ARIA The CONVERSATION (辰巳しおん)
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第1章 一人前(プリマ)合同会議編
その ウンディーネの資格は……(1)


アイちゃん。

 

わたしが一人前(プリマ)になってから、早いもので、もう三ヶ月が経ちました。

 

今日、わたしはカフェフロリアンに来ています。

 

藍華ちゃんの発案で、これから、月の始めの月曜日は、私と、アリスちゃんと三人で、「半人前(シングル)合同練習」ならぬ、「一人前(プリマ)合同会議」を開くのだそうです。

 

みんなに会えるのは久しぶり。楽しみだなぁ。

 

 

「……あっ。藍華ちゃん、アリスちゃん!」

 

「こりゃ灯里! おーそーいー!」

 

「灯里先輩、でっかい遅刻魔です」

 

「はひー! ごめーん!」

 

「んもー。てっきり忘れてるのかと思ったわよ」

 

「灯里先輩ならあり得ますね」

 

「えー? そんなことないよー。ちゃんと予定表にも書いておいたし、それに……」

 

「それに何よ?」

 

「アリスちゃんから、何回か『いいですか、灯里先輩。もし三人が揃わなかったら、大鐘楼(カンパニーレ)が倒壊してしまうそうですよ』っていう電話があったし」

 

「ぬなっ!? 後輩ちゃん?」

 

「何ですか? こうして三人が揃ったことで、大鐘楼(カンパニーレ)の倒壊は避けられたのです。灯里先輩、でっかいミッションコンプリートです!」

 

「良かったー。昨日はドキドキして、眠れなかったよー」

 

「あっそ……。でも灯里、何かあったの?」

 

「うん。集合時間より前には着いたんだけど、ちょうど表に店長さんがいてね、『いつもお客さまを紹介してくださって、ありがとうございます』って、お礼をしてたんだ。そうしたら、他にも郵便屋のおじさんとか、色んな人に会っちゃって……」

 

「いつもの灯里先輩の、でっかいお友達の輪ですね」

 

「そっか。灯里の所は、そういう営業活動も大事だもんね。じゃあ、今回は大目に見てあげるわ」

 

「うん、ありがとう、藍華ちゃん」

 

「さあ、気を取り直して、第一回、一人前(プリマ)合同会議を始めるわよ!」

 

「「おーっ!」」

 

「ふたりとも、室内で大声出すの、禁止!」

 

「えー…」

 

「今のは、藍華先輩が振ったのでは?」

 

「セイシュクにー」

 

「むむむ……」

 

「ところで藍華ちゃん。会議って、何を話し合うの?」

 

「まあ、議題なんて何でもいいのよ。こうして集まるのが目的なんだから」

 

「はい、それはでっかい重要です」

 

「はへー、そうなんだー」

 

「でも、今日は議題があるのよこれが!」

 

ドン!

 

「船舶運行管理……」

 

「せきにんしゃ?」

 

「そうよ。これはその資格を取るための参考書ね」

 

「確か、水先案内業界でも、会社の偉い人しか持っていない資格では?」

 

「そうね。うちらの業界だと、自社のゴンドラの整備状況や、運行状況の管理。それから、事故やトラブルが起きた時の対応なんかをするのに必要な資格よ」

 

「ほへー……」

 

「この本を持っていると言うことは、藍華先輩もこの資格を取られるんですか?」

 

「そうなのよー。だって支店長なんだもーん」

 

「すごいねー、藍華ちゃん」

 

「ま、合格したらね……。でも、本当の事を言うとね、先週、晃さんから『すわっ! 藍華! 支店長たるもの、このぐらいの資格を持っとらんでどーする!?』って、言われちゃったのよねー」

 

「でしたら当然、落ちることは許されませんね」

 

「そう、さすが後輩ちゃんは話が早いわね。だから、ふたりにも、ちょーっと協力してもらいたいなーって、思ったわけ」

 

「ほへー……」

 

「わかりました。では早速、私が問題を読みますから、先輩方は答えを言ってください」

 

「えーー? 私も答えるの?」

 

「でっかい当然です。というか、灯里先輩は、ARIAカンパニーの偉い人でもある訳じゃないですか。既にこの資格をお持ちじゃないんですか?」

 

「えっ? わたし? あの……えっと……」

 

「言われて見れば確かにそうね。会社ごとに、最低一人は持ってないといけない資格だし。まさか、あのモチモチポンポンが持ってる訳ないわよね?」

 

「はわわ、はわわわ……」

 

「ねえ、灯里。あんた本当に資格持ってないの!?」

 

「えっと……。アリシアさんとの引き継ぎの時には、特に試験とかは受けてないし、こんなに分厚くて難しそうな参考書、見たことないし……」

 

「にゃぬ? こ、これはマズイ予感が……」

 

「もし、灯里先輩がこの資格を持っていないとなると、最悪、ARIAカンパニーは営業停止になってしまうのでは?」

 

「はひーっ! ど、どどど、どーしよー、藍華ちゃん!」

 

「ほらほら灯里、落ち着いて。いくらなんでも、あのアリシアさんが、そういう所をすっぽかすなんて、あり得ないでしょ?」

 

「そっかぁ。そうだよねぇ」

 

「いや、そうとは限りませんよ。アリシアさんだって、でっかい一人の人間です。ついうっかり、忘れていたのかも」

 

「ふええ……」

 

「ちょっと後輩ちゃん!? 灯里を不安にさせるセリフ、禁止!」

 

「しかし、『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』って言うじゃないですか。もしかしたら、これはARIAカンパニー伝統の、でっかい試練なのかもしれませんよ?」

 

「そんなぁ、アリシアさんが……はひっ!」

 

「ん? ……ぬなっ!……っと、え-っと、あの、後輩ちゃん? 」

 

「何ですか?」

 

「あ、あの……アリシアさんが、そんな事する訳……ないじゃない……。き、禁止よ、禁止。ね、灯里?」

 

「はわわわわ、はひっ」

 

「いいえ。あのいつも優しいアリシアさんは仮の姿。最後の最後で、でっかい本性を現して、灯里先輩を、恐怖のどん底に落とし入れようと……」

 

「(いやだから、後輩ちゃん!)」

 

「さすがにそれは冗談ですが……。先輩方、どうしたんですか? さっきから、でっかい様子が変ですよ?」

 

「「(う! し! ろ!)」」

 

 

「何ですか? まさか、こんな所に、偶然アリシアさんがい……」

 

 

ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン…………

 

 

「あっあっ……ああっ……ああああっ……」

 

「「「アリシアさん!」」」

 

「うふふ、こんにちは」

 

「どっ、どうして、アリシアさんがこちらにいらっしゃるのですか?」

 

「あらあら、お邪魔だったかしら?」

 

「いっ!? いえいえっ! そんなことは滅相もございませんよ! ね? ね! 灯里!」

 

「は、はひっ!」

 

「あっちのお部屋で、ゴンドラ協会の打ち合わせをしていたの。終わって出てきたら、楽しそうな三人の声が聞こえて来たから、つい来ちゃった」

 

「そうだったんですかぁ。すっごい偶然ですね!」

 

「わーひ! お久しぶりです!」

 

「すみません。私、ちょっとお手……」

 

「ところで、アリスちゃん?」

 

「はいっ!」

 

「何か、私のことを、お話してた?」

 

「えっ? あの、その、ええっと、ですね……」

 

「んっ?」

 

「ですから、その……」

 

「あーっんもう、後輩ちゃん! こういう時にやることは一つよ。今回は私がやったげるから、よーく見てなさいよ」

 

「藍華先輩?」

 

「えー、この度は、うちの後輩ちゃんが、ご気分を害するような事を言ってしまい、大っ変、申し訳っ、ありませんでしたっ! 後輩ちゃんの先輩として、深く、深ーく、お詫び致しますっ!」

 

「わ、わたしも、アリスちゃんの先輩として、すみませんでしたーっ!」

 

「あらあら、うふふっ」

 

続く



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その ウンディーネの資格は……(2)

水先案内の会社で、必ず一人は持ってなければならないという資格を、藍華ちゃんが取ることになったんだけど、わたしがその資格を持っていないんじゃないかっていう話になって……。
アリシアさーん! ARIAカンパニーは、一体どうなっちゃうんですかー?


「……そう。そういうことだったの」

 

「そうなんです。灯里がこの資格を持ってないって言うんで、どうしてなんだろうって、みんなで話していた所だったんですよ」

 

「あの、アリシアさん。このままでは、ARIAカンパニーは、営業できなくなってしまうんでしょうか? もし、そんなことになってしまったら、わたし……」

 

「あらあら、そんな顔しないで、灯里ちゃん」

 

「で、でも……」

 

「ううん。私の方こそごめんなさいね。こういう大切なことは、灯里ちゃんにしっかり引き継ぎしておかなきゃいけなかったわね」

 

「ということはやはり、でっかい引き…」

 

「うふーん! コ·ウ·ハ·イ·チャン?」

 

「はっ! ……す、すみません」

 

「アリシアさん。わたしは、どうすればいいんでしょうか?」

 

「ううん、何もしなくても大丈夫よ。だから心配しないで、灯里ちゃん」

 

「はへっ?」

 

「実は、ARIAカンパニーで、この資格を持っているのは……アリア社長なの」

 

「…………えっ?」

 

「「ええーーっ!!! アリア社長がーっ!?」」

 

「先輩方、室内はでっかい大声禁止です」

 

「あらあら、驚かせちゃったかしら」

 

「そりぁあ、あのアリア社長がそんな資格を持ってるなんて、みーんな、ビックリしますよ!」

 

「わたしもびっくりですー」

 

「私も、でっかい驚きです」

 

「ほら、火星猫って、言葉は話せないけど、知能は人間並みって言うのは、みんなも知っているでしょう?」

 

「確かに、アリア社長って、普段から新聞とかも読んでますし、パソコンも使いこなせますよねぇー」

 

「そうなの。だから、私がグランマからARIAカンパニーを引き継いだときも、そこは問題にならなかったの」

 

「そっかぁ。あのモチモチポンポンは、ダテに社長やってる訳じゃなかったんですね!」

 

「ほへー。なんだか、スーツを着て、キリッとしているアリア社長が、目にうかびますぅー」

 

「しかし、猫が人間の資格を取れるなんて、でっかい意外です。そうなると、いずれはまぁ社長も?」

 

「うっ……くっ……ふふっ」

 

「あの、何がそんなにおかしいんですか? アリシアさん」

 

「ごめんなさい。今のは全部、冗談よ」

 

「…………えっ?」

 

「「ええーーっ!?」」

 

「ですから先輩方、室内はでっかい大声禁止です」

 

「うふふっ。みんながそんなに信じるとは思わなかったから、つい」

 

「ぬなっ……。そ、そりゃあ、アリシアさんの言うことですから、し、信じちゃうに決まってるじゃないですか」

 

「でっかい見事に引っ掛かってしまいました」

 

「さすがはアリシアさんですー」

 

「あらあら」

 

「しかし、そうであれば、一体誰が資格を持っていると言うのでしょうか?」

 

「すごく簡単に言うとね……グランマが持っているから大丈夫なの」

 

「えっ? グランマが、ですか?」

 

「ええ、そうよ」

 

「でもアリシアさん。グランマはもうとっくに引退されていますよね?」

 

「ええ、ウンディーネとしては確かにそうね。でも、ARIAカンパニーの役員としては、まだまだ現役なのよ」

 

「でもでも、灯里が引き継ぐまでは、ARIAカンパニーの経営も、アリシアさんが全部一人でやっていたんじゃないんですか?」

 

「もちろん、私もこの資格は持っているし、実際の経営は私がやっていたわ。でも、ARIAカンパニーは昔から少人数主義の会社でしょう?」

 

「はい、そうですね」

 

「以前の私や、今の灯里ちゃんみたいに、社員が一人だけの時に、何か深刻な問題が起きるかもしれない。その時のためにって、役員というか、オーナーという立場で、会社の経営に関わってくれているのよ」

 

「ほへー。そうだったんですね」

 

「だから今は、月に一度くらい、灯里ちゃんの様子を見に行っているんじゃないかしら?」

 

「そういえば、グランマが遊びに来てくださった時には、いつも運行日誌や、ゴンドラさんの様子を見ていただいてますー」

 

「さすがはグランマ。でっかい完璧、元祖『ミスパーフェクト』といった所でしょうか」

 

「しかも、灯里が気付かないように、さりげなくって所が、またすごい所よね!」

 

「だから、ARIAカンパニーの営業許可証に記載されている、運航管理責任者の名前は、今もグランマになっているのよ」

 

「ほへっ? そうでしたっけ?」

 

「ええっと、あの、アリシアさん。営業許可証って、いつも、お客さまにも見える場所に置いておくやつですよね?」

 

「そうね」

 

「だとすると、灯里は普段から、それを見てたんじゃないの?」

 

「ええっ?」

 

「支配人の名前を灯里ちゃんに変えた、新しい許可証を灯里ちゃんに飾ってもらったんだけど、その時にも何も言ってなかったから、知っているものだと思って……」

 

「つまりは、灯里先輩のでっかい見落としだったという……」

 

「はわわわ……それは……わたし、そういうのはじめてだったから、自分の名前見ただけで、なんだか緊張しちゃって……」

 

「きちんと説明していなくて、本当にごめんなさいね」

 

「いえっ! アリシアさんは悪くないですっ。わたしがもっとしっかり……って、藍華ちゃん?」

 

「あぁーかぁーりぃー!」

 

「はひーっ! ご、ごめんなさーい!」

 

「灯里先輩、室内はでっかいあたふた禁止です」

 

「あらあら」

 

「まあ、それにしても、やっぱりARIAカンパニーは、偉大なグランマ無しには語れない、って事なんですね!」

 

「グランマ、でっかい素敵です」

 

「わたしはまだまだ、鳥の巣から飛び出したばかりだけれど、ひな鳥の時から、今もずっと、グランマという愛情あふれる、大きな木に見守られながら、育っているんですねぇ」

 

「恥ずかしいセリフ、禁止!」

 

「えーー?」

 

「あらあら、うふふっ」

 

「ところで灯里先輩。今はまだ、資格が無くても大丈夫、という事になりますが、今後、その資格は取られるんですか? 取られないんですか?」

 

「うん。いつまでも、グランマに甘えている訳にもいかないし、藍華ちゃんが試験を受けるなら、わたしも一緒に頑張ってみるよ!」

 

「やった! そうでなくっちゃ!」

 

「先輩方、私もでっかい応援します!」

 

「ようし、合格めざして、レッツラ、ゴー!」

 

「「おーっ!」」

 

「ふたりとも、室内で大声出すの、禁止!」

 

「えーっ?」

 

「むむむ……」

 

「……あの、灯里ちゃん」

 

「はひっ!」

 

「みんなで盛りがっているところで、ちょっと言いにくいんだけど……」

 

「ななな、何でしょう?」

 

「実は……灯里ちゃんはもう、この資格を持っているのよ」

 

「ほへっ?」

 

「それって……」

 

「「ええーーーっ!!!」」

 

「先輩方、室内は……もういいです」

 

続く



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その ウンディーネの資格は……(3)

一人前(プリマ)合同会議で、アリシアさんから、グランマの偉大さを教えてもらったわたし達。
藍華ちゃんと一緒に、わたしも資格を取ろうとがんばろーって思っていたら、わたしはもう持っているんだって。
わたし、一体いつ資格を取ったんだろう?


「わたし、もうこの資格を持っていたんですか?」

 

「そうよ。だから、灯里ちゃんは何も心配しなくていいのよ」

 

「でもでも、アリシアさん。さっき灯里に聞いたら、こんな参考書は見たことないって、言ってましたよ?」

 

「はひ。ぜんぜん見たことないです」

 

「確かに、こういう参考書は見たことないかもしれないけれど、中の問題は解けるんじゃないかしら?」

 

「ほへっ?」

 

「そんなぁ。いくらアリシアさんでも、さっきみたいな冗談はもう通じませんよ?」

 

「うふふ、どうかしら」

 

「なっ……なんか、自信ありげですね。じゃあ後輩ちゃん、ちょっと問題出してみてくれる?」

 

「はい。それではいきます。『主に、貨物運搬業務や、ウンディーネの練習用に使用される、通称黒ゴンドラ。このゴンドラに、こぎ手を除き、乗船することの出来る最大人数は?』はい、まずは藍華先輩」

 

「ええっと、確か、6人だったはずよ?」

 

「では灯里先輩」

 

「えっと、観光用に、お客さまがみんな座って、長い時間乗るタイプのゴンドラさんは6人で、トラゲットみたいに、お客さまが立ち乗りで、短い時間しか乗らないタイプのゴンドラさんは14人だったような……」

 

「すごい! 灯里先輩、でっかい正解です!」

 

「ぬなっ!」

 

「わーひ!」

 

「では別の問題。『業務上の運航記録として、運航日誌に必ず記載しなければしならない事は?』はい、藍華先輩」

 

「うーん……。いつも出してるけど、さすがにどれがどれかはわからないわ」

 

「では灯里先輩」

 

「ええっと、確か、お仕事で、その日ゴンドラさんに乗る前に点検をした結果と、最初にゴンドラさんに乗った時間と、ゴンドラさんにお客さんを乗せたり、降ろしたりした場所と時間と、その日最後にお仕事でゴンドラさんからおりた時間、じゃなかったかなあ?」

 

「何と! またまたでっかい正解です!」

 

「わーひ!」

 

「嘘でしょ!? 灯里ぃ、完璧じゃにゃいのよー!」

 

「はへー? なんでだろー?」

 

「うふふっ、ほらね?」

 

「しかし、参考書を読んだことがない灯里先輩が、どうしてこんなにも答えられるのでしょうか?」

 

「それはね、ARIAカンパニーには、グランマや先輩達が作った、素敵なノートがあるからなのよ」

 

「……あっ! あの、ARIAカンパニーのシールが貼ってある、青いノートですね?」

 

「そう。思い出した?」

 

「はひ! あれ、すっごく分かりやすくて、見ていてとっても楽しかったです!」

 

「そんなノートがあったとは……。ARIAカンパニーの圧倒的素敵パワー、恐るべし」

 

「そうよ! 素敵すぎるわよ、もう! 灯里ぃ、ずるっこ禁止!」

 

「えーーっ。ずるっこじゃないよー」

 

「しかし、例えそのようなノートがあったとしても、灯里先輩、でっかい秀才です。以前から、そんなに凄かったのでしょうか?」

 

「ほら。灯里ちゃんは、地球(マンホーム)の出身でしょう?」

 

「ええ、そうですけど」

 

「そのせいで、灯里ちゃんは、アクアに来る前に、ウンディーネとして働く為の試験を受けなきゃいけなかったの」

 

「ああ、私達が見習い(ペア)の時に受けた試験ですね? あれ、難しくて大変だったなー。ま、晃さんからのプレッシャーがものすごかったせいもあるけど……」

 

「私はアテナ先輩に教えていただいて、何とか合格しました」

 

「私も後から聞いたんだけど、実は灯里ちゃん、その試験を、トップの成績で合格していたんですって」

 

「ほへっ?」

 

「にゃにゃにゃ、にゃんですとっ!?」

 

「私も驚いたわ。そもそも、マンホームの女の子が合格すること自体が珍しいのに、トップ合格なんですものね。その時は、不正行為があったんじゃないかって、疑われたほどだそうよ」

 

「ええっ? わたし、ずるっこなんてしてないですぅ」

 

「もちろん、そんなことはなかったんだけど、グランマにその話をしたら、『じゃあ、今のうちから、色んな資格に挑戦させてみたらどうかしら』って」

 

「グランマが?」

 

「グランマは『例え試験に落ちても、勉強したこと、努力したことは、きっといい経験になるから』ってね」

 

「はへー、そうだったんですか」

 

「だから、結構難しい試験にも挑戦してもらったんだけど……。灯里ちゃん、面白いくらいに、次から次へと、色んな試験に合格しちゃうんですもの」

 

「え? ってことは灯里、他にも資格持ってるの!?」

 

「うーん? そうみたい」

 

「この資格以外にも、整備士、海技士、それに旅行業務取扱管理者とか、水先案内業界に関係するお仕事の資格は、一通り合格しているのよ」

 

「灯里先輩、でっかい合格しすぎです」

 

「じゃあアリシアさん。灯里は、自分で企画したツアーに自分で募集したお客さんを自分で整備したゴンドラに乗せて自分で運行管理しながら自分でゴンドラこいで自分で観光案内ができちゃうってことですか?」

 

「藍華先輩、でっかい興奮しすぎです」

 

「そういう事になるわね。でも……」

 

「でも?」

 

「この前、晃ちゃんからも、藍華ちゃんと同じような事を聞かれたけど、できるっていうのと、実際にやるのとは全然違うの。だから、まだしばらくは、いま目の前にあるお仕事を、しっかりやった方がいいわね」

 

「はひ! わたし、ウンディーネとしてのお仕事、もっと頑張ります!」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいアリシアさん。あのっ、灯里がこの資格持ってるのって、晃さんも知ってるんですか?」

 

「ええ。先週だったかしら? 晃ちゃんから、この資格の事を色々と聞かれたのよ。その時、灯里ちゃんの話にもなって……」

 

「はは……知ってるんですねぇ……それで」

 

「晃さんは、あの灯里先輩が合格しているなら、支店長となった藍華先輩もでっかい合格させなければ、と……」

 

「あらあら。私、もしかして、晃ちゃんに余計なことをお話しちゃったかしら?」

 

「いいえ、そんなことはないんですけど……」

 

「ねえねえ、アリスちゃん。『あの』わたしって、なーに?」

 

「それは……その、『でっかい素敵パワー全開の』という意味です」

 

「そうなんだー。えへへ……」

 

「あの、藍華先輩? 下を向いて、どうかしたんですか?」

 

「藍華ちゃん?」

 

「……あのぅ、灯里さん。いや、灯里先生っ!」

 

「はひっ!」

 

「おねがいだがらー、わだじにおじえでぇー。素敵なノードも見ぜでー」

 

「あ、藍華ちゃん……そんなに泣かなくても」

 

「灯里様ぁーっ!! どうか、どぉーかっ! おねがいじまずぅーっ!」

 

「はひーっ! わ、わかったから、藍華ちゃんってば落ちついて……」

 

「……えっ? じゃあ、教えてくれるの? 素敵なノート見せてくれるのっ?」

 

「う、うん。私に、できることなら……」

 

「いやったぁ! きっと灯里なら、そう言ってくれると思ったわ! これで私も、合格間違いなしね! ♪たらたんたらたんたらたぁーん!」

 

「あ、藍華ちゃん……」

 

「藍華先輩、室内はでっかいウネウネ踊り禁止です」

 

「あらあら」

 

_________________

 

「はい! ……と、言うことで、本日の第一回、「一人前(プリマ)合同会議」は、そろそろお開きにしましょうか」

 

「はひっ! お疲れさまでしたー」

 

「うーん、何だか、とっても充実した会議だったわ!」

 

「藍華先輩の一人舞台、という感じでしたが……」

 

「アリシアさんとも、久々にお話できたし!」

 

「わたしもですー、アリシアさん」

 

「私も、三人とお話ができて、楽しかったわ」

 

「あ、いけない! もうこんな時間なのぉ?」

 

「本当だー。わたしも、この後予約が入ってるから行かなきゃですー」

 

「お二人とも、帰られるのですか?」

 

「ええ。ちょっと本店に用があるのよ。後輩ちゃんは、この後お仕事?」

 

「いえ、今日はその……」

 

「ないのね? じゃあアリシアさん、私と灯里は失礼します。そうだ、今日のお茶代は私が持ちますんで、もしお時間があるなら、後輩ちゃんとふたりで、ゆっくりしてってくださいね!」

 

「えっ!? あの、藍華先輩?」

 

「あらあら、そんなの悪いわ……」

 

「いいんです! ARIAカンパニーの素敵なノートを見せて貰えるんですものー。これぐらい、どうってことありませんよ! 後輩ちゃんも、ゆっくりしてってね!」

 

「そう。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら」

 

「あ、アリシアさん。私、たった今思い出したのですが、私もこの後よて」

 

「ねえ、アリスちゃん?」

 

「うわいっ!」

 

「せっかくだから、少し、お話したいことがあるんだけれど、いいかしら?」

 

「えっ!? えっと……その……はい、どうぞ」

 

「いーなー、アリスちゃん。わたしもアリシアさんと、たくさんお話したいのにー」

 

「あーん私もー。うらやましいったらないわー。でも、わかってるでしょうね、後輩ちゃん。アリシアさんに変な事言うの、禁止だからね」

 

「あ、あの……はい」

 

「ではアリシアさん、私はこれで失礼します。 ほら行くわよ灯里。アリア社長が心配してるかもしれないわよ!」

 

「はひー! アリア社長ー、今行きますからねー!」

 

「さようなら。気をつけてね」

 

「はひっ。アリシアさん、アリスちゃん、また会いましょうねー!」

 

_________________

 

 

「……行っちゃいましたね」

 

「うふふっ」

 

「ひっ! あ、あの……」

 

「それじゃあ、はじめましょうか?」

 

「は……ははは……はい」

 




会議のあと、アリシアさんと、アリスちゃんがどんなお話をしたのか、アリスちゃんは教えてくれませんでした。
さて、資格の勉強ですが、しばらくの間、藍華ちゃんに、なんとアリスちゃんも加わって、夜間の合同勉強会をすることになりました。
まるで半人前(シングル)時代に戻ったみたいで、楽しいんだけど、ふたりとも、わたしのことを「灯里先生」って呼ぶから、なんだかちょっと、こそばゆいです。
ちゃんと教えられるかなあ?

灯里さんすごーい! 私は勉強ってちょっと苦手だけど、灯里さんに教わったら、得意になるかもなぁ……。
それから、アリスさんは、もしかしたら、大好きなホラー映画とかの話をしたんじゃないかな?
そうだとしたら、きっと、コワーい話だから、灯里さんは、聞かない方がいいかもしれないね。


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その ウンディーネの資格は……(EX1)

三社合同一人前(プリマ)会議が終わり、先輩方が帰った今、私、アリス・キャロルは、ただいま絶賛でっかいピンチに遭遇しています。
こうなれば、頼みの綱はただ一人。そうです、皆さんで呼びましょう、あの女性(ひと)を。
それでは、せーのっ『アテナせんぱーい!』
『なあに? アリスちゃん』
……えっ?



今からちょうど一週間前のこと。

私が、ゴンドラ協会の理事会を終えて出てくると、仁王立ちで待っている、ひとりのウンディーネさんがいた。

 

「あらあら、晃ちゃん?」

 

「よう、アリシア」

 

「どうしたの? ここ、ゴンドラ協会よ?」

 

「この私が、そんな事を知らないとでも思ったのか?」

 

「そういう意味じゃないわ。どうしてここに晃ちゃんがいるのかな、と思って」

 

「理由はただひとつだ、言わなくても分かるだろ?」

 

「ああ、今度の一人前(プリマ)認定式の件ね?」

 

「違う!」

 

「じゃあ、姫屋で何かトラブル?」

 

「それも違うっ!」

 

「あっ、私ったらごめんなさい。お手洗いなら、あそこの階段の横にあるわよ」

 

「すわっ! 誰がこんな所にトイレを借りに来るか!」

 

「ひどいわ晃ちゃん。ゴンドラ協会を『こんな所』だなんて……。しかもここ、理事長室の前よ?」

 

「……お前、わざとだろ」

 

「わざと? ええっと……どう言う意味?」

 

「くっ……。そうだな、確かに、ちょっと言い過ぎたかもしれない。すまなかった」

 

「いえいえ」

 

「いいかアリシア。私は、お前に会いに来たんだ」

 

「あらあら、それなら、最初からそう言ってくれればいいのに……」

 

「ぐっ……ぬっ……」

 

「晃ちゃん、震えているけど大丈夫? どこか具合が悪いの?」

 

「いや、ちょっと無性に壁を殴りたくなっただけだ。ウンディーネたるもの、体調管理を怠るようでは話にならないからな。それよりも、お前はどうなんだ? 大体お前は若さにまかせて働き過ぎなんだよ。過労で倒れたらどうするんだ? 元とはいえ、かのグランマの設立したARIAカンパニーの社員たるもの、会社の理念は心にきざんでおくべきで…」

 

「ねえ、晃ちゃん」

 

「何だ?」

 

「とても言いにくいんだけど……。そのお話、長くなる? 私、この後また会議があるのだけど……」

 

ドンッ!

 

「…………失礼」

 

「あらあら」

 

「時間がないなら端的に話す。アリシア、お前、船舶運航管理責任者の資格は持っているか?」

 

「うん、持ってるわよ。どうして?」

 

「いや、藍華が支店長になっただろ? 姫屋の幹部会で、今のうちにそういう資格を取らせようって話になったらしい」

 

「まあ、藍華ちゃん。期待されているのね」

 

「ただ同時に、『果たして10代の若い奴が取れるような資格なのか?』という話になったそうだ」

 

「そうだったの」

 

「お前がARIAカンパニーを経営していた頃、掲げてあった営業許可証を見たが、支配人はお前になっているのに、運航管理責任者は、グランマだっただろ?」

 

「すごいわ晃ちゃん。よく気付いたわね」

 

「あんな目立つ所にある許可証に、グランマの名前があるんだ。知ってたら、客でも気が付くだろう?」

 

「そうかもしれないわね」

 

「ま、あのひよっ子一人前(プリマ)三人組なら、お前が『アリア社長が運航管理責任者なのよー』とか言っても、信じるかもしれないがな」

 

「ふふふ。面白いけど、どうかしらね?」

 

「ま、そんな話はいい。で、どうなんだ? 試験は難しかったか?」

 

「確かにそうね。でも、ウンディーネのお仕事に関する問題も結構多いのよ。灯里ちゃんも合格してるし、藍華ちゃんなら多分、大丈夫じゃないかしら」

 

「お前……今、何て言った?」

 

「難しいけれど、ウンディーネのお仕事に関する問題も結構多い」

 

「そこじゃない、その後だ」

 

「藍華ちゃんなら多分、大丈夫じゃないかしら」

 

「そ・の・あ・い・だ・だっ!」

 

「灯里ちゃんも合格してる」

 

「そこだ、そこ! 灯里ちゃんも、この資格を持っているのか?」

 

「ええ、そうよ」

 

「いつ取ったんだ?」

 

「ええっと……そうそう、確か半人前(シングル)になりたての頃ね」

 

「そんな前に? 一体なぜ?」

 

「なぜって……。それは、グランマのアドバイスなの」

 

「グランマが?」

 

「『灯里ちゃんは、とってもお勉強が得意みたいだから、たくさんの資格に挑戦させてみてはどうかしら』って。だから、ウンディーネのお仕事に関係しそうな、いろいろな資格に挑戦してもらったの」

 

「色々? まさか、他の資格も持っているのか?」

 

「うん。この資格以外にも、整備士、海技士、旅行業務取扱管理者とか、水先案内業界に関係するお仕事の資格は、一通り合格しているのよ」

 

「……」

 

「どうしたの? お口がパクパク、お魚さんみたいよ?」

 

「じゃ、じゃあなんだ? 灯里ちゃんは、自分で企画したツアーに自分で募集したお客さんを自分で整備したゴンドラに乗せて自分で運行管理しながら自分でゴンドラこいで自分で観光案内ができちゃう、とでも言うのか?」

 

「そうね。でも、できるのとやるのは違うから、一通り資格を取った後は、灯里ちゃんが一番なりたい、ウンディーネとしてのお勉強やお仕事に専念してもらったの」

 

「……なんで……」

 

「どうかしたの? 晃ちゃん」

 

「なんで、お前んところは、そんなにどえらい優秀な社員ばっかりなんだっ!?」

 

「あらあら、姫屋だって、素敵な社員さん、沢山いるじゃない?」

 

「素敵の次元が違うんだよ。ARIAカンパニーで、一人前(プリマ)になれなかった奴なんて、いないだろ?」

 

「それは、私もよくわからないけど……」

 

「まあいい。アリシアも、灯里ちゃんも、若いうちにこの資格を取っている、っていうのはわかったよ。ありがとう」

 

「いえいえ、どういたしまして」

 

「時間を取らせて悪かったな、アリシア」

 

「ううん。私も、久しぶりに晃ちゃんと直にお話ができたんだもの。嬉しかったわ」

 

「じゃあな」

 

「うんっ。またね」

 

「そうだ、私がここに来たことは、藍華や、灯里ちゃんには内緒にしておけよ」

 

「あらあら、どうして?」

 

「この晃様が、お前と話がしたくて、ゴンドラ協会に乗り込んできた。なーんて、ちょっと恥ずかしい話だからだっ!」

 

「うふふ。わかりましたっ」

 

「……ところでアリシア」

 

「なあに? 晃ちゃん」

 

「その……。そこの階段の横で、良かったんだよな?」

 

「あらあら。じゃあ、私も一緒に行こうっと」

 

「お、おい、よせっ! 腕を組むな! 恥ずかしい。ここは、ミドルスクールじゃないんだぞ?」

 

「うふふ、たまにはいいじゃない? そういえば晃ちゃん、あの頃は………」

 

「おい、やめろアリシア! 恥ずかしいエピソード禁止だ、禁止!」

 

「あらあら、うふふ」

 

続く



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その ウンディーネの資格は……(EX2)

私、藍華・S・グランチェスタは今、燃えに燃えていますっ!
押し寄せる書類、日々起きる問題、鬼気迫る晃さん。
それらを如何にサラリと処理するか、ヒラリとかわすかが、支店長の腕の見せ所なのです!
さあ! 今日も一日、頑張るわよーっ!
『では、お手並み拝見といきましょうか、支店長』
……えっ?


ゴンドラ協会で私とお話をしたあと、晃ちゃんは姫屋の支店へと向かったの。

 

♪カランコロン……

 

「いらっしゃいませ! 姫屋へよ…うにゃっ!?」

 

「おい、そこの店員A。藍華はいるか?」

 

「は、はいっ! 失礼しましたっ! 藍華さ…いえ、支店長は、支店長室にいらっしゃいます!」

 

「よし、案内しろ」

 

「は、はいっ! た、ただいま!」

 

「お前、何をそんなにビビってるんだ?」

 

「そ、そんなことはないですよ。アハハハハ……」

 

「お前、何がそんなに面白いんだ?」

 

「あっ、その……うえーん。すみません」

 

「あ?」

 

_____________________

 

「どうぞ、こちらです」

 

「うむ、ご苦労」

 

「あ、あの……」

 

「何だ?」

 

「私、お二人だけの甘美(かんび)なひとときが、誰にも邪魔されないよう、外で見張っていますから……。その……ごゆっくり……」

 

「カンビ? いや、別に見張りが必要な用事ではないんだが」

 

「えーっ。そうなんですかぁ?」

 

「お前、何がそんなに残念そうなんだ?」

 

 

コン、コン

 

「はいはーい。あいてるから、入っていいわよー」

 

カチャッ……バタン

 

「……」

 

「ごめんねー。ちょーっと今、書類から目が離せなくって。なぁに? どーしたのー?」

 

「……」

 

「悪い報告? ほーら、そうやって黙るの禁止って、いつも言ってるでしょー。……ああ、ここはこういう意味なのね……」

 

「忙しそうですね」

 

「そーよー、忙しいわよー。でも、悪い報告なら、すぐ本店にも報告が必要だし、早く言ってよねー。もし私があの晃さんだったら『すわっ! 早く言わんかっ!』って、今頃ブン殴られてるかもよー」

 

「お言葉ですが支店長。晃さんは、さすがに殴ったりはしないのでは?」

 

「もー、私と話す時は『支店長』って呼ぶの禁止ーって、言ってるでしょー?」

 

「……」

 

「それに、冗談にいちいち反論するのも禁止ー」

 

「す……いえ、冗談でしたか」

 

「そーよー。だいたい誰よあんた。そぉーんな、まるで晃さんみたい……な……声……」

 

「大変申し訳ありません、藍華さん。『あの晃さん』みたいな声で」

 

ガタッ!

 

バサバサバサッ!

 

「う……そ……」

 

「でも、『あの晃さん』本人なものですから……」

 

「ぎ……ぎ……」

 

「どうか許して……くれるんだろうな?」

 

「ぎゃぁぁぁーーーーーすっ!!!」

 

____________________

 

 

「本っ当にっ! すびばせんでしたぁっ! 深ぐ、深ーぐっ、お詫び致じばずぅっ!」

 

「すわっ! 仮にも姫屋の支店長が、社員に向かって泣きながら土下座をすなっ!」

 

「うりゅりゅりゅりゅ……。だってぇ、だってぇ……」

 

「とにかくそこに座れ!」

 

「あ……ああっ! はいっ」

 

「まったく……」

 

「あの……それで……」

 

「何だ?」

 

「き、今日は……一体どんな御用ですか?」

 

「ああ、そうだったな。お前も忙しそうだから、端的に話す。お前、『船舶運航管理責任者』って言う資格を知ってるか?」

 

「何ですか? それ」

 

「あ?」

 

「ひゃっ!? ダメ……でしたか?」

 

「お前、支店長だろ? 支店の営業許可証を見てないのか?」

 

「見てますよ。見てますけど、自分が支配人だってこと以外は、良く見てなくて……」

 

「お前の他に、もう一人の名前が書いてあっただろ?」

 

「あっ! そういえば、支配人名の下に、もう一人本店の、管理部門の役員の方の名前が書いてました」

 

「そう。それだ、それ」

 

「それが、どうしたんですか?」

 

「姫屋の幹部会で、お前にも、その資格を取らせよう、という話になったんだが、聞いてないか?」

 

「聞いてませんよ。でも、毎日毎日、本店からメールがどっさり来るんで、もしかしたら読み飛ばしたかも知れないれす。ううっ……ダメですみません……」

 

「私は怒ってない! 泣き虫禁止!」

 

「……はい。でも、役員の方が持ってる、ってことは、その資格って、難しいんじゃないんですか?」

 

「まあな。ただ、聞くところによれば、お前より若い奴でも取っている資格だそうだ」

 

「いやいや、若い人が取ってるからって、アリシアさんじゃあるまいし、私が取れるとは……」

 

「すわっ! 藍華っ!」

 

「うひゃいっ!」

 

「お前は、ゆくゆくは、この姫屋を背負って立つ立場なんだぞ! その支店長たるもの、このぐらいの資格を持っとらんでどーする!?」

 

「はあ……。でも……」

 

「いいか? 次の試験で、絶っ対に! 合格しろ! 落ちたら承知しないからな!」

 

「そ、そんないきなり……」

 

「すわっ! 返事はどうした!」

 

「あーんもう。わかりました」

 

「そんな小さな声で、姫屋の支店長が勤まると思っているのか!? 決意表明ぐらいしろっ!」

 

「はいっ! 分かりましたっ! 私、藍華・S・グランチェスタはっ! 絶対にっ! 試験に合格しまぁーすっ!」

 

「そうだ! 姫屋に敗北などあり得ないのだからな!」

 

「敗北って……。一体、誰と勝負してるんですか?」

 

「アリ……すわっ! お前自身に決まっているだろうが!」

 

「はぁーい……」

 

「声が小さいっ!」

 

「はいっ!!!」

 

____________________

 

 

「……と、いう事みたいなの。アリスちゃん」

 

「そ、そうだったのですか……。でも、アリシアさんはそれを私に話してしまって、いいのでしょうか?」

 

「あら、どうして?」

 

「晃さんに、口止めされていたのでは?」

 

「晃ちゃんからは、藍華ちゃんと灯里ちゃんにはって、言われているから、アリスちゃんは大丈夫よ?」

 

「でっかい意味が違う気がしますけど……。しかし、アリシアさんは、何から何まで、でっかい知りすぎな気がしますが……」

 

「うふふ……どうしてか、知りたい?」

 

「いいえ。知ったら、私にでっかいピンチが訪れるかもしれませんから……」

 

「確かに、そうかもしれないわね」

 

「えーっ。そこは否定してください、アリシアさん」

 

「あらあら。でも、いまお話したことは、他の人には黙っておいてね」

 

「はい、わかりました。ところで先程の……」

 

「そうだ、アリスちゃん」

 

「はっ、はい!」

 

「せっかくの機会だから、アリスちゃんも試験に挑戦してみたら、どうかしら?」

 

「ええっ? 私がですか?」

 

「ゴンドラ協会の理事としては、アリスちゃんみたいな若いウンディーネさんにも、こういう試験に、どんどん挑戦して欲しいのよ」

 

「はあ……」

 

「それに、こういうのって、ひとりで勉強するより、みんなで頑張った方が、より楽しくて、充実したものになるんじゃない?」

 

「むむむ、確かに。忙しい先輩方とも会う、でっかいきっかけにはなりますね。それに、藍華先輩にできて、私にできない訳はないかと」

 

「大丈夫。アリスちゃんも、きっと合格できると思うわ」

 

「考えてみれば、もし藍華先輩が合格したら、でっかい自慢をしてくるに違いありません。そんなの、でっかい屈辱ですっ」

 

「じゃあ、アリスちゃんも試験、受けてくれるのかしら?」

 

「はい! 負ける訳にはいきません! 私も先輩達と一緒に、でっかい頑張ります!」

 

「すごいわアリスちゃん。頑張ってね!」

 

「ありがとうございます。ではアリシアさん。早速、参考書を買いに行きますので、私はこれで失礼します」

 

「うふふ、さようなら」

 

___________________

 

「……もう大丈夫よ、アテナちゃん」

 

「ありがとー、アリシアちゃん」

 

「あんな感じで、良かったかしら?」

 

「うん。これでアリスちゃんも、三人で頑張ったり、お話したりするきっかけもできたと思うし」

 

「じゃあ、アテナちゃん考案の『アリスちゃんのやる気倍増キャンペーン』は大成功ね?」

 

「そうね。でも、まるで本当に見てきたみたいにお話するから、とっても驚いたわ。もしかして、アリシアちゃんには超能力があるんじゃ……」

 

「すわっ! そんな訳があるかっ!」

 

「えーっ? 晃ちゃんもそこにいるのー?」

 

「そうだ。私が考案した『燃えよ藍華 涙の合格大作戦!』も、成功への第一歩を踏み出したのだからな!」

 

「うふふ、どれも素敵な作戦ね」

 

「後は、灯里先生の教え方次第だな」

 

「あらあら、それはきっと大丈夫よ」

 

「いや、そこだけが心配なんだが?」

 

「うふふ、大丈夫よ」

 

「しかし、心配なんだが?」

 

「あらあら、大丈夫よ」

 

「やはり、心配なんだが?」

 

「あのう、晃ちゃんに、アリシアちゃん」

 

「どうしたの? アテナちゃん」

 

「なんだか火花がパチパチ散ってそうなところ、悪いんだけど……テーブルの下から出られないの。助けて~」

 

「お前、何でそんなにドジっ子なんだ?」

 

「あらあら、うふふっ」

 



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その のどけし しりとりは……

アイちゃん
実はこの前、いつもの三人で、海辺のカフェで、お茶をすることになったんです。
それと言うのも、その日は三人とも、お客様のご予約が入っていたのですが、その、ご案内をする場所と時間が、たまたまとっても近くだったんです。
それじゃあ、せっかくだから会いましょう、という事になったんですが……。
まさか、あんな事になるなんて……。



ザザーン……ザザザーン

 

「……」

 

「来たのね、灯里」

 

「……うん」

 

「灯里。いつかはこういう日が来るんじゃないかと思っていたけど、まさかアンタと対決する日が、こんなにも早く来るとは思ってなかったわ」

 

「そうだね。わたしも、思ってなかった」

 

「ま、いつやった所で、灯里なんて私の敵じゃあないけどね」

 

「うふふ。そんなこと言って、いいのかな? 後で、泣き虫さんになっても、知らないよ?」

 

「あら、珍しく強気ちゃんじゃない? でも、そういう灯里も、私は好きよ」

 

「わたしも、その、怖いぐらい真剣な眼差しをしている藍華ちゃんのこと、嫌いじゃないよ」

 

「そう、ありがと。じゃあ、早速私から行くわよ! 『アクア』!」

 

「えーっ? いきなり? はわわっ、えーと、あ、あ、『アリア社長』!」

 

「フッ、そんなことで慌てるようじゃ、灯里もまだまだね。『浮き島(うきしま)』!」

 

「ま? うーんと、えーっと、まー、まー、あっ! 『まぁ社長』!」

 

「う? う、『裏誕生日』!」

 

「えーっ? 『び』で始まるのは、思い浮かばないよう」

 

「あら、もう降参? 灯里の実力はこんなもんじゃないでしょ? もっと全力で向かって来てくれなきゃ、つまらないわ」

 

「くっ……」

 

「まあ、ハンデってことで『ひ』にしてあげてもいいわよ。でも、人に何かしてもらう時には、何かすることがあるんじゃない?」

 

「うっ……。藍華ちゃ……いえ、藍華さま。どうかわたしにハンデをつけてください。お願いします」

 

「ううーん! よくできました。いいわよ、その表情。ゾクゾクしちゃう! じゃあ、お願いできたご褒美に、『ひ』にしてあげる」

 

「『ひ』でいいの? じゃあ、『ヒメ社長』!」

 

「えっ!? また『う』なの? う? う、う、うーん、ダメだわ、降参」

 

「やったあ! 「ん」がついたから、藍華ちゃんの負けだね!?」

 

「はあ? そっち?」

 

____________________

 

「……という、先輩方が、でっかい壮絶かつスペキュタクラーなしりとりをしている夢を見たのです」

 

「いや、壮絶さとスペ? 何とかいうのがよくわかんないけど、その夢のどこにそんなものがあるのよ! 大体、何で後輩ちゃんの夢なのに、私と灯里しか出て来ないのよ!」

 

「それは、私に言われましても……」

 

「アリスちゃん、とっても不思議な夢を見たんだね。もしかして、本でも読みながら寝ちゃったのかな?」

 

「はい。さすがは灯里先輩、よく分かりましたね」

 

「いや……夢見る時なんて、何かしながら寝落ちしたとか、ぐっすり寝らんない時とか、そういうパターン多いから」

 

「でも、しりとりで私が藍華ちゃんに勝つなんて、夢の中でも、ちょっぴり嬉しいなあ。うふふっ」

 

「そこよ! それがこの夢一番の、ダメダメポイントだわ! 何で私が助け船出した挙げ句に、この灯里なんかに負けなきゃいけないのよ!」

 

「えーっ?」

 

「そこは、私の深層心理と言いますか、『正義は勝つ』という願いが込められていたと言いましょうか」

 

「ちょっと! 後輩ちゃんの中では、灯里は正義で、私は悪なワケ?」

 

「えっ? い、いえっ! そんなことは断じてないと、私の深層心理がおっしゃられていらっしゃいませこんにちは、というような……」

 

「何なのよ、それ……」

 

「でも、実際にしりとりをやってみたら、誰が勝つのかなあ?」

 

「はあ? 普通にやったら、私がアンタ達なんかに負ける訳ないじゃないのよ!」

 

「そうだよねー。藍華ちゃんって、こういう勝負事は、とっても強そうだものねえ」

 

「灯里先輩。確かに今の藍華先輩は、強くて、歯がたたないのかもしれません。しかし、諦めたら、そこで試合終了ですよ? 」

 

「アリスちゃん……」

 

「『勝利の女神は、諦めない奴が好きらしい』という言葉もありますので、私と灯里先輩が諦めずに戦えば、きっと勝機も見えてくるはずです!」

 

「そっかぁ。そうだよね!」

 

「ちょっと待った! 何で灯里が味方で、私が敵みたいになってるのよ?」

 

「そうですか? 気のせいでは?」

 

「気のせいなら、さっきの正義はどう説明するのよ?」

 

「ですから、深層心理なので、私からは何とも……。ただ、藍華先輩がお気を悪くしたのであれば、後ほど私の深層心理によく言い聞かせておきますので。これ! 私の深層心理! 後で反省会ですよ! 覚えておきなさい! はい、これで」

 

「……ったくう。なあんか、頭にくるわねー」

 

「まあまあ、ふたりともー」

 

「では、早速やってみましょうか」

 

「そうだ! どーせやるなら、このネオ・ヴェネチアに関係するものに限定してやるのはどう?」

 

「えっ?」

 

「普段、お仕事で観光案内してるんだし、二人は当然大丈夫よね?」

 

「はい。それはいいですね。今日は時間もあまりありませんので、すぐに終わりそうですし」

 

「じゃあ、私、後輩ちゃん、灯里の順でやりましょ?」

 

「はーい」

 

「分かりました」

 

「じゃあ行くわよ、『ボッコロの日』」

 

「ひ、『姫屋』」

 

「や? うーんと、えーっと……」

 

「まさか、いきなり?」

 

「あっ! そうだ! 『夜光鈴(やこうりん)』!」

 

「……」

 

「……」

 

「はへっ? どうしたの? 二人とも。もしかして、わたしの勝ち?」

 

「あの、灯里さん?」

 

「今、何と、言われたのですか?」

 

「えっ? 『夜光鈴(やこうりん)』って……」

 

「灯里。まさかとは思うけど、古今東西とかと、勘違いしてないでしょうね?」

 

「あっ……そ、そんなこと、ないよ! ちょ、ちょっぴりうっかりさんだっただけだもん!」

 

「そうですよ! 灯里先輩が、そんな間違いをするわけないじゃないですか!」

 

「いや、今『あっ』って言ったじゃない。大体、後輩ちゃんは何で灯里の肩をもつのよ?」

 

「肩など持っていませんよ。藍華先輩が負けなかったので、ちょっと悔しいだけですよ」

 

「ぬなっ! ま、まあいいわ。じゃあ今度は灯里からね」

 

「はひ! 今度は間違えないように、えーと、『マルコ・ポーロの生家(せいか)』!」

 

「か、『カンパニーレ』!」

 

「れ、『レデントーレ』!」

 

「れ? うーんと、えーっと……」

 

「まさか、二度目はないわよね?」

 

「 あっ! そうだ! レガッタの選手さん!」

 

「……」

 

「……」

 

「はへっ? どうしたの? 二人とも。もしかして、今度こそ、わたしの勝ち?」

 

「んなワケないでしょうが!」

 

「わあ、アリスちゃん。次は『が』だって」

 

「おいおい……」

 

「灯里先輩。その、大変言いにくいのですが……」

 

「だからアリスちゃん、『あ』じゃないよ、『が』だよ?」

 

「「人の話をよく聞いて!」」

 

「はひっ!」

 

「えー、審議の必要もなく、今回も、最後に『ん』がついたので、灯里先輩の負けですね」

 

「えーっ? またわたしの負けなの? ……はふっ!」

 

「うん? この口がポンコツなのか? それとも灯里がポンコツなのか? うん?」

 

「ふええっ、はいはひゃん?」

 

「ああっ!? 藍華先輩! 灯里先輩の頬をでっかい引っ張ったり挟んだりしてはいけません! 灯里先輩も、この後のお客様がいるのですから、顔はダメです! 落ち着いて!」

 

「あっと……そうだったわね。私としたことが、いつになく、取り乱しちゃったわ」

 

「それは『いつもの様に』の間違いでは?」

 

「後輩ちゃん? 今、何か、言ったかな?」

 

「いえ、私は何も。アルバトロス(アホウドリ)が遠くで鳴いているのが、人の声に聞こえたのでは?」

 

「あっそ。はぁー……なんか、すっごく短時間なのに、すっごく疲れたのは気のせいかしら?」

 

「気のせいだと思ってください。その方が、毎日ポジティブに過ごせると思いますよ」

 

「わたしはポンコツ……わたしはポンコツ……」

 

「ああっ! こんな時に、灯里先輩がテンションダダ下がりに!? いけません灯里先輩! こういう時は、ARIAカンパニー伝統の素敵パワー全開で乗りきらなければ! 」

 

「そ、そう……だね。うん、そうでした! 水無灯里、頑張ります!」

 

「おおっ! さすが素敵パワー! でっかい回復力!」

 

「あ、あの……灯里さん?」

 

「うふふ、なあに? 藍華ちゃん」

 

「まったくこのコは……。でも、そろそろご案内の時間だし、次で最後にしましょ。灯里、今度はちゃんとやるのよ?」

 

「うん! 今度は負けないよ!」

 

「では、また灯里先輩からお願いします」

 

「はひ! じゃーあ、『大鐘楼(だいしょうろう)』」

 

「う、『浮き島』!」

 

「ま、『マルコ・ポーロ国際宇宙港』」

 

「う? えっと、『ウンディーネ』」

 

「ね、『ネオ・ヴェネチア』!」

 

「あ、『アクア・アルタ』」

 

「た? うーんと、『溜め息橋』」

 

「し、『シルフ』!」

 

「ふ、『フェニーチェ劇場』」

 

「う? うーんと、えーっと……」

 

「しまった! 『う』は2回も出てきたのに、それを灯里先輩に回してしまった!」

 

「あらあ? これでまた、灯里の負けかしら?」

 

「うーんと、えーっと……」

 

「灯里先輩……」

 

 

ドックン、ドックン………

 

 

「はへー、ほへー……あっ!」

 

「灯里先輩! 何か、降りて来ましたかっ!?」

 

「ふん! どーせまた、しょーもな……」

 

「うさぎ 、ぺったんこ餅っ!!!」

 

「……」

 

「……」

 

「……はへっ?」

 

「うさぎ……」

 

「ぺったんこ餅……」

 

「宇宙ステーションで売ってるお土産で、確か、月を詠んだ俳句集がおまけについているんだけど、だ……ダメだったかな?」

 

「……」

 

「……」

 

「あの、藍華ちゃん? アリスちゃん?」

 

「……や、や、やりましたっ! 灯里先輩っ!」

 

「大丈夫なの? やったあっ!」

 

「はい! 私は今、猛烈に感動しています! 灯里先輩なら……きっとやってくれると……信じてました……」

 

「ア、アリスちゃん。そんなに泣かなくても……」

 

「す、すみません。さあ! 藍華先輩! 次は『ち』ですよ! 続きを……おや?」

 

「藍華ちゃん? 顔が真っ赤だよ?」

 

「……降参」

 

「はへっ?」

 

「降参だって言ってるの!」

 

「藍華先輩……はっ!? そういえば、このお土産はっ!?」

 

「もう! 私の負けだって言ってるでしょ!? もうこのしりとりは終わり!」

 

「藍華ちゃん、どうしたの?」

 

「灯里先輩。実は、この前のお月見の時に、アルさんが……(コショコショ)」

 

「あっ! 後輩ちゃん! ヒソヒソ話禁止っ!」

 

「ほへー、そうなんだー。藍華ちゃーん、うふふー」

 

「ああっ、灯里にまで……。くぬぉ……後輩ちゃん!」

 

「うわっ! やめてください藍華先輩! 私もこの後お客様がっ! うわっ!」

 

「うるさいっ! 待ちなさーい!」

 

「ふたりとも、元気いっぱいさんだねー」

 

「灯里先輩も、見てないで止めてください! うわーっ!」




と、いうことで、三人でのネオ・ヴェネチアしりとりは、最後に私が勝って終わりました。
勝ったことは嬉しいんだけど、普段観光案内をしているにも関わらず、いざとなると全然思い浮かばなかったので、まだまだ自分が勉強不足であることを思い知らされた一日になりました。
もし、アリシアさんや晃さん、アテナさんだったら、とっても素敵なネオ・ヴェネチアしりとりがきたのかもしれません。

そうそう、藍華ちゃんの顔が真っ赤になった理由ですが、アリスちゃんによれば、三人とアルくんとでお月見をした時に、藍華ちゃんとアルくんが枯れ井戸に落ちちゃって、その時にアルくんがお話していたのを、思い出したからではないか、ということです。


灯里さん
ネオ・ヴェネチアしりとり、最後に勝てて良かったね!
私はまだ、ネオ・ヴェネチアの事を全然知らないから、もし、いっぱい勉強したら、灯里さんに相手をしてもらえるレベルになれるかな?
素敵なネオ・ヴェネチアしりとりが出きるように、灯里さんにも、沢山の素敵な事を、もっと教えて欲しいな!


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その ウンディーネの通り名は……(1)

アイちゃん
今日、私はまた、カフェフロリアンに来ています。
そうです。第ニ回目の、「一人前(プリマ)合同会議」が開催されるんです。
前回は、『あんまり目立つとまずいから』っていう理由で店内で開催したんだけど、アリスちゃんたっての希望で、今回は外で開催することになりました。
今日は、一体どんなお話ができるのかな?


「あっ、藍華ちゃーん。こっちだよー!」

 

「あら灯里。今日は早かったのね」

 

「うん。この前は遅刻しちゃったから、今日は早めに来たんだ」

 

「後輩ちゃんは?」

 

「アリスちゃんなら、あそこにいるよー」

 

「……座席の下、よし。海側通路、よし……」

 

「……な、なにやってるの? アレ」

 

「うん。それが、誰かに見張られていないかを、確めているんだって」

 

「はあ? にゃーにやってんだか、あのコは……。灯里ぃ、あんたもさぁ、後輩ちゃんが始める前に止めなさいよねぇ、あんなの」

 

「あはは……実は、私が来た時には、もうやってたんだよね」

 

「あっそ……。もー、しょーがないわねぇ……」

 

パン、パン

 

「おーい。後輩ちゃーん」

 

「はっ!? 藍華先輩?」

 

「はいはい、もう時間よ。いい子だから、そろそろこっちに戻ってらっしゃーい」

 

「は、はい、スミマセン……」

 

「ったくう、あんたねえ。何でかは知らないけど、一人前(プリマ)ウンディーネが、会社の制服姿でこんな所をウロチョロしたらダメよ?」

 

「はあ……」

 

「特に、後輩ちゃんはそこそこ有名なんだし、そこらの猫やネズミとは訳が違うんだから。悪質な客引きか何かと間違われて、出入り禁止にされちゃうわよ?」

 

「むむ。お言葉ですが、藍華先輩。出入りと言っても、ここは屋外です。出入りするところはありませんよ?」

 

「あっ!? そーゆーコト言う? 私はね、後輩ちゃんの為を思って、言ってやってんのよ? へ理屈禁止ー」

 

「私はただ、誰かに見張られていないかを確認していただけです。誰にも話しかけていませんし、何か問題でも?」

 

「あ、あんたね……。大体そんなに警戒して、裏の組織か何かにでも見張られてる訳? アクション映画じゃないんだから」

 

「それはアリ……」

 

「アリ?」

 

「いいえ、それはあり得ません。もし本当に見張られていたら、どこかの新米支店長さんみたいに、のほほんと外に出かけられる訳ないじゃないですか」

 

「ぬなっ!?」

 

「しかも、『裏の組織』って、何ですか? 藍華先輩こそ、アクション映画の観すぎではないですか?」

 

「ぐぬぬぬっ……。こ・の・コ・は……」

 

「どうしました? 反論できないんですか?」

 

「ああん、もう! 灯里も、何か言ってやってよ!」

 

「はへっ? ええと……。と、とりあえずふたりとも、座ろうよ。みんな、こっち見てるし……」

 

「えっ……あらっ? ……や、やだぁ、もう! うるさくってぇ、すいませーん! 別に、ケンカとか、そういうんじゃないんです。ね? 後輩ちゃん?」

 

「はいっ!? あの、はい、そうですね。でっかい失礼しました……」

 

「あはは……はへー……」

 

_____________________

 

「それじゃあ藍華ちゃん、お願いします」

 

「じゃあ、気を取り直して、第ニ回『一人前(プリマ)合同会議』を始めるわよ!」

 

「「はーい」」

 

「あら? 今日は何だか、ノリが悪いわね」

 

「だって、あんまり大声出しだら、また目立っちゃうし……」

 

「前回、藍華先輩に大声は禁止されてますので」

 

「ああ……。まあ、あれは室内だったからなんだけど、何だか調子狂うわね……」

 

「ねえねえ、藍華ちゃん。今日の議題は、何かあるの?」

 

「何でも今回は、後輩ちゃんがあるんだって」

 

「はい。これです」

 

トンッ

 

「あ、『月刊ウンディーネ』の、アリスちゃん特集の回だー」

 

「これなの? 私はもう、読んだわよ?」

 

「私も読んだけど、表紙も、中の写真も、とってもかわいいよねー」

 

「……いえ、そんなことはないですが……」

 

「それで、これが何なのよ? まさか、写真がお子ちゃま過ぎて恥ずかしいとか?」

 

「違います」

 

「じゃあ、心霊写真でも見つかった?」

 

「違います。私の記事は関係ありません」

 

「なぁんだ、つまんないわねー」

 

「アリスちゃんの記事じゃないんだねぇ。じゃあ、どこの記事なの?」

 

「はい。それでは先輩方。その、しおりを挟んだページを読んでみてください」

 

「ふうん、どれどれ……」

 

「なんだろー。わくわくするなぁ」

 

パラパラパラッ…

 

「はい、そこです。そこを読んでみてください」

 

「……」

 

「……」

 

「いかがですか?」

 

「……あっ!」

 

「にゃんと! これはっ!?」

 

「そうです、先輩方。私、気付いてしまったんです」

 

「なーんだ、世界の衣装展の記事だったんだー」

 

「……えっ?」

 

「いや違うわよ灯里。こっちの映画祭満喫プランの方でしょ?」

 

「ほへっ? この、わたしが講師をやる、浴衣の着付け講座の事じゃないの?」

 

「あ、あの……先輩方?」

 

「いやいや、それはないわー。灯里の着付け講座の事をここで話し合ったって、これーーっぽっちも、なぁーーんにも面白くないじゃない?」

 

「えーっ」

 

「ええっと……はっ!? すいません先輩方。しおりを挟むページがでっかい間違えてました」

 

「えっ?」

 

「ほへっ?」

 

「「えーっ!? 違うのーっ!?」」

 

「先輩方、屋外でも周りに人がいますから、でっかい大声禁止です。それにしても、先輩方は、何でそんなにでっかいハモれるのでしょうか?」

 

「知らないわよ、そんなの。でも、なんかさー、さっき映画の話が出たから、てっきり前フリかと思いこんじゃってたわー」

 

「違うのかあ。じゃあこんど、わたしの着付け講座の事も、たくさんお話しようねー」

 

「「いいえ、しません!」」

 

「えーっ!?」

 

___________________

 

 

「……はい。発見したのは、このページです」

 

「……これ、グランマのコラムじゃないの」

 

「この『城ヶ崎村便り』って、グランマの素敵なお話ばかりで、とっても為になるよねー」

 

「はい。それはそうなのですが、この回のタイトルを見てください」

 

「『通り名の名付け方』ね、これがどうしたの?」

 

「何か、気付きませんか?」

 

「はへー、なんだろう?」

 

「もしかして、回文になっているとか?」

 

「藍華先輩、でっかい不正解です」

 

「うーん。わたしは全然思い浮かばないや」

 

「灯里先輩、でっかい無回答です」

 

「んもう、もったいぶらないで、早く教えなさいよ!」

 

「実は……」

 

「実は?」

 

「この記事は、ウンディーネの通り名に関する事が一通り書かれていますよね?」

 

「そうね。うんたらかんたら書いてあるわ」

 

「藍華ちゃん……」

 

「しかし、しかしです。意外にも、プロフィールも含めて、グランマ御自身の通り名については、一切触れられていないんです!」

 

「……」

 

「……」

 

「……はて? 先輩方?」

 

「「あーっ! ホントだぁーっ!」」

 

「先輩方は、一体……」

 

続く

 



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その ウンディーネの通り名は……(2)

『オレンジプリンセス。もう自分の通り名には慣れたましたか?』
はい! でも、なぜおばさんがこんな所に?
『フフフ、寮のおばちゃんは仮の姿。その正体は……』
ああっ!
『裏の組織〈クロノアキラ〉の、怪盗ローゼンクイーン様よ! てなワケで、この黄金のオールは私が戴いてくわ! じゃあね~、水無の嬢ちゃ~ん』
『まてぇ~、クイーン! たいほだぁ~!』

……何ですか? これ。



「つまり、後輩ちゃんは、この『月刊ウンディーネ』後輩ちゃん大特集号にある、グランマのコラム『城ヶ崎便り』には、私達一人前(プリマ)ウンディーネの通り名に関する事が書かれているけど、グランマ自身の通り名について全く書かれて無いのがでっかい不思議、ってことなのね?」

 

「はい、藍華先輩。何だかでっかい説明風ですが、その通りなんです」

 

「ホント、ふしぎだねー」

 

「でも、通り名って、意識しないと全然使わなくない? お客様をご案内してる時も、『ローゼンクイーンさん』なんて呼ばれた事ないし、普段は大体、『藍華さん』とか『支店長』としか呼ばれないし」

 

「わたしも、アリシアさんのことを『スノーホワイト』って呼んだこと、全然なかったなー」

 

「そうなんですか? オレンジぷらねっとでは、一人前(プリマ)の人は、お仕事の時は通常通り名で呼ばれるので、でっかい当たり前だと思っていました」

 

「ふぅーん、へーえ。そうなのぉ?」

 

「何ですか? 藍華先輩。でっかい含みがありますけど」

 

「寮のおばちゃんにー、『オレンジプリンセス』って、何度通り名で呼ばれてもー、気付かなかったのはー、ドーコの、ダーレだったっけなー?」

 

「ええっ!? どっ……どうしてそれを!?」

 

「んふふーん。私の情報収集力を、甘くみないで欲しいわね」

 

「えへへー。アリスちゃんも、意外とドジっ子さんなんだねー」

 

「はっ!? ま、まま、まさか、あのおばさんが……藍華先輩のご親戚? あるいは、姫屋のスパイとか?」

 

「……」

 

「なぜ黙るんですか? 藍華先輩!?」

 

「……それ、どっちもよ」

 

「……えっ? あの、藍華先輩?」

 

「そっかあ、気づいちゃったかあ……。さすがは後輩ちゃん。察しが良いのねー、本当に」

 

「えっと、藍華ちゃん?」

 

「あーあ、あともうちょっとだったのになぁ」

 

「あ……あ……あの……わた、わた……」

 

「はひっ!? アリスちゃん?」

 

「そのおばちゃんの名前はね、アリエナ・E・グランチェスタって言うの。若い頃は、とある国の特殊部隊で、諜報活動とかをしてたそうよ」

 

「私は、ほ、本当に……監視され、され……ううっ」

 

「アリスちゃん……」

 

「で、今業界で一番注目されてる、後輩ちゃんの動向を監視してもらって、あわよくば……ってね」

 

「ねえ、藍華ちゃん。それ、本気で言ってるの?」

 

「フフッ。灯里はさ、私がそんなことをしてたなんて、最低だとか、思ってる?」

 

「それは……そうじゃないけど……」

 

「じゃあさ、この際だから、ハッキリ言わせてもらうけど、もちろんウソよ、ウーソ。んな事ある訳ないでしょ?」

 

「…………えっ?」

 

「「ええーーっ!!」」

 

「ハイー、大声禁止っ! もー何なの? あんた達。ちょっと冗談のつもりで言ったら、真に受けちゃってさ。由緒ある姫屋(ウチ)が、そんなスパイなんて送り込むとでも思ってたワケ?」

 

「はわわわ……だってその、藍華ちゃんなら……って」

 

「はあ!?」

 

「はひーっ! ちょっぴりだけど、思っちゃいましたー! ごめんなさーい!」

 

「ホントにもう。で、後輩ちゃんも何よ。『アリエナ・Eなんて、そんな名前はあり得ないです! でっかいダジャレ禁止です!』とか言うと思ってたのにさ」

 

「アリエナ・E……」

 

「じゃなくて、アリエナイ……」

 

「そーよ。『それは、あり得ません』って、後輩ちゃんがさっき言ってたでしょ?」

 

「「はぁ~……」」

 

「ったくぅ。こんな事ぐらいで泣いてたら、この先一人前(プリマ)なんて務まらないわよ? ……って、後輩ちゃん?」

 

「……言いつけます」

 

「ぬなっ! だ、誰によ。ま、ままま、まさか、晃さんじゃないでしょうね?」

 

「いいえ、アルさんです」

 

「ひゃっ! な、なな、何でこんな時にアル君が出てくるのよ! あ、ああ、アル君は、か、かか、関係ないじゃない!?」

 

「いいえ。アリエナ・Eと、アリエナイをかけてるなんて、アルさんが、とっても喜びそうなダジャレじゃないですか。そう思いませんか? 愛華セ·ン·パ·イ」

 

「ええっ? いやっ、ちょっと、後輩ちゃん?」

 

「うふふー。それ、ちょっといいかもねー」

 

「あ、あー、灯里までそんな……。あーもう! わかったわよう! 私が悪かったです! ほら、パフェでも何でも奢ってあげるから! だからお願い! アル君にだけっ、アル君にだけは言わないでえーっ!」

 

「あのう、僕がどうかしましたか?」

 

「……えっ?」

 

「どうも。いやあ、急用でたまたまそこを通りかかったもので」

 

「……」

 

「ただ、アリスさんは泣きべその怒り顔、灯里さんは含みのある笑顔、藍華さんは顔真っ赤で焦り顔という、異様な雰囲気だったので、声をかけるか少し迷ったんですが……」

 

「……」

 

「何だか、呼ばれたような気がして……おや? 皆さん何でそんなドン引きなんですか? 僕、何か変なこと言いました?」

 

「で……で……」

 

「でで? あの、それはどういう…」

 

「「「出たあぁーーーっっっ!!!」」」

 

「うええーーっ!?」

 

_______________

 

 

「はあ……。なんか、すっごい疲れたわ」

 

「はひはへんはひは、ほはひはほほほひふははへふ」

 

「パフェを口一杯に頬張りながらしゃべるの禁止ー…」

 

「でもこのパフェ、すごくおいしいねー」

 

「あっそ……。大体、何で私が灯里にまでパフェおごらなきゃいけないのよー」

 

「だって、アリスちゃんが『灯里先輩の分も』っていうんだもん」

 

「ふひほ、ほへふはひへふんへ……」

 

「だーかーら、何言ってるかわからないってば」

 

……コックン

 

「藍華先輩が、おかしなことを言うからです。むしろ、これ位で済んで、でっかい感謝して欲しい位です」

 

「あーはいはい。サヨウデゴザイマスネ、オレンジプリンセスサマ」

 

「アルくん、とってもびっくりして、そのあと、とってもがっかりしてたけど、大丈夫だった?」

 

「もー大変だったわよー。『駄洒落も何も言って無いのに、皆さんにあんなにドン引きされるなんて……』ってスッゴク落ち込んでたんですもの」

 

「はは、そこなんだ……」

 

「だから『ちょっと、びっくりしただけよ』って、もしあんた達に見られたら、恥ずかしすぎて軽く死ねるぐらいの笑顔で励ましといたわ。ま、今度会う時にまた話しておくから、大丈夫でしょ」

 

「ほほう、デートですか?」

 

「でっ! デートじゃないわよっ! たっ、単に、お買い物に付き合ってあげるだけなんだから!」

 

「うふふー」

 

「もう! 二人とも、からかうの禁止!」

 

「で、話は戻りますが、藍華先輩は、私のドジっ子話を、誰から聞いたのですか?」

 

「今更そこ? ああ、まあそうね。ほら、後輩ちゃんの所に、(あんず)さんっているでしょ?」

 

「はい。以前、先輩方と一緒に、お昼ご飯を食べましたね」

 

「あーっ。そうか、わかったー!」

 

「多分灯里の想像通りよ。その時のメンバーは、杏さんの他に、アトラさんと、姫屋(ウチ)のあゆみさんだったでしょ?」

 

「はい、そうですが」

 

「あの三人は、よくトラゲットで一緒になるんだって。それで、ドジっ子後輩ちゃんをたまたま見た杏さんから、アトラさん、あゆみさん、私、って順で聞いたのよ」

 

「はー……」

 

「ねえ、藍華ちゃん。あゆみさんって、今は支店にいるの?」

 

「そうよ。あんた達にも、詳しい理由は言えないんだけど、今の支店は、本店よりも半人前(シングル)の人の割合が多いの。あゆみさんには、若手の半人前(シングル)の育成も手伝ってもらう為に、支店に来てもらったのよ」

 

「トラゲットはとっても楽しいし、勉強にもなるよねー。時間があったら、またやりたいなぁ」

 

「そんなに楽しいのですか? では、私も灯里先輩とご一緒に……」

 

「なーに言っちゃってんのよあんた達は。片やあのARIAカンパニーの承継者、片や業界初の飛び級昇格者なのよ? そんな一人前(プリマ)二人がトラゲットなんかやってごらんなさいよ。お客様も、他の半人前(シングル)の人も、みんな何事かと思うでしょ?」

 

「あはは、確かにそうだよね」

 

「とにかく後輩ちゃんも、誰かに監視されてるだの、トラゲットやりたいだの言ってないで、もっとドーンと構えなさいよ、ドーンとね。でも、本当に誰かにつけられてたら、その時は、会社にはもちろん、私達にもちゃんと教えなさいよ?」

 

「はいっ。でっかいありがとうございます、藍華先輩」

 

「さあて、落ち着いた所で本題に……って、何の話してたんだっけ?」

 

「「……あっ」」

 

続く



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その ウンディーネの通り名は……(3)

もしも、わたしの通り名が〈アクアマリン〉じゃなかったら、いったいどんな通り名になっていたかなあ?
『そりゃあ〈逆漕ぎクイーン〉よね!』
『いやいや〈友達プリンセス〉です!』
『それより〈ステステキング〉かな?』
『それなら〈もみもみガール〉では?』
『じゃあ〈はひっとぷいにゃん〉は?』
『そこは〈ほへっとぷいきゅあ〉で!』
ふたりとも……



「それじゃあいい加減に本題へ……と言いたい所だけど、やっぱりこの話は、やめたほうがいいかもよ?」

 

「と、いいますと?」

 

「こういう記事で、一切触れられてないってことはさ、普通は本人が言いたくないのか、何か事情があって言えないかのどちらかよ」

 

「ただ、記事には『過去に使われた通り名は、ウンディーネミュージアムのデータベースに載っているから調べてみては』とありますが」

 

「それはさ、逆に言えば、そこまでしないとわからないって事じゃない? 後輩ちゃんも、わざわざウンディーネミュージアムに行って調べる程、暇じゃないんでしょ?」

 

「確かにそうですが……」

 

「言いたくないってのはさ、通り名を言うこと自体が恥ずかしいとか、通り名にまつわる嫌な思い出があるとかだと思うんだけどね……。灯里はどう思う?」

 

「ほへっ? はほ、ははひは……」

 

「あのねえ。何で今さらあんたがパフェ頬張ってんのよー」

 

「灯里先輩、でっかい空気読んでください」

 

「ご、ごめん。アイスがとけてきたし、急にお話がはじまったから、急いで食べなきゃって……」

 

「ああ、そうですか。それはそうと、灯里はグランマと会う機会も多いんだし、聞いたことはないの?」

 

「うん。そもそも、そんな話になった事がなくて……ごめんなさい」

 

「別に、灯里先輩も誰も、悪いわけではないのですが」

 

「でも、よくよく考えてみればさ、グランマは、トッププリマとして活躍してた時に、姫屋を辞めて、ARIAカンパニーを設立した訳でしょ?」

 

「うん。アリア社長と出会ったこととか、ARIAカンパニーを設立した時のお話は、この前アリシアさんの先輩だった方のおうちに行った時、アリシアさんがグランマに聞いてたよ」

 

「おお。それは具体的にどの様なお話だったのですか?」

 

「ええっと、確か……」

 

「あーダメよ灯里。ここで詳しく話さなくていいわ。だってアリシアさんだって知らなかった程なのよ? グランマも、ARIAカンパニーの関係者だけだから、話をしてくださったのかもしれないしさ。アリシアさんだって、きっとそうでしょ?」

 

「うん、そうかもしれないね。アリスちゃん、ごめんなさい」

 

「いえ、私の方こそすいません」

 

「とにかくさ、いくら当時の姫屋が業界最大手だったとしても、突然、業界でも超レジェンド級の社員から『会社を辞めて独立しまーす』って言われたら、さすがに『ハイそうですか』とは言えないと思うわ」

 

「うん。わたしも、もし社員さんがいて、急に『辞めます』って言われたら、『お仕事を辞めたいって気持ちに、どうして気づけなかったのかな』とか、『わたしに何か至らない所があったのかな』って、とっても悲しくなるかも」

 

「お? なんか経営者っぽい発言が出たわね。その上、グランマぐらいの方なら、ご指名のお客様も山ほどいたでしょうし、私が経営者だったら、号泣しながら全力で止めたわね、きっと」

 

「藍華先輩が泣くのは、皆さんでっかい見慣れてるので、あまり効果は無いと思いますが?」

 

「ぬなっ……ま、まあ私の事はともかくさ、その時はかなり揉めたんじゃないかしら。もちろん、グランマご本人も、相当の覚悟があったと思うから、最後は姫屋の方が折れたんでしょうけど」

 

「最後は、でっかい円満退社という事ですか?」

 

「ま、表向きはね。ただし、色々な条件付きだったんじゃないかしら」

 

「条件?」

 

「普通なら、『営業所は姫屋から離れた場所に作る』とか、『姫屋の社員を引き抜きしない』とかね。それから『姫屋時代の通り名は使わない』っていうのも、あったかもよ?」

 

「なるほど。それで現役なのにも関わらず、通り名を使えないという可能性もあったと……」

 

「まあ、推測だけどね。でも、条件を全部飲む位じゃないと、円満退社って訳にはいかないと思うわ。もしそこで、何か遺恨が残っていたら、今、私があんた達とこうして話をする事すら無理だったかもよ?」

 

「えーっ? なんでー?」

 

「考えてもみなさいよ。私達も、アリシアさん達も、なーんにも知らない人からすれば、ライバル会社の社員同士なのよ?」

 

「そういえば、最初にアリスちゃんと会った時も、そんな話をしてたね」

 

「私も、灯里先輩や藍華先輩がいなかったら、他の会社の人とここまでお話はしないと思います」

 

「それが、こうやって普通に会って、話ができるって言うのは、そういう偉大な人が払った大きな代償があってこそ、成り立ってるのかもしれないのよねえ……」

 

「……」

 

「……」

 

「あ、あのさあ? こんな話してると、何だか暗くなっちゃわない? 何か別の話をしましょ。ね?」

 

「それでは、私達の通り名について話しましょう」

 

「えっ? 私達の?」

 

「はい。それではまずは私の通り名〈オレンジプリンセス〉から。アテナさんに聞いたところ、会社の偉い人と相談して『次世代のオレンジぷらねっとを牽引し、ゆくゆくは、女王(クイーン)と呼ばれるような存在になって欲しい』という期待の想いを込めて、つけたのだそうです。はい、それでは灯里先輩」

 

「わたし? わたしは、アリシアさんがつけてくれたけど、理由までは聞いてないや」

 

「はい。そうではないかと思い、私が調べてみました。ちなみにですが、灯里先輩は、アリシアさんからどの様に通り名を伝えられたのですか?」

 

「えーと、たしか『ありがとう。私の〈アクアマリン〉』って言われたような。でも、その後すぐに、引退とか、結婚とかのお話になって、それどころじゃなくなっちゃって……」

 

「ほほう。それはそれは……」

 

「なに? 何かあるの?」

 

「はい。〈アクアマリン〉というのは、ARIAカンパニーの制服の色でもある、青色の宝石ですが、それは、生命の源である海を象徴し、怒りや葛藤などの悪い感情を洗い流してくれると言われています」

 

「はへー、そうなんだ」

 

「つまり、アリシアさんにとって、灯里先輩がそういう存在だったのでは? だから『ありがとう』と」

 

「……ほへっ?」

 

「ちょっと待った。あのアリシアさんに、何か心の葛藤があって、しかも灯里がそれを洗い流す存在だったって言うの?」

 

「ま、先程の藍華先輩と同様、推測ですけどね」

 

「まっさかぁ。アリシアさんと? この? 灯里が? ないわー。アクア中の水が全部無くなってもないわ。『ありがとう』も何かの聞き間違えじゃないの?」

 

「そ、そこまでいわなくても……」

 

「もし、そうでないとしても、〈アクアマリン〉は、友人・家族など、様々な対人関係に潤いをもたらすと言われています。友達作りの天才である、灯里先輩を象徴した通り名、とも言えますね。はい、では次に、藍華先輩」

 

「私? 私はその、晃さんが考えてつけてくれたのよ? 先輩の晃さんが〈クリムゾンローズ〉で、その後輩の私が〈ローゼンクイーン〉。詳しい由来は聞いてないけど、薔薇つながりで、これから姫屋を支えて行く身だってことよ。おかしい?」

 

「おかしいとまでは言いませんが、ただ……」

 

「ただ?」

 

「〈ローゼン〉と〈クイーン〉は、異なる言語から構成されています。普通なら、〈ローズクイーン〉や〈ロージズクイーン〉、又は〈ローゼンケーニギン〉とするところですが、恐らく語感、呼びやすさ、言い換えれば、親しみやすさを重視したのではないかと」

 

「そ、そうよ! さすがは晃さんでしょ!?」

 

「それ以外にも、以前、姫屋の支店に皆で集まった時、晃さんが『やっぱり通り名は〈泣き虫セレナーデ〉にすれば良かった』と言っていました。『やっぱり』ということは、実は他にも沢山の候補があったのではないですか?」

 

「うぐっ…… あ、あれー? そんなこと、あったかしらねー?」

 

「あれ、おもしろかったねえ。わたしは、晃さんがその場で思いついた冗談だと思ってたけど」

 

「これも推測ですが、晃さんは、姫屋の跡取り娘に相応しい通り名をと、語呂や語感も含めて、様々な通り名を考えに考え、悩みに悩まれたのではないでしょうか?」

 

「そりゃ、そうかもだけど、でも……」

 

「あーっ!」

 

「どうしました? 灯里先輩」

 

「そういえば、アリシアさんも、前にそんなことを言っていたような……」

 

「えっ? アリシアさんもこの話を知ってるの!?」

 

「うん、でも、次の日が昇格試験って言われて、それどころじゃなくって……」

 

「アリシアさん、も? もしや藍華先輩は、他にも候補があったのかどうか、ご存じなのでは?」

 

「ああ、えっと……いやっ、し、知らないわよ! ちょっと驚いただけ!」

 

「まあいいですけどね。でも、もし本当に〈泣き虫セレナーデ〉だと言われたら、いくら相手が晃先輩でも『恥ずかしい通り名、禁止!』とでっかい突っ込みを入れたと思いますが」

 

「あ、当たり前でしょ? 大体そんな推測は禁止よ、禁止」

 

「先に推測で話をしたのは、藍華先輩ですけどね」

 

「あら、そうだっけ?」

 

「……ま、何にしても、せっかく晃さんが考えてつけてくださった通り名なんですよ? 意識しないと使わないと言わず、でっかい意識して使うべきだと思いませんか?」

 

「あっ? ああ、それは後輩ちゃんのいう通りね。晃さんのつけてくれたこの通り名、自分から積極的に、使っていかなきゃね!」

 

「でも、通り名って、まるで宝石箱のように、いろいろな人の、キラキラとした素敵な想いが、たくさん込められているんだねえ」

 

「恥ずかしいセリフ、禁止!」

 

「えーっ?」

 

「しかし、私の推測が正しいなら、藍華先輩の通り名に、どんな候補があったのか、でっかい興味深いのですが……」

 

「(うわ、それ来ちゃったか……)」

 

「はて? 誰か来たのですか?」

 

「ちっ、違うわよ! 大体、他にいくら候補があったって、最終的には今のに決まったんだし、それはいいじゃない!」

 

「いえ、私が晃さんなら、通り名のいち推し候補として〈禁止姫〉を挙げたでしょうに、でっかい残念だと思いまして」

 

「うふふ。わたしが晃さんなら、藍華ちゃんに、どんな通り名をつけようかな」

 

「もう! 勝手に人の通り名を考えるの禁止! これ以上の会議も禁止! 全部禁止ーっ!」

 

 




こうして、第ニ回目の合同会議は、無事(っていってもいいのかな?)にお開きとなりました。
そうそう。わたし達が帰ろうとした時、用事を済ませたアル君が『僕のとっておきのダジャレを言いに来ました』と言って戻って来たんだけど……。
どうなったかは、今度アクアに来た時に、藍華ちゃんに聞いてみてね。


灯里さん。
アリシアさんがつけてくれた灯里さんの通り名って、とっても素敵な意味があったんだね!
ところで、灯里さんは将来、もし後輩さんができて、その人が一人前(プリマ)になったら、どんな通り名をつけてあげるのかな?
その人には、藍華さんから『恥ずかしい通り名、禁止!』って、突っ込まれないような、素敵な通り名をつけてあげてね!


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その ウンディーネ達の夢の跡は……

アイちゃん
アイちゃんは今まで、自分の周りで、でっかい不思議な体験をしたことはありますか?
私がAQUAに来てからというものの、何だか沢山のでっかい不思議な出来事に出くわしていて……。
そういえば、何だかこのメールまで、ちょっぴり不思議な感じになってしまっているような……。



「デュエロ・ゴンドリエーラ?」

 

「そう、デュエロ・ゴンドリエーラ」

 

「……って、何でしたっけ? アリシアさん」

 

「ええっと……ごめんなさいね、灯里ちゃん。私ったら、きちんと灯里ちゃんに説明していなかったのかしら?」

 

「すっ、すみません。私、確かに聞いたと思うんですけど、何だかすっぽり忘れてしまったみたいで……」

 

「あらあら、そうだったの。そうねえ、ごく簡単に言えば、『ウンディーネの決闘』なんだけれど……」

 

「けっ、決闘!?」

 

「あらあら、ビックリしちゃった?」

 

「はひ。でも、決闘と言われてしまうと、誰でも驚くような気がするのですが……」

 

「確かに、決闘と言ってしまうと、ちょっと物騒に聞こえるかもしれないけれど、半人前(シングル)ウンディーネの技を競う、れっきとした大会なのよ?」

 

「ほへー……あれ?」

 

「ん?」

 

「アリシアさん。今、半人前(シングル)ウンディーネの技を競うって……」

 

「ええ。実はかつて、地球(マンホーム)のヴェネチア初のゴンドリエーラ(女性のゴンドラ乗り)さんって、トラゲットのお仕事をされていたと言われているの」

 

「そうなんですか?」

 

「ええ、だからこのネオ・ヴェネチアでも、トラゲットは一人前(プリマ)になる為の修行の場として、重要な位置付けを持っている、という訳ね」

 

「はへー……」

 

「だから灯里ちゃん、今回はARIAカンパニー代表として、頑張ってね!」

 

「えっ? でもアリシアさん。私この前一人前(プリマ)に……あれ? でも、どうしてアリシアさんが制服を着て……私は片方に手袋をして……あれ?」

 

「どうかしたの? 灯里ちゃん」

 

「い、いえっ! なんでもないです。あの、それでその、デュエロ・ゴンドリエーラというのは、いつ開催されるのでしょうか?」

 

「うーん……。灯里ちゃん、やっぱり何だか今日は体調が良くないのかしら? 昨日の夜、『明日はでっかい頑張ります!』って、あんなに張り切っていたのに……」

 

「えっ!? ……あっ!? そ、そうでしたね。えへへー。わたし、ちょっぴり緊張してしまっているみたいで……」

 

「あらあら、そうだったの。でも大丈夫、この日の為に、藍華ちゃんとあんなに合同練習をしたんですものね」

 

「あ、あの、姫屋からは、藍華ちゃんが……あ、いえ、藍華ちゃんも優勝目指して出るん……ですよね?」

 

「ええ、前回、前々回は、姫屋のウンディーネさんが優勝しているし、きっと藍華ちゃんも、歴代の優勝者から相当の特訓を受けていると思うわ。だから、今回の優勝候補には間違いないわね」

 

「その、また同じことを聞いてしまうかもしれませんが、前回、前々回の優勝者って、一体どんな方なんでしょうか?」

 

「うん、前々回は、晃ちゃんで、前回は、あゆみ・K・ジャスミンさんという人よ」

 

「えーっ!? 晃さんに、あゆみさんなんですか!?」

 

「そうそう、灯里ちゃんは晃ちゃんだけじゃなくて、あゆみさんの事も知っているのよね?」

 

「はい。まさに、トラゲットで一緒になった事があるんです。でも、晃さんが出たという事は、アリシアさんも出たって事ですか?」

 

「ううん。ちょっと言いにくいんだけど、前々回は、私とアテナちゃんが一人前(プリマ)に昇格したすぐ後に開催されたから、私は出た事がないの。もし出られたら、決勝位にはいけたと思うのだけれど……」

 

「さ、さすがですね……。そうすると、晃さんは優勝するべくして優勝したってことですか?」

 

「ええ、その時の晃ちゃん、ちょっと怖い位に気合いが入っていて、それはもう無敵というか、気迫で相手を圧倒していたわ。優勝してから暫くの間は、『深紅(しんく)の竜騎士』って呼ばれていたわね」

 

「し、深紅の竜騎士……ですか?」

 

「前回のあゆみさんも凄かったのよ。それまではニコニコしているのに、いざ試合が始まると、鬼気迫る目付きになって、あっという間に勝負が決まってしまうんですもの。あの時は、優勝してから暫くの間、『(くれない)獅子(しし)』と呼ばれていたわね」

 

「す、すごいですね……。でも、それ程凄い大会なのに、私みたいな人が出て、大丈夫なんでしょうか?」

 

「うふふ、灯里ちゃんなら大丈夫よ。ARIAカンパニーからウンディーネが出場するのは、灯里ちゃんが久し振りみたいなの。だから、ゴンドラ協会としても、ARIAカンパニーの技量が分かる良い機会だって、とっても注目しているそうよ」

 

「せ、責任重大ですね……。は、はわわ……はわ……」

 

「あらあら、別に気にする必要は無いわ。お祭りみたいなものだから、例え負けてしまったとしても、灯里ちゃんは、灯里ちゃんらしく楽しんでくれればいいわ」

 

「そ、そうなんですか……。でも、わたし……」

 

「灯里ちゃん……。うーん……えいっ!」

 

「ふえっ!? アリシアさん? そ、そんな、急に抱きしめられたら……」

 

「ほうら、そんな顔をしないで、いつものように、明るく、元気になりますように……」

 

バンッバンッ

 

「ああっ!? あ、あの……」

 

「うふふ、元気になるおまじないよ」

 

「は、はい……」

 

「どうかしら?」

 

「あの、アリシアさんの気持ちが、叩かれた背中から伝わってきて、気合いが入ったというか、そういう気持ちがどんどん沸いて来るような気がします!」

 

「うんうん。やっぱり、灯里ちゃんには、そういう笑顔が似合うわね」

 

「ありがとうございます! わたし……一生懸命頑張ります!」

 

「じゃあ、早速準備をして、会場に行きましょうか」

 

「はひ!」

 

______________________

 

「あの、アリシアさん」

 

「なにかしら?」

 

「あ、あくまで念の為の確認なんですけど、試合のルールというか、方法は……」

 

「ああ、そうね。じゃあ、もう一度おさらいしておきましょうか?」

 

「お願いします」

 

「まず、カナル・グランデのトラゲット乗り場から、対戦する二人が船首、中央、船尾に旗を着けたゴンドラを漕いで、対岸の乗り場へと並走して向かうの。

特殊加工がされたオールを使って、対岸に着くまでに旗をより多く倒した方が勝ち、倒した旗の数が同じ場合は、先に着いた方が勝ち、というものよ。

途中でも、相手の旗を全部倒すか、相手のオールを手放させたら、その時点で勝ちが決まるの。

ただし、オールが相手の身体に当たったり、わざとゴンドラをぶつけたり、本来のトラゲットのルートを外れたりするのは反則負けになってしまうから、それだけは気をつけてね」

 

「ええっと、オール同士は当たっても良いんでしたっけ?」

 

「そう。だから晃ちゃんは、まるで騎士が相手の刀剣をなぎ払うかの様に、オールを槍の様に操って、相手のオールを攻撃して手放させるという、パワータイプだったわ」

 

「ほへー……」

 

「逆に、前回優勝者のあゆみさんは、まるで獅子が獲物を捕らえるかの様に、オールをツメの様に操って、一瞬で旗を倒すという、スピードタイプだったわ」

 

「それで、『(くれない)獅子(しし)』なんですね。うーん、わたしはどうしよう……」

 

「おやおや、珍しくお悩み中なのかな? 灯里ちゃん」

 

「えっ?」

 

「あらあら、晃ちゃんに、藍華ちゃん」

 

「……」

 

「あ、藍華ちゃんの身体から、何だかちょっぴり黒い湯気のような物が出て……」

 

「湯気じゃない! オーラと言ってくれ。しかも黒じゃなくて、闘志の(あか)い炎だ! 藍華は今、完全にゾーンに入った状態なんだ。触るとヤケドする位にな」

 

「……努力を怠る者には粛正を、努力を邪魔する者は排除を、努力を……」

 

「は、はわわ……な、何だかブツブツつぶやいていますけど……」

 

「うふふ、藍華ちゃん、気合いたっぷりね」

 

「あ、あの、アリシアさん。笑うところじゃ無いような……」

 

「ふん、そうやって笑ってられるのも今のうちさ。でも安心しな、灯里ちゃん。今日のトーナメント表を見る限りじゃ、藍華とは決勝まで当たらないから、藍華の戦いぶりを見て、せいぜい研究でもするといい。ま、灯里ちゃんが決勝まで残れば、の話だがな」

 

「は、はわわ……」

 

「あらあら、大丈夫よ灯里ちゃん。さっき、私がとっておきのおまじないをかけたんだもの」

 

「アリシアさん……」

 

「灯里ちゃんは、これまで練習してきた事を思い出して、藍華ちゃんとの対戦も、楽しんできてね」

 

「はっ、はひっ!」

 

「ほお……決勝までは残るってか。偉い自信だな、アリシア」

 

「ううん。自信ではなくて、ウンディーネのお祭りみたいなものなのだから、みんなで楽しまなきゃってことよ。もちろん、今の灯里ちゃんの実力なら、さくっと優勝できるはずなんだけれど……」

 

「はへっ? ア、アリシアさん!?」

 

「ぐっ……ようし、そこまで言うなら、賭けをしようじゃないか。そうだな……負けた方が、勝った方の会社の制服を着て、一日雑用係をするっていうのはどうだ?」

 

「いいわよ。じゃあ早速、制服を二着用意しとかなきゃいけないわね」

 

「ちょ、ちょっと、アリシアさぁーん!」

 

「うふふ、灯里ちゃん、頑張ってね!」

 

「ほへー……。はへ? な、何だか、目がグルグル回って……」

 

「あら? 灯里ちゃん?」

 

「はへー……」

 

______________________

 

「灯里ちゃん!?」

 

「はひっ!!!」

 

「ああ、良かった……。ゴンドラに乗ったまま倒れたから、とっても心配したのよ。大丈夫?」

 

「い、いえ……大丈夫です。ここは……」

 

「大会出場者の控え室よ」

 

「えっ? いつの間に……」

 

「みんながここまで運んでくれたのよ」

 

「そうだったんですね。すみませんアリシアさん、まだ試合も始まっていないのに……」

 

「ううん。まだ、始まるまで少し時間はあるから、心配しなくていいわ」

 

「わたし、倒れちゃって……ダメですよね。せめて藍華ちゃんと対戦するまでは、頑張らなきゃって、思っていたんですけど……」

 

「そう? でも、藍華ちゃんだって、楽勝という感じの試合はしていなかったし、体力の消耗度合いは、灯里ちゃんと同じ位じゃないかしら?」

 

「えっ? それはどういう……」

 

「それにしても凄いわ灯里ちゃん。まさか本当に決勝に進んでしまうなんて……」

 

「…………はへっ?」

 

「初戦はおっかなびっくりな感じだったのに、二戦目、三戦目と、段々と動きが機敏になって……。特に、さっきの、オレンジ・ぷらねっとのアトラさんとの準決勝は凄かったわ」

 

「あ、あのう、アリシアさん?」

 

「最初、いきなり旗を2本倒された時は、もうダメかと思ったのに、対岸に着く直前、確か〈灯里・ミルキーウェイ〉って言っていたけれど、その素敵な名前の技で、一気に3本まとめて倒しての大逆転勝利。私、興奮と感動で、少しウルッとしちゃった」

 

「えーっ!?」

 

-間もなく、デュエロ・ゴンドリエーラの決勝戦を行いますので、出場者二名は、ゴンドラ乗り場までお越しください-

 

「あらあら、もう時間のようね」

 

「あの、ええっと……ちょっと気持ちの整理が……」

 

「気持ちの整理?」

 

「あの、何で決勝まで来れたのかは、よく分からないですけど、決勝まで来たなら勝ちたいな、と思う反面、藍華ちゃんと戦う、というのは……」

 

「ああ、そういうことだったのね」

 

「……」

 

「灯里ちゃん」

 

「はい……」

 

「祝勝パーティの会場は、どこがいいかしら?」

 

「ふええっ!? 今ですか?」

 

「うふふ、冗談よ」

 

「も、もう! アリシアさぁん!」

 

「あらあら。でも、ようやくいつもの灯里ちゃんらしい表情に戻ったみたいね」

 

「えっ? あっ、はい。あの……すみません。こんなダメダメで、情けない感じで……」

 

「大丈夫よ。確かに勝負ではあるけれど、結果がどうであれ、終わればまた、普段通りに仲良くやれるはずよ」

 

「そうでしょうか? でも、わたしは……」

 

「灯里ちゃんと藍華ちゃんなら、きっと大丈夫。むしろ、全力を出して勝負しない方が、後で気まずくなるんじゃないかしら?」

 

「そういうものでしょうか?」

 

「きっとそうよ。だから、最後の試合を、悔いの無いように、思い切りやってちょうだいね!」

 

「はい」

 

「そうだ、灯里ちゃん」

 

「はい」

 

「これ、もしもの時のお守りよ」

 

「何だか、ちょっぴり大きすぎなお守りですけど……あれ? こ、これは!?」

 

「うふふ、頑張ってね!」

 

「はいっ!」

 

______________________

 

-それでは、デュエロ・ゴンドリエーラの決勝戦を行います。ウンディーネ二名の、入場です-

 

ワアッッ!!

 

「うわあ、凄い人に、凄い歓声……」

 

「ふっ、やっぱりこれも運命なのね。私のライバルとして、決勝まで来れた事はほめてあげるわ」

 

「藍華ちゃん!? あ、ありがとう、で、いいんだよね?」

 

「ついに、ついに、努力は才能を凌駕するって事を証明する日が来たの。だから、ゼッ…………」

 

「ゼッ?」

 

「…………」

 

「はへー……」

 

「……タイに、恥ずかしくて不思議な才能のネバトロ丼みたいな、灯里にだけは負けないわ!」

 

「ネバトロ丼って……。で、でも、一緒に練習したみたいなんだし、お互いに頑張ろうね」

 

「頑張る? あんたの頑張りなんて、私の血の滲む様な努力に比べたら、こーんな、こぉーーーーんな、ちっぽけなもんだわよ!」

 

「そ、そんなあ……」

 

「灯里と練習したのはね、灯里の動きを研究する為だったんだから! さっきの〈灯里・ミルキーウェイ〉だって、私が教えてあげたってことを、忘れた訳じゃあ無いわよね?」

 

「そう……だった? そうだったよね。ありがとう」

 

「灯里ちゃーん! 頑張ってねー! 制服二着と、祝勝パーティーの会場、もう手配しといたわよーっ!」

 

「ふええっ!? だからアリシアさぁーん! 隣の晃さんが凄い顔してますよう!」

 

「…………」

 

「は、はひぃーん……。あの、藍華ちゃん」

 

「あによ?」

 

「晃さん、あんなに顔を真っ赤にしているけど、後でアリシアさんと喧嘩とかしないのかなあ?」

 

「知らないわよ! とにかく! 私が勝ったらアリシアさんに、丸一日付き添って貰えるんだから! まあ、万が一負けたとしても、アリシアさんの雑用ならそれはそれで嬉し……」

 

「くぉら藍華ーっ! 余計な事を考えるんじゃなーい! 集中しろ集中!」

 

「ひゃっ!? す、すみません……。ああんもう! 灯里のせいで怒られちゃったじゃないのよう! 無駄口禁止!」

 

「えっ!? ご、ごめんなさーい!」

 

「あらあら」

 

 

 

-それでは、操舵の準備に入って下さい-

 

ガタッ

 

「……灯里」

 

「うん?」

 

「全力でかかって来なさい。わざと負けようとか思うの、禁止だからね」

 

「あ、あはは……。でも、やっぱり……」

 

-位置について-

 

「はへー……あっ! そうだ!」

 

-ヨォーイ-

 

クルッ

 

「えっ?」

 

「あら?」

 

「むっ?」

 

-スタート!-

 

「えーいっ!」

 

ザザザッ!

 

「ぬなっ!?」

 

「逆漕ぎ!?」

 

「何だとっ!」

 

ザザザッ! ザザザッ!

 

「これなら、藍華ちゃんと戦わなくても……勝て……あれ?」

 

ザザッ……ザッ……

 

「灯里ちゃんっ!?」

 

「何だか、力が……」

 

「こりゃー! 灯里ーっ! 待ちなさーい!」

 

「ダメ……頑張って、漕がなきゃ……」

 

「ふふーん! 無理よ! さっきの〈灯里・ミルキーウェイ〉は、強力だけど、とーっても体力を消耗する技なの。ちょっと休んだ位じゃ、立ち上がるのもやっとな程にね!」

 

「そ、そんな……」

 

「あら、ちゃあんと灯里には説明してあげたじゃない。なのに、灯里が準決勝で使っちゃうんだものねえ」

 

「そう、だったんだ……」

 

「まあ、灯里が私に〈灯里・ミルキーウェイ〉を使ってきた所で、こっちにはコレがあるんだから!」

 

「えっ?」

 

「あたしの努力の結晶を、とくと見るがいいわ! 秘技!〈藍華・グランドクロス〉!!!」

 

「えーっ!?」

 

「あれは!? 晃ちゃんが昔使った……」

 

「ああ、そうさ」

 

ザッパーン!

 

「はわっ!!」

 

ガッ! キィーーン!

 

「はひぃーっ!!!」

 

「灯里ちゃんっ!」

 

「フッ、勝負あったな。オールの縦の動きで起こした水しぶきで相手の視界を遮りつつ、横の動きで相手のオールを華麗に跳ねのけさせるという……」

 

「ええっと、オールで相手の顔に水をかけて、怯んだスキを狙って相手のオールを叩き落とすっていう、ちょっとずるい技よね?」

 

「言い直し禁止だ! アリシア! しかもルール違反でもないんだ! 全くずるくない!」

 

「あらあら」

 

「ど、どうよ……こ、これで、私の勝利……ぬなっ!?」

 

「……はひ……はひ……」

 

「灯里ちゃん!」

 

「まさかっ!? あれをまともに食らって、オールを持ちこたえただと!?」

 

「ふ……ふーん、やるじゃない。でも、さっきの技で、真ん中の旗も倒したし、後はゴールするだけだわ!」

 

「そ……それは、させないよ!」

 

「はあ? 息も絶え絶えの今のあんたに、何ができるって言うのよ?」

 

「アリシアさんの……お守り」

 

「お守り?」

 

「使わせて……いただききます!」

 

キュピーン!

 

「ああっ! それはっ!? ……えーと、何それ?」

 

「おいアリシア! 何だあれは!?」

 

「うふふ、見ていれば分かるわよ、晃ちゃん」

 

「ARIA・アクエリアス・チャージ!」

 

ゴキュッ、ゴキュッ………

 

「ARIAカンパニー特製の、オリジナルエナジードリンクよ」

 

「お、おいっ! 卑怯だぞ! アリシア!」

 

「あらあら、ルールには、何も抵触していないわよ?」

 

「くっそおっ!」

 

「あ…灯里の表情が、みるみる活気に満ちて……」

 

ゴキュッ……

 

「はひぃーっ!」

 

「もー、完全にみなぎった感じじゃないのよう! こうなったらもう、逃げるが勝ちよ! うんとこしょ、どっこいしょ、それでも藍華は漕ぎますよっと……」

 

「逃がさないよ! 藍華ちゃん!」

 

ザザザッ! ザザザッ!

 

「もう少し……ひゃあっ! また逆漕ぎ来たぁっ!」

 

「(よくわかんないけど)秘技!〈灯里・ミルキーウェイ〉!!!」

 

ブゥンッ!!!

 

「うひゃっ!」

 

カンッ!

 

「いやぁっ!」

 

コンッ!

 

「だめぇっ!」

 

キンッ!

 

「ぎゃーすっ!!!」

 

 

 

「はひ……はひ……」

 

-そこまで! 勝者、水無灯里!-

 

ワアッ!!!

 

「やったわ! 灯里ちゃんっ!」

 

「や、やりましたーっ! アリシアさぁーん!」

 

「灯里ちゃーん!」

 

「アリシアさん! アリシアさん! アリシアさぁーん!」

 

「あらあら、せっかく勝ったのに、泣き虫さんだこと」

 

「わたし、やりました! やりましたよう!」

 

「そうよね。うんうん、よしよし」

 

 

 

「ま、負けたわ……うっ……うぐっ」

 

「な、泣くな藍華。いい試合だったぞ……」

 

「うええ……晃さん……泣きながら泣くなって、言わないで下さいよう」

 

「なっ、泣いてなんか無いぞ! これは汗だ! お、お前と一緒にするな!」

 

「そ、そんなあ……」

 

「まあ、今日だけは、泣くのも許してやろう。だが明日からは、次回の優勝目指して、更なる特訓開始だからな!」

 

「ええっ? さ、さすがに次回が開催される頃には、私も一人前(プリマ)に……」

 

「いいや、今日からお前はトラゲット専門に配置転換だ。あゆみに弟子入りして、優勝を目指すんだ!」

 

「ぎゃーすっ!」

 

「あらあら、うふふ」

 

 

 

「……あれ?」

 

「どうしたの? 灯里ちゃん。もしかして、いい祝勝パーティのスピーチを思い付いた?」

 

「い、いえ。何だか、忘れている人がいるような……」

 

「まあまあ、それは大変だわ。早く、祝勝パーティのご案内を送らなきゃいけないけれど……」

 

「アリシアさん、どうしたんですか?」

 

「それは、もしかすると……さっきからずっと、灯里ちゃんの後ろにいる人の事?」

 

「えっ!?」




「……という、先輩方が、でっかい壮絶かつスペキュタクラーな感動巨編の夢を見たのですが……」

「…………」

「はへー……」

「いかがでしょうか?」

「いやだから! 壮絶だかスペキュタクラーだか感動巨編だか何だか知らないけど、何で後輩ちゃんの夢なのに、あんたが出て来ないのよ!」

「それはまあ、私は見習い(ペア)でしたし、そもそも私に言われましても……」

「アリスちゃん、とっても不思議な夢を見たんだね。でも、トラゲットの勝負で、わたしが藍華ちゃんに勝つなんて……うふふっ」

「はい。何だか自分の夢でありながら、灯里先輩がでっかい大活躍でして……」

「そこよ! それがこの夢一番の、ダメダメポイントだわ! 何で私がこの灯里なんかに負けなきゃいけないのよ! しかも何で私がちょっとずるい必殺技を使ってるの? その灯里の恥ずかしい必殺技の名前は何なのよう!?」

「えーっ?」

「そこは、やはり私の深層心理と言いますか、『正義は勝つ』という願いが込められていたと言いましょうか」

「ちょっと! 何で後輩ちゃんの夢だと、灯里は正義のヒロインで、私は悪役令嬢みたいな感じになるワケ?」

「えっ? い、いえっ! そんなことは断じてないと、私の深層心理がおっしゃられて行ってらっしゃいませご主人様、というような……」

「何言ってんだかわからないわよ! もうとにかく! 後輩ちゃんは、今後変な夢観るの禁止!」

「えーっ!? そ、そう言われましても……」

「アリスちゃん。また、面白い夢を見たら、教えてね、うふふ」


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その 成長の重みを知る者は……(1)

アイちゃん
今日、わたしはまた、カフェフロリアンに来ています。
そうです。第三回目の、「一人前(プリマ)合同会議」が開催されるんです。
なんですが……。
実は、本当は今回ちょっぴり困ったことがあって、お休みしたかったのですが、二人がそんなことを許してくれるはずもなく……
果たして、この日、この時を、うまくやり過ごすことができるのか、今から心が重たいです。



「いらっしゃいましたのね、灯里さん。ちょっとそこへお座りなさい」

 

「あの、藍華ちゃん。もう座ってるんだけど……」

 

「あら、そういう意味じゃなくってよ、灯里さん。これから査問を行うので、身も心も、背筋をピンと伸ばして座り直しなさいと言う意味ですのよ?」

 

「ねえ藍華ちゃん。なんでそんな口調なの?」

 

「お黙りっ!」

 

「はひっ!」

 

「そう、それでよろしいですわ。さて、灯里さん。ワタクシのかわ? かわ、いい後輩ちゃ……うぉっほん! 失礼。ワタクシのかわいい後輩であるアリスさんから聞きましたわ」

 

「なにを?」

 

「貴方、今回の会議を勝手に欠席しようとされたそうね。一体、どういうつもりなのかしら?」

 

「アリスちゃんに『今回は行けないかも』って連絡を入れただけなんだけど……」

 

「お黙りっ!」

 

「はひっ!」

 

「この崇高かつ唯一無二の、一人前(プリマ)合同会議を欠席なさるなど、言語道断。許されるとお思い?」

 

「あの、そう思えなかったから、こうして来てるんだけど……」

 

「うっうっ……。まさかあの灯里お姉様が、三人の絆を紡ぐ、このでっかい大切な会議を欠席しようだなんて……私はでっかい涙が止まりません」

 

「アリスちゃん……目薬、見えてるよ」

 

「貴方のせいで、アリスさんは大層心を痛め、このワタクシにニ十回も電話をかけて来たのですよ?」

 

「そうなんだ。わたしの所には、もっとかけて来たような……」

 

「お黙りっ!」

 

「はひっ!」

 

「そのため、ワタクシの決裁箱には、いつもの倍近い書類が積まれ、ワタクシは、それらの書類を涙で濡らしながら残業を……って、ちょっと後輩ちゃん。何なのこれ?」

 

「はい。グランチェスタ家ご令嬢兼姫屋支店長である藍華先輩が、支店長室で査問委員会を開いた、という設定なのですが、何か間違いが?」

 

「いや、私の立場自体は間違ってないわよ? そこじゃなくて」

 

「はっ!? セリフがリアル過ぎましたか?」

 

「ちょっと! 全っ然、リアルじゃないから!」

 

「違うの? 藍華ちゃんって、支店長さんの時はこんな話し方なんだって思ったのに……」

 

「はあ!? 私がいつあんた達に、こんなバリバリのお嬢様口調で話したって言うのよ!」

 

「すみません、藍華先輩とその愉快な仲間達、つまり私達や、気さくな諸先輩方といる時は、フレンドリー&フランクに接して戴いているものとばかり……」

 

「ははっ。絶対嘘よね、それ」

 

「そんな、アリスちゃんがうそつきさんだなんて……」

 

「お黙りっ!」

 

「はひっ!」

 

「話をややこしくするの、禁止!」

 

「えーっ?」

 

__________________

 

「で? 何で欠席しようとしたの? もしかして、断れないお客さんとか?」

 

「ううん、そうじゃないよ」

 

「グランマが来る予定だったとか?」

 

「先週、アリシアさんと一緒に来てくれたよ」

 

「では、地球(マンホーム)のご家族に何かが?」

 

「みんな、元気だよ」

 

「アリア社長が変な物食べて、お腹壊した?」

 

「変な物って? 今日も元気いっぱいさんだよ」

 

「では、灯里先輩が何か変な物でも食べたとか?」

 

「へ、変な物って……。変な物は食べてないし、私も元気だよ」

 

「意外にも、仕事に関する悩みとか?」

 

「えっ? あの、お仕事は、毎日楽しくやってるよ」

 

「じゃあ何なのよー! はっきり言いなさいよー!」

 

「だから、何でもないよう」

 

「うーん……。誰だって、隠し事なんて山ほどあるもんだけど、なーんか灯里だと、よくわからないのよねー」

 

「私も同感です」

 

「藍華ちゃんとアリスちゃんは、山ほど隠し事があるの?」

 

「「うぐっ……」」

 

「はへ? 二人とも、どうしたの?」

 

「な、何でもないならいいわ、うん。もうこの話はやめましょ。後輩ちゃんも、ね?」

 

「そ、そうですね」

 

「あっ! ほらっ、飲み物注文しましょ? 私はカフェラテにするけど、あんた達は?」

 

「では、私も同じで」

 

「ええっと……。わたしは、エスプレッソで」

 

「あら、珍しいわね。いっつも『カフェフロリアンのカフェラテは、何杯飲んでも美味しいよねー』とか言ってる灯里が」

 

「はひっ? あ、あの……た、たまには、他の飲み物もいいかなーって」

 

「灯里先輩、やっぱり様子がおかしいですよ?」

 

「そ、そんなこと、ないよ」

 

「……」

 

「ん? どうしましたか? 藍華先輩」

 

「ねえ灯里。もし何か悩みとか、困った事があったら、ちゃんと私達に言うのよ? できることなら、何でも協力するからさ」

 

「藍華ちゃん……」

 

「私もです。もっとも、藍華先輩のように、お金に困った人に、多額のお金を貸し付けたりする、ということはできませんが」

 

「ぬなっ! そんなことやってないわよ! それ、支店長の意味が全然違ってない?」

 

「はて? 支店長というのはそういう仕事もしていると、ミドルスクール時代に、一族の方が皆支店長だというクラスメートから、聞いたような気がしたのですが」

 

「一族皆支店長って……絶対嘘よね、それ」

 

「そんな、アリスちゃんがうそつきさんだなんて……」

 

「だから! また話をややこしくするの、禁止!」

 

「えーっ?」

 

「まあとにかく、いいわね?」

 

「う、うん。ありがとう、藍華ちゃん」

 

「じゃあ、気を取り直して、『一人前(プリマ)合同会議』を始めるわよ!」

 

「「おーっ!」」

 

____________________

 

「……それでさー、さすがの私もつい言っちゃったのよー。『オールを縦に真っ二つって、どゆコト? 誰かと対決して、究極奥義でも発動させたの?』って」

 

「うふふ。藍華ちゃんらしいね」

 

「しかし、それは誰でもそう思うと思いますが」

 

「でしょでしょ? そしたらさー、そのコが……」

 

____________________

 

「……そして、アテナ先輩が、お皿の積まれた台に近づいたその時、まさにここしかないという、絶妙なポジションとタイミングでコケてしまい、ご自身が持つ、お皿割り枚数月間記録を、たった一日で更新してしまうという事態となったのです」

 

「うふふ。アテナさんらしいね」

 

「そんだけの高級食器割って、一体いくら弁償したのよ? 想像するだけでゾッとするわー」

 

「さすがは支店長。お金の面が気になりますか?」

 

「そりゃ気になるわよ。あ、でもさっきの後輩ちゃんの支店長の話とは関係ないからね!」

 

「そうですか。しかし、しかしです。実はそこの会場のえらい人が、たまたまアテナさんの……」

 

_________________

 

「……そうなると、私達も、もっと頑張らないといけないわね。あ、定員さん、追加注文お願いします。私はカフェラテのおかわり。二人は?」

 

「私もカフェラテのおかわりをお願いします」

 

「わたしは、いいや」

 

「えっ、灯里?」

 

「灯里先輩?」

 

「まだエスプレッソが残ってるし、私は大丈夫」

 

「そう……。じゃあそれで、お願いします」

 

「………」

 

「なあに? アリスちゃん」

 

「やはり灯里先輩、妙ですね」

 

「そうかな? 早く続きをお話しよ?」

 

「って言っても、気になるものは気になるのよね」

 

「別に、気になることなんて、ないよ」

 

「……はっ!?」

 

「はい?」

 

「ちょっと待って下さい?」

 

パラパラパラッ……

 

「どうしたの後輩ちゃん。急にメニューなんて開いて。追加注文?」

 

「……やはり。藍華先輩、これを」

 

「うん? これが?」

 

「つまり、(コショコショ……)」

 

「うん……うん」

 

「あのー、どうしたの? 二人とも」

 

「……と、いうことかと」

 

「……うん、成る程、そういうことね」

 

「はい」

 

「おーい、藍華ちゃーん、アリスちゃーん。わたしもここにいますよー。仲間はずれにしないでよー。おーい」

 

「……」

 

「えっ? そんな二人して、急にじーっと見られたら、恥ずかしいよ……」

 

「灯里!」

 

「はひっ!」

 

パサッ

 

「ほら、私がおごってあげるから。好きなものを頼みなさい」

 

「えーっ? ど、どうして?」

 

「いいから!」

 

「でも、そんなこと言われても……」

 

「ねえ灯里。さっきから様子がおかしいとは思ってたんだけど……。ごめん。私、気付いてあげられなかったわ」

 

「ええっと、なにを?」

 

「そうよね、そりゃあ言えないわよね……」

 

「な、なんのこと?」

 

「会議が始まってから、灯里先輩は、いつものカフェラテも頼まず、更にはエスプレッソ一杯しか頼まれていませんよね?」

 

「う、うん」

 

「それには、でっかい理由がありますよね?」

 

「ええっと、それは……」

 

「あるんですよね?」

 

「…………はひ」

 

「やっぱりそうだったのね?」

 

「ごめんなさい。実は……」

 

「ああ、話さなくていいわ。こういう事は、灯里だって話したくないだろうし、後輩ちゃんもいる手前、恥ずかしいと思う気持ちはよぉーく分かるわ」

 

「藍華ちゃん……」

 

「でも、私達は、損得抜きに語りあえる、かけがえのない仲間。そういう関係じゃないの? 私は、困ってる仲間がいたら協力してあげたい、手を差し伸べてあげたいって、それだけなのよ」

 

「気持ちは嬉しいよ。でも、これは、わたしの問題だから、ちょっと違うかなーって」

 

「そっか……。そりゃ、灯里はさ、私達とはさ、生まれ育った場所も違うし……会社も、置かれてる立場も違うしさ……。グスッ……私達は灯里を仲間だと思っていても、悔しいけど、やっぱり……灯里からすれば、見えない壁みたいなものが、あるのかな……って……」

 

「ええっ? そ、そんなことは……」

 

「例えそうだとしても、藍華先輩も、私も、灯里先輩と苦楽を共にし、共に助け合ったからこそ、こうして一人前(プリマ)になれたと思っています! だから……だから……ううっ……今は、灯里先輩の笑顔を、取り戻すお手伝いを……したいのです!」

 

「そうよ、うん! 後輩ちゃんのいう通りよ!」

 

「藍華先輩っ!」

 

「後輩ちゃんっ!」

 

「「ウワーーン!」」

 

「あわわわっ! あ、あの、二人とも……その、心配かけちゃって、ごめんなさい。まさか、わたしのことで、こんなお話になるなんて、思ってなくて……」

 

「そうよね。グスッ……まさか、アリシアさんがいなくなるなんて、思わなかったものね」

 

「えっ? それは、わたしも思ってなかったけど、でも……」

 

「わかってるわよ。お客様が少なくて、とても厳しいんでしょ?」

 

「まさか、このお店で一番安いと思われる、エスプレッソしか頼めない程、収入が減っていたとは……」

 

「…………はへっ?」

 

「でも灯里っ! 安心して! お客様は回せないけど、うちの見習い(ペア)を研修って形で派遣して、研修費を渡したりとかは、できると思うから! 本店に掛け合ってみるから!」

 

「私も、始業前にARIAカンパニーに行って、ご飯などの差し入れを持って行ったりします!」

 

「あ、あの……もしかしてなんだけど、お金の事なら、大丈夫だよ?」

 

「「………えっ?」」

 

「先週、グランマとアリシアさんが遊びに来てくれた時も、『灯里ちゃんは、一人前(プリマ)としては、まだまだ初心者さんだから、もう少しお休みがあった方がいいわね』って言われちゃったぐらいだし……」

 

「「……はっ?」」

 

「あの、わたしも、途中から何かおかしいなって、思ったんだけど、二人とも泣きながらお話してて、その、言いづらくて……」

 

「じゃあ、別にお金に困っている訳じゃ?」

 

「ないのですね?」

 

「うん。でも、まさか藍華ちゃん達がそんな勘違いするなんて、びっくりしたよ。もう、しっかり者なのに、うっかりさんだなあ、なあんて、あはは……」

 

「「…………」」

 

「はは……」

 

「灯里」

 

「はひっ!」

 

「元はと言えば、これは灯里が私達の誤解を招くような言動をしたことが原因だったという事よね。いいえ違う。勝手に誤解したのは私達だから私達が悪いということでいいのよね。それに、私が泣きながら恥ずかしいセリフ全開丸出しで勝手に話してたんだから、それは灯里からしてみたら間抜けな話だからそれは面白いわよね。うふふ、あははははっ……」

 

「あ、藍華先輩の様子が……」

 

「め、目が、ぜんぜん笑ってないんだけど……」

 

「灯里。私もそろそろ自分が何をしでかすのか段々わからなくなってきているわ。灯里のその青い制服が姫屋みたいな赤色に染まらないうちに、私に本当の事を全て話しなさい。ああ、これは警告よ。ちゃんと警告はしたから、あとでどうなっても文句は言わないでね。もちろんその時灯里が文句を言えるような状態だったらだけど」

 

「何だか、でっかい不穏な言葉が並んでいます!」

 

「で、でもさっき、話さなくていいって……」

 

「確かにそう言ったのは私だけど、灯里はどうなの? 話すの? 話さないの? どっちなの? 私はどっちでもいいわよ。でも、もし話さないならその時は……」

 

「はひぃーっ!! 話しますっ! 話しますぅーっ!」

 

続く



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その 成長の重みを知る者は……(2)

「先輩方。私達は、ウンディーネとしての成長を持続させる為に、日々の鍛錬だけでなく、様々な苦難にも立ち向かわなければなりません!」
「後輩ちゃん、どうしたの? 急に」
「最近の灯里先輩は、何だか足が重いといいますか、腰が重いといいますか……」
「えーっ? わたしの足や腰って、そんなに重たそうに見えるの?」
「何か勘違いしてない? ま、私は灯里よりフットワーク軽いけどね!」
「藍華先輩が軽いのは、口だけではないですか?」
「ぬなっ……」



「さっ、3キロ太ったぁ!?」

 

「藍華ちゃん、こ、声が大きいよう……」

 

「あっ、あれっ!? ご、ごめん灯里。でも、まさか灯里が『3キロ太った』だなんて、何て言うか、意外過ぎちゃって、って、ああっ!? また『3キロ太った』だなんて言っちゃってごめん! って、あーもう! また『3キロ太った』って言っちゃった!」

 

「はひぃーん、藍華ちゃーん……」

 

「灯里先輩。つい先程までは顔が真っ青だったのに、今度は顔がリンゴのように真っ赤です」

 

「ごめん! もう二度と『3キロ太った』って言いません! この通り!」

 

「結局5回も言いましたね……。それにしても、その事が原因なら、なぜ一番安いエスプレッソを頼んだのですか? 紅茶を頼むという選択肢もあったのでは?」

 

「それは、紅茶だと、いっしょに甘いお菓子とかも食べたくなっちゃうかなーって、思ったから……」

 

「はい?」

 

「だって、ここはアフタヌーンティーのスコーンとか、ケーキがとっても充実しているんだもん。ハイティーになると、もっとすごいんだよ?」

 

「あ? ああ、そうなの。灯里がそんなに言う位なら、そりゃすごいんでしょうね」

 

「そこは何とも言えませんが、少なくとも一番安い飲み物でなければ、私達もそこまでおかしいとは思いませんでしたのに」

 

「私達って言うか、最初に『妙だ』とか言い出したのは、後輩ちゃんなんだけどねー」

 

「むむむ? ろくに確認もせずに、私の推測をでっかい大げさにしたのは、藍華先輩の方ですけどね」

 

「ぬなっ!? 何よ、私が悪いって言うの?」

 

「そうとは言ってませんけどね」

 

「あらあ? でもぉ、そう聞こえるわよぉー?」

 

「ほほう? それはどこかで、自分のせいだと思っているからではないですか?」

 

「うぬぬぬぬ……」

 

「むむむむむ……」

 

「藍華ちゃんもアリスちゃんも、ケンカはやめようよ。わたしがちゃんと言わなかったせいだから。悪いのはわたしなんだから……」

 

「あっ! ごっ、ごめん……。べ、別に、灯里が謝る必要は、ないんだからねっ!」

 

「でも……」

 

「藍華先輩の言う通りです。それに『喧嘩するほど仲がいい』ということわざがあるじゃないですか。本当に仲が悪かったら、話すらしないと思いますので、どうぞご安心を」

 

「そうよ。そういうこと」

 

「それなら、いいんだけど……」

 

「それにしても、うーん……見た目は、全然変わらないように見えるけど?」

 

「藍華ちゃん、そんなにじろじろ体を見回されたら、ますます恥ずかしいよう……」

 

「でも確かに、灯里先輩は、顔がふっくらした様子もなければ、お腹もアリア社長のようなモチモチポンポン、と言う訳でもないようですね」

 

「具体的に、どこがふ……とおっと! うぉっほん! 失礼。灯里さんは、身体のどこに、違和感があるとおっしゃるのかしら?」

 

「やはり、普段はこの話し方なのですね?」

 

「違うわよ! あくまで自分を落ち着かせる為よ!」

 

「えっと、その、制服を着てると、肩から腕の辺りとか、腰から足の太もものあたりとかが、ちょっぴりキツくなっちゃってて……」

 

「にゃーるほどね。ちょうど冬服だから、腕や肩はケープで隠れてあまり見えないし、座ってたら気付かないわよねー」

 

「それにしてもです。いきなり今の状態になった訳ではないと思うのですが、原因として、何か思いあたる節はあるのですか?」

 

「それが、たまたまなんだけど、先週、ここの店長さんに、スペシャルメニューの試食をお願いされちゃって……」

 

____________________

 

ゴトッ

 

「うわあー、すごいですー」

 

「フロリアン、スペシャルアフタヌーンティーでございます」

 

「いかがですかな?」

 

「はひ! どれも美味しそうで、カラフルで、まるで、お皿の上に、宝石がちりばめられたかのように、とっても素敵ですねー」

 

「はっはっは。まずは見た目は合格を戴けたようですな」

 

「でも、これを全部、試食するんですか?」

 

「いえいえ、こちらはあくまで、見た目を確認戴く為ですから、全部を食べて戴く必要はありませんよ。どうぞご安心を」

 

「そうなんですか? それはそれで、ちょっぴりもったいない気がしますね」

 

「もちろん、お好きなだけ、試食して戴いて構いませんよ。ああ、でも、この後もお仕事があるんでしたな。制服を汚すかも知れませんので、こちらのウェイターに取り分けさせましょう」

 

「ありがとうございます。ではでは、まずサンドイッチから……」

 

「かしこまりました。こちらは、サーモンとクリームチーズのサンドイッチになります」

 

「それでは、いただきまーす!」

 

「いかがですかな?」

 

「うーん! 焼かれたパンのカリッとした食感と、中のサーモン、そして、クリームのトロッとした食感が素敵なハーモニーを奏でてますー。味も、サーモンの塩味と、クリームチーズのほのかな酸味が相まって、とってもおいひいれすぅー」

 

「ふむ、味や食感は問題無さそうですな」

 

「次は、このスコーンを……」

 

「こちらのスコーンには、定番のイチゴのジャム、それとリンゴのジャムをご用意しました。こちらのクロテッドクリームと一緒につけて、お召し上がりください」

 

「これ、クロテッドクリームって言う名前なんですね? わたし、はじめてなんです」

 

「ええ。かつて、地球(マンホーム)の英国で食されていたもので、そうですなあ、簡単に言えば、生クリームと、バターのちょうど中間、といったところですかな」

 

「ほへー…」

 

「ささ、どうぞ」

 

「はひ! では、クリームとジャムをたっぷり塗って……」

 

「いかがですかな?」

 

「うーん! スコーンは、外側はサックリ、内側はしっとりふんわり、いい匂い。そして、このクロテッドクリームって、バターよりも柔らかくあっさりした味で、それでいて生クリームよりも、コクが強くて、とっても美味しいです。それに、このジャムとの相性も最高で、何だか幸せな気分になりますねー。これならいくつでも食べられますー」

 

「はっはっは。それは良かった。売るほどありますので、お好きなだけどうぞ」

 

「はひ! では次は、ケーキを……」

 

 

………………………………………………

 

 

「はひー、ご馳走さまでしたー。もう食べられませーん……」

 

「いやぁ、まさか完食してくださるとは。ありがとうございます」

 

「美味しすぎて、つい食べ過ぎてしまいました」

 

「ううむ、この後のお仕事に響かないと良いのですが」

 

「はひっ!? いけない! もうすぐご予約の時間だ!」

 

「それは気付かずに失礼を。ささ、これでお口を拭いて」

 

「はひっ。素敵な時間をありがとうございました、店長さん。また来まーす! はひはひはひはひっ……」

 

____________________

 

「ちょっとアンタ、いつの間にそんな事やってたのよ!? しかも、何で私達も誘ってくれないのよー! 私も試食したかったぁー!」

 

「それは、お仕事の合間にちょうど寄ったら、偶然そんなお話になっちゃったから……」

 

「しかし、先程から気になっていたのですが、私達の周りの方が、みんなアフタヌーンティーのセットを頼まれているような気がするのは……」

 

「うん。別の日に、店長さんに会ったら、わたしが食べてるのを見ていた周りのお客さんから、注文がどんどん入ってきて、それを見た人がまた……って感じで、みんなが頼むようになったんだって」

 

「はぁー……ただの試食が、すごい宣伝になっちゃった訳ね。でもそれだけじゃ、そこまでふ……体重は変わらないでしょ?」

 

「実は、その他にも、この前、グランマとアリシアさんが来た時に……」

____________________

 

コトッ

 

「うわあー、すごいですー」

 

「本当。美味しそうですね!」

 

「アップルパイとアップルティーを作って来たの。お口に合うといいんだけど……」

 

「……とってもいい香りですぅー! ね、アリア社長」

 

「ぷいにゅーっ!」

 

「このアップルパイとアップルティーはね、紅玉っていうリンゴを使っているのよ」

 

「これ、紅玉って言うリンゴさんなんですね?」

 

「そのまま食べると酸味が強いんだけど、こうやって、アップルパイとアップルティーとか、火を通す物を作るのには、とっても適しているリンゴなのよ」

 

「ほへー…」

 

「さあ、どうぞ召し上がれ」

 

「いただきまーす!」

 

「どうかしら?」

 

「うーん! このアップルパイ。外側のパイは、バターの香りがとっても素敵で、中のリンゴからは、豊かで、ふんわり自然な香りがします。食べると、サクッとした香ばしいパイの中から、甘さと酸っぱさが調和されたリンゴさんがゴロッと出てきて、とってもおいひいれすー。何だか、食べていて幸せな気分になりますねー。これならいくつでも食べられますー」

 

「あらあら。それにしてもグランマ、このアップルティーも、とっても素敵な香りがして、美味しいですね」

 

「あら、お気に召したようで、良かったわ。たくさん作ってきたから、遠慮なく食べてね」

 

「はひ! ありがとうございますー」

 

「ぷいにゅーっ!」

 

「あらあら、アリア社長ったら。そんなに急いで食べなくても大丈夫ですよ。うふふっ」

 

 

………………………………………………

 

 

「はひー、ご馳走さまでしたー。もう食べられませーん……」

 

「ぷいにゅー……」

 

「あらぁ、二人できれいに平らげたわね。ふふふっ! 作った甲斐があったわ」

 

「美味しすぎて、つい食べ過ぎてしまいました」

 

「そう言ってもらえると、嬉しいわ。でも、このあとのお仕事は、大丈夫?」

 

「はひっ!? いけない! この後すぐご予約のお客様がいるんでした!」

 

「まあ大変。灯里ちゃん、さあ、これでお口を拭いて」

 

「はひっ。今日は来てくださって、ありがとうございました! お二人ともゆっくりしていってくださーい! はひはひはひはひっ……」

 

____________________

 

「灯里先輩、何でグランマの特製アップルパイを全部食べてしまったのですか!? 何故私達の分を取っておいて戴けなかったのでしょうか? 私もでっかい食べたかったです!」

 

「それは、くいしんぼさんの、アリア社長もいたから……」

 

「あー、もう! 灯里のせいで、何だかお腹空いて来ちゃったじゃないのよう!」

 

「ごめんなさい」

 

「しかし、それぐらいなら、やはり大したことはない気もしますが……」

 

「実は、この前も、お仕事の帰りに……」

 

「まだあるの? もういいわよ! とにかく、色々美味しいものを食べすぎたって事ね?」

 

「はひ……」

 

「でも、別に見た目は何にも変わってないんだから、服がキツいなら、とりあえず、ワンサイズ大きな制服を着とけばいいんじゃないの?」

 

「そうですよ。私も身長が伸びる度に替えていますが、他のサイズの制服はないのですか?」

 

「うちは元々、人数が少ないから、制服もオーダーメイドで、藍華ちゃんやアリスちゃんの所みたいに、そんなにたくさんのサイズがあるわけじゃないんだ。一応、倉庫も探してみたんだけど、私の以外は、アリシアさんが着ていたのと同じサイズぐらいしかなくて……」

 

「その、アリシアさんサイズのは、着てみたの?」

 

「う、うん。でも……」

 

「でも?」

 

「それが……。き、着丈とかは、ちょっぴり大きいかな、くらいだったんだけど、その……」

 

「その?」

 

「む……胸の辺りが、スカスカで……ちょっぴり、変な感じというか……」

 

「……」

 

「……」

 

「後輩ちゃん! 今日はいい天気よねっ!」

 

「はっ? あっ! はいっ! 向こうの空に、でっかい暗雲が立ち込めていますが、いい天気ですね!」

 

「うん! そうよ灯里! いい天気だから大丈夫! いろんな意味で、私達は成長途上なんですもの! まだまだ希望はあるわ! だから、明日へ向かって、頑張れ灯里!」

 

「頑張るって、わたしは何を頑張ればいいの?」

 

「えっ? あ、あの……えっと……後輩ちゃん! パス!」

 

「ええっ!? そんなパス、この私にどうやって受けろと言うのですか!?」

 

「そ、それは……えー、あー、うーん……あっ! そうだ! 今の灯里に合うサイズの制服がないなら、新しい制服を作ればいいんじゃない!?」

 

「それは妙案です! 藍華先輩!」

 

「でしょでしょ? せっかく一人前(プリマ)になったんだし、制服も新調すればいいのよ!」

 

「うん。私もそれは、考えたんだけど……」

 

「あ、あら? この反応は……」

 

「何か、問題があるのですか?」

 

「この制服を作ってくれてる仕立て屋さんの職人さんが、一週間に一度しか、採寸に来ないんだって。でも、来週からは、私もしばらく忙しくて……」

 

「そんな……」

 

「灯里先輩、今週は? 今週は、もう終わってしまったのですか?」

 

「実は……今日なんだ」

 

続く



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その 成長の重みを知る者は……(3)

「先輩方、『たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える』という言葉をご存知ですか?
これは、昔のえらい人の遺した名言で、どんな状況でも、いま自分にできることを精一杯やっていこう、もしくは、未来の希望を育て続けよう、という意味だとか」
「やっぱり、わたし達が成長していくには、毎日一生懸命に頑張るしかないんだねー」
「リンゴに関する名言で、私が知っているのは『柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺』ね!」
「はい?」
「だって、柿を食べて、鐘が鳴ったら『リンゴーン、リンゴーン』って」
「藍華ちゃん、色々な誤解が……」



リーンゴーン、リーンゴーン……

 

「えっ!? 今日なの!?」

 

「だから、しばらくは……」

 

「もーアンタは! 何でそんな重要な事を早く言わないのよ!」

 

「だから、今日は行けないかもって、電話でアリスちゃんに言ったんだけど……」

 

「…………えっ?」

 

___________________

 

「お待たせしました! 灯里先輩!」

 

「あ、アリスちゃん?」

 

「はいっ! どうされたんですか?」

 

「なんだかとっても嬉しそうだねー。何か素敵なことがあったのかなー?」

 

「そ、そうですか? いつもと変わらないと思いますよ? ふふっ!」

 

「やっぱり嬉しそうだよー。わたしまで嬉しくなっちゃうなー」

 

「私の事は良いのですが、何か御用ですか? 灯里先輩」

 

「そうだった。あの、今度の合同会議のことなんだけど……」

 

「ああ、その事だったのですか。大丈夫です! カレンダーにもバッチリ○印を書いてますから。でも、ちょっと力を入れすぎてしまって、下にも○が写ってしまいました。でっかいドジっ子さんです」

 

「それがその……用事があって、もしかしたらわたしが行けないかも、なんだけど……」

 

「……えっ?」

 

「だから、もしかしたら、途中参加か、欠席ということで……」

 

「…………」

 

「あれ? アリスちゃん、聞こえてる?」

 

「はい。聞こえています」

 

「だ、大丈夫? 声がとっても暗いよ?」

 

「そうですか。灯里先輩は、私達と会うのが嫌になったのですね……」

 

「えっ? そ、そんなことは無いよ?」

 

「いいえ、いつかはそういう時が来ると思ってましたので。藍華先輩とも相談して、またこちらからご連絡します。それでは」

 

「あ、あれ? アリスちゃん? おーい!」

 

_____________________

 

「その後も、電話の度に、ちゃんと説明しようと思ったんだけど、聞いてもらえなくて……」

 

「ほほーう? 後輩ちゃーん?」

 

「そ、そんな事情だなんて、知らなかったんです! いえ、あの……はい。すいません」

 

「謝る事なんてないよ。わたしがちょっぴり我慢すればいいんだし」

 

「しかし、今は3時半を過ぎた所です。仕立て屋さんは、今日は何時までやっているのですか?」

 

「ええっと、採寸の受付は、4時までだと思うけど……」

 

「じゃあ、今から行けば、まだ間に合うんじゃない?」

 

「ど、どうかな? 仕立て屋さん、リアルト橋を渡った、街の中にあるから、ここからだとちょっと遠いし、ゴンドラだと遠回りになっちゃうから……」

 

ポンッ

 

「灯里、行きなさい」

 

「えっ? でも、走って行かなきゃだし、もう無理かなーって」

 

「何を弱気なこと言ってるのよ! こういう時こそ、気合いとガッツで行くべきでしょうが!」

 

「そうですよ! まだ間に合うのであれば、行くべきです!」

 

「えーっ? でも……」

 

「「いいから行きなさい!」」

 

「はっ、はひっ!」

 

 

 

「いいわね? いつも通り、平常心で臨めば大丈夫! スタートさえしっかり決めればきっと勝てるわ!」

 

「灯里先輩! 絶対に負けられない戦いが、ここにあります! 何としてでも、勝利を飾りましょう!」

 

「あのー、わたしは一体、誰と何を勝負しているんでしょうか?」

 

「灯里の、その弱っちい心との勝負に決まってるでしょ!」

 

「時間とのでっかい勝負です! 『一刻を争う』とは、まさにこのことと言えましょう」

 

「うーん。わかったような、わからないような……」

 

「「いいから早く!」」

 

「はひっ! 水無灯里、行きますっ! はひはひはひはひ……」

 

「5時までは待ってるから! 寄り道しないで、すぐに戻ってくるのよーっ!」

 

「はひーっ、了解ですーっ……」

 

 

 

「……ふう、やっとスタートしたわね」

 

「はい。しかし、何度かコケそうになっていますが、都度キチンと体勢を立て直し、正面から向かって来る人々もかわして、前に空いたスペースにうまく抜け出しています。さすがは灯里先輩、フィジカルが強い」

 

「本当ね。前を歩いている集団も上手くさばいて、広場出口の曲がり角も、内側沿い一杯の経済コースを通って行ったわ。後は、リアルト橋の坂で足が止ったりしないで、後方から来る集団に飲み込まれずに、最後まで走りきれるといいんだけど……」

 

「大丈夫ですよ、必ずゴールできます」

 

「あら、やけに自信あるのね?」

 

「はい。こういう時の灯里先輩は、きっとやってくれる。私はそう信じてますから」

 

「それ、『きっとやらかす』の間違いじゃないの?」

 

「ふふふっ。そうかもしれませんね」

 

「そうだ。ただ待ってるだけじゃつまんないし、灯里が間に合うかどうか、予想で私と勝負しない? で、スペシャルアフタヌーンティーセット頼んでさ、負けた方がおごる、っていうのはどう?」

 

「いいですよ。その勝負、受けて立ちましょう」

 

「後で泣きごと言わないでよ?」

 

「その言葉、でっかいそのまま、お返しします」

 

「はいはい。じゃ、灯里が間に合うかどうか、せーので言うわよ」

 

「わかりました」

 

「「せーのっ!」」

 

______________________

 

「はひはひはひはひ……」

 

「おっ、来た来た! おかえりーっ」

 

「はひぃーっ。やっと…帰って…来れたぁー」

 

「お帰りなさい灯里先輩。まだ5時よりだいぶ前です。早かったですね」

 

「はひ、はひ、はひぃー……」

 

「それで、どうだった?」

 

「う、うん……。間に合った…ことは…間に合った…けど……」

 

「けど?」

 

「着いたら…まだ…3時…45分…ぐらいで…」

 

「はあ? だって、ここ出たの、3時半過ぎでしょ? まさか、途中でウッディさんのエアバイクに乗せてもらって、パンツ丸出しで行ったとかじゃないでしょうね?」

 

「そんなこと…してないよ? 途中も…寄り道…してないし…何人かに…声を…かけられたけど…立ち止まったり…してないし…」

 

「じゃあ、意外と近かったとか?」

 

「でも…採寸が終わって…お店を出た時は…4時半前…ぐらいだったから…行きも帰りも…20分以上は…かかっていると…思うんだけど…」

 

「うん? どゆこと?」

 

「うふふっ。これはきっと、灯里先輩が起こしたでっかいミラクルですね」

 

「みらくる?」

 

「あっ! 後輩ちゃん、その顔は、何か知ってるでしょ!」

 

「はい。先輩方は、このアクアでその名を馳せる、スーパードジっ子さんはご存知ですか?」

 

「え?」

 

「実は私、こう見えて、そのスーパードジっ子さんの、一番弟子だったんです」

 

「……ほへ?」

 

「ごめん。話が全く通じてないんだけど」

 

「灯里先輩がここを出られたのは、何時ですか?」

 

「はへっ? アリスちゃんが3時半過ぎって……」

 

「そうよ、アンタがそう言ったんじゃないの?」

 

「その少し前に、大鐘楼の鐘が鳴っていたのは、ご存知ですか?」

 

「ええ、鳴ったわよ? それが何か?」

 

「あーっ!」

 

「おや? 灯里先輩は気づかれたようですね」

 

「うーん? 一体、何なのよう!」

 

「かつて、地球(マンホーム)では、大鐘楼の鐘は普段、お昼の一回しか鳴りませんでした」

 

「そうね。だけど、鐘は全部で5つあって、それぞれの役割も違うから、ネオ・ヴェネチアでは、一日に1回ずつ、合計5回、元々の役割にちなんだ時間に、鐘を鳴らしているんでしょ? そんなの、観光案内の常識じゃ……あっ!」

 

「そうなんです。その中で、午後3時、つまり15時以降に鐘が鳴るのは2回。その、最初の時間はといいますと……」

 

「「「15時15分!」」」

 

「と、言うことで、私が午後3時30分に鐘が鳴ったと勘違いするという、大いなるドジっ子っぷりを発揮してしまった、ということです」

 

「そうか、そういう事だったのね! だからあんなに自信たっぷりに……」

 

「はへっ? 何のこと?」

 

「はい。二人で、灯里先輩が、間に合うかどうかを予想していたのです」

 

「えーっ? それと、これは何?」

 

「何って、スペシャルアフタヌーンティーセットよ。灯里が試食したのと一緒でしょ? 」

 

「そうじゃなくて、何で何も残ってないの? わたしの分は?」

 

「にゃーに言っちゃってんのよこのコは。灯里が美味しいって言うから、私達も食べてみただけよ。確かに、とぉっても、美味しかったわー」

 

「はい。灯里先輩のいう通り、でっかい美味しかったです」

 

「そ、そんなあ……」

 

「それだけではありません。この、スペシャルアフタヌーンティーセットのお代を、先程の予想が外れた方が負担する、という話になっていたのですが……」

 

「ほへ? それは、どうなったの?」

 

「にゃんと! 二人とも、『灯里が間に合う』って予想だったのよこれが!」

 

「えっ? それって……」

 

「はい。二人とも予想が当たったので、御自身が間に合わないと予想していた、灯里先輩の負けと言うことになりまして」

 

「えーっ? じゃあ、わたしが払うのー?」

 

「ふふーん! そうよ! って、言いたいところだけど、灯里が可哀想だって事になったから、二人で割り勘することにしたわ」

 

「は、はひぃー……」

 

「安心した所ですみませんが、お話はそれだけではないのですよ、灯里先輩」

 

「えーっ? まだ何かあるのーっ?」

 

「モチロンよー」

 

「そろそろ分かりますよ」

 

「ほへ?」

 

リーン、ゴーン、リーン、ゴーン、リーン、ゴーン……

 

「あっ、5時だ。最後の大鐘楼の鐘だね」

 

「お待たせ致しました」

 

「えっ?」

 

「アップルソーダフロートでございます」

 

「えーっ? 素敵だけど、わたし、頼んでないよー?」

 

「はい、私達が頼みました」

 

「どうしてーっ?」

 

「ご褒美よ、ごほうび」

 

「はい。二人とも灯里先輩が間に合うと予想していましたので、灯里先輩が戻って来るであろう5時に出してもらうように、注文しておきました」

 

「ま、しばらくしたら、新しい制服も来るんだし、今日は沢山汗もかいたから、それぐらいは大丈夫でしょ?」

 

「あ、あの……」

 

「どしたの?」

 

「じ、実は、その事なんだけど……仕立て屋さんに行ったら……」

 

____________________

 

「アーッハッハッハッハ!」

 

「そ、そこまで笑わなくても……」

 

「いやー、ごめんごめん。でも、お店に入って来た時の灯里ちゃんのカオ! あの時のアリシアちゃんにそっくりだったんだもん! もう……クックックッ、可笑しくって!」

 

「ア、アリシアさんが?」

 

「そう、あなたと同じよ。息を切らせて、お店に飛び込んで来たから、一体何があったのかと思ったら、恥ずかしそうに『制服の採寸を……』って言うんだもの。しかも、聞いたら何と、サン・マルコ広場から、走って来たって言うじゃない? もう同じも同じ。同じ過ぎて、おばさん、やんなっちゃうわ!」

 

「す、すみません……」

 

「あら、謝る事なんてないのよ? きっと、アリシアちゃんの時と同じで、アリア社長が、体重計にしれっと前足を乗っけたのよ。ARIAカンパニーを引き継いだ人だけが受ける、祝福のイタズラね」

 

「祝福の、イタズラ?」

 

「そう。今の制服は、灯里ちゃんが半人前(シングル)の時から着ているのものでしょ? 一人前(プリマ)になって、一人で毎日忙しいから、新しい制服を頼むような気持ちの余裕もない。だから、心身共に成長して、立派になった灯里ちゃんに、新しい制服を仕立ててあげなきゃって言う、アリア社長の親心みたいなものよ」

 

「はへー。そうなんですか。それにしては、ちょっぴりやり過ぎかなーって、思いますけど……」

 

「でも、それぐらいインパクトのある事がないと、灯里ちゃんも、すぐに制服を新調しなきゃって、思わないんじゃない? キツくなりすぎて、お仕事中に破れちゃったりしたら、それこそ恥ずかしいわよ?」

 

「それは、確かにそうですけど……」

 

「ま、あり得ない重さじゃないし、焦るのも分かるけどね。とにかく、超特急で作ってあげるから、もしアリア社長のイタズラでも、許してあげてね」

 

「は、はひ……」

 

______________________

 

「と、言うわけで、体型は、ほとんど変わってなかったんです。多分体重も……」

 

「じゃあ、制服が少しキツくなったって言うのは、体重が増えたんじゃなくて……」

 

「身長が少し伸びてたし、腕とかは、少し筋肉がついたせいかも、だって」

 

「つまり私達は、アリア社長にでっかい振り回されていた、という事ですね」

 

「そこがちょっと癪だけど、アリア社長の思惑どーり、制服も新調できて、良かったんじゃない?」

 

「うん……」

 

「どうしました? 灯里先輩」

 

「わたし、お仕事はちゃんと頑張っていたつもりだったけど、周りがよく見えてないせいで、まだまだいろんな人に心配かけちゃっているのかなーって」

 

「そりゃ当たり前よ。今のARIAカンパニーには、灯里しかいないんだもの。周りが良く見えちゃう方がおかしいわよ。むしろ、そんな灯里をみんなが気にしてくれてるって事を、有難いと思わなきゃ」

 

「灯里先輩だけではなく、私達みんながそうですよ。心配というより、でっかい応援です。その応援に応えるべく、日々頑張らなくてはですね」

 

「うん、そうだね。わたしも、もっともっと、頑張らなきゃ!」

 

「そうよ! みんな、まだまだ成長途上なんだから、一緒に頑張りましょう!」

 

「「おーっ!」」

 

「という訳で、今日の会議はおしまい! さあ灯里、それを飲んだら、帰りましょ! 私だって、まだまだ仕事が一杯残ってるんだからね!」

 

「ほほう? これから、書類を涙で濡らしながら残業を?」

 

「泣かないから! もう、灯里も笑ってないで、早く飲みなさい!」

 

「はひ! それでは、いただきまーす!」




そんな訳で、最初は気持ちが重たかった私ですが、そんな気持ちは、軽くなって、どこかへ飛んで行ってしまいました。
それから、今日新しい制服が届いたので、早速着てみたのですが、何だか、私が初めてARIAカンパニーの制服を着た時のような、ワクワクする魔法をかけられたような、不思議な気分がしました。
初心にかえって、今日からまた新たなスタートです。
いたずらっ子さんのアリア社長も、何だかとっても嬉しそう。

灯里さん
いろいろと大変だったね! もし、私がアリア社長にそんなイタズラをされたら、きっと怒って追いかけ回しちゃうかもしれないなあ。
でも、ARIAカンパニーの制服って、オーダーメイドなんだね。とっても素敵な制服だから、私も大きくなったら、いつかまた着てみたいんだけどなあ……。


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その 不思議な箱を開ける者は……

アイちゃん
今日、わたしはまた、カフェフロリアンに来ています。
そうです。
今日はまた「一人前(プリマ)合同会議」が開催されるんです。
何だかとっても素敵な事が起こりそうで、何だかとっても楽しみだなあ……。


「さあ、みんな揃った事だし、始めましょうか?」

 

「おーっ!」

 

「って、コリャ灯里。掛け声のフライング禁止!」

 

「えーっ?」

 

「灯里先輩。でっかいテンション高めですね?」

 

「そう?」

 

「まあ、いきなり突っ込まれるのは、いつもの灯里先輩とも言えますが……」

 

「オホン! とにかく、いつものように、元気良く! 一人前(プリマ)合同会議を、始めるわよ!」

 

「「おーっ!」」

 

「うーん、元気があってよろしい! ……と、言うことなんだけれどもさ、今日は後輩ちゃんからの議題って事でいいのよね?」

 

「はい、実はですね……」

 

「どんな議題なの?」

 

「いやだから、それをこれから発表するんじゃないのよう!」

 

「灯里先輩、何だか今日はやけに食い気味ですね」

 

「だって、何だかとってもいい議題な気ががするんだもん」

 

「そう? 私は嫌な予感しかしないんだけど……」

 

「まあ、どちらかというのは何とも言えませんが、それでは早速……」

 

ガサゴソ……

 

「ん? 何か物に関する議題?」

 

「はい、これです」

 

コトッ、コトッ

 

「うわあ、素敵なラッピング!」

 

「箱が2つ? 何なのこれ?」

 

「はい、これぞ今日の議題、『箱の中身はなんだろな? でっかい忘れてしまったのでみんなで考えよう!』です」

 

「……はっ?」

 

「ほへー……。でも、どうして?」

 

「はい。実は去年、閉店セールをやっていた雑貨屋さんで、これらを買ったようなのですが、しばらくしてから誰かに渡そうと思って、クローゼットにしまっていたようなのです」

 

「ふうん……それで?」

 

「私としたことが、忙しさのあまり、箱の存在をでっかい忘れてしまっていまして……。最近になって、まぁ社長により発見された、という経緯です」

 

「そんなの、自分で買ったんなら、自分で開けて見ればいいんじゃないの?」

 

「そうなんですが、明らかに自分用ではない上に、何だか自分ではでっかい開けてはいけないような気がしまして……」

 

「何よそれ。まさか、危ない物でも入っているんじゃないでしょうね?」

 

「いいえ、そんな事では無かったと思いますし、そもそも買ったのが雑貨屋さんですから……」

 

「その、お店の人とかには聞いて見たの?」

 

「いえ、閉店セールという事でしたので、もうお店自体がやってはいないものと……」

 

「ええっと……ねえ、後輩ちゃん?」

 

「はい、何でしょう?」

 

「もしかしてなんだけど、それってリアルト橋の近くにある、路地裏のお店じゃない?」

 

「はい、そうです! ご存知でしたか?」

 

「うん。まあ、何ていうか……あそこはね、一年中閉店セールやってんのよ」

 

「ええっ!?」

 

「あーっ! あのお店かあ。わたし、一体いつ閉店するんだろうって、ずっと思ってたんだ」

 

「一応『閉店』はしてるのよ? ただ、頻度がその……ほぼ毎日、っていう事らしくて」

 

「毎日!?」

 

「あっ、それはつまり……毎日閉店、ガラむぐっ!」

 

「恥ずかしいセリフ、禁止!」

 

「ふぇーっ?」

 

「どっ、どうしたんですか? いつに無く、鋭く素早い突っ込みでしたが……」

 

「だってこの場が、冷えっ冷えの、カッチカチに凍りつきそうな雰囲気だったんだもの。とっさの回避行動を取っただけよ」

 

「はあ、そうでしたか。しかし、毎日のように閉店と言うのは、看板に偽りあり、というものでは?」

 

「あら、別に閉店しようがしまいが、買いたい物が安けりゃ何だっていいじゃないの」

 

「でも、閉店セールって言われると、ついつい買いたくなっちゃうよねー」

 

「そうね。現に、こうしてお買い上げされた方が、ここにいるんですものねぇ」

 

「む。買った事自体はいいのです。問題は、私が何を、誰の為に買ったのか、なのですから」

 

「ま、そりゃそうだけどさ」

 

「レシートとかもないの?」

 

「はい。年末に全部捨ててしまいました。買った日も曖昧ですし、店員さんに聞いたとしても、さすがに覚えていないのではないでしょうか?」

 

「うーん、手掛かり無しかぁ……」

 

「でも、この箱って、ふたつとも、素敵な包装がされてるし、リボンがかかっているって事は、誰かへのプレゼントなんじゃないかなぁ?」

 

「確かに。では、アテナ先輩へのプレゼントだったのでしょうか?」

 

「それも素敵だけど、リボンも、ひとつは赤で、ひとつは青だから、誰かふたりの為に買ったんじゃない?」

 

「そうすると、同じ大きさなので、中身も同じような物かもしれませんね」

 

「うーん……後輩ちゃんがふたりにプレゼントねえ……二人にプレゼント、赤と青のリボン……んんっ!?」

 

「どうかされましたか? 藍華先輩」

 

「何か思い浮かんだの?」

 

「ふっふっふ。皆の者、良く聞くがいいわ」

 

「何ですか? 急に中世の偉い人風な……」

 

「まあいいから聞きなさいよ。うぉっほん! ……さて、そなた達は、来たる2月2日が何の日だかを、当然知っておろうな?」

 

「……ほへ?」

 

「ええっと……何の日でしたっけ?」

 

「ちょっと! ふたりとも知らないって……ああ、えーっと……まあ、(われ)とて鬼ではない。そなたらに、思い出す時間を与えようぞ」

 

「うーん……あっ!」

 

「そうよ! 思い出した!?」

 

「確かその日は、記念日だよね?」

 

「うん! そう! 灯里良いトコ行った!」

 

「その日はというと……」

 

「うんうん!」

 

「『夫婦の日』じゃなかった?」

 

「う……うん? あれ?」

 

「だから、アリスちゃんの、ご両親へのプレゼントなんじゃないのかな?」

 

「なるほど! そういう事だったのですか!」

 

「いや、あの……」

 

「ただ、夫婦の日というのであれば、どちらかと言えば、11月22日の、『いい夫婦の日』の方がしっくりくるような気がしますが……」

 

「そうかあ。じゃあ違うのかなぁ……」

 

「そ、そうよ! あのーホラ! もっと違う記念日があるでしょ? なんていうか、こう、私達ぐらいしか知らないようなさ」

 

「私達ぐらいしか知らない……はっ!? そういえばその日は……」

 

「そう、きっとそれよ! 後輩ちゃん!」

 

「あ、あの……『にゃん、にゃん』だから、その、ね、『猫の日』ですよね!」

 

「……はい?」

 

「アリスちゃん、それは『にゃんにゃんにゃん』で2月22日だよー」

 

「ああっ!? 私としたことが、でっかいうっかりでした」

 

「……」

 

「うふふ。でも、さっきのアリスちゃん、猫のマネまでして、かわいいかった~」

 

「あ、あの……その……忘れて下さい」

 

「ちょっと! 話がズレてるじゃないの! ああもうホラ! 他にあるでしょう?」

 

「あはは……そうだよね。そういえばその日は、『にん、にん』でニンジャのむぐッ」

 

「あのさぁ、灯里。私が言いたいこと、何だか分かるかしら?」

 

「むむーっ!」

 

「藍華先輩……目つきがでっかい怖いです」

 

「いい? 後輩ちゃん。灯里はともかく、次変なことを言ったら、どうなるか、わかってんでしょうねえ……」

 

「えっ!? いや、あの……ええっと……あっ!」

 

「うふふ、わたしも分かっちゃった」

 

「ふふん、やっと分かったようね」

 

「1月30日が灯里先輩のお誕生日ですから、その3日後の2月2日というのは、藍華先輩のお誕生日、という事ですね?」

 

「やったあ。アリスちゃん、正解でーす!」

 

「いやいや待ってよ! どういう思い出し方なのよ? あたしの誕生日は灯里のついでなワケ?」

 

「えっ? それはその……は、早く来る方から覚えている、というのは世の常ではないかと……」

 

「たしかに、入学式の前に、卒業式の事なんて、考えないものねえ」

 

「いや、私はそんな遠ーい話はしてないでしょう? たかだか3日しか違わないんだから、年長者である私の方を中心に覚えときなさいって話よ!」

 

「ですから、たまたまそういう覚え方をしていただけで……」

 

「分かってるわよ! でも、やっぱりこの中でお姉さん的な立場の私が、灯里のついでみたいになってんのは悔しいの!」

 

「ま、まあ、藍華ちゃん落ち着いて。それはそうと、もし私達のプレゼントだったとしたら、嬉しいよねぇ」

 

「いえ、たった今しがた、ほぼ完全に思い出しました! これは先輩方のお誕生日プレゼントとして買った物だったのです!」

 

「えっ? 本当にそうなの?」

 

「ありゃま、言ってみるものねえ」

 

「はい! ただ……」

 

「ただ?」

 

「閉店セールをやっていたお店で買った物だ、ということをモロにお話してしまった手前、これを差し上げるのはちょっと……」

 

「そんなことないよ。アリスちゃんが私達の為に選んでくれたんだもん」

 

「そうよ。さっきも言った通り、安くて良い物が買えたんだったらいいじゃないの」

 

「そういうものでしょうか?」

 

「そういうものだよ」

 

「わかりました、そこまでおっしゃって戴けるのであれば、どうぞお受け取り下さいませ、先輩方」

 

「わーひ!」

 

「ありがと。とりあえず、私は赤いリボンの方を貰えばいいのかしら?」

 

「はい、確かそういう風に分けた物かと」

 

「今開けていいかなあ?」

 

「勿論です」

 

「気が早いわねぇ。でもまあ、中身が何なのかも気になる所だし、私も早速、開けさせて貰おうかしら」

 

「……あれ?」

 

「うん?」

 

「どうしたの? アリスちゃん」

 

「いえ、何だか、このプレゼントに関して、でっかい何かを忘れているような気がしてきたのですが……」

 

「何よそれ?」

 

「ねえ藍華ちゃん、ふたりいっぺんに開けてみようよ」

 

「そうね、じゃあ行くわよ!」

 

「……はっ! やっぱり今開け……」

 

「「せーのっ!」」

 

「ああっ!」

 

ポンッ!

 

「うきゃあっ!!!」

 

「藍華ちゃん!?」

 

バタンッ!

 

「へぶっ!」

 

「……」

 

「……」

 

「は、はへー……」

 

「あ、ああ……」

 

「……」

 

「はっ!? そう言えば」

 

「は、はへ? どうしたの? アリスちゃん」

 

「あ、あの……すみません先輩方、私このあとお客様のご案内があったようなのを思い出しまして……」

 

「えっ? アリスちゃん?」

 

「と、言うことなので、私はこれで失礼いたしま…」

 

ガッ!

 

「ヒッ!」

 

「あらぁ、後輩ちゃん……」

 

「は、はいっ」

 

「確か昨日はぁ、『午後はお休みなので、一緒にお買い物でも』ってぇ……言ってなかったかしらぁ?」

 

「えっ? あ、あのう……そ、それはですね」

 

「どちらにしろぉ、ウソはいけないわよぉ……。ねぇ、灯里?」

 

「えっ!? は、はひっ!」

 

「ええっと……それはそのぉ……何と言いましょうか……」

 

「後輩ちゃん……」

 

「はいっ!」

 

「そのままぁ、ゆーっくり、こちらに振り返ってみましょうか?」

 

「いや、あの、やはりですね、人生何事も常に前向きにというキャロル家の家訓を大切にしている私にとっては後ろを振り返るというのはその……」

 

「あ、あの、アリスちゃん。い、今は、そういうことは言わない方が……」

 

「そうよ……。でもそれはぁ、後輩ちゃんも、わかってる、わよねぇ……」

 

「わ、わかってます、わかってます! そ、それではその、う、うし、うし、うしろをふり返り……えいっ」

 

クルッ

 

「……」

 

「あ……あ……ああっ……」

 

「覚悟……出来てるんでしょうねぇ……」

 

「あーっ!!!」

 

______________________________

 

「……つまり、ちょっとしたサプライズで、私の方だけびっくり箱にしていたと、そういう訳ね」

 

「はい、でっかいすみませんでした、先輩方」

 

「そんなあ、気にしなくていいんだよ、アリスちゃん」

 

「いや、あたしのセリフ言うの禁止」

 

「あはは……そうだったね」

 

「まあいいわ、悪気があった訳じゃないんだし」

 

「はい、ちょっとした冗談のつもりだったのですが、まさか藍華先輩が、あそこまで大きなリアクションを取られるとは思ってもおらず……」

 

「綺麗に倒れたものねえ……。きっと、神様の気まぐれだよ」

 

「なるほど、つまり神がかったリアクションという事ですね」

 

「いや、リアクション芸人じゃないし、なんか笑いの神が降りてきた、みたいなのやめてよ」

 

「それよりも、プレゼントありがとうね、アリスちゃん」

 

「あの、気にいって戴けたら嬉しいのですが」

 

「そうね、後輩ちゃんにしては、お子ちゃまじみてない、いいチョイスだったわ」

 

「うん、早速使わせて貰うね」

 

「じゃあ、次の後輩ちゃんの誕生日、私と灯里からのプレゼントを仕込んでおかなきゃいけないわね」

 

「うん」

 

「あの、仕込むというのは一体……」

 

「ふふふ。期待して待っててね♡」

 

「目が笑っていないのが気になりますが……た、楽しみにしています」

 

「えっと、確か後輩ちゃんの誕生日は……確か、21月1日よね?」

 

「いや、あの……それは裏誕生日でして……9月1日です」

 

「藍華ちゃん、意外とうっかりさんなんだね」

 

「なっ……あによ、冗談よ、冗談」

 

「冗談? どういう?」

 

「ああ、もういいわよ! もう疲れたから、今日の会議はこれで終わり!」

 

「あはは……。でもアリスちゃん」

 

「はい」

 

「今日はアリスちゃんのおかげで、天使さんから素敵な宝物を貰ったみたいな気分になったよ。今日は、3人にとって、素敵な誕生日お祝い記念日になったね」

 

「恥ずかしいセリフ、禁止!」

 

「えーっ?」

 

「結局、灯里先輩への突っ込みに始まり、灯里先輩への突っ込みで終わりましたね」




と、いうことで、私と藍華ちゃんは、思いもよらずアリスちゃんから素敵なプレゼントを貰いました。
肝心の、プレゼントの中身ですが、藍華ちゃんはヘアピン、私は髪留めのセットだったんです。
早速つけてみたのですが、可愛らしくて、とっても素敵な感じです。
プレゼントを貰うのって、それだけで、まるで宝箱を開けるような、嬉しさ半分、ドキドキ半分の、とっても素敵な気分になるよね。


灯里さん
お誕生日プレゼントをつけた灯里さんの写真、とっても素敵だね!
私も灯里さんの誕生日プレゼントを送ったから、楽しみに待っててください。
ビックリして、椅子ごと倒れないように、注意してくださいね、うふふ。


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その オールに宿りし魔法は……(1)

アイちゃん
今日、私はまた、カフェフロリアンに来ています。
そうなんです。今日はまた、『一人前(プリマ)合同会議』が開催される日です。
しかも、今日の議題は、アイちゃんも覚えているかもしれない、あの素敵なオール捌きに関する事になったんです。
でもあれは、見るのはとっても素敵なんだけど、実際にやるとなると、とっても大変なんだということがわかってしまい……。
果たして、今回はどんな会議になるのやら……。



「はい。それじゃあ早速、『一人前(プリマ)合同会議』を始めまーす」

 

「お、おー。あ、あれっ?」

 

「藍華先輩、今日は何だか、随分大人しいスタートですね」

 

「当たり前じゃないのよー。今回の、灯里が持って来た議題は、この合同会議史上、最大級の難しーいものなんだから!」

 

「はて。この会議は、そんなに何回も開催されていましたでしょうか?」

 

「回数なんて関係ないわよ。会議あるあるでさ、議題が難しいと、いつまで経っても、結論が出ないままになって、次回に繰越、次回に繰越ってなって、そしていつの間にか自然消滅、ってことになりがちなのよ。後輩ちゃんだって、いつまでも同じ話で頭をウンウン悩ますの、嫌でしょ?」

 

「そう言われてみれば、そうですね」

 

「会議っていうのは、できる限り内容を濃く、短時間で、次回に繰越さないように、ちゃちゃっと終わらせるのが、理想なのよねー」

 

「ほへー。でも、藍華ちゃんと参加するようになった、ゴンドラ協会の会議は……」

 

「おおっと! それは言ってはいけねえですぜ、お嬢さん。あれはさ、いろーんな人の、いろーんな思惑……いや、まあ、とにかくさ。この会議とは、意味合いが全然違うし、あれはあれでいいのよ」

 

「ふうん、そうなんだねー」

 

「では、姫屋で会議をされる時は、どのように? 藍華先輩の言う、理想的な会議が開催されているのですか?」

 

「うん、大抵はそうね。特に、チーフに昇格した晃さんが参加する会議なんて、ちゃんと方針とか結論まで全部出て、みーんな1時間以内に、ピシッと終わるわよ。資料づくりや、事前の準備、会議での論点整理、会議の進行と、何から何まで、完璧なのよねー」

 

「そうなんだ、さすがは晃さんだね!」

 

「でしょでしょ? まあ、何を隠そう、資料を作ってるのは、私なんだけどさー……」

 

「藍華先輩、なぜ遠い目をしているのですか?」

 

「えっ? そう? まああの、求められるクオリティがちょっと……いや、かなりアレなもんだからね……」

 

「藍華ちゃん、晃さんのお手伝いしてるんだー。偉いんだねー」

 

「はは……偉ってゆーか、こき使われてるってゆーか、出来ることなら誰かに代わってもらいたいってゆーか……」

 

「何となくですが、大きな足音を立てながら支店長室に入るなり、『この資料を作ったのは誰だあっ!』と言って、資料を投げ返す。そして、気に入るまで何度も、藍華先輩に資料の作り直しをさせている、という悪夢のような情景が浮かんだのですが……」

 

「うっ……。いや、あの、まさか、そんなこと、あるわけ、ない、かも、多分」

 

「藍華先輩。何だか、話し方がでっかい腹話術みたいですよ?」

 

「ねえ藍華ちゃん。資料を作るのって、そんなに大変なの?」

 

「それを聞いてはいけません、灯里先輩。藍華先輩はきっと、『資料作りの愛、かあさんの歌』と言うべき状況なのですから」

 

「ほへっ? お母さんの歌?」

 

「はい。古い童謡に、『♪あいかーさんがー、ざんぎょーをして、しょるいーーを作って泣いたー』という歌がありまして」

 

「うわあ、アリスちゃん。やっぱり歌が上手だねー」

 

「ちょっと! 明らかに何かの替え歌じゃないのよ! 変な歌、唄うの禁止!」

 

「すみません。やはり童謡より、(アリア)の方が馴染み深いですよね。『会議が終わるまで、誰も寝てはならぬ』とか、『ダメ出しされる、女心の歌』とか……」

 

「だから、私の事を無理やり歌にしなくていいの! ほら! こうやって、会議を進行しようとすると、いっつもアンタ達が、暴走機関車みたいに話を脱線させまくるんだから! ダメな会議の代表例よ!」

 

「でも、わたしは、この会議が終わった時は、いつも頑張ろうって、素敵な気分になるんだけどな」

 

「それは私もです。会議が終わるまでに、でっかい一悶着があるのが難点ですが……」

 

「はいはい。そういう事は、今回の会議が終わってから、おうちに帰って考えましょうね。それじゃあ、さっさと始めるわよ。灯里、まずは今回の議題を発表して」

 

「はひ! えーっと、今日の議題は、こちらですぅ!」

 

トンッ

 

「『どうやったら、この絵の通りのオール(さば)き、通称〈アリシアさんスペシャル〉が出来るようになるのか?』ですっ!」

 

「……」

 

「……」

 

「はへっ? ふたりとも、何で後ろを向くの?」

 

「……ぷぷっ、だ、ダメだわっ! 何度みてもこの絵、笑っちゃ……ぷぷぷっ!」

 

「ふふっ、す、すみません。くっ、ふふっ、ふふっ……」

 

「えーっ? そんなにおかしいかな?」

 

「だって……ぷぷっ、灯里画伯の、この絵、くくっ、この前メールで送ってもらった時から……おかしくって……」

 

「おかしくはないですよ。おかしくない…ふふっ、いや、おかしくないん…ふふっ、ですが、変に伝わってしまうところがおかしいと…ふふっ、言いましょうか」

 

「そうなんだね。わたし、一生懸命書いたんだけどな………はひぃ」

 

「ああっ、ごっ、ごめんごめん! ほら、そんなことで落ち込まないで、ねっ?」

 

「でも……」

 

「うーん、あっ、そうだわ! チョコラータ カルダでも頼まない?」

 

「チョコラータ、カルダ……」

 

「そう! こういう時にはあったか~い、チョコ……って、あの、灯里さん?」

 

「はひー。それ、素敵だねー……」

 

「灯里先輩、うっとりしてますね」

 

「灯里……恐ろしい子」

 

___________________

 

「とりあえず、絵のことは置いといて、どうしてこれを話し合おうと思ったかを、後輩ちゃんにも説明して……って、おいーっ!」

 

「これ、トロトロで、甘くて、おいひいれすー」

 

「でっかい堪能されてますね……」

 

「んもう! 早く説明しなさいよーっ!」

 

「はひっ!? あっ、えーっと、実は、うち(ARIAカンパニー)をご贔屓(ひいき)にしてくださっているお客様がいるんだ。それでこの前、そのお客様からのご予約を受けたんだけど、その時に、アリシアさんがいた頃のお話になったんです」

 

「や、やっと始まった……」

 

「はい、続きをどうぞ」

 

「それで、アリシアさんがそのお客様をご案内した時に、水上をさまよっていたアリア社長を助けた事があって、今回、そのお客様から、『その時の様子があまりにも幻想的だったから、できることならもう一度見てみたい』というご依頼がありまして……」

 

「ちょっと待ってください。アリア社長は、何故水上をさまよっていたのですか? 釣りでもしていたのですか?」

 

「んな訳無いでしょ? あの食いしん坊が、そんな気の長ーい食べ物の取り方、すると思う?」

 

「確かに。しかし、それでは何故?」

 

「えーっと、それは……」

 

「灯里が説明すると、長くなりそうだから、実際にそれを灯里と一緒に目撃した、私から説明するわ。ほら、地球(マンホーム)にいるアイちゃん、分かるでしょ? あの子がさ、ARIAカンパニーに初めて来た時に、ゴンドラタダ乗り事件を起こしたの」

 

「ゴンドラタダ乗り事件? ずいぶん不穏な話ですね」

 

「べ、別に、事件っていうほどでは、ないんだけど…」

 

「何言ってんのよ。あれは後世にも語り継ぐべき、重大事案(インシデント)だわ。それでね、その時、何でか良くわからないんだけど、私達と一緒にいたはずのアリア社長が、ボウルみたいなのにうまーく乗っちゃった状態で、プカプカーって、結構な勢いで流されちゃったのよ」

 

「ほうほう」

 

「んで、こりゃ大変! ってなった時に、たまたま近くを通りかかったアリシアさんが、素敵なオール捌きで、アリア社長を見事に救助したってワケ」

 

「はひ。そういうことなんです」

 

「なるほど。アリシアさんのでっかい匠の技、という事ですね。それがこの〈アリシアさんスペシャル〉ですか。それなら納得もできますね」

 

「そうよ。その時は『さっすがアリシアさんっ!』って感じで、感動しっぱなしだったんだけどね。でも、今改めて考えてみるとさ、この絵にもある通り、あのアリア社長を、ほぼ垂直に跳ね上げてたのよ。オール捌きが得意な後輩ちゃんは、こーゆーの出来る? あ、ちなみに私はムリー」

 

「私も、オール捌きに関しては多少の心得はありますので、小さいお子様が、水路に落としたボールを返すぐらいなら難なく出来ます。しかし、さすがにあのアリア社長を、垂直に跳ね上げるとなると……」

 

「そうなのよねー。問題はそこなのよー。あのモチモチポンポンを、オールで持ち上げるだけでも大変なのに、ほぼ垂直に跳ね上げちゃうんだもの」

 

「やっぱり、アリスちゃんでも、難しいよねえ」

 

「はい。しかし、常連さんなら、何故アリシアさんがまだARIAカンパニーの一人前(プリマ)だった時に、アリシアさんに頼まれなかったのでしょうか?」

 

「それは、その時は、どうしてもって程じゃなかったし、またいつか似たような状況が起きたらお願いしてみよう、と思っているうちに、アリシアさんが引退しちゃったから、なんだって」

 

「まあ、簡単に言えば、頼むタイミングを逸したって事ね」

 

「なるほど。しかし、それはアリシアさんはご存知なのですか? ご存知だとすれば何と?」

 

「はいそこ! 良い質問きた! それじゃあ灯里、その事について、報告して」

 

「はひ。この前、アリシアさんにこの事を聞きに行ったんだけど……」

 

_____________________

 

 

「まあまあ、灯里ちゃん。ようこそ、ゴンドラ協会へ」

 

「すみません、アリシアさん。忙しいのに、お時間を戴いてしまって……」

 

「あらあら、いいのよ? 今日みたいに、ちゃんとアポイントさえとってくれたら、そこは空けておくから。もし、困った事があれば、いつでも相談に来てね」

 

「はいっ! ありがとうございます!」

 

「うんうん。元気があって、とってもよろしい! なあんてね、うふふっ」

 

「えへへー……あっ、それであのっ、お電話でお話した件なんですけど……」

 

「ええ、そうだったわね。でも、ごめんなさいね。電話だと、お客様からのご要望だってこと以外、今一つよくわからなくて……」

 

「すみません。わたしの説明が上手じゃなくて。なので、これを見てください」

 

「あらあら、これは?」

 

「はい、その時の様子を絵にしたものです」

 

「ふうん……。そう、このことだったのね。『百聞は一見に如かず』と言うけれど、この素敵な絵を見て、良くわかったわ」

 

「わかってもらえて、良かったです。それで、問題は、これをどうやったら、私が出来るか、なんですけど……」

 

「……灯里ちゃん」

 

「はい」

 

「これは……ちょっと難しいかもしれないわね」

 

「あ……そう、なんですか……。そうですよね。やっぱり、今のわたしの力では、こんな風にオールを操るのは無理ですよね」

 

「ううん、そうじゃないわ」

 

「えっ?」

 

「オール捌きも含めて、お仕事に関することについては、私にできて、今の灯里ちゃんにできない、という事は、何もないはずよ。それは、灯里ちゃんを一人前(プリマ)に昇格させた、この私が保証するわ」

 

「えーっ!? アリシアさん、三大妖精さんだったのに、それはさすがに言い過ぎですよー」

 

「本当よ。もしそうでなければ、今こうやって、私がゴンドラ協会にいることは無いんですもの。だから、灯里ちゃんは、もっと自分に自信を持っていいのよ?」

 

「は、はい、ありがとうございます。でも……」

 

「そんな顔をしないで、灯里ちゃん。私まで悲しい気持ちになってしまうわ」

 

「そっ、そんなことは、ないですよー、えへへー……」

 

「灯里ちゃん……。うーん、何て言ったらいいのかしら……。そうねえ、これを言ったら、灯里ちゃん、驚いちゃうかもしれないけれど……」

 

「ほへ?」

 

「難しいというのは……実はあの時、私が使っていたオールには、ある魔法がかかっていたからなの」

 

続く



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その オールに宿りし魔法は……(2)

「先輩方、『歴史上の偉大な人物も、最初はみな僕らと同じ学生だったんだ。彼らにできたなら、僕らにもできる』という言葉があります。私達も、日々切磋琢磨すれば、いずれは三大妖精の皆さんと、肩を並べられるような日が来るのでしょうか?」

「わたし、アリシアさんみたいに素敵なオール捌き、できる自信ないなあ……」

「灯里っ! そういう時はジタバタするしかないわ! 漕いで、漕いで、漕ぎまくるのよ!」

「はひっ! オールの特訓、頑張ります!」

「それと、いつも笑顔を忘れずにね!」

「はひっ! あらあら、うふふ。あらあら、うふふ」

「いや、笑顔は振りまくらなくていいから……」



「「魔法がかってた!?」」

 

「はひ。そうなんです」

 

「「やっぱり……」」

 

「はへっ?」

 

「あ、いえ。では、アリシアさんは、魔法少女だったという事ですか!?」

 

「いや、ちょっと待った。アリシアさんみたいな大人の女性を、魔法少女ってゆーのは、なーんか違和感があるわね」

 

「では、魔女ですか?」

 

「いやいや、『白き妖精(スノーホワイト)』なんだから、魔女って言っちゃったら、なーんか黒ってゆーか、ダークなイメージになっちゃわない?」

 

「では、魔法使いはどうでしょう?」

 

「そう! それが一番しっくり来るわ! ……と思ったけど、それも何だか、アリシアさん特有の、フツーの大人の女性にはない、可憐さが欠けているような気がするわねぇ……うーん……」

 

「あのう、藍華ちゃん?」

 

「あによ?」

 

「なんだか、ちょっぴり話が脱線しているような気がするんだけど……」

 

「あっ……」

 

「……」

 

「……」

 

「そ、そうだったわ。私としたことが、こんな後輩ちゃんのおふざけに、いつまでも付き合ってちゃダメよね。そろそろ本題に戻りましょ?」

 

「はっ!? さりげなく、話が脱線したのをでっかい(ひと)のせいにしていませんか!?」

 

「はいそこ! 濡れ衣発言、禁止!」

 

「うむむむ……」

 

「ま、まあまあ、ふたりとも……」

 

「でも、確かにアリシアさんは『魔法』って言ったのよね? どう言う意味なのか、詳しく聞いたの?」

 

「うん、それが……」

 

______________________

 

「魔法……ですか?」

 

「そう。あの1番のオールはね、グランマから受け継がれた、素敵な想いが沢山詰まったオールだったの」

 

「素敵な……想い」

 

「グランマの想いと、私の想い。そして、アリア社長や灯里ちゃん。それに、これまでご案内した沢山のお客様。そういった、色々な人達の、色々な想いが、時間をかけて、幾重にも重なって……。いつしか、あのオールに魔法が宿るようになったのね」

 

「あのオールに、そんな魔法が宿ってたんですか?」

 

「そうなの。あの時、アリア社長をああやって助ける事ができたのは、私が、そのオールに宿っていた魔法を、使ったからに他ならないわ」

 

「はへー……」

 

「ところで、灯里ちゃんは、つくもがみって、知ってる?」

 

「あっ、はい。あの、長く使われた道具に宿ると言われる、神さまの事ですよね?」

 

「さすがは灯里ちゃんね。あのオールは、そこまで長く使われた物ではないけれど、そのつくもがみが宿っていた、と言った方が、灯里ちゃんには分かり易いかしら?」

 

「そう言われてみると、半人前(シングル)の時に、黒いゴンドラさんとお別れした時にも、つくもがみさんがいらっしゃっような……あっ、でもっ、わたしの夢の中で、ですけど……」

 

「あらあら、そうだったの。あのゴンドラも、沢山の素敵な想いが詰まっていたものだし、案外、夢ではないかもしれないわよ」

 

「はい。でも、そうだとすれば、私のオールでは、アリシアさんのように魔法が使えるようになるまで、まだまだ時間がかかりそうですね」

 

「でも、いつかは、灯里ちゃんのオールにも魔法が宿って、それを灯里ちゃんが使えるようになる日が、きっと来るはずよ。だから、今使っているオールを大切にして、これからも沢山のお客様に、素敵なご案内をしてあげてね」

 

「はいっ。わたし、もっともっと、頑張ります!」

 

「うん! その意気よ、灯里ちゃん」

 

「でも、お客様には、何と説明したらいいでしょうか?」

 

「そうね。そのお客様には、私から説明をしておくわ。後で、連絡先を教えてくれる?」

 

「はい。分かりました。それでは帰ってすぐに、メールでご連絡先を……あの、アリシアさん?」

 

「うーん……それにしてもこの絵、本当に素敵ね」

 

「えーっ? そうですか?」

 

「ええ、とっても分かりやすいし、特徴を見事に表していると思うわ」

 

「そ、そこまで言われると、なんだか、こそばゆい感じが……」

 

「アリア社長が描いたんでしょう? 私の知らない間に、絵がとっても上手になったのね」

 

「……はえっ?」

 

「やっぱりこれも、アリア社長の想いが、魔法になったせいなのかしら?」

 

「あ……あはは、そうですね。アリア社長は、きっと魔法使いさんですよねー……はひ」

 

「……ん?」

 

__________________

 

「……と、言うことで、今の私には、まだまだ難しいと、アリシアさんに言われてしまいまして……」

 

「……」

 

「……」

 

「はへっ? ふたりとも、何でまた後ろを向いてるの?」

 

「うっ、ぐっ……ごめん、灯里」

 

「藍華ちゃん?」

 

「私、もう合同会議できない……」

 

「えーっ!?」

 

「……ご、ごめん」

 

「ふっ……わ、私もです。灯里先輩、くっ……本当に、申し訳ありません」

 

「何で謝るの? この日の為にみんなで……」

 

ガタッ!

 

「えっ?」

 

「もうだめ! 私ちょっと2番行ってくる!」

 

「私も! 3番入ります!」

 

「2番? 3番? あっ! ふたりとも、どこに行くのーっ!?」

 

「ごめん! すぐ戻って来るから! ちょっと待ってて!」

 

「同じく、少々お待ちを!」

 

「……はへー……」

 

____________________

 

 

「あのー、ええっと、ごめんね灯里。変な事を口走った挙げ句、急にいなくなっちゃって」

 

「私もでっかい失礼しました」

 

「ふたりとも、お手洗いだったんだ。2番とか、3番とか言うから、全然分からなくて、ちょっぴり心配しちゃったよ」

 

「うん、もう大丈夫。深呼吸して、息を整えて来たから」

 

「同じくです」

 

「ほへ?」

 

「あっ、いいの。気にしないで。さあ、スッキリしたところで、合同会議を再開しましょ?」

 

「そうですね」

 

「でもさあ灯里。お客様に見せないことになったんなら、もうその時点で、『諦めよう』って結論が出てたって事なの?」

 

「それは、その……」

 

「ははーん。もしかして、アリシアさんにはそう言われたものの、灯里自身はチャレンジしてみたいとか? それとも、アリシアさんの使ってた、魔法のオールを使えば、自分にも出来るんじゃないかなー、って思ったとか?」

 

「藍華先輩、アリシアさんが使っていたオールは、確かゴンドラ協会に保管されているのでは?」

 

「あら、それなら別に、ちょーっと拝借しちゃえばいいじゃないの」

 

「その言い方、何だかでっかい犯罪の匂いがしますね」

 

「あら!? ちょっとダメよ、後輩ちゃん。『盗もう』だなんて考えちゃあ。私はまだ、目隠しされた少女A、カッコ後輩ちゃんカッコとじ、の写真が載ったニュースなんて、見たくないんだからね?」

 

「はっ!? さりげなく、(ひと)を、窃盗事件の首謀者に仕立て上げようとしていませんか!?」

 

「はいそこ! 黒幕発言、禁止!」

 

「うむむむ……」

 

「あ、あのっ!」

 

「……うん?」

 

「あの、わたし……。もし、今回のことを諦めちゃったら、何か他の事があっても、また、諦めちゃう気がして……」

 

「灯里……」

 

「だから、今はまだ、アリシアさんみたいに魔法が使えなくても、どうしたら出来るのか、それさえ分かれば、あとは毎日特訓して、いつかきっと……って」

 

「灯里先輩……」

 

「だから、ふたりにはごめんなさいだけど、もし、何かわかった事があれば、教えてもらいたくて……」

 

「ふーん、そ。そういう事なら、次は私から報告するわね。私は、晃さんに、この件について聞いてみたんだけど……」

 

____________________

 

「……えー、それでは、本件に関しましては、プランBの方で進めさせて戴くという事で、ご異議のある方はいらっしゃいますでしょうか?」

 

「「「異議なし!」」」

 

「はい。特に異議のある方もいらっしゃらないようですので、これで決定と致します。後程、詳細な資料を送付致しますので、本日の会議資料と併せてご参照ください。それでは以上をもちまして、本日の営業会議を終了致します。ありがとうございました」

 

ガヤガヤガヤガヤ……

 

……バタン

 

「……よーし! 終わった!」

 

「お疲れ様でした、晃さん!」

 

「おう、お疲れ」

 

「いやー、今日の会議も、素敵なプレゼンでしたね!」

 

「お世辞か? 私を誉めても、何も出ないぞ?」

 

「いえいえっ、そんなことは、ないんですけど……」

 

「そうやって、お前がモジモジしている時は、ろくな事が無いんだが? 言いたい事があるならハッキリ言えと、いつも言っているだろ?」

 

「はっ、はいっ、実は……」

 

 

 

「何っ!? 水上に浮いているアリア社長を、オールで垂直に跳ね上げる方法を教えろだと?」

 

「い、いえっ、あのっ、『教えろ』だなんて、そんな滅相もないです! ただ、晃さんだったら、やり方ぐらいはご存知かなーって、思ったって言うか……」

 

「すわっ!」

 

「ひゃいっ!?」

 

「いいか? 私はな、オール捌き、観光案内、カンツォーネと、大概の事なら、他の奴らに負けない自信はあるし、まだまだお前に教えてやりたい事も、山程ある。だがな、ことARIAカンパニーの奴らがやった事については、何も教えられない。それは何故だか分かるか?」

 

「いいえ! 全っ然、わかりませんっ!」

 

「あらっ? 今日はやけに正直だな……。とにかく、あいつらはな、私らと違って、魔法が使えるんだよ」

 

「は? 魔法ですか?」

 

「そうだ」

 

「ええ~。晃さんが、そんな非現実的な事を言うなんて~」

 

「だったらお前、灯里ちゃんから話を聞いた時、自分に出来ると思ったか?」

 

「やだなあ、もう。出来ると思ったら、こうして晃さんなんかに聞きませんよー」

 

「晃さん『なんか』だと?」

 

「あっ、あれっ? そっ、そういう意味じゃなくてですね……」

 

「まあいい。藍華、我が姫屋に伝わる、〈三つの心得〉を覚えているか?」

 

「はい。『約束は、しっかり果たすこと』、『時間は、きっちり守ること』、それから……」

 

「『出来ない事は、出来ないとはっきり言うこと』、だろ?」

 

「……はい」

 

「お前は、それを知ってて、何故灯里ちゃんに教えてやらないんだ! お客様の前で、何も出来ずにいる灯里ちゃんを見て、笑い者にでもするつもりか?」

 

「いっ、いえっ、そういう訳じゃないんです。私はただ、灯里の願いを叶えたいと思って……」

 

「そうか……。じゃあな、ひとつだけ教えてやろう。お前ら新人一人前(プリマ)が、私ら先輩一人前(プリマ)と同じレースに出たとする。スタートしたばかりのお前らと、とっくにスタートしている私らとの差は大きく開いているが、お前らは何とか追いつきたい。さて、お前なら、どうする?」

 

「えっ? それは……どうしたらいいんでしょうか?」

 

「そういう時はな、追いつきたいと強く念じて、死に物狂いで、ひたすら走り続けるんだよ。私らだって、永久に走り続ける事はないから、いつかはお前らが、私らに追いつき、そして追い抜く時が来る。その時には、魔法なんか使わずとも、それを超える能力(ちから)がついているはずだ」

 

「魔法を、超える能力(ちから)……」

 

「ま、お前と違って、灯里ちゃんは素直だからな。今頃アリシアに、『あらあら、あれは魔法だから、灯里ちゃんには出来ないわよ、うふふ』とでも言われて、もう諦めているかもしれないが」

 

「は、はあ……。それにしても、全然似てな……」

 

「藍華っ!」

 

「ひゃいっ!」

 

「いいか? 今回の件で、灯里ちゃんがどうしようが知らんが、藍華、お前は……お前だけは、全身全霊をかけて走って来い! そして、 この私を追い抜いて見せろ!」

 

「晃さん……」

 

「どうした? 返事がないぞ?」

 

「……はいっ!」

 

「よし! その意気だ! それじゃあ藍華。早速だが、明日までに次回の会議資料の作成、全身全霊をかけてよろしく頼むな!」

 

「……はいっ?」

 

__________________

 

「とまあ、そう言う事でございまして……」

 

「晃さんも、アリシアさんが魔法を使ったって、言ってたんだ……」

 

「しかも、灯里先輩とアリシアさんとの事までほぼお見通しで、藍華先輩に至っては、さりげなく資料作りまで指示してしまうとは……」

 

「はいはい。とりあえず、私からの報告は終わりだから、次は後輩ちゃんね」

 

「はい。それでは……と、言いたい所ですが、その前に、先輩方に確認したいことがあります。まずは、灯里先輩」

 

「なあに?」

 

「灯里先輩は、この〈アリシアさんスペシャル〉を会得する為なら、例え辛くても、本気で練習して、成功するまで何度でも挑戦する。そういう覚悟はお持ちですか?」

 

「……うん。ううん、はいっ!」

 

「分かりました。次に、藍華先輩……は特にないですね」

 

「ちょっと! この流れで、さりげなくそういう事言う!?」

 

「藍華先輩、でっかい突っ込み発言、禁止です」

 

「ぬなっ! ったくぅ……何なのよ、それ」

 

「では、改めて、藍華先輩」

 

「あによ?」

 

「藍華先輩は、もし灯里先輩と私が、『私達も死に物狂いで走る』と言ったら、一緒に走って戴けますか?」

 

「はあ? あったり前じゃないのよ。私だけ苦しい思いをするなんて、絶対イヤよ。どーせ走るなら、あんた達も道連れだ・わ・よっ」

 

「ふふ、分かりました。実は最初、私も到底無理だと思っていたんです。しかし、アテナ先輩のお話と、今日の先輩方のお話が、この難問に打ち勝つ、ある可能性をもたらせてくれました」

 

「アリスちゃん……」

 

「それでは、報告させていただきます。そして、私達で暴いて見せましょう。その、アリシアさんが使われたという、でっかい魔法の正体を!」

 

続く

 



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その オールに宿りし魔法は……(3)

「先輩方、『道を切り開くのは自信と勇気だ』という名言があります。私達も確固たる自信と勇気、そして、決意と覚悟を持って、日々の仕事に取り組むべきではないでしょうか?」
「もー、後輩ちゃんったら。そんなに気を張ったって、疲れるだけじゃないの? 鼻歌でも歌いながら、気楽に行きましょうよ」
「♪ふふふん ふふふん ふふふんふんふ~ん」
「ねーちょっと後輩ちゃん。鼻歌なのに、無駄にクオリティ高過ぎじゃない? そんなんじゃ、灯里が歌いづらくなるじゃないのよー」
「な、何でわたしが……」
「あら、ごめんなさいね~」
「えっ? 天上の謳声(セイレーン)が鼻歌を!? まずいわね……何だかこれ、オチがない気がする」
「藍華ちゃん……何を心配しているの?」



♪Tra voi saprò dividere il tempo mio giocondo;

/あなた方となら、私の愉快な時間を分かち合うことができるでしょう。

 

Tutto è follia nel mondo ciò che non è piacer.

/この世のすべては狂気なのです、喜びでないものは。

 

Godiam, fugace e rapido è il gaudio dell'amore;

/楽しみましょう、愛の喜歓は束の間で、そして一瞬なのです、

 

È un fior che nasce e muore,né più si può goder.

/それは生まれては枯れる一輪の花で、もう楽しむことができないのです。

 

Godiam c'invita un fervido accento lusinghier.

/楽しみましょう、燃えるような喜ばしい言葉が私たちを招くのです。

 

 

「はー……」

 

「……あら? アリスちゃん、いらっしゃい。どうしたの?」

 

「あっ……はい。アテナ先輩が、こちらで、今度の特別公演の自主練習をされていると、聞いたもので……」

 

「そうだったの~。じゃあ、練習はそろそろ終わりにして、一緒にお茶でも……」

 

「ダメです」

 

「え~っ? どうして~?」

 

「アテナ先輩が、こんなにも練習に打ち込まれていたとはつゆ知らず、軽い気持ちでひょっこり来てしまった自分は、でっかいダメダメです。私は帰りますので、どうぞ練習を続けて下さい」

 

「でも、本当にそろそろ終わりにしようと……」

 

「いいえ、私の事は、もういいですから」

 

「あっ、アリスちゃん! ちょっと待っ……あっ!」

 

「えっ? アテナ先ぱ……」

 

バッターンッ!!!

 

「…………」

 

「……アテナ先輩!? アテナ先輩!? しっかりしてください!」

 

「う、う~ん………」

 

「き、気が付かれましたか? 大丈夫ですか?」

 

「……あら? ここは……どこ?」

 

「ええっ!? これは、ま、まさか……」

 

「私は……誰? あなたは……どちら様で?」

 

「…………はい、ここはフェニーチェ劇場。あなたの名前はアリア・ポコテンといって、ARIAカンパニーという水先案内店の社長をされています。そして私は、ただの通りすがりのウンディーネ。名乗る程の者ではありませんが、人は皆、私のような者を『アナータ・モブキャラーネ』と呼んでいます。ひとまず身体(からだ)の方はご無事のようで、何よりでした。それでは」

 

「あっ!? アリスちゃ~ん! 行かないで~っ!」

 

 

 

「ご、ごめんなさいね、アリスちゃん。怒って……ないわけ無いわよね?」

 

「いいえ、全然怒っていません。アテナ先輩の後輩ですから、あのくらい、でっかい想定内です」

 

「そう、良かった~」

 

「良くは無いのですが、今日は折り入って、お聞きしたいことがありまして……」

 

「えっ? なあに?」

 

「はい、それが……」

 

 

 

「……そう、アリシアちゃん、そんな事をしたんだ」

 

「はい。私も、灯里先輩が描いた、当時のイメージ…ふふっ…イ、イメージ図を見ただけなので、まだ、詳しい状況はわからないのですが……」

 

「そうねえ。きっと、アリシアちゃんはその時、魔法を使ったのね」

 

「……は? あの、魔法ですか?」

 

「うん、魔法。びっくりした?」

 

「びっくりするな、という方がでっかい難しいです」

 

「そう? ああ見えて、アリシアちゃん、魔法を使うのがとっても上手なのよ? アリスちゃんは、アリシアちゃんが魔法を使うところ、見たことな~い?」

 

「えっ? ええっと……何と言いましょうか。そう言われてみると、魔法を使ったとしか考えられないような、神出鬼没っぷりを発揮されていた事が、あったような……」

 

「でも、今のお話だと、灯里ちゃんが、アリシアちゃんと、同じ魔法を使いたいって事なのよね?」

 

「はい。しかし、あのモチモチポンポンのアリア社長を、オールで持ち上げる事自体が難しく、ご自身では皆目見当がつかないと。アリシアさんにも確認はされるそうですが、私や藍華先輩にも調べて欲しいと……」

 

「そうなんだ……」

 

「ただ、アテナ先輩の言うように、それが魔法だと言うのなら、到底、灯里先輩の成功は望めません。そうなのであれば、灯里先輩には、今の時点で、諦めてもらった方が良いのでしょうか?」

 

「……ねえ、アリスちゃん」

 

「はい」

 

「さっきの歌って、何だか知ってる?」

 

「はい、『乾杯の歌』ですね。ヴェルディのオペラ『椿姫』の、第一幕で登場する劇中歌です。この『椿姫』は、西暦(地球歴)1853年に、ヴェネチアのフェニーチェ劇場で初演が行われ、世界中にあるオペラ劇場でも、最も上演回数が多い作品の一つに数えられています」

 

「すごいわ。観光案内だけじゃなくて、歌やオペラの紹介まで完璧なのね」

 

「ありがとうございます。しかし、それが何か?」

 

「この『椿姫』はね、『初演が大失敗に終わった』っていうことでも有名なの。でも、上演を何度も重ねる度に人気が出てきて、やがて、世界中で上演される、とっても有名なオペラになったそうよ」

 

「はあ……失敗、ですか」

 

「もし、ヴェルディ自身が、このオペラの成功を信じず、失敗を恐れて、初演だけで諦めてしまっていたら、きっとこの歌も、こんなにも歌われることはなかったでしょうね」

 

「ん? それは、そうですが……」

 

「それとね。この歌は、他の歌手の人達と、みんなで歌う事になっているの。それは、ここの劇場の方が『慣れない衣装、慣れない場所で、最初はどうしても緊張するでしょうから、始めに、この陽気で楽しい歌をみんなで歌いましょう』って、言ってくれたからなの」

 

「えっ? アテナ先輩でも緊張することがあるのですか?」

 

「そうね。一人だったら、少し不安もあったわ。でも、自分だけじゃない。この公演を、何とか成功をさせたいって、みんなが思ってくれてるんだって思ったら、そんな不安も、すっかり忘れちゃった」

 

「はっ!? そうでした。私も、もし周りの誰かが、何かを成功させたいと強く願うなら、一緒になって成功させてあげたい。そうですよね?」

 

「うふふっ。それは素敵なことですね、アリスちゃん」

 

「しかし、魔法とは……。せめて、アリシアさんのオール捌きに関して、何かヒントになるようなものでもあればいいのですが……」

 

「う~ん。あ、ヒントになるかは、わからないけど……」

 

「何か、思い当たるものがあるのですか?」

 

「私がまだ半人前(シングル)の頃、オール捌きが本当に下手でね。子供が水路に落としたボールを、返してあげる事がどうしても出来なかったの。その時、アリシアちゃんが、『コッコロ』の替え歌を作って、やり方を教えてくれたことがあったわ」

 

「替え歌!? それは、どのような替え歌なのですか?」

 

「えっ? え~っと……う~んと……」

 

「アテナ先輩! でっかい思い出して下さい!」

 

「そ、そんな怖い顔で迫られても……。ああ、思い出したわ。じゃあ、ちょっと歌ってみるわね」

 

「はい! よろしくお願いします!」

 

______________________

 

「……と、いう事で、私はアテナ先輩から、その替え歌を聴く事ができました。私からの報告は以上です」

 

「「えーっ!? そこで終わり!?」」

 

「はい。これ以上の報告をしたら、私が、その『コッコロ』の替え歌を、歌う流れになってしまう気が……」

 

「何ふざけたこと言ってるのよ! さっき訳のわかんない替え歌は歌ったクセに、どうしてこっちは歌わないのよ!」

 

「アリシアさんの替え歌、私も知りたーい!」

 

「いや、しかし、周りに人もいますし……」

 

「ふぬ~っ! 後輩ちゃ~ん! 教えなさぁ~い!」

 

「アリスちゃ~ん。おねえさん達にも、その替え歌、教えて欲しいなあ~……」

 

「ギラギラとキラキラの圧で、でっかいめまいがしそうです……。仕方がないですね……一回だけですよ?」

 

「やった!」

 

「わくわくするねえ……」

 

「コホン、では……」

 

 

♪ボールの 下に オールを 入れて

面に ぴったり ヘリには 当てない

 

オールの 角度は 岸に 向かって

ほんの 少し 斜めに 向けて

 

後は ひと呼吸

そっと ゆっくり

 

すくい 持ちあげて

最後 笑顔で返そう

 

 

「「…………」」

 

「どっ、どうでしょう?」

 

「うん……。とっても素敵だったよ、アリスちゃん」

 

「うりゅりゅりゅりゅ……。いい替え歌ねえ……」

 

「な、泣く程ですかね……。ま、さすがは通り名が〈泣き虫セレナーデ〉だけのことは……」

 

「だからそれは違うっつってんでしょうが!」

 

「あ、藍華ちゃん、周りにも人がいるんだから、落ち着いて……」

 

「あっ? ああ、ごめんね灯里。私としたことが、つい熱くなっちゃったわ」

 

「……はっ!? 何で灯里先輩には、さりげなく自分の非を認めて、それで終わりなのですか!?」

 

「はいそこ! 理不尽発言、禁止!」

 

「むむむ……」

 

「まあまあ、ふたりとも……」

 

「でも、確かに歌は素敵だけど、後輩ちゃんは、この替え歌から何か掴めたワケ?」

 

「はい、要はこれと、ほぼ正反対の事をすればいいと思いまして」

 

「正反対?」

 

「はい。この歌は『水路に落ちたボールは、無理に打ち返そうとせず、ゆっくり優しくすくい上げて、笑顔で返しましょう』という、超ドジっ子ウンディーネである、アテナさん向けの対処法なのです」

 

「ふんふん、それで?」

 

「今回はその反対、つまり、ゆっくりすくい上げるのではなく、オールに強い遠心力を加えて打ち上げる。例えば、少し浮かせた状態のサッカーボールを、足を振り抜き、真上に思い切り蹴り上げるような動作が必要なのではと」

 

「ほへー……」

 

「更に、オールのブレードの、ヘリの角張った部分と、シャフト部分の間にピンポイントで当てる。つまり、力が加わる部分を、面ではなく、点にして、伝わる力が最大限になるようにすればよいのかと」

 

「うーん、何だか難しいですー……」

 

「あー、それってさー。ここにある、角砂糖とスプーンに置き換えると、替え歌の方は、角砂糖を下からスプーンでゆっくりすくい上げる。で、アリシアさんスペシャルの方は、スプーンを90度回転させて、スプーンのヘリと柄の部分で、角砂糖を下からコーンって打ち上げる、みたいな?」

 

「そうです。また、恐らくですが、水面が凪の状態ではなかったと思われます。アリシアさんは、波の影響で、アリア社長が少し浮き上がった一瞬を見逃さず、スナイパーのように、ピンポイントの場所と角度、そして最大限の力で、オールを操ったのだと推測されます」

 

「確かにあの時、近くで飛行船が着水した時だったわ。でも、実際見といて何だけど、そんなこと、本当に出来るの? 角砂糖とスプーンでも、かなり難しいわよ?」

 

「だから、『魔法が宿っている』と言えるぐらいに、使い慣れたオールで、かつ、魔法使いのような、熟練した操舵という術がないと出来ない、という事です」

 

「それじゃあやっぱり、わたしには無理なのかなあ……」

 

「はい、無理ですね」

 

「ぬなっ!?」

 

「同じ事を、灯里先輩一人でなら……ですが」

 

「うん? それはどういう意味?」

 

「この三人でなら、水に浮かぶアリア社長を、垂直に跳ね上げる、という事は恐らく可能かと」

 

「「出来るの!?」」

 

「やり方については、私に考えがあります。ただ問題は、三人での相当な練習、というか、特訓が必要な事です。果たして、今の私達に、その時間が確保できるかどうか……」

 

「そ、それは……。ただでさえお仕事忙しいのに、わたしの為に特訓だなんて、ふたりに悪いよ……」

 

「なーに言っちゃってんのよ今さら。時間なんて、作ればいいのよ。それに、さっきも言ったでしょ? どうせ走るなら、三人で一緒に走んのよ! これから毎日、早朝合同特訓をやるわよっ!」

 

「藍華ちゃん……」

 

「ま、忙しい後輩ちゃん(オコチャマ)は、毎日オネムでしょうから、ちょーっと無理かもだけどねー」

 

「むむむ。藍華先輩の方こそ、毎日残業で疲れ、出勤時間ギリギリまでベッドから出ない日々なのでは?」

 

「はあ!? 姫屋の支店長なめんじゃないわよ!? そこまで言うなら、早朝特訓、絶対遅刻しないでよね!」

 

「私の事なら心配いりませんよ。やれやれ、ノリと勢いで突っ走ろうとする先輩を持つと、でっかい世話が焼けますね……」

 

「アリスちゃん……」

 

「ってことで灯里、三人でいっちょ、頑張りましょ!」

 

「共に、高みを目指しましょう!」

 

「……は、はひ……。ありがとう……ふたりとも」

 

「いい? もしこれが成功したら、あの三大妖精にも、グンと近づけるかもしれないんだから! 気合い入れていくわよっ! 成功目指してー、レッツラーGO!」

 

「「おーっ!」」

 




と、言うことで、次の日から三人で、早朝合同特訓をすることになったんです。

それは、何度も何度も、地道で、同じ動作の繰り返し。
そして、何度も何度も、藍華ちゃんからは怒られ、アリスちゃんからはダメ出しを受ける日々。

でも、何とか成功させたいという、この気持ちは変わりません。
変わらないどころか、日を追うごとに、どんどんどんどん、その想いが強くなって行ったんです。
それは、半人前(シングル)時代の合同練習では感じた事のなかった、何だか、特別な感情でした。

そして、いよいよ来週、ご予約のお客様の前で披露します!
どうなるかはわかりませんが、結果についてはまたメールしますね!

続く








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その オールに宿りし魔法は……(4)

アイちゃん
ついに、ついに、3人の合同特訓の成果を見せる、お客さまのご予約の日がやって来ました!
その時の様子は、添付された動画をご覧あれ。
是非、感想を聞かせてね!

ところで、先週はメールのお返事をもらえなかったけど、忙しいのかな?
そういえば、もうすぐ学校のテストだって言ってたものね。
お返事はテストが終わった後でいいので、体調に気をつけて、勉強頑張ってね!



「……あら? アリシアさん?」

 

「まあまあ……。この前は、突然お電話をしてしまいまして、どうも申し訳ありませんでした」

 

「いえ、私達のワガママなお願いのせいで、こちらこそすみませんでした。でも、どうしてアリシアさんがこちらに?」

 

「ええ。灯里ちゃんから『観て欲しい物がある』と言われて来たのですが、まさかお二人がいらっしゃるなんて……。どう言う事なんでしょう?」

 

「それはこっちのセリフですよ、アリシア理事」

 

「アリシアちゃ~ん、お久しぶり~」

 

「あらあら、晃ちゃんに、アテナちゃんも?」

 

「(ねえ、もしかして、あの三大妖精?)」

「(うん! 凄すぎ!)」

 

「私達を呼び出すだけならまだしも、お客様をこんな所に待たせるとは……。一体アリシア理事様は、現役時代、灯里ちゃんにどんな教育を?」

 

「それが、私も今来たばかりで……。お客様、どうも申し訳ありません。灯里ちゃんに代わってお詫びを……」

 

「ああ、私達の事は気にしないで下さい。観光案内はもう終わっているんです。とっても楽しいクルーズでした!」

 

「ええ、もう大満足! 私達はいま、素敵なものが観たくて、待っていただけなんです。灯里さんは悪くないんですよ?」

 

「素敵なもの、ですか?」

 

「しかし、呼び出した張本人達はどこだ?」

 

「アリスちゃ~ん、どこなの~?」

 

「……あっ、皆さんお揃いですね!? 今日は、わざわざありがとうございます!」

 

「灯里ちゃん、一体どういうことなの?」

 

「はい。こちらのお客様に、是非とも観ていただきたい物があるのですが、せっかくなので、お三方にも是非観て戴きたくて……」

 

「それって、もしかして……」

 

「はい。あの魔法……と、言いたい所でしたが、やはり、わたしには無理だということが分かりました。お客様のご期待に添えず、申し訳ありませんでした」

 

「灯里ちゃん……」

 

「なので、その代わりと言ってはなんですが、これから皆さんに……。皆さんに、ええっと……」

 

「うん?」

 

カサカサッ……

 

「そ、そうだ『三人のまじかる少女Aが織り成す、ぽっぷできゅーとな、みらくる☆まじっくしょーたーいむっ!』をお見せしたいと思います」

 

「「「「…………」」」」

 

「あ、あれ……? 皆さん?」

 

「こりゃーっ、灯里ーっ! 恥ずかしいセリフ、禁止!」

 

「藍華?」

 

「えーっ? だってこれ、藍華ちゃんが言いなさいって言ってたのにー」

 

「あら? そうだっけ? でも、アイデアは全部後輩ちゃんよね?」

 

「はっ!? さりげなく、批判の矛先を私に向けさせていませんか!?」

 

「はいそこ! 矢面(やおもて)発言、禁止!」

 

「むむむ……」

 

「ふ、二人とも、お客様の前だから……」

 

「アリスちゃん達、あっちにいたのね~」

 

「……ま、まあいい。灯里ちゃん、申し訳ないが、私達は忙しいんだ。藍華(アイツ)の顔を立てて、観には来たんだが、すぐ始めてもらっていいかな?」

 

「はい、では早速準備します。なお、このショーは、今日この一回だけしかやりません。なので、失敗に終わってしまう可能性もあります」

 

「何っ?」

 

「ですが、その時は、もっと練習をして、いつか必ず成功させますので、いつかまた、このショーを観ていただける日を、楽しみにお待ちいただけたらと思います」

 

「あら、それじゃあ、また何度もクルーズに来なきゃいけないわね」

 

「はひ! 何度もいらしてください。お待ちしております!」

 

「ふふふっ」

 

「ちょっと待ってくれ、灯里ちゃん。失敗するかもしれないものを、わざわざ私達に見せたかったのは、何故なのかな?」

 

「それは……今回、お三方をお呼びしたのは、私達三人の、現在(いま)能力(ちから)を、観て戴きたかったからなんです」

 

能力(ちから)?」

 

「はい。これは、わたし達三人の先輩である、三大妖精さんに少しでも近づきたいという願い、挑戦(チャレンジ)でもあるんです」

 

「ほう……。それは、私達に対する挑戦(チャレンジ)ということかな?」

 

「……はいっ!」

 

「だったら見せてもらおうか、その挑戦とやらを。だが、お客様にもご覧戴く以上、失敗すれば、会社の看板に泥を塗る事にもなる。それを忘れないようにな」

 

「はい。ではアリア社長、二人の所へ行きましょう!」

 

「ぷいにゅっ!」

 

トタトタトタ……

 

「二人は水上で待機、か……。一体、何が始まるんだ?」

 

「アリシアさん。私達の変な注文のせいで、何だか大変なことになっちゃいましたね……」

 

「いえ、こちらこそ、何だか申し訳ありません」

 

「でも、楽しみでもありますね!」

 

「そう言って戴けるのは、良いのですが……」

 

「それより、あの三大妖精さんが揃うなんて、何て幸運なんでしょう! あの……後で、皆さんと一緒に写真を撮ってもらっても、良いですか?」

 

「私はいいですけれど……二人は?」

 

「ええ、喜んで」

 

「は~い、いいですよ~」

 

「いいんですか? やった!」

 

「何なら、アリシア理事も制服に着替えさせましょうか?」

 

「ちょっと、晃ちゃん?」

 

「ふふっ、別にいいじゃないか。制服ならまだ、ここにあるんだろ?」

 

「探せばあると思うけど、でも、私はもう引退した身だし……」

 

「……何だ、サービス精神の無い奴だな。そんな奴がゴンドラ協会の理事だなんて、先行き不安になるじゃないか。元とはいえ、かの偉大なるグランマが創設した、ARIAカンパニーの社員たるもの、おもてなしの心であるとか、そういう会社の理念は胸に刻んで置くべきで…」

 

「あのう……」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「写真を撮って貰えるだけでも充分なのに、わざわざ探して着替えて貰うなんて、悪いですよ。それに、皆さん忙しいんですよね? まさかウ…」

 

「あっ!? こっ、これは失礼しました、お客様」

 

「あ~、晃ちゃん。お客様に、怒られた~。お顔が真っ赤で、まるで大きなタコさんウインナーみたいよ~」

 

「たっ……こっ……」

 

「あらあら」

 

「後でお……あ、いや。しかし、あのアリア社長が乗っているのは……ボウル?」

 

「アリスちゃ~ん! がんばってね~!」

 

「大丈夫かしら、灯里ちゃん……」

 

 

 

「おーい! 皆さーん! 見えますかー? 」

 

「あっ、はーい! 大丈夫ですよー!」

 

「それでは準備ができたので、始めまーす!」

 

「ぷいにゅにゅーっ!」

 

「はーい! お願いしまーす!」

 

 

「この状況って、あの時の……」

「灯里ちゃんと、その対面(トイメン)にいる二人の間に、アリア社長が入ったぞ?」

「アリスちゃ~ん」

 

 

「我がオールに宿りし神さま、このアクアマリンに、魔法をかける能力(ちから)を、そして、(われ)を守りしローゼンクイーン、オレンジプリンセスに、荒波にも勝る力をお与えください」

 

 

「魔法って……」

「口上? 一体、何が始まるんだ?」

「アリスちゃ~ん!」

 

 

「それでは……行きますっ! 秘技、アリシアさんスペシャル改め……」

 

 

「えっ? 灯里ちゃん?」

「お、おいっ、まさか……」

「アリスちゃ~ん?」

 

 

AAA(とりぷるえー)……まじっく!!!」

 

 

 

ヒュンッ!

「「それっ!」」

 

 

 

 

ドッパァーン!!!

 

 

 

 

ぷーーいにゅーーっ……

 

 

 

 

「「「ああっ!?」」」

「バカなっ!?」

「上がったわ~」

 

 

「やり…はっ!? 灯里先輩っ!」

「灯里っ!!! キャッチ!!!」

「はへっ!? は、はわわわっ!?」

 

 

 

「……にゅっ?」

 

 

 

ドッポォーン!!!

 

 

 

「「「ああっ!?」」」

「バカな……」

「落ちたわ~」

 

 

「はわわわっ! アリア社長ーっ!」

 

バチャバチャバチャバチャッ!!

 

「ぶにゅっ! ぶがぼいぶにゅにゅにゅっ!!」

 

「こっ、これにつかまってくださーい!」

 

バチャバチャッ……バシャッ……

 

「……ぶ、ぶひにゅ……」

 

 

 

「大丈夫ですか? アリア社長」

 

「ぷ、ぷいにゅーにゅっ」

 

「はひ……よかったですぅ……」

 

「……は?」

 

「えっ?」

 

「……よかった、ですって?」

 

「はひっ!?」

 

「藍華先輩?」

 

 

 

「い・い・わ・け・な・い・でしょがあっ!」

 

「はひぃーーっ!!!」

 

「藍華先輩、でっかい鬼の形相です」

 

「もうっ! 何でキャッチしないのよーっ!」

 

「えーっ!? だって……だってーっ!」

 

「よく考えたら、空中に跳ね上げる所作ばかり練習して、そっちは、全然練習しませんでしたね。でっかいうっかりでした。てへっ」

 

「てへっ、じゃないわよっ! ……ああ、ネオ・三大妖精への道が……いきなり大コケだなんて……」

 

「いや、先輩方。あちらを見てください!」

 

「「えっ……?」」

 

 

パチパチパチパチ

 

 

「いやー、すごいわ! 最後はアレだったけど、あの頃と同じ、いや、それ以上の迫力だわっ!」

 

「うん! もう大満足の大満足! 私達のお願いを見事に叶えて貰いました! これって、大成功ですよね? アリシアさん!?」

 

「えっ? え、ええ……」

 

「うん、とっても素敵だったわ~」

 

「言いたい事は山ほどあるが、お客様の要望にお応えしたのは誉めて……アリシア、どうした?」

 

「一回だけなんて勿体ないわ……。早速、ゴンドラ協会主催のイベントにもオファーを……」

 

「お、おい、本気か!?」

 

「……えっ? あ、あらあら……冗談よ?」

 

「あまり、冗談には聞こえなかったけど~」

 

「いいえ、冗談です。でも、そう思うぐらい、素敵なショーだったわ。うふふっ」

 

「……という訳で先輩方。でっかい大成功のようですよ?」

 

「じゃあ……コレ、喜んでいいの? 喜んでいいのねっ!?」

 

「はい。……良かったですね、灯里先輩!」

 

「はひっ! やりました! アリア社長ー!」

 

「ぷいにゅーっ! ぷいにゅーっ!」

 

_____________________

 

 

「「AAA(とりぷるえー)まじっく?」」

 

「はい。それは、『三人のマジカル少女Aが織り成す、ポップでキュートな、ミラクル☆マジックショーターイムッ』……ですね」

 

「ほへー……」

 

「ごめん、ふざけてるなら帰るわよ?」

 

「いえ、でっかい真面目なので居てください!」

 

「あっそ……」

 

「仕掛けはこうです。まず、私と藍華先輩が、灯里先輩の反対側で、浮かんでいるアリア社長をオールのへりに引っ掛けて固定します」

 

「「ふん」」

 

「次に、灯里先輩が、先程言ったように、オールに最大限の遠心力を加え、下からアリア社長を思い切り跳ねあげます」

 

「「ふんふん」」

 

「それと同時に、私達もありったけの力で、アリア社長を上に持ち上げ、放つ。これで、アリア社長は垂直に上がるはずです」

 

「にゃーるほどね。これなら、必要な力も、1人の時の半分以下で良さそうね。」

 

「ただし、これは3人の息が合わないと出来ませんし、実際に跳ね上げるのは、本番の一回しか出来ません」

 

「ほへっ、どうして?」

 

「何度もやれば、オールをでっかい傷つけてしまうからです。恐らく当時、アリシアさんは、オールより、アリア社長の救助を優先したのでしょう。ですから、実際にアリア社長を跳ね上げるのは、本番一回だけです」

 

「ほへー……」

 

______________________

 

「と、いうことで、これが、私達がお見せできる、精一杯の魔法……という名のショーでした」

 

「あらあら、そうだったの……」

 

「本番一回って……。まさか、今日初めてアリア社長を上げたって事か?」

 

「はひ!」

 

「だから、キャッチの練習ができなかったのね~」

 

「まあまあ、みんな、すごいのね!」

 

「やった! ♪アリシアさんにっ、褒められちゃったーんっ!」

 

「はて、昨日は『やっぱり無理かも』と泣いていた方がいたような……」

 

「だっ、誰よそれ!? わ、私じゃないわよ!?」

 

「まあ何はともあれ、観る価値はあったようだな。さあて、観るものは観たんですから、さっさと帰って仕事に戻りますよ、藍華支店長」

 

「ええっ? もうですか?」

 

「……当たり前だろ? 我々にもこの後お客様がいるんだ。大体お前、最近、支店長室でうたた寝して、ご案内に遅刻しそうになったそうじゃないか。我が姫屋に伝わる、〈三つの心得〉を忘れたのか? 『約束は、しっかり果たすこと』、『時間は、きっちり守ること』、それから……」

 

「あのう……」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「皆さんで、写真を撮って貰えるという約束は、守って貰えるんでしょうか? まさか、わ…」

 

「あっ!? こっ、これは失礼しました、お客様」

 

「あ~、晃ちゃん。お顔が真っ赤で、また大きなタコさんウインナーみたいよ~」

 

「おいっ! だからその例えはやめろって!」

 

「あらあら」

 

_____________________

 

「はい、それじゃあタイマー設定しまーす!」

 

「お客様、いいんですか? わたしたちも一緒で」

 

「もちろんです! ね?」

 

「うん! もしかしたら、三大妖精さんと、ネオ・三大妖精さんの揃った、貴重な一枚になるかもしれないんですもの!」

 

「あらやだぁーお客様、お上手ですねえ!?」

 

「いやーなってるかもなー。20年後ぐらいに」

 

「ぬなっ!? そんな先すか!?」

 

「はい、じゃあ押しました!」

 

「(……灯里ちゃん)」

 

「ほへ?」

 

「(ARIAカンパニーを、灯里ちゃんに任せて、本当に良かった)」

 

「えっ? 今なんて……」

 

「うふふっ」

 

「では皆さん! せーの! カンパニー…」

 

「ぷいっくしゅっ!」

 

「だあっ!?」

 

パシャッ!

 

「………えっ?」

 

「「「えーっ!? そんなあっ!」」」

 

「いや……もう一回撮ればいいだろ?」

 

「あらあら、うふふっ」

 




灯里さん
先週はお返事できなくてすいませんでした。
動画、とっても素敵で、私は涙が止まりませんでした!

先週、灯里さんからのメールを読んで、まだ子供だからとはいえ、自分が大変なことをしでかしてしまったのだと、改めて思いました。
それと同時に、とっても恥ずかしいやら、情けないやら、という気持ちになって、灯里さんへのお返事ができなかったんです。

あの時、私の気持ちを変える、素敵な魔法のプレゼントをくれた灯里さんには、いつかきっと、名誉挽回の意味も込めて、精一杯の恩返しをしたいと思います。
自分にそれができると思ったその時、またAQUAに行きますので、それまで待っていてもらえますか?

あ、ちなみに、試験の方は……次回、頑張りまーす!


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その 少女の夢見る休日は……

アイちゃん
今日、わたしはカフェフロリアンに来ています。
そうです。今日は『一人前(プリマ)合同会議』の開催日なんです。
今日のネオ・ヴェネチアは、生憎の雨模様という事で、第1回目以来の室内開催になりました。
今日の議題は、アリスちゃんから発表される、ということしか聞いていないのですが、何だかちょっぴり、胸騒ぎがするんです。
一体、どうしてなんだろう?



「こりゃ灯里、おーそーいー」

 

「ごめんなさーい! あれ? アリスちゃんは?」

 

「まだよ」

 

「ほへっ? どうして?」

 

「そりゃ、まだ待ち合わせ時間じゃないもの」

 

「えーっ? だって、藍華ちゃんが『この時間に来なさい』って」

 

「ええ、そうよ。何か問題?」

 

「問題? ……うーん? 問題はないけど……」

 

「じゃあ良いじゃない」

 

「はひ。そ、そうなるよね……」

 

「いや、早目に呼んだのはさー。先に少し、二人で話しとこうと思って」

 

「あー、そうなんだ! ……何を?」

 

「分からない? 後輩ちゃんのことよ」

 

「アリスちゃんが、どうかしたの?」

 

「灯里はさ、今日の議題、何だと思う?」

 

「議題? うーん……何だろう?」

 

「いや、実は一昨日、たまたま、後輩ちゃんに出会ったのよー」

 

「お仕事中?」

 

「そう。そしたらさー、私がお客様のお見送りを終えた途端、不気味な薄ら笑いで『今度の会議、楽しみですね……』って、言ってきたのよー」

 

「ええっ?」

 

「いや、さすがの私も、あれにはゾッとしちゃったわー。まるでこう、さまよう幽霊みたいな?」

 

「藍華ちゃん、それは軟体動物……」

 

「とにかく、何かしら、良からぬ企みがあるに違いないわ!」

 

「良からぬ企み?」

 

「例えば、社内で何か事件を起こして、それがバレそうになっているとか……」

 

「アリスちゃんが?」

 

「そう。全身ずぶ濡れで、事件の証拠品が入った、大きなバッグを持って、ここへ現れるの」

 

「ま、まさかあ」

 

「で、『これを……灯里先輩の所で、しばらく預かって貰えませんか?』とか言いだして……」

 

「ふええ……」

 

「『中は絶対に、開けないでくださいね……』って言われて、恐る恐る持って帰った所を、何も知らないアリア社長が開けちゃって……」

 

「は、はわわ……」

 

「中から……血まみれの制服や凶器が……ゴッソリと……」

 

「はわっ、はわわっ……」

 

「すると突然、背後から後輩ちゃんの声がして、『灯里先輩……開けないでとお願いしたのに、でっかい開けてしまいましたね……』と」

 

「はひーっ! ど、どどっ、どーしよー!?」

 

「もー、冗談よ、冗談。そんなビビらないでよ」

 

「えーっ? でも……」

 

「とにかく、嫌な予感がするから、強い気持ちを持って臨まないと、駄目かもって、思ったワケ」

 

「う、うん……」

 

「私は心を鬼にして、ダメなものはダメって、はっきり言うつもりだから、灯里もね?」

 

「心を鬼に……。それって、いつもの藍華ちゃんと、何が違うの?」

 

「ぬなっ!? あんたねー、私を何だと思ってるのよ? 」

 

「ご、ごめんなさい。わたしの勘違い……かも」

 

「なあんか、ヤな感じね……。(あっ! 来たみたいよ!) とにかく灯里、いいわね?」

 

「う、うん……」

 

トタトタトタッ

 

「ハア…ハア…」

 

「あら、後輩ちゃん。遅かっ……」

 

「は…はわわ……」

 

 

ポタッ……ポタッ……

 

 

「せ、先輩方……お待たせしました……」

 

「後輩ちゃんが……全身、ずぶ濡れ……」

 

「す、すみません。出てきた時は、雨が止んでいたので、折り畳み傘を持って出たのですが、急に激しい雷雨に見舞われてしまい……」

 

「アリスちゃんが……大きな、バッグ……」

 

「あっ!? こっ、これはその……。折り畳み傘の他に、今回の議題に関する重要な物が……」

 

「あ、あのさ…。何で、傘を差さなかったの?」

 

「いや、あの状況で、バッグを開ける訳には…」

 

「は、はわわ…。そ、そのバッグの、中身は?」

 

「いや、会議の前に、中をお見せする訳には…」

 

「は…はは…はひっ……。あ、藍華ちゃーん!」

 

「だっ、大丈夫よ! お、落ちつきなさいよ!」

 

「さあ……先輩方」

 

ビカッ!

 

「会議を、始めましょう……」

 

バリバリッドーン!!

 

「「きゃぁぁぁぁっ!!」」

 

「ええっ!? なっ、何なんですかっ?」

 

______________________

 

ゴシゴシ……

 

「大丈夫ですかな? マドモアゼル」

 

「はい。タオル、ありがとうございました」

 

「すみません、店長さん自ら……」

 

「はっはっは。お安い御用ですよ。風邪をひいては大変ですからな。どうぞ、ごゆっくり」

 

「はひ」

 

「…………」

 

「ごっ、ごめんね、後輩ちゃん。何だか私達、スッゴい誤解、してたみたい……」

 

「藍華ちゃんと、ちょっぴり怖いお話をしてて……だから、ごめんなさーい!」

 

「いいえ、先輩方の勘違いは、今に始まった訳ではないですし、でっかい気にしてませんから」

 

「そ、そう? じゃあ会議、始めよっか?」

 

「はい。お願いします」

 

「じゃあ、気を取り直して……『一人前(プリマ)合同会議』を、始めるわよ!」

 

「「おーっ!」」

 

「室内で大声出すの……まあいっか、今、この部屋には私達しかいないし」

 

「そ、それで、アリスちゃん。き、今日は……ど、どんな議題なの?」

 

「はい! よくぞ聞いて下さいました。今日の議題は……」

 

「は、はひ……」

 

「『三人の休みを合わせて、一緒に遊びに行こう!』ルールの制定についてです!」

 

「……ほへっ?」

 

「(それか!)」

 

「実は私、気がついたんです」

 

「何を?」

 

一人前(プリマ)になって以来、この『一人前(プリマ)合同会議』以外に、私達三人がゆっくり会う機会って、ほとんどないじゃないですか」

 

「そう言われてみれば……」

 

「確かに、そうね」

 

「そう言う私も、お仕事が忙しくも楽しいので、お休みを取る事すら、でっかい忘れていたのです」

 

「アリスちゃんも、今やアテナさんに並んで、大人気のウンディーネさんだものねえ……」

 

「それは有難い事なのですが、この前、会社の偉い人から、『もっと終日の休みを取らないとダメだ』と言われてしまいまして……」

 

「まあそうね。姫屋(ウチ)でもそれは言われてるし、私も支店のみんなには言ってるわ」

 

「わたしも『なるべくお休みを取りなさいねー』って、グランマやアリシアさんに言われるなあ」

 

「そこで、どうせお休みを取るなら、三人で日にちを合わせて、一緒に遊びに行こう!というのを、新たな自分ルールにしようと思いまして……」

 

「はへー……」

 

「…………」

 

「先輩方、何か、問題ありますか?」

 

「問題? ……うーん? 問題はないけど……」

 

「では、灯里先輩は賛成で、良いですね?」

 

「えっ? ええっと……それは……」

 

「どうなんですか? 賛成ですか?」

 

「そ、そんな眼で迫られても……。あの、藍華ちゃんの意見を聞いてからでも、いいかな?」

 

「はい、では、藍華先輩は、いかがですか?」

 

「……ダメ」

 

「えっ?」

 

「聞こえなかった? ダメよ、ダーメ」

 

「ええっ!?」

 

「藍華ちゃん?」

 

「後輩ちゃんはさー。私や灯里が、そんな簡単に休みなんて、取れると思ってんの?」

 

「えっ? だって、先輩方も、休みは取るようにと、言われているのでは?」

 

「もちろん、言われてるわよ?」

 

「で、でしたら何故、駄目なのですか?」

 

「あんたと、私らとじゃ、立場が違うからよ」

 

「立場?」

 

「そう。後輩ちゃんは、オレンジぷらねっとの社員だから、会社の労働組合に入ってるでしょ?」

 

「はい」

 

「でも、私らは、今は後輩ちゃんが言うところの、会社の偉い人にあたるの。そういう組合とかには、入ってないのよ」

 

「ええっ?」

 

「だから、私らは社員のみんなを、休ませたりしなきゃいけないんだけど、自分達はそこまでじゃないの」

 

「はへー、そうなんだー」

 

「灯里が感心してどうするのよ! ま、灯里の所は、あんた一人だから、どーでもいーけど」

 

「えーっ?」

 

「……では、泣こうが、書類を涙で濡らそうが、残業し放題という事ですか?」

 

「だから泣いてないってば! 泣いてないけど、まあ、そうね。一応そう言う事になるわね」

 

「つまり、姫屋における、藍華先輩のような偉い人の労働環境は、劣悪極まりなく、馬車馬の様に働かされていると、そういう事ですね?」

 

「ぬなっ!? いや、そういう話じゃ…」

 

「ないと言えますか? 断言できますか?」

 

「えっ? いやっそのぉー、つまり……」

 

「ちょっと、ふたりとも落ち着いて……」

 

「いいえ、社員一名で、何の参考にもならない灯里先輩は、黙っていてください!」

 

「はうっ!」

 

「偉い人の藍華先輩がそんなだと、姫屋に入っても、将来は残業天国でこき使われる、お先真っ暗な会社だと、皆に思われてしまうのでは?」

 

「うぐっ!」

 

「姫屋の後継ぎ娘でもある藍華先輩は、そんな悪しき伝統や慣習を、変えるべき立場なのでは?」

 

「そ……は、はい」

 

「では、お休みを取りましょう! みんなで!」

 

「「は、はあ……」」

 

「むむむ? 先輩方、何だか嫌そうですね? 分かりました。これは事案として、ゴンドラ協会にいるアリシアさんにもご相談を……」

 

「ちょっ、ちょっと!」

 

「そんな……」

 

「では、よろしいですね?」

 

「ああ、もう! わかった、わかりました! 灯里、どっか休み取れそうな日、ある?」

 

「う、うん。一日位なら、何とか……」

 

「はい! では、賛成多数ということで…」

 

「ちょーっと待った!」

 

「はい?」

 

「三人で、一緒に休みを取るのはいいわよ? でも、貴重な一日なんだから、ノープランで、単にプラッと遊びに行くなんて嫌よ。ね、灯里?」

 

「えっ? わたしは、別に……」

 

「嫌よね?」

 

「は、はひ……」

 

「どーせ遊びに行くなら、ちゃあんと企画書にして、プレゼンしてくんなきゃ」

 

「企画書?」

 

「そうよ、『旅のしおり』的な?」

 

「…………」

 

「後輩ちゃんも、売れっ子ウンディーネなんだからさ。私達ウンディーネが満足出来るプランぐらい、簡単に作れるわよね?」

 

「藍華ちゃん、そこまでしなくても……」

 

「いいえ、灯里先輩。私も、藍華先輩のおっしゃる通りだと思います」

 

「はへっ?」

 

「あら、物分かりがいいのね。じゃあ、休みの件は、それを作ってから、って事でいい?」

 

「はい。では今から……」

 

「はあ?」

 

「この日の為に……まずは、傘を出して、と」

 

「まさか、そのバッグの中身って……」

 

バサッ…

 

「はひっ」

 

バサバサッ…

 

「あ、あの……後輩ちゃん?」

 

バサバサバサバサッ!

 

 

「はへー……これ全部、旅のしおり?」

 

「な、なかなかやるじゃない……」

 

「ふふっ。さあ、どれからご案内致しましょうか? 一人前(プリマ)ウンディーネの、お二方」




そんな訳で、アリスちゃんの考えたプランについて、色々とお話をすることになりました。
ああでもない、こうでもない。それぞれの、色んな想いが交錯して盛り上がる、素敵なひととき。
ようやく決まった時には、もうあたりはすっかり暗くなってしまいました。

別れ際、藍華ちゃんが「当日、風邪とかで行けないってオチは、絶対禁止よ!」と、何度もくぎをさしていたのですが……そんな心配はどこへやら。みんな元気いっぱい! 当日は抜けるような青空が広がり、とっても素敵で、楽しい休日になりました!

余程楽しかったのか、解散の時に、アリスちゃんから「次はいつにしますか?」と、迫られて、藍華ちゃんと二人で、ちょっぴり困っています。

でも、またみんなで、色々な所に行ってみたいな。


灯里さん
素敵な休日が送れたみたいで、良かったね!
送ってくれた写真、どれもとっても楽しそう!
いいなー! 私も今度一緒に行きたいなー!

ところで、どの写真にも、よぉーく見ると、端っこに、オレンジぷらねっとっぽい制服が写っているような……。
気のせいかな? 気のせいだよね! うふふっ。


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第2章 とあるウンディーネの一日編
(藍華編)その 華麗なるステップとスワップは……(1)


藍華・S・グランチェスタは、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、姫屋カンナレージョ支店の支店長として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。



ああ、眠いわ……。

 

私は支店へと向かう道すがら、少しあくびをした。

 

ここ、カンナレージョ地区は、サンタ・ルチア駅にも近い事もあって、人通りも多く、活気のある街だ。

 

普段なら、この賑やかな街に元気づけられ、自然と仕事モードに切り替わるというのに、今日はこの眠さのせいか、気持ちがうまく切り替わらない。

 

冬なのに、ポカポカと暖かい日差しが降り注いでいるから?

 

それとも昨夜(ゆうべ)、あの奇妙な夢を見たから?

 

或いは、お店で衝動買いしたヘアピンを眺めていたせいで、寝るのが遅くなったから?

 

いずれにしろ、眠い事だけは確かだ。

 

軽く2、3回、但し、なるべくすれ違う人達には分からないように、あくびをしながら歩くと、目的地の、少し見慣れた建物が近づいてくる。

 

そう、ここが私の城とも言うべき『姫屋カンナレージョ支店』だ。

 

支店長になって、何となくではあるが、この建物が、自分のお城だと思える様になってきた。

 

もちろん私は、かの後輩ちゃん(アリス・キャロル)曰く『藍華先輩は(中略)支店で(中略)一番偉い人(以下略)』だし、このお城にいる間は、薔薇の女王(ローゼンクイーン)なのだから、支店とはいえ、トップとしての自覚が出てきたのかもしれない。

 

支店の入口に掲げられている、≪HIMEYA Filiale di Cannaregio(姫屋カンナレージョ支店)≫という、姫屋のロゴ入りのプレートの前に立ち、しばし鑑賞する。

 

う~ん。このプレート、何度見ても、いい。

 

ダメだとわかっていながら、自然と顔がニヤニヤしてしまう。

 

と、同時に、胸に熱いものが込み上げてきた。

 

よーし、気分がノッて来たわ! 気合いを入れて、今日もみんなに元気よく、挨拶しなきゃね!

 

惜しみながらも、そのプレートとお別れして、裏手の従業員通用口へと歩く。

 

そこにある扉の前で、私は軽く深呼吸してから、ドアの前で祈った。

 

今日も、いつものルーティンが成功しますように!

 

私には、朝、建物に入る時に、欠かさず行っている、華麗なる儀式がある。

 

まあ、儀式と言っても、「♪ウンバラバラバーウンバッバ」などと歌いながら、神に捧げる踊りを踊るとか、魔方陣を書いて、大きなフードを被り、あき……いや、悪……もとい、異世界から誰かを召還する呪文を唱える訳ではない。

 

従業員用通用口は、カードリーダーに、解錠用のカードを縦に通すタイプだ。

 

そのカードを、華麗な手さばきでカードリーダーに通したら、一発で読み込むか。

 

ただそれだけではあるが、私にとってそれは、今日という日が、素敵な一日になるかどうかの、運試しなのである。

 

カードをパスケースから取り出し、人差し指と中指で挟み持つ。

 

私にとって、緊張の一瞬だ。

 

「レッツラー、GO!」

 

シュッ

 

「……」

 

あ、あれ?

 

ピピッと鳴らない。

 

昨日まで、35回連続で成功していたのに、よりにもよって、どうして今日のこの日に失敗してしまうの?

 

そんな事を考えながら、少し周りを見回してみるが、幸い他の社員はいないようだ。

 

『ねえ、グラン。これ、ノーカウントって事でもいいわよね?』

 

『HAHAHA! モチのロンだよ藍華! そもそも、今のはリハーサルだったんじゃあなかったのかい?』

 

『あっ! そうだわ! 嫌だ、私ったら、一体何を言っちゃってるのかしら?』

 

『HAHAHA! 勘違いなんて、誰にもある事さ! それじゃあ藍華、そろそろ準備はいいかな?』

 

『モチのロンよ! グラン』

 

『OK! 一発勝負、ド派手に決めちゃおうぜ!』

 

『うんっ!』

 

と、昔のアメリカンホームコメディドラマ風のセルフ脳内問答をしてから、もう一度カードを通し直す。

 

シュッ

 

……

 

「あれ? どして?」

 

あによこれ? 故障してんの?

 

全く、カードリーダーのクセに、この薔薇の女王(ローゼンクイーン)に足止めを食らわせるとは、いい度胸してるわね!

 

そんな事を思いながらも、焦る気持ちは止められず、原因を考える。

 

もしかして、カードリーダーの故障?

 

いや、それなら、この時間に私一人だけということはないだろう。

 

とりあえず、インターホン鳴らして開けて貰う?

 

いや、『あ、こいつカード忘れたな』等と思われたら嫌だし、言い訳するのも面倒だ。

 

一体このピンチを、どうしたら華麗に切り抜けることが出来るだろうか?

 

「うーん……」

 

「お嬢?」

 

「うひゃっ?」

 

おののきながら振り返ると、そこに不思議そうな顔をした、あゆみさんが立っていた。

 

あゆみさんは、トラゲット一筋の半人前(シングル)ウンディーネとして、姫屋(うち)で働いている。

 

一緒にトラゲットをやった、かの水無灯里曰く、『明るくて、お客さまもウンディーネも、みんなが楽しくなる、トラゲットの達人さん』らしい。

 

実際、仕事はきっちりこなしているようだし、後輩達の面倒見もいい。なので、本店にも頼み込んで、この支店を手伝ってもらう事にしたのだ。

 

「やっぱりお嬢でしたか。おはようございます!」

 

「あ、あゆみさん。おはようございます」

 

「もしかして、声かけたらマズイ感じでしたか?」

 

「えっ? いえっ! 全然大丈夫ですよ!」

 

「どうしたんスか? さっきから、何か手裏剣投げるような動きしてるなーって、見てたんスけど……」

 

「えっ!?」

 

まずい、見られている。モロにまるっと完全に見られている。しかも『手裏剣』という厄介なワードのオマケ付き。

 

何か言い訳を考えなければ……。

 

「……て、天気がいいから、支店に入る前に、昔習ったニンジャモンジャ体操でも、しようかなーって思ったんですよ。あゆみさんも、一緒にどうです?」

 

うん、手裏剣も関係してるし、誘った事でリアリティが増す。我ながら華麗な切り返しが出来た、と思った。

 

「おおー、ニンジャモンジャ体操スか! 懐かしいなあ……」

 

「ですよねー!」

 

「……ん? でも、そのカードを持ちながらスか?」

 

「えっ?」

 

そうだった、私はカードを持っていた。

 

『ニンジャモンジャ体操』は、エア手裏剣、エアまきびし、エア鉤縄(かぎなわ)など、忍者がするような動作を組み合わせた体操だ。

 

基本、各自が思い思いの動きをするのだが、『体操中は、何も持ってはいけない』という、絶対無二のルールがある。

 

これを守らないと、夜中に現れる『なぞのおやかたさま』に切腹を命じられてしまうという、恐怖の罰が下る事を、ネオ・ヴェネチアっ子は皆、幼少期から教え込まれるのだ。

 

それを、あゆみさんが知らない訳がないから、最もらしい言い訳を考えないと、誘った事自体がウソになってしまう。

 

問題はそれだけではない。今の私は、手裏剣ではなく、まるで怪盗が、予告状のカードを投げるかのような持ち方をしている。

 

いっそ、路線変更して、冗談っぽく「アナタのハートを戴くためよ♡」などと言いながら、ピッと投げたら、「お嬢……」と、顔を赤らめながら受け取ってもらえるだろうか?

 

いや、ダメだ。

 

きっと私は、あゆみさんのリアクションを待つ前に、「恥ずかしいセリフ、禁止! 自分!」とセルフノリツッコミを入れてしまうだろう。

 

そして、氷柱(つらら)の様な、冷たい視線が突き刺さりまくる、まさに切腹ものの未来が見える。

 

この最悪の状況を、どうしたら華麗に切り抜けられるのか?

 

「あ、あの……。そう! ニンジャモンジャ体操をする前に、まずは手と指の体操をしようかなーって思ったんですよ」

 

「手と指の、体操?」

 

「そう! あーホラ、指には沢山のツボがあるって言うじゃないですか」

 

「ああ、そうなんスね」

 

言葉とは裏腹に、あゆみさんは、納得感のカケラもない表情をしている。

 

そりゃそうだ、明らかな付け足しなのだから。

 

でも、もう押し通すしか方策はない!

 

「で、あゆみさんもどうですか? ニンジャモンジャ体操」

 

「は?」

 

「えっ?」

 

一瞬だけ、あゆみさんの眼が暗殺者(アサシン)の様に冷酷で、それでいてギラついて見えたのは、気のせいだろうか?

 

いや、きっと気のせいだ。

 

物事全てを前向きに、ポジティブに捉えること。それは私が、みんなにも言い聞かせていることでもあるのだから。

 

という事を改めて自分に言い聞かせて、あゆみさんに尋ねる。

 

「ダメ……ですか?」

 

「あっ、いやあ、せっかくのお誘いで悪いんスけど、ウチ、今日のトラゲットの集合場所がちょっと遠いんで、早目に出なきゃならないんスよ」

 

「そ、そうなんですか? 残念だわ」

 

「いやあ、本当ッスよー。それはまた今度って事で、ちょっーと横、失礼しまーす!」

 

あゆみさんはカニ歩きの様に私を避けつつ、ポシェットから解錠用のカードを取り出した。

 

そうだ、このままだと、あゆみさんも失敗する?

 

ここはやっぱり、カードリーダーが故障しているかもしれない、という事を、華麗に、かつ、さりげなく教えてあげた方がとか考えてる間に通しちゃったよおい。

 

ピピッ カチャッ

 

あ、普通に解錠した。

 

「あれぇー? あれれぇー?」

 

「うん? どうかしたんスか?」

 

「い、いえ、別に!」

 

「じゃあ、すいません。ソコ、どいてもらってもいいスかね?」

 

「モチのロ……もちろんどうぞ!」

 

慌てて後ずさりをする私。ドアを開けるあゆみさん。

 

「ああ、それからお嬢」

 

あゆみさんはそう言うと、自分のカードを指して、その指でトントン、と叩く。

 

そして、「じゃ、そういうコトで」と、笑顔で支店に入って行った。

 

『カードを見ろ』って意味?

 

改めて、指に挟んだカードを見てみる。

 

「あれぇー? あれれぇー?」

 

私が持っていたのは、昨日私がヘアピンを衝動買いしたお店の『CLUBニャンペンカード』という、ポイントカードだったのだ。

 

そういえば昨日、買い物を済ませた私は、うっかりポイントカードを受け取り忘れてしまった。

 

店の外で気づいて、慌てて受け取りに戻ったものの、後でサイフにしまえばいいやと、パスケースに、このポイントカードを入れてしまったのだ。

 

「はは……あはは……」

 

さっきまでのポカポカとした暖かさから一転、冬特有の木枯らしが、私から心の熱を奪って行く。

 

そんな気がする、朝のひとときであった。

 



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(藍華編)その 華麗なるステップとスワップは……(2)

藍華・S・グランチェスタは、|一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、姫屋カンナレージョ支店の支店長として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。

朝のルーティンを華麗に失敗した藍華。この後、一体どんな華麗なる一日が待ち受けているのであろうか?



ああ、疲れた……

 

やっとの事で、通用口のドアを開けた私が中に入ると、そこにいた見習い(ペア)の子達が一斉に顔を上げ、起立する。

 

そして、「おはようございます! 支店長!」と、元気のいい挨拶をするのである。

 

「はいはーい! みんな、おはよう! 今日も一日、頑張りましょう!」と、私が言うと、「はいっ!」という、元気な声が返って来る。

 

う~ん、いい! やっぱり、朝はこうでなくちゃ!

 

この、見習い(ペア)の子達による一斉の挨拶は、本店ではあり得ない光景だ。

 

本店は宿舎も兼ねているので、朝はあまり大声を出さないのが姫屋の流儀だからだ。

 

尤も、某一人前(プリマ)ウンディーネの様に、中には四六時中声を張り上げている人もいるのだが……。

 

「あら? 一人お休み?」

 

確か、今日は休みの人はいないはずなので、近くにいた子に尋ねる。

 

「いえ、今、支店長室にいます」

 

「ぬなっ!?」

 

普段から、私が来るまでは、誰も支店長室に入らない様にと言っている。

 

掃除と称して、重要なメモを捨てられたり、高レベルの機密情報を見られたりしたら困るからだ。

 

決して、備え付けの冷蔵庫の中にある、大量のパッチンプリンを見られたくないとか、万が一にも食べられたくないからとか、という訳ではない。

 

そんな、(あるじ)のいない支店長室に見習い(ペア)の子がいる、という事は、私が例外として認めている『本店から誰かが来た時』である事を意味している。

 

普通なら事前連絡があるものだが、それがないとすれば、業務違反の有無をチェックする本店の監査部の人か、私に無理難題を押し付ける、あの某一人前(プリマ)ウンディーネかのどちらかだ。

 

しかし、ここはあえて、どちらかの特定はしないように尋ねる。

 

「本店から?」

 

「はい」

 

何時(いつ)から来てるの?」

 

「そうですね、かれこれ20分以上は……」

 

「えっ? そんな前から?」

 

「はい。今、支店長室にいる子が今日一番だったそうなんですけど、その子が来た時には、もう仁王立ちで待っていたそうです」

 

「仁王立ち……」

 

ハイキタコレ! もう確定じゃない!

 

 

『陛下ーっ! 女王陛下!』

 

『何事か? 朝から騒々しいぞ!』

 

『も、申し訳ございません! ですが陛下、緊急事態に御座いますれば』

 

『どうした? 申せ』

 

『はっ! 畏れながら申し上げます。城内に、あの深紅の薔薇(クリムゾンローズ)が侵入したとの報告が入りました!』

 

『何!?』

 

『現在、陛下の執務室にいるとの事で御座います』

 

『何だと!? それは不味い……』

 

『陛下? ま、まさか……』

 

『そうだ、あそこには今、我が城の至宝とも言える、生クリーム&カラメル大増量の、プレミアムパッチンプリンを保管しておるのだ! しかも2個!』

 

『ぬおっ! 何と!』

 

『いや、今はまだ心配には及ばぬ。あれほど濃厚な物を、朝から食す様な強靭な胃を持つ者など、このAQUAにはおらぬだろうからな』

 

『し、しかし……』

 

『フン! 何が目的かは知らぬが、(われ)が自ら、華麗に防衛してくれるわ!』

 

などと言う、女王自ら軍を率いる、中世王国ファンタジー物語風の脳内問答をしながら、事態を受け止める。

 

「あの、支店長?」

 

「えっ?」

 

「どうかしましたか?」

 

「ああ、いや。だいぶお待たせしちゃったって事ね。わかった、すぐ行くわ」

 

私はそう言い残すと、早足で支店長室へと向かった。

 

 

「失礼します」

 

支店長室に着くと、見習い(ペア)の子が、深々と礼をして退室した所であった。

 

お盆を持っているので、お茶でも出してくれたのだろう。

 

「(おはよう)」

 

中の人物に気付かれないように、人差し指を口に当てて、小声で話すように促す。

 

「(おはようございます、支店長)」

 

「(晃さん、どんな感じ?)」

 

「(ええ、とてもご機嫌ですよ?)」

 

「(え?)」

 

意外な答えが帰って来たので、困惑する。

 

20分以上待っていたのなら、絶対イライラしているはずなのに、ご機嫌というのは逆に不気味だ。

 

この子も、お盆で口元を隠し、更に伏し目がちで、どこか後ろめたそうなのが気になる。

 

「(ご機嫌って?)」

 

「(はい。あの……ご案内した時は目がつり上がっていたんですけど、支店長室に入るなり、冷蔵庫を開けられまして……)」

 

えっ? 冷蔵庫開けたの?

 

「(そのあとは?)」

 

「(はい。中を見た途端、ニヤリと笑って、それから、濃いめの紅茶を持って来るように言われたんです)」

 

笑顔に、濃いめの紅茶……。

 

まさか……まさか……。

 

まさかまさかまさかまさかっ!

 

次の瞬間、私は見習い(ペア)の子の肩をグイッと押しのけ、特殊部隊が突入するかの如く、ドアを思い切り開ける。

 

そしてすぐに標的を探すと、ソファに腰かける、姫屋の制帽をかぶった鬼軍曹の後ろ姿に焦点が合った。

 

かなり派手にドアを開けたにも関わらず、後ろを振り返りもせず、口元だけを小刻みに動かしている。

 

いや、まずは冷蔵庫だ! 頼む! 1個だけでも!

 

一縷(いちる)の望みを賭け、急いで冷蔵庫を開け、中身の無事を確かめる。

 

ない、ない、ないっ!

 

眼を皿のようにして、くまなく冷蔵庫の中を確認するが、そこにはもう、愛しのプレミアムパッチンプリン(2個)の姿はなかったのである。

 

「よお、藍華。遅かったじゃないか」

 

何かを食べながらなのだろう、晃さんは少し口をもごもごさせながら私に語りかける。

 

声のする方を見た私は、晃さんよりも先に、カラになったプレミアムパッチンプリン(2個)の容器を凝視する。

 

「お゛……お゛お゛……」

 

絶望、怒り、恨み、悲しみの感情が同時に押し寄せてきたせいか、私は嗚咽(おえつ)のような、声にならない声を出した。

 

ああ……さようなら、私の宝物。

 

昨日のうちに食べてあげられなくて、ごめんなさい。

 

この(かたき)は必ず……。

 

「どうした? 顔が真っ青だぞ。体調でも悪いのか?」

 

ありとあらゆる負の感情を必死に押さえ込む。

 

「い、いえいえ。元気、バリバリ君ですよ?」

 

「そうか?」

 

「プリン、食べたんですね?」

 

「ああ。今話題の、プレミアムパッチンプリンだろ? 良く手に入ったなあ」

 

「ええ、昨日午前だけお休みして、買いに行ったんですよ」

 

「そうか。いやしかし、濃厚でウワサ通りの旨さだったなあ」

 

晃さんに、悪びれる様子はない。

 

ギリッと、歯を食いしばりながら、必死の思いで笑顔を作った。

 

「プリン、2個も食べたんですね?」

 

「んー? 食べちゃまずかったか?」

 

悪びれるどころか、もはや高圧的な態度だ。

 

「いや、何て言うか……その……」

 

「何だ? 文句でもあるのか?」

 

「いや、実は、旅行会社の社長さんと、大口の商談があるんですよ。その社長さん、大のプリン好きらしいんで、その時に出そうかなーって」

 

「えっ……」

 

当然嘘だ。いや、商談はあるが、プリンの消費期限である今日ではなく、相手がプリン好きかどうかは推測だから、嘘というのは適切ではない。

 

勿論、このプリンを出すつもりなど更々ないが、目の前の鬼軍曹は、私の意図的なミスリードに引っ掛かったらしく、明らかに気まずそうな顔をしている。

 

ふふん。まあ、このぐらいの罰で許してやろう。

 

私の中の女王陛下が、軽くガッツポーズをした。

 

「それはそうと、今日は朝からどうしたんですか?」

 

「あ、ああ。そうだったな」

 

晃さんはメモを取り出すと、こう私に告げた。

 

「何でも、お前が通っていたミドルスクールで『未来のお仕事体験会』というのを始めたそうなんだ」

 

「へえ、今はそんな事してるんですね」

 

「でだ。そこには勿論、我々ウンディーネの仕事もあるんだが、今回、ゴンドラ協会の要請で、姫屋(うち)がそれを担当する事になってな」

 

「はあ」

 

ん? 聞いてないぞ? でもまさか、この流れは……

 

「それで、同じミドルスクールの出身である、お前がご指名を受けた、という訳だ」

 

「えっ!? 私が、ですか?」

 

予感的中。でも、全く嬉しくない。

 

「そうだ。いや、私がやっても良かったんだが、向こうにしても、できれば年齢の近い、十代の一人前(プリマ)が良いんだとさ」

 

「でも、それなら、卒業したばかりの後輩ちゃんの方が適任じゃないですか?」

 

「いや、協会も、最初はそう思ったらしいが、オレンジ・ぷらねっとが受けなかったらしい。アリスちゃん本人の意向かどうかはわからん」

 

まあ、会社が断ったのだろう。その時はそう思った。

 

「で、どうだ?」

 

「分かりました、いいですよ。それで、いつなんです?」

 

「今日だ。今日の午後1時から2時間」

 

「ふえっ!? 今日!?」

 

「ああ、そうだ」

 

「あ、でもでもっ、今日その時間は、ご指名の予約が入ってまして……」

 

「それだよ、それ」

 

「うえっ!?」

 

はめられた。確かに、十代の子が3人という、若いグループだとは思ったのだが……。

 

「嫌か?」

 

「その、嫌って事は無いですけど、今日の今日って言うのは、さすがに急過ぎて、準備が……」

 

「いや、別に姫屋(うち)としても、先週急に言われたもんでな。ゴンドラ協会としても、お前が無理と言うなら断ってもいいそうだ」

 

「先週? それって、私に言うの忘れ……」

 

「すわっ! だからこうして来て頭を下げているんじゃないか!」

 

「下げてはいませんけど……」

 

「私の事はいい! やるのか、やらないのか、どっちなんだ?」

 

プリンで胃がモタれたのか、明らかに不機嫌そうな晃さん。

 

「いやでもあの、断ったらどうなるんです?」

 

「ああ、病気などの緊急事態を想定して、他にもう一人押さえてあるそうだ。だから私も無理強いはしない」

 

「そうですか。いや、やりたいんですが、あまりにも急なもんで、今回はお断りできないかなーって」

 

上目遣いで見ると、晃さんは膝に手をついて目をつぶり、何かを考えているようだった。

 

「そうか……わかった」

 

えっ? そんなあっさり? 何で?

 

「ちょっと、電話を借りるぞ」

 

「ああ、はい」

 

晃さんは立ち上がると、備え付けの電話へと向かう。

少し後ろめたいが、やはり準備は必要だろう。これで良かったのだ。

 

「もしもし、私、姫屋所属の晃・E・フェラーリと申します。恐れ入りますが、アリシア理事はいらっしゃいますか?」

 

えっ? アリシアさん?

 

「ああ、アリシアか。この前のお仕事体験会の件だが、急ですまん。藍華は辞退するそうだ」

 

何で? 本当にアリシアさんなの?

 

「そうだ。せっかくアリシア理事にご指名戴いたんだが、ご期待に添えずで悪いな」

 

えっ? アリシアさん直々の、ご指名なの?

 

「でも、こういうのは藍華よりも灯里ちゃんの方が向いてるんじゃないか?」

 

あの、アリシアさん直々の、ご指名……。

 

しかも代わりは……灯里ですって!?

 

「ええ? おいおい、冗談よせよ。お前、藍華の事を買いかぶり過ぎだって」

 

トンベ・パドブレ・グリッサード……

 

決して、(いにしえ)の攻撃呪文を唱えた訳ではなく、幼い頃に習ったバレエのステップの一つである。

 

無意識に、私はそのステップを踏みながら、華麗に晃さんの方へと向かっていたのだ。

 

そう、あの『花のワルツ』のリズムに乗って。

 

「ああ、私からも灯里ちゃんには…おわっ!」

 

決して、晃さんにショルダータックルをかました、という訳ではない。

 

感覚的には、少し肩が触れたかもという程度だ。

 

しかし、何故だか晃さんは受話器を放り投げ、私に電話の前を譲る。

 

そこで私は、その手放された受話器を華麗にキャッチし、電話に出た。

 

「もしもし! アリシアさんですか?」

 

「あら? 藍華ちゃん?」

 

「はいっ! 今回のご依頼、是非ともこの私にやらせてください!」

 

「えっ? でも……」

 

「大丈夫です! んもう、ご指名なら直接言ってくださいよう!」

 

「あらあら、ごめんなさいね。でも、お仕事もあって、大変じゃない?」

 

「いえっ! 未来ある学生達に、お仕事の魅力を伝えるのも、私達先輩ウンディーネの重要な使命だと思っていますから!」

 

「あらあら、素敵な心意気ね。そこまで言って貰えると、私も嬉しいわ」

 

「いやー、アリシアさんのご指名なら、誰だって気合い入りますよ! では今日の午後、待ってますね!」

 

「ええ。私は立ち会えなくて、生徒さん達だけで伺う予定なんだけれど、藍華ちゃんなら大丈夫ね」

 

「ハイッ! 万事お任せください! では失礼します!」

 

ああ、アリシアさーん……。

 

僥倖(ぎょうこう)とは、こういう事を言うのだろう。やはり、今日は最高の朝だ、と思ったその時だ。

 

「おい……」

 

「えっ?」

 

背後から低い声がした。

 

そう、あの『怒りの日』のリズムに乗って。

 

声から感じる負のオーラが強すぎて、振り返る事すら出来ない。

 

「この私にタックルをかますとは、いい度胸しているなあ、お前……」

 

「あ、あれっ? 私には、何の事だか……」

 

とぼけたせいで、火に油を注ぐ結果になる。

 

「ほう? 記憶にございませんか? 女王陛下」

 

「い、いや、そのっ」

 

「そうか……では、思い出すまで、教えてやろう……」

 

「あ、あは…あはは……」

 

その後私は、囚人がため息橋を通るかのように、ソファーへと連行され、恐怖のひとときを過ごすことになるのであった。



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(藍華編)その 華麗なるステップとスワップは……(3)

藍華・S・グランチェスタは、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、姫屋カンナレージョ支店の支店長として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。

朝のルーティン失敗から立ち直ったかと思いきや、秘蔵のプリンを食べられた上にお説教までされてしまい、テンションダダ下がりの藍華。この後、一体どんな華麗なる一日が待ち受けているのであろうか?



ああ、疲れた……

 

私は自分の席に戻り、突っ伏していた。

 

まさか、朝からあんな事で三十分以上もお説教を喰らうとは思わなかった。

 

……おかしい。

 

私の記憶が確かならば、そもそもショルダータックルなどした覚えはないのに。

 

決して、あのプレミアムプリン2個を食べられた恨みで補正された訳ではないと思うが、あの体幹最強の晃さんが倒れてしまったのは想定外だった。

 

きっと、一瞬の油断というか、虚をつかれたのだろう。

 

そうだ、灯里に聞いてみなきゃ……。

 

結局、あの鬼軍曹状態の晃さんからは、今日の午後に実施される、『未来のお仕事体験会』について、何も聞けないまま帰られてしまった。

 

ピンチヒッターとして予定を押さえられていた灯里なら、大体の事は知っているに違いない。

 

「♪でんわ~え、でんわ」

 

売り子の様な歌を口ずさみながら、灯里電話をかける。

 

…………出ないわね。

 

コール音は鳴るのに、一向に出る気配はなく、留守電にもならない。

 

そういえば、ARIAカンパニーの留守電の自動メッセージの声は、未だにアリシアさんのままらしい。

 

以前は、ポニ男の様な(マニア)が、その声を聴きたいが為だけに、大した用もなく、わざと営業時間外に電話をかける、という事もあったらしい。

 

私ですら、営業時間内にしかやったことがないと言うのに、全く迷惑な話だ。

 

休み? それとも、どこか出かけてる? そう思っていたところへ、電話がつながった。

 

「ハア、ハア……はい、ARIAカンパニーです」

 

「あ、灯里?」

 

「ああ、藍華ちゃん?」

 

「だ、大丈夫?」

 

「うん、ごめんなさい。あう……うんっ……ちょ、ちょっと……さっき起きたばかりで……」

 

「ああ、もしかして、起こしちゃった?」

 

「あっ……はひっ……そんな事は、ないよ。今日は……んんっ……休みなんだ」

 

「ねえ、何か息が荒いけど、ホントに大丈夫?」

 

「大丈夫んっ……あっ」

 

「そうは思えないんだけど……」

 

「ご、ごめん……それで、なあに?」

 

「ああ、そうそう。今日の『お仕事体験会』の事って、灯里がピンチヒッターの予定だったって聞いたからさ」

 

「あ、藍華ちゃんが……やっ……やるの?」

 

「そーなのよー。何かさっき急に言われたんだけど、アリシアさんのご推薦だって言われてさ。そりゃやるでしょうよ」

 

「はひっ、そっ、そうなんだ」

 

「でさー、そこでなんだけど、灯里は、今日の体験会の概要書とか貰ってる?」

 

「んんっ! うん」

 

「悪いんだけど、ちょっと見せて貰いたいからさ、今から行ってもいい?」

 

「あっ……うん……あっ、イヤッ……」

 

「えっ?」

 

「ち、ちが……あっ! ダメですうっ!」

 

「ちょっと、本当に大丈夫?」

 

「大丈夫だからっ! 後でメール送るからごめんもう切るね!」

 

「あ、あの、灯里?」

 

ええーーーっ!? 何? 今の何?

 

 

『妙だな……』

 

『どうしたの? グラン君』

 

『いや、寝起きのはずなのに息が荒いし、妙な声を出していた。しかも最後は、ひどく慌てているようだった』

 

『あれは、トイレに行きたくて、ガマンしてたとかじゃないんですかねえ』

 

『エス彦君、サイテー』

 

『ええっ? どうしてですか?』

 

『バッカじゃねえの? それだったら、先にトイレに行って、後でかけ直せばいいじゃねえか』

 

『チェス太の言う通りだ。それに、仮にトイレに行きたいのを我慢していたとしても、藍華が行きたいと言うのを、ダメだと拒否する理由が無い』

 

『そうだよねえ。じゃあ、何だろう? 風邪とか?』

 

『いや、灯里以外に、誰かがいた可能性が高い』

 

『って言う事はですよグラン君、まさか男……』

 

『エス彦君、サイテー』

 

『ええっ? どうしてですか?』

 

『いや、エス彦の言う事も、あながち有り得ないって事もない』

 

『えっ? それじゃあ……』

 

『ああ、そいつに脅されて、電話に出る様に言われたのかもしれないな』

 

『俺、もみあげ姉ちゃんの事だから、蒲焼き作るのに、鰻の掴み取りでもしてんのかと思ったぜ』

 

『いや、ボクはてっきり……』

 

『エス彦君、サイテー』

 

『まだ何も言ってないじゃないですか!』

 

『おいおい……。とにかく、灯里さんの身に何かが起きているのは間違いなさそうだ。様子を見に行こう!』

 

『『『オーッ!』』』

 

という、謎の組織の薬の副作用によって身体が小さくなっちゃったハイスクールの生徒が、プライマリースクールに通いながらクラスメイトと少年探偵団を結成しちゃう、推理マンガの様なセルフ脳内問答をして、状況を整理する。

 

そして、やはり灯里の身に何か危険なことが起こっているかもしれない(決して興味本位ではない)ので、行って確かめよう、という結論に至ったのだ。

 

待ってなさい、灯里。この藍華さんが、いま覗き……じゃなかった、助けに行くからね!

 

そう思って、急いで仕度をしてからドアを開けると、見習い(ペア)の子達が、まさに堰を切ったようになだれ込んできた。

 

「ちょ、ちょっと?」

 

「支店長、この前提出したゴンドラのメンテナンスのスケジュール表、変更したいって人がいるんですが、どうしたらいいですか?」

 

「支店長、業者さんから入口のレイアウト変更の見積書が来たんですけど、急ぎで見て戴けませんか?」

 

「支店長、今度のクルーズイベントの件なんですが、全体の打ち合わせはいつにしましょうか?」

 

「支店長、本店からこの前のお客様対応に関する報告書の催促が来てるんですけど……」

 

「あ、あの、そんないっぺんに言われても……」

 

タジタジになっている所へ、追い打ちをかけるように、山盛りの書類を持った子が現れる。

 

「支店長、決裁書類をお持ちしましたぁ!」

 

「ええっ? そんなに!?」

 

「またまた支店長。これは昨日の分ですよー。今日の分はこれからお持ちしまーす!」

 

「あは……あはは……」

 

____________________

 

 

ああ、疲れた……

 

私は自分の席で、再び突っ伏していた。

 

まさか、朝から仕事が怒涛のように押し寄せるとは。

 

結局灯里の所には行けないまま、お昼を回ってしまった。

 

……おかしい。

 

何だか今日は、朝から色々な事が起こり過ぎじゃない?

 

もしかして、昨夜見たあの変な夢は、何かこの事を暗示していたってこと?

 

いや、そんなこと考える前に、資料チェックしなきゃ。

 

灯里から資料の添付されたメールが来ていたのを思い出す。

 

メールでは、朝の会話については一切触れられていなかったが、いつもの如く、恥ずかしいセリフ満載の文面だったので、少し安心する。

 

返信メールで、お礼がてら、最後に『恥ずかしいメール、禁止!』と突っ込んでおこう。

 

外に出る時間もないので、買って来て貰ったお昼を急いで食べながら、概要書を確認する。

 

なあんだ、大したことなさそうじゃない。

 

前半は、簡単に水先案内業界についてのレクチャーをした後で、ウンディーネの普段の一日を、実際に仕事場を見て貰いながら教えたり、お客様のご案内をして貰ったりする。

 

後半は、外に出て、私をお客様にして、練習用のゴンドラをこいで貰ったり、観光案内をして貰う……という、まさに入社したての見習い(ペア)の子達がやるような内容だ。

 

お昼を食べ終わり、一息ついていると、ドアがノックされる。

 

「はいはーい。どうぞー!」

 

「失礼します」

 

「どうしたの?」

 

「あの、ミドルスクールの制服を来た方が三人、支店長を尋ねていらっしゃっているんですけど……」

 

時計を見ると、まだ約束より15分程時間があるようだった。

 

きっと、早目に行くように言われたのだろう。

 

「ああ、ごめんね。言うの忘れてたんだけど、今日は、ミドルスクールの職業体験会の予定が入ってたのよー」

 

「あ、はい。それは知ってます」

 

「えっ?」

 

「今朝、支店長が来る前に、晃チーフから概要書と生徒さん達用の制服を渡されましたから。『よろしく頼む』って……」

 

「えっ?」

 

概要書と制服? いや、そーゆーのは私に渡せよ!

 

と、心の中で思ったが、渡したのは晃さんだし、私が言わなかったせいでもあるので、突っ込みは入れない事にする。

 

「ああっ、そうだったの。ごめんね、私からもきちんと言わなきゃって思ったんだけど……」

 

「いえ。それで、どうされますか?」

 

「ああ、こちらにお通しして」

 

「いいんですか? きっと驚きますよ?」

「え? どして?」

 

「あ、いえ……。では、皆さん、中へどうぞ」

 

いやもうそこにいるんかい!

 

……と、突っ込みたかったが、恥の上塗りになるので黙っていた。

 

程なくして、懐かしい、ミドルスクールの制服姿の少女が入って来る。

 

「「「失礼しまーす!」」」

 

「はいはーい! こんにち……はあっ?」

 

どういうコト!? どうなってるの!?

 

その三人は、どういう訳か、かの三大妖精と瓜二つだったのである。

 

「「「今日はよろしくお願いしまーす!」」」

 

深々とお辞儀をして、直った三人を、まじまじと見る。

よぉーく見たら、多少は似てない部分もあるかもしれないが、フォルム、髪型、肌や眼の色など、ほぼ三大妖精そのものだ。

 

いや、ミドルスクールの学生なので、まるで、謎の組織の薬の副反応によって身体が小さくなっちゃった大人の三大妖精が、ミドルスクールに通いながら一人前(プリマ)ウンディーネを目指している、という感じだ。

 

「あの、支店長?」

 

「えっ? ああ、ちょっと、ごめんなさいね。貴女はもう外していいわよ。ありがとうね」

 

「はい、でも、制服に着替えなくて、いいんでしょうか?」

 

「あ、そっか! ごめん、じゃあちょっと、三人とお話したいから、少しだけ外で待っててくれない?」

 

「あっ、はい。分かりました」

 

何となくだが、『やっぱそういう反応になりますよね』とでも言いたげな表情をしていた。

 

とにかく、ビビっていても始まらない。アリシアさんのご指名なのだから、何があってもやり遂げなければ!

 

気を取り直して三人に話しかけた。

 

「姫屋カンナレージョ支店へようこそ! 私は、今回皆さんの『お仕事体験会』を担当する、藍華・S・グランチェスタです! みんな、今日はよろしくね!」

 

あえて、支店長など、威圧的に感じるであろうワードを出さず、フランクな感じにしたところ、少しだが、空気が和んだような気がした。

 

「ええっと、じゃあまずは、自己紹介をしてもらっても、いいかしら?」

 

私が促すと、ミニサイズのアリシアさんが、一歩前に出た。

 

「じゃあオレから。8年生のアイシア・E・フェリーラって言います。宜しくお願いします!」

 

次に、ミニアテナさんが前に出る。

 

「同じく8年生の、アルテナ・ロフレンスと申します。よろしくお願いします」

 

「ええっと、わた…うわあっ!」

 

最後に鬼……ではなく、ミニ晃さんが前に出ようとして、何故かコケそうになり、すんでの所で踏みとどまった。

 

「あの、ごめんなさい。私は、(あきな)・リローグです~。よろしくお願いしま~す」

 

「おい(あきな)。何年生かぐらいは言えよ」

 

「あれ~? 言わなかった~?」

 

「あらあら、(あきな)ちゃんったら、うふふ」

 

なんじゃこら? どうなってんのコレ?

 

三人のやり取りを、脳をフル回転して整理する。

 

アイシアさんの外見はアリシアさんで、性格は晃さん。

 

アルテナさんの外見はアテナさんで、性格はアリシアさん。

 

(あきな)さんの外見は晃さんで、性格はアテナさん。

 

うん、なるほど。いや、なるほどって?

 

特に、アリシアさんがオレって言うのは……。

 

整理は出来たが、私の中では混乱が続いていた。

 

「すいません、(あきな)も、オレやアルテナと同じ8年生で、みんな同じクラスなんです」

 

「あっ? えっと、あーっ、そうなんだ。だからみんな仲良さそうなのね?」

 

「まあ、仲がいいって言うか、いつもドジっ子の(あきな)を、二人で見守ってるって感じだよな? アルテナ」

 

「あらあら、そんなことないわよアイシアちゃん」

 

「そうね。私、確かにドジっ子だけど~、いつもって訳じゃ~」

 

「いーや、いつもだろ? この前なんてオレやアルテナがいなかったら、校舎が倒壊してたかもしれないんだぞ?」

 

「ええ~? そうだっけ~?」

 

「ほらほら、アイシアちゃんも(あきな)ちゃんも、支店長さんの前なんだから、もうその辺にしましょ?」

 

「あ? ああっ、すいません……オレ達、いつもこんな感じなんです、エヘヘ……」

 

テレるアイシアちゃん。アリシアさんだと思うと、なかなかのレア度である。

 

「ええっと……そろそろいいかな? じゃあ早速、始めましょう! じゃあとりあえず、制服に着替えてきてね!」

 

「「「はい!」」」

 

「よぉし! アルテナ、(あきな)、気合い入れて頑張ろうぜ!」

 

「アイシアちゃんったら、うふふっ」

 

「頑張…うわっ!」

 

「おっと! おいおい(あきな)、しっかりしろよ?」

 

「うん、ごめんなさ~い」

 

三人を見送った後、残された私は、思わずこう叫んだ。

 

「うおおっ! ややこしいーーっ!」

 

しかし、これはまだ、今日という一日の、ほんの序章に過ぎなかった事を私は知るよしもなかったのである。



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(灯里編)その 明鏡止水の心を曇らすものは……(1)

水無灯里は、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、かのグランマの設立したARIAカンパニーの後継者として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その灯里がアイちゃんとのメールのやり取りにおいて「やっぱりちょっぴり恥ずかしいから、送らないでおこうっと」と、自ら封印したメールに書かれた、とある一日の様子を紐解くものである。



「アリア社長~。大丈夫ですか~?」

 

「ぷ……ぷいにゅ……」

 

今日は冬なのにも関わらず、朝からポカポカと暖かい日差しが降り注いでいます。

 

もしかしたら、お日さまが、もう春が来た、と勘違いをしているのかもしれませんが、とってもゴキゲンさんなのは間違いなさそうです。

 

そんな、穏やかな朝、なんですが……。

 

私は今、かれこれ10分以上、お手洗いの前に立って、なかなか出て来ないアリア社長を待ち続けているのです。

 

どうしてそんな事になったかと言いますと……お話は、昨日の夜に戻ります。

 

____________________

 

「はひー。お腹が空きましたね、アリア社長」

 

「ぷいにゅっ!」

 

昨日最後のご案内は、お客様のご希望もあって、アリア社長と一緒に回ったんです。

 

リアルト橋の近くでそのお客様をお見送りした時には、もう日もすっかり落ちていて、お月さまがちょっぴり顔を覗かせていました。

 

その、ほぼまん丸のお月さまは、まるで『ようし、これからAQUAを照らすぞ!』と張り切っているかのような明るさを放っていました。

 

そんな時間でもあり、これからARIAカンパニーに戻ってお夕飯を作る、というのも大変なので、どこか近くのお店でお夕飯を食べよう、という事になったんです。

 

「今日は寒かったですね~」

 

「ぷいにゅ!」

 

「こんな日は、やっぱり暖かい物が食べたくなりませんか? アリア社長」

 

「ぷいにゅ~」

 

「ですよね~。じゃあ、あの中華料理屋さんにしましょうか?」

 

「ぷいにゅ!」

 

「あそこのお店って、麺類はもちろん、色々な種類の中華まんもあって、とっても美味しい……はへ? アリア社長?」

 

「ぷいにゅ! ぷいにゅ!」

 

「あっ、ちょっと待ってくださーい!」

 

気がつくと、今まで横にいたアリア社長の姿は消え、既にお店の前で「早く、早く」と、私を待っていたのでした。

 

アリア社長って、本当に食いしんぼさんで、食べ物の事になると、とっても素早いんです。

 

「こんばんはー」

 

そう言いながら引戸を開けると、中華料理屋さん独特の、それでいてどこか懐かしい、いい匂いがしました。

 

「オー灯里ちゃん、いらしゃい。おや、今日はアリア社長も一緒?」

 

「はひ。ちょうど一緒のお仕事が終わったので、そのまま食べに来ちゃいました」

 

「そうかい。じゃ、ダンナに盛りを良くしなさい言わないと、アリア社長に怒られちゃうネ」

 

「ぷいにゅっ!」

 

「あはは……」

 

「とりあえず、空いてるテーブルはどこでもどぞ」

 

「はひ!」

 

そう私が答えた時には、アリア社長はもう席について、壁に貼られたお品書きを見回していました。

 

「ぷいにゅ?」

 

「どうしたんですか? アリア社長」

 

アリア社長が指し示す方を見ると、そこには『冬はHOTにシベリアまん』という紙が貼られていました。

 

「シベリアまん?」

 

「ああ、あれカ?」

 

「シベリアって、あの地球(マンホーム)のロシアにあるシベリアですか?」

 

「おお、よくぞご存知ネ。そか、灯里ちゃん確か、地球(マンホーム)の出身だたネ」

 

「そうなんですよ~。でも、シベリアって、冬はとっても寒い所ですよね?」

 

「そう、そう言う極寒の地いても、これ食べたら身体の中から熱々になちゃう、激辛中華まんてことヨ」

 

「そ、それは凄そうな中華まんですね……」

 

「でも、みな興味あるけど、シベリアがイマイチ分からないみたいネ。味はいいだけど……。灯里ちゃん、お一つどう?」

 

「いや、あの……すみません、激辛のは、ちょっぴり遠慮しておきます」

 

「アハハッ! 冗談ヨ。ウンディネさんがお腹壊しちゃたら、大変だもんネ」

 

「ははは……」

 

というやり取りをしていたその時でした。

 

「ぷいにゅ!」

 

アリア社長が、シベリアまんを注文したい、というジェスチャーをしたんです。

 

「えーっ? アリア社長、頼むんですか?」

 

「ぷいにゅ!」

 

アリア社長は得意げに、右前足で胸をトントンと叩いていました。

 

「いやあ、火星(アクア)猫には無理じゃないカ? それこそ明日、お腹が大変な事なるヨ?」

 

「ぷいぷいにゅっ!」

 

火星(アクア)猫には無理』という店員さんの言葉に少しおヘソを曲げてしまったらしく、アリア社長はプイッと顔を背けてしまいました。

 

「本当に頼むんですか? アリア社長~」

 

「ぷいにゅぷいんぷにゅ!」

 

「何て言てるの?」

 

「多分『猫に二言はない』とかではないかと……」

 

「にゅっ!」

 

「……だ、そうです」

 

「うーん……。じゃ、食事の最後の方に出そカ? さすがにそれ先に食べたら、お腹がビクリしちゃうヨ?」

 

「それでいいですか? アリア社長」

 

「ぷいにゅ!」

 

「では、他の物も頼みましょう」

 

「はい。じゃあ決またらまた呼んでネ」

 

こうして、私は広東麺、アリア社長は海鮮チャーハンを、その他に、海老餃子と油淋鶏、それから巻き揚げを頼みました。

 

「ハイ、お待ちどさま」

 

「うわあ……美味しそうですー」

 

「ぷいにゅ~」

 

「沢山食べてネ」

 

それから私達は、あつあつの料理を、はふはふと食べ、うまうまの味に、ほかほかな幸せを味わいました。

 

そしていよいよ、あれの登場です。

 

「ハイ、お待ちどさま」

 

「ぷいにゅ!」

 

「こ、これが、シベリアまんですか……」

 

それは、見た目は普通の中華まんと変わらない様に見えるのですが、真ん中には雪だるまの焼き印がされています。

 

湯気が立っている中華まんにスノーマン、何だかちょっぴり不思議な組み合わせです。

 

「熱いから気をつけ……アッ」

 

店員さんが注意をしようとしたその時、アリア社長はシベリアまんを放り投げ、丸ごと口の中にキャッチしたのです。

 

「はへー……」

 

それから、静まり返った店内に、アリア社長のもぐもぐという音が2、3回ほど響いた後、アリア社長の動きがピタリと止まりました。

 

「…………」

 

「はわわっ、アリア社長!?」

 

「お、お水持てくるネ……」

 

ブワッと汗が出るアリア社長。そんなアリア社長を見て焦る私。そんな私を見てパタパタと調理場の方に向かう店員さん。

 

「アリア社長、無理しないで、このお皿に出してください!」

 

「む!」

 

……ゴックン

 

「えーっ!?」

 

私の『無理しないで』という言葉が逆効果だったらしく、何と、アリア社長は、口の中の物を、ひと思いに飲み込んでしまったのです。

 

その後すぐに、まるで炎を飲み込んだかのようにのたうち回る、アリア社長の悲鳴が店内に響き渡ったのは、言うまでもありません。

 

「ありゃ、遅かたカ。とにかく水飲んで!」

 

「はわわっ、しっかりして下さい、アリア社長」

 

店員さんの持って来た、ピッチャー一杯のお水を飲ませると、ようやく落ちついたようでした。

 

「ぷ……ぷいにゅ……」

 

「もう大丈夫そネ」

 

「すみません、お騒がせしてしまいました」

 

「アハハッ! 気にしないでいヨ。昔、灯里ちゃんと同じ制服のウンディネさんも、辛いの食べて、火、吹いてた事あたヨ」

 

「えっ?」

 

「ARIAカンパニの人、みな面白いネ」

 

「あ、あはは……」

 

まさか、グランマとか、アリシアさんとか、私の知っている人じゃないよね?

 

そんな事を思いながら、私とアリア社長はお店を後にしたのでした。

 

______________________

 

と、いう訳で、昨日は何とか帰って来た訳なのですが、やはりモチモチポンポンの方は無事ではなかったらしく、今朝のこの状況になっているのです。

 

「アリア社長~。そろそろ出てきてくださーい」

 

アリア社長の様子が気になるのはもちろんなのですが、実は私も、あつあつの料理を沢山食べて、お水をたくさん飲んだせいで……。

 

「ちょっぴり、わたしと交代してもらえませんかー?」

 

「ぷ……ぷいにゅ?」

 

「あの、お願いします~………」

 

「……ぷい」

 

そんな時、電話のベルが鳴ったのでした。

 

「あれ? アリシアさん?」

 

実は、今日の午後、藍華ちゃんやアリスちゃんの卒業したミドルスクールで『未来のお仕事体験会』と言うイベントがあるそうなんです。

 

もちろん、私達ウンディーネのお仕事も体験するそうなのですが、講師は我らが藍華ちゃんが務める事になっていました。

 

でも、もし藍華ちゃんが病気などで、急に出来なくなった場合の事も考えて、私にも講師の依頼が来ていたのです。

 

そして、そのお話を戴いた相手が、ゴンドラ協会の理事であるアリシアさんだった、という訳なんです。

 

例え私がやらなくても報酬は戴けるそうなのですが、その前後にお仕事を入れてしまう訳にもいかないと思って、今日はお休みにしちゃいました。

 

「でなきゃ……アリア社長、早く出てくださいね!」

 

そう言い残して、私は電話の方に行ったのですが……。

 

「はひっ!」

 

慌てていたこともあって、私は以前アイちゃんから貰った大きなマトリョーシカにつまずいてしまいました。

 

「ほへっ!」

 

更に悪い事に、足がもつれて今度は暁さんから貰った、大頭頭(かぶり面)という張り子のお面を蹴飛ばしてしまいました。

 

「はわわっ!」

 

更に更に悪い事に、そのお面が、陰干ししていたオールに当たってしまい、倒れてこようとしています。

 

「ほっ!」

 

何とかオールをキャッチして、事なきを得たのですが、この時、私は大切な事を忘れていたのです。

 

「はうっ……くっ!」

 

そう、お手洗いに行くのを我慢していたことに。

 

でも、とにかく今は、電話にでないといけません。

私は色々な所に、ありったけの力を込めながら、何とか電話に辿りつきました。

 

「……ハア……ハア……はい、ARIAカンパニーです」

 

「あ、灯里?」

 

「ああ、藍華ちゃん?」

 

電話はアリシアさんではなくて、藍華ちゃんでした。

 

一体どうしたんだろう?

 

「だ、大丈夫?」

 

「うん、ごめんなさい。あう……うんっ……ちょ、ちょっと……さっき起きたばかりで……」

 

「ああ、もしかして、起こしちゃった?」

 

「あっ……はひっ……そんな事は、ないよ。今日は……んんっ……休みなんだ」

 

「ねえ、何か息が荒いけど、ホントに大丈夫?」

 

お願いです、藍華ちゃん。早く要件を言ってくださーい!

 

「大丈夫んっ……あっ」

 

「そうは思えないんだけど……」

 

「ご、ごめん……それで、なあに?」

 

「ああ、そうそう。今日の『未来のお仕事体験会』の事って、灯里がピンチヒッターの予定だったって聞いたからさ」

 

「あ、藍華ちゃんが……やっ……やるの?」

 

藍華ちゃんがそのままやるのに、何故電話をしてきたのかが、その時は良く分かりませんでした。

 

「そーなのよー。何かさっき急に言われたんだけど、アリシアさんのご推薦だって言われてさ。そりゃやるでしょうよ」

 

「はひっ、そっ、そうなんだ」

 

そうこうしている時に、アリア社長がお手洗いから出て来ました。何だかとってもやつれた顔をして、ゆっくりとこちらに歩いてきます。

 

「でさー、そこでなんだけど、灯里は、今日の体験会の概要書とか貰ってる?」

 

「んんっ! うん」

 

「悪いんだけど、ちょっと見せて貰いたいからさ、今から行ってもいい?」

 

そうか。藍華ちゃん、私に用があると言うよりは……。

 

私はようやく、電話の意味が理解できました。

 

と、その時です。

 

「ぷにゅっ!?」

 

アリア社長がビクッとしたあと、再びお手洗いの方へ向きを変えたのです。もつ、嫌な予感しかしません。

 

「あっ……うん……あっ、イヤッ……」

 

「えっ?」

 

「ち、ちが……あっ! ダメですうっ!」

 

アリア社長がフラフラとお手洗いに向かうのを見て、わたしは思わず大きな声を出してしまいました。

 

「ちょっと、本当に大丈夫?」

 

心配してくれる藍華ちゃんですが、それどころではありません。

 

「大丈夫だからっ! 後でメール送るからごめんもう切るね!」

 

「あ、あの、灯里?」

 

私は心の中でも藍華ちゃんに謝りながら、電話を切りました。

 

とにかく止めないと……そうだ!

 

「えいっ!」

 

私は、お手洗いに向かおうとするアリア社長を止めたい一心で、思わず足下にあった大頭頭を投げてしまいました。

 

「ぷい? にゅにゅっ!?」

 

ガポッという、鈍い音がしたのと同時に、アリア社長の顔が、あの独特の顔に変わりました。

 

「アリア社長、ごめんなさーいっ!」

 

そう言って、もがくアリア社長を尻目に、私はお手洗いへと向かったのでした。

 

暁に 藍の華きる お花摘み アリアの流る 水の音入れ(※)

 

そんな一句でも()みたくなるような、ほっとするような朝のひととき。

 

などと、思ったのは束の間で……。

 

「ぷーーいにゅーーっ!!」

 

扉を叩きながら叫ぶアリア社長の声が聞こえて来ます。

 

穏やかざるいつもの一日。今日はとっても賑やかな一日になりそうな予感がします。




※短歌の解説
夜が明けて、藍色の華やかな花を切ったりして、お花摘みを楽しんでいると、川の水が流れる音が、まるでアリアを歌っているかの如く聴こえて来るなあ。
という意味(ウソですごめんなさい)


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(灯里編)その 明鏡止水の心を曇らすものは……(2)

水無灯里は、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、かのグランマの設立したARIAカンパニーの後継者として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その灯里がアイちゃんとのメールのやり取りにおいて「やっぱりちょっぴり恥ずかしいから、送らないでおこうっと」と、自ら封印したメールに書かれた、とある一日の様子を紐解くものである。

穏やかざる朝を過ごしながらも、何とか危機を乗り切った灯里だが、この後一体、どんな行雲流水なる一日が待ち受けているのであろうか?


「アリア社長~。大丈夫ですか~?」

 

「ぷ……ぷいにゅ……」 

 

今、私の前には昨日食べた激辛中華まんでお腹を壊し、すっかりテンションが下がっているアリア社長がいます。 

 

ただ、朝起きた時と比べると、お手洗いに籠るような事もなくなって、だいぶ顔色も良くなってきたみたいです。

 

きっとAQUA中を照らしている暖かいお日さまが、「がんばれ、がんばれ」と応援してくれているからに違いありません。

 

「朝ごはんはどうしましょう? 食べますか?」

 

「ぷいにゅっ」

 

「そうですよね。何か食べないと、元気も出ませんよね」

 

とは言うものの、いつも食べているような、しっかりした朝ごはんを食べる訳にもいかなそうです。

 

「うーん……そうだ! あのサンタさんのお店の、アレを作ってみましょうか?」

 

「ぷいにゅっにゅー?」

 

「いえ、フライドチキンじゃないですよう」

 

「にゅ?」

 

「サンタさんがいる、中華のお粥屋さんです」

 

「ぷいにゅっ!? ぷいにゅにゅぷいっ」

 

「えーっ? しばらく中華はイヤですか~?」

 

「ぷいっ」

 

中華粥なら、消化にもいいし、具材を入れたら栄養もあっていいかな、と思ったのですが、もう中華はこりごり、というアリア社長。

 

「うーん……。じゃあ、お粥はお粥でも、ミルク粥にしましょうか?」

 

「ぷいにゅっ!」

 

「ふふ、分かりました。じゃあ早速作りますね」

 

「ぷいにゅーっ!」

 

そこには、いつもの食いしん坊さんなアリア社長がいたのでした。

 

作るものも決まったので、早速キッチンに向かいます。

 

「それでは作りましょう!」

 

「ぷいにゅ!」

 

「まずは、鍋でオリーブオイルを熱して、刻んだタマネギが焦げないように、じゅうじゅう炒めて……」

 

「玉葱の色が変わったら、牛乳・水・コンソメを入れ軽く煮立たせて……」

 

「ごはんを入れたら、弱火で5分程、ことこと~、ことこと~」

 

「次は、とろけるチーズを加えて混ぜて、全体がとろとろ~っとなってきたら、あと少し」

 

「最後はちょっぴり黒胡椒、ぱらぱらっとふって、味を整えたら……完成でーす!」

 

「ぷいにゅーっ!」

 

こうして、ほわほわと優しい香りの、ほかほかなミルク粥が出来ました。

 

「それでは、いただきまーす!」

 

「ぷいにゅっ!」

 

「熱いので、ヤケドしないように気をつけてくださいねー」

 

「にゅっ!」

 

「……どうですか? アリア社長、お味は」

 

「ぷいにゅっ!」

 

「美味しいですか? 良かったです~。実はこのお粥の作り方は、この前パンとミルクを届けてくれた、黒いつなぎのシルフのお姉さんに教わって……あっ!」

 

「ぷいにゅ?」

 

「大変! 教わると言えば、藍華ちゃんに頼まれたメールしてないや! アリア社長、食べててくださーい!」

 

ひょっとしたら、藍華ちゃんがまだかまだかと不安に、なっているかもしれません。

 

私は急いで、隣の部屋にあるパソコンを起動して、藍華ちゃんにメールを打ちました。

 

______________________

 

藍華ちゃん

 

今日は、お日さまがとっても元気な、いいお天気だね。

 

さっきは、慌てて電話を切っちゃって、ごめんなさい。

 

ちょっぴり遅くなってしまいましたが、アリシアさんから貰った、添付資料付きのメールを、まるまる転送します。

 

でも、参加する生徒さんって、どんな気持ちなんだろう?

 

もし私が生徒さんなら、ワクワクして、宝石のように目をキラキラさせながら、いっぱい質問とかをして、藍華ちゃんをタジタジにさせちゃうかもです。

 

どんな生徒さんでも、藍華ちゃんらしい、元気一杯、夢一杯の、素敵な「未来のお仕事体験会」になるといいね。

 

それでは、今日の藍華ちゃんが、とっても素敵な一日を過ごせますように。

 

灯里

 

______________________

 

「これを、送信……と」

 

メールが送信トレイから消えたのを確認して、ようやく一息つきました。

 

でも、今日の午後にやるのに、資料を貰ってないって、どうしてなんだろう?

 

そんな疑問が浮かんだのですが、程なく「ぷいにゅ! ぷいにゅ!」と、ダイニングから大きな声がしました。

 

慌てて見に行くと、目を爛々と輝かせておかわりを要求する、いつもの食いしんぼさんのアリア社長がいたんです。

 

「だ、大丈夫ですか? またお腹を壊さないでくださいねー」

 

「ぷいにゅっ!」

 

そんなアリア社長を見て安心したのと同時に、私の疑問の種は、タンポポのようにふわふわと、どこかへ飛ばされてしまったのでした。

 

朝食のあと、アリア社長は外へおでかけ、一方の私は、今日までずーっとやろうと思いながら、できなかった事を、遂に実行に移す事にしました。

 

それは、ARIAカンパニーの大掃除です。

 

一人前(プリマ)に昇格して、このARIAカンパニーを引き継いで、毎日くるくると目が回る程忙しくて、ちょっぴりキツくなった制服すらも、なかなか新調できずにいた私(※)。

 

そんな私が、目下最大の目標と思っていたのが、このARIAカンパニーの大掃除だったんです。

 

「よーし、やりますよーっ!」

 

そう思って、お店のシャッターを開けたのですが……

 

「よう!」

 

「はひっ!?」

 

何と、暁さんがいるではありませんか。

 

「シャッターが閉まっていやがるから、てっきり自慢のもみあげが無くなったか何かのショックで、寝込んでいるのかと思ったぞ、もみ子よ」

 

「だからこれはもみあげじゃありませ~ん」

 

何度も同じ説明はしているのですが、みんな信じてもらえないようです。

 

思いきって、違う髪型にした方がいいのでしょうか?

 

「大体、朝電話をしたんだが、留守番電話にならんのはどういう事だ?」

 

「えーっ? すいません、何時頃ですか?」

 

「5時だ」

 

「ご、5時……。何か急ぎのご用ですか?」

 

「用? そんなものは、アリシアさんの留守番電話のメッセージを聞く為に決まっているだろう」

 

「それは、果たして用事なんでしょうか?」

 

「フン! 冗談に決まっているだろう。もみ子よ、もう少し空気を読んだ方がいいぞ」

 

「はへー……」

 

「大体、『いつまでもこんな所で立ち話も何ですから、ちょっと中でお茶でもどうですか?』とはならんのか?」

 

「あっ、それもそう……ですかね?」

 

「お前が心配で、わざわざ来てやったのだから、当たり前だろう?」

 

「はひ」

 

ひとまず、暁さんをお部屋へとお招きします。

 

「むむっ? この乳の匂いは何だ?」

 

「ああ、さっき、ミルク粥を作ったので、多分その匂いだと思います」

 

「ミルク粥だと!?」

 

「はひっ! ごめんなさい、こういう匂いは嫌いでしたか?」

 

「大……好きではない。好きではないが、もし余っているのなら、食べてやらん事もないぞ?」

 

「ああ、ごめんなさい。実は、全部アリア社長が食べちゃいましたので、余ってはいないのですが……」

 

「そ、そうか……。むむっ? あれは?」

 

見ると、今朝私が思わずアリア社長に投げてしまった、大頭頭というお面が転がっていたのです。

 

「はひっ! ごめんなさい、今朝はちょっぴり色々な事がありまして……」

 

私が恐る恐る、貰った相手である暁さんを見ると、意外にも、満足げな顔をしています。

 

「ちゃんと使ってくれたのか、これは何よりじゃあねえか」

 

「ほへ?」

 

「かぶったんだろう? あれを」

 

「は、はあ……。かぶったというか、かぶせたというか……」

 

「あれは本来、祭りの盛り上げ役がかぶるそうだからな。さぞかしフィーバーしたんだろ?」

 

「フィーバーって……ええっと、まあ、そうかもしれません」

 

「実はあれを買わ……いや、決してチャイナドレスの綺麗なお姉さんに買わされた訳では断じてないのだが、家にもう一つ、買ってあるのだ」

 

「そ、そうなんですか……」

 

私がちょっぴりジトッとした目で見ると、暁さんは少し焦った顔をしています。

 

「そ、そうだ。せっかくだから、そのもう一個も、お前にやろう」

 

「えーっ? そんな……」

 

「なあに、礼は要らん。元々、藍華(ガチャペン)の奴にやるつもりだったんだが、えらく恐縮されて、受け取らなかったものだからな」

 

「それは、断られたのでは……」

 

「まあそんな事はどうでもいい。とにかく早くお茶を出してくれ。あと、お茶菓子もな」

 

「はひ。そうでしたね」

 

お茶とお茶菓子を出すと、暁さんは、まるでお腹を空かせたアリア社長のように、チョコレートやクッキーをバリバリ食べ出しました。

 

「それで、ご用件は何ですか?」

 

「うむ。単刀直入に言う。もみ子よ、今晩俺様をここに泊めろ」

 

「……はへっ?」

 

「聞こえなかったのか? ならばもう一度言ってやる。もみ子よ、今晩俺様をここに泊めろ」

 

「えーっ? どうしてですか?」

 

私が驚いているのを、不思議そうな顔をして見る暁さん。

 

「何だ、嫌なのか?」

 

「いや、嫌とかそう言う事ではなくてですね……」

 

「何だそれは。嫌なのか、嫌じゃないのか、どっちなんだ?」

 

「いや、ですから……」

 

「嫌なのか?」

 

「いや、そうではなくて……」

 

「嫌じゃあないのか?」

 

「うーん、何て言えばいいのでしょうか?」

 

「つまり、嫌と言う程ではないのだな?」

 

「……そ、そうなるかもです」

 

「そうか、では宜しく頼む」

 

そう言いながら、お皿の最後のお菓子を口に投げ入れる暁さん。

 

「あの、まあ……でも、どうしてですか?」

 

「うむ。実は今晩、こちらで宴会があるのだが、生憎空中エレベーターがメンテナンスで、6時に終わってしまうのだ」

 

「それは、元々分かっていたのでは……」

 

「だが、運の悪い事に、兄貴、ウッディ、アル共に、今日家に泊めるのは難しいと言うではないか!」

 

「それは、みんなに断られたのでは……」

 

「しかし、いくら一人前のサラマンダーである俺様とて、この時期の野宿は辛い」

 

「それは、ホテルに泊まればいいのでは……」

 

「そんな金があったら、ワザワザ俺様がこんな所に頼みに来る訳無いだろうが!」

 

「それは、そうかもですけど……」

 

「案ずるな、もみ子よ。お前が相手なら、心配するような間違いなど、起こるハズなど1ミリも無い! あるわけが無い!」

 

「それは、そもそもが間違っているのでは……」

 

「とにかくだ、宴会が終わるのが夜10時、そこから朝一番の空中エレベーターが動く6時迄でいい。俺様を泊めるのだ、もみ子よ」

 

「それは、うーん……」

 

「もしどうしても何かが心配だと言うなら、いつものドタバタ女3人組で集まってもいいぞ」

 

「それは、ちょっぴり考えますが……」

 

「よし、じゃあ決まりだな。では宴会が終わり次第直ぐに、泊まりに来てやるから、安心して待っていろ」

 

「は、はひ……」

 

私の返事を確認した途端、暁さんは席を立ち上がりました。

 

「じゃあな! ♪おっれっは~、サラマンダー……」

 

お腹が満たされたのか、上機嫌なのかはわかりませんが、暁さんは歌を歌いながら行ってしまいました。

 

何だか、大変な事になってしまったような気がします。

 

ひとまず午後にでも、藍華ちゃんとアリスちゃんに、今晩集まれるか聞いてみなきゃ……。

 

そんな事を考えながら、私はひとまずARIAカンパニーのお掃除に取りかかったのでした。




※もし、お時間があれば、第1章「その 成長の重みを知る者は……」をお読みください


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(灯里編)その 明鏡止水の心を曇らすものは……(3)

水無灯里は、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、かのグランマの設立したARIAカンパニーの後継者として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その灯里がアイちゃんとのメールのやり取りにおいて「やっぱりちょっぴり恥ずかしいから、送らないでおこうっと」と、自ら封印したメールに書かれた、とある一日の様子を紐解くものである。

朝の一難が去ったと思いきやまた一難。暁をARIAカンパニーに一泊させる事になった灯里。この後一体、どんな行雲流水なる一日が待ち受けているのであろうか?


今日のネオ・ヴェネチアは、昨日の冬真っ只中の寒さとはうって変わって、本当に朝からぽかぽかとした、とってもいいお天気です。

 

こういう日にお客様をご案内すると、ついつい沢山の素敵ポイントをご紹介したくなってしまいます。

 

何だか、ネオ・ヴェネチア中の小さな妖精さん達に、『こっちは素敵だよ!』『いや、こっちの方が素敵だよ!』と、あちこちから声をかけられているような気持ちになってしまうんです。

 

でも、今日はお休みなので、小さな妖精さん達はがっかりしているかもしれませんが、その分、気合いを入れて、ARIAカンパニーの大掃除です。

 

さあ、取りかかるぞ! と思って腕まくりをした所へ、一本の電話がかかって来たのでした。

 

「はい、ARIAカンパニーです」

 

「灯里ちゃん?」

 

「アリシアさん!」

 

そう、それこそ、今朝私が待っていた、アリシアさんからの電話でした。

 

「ごめんなさいね。なかなか連絡出来なくて」

 

「いえ、そんな事はないですよ~。今日の『未来のお仕事体験会』の事ですか?」

 

「そう。灯里ちゃんには予備要員でお願いしていたんだけど、予定通り、藍華ちゃんがそのままやる事になったの」

 

「はい。さっき、藍華ちゃんから聞きました」

 

「あらあら、そうだったの」

 

「なので、今日は通常のお仕事をお休みにしていたこともあって、これから大掃除をしようと思っていたんです」

 

「そう。今日はお天気もいいし、捗りそうね」

 

「はい、頑張ります!」

 

私が元気良く答えたのがおかしかったのか、アリシアさんは「うふふっ」と笑いました。

 

「……ところで灯里ちゃん」

 

「何でしょうか?」

 

「最近、特に変わった事とか、困っていることとかは、無いかしら?」

 

「はひっ!?」

 

私はまるで、弓で頭の上のリンゴを撃ち抜かれたかのような、驚き混じりの声を出してしまいました。

 

「特に今朝とか。ううん、何もなければいいんだけど……」

 

「は、はわわ……あ、あの……ええっと……」

 

「うふふ、何かあったのね?」

 

「……はい」

 

「もし灯里ちゃんがよければ、何があったのか、教えてもらえるかしら?」

 

と、アリシアさんは言うのですが、ダメとは言いづらい雰囲気です。

 

「あの……。実は、アリア社長が昨日激辛の中華まんを食べて、お腹を壊してしまいまして……」

 

「あらあら、それは大変だったわね。もう大丈夫なの?」

 

「はい。ミルクのお粥を食べたら元気になりました」

 

「そう、それは良かったわ」

 

「それと、藍華ちゃんの電話に出たとき、アイちゃんから貰ったマトリョーシカにつまずいたり、オールが空から降って来たりしちゃいまして……」

 

「あらあら、怪我とかしなかった?」

 

「はい。私の方は大丈夫です。今のところはそんなとこ…」

 

と、私が言いかけたその時です。

 

「他にはなぁい?」

 

「はひっ!?」

 

私の言葉を遮るように、アリシアさんがお話をしたので、私はまた驚き混じりの声を出してしまいました。

 

「特に、誰か意外な人が来たとか。ううん、何もなければいいんだけれど……」

 

「は、はわわ……あ、あの……ええっと……」

 

何だか、頭の上のリンゴに、どんどん矢が刺さっているような、そんなドキドキが止まらりません。

 

私の動揺は、もうアリシアさんにはバレバレでした。

 

「うふふ、誰か来たのね?」

 

「……はい」

 

「もし、灯里ちゃんがよければ、誰が来たのか、教えてもらえるかしら?」

 

「あの……実は……」

 

私はいよいよ観念して、暁さんとのやり取りを、アリシアさんにお話しました。

 

「あらあら、暁くんとはいえ、灯里ちゃんが殿方を泊めるなんて……。灯里ちゃん、意外と大胆なのね」

 

「ちっ、違いますよう! お話の流れで、いつの間にかそういう事になっちゃったんです」

 

「あらあら、うふふっ、冗談よ」

 

アリシアさんは、私の今の状況が可笑しくて仕方がない、という感じでした。

 

「やっぱり、良くないですよね?」

 

「うーん、それが良いかどうかは分からないけれど、少なくとも灯里ちゃんは困っているんでしょう?」

 

「はい。ただ、暁さんからは、『二人きりが嫌なら、藍華ちゃんとアリスちゃんも呼んだらどうだ』と言ってくれているので……」

 

「そうね、3人いればなんとやらって言うし、それも良いかもしれないわね」

 

「ただ、私の為に、2人に来て貰うというのは、悪い気がしてしまって……」

 

「それもそうだけど、そもそも、2人とも来られない可能性もあるわよ?」

 

「はい」

 

「お年頃の男女が2人、一晩を過ごすとなると、どんな危険な事が起きるか分からないわ」

 

「はあ……」

 

「だから、もし2人とも来られない場合は、前に私が使っていた、あのお部屋で寝たらどうかしら?」

 

「あっ! 引き継ぎの時に教えて貰った、あのお部屋ですか?」

 

「ええ。あのお部屋は、私が使っていた家具は、そのままになっているし、換気とか、少しお掃除をすれば大丈夫だと思うわ」

 

「そうなんですか」

 

「私もそうだったけれど、新人さんが来るまで使わない、というのも、もったいないわよね?」

 

「確かに、アリシアさんの言う通りですね」

 

「じゃあ決まりね。事務所のお掃除もあって大変かもしれないけど、準備だけはしておいたらどう?」

 

「そうですね。そうします」

 

「うふふ。じゃあ灯里ちゃん、私はそろそろ会議があるから失礼するわ」

 

「はい、ありがとうございました、アリシアさん」

 

「ああ、そうだわ。アイちゃんから貰ったマトリョーシカは、ちゃんと元の位置に戻しておいてあげてね」

 

「はへっ?」

 

「じゃあ灯里ちゃん、大掃除、頑張ってね!」

 

「あ、あのっ……ああ」

 

電話は、そのまま切れてしまいました。

 

静まり返ったお部屋で、私は、後ろに転がっていたマトリョーシカを見ました。

 

電話では分からないはずなのに、どうしてマトリョーシカが元の位置にない、という事がわかったのでしょうか?

 

以前から、アリシアさんには魔法を使ったとしか思えない様な、こちらがびっくりしてしまう事をすることがあります。

 

さっきのお話もそうですが、きっとこれは、藍華ちゃんがよく言っている「大人の女の勘」というものに違いありません。

 

私も、もう少し大人になれば、アリシアさんの様な、「大人の女の勘」という、不思議な能力が身に付くのでしょうか?

 

そんな事を思いながら、私は再び腕まくりをして、お部屋の大掃除に取りかかりました。

 

「そうだ。まずは、マトリョーシカを元の位置に戻しておかないと」

 

そう自分に言い聞かせて、大きなマトリョーシカを持ち上げたのですが……

 

「えっ!?」

 

マトリョーシカの、ボタンのような目の部分が片方取れていて、取れた部品が床に転がっていたんです。

 

朝、私が足を引っ掛けてしまったせいであることは、間違いありません。

 

「は、はわわ……」

 

私の脳裏に、頬をぷくっとふくらませて、ドジっ子の私にぷんぷん怒る、アイちゃんの顔が浮かびます。

 

ひとまず、黒い目の部品を、元に戻そうとしたその時でした。

 

「……あれ?」

 

取れた方の目の部分くぼみに、何か別の、黒い目のようなものがある事に気がつきます。

 

まさか、目の部分まで、マトリョーシカと同じように幾重にも重なっているのでしょうか?

 

私が、その中を触ってみようと思ったその時です。

 

「あっ、メールだ」

 

ノートパソコンから、メールを受信する音がしました。

 

ひとまずマトリョーシカを置いて、メールをチェックしてみると……。

 

「はひっ!?」

 

それは、まさかまさかの、アイちゃんからのメールだったんです。

 

恐る恐るメールを開いてみると、こんな事が書いてありました。

 

 

灯里さん

 

今日のネオ・ヴェネチアはいいお天気ですか?

 

ARIAカンパニーのホームページを見たら、今日はお休みだと書いてあったので、何でかな? と思ってメールをしました。

 

でも、もし天気が良かったら、きっと、どこかに遊びに行っちゃいますよね!

 

それとも、がんばり屋さんの灯里さんの事だから、もしかしたらARIAカンパニーの大掃除をしてたりして……。

 

お掃除だとしても、私のあげた、マトリョーシカは、しまわずに飾ってもらえたら嬉しいです。

 

マトリョーシカって、日本の七福神が由来で、子孫繁栄や、願いの叶う縁起物なんだそうですよ!

 

その他にも、家内安全の意味があるので、もし飾っておいてくれたら、きっと灯里さんの事を守ってくれると思います。

 

実は昨日、大人になった私が、ARIAカンパニーの制服を着て、ピンチになった灯里さんを私が守る、という夢を見たんです。

 

もちろん、将来の事は分かりませんが、私がまだ、灯里さんを守れない代わりに、灯里さんを守ってくれますようにって、願いを込めたものなんです。

 

あっ! いつの間にか、灯里さんのお休みとは全然関係ない内容になっちゃいましたね。ごめんなさい。

 

それでは灯里さん、素敵なお休みを過ごしてくださいね!

 

 

追伸

そうそう、マトリョーシカの目は、倒したりすると、簡単に取れてしまうそうです。

 

もし取れたりしたら、接着剤とかは使わずに、そのまま直ぐにくっつければいいって、お土産屋さんが言ってましたよ!

 

 

 

「はへー……」

 

それは、アリシアさんからの電話に続き、まるで、私の事を見ていたかのような、びっくりするようなメールでした。

 

でも、アイちゃんはまだ「大人の女の勘」は……あるんでしょうか?

 

それとも、ぽっぷできゅーとな、みらくる魔法(まじかる)少女(がーる)なのでしょうか?

 

考えてみると、アイちゃんとは、出会った時から、とってもみらくるな事が起きていたような気がします。

 

だから、今回の事も、まさにみらくるな偶然なのかもしれません。

 

でも、私を守るって……。アイちゃん、私って、そんなに頼りないお姉さんって思われているのかな?

 

だとしたら、私も、もっと頑張らなきゃ!

 

マトリョーシカの目をはめてから、元々置いてあった場所に戻しました。

 

そして、マトリョーシカに向かって、礼をして、ぱんぱん、と、手を叩き、まるで、神社の参拝に来たような気分で、こう言いました。

 

「マトリョーシカさん。どうか今日一日が素敵な1日になりますように、私をお守りください!」

 

そう言えば、地球(マンホーム)にいた時は、毎年初詣に行ってたのに、AQUAに来てからはもう、全然行ってないや。

 

来年の年始は、前に行った、あの日本の文化村の島にある神社に行ってみようかな……。

 

そうそう、あそこのおいなりさん。おあげはお出汁(だし)がたっぷりしみこんで、食べると、そのお出汁がじゅわっと口の中に広がって、とっても美味しかったなあ……。

 

そうだ、今度お参りに行ったら、今度藍華ちゃん達にもお土産に買っていこうっと。

 

そんな事を思いながら、またまた腕まくりをして、お掃除に取りかかったのでした。




話は少し遡る……。

「許さない。絶対に許さない……」

とある場所で、パソコンを前に、ギリッと奥歯を噛みしめ、怒りをあらわにする一人の少女がの姿があった。

少女は思った。「やはり、灯里さんを守れるのは自分しかいない」と。

次の瞬間、少女はとある人物に連絡を取った上で、『灯里さんに指一本でも触れようもんなら晃さんじゃないけど即恐怖のお仕置き執行して暁さんをチーンってさせちゃう大作戦』の実行を決意したのであった。

無論、水無灯里には、そんなことを知る由はなかったのである。


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(藍華編)その 華麗なるステップとスワップは……(4)

藍華・S・グランチェスタは、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、姫屋カンナレージョ支店の支店長として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。

朝のルーティン失敗からツイてない中、ウンディーネのお仕事体験を三大妖精ソックリのミドルスクール生、アイシア・フェリーラ、アルテナ・ロフレンス、(あきな)・リローグに教える事になった藍華。
この後、一体どんな華麗なる一日が待ち受けているのであろうか?


昨晩、私は夢を見た。

 

三大妖精の目の前で、まるでアテナさんの様に盛大にコケて、バンツ丸出しになった所をアル君と(ポニ男)に見られ、冷やかして来た(ポニ男)にラリアットをかましてしまう……という、何とも変な夢だ。

 

いや、今考えれば、変な夢ではなかったのかもしれない。

 

現に私の目の前に、かの三大妖精に良く似ていて、それでいて性格がスワップされた三人が現れたのは、きっとこの事を予知していたのかも。

 

そうなると、次に注意すべきは、『盛大にコケて、バンツ丸出しになる』という、何とも恥ずかしい事態だ。

 

常に気高く、いかに華麗な振る舞いで物事に対処するか。

 

それは、姫屋の社員である以上は当然に求められる能力だし、特に私は、小さい頃からそういった教育を受けて来た。

 

そんな私が……あの灯里や後輩ちゃんじゃあるまいし、どうしたらあの夢のような事態に陥ると言うのだろうか?

 

いや、むしろ、コケてパンツ丸出しになるのは灯里で、ポニ男にラリアットを食らわすのが後輩ちゃん、という可能性もある。

 

ポニ男なら灯里の所に出没するのは珍しくないだろうし、もしや、朝電話した時には、既にいたのだろうか?

 

それと、あんなにオール捌きが上手な後輩ちゃんなら、あのちっこい身体にほっそい腕でも、でっかい腕力を秘めているのではないだろうか?

 

そんな事を考えていると、着替えを終えた三人が戻って来たようで、支店長室の外から声が聞こえて来る。

 

程なくして、ドアがノックされた。

 

「はいはーい。どうぞー」

 

「失礼します」

 

見習い(ペア)の子に連れられて、三人が入って来る。

 

「お、おお……」

 

これが、灯里が言うところの、『ステキング』ってやつ?

 

かの三大妖精(のソックリさん)が、全員姫屋の制服を着ている。

 

もしこれが、本物の三大妖精だっだとしたら……。

 

「写真よ! 写真撮って!」と、ミーハーで恥ずかしいセリフを連発しちゃって、見習い(ペア)の子に冷めた目で見られながら、別の意味でも悦に浸りつつ写真を撮って貰いたい。

 

そんな気持ちを抑え、あくまでも私は、穏やかな表情を崩さずにいた。

 

多分写真や動画は撮るのだろうし、後で撮って貰えばいいだろう。

 

何よりもまず、華麗に、支店長であることを強く意識して振る舞わなければ。

 

「エヘヘ、どうでしょう?」

 

「うん! これでみんなも、今日は立派な姫屋の一員ね!」

 

少し照れながら訊ねてきたアイシアちゃんに、私は満面の笑みで答える。

 

すると、三人が「わあ……」と、感嘆の声を上げて、お互いを見合い、そして少し恥ずかしそうに笑う。

 

ああ……初々(ういうい)しくて、何だかキュンキュンしちゃう!

 

今すぐに「大丈夫。さあ、藍華お姉さんに全てを委ねていいのよ♡」と言って抱き締めたい。

 

そんな気持ちを抑えながら、三人話しかけようとしたのだが……。

 

「……あれ?」

 

何となくだが、アルテナちゃんだけ、少しソワソワしている様子なのが気になった。

 

「アルテナさん」

 

「はい」

 

「もしかしてなんだけど、制服、ちょっとキツ目だったりしないかな? 大丈夫?」

 

「えっ? い、いえ、そんな事は……」

 

そんな反応のアルテナちゃんを見て、アイシアちゃんが、横から口を挟む。

 

「ああ、すいませんね。コイツ、ちょっと胸が皆よりもデカイんですよ」

 

「ちょ、ちょっとアイシアちゃん!」

 

「へへっ、いいじゃないか、別に減るもんじゃあるまいし」

 

「本当にアルテナちゃんは、お胸がポヨンポヨンしているものね~」

 

「もう、(あきな)ちゃんまで……」

 

「ふふ、ごめんなさ~い」

 

内容だけなら、何となーく三大妖精がしそうなやり取りなので違和感はない。

 

がしかし、アイシアちゃんが、アリシアさんソックリの声で『コイツは胸がデカイ』などと言っているのには大いなる違和感がある。

 

結局、違和感が一周した後に、あらゆる方向に向かっている感じだ。

 

「あの、こちらこそごめんなさいね。本店で用意したものだから、そのサイズしかなくって」

 

「すみません、ご心配をおかけしてしまって。時間も限りがありますし、本当に私は大丈夫ですから……」

 

「そう……もし苦しくなったら言ってね」

 

私はそれ以上、この話はしないようにした。

 

決して、プロポーションには若干の自信がある私の制服を貸して、それでも胸がキツいとか言われたらショックだからとか、そういう事ではない。

 

誰かの制服を貸してもいいけれど、2時間という制限のあるなか、今から合うサイズを探しているような暇は無いからだ。

 

「じゃあ、早速始めましょう! まずは、支店の中でのお仕事からやってもらいます。とにかく明るく、元気良くお願いね!」

 

「「「はいっ!」」」

 

「…………」

 

「あ、あの、支店長?」

 

「……えっ?」

 

ふと我に返ると、見習い(ペア)の子が、不思議そうに私を見ていた。

 

「どうかしましたか?」

 

「う、ううん、何でも無いわ。ちょっと考え事をしてただけよ」

 

「そうですか、ならいいんですけど……」

 

「さあさあ、早く行きましょ?」

 

実を言うと、元気一杯の返事を聞いて、一瞬ではあったが、私は胸を撃ち抜かれたかの様に、軽く萌え死んでいたのだ。

 

しかし、あくまでもその事は、私の中だけに留めておくことにする。

_____________________

 

「それじゃあ、まずは、ロビーガールのお仕事ね。ここに立って、ご来店されるお客様のご案内をしてもらいます」

 

支店は駅に近い事もあり、ツアーで来る団体さん等が中心なので、本店と比べると、比較的お客様が出入りする頻度が高い。

 

なので、お客様が受付に溜まって、混乱したりしないように、整列をしてもらったり、ロビーに誘導したりする人が必要なのだ。

 

「ご案内の仕方はさっき教えた通りなんだけど、大丈夫かな?」

 

「大丈夫ですよ! なあ、アルテナ、(あきな)

 

「ふええ……ちゃんと出来るかなあ」

 

「あらあら、大丈夫よ(あきな)ちゃん。さっき支店長さんから教えて戴いたことを思い出せば、きっと大丈夫よ」

 

「そうだぞ(あきな)。今回のウンディーネの体験会、スッゲー倍率高かったんだからな。気合い入れて頑張ろうぜ!」

 

「う、うん……」

 

「まあ、完全に一人って事はないから、何か困った事があったら、付き添いのお姉さんに確認して貰えばいいから。明るく元気良くやりましょう!」

 

「「「はいっ!」」」

 

こうして、『未来のお仕事体験会in姫屋』はスタートした。

 

付き添いは見習い(ペア)の子に任せて、私は離れた所から見ていたが、三人とも一生懸命にやっていた。

 

最初は、(あきな)ちゃんがコケて、何度かお客様にダイビングしそうになっていたが、それをアイシアちゃんとアルテナちゃんが上手くフォローしていた。

 

ああ……いいな。

 

自分も同じような経験はしたけれど、もし、姫屋で灯里と後輩ちゃんに出会っていたら、私達三人もこんな感じになっていたのだろうか?

 

 

「貴様、本当にそんな事を考えおるのか?」

 

「えっ?」

 

「考えてもみろ。もし二人が同じ姫屋にいたとしたら、貴様は二人の先輩になってしまうのじゃぞ?」

 

「それは、そうかもしれないけど……」

 

「そもそも、貴様はあの二人の天才っぷりを見て何とも思わんのか? むしろ、貴様の支店長の椅子も危うかったかもしれんのじゃ!」

 

「ええっ? でも……」

 

「我に口ごたえするな! まあ、我とて奴らに負けはしないだろうが、別の問題もある」

 

「問題?」

 

「アリシア殿、アテナ殿はどうなるんじゃ? 今のような関係にはなってないのではないか?」

 

「確かに……」

 

「貴様のそういう甘い考えが、我と貴様を、未曾有の危機に陥れさせるのだ!」

 

「そう……それは大変かもしれないわね」

 

「分かったか! 分かれば我を敬え、ひれ伏せ!」

 

「はいはい。じゃあ、今日もお仕事頑張りましょうね」

 

「う、うむ……」

 

という、人間界でバイトする魔族とバイト先の店長さんのようなセルフ脳内問答をしてから、改めて三人の様子を見る。

 

なかなかやるわね……。

 

たった30分程度ではあったが、終わる頃には、普段、半人前(ペア)の子と遜色ないご案内をするようになっていた。

 

次に、ゴンドラに乗り降りするお客様の補助を体験してもらったが、これも、(あきな)ちゃんがお客様と共に水の中にダイビングしそうになるところを、二人が補助しつつ、無難にこなしていた。

 

さすがは倍率が高かっただけの事はあって、優秀な生徒が来た、ということか。

 

 

「三人ともすごいわね! 短い間なのに、まるで社員みたいな応対をするんですもの。ビックリしちゃった」

 

素直に褒めると、アイシアちゃんがニコッと笑う。

 

笑顔だけ見ると、やっぱりアリシアさんそのものだ。

 

「ありがとうございます! アルテナ、(あきな)、やったな!」

 

「うんうん、今のところは上手く行ってるわね。合同練習の効果はテキメンだったわ、うふふ」

 

同じく笑顔のアルテナちゃん。しかし、(あきな)ちゃんだけはシュンとしていた。

 

「私は、ドジっ子で、二人に助けてもらってばかりで……」

 

「あらあら、そんなことないわよ、(あきな)ちゃん」

 

「そうだぞ、何もミスしたわけじゃないんだ。藍華さん、そうですよね?」

 

「えっ?」

 

シュンとする晃さんなんて見たことがなかったので、鬼もこんな顔をするのか、と見入っていた所を急に振られた私は、少し面くらう。

 

「ああ、そうね。そうよ、(あきな)ちゃん」

 

「はい~……」

 

「別に、お仕事は、一人で出来ればそれでいいって訳じゃないわ。最終的には、お客様ひとりひとりに『楽しかったな、また乗りたいな』って、素敵な気持ちを持って貰うのが、一番大切なんだからね」

 

同じ事を灯里が言ったら、きっと私は、『恥ずかしいセリフ、禁止!』と突っ込んでいた事だろう。

 

しかし、そんな私の恥ずかしいセリフによって、 (あきな)ちゃんの表情が少し明るくなった。

 

「そうですか~」

 

「そうそう! (あきな)ちゃんがご案内するお客様、みんなニコニコしていたでしょう? それなら大丈夫よ」

 

「だってさ、(あきな)

 

「うふふ、良かったわね、(あきな)ちゃん」

 

「うん……うん!」

 

イヤだちょっと何なに? 何なのコレは!?

 

もしかして、これが青春ってやつ!?

 

ああ……何だかいい、スッゴクいい!

 

私はまた、萌え死ぬ寸前で、意識がどこかに遠のいてしまいそうだった。

 

「あの……」

 

「うひゃいっ!」

 

「大丈夫ですか?」

 

見ると、不思議そうな表情のアイシアちゃん他二名がいたので、何とか取り繕う。

 

「あ、あの、ごめんなさい。じゃあ最後は、外で操舵の体験をして貰うので、準備をしましょう!」

 

「「「はいっ!」」」

 

そう、ここまでは良かった。

 

このお仕事を引き受けて、本当に良かった、そう思ったのだけれど……。

 

まさか、この後あんな事になろうとは、その時の私は予想だにもしなかったのである。



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(藍華編)その 華麗なるステップとスワップは……(5)

藍華・S・グランチェスタは、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、姫屋カンナレージョ支店の支店長として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。

朝のルーティン失敗からツイてない中、ウンディーネのお仕事を三大妖精ソックリのミドルスクール生、アイシア・フェリーラ、アルテナ・ロフレンス、(あきな)・リローグに体験させている最中の藍華。
この後、一体どんな華麗なる一日が待ち受けているのであろうか?


今日は日差しが暖かいせいか、いつもの冬服で動くと、少し汗ばむような気候だ。

 

そんな絶好の観光案内日和の中、私はミドルスクールの三人を練習用のゴンドラに乗せて、支店から少し離れた、人気の少ない水路へと移動した。

 

別に、サン・マルコ広場に近い沖合いとかでも良かったが、万が一の事を考えると、この方が対処しやすいと思ったからだ。

 

「はい、では、ここで実際にゴンドラを漕いでみて下さい……って言っても、三人は後輩ちゃ…じゃなかった、アリスちゃんと同じ、ゴンドラ部なのよね?」

 

三人とも、ゴンドラに乗り込むのは、やけにあっさりと出来ていたのを思い出す。

 

「はい。でも、普段の操舵は基本一人ですし、ゴンドラもここまで大きくないんで、人を三人も乗せて漕ぐのは初めてなんです」

 

「そうなんだ。じゃあ、念のため、操舵を少しだけ練習してから、観光案内とかをやって貰いましょうか?」

 

「「「はい!」」」

 

そんなやり取りのあと、私がまず、一通りのお手本を見せる。

 

操舵はもちろん、半人前(シングル)時代、灯里や後輩ちゃんと必死に覚えた、地元民しか知らないような隠れた名所をふんだんに織り込んだ観光案内をしたり、一人でこっそり練習したカンツォーネを歌ったりした。

 

どれもが、かの三大妖精やらと比べたら、大したことはないと思うが、私も一人前(プリマ)のはしくれである。

 

そんな私の動きを見逃しまいと、三人は眼を輝かせながら、一挙手一投足を見ている。

 

ああ……やっぱりいいな、こういうの。

 

もし、ここにいるのが、私が将来育成するであろう、かわいい見習い(ペア)の子だったとしても、こんな感じなのだろうか?

 

 

『はい頑張って~、オイッチニーオイッチニー! そうよ! いい感じ! ほーら! キョロキョロしなーい! スマイルスマイル!』

 

『はいっ!』

 

『うん! そうよ! オイッチニーオイッチニー! よぉーし、いいわよ! その調子!』

 

『はいっ!』

 

『うん! 最初の頃と比べると、大分良くなったわ! エス子ちゃん』

 

『ありがとうございます!』

 

『じゃあ、ちょっと休憩しましょうか。あそこの岸につけてくれる?』

 

『はいっ!』

 

『それにしても、貴方センスあるわねえ。さすが、私が見込んだだけのことはあるわ』

 

『ありがとうございます。でもきっと、藍華さんの教え方が上手なんですよ』

 

『あらあ、そうかしらん?』

 

『だって、あのARIAカンパニーの灯里さんとか、オレンジぷらねっとのアリスさんとかにも、色々教えていらしたんですよね?』

 

『あらヤダ、一体どこでその話を? ……まあ、元々あの二人は才能あってさ。実際は、私はあの二人のお姉さんみたいな、世話役だったってだけよ』

 

『お姉さん、ですか?』

 

『そうよ。私がしっかりしなくちゃって、そりゃもう必死に頑張ったわ。でも、そんな妹分がいたからこそ、こうして一人前(プリマ)になれたんだけどね』

 

『……あの、藍華さん』

 

『うん? なあに?』

 

『藍華さんって……本当に華麗で、素敵ですね』

 

『あら、そんなことないわよ。私なんかより、エス子ちゃんの方がよっぽど素敵よ』

 

『そんな、私なんて……』

 

『ううん。実は私、エス子ちゃんには、とっても期待してるの。だから、貴方には、私の持つ全てを教えてあげるつもりよ』

 

『えっ? それって……』

 

『だから……これからも、頑張りましょうね!』

 

『分かりました! 私、もっともっと頑張ります!』

 

『あの、エス子ちゃん、急に立ったら危な……』

 

『あっ、きゃっ!』

 

ドンッ

 

『おっと! ……ちょ、ちょっと、大丈夫?』

 

『すみませーん、藍華さん。でも、しっかり抱き止めて戴いたので、大丈夫でした』

 

『うふふ。エス子ちゃんてば、ドジっ子さんなんだから。気をつけなきゃダメじゃない』

 

『えへへ、すみません……』

 

『……』

 

『……』

 

『ええっと、あの、エス子ちゃん?』

 

『はい、何でしょう?』

 

『あ、あのさ、大丈夫なら、そろそろ、離れてくれないかしら?』

 

『ああっ、すみません。でも私、もう少し、もう少しだけ、こうやって、藍華さんの胸の鼓動を聞いていたくて……』

 

『へ? 胸の鼓動って?』

 

『ダメでしょうか?』

 

『いやあの、えーっと、いやぁ、そのぉ、ダメって言う訳じゃないんだけど……』

 

『じゃあ、いいんですか?』

 

『えっと、その、ま、まあ、そうね。別に減るもんじゃないし……』

 

『ありがとうございます、藍華さん。では……』

 

『はえっ? あっ、いやっ、そんなところ……顔をスリスリされたら、あの、くすぐったいって言うか、ねえ』

 

『ああ……藍華さんの胸、まるでバラの花ような、とっても華麗で素敵ないい匂いですね』

 

『ふえっ? あ、あの……エス子ちゃん、気のせいか、目の中にハートマークがあるような気がするのは、き、気のせい……でいいのよね?』

 

『ふふ、気のせいですよ、藍華さん』

 

『そ、そう? で、でも、何だか足まで絡めて来ている気がするのは、き、気のせいではないような……』

 

『それも気のせいですよ。ただ、私はもっと……もっと色々な事を藍華さんに教わりたいな、もっと藍華さんの事を知りたいなって、それだけなんです』

 

『そ、そう? そ、それならいい……うん? いいのかしら?』

 

『さっきも、藍華さんの全てを教えてくれるって……。私、嬉しくて……』

 

『えっ? あ、あの、えっと……確かにそう言ったけど……』

 

『うふふっ。支店に戻ったら、私に……もっともっと色々な事を教えてくださいね? 藍華お姉様』

 

『ええっ!?』

 

という、薔薇ではなく百合の花満開の漫画のような脳内未来予想図を展開していた所で、複数の視線を感じて、ふと我に返る。

 

そこには、キョトンとした表情で私の方を見る、三人がいた。

 

その中で、意を決したように、アルテナちゃんが口を開く。

 

「あのう……」

 

「あっ!? ごっ、ごめんなさいね。ど、どこの水路を通ろうかなーって、ちょっと考えすぎちゃって……」

 

「そうなんですか。ただ、お顔が真っ赤ですけれど、大丈夫ですか?」

 

心配そうなアルテナちゃん。

 

「いや、その、ちょっと今日は暑いからかな? もっと寒いと思ったから、インナーを重ね着しちゃってて……」

 

そう言いながら、十字水路を曲がろうとしたその時だ。

 

「ゴンドラ、通りまーす!!!」

 

曲がろうとした先から、何となく聞き覚えのある声がしたので、ゴンドラを停める。

 

そう、つい半年程前まで、今ここにいるミドルスクールに通い、三人の先輩でもある、後輩ちゃんの声だ。

 

まずは曲がり角から船首が見えて、次にお客様が見えたのだが………。

 

あら? 後輩ちゃんが……お客様!?

 

しかし次の瞬間、そんな疑問は、オレンジぷらねっとの制服を着た後輩ちゃんが出てきた所で、見事に打ち砕かれた。

 

「ねえ、アイシアちゃん、ちょっとあれ!」

 

「あっ! アリス先輩だ!」

 

「本当だ~」

 

さすがはミドルスクールの有名人である後輩ちゃんだけあって、後輩ちゃんの後輩ちゃん達から後輩ちゃんに対する感嘆の声が漏れる。

 

しかし、後輩ちゃんの後輩ちゃん達は、後輩ちゃんが乗せているお客様に後輩ちゃんのそっくりさんがいるのには気付ていないようだ。

 

「ど、どゆコト?」

 

思わず声に出てしまった。

 

お客様は全部で五人乗っているが、後輩ちゃんそっくりのお客様は、いわゆるお一人様のようだから、恐らく、後輩ちゃんは、相乗りでのご案内をしているのだろう。

 

相乗りは、色んなタイプのお客様が乗るので、稼げる代わりに、相当のスキルを必要とする。

 

行く場所はある程度決まってはいるので、一見簡単そうではあるものの、乗る目的やお客様の年齢やタイプが大分異なる場合がほとんどだからだ。

 

そんな後輩ちゃんを、三人と一緒に感心しながら見ていたが、後輩ちゃんは後輩ちゃんで、まだ私と後輩ちゃんの後輩ちゃん達が後輩ちゃんを見ている事に気が付いていないようだ。

 

「アリスセンパーイ!」

 

アイシアちゃんが、手を振ると、後輩ちゃんは、一瞬ギョッとした表情になったあと、すぐに可憐な笑顔を見せて、胸元で控えめに手を振り返した。

 

ああ、あの華麗な微笑み返しは、私が教えたやつなのに……。

 

無愛想だった後輩ちゃんに、営業スマイルを始めとする華麗な振る舞い方を教えたのは、何を隠そう、この私なのである。

 

もっとも、あの可憐な笑顔についてだけは、灯里の力によるものが大きいのかも知れないが……。

 

そんなことを考えていたら、後輩ちゃんが、手を振るのを止めて、ブロックサインを出しているのに気づいた。

 

えっと、『後で、連絡、する』?

 

何だろう? こっちの三人の事だろうか? あるいは、あっちの、後輩ちゃんそっくりさんの件だろうか?

 

とりあえず私も、『了解』とブロックサインで返しておいた。

 

後輩ちゃんが通りすぎた後、三人に話しかける。

 

「みんなは、アリスさんとは、一緒に部活動をしてたの?」

 

アイシアちゃんが反応する。

 

「はい。でも、ミドルスクールでは、部活はたまーに顔を出される程度で、直接会ってお話したことはないんです」

 

「そうなんだ、そりゃ残念ね」

 

と、言いつつ、それが、私や灯里との、合同練習のせいなのかと思うと、少し申し訳ない気がした。

 

____________________

 

 

そんなこんなで、開始から二時間近くが経ち、『未来のお仕事体験会』も、いよいよ終わりが近づこうとしていた。

 

「みんなすごいわ。ちょっとしたポイントを教えただけで、とっても上手なんだもん」

 

私がそう言うと、アイシアちゃんが笑顔で答える。

 

「いやあ、藍華さんの教え方が上手なんですよ、なあ?」

 

「ええ、本当に、とっても勉強になりました」

 

「ありがとうございます~」

 

「そう? やだぁ、そう言われたら、そうかもしれないけど、何だか照れちゃうわね」

 

確かに、三人の顔は、充実感に溢れていた。

 

やはり、操舵の基礎はしっかり出来ていて、意外にも、(あきな)ちゃんが抜群のオール捌きを見せてくれた。

 

もっとも、(あきな)ちゃんが橋のアーチに頭をぶつけそうになったり、オールを水路に落としかけたりはしていたが、残る二人がうまくフォローをしていたので、特に問題らしい問題はなかった。

 

次に観光案内については、流石に経験がほとんどないらしく、皆苦戦していたが、アルテナちゃんだけは堂々と、それでいて明るくはきはきした感じの案内をしていて、私も参考になる程だった。

 

もっとも、(あきな)ちゃんが、観光案内ではなく官公庁案内をするというボケをかましつつ、説明するのに夢中で、橋のアーチに頭をぶつけそうになっていたものの、残る二人がうまくフォローをしていたので、特に問題らしい問題はなかった。

 

カンツォーネについては、みんな私よりも上手いので、悔しいです!って事で書くのもだるいが、意外(?)にも、アイシアちゃんが抜群の美声で歌っていた。

 

もっとも、うっとりした私が、橋のアーチに頭をぶつけそうになったが、当然私は誰からもフォローして貰えない為、決して、当たった判定にはなってないが、側頭部に、若干のたんこぶが出来たような気がする。

 

まあ、あくまでも当たった判定にはなっていないので、これも特に問題らしい問題はなかった。

 

「じゃあそろそろ時間だし、支店に戻りま……」

 

と、言いかけた所で、私に声をかける一人の人物がいた。

 

「よう、ガチャペンじゃあねえか」

 

そう、それは、あの夢にまで見てしまったポニ男こと、ポニ男であった。



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(藍華編)その 華麗なるステップ&スワップは……(6)

藍華・S・グランチェスタは、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、姫屋カンナレージョ支店の支店長として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。

朝のルーティン失敗からツイてない中、ウンディーネのお仕事を三大妖精ソックリのミドルスクール生、アイシア・フェリーラ、アルテナ・ロフレンス、(あきな)・リローグに体験させた藍華は、何故かその時の振る舞いを悔いていた。。
この後、一体どんな華麗なる一日が待ち受けているのであろうか?


リーンゴーン、リーンゴーン、リーンゴーン……

 

ああ……やってしまった……。

 

遠くの方から15時15分を知らせる鐘の音が聞こえる中、私は支店長室のデスクに座り、大量の涙と鼻水を垂れ流しながら突っ伏していた。

 

後輩ちゃんの後輩ちゃん達による、『未来のお仕事体験会』については、まあ大部分は成功に終わったと言ってもいい。

 

しかし、だがしかしである。

 

後輩ちゃんの後輩ちゃん達と、後輩ちゃんのソックリさんを乗せた後輩ちゃんに出くわした辺りから、支店に戻って来る迄の道程、そうあのポニ男に会って以降は、大いなる失態があったような気がする。

 

思い出したくもないし、正直かなり記憶があやふやな部分はあるのだが、覚えている限りは、確かこのような状況だったような……。

 

 

 

「よう、ガチャペンじゃあねえか」

 

そう、それは、あの夢にまで見てしまったポニ男こと、ポニ男であった。

 

「あの、三人ともごめんなさい。ちょっと待っててくれる?」

 

ポニ男に話しかけられた私は、まずゴンドラを岸に停め、念のため、リモコンを使って、定点で撮影していた記録用ビデオの録画を停めてから話をした。

 

「あによ?」

 

「今日は後輩指導か?」

 

「だとしたら、何だって言うの?」

 

「いや、今朝方、もみ子の所に行ったら、お前の話になったもんだからな」

 

「あ、そ」

 

素っ気なく答えはしたが、『今朝方』というワードを聞いて少しテンパった。

 

もしポニ男が、私が電話をする前からいたとしたら……。

 

 

『あっ!? 暁さん、そっ、そこは……』

 

『ふ、ふんっ……どうした? もう、限界か?』

 

『いえっ、そういう訳では……』

 

『じゃあ……まだいけるな?』

 

『はひっ……あの……はひ……』

 

『今度は……もみ子、はっ、早くしろ……おっ……俺も、この体勢では……すぐに出ちまいそうだ』

 

『じゃ、じゃあ……私が動いて……あうっ……くっ……』

 

『どっ……どうした? 俺からは……何も見えないのだから、おっ……おいっ! もみっ……うおっ!?』

 

『はひっ……だっ、だってこの方が……たっ、体位が安定して……えいっ……』

 

『ちょっ! うおっ!? そんな所に足をかけたら出てっ……うぐっ!』

 

『はひっ……さあ……こっ、今度は……暁さんが……え、えへへ……もうっ……あふっ……げっ……限界っ……ですか?』

 

『ぐっ……まだまだ……これでっ……どうだっ!』

 

『あっ!? そんな所……ふあっ! だっ! ダメですよう!』

 

『おっ……俺だって……はっ…早くっ……ううっ』

 

『あふっ……わっ、私……いっ……いきますっ! えっ……えっと……ひっ……ひだり手を、オレンジッ!』

 

などという、お年頃の男女がガチですると若干恥ずかしい事態になりかねないツイスターゲームをポニ男と灯里がやっている様を、脳内細胞をフル稼働して妄想する。

 

まあでもポニ男に限って灯里とそんなことするワケないわって思っちゃうけど二人ともいいお年頃だから別に何しても不思議じゃないわとはいうもののいやでも待ってよ私だってまだアル君とはそんなツイスターゲームなんてできるような親しい関係にはなってないのに灯里はまだそういうのは早いんじゃないかしらって姉目線で考えてるワケであっていやいや別に私は羨ましいです悔しいですぴえんぱおんチックショーってワケじゃないけどアル君ともそろそろそんな関係になっちゃってもいいのかなってちょっぴり思っちゃったりしちゃったりするのは置いといてやっぱりあの灯里がポニ男とそういう大人の関係になるのはまだ早いというのが私の姉目線の見解であるのでってこのあるって言うのはあるあるで別にアル君とは何の関係も無いアルって……

 

「おい、どうした?」

 

「うえっ!? あ、いや、あんたには何も関係ないわよ! そうよ、何も関係ないでしょ!?」

 

「まあそれもそうだがな。しかし、見習いが三人も乗ってるってえのは珍し……むっ!?」

 

ポニ男が驚きの声を上げた。

 

「あ、あ、アリシアさん!!!」

 

「えっ? オレ?」

 

ビックリするアイシアちゃん。まあ、お互いの反応は無理もない。

 

「姫屋の制服なんて着て、一体どうしたんですか?」

 

「は?」

 

「あ、あの。いやだからこれは……」

 

と、言いかけて、アリシアさんのソックリさんなんです、という言葉を飲み込む。

 

すると、ポニ男は、相変わらずの空気読まなさぶりを発揮した。

 

「そうか! なんちゃって一人前(プリマ)ガチャペン(コイツ)を再テストしてるんですね!?」

 

「えっ? いや、あの……」

 

「いやあ、さすがはアリシアさん。こいつ、調子に乗ってやがるんで、しっかり指導してやってくださいね」

 

「何だテメェ……」

 

「えっ?」

 

「さっきから黙って聞いてりゃ、何だ何だぁ?」

 

キッとポニ男を睨むアイシアちゃん。

 

キリッとしたアリシアさんも素敵だけど、もしこんな風にキッと睨まれたら、それはそれでいけない感情が溢れ出てしまいそうだ。

 

「あ、あの……アリシア…さん?」

 

ポニ男はポニ男で、かなり戸惑っているようだ。

 

「オレの名前はアイシアだっ」

 

「えっ? だから、アリシアさんですよね?」

 

「よく聞けよこのポニーテール野郎。ア・リ・シ・アじゃねえんだよ、ア・イ・シ・アだっつってんだろ?」

 

あのアリシアさんソックリの姿と声で罵られたポニ男は、怪訝な顔をして、私に尋ねた。

 

「……ガチャペン、これは一体どういう事なんだ? 俺様にも分かるように説明しろ」

 

「えっ? ええっと……」

 

「はあ!? お前が勝手に勘違いしてるだけだろうが!」

 

と、アイシアちゃんが急に立ち上がり、ポニ男の胸ぐらを掴もうとしたが、さすがのポニ男も何かを察したらしく、とっさに後ろにのけ反った。

 

「あっ、うわっ!」

 

空振ったアイシアちゃんは、勢い余って、そのままバランスを崩してしまう。

 

「あっ、アイシアちゃん、危な……」

 

 

シャッセ・アントルラセ

 

 

決して、補助魔法を唱えた訳ではない。

 

私は以前、晃さんが、ゴンドラ上でバランスを崩したお客様にしたような、救助活動を試みた。

 

バレエのステップとジャンプで、華麗にアイシアちゃんの後ろに回り込み、オールでゴンドラのバランスを取りながら、アイシアちゃんの腰を抱え、ありったけの力で押し戻す。

 

「ぬおおおっ!」

 

決して、華麗ではないと思われる声を出していたが、私はとにかく必死だった。

 

「うおおおっ!」

 

そんな私の思いが通じたのか、かろうじてゴンドラの安定を維持つつ、アイシアちゃんの体勢を立て直す事には成功したのであった。

 

よ、良かった……と、思ったのも束の間。

 

「あらっ?」

 

思い切り踏ん張っていた私は、アイシアちゃんを戻した反動で、バタンという音を立て、ゴンドラの中に倒れてしまったのである。

 

「「「藍華さんっ!」」」

 

見えないが、心配そうな声の三人。

 

私は大丈夫、ええ、私は大丈夫よ、と思ったその時だ。

 

「どっ、どうしたんですか?」

 

別の声が近づいて来るのが聞こえた。

 

それは私が、最も今の華麗ではない姿を見られたくない人物の声だった。

 

「おお、アルか。どうしたもこうしたも……ホレ」

 

「えっ? 藍華さ……うええっ?」

 

かなりビックリしている。

 

ん? ビックリ? …………まさか!

 

「ううむ、今日からコイツのあだ名は、ガチャペンではなく、ガチャパンにしようか?」

 

「ちょっと暁君! それはいくら何でも……」

 

「じゃあ、ストレートにシマパンにするか?」

 

「だから、そういうことじゃありませんってば!」

 

「こんなブザマな姿を晒してるんだ、それぐらいいいだろうよ」

 

そうか……私は今、パンツ丸出しなんだ……。

 

「おい! お前らいい加減に……えっ?」

 

起き上がった私は、なおもくってかかろうとするアイシアちゃんを制して、笑顔で話しかける。

 

「いいのよ、アイシアちゃん」

 

そう、私が我慢すれば全てが収まるんだから、これでいいんだ。

 

それなのに……ポニ男が追い討ちをかけるように私を煽る。

 

「おっと、シマパンさんのお目覚めのようだな」

 

「暁君!」

 

その時、私の中で、鋼鉄で出来た鎖のような何かが、一気に弾け飛んだような気がした。

 

「ごめんなさい、私、ちょっとこの二人とお話したいことがあるから、もう少しだけ待っててもらっても、いいかな?」

 

「あ……はい」

 

「ありがと。じゃあ暁さんとアル君。ちょっとあっちの方で、お話しましょうか?」

 

私は、その時出来うる限りの、そう、決して般若の面の様な顔ではなく、飛びきりの笑顔で二人に言った……と思う。

 

「おいおいシマパン、勘弁しろよ。俺様はシマパンと話をする暇など……ぐっ」

 

「いいから来い」

 

「えっ? あっあの、藍華さん?」

 

と、アル君が言っていた所までは何とか覚えているのだが、その後の数分間についての記憶がほぼ無い。

 

ただ、後輩ちゃんの後輩ちゃん達からは見えない裏路地まで三人で行ったのは覚えている。

 

何となくではあるが、一緒に歩いて行ったというよりは、引きずって行ったような気がするけれど……。

 

そして、再び戻って来た時には、ポニ男はまるで誰かにマウントを取られながら大量の平手打ちを食らったかのように、頬が手の形に真っ赤に腫れ上がっており、アル君の方は、まるで巨大な竜の雄叫びを聴いたかのように、顔が真っ白になっていたのだ。

 

一体誰が、あんな酷い仕打ちをしたと言うのだろうか?

 

そうだ、一つだけ思い出した。

 

アル君が、『あ、あの……シマシマを見て、しまった~なんちゃって~』という、渾身のダジャレを言っていたはずだ。

 

それを私は、渾身の笑顔で、今はそういうク……いや、くだらないダジャレを言う状況ではないですよという主旨の指摘と、この事は誰にも話さないようにしてくださいねという主旨のお願いと、いくらアル君と言えども、もしこの事を誰かに話したら貴方の身の安全が脅かされかねない状況に陥る可能性がありますよという主旨の軽い注意喚起をしたような気がする。

 

そうすると、私が原因という事になるのだが、たかが一個人の指摘と、お願いと、軽い注意喚起であそこまで真っ白になるのだろうか?

 

いや、それはない。

 

そもそも、あの時見た夢の通りなら、確か私はポニ男にラリアットをかましたはずである。

 

それがなされていないのが、私が般若……じゃなかった、私が犯人ではない確定的な証拠だと思うし、後に気が付いた二人も、起き上がるなり何も言わずにそそくさと去って行ったのだから、やはり私がやらかした可能性はゼロだ。

 

むしろ、問題は戻って来た直後だ。

 

私が気絶状態の二人を、格闘家のように両肩に担いで戻って来てしまった事や、二人を、ドサッと音が出るような、乱雑な置き方をしてしまうという、極めて華麗ではない振る舞いをしてしまったせいで、後輩ちゃんの後輩ちゃん達に、ドン引きされてしまったのが大いなる反省点だ。

 

その後、私は聖母のような振る舞いで華麗な救護活動を試みるなどして、イメージダウンを最小限にしようと努力したものの、またまたここで悔やまれるミスをする。

 

気付けの為と思って、二人の顔に、近くにあったバケツで水をかけたのだが、若干混乱していたせいか、水路の、しかも小魚が混じった水をかけてしまったので、二人の顔の上でピチピチと小魚が跳ねてしまい、そこで更にドン引きされてしまったのである。

 

その後、支店に戻り、最後に支店の皆と撮った記念撮影では、何となくひきつった笑顔をしていて、お礼はされたが、私とはあまり目線を合わせてくれないという結果となり、大いなる後悔をしながら今に至る、という訳だ。

 

そうだ、後でアル君に、どんな状況だったのか、誰にあんな状態にされたのかを聞いてみよう。

 

そんな事を思っていると、電話のベルが鳴った。

 

それはさっき、後で連絡する、というブロックサインを送ってきた、後輩ちゃんからの電話であった。

 

とりあえず、よろめき、足を引きずるように電話へと向かう。

 

「はい、もしもし?」

 

「たっ、たっ、大変ですっ! 藍華先輩!」

 

「はあ? どしたの?」

 

「灯里先輩から来たメール、ご覧になりましたか?」

 

「えっ? 何の?」

 

「まだ見てないんですか? では、決して驚かないで下さいね?」

 

「はあ」

 

気の無い私の返事をよそに、後輩ちゃんは興奮冷めやらぬ感じである。

 

「な、ななな、なんとっ! あの灯里先輩がっ! きっ、今日、ARIAカンパニーでお泊まり会をしませんか? っという内容なんですっ!」

 

「へえ、そりゃまた何で?」

 

「それが、三人ではないから大変なんじゃないですか!」

 

「あら、そうなの? 他に、誰か……」

 

と、言いかけた所で、私のポジティブな思考がにょきにょきと現れた。

 

「それって、もしかして、アリシアさんとかっ!?」

 

「いいえ、違います!」

 

違うんかい! と言う突っ込みを心の中でする。

 

「じゃあ、晃さん…な訳ないし、グランマとか?」

 

「違います!」

 

「んもう、誰よ一体」

 

「何と……、その名も、ARIAカンパニーお泊まり会、with暁さんなんですよ!」

 

「暁さ……って、ポニ男!?」

 

そう、まさかのポニ男再び、なのである。



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(藍華編)その 華麗なるステップ&スワップは……(7)

藍華・S・グランチェスタは、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、姫屋カンナレージョ支店の支店長として、日々起きる問題に悪戦苦闘しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その藍華が書き留めた膨大な日誌や報告書の中で、「恥ずかしい日誌、禁止!」と、自ら封印した日記風日誌の、とある一日の記録を紐解くものである。
朝のルーティン失敗、プレミアムプリン強奪&お説教とツイてない中、ウンディーネのお仕事を三大妖精ソックリのミドルスクール生に体験させた藍華。
その時の振舞いを悔いていた藍華は、アリスから「ARIAカンパニーお泊まり会、with暁」が開催される事を聞く。
この後、一体どんな華麗なる一日が待ち受けているのであろうか?


「なっ、何でポニ男がARIAカンパニーに泊まるの?」

 

私の疑問に、後輩ちゃんはやや興奮気味に答える

 

「そこは私も謎なので、先に灯里先輩に尋ねてみたのですが、はっきりとは分からず仕舞いなんです! これって、怪しくないですか?」

 

「そう……」

 

ああ……よりにもよって、ついさっき、私のパンツを見た上にそれをイジッた挙げ句、何者かの襲撃を受け、私が全力で介抱したポニ男の名前が出て来るなんて……。

 

何故、私のこの凍てついた心を癒してくれるアリシアさんじゃなかったのかしら?

 

もしも、これがアリシアさんとのお泊まり会だったら……

 

 

『ううっ……アリシアさぁ~ん』

 

『あらあら、どうしたの? 藍華ちゃん』

 

『今日、あのポニ男に恥ずかしい所を見られて、それをイジられたんですぅ~』

 

『まあまあ、それは大変だったわね』

 

『でも、ミドルスクールのコ達がいたんで、何とか我慢して、介抱までしたんですよ?』

 

『あらあら、そうなの。藍華ちゃん、とっても偉かったのね』

 

『でも、その時に少し、ほんの少ぉーし失敗して、みんなにドン引きされちゃって、落ち込んでるんです。だから、今日はアリシアさんに癒して貰おうと思って~』

 

『うふふ、そうだったのね。じゃあ藍華ちゃん、こちらへいらっしゃい』

 

ぽふっ

 

『ああっ。アリシアさんって、とってもあったかいですね……。うーん、癒される、これは癒されちゃいますよ~』

 

『あらあら、それじゃあ特別に、とっても気持ち良くなる、アレをしてあげましょうか?』

 

『アレ? ……って?』

 

『うふふ、これよ』

 

『……ふええっ!? あの、アリシアさん?』

 

『あらあら、目を瞑って、大人しくしていないとだめよ、うふふ』

 

『いや、でもっ ふわっ♡ あっ、そこはっ、あっ♡』

 

『うふふ、気持ちいい?』

 

『えっ? ええ、でも、ひうっ♡ 他人(ひと)にしてもらうのなんて……ふわっ♡ 何だかぁあっ、恥ずかしくてぇえっ……』

 

『あらあら、藍華ちゃんは、こういうコト、普段はひとりでしてるのね?』

 

『それは……んんっ♡ はい……。あの、アリシアさんは……あっ♡ いつも灯里と、こんなコト、をっ…ふうっ♡ 二人でしてたんですか?』

 

『うふふ、それは、ヒ・ミ・ツ』

 

『ええっ? そんなあ』

 

『それにしても、藍華ちゃんのココ、とっても綺麗ね』

 

『えっ? それはその…あんっ♡ 実は最近、何だか癖になっちゃってて、すっ…んんっ♡ 少し、ひっ…頻度が増えていて……』

 

『まあまあ、そうだったの。でも、ひとりであまりし過ぎると、中を傷つけちゃうかもしれないから、程ほどにした方がいいわね』

 

『はい……あんっ♡ そんな、奥のほうはっ……んっ♡』

 

『うん、そろそろ良さそうね、じゃあ最後に……ふぅーっ』

 

『ひゃんっ♡ ア、アリシアさん、ソコに息を吹きかけられたらぁっ♡』

 

『うふふ、くすぐったかった? 私、反応が面白くて、ついやってしまうの。じゃあ次は……反対側の耳をやりましょうか?』

 

という、『アリシアさんによる耳掻きリフレ(癒しの生ボイス&息吹きかけ裏オプ付きバージョン)in ARIAカンパニー』の脳内妄想を展開していた所で、後輩ちゃんの「藍華先輩!」という声が遠くから聞こえてきた。

 

「藍華先輩!」

 

「……はふぇ? アリシアひゃん?」

 

「アリシアさん? あの、藍華先輩、どうしたんですか? 急に」

 

と、言われて、ようやく我に帰る。

 

「えっ? ああっ、あの……そう! 何だか、耳障りな話だなって。そうよ! あのアリシアさん好きを拗らせて、迷惑ばかりかけてるポニ男と一緒に、何で灯里と私達二人が一緒に一晩過ごさなくちゃいけないのよ!」

 

「ですよね。でっかいあり得ませんよね。では、私と藍華先輩は欠席という事で……」

 

「いや、行くわよっ!」

 

「ええっ?」

 

後輩ちゃんが、訳わからんという感じの驚きの声を上げる。

 

「だって、私達が行かなかったら、灯里とポニ男が二人で過ごす事になるじゃないの!」

 

「た、確かにそうですが、あの暁さんと灯里先輩に限って、何か間違いが起きるとは、とても……」

 

「そんなの分からないでしょう? そりゃあさ、もう灯里とポニ男は、一緒にツイスターゲームとかやっちゃってる仲かもしれないけどさ、それとこれとは話が別よ!」

 

「ツイスターゲーム!? ……って、はっ? えっ?」

 

「そうよ! ツイスターゲーム! 今朝一緒にやっていた可能性があるのよ!」

 

「は、はあ……。そう……なんでしょうか?」

 

事態が飲み込めていないらしいが、所詮オコチャマに理解させるのが無理という事か。

 

「だーかーら! 後輩ちゃんはオコチャマだから分からないかもしれないけどさあ、とにかく灯里は貞操の危機にあるワケよ!」

 

「えっ……ええーっ!? その、ツイスターゲームというゲームでですか!?」

 

「決まってるじゃないのよう! 大体、もし狼状態になったポニ男が暴走して、灯里に乱暴しちゃうとか、とにかく灯里の身に何かあったらどうするワケ?」

 

「そ、それは……」

 

「だから、お泊まり会には行かないけど、ARIAカンパニーには行くわよ! 灯里の安全が確認できるまで、外で見張らなきゃ、気が済まないわ!」

 

「えっ? この冬に……ですか?」

 

今度はあからさまな拒否反応が出た。

 

やれやれ、これだからオコチャマは困る。

 

「あーら、嫌なら別に後輩ちゃんは来なくていいわよ。ま、今や業界大注目の一人前(プリマ)ウンディーネさまが、お風邪をおひきになられたら、大変ですものねえ」

 

「むむむ。私はでっかい大丈夫です! 半人前(シングル)の時に、風邪を引き、合同練習をサボッて泣きながら寝込まれていた、藍華先輩がでっかい心配になっただけですから!」

 

「へえへえ、そんなこともあったかしらねー。ご忠告どーも。でも、本当に、忙しいなら、無理しなくていいわよ?」

 

「いえ、灯里先輩の為ですから! しかし、当の灯里先輩にはどの様に言えばいいのでしょうか? まさか、ウソはつくわけには……」

 

「あら、『明日は仕事の都合で、朝早く起きなきゃいけないから』って言えばいいでしょう? 別に、朝早く起きればウソにはならないわ」

 

「なるほど、さすがは藍華先輩! 悪……いえ、こういう時の知恵はお見事ですね!」

 

「何だか言葉通りに受け取れないような……まあいいわ。今日の夜、ARIAカンパニーに行きましょ!」

 

「はいっ」

 

「それからさ、今回のミッションは、灯里をポニ男から守る事だけど、場合によっては、私達も襲われるかもしれないわ。だから、制服や私服じゃなくて、ある程度護衛・防衛が出来る服装・装備で行きましょ!」

 

「分かりました! 何でもいいですか?」

 

「まあ、甲冑に槍とか、そういう現実離れしてる物じゃなければ何でもいいわ」

 

「はい! あっ! この後またお客様なので、それではまた夜に」

 

「うん、よろしくね!」

 

と言って電話を切ってから、はたと気付く。

 

しまった! 昼間の後輩ちゃんソックリさんの事聞くの忘れた! こっちも言うの忘れた!

 

まあ、また夜に会うのだから、その時に確認すればいいか。

 

そう思い直した私は、早速どんな服装で行くかについての検討を始めた。

 

 

確か、Amanonのシルフ超特お急ぎ便なら、2時間もあればつくはずだ。

 

でも、この後本店との打合せもあるし、誰かに注文して貰えばいいわね。

 

やっぱりこういう時は、特殊部隊風の格好で、拳銃やマシンガン、バズーカ砲にロケットランチャー……は無理だから、やっぱり扱い易いナイフかしら?

 

いや、でも、さすがにARIAカンパニーで、万が一にも血の雨を降らせるような事態は避けなくちゃいけないわよねぇ。

 

武闘家みたいな格好でヌンチャクとかカイザーナックル?

 

いや、ダメだわ、肉弾戦もいいけど、ちょっと華麗さに欠けちゃうわねぇ。

 

うーん……ポニ男、ポニ男、ポニ男……ポニー、馬、馬! そうよ、馬よ!

 

騎手みたいな格好なら、プロテクターとかもつけられそうだし、ロングブーツに、武器は、競走馬の調教用ムチなら、ある程度威嚇も出来そうね。

 

後は、防寒用のタイツも買っておいたほうが良いかしら?

 

と、考えがまとまりかけていた所へ、ドアをノックする音が聞こえる。

 

「失礼しまーす!」

 

「はいはーい! どうぞー!」

 

私が答えると、見習い(ペア)の子が、午後の決裁書類を持って中に入って来た。

 

「え~、またそんなにあるの~?」

 

私がウンザリしたように言うと、その子は苦笑いを浮かべた。

 

「ふふ、そうですね、本当に」

 

「そうだ、ちょっとさ、頼まれ事してくれない?」

 

「はい、何でしょうか?」

 

私はさっき頼もうとしたものをメモすると、それを華麗な手さばきで、ピッと渡した。

 

「これを、Amanonのシルフ超特お急ぎ便頼んでおいて欲しいんだけど……」

 

「はい。えっと……えっ? コレ、ですか?」

 

意外な反応が帰って来る。何か間違えたのだろうか?

 

「そうよ、どうかした?」

 

「いや……何に使われるのかなって……」

 

ブーツにタイツにムチという組み合わせだと……そうか、サーカスに出てくるような、猛獣使いと勘違いしているのだろうか?

 

確かに、いきなり馬の調教を想像する人なんていないか。

 

しかし、そうだとしたら、ちょっとセクシー系のお姉さんを想像をしているという事になるが、まあ大きく外れてはいないし、それでもいいか。

 

何だか否定した上で、いちいち説明するのも面倒だと思った私は、話を合わせようとした。

 

「あの、えーと、そう! 今日の夜、急に仮装パーティーのお誘いを受けたのよ。でも、普段そんなの行かないもんだから、なかなかいいのが思い浮かばなくて」

 

「そうなんですか。しかしムチもですか?」

 

「ああ、それ。なんかさー、参加者の中に、馬ってゆーか、馬鹿ってゆーか、野獣みたいな男がいるのよー。だから、少しでもおかしなコトをしようものなら、そのムチを使って、調教っつーか、お仕置き? しようと思って」

 

「そ、そうなんですね……」

 

「そうそう、『このローゼンクイーンが、AQUAに代わって、お仕置きよ!』みたいなノリよ。だからお願い。本当は色々見たいんだけど、この後会議もあるからさ。もし、一式セットみたいな奴が売ってたら、それでもいいわよ」

 

「分かりました。では早速注文しておきます」

 

この時、私は見習い(ペア)の子が、少し恥ずかしそうな表情をしている事に、もう少し疑問を持つべきであったのだが……。

_____________________

 

それから2時間後、決裁事務やら会議を終わらせた私の元に、さっき注文を頼んだ見習い(ペア)の子がやって来た。

 

「藍華さん、荷物が届きました」

 

「ありがとう! 助かったわ~」

 

そう話しかけると、何となくその子はソワソワしているような気がする。

 

「あの……中を確認して戴けますか? 私、こういうのは買った事がなくって、他の子達とも相談しながら選んだんですけど……」

 

「まあそうよね。馬とかライオンとか、動物の調教に使う服装やら道具やらなんて、普通は買わないものねえ」

 

「えっ!? 動物の調教?」

 

意外だ、というか、かなり驚いた、という反応が帰ってきた。

 

「どしたの?」

 

「あっ!? ええっと、いや、その……」

 

何だか反応がおかしい。

 

嫌な予感がしたので、段ボールを開ける。

 

「……えっ!?」

 

箱の中からは、真っ赤なエナメルのピンヒールのブーツ、網タイツ、ボンテージスーツ、手錠、ムチ等々がセットになっている、『これで貴女も女王様! パーティー用コスチューム15点セット』というラベルが張られた袋が出てきた。

 

その時、私も、その見習い(ペア)の子も、顔を真っ赤にして、お互いに目を合わせないようにする。

 

「ね、ねえ……コレは?」

 

「ごっ、ごめんなさーい! ちょっとした勘違いをしてしまったみたいで……」

 

勘違いはあったかもしれないが、頼んだ物は、想像したものとは違うものの、確かに入っている訳であり、怒る訳にも行かない。

 

でもさっき、他の子達とも相談してって……言ってたわよね……。

 

ええっと……明日から、どうしようかしら?

 

「あ……うん、そうね……勘違いなら仕方がないわね、あはっ、あはは……」

 

目から頬にかけて、大量の〈汗〉が流れ落ちるのを感じながら、私はこの後どんな格好で後輩ちゃんに会おうかを考え始めた。



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(アリス編)その 不思議の国からのお客様は……(1)

アリス・キャロルは、業界史上初の飛び級一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、業界史上初のスーパードジっ子ウンディーネの一番弟子として、日々起きる様々な出来事に苦悩しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、そのアリスがにおいて「これは、でっかい不思議すぎる出来事なので、詳細はあまり語らないようにしましょう」と、自ら封印した事件簿の、不思議な一日の様子を垣間見るものである。


「オレンジプリンセス?」

 

「はい! 何でしょう?」

 

私が寮のおばちゃんの声がする方を向くと、おばちゃんはニッコリと笑顔になりました。

 

「よろしい、貴女もようやく自分の通り名に慣れたようね」

 

「はい、この前はでっかい失礼しました」

 

私が一人前(プリマ)ウンディーネとなって間もない頃、このおばちゃんから通り名を連呼されたにも関わらず、本名を呼ばれてようやく気付くと言う失態を演じてしまったのです。

 

もっとも、アテナ先輩に至っては、一人前(プリマ)になりたての頃、通り名どころか本名を呼ばれても気が付かず、ようやく気付いて慌てて走った所を転んでしまい、顔面を打って少し鼻血を流しながらも、何事もなかったかのようにご案内&カンツォーネを歌った、という、通称『鼻からヴェネチアの赤い雨降らし事件』と呼ばれるドジっ子伝説があったようなのですが……。

 

「それはさておき、今日の午後の、相乗りでご予約のお客様の件なのですけれど……」

 

「確か、二名ずつ、四人のお客様ですね? それがどうかしたのでしょうか?」

 

私が聞き返すと、おばちゃんは不安げな表情を浮かべながら、こう答えたのです。

 

「それが今朝になって、お客様が一名、追加のご予約が入ったそうなのですよ」

 

「ああ、そうなのですね。分かりました」

 

何もびっくりするような事はなく、むしろよくある事なのに、一体何があったというのでしょうか?

 

「それが……。予約されたお客様のお名前が、貴女と同じ『アリス・キャロル』さんという方だそうなのですよ」

 

「えっ?」

 

それは、私の想像の遥か斜め上を行くようなお話でした。

 

「その反応を見ると、貴女は何も御存知ないようですね。もしかしたら、貴女がご親族やお知り合いを招待されたのかと思ったのですが……」

 

「いえ、そういう事はないのですが……」

 

「そうですか。それならば、偶然なのかもしれませんし、予約した方のイタズラかもしれませんねえ」

 

おばちゃんはそう言いましたが、ふらっと来られるようなお客様ならまだしも、ご予約のお客様なら、ご案内するウンディーネのご指名ができるので、偶然という事は考えられません。

 

「予約の受付がでっかい間違えた、というようなことはあるのでしょうか? 有栖川ロールさんとか、エーライス・カロリーさんとか……」

 

「いいえ、そういった事は考えづらいわね。でも、もし何か心配があるのなら、他の人のご案内に振替てもらう事も出来るわよ?」

 

「そうですか。うーん……でっかい怪しい気もしますが、どんなお客様なのか気になりますし、私はそのままでもいいと思うのですが」

 

「そうですか。では、ご予約はそのままにしておくわね?」

 

「はい。ありがとうございます」

 

そう言いながらおばちゃんが去った後、何だか背後から突き刺さるかのようなでっかい視線を感じます。

 

「(うーん、何だか不思議な事件の予感がするねー、アトラちゃん)」

 

「(しっ! 杏、声が大きいわよ!)」

 

ひそひそ話が聞こえた方を向いたものの、恐らくそこにいたはずの人影は、もうありませんでした。

 

不思議な事件……。

 

その時、妙にその言葉が耳に残ったのですが、まさか、本当にあのようなでっかい不思議な出来事が起きようとは、思いもよらなかったのです。

______________________

 

そんなこんなで、午前中のご案内は、つつがなく終わったのですが、気候が思いの他暖かく、でっかい汗ばむほどでした。

 

午後のお客様のご案内まで少し時間が空いていたので、インナーを着替えようと思い、私は一旦部屋へと戻る事にしました。

 

寮に戻ると、メールボックスに、伝言メモが入っている事に気付きます。

 

「……灯里先輩?」

 

それは、灯里先輩からの電話を知らせるものでした。

 

通常は仕事をしている時間帯なので、昼間に先輩方から電話がかかって来ることはありません。

 

もしかしたら、何かでっかい緊急事態が起きているのかもしれない。

 

そう思った私は、早速ARIAカンパニーに電話をしてみる事にしました。

 

「はい、ARIAカンパニーです」

 

「あっ、灯里先輩ですか?」

 

「あーっ、アリスちゃん。元気?」

 

相変わらずの優しい声。

 

聞き慣れているこの声に、何だかでっかいほんわかとした気分になります。

 

「はい、今日は冬なのに、でっかい暖かいですね。先ほどお電話を戴いたようなのですが、灯里先輩は、今日はお仕事ではないのでしょうか?」

 

「うん。実は今日、アリスちゃんの通っていたミドルスクールの後輩さん達が『未来のお仕事体験会』っていうのをするんだって」

 

「それは確か、最近始まったイベントのようですね」

 

「そうみたいだねえ。それでね、なんと、ウンディーネのお仕事を教えるのは、藍華ちゃんなんだよ~」

 

「ええっ!? そうなのですか? でっかい知りませんでした。しかし、それは灯里先輩のお休みと、何か関係があるのでしょうか?」

 

「うん。もし藍華ちゃんが体調不良とかで、急遽お休みになったら、私が補欠でやる事になってたんだ」

 

「はあ」

 

「でね。もし、藍華ちゃんがそのままやる事になったら、たまにはARIAカンパニーの大掃除でもしようかな、と思って、今日は他のお仕事を入れなかったの」

 

「なる程、だから今日は一日お休みなのですね?」

 

「うん、朝はちょっぴり慌ただしかったけど。今は何だか、とってものんびりした気分なんだよね~。ふぁ~あ、眠くなっちゃうな~」

 

「だ、ダメです! 寝ないでください!」

 

「あはは、冗談だよ~」

 

慌てる私を、少しからかうように笑う灯里先輩。

 

「そ、そうですか。ところで、ミドルスクールの生徒と言うのは誰が参加するのでしょうか?」

 

「ええっと……ちょっと待ってね。ああ、そうだ、えっと、アイシア・フェリーラさん、アルテナ・ロフレンスさん、(あきな)・リローグさんの三人だって」

 

「ええっ!?」

 

聞いたことのある名前が出てきたので、私は思わず大きな声をあげてしまいました。

 

「ほへ? アリスちゃん、知ってるの?」

 

「はい、しかし、まさかその三人とは……」

 

「どうしたの?」

 

「あ、ああ、いえ。あまり話をしたことはないのですが、三人とも同じゴンドラ部で、特にその三人はでっかい印象に残ってまして……」

 

そう、何故ならば、その、それぞれの名前にも表れているように、かの三大妖精に見た目がソックリなのです。

 

おまけに、本物とは異なり、同じ年齢かついろんな面で目立っているばかりか、アテナ先輩にソックリのアルテナさんが、非常にしっかり者なので、非常に関心を持っていたのでした。

 

「そうなんだ。じゃあ、こういうのはむしろ、アリスちゃんだった方が良かったかもねえ」

 

「しかし、私の所には、その様なお話はありませんでした。やはり、知り合いだとお互いに、でっかいやりづらさがあるからなのでしょうか?」

 

「そうだねえ。アリスちゃんはお仕事忙しいからじゃない? 今回のお話は、ゴンドラ協会……といっても、担当はアリシアさんだから、色々考えての事だと思うな」

 

「なるほど……あっ!」

 

「はひっ?」

 

「す、すみません灯里先輩。ここまでお話しておいて何なのですが、今日のご用件は何だったのでしょうか?」

 

「あっ! あはは、わたしもすっかり忘れてました」

 

ついつい、本来の主旨を外れて話し込んでしまいました。

 

もっとも、アテナ先輩に至っては、電話をかけ間違えた事自体にしばらく気付かなかったばかりか、その間違い電話をかけた中華料理屋のおばちゃんと話し込んでしまい、何故だか出前の注文までしてしまったという、通称『間違い電話でごめんなチャイナで五目麺の出前もしチャイナ事件』と呼ばれるドジっ子伝説があったようなのですが……。

 

「あの……藍華ちゃんにもメールしたんだけど、アリスちゃん、今日の夜って、空いてる?」

 

「夜と言いますと?」

 

「うん、今日、ARIAカンパニーでお泊まり会をやろうかなと思っているんだけど……」

 

「お泊まり会!?」

 

「うん、お泊まり会」

 

「さっ、参加者は誰なのでしょうか?」

 

「ええっと……やっぱり、そこは気になるよね……」

 

「ええ、でっかい当然です。もちろん今日明日のスケジュール次第ですが、アリシアさんやグランマが参加されたりですとか、メンバーにより準備も変わりますから……」

 

そこまで言うと、灯里先輩は、覚悟を決めたかのように、意外な人物の名前を挙げたのです。

 

「その、実は……暁さんなんだよね」

 

「……えっ?」

 

「だから、暁さん」

 

「……」

 

「あれ? アリスちゃん」

 

「ええーーっ!?」

 

「はひっ!?」

 

またまた私が大きな声を上げたので、灯里先輩を驚かせてしまいました。

 

「どっ、どっ、どっ、どうしてそうなったのでしょうか?」

 

「それはその、話せば長くなると言うか……」

 

いつになく、とても歯切れの悪い灯里先輩。

 

「でっかい長くても良いです! 経緯から何から全部教えてくださいませんか?」

 

「えーっ?」

 

「……と、言いたいところですが、あいにく私もこの後お客様をご案内しなければなりません。後で、藍華先輩とも相談してお返事したいと思うのですが、それで良いでしょうか?」

 

「あっ、うん。急なお話だし、特に今日いつまでって言うお話じゃないから、藍華ちゃんとも相談して決めてね」

 

「はい、分かりました。それではまた後で」

 

これはでっかい緊急事態です。

 

あの灯里先輩が、暁さんと一晩を共にしようとされているとは……。

 

いやしかし、何か妙ですね。

 

もしお二人が恋人関係なら、わざわざ私や藍華先輩を呼ぶような事があるのでしょうか?

 

それとも、お月見の時、藍華先輩がアルさんをお招きした時のような、何かでっかい思惑があるのでしょうか?

 

早速藍華先輩にお電話したいところですが、今頃大量の決裁書類と格闘中かもしれません。

 

そんな事を考えていると、午後一番のお客様のご案内の時間がでっかいそこまで近づいているではありませんか。

 

ご案内が終わったら、少し時間が空きますので、その時に一度連絡を入れてみる事にしましょう。

 

_____________________

 

そしていよいよ、ご案内の時がやって来ました。

 

一体、アリス・キャロルさんとはどんなお客様なのでしょうか?

 

何だか胸が高鳴ります。

 

「お客様のご案内でーす!」

 

五人のお客様がやって来たのですが、アリス・キャロルさんは一番後ろに並んでいて、しかも背が低いらしく、私からはまだ足しか見えません。

 

「お客様、お手をどうぞ」

 

私は努めて冷静に、最初の男女二人組をゴンドラにお乗せします。

 

「では次のお客様、お手をどうぞ」

 

続いて、女性二人組をお乗せしました。

 

「それでは最後の……」

 

と、その最後のお客様をご案内しようと振り向いた私は、一瞬言葉を失ってしまいました。

 

そうです、そこには、まさに私と瓜二つ、いや瓜六つぐらいに良く似たお客様が立っていたのです。



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(アリス編)その 不思議の国からのお客様は……(2)

アリス・キャロルは、業界史上初の飛び級一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、業界史上初のスーパードジっ子ウンディーネの一番弟子として、日々起きる様々な出来事に苦悩しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、そのアリスがにおいて「これは、でっかい不思議すぎる出来事なので、詳細はあまり語らないようにしましょう」と、自ら封印した事件簿の、不思議な一日の様子を垣間見るものである。
自分ソックリの同姓同名のお客様をご案内することになったアリス・キャロルに、どんな不思議な出来事が待っているのだろうか?


「お客様、お手をどうぞ……」

 

「……」

 

アリスさん(仮)はでっかい無言のまま私の手を取り、そのまま一番船首に近い席に座りました。

 

そのおかげか、私と瓜二つだと言うことに、他のお客様は気付いていないようです。

 

しかし、何だか遠縁の親戚の方をご案内するような、妙な緊張感がありました。

 

そのせいか、笑顔はぎこちなく、少し手が震えていたと思います。

 

もっとも、アテナ先輩に至っては、一人前(プリマ)になりたての頃、小さい頃からのお知り合いの方をご案内した際に、テンパったせいか、本来歌うつもりだったカンツォーネの歌詞をド忘れしてしまった事があるそうなのです。

 

仕方なく、昔その方と一緒に歌っていた童謡を歌ったところ、それが思いの外好評だった為にドヤ顔で戻って来たものの、橋のアーチに顔をぶつけてしまったという、通称『動揺したけど童謡歌ってDO-YO!からの顔ドーンよ事件』と呼ばれるドジっ子伝説があったようなのですが……。

 

それにしても、何と愛想のない、無表情な子なのでしょうか?

 

せっかくお金を払って観光するのですから、他のお客様と同じように、もう少し楽しそうな顔をしても良いのでは?

 

……と思ったのですが、以前の自分に、でっかいブーメランが刺さってしまうような感じがしたので、それ以上考えるのは止めました。

 

「それでは、出発致します。皆様、航行中は立ち上がったりしないようご注意ください」

 

そう言ってから、私はオールに体重かけて、前へと漕ぎ出しました。

 

_____________________

 

航行しながらのご案内中、アリスさん(仮)は私の方を一切見ず、ただ前に広がる景色を、ぼんやりと眺めているだけのようでした。

 

他のお客様は、写真やビデオを撮ったり、『これが終わったら次はあそこに行ってみよう』等と盛り上がっているというのに。

 

ただ、考えてみると、これがウンディーネの間で噂されている、いわゆる覆面検査官かもしれません。

 

何でも、一般のお客様としてゴンドラに乗り、抜き打ちでウンディーネの適性をチェックしているとか。

 

最悪の場合、一人前(プリマ)から半人前(シングル)半人前(シングル)から見習い(シングル)に格下げされてしまうとも……。

 

もちろん、実際に降格になったというお話は聞いたことがなく、あくまでも噂にしか過ぎないのですが……。

 

ただ、何にしても、私の観光案内に一切反応して貰えないというのも、それはそれで、でっかい考えものだと思います。

 

これでも一人前(プリマ)ウンディーネなのですから、全てのお客様に、でっかい良き思い出を作っていただかなければ!

 

そう決心した私は、次にご案内する場所で、アリスさん(仮)とお話をする事にしました。

 

「皆様、こちらはサン・マルコ広場になります。そしてあちらに見えますのが、カフェ・フロリアン。かつて地球(マンホーム)にあった、カフェの建造物をそのまま移築したものです。

 

外の開放的なお席から、大鐘楼を始めとする広場全体を眺めるもよし、店舗内の芸術的な内装に囲まれながら外の景色を楽しむもよし。どちらでも皆様に優雅なひとときを与えてくれる場所となっております。

 

皆様にはこちらのクーポンをお渡し致しますので、お飲み物を一杯、お楽しみください。なお、こちらではかつて地球(マンホーム)にあった頃そのままに、カフェ・ラテが有名となっていますが、コーヒーの(たぐい)が苦手な方は、紅茶やジュースもご注文戴けます。

 

30分後に、またこちらにご集合いただきますので、あまり遠くには行かれないよう、ご注意下さい」

 

私が一通りのご案内をしたところ、それぞれが思い思いの場所へと移動しました。

 

アリスさん(仮)は、カフェの外にある席の、ちょうど真ん中、つまり、広場にいる人からはあまり目立たない席へと向かいました。

 

「お客様?」

 

「……」

 

少し驚いた様子で、顔を上げるアリスさん(仮)

 

「こちら、ご一緒させて戴いてもよろしいでしょうか?」

 

「……」

 

コクンと頷くアリスさん(仮)。

 

「ありがとうございます。ではお隣、失礼致します」

 

私が座るやいなや、ウェイターさんがやってきました。

 

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

 

「……」

 

アリスさん(仮)は、ウェイターさんの方を見て、メニューを指さして注文をしたようです。

 

「カフェ・ラテでございますね? かしこまりました。お客様は、いつものでよろしいでしょうか?」

 

「はい、今日は冷たい方をお願いします」

 

「かしこまりました」

 

私が注文したいつもの、というのは、通称「アテナホワイト」と呼ばれている、ミルクベースの飲み物の総称です。

 

暖かいのはホットミルクで、冷たいのはミルクセーキなのですが、何故「アテナホワイト」と呼ばれているのかと言うと……。

 

アテナ先輩が一人前(プリマ)になりたての冬のある日、カフェ・ラテを思いきり制服にこぼしてしまい、お店の裏の水場をお借りして洗っても落ちず、仕方なく冬なのに夏服に着替えて観光案内をしたら風邪をひき、後で会社のえらい人にでっかい怒られた事があるそうなのです。

 

それ以降は、お仕事中はこぼしても目立たない白い飲み物を注文するようにと言われ、それを実践したところ、何故かご案内中のドジっ子が少し減ったどころか、三大妖精と呼ばれるウンディーネへと成長したことから、みんなこぞって頼むようになったという、通称『ラテは裏手で(あら)っても落ちないからって、まっ白な飲み物にしろと言われてからのむしろ伸び代半端なかった事件』と呼ばれるドジっ子伝説があるようなのですが……。

 

「あのう……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

無言に無言、まさにでっかい無言の応酬です。

 

やはり、いくら自分にそっくりだからと言っても他人は他人。

 

そんなすぐに打ち解けられるはずが無いのです。

 

これには、さすがの私も、でっかい考えが甘かったとしか言いようがありません。

 

「す、すみません。やはり、ご迷惑でしたでしょうか?」

 

「イイエ」

 

つ、ついに(しゃべ)りました!

 

ひと言ではありますが、ついにアリスさん(仮)の声を聞きました。

 

私にそっくりな声でした。

 

カタコトなので、どこか別の惑星というか、私の知らない言語を使われる国から来られたのでしょうか?

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

「……」

 

再び無言、無表情。

 

「それにしても、今日はお日柄も良くて暑いですね」

 

「……」

 

またまた無言ですが、今度は首をかしげました。

 

私の言っている事が理解できなかったのでしょうか?

 

考えてみれば、言葉が分からない方もいらっしゃる事は、十分あり得る話なのでは?

 

これまで、お客様をご案内するのに、そんな事すら確認しなかったことを、今更ながらに後悔したのでした。

 

「あの、お客様。今日は、私の、ご案内は、分かりましたか? ダメな、所は、ありますか?」

 

ジェスチャーを交えてゆっくり言うと、アリスさん(仮)は何かを察したのか、急に私の手を取り、そして微笑みながら言ったのです。

 

「イイエ。今日は、優雅な、ひとときと、なっています。ありがとう、ございます」

 

「えっ?」

 

何だか、イイエ以外は途切れながらも普通の発音で、おまけに微妙に答えになっていない気がしたので、少し驚いてしまいました。

 

気のせいか、アリスさん(仮)の表情が、少し暗くなってしまったような…。

 

「すみません」

 

「あっ!? こ、こちらこそ、すみません」

 

ああーっ!

 

せっかくの打ち解けられそうな雰囲気が、何だかおかしな空気にっ!

 

しかし、アリスさん(仮)は不思議そうな顔をしています。

 

私が気にしすぎなのでしょうか?

 

そうです! 気にしすぎです!

 

もし藍華先輩がいたら、きっと『ネガティブ思考禁止!』と、怒られてしまうに違いありません!

 

諦めてしまったら、そこで試合終了です! 

 

ここは話を進めましょう!

 

あと、少しゆっくり、はっきりと話しましょう。

 

「あの……失礼ですが、お客様、ネオ·ヴェネチアに、来られたのは、今日が、初めてですか?」

 

「はい。今日が、初めてです」

 

「そうですか。もう少し、簡単な、言葉で、ご案内を、した方が、良いですか?」

 

「イイエ、そのまま、ご案内を、お願いします」

 

「そうですか、わかりました」

 

それから私達二人は、短い間ではありましたが、少しお話をしました。

 

自分にそっくりな人に、自分の話をするのは、でっかい違和感がありました。

 

しかし、何事にも動じてはいけません。

 

さすがに会社からも禁止されているので、アリスさん(仮)の素性は聞き出せませんでしたが、今回のツアーに参加したのは、「外の景色を楽しむ」為との事。

 

ただ、話す言葉は、相変わらず途切れ途切れなのですが、思いの外普通の発音になっているのが気になりました。

 

発音って、そんなにすぐ普通の感じになるものなのでしょうか?

 

もしかして、単に私が、外国の方だという、でっかい勘違いをしていただけなのでしょうか?

 

そんな事を考えていたら、いつの間にか集合時間が近づいていた事に気がつきました。

 

「お客様、申し訳ありませんが、もうすぐお時間になりますので……」

 

「そうですか、わかりました」

 

そう言うと、アリスさん(仮)は立ち上がりました。

 

「あっ、あのっ! お客様!?」

 

キビキビとした動きで行くアリスさん(仮)を追おうと、私も急いで席を立ちました。

 

「……あれ?」

 

ふとテーブルを見ると、クーポン券の敷かれたカフェラテには、口をつけられた形跡がありません。

 

私が話かけたせいで、飲めなかったのかな?

 

何だか、アリスさん(仮)にも、カフェ·フロリアンの店長さんにも、でっかい申し訳ない気持ちになりました。

 

ゴンドラ乗り場に戻る道すがら、私はさっきの会話で感じたでっかい違和感が、どうも気になっていました。

 

何故、アリスさん(仮)は、最初は無言だったのでしょうか?

 

何故、私が話しかけた後、急に、途切れ途切れに話をし始めたのでしょうか?

 

何故、『イイエ』という言葉だけ、変な発音だったのでしょうか?

 

この時の私は、疑問ばかりがぐるぐると頭の中で回るだけで、答えが思い浮かびませんでした。

 

しかし、私は気付くべきだったのかもしれません。

 

『イイエ』という否定的な言葉は、アリスさん(仮)と出会ってから唯一、私が話していなかった言葉だと言うことに……。

 



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(アリス編)その 不思議の国からのお客様は……(3)

アリス・キャロルは、業界史上初の飛び級一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、業界史上初のスーパードジっ子ウンディーネの一番弟子として、日々起きる様々な出来事に苦悩しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、そのアリスがにおいて「これは、でっかい不思議すぎる出来事なので、詳細はあまり語らないようにしましょう」と、自ら封印した事件簿の、不思議な一日の様子を垣間見るものである。
自分ソックリの同姓同名のお客様をご案内することになったアリス・キャロルに、どんな不思議な出来事が待っているのだろうか?


私が集合場所に戻った時には、既に他のお客様も含め、全員がゴンドラ乗り場に戻っていました。

 

まだ集合時間には余裕はありましたが、本来なら、私がもう少し早く戻っていなければいけなかったのです。

 

もっとも、アテナ先輩に至っては、一人前(プリマ)になりたての頃、集合場所の水路の近くでつい居眠りをしてしまい、『このリンゴを買ってくれないと、眠くなる魔法をかけますよ〜』などという寝言を言っている所を、偶然通りかかった<白き妖精(スノーホワイト)>ことアリシアさんに起こされたお陰で、ギリギリ集合時間に間にあった(本人談)という、通称『白雪姫(スノーホワイト)と眠れる(ほり)の魔女事件』と呼ばれるドジっ子伝説があるそうなのですが……。

 

「お待たせ致しました。皆様お揃いですね。それではご案内を再開致しますので、順番にお手をどうぞ」

 

再び、お客様達の手を取り、ゴンドラに乗せました。

 

最後に、アリスさん(仮)はでっかい無言のまま私の手を取ると、再び一番船首に近い席に座りました。

 

「では、ここからは、カナル·グランデと呼ばれる運河を北に進みながら、主要な名所をご案内をさせていただきます」

 

そう言って、私が漕ぎ出そうとしたその時です。

 

乗っていた唯一の男性のお客様が、軽く手を上げました。

 

「あの、ウンディーネさん」

 

「はい」

 

「ARIAカンパニーって、この近くにあるんですか?」

 

「!?」

 

「えっ?」

 

アリスさん(仮)が急にこちらの方を向いた事もあって、私は少し動揺してしまいました。

 

「あ、あの、ええっと、はい。ここから少しだけ、東に行った所にありますが……」

 

「近くなら、ちょっとそこに寄って貰える事って、出来るんですかね?」

 

「は、はあ……」

 

隣の女性のお客様が、「もー、何言ってるのよ」というのも聞かずに、男性は話を続けます。

 

「いや、実はさっきのお店でカフェラテを飲んでいたら、店長らしき人が、他のお客さんにえらくお勧めしていたんで、どこにあるのかなって」

 

ああ、これがあの、灯里先輩のでっかいお友達の輪なのですね……などと、感心している場合ではありません。

 

「そうでしたか。ただ、ご案内のルートとは反対方向なので、少し余計にお時間がかかりますし、確か今日は、お休みだったと思うのですが……」

 

と、やんわりとお断りしたものの、男性のお客様にはお察し戴けなかったようでした。

 

「ああ、構いませんよ、単にどこにあるのかなってだけなんで」

 

「あ……そ、そうですか。では、他のお客様はいかがでしょうか?」

 

と、聞いてみると、

 

「少し位ならいいんじゃない?」

 

「そうね」

 

「……」

 

コクコクと頷くアリスさん(仮)。

 

行かない、という選択肢にはなりそうにありません。

 

「かしこまりました。それでしたら、予定のルートとは反対方向になりますが、先にARIAカンパニーをご案内致します。その後で、本来のご案内をいたしますね」

 

「ARIAカンパニー……」

 

アリスさん(仮)はそうつぶやくと、また前の方向を向いてしまいました。

 

まさか、私がお客様にARIAカンパニーをご案内する日が来るとは……。

 

何だか、自分の家を紹介するようで、少し恥ずかしい感じがします。

 

もっとも、アテナ先輩に至っては、一人前(プリマ)になりたての頃、まだお客様が乗っていたにもかかわらず、うっかり寮に戻って来てしまい、慌てて「み、皆様、こちらはオレンジぷらねっとです。私達は普段、ここに住んでいることでも知られているんですよ〜」と、無理やりな観光案内をしてごまかしたという、通称『これは(オレ)ンチぷらねっと紹介事件だとかオレンジぷらりっと途中下船の旅事件だとか諸説ある事件』と呼ばれるドジっ子伝説があるそうなのですが……。

 

それにしても、もし灯里先輩がいたりしたら、どんなリアクションを取るのでしょうか?

 

いつもの灯里先輩のように、私を気遣って、何も言わず、あの優しい笑顔で静かに会釈をしてくれるのでしょうか?

 

それとも、いつもの藍華先輩のように「アリスちゃん! 恥ずかしいご案内、禁止!」と、あの怒り顔で突っ込んでくれるのでしょうか?

 

それはそれで楽しみな気がします。

 

……などと考えていたら、もう着いてしまいました。

 

シャッターは閉まっていて、「本日休業」という看板がかけられていました。

 

2階の窓も閉まっていて、灯里先輩はおろか、アリア社長もいないようです。

 

「皆様、こちらがARIAカンパニーです。ネオヴェネチアの水先案内業界において、『伝説の大妖精』と呼ばれ、永きに渡りトップクラスの活躍をされた、天地秋乃氏が創設した会社として知られています。

 

少人数主義のため、会社としての規模は小さいのですが、近年では、史上最年少の水先案内人となり、後に三大妖精と呼ばれたアリシア·フローレンス氏など、優れた人材を輩出していることでも知られています」

 

「へぇ、案内ができる位に有名なんですね」

 

「はい、それはもう……」

 

何だか、少し誇らしい気分になりま、その気分はガラガラと積み木のように崩されてしまいました。

 

「でも、今はそのナントカ妖精の二人はいないんでしょう? じゃあ今は、姫屋とかオレンジぷらねっとと比べたら、大した事はないのかな?」

 

「いいえ、そんな事はありません!」

 

「えっ?」

 

ああーっ! 思わず言ってしまいましたっ!

 

今度は、ゴンドラがおかしな空気にっ!

 

お客様達の全ての視線が、こちらに向けられています。

 

は、早く何とかしなければ……。

 

こんな時、もし藍華先輩がいたら……そうです! 『思ったことは、ちゃんと言いなさぁーい! 後輩ちゃんの悪いクセよ!』と、怒られてしまうに違いありません!

 

「あ、あの……実は、今は水無灯里せ……水無灯里さんという方が運営されているのですが、私がまだ見習いの時によく一緒に練習をさせて戴いていたので、その実力の程はよく知っておりまして……」

 

変にフォローをしようとすると、嘘くさくなってしまうと思い、ここは事実だけを言う事にしました。

 

すると、その男性のお客様は、すまなそうに頭をかきながら、

 

「ああ、お知り合いだったんですね。すいません、そういうつもりで言った訳じゃ……」

 

と、言いました。

 

「こっ、こちらこそ失礼致しました。ただ、次に皆さんがカフェ·フロリアンにいらっしゃる時は、きっとオレンジぷらねっとの話題で持ちきりになるよう、この後も私、頑張りますので!」

 

と、笑顔で言うと、少しお客様達(アリスさん(仮)を除く)の表情が和やかになりました。

 

何とかピンチを切り抜けたようです。

 

ホッとしたものの、何だかでっかい気疲れをしてしまいました。

 

「さて、そろそろ本来のご案内に戻っても、よろしいですか?」

 

「ええ、ありがとうございました」

 

「……」

 

アリスさん(仮)は、黙ってそのやり取りを見つめていましたが、再び前を向いてしまいました。

 

 

 

それから私は、本来のルートに戻り、再びご案内を始めました。

 

なるべく時間通りに、それでいて、急いでいることが悟られないように、少しだけスピードを早めて、サンタ·ルチア駅まで、約4キロのご案内をしました。

 

リアルト橋などをご案内しましたが、この暖かな気候のせいか、普段と比べてだいぶ賑やかな感じがします。

 

こういう日に少しだけ冷たい風を感じながらご案内をするというのは、ご案内する方もでっかい気分が良いというものです。

 

もっとも、アテナ先輩に至っては、一人前(プリマ)になりたての頃、清々しい晴天の中、ちょうど近くで舟唄(カンツォーネ)を歌っていた晃さんと遭遇したところ、アテナ先輩がついついハモって歌ってしまった為、その場にいたお客様全員がアテナ先輩の歌の方に魅了されてしまい、後でお株を奪われた晃さんから『営業妨害だ!』とこっぴどく怒られたという、通称『晴天の怒髪天を衝く、天上の謳声(セイレーン)のせいですいませーん事件』と呼ばれるドジっ子伝説があるそうなのですが……。

 

「それでは、最後は街中の細い水路を通りながら戻ります。このような街中にある水路沿いにも、とても多くの隠れた名所があるんですよ」

 

そう言いながら私は細く張り巡られた水路へと、ゴンドラを進めました。

 

こういった水路のご案内は、細ければ細いほど、自分の技量が試されるので、でっかい気合いが入るのです。

 

でも、アリスさん(仮)は、相変わらず前を見つめたままで、周りの観光名所には、あまり興味がなさそうでした。

 

何とか興味を持ってくれそうな事はないかな?

 

そんな事を思いながら、ご案内をしていると、十字路に差し掛かりました。

 

「ゴンドラ、通りまーす!!!」

 

普段よりもかなり大きめの声で掛け声を出すと、アリスさん(仮)が少しビックリしたらしく、キョロキョロと辺りを見回しています。

 

本当は左右に気を配らないといけない所ですが、アリスさん(仮)の反応が、仔猫のように見えて、でっかい面白かったので、つい見入ってしまいました。

 

すると、左の水路から、「アリスセンパーイ!」という、私を呼ぶ声が聞こえてきました。

 

アリシアさんの……声?

 

驚いて声の方を見た私は、再びビックリしてしまいました。

 

アリシアさんが……姫屋の制服を着たアリシアさんが、私に手を振っている!?

 

……と、思ったのですが、隣に愛華先輩がいて、愛想笑いをしながら一緒に手を振っているのに気が付きました。

 

そうだ、藍華先輩と一緒にいるのは、後輩のアイシアさん他2名ではないですか。

 

確か、『未来のお仕事体験会』というイベントをやっているんでしたよね。

 

ここは先輩として、落ち着いて対処をしないと、後で、でっかい笑われてしまいます。

 

そう思った私は、胸元で控えめに手を振り返しました。

 

このような所作は、藍華先輩のご指導で身についたものなので、みんなも良く教わってほしい、という願いをこめて。

 

そうだ! 藍華先輩と言えば、灯里先輩の事を相談しなければ!

 

私は手を振るのを止めて、『後で連絡します』という、ブロックサインを出しました。

 

気が付いてくれるでしょうか?

 

その反応を伺っていると、少し不思議そうな表情をした後に、何かを察したようで、『了解』というブロックサインが返って来ました。

 

流石は藍華先輩、こういう事には長けてますね。

 

そんな事を思いながら、私は再びゴンドラを漕ぎ出しました。

 

―─―─―─―─―─―─―─―─―─―

 

「皆様、本日はオレンジぷらねっとのクルーズにご参加いただき、ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」

 

私がそう言ってお辞儀をすると、軽く拍手が起こりました。

 

「いやあ、色々な事が知れたし、楽しかったなあ」

 

「本当に」

 

「ありがとうございます」

 

そう言いながら、お客様達をお見送りしていると、アリスさん(仮)が、ニコニコとして立っていました。

 

自分そっくりとはいえ、心から笑っていない感じがするような、何となく不気味な感じです。

 

「あ、あの、お客様。今日はご利用いただき、ありがとうございました」

 

「はい。ありがとうございました」

 

「ご案内は如何でしたか? 何か至らない点はありましたでしょうか?」

 

「いいえ、ありません」

 

「そうですか。良かったです。もし、ネオ·ヴェネチアにお越しになられる事があれば、また、お会いしましょう」

 

「いいえ」

 

「えっ?」

 

そう言ったかと思うと、アリスさん(仮)は、すれ違いざまに、私の耳元で、こうささやきました。

 

「……また、お会いしましょう」

 

「えっ? お客様?」

 

最初の言葉が聞き取れませんでしたが、振り返った時には既に、アリスさん(仮)の姿は見当たりませんでした。

 

「またお会いしましょう」という私の言葉に、「いいえ」と言ったのに、「またお会いしましょう」とはどういう事なのでしょうか?

 

迷路の中をぐるぐると回っているような、不思議な感覚になりましたが、ふと時計を見ると、15時を過ぎていたのに気が付きました。

 

大変! 早く藍華先輩に電話をしなければ!

 

次のご案内まであまり時間の無い中、私は急いで寮の電話へと急いだのでした。



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(アリス編)その 不思議の国からのお客様は……(4)

アリス・キャロルは、業界史上初の飛び級一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、業界史上初のスーパードジっ子ウンディーネの一番弟子として、日々起きる様々な出来事に苦悩しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、そのアリスがにおいて「これは、でっかい不思議すぎる出来事なので、詳細はあまり語らないようにしましょう」と、自ら封印した事件簿の、不思議な一日の様子を垣間見るものである。
自分ソックリの同姓同名のお客様をご案内を終えるも、不思議な言葉を投げかけられたアリス・キャロルに、どんな不思議な出来事が待っているのだろうか?


リーンゴーン、リーンゴーン、リーンゴーン……

 

今頃、藍華先輩は3時からのおやつタイムをとっているはずです。

 

確か昨日、大好物のプリン、しかも、朝から並ばないと買えないという、『プレミアムパッチンプリン』が2個手に入ったと、興奮気味にお話されていたので、今日はでっかい全力でそのおやつタイムを楽しんでいるのだと思います。

 

そう思った私は、少し邪魔をしてしまって申し訳ないと思いながら、藍華先輩がいるであろう、支店長室への直通電話をかけました。

 

ああ、時間があまりありません。

 

話したい事が沢山ありすぎているせいか、気持ちだけが高ぶってしまいます。

 

「はい、もしもし?」

 

ザザッ……

 

出たっ! 出ましたっ!

 

「たっ、たっ、大変ですっ! 藍華先輩!」

 

「はあ? どしたの?」

 

「灯里先輩から来たメール、ご覧になりましたか?」

 

「えっ? 何の?」

 

「まだ見てないんですか? では、決して驚かないで下さいね?」

 

「はあ」

 

「な、ななな、なんとっ! あの灯里先輩がっ! きっ、今日、ARIAカンパニーでお泊まり会をしませんか? っという内容なんですっ!」

 

「へえ、そりゃまた何で?」

 

「それが、三人ではないから大変なんじゃないですか!」

 

「あら、そうなの? 他に、誰か……」

 

プリンを食べた後のはずなのに、何だかでっかいテンション低めな気がします。

 

『未来のお仕事体験会』というのは、そんなにも疲れるイベントだったのでしょうか?

 

そんな事を考えていると、急に、愛華先輩の声色がパッと明るくなりました。

 

「それって、もしかして、アリシアさんとかっ!?」

 

「いいえ、違います!」

 

そう私が断言すると、再びテンションダダ下がりの愛華先輩。

 

まあ、当たらないでしょうけど……。

 

「じゃあ、晃さん…な訳ないし、グランマとか?」

 

「違います!」

 

「んもう、誰よ一体」

 

「何と……、その名も、ARIAカンパニーお泊まり会、with暁さんなんですよ!」

 

「暁さ……って、ポニ男!?」

 

今度は、驚き半分、怒り半分、という声色になりました。

 

「なっ、何でポニ男がARIAカンパニーに泊まるの?」

 

「そこは私も謎なので、先に灯里先輩に尋ねてみたのですが、はっきりとは分からず仕舞いなんです! これって、怪しくないですか?」

 

「そう……」

 

「それから、先程、愛華先輩が私の後輩の三人といた時に、私とそっくりのお客様をご案内していたの、気がつかれましたか?」

 

その時です。

 

ザザッ……

 

という、雑音が聞こえて来たのですが、その時は話すのに夢中で、特に気にかけませんでした。

 

「そのお客様、藍華先輩から見て、でっかい怪しい感じがしませんでしたか? ご予約のお名前はアリスキャロルさんという、どこか違う惑星(ほし)からかいらっしゃったみたいなんですが、最初は黙っていたかと思いきや、とてつもない短時間で普通に会話できたりとか、とにかく不思議なお客様がいたんですよ!」

 

「……」

 

「ああ、それから今日、その不思議なお客様の同乗者の方、と言っても、その不思議なお客様とは関係のないお客様から、『ARIAカンパニーを案内して欲しい』という珍しいご要望がありまして、ご案内はしたのですが、何故か灯里先輩はいらっしゃらなかったんです」

 

「……」

 

「やはり、今日の暁さんとのお泊り会の準備をする為に、買い出しにでも行かれたのでしょうか?」

 

「……」

 

ひとまず自分の話を、全てした後で、私は藍華先輩からの反応が全く無い事に気が付きます。

 

「あれ? 藍華先輩? 聞こえてますか?」

 

「……」

 

反応がありません。何だかブツブツと声が聞こえるので、電話が切れている訳ではないと思うのですが……。

 

「藍華先輩!」

 

「……はふぇ? アリシアひゃん?」

 

「アリシアさん? あの、藍華先輩、どうしたんですか? 急に」

 

「えっ? ああっ、あの……そう! 何だか、耳障りな話だなって。そうよ! あのアリシアさん好きを拗らせて、迷惑ばかりかけてるポニ男と一緒に、何で灯里と私達二人が一緒に一晩過ごさなくちゃいけないのよ!」

 

「ですよね。でっかいあり得ませんよね。では、その件は私と藍華先輩は欠席という事で……」

 

「いや、行くわよっ!」

 

「ええっ?」

 

行かないのに行くとは、一体何なのでしょうか?

 

「だって、私達が行かなかったら、灯里とポニ男が二人で過ごす事になるじゃないの!」

 

「た、確かにそうですが、あの暁さんと灯里先輩に限って、何か間違いが起きるとは、とても……」

 

「そんなの分からないでしょう? そりゃあさ、もう灯里とポニ男は、一緒にツイスターゲームとかやっちゃってる仲かもしれないけどさ、それとこれとは話が別よ!」

 

「ツイスターゲーム!? ……って、はっ? えっ?」

 

意味不明の話に、私は混乱してしまいました。

 

「そうよ! ツイスターゲーム! 今朝一緒にやっていた可能性があるのよ!」

 

「は、はあ……。そう……なんでしょうか?」

 

私が首をかしげると、藍華先輩は苛立ちを隠せずにいるようです。

 

「だーかーら! 後輩ちゃんはオコチャマだから分からないかもしれないけどさあ、とにかく灯里は貞操の危機にあるワケよ!」

 

「えっ……ええーっ!? その、ツイスターゲームというゲームでですか!?」

 

「決まってるじゃないのよう! 大体、もし狼状態になったポニ男が暴走して、灯里に乱暴しちゃうとか、とにかく灯里の身に何かあったらどうするワケ?」

 

「そ、それは……」

 

「だから、お泊まり会には行かないけど、ARIAカンパニーには行くわよ! 灯里の安全が確認できるまで、外で見張らなきゃ、気が済まないわ!」

 

「えっ? この冬に……ですか?」

 

思わず本音が漏れてしまいました。

 

日中暖かいとは言え、夜は凍えるような寒さです。

 

「あーら、嫌なら別に後輩ちゃんは来なくていいわよ。ま、今や業界大注目の一人前(プリマ)ウンディーネさまが、お風邪をおひきになられたら、大変ですものねえ」

 

悪役令嬢のような藍華先輩の言動に、私は少しムッとしてしまいました。

 

「むむむ。私はでっかい大丈夫です! 半人前(シングル)の時に、風邪を引き、合同練習をサボッて泣きながら寝込まれていた、藍華先輩がでっかい心配になっただけですから!」

 

私がそう言い返すと、少したじろぐ藍華先輩。

 

「へえへえ、そんなこともあったかしらねー。ご忠告どーも。でも、本当に、忙しいなら、無理しなくていいわよ?」

 

「いえ、灯里先輩の為ですから! しかし、当の灯里先輩にはどの様に言えばいいのでしょうか? まさか、ウソはつくわけには……」

 

「あら、『明日は仕事の都合で、朝早く起きなきゃいけないから』って言えばいいでしょう? 別に、朝早く起きればウソにはならないわ」

 

「なるほど、さすがは藍華先輩! 悪……いえ、こういう時の知恵はお見事ですね!」

 

「何だか言葉通りに受け取れないような……まあいいわ。今日の夜、ARIAカンパニーに行きましょ!」

 

「はいっ」

 

「それからさ、今回のミッションは、灯里をポニ男から守る事だけど、場合によっては、私達も襲われるかもしれないわ。だから、制服や私服じゃなくて、ある程度護衛・防衛が出来る服装・装備で行きましょ!」

 

「分かりました! 何でもいいですか?」

 

「まあ、甲冑に槍とか、そういう現実離れしてる物じゃなければ何でもいいわ」

 

甲冑なんて……と思いながらも、私は一瞬、甲冑姿の私と藍華先輩がARIAカンパニーへと突撃する姿を想像してしまいました。

 

「はい! あっ! この後またお客様なので、それではまた夜に」

 

「うん、よろしくね!」

 

ハァー……

 

思わずため息が漏れてしまいました。

 

いつもの藍華先輩っぽい感じで終わりましたが、最初の元気のなさ、突然の「アリシアさん」発言に、灯里先輩の貞操の危機だと言う「ツイスターゲーム」という謎のゲーム……。

 

謎は深まるばかりです。

 

しかし、それについて考えてもいられない状況に気が付きます。

 

灯里先輩にお返事をしなければならないのに、次のご案内時間が迫っていたのです。

 

ただ、電話をした場合、灯里先輩が出れば、つい色々聞きたくなってしまうかもしれないのです。

 

そう思った私は、メールで欠席の連絡をする事にしました。

 

灯里先輩

先程はお誘いありがとうございました。

お泊り会の件ですが、明日の朝早くから予定があるので、申し訳ありませんが、欠席致します。

またの機会にお誘い戴けたらと思いますので、よろしくお願い致します。

 

 

よし、これで良いですね。

 

メールを送った私は、すぐに制帽をかぶり直して、お仕事へと戻ったのでした。

_____________________

 

それから、夜までのご案内をつつがなく終えた私は、急いで寮へと戻りました。

 

こういう時に限って、ご案内の最後が寮から遠い場所になってしまうのはお約束なのでしょうか?

 

パタパタと部屋へと向かおうとする私に、二人の人物が立ちはだかります。

 

「あら? アリスちゃん?」

 

「こ、これはアトラさんに(あんず)さん、こんばんは」

 

私が挨拶すると、アトラさんが不思議そうな顔をしながら、こう言いました。

 

「一体どうしたの? 忘れ物でもしたのかしら?」

 

「忘れ物? いえ、忘れ物などはしていませんが」

 

そう言いながら杏さんを見ると、これまた不思議そうな顔をしています。

 

「えっ? でもさっき……」

 

「すみません、ちょっと急いでいまして。横、失礼します」

 

「あっ、アリスちゃん!?」

 

私は、二人の横をすり抜けると再び部屋に向かって走り出しました。

_____________________

 

「あれ?」

 

部屋の前まで来た所で、私は少しだけドアが開いているのに気が付きます。

 

私はきちんと部屋を出る際にドアを閉めたのですが、アテナ先輩が戻っているのでしょうか?

 

ドアを閉め忘れるなんて、やはりアテナ先輩はドジっ子ですね。

 

そう思いながら、私はドアを開けて、こう言いました

 

「アテナ先輩、ドアはきちんと閉めないと……」

 

と、そこまで言い掛けて、私は言葉を失いました。

 

そこには、オレンジぷらねっとの制服を着た、それでいて、明らかにアテナ先輩ではない背丈の女性が、背をこちらに向けて立っていたのです。

 

「あなた、一体何者ですか!?」

 

「……」

 

「答えなさい!」

 

少し強い口調で言うと、その女性から意外な反応が返って来たのです。

 

「……今日は、ARIAカンパニーをご案内いただき、ありがとうございます」

 

「えっ?」

 

その女性が、くるりとこちらを振り返りました。

 

「わ、わ、わ、私!?」

 

「どうしたんですか? 私とそっくりの、アリス·キャロルさん」

 

そうです、それは、昼間出会った、アリスさん(仮)だったのです。

 

「な、な、何で……」

 

一歩引きながら、部屋の様子を見渡しましたが、アテナ先輩はまだ戻っていないようです。

 

「灯里先輩の、怪しい怪しい、暁さんとのお泊り会……。でっかい心配ですよね」

 

「どっ、どうしてそれを!?」

 

ナゼ?? どうして??

 

灯里先輩、藍華先輩しか知らない筈なのに!

 

「しかし、アリスキャロルさん。もうすぐ、お時間になりますので、今日は、お休みいただきます」

 

「どういう事ですか!? 事と次第によっては……あれっ?」

 

逃走経路を確認しようと、開いているドアの方をチラッと見た私が、視線を元に戻すと、目の前にいたはずの、アリスさん(仮)の姿はありません。

 

「どっ、どこ?」

 

「フフッ……でっかい大丈夫です」

 

耳元から聞こえる、その声に気が付いた時にはもう、アリスさん(仮)が私の後ろに回り込んでいたのでした。

 

程なくして、ドアがパタンと閉まる音も聞こえました。

 

「ムムッ! ムーッ!」

 

アリスさん(仮)は、強い力で私の口をふさぐと、スプレーのようなものを取り出しました。

 

まさか、私はここで……。

 

「それでは……アリス·キャロルさん。どうぞお休みください……」

 

 

シューッ……

 

 

吸い込んではいけないと思いながらも、私の抵抗が及ぶ訳もなく……。

 

ああ、灯里先輩、藍華先輩……。

 

意識の薄れゆく中、私はただただ、灯里先輩と藍華先輩の無事を祈り続けたのでした。



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(合同編)その 不思議な心のステップは……

灯里、藍華、アリスの3人は、一人前(プリマ)ウンディーネとして、また、三大妖精の一番弟子として、日々起きる様々な出来事に苦悩しながらも、充実した日々を送っていた。
これは、その三人が体験した、ある一日の様子を垣間見るものである。
一体、三人にどんな出来事が待っているのだろうか?


(ああ……疲れた)

 

藍華は、ARIAカンパニーのデッキに座りながら、白いため息をついた。

 

その日は朝から、冬とは思えないような暖かさだったにも関わらず、夜は再び厳しい寒さに戻っている。

 

思い返すと、今日は色々とおかしな事が起こりすぎている。

 

朝は入館用のセキュリティカードとポイントカードと間違えている事に気付かず、今日のおやつに取っておいた限定販売のプリンは深紅の魔女(クリムゾンデーモン)に食べられ、午後は三大妖精そっくりのミドルスクール生へのレクチャーに失敗。

 

そして、ここに来る為の衣装を、見習い(ペア)の子に誤発注され、別の意味で薔薇の女王(ローゼンクイーン)と呼ばれそうな……というより、つい「薔薇の女王(ローゼンクイーン)お呼び!」と恥ずかしいセリフを叫んでしまいそうな、とても際どい物が届く、という迷走ぶりである。

 

ひとまず、服装については、最近、各社の新人見習い(ペア)の子達が、交流を図る為に始めたという、サバイバルゲームの衣装を借りるに至り、何とか格好はついたものの、バレないようにサングラスをかけた所、かえって目立ったせいかお巡りさんにまで声をかけられてしまい、説明に苦慮する羽目になってしまった。

 

そして極めつけは、今自分の隣で、まるで瞑想に(ふけ)るが如く寡黙でいる、後輩ちゃんことアリスキャロルだ。

 

何の連絡もなしに、藍華が指定した時間ギリギリまで現れず、先輩を待たせるという、ウンディーネとしてあるまじき時間感覚の持ち主にイラついていた所へ、まるで幽霊かのように背後から、静かに、しかし突然に「お待たせ致しました」と、耳元でふうっと息を吹きかけられるように(ささや)かれたが為に、思わず「うひゃあっ!」と恥ずかしい声を上げてしまい、危うく中にいる灯里に気付かれそうになったのだから。

 

おまけに、自分と同じサバイバルゲーム風の服装は良いとしても、多様な攻撃ができるという数種類のナイフ、催涙や催眠効果のあるという煙幕、窓からの侵入や相手を縛りつけるのに利用できるというロープなどの、まるで特殊部隊が敵のアジトに突入するかのような装備品の数々を披露され、さすがの愛華もドン引きしてしまったのであった。

 

確かに、ある程度護衛・防衛が出来る服装・装備で行きましょう、と言ったのは自分だが、明らかに「ある程度」の域を越えている装備に、一体どんな事態になるのだろうかという不安にもかられているのだ。

 

そんな藍華の心配など、まるで関係のないかのように、建物の中から灯里と暁の声がもれ聞こえて来る。

 

「フン、では、ココはどうだ?」

 

「はひっ! そ、ソコを攻められると……」

 

「ふっ、ホレホレ」

 

「ああっ! そんなっ、ナカの方まで……」

 

「どうだ? お前の弱い所をついてやっただろう?」

 

「はひ……ま、まだまだ……」

 

「うむ……うっ……ふふん……ぬおっ」

 

「えへへ、暁さん、場所によって、すぐ顔に出ちゃいますね〜」

 

「そっ、そんなことは無い……むっ!?」

 

「あーっ。ココが一番弱いトコロですか?」

 

「お、おい、やめろ」

 

「ではでは~えいっ」

 

「うおっ!」

 

「ほうら、白いのがいっぱいになりましたね~。じゃあ、次は暁さんの番ですよ」

 

(まったく、あの二人もやっぱりお子ちゃまね)

 

先程から二人がオセロに興じており、しかもかなり低レベルな様子だという事は、藍華にもすぐに理解できた。

 

ひとまず、懸念されていた、いかがわしい大人のツイスターゲーム等を興じていなかったことに、安堵する藍華。

 

と、同時に、こんな寒々しい所にいつまでも居座っている事が、急速にバカらしく思えてきた。

 

やっぱり帰ろうか、という提案をしようと、改めてアリスの方を見ると、じっと月を眺めているらしく、中の様子にはまるで関心が無いようだ。

 

(後輩ちゃん、一体何を考えているのかしら?)

 

アリスの様子を見ていると、いつか、ARIAカンパニーのお月見をした事を思い出した。

 

が、今隣りにいる後輩ちゃんと、お月見団子を競って食べたこと以外は、ほとんどアルくんとの恥ずかしい出来事ばかりで、お月見自体の事は、よく覚えていない。

 

それにしても、微動だにせず、ただ月だけを眺めているのは異様な雰囲気の様に思えてきた。

 

(もしかして、これは……)

 

 

「藍華先輩」

 

「うん? どしたの?」

 

「実は私、先輩方には言っていない、でっかい秘密がありまして……」

 

「秘密?」

 

「ええ……秘密です」

 

「それは……何なの?」

 

「秘密なので言えません」

 

「ぬなっ。んもう、そんなの言われたら、余計に気になっちゃうじゃないのよう」

 

「でっかい大丈夫です。言わずもがな、見ていれば分かりますから」

 

「見ていれば……って、あれ? 後輩ちゃん、そんなに毛深かったっけ?」

 

「ええ、以前から毛量には自信がありまして」

 

「いや、髪じゃなくて、何だか、オオカミのような……って、ええっ!?」

 

「私、灯里先輩とのお月見以来、満月になると、何だかでっかい興奮してしまって……」

 

「いや、そのー、興奮ってゆーか、変身って言うんじゃ……そ、それはそうと、興奮するとどうなるの?」

 

「はい、近くにいる人を、襲ってしまいたくなるんです」

 

「お、襲うって? だっ、だって……そんな事今まで……」

 

「でっかい安心してください。襲うと言っても、ただ、いろんな所を舐めたくなるだけですから……」

 

「あーっ、そうなんだ……ってならないわよ! な、なななななっ、舐めるって?」

 

「はい、ではまず耳から……」

 

「いやっ! だからちょっと待っ……」

 

「藍華先輩……でっかい綺麗なお耳ですねえ……」

 

「ま、まずは落ち着きましょ、ね? ねっムグッ!」

 

「静かにしてください、藍華先輩……」

 

「ムムッ…ムーッ」

 

 

 

「藍華先輩?」

 

「むふっ?」

 

ふと我に返ると、藍華の目の前には、自分の口に人差し指を当てつつ、藍華の口を押さえているアリスの姿があった。

 

「大丈夫ですか?」

 

眉を潜めながら尋ねるアリスに、藍華はコクコクとうなずきながら、ゆっくりとアリスの手を口から離す。

 

どうやら、いつの間にか妄想の世界へといざなわれていたらしかった。

 

「ごめん、後輩ちゃん。なーんか、ちょっと考え事しちゃってたみたい」

 

「えっ?」

 

あれがかよ、といいたげな表情のアリスに、焦る藍華。

 

「まあ考え事って言うか……ごめん。とにかく、本当に大丈夫だから」

 

「そうですか……」

 

「あの、えーっと、それにしても寒いわね……。温まるものでも持って来れば良かったなあ……」

 

「では、カフェラテは、いかがでしょう?」

 

「えっ? あるの?」

 

「はい」と言いながら、水筒を取り出しすと、コポコポと暖かい液体をコップに注ぐアリス。

 

湯気と共に、カフェラテの香りが伝わって来て、何とも幸せな気分になった。

 

そして、それを口に運ぶと、冷たく冷え切った身体の中が、ジワジワと熱を取り戻すような感覚になった。

 

「……あ~、温まるわ〜。さすがは後輩ちゃんね」

 

「ありがとうございます」

 

「それにしても、何だか中の二人も、変な雰囲気にもなりそうに無いわね。何だか心配して損……」

 

不意に、アリスが藍華を静止した。

 

その目付きの鋭さに、思わず息を飲む愛華であった。

_____________________________________

 

話は少し遡る。

 

ARIAカンパニー内

 

「えへへっ、すみません。また私の勝ちですね」

 

「くっ…また……負けた」

 

満面の笑みでいる灯里とは対照的に、ガックリとうなだれる暁。

 

オセロ勝負はもう、暁の十連敗となっている。

 

今朝、いきなり「俺を泊めろ」と言われた挙げ句、愛華やアリスにお泊まり会の提案を断られ、途方に暮れた灯里であったが、

 

楽しいことには手を抜かない灯里に、それまでの飲み会ではしゃぎ疲れた暁が敵う訳もないのだが、暁にとって、このほんわかした雰囲気の灯里に負け続ける事は、どうも腑に落ちない事なのであった。

 

他方、癪にさわるとか、怒りを覚えるという訳ではない、不思議な感覚なので、つい何度も勝負を挑んでしまうのである。

 

「もみ子、も、もう一度だけ勝負しろ」

 

そう言う暁に、灯里はすまなそうな顔をした。

 

「すみません暁さん。私、明日は朝からご予約が入っているので……」

 

「む、そうか……」

 

暁が時計に目をやると、もう日付が変わろうとしている時間だ。

 

暁は思った。

 

いくら歓迎されているとは言っても、寝泊まりする場所を提供してもらっているし、自分も明日は始発の空中ロープウェイに乗って戻らなければ、親方から大目玉を食らうのは間違いないだろう……と。

 

「まあ、もみ子の頼みじゃあ仕方がねえな。もう寝るとするか」

 

「はひ! ありがとうございます。じゃあ暁さん、三階の屋根裏部屋にお布団を敷いてありますので。そこに寝てください」

 

「おう」

 

「あ、それと、あの……」

 

「うん?」

 

「その……クローゼットとか、開けたりしないようにしてくださいね」

 

「そりゃ……お、おう……」

 

赤面する二人に、沈黙の時が流れた。

 

「(だあーっ! もう! こんな恥ずかしいやり取り、聞いてらんなムグッ!)」

 

「はへっ? 何か今、藍華ちゃんの声が聴こえたような……」

 

声のしたほうへ行こうとした灯里を、暁が引き止める。

 

「いや、そんな事よりもだもみ子よ」

 

「はひ?」

 

「お前は、どこで寝るんだ?」

 

「実は、以前アリシアさんが使っていたお部屋がありまして、今日はそこで寝るつもりです」

 

「はっ?」

 

意外そうな顔をする暁に、灯里が言葉を続ける。

 

「もし藍華ちゃんやアリスちゃんとかも来るようだったら、ここにみんなで泊まれるかなって、思っていたんですけれど……」

 

「そ、そうか。しかしだな、もみ子よ」

 

「何でしょうか?」

 

「いや、決して一人が怖いとか、不安だとかそう言う話ではない。ないんだが……もみ子を一人にするのはどうも不安でな」

 

「ああ、ありがとうございます。でも、以前、ここら一帯が停電した時以外は、ずっと一人で寝てましたので、私は大丈夫ですよ」

 

「そ、そうか。しかしだな、俺が寝ぼけて何をするかわからないぞ?」

 

「はひ。だから寝る時は別れて寝るようにって、アリシアさんにも言われてまして……」

 

「ア、アリシアさんが、俺が泊まるのを知っているのか?」

 

「ええ、そうですけど」

 

「何てこった……いや、何てことはないぞ、何てことはないんだが、何でもない」

 

「では、明日は早めに起こしに来ますので、お休みなさい」

 

「あっ、いやっ、待ってくれもみ…うわっ!」

 

「キャッ!」

 

ドサッ

 

足がもつれて、二人が折り重なる様な体勢になった。

 

「……あてて……」

 

「あの、暁さん」

 

「あっ? ああ、いや、その、すまん。怪我はないか?」

 

「だ、大丈夫ですけど、その……顔が……」

 

「あ、いや、これはだな……」

 

今、暁は、よつん這いになりながらも、動こうとはせず、灯里のことをじっと見つめる。

 

「(まずいわ! 後輩ちゃ……あら? こんな時に何処に行っちゃうのよう!)」

 

辺りを見回すも、アリスの姿が無い。

 

(あーもう! こうなりゃ一人で行くわよ! 灯里、必ず助けてあげ……あれっ? 何だか急に眠く……)

 

その場でよろける藍華。

 

(ダメよ愛華、灯里を守らなきゃ……)

 

思いとは逆に、意識は遠のいて行く……。

 

「灯里……あか……」

 

そう、言いかけた所で、藍華はその場に静かに倒れ込んでしまったのであった。

 

 

 

「と、とにかく、離れてもらっても、いいですか?」

 

「あ、あの……それなんだが、何だか身体が思うように動かなくてな」

 

「ええっと、それは一体……」

 

「もみ子よ、その……」

 

と、暁が言いかけたその時だ。

 

ポンッ! ポンッ!

 

頭上で、何かが破裂するような音がする。

 

「ほへっ?」

 

「なっ……何だ?」

 

辺りに不思議な色の煙が充満し、灯里は自分の視界がボヤけてきた事に気が付く。

 

「お、お前はだれ……うおっ!?」

 

灯里の目の前が急に明るくなる。

 

何が起きたのかはわからないが、少なくとも暁が自分から離れた事は分かった。

 

「……てて……おわっ!?」

 

「………」

 

「お、おい、待て。ま、まずは話をしようじゃねえか」

 

「………」

 

聞き覚えのある女性の声がするが、何を言っているのかまでは、灯里には良く聞こえない。

 

「じょ、冗談だろ? ふごっ!?」

 

明らかに焦りのある暁の声だけが、灯里に聞こえてくる。

 

「あ、暁……さん……」

 

きっと誰かに襲われているに違いない。

 

そう思った灯里は、身体を起こそうとするが、強烈な眠気が襲い、その場に倒れてしまった。

 

(暁さん……無事でいてくださいね……)

 

___________________________________

 

……ふっ?」

 

灯里が目を開くと、そこは、見慣れない天井が広がっていた。

 

(あれ? ここは……)

 

目だけ動かして、辺りを見回す。

 

近くにある窓からは、うっすらと光がさしており、恐らく日の出の時間らしいことは分かった。

 

しかし、自分が寝ていたこの場所が、どこなのかは分からない。

 

だが、来た事はあるし、自分の寝ているふかふかのベッドからは、とても安心する匂いがする。

 

(もしかして、アリシアさんの部屋?)

 

太陽がのぼり、徐々に明るくなるにつれて、灯里はその場所が、自分が昨日掃除をした場所である事に気が付いた。

 

(わたし、どうやってここまで来たんだっけ?)

 

昨日自分がARIAカンパニーにいたことまでは覚えているが、そこからここまでの記憶が繋がらない。

 

「うーん……アリシアひゃん……」

 

「えっ?」

 

突然の声に驚いて、反対側を見ると、何とそこには藍華が寝ていたのである。

 

(どうしよう……何でここに藍華ちゃんが寝ているのかが、全然わからないや)

 

そんな事を思いながらも、まずは起きて状況をと思った灯里が身体を起こそうとした瞬間、いきなり藍華に抱きつかれる。

 

「ほへっ? あ、藍華ちゃん?」

 

「うーん……アリシアひゃーん……」

 

「はひっ? ちょ、ちょっと藍華ちゃん?」

 

幸せそうな顔をしながら、灯里の胸に顔をあてがう藍華。

 

「あれえ? アリシアひゃん……何だか思っているよりも、お胸がちいさい感じがしますねえ……」

 

「な、何言って……」

 

「うふふーん……さっき、アル君のかわりに甘えて良いって、言ってくれたじゃないですかぁ……恥ずかしがらないで下さいよー。もう、恥ずかしがるの、禁……」

 

と言った所で、藍華の目がパチンと開き、赤面する灯里と目が合う。

 

「し……」

 

「お、おはよう……藍華ちゃん」

 

藍華は、目の前にいる、引きつった笑顔の人物を即座に認識し、そして、即座に顔を真っ赤にして、そして叫んだ……

 

「ぎゃーーーーすっ!」

 

部屋中に、乙女の叫びが響き渡る早朝であった。




「ああ、もう! 一体どうなっているのよう!」

「それが、わたしもわからなくて……藍華ちゃんはどうしてここに?」

パタパタと走りながら灯里が尋ねると、藍華は少し頬を赤らめて言った。

「そっ、そんな事はどうでもいいじゃない! とにかく、ARIAカンパニー、ついでにポニ男がどうなったのか、見てみなきゃ!」

「うん、そうだった」

「あっ! 先輩方!」

二人が声のした方を見ると、制服姿で、湯気のたつパンを持った少女の姿があった。

「あーっ! 後輩ちゃん! 一体どこ行ってたのよう! 心配したじゃない!」

「ほへ?」

「あっ、ええっとね、こっちの話だから心配しないで」

「はい。見ての通り、でっかい心配御無用です」

「こっちの話で心配したけど、こっちの話は心配しないで?」

「と·に·か·く! どういう事なの?」

「す、すみません。何と説明したらいいのか分かりませんが、あの後、色々な事がありまして……。気が付いたら、自分の部屋で寝ていたんです」

「えっ? じゃあ、寮に戻ったのね?」

「えっ?」

伏し目がちに答えていたアリスは、藍華の質問の意図が理解出来なかったが、灯里のいる目の前で反問するのはまずいと思った。

「ええっと……はい。御心配をお掛けしてしまって、本当にすみません」

「ほへ? どういう事?」

「あの、だからそれはちょっとこっちの話なのよ。まあ、後輩ちゃんが無事だったんなら、それはそれで良かったわ」

「とても良かったとは言えませんが……それより、先輩方は大丈夫でしたか?」

「実は、私も灯里も、何だか寝ちゃったみたいでさ。何だか良くわからないのよ。ね? 灯里」

「うん……だから、今藍華ちゃんと一緒に、ARIAカンパニーの様子を観に行こうとしていて……」

「そうですか、それでお二人で?」

「そう。ポニ男がどうなっているのか、確認しなきゃ!」

「さあ、ドアを開けて!」

「は、はひ……」

「(いい? 昨日の様子じゃ、最悪の事態になっているとも限らないわ。そぉ〜っと、入るわよ)」

カチャリ、とゆっくりと扉のカギを開けて、三人が恐る恐る中を覗く。

しんと静まり返る中、椅子に座る何かがいる。

「(何なの? あれ?)」

「(でっかい危険な香りがしますね)」

「(えっ? どんな香り?)」

「(違うわよ! 雰囲気よ、フンイキ!)」

「(とにかく、中へ入りましょう!)」

三人はお互いに頷き、ゆっくりと扉を開け、中へと足を踏み入れる。

すると、薄暗い部屋の中で椅子に座る何かが、ピクリと動いた。

「はっ……はひっ……」

「ひゃっ! ちょっと! 押さないでよ!」

「えーっ? だって……」

藍華と灯里の声に気が付いたらしく、椅子に座る何かは、急に三人の方へと向かってきた。

「むうっ! むうっ!」

「はひぃーっ!」

「うわっ!」

その時、藍華はとっさに、幼い頃に習った、バレエのステップを思い出し、回避行動を取ろうとした。

が、『二人を守らなければ』という、無意識に起動したリーダーとしての組織防衛本能が、脳内で誤って闘争本能と結びついてしまい、相手へと立ち向かわせてしまったのである。

「おりゃーっ!」

「グフッ!」

藍華が繰り出したラリアットが、椅子に座る何かの顔らしき所に当たり、その場にパタンと倒れる。

その勢いで、珍妙なかぶり物がゴロン、と取れ、目には涙、鼻には鼻水、口には猿轡(さるぐつわ)をされた男の姿があった。

「……はひっ! あ、あ、暁さん!?」

「えっ?」

藍華とアリスが改めて見ると、それはまさに、ポニ男こと暁だったのである。
________________________________________

それから一時間後……

「ぷいにゅーっ」

「あっ! おはようございます、アリア社長」

「ぷいぷぷぷいにゅーにゅぷいにゅ?」

「はいはい、お腹の調子はもう大丈夫ですか? 今日は、おかゆじゃなくて、ベーコンとチーズのオムレツにしますからね」

「にゅ?」

「しかも、今朝は、アリスちゃんから、パンの差し入れがあったんですよ~」

「ぷいにゅーっ!」

「うふふ、テンション高いですね。さあ、今日からまた、お仕事も張り切って行きましょう!」

「ぷいにゅっ!」

暁は、猿轡やらロープを外されると、ただ一言「まあ、何だ。昨日の事は無かった事にしよう」とだけ言い残して、そそくさと帰ってしまった。

アリスと藍華も、時計を見て慌てて帰ってしまい、灯里一人だけがポツンと残されてしまったのであったが、直後に、何事も無かったかのように、アリア社長が上から降りて来たのであった。

(一体、昨日は何があったんだろう? アリア社長は……知らないよね)

そう思った灯里であったが、実はアリア社長は、一部始終を見ていたのである。

だが、アリア社長『昨日は大丈夫だった?』、と言おうとした所を『今日はお腹空いちゃった?』という様に捉えられてしまった事や、灯里が無事であった事に安堵した為、あえてそれ以上は深追いしなかったのだ。

決して、部屋に立ちこめるベーコンエッグや、焼き立てのパンの良い香りにお腹が空いてしまい、どうでも良くなってしまった訳ではない。

「あれ? アイちゃんからメールだ」


灯里さん

昨日のお休みは充実していましたか?
私は昨日、私にとって、大切な人を危険から守る事に成功しました!

本当は、私が直接守ってあげたかったんですけれど、遠くに住んでいる人だったので、そういう訳にもいかず、お姉ちゃんの旦那さん経由で、ある人にお願いをしたんですけどね。

いつか必ず、私自身が大切な人を守れるように、日々、ジョギングをしたり、筋トレを積み重ねる毎日なのです。

それでは灯里さん、今日もお仕事頑張ってくださいね!

そうそう、前に、ARIAカンパニーにお世話になった時に食べた、灯里さん特製ベーコンとチーズのオムレツ。
とっても美味しかったので、また食べたいなあ……。

アイ


メールを読み終えた灯里は、クスクスと笑いながらパソコンを閉じた。

「アイちゃんの大切な人かあ……とっても素敵。でも、一体誰なんだろう?」

「ぷいにゅっ!」

灯里を指すアリア社長。

「えーっ? わたしじゃないですよ〜」

「ぷいにゅっ!」

「そうだと嬉しいですけれどね。あ、それよりアリア社長」

「にゅっ?」

「アイちゃんが、ベーコンとチーズのオムレツ、食べたいそうですよ」

「にゅにゅっ!? ぷいぷい!」

「うふふ、アリア社長のは誰も取りませんから、大丈夫ですよ」

「にゅっ! にゅにゅっ!」

「そうですね。温かいうちに、食べましょう!」


一方その頃……

並んで歩いていた3人のミドルスクール生が、前をてくてくと歩いていた人物に声をかけた。

「アリーチェちゃ〜ん!」

「ああ、おはようございます、皆さん」

「おう。いやあ、昨日は残念だったなあ。まさか急に具合が悪くなって、早退するなんて思わなかったよ。なあ、アルテナ」

「そうね、もう元気になったの?」

「はい。皆さん、『未来のお仕事体験会』はいかがでしたか?」

「ああ! 姫屋の制服も着られたし、皆支店長に褒められたんだよな?」

「ええ、そうね」

「とっても楽しかったわ〜」

「そうですか。それはでっかい……」

「でっかい?」

「あ、すみません。つい……」

「ふうん……。まあいいや、ほら、早く行こうぜ!」

「あらあら、アイシアちゃん、今日は張り切っているわね」

「ああっ、みんな、待って〜」

沢山の人の、様々ではあるが、何でもない一日。
それが再び、始まろうとしていたのであった。



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第3章 いろいろ合同会議編
その 遺された言葉が導く先は……(1)


アイちゃん
今日、わたしはカフェフロリアンに来ています。
そうです。今日は『一人前(プリマ)合同会議』の開催日なんです。
今日の議題は私が発表するのですが、今までの議題とは違う、何だか不思議な感じの議題なので、みんながどんな反応をするのか、ちょっぴりワクワクしているんです。
会議が終わるまでに、みんなで答えを導けるかな?


藍「よーし、今日はみんな、ちゃんと集まったわね」

 

ア「でっかい大事な会議ですからね」

 

灯「うふふ」

 

藍「それじゃあ、今日も『一人前(プリマ)合同会議』を、始めるわよ!」

 

灯ア「おーっ!」

 

藍「相変わらず元気ねぇ……」

 

灯「だって、前にアリシアさんが、『元気があれば、何でもできる。いち、にい、さん、うふふ』って言ってたんだもん」

 

藍「えっ? アリシアさんが?」

 

灯「うん」

 

ア「それ、私もアテナ先輩から近い事を言われた事があります」

 

藍「えっ? アテナさんも言ってるの?」

 

ア「はい。確か最後が『いち、にい、さん……あれ? なんだっけ?』でしたが……」

 

藍「あ……あの……」

 

灯「それ、最後の言葉は、本当に忘れたんじゃないのかな……」

 

ア「はっ!? 確かに、アテナ先輩の事ですから十分ありえますね!」

 

灯「きっとそうだよー」

 

ア「しかし、アリシアさんの『いち、にい、さん、うふふ』というのも、元気というよりは、優美な感じがするのですが……」

 

灯「うーん、そう言われてみると、そうだよねえ……」

 

ア「もしかすると、住む地域や年代によって、最後が微妙に違うのかもしれません。例えば、いち、にい、さん……」

 

藍「だぁーっ、もう! 話の脱線禁止って、いっつもいっつも言ってるじゃないのよう!」

 

ア「す、すみません」

 

灯「ごめんなさーい!」

 

藍「ったくう。あんた達をいちいち正しい方向に導くの大変なんだから、分かってよ。ホント、あんた達が姫屋(うち)の若手社員じゃなくて良かったって思うわ」

 

ア「確かに。もし私達が藍華支店長の部下になったら、でっかい大変そうですものね」

 

藍「ちょっと! それどーゆー意味よ!」

 

ア「意味などありません。そのままです」

 

藍「はあ?」

 

灯「ま、まあまあ、ふたりとも」

 

藍「とにかく! そんな事はどうでもいいから、さっさと本題に入りましょ?」

 

ア「ええ、そうですね。確か、今日は灯里先輩が議題をお持ちになられたとか」

 

灯「うん、実はちょっと分からないというか、みんなで話し合ってみたいことがあって……」

 

藍「なになに? どしたの?」

 

灯「これなんだけど……」

 

藍「うん? ナニコレ?」

 

ア「何かのメモですか?」

 

灯「うん。多分……」

 

藍「ええっと……なになに」

 

 

・こどもおうさま

・しろいぞう

・さかなたくさん(はやく!)

・ししうえいじん

・たいちょう

・しにせかめん

・8○6

・きふじん

・わにからてんごくまで

 

 

藍「……な、何なのよ、これ」

 

ア「謎の言葉の羅列(られつ)ですね」

 

灯「そうなんだよねー」

 

藍「……灯里」

 

灯「なあに?」

 

藍「まさかとは思うけど、自分がネボケて書いた、とかじゃーないわよね?」

 

灯「ほへっ?」

 

ア「いいえ藍華先輩。これは、ARIAカンパニーを背負うプレッシャーから、灯里先輩の脳が、無意識に書かせた心の闇のようなものではないかと……」

 

灯「こっ、心の闇!?」

 

藍「さすがは後輩ちゃん! 言われてみると、確かにこの程よーく病んだ感じが、灯里っぽさをそこはかとなくかもしだしているわよね、これ」

 

ア「藍華先輩もそう思われますか!」

 

灯「いや、あの、そう思われても……」

 

ア「で、実際の所はどうなんですか?」

 

藍「そうよ! 事と次第によっちゃあ、『どうした灯里!? 緊急会議 in ARIAカンパニー』を開催しなきゃならないんだから!」

 

灯「だから、わたしが書いたんじゃないだってばー」

 

ア「灯里先輩。何かをしでかした人に限って、自分はしていないと、つい言ってしまうものですよ」

 

藍「そう! 正直に答えるなら今のうちよ!」

 

灯「えーっ? 何でわたしが書いた事になってるのーっ!?」

 

ア「では灯里先輩は、あくまでもこのメモは自分が書いてないと主張されるのですか?」

 

灯「だって、普段使うのはパソコンだし、メモを取るのは、お客様からご予約の電話を受ける時ぐらいで……」

 

ア「では、いつ、誰が書かれたのですか?」

 

灯「そ、それが分からないから議題にしたんだよー」

 

藍「誰だか分からないのに、何で自分じゃないってわかるの?」

 

灯「だって、このメモは、アリア社長と見つけた物なんだもん」

 

藍「はあ? そんなメモ、どこで見つけたのよ」

 

灯「うん、それがね……」

 

_____________________

 

灯「……はい、大丈夫です。それでは、来週の朝8時にお待ちしています。どうぞお気をつけていらしてくださいね」

 

ガチャ

 

社「ぷいにゅ?」

 

灯「聞いてください、アリア社長」

 

社「ぷい?」

 

灯「今ご予約を戴いたお客様なんですけど、何と、5年(※アクア歴です)ぶりに、ネオヴェネチアにいらっしゃるそうなんですよ~」

 

社「にゅーっ!」

 

灯「それで、その時のARIAカンパニーでのご案内がとても良かったそうで、今回またご指名を戴いた、ということなんです」

 

社「ぷぷーい!」

 

灯「その頃って、アリシアさんもいない頃ですよねえ……」

 

社「ぷいにゅにゅー」

 

灯「でも、その時ご案内したのは、グランマでは無かったそうなんです」

 

社「ぷいにゅ?」

 

灯「一体、ご案内したのは誰なんでしょうか?」

 

社「ぷいー……にゅにゅっ!?」

 

灯「どうしたんですか? アリア社長」

 

社「ぷいにゅぷぷいにゅにゅ?」

 

灯「はひ! そうでした、日誌を見ればいいんですよね。確か、そこの棚に日誌があったと思いますから、見て見ましょう」

 

社「ぷいにゅっ!」

 

チャッ

 

灯「ええっと……日誌は……あっ、あったあった。……よっ! ……ほっ! ……うーん。もう少しで……取れそうなんだけど……」

 

社「ぷいにゅっ!」

 

灯「えっ? アリア社長がとってくださるんですか?」

 

社「ぷいにゅ!」

 

灯「でも、ちょっと詰めて入っているので、やはり椅子か台を持ってきて、わたしが取った方が……」

 

社「ぷい! ぷいにゅにゅにゅ!」

 

灯「あの、すいません。別に、取れないと思っている訳ではないのですが、その、何だか良くない予感が……」

 

社「ぷいっ! ぷいぷぷい!」

 

灯「わ、分かりました。よろしくお願いします」

 

 

 

社「……」

 

灯「……(な、何だかとてもドキドキします)」

 

社「……ぷいっ」

 

灯「えっ? 陸上みたいな手拍子をするんですか?」

 

社「ぷいっ!」

 

灯「そ、そうですか……(何だかドラムロールの方が合っているような……)」

 

社「ぷいっ!?」

 

「あっ! いえ、何でもありません。では……」

 

バンッ、パンッ、パンッ、パンッ

 

バン、パン、パン、パン

 

パンパンパンパン……

 

トテトテトテトテッ、ダッ!

 

社「ぷいーーーっ!!!」

 

灯「飛んだ!」

 

ガッ!

 

灯「届きました! すごいですアリア社長!」

 

社「ぷっ、ぷいっ……」

 

灯「さあ、後は日誌を取るだけ……はへ? アリア社長、何だかプルプル震えているような感じがしますけど……」

 

社「ぷ………ぷい……にゅにゅ……」

 

灯「あっ! アリア社長!」

 

ドサッ! バサバサバサバサッ!

 

灯「はひーっ! 大丈夫ですか!?」

 

社「……ぷ、ぷいにゅ……」

 

灯「ああ、良かった。今、日誌をどけ……ほへ?」

 

社「ぷい?」

 

灯「……何だろう、このメモ」

 

_____________________

 

灯「と、言うわけで、古い日誌のどこかにはさまっていたみたいなんだけど……あれ? ふたりともどうしたの?」

 

藍「なぁーんだ、つまんないの。んもう、拾ったんだったら最初っからそう言わないのよ!」

 

灯「えっ? それはでも、藍華ちゃん達が……」

 

ア「やはりミステリーというのは、謎めいた事が現実に起きてこそ、というものです。アリア社長のドジっ子話がきっかけでは、でっかい意外性が無さすぎます!」

 

灯「そ、そんなこと言われても……」

 

藍「ああ、でも別に気にする事ないわよ。仕事で忙しい中で、私達はつい、ドラマチックな事を期待しがちなだけだからさ。ほら、灯里も元気出しなさいよ」

 

ア「そうですよ。元気があれば何でも出来るとおっしゃられたのは、灯里先輩ですよ?」

 

灯「うん、そうだよね……あれ? 何で私が元気が無いって話になったんだっけ?」

 

藍「知らないわよ、そんなの。まーでもさ、灯里に元気がありませーん、なーんて事になったら、ネオ・ヴェネチア中が大騒ぎになるから、しっかりするのよ」

 

灯「そうなの? 何だか大変そうだから、わたし頑張るね」

 

藍「まあそれは良いとして、日誌に挟まってたなら、その日誌と同じ筆跡の人とか、いなかったの?」

 

灯「一応、日誌は見てみたんだけど、やっぱり清書された日誌と、走り書きみたいなメモじゃ、今一つよく分からなくて……」

 

ア「社員の方ではなく、お客様が書いたメモを挟んでいた可能性もありますよね」

 

藍「あー、そっかぁ……。まあでも、日誌に挟まっていたって事は、少なからず、私達のお仕事に関係あることが書いてあるって事なのかしら?」

 

灯「うん、わたしもそう思うんだ。だから、もしかしたら、みんなで考えれば、何か分かるかもって」

 

ア「まさに、三人寄れば文殊の知恵、という事ですね」

 

灯「うん」

 

藍「なに? その、三人寄ればモンジャの店って?」

 

ア「え? ええっとですね……一人では入り辛そうなお店でも、三人なら知恵と勇気の相乗効果により、お店に入りやすくなるという意味……ですかね」

 

藍「なるほど! つまり、私達三人が集まって相談すれば、このメモの答えがわかるって意味ね」

 

ア「はい!(あれでよく伝わりましたね……)」

 

灯「ただ、私達が考えた答えが正解かどうかも分からないよ?」

 

ア「ふふっ。いいじゃないですか。ARIAカンパニーが繰り出す謎の挑戦状、私達で受けて立とうじゃありませんか」

 

藍「そうよ! これはもしかしたら、あのグランマからの試練かもしれないんだから!」

 

灯「そんなに大それた話なのかどうか分からないけど、とにかく頑張ろう」

 

藍ア「おーっ!」

 

灯「でも、改めて見ると、やっぱりよく分からないよねえ……」

 

ア「ふふっ。そうでしょうか?」

 

藍「えっ!? もしかして、もう分かったの?」

 

ア「ある程度は、ですけどね」

 

灯「はへー……。一体、どうやって?」

 

ア「はい」

 

スッ

 

藍「こ、これは!?」

 

ア「そうです。この、オレンジぷらねっと社員必携のこれが、この暗号を解くカギになるはずです!」

 

続く



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その 遺された言葉が導く先は……(2)

灯「人が旅をするのは何でかなあ?」
藍「そりゃあもちろん、素敵な景色を見たり、美味しい物を食べたりしたいなーって思うからよ」
ア「それもありますが、『非日常を味わう』というコトの消費をするためです。それは同時に、ガイドブックや旅行カバンを始めとするモノの消費にも繋がり……」
藍「そーゆー難しい話は禁止よ、禁止。で、灯里はどう思っているわけ?」
灯「やっぱり、出会いや発見があるからじゃないかなあ?」
藍「うんうん、例えば?」
灯「雨の神社で、静かに歩くお嫁さんの一行に出会ったりとか、迷いそうな山奥で、お菓子の家に住むおばあさんに出会ったりとか……」
藍「うんうん……うん?」
ア「それは、夢の様な旅ですね……」


藍「後輩ちゃん、それって……」

 

ア「はい。これはオレンジぷらねっとが全面協力した、『ウンディーネと行く ぐるっとまるっとネオ・ヴェネチア観光 プレミアムスペシャルパーフェクトガイド』です」

 

灯「あ! これ、この前本屋さんで沢山売ってた!」

 

ア「はい。全国の書店や宇宙港などの売店や、Amanon、AKUTEN、Ahhoo!ショッピング、オレンジぷらねっとのホームページ又はゴンドラ船内で、あまりの人気に一時出荷停止になる程、絶賛好評発売中なんですよ」

 

藍「へ、へえ……。なんか、その営業スマイルに定型文みたいな言い方が、なーんかうさんくさいけど……。本自体はちゃんとしてるんでしょうね?」

 

ア「そこはご心配なく。ネオ・ヴェネチア定番の名所やお店から始まり、かなりマニアックな場所まで、でっかい簡潔かつ網羅的に紹介している、ネオ・ヴェネチア情報の全部が一杯詰まった、まさにとっておきの一冊になっているんです」

 

藍「あっそ……。でも、そーゆーのって、お高いんでしょ?」

 

ア「と、思われるかもしれませんが、なんと!」

 

藍灯「うえっ!?」

 

ア「現在、高額下取りチャレンジキャンペーンという事で、ご購入の方には、ご家庭にある古いガイドブック、ネオヴェネチア以外の物でも何でも、このガイドブックの半額で下取りしているんです!」

 

灯「えーっ!? 実質半額で手に入るってこと!?」

 

ア「はい! この機会に是非ご検討ください!」

 

藍「ちょっと! 私達に宣伝してどーすんのよ! で、灯里は何でそんなガッカリしてんの?」

 

灯「はひっ? そ、そうかな?」

 

藍「ところで、その表紙のキャラクターは何なの? 何だかアテナさんと後輩ちゃんに似てるような気もするけど……」

 

灯「はい! はい! それ私知ってる! 『グロちゃん』と『キャロちゃん』だよね?」

 

ア「流石は灯里先輩。よくご存知ですね」

 

藍「グロちゃんにキャロちゃん? な、なんか、すごいネーミング……って、え? 待ってよ、それってまさか……」

 

ア「はい。モデルはアテナ先輩と私ですが、何か?」

 

藍「ぬなっ……」

 

灯「うわあ! やっぱりそうだったんだ! たまに出てくる、観光名所にまつわる二人のやり取り、とっても面白いよねえ」

 

ア「そうでしたか? 載っているのは、実際のアテナ先輩と私の会話を忠実に再現しただけなので、どこが面白いのか、私にはでっかい謎ですけどね」

 

藍「ちょっと灯里、そこまで知ってるって事は、あんたまさか、買ったんじゃないでしょうね?」

 

灯「はひっ!? そ、それは……」

 

藍「……買ったのね?」

 

灯「は、はひ……。あの、ちょっぴり面白そうだなって思ったんだけど、タワー積みされてて、立ち読み出来る感じじゃなかったから……」

 

ア「お買い上げありがとうございます! でも、灯里先輩に読まれるのはでっかい恥ずかしいですね……」

 

藍「あんなに宣伝っぽい事言っといて、今更それ言う?」

 

ア「買って戴くのと、読まれるのは違いますからね。ああ、それから、3冊以上お買い上げの方には、アテナ先輩又は私のプリントサイン入りクリアファイルまで付くという『まとめ買い応援キャンペーン』も実施していますので……」

 

灯「へえ、じゃああとで本屋さんに……」

 

藍「やめんか!」

 

ア「やはり、出来れば事前学習用、観光用、予備用、保存用、買い逃した方への贈答用、プレミアがついた時の競売(オークション)用くらいは買って戴きたい所ですし……」

 

藍「はいはい、そこまでそこまで。ガイドブックの話はもういいから、さっさと本題に入ってちょーだい」

 

灯「えーっ? もっと聞きたい事が沢山あるんだけどなあ……」

 

藍「そんなのより、今は灯里の持ってきた暗号もどきの解読が先よ! って、何で私が言わなきゃいけないのよう!」

 

灯「あ、そうだったね。ちょっぴり忘れてたよ」

 

藍「ったくぅ。よくそんなので、ARIAカンパニーの運営が務まるわよねえ……」

 

ア「あのアリシアさんが、あのグランマが創設したARIAカンパニーを支えられない人を後継者にする訳ないじゃないですか」

 

藍「ま、そりゃそうよね。あのモチモチポンポンと一蓮托生なんて、灯里ぐらいにしか出来ないか」

 

灯「あはは……。褒められてるんだよね、わたし」

 

ア「そろそろ本題に戻りましょう。私の推察では、このメモは、全て観光名所をさしているのではないかと思います」

 

藍「どうしてそう思うわけ?」

 

ア「はい。ではまず、この『しろいぞう』と、『きふじん』です。『しろいぞう』と聞いて、先輩方は何か思い浮かぶものはありますか?」

 

藍「『しろいぞう』なんて、この街の至るところにない?」

 

灯「『しろいぞう』っていう場所だよねえ……」

 

藍灯「うーーーん……」

 

ア「先輩方。そんなに深く考えられてしまうと、日が暮れてしまいます。こちらをご覧下さい」

 

藍「あら、これはリアルト橋? 何で?」

 

ア「はい、では灯里先輩。解説のこの部分をお読みください」

 

灯「ええっと、世界中からの観光客が訪れる、その大理石で出来た美しい橋は、別名『白い巨象』と呼ばれており……あっ!」

 

藍「『しろいぞう』って、そういう意味なのね!」

 

ア「はい。恐らくは、ですが」

 

藍「そっかぁ。私はてっきり、『白い石像』の事だと思っちゃった」

 

灯「わたしは、『白いぞーっ!』って叫びたくなるような建物かと思っちゃった」

 

ア「ああ、流石は先輩方。そのでっかい想像力には感服致します」

 

藍「いや、そーゆーのを無表情・無感情で言わないでよ。何だか悲しくなってくるわ」

 

ア「はて、そんな気は微塵もありませんが、ご気分を害されたなら失礼致しました。では、次の『きふじん』にまいりましょう」

 

灯「もし、同じ様に観光名所の別名だとしたら……」

 

藍「これはもちろん、あそこしか無いわね」

 

ア「はい。先輩方のご推察の通り、壮麗な景観、その姿の美しさから、別名『水辺の貴婦人』と呼ばれている、『サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会』の事だと思われます」

 

藍「だとすれば、『たいちょう』っていうのは、サンティ・ジョバンニ・エ・パオロ広場にある、騎馬像のことかしら?」

 

ア「はい。教会の広場にある、ヴェネツィア共和国に仕えたベルガモの傭兵隊長、コッレオーニの騎馬像ですね」

 

灯「じゃあ、『しにせかめん』は、仮面屋さん『カ・デル・ソル』のことかな?」

 

ア「はい。やはり老舗、という点からして、サン・ザッガリア教会の近くの運河沿いにある仮面専門店、カ・デル・ソルの事でしょうね」

 

藍「うんうん。だんだん調子出てきたわね。次は、『こどもおうさま』って、何かしら」

 

ア「はい。王様と言えば、イタリア統一の初代国王である、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像があります。推測ではありますが、2世なので、こどもと表現されたのではないでしょうか?」

 

灯「この『さかなたくさん(はやく!)』は何だろう?」

 

ア「魚がたくさんあると言えば魚市場です。はやく! と言うのは、恐らく早い時間帯、遅くとも午前中でないと、魚の市場が終わってしまうからではないでしょうか?」

 

藍「凄いわね! もう3分の2が分かっちゃったじゃない」

 

ア「当然といえば当然です。どれもこのガイドブックには載っていますからね。という事で、藍華先輩もおひとつ如何ですか? 今なら従業員価格でお譲りしますよ」

 

藍「いやだから要らないってば! 大体、オレンジぷらねっとの関わったガイドブックを、ライバル会社の一人前(プリマ)の私が持ってたらおかしいじゃないのよ!  ねえ、灯里……って、何財布出してんのよあんたわっ!」

 

灯「はひっ!?」

 

ア「やれやれ、私は消費者心理を刺激しているだけなのに、こうしてブレーキをかけるから景気がよくならないのですね」

 

藍「景気の話をする場じゃないんだから! 早く続きをやるわよ!」

 

灯「えっと、あとは『ししうえいじん』『8○6』『わにからてんごくまで』の3つだね。この最後のわにって、もしかして、あれの事かな?」

 

ア「ええ、恐らくは。ベネチアの守護聖人で、龍を退治をした伝説がありながら、ネタ被りを回避すべくワニを踏みつける像にしたという、聖テオドロス像でしょう」

 

藍「じゃあ、そこからてんごくまでって言うのは? 宇宙港の事かしら?」

 

ア「それも考えられますが、ドゥカーレ宮殿の二階、代表議の間にある、ティントレット作の絵画『天国』の事ではないでしょうか?」

 

灯「つまり、聖テオドロス像の下でお客様をゴンドラから降ろして、ドゥカーレ宮殿までご案内するってこと?」

 

ア「はい。最後に書いてありますし、そこでご案内終了、という事だと思われます」

 

藍「よっしゃあ! あと2つ!」

 

灯「この『ししうえいじん』って、何だろう?」

 

ア「恐らくは、獅子とは文字通り、かつてのヴェネツィアの守護聖人サン・マルコの象徴とされた、翼のある獅子像の事でしょうね。その上に偉人、つまりえらい人の像があると思われます」

 

藍「でも、翼のある獅子の像なんて、至る所にいるんじゃないの?」

 

ア「いえ、先程気がついたのですが、このメモに書かれている場所は、基本的にゴンドラでご案内が出来る場所なのです。そう考えると、場所は限られてきます」

 

灯「あ、それなら……、アリスちゃん、それ、ちょっぴり貸してくれる?」

 

ア「はい、どうぞ」

 

パラパラ……

 

灯「もしかしたら、ここじゃないかなあ?」

 

藍「どれどれ? あら、ダニエーレ・マニン像?」

 

灯「うん。よく、ご案内の待ちあわせ場所にも使われてるし、この獅子の像って、翼をひろげていて、とっても大きいサイズで目立つんだよねえ」

 

ア「そして、上に立つのは、かつてヴェネチアがナポレオンにより制圧され、オーストリアの支配を受けていた19世紀半ばに、独立運動の指揮をとってベネチア臨時政府の大統領となった、ダニエーレ・マニンの像です」

 

藍「なるほど、獅子の上に大統領、つまり偉人かあ。それが答えってこと? 何かあっさりしすぎじゃない?」

 

ア「別に、こってりする必要はないと思いますが?」

 

藍「いや、そういう意味じゃないわよ。ラーメンじゃないんだから」

 

ア「とにかくあと一つ『8○6』ですね」

 

灯「これは思い浮かばないよねえ」

 

藍「そうねえ。8に関するもの? うーん……タコ? あーでも悪魔の意味だし、場所とは関係ないかぁ」

 

ア「悪魔? それは藍……いや、何でもないです」

 

灯「書いた人のオール番号かな?」

 

ア「しかし、ARIAカンパニーは少人数で、創設以来8人どころか6人もいなかったのでは?」

 

灯「そっか、私も見た事ないや」

 

藍「むしろ、8○6だから7とか?」

 

ア「しかし、これまでも、比較的シンプルに場所を表していましたので、謎解きのような要素はないと思いますよ」

 

藍「言われてみればそうよねー。でも、8と6にまつわる場所なんて、ある?」

 

ア「住所でも無さそうですしね」

 

藍ア「うーん……」

 

灯「まさに八方塞がりだねえ……」

 

藍「ネガティブ発言、禁止!」

 

灯「えーっ?」

 

ア「……ん? 灯里先輩、今何と?」

 

灯「その、八方塞がりって……」

 

藍「それがどうしたのよ?」

 

ア「タコ、八方……はっ!?」

 

藍「何か分かった?」

 

ア「もしやこれは、建物の形を表しているのでは?」

 

灯「ほへ? どういうこと?」

 

ア「八角形(オクタゴン)ですよ。八角形の建物と、その内外に、6にまつわる何か別の建物があるのではないでしょうか?」

 

灯「そんな建物、あったっけ?」

 

ア「それは……。とりあえず、こちらのガイドブックを片っぱしから……」

 

藍「あーっ!!」

 

灯「はひっ!?」

 

藍「ちょっとその本貸して!」

 

ア「何か思い浮かんだのですか?」

 

パラパラパラッ

 

藍「……ふふーん! やっぱり、これだったわね!」

 

ア「むむ? これは……サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会?」

 

藍「ほら、説明を読んでみなさい」

 

ア「はい。サルーテ岬に立つ教会。地球(マンホーム)で17世紀に流行したペストの沈静化を祈願して建てられ、健康(サルーテ)と名付けられた。八角形の本堂の周りを、6つの礼拝堂が取り巻くような形になって……こっ、これはっ!?」

 

灯「あーっ! 藍華ちゃんすごーい!」

 

藍「ま、私にかかればこんなもの、朝飯前って事よ」

 

ア「さすが藍華先輩。よく分かりましたね」

 

藍「うん、いいわよ。私は褒められて伸びるタイプだから、もっと褒めていいのよ。オーッホッホッホ!」

 

灯「八角形の周りに6つの礼拝堂って意味だったんだねー」

 

藍「まあ、実の所、ここは半人前(シングル)の時に、月間ウンディーネの企画で案内した場所でね、必死に覚えたのよー」

 

灯「あっ、そう言えばそうだったね」

 

藍「あの時は緊張のせいか、何だかいつもより早く漕いじゃって、後で晃さんからダメ出しの嵐だったなー……」

 

ア「あれは大分前のお話ですよね? そんなに印象深かったのですか?」

 

藍「だって〜。ご案内の間中、滅茶苦茶鋭い眼光で、『お前ミスすんなよ』オーラも凄くて……。あれは一人前(プリマ)昇格試験より緊張したかもしれないわ」

 

灯「そ、それは大変だったね……」

 

ア「その様子が目に浮かぶようです」

 

藍「あーんもう! 灯里のせいで、何だか色々な事を思い出して気分が沈んで来ちゃったじゃないのよう!」

 

灯「はひっ!?」

 

藍「こーなったら、甘いパフェでも頼んじゃうんだからね! もちろん灯里のおごりで」

 

灯「えーっ!?」

 

藍「あら、誰かに奢った方が、同じガイドブックを何冊も買うより、よっぽど有益じゃない?」

 

ア「ふふふっ。ご心配には及びません!」

 

灯藍「えっ?」

 

ア「今から30分以内にご注文戴ければ、分割払いもOKですし、金利手数料は全てオレンジぷらねっとが負担しますので……」

 

藍「だからもう! 同業者へのセールス禁止ーっ!」




そんなこんなで、色々な事がありましたが、無事(?)、一人前(プリマ)合同会議は幕を閉じました。
私の先輩ウンディーネさんの残したメモは、ネオ・ヴェネチアの素敵が沢山詰まった場所を教えてくれました。

そうそう、メモを見つけるきっかけになった、十年ぶりのお客様。そのお客様がいらっしゃった時に、このお話をしたところ、メモに書かれた場所は、そのお客様が来られた際に、ご希望をされた場所だったそうなのです。
なので、お客様も、わたしも、何だかとっても素敵な気分になってしまいました!
今度、アイちゃんにもこのガイド……じゃなくて、素敵な場所の魅力を、沢山ご案内できるといいな。


灯里さん
私もそのガイドブック、地球(マンホーム)の本屋さんで見たんだけど、本当に楽しそうな本だね! ただ、私のお小遣いではちょっと買えそうにないので、今度遊びに行ったら、是非見せてくださいね!


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その 遺された言葉が導く先は……(3)

灯里さん
私もそのガイドブック、地球(マンホーム)の本屋さんで見たんだけど、本当に楽しそうな本だね! ただ、私のお小遣いではちょっと買えそうにないので、今度遊びに行ったら、是非見せてくださいね!

アイちゃん
メールありがとう。
実は、藍華ちゃんにはちょっぴり秘密なんですが、あのあとアリスちゃんから買ったのがあるんだ。
一冊アイちゃんにプレゼントするので、ちょっぴりだけど、素敵なネオ・ヴェネチアを旅行した気分を味わってもらえたら嬉しいな。
楽しみに待っててね!


愛「あーあ……」

 

あ「なーに? どうしたの? ため息なんかついちゃって」

 

ド「いつものアイさんらしくないような……」

 

あ「アーニャの言う通りよ。愛野アイから『明るく、楽しく、元気良く』を引いたら、なんにも無くなるどころか、マイナスになっちゃうじゃない」

 

愛「ふえっ?」

 

ド「あずさちゃん、流石にそれは言い過ぎじゃ……」

 

あ「元気が取り柄のあんたがそんなんじゃ、こっちもテンション下がるでしょう? とにかく訳を話しなさいよ」

 

愛「うん、ごめんね。実はこれの事で……」

 

あ「……ん? ガイドブック?」

 

ド「……ああっ!」

 

愛「ふえっ!? どうしたの?」

 

ド「アイさん、ちょっとそれ貸して!」

 

愛「え? いいけど……」

 

パラパラッ

 

ド「……こっ、これはっ!」

 

あ「ああ。あんたの会社で作ったガイドブックでしょ? 本屋さんとかで沢山売ってるやつじゃない?」

 

ド「これは『ウンディーネと行く ぐるっとまるっとネオ・ヴェネチア観光 プレミアムスペシャルパーフェクトガイド』の初回限定版なのよ」

 

愛「へぇ、そうなんだ。で、なんかすごいの?」

 

ド「この初回限定版には、オリジナルスリーブケース、キャラクターイラスト入りペンライト、折りたたみオペラグラス、別冊漫画『グロちゃんとキャロちゃんの休日』など、豪華特典がついてるのよ」

 

愛「あっ、今は持ってないけど、確かにそれはある」

 

あ「ふうん。ところで、このグロちゃんとキャロちゃんって、何?」

 

愛「えっ? この二人の名前じゃないの?」

 

あ「うーん、何だか、こんな変な名前じゃなかったような気がするんだけど……」

 

ド「そう、これを見るとわかるかな」

 

あ「ああ、アーニャもガイドブック持ってたのか」

 

ド「ほら、現在売られているガイドブックのキャラクターの名前は、ベネちゃんとチアちゃんなの」

 

あ「そうそう、それそれ」

 

愛「そうだったんだ。私、この本が発売された時、私はまだ地球(マンホーム)にいたから気付かなかったよ」

 

ド「それで、何がすごいかと言うと、実はこのガイドブック、現在ではプレミアがついて、定価の10倍程の値段で取引されてるの」

 

あ「にゃにゃっ!?」

 

愛「そんなにすごい物だったんだ」

 

ド「しかも、この初回限定版は、ネオ・ヴェネチア、しかもオレンジぷらねっとのゴンドラ販売でしか買えなかったはずなのに、どうして地球(マンホーム)にいたアイさんがそれを?」

 

愛「うん、灯里さんからプレゼントでもらったんだよ。アリスさんから買ったって言ってたけど……」

 

あ「ふうん……って事は、灯里さんは、自分のも持ってるんだ」

 

愛「ええっと……そうだ、確か、アリスさんに薦められて、予備用とか、プレゼント用とかで、全部で7冊買ったって言ってた」

 

あ「にゃっ!? 7冊? そんなに?」

 

ド「1人に7冊売ってしまうアリス先輩も凄いけど、それを買ってしまう灯里さんも凄い……」

 

愛「うん。あ、でも、何でかはよく分からないんだけど、『藍華ちゃん(さん)にはナイショだよ』って言われているから、あまり知られたくはないみたい」

 

あ「あはは……。何だか支店長が、『無駄使い、禁止!』とか言って、灯里さんに説教してる場面が目に浮かぶわ」

 

ド「それで、そんなプレミアグッズをお持ちのアイさんに、一体何の問題が?」

 

愛「そうだ、それなんだけど、ネオ・ヴェネチアの観光名所の事で、ちょっと分からない事があって、二人も協力して欲しいんだ」

 

あ「なあんだ、それならそうと早く言ってくれりゃあいいのに……」

 

ド「微力ではありますが、私もお手伝いするとしますか」

 

愛「えっ、いいの? 二人ともありがとう!」

 

あ「フッフッフッ。まあ、この優秀な私に、分からない事は無いたぁ思うけどね。どんと来いってやつよ」

 

愛「うん! じゃあ、早速なんだけど、この前、灯里さんから『このメモに書いてあるの、何だか分かる?』って言われて……」

 

あ「うん?」

 

ド「これは、ハチ、マル、ロク、って読むの?」

 

愛「そう。灯里さんが言うには、『8○6』っていうのは、ネオ・ヴェネチアのある場所を指しているらしいんだけど……」

 

ド「ある場所?」

 

あ「さすがにそれだけだと難し過ぎるわね。何かヒントは無いの?」

 

愛「うん、このガイドにも載っている、有名な場所なんだって」

 

ド「なるほど、それでガイドブックを持っているという訳ね?」

 

あ「有名なんだったら、そのガイドブックを、片っ端から読んで行けばわかるじゃない?」

 

愛「うん、でも、もう5回位は読見返しているんだけど、そんな場所はどこにも無くて……」

 

ド「ネオ・ヴェネチアのどこか、という事なら、ある程度候補を絞って、実際に見て回るという方法もあるんじゃない?」

 

あ「それアリ! アーニャの言う通りだよ!」

 

愛「うん。私もそう思って、このガイドブックに載っている先は昨日全部回ってみたんだけど……」

 

あ「えっ? あんたそれ、一日で全部回ったの!?」

 

ド「これ、大体一週間ぐらいで回る量なのに……」

 

愛「えっ? あ、あの……ええっと、もちろん、ムラーノ島とか、そういう遠い所には行ってないよ?」

 

ド「何だか、アイさんの目、とっても泳いでいるような……」

 

愛「そ、そんなことない。そんなことないよう!」

 

あ「それにしたって、圧倒的素敵パワー全開過ぎじゃない?」

 

愛「そうかなあ? 毎朝ジョギングしてるから、そんなに大変って感じじゃない……とは思うんだけど……」

 

あ「あはは……、こりゃダメだわ」

 

ド「(最早、『素敵パワー』と言うより、『パワー!!』と雄叫びを上げてそう……)」

 

あ「(これが圧倒的脳筋ってやつね……)」

 

愛「えっ? 何?」

 

あ「あー、いいからいいから、気にしないでこっちの事は」

 

愛「えーっ、ますます気になるよう」

 

ド「そんなことより、ガイドブックに書かれた名所を巡って、これはと思う場所はなかったの?」

 

あ「(アーニャナイス!)そうよ、流石にネオ・ヴェネチア中を回って、それっぽい場所が全然ないって事はないんじゃない?」

 

愛「それが全然ないんだよー」

 

ド「灯里さんが、ガイドブックに載っていると仰っているのであれば、やっぱり見落としがあるとしか考えられないのよね」

 

あ「そうよ、何かさー、あんたの汗とかで、ページがくっついちゃったとか、読み過ぎで読めなくなっちゃったとか、そういうオチじゃないの?」

 

愛「まさか、そんな事あるわけ……」

 

ド「いいえ、あずさちゃんの言う通りかも……」

 

愛「ええっ?」

 

あ「やっぱり! この不思議な事件の真犯人は、愛野アイ! あんただったのね!?」

 

愛「うええっ!? そんなぁ〜。でもどうしてそう思うの?」

 

ド「はい、ふたりとも、こちらをご覧あれ」

 

あ「うーん……どれどれ?」

 

愛「……あっ!」

 

ド「気づいた?」

 

愛「ここ、右と左のページがズレてる!」

 

あ「ホントだわ!」

 

ド「そう、落丁という奴です」

 

あ「何かと思えばそんな事か……って、何で5回も読んだあんたが気付かんのだ!」

 

ド「これは、シベリア送りです」

 

愛「ええっ!?」

 

あ「だからどこなのよ、シベリアって」

 

ド「とにかく、アイさんと私の持っているガイドブックの掲載場所は変わらないから……あっ、ここだ」

 

あ「えっと……サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会?」

 

ド「ほら、説明を読んでみてください」

 

愛「うん、ええっと……。サルーテ岬に立つ教会。地球(マンホーム)で17世紀に流行したペストの沈静化を祈願して建てられ、健康(サルーテ)と名付けられた。八角形の本堂の周りを、6つの礼拝堂が取り巻くような形になって……ああっ!?」

 

あ「きたっ! それよ!」

 

ド「八角形の本堂周りに6つの礼拝堂って意味だったのね」

 

あ「にゃははっ! まあ私達にかかれば、ざっとこんなもんね!」

 

ド「まさに朝飯前とはこのことかと」

 

愛「そうだよね。あー、なんかホッとしたら、お腹が空いて来ちゃったよ」

 

あ「そうね。じゃあパフェでも頼みましょうか? あんたのオゴリで」

 

愛「ええっ!?」

 

あ「悩みを解決してあげたんだから、その感謝の意を示すのは当然ではないのかね?」

 

愛「そ、そんなあ〜」

 

ド「私はパフェはいいわ」

 

愛「えっ?」

 

あ「あら、あんたダイエットでもしてんの?」

 

ド「そういう訳ではないんだけど、その代わりにお願いがありまして……」

 

愛「お願い?」




愛「と、いう事で、『8○6』の秘密は、無事分かりましたよ! 灯里さん」

灯「そう。でも、落丁だったなんて分からなかったよ。何だかごめんね」

愛「ううん、いいんです。むしろ、その方がプレミアがつくんじゃないかって、アーニャちゃんに言われました」

灯「あはは……そうか。でも、それなら別のガイドブックをあげ……」

愛「大丈夫です!」

灯「えっ?」

愛「実は、アーニャちゃんが、今度発売になる最新版を、従業員価格で売ってくれるんですよ〜」

灯「……ほへっ?」

愛「それがとっても安かったので、今回、灯里さんの分も頼んじゃいました!」

灯「えーっ?」

愛「あれ? どうしたんですか? 灯里さん」

灯「あっ……ううん、わたしの分も頼んでくれたんだね、ありがとう」

愛「いいえ〜、いつもご指導戴いているので、その感謝も込めてのプレゼントです!」

灯「う、うん……。(どうしよう、アリスちゃんからも買う約束してるのに……)」

愛「うん? 何か言いましたか?」

灯「ううん、何でもないよ」

愛「そうですか……あっ! そうだ! 今度そのガイドブックが来たら、一緒に全部まわってみませんか?」

灯「ぜ、全部?」

愛「はい! 朝から一日かけて、ジョギングしがてら回るんです。体力作りにもなりますし、灯里さんも知らない、ネオ・ヴェネチアの隠れた素敵な場所が見つかると思いますよ」

灯「あの〜、それは……その……素敵だね」

愛「じゃあ決まりですね!? ああー、楽しみだなぁ!」

灯「はは……はは……はひ」


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その 甘さに秘められた想いは……(1)

アイちゃん
今日はいつもの三人でお休みを合わせて、ハイキングに行って来ました。
(藍華ちゃん曰く、『一人前(プリマ)同士ではピクニック禁止!』だそうです)
久しぶりの三人一緒のお休みという事もあり、何だか、三人ともテンションがちょっぴり高めです。
その帰り、とあるカフェに寄ったのですが……。
  


リーンゴーン、リーンゴーン……

 

灯「うーん、今日はとっても楽しかったねえ」

 

ア「はい。いいリフレッシュになりましたね! まあ、例外の方もいらっしゃるようですが……」

 

藍「……」

 

灯「あの、大丈夫? 藍華ちゃん」

 

藍「ふ、ふたりとも、あんなに歩き回ってよく平気ね。あたしゃもうヘトヘトだわ」

 

ア「何を言うのかと思えば……。『今日はゴンドラには乗らず、歩いて行きましょう』と言い出したのは藍華先輩ではないですか?」

 

灯「そうだよ〜。それに藍華ちゃん、『ウンディーネたるもの、どんな時でも鍛錬を怠るべからず』って、飛んだり跳ねたりするから………」

 

ア「その上、カラ井戸の中に飛び込んだり、怪しげに光る星形のクッキーを食べたり……」

 

藍「きっ、今日はしてないでしょ! そんなこと」

 

灯「た、たまにしてるような言い方だね……」

 

藍「い・つ・も、してません!」

 

ア「しかし、かつて地球(マンホーム)のイタリアでは、究極の鍛錬をした配管工の兄弟が、そのようにして何度もさらわれる姫を救出したと言う都市伝説も……」

 

灯「えーっ!? そんな伝説が……あったっけ?」

 

藍「ないから! あってたまるかっ!」

 

ア「ふふっ。冗談ですから、気にしないでください」

 

藍「まあとにかく、普段は使わない筋肉を使ったって感じよね~」

 

ア「こういう時は、やはり甘い物を飲んで過ごすのがいちばんかと」

 

藍「そうね、何か頼みましょ?」

 

灯「甘いものと言えば、このお店にはアテナさんのお気に入りの飲み物があったよねぇ……」

 

ア「はい、アレですね?」

 

藍「えーなになに? そんなのがあるならそれ頼みましょうよ!」

 

ア「はい。そう思って、席に案内された時に、頼んでおきました」

 

灯「やった!」

 

藍「なかなか気が利くじゃないの」

 

ア「はい。とある先輩から『ウンディーネたるもの、どんな時でも先回りして行動するのよ! それが出来ない奴は○○だわ!』と、それはもう、うるさく言われてましたので」

 

藍「一応の確認だけど、あの、それを言ったのって、私じゃないわよね?」

 

ア「ふふっ。すみません、誰だったのかはもう忘れてしまいました」

 

藍「……と言いつつ、何よその目は」

 

灯「ほへ? それ、何だか私も聞いた事があるような……」

 

藍「ぬなっ」

 

ア「多分気のせいだと思いますよ、灯里先輩。グランマやアリシアさんが、そんな事を言うわけ無いじゃないですか」

 

灯「うーん? でもそうか、そうだよね〜」

 

藍「ああっ、とっ、ところでさ、その、アテナさんのお気に入りの飲み物って、何なのかしら?」

 

ア「はい、このお店はホットチョコレートの種類が豊富なのですが、アテナ先輩用のスペシャルメニューと言うべきものがありまして……」

 

藍「へー、そうなんだ」

 

灯「そうそう。アリスちゃん、あの時は大変だったよねぇ」

 

藍「大変? 何が?」

 

ア「アカリセンパイ?」

 

灯「あっ……」

 

藍「後輩ちゃんどうしたの? そんな怖い顔しちゃって」

 

ア「何でもありません。ねえ、アカリセンパイ?」

 

灯「そうだね、な、何でもないかな。あはは……」

 

藍「何よ、気になるわねえ」

 

ア「ああ、そんな話をしていたらなんとやら。頼んでいたものが来ましたよ」

 

店「お待たせ致しました」

 

コトッ

 

藍「おお〜、これは美味しそうね」

 

灯「うん、アテナさん、沢山のホットチョコの中から、見ただけでこのホットチョコレートを当てられるんだよ〜」

 

藍「いやあの……、見たらまあ当てられるでしょうね、普通は」

 

灯「そう、それが普通じゃなくて……」

 

ア「アカリセンパイ?」

 

灯「はひっ?」

 

藍「また怖い顔して、後輩ちゃん、アテナさんと何かあった訳?」

 

ア「別に何もありませんよ、さ、早く飲みましょう」

 

藍「そうね、まあそれはおいおい聞くとして、戴きま〜す!」

 

灯「う〜ん。この、ほんわかして、うっとりしちゃうような甘い香り。まるで、幸せになる魔法をかけられたみたいだねえ……」

 

藍「恥ずかしいセリフ、禁止!」

 

灯「えーっ?」

 

ア「先輩方……」

 

藍「まあそれはさておき……うん、本当に味も香りも素晴らしいわね」

 

灯「ほっとするよね〜」

 

藍「それにしても、どうしてアテナさんはこのホットチョコレートがお気に入りなの?」

 

ア「ああ、気になりますか?」

 

藍灯「うん」

 

ア「実はですね……」

 

藍灯「うんうん」

 

ア「その件については……」

 

藍灯「うんうんうん」

 

ア「分からないんです」

 

ガタガタッ!

 

ア「あれ? どうかされましたか?」

 

藍「わ、わかんないってあーた。いつも一緒の部屋に寝泊まりしてたんだから、それぐらい聞いてるんじゃないの?」

 

ア「同じ部屋とはいえ、お仕事や寝食の時間も違いますし、例えお部屋にいるタイミングが合ったとしても、あえて聞くような内容でもないので……」

 

灯「確かに、アテナさんも、アリスちゃんも、忙しそうだものねぇ」

 

藍「でも、これがアテナさんのお気に入りって事は知ってるんでしょう? 最初にアテナさんと一緒に来た時には聞いてないの?」

 

ア「はっ!? そういえば!」

 

藍「思い出した!?」

 

ア「はい。 実はですね……」

 

藍灯「うん」

 

ア「その時に……」

 

藍灯「うんうん」

 

ア「アテナ先輩から……」

 

藍灯「うんうんうん」

 

ア「聞いてませんでした……」

 

ガタタッ!

 

ア「と、言うよりは……あれ? 先輩方?」

 

藍「んもう! いちいちズッコケる私達の身にもなってよね、まったく……」

 

灯「あはは……。でも、聞いてないって?」

 

ア「はい、聞いていないと言うよりは、ここに連れてきて戴いたのが、まだ入寮したての時でして、アテナ先輩とどんなお話をしたのか、よく覚えていないのです」

 

藍「ああ、そういうコトか。確かに、出会ってすぐなら、そういう事もあるわよね」

 

ア「藍華先輩もですか?」

 

藍「ああ、うーん……。そうねえ、私は元々姫屋の人だから、後輩ちゃんとはちょっと違うかもしれないわ」

 

灯「どんな風に違うの?」

 

藍「なーんて言うのかしらねえ、まあ、物心ついた時から、姫屋の制服を着てる人は沢山いたし、『慣れ』みたいな?」

 

ア「では、晃さんと初めてご指導を受けられた時にも、ですか?」

 

「えっ? あの、ええっと……晃さんはね、緊張って言うより、何だかちょっと怖い、みたいな?」

 

ア「怖い? 指導の時に、オールを木刀の様に持っていたとかですか?」

 

藍「えっ? それどうして……」

 

ア「えっ? まさか本当に……」

 

藍「……あっ? いや、『どうして』って言うのは、『どうしてそんな事を考えたのかな?』っていう意味であって、別にオールを木刀の様に……いや、スパルタ教育を受けたとか、そういう訳じゃないわよ? あの、それより灯里は?」

 

灯「うーん、わたしは初めてアリシアさんに会った時は、緊張とかしなかったなあ……」

 

藍「あっ、思い出した! あんた、AQUAに来た日、移動中に寝ちゃって、起きたらARIAカンパニーだったそうじゃない」

 

灯「はひっ!? ど、どうしてそれを……」

 

ア「本当なんですか?」

 

藍「そりゃあもう。当時は『ARIAカンパニーに色んな意味で凄い新人が入った』って、姫屋どころか、業界中で噂になってたわよ」

 

灯ア「ええーっ?」

 

藍「あははっ、冗談よ、冗談。晃さんから聞いただけだから」

 

灯「そ、そうなんだ。良かった~……あれ? それ、良かったのかな?」

 

ア「ま、灯里先輩らしいエピソードではありますね」

 

藍「そうそう。あんたが恥ずかしいのは、今に始まったことじゃないんだし、今更そんな事気にしちゃダメよ」

 

灯「そ、そうかな……あはは……はひ」

 

____________________

 

 

藍「う〜ん! 美味しかった! 満足満足」

 

ア「う〜ん……」

 

藍「あら、どうしたの?」

 

ア「やはり、このメニューの件ですが、今度アテナ先輩に聞いておきましょうか?」

 

藍「いいわよ。まあさ、きっとアテナさんの事だから、なんか突拍子もない理由なんじゃない?」

 

ア「私もそんな気はしますが……」

 

藍「逆に、『なあんだ』とか言っちゃいそうな理由でガッカリするより、分からない方がミステリアスな感じがあっていいじゃない」

 

ア「それもそうですね」

 

藍「ねえ、灯里もそう思……あら?」

 

ア「灯里先輩?」

 

灯「…………」

 

藍「ありゃま、寝ちゃったのね」

 

ア「まさに、『船を漕ぐ』というのはこのことを言いましょう。何だかんだで、灯里先輩も相当はしゃいでいらっしゃいましたしね」

 

藍「疲れもあったんじゃないの? 一人でやってるんだから、色々プレッシャーもあるんでしょ?」

 

ア「ですね」

 

灯「うーん……」

 

ア「何か、夢でも見ているのでしょうか?」

 

藍「そうねえ……」

 

ア「やはり、ブロックから生えた怪しげなキノコやら花を採取する夢を……」

 

藍「見るかっ!」

 




リーンゴーン、リーンゴーン……

灯「うーん……。あれ? わたし、寝ちゃって……」

?「あのう、すみません」

灯「はひっ!?」

?「うわっ、な、何だ?」

灯「あ、す、すみません」

?「ここ、座ってもいいですか?」

灯「えっ? ……あれっ!? ……えっ? 晃さん!?」

続く


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その 甘さに秘められた想いは……(2)

灯「甘いものを食べると、幸せな気分になるよねえ」
藍「うん! 特に私は生クリームの載ったプリンを食べると、スッゴク幸せを感じるわ」
ア「甘味の代表である砂糖には、体のエネルギー源になるだけではなく、脳内の神経物質に働きかけることでリラックスさせる効果があります。感情を調節する前頭葉では、セロトニンが精神を安定させる役割を……」
藍「あーもうだから! そーゆー難しい話は禁止よ、禁止。ところで灯里は、甘いものは何が好き?」
灯「え〜、沢山あるから、ひとつには選べないなあ」
藍「でも、あえてひとつだけあげるとしたら?」
灯「ええっと……そうだ! アイス、シャーベット、ゼリー、ブラウニー、クッキー、プレッツェル、ウエハース、プリン、チーズケーキ、そしてたっぷりのフルーツと生クリームの上にチョコレートソースをかけたスペシャルパフェ!」
藍「ぬなっ!?」
ア「食べると、幸せより胃もたれを感じそうですね……」
 


晃「えっ? あの……失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」

 

灯「……はへっ?」

 

?「あっ……あらぁ? お客様、どうされましたか?」

 

灯「えっ!? あ、あい……」

 

晃「あ、いや、こちらの店員さんが、いきなり私の名前を言われたので……」

 

藍「まぁ! ご気分を害されたんですね? それはどうも申し訳ありませーん! (ほら! あんたも早く謝んなさいよ!)」

 

灯「はひっ!? ええっと……も、申し訳ございませんでした」

 

晃「いや、別に謝ることでは……。それより、どうして私の名前を…」

 

藍「おやっ!? あちらのお二人はお連れ様? では、お客様も含めて三名様ですね!? ささ、こちらのお席へどうぞ!」

 

晃「あ、ええっと……」

 

フ「あらあら、どうしたの? 晃ちゃん」

 

晃「あ……いや、何でもない」

 

グ「ふふふ、何だかヘンな晃ちゃん」

 

晃「いや、お前に言われる筋合いはないけどな、アテナ」

 

グ「え〜っ?」

 

藍「あらまあ、ウンディーネさん達は、仲がよろしいんですね! では、こちらがメニューですので、お決まりになりましたらお呼びくださ〜い」

 

晃「えっと、どうも」

 

藍「(ホラ行くわよっ!)」

 

灯「はへー……」

 

ズルズルズル……

 

晃「何なんだ? ありゃ……」

 

___________________

 

藍「(んもう! なーにやっちゃってんのよアンタは! お仕事中の居眠り&ボケボケ禁止! って言ってるでしょ!)」

 

灯「(お仕事中? えっと……その前に、わたし達、どうしてここのカフェの制服を?)」

 

藍「(だから! お仕事中だからに決まってるでしょ!)」

 

灯「(はへー……そうだったっけ?)」

 

藍「(んもう! せっかく憧れてたカフェの店長になれたのに、サブのあんたがそんなんじゃ、私の評価まで下がっちゃうじゃないのよ!)」

 

灯「(ご、ごめん。そんなつもりじゃ……)」

 

藍「(んもう、これから気をつけてよね。ところでさ、あそこにいるのって、あの、ARIAカンパニーのアリシア・フローレンスよね?)」

 

灯「(うん、ちょっぴり『さん』をつけて欲しい所だけど…)」

 

藍「(やっぱりそうなのね? うわあ……ウワサには聞いてたけど、やっぱりエレガントってゆーか、全てが美しいって感じよね〜)」

 

灯「(う、うん。それはそうだけど……)」

 

藍「(それから、隣にいるのって、オレンジぷらねっとのアテナ・グローリーよね?)」

 

灯「(うん)」

 

藍「(歌が上手いらしいけど、本当かしら?)」

 

灯「(そ、それはもちろん)」

 

藍「(えっ? あんた近くで聞いた事あるの?)」

 

灯「(それは、まあ……)」

 

藍「(あるのね? うわあ……いいな〜。それから、あんたに話かけてた、あの姫屋の制服の人……)」

 

灯「(それは、さすがにわかるでしょう?)」

 

藍「(……あれ誰?)」

 

灯「えっ!? ムグッ」

 

藍「(シーッ! もう、何で大声出すのよ!)」

 

灯「(む、むむん……)」

 

藍「(まあとにかく、ああやって、ライバル会社の三人がつるんでるってゆーのは、なあんか、怪しいわね……)」

 

灯「(怪しい? だって、わたし達……は違うのか)」

 

藍「(よーし、わかったわ! あのテーブルはあんたに任せるから、何を話してるのか探って来て!)」

 

灯「……ええっ!? ムグッ」

 

藍「(シーッ! だからもう! 大声出さないでよ!)」

 

灯「(む、むむん……)」

 

藍「(しっかりしてよ、もう。もしかしたら、業界を揺るがす、大スキャンダルに発展するかもしれないんだから! 責任重大よ!)」

 

灯「(こ、こんなオープンカフェで、そんなこと話すかな?)」

 

藍「(な~に言っちゃってんのよあんたは。こういう所だからいいのよ。 木を隠すには森の中、秘密隠すにゃカフェの中ってやつよ!)」

 

灯「(そ、そうだっけ……)」

 

藍「(とにかく行って来て! ……あ、あとコレ)」

 

灯「(これ、伝票にしては何だかちょっぴり…)」

 

藍「(アリシア・フローレンスのサイン、貰って来て)」

 

灯「えーっムグッ」

 

___________________

 

 

晃「なあアテナ、いつになったら決まるんだ?」

 

グ「あ、あの、もう少し……」

 

フ「まあまあ晃ちゃん。まだ来たばかりなんだし、種類も沢山あるんだから、ゆっくり選ばせてあげましょうよ」

 

晃「ったく、そうやっていつもお前が甘やかすから、いつまでもスパッと決められなくなるんだよ。大体、今日ここに来たのはなあ、アテナが今度来る後輩との…」

 

グ「ねえねえアリシアちゃん。これなんだけど……」

 

フ「あらあら、とっても美味しそうで、素敵ね」

 

晃「……」

 

グ「あれ? 晃ちゃん?」

 

フ「唇が小刻みに震えてるけど、大丈夫?」

 

晃「……いや、大丈夫だ。決まったか?」

 

グ「あの、ごめんなさい。もう少し……」

 

晃「そ、そうか……。まあ、今日はこのために集まったようなもんだしな。ゆっくり選ぶといいさ」

 

フ「それにしても、ここのお店は、本当に沢山の種類のホットチョコレートがあるのね」

 

グ「うん。私、昔からこういう甘いものが大好きで、ついつい、いろんなお店に入ってしまうの。ここも、見つけた時にすぐ来たかったんだけど、寮から少し離れているから、なかなか機会がなくて……」

 

晃「ふうん。ま、可愛い後輩の緊張を解く為に、散歩がてらここに連れて来ようなんて、アテナらしい考えだけどな」

 

フ「そうね。そういえば、晃ちゃんも、今度新人さんが付くんでしょう?」

 

グ「えっ? そうなの?」

 

晃「まあな。ただ、私の場合は、相手がちょっと特殊でね。先輩後輩と言うよりは、教育係みたいなものを期待されてるんだよな、これが」

 

フ「あらあら、それは大変そうね」

 

晃「フフフッ、自分なりに、愛情タップリに、ビシビシやるつもりさ」

 

グ「何だか、すごいことになりそう……」

 

フ「いじめちゃダメよ?」

 

晃「何でだよ?」

 

グフ「えっ……」

 

晃「……あっ? いや、『何でだよ?』と言うのは、『何でそんな事を思うんですか?』という意味であってだな、せいぜいオールを木刀に……いや、スパルタ教育をしようとか、そういう訳じゃないぞ?」

 

グフ「……」

 

晃「だ、だからそんなドン引きした顔するのをやめろ、私の話をキチンと…」

 

灯「あのう……」

 

晃「すわっ!」

 

灯「はひっ!?」

 

晃「あっ!? い、いや、すまない……。注文がまだだったよな?」

 

灯「はわ……はわわ……」

 

グ「(今のは、相当恐かったわよね?)」

 

フ「(うん。あの店員さん、トラウマにならないと良いのだけど……)」

 

晃「だから! そのドン引き顔でのヒソヒソ話をやめろ!」

 

灯「は、はひ……そ、その……ご、ご注文は……」

 

晃「あ、ああ、えーっと、私はこれを。二人は?」

 

フ「私は、これをお願いします」

 

グ「私は……ええっと……うーんと、これ? ああいや、こっちの方がいいかしら……」

 

晃「代わりに私が頼みましょうか? アテナさん」

 

グ「ふええ? でも……」

 

フ「ねえアテナちゃん。もし決まらないなら、店員さんのお勧めを聞いてみたらどうかしら?」

 

灯「ほへっ?」

 

晃「うん、それがいいな。お店の人なら、一番売れてるメニューとか、この店ならではっていうメニューも知ってるだろうし」

 

グ「それもそうね。あの、店員さん。何かお勧めの物とか、ありますか?」

 

灯「あ、あの……す、すみません。わたし、まだこのお仕事を、ついさっき始めたばかりで……」

 

晃「始めたばかりかどうかはしらないが、お店のお勧めぐらいは分かるんじゃないですか!?」

 

灯「あの、ええっと……」

 

グ「(やっぱり今日の晃ちゃん、コワ〜イ)」

 

フ「(私達と会う前に、何か嫌な事でもあったのかしら?)」

 

晃「すわっ! だから違うって言ってるだろう? 私達だって、観光案内、操舵、それに舟唄(カンツォーネ)と、お客様を相手にする時は、常に全力で……」

 

グ「(さすがに、私達のお仕事とは、ちょっと違うと思うんだけど……)」

 

フ「(可哀そうに、今にも涙がこぼれ落ちそう)」

 

晃「ぐぬぬ……」

 

灯「ええっと、あの……そ、そうだ、お客様」

 

グ「はい」

 

灯「まだまだわたしには、お勧めを選べるだけの実力はありません。でも、目をつぶって、メニューのどこかを指してみてください。きっと、それがお客様にとっての、一番素敵なご注文になると思います」

 

フ「あらあら、それは面白いわね」

 

晃「ああ、まさにアテナにピッタリの選び方だな」

 

グ「そうよね。悩んでも仕方がないし」

 

灯「はひ。それでは、私がメニューを持ちますので、どうぞ」

 

グ「分かったわ。うーん……えいっ」

 

灯晃フ「………」

 

グ「あら? 何だか少し柔らかいような感触が……」

 

晃「あのなあ、アテナ」

 

グ「なあに?」

 

晃「そこは、私の胸だ」

 

グ「えっ? じゃあ、こっち?」

 

灯晃フ「………」

 

グ「あら? 今度はもっと柔らかくて、暖かい……」

 

フ「あらあら、アテナちゃん」

 

グ「なあに?」

 

晃「ほほは、わはひのほほは」

 

グ「えっ? あの、ごめんなさい」

 

フ「アテナちゃん、一度深呼吸をして、ゆっくり、指してみたらどう?」

 

グ「そ、そうよね。(すぅーはー)……うん、もう一度……それっ」

 

灯晃フ「………」

 

グ「あれ? 今度もダメ?」

 

晃「いや、ダメでは無いが……。というか、もう目を開けていいんだぞ、アテナ」

 

フ「これは……上と下、どちらになるのかしら?」

 

晃「これはまた、キレイにど真ん中だよなあ」

 

グ「どうしよう。どっちも美味しそうだけど、両方は飲めないし……」

 

灯「ではお客様、両方を組み合わせる、というのは如何ですか?」

 

グ「えっ?」

 

フ「まあまあ、いいんですか?」

 

灯「はひ。お客様だけの、特別メニューということで、わたしから店長さんに頼んでみます」

 

晃「おお! それなら、その後輩と来た時に話のネタにもなるし、良かったじゃないか」

 

フ「うふふ、晃ちゃんの言う通りね。ありがとう、素敵な提案だったわ。」

 

グ「うん! ありがとう、素敵な店員さん」

 

灯「はひ、何だか、こそばゆいです」




リーンゴーン、リーンゴーン……

灯「ふ〜ふふ〜ん♪ うふふっ」

藍「あによ、そんなニヤけちゃって」

灯「え〜、だってぇ」

藍「そんな事より、早いとこコレ、持って行ってよ」

灯「ほへ? 私まだオーダーを……あれ? この飲み物は……」

藍「なーに言っちゃってんのよこのコは……。この前、アンタがあの人の為に作れって言い出した、メニューにないホットチョコレートでしょう?」

灯「えっ? もう作ったの? それに、何で2つ?」

藍「はあ? 二人しかいないんだから、当たり前じゃないのよ」

灯「……ほへ?」

藍「まーったくこの子は……。ほうら、自分の目で、しっかり見なさいよっ!」

グイッ

灯「……えっ?」

藍「アンタには、あれが三人に見えるワケ?」

灯「アテナさんと……アリスちゃん?」

続く


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その 甘さに秘められた想いは……(3)

ア「先輩方。エンゼルクリーム、というドーナツをご存知ですか?」
灯「知ってる〜。昔、地球(マンホーム)のとあるドーナツ屋さんで売っていたってやつだよね? クリームがたっぷり入って美味しいらしいよー」
藍「へえー。でも何でエンゼルなの?」
灯「ほへ? 何でだろう?」
ア「はい、まず何故エンゼルクリームという名前にしたかと言うと、そのクリームを作っている会社のトレードマークがエンゼルだと言うことに由来していて、では何故トレードマークをエンゼルにしたかと言うと、当時その会社で作っていたのが、そのふわふわした食感から別名エンゼルフード(天使の食べ物)と呼ばれるマシュマロであることに由来しているんです。ちなみに何故マシュマロと言う名前なのかと言うと、元々マーシュ・マロウという植物の根から取れる、粘り気のある汁に卵白と砂糖……」
藍「だあーーっ! もうウンチク禁止ーッ!」


灯「どう……なってるんだろう?」

 

藍「別に、どーにもなってないでしょう? だから早く持って行って! 冷めたら美味しさが半減するでしょ?」

 

灯「う、うん……。あ、それとごめんなさい。アリシアさんのサイン、貰いそびれちゃった」

 

藍「ああ、それまだ気にしてんの? 別に、『サインは無理だけど写真なら』って、一緒に写真撮って貰ったんだし、別にいいわよ」

 

灯「……はへっ?」

 

藍「あんただって、とっても喜んでたじゃないのよう。ホラ、アレ」

 

灯「ほ、本当だ……。でも、ちょっぴり斜めのような……」

 

藍「忘れたの? あの人がゼツミョーなタイミングで、神がかり的なズッコケ方したからよ。まあ、撮り直す時間も無かったし、仕方ないわね」

 

灯「ほへー……」

 

藍「とにかく! 無駄口禁止! 早く持って行ってよ!」

 

灯「う、うん……」

 

____________________

 

灯「(ええっと、今の私は、アテナさんには、前に会った事があって、アリスちゃんとは初対面……ということで、いいのかな?)」

 

グ「…………」

 

ア「…………」

 

灯「(はわわ……二人とも、ま、まるでカチンコチンの氷のような……あれ? あそこにいるのは……)」

 

晃「…………」

 

フ「…………」

 

灯「(あ、晃さんとアリシアさんから、全く性質の違うすごい圧が……。でも、大丈夫。わたしは、大丈夫。…………よし、水無灯里、行きます!)」

 

グ「…………」

 

ア「…………」

 

灯「おまたせ致しました。ご注文の、スペシャルホットチョコレートです」

 

グ「あ、ありがとうございます」

 

灯「いいえ、お客様のお気に入りですもの。あったか〜いうちに、どうぞご賞味くださいませ」

 

グ「すみません、いつもメニューに無い物を作って貰ってしまって」

 

ア「えっ? これ、メニューに無いんですか?」

 

グ「えっ? う、うん。これはね……」

 

ア「何でそんな特別扱いなんですか?」

 

グ「あの、それはその……」

 

ア「特別扱いなんて……そういうの、私は嫌…」

 

灯「大丈夫!」

 

グア「えっ?」

 

灯「きっと、大丈夫です」

 

グ「店員さん……」

 

灯「いつでも、どこでも、何度でも、アレンジしたいと思った時は、真っ白なクリームです」

 

ア「あ、あの、何を言って……」

 

灯「そちらのお客様は、当店にいらしたのは初めてですか?」

 

ア「は、はい……」

 

灯「実は、このスペシャルホットチョコレートには、単に特別だというだけじゃない、こちらのお客様を始めとする、あったか〜い、素敵な想いが、たくさん詰まっているんですよ」

 

ア「は、はあ……」

 

灯「ですから、こちらのお客様から、このスペシャルホットチョコレートをご注文を戴いた時は、店長自らが、いつも以上に腕にヨリをかけて、作っているんです」

 

ア「いや、あの……」

 

灯「さあ、当店のスペシャルホットチョコレート。冷めてしまうと、わたしが藍……じゃなかった、店長さんに怒られてしまいますので、どうぞ、あったか〜いうちに、お召し上がりくださいませ」

 

グ「そ、そうよね。アリスちゃん、せっかくだから、まずは戴きましょうよ」

 

ア「あ、はい……わかりました」

 

グ「…………」

 

ア「…………」

 

灯「如何ですか?」

 

グ「うん、この前飲んだ時も感じたけれど、ちょうど良い甘さで、とってもほっとする味ですね」

 

ア「……こ、これはっ」

 

グ「どう? アリスちゃん」

 

ア「なんというホットチョコレートなのでしょう。最初に一口飲むと、クリームで蓋をされたことに事によって適度な温度に維持された、ホットチョコレートの甘味が、口の中一杯にでっかい押し寄せて来ます」

 

灯「は、はへー……」

 

ア「更に、その蓋をしている、甘さ控えめなクリームと合わさる事によって、それだけを飲み続けると、でっかい甘ったるさを感じてしまうホットチョコレートと見事に調和して、最後まででっかい美味しく戴ける味に変化して……」

 

グ「あの、アリスちゃん?」

 

ア「はっ!? ……すっ、すみません」

 

グ「どう? 美味しい?」

 

ア「えっ? あの、えっと……はい! とっても」

 

グ「そう。良かった」

 

灯「ありがとうございます」

 

ア「私、甘いものに目が無くて……すみませんでした」

 

グ「ううん、むしろ、良かったわ」

 

ア「な、何故……ですか?」

 

グ「私、まだまだお仕事を教えるのは上手じゃないかもしれないけれど、ネオ・ヴェネチアにある甘いもののお店は結構知っているから……」

 

ア「アテナ先輩……」

 

グ「お仕事だけじゃなくて、たまには、こういうお散歩とかを、アリスちゃんと一緒に出来たらいいなって、思っていたの」

 

ア「私と……一緒に……」

 

グ「そして、このお店みたいな、とっても甘くて美味しいものがある、二人だけのお気に入りのお店を、アリスちゃんと一緒に見つけられたら……ってね」

 

灯「それは素敵なお散歩になりそうですね」

 

グ「アリスちゃんは、どうかな?」

 

ア「ええっと……あの……」

 

グ「もし、イヤじゃなければ、また、一緒に行ってくれるかな?」

 

ア「あの……はい。是非」

 

グ「そう。良かった」

 

_____________________

 

灯「如何でしたか?」

 

グ「とっても美味しかったわ。ありがとう、店員さん」

 

ア「あ、あの………でっかいごちそうさまでした」

 

灯「また、お会いできると良いですね」

 

グ「え? 店員さん、居なくなっちゃうんですか?」

 

灯「いっ、いえ。そういう訳ではないのですが、またいつか、お二人とは別の場所でお会いしそうな気がすると言いますか……」

 

グ「ふうん……」

 

灯「あっ、それより、グラスを見てみてください」

 

ア「グラスが……何か?」

 

灯「お二人のグラスに出来たこの輪っか。これは、エンゼルリングと言って、とっても特殊な条件でないと出来ないんですよ」

 

グ「へえ、そうなんですね」

 

灯「なので、ホットチョコレートが導く、『奇跡の出会い』だ、と言う方もいるんです」

 

グ「奇跡の……出会い?」

 

灯「はひ! それがお二人に出来ていると言うことは、きっと、お二人がその『奇跡の出会い』をされたからではないかと思いますよ、うふふっ」

 

グ「へえ。ねえ聞いた? アリスちゃん。私達、『奇跡の出会い』なんですって」

 

ア「…………」

 

グ「あれ? アリスちゃん、どうしたの?」

 

ア「……あの、店員さん」

 

灯「はひ!」

 

ア「そんなでっかいデタラメ、私には通用しませんよ!」

 

灯「………はへっ?」

 

ア「奇跡と言いながら、あちらも、そちらも、どちらのテーブルでもみんな、このエンゼルリングとやらが出来ているではありませんか!」

 

灯「えっ?」

 

グ「あら、本当に、みんなにできてるわね」

 

灯「あれっ?」

 

晃「なんだなんだぁ? さっきから聞いてりゃ、おかしなこと言いだして」

 

灯「は、はわわ……」

 

フ「店員さん。ちょっと言いにくいんですけど、流石にそういう適当な事を言うのは、いけないコトじゃないかしら?」

 

灯「そ、そんな……」

 

藍「こりゃーっ! 恥ずかしい&ネボケたセリフ、禁止!」

 

灯「えーーーっ!?」

 

____________________

 

藍「ねえ、灯里ってば!」

 

灯「はひっ!」

 

ガタッ!

 

ア「うわあっ!」

 

藍「どっ、どしたの?」

 

灯「申し訳ありません、お客様! それから店長さんごめんなさいっ!」

 

藍「……は、はあ?」

 

ア「な、何なのでしょうか……」

 

灯「……は、はへっ? ここは?」

 

藍「ちょっと、大丈夫? いや、疲れたから眠いのは分かるわよ? でも、寝るならもう少し穏やかに寝てくれないと、私達もビックリしちゃうわ」

 

灯「お、穏やかじゃなかったって……」

 

ア「はい。何かにビックリした後、急に泣きそうになり、その後『カンパニーレ』と言いながらピースサイン。そして鼻歌を歌ったかと思えば、突然真剣な表情になり、『私は大丈夫』『真っ白なクリームです』などという謎の言葉を連発してから、最後は慌てふためくという……」

 

藍「本当にもう。恥ずかしいうたた寝、禁止ー」

 

灯「えーっ?」

 

ア「それで、灯里先輩は一体、どんな夢をご覧になっていたのですか?」

 

灯「ええっと、何て言うか、このお店で働くという……」

 

藍「あらヤダ、転職願望?」

 

灯「ううん、そういう訳では……」

 

藍「ふうん……そ。まあ困った事があったら、いつでも言いなさいよ? 『どうした灯里!? 緊急会議 in ARIAカンパニー』、開いてあげるからさ」

 

ア「それは、灯里先輩の為と言うより、アリシアさんに会う口実なのでは?」

 

藍「ええ~、でもでも、そういう事でも無いと、なかなかアリシアさんとも会えないじゃないのよ〜」

 

ア「確かに、それもそうですね」

 

灯「ふ、ふたりとも……」

 

藍「冗談よ、冗談。ところでさあ、後輩ちゃんから私達に、とっておきのお話があるそうよ」

 

灯「えー? 何だろう?」

 

ア「いえ、そこまでの話ではないのですが、実は、灯里先輩の寝顔を見ていたら、アテナ先輩と初めてこのお店に来た時の事を、ふと思い出しまして」

 

藍「灯里の寝顔?」

 

ア「はい。実はその時、アテナ先輩も私も、偶然グラスに輪っかが出来たのですが、それを見た女性の店員さんから『これはエンゼルリングと言って、とっても特殊な条件でないと出来ない』と言われたんです」

 

灯「えっ?」

 

藍「へえ、それから?」

 

ア「はい、それを『ホットチョコレートが導く、奇跡の出会いだ』と言う人もいるそうなんですが、それが二人とも出来た、という事で、『アテナ先輩と私も、奇跡的な出会いをしたのでは?』というお話だったのです」

 

藍「ふうん、奇跡的な出会いかぁ。何だか、ちょっと恥ずかしい話ね」

 

灯「ち、ちなみにその女性の店員さんって……」

 

ア「店員さんですか? 確か、もみあげが異様に長い、特徴的な髪型の店員さんだった、というのは覚えているのですが……」

 

藍「あら、世の中には、そんな変ちくりんな髪型の人も……いるのねえ」

 

灯「わ、私のは、もみあげじゃないからね……」

 

ア「ただ、それをきっかけに、アテナ先輩と少し打ち解けた感じがするんです。だから、あの店員さんには、でっかい感謝しています」

 

灯「そんなあ、アリスちゃん……」

 

ア「あ、いやすみません。別に、このお話は、灯里先輩に感謝している、と言う訳ではないのですが……」

 

灯「あっ……あははっ、そっ、そうだよね」

 

藍「でも、そんな感謝している割には、さっきまで思いっ切り忘れてたじゃないの」

 

ア「確かにそうなんですよね。何故でしょう? 何だか突然思い出しまして……」

 

藍「みんな疲れてるのかしらねー。あらイヤだ、もうこんな時間。明日からまた仕事だし、そろそろ帰りましょうか?」

 

ア「そうですね。しかし……」

 

藍「あによ?」

 

ア「残念ながら、今回、私達には誰にも出来ませんでしたね、エンゼルリング」

 

藍「私達は奇跡的な出会いじゃ無かったってこと? そりゃあ奇跡なんて、何度も起きやしないんだから、仕方がないんじゃない?」

 

灯「それは違うよ」

 

藍「あら、何が違うの?」

 

灯「私達は、奇跡的に出会った訳でも、偶然出会った訳でもない。運命的な出会いだったんだから!」

 

藍「やっぱりきたっ! 恥ずかしいセリフ、禁止っ!」

 

灯「えーっ!?」

 

ア「まさに、必然的なツッコミでしたね……」




と、いう訳で、ちょっぴり疲れたけれど、とっても楽しくて、不思議なお休みは、無事に幕を閉じたのでした。
ちなみに、藍華ちゃん曰く、『私達は、三大妖精が導いたくされ(・・・)縁に違いない』とのことです。
ちなみにアイちゃんは、何か、奇跡的な出会いだって思ったことはありますか?

灯里さん
私はやっぱり、灯里さんとの出会いは、奇跡的な出会いだったんじゃないかなって思うな。
どうして、運命的じゃないのかって思った?
だって、灯里さんとの出会いは、『もしも』がたーっくさん無いと、説明がつかないんだもの!


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その 摩訶不可思議な名前の正体は……(1)

わたし、水無灯里は今、ARIAカンパニーを任されて以来、まるで、出口のない迷路をさまようような、とってもどんよりとした、重苦しい雰囲気の中にいます。
それは先程から、アリア社長と干しいもスティックをもきゅもきゅと食べつつ、海に沈む夕日を観ながらたそがれている、アイちゃんが口にした『あれ』についてのお話なのですが……


愛「灯里さーん! ただいまーっ」

 

灯「おかえり、アイちゃん」

 

社「ぷいにゅーっ」

 

愛「ちょっと、練習頑張り過ぎちゃいました、えへへ……」

 

灯「そう、じゃあお腹が空いたでしょう。お夕飯まではまだ時間があるから、何か軽く食べる?」

 

愛「はい! そうしまーす!」

 

灯「ええっと、今あるのは、干しいもスティックに、芋けんぴ、大学いもに、スイートポテト、芋ようかん、それから……」

 

愛「うわあ、お芋尽くしですね! では、干しいもスティックを戴きまーす!」

 

社「ぷいにゅっ!」

 

愛「アリア社長も食べます?」

 

社「ぷいにゅにゅっ!」

 

愛「うふふ、分かりました。……あ、そうだ」

 

灯「うん?」

 

愛「あの……灯里さん!」

 

灯「はひっ?」

 

愛「おやつを食べる前に、どうしても灯里さんにお聞きしたい事があるんです!」

 

社「にゅにゅっ?」

 

灯「あー……うーんと、あの、何だか大変そうなお話なら、お夕飯でも食べたあとで、ゆっくり聞くとしましょうか?」

 

愛「ダメです!」

 

灯「えーっ?」

 

愛「と、言うことでは無いんですが、どーしても、どぉーしても早く聞いておきたいんです!」

 

灯「そ、そっか。じゃあ、話してくれる?」

 

愛「はい、実は、さっきの合同練習の時に、あずさちゃんから聞いたんですが……」

 

___________________

 

あ「よーし、じゃあちょっと休憩にしましょうか」

 

愛「や、やった~」

 

ド「今日のあずさちゃん、何だか気合が入っているわね」

 

あ「そりゃあそうよ。私達だって、いつまでも半人前(シングル)のままってわけにはいかないんだから」

 

愛「でも、特に今日は特に気合が入ってるって感じがするけど……」

 

あ「まあね。昨日、支店長と話をしたら、私も早く一人前(プリマ)になって、名実共に支店長を支えなきゃ、って思っただけよ。あんた達だって、そうでしょ?」

 

愛「そりゃあ、そうだけど……」

 

ド「それにしても、藍華さんとのお話って、何かあったの?」

 

あ「えへへ……実は昨日ね、支店長室から見習い(ペア)のコが、何だか慌てた様子で出ていったワケ」

 

愛「うわあ、何かトラブルでもあったのかなあ?」

 

あ「ドアもしっかり閉めずに行っちゃったから、相当慌ててたんでしょうね。何かあったのかなって思って、開いたスキマから支店長室をコッソリ覗いてみたんだけど、何だか呪文みたいな言葉をつぶやきながら、机の中からモバイルノートパソコンを取り出したの」

 

ド「それが、どうかしたの?」

 

あ「いや、私も別に、それ自体は『ふうん』って感じで、そこまで気になったワケじゃあ無いのよ? 無いんだけど、ノートパソコンを、こう、しかめっ面して見てたから、支店長があんな顔するの、珍しいなって、やっぱ気になっちゃってさー」

 

愛「結局、気になったんだ……」

 

あ「まあそうなんだけどね。それで、こりゃ何かあったと思って、『失礼しまーす!』って言ってから入ったら……ああ、タイミング的にはドアを開けながらだけど、支店長ビックリして、慌ててノートパソコン閉じて、ご丁寧に指まで挟んじゃってさー」

 

ド「何だか、藍華さんらしくないわね」

 

あ「でしょ? だから、『大丈夫ですか?』って聞いたら、『もう! 突撃禁止!』って言われちゃった」

 

愛「それ、怒られてるんじゃ……」

 

あ「えっ? そう? いつもと変わらない感じだったし、きっと内心は怒ってないから大丈夫よ」

 

愛「そ、そうなんだね」

 

ド「以上、終わり?」

 

あ「いやいや、こっからが本題よ。その時に、『何か、見ちゃまずかったですか?』って聞いたら、『あんたが見るにはまだ早いし、見た所でなーんの意味もないわよ。まあ、あんたが一人前(プリマ)になって、私を補佐できるレベルになれたら、教えてあげなくもないけど』だって」

 

愛「ふうん、あずさちゃん、大変なんだね」

 

あ「はあ? 何ノンキな事を言ってんの? まずは、あんた達が頑張ってくれないと、あたしが一人前(プリマ)になれないじゃないのよう!」

 

愛ド「ええっ!?」

 

あ「だって、考えてもみなさいよ。私達三人は、何のために合同練習してるワケ?」

 

愛「そりゃあもちろん」

 

ド「一人前(プリマ)になるため……よね?」

 

あ「でしょう? つまり、あんた達が一人前(プリマ)になれないっちゅーことはだ、同じ練習をしている私だってなれないってことなのだ!」

 

愛ド「ええっ!?」

 

あ「まあ、私も、支店長から直々に指導を受けているし、二人だって、会社を代表する一人前(プリマ)から指導を受けているんだから。よっ………」

 

愛ド「よ?」

 

あ「……っぽど、期待されてなきゃ、フツーはそんな事にならないのよ? キミ達は、それが分かっているのかな?」

 

ド「確かに、もしアリス先輩のご指導で、一人前(プリマ)になれなければ、アリス先輩も『私は後輩指導も出来ないでっかいダメダメ一人前(プリマ)です』と落ち込まれて、私はシベリア送りです……」

 

あ「そう! そして特に愛野アイ! あんたよ!」

 

愛「私?」

 

あ「あんたがもし、一人前(プリマ)になれなかったら、灯里さんは、ARIAカンパニーはどうなるのよ!」

 

愛「そ、それは……」

 

あ「グランマやアリシアさんから、『あらあら、灯里ちゃんには、一人前(プリマ)を育てるのは、ちょっと難しかったかしら?』とか何とか言われて、傷心の灯里さんは経営権を剥奪され、失意のどん底に叩き落とされて、人知れず寂しく一人前(プリマ)を引退、なんて事になっても、良いワケ?」

 

愛「そ、それは言い過ぎなんじゃ……。でも、私がなれなかったら、別の社員を入れて……ああっ! それじゃあ私が、ARIAカンパニーのお荷物になっちゃう!」

 

あ「そう! だからこそ、皆で頑張って、一人前(プリマ)にならなきゃならんのだ!」

 

ド「そ、それは分かったけど、何だか、話がズレてない?」

 

あ「にゃはは……そうだったかも。とにかく、支店長が見てたのが何だったのかなーってさ、それを知るには、早く一人前(プリマ)にならなきゃダメって話よ」

 

ド「でも、藍華さんは、『一人前(プリマ)になって、補佐ができるようになったら』って言ってるのよね?」

 

あ「そうよ? それが何?」

 

ド「って事は、水先案内のお仕事をひと通りやっている灯里さんなら、それが何なのか知ってるんじゃない?」

 

あ「ああっ!」

 

愛「確かに……」

 

ド「もし気になるなら、こっそり聞いてみたらどうかな?」

 

あ「それアリ! よくぞ気付いたアーニャちゃん!」

 

愛「えっ、でも……」

 

あ「あら、何か?」

 

愛「普段、パソコンを使ってお仕事してる時は、ご予約の受付確認とか、お客様のお礼のメールに返信したりとか、そういう事しかしてないような……」

 

ド「それは、藍華さんと同じで、アイちゃんには見せたくないだけでは……」

 

愛「でも、私が作業中の灯里さんの後ろを通っても、別に画面を隠したりしないよ? 『何してるんですか?』って聞いても、全部丁寧に教えてくれるし……」

 

あ「ふうん、まあ普段灯里さんほとんど一緒にいるあんたがそう言うんじゃ、灯里さんは知らないのかもね」

 

愛「そ、そんなことないよ! きっと知ってるってば」

 

あ「いや、まあホラ、姫屋ってそれなりに歴史もあって、規模も大きい会社だし、そういう会社ならではの、特別な何かがあるのかもしれないしさ」

 

ド「でも、グランマだって、元々姫屋にいたんだから、それを引き継いだアリシアさんから引き継いだ灯里さんが、知らないって事はないんじゃない?」

 

愛「そうだよ。でも、もし灯里さんが知ってても、灯里さんに聞いたことが藍華さんにバレたら、あずさちゃんが怒られるんじゃない?」

 

あ「にゃにゃっ!? た、確かに、それもそうね。まあ、灯里さんが知らなかったら、それこそ支店長に聞かれて、ドツボにはまりそうだし……やっぱりいいわ」

 

ド「確かに、知らなかったらそうなるかもね」

 

愛「そんな訳、ないもん……」

 

あ「えっ?」

 

愛「灯里さんはすっごい優秀で、優しくて、私が一番尊敬してるウンディーネなんだから、知らない訳ないもん!」

 

あ「ああ、いや、勿論灯里さんは優秀だし、私も尊敬はしてるわよ? でもそれとこれとは話が別じゃ……」

 

愛「いや、絶対知ってるもん! そうだ、賭けてもいいよ。もし灯里さんが知らなかったら、私が恥ずかしい格好して、二人を載せて、ネオ・ヴェネチアを一周してあげるよ!」

 

ド「アイちゃん……それは、乗っている私達の方が恥ずかしいような気が……」

 

あ「あ、あはは……な、何だか、ヘンなスイッチ、押しちゃったみたい……」

 

愛「とにかく! 聞いてみるから、期待して待っててよね!」

 

あ「わ、分かったわよ」

 

愛「さあ、休憩終わり! 練習しよっ!」

 

あ「えっ? あ、いや、まだ休み初めてから5分も経って……」

 

愛「ダメです! 早く一人前(プリマ)にならなきゃ! そのためにも練習練習!」

 

あド「ええ~っ」

 

___________________

 

愛「と、言う訳なんです」

 

灯「はへー……。ちょ、ちょっぴり大変そうな約束して来たんだね……」

 

愛「灯里さんなら、知ってて当然ですよね!?」

 

灯「ええっと……そもそも、あずさちゃんは、一体何を知りたかったのかな? 名前とかが何も分からないと、さすがに……」

 

愛「ああっ! そうでした! あずさちゃんから、藍華さんがつぶやいていた『何だか呪文みたいな言葉』っていうのがヒントかもって、教えて貰ったんですけど……」

 

灯「それって、どんな言葉?」

 

愛「はい、それが……『ウンナマコン』って言ってたそうなんです」

 

続く



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その 摩訶不可思議な名前の正体は……(2)

ウンナマコン。それは、ある人物が呪文のようにつぶやいた、ある日の恥ずかしいセリフ。
ウンナマコン。それは、以前どこかで聞いたことがあるような、摩訶不思議な響きの言葉。
ウンナマコン。それは、試しに検索すると、このお話に戻って来れる、不可思議なワード。
ウンナマコン。それは……………。



灯「ウンナマコン……」

 

社「にゅにゅ?」

 

愛「はい。あずさちゃんも調べたらしいですけど、分からなかったらしいので。どうでしょう?」

 

灯「ウンナマコン、それは……」

 

愛「ああ! 灯里さん! 分かりましたか!?」

 

灯「えっ? ええっと……その……」

 

愛「やっぱり! 灯里さんは分かるんですね!?」

 

灯「あの……ごめんなさい」

 

愛「えっ?」

 

灯「わ、わたしには……」

 

愛「ええっ!? もしかして……」

 

灯「…………」

 

愛「そ、そんな……ああ……」

 

灯「あの、何て言ったらいいんだろう、その、ごめんなさいとしか……」

 

愛「やっぱり、そうですよね。流石に灯里さんでも、分からないことぐらいありますよね」

 

灯「アイちゃん……」

 

愛「何だか、変な期待をしてしまって、すみませんでした」

 

灯「あの、アイちゃん、あのね」

 

愛「干しいもスティック、戴きます。アリア社長、お外で食べましょう……」

 

社「ぷいにゅー」

 

灯「はわわ……アイちゃん……やっぱり、そのお話はお夕飯の後に……」

 

愛「いいです」

 

灯「えーっ?」

 

____________________

 

もきゅもきゅ……もきゅもきゅ……

 

愛「あーあ、何であんな約束しちゃったんだろう……」

 

社「ぷいにゅ?」

 

愛「アリア社長ぉー」

 

社「ぷい?」

 

愛「恥ずかしい格好って、一体どんな格好すればいいんでしょうか……」

 

社「……(もきゅもきゅ)……」

 

愛「あはは……すみません。恥ずかしいって言われても、人によって、色んな恥ずかしさがありますもんね。はーあ……」

 

社「……(もきゅもきゅ)……」

 

灯「(アリア社長ー)」

 

社「ぷい?」

 

灯「(ちょっとこちらへ)」

 

社「ぷいっ!」

 

灯「(だ、大丈夫ですよ、アリア社長の干しいもスティックが欲しいわけではありませーん)」

 

社「ぷい?」

 

トテトテ……

 

 

灯「すみません、アリア社長。こんなこと、アリア社長ぐらいにしか相談出来なくて……」

 

社「ぷいぷい?」

 

灯「いえ、ですから、今日のお夕飯の献立ではありません。アイちゃんのことです」

 

社「ぷいにゅにゅっ!?」

 

灯「いや、ですから、アイちゃんの干しいもスティックをどうするという事ではなくてですね……」

 

社「ぷいにゅ?」

 

灯「はい、実は昨日、藍華ちゃんから緊急招集がかかりまして、アリスちゃんと姫屋の支店に行ったのですが……」

 

_____________________

 

灯ア「ウンナマコン?」

 

藍「そう、ウンナマコン」

 

ア「はて、ナマコの仲間か何かでしょうか?」

 

灯「多分、キツネさんの仲間じゃないかな?」

 

藍「ハァ……。ったくう。あんた達は、どーしてこの場所、この状況でそう話になるのかしら」

 

ア「では、生コンクリートを運搬するとか……」

 

灯「ああ、姫屋って、観光案内以外にも、そんなお仕事をしてるんだね。さすがは藍華ちゃ……」

 

藍「……」

 

灯「はひっ!?」

 

ア「お、鬼の形相ですね……」

 

藍「あら、ようやくお察し戴けたかしらね? ほら、これよ、コ・レ」

 

ア「おおっ! これは……なんというウネウネ感」

 

灯「本当だ、みんなかわいいね」

 

ア「かわいいですかね? それで、これは何なのですか?」

 

藍「ふふん。流石に後輩ちゃんは見たこと無かったみたいね。灯里は?」

 

灯「ウンナマコンって言うから、何のことかと思ったら、これの事か~」

 

藍「うんうん。まあ灯里先生は知ってて当然かしらね」

 

灯「そんな、灯里先生だなんて、何だかこそばゆい感じがしちゃうよ。でも、わたしも、アリシアさんから聞いてはいるけど、実際のものを見るのは、これがはじめてなんだよねえ」

 

藍「まあ、ARIAカンパニーなら、こーゆーのは見る必要ないわよね。ま、私も普段も見ないわよ。ほーんと、後輩ちゃんみたいな、困ったちゃんがいた時ぐらいよ」

 

ア「むむむ、私が困ったちゃんとはどういうことでしょうか?」

 

藍「ああ、そうだったわ、困ったちゃんじゃなくて、おこちゃまだったわね」

 

ア「そうですか。私がおこちゃまなら、藍華先輩はさしずめオールドミス、という所ですね」

 

藍「ぬなっ!?」

 

灯「はわわ……何だか険悪な雰囲気が……」

 

ア「で、これが何なのですか? 私もこの後、お客様のご案内がありますので、ご要件があるならお早めにどうぞ」

 

灯「う、うん。私も緊急だって言われて来たから、まだお仕事終わってないし……」

 

藍「あ、ああ、そうだったわね。無駄話してる場合じゃあ無かったわ。みんな、ちょっと近くに寄って」

 

ア灯「……」

 

藍「……」

 

ア灯「……」

 

藍「……あのさあ」

 

ア灯「はい」

 

藍「……寄り過ぎ」

 

ア灯「えっ?」

 

藍「こんなに近付いてどーすんのよ! 距離感とか分かるでしょうが! 恥ずかしい勘違い、禁止!」

 

ア灯「えーっ?」

 

_________________

 

藍「……と、言うワケなのよ」

 

ア「な、なるほど」

 

灯「そんな事態になってたんだね……」

 

藍「そう! だから、あんた達には悪いけど、あのコ達が変な気を起こさないように、まだこのウンナマコンの事は、秘密にしておいて欲しいワケ」

 

ア「はい」

 

灯「うん、分かった」

 

藍「特に……灯里っ!」

 

灯「はひっ!?」

 

藍「あんたんトコのチンチクリンは特に要注意人物なんだから!」

 

灯「えーっ? アイちゃんが? そうかなあ?」

 

藍「はあ!? 灯里はさー、あのチンチクリンが、何て呼ばれてるか、知ってるの?」

 

灯「えっ?」

 

藍「……後輩ちゃん、教えて差し上げて?」

 

ア「はい、『元ゴンドラタダ乗り犯』『素敵パワーの暴走機関車』『超常不思議少女(ミラクルワンダーガール)の弟子の方』他にも……」

 

灯「そ、そんな風に呼ばれてたんだね……」

 

藍「と、いう事で、あのチンチクリン他二名が、まーた何か企てるかもしれないから、今話したコトはもちろん、このウンナマコンの事も、ゼッ……」

 

ア灯「ぜ?」

 

藍「……タイに、話すの禁止よ、禁止」

 

灯「で、でも、もし聞かれたら……」

 

藍「禁止ったら禁止! もしもの時は、はぐらかせばいいでしょ? どうしてもって言う場合は、私に直接聞くようにすればいじゃない」

 

灯「……う、うん」

 

藍「後輩ちゃんも、いいわね?」

 

ア「はい。言いたくなったら、藍華先輩にまるっと丸投げすれば良いのですね?」

 

藍「いや、丸投げってゆーとさ、何だか……」

 

ア「ああっ、すみません。お任せ、でしたね」

 

藍「そうよ、それそれ」

 

灯「あはは……」

 

____________________

 

灯「……と、言う訳で、ウンナマコンについては、藍華ちゃんに口止めされてしまっているんです」

 

社「ぷいにゅー」

 

灯「でも、アイちゃんが、あんな約束をしてきてしまうなんて、全くの予想外だったんです」

 

社「ぷいぷぷいー」

 

灯「もし、アイちゃんが恥ずかしい格好をしたら……」

 

…………………………………………………

 

トテトテトテトテ

 

愛「灯里さーん……」

 

灯「うん? はひっ!? ……アイちゃん、その格好は?」

 

愛「恥ずかしい格好してみたんですけれど、ど、どうでしょう?」

 

灯「うん、とっても似合……ああっと、うん、なんて言えばいいのかな、にゃんにゃんぷうの格好……だけど、そんなにお腹が出てたっけ? それじゃあまるで……」

 

愛「はい、これは、にゃんにゃんぷうそのものではなくてですね、にゃんにゃんぷうの格好をしたアリア社長の格好なんです。これで、にゃんにゃんぷう体操しながらネオ・ヴェネチアを一周しようと思って……。ダメでしょうか?」

 

灯「にゃ、にゃんにゃんぷう体操って、あっ、そうか。そういえば、アイちゃんはレデントーレで踊った事があったんだよね……」

 

愛「はい。やっぱり覚えていてくれたんですね。あの時は知っている人達ばかりでしたから、別に恥ずかしくは無かったんですけどね。ただ、ウンディーネになった今、私に思いつくのは、これぐらいしか……」

 

灯「でも、それだとやっぱり、マスクしてるから、本人はそれほど恥ずかしくは無いんじゃ……」

 

愛「そうですか? この制服の色で、絶対ARIAカンパニーのウンディーネだって分かりますよ?」

 

灯「せ、制服着てやるの? それはちょっぴりやめたほうが……」

 

愛「ダメです!」

 

灯「えーっ?」

 

愛「アリア社長なんですから、やっぱりARIAカンパニーの制服を着た状態じゃないと、意味がありませんから!」

 

灯「は、はわわ…」

 

…………………………………………………

 

灯「はわわ、はわ……」

 

社「ぷい?」

 

灯「あっ、いえっ、決してアリア社長が恥ずかしいという訳では……」

 

社「ぷいにゅ?」

 

灯「はわわっ!? 違うんですよ、本当に、す、すみませ〜ん!」

 

社「ぷい?」

 

灯「と、とにかくですね、何とかしないと、アイちゃんが恥ずかしい格好でゴンドラを漕がなければならなくなってしまうんです。だけど、わたしがアイちゃんに、ウンナマコンの事を教えるという訳にも行かず……」

 

社「ぷいぷい〜」

 

灯「わたし、一体どうすればいいんでしょうか?」

 

社「……ぷいっ!?」

 

灯「あっ、何か思いついたんですか?」

 

社「ぷいにゅ、ぷいにゅにゅ!」

 

灯「ああ、いや。確かに、アイちゃんが干しいもスティックの格好をしたら恥ずかしいですし、制服も隠れますけど……」

 

社「ぷいにゅっ!? ぷいぷい!」

 

灯「え? 干しいもスティックは関係ないんですか? 干しいもスティックの先っちょが指している、その先をみれば良いと……えっ? もしかして……」

 

社「ぷいっ!」

 

灯「アリシアさん!?」

 

続く



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その 摩訶不可思議な名前の正体は……(3)

アリシアさん。それは、とっても素敵で、私にとって、今でも尊敬と憧れの存在のひと。
アリシアさん。それは、検索すると、とっても素敵な笑顔が見れる、今でも有名なひと。
アリシアさん。それは、今でも語り継がれる、みんなが大好きで、とっても素敵なひと。
アリシアさん。それは…………


フ「あらあら、灯里ちゃん」

 

灯「アリシアさん、お久しぶりです~」

 

フ「どうしたの?」

 

灯「あの……わたし……」

 

フ「ん?」

 

灯「わたし、もっとアイちゃんの役に立ちたいんです!」

 

フ「灯里ちゃん……」

 

灯「でも、今の私には、アイちゃんのお役に立てる事が限られていて」

 

フ「あらあら、今でも、アイちゃんにとって、十分頼りになっていると思うわよ?」

 

灯「もっとです~。例えば、ウンナマコンの事とかも教えてあげたいのですが……」

 

フ「ウンナマコン?」

 

灯「はい、アリシアさんから引き継いだ、例のアレの事です」

 

フ「ああ、アレね。それがどうかしたの?」

 

灯「その、実は……」

 

愛「アリア社長〜、もう干しいもスティックは……ああっ!?」

 

灯「はひっ!?」

 

フ「あらあら、アイちゃん。こんにちは」

 

愛「アリシアさんっ! こっ、こここっ、こんにちは! んもう、灯里さん、アリシアさんと連絡してるなら、教えて下さいよう!」

 

灯「いや、あの、アイちゃんね、これには訳があって……」

 

愛「訳ありはお買い得商品だけで十分です! ……って、そうだ! アリシアさん聞いてください!」

 

灯「はわわ……はわ」

 

フ「あらあら、何かあったの? アイちゃん」

 

愛「それが、藍華さんが、お仕事でウンナマコンって言うのを見ていたらしいんですけど、私達には何だかさっぱり分からなくて……」

 

フ「そう。それで、灯里ちゃんには聞いたの?」

 

愛「はい……でもさっき、灯里さんも、知らないという事が分かりまして」

 

フ「あら? でも灯里ちゃん、さっき私に、ウンナマコンの事で相談をしていなかった?」

 

灯「はひっ!?」

 

愛「ええっと……灯里さん、それはどういう……」

 

灯「あ、あの……アイちゃん、それはね」

 

フ「ねえ、灯里ちゃん」

 

灯「は、はひっ!」

 

フ「こんな事を、私が言うのはどうかと思うけれど、やっぱり、お仕事に関する事で、後輩から聞かれた事には、きちんと答えてあげた方がいいんじゃないかなって思うわ」

 

灯「その、それには訳が……」

 

フ「あらあら、じゃあ、何か教えられない事情があったのかしら?」

 

灯「そ、それはその、藍華ちゃ…あっ!」

 

愛「ああっ!? もしかして、藍華さんに口止めされてたんですか?」

 

灯「ええっと……それは……」

 

フ「そうだったの。灯里ちゃんが、お仕事のことで、アイちゃんに教えてあげないなんて、おかしいと思ったのだけれど」

 

灯「は、はひ……」

 

愛「あの……灯里さんは……どっちが好きなんですか?」

 

灯「な、何のこと?」

 

愛「私と、藍華さんの事が……です」

 

灯「えっ? どっちが好きっていうか……どっちも大事なんだけど……」

 

愛「そうですか、じゃあ、もし私と藍華さんが同時に助けを求めていて、どっちかしか助けられないとしたら、灯里さんはどっちを助けるんですか?」

 

灯「ええっ? そんな……」

 

フ「あらあら、何だか話が別の方向に向いて来たわね」

 

灯「いや、なんて言えば良いんでしょうか?」

 

フ「もちろん、自分の気持ちに正直に……ね?」

 

灯「そんなの、選べませ〜ん」

 

愛「そうですよね。灯里さんにとっては、必ずしも私は一番じゃないんですね……(グスッ)……わ、私、もう少し干しいもスティック、食べて来ますんで」

 

灯「あっ! でも、そんなに食べたらアリア社長の分が……じゃなくてアイちゃん! ……行っちゃった」

 

フ「あらあら、灯里ちゃんには、一人前(プリマ)になれる力は十分にあったけれど、一人前(プリマ)を育てるのは、ちょっと難しかったかしら?」

 

灯「ええっ!? そんな……ことは……」

 

フ「ううん、大丈夫よ、灯里ちゃん。グランマともお話して、もしもの時には、藍華ちゃんやアリスちゃんにARIAカンパニーの経営のお手伝いをしてもらおうっていう話になっていたから……」

 

灯「えーっ!?」

 

___________________

 

社「ぷいぷい?」

 

灯「はひっ!? ……あっ、アリア社長、すみません。何だかちょっぴり怖いというか、変な想像をしてしまいまして……」

 

社「ぷい?」

 

灯「あの、やっぱりですね。こういう事は、アリシアさんに相談するのではなくて、わたしの方からきちんとアイちゃんにお話を……」

 

ジリリリリーン

 

灯「はひっ!?」

 

ジリリリリーン

 

灯「で、電話……ゴンドラ協会から?」

 

ジリリリリーン

 

灯「……(ゴクリ)……」

 

ガチャッ

 

灯「はい、ARIAカンパニーです」

 

フ「ああ、灯里ちゃん?」

 

灯「アリシアさん!」

 

社「ぷいぷ〜い!」

 

フ「うふふ、アリア社長は、相変わらずお元気そうですね」

 

灯「はい。あの、それで今日はどういう……」

 

フ「ええ、それが、何だか呼ばれたような気がしたの」

 

灯「ええっ?」

 

フ「うふふ、冗談よ」

 

灯「そ、そうなんですか……」

 

フ「本当は、アイちゃんに、ちょっとお話があって」

 

灯「アイちゃん……ですか?」

 

フ「もう、戻っているかしら?」

 

灯「ええっと、その……実は……」

 

愛「アリア社長〜、もう干しいもスティックは……ああっ!?」

 

灯「はひっ!?」

 

フ「あらあら、アイちゃん。こんにちは」

 

愛「アリシアさんっ! こっ、こここっ、こんにちは! んもう、灯里さん、アリシアさんと連絡してるなら、教えて下さいよう!」

 

灯「いや、あの、アイちゃんね、これには訳があって……」

 

愛「訳ありはお買い得商品だけで十分です! ……って、そうだ! アリシアさん聞いてください!」

 

灯「はわわ……はわ」

 

フ「あらあら、何かあったの? アイちゃん」

 

愛「それが、藍華さんが、お仕事で『ウンナマコン』って言うのを見ていたらしいんですけど、私達には何だかさっぱり分からなくて……」

 

フ「ウンナマコン?」

 

灯「はひっ!?」

 

フ「ああ、それは、もしかして『Undine's navigation management and control system』、つまり、ウンディーネさんの安全な航行を管理・管制するシステムの略称じゃないかしら?」

 

灯「……はへっ?」

 

愛「ええっと、ウンディーネのウンに、ナビゲーションのナ……って、そうか、そういう意味なんですね!」

 

フ「藍華ちゃんが、お仕事中に使っていたというなら、きっとそうね」

 

愛「うわあ、なあんだ、そうなんだー……あれ?」

 

灯「はひっ……」

 

フ「あらあら、どうしたの?」

 

愛「さっき、灯里さんにも聞いてみたんですけど、知らなかったみたいなんです。ARIAカンパニーには、そういうシステムは無いんでしょうか?」

 

灯「は、はわわ……」

 

フ「うーん……ねえアイちゃん」

 

愛「はい」

 

フ「灯里ちゃんは、そのシステムの事を『知らない』って言ったのかしら?」

 

愛「えっ? ああ、いや、確か『ごめんなさい』って言っていたような……」

 

フ「ああ、なるほど、そういう事ね」

 

愛「どういう事ですか?」

 

フ「実は、そのシステムは、ウンディーネさんの安全に関するものだから、ウンディーネさんだと、少なくとも一人前(プリマ)でない人は、見てはいけない決まりになっているの」

 

愛「えっ? そうなんですか?」

 

フ「そうよ。もし興味本位で見てしまったら、とっても恐ろしいお仕置きが待っているのよ?」

 

愛「ふえっ!? ち、ちなみにそれはどんな……」

 

フ「うふふ、それはヒミツです」

 

愛「そ、そうですか……」

 

フ「だから灯里ちゃんも、わかったとは思うけど、万が一の事を考えて、教えなかったんじゃないかしら?」

 

灯「そ、そう……みたいです」

 

愛「ああ、灯里さん……。何だか気を使わせてしまってすみません。私……」

 

灯「ううん、気にしないでいいからね……」

 

愛「あっ、そうだ。ARIAカンパニーにも、ウンナマコンはあるんですか?」

 

フ「勿論よ。ただ、基本的には、ウンディーネさんが10人以上いるような会社でしか必要無いの。だから、ARIAカンパニーでは、実際に使われた事はないわね」

 

愛灯「へえ、そうなんですね」

 

愛「えっ?」

 

灯「あっ、その……」

 

フ「あらあら、それだけ、今ARIAカンパニーにいる二人のウンディーネさんが、とっても優秀で、先輩達から信頼されているって言うことよ」

 

愛灯「そ、そんなあ……」

 

フ「うふふ」

 

灯「でも、アリシアさんは何でウンナマコンが何かが、すぐに分かったんですか?」

 

フ「うふふ、それはね……」

 

?「私が教えたからよ」

 

灯「そっ、その声は……藍華ちゃん!?」

 

藍「ええ、ご機嫌よう」

 

灯「何だか、嬉しそうだね」

 

藍「だって〜、理由はともあれ、アリシアさんと会ってるんですもん!」

 

灯「そ、そうなんだ」

 

フ「あらあら」

 

愛「あれ? 藍華さんの後ろにいるのは、あずさちゃん!?」

 

あ「にゃはは……はろー」

 

灯「どうして、二人でアリシアさんの所にいるの?」

 

フ「それは、後でお話するけれど、その前に、アイちゃんは昨日の午後は、何をしていたかしら?」

 

愛「ええっと、あずさちゃんのゴンドラで、アーニャちゃんと三人で、合同練習をしてましたけど……」

 

フ「その時、何か変わった事は無かったかしら?」

 

愛「変わった事ですか? ああ、そう言えば、橋をくぐろうとした時に、近くで何かがぶつかるような音と、悲鳴みたいな声が聞こえたんです」

 

フ「それで、どうしたのかしら?」

 

愛「はい。何があったのかと思って行ってみたんですけど、そこには誰もいなくて……。何なのかは気になったんですけど、わからないので、その後はまた、三人で合同練習をしていました」

 

あ「そう! その通り!」

 

藍「にゃーるほどね。あんたの言ってた事は、一応正しかったワケだ」

 

あ「ですから、最初からそう言ってるんですけどね……」

 

愛「ええっと、どういう事なんですか?」

 

フ「実は、協会に、何かが橋にぶつかって、女性の悲鳴が聞こえたって言う連絡があったの」

 

愛「えっ? ゴンドラ協会にですか?」

 

フ「そう。そして、その時近くに、姫屋の制服を着たウンディーネさんがいたって言うお話もあって、ちょうどその時間帯にいたのが、あずさちゃん達だった、というわけなの」

 

藍「あの時はビックリしたわー。うちのゴンドラをぶつけたんじゃないかって、支店でもちょっとした騒ぎになったのよ」

 

あ「嫌ですよ支店長。私がそんなミスするわけ無いじゃないですか~」

 

藍「そりゃあ、私が手とり足とり教えてるんだから当然よ。でも、もらい事故や、面倒な事に巻き込まれる可能性だってあるんだしぃ……ねえ?」

 

愛「な、なんでしょう……」

 

藍「あら、ちょっと、見ているだけよ」

 

愛「は、はぁ……」

 

藍「で、アリシアさんから話を聞いて、ウンナマコンで、この子のゴンドラの航行履歴を見ようとしたら、丁度この子が入って来たのよ。だから、怪しいと思って、念の為、灯里と後輩ちゃんを呼んだワケ」

 

愛「ふえっ? じゃあ灯里さんが昨日、行き先も言わずに出かけられたのは……」

 

灯「だって、藍華ちゃんが内緒だって言うんだもん」

 

藍「あら、内緒なのはお話だけよ、勝手な解釈禁止!」

 

灯「えーっ?」

 

フ「あらあら」

 

藍「まーとにかく、この子のゴンドラも傷ついてなかったし、関係も無かったみたいだから、良かったんだけれどさ」

 

灯「でもアリシアさん、そのぶつかった音と悲鳴の原因は、分かったんでしょうか?」

 

フ「ううん。ただ、あずさちゃんじゃない、という事はきちんと報告しないといけないから、こうして藍華ちゃん達に来て貰ったの」

 

藍「いえいえ! こういう呼び出しならどんどん呼んで下さいね!」

 

灯「藍華ちゃん……」

 

あ「まあ、みんな無事で良かった、という事で!」

 

フ「うふふ、そうね。それじゃあ灯里ちゃん、アイちゃんも頑張ってね!」

 

灯愛「はい!」

 

フ「アリア社長も……あらあら、どこかに行ってしまったみたいね」

 

愛「あっ! 干しいもスティックが無くなってます! アリア社長ーっ!」

 

フ「あらあら。それじゃあ、よろしく言っておいてね?」

 

灯「はい! ありがとうございました」

 

 

 

灯「はひー……」

 

愛「でも、良かったー……あっ」

 

灯「どうしたの?」

 

愛「あはは……。何だか、色々ホッとしたら、とってもお腹が空いちゃいました」

 

灯「わたしも。じゃあ急いでお夕飯の準備をしますか」

 

愛「ダメです!」

 

灯「えーっ?」

 

愛「その前に、ひとつ灯里さんに質問があるんです」

 

灯「な、何かな?」

 

愛「あの……灯里さんは……どっちが好きなんですか?」

 

灯「はひっ!?」

 

愛「……」

 

灯「そっ……それはもちろん、アイちゃんだよっ!」

 

愛「……はい?」

 

灯「今のわたしにとっては、藍華ちゃんよりも、アイちゃんが大好きで、とっても大切な人だからっ!」

 

愛「ふ、ふええーっ!?」

 

灯「……ほへっ?」

 

愛「あの、灯里さん……」

 

灯「な、なんか違ったのかな」

 

愛「は……恥ずかしいセリフ、禁止ですーっ!」

 

灯「えーっ!?」




灯「と、言うことで、一応は解決したみたいなんだけど……ほへっ?」

ア「プッ、クククッ……」

灯「そんな、笑えるお話では……」

ア「すみません灯里先輩。でも、どちらが好きかと言うのが、まさか芋けんぴと干しいもスティックの事だとは……」

灯「うん。でも、本当に、何がどうなっていたんだろう?」

ア「そうですね、そんな派手にぶつかるなんて……」

?「(へくちっ)」

ア「(アテナ先輩、お風邪ですか?)」

グ「(ううん、誰かが私のウワサを……うわあっ!)」

バタン!

灯「えっ? アテナさん、大丈夫ですか?」

ア「大丈夫ですよ。ま、今はおでこにタンコブが出来てまして、ちょっとバランスが悪そうではありますが……(アテナ先輩、灯里先輩も心配されていますよ?)」

グ「(うーん、大丈夫)」

ア「すみません、大丈夫だそうです」

灯「うん、でも、何でタンコブ?」

ア「はい。先程のお話にもありましたが、その事件現場の近くに新しく出来た芋けんぴのお店に、アテナ先輩も買いに行かれたそうなのです」

灯「うん、うちもアイちゃんが、訳ありお買い得商品やつを買ってきてくれたんだけど、あれ、美味しいよねぇ〜」

ア「はい。ただその時、急いでいたあまり、橋におでこをゴッチンと、派手にぶつけてしまったとかで……」

灯「そうなんだ……あれ? それって……」

ア灯「ああっ!?」


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その 双璧の間を駆け走る者は……

アイちゃん
今日はまた、カフェフロリアンで、一人前(プリマ)合同会議が開催されたんです。
久しぶりに、雨が降ったので、また室内での開催となったのですが……。
さっきから藍華ちゃんとアリスちゃん二人による熱い議論が続いています。
こういうのを闊達な議論と言うのか、言い争いと言うのかは分かりませんが、何だか不穏な感じがするのですが……。



藍「ダメよ、ダーメ。それはいくら後輩ちゃんの意見だとしても譲れないわ!」

 

ア「いいえ、いくら藍華先輩といえども、そこは私も譲れません!」

 

藍ア「むむむむむ……」

 

灯「はわわ……ふ、ふたりとも落ち着いて」

 

藍「あら、私は落ち着いてるわよ? たかだかこーんな事ぐらいで、異常なくらいエキサイトしてるのは後輩ちゃんの方じゃないのよう!」

 

ア「何を仰るのかと思えば、聞いて呆れるとはこの事です。先程から人の意見をろくに聞かず、我を失う程ヒステリックになっているのは藍華先輩の方ではないですか!」

 

藍「なんですって!?」

 

ア「ほうら、言い返せないではないですか。それが何よりの証拠ですね」

 

藍「ぐっ! あ、あーら、後輩ちゃんだって、エキサイトしてる事は認めるワケよね? だからヒステリックに聞こえるだけじゃないのぉ?」

 

ア「なっ! 何でそうなるのですか!? 私はですね、努めて建設的な意見しか述べていませんよ!」

 

藍ア「むむむむむむ……」

 

灯「はわわ、これは、まるで竜虎相搏(りゅうこそうはく)のような……」

 

______________________

 

蒼天を斬り裂くが如く号哭(ごうこく)する、(くれない)の竜……

 

 

藍「うりゅりゅりゅりゅりゅりゅりゅっ!」

 

 

大地を揺るがすが如く咆哮(ほうこう)する、(だいだい)の虎……

 

 

ア「にゃーっ!」

 

______________________

 

灯「は、はわ、はわわわ……。もう争わないで~」

 

ア「いいえ、灯里先輩。争い事はでっかい嫌いですが、今回の議題に関しては、自分の意見にでっかい確信を持っている、というだけです!」

 

藍「はあ? 先輩の言うことが聞けないって言うワケ?」

 

ア「そんな事、言っていないではないですか。単に、私の意見を頭ごなしに否定するのはおかしいと言っているまでです」

 

藍「そんな頭ごなしに否定なんかしてないでしょ? 灯里もそう思うわよね?」

 

灯「わたし? ええっと、何て言ったらいいのかな……その……」

 

藍「ほうら、後輩ちゃん。灯里は後輩ちゃんの意見なんて、どーでもいいってよ」

 

灯「えっ? そ、そんなことは……」

 

ア「そうです! 灯里先輩は、そんなことは言ってませんよ。藍華先輩のワガママさ加減に、呆れているだけです!」

 

灯「えっーっ? 何でそうなるのーっ?

 

藍「ほら、違うじゃないのよ! テキトーな事を言うの、禁止!」

 

ア「いやいや、そうですよね!? 灯里先輩!」

 

藍「灯里、どっちなのよ!?」

 

灯「あの……ええっと……わ、わたしは……その……」

 

?「(マドモアゼル、マドモアゼル)」

 

灯「えっ? 店長さん?」

 

店「(ちょっとこちらへ)」

 

灯「あ、あの……ごめん、ちょっと外すね」

 

藍「あによ、お手洗い?」

 

灯「す、すぐ戻るから、ふたりでお話しててくださーい!はひはひ…… 」

 

 

 

店「……いやあ、議論が白熱中のところ、お呼びだししてしまいまして、申し訳ないですなあ」

 

灯「いえ、あの場を離れる、きっかけを与えてくださったんですよね? ありがとうございます」

 

店「いやいや。ただ、少々お困りのようでしたから、つい余計なお世話を焼いてしまいました。どうぞお許しを」

 

灯「すみません、ご心配をお掛けして……はひ…」

 

店「おや? どこか、雨漏りですかなあ?」

 

灯「そ、そんな訳はないですよ。でもわたし、こういう時にどうしたら良いか……」

 

店「では、私からニ点程、ご提案があるのですが」

 

灯「はひ、何でしょう?」

 

店「まず一点目は、コッパ・カフェ・フロリアンを二つ、ご注文されては如何ですかな?」

 

灯「ほへ?」

 

店「あのお嬢様方は、アイスをふんだんに使ったパフェでも食べて、少し頭と身体を、冷やされた方がよろしいかと……」

 

灯「あ、あはは……。素敵なご提案ですね。では、早速注文をお願いします」

 

店「ありがとうございます。では二点目、貴女は普段、ご案内中のお客様が、急に喧嘩を始めたとしたら、どうされるのですか?」

 

灯「はひ。そういう時は、注意深く、お客様のお話に耳を傾けて、自分に何かできる事はないかを、一生懸命考えます」

 

店「つまり、お仕事では……お客様に寄り添い、思いやり、幸せな気分になって欲しいと願っているのでは?」

 

灯「はひ」

 

店「では、あのお嬢様方にも、同じようにされては如何ですかな?」

 

灯「えっ? でも、今のあの二人に、わたしの願いは届くのでしょうか?」

 

店「おやおや? 気心知れたお二人にすら、届かない願いなら、それは、お客様にも届かないのでは?」

 

灯「あっ!? いえっ、そんなことはないと……」

 

店「言えますかな?」

 

灯「言えます!」

 

店「いやはや、それならもう大丈夫でしょう。何の議論かは存じませんが、素敵な結論が導かれる事を、心から願っております」

 

灯「はひ!」

 

店「では早速、コッパ・カフェ・フロリアンを……」

 

灯「あの、店長さん!」

 

店「はい?」

 

灯「わたしの分と合わせて、三つにしてください」

 

店「はっはっはっ。それでは、すぐにお持ちしましょう」

 

 

スウー、ハー……

 

ペチッ!

 

灯「水無灯里……行きますっ!」

 

 

 

灯「ごめんなさーい、戻りましたー」

 

藍「あら、随分時間がかかった…って、灯里?」

 

灯「なあに? 藍華ちゃん」

 

藍「何だかさっきと雰囲気が……」

 

灯「ほへ? 何の事?」

 

藍「うーん? いやま、気のせい、かしらね?」

 

灯「ごめん、調べたい事があるから、もう少し二人でお話して貰っても、いいかな?」

 

藍「いやいや灯里さん。その前に、さっきの話の答えを……」

 

灯「いいかな?」

 

藍「えっ? あの、まあ、どうぞ」

 

灯「アリスちゃんも、いい?」

 

ア「えっ!? はっ、はい、どうぞ……」

 

灯「うん、ありがとー」

 

 

ア「(急にパソコンを取り出して、何があったのでしょうか?)」

 

藍「(ま、まあ、灯里の突拍子もない行動は今に始まった事じゃないし、放っておきましょ?)」

 

ア「(は、はあ……)」

 

藍「とにかく! 今回においては、後輩ちゃんの意見を通す訳にはいかないわ!」

 

ア「ふふふっ。甘いですね、藍華先輩。私のこの意見については、なんと、アルさんにもご賛同を戴いているのです」

 

藍「な、ななな、何ですって!? あんた、そんなのいつ話をしたのよ?」

 

ア「ええ、この前、偶然にもアルさんとばったりとお会いした時に、少しお話を」

 

藍「はあっ? 会ったの!?」

 

ア「はい。アルさん、私に『とっても魅力的だ』と仰って下さいました」

 

藍「ええっ!?」

 

______________________

 

アル君と、後輩ちゃんが、公園のベンチで……

 

ア「貴重な外出時間中なのに、でっかいすみません」

 

ピ「いいんですよ、それより、お話って?」

 

ア「はい、実は……」

 

グイッ

 

ピ「うわっ! ちょ、ちょっと……顔と、顔の距離が、近すぎじゃないですか?」

 

ア「裸眼で、ありのままの私を見て戴きたくて……。でも、私なんて、藍華先輩のように魅力的じゃ無いですし、近くで見ても辛いだけですか?」

 

ピ「いっ、いえっ、アリスさんも、とっても魅力的ですよ? ただ、近すぎて、目がチカチカする、なんちゃってー」

 

ア「ふふふっ……。おや? お顔が赤いですよ? そうだ、せっかくですから、もっと人気のない所で、少し、お休みしませんか?」

_____________________

 

藍「イヤッ! ダメぇっ!」

 

ア「あの、何を想像されているのですか?」

 

藍「あ、あんたっ! ア、ア、アル君を、たぶらかしたんじゃないわよね!?」

 

ア「たぶらかす? ああ、もしや ……」

 

藍「そのニヤつき! 絶対怪しいわ! 事と次第によっちゃ、ゆ、許さないんだからね!?」

 

ア「はい、実は……」

 

藍「実は?」

 

……ゴクリ

 

ア「立ち話をしただけですよ。何でも、ある女性との待ちあわせで急がれていたそうで」

 

藍「……へっ? あっ、そうな……ん? ちょっと待って。女性と待ちあわせ?」

 

ア「はい。『チコっと遅刻しそうだ、なんちゃってー』とかで、でっかい急がれていたようでしたが……」

 

藍「だっ、誰なのよ!」

 

ア「はて、誰かとは?」

 

藍「その女性よ!」

 

ア「それは……」

 

藍「し、知ってるのね! な、なら言いなさいよ!」

 

ア「はあ。何でも、以前遅刻した時は、『金輪際、遅刻禁止!』とでっかい叱られたそうで。思い出されたのか、あの時のアルさんのお顔は、まるで腹を空かせた肉食獣に怯える小動物のようでした」

 

藍「あ、あの……それって、まさか私の事じゃあないわよね」

 

ア「さあ。誰なのかは、アルさんに聞かれたら如何ですか?」

 

藍「ぐっ……。で、でもさあ、や、やっぱり、三人の議題なのに第三者を巻き込むのは良くないわよ。灯里もそう思うでしょ?」

 

灯「うーん、そうだねえ」

 

ア「ええっ?」

 

藍「ほうらみなさい!」

 

ア「しかし、こういう議論においては、やはり第三者の意見も大切では?」

 

灯「うーん、そうだねえ」

 

藍「ぬなっ!?」

 

ア「ほうら、やっぱり灯里先輩は、アルさんの意見も大事だと仰っているではありませんか」

 

藍「えっ? あ、あの、いや、わ、私は別に、アル君のことだからって訳じゃないのよ? でもでも、あくまで三人の話なんだから、それを考えると……ね? 灯里」

 

灯「うーん、そうだねえ」

 

藍ア「……」

 

ア「あの、灯里先輩。先程から『うーん、そーだねえ』としか言ってなくないですか?」

 

灯「うーん、そうだねえ」

 

藍「整備の為のゴンドラを運んでくれるシルフの会社は、海猫?」

 

灯「うーんそう、だねえ」

 

藍「あはーん……ダメだコリャ」

 

ア「(藍華先輩)」

 

藍「(あによ?)」

 

ア「(何があったんでしょうか?)」

 

藍「(私が聞きたいわよ! まさか、灯里の飲み物に、変な薬盛ったんじゃないでしょうね?)」

 

ア「(そんな事を企むのは藍華先輩位ですよ)」

 

藍「(はあ? 私が何企むっつーのよ! 大体…)」

 

灯「あーっ!」

 

藍「うへっ!? な、何?」

 

灯「これだー、うふふっ」

 

藍「(ちょっと! どうなってんの?)」

 

ア「(知りませんよ。先程からパソコンで、色々な事を検索されているようですが……)」

 

藍「と、とにかく、今回の議題に、第三者の意見は参考にならないわ!」

 

ア「そうですか、では、藍華先輩はアルさんの言うことは聞きたくないと、そういう事でよろしいですね?」

 

藍「なっ! 何でそうなるのよ!」

 

ア「だって、アルさんは藍華先輩にとっては第三者なんですよね? そう言われたら、アルさんはきっと、悲しまれると思いますがねえ……」

 

藍「だっ…あの…ええっ?」

 

ア「これは、アルさんにも伝えておく必要がありますね」

 

藍「ちょーっと待った!」

 

ア「むむ?」

 

藍「…………」

 

ア「藍華先輩?」

 

藍「ん゛ーーーーっ!」

 

ア「これは、まさか!」

 

藍「ぬ、ぬおおおおおっ!」

 

ア「藍華先輩の心の中で、鬼と悪魔、もとい、越後屋と悪代官の、激しいつばぜり合いが!?」

 

藍「うっ! うぐっ…」

 

ア「け、決着がついたのですか?」

 

藍「……だ……ダメよ……」

 

ア「えっ?」

 

藍「ダメったら、ダメよ」

 

ア「ええーっ!? な、なぜ?」

 

藍「だって……やっぱり、アルくんは、今回の議論については、あぐまで第三者だがらよー」

 

ア「それ、滝状の涙を流しながら言うセリフでしょうか?」

 

藍「ハイ、第三者の意見、却下!」

 

ア「くっ! とっておきの策だったのに……」

 

藍「とにかく、まだはっきりしていない、灯里の意見を聞こうじゃないの。まあ私の意見に賛成だろうけどー」

 

ア「そんな事はありません! 灯里先輩は、一体どちらの意見に賛成ですか? もう、『うーん、そーだねえ』は無しですよ」

 

灯「わたしは……」

 

藍ア「うんうん!」

 

灯「どっちの意見にも賛成です!」

 

藍「はあ?」

 

ア「ど、どういう事ですか?」

 

灯「実は、一見すると、全く合わないような二人の意見だけど、ピッタリと合うんだよ」

 

藍「あ、いや、訳わからない事言われてもさ……」

 

灯「ほら、これを見てみてよ」

 

藍「これって……あっ!」

 

ア「これは……」

 

_____________________

 

店「いやはや、お待たせしました」

 

灯「あーっ、きたきた!」

 

藍「パフェが3つ? どしたの? これ」

 

灯「私が頼んだんだよ。美味しそう!」

 

ア「本当ですね。疲れた脳のでっかい糖分補給にはもってこいです」

 

藍「ま、それもそうね」

 

灯藍ア「うふふ」

 

店「……おや? 少し、遅かったですかな?」

 

灯「いいえ、店長さん。会議も終わって、とってもいいタイミングですよ」

 

店「いやあ、そうですか、それは何よりでした。どうやら、マドモアゼルには、白馬の騎士(ホワイトナイト)の加護があったようですなあ」

 

灯「えへへ……」

 

藍「(どういうコト?)」

 

ア「(白馬の騎士(ホワイトナイト)は、苦境に駆けつけ、敵対者から救ってくれる、という意味がありますので……)」

 

藍「(ああ、確かに灯里って『はひーん!』って鳴きそうだものね)」

 

ア「(何故馬の方……。だとすれば、どんな敵にも勇敢に立ち向かい、また、角で水の毒を清めるという、伝説の一角獣(ユニコーン)の方がふさわしいかと)」

 

藍「(そりゃそっちの方がしっくり来るけど、私達が敵とか毒ってこと?)」

 

ア「(あくまで諸説ありますから。ま、私『達』のことではないと思いますが)」

 

藍「(あによ、私がそうだって言いたい訳?)」

 

ア「(そうやって、いちいち言葉尻を捕らえて怒ってばかりいると、アルさんにも愛想をつかされますよ)」

 

藍「(何でアル君がまた出てくるのよ)」

 

ア「(あっ、あんなところにアルさんが)」

 

藍「うひゃっ!?」

 

灯「うん?」

 

ア「ああ、気のせいだったようですね」

 

灯「何が?」

 

藍「な、何でもないわよ! さ、早くいただきましょ?」

 

店「どうぞどうぞ。ところで、皆さんは一体、何についてあのような議論を?」

 

灯「えへへ……それはですねえ」

 

藍ア「それは、いわないで〜っ!」




そんな訳で、最初はどうなる事かと思った会議ですが、会議が終わる頃には雨も止み、晴れ晴れしい気分で会議終える事ができました。
藍華ちゃんもアリスちゃんも、お互い意固地な所があったと、反省したようで、最後はいつものように、みんなで元気よく、気勢をあげて終わりました。
『雨降って、地固まる』って言うのは、こういう事を言うのかな?

灯里さん
カフェフロリアンの店長さん、まさか『今度のお休みに温泉に行ったら、お風呂上がりに何を注文するか?』って言う議題だとは思わなかっただろうね!
藍華さんが桃のソーダで、アリスさんがアイスクリームだなんて。私も、迷っちゃうなあ。
でも、温泉のメニューに、桃のクリームソーダがあって、良かったね!
ああ、私も灯里さんと一緒に、温泉に行きたいな!


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