういう性格かを分かりやすくしているのか。

 

けど、………………………………うん。

 

ふたりとも美しい系とかわいい系で、……あと、胸が。

 

うん。

 

大きくて。

 

うん。

 

「……少なくとも写真越しでのお顔や雰囲気の方は好みではない、ということはなさそうですね?」

「え? ………………………………え、いや、その」

 

「いいんですよ、こちらでは私たち女子が男子の顔をえり好みするのですから。 その逆、と考えたら……と、今朝もう数名のプロフィールを渡されたときにこのふたり、と先生にアドバイスしておきましたのは、この私ですから」

 

「む――……」

 

「こーら、ひなたちゃん拗ねないの。 ……で、ですね? 私も先ほどお会いしまして、先生とご一緒にぼかした事情というものを伝えてありますから詳しいことは話さなくても大丈夫です。 もし話したほうがいいのか、とか、話したくない、とか……どう対処したら良いのか、とか。 そんな悩みが出てきましたら、彼女たちや先生方……もちろん私たちでもいいです。 頼ってくださいね? 直人さん」

 

そう言って、早咲さんは……俺に向けて、飛びきりの笑顔を送って来た。

 

あざといほどにかわいくて……この人が婚約者、だったなら、ってちょっと思ったくらいの笑顔を。

 




次回、直人くんのヒロインたちがお披露目です。ようやくハーレムへの第1歩ですね。


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11話 協力者(婚約者)

 榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。

new! 

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。


「直人様。 ごきげん麗しゅう。 私は綾小路晴代と申します。 ……ええと、私も今朝お母さまから聞かされたばかりですので、詳しくは存じないのですが……その、榎本様の内密の婚約者だった、ということになったそうで……」

 

腫れもの扱いの午前を腫れものゆえに静かに過ごせた俺は、今朝プロフィール写真を見たばかりの女子ふたりと昼を共にすることになっていた。

 

護衛の人たちが囲んでいたおかげで、近くの生徒たちからすら話しかけられなかったくらい。

 

……まあ、これも母さん、美奈子さんなりの気づかいなんだろう。

 

で、このふたり。

 

もちろんクラスメイトなふたりだ。

 

もっとも、午前中は教室にいるだけでいっぱいだったから、ふたりの顔すら見ていなかったわけだけど。

 

それで、今の場所は個室の……学食が出てくるレストランというなんとも不思議な空間の1室。

 

なんだか落ち着かないけど、周りからじろじろ見られないからほっとする。

 

こういうところがある、っていうことからもこの学校……学園か、がものすごく特殊な場所なんだっていうのが分かるな。

 

さらに嬉しいことに、さっきまでの教室での30人の生徒たちと兵士さんたちの視線が、たったのふたりになったんだからな。

 

……いや、まあ、護衛の人は俺の周りに3人ほど、もちろん外にもたくさんいるんだけど、それはもう気にしないことにした。

 

慣れろって言っていたしな。

 

兵士さんたちは俺に対して好奇心の籠もった目つきをしてこないから、意外と楽だってことも分かってきたし。

 

……ということで、まずはテーブルの反対側、左手に座っているのが最初に声をかけてきてくれた綾小路さんだ。

 

なんというか、いかにもな和風美人という感じで……着物を着るととても似合いそうだな、あの写真みたいに。

 

学級委員……いいや、生徒会長とかそんな印象だ。

 

というか、ここへ案内されるときから思っていたけど、動作も姿勢も綺麗すぎるからふだんからあの写真みたいに和服を着ているんだろうな。

 

なんとかの家元とか、そんな雰囲気で。

 

しずしずというか……歩いているときにも体がブレないというか、そんな印象の、俺が会ったことがないタイプ……いや、階級の人って感じ。

 

だって、今でも背筋とかすっごくまっすぐだし。

 

俺までそうしなきゃならないって気にもなるくらいだ。

 

「でえでえっ! 私が御園沙映って言うの! 直人って言うんだっけ? よろしくねっ!! けど、本物の男の子だー、外じゃ初めて見たかもー」

 

綾小路さんが続きを話そうとしていたところに体ごと乗り出してきたのは御園さんだ。

 

とりあえずで声が大きい。

 

でも、俺が嫌いなタイプのでかさってヤツじゃなくって、クラスで誰とでもずっと話しているタイプの体育会系……ギャル系?いや、違うか……な、でかさなんだけど……いや、やっぱでかいな。

 

これまでに会ってきた人たちが控えめだった分、余計に。

 

そのせいか、一瞬後ろで護衛の人が身構える音がしたし。

 

……………………………………大丈夫な人、なんだよな?

 

華道とかやっていそうで距離を初めから取っていた綾小路さんとは違って、会ったばかりのときからそわそわしていたし、こうして今もテーブルに手をついてぐいっと顔を近づけてきているし。

 

好奇心ですってばかりの顔と目が、俺を食い入るように見ている。

 

「ほら御園さん、榎本様が驚かれてしまっています。 初対面の男性に対するときにはどうすると教わってきましたか?」

 

「え? 私、ぜんぜん話したことないしキョーミ持ったこともなかったから分かんない。 お家ではお兄ちゃんにはいつも抱っこしてもらってるし。 なのになんで駄目なの? ね、なんで?」

 

「………………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………」

 

思わずで綾小路さんと目が合う。

 

……たぶん同じことを考えているんだろうな。

 

少なくともこの人とは上手くやっていけそうな気がする。

 

御園さんは……元気を増し増しにしたひなたさんみたいなものだって思えばいいのかもな。

 

体のサイズはぜんぜん違うけど。

 

あと胸も……いやいや、だから失礼だって。

 

「……ええと、榎本様。 私たちの名字で……と、失礼しました。 ご事情がお有りでしたね。 私たちはこちらの学園国家の所在しております日本国の綾小路家と御園家という家の末娘です。 なので……一応は名家と呼ばれる立場ですけれど、この歳でも結婚も出産もしていませんわ。 この先も……まだ保留ですし、予定もございません。 こういうわけですので、お気軽に接してくださいね? ……あと、御園さんが苦手なようでしたら、先生におっしゃってくださいな。 きっと別の方に」

 

「いつも思ってたけど、綾小路さんってカタッ苦しい話し方するよねー? ねー、お嬢さまってそういうものなのー?」

 

「……御園さんも私と同じような家の方だったと記憶していますが……、と言いますか、これまで何度もパーティーなどでご一緒しましたよね……?」

 

「え? だってうちはお母さんが好きなようにしていいって言うから好きなようにしてるんだよ? お姉ちゃんたちもお兄ちゃんも綾小路さんみたいな話し方してるけど、私は別に怒られないし。 あ、パーティーっていつもおいしいごはん出るから大好きっ! あー、タッパーダメなのが毎回もったいないなーって思ってるのっ」

 

「………………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………」

 

「あり?」

 

綾小路さんともっかい目が合って、無言で軽くうなずき合って、納得した。

 

と同時に短い沈黙が降りたことで、俺がまだほとんど話していないっていうのに気がつく。

 

「……あの。 ええと、綾小路さんと御園さん」

 

「私は沙映! さえでいいからね! 友だちはみんなそう呼んでくるしっ。 さえちゃんでもさえぴょんでもいいよ?」

 

「……私は綾小路で構いません。 もちろん晴代と呼んでいただいた方が……その、婚約者という立場上、何より直人様のご事情的には良いのですけれど、無理はされなくとも結構ですよ。 だって、たった今、こうして軽くおはなししている仲なのですから」

 

中腰のままで疲れないのか分からないけど、御園……沙映さんは、ずっと俺のことをぴょんぴょんとしながら興味深げにのぞき込んでいて、テーブルの上の食器がかたかたと音を立てる。

 

綾小路さんは、さっきまではそれを止めようとしていたけど……俺が落ち着いているからか手を引っ込めて、背筋を伸ばして俺を控えめに見てきている。

 

「………………………………じゃあ、とりあえずで沙映、と、晴代……って、外では呼ばせてもらってもいいか? なるべくそうした方が良いって、美奈子さんからも言われたし」

 

「もちろんだよっ、直人っ!」

「ええ、直人様」

 

………………………………。

 

……今朝まではあまりにいろんなことがあったから、気にならなかったけど……女子に下の名前で呼ばれたのなんて、中学生活でも限られたくらいだったからものすごくむず痒い。

 

大体は「榎本君」……まあ、親しくもない相手だしな、それに他の男子からもそんな具合だったし。

 

……悲しくなんか無い。

 

それもこれも、俺に積極性がなくって距離を置いていたせいなんだからな。

 

と、こんな考えが浮かんでくる程度には、彼女たちと顔を、目を合わせているだけで手汗が出てくるほどには緊張しているんだけど、それは相手、この世界の女子、女性たちも同じらしい……っていうのは、教室を出るときに早咲さんに言われたばかりだ。

 

なんでも、お嫁さん……ないしは愛人、もしくは気まぐれの相手として選ばれなかった女性は、幼いころからほとんど男を直接に見ることすらないとか言うからな。

 

……あの人、ほんとうに頼りになる人だな。

 

いつかお礼したいところだけど……まずは俺が、慣れなきゃな。

 

けど、さっきお兄さんと言っていたし、綾小路……晴代さんはともかく、御園……沙映さんは。

 

「それで、御園さん? 御園さんご自身のご紹介、まだされていないのでは?」

 

「え、そだっけ? してなかった? ……あ、してなかったねぇ。 んじゃね、沙映、実はちょっと前まで海外ふらふらしてたの。 だっておんなじとこにいても退屈じゃん? ってことでー、1年おきくらいにいろんな国の学校行っててー、けどさすがにそろそろ戻ってこないと日本語忘れちゃうし勉強追いつけないよー、いいとこ入れないよー、ってお兄ちゃんにすっごく心配されたから戻って来たの! あ、うちのお兄ちゃんって他の子のお兄ちゃんとかお父さんとは違ってすっごくフレンドリーなの! だからねっ、そんな感じ! よろしくね!! で、直人はどーして今まで」

 

「はーい、そこまでです。 ……御園さん、先生から念を押されたばかりですよね……?」

「あー、そだっけ? ………………………………。 ……ん――……………………あ、そだった、直人のことはあんま聞いちゃいけないんだよね、りょーかいですっ。 ゲンコツやだしー」

 

………………………………。

 

なるほど、このふたりの関係は早咲さんとひなたさん……よりも、なんかこう、クセが強いもんだって思っておけばいいのか。

 

ついでに言えば、沙映さんはふたりで抑えておかないと、うっかりで俺のことを外で話しかねないっていうのも。

 

………………………………ほんとうに大丈夫なんだろうか? 協力者が、この子で。

 

晴代さんは、美奈子さんとか早咲さんくらいには頼りになりそうだけど。

 

ひなたさん……よりも、なんだか危うっかしい感じだし。

 

「……その辺りは追々話し合いましょう。 私の方でも、御園さんとはなるべく時間を取って打ち合わせをしておきますから。 今は顔合わせですものね」

 

「……よろしくお願いします、晴代さん。 俺も、あんまり慣れていなくって」

 

と、こっそりと話しかけてきてくれる晴代さんに、小さく返事をする。

 

……うん。

 

こういう人は落ち着くな。

 

「あ、そだ」

「……まだなにかあるんですか? えっと、沙映、さん」

 

「だからさえでいいってー。 それよりそれより、私たち婚約者ってことにしてるんでしょー? 直人のための演技でー。 なら、綾小路……呼びにくいから晴代ちゃんね、はるよちゃん。 晴代ちゃんははるよちゃんってキャラだからいいとしてー、直人ってどー見ても女の子が大っ嫌いー、な男の子じゃないでしょ? うちのお兄ちゃんくらい……えーっと、自然? な感じでしょ? なら、他の人にはともかく私たちに対して丁寧な話し方っておかしくない? 他の人からしてみたらさ?」

 

「……………………………………………………確かに」

「………………………………それは、そう、ですね……」

 

……もしかして、頭は良い……のか?

 

いや、勉強も運動も平均を行ったり来たりな俺が言っていいセリフじゃないけど。

 

いや、でも、その。

 

会って早々からの話し方が……なぁ。

 

 

 

 

「……では、今後はそのように。 私たちは「事情」があって内密、しかし幼いころから顔見知りではあったという程度の婚約者であって。 呼び方も、下のお名前で。 榎も……直人様も、できる限りふらんくに話しかけてこられるということで、よろしいですか?」

 

「いいと思いまーすっ……この定食おいしいねー」

「はい……じゃない、いい、と、思うよ」

 

方針が決まってからというもの、綾小路さん……いや、晴代さんか。

 

晴代さんがいろいろと決めてくれたおかげで俺自身は特に言うこともなく、すんなりとこれからについてが大体分かった。

 

ちなみに途中から沙映さんは食事に夢中だ。

 

晴代さんと俺のプレートから「もらうね?」って言いながら、ちょいちょい取っていく有様。

 

………………………………お子さまか。

 

「それは良かったですわ。 直人さん、もし今日決めていなかったことについて聞かれたり、対応が必要であれば私……いえ、恐らく沙映……さんでも大丈夫でしょう。 そのまま私たちに連絡をして、問題を投げてください。 そうしたら、私たちのどちらかが対処致します。 ……基本的におひとりになることはないと聞いていますけれど、同じ部屋で住んでいる訳でもありませんし、どうしても私たちがすぐに駆けつけられないこともあるでしょう。 もちろん榎本……あ、ええと、美奈子先生とジャーヴィス先生もご承知のことと伺っておりますので、そちらでも問題ありませんわ」

 

「あ、でも、SP……ガードの人がいつも一緒なんじゃないの? ほら、今みたく。 ……あー、おトイレとかおふろは別かなー。 なら、スマホずっと持ち歩いておいてすぐにおはなしできるようにしておいてー、ものすごーく困ったら思いっきり硬いものに叩きつけたらブザーなるようになってるんじゃなかったんだっけ? 男の人のって。 だからそうしたらいいと思うよー?」

 

「そうですね。 なら問題ないのですね」

 

………………………………。

 

スマホが防犯ブザー代わり?

 

……ひょっとして、ここって男にとって……美奈子さんが言っていたよりもずっと物騒な世界なんじゃ……?

 

いや。

 

………………………………分かっていたこと、だったな。

 

ここが、俺みたいな男にとって、生きづらいことこの上ない世界だって。

 




このふたりが直人くんのヒロインたちです。 ふたりとも、とてもいい子たち……なのですが。


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12話 順応と諦観

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。


 

「……あ。 あとー、なんか言っておいてって言われてなかったっけ? 晴代ちゃん。 先生から。 なんだっけ?」

「……そうでしたね。 ありがとうございます、沙映さん」

 

食事こそおいしかったものの、俺が知っている女子っていう生きものの食べる量じゃなく……沙映さんは俺よりも多い皿を食べ切り、ついでのように俺を見上げる。

 

一方の晴代さんは俺と同じくらいの量。

 

………………………………とりあえず、俺のことをそこまで意識しているとかじゃなさそうで安心する。

 

そんな人たちだから、俺にとっては安全なんだろうな。

 

晴代さんは……どう見ても襲ってくるような人じゃないし、ああいや、怒ったら長刀とかで迫ってきそうな雰囲気はするけど、沙映さんはひなたさんほどじゃないけど精神的にまだまだお子さまって感じだし、せいぜいがほっぺを膨らませる程度だろうって印象だ。

 

……ふたりとも、悪い意味じゃなく、無害っていう意味で。

 

「直人は別のとこから来たんでしょー? だったら着いて行くの大変だし、男の子で高校の勉強してるって言うのってすごいもんねぇ。 だからここについての知識とか勉強とか教えなさいってことなんだっけ? 外からはだいぶ進んだことしてるしねー、追いつくの大変そー」

 

「そうですねぇ、特にうちを含めた数クラスは来年には大学の内容に入りますし。 ……ああ、後日榎本先生や野乃さんに分からないところを教えていただきませんと」

 

お茶をすすりながらしずしずと口にされたその言葉は、高1になって間もない俺にとっては聞き逃せないものだったけど……今は置いておこう。

 

なにせ、まず慣れることだもんな。

 

美奈子さんにもそう言われてるし。

 

と言うか、大学?

 

……俺、高校受験終わったばっかりで楽しい春休み終えたばかりなんだけど?

 

「休み時間とか放課後とかっ。 あ、おやすみの日もそうだろうねー、家族の時間ってことでちょっと広めの個室使えるようになるから、護衛さん以外の人たち気にしないで教えられるもんねっ」

 

「……あ、もちろん直人様がよろしければ、ですよ? 護衛の方にお願いをして、人目を遠ざけたならどこでだっておはなしはできますし。 別にお勉強は求められませんから、もっぱらこちらの環境に慣れていただくためのものです」

 

「………………………………いや。 大丈夫だ、ありがとう、晴代さん、沙映さん。 俺、聞いてのとおり……その、いろいろあって。 何にも分かんないからさ」

 

「だから私は沙映って呼んでって!」

「…………………………ああ、沙映」

 

「……ふふっ。 私はお好きな形で結構ですわ」

 

こうしていると、ここが似ているようでぜんぜん違う世界なんかじゃなく、元の世界の、俺の学校の……「学園」とかに地味に変わってしまっている高校で知り合った女子たちみたいな感覚だな。

 

………………………………そうじゃないのは、視界のあちこちにいる直立不動の兵士さんたちだけど。

 

だからこそ、良くない。

 

許嫁、結婚目前の間柄、家族……っていう設定で通すって美奈子さんに言われているからか、ふたりとも最初のとき以外はかなり距離が近い……いや、沙映さ、沙映は初めから近かったか……とにかくふたりとも距離が、心理的にも物理的にも近いんだ。

 

そういう設定だから怪しまれるのは当然の上で、それでも演技をしなきゃいけないって言うのは分かっているんだけど。

 

でも。

 

……俺が話したことのある女子たちとは比べものにならないくらいに顔を近づけてくるし、俺と話をするたびにどきっとするような笑顔を返してくる。

 

休み時間に他の女子から声をかけられたりしていたときに、さりげなくどっちかは俺に体をくっつけるようにして牽制していたし。

 

……肩がくっつくだけで、髪の毛の匂いが漂ってきて……それだけで俺はキツかった。

 

その上に両腕で軽くでも抱きつかれてきたら………………………………まぁ、その。

 

柔らかい感触が嫌でも分かるんだ。

 

つまり、だな。

 

女っ気の無い小中高生活……高校は1年目でこれだけど……を送って来た俺にとって、これはかなりクる。

 

ふたりからそれぞれ別々の匂い……香水でも使っているんだろうか……が漂ってくるし、それだけで今どっちが俺の側にいるのか分かるようになったくらいだし。

 

………………………………あと、ふたりとも、背はともかく……でかいから。

 

なにがとは言えないけど。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

常識が違えど、男女の価値観が逆であろうと、こういうところは変わらないのか。

 

あいかわらずに、俺の世界の俺の高校だったらまず間違いなくどの学年の男子も知っているレベルだろう美しさと……かわいさ、あとはでかさを揃えたふたりが話し合っているのをぼうっと眺めて俺は思う。

 

………………………………俺、持つんだろうか。

 

彼女いない歴イコールな人生を送って来た、どこにでもいる男……だった、俺が……こんな子たちに囲まれて。

 

…………………………………………………………………………………………あ。

 

そうか。

 

この世界の……貴重な男っていう伴侶を得られない99%の女子、女性にとって……俺は、そういう気分にさせられるもので……そういう存在なんだ。

 

たとえ顔も体つきも頭も平凡であっても、男という、ただ、それだけで。

 

誰もいない密室にでも入ったら、理性が負けて襲ってしまいたくなるくらいの存在なんだ。

 

 

 

 

「……直人様? 今晩は何に致しましょうか。 この前お好きだとおっしゃっていましたイタリアンに致しましょうか?」

 

放課後になって、……あれから少しが経ち、勇気があって、かつふたりと護衛さんたちのアイコンタクトで俺に近づくのを許された女子たちとの会話が途切れた瞬間を狙って、やっぱり制服を着ていても着物を着ているような印象の晴代さんが近づいてきた。

 

「あ! 私はなんでもいいよ! でね、昨日寝る前……うわっとと、えと、夜更かしして起こさないようにーって別の部屋行って映画観てたんだけどねっ! ……ふー、それ超おもしろかったんだー、きっと直人もおもしろいって思ったから、今夜3人で観ないかなーって思って!」

 

……こっちの方は完全に、何も考えずに突撃してきて、俺のうなじに柔らかいものを押し付けつつ上からのぞき込んでくる沙映さん……、沙映。

 

………………………………この子、婚約者って立場にならなくてもなんやかんやでゼロ距離な気がする。

 

誰に対しても……俺が男とかそんなのは関係なく、わざとじゃなく、あくまでも普通のこととして。

 

……ああ、仲のいい兄さんがいるとか言っていたし、そのせいだろうな。

 

だけど、これ、念のためにだけど…………わざとじゃないよな?

 

…………………………………………………………………………。

 

いや、さすがにそれだと護衛の人たちに怒られるからしないか。

 

しないよな?

 

……それに、こんな裏の無さそうな子が腹黒いだなんて、思いたくもないし。

 

そんな、牽制だろう嘘の会話をしているふたりを見て、女子たちが少しずつ離れて行く。

 

………………………………。

 

カバンに荷物を……ノートとプリントだけだけど、を詰めているあいだに聞こえてくる、姦しい女子たちの声。

 

前の方では晴代さんを中心に、おとなしめ、上品な感じの女子たちが料理の話題でクスクスって感じに盛り上がっていて。

 

後ろの方では、そもそも俺に興味が無いような女子も含めて、……体育会系?な感じの女子たちが、あーでもないこーでもないって感じの話を繰り返し、とにかくに笑っていて。

 

それは、俺の知っている放課後の居室とは雰囲気がまるで違うもので。

 

「……皆様、申し訳ありませんが、そろそろ私たちはお暇致します。 さあ、直人様」

「そだねー、部屋に戻ったらまずおやつだもんねー。 今日はなんだろねー、直人っ」

 

カバンを閉じると共にふたりから同時にかかってくる声で、今日の学校……いや、学園になっていたか、での放課後はおしまいとなり、俺は教室を後にするっていうスケジュールになっていた。

 

部屋……もちろん俺の個室、いや、やたらと広いアパートって感じだけど、そこじゃなくて、「家族」な男女に与えられるダイニングみたいな、応接室みたいなところへ向かうことになるそうだ。

 

そして夕飯までを3人で一緒に過ごしたら個室の前まで送ってもらい、そこでお別れ。

 

そういう流れを、これからずっと続けて行くんだそうだ。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

もしかして俺、もう死んでいて…………………………ここは天国なんじゃないか?

 

この都合の良い、良すぎる状況を正当化するための小難しい状況設定は、俺にそれを気づかせないためのものであって。

 

あるいは、走馬灯の代わりに都合の良い妄想を見ているだけだったりするのかもな。

 

……死因はさっぱりだけど、そんなものは今となってはどうだっていい。

 

だって、女子ともお近づきってものになったことさえないこの俺が……一人称だって、高校に入ったからついでで「僕」から「俺」になんとか変えるっていうしょうもない見栄を張るくらいしかできなかったこの俺が、学校中の綺麗どころを集めたようなクラスに男としてひとりで入ることになって、特に綺麗な女子ふたりに起きているあいだじゅう構ってもらえて。

 

女子が好きそうな話も知らなくて、できなくて、話しかけることすらできなかったから連絡を取る女子もいなかったのに、ここではとにかくにモテて。

 

何をしても好意的に受け取ってもらえて、笑顔を向けてもらえ……甲斐甲斐しく世話を焼いてもらえて。

 

ほとんどの女子が俺に好意を寄せてくるし、それを隠そうともしないし。

 

なんて答えたらいいか分からないから曖昧にごまかしても怒られたりはしないし、機嫌が悪くなるっていうこともない。

 

気の利いたセリフを思いつけなくても、何も言わなくても、ごきげん取りさえしなくても……凡人の俺が、ここまで無条件にモテて。

 

オマケに俺が望むのなら、いつでもハーレムいいぞって太鼓判押されていて。

 

冗談半分で美奈子さんに聞いたら、クラスどころか学校の8割以上はフリーだとかとんでもな状況らしくて。

 

元の世界の、……本物の母さんや知り合いと会えないのは寂しいし、あっちは今ごろどうなっているんだろうとかも思うけど。

 

でも、本物の母さんを若くしたような美奈子さんもいるし、家族扱いしてくれているし、本物の母さんよりもぜんぜん優しいし。

 

フロア……俺の個室は男用の特別なところだったらしい……は違うけど、建物自体は同じところで寝泊まりしているから、母さん、それに他の先生たち……ローズ先生とも、俺が頼めばいつでも顔を合わせられる。

 

下手をすれば、残業とか部活の顧問で家にいないことが多かった母さんとよりも、一緒にいることが多いくらいになりそうだ。

 

……部屋を汚くするほどに私物が無いっていうのもあるけど、きっと散らかしっぱなしでも誰からも怒られることなんてなくって、寝る時間も起きる時間もある程度好きにしていい始末。

 

聞くところによると、勉強すらする必要もないらしい。

 

なんなら授業を受ける義務もないんだとか。

 

「男」は。

 

それでもって、映画もゲームもマンガも本も望めば好きなだけ、すぐに用意されるっていう、正に天国な環境だ。

 

やっぱここ、天国なんじゃないか?

 

天国だろうな、きっと。

 

だって、ここは夢みたいな世界。

 

何不自由ないどころか身に余るほどのものを、知り合うすべての人から与えられるんだから。

 

そう思うと、思わずで顔がにやける。

 

きっとだらしない顔、俺、しているんだろうな。

 

そう、思う。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

けど。

 

んなわけは……ないんだろうなぁ……。

 




いきなり生えた「婚約者」な女の子ふたりとクラスの女の子たちに囲まれて、外から見たら喜んでいるように映る直人くん。 ですが彼は、普通のメンタルを持っている男の子です。


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13話 葛藤

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。


 

………………………………あれからしばらく考えてみた。

 

幸いに俺がひとりになりたいって言えば放課後は帰宅部ができたし、なんならダラダラ菓子を食べながら適当なドラマでも観てぼーっとする時間も充分にあった。

 

だから、こうしてだらしない格好でテレビを観ながら菓子を食ってごろごろしている俺だけど、頭の中じゃ理解しているんだ。

 

ここにいて、俺を好きだって気持ちを隠そうともしない女子たちは、みんなかわいくて、金持ち……名家、それもいろんな国からの、ってやつの子で、優しくて、俺が引かない程度に積極的で、誰かひとりを選ばなきゃならないどころかむしろ気に入ればどんどんハーレムしろってなっているし。

 

こうして挙げてみるとどんだけ都合がいいんだって思うけど、実際にそうなんだからしょうがないよな。

 

ああ、しょうがない。

 

……やはりここは天国。

 

男の俺にとっての楽園だ。

 

そのはずなんだ。

 

………………………………。

 

だけど。

 

なんとなく、分かるんだ。

 

俺はもう、あっちに戻ることはできない。

 

仮に戻るとしても、それはきっと……ここに来たときのように、気がつかない内に戻っていて。

 

戻ったらきっと、母さんにどこ行っていたって引っ叩かれる程度。

 

そうしてここでの全ては夢だったってことで終わって、遅れた勉強やらなんやらで終われる、これまでの日々が続くんだろう。

 

だから、それまではここを満喫するしかないし、周りのすべての人もそれを望んでいる。

 

……俺だって健全な男子高校生なんだ、だったらこの妄想みたいな世界、――――――ええと、世界の人口が10億人、その中で男はたったの500万人、そのうち小学生以下と枯れた年寄りを除けば……つまりは生殖可能年齢って部分だけなら、たったの100万だったか? ……多少は間違えて覚えているかもしれないけど、大体そんな感じなんだ。

 

さらにさらに、この国ではたしか2、3万人しかいないらしい「生殖可能な男」っていう、ただ生きているだけでもありがたがられる存在のうちの新しいひとりとして、夢としか思えない生活が待っているんだ。

 

そう、俺が望むなら、スマホで連絡を取って……あのふたりと、すぐにでも思い通りのことをさせてもらえるくらいの。

 

勢いで、あのクラスの8割の女子みんなをこの部屋に呼んで……好きなことをしても、怒られるどころか感謝されるくらいの。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

最高じゃ、ないか。

 

だったらもう、ハーレム天国な世界、満喫するしかないじゃないか。

 

なぁ?

 

………………………………。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

――――――――――――――――――――なんて思うだなんて、あり得ない。

 

そんなこと考えてすぐに順応できるヤツは、よっぽどに頭お花畑なヤツか、下半身の欲望に忠実過ぎるヤツか、なにからなにまでお膳立てされてかわいがられても嬉しく感じられるネジの吹っ飛んだヤツか、それとも何か、ヒモになって日がな一日遊ぶ人生でも平気なメンタルを持ったヤツか。

 

さもなくば、これのぜんぶを兼ね備えた究極のバカしかいない。

 

そんな完全なるバカじゃなきゃ、こんな状況……手放しに喜べるはずが無いんだ。

 

できれば俺もそんなバカでありたかった。

 

こういうときにだけムダに常識が邪魔するんだからな。

 

……だって、そうだろ?

 

気分が沈みそうになるときにはあえてさっきみたいに煩悩に頼ってはみるけど、それでもやっぱりキツい。

 

たぶん頼めば……というか酒が入った冷蔵庫が用意されている時点で、この世界の成人にはとっくになっているわけで、だとするとなんにも考えなくてもよくなるっていうアルコールに頼ることもできる。

 

そのアルコールの勢いっていうものに頼って、理性を飛ばして……ってことができるはず。

 

酒池肉林、酒を浴びながら何も考えず、うまい料理を毎日楽しみ、よりどりみどりの女子たちに囲まれて勉強も就職もせずに、俺の「この世界の男としての義務」という理想郷を楽しむことだってできるんだ。

 

………………………………だけど、それが解決になっていないっていうのにも気がつける程度には、俺は正気だ。

 

どっかで聞いたことがあるように、周りが女だらけっていう環境は……夢見がちだし実際にこの夢のような世界でもそうだろうけど、キツいらしい。

 

男の、精神的に。

 

幸いにして、ここではマイナスの感情に巻き込まれるどころかまぶしすぎるプラスの感情で困っているっていう、きっと贅沢な悩みではあるんだろうけど……それにしたって、周りがほぼ女で男は見かけないっていうのが当たり前な状況がずっと続くっていうのは、つらい。

 

ニュースで目にしたことがあるような共学になったばっかりの元女子校とかとは違って、ここには……先生ですら男はいない。

 

もちろん用務員さんたちも全員女。

 

数少ない男子生徒も、あくまで在籍しているだけという建前だという。

 

だから当然にして、できるだけ人目を避けるようにとはされているけど、それでも他のクラスの女子と廊下をすれ違ったりすることはあるし……品定めされるように、じっと、立ち止まられて見られるんだ。

 

それは、このクラスの女子たちも同じ。

 

控えめか大胆かっていう違いしか無い。

 

もちろん、俺が恋愛とかに積極的じゃない性格っていうのも、女性に慣れていないっていうのもあるんだろうけど、それにしたって……出会って数日の女子たちから痛いほどの恋愛感情でさえない憧れの気持ちや珍しさ……そして、自分の将来、結婚相手が男だっていうステータスと……こどもが欲しいっていう無言の視線を感じて、嬉しい気持ちになれるはずがないんだ。

 

俺は、それで喜べるバカじゃないからな。

 

そんて喜べる大バカだったらどんなによかったか……きっと、今ごろはもう何人も囲って、こうしてひとり寂しく過ごすんじゃなく、なんにも考えずに囲まれているんだろう。

 

酒池肉林をして。

 

けど、…………………………あの子たちが見ているのは、「俺自身」じゃないから。

 

俺っていう、特殊な事情でまだたったふたりのお嫁さん……それもまだ婚約者しかいないっていう男。

 

男性という生きものの、下半身だけなんだから。

 

 

 

 

分かってはいる。

 

何度も何度も考えたんだから。

 

この状況が正反対になって、男が多くて女が少なく、それで俺はその男の中のひとりで、さらに突然クラスに相手がふたりしかいない女子が入って来たら……俺だって、きっと、同じような視線を向けるだろうってことに。

 

だからしょうがないことなんだし、美奈子さんたちに守ってもらえているこの状況はずっといいものなんだっていうことにも。

 

……ああ、うだうだ考える俺自身が情けない。

 

けど、こういう性格じゃなきゃとっくに元の世界でもいくらかは女慣れしていたわけで。

 

………………………………品定めされる方っていうのはキツいんだな。

 

何がキツいって、視線がキツい。

 

晴代さんと沙映でさえ……美奈子さんが選んだだけあってそういうのはほとんどないけど、それでも俺のことは、きっと「男という生きもの」っていうカテゴリーの中の「相手がいないっていうものすごく珍しい生きもの」でしかないだろう。

 

ああ、いや、あの沙映はどうか知らないけど、でも、たぶん。

 

押しが強くない、それだけでもありがたいことではあるし、さりげなく守ってくれているからありがたく思わなきゃなんだろうけど。

 

……だけど、こういうのを感じて今日みたいに参っているときに癒しになるのが、視線が合う女子のみんながみんなそうだってわけじゃないってことだ。

 

それだけが、唯一の救いだろう。

 

――ひとりめは、俺を見つけてくれた恩人……変な輩とやらに連れて行かれる前に起こしてくれて美奈子さんたちを呼んでくれたひなたさん。

 

あのちびっ子、……いや、背が低いからこそ倒れている俺を見つけられたのかもしれないしな。

 

ああ、どうしてあの日、あの時間にあの校庭に出てきて俺を見つけられたのか、聞くのを忘れていたな。

 

とにかく、今でも変わらずに中学生……下手をしたら小学生にしか見えないけど、それが逆に俺を安心させてくれる。

 

基本的にひとりでいるところを見かけることはなくって、だいたいは早咲さんや他の女子たちと一緒……というか子守をされている感じだ。

 

で。

 

もちろん、ものすごくこどもっぽいっていうのもあるんだけど、それ以上に安心できる情報がある。

 

なんと……あの見た目と中身ですでにお相手がいるらしいって、軽いノリで聞かされたときには本気でびっくりしたし、この世界の常識が違うんだって改めて実感させられた。

 

ま、まあ、この世界で16にもなれば相手がいるならいる、いないなら恐らくずっと独り身、あるいはそうでなくても女性同士でくっつくっていう流れらしいしな。

 

女性同士でこどもが産まれる世界なんだ、当然の流れなんだろう。

 

女性ひとりで産んで育てるっていうのも多いそうだしな。

 

………………………………ひなたさん、どう見てもこどもなのにな。

 

っていうのは、俺の世界の価値観のせいなんだろうな。

 

だって、13とかでもう……その、するっていうのが当たり前の価値観なんだもんな。

 

それこそ、大昔にタイムスリップしたかのように。

 

俺にその気は無いけど、男の、俺の世界の男たちの価値観で考えてみると……肉食獣ばかりなところに明らかな子鹿がいれば、そりゃ気にはなるんだろうし、相手にもしたくなる。

 

だから、女子であってもひなたさんみたいな子は人気があるだろうな。

 

……こんな憶測はどうでもいいけど、おかげでひなたさんに限っては密室でも襲ってくる心配がゼロってのは何よりも大きい。

 

そういうわけで、ただでさえ安全だって思えるひなたさんはさらに安全になって……必然として、俺から話しかけられる数少ない人のひとりになっている。

 

――続いてはひなたさんとセットな早咲さん。

 

いつも視線はひなたさんに向いているし、それなのに初対面のときからなにかと俺のことを気にかけてくれるいい人だ。

 

こっちの常識とかはだいたい早咲さんがすりあわせしてくれるし……晴代さんや沙映とは違って、ずれているって気がついてから教えてくれるんじゃなく、ひょっとしたらこれも違っていたりする?って感じで、まるで別の世界を知っているかのように、異文化を察知するって感じなんだろうな、つまりは気配りがものすごく上手な人。

 

きっと沙映みたいにいろんな国で暮らしたことがあるんだろう。

 

……なぜか初めから男装、というか男子の制服を着ていたりして最初は驚いたけど、聞けばこっちではよくするものらしい。

 

…………男女が逆転しているんなら女装って印象なのかと聞いてもみたけど、そうでもないとか……そこのところは説明を上手く飲み込めなくって、正直よく分からなかった。

 

初めのころ、男子がいると思ったら女子だったとかっていうのがあってどういうことなんだってもやもやしていたのはこれが原因らしい。

 

俺が勝手に思い込んで、勝手に落ち込んでいただけなんだけどな。

 

早咲さんと言えど、その辺りは完全に常識が違うから気づけなかったんだろうなぁ……。

 

学年主席とかスポーツ万能とかとんでもない噂ばかりだけど。

 

あ、あと、大切なことがひとつ。

 

……失礼なんだけど、早咲さん、ひなたさんほどじゃないけど胸が控えめだから無意識に目が行かない、男装……男子の制服を着ている姿しか見たことがないから肌や体のラインの露出っていうのがまったくないから……静かな雰囲気も合わさって、他の女子たちに比べると「女」っていう意識が薄くって、女子のクラスメイトっていうよりは女子に囲まれている中性系美男子な距離感なのは、すごく大きい。

 

大きくないっていうのが、すごく大きいんだ。

 

………………………………いくらこの世界でも胸の大きさは女性の命だ、さすがに怒られそうだな。

 

絶対に口にしないでおこう。

 




 直人くんがナイーブなわけではありません。いきなり似ているのにぜんぜん違う世界に放り出されて、自分が都合のいい話の主人公みたいな環境におかれ、ただひたすらにもてはやされる……それに戸惑い苦しんでいるだけです。


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14話 Turning Point

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。


※今回は少々ご注意の必要な表現があります。あらかじめご了承ください。


 

――さて、どう見てもこどもなのに結婚相手……もう結婚しているのか婚約とかなのかは聞き忘れたけど、とにかく決めた相手がいるし、そもそも無垢って印象しかないひなたさんと、いつも落ち着いているし気が回るし……あとは上手くは言えないけどなんだか「女」って感じがしない早咲さん。

 

――それに加え、俺の母さんの若いころの写真そっくりで……こちらは結婚していて……お子さんはいないらしいけど……そう言っていた美奈子さんに、同じく既婚者らしいローズ先生。

 

まあ母さん……美奈子さんは、もういない父さんみたいにああいう厳しい感じの女性が好みな男……いや、それ以前に美奈子さんみたいな人は同性に人気があるんだし、ローズ先生に至っては説明する理由もない。

 

それにここではほとんどの女性は独り身か女性を伴侶にするんだ、いちいち考えても仕方が無いだろう。

 

そう思っていたからこそ、それを聞いてもそこまで驚かない俺がいた。

 

で、この4人……この世界に来てからずっとお世話になって今でもなり続けている彼女たちしか、俺にとって気の休まる相手っていうのは、このトンデモな世界には、いない。

 

晴代さんや沙映は、俺が気に入ればっていう前提ではあるものの結婚相手として選ばれているわけで、隠してはいるけどやっぱりなんとなくそういう雰囲気は感じる子たちだしな。

 

いや、俺なんかにはもったいなさ過ぎるくらいの見た目と性格と立場の人たちなんだけどな……さすがに完全に警戒を解くっていうのはできないんだ。

 

俺は据え膳を、っていう性格じゃないんだし……そもそも女子との接し方すらいまいち分かっていないし。

 

彼女どころか、いい雰囲気まで行った女子さえいないまま高校生になったこの身を舐めないでほしいところだ。

 

ということで……ちょうど終わった、モブの大半が女性で「ヒロイン役」の何人かが男っていう不思議なキャストのドラマ、ついでに言えば展開もオチもいろいろと感性が違いそうなものから目を離し、レストランとかにある羽が付いてくるくる回っているインテリア付きの高い天井を見上げつつ、思う。

 

……この世界で、俺が安心できる相手は、あの4人と、滅多に外に出ないという男たちと……既婚者な女性だけなんだな、って。

 

あ、あとはあの兵士さんたちもだろうか。

 

……いや、あの人たちのことはよく知らないし、やっぱり安心し切ることはできない。

 

で、この俺だけど。

 

――――このまま帰ることができなければ、たぶん、一生……暢気に出歩くことすらできないだろう。

 

例えばひとりで下校してコンビニで適当なものを食べながら帰ったり、休みの日に適当に駅前をぶらついたり……なんて、な。

 

どこをどう歩こうとも、治安の悪い国の夜の繁華街をひとりで出歩く女性、っていう状況がぴったりだしな。

 

笑えもしない。

 

一夜にしてこんなところに放り込まれて、人前ではなんとか慣れたって顔しているけど……やっぱ、気持ちはムリだよな。

 

少なくとも、俺にはムリだ。

 

よっぽどのバカじゃないんだから。

 

………………………………。

 

……ふつうの相手と、ふつうに話して、ふつうに生活する。

 

それが、こんなにも貴重で、あっけなく持って行かれるもんだとは……思ってもみなかったよなぁ……。

 

 

 

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

ん。

 

……夜中か。

 

寝る前までずっと考えていたから眠りが浅かったのかな。

 

少しばかり……そう。

 

ちょっと慣れたからこそ、逆に、いろいろと考え込んでいたもんなぁ。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

ぎし、と、変な音がする。

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

……あれ?

 

両手がバンザイしていて両脚は大の字っていう妙な寝相をしていたのに気がついて、肩でも凝ってたのかな、なんて思いながら下げようとしたけど手が動かない。

 

……動かないんじゃない。

 

動けないんだ。

 

軽く動かすと、カチャカチャという金属音が頭の上から聞こえてくる。

 

………………………………手錠!?

 

いや、……そんな、まさか。

 

俺は何も悪いことなんて……じゃない、ここは俺の世界じゃないんだ、だったらどうして。

 

………………………………………………………………。

 

軽く手脚を動かす。

 

頭の上からと同じように、下からもカチャリという金属の音がする。

 

………………………………足首も、そうらしいな。

 

カチャカチャガチャガチャとは音を立てるものの、肌に触れている部分はゴムか何かでできているのはまだマシ……だけど、とりあえず身動きが取れないのが不味い。

 

肩や脚のつけ根から引っ張られているって感じじゃないけど、肘とか膝を曲げられない程度には伸ばされているっていう絶妙な状態。

 

目が覚めたのも、布団をはぎ取られていたからっていうのと……窓が、開いているのとで、冷たい空気が体を冷やしていたからだろう。

 

それにしても俺は……どうしてこうなる、いや、こうされるまで起きなかったんだ……?

 

ぐるぐると頭が回る。

 

そのついでに……俺がこっちに来たばっかりのことも思い出される。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

嫌な。

 

嫌な、考えが昇ってくる。

 

それを打ち消そうと、どうにかしてこの状態を……暗いからほとんど何も見えない中で、何とか考える。

 

手脚は、それなりにきつく伸ばされている。

 

少なくとも姿勢を……仰向けな今のこれを変えられない程度には、拘束されている。

 

少し力を込めてみたけど、まず肩が痛くなってムリだと分かる。

 

痛くはないけどすき間がないように止められている4カ所は、手首と足首を回すのも難しい。

 

すっかり冴えた頭と寝ていたから暗いのに慣れているはずの目で見回してみるけど、分かるのはうっすらとした……寝たときにみていた寝室の景色と、開いたままの窓から入り込んでいるカーテンのすき間からこぼれてくる薄い月明かり。

 

音も当然にしない。

 

するのは、カーテンがはためく音だけ………………………………いや。

 

それだけじゃない。

 

誰かの……ふたり以上の誰かの声が、聞こえる。

 

遠いところにいるのか、話しているのが分かるっていう程度のものだけど……最低でもふたりの人、もちろん女の人たち、が、俺に与えられた部屋にいるっていうのは、分かる。

 

つまりは、侵入者っていうことで。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

恐怖。

 

それを、感じる。

 

――――――――――――こわい。

 

気がつけば手のひらも足の裏も汗ばんでいて、息も荒くなっていた。

 

ダメだ、落ちつけ。

 

ふぅっ、と息を吐き、何回かの深呼吸で心を落ちつけよう。

 

相手が誰なのか、何をしようとしているのかが分からない以上、そしてなによりも身動きが一切に取れない以上、俺が起きたっていうのがバレたらまずい。

 

顔を見られたからには……っていうのはよく聞く話だ。

 

だから、無理やりにでも息を抑え、できるだけ耳を澄ませる。

 

……とりあえずは寝たふりをしておこう。

 

俺を起こすわけでもなく、どこへ連れ去るでも危害を加えてくるわけでもなく、こうして縛ったまま放置しているんだ。

 

まだ、ただの泥棒っていう可能性もないわけじゃない。

 

………………………………そう、あってほしいんだから。

 

「………………………………おい」

「………………………………っ!?」

 

と、足音と共に声が急に近づいてきて……どう考えても俺の方に向けた声が振ってくる。

 

起きているのが、バレたのか!?

 

もう!?

 

息を抑えていてもだめだったのか!?

 

「……おい、聞いているだろう。 どうするんだ、ここまでやったからにはもう引けねぇぞ」

 

「………………………………っ!」

 

「……はぁ――……、分かってるわよ。 覚悟はとっくに決めていたでしょ。 あんたも、あたしも」

 

………………………………。

 

知らない声……だと思う。

 

女……俺と同年代か少し上っていうのが分かる程度だけど、たぶん。

 

で、………………………………寝室の入り口に入って来た辺りで立ち止まり、ぼそぼそと話し続けている。

 

……犯人が複数、それも何かの相談をしているだけか。

 

俺が起きているのは……バレていたら立ち話なんてしないだろうし、大丈夫だろう。

 

そうなんだけど………………………………ま、当然女、だよな。

 

でも、俺だって男だ、肉体的には……鍛えている方じゃないけど、このふたり……またはもっと多く、がバラバラに来て、しかもこうしてがんじがらめにされていなきゃなんとかできる、かもしれないのに。

 

せめて、上下に引っ張られているんじゃなくって、映画みたいに両手両脚が縄や手錠で繋がれている程度なら、隙を見て……っていうのも不可能じゃないのに。

 

…………………………いや、さすがに作りもんと現実は違うって知っているけどさ。

 

でも、全く動けないのとちょっとは動けるのとはぜんぜん違うし……それにしてもどうしてこいつらは、俺のことを。

 

「――――――――――――まーだビビってんのか? そんなんなら私が先にいただいちまうぜ? 保護された身元不明の男ってトクベツもんの最初のをよ? ま、ハジメテなわきゃないから、精々が何日か分の濃い奴ってところだろうが」

 

「………………………………………………………………別に。 最初と2番目と、たいして違わないでしょ。 量が多いか質が高いかの違いだけだったはずよ」

 

「……あー、脚震えてんぞ。 普段は威勢が良いのによ――……。 ………………………………あーあー、分かった分かった、私がしてるの見て次を真似しろって。 男と直接にした経験ないと、どーしてもビビるもんだもんなぁ。 分かる、分かるぞぉ? 映像とか紙でしか見たことないもんなぁ?」

 

「うるさいわね、さっさとしなさいよ。 ……あんまりもたつくと、彼、起きちゃうでしょ」

 

――――――――――――――――――――――――………………………………。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

そ、っか。

 

そう、だよな。

 

この世界では、金よりも何よりも……自分のこどもを得るための種を持つ、男っていう種族が「高価なモノ」。

 

そんなのは、こうして目を覚ましてからちょっとしない内に分かっていたはずだもんな。

 

分かってはいたんだ。

 

……いずれ、こういう目に遭うからこそ警護をつけてくれたんだし、どこの誰とも知らない年寄りの元へ連れて行かれるからって、だから、って。

 

………………………………。

 

「難しいもんじゃないんだけどなー、男相手って。 女相手の方がよっぽどに難しいしなー、雰囲気とかさぁ。 ま、したことないんじゃーしょうがないか。 いつもの自慢はどうしたんだか」

 

声の大きい方……たぶん年上の方なんだろう女の声が、足音と共に近づいてくる。

 

「薬さえ……役得だから口移しで飲ませてやりゃ、ほんの2、3分で男の方からがんばってくれるようになっているしなぁ。 意識もちょうどベロベロに酔った具合で、だけど体はゲンキそのものって感じ? あー、お前と組んで正解だったわ。 やりぃ」

 

……いや、待て。

 

たしか、警備の人たちはかなりいるって聞いている。

 

それは当然に……ローズ先生があれだけの人たちの指揮を執ってくれている以上、そうかんたんに破れるものでもないし、たとえ穴があったとしたって、そんなに長い時間じゃないはず。

 

俺さえ……薬って言っていたからものすごく不安だけど、それに耐えさえすれば、こいつらが不用心なおかげで開きっぱなしの窓にも気がついてくれるはずだ。

 

それに――――――――――――。

 

「……声だけは気をつけてよ? い……ただいて、連れ出してからが本番なんだから」

 

「大丈夫だって! 言ったろ? ………………………………最高責任者とやらのツテで、絶対にバレないんだって、よ」

 

――――――――――――――――――――――――………………………………。

 

最高、責任者?

 

それはつまり、俺は。

 

この学園そのものから見放された……売られたって言うこと、なのか。

 



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15話 諦めと、その先の――――――――――――――

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。

14話までに多少の時間が過ぎています。それは直人くんが、変わらずに常識的なうじうじをしているあいだに過ぎ去ってしまった時間です。※今回も表現にはご注意を。もっとも、最後には……。


 

………………………………。

 

俺の、すぐ近くまで来ているらしい……もう、この後に起きるだろう未来が手に取るように分かって目も開けるのが嫌になったし、耳もふさぎたいけど……女が、聞きたくなかった言葉を落としてくる。

 

「その協力者って……ほんとうに大丈夫なんでしょうね? あたし、言ったでしょ? ここでやるなんていうリスク冒さないで、先に連れて行って安全なところでって。 まぁ、そりゃ」

 

「だーいじょうぶだって……しっつこいな。 あ? 言ったろ、どんだけ声出しても大丈夫なんだって。 なにせ、警備もみーんな、この1時間だけ別の方面に集中させるように……って手配なんだから。 それにあっち連れてったら私たち、まずおあずけだぞ? 少なくとも数日は。 お偉いさんたちが楽しみ尽くして、すっかりやつれたころになってありがたくお裾分けだーっつって、元気ない状態でしか楽しめねぇよ」

 

「………………………………そりゃあ、そうだけどさ………………………………」

 

……もう、大声を上げたらっていう望みもなくなった。

 

だって、そういうことだもんな。

 

上がグルになっているって言うんなら、もう、どうしようもないんだもんな。

 

美奈子さんだって言っていたじゃないか。

 

俺を秘密にしておけるのなんて、せいぜいが数日。

 

それで、その数日なんて……だらだら過ごしているうちに、とっくに過ぎている。

 

こっちに来たばかりだから俺のことを気にかけてくれてしまったあの人たちと、なによりも、次に眠ったら元の世界で母さんに叩き起こされて、これが妄想に近いただの夢だったんだって思えるはずだ。

 

………………そう、思い込みたかったから、無駄に何日も過ごしてしまったんだ。

 

初めから……俺がここに来てからすぐに教えられたじゃないか。

 

いずれ……もたもたしていると、すぐにでも俺って言う「フリーの男」を嗅ぎつけてくるヤツがいるって言うのを。

 

………………………………それが、金や権力がある順に来るんだって言うのを。

 

そうだ。

 

最初っから分かっていたんだよ、俺は。

 

なのに、俺はずっとうじうじしていて……これまでを、俺の世界の常識っていうものをどっかで引きずったままで、せっかくのみんなの好意も受け入れ切れずに過ごしていて。

 

なんにも考えず、バカみたいに……男としての欲望に忠実になって、俺でもいいって言ってくれていたあのふたりと、早く一緒になっておけば。

 

冗談交じりに何度も言われた、とりあえずどちらかを部屋に招いたら、って。

 

少なくとも、こうしてひとりで部屋にいるようなバカな真似はしないでおけば。

 

……どこを、どう間違ったらそうなるっていう、俺に取っちゃ出来の悪い設定としか思えないような、もうよぼよぼの爺さんたちの時代に始まったっていう、男の極端に少ないっていう世界。

 

晴代さんたちからの補習で、歴史を教えてもらって知ったじゃないか……ほんの何十年か前の、まだ遺伝子技術も進んでいなくって、どうしようもないって賢明にも気がついたこの世界の過去の人たちが、「人類絶滅」っていう意識の元に……俺でも知っているような大きな戦争が、途中で終わったっていうのを。

 

沙映でさえ知っていたように、人口を維持できなくなってくっついた国や地域……なくなったそれまでがいくつもあるっていうのを。

 

ここは、そういう世界なんだ。

 

あの人たちは、親切にもそれを隠すことなく教えてくれていたんじゃないか。

 

男ひとりが女100人を相手にしても、まだまだぜんぜん足らないんだって。

 

人工授精の技術がなけりゃ、今ごろは男の取り合いで泥沼の戦争すら起きていたんだっていうのを。

 

それでもなお、この世界は100年後には数えられるくらいの国しか残らないだろうディストピアだってことを。

 

「んじゃ、悪く思うなよー? ……なんだっけか、監禁されていた? それともなんかのビョーキで隔離されてた? あるいは事情ありありの隠し子? だっつうんだから、下手したらハツモノかもしれないなぁ!? いいか? もらっちまうからな??」

 

こんなところに……身寄りも無しに着の身着のまま来てしまった俺は、そのうちにどうなるのか、なんて、分かっていたんだからな。

 

こんな世界……丸ごとを相手にして俺を守り切るだなんて、その力も気概も、個人じゃどうしようもないものだって。

 

だから、もしかしたらローズ先生たちも、今ごろは俺がこんな目に遭いそうになっているってことにすら気がついていないのかもしれない。

 

あるいは妨害に遭って、分かっていても手出しできない状況なのかもしれない。

 

………………………………それとも、単純に気が変わって。

 

自分の危険と俺の身とを考えて……当たり前だよな、自分たちの生徒ですらない赤の他人だもんな、そんな俺っていう厄介ごとをさっさと引き渡した方がいいだとか、売った方がいいだとか……どうでもよくなったとか、めんどうくさくなったとか。

 

それとも、俺のことを知った最高責任者とやらのツテ、っていうのから脅されて引いたか。

 

いずれにしても、何回か会っただけの厄ネタってやつでしかない俺は、彼女たちにとってはその程度の存在なんだ。

 

そんな俺を命がけで守ろうとする、意味がないもんな。

 

「……はい、はい、あたしたちの方は万事滞りなく。 ただ、予想されていましたようにセキュリティーが強固で……、はい、もう数十分で対象の寝室へ侵入できるかと。 ええ。 万が一にでも起きないように慎重に進めておりますので、それまで陽動の方を……」

 

………………………………美奈子さんだってそうだ。

 

あの人にとっての俺は、息子じゃなくなっていて、ただの……自分や親戚の誰かと顔が似ている程度の、違う世界では息子だと言い張っているだけの男子生徒で。

 

いくら生徒想いだとは言っても、個人じゃ限界があるはずだ。

 

……脅されて、本物の……こっちでの本物の家族と、家族だと言い張っている男、どっちが大切かって聞かれたら、言うまでもないもんな。

 

ああ………………………………分かっていたんだからな。

 

俺は、バカになれないバカだったんだって。

 

「……ふぅ。 あっちは手はず通りみたいよ……ってちょっと!? 見とれてなんかいないで、さっさと始めて終わらせてって! 薬飲ませたらすぐなんでしょ!?」

 

「焦るなーって。 作戦通りじゃ、私たちまだ外にいることになってるし、お前もそう報告してくれただろ? ……こいつはこの通り、まだ寝かせたままだしな。 調べた限りじゃ、こいつ、こっちに来てからはまだ誰の相手もさせられてないはずだし、何十回だろうと平気なんだからさ。 ……にしても、感心するほど特徴も無いフツーの面構えだな。 ま、男は顔よか1日に何発」

 

「……下品なのは嫌い。 いいから、さっさとなさい」

「その下品なこたーしようとしてんじゃねぇかよ」

 

ああ。

 

……もう、いい、か。

 

どうでも。

 

自由がないって言ったって、これが男女が逆……俺が痛い目に遭わされてずっとこどもをこの体から産まされ続けるわけでもないんだ。

 

あくまで、気持ちよくなり続けるだけの……相手次第じゃ目はつぶっておいた方がいいだろうけど、とにかく肉体的には快楽しかない未来なんだ。

 

そうだよ、頭の悪い設定みたいな世界なんだ、むしろ俺みたいな男にとっては極楽のはずなんだからさ。

 

これまで女っ気なんてなかったんだし、見た目が悪かろうと歳が行っていようと、俺に相応の相手だと割り切れば、なんてことはない。

 

この世界じゃ男は……健康な男はものすごく貴重なんだ、すぐにダメになるような扱いにはしないはず。

 

薬だけじゃなくて、メンタルだってどうにかして維持しようとするはずだ。

 

少なくとも俺が……俺のモノが機能しなくならないようにするため、うまい食事と快適な部屋、世話役の女性たちくらいはつくだろう。

 

ひとりの時間だって……ひととおり落ち着いたら、もらえはするはずだ。

 

奴らだってせっかく攫ってきた若い男が不能になったら困るもんな。

 

だから、老人相手だろうと、生理的に無理な相手だろうと、義務とさえ割り切れば豪華な衣食住は保証されて……ある程度の自由もあるだろう。

 

そう、最低でも何十年かは。

 

さすがに老人の相手は嫌だけど……俺の世界でも、つまりは現実だった場所でもそういう不運に見舞われている、見舞われていた女の子は数え切れないほどいたはずで、何も俺が特別に悲惨な目に遭うわけじゃない。

 

ただ俺も、そのひとりに含まれることになったって言うだけだ。

 

それも、扱いは悪くないはずだしな。

 

こいつらだって、……俺から望んだわけじゃないし、俺を襲ってくるようなヤツの顔も見たくないけど、どれだけの見た目だろうとひとまずはそこまで年上じゃ無さそうだしな。

 

「そんじゃー、行きますか。 私、急かされるのキライなんだよねー。 だからお前はしばらく黙っとけ? な? 見てる分にはいいからさ……うし、まだ寝てる。 弛緩剤は効いてるだろうけど、気持ちよくなりさえすれば意識なくたって勝手に動いてくれるでしょ。 男も女も薬の前じゃただのドウブツなんだから。 ま、硬くさえなってくれりゃあとはどうだっていいしなぁ」

 

ああ……俺は、ほんとうに映画みたいな……男女は逆の、目に遭っているのか。

 

弛緩剤……ってことは、そのせいもあって体が動かないってわけで。

 

その中で目が覚めてしまったのは、運がよかったのか悪かったのか……いや、起きていることが分かる分、こうして考えられた分、まだ良い方なんだろう。

 

「あ、準備はしときなよ? 2、3回で交代するんだからさ」

「1回って言っていたじゃない……いや、分かったわよ……」

 

最初の頃に、俺を怖がらせないようにって、やんわりと先生たちが教えてくれていたやり口……いや、俺の世界でも当たり前のようにあるんだろう、その中でも穏便な部類のこれを、後悔してから経験することになるなんて、なぁ。

 

こうなるんだったら、さっさと沙映と晴代さんとくっついておくんだった。

 

善意の中で、過ごせていた内に。

 

「……おーい、起きろー」

「ちょっ!? あんた、何してんの!?」

 

「いやー、完全に意識ないままクスリ飲ませると、たまーに大変なことになるんだわ。 ほんとは寝たまんまでやってる途中に起きてくれるってのが好きなんだけど……ま、どうせ弛緩剤で思うように声すら出せないでしょ」

 

でも、やっぱり。

 

ただの……ふつうの高校生な俺には、そんなのはどのみち無理だっただろう。

 

どれだけがんばろうと、結局はこうして襲われるまで待つしかなかったんだ。

 

………………………………ふつうの恋愛をして、ふつうに好きな相手と……俺にはきっと何人もはダメだろうから、たったひとりの好きな人と、結ばれたかったな。

 

まったく、どんだけ女々しいんだろうなぁ、俺は。

 

ああいや、この世界だと男々しいとか言うんだろうか。

 

「おーい……ったく、軽く叩く程度じゃ起きねーか。 弛緩剤多すぎたか? いや、でもアレがいつもの量だし……? こいつが痩せ過ぎてんのか? ………………………………んー、ま、ゆっくり多めに興奮剤飲ませてやりゃなんとかなるか」

 

ここで襲われるのが終わったら、多分俺はもう、二度とあの人たちとは会えなくなる。

 

俺を見つけてくれて、なんとかしてこうならないようにしようってしてくれていた人たちとは、もう。

 

遅いけど、でも、ひと言だけ言いたい。

 

俺を、………………………………俺の言ったことを一応は信じてくれて、俺の意志を尊重してくれて、ひとりの人間として扱ってくれたっていうのに、すっごく感謝しているって。

 

上からは……俺の頭や肩を叩くのを止め、ごそごそと……薬、今言っていた興奮剤なんだろうな、それを準備している気配だけがしてくるようになった。

 

もうひとりの女は……音も声もしないし、見張りにでも行ったのか。

 

……………………まな板の上のなんとやらは、きっとこんな気分なのか、……。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

………………………………………………………………………………………………?

 

上からの刺激がなくなってすぐの頃からしていて、気のせいだって思っていた……首元を、指でちょんちょんと軽く叩いてくる感覚に、今さらながら意識が向いた。

 

薬の準備……いや、でも、口移しって言っていたよな?

 

その、指の感覚がする方へ……どうせ暗くて俺の顔なんか見えないだろうしって思い、軽く頭を向けてみた。

 

「――――あ、よかったです、起きていましたか。 ……直人さん。 声、出さないで。 動かないで。 それで、目、キツくつぶっていてくださいね?」

 

そうして、首だけを回した先から聞こえてきたのは……この世界に来てから2番目に聞いた覚えのある……安心できる声で。

 

「じゃ、行きますよ? キツいですからね? ……さん、に、いーち――――――――――……はいっ」

 

はいっ、と聞こえたかと思ったら俺の両方の耳をぎゅっと両手でふさいでくる感覚がして、――――その瞬間……言われた通りにしていてもなおまぶしい光と、柔らかい手越しから聞こえてくるキーンという音が、まぶたと鼓膜を激しく揺さぶり、俺の意識は軽く遠のいた。

 



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16話 告白/告白

このおはなしは、この場面のために存在するものです。


 

「もう大丈夫だよー、直人くん。 ………………………………よかったぁ、なにかされる前に早咲ちゃんと一緒に助けに来られて……ふぇぇぇ……」

 

早咲さんからの声に従ってもなお目と耳がやられて――まあ、あれだけのものだったもんなぁ……くらくらしていたけど、気がつけば俺のそばにはひなたさんしかいなくなっていた。

 

入り口と窓には銃を外に向けて構えたままのいつもの兵士さんたち、俺はベッドに腰掛けた状態、ひなたさんは……いつもよりもずっと離れた距離感とでも言おうか、俺から数歩は離れたところに立っている。

 

ぽつんと、体を縮めるようにして、いつもよりももっと幼い様子で。

 

………………………………俺は、助けられた。

 

ダメだって思っていたあの瞬間に、耳元からの声がしてから、すぐに。

 

ひなたさんは、制服を掴みながら泣きっぱなしで……ふだんの俺ならなんとか声くらいはかけられるだろうような泣きじゃくる格好になっているけど、今の俺にはそんな余裕はなくて。

 

「……ぐす。 えっとね、なんとかね、私たち、先生たちとがんばったの。 直人くんを誘拐しようって企んでた悪い人たちを騙して、運動神経がいい早咲ちゃんとちっこい私が通気口からここまでなんとかして来てぇ。 ……途中から、直人くんがひどい目に遭いそうだっていうのが聞こえてたのに、急いでも急いでもたどり着けなくってぇ――……」

 

よく見てみると、ひなたさんの制服……夜中なのに制服って言うことは、昨日の夕方辺りで俺を攫おうとした連中に捕まっていたんだろうか……ぼろぼろになっているし、膝やおでこには血のにじんだガーゼが貼ってある。

 

長い、いつも早咲さんに梳いてもらっている髪の毛だって、ぼさぼさで埃だらけだ。

 

「でもね、ひっく、早咲ちゃんがね、ここで気がつかれたら連れて行かれちゃってほんとうにおしまいだって、だからねっ、ひっく、こんなにぎりぎりになっちゃって……こわかったでしょぉぉぉごめんねぇぇ――――……」

 

「………………………………いや、助けられたし、助かったよ、ひなたさん……ひなた。 ほら、この通りに俺、服を脱がされるどころか薬さえ盛られずに済んで、なんともないからさ」

 

「でもこわかったでぇぇぇ――――……」

 

涙と一緒に鼻水が出始めた辺りから、さすがの俺も本気で泣いているこどもを前にしたような感覚でなだめようと、自然と声が出て来ていた。

 

いや、だって……一応は同級生のはずなのに、小学生みたいな泣き方するもんだから。

 

「ふぐ……すんっ、ずび」

 

「ほんとう、もうちょっとで俺……最初の頃言われてたみたいに、まずはアイツらに好きなようにされて……んで、これから先、ずっと俺の意志も生活も自由とはほど遠い飼い殺しみたいな人生送るところだったんだからさ。 だから、助かったんだよ」

 

「…………………………………………ほんと?」

「あ、ああ、ほんとうだ。 ほら、この通り」

 

まだ体に力があまり入らないけど、せめてってことで笑顔を作ってなだめる。

 

笑えているか心配だったけど……ひなたさんの表情がいくらか和らいでいるのを見ると、ほんの少しだけは取り繕えるようになってきたみたいだ。

 

「……よかったぁ。 男の子が……んと、襲われちゃうと、心が壊れちゃうって言うから、早咲ちゃんもすっごく心配してたの。 お薬使われちゃうと、もう、何にも思い出せなくなるって、違う人になっちゃうんだって。 ………………………………わぁぁぁん、かわいそうだよぉ、えぇぇん……」

 

………………………………そうか。

 

この世界では、男と女が逆だから……きっと、考え方も感じ方も、ほんとうに逆なんだな。

 

そう思えば、ついさっきに教われそうになっていたのが俺っていうのは……この世界で生まれ育った男たちと比べたら大したことはない。

 

そう、大丈夫なんだ。

 

ただ少し、恐ろしい思いと……いくら被害者な俺が男だとは言っても、加害者なあいつらが女からだとは言っても、無理やりに襲われるって言うのがどれだけこわいことなのかって言うのが分かっただけだ。

 

恐怖。

 

治安のいい場所で生まれ育って、学校だって荒れていなかったもんだから……そういうもの、映画とかマンガでしか、創作のものだってしか知らなかった感覚。

 

「……あのね。 あの人たちね? もうみんな捕まえたって聞いたけど……業者さんの人たちから直人くんのこと調べ上げて、海外の悪い人たちに目をつけられて、だからこんなにいきなりで、力尽くだったんだって。 ………………………………間に合ってよかったよぇぇぇん……」

 

収まったって思っていた、鼻をかんでせっかくすっきりしていたひなたさんの顔が、あっという間に真っ赤になって……やっぱりこどもみたいな泣き方を始めた。

 

「直人くぅぅん………………………………よかったぁ――――……」

 

で、ときどき見ていたように……早咲さんに抱きついてあやしてもらっているいつものクセが出たのか、俺の方に抱っこをせがむような感じに近寄ってきて。

 

それで、彼女の手が俺のそばに来た途端、俺は――――――――――――無意識に、反射で、しちゃいけないって分かっていたのに……その手を、はたいていた。

 

それも、かなり強く。

 

「ふぇ……? ………………………………あっ!?」

「っ、ごめんひなたさん、だけど俺っ、………………」

 

後ろに……下はふかふかの絨毯だから怪我はしないないって思うけど、倒れ込む音。

 

心配だけど、俺にはもうひなたさんを見る余裕なんてなくなっていた。

 

息が苦しくなって、何も考えられなくなって、ただただ俺の身になにが起きているのかを考えるのでいっぱいで、叫んでいるらしい声が理解できない。

 

けど、これは………………………………ただの、過呼吸。

 

保健で習った記憶のあるその状態になっているって気がついたのは、ベッドにうずくまるようにしてなんとか息をしている俺自身に気がついたときだった。

 

体じゅうから汗が止まらない。

 

平衡感覚がよく分からない。

 

………………………………目を開けられない。

 

「――――――――――――――――――っ!」

「………………………………――――――!!」

 

ひなたさんの声に、聞き慣れた兵士さんの駆け寄ってくる声と音が聞こえる。

 

けど、俺にはどうすることもない。

 

ただただ、これが収まるのを待つしかない……っていうのもまた、聞く気のない保健の授業で習った、たったひとつの、耐える、っていう方法だ。

 

「………………………………どうしよどうしよ、直人くん……」

「――はい、緊急です。 こちら護衛対象の寝室。 ご学友との不意の接触によりフラッシュバックを起こしたと思われ……過呼吸になられております。 恐らくパニックにもなられているでしょう、私たちでは迂闊に近づけません。 至急医師を……」

 

落ちつけ、落ちつけ。

 

ここにいるのは無害なひなたさん……さっきまでぐずぐず泣いていた小さな子と、これまで守ってきてくれていた兵士さんたちなんだ。

 

ここの外もきっと、守ってくれている。

 

首謀者たちも捕まったって言っていた。

 

だから、もう安心なんだ。

 

安心、なのに………………………………それでも俺の体は言うことを聞かない。

 

俺に色目を使わない……数少ない、友人になれる、いや、友人のひとりがいつものようにぐずって飛び込んできただけなんだ。

 

………………………………なのに。

 

「……ぇぇん、息苦しそうだよっ、どうしたらいいの!? お医者さん………………………………ぇぇぇん、早咲ちゃぁぁぁん、助けてぇぇぇん……早咲ちゃぁぁぁん、さきちゃぁぁぁぁぁん、たすけてぇ――…………」

 

「あ……須川様! お戻りください、ただでさえ直人様は――……」

 

ばたばたって感じの足音と一緒に泣き声が遠ざかっていって、兵士の人がどこかから声をかけ続けてくれている。

 

けど、俺の体……いや、心がそれをまだ受け付けていない。

 

情けない限りだけど、男の俺が女たちに性的に襲われそうになったっていうただそれだけのことで、同い年どころか年下にしか見えない女の子、友人の子にさえ怯えて、こうなるだなんて。

 

………………………………悪意。

 

俺が、そういうものと縁がないっていう平和な生活をしてきたからか。

 

したくもないマラソンをさせられているみたいに心臓が音を立てて、息が荒いままで、汗もだらだらと流れ続ける。

 

悪意っていうものに晒されて、ぶつけられて……欲望っていうものを一方的に浴びせられると、男女なんて関係ないんだっていうのが、分かる。

 

命の危険にかかわらず、……ケンカにすら巻き込まれたこともない俺だからこそ、か。

 

情けないけど、体に力が入らない。

 

だけど、こうして頭が働いている以上、いつかは収まるんだ。

 

手を出される前だったんだし、ほんとうに際どいところだったけど、でも大丈夫だったんだから……授業の内容を思い出せ、これは精神的なもの、呼吸が収まれば自然と楽になっていくもののはずだ。

 

だからなんとしても息を落ち着かせて、気分も……できるだけ落ちつける。

 

そうだ、こっちに来たばっかりで、なんにも分からなくて……っていう、あのときみたいに。

 

「………………………………野乃様! しかし!」

 

「大丈夫です。 ……私なら、彼をすぐになだめられます。 当直の方も間もなくいらっしゃいますし、もし私で駄目ならすぐに交代しますから。 ですから、部屋の外で待っていてくださいませんか? 鍵も掛けさせてください。 ………………………………榎本先生とローズ……ジャーヴィス先生から一任されました私を、学園主席としての私を、信じてください。 私で駄目なら、私の――である、ローズマリー・ジャーヴィス先生のことを、信じてください。 お願いします」

 

呼吸に……吸うのと吐くのに意識を向けてしばらく、汗が冷え始めているのに気がつける程度には落ち着いてきた気がする。

 

ついでに、耳元での会話が途切れ途切れじゃなく、はっきりと聞こえるようになって来たくらいには。

 

だけどまだ、俺の体が元通りになるには時間がかかりそうだ。

 

………………………………と、あれ。

 

今の声は、ついさっきに聞いて、なによりも助けてくれた、あの。

 

「………………………………大変な目に遭われましたね、直人さん。 まずは、「ご無事」でなによりです。 過呼吸で済む「程度」で、トラウマで済む「程度」で……です」

 

……早咲さんの声、か。

 

そういえばさっきの……光と音の直前に、両手が動かせない以上せめて目はってことで、つぶるように教えてくれた早咲さん。

 

ひなたさんと一緒に来てくれていたんだよな。

 

……けど、さっきまでいなかったはずじゃ。

 

「………………ほんとうは、私が――いえ。 「僕」が、この人生で死ぬまで」

 

いつもの早咲さんの声のはずなのに、どこか違う声が聞こえてくる。

 

「誰にも、言うつもりはなかったんです。 冗談抜きで、墓場まで持っていくつもり………………………………だったんです。 ですが、直人さん。 私の――――――――――――いえ。 「僕」の同類みたいな「君」を、見過ごすことはできません。 ですから、直人さんを信用して打ち明けますね。 たったひとりの、信頼できる君だからこそ」

 

いつもの落ち着いた雰囲気とはまた違うし、……それに、僕、とか、君、とか、ふだんとは違う呼び方をされて、心臓が少し落ち着いた感覚があって、呼吸が急に楽になってくる。

 

「……もし目を開けられるのなら、僕の方を見てくださいますか、直人さん……いえ、直人。 僕を見て、これを聞いたなら、きっと………………………………その体の反射も、きちんと癒えるには時間がかかるでしょうが、いくらかは収まるはずですから」

 

早咲さんが、俺の目の前で屈む雰囲気。

 

……俺もまた、単純な作りをしているらしい。

 

彼女の、これまでにないような声を聞いた俺は、不思議と楽になってきているのを感じながら……俺の目から涙が流れていたのに気がつきつつ、目を開ける。

 

顔を上げると、そこには、いつもの早咲さん。

 

どこか他の女子とは違う雰囲気を持ちつつ、なぜか安心できる、そういう印象を持ち合わせている彼女。

 

男とも女とも分からない、全てが中性的な同級生の女子。

 

男装こそしているけど、それでも近くで見るとやっぱり女子なんだなって分かる……分かっていた、その整った顔立ちが、俺のすぐそばにあって。

 

「っ!」

 

それを見て、無意識に体がこわばりそうになった俺に降ってきたのは――――――――――――想像もしていなかった言葉だった。

 

「これは、嘘ではありません。 神さまか仏さまか、それとも精霊、天使、悪魔……別の何かにかは分かりませんけれど、なによりも君と僕という存在に誓って。 ――――――――――――僕は、ですね? 直人。 僕は、……直人の来たような世界で生まれて育った記憶を持ったまま1度死んで、こちらに……男だったはずなのに女として生まれ変わったという、妄想としか思えない意識と記憶を幼い頃から持っている、元、「男」――――――――――――なんですよ」

 




榎本直人くん:巻き込まれ主人公。 野乃早咲ちゃん:「男装」している「女の子」。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、野乃早咲「くん」。


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17話 「2回目の初対面」

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:「男装」している「女の子」。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、野乃早咲「くん」


榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。


 

「……済まない、手間取った! こちらは全員確保済みで黒幕も確保したとの連絡が学園外から来た! そちらはどうだ!?」

 

「榎本先生、こちらも問題ありません。 外は私たちが、中は野乃様と須川様両名の機転により、未然に防ぐことができました!」

 

階段を駆け上がってきたのは榎本美奈子……この「学園国家」の教師にして、直人の保護者としての手続きを強引に済ませてきた女性。

 

凜として落ち着いたふだんの彼女とは違い、髪を振り乱し……戦闘があったために爆薬の臭いが染みついているし顔も煤けてはいるが、切り傷程度であるために、同僚のローズマリーと共に指揮を執りつつ直人という青年の元へと駆けてきたのだった。

 

直人の個室の入り口には、つい先ほど生徒たちの手引きで突入し男性……それも健康な男子生徒を拉致しようとした重罪人が捕らえられている。

 

もっとも、彼女たちは気絶しており……明らかにすべてが終わったと分かる様相だ。

 

「せんせぇっ!」

 

「須川たちもご苦労だったな……もう少し遅ければ、そちらからの中の状況の報告がなければ、もっと突入に躊躇していたかもしれない。 あるいはすでに、直人が連れ去られていたかもしれない。 感謝する。 ……須川、成績には色をつけておいてやろう。 野乃は……普段の素行についてだな」

 

軽い、ひとまずでの尋問を受けていた下手人たるふたりの女……ひとりは20代、もうひとりに至っては直人と直接の面識がないはずのこの学園の生徒……は、後ろ手に縛られて乱雑に転がされていた。

 

その「尋問」の場に居合わせたためか、もはや泣くことしかできない須川ひなたは……いつものように、鼻水を流しながら榎本美奈子に抱きつく。

 

「………………………………お前は相変わらずだな。 野乃も、もっと厳しく育ててやればいいものを」

「……いいんです、早咲ちゃんは優しいのです……」

 

「……それで、状況は? まあ見たら分かるが、一応な」

 

「…………はい。 えっと、直接の実行犯はこのふたりと……今は別の部屋に連れて行かれています、もうひとりの人。 この人たちが持っていたお薬……その」

 

「ああ、言わなくていい、常套手段だからな。 それで?」

 

「それで、……護衛の人が止めたんですけど、早咲ちゃん、いつにない表情で止められなくって。 ……持っていたの、みんな飲ませちゃったんです。 あの、鉛玉?とお薬、どっちが好きか……とかって。 ……私は、早咲ちゃんに直人くんのところに行ってって言われて、そこから先は分からないです」

 

「………………………………あいつが? それはまた」

 

「なので、えっと、先にこのふたりが意識を失っちゃったらしくて……で、まだ大丈夫でしたもうひとりの人も、さっきまでは早咲ちゃんに……今は護衛の人に、別の部屋で尋問を受けている……らしいです……」

 

ちら、とぐったり横たわる女ふたりを心配そうに見下ろすひなた。

 

彼女たちの足元にはタオルが敷き詰められており……男性を誘拐し、望む状態に仕立て上げるための手口というものを知っている美奈子は、つい先ほどまで繰り広げられていただろう惨状を思い浮かべ、ため息をつく。

 

「自業自得だから気にするな。 それに、どうせ連行された先では私たちが想像もしたくないような終わりを迎えるさ。 目が覚めたとしても、当分は起き上がることすらできないだろうし、脅威では無い……が、野乃もまたエグい手を使うものだな。 ふだんの彼女を知っている私でも、まさかそんなことをしているとは思ってもみなかった。 てっきり、拘束して残りは私たちにと思っていたんだがな」

 

「はい、………………………………私も、早咲ちゃんのこと。 たぶん、初めて「こわい」って思ったんです。 早咲ちゃんが、あんなに大きい声で、あんなに低い声で怒るのなんて、ほんとうに、初めて……だったので……、私」

 

再び美奈子の胸に顔をうずめ、しゃくり上げ始めるひなた。

 

はぁ、とため息をつき、小学生をあやすように……小学生を撫でるようにして、美奈子は言う。

 

「……これを、誘拐した先で使う予定だったんだろう? 彼ひとりに対して。 いや、ここでしようとしていたのだったか? ……それを3人で分けたんだ、命には問題が無いはず。 そもそも同意無しに男性を……ましてや襲った後に誘拐となれば、どの国の法律でも極刑は免れない。 彼女たちはそれほどのことをしたんだ、気にするなよ? これは、殺人よりもずっと重い、「人類を減ずる」罪だ。 な、須川」

 

「………………………………ぐす、はい」

 

「……それで、聞きにくいのだが大切ゆえに聞く。 未遂とは、どこまでを指すんだ? 今の彼の状態は?」

 

「あぅ……はい、その。 お薬を……あ、体が重くて眠くなるものを、冷蔵庫の飲み物に入れられていて。 業者の人が……って。 それで、お手々と足をしばられて動けないときに目が覚めて……この人たちの話を聞いちゃったみたい、です。 私、すぐに離れちゃったので、ほとんどは早咲ちゃんから聞いただけですけど」

 

「動けない状態で、意識だけあり……これから先に起きるはずだった未来を思い浮かべられ、覚悟を決めるかどうかといった具合か」

 

「………………………………早咲ちゃんが予定よりも早く動いたので、まだ縛られたとき以外には体、触られていないはずです……けど」

 

「ああ、お前が近づいただけで………………だったか。 それで野乃が」

 

「はいぃ…………ですけど、早咲ちゃんは……その、落ち着かせるのが上手なので、きっと大丈夫です。 護衛の人も、直人くんが落ち着いたように見えるし、なにより早咲ちゃんが外で待っていてほしいからって、なにかあったら呼ぶからって、今はドアの外で待機しているって言っていました」

 

「ああ、彼女はな。 女相手はまだしも、男相手でもいつもの調子だろうからな。 もっとも、男相手ならばいつもとは決定的に違うところがあるからこそ任せられるのだが……まあいい。 いつもなら頭が痛いところだが、今回ばかりは野乃の「アレ」に助けられたというわけか。 流石に当直の中にカウンセラーはいないし、野乃ならば男には手を出さないだろう。 ああ……今年だけでもすでに、それはもう散々に迷惑をかけられているから、それは良く知っているとも」

 

「せ、せんせい……その、早咲ちゃんは女の子に優しいだけなので、あんまり怒らないであげて……」

 

「……須川。 あとあいつもだ、それについていい加減に、本気で怒ってもいいと思うのだがなぁ。 1週間と言わずひと月くらい監禁しても文句は言えないと思うぞ?」

 

 

 

 

俺は、さっき耳にした言葉が信じられない。

 

……そうして、気がつけば完全に息も収まっていた俺は、ここはふたりしかいないから安心して、と早咲さんが言うのを聞きながら、ただベッドに腰掛けていた。

 

両手を挙げてみる。

 

手を、指を、動かしてみる。

 

………………………………きちんと、動く。

 

もういやな汗もかいていないし、きっと、立とうと思えば立ち上がれもするし、歩けるだろう。

 

そんな、いつもどおりの感覚に戻っている。

 

……さっきの、早咲さんから聞いた………………ありえない言葉、たったひとつで。

 

「……ふう。 もう大丈夫ですよ、直人。 ここにはしばらく、誰も入って来ません。 そう、おはなしを着けてきましたから。 しっかりと外で、声が聞こえない程度の場所で何十人もの人たちが外を見張ってくれています。 そして今は。 ――――――――――――今だけは……絶対に、君に手を出そうとする人は現れません。 それはもちろん、僕も、です。 それは、さっきの話を聞いたなら分かりますよ、ね?」

 

「………………………………さっきの。 それに、早咲さん、の、話し方」

 

「早咲、でいいですよ? もう秘密、バラしちゃいましたし。 それに、その方がより僕のこと、「男」として認識してもらいやすいはずですから」

 

「男。 ………………………………ってことは、早咲、は」

 

リビングから持ってきたらしいイスに腰掛け、俺から少しだけ距離を保ったまま、どう見ても静かな、中性的な女子としか見えない彼女は言う。

 

「ええ。 ……あ、違うかな、もうちょっと「昔」の口調で……少し待ってくださいね? ………………………………。 ――――――――――――、こほん。 うん、こんな感じ、だったかな? いや、懐かしいなぁ。 で、直人、僕は君と同じように……男女の比率がほぼ同じまま、この世界と途中までは同じような歴史の先にあった世界で生まれて育った記憶を持っているんです。 ………………………………。 ……あ、中途半端に戻っちゃいますね……ま、いっか。 で、いろいろあってこれくらいの歳で死んじゃって……なぜかは分からないけど、気がついたらその記憶だけを持ったまま、不幸にもこんな絶望しか見えない世界に女の子として生まれ変わっていたことに気がついた。 元、男なんです。 ね? 誰にも言えるわけがないでしょう? 直人、君以外には」

 

早咲をよく見てみると、いつもみたいに髪の毛を下ろしたままじゃなくなっていて、後ろで……うなじ辺りで縛っていて、長髪をまとめている男にも見えなくはない格好になっている。

 

もちろんなのかどうかは分からないけど、これまた服装は俺と同じ、いつもの男子の制服……まあ、埃と切り傷でぼろぼろだけど、だし。

 

「……………………ほんとう。 なのか。 だって早咲、お前はこれまで」

「秘密にしておくつもりのヒミツ、って言ったでしょう? それに、考えてみて? 直人」

 

すっ、と席を立ち、俺から目を離して寝室の端の方をゆっくりと歩き始める早咲。

 

「もし。 もし、仮に、直人が……直人が来た世界でもどこでもいいです、そこで、ふつうの人しかいないところで。 誰かが「自分は実は前世の記憶を持っている。 それも、今とは反対の性別として生きてきた、そういう記憶。 もちろん歴史も違うその世界のことについて詳しいし、前世は別の性別として生きてきた自我がきちんとある。 だから自分を肉体とは別の性別として扱ってほしい」――――――――――だなんて、言えますか? それを、幼いころに……いえ、大きくなっても」

 

「………………………………、いや、それは」

 

身近な誰かでさえ、冗談を言っているんだとか、あるいは頭を打ったんだとか、電波を受信しているんだとか。

 

「そうです、まず信じられません。 直人の世界ではどうだったかは聞いていないですが、少なくとも僕が生きていた世界では肉体と精神の性別が別だなんていうのは一般的じゃありませんでしたし、輪廻転生などというものもあるのかもしれないけれど、それを口にする人はふつうの人からは白い目で見られて無視される存在でした。 まぁ、精々が生やさしい目で見られるくらいですかね?」

 

「………………俺のところは、たしかトランスジェンダーとかは、最近」

 

「ああ、じゃあやっぱり僕たちの来た世界は少し違うところなんですね。 時代が違うのかな? それとも流れが少し違うのか……分かりませんけど。 でも、少なくともこことよりはずっとずっと近いところのはずですね」

 

こういうのもありましたか?と、タッチパネルを……もっと、こっちで何回か使ってもっさりしているなって感じていたのをすすすっと……「スマホ」のようなものを素早く操作する手つきを見てうなずくと、科学力もほぼ同じなんですね、と言う早咲。

 

………………………………。

 

その立ち振る舞いは、なんとなくだけどふだんの彼女とは違って……いや、服と髪の毛のせいもあるんだろうけど、今までよりも、男に見える瞬間がある気がする。

 

前から少しだけなんとなくなったそれが、より強くなったっていう印象。

 

………………………………………………………………ああ。

 

それで、俺の心がすとんと落ちた感じに納得する感覚が来た。

 

……早咲は、彼女、いや、彼は……かつては男だったんだろうなって。

 




夢のようで悪夢のような世界に来てしまった男の子の主人公、直人くんと……やはり夢のようで悪夢のような世界に生まれ変わってきてしまった早咲ちゃんであり早咲くんの、ようやくの初めての会話。ようやく、直人くんに平穏が訪れます。


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18話 早咲の本性

6月28日(月) 榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:「男装」している「女の子」。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、野乃早咲「くん」。

真面目な話のあとの落差が激しいです。お気をつけくださいませ。




 

「もう少し近づいても大丈夫そうですか?」

 

そう早咲に聞かれて、試しにとゆっくり来てもらった……けど、さっきひなたさんに対して感じたようなものはなく、手が届く場所まで来られてもなんともなかった。

 

手を伸ばせば俺の膝に触れられる距離だって言うのに、震えたりもしない。

 

「……なら、もっと近くの方が話しやすいですね」

 

と、イスを引きずって来た早咲は……ああ、筋肉、肉体上は女子なんだもんな、ただのイスでもちょっと重そうだ……俺の目の前にすとんと座る。

 

……あ、脚も開き気味になっているな。

 

普通に、男の普通の座り方ってやつに。

 

もちろんズボンを履いているし胸もないから、今までみたいに目のやり場に困ることもなく、ただぼうっと彼女……いや、彼を見上げる。

 

印象は、女っぽいのに女子に人気がありそうな、優男って言うんだっけ?

 

そんな感じだな。

 

――――――――――――初めのころに感じたように。

 

「そんなわけだから、秘密にしていたんです。 もちろん、親にも友だち……大好きなひなたちゃんたちにも、誰にも言ったことはありません。 言ったとして信じてくれるかも分かりませんし……いえ、あの子たちならきっと信じてはくれます。 こんな、荒唐無稽な話でも。 でも、でもですね? ……面倒なことに巻き込みたくはないから。 僕としては……こんな世界ですから女性同士で恋愛とかは当たり前ですから、それで男子と結婚せずに女の子と仲良くできればそれで充分でしたし。 だから、僕がこの世界で物心ついてからついさっきまで、この妄想に近いって思っていた事実は僕の頭の中にしか存在しなかったんだ」

 

「………………………………その、早咲。 面倒なこと、って?」

 

「……ああ、そうですね。 けど、直人だって落ち着いて考えたら分かるはずです。 直人の存在……別の世界から来た人間だというのを先生たちがなんとかして隠そうとしていますよね? 先生たちも、ちょっとは信じているんです。 直人が、君の知識が、態度が、あまりにもこの世界の男子とは違うから。 だけど、それを洗脳された、ってことにしてくれている。 だから、直人っていう監禁されて育った世間知らずで健康な男子っていう情報しか漏れていないはずですけど……バレていない。 そう聞いたらほっとしますよね? だって、別の世界だなんてほとんどの人にとっては妄想でしかありませんけれど。 ――――――――――でも、この世界では、です。 「移動可能な異世界」っていうの、かなり真剣に研究されているんです。 どれだけお金がない国だったとしても……」

 

「え? ――研究? その、SFみたいなものを?」

 

「そうです。 だって、いわゆる平行世界――そちらのSFとかでもあったでしょうか? あ、あったんですね、なら話は早いです――よく似た、別の世界。 絶対にあるはずだって結論づけられて、理論上はとっくにあると確信されていて……だから、いつかどうにかしてそこと行き来できたならって、ものすごいお金と人が動いている研究分野です。 だってそうでしょう? こちらは人工授精と遺伝子操作をしても、どうしても男が圧倒的に足りなくて、ものすごく人が減り続けている世界。 つまりは滅亡まっしぐらです。 なら……もう、どこかから、この世界でないどこかから、男性を連れてくることしかないのですから。 例え繋がった世界が恐ろしいところだったとしても、座して数百年を待たずに滅ぶのを待つよりかはずっと、いい。 こちらの富を、余っている女性をどれだけ連れて行かれたとしても、それに見合う男性を受け入れられたなら……この世界は、人類は、滅びを避けられるのですから」

 

「………………………………………………………………、そん、な」

 

たしか、この世界の歴史を聞いたときにも驚いた記憶がある。

 

なにをしても、出生率自体は……なにせ世界の99%は女性なんだ、男が少なくても人工授精さえあればある程度は確保できている。

 

少子高齢化で騒がれていた俺の世界よりも、たぶん数自体は……この十数年ではらしいけど……生まれているらしい。

 

それでも総合的な人口があまりに少ないのは、人工授精の技術が確立するまでの期間に生まれなかった男の数と、その期間にこどもを産めなさ過ぎたせいだとか聞いたし。

 

だけど、俺の世界では禁忌とされているDNAの操作ってものをしたとしても、それでもなぜか男はほとんど生まれず、生まれてくるのはほとんどが女。

 

だから、ますますに危機感があるんだとかなんとか。

 

「で。 だからこそ、です。 もしうっかりにでも、僕の前世が直人と同じように……ふつうの世界で、そこの記憶があるだなんて、万が一にでもそういう研究機関に漏れたりしたら。 ――――――――――――変人扱いならまだいいです、ですけど……それを真剣に捉えられちゃったら」

 

「………………………………、ああ、そうだな」

 

「うん。 小さいころならこどもの妄想だって笑って済まされるかも知れませんけど、そうじゃないかもしれません。 特に大きな国ほど膨大な予算を割いてまで必死ですからね、そういうところに送られたらまずふつうの人生というものは送れません。 直人、ちょうど今の君みたいな状態に……僕は、女の子として産まれているにもかかわらず、研究対象となってしまう。 いや、記憶を延々と吐かせるために薬漬けで僕というものを失うかもしれない以上、こっちの方がこわい、ですね。 僕の脳が男かもしれないからって、調べ尽くされるでしょう。 だって、ここでは女の命なんてささいなものですから」

 

「……………………………………分かるさ。 俺も、ついさっき……これからのことを考えて、諦めかけていたからな」

 

「ああ……彼女たちはおしゃべりでしたからね。 そのおかげで間に合ったとも言えますし、そのせいで君が余計なトラウマを持つことになっちゃったのですが……とりあえずで結果オーライですっ」

 

ぐっ、と、女子らしいポーズを取ろうとした早咲は、気がついたように片腕をぐっとする。

 

「……で、です。 さっき、ひなたちゃん……ひなた、にでさえ恐怖っていうものを感じて過呼吸になったって聞いたので、元、男として。 ……生まれ変わりと神隠し? ですかね? ……という違いもありますし、性別ももう違いますけど。 でも、同じような境遇の男子な直人がさっきみたいな顔をして苦しそうにしているのを見たら、ここで助けないのは申し訳ないって思って。 ……周りに誰も男子がいないっていうのと、なによりもここに、体は女の子になってしまいましたけど中身は男のままな僕がいるのとでは、ぜんぜん違うだろうな、って思ったら………………………………つい、言っちゃったんです。 ほんとうは、落ち着くまで待って声をかけようって、さっきまで、顔を見るまでは考えていたのに。 ……あは、ないはずですけど、もしここに盗聴器なんか仕掛けられていたら、直人はともかく僕、明日にはいなかったことにされていますね。 ……冗談です。 そんな顔しないで。 潜入する際にぜーんぶ壊してきましたから」

 

ふぅ、と一気に息を吐き出すと、直人は秘密、守ってくれますよね……と、困ったように笑いながらイスにだらしなく座り直す早咲。

 

その姿はどう見ても……うん、男だ。

 

スカートじゃないから脚を開いていても変じゃないし、何よりも俺のことを男として意識していないのがはっきりと分かるし。

 

………………………………ああ。

 

俺、この世界に来てから、多分、初めて安心、って感覚を。

 

「……とにかく、助かった。 改めてありがとう、早咲」

 

「嫌ですね、僕たちはもう同性な友人。 いや、ヒミツをバラされたくないので親友ってことでいいですよね? 同じような境遇でもありますし? なので」

 

「うん、でもありがとう。 あのままだったら、……きっと、教えられた通りに、あるいは俺が読んだことのある頭の悪いマンガみたいな展開になっていただろうからさ。 ……まあ、実際には死ぬよりはマシな程度の状態になっていたんだろうし。 ……そういう話を読んだときにはうらやましいとしか思えなかったって言っても、実際にああいう欲望をいきなり、直接に浴びせられたら……男だって、こわいんだなって分かったから」

 

「でしょうねぇ……僕たちの感覚じゃ、男しかいない環境に着の身着のまま放り出された女の子があんなことやこんなことをさせられるっていう定番ですものね。 こちらでは真逆ですけど、でも、僕たちにとっては正にその通りで、僕たちはその女の子だとしか感じられませんし」

 

「ああ………………………………あ、そうだ、ひなたさんには謝らないとな。 あんな反応しちゃって、きっと落ち込んでいるだろうから」

 

「ええ、そうしてください。 あの子、泣き虫ですから…………、でも」

 

「でも?」

 

と、…………………………突然に早咲が立ち上がり、急に声が大きくなる。

 

同時に俺の体がこわばったりもしないから、少なくとも早咲に対してはさっきみたいなものが起きないって分かってよかったんだけど……なんだか顔つきが。

 

その。

 

……まるで、女子の話題ばっかりしていた同級生の誰かを思い出すようなものになっていて。

 

だん、っとイスから立ち上がり、片足を乗っける早咲。

 

「ああいうのはフィクションだって分かっているからいいんですよっ!」

「お、……おう?」

 

「ですよね! かわいそうなのはダメですよね! いえ、作りものとか演技でしたらいいですけど、リアルな女の子でしたらあんまりにもかわいそうだと心が痛んでそれどころじゃ! ええ、使えるものも使えませんから!! かわいそうなのは演技で実は喜んでいるって言うのがいいんじゃないですか!!  ねぇ、そうでしょう直人!! 最後の場面でハイライトとか消えていたら興奮なんて消し飛ぶじゃないですか!!!!」

 

「あ、ああ…………………………………………………………う、うん?」

 

いや、分かる。

 

俺も男だし、そういうものの気持ちも分かる……けど、なぜ早咲はいきなりこうなっているんだ?

 

「あ、で。 直人の世界って、こーんな感じの雑誌とか、作者とか……こういうタイトルのシリーズとかあったりします?」

 

「………………………………これは知らないけど、これなら。 ああ、これは俺のところでも人気だったな」

 

「やっぱり! どうやら僕たち、よっぽど似た世界から来たんですね!! やー、嬉しいです! 同じものを知っているって言うだけで楽しいんだからっ」

 

スマホを取り出すや否や、ものすごい勢いで文字を入れていた……と思ったら、手渡されたそれに書かれていた雑誌や作者……まあ、そういうものの有名どころに、早咲の剣幕に押されながらも答える。

 

もちろん、普通の……学校で、みんなで回し読みしていたような、健全なものも含まれてはいるけど。

 

………………………………あ。

 

俺、早咲と手が触れても大丈夫になっているな。

 

俺はもう、早咲のこと……完全に男だって認識しているんだな。

 

「いやあ、懐かしいですねぇ……僕にとっては、もう十数年も昔のことですから」

「あ、そうか。 生まれ変わったってことは」

 

「ですね、幼稚園くらいまでは記憶が曖昧ですけど、それからはほぼ地続きな感じなので……すっごく懐かしいです。 それこそ、今みたいな場面じゃないと、まず思い出せないくらいの。 あ、これはどうです?」

 

「……ああ、これはテンプレだって言われつつも、ヒロインもシチュも誰かひとりは必ず刺さるやつだよな? 早咲のところでも?」

 

「うんっ! あ、ちなみに僕は毎回必ずあった、王道のハーレム回が好きでした! ちょろい子からなかなか落ちなかった子までが揃うっていうのがたまらなくって! まるで僕が攻略しているって思えるからっ」

 

いつになく早咲が……もう早咲さんとは呼べなくなったくらいにはすごいことになっている。

 

いや、ほんとう、晴代さんほどじゃないにしてもお淑やかな感じはどこ行ったんだ。

 

擬態か?

 

これじゃただの下ネタ好きな男子だぞ?

 

「だけど直人? 女の子はやっぱり貧乳が正義ですよね!?」

「………………………………………………………………は?」

 

と、予想外の言葉を耳にして俺の意識は一気に引き戻された。

 

「ふつう……そうですね、微乳から美乳まではまだいいとして、それより大きいのはちょっと……将来垂れそうだって思うと、なんだかダメな感じですし? あとおしりが大きすぎるのもNGですよねぇ。 ……巨乳好きの大多数の男はもっと現実見た方がいいですよ、現実の女の子はだいたいブラで持ってますし? 理想的なぼんきゅっぼん!だなんて、ほんとうに滅多にいないですもんね? ねぇ?」

 

「………………………………いやいや早咲、それはちがうぞ? 女性の魅力は……そりゃあ本人の性格とかもあるけど、でもやっぱり胸と下半身だろ? 実際に人気なのはそういう人とかキャラクターじゃないか。 世界中どこ勝手そうだろ? それに、スタイルがいいのと太っているって言うのは違う。 お前、女として十何年も過ごしてきたのに分からないのか?」

 

そう言うと、きょとんとした感じになる早咲。

 

ちなみに彼女は、これまたなぜか……イスの上に仁王立ちしている。

 

ものすごい剣幕で見下ろされている。

 

……いや、ほんとうにどうしてこうなった。

 

俺も、思わずで反論……いや、ほんとうになんとなくでなんだけど。

 

けど。

 

………………………………どうしてこうなった?

 



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19話 早咲の、くだらない本性

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:「男装」している「女の子」。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、野乃早咲「くん」

引き続き……いえ、とんでもない会話です。呆れながらお読みください。



 

でん、という風にイスの上で腕組みをしながら早咲が、馬鹿馬鹿しいことを言い続ける。

 

早咲の……奴の口は止まることがない。

 

いや、むしろ加速しているまでもありそうだ。

 

「…………幼い容姿や、スレンダーから見苦しくない程度の体つきがいいんじゃないですかぁ。 女性の美とはそういうものですよ? なにが悲しくて……そうですね、走るのが辛そうなほどまでに胸とおしりが発達してしまった方々を好きにならなければならないんですか。 まぁ、気分を変えて……と言うのであればアリではありますけど、性格が魅力的であればそんなものや年齢はどうでもいいですけど、でも、それはあくまで」

 

「おいおい、早咲はヘンなこと言うよな? 女性の胸はお乳をあげるため、腰は安産型って言って、昔っから重要視されていたものじゃないか。 つまり女性はふくよかな方がいいっていうことで、歴史の授業でも習っただろ? つい最近までは胸のない女性は人気がなかったって」

 

俺も負けじと……何故かは分からないけど、無性に腹が立って力を込めて言い返す。

 

「えー? ほんとうにそうですかー?? それは衣食住と安全、そして医療が不足していて多産多死な時代のことですよねー? 特に食べものは大きいですし。 ですからその言い分は通用しませんー、単に君の好みってだけですー、理論武装は無駄ですー。 しかもこの世界はおっぱいだらけですので君の主張はダメダメですー」

 

「はぁ? なんで女性の魅力についての話なのにそっちに行くんだよ。 いいか? 俺たちの元いた世界、多少違っても男が群がるのは大抵が肉付きがいい人で、スレンダーだったり幼い感じだったりするとちょっと……っていう感じでな!?」

 

……気がついたら早咲とケンカ……ケンカ?をしている俺がいた。

 

俺も早咲の勢いに乗せられているのか、ベッドで立ち上がって……ベッドとイスの微妙な高さの差のおかげで目線がぴったり合って、腕組みして立ったままの早咲と対峙する形で、俺も同じ姿勢をしてみる。

 

………………………………いやほんと、どうしてこうなってるんだ。

 

なんか、気がついたら早咲の……こいつのペースだったんだけど?

 

「……………………あー、分かりましたー。 直人の目が腐っている理由」

「あぁ!? 腐っているだと!?」

 

ほら、こうしていちいち煽ってくるから……頭では分かっていても、口は止まらないんだ。

 

……主席っていうのは伊達じゃないらしい。

 

ホンモノの頭の良さって言うのは、いろんなところで分かるらしいからな。

 

今はほんっとうにバカな話しかしていないけど。

 

「それはですねー、……君、彼女さんとかいたことないでしょう? つまりは、ど・う・て」

「お前一応女だろ!? 変なこと言うんじゃない!」

 

「いいじゃないのー、もともとは男だって言ったのにー。 あー、でも当たりですかー、いやー、なるほどですねぇ。 実際にですね? ……女性の柔肌をこの手で触ってみると、分かるんですよ。 余計な脂肪がなくて無駄のないプロポーションだと、美しいんだって。 骨格と筋肉の筋に沿った微妙な起伏が、影が、それが素晴らしいんだって。 それに感度も良いですし、ね? そんなことも知らないだなんて……ああ、可愛そうですねぇ。 灰色の学生生活だったんですねぇ……うう、不憫」

 

「さっきっから……お前、なんでケンカ売ってくるんだよ?」

「嫌ですよ、男の声で凄んできたりしちゃあ……こわいじゃないですか、童貞さん?」

 

「こんのっ!? いくら俺たちは同じだって言っても、言って良いことと悪いことがっ!」

 

とっさに腕が上がりそうになって……その拍子に、ふと、俺たちはなんて馬鹿げたことで言い合い、そう、喧嘩にすらなっていない馬鹿話をしているのかっていうのに思い至った。

 

そうして腕を下ろし、……すっきりしている俺自身に気がつく。

 

「――――――――――――ふふっ。 やっと元気、出ましたね。 気分、切り替えられたようでなによりですっ。 そうして立ち上がって、大声出せるようになるくらいには。 そしてその表情。 なら、こうして、…………………………ほら」

 

とん、とイスから俺の方へ……いきなり飛び込んできた早咲は、てっきり俺に倒れかかってくるかと思って身構えたのに綺麗にバランスを取って立ち……俺の肩だけに軽く体重を乗せて止まる。

 

……危ないな、早咲がもう少し勢いよく飛んできたり、あるいは俺が完全に気を抜いていたらふたりとも転んでいたぞ?

 

まあ、ベッドだからケガとかの心配はない、けど。

 

………………………………。

 

ん?

 

こいつ……じゃない、早咲の手が肩に乗っていても。

 

「ええ、少なくとも僕が触っても大丈夫な程度には良くなっていますね。 カウンセリング、成功ですっ」

「………………………………………………………………え?」

 

「あ、さっき言ったのはこのための演技とかではなくて僕の本心ですよ? 僕はスレンダーが好みなんです。 もちろん女性の魅力は顔や体だけではないのでそうでなくとも好きにはなったりもします。 ……ですけど」

 

また、とん、と飛び上がって……とんとん、と床の絨毯に着地する早咲。

 

……ああ、スポーツも抜群だって言っていたような。

 

そんな、男子の制服を着て……髪の毛は後ろの下で縛って、見ようと思えば男にも見える格好をしたそいつは、俺の方を振り返り。

 

「ですが、人って単純なんですよ。 どれだけこわい目に遭ったりして悲しい思いをしても……まあ、あくまで今回は未遂でしたし、僕たちの世界の価値観的にはたとえ襲われていてもそこまでではなかったでしょうが。 本能的な欲求には逆らえないんですっ」

 

「………………………………ええと?」

 

早咲が何を言おうとしているのか、俺にはさっぱり分からない。

 

俺が過呼吸になっていたのと、今の馬鹿話の関係?

 

なんだそれ?

 

「ですから僕たちが同じような境遇で……心の性別が同じだっていう安心を求める本能と、ちょっとした高校生らしい猥談って言う性的な欲求と、そういういろいろを煽って闘争本能をくすぐったんです。 実際、今まで忘れていたでしょう? さっきまでの恐怖っていうものを」

 

「………………………………たしかに、そう、だけど。 ……だから早咲、お前は」

 

「まあ、これはあくまで一時しのぎですから。 男であっても悪意で性的に襲われそうになって、お先真っ暗な未来を見そうになっていた直人です、きちんとしたケアを受けないとですし、その記憶がなくなるわけでもありません。 けれど、少しは気が楽になったはずですよ? あのまま震えてふさぎ込んでいるよりはずっといいかと」

 

「………………………………そう、か」

「うん、そうです。 そのための、です」

 

生涯の秘密っていうものを話してくれたり、いきなり変なこと……俺は今みたいな……その、猥談みたいなのはあんまり好きじゃないから、あっちの世界に少ないながらもいた、俺とおんなじような性格の友だちとかとしたこともないそういう話とかをしてきたのは、ぜんぶ。

 

………………………………。

 

俺も、ゆっくりとベッドから降りて……俺よりも少しばかり背の低い、だけど女子にしては背の高い方な早咲を見て、目が合って。

 

「ごめんな、大声出して。 それに、思わずで」

「いいですって、わざとって言ったでしょう?」

 

「それでも、だよ。 俺だって男が怒鳴る声って苦手だから……悪かった。 そんで、ありがとう、助かったよ、早咲」

 

「そう言ってもらえると、ヒミツをバラした甲斐がありましたね。 あ、もちろんヒミツをのままにしてくださいよ? これはこの世界のすべての人に対して、です」

 

「当たり前だろ? 俺のために言ってくれたんだし。 ……それにしても早咲、お前、さっきみたいな話題平気なんだな? というか好きなんだな……。 ………………………………。 俺、この世界でもこういうのは初めてで、……少し恥ずかしかったしイラッともしたけど、でもなんだか懐かしい気持ちになれた。 たぶん、ここに来てから初めてだ」

 

「そうですか。 よかったですねぇ」

 

「ああ! さっきの……現実の女性がどうとかいうのも、ただ……、とと。 ……あれはただ、俺を煽るためだったんだろう? 怒りの感情でって、さっき」

「あ、あれ、言ったのはすべてほんとうのことですよ?」

 

「……………………………………………………………………へ?」

「え、言ったじゃないですか、さっきのはみんなほんとうだって」

 

「いや、でも」

 

気がつけば早咲は……俺じゃなく、窓の外……でもなく、どこかうつろな感じで、ここじゃない別のところを見上げていた。

 

「だって、僕。 前世のこととか男だったこととかを自覚したの、小さいころだったんですよ? 具体的には幼稚園のころですね」

「は?」

 

「で、つい出来心で幼なじみのかわいい子に手を出しちゃったんです」

「は?」

 

「それで、上手く行ったので次々と。 ……ああ、保母さんたちもよかったですねぇ」

「は?」

 

「あ、保母さんたち以外はもちろん同い年くらいの子たちですよ? だって、かわいかったし……僕自身もこども、しかも女だったので、つまりは合法ですよね? 同意も得てからでしたし? ………………………………ま、僕の中身は十数歳で向こうは数歳でしたけど。 なあに、歳を取ったら10歳差程度はフツーです、フツー。 そういう意味では保母さんたちとも合法ですねぇ」

「は?」

 

なんだかうっとりとした表情になっているけど……話に着いていくのが精いっぱいで、どう反応していいのか分からない。

 

「んーと、ですねぇ……途中から数えるの止めちゃったので、正確な数とかは分からないんですけども………………………………ええと、たぶん……ん、そうですっ」

 

がばっとこっちへ向けてきた顔は……目は、やけにきらきらしている。

 

早咲の、こんな話をしている元男の、その内容がこんなもんじゃなければ惚れるかもしれないっていうくらいに、いい笑顔をしていて。

 

「こっちではもう400……500人くらい、ですかねぇ? した相手の子たち」

「は? よ、ごひゃく」

 

「いえ。 1回限りとかのお相手を入れてしまうと………………………………んー。 とりあえずは1000は超えてますかねぇ。 すみません、細かくは覚えていなくって。 いちいち記録に着けるっていうシュミもありませんし、適当に流れで、行きずりの人とホテルで数時間とかもよくあることですので」

 

「……………………………………………………………………………………」

 

あんまりにも信じられない数だけど……早咲の目は、これ以上なく輝いていて、ものすごい満開の笑顔だ。

 

「………………………………なら、それもほんとうのこと、なのか?」

 

「ほんとうですよ? これについても嘘なんかつきません。 むしろ自慢ですし。 前世もまあ………………………………そうですね、それなりに? こっちよりももっと多くの子としたので、それ含めちゃうともう分かりませんけど」

 

……そうか、たしか前世の記憶があるんだって言ってたもんな。

 

前世からこういう性格だったとしたら、自分が幼くなったとしたら、そりゃあ周りに手を出さないはずがない……のか?

 

「でもですねー、やっぱりこっちですと、ほら、この通り体は女じゃないですか。 あちらでは男として妊娠の危険ばっかり考えていましたけど、こっちじゃむしろそれを望まれているのに肝心なものが着いていなくて。 それだけが残念ですかねぇ――……。 こっちじゃどれだけ孕ませても喜ばれますのに。 お相手のお家からのお金と国家からの補助金とでがっぽがっぽでしたのに。 ああ、世界はまったくこれほどに理不尽です」

 

気がつけば……またうっとりとした表情になっている。

 

艶やかっていうのはこういうのなんだろうな、っていう感じの。

 

肝心の内容で台なしだけどな。

 

「でも、せっかくなんです、女として産まれてしまったからには女の子たちを食べちゃおうって一念発起して」

「一念発起」

 

「はいっ! なので前世の分も……あ、死んだ先の人生でってことですよ? ……その子たちの分も食べなきゃって思って、たくさん食べちゃいました。 ……あ、今も続けていますけどね、もちろん。 だって高校ですよ高校! 前世風に言うとJKたちの花園! 男子はほとんど出て来もしませんし、なによりフリーな子がとにかく多いんですっ! いいでしょうここ、ねぇ!? あと、各国からのお偉いさんたちの娘さんたち、つまりはお嬢さまばっかりなんですよ!? 滾るじゃないですか!!! ねぇ!!!!」

 

ねぇ……と、言われてもなぁ。

 

「………………………………言いたい表現が思いつかないけどさ。 とりあえず、お前……早咲、すごいやつだな。 ほんとうに。 尊敬はするよ。 男としてな」

 

同時に軽蔑もするけどな。

 

「男冥利に尽きますねぇ、そう言われると。 あちらではいつもクズ男ー、とか、近寄るだけで孕まされるー、とか言われていましたし、こちらでも女を喰う女ってステータスになっちゃいましたけど。 でもそこはほら、今世は学業とスポーツで印象を稼いでいますし、性格も優等生っぽく修正していますし? あと、手を出さないお相手には紳士的に対応していますから、大丈夫ですっ」

 

何が大丈夫なのかは全く以て、これっぽっちも分からないけど……ただ、ひとつ。

 

早咲、……野乃早咲という前世では男だったし、今世でも女になったっていうのにめげずに女性と遊び続けているっていう、女の敵みたいな存在。

 

こいつは、根っこから、魂から女好きの男なんだろうな、って。

 

こう、暇があれば女と戯れていないと気が済まないようなチャラ男みたいなやつなんだって、な。

 



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20話 自覚(前)

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:「男装」している「女の子」。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、野乃早咲「くん」


榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。

肉体的には男女……ですが、精神的には男の子。そんな早咲ちゃんと一緒に朝を迎えて、呆れながらも少し心が安らいでいるようですね。



 

「…………………………と、いうような事件が、たった数時間前に起きた。 皆の寝ているあいだにな」

 

「……………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」

 

朝。

 

榎本美奈子の指導する……直人の編入したクラスの生徒がみんな揃うな否や、黙って座れと一喝して昨夜起きたことを説明し出し……簡潔に、しかしもれなく事態を説明し終えた彼女。

 

それを聞いた生徒……女子たちは、反応できるはずもなく、絶句している。

 

貧血起こしている生徒までいるようで、机に突っ伏す様。

 

しかし保健室に行く許可も得られず、直人が来てからの日常となっていた、教室内の警護についている兵士たちの数人が毛布を取り出し、教室の後ろで寝かせて介抱するという異常事態だった。

 

教室のカーテンは全て締め切られ、普段は悟られないようにと教室の外はただドアを閉めきっているだけなのだが……今日、今朝のこの場面ばかりは10人を超える兵士たちが銃を手に取りつつ廊下を見張っている。

 

それも無理はなく……この、人口が異常な速さで減り続けている世界で男を狙うのは、人殺しよりも重い罪であり、数十年前ならともかく現代では余程のことがない限り起きない……表沙汰にはされないものだ。

 

それは、彼女たちこの世界の生徒たちがが生まれてから何十回と叩き込まれてきた「常識」であって――ゆえに、それがどれだけ大それたことなのかが理解できてしまう。

 

だからこそ、気付けにと渡された薬を全員の生徒が飲んでいる。

 

――それでもひとり、またひとりと毛布に寝かせられる生徒が出て来ているが。

 

さて、この世界。

 

男性に対しての危害を企てただけでも……直人のいた世界での放火や貨幣の偽造や殺人よりも……あるいは、国家を危機に晒すような犯罪よりもずっと重い罪になり、ただ手助けをしたり見過ごしたりしただけでも問答無用で何年か何十年かの牢屋行き。

 

そして主犯格は調べられ切ったあと、世界へ生中継の元、全員が処刑だ。

 

それは、直人が教われそうになったときの……欲を出したあのふたりの女たちも同様だ。

 

この事件はは速報として、数時間後、昼のニュースで……直人の情報自体は隠されてはいるものの全世界に発信され、この世界の大多数の人間が改めて知ることとなる。

 

この世界は、瀬戸際にいるのだと。

 

ゆえに、このような犯罪は絶対に許されないものなのだと。

 

――男性は、丁重に保護されるべき、絶滅危惧種なのだと。

 

「だから、これから当分のあいだは学園全体でも厳戒態勢に入ることになると決まったんだ。 ……そうだ、生徒にも教師にも業者にも直人を狙う連中が紛れ込んでいた以上、もはや事態は一刻を争うからな。 お前たちこのクラスの生徒にはいないと信じているが……それでも移動や通信の履歴は洗われるだろうし、場合によっては事情聴取もあるかもしれない。 ………………………………なに、関わりがなければ調べられるだけだ、そんな顔をするな。 その場には、必ず私がお前たちの隣にいてやるから、な」

 

自分に向いている顔のほとんどが青ざめていて、多くの生徒が机に伏せているのも、床で寝かせられているのも、事態の恐ろしさに気分が悪くなったからだと分かっている美奈子は……慰めるように声をかける。

 

「……さあ、授業を始めよう。 と言っても、今日は身が入らないだろうから軽めに、だな。 うむ、ただの雑談と行こう。 例えば私の友人の話や……彼、直人がどのような青年なのかもだな。 ああ、先にも言ったように彼はカウンセリングを受け、今は安静にしている。 また、そのために野乃も……あの野乃のことなら誰しもが分かるだろう、席を外している。 しばらくは彼女にも詳しいことは聞かないでくれ」

 

「………………………………直人様」

「直人………………………………」

 

ちらりと振り返り、席の周りに護衛さえいなくなって余計にいないのが強調されている彼の席を見ながら、彼の婚約者として最も近いところで世話をしてきた綾小路晴代と御園沙映は、ぽつりと彼の名前をつぶやいた。

 

 

 

 

「……って感じになっていると思いますよ。 なので直人の知っている子たちは……すぐにとは行かないでしょうけれど、直に落ち着くでしょう。 もちろん君はほとぼりが冷めるまではずっとここで缶詰ですね。 あ、トレーニングルームなどは護衛の方と一緒に行けますからね? ずっと動けないのも嫌でしょう?」

 

あれからひと眠り……はできず、うたた寝程度で朝を迎えた俺たちは、リビングで朝食を摂っている。

 

護衛の兵士さんたちは部屋の外……ドアの先と窓、ベランダの外でこっちを見ないようにして銃を構えたままっていう疲れそうな状態が続くらしい。

 

俺が完全に立ち直るまで……っていうのは、たぶんこの世界で生まれて俺よりもずっと耐性の無い……ああいう犯罪に遭いそうになった男、あるいは合った人たちに合わせた対応なんだろうな、そのあいだは基本的に俺と直接顔を合わせるのは限られた人たちだけだ。

 

美奈子さん、ローズ先生、ひなたさん……そして、目の前の早咲。

 

あの後に俺の前に来て……俺が平気だった相手だけだ。

 

……どうしても、いや、早咲のおかげで良くなる前までは顔なじみの兵士さんでさえ、近づかれただけで息が上がり始めていたからな。

 

………………………………どうも、これはトラウマというものらしい。

 

悪意を初めて受けたんだからしょうがないんだろうけど……やっぱり情けない気持ちでいっぱいだ。

 

だって、女性に近づかれただけで……って。

 

これじゃまるで、男性恐怖症の女性……。

 

………………………………。

 

ああ、そうか。

 

そういう人たちも、今の俺と同じ気持ちなんだ。

 

「ほんとうは、またなにかがあったりしたら……それこそ、まだ捕まっていないけれどヤケになった人たちが直接にーって可能性もありますから、セキュリティが「かなり高」なここではなく、もっと安全な場所がいいのかもしれませんが」

 

「いや、ここでいいよ。 今は警備、ものすごくなっているんだろう?」

 

「ええ。 外に出たら物々しくてびっくりするくらいには。 学園全体の上空もヘリやドローンで監視されていますし。 今ごろは他の生徒も……周りの人たちも、大騒ぎなんじゃないですかねぇ。 あ、学園の周りにはバリケードとか迫撃砲とか戦車とか揃っているらしいですよ? あとでテレビの中継で観ます?」

 

「……いや、いいよ。 けど、まるで……ちょっとした戦場だな」

 

「この世界での男性、しかも健康な少年……いえ、青年ですね、の扱いなんてこんなものですよ? だって、ひとりいるだけで人口の減りがものすごく変わるんですし」

 

「そういうものか」

「そういうものです。 だって、平均で千人は軽く超える……あ、ごはんのおかわりは?」

 

「……半分くらい頼むよ。 けど、あんまり食欲が」

「なら……適当にオムレツでもどうです?」

 

「…………ああ、軽くでいい、頼むよ」

「りょうかいっ」

 

席を立って台所に向かう、今となっては男にしか見えない早咲を見て思う。

 

……こいつが俺に手だししないって信用されているのは、ついでのように聞かされた女癖の悪さのせいなんだろうなっ、て。

 

だから、この空間に……貴重な男という俺とふたりきりっていうのを先生たちがかんたんに了承したんだろうから。

 

それは、俺にとっては……他の誰にも無理な、限りなく近い出身の男子と一緒にいるって言う、いちばんに安心できる相手だから。

 

「だけど、息が詰まる感じがするな。 外は物騒で、ここは俺たちだけだし。 ただでさえ体動かせないんだしな。 この部屋から出るのも物騒みたいだし……ゲームで、テレビの前で動くくらいしかないもんな」

 

「それもそうですねぇ。 ……では、台所からですけど、ヤな話の続きです。 どうせならおなかいっぱいで気分がそこそこいいときに言っときますね。 ……直人の誘拐には、末端まで含めますと数百人が動員されていました」

「……数百」

 

「はい。 学外を含めて……と言うよりも、外が黒幕さんですのでそちらが大半みたいです。 なので、すでに一部の人間には直人の存在も知られていることが分かりましたし、裏の世界の人たちにはとっくに……ほんと、どうやってかは分からないけど、知られている。 それが分かってローズ……先生はものすごく落ち込んでいましたねぇ……。 ……ですが、ここで下手に動いて……移動したりして、直人のことを直接に知らないでいた人たちにまで急に直人を知られるっていうのはリスクなんです。 ここを固めて迎え撃つのと、移動中に襲撃される可能性。 それを考えた結果、ここで様子見だと落ち着いたようですね。 ま、今日のお昼で直人って言う飛び入りの男子生徒がいて、襲われたっていう情報は流すみたいだけど」

 

「………………………………そっか」

「はい」

 

もそもそと……素材も最高級なはずで、昨日までは美味しすぎるって思っていた飯を咀嚼する。

 

今は、……まだ、そこまで美味しいとは感じられないな。

 

やっぱり、なんだかんだ言って、あれが相当にこわかったんだっていうのがこういうところからも分かる。

 

「あ。 あとですね、今日から僕もしばらく一緒です。 泊まりですね、当分」

「……早咲が?」

 

「はい。 その方が……独りにならない方が良いだろうとの判断だそうです。 実際に、ほんの数時間でしたけど、さっきも眠れましたよね? 僕がそばにいたのに」

「………………………………ああ、そうだな」

 

あの後。

 

休んだ方が良いと言われてベッドに横たわったものの、うとうととしては縛られていた場面を思い出して飛び起きるっていうのを繰り返した俺。

 

そこに早咲がもういちど来て、今度は近くのソファで寝始めて、……それから30分くらい前までは、たしかにぐっすり眠れたもんな。

 

あれを、撃退してくれた……中身は男、同じようなところの出身っていう安心感からか。

 

「やっぱり誰かがいるっていうのは安心できるもんだな。 ……そうだ、俺の……来る前の世界でも、ひとり部屋でこそあったけど、家には母さんもいたんだ、当たり前か」

 

「ましてや寝込みを襲われた恐怖というものがありますからねー。 ちょっとやそっとじゃなくなりませんよ。 人というのは過剰に恐れを覚えるものですから。 あ、はい、できました。 シンプルイズベストなオムレツ。 僕がよく家で……あ、前世はひとり暮らしだったので、作っていた手抜き料理だけど」

 

「いや、俺なんかカップ麺くらいしかできないし、ありがとな」

 

ささっとオムレツを……なんでも家事スキルはモテるためには必須なんだとか……作り、おかわりとして差し出してくる早咲。

 

おかわりだから知っているけど……不本意ながら、用意されていた朝食よりも美味しいんだよな。

 

男の手料理って、もっとおおざっぱな感じだった気がするのに。

 

その辺は前世……って言うのか?それからの蓄積なんだろうか。

 

それとも、女として生まれ変わったから味覚とかも変わっているんだろうか。

 

「ああ、なによりも男がいるっていうのが安心できるのかもな。 だから早咲も、男の格好したままなんだろう?」

「はい、これで正解でしたね。 もっとも、女の子と一緒のときにもだいたいこのような感じですけど。 モテますので」

 

「…………………………だから、男の格好している姿の方が多かったのか」

「はい♪ だって、この学園にはお相手がいなくて、しかも箱入りな子がたくさんいるからそりゃあもう入れ食いで」

 

「それ以上はいいよ、俺、そういう話題にはあんまり興味ないし」

「それは残念ですねぇ……せっかく同性の友人なんです、存分に自慢したかったのに」

 

「言ってろ。 俺とお前とじゃ、男同士……体も世界も同じだったとしても、たぶん生きる世界がもともと違うんだ」

「ま、そうですよねー。 死ぬ前だって、ほんの数人の仲間にしか理解されませんでしたし」

 

「………………………………いたのか、お前みたいな女好き」

「ええ♪ ナンパしていると、自然と知り合いになるんですよ。 ああ、彼らは今でもブイブイ言わせているんでしょうかねぇ? ……彼ら、もういくつになっているんでしょうかねぇ」

 

……こういう話になると、早咲は完全に男だ。

 

見た目は優男、中身はそれを超えたナニカ。

 

それが野乃早咲という……俺が、ゆいいつ安心できる女で、元・男なんだ。

 



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21話 自覚(中)

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:「男装」している「女の子」。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、野乃早咲「くん」  こっそりと揺らぎ始める直人くん。 この世界でたったひとりの理解者で、ずっとそばにいる子なので仕方が無い、のですが……。

※このおはなしはあらすじにある通りです。ご心配は要りません。



 

「ところで、です。 あ、ところでなんだけど、直人? ……僕が重い思いをして持ってきたこれはどうです?」

「ああ、………………………………最高だな。 だけどそれ、護衛の人が」

 

「そう。 それはよかったですっ。 これは何年もかけて集めてきた秘蔵コレクションなんですよ♪」

 

「……まあいいけど。 だけどそれ、ほんとうに秘蔵、なんだよな。 ……そう、だな。 この世界じゃ、きっと、なかなか手に入らないものなんだろうし」

 

「です。 それはもう……あ、多分君の世界でも同人ってあったと思いますけれど、そういうところへ足を運んで何回かに1回あるかどうかですねぇ……いえ、商業でもものすごーくニッチ向けであるにはあるんですが。 あとは1発ネタとかで似たのを見かけたりもしますけど、残念ながら続きませんねぇ」

「………………………………だ、ろうな」

 

早咲から振る舞われた食事を……これまでみたいにとんでもなくいい素材を使って豪華な料理、じゃなく、もっとふつうの……母さんがよく作ってくれたみたいな味のオムレツを楽しんでから少し。

 

俺の目の前には、早咲が持ってきた大量の本や、映画やゲームソフトのパッケージがあった。

 

……どおりで来たときには疲れ切った顔をしていたわけだな、でかいリュックにパンパンに詰めてきていたんだもんな。

 

兵士さんが。

 

早咲じゃなくて。

 

ダンボール数箱分……いくら鍛えていても重かっただろうな。

 

「けど、驚いたよ。 まさかこの世界に……価値観が変な方向に真逆って言ってもいいこの世界に、俺たちと同じような、男と同じ感性を持った人がいて。 俺たちが読んでも違和感がほとんどないような話とかがあるなんて、な。 ……こういうの、諦めていたから嬉しいよ。 だって、テレビつけても……その」

 

「あ――……つまらない、ですよねぇ。 なにせ、高嶺の花の男性をちやほやする番組がウケるんですもの、そういうのばっかりになるのは仕方ないです。 昔からある人気番組の例を挙げるなら……そうですね、とんでもなく美形な男の子たちを集めたユニットを引っ張りだこ、ですかね? いつも人気投票して、彼らが出ない番組は露骨に視聴率が落ちますし。 これは世界……子の世界中どこだって同じです。 ………………………………だって、絶対数が少ないんだから。 それなり以上に格好いい男の子や男性って。 僕たちのいた世界でのアイドルやタレントっていう女の子たちよりも、ずっとずーっと」

 

「……そうだろうな。 だからこそ、文化が……俺たちが生まれるずっと前から、映画とかからしてまるで違う方向になったんだろうしな」

 

ぱらぱらとテーブルに置いた本を手に取って眺めつつ早咲の言葉へ返事を返す。

 

この部屋には、俺が退屈しないように……いや、この部屋に来た男が退屈しないようにだろう、テレビはもちろん本や雑誌、マンガやゲームや映画など、結構な量の娯楽がこれでもかと用意されていた。

 

それはもう、リビングの一角の棚を丸ごと使うくらいには。

 

……だけど、違ったんだ。

 

どれも、俺の感性とはかけ離れたものばっかり。

 

話は基本少女マンガみたいな流れのものしかないし、ゲームは……その、俺はほとんどしたことはないけどギャルゲーとかいうものの逆バージョンみたいなものしかなくて。

 

それ以外のものは、………………………………とにかく男を取り合う。

 

ときどきおもしろいのはあったりしても、結局はそれを巡っての何十人の女性キャラクターたちの争いだしな。

 

だから、退屈していたんだ。

 

だから、適当にテレビをつけて……その内容じゃなく、俺の世界との違いって言うものを探そうと躍起になっていた。

 

けど……ええと、上手く言葉には出来ないけど。

 

「……ふーん。 ここ最近の話題作から古めの人気作品まで揃えてありますね、この世界基準の。 さすがは男性用の個室、豪華なのは部屋だけじゃ無いんですねぇ。 ま、一面大理石に比べたらこの棚ごとでも足りないくらいでしょうけど」

 

「……こういう、映画でしか見たことないような豪華な部屋よりも、修学旅行で行ったような和室の方が気楽なんだけどな、俺。 家だって結構ぼろいし」

「そうでしょうね。 僕だってそうですもの。 ……申請しておきます? そういう風に。 ひと晩とかからず、朝出て夕方戻って来る頃にはすぐに用意してくれていると思いますが」

 

「止めておくよ。 俺のために部屋の内装を丸ごと取っ替えされるとか、そっちの方が疲れる」

「あははっ、でしょうね、分かりましたっ」

 

早咲が、壁に掛かっている高そうな絵をこつこつと叩きながら言う。

 

………………………………。

 

ああ。

 

早咲、こいつもやっぱり、俺と同じ価値観を持っているんだな。

 

そう思うだけで、暖かくなってくる。

 

「話の主軸が恋愛と人間関係、それもドロドロでエンディングはお決まりのように理想の男と結ばれるか、それとも暗ーい感じで終わるか。 そういうのばかりですからねぇ。 ……まあ、おもしろいものもあるにはありますけど、でも、やっぱり」

 

くるっ、と、うなじの辺りで結ばれた髪の毛を翻しながら早咲が笑う。

 

「――僕らが読みたいのは、こういう話じゃない。 もっと、少年マンガみたいなものだったり、推理ものだったり。 別に恋愛要素はあってもいい、けどもそればっかり何回も似たような展開で繰り返されるのは勘弁。 いちいち立場が上の女の人にいじめられる展開があってうっとうしい。 登場人物が多すぎ。 どうでもいい過去のあれやこれやなんかさっさと飛ばしたくなる……ですよね?」

 

「……そうだよな! やっぱそうだよな!」

 

「はいー、だからこそこうして収集っていうものをしていかなければならないわけで。 本屋さんに通い詰めて、映画も片っ端から観て、いろんなイベントに出向いて。 ……でも、売れませんから。 個人が作ったもののほうが当たりが多めです。 そういう作者さんたちとコンタクトとっておくのが鍵なんです」

 

「あー、そうか、これ、元はと言えば早咲、お前が楽しむために、だもんな」

 

「ですね、こういう……僕たちが満足できるようなものを集めているのは、恐らくこの世界ではものすごーくマイナーなので、なかなかいないでしょうし。 家でヒマしてるとき、ぱらぱらと楽しめる適当なマンガさえないとか地獄じゃないですか」

 

「そうだけど……大変だったんじゃないか? この世界、特に娯楽系が俺たちの世界とは」

 

「ええ。 でも、10年近い時間をかけられましたので、そこそこ、ですかね? 今ではネット……は、そっちにもありましたよね?」

 

「ああ、あるな。 ……こっちにもふつうにあるから気にしなかったけど、そうか、……半世紀以上前からの歴史が丸ごと変わっているんだ、ヘタしたらそれすらもなかった可能性すらあるのか」

 

ネットがない。

 

……想像しただけでぞっとするけど、ありえない話じゃない。

 

歴史が……あるときを境に変わり始めて、半世紀前には完全に変わっていて。

 

起こったはずの戦争が起きていなかったり、全く知らない国同士が男を巡って戦争していたりするんだからな。

 

だって、テレビを……数日だけだけど見た限りじゃ、ほとんどの政治家だって女の人だしな。

 

俺が知っている……朝のニュースとかで見たことのある人は、誰ひとりとしていないんだから。

 

少なくとも、娯楽系の歴史に関しちゃ……ええと、マンガの造りからして違うっていう時点で相当に変わっているもんな。

 

「……直人が「こういうこと」について尋ねてきたりしなかったと聞いていたので予想はしていましたが、僕たちの世界は似ているんですね。 まぁ僕の場合はすでに去ってから十数年も経っているので、時間の早さっていうものが同じなら、とっくに未来になっているはずですけど」

 

「………………………………えっと? ごめん、どういうことだ? それ」

「僕が……前の世界で死んでから、もういちどこうして生まれてこの年になるまでの時間が、経っているかもしれないということです。 あっちに残してきた彼女たちや、家族は。 ――――――――――――……ごめん、これは忘れて。 あ、で、こういうことを言いたかったんだけど……何だか難しくて。 ほら、これみたいにさ」

 

こういう感じの、と、……ぱらぱらと見た限りにはSF系のマンガを手渡してきた早咲。

 

「そういうことで…………、この話は置いておきまして」

「話し始めたのは早咲じゃないか? というか、今のは」

 

「いいじゃないですか、脱線だってしますよ、僕だって。 なにせ、ほぼ同郷の友人を見つけたんですから。 今まで言えなかったこととか、ぽろっと出ちゃったり。 ……ま、当分は触れないでくれるとうれしい、かな」

「………………………………………………………………ああ」

 

ほぼ、同郷。

 

俺たちが来た世界……生まれ育った世界っていうのが同じっていう保証はどこにもない。

 

だから、ほぼ、か。

 

そして、早咲の世界は「こっちで早咲がこの歳になるまでの年月が経っている可能性」が。

 

………………………………。

 

……俺が帰ることができなかったとしたら、いずれそういう気持ちになるんだろうか。

 

ぱんっと、軽く手を合わせて早咲が首をかしげつつ笑顔に切り替え。

 

「……で、ですね? ネットなら全世界の人が繋がれます。 なので、こういう……僕たちの世界では当たり前でした王道の作品とかいうものも、この世界ではものすごくニッチで、ほとんどの人は知りさえしません。 けれど、少ないながらも一定の需要はあるみたいで、ちらほらと見かけるんです。 だから、時間をかければ集められたんですよ。 ……これが、ネットのない世界とかだったりしたら、たぶんこの10分の1も見つけることもできなかったはずですし。 直人も英語を読めるようになったら分かるでしょうけど、海外の作品にもそれなりにあるんですよ? 僕たちが読んでおもしろいものって」

 

ほら、ネットの前には同人とかで人が集まっていたって聞いたことがあるでしょう、と言われ、そういえばどっかのマンガでそういうのを見た記憶があるのを思い出した。

 

 

 

 

「で、ですね? ……そのぉ……」

「……どうした? 急に」

 

ふたりして……20、30分くらいだろうか、楽な格好で早咲の持ってきたマンガを読んでいたところ、不意に早咲が起き上がり、……なぜか正座をして俺の方を見てくる。

 

いや、ほんとうになぜだ。

 

なにか大切なことを言おうとしているのか、やけに真剣な顔をして。

 

「……実は、ですね?」

「お、おう」

 

「………………………………僕、少ーしばかり、面倒なことがありまして」

「面倒なこと、って?」

 

「まあ、それはいいじゃないですか」

「言いだしたのはお前だろ? 早咲」

 

「まあまあまあ。 つまりですね、そのー、厄介ごとがあるので、僕、あまり帰りたくないんですよ。 それに今は試験も遠いですし、特に用事もなくて暇なんです。 なので、こうして適当に過ごさせてもらってもいいですか? ここで」

 

「いや、いいけどさ。 そうして渋られると余計に聞きたくなるな、面倒ごとって」

「あー、言いにくいのでそのうちでいいですか? そのうちで。 で、いいですか?」

 

「………………………………いや、いいも何も、俺が安心できるのはお前とか母さ、美奈子さんとか……あとは既婚者の人。 それも、旦那さんとものすごく近い関係の人くらいだし、別にいいけどさ」

 

「ほんとうですね? ああ、よかったです。 これでひと安心ですねっ」

 

ぱあっと、……この瞬間ばかりはどきっとするような、女子みたいな……いや、女子になっているんだけどな、早咲は……はにかむ、っていう感じの笑顔を俺に向けてくる。

 

ガッツポーズもしているけど、脇を締めているからどう見ても女子の仕草だし、それにいつの間にか正座が崩れて……女の子座りっていうのか? に、なっているし。

 

………………………………。

 

……いやいや、こいつは男、肉体は女だけど心も格好も男なんだ、嫌な考えは遠ざけないと。

 

「直人が頼んでいるっていうことにしたら、美味しい料理もお菓子もジュースも、なんでもかんでも頼み放題ですし? いやー、直人様々ですねっ。 直人様って呼びましょうか?」

 

「……それ、晴代、……綾小路さんと被るから止めてくれないかな」

「あら、晴代ちゃん……あー、同級生にも様付けしますものね、彼女。 分かりました、直人のままにしておきます」

 

「そうしてくれ」

 

はあ、と、こっそりため息をつく。

 

……ただでさえ、一瞬でも変な感情が起きたんだ。

 

これ以上なにかがあったら……今度こそ、俺の心の平穏っていうものが、完全になくなってしまうもんな。

 

早咲は、男。

 

肉体上は違えども、俺と同じ男。

 

それで、いいんだから。

 



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22話 自覚(もうすぐ)

 

部屋の中に、ときどき新しく菓子の封を切る音が響く。

 

パリパリと、菓子を口に運んで食べる音が響く。

 

そんな調子で、もう数時間は経ち……俺たちはすっかりくつろいでいた。

 

どうせなら床の方が楽じゃないですか?という早咲の提案で、俺たちはテーブルをどけ、テレビの前に陣取り、適当な番組を流しながら……テーブルの上に用意されていた菓子のほとんどを開け、極めて不健康な夕方を過ごしていた。

 

………………………………ああ、これだ。

 

こういう、どうでもいい時間を過ごしたかったんだ、俺は。

 

ちやほやされるんじゃなく、過剰に反応されるんじゃなく、ただこうして……静かに過ごせる時間っていうものを。

 

「あ、直人。 このマンガでもあったけど、やっぱりタケノコがいちばんってことでいいでしょうか」

 

「……いや、俺は別にどうだっていいけど。 でも、なんでこういうところは同じなんだ……。 菓子、見たことないものばっかりなのに」

 

「さあ? それで直人は、里と山、どっち派ですか?」

「俺は特にこだわりはないな」

 

「ならここはキノコにしましょうか」

「……お前、10秒で浮気するなよ」

 

「いやー、だってこれ、意外と盛り上がるんですよ? 山・里、あるいは第三勢力って。 ド定番です」

「知らないよ……俺、興味ないし」

 

「そうですか。 なら仕方ないですね」

「ああ、仕方ないんだ」

 

そう言ったと思ったら、……その両方をいっぺんに頬張りながら手元のマンガに視線を落として急に黙る早咲。

 

……こいつ、話してみると意外と気分屋なんだよなぁ……。

 

なんというか、興味がそのときそのときでころころと変わる感じ?

 

けど、話している限りはどう聞いても男との会話でしかないわけで……それが、俺を困惑させるんだ。

 

……と。

 

「……あれ。 おい早咲、この続きの巻って」

「あ、ごめんなさい、今手元に。 あと半分なので別のを読んでいてくれます? 久しぶりに読むので楽しくって」

 

「いいよ、無理しなくて。 適当なのを読んで待つから」

「すみませんねぇ。 あ、最後のキノコ食べます?」

 

「……ああ」

 

すっ、と、おなじみのデザイン……によく似たパッケージをした箱の中の袋に入った菓子を差し出され、その中からひとつだけ残っていた、……おい、これ茎しかないじゃないか。

 

「……………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」

 

すっ、と視線を逸らす早咲。

 

……こいつ……。

 

………………………………。

 

仕方なく箱ごと受け取って味のない細長い部分を食べ、ゴミ箱へ投げ入れる。

 

そういうのは任せたとばかりに早咲の視線は紙面に落ちたまま。

 

……まあ、これまでずっと、何かにつけて世話を焼かれすぎてうんざりしていたからな。

 

こういう素っ気なさこそがいちばん楽だし、ま、いいか。

 

適当にマンガを引っ張り出し、開く。

 

もう、とっくに夕飯を……きちんとしたそれを食べようという気は失せているし、そういう連絡もさっきしてしまった。

 

だから俺は、俺たちは……ただ黙々と、ときどき二言三言話し合い、また読みふけるという静かな時間を過ごした。

 

 

 

 

部屋に音楽が鳴り響き、思わずびくっとした。

 

……何だ? この音は。

 

「……あ、ごめんなさい、これ、僕のスマホの着信音です。 ……ちょっと外しますね」

「あ、ああ、分かった」

 

そう言って立ち上がった早咲は、俺から離れるようにして誰かと会話をしながら歩こうとして、………………………………くるっと周り、引き返してきた。

 

「直人」

「……どうした」

 

「えっと、ですね? 夕飯……正直もういらないかなって思っていたんですけど、何がいいかっていう連絡です。 あの、軽くでいいって言っていたけど、じゃあ何がいいのかって聞いてから、いくら直人に連絡しても返事がなかなか返ってこないから、って」

 

「………………………………あ、すまん。 マナーモードにしてた」

 

「駄目ですよ? 昨日の件で、ただでさえみなさんピリピリしているんです。 そんな中で連絡が途絶えたら、いきなりドアと窓を破って護衛の方たちが入って来ちゃいますよ? 直人の精神状態っていうのを考えてもらって、外に出てもらっているんですし」

 

「……そ、そうか。 そりゃそうだよな、すまん」

「いえ、いいですよ。 ……というわけです、先生。 直人や僕がどうとかいうわけではないのでご安心ください」

 

見ると、……数十件の連絡が来ていたらしい。

 

……数字を見てびびったのは黙っておこう。

 

元から友人はいたにせよ、互いにほとんど連絡はしないような奴ばかりだったし、母さんも直接会って話した方が早いっていう性格だったから、多くても数件っていう具合だった。

 

それに俺は、ソーシャル何とかも……この時代なのに、登録と入学のときの交換のための交換とあいさつをしただけで、それからは手つかずという始末だったんだもんな。

 

うん、しょうがないんだ。

 

……見てみると、最初はメッセージ、次第に電話の割合が増えていき……という感じだったらしい。

 

…………早咲が言っていたみたいに、よく突撃されなかったものだと思う。

 

それほどまでに、早咲、こいつという生徒が信頼されているんだろうか。

 

まあ、中学……いや、小学校からだったか? ……主席っていう何よりも説得力のある立場に加えて、俺がこの世界で見つかったときからの仲だし、なにより襲われかけてパニックになっていた俺を落ち着かせたっていう実績まであるんだ、当然なのか。

 

……それに、早咲の言うことがほんとうなら、こいつはこの世界でも女好きで相当に有名なはずだもんな。

 

そんな奴が、男の俺を……っていう可能性は低いって思われているんだろう。

 

俺がそう言うのに慣れていないから、って言って避けていたけど……やっぱり早咲、相当な遊び人ってやつなんだろうな。

 

俺が、一生かかっても理解でき無さそうな思考回路と下半身なヤツ。

 

……最初の頃に思っていたように、優男っていう印象。

 

どうも、正しかったみたいだな。

 

実際はもっと、ずっとひどい有様なんだけど。

 

心の中ではチャラ男とでも呼んでおこう。

 

「……はい、はい、それでは。 ……あ、直人、終わりました」

「…………ごめん、俺のせいで」

 

「いえいえ、あんなことがあったんです、今はただゆっくりしたいだけかもしれないって先生方も考えていたみたいでしたので、ただ、今ふたりしておかし食べながらマンガ読んでいましたーって言っただけですし」

 

「……そっか」

 

「はい。 あ、で、夕飯なんですけど、一応きちんと食べなさいって言う命令が来てしまったのでなにかしら頼まないと、なんですけど……どうします? 朝と昼みたいに、ドアの前まで持ってきてくださるみたいですけど」

 

「……あー、どうするかなぁ。 炭酸飲みすぎたし、食欲、あまりないんだけどな」

「僕もですよ――……。 けど、美奈子先生、怒るとこわいですし」

 

「……美奈子さん、こっちでもやっぱり説教は厳しいのか?」

「あ、そういえば直人の世界でも美奈子先生は先生しているって言っていましたね。 ええ、そうです、ものすごくこわいんです」

 

「主席っていう、いちばんの優等生のお前も叱られたりするんだな?」

「あ――……。 えっと、その。 はい。 ……学業やスポーツ以外のことで、ちょっと、です」

 

「そっか。 まあ、母さ……美奈子さん、服がよれているだけでも叱ったりするもんな、お前でも1度や2度はそういうことはあるか」

 

「え、ええ、そういうことですっ。 あ、で、どうします? 何か頼んだ方が……主に僕が怒られないために、お願いしたいんですけども」

 

「……なら、ピザとかにするか? 体に悪いって叱られそうだけど、俺がどうしても食べたいって言ってるって言えばいいだろうし、あれならいくらでも食べられるだろ? こんだけ食欲なくても。 サラダもお願いしますって言っとけば栄養バランスがー、とか言われないだろうし」

 

「あ、いいですねっ。 ……あ。そういえば、お昼。 さっきのお昼もラーメンと餃子っていう組み合わせで僕たちニンニク臭すごいでしょうし、きっと明日まで消えないはずです。 ならガーリック系のも頼んじゃいます? 余ったら冷蔵庫に入れておけばいいんですし。 あ、直人はそういうのも好きですか?」

 

「ああ、ピリ辛のも好きだぞ? いいな、こっちに来てからっていうもの、なんだか健康すぎるっていうか、味付けが薄いものばかりしか口にしてなかったから、そういうのが食べたくなってきたよ」

 

「あー、そうでしょうねぇ。 直人はただでさえ重要人物で男子で、しかも美奈子先生の関係者と来ています。 そりゃあ、……たぶんメニューとか渡されたんでしょうけど、それにも「体に悪そうな食事」なんて載せませんよ」

 

「……そうか。 無いんじゃなく、見せなかっただけか」

 

「ですねぇ。 ここって基本、男性の望みはすべて叶える価値観ですので……逆を言うと、うまいこと誘導して男性に、心身どちらも不健康になりそうなものは与えないっていう仕組みになっているんですよ。 ええ、ディストピアそのものですね? ある程度の健康と好みの女の子たちに囲まれた、働かなくてもいい生活ができて……下半身だけは満足できるという構図です。 それが結果としてこの世界を少しでも長持ちさせるための機構なんです」

 

……さらっと言われたけど、こわいな、それって。

 

元男な早咲でも何でもないって感じで口にした、「与えない」っていうモノ。

 

………………………………それはつまり、幼いころから洗脳まがいの教育で、この世界の女性が望むような男に育て上げるためのシステムなわけで。

 

「あ。 ……大丈夫ですか? ごめんなさい、ヤなこと口にして」

「……いや、平気だ。 こういうことに気がつかせてくれるっていう時点で、この世界の人たちと比べられないくらいありがたいからな」

 

そう。

 

俺が頼れるのは、心が完全に男で……男として生きてきた記憶もあって、同じような世界で生きてきた早咲だけ。

 

こいつだけ、なんだから。

 




ふたりの、たったふたりだけの世界。 直人くんから見れば、たったひとりの理解者な「女の子」。物語の週末はもうすぐです。 ※あらすじのとおりです。改めてご安心ください。


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23話 自覚

 

「……あー、おいしかったですねぇ。 やっぱり体に悪いものっておいしいって決まっているんですね――……けぷ」

 

「そうだなぁ……少し食べ過ぎたかもしれないけどな、これ」

「いいんですよ――…………あ、でも少し動けないかもです」

 

ふたりして……腹がいっぱいすぎて寝転がることもできず、もぞもぞとだらしなくソファーまで這いずって、だらしない姿勢で座ったまま何でもない話をする。

 

早咲も俺も、制服こそ着ているもののほんとうにだらしない格好になっている。

 

俺の制服もシワが着いているだろうし、早咲に至ってはヘソが出ているくらいだしな。

 

………………………………。

 

腰が、細い。

 

肌が、白い。

 

……そこは、やっぱり男とは……じゃなくて!

 

「あ、あ――……けど……こういうの、学食のメニューすらなかったよな? 女子だってラーメンとか餃子とか好きだろ?」

 

「あー、そうなんですけど、でも、そうですねぇ……こっちの人たちって、基本的にお上品な食事しかしませんから。 いえ、もちろん今食べたみたいに料理自体はあるんですけどね、ほとんど同じ味付けの」

 

「あるのか……俺はてっきり」

 

「女性は味覚も嗅覚も感性も違いますからねぇ、男とは……もっとも、大半は、なので、こうしておいしいものを出すお店もあるんですけど。 けど、……やっぱり少ないですね。 ほら、このピザだってかなり小さくて、僕が言ったとおり倍の量にしても平気だったでしょう? こういうちょっとした違いがいーっぱいなんです」

 

「あ――……確かになぁ。 あれじゃ食事と言うよりは間食っていう感じだしな」

「足りないですよね? なのでこっちの人たちはサラダとか前菜を何皿か食べるんですよ。 ……ま、ここがお嬢様、いや、ご令嬢様、お姫様階級の子が集まっているっていうのもあるんですけどね――……」

 

ぽんぽんと……俺と同じように膨れた腹を叩きながら言う早咲。

 

……肉体は女だからもう食べられないとか言って、余りを俺に押し付けたのは忘れていないぞ?

 

「んあ――……これで、もっと大勢の男子が集まってわいわいするのが楽しかったんですけどね――……もう、絶対に無理っていうのがちょっとだけ悲しいです」

 

「……他に男、同年代のって」

 

「いますけど……聞いたと思いますけど、そもそも結婚している間柄の女性に囲まれていて話せもしないって言うか、学校自体に来たりもあまりしませんねぇ。 だってほら、彼ら……勉強する意味ありませんし。 いえ、来る人もいまし、お家で勉強する人もいますけど。 でも……ほら、彼らの生きる目標というか生きる意味って……子作り、なので。 直接的にと、間接的にと。 生きている内に……えっと、直接じゃなくてもどれだけのこどもをこの世に産み出させたかっていうのが人生の目的って擦り込まれていますし。 そんでもって、今の僕って女でしょう? だから」

 

「……この世界の男たちの悲惨さはともかく、早咲は彼らに近づけない、のか」

 

「ですね。 まあ、今後は直人のそばにいることが多くなると思いますから、直人を利用、おっと失礼、一緒にいないといけないっていう口実で近づけると思いますけどね、男子同士の集まりに。 いやー、小学校のころまでは結構話とかできて楽しかったので、これから楽しみですねー。 直人さまさまです」

 

「…………………………利用とか、不審な単語が聞こえているぞ?」

「いいじゃないですか、軽い冗談ですよ。 男同士じゃないですか」

 

ちらっと横を見ると、男子の制服を着て……胸も尻も出ていなくて、髪の毛も後頭部の下の方で縛っている感じで、少し女っぽい見た目だけど男としても見ることができる。

 

そんな早咲がいる。

 

野乃早咲。

 

……この世界で、たったひとりの……俺がほんとうに心を許せる存在。

 

「あ、ちょっとお手洗いに行ってきますね。 食べたものがもう出そうで」

「そんなにすぐに出やしないだろ……というか、下品だぞ?」

 

「いいんですよー、こんな軽口叩けるの、直人くらいですもん」

 

「女同士だと……女子校とかだと男みたいに酷いって、俺の世界で聞いたことがあるぞ?」

 

「でしょうし、知っていますよ? けど、こっちってほら、相手がいないのが9割っていうものすごい環境なので、自然と男役っていうのが出てくるんですし、それを大半の女性が望んでいるんです。 タカラヅカみたいなものですかね? ……なので、そういう男役の女子の前では」

 

「共学の女子みたいに「お上品」になるってわけか」

「です。 加えてここに来ている子たちの出身もありますけどね。 あ、それにほら、僕もふだんこういう格好しているでしょう?」

 

立ち上がってくるっと回る彼女……彼って言ってやった方がいいだろうな、いや、やっぱり「こいつ」でいいか……は、女子みたいにスカートを翻したりもせず、縛った髪の毛をふわりと浮かせる程度、上着が軽く浮く程度の……中性的な男、男子生徒にしか見えない。

 

「こういうの、僕だけじゃないですよ? 自分から「男役」を選んで男の格好をして……まぁ、成長して体つきが変わっちゃったら無理ですけど、そうじゃない子って、それなりにこっち側になるんです。 んで、自分は物語の中でしか見たことのない男子扱いをしてもらえて、他の女の子も男子みたいな存在がすぐそばにいて……なんなら恋人同士になれるっていうので、どっちもしあわせになるんですよ。 だから僕のこれは特別じゃないんです」

 

「なるほどな。 そんで、前世の記憶を使って贅沢な暮らしをしているわけだな。 勉強もスポーツも万能で、頭も年相応以上に回って、だもんな」

 

「じゃなければ主席なんて……いいとこの小学校からずっと、9年間も取り続けられませんよ。 あ、今年でたぶん10年連続になりますね。 でも、それに見合った努力はしているんですよ? ちょっとした取りこぼしで2位の子に追い抜かれちゃうんですから。 運動だって人一倍していますし? 走り込みとジム通いは日課ですし。 まあ今はさぼっていますけど」

 

えっへん、と腰に手を当てて偉そうな顔をして、そうだ、と慌ててトイレに向かって行く。

 

……確かここは特殊な、治外法権とかになっているほどの学校だ。

 

いろんな国のお偉いさんの娘さんたち……女子たちと、成績がものすごくいい人たちが集まっているところ。

 

そこに入るだけでもすごいのに、さらには主席。

 

前世で……幾つくらいまで行ったんだか知らないけど、それでも今世でものすごい努力をしているんだろう。

 

平均点ちょい上をうろうろしていた俺とはまるで違って。

 

………………………………。

 

はあ、とため息をついてソファーにもっと体重を乗せ、くるくると回る翼を眺めながらぼんやり思う。

 

……こういうのって、いいな。

 

中学のときの友だちとの修学旅行での夜を思い出す感じ。

 

お互いに遠慮がいらなくて、ただだらだらとしていても平気な感じ。

 

……悲しいことに休みの日や夏休みとかにそういうことをできるような相手はいなかったんだけど、だからいっそうに楽しかった、ああいう感じ。

 

気軽な感じ。

 

……この世界に来てから、ずっと息がつまる感覚がしていたのはこれだ。

 

こうして気楽に相手できる人が、ひとりもいなかったからだ。

 

もちろん美奈子さんや晴代さ……晴代や沙映はいい人たちだ。

 

だけど、彼「女」たちはやっぱり女性であって、女子であって……俺たちとは違う存在。

 

早咲が来てからみたいに、話してはお互いに好きなことをして、ぽつぽつと軽く話すっていう時間はない。

 

彼「女」たちの前では、ずっと、終わることのない会話が続くんだ。

 

……俺を気遣っているっていうのもあるんだろうけど、大体の女子って……女性って、話すこと自体が楽しくて、延々と話している印象があったけどそのとおりで。

 

その上、俺を意識しているのが丸わかりでこっちまで意識せざるを得ない有様だしな。

 

……ああ、沙映はそういうのが薄いけど、ゼロって言うわけじゃないし。

 

沙映は気分屋、んでひなたは引っ込み思案なこどもって感覚だから……あのふたりはまだ楽な方だけど。

 

だけどやっぱり俺には、まだ……一時は覚悟もしたし、近い内にしなきゃって言うのは分かっているけど、でも……恋愛なんて、結婚なんて早いんだ。

 

早すぎるんだよ。

 

俺、今まで彼女もいたことない高1だぞ?

 

それが急に、急いで相手と仲良くなって結婚しろだ?

 

とりあえずでいいから気に入った子に声をかけて……その、しろ、とか?

 

できたら半年以内には……ええと、孕ませろ、だとか?

 

………………………………無理に決まっていたんだよ、初めから。

 

だからこうして……早咲がうまいこと言ってくれたらしく、当分は早咲とふたり、のんびりこの部屋で好きにしていいっていう時間を楽しんでもいいだろう。

 

友だちと……男の友だちと寝転がったりして、朝から晩までマンガを読んだりゲームをしたりするのが楽しいんだからな。

 

 

 

 

「はい、さっきの続きの巻です。 お待たせしました」

「おう、ありがとな」

 

「これ、ラストで……おっと。 読めば分かりますよ……?」

「何だよそれ!? 気になるって言うか、ギリギリでネタバレだぞそれ!?」

 

「ネタバレは確かに悪です。 発売初日や上映初日に1番乗りして嬉しそうにネタバレしてくるような輩は罪です。 けど、これくらいならセーフですし?」

 

「お前な……」

 

何でもないような顔をしてネタバレをしかけた奴が何を言うのか……とも思うけど、こういう軽さがいいのかもな。

 

お互いに冗談も言い合えるし……っていうか早咲の方が今みたいな軽口を叩いてくるんだけどな。

 

……これまであった人たちみたいに、どこが楽しいのか分からない話題とか、微妙にずれた反応をお互いにして気まずくなったりもしない。

 

ただただ、学校で席をくっつけてお昼を食べているときみたいな感じ。

 

今日は1日中、起きてからずっと思っていることだけど……やっぱり早咲は、いい。

 

本音を言っても平気な間柄で、何よりも感性が同じって言うのが、な。

 

食べたものがある程度消化できたのか、ごろ寝しても平気になった俺たちはテレビを前に、ソファーに横になりながらマンガや本を読みふける。

 

ああ、もちろんソファーは別で、俺には大きい方、早咲は小さめなそれに、テーブルを挟んで対角線上にあるそこに寝転がっているけど、お互いに話しやすいよう視線が合う姿勢だ。

 

………………………………。

 

こういうのは嬉しいけど……、もし。

 

さっきから、朝からどうしても、何度も頭に昇ってきてはどうにかして落ちつけている考えが、顔を覗かせるんだ。

 

………………………………もし、こいつが。

 

野乃早咲っていう肉体は女子なこいつが、心の性別まで女子だったとしたら。

 

それでもって、今みたいな性格と考え方をするヤツだったら。

 

女、だったら。

 

その考えが浮かんでくると同時に、今日何度目かの感覚が起きる。

 

心臓が跳ねるというか、体が軽くなるというか。

 

そう、これは高学年と中学で、結局仲良くなることができなかった女子を見るたびに、近づくたびに感じていた感覚。

 

考えちゃいけないから打ち消すけど、それでも不意に浮かび上がってくる、この感覚と……「意識している」という想いだ。

 

考えちゃいけない。

 

感じちゃいけない。

 

想っちゃ、いけないのに。

 

それなのに、俺は。

 

………………………………。

 




直人くんの、明確になった葛藤。さて、ここからは終わりに向けて一直線です。直人くんと早咲ちゃんの関係が、どう変わるのか。……あらすじでネタバレしていますが、それをお楽しみいただけたらと思います。


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24話 葛藤と……

 

「! あ、直人っ」

「ん!? ……な、何だ!?」

 

「あ、ごめんなさい、急に大声出してしまって。 その辺りまで読まれたのならいいですよね! そんなところでヒロインが裏切るだなんてびっくりしたでしょう? この驚きを早く直人にも知ってもらいたくって!」

 

「あ、………………………………ああ、そうだな」

 

早咲。

 

俺の、唯一の……全てを分かってくれる友人。

 

その「彼」のことを……一瞬でも、「彼女」として見ていたことに気がついた瞬間に声をかけられたもんだから、つい話を合わせてしまったけど。

 

………………………………。

 

早咲は、男だ。

 

肉体は女かもしれないけど、俺にとっては……この世界で、唯一親友になってくれる相手だ。

 

それは何も男というだけじゃなく、ここじゃない別の世界のことを知っている相手という意味でも、だ。

 

だから、こんな考えはまずい。

 

こいつがほんとうに「女子」だったなら……そんなことを思っていた矢先だったから、頭の中を覗かれでもしたかのような感覚で、手に持っていたマンガすら取り落としそうになった。

 

………………………………ああ、まだ序盤までしか読んでいなかったけど、手だけは後半に差し掛かっていたのか。

 

いや、目では追っていたけど……早咲のことを考えていたから。

 

「ラストでもう1回予想できないイベントが起きて次の巻ですから、そこからはゆっくり読んだ方が楽しいですよー?」

 

「……あ、ああ、ありがとうな」

 

そう言って、……早咲がジュースでも取りに行くんだろうか、立ち上がって離れた隙にため息をつき、危なかったっていう意識を改めて持つ。

 

早咲は、男なんだ。

 

男。

 

あいつは、男。

 

………………………………男、なんだぞ。

 

わざわざ男の格好をしていて、……話を聞くにものすごい数の女性を……その、相手にするくらいのプレイボーイってやつだ。

 

なんだから、俺が……間違っても「女」だと思っちゃいけないんだ。

 

………………………………。

 

……ああ、今のうちに話が分かるところまでページを戻してストーリーを追わないとな。

 

 

 

 

「……………………………………………………………………………………」

 

「野乃早咲」という「前世では青年だった少女」は、はぁ、とため息を何度もついたり、頭をガリガリとかいたりしながらマンガを読み直した少年……榎本直人を離れたところで、顔だけ出してじぃー、と眺めていた。

 

彼からはちょうど見えにくい、キッチンの端から、数分もかけて、じっくりと。

 

んー、と唇に指を当てつつしばらく考え込み……彼女はスマホを取り出すと、ずいぶんと長い文章を打ち込み始める。

 

慣れた手つきで、それぞれ似たような文章を、何人もの人間へと。

 

 

 

 

「………………………………ふぅ――……、気持ちいいですねぇ、おふろ。 しかも直人のこの部屋のって、とっても広いじゃないですかー。 あー、今日の疲れ……なんてないですけど、でもなんだかリラックスできましたー」

 

時間は過ぎて夜。

 

泊まりがけだからと、いちど荷物を取りに行った早咲はそこそこの大きさのかばんを抱えて戻って来るなり、僕って一番風呂じゃないと駄目なんですよ、とか言ってさっさと……いつの間にか湧かしてあったおふろに入ってしまい………………………………こうして出てきてしまった。

 

………………………………。

 

そうだ、出てきてしまったんだ。

 

さっきまで、おふろの前までは何にも感じなかったけど、今の早咲の髪の毛からはものすごくいい匂いが漂ってきている。

 

いや、髪の毛からだけじゃないだろう、全身から。

 

……俺が使っているのと同じシャンプーとかのはずなのに、どうしてこんなにいい匂いだって感じるんだろうか。

 

分からない。

 

……いい匂い過ぎて、まだ少ししっとりとしている感じの髪の毛が頬や首に張り付いていて、顔も少しだけ赤くなっていて、その上パジャマだから体のラインが……明らかに男じゃない女っていう形が見えて、俺の頭は正常に作動しなくなっている。

 

「……人? 直人?」

「……ん、悪い、さっき読んだ内容が気になってな」

 

必死に視線を手元の本に落としつつ、気がつかない内に速くなっていた心臓の音に気がつかれないかって心配になりながら、なんとか頭の中から今の感情を遠ざける。

 

「直人って、いちど集中すると終わってもしばらくぼーっとしちゃうタイプなんですね。 大丈夫ですよ、知り合いの子にもそういう子、いますから」

 

「…………………………、それって、お前の「お手つき」な人のことか?」

「当たり前じゃないですかぁ。 僕、気になったフリーの子、とりあえずで堕とさないと落ち着かないんですから」

 

「お前には同性……体のだ、の純粋な友人っていうのはいないのか?」

「お相手がいない子でしたらいますけど……だいたいぱくりといただいちゃいますからね。 あ、でも同じようなシュミの子ならそれなりにいますよ? それこそ前世みたいに。 まあその子たちとも仲良しになったりも……とと、で、おふろ、先に入らせてもらってごめんなさいね」

 

「いや、……まだ入る気にはなっていなかったから平気だよ」

「そうですか? 夜更かしは駄目ですよー?」

 

そう言いながら、いい匂いを漂わせながらさっき持ってきた……ボストンバッグっていうものなんだろう、それの中を漁り始める。

 

………………………………。

 

まずい。

 

やばい。

 

それが分かっているのに、俺の頭は次から次へと考えちゃいけないことを生み出すんだ。

 

さっきまで、意識していなかった。

 

そりゃ、多少は思ったりもしたけど、でも、ここまでじゃなくて。

 

――――――――――シャンプーの、いい匂い。

 

そして、「女子」から漂ってくる……いい、匂い。

 

制服の上着の上からじゃほとんど気にしなくてよかった、けど、パジャマっていう柔らかい素材の服の上からははっきりと飛び出ている、ふたつの膨らみ。

 

スレンダーな体つきだからか大きいとは感じないけど、でも……どうしても男とは違うっていう印象のある、腰から尻にかけて。

 

………………………………………………………………じゃ、ない!

 

ここまでぼんやりと考えていた俺自身に気がついて、とっさにふとももをつねってようやく正気に戻る。

 

けど。

 

………………………………。

 

駄目だ。

 

気がつけば先に視線が吸い寄せられているのが分かる。

 

さっきのようにもうひとつのソファーに寝そべって、ときどき何かを話しかけてきて……俺もまた、適当な答えを返しているのをどこか遠くから見ているんだ。

 

早咲の体の、女らしい部分を。

 

この世界に来て……居心地の悪さでそれどころじゃなかったから見ずに済んでいた、女子の体つきっていうやつを。

 

女は見られているのに敏感だから我慢しろ、って母さんから教え込まれていたおかげで……少なくとも同級生の男たちよりかは紳士的にできているはずの俺が、ここに来て、よりによって早咲に対してはできなくなっていた。

 

そのうえ、これまでに感じたことのない感覚が、胸のあたりにうずうずと回っている感じで。

 

………………………………やばい。

 

これは、まずい。

 

駄目だ。

 

早咲の中身は男。

 

男、男。

 

男。

 

……俺と同じ、男なんだ。

 

いつもの態度からは想像できないけど、学校では女好きで有名らしい……実に男らしいやつなんだ。

 

「………………………………直人?」

「わっ、悪い! 俺、やっぱ入ってくるよ! そうだよな、昨日は寝不足なんだから!」

 

「そうですねぇ、その方がいいでしょう。 眠くなってからおふろに入ると、目が覚めちゃうことってありますし」

 

「そう! そのとおりだな早咲! だから入ってくるよ! 好きにしていてくれ!」

「はーい。 じゃあ適当に過ごしていますね」

 

急いで寝室に戻って着替えを取りつつ、ふと思う。

 

………………………………俺は、襲われたっていうあれのトラウマでしばらく外に出られないって言うことになっている。

 

それは早咲っていう男といる方がずっと安心できるからって、早咲から提案されて美奈子さんにも了解してもらって、それでしばらくはここで早咲とふたりで過ごすっていう……ついさっきまでなら天国みたいな空間だったんだ。

 

だけど、今は一気に逆になっている。

 

早咲が近くにいると、今まで強く「男」だって思っていた分、「女」っていうのが気になりすぎるようになって、抑えきれないんだから。

 

俺のことを、この世界でたったひとり理解してくれる人間。

 

それを、俺の方から遠ざけるわけにはいかないんだ。

 

「……あ、直人。 お風呂場のマット濡れているのが嫌でしたら変えてくださいねー」

「………………………………そうするよ」

 

だけど、この気持ちの整理がつくまで、俺は早咲と一緒に暮らす。

 

ほぼ24時間……寝室まで一緒に。

 

だから、俺がひとりになれるのは風呂とトイレ……あとは寝ているあいだの意識のない時間くらいしかない。

 

かと言って、いつあのときの……目が覚めたら誰かの悪意に晒されていた、あのときの恐怖を振り払うことなんてできないから、早咲がいなくてもいいっていうことにもできなくて。

 

だから。

 

………………………………。

 

……ぶわっ、と、開けたドアから……風呂場から、さっき俺を悩ませていた匂いが流れ込んできた。

 

そうか、ついさっきまであいつが、ここではだかに、……。

 

……………………………………………………………………。

 

………………………………風呂場も、地獄だな……これは。

 

 

 

 

「……………………………………………………………………………………」

 

榎本直人が風呂場に入っていく……その前から、ずっと彼のことを見つめていた野乃早咲は、笑顔を浮かべている。

 

彼が洗面所のドアを閉める音が聞こえ、しばらくして今度は風呂場のドアを開け、閉めるまでを聞き、……湯船に浸かる音まで聞いて、その笑みはより強いものとなる。

 

そんな彼女の目には、ある妖しい光が灯っていて。

 

「…………………………ええ、いいですね。 実に、いい具合ですよ……直人」

 

ぼそり、と、そう漏らした。

 




クライマックスまで、あともう少し。直人くんと早咲ちゃんの選択は………………………………。


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25話 失った友情と、恋慕

 

夜が明けた。

 

……ある意味、地獄の夜が。

 

そうして寝不足の、……寝かけては起きてを繰り返すタイプの、夏休みとかにやってもう二度と経験しないって決めていたタイプのそれが、俺を死にそうな目に遭わせていた。

 

それは、精神的な面と、肉体的な面が……有り体に言えば、興奮しすぎていたからだろう。

 

恥ずかしい限りだが、こっちは母さん以外の女性……「女」と、こんなにも近いところで暮らしたことがなかったから耐性がないんだ。

 

……うん、これはきっと、同級生の男子の大半と同じだろう。

 

理性が働いていた分だけずいぶんとマシ……だと、そう思っておかないと俺の気持ちが。

 

「直人? ほんとうに大丈夫ですか?」

 

………………………………眠い。

 

頭が働かないっていうか、もういろいろと、どうでもいいって感じになっている。

 

頭も体もくらくらするし、ふらふらする。

 

「……まだたったの2日です。 おとといは……その、緊張が抜けたばかりだからぐっすりと眠れただけで、やっぱりあのときの傷はまだまだ癒えていないんですよ。 ですからっ」

 

となりを……俺の肩に両手を乗せながら、心配そうに声をかけつつ俺の斜め後ろを歩く早咲。

 

いくら男に見える格好をしていても、今はどうしても女にしか見えない早咲が。

 

………………………………その優しさが、昨日の夜からずっと辛いんだ。

 

「ほら、無理をしたら結局は直人が苦労するんです。 今からでも部屋に戻って」

「……平気だ。 授業くらいは問題ない」

 

「いえ、どう見ても眠れなかったんじゃないですか! お肌の調子だって昨日より悪いですし、クマだってできていますしっ」

 

とん、と目の前にひとっ飛びして……目の前から両肩を掴んでくる早咲。

 

ぐい、と……ほんの少しだけ低い身長を補うために背伸びして顔を近づけてくる、早咲。

 

………………………………だから、近いんだって。

 

昨日の夜……夕方まではむしろそれがいいって思っていた距離感の近さが、今はむしろ困るものになっているんだよ。

 

だけど、それを言ったら俺が早咲を「女」として意識してしまっていることを早咲本人に……俺のことを「男の友だち」だと思ってくれているこいつに教えることになる。

 

それは、絶対に駄目だ。

 

知られたら……もう、親友どころか友人にもなれなくなるんだから。

 

「ほ、……ほら。 眠れないって言っても、仕方ないから本とか読んでいたしな? それに俺、一気読みとかゲームとかで徹夜することあるし……慣れているから大丈夫だ。 なんならテスト前なんかいつもこうだしな」

 

嘘だ。

 

俺は徹夜なんてできる体質じゃない。

 

数少ない友人たちからはよく聞いていたようなことを言っただけだ。

 

俺自身は、どれだけテンションが高くたって……遅くとも3時ごろには眠気に耐えきれなくなって昼まで寝たくなるものの、母さんにいつもどおりの時間にたたき起こされてその日1日を苦しい思いをしながら過ごすしかない体質なんだから。

 

おまけにその何日か後には決まって風邪を引くしな。

 

「ほんとうですかー? ウソはいけませんよー?」

 

だから止めてくれ早咲。

 

ジト目なんかされたら、もう完全に女にしか見えないじゃないか。

 

「ほ、ほんとうだって。 そ、それに……そうだ! 少しは外に出て気分を変えたいしな? いくら安全で安心できるからって言っても、いつまでもあの部屋に引きこもっているわけにはいかないんだしな? あと、早咲にも負担かけるし」

 

「僕は……おっと、私はいいんですけど」

「いやいや、悪いって。 主席なんだろう? 俺のところにいるあいだ勉強も運動もろくにできないだろ」

 

今度は嘘じゃない言い訳ができた。

 

少しだけ、……少しだけ心が軽くなる。

 

「ん――……まあ、1週間過ぎたくらいから少しずつしようとは思っていましたけどねぇ。 そのくらいの余裕は作っていますよ」

 

「当の本人な俺が大丈夫だって言っているんだよ。 もう2日近く一緒にいてくれたおかげで、俺、今はずいぶん楽になったんだからさ」

 

これもほんとうだ。

 

襲われそうになったあの夜、そのまま軽いカウンセリングとかを受けたけど……実はあの時点で俺はほぼ元通りに戻っているっていう自覚はあったんだ。

 

あの悪意以上に心強い……絶対に信用できる「友人」がいたっていう事実で、俺はもう引きこもる必要もなかったんだ。

 

ただ、みんながものすごく……徹底的に顔を合わせないようにしている時点で相当に心配しているんだろうなって考えていただけで、俺にとってはあの襲撃はどうでもいいものになっていたんだ。

 

ただ……せっかく見つけた早咲って言う友だちと、もう少しだけ、修学旅行の自由時間のような時間を過ごしたかっただけなんだ。

 

だけど。

 

早咲は、男の友だちから女の、……親しい人になってしまった。

 

「けど……直人にとって、この世界の男子生徒にとって成績なんてささいなものですし。 無理に授業に出る必要もないんですよ? 出席だってしなくても卒業できるんですし……なにより、直人にはまだトラウマが残っているはずなんです、そのトラウマの相手の「女性」だらけの教室に行く必要は」

 

ああ、早咲は優しい。

 

俺が女なら惚れそうなくらいに。

 

……男なのにそうなっているっていう時点で、俺はもうどうしようもない人間なんだ。

 

 

 

 

昨日、あの晩、早咲のことを意識しているっていう自覚がはっきりとした後。

 

早々に風呂から上がった俺は、眠いからとさっさと寝室に行こうとして……昼間に、おとといの夜と同じように同じ部屋に寝ようという早咲の提案にうなずいていたことを思い出した。

 

俺自身が墓穴を掘っていたっていうのに気がつくと同時に、このままじゃ夜も眠れない、かと言って今さら別の部屋でと言ったら俺が意識しているのを察せられるかもしれなかった。

 

だから俺は、寝る前にタブレットで読むからと……さすがはこの世界の男としてのVIP待遇だな、頼んで1時間もしないで運び込まれた、ちょうどいい感じのついたて越しに早咲と寝た……、同じ部屋で、別々のベッドで睡眠を取ったんだ。

 

もっとも、俺はたいして眠れなかったけど。

 

いや、眠くはあった。

 

ただ、どうしても早咲の……姿さえ見えなくなったものの、寝息とか寝返りの音とかが聞こえてきて、そのたびに目が冴えただけで。

 

そんで、眠くなっては起きてを繰り返すこと数回で朝。

 

……あんな状態が昼も夜も続くんだったら、まだたくさんの人がいる教室で学生らしく授業を聞いて……早咲が言っていたとおり俺の成績っていうのはたいして問題にならないらしいから、なんなら居眠りでもしていた方がよっぽど精神的に楽だからな。

 

「だから早咲……、えっとほら、こっちで生きていくんだったらさ、いくら成績気にしなくてもいいって言ったって、勉強、追いついて……そこそこできた方がいいだろ? 授業出てるうちに一般常識とか……放課後とかに教えてもらってたもんも分かってくるだろうしさ!」

 

「それは……まあ、そうでしょうけど。 もし……あのときはそう思っていたので、もう、ですけど、直人が私と同じような世界から来たということでしたら、ああいう扱いは」

 

「そうだよ、ああいう……お客さま待遇って言うのか? そういう特別扱いされて最初はラッキーって思ってたけど、やっぱそろそろがんばりたくなってきたって言うか!」

 

廊下で立ち止まったまま、働かない頭で必死に説得しようとして早数分。

 

周りの護衛さんたちも、これどうしよう……みたいな雰囲気で待っているし、予鈴も鳴っている。

 

ごめんなさい、護衛の人たち。

 

……と言うかこの人たち、たぶん早咲のこと知ってるよな。

 

昨日とかに軽い散歩に出たりしたときにも、「僕」っていうのとたまに混じるくだけた口調で話していたりしたし。

 

もっとも、この人たちは常に俺から……俺と早咲の会話が聞こえない程度のところで立っているから、細かい話は聞こえていないはずだけど。

 

いや、でも……ときどき聞こえることはあるだろう。

 

風って、結構声を運ぶからな。

 

で、この先のエリア……男子生徒の関係者以外の、つまりは俺がこれまで学校だと認識していた場所に出る。

 

今なら引き返せるよ?……みたいな感じで俺を戻そうとする早咲と、早くここから出て他人のいる空間に行きたい俺。

 

それはさらに数分続いて………………………………とうとう早咲が折れた。

 

「……はぁ……分かりましたよ、そこまで言うのであれば。 ……あー、まあ、男ならいちど決めたらもう、変えませんよねぇ。 その辺女の子であればうまいこと言えば僕の言うとおりに……とと。 そういうことでしたらもう止めませんね。 それなら私……あ、みなさんの前では「私」で通しているのでよろしくお願いしますね? 教科書とかを取りに行くついでに先生方に知らせて来ますね。 なので、直人さんは先に教室に行っていてください」

 

「ありがとな、早咲」

 

配慮してくれて、という意味と、折れてくれて、という意味で。

 

「まあ、ほんとうに直人が平気かどうかって言う、女子だらけの空間であのときのトラウマが起きないかどうか確かめるいい機会ではありますし。 ……けど、まだあれからたいして時間が経っていないんです、無理はなさらないでくださいね?」

 

「……もちろんだ」

 

「それでは、また後で、教室で。 ……すみませーん、直人と話していたんですけど……」

 

………………………………。

 

遠ざかっていく早咲。

 

護衛さんと二言三言を交わした後、もういちど振り返って手を振ってきて……そのまま出て行った。

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

廊下はしんと静まる。

 

俺がぼけっと立っているのと、俺の周りの護衛の人たちが……身じろぎもせずに立っているだけだ。

 

と、俺はそこで気がついた。

 

…………………………俺、夢中だったから鞄すら持ってきていないじゃないか。

 

……疲れたし、戻って……少しだけ休んでから教室に出よう。

 

確か今日の時間割、最初はLHRだったし、30分くらい平気だろうし。

 

「………………………………、はぁ――……」

 

とぼとぼと引き返す。

 

……早咲とふたりだけの空間が、俺にとってこの世界でいちばんに楽な空間だったはずなのに。

 

それなのに、それが俺の気持ちひとつで……こうも、いちばんに苦しい空間になるなんてな。

 

ぜんぶ、俺のせいなのにな。

 




早咲ちゃんと距離を置くという選択をした直人くん。その選択は果たして。


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26話 すでに懐かしい教室の風景

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、「野乃早咲」くん。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。



 

「……ええ、そういうことです。 彼は……その、特殊な環境で育ったのでメンタル的にも私たちが心配するほどではない……と。 ……はい、特に気丈に振る舞っているわけでもなさそうでしたし、外にいるあいだはみなさんが守ってくださるので大丈夫だろう、と、先生もおっしゃっていました」

 

「そうですか。 ……承知しました、野乃様。 榎本様が襲われそうになったのは我々の失態でもあります、まだ残党もいないとは限りませんし、全力で警護に当たります」

 

「あれはかなり大きい組織の奇襲だったからだと聞いていますけど……はい、私の大切な友人を守ってくださいね。 お願いしますっ。 ……それでは、私は授業がありますので」

 

廊下で直人の護衛への挨拶もそこそこに、ひとり……始業のチャイムが鳴ってしばらくしているために、誰もいない廊下を自室へと歩いて行く早咲。

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

彼女は急ぐわけでもなく、散歩でもするかのように……笑顔を浮かべながら、ただ独りの空間を楽しむように歩く。

 

学園の廊下に出て他の生徒と行き交う内に黄色い歓声を浴びたり、「そういう関係」の女子に囲まれたり。

 

果てには教師を捕まえて甘い言葉をささやき……約束を取り付けたりしつつ。

 

……または、「馴染み」の相手を物陰に引っ張り込んだりして数分を過ごしつつ。

 

そうして近くに人がいなくなり、手持ち無沙汰になったような様子の彼女は……後ろを振り返り独り言を口にする。

 

「……ふふ。 ふふふふふふ……。 ええ、やっぱりちょろいですねぇ……順調に進んでいて大変に喜ばしいです。 そうです、知っていますよ? 所詮、男という生き物は。 だって、この僕がそうだったのですから……………………」

 

 

 

 

「ほう……あれからこれほどの短期間で復帰できるとはな。 流石直人と言ったところか? 義理とは言え私の「息子」となったんだ、そうでなくてはな」

 

俺が恐る恐る……だって、クラスの全員が揃っている今みたいなときに、後ろのドアからこっそりじゃなく前のドアから教卓まで行くっていう、とんでもなくハードルの高いことをせざるを得なかったから、早咲といるときとはまた別の緊張で心臓がばくばくとしていて……それでもがんばってノックをして教室に入ったのを見た美奈子さんの開口一番がこれだった。

 

30人もの女子たちからの視線も刺さるように感じたんだけど、それ以上の違和感……というか、なんだろうか……珍しいものを目の当たりにし、俺はそれが気にならなくなるほどになる。

 

……なんだか、とんでもなく嬉しそうなんだけど、美奈子さん。

 

こんな顔をした母さん……美奈子さん、そうそうないぞ?

 

いや、何回かは見たことがあるけど……それは死んだ父さんの話をし続けているときとか、俺が俺の限界以上の成績を取ったり、運動会でなんとか活躍できたり。

 

………………………………1番記憶に新しい、この学校……だった学園に、塾の先生たちからも何十回も志望校から外した方がいいと言われたここに合格できたときに泣きながら抱きつかれたときとか。

 

そのくらいしかない。

 

だから……家で母さんと、「家族」として話していたときに比べると知らないも同然だけど、それでも俺には分かる。

 

美奈子さんはやっぱり、母さんとほぼ同じ思考回路と感性をしているんだって。

 

だから、こうして褒められるのは滅多にないことで、それが今はとても嬉しい。

 

「直人。 君のその勇気と持ち直す心の強さは、もういなくなった「漢」というものだろうな。 そうだ、数少ないご年配や壮年の男性だけが持つ心の強さだ。 ……しかし、ほんとうに無理はしていないか? ここには」

 

「大丈夫です」

 

軽く……勇気は要ったけど、教室を見回す。

 

30対以上の目線……その中にはハンカチで目元を拭っている晴代のものと、嬉しそうな顔で腕をぶんぶんと振っている沙映のものも……ぐずぐずと泣いているひなたのものもある。

 

……だけど、やっぱりあの夜になったような反応が起きる気配はない。

 

ただ、大勢の人に見られているって言う緊張感程度だ。

 

「……ほら。 俺はもう、無事、なんですよ」

 

「……そう、か。 それならいいんだ……ああ、私としては君のような強い心意気を持った男子というのは、君の年ごろでは見たことがないから感動すら覚えるな。 わずかに、武道を嗜んだりしていたり、上流階級のお年を召した方々くらいだな。 ……そういうわけだ。 皆も彼からの信頼を損なわないように。 ただでさえいちど我々「女」から裏切られたんだ、次はないようにしないとならないからな。 しかし念のため、当分のあいだは節度を意識した接し方をするようにな。 距離はこれまで以上に取ること、なるべく……振り向いたりしてまで顔を見たりしないこと。 彼からでなければ、会話もなるべく避けるように」

 

さあ、と促され、俺は教室を横切って席に向かう。

 

「……あの、直人様。 その、……ほんとうに、もういらっしゃっても問題は無いのでしょうか……? あ、その……先生がおっしゃりましたように、私と沙映様もあまり話しかけない方がよろしいのでしょうか」

 

「いや、平気だよ。 ……、ほら」

「………………………………あ……」

 

席に向かう途中に話しかけてきた晴代……たったの3日しか会っていなかっただけなのに、なんだかずいぶんと元気がないように感じる。

 

いつもみたいなお淑やかな印象が、今では沈んだ感じになっているし。

 

だから俺は、鞄を持っていない方の手を軽く晴代の肩に乗せた。

 

………………………………。

 

……あ。

 

俺から女子に……この世界に来る前も含めて、触ったのって初めてかもな。

 

同じような材質の制服のはずなのに……柔らかい。

 

どうしよう、これで馴れ馴れしいって思われたりセクハラって……と、ここは俺の世界じゃないんだ、心配は要らない……はず。

 

だよな?

 

「………………………………直人様。 よくぞ、ご無事で……っ」

 

と、少しのあいだ俺と目があったまま固まっていた晴代は、ゆっくりとハンカチを広げると……それに顔をうずめて泣き出してしまった。

 

そして、晴代みたいな雰囲気の……お嬢様の中のお嬢様みたいな性格の子たちもハンカチを取り出し、みんな釣られて泣き出している。

 

……うん、この世界じゃなきゃ美奈子さんからも、女子全員からも怒られること間違いないな。

 

「直人っ!」

「……沙映」

 

泣いている女の子をどうしたらいいのか分からずに俺もまた固まっていたみたいだ……気がついたら沙映が俺の手を握っていた。

 

「……………………これでも、だいじょうぶ?」

「……うん、なんともない。 けど、晴代が」

 

「……っ、大丈夫、ですわ……すぐに収まり、ますので……」

「晴代ちゃん、直人が元気だから嬉しくて泣いちゃったんだよね。 だから直人もいいんだよ?」

 

くい、と、俺の席へと手を引っ張っていってくれる沙映。

 

……沙映は、変わらないな。

 

早咲とは違う。

 

違うけど……こんな世界でも男子女子をあまり意識せずに仲良くできるタイプの子なんだ、だからこそ俺も、自然な感覚で手を引っ張られたままで歩いていられるんだろう。

 

「……うん、ありがとう。 今みたいに俺から触れるんだったり、沙映たちから触れられるくらいなら……いきなりだったり、急に近づかれたりしなきゃ大丈夫だと思う。 ……だから沙映、今みたいに後ろから来られると」

 

「はいっ、ごめんねっ! 次からは気をつける!」

 

そう言いつつも俺の片手を両手で握り続ける沙映。

 

……まあ、俺を診てくれたお医者さんが言っていたようにトラウマが残っていたとしても、いきなり来られても……沙映だったら大丈夫だろう、たぶん。

 

だって、ほとんどそういう目線とかがない沙映だし。

 

あとは、お子さまなひなたくらいか?

 

………………………………うん、そうだ。

 

そういうのはぜんぶ、早咲のおかげでどっかに行ったんだからな。

 

もっとも、早咲のせいでまた別の問題ができたんだけど。

 

……それは、また後で考えよう。

 

「……けど、えっと。 ……俺、あんまり気を遣われすぎると居心地が悪いっていうか。 だから、他のみんなもなるべくこの前みたいに、普通な感じに接してくれるとありがたい、って思う。 ……沙映、もういいよ」

 

「はーいっ!」

 

カタンとイスを動かして席に着く。

 

わざと時間をかけるようにして教科書とかを出していると、だんだんと俺に向けられていた視線が減っていき、美奈子さんが話し始めたことでホームルームが始まった。

 

黒板に書かれていたのはこの先の……試験とかのスケジュール。

 

……世界が変わっても、こういうところは同じなんだな、っていう、この世界に来たばかりのころに思ったような感想が浮かんできた。

 

同時に、「榎本直人は転校直後かつ男子、かつ事情がある故に試験期間中及び試験当日は配布のプリントでの自主学習とする」っていうかたっ苦しい表現で書かれた字を見て、ああ、やっぱり美奈子さんは母さんだ……なんて思ったりもした。

 

……………………………………………………………………………………。

 

さっきのは、口からの出任せ、ハッタリだった。

 

さっきのは、結構な綱渡り……強がりだった。

 

正直、俺自身があの夜に襲われかけたときの、助けられたときの発作みたいなものが起きない保証なんてなかったんだから。

 

だけど、今朝まで早咲とふたりきりで過ごしていたし、ゲームに夢中になっているときに肩同士がぶつかることもあった。

 

………………………………早咲を女だと意識してからも何度か手が触れたけど、ドキドキとはしたけど……それ以上のことはなかった。

 

だから、あえて強がってみてみたけど……今くらいのなら大丈夫そうだな。

 

まあ、あのときの過呼吸だって、相手が女だったからって言うよりも、感じたことのない悪意っていうものを浴びせられたからなんだもんな。

 

だから……きっと、俺が思っていたよりもショックとかはなかったんだろう。

 

相手が男だったとしても……したら、きっと、あのとき以上に恐怖したはずだしな。

 

「直人直人なおとなおとっ」

 

がた、と大胆にも振り返り、前の席に座っている沙映が話しかけてくる。

 

「授業、この辺まで進んだよ! ほら、ノートっ。 次の科目とか写してく? がんばったら今日1日で……あ、私のよりも晴代ちゃんの方がきっといいよねっ、い今とりあえずなんかの教科の借りてくるっ」

「ああうん、ありがとう……」

 

ちらちらと他の生徒からの視線を感じる。

 

そして美奈子さんは……事情が事情だからか、見て見ぬ振りをしてくれているみたいだ。

 

「それでね、それでねっ」

 

………………………………。

 

……早咲と一緒にいたいのにいたくないって言う状況から逃げるために飛び出してきた形なのに……結果的にはこれでよかったのかもな。

 

早咲とふたりきりで……「男」と「女」のあいだでずっともやもやし続けて、いちいち感情を抑えるのに精いっぱいなあの状態が続くよりも、こうして外に出た方が。

 

考える暇なんて授業中のぼんやりしている時間しかなくて、授業と、休み時間の周りの人との話で忙しい登校中っていう時間の方が、よっぽどマシだもんな。

 

……あれ。

 

そういえば、早咲、まだ教室に来ていないよな?

 

ひなたがきょろきょろと見回して……こっそりスマホを出しているし。

 

あ、……晴代もこっそりと、沙映は堂々と取り出して、じっくり見て……考え込んでいる?

 

そんな感じだ。

 

なにかあったんだろうか。

 

………………………………。

 

とりあえず、さっき別れたばっかりの早咲だ。

 

荷物を取りに行くって言っても、ここまで掛かるものなんだろうか?

 




さて、逃げるように、逃げたかった教室へと戻ってきた直人くん。一方で不穏な早咲ちゃん。直人くんは、ひとまず無事ではあるようですが……?


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27話 思いがけない再会

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、「野乃早咲」くん。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。



 

「早咲、開けるぞ――……って、もういないんだっけ」

 

夕方……もう夕飯の時間だ。

 

朝、結局1限の終わりぎりぎりに駆け込んできた早咲。

 

そのときに特段怒られたりすることもなかったから、なにか事情があったんだろう。

 

で、あのあとは他の人に話しかけられるままに過ごし……さっきまで、いつものように晴代と沙映のふたりに勉強とか社会情勢とかを教えてもらっていた。

 

まあ、今日のふたりはどこか気が抜けていて、いつもよりは雑談もお菓子を食べる量も多かったけどな。

 

それだけ心配させていたんだろうし、あの子たちと美奈子さんからの気づかいでもあったんだろう。

 

もちろん、俺も寝不足だったからきっと気が抜けていたんだろうな。

 

そう思って遅くまで付き合っていたから……もう7時。

 

今晩は早咲と何を食べるか……って思いながら声をかけたけど、そういやもういないはずだもんな。

 

だって教室で、俺はもう大丈夫だからって言って……荷物だけ持って帰るって言って来たんだから。

 

………………………………。

 

今朝までみたいに困ることはないから嬉しいけど、やっぱり寂しい、かな。

 

だって……俺が変な風に思い始めるまでは早咲はただの男の友だちだったんだから。

 

けど、やっぱり肉体の性別って言うのはある。

 

それで、意識してしまって昨日ほとんど寝られなかったくらいなんだ。

 

………………………………だから、これでよかったんだ。

 

まあ、これからも学校じゃ毎日顔を合わせるんだし、だったらさっき約束させられた晴代、沙映との「お出かけ」……婚約者としてのデートのアピールだそうだ、のために、この世界の男女がどんな感じにするのかを聞いておかないとな。

 

ドアの外まで見送りに来てくれて、きっと今夜も立ちっぱなしで俺を守ってくれるだろう兵士さんに挨拶をしてドアを閉め、部屋の電気をつけようとして……ついていたことに気がつく。

 

……あれ?

 

俺、電気とか気になって必ず消す習慣なんだけど……今朝はあんなだったし、消し忘れたのか?

 

……だろうな、あのときは……ちょっと。

 

そうだ、今だから分かる、朝はそれまでずっと早咲と一緒だったからいろんなことに意識を向けられなかったんだって。

 

仕方ないもんな、だって。

 

「………………………………ほはへりははーひ」

 

………………………………。

 

何だって?

 

「はへ? ひこへてまふー? なほほー?」

 

「………………………………………………………………、そりゃあ、な」

 

「ほっは。 ほほかかっはへふへ、はほほ」

 

おかえりなさい。

 

あれ? 聞こえてます? 直人。

 

そっか。 遅かったですね、直人。

 

……そんな感じのニュアンスだけは分かる、もんのすごく変な声が聞こえる。

 

それも、つい今朝までずっと聞き続けていた……そして今朝、俺が逃げ出したはずの声がする。

 

靴を脱ぎ、廊下を過ぎた先のリビングへと向かうと……というか、玄関に靴あったしな……テレビの前で、いつもどおり、ソファーに寝そべって……ものすごくだらしない格好で菓子をつまみながら、もしゃもしゃと音を立てながら頬を膨らませている早咲がいた。

 

俺にあいさつしているはずなのに、視線はテレビにくぎ付けだ。

 

……まずいちばんに思ったのは、こいつ意外とだらしないよなっていうこと。

 

この短期間でよく分かったけど、こいつは制服のシワとか気にしていないみたいだし、冷蔵庫から勝手にジュースとか取ってくるし。

 

俺のためにって置かれている菓子とか平気で食べるし。

 

いや、どうせ俺が出かけているあいだに掃除されて補充される……ホテルみたいなところなんだし、いいけどさ。

 

だけど、にしたって。

 

………………………………。

 

いや、待て待て!

 

「お前……早咲!? 今朝言っただろ、俺はもうひとりでも」

「はっへ、ほふはほほへ、ひひたひひほほは」

 

………………………………。

 

「……食い終わってからでいい。 というかせめて体起こして……ああもう、ソファーにこぼしてるじゃないか」

「ほへんへー」

 

もぞもぞと……もぐもぐと口を動かしながらのたのたと起き上がる早咲。

 

……やっぱりこいつ、初対面からしばらくまでの印象とはぜんぜん違うな。

 

なんというか………………………………だ、だらしないというか。

 

「はほほほひふー?」

「……いらん。 袋に手を突っ込んでないでさっさとそれを食べてくれ」

 

「はーひ」

「………………………………」

 

女のはずなのに……いや、中身が男だからか、だらしなさすぎる感じで……ああもう、制服だってよじれているし、横になっていたからかか髪の毛が潰れているし。

 

そんなこいつを見ているうちに、思う。

 

……やっぱり、昨日の夜と今朝の感情を抜きにすると。

 

どうにかして「これ」さえ無くせたなら……、ああ。

 

やっぱり男の……唯一の友人のこいつがいると、気持ちが休まるし楽しいんだ。

 

………………………………、あ!

 

「……おい早咲!? それ俺が取っておいたやつじゃないか!? ……ほら、他に名前書いといたろ!? お互いにどうしても欲しいのは何個かずつ分けてっ!」

 

「は。 ……ほへんへー?」

「………………………………本気で忘れてたのか……、はぁ――……」

 

もう、脱力しかない。

 

けど、……やっぱり。

 

早咲っていう……中身が完全に俺よりもだらしない感じの男がいるだけで、こんなにも気持ちが安らぐって感じになる、なんてな。

 

 

 

 

「で?」

「はい」

 

食欲に逆らえないらしい早咲に呆れた俺は、もういっそのこと食べたいだけ食べろと言ってしまい……結果、テーブルの上に、毎朝補充される分の菓子の大半を食べ切り、非常に満足そうな顔をしてソファーに寝っ転がっていた。

 

いや、腹の膨れ具合を見る限り、どうも食べ過ぎて動けないらしい。

 

……なにやってんだか。

 

「はい、じゃない。 お前、なんでまたここにいるんだ? 俺はもう大丈夫だから早咲は自分の部屋に戻ってくれていいって言っただろう? それにこのこと、先生にも伝えてくれって言ったじゃないか」

 

「言いましたね……けぷ」

 

「んで。 それなのに、お前の私物、みんな置きっぱなしじゃないか。 なんでまた……ああ、これから片づけるのか? なら、俺も手伝って」

 

「あ、そのことなんですけどね? ……うぐ」

「……苦しくなるまで食べない方がいいぞ?」

 

「いやー、つい、だったんですよ。 あ、で、それなんですけど、僕、改竄しました」

「………………………………は?」

 

改竄?

 

何を?

 

「先生たちに、直人のこと……外には今日みたいに出られるようになったんですけど、本人もまだほんとうに大丈夫か分かっていなくて。 なので、念のためにしばらくひとりにしないっていう意味での護衛って感じに僕が直人の部屋に引き続き泊まった方が良さそうです。 って、ね? いいですよね? これくらいは」

 

……こいつは、何を言っているんだ?

 

だって、俺は大丈夫だって、何度も。

 

「いえ、だって……ほんとうに大丈夫だって、どうして分かるんです?」

「いやいや、実際に今日も教室で最後まで授業受けて、放課後も」

 

「まだあれから2日ですよ? いえ、3日ですか? まあそれはどうでもいいでしょう。 問題は、まだそれだけの時間しか経っていないんです。 たとえば……ケガだってそうでしょう? ケガした直後はそこまで痛くなかったりしても、しばらくしたらそこが腫れてきたり青あざになっていたりしてもっと痛くなるのって。  それで、ケガをしたあとすぐよりも、それから少し経った何日かがピークなんです。 肉体的なケガでさえそうなんです、それよりももっと繊細な心のケガ、トラウマなんて何年も何十年もぶり返すなんてよく聞く話ですよ? なのにどうして「もう大丈夫」だなんて言えるんです? 体が痛みを感じないようにするためにアドレナリンを出すように、脳だって無意識であのときの記憶、覚えていないようにしているのかもしれないんですよ? それを、君は君自身で判るんですか?」

 

「………………………………、それは……」

 

「……と、いきなりまくし立ててごめんなさい。 昼間に自分の意識があって、自分から女性に接しに行っている状態なら確かに大丈夫かもしれない。 けれど、それ以外は? お家……しかもここは君のほんとうのではなく仮住まい、ホテルみたいなものです、そんな慣れないところにひとりでいるときに、ふとあれを思い出したら? たったのひとりの空間で。 電気をつけないと真っ暗、テレビとかをつけないと音すらしない。 そんなここで、おふろに入るとき、寝るとき……夜中に目が覚めたとき。 そんなときに、隙だらけのときに襲われていた記憶がフラッシュバックしたら? しないという保証は? ――そのときに、直人がもういちど傷つかないという自信はあるんです?」

 

「…………………………………………………………………………………………」

 

「大体です。 ……まだ実感がないみたいですからはっきり言いますよ? 直人。 ……無理やり複数の人間に性的に襲われそうになって。 あんなの、男女なんて関係ない。 ……未遂だとは言っても、ひなたと僕がなんとか通気口伝いに入って来られて……あれ、もう少し狭かったら無理だったんですよ? ……ベッドの下で閃光弾の準備をしていなかったら、未遂じゃ済まなかったんですよ? まあ、仮にその先に……直人が男だからそこまで心に傷を負わなかったとしても、そのあとは?」

 

おなかをさすりつつ早咲が立ち上がり、真剣な顔をして俺と目を合わせ続ける。

 

「僕たちが、その先のにも間に合わなかったら……直人、今ごろはあいつらに「物」扱いですよ? 健康な男子っていう誰もがほしがって……その肉体だけを、な「モノ」ですよ? 一生飼い殺しですよ? ………………………………ふぅ。 直人、少し危機感がなさ過ぎるとは思いませんか? 僕は思います。 最初の頃に言いましたよね? 直人は、「男女」というものを真逆に考えないといけないんだって。 10人、100人、1000人の男たちに囲まれた、たったひとりの女の子……あ、性別は逆で説明しましたっけ。 とにかく、そういう話を」

 

「……それは、そう……なんだけど」

 

俺よりは背が低い女……の体なはずなのに、早咲がやけに大きく見え、気がついたら後ずさっていた。

 

「直人。 君はもう少し君自身の価値というものを考えた方がいいです。 いえ、考えないとこの先が思いやられます」

 

「………………………………価値?」

 

「です。 ぴんと来ないのなら君の世界の常識で考えてみてください。 もう少しスケールダウンしまして、分かりやすくしてみます。 いいですか? 君の世界……家、一族でもいいです……は男しかいなくて、このままだと血筋が途絶えそう。 そんなときにのこのことやってきたのは、実に健康そうで……この場合は元気な子を産めそうな、隙だらけの女の子。 お家に連れ込んじゃえば、後はどうなるか……考える必要はないですよね? さすがに。 どんなことをしてでも、毎年………………………………ですよ? 昔の女性たちみたいに、際限なく跡継ぎを……って。 ああ、戦国時代とかの価値観がそれに近いですかね」

 

ずい、と、顔を近づけてくる早咲。

 

朝までならこれで思わず理由をつけて逃げ出しそうなシチュエーションだけど……今は、早咲の言う内容に意識が向いていて、逃げることなく見ることができた。

 

「……この世界の人たちには。 この世界の、……たしかに君の世界よりも人の数はずっと少ないです、ですけどね? 億を超える人にとって直人はそういう「女の子」にしか見えないんです。 つまりはイヴですね。 あ、いえ、逆に男であって……人口授精の技術がずっと進んでいるこの世界の人たちにとって、君はアダム……数え切れないほどの女性を幸せにして、数え切れないほどの子を生み出すための貴重な「種」としか映らないんです。 ……ふぅ、これで危機感というもの、少しは感じてくれましたか?」

 

と。

 

……今朝までのもやもやなんて吹き飛ぶような話を、立ったまま……鞄を持ったまま棒立ちで聞いていた。

 

髪の毛はぼさぼさ、服もよれよれ……だけど、ものすごく説得力のある、真剣な眼差しで「男女」なんて気にしなくてもいい、早咲からの……俺を想っての話を。

 




早咲ちゃんとも別れ、またひとりの生活に戻る……かと思いきや。もうそろそろクライマックス、からのエンディングです。


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28話 早咲:女→男

 

早咲が、かなり本気で話している。

 

口調はまだまだ穏やかだけど、目つきとから分かる。

 

……………………………………早咲は、怒っている。

 

俺のことを想って、……昨日俺が色ボケ……そう、色ボケしたばかりにおろそかにしようとしたせいで。

 

そうして、この世界に来てから聞かされた……俺が、どれだけ貴重な「男」というものなのかっていう事実。

 

それを改めて早咲から聞かされた俺は、ついさっきまで考えていたようなお気楽な気分を吹き飛ばされる形になった。

 

「………………………………、ああ。 分かってはいた。 分かってはいたよ」

「それならいいんですけど」

 

と、いつの間にやら取り出したお茶をすすっていた早咲を見ながらソファーに腰を下ろす。

 

「これ、念のために言いますけど誇張でもなくほんとうのことですよ? それどころか、だいぶ抑えていますからね? ……君は、運がとてもいいです。 だって、この世界に来て初めて会って話した相手が、ひなたを初めとした僕たちって言う「男」に執着していないっていう例外中の例外なんですから。 ですから……そんな僕たちが言う以上そこまでの実感はなかったかもしれません。 あるいは、この学園自体が一種の特別な……まあ、裏切り者はいましたけどね……場所ですので、みんな「淑女」だったおかげで、あの夜に襲われた程度で済んだのですけど」

 

「……程度?」

「はい、そうです。 あの程度、ですよ?」

 

こと、と湯飲みを置いて俺を正面から見つめてくる早咲。

 

「クラスのみなさん……は、美奈子先生から強く言い含められていますし、学園の生徒自体も選りすぐりのエリート、つまりは将来の価値がものすごく高い方たちなので、表立って直人に何かを感じさせるようなことはありませんし、積極的に何かを仕掛けてこようとはしません。 けど、この世界のほとんどすべての人……女性は、古典的な価値観で言えば「お家の存続」なんです。 そして、それに失敗する人たちの方がずっと多いんです。 いくら人工授精と言ったって、完璧じゃない。 なにより、男という本能が求める存在を欲しているんです。 ですので、それくらいに男の血、それも、人工的に薄められてなんとか命を授かるのではなく、生身の男性から注いでもらっての「血」を受け継ぐっていう欲望を強く強く抱いているんです。 そして、あわよくばその男性を……小数点以下の割合しかいない、男という貴重な種族を家族に迎えることに、って」

 

「………………………………」

 

「昔は男性を巡っての戦争が何回もあったというのは先生たちからも聞いたでしょう? いえ、実は今でもくすぶっていたりする地域は山ほどあるんです。 なので、どこの国でも……もちろんここでもです、男性を無理やりに手籠めにしようと企んだだけでも片っ端から死刑という法律が世界共通で存在しているくらいです。 それくらい……金よりもダイヤモンドよりも、何よりも大切な存在なんです。 健康な……しかもまだ高校生な男性というのは」

 

「……死刑。 企んだだけで……」

 

「はい。 それくらいして……も、あんなことがあったことから、そうするまでの時代はどれだけだったのかは想像できるでしょう? それこそ、海外の麻薬などの扱いと同等なんです。 言い訳を聞かずに軍隊が突撃して銃で男性以外を……っていう国が圧倒的に多いんですよ?」

 

男が、それだけの価値。

 

………………………………。

 

……そう、だよな。

 

たしか、1対1500……とかだったか?

 

そのくらいしかいなくて、人類の存亡がかかっているんだったもんな。

 

「それに、男性は女性と違って……ちょっとシモな、だけどマジメな話ですからね? ……男性は女性のようにほぼメンタルに影響されずに子を成すということはできませんよね? 精神的にやられていたら、機能しませんから。 それこそ、いちどそうなってしまったら薬を使ってもなかなか上手く行かなくなるというのは前の世界でも聞いたことがありますか? ……それに薬にも限度がありますし、なによりもその手のお薬は心臓に負担を掛けますので……男性の寿命に強く影響を与えてしまいます。 ですから男性にトラウマを植え付けようとするだけでも……そうですね、最低でも数百人の子孫が、血が、人類が生まれないことになるんです。 ね? ものすっごい重罪でしょう? この世界の人類の滅亡、早めるでしょう? せっかく小さいころから洗脳まがいの教育をして、許嫁で囲って、たくさん励んでもらうはずのところにそんなことをしてきたら……どうなるのか」

 

「………………………………ああ」

 

正直に言って、今でも俺にとって……この世界の情勢って言うのはSF映画を観ているような気持ちだ。

 

だけど、俺と同じ男だったこいつがここまで言うんだ、いまいちど気を引き締め直さないといけないな。

 

「悪かった、早咲。 俺、そこまで真剣には考えていなかったよ。 せっかく美奈子さんたちと、それを承諾してくれた晴代や沙映もそうだ、俺のための婚約っていうカモフラージュをしてまで俺を守ってくれようとしていたっていうのに、俺は」

 

「……あ、ちょっと待ってください直人」

「……ん?」

 

「あの、これは建前です。 いえ、今言ったのは事実ですし、そろそろ危機感は持って欲しいかなーとは思っていましたけど、今のは僕がここにいるのとはぜんっぜん関係がなくって。 つい熱が入ってしまってお説教っぽくなっちゃいましたけど」

 

「………………………………………………………………………………は?」

 

こてん、と……また、首を少しかしげる仕草をする早咲を見て、俺の頭の中はもういっかいぐちゃぐちゃになった。

 

で、その早咲は……どんなマジックを使ったのか、空になっていた湯飲みがなくなった代わりにジュースが入ったコップ……それも、俺のぶんも含めてふたつ……を手に取り、ああ、やっぱり男性に配給されるようなものはジュースからして格別ですねぇ、などと言い、こくりとひと飲みする早咲。

 

どうぞ、と促され、そういや戻って来てから立ちっぱなしで喉も渇いていたなと気がつき、手渡されたコップの中のジュースを一気に飲み干した。

 

「実は……えっとー、そのー」

 

……またひとつ、早咲の初めて見せる表情。

 

これは、……ばつが悪いと言うか、そんな感じの?

 

「あの……ですね? 僕、その、身の危険を察知したんです」

「危険!? ……だったらすぐに美奈子さんと護衛の人に連絡してっ!」

 

「あ、や、待って、待ってください直人っ! それは困りますっ!!」

 

「待っていられるか! この世界でたったひとりのダチってやつの危機なんだろ? なら、こんどは俺が、俺の特権を使ってでもっ!」

 

急いでスマホ……に似た機械、呼び方は違うけど……を操作し、緊急用のアプリを押そうと指を動かす。

 

なんでも、特殊な間隔で数回のタップさえすれば外の護衛の人たちが俺のところに数秒、数十秒で来てくれるっていうものらしい。

 

硬いものに思い切り叩きつけてもいいけど壊れたら悪いし、なにより悪者が目の前にいるわけでもないし……それに、こっそり通報する練習にもなるしな。

 

だから、早咲っていう、俺にとっていなければならない人が……命のではないかもしれないけど危機に瀕しているなら大げさっていうことはない。

 

美奈子さんだって、これを使って大騒ぎになったとしても……こうして早咲だけを俺の部屋に入れる許可を出しているくらいだ、早咲がどれだけ俺にとって大事な存在なのかって言うのは分かっているはず。

 

だから。

 

………………………………。

 

……なのに、なぜ早咲は汗を垂らしながら、息を荒くしながら俺の指を握っているんだ?

 

「……はぁ、はぁ……。 ご、ごめんなさい直人、危機っていうのはそういうのじゃないんです」

「………………………………そう、なのか?」

 

「はい、……とりあえず、指をどけてもらってもいいです? もしこの件で通報なんかされたら、僕、先生から大目玉どころじゃないので……」

 

「あ、ああ……」

 

 

 

 

「あー、もったいないことを……まあ、しょうがないですよね、僕のせいですから」

 

急いでいたからか、テーブルのコップを……自分の分をこぼしていた早咲がジュースを雑巾に吸い取らせつつ言う。

 

「身の危険、っていうのは……えっとですね? 前に話しましたよね? 僕、せっかく記憶を持って生まれ変わったので、喜び勇んで女の子たちを性的にめろめろにし始めたって言うのを」

 

「喜び勇んでとは聞いていないが? あと、めろめろって」

 

「まあまあ、ささいなことですよ。 で、なので当然に小さいころから……幼稚園のころから始めてこの歳までずっと続けているんですけどね?」

 

「当然?」

 

「はい、当然です。 こういう立場なら、普通そうじゃないですか?」

 

こてん、と……反応してはいけないけど、不意打ちで可愛い仕草をしながら俺を上目遣いで見上げてくる。

 

いつもの癖に、なんだか色気みたいなものが含まれている気がする。

 

………………………………。

 

……ほんとうに、他意はないんだよな?

 

いや、今こいつはとんでもない犯罪を口にしたじゃないか、大丈夫だ。

 

俺が対象なわけないじゃないか。

 

こいつにとっての対象は、この世界なら無数にいる……女性同士でも平気な女性だ。

 

いや、まあ、この世界の女性の大半がそうなっているらしいけど。

 

……だから、男の俺なわけがないもんな。

 

「……あー、直人は草食系ですもんね」

「ごく普通の男子高校生だけどな?」

 

「えー、そうですかー? その年で彼女いたことないって」

「いいから続けてくれ。 ……俺にそういう人がいなかったのは、そこまで色恋に興味がなかったからで」

 

「あー、はいはい、みんなそう言うんですよねー、ど、おっと、チェ、じゃなく……潔癖な男子って」

「………………………………………………………………」

 

「で、ですね? 僕、この学園に……高等部に入ってからも手当たり次第に女の子たちを味見してきたわけなんですけど」

 

「……。 ……で?」

 

俺の、早咲に対する……こう、いろいろな感情というか尊敬度みたいなものが著しく落ちている気がする。

 

「あのですね――……んと、僕、ちょーっと調子に乗り過ぎちゃいましてね?」

「調子に」

 

「はい――……これは反省ですねぇ。 浮かれてこれまでの経験を忘れて声をかけてコマしていたせいで……少――――しばかり愛が重い系の子たちにまとめて手を出してしまいましてね? いやー、猫かぶり……深い深ーい愛情なんですけど、それを見抜けなかった僕が悪いんです。 あそこまでのは死ぬ前くらいなものだったので、なんとかなるって思っていたんですよねー。 いやー、女の子はいくつでも、どんな性格でも女の子ですねぇ」

 

俺の早咲に対する感情が、命の恩人、唯一の友人から見境のないナンパ野郎に急降下だ。

 

それはもう、これ以上下がる余地がないくらいに。

 

「そんなわけです。 はい」

 

「……つまりお前は、その人たちから逃げるためにここに来たと?」

 

「はい!!!」

 

「はいじゃないぞ?」

 

とびきりの笑顔も……ついさっきまでだったら感情を揺さぶられていたかもしれないけど、今となっては1ミリも動きやしない。

 

……こいつが、悲しいくらいに下半身に支配された、根っからの女好きの男だって、改めて理解したからな。

 

理解したと同時に、ほっとする俺もどこかで感じながら。

 





早咲ちゃんの本性が垣間見える回でした。早咲ちゃんはどこまでいっても女の子しか眼中にない心からの、魂からの女たらしです。ですので、これ以降の展開もあらすじ通りに安心してご覧くださいませ。


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29話 最後の試練の始まり

クライマックスの始まりです。あらすじのとおりですのでご安心くださいませ。ですが、あらすじ通りならどう終わるのか……ぜひお楽しみください。


 

「と、いうか、だ」

「ん、何ですか?」

 

………………………………よし。

 

クセなのかどうかは知らないけど、実にあざとい感じにこてんと首をかしげる早咲を見ても、今は何とも思わない。

 

……うん、やっぱり昨日のあれは気の迷いだったんだろう。

 

そうに違いない、うん。

 

「何ですか、じゃない。 お前がやらかしたからって俺のところに逃げてくるなよ……ここに来られたらどうするんだよ」

 

「大丈夫ですって、この棟は特別な許可がなければ入れませんから。 だから逃げてきたんじゃないですか」

 

「じゃないですか、ってなぁ……」

 

「だってー、経験則で分かるんですもん。 ああいう感じの子は……ずぅっとずぅっと重ーい深ーい気持ちを月単位、年単位で押し込む子って、時間を置いて落ち着いてもらわないと「あなたを殺して私も死ぬ」とか言って、あるときぶすり、なんですもん」

 

「ここはお前のための避難所じゃないぞ? それはお前がやらかしたんだから、お前がケリをつけるべきじゃないか?」

 

「細かいこと言いっこなしですよー」

「いや、かなり大きな問題のように聞こえるけど?」

 

ぱりぱりと……話している最中にも新しい菓子の封を切り、音を立てて食べ始め……俺が見ているのに気がついて、ひとつまみ差し出してくる。

 

いや、そうじゃない。

 

……もらうけどな、もともとそれは俺に用意されているもんなんだし、なんだか癪だ。

 

「………………………………でも。 でも、ですねぇ。 直人?」

「な、なんだよ」

 

「僕、これまでずぅっと。 それこそ初めて会ったときからあの夜、そのあともずぅっとずぅっと直人を助けてあげてきたと思うんですけどー? それこそスニーキングミッションしたり絶対にばらせないヒミツ教えてあげたり? ついさっきだって、直人のちょろさをきちんと教え直してあげたでしょう?」

 

「……それは……そうだけど。 ………………………………。 いや、まて、ちょろさって」

 

「や、この世界基準では頭ゆるゆるふわふわ系ってことになるでしょう? 怪しいおじさんに声かけられて、なーんにも疑わずにふらふら車に乗り込んじゃう女の子的な? それも、いい年して」

 

だからこのお菓子もぜんぶいいですよね? とか聞いてくる。

 

「もぐ。 ……お菓子もそうですけど、そういう貸しというものをちょーっと何日かここにいさせてもらうだけで、ぜんぶじゃないですけどチャラにしてあげるんですよ? いいんですかぁ? 友人に貸しを作ったままで。 ねー、直人?」

 

「…………………………………………卑怯だぞ」

「世の中は貸しと借りで動いているんですよ?」

 

薄々分かっていたけど……こいつ、かなり計算ずくというかぶっちゃけ腹黒いよな?

 

それも、男の理性と女の勘を合わせて都合よく駆使しているもんだから質が悪い。

 

「……はぁ――……いいけどさ、別に」

「ほんとうですか!? 言質取りましたよ!?」

 

「ああ……確かに俺も、今が平気だからって言って、不意にあのときの記憶とかで困らないとも限らないしな。 あと、部屋に戻って来てもすることがあんまりないし」

 

この世界の娯楽は、早咲が持ってきて置いておいてくれているもの以外はつまらない。

 

やることと言えばリビングに置いてくれているそれをするか、勉強をするか。

 

ほんとうに、それくらいしかない。

 

だらだらとテレビを観るって言ったって、やっぱり感性が違う人たちが作っているものな以上どうしても声を聞いているだけっていう感じになるだけだし。

 

それに、今日は1日を外で過ごしたおかげでだいぶ気晴らしできたしな。

 

それもあるし、何より今の会話で……早咲を目の前にしても何ともなくなったし。

 

「嬉しいですっ! やっぱり持つものは友だちですよねっ! つまりは親友!」

「貸しで脅迫してきたけどな?」

 

「嫌ですねぇ、事実を言っただけじゃないですかー。 あ、ついでになんですけど」

「まだなにかあるのか?」

 

「いえ、逃げてきた話に戻って」

「認めるのか、逃げてきたって」

 

「そればかりは事実ですからねー。 あ、で、直人のところって、ほんとうに都合がいいんです。 だって、癇癪起こしている子から逃げるときに別の女の子のところに逃げちゃいますと、匿ってくれる子が「私の方が好きなんだ」ってかんちがいしたりして……追ってきた子を煽ったりして泥沼になったりすることあるんですもん」

 

「………………………………お前はそのときどうやってその場を収めるんだ?」

 

「そういうわけで、こういうシェルターってとっても大事だなって思うんです」

「お前、シェルターって言い切ったな?」

 

「隠れ家、避難先って大事」

「言い方変えただけだぞ?」

 

「直人、僕たち、親友、ですよね?」

「ほんとうにそう思っているのか?」

 

「本音を言うくらいにはですよ?」

「お前………………………………」

 

なんだか、ああ言えばこう言うっていう感じの……それでいて居心地の悪くないやりとりをしているうちに、なんだかもうどうでもよくなってきた。

 

……はたしてこれが素でやっていることなのか、それとも計算ずくなのかは分からない。

 

なにせ、早咲だからな。

 

「……というわけでもうしばらくここにいますね。 お世話になりますっ。 主に豪華なごはんとお菓子とかで」

 

「……まあ、そういうのでしょっちゅう来るとかだったら怒るけど、たまにならいいよ、そういう理由でも」

 

「わぁ、直人がデレました。 僕、男を堕としたことってないんですけどね」

「気色悪い冗談言うなよ、お前の中身は完全に男だろうが」

 

今みたいな冗談は止めてほしい。

 

……せっかく収まったって思っていた気持ちが、また起きるところだったじゃないか。

 

「……俺も今日は夕方まで出ていたから疲れた。 どうせ早く寝るだろうし、お前もうるさくするわけじゃないしな」

 

「家主の負担になることはしませんよ、さすがにこどもじゃないんですから」

 

「いや、お前、これまでのお前の言動を」

 

「ああそうです、どうせなら直人が頼んだと言ってひととおりのゲーム機とかも揃えます? 実はまだ持ってきていないソフトとかもあるんですよ」

 

「………………………………はぁ……」

 

「あ、あのっ。 いいじゃないですか、あったって! そうすればふたりで……レーシングとかシミュレーションとかして暇つぶしできますし! どんなソフトなら楽しめるのかも僕なら知っていますし!」

 

「……ああ、いいぞ。 もう、好きにしてくれ……」

「!! なんでもいいんですね!! ならさっそく」

 

「限度というものは弁えろよ?」

 

そんなことを言いつつ……昨日のように、いや、昨日よりは節制して体に良さそうな料理を届けてもらってふたりで食べ、眠くなるまで適当な話をしながらゲームをして。

 

早々に眠くなった俺は一足先に眠りについた。

 

 

 

 

………………………………ん。

 

今は、……夜中、1時前か。

 

よく寝たと思ったけど、まだ……3、4時間しか寝ていなかったらしい。

 

なら、早咲がうるさくて目が覚めた?

 

………………………………。

 

……音はなにもしないし、そもそも部屋は真っ暗だ。

 

というか、これはトイレに行きたかったからか。

 

寝る前、早咲に釣られる形でずっとジュース飲んでいたもんな……やっぱり気をつけないとな、こんな生活していたら絶対に太る。

 

体によくないこと間違いなしだもんな……っと。

 

暗いながらもカーテンからの光でなんとなく分かるから、そのままベッドから下りて慎重に廊下へ出る。

 

早咲は、……ものすごく静かだし、きっと寝ているんだろう。

 

起こしたら悪いし、なるべく静かに歩いて……電気もつけないでおこう。

 

こういうところは共同生活の難しいところだな。

 

修学旅行とかでも少し窮屈って思った覚えがあるし。

 

だけど、ほんの数日だろうし我慢しておこう。

 

なに、友だちが泊まりに来ているって思えばいいんだしな。

 

……あいつが言うように、親友かどうかはまだまだ分からないけど。

 

そんなことを思いながら……長い廊下を歩き、眠気が覚めてくる頃になって洗面所の方まで来た。

 

……やっぱりここ、広すぎるよなぁ。

 

ひとりで住むには……いや、それにしたって広すぎる。

 

美奈子さんに言ってもう少し狭いところに変えてもらおうか……、と。

 

あれ、洗面所の電気、つけっぱなしじゃないか?

 

ドアは閉めてあるけど、その隅から明かりがかすかに漏れている。

 

……なんだ早咲のやつ、やっぱり女関係だけじゃなくて全体的にだらしないんじゃないか。

 

そういえば昼間も夕方もひたすら食べてばかりいたし、マンガとかゲームソフトとかは雑な感じで置いていたしな。

 

なんというか、ぱっと見もいろんな仕草も上品って感じがあるから騙されていたけど、やっぱりあいつも男なんだな。

 

こういう点に関してはむしろ俺の方が几帳面なまであるな、まちがいない。

 

 

 

 

……思ったよりも限界が近かったらしい。

 

寝る前の……えっと、たしか2時間くらいだったか、ジュースとかは遠慮しておこう。

 

体にも悪そうだしな。

 

というわけで、さっさと手を洗って……目も覚めちゃったし、軽くお湯で顔を洗ってから寝よう。

 

疲れているのは間違いないし、現に今もぼーっとしているし……適当な本でも読みながら眠気が来るのを待とう。

 

そんなことを思いながら……俺は電気のついていた洗面所……風呂のある、その扉を開けてしまった。

 

「………………………………あれ? な、なおと?」

 

――――――なぜこんなに夜遅くに入っていたのかとかなぜ鍵を閉めていなかったのかとかいろいろと聞きたいけど、とにかく。

 

風呂上がりらしく……髪の毛を拭いていたらしく、その。

 

明らかに男とは違う、スレンダーな体つきをした女子の姿をした、それも全裸の……早咲が、風呂上がりで顔は赤く全身の肌からは雫が垂れている姿の早咲がそこにいて。

 

俺はどうすることもできなくなって、ただ硬直しながら……風呂上がりで全裸で艶めかしくって……ぽかんとしているはずなのに欲情をかき立てる表情をした早咲を、見ているしかなかった。

 



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30 最後の試練(1)

 

「あれ……あれ? 直人?」

「あ……………………うん」

 

「なんでこんな時間に……って、シャワーの音で起こしちゃいましたか? ごめんなさい、寝る前にどうしても入っておきたくって。 うるさかったですか?」

「いや、その………………………………」

 

何で、隠さないんだ。

 

そんな、……運動しているって言っていたもんな、体はすごく引き締まっていて一切の無駄って言うものがなくって、しなやかで。

 

なのに女って証拠に控えめながらも胸があって、男とは違う尻やふとももの太さって言うものがあって………………………………全身が白くて、つるつるで。

 

俺がただ突っ立って見ているだけだからか、いつものクセで、また、こてんと……少しばかり頭を傾けただけで、ただ不思議そうな顔をしていて。

 

何で、俺に見られても……少し恥ずかしい程度の表情なんだ。

 

タオルは両手で持ったまま、なのに隠すこともしないんだ。

 

俺に体を……きっと劣情を込めた視線がなめ回しているのが分かっているはずなのに、それでも平気なんだ。

 

「恥ずかしい」程度なんだ。

 

「…………っ、せめてタオルとかで体を隠したらどうだ」

「え? ……ああ、そうですね、僕、一応女ですものね」

 

絞り出すようにして声をかけ、早咲の白い体に白いタオルが巻かれ始めてからほっとするとともに、そもそも俺自身が目を逸らすか後ろを向けばそれで済んだのにって気がつく。

 

……出て行けとか見るなとか言ってくれた方がよっほど気楽だと思う。

 

下手に俺のことを「同性の友人」って思っているからこその反応なんだろうけど。

 

いつも女子を……聞くところによると手当たり次第に連れ込んだりしているらしいから、人にはだかを見られることに抵抗が無いのかもしれないけど。

 

でも、初めて見た女性のはだかが早咲だった俺にとっては、今の光景はあまりにも強烈すぎて。

 

「……ふぅ、これでいいでしょうか。 ごめんなさい、貧相なものを見せてしまって」

「いや、それ、男のお前が、あ、いや、女になってるお前が言う台詞じゃ」

 

………………………………。

 

……バスタオルで体を隠してくれたけど、たった今風呂場から出て来たらしく髪の毛からは止まることなく水が滴っているし、それが額や肩や胸元……脚へ水が流れ、下のマットに吸い込まれていく。

 

それがなおさらに生まれたままの姿だった早咲の体を思い起こさせて、俺は……抑えるのに必死で、早咲との会話も虚ろだ。

 

「だってー、背が高いのにそれに見合わない体型でしょう? まぁ、運動するときには楽ですし、なにより精神的な体って言うんでしょうか、そういうものとそこまでズレがない感じなのでいいんですけどね」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

「……あ、こんな時間におふろ入ってた理由ですか? あのですね、僕、さっきまで映画観ちゃっていたんですよー、それも2作続けて。 よくあるじゃないですか、お勧めって出たから思わずーって。 あ、直人が寝た後からですよ? で、さっき見終わってほっとひと息ついて、お湯湧かして。 入る前にちょっとだけ直人の寝顔見たんですけど、ぐっすりみたいだったので気にしなくてもいいかなーって思っていたんですけど、やっぱり夜中に長いシャワーは駄目ですねぇ。 今度からはなるべく早く入ります」

 

「あ、……ああ」

 

「起こしちゃって、その上、気まずい目に遭わせちゃって。 ごめんなさいねー、ほんとうに」

「いや、……俺は」

 

いっそのこと怒られた方が楽だった。

 

マンガみたいに、アニメみたいに、引っ叩かれたりして。

 

だけどこいつは「男」だから、そもそも怒る理由がないんだ。

 

だから俺は、あいかわらずに早咲のタオルの起伏から目を離せないんだ。

 

………………………………。

 

……こいつ、髪の毛をくくっていないときは肩まで届くんだな。

 

ぱっと見ると、……いや、見なくても「女」でしかない。

 

だから俺は動けないままなんだ。

 

「えっと…………………………?」

「……………………………………」

 

沈黙が流れる。

 

お互いに息をしている音しかしない空間。

 

シャンプーのいい匂いが熱気とともにこもり続ける空間。

 

………………………………男と女だけの、空間。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

いや、そうじゃない。

 

早咲は男なんだ、だけど体は女、いつまでもここにいたら失礼以前に犯罪だろう。

 

いくら中身は男だろうと体は女なんだからな。

 

「……とりあえず。 ……その、悪い、悪かった。 ノックもせずに入って来て」

 

「いえいえ、そもそも鍵忘れたの僕ですし。 そもそも換気扇ついているから聞こえなかったでしょうし」

 

「とっ、とにかく済まなかった! 俺、すぐに出るからっ…………………………!?」

 

と、急いで出ようとしたのが間違いだったのかもしれない。

 

一瞬で真後ろを向くって言う、元々運動神経もいい方じゃなくて最近ろくに運動もしていなかった俺の体にとっては難易度の高い動きをしたせいか、それともさっきからぼーっとしていたのも寝起きだったからかは分からないけど、気がついたら足首の痛みとともに俺の視界は傾いていた。

 

バスタオルを巻いただけの早咲を視界の隅に捉えたまま、足がもつれた感覚と三半規管が転びかけている、って言う信号を感じたまま。

 

「っ! 直人、危ないっ!」

 

………………………………………………………………………………………………。

 

体に、軽い衝撃が走る。

 

思わずの反応で……体育でボールが不意に飛んできたときとか虫が飛んできたときとか、そういうときみたいに目をつぶり、ただ衝撃に備えていた。

 

……だけど、思っていたよりはずっと弱いものだ。

 

それに、なんだか………………………………柔らかくて温かい。

 

柔らかいのはバスマットのおかげで、温かいのは熱気のせいか?

 

いや、それにしては柔らかすぎるし、温かすぎる。

 

その上、後ろから倒れたと思ったのに……気がついたら突っ伏すようにしているし。

 

何が起きたの、か、……。

 

………………………………。

 

目を開く前に、背中が冷たくなり体の一部が熱くなる。

 

何とかしてその衝動を、妄動を抑えようと必死になっている内に、耳元から声が聞こえてきてしまう。

 

――――――――――抑えられる限界を超えつつあったところにトドメとして。

 

「直人。 ケガはありませんでしたか? どこか痛いところは?」

「――――――――――――――――――――おかげで、無いよ」

 

「そう、よかったです。 大切な大切な男子で……あ、友人って言うのもありますけど、そんな直人がケガをしたとなれば僕がどんな処分になるか分かりませんし」

 

「――――――――――――万が一そんなことがあれば、俺が全力で止めさせる」

 

「………………………………。 ……そうですか。 ふふっ、格好良いですね? ですがそういうのはお嫁さんになる子に言ってあげてください。 そういう、昔の映画での演技とか創作の世界でしかお目にかかれない……ちょっと変ですね、そういう台詞はこの世界の女の子にとっては夢の中の夢なんですから。 もちろん、お嫁さんに限らず囲う子に対しては、積極的に囁いてあげてください」

 

そう言いながら早咲に軽く胸を押され、それに合わせて俺は腕に力を込めて体を持ち上げる。

 

なるべくゆっくりと、腰を引かせるようにして。

 

――それはもちろん、ほら。

 

今、こうして目を開けたら飛び込んできたような姿勢になっているからだ。

 

俺の目のほんの30センチくらい下には早咲の整った顔と地面に広がる髪の毛。

 

俺の両腕には早咲の……俺をかばって下に来たときの衝撃で取れたんだろうか、さっきまでタオルで包まれていた胸が当たっている。

 

俺の腹の下には早咲のすらりとしてくびれに沿って女らしい形をしている腰。

 

そして、膝をついた状態の俺の腰の下には。

 

右膝がもう少しで触れそうになっているのは……早咲の、ふともものつけ根、……開いた状態の、股。

 

つまり、結果として俺は、せっかくのバスタオルが解けてしまって……全裸の早咲を押し倒した形になっていて。

 

ついでに言うと、無意識でか偶然でから分からないけど俺の両腕は早咲の柔らかい胸を軽く両側から押す形になっていて、俺の両膝は早咲の股のすぐそばにあって。

 

「………………………………あのー、直人?」

「………………………………………………」

 

さっき俺は後ろに……いや、傾いたって感じだったから横にか、倒れそうになっていた。

 

なのになぜこうしてうつ伏せになっていたんだ?

 

それに早咲も、あまりにも動きが速すぎないか?

 

だって、俺が転びかけてから転ぶまでには長くて2、3秒だろう?

 

そんな一瞬で俺の下敷きになって……しかも、きっと背中は痛いはずだ。

 

頭だって打っているかもしれない。

 

いくら鍛えているって言っても、いくらバスマットがあるからって言っても、背中から滑り込んで男ひとりを受け止めるって言うのは間違いなく痛いはず。

 

それなのにどうしてこいつは平気なんだ。

 

身体面でも精神面でも。

 

だってこの状態は……。

 

「……直人ー? あのー、直人ー?」

「………………………………あ、う」

 

声が出ない。

 

あまりの情報量に……感情と劣情とで頭がきちんとした方向に働かない。

 

「痛みとかなかったら、そろそろどいてくれますかー? この体勢、けっこうきついんですよぉ。 それに天井の光がまぶしいですし」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

「……あと、ですね?」

 

早咲の声に引きずられ、俺の目が早咲の目とぴったり合う。

 

心なしか潤んでいて、頬が赤くなっているように見える……ああ、これが上気した顔ってやつなのか、なんて思考が駆け抜ける。

 

「いくら男同士でもですね、この状態でおっぱいとかおまたとかを見たり、腕でおっぱいふにゅんってするのは止めてくれませんか? ……あー、直人ってラッキーなんとかって体質だったりします? なーんて、冗談です。 ……で、ですね? 見ちゃうのはしょうがないですけどね、僕だって直人の立場ならそうしちゃうでしょうし。 だから……えっと。 ………………………………。 お、おーい、なおとー。 そろそろどいてくださいよ――……あれ、聞いてます?」

 

もぞもぞと動く……からこそ余計に目が胸に吸い寄せられてしまう情けなさに自分を殴りたくなる。

 

けど、………………………………どうしようもないんだ。

 

こんな状態になった以上、俺にはもうどうしようもない。

 

だって俺には、こんな経験はなかったんだから。

 




直人くん、最大のピンチ。健康な男子高校生的に。


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31話 最後の試練(2)

追い詰められる直人くんと押していく早咲ちゃん。


 

「直人ー。 直人ー? ………………あれ、まさかそこまで耐性がないなんて……」

「………………………………………………………………………………………………」

 

目の前には早咲の火照った顔と体……むき出しになった胸。

 

中性的な顔立ちとは言ってもやはり骨格も肌も女だ、ましてや風呂上がりとあってどう見ても女にしか見えない。

 

目を少しでも下に落とすと細いくびれとへそ、……その先の腰から下が。

 

「ですからー、くすぐったいですし重いんですけどー? 直人? 直人ー」

 

と、……そうだ、いけない。

 

俺は今、助けてもらった上に肉体は女な早咲の上に馬乗りになっているんだ。

 

まだ怒っているわけじゃなく、むしろ心配されつつ動かないのに文句を言われているだけ。

 

……友人としての関係を維持したいんだ、とりあえず離れてここから出ないと。

 

………………………………。

 

………………………………………………………………。

 

……あれ?

 

………………………………。

 

「…………………………………………、早咲」

「あ、やっと動きました。 直人、重いので」

 

「すまん、腕と脚に力が入らない」

 

と。

 

なんとか気を持ち直してどこうとしたはいいけど、脚というか腰に力が入らず……このまま体をずらそうとしたら今度こそ覆い被さるようにして倒れ込みそうになっているのに気がついたから、端的に事実を絞り出す。

 

……下はバスマットで膝も手も痛くはないけど、ずいぶんと長いこと同じ姿勢でいたからか、手首と膝がしびれている。

 

………………………………これ、詰んでいないか?

 

このままだと、俺は早咲に馬乗りになって裸体を見続けるっていう恥知らずになる。

 

かといって、それを避けるために立ちたいけど、体をうまく動かせない始末だ。

 

動かないでいると邪な視線が止まらないからたぶん直に怒られ、動くと今度こそ押し倒して気まずいどころじゃない事態になる。

 

俺、どうしたら?

 

………………………………。

 

というか、まずい。

 

まずいことに気がついてしまったことがまずい。

 

何がまずいかって、………………………………その、あれだ。

 

健全な高校生男子として当たり前に持っている男としての衝動が起き始めているっていう……つまりは欲情しているって言うことだ。

 

恥ずかしいけど今は恥ずかしがっている場合じゃないし、これまでみたいに気がつかないフリをするわけにもいかないんだ、何とかしないと。

 

……すでに体は反応している、早咲にも……前世が男だったからこそズボンを見られたらすぐに分かるはずだ、今の俺がどんな状態かって。

 

仰向けにもかかわらずこてんと……そのせいでまた一段と……とにかく首をかしげて俺の顔を不思議そうに見ているだけだからまだいいけど、ふと下を向かれたらアウトだ。

 

………………………………男としてアウト、女にそれを見せてアウト、男にそれを見せてアウト、なにより性別に関係なく友人として………………………………まちがいなくアウトだ。

 

男女はほんとうの友人にはなれない、なんてどこかで聞いたフレーズが頭に浮かぶ。

 

早咲を男と見るか女とみるか……少なくとも今の俺の体は女だと言っている。

 

………………………………俺の心は男だって見たいのに。

 

この世界で唯一の男の友人だって。

 

だから、何とかして収める。

 

けど、どうやって?

 

恥ずかしい話だけど……この世界に来てから、俺は1回もしていない。

 

だって、そもそもそんな余裕はなかったんだから当然だ。

 

学校……学園にいるあいだは女子たちからの肉食獣のような視線に晒され、へとへとになってここに戻って来て適当に済ませてさっさと寝る。

 

当然ながら俺が楽しめる娯楽がなくて……俺が興奮できるもの自体がなくて。

 

そういう欲求すら浮かばなかった。

 

そうしているあいだにあの晩に襲われ、危ういところで早咲に救われ。

 

……そして今度は早咲っていう元男な友人と会えた楽しさで、またそれどころじゃなくなっていたんだ。

 

思えば途中から俺の心がずっと揺れていたのも所詮は性欲って言う男の悲しい性のためだったのかもしれない。

 

だって、現に今、女らしい姿を見た途端に発情した犬みたいになっているんだからな。

 

――――――――――こんな自分に、嫌気が差す。

 

早咲はこんなにも……風呂上がりに転びそうになった俺を助け、背中から倒れて痛いはずで、なのに俺からはずっと馬乗りになられていても、いつものクセでかわいらしく首をかしげて。

 

「……………………………………なおとだったら、いいですよ」

「………………………………………………………………、え?」

 

「いくらなんでも直人がそこまで固まって動けなくなって、苦しそうな顔していて……下をそんなにしていたら」

 

「………………………………っ、済まない早咲。 ヤなもん見せちまって」

 

「え? あの、修学旅行とかで普通に見ていましたから別に平気ですけど。 前世じゃ見せ合いとか当たり前でしたし? ……あー、直人の性格じゃそういうのしない子と一緒でしたかー」

「いや、俺、お前を見てこうなっていて」

 

あんまりにも不思議そうな顔で聞いてくるもんだから思わずで本音を言って血の気が……あ、今ので少しだけ収まった……けど、俺の体はあいかわらずだ。

 

「いえ、ですから平気ですって。 そもそも僕は男でしたからそれを見せる側だったわけですし」

「……そういえば、前世から女遊びを」

 

「そういうことです。 なので別に気にしませんよ? むしろこの状況では男として反応してしちゃうのが男の体でしょう? 知ってますよ、僕が何百回何千回してきたと思ってるんですか」

 

「………………………………悪い」

 

むしろ怒ってくれたりした方がよっぽど楽なのに……それなのに早咲は、変わらずに笑顔……少しだけ困ったような感じにしつつ、俺のことを見上げ続ける。

 

「……直人の性格からして、これまで発散する余裕、なかったんですよね」

「……ああ。 少なくとも、こっちに来てからあの晩までは」

 

「でしょうねぇ、僕みたいにいろいろと慣れているのと彼女すらいたことがない直人とでは違うでしょうし? いろいろと」

 

「………………………………、なんで」

 

「いえ、分かりますよ。 据え膳にむしろ腰が引けている感じでしたし、女子の体から目を離せない場面ものすごく多かったですし? ……ま、こっちの女の子たちも直人に対してそうでしたからほとんど気がつかれてはいないでしょうけど」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

………………………………俺は、俺に向けられているのに気がついていたから……俺のが気がつかれていないはずはない、んだけど。

 

「なので――……、その。 いいですよ? 僕は。 そうして発散できない辛さは身をもって知っていますし。 頭の中がごちゃごちゃしちゃって、もうどうにもならないんですよね? ――――――――――――それに、命令されていますし」

 

「……、命令」

 

「はい。 僕からは絶対に直人に手を出さないって知られていますけど、もし直人が僕を求めるんだったら手ほどきを、って言うのをですね。 だって、直人、誰ひとりとしてそこまでの距離にもならないですし……夜になる前に帰しちゃって、呼ばないんです。 誰でもいいのでとにかく女の体に慣れさせろー、ってニュアンスで。 あと、……いい加減にあのふたりか、それともクラスの誰でもいいのでさっさと抱いてね? でもムリそうならお前が何とか手助けしろー、っていう圧力が」

 

………………………………。

 

そんなことが。

 

なのに早咲は、ずっと俺のそばに……同じ部屋にふたりっきりでも平気で寝息を立てたりしていて、起きているあいだは楽しくさせてくれて。

 

「……それは、母さ……美奈子先生やローズ先生が?」

 

「いえ? もっともっと上の方ですよ? むしろおふたりは直人の人権をないがしろにするなって怒ってくれていましたし。 だって、直人が襲われかけたあたりから、さっさと手慣れた人を送って……もちろんクラスの人に教え込んでですね……いい感じに襲えって言うのまで出ていましたから。 ほら、最低でもひとりふたりはお嫁さんがいないと大変だって話したでしょう?」

 

「………………………………」

 

「あとー、えっちなものとか手に入りませんでしたよね? そもそも欲しいものがあったら何でもとは言われていたでしょうけど、直人からそんなものをー、なんて間違いなく言えませんし? ……ま、上の方が手に入らないようにもしていましたから」

 

「………………………………それは、ネットとかも」

 

「調べますよね? 興味本位でも、実用本位でも。 直人って言う健康な、しかも若い男のを1回たりとも無駄にさせちゃダメって言う方針だったそうですよ? ……ま、この世界の男ってそもそも男になるタイミングで幼なじみたちを宛がわれていますから、そこまで需要がなくって大した数がないって言うのもありますけど」

 

………………………………。

 

確かに俺は調べた。

 

知らないメーカー、だけど使い方や中身は……少しだけ古い感じのパソコンを使って、ネットを。

 

だけど、いくらそれらしいのを探しても……この世界の女性向けのはこれでもかってあったけど、俺のような男向けのものは何一つ無かった。

 

それは、フィルタリング……いや、検閲されていたからで。

 

「……僕、たくさんの女の子、女の人たちとしてきたっていいましたよね?」

「………………………………ああ」

 

「なので、相手によってはそういうのを使って入れられるって言うのもたまーにあったりもしたんです。 ………………………………なので、いいですよ? 僕と同郷の直人なら」

 

「………………………………っ! な……にを言っているんだ。 だってお前は男で」

 

「でも、体は……今世の肉体は女です。 さっきから、直人が見ているように」

「っ!」

 

早咲は抵抗するわけでもなく、ただ横たわって……潤んだ目つきで俺を見上げてくる。

 

「その感覚、衝動。 この体になってから……あは、もう16年ですか、感じられなくなってはいますけど、それでも覚えてはいますから。 出せないって言う辛さも、ものすごく」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

「それに、繰り返しますけど。 直人が……何ヶ月経ってもあのふたりに手を出さない、出せないようでしたら代わりに僕がっていうのと、逆に直人が……女の子に慣れないといけないので、もしこういう場面になったら拒否しちゃダメって命令されています。 だから、これは「命令」なんです。 気にしないで、いいんですよ?」

 



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32話 最後の試練(3) そして……

 

「――――――――――確かに僕は男です。 心は完全に男です。 ……でも、同時に肉体は女でもあります。 それに……、女の子と遊んでいるときに、おもちゃを入れられることもるんですよ? なので、入れられることに対する抵抗感もそれほどないです。 なので僕は……直人がそうしたいって言うのでしたらいいですよ。 命令されたって言うのもありますけど、それはあくまで、ただの命令。 僕自身は、まっすぐな直人のこと、嫌いじゃないです。 ……それに、この世界なら、直人よりもずっとずっと男らしい性格の女の子っていっぱいいっぱい、いーっぱい、いますから」

 

「………………………………………………………………、早咲」

 

俺の下で、ただ俺を見上げながら、潤んだ目で口にする早咲。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

落ちつけ。

 

理性で、何とかするんだ。

 

……そうだ、早咲は無理をしているのかもしれない。

 

嘘をついているのかもしれない。

 

命令とやらが……この世界の男関係での過激な何かで厳しいのか、それとも……似たような世界から来た、たったひとりの友人な俺のために言っているのかは分からない。

 

でも。

 

――前世は、心の中はまちがいなく男で、今でも俺の男の友だちで、絶対に、心の中じゃ嫌がっているはずだっていうのは分かっている。

 

分かっているんだ。

 

だけど、……こうして分かっていながらも、俺の心と体と……衝動は、早咲に向かっていて。

 

「……ごめんなさい、こんなに貧相な体つきで。 特に胸が、小さくて」

「早咲、お前、何を」

 

「直人のこと、初めから見ていましたから分かりますよ。 直人は胸の大きい女の子が……あのふたりのような女の子が好きですものね。 ええ、あの日わざとケンカをしたときにもそう言っていました」

 

………………………………ああ。

 

そんなことも、あったな。

 

俺を、立ち直させるためにわざと怒らせてきたあのときの。

 

なのに今は、それがぜんぜん別の文脈で。

 

「……ごめん、早咲。 でも、俺。 ………………………………ダメだって分かってる。 早咲が、本当は嫌がってるはずだって分かってるんだ。 だけど、……体が、我慢が」

 

ダメだって分かっていても、俺の理性なんてしょせんはただの……彼女もいたことすらない弱いものだ。

 

だから俺は、早咲の声に引かれてだんだんと「早咲自身がいいって言っているんだし、もういいか」っていう暗い気持ちに包まれていく。

 

「直人、いいですよ」

「………………早咲」

 

「僕なら。 ――男だった僕なら、直人の全部を受け止めてあげられますから。 それがどうしようもない衝動で、……ええ。 出すまでは止められない、抗いがたいものだっていうのは、覚えていますから。 …………大丈夫です、これからのこと、終わったら無かったことにしますから。 ただちょっとだけ困ったことがあった、それだけしか覚えておきませんから。 ――――――――直人がまた、したくなったら相手もしてあげます。 だって僕は、この世界でたったひとり、直人を理解できる人間なんですから」

 

と。

 

早咲は……俺の手とその胸を……早咲自身の手で、包み込んで。

 

「――――――――ですから直人。 おいで?」

「――――――――――――――――――早咲」

 

俺の中で、何かが千切れかける音が聞こえる。

 

ダメだという理性と、いいんだという欲望が綱引きをしていたのが、ぷつりと切れかかる音が。

 

……そして、早咲のことを……目に映っている早咲の柔らかい体を「女」として見てもいいんだって、遠慮しなくなっている、俺が。

 

………………………………。

 

1回。

 

1回、だけなら。

 

そうだ、俺はここに来てから……その、1回もしていない。

 

だから、……早咲もこう言っているんだ、1回だけなら。

 

そう思って、手を動かそうとしたところに、早咲の声が飛び込んできた。

 

「――――――――けど。 直人。 もし、このまましてしまったら……僕たちは多分、いえ、きっと。 ただの男の友だち……っていう、ついさっきまでの関係はもう取り戻せなくなりますね」

 

「――――――――、あ」

 

「しょうがないことなんです。 しょうがないことなんですけど……なんだか寂しいですね。 もう、今日の夕方までみたいな関係には戻ることができないんですから」

 

「さ、き」

 

「だって、そうでしょう? 1回でも肉体関係……えっちなことをしちゃったら、それはもう友だちじゃなくなります。 少なくとも、ただの友だちには、ね。 それ以上の、別の。 何かの関係になるんです。 ――――――――そう、例えば今言ったみたいに、次に直人が我慢できなくなって僕に求めてきたりすることだって出てくるでしょう。 そうすると、また……「男同士」じゃなくて、「男女」の関係になっちゃいますから。 ものすごく仲のいい、恋人じゃない……けど、友だちというわけでもないっていう関係に」

 

「う、……でも、早咲。 さっきは」

 

「もちろん僕はこのまま……苦しい直人の手伝いをしてもいいんです。 けど。 けどですね? ……この世界で、僕はたくさんの女の子たちと関係を持っています。 だからこそ分かるんです。 仮に肉体が女同士でも、いちどでも関係を持っちゃった子っていうのは、純粋な友だちっていうものからは外れちゃうんです。 だって、お互いにしたくなったらしちゃう、短い間だけでも……恋人になっちゃうんですから」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

「……なので、直人と僕は余計に。 肉体的には完全に男と女です。 きっと、これ1回限りだったとしても、それはもう……男の友だちに近い男女の関係っていうものになっちゃうんです。 ですので――――――――直人は。 直人は、どうしたいですか?」

 

「………………………………っ、俺、は」

 

「直人は……君は、どうしたいんです? 僕は、どちらでも構いません。 元、男としての友だちのままでも、関係を持ったことのある男女の友だちっていうものでも、どっちでも。 どちらにしても、「普段」なら僕たちは友だちのままなんです。 男の。 ……ただ、1回しちゃうと、少しだけ変わっちゃう。 ただ、それだけ。 そして――――――――僕は選ぶ立場にはありません。 選ぶ立場にあるのは、直人なんです。 この世界ではほとんどいなくて、だからこそこの世界のほとんどの女の人よりも……それこそ、よっぽどのことじゃない限り何でも望みを叶えられる立場の、直人。 ――――――――――直人、君は、どうしたいんですか?」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

頭の中がめちゃくちゃだ。

 

体の中もめちゃくちゃだ。

 

俺の中で、何もかもがはち切れそうになっている。

 

だけど。

 

………………………………。

 

早咲が。

 

このまま俺が手を出してしまったら、早咲とはもうただの友人には戻れない。

 

友人に近い、女の友だち。

 

――早咲が、今言ったように。

 

――――――――俺が、俺のいた世界に戻ることができる保証はない。

 

それどころか、このままずっと……死ぬまで母さんには会えずに残る可能性の方がずっと高い。

 

だって、そうだ。

 

この世界に来てまだ大して時間は経っていないけど、でも、俺には何も起きていない。

 

ただ、あの夜に校庭で目を覚ました――不思議なことは、ただ、それだけ。

 

なら――俺は、この世界でできる友人、「親友」になりうる人間はただひとり。

 

目の前にいる、女の体ではあるものの、男な早咲……だけなんだ。

 

だから。

 

どうにかして……しびれている腕を、手をなんとかして早咲の手と胸のあいだから離して地面に置き直し、とじくじくと痛んでいる膝を押して、少しだけ早咲と距離を取る。

 

「………………………………なおと……」

 

「早咲。 ……俺は、この世界でたったひとりしか見つけられないだろう友だち……ホンモノの、男の友だちってやつを失うわけにはいかない」

 

「はい」

 

「だから、我慢する。 止める。 だけどさ、俺自身の意志で……は、なんでだか分からないけどとても難しそうなんだ。 だから、……その、蹴り上げでもしてこの衝動を収めてくれないか? スポーツ万能で鍛えているんだろう? 思い切り膝で俺の腹でも股でも」

 

「あ、ホントに大丈夫そうですね」

「………………………………ん?」

 

と、……俺が懸命に意志を絞り出していたから気がつかなかったけど、早咲の顔はいつも通りに戻っていて。

 

それで……一瞬の後には、俺の真下には誰もいなくて。

 

「……あれ?」

 

「あ、ちなみにー、なんですけど。 直人、この際だからもうはっきりと聞いておきたいんですけど。 今、えっちなことしようとしてたじゃないですか。 それって、「婚約者」ってことになってて、そこそこ仲良しに見えますあのふたりとできそうですか?」

 

「え、あ、……?」

 

顔を上げると早咲の下半身――が下着で包まれていて、もう少し上げるとさっきまでの胸も、もう見えなくなっている。

 

慣れているのか、手つきは素早くて……あっという間にシャツを着て、ズボンを履き、上着を羽織っていつもの「男装」へと戻っていく。

 

「と、………………………………あ」

 

四つん這いになった姿勢から上を見上げたせいか、バランスを崩して尻餅をつき……手足がしびれて動けない状態で、俺はただ、ぽかんと早咲を見上げていた。

 

そんな早咲は、タオルで髪の毛をささっと拭くと雑に後ろで縛り……どう見てもいつもの「早咲」に戻っていた。

 

「どうですか?」

「え?」

 

「え、じゃないですよ? あのふたり、オッケーそうですか? えっちなことできそうですか?」

 

「え? ……あ、ま、まあ、そう、だな?」

 

「ほんとうですか? おーるおっけー?」

「あ……、う、ん。 ま、まあ、多分?」

 

「あのふたりと、仲良く……卒業してもずっと一緒にやって行けそうですか?」

「え、と……あ、うん、ふたりともいい人だし、優しいし、俺のこと気遣って」

 

「そ。 ならよかったです。 まー、直人は男ですし? 生理的にムリでもなければどんな女の子としても平気だとは思いますけど、こういうのは当人の意志が大切ですし、なによりこの先ずっと一緒なんです、ハジメテは相性がいい子のほうがいいですもんね。 ……はいっ、ただの確認ですが、大切な確認ですっ」

 

………………………………ダメだ、状況が分からない。

 

さっきまで……ほんの1、2分前までは早咲が全裸で、俺が押し倒していて、俺の衝動を受け止める……つまりは男女の関係になるって言う話だったのに、それがいつの間にか早咲は普段の格好になっていて、その相手があのふたりっていうことになっていて?

 

「――――――――――――あ、もしもし。 僕です。 ……はい、例の件、直人本人からオーケー出ました。 ちょっと……あ、ほんとうです、問題ない程度に盛ったので、今夜「力尽きる」までは大丈夫そうです。 なので……、ええ、ええ。 念のために、もう1回ふたりと実家の方にも確認と念書を取ってもらってから、すぐここに来てもらってください。 僕、彼を見ながら待っていますから。 あ、あのふたりはいいですか。 分かりました、せんせっ」

 

……と。

 

早咲が、訳の分からない電話を終える。

 

「……あ、直人。 直人の直人の調子は――あ、大丈夫そうですね。 さすがはこういうときのためのお薬、効き目はバッチリみたいですっ」

 

「――――――――――、薬?」

 

「はいっ」

 

こてん、と、いつもよりも首を傾けながら……実に良い笑顔という物をしながら俺に向かってしゃがみつつ早咲が言う。

 

「というのもですね? あと数分……いえ、隣の部屋で待ってくれていましたので1、2分程度でしょうか? 今夜で直人の婚約者からお嫁さんにランクアップするあのふたりがいろいろと準備してきますので」

 

「………………………………は? 嫁?」

 

「はい、お嫁さんですっ♥ つまりはカラダの関係も持つ、立派な男女の関係ですね?」

 

早咲がしゃがんできて、俺の……を、指で軽く叩き、にたりと笑う。

 

「ああ、いいなぁこの硬さ……もう僕にはないんですよねぇ。 その感覚もすっかり忘れてしまいましたし……と、それはいいとしまして。 ――僕はですね、直人。 直人が、ふたりと……直人となんとなく相性良さそうだって選んであげたあのふたりと、上手いことえっちなことをして無事この世界に適応できるよう、準備してあげたんです」

 

はぁ、何かの事故で生えませんかねぇ……と、もう2、3回つついてくる早咲。

 

「……ねぇ? 男ならいい加減覚悟決めましょう? うじうじするのはやめにして。 もう、分かっていますよね? この世界の男子で、その歳で……お嫁さんが一切いないって言うやっばーい現状のままですと、またあんなことが起きかねないって。 だから、覚悟決めていーっぱいしちゃってくださいね? ね? ――――――――――身も心もちょーっと奥手気味な、だけどこうして健全そのものな男子高校生の………………………………榎本直人、くん?」

 




今回がクライマックスでした。あらすじから続いてきて怪しまれた方もいらっしゃったでしょうが、ご心配なく。私の作品では必ずTSっ子や女装っ子は女の子としかくっつきませんので。というわけで、次回以降がエンディングとなり、直人くんと早咲ちゃんのおはなしは終わりへと近づきます。もう数日のあいだ、お付き合い願えたらと思います。


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33話 この世界を受け入れた朝

直人くんと沙映ちゃんと晴代ちゃんは仲良くなっただけなのです。セリフやモノローグに深い意味はありません。……ですがそれは、直人くんがようやくに。激しい葛藤をずっと繰り返した先にこの世界を受け入れる、心の準備が出来たということです。それもこれも、早咲ちゃんのおかげですね。もうひとりの主人公ですから。


 

………………………………、ん。

 

目覚まし時計よりも……ああ、こっちに来てから使ったことないな、そういえば……先に、自然に目が覚める感覚とともに、俺の意識は浮かび上がる。

 

閉じたままのまぶたには朝日が、窓の外からは鳥の声が。

 

そして、体は程よく疲れ切り、なんだか……そう、ずっとため込んでいたものをまとめて出したときのようなすがすがしさが。

 

………………………………。

 

ん?

 

体のだるさ?

 

すっきりしすぎた感覚?

 

すがすがしさ?

 

――――――――――両隣からの、温かさと柔らかさといい匂いと吐息?

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

そっ、と。

 

俺は、昨日の……昨夜の、早咲とのあの葛藤があったあのことを思い出しながら、そっと横に……視線を感じる方へと顔をやってみる。

 

「………………………………あら。 もう少し、寝顔を眺めていたかったのですが。 とても可愛らしかったので……くす、残念です」

 

「…………晴、代」

「はいっ、直人様」

 

どのくらい前から起きていたんだろうか……両腕をついて起き上がり……昨夜のアレのおかげで当然ながら何も着ていない、つまりは上半身……いや、シーツに隠れている下半身もなんだろうけど……はだかのままで。

 

昨夜……明るくなってきたころに眠くなってようやくに眠る、なんてことがなければきっと反応してしまっていただろう立派な胸がふたつ、その上と横に流れる晴代の長い髪の毛、そして美しいっていう感じの顔が、瞳が、俺をのぞき込んでいた。

 

「……うにゅ? なおとぉ?」

 

と、俺の声で目が覚めたのか反対側でもぞもぞと動く音がしたと思ったら体重を掛けてきて……同じような格好どころか、寝相が悪かったのか脚までシーツが乗っていない、つまりは素っ裸な沙映が、俺にその大きな胸を乗せつつのぞき込んでくる。

 

「沙映」

「うんっ、おはよっ! 昨日はすごかったねー!」

 

………………………………。

 

う、うん。

 

まあ、こういう自然なところも沙映のいいところだから。

 

奥ゆかし……過ぎるくらいの晴代と、素直すぎる沙映。

 

このふたりの組み合わせがちょうどいいんだろう。

 

身長も高いのと低いのとで……ま、まあ、胸はその、ふたりとも大きかったけど。

 

「……ええ。 素敵。 ただ、その一言に尽きますわ。 それ以上で表現したなら逆に下手になってしまいます。 殿方と、……私たちふたりは、縁がありませんでした。 そう、末娘として生まれたときから決まっていたのです。 ですので、あのような体験は万が一にもあり得ないものだと思っていました」

 

「だよねーっ。 男の子と顔……あ、お兄ちゃん以外のと、かな? と、合わせるのもお話しするのも、昨日みたいなことするのも、沙映には関係ないことだって思ってたよ。 もともとキョーミなかったけど」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

そう言いつつ、晴代は乱れていた髪の毛を整え始めて……用意して来てくれたんだろうな、軽く濡らしてあるタオルを沙映と俺に手渡してきてくれて、まずは顔を軽く拭う。

 

それで、さっぱりした。

 

頭も、ようやくに覚めた。

 

「ありがとう、晴代。 それで、ふたりとも……ごめん。 早咲が……なんか企んでたみたいだけど、そのせいでいきなり呼びつけたりして。 真夜中だったって言うのに、……それに、俺と、その。 いきなり、………………………………ええと。 して、もらって」

 

「あ! 直人がそうやって恥ずかしがってるの、いいかも!」

「こら、沙映さん。 今は真面目なおはなしですよ?」

 

「はーいっ」

 

「……ええと、ですね? 直人様。 まずは、改めてお伝え致します。 私たち、先生方や早咲様から直人様が特殊な環境での養育をされてきたのだと説明されてきました。 そして、そちらの方針で……ものすごく、ものすごく古い……まるで明治時代のような恋愛の価値観をお持ちであるということも知らされました」

 

「んー。 あのへんのおはなしとか、授業でやったりするけどイマイチよく分かんないんだよねー。 だって」

 

「はいはい、あとで聞きますから、ね?」

「ぶー」

 

「……こほん。 それでですね、直人様。 直球に申しますと、私たち女子にとって、数日……いえ、いきなり登録してあります写真で男性から呼ばれたりしても、ですけれど……実際に顔を合わせ、近くで、それも友人として接していただけた男性である直人様と。 ――たとえ昨夜限り、ひと晩限りだとしても、肌を重ね合わせられ、その上直接に注ぎ込んでいただけるという幸福は、夢物語なのです。 しかも、記念のためのたったの1回などではなく、何回も……ふぅ……」

 

「……うん。 あれ、うれしかった。 ふつーは男の人となんかできないから、細長いあれ……なんだっけ? ま、いいや、それでちゅーってやってちゅーってされるだけなのに、その何十倍、ううん、ものすごいのを沙映たちのおなかの中に入れてくれて。 沙映、あの思い出だけでこの先の人生、きっと幸せだよ」

 

お体も軽く拭ってくださいね、という晴代の言葉に習って俺も体も拭いて……その様子をまじまじと、同じ動作をする沙映に見つめられながらするという恥ずかしさに耐え、どうにか……いちばん汚くなった場所まで綺麗にする。

 

そうして……これもまた晴代が手配してくれたんだろう、俺たち全員分の下着から制服を手渡され、今度は3人で下着から身につけていく。

 

………………………………晴代は見ない振りをしてくれているけど、沙映は俺の股に視線を注ぎっぱなしだ。

 

……まあ、昨夜はお互いさまだったんだし……いやいやでも、やっぱり恥ずかしいもんは恥ずかしい。

 

「沙映さんがおっしゃるように、これはとても……私たち女子にとって、幸せなことなのですわ、直人様。 直人様がいらっしゃらなければ……そして私たちを選ばれなければ。 学園を卒業しても他の男性からの、先ほど申したようなお相手というものにも選ばれませんでしたら、私たち、もう一生男性とは巡り会えない……はず、だったのです。 ですので、これからは家の手伝いをしつつ、人工授精を選び続け、あるいは家の伝手でご紹介をいただけるでしょう男性を待つしかありませんでした」

 

「そーなの? 私、どっちもしなくてもいいよーって、お母さんから言われてるけど」

 

「……それは、沙映様にお兄さまがいらっしゃるからですわ」

「あ、そーなの」

 

「ええ、お兄さまがたくさんの女性を幸せにするので、沙映様にはそのような義務はないのです」

「へー」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

もう制服をぴしっと着こなしている晴代と、晴代に着るのを手伝われている沙映。

 

こういう会話を聞くたびに、ここが俺のいた世界とは……よく似てはいるけど、全く別の世界だって考えさせられる。

 

ああ、分かっている。

 

早咲からもさんざんに……いや、初めのあの夜から、美奈子さんやローズ先生、ひなた、そしてこのふたりからもいろいろと学んだんだから。

 

だから、ここは――異国。

 

異世界。

 

似ているけれども異なる世界。

 

そういう場所だって、理解している。

 

だけど、それとは別に思うところがある。

 

………………………………。

 

俺は、昨夜。

 

――早咲との風呂場でのあの後すぐにやってきたこのふたりと……、した。

 

とりあえず、早咲に煽られる文句がひとつ減ったっていうことだ。

 

それだけのことを……いや。

 

初めてにしては余りにも上手く行きすぎるし明け方までっていう始末だった。

 

これはもしや――――――――――。

 

「ピンポーン」

 

と、俺はもちろん沙映も無事に制服を着終え……リビングに出たらひとまず何事もなかったかのように振る舞える状態になった俺たち。

 

……まあ、寝る前はみんな全身汗まみれだったし、……その、いろいろなもんが体じゅうについているから学校に行く前にちゃんとシャワーを浴びないとまずい状態なのは明らかだし、…………そして、何よりも寝室を見られるのはとても気まずい。

 

だから、こうして出てきたわけだけど。

 

「ピンポーンピンポーンピピピピンポーン」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

………………………………この感じは………………………………ああ。

 

この元凶の、あいつしかいないよな。

 

頭の上にはてなを……本当に浮かべているのが見えるくらいの表情をした沙映と、苦笑している晴代を手で制しつつ玄関へと向かい、鍵を――そういえばこれ、玄関にあるパネルに触るだけで開くものだったらしいな――開ける。

 

そして、そこには――――――――――やっぱり、思っていたとおり。

 

「いやぁ、おめでとうございます直人! それに綾小路さんに御園さん! あー、いや、もうこれで仲間、身内みたいなものだから下の名前でいいですか? ということで直人、晴代さんに沙映さん、ほんっとーにおめでとうございますっ! まずはみなさんのアバンチュール……じゃないですね、ランデヴーおめでとうございますっ! これでもうマリアージュはばっちりなので届け出も完了したって先生が言っていましたし、もう大手を振って「夫婦」として出歩けますね!! ………………………………………………………………………………………………あ、で、そんなことはどうでもいいとしましてどうでしたかみなさん!! 特に直人!!! 奥手すぎてもうどーしようかってさんざんに僕、おっと、私を悩ませ続けました直人!!! 最初っから、童貞かける1と処女かける2っていうまさかの3人とかいうかなりレベル高いスタートでしたけど、どうだったんです!? あ、でもなんだかみなさんスッキリされてる様子なので上手く行ったんですね!! 最初から3人で暗がりの中……どうです、興奮しました!? 気持ちよかったですか!? 本能のままに蠢きましたか!?」

 

……一応、ほんの少し、微量は理性が働いているのか玄関に入りドアが閉まったのを確認してから一気にまくし立て始めた早咲。

 

――早朝から、セクハラとかそういうものの次元を越えている気がするんだけど。

 

だけど、いろいろあったけど――それでもこいつは早咲。

 

元男で、現女――でも、変わらずに女ばかり追いかけている奴で、親友、だからな。

 



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34話 種明かし

エピローグは早咲ちゃんメインです。……いえ、それまでと同じですが、晴代ちゃんと沙映ちゃんという直人くんのお嫁さんを加えた上での、これからを望む場面です。


 

「あー、もうちょっと早ければみなさんのあられもない姿を急いで整えた感じの、実にいいのをこの目に焼き付けることができたんですけどねー、残念です。 特に晴代さんと沙映さんはほら、僕のリスト的には後回しにしていましたし、なにより直人が来てからは直人のお相手だからもう拝めませんからねぇ……ああ、残念です」

 

「あ! 沙映知ってる! 名前が似てるからってびっくり、っていうか引かれたことあるもん! ひどいよ、さえ、と、さき、だなんて! おかげで沙映が女の子大好きで先生たちにいつも怒られてるって、ここに来てしばらくあったんだからっ」

 

「……はぁ――……この方が主席、ですか……。 この癖さえなければ、ほんとうに才色兼備なお方なのですけれど……」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

玄関で立ったまま俺たちを食い入るように見つめながら……ものすごくわくわくしている感じの早咲と、珍しく怒ってる感じの沙映と……頭を抱えている晴代。

 

そして、何にも言えずにぼんやり突っ立っている俺。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

やっぱり早咲は……いや、多少面倒見は良かったとしても。

 

たとえ、正気に戻ることはあったとしても……その本性は。

 

「はいっ、と言うわけでみなさんは今日から正式に……法的にも何もかも家族ですっ。 国際条約的に。 ……あ、書類とかはもう全世界に発信しましたので直人の安全もそれなりには確保できましたよ? ええ、日本国の御園家と綾小路家。 あとはこの学園の先生たちや生徒たちのお家を敵に回して何かしようとするだなんて、もうできませんからね。 そういう意味ではあのときの悪い人たちがラストチャンスだったんでしょうか? まぁいいです、とにかくそういうことで。 今日中は念のために学園にいた方がいいみたいですけど、明日からは直人も学園の外に出られるようになりますし、沙映さんと晴代さんは晴れて「シンデレラ」として男の子に見初められてお姫さま。 ええ、全員が幸せ、大団円ですねっ」

 

……早咲、朝っぱらから元気だなぁ……。

 

………………………………。

 

じゃなくて。

 

「……早咲」

「はい!!」

 

「うるさい」

「はい……」

 

「……で。 俺がふたりといきなり――そうだな。 この世界では、何よりも俺の安全のためにって、このふたりが「お嫁さん」として」

 

「お嫁さん……はう………………」

「……済みません、少し腰が……」

 

………………………………。

 

……今度はこのふたりか。

 

晴代はぺたんと座り込んじゃうし、沙映はふらふらと危なっかしいし。

 

「………………………………俺と結婚した、ことになったんだな。 そうだよな、俺の世か……じゃない、俺の、その、「偏った教育」で習ったみたいに男女は恋愛のあとに結婚って流れじゃなくて、気に入ったら……男が見初めて、こうしたら結婚なんだもんな」

 

「そうです。 そのあたりの常識が染みつくまでは、あまり外で長居はしない方がいいかもですねぇ、直人」

 

「そうか。 ………………………………。 ……念のためだけど、晴代、沙映、いいのか? 俺たち、知り合ってまだ何日かしか経ってないし、放課後くらいしか一緒に過ごしたことないし、あと……その。 昨日の夜だって、ほんとうに急に、いきなりだったし」

 

「あ。 ちょっと待ってください直人」

「……俺は、晴代たちに」

 

ぴっ、と指を差す早咲。

 

その指先を見てみると……ふたりが、晴代は突っ伏すようにへたり込んでいて、沙映はなんでかは分からないけど壁と床のあいだにすっぽりと挟まるようになっている。

 

ついでにふたりの息は荒くて……それこそ、昨日の夜みたい、に、……。

 

「……とりあえず直人。 直人の言葉は危険すぎるので……ちょっと時間置きましょうか。 あの、なんか済みません。 僕が無遠慮だったばかりに。 みなさん、ごめんなさいでした」

 

「……お前、そんなことが分かるんだな。 あ、いや、気遣いができるんだな」

「ひどいですねぇ直人、僕は女の子を堕とす達人ですよ? 空気くらい読めますって」

 

 

 

 

「……ふぅ……お気遣いいただき、ありがとうございますわ、早咲様」

「いいですって、初めての朝を迎えた女の子なんてそんなものですし」

 

「………………………………本当に評判通りのお方なのですね?」

「そうですよ? 別に隠していたわけじゃありませんけど、普段見せるものでもありませんし」

 

「? どいうことなの?」

「沙映は気にしなくてもいいぞ。 早咲、いや、コイツは変な奴なんだよ」

 

しばらくして落ち着いたふたりをリビングのソファーに連れてきてから少し。

 

ようやくふたりは元に戻ったみたいだ。

 

………………………………。

 

……その原因、今となってはなんとなく分かるから、聞かれない限りは黙っておこう。

 

「……んー、それにしてもさぁ、やっぱ直人はね? ……んと、普通の価値観、っての? 知っておいた方がいいと思うよ? 私たちと話しててもよくわかんないことになるしさ。 そのうち私たちの家族ともおはなしするだろーし」

 

「ええ、沙映様、確かにそうですけれど……今すぐにでは無く、それこそ直人様がこちらにいらしてからの放課後のようにゆっくりとしたペースで少しずつ教えて差し上げたらよろしいと思いますわ。 それに、今後は一緒に住むことになるのでしょうし、放課後以外にも時間はありますもの」

 

「そうですね、つまりは夜だって!!」

「早咲、真面目な話だぞ?」

「はーい」

 

……こいつ、正体をこのふたりにも見せたとたんに遠慮が無くなりつつあるな。

 

「こほん。 それでですわ、直人様」

「あ、うん」

 

「……私たちは、直人様が私たちのことをお嫌いにならない限り、あるいは飽きられない限りには直人様の嫁のひとりであり続けたいと思いますわ。 これは、本心です」

「沙映も沙映もー!」

 

「……ふたりとも」

 

「ええ。 直人様はお優しい方で、それなのに芯は……ええ、榎本、美奈子先生がおっしゃっていたように芯のお強いお方ですわ。 どこか私たちの知る男性とは違う、それもまた魅力だと思います。 男性のお顔は縁のない方のものを画面越しなどでしか見たことがありませんからよく分かりません。 映画やテレビ、ウェブでもてはやされている方々は特別に容姿の優れている……よく知らない方だということを理解していますわ。その上で私は、直人様は素敵だと思います。 分け隔てなく女性を相手に出来て、急にこの学園に来させられたにもかかわらず、教室にまで来て……懸命に知識を吸収なさって。 そのような直人様と、事情がお有りとのことで選ばれた私たちが……このようにして急に夫婦になることができました。 私たちにとって、これ以上に幸せなことはございませんわ」

「沙映も沙映もー!」

 

「………………………………ありがとう、ふたりとも」

 

晴代の、凜とした顔つきで真っ正面から真っ正面な言葉で語ってくれる想いが気恥ずかしい。

 

けど、俺がまだ慣れていないだけでこの世界の女性にとっては……そう、シンデレラみたいにいきなり、どんな男にでも選ばれるっていうのはこれだけ嬉しいことなんだっていうのがひしひしと感じられる。

 

……きっと沙映も……そう、なんだと……思う。

 

………………………………。

 

……ま、まあ、この子は普段はきちんと話せるから。

 

主に好きなこととかについてだけで、難しい話とかになるとこうして晴代に丸投げしていた気もするけど。

 

「ええ、よかったですねお三方! つまりはひと段落ということですっ。 直人は身の安全と今後の生活に目処が立ってほっとしたでしょうし、晴代さんと沙映さんは無事直人に選ばれてしあわせになって。 ……ふぅ、昨日いろいろとがんばった甲斐がありましたっ」

 

「………………………………がんばった? いや、確かに昨日は改めて俺の常識についてとか世話してもらったし、……あと、夜も迷惑かけたりしたけど。 あと、ふたりを呼んでくれたりもしたけど」

 

「もうっ、直人は本当に箱入り息子さんですねぇ。 純情過ぎると言いますか、ピュア……あ、同じですね、じゃあ純真すぎるといいますか」

 

「………………………………………………………………。 つまり?」

 

「つまりですね? ――――――――――昨日の夜、その前の夜に寝不足で昨日も疲れ切っていたはずですのに夜中に目を覚まして……ま、あれは事故ではありましたけど、結果としてコーフンを抑えられなくなるほどになったのって、不思議ですよね? いくら今までが今までだったとは言え」

 

ずい、と顔を近づけてくる早咲に向けて、手のひらでその頬を押し返す。

 

ひどいですー、とか言うけど、どう考えてもコイツが酷い気がするしな。

 

……「親友」と自称するんだったら、これくらい雑に扱ってもいいだろう。

 

「でー、その原因はですね? 僕が昨日、直人の分の食事とかジュースとかだけにたっぷり、いろいろ込めて盛っていたおかげですもん。 そろそろ限界かなーとか思っていましたし、もういい加減くっついたらってもやもやの限界でして。 で、そうなるの見越して先生たちや晴代さんたちに、直人が限界来そうになる雰囲気になったらいつでもできるように手配しておいたのも僕ですし?」

 

「………………………………待て」

「はい」

 

………………………………。

 

盛った?

 

手配?

 

……なんだか、それってまるで。

 

「早咲。 お前が、全部仕組んで」

 

「やですねぇ、ちゃんと最後に直人の意志は確認したじゃないですか。 ねぇ? このふたりとえっ、あ、ちょっと待ってください、暴力反対ですっ……ふぅっ、結ばれてもいいのかって。 まぁ直人……の育った環境的には問題無いとは思っていましたけど、念のために」

 

………………………………そうだ。

 

早咲が、先生たちに連絡をしたのだって、このふたりを呼んだのだって、あまりにも手際が良すぎた気がする。

 

「………………………………思い出した。 早咲」

「はい?」

 

こてん、と……いつもの笑顔、今となっては何かを腹に抱えているとしか思えないぼけっとした笑顔で聞いてくる早咲に対して、俺はひとつ、とても重要なことを尋ねる。

 

「――――――――――つまり、お前。 あのときのって……ぜんぶ、演技だったのか? その、風呂……洗面所での、アレは」

 

「もちろんですっ♥」

 

と……事情が分からないから不思議な顔をしている晴代たちを尻目に、早咲は。

 

俺が、こうして女子と……女子たちと結ばれて、しかも早咲の本性の中の本性を知らなかったら、昨日の夜までの俺だったらまずまちがいなく惚れそうなくらいのとびきりの笑顔と声で……もう1回こてん、と首をかしげた。

 



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35話 早咲の、もうひとつの秘密

早咲ちゃんが炸裂です。


 

思えば、あのときの……その、風呂場、じゃなくて洗面所での早咲は妙にしおらしくておとなしかった。

 

普段のこいつなら、例え押し倒された形になっても平気な顔をして重いからさっさとどいてください……とか、そんな感じでさらっと流すはずなのに、あんなにもしつこく話を続けてきて。

 

あとは、俺と……その、する、だとか、男女だとか、そんな話ばっかりしていたし。

 

「あれはぜんぶ、演技です♥ あ、いえ、話していた内容自体は嘘じゃないですけど。 いやー、僕ってほら、いつもいろんな女の子を手籠めにして歩いているでしょう? ですのであんな程度の演技は簡単なものです。 だってそもそもですね? 僕、女の子とするのは大好きですけど……間違っても男子とする趣味はないですもん」

 

「……話はよく分かりませんけれど、早咲様はまずまちがいなくそのようなお方ですわね」

「ねー、超有名だもんねー。 主席さんじゃなかったら先生たちから毎日怒られてそう。 や、学園から追い出されてるかもね」

 

……そんなに有名なのか、コイツのこれは。

 

………………………………。

 

だろうな。

 

「あ、誤解がないようにふたりにも説明しておきますけど、ちょっとした事故がありまして……僕がおふろから上がったところにばったりと直人と出くわしちゃったんですよ。 「あの電話」をする10分前くらいですかね? それも、僕はすっぱだかで。 それで、直人が転びそうになったので支えようとして転んで、押し倒された形になったんです。 で、ですけど……あれだけは僕の予定外です。 だってまさか直人が真夜中にお風呂場に……トイレのあと手を洗おうとして入ってくるだなんて、思ってもみませんでしたし……あー、可能性はゼロじゃなかったのに、鍵掛けるの忘れた僕が悪いんですけどね」

 

「……まあ、さすがにそこまで計算ずくだったなら、俺、お前と少し距離取るかもな」

 

「そこまでは腹黒くないのでご安心くださいっ」

「腹黒いのは認めるのか」

 

「週にふたりは新しい子を口説いて連れ込むような僕に今さらですか?」

 

「……週に、おふたりも、新しい……………………はぁ、それで主席なのですか」

「はぇー、よくお勉強とか運動とかする時間あるねー」

 

「で。 たまたま僕が押し倒される形になって、直人がちょうどいい具合にお薬で興奮しすぎる感じになりましてですね? まー、これでも僕の体は一応は女の子ですから。 で、せっかくなので、僕に「入れる」かどうかって話にまで持ち込んだんです。 けど、それはあのときにそのままふたりに引き継ごうって思いついたからでして。 ………………………………実際に直人が入れるって言う選択をしようとしてきたら、あのとき直人が言ったみたいに蹴り上げてでも止めさせて、結局はふたりを呼んで代わりを頼む予定でしたし? あ、そのときはもちろん有無を言わせずに問答無用でベッドに放り込んで、ですね」

 

「………………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………」

 

「……………………………………………………………………………………あれ?」

 

部屋が沈黙に包まれる。

 

晴代は……恐らくは事情を察して、俺と同じくらいに頭を抱えて。

 

沙映は話にいまいちついていけない上につまらないみたいで、きょろきょろと部屋の中を見回して。

 

………………………………で、肝心の早咲は、不思議そうな顔をして俺らを見ている。

 

「……はぁ――……、つまり、何だ? 俺は初めっからお前に踊らされていたのか。 いや、お前のことだ、嘘はついてないだろうけど、だからこそあの風呂場での会話まで、そうして焚きつけたのか。 ………………………………こうしてふたりと一緒になれた、なる覚悟……いや、勢いをもらえたこと自体には感謝はしているけどさ」

 

「いえ、だってー、考えてみてくださいよ直人。 あ、ふたりは直人のフシギな価値観で、ってことでお願いしますね? ……どう考えても女の子と、最低でもひとりとすぐに仲良くなってさっさと結婚しておかないと絶対にひどい目に遭うって分かりきっていましたよね? それも、わりと初めのころから。 だって直人は馬鹿じゃないんですから。 ま、ちょっと奥手すぎるかなとは思っていましたけど? ……で、そんなことをしてる内に実際に襲われかけて、もう少しで手の届かないところに連れて行かれそうで?」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

「……分かっていますよね? そんな状態なのに、それからもまだうじうじしていたんですもん。 いくらメンタルのためだからーって面倒見ていましたけど、途中から結構治ってきていましたし、それなのにまだまだ近づく気配すらないんですもん。 それどころか、とりあえずもう少し経ってから……とか考えていたんじゃないです? そりゃ発破も掛けたくなりますよ、なんですか、恋愛もののマンガで何十巻もくっつかない主人公たちみたいなあの感じは」

 

「いや、それは……分かって、たんだけど」

 

「ですからー、こちらの……普通の常識って言うものを最初に説明されたときから分かってはいましたよね? 男である以上、選択肢なんてほとんどなかったんだって。 ふつうはその歳じゃ10人以上のお嫁さんたちがいるんですって。 ………………………………だから先生たちに沙映さんたちを推薦してお嫁さん候補にして、ずっと一緒にして、その気になれば放課後の流れで一緒に夜もー、っていうのができるようにしていたのに、そうすることもなくって。 明らかにふたりが好みのタイプだって、傍目から見ても丸わかりだったのに……も――……」

 

ふぅ、と、これだから元童貞は……って、ぼそりとつぶやかれた。

 

同時に、卒業できたのは誰のおかげだと思ってるんですか、とも。

 

………………………………。

 

いや、理屈は分かっていたんだ。

 

だけど。

 

……いくらなんでも常識が違う世界に突然来て、母さんが母さんじゃなくなって、家族も知り合いも誰ひとりいない状態で、彼女どころか仲のいい女子すらできたことのない俺にさっさと好みの女子を連れ込むだなんて芸当、できっこないって。

 

だからあれだけさんざんに迷っていたんだろうが。

 

――――――――って言いたいけど、さすがにふたりがいるからこらえるしかない。

 

「はぁ、いいですねぇ……ほんと、うらやましいです。 僕が直人の立場だったら……そうですね、とりあえずで結婚とかしてない女の子の写真を見せてもらって実際に何人かと会わせてくださいってお願いしてですね、とりあえずでいい感じの子3人くらいを食べてみてですね、いいなって思った子は僕の部屋にキープしつつ毎日何人かずつをお相手していって、男としての……あ、例えですからね? 男としての義務を、楽しみを、全力で楽しむのに……なのに!! 直人はもう!! ほんとうにもう!! こなくそって感じでなーんにもしていないんですもん、そりゃいくら温厚な僕だって、もったいなさすぎていらいらもしますよ!! ……ええ!! この、意気地と甲斐性と根性のない直人が悪いんですっ! 僕は何も悪くなんてありませんっ!!」

 

「んーと、沙映、よく分からないけど? でもね? ……さすがにふつう? うん、お兄ちゃんと似た雰囲気だしねぇ直人、だから多分ふつうだよね、ふつう。 そんなふつうな男の子の直人くんと、なんで男の子に産まれなかったのかがフシギだねーってウワサされてる早咲ちゃんと比べるのはヘンだと思うなー。 だらしないー、とか、ふけつー、とか、何十股ー、とか、よくトイレで聞くし。 あ、あとねあとね? 直人は……その。 私たちのこと、よく知ろうとしてがんばってくれてたの、分かってたから。 そんなに急がなくてもいいんじゃないかなーって沙映は思ってたよ? っていうかー、ここに来るまでお家に閉じ込められてたんでしょ? それなのに沙映たちといきなり……その、ふーふになれって言うの、大変だと思うな」

 

「そうですわ……はぁ……。 沙映様のおっしゃるとおりです。 それに、昨日の騒ぎは、また早咲様のものですよね?」

 

「………………………………騒ぎ?」

 

「ええ、直人様。 女子寮だけでなく学園全体で……それはそれはもう大騒ぎだったのですわ……私もひやっとした場面もありましたし。 その発端が、たったひとりの女子を巡る何人もの女子の刃物沙汰でして。 なので、安全のために関係のない生徒は自室に鍵を掛けて籠もるようにってアナウンス、が…………あら?」

 

「早咲」

「はい」

 

名前を呼んだときにはソファから床に、そして正座をして見上げてきていた早咲。

 

……こいつ、正座し慣れてるな?

 

「……昨日、俺の部屋に来たときに言っていたよな? まずいことになったから避難させてくれって。 あれ、嘘じゃなかったんだな」

 

「ひどいですよー、失礼ですっ。 僕、嘘はつかない主義ですもん。 ……ただ少し、すこーし情報を省いたり意識を逸らしたりして秘密にしたいことを秘密にしたままなだけですっ」

 

「………………………………お前なぁ。 いつか刺されても知らないぞ? 昨日だって刃物……だったんだろ?」

 

刃物を持った女子……何人かは分からないけど、少なくとも刃物が出てくる程度には修羅場になっていただろう昨日の学園。

 

………………………………想像もつかないような修羅場だったんだろうなぁ……。

 

「刺さっ!? ……それはいくら何でもひどいですよ、直人! ………………………………………………………………。 あの、直人? 少し内緒の……あ、これは大切なことですのでやきもちとか焼かないでくださいね? ふたりとも。 で、直人、耳を」

 

「………………………………今度は何だ?」

 

少し失礼、と席を立った晴代と、スマホをじーっと見ている沙映を見ながら仕方なく早咲に近づく。

 

内緒の話?

 

………………………………。

 

……いくらこいつでも、昨日の夜のことを聞いてくるようなデリカシーのないことなんて……ああいや、こいつ、さっき初っ端から聞いてきたっけ。

 

なら、話って?

 

「……あのですね? 直人。 僕、前世で「死んで」生まれ変わったって言ったじゃないですか」

「まあ、死ななきゃ生まれ変われないからな。 けど、今くらいの歳って結構早いよな。 事故とかだったのか?」

 

「いえ、そういうことではなく……もうそういうことでいいです。 あと歳のことも今はいいです。 で、ですね? その、肝心の死因、なんですけどぉ…………、その。 女の子、それもふたりから同時にこう……ぐさーっと、ぐさぐさぐさぐさって、意識が無くなっていくまで刺されたからなんですよ。 失血死、ってやつなんですかねぇ? おなかとか胸とかふとももとか。 そりゃーもーえぐーい感じでしたよ。 やー、朝っぱらからごめんなさいねぇ」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

普段の早咲の言動を振り返ってみる。

 

そして、昨日騒ぎになっていたって言う聞いたばかりのことも考えてみる。

 

――――――――――ああ、この女好きならそんな末路辿っても、何もおかしくないな。

 



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36話 修羅場

まさかのひなたちゃんのターン。激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームのようです。


 

「……という訳ですので、できたら僕の前で刺すとか刺されるとか包丁とかみたいなワードは避けてほしいなぁって思う次第です」

 

「自業自得じゃないか……」

 

「でも、それは分かってるんですけど、えと、さすがに最期の光景と言いますか痛みとか感覚とかがそれなので……わりと、いえ、かなりのトラウマってもんじゃないものなので……はい、お願いします。 この通りです」

 

「分かったよ、俺だって他人の嫌がることをしたいわけじゃないしな」

 

ほっ、とした表情でソファに座り直す早咲。

 

………………………………。

 

……そうか、こいつ、死んだときの記憶まであるんだもんな。

 

たぶんそれまでに相当やらかして思い通りの人生だったんだろうけど……まぁ、こっちでも実際に刃物沙汰になったらしいし、案外言うほどには気にしていないかもしれないな。

 

あえて言う必要もないとは思うけど。

 

「ふぅ……あ、ないしょ話おしまいです」

「んー」

 

晴代はどこかへ消えたまま、沙映はスマホを……指の動き的にチャットとかしているんだろうか、俺たちにはまったく興味がない様子。

 

……一応は……えっと、よ、……嫁。

 

………………………………奥さん、なのに……とは思うけど、急になったわけだし、なにより沙映はこういう性格だからな。

 

もう少し付き合っていたら変わってくるんだろうか?

 

「で、ですね?」

「おう」

 

「あの子たちもバカじゃありませんし、ひと晩経っていますし、きっと先生方に絞られたでしょうから落ち着いているでしょう。 ですからきっと安心ですっ。 冷静になってくれたら、いくら僕から「君しかいないんだ」ー、みたいな薄っぺらくて聞き慣れたセリフを聞かされたからって、それがただの口説き文句だって分かるでしょうから本気じゃなかったって分かって」

 

「――――――――――――――――――――――――――――――ふーん。 ふ――――――――ん。 へ――――――――――――――――――え。 そーなの、昨日のってそう言うことだったの、早咲ちゃん」

 

背筋が凍るって言うのはこういう感覚なのか、っていうくらい恐ろしい声が聞こえる。

 

いつものように少しこどもっぽい発音と話し方で、別に声が低くなったりもしていないのに、むしろ可愛い部類の声のはずなのに……それが、恐ろしく感じる。

 

ゆっくりと顔を……上げる必要もなく目に飛び込んできたのは、ひなただった。

 

……髪の毛はぼさぼさ、目の下にはクマができていて明らかに疲れ切っていて、制服もなんだか薄汚れていて。

 

そんな、やつれた感じのひなたが……そこに立っていた。

 

ちっこいのに、ちっこくない。

 

むしろ大きい。

 

そう感じる。

 

「あれ。 ………………………………ひなた、ちゃん」

 

そう言えばコイツ、ひなたのことそのままだったりちゃん付けしたりするよなー、って思って見てみると……また床に降りて綺麗な正座をしてひなたを見上げる形になっている早咲。

 

………………………………。

 

ああ、慣れているのか。

 

慣れているんだろうな。

 

ってことは、ひなたって……いや、まさか。

 

いや、でもこのふたりっていつも一緒だし。

 

なにより、この……叱る体勢と叱られる体勢に貫禄がある。

 

……てことは、ひなたも早咲の……えっと、恋人のひとり……なのか?

 

「ねえ。 聞いて?」

「はい」

 

「早咲ちゃんのおかげでね? ひなたたち、とっても疲れたの。 がんばったの。 走り回ったの。 振り回されたの。 分かる?」

「はい」

 

「そう? ほんと? とっても大変だったんだって、どれだけ分かってるの?」

「あ、あの、ひなた、ちゃん」

 

あらあら、と……ああ、晴代がひなたを玄関から連れて来たのか……なんだか楽しそうな顔をしている晴代。

 

……もしかして、修羅場とか好きなタイプだったり?

 

さりげなくスマホとか取り出して構えているし。

 

………………………………。

 

そういうことも含めて何も知らないまま……その、して、恋人通り越して夫婦になったっていう事実にまた心が抉られる。

 

いくらこの世界の常識だって言っても、やっぱりいきなりは……なぁ。

 

まあ、もう今さらなんだけど。

 

「それにね? ――――――――――ちゃんとひなたの目、見て? 早咲ちゃん」

「ひゅ、はいっ!」

 

こわい。

 

女子は本気で怒らせちゃいけないな。

 

母さんも怒りやすい性格だったけど、逆に普段怒らない子が怒る……方が、こわい気がする。

 

………………………………………………………………………………………………。

 

……ってことは、晴代とか沙映も、怒るとこうしてギャップで余計に……。

 

「見てるね? もう逸らさないでね? いい? ……………………うん、でね? ひなたなんか特にね? 最初の、いちばん大変なときにね? 女の子たちから包丁とかカッターとか持って追いかけ回されたんだよ? 死ぬかもってなんっかいもなんっかいもなんっかいも思ったんだよ? ねぇ、本当に分かるの? 早咲ちゃん。 ひなた、早咲ちゃんの「正妻」だからって、それはもうね? 他の子たちや先生に助けてもらわなかったらひなた、刺されてたよ? 死んでたかもしれないんだよ? そのせいで昨日なんかぜんぜん眠れなかったんだよ? こんなに疲れてるのに、うとうとしたらあの声とか刃物が風を切る音とか飛んでくる音とかが聞こえる気がして目が覚めらゃって、ローズちゃんによしよししてもらわないと大変だったの。 ねぇ、分かる? 分かる? 早咲ちゃん。 ひなた、大変だったの」

「はい」

 

「ひなたがいけないんだって。 ひなたがいちばん最初に早咲ちゃんをゆーわくして、だから何人も、何十人も、何百人もの女の子に手を出すようになって……だからひなたを殺せばその子たちが早咲ちゃんにすっっごく愛してもらえるんだって言われながら、叫ばれながら、振り返るのもこわいままにずーっと逃げたの」

「はい」

 

うん、そりゃこわいよな。

 

誰だって、コイツのせいでそんな目に遭ったら怒る。

 

たとえひなたでも。

 

いや、むしろ周りの人がみんな自分よりも背が高いって状況なら、余計に。

 

………………………………………………………………。

 

……そういえば、表情がないのもまたこわいんだな。

 

ちっこい……小学生にしか見えない顔つきなのに。

 

「分かった?」

「はい」

 

「ほんとに?」

「はい」

 

「じゃあこれからしばらく早咲ちゃんはひなたのどれい。 いいよね?」

「はい……………………………………………………………………、え?」

 

「うん、じゃあいいや!」

 

ぱあっと、……いきなり笑顔に、見慣れた表情に戻るひなた。

 

……ああ、この子も小さく見えるけど女子なんだな……。

 

「で、早咲ちゃんはひなたに逆らえないから言うこと聞くんだよね?」

「あの、ひなた、ちゃん、その、いつまで、……あ、はい、聞きます」

 

「修羅場修羅場ー!」

「こらこら沙映様。 こういうものは、少し離れたところで楽しむものですよ? 直人様も、こちらへ如何です?」

 

「あ、……うん、そうするよ」

 

晴代が……いつの間に、っていう感じでキッチンにいて、食器とかを用意している。

 

……あ、スマホ、カメラがちょうどふたりに向かうようにして立てかけてある。

 

………………………………晴代……。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ直人!? 僕、君のために結構」

 

「早咲ちゃん? ――――――――ひなたのことだけ見てなきゃダメだよ?」

「はい!!」

 

俺に向かって振り向いてきたと思ったらすぐに戻る早咲を見下しつつ、ソファから離れる。

 

……ひなたの怒りの矛先が俺じゃないって分かっていても、やっぱり正面にいるとこう……来るものがあるからな。

 

修羅場からは避難しておかないと。

 

「ふぅ。 でね? 早咲ちゃん。 直人くんのことはいいの。 先生たち、それについてはがんばったねって褒めてたの。 直人くんのことはいいの。 だけどね? …………それ以外はね、ひなたたち、ずぅっとあの女の子たちのことで怒ってるの。 ひなたも、先生たちも、取り押さえるのに協力してくれた運動部の先輩の人たちとかも。 何十人なんだろうねー、ひなた分かんないや。 けどね? 怒ってるの。 みんな。 ね? ねぇ? 分かる? みんな、ほとんど寝ないでいるの。 みんなぴりぴりしてるの」

「あ、あの」

 

「じゃ、行こっか!」

 

部屋の端っこを歩きつつ、真横から見えたひなたは……とびきりの笑顔。

 

「女の子の心も体も好き放題して止められなくって、いくら怒られても次の日にはもう忘れている早咲ちゃん? 今もお気に入りが20人以上いる早咲ちゃん? ……ひなたたちみたいに昔っから一緒なのに、それなのにまだ飽きない早咲ちゃん? ひなたね、今回は本当に怒ってるの。 毎回、こういうことが起きるたびにこわい思いしたり謝りに行ったりさせられるの、ひなたたちなの。 だから、ね? ――――――――――――――――――――――――――立って、早咲ちゃん」

 

「え、あの……はい……あ、ごめんなさい、足がしびれ」

 

「立って」

「は、い……」

 

ぷるぷると、子鹿のようなっていう表現がぴったりの早咲

 

「ひなたとおてて、繋いで? 離したら――――――――――もっと、怒るよ?」

「はい……」

 

前屈みになりつつ、1歩1歩をふんばるようにして……正座のあとってキツいもんな……ひなたの手を握り、ぱっと握り替えされる早咲。

 

ちら、っとこっちを振り返ってくる早咲。

 

……見なかったことにして、さっさと晴代と沙映が席について待っていたテーブルへ向かい、朝食を摂ることにする。

 

「…………すぅっ。 みんなー! 早咲ちゃんが迷惑かけちゃってごめんねー! 新婚さんなのに、ごめんねー! みんな仲良くしてねー! おめでとーっ!」

 

「新婚……はぅ」

「新婚? ……あ、沙映たちそうだっけ」

 

「………………………………いいよ、ひなたたちは大変だったんだろ?」

「うん、まーねっ。 直人くんも大変だったんでしょ? ……あとで早咲ちゃんに問い詰めて先生に追加で怒ってもらうから、気にしないで?」

 

……うん。

 

いつものひなただ。

 

声も、表情も。

 

……だけど、きっとまだ怒っているんだろうなっていうのは察しがつく。

 

「あ。 あのね、直人くんたち、あとで先生たちのところに来て欲しいって言ってたから……あ、早咲ちゃんのことがあるから夕方くらいがいいのかな? 来てねって、お願いって! いつものところに来てって!」

 

「分かった。 ありがとう、ひなた」

 

「いいよー。 ……さ? 早咲ちゃん? とりあえず美奈子先生がすっっっごく怒ってるから、怒られに行こ? 大丈夫、ひなたもおてて繋いでてあげるから」

 

「え、………………………………あ、はい」

 

「じゃ、あいさつだけして出よっか。 お邪魔しましたー」

 

「え、もう? ……あ、はい…………それでは直人、あ、いや、直人さんに沙映さんに晴代さん、また、です……。 ………………………………。 ……あと、できたらでいいのであとで助けてくださいぃ――……」

 

初めて聞く、ものすごく情けない声が早咲がいると思しき場所から聞こえてきて……靴を履き、ドアを開けて閉め、オートロックが掛かる音が聞こえ。

 

部屋は、静かになった。

 

「………………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………」

 

しん、と。

 

……早咲は、アイツはやっぱり……生前は男だったわけだし、そりゃあもう死ぬ前もろくでもない扱いをされてたんだろうし、今世も今世でやっぱり……あのひなたがあそこまでなるほどにやらかし続けているんだろうなっていうのが分かる。

 

「……沙映、おなか空いた」

「……そうですわね、朝を頂きましょうか。 それではおふたりとも、今から軽く温めますので召し上がりたいものを私に……」

 

………………………………。

 

うん、どうでもいいか。

 

とにかく俺たちは……昨日、ずっと運動……いや、起き続けていたから寝不足だしおなかもものすごく空いているんだ。

 

まずは朝食を食べて、順番にシャワー浴びて……ひと眠りしよう。

 



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37話 久しぶりのローズ先生と。

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。


直人くん。いろいろと覚悟が決まったようです。
そしてローズマリー先生の再登場です。時系列的にはたったの数日前ですが、リアルでは結構経っていますね。



 

「……直人様、沙映様、そろそろ起きられた方がよろしいかと」

 

「ふぁ?」

「……ん」

 

………………………………。

 

俺は……ああ、そうだった。

 

早咲がひなたに連れて行かれたあとに朝を食べてシャワーですっきりしてもういちど寝る……普通の睡眠の方をだ、したんだった。

 

時間は……もう昼か。

 

けど、別に遅いわけじゃない。

 

……ずいぶん寝た気がするんだけど、案外経っていないんだな。

 

まぁ、カーテンを閉めているとは言え今日は晴れているし仕方ないのかもしれない。

 

それに、寝不足分の時間を考えたらむしろちょうどいいくらいだろうしな。

 

「……あー、眠ーい。 あとおまた痛ーい。 あれ、なんか」

「………………はしたないですよ、沙映様。 あら、それは」

 

「……………………………………俺、カーテン開けてくるよ」

 

眠かったのは俺も同じだったんだけど、急に気まずくなって逃げるようにしてベッドから……左右を挟まれているから、足元の方へ滑るようにして降りて絨毯の上を歩く。

 

無駄に広い寝室の無駄に大きいこのカーテンは重い。

 

けど、ここからの眺めは……周りにあったはずの家がなく、学校を囲んでいる高いフェンスよりも上だからか遠くまで見通せるものになっている。

 

ぽつぽつと小さいマンションみたいなものがある以外には、学校の周りの家がほとんど無いっていうので、改めて俺が違う世界にいるんだって……今までのこともあって、ようやくすとんと落ちる感覚があった。

 

「晴代ー、晴代ちゃーん、ねー、沙映おなか空いたー」

「……そうですね。 先ほど食べたばかりですが時間も時間ですし、いただきましょうか」

 

振り返ると、朝とは違って目のやりどころに困らない服装、制服の上着を取ってシャツとスカートな格好のふたりがいる。

 

………………………………。

 

うん。

 

時間が経って、ひと眠りして。

 

俺は、ようやくに馴染んできたんだな。

 

この、とんでもな世界に。

 

 

 

 

「……それにしてもさー、早咲ちゃんってほんっとーにダメダメさんなんだねぇ。 沙映、ウワサには聞いてたけどああして見るのは初めてだったかもー」

 

「……そうだな。 俺も、普段とのギャップに驚いたよ」

 

お昼。

 

晴代が頼んでくれた、どこぞのシェフが作った感じのおいしそうな料理を食べているうちに、とうとう早咲の話題になった。

 

……お昼にフレンチはどうかって思うけど、沙映が同じものが食べたいって言って選んだ「軽めの」コースだからしょうがない。

 

………………………………これ、外で食べたらいくらなんだろうな。

 

俺、無一文なんだけど……っていうのはたぶん、男の特権ってやつなんだろう。

 

なにか言われたらそのときに考えよう。

 

美奈子さんに泣きつくっていう手段も残されているしな。

 

「沙映、早咲ちゃん……あーもー、野乃さんって呼んでたときはぜんぜん平気だったけど、やっぱり同じ感じの名前って困るー! ……あ、で、教室でおはなししたときとかとはぜんぜん違ったけど、ひなたちゃんがあそこまで怒ってたんだもんね。 いったい何人の女の子に手、出してるんだろうね――……んむ」

 

「………………………………少なくとも100人以上、だそうですね。 お友だちの方たちからの噂では、そのようになっていると。 それも、ねんごろ……よく親しくしている方だけで、ですので、実際にはもっとでしょうね。 中学の頃の方や学外の方も含めてしまいますと……」

 

「………………………………………………………………………………………………」

 

お上品すぎる味は薄い。

 

軽く塩を振ってごまかそう。

 

「そりゃーさー、早咲ちゃんの言ってたことがほんとうなら直人のお嫁さんに沙映たちを選んでくれたのも、こうして同じ部屋で寝て起きて食べるようになれたのも早咲ちゃんのおかげだけどさー。 ………………………………なんかヤダなぁ。 ばっちい感じするー」

 

「……同感です……。 いえ、感謝はしてもし切れないのですけれど、その。 せめて、先ほどの騒ぎがなければ、早咲様のセクハラまがい……いえ、セクハラそのものな話し方さえ無ければ。 あ、あの修羅場はとてもいいものでしたわ! あの早咲様とひなた様があのように、普段とは真逆になるだなんて! 特に、愛い見た目な上にあの甘えん坊なのが可愛らしいひなたさんが!」

 

すっ、と晴代が取り出したスマホをで再生されるのは、正座している早咲とそれを見下すひなたの場面。

 

ひなたが部屋に入って来て少ししたところから始まり……やがては立ち上がらせられ、足のしびれを我慢しつつ腕を引っ張られながら歩いて行く早咲の姿が……それはもうばっちりと、あのときの声も含めて残されてしまっている。

 

………………………………こういうのはきっと、女子同士で……というか女子しかいないしなぁ……広まっていくんだろうな。

 

憐れには思うけど同情は出来ない気がする。

 

「けれど、あれほどとは。 学園中が大騒ぎになるほどにいろいろな方と……その、恋仲になったりしていたのですねぇ。 しかし、聞けば中学以前からあのようだと言うことですし、1度痛い目を見ないといけなかったのでしょうね。 それで早咲様が更生……出来るのかどうかは分かりませんけれど、せめて落ち着いてくだされば。 ええ、またあのような騒ぎは楽し……心苦しいですし、なによりも学園の主席、来年以降にはきっと生徒会でも活躍されるのでしょうし、そのような方が……あのようでは、他の方たちに示しがつきませんもの」

 

「生徒会……そうか、主席で入ったんだもんな」

 

「ええ。 この前の試験も学年1位でしたし、きっと体育祭などでも大活躍なのだと……中学のときの噂から伺っております。 品行方正、という大きな課題さえクリアすればまずまちがいなく選ばれるでしょうね。 ……それにしても、ご自分のせいで大変なことになったらさっさと逃げ出されて他の方が絶対に入って来られないこちらの建物、それも直人様のお部屋に逃げ込んでいらっしゃっただなんて……修羅場もお手の物、なのでしょうか」

 

「まるで怒られ慣れてるこどもみたいだねぇ」

 

「………………………………………………」

 

沙映が言ったそのままなんだろうな。

 

精神年齢っていうのがどのくらいなのかは知らないけど、女に見境のない、性欲に忠実過ぎる中学生。

 

アイツにはそう言う表現がしっくり来る。

 

………………………………。

 

精神年齢。

 

単純に加算されて俺たちの歳の倍くらいなのか……肉体的には俺たちと同い年だし、あくまでも前世って言う知識があるだけの高校1年生っていう感じなのか。

 

それは分からない。

 

けど。

 

バカは死ななきゃ治らない……どっかで聞いたセリフだけど、実際には死んでも治らないんだからアイツのアレは本性、いや、本質っていうものなんだろうな。

 

魂って言うものがあるんだったら、きっと魂からのそういうものなんだろう。

 

……もはや依存のレベルだし、専門のところでカウンセリング受けた方がいいとは思うけど。

 

………………………………。

 

俺の友だちには……なにせ、そういうグループとは縁がなかったからな、いなかったけど……まぁ、悪いやつじゃないよな。

 

むしろいいヤツでもあるくらいだ。

 

…………あの女癖さえ、なければ。

 

「ねー、沙映これ嫌いだから誰か食べてー」

「あの、こちらは滅多にない素材のものなので……」

 

「家のみんなとよく行くところでこれ出てくるから知ってるー。 でもキライなの」

「……では、代わりにこちらを差し上げますわ」

 

………………………………。

 

目の前の、俺とこのふたりとの関係を……ものすごく強引だったけど、作りだしてくれたのは……いや、初めからそうしようとしてくれていたのは確かに早咲だ。

 

まぁ、昨日のは思い切り騙されたし、感謝半分怒り半分だけど……でも、決心はついた。

 

俺は、この世界を――――――――――――。

 

 

 

 

「ゴブサタしてますー直人さんー? やー、よかったですねー、ご無事でー」

「おはようございます……あ、いや、こんにちは、ジャーヴィ、ローズ先生」

 

「はいー、そっちで呼んでもらえて嬉しいですよー。 直人さんと最近ほとんどおはなしできていませんでしたがお元気そうでとてもグッドですー」

 

いつもの部屋。

 

いつもの……校長室みたいな豪華すぎる部屋、だけどようやくに慣れてきた柔らかいソファに座って、たったの数日ぶり、だけど久しぶりに感じるローズ先生から出されたお茶を飲む。

 

……もっとも、俺にはこれがどんな銘柄かだなんて分からないけど。

 

コップとお皿……ソーサーっていうんだっけ……で上品に飲むローズ先生は、やっぱり美しいっていう感じの、俺たちが想像する、いわゆる金髪美人。

 

見た目の雰囲気的には晴代の将来で、話し方的には沙映……や、ひなただな。

 

いや、ローズ先生にとっては外国語なんだし、それは失礼か?

 

アクセントはともかく、話し方の癖は……外国の人だし、何かのアニメのキャラクターの話し方をそのまま覚えてしまったのかもしれない。

 

「綾小路さんと御園さん……あー、おふたりは――……ん、ハルヨさんとサエさんでしたねー、あのおふたりからの連絡で大体は聞いてますよー? とっても仲良くしているらしいですねー、羨ましいですねー」

 

「……連絡、ですか?」

 

「あ、そですー。 私が直人さんの護衛とカウンセリングをしているのでー。 美奈子が保護者……んー、後見人? ちょっとゴイが出てきませんけど、そういう感じのお仕事とかで忙しいので、私、がんばりましたっ。 がんばって日本国のセントラルにこそこそして、直人さんのいい感じーな経歴、あ、あとコセキですね! 日本国のお役人さんでしたらまず分からないように作り上げてきましたのでもう表に出てもだいじょぶです。 パスポートも用意してますよ?」

 

「……ありがとうございます」

 

ローズ先生。

 

確か、最初の頃にもちらっとそんなことを言っていたけど……まさか経歴とか戸籍まで捏造できるなんて。

 

あの兵士さんたちの指揮をしているのといい、その情報スキルと言い……この人は一体なんだろうか。

 

「なのでー、直人さんはめでたく美奈子の弟さん……そこは上手ーく操作しまして、血縁関係を複雑にしましたので義理の弟さんかつ息子さんってなってますよー? 美奈子は息子さんとして扱いたいって言ってましたしー? もちろん、シュッセー……出生記録とかー、男の子が産まれたらまず組まれるでしょー縁談とかもないですしー、学校どころか監視カメラとかにもぜんぜん映っていなかったマボロシの存在ですので、そこはうまーく、悪ーい親戚の方が悪ーいことをして美奈子から直人さんを取り上げて親戚の家に悪ーいことをされながら閉じ込められていたですー、っていうカバーストーリーもばっちりですっ。 ま、その親戚すらいないいないなのでゴーストさんですけどねー? ですがこれで親権は美奈子っ、正真正銘のお母さんと……息子さんでいいですねー、っていうことにしましたしー、あ、美奈子がすっごく喜んでいましたー、直人さんがこれからずっと息子さんなら嬉しいなー、って。 で、架空のチョウショとかにこの歳までひどーいめに遭ってきたっていうのをこれでもかーって書いてきましたのでー、あんまり突っ込んで聞かれなくなったんじゃないかって思いますよー? やー、その手の文書じょーずな部下の子に書いてもらったんですけど私でもドンビキしましたしー? 文才ありますねー。 なのできっと同じはずですよー、それを目にします日本国のお役人さんとかマスコミさんとかー」

 

「……あの。 俺、口下手なので上手く言えないですけど……ほんとう、ありがとうございます」

 

「ノープロブレムですっ。 生徒を守るのは先生の責任ですしー、なにより私はこの学園……あ、直人さんには説明しましたけどたぶん忘れてますのでもっかいですねー。 この学園、日本国の中のいい感じの立地を借りていますけどー、紛れもなくひとつの国に近いものですので。 ですのでー、私はこの学園……国家? のdefenceとoffence、あ、えーとですね、つまりは防衛部門でー、あとはサイバーセキュリティーの責任者っていうものなんですー。 直人さんに馴染み深いかもな表現ですとぼーえー大臣みたいなものですかねー? あー、ちょっと違いますかもですね? ……国としての規模はちびっこいものですけど」

 

「………………………………あの。 ローズ先生って、そこまですごい人……方、だったんですか?」

 

「ですよー? これでも飛び級の天才としてステイツでいろいろお世話になってきましたしー、今でもあっちこっちから来てちょうだい? って言われてますからねー。 よくお仕事もお願いされてますしー。 ですけど、ふだんはこっちですねー。 ここには美奈子がいますし――……あとは、ここには「ダーリン」がいますから」

 

そうか、美奈子さんと、………………………………ん?

 

ダーリン?

 

………………………………。

 

………………………………………………………………ああ、そういえばローズ先生って既婚者だったっけ。

 

そのお相手がいるっていうけど……でも、それなら男のはず。

 

なら、カウンセリング……主に襲われたときとかの、にはその人の方がよかったはずじゃ?

 

それに、そんな……男の先生だなんて、まだ見かけたこともない気がするけど。

 

………………………………。

 

ああ、外……この学園の外から通ってきてるに決まっているんだから、その旦那さんも外の、ローズ先生の家とかに住んでいるんだろう。

 

いずれ会ってみたい気がするけど……ローズ先生と同じく外国の人で言葉が通じなかったらどうしよう。

 



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38話 最後の真実

榎本直人くん:巻き込まれ主人公。

野乃早咲ちゃん:男装している?女?の子。背は男子の平均な直人くんと同じくらい、髪の毛は肩に掛かるくらい。顔つきは中性的で穏やかな子。――または、「野乃早咲」くん。

榎本美奈子ちゃん:直人くんのお母さん……を10歳くらい若くした感じのショートカットで目つきの鋭い先生。

ローズマリー・ジャーヴィスちゃん:きんぱつでボディラインを隠しきれない、おっとりして明るい先生。

須川ひなたちゃん:小……中学生にしか見えないくりくりしたおめめで髪の毛が長い子。

綾小路晴代ちゃん ザ・和服美人(普段は制服ですが)でお淑やか。 髪の毛がものすごく長い子。ひとつひとつの動作がていねい。 早咲ちゃんがおっとり系女子なら晴代ちゃんは清楚系女子。

御園沙映ちゃん 活発……過ぎる女の子。いい子なのですが、仲のいいお兄さんがいることもあって遠慮無くぐいぐい来ます。 ある意味気兼ねなく、前の世界のようにおはなしできる子。肩までのふわふわな髪の毛。



 

「ま、ダーリンのことは秘密にしておいてって頼まれてましたので、あとちょっとだけ後回しですねー」

 

と、両手をぽんっと合わせるローズ先生。

 

「そう言うことですのでおめでとですっ、直人さん。 これであなたはハルヨさんとサエさん、おふたりと正式に結婚した夫婦の夫として登録されましたのでー、今日にも……えーと、あ、これですね、綾小路家と御園家は日本国のビッグなファミリーメンバーでもありますしー、榎本家……美奈子はふつうの人ですけどそれでも家族には変わりはないのでー。 直人さんのこと、ある程度いじくった過去と一緒に世間に公表しまして結婚相手になりたいって人がわんさか来ましても? まずはそちらから許可を得ませんと直人さんと直接に会うこともできませんので――……これからはもう実質自由ですよー」

 

「あ……そうですよね、ローズ先生がそうやって俺のこと、「この世界に元からいた人間」ってことにしてくれましたから」

 

「ですー、そして保護者は美奈子とー、私やこの学園だけだったのが日本国の旧いお家ふたつも加わりますからねー。 やー、さっき連絡したときはびっくらこかれてましたけど、ほんとだってハルヨさんたちにも電話してもらったらー、それはとーっても喜んでいましたからねー。 何が何でもがんばるよーって張り切っていましたー」

 

「……もう、何から何までお世話になりっぱなしですね、ローズ先生には」

 

「いいんですよー、そもそも私は先生です。 ついでに直人さんのヒミツには最初からご興味ありましたし? それに、こことは違う世界から来たということについても逆に……あ、直人さんを信じていないわけじゃなかったんですけどもね? しっかりと信じられるようになったんですー。 だって日本国のデータシステムのどこにも完璧に存在しない男の子ですからね? ……あ、で、直人さんには今後も護衛はつけますけど基本的には自由の身ですー。 直人さんに自分から接触したい人って、まずは美奈子やお嫁さんたちのお家からオッケーもらわないとですからね? そですねー、サエさんたちや私たちを連れてでも、おひとりでのおでかけもいいですしー、行きたいのなら海外旅行だって行けますよー? まー、警備がものっすごく大変になるので当分は安全な日本国でガマンしてもらいたいとこですけどもー」

 

「……とりあえず、俺、海外とかは行ったことないですしいいですよ。 あ、でも、この近くの町とかを適当に散歩したりするのも楽しみです。 俺の家の……あっちの世界で住んでいた家の周りやよく行ってた場所が同じなのかも知りたいですし」

 

「ですかですかー、いいアイデアですねー? いくらこの学園が素晴らしいところでもお遊びに出られないとうつうつしちゃいますからねー。 ……あ、そろそろそわそわしてますのでこのおはなしはおしまいにしましてー、私の自慢いいですー?」

 

「? ええ、いいですけど」

「やー、突然でごめんなさいねー。 けど、どーしてもダーリンがダメだって言ってましたのでー」

 

本題は終わったとばかりに真面目な顔を崩し、にへらという感じで本当にそわそわとし出すローズ先生。

 

……男が多い、あ、いや、男女が同じくらいの俺の世界のローズ先生は、それはもうすっごくモテていたんだろうなって感じだ。

 

晴代たちのことがなければ、ほんの数日前の……ああ、ここに来たのはたったの数日前なんだよな……どきっとでもさせられただろう表情と仕草だ。

 

でも、自慢?

 

……ああ、ダーリンって言ってるし、旦那さんのことか。

 

そりゃそうだよな、こんな男が少ない世界なのに旦那さんがすぐそばにいるっていうだけでものすごく幸運なこと、なんだもんな。

 

テーブルに両手をつきつつ身を乗り出してきて、早く話したいっていう雰囲気しか見せないローズ先生に、どうぞと身振りで知らせる。

 

…………この世界で、気軽に話せる……年上の男性。

 

そんな人なら、俺もよく知っておきたいしな。

 

あ、そうか。

 

その人を俺に紹介するために、まず先に説明を終えるってことになっていたのか。

 

なるほどな。

 

そのダ――……んなさんは、きっととてもいい人なんだろうな。

 

「いいですかー? いいですかー? ……私の自慢のダーリンを紹介するですよー? ………………………………まずは入って来てくださいなー、みなさんっ」

 

後ろを振り返って声をかけるローズ先生の顔を追ってこの部屋の奥のドア……あっちは確か俺が検査受けたりしたところに繋がっていたよな……が開いて、そこから出てきた人たち、は、……。

 

「………………………………え?」

 

「あー、やーっと解放されましたよ直人――……奴隷なのはひなたちゃんの気分次第ってことなのでどうにかしないとですけど」

 

さっき引っ張られて行ったままの、あ、いや、相当に叱られたんだろうな、やつれた感じもする早咲と。

 

「ふんふーん♪ どっれいー、どっれいー♪ 早咲ちゃんにどーんなめーれーしよっかなー? まずは首輪と手錠と猿ぐつわと目隠しとロープとぉ――…………あ、直人くんよかったねー、おめでとー」

 

その手をまだ握ったまま、ものすごく嬉しそうな顔になっていて、鼻歌が止まらないひなた。

 

……何だか物騒な言葉は聞かなかったことにしよう。

 

でも、こうして疲れた感じの笑顔を見せながら手を引っ張られている早咲と、普段以上に嬉しそうにその手を引っ張っているひなたをみるだけで、今のこのふたりの関係がよく分かるな。

 

……というか、早咲。

 

ものすごく叱られたはずだろうに、やつれた程度で済んでいる辺り……慣れているんだろうなぁ……。

 

「………………………………おはよう、直人。 ……ああ、今日からはきちんと「直人」と、息子と呼んでやれるのだな」

 

「……美奈子さ、……いや、母さん」

 

確か早咲の件でぜんぜん眠れなかったって聞いていたけど、ローズ先生と同じように平気そうにして、俺に笑顔を……俺にとっては何よりの顔を見せてくれた美奈子さん。

 

そして……俺のことを引き取ってくれた形になって、こっちの世界での母さんになってくれた、美奈子さんだ。

 

「……うん。 昨日よりも、ずっといい顔をしているな。 ……よかったな」

「………………………………はい」

 

俺のすぐそばまで来て……ちょっとためらっていたけど、おそるおそるって感じで俺の頭を撫でてくれる。

 

――――――――――――ああ。

 

世界は違うし、年も若いし、俺に対して厳しくはないけど……この人は、母さんと同じだ。

 

おもわず何かがこみ上げてきそうになったけど、さすがにみんなの前では見せられない。

 

いずれ……親子ってことになったなら、母さんとふたりきりの時間も取れるだろう。

 

そのときに、――――――――――――この世界に来てからどれだけ俺が不安だったか、どうしようもない気持ちだったか。

 

それで、美奈子さんが母さんになってくれたっていう嬉しさを話し切ってしまってもいいかもしれない。

 

「………………………………隣。 いいか?」

「はい、どうぞ」

 

ローズ先生に合わせてちょうど真ん中に座っていた俺は、少しだけ横にずれる。

 

少しだけ。

 

……察してくれたのか、俺と肩が触れる距離に美奈子さんが腰を下ろしてくれる。

 

………………………………母さんの、匂い。

 

家で、さんざんに……当たり前にあると思っていた匂いがふわりと漂ってきた。

 

「美奈子もよかったですねー、直人さんのことー、ずーっと気にしてましたものー」

 

「ああ、今回は助かった。 礼を言うよ、ローズ。 ……別の世界では私の息子として生まれ育ったという直人という少年だ。 できればこうして迎えてやって……私に出産と育児の記憶はないから本物の母親にはなれないが、それでも母親らしき者として接してやりたいと思っていたからな」

 

「………………………………美奈子、さん……」

 

「母さんでいいよ? ……と、言うかだな、そう呼んでもらう癖をつけておいてもらった方がいいだろうからな。 その方が皆にも納得してもらいやすい。 ……最初はローズとの設定のすりあわせが上手く行かずに弟とも説明したこともあったが……まあすぐに忘れられるだろう。 いや、確かどちらとも取れるように設定してくれたのだったか。 ならどちらでもいい、か」

 

「……いいですねー、美奈子も直人さんもすごくすごく嬉しそうで私もすごくすだくハッピーですー。 ………………………………それもこれも、サキのおかげですねー?」

 

「そう、ですね。 早咲にもですけど、なによりもここにいるみなさんのおかげで」

 

「はいっ! ハジメからぜーんぶ計算ずくで私たちに指示してくれたサキのおかげで……途中は行き当たりばったりだったり刃物で戦う生徒たちがあったりしてけっこうに強引でしたけどー、でも直人さんを安全に暮らせるようにしてくれましたー! ………………………………そうやっていろいろ考えてこそこそ動いたりして目標を華麗に達成するサキ。 気まぐれで好きなことばっかりしてますサキ。 それがso coolなのです――……」

 

………………………………。

 

ん?

 

あれ、なんだかローズ先生の様子が?

 

早咲を見上げて……恍惚としたっていう感じの表情をしている。

 

え、え?

 

まさか?

 

いやいや、そんなはずは。

 

「でしょうー? もっと称えてくれてもいいんですよ? ローズ。 ……さっき美奈子先生とひなたと他何十人からいいところで助けてくれましたし、今日はローズ。 君とだけの夜を過ごそう?」

 

「R…really? ほんと、ですか? 今日は私ですか? わー、嬉しいですー、今夜は私が早咲を独り占めですよーっ!」

 

ソファから飛び上がって早咲に駆け寄り抱きつくローズ先生。

 

そして、さりげなくローズ先生の体じゅうを撫でるようにしている早咲。

 

で、……ちら、とこっちを見てくるアイツ。

 

………………………………まあ、コイツならローズ先生みたいな人、逃さないよなぁ……。

 

「直人の心配はもうなくなりました。 それも、ぼ、私のおかげで! 私のおかげでです!! ……なので、貴重な男子を無事にこの世界で生きることが出来るように策略を駆使して導いた私はMVPですよね? なら、当分は好き勝手してもいいですよね!? ね!?」

 

「む~~~~~~!! 早咲ちゃんはひなたのどれいになったの! ひなたは早咲ちゃんのせいで、早咲ちゃんのおかげでとっても大変だったの! 特に昨日は!! だから……それに、ひなたはしばらく夜一緒してないの! だから今夜はひなたの番! じゃないの、あしたもあさっても、ひなたのどれいのあいだはずぅっとっ!」

 

そう言いながら早咲の……腰の辺りにへばりついて怒って……ふつうに怒っているひなた。

 

………………………………。

 

うん、なるほど。

 

そういえば、ひなたもローズ先生も最初っから……母さん、を除いて最初っから早咲と一緒にいたもんな。

 

ということはひなたもローズ先生も早咲の恋人のひとり……いや、確か。

 

ひなた、自分のことを正妻だとか何とか言っていなかったか?

 

………………………………ってことは、まさかこの3人。

 

「………………………………こほん。 あー、仲がいいことについては……特にお前たち、昔からの仲のローズたちについては今さら何も言わない。 言わない……が、せっかく私たちが親子の契りを交わして浸っていたというのにだなぁ……空気をとは言わないが、せめて余韻くらいはだなぁ……はぁ――……」

 

「お――う……ごめんなさいです、美奈子。 ついはしゃいでしまいましてー」

「あ、う。 ごめんなさい、美奈子先生。 それに直人くんも」

 

「いやぁ、いいじゃないですか美奈子せんせー。 ここにいるのはもはや身内だけです、遠慮なんて」

 

「いくら仲がよくとも節度は大事だぞ? ……はぁ、お前にはもっと落ち着いてもらいこの学校の品格を疑われないようにしてもらわないと……」

 

………………………………。

 

最初からの、この人たち。

 

ひなた、美奈……母さん、ローズ先生、――――――――――そして、早咲。

 

俺のことを……疑ってもいただろうけど、それでも受け入れてくれて、こうして安心できるところまで面倒を見てくれているこの人たち。

 

身内。

 

早咲が言ったように……俺にとっての身内は、晴代に沙映っていうお嫁さんたちと……この人たちだけ、なんだもんな。

 

なら。

 

――――――――――ちょっとくらい騒がしくても、それを楽しむくらいはいいだろう。

 




なんだかいい雰囲気ですね。ということで次回最終話です。ぜひ最後までお付き合いいただけたらと思います。


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39話(終) 俺と早咲という異邦人は、これからもこの世界で。

 

きっと昨日の夕方から今朝までずっと忙しかったんだろう、疲れ切った様子……だけど、柔らかい顔つきになっている美奈子……母さんが言う。

 

「……ずいぶんと嬉しそうな顔をしているな、直人く……直人」

「慣れるまでは無理をしなくてもいいですよ、母さん。 だって、こんなに急なんですから」

 

「……はは、それを言うのなら直人、君の……と、お前の、の方が正しいのか? ……の話し方自体も変えないとな。 母親に、敬語ではなくともそう丁寧に話すというのはあまり無い。 そういう家もあるにはあるが……例えばこの学園とかな、だが私はほら、ただの一般人の家庭出身だからな」

 

「そうでした……そう、だね。 なら、俺が家で、「あっちの」母さんに話していたみたいにしてみるよ」

 

「……うん、それがいい。 男性の限りなく少ないというこの世界は、君……直人にとっては大層に窮屈だろうけど、直人がある日突然に……私たちとしては考えたくはないし、直人としてはその方が望ましいのだろうが。 「ある日突然に、また、直人のいた世界に戻る」というその日までは、ここにいる私たち……や、次第に受け入れていくだろうもっと多くの嫁たちやその家族が、直人の居場所になるよ」

 

「………………………………。 俺、もう、帰りたいのか帰りたくないのか、分からない。 たったの数日しかいないのに……だけど、そのたったの数日でもうひとりの母さんもお嫁さんたちも……あと、変な友だちもできたから」

 

母さんがさっき静かにして欲しいって言ったけど、やっぱり……そうだよな、男……女性同士が結婚する場合はどう表現するんだろうか、とにかく男役?……旦那の方はたぶんひとり。 それに対して女性は、お嫁さんというものは何人もっていう形になるんだろう。

 

そうじゃないと、この世界の女性のふたりにひとりは……女性らしい女性であっても男として、男の気持ちで生きていかないといけない。

 

それが難しそうなのは、この学校で男子の制服を着ている女子をほとんど見かけないというのからも想像がつく。

 

ちらっと聞いたように、ひとりの男装女子にたくさんの女子が……早咲ほどじゃないだろうけど、群がるそうだしな。

 

けど、それでも男と女が一対じゃないといろいろと困るっていうのは、現実としては……目の前で次第にヒートアップしていく姿を見れば、それは想像に難くない。

 

「だーかーらー! 直人は今日からひなたのどれいなのー! なんでも言うこと聞くってせいやくしょかかせたのー!!」

 

「でもでもですよー? 昨日の夜一緒に横になって、何度もうなされて泣いていたヒナタを毎回起きてよしよししてあげたのは誰ですかー?」

 

「う。 ………………………………でも大変だったのー!」

 

「ですよねー? あー、じゃあー、私もヒナタがいいって言った日には混ぜてもらうっていうのでどうでしょー? 今日から毎日ヒナタがサキを独占するのはしょーがないですがー、そこにお願いして混ぜてもらうのはいいですよねー? もちろん他の子たちも、ヒナタの許可次第ということでしてー」

 

こういうときには床で正座するのがいつものことなのかは分からないけど、それはもう綺麗な正座っていうものをして身じろぎすらしないで少し前の床を見つめている早咲と、その上の方で言い合い……にもなっていないじゃれあいをしているひなたとローズ先生。

 

話している内容が察せられてしまうけど、それって俺たちがいるこの場所でしてもいいものなんだろうか?

 

「………………………………!」

 

あ。

 

しょぼくれてしぼんでいる早咲と目が合ってしまった。

 

………………………………。

 

「………………………………」

「…………………………!?」

 

視線を逸らしておく。

 

夫婦喧嘩……になるんだろうか、それとも痴話喧嘩?

 

それに巻き込まれたくはないからな。

 

「……あの正座している姿を見て安心できるくらいには、まだたったの数日だけど、俺、慣れてきているんだ、母さん。 ………………………………初めはこの世界そのものに。 その次はどうして俺が、って。 それでいきなり晴代と沙映……さんを婚約者ってことにってなって、どうしようって、慣れない中なんとかしていたら襲われかけて。 で、あそこで正座してる早咲に助けられて。 で、昨日は……その、奥さんがふたりも一気に出来て。 こんな怒濤の数日にずいぶんと悩まされたし振り回されたけど、でも、おかげで生きていけそうだよ。 …………あっちの母さんには、とても悪いんだけど、でも、もう、思うんだ。 ――――ここで死ぬまで生きたいなって思うくらいには。 大切な人たちができた、からさ」

 

「…………………………………………っ、そう、か……」

「うん。 こっちの母さん。 美奈子さんも、そうだよ」

 

数日前までは何も考えずに、ただ学校が面倒くさいって思いながら過ごしていた。

 

今だから分かる、恵まれた環境なのになにひとつ俺からは何にも興味も持たず適当に過ごしていたからこそ、母さん……産みの母さんは怒ることが多かったんだって。

 

でも、それをこっちに来て……こっちでも相変わらずに恵まれているけど、それでもボタンを思いっきり掛け違えたみたいな世界に来て、さすがの俺も意識が変わった。

 

今、母さん……これからの母さんに言ったように。

 

……その直接の原因は、たぶん、俺自身のことながら単純すぎることだろう。

 

たったひと晩を女子……ふたりと過ごした、ただそれだけのこと。

 

それだけで……早咲に言ったらちょろすぎ、とか言われるだろうから絶対に言わないけど、でも、暇に飽かせて読んでいた小説とかに書かれていた気持ちが、今なら分かる。

 

そういうものに、俺たち人間は逆らえないんだって。

 

………………………………。

 

気がついたら美奈子……母さんが肩をふるわせているのが伝わってくるけど、黙っておく。

 

そうするついでに目の前の修羅場のあとの喧嘩を眺める。

 

………………………………。

 

もし。

 

仮に、だけど。

 

俺が、この世界に……同じように来たとしても、そのときにあのグラウンド、そしてひなたたちが見つけてくれるような場所じゃなかったら。

 

………………………………美奈子さん、こっちの母さんになった人っていう、俺がたったひとり顔を知っていて性格も知り尽くしていて安心できる人が、絶対に信頼できる人がいなかったら。

 

そして、母さんと一緒に働いていて、俺を見つけたもうひとりの早咲の……奥さんなローズ先生っていうすごい人がいなかったら。

 

――――――――――早咲って言う、俺の価値観……常識、考え方、感じ方と同じ「男」の友だちがいなかったら。

 

そうだ、なによりも早咲。

 

アイツがいなかったら、俺の心は今ごろどうにかなって。

 

「……なおとー、なおとー? 聞こえてますー? ……あ!! あのですね、そろそろ見ていないで助けてくださーい……」

 

「…………ふぅ。 さて、野乃? お前、どうやら反省が足りないと見えるな?」

「え? あ、あのー? 榎本先生?」

 

「呼び方を変えただけで私は変わらないぞ? ……途中でひなたが絆されてしまったから中途半端に終わってしまったことだし、せっかくだ、喧嘩両成敗と行こうじゃないか」

 

「あの、美奈子、せんせい? それは」

 

「……お前が昨日大変なことをさせたあの女子たちと、同室で反省文だ。 何、私が納得する内容のものができあがるまでは、私が教卓で監視しておいてやろう。 そうすれば安心だろう? なぁ、野乃。 そうだ、席は彼女らに挟まれる形で、机をくっつけてやろう。 そうしたら、仲良く反省できるだろう?」

 

………………………………。

 

まあ、ちょっと……いや、相当に、女関係にだけはぶっ飛んでいるヤツだけど。

 

友だちって言うか、あれは悪友……いや、俺が悪いわけじゃないけどそれ以外の言い回しが分からないし、けど俺は別に悪いことはしないけどなぁ……まあ、アレだけど。

 

でも、この世界でも素で話すことが出来て、素で話を楽しめる友だちがいる。

 

故郷の話をできて、同じ男として……適当な話ができるヤツがいる。

 

親友かどうかも怪しいけど……まぁ、そのうちになるんだろうな。

 

だって、コイツはこの世界でたったひとりの。

 

「美奈子せんせ――……ひなた、知ってます。 どーせひそひそっていいことささやいている内にあの女の子たちを丸め込んじゃって、今度こそ……仲がいい女の子たち、恋人たちにしちゃうんですよぅ……はぁ。 そういうの、もう10年以上見てきたんですからぁ――……」

 

「……ひなたー? 泣いてもいいんですよー? 私もヒナタのちょっと後から知ってますから、それもまたちゃーんと分かってますしー。 あのふたり、ジョー? ……うーん、アイが深ーい以外には、性格も体つきもなにもかもサキのすとらいーくですからねー。 だいじょぶでーす、私がきちんとキョウイクしますのでー」

 

「………………………………」

 

………………………………。

 

早咲の情けない顔つきが俺に迫る。

 

だがいくら見つめられようと、俺は助けないぞ。

 

で、あんな奴は置いておいて……俺にはもう、帰ることができない、いや、帰りたくない理由ができているんだ。

 

なりゆきとは言っても、早咲の策略とは言っても、何日か前までは知り合いですらなかったとしても――――俺には、彼女を通り越した奥さんたちがふたりもできた。

 

俺の気持ちはともかく、あのふたり……沙映と晴代にとっては、俺は生涯を一緒に過ごす相手として想ってくれている。

 

ここに来る前には想像もできなかったような……美人で、俺に対して最初から好意的で、あとすんごい家の出らしいお嬢様って人たちと、たとえ勢いだとは言っても結婚をしたんだ。

 

お嬢様そのものも晴代も、あっちの世界のどこのクラスにもいそうな雰囲気の沙映も、俺にはもったいないほどの人だ。

 

だけど、それは俺から見た……異邦人から見た話であって、こっちの世界で生まれ育ったふたりからしたら、俺こそがそういう感じの存在ってことで。

 

だから遠慮は要らない――っていう事実、常識に、ようやく慣れてきたんだ。

 

「……なおと――……」

 

あと、俺の爺さんと婆さん……両方共の、のこと。

 

ふと気になって母さんに尋ねたらすぐにスマホで見せてくれたけど、俺が知っているのと同じ顔をしていた。

 

っていうことは、世界自体は相当に違うものだけど、その本質……みたいなものは、変わらないのかもしれない。

 

だって、こんなにも母さんの若いときの写真そのものの母さんがいて、母さんそのものの……きっと慣れてきたら少しは荒くなるだろう話し方、そして怒り方をするだろう母さんが、ここにいるんだからな。

 

10年くらいしたら、俺が見慣れた顔つきにもなるだろう。

 

だったら、悪くはない。

 

こんな変になってしまっている世界で生きていくのも。

 

俺のいた世界みたいな気軽さはないし、自由はやっぱり少ないんだろうけど……その愚痴を言うことが出来る悪い友だちが。

 

「…………お願いしますぅ――……」

 

………………………………。

 

同性の、友人。

 

いくら少ないって言っても、いないわけじゃない。

 

話したいって頼めば、この世界の男子……や、年上、年下の男の人たちとだって話せるだろうし、そこで友だちもできるだろう。

 

時間がものすごく……俺が戸惑っていたせいでかかってしまったけど、それでも俺は、この世界で生きていくって言う決意をようやくでき。

 

「……直人直人なおとー! 聞こえてますよねー! あー、もうこうなればヤケですっ。 直人のひと言でこの場から助け出してくれたら私、直人が好きそうな女の子たちをリストアップ……あ、もちろんまだ私が手を出していない子たちです……したものをあげますからっ! ですからどうか」

 

「……野乃。 お前、いつの間にそのようなものを?」

 

「いえ、だってですね美奈子先生!? 直人のお嫁さん候補に私のお手つきを紹介するのはなんだかとっても悪い気がしますし、かと言ってですね、じゃあその子たちをそのままにしておいていいかって言ったらそう言うわけでもないわけでして、直人がある程度選んでくれたら残りはと思っていまして」

 

「………………………………早咲ちゃん………………………………」

「………………………………ダーリ、……サキ……………………oh」

 

「………………………………早咲?」

「!! あ、いいんですかお願いし」

 

「そうじゃなくて、早咲、お前……まさか、この学校、あ、いや、学園だったか、ここにいる生徒のうちの未婚者全員を毒牙にかけようと?」

 

「さすがの私にも好みはありますよ!?」

 

……これから先、どう考えても……一緒に暇を潰したり愚痴を言ったり出来る代わりに早咲のやらかしの尻ぬぐいに駆り出されそうな気はするけど。

 

………………………………。

 

けど。

 

「………………………………まあ、「親友」の頼みだもんな」

「直人!?」

 

「……みなさん、今日は俺が、晴代と沙映っていうふたりと結婚できた記念の日なんです。 なので、とりあえず今日のところはこの辺で許してやってください」

「直人……」

 

「どうせ。 きっと、明日にでもまた悪さするでしょうから、今日のいろんなのは明日にまとめてお願いします」

「なおとっ!?」

 

「いや、お前、絶対するだろ……しないって言えるか? 誓えるか?」

「いえ、あの。 ………………否定はできませんし誓いませんけども」

 

そこはしてお……けないんだろうな、コイツは。

 

けど、こんな冗談を言える相手がひとりでもいるんだったら、俺は平気だ。

 

「……あのさ、直人? 私、直人のこと最初からぜーんぶ面倒見ていたんですよ? もちょっとですね、もちょっと感謝してくれてもいいんじゃないです?」

 

「しているから言ってやったんだろ? ……それに、今朝もさんざんに見たし聞いたからな、お前の悪行も。 だから、どうせムダだって思って今のところを助けてやっただけだ」

 

「ひどいですねぇ、もうっ。 ………………………………ねぇ、直人?」

「今度は何だ?」

 

正座から……今度はしびれていないみたいだ……すっと立ち上がり、俺のところまで近づいてくる早咲。

 

そうして、俺の方に屈むようにして……告げてくる。

 

「――――――――――言い忘れていました。 言うのが遅くなりました。 ねぇ、直人。 「僕たちの世界」へようこそ。 これからもずっと、よろしくお願いしますね?」

 

「――――――――――………………………………ああ、うん。 そうだな、きっと長い付き合いになるだろうからな」

 

「ええ、だって僕たち、もう親友ですからね!!」

「……やっぱりさっきのは撤回だ。 親友かどうかは今後次第だな」

 

「ひどいっ!?」

 

「………………………………冗談だよ。 俺の方こそよろしくな、早咲」

 

新しい母さんの美奈子さん、俺の奥さんになった晴代と沙映。

 

早咲の奥さんのひなたとローズ先生――そして、親友、の早咲。

 

今、俺はきっと幸せなんだろう。

 

誰もが……俺の世界の男の誰もが羨むような世界で、きっと、羨まれるような人生に進んでいくんだろう。

 

この、女に関してだけはとにかく見境のない元男な、野乃早咲っていう親友、あるいは悪友とともに。

 

ああ――――――――――きっと、悪いものじゃないはずだ。

 




「女ばかりの世界に迷い込んだ俺と、そんな世界へ「異世界TS転生」をしていたあいつと」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

あらすじにもありましたとおり、このおはなしは少し奥手……いえ、「ふつう」な男の子の直人くんと、ぶっ飛……「ふつう」ではなく、尋常ではなく女の子が大好きな、男の子だった女の子の早咲ちゃんが友だちとして仲良くなる物語でした。

男の子とTSっ子が男女としてくっつくことがなく、ただの友人としておはなしの最後までたどり着く、そのようなおはなしを読みたくて書いた物語です。

こちらを書き終えたのは数年前のため少々古さはあるかと思いますが、TSものでもあまり見かけない形のつながりを描けていたかと思います。

私の作品の致命的な特長である主人公の考え過ぎな場面は、私にとっては不可欠のものです。それをご容赦いただいてまであとがきまで呼んでくださいましたこと、改めて感謝申し上げます。

なお、このおはなしは早咲ちゃん視点の……予想されるとおりのおはなしのスピンオフとして、短編として書いたものです。ですのでいろいろな場面が落としてあります。早咲ちゃんが何を思い何をして直人くんをここまで導いたのか……など。そういう訳ですので早咲ちゃんも投稿したいのですが、中身が余りに余りなのと……そして何より、幼少期からのTS転生です。こちらよりもだんとつに長い内容になっておりますので、今のところ公開の予定はありません。


最後に、こちらは一旦完結と致しますが、1作目同様近い内にこの後の物語を少しだけ投稿する予定です。この作品を少しでも楽しんでいただけた方には同じように楽しんでいただけると思いますので、その際にもまたよろしくお願いします。

改めまして、39話という中途半端な話数にはなってしまいましたがお読みいただき、誠にありがとうございました(終)

2021年07月19日(月)


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