友達と話すと喧嘩になる競馬のススメ (soiso)
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シンボリルドルフの萌えポイント

徒然になるままに
競馬おじさんは今日も戦う


 競馬に詳しい人や評論家はたくさんいる。けど、みんな当たらない。

 そんな誰一人信用出来ない世界で、競馬おじさんは生きている。

 

 

 コンビニに入るといつものクセで入口脇に目を向けてしまう。そこにはプリペイドだかギフトカードだかがいっぱい吊り下げられていて、競馬おじさんの目当てのものはなかった。

 ド派手なディスプレイの影に、ひっそりとある新聞立て。それを寂しく思う競馬おじさんは、時代に取り残されている。

 ブラックコーヒーと野菜ジュースにヨーグルトが、競馬おじさんの朝飯だ。花粉にコレステロールに眠気と疲労。

 競馬おじさんは常に何かと戦っている。

 3円をケチって裸の商品を抱えて車に戻る。目にいいらしいブルーベリーヨーグルトを啜りながら、競馬おじさんはスマホを開いた。

 You Tubeのトップに流れるソシャゲのCM。

 競馬おじさんも無関係ではない。

 いつの間にかオススメに紛れ込むようになった美少女たち。うっかり開いた動画の主人公がツインターボだと知って、競馬おじさんは泣いた。

 競馬おじさんは涙脆いのだ。

 そしてチョロい。

 ゲームはわからないが、コンテンツは大好きだ。あの憎いコンチクショウだった芦毛のチャンネル登録もした。

 競馬おじさんは一生懸命、彼女を理解しようと頑張っている。

 オリジナルをついに理解出来なかったクセに。

 短い休憩にはぴったりの再生時間。競馬おじさんは仕事に戻るために、ラジオを付けた。番組はお気に入りのオッケー!!コジコジ!!

 競馬おじさんは立派なネトウヨの闘士である。

 

 

 番組では最近燃えた、やたらと世界比較したがるデータおじさんが偉そうに喋っていた。

 競馬おじさんも常にデータと睨めっこする。

 世界で一番新聞読んでる。

 猜疑心の塊である競馬おじさんは、誰の言葉も信用しない。

 信じるのは馬だけである。

 中でも、シンボリルドルフは絶対だと信じていた。

 

 

 競馬は頭脳の最高峰たる軍参謀が嗜むべきとされる崇高な遊戯である。様々なデータや情報を勘案して未来を導き出す。

 つまり、戦争はギャンブル。

 大変なことである。

 競馬おじさんの戦争とは、ズバリ、最強馬論争。

 歳を重ねる意味とは。

 データで見るならば、昔の馬であるシンボリルドルフに勝ち目はない。

 ウサイン・ボルトとカール・ルイスを比較して戦争までやる馬鹿はいない。

 

 

 それでも、シンボリルドルフは絶対だ。

 

 

 当たり前だが、馬はルールとか知らない。理解出来ないとかではなく、関係ない。

 馬にとって競馬など遊びの延長でしかない。*1

 端を取ったら勝ち。勝ったと思ったら、勝手に勝負をやめる。ゴルシとか強すぎてパドックで勝負を決めやがる。

 馬にとって勝つだけなら、走る必要すらない。*2

 騎手の役割が増えたとかなんとか言うやつもいるが、嘘つきだ。*3

 人間は馬に頼らなければ走れない。

 そしてだからこそ、逃げ馬とか信用されない。馬だって距離を走るのは辛い。だから、勝負を急ぐ。馬なりに走ってもいい結果は得られない。そんなときは騎手がどれだけ鞭っても走らない。そして、鞭不要論で戦う競馬おじさん。

 

 

 要は騎手の役割が増えたのではなく、負担の大きな馬ばかりになっただけなのだ。*4

 ターボは恐かったから。走るのが好きなスズカは、前に行かれるのが気にいらなかった。ブルボンはそういうプログラム。*5バクシンオーはバクシン。*6

 史実である。

 全部、馬の理由で走る。

 競馬は根性論や精神論に立脚している。

 なのに、競馬おじさんは今日もデータと戯れる。

 ドクター・ドリトルになりたい。

 

 

 賢さというステータスは、まさに圧倒的だ。

 ルールを理解し利用する者と、そうではない者とでは搾取関係しか成立しない。*7

 伝説まで含めれば、賢い馬というのは無数に存在する。

 だが、競馬を理解する馬はシンボリルドルフだけだ。

 その上、あのレジェンドに向かって「今は行くべきではない」と説教した馬だ。勝つためにレースの組み立てまでする。

 信じられないかもしれないが、馬とはそういう存在だ。

 犬や猫も古い友人ではあるが、戦場において戦略や戦術を左右するほどではない。

 武において、一体となることが道である。

 そこまで求められて、応えた動物は馬しかいない。

 それに競馬おじさんは子供とゲームしても勝てない。馬も同じくらい頭がいいらしいので、否定派とは徹底的に戦う。

 うちの子凄いんです。

 

 

 賢いねで終わっては、競馬おじさんはなんのために戦うのか。

 当然だが、勝つことにどんな意味があるだろう?

 馬の序列とは賢さで決まる。追いかけっこで満足するのは、若僧だから。

 金も名誉も、人間の都合だ。馬が勝って何が嬉しいのか。

 考えられる理由などたった一つ。

 

 

 そう、シンボリルドルフは人間が大好きなのだ。

 

 

 馬の内心などわからない。競馬おじさんは人の内心もわからない。

 競馬場で歓声を浴びることか、厩舎で撫でられることか、馬主たちに褒められることなのか。

 騎手にはビジネスライクだったそうな。

 わからないが、人間の都合に合わせて競馬に出て、必ず勝つ。むしろ、勝てなかった競馬は明らかに体調が悪いところを人間が無理やり出した時だ。

 それでも付き合った。勝負した。投げ出さなかった。

 馬は命令になど従わない。

 従っているように見えるなら、それは馬が優しいからだ。

 暴れ馬を宥めて英雄になった人間などいくらでもいる。

 競馬場にいる。

 レジェンドが生涯追い求めるはずである。

 そして、競馬おじさんもシンボリルドルフが大好きだ。

 

 

 おそらく、勘違いである。競馬おじさんは片想いに慣れている。

 拗らせるのも得意なので、今日もどこかの片隅で、何かと戦っている。

 ただ言えるのは、シンボリルドルフだけじゃない。

 勝つつもりのある馬は、レコードを出す必要があるなら出すし、必要がないなら出さない。*8

 データなんか信用出来ないのだ。

 それを知ってて週末には新聞を買うのが、競馬おじさん。

 悲しい存在である。

 

*1
偏見

*2
そんなことはない

*3
技術の向上を無視した偏見

*4
偏見とばかりは言えない

*5
誰も騎手を褒めないから

*6
先行を覚えたときは感動した

*7
偏見

*8
難しい議論




競馬ってなんだろう?


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ライスシャワーの背中

湿り気注意


 競馬はギャンブルだ。

 だから、競馬で勝つというのは、馬券を当てることだとされている。

 基本的に、三着までに入る馬を当てるだけなら難しくない。*1

 新聞を見て、◎、○、▲を買っておけば、そこそこ負けない競馬は出来る。*2

 当然、なんにも儲からない。

 儲けようと思うなら、負け続けるべきだ。

 いつかは勝つ。

 問題になるのは資金力だ。

 当然、なんにも面白くない。

 リスクを負った上で、それを踏み倒す。

 ギャンブルの楽しさはそこにある。

 無難や常識、臆病などに囚われない。

 

 

 競馬おじさんは冒険者なのだ!!

 

 

ビッビー!!

 

 

「制限速度を、オーバーしています」

 安全運転は義務。

 

 

 いい馬というのは、勝つ馬ではない。

 勝つ馬もいい馬だが、実際は軸になる馬。馬券に絡む馬である。

 そういう馬がいると、競馬は楽しい。

 悩みが減って、夢が膨らむからだ。

 ナイスネイチャ、ロイスアンドロイス、ステイゴールド。

 勝って欲しいと思いつつ、現実的な幅が増える。穴を狙っても安定感が出る。

 あと、予想に渋さが出る。*3

 外れてもカッコがつく。

 競馬おじさんは、何かと戦っている。

 そして、反逆する。

 

 

 競馬はスポーツなのら!!

 

 

「衝撃を感知しました。記録を開始します」

 最近、機械に叱られる機会が増えた。

 

 

 どんなスポーツでもそうだが、それを見る客がいて初めて成立する。

 選手でなくても、競技を知らなくても、国が違っても、スポーツは見るだけで参加出来る。

 そして、勝利や敗北を共有出来る。

 実に素晴らしい。

 記録だけなら、ギネスが認定するだろう。

 趣味というなら、好きな人だけでいい。

 しかし、スポーツはニュースとして扱われる。

 競馬もそうあるべきだと、競馬おじさんは考える。

 

 

 競馬にはドラマがあるのだ!!

 

 

ブッブー!!

 

 

「急発進です」

 エコドライブにも限界はある。

 

 

 どこまでいっても、競馬の主人公は馬だ。ままならないものを商売にするなら、確かにギャンブルが妥当だろう。

 何せ、勝つ馬がいい馬ではないのだ。

 一着に金メダルと同じ価値はない。

 2着でも金銭に替えられる。

 ナイスネイチャ、ロイスアンドロイス、ステイゴールド。

 詰め切れない、根性が足りない、最後に伸びない、集中しない、勝ちに拘らない。

 悪い馬ではないのだ。決してそうではない。

 それでも歯がゆい。

 

 

 お前たちなら勝てるだろう?

 

 

 実際に勝ったステイゴールドに対して、みんなが喜んだ。

 温かい拍手を送った。

 いいことだ。

 

 

 それとは逆の立場の馬もいる。

 勝利すれば敗者は生まれる。記録は阻まれるもの。普通のスポーツでも、ないことではない。

 だが、2番人気の馬なのだ。どうして勝つことに疑問が生まれたのか。

 ミホノブルボンもメジロマックイーンも、圧倒的な実力を十全に発揮した。

 ライスシャワーはそれを上回った。

 

 

 確かに無理だとは思っていたけども。

 複勝に逃げずに単勝だって思ったけども。*4

 外しようもないレースで事実、外してなかったのに。*5

 

 

 あの時、口から出たのは落胆の声。

 そのときは気づかなかった。

 あまりにも鮮やかで、凄烈だった。

 あの瞬間、競馬はギャンブルではなく、スポーツだった。

 競馬に掛ける覚悟で、馬に負けたのだ。

 

 

 やがて、ライスシャワーは騎手が止めるのも振り切ってスピードを上げ、そして力尽きた。

 

 

 主戦騎手は後年、「アイドルだとか悪役だとか、馬たちを擬人化しては、ドラマ仕立てで眺めるのも競馬のひとつの楽しみ方なのかも知れないが、そうした見方では決して感じ取れない、ずっと奥の深い、面白い世界が、そこには広がっているはずである」

と語る。*6

 

 

 競馬おじさんはそれを見たい。

*1
個人差があります

*2
出来るとは言ってない

*3
思い込み

*4
当時馬単などはなかった

*5
それはそれとして流した

*6
2001年の自著で




競馬おじさんは反省が得意です


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ディープインパクトの属性

異論しか認めん


 車の中で長時間待機するというのは地獄だ。

 パチンコに行ったまま子供さんを数時間放置するのは虐待なのに、競馬おじさんをいくら放ったらかしにしても、こう言われる。

 

 

「アイドリングは禁止です」

 

 

 戦うべきだろうか?

 勝てそうな気もする競馬おじさんだが、いまいち自分を信用しきれない。

 スターターに手をかけたまま悩む競馬おじさんは、死の淵に瀕している。

 

 

 ディープインパクトは凄い馬だ。そこに疑う余地はない。

 無敗の三冠も、七冠の称号も、とても重い。

 競馬おじさんがそれを素直に認められないのは、おじさんがツンデレだからではない。

 むしろ、欲求に忠実で嘘がつけない競馬おじさんの属性は、宇崎ちゃんに近い。

 残酷な現実である。

 

 

 古今東西、最強の馬がいるとしたら、それは天馬か赤兎馬だ。文字通り空を飛ぶか、どこまでもずっと走り続ける能力。

 つまり、逃げ馬。

 競馬おじさんは絶対に信用しないが、理想と浪漫を求めてその動向から絶対に目を離さない。

 スズカにまた会いたいから。

 

 

 脚質というのは大きく分けて二つだと、競馬おじさんは考える。

 スタートから一気に加速する馬と、そうでない馬だ。

 この勢いがあると先行馬。遅いと差し馬になる。

 サラブレッドは力のない馬なので、生物として実は逃げに向いていなかったりもする。*1

 

 

 紛らわしいのは、ここに馬の性格も加味する必要があることだ。

 頭がよくて騎手の指示を聞く馬なら、この脚質という考え方はあまり意味がない。

 特に重賞レベルの馬はそもそもからして能力が高いので、自在というカテゴリすらある。

 脚質とあるのでなんとなく性能の話だと勘違いするが、サラブレッドである以上、それは僅かな違いでしかない。

 人間でも平均と世界記録で3秒。*2

 競馬おじさんは3時間ここにいる。

 

 

 群れで生きるからこそ、知らない馬に対しては敏感なところがある。

 闘争心があるから、とにかく端を主張する。

 馬群が嫌い。

 勝負根性がない。

 競馬がわからない。

 逃げや追い込みというのは、脚質という名を借りた気質の話である。

 突出した馬なら結果的に逃げという見かけ上の話になるが、追い込みは馬群の後ろから駆け上がるのだから、圧倒的不利を背負っている。

 それでも選ぶのだからよほどのことだ。

 

 

 それはディープインパクトが選んだ道ではない。

 

 

 サンデー産駒というのは色々言われているが、とにかく頭がいいのが特徴だ。

 気性の激しさや難しさなど、些細なことでしかない。

 競走馬はそもそもそういうものだからだ。

 その前提に立っても、ディープインパクトは気さくないい馬である。

 珍しいぐらい素直な馬だった。

 飛ぶように走るとは速いということではなく、乗り心地が最高という意味である。

 まっすぐ走らないどころか隙きを見せれば振り落とす気まんまんの、レース中に他馬に襲いかかるサンデー産駒がである。

 当然、身体能力は抜きん出ていたので、欠点といえばたった一つ。

 

 

 ちょっとおバカさんなのだ。*3

 

 

 いや、賢い。

 騎手の指示を理解して実行出来るのだから。

 でもなんだろう?

 前に行きたがるのだから、闘争心はある。

 しかし、それではダメだと追い込みになっているのは、メジロパーマー*4やダイタクヘリオス*5やツインターボ*6よりも加減が出来ないってことだ。

 併せると気を抜くのは、勝負を理解していない。

 これでヨレる癖があるとかなら、勝ったと思って走るのを止めたんだと理解出来るが、そうではないので多分、一緒に走りたいんだろう。

 天才も流石に鞭を入れる場面である。*7

 それ以上にマイネルレコルトに怒られていたが。

 

 

 英雄。

 近代競馬の結晶。

 最も奇跡に近い馬。

 

 

 一番後ろから大外を回って、直線で突き放す。

 どう考えたってとんでもない馬なのは間違いない。

 だがその実態は、天才の介護がなければ競馬の出来ない、ちょっと天然が入った馬だった。

 なんとも過剰に持ち上げられる報道を見て、競馬おじさんは考える。

 

 

 もっと騎手を褒めてやればいいのに。

 

 

 吹き出し口に覆いかぶさりながら、終わりのない待機時間を競馬おじさんは無為に過ごした。 

*1
この場合の力はトルク

*2
百メートル走

*3
個人的見解です

*4
1号

*5
2号

*6
3号

*7
皐月賞



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テイエムオペラオーと愉快な仲間たち

 競馬おじさんはITが大嫌いである。

 スマホを持ち、You Tubeを眺め、コンピューター制御された車に乗りながら、常にITに対する憎悪を滾らせている。

 紙こそ至高のツールと信じてやまない競馬おじさんは、現場に携わる人間として、「お前画面割ったことないの?」の一言で解決出来ない現状に絶望している。

 

 

ピロリンッ!!

 

 

 とりあえず、FAXを写真で取ってメールで流すな。

 それはITじゃない。

 

 

 指示待ち人間を嫌う風潮があるが、指示待ちしないで動くと責任を取らされる罠。

 現場というのは常に未知で溢れている。

 予想して当てるゲームである競馬に予想外が多いのはいかがなものかと思わないではないが、仕方のないことである。

 冗長性の確保。

 これは馬券を買う上でも仕事をする上でも大事なことなのだが、SE連中は一言で馬鹿にする。

 

 

「そんなん出来ませんよ」

 何なら出来るのさ。

 

 

 七冠馬になれなかった覇王、テイエムオペラオー。

 お前、そんなんになっちゃったのか筆頭。

 ド真面目秀才。

 地味。

 スター性がない。

 栗毛。

 真面目にコツコツしてたら無敗で古馬重賞完全制覇と獲得賞金世界一になってた労働者の鑑。

 You Tubeにて彼を名乗る彼女を見た瞬間、競馬おじさんは化けて出たと思った。

 真面目な奴ほどこうなるの典型。

 同情とも憐憫とも違う複雑な感情に支配され、競馬おじさんは混乱した。

 美少女だからって男の子向けってわけじゃない。

 世の中、多様性である。

 

 

 地味ではあっても八連勝馬。

 生涯、掲示板から外れなかった馬である。

 これほど地力の強い馬もいない。

 2着以下がイツメンとか言われていたのは、それだけ匹敵する馬がいなかった証拠だ。

 負けた馬さえそうだというのが、この馬の堅実で隙きのない試合運びを思わせる。

 奇をてらう戦法など許さない競馬。

 横綱相撲の極み。

 その当時は全然評価されないで、最近盛り上がってきたなどと言われるが、そんなこともない。

 ただ、競馬はギャンブル。

 金を賭けた人間が冷静になるには時間が必要なのだ。

 

 

 しかし、これだけ小ネタ仕込まれたコンテンツで構成要素のほとんどがオペラ。

 競馬おじさんは動揺している。

 

 

 ディープインパクトとテイエムオペラオー。

 主戦乗り替わりなしの馬である。

 世代が弱かったと言われる2頭。

 確かに性能は飛び抜けていたが、それだけで勝てるなら芦毛のアンチクショウが負けるはずがない。

 アレは本当に規格外である。

 どちらも優駿であったがために、全てを敵に回して戦った。

 競馬はあまり負けた馬の解説をしないが、この2頭のレースを見ると競馬でどう勝つかがよくわかるようになっている。

 数多の戦術を、騎手の腕や馬の地力が捩じ伏せる様はなかなか見応えがある。

 特に騎手が一体となって馬の評価に繋がっているので、初心者にもオススメなのだが、あれが普通と思い込んではいけない。

 普通のエンジニアと予算ではFFもドラクエも作れないんだ。

 

 

 最終直線でヨーイドン。

 競艇と違って、このとき馬群はバラけている。

 この瞬間こそが競馬の醍醐味だ。

 ここでどこにいるかが、騎手の腕と判断。

 それに従えるかが馬の能力であり、度量。

 ディープインパクトが大外を回ってそこにいる。

 その驚愕と絶望。

 それまでのいかなる苦闘も駆け引きも、一切合切が無に帰す。

 それがディープインパクト。

 それが天才。

 

 

 つまり、そこにいなけりゃ勝てる。

 

 

 円周を求めるために簡単な計算をしてみよう。競馬場は基本的に楕円だが、面倒だし、数式の構造は同じだ。

 半径を2倍して円周率を掛けると求められるのが円周。つまり、競馬場の距離である。

 ここからわかるように、1m外に出るだけで距離が2×3.14増えるのだ。

 直線部分は平行であるから同じとしても、コーナーではちょっと外に出るだけで6.28mのディスアドバンテージ。

 1馬身が2.4m、0.2秒であることを考えると、コーナーで仕掛けようと思えば、最低限3馬身弱を縮める力量がいる。

 遠心力を考慮すれば確かに外有利だと言われるが、人間の陸上でトラック競技のスタート地点を見て欲しい。

 あのような並びでなければ、ゴール地点を横一線に出来ないのだ。

 そのゴール地点こそが、競馬における最終直線でヨーイドンする位置である。

 ここに至るまでの間は推進力が遠心力と拮抗し続ける。

 遠心力はカーブの外側に働くため、進行方向とは決して一致しない。

 トップスピードに乗るのが0.2秒遅れただけで、1馬身差がつく世界である。

 馬群に塞がれないなどの点を含めても、大外が不利であることは変わらないのだ。

 この不利を背負って勝ったのがディープインパクトという馬であることは確かだ。

 逆にこの不利を背負わねば戦えない馬であったのも確かなのだ。

 

 

 ディープインパクトが皐月賞を取って15年以上の月日が流れた。

 スタートで躓くディープインパクトに、競馬おじさんは心から共感する。

 あれはなんにもない場所でおじさんが転びそうになる現象と同じだ。

 イメージに体がついていっていないのだ。

 どんだけ逸っているんだこの馬は。

 スタート直後に騎手がブレーキかけないと転ぶ馬とか、ドジっ子にもほどがある。

 本当に乗ってるのが天才でよかった。

 追い込み以外を選んでいたならディープインパクトは死んでいる。

 

 

 あのレースでは同じようにスタート下手のアドマイヤジャパンが第一コーナー前で先行集団に加わる勢いで、実況を驚かせていた。

 後ろの状況を把握していたかはわからないが、先行集団はとにかく前に出る展開。

 アドマイヤジャパンは外枠ながらスルリと内に入る。

 中団後ろに付けていたマイネルレコルトも、向こう正面に入るなり仕掛けている。

 ディープインパクトが上がって行くのを見て、ダンスインザモア他もとにかく前へ。

 実質、4頭が逃げるのをアドマイヤジャパンらの先行、ヴァーミリアンらの中団の境なく追いかける。

 ラップタイム11〜12秒は速い方ではあるが、だからこそこのように詰まった形は珍しい。特にシックスセンスは後ろからの競馬を教えてきたという馬だが、明らかにディープインパクトに合わせて中団にまで上がっている。

 一方で残る馬もいた。ペールギュントやアドマイヤフジなどだ。

 おそらくだが、彼らはペースや先頭での競合いを見て、必ず前は開くと判断したのだ。

 それは先行のアドマイヤジャパンらも同じだっただろう。

 スタミナを消耗した馬はどうしてもコーナーで外に流れる。

 アドマイヤジャパンはそれが3コーナーだと判断したのだと思う。

 しかし、それは起こらずマイネルレコルトが外を躱して行こうとした。

 本来なら楽に抜けて再び内に切り込むつもりだっただろう。

 しかし、ビッグプラネット、コンゴウリキシオー、エイシンヴァイデン、ダイワキングコンの4頭が最後の最後まで粘り切った。

 唯一、躱されたダイワキングコンでさえ、4コーナー手前まで順位を譲らなかったのだ。

 中でもビッグプラネットは、内ラチ沿いをなぞり続ける見事な騎乗。

 小回りは遠心力が強く働く他、スピードを維持するには足さばきも必要になる。

 柵という目に見える脅威や他馬の圧力、遠心力に耐えながら、さらにラップは再び11秒台へ加速しているのだ。

 そこにディープインパクトが来た。

 ここで一並びになったがために、アドマイヤジャパンは外に持ち出さざるを得ず、ダイワキングコンにもマイネルレコルトにも塞がれて加速が遅れる。

 この直線勝負でマイネルレコルトは耐えきれずにヨレた。これに助けられたのがアドマイヤジャパン。ダンスインザモアはディープインパクトの内から差そうとしたところを塞がれて、逆に沈んでいく。巻き込まれてスキップジャック、ローゼンクロイツ。

 ペールギュントもヨレたコンゴウリキシオーらに塞がれて内を抜けるのに手間取った。

 ヴァーミリアンやトップガンジョーに至っては未だに粘るビッグプラネットを躱すので精一杯だ。アドマイヤフジやタガノデンジャラスはディープインパクトよりも大外を回る事態に。

 そんななか、どうしようもない場所に迷い込んだストラスアイラと単純に伸びないパリブレスト。

 勝負どころに絡んでくる馬が多過ぎる。

 弱いというなら1頭ぐらい盤外でお散歩していればいいものを。

 と思えばしれっと、なんの邪魔も入らない代わりにディープインパクトの後ろを行くしかないシックスセンスが2着に飛び込んでいった。

 

 

 出遅れたディープインパクトが圧倒的な実力を見せたと言われる皐月賞。

 しかし、逸る馬を落ち着け暴走を防ぎながら前へと運ぶのは至難の技だ。

 だからこそ、細かな技術の必要ない、力技の外一気に頼るしかない。

 それに勝つためには長い距離を使って少しでも先を行く根性か、内を抜ける技術と度胸が必要だ。

 それが出来ない馬が揃って、この展開が生まれたか?

 勝利を手に入れたのはディープインパクトの実力だが、名手たちを阻んだのは今では無名の馬たちの譲らぬ姿勢である。

 呪われたとも言われるが、40戦、50戦と戦う猛者たちもここにいた。

 あの日ペールギュントに賭けた競馬おじさんは歯噛みする。

 競馬のわからない奴らが勝手を言う。

 負けた言い訳に馬を使う。

 18頭、どの馬だって簡単に勝たせてくれるもんか。

 

 

 弱い馬などG1に出場しない。

 

 

 五年目のヒヨッコが、良血でもない馬が、自らセリにも出せない零細牧場が、人に頼らず自分で何もかも選ぶ外様の馬主が、重賞を荒らし回っている。

 これで闘志を燃やすベテランや良血や大手や馬主がいないわけない。

 追って追われて、差し差され、丸一年。

 有馬は必然だったというが、競馬おじさんはそうは思わない。

 あれが必然だとしたら、悲し過ぎる。

 

 

 あそこにいるならそりゃ勝つだろう。

 

 

 一年あった。

 あのステイゴールドが逃げた。

 前を塞げば大外回って差された。

 外を塞げば真ん中を突き抜けた。

 乗っているのは未熟な若僧。

 全ての戦術が面白いように決まって、馬がそれをねじ伏せた。

 何をどうしようとも残る、どこからでも飛んでくる末脚。

 競合いで勝る闘争心。

 もはやこの馬に勝つビジョンなど浮かばない。

 それでも有馬でなら勝機はあった。

 弱点は明らかで、一度は成功した。

 互いに示し合わす必要もない。

 あの若僧が標的だ。

 さあ、どうする?

 

 

 中山の直線は短いぞ。

 

 

 馬としての能力なら、テイエムオペラオーはディープインパクトに勝る。

 上がり3ハロンが1馬身差なら、理論上外を回るディープインパクトに勝てる道理はない。

 先に皐月賞を見たが、ああなってしまうから大外一気も戦術となる。

 しかし、テイエムオペラオーはあそこを抜けて来るのだ。

 そもそも、弱い馬が一番有利な内沿いを守れるわけがないのだから、ディープインパクトが勝利を重ねた事実こそが世代の強さを証明している。

 では、テイエムオペラオーの世代は弱かったのか。

 馬の名前を連ねるだけで話は終わる。

 弱いわけがないだろうが。

 競馬おじさんはぷんぷんである。

 

 

 それでお前、なんでホットシークレットやねん。

 悪い馬どころか、もの凄いいい馬である。

 単純にちょっと速さが足りないのじゃないかという程度なのだが、前回が前回である。

 逃げを打つステイゴールドと追いすがる先行集団。中団はテイエムオペラオーを押し込んだまま、長い直線に賭ける展開。

 馬群に沈むテイエムオペラオーの最終コーナー。外を塞ぐイーグルカフェをよっこらしょと押し出して、直線で加速を始めると一気に追いつき、並び、競合い、飛び込んだ。

 これを中山で出来れば距離的に優位というのはわかるが、条件はみな一緒である。

 ディープインパクトの皐月賞と同じく前詰まりの展開になるのは目に見えた。

 そうでなければテイエムオペラオーを抑えられてもメイショウドトウ他、有力な先行馬が揃って先着してしまう。

 この先行が強いというのは逃げ馬にとって非常に厄介だ。競りかかられてはスタミナを消耗して二の脚が残せない。

 耐えられるとしたら確かにホットシークレットぐらいだろうとはわかるが、縦長の展開は無理だろう。

 あの癖者が吹いてんのもなんか嫌な予感。

 3年付き合えば、始まる前からこの調子だ。

 ちなみにこの前提が成り立つのは、テイエムオペラオーの鞍上が若僧だからである。

 

 

 なんで毎回そこに飛び込むかな、お前。

 

 

 有馬の包囲網は大手が主犯だと言われる。

 しかし、競馬おじさんにしてみれば犯人は明らかである。

 あの野郎、逃げ宣言をしながら後ろに抑えたのだ。

 騎手というのは馬の能力を引き出して一流。

 レースを動かせて超一流である。

 ディープインパクトを大外から間違いなく、勝てる位置に運んで来る。

 そう思わせたからこそ、熾烈な内争いが起こった。

 アドマイヤジャパンが待てないと直線で外に持ち出したのは馬の能力もあったが、ディープインパクトがそこにいるという確信が間に合わないという思いを強くさせたからだ。

 それで言えば若僧は一流にはなれても超一流には程遠い。

 テイエムオペラオーはどこにいても勝つような馬なのだ。

 それを信じて突っ込んで行けるというのもそれはそれで凄いのだが、シンボリルドルフと違ってテイエムオペラオーは騎手の言い分も尊重してくれる人のよい馬なので絶対にはなれなかった。

 つまり、未熟な若僧が素直さを捨てて馬を疑えば勝機は見えるのだ。

 それは成功した。

 テイエムオペラオーはいつものように馬群の中へ。

 ペースを作るはずの馬が後ろにいるために、騎手たちの選択はオペラオーより前かつ、内沿いとなる。

 逃げは打てない。

 どんな展開でも勝てる馬のスタミナが優れていないわけもなく、ドトウやトップロードやゴーイングスズカもツルマルツヨシもステイゴールドも。とにかく、こいつらを置き去りに出来る能力はもちろん、戦術だっていきなり用意は出来ない。

 となれば、マークを選択した馬も含めてガッチガチに固まってしまうのは予想出来なくはなかった。

 だが、まさかという戦術である。

 出来ないと思ったらとことんやらない男が、出来ると思った時、とんでもないことを仕出かす。

 天才に並ぶ奇才。

 思わず立ち上がる若造。

 観客席の真ん前で、大外を走りながら馬群の様子を眺めるあの野郎。

 確信犯だ。

 奴が黒幕だ。

 この男があの包囲網を作った。

 天才が外を塞ぎ、まさに道は消えたはずだった。

 第三コーナーに入り、スピードを上げ始める各馬。

 何故か大外から内二つ目にいるホットシークレット。

 直線を前に、末脚自慢達に鞭が入る。

 明確な逃げがいなかったために、どの馬も脚を残している。

 とんでもないデッドヒートだ。

 人も馬も前へ、前へと駆け抜けようとするなか、オペラオーが何をしていたか。

 レース直前のちょっとした事故で左目が見えなかった彼は、ただライバルであったドトウを見つめていた。

 道など最初から見えていなかったのだ。背中で懸命に急き立てる若造をあやしながら、ペースを上げていくドトウを追いかけていく。

 最後の第4コーナー。直線に入る直前で、オペラオーはドトウの後ろから僅かに内に斬り込んだ。

 馬体の左側。今のオペラオーには見えない位置。

 全力で首を振って加速しなければならない直線で、オペラオーの首はドトウの方向に向いている。

 そして、辛うじて見える右目の視界からドトウが消えた瞬間、オペラオーと騎手の動きが一致した。

 オペラオーは知っていたのだろうか。ドトウならば、馬群を避けても前に行けると。その内に入れば勝てると。

 まさかそのように考えたのだろうか。

 あの絶望的な包囲網の中で、唯一の道がそこだった。

 

 

 わけではない。

 ダイワテキサスの後ろから付いて行って、直線でちょっとだけドトウを押し出したのだ。

 そう、前回のジャパンカップと同じだ。オペラオーは他の馬をどかしてしまうのだ。天才は流石の制御でそれを防いだが、前にいたオウドウは躱せなかった。

 その隙きをついてオペラオーはドトウの内に付いた。手綱のようにも見えるがバランスを崩したようにも見える。左目が見えないので、わざわざ顔を向けてガンを飛ばした。馬ならば、あの位置でも見えただろう。ドトウが顔を反らしながら、外にヨレた。

 後はもう、オペラオーがお気に入りのリュックに忖度して飛び出して行くだけである。

 

 

 普通の騎手なら諦めるような状況だったが、鞍上はどれだけ塞がれていようとも馬を急き立てた。勝てる馬に乗りながら、勝てない騎手だった。

 だから、若造は馬を信じて勝ちに拘った。

 奇才の策はならなかった。最終直線で伸びなかったのは仕方がないとしても、ほとんど最内で最高の位置にはいたのだから仕事はした。

 逆に言えば、自分が勝つための作戦だった。賭けではあったが、あんなことをすればみんなが迷う。

 迷えばスタミナで勝るホットシークレットの土俵だった。前回の包囲網が頭に残っていれば、中山の構造上、若造は焦る。馬の能力を活かせない騎手に勝てる道理はない。

 しかし、迷いはしても歴戦の騎手たちは乗らなかった。あの展開は決してオペラオーのためのものではなかったのだ。

 オペラオーをマークしたのは、天才の判断ミスだ。あの馬の側にいて、並の馬は前に行けない。

 実際、直線でオペラオーから離れた後のアドマイヤボスは素晴らしい末脚を見せた。

 もっと前に位置するか、焦る若造の好きにさせればあいつだけが奇才の罠に嵌っただろう。誰もが賢い選択をしている中に未熟な若造を押し込めたのは、天才もまた未熟だったからだろう。

 馬群のど真ん中にいるのはいつもの若造で、馬群が固まったのはレース展開によるものだ。オペラオーがいつもの場所からいつものように蹴散らす、盤石のレースだ。

 社台包囲網など存在しない。あの馬を勝たせたくないと思うなら、あんなやり方ではダメだとわかっていた。

 だから、みんな馬の持ち味を活かそうとした。いつものメンツでそれぞれが得意なことをすれば、あの結果になるのは当然のことだ。

 事前の取り決めなどぶっ飛ばした偶然による凡庸な激戦。

 それが有馬の真実である。

 

 

 プログラムにしろシステムにしろ、事前に状況を想定して綿密に作り上げておかなければならない。

 だが、状況などつぶさに変わるのに、状況に合わせるのではなく、プログラムやシステムの方に合わせなければならない。

 何故ならプログラムやシステムは変更に多大な手間がかかるからだ。

 管理者には便利だろうが、現場としては不便極まりない。物事は予定通りになど進まないのだ。

 状況に合わせるだけでは、結果はでない。有馬に参加した綺羅星の如き馬たちがそうだ。

 状況に合わせられなければ、能力があってもしなたがない。天才がそうだ。

 逆に能力がなければ、状況を作っても結果は伴わない。奇才がそうだ。

 能力がなくても、状況にマッチングさえすれば上手く行く。若造がそうだ。

 能力があれば、どんな状況でも結果は出せる。オペラオーがそうだ。

 ITには能力がなく、状況にマッチングしない。

 創意工夫がプログラムやシステムを構築する場面でしか発揮されず、現場からのフィードバックを活かせないというのは、別にデジタルでなくとも毎日顔を合わせる上司連中と変わらないじゃないか。

 上司だけでなく、デジタル機器にさえご機嫌伺いをしなければならない仕事などゴメンである。

 少なくとも、出来ないことが出来るようにならないのであれば、おじさんはITなんか死んでも歓迎しない。

 ブラックになるのは時間を使うからだ。頭を使え。若造ども。



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