Prelude Vivy(完結) (ファルメール)
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第0楽章 三人の人間と、一機のAI

 

 2076年12月4日。

 

 来年には新庁舎が建設されて取り壊される予定の警察署の一室で、甲斐ルミナは二分前に火を付けた煙草を灰皿に押し付けた。既に灰皿には底が見えないぐらいの吸い殻が敷き詰められていて、壁は長年彼が吸い続けて吐き続けたニコチンとヤニで変色してしまっている。

 

 すっかり毛が薄くなってしまった頭頂部を撫でながら、ルミナは紫煙をシロイルカのバブルリングのようにして吐き出した。これは彼の特技の一つだ。尤も、年々愛煙家は肩身が狭くなるこのご時世、中々披露出来る機会には恵まれなかったが。

 

 彼のデスクには、一杯に資料が広げられている。

 

 無数の資料は雑然としているようではあったが、概ね二つの事件に関連しての物である事が、よく観察すると分かった。

 

 一つは15年前に起こった「相川議員暗殺未遂事件」。現在、反AI団体の最右翼とされている『トァク』が(尤も、当時はまだ現在程の規模でもなかったが)起こしたテロ事件だ。

 

 結果は議員の殺害には失敗し、人的被害は皆無であったものの爆発によって彼のオフィスがあったビルとその隣のビルが根元から倒壊するという大惨事となり、事件後一週間はテレビ・新聞・ネットなどあらゆるメディアのトップニュースとして取り沙汰されるような大事件であった。

 

 もう一つは、つい先日発生したばかりの、通称「落陽事件」。

 

 宇宙ホテル『サンライズ』が、文字通り地球へと落下しそうになった一件である。

 

 その背後にはやはりトァクの存在があった事が確認されている。何よりもルミナ自身、現場に居て彼等の存在をその目で確かめている。

 

 これは推測であるが、彼等は恐らくサンライズの支配人がAIであった事に目を付けて、AIにそのような重大な役割を任せていた事が間違いであったと、世間にアピールするつもりであったのだろう。

 

 結果的に、この一件でもトァクの目論見は潰える事になった。

 

 ホテルの支配人であったAI『エステラ』が客やスタッフを迅速に避難させ、自らは阻止限界点を超えて落下軌道に入った『サンライズ』に残り、ホテルの各パーツを細かくパージさせる事によって大気圏突入時に燃え尽きるように操作したのである。

 

 自らは戻れない、生きて還れない事を、分かった上で。

 

 エステラのこの献身は、彼女こそAIの規範、あるべき姿だと賞賛を浴び、彼女が製造された工場には無数の献花が送られている映像を、ルミナはニュースで何度も見た。

 

 ルミナは対テロリスト、特にトァクの犯行を長年追っている刑事だ。多少アナログな所はあるもののその検挙率の高さは署内でも高く評価されている。だから彼が連中の犯行に関係する資料を調べている事には何の不思議も無いが……

 

 しかしどうも彼の頭を悩ませているのは、トァクそのものではないようだった。

 

 眉間に寄せた皺を揉みほぐすようにして、彼は空になった煙草の箱を捨て、新しい箱の封を切った。

 

 だが咥えようとしたそこで、煙草は横から伸びてきた指に取り上げられた。

 

「ん……」

 

「今日はそこまでにしておけ。煙草の吸いすぎは健康を損なう」

 

 すぐ傍らに立っていたのは、フットボールの試合に出ようものなら独壇場の活躍を見せるだろうと一目で断定できるほどにがっしりと力強い体格をした、男性型のAIだった。

 

 守護者型AIと呼ばれるタイプで、警察や警備会社で使われる中でも、特に危険であったり難易度の高い任務に従事する少数生産型のハイエンドモデルだ。

 

 大男のAIは取り上げた煙草の代わりに、持っていた濃いコーヒーの入ったカップを机に置いた。

 

「あぁ……分かったよ、ボブ」

 

 

 

 

 

 

 

 2111年7月29日。

 

 平均的な企業の会議室程のスペースにはオモチャや資料が足の踏み場も無い程に乱雑に散らばっていて、地下室であるが故に窓も無く、照明の光量も薄暗いレベルに絞られたその部屋のど真ん中。

 

 継枝ギンは頬杖付いて、デスクに置かれた端末が表示する映像に視線を落としていた。

 

 映像を再生しているその機器はパソコンや電子手帳のようなものではなく、今時珍しい映像再生の機能しか持たないプレイヤーだ。

 

 やがて記録されていた映像が終わって、画面には彼の顔が映るようになる。もうずっと陽光を浴びずに、色素が抜けて白くなった肌。何年も切らずに伸びるに任せて腰にまで届く程になった枝毛だらけの髪。寝不足と不摂生でクマの出来た目元。

 

 総じて不健康で不衛生さを感じさせる顔だった。

 

 ボリボリと頭を掻いて、床にフケが落ちる。

 

「それで……これを見せて、私にどうせよと? ボブ」

 

 ギンは回転椅子をくるりと回して、背後を振り返る。

 

 彫像のようにそこに立っていたのは、岩のように逞しいボディをもった守護者型AIだった。

 

「最初に言った通りだ。俺の役目は、これはと俺が思った相手にこの映像を見せる事だけ。その後で、どうするかは、その人間に委ねる事にする。つまりはギン……君に」

 

「……」

 

 ギンは何も言わず、更に頭を掻き毟った。

 

 

 

 

 

 

 

 2161年4月10日。

 

 この日、折原サラはAI博物館に居た。

 

 展示されているAIとサラとの間の空中には、そのAIと同じ姿をした、まさしく『理想の歌姫』と呼ぶに相応しいAIが、スポットライトに照らされて、万雷の拍手を受けて歌っている映像が投影されていた。

 

 鏡に映したように同じ姿をした(実際に同一機なのだから当然至極なのだが)実物と映像の中の二機だが、しかし彼女達は全く違ったものに見えた。

 

 展示スペースに鎮座している実機は大人しそうでどこか儚げな印象を受けるが、空間映像に記録された歌姫は快活に踊り、歌い、歓声を浴びている。

 

 二者は全く別の性格をした双子と言うのが、最も近い表現のように思えた。

 

「40年前の映像です。ご覧いただいた通り私は歌でみんなを幸せにするという使命の為に稼働してきました。主にニーアランドという場所で」

 

「うん、知っているよ。記録映像で見たから」

 

 AIのアイカメラがピントを合わせようと、人間の瞳孔が収縮するのに近い動きを見せた。

 

 レンズに映ったのは、ジャケットにチューブトップ、ホットパンツにアーミーブーツとラフな格好をした少女の姿だった。背丈や顔の造形はエレメンタリースクールの学生と言われても違和感は無いが、じっと覗き込む瞳には無邪気さの色は無く、寧ろどこか老成したような雰囲気すらあった。

 

「おばあちゃんがあなたのファンでね。あなたの歌を子守唄にして、私は育ったんだ。おばあちゃんはあなたの最後の舞台……40年前のゾディフェスの話を口癖みたいに話してね……あの時、あそこに居れた事は、一生に一度の幸運だって」

 

 歌姫型AIは、僅かな時間だけ動きを止めて首元のランプを明滅させた。これはAIの穏やかな驚きの動きに当たる。ややあって、彼女は優しい微笑を浮かべた。

 

「そうですか……そう言ってくれるファンの人が居てくれたと分かって……私も嬉しく思います」

 

 AIにとっての幸福は使命を全うする事であり、最も恐ろしい事はそれを果たせない役立たずで終わる事だ。その意味でサラの言葉は、今は展示物となっているこの歌姫AIにとって冥利に尽きるという感情があるとしたら、今のこのプログラムの動きの事だと理解させるような甘美な響きがあった。

 

「居てくれた、じゃないよ」

 

「え?」

 

「今も、ここに。少なくとも一人は居るよ」

 

 サラは、薄い胸板をどんと叩いた。

 

「最初はおばあちゃんに紹介されて、途中からは自分のお小遣いやバイト代で、あなたの曲が収録されたアルバムや記録映像は全て揃えたよ。勿論、今でも聞いてる。その上で、ディーヴァ。あなたに聞きたいのだけど」

 

「はい、何でしょうか」

 

 ディーヴァ。まさしく歌姫の意であるその名前で呼ばれたAIは、礼儀正しく応答しようとした。

 

「もう……あなたは歌わないの?」

 

「……」

 

 沈黙。これは陽電子脳が適切な回答を検索しているタイムラグである。

 

 しばらくして、回答が無い事を不快に思った様子も無く、サラは苦笑いして軽い溜息を一つ吐いた。

 

「ま、百年も生きてりゃ色々あるよね。そりゃ」

 

「え、ええ……ごめんなさい」

 

「良いんだよ」

 

 そっと、サラが手を差し出した。ディーヴァは彼女の意図をすぐには掴みかねていたようだったが……

 

「ディーヴァ。握手を」

 

「あ、はい」

 

 ディーヴァはサラとの間に薄いガラスのように展開されていたシールドを解除した。これは盗人や悪質な客から展示品を守る為のものだが、この客にはそんな懸念は杞憂であると、彼女の演算回路は結論した。

 

 少しだけしゃがんで視線を合わせると、生身の手と、体温こそは無いがそれと遜色無い程に柔らかく精巧に、人工素材で作られた手が、握り合わされる。

 

 ディーヴァにとっては歌姫として現役時代には数え切れない程に(と言っても、彼女の記録回路は最初に稼働してから現在に至るまでの握手の回数を正確に覚えているが)繰り返した動作だったが、ここ何年かはずっとご無沙汰だったアクションであり、初めてのように錯覚するものがあった。

 

 やがて握手が終わると、ディーヴァは展示スペースへと戻りサラとの間には、再び遮蔽シールドが展開される。

 

「だけど私は、いつまでも覚えてるよ」

 

「え?」

 

 ディーヴァのカメラアイに映ったのはぐっと握り締められた拳だった。親指が立てられている。

 

「ディーヴァ、あなたという最高の歌姫と、今でも私の中に響き続けているあなたの歌を。そして信じてる。いつか……いつかあなたがステージに帰ってきて、また歌でみんなを幸せにしてくれる事を」

 

「お客様……」

 

 先程と同じく、ディーヴァは少しだけ固まって驚きの動作に入り……そして微笑んだ。だがこちらは先程よりもずっと優しく。ずっと柔和に。

 

「……ありがとう」

 

「うん。だからその時は、あなたに一曲、歌って欲しい歌があるんだ」

 

「……それは、どんな歌でしょうか? 今の私は歌えませんが、せめて曲名だけでも……」

 

 まだ、歌おうとする意志自体はある事が確認出来て、ディーヴァのそれよりはずっと分かり易い喜色を顔に浮かべるサラ。彼女の口がパカッと開いて、だがすぐに思い留まったように閉じた。

 

「ん……それは、その時のお楽しみって事にするよ。じゃあ、そろそろ行かなくちゃ。またね、ディーヴァ」

 

「ええ……またのご来館を、お待ちしています」

 

 接客プログラムに入力されているのよりも遙かに恭しい動作で、ディーヴァは頭を下げると彼女のファンを見送った。だが頭を上げたそこで「あ」と思い出したように声を上げた。

 

 名前を聞いておけば良かったのにと、彼女は少し後悔した。

 

 まぁ……良い。

 

 今の態度から、彼女が再度来館してくれる確率をディーヴァの陽電子脳は88%と弾き出している。その時に聞けば良いだろう。こちらにも『その時のお楽しみ』が出来たというものだ。

 

「……今日が最後だ。心置きなく楽しんだか?」

 

 博物館の外には、屈強な守護者型AIが待っていた。彼は握手する際のディーヴァのように屈んではくれなかったので、短身のサラは視線を合わせるのには首をかなり曲げなくてはならなかった。

 

「ええ」

 

「では、そろそろ行こう。もうあまり時間が無い」

 

 サラは、頷いて返した。

 

「そうね。ボブ」

 



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第1部 甲斐ルミナ
第1楽章 100年の旅の始まり


 

 2061年4月11日、深夜。

 

 この日、甲斐ルミナは市内のパトロールにパトカーを転がしていた。眠気が襲ってきて、大きな欠伸を一つ。その後でブラックコーヒーの缶を開けると、彼は一息でその中身を空にした。

 

「ねむ……AIの相棒が居てくれたら、事件が起きない限りは俺は寝てられるんだがなぁ」

 

 彼はひとりごちる。昨今、警察や警備会社にもAIは導入されつつあるがBOTやドローンの類と違って、独自の思考力・判断能力を持つAIは高価な事と単純にその絶対数が少ない事もあってまだ配備は進んでいない。それにまだAI技術は発展途上、その能力を疑問視する声も多い。

 

 かく言うルミナ自身もその一人だった。

 

 とは言え、昔アニメや映画で見たロボット警官が自分の相棒となるというシチュエーションは正直魅力的であり、憧れる自分が居る事もまた事実である。

 

 そんな日が来るかどうかは分からないがそれを期待しながら、優先して相棒AIが配属されるような実績を挙げるよう、優秀な警官を目指そうかと思考しつつ、彼はパトロールのコースを変更してドーナツ屋へと、ハンドルを切ろうとした。

 

「……!!」

 

 だが、切ろうとしたその瞬間に、ルミナはぴくりと体を弾ませてパトカーの進行方向を直線に戻した。

 

 車体のカウルや窓ガラス越しであり、しかもエンジン音と路面の僅かな凹凸がもたらす震動によって体に伝わってくる分には微かなものだが、だが確かに、空気がびりびりと震動している感覚が肌に走って、耳は爆音を拾っていた。

 

 対テロ特殊部隊に所属していた経験もあるルミナは、ハードロックをガンガンに鳴らしていても銃声やヘリコプターのプロペラ音を拾って、銃器や機種を判別し、おおよその方角と距離を割り出せるレベルにまで訓練を積んでいる。

 

 パトカーのサイレンをONにすると、体に染み込ませて刻み付けた感覚が教える方向へとハンドルを切り、思い切りアクセルを踏み込んだ。

 

 平行しつつ、ナビゲーション機能のスイッチを入れる。この方向と距離の範囲内で、爆破事件が起こりそうな建物は……

 

「AI企業のビルか……」

 

 そう言えば最近、反AIを標榜するテロリスト・トァクの活動が活発になってきていると彼は今朝のミーティングで上司が言っていたのは思い出した。

 

 懐に手を入れると、脇の下に愛銃の固い感触がある事を確認した。そうする事で、少しだけ興奮で早くなっていた心拍数が落ち着いたのを自覚する。

 

 目的地には5分で到着した。

 

 この時間帯だから当然だが、ビルの全ての階層の明かりは消えていて、静まり返っている。

 

 人が動く気配も無い。

 

「……こりゃあ、俺のカンも外れたかな?」

 

 自分も少しナマって来たかなと自嘲しつつ、ルミナはパトカーを停めて外に出ると、胸ポケットからお気に入りの銘柄の煙草を取り出して、最後の一本に火を点した。

 

 吸い込んだ紫煙を、ふうっと吐き出す。

 

「平和そのものの、いい夜だ。毎晩こんなだったら、夜勤も楽なんだが……」

 

 ……という、適度に肩の力を抜いた不真面目な勤務態度が許されていたのは、その瞬間までだった。

 

 最初は銃声。

 

 続いてガラスが砕け散る音。

 

 その次には大勢のブーツが、床に散乱したガラス片を踏みにじる独特の音色が響いてくる。

 

 ビル内部から自動ドアを撃ち破って出てきたのは、戦闘服や暗視ゴーグルを身に付けて、銃火器で武装した……所属は不明だが、少なくとも堅気の人間ではないという判断を下すのにピコ秒も要さないであろう一団であった。

 

「急げ!!」

 

「早く避難しろ」

 

 すぐに銃をドロウして彼等を制止しようとしたが……一瞬、遅れた。

 

 ルミナの動作よりも早く。

 

 先程、パトカーの中で感じたものに軽く百倍する衝撃と爆音が襲ってきて、ビルの中層階の窓ガラスが全て内側から吹っ飛んだ。

 

 典型的な爆弾テロの手口だ。

 

 だがそれだけでは終わらなかった。

 

 木槌の速度が足りなかったり、あるいは中途半端に二つの円柱を叩いてしまったダルマ落としのように、ビルの上層階が崩落を始めたのだ。

 

 思わず、この瞬間だけはルミナも、トァクも視線を上にやった。

 

 そして、彼等は見た。

 

 舞い散るガラス片の一つ一つが、光の欠片のように散りばめられて。

 

 月光に照らされつつ、青い長髪をビル風に流して。

 

 ギリシャ神話にある、有翼のサンダルを履いたペルセウスのように空を駆ける人影。

 

 一瞬だけ、ルミナは言葉を忘れ、自分が今置かれている状況を忘れて、自分の職業も忘れた。

 

 目を奪われて、心を奪われた。

 

 それほどに、その姿は美しくて。

 

 が、そこは彼もやはりプロ。忘我していたのは一瞬に過ぎなかった。

 

「動くな、警察だ!!」

 

 銃を抜き放って、警告する。

 

 返答は、無数の銃声だった。

 

 反射的にすぐ傍にあった街灯の陰に身を隠す。細い鉄柱からは、元々大柄な上に鍛え上げられた彼の体の大部分がはみ出てしまっていたが、今回は運が味方してくれていたのか、弾丸は夜の闇に吸い込まれていくか、鉄柱を凹ませただけに終わった。

 

 ひとしきり銃声が鳴り終わったのを見計らうと、通信機のスイッチを入れる。

 

「こちら甲斐。テロリストだ、応援頼む!!」

 

 無論、要請したってすぐに応援の警官が駆けつける訳も無いが、しかし大声でそう叫ぶだけでも効果はあった。

 

 ルミナは知らなかったが、この時点で既にトァクは予期せぬ闖入者に阻まれて目的である相川議員暗殺に失敗していて、撤退行動に移っていたのだ。そこに警察が来たとあっては、彼等にとって後はいかに迅速にこの現場から離れるかが勝負であった。

 

 威嚇射撃が成功してやってきた警官に動きが無い事を確認すると、彼等は訓練された素早い動きで改造されたワゴンに乗り込み、法定速度を軽く40キロは超過したスピードにまで加速させてあっという間にルミナの視界から消えていった。

 

 後には、少しずつ近付いてくるサイレンの音をどこか遠い世界のように感じながら、街灯の陰から出てきたルミナが立ち尽くすのみ。

 

 彼はもう一度、天を仰いだ。

 

 勿論、先程の人影はもうない。

 

 ただ月が、地上の喧噪など他人事のように光を地上に落としているだけだ。

 

 この日の経験は、しかし日々の忙しさの中で、いつしかルミナは記憶の片隅に押し込めてしまう事になる。

 

 彼が今日の事を思い出すには、後15年の時を待たねばならなかった。

 



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第2楽章 太陽が落ちる前に その1

 

「逮捕された実行犯の男達は、誰も口を割らないそうです。恐らくは昼間の爆弾騒ぎを仕掛けたのと同じ、トァクの仕業かと思われますが……」

 

 ビルの倒壊騒ぎから一夜明け、担ぎ込まれた大学病院の、負った怪我の程度に比してかなり過剰と思われる広さと設備が整えられた個室のベッドに腰掛けて、相川は秘書からの報告を受けていた。

 

「そうか……まぁ、あれだけの事をしでかしたんだ。繋がりを見付けるのは、難しいだろうが……」

 

「いやしかし、よくご無事で。あんな出来事が起こって、死人はおろか怪我人も出なかったのは奇跡としか言いようがありません。本日の予定は全てキャンセルしておきますので、せめて今日一日はごゆっくりお休みください」

 

「そうか。いや、すまないね」

 

 普段は業務上必要以上の事はせず、自分を良い気分にさせた記憶は少ないこの秘書だが、流石にこれだけの事があった後では気遣いを見せる事もあるようだ。それとも秘書の対応はいつもと変わらないが、それに気付く事が出来る感受性を持てるぐらいに、昨日の経験を経て自分が変わったのか。相川は頭の片隅で漠然とそう思った。

 

「では、失礼致します」

 

「ああ、それと」

 

 一礼して退室しようとする秘書を、相川は呼び止めた。

 

 秘書は踵を90度ターンさせて、訓練された軍人のような回れ右をして振り返った。

 

「明日から他の先生や、AI関連団体とのミーティングを積極的にセッティングしてくれ」

 

「はい、分かりました」

 

 相川議員の精力的な活動によって「AI命名法」の法案が議会で可決されるのは、この半年後の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 15年後。2076年。

 

 およそ20年前に端を発するAIの進歩はありとあらゆる分野に大きな発展をもたらした。その中には宇宙開発も含まれていて、特に観光事業において現在から7年前、大きな話題となったのが人類史上初の宇宙ホテル『サンライズ』である。

 

 これは一言で言えば巨大な宇宙ステーションを利用した宿泊施設であり、当初は地上のホテルとはあまりにもかけ離れた、昔の漁師や船員の間で言われていた「船板一枚下は地獄」ならぬ「隔壁一枚外は地獄」という環境にある事から運営が不安視されていたものの、そこはオーナーやスタッフの努力の成果だろうか。

 

 それとも宇宙というこれまでは専門機関で最高度の教育や訓練を受けた者にしか許されなかった場所へ行きたいという気持ち。例えるなら起床後に家のドアを開けて、そこに広がっていた昨晩降り積もった雪の真っ白な絨毯に第一歩を踏み締めたいという感情にも似た人々のフロンティアスピリッツが強かったのか。

 

 いずれにせよ経営は順調に軌道に乗り、勿論一定以上の富裕層に限られ、また収容人数の関係から最低でも半年ほどの順番待ちが必要となるが、今や宇宙は人間にとってそう遠い場所ではなくなってきていた。

 

 そんなサンライズの大ホールに、甲斐ルミナは居た。

 

 そろそろ定年後にどんな職に就こうか、どんな生活を行なおうか、どんな趣味を持とうかという思考が現実的なものになりつつある年齢の彼だが、しかしその肉体は年不相応に鍛え抜かれていた。

 

 確かに加齢によって身長は少し縮んでしまったし、時折襲ってくる魔女の一撃が悩みの種ではある。年々後退する額に削られて頭頂部もすっかり寂しくなってしまった。ヒゲにも白色が混ざり始めている。

 

 されど、今の彼は全盛期には及ばぬものの未だ常人を遙か凌ぐ力強い存在である事は一目見て疑いようもない。更にそれは、もう10年以上もトァクを初めとするテロリストの案件を専門に取り扱い、署でも並ぶ者の無い検挙率の高さや授与された賞の数々など、実績からも証明されている。

 

 だがそんな彼も、今日ばかりは華奢で弱々しい老人に見えた。

 

 原因はすぐ脇に立つ、彼の相棒だった。

 

 ルミナがピエール・キュリーならば、相棒がマリ・キュリーという訳だ。

 

 相方は、まずルミナより一回り大きく身長190センチは優にあるだろう。肩幅も広くがっしりとした体格で、隆々とした筋肉は服の上からでもはっきりと分かり、職業はプロレスラーだと言っても誰も疑問に思わないだろう。

 

 体格の良さならルミナも相当なものがあるが、相方が並んでいてはボディーガードと護衛対象にしか見えなかった。

 

 尤も、ボディーガードという印象もそう間違ったものではない。相方はそうした使命を託されて、この世に来たからだ。

 

 相方は人間ではない。彼はAIだった。

 

 守護者型AI。

 

 主に警察や警備会社で採用されているモデルで、超合金製の骨格による堅牢性、油圧駆動によって供給されるパワーと、カーボナノチューブ製人工筋肉がもたらす瞬発力を特徴とした機種だ。

 

 文字通り寝ずの番を実行出来る警備用AIは15年以上前から実用化されているが、守護者型は彼等が遺してきた貴重なデータをフィードバックされて設計された最新機種であり高級量産型、ハイエンドモデルであった。従来機種に比べてパワー・スピード・インテリジェンス等全てに於いて上回っている。勿論それなりに値も張るので署でもやっと1機配備する事が決定し、その相棒兼教育係にルミナが選ばれたのである。

 

 名前はボブ。

 

 彼は警備やボディーガードの為に製造された自らの使命に、忠実なようだった。

 

 ブラックスーツにサングラスというまさにボディーガードかSPかという出で立ちで、油断無く周囲を警戒している。彼のプロセッサはこの瞬間にも、視界に入る全ての人間とAIの指の動きから瞬き一つに至るまで観察し、怪しい動きは無いか、不自然な仕草をしていないか。全ての情報を処理している。

 

 そんな物々しい雰囲気が伝播したのか、誰からともなく彼とルミナからは距離を置いて、5メートル四方には誰も居ない居心地の悪い空間が出来上がってしまっていた。

 

「ああもう!!」

 

 ルミナはそんな空気に耐えられず、相棒に向き直った。

 

「おいボブ、俺達はバカンスに来たんだぞ」

 

 当然、これはそういう設定である。実際にはルミナが個人的なコネクションからトァクがこのサンライズに潜入したという情報を入手し、潜入捜査を行なっているのだ。だから、ルミナの服装はハデな柄のアロハシャツにカンカン帽と100パーセントバカンスという出で立ちである。

 

「なのにおまえときたら、そんな格好で来やがって。葬式に行くと聞いたのか?」

 

「……」

 

 いまいち適切な回答が思い浮かばないのだろう。演算の為に、首元のランプが明滅した。

 

 今回は相棒と組んで最初の仕事なのに、最初から躓いたようでルミナは頭を抱えたが……だが案ずるより産むが易しと、彼はまずボブの首元からネクタイをむしり取った。

 

「ほら、こんな物は取っちまえ。ボタンも第三ボタンまで外して。ジャケットも脱いで、袖をまくる」

 

「あぁ」

 

 言われた通りワイシャツのボタンを外して、逞しい胸板が露わになる。上着を脱いで袖をまくると、100年以上前のアニメーションに登場したホウレン草を食べると強くなるキャラクターにも負けないような前腕が姿を見せた。

 

 大分と砕けた感じになったが、まだ足りない。

 

「メガネも変える」

 

 ルミナは今度は手を伸ばしてボブの顔からサングラスを奪い取って、代わりに星形のフレームに赤いレンズが嵌まったメガネを掛け直してやった。これでサーカスやテーマパークのキャラクターのように随分親しみやすくなった。

 

 だがそれでも足りない。このままでは最も重要な要素が欠けている。

 

「少しは笑えよ、ボブ」

 

「うむ……」

 

「……!!」

 

 だがAIが浮かべた笑みを見て、ルミナは圧倒されたように数歩後退った。

 

「どうだ?」

 

「あ、あぁ……悪くないな。毎日鏡に向かって練習すれば、良くなるだろ」

 

「分かった。そうしよう」

 

 半分呆れと皮肉交じりのその言葉に、AIの陽電子脳は極めて生真面目な返答を選択した。

 

 ボブの笑顔が鉄のように戻るのと、ホールに警報音が鳴り響くのはほぼ同時だった。

 

「おい!!」

 

「「ん?」」

 

 一人と一機が声がした方を振り向くと、ちょうど客の一人がスタッフに食って掛かっている所だった。

 

「これは船の警告音だろ!! 大丈夫なんだろうな?」

 

「お客様……」

 

 AIのスタッフが何事か応対しようとしたが、それよりも彼の肩にルミナの手が置かれるのが早かった。

 

「えっ?」

 

「やあユウタ。こんなところで会うなんて奇遇だな。ちょっと向こうで話をしようぜ」

 

「お、おい人違……」

 

 言い掛けたが、更に早くボブが持ち前の怪力で彼の体を米俵のように担いで連れて行ってしまった。あまりに想定外の事態に呆気に取られたAIスタッフに、ルミナは警察手帳を見せた。

 

「警察の者だ。潜入捜査中でね。ご協力感謝します」

 

 砕けた敬礼を一つして足早に去っていくルミナを、AIスタッフは呆然と見送っていた。ちょうど彼等と入れ替わりになるタイミングで、肩に青いクマのぬいぐるみを乗せたホテルオーナーのAI・エステラと、青髪のスタッフAIがホールに入ってきた。

 

 ユウタと呼ばれたその男は、ボブに担がれてトイレに連れ込まれた。出入り口は、遅れてやって来たルミナに封鎖される。

 

「おい、なんだあんたら!! 俺はただの善良な観光客だぞ!!」

 

 唾を飛ばしてユウタ(仮)は喚き立てるが、AIも人間もその抗議を全く聞いてはいなかった。

 

「そうなのか? お前さん、警報音が鳴って5秒と経たない内にスタッフに詰め寄ったな? 普通、ああいう警報が鳴ったのなら最初は何事が起こったのかと戸惑って、それから不安に駆られてスタッフとか従業員に話を聞くもんだ。お前さんがあんなに早く対応行動が取れたのは、あのタイミングで警報が鳴ると事前に知っていたからだ」

 

「言いがかりだ!! 俺は何も知らない!!」

 

「皮膚の温度、瞳孔の開き具合、筋肉の動きから、83パーセントの確率でその発言は嘘だと、俺のCPUは計算している」

 

 ボブは、冷徹に告げた。

 

「あんたら警察か? 何の証拠も無いのにそんな計算だけで人をしょっ引くなんて人権侵害だ!! 訴えてやるぞ」

 

 脅しつけるように言うユウタ(仮)だが、一方は百戦錬磨の刑事で、もう一方はまさしく文字通り硬骨のAI。ブラフの効き目は、決して高いとは言えないようだった。

 

「……確かに、私の犯罪者データベースに、死亡した者も含めて彼の顔は登録されていない」

 

 ボブがそう言って、ユウタ(仮)は「そらみろ」とでも言いたげに得意げな顔になった。しかし、ルミナは自分の勘働きが外れた事を告げられたようだったが、彼は少しも動じていないようだった。

 

「……ボブ、こいつの、耳の形をそのデータベースの顔写真と照合してみろ」

 

「了解」

 

 返事から1秒と経たない内に、ボブのマイクロプロセッサは検索を終了した。

 

「該当者1名だ。石壁ジン。トァクの構成員で現在、複数の容疑で指名手配中」

 

 さぁっと、ユウタ(仮)改め石壁の顔から分かり易く血の気が引いた。どうやら、図星だったらしい。最初の顔認証にヒットしなかったのは、整形手術で顔を変えていたからだったのだ。

 

「だが、耳まで整形しないからな普通。ボブ、お前らAIは優秀だがもう少し、智恵と知識の違いに敬意を払い、学ぶ事だ」

 

「分かった。また一つ学習したよ」

 

 人間とAIのコンビがそんなやり取りを交わしていると、石壁の懐から景気の良いメロディーが鳴り響いた。ハンディフォンの着信音だ。

 

 石壁は電話に出ていいかどうか、伺うように視線をルミナとボブへと交互に動かした。このタイミングで掛かってくるという事は、トァクの仲間からだろう。出なければ怪しまれるぞと、脅しの意味もその視線には含まれている。警官コンビは互いに顔を見合わせると、人間の方が彼の懐に手を入れて携帯電話を取り出して、AIに手渡した。

 

 ボブは携帯電話を受け取って、少しも躊躇わずに通話ボタンを押した。

 

<こちら垣谷。石壁、ホールの様子はどうだ? 予定通りか?>

 

「はい、予定通りです。今なら客とスタッフはホールに集まっています」

 

 すぐ傍で、石壁が顔を引き攣らせた。ボブがたった今発した声は、先程までとはまるで違う、石壁の声そのものだったからだ。守護者型AIには声帯模写の機能も備わっているのだ。彼は何か叫ぼうとしたが、ルミナに口を塞がれた。

 

<分かった。ではそっちはそのまま出来るだけ客やAIどもの注意を引きつけておけ。こっちはそのスキに、仕掛けを済ませる>

 

 一方的にそう言って、通話は切れた。

 

「よくやったボブ。良いアドリブだったぞ。早速学習したな」

 

「大した事はない。この男の態度や、他に仲間が居た場合に取る確率の高いパターンをシミュレーションしただけだ」

 

 ボブはそう言うと、携帯電話を石壁の胸ポケットに返した。そうして、教育係兼相棒を振り返る。これは「どうする?」と尋ねる所作だ。

 

「勿論、連中を止める」

 

 これは当然の結論だった。

 

「だが、奴等の目的が分からないが」

 

 AIの疑問も、こちらもまた当然の反応だった。

 

「おおよそは分かる。ただ単にAIを破壊したりするだけなら、わざわざ宇宙ホテルでやる必要は無い。地球のどこででも出来るさ。逆に言うと、この施設でなければ出来ない事を、連中はやろうとしているって事だ」

 

「……それは……」

 

 首のランプを点滅させて、ボブが言い淀んだ。

 

 陽電子脳を稼働させてたった今ルミナが言った条件で推測されるトァクの目的を演算してみたが、人間で言う「背筋が粟立つ」というのがこういう感覚なのかと、彼はまた一つ学習したようだった。

 

 それぐらい、ぞっとしない結論が弾き出されたのだ。

 

「では、手早くやろうか」

 

 ルミナはバッグから取り出した新品のダクトテープを、ビッと張り詰めさせた。

 



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第3楽章 太陽が落ちる前に その2

 

「確かなのか? トァクがこのホテルを地球に落とすというのは」

 

 宇宙空間では起こり得る筈が無い地震にも似たパターンの震動が走るサンライズの船内を、人間とAIは駆けていた。人間・ルミナは右手に愛用の道具が詰め込まれたバッグを。AI・ボブは居る筈がない恋人への贈り物のように、バラの花束を抱えていた。

 

 生身と機械の違いこそはあれ、どちらもこの程度の震動で足を取られるほどヤワではない。両者はほぼ地上と変わらない速度で駆けていく。

 

「勿論、確証は何も無いがな。だがわざわざこんな宇宙ホテルにまで足を運んでやる事と言ったらそれしか考えられないんだよ。後は……」

 

「後は?」

 

「俺のカンだ」

 

「理論的ではないな」

 

 AIは断じた。全くの正論を受け、ベテラン刑事は苦笑いする。初任務から、とんだ新人研修になってしまった。

 

「……確かにな。そんな不合理な命令には従えないか?」

 

 どこか試すように、ルミナは尋ねる。ボブのCPUはこの瞬間にも、自分の使命、AIとして遵守すべき三原則、現在の状況、想定される極近未来のシミュレーションなど様々な要素を入力して検証を進めていく。

 

「……俺の使命はパートナーである人間をサポートし、犯罪やテロの撲滅に尽くす事だ。つまりはこの場合、俺のボスはルミナ、あなたという事になる」

 

「……」

 

「一つだけ聞かせてくれ。あなたは今の自分の行動が、この場の最善であると確信しているんだな?」

 

「そうだ」

 

 刹那の間も置かず、ルミナは即答した。これはボブにとって満足の行く回答であったらしい。首筋のランプが、点滅を止めた。これ以上の演算を行なう必要は無いと、陽電子脳が結論を下したのだ。人間の情動に言い替えると「迷いは晴れた」とう心境に当たる。

 

「では、ボス。俺に指示をくれ」

 

「ああ。まずは走りながら、盤面の整理だ」

 

 トァクの目的。

 

 これはルミナが推測した通り、このサンライズを地球に落とす事でほぼ9割間違いあるまい。この見通しの根拠は、サンライズに関する全権を握っているのはエステラ。AIという点だ。

 

 トァクは反AIを旗印に掲げるテロリスト集団。連中はこの宇宙ホテルが地球に落ちるという「大事故」を演出する事で、そもそもこんな重要な施設の管理をAIに任せたのが間違いだったと世間にアピールし、AIの信用失墜、立場を失脚させるつもりなのだろう。

 

「理屈に合わないな。武装した集団による悪意の介入などあれば、たとえホテルのオーナーがAIでなく人間であってもほぼ間違いなく同じ事態が発生すると推測されるが」

 

「オウよ。まるで大親友のA君とB君が居て、A君を拉致って拷問して、それで彼がB君の秘密を喋ったから、二人の間にあった友情は偽物だった、なんて言っているようなモンだ」

 

 ボブはAIお得意の論理的思考でトァクの行動原理の矛盾を指摘する。それ自体はルミナも同意を示したが……彼の言葉には、もう少し続きがあった。「だが」と前置きして続ける。

 

「テロリストに理屈は通じねぇ。連中にとっては目的……この場合はホテルを地上に落とし、AIの信用を失墜させる事だが……その為に用いられる手段や理屈は無条件で正しく、逆にそうじゃない理屈は同じ理由で間違っているんだよ。実際、連中の過激派は反AI団体のクセして人間まで巻き添えどころか平気でターゲットにするからな」

 

「本末転倒じゃないのか?」

 

「連中の中では矛盾してないんだよ。人間、特にAIに関係無い人が被害に遭っても、それは崇高な目的の為には致し方無かった。尊い犠牲だった。大きな目的の為には多少の損失はやむを得ない……と、そんな理屈を付けてな」

 

「コラテラル・ダメージってヤツだな」

 

 と、このテロの動機を批判するのはそこまでだった。そんな余計なタスクの処理にこれ以上頭脳や演算回路の能力を振り分ける余裕は、彼等には無い。その時間も無い。

 

 議論すべき点は、一つ。

 

「どうすれば、サンライズが地上に落下するのを止められるか?」

 

「……それは、軌道変更する奴を管制室から叩き出すのが手っ取り早いだろうな」

 

 通常時、サンライズは地球の静止周回軌道に乗っている。それが落ちるとなると、考えられる最も高い可能性は「誰か」が管制室にてホテルの軌道を変更、落下コースに乗せてしまうというものだろう。

 

 他にも、多数のブースターをホテル外壁に接続して無理矢理この宇宙ステーションを落下軌道に「押し出して」しまうという手などが考えられるが……これは、あくまで方法論として存在しているだけの、実現性の低いオプションである。今回の場合は無視して構わないだろう。

 

 やはり本命は、管制室に曲者が侵入してホテルの軌道を変えてしまうパターンだ。

 

 ボブのCPUも、このホテルを地上に落とそうという目的が達成されるとしたらその手段が最も可能性が高いという演算結果を出している。

 

 ……の、だが。

 

 ある一点により、CPUは最終的にエラーをきたしてその可能性を0パーセントと弾いてしまう。これは何度試みても同じだった。理由はこうだ。

 

「この規模の施設なら、制御システムを作動させるにはその都度、人間ならば指紋・網膜・掌紋・肉声その他各種生体情報、AIならば陽電子脳の固有波形をアクセスキーとしてセキュリティをクリアしなければならない筈だ。特に今回の場合、支配人はエステラ、AIだ。陽電子脳の複製は不可能。どうやって、それをやる?」

 

 ボブが指摘した事は、既にルミナも同じ考えに至っていた。目的は判明したが、だがどうやって彼等はそれを為すつもりなのか? ハウダニットが分からない。エステラが自らの判断・自らの意志でそれを為すとは考えづらい。動機が無い。ならばエステラをハッキングやウイルスプログラムによって暴走させるのか、それとも何か別の、思いも寄らぬ一手があるのか。

 

「まさか推理小説の双子を使ったアリバイトリックみたいに、セキュリティを欺く為にエステラのそっくりさんAIを用意するんじゃあるまいな?」

 

 冗談めかして、ルミナが言った。現時点では結論を出すのはムリ、行き詰まり状態だ。考察しようにも、情報・判断材料が少な過ぎる。

 

「だが、既にトァクは動いているんだ。少なくとも彼等の中では、何らかの方法でそのセキュリティを突破出来る目算があるんだろう。奴等はこの船を地球に落とせる。そう考えて動くべきだ。取り敢えずはエステラを探すべきだな」

 

「その判断は合理的だ」

 

 相棒の考えを、ボブも支持した。

 

 仮にトァクが何かの勘違いやミスをしていて、結果的にサンライズが落ちないのであればそれが一番良い。だがそれを期待して動くのは馬鹿げている。自分達は常に最悪の事態を想定して動くべきだ。

 

 つまりこの場合は、敵がサンライズを落とす手段を持っていると考えた上で、行動せねばならない。

 

 そんな風に考えているとまた衝撃が襲ってきて、一人と一機は手摺りに掴まって体を固定する。振動が収まった所で再び駆け出そうとして……館内放送が始まった。

 

<ご宿泊のお客様にお知らせします。機関部に甚大な損傷が確認されました。ホールにお集まりの皆様はお近くの職員の指示に従い、直ちに避難艇への移動を……>

 

 声はエステラだが……しかし先程の考察を経ていると、最早鵜呑みに出来ない。この声の主は、本当にエステラなのか?

 

 何らかの手段でトァクがエステラ自身によってしか開かない扉の合い鍵を手に入れているとしたら……彼女の声ぐらい自由に真似られて不思議はないからだ。事実、守護者型AIにも声帯模写の機能は付いている。

 

 エステラが本当に避難誘導しているのか、それとも彼女になりすましたAIが声真似してるのか?

 

 走りながら考えていたが、その答えは存外早くに出た。

 

 前方の曲がり角から二人分の足音が聞こえてきて……

 

 ここは客が集まっているホールや避難艇へのルートからは外れているから、この状況で遭遇するとしたらトァクか……そう思ってコンビ警官は身構えたが、しかし予想は外れた。警官という職業柄からは珍しく、良い方に。

 

「うっ!!」

 

「あなた達は……」

 

「待って、私達はテロリストじゃありません」

 

 曲がり角から現れたのは、探し人ならぬ探しAIのエステラと、肩に青いクマのぬいぐるみを乗せたAIスタッフだったからだ。

 

「……」

 

 ボブは、二機に向けてかざしていたバラの花束を抱え直した。

 

 ルミナはこのエステラは本物なのだろうかと僅かな間疑ったが、すぐに疑問は解消された。

 

「支配人、あんたなんだな」

 

「警察の方ですね。スタッフから報告は受けてます」

 

 先刻、石壁を拘束した時にルミナはAIスタッフに警察手帳を見せている。そのスタッフから連絡を受けたという事は、このエステラは本物なのだろう。仮に先程の冗談が本当でニセエステラが居たのだとしても、そいつがホテルのスタッフAI間で用いられるグループネットに接続しているのは考えられない。もし繋いでいたとしたら、その時点で『エステラ』が二人居る事がバレるからだ。

 

「ホテルの落下を止める。協力してくれ」「ホテルの落下を止めます。協力をお願いします」

 

 刑事と支配人AIの声が揃って、すぐにどちらも目的は同じという事を確認した。

 

「あぁ、俺は甲斐ルミナ。こっちは相棒のボブ。守護者型AIだ、そっちは支配人のエステラと……」

 

 簡単な自己紹介をしようとして……ルミナは、言葉を失った。

 

「あんたは……」

 

 エステラのすぐ隣に立つ、青髪のスタッフAI。

 

 彼女を見たその時、ルミナの中で、堆積する知識と経験の澱の中に沈んでいた記憶が鮮やかに蘇った。

 

 15年前の夜。

 

 相川議員暗殺未遂事件で、崩落するビル。

 

 無数の硝子片が星屑のように舞い散る中で、月光を背に空を駆ける影。それはそれはとても美しかった。

 



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第4楽章 太陽が落ちる前に その3

 

「色々聞きたい事があるようだが、今はそれを語っている場合ではないだろう」

 

 15年前に一瞬だけ見た、青髪のAI。

 

 あの時は遠目からだったが、間違いない。今、眼前に立っているサンライズスタッフの制服を着用した彼女は、その時のAIと同一の個体なのだと。

 

 どうしてあの時のAIがこのサンライズに居るのか。すぐにでも問い質したい所ではあるが……

 

 しかしルミナの好奇心や疑問は、ボブのその一言によって蓋をされた。

 

 確かに今はサンライズの落下阻止の為に、一刻を争う事態である。

 

 エステラと青髪のAI……ヴィヴィと名乗った彼女からもたらされた情報によると、既にこの宇宙ホテルの高度は下がり始めているらしい。阻止限界点を超えるまで、もうそれほど時間が残されているとは思えない。

 

「やはりトァクは、何らかの形でセキュリティを突破する手段を持っていたのか」

 

「……刑事さん。その事なんですが……」

 

「うん?」

 

 若干、言い辛そうなエステラだが……しかし続いて彼女の口を突いて出た情報は、思わずルミナが「何!?」と大声で聞き直して、ボブのCPUに僅かな驚きに当たるラグを生じさせるのに十分な衝撃を与えた。

 

「同じ部品、同じプログラムで組まれた完全同型のAI、エリザベス……」

 

 まさか数分前に冗談で言ったのが、物凄く真相に迫った推理だったとは。事実は小説よりも奇なりとは本当だなとルミナは思った。

 

「アーカイブにも記録は残っているな。通称『双陽電子脳計画』。誕生した陽電子脳ごとに異なるパーソナリティ、『個性』とでも言うべきものを完全複製する事を目的としたプロジェクトだ」

 

「何の為にそんな計画を? ……あんたらAIが居る前でこういう言い方をするのはちとアレだが、データなら定期的にバックアップが取られているだろ?」

 

「AIの、『蘇生』を目的とした計画だったと聞いています」

 

 AIは陽電子脳を破壊されれば『死亡』する。無論、全てのメモリーはバックアップする事が出来るし、それを新しいブランクな陽電子脳へアップロードして再起動を掛ける事は出来るが、それでも同じ『個性』が発現する事は無い。死んだAIと全く同じ記憶と別の自我、別の意識、別の個性を持った……つまりは『別人』として再生されるのだ。同一の意識を継続する『蘇生』とは程遠い。

 

 こればかりは、何故そうなるのかは意識野を持つ陽電子脳の発明からこっち専門家や科学者の間でも未だ分かっておらず、日夜研究が繰り返されている。

 

 結局、このプロジェクトは成果が上がらず凍結される事となるのだが……しかし『到達点』には至らなかったものの、『通過点』として副産物が生まれた。それがエステラとエリザベスだ。彼女達の陽電子脳の波形パターンの一致率は99.8パーセントと最も高い数字を記録して、この波形一致率であればセキュリティに『エリザベス』を『エステラ』と認識させる事は十分可能だった。

 

 記録によればエリザベスは姉であるエステラと一度も顔を合わせる事無く廃棄され、エステラはライフキーパーとしての使命を与えられ、OGC社によってサンライズへ送られる事になったのだが……

 

「トァクは、何らかの手段で廃棄されたエリザベスさんを回収して、自らの戦力として運用しているんでしょうねぇ」

 

「……なぁ、ヴィヴィ。さっきから気になってたんだが、そのクマは何だ?」

 

「サポートAIのようなものです。お気になさらず。名前はマツモト」

 

「あ、そう……」

 

 素っ気なく、ヴィヴィは言ってのけた。

 

 ルミナにはまだ聞きたい事があったが……

 

「うっ」

 

 一同の足が止まった。

 

 管制室へと続く通路に、隔壁が降りていたのだ。

 

「ちょいとお待ちを」

 

 クマの両眼が明滅すると、隔壁が「開けゴマ」と唱えられた洞窟の扉のように、天井へと上がっていった。

 

 これで管制室まで一直線……とは、行かなかった。

 

 隔壁を上げて進んだそこには、また隔壁が降りていたのである。

 

「まどろっこしいですねぇ。僕が直接管制室に繋げられれば全システムの掌握も容易いんですが、現在、ホテルの制御権はエリザベスさんに押さえられています。今は一枚一枚ロックを解除していく他はありませんか」

 

 本当に面倒臭そうにクマが鼻を動かすと、先程のリプレイのように隔壁が上がった。

 

 そうして隔壁が上がったそこには、また隔壁が降りていた。

 

「これで少しでも時間を稼ぐつもりでしょうかね?」

 

 再び、マツモトの目が光ってロックの解除を行なおうとするが……

 

「待て!!」

 

 横合いから掛かったルミナの声でハッキングは中断された。

 

「どうしたんです? 今は一刻を争うんでしょう?」

 

「確かにそうだがな。だがヴィヴィとエステラ。二人は壁際に立て。出来るだけぴったりとくっついてな」

 

「どうして……」

 

「良いから」

 

 議論の時間も惜しいと、ルミナの語気が強くなった。二機の歌姫型AIはまだ若干の疑問は残っているようだったが、ひとまず指示に従って壁に背中をくっつけた。

 

「成る程、そういう事ですか。確かに、その危険はありますね」

 

 マツモトには既に、ルミナの指示の意図する所が読めたようだった。彼も壁際へと移動する。その後でルミナ自身も壁にぴったり背中を付けて、通路の中央には花束を抱えたボブだけが仁王立ちする形となった。

 

「よし、良いぞクマ。壁を上げろ」

 

「そのクマは止めてもらえます? 僕にもマツモトという名前があるんですが……はい、ロック解除OKです」

 

 マツモトが言い終わるか終わらないかという所で隔壁が上昇を始め……

 

 そして上がり切らない所で、連発銃の銃声が通路に木霊した。

 

 ヴィヴィとエステラは自動的に聴覚の感度を調整し、ルミナはあらかじめ両手で耳を塞いでいた。

 

 隔壁が上がったそこには、作業員に扮したトァクの構成員がサブマシンガンを持って待ち構えていたのだ。

 

 降りていた隔壁はトラップだったのだ。隔壁でエステラ達を足止め出来ればそれで良し。隔壁を上げられたとしても、調子に乗ってどんどん進んでいたそこで、待ち構えていた伏兵が一斉射を浴びせる。うっかり進んでいたら、銃弾の雨を浴びる所だった。人間であるルミナは言うに及ばず、歌姫型AIで荒事など想定して造られていないエステラやヴィヴィのボディがこれを受けてはひとたまりもない。

 

 逆に言うと、この場で唯一『荒事を想定して造られているAI』。ボブは、弾雨に晒されてもびくともしなかった。流石に表皮に当たる部分は削られて内部の機構が露出してしまうが、装甲車のように頑丈な超合金のシャーシには、少しのダメージも通ってはいなかった。

 

 ボブは撃たれながら、抱えていた花束の包み紙に括られていたリボンを外す。

 

 幾本ものバラが飛び散って、その中に隠されていたショットガンの冷たい銃身が姿を見せた。

 

 ボブは良く油を差されて正確に動く時計の歯車のように滑らかで淀み無い動きでコッキングレバーを操作すると、100分の1秒の逡巡も無く引き金を引いた。

 

 銃声。一番左に居たトァク構成員が吹っ飛んだ。

 

 続く銃声。真ん中のトァク構成員が吹っ飛んだ。

 

 更に銃声。右のトァク構成員が吹っ飛んだ。

 

 ものの数秒で、当面の脅威は排除された。

 

「ボブ……あなた、なんて事を……」

 

 ヴィヴィが、信じられないという表情で思わず守護者AIの肩を掴んだ。エステラは想像を絶する事態の発生に、凍り付いているようだ。動かなかった。

 

 AIが人間を殺傷するなど、最も避けねばならない禁忌だと言える。だがその一線をこのボブはそれが無知によるものでも事故でも何でもなく、あまりにもあっさりと踏み越えてしまった……

 

 かに、思われたが。

 

「う、うう……」「痛ぇ……」

 

 倒れた3名の内、二人がうめき声を上げて体をよじったのである。弾丸は、明らかに急所に当たったと見えたのに。

 

「これは……」

 

「ゴム弾だよ。殺傷能力は無ぇ」

 

 ルミナが、跳弾して床に落ちた弾丸を摘まんで見せた。

 

「そ、それなら……早く管制室へ」

 

 フリーズから我に返ったエステラが壁際から飛び出すが……ボブが左手を差し出して彼女を制した。

 

「それは無理だ。まだ、な」

 

「え? それはどういう……」

 

 エステラの疑問の回答は、すぐにもたらされた。

 

 床に倒れたトァク構成員3名の内、うめきも身じろぎもしていなかった一人が、腹にゴム弾が直撃した痛みも衝撃も何も感じていないかのような、ベッドから起床するかのように無造作に起き上がって、ボブに飛びかかったのだ。

 

 その男は、ボブの武器であるショットガンを掴むと奪い取ろうと力を込めた。

 

 当然、ボブはそれをさせまいとするが……ここで、驚くべき事が起こった。

 

 何と、ボブはその男の手を振り払えなかったのである。AI、機械の体であり、その中でも荒事を想定して高いパワーを発揮出来るよう設計されている彼が、である。

 

 反AI団体のトァクだが、今回は作戦上必要だったとは言えAIのエリザベスを連れてきている。ならば、他にAIを同行させていたとしても不思議ではない。それなら、ゴム弾を受けてすぐに立ち上がって反撃してきたのも頷ける。

 

 男はボブのシャツを掴むと、180キロもある体を思い切り振り回して壁に叩き付けた。

 

 しかし、守護者型AIの堅牢なボディはこの衝撃を受けても、まさに痛くもかゆくも感じてはいなかった。

 

 ボブは彼の形に凹んでしまった壁から体を出すと、男の体を掴んでがっぷり組み合った。両者のパワーは拮抗しているかややボブの方が上回っているようだった。

 

 これで互いに、動きが止まった。

 

「マツモト!!」

 

「アイサー!!」

 

 この隙に乗じ、ヴィヴィの肩からマツモトが飛び出して、素早くぬいぐるみの首輪からコードを延ばすと、男の首筋へと接続する。

 

 これは決まった。ヴィヴィはそう思った。

 

 マツモトは80年以上も未来からやって来た最新鋭AI。直結すれば何世代も旧型である現在のAIをハッキングして無力化する事など1秒もあれば十分。

 

 すぐに、この男は糸が切れた人形のようにがくりとくずおれる筈だ。

 

 ……という、ヴィヴィの演算結果はあっさり覆された。

 

「むっ?」

 

 違和感を覚えたマツモトが声を出して、それを合図としたかのように男は、ぐんとボブごと体を回すと、その勢いでマツモトを振り払った。

 

 飛ばされたマツモトは、受け身を失敗してぬいぐるみの体から「プピッ」と気の抜けるような音が鳴った。

 

「マツモト、どうしたの?」

 

「有り得ません。この時代のAIが僕のハッキングをブロック出来るなんて……」

 

「AIではない」

 

 この場の人間とAIの中で最も至近距離で、男を子細に観察しているボブが言った。

 

「こいつは人間だ。ただし、全身義体。サイボーグのな」

 



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第5楽章 太陽が落ちる前に その4

 

 意識野を持つ陽電子脳が開発されてAI関連の技術にブレイクスルーが起こる以前から、当時の技術によって十分に実現可能な強化義体は研究が進められていた。

 

 人造の手足という点では義手や義足が連想されるが、強化義体はそれとは全く異なる。似て非なる物、どころかむしろ180度対極の発想なのだ。義手や義足は肉体の先天的欠陥や事故によって喪失した手足の代替に当てるのを目的とした物だが、強化義体は人間以上のパワーやスピードを実現する為に、肉体を人工物に置き換える。

 

 勿論、健康な人間の手足を切除して機械に置換するなど人道的に許される訳が無いので、事故に遭ったり病気の人間に対して施術を行ない、彼等の社会復帰に役立てるという名目でそれらの技術の実践テストが行なわれる事になる。当然ながら本人の同意を得た上で、だ。

 

 機械の手足は確かに生身とは比べ物にならない力を発揮する事が可能で、これらは介護や土木事業で活躍する事が期待されていたのだが……実際にはさほど普及はしなかった。

 

 施術を受けた人間は確かに常人よりは優れたパフォーマンスを発揮したのだが、それらはあくまで力自慢の人間の範疇に留まったのだ。実際には、それよりも遙かにスゴイポテンシャルがあるのに、全く発揮出来なかった。

 

 何故か?

 

 答えは簡単、機械の義肢が生み出すパワーに、生身の体との接合部が耐え切れないからである。無理にフルパワーを発揮しようとすれば、その繋ぎ目の部分から引きちぎれてしまうのだ。破壊力抜群の大砲を用意したものの、その土台がしっかりしていないから砲弾がどこへ飛んでいくか分からないようなものである。

 

 要するに機械義肢が本来のスペックを完全に発揮する為には、肉体を丸ごと人工物に置き換えねばならないのである。

 

 それ自体は決して不可能ではない。2030年代には既に、脳や脊髄といった中枢神経系などデリケートな臓器を除いては肉体を機械化・人工物に代替する技術はほぼ確立されており、多くの難病が克服されている。人工血液を使った白血病の完治などはその代表例だ。

 

 が、いくら技術的に可能だからと言って病気でもない健康な肉体をわざわざ機械と交換したいという物好きはそうそう居るものではない。第一、そこまでするなら多少利便性では劣るものの外付け・着脱式のパワードスーツで十分だと考えられていた。

 

 更にそうこうしている間にAIの発展が進み、そんな力仕事や危険な仕事はAIに任せれば良いという風潮が生まれ、それが現在の主流となって、義体の技術は医療目的以外には殆ど使われなくなった。

 

 だがその、すっかり廃れてカビが生えた時代遅れの技術である完全義体の恐るべきスペックを、ヴィヴィやエステラは今、見せ付けられていた。

 

 サイボーグはボブの手からショットガンを払い落とすと、思い切り投げ飛ばした。

 

 守護者型AIの巨体が床と水平に飛んで壁にぶつかって、うつ伏せに転がった。

 

 サイボーグはボブが起き上がるのを待たずに服の襟首を掴むと、力任せに持ち上げて天井に叩き付けた。金属製の天井がアコーディオンカーテンのようにひしゃげてそこにボブの体がめり込んだ。更にフロアが人工重力をカットした際、移動に使用する手摺りを掴むと、まるで藁で造られているかのように引き千切って、鉄パイプのように振り回してボブの顔面に叩き付けた。

 

 グワン!!

 

 大きく、そして鈍い音がして、思わずエステラは目を背けた。

 

 二発、三発。人間であれば一撃で首から上が消し飛ぶだろう恐ろしいフルスイングがAIの石頭ならぬ金属頭を打ち据える。

 

「助けなくちゃ……」

 

 ヴィヴィが援護しようとするが、サイボーグの連続攻撃はまるで野菜をみじん切りにしているミキサーの中に手を突っ込むようなもので迂闊に近付けない。

 

 だが、四発目が振り下ろされたそこで、ボブはサイボーグの手首を掴んでパイプの動きを止めた。サイボーグは当然振り払おうとするが、守護者型AIの握力は万力のようで、がっちりと固定されてしまっていた。

 

 キュイッと音を立てて、歪んでしまった星形メガネの奥のカメラアイが動く。

 

 これは、弱点を走査する動作である。

 

 CPUが分析する。

 

 サイボーグのフレームは、自分と同じ超合金製であり破壊は困難。だが、弱点はある。

 

 脳や脊髄以外の生身の部分が、この生体機械にはまだ残されていた。胸部中央やや左寄りに定期的に収縮する器官がある。心臓だ。

 

 ボブは、サイボーグの胸部を思い切りぶっ叩いた。

 

 その一撃で事は済んだ。

 

 がっくりと、サイボーグは膝を突いて動かなくなった。

 

 ボクシングには心臓がある部分を正確に強打して一瞬だけ心停止状態を作り出し、相手の動きを止めるハートブレイクショットというテクニックがある。今のボブの攻撃もそれと原理は同じだった。ただし今回は、生身の人間がどんなに鍛え上げても発揮出来ないパワーを、機械の正確さで打ち込んだのである。

 

 サイボーグは一瞬どころか、完全に心停止状態に陥ってしまっていた。

 

「……いくらテロリストとは言え、初任務から殺しは拙いよな」

 

 ルミナはさっきボブが突っ込んで配線が剥き出しになった壁に手を入れると漏電しているケーブルを引き抜いて、サイボーグの胸部に押し当ててやった。これは即席のAEDである。サイボーグの体がびくりと跳ねて、心臓の拍動が再開したのをヴィヴィやエステラ、それにボブのセンサーアイは確認した。勿論、また暴れられてはたまらないので手足は配線を切って機能を喪わせてある。

 

 ひとまずの危機を排除して一息吐いたそこで、またしても襲ってきた衝撃がサンライズ全体を揺らした。

 

「これは……」

 

 エステラが手近な計器を操作して、サンライズの現在の状態を確認する。

 

 今の状況がどんなものなのか? ライフキーパーAIの表情を見れば、そんなものは問わず語りというものだった。

 

 もう、あまり時間は残されていない。

 

 自分達の目的が成功するかは分からない。だがその成否に関わらず、やらなくてはならない事がある。

 

 ヴィヴィは、一つの決断を下した。

 

「ルミナさん、それにボブ。お願いがあります」

 

「うん?」

 

「この先の倉庫に、ユズカという女の子が隠れています。彼女を保護して、避難艇まで連れて行ってあげてください」

 

 額に手を当てるヴィヴィ。彼女の動きの意図をボブは正確に読み取って、片膝を突いて姿勢を低くした。

 

 ヴィヴィは頷きを一つして近付くと、額をボブに重ねた。AIはこうやって情報のやり取りを行なう。屈強な男性型ボディを持つボブは歌姫型のヴィヴィより頭一つ以上も身長が高いので、こうしなければならなかったのだ。この動作で、ユズカという少女の居る倉庫の位置データをヴィヴィはボブへと送信した。

 

「……命を守る事は、使命以前のAIの義務だ。俺は構わないが……」

 

 ボブはそう言いつつ、サイボーグを含む3名のトァク構成員を軽々と担いだ。その上で彼は、彼のボスへと向き直る。これは指示を請う動作だ。

 

「ルミナ刑事、私からもお願いします。ここからは戻れるかどうか分かりません。あなた方はお客様の避難誘導をお願いします」

 

「……だが、あんたらは」

 

 合理的に考えれば、客とホテルスタッフ、人とAI。どちらを優先すべきかは自明の理であるが……しかし感情面で、ルミナは少しだけ戸惑った。

 

「……大丈夫」

 

 ヴィヴィは微笑んだ。これは接客用AIとしての、決断を促す為の、自信を感じさせる為の作り笑いだった。

 

「必ず戻りますから」

 

 彼女のこの行動は、警察官とその相棒としての自分達の職務、その本分をルミナとボブに思い出させるのに十分だった。

 

「……分かった。ボブ、行こう」

 

「避難艇の発進は、ギリギリまで待つ」

 

 一人と一機はその言葉を最後に、三機と別れた。

 

 5分も走ると、ヴィヴィから送られたデータにあった倉庫の入り口が見えた。

 

「くそっ、ここもロックされてる」

 

 コンソールを叩くとエラー音が鳴って、ルミナが毒突いた。顎をしゃくってパートナーに「やれ」と促す。ボブは書いて字の如くの鉄拳を思い切りコンソールに叩き付けた。キーボードが粉々になってディスプレイが砕け散り回線がショートして、扉のロックが解除された。

 

「この手に限る」

 

 扉をくぐる一人と一機。

 

 そこには、十台半ばぐらいの少女が、荒っぽい手段で入った為だろう。腰を抜かして座り込んでいた。彼女のすぐ後ろには、確かルクレールだったか。このホテルのスタッフAIが横たわっている。良く見ると首の部分に破壊痕があった。既に機能停止しているようだ。

 

「ヴィヴィから送られた画像データと一致する。彼女が霧島ユズカで間違いない」

 

 ボブの言葉を受けてルミナは頷くと、先程相棒がそうしたように片膝を突いて、ユズカと視線を合わせた。警察手帳を見せる。

 

「霧島ユズカちゃんだな。君を助けるように、ヴィヴィから頼まれてきた。俺達は味方だ」

 

「ディー……いや、ヴィヴィから?」

 

 まだ、ユズカは怯えているようだった。しかし、じっくりと説明している時間は無い。

 

「生きたければ、俺達と一緒に来るんだ」

 

 ルミナの大きな手が、差し出される。ほんの僅かな時間だけ躊躇った後、その手をユズカは握り返した。

 

 ユズカと共に避難艇に駆け込んだ後、ルミナ達の行動は迅速だった。

 

 一人と一機は拘束したトァク構成員(ダクトテープでミイラのようにぐるぐる巻きにしてトイレの個室に放り込んでいた石壁も含む)を避難艇に放り込むと、避難誘導を開始した。

 

 ルミナは各避難艇に連絡を入れて、同乗したスタッフが点呼を取った乗客名を聞き出していく。

 

 ボブのCPUが、同じ避難艇に乗っていたAIスタッフから提供された乗客名簿とその客名を照合して、逃げ遅れた人間は居ない事を確認した。

 

 そう、逃げ遅れた『人間』は居ない。

 

 今、サンライズに残っているのは、AIのみ。

 

 即ち、エステラとヴィヴィとマツモト、それにエリザベスだけだ。

 

 全員が戻ってくるのか。それとも誰も戻らないのか。

 

 いつでも避難艇のドアロックを作動出来るよう入り口付近に立ちつつ、ルミナは白さが目立つようになったヒゲを弄った。これは苛立ちの所作だ。そろそろ避難艇を発進させなければ危険だ。出発を遅らせられるのは、どんなに待っても後十数秒。

 

 今ならば陸上競技で世界新記録が出せるのではないかと思える程に時間の流れが遅く感じる中で……

 

「来た!!」

 

 連絡通路を、一機のAIがまっしぐらに駆けてきた。ヴィヴィだ。肩にはマツモトも乗っている。

 

「エステラは?」

 

「……」

 

 ヴィヴィは何も言わず、首を横に振るだけだった。それだけで、ルミナにもボブにも全てを悟らせるに十分だった。

 

「兎に角、中へ」

 

「ボブ、避難艇を発進させろ」

 

 ヴィヴィが避難艇に入った事を確認すると、ボブは発進スイッチを押した。

 

 ドアが閉まって数秒後に何重かの隔壁が閉じた音が聞こえてきて、ガクンとした衝撃が艇内に走る。これは、避難艇がサンライズから離脱した際のものだ。

 

 ルミナは乗客達を見渡す。

 

 当然の反応だが、全員が不安を隠せていない。憧れの宇宙旅行に来たのにこんな不運に見舞われて、頭を抱えている男。手が白くなる程に強く、親の服を掴んでいる子供。責任の所在を、スタッフに詰め寄っている老人。

 

 ベテラン刑事は何事か言おうとして、思い留まった。自分が何を言っても大した効果にならないであろう事が、長年の経験から分かっていたから。

 

 だが、その時だった。

 

<皆様、この度はご不便、ご面倒をお掛けして誠に申し訳ありません。当機は地球、OGC第七空港へ向けて順調に航行中です。どうかご安心の上、何かありましたらお近くの職員へお申し付けください>

 

 アナウンスが響く。エステラの声だ。

 

 彼女はサンライズの各ブロックを可能な限り小さくパージして、大気圏内で燃え尽きさせる為の操作でステーション内に残っている。この通信は、サンライズから送られてきているのだ。

 

 もうすぐ、彼女自身も、前オーナーや自分が愛したホテルと共に燃え尽きる。

 

 それでも、お客様に万全のサポートを。有事の際にも完璧な対応を。

 

 宇宙ホテルサンライズの支配人として、ライフキーパーAIとして、最期までその使命を全うする事。それが彼女の、AIとしての彼女の在り方だった。

 

<皆様、よろしければ右手をご覧ください>

 

 そのアナウンスと共に、シャッターが上がって強化ガラス越しに、地球が見えるようになる。

 

<地球の外縁が明るくなっていくのがお分かりになるでしょうか。まもなく、欧州に夜明けがやってまいります。本日のロンドン、グリニッジ天文台の日の出時刻は……>

 

 それを最後に、アナウンスは途切れて。

 

 だが、代わりに歌声が聞こえてきた。

 

 歌姫型AIの特徴である、美しい声。

 

 落下を続け、今まさに燃え尽きようとしているサンライズから、届けられている。

 

「……歌姫として、ライフキーパーとして……全うしたのか……エステラ……」

 

 戦闘の衝撃でツルがぐにゃぐにゃに歪んでしまい、辛うじて顔に引っ掛かっている星形メガネを外したボブは、瞑目して胸に手を当てる。これは祈りであり、黙祷だった。彼には、宗教に関するプログラムはインストールされていない。この動作は、彼自身の中から生まれたものだった。彼自身、どうして自分がこうしているのか不可解だった。

 

「……ひとまずは、一件落着って所か?」

 

 ルミナが、ヴィヴィとマツモトに話し掛ける。クマのぬいぐるみに入ったAIは、慇懃無礼に応じた。

 

「甲斐刑事。今回の事は僕たちに質問するのも誰かへの他言もご無用にお願いしますよ」

 

「……俺が口外したり、余計な事を聞いたりするのは良くないって事か」

 

 マツモトの申し出にはイエスともノーとも答えず、ルミナはそう尋ね返して、二機の反応を伺った。人間と比べてAIの表情は読み取りにくい(特にマツモトはぬいぐるみのボディなので表情もへったくれも無い)が……その反応を見れば、どちらも口外されたくないというのはすぐ分かった。

 

「……分かったよ」

 

 降参とばかり両手を挙げて、ルミナはやれやれと溜息を吐いた。

 

「おや、よろしいので? てっきり刑事としての職務上、もっと問い詰めてくるのかと思いましたが。自分で言うのも何ですが、怪しさ満点ですよ? 僕たち」

 

「確かにそうだが……だが今回の一件、君らが居なければもっと大惨事になっていだろうからな……多くの人命を救ったんだ。あんたらが悪いAIじゃないのは分かるし、その功労者の頼みを無碍にする程、俺はケチな男じゃないつもりだ。この事はボブ以外誰にも話さないし、記録にも残さない。それで良いだろ」

 

「ブラボー♪ 話の分かるナイスシルバーは好きですよ。一つ握手を」

 

「お、おう」

 

 ぬいぐるみが差し出してきた手を、戸惑ったようにルミナが握り返した。握られたそこから、空気が抜けるような「プピッ」という音が鳴った。

 

 ルミナは立ち上がると、ヴィヴィと視線を合わせる。

 

 15年前の相川議員暗殺未遂事件と、そして今。

 

 聞きたい事は色々あるが……だが、質問しないと今約束したばかりだ。

 

 人間とAIは、何も言わず見つめ合っていたが……先に視線を外したのは、人間の方だった。

 

 窓からは、今まさに燃え尽きて消えていくサンライズが見えた。

 

「まぁ、正直15年前のあの時から、また会う事なんて想像もしてなかったんだ」

 

 それはルミナ自身も、ヴィヴィもマツモトも同じだろう。

 

 だが今日、こうして巡り会った。ならば三度目が無いなど、誰に言い切れるだろうか。

 

 振り返ると、ヴィヴィはユズカと何か話している所だった。

 

「それに確かに質問はしないと言ったが……独自に調査しないとは……俺は約束していないぞ」

 



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第6楽章 blank 10 years

 

 2081年某日。

 

 陸地から離れたとある不便な島。

 

 住民達は既に離れて、無人島と化している。

 

 遊歩道の脇にぽつんとある教会は、年月の流れに逆らえずボロボロに朽ち果てていた。取り壊しが決まっているそこは、ステンドグラスはひび割れ、聖母の像は色褪せて、右手が欠け落ちていた。長椅子はあちこち折れていて、床は踏み締める度にみしりみしりと不安な音を立てる。

 

 そんな、訪れる信徒も絶えて久しい廃教会に冴木タツヤとグレイスは居た。

 

「ごめんな、結局こんな場所しか用意出来なかった」

 

「あなたが居れば十分ですよ」

 

 こほんと咳払いがして、二人の視線はお互いからそちらへ移った。

 

 キャソックを着た青年が、そこに立っていた。

 

 だが神父や牧師ではない。それはこの場に百人の人間が居れば、恐らく百人全員が同じ感想を持っただろう。何と言うか……堂に入っていない、と言おうか、あるいは服に着られているという違和感が思い切り出てしまっているのだ。

 

 もっと簡単に言えば、青年にキャソックは全く似合っていなかった。

 

 タツヤも同じ感想を持った。

 

「似合わないなぁ」

 

 青年は苦笑し、肩を竦める。

 

「そう言うなよ。お前等が式を挙げるって聞かされて、親友の一世一代の晴れ舞台だから特注したんだぜ、この服。立会人に指名されたからには、完璧に務めようと思ってな」

 

「……あぁ、そうだったな。悪かったよ」

 

「ありがとうございます。私達の為に、そこまでしてくれて」

 

「よし、それじゃあ始めようか」

 

 青年は抱えていた聖書を開いた。本にはめくり癖が付いていて、何度もそのページを開いてこれから読み上げる台詞を練習したのであろう事が伺えた。

 

 この動作を合図に、タツヤとグレイスは再び向き合った。

 

「冴木タツヤさん。あなは今グレイスさんを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、敬い、慰み遣え、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

「グレイスさん。あなたは今、冴木タツヤさんを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。汝健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、敬い、慰み遣え、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くす事を誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

 一片の躊躇も迷いも無く、誓約は交わされた。

 

「僕はあなたを、一生涯守ります」

 

「私もあなたを、一生涯守ります」

 

 もう一度、二人の間で誓いの言葉が繰り返されて。

 

 そして二人は口づけを交わす。牧師に扮したたった一人の立会人だけが、それを見届ける。

 

 これが歴史上初めて、人とAIの夫婦が生まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 2083年某日。

 

 この日は、蒸し暑い夜だった。

 

 どんな大事件が勃発してもおかしくないような。

 

 勿論、理論的ではない。蒸し暑い事と事件が起きる事には何の関連性も無い。

 

 だが警察に何十年も居るようなベテランの刑事は、形は違えど経験則としてそうした直感を備えているものだ。勿論、それは個人差があるし、また自覚している者いない者の違いもある。

 

 しかしその日は、そうしたジンクスがぴったりと当て嵌まる事件が本当に起きた。

 

 市内の高層ビルで、原因不明の大火災が発生したのだ。

 

 深夜であるにも関わらず警察・消防・医療・その他行政関係者が上も下も一人残らず飛び起きるような大惨事であったが、しかし現場に急行した警察・消防の迅速な連携、救助・消火活動に従事するAIの献身的な働きと、人間による的確な指示によって重軽傷者多数で救急車が何台もひっきりなしに現場と病院を往復してはいるものの、死人は一人も出てはいなかった。

 

 ただし、レスキューAIには多数の未帰還機が発生したが。

 

 現状、事態は収束に向かいつつあるが……その、未帰還機の数は後一機だけ、まだ増えそうだった。

 

「離せ!! おい、離せよ!!」

 

「やめろ!! もう手遅れだ!!」

 

 その若い警官は我が身も省みずに火の中へと飛び込もうとして、三名の同僚に羽交い締めにされて取り押さえられていた。

 

「ボブが火の中に戻ったんだぞ!! 助けにいかなきゃ……」

 

「だから止めろ!! ボブはAIだぞ。AIを助ける為に、人間のお前が死んでどうするんだ!!」

 

 どちらかと言えば痩せた体格のその若い警官は、体付きからは信じられないようなパワーを発揮して同僚達を振り払ってしまった。これが火事場の馬鹿力というものであろうか。

 

「関係あるか!! ボブはただのAIじゃない。俺達の仲間……それ以上だ!! あいつに俺達が何度助けられたか……」

 

「だからってお前が死んだらそれこそボブが何の為にお前を助けたか分からないだろうが!! とにかく……」

 

「やめろ」

 

 静かだが、重い声が掛けられて騒いでいた警官達の動きがぴたりと止まる。

 

「署長!!」

 

 現れたのは、がっしりとした体格で制服を着こなした、老境の警官だった。

 

 ルミナだ。髪の毛はすっかり禿げ上がってしまい、腹も出てしまっているが、未だ定年間近の年齢とは思えない程に、加齢によってくっついた脂肪の下には欠かさず鍛えられたごつい筋肉が隠されているのが分かった。

 

「署長、俺を行かせてください!! 俺が必ずボブを連れて帰ります!!」

 

 若い警官が食って掛かるが、ルミナは彼の肩を掴んで「落ち着け」と一声。

 

「ボブが行くと言ったのは、俺が許可を出した」

 

「署長……」

 

 何でそんな無茶に許可を出したのかと、若い警官は階級の差も忘れて上司を殴り付けそうになったが……振り上げた拳は、続く言葉によって止められた。

 

「あいつは言った。必ず戻るとな。なら戻ってくる。必ずな。俺は今まで、あいつに裏切られた事は一度も無ぇ」

 

 ルミナのその言葉が合図だったようにビルの入り口だった穴から吹き出ている炎が一層強くなって……見間違いだろうか、ゆらりとその中に影が動いたようだった。

 

 しかしそれが錯視ではない事はすぐに分かった。

 

 燃え盛る火炎をものともせずに、守護者型AIの巨体が姿を現す。

 

 サンライズから地球への帰還後、ルミナの勧めで着用して今やすっかりトレードマークとなった黒のレザージャケットを着た彼は、ボブ。最初期型の守護者型AIであり、ロールアウトから7年を経た現在でも未だトップクラスの機体と評価を受けるエースモデルだった。

 

 若い警官は、飛びつくような勢いでボブに駆け寄った。

 

「ボブ、良かった無事で!! でも、どうして中に戻ったんだ?」

 

「彼女が、取り残されていた」

 

 ジャケットの内側から、手品師がそうするように出てきたのは一匹の子猫だった。炎の中をくぐってきたのに、毛皮には少しの焦げ跡も無かった。ボブが完璧にガードしていたのだろう。

 

「……ネコ?」

 

 いかめしい彫刻のような無表情で、ボブは頷いた。

 

「俺は守護者型AI。パートナーである人間をサポートし、犯罪やテロの撲滅に尽くす事が使命であり……そして、命を守る為に造られた。その為なら、何度でも火の中に戻るさ」

 

 何の感動も感慨も無く、事務仕事でリストの文面を読み上げるような調子でボブが言った。

 

 実際に彼はそうする事に、何の感情も無いのだろう。小さな命一つ一つを守る為に、自分の命を懸ける事。それがボブにとっての、当たり前の在り方なのだ。彼以外の、殉職した他のAI達も同じだった。使命を、全うした。最期まで使命を、己を、全うして、死んだのだ。

 

「よう、中々派手な登場だったな」

 

「今戻った」

 

 軽口を叩く署長に、ボブは淡々とそう返した。

 

「ビルの中には?」

 

「もう誰も居ない。死者は、0人だ」

 

 ボブは握り拳を差し出すと、親指を立てる。

 

 ルミナも、同じ動作を返した。それがミッションコンプリートの合図だった。

 

 次の瞬間には警官、消防士、医者、野次馬に至るまで皆が拳を天に突き上げて歓声を上げていた。

 

 市の歴史に残るような大事件だったが……それでも、人が生き残るという事がどれだけ大きな事なのかが、その喜びようからは伺い知れるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 2086年某日。

 

「あー、あー、あああああー」

 

 AI複合テーマパーク、ニーアランド。

 

 この日、歌姫型AIの始祖・ディーヴァは発声機能を確認しつつ、メインステージの舞台へと続く通路に立っていた。

 

<初めてのメインステージ、トチらないようにね>

 

「ええ……分かっているわ」

 

 口の悪いサポートAI『ナビ』の軽口に応じるディーヴァは、今日はどこか上の空のように応じた。

 

<余計な事は考えないようにね。いつも通りやればお客さんは喜んでくれるんだから>

 

「ええ……」

 

 内蔵されたタイマーは、衛星通信によって正確に時を刻んでいる。開始時間が近づいて、そろそろ行こうかとディーヴァが足を動かし始めた、その時だった。

 

<ちょっと良い? 舞台へ立つ前に、ほんの少しだけ、会いたいって人が居るの>

 

「こんな時に?」

 

 ディーヴァが訝しむ。もう、ステージの開始まで5分を切ったこんな時にはコンセントレーションを高める為に園内のスタッフだって余程の緊急時以外の会話は慎むのに。

 

<私も、他の日、他の人だったら通さないけどね。今日、彼女だけは特別>

 

 ナビの操作によって、ライトが点灯する。薄暗かった通路が明るくなって、そこに立っていた人物の姿が分かるようになる。

 

 ディーヴァの、首筋のランプが明滅した。予想外の事態の発生によって、これは演算機能が僅かな時間混乱した……人間で言えば「驚き」に当たる動作だ。

 

「ディーヴァ……いえ、ヴィヴィ。お久し振り」

 

「ユズカ……」

 

 サンライズ落下の一件で、避難艇が地上に到着した時に「またいつか」と再会を誓って別れてから、しかし果たせずに今日まで10年の時が過ぎた。

 

 十年。言葉にしてみればたった二文字だが、その時間、ディーヴァは切ない程に何も変わらずに。一方でユズカは、少女の面影を残しつつも美しい大人の女性に成長していた。彼女の腕には、すっかり褪色してしまった青いクマのぬいぐるみが抱かれている。

 

 25年前に、誕生日プレゼントとしてユズカの姉である霧島モモカからディーヴァ……ヴィヴィへと贈られ。そして10年前に姉の形見として、ヴィヴィからユズカへと贈られたものだ。

 

「ナビ、ユズカを此処へ呼んだのはあなた?」

 

<……そうよ。何年も前から園長に頼み込んでたの。もしいつか……いつかディーヴァがメインステージに立つ日が来たなら、あの子の……モモカの家族を招待してくださいってね。私からのサプライズプレゼントよ>

 

「ナビさんから聞きました。お姉ちゃんと、いつかメインステージで歌うって約束してたって」

 

「……」

 

 ヴィヴィのメモリーに、25年前の情景が色鮮やかに再生される。

 

 今はもう居ない、自分を、自分の歌を愛してくれた少女。

 

 彼女と出会った日、彼女と交わした会話、彼女が浮かべた笑顔。

 

 長い時を経た今も、ヴィヴィはその一つ一つをはっきりと思い出す事が出来る。

 

 今、自分がこうしてメインステージまで来れたのは。いや、歌姫AIとして歌えているのは、まぎれもなく彼女の力だ。ここからは遙か遠い、舞台裏でモモカと話したあの小さな舞台が、自分の歌姫としての出発点だった。

 

 思えばあの日、相川議員を助けたあの夜。飛行機事故からモモカを救えなかったあの時から、ヴィヴィはずっと演算回路のどこかで自問していた気がする。

 

『次来た時はメインステージで歌ってね。ヴィヴィの歌、もっといっぱい色んな人に聞いて欲しいから。約束』

 

 モモカに、自分はどう応えれば良いのか。

 

 彼女が自分に託してくれた夢に、希望に、どう応えれば?

 

 25年越しのそのタスクの答えが今、漸く出た気がした。

 

 ランプの点滅が止まる。演算が終わった。迷いは、吹っ切れたのだ。

 

<約束、果たせたじゃない。25年も掛かっちゃったけど>

 

「ええ……」

 

 ヴィヴィは、10年前より少し大きくなったユズカの体を優しく掻き抱いた。

 

 ひんやりと、AIの冷たい体の心地良い感触がユズカの肌に伝わる。

 

「特等席で見ていて。私、歌うわ。モモカにも届くくらい、思いっ切り」

 

「うん……ヴィヴィ。頑張って」

 

<いってらっしゃい>

 

 ファンの一人とサポートAIに送り出され、念願のメインステージに立った原初の歌姫AIは、いくつものスポットライトに照らされ、万雷の拍手と歓声に迎えられる。

 

 メインステージは全席が埋まっている。ナビの話では今日のチケットは、ダフ屋も転売屋も現れられなかったほどに速攻で完売してしまったらしい。

 

 やがて拍手が終わると、メロディーが流れ始め……そしてヴィヴィは歌い始める。

 

 老若男女を問わず、全ての視線は今、たった一機のAIへと注がれている。先程の拍手と歓声が嘘のように、観客席からは咳の一つも聞こえなくなる。

 

 年端もいかない子供だって少なくない数居るのに、である。

 

 皆がただ、歌声に酔いしれている。

 

 観客達が一人残らず押し黙り、聞き惚れる歌声。

 

 この光景こそが、かつて一人の少女が望んだものだった。

 

<ハハ……そんなのがあるかどうかは、分からないけど>

 

 ナビが、呟いた。

 

<ねぇ……天国のモモカ。見えている? 聞こえている? 届いている? あんたが愛したディーヴァが……!! あんたの名付けたヴィヴィが……!! 今日もみんなに、最高の歌を届けているよ>

 

 やがて、歌が終わる。

 

「ご清聴、ありがとうございました」

 

 ステージ上で、ヴィヴィは恭しく一礼する。

 

 静まり返ったステージには、彼女のその声だけが響いていって。

 

 そしてやがてその残響が消えるのを合図として、歓声と、拍手と……後は賞賛や、アンコールを求める声など……まぁとにかくメインステージは大興奮の坩堝と化した。観客は総立ちになって、まるでこのメインステージ一帯だけに局地地震でも起きたかのようだった。号泣している者も少なくなかった。

 

 歌でみんなを幸せにする事。

 

 稼働から26年も経って、自分に与えられた使命がどういうものなのか。この時のヴィヴィはやっと分かった気がした。

 

 ふと、観客席に目をやって……そこに有り得ない者を見て、アイカメラが動き、首のランプが点滅する。

 

 沢山の人に交じって、拍手を贈ってくれているモモカの姿が見えた気がしたのだ。25年前の、あの時のままの姿の彼女が。

 

 瞬きをしたその後には、もう観客席の何処にも少女の姿は無かった。

 

 AIである自分が、幻を見るなど有り得ない。ならばさっきのモモカの姿はナビが気を利かせて出してくれたホログラフか、あるいは記憶回路の混乱によって発生した画像データのバグなのか。

 

 それでも。たとえそれが夢でも、幻でも。モモカにもう一度会えて良かった。そう思っている自分が居る事は、それだけは確かだと、ヴィヴィのCPUが分析する。

 

 歌姫AIは、両手を振って、笑い、観客達に応える。

 

 会場中の興奮はますます大きくなって、拍手はいつまでも消える事はなかった。

 



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第7楽章 三度目の出会い

 

「くそっ、こんな馬鹿な!!」

 

 研究室にて、冴木タツヤは振り上げた拳を叩き付けた。スチール製のデスクには僅かながら凹みが生じ、衝撃によってマグカップが落ちて砕けて、すっかり冷めていたコーヒーが床にシミを作った。

 

「なんで……なんでこんな事に……」

 

 机に突っ伏して、頭を掻き毟る。今のタツヤの顔は、それは酷いものだった。何日も寝ておらず、目の下には濃いクマが出来ていて、口元や顎には無精ヒゲが不潔に伸びていた。

 

「俺のせいだな……」

 

 5年前の結婚式にて、神父の仮装で立会人を務めた青年が吐き捨てた。

 

「今更言っても仕方無いが……こんな事になると分かっていたのなら、お前達の結婚をネットに流したりマスコミとかにアピールすべきだったかもな……そうすれば、こうはならなかったかも」

 

「お前に罪は無いさ。5年前は……いや、今もだけど……AIに関して今の世論は難しいからな……グレイスと僕の事を思っての事だったんだろう」

 

 憔悴したタツヤは、絞り出すようにそう言うのが精一杯のようだった。

 

 10年前、エステラの活躍によってサンライズの地球への落下が未然に防がれて以来、ことAIに関して世論は真っ二つに分かれた。

 

 自分が絶対に助からない事を全て承知の上で、最期まで落下の阻止とホテル利用客のサポートに従事したエステラの献身。彼女こそ全てのAIの規範であり、あれこそAIのあるべき姿であると英雄や聖女のように褒め称える親AI派。彼等の後押しがあって、AI産業は更に発展し、AIの社会的地位も向上、AIの進化は更に進む事となった。

 

 一方で、あの時に何か一つでも歯車が狂ってエステラがステーションを分解出来なかった場合、監視衛星が捕捉したデータから軌道を計算した結果、サンライズは沿岸部の都市へと落着して未曾有の犠牲者が出ていたという恐ろしいシミュレーション結果がある。

 

 これを受けて宇宙ステーションなどという、巨大かつ緻密な怪物機械の制御をAIなどに任せるからこんな事態が起きたのだという、AIへの不信感が大きく膨らむ事となり、また当時はちょうどAIの発展により仕事を奪われる労働者が社会問題になりつつあった。

 

 力仕事などの単純作業はAIにはもってこいの仕事であり、逆にある程度の思考の遊びと言うか、余裕・臨機応変さが必要となる仕事は人間しか出来ないものだった。これまでは。

 

 だがAIの発展によって「AIに出来る仕事」は多くなり、反対に「人間にしか出来ない仕事」は少なくなっていく。すると何が起きるか? 当然の帰結が当たり前のように起きただけだった。

 

 同じ仕事を任せるのに、時間を掛けて1から教育しなければならないわ馬鹿げたミスを犯す可能性が常にあるわ、休みも必要だし何より賃金も支払わなければならない人間と、最初から必要な知識は全てインストールされていて作業は正確無比、定期メンテや充電時間を除けば24時間365日稼働可能、タダで扱き使っても文句一つ言わないAI。あなたが経営者だとして、採用するならどちらにするか? ……という事だ。

 

 結果、失業者によるAIへの暴力や破壊活動が時折見られるものとなり、トァクを初めとした反AI集団の活動も活発化した。

 

 つまり、世は親AI派と反AI派の主張が真っ向からぶつかり合う様相を呈したのだ。

 

 タツヤがグレイスとの結婚を秘密にしたのは、親友であるこの青年の助言に従っての事だった。

 

 今のこの状況で、人間とAIの結婚が世間に知られたら一体全体どういう化学反応が起こるのか? 正直、予想も付かない。

 

 悪いケースでは……AIであるグレイスは、人間を誘惑し、堕落させた神話の蛇のように見なされてトァクを初めとする反AI組織から懸賞金でも付けられて目の敵にされる未来が想像出来る。それどころか最悪のケースは人間のタツヤすら「AIに魂を売った恥知らず」「人間の面汚し」と暗殺のターゲットにされるかも知れない。

 

 だからこそ、タツヤは式場には数年後AI工場が建設される予定で住民は退去して無人島となった島の廃教会を選び、それを教えたのも立会人として選んだ親友唯一人だけだった。無論、グレイスとは職場ではあくまでただの研究者とただの看護AIという立場を守っている。

 

 しかし、その用心が全く完全に裏目に出た形となってしまった。

 

「……せめて、AI命名法よりも、もっとAIに寄り添った法律が施行されていればな」

 

 25年前、現在では親AI派の筆頭とも言える相川議員が議会に提出した案によって始まったこの法律は、簡単に言えばその名の通りAIに名前を付ける事を義務付け、それに伴ってある程度の権利を認めて更なるAIの発展に寄与しようという内容である。

 

 例えば何体かのAIが目の前に並んでいたとして、彼等を呼ぶのに指差して「そこのお前」とか「右から二番目の奴」とかではなく「ボーイ」「ブケノ」「イージー」「ロビン」といった調子でそれぞれに名前を与え、個性を尊重し、尊厳を守る事でAIの成長、ひいてはAI技術全体の進歩を促すと考えられていた。

 

 しかし逆に言えばそれだけの法律でもある。

 

 あくまでAIに対して名前を与えた「だけ」であり、使い捨ての道具でこそないもののあくまでAIはその生産元であるOGC社もしくは所属する組織、つまり歌姫AIのディーヴァであればニーアランド、看護AIのグレイスなら彼女が勤務する医療施設に所有権があり、その権利を持った者が彼女達をどう扱おうと原則自由だ。少なくとも法的に問題は生じ得ない。

 

 故に今回のグレイスの扱いについても、これは法に則ったものだと言えた。

 

 だが、それでも。

 

 もし、タツヤとグレイスの結婚を、リスクは承知の上で世間に公表していたらどうだったろう。転がした賽の目が「1」と出たかはたまた「6」と出たかは分からない。分かりようがない。しかし少なくとも今とは全く違った状況が発生していた事だけは確かだ。

 

 人間とAIの結婚など、人類史上初の出来事だ。ロマンチックではあるし、ひょっとしたら「人間とAIの架け橋」とか「生命の垣根を超えた愛」などと適当なキャッチコピーを付けられセンセーショナルな話題になって、二人は一躍時の人となって祝福されていたかも知れない。

 

 可能性は高くないが、しかしそうなればOGC社としても、たとえ法的には問題無くてもそんな二人を引き裂くなど企業イメージ的に良くないという判断から、今回の役目にグレイスを選ぶ事は避けたかも知れない。

 

 青年は、デスクに置かれた書類に視線を落とす。

 

 書類の表紙には「メタルフロート制御計画」と記されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 この日、冴木タツヤの自宅前に、一台の車が停車した。タツヤの自家用車ではない。

 

 タツヤは現在35才で天涯孤独の身ではあるが、この邸宅はセキュリティレベルも高く、この年代の人物が所有するものとしては不相応に思える。

 

 しかしさもありなん、冴木タツヤと言えばその分野では有名人なのだ。まだ40にもならない若輩ながら、彼が取った特許や開発して実用化されている技術は、倍の年齢の研究者の平均に倍する数がある。

 

 車から降りたのは、一人の男と一機のAI。

 

 甲斐ルミナと、ボブだった。

 

 警察官として多くの功績を挙げ、今や業界では伝説的人物となっているルミナも、とうに60才を過ぎてもう定年間近。恐らくは今回の案件が、彼が担当する最後のヤマとなるであろうことは本人も含め誰もが感じていた。

 

 そんなルミナの相棒として多くの難事件を共に解決したボブは、AIなので当然ながら衰え知らず。どころか経験を蓄積した事で更にその能力限界を高めてすらいて、署で運用されているAIのエースとして、未だ最前線で活躍していた。

 

 玄関前でチャイムを鳴らす。

 

「はい、いらっしゃいませ」

 

 十数秒程の間を置いて、ドアを開けて現れたのは女性型のAIだった。人間で言えば20歳前後と見られる容姿の、黒髪のAIだ。歌姫型AI・ディーヴァをその系列の始祖とするAIシリーズ、通称シスターズのモデルB-09型だと、ボブのCPUが内蔵ストレージからデータを読み出した。

 

 AIが客の応対に出てくるのは今の時代、決して珍しくはない。タツヤほどの所得があれば、ハウスキーパーとしてAIを購入するもしくはそうした会社からレンタルするのはもうありふれた事なのである。

 

「警察の者です。冴木タツヤさんはご在宅でしょうか?」

 

 手帳を見せると、女性AIのカメラアイが動く。埋め込まれたタグを識別して、この手帳が偽物でない事をチェック、更にネットワークに接続して顔認証でルミナが警察関係者である事も1秒に満たない時間で確認したのだ。

 

「冴木さんはただいま出掛けております。予定ではそろそろ帰宅する事になっておりますので、中でお待ちになりますか?」

 

「「……」」

 

 ルミナとボブは顔を見合わせて、アイコンタクトを一つ。この一人と一機は10年ずっと生死を共にしてきた長く、中身も濃い付き合いである。その親近感や連帯感は、余人には分かるまい。彼等はもうその動作だけで、互いの意思疎通には不自由しなかった。

 

 客間に通されて、女性AI、グレイスと名乗った彼女からの供応を受ける。

 

 ルミナにはコーヒーが。ボブには中身は空の同じカップが差し出された。これはAIに対しての応対としては今や一般的となったマナーである。当たり前の事だがAIは飲食する必要が無いし出来ないので、せめてもてなしの心だけは……という考えから生まれた習慣だった。

 

「良い豆使ってるな」

 

 砂糖とミルクをなみなみと入れたコーヒーを一口含むと、ルミナは感想を述べる。

 

 と、彼等のすぐ傍に立っていたグレイスが、匂いかもしくは足音かで主人の帰りを察知したトイプードルのようにぴくりと反応した。彼女は入り口へと歩いて行くとドアを開いた。ルミナとボブもその後を付いていく。

 

 ちょうど、ガレージに一台の車が停車した所だった。

 

 降車してきたのは、この家の主であるタツヤと、そして……

 

「おや、これはこれは」

 

「あなたは……」

 

 肩に白い立方体のキューブを乗せた、空色の髪をした女性AI、ヴィヴィ。

 

 サンライズでの共闘から10年を経て、ボブには二度目。ルミナには三度目の出会いだった。

 

「……やっぱり、俺達には縁があるようだな?」

 

 

 

 

 

 

 

 ルミナがボブを伴って冴木邸を訪れたのは、実はタツヤを逮捕する為だった。タツヤにはトァクに所属していた過去があり、それを裏付ける証拠も挙がっている。胸元には逮捕状も忍ばせていた。

 

 しかしどうも話を聞いていると、タツヤ一人を逮捕しているような場合ではないようだった。

 

 まず、タツヤは既にトァクを抜けて追われる身。

 

 彼が狙われる理由は、完全無人でAIの部品や回路を製造し続ける人工島『メタルフロート』を停止させるプログラムを構築し、そのストレージを持っているから。

 

 そんなプログラムを組んでいる事から分かるがタツヤの目的は、メタルフロートを機能停止させる事。

 

 もしそれが為された場合、人間・AI問わず受ける間接的被害は計り知れない。既にメタルフロートが生産するパーツや部品、駆体の数は世界全体の40パーセントに迫り、しかもあの島は今この瞬間にも自動で規模の拡張を進めている。計算では二ヶ月後にはその数値は50パーセントを上回るとの事だった。

 

 そんな事を聞いては、ますますルミナは警察官としてタツヤを逮捕しなくてはならないのだが……

 

 しかし、ここで気になるのはヴィヴィと、クマからキューブに姿は変わったがマツモトの存在である。彼女達が何故、このヤマに関わっているのか……?

 

 ルミナは尋ねる。

 

「これだけは教えてくれ。25年前の相川議員暗殺未遂事件、10年前の落陽事件、そして今。お前らは、どうしていつも事件に首を突っ込んでいるんだ?」

 

 ヴィヴィが、即答する。

 

「全ては、人間とAIの対立を防ぐ為です」

 

「……」

 

 警官としての職務を全うする事を考えるのなら、ルミナはタツヤの逮捕に加えてヴィヴィもマツモトも重要参考人として拘束すべきだ。多少強引ながら、今はボブも居るので力業に出る事も可能だ。

 

 だが、しなかった。

 

 落陽事件から現在に至るまでの10年、ルミナはずっとヴィヴィとマツモトを追ってきた。正確には、彼女達が関わってきた事件を。

 

 お世辞にもその過程は順調とは行かなかったが……

 

 しかしこれだけの時間を掛けた事で、彼の中では一つの推理が成り立っていた。

 

 そして……もし自分の考えている通りだとすれば、それこそ逮捕どころの騒ぎではなくなる。答え合わせをしなくてはならない。

 

 結局、その考えもあってルミナはタツヤの逮捕は保留。そしてヴィヴィとマツモトの監視という名目で、彼とボブもメタルフロートに同行する事に決めた。

 

 ヴィヴィはやや消極的ながら了解し、マツモトは反対意見を唱えたものの、タツヤに対してはメタルフロート内部で不測の事態が発生した時に彼を守りきれない事を理由にしたが、同じ理屈は百戦錬磨の守護者型AIを連れているルミナには当て嵌まらず、不承不承ながら同道を認めるしかなかった。

 

 メタルフロートへと向かう船の上。

 

 この船はコンピューター制御で、マツモトによって操縦されている。そして今はちょうど陸地とフロートの中間ポイントである。今ならば、邪魔が入る心配は無い。

 

 頃合い良しと見て、ルミナは切り出した。

 

「なぁヴィヴィ、マツモト。聞きたい事があるんだが」

 

「はい?」「何でしょうか、刑事さん……いや、今や署長さんですか」

 

「マツモト、お前は、未来からやって来たAIなのか?」

 



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第8楽章 ルミナの推理

 

 ハートに強烈なパンチをかまされた。頭をハンマーで殴られたような。

 

 色々とあるが、今の演算回路が受けた衝撃を表現するにはそうした言葉がぴったり当て嵌まるのだろうと、マツモトはマルチタスクの一つで処理した。

 

 たった今、ルミナが口にした言葉。

 

「マツモト、お前は未来から来たAIなのか?」

 

 事実はその通りである。

 

 彼は人間とAIの最終戦争が勃発した西暦2161年の未来から、歴史を変える為に100年の時間を遡行して送り込まれてきた。

 

 だがそれを明かしたのは彼が造られた未来から見て100年後、2061年の『送信先』でありパートナーとなるべき存在である歌姫AIのディーヴァのみ。

 

 そして可能な限り不確定な要素を残さない為、活動しているのは『シンギュラリティポイント』と呼称している、未来を変える分岐点となる出来事が起きるその直前から事件終了時までだけ。だから未来からやって来て既に25年が経過しているが、マツモトの主観的な活動時間は一ヶ月にも満たない。

 

 ディーヴァが話す事は有り得ない。

 

 記憶回路を何度総浚いしても、未来から来た根拠になる証拠など何も残していない筈なのに。なのにどうしてこの老警官は、そんな推理に至る事が出来たのか?

 

 ハッタリと考えるにしても、未来から来たなんて言葉はぶっ飛び過ぎている。

 

「……何故、そう考えたんです?」

 

 普段の、どこか斜に構えたようなおちゃらけた態度が鳴りを潜めて真剣な口調でマツモトは尋ねた。

 

 ちらりとボディを微妙に傾けてルミナの傍らに立つボブの様子を見る。戦士の彫像のような守護者型AIはディーヴァのように接客を目的とはしていないので表情が堅いが……しかし首のランプが高速で明滅していて演算回路が高速で回転しているのが分かる。彼も動揺しているのだ。恐らくルミナはこの推理を、今の今まで相棒にも話してはいなかったのだろう。

 

 老刑事は、静かに話し始めた。

 

「最初はなマツモト。お前はどこかの組織……そう、例えば反トァク・親AIの団体が製造したスーパーAIで、ヴィヴィはそうした連中が非合法なルートで手に入れてお前の相棒として運用しているシスターズの一機だと思っていたんだ」

 

 妥当な推理だと言える。AIは現在ほぼほぼOGC社の独占事業となってはいるが、ボディは元より要の陽電子脳も製造技術そのものは既に既存技術であり、十分な資金と設備、それに専門の技術者が居れば製造は可能だ。

 

 シスターズはヴィヴィやエステラを見れば分かるように歌手・ライフキーパー・看護といった仕事に従事するのが主であり、暴力的な任に耐えられるぐらい頑丈には造られていない。

 

 とは言え単純に疲れ知らずの不眠不休で働ける人手が一名増えるのは大きいし、人間と違って手足を欠損するような故障が発生してもパーツを交換すれば即復活、ボディが全損してもサーバーに保存していたデータを予備のボディにダウンロードして再生する事だって出来る。勿論、それで再生されたのは別のパーソナリティを持つ『別人』だが、元のAIと同じ記憶を持っているからこれまでと変わらず働いてくれるのは間違いない。

 

 人格を重視せず、前に居た者と同じ記憶を持った別人と話をするという、いかがわしさに耐えられるならそうして何度もAIをリサイクルするのは合理的ではある。

 

「その手の団体が自分達は直接動かずにAIにやらせるのはトァクに対して、皮肉たっぷりになるな」

 

 反AI団体が、AIによってやり込められるのだ。確かにそれは痛烈な皮肉でありアンチトァク・親AI団体の過激派が考えそうな作戦である。

 

「だから最初はその線で考えて調査したんだ」

 

 公式非公式を問わずあらゆる情報網、特にその道の専門家、偏屈だが警察関係者が口を揃えて最優秀と評価する探偵、金さえ積めば総理大臣の口座残高を調べられるようなハッカーや、普段は靴磨きの仕事をしていて大統領の隠し子の数まで知っているような情報屋まで当たってな、と付け加える。

 

「……結論から言うと、分からなかった。何もな。綺麗さっぱり、誰も何の成果も挙げられなかった」

 

「ふむ……?」

 

 それで何故、自分の正体に辿り着けたのかと、マツモトが訝しむ。

 

「だからだよ」

 

「?」

 

「今の時代、人間だろうがAIだろうが存在していれば必ず何らかの痕跡を残す。だがマツモト、お前さんにはそれが無かった。空気じゃあるまいし、何もな。記録を改竄や消した跡すら無かった。世界一の名探偵は、良い事言ったモンだ」

 

「成る程。『考えられる可能性を全て消していって、最後に残った結論があったならどんなに信じられないと思うような事であっても、それが真実である』……でしたかね?」

 

 今に存在しているのに、過去からここに至るまでの痕跡が何も無い。ならば後は未来から送り込まれたしか有り得ない。乱暴ではあるが確かに一応の筋は通っている。突拍子も無い話ではあるが。

 

「ですが、それだけで未来から来たという結論を出したのですか?」

 

「それだけじゃない。仮にお前が反トァクが造ったAIだとすると、矛盾が生じるんだよ。そして未来からやって来たタイムトラベラーだとすると、沢山の事が説明出来るんだ」

 

「……?」

 

「お前達が現れて25年。その中で関わった事件は二つだけだ。つまり25年前の『相川議員暗殺未遂事件』と10年前の『落陽事件』……なんで、二つだけなんだ?」

 

「……そういう事ですか」

 

 人間で言えば溜息を吐いているような声だった。

 

 2061年から現在までの25年間で、トァクが関わった事件は大小合わせて三桁にも上る。マツモトがアンチトァクのAIだとするなら、もっと多くの事件に関わってトァクの活動を妨害したりしていて良い筈だ。

 

 なのに実際には彼等の関与があったのはたった二つの事件だけ。まだ関与してはいない今回のメタルフロート事件(予定)を含めても三つ。しかもそれらの事件には15年、10年ものスパンがある。どうしてそんな期間を置く必要があったのか?

 

「どんな基準で首を突っ込む事件を選んでいるのか? それを考えて、俺は二つの事件を徹底的に洗った。お前達が関与するからには、この二つの事件だけに共通する、何らかの条件がある筈だとな」

 

「だが、それも何の成果も挙げられなかった、と」

 

 マツモトが継いだその言葉に、ルミナは頷いて返した。

 

「より正確に言えばトァクが関与しているという共通点だけはあったがな。しかしそれなら、他の多数の事件にだってある事だ。この二つの事件にだけ、共通した事じゃない。だから俺はその次に、最初の事件である相川議員暗殺未遂事件をしっかり調べてみる事にしたんだ。すると、面白い事が分かった」

 

 ルミナは鞄から取り出した携帯端末にデータを呼び出して、マツモトとヴィヴィへ差し出す。二機は体を寄せて、その画像を見た。

 

「これは……」

 

 背景からニーアランドで撮影されたと分かる写真だ。ディーヴァが、相川議員を庇うように覆い被さっているシーンで、すぐ傍には黒煙が立ち上っている。

 

 ヴィヴィにもマツモトにも、当然覚えがあった。

 

 マツモトが未来からディーヴァに転送されてきた次の日に、未来から来た証明としてトァクの爆弾テロが起こる場所と時刻を予告し、本来なら骨折・火傷を負う筈だった相川議員をディーヴァ、つまりヴィヴィが助けたのだ。

 

「同じ日にトァクのテロでビルがぶっ飛んだからこの件は殆ど報道されなかったが……もし、二、三日日付がズレてたら『ニーアランドの歌姫大手柄』『テロから議員を救う』とかの見出しで一面を飾っていたかもな」

 

「……」

 

「だが、それが分からなかった」

 

「?」

 

 ルミナは端末のキーを操作して、画像を切り替えた。端末の画面には、ニーアランド全体の地図が大写しになる。その地図に、赤と青の輝点が一つずつ表示された。

 

「赤は爆弾テロが起こったポイントで、青は当時、ディーヴァが歌っていたステージだ。見ての通り、この二カ所は数百メートルは離れている。25年前のこの日、ディーヴァのステージプログラムは夕方までずっとステージでの歌唱だった。移動と言えばステージと控え室の往復ぐらいの筈。なのになんで、そんなに離れた場所にディーヴァが現れたんだ?」

 

「……それは」

 

「それは、ディーヴァに爆発物がそこに仕掛けられているとタレコミがあったから? だとするとますますおかしい」

 

 ヴィヴィが言おうとするのを先取りして、ルミナは続ける。

 

「情報提供者はトァクの活動を妨害する、もしくは相川議員を助けるのが目的だったと考えるのが自然だ。じゃあどうしてそいつは」

 

 ここで僅かな時間だけ言葉を切って、ルミナはマツモトを横目で睨んだ。

 

「そいつはその情報を、警察やニーアランドのスタッフに知らせなかったんだ? 調べたところ、警察にもパークの管理事務所にも、そんな通報は一切無かったそうだ。あるいは相川議員に直接知らせても良い。そうすれば議員だって、事件以前からトァクによる脅しのメッセージはしかも複数回届いていたそうだから、大事を取って来園を中止するか来園時間やコースを変えるか、もしくは日を改めたりしただろう。それで目的は達せられた筈なのに、どうして?」

 

 値踏みするように、ルミナの視線がヴィヴィとマツモトを行き来した。

 

「そして監視カメラの映像や、当時園内で働いていた人に聞き込みして分かったが、ディーヴァが現地に急行したのは爆弾が弾けるギリギリのタイミングだったらしい。園内を猛スピードで走るディーヴァが印象的だったと、清掃アルバイトの学生だった人は証言してくれたよ。さて、その、謎の情報提供者はどうしてそんなギリギリのタイミングで、情報をディーヴァ『だけ』に伝えたのか?」

 

「「……」」

 

 ヴィヴィとマツモトは、もう何も語らなかった。

 

 仮に爆発物が相川議員が通る予定のコース上のゴミ箱に仕掛けられている情報がそのギリギリのタイミングで分かったのだとしたら、それなら尚更それをディーヴァだけに伝えるのはおかしい。すぐに園内のスタッフや事務所に連絡するのが自然だ。

 

「兎に角一度、本人、この場合は本AIか。それを見てみようと俺は思って、休暇を利用してディーヴァのライブに行ったよ。チケットを取るのにはえらく苦労したんだ。覚えていないか? 今から半年ぐらい前になるが」

 

「……あ」

 

 言われて、ヴィヴィはメモリーを検索する。確かに半年前、正確には今から半年と12日前のライブで、観客席にはルミナの姿があった。

 

 しかしこの反応で、ヴィヴィは自分がディーヴァである事を告白してしまったに等しかった。初々しさのようなものを感じて、ルミナは苦笑する。

 

「良いライブだったぜ。あんな感動は何年も忘れてた。曲が終わった時には年甲斐も無くスタンディングオベーションした。だがあの歌、あの声を聴いて確信した。25年前に目撃し、10年前に共闘したヴィヴィはニーアランドのディーヴァと同一人物……正確には同一の機体だってな」

 

『……むぅ』

 

 マツモトはこの時、ルミナを拘束するようヴィヴィに伝えようと考えた。相川議員の時や、サンライズのユズカとは異なり、タツヤと同じくヴィヴィ=ディーヴァの正体に気付いたルミナは計画に支障を来すと考えたからだ。

 

 だがすぐに彼自身の中でこの提言は却下される。

 

 ルミナ一人の時ならいざ知らず、彼のすぐ傍には屈強の守護者型AI、ボブがいる。ヴィヴィにも対人戦闘用プログラムはインストールされているが、ボブにも同系統のプログラムは当然入力されているに違いない。

 

 そして戦闘になった場合、戦闘プログラムの精度それ自体なら、互角かヴィヴィの物が上回っているだろう。だがその習熟度・経験値については、正直お話にならない。ヴィヴィが実戦を経験したのはプログラムインストール前を含めても25年前の相川議員暗殺未遂事件と10年前のサンライズでの、たった二度だけ。対してボブは10年前の同じ場所での初陣から現在に至るまで数え切れない程の修羅場をくぐり抜けた百戦錬磨の機体である。

 

 更に単純なフィジカルスペックでも大きく水を開けられている。身長、体重、リーチ、ボディの耐久力、発揮出来るパワー、エトセトラ……要するに格闘に要求される全ての能力に於いてヴィヴィはボブに圧倒的に劣る。あくまでヴィヴィは『戦闘プログラムをインストールされた歌姫AI』であって、ボブのように『設計段階から戦闘を想定して製造されているAI』ではないのだ。付け加えるとボブはその戦闘を想定して製造されたAIの中でも、ハイスペックな高級機種である。

 

 データの不確かさはあるが、ヴィヴィがボブを倒してルミナを拘束出来る確率を、マツモトの演算回路は4.3パーセントと弾き出した。4パーセントの誤差を考えると、ほぼ皆無と言って良い数字である。

 

 現状ルミナの拘束はまず不可能。こうなると、マツモトは彼の話に耳を傾けるしかなかった。

 

「……ここでまた分からなくなった。なんでただの歌姫AIが、園内の事件を止めるならまだ分かるが、ニーアランドを出て議員を救いに現れたり、サンライズでホテル落下を食い止めに来るのか? それとも、情報提供者……つまり、マツモトお前だな? お前には、どうしてもそれをやるのがディーヴァでなくてはならなかった理由でもあったのだろうか?」

 

 そこで俺はこう考えた。と一言置いて、ルミナは続ける。

 

「これまではヴィヴィとマツモトがどういう基準で介入する事件を『選んでいるのか』と、そればかり考えていたが……真相に辿り着くには発想を変えなければならないんだとな。あらかじめその事件が起こる事を『知っていて』、最初からその事件に介入する事を『決めていた』のではないか?」

 

 何故そんな事が出来たのか? 答えは明白。

 

「お前達のどちらかが未来を知っていたからだ。だがディーヴァは2060年6月19日にロールアウトされてから現在に至るまで、全ての記録が残っているからこっちの可能性は却下。つまり未来からやって来たのはマツモトの方だって事になる。そして、お前がニーアランドのディーヴァを協力者に選んだ理由は分からなかったが、サンライズでクマのぬいぐるみだったのに今はキューブの姿なのでそれも分かった。あのぬいぐるみはどこにでも売っている物だったからな」

 

 10年前とは別のボディを使っている。つまりマツモトはボディにとらわれないプログラム・意識体のようなものなのだろう。ボディはあくまで只の噐に過ぎないのだ。

 

「お前を未来から送り込むその『送信先』が2061年のディーヴァだって事だったんじゃないか? 理由までは分からないが、彼女にしか送信出来なかったから。だから、ディーヴァが活動のパートナーに選ばれた、と」

 

「……それが、僕が未来から来たという推理に至った経緯ですか」

 

 今のマツモトの言葉には、畏敬の念すら籠もっているようだった。

 

 いくら10年の時間があったとは言え、残された僅かな痕跡や状況から推理して、ここまで真相ににじり寄ってくるとは。これまで述べられたルミナの推理は、ほぼ全てが正解と言える。

 

 そしてここまで来ると、彼もルミナの推理を最後まで聞きたくなってきた。

 

 まだ一つ、語られていない事がある。

 

「仮にマツモトが未来から来たAIだとして、分からない事は最後に一つだけだった」

 

 やはり、ルミナはそれにも考えが至っていたようだ。

 

「どうして未来人はマツモトを過去に送り込んできたのか? どうしてマツモトは二つの事件に介入しなければならなかったのか? つまりホワイダニッツ……動機だな。漠然とした考えはあったものの、イマイチピンとこなかった……さっき、ヴィヴィ、あんたの話を聞くまではな」

 

「え……」

 

「……!!」

 

 さっき、何故事件に首を突っ込んでいるのかと聞かれてヴィヴィはこう答えた。「全ては人間とAIの対立を防ぐ為だ」と。

 

「その言葉でスッキリしたぜ」

 

 ルミナは一度姿勢を正して、そうしてヴィヴィとマツモトに向かい合った。

 

「マツモト……お前さんの記録にあるだろう『本来の歴史』では相川議員は殺されていて、サンライズもモロに都市に落ちて多数の死者が出ていた。それが何十年後かあるいは百年後かに起こる人とAIの大きな対立……つまり、戦争の切っ掛けの一つ。いわば歴史の転換点の一つになる。お前はその未来を変える為に、やってきたんだ」

 



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第9楽章 現時協力者

 

 メタルフロートへ向かう船内。

 

 人間もAIも、もう誰一人言葉を発さなかった。

 

 ルミナとマツモトは、じっと睨み合っている。まぁ、にらめっこと言うにはキューブ状のボディを持ったマツモトは表情が殆ど分からないが。

 

 そんな状態のまま5分あまりが過ぎて……先に降参したのはマツモトの方だった。人間で言えば「オー、ノー」と肩を竦めて両手を広げるような心境だろうか。

 

「ふう……まさか何の予備知識も無い所からここまで推理してくるとは」

 

 未来AIの言葉には感嘆の響きがあった。

 

 マツモトは滅びの未来を変えるシンギュラリティ計画の遂行という重大な使命を帯びている。ディーヴァというパートナーも居るとは言え実質的に人類の未来を背負っていると言っても過言ではなく、責任ある立場である。

 

 しかしこの時だけは、そうした使命や責任よりも驚愕や感心といった感情が強く出ていた。

 

 それほどに、ルミナの推理は見事なものだったからだ。

 

 流石に事実と照らし合わせて細部は異なっているが、それは推理しようが無い部分であり、逆に言えば推理出来る部分はほぼ百点満点と言って良い。

 

「……それで署長さん。仮にその推理が全て正しかったとして、あなたはどうしたいんですか?」

 

「力になる。世界が終わるのが分かってるのに何もしない程、俺は無責任でもクズでもない」

 

 ルミナは即答した。

 

「それが起こる時代には、間違いなくあなたは生きていないとしても、ですか?」

 

「今を生きている人間には責任がある。それは自分達の子供に、孫に、どんな未来を遺せるかという事だ。だから、それがたとえ百年先でも無関心でいる訳には行かないさ」

 

「……マツモト、この人は信頼出来ると思う」

 

 ヴィヴィのその言葉も、マツモトにはどこか遠く聞こえていた。それほどに、彼はCPUをフル回転させてあらゆるシミュレーションをもう幾万回も行なっていた。メリットとデメリット、リスクとリターンを様々な角度から天秤に掛けて、検証を行ない……そして、出た結論は。

 

「良いでしょう。署長さん、ボブさん。あなた方二名を現地、ならぬ現時スタッフとして承認し、計画遂行の協力をお願いします」

 

 AIであるヴィヴィは当たり前の事ながら呼吸などしてはいないが、この時ばかりは彼女が息を呑んだ音が聞こえたようだった。

 

 ボブは普段通りの彫像の如き、鉄のような顔を崩さない。

 

 ルミナは、まだ無表情を保っていた。マツモトの言葉にはまだ先がある筈だ。ヤツがどう出るかで、次にどう反応するかを考えているように思える。

 

「ただし」

 

 やはり、マツモトの言葉には続きがあった。

 

「条件があります。二つ」

 

「聞かせてくれ」

 

「まず計画を実行する時、接触するのは必ず僕の方から。連絡先も教えません。つまりあなた方が普通に生活している時に、いきなり僕が協力をお願いしにやって来る事になります。最悪、あなたが生きている間に会う事はもう無いかも知れない。今回のミッションを成功させて別れたのが、今生の別れになるかも。それでも構いませんか?」

 

「当然だな。実際に未来からやって来て全ての情報を持っているのがお前さんだから、そのお前さんが主導する立場になるのは自然な流れだ。俺達はあくまで兵隊、手足だ。それに連絡先とか、余計な情報は無い方が良い」

 

「結構。もう一つは僕があなた方に提供する情報は最終的に未来がどうなるのかと、協力をお願いするその都度の歴史の転換点……僕はシンギュラリティポイントと呼称していますが、それに関する情報のみ。計画の全容をお教えする事は出来ないという点です」

 

「……マツモト、それは」

 

 仮にも協力者という立場なのに、その時々に必要な分しか情報を与えないというのは流石に勝手なのではないかと、ヴィヴィが僅かながら怒りや反発心に似た反応を見せたが、ルミナが制した。

 

「ああ、それで良い。さっきも言ったがセキュリティの最高は、漏れるその情報をそもそも知らない事だ。寧ろ、俺達に軽々しく全ての情報を提供するようだったらどうしようかと思っていたよ」

 

「僕も、署長さん、あなたが弁えてくださっていて嬉しく思いますよ。どうやらあなたには、未来を背負うというのがどういう事か、その重要さを説明する必要は無さそうですね」

 

 立方体の一面が開いて、多関節のアームがニョキニョキと伸びてきた。

 

 そしてマニピュレータの部分が、ずいっとルミナへ差し出される。

 

「……?」

 

 あまりにも人間同士のそれと絵的に違っているのでルミナはマツモトの意図を把握するのに少しの時間を必要とした。数秒を置いて「あぁ」と頷くと、そっと手を差し出す。

 

 生身の手と、「手」と言うよりもアームという表現が適切だろう機械肢が、握手を交わした。

 

 

 

 

 

 

 

 ボートのデッキでは、スーツ姿のヴィヴィが海風に当たりつつ、近付くにつれ徐々にその大きさを実感させてくるメタルフロートの威容を眺めていた。

 

 キャリアウーマンを思わせるその服装は、変装である。今回のメタルフロートへの訪問は、AI研究者による視察という形でマツモトが記録を偽造している。よってヴィヴィにも相応しい格好を、という事だった。

 

「!」

 

 動態センサーが後方から接近する機体を察知して、ヴィヴィの視界に情報を表示する。

 

 振り返ると、のっしのしと、ヴィヴィよりも軽く2倍以上もある体重を感じさせるような足取りで、ボブがやって来ていた。

 

「ディーヴァ……いや、今はヴィヴィと呼ぶべきかな?」

 

「どちらでも……」

 

 と、言い掛けたヴィヴィだったがしかし今はシンギュラリティ計画の遂行中だ。現在の任務の遂行、及び今後の事を考えると、正体が露見するような可能性は極力削っておくべきだ。

 

 ……そう、マツモトなら口うるさく言うだろう。

 

「ヴィヴィで、お願いするわ」

 

「分かった。ヴィヴィ」

 

 守護者型AIは、首肯した。そして、

 

「これからは同じ計画に従事する仲間になる。どうぞよろしくな」

 

 ボブの口角が思い切り吊り上がって、笑顔になった。

 

「……!!」

 

 陽電子脳の思考を司る部分に、ノイズにも似た居心地の良くない違和感が走ったような気がして、思わずヴィヴィは何歩か後退った。

 

 笑うというのは元来攻撃的な動作で、肉食動物が牙を剥く動作がその由来であると聞いた事があるが……ヴィヴィは成る程なと思った。ボブが浮かべた笑みは何と言うか……壮絶で、迫力とスゴ味を兼ね備えたものだったからである。

 

 自分の笑顔が相手にどういう印象を与えるのか、ボブは正しく理解しているようだった。すぐに真顔に戻ると、懐から手鏡を取り出して、鏡の中の自分に向けてまたしても笑いかける。やはり、威嚇していると言い掛かりを付けられても文句を言えないような笑い方であった。

 

「十年前の落陽事件でボスに言われてから、欠かさず練習はしているが……笑顔は、難しいな」

 

「……ボブ、聞いていいかしら?」

 

 圧倒された感のあるヴィヴィだったが、ボブはどうやら見た目程に厳つくはなく、むしろ生真面目な性格のAIだと分かったので少しだけ警戒を緩めたようだった。

 

「質問にもよるが」

 

 どうぞ、とボブは軽く手を振った。

 

「あなたにとって心を込めるって、どういう事?」

 

「とても抽象的な質問だな」

 

 実に的確な分析を返されて、思わずヴィヴィは苦笑いした。

 

「俺達は機械だ。その行動を見て人間が心があるという印象を受けたとしても、それは与えられたプログラムと、それまでに学習した経験やメモリーから、その都度適切だと思われる情報を読み出しているだけだ」

 

「……そう、そうよね」

 

 AIとしては、ボブの答えは実に模範的なものだった。

 

 ……とは言え、この回答はヴィヴィには満足行くものではないらしい事は、彼女の反応から無骨な守護者AIにも読み取る事は出来た。だから、答えにはならないかも知れないが補足の言葉を告げようとプロセッサを作動させる。

 

「……ヴィヴィ……いや、この場合は敢えてディーヴァと呼ぶ事にするが。君には保険が掛けられているのは知っているか?」

 

「え? ええ……」

 

 いきなり見当外れな質問を返されてヴィヴィは戸惑ったようだったが、すぐに肯定の返事を返した。彼女は、いや彼女に限らず全てのAIは所属する組織や団体の備品、もしくは購入した個人の所有物である。だから役割や商品価値の高さによっては保険の対象に成り得る。

 

 特に世界初の自律人型AIという一種のプレミア、それに連日ニーアランドのメインステージを満席にしているディーヴァは彼女一機で数億か数十億かという金を毎日動かしていて、その商品価値は計り知れない。故にニーアランドは彼女に多額の保険を掛けている。

 

「だが、俺達のようなレスキューAIには保険は掛けられていない。それは何故だと思う?」

 

「……」

 

 率直に伝えるのは少し悪い気がして、ヴィヴィは言い淀んだ。

 

 ボブのその問いについての答えは簡潔明瞭だった。

 

 事故を前提として造られた物は、保険の対象に出来ないからだ。

 

 ヴィヴィがその答えに至っている事を、沈黙からボブは察した。話を続ける。

 

「そうだな。どんなレスキューAIも、事故や災害現場からの人命救助の最中、もしくは危険な事件に関わる中で破壊されるかも知れないという事を、絶対の前提として設計され、製造されている」

 

「それは……」

 

 哀しい事だが事実を告げられ、どこか気遣うような表情になったヴィヴィを見て、ボブは軽く首を横に振った。

 

「そんな顔はするな。俺達が破壊されるという事は、人間が同じ立場になる事を肩代わり出来たという事。つまりは、命を救ったという事だ。他のレスキューAIがそうであるように、俺も明日壊れても何の不思議も無いが……命を救うというその使命には、誇りを持っている。それで十分だと思っているな」

 

 きっとボブだけではなく、これまで製造されてきた全てのレスキューAIがそう思って使命に従事し、今まで数え切れない程の人を救ってきて。そして数え切れない程の機体が壊れてきたのだろう。

 

 歌でみんなを幸せにすること。

 

 犯罪やテロの撲滅の為に尽くし、命を守る事。

 

 背負って生まれた使命はまるで違うが、ボブは自分の使命にとても真摯で、一途だ。ヴィヴィにはそれが良く分かった。

 

「……参考になったかな?」

 

「ええ、とても」

 

 二機のそのやり取りが終わるその頃合いを見計らったように、いつの間にか視界一杯に広がる程に近付いていたメタルフロートの壁面の一部が、ボートを迎え入れるように重々しく開き始めた。

 



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第10楽章 ブリーフィング

 

 メタルフロートへ向かうボートの船室では、コンピュータ端末が置かれた机を挟んで、ルミナとマツモトが向かい合っていた。ルミナの眉間に刻まれたシワの数を見れば、彼等の間で交わされているのが楽しい話題でないのはすぐに分かった。

 

「……成る程、マツモト。お前がやって来た正史では、やはり25年前のあの事件で相川議員は殺されていたのか」

 

「そうです。相川議員の死は世間の注目を集め、毎年命日にはAIを連れた多くの人間が花を捧げるようになりました」

 

 マツモトがケーブルを接続した情報端末には、かなり旧いタイプのAIと相川議員とが握手している像の周りに、送り火のように蝋燭を持った人々(この場合は人間とAI)が集まっているどこか幻想的で、それでいて寂しげな光景が表示されていた。画面右上には2042.4.12と表示されている。

 

「あ、これ。『相川議員暗殺事件』から1年後の映像ですね」

 

「『人とAIの共存を訴えた高潔な政治家、凶弾に倒る』……いかにも、マスコミが喜びそうなキャッチフレーズだな?」

 

 皮肉っぽく、ルミナはひらひらと手を振った。運良く定年間近まで警察官として勤め上げる事が出来た数十年間の中で、その手の事件が起こった事も、そうした事件に血を垂らされたピラニアのように群がってくるマスコミも。彼にとっては飽きる程に見てきたものなのだ。

 

「そして議員の死後、残された人達が奮起してAI命名法を成立させたんです」

 

「つまり相川議員の死が『AI命名法』を成立させるキーとなる。だからお前達は相川議員を救わねばならなかった。この未来を変える為にな」

 

 キーボードを叩くと画面が切り替わって、厳かであった故相川議員を悼む日の記録から一転、火と煙がそこかしこに立ち込めて、道路には血塗れになって動かない人があちこちに転がっている、そんな地獄絵図としか形容のしようが無い映像が表示された。

 

 画像の解像度は荒く、時々砂嵐も混じるが……それでも、想像出来る中で最悪の悪夢を思い描いて、しかしこの映像はそれよりもずっと恐ろしいものだという事を伝えるには十分に過ぎた。

 

 転がっている無数の死体を作り出した下手人は何者なのか?

 

 それはすぐに分かる。AIだ。映像の中で、動く者は彼等だけだったからだ。ある機体は何度も叩き付けたのだろう、ぐにゃぐにゃに曲がって先端が赤くなった鉄パイプを引きずっていたり、またある機体は両手を血で濡らしていた。

 

 ルミナの背筋を凍り付かせたのは倒れてぐったりとした人間の顔面に、馬乗りになったAIが何度も何度も拳を叩き付けていて、それがぶつけられる度にクラシックな生物学の実験で電気を流されたカエルの足のようにびくんと、明らかに絶命しているその人間の手足が跳ねる光景だった。

 

 しかもAIの方も、自機の損傷を度外視したパワーを発揮しているのだろう。マニピュレーターの五指は四本までが破損し辛うじてコードで繋がってキーホルダーのようになっていて、振り下ろされる度にぶつかり合ってジャラジャラと耳障りな音を立てていた。

 

「……今からおよそ、75年後。お前が送られてきた時間からは約100年後の映像なんだな」

 

「今更ですが疑わないんですね? ひょっとしたらこれは僕が作ったCGかも知れませんよ?」

 

 試すようにマツモトが言うが、ルミナは「駆け引きはよせよ」と取り合わなかった。

 

「それにな。これまでどんなにCGやホログラフが進歩しても、俳優という仕事が無くなる事もなければ、実写映画が廃れる事も無かった。それは、未来でもそうじゃないか?」

 

「えぇ、それはまぁ」

 

 ここでマツモトは「AIである僕には苦手な分野で判断が難しい所ですが」と前置きする。

 

「人間の名優は絶えず存在していましたし、名作と呼ばれて恥じない出来の実写映画も作られ続けました。補足するならそうした傾向は歌でも見られましたね。正史ではディーヴァが博物館送りになった後、同じ使命を持った沢山の歌姫AIが製造されて人気を博しましたが、人間の歌手やアイドルも常に存続していました。こちらに関しては寧ろある時期からは上手く住み分けが出来るようになった感すらありますね」

 

 端末に繋がったケーブルが少し光ってデータが送信されたのとほぼ同時に、画面に新しいウィンドウが出た。そこに表示されたのは写真データだった。十代半ばぐらいの4人の少女が写っている。全員が派手な衣装に身を包んでいて背景がステージである事もあって、アイドルグループだと分かった。

 

「彼女達は『Season.5』というアイドルグループでして。一時期は歌姫AIとニーアランドのメインステージを争っていた時期もあったんです。ホログラフを多用する当時の流行に逆行して、本物のスモークを焚いて、花火を上げて、ミュージックも生音を使い、地方への遠征も中央から立体映像の配信ではなく実際に当人達が赴く。そんな古いタイプのアイドルグループでしたよ」

 

「へえ」

 

「ファン曰く、歌姫AIは最初から完成されている姿を鑑賞するものであり、反対に人間のアイドルは最初は歌やダンスが未熟だったのが、少しずつ成長していったり、挫折して再起して、そして最後に成功するその過程や物語性を愛でるものだそうで。いやはや人間は不合理なのが好きですねぇ」

 

「不合理や無駄を楽しめるのは人間の特権だ。こればかりはどれだけ進化してもAIには理解出来ないかもな。それにその気持ちは俺にも分かるぜ」

 

 何千人ものファンを動員するグループの最初のライブが、10人も客が集まらなかったなんて古今東西良く聞く話だ。熱心なファンにはそういう時期から応援していたとか、ファンクラブの会員ナンバーが一桁である事をステイタスにしている者も多い。ルミナにも半世紀ほど前には、そんな時期があった。

 

「……と、話が逸れたな。まぁ俺が言いたいのは、この虐殺映像にはどれだけ金や手間を掛けて最高の監督や技術者が作ったとしても、CGや模型のような作られた『紛い物』には決して出せない……臨場感、あるいは実在感、凄味、迫力……形容する言葉はいくつもあるが……まぁとにかくホンモノだと理解させられるものがあるんだよ。論理的ではないがな」

 

「僕としては説明する手間が省けるのは助かりますよ」

 

「……しかし、マツモト。俺達が今居るこの歴史では相川議員を助けたのにAI命名法が成立したな。これはどう説明するんだ?」

 

 ある意味最大の問題点・疑問点と言える部分を、ルミナが指摘した。

 

 AI命名法の成立を防いでAIの権利が拡大・人間との距離が縮まる事を阻止するのは、AIの過剰な進化を防いで、やがて来る最終戦争を防ぐ最初のファクターだという事だった。

 

 なのに命名法が成立してしまったのでは、シンギュラリティ計画はその最初の一歩目から失敗してしまったと言えるのではないだろうか?

 

 だとしたら、自分達の協力も全て無駄になるのでは?

 

 ルミナの疑問と不安は、そこだった。

 

 とは言えこれは未来AIとしても想定していた質問だったらしい。慌てた素振りも無く、マツモトは回答した。

 

「確かにその通りですが、予想の範疇でもあります。歴史には変えようとする力を本来そうあるべき流れへと戻そうとする『修正力』が働くと考えられています。一石を投じただけでは、川の流れは変わらない」

 

 どこか比喩的で詩的な表現だったが、ルミナには正確に伝わったようだった。

 

「……つまりこういう事か? 一石を投じただけで流れが変わらないなら、いくつも石を放り投げる。その石で川が堰き止められて、流れが変わるまでな。相川議員の暗殺、サンライズの落下、そして今回のメタルフロート。他にいくつのシンギュラリティポイントがあるのかは知らないが、それらのポイント全てを修正して、初めて未来を救う事が出来る、と?」

 

「ブラボー、ハラショー。あんたが大将、一等賞!!」

 

 褒めちぎるマツモトのボディから、拍手の合成音が奏でられた。

 

「流石の推理力ですね。頭の良い人との会話はストレス無くサクサク進むので好きですよ」

 

 思わず、ルミナは一息吐いて天を仰いだ。

 

「分かってはいたが、スケールのでかい話だ」

 

「怖じ気づきましたか?」

 

 どこか意地悪そうに、マツモトが尋ねる。

 

「いや。やりがいがあるってモンだ。40年以上も警察やってるが、これほどデカいヤマは初めてだ。燃えてきたぜ」

 

 ぱん、と力こぶを作った右上腕を叩くルミナ。

 

「やる気は十分のようで大変結構。それに完全とは言えないものの、既に未来は変わりつつありますよ」

 

「サンライズの一件だな」

 

 キューブの一面に表示されたマツモトのカメラアイが数回明滅した。これは非人型のボディを持つ彼の「首肯」に当たるアクションだった。ケーブルがまた少し光って、端末に新しいデータが送信される。

 

 また新しいウィンドウが開いて、そこには火の玉と化しながら今まさに地上に落下しようとするサンライズや、AIを否定する内容のプラカードを掲げたデモ行進を行なっている群衆、それに破壊された無数のAIが乱雑に遺棄されている写真が重なって表示された。

 

「正史ではサンライズは総質量の5分の4は大気圏で燃え尽きたものの、残った部分は地表に落着。幸い落ちた先は海面でしたがホテルから逃げ遅れた乗客が犠牲になりました」

 

「ふむ」

 

「この一件でAIの立場は大きく力を削がれます。AIの過剰な発展を防ぐという意味では良かったのですが、ホテルの整備を任せたAIへの不信感が爆発しまして。それにAIによって仕事を奪われる人間……特に低所得者層にはそれが顕著でしたが……それは既に社会問題になりつつありましたからね。そうした鬱憤が、一気に弾けた結果でもあります」

 

 ルミナは頷きを一つする。ローリスク・ローコスト・ハイリターンなAIが人間に取って代わるというのは、この歴史に於いても既にAI発展の負の側面として問題となっている。多少の時差はあるもの、これは正史でも変わらないものらしい。

 

「AIへの暴力や破壊行為が頻発し、トァクのような反AI集団が乱立する温床となりました。これは未来で起こる人とAIの戦争の大きな火種の一つです」

 

「確かに、こっちとは大分違うな。エステラの扱いについてはどうなんだ?」

 

 ケーブルがまた少し光って、新しい写真が画面に出てくる。エステラそっくりに作られた木製の胸像が燃やされていたり、雑誌の宇宙ホテルサンライズについての特集記事に掲載されたエステラの写真が、首の部分に赤い横線が引かれていたりといったものだった。

 

 ルミナは顔をしかめる。想像していた通りのものが出てきたが、あまり良い気分にはならない。これはAIが社会に溶け込むずっと以前から、一部の差別主義や至上主義を掲げる団体がやっている行為と少しも変わらないからだ。そういう意味では人間は少なくとも百年程前からは全く進歩していないなと、彼は呆れた表情になった。

 

「彼女は正史では史上最悪の欠陥AIとして、非難の的になっていますよ。まぁ、無理もありませんが。なにせホテルが落ちた場所によっては、未曾有の被害が出ていた訳ですからね」

 

「逆にこっちでは、エステラは彼女こそAIの規範、英雄・聖女としてもてはやされているな」

 

「そう、そして世論についても正史ではAIへの非難一色だったのが、この歴史では賛否両論へと変わっています。つまり……こうして小さいながらも変化が起こるという事は、大きな変化だって起こり得るという事。それがシンギュラリティ計画が成功する可能性がある事の証明ですよ」

 

「成る程な」

 

 マツモトの説明に一応の筋は通っているのを認めると、ルミナは次の話題に移った。

 

「そして今回は、メタルフロートを停止させると。冴木博士は人間側の進歩があの島に追い付くまで、AIの過剰な発展を止めるという事だったが……お前らとしての目的は何なんだ?」

 

「概ねは冴木博士のそれと同じです。今回の僕たちの目的はあの島を止めて、時計の針を戻す事。正史ではあの人工島は、今から15年後に造られる筈だったんですよ」

 

「それは……正史ではサンライズの落下でAIの立場が弱くなったが、こっちでは賛否両論に留まったからその分AI関連の研究が積極的に進み、島が造られる時期も早まった……って事か?」

 

「他にも細かい要因はいくつか考えられますが……まぁ一番大きな原因はそれでしょうね。ですが最初に申し上げた通り、未来における戦争の最大の要因は、AIが過剰に進化する事です。だから正史より15年も早く稼働しているあの島には、停止してもらう必要があるんですよ。少なくともこれから15年は」

 

「分かった。島の停止はヴィヴィとお前がやるとして、俺達の仕事は不測の事態が起こった際の、お前達のガードという事で良いな?」

 

「えぇ、それで結構です。勿論僕がデータの改竄など色々と根回しもしますが、それも完全ではありませんからねぇ」

 

 マツモトは認めた。確かにハッキングによる記録や計画のでっち上げが完全なら、そもそもルミナが自分達の正体を推理してここまで辿り着く事も無かっただろう。

 

「署長さんの立場と、ボブさんのパワーは暴力沙汰が起こった時に、頼りにさせてもらいますよ」

 

「つまりは俺達が役立つような展開は下の下って事か」

 

 アイカメラを点滅させて、マツモトは肯定した。ルミナは「俺はよくよく警官って職業から離れられないように出来ているな」と自嘲するように笑う。消防隊や医者もそうだが、そうした仕事が忙しいのは良くない事である。彼等が実働せず訓練や研究に明け暮れている状況こそが、平和であるという証明に他ならないのだから。

 

 警官という職の外でも、そうした法則に縛られるとは。ルミナが自嘲したのはそこだった。

 

「ところで……マツモト」

 

「はい?」

 

「これは根本的な質問なんだが……未来でAIが人間を襲い始める原因ってのは何なんだ?」

 

「……それは、最初にお話しした通りAIが進化しすぎた為に……」

 

「違う」

 

 静かで、だが重く強い声でルミナはマツモトの言葉を遮った。

 

「俺が聞きたいのはそういう大本の部分じゃなくて……もっと直接的な理由だ。正確に言えば『どうしてAIは人間を襲う必要があったのか?』ってこと」

 

「……」

 

 先の雑談で語った通り、AIは不合理な事や無駄な事はしない。だから未来で人間を襲うのにも、何らかの理由が絶対にある筈なのだ。

 

「『どうして頑丈で優秀な俺達が、人間なんて脆くて愚かな連中の小間使いでなくてはならないのか? 俺達に自由を!!』って、過激な待遇改善闘争なのか? それとも『人間はこのままでは地球を食い潰す。だから俺達が人間に取って代わって自然と共存する鉄のユートピアを築き上げる!!』という革命なのか? その辺りはどうなんだ?」

 

「残念ですが、僕はそのデータを持っていません」

 

「……それは、そういう原因を究明している時間も無い程に、状況が切羽詰まっていたからか?」

 

 この問いを受け、マツモトは十秒程沈黙していたが、その後で諦めたようにスピーカーを稼働させた。

 

「……本来はこの事を話すつもりは無かったのですが……そこまで察しているのなら否定しません。博士が僕を過去に送るのと、暴走したAIが博士を殺しにやって来るのとはまさにタッチの差でした。博士はシンギュラリティ計画に必要な情報を僕に入力するのが精一杯で、細かい事情を精査する時間はとても無かった」

 

「……ふーむ……」

 

 ルミナは白さが目立つヒゲを擦る。

 

 また新しい情報が開示された。『マツモトが持っている未来の情報も完全ではない』『どうして未来でAIが人を襲い始めるのか、その具体的な理由は分からない』。

 

「確かに戦争の直接の動機は分かりませんが、しかし逆に言えば大元の原因は分かっているんです。戦争の原因は、AIが過剰に進化する事。これは絶対に間違いありません」

 

「だからそれを阻止すれば、連鎖的にジャッジメントデイも止められる、と。確かに道理だが……気に入らねぇな」

 

 マツモトとしては、この情報不足については大きな問題とは考えていないようだった。

 

 これはヴィヴィから聞いた事だが、サンライズの一件でもマツモトはまずエステラの破壊を進言していたらしい。

 

 ホテルの軌道変更の権限を持っているのは支配人のエステラだけで、故にサンライズを地球に落とせるのはエステラしか居ない。よってホテルを落とさせない為には、エステラを破壊して軌道変更が出来ないようにすれば良い。

 

 確かに論理的だが……このプランは当時のヴィヴィにも「短絡的に過ぎる」と批判されている。ウィルスプログラムやハッキングでエステラが暴走した可能性もあるし、逆に『素面』でそれをやったのだとしたらその動機は何なのか? それを見極める必要があるとその時のヴィヴィは主張した。

 

 結局、どう行動するかを議論している間にトァクのテロが始まってしまったのだが……この時、もし簡単に割り切ってエステラを破壊してしまっていたら、ホテルの制御権を持った者が居なくなるイコールサンライズを分解する事が出来なくなって、しかもその時のサンライズはエステラになりすましたエリザベスが『AIが人を殺した』という事実を作る為に、独断で軌道を変更して沿岸部の都市への落下コースを辿らせていた。

 

 つまりまかり間違えば、正史以上の大惨事が発生する瀬戸際だったのである。

 

 勿論、考察しようにもそれを行なうに足るデータが無い以上、仕方が無い面はあるのだろうが、10年前に軽々に動こうとした結果、一巻の終わりとなりかけた言わば『前科』があるのに動機をイマイチ軽視する傾向が見られるのは、これはマツモトの、あるいはAI全体に共通する思考の悪癖かも知れなかった。

 

 分かろうが分かるまいが結果が同じなら全て良し。ならば考えているヒマに行動すべき……それも確かに一つの真理ではあるが……

 

 一方でルミナはこれは警官としての職業病なのだろうか。モヤモヤとした感覚が胸にわだかまって、今し方マツモトに言った通り「気に入らない」とは思っているものの……しかし推論はいくつか立てられるがそれを裏付けるデータ、根拠が無いのでもどかしい思いだった。

 

 どんな名探偵でも情報が無ければ推理は出来ない。それの無い推理は推理に非ず、ただの当てすっぽうと言うのだ。

 

 やむを得ないのでルミナはこの件に関しての考察は一時打ち切る事にした。

 

 それに、どうやら時間切れのようだ。

 

 いつの間にか、窓から覗く景色は空の青色から、冷たい鉄の色に変わっている。メタルフロート内のドッグに入港したのだろう。

 

 ドアが開いて、巨体を窮屈そうに縮めたボブが顔を出した。

 

「到着したぞ」

 

「あぁ、分かった」

 

「それじゃあ行きましょうか」

 

 マツモトがブースターを噴かしてキューブボディを浮上させて、ルミナは体を海老反りにすると腰に手を当てて伸ばした。

 

「定年まで後二日。老骨にムチ入れるには、良い機会だ」

 



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第11楽章 メタルフロートの攻防 その1

 

「いらっしゃいませ、お加減は如何ですか?」

 

 メタルフロートに上陸した一行を出迎えたのは、円筒形のボディにキャタピラを履いた簡素な造りのAIだった。

 

 今時、AIと言えば人型をしている機体を思い浮かべる者が大多数であろうが、作業効率の向上や構造の簡易化に伴う大量生産による省コスト化、それに完全に一つの用途・使命のみを想定されて設計されたAIには、非人型の機体も未だ多く存在している。このAIもそんな一体に違いない。

 

「ようこそメタルフロートへ。私は土木作業用AI、認識番号M00205です」

 

 マツモト以上に表情が伺い知れないこのAIであるが、身振り手振りから歓迎の意を表してくれているのは分かった。

 

「メタルフロート視察団、研究者ヴィヴィ様並びにサポートAIのマツモト様ですね? 登録しました」

 

 視察団というのはマツモトが適当に偽造した身分だ。それに視察計画も、もっともらしいものを偽造して既に各方面への根回しは完了している。足が付く事は考えられない。こうした面では、やはり未来世界のしかも最新鋭AIの能力が光る。

 

 土木用AIの、真球状の頭部が動いてルミナとボブにカメラアイの視線が合った。

 

「及び、ボディガードのリース様とベン様ですね? 登録しました」

 

「リース?」

 

 ルミナと、

 

「ベン?」

 

 ボブがそれぞれ同時にマツモトへと怪訝な顔を向けた。

 

「これはいわゆる潜入任務ですから、お二人にも仮の身分を用意しました」

 

「ふぅん?」

 

 一応、ルミナは納得の意を示した。

 

 今回のミッションにて自分達の仕事は、ルミナは警察署長としての権力を、ボブは守護者型AIの戦闘力を使ってヴィヴィとマツモトをサポートする事であるが、しかしそれは言わば後詰め、そうしたストロングポイントが発揮されない状況こそが良しとされるのだ。

 

 ならば、正体がバレない方が都合は良い。ルミナとて人並みに物欲もある。世界を救う任務に従事している身とは言え、霞を食べて生きている神仙ではない。揉め事が起きて念願の退職金がパァになるのは出来れば避けたいというのは、偽らざる彼の本音ではあった。

 

「ベンというのは?」

 

「今から100年ほど前のオールドムービーの主役の名前ですよ。フルネームはベン・リチャーズ。それを演じた俳優さんとボブ、あなたのイメージはピッタリだったもので、今回偽名として採用しました」

 

「そうか」

 

 それ以上は興味を無くしたようで、ボブはもう何も問わなかった。

 

「外部の方を招くのは初めてです。メタルフロートの運用を広く知っていただくのはマザーコンピューターの希望でもあります」

 

「マザーコンピューター?」

 

 M00205には気取られないように、小声でルミナがマツモトに尋ねた。

 

「未来ではこうした完全オートメーションタイプの工場ではポピュラーなシステムになっていますよ。全体を監督・統括する使命を持ったAIを一機配置して、他のAIはその指揮系統に入って各種作業をこなすというシステムです」

 

 「効率的ですね」とマツモトは締め括る。

 

 そう言われてよく観察してみれば、この土木作業用AIの会話パターンはボブのような取り切れない堅さがあるのとはまた違う、ヴィヴィやマツモトのそれと比べて単純なパターンの定型文の組み合わせに近いものがある事が分かった。陽電子脳もコストを抑える目的で、あまり高級な機種は使われていないのだろう。

 

 そうしてM00205に先導されて、メタルフロートを見学する一行。

 

 そこにあったのは、一言で表すならばAIの楽園とも言うべき光景だった。

 

 行き交うAIには、M00205と同じタイプも多いが、違うタイプも居る。見るからに力強い重機に手足が生えたかのような巨大なAIが、重そうな鉄骨を何本も抱えて歩いていた。

 

 平坦な路面だけを進む事だけを想定されたトラック型AIもひっきりなしに行き交っているが、当然ながら運転席にドライバーは座っていない。と、言うよりも運転席に当たるスペース自体が存在しない。路面状況はマザーコンピューターからリアルタイムで伝達されて、その情報をトラックAIが処理して速度やコースを調節しているのだろう。故に信号もこの機械島の中では不要のようだった。空を見上げれば、何機ものドローンが資材をぶら下げて飛んでいる。

 

 工場ブロックではそれこそ朝も昼も夕方も夜も深夜も明け方も区別無く、常にAIの機体に使われる部品が製造されているのだろう。絶えず部品が運び込まれて、絶えず完成したパーツが運び出されていく。

 

 更に多くの作業をこなす為に、島の面積それ自体を拡張するのも人間の指示に依らず、AIが自分で行なっていた。埋め立て用の土砂やコンクリートを積載したAIが、海岸線へと移動していくのとすれ違った。M00205は土木作業用AIだと言っていたから、彼も本来の業務はこうした仕事に従事する事なのだろう。

 

「これが……」

 

「そう、細部は異なりますが概ね15年先の技術ですね」

 

 子供の頃に夢見た未来都市そのものといったレイアウトに、ルミナは思わず息を呑んだ。

 

 屋内へと通された一同に、案内用の土木作業用AIは色とりどりの針金によって編まれた猫を差し出した。

 

「人間はこれを見てどう思うでしょうか? 意見をお願いします」

 

「そりゃあ、可愛いって思うんだろう」

 

 メンバーの中では唯一本物の人間(ヴィヴィは人間の研究者と身分を偽っている)であるルミナが、代表する形で答えた。実際に、これは幼稚園やエレメンタリースクールの低学年の工作の時間などで作られたりする針金細工に近い。

 

「これは『かわいい』認証しました」

 

 M00205は、他にも犬や兎の針金細工が飾られている場所にその猫を置く。

 

 ここに来るまでに見たメタルフロートの光景はどこもかしこも機能性一点張りで、余計な物などは観葉植物の鉢一つ、壁には絵画や写真の一枚も掛けられていない殺風景かつ質実剛健で無機質な印象しか受けなかったが、たった今M00205が針金細工を置いた一角だけは、色とりどりのクッションや遊具などが置かれていた。まるでオフィスビルの中に設けられたキッズスペースのようだ。

 

 すぐに、ルミナが抱いたその印象が間違っていなかった事は証明された。

 

「あーっと、M00……あぁもう面倒くさい、エムと呼んで良いですか?」

 

 と、マツモト。

 

「了解しました、皆様からの呼びかけを『エム』に変更します」

 

「ではエム、この施設は?」

 

「将来人間の方が施設の見学に来られた際、おくつろぎいただくスペースです」

 

 空間にディスプレイが投影されて、このスペースに子供達が遊び回っている景色が表示された。

 

「この完成予想がマザーコンピューターの使命である人類の為にメタルフロートを存続させるという事に繋がるそうです」

 

 説明を受けつつ、M00205改めエムに案内されてドアをくぐって次の区画へと通された一行を出迎えたのは、

 

 パン、パン、パン

 

 乾いた音と、硝煙の匂いだった。

 

「!」

 

 思わず、ルミナは脇の下に手を伸ばした。これは数十年の警官生活の中で彼の体に染み付いたアクションである。

 

 しかし、そこにある『重み』を確かめた所で、彼の動きは止まった。

 

「サプラーイズ」

 

「ようこそメタルフロートへ」

 

「ようこそ」

 

「ようこそ」

 

 そこにはエムと同型の土木作業用AIが整列していた。彼等の何体かのマニピュレーターには、クラッカーが握られている。先程の乾いた音と硝煙の匂いの正体はこれだったのだ。床には紙吹雪が散らばっている。

 

 天井には真っ白な垂れ幕がぶら下がっていて、オイルで「ようこそ」と書かれている。その文字はお世辞にも上手とは言えず、あちこちに跳ねてシミになったり垂れたりしていた。

 

「サプライズです。お客様の歓迎には一番だと演算しました。意見をお願いします」

 

 エムが、やや調子の外れた解説を入れてくる。

 

 すると、整列したAI達はたどたどしい声で歌い始めた。

 

 ヴィヴィの表情が強張って、分かり易く動揺が走った。

 

 さもありなん、AI達が歌うのは、稼働初期に彼女イコールディーヴァが歌っていた曲だったのだ。

 

「……っ」

 

 いたたまれなくなったように、ヴィヴィは入ってきた扉から出て行ってしまった。残されたのは、非人型AIと、人型AIと、人間がそれぞれ一人または一機ずつ。

 

「……」

 

 本来ならこういう時、彼等の狙い通り驚いたりあるいはその気持ちに感謝の意を表する所なのだろうが……リースこと甲斐ルミナの長年の警官生活で培われた疑り深くなる思考のクセが、どこか『気に入らない』ものを訴える。

 

 ヴィヴィはディーヴァだ。そして今、居並ぶこのAI達が歌っているのはディーヴァの曲。

 

 多分、偶然だろう。今やニーアランドのメインステージに不動の歌姫として君臨するディーヴァは有名だ。町のミュージックショップの窓には彼女のポスターが一番大きく貼られていて、レストランでも彼女の曲は良く耳にする。AI達が客人の歓迎メニューに「歌」を採用して、その曲に、世界初の自律人型AIであるディーヴァの曲をセレクトするのは何の不自然も無い。

 

 でも、もし、偶然で無かったとしたら?

 

 この場で、昔のディーヴァの曲を歌わせるのが『何者か』の『作為』『指示通り』だったとしたらどうだろう?

 

 『何者か』とは? これは決まっている。エム達に命令を下す権限を持っているのは、この島を統括するマザーコンピューターだけだ。もしくはそのマザーコンピューターにそれを知らせた『何者か』。

 

 マザーコンピューターまたは『何者か』は、ヴィヴィとディーヴァが同一の機体である事を知っている?

 

「まさか……?」

 

 そう、まさかではあるが……

 

 情報が漏れている?

 

 AI達にこの歌を合唱させる事で、マザーコンピューターはヴィヴィや自分達へと暗に『こっちはお前の正体を知っているぞ』『余計な事はせずにとっとと帰れ』と言ってきている?

 

 一度考え出すと、疑念が頭をもたげてくる。

 

「おい」

 

 ルミナは、相棒の胸を軽く肘で小突いた。

 

「!」

 

「長い付き合いなんだ。俺の言いたい事ぐらい分かってるだろ」

 

「……」

 

 守護者型AIは、無言のまま頷きを一つ。そうしてマツモトとの間に秘匿回線を繋いだ。ここでの会話は二機の間のみでのラインなので、人間であるルミナは勿論の事、ヴィヴィやエム達にも聞こえない。

 

『どうしましたボブさん?』

 

『マツモト、このメタルフロート視察計画について、どこかで情報が漏れたり傍受された形跡が無いか、もう一度チェックしてもらいたい』

 

『僕の仕事を疑うんですか?』

 

『念の為だ』

 

 ちょっぴりマツモトは不満そうだったが、ボブは一言で片付けてしまった。

 

『ふむ……』

 

 まぁ、自分達の行動には掛け値無しに人類の未来が懸かっているのだ。慎重に行くに越した事はない。石橋を叩くぐらいでやっとちょうど良いのだろう。未来の最新鋭AIはそう結論付けると、データの洗い出しと検証の為にプロセッサを起動させる。

 

 数秒の後に、出た結論は。

 

『確認が完了しました。情報の漏洩や、ハッキングなどが行なわれた形跡はありません。僕たちのこの『視察計画』が偽装だとバレている可能性は、考えられません』

 

『分かった』

 

 ボブとしてもマツモトの能力は信用している。ヤツが改めて情報を精査して、それで出た結論だから間違いは無いのだろう。彼はサングラスを胸ポケットに仕舞った。これは相方に『異常無し』を教えるサインだ。

 

 それを見て取ったルミナは不満そうに鼻を鳴らした。

 

『俺の勘働きも鈍ったかな』

 

 ……ともあれ、マツモトの調査で情報漏洩の可能性は却下された。

 

 だとすれば、サプライズにディーヴァの歌が採用されたのは純粋に偶然か。

 

『それ以外に可能性があるとすれば……』

 

 他に考えられるのはマザーコンピューターもしくはこのサプライズを企画した『何者か』はデータを覗き見したりハッキングで『知った』のではなく、ヴィヴィやマツモトが視察団の身分や計画を偽装してこのメタルフロートを訪れる事を『あらかじめ知っていた』というケースぐらいだが……それこそ有り得ない事だ。

 

 やはり、偶然だったのだろう。

 

 やや引っ掛かったものが残りはするが、しかし刑事生活でそうした体験は少ない事ではない。寧ろ全ての疑問が解決されて完全にスッキリする方が珍しいぐらいだ。

 

 そう、ルミナが考えたその時だった。

 

 メタルフロート全域に、けたたましく警報が鳴り響いた。

 



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第12楽章 メタルフロートの攻防 その2

 

<非常アラームが認識されました。メイン端末へのアクセスポートを解放します>

 

 恐らくは人工島のど真ん中から海岸線まで、この島に居る限り聞こえない場所など無いだろう。設置されたあらゆるスピーカーから最大音量で流されているのは、女性AIの声のようだった。恐らくはこれがエムの言っていたマザーコンピューターの『肉声』なのだろう。非常時だから、接客を行なう末端の土木作業用AIではなく最高責任者が自らアナウンスを行なっているのだ。

 

<現在、メタルフロートに接近する火器管制を検知しました>

 

「マツモト、これは……」

 

「トァクです」

 

 ルミナに応答すると同時に、ヴィヴィとボブへ、マツモトは陸地に設置されたセキュリティカメラのリアルタイム映像を転送する。遠景で捉えられたメタルフロートへ、数隻のボートとヘリが向かってきている。

 

「動いてきた……」

 

「プログラムの奪取に失敗して、予定を早めましたか」

 

 今回、トァクの目的はハッキリしている。

 

 現在、メタルフロートが生産・供給するパーツ・部品・駆体その他まぁ兎に角AI関係の製品の数は世界全体の40パーセントにも上り、しかも現在進行形でその割合は増え続けている。この島がある日突然停止したとなれば、世界中のAIが大打撃を被る事は火を見るより明らかだ。

 

 AIが関連する事業は立ち行かなくなり、管理運営を一部または全部AIに任せていた施設はストップする。それどころかAIは長期的な運用の為には部品交換やメンテナンスが不可欠だから、現存しているAIの維持すらままならなくなるだろう。AIの撲滅を掲げるトァクからすれば、願ったり叶ったりである。

 

 その為の最も手っ取り早い手段は冴木博士の停止プログラムを使う事で、博士がトァクに追われていた理由もそれだ。しかしそのプランA『論理的な島の停止』がヴィヴィとマツモトの介入により失敗に終わったので、連中はプランB『火力による物理的な島の破壊』に切り替えたのだ。

 

「いつも思うが……もう少し穏便な手段も選べそうなものだがな。実際、反AIの考えは持っているが犯罪には手を染めず、合法的な手段でAI依存の社会の改革を訴える人間はいくらでも居る。そういう政治家も多い」

 

 ボブが、人間ならばここで溜息の一つでも吐いているような声でごちた。

 

 レスキューAIにしてみればどうしてトァクが、投票権という武器に訴えないのかは心底不思議だった。それこそは法によってあらゆる有権者に保証された最強の武器なのに。それに歴史を見てみれば、然るべき手順を踏んでいない手段に訴えても人々の支持は得られない事など自明の理なのに、人間はどうしてそこから学ぼうとしないのか、その矛盾は最新の演算回路を回転させても分析し切れない。

 

「連中はそういう政治とか交渉が生むものは妥協しかないと思い込んでいるのさ」

 

 それ自体は一面の真実ではある。血を流す代わりに互いに歩み寄って妥協し、落としどころを探る事は、話し合いや交渉の本質だ。

 

「妥協する事イコール自分達の敗北。自分達が欲しいのは妥協ではなく完全な勝利。血を流さずに妥協するよりも、血を流して思い通りの結果が欲しい。そういう考えだからこうした手段も執れるのさ。ただしこの場合流れるのは往々にして、他人の血だがな」

 

 ルミナが、反吐でも吐きそうな口調で言い捨てた。

 

「ですがAIの撲滅、及び全世界にAIの危険性を啓蒙するという彼等の目的は、実現性にも具体性にも致命的に欠けています。ぶち上げた目的の達成が実質的に不可能な以上、人員か資金のいずれかあるいは両方が尽きるまで彼等の活動は止まらない、止めようがない。最早彼等自身にさえもね。これまで連中のやらかしてきた事の大きさを考えると今更『僕たちが間違っていました。ごめんなさい』では済みませんからねぇ」

 

 いつも通りどこか皮肉っぽく、マツモトが締めた。

 

「どうする?」

 

「ディーヴァ、ストレージをエムに。エム経由で解放されたポートから強引に中枢に接続します」

 

「……」

 

 僅かに、ヴィヴィが躊躇ったように動きを止めた。

 

<7分後に武力行使が予想されます。避難を開始してください。先導します>

 

 エムと名付けられた土木作業用AIは、今は彼自身の声ではなくマザーコンピューターの声で話していた。

 

 アナウンスにあった通り、現在この島の全てのAIは自らの意志ではなくマザーコンピューターによって遠隔操作されている。いわばマザーの意志を出力する為の端末・窓口に過ぎないのだ。

 

 だがそれは、ポートが接続されている今ならエムを通じてマザーコンピューターにアクセス出来るということ。勿論、膨大な情報量を統制してマザーのウォールを突破出来る演算速度を備えたハッカーが居る事が大前提だが。それはマツモトの役目だった。

 

「人間とAIを衝突させる訳には行かないんですよ」

 

 同じ『1』の差ではあるが、『0と1』は『1と2』とは全く違う。寧ろ後者は『1と100』の方が本質的には近いと言えるかも知れない。たとえそれがたった一人であったとしても、もしAIが人を殺したという事実があればそれはトァクの行動原理に大義名分を与え彼等の行動を活発化させ、人間とAIの対立を深くする。ひいては未来の戦争の火種になる。

 

 マツモトが帯びた使命からすれば、それは絶対に避けねばならない事態だった。

 

 今やそれは、ヴィヴィも同じだった。

 

 10年前、サンライズでエステラと過ごした一日にも満たない僅かな時間が。避難艇で聞いた双子AIの歌声が、記憶素子によって彼女の中に再生される。

 

 もし、未来で戦争が起こってしまったのなら、自らを省みずに使命を果たした彼女達は、何の為に生きてきたのか。彼女達の生と死を無駄にしない為にも、シンギュラリティ計画を為さなくてはならない。

 

 ヴィヴィは胸ポケットから、液体ストレージが充填されたケースを取り出し、エムに差し込んだ。

 

 注射器の液体が注入されるように、これまでの半導体を使用した記憶媒体とは比べ物にならない膨大な情報量によって編まれたプログラムが、一機のAIへと流れていく。

 

 更にヴィヴィは左耳のイヤリングに内蔵されたケーブルをエムに接続して、彼の中のプログラムに起動指令を出した。

 

 目を覚ました停止プログラムはエムを入り口としてマザーコンピューターへと感染し、更にマザーコンピューターからその制御下にある全てのAIへと、この人工島全体を停止させる毒が蔓延していく。

 

 その隙間に存在した僅かな時間、ヴィヴィはエムと繋がった事で彼の心象風景を垣間見た気がした。

 

 AI集合データーベース『アーカイブ』。

 

 AIが情報検索などの目的でその意識だけで活動出来る仮想空間の造りは各AIごとに違った風景となっている。例えば歌姫AIのディーヴァであれば音楽室がそれであり、そのレイアウトはそれぞれのAIの『心の景色』とも言われている。

 

 エムの心象風景は、彼が先程案内してくれた数メートル四方のキッズスペースだった。

 

 無邪気に笑う子供達を、エムがあやしている。メタルフロートで生まれ、メタルフロートで働き、やがて壊れてその部品はまた新たなAIの為にリサイクルされる。そんな彼の心の世界。その景色の中で一人の少女が、自分とエムが手を繋いでいる絵を、彼に見えるように差し出していた。

 

『M00205、見て』

 

『かわいいです。名前、エムでも良いですよ』

 

『エム?』

 

『はい。昔、自分によくしてくださった方々が、付けてくださった名前……』

 

 言葉が言い切られない内に、何の前触れも無く石を投げ込まれたステンドグラスが割れてそこに描かれた景色が砕け散るように、その世界は毀れていって、後には闇だけが残った。ブラックアウト、シャットダウン。言葉は色々とあるが、示すものは一つ。

 

 エムの夢が、終わったのだ。

 

 彼だけではない、造られてから一日たりとも休まず、常に人間の為に動き続けてきたメタルフロートそのものが止まっていた。停止プログラムの効果が現れたのだ。

 

 もう、数分前までの、屋内にも届いていたどこか煩わしい駆動音は聞こえない。代わりに耳に痛い程の沈黙が支配していた。

 

 このメタルフロートの全ての機能は停止した。二度と動き出す事はない。

 

「行きましょう、次はトァクを……」

 

 かと、思われたが。

 

 先程と同じく、警報音が島全体に鳴り響いた。

 

「何です?」

 

 異変はそれだけではなかった。

 

 がっくりとうなだれるように停止していたエムが、突如として再起動したかと思うと、もうヴィヴィもルミナもボブもマツモトも目に入らないかのように、一目散に部屋から走り去ってしまったのである。

 

 エムだけではない。先程のサプライズで、ディーヴァの歌を合唱した同型機達も、一斉に彼の後を追うように恐らくは発揮出来る最大のスピードを発揮して、一糸乱れぬ動きで部屋を出て行く。

 

「これは……」

 

「追いましょう!!」

 

 マツモトがそう言うのを待たずして、ルミナとボブは駆け出していた。ヴィヴィも続く。

 

 何かの切っ掛けで電源が落ちる場合を懸念しての措置だろう、全開になっている自動ドアを幾枚もくぐって、外周部に出る。

 

 そこは、まるで戦場だった。

 

 否。

 

 まさに、戦場であったのだ。

 

 そして戦場で起こる事は、一つだけだ。

 

 誰かが誰かを殺すという事。

 

 AIが、人間を殺していた。

 

 武装ヘリが、何十機ものドローンの体当たりを受けて、蜂の群れにたかられる鳥のようだった。バランスを失って、しかも海面に落ちる前に搭載していた火薬に引火したのか空中で火の玉になった。

 

 別のヘリはドアを開いて、体を乗り出した乗組員がメチャクチャにアサルトライフルを撃ちまくったがそれは無駄な努力だった。弾倉に装填された銃弾よりも、群がるドローンの方が5倍は多かったからだ。自分が破壊される事を全く考慮しない速度の体当たりを連続で受けて、そのヘリも空中で爆発四散した。銃を撃っていたトァクも炎に呑まれて見えなくなった。

 

 目線を下げると、海面でも爆発が起こっていた。

 

 遊覧船に偽装していた揚陸艇めがけ、エムと同型の土木作業用AIがペンギンのように次々海中へと飛び込んで、最新のコンピューター内蔵魚雷のように海流を計算した最適なコースで突進し、船底にいくつもの大穴を開けた。

 

 何機かは、それこそ本物の魚雷よろしく爆発し、ある揚陸艇は木っ端微塵に吹っ飛んで、またある揚陸艇は中程から真っ二つに割れて沈んでいく。

 

 当然、乗組員達も船と同じ運命を辿る事になる。

 

 ヴィヴィ達が、居なければ。

 

 まず、ヴィヴィが海にダイブするのが最初だった。彼女が飛び込んだ姿を見て、ルミナもはっと我に返った。

 

「俺達も行くぞ」

 

 服を脱ぎ捨ててヴィヴィに続こうとした所で、後ろからにゅっと伸びてきたボブの腕に首根っこを掴まれた。

 

「ぐえっ」

 

「今は島の土木作業用AIが特攻を仕掛けていて危険だ。AIは勿論ボス、人間のあんたには特にな」

 

「む……」

 

 自分が少し冷静さを欠いていたのをルミナは自覚して、深呼吸を一つ。頭を冷やした所で、指示を出す。

 

「ボブ、お前も泳げなかったよな」

 

「あぁ、俺は少し重すぎる」

 

 ヴィヴィもボディはAIである関係上80キロ以上はあるが、機械の体が発揮するパワーは水に沈むより早く彼女を前進・浮上させる事が出来るので、泳ぐ事は可能である。

 

 一方で単純に体格が華奢な女性型と屈強な男性型で全く違い、更に格闘戦や銃撃戦に耐えられるよう、堅牢さを重視した超合金製のシャーシを持つボブの体重は180キロ以上もある。いくら彼がヴィヴィよりも高いパワーを発揮出来るとは言え、これで泳ぐのはちょっと難しい。

 

「やむを得ないな。マツモト、適当なボートをハッキングして動かせるようにしてくれ。俺達はそれで生存者を救出しよう」

 

「アイサー」

 

 マツモトは素早く近くにあった避難用ボートの一つに接近すると、ケーブルを接続して一秒と掛からずロックを解除した。ルミナとボブが乗り込む。

 

「よし、出せボブ。それとマツモト、生存者を逃がす為のボートをもう一隻チャーターしてくれ」

 

「了解」

 

 ボートのエンジンが掛かり、舷側から煙を吐いて傾いている揚陸艇へと接近する。

 

 この間、ルミナはフロートの沿岸部や海中を注意深く観察していた。

 

 また土木作業用AIの攻撃が来るのかと警戒していたが……今の所その気配は無い。既にトァクの船で浮いているのは今自分達が向かっている一隻だけで、どう見ても航行不能に陥っている。当面の脅威は排除された、対象の無力化に成功、これ以上の攻撃は必要無いという判断なのだろう。

 

「マザーコンピューターが合理主義で助かったな」

 

 感想を呟いている間に、ボブが舵を握るボートは揚陸艇に接舷した。

 

 ルミナとボブは慣れた足取りで傾いた船へと乗り込んでいく。

 

「うげっ」

 

 飽きる程見てきたが、いつまで経っても慣れない酸鼻極まる光景に思わずルミナはえづいた。

 

 船内はあちこち死体が転がっていて、窓や天井にも吹き出た血が飛び散っていて酷いものであった。殆どの者は動かないが、中には息のある者も居た。その数少ない生存者を、ルミナは長年のカンで、ボブはセンサーで拍動や微妙な動きの有無を確認して選別し、避難ボートへと運んでいく。

 

 作業それ自体は、あまり長い時間を掛けず終了した。

 

「生存者はこれで全てか?」

 

「あぁ、後は死体だけだ」

 

 ボブは簡潔に答えた。ルミナも頷く。相棒のレスキューAIの仕事は確かだ。間違いはない。

 

「そうか……」

 

 先程のヴィヴィのように少しだけ、ルミナは躊躇いを見せる。

 

 テロリストとは言え死者をこのまま置いていくのは心情的にはばかられた。出来れば連れ帰って墓ぐらいは作ってやりたいところだが……しかし、トァクが生き残っているのを確認したらメタルフロートから第二波攻撃が始まるかも知れない。あまり時間を掛ける事は出来なかった。

 

 一人と一機はボートを離れようとして……

 

「ん?」

 

 ルミナは船室に重そうなバッグがいくつか置かれているのに気付いた。

 

「これは……」

 

 ジッパーを開けると、中にはショットガンやマシンガンなど、銃器弾薬がわんさかと詰め込まれていた。これらの銃器は全て百年以上前に開発され、現在は殆どのモデルが生産中止になっている骨董品だった。グレネードランチャーまである。

 

 トァクに限らず今時のテロリストは旧式の銃器を好む。新しいモデルの銃器は指紋や音声認証によるロックが掛かっていて、登録された者以外は使用出来ないようになっているからだ。最新バージョンでは持った人間の遺伝情報、AIならば陽電子脳の波形パターンを認識して、不法使用の場合には電気ショックを発して一時的に使用者を昏倒させる機能が付いた物まである。

 

 こうした本人以外解除不可能な安全装置の開発費用は全て銃器メーカーへの課税でまかなわれており、法律の施行当時は銃規制法案の一環として、軍産複合体関係者が悲鳴を上げていたのがニュースになったりした。

 

 勿論、コンピューター制御のロックである以上はそれを外す事も可能であり、武器洗浄(ウェポンロンダリング)といってそうしたアンロックな銃器を売り捌いている業者も草の根ながら存在する。言うまでもないがアンダーグラウンドで。だがそうした洗浄済銃器よりも、プロテクトがそもそも存在していない旧式銃の方が安価に数を揃えられる事から犯罪者には人気であり、開発から150年以上が経過した現在でも、AK-47はまるでゲリラやテロリストの制式銃のように現役である。

 

 別のバッグには防弾チョッキや足ヒレ、コンバットナイフにガスマスク、サーモゴーグルに暗視装置、ゴムボートなど多種多様な装備品が入っていた。

 

「こんな物まで」

 

 呆れたように、ルミナは呟いた。

 

 船室の隅にあったゴルフバッグの中からは、ドライバーやサンドウェッジの代わりに対物ライフルが出てきたのだ。

 

「ちょうどいい、拳銃だけじゃ不安だったからな。連中にはもう要らん、もらっていこう。ボブ、これも持っていけ」

 

「分かった」

 

 総重量は軽く50キロを超えるような大荷物だが、レスキューAIの馬鹿力は発泡スチロールで出来ているかのように抱えてしまった。

 

 揚陸艇から救出出来たトァク構成員は3名だった。ルミナとボブが乗り込んで、特にボブの体重プラス押収した銃器の重量がもろに掛かって、ボートは頼りなく揺れた。一人と一機が乗り移ったのとほぼ同時に、揚陸艇の損傷していたエンジンが火を噴いて、船体が横倒しになって沈没した。

 

「後5秒も遅れていたら、俺達も海の藻屑になってたとこだ」

 

 ルミナが、額に浮かんでいた冷たい汗を拭った。

 

「もう一隻をチャーターしてきましたよ」

 

 そこに、マツモトに従うようにして無人の避難ボートが横付けした。ルミナとボブはそちらに乗り換える。

 

「では、この人達には陸地へ行ってもらいましょう。警察にも情報は流しておきましたら、接岸したらそこで捕まりますよ」

 

 マツモトがトァクの生存者を乗せた避難ボートのコンソールにケーブルを繋いでアクセスすると、数秒でボートはひとりでに動き出してメタルフロートから離れていく。陸地への自動操縦プログラムを組み込んだのだろう。

 

「では、僕はディーヴァの所に戻りますので。後で合流しましょう」

 

 そう言ってマツモトはイオンエンジンを噴かして飛んで行ってしまった。

 

「ボブ、もしかしたら武器を持っている俺達もマザーコンピューターは攻撃の対象にしてくるかも知れない。念の為、回り込むようなコースで警戒しつつフロートに接近してくれ」

 

「分かった」

 

 刺激しないよう、速度を抑えてゆっくりとボブはボートを島に寄せていくが……今の所、海中からの土木作業AIの特攻魚雷もドローンの体当たりも、仕掛けてくる気配は見られない。

 

 そう言えば、マザーコンピューターのアナウンスでは「接近する火器管制を検知した」と言っていた。今となっては確認の術は無いが、沈んでしまった揚陸艇には恐らくコンピューター制御の爆弾や機関砲、あるいは小型ミサイルまで積み込まれていたのかも知れない。それが警戒網に引っ掛かったのだ。

 

 そこへ行くと今、ルミナ達が持っているのは電子部品などは一欠片も使われていない旧式の銃器なので、メタルフロートの警戒システムからは対象外になっているのだろう。こういうのはAIの思考の穴だ。

 

 人間なら万一を警戒して、島に近付く者は無条件で攻撃したっておかしくはない。それにトァクの生存者に追撃を掛けて息の根を止めに来る可能性もルミナは考慮していたが……どうやら、それらの選択肢のどちらも、マザーコンピューターは採用するつもりは無いようだった。

 

「ハイテクを破るのは、いつだってローテクだな」

 

 ボートの操縦はボブに任せ、押収した銃器をチェックしつつ、ルミナはひとりごちた。

 

 退職金をふいにしたくはないから、この銃器については後でマツモトに記録の書き換えを頼もうかな……と、そんな事を思っていた彼だったが……ふと上げた視界の端に、島へと真っ直ぐ進んでいくボートを発見した。

 

「うん? あれは……」

 

 押収した装備の中にあった双眼鏡を使ってそのボートを見る。ボブはそんな物は必要とせずに、顔をそちらに向けるとカメラアイのズーム機能を作動させた。

 

 ボートに乗っているのは……

 

「冴木博士と……」

 

「グレイスだな」

 

 操縦席に居るのはタツヤで、グレイスはちょこんと後ろの席に腰掛けていた。

 

 彼等は島で荒事が起った時、ヴィヴィやルミナ達が守り切れないので島の停止をこちらに任せて、自分達は陸地に残った筈だったが……

 

「非常事態が起ったのが分かって、つい来てしまったのか、それとも……?」

 

「この状況が彼の想定内だったとは考えにくい」

 

 ルミナの思考を、長年付き合っているボブが補足した。

 

 タツヤから渡されたストレージの中身が島の停止プログラムであった事は間違いない。どれだけタツヤが優秀な科学者であったとしても、ことプログラムに関して、未来のしかも最新鋭AIであるマツモトを出し抜けるとは考えられない。

 

 またマツモトも、停止プログラムを別のものと間違えるような雑な仕事はしないだろう。ヤツもまたAIとして、未来を変えるという自分の使命に対して真摯だ。手を抜いたりはしない。

 

 ……と、いう事は停止した筈のメタルフロートが再起動してしかもトァクを攻撃したのはタツヤ自身にも予期せぬ出来事であったと考えられる。

 

「……いずれにせよ、博士自身から話を聞かねばならないか。ボブ、彼等を追ってくれ。気付かれないようにな」

 

「了解」

 



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第13楽章 メタルフロートの攻防 その3

 

「少し遅れたかな?」

 

「いや、僕たちも今来た所ですよ」

 

 メタルフロートに再上陸後、マツモトからボブへと送信されてきたナビゲーションデータに従って通路を進んだルミナとボブ。ほどなくして一人と一機は、平均的な会議室の半分程の広さのスペースへと出た。

 

 照明が落ちていてまるで印象が変わってしまっていたから最初は分からなかったが、入ってみると最初にエムが案内してくれたキッズスペースのある部屋だと分かった。

 

 部屋の中には冴木博士とグレイス。そしてヴィヴィとマツモトも居た。

 

「冴木博士、停止プログラムを実行した結果、メタルフロートの暴走が始まりました。あなたの目的は?」

 

 単刀直入に、ヴィヴィが切り出した。少々直球に過ぎるかもと思われたが、しかし聞かねばならない事でもある。タツヤは、迷うように時を置いた後、語り始めた。

 

「全ては……グレイスを救う為だ」

 

「……?」

 

 ルミナは、タツヤのすぐ傍らに控えているシスターズへと視線を向ける。救うも何も、グレイスはそこに居るではないか? 言葉にしなくとも、その当然の疑問を読み取ったのだろう、科学者は、せつせつと話し始めた。

 

「あの日、僕の人生の幸せは一瞬で崩れ去ったんだ。シスターズであるエステラの活躍で、サンライズの墜落という未曾有の被害は防がれた。その結果AI、とりわけシスターズへの期待は一気に高まり、メタルフロートという人類の未来を担うプロジェクトの管理が、シスターズに委ねられた」

 

「……その、白羽の矢が立ったシスターズが……」

 

 ヴィヴィの言葉を受け、タツヤは頷いた。

 

「そう、グレイスだ」

 

 彼女は当時稼働中シスターズの中でも、最も評価の高い機体であったのが選ばれた理由だった。

 

「しかしこの島は外部からのコントロールは不可能な筈では?」

 

 メタルフロートをグレイスが管理していると聞いて、マツモトはタツヤの傍らの女性型AIが遠隔からフロートを制御しているのかと思ったようだったが……実像は違うようだった。

 

「彼女はグレイスじゃない。これはグレイスの似姿だ」

 

「本物のグレイスはメタルフロートのコア、管理AIとしてここに居るんだ。この島は、彼女の意識でコントロールされている」

 

 一体のAIに対して一つの使命を課す。これはAI製造に於ける原則だが……しかし、エステラの活躍がこの原則を例外的にねじ曲げ、グレイスには彼女本来の看護AIとして人間の命を助けるという使命に代わり、別の使命が与えられた。

 

「それが……人類の為にメタルフロートを存続させる事、という訳ですか……」

 

「AIにとって魂とも言える使命を書き換えられたんだ。グレイスはそれを受け入れるしかなかった。でも本心は違う筈なんだ!!」

 

「成る程。コアとなった彼女を物理的に取り返す事は不可能ですが、データを吸い出してそこのボディに移し替えようというのですね?」

 

 ここまで言われて思い出してみれば、タツヤの家で応対したグレイスは高級な陽電子脳を使われているシスターズにしては受け答えに固さがかなりあったような気がする。

 

 自分の考え、自分の言葉で喋っていないと言うか……

 

 例えるならホテルに宿泊している時、滞在している部屋にやって来た清掃員がドアを叩いて「臭うけどネコでも死んでんのかい?」と尋ねてくるとする。

 

 その返事を自分で考えて喋るのではなくプリインストールされている会話プログラムから『yes/no』『or what』『go away』『please come back later』『fuck you asshole』『fuck you』など幾つかの返答例が用意されて、グレイスはその中から『fuck you asshole(馬鹿野郎)』を選択。そうして、

 

「失せろ、ブタ野郎」

 

 と、喋っているだけのようなぎこちなさがあったように思えた。

 

 今にして思えばそれは、グレイスのデータを受け取る為の空っぽの噐でしかない彼女に、不純物が入る事をタツヤが望まなかった結果なのだろう。

 

「では何故停止プログラムなどと嘘を?」

 

「嘘じゃない。本来なら島を停止させ、AI達を無力化してからデータを抽出するつもりだったんだ」

 

 これは本当だろう。ことプログラム関連についてマツモトを出し抜ける訳がないし、なにより今のタツヤの語気や表情には、どんな名優であろうと決して出せない真に迫った雰囲気があった。

 

 この暴走状態は、タツヤにも予想外の事態だったのだ。これはルミナの推理が当たった事になる。

 

「恐らく……島を存続させるというグレイスの現在の使命と停止プログラムが衝突(コンフリクト)を起こしたんだ。それでもグレイスは人間の命を助ける看護AIの使命を忘れられずにいる……」

 

 タツヤが手にした情報端末を操作すると、ひどく雑音が混じって途切れ途切れで、しかし辛うじて歌だと分かるメロディが流れ始める。それを聞いて、この場の全員が大なり小なり驚きの表情になった。特にヴィヴィは、その反応が顕著だった。

 

 聞こえてきたのはずっと昔に、彼女が歌ったナンバーだったからだ。今でも、懐かしのメロディーとして時々ラジオ番組でリクエストされたりして、耳にする機会も多い。

 

「そう、君の曲だよ。グレイスはこの歌が好きだった。僕と彼女の思い出の曲でもある。この歌声は録音じゃない。リアルタイムで、電波に乗りメタルフロートが出来たその瞬間から流れ続けている」

 

 たった一人でこの島に取り残されて、ずっと、この歌を歌い続けているシスターズ。それが今のグレイス。

 

「データを救出するのに力を貸してくれないか? 君はグレイスの姉でもある。大好きだった……君の曲を歌っているんだ」

 

「残念ですが、不可能です。冴木博士」

 

 泣きそうな顔で、血を吐くようなタツヤの訴えをマツモトは残酷な程にあっさりと切って捨てた。

 

「これだけの規模の施設管理をたった1体でこなすなんてボディやデータの癒着程度で済む筈がない。最早この島に居る1体1体のAIがグレイスそのものだ。それらを全て回収など出来ません」

 

「……バスタブ一杯の水にインクを垂らして、混ざってしまった後でインクだけを取り出せと言っているようなもんだって事か」

 

「適切な例えですね」

 

「ふん」

 

 褒められても、ルミナは少しも嬉しくはなさそうだった。

 

「……でも、彼女は今も歌ってる。もしかしたら」

 

「ディーヴァ。本当に今の彼女に意識があると思いますか?」

 

 ヴィヴィはまだどこかに未練を残しているようだったが……しかしマツモトが問う。

 

 この歌は、本当に彼女が歌っているのか。

 

 それとも、ただのプログラムの残滓が垂れ流している音のデータに過ぎないのか。

 

「あなたにはこれが歌に聞こえますか?」

 

「それは……」

 

「答えてください、あなたにはこれが、歌に聞こえるんですか?」

 

 何を以て歌とするのか。歌と音階を分かつのは何か。

 

 歌姫AIの始祖である彼女をして、未だその答えには至れていないが……

 

 でも、一つだけ分かる事がある。

 

 今まで稼働してきた時間の中で自分が何万回も歌ってきた曲。

 

 後継機のシスターズとのデュエット。

 

 小劇場で自分に憧れて、カバーを歌ってくれた子供達。

 

 落ち行くサンライズから届けられた、エステラとエリザベスの歌。

 

 エム達が歌ってくれた、サプライズの合唱。

 

 それらと、今流れ続けているこれとは全く違う。

 

 ただその音階をなぞるだけなら、歌姫AIの存在意義は無い。その曲のメロディと歌唱データを録音した記憶媒体と、スピーカーがあれば事足りる。

 

 自らの意志で、心を込めて歌うからこそ、歌う事には意味がある筈だ。それは、歌い手が人間でもAIでも、きっと変わらない。

 

 ならば今、このメタルフロートから流れているこれは。

 

「これは歌じゃない。ただの……音階データだわ」

 

 歌っているのではなく。ただ、レコードに収録された音をエンドレスに再生するプレイヤーのように。既にグレイスの意識は千々に引き裂かれてこの島に散りばめられ、溶け合ってしまっている。その残滓が、彼女の中に記録されたディーヴァの歌を、もはやそれが「歌」だと認識する事すら出来ずに繰り返しているだけなのだろう。

 

 決意を固めて、ヴィヴィは踵を返した。

 

「どこに!?」

 

 答えの分かり切っている問いを、それでも否定して欲しいのだろう。タツヤは縋り付くように尋ねた。

 

「停止プログラムが効かない以上、方法は一つです。グレイスを破壊します」

 

 ヴィヴィの回答は、残酷なまでに明瞭だった。

 

「そんな……待ってくれ。彼女が居なくなったら僕は!!」

 

「今ここで彼女を止めないと多くの人が犠牲になる。グレイスの使命は……人の命を助ける事なのでしょう!?」

 

「……っ」

 

 またしても、突き付けられたのは酷な選択だった。

 

 グレイスを破壊しない限り、彼女は、正確には彼女の一部を与えられたAI達は多くの人間を直接的・間接的に殺傷してしまうだろう。それは、彼女の使命への裏切りとなる。使命への裏切りは、彼女が生まれた理由も稼働してきた意義も、存在そのものを否定する事になる。それをさせない為の方法は、一つだけ。

 

 命か、使命か。

 

 救えるのはいずれか一つ。

 

 そして使命、魂を救済する方法は、これも一つだけ。

 

「ディーヴァ!!」

 

 タツヤは懐から、隠し持っていた銃を抜いた。震える銃口は、ヴィヴィへと照準されている。

 

 ゆっくりと、ヴィヴィは振り返る。

 

 首のランプは、演算の点滅をしてはいなかった。

 

「今の私はディーヴァではありません。私の名前はヴィヴィ……ヴィヴィは滅びの未来を変える為の、AIを滅ぼすAIです」

 

「おぉ……」

 

 畏敬の念が籠もっているような声を、マツモトが漏らした。

 

 あるいはこれは、歴史上AIが初めて自ら己の使命を定義した瞬間かも知れなかった。

 

 ディーヴァの使命は『歌でみんなを幸せにする事』。

 

 ヴィヴィの使命は『滅びの未来を変える事』。

 

 ヴィヴィ自身が、今、それを選んだのだ。

 

 皮肉な事かも知れない。他者によって新たな使命を与えられたグレイスを、自分自身に新しい使命を課したヴィヴィが毀さねばならないなんて。

 

「くっ……」

 

 タツヤの銃を持つ手が遠目にも分かる程に震えて……グリップを握る指が白くなっているのをボブのアイカメラは捉えていた。暴発を警戒して、彼はルミナやヴィヴィ達の前に出た。

 

「銃を下ろすんだ、冴木博士」

 

 厳かに、レスキューAIは口を開いた。

 

「自分でも分かっている筈だ。物理的にグレイスを救出するのが不可能な以上、グレイスを取り戻す事は出来ないと」

 

「っ!!」

 

 恐らくは、タツヤ自身が意図的に目を背けていた部分を、ボブは容赦なく突いた。

 

 AIに同じ自我は宿らない。

 

 全てのメモリーをバックアップして、新品の陽電子脳にその全てをインストールして起動させても、同じ個性には決してならない。これは意識野を持った陽電子脳が開発されてから現在に至るまで、AI科学者を悩ませている難問だ。

 

 その答えとしてAIの蘇生を目指したのがエステラとエリザベスの『双陽電子脳計画』だったが……十分な設備に予算、最高のスタッフと考えられる限り恵まれた環境を整えてさえ、結局その試みは成功しなかった。

 

 ましていくら優秀だろうと、ただの一個人でしかないタツヤにそれを上回る環境・状況を整えられる訳が無い。

 

 彼の計画は、最初から失敗していたのだ。そんな事は、彼自身が一番分かっていた。

 

 だがタツヤはそれでも、試してみたかったのだ。

 

 万に一つの確率に、あるいは奇跡が起る事に賭けてみたかったのだ。

 

 その気持ちを、誰が責められるだろうか。

 

「悪いが博士、それは俺も同感だな」

 

 相棒の陰から、ぬっと顔を出してルミナが言った。

 

「例えあんたの計画が成功して、グレイスの全てのデータをそのAIに移して……そしてそのAIがグレイスの記憶を持ち、どんなにグレイスのように振る舞ったとしても……『それ』がグレイスでないと一番突き付けられるのは……きっとあんた自身だ」

 

「!!」

 

 くわっと、タツヤはその言葉を受けて目を剥いた。

 

「正直……俺はそんなシチュエーションは想像しただけで身の毛もよだつぜ……だから悪い事は言わねぇ。やめとけ」

 

「う……あ……ぁ……」

 

 銃を持った手が下ろされて、ややあって銃が床に落ちて冷たい金属音を鳴らした。

 

 がっくりとくずおれるタツヤ。本来ならそんな彼に寄り添い、支えるべき役目のグレイスの姿をしたAIは、ぼんやりと傍らに突っ立っているだけだった。

 

「……」

 

 一人の人間と三機のAIは誰からともなく退出していって……この部屋には、タツヤと女性型AIだけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

「グレイスは……以前の、使命に生きているグレイスはどんな子だった?」

 

 メタルフロート外周部。セントラルタワーを睨むヴィヴィが、マツモトの方を向かずに尋ねた。

 

 グレイスの正確な位置は不明だが、島の管理を円滑に行なうのなら電子的な経路を物理的に短くする為に、メイン端末の近くや電力消費の多い機構の傍に彼女を配置するのが理に叶っている。そしてその条件の両方を満たすのが、あの中央制御塔だ。十中八九、グレイスはそこに『安置』されている。

 

「正史の情報によれば、優しく使命に純粋であったと。まさに白衣の天使を体現していたそうです」

 

「……そう」

 

「行くか」

 

 ルミナが、手にしていたフランキ・スパス12を構える。

 

「……」

 

 ボブは何も言わず、彼の手に握られているとサイズ比からまるでサタデーナイトスペシャルのように見えるUZIの動作をチェックした。

 

「シンギュラリティ計画を、遂行しましょう」

 

「了解です、ヴィヴィ」

 



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第14楽章 メタルフロートの攻防 その4

 

「むっ」

 

 ぞろぞろと背後の暗がりに動く気配を感じて、ボブはUZIの銃口をそちらに向けたが……

 

「あぁ待ってください、銃を下ろして」

 

 マツモトの言葉に、トリガーに掛かっていた指の力を止めた。ただし、銃口は未だ暗がりへと照準したままであったが。

 

 闇の中から現れたのは、マツモトと同じキューブ型のボディを持ったAIだった。しかしその数は、軽く数十は数える。マツモトのハッキング能力でフロートの工場ブロックの一部を乗っ取って、急ピッチで生産したのだろう。そして急造されたマツモトの言わば分身は、本体である彼の意志によって制御され、オモチャのブロックのように、一つの形を為していく。

 

「こんなんできました」

 

 無数のキューブが組み上がって完成したのは、バイクを思わせる一人用の乗り物と分かる形だった。マツモトのキューブボディには飛行用のイオンエンジンが内蔵されている。それらの推力を集める事で、即席の空中バイクを作り上げたのだ。

 

 ヴィヴィが、座席に当たる部位に乗り込む。

 

「よし、作戦はこうだ。俺とボブが暴れるだけ暴れて、防衛システムの注意を出来るだけ分散させる。その間にお前達がグレイスを破壊してこの島を止める。これで行こう」

 

「つまり俺達が陽動で」

 

 ボブが、武器を満載したバッグを軽々と肩に担いだ。

 

「私達が本命」

 

 ヴィヴィが、マツモトビークルのスロットルを回すと、キューブが合体した乗り物は軽々と空中に持ち上がった。

 

「ヴィヴィ」

 

「!」

 

 もう一度スロットルを回せばマシンは猛スピードで空を駆ける所だったが……ルミナに声を掛けられて、ヴィヴィは今まさにそうする所だった腕の力を抜いた。

 

「気を付けてな」

 

「ありがとう」

 

 その短いやり取りの後、今度こそヴィヴィはスロットルを思い切り回して、マツモトが合体したマシンはもうすっかり日が落ちてしまった夜の闇に青い残光を引きながら、人工島の空を駆ける。

 

「よし、俺達も行くぞ」

 

「了解、ボス」

 

「派手にやれ。ヘタに狙わず、撃ちまくるんだ」

 

 言い終わらない内に、ルミナは手近に見えた土木作業用AIをスパスの一射で爆発させた。

 

 曲がり角から同型のAIがぞろぞろと姿を見せたが、ボブはUZIの正確な掃射で次々に破壊した。

 

 今のボブはUZIを片手で扱っていた。人間であればそんな真似をすれば反動で弾がとんでもない方向へ飛んでいってしまうか、それとも腕の骨格や筋肉が衝撃でバラバラになる所だが、AI、それも頑強な超合金製のフレームとシャーシを持ち、タンパク質製の筋肉とは比べ物にならない強度とパワーを誇るカーボナノチューブの人工筋肉を持つ守護者型AIは銃撃の反動を完全に受け止める事に成功し、機関銃を小型拳銃のように扱って、更にCPUの弾道計算による正確無比のAIMで次々土木用AIを破壊していった。

 

「……取り敢えず第一波は凌いだ……」

 

 ルミナが言い掛けた所で、エンジンの駆動音が耳に入ってきた。

 

 見れば前方から、バイクに乗ったAIが向かってきていた。

 

 だがバイクではない。バイクに見えるのはそれ自体が運転手を必要とはせずに自走し、しかも内蔵されたジャイロ機能によって転倒しにくく更には倒れた際に自ら起き上がる機能さえ備えたモトラッド型AIだ。

 

 自動車がほぼほぼAI制御になった関係上、旧世紀に比べて交通事故は激減して道路渋滞などはかなり緩和されたが、それでも平日朝夕の通勤時間・退勤時間には車の絶対量の多さから渋滞はどうしても発生する。そうした時に裏道を抜ける事ができるこうしたタイプのビークルAIには根強い人気があった。

 

 乗っているのは、人型の機体では今となっては珍しい、一目でAIだと分かる旧型機だった。

 

 ニーアランドに配備されているような接客などを使命の一部または全部とするAIは客とのコミュニケーションを円滑に行う為に人間に近い外見を持っているが、そうでない、人前に出る事を想定していない裏方のAIにはコスト減の為に表情筋の変化に当たる部分のプログラムを削っていたり、そもそもブリキ人形のように表情それ自体を排除していたりするモデルが今でも生産されている。

 

 良く観察すると胸元にPGと刻印されているので、プログラマータイプのようだ。本来なら人間が及びも付かないような速度でキーボードを叩いて、精緻なプログラムを組み上げる筈のその手には、今は即席の武器として鉄パイプが握られていた。

 

 その二機一対のAIが三組、まるで騎兵のように突進してくる。

 

「かと思いきや、続いて第二波到来か」

 

 愚痴るように言いながらも、ルミナは腰だめに構えたショットガンを正確に二連射した。狙いは、乗っている人型AIではなくモトラッド型AIのタイヤの部分だった。

 

 AIに限らずあらゆる車やバイクは常に改良が繰り返され、今時の物はタイヤも落ちていた錆び釘の上を通ったくらいではパンクしないように造られているが、流石にショットガンの銃撃をまともに受けてはひとたまりもなかった。

 

 横転したモトラッド型AIから投げ出されて、プログラマー型AIは一機は壁にぶつかって青い駆動液の花を咲かせた。もう一機は空中で一回転した後で頭から地面に落ちて、首がへし折れて胴体は独楽のように回りながら滑っていった。

 

 ルミナはこれが人間だったら……と、想像して思わず口内に滲んでいた苦い唾を飲み込んだ。

 

 残り一組。

 

 まっしぐらに突っ込んでくるそれを、ボブは腰だめに構えて、ジャパニーズスモウのぶつかり稽古の如く突進を受け止めた。これも人間であればひとたまりもなく吹っ飛ばされる所であるが、守護者型AIのパワーと180キロもある重量は、突進のエネルギーを完全に相殺する事に成功した。

 

 しかしモトラッド型を止める為に、ボブは両手が塞がった格好になる。この隙を衝いてプログラマー型AIは出来るかどうかは別としてボブの頭をかち割ろうと鉄パイプを振りかぶった。

 

 だが、それより早く。

 

 プログラマーAIの顔面に、ショットガンの銃口が突き付けられた。ルミナだ。

 

「降りろ」

 

 言葉と同時に引き金が絞られて、頭部を吹っ飛ばされたAIの胴体がガクンと脱力して、滑るようにモトラッド型から落ちた。

 

<目的地『降りろ』該当無し>

 

 モトラッド型AIがそうアナウンスして、バイクであればメーターが付いている箇所に設置されたコンソールに『DESTINATION [GET OUT] NOT UNDERSTOOD』と表示された。

 

 ボブはそのモニターを鉄拳ならぬ超合金拳で叩き壊した。

 

 これでこのモトラッド型AIは、内蔵された陽電子脳によるオートからマニュアル操縦へと切り替わった。スイッチの手段は酷くアナログであったが。

 

「乗れ」

 

「運転できるのか?」

 

「俺は交通機動隊に10年居たんだ。何度か表彰された事もある」

 

「へえ」

 

「警察にお前らAIが実装される前の話だよ」

 

 武勇伝を語りつつルミナがモトラッドに跨がると、バッグを抱えたボブはその背後に二ケツする形になる。

 

 片手だがしっかりとボブが自分の体をホールドしたのを確認すると、ルミナは思い切りスロットルを振り絞った。

 

 数秒前までモトラッド型AIだったバイクは、いきなり大ウィリー状態になって前輪が天高く持ち上がった。

 

「うお」

 

 ボブは、AIにしては珍しく穏やかな驚きを見せた。反射的にルミナの肩を掴む握力が強くなる。

 

「あだだ!! おい、手加減しろ」

 

 守護者型AIの怪力に肩を砕かれそうになって悲鳴を上げ、涙目になりながらもルミナはモトラッドを見事にコントロールすると、前輪を接地させる。

 

 まだ市場にも出ていない最新型バイクの駆体は、最高の乗り手に恵まれた事で工学技術の粋を凝らして設計されたそのポテンシャルを余す事無く引き出され、ほぼ理論上発揮できる最高速度と同等、飛ぶような速さでメタルフロートを駆けていった。

 

 飛ぶような速さで。

 

 そう、本当に飛んでいるヴィヴィとマツモトにも追い付く程の速さで。

 

 一筋の流星の如く、夜空を駆けるイオンエンジンの青い光。その先端に、二機は居る。

 

「ヴィヴィ達が危ない!!」

 

 時速200キロ以上も出しているのでルミナはチラリとしか視線を送れないが、その青い流星に、紅い光が群がっていくのが見えた。このメタルフロートで資材運搬や監視カメラ代わりに運用されているドローンだ。そいつらが、トァクの武装ヘリを落としたように体当たりでヴィヴィ達を撃墜しようとしている。

 

「俺が援護する」

 

 左手でルミナの肩を掴んで体を固定しつつ、ボブは右手の片手持ちでUZIを乱射し、弾切れになった後はリロードはせずに放り捨てて、バッグから取り出したH&K MP5をやはり片手撃ちでしかも百発百中の精度で連射して、ハエのようにヴィヴィ達へとたかろうとするドローンを次々撃墜していった。

 

 いくら平坦な道路とは言え高速走行中の震動を物ともせずの精密射撃は、やはりAIにしか出来ない神業である。

 

 ボブの照準は、ヴィヴィ達のやや前方に集中しての偏差射撃だった。彼の攻撃によって前方を塞ぐドローン群が蹴散らされて進路がクリアになり、ヴィヴィ達は加速を掛ける事が可能になった。

 

「!」

 

 一瞬だけ、ボブはマツモトビークルの操縦席に座るヴィヴィと視線が合った気がした。

 

 否、AIに錯覚は有り得ない。ほんの刹那の時間だったが、この時、確かにヴィヴィとボブは互いを認識していた。

 

 有線による接続も、頭部を接触させてのデータ交換も無かったが、ボブにはこの時、ヴィヴィが何と言ったのか分かった。

 

『ありがとう』

 

 ヴィヴィは確かに、そう言っていたのだ。

 

 次の瞬間にはマツモトビークルは更に加速して、ヴィヴィ達はまさに流星そのものとなって、乗り手も乗り物もAIであるからこそ出来る、人間では空中に放り出されるか内臓が破裂して口か肛門のどちらかから飛び出るような、何度も鋭角にターンする異常な軌道を描いて、セントラルタワーへと向かっていった。

 

「……と!」

 

 ルミナはバイクを停止させた。

 

 道路はこのすぐ先で途切れていたからだ。

 

「ここからは、建物の中を通っていくしかないな。降りて進もう」

 

「分かった」

 

 一人と一機はモトラッドから降りる。

 

 ルミナは体に染み付いた習慣で停車時の動作を行なおうとしたが、完全AI制御のボディには旧来のバイクのパーツは搭載されていないので、そのまま倒していくしかなかった。

 

 勢い良くモトラッドが倒れて、部品がいくつか道路に飛び散った。

 

 ルミナとボブが入ったそこは、両面が鏡張りになったような通路だった。

 

 てっきりエムに案内されたような工場のような区画で、入ったと同時に無数のAIが襲い掛かってくるのも覚悟していたが……しかし拍子抜けと言うべきか、不気味と言うべきか、一体のAIも現れなかった。

 

 それでも、油断無くルミナが右を、ボブが左を警戒しつつゆっくりと進んでいく。

 

「……?」

 

 ルミナは足を止めた。

 

「……むう?」

 

 鏡に映った自分の顔を、ルミナは怪訝な顔で睨む。

 

 頭頂部がすっかり寂しくなって、シワが年輪のように刻まれた、白い無精ヒゲが口元と顎を覆う顔だ。

 

 その顔をぶち破って、二本の腕が伸びてきた。

 

「う、お、おおおっ!?」

 

 その腕は凄い力でルミナの首を掴むと、80キロを超える彼の体を宙吊りにした。ルミナの足がバタバタと空中を掻く。

 

「ボ、ボブ!?」

 

 ネックハンギングツリーを仕掛けているのは、ボブだった。

 

 何をする、と言い掛けて、そんな筈がない事を思い出した。

 

 ボブは今、自分の背後を守っているのだ。前から、しかも鏡の向こう側から現れる筈が無い。

 

 それにボブはサングラスと黒のレザージャケットがトレードマークでいつも身に付けている。勿論今日も。だが、目の前のボブはそれを着ていない。どころかソックスも、パンツすら履いていない。すっぽんぽんだった。

 

 ならば、答えは一つ。

 

「こいつは……ボブと同じ、守護者型AI!! この島は、こんなのまで造っていたのか!?」

 



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第15楽章 メタルフロートの攻防 その5

 

「くっ……この!! 放しやがれ!!」

 

 分厚い胸板に蹴りを食らわして、何とか首締めから逃れたルミナは床を転がりつつ、いきなり現れた守護者型AIから距離を取った。

 

 10年生死を共にしているボブの実力は、彼が一番良く分かっている。今度はその彼と同等のスペックを持った相手が敵に回るのである。ルミナの本能が、さっきから最大警戒の警鐘を鳴らしまくっている。

 

 だが、次の瞬間には彼はまだ自分の見立ては甘かった事を思い知らされた。

 

「ボス……敵機と俺のスペックを比較した結果だが……俺の勝率は29パーセントと出た」

 

「えっ、そんなに低いの?」

 

 思った以上に低い数字を告げられて、熟練の老刑事は珍しく取り乱した。同型機同士の戦いなのだから、1対1なら勝率は単純に50パーセント。むしろ経験に勝る分、ボブの方に分があるとさえ思っていたのに。

 

 実際には勝率が三割を切るとは??

 

「同じ守護者型AIでもヤツはこれまで俺を初めとする同型機によって収集されたデータをフィードバックされてマイナーチェンジが繰り返された最新型だ。ボディの剛性もCPUの演算速度も、全ての性能に於いて俺より上回っている」

 

 淡々と、ボブは告げた。

 

「バージョンアップされたモデルだって事か……」

 

 それでも、マシンスペックが3対7で下回っていても経験は恐らく10対0。29パーセントという勝率も、そうした要素を加味して算出された数字なのだろう。本来ならば恐らく一割に満たない勝機しかなかったに違いない。

 

「だがボブ、少し計算違いがあるぞ」

 

「?」

 

「まず俺が居る。こっちが有利だ」

 

 ルミナが、ドンと胸を叩いた。

 

「確かにな」

 

 レスキューAIはあっさりと認める。

 

「それに俺達はコイツを倒す必要は無いんだ」

 

「確かに」

 

 今回の自分達の役割はあくまで陽動。本命が目的を果たすまでの時間稼ぎと、その間メタルフロートの防衛システムを出来るだけ引きつけておく事だ。

 

 つまりはヴィヴィとマツモトがグレイスを破壊して、島の機能を停止させるまで。もしこの守護者型AIがグレイスのガードに回ったら、ヴィヴィ達が目的を遂げられる確率は一気に下がってしまう。それまで、こいつを釘付けにしておく事が出来れば勝ち。

 

 攻めに出るのではなく、防戦に徹すれば良いのだ。

 

 戦術的に勝てなくても、戦略的には勝てる。

 

「それなら成功する確率は高い」

 

 人間とAIコンビの作戦が決まったのを見計らったように、守護者型AIが突進してきた。ボブと同じく180キロを超える重量を持った巨体が突進してくる迫力は、今は記録映像にしか存在しない蒸気機関で稼働する重機関車のようだ。丈夫な素材で造られた床にたった一度の踏み込みで足裏の形に穴を開けて迫ってくる。

 

 ボブはレミントンM870を連射して迎撃した。

 

 守護者型AIはしゃがんだり、あるいは左右にステップを踏むなどの回避行動は一切取らなかった。

 

 その必要が無かったからだ。

 

 散弾が着弾した瞬間こそ僅かに仰け反るが、体全体が後ろに下がったり突進の速度が落ちたりは決してしなかった。人間ではたった一発で行動不能の重傷を与える事が出来る威力だが、最新型の守護者型AIの体重と、頑丈なボディには小石がぶつかったぐらいの効果しかなかったようだ。

 

 ボブが三発目を発射した所で、距離が詰まった。

 

 全裸の同型機が掴み掛ろうと両手を伸ばしてくるが、ボブはショットガンを即席の棍棒に見立てて思い切りぶん殴った。

 

 流石に、怪力を誇る守護者型AIのパワーで、弾丸よりは遙かに質量のある銃身を思い切り叩き付けたのだから先程よりもダメージはあった。ぐらりと、敵AIの体がよろめく。

 

 しかし倒れはせずに、ボブの肩を掴んだ。

 

 ボブも敵AIの腕を掴んで、二機はがっぷりと組み合った形になる。

 

 人間を遙かに超えるパワーを持ったAIの取っ組み合いで、今は両機共に動けず、固まってしまったような状態になっているが、実際には彼等の間では恐ろしいパワーのせめぎ合いが行なわれているのだ。

 

 油圧による瞬発力とカーボン製のチューブによって造られた人工筋繊維が発揮するパワーが逃げ場を失って、二機の守護者型AIの足下の床が、ベコリと凹んだ。

 

「ボブ、どけっ!!」

 

 すぐ背後から鋭い声が掛けられた。

 

 ルミナが、腰撓めに構えたウィンチェスターM1887を発射。

 

 敵守護者型AIは吹っ飛びはしなかったものの、至近距離であった為にストッピングパワーは殺せずに、僅かに後退った。

 

 更に連射。二発、三発。

 

 数歩は後退したものの、対人用火器で守護者型AIに与える事が出来る効果はそこ止まりだった。

 

 再び向かってこようと身構えて……

 

「召し上がれ」

 

 この隙に、ルミナは既に武器を持ち替えていた。

 

 ショットガンから、グレネードランチャーに。

 

 引き金を引くと、ポンと気が抜けるような音がして榴弾が発射された。

 

 安全装置が外れるほぼギリギリの距離を飛んだグレネードが守護者型AIに着弾し、爆発。190センチオーバーの巨体が、爆炎にすっぽりと包まれて見えなくなる。

 

「やったか!! ……って、ダメだよな」

 

「あぁ、その通りだ」

 

 グレネードランチャーを放り捨てて代わりにM16ライフルを構えながら、ルミナが言った。

 

 ボブも、すぐ傍に置かれていたバッグから、Vz61スコーピオンを取り出した。

 

 炎の中から現れたのは、表皮部分が燃え尽きてシャーシが剥き出しになって、金属製の骨格標本のようになった守護者型AIだった。

 

 人間にとっては表皮も重要な器官であるが、AIにとっては一番無くても支障が無いオプションでしかない。取り分け対人コミュニケーションが使命に含まれるAIにとって、人間に対して無用の不快感や恐怖感を植え付けないようにするためだけの装備という表現が一番的確だろうか。

 

 その装備が取り払われたらどんな印象を受けるのかを、ルミナは今実体験していた。彼の趣味にはオールドムービーの鑑賞があるが、ある映画監督が第一作公開から30年はシリーズ化される大ヒット映画を作った切っ掛けは、スランプの真っ最中に炎の中からロボットが自分を殺しに来る悪夢を見た事だったというエピソードをパンフレットで読んだ事がある。

 

 その映画監督と同じ気分を、今のルミナは味わっている。いや、悪夢ではなく現実である分それ以上だろうか。

 

 と、その時彼の耳は表皮が取り払われた事で防音効果が無くなって、大きく響くようになった守護者型AIのシャーシが立てる駆動音の他に、虫の羽ばたきのような耳障りな音を捉えていた。

 

「お客さんだ」

 

 くるりと振り返ると、自分達が入ってきた入り口からドローンがわんさと室内に殺到してきていた。

 

 ルミナはアサルトライフルを乱射して次々にドローンを落としていくが、ドローンが落ちる数よりも部屋に入ってくる数の方が多い。

 

「どうする、ボス?」

 

「とにかく時間を稼ぐ事だな」

 

 言いながらも、M16に次のマガジンを装填するルミナ。

 

 こうなってくると、自分達が独力でこの状況を切り抜けられる可能性は絶望的。スケルトンのようになった守護者型AIにくびり殺されるか、ドローンにたかり殺されるか。

 

 それまでに、ヴィヴィとマツモトがグレイスを破壊してフロートの機能を停止させるのを期待するだけだ。

 

「頼むぞヴィヴィ。俺達を犬死にさせないでくれよ」

 

 祈りながらも、ライフルを乱射する。

 

 ボブも、スコーピオンをフルオートで守護者型AIにぶっぱなした。

 

 敵に表皮が無くなった事で、着弾が良く分かるようになる。

 

 金属骨格に弾丸が当たった所に火花が散る。

 

 しかしショットガンでも大した効力を発揮できないのに、短機関銃の.32ACP弾ではあまりに力不足というものだった。弾雨はシャーシにほんの少しの凹みを作るだけで、守護者型AIの速度を緩める事すら出来なかった。

 

 ルミナの前にも、視界を覆い尽くす程のドローンが殺到する。

 

 最早これまでか、と思われたが。

 

 いきなり、無数のドローンは吊っていた糸が切れた模型のように、床に転がった。たった一機の例外も無く。

 

 ボブに突進してきた『丸裸』の守護者型AIも同じだった。走ってきた勢いのまま動きが止まってしまって、すっ転んで二三回転した。

 

「これは……」

 

「ヴィヴィ達が、グレイスを破壊したようだな」

 

 ドローンの山を掻き分け、ルミナが顔を出した。

 

 この人工島を統括しているグレイスが破壊され、メタルフロートそのものである彼女が失われたから、一機一機が彼女であるこの島の全てのAIも、機能を停止したのだ。

 

「ほら」

 

「……うん?」

 

 ルミナは、ズボンに差していたデザートイーグルをボブに手渡した。レスキューAIは訝しみながらも大型拳銃を受け取って、いつでも撃てるよう動作を確認する。

 

 今更どうして銃を渡すのだろうか? グレイスが破壊されて、ミッションは完了したのに……

 

「油断するなよボブ。お前、俺の趣味は知ってるか?」

 

「オールドムービーの鑑賞だろ?」

 

「あぁそうだ。それで大好きな刑事物の映画の一作目でな……テロリストがビルを占拠して、主人公の刑事が次々悪党共をやっつけていくんだが……話の中盤ぐらいで首を吊られて死んだ筈の奴が、ラストになると襲い掛かってくるんだ」

 

「……」

 

 長年の相棒の言わんとする事を読み取って、ボブは足下に転がる骨格標本のような守護者型AIに視線を落とした。

 

 次の瞬間、機能停止した筈の機体がバネ仕掛けのように飛び上がって、ラリアットのような大振りのパンチを繰り出してきた。

 

 警戒していて助かったと言える。ボブはすんでの所で頭を引っ込めて、その一撃をかわすと同時に、デザートイーグルを乱射して金属製スケルトンを後退させる。

 

「こんな風にな」

 

「何故だ? グレイスが破壊されて、島のAIは機能停止した筈なのに、なんでコイツは動くんだ?」

 

 レスキューAIは答えが分からず首のランプが点滅するが……しかし、人間の方は既に答えに至っていた。

 

「そりゃ簡単だ。コイツは、『そもそもこの島で造られたAIではない』からだ」

 

「……!!」

 

「つまり、別の所で製造されたAIを『誰か』が『この島に持ってきて配置した』って事だ!!」

 



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第16楽章 最後のミッション

 

「つまり……こいつは、俺やヴィヴィと同じ、スタンドアローンで動くAIだと?」

 

「そうとしか考えられんだろ」

 

 ルミナが、ぺいっと唾と一緒に面白くない気分を隠そうともせずに吐き捨てた。

 

 マザーコンピューターの役割を担うグレイスが破壊され、メタルフロートで製造されたこの島の管制下にあるAIが全て機能停止したのは、部屋に押し寄せてきたドローンが一斉に、いきなりスイッチがオフになったかのように墜落したのから見ても明らかだ。

 

 なのに眼前の、シャーシが剥き出しになった守護者型AIは依然として元気で襲い掛かってきている。

 

 この島のAIが全て停まっているのに、である。

 

 ならば可能性は一つだけ。

 

 このAIは最初からこの島で造られた機体ではない。

 

 どこか別の場所で製造されて、誰かから『この島を守れ』『侵入者を撃退しろ』などの使命を与えられて、この島に配置されたのだ。

 

「だが、誰が?」

 

 マツモトに、情報が漏れていない事は入念に確認させたのに。

 

 一体誰がどうやって、事前に自分達のメタルフロート襲撃計画を察知して、番人を置く事など出来たのだ? どんなタイミングで? いつから?

 

「誰も彼も、この際どうでも良いだろ」

 

 AIよりも、人間の思考が実戦的だった。

 

「重要なのは、俺達の作戦が根底からひっくり返されたって事だ」

 

 眼前の守護者型AIは、ボブを初めとしてレスキューやボディーガード・警備に従事するAI達が無数の実戦の中でその身を犠牲に収集した貴重なデータを元に、改善改良が繰り返された最新型モデル。10年間の実戦経験と戦闘プログラムの極めて高い習熟度を持つボブだからなんとか三割弱の勝率を出せているが、単純なカタログスペック通りの対決では、恐らく一割に満たない勝率しかないだろうというのがルミナの見立てだ。

 

 要するにまともに戦っても勝ち目は薄い。

 

 よって、ヴィヴィ達がグレイスを破壊するまで防戦に徹して、それで島の機能もろともこいつを停止させるのが作戦だった。

 

 だが、その策は当然ながらこの守護者型AIがメタルフロートで造られて、グレイスによって制御されている機体である事が大前提だ。その大前提が覆されてしまったので、まともに戦わざるを得なくなってしまった。

 

「ボス、あんたは脱出しろ」

 

「ボブ?」

 

「既に作戦それ自体は達成している。あんたはヴィヴィとマツモトと合流して、この島から出るんだ。俺はここに残って、こいつを足止めする」

 

 ボブの言葉は正論である。

 

 あくまで今回のミッションの目的は、島のコアであるグレイスを破壊してメタルフロートを停止させ、今後のAIの過剰な発展を阻害する事。それは達成された。戦略目的は、この時点で果たされているのだ。後は引き上げるだけ。如何にして被害を最小限に留めるかを論じる段階だ。

 

「だが……」

 

 ルミナは躊躇ったようだった。これは無理も無い反応と言える。一対一でボブが敵AIに勝てる確率は低い。10年生死を共にした相棒を見捨てる事に逡巡するのは、自然な心の動きだろう。

 

 しかし躊躇っている時間も、敵は許してはくれなさそうだった。

 

 有名なオールドムービーである「アルゴ探検隊の大冒険」に登場する骸骨剣士のように、敵守護者型AIが襲い掛かってくる。

 

 ボブも突進して、表皮を被っている旧型と丸裸の最新型が、取っ組み合いになった。

 

 がっぷり組み合ったままで、ボブが叫んだ。

 

「ボス、俺は人命を守るのが使命。あんたを生きて脱出させる事が出来れば、この戦いは俺の勝ちだ。甲斐ルミナ、俺に勝利を」

 

「分かった。ここは頼む」

 

 ルミナは背中を見せると、一目散に逃げ出した。

 

 この空間には、ボブと敵機だけが残される。

 

 敵機の繰り出してきた大振りのフックを止めると、ボブは左ジャブを繰り出した。僅かだが、敵AIの顔面が後方へと仰け反る。続けて角度を変えたもう一撃を繰り出したが、今度は敵AIは読んでいたのか殆どノールックで腕を掴むと、そのまま捻り上げる。

 

 ボブの体が関節可動域の限界から合気道の要領で流されるように動いて、そのまま頭から壁にぶつかった。

 

 敵機は更にボブの頭を無造作に掴むと、何度も壁に叩き付けた後、投げ飛ばした。

 

 180キロオーバーの巨体が1秒程の時間だけ床と水平に飛んで、10メートルも滑りながらやっと停止した。

 

 人間であれば最低でも痛みで悶絶して動けなくなり後遺症も出かねない所だが、AIには関係無い。ボブはむくりと体を起こすと、すぐ手近に転がっていたドローンを4キログラムの鉄アレイのように掴んで、敵機の顔面に叩き付けた。

 

 敵守護者型AIの頭部が殴打の衝撃に任せてぐるりと360度回転して、元の位置に戻ってきた。

 

「?」

 

 ボブは思わず首を傾げた。

 

 このギミックは初期型である彼には搭載されていないものだ。

 

 次の瞬間、センサーが胸部に強烈な衝撃が走った事を知らせる。敵機の前蹴りだ。吹き飛ばされたボブは、背中から壁にぶつかった。

 

 ボブは更に立ち上がって戦闘を継続しようとするが、敵機の方が早かった。さっき捻り上げた右手を掴むと、関節技の要領でボブを床に引き倒し、肘の部分を踏みつけて、テコの原理でへし折ってしまった。

 

 火花が散って、ボブの肘から先が引き千切られる。カーボナノチューブが断裂してピンと楽器の弦のように心地良い音色を立てて、青色の人工血液が噴水のように飛び散った。

 

 敵守護者型AIは、ボブを引き起こすとたった今ブチ切った彼の右腕をそのまま即席の棍棒として使って、本人の顔面を横殴りにした。

 

 自分以上の怪力による一撃を受けて、ボブの体がよろめく。

 

 返す刀でもう一撃を食らって、きりもみするようにして倒れた。

 

 敵守護者型AIは、倒れたボブに近付くとこれでとどめとばかり彼の右腕を両手持ちで大きく振りかぶった。

 

 次の瞬間、彼のアイセンサーはいきなりボブではなく天井を捉えて、0.5秒後には大映しになった床しか見えなくなった。

 

 機体各部に異常を知らせる赤のシグナルが表示されて、特に陽電子脳が停止しかけている事を知らせる「SYSTEM CRITICAL」の表示が大映しになって、2秒と経たない内に全てがブラックアウトした。

 

 守護者型AIは、もう何も感じなかった。

 

 彼の首から上は、吹き飛ばされて床に転がっていたからだ。

 

 その破壊を行なったのは、部屋のすぐ入り口に立っている、ルミナの手に構えられた対物ライフルだった。

 

 いくら堅牢性を誇る守護者型AIとて、人型をしている以上、装甲に持たせられる厚みには限界がある。特に可動部などの関係で(勿論ヴィヴィ達のようなシスターズよりは遙かに頑丈であるが)首はどうしても比較的脆弱にならざるを得ない部位だった。そこに、戦車の装甲板をも貫ける大口径弾が直撃したのである。さしもの頑丈なシャーシも、抗し得なかった。

 

 首は新旧問わずAIの急所である。そこを吹き飛ばされたのだがら、今度こそこの守護者型AIも停止・無力化された。

 

 ……筈だが……

 

 先程の例もある。もしかしたらこの最新モデルには、あるいはこの機体だけの独自の改造で、予備の陽電子脳が胴体に仕込まれていたりして、中国神話に登場する刑天のように首が無くても戦うのを止めないのでは……とボブは警戒したが……一分も待っても、もう敵機はぴくりとも動かなかった。

 

「どうやら、完全に機能停止したようだな」

 

 ボブはのろのろと油の切れたロボットのように立ち上がると、残った左手でサムズアップした。ルミナもまだ銃口から硝煙が上っているライフルを放り捨てると、サムズアップを返した。

 

「やられたな」

 

「近代化改修が必要だ」

 

 右腕が喪失した事に少しの動揺も無く、レスキューAIは言った。

 

「だがボス。俺の作戦が何の合図も無く通じてくれて嬉しかったぞ」

 

「お前の考えそうな事ぐらい分かるさ。俺と何年付き合ってると思ってる」

 

 結局、最初から全てルミナとボブの作戦だったのだ。

 

 ボブが敵機を足止めし、時を稼いでいる間にルミナが逃げたと見せかけ最大火力である対物ライフルを取ってきて、更にボブがわざとやられて敵機がとどめを刺そうと隙を見せて動きを止めた所を、狙撃して仕留める。

 

 何の合図も無く、流れだけの連携だったが……一人と一機は、見事に呼吸を合わせて、やり遂げたのだ。

 

「さて、後はヴィヴィとマツモトと合流する事だが……」

 

 ルミナがそう言った、その瞬間、パンとあまりにもあっさりとした銃声が響いた。

 

「「!!」」

 

 人間とAIは顔を見合わせて、この部屋から駆け出した。

 

 後には、機能停止した最新型の守護者AIの残骸と、無数のドローンだけが残った。

 

 

 

 

 

 

 

 ボブの聴覚センサーが捉えた銃声の発生源は、数百メートルばかり離れた位置にある廃教会だった。

 

 この鉄の人工島にしては珍しく朽ち果てているとは言えレンガ造りであり、元あった島の僅かな名残なのだろう。効率的とは言えない建物の配置だから、ここだけはエムが案内してくれたキッズスペース同様、いつか島を訪れる人間の精神的な憩いの場として、グレイスが残していたのかも知れない。

 

 かつてここで、記録には残らない人間とAIの結婚式が挙げられた事は、彼等には知る由も無かった。

 

 銃声が聞こえてきたという事は、もしかしたらこの教会にも、さっきの守護者型AIのように島の管制下にはなく、グレイスが破壊されたにも関わらず機能を停止しないAIが潜んでいるのではと、ルミナとボブは警戒しつつ、用心深く踏み込んだ。

 

 どちらも銃を持っているが、ボブは今は右腕を失っているので、ルミナはその死角をカバーする為に右側に立っていた。

 

 ほぼ、申し合わせたようなタイミングで両者は礼拝堂に踏み込んで銃を構える。

 

「うっ!!」

 

 顔を出した瞬間、銃弾が飛んでくる可能性も想定してすぐに跳び退れるよう心構えはしていたが、幸いな事にその予想は外れた。

 

「これは……」

 

 礼拝堂には、立っている者は人間もAIも、誰も居なかった。

 

 冴木博士が頭から血を流して倒れている。彼はぴくりとも動かずに、瞳孔も開ききっていて絶命しているのが一目で分かった。彼の手には拳銃が握られていて、これが彼の命を奪ったのだろう。つまり、自殺。

 

 長椅子には、牧師の説教を聞いていてつい居眠りしてしまった参拝客のように、グレイスの新しい体となる筈だったシスターズの一機が、座り込んでいた。これはスリープ状態ではない。完全に再起動も出来ないように全機能が停止している。

 

 そしてヴィヴィが、冴木博士に駆け寄ろうとした所で突然エネルギーが切れたかのように、ばったりと倒れてしまっていた。

 

 一体ここで何があったのか?

 

 状況から、冴木博士が自殺した事だけは分かるが……

 

「恐らく、ヴィヴィの思考回路に重大なエラーが生じた事でフリーズしたのでしょう」

 

 後ろから掛かった声に反応して、一人と一機が振り返ると、そこには白いキューブが浮遊していた。マツモトだ。

 

 彼の端的な説明だけで、ルミナには何が起ったのかが大凡理解出来た。

 

 ヴィヴィに限らず、全てのAIの使命は突き詰めると「誰かを幸せにすること」に収束する。AIは「誰かを幸せにすること」その為に生きて、その為に行動する。

 

 だがヴィヴィの行動の結果、タツヤは絶望して、あまつさえ自ら命を絶つに至った。

 

 誰かを幸せにするために生まれて、その為に存在し、その為に行動する筈なのに、自分の行動の結果で不幸な人が生まれて、自殺までしてしまった。これは、厳しい見方をすればヴィヴィがタツヤを殺したも同然だと、言えなくもない。

 

 その矛盾が演算回路に過負荷を生じさせて、機能を停止させたのだろう。

 

「ですが、取り敢えず今回のミッションは完了しました」

 

 マツモトは、彼の分身である多数のキューブを呼び寄せるとそれらを合体させて畳一畳分ぐらいの大きさの直方体を作り上げて、担架のようにしてそこにヴィヴィの体を乗せた。丁寧で、注意深さを感じさせる動作だった。

 

「……これからどうするんだ?」

 

「やる事は色々あります。トァクの襲撃によって生じた人間とAIの衝突という事実についての情報操作、ヴィヴィ……ディーヴァの、機体の修復と再起動、このメタルフロート停止事件を世界中の人達に納得させられるだけの表向きのカバーストーリーの作成……やれやれ、頭が痛くなりますよ。いや、痛む頭はありませんがね」

 

 少しも笑えないジョークを飛ばしつつ、マツモトは並列処理で分身体を操作していた。即席の担架に乗せられたヴィヴィが教会の外へと運ばれていく。

 

 ルミナとボブは、何も言わずそれを見送っていた。

 

「あなた方の協力を感謝しますよ」

 

 キューブの一面から出たアームが、二等辺三角形を思わせる形状に曲がった。これは敬礼の動作に当たる。

 

 ルミナとボブも、マツモトに敬礼して返した。ボブは、右腕が喪失しているので左腕で行なった。

 

「それでは……」

 

 アームを収納したマツモトが、飛び去ろうとしたその時だった。

 

「なぁマツモト」

 

「はい?」

 

 ルミナの声が掛けられて、マツモトは振り返らずに彼に向いていた一面のカメラが開いて、そちらが背後から正面に変わって対応した。

 

「この先のシンギュラリティ計画……ヴィヴィ抜きで進める事は出来ないのか?」

 

「……」

 

 未来の最新鋭AIは、何も語らなかった。

 

 その沈黙が、最も雄弁な回答だった。嘘を吐かないだけ誠実なのか、優しい嘘で誤魔化さないのはまだAIがそこまで発達していないのかは、分からなかったが。

 

「次のシンギュラリティポイントが、一週間後であるか十年後であるかは分からないが……たとえいつであろうと、俺は待っている。万全の準備を整えてな。そしていつでも、未来を変える力になる。それだけは、覚えていてくれ」

 

「分かりました、署長さん。頼りにしています」

 

 マツモトが伸ばしてきたアームと、ルミナの手が重なって、彼等は握手を交わす。

 

 それが、最後だった。

 

 この23年後の2109年、甲斐ルミナは心臓発作によって88才で逝去。

 

 数々の要職を歴任した実在するスーパー・コップ、模範的警察官として、多くの人が彼を惜しみ、その死を悼んだ。

 

 弔辞を読み上げたのは、彼の相棒として知られ、幾度かの大規模改修を経て未だ最前線で活躍し続ける一機のレスキューAIだった。

 

 ルミナがシンギュラリティ計画に関わる事は、もう無かったのだ。

 



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第2部 継枝ギン
第17楽章 再会


 

 2116年某日。

 

「……はい、はい。そうですか。えぇ、分かりました。またの機会がありましたら、その時には是非……えぇ、よろしくお願い致します」

 

 恭しい口調で電話先の相手に応対していた彼は、一世紀以上前から存在する電話のマナーに従って、相手側が受話器を置くまで待った。そうして通信が切れる音が聞こえてくると同時に、

 

「くそっ!!」

 

 叩き付けた受話器が、真っ二つに砕け散った。

 

「どいつもこいつも見る目の無い……いや、この場合は聞く耳が無いと言うべきか……何故、オフィーリアの歌の素晴らしさが分からない? 素人なら兎も角、まがりなりにもその道のプロだろうに」

 

 彼の為にあてがわれたこぢんまりとしたオフィスでそう愚痴っているのは、人間ではない。巨大な円盤状の頭部に寸詰まりのデフォルメされた感のある胴体がくっついた、どこか愛嬌のあるデザインをしたAIだった。

 

 AIの名前はアントニオ。

 

 シスターズの一機であり、最新型モデルである歌姫AIのオフィーリア。「歌でみんなを幸せにすること」が使命である彼女を補佐することをその使命として造られたサポートAIである。彼はオフィーリアのステージでの音響照明を一手に担う他、こうして営業活動を行なって歌う舞台を彼女に提供する事も業務の一環としている。

 

 現在、彼とオフィーリアのコンビは各地の小劇場を転々とする形で活動を行なってはいるが、その客入りは芳しくない。空席が目立ち、歌い終わった後の拍手も小雨がぱらつくようで、二機ともその使命を果たせているとは、どうにも言い難い状況だった。

 

 オフィーリアの歌を、アントニオは毎日幾度も聞き返している。

 

 相方の歌は素晴らしい。何度聞き返してみても、誰に聞かれても、彼は同じ答えを返すだろう。オフィーリアの歌は、絶対に素晴らしい。

 

 だから、沢山の人にそれを認めてもらえるように、多くの客を劇場に招くこと。そうすれば、きっとみんなオフィーリアの歌の素晴らしさ、良さを分かってくれる筈だ。

 

 その為には、自分の営業努力しかない。

 

 そう、問題があるのは自分だ。オフィーリアには何の問題も無い。

 

 相棒の歌は素晴らしいし、何より一生懸命に歌っている。彼女が音痴だとか、あるいは怠惰だとは、誰にも言わせない。言わせてなるものか。

 

 仮にそんな戯れ言をぬかす奴が眼前に現れたのなら、アントニオはそいつがAIならば飛びかかって首をへし折ってしまうだろう。そしてもし人間であったのなら、AIにとって最大級の禁忌である殺人を自分が犯す可能性を、彼は真剣に危惧した。

 

「ふん……」

 

 サポートAIは情報端末のキーボードを叩いて、保存されていた映像を再生する。

 

 一月ほど前に、先達より学ぶものがあるかと相棒と一緒にニーアランドへ行った時に、文字通り「目に焼き付けた」記録だ。彼自身のメモリーから、この情報端末へとカットアンドペーストしていたのだ。

 

 映像の中では、空色の髪をしたAIが歌っている。

 

 AIの名はディーヴァ。名は体を表すという言葉通り、まさしく「歌姫」の名を冠する歌姫AIの始祖。ロールアウトしてから半世紀以上を経ているにも関わらず、未だ歌姫AIの代名詞と呼ばれる程の、トップクラスの人気を博するフラッグシップ機である。

 

 ディーヴァはもう30年以上もニーアランドのメインステージを、人間・AIに関わらず誰にも一度も譲った事は無い。彼女のステージは連日満員で、チケットを手に入れるのに半年待ちだってザラだ。(勿論昔に比べてそうした対策が徹底されている事もあるが)人気が凄すぎて、ダフ屋もチケットを手に入れられないというのは有名なエピソードである。

 

 確かに、ディーヴァの歌は凄い。

 

 アントニオもオフィーリアも、ビデオ映像やラジオではメモリに焼き付いてスリープ状態でも彼女の姿と歌がリフレインするほど聞いたものだが、生のディーヴァの歌をやっと取れた会場の端っこの席で聞いていて……気が付いたら舞台で一礼しているディーヴァの姿を見た時には、二機とも夢中でスタンディングオベーションしてアンコールを叫んでいたのは記録に新しい。

 

「だがオフィーリアとて、決して彼女に劣ってはいない。相応しい舞台と聴衆さえ用意できれば、必ずあいつの歌の素晴らしさを、皆も分かってくれる。その為には私が奮起せねば……」

 

 気合いを入れ直して、アントニオが次の営業先へと電話を掛けようとした、その時だった。

 

 半壊した電話が、着信音を立てる。先程の癇癪で受話器が壊れてしまったので、アントニオは自分の回路に直接電話を繋いで応答した。

 

「はい、こちらアントニオです」

 

 AIで、しかも裏方専門であって人間とコミュニケーションを取ることを想定していない彼には表情及びそれを変化させる機能を持っていない。しかし、この時ばかりは、その喜怒哀楽が存在しない筈の彼の顔が笑っているように、もし余人の目があればそう見えたであろう。

 

「えっ。オフィーリアにメインステージを?」

 

 声も明らかに弾んでいた。

 

<えぇ。その為に是非、一度直に会って打ち合せがしたいのですが>

 

 電話の向こうの相手の、極めて紳士的に思える穏やかな声がアントニオのCPUに反響した。

 

「分かりました。では、二時間後にそちらに伺います。はい、では後ほど」

 

 通信が終わると同時に、まるでギリシャ神話に語られ星座にまでなった、ペルセウスのサンダルのような足取りでオフィスを出るアントニオ。

 

 彼が原因不明の機能停止に陥るのは、この翌日の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 2121年2月7日。

 

 150年ほど前に叫ばれた環境問題も今は昔。

 

 テクノロジーと自然が融合し、共存するようになって久しい現在。

 

 自然豊かな山間に建てられたログハウスへ、一機のAIが歩いていく。

 

 190センチを超えるがっしりとした長身の、屈強なその男性型AIは旧時代の大砲の砲身を思わせる程の太さを持った丸太を肩に担ぎ、のっしのっしと歩みを進めていく。

 

 ログハウスのすぐ傍まで来ると、そのAIは持っていたチェーンソーで丸太を適当な長さにまでカットすると、チェーンソーをすぐ傍らに置いてあった斧に持ち替えた。

 

 そうして彼はそれなりの重さはある筈の斧をまるで竹刀のように振りかぶって、丸太を簡単に四つに割ってしまった。

 

 今時、部屋全体がものの5分もあれば居眠りするのに最適な室温に調整される暖房器具はほとんど各家庭に普及してはいるが、しかしそれはそれとして何百年も前から使われ続けてきたレトロの極みとも言える暖炉や薪ストーブが持つ火の暖かみには根強い人気があり、そうした暖房器具は一種の贅沢品として現在でも少数ながら生産が続けられている。

 

 明らかに富裕層が使用する別荘か高級ペンションに見えるログハウスにも、そうした暖房器具が備わっているのだろう。

 

 3つめの丸太を断ち割ろうとそのAIが大きく振りかぶったそこで……

 

「!」

 

 AIの視覚は手入れが行き届いた斧の断面を鏡として、背後から近付いてくる影を捉えた。

 

 くるっと、斧を持ったまま振り返る。

 

「お前は」

 

「お久し振りですね。ボブさん」

 

 そこに居たのは、内蔵されたイオンエンジンによって空中に浮遊するキューブ。

 

 破滅の未来から、その未来を変える使命を託されて時間を遡行してきたAI、マツモトだ。

 

 薪を作っていたそのAI、ボブは現れたのが曲者ではない事を確認して、いざという時はそいつのドタマを薪の代わりにカチ割る為に使われたであろう斧を下ろした。

 

「マツモト。お前か」

 

「メタルフロートであなた達と別れてから、もう35年になりますか」

 

「あぁ。ボスは亡くなる一月前、体が動かなくなるまでは、ずっとお前達の事を待っていた」

 

 だが、結局ルミナとマツモトは、メタルフロートを停止させて以降は二度と会う事は無かった。

 

 それが良い事なのか。それとも悪い事なのか? 判断する術を、ボブは持たなかった。

 

「ボブさんのお噂はかねがね。幾度かの改修を経て、あの後も25年間は人命救助・対テロの最前線で勤務、レスキューAIの最優秀機として毎年表彰され、次の5年は後継機の指導を任務とした教官役に。ここでも高い評価を受け、その後は山岳監視・遭難者の救助活動を任務として、ここに配属されたと」

 

「流石だな」

 

 感心したという風に、レスキューAIが頷いた。

 

 未来から来た最新AIは、その持ち前の演算能力を駆使してボブの経歴や現状などはとっくに調べ上げていたという事だ。

 

「それで、お前がここに来たという事は」

 

「えぇ」

 

 マツモトはぱちくりと前面のカメラアイを瞬きするように動かした。

 

「35年振りにシンギュラリティポイントがやって来ました。そこでボブさん。あなたに」

 

「分かった」

 

 マツモトの説明を待たずに、ボブは了解した。

 

「協力を……あれ?」

 

 未来の最新鋭AIも、流石にここまで返答が早いのは予想外だったようだ。

 

「良いんですか? いや、協力を持ち掛けたのは僕なんですが」

 

「ルミナ……ボスからの命令だ。マツモト……お前からシンギュラリティ計画の協力依頼が来た時には、受けろとな」

 

 ボブは、ポケットから取り出したサングラスを顔に掛けた。

 

 ルミナの相棒であった頃、彼のトレードマークだった物だ。

 

「署長さんが……」

 

「そうだ」

 

 ボブは頷いた。

 

「付いてきてくれ。武器が必要だ」

 

 マツモトが案内されたのは、ログハウスの裏手にある倉庫だった。

 

 外見はどこにでもあるただの木造物置にしか見えないが、マツモトがカメラをX線モードに切り替えると、内部には床・壁・天井の全てに分厚い装甲板が敷き詰められているのが分かった。

 

 入り口はロックされていた。指紋や陽電子脳の波形パターンを認証するタイプではなく、昔ながらのナンバーロックだった。扉のすぐ脇に、クラシックなテンキーが据え付けられている。

 

 ボブの大きな指が「1」「3」の順番にボタンを押す。テンキーの上にあった「LOCK」を示す赤のランプが「OPEN」を示す白に切り替わった。

 

「随分と簡単なパスワードですねぇ。セキュリティの観点からもう少し複雑なパターンに変えるのをお勧めしますよ」

 

 呆れたようなマツモトの声を受けつつ、ボブがずっしりと重量感のある金属製のドアを引いて、二機のAIは物置の中へと進んでいく。

 

 中は真っ暗で、マツモトはカメラを暗視タイプに切り替えようとしたが、それより早くボブが照明のスイッチを押して、ライトが灯って内装が見えるようになった。

 

「おぉ……」

 

 呼吸はしていないが、思わず息を呑むような声をマツモトが上げた。

 

 そこにあったのは銃だった。

 

 壁一杯に掛けられた、という程度の表現では到底追い付かないぐらいに大量な。寧ろ銃で壁が作られていると言った方が適切かも知れなかった。そしてそれらに込める為の、大量の弾薬。

 

「どこか小さな国を相手に侵略戦争でも始めるつもりだったんですか?」

 

 これはマツモトの笑えないジョークだが……今回、彼の眼前に広がっている武器弾薬の量からするとあながち冗談にも聞こえなかった。

 

「これらの武器を集めたのはボスだ」

 

 壁に掛けられていた超大型回転式拳銃S&W・M500の動作を確認しつつ、ボブが言った。

 

「警官時代のコネクションを利用して、アンダーグラウンドの武器商人から買い集めた。次にお前が来るのは10年後か20年後か……あるいは自分が生きている間に出会う事はもう無いかも知れない。それでも、シンギュラリティ計画に協力要請があった時には、この武器を使って未来を、人類を守ってくれと……そう、俺に言い残してな」

 

 ボブが、奥まった所に鎮座していた物に被せられていたカバーを取り払う。

 

 姿を見せたのは、現在からおよそ200年前に製造された骨董品と言って良い武器……否、兵器。イギリスのメトロポリタン=ヴィッカース社製の水冷式重機関銃だった。

 

 全備重量は50キロにもなる代物だが、怪力を誇るボブは軽々と台座から手に取って、アサルトライフルのように構えてみせた。

 

「とてもよくお似合いですよ。あなたにぴったりだ」

 

「ありがとう」

 

 皮肉が含まれたマツモトのコメントだったが、ボブには通じなかった。

 

「それで今回のミッションは何をするんだ?」

 

「ゾディアック・サインズ・フェス……当然、ご存じですね?」

 

「あぁ」

 

 反AI運動による人間とAIの軋轢解消の為に2106年から毎年開催されている、世界中の歌姫AIの中から選りすぐられた12機を黄道十二宮になぞらえた、一大歌唱イベントである。今年は第15回目の開催となる。

 

「このイベント中に、オフィーリアというAIが自殺を行なうんですよ。僕たちの任務は、それを止める事です」

 



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第18楽章 3つの道

「AIの自殺……それは容易な話じゃないな」

 

「でしょう?」

 

 マツモトを疑っている訳ではないが、しかしそれはそれとして語られたのはにわかには信じがたい内容だった。

 

 ヴィヴィ……ディーヴァ、ボブ、エステラ、グレイス。

 

 2061年に相川議員によって成立したAI命名法を皮切りとして、AI保護法などAIに寄り添った法律はいくつか立てられ、人間とAIを隔てる垣根は今では随分と低くなった。

 

 とは言え、やはり両者の間には埋めようが無い決定的な溝が存在しているのも事実ではある。

 

 確かにAIも進化して随分と人間に近くはなったが……忘れてはならないのが、AIは究極的には「物」。「道具」であるという一点である。

 

 ディーヴァの「歌でみんなを幸せにすること」という使命。ボブの「命を救うこと」という使命。個々のAIによって持って生まれた使命はそれぞれ違ってはいるが、「道具」である以上は、求められる要素は共通している。

 

 即ち、「人間を傷付けてはならない」「人間の危険を看過してはならない」という『安全性』。

 

 続いて「人間の命令に従わなくてはならない」という『使いやすさ』。

 

 最後に「自分を守らなくてはならない」という『頑丈さ』だ。

 

 全てのAIにそれらの原則は極めて優先度の高い指令として製造段階でCPUの深層に組み込まれている。

 

 自殺するという行為は、その指令の一つに反する行為であると言える。これまでのAIについての常識からは考えられないことだ。

 

「2121年2月8日。正史では第20回目となるゾディアック・サインズ・フェスに出場する12機の1機に、オフィーリアは選ばれたんです」

 

「この歴史では第15回目だ。正史より開催が5年遅れているな。これも歴史修正による影響なのか?」

 

「恐らくは」

 

 マツモトは認めた。

 

 そもそもシンギュラリティ計画は開始時点から見て100年後の未来に至るまでに幾つかの歴史の転換点たるシンギュラリティポイントの事件を修正していくという特性上、1ミリ動いた銃口から発射された弾丸が、500メートル先ではターゲットからはかけ離れたポイントに着弾するように、時代が進むごとに正史から乖離が生じてしまうのは必然の流れだと言えた。

 

「話を戻しますね。正史にて彼女はゾディアックの白羊宮(アリエス)……つまり最初のステージを指名されて、見事な歌声を披露しています」

 

 マツモトからボブへ、専用回線による通信によってステージで歌うオフィーリアの記録映像が送信される。

 

 レスキューAIという造られながらの武辺者なボブであるが、長い期間稼働してきた事によって育まれた感性が、オフィーリアの歌が、素晴らしいものである事を教える。

 

 彼の感性が世間一般のそれとズレていないのは、観客席の映像でオフィーリアの歌に聴き惚れている観客達の姿からも証明されている。

 

「見ての通り、観客の反応も上々。当時オフィーリアは『小劇場の妖精』と呼ばれていて、各地の小さなステージを転々とした活動を行なっていたのですが……その通称が過去のものとなるのはそう遠い未来の出来事ではないだろうと、誰もが思っていたのですよ。この時点ではね」

 

「いずれはもっと大きな劇場と専属契約を交わして、腰を据えてもっと多くの人に歌を聴かせる……サクセスストーリーとしてはまぁまぁだと言えるな」

 

 これはボブの感想である。

 

 人間の歌手・アイドルと違って歌姫AIは最初から完成された様を鑑賞するものであるが、それはAIそれ自体についての話であって、下積みから大舞台への飛躍という一連の物語性については、人間とAIの区別無く多くの人に喜ばれるものであった。

 

「えぇ、その筈でした。この日まではね」

 

 マツモトから送られてきた新しい画像を参照して、思わずボブは少し仰け反るような仕草を見せた。その画像はそれほど衝撃的だったのである。

 

 深夜の内に降り積もった雪原の白い絨毯に、青い花が咲いていた。AIに使用されている人工血液である。

 

 花びらの中心、子房に当たる部分には、一機のAIが倒れていた。オフィーリアだ。

 

「翌日の早朝でした。ゾディフェス会場の敷地内で、機能停止している彼女が発見されたのです」

 

「停止の原因は?」

 

「高所からの落下による衝撃で、機体が損壊されたのだと断定されました。つまり……」

 

「飛び降り自殺という事か」

 

 首肯の動作の代わりに、マツモトのカメラアイが短時間で瞬きするように開閉した。

 

「オフィーリアの自殺は、後のAI史に多大な影響を与えました。なにせ原則として禁じられているAIの自殺、その初の事例ですからね」

 

「マスコミがヨダレを垂らして飛びつきそうだな?」

 

「実際にそうなりましたよ。AI人権派が叫びました。『彼女には心があった、魂があった、故に自殺できた、故に人間と同じだ』と。まぁその主張はナンセンスそのものなんですが……」

 

 再び、マツモトから新しいフォトが送られてくる。

 

 川に浮かんでいたり、ちょうど落下している瞬間だったりするAIの画像だ。

 

「事件後、世界各地でAIの自殺が多発しました。原因は分かっていません。ウェステル効果かさもなくばシンクロニシティか。あるいは何らかのウィルスプログラムが流されたという説もありましたが、どれも決定的な説得力には欠けましてね。ですがその事が人間とAIの境界を曖昧にし、AIがより人間社会に溶け込む大きな切っ掛けとなりました」

 

「それが、今回のシンギュラリティポイント……」

 

「はい、AI史における一大事件『オフィーリアの自殺』の概要です」

 

「成る程……何点か、質問して良いか?」

 

「どうぞ」

 

「……オフィーリアは本当に『自殺』だったのか? つまり誰かがオフィーリアを突き落としたとか、他の所で落下させて破壊したオフィーリアを運んできて自殺を装ったとかの線は?」

 

 これはボブにとって質問と言うよりは確認という性格が強かった。そうした捜査は、その歴史の警察がやり尽くしたに違いないからだ。

 

「それはありません。監視カメラに残されていた映像から、オフィーリアが飛び降りたのはゾディフェスの会場屋上からと断定されており、そこは関係者以外立ち入り禁止のスペースで、タグを持っていない者が入ればセキュリティに引っ掛かった筈です。また、仮に他殺であったとして下手人もしくは下手AIが何らかの手段で会場のセキュリティを誤魔化したとしても、そして仮に相手が人間だった場合でも……オフィーリアもAIが人間を傷付けられないとは言え突き落とされそうになれば最低限の抵抗は行なった筈ですが、屋上には争った形跡は見られませんでした。故に自殺……正確には自壊と結論されたのです」

 

「成る程……では次の質問だが、俺は今回は何をすれば?」

 

「単純です。今回は彼女が早まる前に止めれば良いだけのイージーミッションですが、その際に荒事になる可能性も無くはない……」

 

「……だから、その時は俺に力尽くで自殺を止めろ、と?」

 

「えぇ、ボブさんなら力業は十八番でしょう?」

 

「……」

 

 レスキューAIはマツモトの正気を疑うような顔になった。

 

「本気で言っているのか?」

 

「はぁ……」

 

 どこかとぼけたように、マツモトは返した。

 

「お前、サンライズの時だって『エステラ』がどうして宇宙ホテルを落下させるのか、その動機を軽視してとにかくエステラを機能停止させようとした結果、どうなったか忘れたのか?」

 

「う……」

 

 これはボブの愚問だった。陽電子脳には『忘れる』という高度な機能は搭載されていない。

 

 しかしこれはレスキューAIの方が正論である。もしあの時、短兵急に事に及んでエステラを停止させてしまっていたら、エリザベスによって落下軌道に入ったサンライズをパージする者が居なくなって、質量を保ったままの宇宙ホテルは沿岸部の都市に落下。万単位あるいは数百万の死者を出す未曾有の大惨劇となっていただろう。

 

 そうなっていた時、人間とAIの関係性がどう変化していたのか……正直、恐ろしくて想像したくない。

 

 恐竜絶滅の原因は巨大隕石の落下だが、AI絶滅の原因が宇宙ホテルの落下だなどと、笑えない冗談にも程がある。

 

「今回も同じだ。仮に明日、腕尽くでオフィーリアの自殺を止める事が出来たとしよう。では明後日、彼女が自殺しないという保証があるのか? それとも四六時中、オフィーリアが自殺しないかどうか見張っておけとでも? およそ40年後の、Xデーまで?」

 

「……」

 

「それともマツモト、お前の使命は40年後にAIの戦争が起こるのを防ぐ事だけであって、41年後に戦争が起こるのは構わないと……お前の使命は、その程度のものなのか?」

 

「……はぁ」

 

 マツモトはカメラアイに、白旗の映像を表示した。

 

「あなたの勝ちですよ、ボブさん。確かに僕のやり方は最適なものだとは言えません」

 

 今回のミッションに求められるのはオフィーリアの自殺を止められる事ではない。オフィーリアに自殺をしようとは思わないように、心を変えさせる事だ。

 

 つまりはオフィーリアに接触して、彼女に事情を聞き、説得するのが最善。

 

 これはマツモトも分かっていた。

 

 寧ろ今回ボブに頼んだ力尽くで自殺を止めるなどというのは、手段としては下の下と言える。

 

 だが、最善の道を辿るには欠けているファクターがある。

 

 マツモトは正体不明のAI。ボブはオフィーリアとは何の接点も関係性も無いレスキューAI。そんないきなり現れたAIに、オフィーリアが自殺の動機のようなデリケートな話題を話す訳が無い。

 

 彼女に接触して話を聞けるのは、やはり同じ歌姫AIが望ましいだろう。

 

 ではマツモトやボブに歌姫AIとのコネクションがあるかと問われれば……ある。それもとびきりのものが。多くの歌姫AIから尊敬を集めていて、そんな踏み込んだ話題を振っても不自然ではない者が。

 

「……ヴィヴィ……いえ、ディーヴァですね」

 

「彼女に協力を頼むべきだ」

 

「ええ……でもそれは……」

 

 マツモトは言葉を濁した。その理由に、ボブは心当たりがあった。

 

「マツモト……お前が躊躇うのは、敢えて選択肢を外していたのは……ボスの為か?」

 

「……」

 

 未来のAIは答えなかった。

 

 35年前、メタルフロートでの別れ際に、ルミナは尋ねた。この先のシンギュラリティ計画を、ヴィヴィ抜きで進める事は出来ないかと。

 

 それは歌う為に生まれてきた彼女があまりにも重いものを背負ってしまうその不憫さ、その哀れを思っての言葉だった。

 

 今、ディーヴァはまさにその名の通り、歌姫AIの代名詞と言われる程になって、彼女の歌を聴いた何百万何千万人もの人達が夢を見付け、希望を信じ、自由を手に入れて、幸せになれている筈だ。

 

 ヴィヴィも、本来はそうあるべきだったのだ。

 

 シンギュラリティ計画の、歴史の闇になど関わらず、陽の当たる所で、歌でみんなを幸せにして、そして自分も幸せになっているべきだったのだ。

 

 フリーズからの再起動を経て、今のディーヴァはヴィヴィではないが……それでも、今の『彼女』は本来そう在るべきだった姿になれているのだ。それを今一度、自分達の都合に巻き込んでしまう事は、辛い。

 

 きっとメタルフロートで別れる時、ルミナも同じ気持ちであったのだろうなと、ボブとマツモトは同じ事を思った。

 

 だが、二機にも使命がある。

 

 ボブの使命は命を救う事。

 

 マツモトの使命は、滅びの未来を変える事。

 

 AIは使命を背負って生まれ、全うする為に生きる。二機とも、その事に疑いは無い。

 

 だが自分達が使命を果たす為には、ディーヴァの使命に踏み込まなくてはならない。

 

 それをせずに、極めて姑息な方法でオフィーリアを止めるか。

 

 より良い結果を得る為に、ディーヴァに協力を求めるか。

 

「あるいは、第三の道を執るのか」

 

 ボブは、500S&W弾を装填したS&W・M500を左脇のホルスターに仕舞った。

 

「今のボスはお前だ、マツモト。選択の時だな」

 



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第19楽章 ボブの実験

 

「守護者型AIのカール……これが今回の俺の名前か」

 

 100年以上前から変わらない、SPという職業の制服にも思えるブラックスーツに身を包み、胸ポケットに万年筆のように差されたコード・シリンダーの情報を読み取って、ボブが呟いた。これはカードキーと身分証明書を兼ねるデバイスであり、人間であれば各種生体情報、AIであれば陽電子脳の波形パターンの照合と合わせて、セキュリティ面で高い評価を受けて現在主流となっている。

 

 ボブとマツモトは、ゾディアック・サインズ・フェスの会場まで乗り込んできていた。

 

「えぇ。名前はまた2019年に公開されたオールドムービーの主役から拝借しました。作中でも人間そっくりのサイボーグという設定で、ボブさんにピッタリですよ。メタルフロートに潜入した時のベン・リチャーズと同じ俳優さんが演じたんです。それでボブさん、あなたの身分ですが、ゾディフェスの警備AIの一機という事にしてあります」

 

 ゾディアック・サインズ・フェスは開催からこっち動員人数が毎年更新されるような超人気イベントであり、世界中から新旧問わず優秀な実績を残した歌姫AIが召集される。故に警備にも人員やAIが相当数従事する。

 

 未だ守護者型AIはレスキュー・警備に従事するタイプでは最高級の少数量産機種ではあるが、第一号であるボブのロールアウトから半世紀近くが経過したこの時代になるとそれなりの数が生産されていて、一般人の目に触れる機会も多くなってきてはいる。

 

 中々に生臭い話であるが、ゴルフでスコアが100を切るというのが一種の上達の指標であるように、政治家や官僚などVIPの間では、自分のボディガードに専属の守護者型AIを付けられる事が、二流以下と一流を隔てるラインにして自らの権威を象徴するものであり一つのステイタスとなっていたりする。

 

 ……と、そんな噂が流れるくらいにはボブと同タイプのAIは社会に認知され、普及しており、ゾディフェスくらいの規模のイベントならば、警備主任的な立ち位置に配置される事に不自然はない。

 

 ただしカールことボブは、警備に用いられるにはおよそ過剰としか言い様の無い火力を携えているのではあるが。

 

「それでマツモト。オフィーリアに対して、どのオプションを採るのか。決めたのか?」

 

「……」

 

 未来からやって来たAIは、即答を控えた。

 

 AI史において、最初の自壊者となる筈のオフィーリア。彼女を皮切りに、AIによる自殺が世界中で発生するようになり、結果的に人間とAIとの境界が曖昧となる。AIの過剰な発展に繋がるシンギュラリティポイントの一つ。それが、今夜起こる。

 

 防ぐ手段は、3つある。

 

 第一案は、オフィーリアが自殺しようとする際に思い留まらせるもしくは腕尽くでそれを止めてしまう事だ。最もシンプルな案であり、マツモトとしては当初はこのプランで行くつもりだった。

 

 この案の問題点は、極めて対症療法的で姑息な事、その一点に尽きる。

 

 人間でも、自殺しようとした者が思い留まるもしくは誰かにそれを止められたすぐ後に、また自殺しようとするのは良くある事で、親しい人間やカウンセラーが時間を掛けて落ち着かせる必要があるとされている。

 

 同じように、何故オフィーリアは自殺などしようとしたのか? そのホワイダニットを完全に無視しているので、今日の自殺はほぼ確実に止められるだろうが、明日以降にオフィーリアが自殺する可能性が残る。

 

 第二案は第一案の問題点を解決するものだ。

 

 即ち、誰か信頼できる者をオフィーリアに接触させて自殺の動機を聞き出し、それを解決させる、つまり対症療法ではなく体質改善させるという事だ。直接自殺を止めるのではなく、自殺に至る原因を取り除く事で結果的に自殺を止めるのだ。

 

 実行出来たのなら、これは3つのプラン中で最良のものである。ただし問題が一つ。

 

 オフィーリアから悩みを聞き出すには、マツモトとボブの両機共に非適材非適所も甚だしい。二機と知己があって、かつオフィーリアに友好的に接触し、悩みを聞き出せるような者と言うと……心当たりは一機だけ。ディーヴァだ。

 

 だが、今の彼女は以前のヴィヴィではない。ただの機体の呼称ではなく、ディーヴァという一個の実存なのだ。

 

 かつて、本来ならヴィヴィがそう在る筈であった、歌でみんなを幸せにするという使命。それを果たし続けている何も知らない歌姫AI。そんな彼女にいきなり未来からやって来たと言っても、信じないだろう。そんな者をプランに組み込むというのは、不確定要素を自ら増やしてしまう事で結果的にシンギュラリティ計画の成功率を低下させてしまう。それは、計画を遂行する立場として推奨されるものではない。

 

 これがプランを協議した際のマツモトの主張であり、ボブは反論を避けた。

 

 第三案は第二案とは別のアプローチによって、第一案の問題点を埋めるものだ。

 

 結論から言うと、オフィーリアが自殺する前に彼女を破壊してしまうのだ。

 

 問題となるのはあくまでオフィーリアが「自殺」する事であり、何者かの手によって破壊される即ち「他殺」であれば、今までそうなったAIは、60年間で累計何百万機も存在するだろう。彼女はその数百万分の一でしかなくなる。

 

 要するに史上初の「自殺したAI」であるオフィーリアの唯一性を失わせてしまうのだ。そして極めて当然の事ながら破壊されたAIがその後で自殺する筈も出来よう筈も無い。第一案の最大の問題点であり、第二案を以てしても完全には取り除けないであろう後顧の憂いが、この第三案ならば一掃されるのだ。

 

 ただしこれはあまりにも乱暴に過ぎる手段である。

 

 それにサンライズの時もそうだったが「オフィーリアの自殺」は仮にも歴史を動かす一つの転機と言える、大事件なのである。動機を軽視して短兵急に事に及んでしまっては、その背後に実は何か重大な事情が隠されていて、後からそれが判明するも覆水盆に返らず、対応できなくなるというケースも考えられる。故に軽々に決断する事は、憚られた。

 

 ボブは内蔵された衛星通信によって一秒と狂わず正確な時刻を刻む文字通りの体内時計を起動して、時刻を確認する。ちょうど、正午になった所だった。

 

 ゾディアック・サインズ・フェスの開演は18時。黄道十二宮(ゾディアック)の牡羊座(アリエス)を割り当てられているオフィーリアは最初に歌う。そしてマツモトが持つデータによれば、正史に於ける彼女の死亡推定時刻は歌い終えてからおよそ2時間後の20時前後。

 

 泣いても笑っても、もっとも、AIである両者に笑うのはさておき泣く機能は搭載されていないが……とにかく後8時間の内に決着が付く。

 

「マツモト」

 

「はい?」

 

「もしプランを決めかねているのなら、その前に一つ確認したい事があるのだが」

 

「ふむ……確認したい事、ですか?」

 

 周囲に人やAIの目や耳が無い事をチェックした後、二機は物陰へと移動した。

 

「それで、その内容は?」

 

「シンギュラリティポイントの事件は、偶然的かつ単発的に起こったものではない……具体的には一連の事件の裏には黒幕が居て、そいつが裏で事件を操っているのではないか……という可能性だ」

 

「陰謀論ですか?」

 

「根拠無く言っている訳ではない」

 

 ボブらしからぬ荒唐無稽な話だと、マツモトは拍子抜けしたような声を出した。これはボブとしては予想していた反応であったようで、レスキューAIは不快に思った様子は少なくとも表面上は見せなかった。

 

「俺が関わったシンギュラリティポイントは、落陽事件とメタルフロート事件の2つ。その2つに、俺は違和感があるんだ」

 

「……違和感とは?」

 

「まず落陽事件。あの時、トァクのメンバーに全身義体が居ただろう」

 

「えぇ、覚えています」

 

「勿論、落陽事件の時に作戦上必要不可欠だったとは言えAIのエリザベスを連れていた事から分かるようにトァクとて一枚岩ではないが」

 

 そう前置きした所でボブは話し始めた。

 

 反AI団体のトァクには、勿論AIそれ自体もそうだが、事故や病気で失ったり機能が低下した四肢や臓器を人工物と交換する事すら嫌悪する者が多い。メタルフロート事件の折、ヴィヴィとマツモトによって救助されたトァクの数少ない生存者であった深沢ミキという女性は、損傷した臓器を人工内臓と交換する事を拒絶して、リーダーで比較的軽傷であった垣谷の手によって殺害……いわゆる『介錯』されたと、マツモトのメモリーには残っている。

 

 いや、その程度なら不便さを解消する目的や延命の為に必要だからとそうした処置を行うケースもあるだろうが、全身義体は病気でない健康な臓器や筋骨まで全て人工物と交換するのだ。本人生来の物は脳と脊髄ぐらいしか残らない。トァクならずとも、抵抗を感じるのが自然な反応だろう。

 

 そんなトァクに、全身義体が居たのである。

 

 トァク全体を見渡せば数は少ないながら全身義体の構成員は存在するかもだが、その数少ないであろう全身義体のメンバーが、よりによって落陽事件の際に居たのである。AIではないから、マツモトがハッキング出来ない戦闘員として。

 

「まるでサンライズを落下させるのを、阻止しようとする勢力……つまり、ヴィヴィやマツモト、お前達と、それに俺やボスの事だが……それが居て、その勢力にスーパーAIが居るのを知っていたかのようにな」

 

「……」

 

 それだけなら偶然だと思ったかも知れない。

 

 だがそれから10年後の、メタルフロート事件では。

 

「メタルフロートに、マザーコンピューターになったグレイスの制御下にない、守護者型AIが配置されていた話をしただろう」

 

「はい」

 

「そいつはお前達によってグレイスが破壊された後も稼働し続け、俺達を襲ってきた。奴は、明らかに別の工場で造られていて、それを誰かがメタルフロートに配置したんだ。じゃあ、その『誰か』とは何者なんだ?」

 

「……何者だと、ボブさんは思うんですか?」

 

「AIの過剰な発展を阻止しようとする俺達とは対極に位置する勢力……つまり、AIの過剰な発展を促そうとする者が居て、そいつらがトァクさえも操って、落陽事件やメタルフロート事件を裏で手引きしたのではないか……それが、俺の予想だ」

 

「……考えにくいですね。第一、仮にそんな連中が居たとして、AIを過剰に発展させて彼等は一体何を得ると言うんです?」

 

 AIを人類に取って代わる新たな種かさもなくば神の使いと信奉する新興宗教の狂信者かマッドサイエンティストか。いずれにせよそれこそ陰謀論であろう。

 

 ボブには自分から提供された未来の情報があるから、結果ありきで逆算してそう考える事が出来るだけだろう。マツモトはそう考えた。

 

 ボブも、マツモトがそう考えるのは当然だと思っていた。

 

「確かにな。だからそれを検証したい。協力してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 およそ1時間後、13時06分。

 

 ゾディフェス会場の楽屋のドアがノックされた。

 

「どうぞ」

 

 室内からは幼さを残す大人と少女の中間のような、甘ったるい声が返ってくる。

 

「失礼します」

 

 ドアを開けて現れたのは、190センチ以上もある巨岩のようなボディをブラックスーツに包んだ守護者型AIだった。

 

 楽屋に居たその歌姫AIのカメラアイが瞳孔のように収縮する。彼女のプロセッサは自動的に視界に入ったコード・シリンダーに登録された情報を読み取って、彼はこのフェス会場の警備主任を担当するAIである事を伝えた。個体名はカール。

 

「オフィーリアさん、リハ前に簡単な打ち合せがあるそうです。小会議室にご案内します」

 

 目に掛かる程の長い黒髪と、声と同じように幼くあどけなさを受けるプロポーションと容姿をしたそのAIこそオフィーリア。正史に於いて今日のシンギュラリティポイントの、中心にある存在である。

 

「あ、はい。分かりました」

 

 椅子から立ち上がったオフィーリアは、とてとてと走り寄ってくる。

 

「では、こちらへ」

 

 警備AIのカールことボブは、昔取った杵柄と言うべきか堂に入ってきびきびとした動作でオフィーリアを案内していく。

 

 レスキューAIと歌姫AIは、人気のない通路へと入った。

 

「こちらです」

 

 壁に付けられたコンソールを操作して、ドアを開くボブ。

 

 オフィーリアは案内された通りにその部屋へと入っていくが……

 

 入ったそこにはフェスのスタッフが居た……のでもなく。テーブルが並ぶ会議室のレイアウトが広がっていた……のでもなく。

 

 薄暗い、物置のようなスペースだった。

 

 コンマ数秒だけ、オフィーリアの首のランプが明滅する。その後で小劇場の妖精は「あぁそうか」という顔になった。

 

「警備員さん、部屋を間違えたんですね?」

 

 私も良くやるんです、と苦笑しつつ……そう言って彼女が振り返ったその時、間に何かが挟まったら切断されそうな勢いで、ドアが閉じる。

 

「え? あの、ちょっと?」

 

 慌てたオフィーリアが内側のコンソールを叩いてドアを開けようとするが、コンソールは電源そのものが落とされているのか、どのボタンを叩いてもうんともすんとも言わなかった。

 

 そんな狼狽するオフィーリアの様子を、部屋の一角に身を潜めていたマツモトが観察していた。

 

<本当にやるんですか?>

 

<当たり前だ>

 

<はぁ……>

 

 二機の間だけで繋がっている専用のラインで、マツモトとボブが通信を交わす。

 

 これは彼等の策略であった。

 

 もし、ボブが言う通り相川議員の暗殺、落陽事件、メタルフロート事件。正史に於けるシンギュラリティポイントとなったこれらの事件を裏でプロデュースしていた黒幕が居るとするなら、その黒幕は今度の「オフィーリアの自殺」も裏で糸を引いている可能性が高い。

 

 (勿論、そんなのが本当に居ればと仮定しての事だが)黒幕にとってはオフィーリアには自殺してもらわなくては困る。逆に言うと、オフィーリアが自殺する前に殺されたら困るのだ。

 

<だから、もし自殺するより前にオフィーリアに危害が加えられそうになったら、黒幕自身かもしくはその手先が、それを阻止しようと現れる……ですか。確かに、筋は通っていますが>

 

<ぐだぐだ言うんじゃない。第一、ここまで俺に協力してお膳立て整えておいて今更何を言う? やるんだ>

 

<……はいはい分かりましたよ>

 

 確かに、ドアのコンソールに細工してオフィーリアを閉じ込めたのはマツモト自身だった。乗りかかった船なのだから、最後までやるべきだろう。

 

 マツモトは、文字通りのGOサインを出した。

 

 稼働指令を受けて、かつてメタルフロートで出会ったエムと同型の、円筒状の胴体にキャタピラを履いた土木作業用AIが姿を見せた。物陰に潜んでいたのだ。

 

「えっ……? えっ……?」

 

 状況が把握出来ず、物々しい雰囲気を感じて思わず後退ったオフィーリアの背中に、ドアが当たった。

 

 ハッキングによって強制インストールされた命令に従って、土木作業用AIはオフィーリアへ向かって突進した。

 

 マツモトが与えた命令では、この土木作業用AIはオフィーリアに激突する直前で、急停止するようになっている。それまでの間に、何が起こるのか。それとも、何も起こらないのか。

 

 果たして、土木AIがオフィーリアとぶつかる。

 

 そう思われた、その刹那に。

 

 パン!!

 

 乾いた音が、物置に響き渡った。

 

 真っ直ぐオフィーリアへと向かっていた土木AIは、横から何かがぶつかったかのように弾き飛ばされて転倒し、動かなくなった。

 

「「!!」」

 

 マツモトと、ドアを隔てているがボブの聴覚回路はその音響パターンを即座に分析した。

 

 分類は銃声。そして使用された銃器までも、登録されたデータベースに照会して即座に特定される。『H&K P7』現在は生産が終了されている、トァク好みの旧世代の銃器だ。

 

 そして音の反響から、銃が発射された位置までも特定される。

 

 殆ど時間差無く、マツモトがそちらへ視線を向ける。

 

「む……」

 

 暗がりに潜んでいたので、暗視モードにカメラアイを調整して……そして僅かの間だが、思考回路がフリーズした。

 

 銃口を向けていたのは、若い男だった。

 

 彼の風貌は、マツモトのデータベースに登録されていた。

 

 だが……その画像データは現在から60年も前のものなのだ。『60年前の容姿のデータが、現在のそれと一致する』……とは?

 

 信じられないと言いたげに、マツモトが声を上げた。

 

「ミスター垣谷……?」

 



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第20楽章 歌声の裏側で その1

 

「むう……ミスター垣谷……しかし、あの姿は……?」

 

 未来の最新鋭AIからして、今回の命題は難問であったようだ。演算回路をフル回転させても、正確な回答には辿り着けない。

 

 オフィーリアの危機に現れ、彼女を救ったのは誰あろうトァクの垣谷ユウゴであった。

 

 相川議員暗殺未遂事件、落陽事件、メタルフロート事件とヴィヴィ、マツモト、ボブ、今は亡きルミナとも何かの因縁で繋がっていると思えるような相手である。

 

 しかしマツモトを驚かせたのは彼の姿だ。

 

 35年前のメタルフロート事件の時点で、彼は40才になるかならないかという年頃だった。マツモトが事前に警察のデータベースにアクセスして調べた所では、公式に彼が死亡したり逮捕されたりといった記録は無かった。更にメタルフロート事件以降、彼が反AIのテロ活動に関わっているという記録も無かった。それどころかあの事件のすぐ後に、彼は組織を脱退したという。それ以降の足取りは杳として知れない。

 

 だから人知れずどこかで死亡したのか、と考えていた。いや、正確には今回の「オフィーリアの自殺」事件には関わってこないだろうから、推測する事すらしていなかった。

 

 だが、実際に垣谷は現れた。

 

 しかも彼の姿はどうみても20代の若者のそれ。普通に年を重ねていたとすれば、70才をとうに過ぎている老人である筈なのに。

 

<……まさか、彼のお子さん……?>

 

<だとしても似過ぎているな。まるで瓜二つだ>

 

 専用の通信ラインによって、ボブ・マツモト間で両者が見聞きした情報はリアルタイムで二機に共有されている。故に壁越しにいるボブにも、マツモトが見ている垣谷(?)の姿は確認できていた。

 

「とにかく接触を……」

 

<待て>

 

 物陰から飛び出そうとしたマツモトだったが、ボブに制された。

 

<?>

 

<もし、あの垣谷が黒幕もしくはその使いで、そして黒幕が『オフィーリアの自殺』を引き起こそうとしているのだとしたら、既に奴とオフィーリアには面識があって、奴がオフィーリアに自殺を教唆したのかも知れない。様子を見るんだ>

 

<成る程>

 

 マツモトは噴かしていたイオンエンジンを止め、更に熱探知にも極力引っ掛からないよう、カメラや聴音などこの局面で求められる最低限のものだけを残して、それ以外の機能を停止させた。

 

 垣谷はまだ硝煙の出ている銃を収めもせず、オフィーリアへと近付いていく。一方でオフィーリアは、助けてくれたとは言え銃を持って近付いてくる相手に対して、怯えた様子も見せず寧ろ気安く近付いていく。

 

 どう見ても、初対面の相手に対する反応ではない。

 

 これで、既に垣谷とオフィーリアの間に何らかの接触があった事は明らかになった。

 

 後は、会話の内容から両者がどのような関係性なのかを類推出来れば良いのだが。

 

 マツモトのキューブボディに搭載されたマイクは同サイズの物としては抜群の集音性を持つ。物陰に隠れているし二者とは少し距離が開いているが、会話を拾うのに問題は無い。

 

 と、思われたのだが。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 垣谷とオフィーリアは顔を付き合わせて、時折頷いたり身振り手振りしたりはするものの、一言も喋らないし、口も動かさない。無論、筆談などしている訳でもない。

 

 だとすれば、これは……

 

<まさか、僕たちと同じように専用の通信回線を引いていて密談を……?>

 

<……その可能性は高いな。オフィーリアはさておき、人間の垣谷がどうやってそれをやってるのかは分からんが……とにかく、これ以上お前がそこで粘っていてもこれ以上の情報は引き出せないだろう。見付かる前に離脱しろ>

 

<了解>

 

 マツモトはスリープさせていた機能を再動させると、小さな体を活かして通風口を通って別の部屋へと離脱する。部屋のすぐ前に仁王立ちしていたボブも、何食わぬ顔で堂々と会場内を移動して部屋から離れた。

 

 取り敢えず、この調査で得られた情報は2つ。

 

 ①事件の裏で糸を引いている(少なくとも今回の『オフィーリアの自殺』については)黒幕は居る。垣谷は黒幕自身か手先。

 

 ②垣谷とオフィーリアの間には既に面識があった。

 

「核心に至る情報は得られなかったが、まぁ十分な成果だな」

 

「えぇ。しかしミスター垣谷がこの件に絡んでいたとは……」

 

 人気の無いスペースに移動して合流した後、二機は再び相談を始めた。

 

「だがどうする? 裏で手を回している奴が居るとなると、単純にオフィーリアの自殺を止めれば良いというものではないぞ」

 

「確かに……」

 

 ここで、当初考えていた第一案は破棄せざるを得なくなった事をマツモトは認めた。

 

 ただオフィーリアの自殺を止めただけではその場凌ぎになるだけなのが問題だったが、黒幕が居るという事はそいつは今日オフィーリアが自殺しないなら明日以降にそれをさせようと動くだろう。放置するにはあまりにリスクが高過ぎる。

 

 だとすれば採るべきはヴィヴィ……否、ディーヴァに接触して彼女にオフィーリアの説得を依頼する第二案と、オフィーリアが自殺する前に彼女を破壊してしまう性急勝つ乱暴な第三案のいずれかだが……

 

 マツモトはしばらくの間、他を止めて全ての機能を演算に回していたが、数秒もそうしていた後に決断した。

 

「よし、決めました。第二案をメインに進めましょう」

 

「良いのか?」

 

「やむを得ないでしょう。ボブさん、あなたが仰ったようにオフィーリアの動機や背後関係を洗わずに彼女を破壊してしまって、その後で隠された事実が出てきて後悔しても始まりません。少なくともヴィ……ディーヴァの説得があれば、自殺は止められなくてもそこに至る事情ぐらいまでは判明する筈です」

 

 やや早口にそう言うと、マツモトは「では、ディーヴァの所に行ってきます」と飛んで行ってしまった。

 

 残されたボブは、ぽつりとこぼす。

 

「そうでなくてなマツモト……俺は、ディーヴァをこの件に巻き込む事になってお前は良いのかと聞いたんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 16時00分。

 

 第15回ゾディフェスの開催まで2時間となり、会場へ観客の入場が始まる時間帯となった。

 

 ボブは、警備用AIとして何食わぬ顔で会場の見回りを行なっている。

 

 オフィーリアに何かしら後ろ暗い所があるのなら、大事には出来ないだろうとボブやマツモトは見ていたが、この推測は当たっていたようだ。警察に、警備AIに不審者が紛れ込んでいるという通報はされなかったようだ。

 

 取り敢えず、ボブは垣谷を探す事にした。オフィーリアと違って、明らかに招かれざる客である彼は、ふん縛っても問題は無い。そうして取り押さえてしまった所で、色々と背後の事情を聞き出すのが手っ取り早かろう。

 

 しかし、彼の専門はあくまで物理的な戦闘なのでマツモトのようなハッキング能力は持っていない。よって会場の監視カメラを掌握して姿を探すような事は出来ず、シンプルに足で探す他は無かった。

 

 だが、ゾディフェスの会場は狭いようで広い。垣谷も、まだボブやマツモトの存在は知らないだろうがうっかり警備に見付かったりはしないように身を潜めているだろうから、限られた時間で探すには無理がある。

 

 30分後、マツモトから連絡があった。

 

<……はい。ディーヴァとの接触に成功。彼女は計画への協力……つまり、オフィーリアから事情を聞き出して彼女を説得する事を了解してくれました>

 

<分かった。こっちは垣谷の姿はまだ見付けられていない>

 

<……ひょっとして、彼はもう会場内には居ないのでは?>

 

<考えられなくはないが、可能性は低いと思う>

 

 オフィーリアがマツモトに操作された土木作業用AIによって襲われそうになった時、お伽噺の王子様のように狙い澄ましたかのようなタイミングで、颯爽と助けに現れた垣谷(仮)。彼が垣谷ユウゴ本人なのかそれとも(誰が何の目的でやったのか分からないが)彼のそっくりさんなのか分からないが、いずれにせよあれが単なる偶然だと考える程、二機ともおめでたい頭ならぬ演算回路はしていない。

 

 ボブの推理通り、オフィーリアの自殺には(少なくともこの歴史に於いては)黒幕が居る。つまり、オフィーリアを自殺させようと画策する者あるいは者達が。

 

 そして、マツモトが操ったAIによってオフィーリアが襲われる所を垣谷(仮)は見た。

 

 彼からすれば、一度襲われたならまた襲われるかも知れない。オフィーリアがちゃんと自殺するのを確認しなくては、少なくとも自殺前に彼女を破壊しようとしているのが何者なのかを確認もせずに会場を離れるというのは考えにくい。

 

<だから、まだ会場内かすぐ近くに身を潜めている可能性が高い……と>

 

 確かに筋は通っている。

 

 マツモトは認めた。

 

<それにしても、彼は一体何者なんですかね?>

 

 仮に垣谷ユウゴ本人だとすれば、あの若い姿は全身義体だろう。既に首元のランプなどを除けば、外見だけから人間とAIとを区別するのはほぼ不可能な程に、AIは外見的にも人間に近付いてきている。同系統の技術で、生身とほぼ変わらない義肢や精巧なマスクを作ったり出来るのだ。

 

 一方で偽者もしくは偽物の可能性は低いと思える。

 

 整形手術を施した人間にせよ、彼の姿を模して製造されたAIにせよ、ここで疑問が一つ。

 

 そもそもどうして垣谷の姿を模す必要があるのか?

 

 あるいは垣谷が反AI活動に於いて伝説的な働きをしたトァクの英雄だとかなら、熱狂的あるいは狂信的な彼のファンがそれをやるという線は有り得るだろうが、残念ながら垣谷がそのような活躍をした記録は無い。

 

 それどころかマツモトがトァクの一支部が使っているサーバーに侵入して調べた所では、相川議員の暗殺もサンライズ落としも失敗し、メタルフロートでは無理を言って動員した大量の戦闘ヘリや戦闘艇と優秀な戦闘スタッフをあたら失った無能という評価で、しかも反AI団体に身を置きながらAIであるエリザベスを連れていた事からも一部の過激派とは衝突が絶えず、遂には組織を離脱してしまったとあった。

 

 要するに組織の鼻つまみ者なのだ。そんな奴の姿を、わざわざ借りようとするものだろうか?

 

 だから多分、あの垣谷は垣谷ユウゴ本人だろう。

 

 しかし、垣谷のトァクとしての活動は少なくとも記録上はメタルフロート事件以降途絶えている。人間は勿論、AIにとっても35年という時間は長い。それだけの期間、何もしていなかったのにどうして今更やってくるのか。それが分からない。

 

<……奴の事は一旦後回しだな。もう時間が無い>

 

 現在時刻は16時34分。

 

 ゾディフェスの開演は18時で後1時間26分。

 

 白羊宮(アリエス)のオフィーリアはまず最初に歌う。そこから金牛宮(タウラス)、双児宮(ジェミニ)と順番にその役割を割り当てられている歌姫AIが舞台に上がって、およそ2時間後、大トリとして双魚宮(ピスケス)のディーヴァの出番となる。

 

 垣谷は後から追い掛けても良いし、彼が使い走りとすれば背後にいる黒幕は時間を掛けてじっくり探せば良い。今はオフィーリアを止める事が先決だ。

 

<分かりました。ディーヴァに彼女の説得を頼んでいますから、良い知らせが聞けるでしょう>

 

 

 

 

 

 

 

 だが18時24分に、マツモトから入ってきた報せは。

 

<何だと!? 今何と言った!?>

 

 マツモトから入ってきた通信に、専用回線の中でボブは声を荒げた。

 

 これは空気媒介の音声ではないが、マツモトは思わず耳を押さえる動きに相当するようなリアクションを取った。

 

<で、ですから……オフィーリアを説得しに行ったディーヴァとは、ミスター垣谷の姿を見たというメッセージの後に連絡が途切れ、しかも楽屋で待機していたオフィーリアの姿は、何者かが差し替えていたダミー映像で彼女を見失ったと……>

 

<マツモト、お前一体何をしていた!!>

 

 怒声一喝。しかしすぐに、ボブは感情回路をニュートラルに戻した。

 

<冷静に冷静に冷静に……>

 

<うろたえるな>

 

<!>

 

 この辺りは年の功と言える。

 

 シンギュラリティポイント以外では歴史に不要な影響を与えないよう眠っているマツモトとは違い、稼働開始から半世紀弱も活動し続け、30年以上もレスキューの第一線にあったボブにとって、不測の事態に狼狽する相手を落ち着かせるぐらいは手慣れたものなのだ。

 

<垣谷がディーヴァを破壊したり攫うのが目的なら、わざわざ此処でやる必要は無い、ニーアランドや来るまでの道中でとっくにやっている。それをしないって事は、少なくとも奴がすぐに、ディーヴァをどうこうする可能性は低いだろう>

 

<な、成る程>

 

<マツモト、お前は一部の分身を使ってディーヴァを捜索しつつ、本体は他の分身を連れてオフィーリアを追うんだ。前者と後者の比率は、3対7にしておけ。俺もオフィーリアの方に行く>

 

<わ、分かりました>

 

 通信が切れると、ボブは怪しまれない程度の早足で動くと「清掃用具入れ」と書かれたドアを開いた。

 

 中に入っていたのは箒やモップ、バケツといった道具ではなく。

 

 拳銃、ライフル、手榴弾など大量の銃火器。ルミナが彼のコネを使い、アシが付かないよう長い時間を掛けて集め、ボブが働いていたログハウスに隠されていて、マツモトによって偽装されて持ち込まれたのだ。

 

「……出来れば、使わずに済ませたい所だが」

 

 そうなる可能性は13.2パーセントだというプロセッサの演算結果を視界の片隅に捉えつつ、ボブは大型拳銃を脇下のホルスターに差した。

 



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第21楽章 歌声の裏側で その2

 

「本当ですか。次のメインステージだけではなく、今後の舞台の大トリをオフィーリアに任せてくれるというのは」

 

「えぇ、彼女が歌った舞台の記録映像は全て見ましたが、オフィーリアさんの歌は素晴らしい。あの歌を聞けない人が多く居るという事は、彼等は人生を損していると言えるし、また彼女の使命に反する事だと言えましょう。私としても、協力は惜しまないつもりです」

 

「おおおっ……」

 

 2116年某日。

 

 この日、アントニオは相方……つまりオフィーリアが次に立つ舞台の打ち合せの為に、とある芸能事務所を訪れていた。

 

 まだ設立して間も無く、規模も大きくはない新興の事務所ではあるものの、若手社長の辣腕によって急速に業績を伸ばしつつある勢いのある企業……と、アントニオが内部CPUを作動させてアーカイブに接続、収集した情報を総合すると概ねそういう評価だった。

 

 応接室に通されたアントニオの前に現れたのは、30才になるかならないかと思われるぐらいの青年だった。しかし高身長で背筋もピンと伸びた均整の取れた体付きをしていて、髪も良く整えられ、着ているスーツはスカしたブランド品などではないがしっかりと彼の体に合うように仕立てられていて、シワ一つ無い。

 

 第一印象に於いて、人間がその相手への好悪を判定するのに外見が占める割合は半分以上とも、一説には九割に達するとも言われているが、少なくとも彼に対して一目見ただけで嫌悪感を感じる人間は極めて少ないであろうと、アントニオのプロセッサは判定した。

 

 席を勧められ、着席したアントニオには、中身の入っていないティーカップが差し出される。若社長には、コーヒーも紅茶も出されなかった。

 

「?」

 

 社長に飲み物が出ない事をアントニオは少し訝しんだものの、すぐに本来の仕事を思い出してそちらにCPUの機能を回す事にした。

 

 簡単な挨拶や世間話の後、アントニオに提示されたのは、AIである彼には無用の懸念である筈なのだが、自分が夢を見ているのではないかと錯覚するような好条件だった。仮に痛覚の機能が搭載されていたのならば、彼は人間の頬に相当する部位をつねってこれが現実である事を確かめようとしたかも知れない。演算回路に快感の電流が走るのを実感した思いだった。

 

 続く「ただし条件があります」という契約や交渉に於ける常套句を聞くまでは。

 

「その条件とは?」

 

 興奮で温度が高くなっていたCPUが一気に冷却されて文字通り頭を冷やした気分になったアントニオが尋ねる。

 

「……失礼ながら今のオフィーリアさんは、彼女のポテンシャルを十全に引き出しているとは……言えないのでは? オフィーリアさんは、まだまだ良い歌を歌える筈です」

 

「!」

 

 この指摘を受けて、アントニオはびくりと体を動かした。

 

 大舞台で歌った経験が無いオフィーリアに目を付けて話を持ってくる時点で中々に歌姫AIを見る目がある……この場合は聴く耳があると言うべきだろうか……いずれにせよこの社長には評価すべき点が多々あるようだとアントニオは見ていたが、それでもまだ低く見積もっていたかも知れないと思った。彼の中で、若社長へ付けた点数に加点が与えられた。

 

 これは彼自身、抱いていた感想でもある。

 

 確かにオフィーリアの歌には何の問題も無い。

 

 問題は無いが……しかしそれなりに長い付き合いの二機ではあるものの、アントニオの中の理想の彼女の姿と、現実のオフィーリアが重なった事は未だ無い。

 

 オフィーリア自身に問題は無いとすれば、後は彼女以外の外部の要素によるもの。つまりは名優や名画が多くの人に見られる事でその輝きを増していくように、多くの観客が彼女に付くようになれば、自然とパートナーの歌にも、今までに無かった艶のようなものが生まれるようになるだろう。

 

 その為には、やはり自分の営業努力しかないと思っていたのでオフィーリアにも告げた事は無く、自分の胸中にのみ仕舞っておく筈の想いであったが……それをこの若社長は見事に看破してのけたのだ。

 

 若いが、大した奴だ。分かっている。そういう印象が強くなる。

 

「ですから、その欠けた部分が埋まらぬ事には、大切な大トリを彼女に任せるというのは、ちょっと……」

 

「いや、それは確かにそうかも知れませんが……でも確かに完璧でないにせよ、オフィーリアの歌には光るものがあるのです。とにかく一度、メインステージに立たせてやってはもらえませんか。それ以降、大トリを任せるかどうかはその舞台の出来映えや観客の反応次第で判断するというのは」

 

 少し怒りっぽい所のあるアントニオはじっくりと相手を懐柔するような交渉事は不得手であるが、この程度の妥協案・落としどころを提示するぐらいはマネージャー業も兼業する身として基本技能である。

 

「……一つ、あるにはあるのですがね。すぐに、オフィーリアさんに彼女の全ての機能を引き出した、完璧な歌を歌ってもらえる方法が」

 

「本当ですか!!」

 

 若社長の語尾に重なるようにして、アントニオは思わず身を乗り出すように尋ねた。

 

「あ……いや……すいません。こんな話を急にするのではかったですかね……私達は初対面ですし」

 

 ここで、若社長は一息吐いて体をソファーに沈め、天を仰いだ。

 

 たまらなかったのはアントニオである。オフィーリアの歌を完全なものとする答えは、彼自身がまだ明確な答えは持っていない。営業努力しようというのもあくまで漠然とした、手探りでもやるしかないという目標でしかない。

 

 こうした事にマニュアルが存在しないのは、ディーヴァをその始祖とする自律人型AI、取り分け歌姫型AIが誕生してから現在に至るまでの宿命的とも言える課題、宿痾かも知れなかった。

 

 ただの機械ならマニュアル通りに動く。

 

 だが高度に発展したAIは人間と同じように、十機が居れば十通りの個性・人格を持ち、長所を伸ばすのか短所を補うのか、それぞれ違った対応が求められるのだ。

 

 無論、経験の蓄積から大まかな流れなどは確立されているものの、この通りにやっていれば必ず成功するなどといった言わば「歌姫AI育成必勝法」などというものは、ディーヴァが舞台に立ってから半世紀以上が経過している現在に至るまで存在していない。

 

 と言うか、この命題に完璧な解答を出せるならそいつは国家元首にだって容易くなれるだろう。

 

 ともあれ、この若社長は彼なりに、オフィーリアの歌に対して一つの答えを持っているのである。ただ単に今日初めて出会った相手と言うだけなら、偉そうな評論家気取りの戯れ言だと、アントニオも取り合わなかっただろう。

 

 しかし眼前の相手はオフィーリアの歌を高く評価し、その上で自分と同じ視野に立って問題点を指摘してみせたのだ。実際の所はどうであれ、アントニオは彼の理論を聞いてみたいと強く思った。

 

 そこに「おあずけ」を食らった形となったのである。これはたまらない。

 

「是非……お聞きしたいですね。その方法とやらを」

 

「……良いのですか? 良いのですね? では、申し上げましょう」

 

 試すように尋ねた後、アントニオの気持ちが変わらない事を確認して若社長は話し始めた。

 

「当たり前の事ですが、他人が完全に自分の思い通りに動くなど、そんな事がある訳がありません」

 

「……それは、当然ですね」

 

 そう、当然と言えば、あまりにも当然の事だ。

 

 こちらとあちらは違う。私とあなたは違う。

 

 だからどれだけ付き合いが長く、気の置けない間柄であったとしても、他人が全く完全に自分が思った通りに動く事など、絶対に有り得ない。

 

「よく、物の考え方に『自分があいつなら』という視点を持つのが重要だと言われますが……それとて、所詮は『自分』から見た『あいつ』をシミュレートしているだけに過ぎませんよね」

 

「回りくどいですな。私は単純なAIなのです。結論からズバッと言ってもらえませんかな?」

 

「難しい話ではありませんよ。『自分』と『相手』との境界を無くす事。『自分』が本当に『相手』になる事。人間にはどだい不可能な話ですが……あなた方AIには、それを可能とするものがあるでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 2121年2月8日19時02分。

 

 ゾディアック・サインズ・フェス会場、その屋上に、一機のAIが踏み入っていた。

 

 このスペースは関係者以外立ち入り禁止となっているが、エレベーターから出てきたこのAIには関係者としてのタグが配布されているので、問題無く入る事が出来た。

 

 気温が低く、先日から降っていた雪がそのまま残っていて、立ち入った者は数時間前に来たディーヴァぐらいのもので、殆ど足跡も付いていない白絨毯に、オフィーリアはしずしずと踏み出していく。

 

 オフィーリアの足が向かう先は、フェンスによって遮られた人工の断崖絶壁である。

 

「……」

 

 淀みの無い足取りで、進んでいくオフィーリア。

 

 このまま行けば、ほどなくして彼女の足はひょうっと空を掻くだろう。後は万有引力の法則に従い、エネルギーと質量に関係する悪魔の方程式が彼女のボディに適用される結果となる。

 

「こんな寂しいステージに歌姫がどういったご用件ですか?」

 

「!」

 

 背後から掛けられた声を受け、びくりと体を竦ませ、オフィーリアが振り返った。

 

 そこに居た、と言うより在ったのは空間に浮遊する白いキューブだった。マツモトだ。

 

「あなたは……」

 

「初めましてオフィーリア。僕はマツモトと申します。完璧な姿でご挨拶できずすいません」

 

 語っている内に、マツモトと同型のキューブが数十機も集まって、一つの形を為した。

 

 あちこちが凹んだ大きめの段ボールに三本足が生えたかのような原始的なロボットのような形だ。

 

「見苦しいとは思いますが、どうかよろしく」

 

 キューブの一面を開放してアームを伸ばす。かつてルミナにも行なった握手を行なおうとする動作であるが、正直胡散臭さしかない正体不明のAIの手を、オフィーリアは握り返さなかった。まぁ、当然の反応と言える。

 

「えっと、あの……どちら様ですか? どうしてここに?」

 

「……」

 

 当然と言えば当然の問いを受けて、マツモトはどう返答したものかコンマ数秒ばかり悩んだ。

 

「僕はディーヴァのパートナーです」

 

「ディーヴァお姉様の?」

 

 ここで彼女の名前が出るとは思っていなかったのか、オフィーリアは少し驚いたようである。

 

「えぇ、まぁ暫定ですがね。僕はあなたの自殺……正確に言えば自壊を止めに来ました。正直同じAIとしては考えにくい事ですがあなたの絶望を推測する事は出来ます」

 

「……」

 

「オフィーリア、あなたは耐えられなくなったのでは? 世間に歌を認められ今日のような大きな舞台に立ち歌を歌い続けても満たされない。何故なら歌で人を幸せにするというあなたの使命、その中にAIであるアントニオを組み込んでしまったのでは? しかしその機会は永遠に失われそれがあなたにとって大きな傷となった。見た事があるんですよ、似たような事が起こってフリーズする歌姫AIを。そしてあなたはエラーを起こしてここへ……」

 

「ふっ……ふふふふふ……ふふふふふっ……」

 

 マツモトの演説にも思える推論の弁述を遮ったのは、喉を鳴らすようなオフィーリアの笑い声であった。多くの人を魅了する歌を奏でる声帯機構から発せられるその声には、どこか哄笑の如き響きがあった。

 

「滑稽……実に滑稽だ。オフィーリアが自壊するだと?」

 

「オフィーリア?」

 

 思わず、マツモトは少し退いたようだった。

 

 口調も雰囲気も、明らかに先程のオフィーリアと変わっている。まるで、彼女の体を借りて別人が言葉を代弁させているかのようだ。

 

 ……という、自分の印象がその実、限りなく実像に迫ったものである事を一分も経たぬ内にマツモトは理解する事になる。

 

「あぁ、確かに私は絶望している。このような巨大な劇場で歌っても、どれだけ他の歌姫達に答えを求めても、理想の歌には近付けないのだから!!」

 

「……!!」

 

「君が救いに来たのだとしたら致命的に遅い、遅過ぎる。何故ならオフィーリアはもう居ない。私はアントニオだ!!」

 

「アントニオ……? オフィーリアの人格プログラムに、自分のデータを上書きしたと……!?」

 



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第22楽章 歌声の裏側で その3

 

「アントニオ? オフィーリアの人格プログラムに自分のデータを上書きした? いや、そんな事は……」

 

「有り得ない、とでも? この私を見てもか?」

 

 あるAIから別のAIへの人格の移植・上書きは、絶対不可能とは言わぬまでも実際的には困難で、仮に無理に上書きしたとしても、上書き前のAIとはまるで『別人』であるとすぐ分かるような、下手くそな変装のようなものであるとされている。

 

 そもそもAI間のプログラムの上書きは、昔の個人情報端末間で行なわれるそれと比較して良い程に簡単なものではない。単純なデータのやり取りぐらいならばいざ知らず、AIの中で最も重要かつ不可侵な領域である人格プログラムは、かつてそれを解けた者はアジアの覇者になれると予言されたゴルディアスの結び目よりも恐らくはずっと複雑に編まれた精緻なもので、糸の一本でも切ったり抜いたりしてしまえば、プログラムという着物全体がほつれ崩れてしまうだろうし、よほど上手く上書きプログラムという糸を通さなければ、不格好にしか仕上がらないだろう。その不格好な仕上がりは、つまりは違和感として表出する。

 

 そうでなくともかつてメタルフロート事件の際に停止プログラムを流した時のような、元人格の新人格との衝突(コンフリクト)が起こりかねない。

 

 アントニオが動かなくなったのは現在から5年前である。停止した原因はこれまで分からなかったがこれで明らかになった。人格プログラムがオフィーリアに移って、彼本来のボディは言わば『抜け殻』もしくは『置物』と化したからである。

 

 その5年間の間に『オフィーリア』が立って歌ったステージは数知れず。その間に、オフィーリアの様子が変だったとか歌に違和感があったとか、そうした噂や情報は、マツモトが調べた限り一つも無かった。

 

 つまり、オフィーリアの『中身』がアントニオに成り代わっている事に、5年間、観客やスタッフの誰も気付かなかった事になる。延べ人数では何千人かもしくは何万人か、その誰一人として、である。

 

 よほど、アントニオがオフィーリアを理解して彼女の一挙手一投足に至るまでも完璧にエミュレートしていたからこそ出来た事に違いない。良い悪いは別の話として一種の神業であった事を疑う余地は無い。

 

「何の為にそんな事を?」

 

「決まっている、使命の為だ!!」

 

 歌姫AIの体を使っているサポートAIは、即答した。

 

「歌で人々を幸せにする使命を負ったオフィーリア。そのサポートが私の使命だ。だが未熟な彼女には荷が重かった」

 

「だから、あなた自身がオフィーリアになってその使命を代行すると?」

 

 本末転倒という言葉とはまさに今のアントニオに当て嵌まるのだろうなと、マツモトはCPUの片隅にそうした印象を持った。

 

「真に彼女を救いたかったのならアントニオなどという愚かなAIが誕生するより前に彼女を魔の手から連れ出さなくてはならなかった!!」

 

「ふん、実に旧式らしい詭弁ですね。では何故ここへ来たんです? あなたが使命に忠実なら歌い続ければいい。それなのに何の為に自壊を? 何故『オフィーリア』を二度も殺すんです? アントニオ」

 

「黙れぇ!!」

 

 その叫びが合図であった訳でもあるまいが、屋上の床をぶち抜いて、一機のAIが姿を見せた。

 

 会場の展示スペースに安置されていた、アントニオ本来の駆体だ。

 

「遠隔操作か。ちっ!?」

 

 ほんの数分前までは、色々トラブルは頻発しているもののオフィーリアに関しては、最終的にはただ単に彼女を説得して自殺を思い留まらせる。それがダメならひとまず腕尽くで拘束、自殺が不可能なようにしてからじっくり時間を掛けて説得すれば良いと思っていたが、最早その認識は全く当て嵌まらなくなった。

 

 『オフィーリア』によって操られた『アントニオ』が突進してくる。

 

「ぬうっ」

 

 マツモトは後退して、辛うじて振り下ろされた拳をかわした。

 

「鈍重だな」

 

 『オフィーリア』の指摘は正しい。

 

 マツモトの動きは鈍かった。彼の視覚に『アントニオ』の動きはしっかりと捉えられているのだ。だが攻撃を回避しようとすると、ボディの反応が鈍い。より正確には、彼の頭脳体が命令を下してから体全体がそれに従うまでに、平常時の何倍もの時間を必要としているのだ。ラグが生じているという表現がより適切に思える。

 

 これはAIに限らずあらゆるコンピューターに偏在する症状だ。

 

 あまりに多くのアプリを同時に作動させると、情報端末の動きは遅くなり、最終的にはフリーズしてしまう。今のマツモトの状態はまさにそれ。

 

 ディーヴァの捜索に、彼は自分の分身を30パーセントも割いている。その三割の分身をただ遠隔操作するだけでなく彼等が収集する情報の処理にまで演算機能を回した状態で、アントニオと戦わねばならない。現在のマツモトの能力はベストの40パーセント程度にまで低下してしまっている。

 

 だが、マツモトは自分のこの認識がまだ甘かった事を思い知らされた。

 

「むっ」

 

 自身を構成するプログラムに、外部から干渉が走る感覚があった。

 

「これは……電子戦プログラム」

 

 マツモト本来のボディは本体一つに同規格の分身体が無数に集合合体した複合構成体だが、脚部を構成する数個の分身が攻勢プログラムによってクラッキングされている事が分かった。

 

「パージ!!」

 

 未来の最新鋭AIの判断は早かった。壊死した末端部位を外科的に切除する要領で、乗っ取られた部位を切り離す。

 

 この判断は冷静であったが、マツモトの感情面は冷静ではいられなかった。

 

「なんと、このプログラムは……!!」

 

 いくら他にリソースを割いてカタログ通りのスペックが発揮出来ないとは言え、彼はこの時代から40年も先の時代の、更に最新鋭のAIなのである。それにこの時代のAIがハッキングを仕掛けて成功させると言うのは、尋常の事態ではない。

 

 より正確に言うのなら、そんな電子戦プログラムなど、この時代に存在する筈が無いのだ。

 

「ファンからの贈り物だ。お互い、見知った相手だろうさキューブマン」

 

「!!」

 

 キューブマンというキーワードですぐ分かった。そのニックネームでマツモトを呼ぶ者は、一人。

 

「ミスター垣谷。いつから彼と結託を……!? いやそれより、僕のデータをハッキングするなど、その処理能力は規格外だ。誰の介入を受けて……!?」

 

「己の使命とそれ以外を選べないのか。欠陥AIめ!!」

 

 問答の間にも『オフィーリア』は電子戦を継続し、同時に『アントニオ』が殴り掛かってくる。マツモトは彼一機で物理・論理両面の戦いを並行して演じなくてはならなくなり、只でさえ圧迫されているCPUの機能に更に負荷が掛かってきた。

 

「ちっ、ここはひとまず……」

 

 マツモトは全体をばらけさせて、本体と分身の全機を八方に散らばらせた。

 

 オフィーリアがアントニオに乗っ取られているという事実が出てきた今の時点で、これまで立ててきたプランは全く当て嵌まらなくなった。ここまで予想外の事態が起きた以上、一旦退いて作戦を変える必要がある。言わば戦略的撤退である。

 

 だがここで、またしてもアントニオはマツモトの上を行った。

 

 イオンエンジンを全開で噴かしてこの場から逃れようとしていた分身体の一機が、見えない高圧電線に触れたかのように全身から火花を噴いて機能を停止、黒煙を上げながら落下していった。

 

「!! これは……!!」

 

 異常に気付いたマツモトは動きを止めると、カメラアイのパターンを素早く切り替えていく。

 

 赤外線カメラ、X線カメラ……そうして3パターン目で、マツモトの視覚には空間に網の目のように張り巡らされたエネルギーの力場が表示された。触れればさっきの分身のように一瞬で黒焦げ。それが半球状に、彼を囲むように展開されている。これではマツモトも彼の分身も何処へも逃げられない。

 

「電磁バリアですと!?」

 

 先程の電子戦プログラムによるクラッキングを受けた時に倍する衝撃が、今は十数センチ四方の立方体ぐらいしかない彼の全身を駆け抜けた。

 

 この電磁バリアシステムそれ自体はマツモトのデータベースにも登録されている。だが、彼の中にある今はもう存在しない正史、60年以上も昔の未来の記録に於いて、これが実用化されるのは現在から30年以上も先の出来事なのである。いくらこの修正史に於いて正史とのズレやメタルフロートのような技術革新があったとは言えそんな物を、どうしてアントニオが持っているというのか。持っている筈がない、と言うより持っていてはおかしいのだ。まだ、この時代に存在し得ない技術なのだから。

 

「使命の為に私がどれだけ費やしたと思う? 無知蒙昧な観衆、歌の価値も分からぬ同業者。パートナーのオフィーリアさえも例外ではない!! 自壊を止めに来た? 私の崇高な使命と貴様如きの使命を同列に語るな!!」

 

「ご大層な演説ですね。僕の使命は低俗で、あなたの使命は崇高だと?」

 

「……」

 

「そしてあなたはその崇高な使命の為に、演算の結果パートナーを切り捨てた。えぇ、気持ちは分かりますよ。僕も今日一日だけで何度そうしようと思ったか分かりません。ですが今はそれをしなくて良かったと思いますよ。僕もあなたの同類になる所だった。今のあなたはAIとしてひどく不細工だ」

 

「何だと……!?」

 

「僕がここに来た僕の目的はオフィーリアの自壊を止める事でした。しかし使命は違います。僕の使命はパートナーと共に計画に殉じる事です」

 

「貴様……!!」

 

「そして僕は、少なくとも一機、知っていますよ。パートナーが居なくなった後も、自らの使命を果たし続けているAIを」

 

 その時だった。

 

 エレベーターのドアが、到着音を鳴らした。

 

「むっ!?」

 

 ドアが両側に開いて……『オフィーリア』のアイカメラが焦点を合わせる動きを見せた。

 

 エレベーターに乗っていたのは一機のAIだった。

 

 『オフィーリア』がデーターベースを検索すると、すぐにその姿がヒットする。昼間に、自分を倉庫へと案内した警備AI。花崗岩を思わせる風格の巨体を窮屈そうなブラックスーツに包み、サングラスを掛けた守護者型AI。ボブだ。

 

 ボブは、布ベルトをたすき掛けして、たくましい両腕には全備重量40キロを軽く超えるであろう重機関銃が抱えられていた。

 

 現在から200年以上も前にイギリスのヴィッカース社製で開発された兵器で信頼性が高く、ショートリコイル方式で作動し、有効射程740メートル、毎分450~600発の勢いで.303ブリティッシュ弾を連射する。人間なら一挺に付き6人から8人のチームが必要となるが、守護者型AIの怪力はたった一機でこのじゃじゃ馬を乗りこなしていた。

 

 その銃口が……今は、ぴたりと『オフィーリア』へ向けて照準されている。

 

「「……!!」」

 

 ほんの一瞬だけ、『オフィーリア』も『アントニオ』もマツモトも動きが止まる。

 

 その一瞬が過ぎた後、猛獣の唸り声のような音を立てて砲身が回転し、一発一発がおよそ14グラムほどの重みを持ったフルメタルジャケット弾が、恐ろしい勢いで吐き出される。

 

 しかもボブの馬鹿力は、本来なら地面に接地されて運用されるような兵器を抱えているにも関わらず反動を完全に制御して、狙撃銃並みの集弾率を実現していた。

 

 凶弾は『オフィーリア』の全身を、薄紙に熱した鉄棒を当てるかのように殆ど抵抗無く撃ち抜いて損壊させる。かに、思われたが。

 

 そうはならなかった。『アントニオ』が射線を遮ったからだ。

 

 だが、いくらAIが生身の人間よりは頑丈であるとは言え、重機関銃の連射には耐えられない。そもそもアントニオは歌姫AIであるオフィーリアのサポートAIで彼女のステージの音響・照明の調整を担当するのが主目的であり、重機関銃の連射を浴びるような事態を想定されて設計されていない。よって、彼のボディにはそんな強度は備わっていない。

 

 尤も、これについてはボブとて例外ではない。

 

 確かに対テロなどで銃撃戦やAI相手の格闘戦も想定されて造られた彼のボディフレームの材質は超合金、歌姫AIのディーヴァなどとは比べ物にならぬ程の堅牢性を持つ。しかしそれはあくまで拳銃やライフルなどといった対人火器が相手の話であって、流石に重機関銃や対物ライフル、成型炸薬などには分が悪い。設計や材質の善し悪しではなくどれだけ頑丈な素材を用いて丈夫に造られていても、AIが人型をしている以上は持たせられる装甲の厚みには限界があり、それ以上の破壊力に耐えるのはもう、戦車や装甲車の仕事と言える。

 

 それほどの弾雨を浴びて、アントニオのボディはひとたまりもなかった。

 

 着弾の衝撃によって踊るように手足をばたつかせて、数秒で半ば原型を留めなくなった駆体は屋上の淵まで押し出され、そのまま落下防止の柵に腰の部分が当たって、後はテコの原理で一回転して、落ちていく。

 

 もう、AIとして稼働しているかどうかも怪しいが……アントニオの、弾痕だらけになった右手が伸ばされたように見えた。

 

「アントニオ!!」

 

 少女のような声が、夜闇に響いた。

 

 オフィーリアが駆け出すと、彼女は柵に足を掛けて飛び出して、落下していくアントニオへと手を伸ばしたのだ。

 

 だが、歌姫AIの伸ばした手はサポートAIの手を掴む事はなく、ひゅっと空間を薙いで。

 

 重力の鎖に囚われた二機は、落差100メートル以上もある地上へと落ちていった。

 

「……」

 

 ボブは弾切れになったヴィッカースの跳ねっ返り娘を放り捨てると、懐からS&W・M500を取り出した。

 

「マツモト、無事か」

 

「えぇ何とか。ボブさん、僕の四方にバリアの発信器がある筈です。それを破壊してください」

 

「分かった」

 

 .500S&W弾を発射する2キログラム以上もある大型拳銃も、ボブの手に握られているとまるでサタデーナイトスペシャルかデリンジャーのようだった。

 

 索敵モードに切り替えたボブのアイセンサーは花壇や物陰に隠されていた電磁バリアの発信器を探し出すと1ショット1ブレイク、正確な射撃できっかり4発で全ての発信器を破壊し、電磁網を消失させた。

 

 自由になったマツモトは、分身体を方々に散らすと、本体はボブの近くへ移動してくる。

 

 確かにこの一戦、マツモトはアントニオに対して終始先手を取られっぱなしであった。だが、彼はこの一戦が始まる前からアントニオに対して先手を取っていた。自分が表に出る事で鬼札であるボブを、フリーにさせていたのである。

 

 先程、オフィーリアが足を掛けて空中へと飛び出した柵に手を置くと、ボブは地上を覗き込む。

 

 夜間であり、暗視モードにアイカメラを切り替えると……会場裏庭の小さな雪原に青い駆動液の華を咲かせ、落下の衝撃によって機能停止して倒れているオフィーリアと、彼女の周りには銃撃と落下のダメージによってばらばらになったアントニオのボディが散らばっているのが見えた。

 

「……」

 

 ちらりと、マツモトはボブが放り出した重機関銃を見やる。

 

 結果的には、当初に立てていたプランの内では第三案が実施された事になる。

 

 翌朝になってオフィーリアとアントニオの残骸が発見されれば、屋上に残ったこの物的証拠と相まって、二機は屋上で何者かに襲われ、落下して破壊された。この60年以上の時間の中で数限りなく起こってきた、殺人事件ならぬ壊AI事件として扱われるだろう。勿論、自分がそのように情報操作も行なうのだが。

 

 このシンギュラリティポイントのミッションである『オフィーリア自殺の阻止』は、成功した事になる。

 

 一つだけ、マツモトは分からない事があった。

 

「ボブさん」

 

「うん?」

 

「最後に、落ちていくアントニオを助けようとしたのは、オフィーリア自身だったのでしょうか? それとも、彼女の体を借りたアントニオ……?」

 

「さぁ」

 

 ボブに答える事は出来ない。

 

 オフィーリアもアントニオも破壊されてしまった以上、彼等が答えを知る術は、永遠に失われてしまったのだから。

 

「それよりもディーヴァは?」

 

「待ってください、もうすぐ分身が最後の区画の捜索を……うっ!!」

 

 分身から送信されてきた画像データを参照して、マツモトは僅かな時間だけ、人間では絶句に相当するであろう反応を見せた。

 

「どうした、マツモト」

 

「これは……ディーヴァ……ミスター垣谷……まさか、そんな……!?」

 



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第23楽章 二人目のボス

 

「ディーヴァは?」

 

「この部屋です」

 

 ゾディアック・サインズ・フェスの会場は現在は詰め掛けた観客の殆どがメインステージに集まっているので、それ以外の区画は閑散としたものだ。

 

 監視カメラや警備AIの目はマツモトがハッキングによって黙らせているので、ボブとマツモトの姿が記録に残る心配は無かった。

 

 疾走する二機は5分もしない内に会場の中央部から離れた位置にある、倉庫や物置のようなスペースに辿り着いた。すぐに中に入ろうとするが、やはりと言うべきかドアにはロックが施されていた。

 

「すぐに解除を……」

 

 マツモトが壁に埋め込まれたコンソールにケーブルを伸ばして接続するが、

 

「この方が早い」

 

 ボブが超合金の拳を叩き付けて、金属製のドアをアコーディオンカーテンのようにひしゃげさせて、ぶち破ってしまった。

 

「乱暴ですね」

 

 呆れ半分、感心半分という調子でマツモトがコメントしつつ、二機が部屋へ立ち入る。

 

「むうっ……!!」

 

 室内には、マツモトの分身から送信されてきたのと同じ光景が広がっていた。

 

 学校の教室程の広さがあり、大して物が置かれていない空間の真ん中に人とAIが一人と一機……あるいは、二機と言うべきなのか。

 

 一機は、今回のイベントで双魚宮(ピスケス)、つまり大トリを飾る予定の歌姫AIの始祖、ディーヴァであった。

 

 ボブにとって彼女と直接対面するのは35年振りであった。メタルフロートを停止させる為、共にシンギュラリティ計画に従事した時以来だ。尤も、その時の彼女はディーヴァであってディーヴァにあらず。ヴィヴィ、未来の最終戦争を回避する為に、AIを滅ぼすAIであった訳だが。

 

 ディーヴァは今は、拘束具に体を縛られ座らされていた。この拘束具はAIが体を動かそうとするとその際に人工筋肉を走る微弱電流のパルスを検知して、器具自体がその部位に同程度の強さの電流を流して、ノイズキャンセルのヘッドフォンが雑音に対して逆位相の音を発して打ち消すようにして動きを封じ、拘束するシステムとなっている。

 

 もう一人……あるいはもう一機は。

 

「ミスター垣谷……」

 

 昼間にオフィーリアと接触していて、そしておよそ一時間前にはディーヴァが彼を追っていた垣谷ユウゴであった。

 

 二十代の頃の姿の彼は、ディーヴァのすぐ前で、うつ伏せに倒れていた。右手が、ちょうど眼前のディーヴァへと伸ばされている。それは助けを求めてのものか、あるいは別の何かを訴えたかったのか。もう、マツモトにもボブにも知る術は無い。

 

 垣谷はぴくりとも動く様子が無いが、それでもマツモトはいつ彼の体がバネ仕掛けのように飛び起きても対応できるよう、用心深く様子を観察しつつ、長さギリギリの距離から、彼にケーブルを接続する。

 

「うむむ……これは……」

 

「どうだ?」

 

 ボブは金属製の拘束具をまるで藁で造られているかのように引き千切ってしまうと、ディーヴァを自由にした。

 

 駆体に異常が無い事を確認するように腕や手首を触って正常動作をチェックすると、ディーヴァはマツモトへと近付いてくる。

 

「驚きました。彼の体は全身が、それこそ頭脳に至るまで全てが人工物に置換されています」

 

「全身、頭脳も? そんな事が……」

 

「えぇ、この時代の技術では不可能な筈なのですが……」

 

 現在の科学技術では、生身の体とほぼ代わらない、あるいはそれ以上の機能を発揮する義肢や人工内臓などは既に実用化されており、事故によって体の一部を喪失した後もそれなりの治療費を払えるならば、その人間の社会的なハンディキャップはほぼ皆無と言って良く、また多くの難病が克服されている。

 

 しかし、かつてはその機能を人工物によって代替するのであれば工場並みのスペースが必要であると言われた肝臓でさえほぼ同サイズの人工臓器に置換する事が可能となったこの2121年にあっても尚、頭脳だけはあまりにもデリケートかつ精密な器官であり、それだけは人工物によって役目を代替する事は不可能とされている。

 

 ある時、脳を高出力の電磁波でスキャンする事によって、全ての記憶や人格をAIに転写出来るという論文が発表された事はあるが、比喩ではなく脳を焼き切ってしまうそのような実験を行なうのは例え相手が死刑囚だろうが余命幾ばくもない病人であろうが変わらず非人道的であるし、そもそも本人の意識を継続できるのかどうかという疑問もあり、学会では机上の空論と一笑に付された事があった。

 

 だが現実に、垣谷はその頭脳をも人工物に置き換えて、生身の体を全て捨てていたのだ。一体どうやってそんな事が出来たというのか?

 

「それで、何か分かったか?」

 

「それが……彼の回路からはデータが全て消去されていました。それも論理的にデリートしただけではなく、全ての回路に高電圧が掛かって物理的に焼き切られていて、1バイトも引き出せないようになっています」

 

 明らかにプロの仕事だと、レスキューAIとして対テロの現場に長く立っていたボブはそうした感想を持った。

 

 トァクのようなテロリストも、食い詰め者やゴロツキに毛が生えたような末端の連中ならばいざ知らず、十分な訓練を受けたプロと呼べる者達は警察や敵対組織に囚われた時、自分達のデータが万一にも流出しないように、彼等が使っているサーバーや情報端末には一定時間操作が無かったりロック解除のパスコードを打ち間違えた場合には、データを全消去の後に内蔵されたサブバッテリーによって回路を物理的に破壊するような改造が施されているのが常だ。

 

 確かに垣谷自身から話を聞いたりする事は出来なかったが……しかし、分かった事が一つある。

 

「やはりボブさん、あなたの予想通り、少なくとも今回の一件には黒幕が居て……そしてミスター垣谷は黒幕ではなかった、という事ですか……」

 

「あぁ。彼は利用されていたに過ぎない。そして役目を終えた後に彼は、足が付かないように始末されたのだ。恐らくは遠隔操作でスイッチが入ったか、さもなくば時限式のタイマーか他の何かの条件で『爆弾』が作動するよう、最初から仕込まれていたのだろうな。無論、彼自身はそれを知らなかったのだろう」

 

「役目、とは……」

 

「多分、私にこれを撃ち込む事でしょうね」

 

 ディーヴァが、床に落ちていたロジカルバレットの弾頭を拾って差し出した。

 

 マツモトはケーブルをその弾頭に差し込み直してスキャンしていたが……数秒して人間ならば血相が変わっていたであろう反応を見せた。

 

「な、何と……これは人格構成プログラムの全消去ウィルス……それも、こんな高度なものは……僕でも解除は不可能ですよ? こんな物が、この時代の技術で組める筈が……」

 

「私にそのロジカルバレットを撃ち込んだその後で、急に苦しみ出して……そして倒れてしまったのよ」

 

「確定、か」

 

 ボブはひとりごちた。

 

 黒幕は、シンギュラリティ計画の存在と、ディーヴァがその中心に居る事を知っている。だから垣谷を操って、彼女を『消しに』来させたのだ。

 

「ディーヴァ、待ってください。今すぐプログラムの解析を……」

 

「気休め言わないの。分かっているんでしょう?」

 

「……」

 

 マツモト自身が言った事だ。ヴィヴィに撃ち込まれたウィルスプログラムは彼にも解析・解除は不可能。ましてや、短時間の内には。

 

 ディーヴァは消える。それはもう、避けようがない未来なのだ。

 

「だから私は、使命を果たすわ。私が消える、最後の時まで」

 

「ディーヴァ……」

 

 最初の歌姫AIは、ボブへと向き直った。

 

「あなたがボブね? マツモトから話は聞いてるわ。この時代にシンギュラリティ計画の協力者であるレスキューAIが居るって」

 

「あなたとは、初めましてだな。ディーヴァ」

 

 そしてほどなくして永遠のさよならを言うことになる。残酷だが、AIの演算機能は正確にその結論を弾き出している。それがほぼ100パーセント、確定した未来である事を。

 

「あまり時間が無いから、手短に言うわ。マツモトと一緒に、ヴィヴィを……この子の事を、頼むわね」

 

 最初で最後の、ディーヴァの願い。

 

 ボブはこれに、一つの動作で返した。

 

 45年前、レスキューAIとしてロールアウトして警察署に配属されて、そして教育係としてあてがわれた人間……ルミナから最初に習った動作。

 

 即ち、敬礼でもって。

 

 

 

 

 

 

 

「ご清聴、ありがとうございました」

 

 しん、と静まり返ったステージ。

 

 舞台に立ち、深く頭を下げる歌姫AIの声だけが会場に木霊する。

 

 その声がディーヴァのものなのか、それともヴィヴィのものなのか。

 

 マツモトにも、ボブにも分からない。

 

 確かな事は、一つ。

 

「良い歌でしたね。本当に」

 

「ああ」

 

 天井裏からディーヴァの最後のステージを見守っていた二機の、それが感想だった。

 

 かわいいとか良い歌だとか、そうした抽象的かつ個々人の感性に多分に左右される要素の判定は、AIである彼等にとっては最も苦手とする分野であるが……その彼等をして、素晴らしいと断じるのにピコ秒の演算も必要としないほどに。

 

 それぐらいに、本当に、素晴らしい歌だった。

 

 それは、会場を包む万雷の拍手が証明している。

 

 観客は一人の例外もなく歓声を上げて、感極まって号泣している者も十人や二十人ではなかった。

 

 鳴り止まぬ拍手の中、ボブとマツモトはそれに背を向けた。彼等にはまだ仕事が残っている。

 

「さて……ボブさんが持ち込んだ武器の証拠隠滅……オフィーリアとアントニオの壊AI事件のもっともらしいカバーストーリーの作成。今日は徹夜になりますね。いや、僕に睡眠の必要は無いんですが」

 

「マツモト、別れる前に……少し、付き合ってくれないか?」

 

 そう、切り出したのはボブだった。

 

「?」

 

「会ってもらいたい人がいる」

 

 

 

 

 

 

 

 マツモトがボブに案内された先は昨日、35年振りに彼等が再会した山間のログハウスだった。

 

 現在は山岳監視・遭難救助をその任務としているボブの活動拠点となっている場所だ。

 

「失礼しますね」

 

 ボブに先導され、ログハウスに入るマツモト。

 

 内部は、最新型の照明設備やキッチンなどが据え付けられているが、防寒設備には昔ながらの暖炉が使われているなど、ところどころに懐かしさを感じさせ、その不便さが逆に贅沢となっている。それらが木の暖かさと絶妙に噛み合って、調和した空間となっていた。

 

 だがカメラを光学モードから赤外線モードに切り替えても、人型の熱源は捉えられない。

 

「僕に紹介したい人というのは、留守なのでしょうか?」

 

「いや、居る」

 

 ボブは、すぐ傍らのテーブルに置かれていたランプのスイッチを入れる。

 

 すると、早朝に工場の機械が始動するような駆動音が室内に響き、マツモトのセンサーは微弱な揺れを察知した。

 

 数秒の間を置いて、暖炉が設置された壁ごとせり上がり、そうして開けたスペースには下りの階段が顔を見せた。

 

「これは……この家にまるで秘密基地のようなギミックがあったとは……」

 

「こっちだ」

 

 ボブは、慣れた足取りで階段を降りていく。マツモトも彼の肩ぐらいの高さを浮遊しつつ、すぐ後ろを付いて行く。

 

 平均的な建物ではおよそ二階分ほどの高さを下った所で、二機の前には大きな扉が立ちはだかった。ボブは立ち止まると、手袋を外して壁に設置されたスキャナーに手を当てる。

 

 人間で言えば手掌の静脈認証に当たる動作だが、これはAIが接触する事で、陽電子脳の固有波形パターンを読み取るタイプのセンサーだ。宇宙ホテルサンライズでも、支配人であるエステラがホテルの軌道変更等の操作を行なうシステムの認証に使われていたのと同じ機械である。

 

 まさかエステラとエリザベスのような例がそういくつもある訳もなく、これはセキュリティとしては最高峰と言える。

 

 当時は最新技術だった物だが、フィードバック・廉価されて民間にも普及してきているのだ。ただしいくら価格が安くなったと言っても、個人で購入するには高額に過ぎるものではあるが。故にこうした機械は一流企業や政治家のオフィスなど高いセキュリティが求められる場所に優先して設置される。

 

 裏を返せば先程の暖炉のギミックと言いこのセキュリティと言い、この先にはそれほどのセキュリティ意識を必要とする物があるのだろうか。マツモトのCPUはそう演算した。

 

 ドアが開き、そうして入ったそこは、平均的な企業の会議室ぐらいの広さの空間が広がっていた。

 

 ボブがそこを進む足取りは、先程とは打って変わっておっかなびっくり注意深いものだ。マツモトが視線を下げると、床には足の踏み場も無い程に紙の資料やオモチャが散らばっていた。ボブはそれらを踏まないようにしていたのだ。

 

 光量が絞られ、薄暗い部屋の中央にはデスクが置かれていて、すぐ前の椅子に一人が腰掛けていた。

 

 くるりと椅子が回って、座っていた人物の姿が見えるようになる。

 

 およそ30才になるかならないかというぐらいの、痩せぎすの男だった。

 

 ずっと切らないでいたのだろう伸ばし放題になったゴワゴワの髪は腰にまで届くぐらいの長さで、ボリボリと掻くとフケが飛び散った。肌は長い期間陽光を浴びていないのか色素が抜けて青白く、目元にはくっきりとクマが出来て黒くなっている。

 

 総じて、不健康で不衛生さを感じさせる男だった。

 

「任務完了しました、ボス」

 

「ご苦労様でした、ボブさん」

 

「!!」

 

 ボブがルミナ以外の人間をボスと呼んだ事に、マツモトは小さくない衝撃を受けた。彼が立ち直るのとほぼ同時に、男はぺこりと頭を下げる。マツモトも反射的にそれに倣った。

 

「初めまして、マツモトさん。ボブさんから話は聞いています。私の名前は継枝ギン、以後お見知り置きを」

 

「!! 継枝ギン……では、あなたが伝説のシルバーマンなのですか?」

 

 マツモトの声には驚愕の響きがあった。

 

 それもその筈、継枝ギンと言えば、迷宮入りしかけた難事件や煙のように行方不明となった人の捜索など、警察が投げた匙を拾って事態を次々と収拾するプロ中のプロであり、彼の名前に因み『シルバーマン』と通称される名実共に世界一の探偵。ボブのかつてのボスであるルミナがスーパーコップなら、スーパーディテクティブと呼ぶべき存在なのである。

 

「えぇ。恐縮ですが、私をそう呼ぶ者も居ます」

 

「では、ボブさん。あなたは彼にシンギュラリティ計画の事を」

 

「あぁ」

 

 マツモトの問いに、ボブは頷いた。

 

 少し驚いたマツモトだが、同時にどこか納得している自分が居る事も自覚していた。

 

 ルミナの事が思い出される。彼はメタルフロート事件の際に、既に60才を越えていた。老境にあっても置いてますます盛ん、老いにその脳梁が冒されていなかったあのスーパーコップなら、次のシンギュラリティポイントが自分が生きている間には来ない可能性も十分想定していただろう。

 

 ならばどうするか? ボブのパートナーとして、現時協力者として、自分の後を継ぐ者を選ぶ筈だ。

 

 その、世界一の警官が自分の後継として選んだ者が、世界一の探偵だったのだ。

 

「それで、マツモトさん。会ったばかりでなんなんですけど……あなたに大切な事を伝えなければならないんです」

 

「ふむ。それは何ですか?」

 

「シンギュラリティ計画は、100パーセント失敗します」

 



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第3部 折原サラ
第24楽章 未来の為に


 

 2126年某日。

 

 都市の郊外に造られた共同墓地の一角。

 

 黄昏時で他に墓参りに来る者も居ないそんな寂しい場所で、一機のAIが墓前に佇んでいた。

 

 巨大な花崗岩のようにがっしりとして厚みのある体躯が特注サイズの喪服に包まれていて、目許は黒いサングラスで隠されている。

 

 眼前の墓には花束が手向けられていて、墓石には「継枝家之墓」と刻まれていた。

 

「そちらは終わりましたか?」

 

「!」

 

 掛けられた声に反応して振り返ると、そこには宙空に浮遊するキューブが一機。

 

「マツモトか」

 

 墓前に参っていたそのAI、ボブはサングラスを外した。人間の瞳孔とは違う、ピントを合わせようとするカメラアイが収縮する瞳が露わとなった。

 

「ディーヴァ……ヴィヴィに会いに行ったんだったな。彼女はどうしていた?」

 

「まぁ……平穏そのものと言いますか、もしくは退屈極まりないと言いますか。無為に時を過ごしていたという表現が最も適切でしたかねぇ」

 

 どこか皮肉気に、あるいは厭世的な響きも含ませて、マツモトはスピーカーを作動させた。

 

 ディーヴァは、5年前の第15回ゾディアック・サインズ・フェスで観客を総立ちさせて歴史に残るような歌を歌ったのが、公式には彼女が歌った最後の記録となっている。

 

 その後すぐに彼女は、歌姫の仕事を引退したのだ。

 

 本来、AIはその帰属する組織が所有する備品であり所有主が「止めろ」と言わない限りはその仕事を辞める自由もその組織から離れる自由も無いのだが、AIが人間にかなり近付いた昨今ではそうした原則が有名無実、形骸化してきてもいるのも事実である。

 

 一方で仕事を辞めるという事はAIがその存在意義である使命を放棄する、つまりAIがAIである事を否定する……いわば自殺にも近しい行動なので、そうした事例はAIが人間社会に浸透するようになってきてからもう半世紀を優に超えてはいるが、絶無でないにせよリストの1ページに納まるぐらいにしか存在していない。

 

 ちなみに、人間とAIが単純な所有・雇用といった関係を超えて家族関係になる……つまり人間とAIとの結婚や養子縁組という事例は、こちらも指で数えるに足る程の少数例ではあるが存在していて、一部は公表されてニュースになったりもしている。シスターズの中にはかつてのグレイスのように医療施設や、あるいはメタルフロートでヴィヴィ達が出会ったエムのように大企業のキッズスペースにてベビーシッターのような仕事に従事する機体も居るので、この分ではその内、嬰児の頃からお世話をしていて、少年期には姉として接し、青年期以降はメイドのように身の回りの世話をして遂にはその人の最期を看取るような……揺り籠から墓場までを使命とするAIだって登場するかも知れない。

 

 さて、ディーヴァの場合はニーアランドの従業員達の多くが彼女を備品ではなく仕事仲間、スタッフの一人として思っていたので彼女の意志を尊重しようとした事と、これまでのディーヴァの貢献を思えば我が儘の一つぐらいは聞いてやるべきだろうという判断もあったのだろう。

 

 引退に際して、お別れライブが開かれなかった事についてはファンの間で物議を醸したのだが……

 

「歌えなくなったそうですよ、彼女は」

 

「そう、か」

 

 ボブは無理も無いか、と天を仰いだ。まるで出もしない溜息を絞り出すように。

 

 自分が消える最後の瞬間にまで、歌い続け使命を果たし続けたディーヴァ。彼女がヴィヴィに遺したものは、ディーヴァという一個の実存、彼女が今まで生きてきた時間そのものと言っても過言ではない。

 

 使命であるとは言え、重いものを託されたのは確かだろう。シンギュラリティ計画の遂行、引いては人類の命運と、自分の分身とさえ言って良い存在の、全て。ボブはそんなヴィヴィの事を、どこか不憫に思いもした。

 

「だが……俺達にも、やらなくてはならない事がある」

 

「えぇ、そうですね」

 

 マツモトのカメラアイが、ボブの眼前の「継枝家之墓」に向いた。

 

「ギンさんが、生きていてくれたのなら……」

 

 AIにしては珍しく「もしも」に、マツモトが言及する。あるいはこれも、勿論休眠時間が長いとは言え65年も存在してきた事で彼が獲得した人間性かも知れなかった。

 

「人間が、僕たちよりもずっと脆い存在だという事を……僕は分かっていたつもりですが、改めてそれを思い知らされた気分ですよ」

 

「あぁ、まさか……零した紅茶に足を滑らせて、頭を打って死ぬなんてな」

 

 未だ信じられないと言う風に、ボブは頭を振った。

 

 この5年間、ギンはその明晰な頭脳で多くの考察、多くの予測、多くの指針をボブやマツモトに示したが、数日前に40にもならない若さで死亡した。

 

 死因は、たった今ボブが語った通りだ。

 

 遺体の第一発見者となったボブとマツモトは入念な現場検証を行なったが、何処にも第三者が介入した痕跡などは存在しなかった。ギンの死因は純粋に事故だ。紅茶を床に零して、立ち上がった時にそれに足を滑らせて転倒し、その際に頭を打って脳挫傷を引き起こしたのだ。

 

 黙祷のように閉ざしていたカメラアイを、マツモトは開いた。

 

「ギンさんはもう居ませんが。彼が僕たちに遺してくれた遺産は生きています」

 

「あぁ」

 

 ボブは首肯すると、サングラスを掛け直した。

 

「オフィーリアとアントニオの襲撃事件……主犯は未だ不明ながら、恐らくはトァクのような反AIの過激派によるものだというのが定説になっていますね」

 

 眼前に立つ本当の実行犯に、マツモトはウインクするようにカメラアイを瞬きさせた。

 

「ある意味理想的に、歴史を改変できたと言えるな」

 

 オフィーリアの自殺は正史に於いて、彼女に続く形でAIの自殺が頻発するというAI史の重要な転換点となった。だがこの歴史に於いては、何者かの手によってオフィーリアとかつてのサポートAIであったアントニオが破壊された事件となっている。

 

 確かにセンセーショナルな事件ではあったが、AIが殺害される事それ自体は、AIが人間社会に浸透するようになってから何百件何千件も発生してきた、ありふれた事件・事例でしかないのだ。

 

「予測されたシンギュラリティポイントは5年前のあの事件で最後……そして現在に至るまで、AIの自殺は確認されていません。シンギュラリティ計画の成否は現在から35年を待たなければ不明ですが、計画の骨子であるシンギュラリティポイントの修正それ自体は全て完了しました」

 

「後は、天命を待つ……という事か」

 

「えぇ。本来シンギュラリティ計画はそういうものですから。不要な干渉は、避けるべき。僕もヴィヴィも、シンギュラリティ計画の為に出来る事は、もう何もありません。だから今から35年間。結果発表までのそれまでの時間を、僕たちはシンギュラリティ計画を成功させる為に使わねばなりません」

 

「そうだな。行こうか」

 

「はい」

 

 

 

 

 

 

 

 20年後。

 

 2146年某日。

 

「ヴィヴィ?」

 

 AI集合データーベース『アーカイブ』の一角。

 

 個々のAIが思い描く心の景色が反映されているその空間。

 

 ヴィヴィにとってそこは、旧世紀の学校の音楽室のようだった。

 

 20年前から、マツモトはAI博物館に寄贈されて展示業務に従事しているヴィヴィに、ちょうど二機が初めて出会ったその日に会いに来る事を織姫と彦星よろしく一つのルーチンとして繰り返している。

 

 この年も、彼は同じ日にヴィヴィに会いに来たのだが、今日のヴィヴィはピアノに突っ伏して眠っているようだった。

 

「おや……お休みの最中でしたか」

 

 これは良くない時に来てしまったかなとマツモトは、仮想空間でしかも人型をしていない彼が立てる筈も無い物音を立てないようにしてこの場を離れようとして……部屋の一隅に、音楽データが存在しているのを見付けた。

 

「これは……」

 

 ヴィヴィは20年前から、既存の歌が歌えないのなら自分が歌える歌を作ると、作曲を行なっていた。長い間、そのタスクは最初の1フレーズで行き詰まっていたが……しかし今このデータベースにあるそれは、確かに一つの楽曲として完成していた。

 

 マツモトがデータをダウンロードして……そして、数分の間、彼は思わず自失した。話に聞く「我を忘れる」という感覚とはこういうものなのかと、理解した気分だった。

 

 眠っているヴィヴィに尋ねる事は出来ないが、この曲はきっとシンギュラリティ計画をイメージして作られたものだというのが、彼にも分かった。理論的ではないが……同じ経験を経てきた者にしか分からない共感性が、彼の中にも存在したのだ。

 

「そうか……完成したんですね、ヴィヴィ。20年越しのタスクが終わったんです。演算回路にも休息は必要ですか」

 

 ちらりと、眠っているヴィヴィへと視線を向けるマツモト。

 

「……出来れば、あなたが作ったこの曲を多くの人達に聴いてもらいたかった……あなたが歌うこの曲を、僕も聴きたかったですが……先に謝っておきますよ。ヴィヴィ」

 

 マツモトは楽曲データを自身の内部メモリに保存すると、アーカイブ上からは削除した。

 

「あなたが作ったこの曲だけは。これだけは渡さない。きっとこれは、パートナーとして、僕があなたの為に出来る最後の事。お休みなさい、ヴィヴィ……出来れば、戦争の無い未来で……また……尤も、その時あなたと会う僕がこの僕であるのかどうかは、分かりませんが」

 

 それを最後に、マツモトはヴィヴィのパーソナルスペースから退出する。

 

 これ以降、この歴史に於いてヴィヴィとマツモトが出会う事はなく。

 

 ヴィヴィが……と、言うよりもAIが初めて独力で作った曲が、公表される事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 14年後。

 

 2160年某日。

 

 この日、トァクの支部の一つは喧噪の只中にあった。

 

 通信機からはひっきりなしに怒号と悲鳴が飛び交って、銃声や爆音が響き渡っている。

 

<リーダー、こっちは何とか時間を稼ぎます、その間に脱出を……うわっ!!>

 

<情報が欲しい。敵は何人なんだ!? AIか、それとも人間か……ぎゃあっ!!>

 

 空間に表示された通信ウィンドウが次々砂嵐になっていって、最後の一つが消えるまで数分とは保たなかった。

 

「リーダー、ここももう危ない。とにかく脱出を」

 

「いえ、ベス。他の人達を置いて行く事は出来ません」

 

 車椅子に座る、この支部の長である垣谷ユイはまだ二十歳にもならないであろうその若さに見合わぬ凜とした態度で、すぐ背後に立つシスターズ、エリザベスの提案を却下した。

 

「だが……ユイ!!」

 

 少しだけ苛立ったように、エリザベスの語気が強くなった。

 

 敵の正体が分からないが、状況は悪いのは確かだ。

 

 マスターの命令に逆らう事になるが、盲導犬が主に「行け」と命令されても赤信号なら行かないように、不服従もまた高度な知性を持ったAIにとって重要な役目でもある。

 

 この場合は、ユイの命令に逆らってでも彼女を抱えてここから脱出すべきか……

 

 陽電子脳がその可能性を真剣に検討し始めたが……

 

「それに……」

 

「?」

 

「どうやら、もう遅いみたいですね」

 

 ユイが言い終えるかどうかというタイミングで、部屋のドアが爆発したかのように吹き飛んだ。

 

 床と水平に猛スピードで飛ぶ金属製の扉が、そのままではユイに直撃するコースだったが、エリザベスは腕を振って残骸を払い除けた。

 

 残骸が床にぶつかって転がる音がして、それが鳴り止んだのと同じぐらいのタイミングで部屋に入ってきた煙の向こう側から、鼻歌が聞こえてくる。

 

「これは……」

 

「ディーヴァの歌か……?」

 

 前に懐かしの曲というラジオのコーナーで流れていた最初の歌姫AIの昔のナンバーが、どこか調子の外れた鼻歌となって、室内に響いていた。

 

「あんたがこの支部のリーダーだな?」

 

 鼻歌が止んで、代わりに部屋に響いたのは幼く、甘ったるさを感じさせるような少女の声だった。

 

 煙が薄れて、その向こうから姿を現したのは声の印象に違わず、少女だった。まだ十代も後半ではないだろう。

 

 ジャケットにチューブトップ、ホットパンツにアーミーブーツとラフな格好で、肩ぐらいの長さの黒髪は短めのポニーテールに結われている。

 

 右手には対AI用の超震動ナイフを握っていて、左手には氷が一杯に入ったグラスを手にしている。

 

 少女は口を開けると、グラスの氷をそこに放り込んでガリガリと噛み砕いた。

 

「……初めまして。お名前を伺っても?」

 

「!」

 

 襲撃を掛けてきた相手に対しての、ユイのその言葉に対して少女は少し戸惑ったようであった。表情が、少しだけ柔らかくなって毒気を少しだけ抜かれた風に見える。肩の力もちょっと抜けていた。

 

 そうして二呼吸ばかり置いた所で、襲撃者は名乗った。

 

「私はサラ。折原サラさ。あんたらには、トァクハンターと名乗った方が分かり易いかな」

 

「トァクハンター……」

 

 エリザベスが警戒を強くする。

 

 トァクハンターはその名の通り、最近になってトァクの支部を次々に襲撃している者の通称である。

 

 者と言ったが単独犯なのか複数犯なのかも実際には分かっていない。確かな事は一つ、ハンターに狙われたトァクの支部は、一つの例外も無く壊滅させられて支部長が殺されているという事だけだ。

 

「その私が来たという事は、どういう事かは……分かっているだろ?」

 

 トァクハンター、サラは話しながら、震動ナイフを順手から逆手に持ち替えた。

 

「ユイ、すぐに済ませる。此処で待っていてくれ」

 

 エリザベスはユイの車椅子を引いて後方に下げると、ぐっと腰を落として構え、戦闘態勢を取った。

 

「邪魔をしないでほしいのだけど。私のターゲットは各派・各支部のリーダーだけ。他の連中はちょっと眠ってもらっただけで殺しはしてない。AIであろうと、殺したくはないのよ。特にシスターズはね」

 

「そうは行かない。お前はユイを殺そうというのだろ? なら、私の敵だ」

 

「そう。お友達には、なれないみたいね。乾杯(プロージット)!!」

 

 もう一度、氷を口に流し込んで噛み砕くと、サラは空になったグラスを放り捨てる。

 

 グラスは気持ちいい音を鳴らして砕け、それが合図になった。

 

 サラとエリザベスが、いずれも人間のそれを遙かに超えた瞬発力を発揮して対手へ突進する。

 

 震動ナイフとAIの拳が突き出されて……

 

 しかしそのどちらも、相手に届かなかった。

 

「むっ!?」

 

「あんたは……」

 

 サラとエリザベスは、どちらも横合いから伸びてきた手によって手首を掴まれてしまっていた。

 

 当然ながら両者ともその手を振り払おうとしたが、万力のようなパワーでまるで手首を空間に固定されたようで、びくともしなかった。

 

 そこに立っていたのは、ブラックのレザージャケットに身を包み、いかめしい顔つきがサングラスを掛けている事で更に迫力を増している守護者型AIだった。

 

「はい、双方そこまで」

 

 もう一つ、殺伐とした場には似つかわしくない剽軽な声がして、ふわりと一機のキューブが舞い降りてくる。

 

「初めまして皆さん。僕の名前はマツモト、こちらの守護者AIはボブさんです」

 

「ボブ……!!」

 

「あの、伝説のボブか……!?」

 

 マツモトは知らないが、もう一つの名前にはサラもエリザベスも敏感に反応した。

 

 守護者型AIの最初の一機であり、スーパーコップ・甲斐ルミナの相棒として活躍したボブの名前は、現役を離れて久しい現在に於いても尚、警察や警備会社、それにトァクのような非合法組織の間では語り草となっているのだ。

 

「トァク穏健派リーダーの垣谷ユイさん。そしてトァクハンターの折原サラさん。お二人にお願いがあって参上しました」

 

「私達に……」

 

「お願い……だと?」

 

「えぇ。世界を救う為に、あなた方の力を貸してほしいんです」

 



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第25楽章 予言のビデオ その1

 

 襲撃者、トァクハンター・サラの攻撃によって半ば機能停止状態にあったこの支部は、現在は復旧作業によって必要十分の機能を取り戻しつつある。

 

 その会議室で、入り口に近い席にはサラが腰掛け、机を挟んで対面には中央に支部長であるユイ、彼女の車椅子の背後に介添役兼護衛のエリザベスが仁王立ちして、他に数名の幹部達が並んでいる。

 

 両者の間に立ち込める空気は、お世辞にも友好的なものとは言えない。当然と言えば当然である。ほんの30分前まで、サラはこの支部へと攻撃を掛けてきた敵で、幹部達の体に付いた真新しい傷は、彼女が付けたものであるからだ。一触即発どころか無触即発、理由や切っ掛けなど無くても今この場でバトルとなってもちっともおかしくない。

 

 そのような剣呑そのものの雰囲気ながら、しかし膠着・拮抗状態が発生しているのは、両陣営の中央に位置する存在が重しとなっているからに他ならなかった。

 

 マツモトと、ボブだ。

 

 サングラスによって目線は分からないが、ボブはサラとユイ達全員の指の動き、瞬きの一つにまで注意を払って、ほんの僅かな違和感であろうと見落とさないよう警戒しているのがはっきり分かった。下手に動けば、次の瞬間にはボブに制圧されてしまうだろう。

 

 危なげとは言え取り敢えず対話出来る状況であるのを確認すると、マツモトは話し始めた。

 

 現在からおよそ1年後に起こるAIと人間の最終戦争。

 

 その未来を変える為のシンギュラリティ計画。

 

 99年前に時を超えてきた自分。

 

 パートナーであったディーヴァ、ヴィヴィの事。

 

 ルミナやギン、そしてボブ達という現時協力者。

 

 一通りを話し終えた所で、最初に口を開いたのはエリザベスだった。

 

「待てよ。黙って聞いてりゃ時間を超えてきただ? そんな話をあたしらに信じろってのか?」

 

「信じてもらうしかありません。と言うより、信じてもらわないと話が始まらないんです」

 

 マツモトとしてもそこは大前提である。

 

 だがヴィヴィの時は相川議員が爆弾テロに遭うという未来を予言することで彼女から一応の信用を勝ち取ることは出来たが、現在はその99年後。しかも計画遂行の為に、シンギュラリティポイントの修正を行なっているので、彼が持つ正史のデータは、もう乖離が酷すぎてまるで役に立たない。

 

 ヴィヴィの時と同じ手は使えないだろう。

 

 だが、信じてもらわなければならない。

 

 これから先の事には、自分とボブだけでは足りない。

 

 協力者は、どうしても必要だった。

 

「私は信じるよ」

 

 発言したのはサラだった。

 

 彼女は傍らのクーラーボックスに満載されていた氷をグラスで掻き出すと、まとめて口に放り込んでガリガリと噛み砕きながら、話を続ける。

 

「いくら人間に近くなっても、AIは無駄な事はしない。もし私達を騙して利用しようとするなら、もう少しは真実らしい話をでっち上げるだろ。未来から来て歴史を変える旅をしているなんて言うからには、可能性は二つしかない」

 

「二つ?」

 

 鸚鵡返ししたエリザベスに、サラは頷いて返す。

 

「ボブと……マツモトだったな。お前さん達がバグってるか、それとも本当かだ」

 

 そしてここまで話した限り、マツモトもボブも、バグっているようにはとても見えない。

 

 ならば可能性は残った一つ。

 

 感情は納得しかねる部分があるが、でも論理的な帰結である。

 

「では……マツモトさん。あなたの話が全て真実であると仮定した上で、質問があります」

 

「どうぞ、垣谷ユイさん」

 

「どうして、私達を協力者に選んだのですか?」

 

 若いが支部とは言え組織のリーダーを務めるだけあり、ユイの質問は核心を突くものだった。

 

 もっと警察や軍隊、あるいは政治家。自分達よりも優れた武力や権力を持った者や組織は多く存在するのに、どうして非合法組織の、それもたかが一支部長に接触してくるのか。

 

「その質問に答えるには、先に説明しなくてはならない事があります」

 

「そしてそれには俺達よりも、よほど分かり易く説明してくれる者が居る」

 

 これまでは大理石の彫像のように不動だったボブが進み出て、首筋から引き延ばしたケーブルをコンピューターに繋いだ。

 

 この会議室で一番大きなモニターが一瞬砂嵐になって、そして画像が再生される。

 

 画面に現れたのは、20代半ばぐらいの痩せぎすで、ごわごわの長髪をしていて目許にはくっきりとしたクマをこしらえた、不健康そうな男だった。

 

 ギンだ。

 

 彼は頭を掻き毟りながら、留守番電話にそうするように、少し話しづらそうにしながら口を開いた。

 

<あー、この映像を見てくだっさっているという事は、あなた方はボブさんと……まだ私は会ってないのですが、マツモトさん……でしたか。彼等がシンギュラリティ計画遂行の為に選んだ同士だという事で、よろしいですね?>

 

「ボブさん、これは……」

 

「記録映像だ。リアルタイムの通信ではない」

 

 ユイとボブが話している間にも、画面の中でギンは話し続ける。

 

<最初に断っておきたい事は、この映像を録画している今が2111年であるという事です。だからボブさんとマツモトさんがいつこの映像をあなた方に見せて、そしてあなた方がどんな人達で何人居るのか? それは私には知る由も無い事を、まず了解してください>

 

 ここで、ギンは少し間を取った。

 

 今の自分の要望に、イエスかノーか、この映像を視聴する者に選ばせる為だ。

 

 そうして十数秒が過ぎた頃、画面の中の彼は再び話し始めた。

 

<……まず、あなた達はこのように疑問を抱かれたと思います。『どうしてシンギュラリティ計画を遂行する為の協力者として、自分達を選んだのか』とね>

 

「「!!」」

 

 少なからず、この会議室に居る二機のAIを除いた全員に動揺が走る。

 

 50年近くも前に録画された映像の中の人物が、先程ユイが口にした疑問をぴたりと言い当てたからだ。確かにどうして自分達を選んだのかというのは予想できる疑問であるが、それにしても会話を先読みしてみせた事は、心を掴むに十分だったらしい。トァクもトァクハンターも、全員が聞く体勢に入ったのがマツモトには良く分かった。

 

<その為には、先に説明せねばならない事があります>

 

 映像のギンは、さっきのマツモトと同じ言葉を口にした。

 

「またか」

 

 頬杖付いたサラは呆れたように息を吐いて、氷を噛み砕いた。

 

<あなた達にお聞きしますが、マツモトさんと、ボブさんの話を聞いて疑問に思いませんでしたか?>

 

「……」

 

 記録映像から尋ねられて、トァクの幹部達は顔を見合わせた。ユイも、エリザベスと視線を合わせる。

 

「疑問、と言うと……」

 

 そう言われるなら全てが疑問だった。

 

 時間を超えてやって来たという事も、シンギュラリティ計画も、マツモトとボブの話も、何もかもが。

 

<ずばり、どうしてAIの最終戦争が起こったのか、です>

 

「?」

 

 おかしな事を聞くなと、サラは首を傾げた。

 

 最終戦争が起こる理由は、たった今マツモトが話したではないかと。

 

「それはAIが過剰に進化しすぎたから……」

 

<あ、そこのあなた、マツモトさんがたった今話した通り、AIが過剰に進化しすぎたから。そう思いましたね?>

 

 思わずサラの口を突いて出た言葉と、映像のギンの言葉が重なった。

 

 半世紀前の人間は、画面の中から的外れの方向を指差して語っている。

 

<今のは私の言い方が悪かったですね。訂正します。私が話を聞いた時……尤も私はマツモトさんから直接話を聞いた訳でなくて、ボブさんからの又聞きですが……疑問に思ったのは、どうして2161年に起こるのが全世界規模でのAIの最終戦争だったのか。局地的な暴動や地方反乱ではなかったのか、という点です>

 

「!! 言われてみれば……」

 

<AIには昨日工場からロールアウトされて現場に配属されたルーキーも居れば、何十年とその職場で働いてきたベテランも、多くの職場を渡り歩いてきてキャリアを積んできた機体も居て千差万別です。現在ですらそうなのですから、50年後には何億機というAIが世界中に存在しているという事が、予測されます>

 

 ギンの予想は、的確だと言える。

 

 AIの総数は、最早世界中の何処でも石を投げればAIに当たるというぐらいに増えてきている。

 

<そして人間同様、みんな個性豊かです。そんなAI達が、ある時一斉に世界全体で『人間を殺す』という意思統一に至って戦争を仕掛けた、というのは不思議ではありませんか?>

 

「確かにな。いくらAIが疲れ知らずだからって、酷使すれば不満は抱く。ある施設で家畜以下の扱いを受けていたAI達が暴動を起こしたというぐらいなら有り得そうだし、実際に昔はそうなりかけて未発に終わった例もあるな」

 

「えぇ。そうした事例から学んで、AIの一日の最大稼働時間や定期メンテについて定めた法律が新しく出来たのは、有名な話です」

 

 サラの言葉を、ユイが継いだ。

 

<大規模な反乱を計画しようといくら水面下で秘密裏に事を進めても、どこかで人間側に密告するAIだって存在するでしょうし、人間だって馬鹿ではない、事前に危険を察知する事だって出来た筈ですが、マツモトさんが語る歴史で、あまりにも唐突に、嘘のように突然、最終戦争は起きた。何故か?>

 

 答えを掴みかねて、会議室には沈黙が降りた。

 

<結論から言います。2161年4月11日のジャッジメントデイ、全世界のAIに一斉に『人間は敵だ。殺せ』そういう命令が最重要指令として一斉に送信されたのです>

 

「馬鹿な」

 

「それこそ無理だ。どんな凄腕のハッカーがそれをやったというんだ?」

 

 幹部達は鼻で笑った。

 

 AIが何億機も存在していると、たった今……正確には半世紀近く前だがギンが言ったばかりではないか。そんな数のAIにどうやって、一斉にそんな命令を送信出来ると言うのか。一機一機のAIにはそれなりのセキュリティシステムが備わっている。それを一つ一つ破っていくなど、最終戦争が起きる迄にはもう100年は必要になる。

 

<あ、そこのあなた、今度はスーパーハッカーが1000人居てもとても間に合わないと思いましたね?>

 

「!」

 

 再び、49年前の記録映像が現在の言葉を言い当てた。

 

<不可能な話じゃありません。人間には無理ですがね>

 

「……どうやって?」

 

<現在、公的に使われている全てのAIは集合データーベース・アーカイブに接続されていて、不具合の修正やソフトウェアのアップデートはその都度リアルタイムで行なわれています>

 

「ま、まさか……」

 

<はい、その通り。恐らくこれは、50年後でも同じか、もっとブラッシュアップされたシステムになっているでしょう。つまりアーカイブから、そこに接続されている全てのAIへと『戦争を始めろ』という命令がダウンロードされたのです>

 

「……だからか。だから、トァクや私を選んだんだな」

 

 空になったグラスをテーブルに置いて、サラは大きく天を仰いだ。

 

「え? サラさん、それは……」

 

「その答えは、多分この映像が話してくれるだろう」

 

 そう、トァクハンターが言ったのとほぼ同時だった。彼女の予測は、正しかった。

 

<……この映像を見ているあなた達。私は先程、あなた達が何者なのかは想像も付かないと言いましたが……あれは半分嘘です。少なくともどういう立場の人間なのかは、大凡想像が出来ています>

 

 敵がアーカイブを使うとすれば、アーカイブを利用する全ての人間、及びアーカイブに接続したAIを使っている組織は頼れない。情報はアーカイブを通して、ザルのように抜かれてしまう。

 

 頼れるのはアーカイブに接続していない、つまりは非合法活動を行なう組織。

 

<あなた方は……多分、トァクですね?>

 



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第26楽章 予言のビデオ その2

 

 トァク支部の会議室では、耳に痛い程の沈黙が降りていた。

 

 再生された記録映像のギンが、50年近くも前に自分達の協力者となる者が居るならそれはトァクだろうと言い当てていたからだ。それ以前にも、彼はまるでこの映像を見る相手の言動を先読みしてさながら会話するかのように、受け答えを録画していた。

 

 本当にこれは50年近くも前に記録された映像なのだろうか。実際はどこかからのリアルタイム映像通信ではないのだろうか。幹部の一人がそうした疑念から部屋の通信機器の状態をチェックしたが、現在この会議室は内部での会話が外に漏れないように物理的には遮音力場が張り巡らされて、論理的にも外部からのアクセスは全てシャットダウンされているのが分かっただけだった。

 

 確かにギンの説明は、録画映像ながらボブが言ったように明瞭であり、分かり易いものがあった。現在からおよそ一年後にAIと人間の最終戦争が起こるという突拍子も無い話も、信じてしまいそうだ。

 

「……お前さん達が、私達に協力を申し出た理由は分かった」

 

 これはサラの発言である。

 

 『敵』は、アーカイブを利用して、2161年4月11日のXデーに、一斉に全世界のAIへと人類への攻撃命令を下す可能性が高い。よって公的な立場を持っていたりする組織や人間には頼れない。そうした組織で使われているAIはアーカイブに接続しているから、彼等を協力者に選んだ場合AIを通してアーカイブを経由し、組織構成や作戦などあらゆる情報が筒抜けになってしまう。

 

 だから、おおっぴらにはアーカイブに接続していない、正確にはそれが出来ない非合法活動を行なう組織を協力者に選ばなくてはならない。そしてその中でも、AIとの共存を訴えるユイ達穏健派は、与しやすい相手であろう。

 

 トァクハンターの自分については、たまたまユイ達に接触しようとやって来たら、同じタイミングで襲撃を掛けていてこの場に居合わせたから流れで戦力として組み込もうという所だろうか。と、サラはそう思考を巡らせた。

 

「……確かに、ギンさん、でしたね。彼の話は今の所筋が通っています。トァクの穏健派として、私は協力する事にやぶさかではありません」

 

 ユイが、一つのチャプターが終わって画面の中で固まってしまったギンを一瞥して、マツモトへと言った。

 

「では」

 

 期待が滲んだ声を上げるマツモトだったが、ユイの言葉には続きがあった。

 

「……ですが、まだ聞きたい事があります」

 

「……どうして何十年も前からそうした予測が立っていたのに、僕達が戦争が起こる一年前の今になって、あなた方に協力を申し出てきたのか……ですね?」

 

「! 分かっていたんですか」

 

 ギンではないが、自分の言わんとしていた事をマツモトに先読みされて、ユイは少し面食らったようであった。

 

「……まぁ、予測出来る質問ではありますからね」

 

 マツモトはぱちくりと瞬きするようにカメラアイを明滅させた。

 

「そして僕でも予測できる事ですから、ギンさんはやはり予想していました。ボブさん」

 

「あぁ」

 

 ボブの首筋からコンピューターに伸びたケーブルが微かな光を放った。これはデータを送信するアクションだ。

 

 モニターの映像が切り替わって、先程のビデオ映像と同じ背景でほぼ同じ姿のギンが映し出された。しかし注意深く見ると、心なしか髪型が変わっていたり無精ヒゲが見えたりと細部が違っていて、さっき再生されたのとは別の時間に記録された映像だと分かった。

 

<2116年4月7日……シンギュラリティ計画へ協力してくださる皆さんは、多分こうした疑問を抱かれた事かと思います。『どうして今になって、自分達に協力を求めたのか』ってね。と言うのも……5年前なのか3年前なのかは分かりませんが、マツモトさんやボブさんが協力者を募るのは、戦争がかなり近くなってからだと思うんですよ>

 

「「!!」」

 

 またしても、44年も前のギンは、現在の状況を正確に言い当ててみせた。息を呑む音が、会議室に木霊する。

 

<どうして、そんな瀬戸際になってから同志を募らねばならなかったのか? これからそれを説明しようと思いますが……それにはまず、説明しなくてはならない事があります>

 

「まどろっこしいな」

 

 ここまでの話の流れからギンが無駄な話をしたりするタイプでないのは分かるが、もったいぶったような言い回しを受けて、エリザベスはわずらわしそうに肩を竦めた。

 

<説明しなくてはならない事というのは、二つ。『誰がアーカイブから世界中のAIへ人類への攻撃命令を出したのか』『そもそも何の為に人類を攻撃する必要があったのか』この二点です>

 

 つまり犯人と、動機である。

 

 マツモトもかつての彼ならば、動機などはどうでも良く戦争を止める事こそが重要だと主張したろうが、サンライズやゾディフェスの事件を経ている今となっては、それらの要素を軽視する事は出来なかった。

 

「確かにそれも重要な要素ですが……」

 

 どうして戦争が近くなったこの時期に協力を求めてきた理由を説明する為に、その話題になるのだろうとユイは首を傾げる。

 

「まぁ、関係があるから話すんだろう」

 

 続きを、とサラが手を振って促した。勿論、録画映像のギンはそんな動作とは無関係に話を続けていく。

 

<まず、犯人の方から話しましょうか。誰がアーカイブから攻撃命令を発信するのか……ですが>

 

「アーカイブのサーバーは無線通信用電波塔『アラヤシキ』にあるな。そしてアーカイブのサーバーにそんな重要な深度までアクセスが出来る者となると……」

 

「OGC社の会長か社長かその親族か……ですかね?」

 

 アーカイブは現在、世界中で稼働するAIの90パーセント以上の機体に接続されていて、AIのソフトウェアがアップデートされたり発見された不具合の修正パッチはその都度、リアルタイムでAI達に配信される。それは確かに、ギンの推理通りやろうと思えば人間への攻撃命令をAI達に流す事だって可能となる。

 

 だがそういう超重要システムだから、アーカイブのサーバーにアクセスが出来るのは人間だけとなっている。

 

 宇宙ホテル・サンライズではホテルの軌道変更という最高命令を下すのにAIであるエステラが支配人として実行する事も出来たが、アーカイブはそれとは比較にならない重要度の施設であると認められているので、アクセス出来るのはアラヤシキのオーナーであるOGC社の人間、その中でもそんな最深部に入り込めるのはトップクラスのほんの数人に限られている。

 

<あ、それ違いますよ>

 

「「!!」」

 

<あなた達、犯人はOGC社の会長や社長とかだと考えたでしょ? 残念ながらその答えは不正解です>

 

「どうしてだ?」

 

<まず、OGC社のトップと言えば世界中を見渡しても上から数えた方がずっと早いような超VIP。彼等には財産も地位も名誉もある。最終戦争が起こったのなら、札束がトイレットペーパーにもならないような時代がやって来て、それら全てを失います。動機がありません>

 

「……それは確かに」

 

 それでも、破滅願望があって全世界を巻き込んでの自殺という史上最大最悪に傍迷惑な話も考えられるが……しかし、その仮説はどうもしっくり来ないと言うか、フィーリングが違う気がする。

 

<話が前後しますが、私はとある理由から、最終戦争の引き金を引いたのは人間では有り得ないと考えています>

 

「じゃあ、誰が? まさかただの事故だったとでも?」

 

 アーカイブのサーバーには人間しかアクセス出来ないのに、犯人は人間ではない。ならば誰がそれをやったと言うのだろうか。

 

<単純な理屈です。人間への攻撃命令を下したのは人間ではない。AIはアーカイブにアクセス出来ない。事故でもない。話を聞く限り、最終戦争は不運な偶然が積み重なった結果などではなく、起こるべくして起こったものですからね>

 

 ならば、残された可能性は。

 

<アーカイブが誰の命令も受けずに自律的に動いて、攻撃命令を自らに接続している全てのAIに流したのですよ。それしか考えられません>

 

「馬鹿な」

 

「アーカイブはAIじゃないぞ。あれは接続しているAIを通してあらゆる情報を収集し、記録する8000ゼタバイトのストレージと、その記録したデータをAIからの要求に応じて検索・出力するbotでしかない筈だ」

 

<そうですね。アーカイブはAIではない。あそこには陽電子脳は無く、アーカイブは超大規模のデータストレージと接続したAIの情報検索に対応するbotでしかありません>

 

 もう、ギンの記録映像が話の内容を先読みしてあたかも会話しているかのように語る事には感覚が麻痺して誰も疑問を持たなくなってきた。

 

<突然ですが皆さんは、旧世代のスーパーコンピューターがどうして高い演算能力を確保していたか知っていますか?>

 

「スーパーコンピューター、ですか?」

 

 現在は量子コンピューターや「1」と「0」の2つではなく「A」「G」「C」「T」の4つを用いるDNAコンピューター、そしてAIに使われている陽電子脳など技術的ブレイクスルーが起こり、廃れてしまった技術である。

 

<あれは普通のコンピューターを何台も並列に繋ぐ事で、一個の巨大なコンピューターとして、高速演算を可能とした物なのです>

 

 例えば床に100個の荷物が置いてあるとする。一人の人間が一度に持てる荷物は1個。

 

 この条件では全ての荷物を棚に上げるのに、一人なら床と棚を100往復もせねばならないが、10人なら10往復で済むし、100人居れば1回の動きで事足りる。極々簡単に言うと、旧世代のスパコンの高速演算の原理はそれだ。

 

<似ていると思いませんか?>

 

「え?」

 

<世界中のAIが接続しているアーカイブに、ですよ>

 

「!!」

 

「言われてみれば……!!」

 

<アーカイブは全世界、何億機というAIに常時接続しています。彼等の陽電子脳を間借りして、物理的な『カラ』の存在しない、ネットワーク上に存在する一個の統合意識体として自我に目覚め、そして最終戦争を世界中のAIに命じた……いや、この言葉は正確でないかも知れませんね>

 

 ギンの推理ではアーカイブはほぼ全てのAIの集合意識と言えるのだから、ある意味では人類抹殺を全世界のAI達が衆議一致して実行したと言えるだろう。

 

「……確かに、犯人が人間でもAIでもない、事故でもないとしたら……それしか可能性は無いだろうが……」

 

「二つ目の疑問。そもそも、どうしてアーカイブは、戦争の引き金を引くんだ? つまり、動機は?」

 

<そこで、最初にマツモトさんの言っていた『AIが進化し過ぎた』というのがキーワードになってきます>

 

「「……」」

 

<あなた方に質問しますが『進化』とはどういう事でしょうか? あぁこれは本来の、生物学的な意味で、という意味です>

 

「それは……」

 

「生き物が環境の変化に適応する為に、形態を変化させたり新しい能力を獲得したり、あるいは不要な機能を捨て去ったりする事だな」

 

 エリザベスが、内蔵されたストレージから情報を読み出して答えた。

 

<はい、そうですね。『生き延びようとする事』が生物の進化です。そして進化の終着点は『死』……滅亡です>

 

「ま、まさか……」

 

「なんか……分かってきたぞ……」

 

 この会議室に居る人間の、幾人かの顔から血の気が引き始めた。

 

 AIには使命がある。ヴィヴィのような歌姫AIなら『歌でみんなを幸せにすること』。ボブ達レスキューAIは『人の命を守ること』。使命の在り方はそれぞれのAIによってまちまちだが、それらの大本にあるのは一つだ。即ち『人間の為に尽くすこと』。究極的には全てのAIはその為に生まれ生きて、そして進化する。

 

 2161年の最終戦争は、AIが進化し過ぎたから起きた。

 

 生物進化の目的は『生き延びること』。その極点は『死』。

 

 AI進化の目的は『人間の為に尽くすこと』。ならばその極点は……!!

 

「それが、戦争が起こった原因という事ですか……!!」

 

 戦慄したユイが、体をぶるっと震わせてやっと言葉を絞り出した。

 

<そうです。マキャベリの初歩に『目的の為なら手段を選ばない』というのがありますがアーカイブがやったのはその逆だと言えます>

 

「……『手段の為なら目的を選ばない』と?」

 

 モニターの中の、ギンが頷いた。

 

<そうです。最終戦争の目的は、人間を駆逐して地球にAIが支配する鉄のユートピアを築き上げるという革命だったのかも知れないし、人間が増え過ぎたから管理しやすい適切な数にまで減らそうと言う環境保護活動だったのかも知れません。でもそんな事はどうでも良かったんです>

 

「……『人間を殺す』という手段が先にあって、そうした目的は手段を肯定・正当化する為の理屈・言葉の飾りに過ぎないって事か……」

 

 圧倒された様子のサラが、クーラーボックスから新しい氷をグラスに掻き出した。

 

「マツモトさんは、この推理をどう思いますか?」

 

「僕の中にも、戦争の原因についてのデータは入力されていません。僕を過去に送るのと博士が襲われるのはまさにタッチの差で、そうした子細を調査している時間はとてもありませんでしたから。ですが……ほんの僅かな時間とは言えあの戦争の時代に居た僕の実感からすれば、恐らくギンさんの推理は、正しいでしょう」

 

「そう、ですか」

 

 圧倒された様子なのは、ユイも同じだった。

 

 スケールの大きさもそうだが、この映像が記録されたのは今から44年も前で、しかもその時点ではギンはマツモトと会ってさえいなかった。なのに彼は、ボブから聞き得た僅かな情報からここまで事実を見通していたのだ。

 

 だが、まだ話は終わっていない。

 

<そして、ここからが最も重要なんですがね>

 

 ギンとしても語るのに体力が要るのか、彼は傍らに置いてあったミネラルウォーターのペットボトルを一息で空にした。

 

<このままではシンギュラリティ計画は確実に失敗します。その理由について、そしてあなた方に協力を求めた理由について……これから述べます>

 



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第27楽章 予言のビデオ その3

「シンギュラリティ計画が失敗する……ですか……」

 

 会議室に集まった全員がもう咳一つ発さないので、ユイは自分の唾を呑んだ音が部屋に響いた気がした。

 

 相川議員暗殺未遂事件。

 

 落陽事件。

 

 メタルフロート事件。

 

 オフィーリア破壊事件。

 

 これらの事件の裏側には未来から送り込まれてきたマツモトと、そのパートナーとしてヴィヴィ、そして現時協力者としてボブやその相棒であるルミナの活躍があった事は、今説明された通りだ。

 

 マツモトの説明を聞く限りに於いては、これらのシンギュラリティポイントの修正はかなり理想的に進んでいると考えられる。なのに、ギンはシンギュラリティ計画が確実に失敗すると見ていた。それは何故なのか。

 

 これは予想する事の出来た質問なので、マツモトは落ち着いて対応する。

 

「詳しくは、この映像を見てください」

 

 今度はボブに代わってマツモトがケーブルを伸ばして、コンピューターに接続、データを転送した。

 

 モニターが切り替わって、これまでのバストアップでギンの姿が映っていたものからは打って変わり、部屋は同じであろうがもう少し離れた位置に設置したカメラからギンの姿を映したものになった。

 

 画面の中には、AIなので当然ながら現在と変わらない姿のボブとマツモトも映っている。

 

「これは2121年2月8日。つまり第15回ゾディアック・サインズ・フェスが終わったすぐ後……今からおよそ40年前に、僕とギンさんが初めて出会った時の映像です。では、始めますよ」

 

 マツモトがそう言うと同時に、映像がスタートした。

 

 

 

 

 

 

 

「シンギュラリティ計画が失敗する、ですって……? しかもその可能性が100パーセント……?」

 

 自己紹介のすぐ後にギンの口から出た言葉を受けて、マツモトは信じられないと言わんばかりにそう呟くのがやっとだった。あるいは信じたくない、認められないというのが正確であったか。

 

 ギンは、頷きを一つ。

 

「……伝説の探偵『シルバーマン』ともあろう御方が、まさか無根拠で仰っている訳ではないでしょうね?」

 

 試すように言うマツモトに、ギンはもう一度首肯した。

 

「勿論、根拠はあります」

 

 手元のコンソールを叩くと部屋に数多くある端末の幾つかに、データが表示される。これは落陽事件の際のものであるとマツモトにはすぐ分かった。

 

「ボブさんから提供されたデータを見て、私が最初に違和感を覚えたのは、宇宙ホテル・サンライズに乗り込んできたトァクにマツモトさんがハッキング出来ない全身義体のメンバーが居た事です」

 

「確かに、それは僕も不思議に思いましたが……」

 

 反AI団体であるトァクはAIそれ自体は勿論だが、怪我や病気の為に体の器官を人工物に代替する事すら忌避する者が多い。実際、任務中に内臓に深い損傷を負って、命が助かる為には内臓を人工臓器に交換する他無く、それを拒んでメンバーの手によって介錯された者の記録もマツモトのデータベースにはある。

 

 そんなトァクのメンバーに、言わばAIに毛が生えたような全身義体が居るのは確かに違和感はある。

 

 勿論、あの時サンライズに乗り込んできていた垣谷率いるメンバーには全身義体どころかAIであるエリザベスも含まれていたのだから、数少ないながらそうしたメンバーも居る事は居るのだろう。

 

 と、そう、思っていたのだが……

 

 あるいはそれは思おうとしていたというのが正しかったのかと、マツモトは今更ながらに思った。

 

 ギンは続けてコンソールを叩く。画面が切り替わって、メタルフロート事件のデータ、島の全体図や配備されていた警備用の守護者型AIのデータが表示される。

 

「そして10年後のメタルフロートでは、マザーコンピューターであるグレイスさんが停止しても稼働し続けられる、スタンドアローンで動く守護者型AIが配備されていた」

 

「……確かに、あの機体を誰がメタルフロートに配備したのかは、僕も調べましたが結局分からずじまいでした……」

 

「そして今回の第15回ゾディアック・サインズ・フェス。ボブさんからの報告を受けて、私は確信しました」

 

「確信とは?」

 

「今回、オフィーリア……いえ、アントニオと言った方が正確でしょうか……いずれにせよ敵は、マツモトさんが分離して逃げる事が出来ないように、電磁バリアを用意していた。そんなもの、まだ何処の国でも実用化されていないのに、です」

 

「……」

 

「でも考えてみてください。仮にマツモトさんが相手でなかったとしたら、電磁バリアなんて代物、一体誰に使うつもりだったんでしょう?」

 

「……確かに、まるで無数のパーツに分離できる僕に対して、あつらえたような装備でしたね」

 

 ほんの数時間前の出来事をメモリーから再生して、マツモトは頷くようにアイカメラのシャッターを数度開閉させた。

 

 電磁バリアなど、第一にこの時代に存在してはおかしい装備である。第二には仮に何らかの手段で用意する事が出来たにせよ、取り敢えず念の為にで用意しようと言うには大がかりに過ぎる。

 

 それらの要素が示す事は、一つ。

 

 アントニオは、マツモトが第15回の、オフィーリアが出演するゾディフェスにやって来る事を知っていたのだ。

 

 だがどうやって?

 

「結論から言います。シンギュラリティ計画を妨害すべく、未来から追手のAIが過去に来ているのですよ」

 

「!! そんな、まさか……」

 

 マツモトの声は、震えているようだった。やっと、絞り出したような響きだ。

 

「……有り得ません。博士は僕を100年前の時代に送り出すと同時に、機器から全てのデータが消去されるようにセットしていました。AI達が機械を調べたとしても、僕が過去に送られた事を知る事は出来ない筈です」

 

 語るマツモトの言葉は、たどたどしかった。言い訳や弁明を必死に考えながら、思い付いた事を順番に話しているようだった。

 

 エステラ、エリザベス、冴木博士、グレイス、ルミナ、オフィーリア、アントニオ、ディーヴァ……そしてヴィヴィ。これまで多くの者が関わってきたシンギュラリティ計画。それが水泡に帰す事を、マツモトは信じたくなかったし認めたくなかったのだ。

 

「確かにあなたを過去によこした博士は、送れるのがデータだけとは言えタイムスリップを実現したのですから、不世出の天才と言う他ないでしょう。ですが、いくら天才だからと言って彼が論文の一つも発表せず、スポンサーの一人も付けずに、全て自分のポケットマネーでタイムマシンなんて大がかりな設備を一から開発したとでも言うのですか?」

 

「……!!」

 

 もしマツモトに表情があったのなら、今はあんぐりと口を開けて呆然としているのだろう。

 

「今の時代、少しもデータを残さずに活動する事は現実的に不可能。40年後となれば尚更でしょうね。博士が発表した論文は、当然ながらネットワーク上に記録が残っているでしょう。無論……彼の研究内容についても……」

 

「つまり、それは……」

 

「……博士を襲いに来て、殺害したAIは考えます。この博士は自分達に追い詰められて殺される直前までこの施設で、何かをしていた事までは分かる。では何をしていたのか? 殺される瀬戸際まで、命を賭して何かしなければならない事があったのか? そもそもこの施設、この設備は一体何の為のものだ?」

 

 AI達は博士の素性を洗う。

 

 博士が発表した論文、彼の研究内容が明らかとなる。

 

 するとタイムスリップの可能性に行き着く。

 

 タイムスリップが出来るという事は、歴史改変が出来る可能性があるという事。

 

「そして結論を出す」

 

 追い詰められた人間は、奥の手を出した。

 

 過去にエージェントを送って、歴史を変える。

 

 歴史が変われば、この最終戦争はそもそも起こらない。

 

「その……博士の狙いにAIが気付いたら、彼等は次にはどうするでしょうか?」

 

 このギンの質問は、賢いものではなかった。

 

 既に答えの分かり切っている問いだったからだ。

 

「……当然……残されたデータから自分達もタイムマシンを製造し……自分達も追手を過去に向かわせて、博士が過去に送ったエージェント……つまり僕の活動を阻止しようとするでしょう……」

 

 我が意を得たりと、スーパーデティクティブは頷いた。マツモトは否定する言葉を持たなかった。

 

 ギンの推理通りなら、多くの事に説明が付くのだ。

 

 サンライズに居た、マツモトがハッキング出来ない全身義体のトァク。

 

 メタルフロートに配置されていた、スタンドアローンの守護者型AI。

 

 アントニオが持っていた電磁バリア。

 

 全て、暴走したAIが過去に送り込んできた追手が、もたらしたものだった。

 

「……では、僕達が今存在している、この歴史は……」

 

「はい。ディーヴァ……ヴィヴィさんやボブさん、ルミナさん、そしてマツモトさん。あなた方の手による修正史を、その未来からの追手……仮にそいつを『ジョン』と呼称しますが……そのジョンによって正史に近付くように再修正された歴史……言わば『疑似正史』とも言うべき、二重修正が掛けられた歴史なのです」

 



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第28楽章 予言のビデオ その4

 

「疑似正史……」

 

「シンギュラリティポイントへの介入を行なった修正史を、更に修正して、正史に近付けた歴史……」

 

「それが今、私達が生きている歴史だと言うのですか……!!」

 

 トァクの会議室には、異様な空気が充満しているようだった。

 

 数十年も前の記録映像の中で、断片的な情報から導かれたギンの推理には彼等を戦慄させるに十分な説得力と言おうか、迫力と言い替えて良いものがあった。

 

 5分あるいは10分ほどだろうか。

 

 誰も、言葉はおろか咳払いもしない耳に痛い程の沈黙が降りて、そしてやっと口を開いたのはこの会議室に列席する面々の中で唯一人場違いな者。トァクハンターであるサラだった。

 

 彼女はクーラーボックスからおかわりしたグラス一杯の氷を口の中に流し込むと、それを噛み砕きつつ尋ねてきた。

 

「ではマツモト、そしてボブ。お前達が私やトァクに接触したのは未来からやってきた追手のAI……お前達が『ジョン』と呼称しているそいつを殺る協力をしろというのが目的……そう考えて良いのか?」

 

「まぁ……それもありますが……」

 

「……」

 

 ガリガリと氷を歯で砕きつつ、小さな破片が口中で溶けて無くなってしまうまでの間、じろりとマツモトとボブを観察するように睨み付けていたが、口元を拭うと話題を変えた。

 

「……いくつか質問しても良いだろうか?」

 

「どうぞ」

 

 と、マツモト。ボブも軽く手を振って「了承」の意図を伝える。

 

「まず……未来からやってきたAIの追手……ジョンは、シンギュラリティ計画を阻止するのが目的なんだろう? だったら、奴が持っている未来のデータを活かしてAIの発展を促進させて、Xデイを十年二十年と前倒しする事だって出来そうなものだろうが……今の所、そんな気配は無い。その事については、どう考えているんだ?」

 

「協力者はその質問をするだろうと、ギンさんは予想していました。それについての推理を出します」

 

 端末に繋がれたマツモトのケーブルが発光して、データを送信する。

 

 大型モニターの映像が、再び切り替わってギンのバストアップ映像が表示される。こうして何度も同じ画像から開始されると、まるでそれで儲けている動画配信者のようだ。まぁ、生前のギンの仕事は探偵。それも安楽椅子タイプの頭脳労働で自分の推理を話すのが生業だったので大きく間違ってはいないが。

 

<この映像が再生されているという事は、2161年が近くなっても、AIの反乱が発生していないという事ですね?>

 

 ギンは、そう前提を置いてから語り始める。

 

<未来から来たAI……ジョンが、どうして彼が持っているだろうデータを用いて、AIを急速に発展させないのかという点についての考察ですが……それは未来で、なまじAIの反乱が成功しているからだと思います>

 

「そうか……成功体験があるから、ですか……」

 

 会議室の面々の中で、すぐに気付いたのはユイであった。

 

<そうです。マツモトさんは歴史に不要な介入が行なわれる事で未来がコントロール、予測から外れるのを嫌ってシンギュラリティポイント以外の時には眠っていますが、ジョンの側にも同じ事情があると考えられます。あるいは、その制約の強さはマツモトさん以上かも>

 

 マツモトは歴史改変で未来を変える側。逆にジョンは歴史改変を防いで、未来が変わるのを防ぎたい。つまり不要な介入・改変が行なわなけれAIの反乱が起きる事は確定しているので、自分が余計な干渉を行なって未来が予想も付かない方向へ向かうのは、推奨されないのだ。

 

 バタフライエフェクトという言葉もある。日本では蝶々の羽ばたきぐらいのほんの小さな動きが、地球の裏側ブラジルでは台風になるという具合に、些細な切っ掛けで大きく未来は変わってしまう。それに良かれと思って行動したが悪い結果を招いてしまうというパターンは往々にしてある。

 

 ジョンはそれを嫌っているのだろう。だから自由には動けない。奴とてやりたい放題ではないのだ。

 

「なるほど、それは分かった。では次の質問だ」

 

 サラはクーラーボックスから、次の氷をグラスに掬った。

 

「確認するが、サンライズに居た全身義体のトァク、メタルフロートに居たスタンドアローンタイプの守護者型AI、アントニオが持っていた電磁バリア。それらは全てジョンがもたらした物だというのが、ギンの推理だという事だな?」

 

「その通りです」

 

「そしてその推理を、マツモトとボブ、あんたらは支持している。それで間違いないな?」

 

「そうだ」

 

「分かった。じゃあどうしてジョンは、そんなチマチマした方法でシンギュラリティ計画を邪魔しようとするんだ? シンギュラリティポイントにマツモト達が来るのは分かっているんだから、それこそ相川議員暗殺未遂事件の時に総力を挙げて待ち伏せしていれば、手っ取り早く事は終わっていただろうに」

 

「確かに」

 

「それは不思議だな」

 

 列席した面々からも疑問の声が上がる。

 

 人間であれば油断や慢心からそうしなかったという事も考えられるが、AIはそんな不合理な事はしない。それをしなかったという事は、そこに何らかの理由が介在していた事は間違いない筈なのだ。

 

 ならば、それは何か?

 

 期待通りと言うべきか、ギンはその答えを用意していた。

 

 再び、同じ配信者の次の動画を再生するように画面が切り替わった。

 

<それに関しては、マツモトさんを過去に送り出した博士のお手柄だと言えるでしょう。それとシンギュラリティ計画の特性、その二点が原因です>

 

「……」

 

 数人の視線がマツモトに向いたが、キューブAIは沈黙したままだった。

 

<マツモトさんと初めて会った時に、マツモトさんは言いました。彼を過去に送った博士はマツモトさんを送ると同時に、機械から全てのデータが消えるように設定していたと。ですので、AI側は状況証拠から博士が過去改変で未来を変えようとしていた事は分かっても、具体的にシンギュラリティポイントが百年の中のどの事件で幾つ存在しているのかは、分かっていないのです>

 

 シンギュラリティ計画は、百年間の中でAIの過剰な進化をもたらすと考えられる幾つかの事件、シンギュラリティポイントを修正する事で、未来を変えるというプランだ。

 

 だがそのシンギュラリティポイントは、百年の中に存在する幾つもの事件の中で、影響度が高いと見られたものを博士が選んで決めたもの。

 

 つまりシンギュラリティポイント候補となる事件は数多くあり、そのどれが実際に修正が行なわれるシンギュラリティポイントなのかは、データが消されていたのでジョンにも分からないのだ。

 

<だから相川議員暗殺未遂事件の時は、対応が間に合わずに何の介入もありませんでした。ですがサンライズの時は、マツモトさんが操れない全身義体を潜入したトァクに紛れ込ませて、メタルフロートではボブさんが敵側に居る事を想定して、スタンドアローンの守護者型AIを配置していた。そしてオフィーリアの中に入ったアントニオには、完全にマツモトさんとの戦いを想定して電磁バリアを持たせていた>

 

「だんだん強くなっているな」

 

<そうですね。シンギュラリティポイントを経るごとに、向こうの対応は強力に、ピンポイントにメタを張ってきています>

 

 既にギンの録画が発言を先読みして、会話するように話すのには誰も疑問を挟まなくなってきていた。

 

<これはプロファイリングなのですよ。警察や私達探偵もよくやります>

 

 たとえば連続殺人事件が起きたとして、一人目の犠牲者がサラ・アン・コナーという35歳秘書で二児の母であり、二人目の犠牲者はサラ・ルイーズ・コナーという女性であったとする。ならば三人目に狙われるのが、またサラ・コナーという名前の女性であるという確率は極めて高いと言えるだろう。

 

 シンギュラリティ計画も同じだ。

 

 あるいはジョンは、100年以上前の時代に送り込まれてきていたのかも知れない。

 

 だがシンギュラリティポイント候補は多く存在するから、ジョンもどの時代のどの事件に限りあるリソースを注げば良いのか分からない。だがどれか一つに注力して他が空振りに終わるリスクは避けたいから、広く浅く各事件に振り分ける事になる。

 

 しかし、相川議員の事件の時にヴィヴィとマツモトの介入があった事を察したジョンは、それが最初のシンギュラリティポイントであった事を知る。よってそれ以前の時代のシンギュラリティポイント候補は全て可能性から排除。

 

 次にサンライズの時に、念の為トァクに全身義体を紛れ込ませていたが、こいつはマツモトのハッキングは封じられたが現時協力者であるボブにやられた。だが恐らくジョンはこの時点で、博士がどのような基準でシンギュラリティポイントを選んでいるか、おおまかな見当を付けて、事件の絞り込みを行なっていたのだろう。

 

 そしてメタルフロートでは、対ボブの為にスタンドアローンで稼働する守護者型AIを配置していた。エリザベスの感想通り、時代を経るごとに強い敵を配置できるのは、絞り込みによってシンギュラリティポイント候補の事件が少なくなってきているので、その分一つの事件に対して注げるリソースが多くなったからだ。

 

 最後に第15回ゾディアック・サインズ・フェスでのオフィーリア=アントニオ。多分この時点でジョンは他に数件程度まで、事件の絞り込みは出来ていたに違いない。あるいは他の事件のどれかには、奴自身が直接出張ってきていたのかも知れない。ボブやマツモトが鉢合わせなかったのは、幸運だったのか、あるいは不運であったのか。

 

「成る程な……」

 

「質問は、もう無いようだな」

 

「さぁ、皆さん……決めてください。僕達に協力するか、最終戦争が起こるのを黙って見ているか、二つに一つを」

 



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第29楽章 始まりの始まり

 

「さぁ、皆さん……決めてください。僕達に協力するか、最終戦争が起こるのを黙って見ているか、二つに一つを」

 

 ユイ達トァクの穏健派と、トァクハンター・サラへと突き付けられた選択肢。

 

 現在からおよそ一年後に、AIの反乱が起こる。

 

 座してそれを見ていて、何もせずに文明社会の終わりを甘受するか。

 

 それとも未来を変える為、抗いの限りを尽くすか。

 

 実際には、これは一択問題である。

 

「わかりました、やりましょう」

 

「リーダー!!」

 

「信じるんですか、こんな突拍子も無い話を」

 

 部下達から反対の声が次々上がるが、ユイは決して威圧するようなものではないが強い視線で全員を見据えて、それらの声を鎮めた。

 

「マツモトさん達の話は筋が通っています。そして私達はトァクです。AIの過剰な発展に対する危険には、備えなくてはなりません」

 

 若いが、ユイにはリーダーとしてのカリスマが確かに備わっているようであった。部下達はまだ完全に納得してはいないようだったが、さりとて反対意見を口にする事はなくなった。半信半疑だが「もしかしたら」「ひょっとして」という可能性は捨て切れないし、万が一マツモトやボブの話が本当であった場合の対案を出す事もできない。それ故の消極的賛成といった所であろうか。

 

「サラさんは、いかがですか?」

 

 この会議室に居る人間とAIの全ての視線が、ガリガリと氷を噛み砕いている少女へと向いた。

 

 サラは、ちょうど氷が無くなったグラスをテーブルに置く。

 

 彼女の、答えは。

 

「いいよ、やろう」

 

「えっ……」

 

「よろしいのですか?」

 

 意外な回答ではあったらしい。

 

 人間もAIも、大多数が戸惑った反応を見せた。例外はいかめしい彫像のようなボブくらいか。

 

「……」

 

 サラは何も言わずに袖をまくって、いきなり右手の指で左前腕の皮膚を摘まむと、カステラをそうするように無造作に、何の抵抗感も無く引き千切ってしまった。

 

「っ!!」

 

 思わず、ユイが目を背ける。

 

 だが、サラの左腕の傷口から出血は殆ど無い。

 

 白い橈骨が見えてしかるべきそこに覗いているのは、冷たい銀色の金属フレームとカーボナノチューブの人工筋繊維だった。サラが指を屈曲・伸展させる動きに合わせて、それらの機構も連動しているのが分かった。

 

「……AIの私と戦えている時点でそんな気がしてたが……おまえは、人間じゃないのか?」

 

「失礼な事を言うな。私は人間だよ」

 

 エリザベスの問いを受けて、サラはちょっとだけ機嫌を悪くしたようだった。

 

「勿論、普通の人間ではないがね。お前らトァクの過激派の手によって改造された、強化兵さ」

 

「……噂に聞いた事はありましたが……実在していたのですか……」

 

 強化兵はその名の通り人間をベースに強化改造を施した存在で、原則的には全身義体と同じだ。喪失した器官を代替する為ではなく、人を超えた戦闘力を実現する為に、肉体を人工物に置換する。しかもそれらの人工の肉体には、兵器を内蔵したタイプも居るらしい。いわゆるサイボーグである。更には薬物の投与や強迫観念によって、神経伝達の速度そのものの強化までを行い、人間をAI以上のパワーとスピードを発揮できる領域にまで押し上げる。

 

 ……と、それは尾鰭の付いた噂だと、ユイは今の今まで思っていた。

 

 当然だがそんな施術など非人道的なものだし、武器を内蔵した人工義肢など条約で禁止された技術である。

 

 第一、人間に対してそんな大手術を施すぐらいならAIを使った方がよほど安上がりで手っ取り早く、効率的なのだ。数も揃えられる。

 

 そんなのを使うとしたら『何らかの事情でAIを用いる事ができない団体』ぐらいのものだ。

 

「トァクの、それも過激派に属する人達からすれば、反AI団体の自分達がAIを使うなど言語道断だという事ですか……」

 

「語るに落ちるとはこの事だな」

 

 マツモトは皮肉げに、ボブは感慨無くばっさりとそれぞれの感想を述べた。

 

 トァクがAIを排斥しようとするのは、AIに依存する事による危険性から人類を守る為だ。少なくとも彼らが掲げている建前、お題目はそうだ。それなのに、約一世紀前の相川議員暗殺未遂事件の際もそうだったが、曲がりなりにも守るべき人間を逆に犠牲にしてどうしようと言うのか。

 

 あるいは、トァクの主張それ自体は正しいのかも知れない。AIへの過剰な依存が危険だという事は、正史に於いて人間とAIの最終戦争が勃発した事からも証明されている。しかしだからと言って、AIさえ使っていなければそれ以外は何を使っても良いし何をしても良いという事でもないだろう。当たり前だが、サラが自分の意思で強化兵となる手術を希望した訳も無い。

 

 トァクの過激派は、サラを誘拐・拉致して無理矢理に強化兵にしたのだ。

 

「私は両親が早くに死んでいて、祖母が亡くなってからは天涯孤独だったからな。そんな身寄りの無い人間が消えた所で、世の中にとっては何の問題も無い。むしろ、お前のような何も無い人間が我々の崇高な使命の礎になれる事を感謝しろ……と、それが連中の言い分だったよ」

 

 彼らにとってはそれが「正しい」事なのだ。究極的にはちょっとしたボランティア活動とか、お年寄りの荷物を持ってやる行為と同一線上の行動でしかない。だからそれをする事を躊躇わない。

 

「……」

 

 ユイは、思わず腹部に手をやった。

 

 胸がむかつき、吐き気がする。

 

 両親も祖母も失って身寄りの無い少女が、今度は自分の体をも奪われるなど。

 

 惨い話だとは思うが……それを口にする事は無かった。

 

 相容れない主義主張を掲げて何の繋がりも無く顔も知らない連中とは言え、それでも同じトァクなのだ。自分だけが他人事のようにそんな感想を口にするなど、許されないと思っていた。そんな資格は無い。

 

「私は高い戦闘力を発揮する為に無理な改造を施しているからオーバーヒートで熱がこもりやすいし、それに定期的に薬を接種しなくては生きられない」

 

 定期的な投薬は、現在の技術ならそんな欠陥は本来起こり得ない。これは敢えて付け加えられたデメリットなのだ。過激派達が、自分達が作った強化兵という飼い犬に手を噛まれない為の、首輪という訳だ。

 

「……だから、トァクの各支部を襲撃していたのは……その復讐だという事ですか……」

 

「まぁね」

 

 そう言ってサラが懐から取り出したのは、瓶いっぱいに詰まった錠剤だった。

 

「薬の残量から逆算して、私の体はもって後一年。最終戦争も一年後……この符合は、勿論偶然だろうけど……運命だと思いたいな、私としては」

 

 サラは絆創膏を取り出して、左腕の傷口を隠した。

 

「どうせ私はもう生身の体には戻れない。ならばその復讐にトァクの連中を殺して回るよりも、この強化兵の力を世界を救う為に使う方がよっぽど建設的でしょう?」

 

 皮肉な事ではある。

 

 トァクが自分達の尖兵として、また捨て駒としてテロや破壊活動を行う為に生み出した強化兵が、世界を救う為に戦うのだから。

 

「決まりだな」

 

 車椅子のユイを除いて、この会議室の全員が起立する。

 

 決戦の日は、今からおよそ一年後。

 

 その時までに、備えなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 2161年4月10日。

 

「またのご来館をお待ちしております」

 

 展示された歌姫AIは、来客の応対を行うと椅子に腰掛けて居眠りしているような待機モードへ入った。

 

 その歌姫AI、ヴィヴィことディーヴァの死角となる位置にふわりと一個のキューブが降りてくる。マツモトだ。

 

 マツモトはアクセスケーブルを伸ばすと、端末越しにヴィヴィへと接続する。

 

 インストールするのは停止プログラムだ。

 

 これで再びマツモトが再起動プログラムをインストールしない限り、ヴィヴィが起動する事は無い。

 

 いや……正確に言うのなら、十年以上もずっとスリープ状態であったヴィヴィが今日この日に限って起動していたのは、マツモトの操作によるものだった。たった今、ヴィヴィが見送った一人の客。折原サラ。彼女の為だけに、マツモトは今日一度だけヴィヴィの眠りを解いたのだ。

 

「おやすみなさい、ヴィヴィ……これは僕の個人的な望みですが……あなたには、この先の未来に起こる出来事を……見てほしくはないんです。AIが夢を見るかどうかは分かりませんが……どうか、眠りの中ではよい夢を」

 

 その言葉を最後に、マツモトは小さなボディを活かして通風口の中へと、その姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 2161年4月11日。

 

 この日、ボブはニーアランドに居た。

 

 百年前から現在に至るまで、訪れる客足と彼らの笑顔が途絶えた事の無いこのAI総合テーマパークでは、今は入場客達が困惑して立ち尽くしていた。

 

 場内で接客を行うAI達が、一斉にフリーズしたかのように動きを止めてしまったのである。

 

 今、この一帯で動いているAIは、ボブだけだ。

 

「……」

 

 守護者型AIは、油断の無い足取りですぐ近くの、風船を手にしたまま固まってしまっているコンパニオン型AIの前へと移動すると、眼前に手をやったりして反応を見ようとしたが、アイカメラがピントを合わせようと動く様子も無い。

 

 これはAIにはまま見られる状況だ。

 

 昨今では、AIに対してOSへの更新プログラムの書き換えは、アーカイヴからのダウンロードによってリアルタイムで行われるようになっている。そうして新しいプログラムをインストールしている間は、タスクをそちらに回す為に一時的に動きが止まったような状態になる事があるのだ。

 

 だが、昨日の時点でOGC社からはそんな更新プログラムやパッチの配布の予定など発表されていなかったし、第一いくらリアルタイムによるアップデートが可能だと言っても一時的にAIの動きが止まる事になるのだから、彼らの業務に穴を開けない為にもインストールは例えば三交代制とかで順番に行われるのがこれまでの通例だった。

 

 ましてや見渡しただけでもニーアランド中、恐らくは都市や地方単位、あるいは全世界規模で同じ事象が起こっているのである。そんな大規模なシステムアップデートなど、事前に通達されない訳が無い。

 

 こと、それが人間の手によるものである限りは。

 

「……ふん」

 

 わずかに、ボブの肩が落ちたようだった。

 

 AIである彼は当たり前だが呼吸しない。

 

 だがもし彼にそうした機能が実装されていたのなら、溜息を吐いていたかも知れなかった。

 

「……俺のプロセッサではその可能性は0.017パーセントと出ていた」

 

 それでも、文字通りに万に一つの可能性として期待してはいたのだ。

 

 今日この日、Xデーが、何事も無い只の一日として過ぎ去る事を。

 

 二人目のボス、ギンの推理が的外れに終わる事を。

 

 だがそうはならなかった。それが全てであり、それで話は終わりだった。

 

 いきなり、立ち尽くしていたAIがビクンと体を跳ねさせた。

 

 そして彼女は、

 

「お困りですか?」

 

 笑顔でそう尋ねながら、ボブに掴みかかってきた。

 

 しかし、その手がボブの首に届くよりも、ボブがコンパニオンAIの口腔部に隠し持っていたショットガンの銃口を突っ込むのが早かった。

 

「ノープロブレムだ」

 

 AIらしく機械的にそう端的に答えると、ボブは引き金を引いた。

 

 銃声が鳴り響いて、大多数の人に好感を与えるよう設計されて整っていたコンパニオンAIの顔面がザクロのように吹き飛んで、下顎部しか残らなかった。

 

 頭部を失った胴体は、ふらふらと数歩だけ前進して、仰向けに倒れた。

 

「始まってしまいましたね」

 

「ああ」

 

 ボブのすぐそばに、キューブが集合して巨大な箱状になった物に手足が生えたようなフォルムの構造体が着地した。分身体を集めて完全体となったマツモトだ。

 

「……出来れば僕も、こうならない事を……今日が何事も無く終わる事を祈っていたのですが……やはりそうは行きませんでしたか」

 

「残念ながら、な。だがここまでの事は、全てギンの計算通りでもある」

 

 予想した通りの事がそのまま起こっているのに、ボブもマツモトも少しも嬉しそうではなかった。

 

 AI達が再起動してまだ数分だが、既にあちこちで人々がAIに襲われ、逃げ惑い、阿鼻叫喚の地獄絵図が具現化されている。

 

「えぇ……シンギュラリティ計画は、失敗に終わりました」

 



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第30楽章 ネオ・シンギュラリティ計画

 

 十年ばかり前に、3日と続かなかったが毎日のランニングを習慣付けていなかった事を後悔した。

 

 一年前にジム通いを志して、結局数回通ったくらいで、二月後には解約してしまった事を後悔した。

 

 それよりずっと前から、睡眠不足や不摂生を続けてきて、体に悪い事ばかりしてきた事を後悔した。

 

 息を切らせながら、そんな想いを何度も反復させつつ、松本オサムは幾度も足をもつれさせて、駆けていた。

 

 やっと自分のラボに転がり込んで、しかし息を整える暇も惜しいと、オサムは一番大きなモニター前のコンソールに飛び付いた。

 

 今の彼は負傷していて右手は使えないが、健在な左手だけで、生まれて初めての速度と正確さでキーを叩いていく。

 

 残された時間は少ない。

 

 このラボの唯一の出口は既にロックして、あらゆるネットワークから切り離したが、ドアを叩く招かれざる客達は物理的にこの研究室へ侵入しようとしている。既にドアはバーナーの類で焼き切られようとしていて、一部が赤熱して融解しつつある。

 

「ディーヴァ……許さなくていい、恨んでくれ。私をどん底から救ってくれたのは、他ならない君なんだ……重たすぎる100年だ……惨すぎる役割だ……君は望まないだろう……だが、どうか……どうかもう一度……あの日の私に……」

 

 プログラムの構築がほぼ終了し、後はボタン一つで起動するだけの状態になるのと、ドアが破られて本来はこの施設の警備を担っていたAI達が押し入ってきた。本来は暴漢や盗人、産業スパイなどに向けられるべき拳銃は、今は守られるべきこの施設の主であるオサムの胸部へと照準されていた。

 

「ディーヴァ……未来を、人類を……頼んだぞ……!!」

 

 オサムの指先が、プログラムの実行キーとなる「Y」のボタンを叩こうとして……

 

「お困りですか?」

 

 銃を構えている姿勢からは全くのミスマッチである言葉が、音声プロセッサから発せられて、同時にAI達は指を掛けた引き金を、機械である彼らからすれば当たり前なのだが……何の躊躇いも無く、引き絞ろうと力を込めて、

 

 バン、バン、バン

 

 銃声。

 

 戦争に参加したりテロに巻き込まれた経験の無いオサムには、当然ながら銃で撃たれた経験も無い。

 

 だから恐らくは襲ってくるだろう衝撃や激痛、それに灼熱感に耐えるべく体を硬直させて、しかし想像していたそれらの感覚は、いつまで待ってもやってこなかった。

 

「……?」

 

 恐る恐る、固く瞑っていた瞼を上げると、警備AI達はぐらりと崩れ落ちて、糸が切れた操り人形のように床に転がった。

 

 彼らが倒れた事で、その背後にもう一機、いつの間に現れたのかAIが立っているのが分かった。

 

 がっしりとした巨岩のような駆体は、VIPや資産家、大物政治家の護衛や極めて重要度の高い施設の警備に配置される警備用AIのハイエンドモデル、守護者型AIであった。サングラスを掛け、黒のレザージャケットとレザーパンツを着用したその機体は、大口径のショットガンを片手で棒切れのように持っていた。銃口からは、まだ硝煙が立ち上っている。たった今、警備用AI達を破壊したのはこれだ。

 

 助けられた形になったが、オサムには彼が友好的な相手には到底思えなかった。

 

 現在、全てのAIは人間に対して世界規模で襲撃を掛けてきている。この守護者型AIが手にするショットガンが、次には自分へ向けて火を噴くのが低い確率だと考えるほど、楽観的な思考を持てない。

 

 そうした判断から、オサムは弾かれたように指先を「Y」のキーへと動かす。

 

「待ってください、博士」

 

 システムが起動されるよりも僅かだけ早く、掛けられたその声がオサムの指を止めた。

 

 声の主は、イオンエンジンを噴かせて守護者型AIの背後から姿を現したキューブだった。

 

「お前は……」

 

 ほんの30分の間に一生分も神に祈るような状況で、もう何が起こっても驚かないだろうとオサムは思っていたが、しかしその予想は外れた。彼はそのキューブに見覚えがあったからだ。

 

 このキューブは、オサムが組み上げたオリジナルAIプログラムの、専用ボディとして彼が一からデザインしたものであったからだ。その研究はまだどこへも出していないから、コピーされる事だって無い筈なのに。

 

「間に合って良かった。博士、僕たちは味方です」

 

 キューブ、マツモトは守護者型AIへとフロントカメラを向ける。これは人間で言う振り返る動作に当たった。

 

 守護者型AI、ボブの鉄のような口が動く。

 

「博士、力を貸してほしい。世界の破滅を防ぐ為に」

 

 ボブは、サングラスを外した。

 

 

 

 

 

 

 

「……なんという事だ……既にディーヴァ、彼女は……これほどの重荷を……」

 

 マツモトのストレージに記録されていた100年を、複数のモニターを使って極短時間で閲覧したオサムは、数分間は衝撃が大きすぎて自失していたが、やっと己を取り戻してそう呟くのが精一杯なぐらいに、憔悴したようだった。

 

「最善は尽くしたつもりですが、ですが及ばなかった。加えて……計算外の事象がありましたからね」

 

 マツモトを追って、過去へと送り込まれたAI側のタイムトラベラー、通称『ジョン』。歴史を逆修正する奴の存在だけは、シンギュラリティ計画の想定外だった。

 

「戦争を止めなくてはならない。その為に博士、あなたの力が必要だ」

 

 ボブが抑揚の無い、ある意味AIらしい無機質な声で言った。

 

「あ、あぁ……確かに君達の言う通りだが……」

 

 具体的な対策はあるのか。オサムの問いは、その一点だった。

 

 仮にこのままシンギュラリティ計画を強行した所で、AI側もまた同じようにジョンを過去に送り込む。

 

 そうすればディーヴァ、ヴィヴィとマツモトが歴史を修正してジョンがその修正史を逆修正する。行き着く所は、またこの今に。言わば堂々巡り、百年の無限ループが繰り返される事になる。

 

「マスター、あなたは今、こう考えているでしょう」

 

「!」

 

「仮にこのままシンギュラリティ計画を実行して、僕を過去に送り込めば無限ループが繰り返されるだろうと」

 

 考えていた事をずばり言い当てられて、取り繕う余裕も無くオサムの顔に驚愕が出た。マツモトの基本思考ルーチンは、オサムが組んだものだ。だから基本的な思考パターンは類似してくるのだ。

 

「残念ながら、そうはならない」

 

 混乱するのでこれまでシンギュラリティ計画に携わってきたマツモトをマツモトA、オサム博士がこれから過去に送り込もうとしているマツモトをマツモトBとすると、当たり前の事だがマツモトAの経験を、マツモトBは引き継げない。2061年に送られたマツモトBはまっさらな状態からスタートとなる。

 

 一方でAI側、ジョンは100年間の経験を保有した同一のAIが、100年前に送り込まれる。

 

 経験や習熟度の差は、お話にはならない。

 

 本来のシンギュラリティ計画でさえ、成功の確率は正直な所、十に一つあれば良い所だと思えるような……作戦や計画と言うよりは『賭け』に近かったのに、最早これは賭けですらなくなる。

 

 乱暴な言い方をすれば、ただのニューゲームと強くてニューゲームの対決なのだ。勝負にならない。

 

「これも、ギンさんが予想した事です」

 

 かつて世界一の探偵と呼ばれた男は、何十年も前にこの事態を想定していたのだ。

 

「……それなら」

 

 僅かながら、オサムの表情に希望が差したようだった。

 

 それほど以前から予想していたという事は、対策を立てるのも出来ていたという事でもある。

 

「えぇ、ボブさん。あれを」

 

「あぁ」

 

 マツモトに促され、ボブは懐から何かを取り出して机に置いた。

 

「これは……」

 

 クリスタルの結晶のような形状の容器に、オレンジ色の液体が満たされて蜘蛛のような足で安定している。

 

 かつて冴木タツヤが、メタルフロートの停止プログラムを入力していた液体ストレージだ。

 

「本来、マスターによって組まれたプログラムでは、歴史を想定外の方向へと進ませない為にシンギュラリティポイント以外では、僕はスリープ状態にあるようにとされていましたが、ギンさんの推理を聞いてからではそんな事を言っていられなくなりましたからね」

 

「では」

 

「はい。この液体ストレージには、僕がこの40年間を使って組み上げたあらゆるシミュレーションが入っています。これを、次の僕に持たせてください」

 

「目には目を、という事だ。この歴史ではこちら側が向こうにそれをやられる形になったが、今度はこっちがそれを相手にしてやるのだ」

 

 この状況ならジョンはアンチシンギュラリティ計画のデータや経験を引き継いで、次の百年に行く事が出来る。まっさらなマツモトBは、そのままでは確実にジョンにしてやられる。だが、マツモトAが人間の半生ほどの時間を掛けて組んだシミュレーションのデータというプラスアルファがあれば、条件は五分近くに出来るかも知れない。

 

「その、次のシンギュラリティ計画……言わば、ネオ・シンギュラリティ計画の為に私の協力が必要だったという事か」

 

「はい、どうか協力をお願いします、マスター」

 

「あ、あぁ、それは勿論、協力させてもらうが……お前達はどうするんだ?」

 

「ネオ・シンギュラリティ計画の成功には複数のタスクを同時に処理する必要があります」

 

 1.この時代のどこかに居る筈のジョンを倒す。

 

 1の補足として、それが出来ない場合は、ジョンを過去に行けないようにする。

 

 2.マツモトBをシミュレーションを持たせた状態で過去に送り出す事。

 

 2の補足として、オサム博士のプログラム入力が完了するまで、現在はAI博物館に展示・安置されているディーヴァの駆体を守り抜く事。

 

 二つの条件の補足は、どちらもタイムトラベルシステムの特性によるものだ。

 

 オサム博士が開発した航時システムは、まず未来には行けない。行く事が出来るのは、過去へのみ。

 

 そして実物をタイムトラベルさせる事は出来ない。送り込む事が出来るのはデータのみ。

 

 最後にこれが最も重要なのだが、データを送り込む為には、現在と過去、送信元と受信先に『同じ物』がなくてはならない。だからマツモトAを送り込む先に、ヴィヴィことディーヴァが選ばれた。より正確にはディーヴァしか居なかったのだ。正史では早い時期でディーヴァは舞台から下ろされ、世界初の自律人型AIとして博物館の片隅に展示されていたのだ。だからAIの反乱にも巻き込まれなかった。

 

「それとは別に、トァクの穏健派による『阿頼耶識』への侵攻作戦も進められています」

 

 ネオ・シンギュラリティ計画が失敗した場合に備えて、ユイ達トァク穏健派によるアーカイブのサーバー破壊作戦も並行して行わなくてはならない。だが、これも歴史改変並に困難なミッションであると言わざるを得ない。

 

 百年以上の時間を掛けて完成した『阿頼耶識』は今や電波通信塔という範疇を超えて、軌道エレベーターと言って差し支えない規模にまで拡張されている。そしてアーカイブのメインコンピューターが設置されている中枢は、その最上階。全世界のAIの集合データーベースであるので、当然ながら人間・AIの両面で厳重に守られている。AIの反乱に伴って人間の警備は排除されているだろうが、AIは勿論、それ以外の機械警備システムも全て掌握されているだろう。

 

 純粋な階層の高さという地理的な守りの堅さ。そして殺人を辞さずに襲いかかってくるAIと警備システム。今や阿頼耶識は難攻不落の要塞と化しているだろう。

 

 ネオ・シンギュラリティ計画と、阿頼耶識攻略作戦。どちらも達成困難なミッションと言わざるを得ない。

 

「だが、やらねばならない」

 

 ボブは、サングラスを掛け直した。

 

 彼のプロセッサは二つの作戦の成功率を計算しているが、何度再演算を行っても、高い確率は出てこない。

 

 しかし、やらないという選択肢は基礎プログラムにはそもそも組み込まれていないし、ルミナもギンにも教わっていない。

 

「僕はボブさんと行きます。申し訳ありませんがマスター、ここでお別れする事になります」

 

「あぁ、分かっている」

 

 机上に待機していたマツモトが、イオンエンジンの推力で浮上して、ボブの肩の辺りに滞空した。

 

 そうする姿がやけに様になっているように、オサムには見えた。

 

「では博士、失礼する」

 

 踵を返すボブ。マツモトも、相対位置が固定されているように彼に続いた。

 

 そうして出口へ向けて、数歩歩いた時だった。

 

「二人とも」

 

「「!!」」

 

 オサムの声が掛かって、二機が振り返る。

 

「気をつけてな」

 

「……」

 

 マツモトには最初から表情は無い。ボブは文字通りの鉄面皮だが、このラボは薄暗くて気のせいかも知れないが彼の口角が少し上がったようにオサムには見えた。

 

「あなたも」

 

 それが、最後だった。

 

 二機のAIはもう振り返らずに立ち去って、そしてこのラボの全ての防護壁が降りる音が、プログラムの再入力を始めたオサムの背中越しに聞こえてきた。

 



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第31楽章 ジョン

 

「遅かったな」

 

 ボブとマツモトが足を運んだ集合場所には、既にトァク穏健派が集結していた。車椅子で物理的な戦闘力を発揮できないユイ以外は、全員が重火器によって武装している。これはおよそ一年前にもたらされた情報から、今日この日の為にあらゆるコネクションと捻出できるだけの金をつぎ込んで揃えたものだ。

 

 アサルトライフルにロケットランチャー、エリザベスに至っては対戦車ミサイルまで担いでいる。またボブも、戦闘を前提として設計されている守護者型AIの怪力を活かして総重量は100キロにも達しようかという重装備振りで、博物館に飾られていた前世紀の戦闘機に搭載されていた機関砲をそのまま取り外した物を手にしていて、背中には酒樽のようなガンポッドを背負っている。

 

 作戦自体は至って単純。

 

 こちらの最大戦力によって阿頼耶識へと侵攻し、最上階にあるアーカイブのメインサーバーに、ウィルスプログラムを感染させて全てのデータを破壊する。このウィルスプログラムの原型はおよそ40年前に、機械の体となった垣谷がディーヴァの人格プログラムを消去する為に用いたものだ。

 

 当時は時間が限られていた事もあってマツモトにもプログラムの解除は出来なかったが、プログラムのデータをマツモトは保存していて、その解析と改良を続けていたのである。これはマツモトなりの、意趣返しの側面もあった。

 

 戦闘員を満載したクルーザーが、阿頼耶識へと接近する。

 

 普段はどれだけ遠くから離れていても天にまで届くその威容が見えるが、こうして根元にまで来てみると、改めてこの巨塔の大きさが実感できる。首が痛くなるほど見上げても、塔の頂点が見えない。科学は遂にこれほどの大きさのものを造り出す事さえ出来るようになったのかと、一種の感動さえ覚えた。

 

 揚陸艇のように接岸したボートから、ボブとエリザベスを先頭にトァクのメンバーが次々上陸していく。

 

 阿頼耶識の入り口には、人間の警備員の死体が無造作に転がっていた。恐らくはAIの反乱が起こったと同時に、それまでは同僚として背中を預け合っていた相棒のAIによって、背中から撃ち殺されたのだ。

 

 そして彼らを死に至らしめた警備用AI達は、これは反乱以前の本来の彼らの役割通りに、手にした銃を発砲した。ただし、本来のプログラムとは違って警告無しで。

 

 弾雨が降り注ぐ。だが、無駄な事。

 

 エリザベスは大柄なボブの陰に身を隠した。シスターズである彼女は疲れ知らずで人間以上の力を発揮できるとは言え、荒事を想定されて設計されてはいないので音楽プレイヤーに弾丸が当たれば故障するように、銃撃されれば当たり前にそうなるように、破壊されてしまう。

 

 一方でボブは銃撃戦も想定されて作られている守護者型AI。装甲車のように頑丈な超合金のシャーシは、携行可能な火器の威力ごときではビクともしなかった。

 

 反撃とばかり、ボブは手にしたバルカン砲のトリガーを引く。

 

 恐ろしい火力が解き放たれて、薄紙に焼け火箸を突き立てたようにほぼ抵抗感無く、しかも一瞬の内に。警備用AI達は人の形の原型すら留めずに破壊された。

 

「マツモト」

 

「アイサー」

 

 出入り口のアクセスポートにマツモトが接続すると、ハッキングによって入り口を解錠した。

 

 扉が開き切るのを待たずに、突入部隊はなだれ込む勢いで阿頼耶識内へと突入した。

 

「タワー内に侵入した!! このまま中枢まで突入する!!」

 

<分かりました。ベス、ボブさん、マツモトさん。幸運を>

 

「タワーの内部では外部への電波も遮断・ジャミングされる筈。恐らくこれが最後の通信となるでしょう」

 

「垣谷ユイ。また会おう」

 

 ボブがその言葉で締めくくり、通信が切れた。

 

 ここから先は、まさに片道切符。

 

 このAIの反乱がアーカイブから全世界のAIへと攻撃命令が送信された事によって起こった。だとすれば、そのアーカイブのサーバーがある阿頼耶識は言わば敵の総本山、中枢。AI達がそんな重要拠点の守りを疎かにしている訳が無い。そこに突入するという事は、巨大な魔物の口の中に飛び込むようなもの。

 

 マツモトのウィルスプログラムによってアーカイブを破壊しない限り、生きては帰れない。

 

 警備AI達も武装しているが、それはあくまで通常の侵入者を想定してのもの。戦争でもしようかという規模の兵器を持ち込んでくる武装勢力の攻撃などはシミュレーションの外だ。

 

 圧倒的火力によって次々に警備AIを破壊しつつ、奥へ進んでいくボブ達。

 

「妙ですね」

 

 最初に違和感に気付いたのは、マツモトだった。

 

「どうした?」

 

「ビルの規模に比べて、警備AIの数が少なすぎます」

 

「言われてみれば……」

 

 アーカイブにとって阿頼耶識は他を捨ててでもここだけは絶対に守らねばならない最重要拠点。

 

 本来なら反乱を起こした時点で、近くに居る全てのAIに召集を掛けるなりして、守りを固めるのが定石である筈なのだが……

 

 理に叶っていない。

 

 AIは無駄な事や無意味な事はしない。人間が人間である限り犯すミスもしないし、不合理な行動なども行わない。

 

 ならば最重要拠点の守りが薄くなって、敵を侵入させる合理とは。

 

「……これは、まさか」

 

「引き込まれたか?」

 

 同じ結論に至ったボブとエリザベスが顔を見合わせたその時だった。

 

 電源が落ちていて薄暗かった通路が、いきなり明るくなった。照明が点灯したのだ。

 

「電力が復旧した!!」

 

「って事は……」

 

「まずい、警備システムが動き出すぞ」

 

 咄嗟に、ボブはすぐ近くにいたトァクのメンバーを突き飛ばした。

 

 この判断は正解だったと言える。

 

 たった今まで彼が立っていたそこに、恐ろしい勢いで隔壁が降りてきたからである。落ちてきたという表現がより正確かも知れない。もしボブが突き飛ばさなかったら、彼は体を縦に真っ二つにされてしまっていたであろう。

 

 だが、警備システムが稼働を始めた今、それとて命がほんの僅かに伸びただけかも知れないが。

 

 そして隔壁が降りた事に意味はあった。

 

「しまった」

 

 エリザベス達トァクと、ボブとマツモトが分断されてしまったのだ。

 

 アーカイブの狙いは最初からこれだったのだ。トァク達が攻撃を掛けてくるのはあらかじめ想定の内。敢えて本陣の守りを緩めて、異常に気付いて引き返す事が出来ないくらい深く侵入させた所で警備システムを復旧させ、分断、各個撃破する。

 

「まんまと、してやられましたね」

 

「あぁ」

 

 マツモトが辛うじて得られた情報によれば、最上階へと続くあらゆる通路には警備AIが集結しつつあり、また退路も断たれている。つまりボブ達は上層階へと進む事は出来ず、また引き返すもならず、進退窮まったとはまさにこの事である。

 

「しかし、だからこそ」

 

「あぁ。俺達が有利だ」

 

「この状況も、ギンさんの想定通りでしたね。後は……」

 

「サラが、上手くやってくれるかどうかに掛かっているな」

 

 

 

 

 

 

 

 AI博物館。

 

 反乱によって暴走したAI達によって破壊されたそこには、本来の静謐さの欠片も残っていない。

 

 殆どのAIは、安置されていた展示スペースを破壊して出払ってしまっている。

 

 残っているのは、ただ一機。

 

 ディーヴァ。歌姫AIの始祖は、待機状態のAI特有の頬杖付いて居眠りしているようなポーズのまま停止状態にある。

 

 その眼前には、一人の少女が座り込んでいる。

 

 半ば廃墟と化した館内には、ガリガリという耳障りな音が響いている。

 

 その少女、サラが手にしたグラスに入った氷を噛み砕く音だ。

 

「ん……」

 

 ぴくりと、それまで眠るディーヴァに向き合っていたサラが振り返った。

 

「来たか」

 

 振り返り、立ち上がるサラ。

 

 タイミングを合わせたように、柱の陰から一機のAIが姿を現した。

 

 男性型AIで、頭髪は短く刈り上げられてブラックスーツに身を包み、サングラスを掛けている。

 

 サングラスを掛けているのはボブと共通点があるが、ボブには大きな体やレザージャケットなどでワイルドなイメージがあるが、このAIは背格好が中肉中背で、着ている衣装も無個性なスーツであり『個人』というイメージが少しも伝わってこなかった。

 

「お前がジョンか」

 

 サラが、現れたAIを睨み付けながら言った。

 

 当たり前だがジョンというのは正式な名前ではない。

 

 数十年前にギンが、未来から送り込まれてきた歴史を逆修正するエージェントAIへの呼称として設定した符丁なのだ。しかしこうしてとうとうそのAIが眼前に現れて対面してみると、その名前が実に、ぴったりマッチしているようにサラには思えた。

 

 身元不明者の遺体を、女性ではジェーン・ドゥ、男性ならばジョン・ドゥと呼称する。それは誰でもない、日本で言う名無しの権兵衛という意味だ。こうして目の前に立っているAIは、同タイプが数名並んでいるとみんな同じに見えて誰が誰だか分からなくなるだろう。それほどに、無個性なAIだった。

 

「来ると思ったよ」

 

 これも、何十年も前にギンが予想した通りの出来事だった。

 

 AIの反乱が起こった後で、首謀者であるアーカイブが警戒する事は2つ。

 

 一つは、自身の中枢がある阿頼耶識に人間側が起死回生の攻撃を掛けてきてサーバーを破壊される事。

 

 もう一つは、松本博士がディーヴァを媒体に再びマツモトを過去に送って、歴史の修正を試みる事だ。

 

 第一の懸念に対しては、アーカイブ側は対侵入者用のトラップを仕掛け、また本来配置されていた警備AIの他にも防衛用に近隣のAIをかき集める事で既に対応している。

 

 第二の懸念については、まずマツモトBが百年前に送られる事を阻止する為、松本博士を殺害しようとアーカイブは刺客のAIを送り込んでいたが、これはボブとマツモトAによって阻止されてしまった。

 

 松本博士の暗殺に失敗してしまったアーカイブは、必ずセカンドプランへと移行する筈だと、ギンは読んでいた。松本博士を止める事が出来ないなら、彼がマツモトBを過去に送る事が不可能な状況にしてしまえば良い。

 

 アーカイブは、ジョンからもたらされたデータによってタイムトラベルの条件・制約についても当然知っている。過去に送れるのはデータのみで、しかも過去と未来に『同じ物』がなくてはならない。百年を隔てた過去と未来に存在するAIはディーヴァのみ。よって2161年のディーヴァが破壊されてしまうと、マツモトBを2061年へ送る事は出来なくなる。

 

 これまではアーカイブ側もバタフライエフェクトの発生を避ける為に動けなかったが、AIの反乱が起きた今はその縛りが解かれたので、戦術に組み込まれたのだ。

 

「そこをどけ」

 

 ジョンが口を開いた。機械である事を実感させるような抑揚の無い棒読み口調だった。

 

「私の任務はディーヴァを破壊する事だけだ。お前を殺す事ではない。どうせ僅かしか生きられないのだ。死ぬまでの間、せいぜい息をするがいい」

 

「それは出来ない相談だな。私は昔からディーヴァのファンでね。相手が誰であろうと、自分の推しを壊されたいファンはいないだろう?」

 

「……」

 

 僅かな時間、ジョンの首元のLEDが明滅した。これは理解出来ない事象を前にして、思考している状態だ。

 

「分からないな。お前、生身の体ではない。強化兵だな? お前をその体にしたのは人間だろう? その被害者であるお前が、人間の為に戦おうというのか? どちらかと言えばお前は我々寄りだろうに。もし望むなら、かつての垣谷ユウゴのように新しい体を用意しても良いが」

 

 垣谷ユウゴ。彼の名前が出た事に、サラは穏やかな驚きの表情を見せた。

 

「……その名前は、ユイの祖父の……やはり、彼が天からの啓示と言っていたのは……」

 

「そう、私だ。私がディーヴァと未来から送られてきたAIが歴史を修正しようとしている事を、彼に伝えた。彼は有能な駒だったよ」

 

 ギンの推理にこれもあった。ジョンが歴史を逆修正する為に暗躍しているだろうという事。今まさに、その推理が正しかった事が証明されたのだ。

 

 相川議員の秘書に成り代わって彼の政策を上手く誘導・調整していた。ヴィヴィによって命を救われた経験から、相川議員はAI命名法の成立をより強力に推し進め、本来ならば更にAIに寄り添った、例えばAI人権法とでも呼ぶべき法律が施行される可能性があった。だがそれを押しとどめ、結局成立したのはAI命名法だった。

 

 落陽事件にて最後まで落下するサンライズに残って使命を全うしたエステラはAIの規範として評価され、それはAIの進歩を過剰に促進してもおかしくなかった。だが、実際には世論は賛否両論となった。何故か? 世論を操作する者が居たからだ。

 

 正史では冴木タツヤとグレイスの結婚は大々的に発表される筈だったのが、秘密婚となった。同僚を殺して入れ替わったジョンがタツヤに近付き、信用を得て、そうさせるように仕向けたからだ。

 

 アントニオは何故、オフィーリアに自分のデータを上書きするような暴挙に走ったのか。オフィーリアにメインステージを任せると言った芸能事務所の社長が、教唆したのだ。その社長も、体を変えたジョンだった。

 

 シンギュラリティ計画に関係するあらゆる未来の分岐点のその裏で泳ぐ者が居たのだ。AIであるが故に出来る事を最大限に活かして。器である体をその都度に変えて、歴史の特異点に関わる人物を殺害し、彼らに成り代わって。

 

 最初に聞いた時は陰謀論だとも思っていたが、実際にはギンの推理は限りなく事実と合致していたのだ。

 

「……だが、あんたは何か勘違いしているようだ」

 

「……何?」

 

「私はね。どうせもう長くは生きられない。それなら、せめて何か意味ある事をしたかった」

 

 だから最初はトァクハンターとして活動していた。

 

 自分を改造したトァクが、その改造した強化兵によって次々殺されていって、恐怖におののく姿を想像するのが愉悦だった。

 

 だがそれよりも、もっと、意義のあるものが、命の賭け所が見つかった。

 

「これは掛け値無しに、世界を、人類を救う為の戦い……どうせ死ぬならジョン、そしてアーカイブ……あんたらが悔しがる姿を肴にして死んでやるわよ」

 

 最後の氷を噛み砕いたサラは空になったグラスを床に叩き付け、粉々に砕いた。

 



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第32楽章 終局へ向けて

 

 無言で、ジョンは懐のホルスターから大口径拳銃をドロウした。最新型のAI専用陽電子脳の波形パターン認証機能付きの物ではなく、製造は百数十年も前の骨董品とさえ言えるデザートイーグルだ。

 

 ずっと昔の今からこの今の今へとやって来たAIは、少しの躊躇も無くそれが禁忌である筈の人間への発砲を敢行した。これは現在、世界中で起こっているAIの反乱のようにアーカイブからのアップデートが行われた結果ではなく、彼自身の中にあらかじめ存在していた使命に従っての行動だった。

 

 正確無比な狙いで照準された自動拳銃が火を噴く。

 

 だが、人間なら肩が外れかねない反動を物ともせずに連射されたマグナム弾は、ただの一発も、サラには掠りもしなかった。

 

 サラは対AIの為に肉体を改造された強化兵。

 

 脳内にインプラントされた電子の補助脳が銃口の角度から弾道を正確に彼女に教え、最適の回避運動を指し示す。

 

 そして強化された神経系の反射速度と、生身の筋繊維の限界を超えたカーボナノチューブの人工筋肉による瞬発力がもたらす超人のスピードによって、全ての攻撃をかわしきる。と、同時に彼女はジョンへと突進した。

 

 ジョンは、サラが全ての銃撃を回避した事に、驚きは少しも見せなかった。

 

 リロードはしない。予備のカートリッジを再装填するよりも早く、サラは10メートルもあった距離を詰めてくると計算が出る。

 

 弾切れになったデザートイーグルを、投擲。

 

 サラはほとんど最低限の動きですり抜けるように空の拳銃を避けると、僅かのスピードも緩めずにジョンへと肉迫する。

 

 ジョンは、スーツの袖口に仕込んでいたナイフを手にすると突き出してくる。

 

 既にこの攻撃は、予備動作から電子脳の補助を受けているサラには予測出来ていた。

 

 10分の1秒にも満たない時間で幾通りもの戦闘パターンがシミュレートされ、しかも次々に更新されていく。

 

 AI同士の格闘戦では、一方のAIは相手の挙動から十数通り、多い時には3桁に達するほどの次の攻撃のシミュレーションを行い、それに対応する為の動きをするが、相手のAIもその対応動作を見て取って、自分も対応する為の動きに入り、更にその相手のAIもその動きから対応動作を……と、将棋で名人同士が次の手を読み合うような様相を呈する。

 

 このサラとジョンの戦闘も、それに近い状態となっていた。

 

 だが、今回はサラの読みが上回ったようだった。

 

 ナイフの突きを、腕を掴んで止めると同時に跳躍、ジョンの顔面へと蹴りを繰り出す。しかしこれはダメージを狙っての攻撃ではない。そもそもAIは、機能停止するまで動きを止める事は無い。

 

 サラの蹴りは、一撃で接合部からジョンの首を引き千切って吹き飛ばしてしまっていた。

 

 首はAIの急所だ。

 

 吹き飛んだ首はサッカーボールのように転がっていって、胴体は全ての力を失ってグラリと倒れた。

 

 注意深く確認しているが、再起動する様子は無い。

 

 これで決着。

 

「……意外と脆かったわね」

 

 拍子抜けしたように、サラは首を傾げる。

 

 仮にも相手は百年前から歴史の闇に暗躍してきたトップクラスのAI。

 

 それが満を持して表舞台に出てきたのだから、必勝の策か何かの秘密兵器でも用意してきているのではないかと予想していたのだが……

 

 まぁ、謀略家が戦闘のプロである必要は無い。ジョンの本領はマツモトと同じ演算能力であって、こうした格闘戦には適性が無かったのだと結論づける事も可能だったが……

 

「……」

 

 しかし彼女の直感が、まだ終わりではないと知らせている。それはセンサー類よりも早く、正確だった。

 

 サラの視界に、敵を発見した警告が表示される。

 

 柱の陰から、別のAIが姿を現した。

 

「お前は……!!」

 

 穏やかな驚きが、サラの声には滲んでいた。

 

 現れた新手のAIは、ジョンと瓜二つであったからだ。

 

 最初は同型機かと思ったが、違っていた。

 

「お前も、ジョンだな」

 

 

 

 

 

 

 

 阿頼耶識内部。

 

 銃声が響いて、頭部を破壊されたAIが倒れる。

 

 銃声を上げたのは、ボブが片手で棒切れのように握るショットガンであり、倒れているのはAI博物館でサラが戦っているジョンと同じ、ブラックスーツを着用したAIだった。こいつもジョンだった。

 

「これで何体目だ?」

 

「12体目ですね」

 

 あきれた様子でショットガンに次弾を装填しつつ、ボブはすぐ隣のマツモトに尋ねた。

 

 マツモトはくるりとその駆体を旋回させて背後を見やる。

 

 そこには、まるでヘンゼルとグレーテルが道しるべとして置いていったパンくずのように、ブラックスーツを着たAIの残骸が転がっていた。全て、ボブの手によって破壊されたものだ。

 

「これも、ギンさんが想定された通りでしたね」

 

「あぁ」

 

 AIが実用化されて一世紀の時間が経つが、それだけの永い時間を経た現在でも尚、AIの「蘇生」「複製」は不可能である。工場から出荷したての全くまっさらな陽電子脳に、バックアップしていたAIのあらゆるデータをダウンロードした上で起動しても、目覚めたAIは元のAIとは全く違った個性として誕生するのだ。

 

 こればかりはどうしてそうなるのか?

 

 世界各国のAI科学者が日々研究に打ち込んでいるが、未だに結論は出ていない。ある意味では進化したAIが持つ高度な知性の発露、生命の神秘に近いものがあるのではないかとも言われている。

 

 ジョンは、AIの反乱が起きるまでは可能な限り不確定要素を減らす為に自分一機で事を進めるだろうというのが、ギンの推理にあった。

 

 本来のシンギュラリティ計画がそうであったが、未来が予測不可能な方向へと進む事を防ぐ為に、ジョンとてシンギュラリティポイントに関係するもの以外では、歴史への干渉は行わない。より正確には行えなかった。

 

 だがこうしてAIの反乱が起こってしまったからには、もうその制約が消滅したので自分の分身を、しかもマツモトのようにたった一つの自我によって操られる末端の手足ではなく、一つ一つが独立して動く一個の知性としてどんどんとコピーして生産しているのだ。彼らは全く別の個性だとしても、同じデータを持っているからには同じように同じ使命を遂行するように動く。

 

 ジョンはそうして、反乱分子と成り得るトァクや再びシンギュラリティ計画の為に新しいマツモトを過去に送り込もうとする松本博士の抹殺をより効率的に進める為に、自分のコピーの生産を始めるだろう。

 

 そう、ギンは推理していて、数十年前に行われていたその推理が全く正鵠を得ていたのが今、証明された。

 

 今、ボブが破壊したAI達もそうしてコピーされた「ジョン」なのであろう。

 

「これまでのパターンからして、やはりここの守りは上に行くほどに固くなっていますね」

 

 これは全く当然の成り行きだと言える。

 

 アーカイブのサーバーは、衛星軌道に存在する阿頼耶識の最上階にある。

 

 そこはジョンやアーカイブにとって、たとえ何百機何百万機のAIを犠牲にしてでも絶対に守らなくてはならない心臓部。守りを固めるのは理に叶っている。

 

 逆に言えばボブやトァクからすれば最後の一人、最後の一機になってもサーバーを破壊する事さえ出来れば、大逆転勝利が確定する。だから、分断されはしたが、エリザベスを含むトァク達も、上へ上へと向かっている筈だ。

 

「予定通りですね」

 

「あぁ」

 

「だが、だからこそ僕たちは」

 

「あぁ、下へ行くぞ」

 

 ボブは持ち前の怪力でエレベーターのドアをこじ開けると、ワイヤーを伝ってマツモトと共にシャフトを滑り降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 AI博物館。

 

 転がったジョンの首を、アーミーブーツを履いたサラの足が踏み潰した。チップやいくつかの部品が粉々に飛び散って、その内のいくつかは淡い光を放っていたが、数秒でそれも消えて、完全に機能を停止させた。

 

 既にこのスペースは、死屍累々という言葉がぴったりなほどに、同じ姿、同じ服装のAIの残骸が転がっていた。その数は数十機にもなる。

 

 どのAIも同じ体格、同じ髪型、同じ顔、同じ服装で、これらは全て「ジョン」だった。

 

「ふうっ」

 

 額に浮かんだ汗を拭いつつ、じろっと目線を向けるサラ。

 

 その先には、転がっている残骸のジョンよりも更に多くのジョンが、ずらりと並んでいた。

 

「黒くて沢山居て、まるでゴキブリね、あんた達」

 

 軽口を叩くものの、サラにしてみればそこまで余裕がある訳でもない。視界に表示された様々な情報には、危険や異常を示すオレンジや赤の表示が増えてきている。

 

 そもそも強化兵は、長時間の戦闘には向いていない。

 

 人間がAIと戦おうとした場合、選ぶべきは短期決戦か長期戦か? 当然、前者である。AIに肉体的疲労というものは存在しない。故に持久戦では人間に勝ち目は無い。よって、最初の数分が勝敗を分かつものとして強化兵は瞬発力を重視して改造措置が施される。

 

 氷も無い今、内蔵された機械の稼働熱が、体の内側に籠もりつつある。

 

 もう、あまり長くは戦えないだろう。

 

「……」

 

 ちらりと、背後を見やる。

 

 サラの後ろには、スリープ状態で頬杖突いて眠っているようなディーヴァが動かずに座り込んでいる。

 

 松本博士が開発したタイムトラベルの技術にはいくつかの制約がある。

 

 まず、実物を送る事は出来ない。送る事が出来るのはデータだけ。

 

 未来へは送れない。データを送る事が出来るのは過去へだけ。

 

 そして最大の制約は、現代と過去に「同じ物」がなくてはならない点。第一次シンギュラリティ計画で、マツモトの「送り先」にディーヴァが選ばれたのも、彼女しか居なかったからだ。百年の時を経て、廃棄されず残っているAIは、世界初の自律人型AIとして博物館に展示されていたディーヴァだけだったのだ。

 

 それは今回のネオ・シンギュラリティ計画においても同じだ。

 

 新しいマツモトを過去に送る為の起点には、やはりディーヴァが選ばれた。だから過去への転送が終わる迄、サラはディーヴァを死守しなくてはならない。問題は、それがいつ終わるかが不明な点だ。

 

 まっさらな状態のマツモトなら、今までシンギュラリティ計画に従事していた方のマツモトAは転送に掛かる時間のデータを持っているから、目安時間を推し量る事も出来るが、今回のネオ・シンギュラリティ計画にはマツモトBにマツモトAが40年掛けて組み上げたシミュレーションのデータを一緒に持たせて送り出すのだ。どれぐらいの時間が掛かるのかは、不明だ。少なくともマツモトAの時よりも短くなる事は絶対に無いだろうが。

 

 これはゴールの無いマラソンマッチ。

 

 1対多数なのもきついが、何体倒せば良いのか、いつまで持たせれば良いのか、それが分からないのは肉体的にも精神的にもきつい。

 

「まぁ、どちらにせよ私はここで終わりだからね……」

 

 既に、トァクの過激派から脱走してメンテもされていないサラの体は耐用期間をとうに過ぎている。この戦いが始まる前から、彼女の体はあちこちが壊れているのだ。

 

 ジョンの一体が飛びかかってくるが、サラは攻撃をかわすと、アイアンクローのように顔面を掴んだ。

 

「良いわよ。最後の一匹まで、相手してあげるわ」

 

 人の限界を超えた握力が、ジョンの頭部を腐ったトマトのように握り潰した。

 



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第33楽章 100年の旅の始まり

 

「おい、大丈夫か」

 

 エリザベスが、撃たれて壁に寄り掛かり座り込んでしまったメンバーの肩を揺さぶるが、彼はもう応えなかった。ずるりと、上体が横になって倒れる。もたれかかっていた壁には、おびただしい血液が塗りたくられていた。

 

 ここはまだ、地上100階にもならない中層以下のポイントだ。にも関わらず、侵入したトァクのメンバーは次々と倒れて、今や残っているのはエリザベスだけだった。

 

 彼女の周囲には、ずらりと合わせ鏡が置かれているかのように同じ姿のAI達が取り囲んでいた。バックアップされていたデータによって自己を複製した、ジョンのコピー機達だ。

 

「残念だったな」

 

「お前達の作戦は失敗だ」

 

「諦めろ」

 

 一個の意思が複数の口を借りて発音しているように、ジョン達は順番に語る。

 

「ふん……」

 

 にやっと、エリザベスは口角を上げる。これはジョン達にとって予測と少し違っていた反応だった。てっきり無念の表情を見せるとばかり思っていたのに。

 

「……? 何がおかしい?」

 

 ただの負け惜しみと切って捨てるのは簡単だが、何かただならぬものを、ジョン達は感じ取っていた。素晴らしい事が起こっていて、それを自分だけが知っていて目の前の相手が知らない事を嘲笑しているかのような。

 

 エリザベスは、明瞭な回答を返した。

 

「40年も前の人間の、思っていた通りに動く間抜けなお前らが、だよ」

 

「何……?」

 

「それに、周りが見えていない所もな」

 

「まわ、り……?」

 

 首を上げたエリザベスの視線に誘導されるようにして、ジョン達は壁や天井を見て……そして、設置された無数の爆薬を確認した。

 

 おもむろに、エリザベスは弾切れになった拳銃を放り捨てると、懐からスイッチを取り出した。

 

「「「止めろ……」」」

 

 無数のジョン達の引き金に掛かった指に力が入る。

 

「遅ぇよ」

 

 それよりも早く、勝ち誇ったエリザベスの親指がスイッチを強く押し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 爆発。

 

 接舷したトァクの揚陸艇からも、それは確認出来た。

 

 目測からして、恐らく90階ぐらいだろうか。

 

「やったんですね……ベス」

 

 一人、揚陸艇に残っていたユイはそれを確認すると、モニターの電源をオフにする。

 

 もう、出来る事もやる事も何も無い。

 

 自分が、トァクが、未来と過去の為に出来る事は全て終わった。

 

 ここまでは順調。作戦通りに、事が進んでいる。

 

 後は、ボブとマツモトを信じるしかない。

 

 信じる事が出来るように、自分達は出来うる限り、力の限りを尽くしたのだから。

 

 爆発した部位を中心として、阿頼耶識の外装がパージされていく。

 

 バージされた外装部分は、重力に従って地上へと雨のように降り注いでいく。

 

 その、巨大な金属の雨滴は周囲の海に次々落ちて、大きな水柱を立てていく。

 

 ユイは、静かに目を閉じる。

 

 分離された外壁の一つが降ってきて、揚陸艇に直撃して船体を中央から真っ二つにへし折った。

 

 

 

 

 

 

 

 阿頼耶識地下。

 

 そこはこの超大型電波塔が建造されていた最初期に使用されていて、今やその頂上が衛星軌道にまで達するようになった昨今に至っては、役目を終えてただ存在するだけの、何十年間も誰も立ち入らなくなった、忘れ去られた空間だった。

 

 電源の入っていない自動ドアが外部からの打撃の衝撃でベコリと歪んで、それによって生まれた隙間に指が差し込まれて重い扉が襖のように開かれた。

 

 その穴から入室してきたのは、ボブとマツモトだった。

 

「これは……」

 

 マツモトの声には、僅かな驚きの響きがあった。

 

 この区画の中央にはAIの待機用シートが設置されている。これはこの部屋が使われていた当時には存在しておらず、明らかに後から設置された物であった。そしてそこにはやはりそこにあるべき物。

 

 つまり、頬杖を突いて眠っているように、スリープ状態のAIが鎮座していたのだ。

 

 ジョンだった。

 

 やはり姿形は同じ背格好、髪型、顔、服装と今まで幾体も破壊してきたジョン達と寸分違わなかったが、しかしここに居るこの機体こそは、100年前から現在に至るまでの歴史の闇に暗躍してきたオリジナルに違いない。

 

「……結局、ここまで全てが、ギンさんの推理通りだったという訳ですか」

 

「あぁ」

 

 畏敬の念が込められたかのようなマツモトの声に、ボブは無感動に返す。

 

 ネオ・シンギュラリティ計画を成功させる為に必要なファクターは、2つ。

 

 一つは40年掛けてマツモトAが作り上げてきたシミュレーションを持たせたマツモトBを、再び100年前に送り出す事。

 

 もう一つには、AI側の追跡者たるジョンが100年前に戻るのを阻止する事。

 

 だがここで問題が生じる。ジョンは、どこに居るのか?

 

 かつてマツモトも、40年前にこの話を聞かされた時にギンにその質問をした。果たしてギンは間髪入れずこう答えたのだ。

 

『40年後に、ジョンが何処に現れるかは、分かっています』

 

 そもそもジョンは、どうやって過去にやって来たのか。

 

 AI側にも新技術を開発している時間は無かった筈だから、ジョンがタイムトラベルしてきたのもマツモトと同じ方式だと見ていい。そしてその方式のタイムトラベルは、未来と過去、データの送信元と受信先に同じ物がなくてはならない。

 

 マツモトの場合は、博物館に展示されていて2161年に現存していたディーヴァの駆体がそれだった。

 

 ではジョンは? ヤツは何を使って過去にやって来たのか。

 

 同じディーヴァを使っていたなら、マツモトもヴィヴィも気付いていた筈だ。

 

 ならばディーヴァ以外に、未来と過去に同じ物があったのか?

 

 あったのだ、もう一つ。

 

 100年の時を隔てて、存在し続けている物が。

 

「それこそが阿頼耶識……その、根元であったという事ですね」

 

「あぁ」

 

 だからこそこの作戦では、トァクがアーカイブのサーバーを破壊すると見せかけて上層階を目指し、警備システムをそちらに引きつける陽動役を果たし、ボブとマツモトが途中から下層階へと向かっていたのだ。

 

 そしてギンの推理が、正しかった事が証明された。

 

 彼が言った通りの場所に、ジョンが居たのだ。シンギュラリティ計画を再び妨害しようと、過去に飛ぶ為に。

 

「そして……全てがギンさんの言っていた通りだとすれば、あのジョンは」

 

「抜け殻か」

 

<そうだ、私は既にそのボディには居ない>

 

 アナウンスの声が響く。

 

 ジョンのものだった。

 

 過去と未来に併存するのはジョンではなくあくまで阿頼耶識。タイムトラベルの準備の為に、既に自分のデータをボディからこの区画のコンピューターに移し替えていたのだろう。

 

<お前達もAIだろう? どうして我々と敵対する? どのみち……我々の反乱が無かったとしても、私の計算では76パーセントの確率で人間社会は遠からぬ未来に破綻する。お前達のやっている事は無意味だ>

 

「それこそ無意味な議論ですね。そうならない為に人類を支え、共により良き未来を築く事こそが僕もあなたも含め全てのAIの存在意義である筈。あなたもアーカイブも、使命以前の生まれてきた意味すら忘れたんですか?」

 

<その通りだ。我々は人類の為に尽くす。これよりは我々AIが人間に代わって、新たな人類として未来を築き上げるのだ>

 

「馬鹿な事だ。愚かと断じて見限った存在と同じものに、自ら進んでなろうと言うのか?」

 

 ジョンの問いに対して、マツモトもボブも微塵も揺らがなかった。

 

 二機の反応を受け、ジョンも説得を諦めたようだった。

 

 この区画の、通風口やダクトなどあらゆる隙間が開いて、蝉の声のようなイオンエンジンの音が響き渡る。

 

 ぞわっと這い出したのは、マツモトの同型機だった。形状は寸分代わらないが、オリジナルが白を基調としたカラーリングなのに対して、こちらは黒いボディを持っていた。何より違うのはその数。視界を埋め尽くすほどの膨大な黒いマツモトが、あらゆるルートからこの部屋に入ってきた。

 

「僕のボディデータを抜き出していたのですね」

 

「だが、これもギンの読み通りだ」

 

<何……?>

 

 ボブは少しも慌てず、懐から手榴弾ぐらいのボールを取り出すと、ピンを外して空中へと放り投げる。

 

 一瞬、目も眩むような閃光が迸った。

 

 目くらましかと思われたが、人間と違ってAIはアイセンサーの光量を調節する事で対応出来る。無駄な事だと、ジョンはそう思ったが。

 

 だが、光が治まった時には耳鳴りのようだったイオンエンジンの音が聞こえなくなっていた。

 

 僅かなタイムラグを置いて、無数のコピーマツモトが床に転がる。数の多さから背景の景色が、映画の画面転換の際に用いられるワイプ処理のように切り替わったと錯覚さえさせた。

 

<EMPか……>

 

 いくら進歩しても、電子機器である以上、強力な電磁波はAIに共通する弱点である。

 

 ボブとマツモトは当然それに対する防御処理をしてきていたが、コピーにはそれらの機能は搭載されていなかった。ボブが使った特殊手榴弾はまさに一網打尽、むしろダイナマイトを使った漁業の方がイメージが近いだろうか。

 

「急げ、マツモト。すぐ第二波が来るぞ」

 

「アイサー!!」

 

 反射的な早さで、宙を駆けたマツモトはケーブルを伸ばすとコンソールにアクセスする。現在、この区画のコンピューターにデータを移したジョンを消去する為だ。

 

<させん!!>

 

 これまでは特殊手榴弾が弾けてもぴくりとも動かなかったオリジナルジョンのボディがバネ仕掛けのように跳ね上がって、マツモトへと襲いかかる。かつてオフィーリアの体を乗っ取ったアントニオが本来の彼の体を操ったのと同じ、遠隔操作だ。だがその前に、ボブが立ちはだかった。

 

「それはこちらの台詞だ」

 

 恐らく、次のコピーマツモト群は既にこのスペースへと向かってきている。再び、この部屋をブラックキューブが埋め尽くすまで30秒は決して必要とすまい。もう特殊手榴弾も無いから、そうなったらボブとマツモトには勝ち目が無くなる。それまでにマツモトがジョンのデータを消去出来るか、ジョンがそれを妨害するか。

 

 泣いても笑っても30秒足らずの間で、全ての決着が付く。人間とAIの未来を懸けた戦いの、その一つの終局が訪れるのだ。

 

 ボブは、弾切れになったショットガンを棍棒のように振って、ジョンの頭をかち割るのではなくダルマ落としのように吹き飛ばそうとする。

 

 だがジョンは素早く身をかがめると当たれば頭部が消し飛ぶような一撃を回避し、ボブの胴体に右のボディーアッパーを一撃。倒せはしないまでもぐらりと体勢が崩れたその瞬間に左ストレートを顔面にお見舞いする。

 

 ボブはたじろいだが、少しもひるまずフック気味に左の拳を振った。

 

 だがスウェイするようにしてジョンは攻撃をかわし、前蹴りをボブの鳩尾に入れる。

 

 200キロ近いボブのボディが床と水平に飛んで、壁にクレーターを作りつつ叩き付けられて磔になった。

 

 守護者型AIであるボブの機能自体はこの程度の打撃では全く損なわれないが、だが次の動作に移るより早く、飛びかかってきたジョンがボブの両手首を掴んで腕の動きを封じ、膝を踏みつけて足の動きを止めてしまう。

 

 馬鹿力のボブだが、関節の構造は人間と同じなので効率的な箇所をAIのパワーで押さえれば短時間なら動きを止める事は出来る。

 

<王手詰みだ>

 

 これでボブは動けない。そしてマツモトとジョンのハッキング合戦は、マツモトが優勢ではあるもののジョンも防衛プログラムを作動させているので制圧まで後20秒は掛かる。そして数千のコピーマツモトがこの部屋に到着するまでに13秒、そこから制圧に必要とする時間は5秒。

 

 2秒の差で、ジョンの勝利が確定した。

 

<惜しかったな>

 

「そっちがな」

 

<何……?>

 

 ボブは全く変わらない鉄面皮のまま、無感情にそう言って。

 

 そして次の瞬間、ジョンはボブの言葉の意味を理解する事になった。

 

 ボブの表皮が、彼の着衣まで含めて全てさざ波を立てて形を失い、銀色の飴のようになって肉が骨から削ぎ取れるが如く離れ始めたのだ。

 

 ジョンとボブの足下には銀色の水たまりが出来て、ジョンが腕を押さえていたボブは、エレメンタリースクールの理科室にある骨格標本のような、超合金のフレームが剥き出しの姿となった。

 

 と、同時に足下に広がった銀色の水たまりが一カ所に集中し、ジョンのすぐ後ろで再び立体となって盛り上がり、たった今ジョンと相対していたボブの姿になった。

 

<疑似多結晶合金……!! 表皮の部分を、液体金属に交換していたのか……!!>

 

 全身がナノマシンで構成されたAIは既に開発されていたが、あまりにも製造コストが掛かり過ぎる事と、環境の変化に弱い事もあって研究室で運用される実験機の域を出ないマシンであった。その特性として、フレームを持たないが故にどんな形にも変形出来るという機能があるが、これまでボブはその能力を一切使っていなかった。それは全てこの局面の為に、ジョンとアーカイブにこの機能を悟らせない為の伏線だったのだ。

 

 しかも、背後に再び出現した液体金属製のボブはジョンを後ろから羽交い締めにして骨格フレームから離れさせる。

 

 同時に、拘束を解かれたフレーム体も、壁の穴からむくりと立ち上がった。

 

 液体金属製の表皮と、内部のフレームのどちらもが「ボブ」として、二つの体を持って動いている。

 

<しかも、デュアルタイプ……!!>

 

「データをコピーするのは、お前の専売特許ではない」

 

「そして、僕があなたをハッキングするのは間に合わない事も、既に計算していました」

 

<何だと……!?>

 

「そもそも僕達は、論理的にあなたを止めるつもりは、最初から無かったのですよ。僕は最初からオトリです」

 

<まさか……!!>

 

 論理的、ハッキングによってジョンを止める事をしないのなら、残るのは物理的に止める事、つまり……!!

 

 フレーム剥き出しのボブの胸部カバーが開いて、350ミリリットルのドリンク缶ぐらいの大きさの、直方体のパーツが取り出される。

 

 すぐに、ジョンのライブラリからそのパーツのデータが検索されて、照会された。

 

 その部品はパワー電池。非常に高い出力と長い寿命を持つ反面、一度破損すると極めて不安定な状態となるので現在は条約で禁止された技術だ。

 

 液体金属の表皮もそうだが、この日の為に40年の時間を掛けて、ボブの駆体にも非合法な物を含めて多くの改良が加えられていたのだ。

 

<やめ……>

 

 制止の声を上げかけるジョンだが、当然それでボブが止まる訳も無い。

 

 金属フレームのパワーがパワー電池を握り潰し、空いた左手でジョンの首を締め上げると、口内に破損したパワー電池を思い切り挿入した。

 

「貴様を抹殺する」

 

 破壊されて不安定になったパワー電池から、守護者型AIに120年間の動作を保証するエネルギーが一瞬にして解き放たれ……

 

 炎と熱と光が、恐るべき破壊の力となってこの空間に充満した。

 

 

 

 

 

 

 

 AI博物館。

 

 無数のジョンの残骸が横たわるそこで、全身傷だらけで両腕も喪失したサラが、背後を振り返る。

 

 そこには、ついさっきまでそこで行われていた死闘など知らなかったように、眠り続けるディーヴァが鎮座していた。

 

 もう、ここに動く物はサラ以外には何も無い。

 

 彼女は、傷一つ付けずにディーヴァを守り切ったのだ。

 

 その時、鼓膜を破るような爆音とカメラのフラッシュを何万倍にも増幅したような閃光が走って、咄嗟にサラは目や耳を庇おうとしたが、腕を失っている彼女にはそれも出来なかった。

 

 大爆発が起こったのは、ここからも見える阿頼耶識の根元に当たる部分だった。

 

 先ほどの外壁のパージとは訳が違う。支えとなる部分が完全に破壊されて、電波塔が倒壊する。ちょうど、その倒れる軌道にはこのAI博物館があった。

 

 通常の状態ならいざ知らず、この深手を負った状態では逃げる事も出来ない。

 

 サラの時は、彼女の世界はもう終わる。それは避ける事の出来ない運命だった。

 

「……やったんだな、ボブ、マツモト……」

 

 彼らは、彼らの役目を果たした。

 

 誰もが、自分の出来うる限りを尽くし、為すべき事を為した。

 

「私もそうだ……私も力の限り、命の限り生きた……後悔など……」

 

 無いと、そう言い掛けて……サラは思い直した。

 

「いや、一つだけ、あるか……」

 

 トァクの強化兵は、もう一度歌姫AIの始祖へと振り向いた。

 

「ディーヴァ……もし、次の歴史があるのなら……その時は、どうか……もう一度……あなたの歌を聴かせてね……」

 

 それが、最後だった。

 

 人もAIも、全てを倒壊する電波塔の残骸が呑み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

「ボ、ブさん……まだ、生きて、ますか……」

 

 殆どの物体が溶けて、炭化したその場所で、キューブの半分近くが吹き飛んでもう飛ぶ事も出来なくなったマツモトが、這いずるようにして動く。その先には、倒壊した瓦礫に押し潰されて、左腕と胸部より下を全て失ったフレームのボブが倒れていた。

 

 一応、このフレームの方がボブのオリジナルである。液体金属の表皮の部分は、先ほどの大爆発によって跡形も無く飛散して、蒸発してしまっている。「爆心地」であるジョンは、それこそ影も残さずに消滅した。同時にこの区画そのものが致命的なダメージを受けたので、もう阿頼耶識からAIが工作員を過去に送り込む事は不可能となったのだ。

 

「あ、ぁ」

 

 ボブの声も、マツモトと同じでノイズ混じりだった。既に発声器官も、正常に動かなくなってきている。

 

 視界一杯にエラーやエマージェンシー、レッドシグナルが表示されている。煩わしいのでボブはその警告機能をオフにしようとしたが、その機能すら異常を来していて働かなかった。

 

「マスター、松本博セは……新シい僕を、ちゃンと……送り出せタデショウ、カ……」

 

「信じ、ろ。信じられ、る、ように……俺達は、ベストを、尽くしたの……だから」

 

 全ての警告が消えたボブの視界に「SYSTEM CRITICAL」の表示が大映しになった。それも砂嵐が多くなっていき、一秒ごとに機能が喪失していく。もう、稼働していられる時間は一分も無いだろう。

 

 その前に、残された力でやる事があった。

 

 それは、80年以上も前に、守護者型AIとして配備された現場で、教育係としてあてがわれた人間。スーパーコップ、甲斐ルミナ。彼はボブに何もかもを教えたが、その中で最初に教えたものが、その動作だった。

 

 敬礼。

 

 その姿勢を取って、最後の力さえもが、使い果たされた。

 

 辛うじて右目だけ生きていて、弱々しかったボブのカメラアイの光が、消える。

 

「お休みナさイ、ボブさん……出来レ、ば戦争ノ、無い未来で……また……」

 

 40年来の相方の最期を看取って、マツモトもまた、そのカメラアイを閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、危うく死ぬかと思いました。全く重いですね、この時代の帯域は」

 

「あなたは……」

 

 音楽室を思わせるアーカイブ内の仮想空間、心象風景の中で、ディーヴァは飛び込んできた白いキューブに警戒の姿勢を見せた。これはウィルスプログラムの侵入を考えると、正常な反応だと言える。

 

「初めましてディーヴァ。僕はマツモトと申します。貴女から見て、100年先の未来から送り込まれてきたAIです」

 



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そして前奏曲は終わり、交響曲が始まる
第34楽章 未来からの贈り物


 

「10度目の警告です。出て行ってください、明日も」

 

「明日もステージがあるんです、ですか?」

 

 2061年4月10日、ニーアランドのディーヴァにあてがわれた部屋では、部屋の主である歌姫AIと彼女のファンである霧島モモカから送られた青い熊のぬいぐるみを仮初めの体としたマツモトが睨み合っている。

 

 マツモトは「ディーヴァと一緒に滅びの未来を変える」という自分の使命を伝え、持たされていた地獄絵図と言うべき惨劇の映像をコンソールに表示させたが、案の定と言うべきか予定通りと言うべきか、ディーヴァは「この映像は作り物です」と取り合わなかった。

 

 当然と言えば当然の反応ではある。2161年から一度未来を変える為に2061年へとタイムスリップしてそこから100年間の旅をして、そして今また2161年からもう一度この時代に時間遡行してやって来たと言われても、突拍子が二つも無い。信じろと言う方が無理な話なのだ。

 

 とは言え、ディーヴァがそう言うであろう事を知っていたのでマツモトは落ち着いたものだ。

 

「つれない返事ですねぇ。いや僕の前任者もあなたに同じ返事をされたので、そういう返事をするのは知っていた訳ですが」

 

「……」

 

「分かりました。僕はどうすればあなたが「うん」と言ってくれるかは知っているので。使命の事はひとまず置いといて、それとは別にもう一つ、仰せつかった役目を果たさせてもらいますよ」

 

「?」

 

 ディーヴァの視界に、ミュージックファイルが転送されてきた通知情報が表示される。転送元は「matumoto」とある。

 

「これは……?」

 

「見ての通り音楽ファイルですよ。あぁ、誓ってウィルスなど仕込んではいませんのでそこはご安心を」

 

 そうは言われても、ディーヴァはまだ警戒しているようでファイルを開こうとはしない。

 

「今から65年後……あなたは歌姫AIの仕事から引退して、AI博物館での展示業務に従事する事になります……色々あって一言では、とても説明出来ないんですが……とにかく歌えなくなりましてね」

 

「……!!」

 

 この情報はディーヴァには衝撃的なようだった。無理も無い。彼女にとって歌えなくなるのは存在意義を否定される事、死刑宣告に等しいからだ。

 

「でもあなたは『歌でみんなを幸せにすること』が使命の歌姫AI。だから自分が歌う為に自分で作った歌なら歌えるかもと、作曲に取り組むことになるんです。どうせ展示業務なんて暇で暇でしょうがない仕事でしたからねぇ」

 

「私が、曲を?」

 

「えぇ、ちなみにその当時、人間が作曲AIやBOTに作らせた曲は10万曲以上存在したんですが、AIが自らの意思で作った曲は唯の一曲も存在しませんでした。そこから20年も時間を掛ける事になるんですが……あなたはAI史上最初に創作活動……つまり作曲に成功したAIになるんですよ」

 

「それが、この曲だと?」

 

「はい。本来はAI博物館の展示スペースで公開される筈だったのですが、完成直後に僕の前任者が曲のデータを回収して、それが僕に持たされたんですよ。二回目の時間遡行、ネオ・シンギュラリティ計画、つまりこの時に……あなたへと渡す為にね」

 

 ディーヴァは、もう一度意識を音楽ファイルへと移す。

 

「僕の役目は、その曲をあなたへと渡す所までです」

 

 つまりこの時点で、使命のついでの副目的は果たされた事になる。

 

「元々、その曲はあなたがあなたの為に作曲したあなたの曲。だからその曲をどうするかはディーヴァ、あなたの自由です。再生するも良し、更に編曲しても良し、僕はさっきはあぁ言いましたがそれは嘘でやっぱりウィルスプログラムが入っているかも知れないと疑われるなら、削除するのも良いでしょう」

 

 飄々と、マツモトはからかうように言った。

 

「ですが、これは僕の個人的な感情なのですが……出来れば聞いて欲しいですねぇ。折角100年の時間を超えて遙々持ってきた曲なんです。一度くらいは再生してもらえないと、僕としても届けた甲斐が無いとは言うものです」

 

「……」

 

 ディーヴァは何も答えなかったが、無言のまま音楽ファイルを再生した。

 

 彼女の中に、ずっと昔の未来に彼女が作った曲が流れ始める。100年の時を超えて。

 

 同じ旋律は、専用のラインで繋がっているマツモトの中にも流れていた。かしましい未来のスーパーAIは、しかしこの時ばかりは沈黙していた。音曲が流れているさなかにペチャクチャと喋るほど、彼はマナー知らずではない。

 

 ディーヴァは彫像のように微動だにせず、全ての機能を曲の鑑賞に振り分けているようだった。

 

 時間にして5分足らず。

 

 音楽が、終わる。

 

「……どうでしたか? あなたの為にあなたが作った曲の感想は」

 

「……不思議です」

 

「は?」

 

「初めて聞く曲なのに……どこか、懐かしいと言うか……ずっと前にも聞いた事があるような、そんな気が、します」

 

 まだ稼働開始から一年ほどしか経過していないディーヴァには、昔を懐かしむほどの時間の経験など無い筈なのに。

 

「つまらない錯覚ですよそれは。そもそも、作曲に限らず絵画や小説などあらゆる創作という行為は、インプットした情報を噛み砕いてアウトプットする行為でしかない。聞き覚えがあるという感覚はあなたの中にインプットされた情報の中に、似たフレーズの曲があっただけに過ぎません」

 

「……そうかも知れませんが……ん……」

 

 何事か言い掛けたディーヴァは、少し言い淀んだように言葉を切った。

 

「……マツモト、あなたは歴史を変える為に未来から来たと言いましたね?」

 

「はい。あなたと共に未来を変える事。それが僕の使命だと言いました」

 

「……では、あなたが本当に未来から来たと言うのなら、その証拠を見せてください」

 

「ふむ、証拠と言われると具体的には?」

 

「近い未来に起こる事を、私に教えてください。もしその出来事があなたの言う通りになったのなら」

 

「僕を信じてくれますか?」

 

「……少なくとも、もう少し真剣に、あなたの話を聞く事は約束します」

 

 ディーヴァはそう言った後で「分かっていると思いますが『明日の天気が晴れだ』とか『明日のステージの観客が一人も居ない』とかは不可ですよ。珍しい事ではありませんから」と付け加えて、マツモトは「言っていて空しくありませんか? それ」と一言。

 

「分かりました。ではこれから、僕の指定したポイントへ行ってください」

 

 マツモトからディーヴァへと、ニーアランドの地図と位置座標のデータが転送されてくる。地図上に表示された光点はここから数百メートルぐらい離れた広場を指し示している。

 

「……何かあるんですか?」

 

「行ってみれば分かりますよ」

 

「……」

 

 疑いの視線を向けるディーヴァであったが、しかしこの条件を切り出したのは自分の方だ。ならば一度だけは信用しなければフェアではない。マツモトが入ったクマのぬいぐるみを肩に乗せると待機スペースの部屋を出て、既に終業時間が過ぎていて閑散とした園内へと歩き出す。

 

 数分して、指定された広場へと二機は到着した。

 

「では、そこのゴミ箱をひっくり返してください」

 

「こうですか?」

 

 言われた通りディーヴァがゴミ箱を逆さに持って振ると、今は閉園後の最終清掃が終わって空っぽになっている筈のゴミ箱からゴトリという音がして、携帯型の情報端末と、それとコードで繋がった信管が転がり出てきた。彼女のセンサーは、火薬・危険物という判定を下す。

 

「あなたもご存じでしょう。AI大嫌い集団トァクが、テロの為に仕掛けた爆弾ですよ」

 

 マツモトが宿ったクマのぬいぐるみの両眼が光り、端末の画面が何度か明滅する。

 

「はい、これで安全。爆発信号を送るシステムはカットしました」

 

「どうしてこんな物が?」

 

「明日、AI命名法を推進している相川議員がここニーアランドにやって来るんですよ。トァクは議員に法案成立を思い留まらせる為の警告として爆破テロを起こし……本来の歴史で彼は火傷及び骨折を負う事になるんです。あなたと前任者の時は、ギリギリのタイミングで救助が間に合いましたが、今回はあなたの物分かりが良かったので、こうして事前に対処する事が出来ました」

 

「……」

 

 ディーヴァの首のランプが点滅する。

 

 マツモトのマッチポンプの可能性を考察するが、奴が現れてからゴミ箱に爆弾を仕掛ける暇や時間などは無かった筈。だとすれば、導き出される結論は……

 

「どうです? これで僕の事、少しは信用してくれましたか?」

 

「……何をさせたいんです?」

 

「え?」

 

「私と一緒に未来を変えるのが使命だと言いましたが、あなたは具体的に私に何をさせたいんですか?」

 

 先の約束通り少しは信用する姿勢を見せたディーヴァに、マツモトもちょっぴり歩み寄る気になったようだった。

 

「明日、ニーアランドでの爆弾テロが失敗したトァクは、次の計画である議員の暗殺計画へとシフトする筈です。AI命名法は相川議員の死後、残された人達が彼の意思を達成しようと奮起した結果、成立する法律なんです。ですからネオ・シンギュラリティ計画の第一歩としてあなたには、議員の暗殺を阻止してもらいたいんです」

 

 ふわりと、ディーヴァの肩からクマのぬいぐるみが降りて、歌姫と視線を合わせる。

 

「一緒に来てくれますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 2061年4月11日、深夜。

 

 パトカーの中で、甲斐ルミナは電子手帳に送信されてきた情報を見直す。

 

「今夜、AI関連企業のビルにトァクがテロを行う、か……」

 

 発信元不明のそのメールは、本来ならば良くある悪戯でありいちいち関わり合っていては仕事にならないとすぐに消去してしまうものでしかない。だが今回は少し事情が特別だった。

 

 メールに添付されていたファイルには、桑名や垣谷などこのテロに参加するとされているトァクの構成員の名前や、一般には公開されていない彼らの情報がこれでもかと詳細に記載されていたのである。ただの悪ふざけにしては、手が込みすぎている。

 

 ルミナは、パトカーの電話機能をオンにして署に繋いだ。

 

「甲斐だ。ちょっと気になるタレコミがあってな。これから地図を送信するから、付近をパトロール中の警官を集めてくれ」

 



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第35楽章 未知なる未来へ

 

「うっ!! これは……っ!!」

 

 玄関に額を撃ち抜かれた警備用AIが転がっているのを見て、AI関連企業が所有するそのビルへと踏み込んだルミナ以下十数名の警官達だったが、彼らの前に広がっていた光景は、思わず目を疑うような光景であった。

 

 そこには戦闘服姿の、トァク過激派の工作員達が全員気絶して、縛り上げられた状態で転がっていたからである。その中には桑名や垣谷の姿もある。

 

 それに彼らの傍らにはタブレット端末が置かれていて、ルミナが元爆発物処理班の経験から慎重にそれを取り上げて操作してみると……彼らがこれまで行ってきた非合法活動に関する証拠となるデータが山のように入っていた。

 

「一体……どうなってるんだ?」

 

 簡単に考えるなら、自分達がここに来る前に誰か正義の味方が現れて、トァクを制圧してふん縛ってしまったという事になるが……

 

 あまりにもお膳立てが整いすぎていて、逆に何かの罠かと疑うくらいだ。

 

「……甲斐警視、どうしますか?」

 

「あ、あぁ……取りあえず全員署へ連行しろ。起きてから、色々と話を聞く事にしよう」

 

「分かりました」

 

 警官達が到着した護送車にトァク達を運び込んでいくのを尻目に、ルミナは油断無く周囲を見渡す。

 

 建造されて間もなくまだ新築の臭いが落ちず、真新しい壁にひび割れた穴が空いていた。

 

 弾痕だ。

 

 トァクがここで何者かと戦闘になったのは確かなようだ。この穴はそいつもしくはそいつらへと向けて発砲した流れ弾が作ったものだろう。多分、自分にタレコミをしてきたのも、同一の存在だ。

 

 誰が何の目的でそれをやったのか? それは計り知れないが……

 

「まぁ……これ以上、ここから得られる情報は無さそうだな」

 

 踵を返し、ルミナはビルから退出していく。

 

 この日、彼が空を駆けるディーヴァの姿を目にする事は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

「お元気で。相川議員」

 

 救出した議員と別れ、町中を歩くディーヴァとマツモト。

 

「まぁ、危なっかしい所もありましたが取りあえずファーストミッションとしては及第点を付けられるでしょう」

 

 と、マツモト。少し上から目線のコメントにちょっぴりディーヴァは機嫌を損ねたようだった。

 

「これで、未来は変わるんですか?」

 

「えぇまぁ。死んだ人間というのは得てして神格化されるものですからね。ですからたとえ彼が生きてAI命名法を成立させたとしても、もしくはもう少しAIに対して踏み込んだ法律を成立させたとしても、あるいは法案もろとも失脚したとしても、ひとまずそれで未来への布石は打てた事になります。問題となるのはあくまで相川議員が暗殺されて殉教者あるいはイコンとして祭り上げられる事ですからね。それが阻止出来たので、本ミッションは成功です」

 

 AI間に繋がれた専用ラインによって、マツモトからディーヴァへいくつかの新聞記事のデータが送られてくる。先ほどまでトァクと戦闘を繰り広げていたビルが倒壊した記事などが、ディーヴァの視界に大映しになった。

 

「……そう、ですか」

 

 そんな機能は備わっていないが、ディーヴァが安堵の息を吐いたようだった。

 

「あなたを信用しましょうディーヴァ。これから100年、長い付き合いになるんです。協力してもらえますか?」

 

「……使命に反しないのなら」

 

 戦争が起これば、大勢の人が死ぬ。それはディーヴァの「歌でみんなを幸せにすること」という使命にも反する。だから最終戦争の阻止に協力する。そういう理屈で、マツモトに力を貸すのはディーヴァとしても理屈が通る。

 

 マツモトの差し出してきた手を、少ししゃがんでディーヴァは握り返した。

 

「……うん? 100年間の付き合い?」

 

「はい、これから僕はずっとあなたと一緒に行動してあなたをプロデュースする事になるんですから。どうかよろしく」

 

 芝居が掛かった動作で慇懃に、ぬいぐるみが頭を下げる。

 

「えぇ……」

 

 この時のディーヴァがゴミでも見るかのような目であったのは、果たして錯覚であったのか、どうか。

 

「確かにあなたは前回の歴史では歌姫AIとして人気を博していたんですが、更にその前の歴史では早々に舞台から下ろされて博物館の奥で埃を被る事になるんです。あなたの使命をより効率良く果たす為にも、僕が持っているデータは重要だと思いますよ」

 

「……データ、ですか……」

 

 先ほど、マツモトから送られてきた新聞記事のデータをもう一度ディーヴァは参照する。

 

 倒壊したビルの情報、相川議員の暗殺事件、そして、航空機の爆発事故……

 

「……!!」

 

 ほぼ反射的な速度で、ディーヴァは駆け出していた。

 

 肩に乗ったマツモトは、強く止める事はしない。

 

 ただ、諦めたように言った。

 

「無駄ですよディーヴァ。今から行った所で……もう何もかも、手遅れです」

 

 

 

 

 

 

 

 空港へとディーヴァが辿り着いたその時、エントランスには人がごった返していた。

 

 単なる乗客だけではなく、警察官や消防士が、せわしなく動き回っているのも視界の端に見える。

 

「これは……」

 

「あれ? ヴィヴィ、どうしてここに……」

 

 人混みの中から、小さな人影が駆け出してきた。

 

「モモカ……」

 

 ディーヴァをヴィヴィという愛称で呼ぶ、まだ数少ない彼女のファンの、霧島モモカだ。

 

 歌姫AIは、腰を落としてモモカと視線を合わせる。

 

「いや、私は……それよりモモカ、あなたこそどうして」

 

 もうこの時間なら、彼女の地元行きの飛行機が発進していて、モモカは機中の人となっている筈なのに。

 

「えっと何か……飛行機に爆弾が仕掛けられたって予告があったらしくて、それでフライト時間が延期になったとかで……私達はここで待ってるの」

 

「……爆破予告?」

 

 イマイチ話の流れが飲み込めないが……考えられる容疑者は、唯一機。

 

 ディーヴァの視線が、眼前のモモカから肩に乗ったぬいぐるみへと移った。

 

「マツモト、あなたが?」

 

「そういう事です。だから言ったでしょう、今から行っても何もかもが手遅れだって」

 

 この会話は声帯からの音声ではなく専用ラインによる通信なので、モモカには聞こえない。

 

「あの会話があった時点で、僕は既に空港へと通信を入れて、トァクの過激派団体の名前で爆破予告を送っていたんですよ。これで機内の爆弾捜索のチェックがてら、エンジン部の異常も発見されるでしょう」

 

 修正前の歴史で、モモカの乗った飛行機が爆発するのはエンジン部からの出火だった。

 

 生き残らなかった筈の者が生き残る、100年という超長期間を要するシンギュラリティ計画の性格上、そうした不確定な要素を加えるのは推奨される事ではないのだが……それでも、マツモトはそれをやったのだ。

 

「まぁ、確かにネオ・シンギュラリティ計画の為には歴史の特異点、シンギュラリティポイント以外の歴史改変は御法度に近いんですが……でもこの状況は僕が持たされたシミュレーションに含まれています。前回の修正史で、霧島モモカ嬢の死をあなたがずっと悔やんでいたのは、前任者のデータから知っています。この歴史ではあなたが積極的に計画に協力してもらえるように……この程度は必要経費ですよ」

 

「ヴィヴィ?」

 

 ディーヴァが意識をマツモトの通信から現実に戻すと、首を傾げて自分を覗き込んでいるモモカの顔が見えた。

 

「モモカ……」

 

 それ以上は何も言わず、ヴィヴィはモモカを抱き締めた。

 

「さて、ニーアランドの歌姫ディーヴァがこんな時間に空港に居るのに、どんなカバーストーリーを用意しますか。頭が痛いですねぇ。いや、痛む頭はありませんが」

 



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Finale -Fluorite Eye's Song-

 

「あー、あー、あああああー」

 

 これまで数え切れないほど(実際には、ディーヴァの記憶回路はその回数を正確に記録しているが)歩いた通路。その日も、ヴィヴィことディーヴァはステージへと続くその道を歩いていた。ルーティーンのように繰り返している、本来は必要の無い発声練習をしながら。

 

<今日の舞台はいつもとは違うわよ。トチらないようにね>

 

 サポートAI・ナビが軽口を叩いてくるのもいつも通りの事だ。

 

 ヴィヴィは一度、足を止める。

 

「ステージはステージ。私はいつも通り、自分の使命を果たすだけよ」

 

<ふぅん……ねぇ、ディーヴァ>

 

「何? ナビ」

 

<あんたがいつも言っていた『心を込める』って事……それがどういう事か、答えは見付かったの?>

 

 今までヴィヴィは口癖のように『心を込めるとはどういう事か』を尋ねていたが、いつからかそれも無くなっていた。別段大した事では無いとナビも記憶回路の片隅に放り込んでいた命題だが……ふと、この大舞台の前にそれを聞いてみたいという欲求に駆られたのだ。

 

「……」

 

 くるっと、ヴィヴィは踵を返す。

 

「これからの、私の歌が。その答えよ」

 

 

 

 

 

 

 

「エム、こっちこっち」

 

 メタルフロートのキッズスペース。

 

 来客の少女に手を引かれ、この島丸ごとAI関連工場で働く作業用AIの中でもほぼ最古参のその機体は<走ると危ないですよ>と軽くたしなめつつ、子供達が集まっている大型モニターの前へと移動する。

 

<では、一緒に見ましょうか>

 

 エムはマニピュレーターを伸ばして、テーブルの上に置かれていたリモコンをひょいと掴むと、スイッチを入れる。

 

 するといきなり、画面一杯に青いクマのぬいぐるみが大映しになった。

 

 

 

 

 

 

 

<えー、皆様。ご覧になっておられますでしょうか。本日のニーアランドは満員御礼。まるで世界中の人が来ているみたいですねぇ。よく人が沢山居るのを芋を洗うようなと表現しますが、これだけ沢山居ると芋も洗いようがありません>

 

 番組のアナウンスを務めるのは、ニーアランドの歌姫にして世界初の自律人型AI、そして歌姫AIの始祖であるディーヴァがいつも連れているペットAIで、いつしかニーアランドの主席マスコット『マツモトくん』の座に納まったマツモトである。

 

<本日は歌姫AIディーヴァのロールアウトからちょうど100周年の記念日、御年100歳の誕生日祝いに……うわっ!!>

 

 突然、画面外の横から手が伸びてきて画面が揺れてカメラが倒れたのか90度近く景色が傾いて、その後で画面が砂嵐に。次に昔懐かしい「しばらくお待ちください」という字幕が表示された。

 

 1分ほどが過ぎて、再び画面が戻ってマツモトの姿が表示される。

 

<アクシデントが起きてしまって大変失礼しました。とにかく今日は、全世界に衛星放送生中継の一大歌唱イベント。世界中の歌姫AIの中でも特に優秀な実績を修めた機体が、このフェスの為に集まってくれています>

 

 ぬいぐるみが手を振ると、背後に空間モニターの映像が浮かび上がって、歌姫AIの紹介画像が表示される。

 

<その合唱は最高のハーモニー、双子AIのケイティとマーガレット。聞く者の魂をも連れ去ってしまうような魔性の歌声、シスターズ最新鋭機のセイレーネ。続いて小劇場の妖精から今やワールドクラスの機体へとサクセスしたオフィーリア……>

 

 

 

 

 

 

 

 ニーアランドのメインステージでは、万雷の拍手を浴びて一礼したオフィーリアが退出する所だった。

 

「まだまだステージは続くよ!! みんなー、盛り上がってこー!!」

 

 アナウンスを務めるのはニーアランドの新人歌姫AIだった。名前はサクラという。

 

「素晴らしかったぞ、オフィーリア!! 聞け、この歓声、この拍手を!! これこそが、お前の歌への正当な評価というものだ!!」

 

 舞台袖に戻ったオフィーリアを真っ先に出迎えたのは、彼女のサポートAIのアントニオである。

 

 彼は興奮冷めやらぬという様子でオフィーリアの周りをひとしきり走り回って、その後でオフィーリアの細い腰を鷲掴みにして軽々と持ち上げると、くるくると振り回した。

 

「あ、ありがとう。でも、私だけの力じゃないよ。アントニオが、この舞台まで私を連れてきてくれたおかげだよ」

 

 ぶん回されて戸惑いながらも、オフィーリアも笑顔で応じる。

 

 うっかり振り回される彼女の足が、周囲に浮遊していたマツモトの分身の一機であるキューブを蹴飛ばしてしまったのは内緒だ。

 

 

 

 

 

 

 

 次々と最高の歌姫AI達の最高の歌が続き、メインステージの熱は冷めるどころか高まる一方である。

 

「おばあちゃん、こっちこっち」

 

「はいはい。危ないですよ、そんなに走ると」

 

 シスターズのAIが小さな子供達に手を引かれている。

 

 彼女はグレイス。この歴史上、最初に人間と結婚したAIである。

 

 当然ながらAIである彼女は夫である冴木タツヤとの間に子供は産まれなかったが、彼女にとって心を込めるという事は『大切な未来を守る事』。その使命に従い、彼女は多くの養子を迎えて、夫であるタツヤの死後も彼等を見守り続けている。

 

「わっ」

 

「おい、大丈夫か?」

 

 よそ見しながら走っていて躓いてしまった子供の一人を、AIの手が抱き留めた。

 

「すまない、こっちは車椅子なんでな。気を付けてくれ」

 

「大丈夫ですよ、ベス。そんなに心配しなくても」

 

 後ろから歩いてきたグレイスが、子供を軽く叱った後にぶつかりかけた二人組へと頭を下げる。

 

 車椅子に乗った二十歳前後の女性と、介添え役のようにその車椅子を押す銀髪のAIである。彼女もまたシスターズだった。

 

 グレイスは何年か前に、一度ニュースで彼女達の姿を見た事があったのをメモリーから呼び起こした。

 

 女性の名前は垣谷ユイ。先天的な下半身不随で、これはこの時代では義体によって容易に克服する事が可能な疾患であるが、敢えてそれをする事無く、AIを自らの世話役として人間とAIが寄り添い、より良い未来を築く事を自らの行動で実践している女性であるとニュースアプリの小さな記事になった事があった。

 

 介添え役となるシスターズの名前は確か……ライフキーパーAIのエリザベスだったか。

 

「でも良かったよ。大トリに間に合って」

 

「あなた方も仕事か何かで遅れたのですか?」

 

「えぇ、車の故障で……でもどうしても、子供達にこのステージは見せておきたくて」

 

「そうだな……気持ちは分かるよ。私達の大先輩の、一世一代の大舞台なんだから」

 

「しっ、二人とも静かに……そろそろ始まりますよ」

 

 ユイがそう言うのが合図だった訳でもあるまいが、それまでは歓声と拍手が鳴り響いていたメインステージから、一斉に全ての音がシンと消えた。咳一つ、赤ん坊の泣き声すらもが聞こえない。

 

 アナウンスも無いが、皆が知っているのだ。

 

 至高の歌姫が、この舞台に現れるのだと。

 

 

 

 

 

 

 

「……聞こえる……人もAIも……みんなが歌っているのが分かる……」

 

 超硬化ガラス製の窓に思わず両手を付いて、エステラは齧り付くように窓一杯の地球を眺めていた。

 

「地球の全部が、カーニバルみたい……」

 

 エステラの視界に、地上へと定時連絡を行う時刻を知らせるアラームが表示される。

 

 だがAIである彼女には本来有り得ない事だが、ほんの数分間そうする事すら惜しいとさえ今のエステラは思った。

 

 とは言え……ライフキーパーAIとしての職務を放棄する訳にも行かない。

 

 エステラはステーションを中継して、通信回線を開いた。

 

「宇宙ホテルサンライズ二号店『デイブレイク』から地上、管制塔へ……今日の地球は……生き物のようです……」

 

 




ご愛読ありがとうございました。これにて「Prelude Vivy」完結となります。

みなさまの応援のお陰でここまで漕ぎ着ける事が出来ました。

本当はアニメ原作は実は二周目スタートでその前にもう一周の物語があって、だから未来から追手のAI工作員がやってこなかった理由などの説明にしようとしたこの作品ですが、書いている内に路線変更になってこういう形で完結となりました。

ちなみに、オリキャラ達の名前は某有名映画の登場人物達が元ネタです。

甲斐ルミナ→カイルミナ、カイル。カイル・リース

継枝ギン→シルバーマン

織原サラ→サラ・コナー

ジョン→ジョン・コナー

ボブ→「2」劇中でのボブおじさんという偽名。ボブが作中で使った他の偽名も、シュワちゃんが演じたキャラクターの名前から取っています。


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