豪族、杜王町に立つ。 (ヨーロピアン)
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0話 プロローグ 豪族、杜王町に立つ

『さてと、じゃあ、早速......始めるとしようか。古代の豪族が仮想現実の世界へ旅立つ......これぞテクノロジーが成せるロマンって奴だよね~』

 

 

 ◇

 

 

「おい! おーい! 起きろ!」

「ん? うーん?」

 

 亡霊・蘇我 屠自古は道のど真ん中でぶっ倒れていた。

 

「おお、起きた起きた。酔っちゃいないようだな。大丈夫か? 立てるか?」

「え、ええ」

 

 ゆっくりと広がっていく視界。そこにまず飛び込んできたのは見慣れない青い服を来た初老の男性だ。がたいのいいその男性はスッと右手を伸ばした。ゴツゴツして乾いた、しかし、暖かく差しのばされた手をおとなしく受け入れる。

 空の色は紫、今は夜明け頃か? 

 

「この辺じゃ見かけん顔だが......若い女の子がこんなとこで寝てちゃ危ないぞ。早く家に帰りなさい」

 

 訳も分からず黙って頷く。

 それじゃ、と笑顔で手を振って男性は2輪の乗り物にまたがり、走り去っていった。立てるか? 、と尋ねられたということは彼は屠自古に脚がないことには気づいていなかったらしい。

 何をしていたんだっけ、と必死に記憶を漁る。が、何も出てこない。一昨日のことなら朝食のメニューに至るまで鮮明に覚えている。だが、脳内のどこをひっくり返そうとも昨日の記憶が見つからない。昨日は呑んではいないはず。先ほどの男性も酒の臭いはしないと言っていた。酔ってこんなところに転がっていたのではないのは確かだ。......こんなところ? 

 

 いや、こんなところ......ってどこだ? 

 

 見慣れない造りの建物に、糸で繋がれた柱の数々、黒ずんだ固い道、全く見覚えのない景色が広がっていた。

 さっきの男性は人間だった。となると、ここは人里なのか? いや、里の様子とは余りに違いすぎる。幻想郷に里1つの見た目をまるっと変えられる奴なんて......

 

「結構いる......」

 

 素直な感想が思わず声に漏れでる。何しろ妖怪やら神様やらがそこら中に跋扈している。本気を出せば国1つ落とせそうな連中がゴロゴロいるのだ。この程度の幻術であれば尚更容疑者は増える。

 まあ、まだ焦る段階ではない。じっくりと状況を見定めよう。

 

 開き直った屠自古はふう、と一息ついた。

 

 

 

 ◇

 

 

 屠自古は困っていた。

 

 使われている言語から日本であることは分かる。だが、余りにも里とは様相が違いすぎる。建築の構造はもちろん、人々を包む服装も、持っている道具も、走り回っている機械も、何から何まで全く馴染みがない。しばらくの間、漠然とさまよい続けたが、それだけではここから抜け出すことはできない、そんな気がしてきた。下手に目覚めた位置から動かない方が良かったのかもしれない。屠自古は後ろを振り返った。今通ってきたはずの道がもう見慣れないものと化している。もう、最初の場所に戻ることもままならない。いわゆる迷子だ。いや、迷子どころか遭難とも言える。

 

 ひょっとすると......ひょっとすると、だ。

 

 屠自古が普段住んでいるのは結界で区切られた秘境である。ここは、結界の外の世界、私はそこに放り出されてしまったのか。簡単には受け入れられない、そんな懸案が頭のなかをぐるぐると巡る。

 とにかく下手に目立つのは良くないだろう。

 烏帽子が通行人の視線を集めていることに気づき、そっとしまった。

 次に、屠自古は足元を見た。自らの白っぽい霊体が目につく。これも余り見られてはいけない気がする。極力地面すれすれを浮遊してごまかすことにした。

 どこか心細さを感じている自分に気づき、頬をペチペチ叩いた。ひよっていては駄目だ。

 そんなことを考えていると、屠自古はいつの間にか大きな広場へと出てしまっていた。今まで見かけた物よりも大きな四輪の乗り物も数台あった。人通りも格段に多い。

 屠自古が慌てて引き返そうとしたところだった。

 

「お前もこの亀のようになりたいのかぁ!?」

 

 足元にぐちゃりと不快な音を立てて、緑色の物体が飛んできた。所々が赤く染まっていく。屠自古はしげしげと転がっている何かを見つめた。微かに動いた......亀? 

 思わず一瞬目を背ける。嫌なものを見てしまった。甲羅がひび割れ、見るも無惨な姿の亀だ。

 亀が飛んできた方向では、数人の男が誰かを囲って、いたぶっているところだった。

 

 お前もこの亀のようになりたいのかぁ!? ──リーダー格らしい金髪の男の言葉がよぎる。さっきは気にも留めなかったが、まさか......ちんけな脅しの口上のために、ちっぽけな自分を大きく見せるためだけに、生命を弄んだというのか? 

 屠自古の奥底から沸々と怒りの念がわいてきた。

 身はとうの昔に朽ち果てた亡霊でも、悪戯に生命を侮辱する行為には反吐が出る。

 ぐっと拳に力が入る。

 

「よくも......!」

 

 屠自古の周囲からバリバリと音が生じる。黄色い稲妻が顕現──しかけた。すんでのところで屠自古は雷を引っ込めた。危うく自ら騒ぎを起こすところであった。やるせない怒りが屠自古の中で渦巻く。行き場のない怒りに苦悶の表情を浮かべる。

 いや、そんなことを気にしている場合ではない。能力を使わなくとも私がこの手で......。

 屠自古が男達のもとへ駆け出そうとした時だった。

 もう一人、おかしな髪型の若い男がいた。囲まれている。脅されていた側の男だ。フラフラと立ち上がり、

 

「え?」

 

 拳が金髪の男を吹っ飛ばした。しかし、ただの拳ではない。囲まれていた男は何もしていないのに、チューブがついたようなピンク色の腕が唸る。

 歯が舞い、鼻が潰れる音がしたかに思えたが、男は無傷であった。いや、よく見ると顔の形が歪んでいる。

 そして、今見えた腕は一体......? 人間のそれとは似ても似つかない。それは確かだ。

 

 しばしの間、屠自古がボーっとしていると、おかしな髪の男は近づいてきて、屠自古の足元の亀を引ったくった。

 

「あ、ちょっと......え」

 

 屠自古は目を疑った。男が手にした瞬間、亀の傷がすっかり癒えている......。そんなはずはない。この目で、この手で、あの亀が瀕死であることは感じ取っていた。

 しかし、その亀は今、屠自古の目の前で何事もなかったかのように泳ぎだしている。散らばっていた甲羅の破片もいつの間にか消えていた。

 

「嫌いな亀に触っちまった! こっちの方はどうしてくれるんだぁ!?」

 

 凄むおかしな髪の男に、囲んでいた連中はドタバタと一目散に逃げ出していく。フゥとおかしな髪の男は一息つき、落ちていた鞄を拾い上げた。

 何が何だかさっぱり分からない。幻想郷ほど珍奇な場所はないと思っていたが、どうやら屠自古の認識は甘かったらしい。

 しかし、屠自古にはあまり頭を整理する猶予はないようだ。

 この一悶着で少しずつ人目が集まり始めていた。行き交う人々の瞳にも1人の亡霊が映ることが増えている。当初の目的通り、その場を離れようとしたところ、

 

「待ちな!」

 

 背後で呼び止める声がした。恐る恐る振り返ると、

 白い服の大男がこちらを真っ直ぐ見据えていた。少し斜めに被った帽子の下から鋭い眼光が刺さる。当然、今の制止も屠自古に向けられていると考えるのが自然だ。

 だらだらと冷や汗が背を伝うのを感じる。

 分かっている、分かっている。屠自古は何が原因で呼び止められたのか分かっている。だからといって簡単に止まる訳にもいかない。

 

「アンタ、今......見えていたな? それにその電気......」

 

 男が発した電気という単語に全身が強ばった。

 そう、この男には放電の瞬間を見られていた。大抵の人間が見過ごした僅かな光、日中だったのも相まって屠自古本人ですらほとんど見えなかった。でも、この大男は見逃さなかった。屠自古は直感で何かまずいと感じた。

 

「あ、私、最近静電気がひどくて......きゅ、急用を思い出したー! 失礼しまーす!」

 

 早口でまくし立て、すっとんきょうな声を上げると、屠自古は適当な方向を指差し、駆け出す。

 自分でもおかしさには気づいている。当事者でなければ吹き出しているほど、余計に目立つ一言を残してしまった。

 まあ、いい。もう2度と会うことはない。そう自分に言い聞かせながら大男と目が合わないよう振り返る。

 大男は既にこちらを見ていなかった。

 

「......今はこっちが優先か。見つけたぜ、東方仗助!」

 

 ひがしかたじょうすけ......。背後から聞こえた名前が、自分ではなかったことに安堵しつつ、屠自古は人気のない路地へと潜り込んだ。

 



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1話 亡霊に雨はよく似合う

 屠自古がこの世界へ来てから4回だ。

 

 4回、太陽が沈むのを見た。

 見知らぬ地での夕焼けというのは何とも不気味にうつったものだった。

 しかし、今日は見ることはないかもしれない。変な臭いだ。濡れて色が濃くなった地面からは奇妙な香りがする。辺り一面雨粒が叩き続けている。ザーザーと降りしきる雨は一向に止む気配はない。

 

「あー、もう!」

 

 濡れそぼった服の裾をギューと絞りながら、気持ちの悪い感触にブルリと背筋を震わせる。

 こちらへ来てから、当然家もなく、野良犬同然の生活が続いている。亡霊である都合上、一切飲まず食わずでも体がもつのが救いだ。流石にゴミ漁りはしたくない。

 といっても雨は困る。

 髪の毛が額にぺったりはりついた頃、屠自古は廃墟を発見した。塀で囲われ重そうな金属の扉で敷地は塞がれていた。が、亡霊の屠自古にとっては暖簾に腕押し、糠に釘、何なく侵入できる。

 廃墟とは言え、人の家にずかずかと入り込むのはどこか気が引けるが、雨宿りの間だけだ、仕方ない。そう自分に言い聞かせながら、屠自古はボロボロの扉の前にしゃがみこんだ。

 廃墟の窓はすべて板で打ち付けられているだけで、ひび割れて中に雨粒が入っていくのが見える。この分だと中の雨漏りもかなりの量だろう。

 

 漠然と雨の音を耳に流し込みながら、屠自古はここ数日間を振り返る。

 初日こそ、何とかこの地の全容を掴もうと屠自古は、ふわふわと上空を浮遊していた。が、しかし、幻想郷の夜に比べてこの地は明るすぎる。3度目に見つかったあたりで、屠自古は人目につかないよう裏路地から出ないことにした。

 

 結局この数日で起こったことと言えば、久し振りに海を見たこと、人々の会話から杜王町という名前が知れたこと、そして、ちょくちょく紫色の縞模様が入った黄色くて小さな、謎の生物を見かけたことぐらいだ。

 余程この地域に馴染んでいるのか、誰も気にも留めていなかったが。

 

 ひとまず、雨が止むまで軽く休むとしよう。人外とはいえ疲れはたまる。

 パタリと屠自古は倒れこみ、雨音を子守唄にすることにした。

 

 

 ◇

 

 

「いった!」

 

 首筋に走る鋭い痛みで屠自古は目を覚ました。

 パチクリと瞬きしながら、首をさする。

 雨はかわらず降っていたが、まだ夜ではない。そこまで時間は経っていないようだ。

 うーんと伸びを1つして、屠自古は起き上がった。

 首に木材でも落ちてきたのか? このボロボロの家なら十分あり得る。改めてこの家を見上げた。

 そして、ゴシゴシと目を擦る。

 

 今、窓に何か見えた。

 

 人影が10、20、いやもっとだ。そしてその人影は、物凄く小さかった。1人を除いて。

 人形好きでも住んでいるのか? だとしたらとんでもないことだ。住人からしてみれば、自宅の前に人が転がっているのだから。

 軽く窓の方へ頭を下げ、雨の下へと屠自古は出た。多少乾いた衣服が再び変色していく。

 

 雨はまだ止みそうにない。

 

 

 ◇

 

 

 屠自古が後にした館では2人の学生服の男が違和感に苛まれていた。

 

「アイツ、生きていやがったか......兄貴、どうする?」

「いや、矢だけ回収する。『バッドカンパニー』! 矢を回収してこい!」

 

 バラバラと小さな人形の兵隊が館の玄関へと飛び出していく。そして、屠自古に向かって撃ち込まれた奇妙な形状の矢を拾い上げ、指示を出した男の元へ戻ってくる。

 

「億泰! ちゃんと人が寄らないように見張っとけ!」

 

 奇っ怪な矢をその手にしっかり握りしめた後、男はもう1人の男を怒鳴り付けた。

 

「す、すまねぇ。ただ門はしまったまんまだったんだよ。どうやって入り込んだのか分からねえ」

 

 どやされた男は申し訳なさそうに謝る。しかし、その謝罪をもう1人の男は聞いていなかった。弓矢を手にしたまま、1つの疑問で頭が凝り固まっていたのだ。

 

「どういうことだ......? 矢が......すり抜けやがった」

 

 疑念に満ちた呟きは雨音に吸い込まれた。

 

 

 ◇

 

 

 雨の日の靴の中に広がるビチャビチャと不快な感触。しかし、屠自古はそれとは無縁だった。あの感触を感じなくていいのは亡霊の体のメリットだ。

 それ以外は全て、服も髪もずぶ濡れだが。

 

『ガ、ガガッ......あー、あー、聞こ......かー?』

 

 おかしなトーンの声が不意に服の中から響いた。

 

「誰!?」

 

 しばらく他人の声を聞いていなかった屠自古はギョッとした。肩が竦み上がり、雨粒が辺りに散らばる。

 

『ちょっ、あん......り大声出......ないで......くれよ。まだ、チュ......ニ......グが......よし! これでOKだ。聞こえるかい?』

 

 ジジジと死にかけのアブラゼミのような音の後に続いた声に、屠自古は聞き覚えがあった。

 慌てて服をまさぐるとドングリくらいの小さな機械が出てきた。こんな物がいつの間に、と思ったが間違いなく音源はこれだ。用途は分からなかったが、本能のまま、屠自古は耳に近づける。

 

「その声......河城にとり?」

『やあ、そっちはどんな感じだい?』

 

 いささか温度差を感じるテンションだ。

 お隣さんに朝の挨拶でもするかのように気さくな風で、にとりは話しかけてきた。

 河童である彼女は機械を弄くり回すことに長けている。この小さな機械も彼女の作品だろうか? 

 

「どうもこうもないわ、あんたの知ってること、全部話せ!」

 

 一方、屠自古からしてみれば空から降ってきた最重要参考人だ。必然的に尋問する口調になる。

 

『生憎だけど私もそっちの世界のことは何にも知らないよ。まあ、強いて言えることがあるなら......そこは本の中の世界さ』

「本の......中だと?」

 

 いかん、頭が混乱してきた。

 

『あー、やっぱ記憶に干渉しちゃうのか。ここは改良の余地ありだな』

「何だって?」

 

 今不穏な言葉が聞こえた気がする。屠自古は凄んだが、にとりは変わらぬ調子で喋り続ける。

 

『いや、何、バーチャルリアリティと言ってね、あらゆることを疑似体験できる機械が外の世界で流行ってるらしいんだよ。で、ただの疑似体験じゃ面白くないじゃない? だから創作物の世界を疑似体験できるようにしたんだけど、今回選んだ題材が外の世界の本、それも漫画数冊なんだけどね。どうも殺人鬼が出てきたりだの、中々不穏な内容らしいんだ』

 

 にとりは長々と語ったが何を言っているのか分からない。屠自古は辛うじて聞き取れた最後の部分を聞き返した。

 

「らしいって......あんたは読んだ訳じゃないの?」

『ん? ああ、思ったより長そうだったからね。それで自分でやるの嫌......じゃなくて強そうな人にお願いしようと思って屠自古、君にお願いしたって訳さ』

 

 屠自古は機械に疎い1500年前の貴族、にとりの喋る内容はほとんど理解できなかった。

 ただ、これまでの会話で確実に分かったことが1つある。

 

「......つまり、私が訳分かんない世界にいるのはあんたが原因ってわけね」

『まあまあそう怒んないでよ。データはとれたし、2人ともすぐ出してあげるよ』

「......2人?」

 

 またもや気になる事をにとりが口走った後、ビー、と耳障りな音がした。

 

『......あれ?』

 

 嫌なリアクションの後にガチャガチャとボタンを連打するような音とビー、という音が交互に響く。

 

「うるさいな、何だ?」

 

 屠自古は不快な音に思わず顔をしかめた。

 

「あんた、今やってしまったって顔してるだろ?」

『え? い、いや、そんな』

「......やっぱり何かあるんだな」

『いや、すっかり失念してたな。そうだ、そうだ。だから、スタートするときもあんなに......どうする? 2人の精神を同時に......いや、無理だな』

「おい、何が起きてるんだ? 私にも分かるように説明してくれ」

『ざっくり言うと......そうだなぁ、合ってない鍵で無理やり扉を開けようとしたらポッキリ折れちゃって鍵穴が詰まっちゃった、みたいな感じかな。アハハ』

「......それはどれくらい不味いんだ?」

『おいおい、河童の技術をなめてもらっちゃ困るよ。こんなのすぐ直せるよ』

 

 そのトラブルを招いたのも河童の技術だろうが、と屠自古は思ったがグッとこらえた。ここで無駄に敵に回すこともない。残念だが主導権を握っているのは彼女の方だ。

 

「どれくらいかかる?」

『まあ、そうだな......ざっと......半日?』

「半日だって?」

『いや、まあ半日ってのはこっちの世界の話でそっちだとどれくらいになるのか私には分かんないよ』

 

 こうしてる間にも体はしとしとと雨露に侵されていく。

 

「私はその間どうすればいい?」

『んー? どうするも何も好きにすればいいさ』

「好きにって......」

『どうかしたのかい?』

「いや、この世界は亡霊なんかいないだろうから、そのー、あれだ、悪目立ちするんだ私の霊体」

 

 屠自古はこれまでに出会った人々の好奇や懐疑の視線を思い出した。ここが幻想郷でないのなら無理もないと言えばそうだが。

 

『ああ、なるほどねぇ。まあ、その程度なら何とかならなくはないけど』

「本当か?」

『コイツをちょちょいといじれば......OK! これで君は人間たちには見られずに済むよ!』

「......本当か?」

 

 あまりにあっさりと終わった作業に、屠自古は猜疑心を持たずにはいられなかった。

 

『もちろん、試しにその辺の人に話しかけてごらんよ。あ、そうそう、言い忘れてた。その機械ちょっとリアル志向にしすぎちゃってさぁ。バーチャル空間だろうと水には弱いから気をつけてね?』

「はあああああああ!? ちょっと待て!」

『にしても君の方ノイズがすごいな。さっきからザーザーって......』

「こっちは土砂降りなんだぞ!?」

『ま、まさか濡れて......』

 

 小さな装置はプツン、と音が鳴り、うんともすんとも言わなくなった。マシンに弱い屠自古とは言え、今この装置に何が起きたかくらいは分かる。

 今は堪らなく足が欲しい。霊体では膝から崩れ落ちることも叶わない。

 口や鼻から雨粒が入ることも厭わず、屠自古は天を仰いだ。

 

「屠自古!」

 

 絶望にうちひしがれていた屠自古の名を誰かが呼んだ。例の小さな装置が直ったのかと思ったがそうではなかった。この世界に知り合いなぞいるはずもない。とうとう幻聴が聞こえるようになったかと屠自古が思っていた時だ。

 

「おい、屠自古! 聞こえておろう! 我だ!」

 

 

 屠自古はハッとして我に返った。嫌と言うほど聞いてきた声色だった。そして──絶対に本人には言わないが──どこか安心してしまう声だ。

 

「布都!? お前、どうして......」

 

 灰色の髪をポニーテールに纏め、その上にちょこんとのっかる烏帽子──物部 布都がそこにいた。

 さらに驚くべきは、その隣にいる人物だ。後ろ姿ではあるものの間違いない。数日前に見かけたあの白服の大男、それから変わった髪型の学生服の男の2人もいたのだ。その更に奥には人面のような岩がある。

 

「説明は後じゃ! その男子(おのこ)を助けろ!」

「男子って......」

 

 屠自古は布都が差す方を見た。ピンクの物体が少年の口の中へと潜り込んでいく。苦しそうにもがく少年。誰かが無理矢理押し込んでいるかのように奥へ、奥へとピンクの何かは突き進む。

 状況が全く飲み込めないが時間がない、というのだけは分かる。

 

「ああ、もう、私は知らんぞ!」

 

 元来、屠自古は頭より体が先に動くタイプだ。

 指先に意識を集中する。人差し指の照準をピンクの物体に定めた。

 雷矢が一閃、綺麗に撃ち抜く。

 

「ギャアアアアア!」

 

 悲痛な断末魔がこだまする。ピンクの物体はどうやら、ゴム手袋だったらしい。少し焦げてプシュー、と音を立て、ポトリと落ちた。こいつは何なのだろうか。叫んでいたように思えたが、生き物......なのか? 

 少年はケホケホと咳き込むと、傘を放り出して泣きながら一目散に逃げていった。

 

「おい、布都。一体......」

 

 屠自古は説明を求めようと布都の側へと寄った。そのタイミングで2人の男もそれぞれ屠自古に気づいたようだった。

 

「お前さん、数日前杜王駅にいたな。弓矢のことといい、やれやれ......整理しなきゃいけないことが多すぎるぜ」

 

 大男は、混乱している旨を口にする。だが、それは屠自古も同じだ。ポーカーフェイスの大男と対照的にこちらは全て顔に出ているが。

 人間に屠自古の姿は見えなくなる、とにとりは言っていた。布都に屠自古が見えているのは至極当然だ。しかし、この大男は今はっきりと屠自古を見て、そして、屠自古に向かって喋っている。もう1人の男も屠自古のことを認識しているようだ。何だこいつら、人間じゃないのか? 

 それとも、そもそもの元凶たる河童をあっさり信じたのが間違いだったか? 

 屠自古の様々な念が渦巻き始めた時だった。

 

「フッフッフ、承太郎殿、仗助殿! これが我の"すたんど"、屠自古じゃ!」

「は?」

 

 そんな周りの様子はお構いなしに、布都はいわゆる"どや顔"で屠自古を指差した。その態度に面食らい、屠自古の思考回路は最早原型をとどめていなかった。



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2話 遠隔自動操作スタンド・ソガノトジコ

 しとしとと降り続ける雨の中、4人の男女は立ち尽くしていた。

 ゆっくりと流れる時間の均衡を破ったのは、白服の大男だった。

 

「......状況を整理したい。仗助、家を使わせてもらえないか?」

「別に俺は構わないっす」

「君たち2人も少し、いいか? 時間はとらせない」

「我は何の問題もないぞ」

 

 布都は傘をくるくると回した。辺りに雨粒が散る。

 

「君はどうだ?」

「あ、ああ。私は大丈夫だ。しかし、これで家に上がる訳には......」

 

 屠自古もこの混沌とした脳内の整頓は願ってもない提案だし、協力もしたい。

 屠自古はスカートの裾を摘まんだ。ずっしりと重たい。随分水を吸っている。というかこの4人で傘を差しているのは布都だけだ。

 

「ああ、問題ないっすよ。母親も今日はいないし、うちはアンジェロのヤローのせいでとっくにびしょ濡れだ」

 

 仗助は振り返って巨大な岩を見つめながら呟いた。屠自古には岩の人面模様が一瞬、動いたように見えた。

 

 ◇

 

 

 学生服の男の家は、この雨で窓でも開けていたのかと思うほどの湿度と水気だった。なるほど、この様子であれば屠自古の服が濡れている程度なら気にもならないのかもしれない。まあ、今は乾いてはいるのだが。

 

 屠自古は隣で揺れる白いポニーテールをギロリと睨み付けた。それは、家に入る直前のこと──

 

 

「どうした、屠自古よ? もう2人とも中に入ったぞ?」

「いや、如何に家主に許可されたとはいえ......流石にこんなに濡れた格好で人の家に上がるのは気がひけるな」

「なんじゃ、そんなことか。どれ、我が乾かしてやろう!」

「馬鹿、よせ!!!」

 

 ボオォォォオ! 

 

「あっつ!!! 焼き殺す気か!? この......愚か者がぁ!!!」

 

 バリバリィィィイイ! 

 

 

「ぎゃああああ、痛い痛い痛い!!!」

 

 

 ◇

 

「......何か臭わないっすか?」

「......確かに。妙に焦げ臭いな」

「さっき近くにでかい雷落ちてたし、何か不安になってきたな......俺ちょっとキッチン見てくるっす! 3人は先にリビング行っててください。ついでにお茶も淹れて来るんで!」

「お、お構いなくー」

 

 布都と屠自古は黒くなった布地をそれぞれさりげなく隠しながら、苦笑いを浮かべた。

 

 ◇

 

 白服についていくまま、広い一室に通された2人は、ソファに座るよう促された。彼はコートが濡れているからか立ちっぱなし、その辺に置くわけにもいかないのか、雨で濡れた帽子を室内でも被りっぱなしだ。

 

 そして、仗助がお茶を乗せた盆片手に戻ってきた。テーブルにコト、コトとカップが並んでいく。

 

 この白い服の大男は空条 承太郎と名乗った。この杜王町に来たのは数日前だそうで、その点は屠自古とかわりない。以前、東方仗助と呼ばれていたのは一緒にいた若い男の方──亀を助けていた男だったようだ。

 

 が、屠自古が理解できたのはここが限界だった。隣の布都を見るとうつらうつらしている。屠自古よりも承太郎と仗助との付き合いが長そうで、この奇妙な世界について理解していそうな布都ですらこの有り様なのだ。承太郎と仗助の話に屠自古がついていけるはずもない。

 でぃお、だの弓と矢、だのよく分からない話がしばらく続いた後、承太郎は屠自古の方へ向いた。

 

「さて、待たせたな。屠自古......と言ったか。君にも話を聞きたい」

 

 承太郎は、落ち着いた口調で屠自古を見下ろす。

 

「君が先ほど撃ち抜いたのがスタンドだ」

「あのピンクの手袋が?」

「正確には、あれに入っていた液体、それが俺たちが戦っていたスタンドだ」

 

 液体? そんなもの入っていたのか? 確かに手袋から何か漏れたように見えなくもなかったが、雨も降っていたことだし、屠自古は全く気にしていなかった。

 

「......その様子だとスタンドについては知らないようだな」

「スタンドというのは人間の精神が具現化したものらしい。我らの言葉で言えば、強力な生き霊を使った式神......といったところであろうな」

 

 いつの間にか布都の目がぱっちり開いていた。一応、ちゃんと話は聞いていたらしい。

 

「そして、君の話になる」

 

 承太郎は屠自古の親指ほどありそうな太い人差し指を軽くこちらへ向けた。

 その時だった。屠自古は目を見開いた。承太郎の背後に紫色の巨躯が姿を現した。承太郎と同じか、若しくはそれ以上の巨人が、部屋の中に突如出現したのだ。

 

「おい、後ろ......」

「スタンドというのは普通、人間には見えないものなのだ」

 

 しかし、承太郎はポーカーフェイスを崩すことなく続ける。

 

「スタンドはスタンドを擁する者にしか感知できないのだ。君はコイツが見えているな」

 

 承太郎はこちらを見据えたまま、背後を指した。

 屠自古は咄嗟に横を向いた。

 しかし、布都は呑気にお茶をすすっている。これ程落ち着き払った様子を見ると、今、承太郎が話していることは既に布都は知っているようだ。屠自古にとってはいずれも現実味のわかない話だった。まあ、河童の言う通りであれば、ここは本の世界、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが。

 

「そして、俺と仗助は君を認識できているが、先ほど君が助けた少年......君が見えていない様子だった」

「よくぞ気づいた、承太郎殿! そう、何を隠そう、屠自古は我のスタ......」

 

 屠自古は急にスイッチの入った布都の口を慌てて塞いだ。

 

「屠自古よ、どうした?」

 

 布都が声を潜める。応じて屠自古の声量も小さくなった。

 

「いや、スタンドとやらがスタンド使いにしか見えない......ってのは分かった。そして、今の私もそういう状態になってるんじゃないか、てのも分かる」

 

「だからと言って、何で私がお前のスタンドになるんだ! 大体、これはだな......」

「まあまあ、落ち着け。まずは茶でも一杯飲んでだな」

 

 布都が囁き声のまま、仗助が持ってきたお茶を屠自古に差し出した。無下にするわけにもいかず、屠自古はそのままグイと飲み干す。少し熱かったが、雨で冷えた体にはちょうどいい。

 

「お主の体質が河童の仕業であること、もちろん我も承知の上だ」

「お前、それは......」

 

 布都は懐をまさぐると、小さな機械を取り出した。

 そう、屠自古の分は壊れてしまったアレだ。

 

「河童の話だとこの世界での1ヶ月が元の世界の3時間に値するらしいのでな」

「何だって!?」

「驚くのは分かるが、我らにはどうしようもないであろう? 修理に半日ということは我々は4ヶ月ほどはここで暮らさねばならんのだ。そして、件のスタンド使いと申す者達、まだこの町に何人もいるようだ。4ヶ月の間、またどこでスタンド使いに出くわすともしれん。もしそのスタンド使いに見つかる度に亡霊だ何だと説明するのは流石に不便ではないか?」

「む......確かに」

 

 そもそも屠自古がこの半端な状態になったのも悪目立ちを避けてのことだ。スタンドとの違いをいちいち説明していては本末転倒である。

 

「いいだろう。この町にいる間だけ、私はスタンドだ」

 

 屠自古は承太郎の方へ向き直った。

 

「話は終わったか? それじゃ、端的に聞こう。君らはスタンド使いとスタンドなのか?」

「うむ、我らは......」

「私はスタンドだが、こいつのではない」

「おい、屠自古よ! 話が違うぞ!」

「私がお前の精神を具現化した式神であるなんて、絶対に嫌だ! 私は自律したスタンドだっ!」

 

 屠自古と布都はお互いの口を塞ごうと躍起になりだした。

 

「承太郎さん、何か......訳ありみたいっすね。この2人」

「ああ。ただ、悪ってのは邪さや不気味さってのが滲み出てるものだ。最初に物部 布都に会った時も、駅で蘇我 屠自古を見かけた時も、敵意は感じられなかった。そして、今日でその確信が強まった」

「警戒する必要はないってことっすか」

「......今のところは、な」

 

 ◇

 

 仗助の家を後にする際、屠自古は1枚の遺影が目に入った。思わず立ち止まる。

 

「この人......!?」

「じいちゃんを知ってんのか?」

「あ、ああ。つい4日前だ、助けてもらった」

 

 間違いない。杜王町の初日に出会った、あの初老の男性だ。どう見ても不審ななりだった屠自古に、優しく手を差しのべてくれた。屠自古は呆然と右手を見つめる。既にこの世の者ではない、亡霊の手だ。青白い。冷たい。しかし、だからこそ人の手の温もりは強く染み渡る。

 

「さっきのスタンドは連続殺人鬼のスタンドで......殺されたんだ、奴に」

 

 仗助がポツリと漏らす。

 屠自古はハッとした。

 連続殺人鬼......殺された......あの手袋の中身はそんなに凶悪な存在だったのか。もし、屠自古も、承太郎と仗助も、何もできなかったとしたらあの少年はどうなっていたのだろうか。考えるだけで背筋がうすら寒い。

 

「そうか......嫌なことを思い出させたな。すまない」

「あんたが謝ることないっすよ」

 

 仗助は悲しげな瞳のまま、口だけで笑った。

 

「......俺は決めたんすよ。じいちゃんにかわって俺がこの町を護るって」

「そうだな。......きっとできる」

 

 屠自古は微笑みながら思い出していた。亀を治す仗助を。あれがスタンドの能力なのであれば、そして、スタンドが本人の精神の具現化というのであれば、彼はどんなに優しい心の持ち主なのだろう。

 

 屠自古は布都を呼び止めた。

 

「仏教は私も嫌いだが、お前、あの仏壇に絶対火つけるなよ。空気読めよ」

「......お主、我を何だと思っておるのだ?」

 

 

 ◇

 

 東方家を出ても相変わらず雨は降っていた。

 仕方なく屠自古は布都の持っていた傘に入り込む。

 傍から見ればまごうことなき相合い傘ではあるのだが、屠自古は他人からは見えていない、そう思い込んで耐えることにした。折角、乾いた服が濡れるのも嫌だったのだ。

 

「で、屠自古よ、お主はこれからどうするつもりだ?」

「どうするも何も河童が機械の故障を直すのを待つしかないだろ」

「どこに住む気だ?」

「住む?」

「これから野ざらしで4ヶ月過ごす気か? 我らは衣食こそ不要だが、住は必要であろう?」

「......お前、何かた......冷静だな」

 

 頼りになる、と言いかけて屠自古はその言葉をぐっとこらえた。なんだか癪だったのだ。

 

「そうであろう、そうであろう? フフーン? 特別に我と住まわせてやってもよいぞ?」

「はあ? 私は亡霊だ。どこでも入り込めるのに、誰がお前なんかと......」

「良いのか? 我にそんな口を聞いても?」

 

 布都は挑発的な表情を浮かべた。

 

「河童と通信できるのは我だけだぞ?」

 

 にとりから聞いたのか、布都は屠自古がそれを壊してしまったことを知っていたらしい。

 

「ぐっ......」

 

 屠自古は歯を食いしばった。とんでもなく屈辱的だ。

 

「さあ、行くぞ! 我らの拠点へ! 我のスタンド、屠自古よ!」

「お前の、じゃない! ......しかし、布都。お前にしてはやるじゃないか。まさか住居まで確保していたなんて」

「はあ? 家なんかあるわけなかろう? 我もここに来てまだ数日だぞ?」

「お前なあ......」

 

 布都を少しでも信頼した数秒前の自分をぶん殴りたい。屠自古は後悔した。

 

「我に任せろ。風水とは本来物の配置によって気の流れを操作するもの、住みよい土地を探すのに最も適している者なぞ我を差し置いておるまい!」

「本当か......? お前の風水、結構眉唾だぞ?」

「えーっと、こっちがいいのう」

 

 布都は仗助の家がまだ見える内に立ち止まった。

 

「おい、まさかここじゃないだろうな」

「む? 駄目か?」

「この廃虚、私がさっき雨宿りしていた場所だ。寝てたら首に何か落ちてきたぞ。見ろ、雨漏りも酷いし」

「贅沢な奴じゃのぉ。次じゃ、次」

 

 また、ぶつぶつと呟き始めた布都に屠自古はついていく。何も屠自古はこの家の環境が嫌だというだけで断ったわけではない。屠自古はもう一度窓を見上げた。やはり、気のせいだったのだろうか。今度は窓には何も見えなかった。

 

 ◇

 

「ここは......どうじゃ?」

「......何かもう店が建ってるぞ。いい匂いがするな。洋食の料理屋か?」

「ええい! かくなる上はここを燃やして......」

「止めろ、大馬鹿者!」

 

 ◇

 

「ここも良いぞ?」

「何か看板があるぞ。......何だ? 読めんな」

「あるふぁべっと、という奴だな。全く我らが眠っている間に妙な文字が伝来したものだ」

「さっきとは別の意味で......いい匂いがするな」

「うむ。甘い、何というか妖艶な、大人の匂いじゃな」

 

 屠自古は齢1500が大人の匂いなど何を抜かしているのか、とも思ったが、問題はそこではない。

 

「だーかーらー、誰かもういるんだよ、誰かが」

 

 ◇

 

「うむ、ここも悪くない。今度は店ではないしのう」

「だから先客が住んでるって、ほら」

 

 "岸辺"という表札がぶら下がっている。

 しかし、布都は表札に見向きもせず、傘を閉じると、何やらモゴモゴと呟き始めた。

 

「お前、何か術をかけようとしてないか?」

 

 詠唱が、止まった。図星か。

 

「馬鹿者!」

 

 慌てて屠自古は布都を羽交い締めにし、その場から引き離そうとする。

 

「離せ、屠自古ー! 火災の相が出ておるんじゃー! 我がやらずともこの家はじきに燃えるぞー!!」

「お前がやるから、相が出てるんじゃないのか!?」

 

 ◇

 

「ここはどうじゃ?」

「随分豪邸だな......じゃない! この数時間、ただただ物件を外から見てるだけだ! そもそもお金もない私達が普通の家に住める訳ないだろ!」

「むぅ......じゃあ、我がこの数日間過ごした場所に行くか?」

「何だって? お前さっき住みかはないって......」

「潜り込んでおっただけだ。住みかとは言えまい」

 

 ◇

 

「おい、ここって......学校って奴じゃないのか?」

「うむ。外の世界の寺子屋じゃな」

「......住める訳ないだろ。お前その格好でよく忍び込めたな」

 

 屠自古はおよそ町の人には馴染めないであろう布都のいでたちをまじまじと見た。自分が烏帽子を脱いだのが馬鹿馬鹿しくなるくらい目立っている。流石に足のない屠自古よりはましなのだろうが、布都も"スタンド化"を河童に頼んだ方がいいのではないかとも思える。

 

「ふっふっふ、中々やるであろう?」

「褒めてはない。結局どうするんだ?」

 

 事態は何も好転していない。まだまだ青春真っ盛りの若々しい声を耳に取り入れただけだ。

 

「うーむ......やはり、最初の廃虚に住むしか......む? あれは、もしや......」

 

 顎に手を当てていた布都は急にその腕をはねあげ、振り始めた。

 

「おお、やはり! 承太郎殿!」

 

 今度は傘を差している白服の大男がそこにいた。

 

 ◇

 

「屠自古! 柔らかい! 柔らかいぞ!」

「あんまり暴れるな!」

 

 ベッドの上でぴょんぴょん跳ねる布都を屠自古は目で制す。

 しかし、気持ちは分からなくもない。久しぶりだ。まともな屋根の下でくつろげるのは。

 承太郎の計らいで、豪華な宿泊施設をあてがって貰えることになった。

 

 無論、ただではない。

 

 屠自古は承太郎から受け取ったポラロイド写真を机の上に並べていった。

 金色と緑に輝く特徴的な矢尻──この矢の捜索の手伝いを依頼されたのだ。これが、承太郎と仗助の話していた弓と矢の"矢"という奴なのだろうか。

 

 この矢は強制的にスタンドを発現させる特性があるらしい。そして、この矢が杜王町に存在し、承太郎はその矢を回収し、悪用を防ぎたい、とのことだった。

 屠自古がそれを承諾したのは、住居が得られる、というのも勿論ある。が、あの青年──東方 仗助が護ると宣言したこの杜王町が少し気になり始めていたのもある。ひょっとしたら矢の捜索が彼の助けになるかもしれない。

 そして、屠自古はどうせなら4ヶ月、ここでの生活を楽しむことに決めていた。

 

「屠自古! これ、どうやって使うんじゃ?」

 

 後は布都と別部屋であれば完璧だったのだが......流石に承太郎にそこまでは要求できなかった。



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3話 収穫

 屠自古は朝日が差し込む部屋で1人で座っていた。

 腕を組み、朗らかな朝日と対照的なしかめっ面。小刻みに二の腕を叩く人差し指がその苛立ちを表している。

 ぎぃー、と部屋のドアが開いた。ノックがないと言うことは──

 

「屠自古ー、戻ったぞ!」

 

 やはり、布都だった。

 

「いやー、中々美味であった」

 

 布都はたった今1人で朝食を済ませてきたところだ。ホテル内の食堂に屠自古が行くと、流石に目立つ。屠自古自身は見えないものの、何せ食事が空中でどんどん消えていくことになる。人目を集めるなという方が無理な話だ。

 それで、布都が屠自古の分を持って帰る算段だったのだが......

 

「......私の分は」

「あ」

 

 誰が見ても答えが分かる顔だ。ぱっくりと口を開けた布都に屠自古はパチパチと音の出ている人差し指を向けた。

 

「この鳥頭!!!」

「痛い痛い痛い!!!」

「......まあいい、出るぞ」

「出るって......どこに?」

「昨日話したろ、これを探しに行く」

 

 屠自古は1枚のポラロイド写真を布都に突きつけた。

 承太郎から預かった物だ。

 

「ああ、(ソレ)か」

「しかし、どうやって探したものかな。杜王町のどこかにあると言われても、この町それなりに大きいようだし」

「コイツはスタンド能力を呼び覚ますのであろう? じゃあ、スタンド使いに片っ端から聞いてみるのが1番早いのではないか?」

「......そのスタンド使いはどうやって見つけるんだ? 外見じゃ分からんぞ?」

「任せておけ。我に案がある」

 

 自信満々に胸を張る布都に屠自古は嫌な予感しかしなかった。

 

 ◇

 

 2人は朝方1番人が集まる地──駅と呼ばれる施設に来ていた。屠自古が訪れるのは初日以来4日ぶりだ。布都がいつの間にかホテルで貰っていた杜王町の地図を頼りにここまで来た。相変わらずの人通りだ。

 

「おい、本当にやるのか?」

「大丈夫じゃ」

「......じゃあ、コホン」

 

 屠自古は咳払いを1つした。布都が考えたスタンド使いを見つけ出す作戦、それは──

 

「ワァァァァァァアアア!!!!!」

「......うーむ、誰もおらんのう。屠自古もう1回じゃ」

「......やっぱり止めないか? これ」

 

 屠自古が人通りの多い場所で大声で叫ぶ、というものだった。

 スタンド使い以外に聞こえないはずの屠自古の声に反応すればソイツはお目当てのスタンドを持つ人間だということになる。

 やってみて分かったが死ぬほど──いや、屠自古はもう死んでいるが──恥ずかしい。大勢の前で叫ぶ恥ずかしさはもちろん、スタンド使いであれば聞こえているという事実も非常に精神にこたえる。屠自古はできることならばスタンド使いがいないことを祈りながらもう一度声を張り上げた。

 

 

 ◇

 

 

 暖かな春の日はすっかり頭の上まで昇っていた。

 時刻は昼時、駅前の人通りが落ち着いてきたため、屠自古たちはひとまず駅を後にしていた。

 

「そういえば河童にはこちらからは連絡できないのか?」

「そういえば試したことなかったのう。やってみるか」

「いや......やっぱりやめておこう」

 

 下手にあの機械をいじって壊しでもしたら大事だ。それに、こちらの1ヶ月が向こうの3時間ということはまだ数分しか経っていない計算、今連絡したところで得られるものはないだろう。

 

キーンコーンカーンコーン

 

 不意に鳴り響いた鐘の音に思わず体がビクッとなった。車と呼ばれる乗り物の走行音をはじめ、幻想郷では耳慣れない音がこの町には溢れている。

 

「む、もうそんな時間か」

 

 一方、慣れた様子の布都を見て言い知れぬ恥ずかしさがこみ上げる。いつもならこういう時に目ざとく咎めてくる布都が何も言ってこないことも屠自古の感情の行き場をなくすことに追い討ちをかける。

 

 布都は足を止めていた。鐘の音の出所は布都が潜り込んでいたという学校であった。

 

「おい、またあの学校じゃないか! 何しに来たんだ」

 

 例の学校の前でぽつねんと立ち尽くす布都。

 

「ん? 喉が渇いたからのう。ちと休憩じゃ」

 

 再び歩みを始めた布都の行く先は間違いなく学校の方向だ。

 

「はあ? まさか食堂に入る気か!? こんな昼時に私らみたいな部外者が入っていいわけないだろ!」

「違う違う。まあ、気にせずついてこい。どのみちお主は普通の人間には見えておらんのだからのう」

 

 布都はあれよあれよという間に門をくぐって敷地に入ってしまった。童顔の布都は生徒に間違われているのか、いや、むしろ生徒として異様な格好だ。教師陣に怪しまれぬわけがない。

 ハラハラしている屠自古の視線を知ってか知らずか布都はずんずん進み、誰にも会わぬままとうとう窓から建物内にまで侵入してしまった。

 

「お、おい!」

「なんじゃ、屠自古」

 

 なんじゃ、と言われても窓から入っている時点で正規の客ではない。

 だが、このまま外からプカプカと布都を見張る訳にもいかない。屠自古も続いてするりと入り込んだが──見つかった。誰かいる。身長的にこの学校の生徒だ。早く逃げなければ。

 

「布都、逃げ──」

「おー、重ちー。もう来ておったか」

「布都さん」

「は?」

 

 重ちー? 布都さん? 気さくに挨拶を交わし始める2人に屠自古は露骨に動揺した。

 

「重ちー、みるくてぃーはあるか?」

「あるどー」

 

 少しふくよかな少年は小さな台所で湯を沸かし始めた。

 

「屠自古、紹介するぞ。重ちーじゃ」

 

 布都はその少年の後ろ姿を指し示す。

 

「紹介って私のことが......見えてるのか?」

 

 重ちーは布都の背後、つまり後から入ってきた屠自古を明らかに視認していた。

 

「うむ、重ちーもスタンド使いだ」

 

 布都は大きく頷いた。

 

「重ちー、紹介しよう。我のスタンド、屠自古じゃ。最近自我が強くてなあ、重ちーはどうやってスタンドを制御しておるのだ」

「んー? おらのスタンドは1体じゃないから分かんないど」

 

 後ろを向いたまま、重ちーは布都と会話している。何というか......初対面の屠自古への警戒心がほとんどない。少し心配になるくらいだ。

 

「なるほど。承太郎のスタンドは1体のようだったがスタンド使いにも色々タイプがあるんだな、じゃないんだよ。おい、布都。誰がお前のスタンドだ」

「す、すまん、調子に乗った。だからその構えてるビリビリを引っ込めてくれ」

 

 飲み物を準備し終えた重ちーが帰ってきた。

 

「おい、布都。彼もスタンド使いなのだろう? 矢のこと、聞いてみろ」

「おお、そうであったな」

 

 カップを受け取った布都が引き換えに矢の写真を渡す。

 

「重ちーよ。これを見たことはあるか?」

「これは......何だど? 矢?」

「ああ、矢じゃ」

「見たことないど」

 

 重ちーは首を横に振った。

 その後はしばらく、とりとめのない話が続く。布都が杜王町に来てまだ数日のはずだというのにまるで気心の知れた長年の友であるように話に花が咲く2人。布都が謎にこの環境に適応していたのは彼の影響が大きいのかもしれない。

 ここは教師が飲み物を隠している場所であること、昼時にたまに拝借していること、布都とはここに入り込んだ時に出会ったこと、などだ。第三者の屠自古からすれば不法侵入者と泥棒が意気投合しただけのように思える。

 そして、スタンドの話も聞けた。重ちーのスタンドの名前は『ハーヴェスト』、布都が言っていた通り複数体からなるスタンドらしい。

 

「あ、そうじゃ! 重ちー、お主のスタンドでコイツを探してはくれぬか? ついでで構わぬ」

 

 布都は思い出したように重ちーに写真を向けた。

 

「これ、そんなに高価なものなのだど?」

 

 重ちーは矢が高価なものだから探している、という結論に至ったらしい。

 

「さあ? 見た目はちょっと高そうだがな。しかし、学生の身で杜王町中の捜索は......流石に無理なんじゃないか?」

「お、おらの『ハーヴェスト』に探せないものなんかないど! いいど、見つけてやるど!」

 

 重ちーは胸をどんと叩いた。

 

「恩にきるぞ! 重ちー!」

 

 布都は屈託のない笑顔で重ちーの手を握り、ブンブン振った。布都のこうした面がたまに羨ましく思える。一方、屠自古はというと口を真一文字に結び、腕組みをしていた。ある疑念が昨日からずっと渦巻いているのだ。

 

「ん? 屠自古よ、どうした?」

「......いや、ちょっと気になることが。重ちー、すまんがもうひとつ、聞いてもいいか」

「ん? 何だど?」

「お前のスタンドってひょっとしてこのくらいの大きさの人形か?」

 

 屠自古は手のひら程のサイズを示した。

 

「オラの『ハーヴェスト』は......お、ちょうど帰ってきたど」

 

 黄色と紫の縞模様の2足歩行する生物──屠自古が町中で何度か見かけた奴だった。コイツもスタンドだった事実に屠自古は素直に驚いた。どうりで人々が無視する訳だ。見えていないのだから。

 それに、野良猫並みにあらゆる所で見かけた。そんな数のスタンドの持ち主もいるのか。確かにそれだけいれば矢を見つけることも時間の問題かもしれない。

 思っていたよりはるかに強力な助っ人だ。

 

「いや、すまない。変なことを聞いたな」

 

 重ちーはしたり顔でハーヴェストから小銭を受け取っていた。お使いでもさせていたのか? いや、常人に見えないスタンドにお使いは無理だな。ということはスタンドで落とし物を拾い集めているのか。見かけによらず中々食わせ者である。

 

「おっと、もう休み時間が終わるど、布都さんとえーっと......」

「屠自古だ」

「屠自古さん、それじゃあまた今度ど!」

 

 トタトタと体を揺らしながら重ちーは部屋を出ていった。何というか、どことなく憎めない感じが布都とよく似ている。2人が気が合うのも分からなくもない。

 布都は来た時と同じように窓からよじ登って外に出た。手慣れたものだ。

 

「屠自古。最後の質問、あれはなんだったのだ?」

「最後の質問?」

「ほら、人形がどうだだの言っておったろう?」

「ああ......仗助の家の近くの廃墟、あるだろ?」

「んー、おお、あれか!」

「あそこで私見たんだよ──たくさんの動き回る人形を」

「なんじゃ? わ、我を怖がらせたいのか?」

 

 何故か声が震え出す布都。屠自古は思い出した。布都の根がどうしようもないビビりであったことを。この不思議な世界で余りに堂々としていたために忘れていたが、仏像が怖いから、などという理由で寺に火を放ったことも数知れず。

 

「あれももしかしするとスタンドだったのかもしれない。重ちーのスタンドが複数体ってのを聞いてもしや、と思っただけだ」

「ふーむ、ならばもう1度行ってみるか? 本当にスタンド使いがいるというのなら矢の手がかりもあるやもしれん」

「そうだな」

「じゃあ、行ってらっしゃい!」

「......お前も行くに決まってるだろ!」

「何でそんな話聞いた後に行かなきゃならんのだ! 嫌じゃ!」

 

 ◇

 

 

「......お主、本当にここで見張るのか?」

「当たり前だ。というかここまで来てるんだ。腹くくれ」

 

 2人はもう顔を出せば廃墟が見える角まで来ていた。

 が、布都は廃墟から目をそらし続ける。最初はあそこに住む気でいた奴の行動とは思えない。仕方ないので屠自古が1人で見張る。しばらくは何の音沙汰もなかった。しかし、日が少し傾いた頃、廃墟の前で立ち止まる人影が現れた。2人だ。

 

「ちょっと待て。あれは......仗助?」

 

 特徴的な髪型はここからでもはっきりと分かる。

 間違いなく東方 仗助だ。

 

「別におかしくはなかろう。仗助殿の家はこの近くじゃ。学校が終わる時間もこのぐらいじゃろうし」

「いや、廃墟の前で立ち止まってるぞ。仗助の連れが中に入ろうと......布都!?」

「な、なんじゃ。急に大きい声を出すでない」

「人だ! やっぱり人が住んでたぞ! ちょっと待て、あれって......」

 

 廃墟の2階、虎視眈々と下を見下ろす男が、今度ははっきりと見えた。少なくとも2人以上、この廃墟には住んでいた。そう屠自古が思った次の瞬間──

 

「布都、行くぞ!」

 

 屠自古はしゃがみこんでいる布都の腕をおもいっきり引っ張りあげた。

 

「いてて、今度はなんじゃ?」

「仗助の連れが......射抜かれやがった!!! 廃墟には矢があったんだよ!!!」

 

 



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