ウマ娘超光速戦記 -TACHYON Transmigration- (LN58)
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序章 Listed:URAファイナルズの暗闘
第0話   自称:未来人の頭のおかしい新人トレーナー


-西暦20XX年07月31日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

私の名前、正確にはこの身体の持ち主の名前は、斎藤 展望(さいとう のぶもち)という。

 

この年の春に日本ウマ娘トレーニングセンター学園に所属することになった新人トレーナーということなのだが、

 

我が事ながら他人事のように感じられてしまうのは、私の意識が西暦23世紀の未来人だからというのもあるのだが、

 

一番の原因は 不慮の事故でウマ娘に撥ねられて 3ヶ月間 意識不明の重体となっていたからなのだろう。

 

しかも、どうにも評判が悪かった男らしく、男のことを知る周囲のヒトやウマ娘たちの反応はよろしくない。

 

一応、状況が全く飲み込めずにいたところを見かねた親切な先輩トレーナーに引き取られて、

 

今は新人再研修を兼ねてその先輩トレーナーのチームで副トレーナーをさせてもらって日銭を稼がせてもらっているが、

 

ヒトによく似た知的生命体であるウマ娘とのふれあいの日々は非常に興味深いものであった。

 

そして、天文学的には私の知る地球そのものである地球型惑星だが、地球の歴史とはまったく異なる進化と歴史を持つ地球であるため、

 

本来の自分の身体を失って見知らぬ何者かになって右も左も分からない状況ではあったものの、

 

私は一足先にプロキシマ・ケンタウリへの惑星移住がなされたものとして、この状況を大いに歓迎することにした。

 

そのため、私はここでの日々を”航星日誌”として観察記録をまとめておくことに決めた。

 

私の本職は波動エンジンなどの宇宙船エンジニアなので、アスリート養成施設のトレーナーは畑違いもいいところなのだが、

 

データ分析や耐久試験、スケジュール管理などの根気が必要な専門技能がウマ娘たちの面倒を見るのに活かせるのではないかと思って前向きに取り組んでいる。

 

実際、先輩も私のそういった能力を評価して連れ回してくれているので、私も非常に助かっている。まさに『芸は身を助ける』というわけだ。

 

しかし、そういった方面に転職した方が断然いいと思われているのも事実であり、

 

いずれは本職として宇宙時代になる前に波動エンジンをこの世界で開発するのも悪くないと思っている。

 

トレセン学園のトレーナーはこの地球のヒトにとっては人気の職業の1つであるらしく、

 

宇宙船エンジニアだった頃と比べると格段に安い給料ではあるが、

 

男がトレセン学園のトレーナーを目指していた理由の1つであったことはわかっている。

 

そんなわけで、この世界で自立できるまでは花形職業の1つであるトレーナー業に打ち込んでいこうと思う。

 

 


 

 

斎藤T「……先輩、1つ訊いていいですか?」

 

桐生院T「はい、何でも訊いてください、斎藤さん」

 

斎藤T「どうして、レースの後にウイニングライブをするんですか?」

 

桐生院T「よくぞ聞いてくれました!」

 

桐生院T「実は、トレセン学園のトレーナーにはウイニングライブの指導も必須の技能ではあるんですが、」

 

桐生院T「その起源や意義について おざなりになっているトレーナーが多いので、これは大変いい質問ですよ!」

 

桐生院T「まず、ウイニングライブの最古の記録はなんと紀元前2万年前のラスコーの壁画とされているんです」

 

斎藤T「ラスコーの壁画――――――、そこからして歴史がちがうんだ……」

 

斎藤T「でも、それなら短距離走選手と長距離走選手とでは必要なトレーニングや能力がちがうのに、よく同じステージで踊らせようとしますね?」

 

桐生院T「そうなんですよ! そこです! 目の付け所がちがいますね、斎藤さん!」

 

桐生院T「実際、ヒトと同じようにウマ娘にも【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】の適性があるのはわかりますよね」

 

桐生院T「そして、それに加えて【脚質】【バ場】の相性を鑑みて出走するレースを決めるわけなんですが、」

 

桐生院T「考えてもみてください。ヒトが出走するフルマラソン:42.195kmと比べたらウマ娘の【長距離】も大したことはないですよね」

 

斎藤T「たしかに、ウマ娘の力強さと足の速さならフルマラソンの世界新記録なんて余裕では?」

 

桐生院T「普通に考えればそうなんですよ!」

 

桐生院T「でも、長い地球の歴史をヒトと共に歩んできたウマ娘は、時には戦場を共に駆ける戦友として活躍してきましたが、」

 

桐生院T「残念ながら、戦場で活躍したウマ娘たちはヒトよりも遥かに短命で生涯を終えているんです」

 

桐生院T「つまり、ウマ娘という生き物は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんです」

 

桐生院T「そして、日本最高峰のトレセン学園であっても、夢半ばで故障によって引退を余儀なくされた子たちがたくさんいるんです」

 

斎藤T「なるほど、アスリートが短命になりやすいのが種族レベルで起きているわけか……」

 

斎藤T「そうなると、基本的な身体能力が高い種族はそれに反比例して短命になりやすいのが自然の摂理なのか……」

 

桐生院T「ウマ娘にだってトレセン学園を卒業してからのそれぞれの人生があるのに、」

 

桐生院T「自分のトレーナーとしての箔付けのために担当のウマ娘を使い潰すようなことはあってはならないんです!」

 

斎藤T「なるほど。だから、先輩は担当のウマ娘のことをあんなにも気を遣っているわけなんですね」

 

斎藤T「あれですか? トレセン学園のモットーである――――――」

 

 

――――――Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て、並ぶ者なし)

 

 

桐生院T「そうです、斎藤さん!」

 

桐生院T「私の場合は“ハッピーミーク・ファースト”を肝に銘じているんです」

 

斎藤T「つまり、本来ならばロードレースもできるはずのウマ娘が種族レベルで早死しないようにあえてハコの中だけでレースをさせているわけですね」

 

斎藤T「そして、ありあまった体力でウイニングライブをやるようになったのが、近代ウマ娘レースの興りとなるわけですか」

 

桐生院T「逆です。近代ウマ娘レースは宮廷舞踊をしていたウマ娘がレースをするようになったものなんです」

 

斎藤T「だから、目の届く範囲でのレースになっているわけですか。なるほど」

 

斎藤T「そして、出走するレースがちがうウマ娘でも踊れるようになっているのは、宮廷舞踊の歴史に根ざしているわけだからなんですね」

 

斎藤T「勝利したレースの格でウイニングライブで上演できる曲が決められているのも、宮廷舞踊にならった許可制というわけですか」

 

桐生院T「そういうわけで、その成り立ちからウイニングライブは勝者となる義務と責任として欠かせないものとなっているわけなんです」

 

斎藤T「非常に興味深かったです。ご教授 感謝いたします、先輩」

 

桐生院T「いえいえ、こちらこそ。一人でも多くのトレーナーがウマ娘のことを大事にするようになってくれたら、教えた甲斐があります」

 

斎藤T「私にもG1レースを制覇するウマ娘の担当ができますかね?」

 

桐生院T「そうですねぇ……」

 

桐生院T「間違いなく斎藤さんの能力は一流ですけど、記憶喪失で初心者以下の知識となっているのは大きなマイナスです」

 

桐生院T「でも、あまり口数が多くないミークと会って数日で信頼関係を築き上げることができたんです」

 

桐生院T「記憶を無くす前の斎藤さんの悪い噂は聞かないわけじゃありません」

 

桐生院T「私も最初はその悪い噂が本当なのかを見極めようと思ってましたし」

 

桐生院T「けれど、私たちトレーナーがウマ娘の才能を見抜くことが必要なのと同じく、ヒトの良し悪しも噂で決めつけちゃダメだと思いましたよ」

 

斎藤T「そうでなかったら、私は桐生院先輩のチームに拾われてませんからね」

 

桐生院T「そうですよ。これでもヒトを見る眼はあると思ってますから」

 

桐生院T「ですから、まずは来年度まで私のチームで経験を積んでから、トレセン学園での立ち回りを考えればいいと思います」

 

斎藤T「ありがとうございます。何から何まで」

 

桐生院T「代々優秀なトレーナーを輩出してきた名門:桐生院家の一人娘としてはこれぐらいは」

 

 

――――――私は実に運がいい。2期先輩である桐生院 葵という出会えたのは幸先の良いスタートであった。

 

 




●プロフィール(20XX年当時) 
名前:斎藤 展望(さいとう のぶもち)
年齢:20代前半
所属:トレセン学園トレーナー 1年目
血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

誕生日:06月30日
身長:185cm 
体重:3ヶ月間の意識不明の重体によって減量気味
体格:ガタイが良い

好きなもの:唯一の肉親である妹
嫌いなもの:妹を苦しめるありとあらゆるもの全て
得意なこと:妹のためになること全て
苦手なこと:妹のためにならないこと全て


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第1話   皇宮警察の誉れ

-西暦20XX年08月01日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

先日は2期先輩の桐生院Tの非常に興味深い講義を受けることができた。

 

さすがは代々優秀なトレーナーを輩出してきた名門であるだけに、トレーナーとウマ娘の関係の理想像を明確に示してくれた。

 

そして、先輩の担当ウマ娘:ハッピーミークの仕上がりは上々であるらしく、

 

年の瀬に開催される 破天荒なちびっこ学園理事長の宣言で設立された新レース『URAファイナルズ』の初代チャンピオンの座を目指し、

 

先月の夏合宿を終えてからの更なる飛躍に向けて高度なトレーニングを積む運びとなった。

 

しかし、未来人の私にはちびっこ学園理事長の試みがどう壮大なのかがピンとこない。

 

どう凄いのかを先輩に訊くと、年の瀬で トーナメント形式で 全国各地から名バたちが一堂に集まるだけでも驚きなのに、

 

【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】、そこに【芝】【ダート】のちがいもあって、全部で8部門のレースを同時開催することが前例のない話らしい。

 

興行の面から言えば、トーナメント形式のオールスター揃いのそれぞれの部門の優勝バを予想するだけでも途方も無い大金が動くそうなのだが、

 

今回は更にこの全8部門の優勝バを当てることができたら、それ以上にとんでもない金額が動くそうなんだから、

 

賞金ランキングを目指すウマ娘やトレーナーにとっても決して無視することができない最大規模のお祭りになるんだそうだ。

 

当然、先輩はトレーナーの名門:桐生院家の人間として参加し、史上最大のレースを愛バ:ハッピーミークと勝ち抜くことを誓う。

 

私も先輩のチームの一員として正式に登録されて、トレセン学園のトレーナーとしての実績を積むことになった。

 

正直に言うと、周りの連中からは”勝ちウマに乗った”新人トレーナーとして白眼視されているのだが、

 

先輩は私の為人と能力を直に確かめて全面的に信用して担当ウマ娘:ハッピーミークの最終調整を任せてくれているのだ。

 

それならば期待にお応えして、波動エンジンの開発エンジニアにもなった人類最高クラスの叡智によるタスクマネージメントを披露しなければなるまい。

 

しかし、そんな時に3ヶ月間の意識不明の重体から復活して退院した斎藤 展望を訪れる者がいた。

 

そして、私はようやく斎藤 展望がトレセン学園のトレーナーになった本当の理由を知ることとなったのであった。

 

 


 

 

斎藤T「――――――『皇宮警察』ですか?」

 

藤原さん「……本当に記憶喪失になっているんだな、()()()

 

斎藤T「すみませんが、藤原さんは“斎藤 展望”の何です?」

 

藤原さん「……お前さんの妹の面倒を見てやっている大の恩人なんだがなぁ」

 

斎藤T「――――――『妹』ですか?」

 

藤原さん「お前さんの生き甲斐だったろうに」

 

藤原さん「まあ、3ヶ月間の眠りから目覚めたって報せを聞いたのは つい先日だったんだ……」

 

藤原さん「迎えに行ってやれなくてすまなかった……」

 

斎藤T「――――――『迎え』?」

 

藤原さん「ああ、そうだ。お前さん、妹さんのために何だってするやつだったからな」

 

藤原さん「おふくろさんが皇宮警察の騎バ隊だった繋がりで、トレセン学園のトレーナーになったんだぞ」

 

藤原さん「それすらも忘れたのか?」

 

斎藤T「すみません……」

 

藤原さん「……花形職業の高給取りになったのも束の間、担当ウマ娘が決まらなくてお前さんは焦っていたそうだ」

 

藤原さん「まあ、新人トレーナーなら配属されて早々に担当ウマ娘を決めて勝負に出る必要もないわけなんだが、」

 

藤原さん「お前さんの場合は妹の養育費や治療費のために少しでも金が欲しくて欲しくて仕方がなかったからな」

 

藤原さん「ウマ娘を――――――というよりは自分以外の他人なんだが、金儲けの道具と考えているのは生徒会長に見破られていたぐらいだ」

 

藤原さん「だから、トレセン学園でのお前さんの居場所はなくなってたんだよ、とっくの昔に」

 

藤原さん「そこに不慮の事故とは言え、学外でウマ娘との衝突事故で意識不明の重体だ。印象最悪だろう」

 

斎藤T「そういうことだったのか……」

 

藤原さん「そういうわけだから、こんなところにいたところで やりづらいだけだろう?」

 

藤原さん「だいたい、妹さんのために命を張って高給取りになったっていうのに、焦りから身を滅ぼしてどうするんだっての」

 

藤原さん「ほら、荷物を畳んで妹さんに心配掛けたことを詫びてきな」

 

斎藤T「そのことについてなのですが、先程 2期先輩の桐生院Tのチームの一員になることができたので、学園を去るのはまだ早いです」

 

藤原さん「ん、そうなのか? お前さん、妹さんが不幸なのに相変わらず変なところで運がいいよな」

 

藤原さん「それなら、記憶喪失になったお前さんを好き好んでチームの一員にしてくれたんだ。しっかりと恩に報いてやりなよ」

 

斎藤T「もちろん、そのつもりです。もう無理はしません」

 

藤原さん「最初からそれぐらいの落ち着きと素直さがあれば、問題を起こさずにすんだろうにな……」

 

藤原さん「わかった。まだこの学園でやれることがあるなら、やってみせればいいさ」

 

藤原さん「曲がりなりにも念願の高給取りになったんだから、妹の養育費や治療費に関しては気にすることはない」

 

藤原さん「ただ、ちゃんと妹さんには元気な姿を見せてやるんだぞ。わかったな?」

 

斎藤T「はい、わざわざありがとうございます、藤原さん」

 

 

藤原さん「お前さん、今 澄んだ眼をしているな」

 

 

斎藤T「え」

 

藤原さん「いや、お前さんの眼はずっとギラギラしてて、自分の眼中にないものはとことん無視するから、」

 

藤原さん「俺とこうしてしっかりと目を合わせて話したのも随分と久しぶりのことに思えてな……」

 

藤原さん「記憶喪失とは言え、本当に別人のようだな」

 

斎藤T「……そうですか」

 

 

 

――――――数日後のオフの日

 

藤原さん「待たせたな。さあ、乗れ」

 

斎藤T「はい」

 

藤原さん「さて、4ヶ月ぶりに最愛の妹に会うわけだが、あれから少しは思い出せたか?」

 

斎藤T「いえ……」

 

藤原さん「まあ、正直に言うと、お前さんはこのまま記憶を取り戻さない方がいいかもしれんな」

 

藤原さん「ウマ娘のレースで言えば【逃げ】の戦略なんだろうが、生き急ぎ過ぎて故障するのは目に見えていたからな」

 

藤原さん「それに妹さんはお前さんに自分のことで無茶して欲しくないと願っていたことだし、これで良かったのかもしれんな」

 

 

斎藤T「…………皇宮警察の騎バ隊のお仕事ってどういうものなんです?」

 

 

藤原さん「そんなのはネットで調べてくれ」

 

斎藤T「いや、以前に『おふくろがそうだった』と言っていたので」

 

藤原さん「ああ なるほどな。それはたしかに憶えておかないといけない話だな。親のお勤めのことを知らんのは親不孝だ」

 

藤原さん「まず、皇宮警察は警察庁に置かれている附属機関のひとつで、国家公務員ということになるな」

 

藤原さん「勤務体制は四交替勤務制。天皇及び皇后、皇太子その他の皇族の護衛、皇居及び御所の警衛、その他皇宮警察に関する事務を執り行っている」

 

藤原さん「まあ、部署についてはどうだっていいか」

 

藤原さん「とにかく、お前さんのおふくろは天皇陛下ならびに皇后陛下の護衛を担当した世界でもトップクラスに誉れあるウマ娘だったというわけさ」

 

 

斎藤T「え? 私はウマ娘から生まれたヒトなんですか?」

 

 

藤原さん「そうだぞ、まさか そんな社会常識すら忘れたのかよ」

 

藤原さん「お前さんの妹はウマ娘だ」

 

斎藤T「!」

 

藤原さん「ウマ娘はその名のとおり女性だけの種族。“ウマ息子”なんてのはいないわけだ」

 

斎藤T「それなら、ヒトの女性の社会的価値はどういったものになっているんです?」

 

斎藤T「だって、結婚相手にウマ娘を選べる上に、ヒトの男子も生まれるなら、ヒトの女性の価値は相対的に下がりますよね?」

 

藤原さん「ああ? 随分と学術的なことを訊いてくるな? 妹と金のことしか考えていないやつから本当に様変わりしたな……」

 

藤原さん「まあ、そこはうまいこと棲み分けがされているんだな、これが」

 

藤原さん「基本的にウマ娘から生まれた子供は母親の因子を色濃く受け継ぎやすく、お前さんのように妹と金のために全力疾走する精神構造にもなりやすい」

 

藤原さん「要は、ウマ娘の強烈なまでの『勝ちたい』『負けたくない』という欲求を本能として持って生まれるわけだ」

 

藤原さん「だから、見た目はヒトであっても精神構造がウマ娘に等しいハーフはいくらでもいる」

 

藤原さん「そして、レース以外でも、たとえば大食い競争やミスコン、ただのトランプゲームに至るまで、勝負事となると熱くなりがちで、強いウマ娘ほど この欲求が強いことがわかっている」

 

 

藤原さん「そこがウマ娘の最大の魅力でもあり、致命的な爆弾にもなっているわけだ」

 

 

斎藤T「ヒトよりも繊細な生き物であるのに、闘争本能が強いことで、短命に陥りやすいわけですか」

 

藤原さん「ああ。ヒトよりも優れた身体能力や闘争心がある反面、それが安定した暮らしを求めるヒトの社会システムに適合しなくてな」

 

藤原さん「だから、ウマ娘はヒト社会において抑圧された存在としての不自由も抱えて生きていることになる」

 

藤原さん「だが、ヒトのように安定した生活と長生きがしたいからこそ、ウマ娘たちは自分たちの能力と本能を理性的に抑えられる枠組みを受け容れているわけだ」

 

藤原さん「それを踏まえて、ヒトの女性とウマ娘のどちらと結婚したいかの調査結果は『圧倒的にヒトの女性と結婚したい』という答えになった」

 

藤原さん「そんなわけだから、ウマ娘はお前さんが心配するような侵略的外来種じゃない。わかったな?」

 

斎藤T「はい。理解できました」

 

 

藤原さん「ついでに言っておくと、お前さんが務めるトレセン学園に通っているようなのは()()()であって、皇宮警察の騎バ隊で求められるような()()()ではない」

 

 

藤原さん「まあ、細かく言えば()()()なんだが、軍バや格闘バと同じように戦うのに長けた()()()の一種だから、この場合は一括で語らせてもらうと、」

 

藤原さん「つまり、お前の親父さんは皇宮警察の戦闘バのトレーナーで、お前さんはトレセン学園の競走バのトレーナーということで求められる能力がまったくちがう」

 

藤原さん「お前のおふくろさんは戦闘バという文字通りウマ娘の戦士であり、ヒトなどでは到底太刀打ちできない優れた身体能力を発揮する最強のボディガードだった」

 

藤原さん「バチカンのスイス衛兵に所属する戦闘バと比べたら圧倒的に質ともに格が上のな」

 

藤原さん「まあ、ウマ娘が繊細な生き物である分、ヒトよりも過酷な労働には耐えられないという弱点はあるが、そこはヒトとウマ娘の適材適所だな」

 

斎藤T「なるほど。勉強になります」

 

藤原さん「まあ、お前の両親については非常に残念なことになったが、」

 

藤原さん「――――――改めて忠告させてもらうぞ、テン坊」

 

藤原さん「お前さんも妹も、ウマ娘の子として生まれてきた以上は、ウマ娘の因子に由来する闘争本能と上手に付き合っていかなくちゃならない」

 

藤原さん「特に、両親が皇宮警察;皇宮護衛官で天皇陛下と皇后陛下の護衛を務めたともある誉れある出自に誇りを持っていたからこその今日までの失敗だ」

 

藤原さん「あまり思い詰めんなよ。一人で突っ走んなよ」

 

藤原さん「俺も警察の人間としてウマ娘の因子を危険因子として見たくはないんだ」

 

藤原さん「だが、カッとなったウマ娘がいろんな意味で突っ走ったらヒトじゃ手に負えねえからな」

 

藤原さん「しっかりしてくれよ。犯罪をしない無辜の連中が大半なんだからな、世の中ってのは」

 

斎藤T「はい、心に刻んでおきます」

 

藤原さん「さて、そろそろ着くな。その前に何か腹拵えのついでに、土産物でも買っておけ」

 

藤原さん「そうだ。ウマ娘に人気のものを選んでおけよ。それも戦闘バと競走バのちがいも考慮してな」

 

斎藤T「わかってますって」

 

 

――――――血の宿業か。ウマ娘の闘争本能というやつには十分に気をつけておこう。

 

 




●プロフィール(20XX年当時) 
名前:藤原 秀郷
年齢:50代前半
所属:警視庁警備部災害対策課
血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

誕生日:03月07日
身長:175cm 
体重:災害が起きる度に不規則な生活で磨り減るが、すぐにリバウンドする
体格:現場に出ることが少なくなったせいで弛んできた

好きなもの:家族(斎藤家の忘れ形見もその範疇)
嫌いなもの:家族を脅かすもの
得意なこと:面倒見の良さ
苦手なこと:家族サービス


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第2話   昼御座

-西暦20XX年08月06日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この日、斎藤 展望の唯一の肉親である妹に遅れに遅れた退院報告をするために藤原さんのクルマに乗って我が家に向かうことになった。

 

実際は皇宮警察だった両親の遺産のおかげで貧乏暮らしというわけではなかったものの、

 

斎藤 展望がトレセン学園のトレーナーを目指すぐらいには妹の養育費と治療費には心許なかったのが実情だ。

 

皇宮警察になるために必要な資格や教養を身に着けるためには間違いなく国内最高峰の一流の指導を受けなくてはならないからだ。

 

そのため、斎藤 展望が3ヶ月間の意識不明の重体になった入院費のことが頭に思い浮かんだが、

 

それについては事故の加害者であるウマ娘に治療費を払ってもらっているのであまり気にしないでいいらしい。

 

何の因果か、プロキシマ・ケンタウリを目指した宇宙移民の私が私の生きた23世紀とは別な進化と歴史を辿った21世紀の地球人に成り代わってしまったのだから、

 

このまま他人と割り切って唯一の肉親である妹のことを見捨てた時の世間の目や斎藤 展望からの恨みが怖いので、

 

斎藤 展望が大層可愛がっていたとされるウマ娘に会うことにし、とりあえずは斎藤 展望が荒稼ぎしようとした養育費と治療費に関する考えをまとめることにした。

 

しかし、そこで私は『ウマ娘が強く生きていくためには目標を与えなくてはならないこと』を深く実感することとなる。

 

ウマ娘にとってヒトの存在が欠かせない理由として、ヒト族とウマ娘の間に生まれる絆が不思議な力を持つと言われているが、

 

なんてことはない。ヒトの手によって築き上げられたヒト社会においてウマ娘にヒトとしての生き方を伝授しているに過ぎないのだ。

 

そういう意味では、より野性的な知的生命体がより知性的な知的生命体に主従関係を結んでいることは自然の摂理なのだろう。

 

実際、トレセン学園のトレーナーにはウマ娘でもなれるのだが、それが圧倒的少数派であることがその事実を物語っていた。

 

 


 

 

藤原さん「やっと帰ってきたぞ、陽那ちゃん」

 

陽那「兄上! 良かった! ずっと待っておりました!」

 

斎藤T「あ、ああ……。心配掛けたな……」

 

陽那「あれ? あ、兄上……?」

 

藤原さん「陽那ちゃん……、こいつ、ウマ娘に撥ねられて記憶が吹っ飛んじまったんだとよ」

 

陽那「え!?」

 

斎藤T「その、すまないな……」

 

陽那「そ、そんな……」

 

藤原さん「でも、これでよかったんじゃないのか、陽那ちゃん?」

 

藤原さん「トレセン学園での評判は最悪で、担当のウマ娘や所属するチームすら見つからない状況で、」

 

藤原さん「運良くトレーナーの名門:桐生院さん家のチームの一員になることができて、当面はクビにならずにすんだのだし」

 

陽那「そうだったんですか……」

 

陽那「あの、無理はしないでくださいね、兄上……」

 

斎藤T「ありがとう、陽那さん」

 

陽那「兄上! “陽那さん”だなんて他人行儀に呼ばないで、いつものように“ヒノオマシ”と呼んでください!」

 

斎藤T「え? “ヒノオマシ”って何かのニックネーム?」

 

陽那「あ、兄上……」

 

藤原さん「あちゃー! 本当に何もかも忘れている可能性を考慮すべきだったな、これは……」

 

斎藤T「あ、あの……」

 

藤原さん「ちょっと来い!」

 

斎藤T「は、はい……」

 

陽那「………………」

 

 

 

藤原さん「いいか、ウマ娘ってのは『別世界の英雄の名前と共に生まれる』神聖な生き物でもあるんだぞ」

 

斎藤T「――――――『別世界の英雄の名前』?」

 

藤原さん「ああ、詳しいことは それこそ世界の神秘ってもんだから 誰にも真相はわからないが、」

 

藤原さん「ウマ娘が生まれたら親が幼名をつけるもんだが、基本的に名付け親は“ウマ娘たちの始祖”だという言い伝えがある三女神になるんだ」

 

藤原さん「トレセン学園にもあっただろう、三女神の像が」

 

藤原さん「まあ、不思議なことにウマ娘はその別世界の英雄の魂が乗り移った存在だからなのか、自然と自身にふさわしい名前を名乗るようになっていてな」

 

藤原さん「お前さんの妹:陽那はその“ヒノオマシ”ってことになる」

 

斎藤T「どういう意味になるんです、“ヒノオマシ”っていうのは?」

 

藤原さん「これが実に皇宮警察の両親を持つウマ娘らしく――――――、」

 

藤原さん「“ヒノオマシ”っていうのは漢字で書くと“昼御座”と書いて、天皇陛下が昼に出御される清涼殿の御座のことだ」

 

藤原さん「そして、『徒然草』に出てくる“昼御座御剣(ひのおましのぎょけん)”となると、天皇の玉体奉護のために昼御座に備えて置かれた剣という意味になる」

 

藤原さん「つまり、お前さんの妹は両親が皇宮警察として実際に天皇陛下と皇后陛下の護衛を担当した誉れある経歴と素質を受け継いだ名前であるんだ」

 

藤原さん「それにふさわしくあるよう、妹さんも両親と同じく皇宮警察を目指して日々の訓練に励んでいたところに、あの事件――――――」

 

藤原さん「お前さんは学校行事でいなかったから巻き込まれなかったが、自分を生かすために両親が犠牲になって、それがきっかけで無茶をやって故障だ――――――」

 

藤原さん「その妹の無茶でお前さんも無茶をやらかすようになったんだから、どうにも救えないねぇ……」

 

斎藤T「そうだったんですか……」

 

斎藤T「道理で、ウマ娘の名前は日本人離れしたものばかりになると思いましたよ。まあ、元から日本人とはちがう顔つきでしたけど」

 

藤原さん「おいおい、本当にそんなんで トレセン学園のトレーナーをやっていけるのか 不安になってきたぞ……」

 

藤原さん「とにかく、ウマ娘としての名前は非常に大事なものだから、しっかりしてくれよ」

 

斎藤T「わかりました。肝に銘じておきます」

 

斎藤T「ところで、入籍したウマ娘の名前ってどんな感じになるんですか?」

 

藤原さん「入籍に限らず、社会人となれば だいたいはウマ娘としての名前を通すことになるが、日本人としての名前を名乗ることが許されてもいる」

 

藤原さん「だから、お前さんの妹は“斎藤・ヒノオマシ・陽那”で戸籍には登録されているな」

 

斎藤T「なるほど、平朝臣織田上総介三郎信長《たいらのあそん おだ かずさのすけ さぶろう のぶなが》みたいなもんですね」

 

藤原さん「そうだ。だから、ヒトでも望めばミドルネームを入れることは法律上は可能となっているが、日本人ではハーフぐらいだな、そうするのは」

 

斎藤T「ハーフの私にはなかったんですか?」

 

藤原さん「普通に“斎藤 展望(さいとう のぶもち)”がお前の本名だ」

 

藤原さん「どうする? この際、ミドルネームでも名乗るか?」

 

斎藤T「それも悪くないですね」

 

藤原さん「そうしたら改名の手続きを踏んだ後、一から書類を全て更新する手間暇がかかるがな」

 

斎藤T「やっぱり いいです……」

 

藤原さん「そうか」

 

 

 

斎藤T「そんなわけで、配属早々に3ヶ月間の入院生活になって昇給の見込みはないけど、桐生院先輩のお誘いのおかげで少なくともこれぐらいはもらえることになっているから」

 

陽那「……そうですか」

 

斎藤T「これでヒノオマシの養育費と治療費がだいぶマシになると思う……」

 

陽那「兄上、もういいんです」

 

斎藤T「え」

 

陽那「私たちの両親は誉れある皇宮警察の騎バ隊でしたが、私のために兄上の人生まで棒に振る必要はないんです……」

 

陽那「この身体ともきちんと向き合っていきますので……」

 

斎藤T「で、でも、ウマ娘にとって10代が人生で一番輝いている時なんだろう?」

 

斎藤T「そりゃあ、第2の人生のことを視野に入れたっていいだろうし、社会的な成功を収めたウマ娘がいることは知っているけど、」

 

斎藤T「それなら、ヒノオマシは何をして生きるつもりなんだい?」

 

陽那「私はただ 兄上が生きてさえいれば それでいいんです……」

 

斎藤T「そうか……」

 

 

――――――じゃあ、宇宙船を創って星の海を渡ろうか。

 

 

陽那「え」

 

斎藤T「宇宙船を創ってプロキシマ・ケンタウリを目指そう。それがいい」

 

陽那「え、宇宙船ですか?」

 

斎藤T「ああ。そのための開発資金をトレセン学園で稼いで、宇宙開発局に転職するからさ」

 

斎藤T「陽那も暇だったら宇宙工学でも学んでおいてくれよ。管制官の仕事とかいろいろとあるからさ」

 

陽那「は、はい……」

 

斎藤T「…………それじゃ」

 

陽那「あ、待ってください、兄上!」

 

斎藤T「?」

 

陽那「……もういいです。引き止めてすみません」

 

斎藤T「あ、ああ……。元気でな。しっかりと連絡するから」

 

陽那「はい、兄上の力になれるように頑張りますから!」

 

 

 

――――――兄上の瞳は昔みたいに輝きを放っていました。

 

 

 

藤原さん「へえ、『宇宙船を創って星の海を渡る』だって? それがお前さんの夢だったってわけか」

 

斎藤T「はい。とりあえずはトレセン学園で貯金を貯めて宇宙開発局に転職する予定です」

 

藤原さん「ははぁ、そりゃあ、壮大な夢だな」

 

藤原さん「トレセン学園に入ったウマ娘にとっては三冠バを目指すだけでも壮大な夢なのにな」

 

斎藤T「『三冠バ』ですか……?」

 

藤原さん「日本中央競バのクラシックレースである『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』の三冠を達成したウマ娘のことだよ」

 

斎藤T「憶えておきます」

 

藤原さん「これぐらい常識だ。他にも『オークス』や『天皇賞』なんかを目標としているウマ娘も結構いるが、とりあえずG1レースは網羅しておけよ」

 

斎藤T「はい」

 

藤原さん「まあ、お前さんにはお前さんの人生ってもんがあるんだ」

 

藤原さん「より大きな夢のために花形職業であるトレセン学園のトレーナーを踏み台にしてもバチは当たらねえよ。それだけの能力と選択の自由があるんだからな」

 

藤原さん「ご両親の経歴や血統のことを考えると、親の道を継げないのはもったいないかもしれないが、それも時の運の結果だろう?」

 

藤原さん「何も起きなかったら、お前さんも妹さんも何も疑うことなく親の道を継いでいたんだろうしな」

 

斎藤T「そうかもしれませんね」

 

藤原さん「じゃあ、しっかりとやれよ。そして、一人で突っ走るなよ」

 

斎藤T「はい、藤原さんもお達者で」

 

 

――――――こうして私は私が生きた23世紀とは異なる進化と歴史を歩んだ21世紀の地球で自分の生き方を確立するのであった。

 

 




●プロフィール(20XX年当時) 
名前:斎藤・ヒノオマシ・陽那(さいとう ひのおまし ひな)
年齢:10代前半
所属:中等部 1年目
血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

誕生日:12月30日
身長:168cm 
体重:両親を失って無茶をやって故障して以来ずっと塞ぎ込んで食が細かった
体格:同年代の競争バと比べると逞しい警察バの血統

好きなもの:唯一の肉親である兄上
嫌いなもの:兄上を苦しめるありとあらゆるもの全て
得意なこと:兄上のためになること全て
苦手なこと:兄上のためにならないこと全て


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第3話   先輩の想い人は天才トレーナー

-西暦20XX年08月10日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

間もなく盂蘭盆会となり、全寮制のトレセン学園が静かになる。

 

お盆休みで帰省するウマ娘も多いのだが、勝利を掴むまでは故郷には帰らない不退転の決意を固めているウマ娘も少なくなかった。

 

私は先輩からお暇をいただくことになったが、つい先日 唯一の肉親である妹:ヒノオマシに退院報告してきたばかりなので、家に帰るつもりはなかった。

 

むしろ、このお盆休みの間に妹と約束した『宇宙船を創って星の海を渡る』という壮大な夢の実現のための準備に追われることになるのだ。

 

そう、波動エンジンの実現に向けて、効率よく賞金を稼ぐためにウマ娘レースに関する知識とノウハウを徹底的に吸収するのだ。

 

幸い、今年の年の瀬に開催される新レース『URAファイナルズ』の栄えある初代チャンピオンの座を目指して猛者たちが残り続けているのだ。

 

私は皇宮警察であった両親の遺品や必要な機材を寮に搬入して、先輩から譲り受けた研究資料を読み漁ることになった。

 

一方で、トレセン学園の生徒会もお盆休み間際の追い込みに入っており、副生徒会長がもうひとりの副生徒会長を探し回っている場面に出くわすことになった。

 

その際、斎藤 展望を一目見た“女帝”の眼差しは冷気を放っており、それに倣って斎藤 展望を見る周囲の目がきつくなっていた。

 

口々に斎藤 展望のことを“あれが噂の恥知らず”“来て早々ウマ娘に撥ねられた男”“勝ち馬にこだわる守銭奴”“桐生院家に擦り寄る太鼓持ち”などと罵る声も聞こえてきたが、今更 男の過去の行いを変えることなどできやしない。

 

 

――――――地球時代から宇宙時代へと移り変わっても人の営みは何ら変わることはない。

 

 

私も波動エンジンの開発エンジニアとして人類最高峰の頭脳を持っていることを妬まれていたことだし、

 

得てして、本物は嫉妬している時間があったら自己研鑽に精を出すものである。

 

そう、この状況の中で悠然と己に課せられたタスクをこなしている本物はすぐに見つかった。

 

それは先輩の同期となる ある意味において私と同じ“エンジニア”と呼べる天才トレーナーと”サイボーグ”と噂されるウマ娘の二人組であったのだ。

 

 


 

 

――――――カフェテリアのテラス

 

ミーンミンミンミーン!

 

――――――

ミホノブルボン「マスター」

 

才羽T「いい調子だぞ、ブルボン」

――――――

 

斎藤T「あれが先輩の同期の無名に過ぎなかった天才トレーナーと担当ウマ娘か……」ピッ ――――――トレセン学園各所の監視カメラの映像

 

斎藤T「元々はトレセン学園に来る前からある程度の実績を残していたミホノブルボンではあったが、」

 

斎藤T「彼女の適性は【短距離(スプリンター)】、子供の頃からの夢であり意志であった三冠バになるには【遠距離(ステイヤー)】の適性が不可欠――――――」

 

斎藤T「そのため、自身の夢に固執するウマ娘と方針の合わない前トレーナーは喧嘩別れに近い形で契約解除となり、」

 

斎藤T「更に、前トレーナー説得のために行った長距離走を走りきれなかったことにより、長距離に対するトラウマも背負ってしまう」

 

斎藤T「すでに夢破れたり。誰が見てもミホノブルボンは再起不能にまで追い込まれた――――――」

 

斎藤T「しかし、捨てる神あれば拾う神あり、そこに手を差し伸べた新人トレーナーが現れ、彼女の逆転劇が始まることになる――――――」

 

 

――――――結果、ミホノブルボンはなんと去年のクラシック級で『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』全てを制覇して三冠バの栄冠を掴みとっているのだ。

 

 

斎藤T「それを導いたのがミホノブルボンが初めての担当となる新人トレーナー……」

 

斎藤T「まさしく天才と言わざるを得ないな」

 

斎藤T「宇宙船エンジニアの私が賭けるとしたら、もう彼しかありえないな」

 

斎藤T「たぶん、『URAファイナルズ』の前に控えている『ジャパンカップ』『有馬記念』の優勝も狙って、その勢いで『URAファイナルズ』で有終の美を飾るってところか」

 

斎藤T「う~ん、適性は【短距離】だけど、【マイル】でも【中距離】でも勝ってるし、【遠距離】も克服しているから、」

 

斎藤T「先輩のハッピーミークと同じぐらい幅の広い走り方ができるみたいだな」バキッ ――――――割り箸を割る。

 

斎藤T「けど、一番の武器はドン底から這い上がってクラシック三冠バにまでなった不屈の精神か」クルクル ――――――透明な碗につゆとわさびをかき混ぜる。

 

斎藤T「そりゃあ、世紀の逆転劇にファンが多いわけだな」カチッ ――――――スライダー式ローリング流しそうめん機の電源を入れる。

 

 

斎藤T「一応、私はここにいる目的を得ることができたけれど、私にそこまでウマ娘に勝たせたいという思いがこもるのだろうか?」ズズー! ――――――スライダー式ローリング流しそうめんを啜る!

 

 

斎藤T「あーあ、斎藤 展望の両親の遺品を持ち込めば少しでもやる気に繋がるかと思ったけど、斎藤 展望の記憶の欠片なんて何も思い浮かんでこない!」ズズー!

 

斎藤T「まあいい。運命の出会い――――――まさしく『馬が合う』相手に恵まれるかもわからないのだし」ズズー!

 

斎藤T「ん?」チラッ

 

ゴールドシップ「ふふ~ん♪」ズズー!

 

斎藤T「………………誰だ、コイツ?」ズズー!

 

 

私が桐生院先輩がいつも話題に上げる天才トレーナーと不屈の三冠バのウマ娘の訓練の様子をトレセン学園の監視所のカメラと繋げて観察しながら、

 

斎藤 展望の実家にあったパーティーグッズであるスライダー式ローリング流しそうめん機を組み立てて、流しそうめんを一人啜って人気のないテラスで納涼していると、

 

いつの間にか 見知らぬウマ娘が食堂の碗と箸を持ってきて、私が用意した つゆ、わさび、ごま、きざみのり、てんかす、そうめん、各種天ぷらを勝手に胃袋に収めていった。

 

しかし、私は大恩ある先輩:桐生院 葵が心を寄せている驚異の天才:才羽 来斗の練習風景を見逃さないようにそうめんを啜りながらディスプレイに集中する他なかった。

 

結果、私は少なくとも2人前のそうめんセットの半分の半分しか食べることができず、

 

終いには見知らぬウマ娘は流しそうめん機にプチトマトとかイチゴ、固形チョコなんかを流し始めた。

 

それが勝手に平らげたそうめんセットのお代か。流しているのがゴディバの高級チョコレートなのが非常に腹立たしい。完全におちょくられていた。

 

ちなみに、この世界のゴディバチョコのロゴについてなのだが、ゴディバ夫人が馬ではなく牛に乗せられていた。

 

 

ゴールドシップ「ごっそさん!」ダダッ!

 

斎藤T「…………後で憶えていろよ、イタズラ者め」ハア

 

斎藤T「あーあ、夏場だからゴディバチョコが溶けちゃう! でも、ゴディバチョコが流しそうめん機に流されているのはもっと嫌だ!」パクパク・・・

 

斎藤T「とりあえず、流しそうめん機から碗に移しておけば、少しはマシな見た目になるか?」チャポン・・・

 

斎藤T「さて――――――」

 

 

アグネスタキオン「いや~、まいったまいった。毎度この時期になるとカフェテリアが閉まるのが早くて困るよ……」

 

 

斎藤T「……あの、そこの方」

 

アグネスタキオン「うん? なんだい?」

 

アグネスタキオン「こっちは研究に夢中すぎて 丸1日 何も食べていないんだ……」

 

アグネスタキオン「それなのに、カフェテリアが閉まっているときた――――――」

 

斎藤T「あの、ゴディバチョコです。よろしければ、どうぞ。何ならプチトマトやイチゴなんかと一緒に」

 

斎藤T「あ、喉も渇いてますよね。そうめんのつゆを割るのに使う水も余ってますのでどうぞ」

 

アグネスタキオン「おお、この際 贅沢は言ってられないか。ありがたくいただくとするよ」

 

 

ミーンミンミンミーン!

 

 

斎藤T「暑いですね……」ペロッ

 

アグネスタキオン「ああ、まったくだよ。最適な環境を調えるために空調設備は24時間運転し続けなければならないというのに、ラボの電力を止められてしまったよ」ハムッ

 

斎藤T「お盆休みの間は最低限の施設しか利用できなくなるって掲示されてましたよね」

 

アグネスタキオン「まったく、せっかくうるさい連中がいなくなって静かな環境で研究に打ち込めると思えたのに、空調や食事のことを考えると やんなってしまうよ」

 

斎藤T「洗濯や入浴もしてくださいよ。虫が湧きます。何日 着替えてないんです、その格好? 今のあなた自身が汚染源ですよ?」

 

アグネスタキオン「わかったわかった。大変面倒だが、今回の実験はここらで一区切りとしよう」

 

アグネスタキオン「そして、感謝するよ、見知らぬトレーナーくん」

 

斎藤T「?」

 

アグネスタキオン「流しそうめん機か。構造自体は非常に単純ではあるが、最近の流しそうめん機はこれほどの進化を遂げていたなんてね」

 

アグネスタキオン「ふふふ! これは新しい実験のアイデアが閃いたかもしれない!」

 

 

スタスタスタ・・・

 

 

斎藤T「トレセン学園にもあんな理科系のウマ娘がいるんだな」

 

斎藤T「何だろう? 実験とか言ってたけど、薬品臭かったから化学者なのか?」

 

斎藤T「となると、栄養ドリンクとか傷薬の開発でもやっているのかな? そういう部門があるのかな? あとで訊いてみるか」

 

斎藤T「じゃあ、ごちそうさまでした。見知らぬウマ娘たちに感謝――――――」

 

 

ナリタブライアン「おい、お前。この辺にアグネスタキオンが来なかったか?」

 

 

斎藤T「……どんなウマ娘です、副生徒会長?」

 

ナリタブライアン「いつも部活棟の実験室に籠もって 馬鹿みたいに電気代を浪費している 頭のおかしなウマ娘だよ」

 

斎藤T「それなら何日も同じ格好で薬品の臭いが立ち込める理科系のウマ娘はあっちの方に」

 

斎藤T「それと、電力供給がなくなって実験室にいられなくなったから、帰るみたいですよ」

 

ナリタブライアン「そうか。ようやく出てきたか……」

 

ナリタブライアン「毎度のことながら 注意しに行かされる こちらの身にもなれ……」

 

ナリタブライアン「情報、感謝する」

 

斎藤T「どういたしまして」

 

ナリタブライアン「………………?」

 

斎藤T「どうかしましたか、副生徒会長?」

 

ナリタブライアン「いや、大したことじゃないんだが――――――、」

 

 

ナリタブライアン「こんなところで一人で流しそうめんなんてして虚しくないか?」

 

 

斎藤T「これは意外ですね。てっきり生徒会の皆さんからは嫌われているものだと」

 

ナリタブライアン「なに――――――?」

 

ナリタブライアン「……そうか、お前が生徒会長が言っていた ウマ娘に撥ねられて3ヶ月入院の自業自得の新人トレーナーか」

 

ナリタブライアン「なら、そうやって一人寂しくしているのも自分が蒔いた種なのだから、さっさとトレーナーバッジを外して ここを去るんだな」

 

ナリタブライアン「ここにはお前の金儲けの道具になるウマ娘は一人もいない」

 

斎藤T「肝に銘じておきます」

 

ナリタブライアン「…………聞いた印象とは随分とちがうな」ボソッ

 

 

スタスタスタ・・・

 

 

斎藤T「ナリタブライアン――――――、最近の三冠ウマ娘に名を連ねる最強のウマ娘の一人か」

 

斎藤T「どうやら私はお眼鏡にかなわなかったようだね」

 

斎藤T「さて、片付けるか――――――」

 

 

ミホノブルボン「前方のテラスに未確認物体を発見。マスター、あれは何ですか?」

 

才羽T「あれって、もしかして流しそうめんじゃないか?」

 

 

斎藤T「お……」

 

才羽T「あ、すみません」

 

斎藤T「いえ……」

 

ミホノブルボン「………………」ジー

 

斎藤T「もしよろしければ、夕方 一緒に流しそうめんをしませんか、才羽T?」

 

斎藤T「初めての担当ウマ娘を三冠バに導いた天才トレーナーのアドバイスをぜひともください」

 

才羽T「そういうことなら、お安い御用で」

 

 

――――――盂蘭盆会を前に不思議な縁が結ばれていった。

 

 




●プロフィール(20XX年当時) 
名前:才羽 来斗(さいば らいと)
年齢:20代前半
所属:トレセン学園トレーナー 3年目
血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

誕生日:04月11日
身長:174cm 
体重:トレセン学園のトレーナーとしてはそれなりの筋肉量
体格:普通の日本男子に見せかけて細マッチョ

好きなもの:天の道を行き 総てを司る男、太陽のような笑顔
嫌いなもの:子供の願いを踏み躙る未来の現実、曇った表情と泣き顔
得意なこと:不断の努力、失敗なんてない人生
苦手なこと:間違っていることに頷くこと


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第4話   数奇な運命の始まり

-西暦20XX年08月15日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この日、私は藤原さんに連れられて妹:ヒノオマシと一緒に斎藤 展望の両親の墓参りに行った。

 

本来はお盆休みの間は寮に閉じこもってトレーナーの能力を磨くことに専念したかったのだが、

 

藤原さんからの呼び出しと、すぐに帰ってこれる近場なので、息抜きと斎藤 展望の親孝行も兼ねて、今日は寮を出ることにした。

 

もうすでにこの身体は斎藤 展望のものではなくなっていることを心の中で墓前に報告し、

 

私は密かに一人、不慮の事故でウマ娘に撥ねられて肉体を失ってしまった斎藤 展望の弔いもしていた。

 

そして、斎藤家の親戚一同に1ヶ月遅れの斎藤 展望の退院報告を行うことになった。

 

そこには、皇宮警察だった両親の友人知人親戚縁者が集まっており、そこで斎藤 展望の両親がどういった人間だったのかを具体的に知ることができた。

 

どうやら藤原さんが集めてきてくれたみたいであり、そこでトレセン学園のトレーナーになったことに対して様々な質問が寄せられることになった。

 

ちなみに、斎藤 展望がヒトとウマ娘のハーフなのだから当然といえば当然なのだが、

 

友人知人親戚縁者にウマ娘が多数いる状況に頭で理解できていても違和感が拭えなかった。

 

中にはトレーナーの名門:桐生院 葵の弟子になったことを聞きつけた人もいて、先輩との仲を興味本位に訊ねるおばちゃんもいたのだが、

 

残念ながらすでに想い人がいて脈がないことを伝えると、それこそ残念そうに私に慰めの言葉を掛けてくれるのだった。

 

しかし、ここで私からの所信表明に親戚一同や両親の友人知人たちが例外なく驚くことになった。

 

 

――――――今までは両親が死んでその後を継ぐことばかりを考えて金と妹のために走ってきた。

 

 

――――――けど、今度からは自分自身の夢のために生きる。

 

 

――――――()()()()()()()()()()()()()

 

 

――――――トレセン学園はそのための資金集めの手段。通過点に過ぎない。

 

 

――――――そのために力を貸して欲しい。私もみんなのためにできることがあったら力を貸す。

 

 

そして、トレセン学園のトレーナーとしての力量を一目で理解させるために、私は両親の同僚や上司もいる眼の前でうまぴょいを披露したのだった。

 

トレセン学園のトレーナーは花形職業として要求される能力が極めて高く、こうして歌って踊って輝けるだけの頭脳と運動神経があることに宇宙船エンジニアの私は自分のことながら心底驚いた。

 

しかし、斎藤 展望の両親は皇宮警察の人間であり、不幸な出来事がなければ斎藤 展望は妹と一緒に親の道を継ぐための修練を重ねてきていたのだ。

 

つまり、急な路線変更で畑違いではあったものの、斎藤 展望という人間もまた両親の優れた才能と血筋を受け継ぐ世界トップクラスのエリートの一人でもあったのだ。

 

おまけに、高身長かつルックスとガタイの良さも兼ね備えているのだから、まさに文武両道を体現した宇宙開拓時代では理想的な体型の持ち主でもあるのだ。

 

なぜなら、基本的に無重力空間に長居していると筋肉量や骨量の低下を引き起こし、地上に降りた際に回復するまで寝たきり生活を余儀なくされるからだ。

 

そのため、惑星開拓の使命を帯びた宇宙移民からすると、21世紀の日本の若者の細さに驚愕してしまう。もっと肥えて身体を丈夫にして欲しいと願うばかりだ。

 

そのうまぴょいの結果、ウマ娘のご婦人方の黄色い声援を受け、場は拍手喝采の興奮に包まれ、プレゼンテーションの掴みとしては上々。

 

こうして斎藤 展望の名前と身体を借りて生きることを決めた私は両親の遺産であるコネをこの場で継承することに成功し、

 

まずは私の専門である宇宙船エンジニア;特に波動エンジンの開発に繋がる道を得るために、

 

私にとっては100年前となり ここにいる人たちにとっては100年後となる 22世紀の大量生産品の宇宙船の設計図のデータを預けるのだった。

 

また、専門は宇宙船エンジニアだけれども、それ以外の分野が不得手というわけでもないので、

 

他にも23世紀の宇宙開拓時代の発明を21世紀で再現した簡単な試作品を披露することで、斎藤 展望のことを“未来の発明王”だと認識させることに成功した。

 

もっとも、私自身が波動エンジンの開発エンジニアという控えめに言って人類最高峰の頭脳の持ち主なので、これぐらいは朝飯前というか、

 

こうして身内からの投資を受けるために簡単な試作品を創り出す中で、私にとっては200年前も昔の21世紀の技術レベルを悪い意味で体験しているので、褒められてもあまり嬉しくはなかった。

 

とにかく、こうして両親の友人知人親戚縁者からの多額の投資を引き出して、一生涯を懸けて挑む波動エンジン開発プロジェクトは始動することになり、

 

そのコネを利用して妹:ヒノオマシが母親と同じく皇宮警察となれるように支援を取り付けることで私は斎藤 展望の遺志を叶えた。

 

今宵は8月15日、盂蘭盆会の真っ盛り、妹のためにあれだけの悪名を背負って非業の死を遂げた誉れ高き血統の彷徨える幽魂はこれで成仏できただろうか――――――?

 

 


 

 

――――――斎藤家の実家;母方の祖母(ウマ娘)の屋敷

 

陽那「兄上、本当にありがとうございます」

 

斎藤T「どうしたのかな、ヒノオマシ?」

 

陽那「本当に兄上は凄いです。父上と母上のために集まってくれた方々にあそこまで堂々と振る舞えるだなんて、尊敬します」

 

陽那「それに、本当に宇宙船の設計図を創るだなんて、兄上の夢の話を心のどこかでは疑っていた自分が恥ずかしくなりました」

 

陽那「おかげで、私は もう一度 父上や母上と同じ皇宮警察の道に挑むことができます」

 

陽那「本当にありがとうございました、兄上……」

 

斎藤T「まあ、一度は生死の境を彷徨って、兄として誉れ高き血統の妹の養育費や治療費をもっと稼がなくちゃならない強迫観念から解放されたのもあったな」

 

陽那「はい……、本当によかったです。兄上までもいなくなったら、私はもう…………」

 

斎藤T「でも、金儲けの手段として利用しようとしていたウマ娘のことを知っているようでよく知らなかったから、一から学び直したんだ」

 

斎藤T「そしたら、ウマ娘が長生きしていくためには生涯を懸けて貫ける目標がないとダメなんだって思うようになったんだ」

 

陽那「だから、私のことを兄上の夢に誘ってくださったのですね」

 

斎藤T「ああ。ここまでうまくいくとは思わなかったけど、結果としてヒノオマシを皇宮警察学校に進学できるように支援を取り付けることができちゃった……」

 

斎藤T「ホント、人生ってやつは 万事 塞翁が馬だな……」

 

 

陽那「――――――さ、『さいおうがうま』ですか?」

 

 

斎藤T「え?」

 

陽那「えっと、何です、それは?」

 

斎藤T「あ」

 

斎藤T「…………そっか。ゴディバチョコの例のように“馬”という生物は完全に存在しないわけか」

 

斎藤T「ああ、簡単に言うと『禍福は糾える縄の如し』とでも言えば伝わるか」

 

陽那「……そうですね。兄上にとっての3ヶ月間は決して無駄ではなかったということなんですね」

 

陽那「なら、私もいつまでも父上や母上を失った悲しみを言い訳にして塞ぎ込んでいちゃいけませんよね」

 

斎藤T「気負いすぎはいけないからな」

 

斎藤T「守破離だ。まずは形をものにして、そこから自分の個性を出していって、最後には日常生活にも活かすんだ」

 

陽那「はい!」

 

陽那「兄上は本当に素晴らしい方です……」

 

 

ヒュウウウウウウン・・・パァーーン!

 

 

斎藤T「花火、上がったな」

 

陽那「はい」

 

陽那「あの、兄上……」

 

斎藤T「どうした?」

 

陽那「もう少し近くにいていいですか?」

 

斎藤T「いいぞ」

 

斎藤T「父上の同僚や上司の方々を間近で見ただろう? あれと比べたら貧相な身体だよ」

 

陽那「そんなことはありません……」

 

斎藤T「そうか。ヒノオマシもトレセン学園の競走バよりも逞しい体付きになるんだろうな」

 

陽那「兄上は競走バのようにスピードを追求した流線形のような女性が好みなんですか?」

 

斎藤T「どうだろう? あそこまで引き絞った身体だと無重力生活で筋肉や骨がすぐダメになって地上に降りた時に寝たきりになりそうだから、宇宙時代の結婚相手としては不人気かも」

 

陽那「なるほど。たしかに、宇宙飛行士が帰還した時は多くの人に抱きかかえられた写真が多いですね」

 

陽那「そういったところまで考え抜いているんですね。さすがは兄上です」

 

陽那「…………なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよね?」ボソッ

 

 

斎藤T「私にも担当のウマ娘が見つかるといいな。できればG1レースも勝てるぐらいじゃないとな」

 

 

斎藤T「それで才羽Tとミホノブルボンのように運命の出会いとも言えるようなストーリーまであったら完璧だな」

 

陽那「そうですね。本当に素敵ですよね。私も一人のウマ娘として憧れちゃいます」

 

斎藤T「そうか。でも、私の先輩は片想いで終わりそうなんだけどな……」

 

陽那「……兄上は結婚するならヒトですか? それともウマ娘ですか?」

 

斎藤T「宇宙移民のことを考えると、安定を取るならヒトと子を成した方が多少は軟弱でも長生きするだろうさ」

 

斎藤T「ウマ娘の欠点はヒト以上の身体能力によって逆に壊れやすいところでもあるからね」

 

陽那「………………」

 

斎藤T「でも、それは一般論だ。結局は必要に応じて鍛えるか鍛えないかの意志の問題だ」

 

斎藤T「だから、結局はケミストリーなんだよ、フィーリング。化学反応、相性の問題だよ」

 

斎藤T「ミホノブルボンだって、適性が【短距離】だったのを少しずつ距離を伸ばして最終的にはクラシック三冠バにまで成長したんだ」

 

斎藤T「だから、ヒノオマシにだってできるさ。私たちの両親は皇宮警察の中でも最高峰の人たちだったんだから」

 

陽那「はい、兄上!」

 

 

私は集まった皆様方がお帰りになった後、縁側に腰掛けて真夏の涼し気な風を浴びていた。

 

そして、こうして浴衣を実際に着る機会に恵まれたことに神に深く感謝した。

 

宇宙時代になると合理性と生産性が重視されて、こうした伝統衣装への関心が薄まっていたため、一部ではアニメグッズの扱いにもなっていたぐらいだ。

 

やはり、皇宮警察を輩出した家系ともなると、コンビニバイトの生活では考えられないぐらいセレブな暮らしをしており、

 

斎藤 展望の母方の祖母の屋敷はこれまた宇宙時代に失われた昭和の時代を感じさせる作りとなっており、この着物も超一流のメーカーのものであった。

 

合理性と生産性に飼い慣らされた未来人の私は 超一流の着物を直に手にとって触れることによって 思わず滂沱の涙が出るほどに感激してしまったぐらいだ。

 

23世紀の科学力がどれだけ束になろうと、21世紀に現存する超一流の伝統が受け継ぐ歴史の重みと蓄積された芸術性の厚みと豊かさにはただただひれ伏すしかないからだ。

 

実際、宇宙時代になっても16世紀前後のルネサンス時代のレオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロ、ラファエロの絵を超える人類の宝とも言える超大作が生まれていないぐらいなのだから、

 

合理性と生産性を追求する宇宙移民が忘れ去ってしまったものを私は母なる地球で再発見することになったのだ。ホモ・ルーデンスは間違いではなかったのだ。

 

それから、斎藤 展望の最愛の妹:ヒノオマシといろんなことを花火が打ち上がる中で語り合った。

 

着ている着物が超一流のものだけあって、女性用の浴衣というものは本当に女性の美しさを引き出すものであることを否が応でも認識せざるを得ない。

 

間違いなく21世紀の方が優れていると感じられるセンスの代表例と言ってもいいだろう。

 

そう、宇宙時代になると男女平等参画社会なんて当たり前で、ユニセックスの概念が公共の場で浸透しきっているので、女性だからってスカートなんて履かないのだ。

 

宇宙時代のスカートは一般的にはポンチョのボトム版となる装着が簡単な男女兼用の外套であり、

 

生地の薄いドレスを着て舞踏会をやるほどの財力がなければ、なかなかスカートなんてお目にかかれないのだ。

 

だから、私としては膝の上がチラリと見えてしまうようなミニスカートの環境はかなりクるものがある。

 

ただし、それは性的にではなく、価値観のちがい(カルチャーショック)という意味で。無防備過ぎて怪我しないか不安になってしまう。

 

 

しかし、斎藤 展望という男は両親の死がきっかけで両親から受け継いだ妹の誉れを守らんがために、これほどまでに妹から慕われるようになっていた。絵に描いたようなブラコン兄妹である。

 

実際、斎藤 展望という人間が持つ能力の高さは私自身がよく理解しているが、世間的な評価としても斎藤 展望は引く手数多の逸材だったのだろう。

 

トレセン学園という夢の舞台に降り立ったことで無名の新人トレーナーという評価になっていたが、ここにきて妹じゃなくても凄いと思った。

 

ここが生まれながらにして闘争心の強いウマ娘のハーフらしいところであり、妹のためなら自身の進路を180度変えるぐらいのことをしでかして悪名を被ることも厭わない激情家でもあった。

 

これこそが、ヒトとウマ娘の間に芽生える絆の強さとも言えるものであり、恐ろしいぐらいに気安い関係に落ち着くのを肌で感じ取れた。

 

兄妹だからと言っても、斎藤 展望は二十歳をとうに過ぎているのに、相手はトレセン学園の中等部と同い年。それが同じ部屋で一緒に寝るのは倫理的にどうかと思った。

 

しかし、波動エンジンの開発エンジニアだった頃のヒトとの関わりしかなかった頃の私には未体験のものであり、アニマルセラピーのようなものを妹から感じた。

 

ウマ娘が隣にいる時に感じるものは絶対にヒト同士の関係からは得られないものがある。

 

究極のヒト社会である宇宙船の共同生活でヒトに満たされた日々を送った私が言うのだから間違いない。

 

思うに、ヒトよりも野性的なウマ娘なのだから、ヒトよりもパーソナルスペースの取り方が激しいのかもしれないし、

 

種の保存本能で優れた遺伝子を取り込むためにヒト同士ではかえって配合の選別が厳しくなっているせいなのか――――――。

 

そう考えると、ウマ娘が得てして美人揃いと評判なのは、ヒト社会に混じって他種族が子を得るために美しくなるように遺伝子が適合していった結果なのではないかと邪推してしまう。

 

たしか、孔雀なんかはそれが顕著で、メスと交尾するためにオスの外見が派手になっていくように進化する例を考えれば、スケベのために身体ができているとも言える。

 

そこにウマ娘としてのヒトよりも激しい気性と情熱的な態度が組み合わされば、ヒト社会において適度に生存圏を確立することにもなるのだろう。

 

 

危ないところだった。ヒノオマシが斎藤 展望の妹じゃなかったら、トレセン学園の中等部と同い年の美少女の色香に魅了されていたかもしれない。

 

 

本当は後遺症の治療のために全力を振るえない今の状態でもウマ娘にはヒトなんて簡単に押さえつけられるだけの筋力があるのに、

 

どうしたことか、私の寝間着の背を力なく握って額をさらりと背中にこすり付けるように寝息を立てる妹の寝姿が思わずギュッと抱きしめたくなるほどの魔性を放っているのだ。

 

ウマ娘から生まれたヒトの子、あるいはウマ娘に育てられたヒトの子がウマ娘と結婚しやすくなる理由がこれで完全にわかった。

 

いやはや、本当に今日という日はいろんな得難きものの数々を得ることができたのだから、藤原さんには本当に感謝しなくちゃならない。

 

 

 

――――――そして、()()は真夜中に降りてきた。

 

 

 

ドッゴーーーーン!

 

斎藤T「――――――何事ッ!?」ガバッ

 

陽那「あ、兄上……」ガバッ

 

斎藤T「何か大きな音と共に地響きがした。近くで何かが起こったみたいだ」ガラッ!

 

陽那「まさか、近くで打ち上げ花火か何かが爆発したとか?」

 

斎藤T「火の手は上がってはいないみたいだけど、あっちこっちで家の明かりが点き始めたな」キョロキョロ

 

斎藤T「確認してくる。家の人を安心させないとだからな」

 

陽那「あ、待ってください! それなら、私も行きます!」

 

斎藤T「……ウマ娘の方が強い。何かあった時の頼みの綱か」

 

斎藤T「わかった。ついてきてくれ」

 

陽那「はい!」

 

 

――――――私はトレセン学園の見回りの時の装備品を可能な限り揃えて出発した。

 

 

斎藤T「何かあったんですか?」

 

近所の人「ネットを見たかい? 隕石がこの辺りに落ちたみたいなんだよ」

 

陽那「……隕石ですか」

 

近所の人「ああ。まったく困ったもんだよ。明日にでも隕石を探しに野次ウマがここに集まってくるんじゃないかな?」

 

斎藤T「いや、ニュースを見た瞬間にはここに全国各地から駆けつけているかも……」

 

近所の人「これじゃあ、お盆休みに来てくれた息子たちが都会に帰るのに邪魔になるんじゃないかって。朝早くに出て成田の飛行機の時間に間に合うかどうか……」

 

陽那「そうですね。渋滞が発生するかもしれませんね」

 

近所の人「なあ、あんた、トレセン学園のトレーナーなんだろう? とりあえず警察には電話しておいたけど、さっさと隕石を見つけて警察に引き渡しておいてくれんか?」

 

陽那「でも、隕石が落ちる瞬間を見たわけじゃないので、場所の特定なんて こんな夜中に――――――」

 

斎藤T「わかった。すぐに見つけてくるから、バリケードになりそうなもの、なければテープか縄なんかを用意して待っていてくれ。たぶん、確認自体は1時間もあればすむと思う」

 

近所の人「お、頼もしいのう! さすがはトレセン学園のトレーナー! ウマ娘にとっては入学した後が競争率が高い場所だが、ヒトにとっては入学する時が競争率が高い場所を勝ち取っただけはある!」

 

 

――――――そして、

 

斎藤T「これが隕石か。人類史上最大のホバ隕石と比べたらなんてことはないな。それでも、絨毯ぐらいの大きさなのは珍しい」

 

陽那「こ、これが隕石なんですか? 隕石なら落ちた場所にクレーターができると思うんですけど」

 

斎藤T「……たしかに。まあ、クレーターが残ってないなら、野次ウマたちに観光地化されることがなくてよかったじゃないか」

 

陽那「そうですね」

 

斎藤T「……持てるか? 絨毯ぐらいの大きさの隕石を持ち帰るのはさすがにウマ娘でも無理か?」

 

陽那「……申し訳ありません、兄上。私ひとりでは無理そうです」

 

斎藤T「となると、バリケードを設置して警察に回収してもらうことになるか」

 

斎藤T「じゃあ、ライトで全体が明るく見えるように照らしてくれ」

 

陽那「はい」ピカッ

 

斎藤T「そうそう、ものさしを置いて証拠写真を撮る。位置情報を添付して警察にメッセージ送信だ」パシャ

 

斎藤T「よし、確認はできた。一旦、戻ろう」

 

陽那「はい」

 

陽那「しかし、よく隕石の場所を特定することができましたね?」

 

斎藤T「本当だよ。家を出る前に赤外線ゴーグルで微かに垂直方向に伸びる不自然な熱量を見つけられなかったら、一晩かけても見つけられなかっただろうね」

 

陽那「もしかしたら、兄上が宇宙船を創るのを天が祝福してくださっているのかもしれませんよ」

 

斎藤T「そうだといいな」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

陽那「兄上、ブーンブーンって何か大きな虫が飛んでいるような音がしません?」

 

斎藤T「……たしかに。大きなカブトムシでも飛んでいるのかな? にしては、物凄く大きい感じがするな?」

 

斎藤T「うおっ!?」パシッ

 

陽那「あ、兄上!?」

 

斎藤T「あ」

 

斎藤T「え? 思わず掴んじゃったけど、これって――――――」

 

陽那「わあ! 本当にカブトムシですよ、兄上!」

 

 

斎藤T「え? カブトムシってY字の角だけじゃなかったっけ? クワガタムシみたいな2本の角も生えているぞ、これ! しかも、ものさしと同じ大きさじゃないか!」

 

 

斎藤T「まさか、突然変異か!?」

 

陽那「……もしかしたら、海外のカブトムシかもしれませんね」

 

斎藤T「なに?! 侵略的外来種か!?」

 

陽那「よくはわかりませんけど、海外から輸入されたペットが飼い主の許から離れて野生化して生態系が乱されるのが問題になるニュースを見たことがあります」

 

斎藤T「叩き殺す! 侵略的外来種の存在は宇宙移民にとっては最大の病原体だ!」グッ

 

陽那「そんな! いくらなんでもかわいそうですよ! 監督不行き届きの無責任な飼い主の罪を野に解き放たれたペットが償うのですか?」

 

斎藤T「人間は社会的生き物だ。つまり、社会的責任能力を有さない存在に人権なんか認める必要はない」

 

陽那「せめて、連れ帰って飼い主になってくれる人を探しましょうよ」

 

斎藤T「……わかった」

 

陽那「とりあえず、写真は撮っておきましょう。あとでペット問題の告発に使う証拠写真になります」パシャ

 

 

ヒヒーーーーン!

 

 

斎藤T「……馬の嘶き? こんな場所で?」ピタッ

 

陽那「な、何ですか、今のおぞましい声は!?」ガクガク・・・

 

斎藤T「え、何って馬の嘶き――――――」

 

陽那「――――――“UMA”って何なんです!? “夜の鳥”と書く鵺の仲間ですか!?」

 

斎藤T「……“NUE”って何だ? 夜行性の鳥の一種?」

 

陽那「正体不明の妖怪ですよ、兄上!」

 

陽那「平安時代末期、天皇陛下の御所:清涼殿に毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、陛下の御心を騒がせ奉った妖怪が鵺なんです!」

 

陽那「それを退治したのが源 頼光の子孫:源 頼政で、先祖伝来の剛弓でもっての鵺退治の逸話として、皇宮警察の常識ですよ、兄上!」

 

斎藤T「いや、今のはどう考えても馬の嘶きだったが……」

 

斎藤T「――――――うっ!」ゾクッ

 

陽那「――――――ひっ!」ゾクッ

 

斎藤T「位置情報は警察に知らせたし、急いで帰るぞ!」

 

陽那「はい、兄上!」

 

 

ダッダッダッダッダ!

 

 

斎藤T「ここまで来ればもう大丈夫だろう……」ゼエゼエ

 

陽那「は、はい……」ゼエゼエ

 

斎藤T「正直に言って、命の危険を感じたぞ、さっき……」ゼエゼエ

 

陽那「き、気のせいですよ、そんなこと……」ゼエゼエ

 

斎藤T「あとで、NUE退治の話を詳しく聞かせてくれ……」ゼエゼエ

 

陽那「わかりました、兄上……」ゼエゼエ

 

斎藤T「厄介事に巻き込まれる前に帰りつければいいが……」ゼエゼエ

 

近所の人「お、帰ってきたぞ!」

 

近所の人「おい、大丈夫かい?」

 

斎藤T「ええ、何とか」ゼエゼエ

 

斎藤T「隕石の写真です。位置情報は警察に知らせておいたので、もう大丈夫です。あとは警察にまかせて寝ましょう……」・・・フゥ

 

近所の人「おいおい、兄ちゃんに言われて人を集めてきたんだぜ? それに、警察が持っていく前に隕石を見に行きたいって孫が言い出してなぁ?」

 

斎藤T「危険です! せめて、夜が明けてからにしてください!」

 

近所の人「…………!」

 

斎藤T「帰ってくる途中で馬の嘶きというか、不気味な鳴き声を聞いたんです……!」

 

斎藤T「妹が言うには妖怪:NUEかもしれない――――――そんな恐ろしい何かが隕石の近くにいます!」

 

近所の人「……そういうことなら、首を突っ込まない方がいいな。触らぬ神に祟りなしだ」

 

近所の人「とりあえず、隕石の写真、譲ってくれんか?」

 

斎藤T「いいですよ。隕石の写真が欲しい人は来てください。配信しますから」

 

 

スタスタスタ・・・

 

 

斎藤T「やっと帰れる……」

 

陽那「おつかれさまでした、兄上」

 

斎藤T「隕石が落ちた場所には決して近づかないようにコンセンサスを得て、野次ウマも入れないように森の入り口にバリケードを作る羽目になったよ……」

 

陽那「杞憂で終わればいいのですけど……」

 

斎藤T「地獄の釜の蓋が開く盂蘭盆会で百鬼夜行だなんて笑えない冗談だしな……」

 

斎藤T「それじゃあ、藤原さんが迎えに来るまで、一眠りしようか」

 

陽那「はい……」

 

斎藤T「――――――ッ!」ゾクッ

 

斎藤T「危ない!」ドン!

 

陽那「きゃっ!」ドサッ

 

斎藤T「うあっ――――――」

 

斎藤T「何だ、これは!?」タラー・・・ ――――――頬を掠めた一撃は皮膚を抉って血を流させた。

 

陽那「あ、兄上!?」

 

陽那「――――――!」

 

 

怪人:ウマ女「ヒサシブリダナ、ケイローン」

 

怪人:ウマ女「モトノカラダヲウシナッテオナ、ブザマニテイコウヲツヅケルスガタハ マサシク ムシケラナノダ」

 

怪人:ウマ女「ココデタタキツブシテヤル!」

 

 

――――――それは未知との遭遇。第八種接近遭遇:宇宙人による侵略。

 

 



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第4話秘録 第八種接近遭遇

-シークレットファイル 20XX/08/15- GAUMA SAIOH

 

正確には、日付はすでに翌日のものとすべきだが、8月15日の夜更けまでの出来事として記録する。

 

隕石の落下地点の確認を終えた私とヒノオマシは帰路の途中で 馬の嘶きに似た この世のものとは思えない鳴き声を聞き、命の危険を感じて全速力でその場から離れた。

 

そして、警察に必要な情報を渡し、近所の人たちに隕石の落ちた森には誰も入らないようにバリケードを設置して封鎖させ、

 

それぞれの日常に帰るために藤原さんが迎えに来るまで一眠りしに、祖母の屋敷への帰り道でそれと遭遇する事態となった。

 

 

――――――仮に“怪人:ウマ女”とでも名付けておけばいいのだろうか?

 

 

この世界にはウマ娘はいても四足歩行動物で有名なウマ:Equusは完全に存在しないため、完全な馬面をした奇怪な存在を前にしたウマ娘の妹は悲鳴を上げることなった。

 

23世紀の人間の私からすると パーティーグッズの馬のマスクを被っているようにしか見えない ふざけた存在にしか見えなかったのだが、

 

怪人:ウマ女がウマ娘と決定的に異なる点というのが、まず『衣服を着ていない』――――――それに尽きる。

 

あるいは、全身白タイツの可能性があったが、石膏像のような真っ白な外見は丑三つ時を過ぎた真夏の夜更けには幽霊のようにも見え、嫌な冷や汗が止まらなかった。

 

少なくともメスとわかる豊満な胸の輪郭はあっても秘所は見えないので最低限のドレスコードに問題はなかったのだが、怪人:ウマ女の異形はそれだけではなかった。

 

咄嗟に妹を突き飛ばして難を逃れたが、頬を掠めた一撃で吹き出た血が頬を伝うことになった。

 

恐ろしく早い手刀に思えたが、そうではなかった。

 

なんと、怪人:ウマ女の手は馬と同じ蹄となっており、手刀と言うよりは拳鍔や手甲鉤のような鋭い暗器に近いものになっていた。

 

だが、片方の手は普通に5本指となっており、何なら足の方もヒトと同じ平たい足になっている。

 

いきなりの奇襲と疲労からの油断で一撃を入れられたと思い、皇宮警察の両親から幼くして鍛えられた斎藤 展望の優れた動体視力を駆使して、その動きを捉えようとする。

 

斎藤 展望の記憶が完全に失われたとしても、宇宙船エンジニアの私も宇宙移民の一人として護身術に嗜みはある。腕っ節も強い方だとも思っていたぐらいだ。

 

相手は馬面のマスクを被ったようなヘンタイの2m近い巨体ではあったが、それだけ首が大きければ絞め落とすのは容易――――――。

 

しかし、次の瞬間には2m近い巨体の怪人:ウマ女の姿が完全に消えていたのだ。瞬きなんかしていないし、完全に視界から外さないように睨みを利かせていたはずなのに――――――。

 

まさかのまさか、怪人:ウマ女は人間の動体視力では完全に追えない速度を静止状態から繰り出すことができたのだ――――――。

 

 


 

 

斎藤T「う、うわああ……、あああ……」ズキズキ・・・ ――――――身体のあちこちを抉られて血を流す。

 

陽那「あ、兄上、兄上ぇ……」ガクガク・・・ ――――――完全に腰が抜けて呆然としている他なかった。

 

怪人:ウマ女「オカシイ……。タダノサルノブンザイデ ドウシテココマデヨケラレル?」

 

怪人:ウマ女「フム、ケイローンノシマツハゼッタイデハアルガ、コレハメズラシイサンプルトシテモチカエルトシヨウ」

 

怪人:ウマ女「モシカスルト、ヨゲンノ――――――」

 

斎藤T「く、来るなぁ……」ズキズキ・・・

 

陽那「兄上……!」ガクガク・・・

 

陽那「なさけない! 父上や母上になんとお詫びしたらよいか……!」ガクガク・・・

 

怪人:ウマ女「サア、カンネンスルンダナ、ケイローン!」 ――――――とどめを刺すつもりか、5本指の手から蹄の手に変える。

 

斎藤T「こ、これまでか……」

 

陽那「兄上えええええええええ!」ガクガク・・・

 

 

――――――利き足を狙うんだ!

 

 

斎藤T「え?」

 

斎藤T「もう、どうにでもなれええええええ!」

 

怪人:ウマ女「――――――」

 

陽那「あ――――――」

 

 

ドゴォ! ズサアアアアアアアアアアアア!

 

 

怪人:ウマ女「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

斎藤T「ぐあっ……」ドサッ

 

陽那「え!? いったい何が……!?」

 

 

ヒトよりも遥かに優れた身体能力を持つウマ娘の陽那の眼にすら見切ることができない怪人:ウマ女は次の瞬間には思い切りズッコケて路面に勢いよく顔面をこすり付けることになった。

 

あの時、私は怪人:ウマ女が攻撃する時は一瞬だけ右足から先に動くのを見て取っていたことから、

 

命の危機に際して聞こえてきた謎のアドバイスに耳を傾けて、怪人:ウマ女が高速移動するより早いか同時に自然と自分の左足を振り抜いていたのだ。

 

不思議だった。ヒトの眼では残像すら捉えることができないのに ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というビジョンがはっきりくっきり見えていたのだ。

 

事実、怪人:ウマ女の右脚の飛節;人間で言うところの足首や踵にあたる部位に直撃した。履いていた安全靴の鉄芯が砕ける感触もしながら。

 

そうか、高速移動する瞬間に怪人:ウマ女の両脚は私が知る蹄の脚に変化していたのか――――――。

 

それなら、自分が出した猛スピードで事故った際の衝撃を馬なんて繊細な生き物が耐えられるはずもないか――――――。

 

こうして怪人:ウマ女はしばらく苦痛にのたうち回った後にまったく動かなくなったのだった。

 

『沈黙の日曜日』に代表されるように、ヒトよりもはるかに優れた身体能力を持つウマ娘でさえも、自身のスピードに耐えきれずに致命的な故障を引き起こすのだから、

 

それよりも圧倒的に素早く動く怪人:ウマ女が飛節に受けた衝撃は全身の細胞を破壊し尽くすだけのカタストロフを引き起こしたにちがいない。

 

そのためか、ピクリとも動かなくなった怪人:ウマ女は砂粒のように崩れ去っていく石膏像のように塵となってしまったのだった。本当に全身の細胞が崩壊したようだった。

 

残された白い塵の山がわずか5分足らずの凄惨な事件の記憶を物語るものとなった――――――。

 

 

そして、脅威が去ったことを理解すると、私の意識はそこで途絶えた。

 

 

その結果、パトカーとほぼ同時にやってきた救急車で搬送されることになり、病院で治療を受けることになってしまった。

 

しかし、怪人:ウマ女の攻撃を全て紙一重で躱しきっていた奇跡で、傷口の手当と輸血だけで済み、湿布だらけの身体になったものの、その日のうちに退院することになった。

 

一方で、バケモノに襲われたことを私に代わって警察に訴えた妹ではあったが、

 

証拠になりそうな怪人:ウマ女であった灰を集めても証拠不十分として『猛獣に襲われた』とだけ処理されてしまい、信じてもらえなかった。

 

そうそう、予想通り、あの辺一帯に どこから嗅ぎつけたは知らないが 野次ウマが集まり出してしまい、盂蘭盆会の静かな時間が奪われてしまったそうだ。

 

警察も炎天下の中で規制しているが、さっさと隕石を回収してもらうために専門機関の派遣を要請し、すぐに隕石が回収されると、また元の静けさに戻ったそうだ。

 

 

――――――その後、自動車ディーラー巡り

 

陽那「自分の未熟さを思い知りました……」

 

陽那「兄上のように敢然と立ち向かう勇気と強さを身に着けるために精進いたします」

 

陽那「それと、兄上が捕まえた海外のカブトムシ:コーカサスオオカブト、またの名をキロンオオカブトは私が飼うことにしました。たまには顔を見せに来てくださいね」

 

斎藤T「そうか。ヒノオマシにも()()が見つかったんだな。先を越されたな」ハハッ

 

陽那「そんな……」フフッ

 

斎藤T「まあ、それも大切な経験だ。しっかりと面倒を見るんだぞ」

 

陽那「はい!」

 

藤原さん「お前さんも競走バの担当をまじめにするなら、自分のクルマぐらい持ったらどうなんだ?」

 

藤原さん「今まではクルマ代をケチッて可能な限り使わないで節約してきていたがよ、もう金のことを気にする必要はなくなったんじゃないのか?」

 

斎藤T「そうですね……、レンタカーで済ませるわけにもいかないですか?」

 

藤原さん「ダメに決まっているだろうが。レース当日の交通費は経費にはなるが、練習のためのクルマ代は全額負担にならないのは知っているだろう?」

 

藤原さん「トレーナーになるってのは『担当ウマ娘が稼いだ賞金の大半が食費とクルマ代に消える』だなんて言われているぐらいだぞ?」

 

斎藤T「その辺りのことを以前はどう考えていたのやら……」

 

藤原さん「とにかく、俺を足に使うのは今日限りだからな。今日この日に愛車を買うんだな」

 

藤原さん「言っとくが、天下のトレセン学園のトレーナーが中古車やお古なんてのはNGだからな。そういったところもパパラッチにチェックされるからな」

 

藤原さん「ただでさえ お前さんは嫌われてんだから、評判を これ以上 下げることがないように用心するんだぞ、テン坊」

 

斎藤T「はい」

 

陽那「となると、みんなリムジンなんですか?」

 

藤原さん「そこまでの高級車は普段遣いで求められてはいないさ。それこそ、レース場に向かう際は学園が手配したハイヤーのリムジンに乗るからな」

 

藤原さん「そうじゃなくて、『国民の憧れの花形職業としてプライベートもしっかり見られていることを意識しろ』って話だ」

 

藤原さん「クルマの中を覗かれないようにスモークだって必要だし、いろいろと気を遣うんだよ、人気者ってのは」

 

藤原さん「それに、お前さんだって男なんだから、トレーニング場に移動するためにトレーナーのクルマに頼るしかないウマ娘を乗せた時に恥ずかしい思いをしたくはないだろう?」

 

藤原さん「妹さんをヤニ臭いクルマに乗せた時のことを考えてみろ」

 

斎藤T「それは嫌ですね、心底」

 

藤原さん「だろう? 担当ウマ娘にとっても大切な移動手段として利用されるものになるんだから、お前さんがいらなくても担当には必要なもんだと割り切るんだよ」

 

斎藤T「わかりました」

 

藤原さん「まあ、いきなり複数人の面倒を見ることはないだろうし、そこまで遠出もしないだろうから、ミニバンである必要はないか」

 

斎藤T「もしヒノオマシだったら、どんなクルマに乗りたい?」

 

陽那「そうですね。大勢の人を乗せるならミニバンでいい気もしますけど、そこまで人を乗せることもないなら軽トールワゴンでいいと思います。収納性と燃費を重視すると、です」

 

斎藤T「そうだよな。いろいろなトレーニング機材を積む必要もあるしな。それにウマ娘の耳のことも考えると車高が高いクルマが必要不可欠か」

 

藤原さん「だからって、実用性重視で軽トラはやめろよ。お前さんも皇宮警察の両親の血筋なんだからさ」

 

斎藤T「わかってますって」

 

斎藤T「………………」

 

陽那「兄上……?」

 

斎藤T「そう言えば、ウマ娘に撥ねられたんだよな……」

 

斎藤T「自動車との並走も可能で走力は時速60キロメートルをゆうに超えるんだろう?」

 

斎藤T「()()()()()()()()()()()と思って……」

 

陽那「ああ…………」

 

藤原さん「たしかにな。そこは『両親が守ってくれた』と考えればいいんじゃないのか?」

 

陽那「そうですよ! 兄上は父上や母上の宝物なんですから!」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

斎藤T「……どういうことなんだろうな、実際?」

 

 

――――――ウマ娘に撥ねられて意識不明の重体に陥った斎藤 展望はなぜ怪人:ウマ女の目にも留まらぬ動きについていけたんだ?

 

 



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第5話   ドケ!!! オレハオニイサマダゾ!!!

-西暦20XX年08月31日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この日、妹が飼い始めたコーカサスオオカブトの飼育日記がネットにアップロードされた。

 

アジア最大のカブトムシであるコーカサスオオカブトの成虫の寿命は半年以内らしい。

 

闘争心も旺盛なことから南米のヘラクレスオオカブトと並びしばしば“世界最強のカブトムシ”ともされているが、

 

その分だけ短命に終わるのは、まさしく競走バとして過酷なレースで鎬を削るウマ娘と同じである。

 

以前に、“クラシック三冠バ”ミホノブルボンの担当トレーナー:才羽Tとお盆休み前に流しそうめんでご一緒する機会があった際、

 

私は“異次元の逃亡者”とも言われた圧倒的スピード王者:サイレンススズカに起きた悲劇『沈黙の日曜日』について意見を交わしていた。

 

サイレンススズカほどの速力のウマ娘でも肉体の限界を超えて自壊してしまうのだから、これ以上の速力の追求は種の限界とするべきなのではないかと。

 

つまり、現在に続く近代ウマ娘レースでロードレースがない理由がウマ娘の保護である以上、あのような悲劇を繰り返さないための枠組みが必要ではないかと思ったのだ。

 

才羽Tも『沈黙の日曜日』に関して思うことがあり、実際にミホノブルボンの本来の適正距離を大きく上回るだけの肉体改造をやってのけたのだから、

 

サイレンススズカが見せた種の限界はともかく、恐ろしく頑丈なミホノブルボンにも限界がいつ来るかもわからない状況でもあった。

 

そのことをトレーナーとして認識していないわけがない。

 

だからこそ、知りたかった。

 

 

――――――“クラシック三冠バ”という夢は果たした。じゃあ、それからのミホノブルボンはどうなるのかを。

 

 

当然、年の瀬の『URAファイナルズ』での優勝を狙うだろう。もちろん、“クラシック三冠バ”として出走するのは【長距離】。

 

私の見立てだと、まずミホノブルボンに勝つだけのウマ娘はいないだろう。

 

初めての担当でかつ新人トレーナーでここまで成り上がりを見せた気迫と根性は他の追随を許さない。

 

しかし、花形職業というものは旬によって彩りを変えていくのが自然の摂理。

 

もって、2,3年でミホノブルボンも引退することになるのだろうが、その時は才羽Tはミホノブルボンとの関係をどうするつもりなのか――――――。

 

誰が見ても担当ウマ娘の彼女はケミストリーのある相手である天才トレーナーのことを慕っている。才羽Tもそのことを悪くは思っていないはずだ。

 

ただ、これからも才羽Tがトレーナー業を続けていくのなら、彼女としても()()()()()として思い出にされることを受け止めなければならない。

 

その割り切りが果たしてできるのかどうか――――――、その時の才羽Tの答えには驚きを隠せなかったが、

 

やはり、才羽Tは天才トレーナーであり、過去のトレセン学園でその名を刻んだ“芦毛の怪物”オグリキャップのような異彩を放っていた。

 

かくいう私もウマ娘の妹に対して距離感がバグる体験をしたばかりに、才羽Tが目指す人生の在り方には深く共感できるようになっていた。

 

 


 

 

斎藤T「先輩、今日のトレーニングは問題なく終了しました。ハッピーミークは今日も絶好調です」

 

桐生院T「ありがとうございます、斎藤さん……」

 

斎藤T「……どうしたんです?」

 

桐生院T「いえ、何でもありません……」

 

桐生院T「それじゃあ、今日はおつかれさまでした、斎藤さん」

 

斎藤T「はい、先輩もおつかれさまでした」

 

斎藤T「…………何かあったのか?」

 

斎藤T「そう言えば、まだ『URAファイナルズ』の出走距離を決めてなかったけど、勝ちに行くなら才羽Tのミホノブルボンが出る【長距離】は避けるべきだろうな」

 

斎藤T「でも、そうなると『ミホノブルボンから逃げた』って言われちゃうのかな?」

 

斎藤T「あらゆる距離や馬場で万遍なく勝ってきているハッピーミークもれっきとした名バなんだけどな。イマイチ、人気が振るわないと言うか」

 

斎藤T「人なんて勝手なことばかり言うもんだけどさ」

 

 

――――――日本ウマ娘トレーニングセンター学園。

 

 

Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て、並ぶ者なし) ――トレセン学園 スクール・モットー

 

斎藤T「国民的スポーツ・エンターテイメントとして位置付けられている『トゥインクル・シリーズ』での活躍を目指すウマ娘が集まる全寮制の中高一貫校」

 

斎藤T「場所は東京都府中市。総生徒数は2000人弱。国民の憧れである選手になるアスリートコースの他に、サポートスタッフになるアシスタントコースもある」

 

斎藤T「その広大な敷地と最新鋭の充実した設備の他に、国民の憧れとしての文武両道を掲げ、通常の教育機関としても高い偏差値を誇るエリート校でもある」

 

斎藤T「その華やかさとは裏腹に生徒も教職員も、地方では異次元レベル扱いされるようなエリートたちが鎬を削る戦場でもあり、結果を出せず学園を去ることになった者も数多く存在する」

 

斎藤T「もっとも、あまりの実力主義や成果主義の結果、中央競バ界の傲慢さを体現した腐敗していた時期もあったようだが、」

 

斎藤T「現在の理事長:秋川 やよいの方針で自由な気風の個性あふれるウマ娘やトレーナーが集結し、かつてない盛り上がりを見せているそうだ」

 

斎藤T「特に、今の世代は奇跡の世代とも謳われるほどに才能と個性あふれるウマ娘が集結している黄金期とも」

 

 

斎藤T「この広大な敷地に総生徒数2000人弱を収める巨大な寮がある他、トレーナーを始めとするサポートスタッフ用の寮も完備されている」

 

斎藤T「また、近くにはショッピングモールもあり、東京都府中市はトレセン学園が中心の学園都市となり、日本競バ界の聖地として憧れの舞台となっている」

 

斎藤T「さて、学園を出て道路を挟んで真向かい。地下通路で学園校舎と直通となる栗東寮と美浦寮の二つに大別され、基本的に二人で一部屋。生徒以外の立ち入りは原則禁止」

 

斎藤T「ただし、非常事態においては学園常駐のERT(緊急時対応部隊)がすぐ近くから派遣される。もちろん、ERTのメンバーはウマ娘の隊員となる」

 

斎藤T「これだけ巨大な寮ともなると、その自治会の長である寮長にはそれだけの権限と責任が伴い、生徒会においても大きな発言権があるほどだ」

 

斎藤T「先程も言ったように、トレセン学園は夢の舞台。そこでの活躍を目指して全国各地から優秀なウマ娘やトレーナーが鎬を削る戦場――――――」

 

斎藤T「となれば、表向きは華やかな舞台の上で歌って踊って輝くウマ娘であっても、舞台の影ではおどろおどろしい内情があってしかるべきなのだ」

 

斎藤T「しかし、それを和らげているのがヒトとウマ娘の間に芽生える絆の不思議な感覚『距離感がバグる』とでも形容すべきものだと今の私なら確信して言える」

 

斎藤T「ただ、それでも、ここは真剣勝負の舞台。そこに懸けた情熱が弾け飛んだ時の絶望から学園を去る者は後を絶たない」

 

斎藤T「今日もレースの敗北から、過度のトレーニングの代償から、あるいは己の傲慢さから夢破れた生徒が学園に姿を現すことなく 部屋の片隅で閉じこもっているそうだ」

 

斎藤T「だから、そういった夢の舞台の影の部分も見据えなくてはならない寮長の重圧は大きいだろうな」

 

斎藤T「――――――『どうした、急に?』だって?」

 

 

――――――ウマ娘に撥ねられて 3ヶ月間 意識不明の重体から回復した斎藤 展望に対する誹謗中傷の中に“寮に籠もって不登校になったウマ娘の恨み辛み”があったからさ。

 

 

斎藤T「本人が言ったのか、友人が言ったのか、トレーナーが言ったのかはわからないけど、トレセン学園の表にならない現実を知ることができた 素晴らしい情報提供にあったよ」

 

斎藤T「でも、そうなると、夢破れたウマ娘だって苦しいけれど、その子の才能を信じて二人三脚してきたトレーナーだって身を切るような思いなんだろうな……」

 

斎藤T「同期に無名の天才トレーナーがいたこと、“クラシック三冠バ”になるために不屈の闘志で夢を追い続けたウマ娘との運命の出会いの前に名門が手も足も出ない――――――、か」

 

斎藤T「先輩――――――、代々優秀なトレーナーを輩出してきた名門:桐生院家の人間としての重圧に苦しめられているのだろうか?」

 

 

そうして私はハッピーミークがすでに帰っているだろう寮を道路を挟んで学園から眺めていた。

 

自由な気風を取り入れて全国各地から玉石混淆のウマ娘を集めて黄金期を迎えた夢の舞台とは言っても、所詮それは運営の事情であって、

 

この学園に集うウマ娘やトレーナーがそれぞれに抱える事情はそれこそピンからキリまであり、担当ウマ娘とトレーナーの間にある思いの差が二人三脚の息を狂わせることにも繋がる。

 

今の桐生院先輩はいろいろと複雑な事情や思いに囚われているのだろう。『URAファイナルズ』に向けた調整が未だに決まらないのが何よりの証拠であった。

 

 

――――――本当に人間ってやつは度し難い生き物なのかもしれない。

 

 

それはミホノブルボンとハッピーミークの獲得ファン数を比較すれば明確かもしれない。

 

今となっては“クラシック三冠バ”ミホノブルボンでさえも無敗ではなく、ハッピーミークの方が勝利数も多いわけなのだが。

 

それでも、人々はハッピーミークよりもミホノブルボンを選ぶのだ。

 

そこにトレーナーの家柄などまったく関係ない――――――、先輩はそのことに気づいているのだろうか。

 

私は最初にウマ娘とトレーナーの関係の理想を語った先輩の誇らしげな表情を忘れていない――――――。まだそこまで日も経っていないのだ。

 

そう思うと、ウマ娘寮とトレーナー寮が分断されているトレセン学園の現実がそのまま2人の関係に当て嵌まっているように思えてならなかった。

 

 

斎藤T「二人三脚や一心同体だなんて言っても、弟子が師匠の寺で住み込みで修行するのとは違うわけか……」

 

斎藤T「随分とこの時代の人たちはバラバラなんだな……」

 

斎藤T「まあ、自分たちが得た自由・平等・博愛を使いこなすにはまだまだ時間がかかるってところか……」

 

ビワハヤヒデ「きみ、こんなところで寮を眺めてどうしたんだ?」

 

斎藤T「……何でもありませんよ」

 

ビワハヤヒデ「そうか」

 

ビワハヤヒデ「しかし、ここには海外から赴任してきたトレーナーもいるが、きみほどのガタイの良い日本人のトレーナーが見つめているのは何かと誤解を招くから、気をつけた方がいい」

 

斎藤T「そうしておきます」

 

ビワハヤヒデ「……私もそれなりには強豪だと自負しているが、私の『理論』もまだまだと言ったところか」

 

斎藤T「何です?」

 

ビワハヤヒデ「いや、きみが何かと噂の新人トレーナーだと聞いていてな」

 

ビワハヤヒデ「新年度開始早々に学園内に広まった悪評、3ヶ月間の意識不明の重体、それから目覚めてすぐハッピーミークのサブトレーナーに収まっている――――――」

 

ビワハヤヒデ「ここのトレーナーになったのは金儲けのためだと言われているが、そのトレーナーバッジを身に着けるだけの運と実力は間違いなくあったわけだな」

 

ビワハヤヒデ「会長が危険視していただけの悪辣さはいったいどこへ消えてしまったというのか……」

 

ビワハヤヒデ「それとも、金儲けに利用しようとしていたウマ娘に撥ねられる因果応報で邪な心が消え去ったのか――――――」

 

斎藤T「…………どうなんでしょうね。私は今も昔も何も変わっていないと思いますけど」

 

ビワハヤヒデ「ちょっとしたお礼さ」

 

斎藤T「え」

 

 

ビワハヤヒデ「お盆休みの時に珍しくブライアンがな、『流しそうめんをやろう』って言ってきてだな……」

 

 

ビワハヤヒデ「幼い頃に無邪気に追いかけっこをしていた時の懐かしさがあったよ」

 

ビワハヤヒデ「ふふ、あんなでっかい流しそうめん機を買ってきて私のためにそうめんを流してくれる姿は本当に……」フフッ

 

斎藤T「そうでしたか……」

 

ビワハヤヒデ「来年はどうするつもりなんだ?」

 

斎藤T「変わりませんよ。賞金を稼いで儲けさせてくれるウマ娘の担当になる」

 

斎藤T「見つからなかったら、このバッジを取り上げられるまで 無駄飯食いと罵られようとも がめつく待ち続けるだけ」

 

斎藤T「それだけ。そこにはトレーナーの意地とか余計なものはいらない。走りたいように走れ。どうせトレーナーが走るわけじゃないんだから」

 

 

――――――けど、私は 今 私自身の道を走っている。着いてこれるのなら 着いてこい。

 

 

ビワハヤヒデ「そうか。『URAファイナルズ』でブライアンとの一騎討ちを考えて、新しいトレーナーにきみを誘いに来たが、残念ながらフラレてしまったようだ」

 

斎藤T「すみませんね、()()()()()()()。見据えている先がちがうもので」

 

ビワハヤヒデ「……案外、今のきみだったら会長も気に入るかもしれないな」クスッ

 

 

斎藤T「でも、あなたのようなウマ娘に誘ってもらえて嬉しかったですよ。あなたが最初です」

 

 

ビワハヤヒデ「なら、しっかりと今の自分の担当を勝たせてやってくれ」

 

斎藤T「そのつもりなんですけどねぇ、ここに来て先輩はあまり調子良くないですね………………実家で何か言われたのか」

 

ビワハヤヒデ「桐生院Tか。彼女の手腕はさすがは名門だとは思うが、たしかにこのところは精彩を欠くところがあるように思うな――――――」

 

斎藤T「――――――あ、おい! そこの!」

 

 

飯守T?「ウオオオオ………………」

 

 

ビワハヤヒデ「む、あれはたしか、ライスシャワーの担当トレーナーではなかったか?」

 

斎藤T「何やってるんだ! クルマが通っていないからって学園の目の前で車道を横切ろうとするな! 何のための地下道だよ!」ガシッ

 

ビワハヤヒデ「いや、その前に生徒以外は立入禁止の学生寮にいったい何の用だ?」

 

飯守T?「ジャマヲスルナ……」

 

斎藤T「!?」ゾクッ

 

ビワハヤヒデ「な、何か様子が変じゃないか……?」

 

飯守T?「アア、ライス! ライス! ライス! ライス! ライス! ライス! ライスゥウウウウウウウウ!」

 

斎藤T「お、落ち着け! 学生寮は生徒以外は立入禁止だ! 犯罪者になりたいのか!?」

 

飯守T?「ドケェエエエエエエエエエ!」ブン! ――――――とんでもない腕力で身体が空に放り投げられた!

 

斎藤T「なっ」 ――――――それは新年度早々にウマ娘に撥ねられた時のよう!

 

ビワハヤヒデ「斎藤T!」 ――――――このままでは地面に叩きつけられてしまう!

 

斎藤T「っと!」シュタ! ――――――しかし、空中で受け身をとって難を逃れた!

 

ビワハヤヒデ「ホッ」

 

ビワハヤヒデ「いいかげんにしろ、飯守T! いったいどうしたと言うんだ!」ガシッ

 

飯守T?「ハナセ! ハナセ! ハナセ! ハナセエエエエエエエエエエ! ライスゥウウウウウ!」ブンブン!

 

ビワハヤヒデ「な、なんてパワーだ……! ウマ娘である私でさえも抑えるのがやっとだ……!」グググ・・・

 

ビワハヤヒデ「斎藤Tを投げ飛ばしたパワーと言い、本当にヒトなのか!?」グググ・・・

 

斎藤T「警告するぞ! 見なかったことにしてやるから、今すぐに抵抗を止めて出直してこい!」

 

斎藤T「さもなければ、同じトレーナーバッジを身に着ける者としてERTに突き出す!」

 

飯守T?「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

ビワハヤヒデ「ハッ」

 

 

飯守T?「ドケエエエエエエエエ!!! オレハオニイサマダゾオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

飯守T?「アア、ライス! ライス! ライスゥウウウウウ!」ドォーーーーン!

 

ビワハヤヒデ「くはっ!」ガクッ

 

斎藤T「大丈夫か!?」

 

斎藤T「くっ、生徒の腹に肘打ちとは……、自ら独房に叩き込まれるスイッチを押したな!」ギリリ・・・

 

飯守T?「ライスゥウウウウウ! オニイサマハココダ! オニイサマダゾオオオオオオオオ!」ダッダッダッダ!

 

斎藤T「ま、待て――――――!」タッタッタッタッタ!

 

斎藤T「な、何だ、あの足の速さは!? ヒトどころかウマ娘にも――――――」

 

斎藤T「ダメだ、追いつけない……!」

 

斎藤T「このままあいつを追いかけて学生寮に侵入するのは――――――」チラッ

 

ビワハヤヒデ「うぅうう……」

 

斎藤T「くそっ」prrrr・・・

 

斎藤T「ERTか! 今さっき学生寮にトレーナーが無断侵入した! しかも、止めに入った生徒に肘打ちを食らわせた! 大至急、侵入者を取り押さえてくれ!」

 

斎藤T「大丈夫か!? 立てるか!? 苦しくないか!?」

 

ビワハヤヒデ「だ、大丈夫だ、斎藤T……」ウゥ・・・

 

ビワハヤヒデ「それよりも、飯守Tを追いかけないと……」

 

斎藤T「それはERTにまかせて、保健室かどこかで安静にしよう。月末とは言え、まだ8月なんだ。こんなところに野晒しにされていたら蒸される」

 

斎藤T「歩けるか? 無理なら車椅子か担架を持ってくるから、まずは日陰になるところまで動くぞ!」

 

ビワハヤヒデ「あ、ああ……、よろしく頼む…………」

 

 

スタスタスタ・・・

 

 

斎藤T「ここで待っていてくれ」

 

ビワハヤヒデ「いや、もういい。ここなら涼しい風も吹いて気が紛れそうだ……」

 

斎藤T「わかった。向こうの様子が見える場所がよかった。ここならすぐに対応ができそうだ」

 

斎藤T「くそっ、不祥事にも程がある……」

 

ビワハヤヒデ「ああ、そうだな……。そうなったら、全ての責任は生徒会に帰するな……」

 

ビワハヤヒデ「嫌な話だが、あまり真面目とは言えないブライアンの普段の素行もここぞとばかりに叩かれることだろうな……」

 

斎藤T「そんなわけあるか! 生徒が問題を起こしたわけじゃないのに、生徒会が叩かれる理由がない!」

 

斎藤T「トレーナーが引き起こした不祥事なんだから、URA傘下のトレセン学園トレーナー組合の問責だろう!」

 

 

ビワハヤヒデ「そうか、きみは正真正銘の新人で しかも3ヶ月は眠っていたから知らないか……」

 

 

斎藤T「え」

 

ビワハヤヒデ「実は、かつてトレセン学園の暗黒期とも言える実力主義や成果主義が横行していた時代があったそうだが、」

 

ビワハヤヒデ「その時にトレーナー組合と生徒会は対立関係にあったという――――――」

 

ビワハヤヒデ「正確には、トレーナー組合にはトレーナーの『名門』、生徒会にはウマ娘の『名家』がバックについていたんだ」

 

斎藤T「まさか、『ヒトとウマ娘の対立』――――――?」

 

ビワハヤヒデ「ああ。トレーナーとウマ娘の生み出す絆の力は周知の事実だが、」

 

ビワハヤヒデ「組織と組織になると、どうやらトレーナーとウマ娘の絆というのも用をなさなくなるらしい」

 

ビワハヤヒデ「当然か。トレーナーにとって一番可愛いの自分の担当。それ以外は全てライバルなのだから……」

 

斎藤T「でも、暗黒期とは言っても実力主義や成果主義なのは今も同じなんじゃ?」

 

ビワハヤヒデ「そういう意味じゃないのさ、暗黒期の実力主義や成果主義っていうのは」

 

ビワハヤヒデ「トレーナーがウマ娘を選ぶように、ウマ娘もトレーナーが選ぶわけだが、」

 

ビワハヤヒデ「そうすると優れたウマ娘の担当の座を巡ってトレーナー同士で衝突が起こるのは自然な流れだろう?」

 

斎藤T「はい……」

 

ビワハヤヒデ「けれど、そうすると希望のウマ娘の担当になれなかったトレーナーと担当を勝ち取ったトレーナーの間で溝が生まれる。人間関係にひびが入る――――――」

 

斎藤T「それが暗黒期の実力主義と成果主義によってもたらされた不和ですか」

 

ビワハヤヒデ「いや、実はもっとその先があったんだ……」

 

ビワハヤヒデ「誰もが好き好んで対立を望むわけじゃない――――――」

 

ビワハヤヒデ「その思いがこれからもたくさんのウマ娘たちを育て上げるトレーナー同士の繋がりを重視するものに変わった時だよ」

 

 

――――――八百長レースが長年に渡って行われてきたんだよ。

 

 

斎藤T「……『八百長』?」

 

ビワハヤヒデ「トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのウマ娘レースだよ」

 

斎藤T「!」

 

斎藤T「だから、生徒会長は――――――」

 

ビワハヤヒデ「そういうことだよ、会長にきみが真っ先に睨まれたのは」

 

ビワハヤヒデ「トレーナー組合で割り振られたウマ娘を担当し、あらかじめ決めたレース順位になるようにウマ娘のトレーニング内容や目標を誘導し、」

 

ビワハヤヒデ「担当ウマ娘を時には勝たせ 時には負けさせることで、組合に所属するトレーナーたちの箔付けと円満な人間関係の構築を行ってきたわけだ」

 

ビワハヤヒデ「その決定権はトレーナー組合のバックについている『名門』にあったと噂されている」

 

ビワハヤヒデ「そして、絶対的な勝者が生まれないことによって安定したオッズを維持して、組合のトレーナーたちは安定した賞金を得る仕組みともなっていた」

 

ビワハヤヒデ「たしかにそうすることで、切磋琢磨の末の勝ったり負けたりする因縁のライバル対決や名勝負の数々が観客席からは繰り広げられたわけで興行的にも大成功ではあった」

 

 

――――――けれど、そこにはウマ娘の自由意志というものはどこに存在しない。

 

 

ビワハヤヒデ「だから、中央競バ界の歴史の裏でトレーナー組合と生徒会は八百長の是非を巡って対立し続けていた」

 

ビワハヤヒデ「『名家』の出身であるシンボリルドルフ会長は当時のことをよくご存知で、そういった八百長を仕掛けるトレーナーの存在を憎んでいたよ」

 

ビワハヤヒデ「いったいどれだけのウマ娘たちが自分の青春を賭けて実力で勝ち取ったと思われた栄光が偽物だったのか――――――」

 

斎藤T「………………」

 

ビワハヤヒデ「その流れを完全に断ち切ったのが現在の理事長で、トレーナー組合のバックにいる『名門』からは目の敵にされていると会長から聞いている」

 

ビワハヤヒデ「だから、どんな不祥事であれ、トレセン学園で起こった不祥事の全てを生徒会ひいては理事長の責任として追及してくるはずだ」

 

 

ビワハヤヒデ「きみはたしかに畑違いとは言え、天皇家に親しい身分の血筋だから、余計に怪しまれていた」

 

 

斎藤T「ホント、畑違いもいいところだ……。そういった事情も知らずに勢いで入ってきたばかりに……」

 

ビワハヤヒデ「ああ。きみは最初から 徹頭徹尾 トレセン学園の()()()だったというわけだ」

 

ビワハヤヒデ「だからこそ、桐生院Tが きみを『名門』に引き込むべく きみのことを拾い上げたとも思われてもいるんだ」

 

斎藤T「私は先輩はそういう人じゃないと信じてますけどね」

 

ビワハヤヒデ「難しいものだな。こうして間近に接してみないと、ヒトも、ウマ娘も、何もわからないのだから」

 

斎藤T「………………本当に今の時代はバラバラなんだ」

 

 

 

 

斎藤T「ERTが突入して10分――――――、まだ動きはないのか?」

 

ビワハヤヒデ「そうだな。2000名弱は収容できる住宅団地なんだ。ヒトとは思えない能力で動き回られたら捕らえようがない……」

 

斎藤T「せめて、やつの居場所がわかれば、先回りして袋のネズミにできるのに……」

 

斎藤T「あ、そうだ! あのトレーナーのケータイを鳴らしたり、GPSで位置を割り出したりすればいいんじゃないか?」

 

ビワハヤヒデ「しかし、知っているのか、ケータイの番号?」

 

斎藤T「だったら、人伝にやらせるしかない!」

 

斎藤T「会長に繋いでくれ!」

 

ビワハヤヒデ「よし、待っていてくれ。すぐにでも――――――しまった。充電が切れていたか」 POWER OFF!

 

斎藤T「なら、会長の電話番号を言ってくれ!」

 

ビワハヤヒデ「あ、すまない。会長の電話番号は登録していても憶えてはいないんだ――――――」

 

ビワハヤヒデ「いや、ブライアンのケータイの番号なら憶えているぞ! 貸してくれ!」

 

斎藤T「よし!」

 

ビワハヤヒデ「たのむ! 出てくれ、ブライアン! 一大事なんだ……!」prr...

 

――――――

ナリタブライアン「姉貴か? 知らない電話番号だが、いったいどうしたんだ? まだ校舎の方にいるのか?」ガチャ ――――――ワンコールで応答!

――――――

 

ビワハヤヒデ「一大事だ、ブライアン。今すぐにライスシャワーのトレーナーのケータイ番号を調べて鳴らしてくれ」

 

――――――

ナリタブライアン「何だ、藪から棒に?」

――――――

 

ビワハヤヒデ「落ち着いて よく聞いてくれ」

 

ビワハヤヒデ「今、ライスシャワーのトレーナーが学生寮に無断侵入して、ERTが出動する騒ぎになっている」

 

ビワハヤヒデ「でも、未だに捕まらないあたり、どこかに隠れているはずだから、ケータイを鳴らしてERTの手助けをして欲しい」

 

――――――

ナリタブライアン「なに!? 姉貴は今どこにいるんだ!?」

――――――

 

ビワハヤヒデ「私は大丈夫だ。なんとかして取り押さえようとしたけど、いいのを1発もらってね……」

 

ビワハヤヒデ「今、学生寮がよく見える場所に移動して事態の推移を外野から見守っている」

 

ビワハヤヒデ「中の様子がわからないし、下手に動いてパニックを引き起こすわけにはいかないから、せめてこれぐらいの援護を」

 

――――――

ナリタブライアン「くそっ! よくも姉貴を!」

 

ナリタブライアン「待っていろ! 今すぐにそいつに蹴りを入れてきてやる!」

――――――

 

ビワハヤヒデ「待て! ブライアンはこちらの指示通りに動いていれば――――――」

 

ビワハヤヒデ「…………どうしよう、斎藤T。大事になりそうだ」

 

斎藤T「なら、私が生徒会長に話をつけてくる。時間が惜しい。――――――生徒会室はまだ明るいな?」

 

ビワハヤヒデ「いや、しかし、それなら私はもう大丈夫――――――」

 

 

斎藤T「妹に言い聞かせることができるのは姉しかいない」

 

 

斎藤T「副会長が余計なことをしでかさないように見張っておいてくれ」

 

斎藤T「一応、生徒会メンバーとして副会長が真っ先に状況の確認に向かったと伝えておくからさ」

 

ビワハヤヒデ「すまない。恩に着る」

 

斎藤T「これぐらいは人として当然」

 

 

――――――私のことをトレーナーに誘ってくれた恩返しとでも思っていてくれ。

 

 



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第5話秘録 怪人災害

-シークレットファイル 20XX/08/31- GAUMA SAIOH

 

半月前に初めて存在が確認された パーティーグッズの馬マスクを被って全身白タイツを着込んだような ふざけた格好の怪人:ウマ女の魔の手が迫ってきている。

 

やつらは完全な擬態能力を有しており、ヒトだけじゃなくウマ娘にもおそらく化けることができ、正体である2m近い巨体よりも遥かに小柄な擬態も可能で、まさに変幻自在。

 

しかも、記憶や思考も完全にコピーした人間のものを再現しているため、怪人:ウマ女の元々の体格や特徴を推測することは不可能となっている。

 

少なくとも、8月15日に遭遇した1体目と8月31日に遭遇した2体目の情報から、怪人:ウマ女には3種類の状態が存在すると考えられる。

 

 

1,擬態状態:ヒトやおそらくウマ娘にも変幻自在に化けることが可能で、外見から見破ることはほぼ不可能。記憶や思考も完全にコピーしていると思われる。

 

 

2,怪人状態:本来の姿と思われる全身白タイツの馬マスクを被った 一目でメスだとわかる豊かな胸の膨らみと丸みを帯びた巨体が特徴。トモの造りも理想的。

 

 

3,高速状態:身体の一部をこの地球には存在しない生き物:馬のものに変えることで目にも留まらぬ動きでもって対象を抹殺する。ウマ娘の身体能力でも反応不可能。

 

 

そのため、外見から怪人:ウマ女が擬態した偽物であるかを見抜くことができないので、どうあっても後手に回ってから対処するしかないのだから始末が悪い。

 

仮に正体を見破ったとしても、私からするとふざけた格好をしたヘンタイにしか見えないが、ウマ属が存在しない別な進化と歴史を辿った地球においては、

 

ウマ娘にとっては本能的に恐怖と絶望を抱くほどの身体能力と恐ろしい外見をしているらしく、

 

もちろん、2m近い巨体の異様な風采は鈍感なヒトであっても圧倒されるものがある。

 

事実、二度も遭遇した怪人:ウマ女を倒すことができたのは本当にただの偶然でしかなかった。偶然をものにした才覚を持っているものと信じたい。

 

しかし、これ以上の偶然は続くことはない――――――。

 

石膏像みたいな色をしているからC4爆弾なんかで爆砕することも有効だろうが、そんな爆発物を日常での遭遇戦で気軽に使用できるわけがない。

 

となれば、完全に擬態していることによって記憶や思考も再現していることを逆に利用して、

 

恐怖の怪人:ウマ女が正体を現す前に再現しきった人間の弱さを付け入る他ないのかもしれない。

 

ともかく、相手は強大でも一応は生物の範疇ではあるらしいので、感電トラップによる電気ショックは有効であることは確認はとれているが、

 

それでもC4爆弾を使うのと同じぐらいに大掛かりな準備や配慮が必要となってくるので、現状で怪人:ウマ女に遭遇してしまった場合は待ち受けるのは確実な死しかない。

 

こうしている間にも、今もどこかで私たちの親兄弟友人知人親戚縁者が得体の知れない怪人に全てを奪われて入れ替わっているかもしれない――――――。

 

第八種接近遭遇。宇宙人の侵略はすでに始まっているのだ。

 

 


 

 

――――――生徒会室

 

コンコンコン・・・

 

シンボリルドルフ「うん? こんな時間に珍しい――――――」

 

シンボリルドルフ「入りたまえ」

 

斎藤T「会長、報告があります」ガチャ・・

 

シンボリルドルフ「む。まさかのきみか……。で、『報告』――――――?」

 

 

斎藤T「現在、ERTが学生寮に突入して10分以上が経過しております。その情報は届いてますか?」

 

 

シンボリルドルフ「――――――!」

 

シンボリルドルフ「いや、どういうことかな、それは?」

 

斎藤T「発見者のビワハヤヒデが言うにはライスシャワーのトレーナーが無断侵入を試み、それを阻止しようとしたところ 暴行を受け、そのまま学生寮に押し入ったそうです!」

 

斎藤T「ERTの通報は私が行い、現在 ナリタブライアン副会長が現場の確認のために向かっています」

 

斎藤T「証言の代わりにビワハヤヒデのケータイを預けてくれました。充電させてください。ビワハヤヒデには私のケータイを預けているので、それで現場の様子を報告させます」

 

シンボリルドルフ「わかった。報告に感謝する」

 

斎藤T「それと、ERTが突入して未だに動きがないところを見るに、学生寮に侵入したトレーナーの所在が掴めていないのかもしれません」

 

斎藤T「ですので、ライスシャワーのトレーナーのケータイを鳴らして微力ながらERTの援護を行うことを提案します」

 

シンボリルドルフ「飯守Tがそんな大それたことをするようには思えないが、わかった。こちらから掛けてみよう」

 

シンボリルドルフ「ああ、そうだった。充電器はここにあるぞ」

 

斎藤T「はい、使わせてもらいます」スチャ

 

シンボリルドルフ「よし、飯守Tのケータイ番号はこれだな。鳴らしっぱなしにしておけばのいいか」prrrr...

 

シンボリルドルフ「さて、どうしてきみとハヤヒデが一緒にいたのか状況は呑み込めていないが、事件解決の協力に感謝する」

 

斎藤T「礼はいいです。まだ何も終わってない」

 

シンボリルドルフ「そうだな」

 

斎藤T「えと、指紋登録じゃなくて助かった。よし、ロック解除、すぐに通話だ」ピポパ・・・

 

シンボリルドルフ「………………」

 

 

 

 

 

シンボリルドルフ「そうか。まだ見つからないか……」ピッ

 

斎藤T「会長……」

 

シンボリルドルフ「ERTも相当に苦戦しているようだ……」

 

シンボリルドルフ「栗東寮と美浦寮の二つに大別されているとは言え、在籍する生徒2000人弱を住まわせることができる巨大な住宅団地だ」

 

シンボリルドルフ「そんなところに1人だけ入り込んだ侵入者を見つけ出すのは容易なことではない」

 

シンボリルドルフ「こんなところで生徒以外の立入禁止としたことのツケを払わされることになるとはな……」

 

シンボリルドルフ「今一度 確認するが、侵入者はライスシャワーの担当トレーナー:飯守Tで間違いないのだな?」

 

シンボリルドルフ「これだけ 長い時間 鳴らし続けても反応がない。飯守Tがケータイを身に着けていないのは明白だ」prrr...

 

斎藤T「それはわかりません。明らかに普通の様子ではありませんでした」

 

斎藤T「地下道を通じて学園と繋がっている学生寮に道路を跨いで乗り込もうとし、それを引き止めた時、ヒトとは思えないような膂力で投げ飛ばしたのです」

 

斎藤T「ビワハヤヒデですら抑え込むのがやっとというほどの怪力を発揮していたぐらいです」

 

斎藤T「あれが同じヒトだとは思いたくはないです」

 

シンボリルドルフ「…………そうか」

 

シンボリルドルフ「少なくとも、学生寮;住宅団地に入るためには緊急用の非常口の他には一旦は地下通路に入ってセキュリティゲートを通らなくてはならない――――――」

 

シンボリルドルフ「きみたちの証言通り、地上部分から無理やり侵入した形跡があることは確認済みだから、ERTの出動は正解ではあるが…………」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

 

斎藤T「この事態が『名門』の差し金とでも?」

 

 

シンボリルドルフ「ああ。その可能性を疑っている」

 

シンボリルドルフ「……その話はハヤヒデから聞いたのか?」

 

斎藤T「はい」

 

 

シンボリルドルフ「すまなかった。私はきみに不当な評価を下して辱めを受けさせてしまった」

 

 

斎藤T「気にしないでください。金が欲しかったの事実で、これからも自分の夢の実現のために稼がせてもらうつもりですので」

 

シンボリルドルフ「そうか。きみはあくまでも――――――、本当にすまない」

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「正直に答えて欲しい」

 

シンボリルドルフ「きみにとってウマ娘は金儲けの道具なのか?」

 

斎藤T「いえ、ちがいますけど」

 

斎藤T「私にもウマ娘の妹がいますし、長期的に見て八百長は一人勝ちしてボロ儲けできないので旨味がないです」

 

斎藤T「私だったら、八百長レースを仕掛けるやつらから毟り取ってトンズラしますけどね」

 

斎藤T「あいつらが欲しいのは『名門』としての箔付けなんでしょう?」

 

斎藤T「じゃあ、人類の未来のための偉大なる発明への投資として、そのあぶく銭を有効活用してもらいたいですね」

 

シンボリルドルフ「なるほど。たしかにきみは『名門』には歓迎されない門外漢だな」フフッ

 

シンボリルドルフ「その物言いからすると、本当にトレセン学園には資金集めのためだけに来た感じだな」

 

斎藤T「ええ。妹の志望が両親と同じく皇宮警察なので、そのための一流の指導を受けるための各方面への多額の謝礼金が必要でして」

 

斎藤T「ただ、やり方を変えて別のアプローチで資金集めをしたら、あっという間に妹の養育費が集まったので、今は気楽にやらせてもらってます」

 

シンボリルドルフ「そうか。それはよかったな」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

シンボリルドルフ「…………皇宮警察か」

 

シンボリルドルフ「“皇帝”などと謳われてはいるが、皇宮護衛官を侍らすほどの器ではないな、私など」

 

 

斎藤T「でも、あなたはこれから何十年の人生、ずっと“ヒトとウマ娘の統合の象徴”で在り続けるのでしょう?」

 

 

シンボリルドルフ「…………!」

 

シンボリルドルフ「ああ」

 

シンボリルドルフ「『名門』に対する『名家』にも過激派はいる」

 

シンボリルドルフ「だが、これまでの歴史と同じくヒトとウマ娘は互いになくてはならないパートナーとして歴史を刻んでいくべきだと思っている」

 

シンボリルドルフ「むしろ、なくなるべきなのは『名門』や『名家』と言った旧弊とも思っているよ、私自身は」

 

シンボリルドルフ「そういった右か左かのヒトとウマ娘の絆をなくす垣根はトレセン学園には不要だ」

 

シンボリルドルフ「オグリキャップがそうであったように、無名のトレーナーと無名のウマ娘による王道を私は求めてやまない――――――」

 

 

斎藤T「なら、ここはあなたの皇宮です。あなたがヒトであるかウマ娘であるかは関係ないです」

 

 

シンボリルドルフ「!!!!」

 

シンボリルドルフ「……その言葉に偽りはないな?」

 

斎藤T「――――――『誰がしたのか』ではなく『何をしたのか』で評価される時代になるといいですね」

 

シンボリルドルフ「本当にそのとおりだよ、斎藤T」

 

 

――――――股肱の臣とはこういう存在のことを言うのかもしれないな。

 

 

 

――――――学生寮側の校門

 

斎藤T「戻ったぞ。ほら、充電はしたから。パスワードは変更しておいてくれよ」スッ

 

ビワハヤヒデ「ああ。感謝するよ、斎藤T」パシッ

 

ナリタブライアン「………………」

 

斎藤T「さて、不審者が侵入した以上は安心して寮で寛げないだろうから、仮眠室をはじめ教室などに寝具を持ち込んで寝泊まりするように会長が手配してくださった」

 

斎藤T「あるいは、ホテルの宿泊費も認めると言ってくださった」

 

斎藤T「他にも、購買も24時間営業にさせて生活用品を揃えさせることになっている」

 

斎藤T「あとは夜間見回りで私が監視するから、2人はもう上がってくれ。ショッピングモールに買い出しに行くなら急げよ」

 

ビワハヤヒデ「わかった」

 

斎藤T「そうだ、肘打ちが入ったけど、もう大丈夫なのか? ボディーブローのように徐々に効いてくる可能性もあるから、そこが心配だ」

 

ビワハヤヒデ「大丈夫だ。そこまでヤワな鍛え方はしていないから、これ以上の心配は無用だ、斎藤T」

 

斎藤T「それなら よかった」

 

ナリタブライアン「……おい、あんた」

 

斎藤T「?」

 

ナリタブライアン「その、感謝している……」

 

ナリタブライアン「姉貴のことをいろいろと気遣ってくれたし、今回の件でも逸早く動いてくれたな……」

 

ナリタブライアン「それに、頭に血が上った私のことを引き止めるために姉貴をここに残して、あんたは会長の許に報告しに行ったんだよな……」

 

ナリタブライアン「あんたの評判を決定づけた相手に会いに行かせる羽目になったんだ。気まずかっただろう。詫びを入れさせてくれ」

 

斎藤T「気にしないでください。私がトレセン学園を踏み台に考えているのは事実ですし、あの頃は余裕がなくて多方面に迷惑を掛けましたから」

 

斎藤T「それよりも、私のような同類がこれ以上増えて会長の目指す“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たるトレセン学園が荒らされるのは忍びないですから」

 

斎藤T「さあさあ、行った行った」

 

ナリタブライアン「この礼は必ずする」

 

ナリタブライアン「それに、曲がりなりにも私も生徒会の一員だ。この事態の解決に全力を出させてもらう」

 

斎藤T「わかりました。会長とうまく連携して、不安に怯える夜を送ることになる生徒たちを安心させてやってください」

 

ナリタブライアン「なっ! そういうことがしたいんじゃなくて――――――」

 

ビワハヤヒデ「ブライアン……」

 

ナリタブライアン「あ、姉貴……」

 

ビワハヤヒデ「今は指示に従うのが最善だ。それから部署変更を願い出るのも遅くない。このまま準備不足のまま夜回りに参加するのはかえって足手まといになる」

 

ナリタブライアン「……わかった。たしかにそうだったな」

 

ナリタブライアン「借りは必ず返すから、あんたも無茶はするな」

 

斎藤T「ありがとうございます、副会長」

 

 

スタスタスタ・・・

 

 

斎藤T「さて、どうやってあの不審者を釣り出すか……」

 

斎藤T「本当にあれが飯守Tなのか、同じヒトとして怪しいところだけど、担当のライスシャワーに異様なまでの執着心を見せていた……」

 

斎藤T「――――――そのライスシャワーはいったいどこにいるんだ?」

 

斎藤T「まあ、いなければいないで やりようはある」

 

斎藤T「勝負はERTの手で負えなくなったことで警察が大挙して学生寮に乗り込む時まで――――――」

 

斎藤T「聖域とまで謳われたウマ娘たちの居住区に進入するための法的手続きとか編成なんかで準備が遅れているから、どうにかしてやらないとな」

 

斎藤T「たしか、飯守Tの寮室はここだったな――――――」ピピッ

 

 

 

 

 

――――――2時間後、

 

斎藤T「さて、やつを誘い出す準備は整ったぞ」

 

斎藤T「ヒトの姿をしているならスタンガンは効くはずだ」

 

斎藤T「そして、装置の周りには感電トラップを仕掛けておいた。のこのこと誘い出された時に踏み抜いてバンッだ」

 

 

斎藤T「…………しかし、どういうことだ?」

 

 

斎藤T「飯守Tの部屋にケータイが充電されたままだったのはいい――――――」

 

斎藤T「けど、今日のカレンダーやスケジュール帳には『ライスシャワーと買い物に行く』とあったぞ……」

 

斎藤T「ライスシャワーが寮に帰っていない理由はまさしくそれしか考えられない……」

 

斎藤T「じゃあ、私とビワハヤヒデが遭遇したあの飯守Tはいったい――――――?」

 

斎藤T「…………考えていてもしかたないか」

 

斎藤T「やるだけのことはやらせてもらいますよ、“皇帝”シンボリルドルフ!」

 

斎藤T「勝負!」カチッ

 

 

――――――お兄さま! お兄さま! お兄さま! お兄さま! お兄さま!

 

 

私が全ての準備を終えてスイッチを入れると、飯守Tの部屋のPCに入っていた担当ウマ娘の写真や動画のデータを取り込んだ立体ホログラム装置が起動する。

 

そして、学園内の学生寮に向いた放送塔のスピーカーからライスシャワーの『お兄さま』の音声が流れるようにしたのだ。

 

これが仮定に次ぐ仮定、推測に重ねた推測で立てた即席の精一杯の苦肉の策であり、作戦自体は至って簡単。

 

学生寮側の校門の電力を利用して、立体ホログラム装置に写したライスシャワーであの不審者を誘い出して、感電トラップを踏ませて逮捕するというものであった。

 

本当は立体ホログラム装置のごくごく初歩的な試作品を表に出すつもりはなかったのだが、トレセン学園の平和と秩序を乱す不逞の輩を捕まえるためには已む無しである。

 

果たして――――――、作戦の大前提は無事に成就することになった。

 

 

――――――お兄さま! お兄さま! お兄さま! お兄さま! お兄さま!

 

 

斎藤T「!!」

 

斎藤T「来たか! 自分をお兄さまだと名乗る不審者め!」

 

 

飯守T?「アアアアアアアアアア! ライス! ライス! ライスゥウウウウウ!」 ――――――連続して2m近く跳躍して学生寮の方から飛び出してきた!

 

 

斎藤T「バケモノじみた運動能力だ……。あれじゃ、ERTのウマ娘の隊員でも追いつけないわけだ……」

 

斎藤T「けど、これで終わりだ! 感電トラップ、発動!」ピッ

 

 

飯守T?「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」バリバリバリ・・・!

 

 

斎藤T「終わったな」

 

斎藤T「今のでERTも気づいただろうし、後はチェーンで縛り上げるだけだ」ジャラジャラ・・・

 

斎藤T「学園にあったものをありったけ使わせてもらったけど、理事長も許してくれるだろう」

 

 

飯守T?「アアアアアアア………………」ピクピク・・・

 

 

斎藤T「……うっ、やむを得ないとは言え、電気ショックはやりすぎたか?」

 

斎藤T「辛うじて飯守Tであることがわかるが、こんなショッキングなものは理事長にはキツすぎるかもな……」

 

斎藤T「あ、まだピリピリする。チェーンで縛り上げるのは危ないな……」ピリピリ・・・

 

斎藤T「なら、さっさと来てくれ、ERT! 警察も!」prrrr...

 

斎藤T「会長、不審者を感電トラップを仕掛けて動けなくすることに成功しました」

 

斎藤T「ただ、感電トラップの残電圧で感電する恐れがあるので、チェーンで縛り上げることができません」

 

斎藤T「――――――はい。間違いなく飯守Tです。電気ショックで血塗れにはなっていますが」

 

斎藤T「――――――では、ERTか警察が不審者を確保するまで状況の維持に務めます」

 

斎藤T「……これで終わってくれよ、ホントに」ピッ

 

 

ビワハヤヒデ「おーい! 斎藤T――――――!」ダッダッダッダ!

 

 

斎藤T「ビワハヤヒデ!? どうして走ってきた!?」

 

ビワハヤヒデ「た、大変なんだ、斎藤T!」ゼエゼエ

 

斎藤T「おい、まさかショッピングモールから全速力で走ってきたのか!? アスファルトの上で無茶をするな!」

 

ビワハヤヒデ「だ、だが、きみの無事を真っ先に確かめたくて…………よかった」ゼエゼエ

 

ビワハヤヒデ「ハッ」

 

ビワハヤヒデ「そこに横たわっているのは――――――」

 

斎藤T「ああ。感電トラップに引っかかって全身の血管が破裂した飯守Tだ。死んではいないけど、どうせ これから死んだも同然になる身柄だ」

 

ビワハヤヒデ「…………やっぱりだ」

 

斎藤T「?」

 

ビワハヤヒデ「斎藤T、落ち着いて聞いてくれ。実はありえないことが起きているんだ」

 

 

――――――()()T()()()()()()()()()

 

 

斎藤T「え」

 

ビワハヤヒデ「そこに倒れているのは偽物なんだ! 本物の飯守Tは担当のライスシャワーと一緒にショッピングモールにずっといたんだ!」

 

斎藤T「な、なんだって?!」

 

ビワハヤヒデ「だから、そいつは飯守Tに化けた()()()()()()()()だ! そうとしか言いようがない!」

 

斎藤T「そんな、まさか――――――」

 

 

飯守T「おーーーーーーーーーーい!」 ――――――おんぶ状態!

 

ナリタブライアン「――――――」 ――――――飯守Tをおんぶ!

 

ライスシャワー「――――――」

 

 

斎藤T「あれが本物の飯守T………………駆けつけるためにナリタブライアンに背負われてきたか」

 

斎藤T「え、じゃあ、こいつはいったい何なんだ?」

 

飯守T?「ライスゥ………………」ピクッ

 

飯守T?「ライスゥウウウウウ!」ガバッ

 

斎藤T「なっ!?」

 

ビワハヤヒデ「そんな!? 起き上がれるような身体ではなかったはず――――――!?」

 

 

飯守T?「ドケエエエエエエエエ!!! オレハオニイサマダゾオオオオオオオオオ!!!」

 

 

ビワハヤヒデ「しまった――――――」

 

斎藤T「ビワハヤヒデ!」

 

ビワハヤヒデ「ハッ」パシッ

 

斎藤T「このスタンガンを持って走れええええええ!」

 

ビワハヤヒデ「わかった!」グッ!

 

 

ナリタブライアン「!!!!」

 

飯守T「あれ? なんかこっちに飛び跳ねてきてない?」

 

ナリタブライアン「降りろ! 邪魔だ!」ポイッ

 

飯守T「あいたっ!」ドサッ

 

ナリタブライアン「逃げろ! ライスシャワー! やつの狙いはお前だ!」

 

ライスシャワー「え」

 

ライスシャワー「あ」

 

 

飯守T?「ライスゥウウウウウ! ライスゥウウウウウ! ライスゥウウウウウ!」 ――――――全身血塗れの形相で奇怪に飛び跳ねながらライスシャワーに迫る!

 

 

ライスシャワー「お、お兄さまと同じ顔――――――!」

 

ライスシャワー「で、でも、血、血、血ぃいいいいい!?」

 

ライスシャワー「い、いやあああああああああ!」ガクガクガク・・・

 

飯守T「逃げろ! ライス! 俺にかまわず行くんだ!」

 

ライスシャワー「きゃああああああああああああ!」

 

飯守T「……ふざけやがって! 俺と同じ顔になればライスのお兄ちゃんになれるとでも思っていたのかよ、このヘンタイ野郎が!」

 

ナリタブライアン「姉貴の腹に1発入れたそうじゃないか! なら、姉貴の代わりにお返しに蹴りを入れてやる!」

 

飯守T「待て! ブライアン、俺を投げろおおおおおおおお!」

 

ナリタブライアン「言ったな! 今の私は苛立っているんだ! どうなっても知らないからな!」ガシッ

 

ナリタブライアン「うおおおおおおおおおお!」ブン!

 

飯守T「うおりゃあああああああああああああああああああああ!」 ――――――怒りの人間砲弾!

 

飯守T?「グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?」ゴツーーン!

 

飯守T「いてててて……」ドサッ

 

飯守T?「ウゴゴゴゴゴゴゴゴ…………」

 

飯守T「ハッ」

 

飯守T「どうだ、思い知ったか、この野郎! よくもライスを怖がらせたな、こいつ!」ゲシゲシ! ――――――何度も何度も踏みつける!

 

ナリタブライアン「これまで好き勝手にやってくれた相応の報いを受けてもらうぞ!」グリグリ・・・ ――――――背中をグリグリと抉る!

 

 

斎藤T「よせ、二人共! 下手に刺激するな――――――!」

 

 

飯守T?「ライスゥウウウウウ!」

 

飯守T「ぐわっ!」ドサッ

 

ナリタブライアン「うおっ!?」スッ

 

飯守T?「グウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 

ナリタブライアン「な、何だ!? 何なんだ、いったいこいつは……!?」

 

 

ついに飯守Tに化けていたバッタのように飛び跳ねる偽物を本物の飯守Tの怒りの人間砲弾でナリタブライアンが撃ち落として、

 

今回の一件で身内を危機に晒された飯守Tとナリタブライアンが恨み辛みの感情に任せて追い打ちをかけたものの、

 

その刺激がマッサージ代わりになってしまったのか、ナリタブライアンが押さえつけていたにも関わらず、飯守Tに化けていたバケモノがすぐに起き上がってしまった。

 

まさに圧倒的パワー。飯守Tは背中から打ち付けられ、ナリタブライアンは考えるよりも先に咄嗟に身を引いたものの、そのことがナリタブライアンに動揺を与え始めた。

 

そして、ついにその化けの皮が剥がれた時、“怪物”ナリタブライアンでさえもあまりの異様に立ち尽くしてしまうほどであった。

 

まるでウマ娘の天敵であるかのように、その異形は天与の才能に恵まれたナリタブライアンに未だかつてなかったものを与えるのであった。

 

 

ヒヒヒーーーーーーーーン!

 

怪人:ウマ女 ← 飯守T?「――――――」

 

ナリタブライアン「な、何なんだ、このバケモノは!?」

 

怪人:ウマ女「――――――!」

 

飯守T「危ないッ!」ガバッ

 

ナリタブライアン「なっ」

 

飯守T「ぐあああああ!」ズバッ! ――――――間一髪、怪人:ウマ女の蹄の手に背中の皮膚を抉られる!

 

ナリタブライアン「くっ……飯守T!」ドサッ

 

ナリタブライアン「どうしてだ? どうして、さっき身体が動かなかった? どうして飯守Tに庇われた?」

 

ナリタブライアン「な、何だ これは? 涙? なんで私は泣いて……? 指先も震えて……?」

 

 

この時、ナリタブライアンは生まれて初めて心の底から震え上がった――――――。

 

未知なる恐怖の存在を前にした時、彼女のウマ娘としての卓越した闘争本能をも上回る生存本能が全身で悲鳴を上げたのである。

 

否、それはかつての自分が自分以外のウマ娘に見せ続けていた絶望そのものであり、

 

『勝てるはずがない!』と今まで他者を絶望に陥れてきた“怪物”が今度は自分が自分を遥かに超える怪人から絶望を味わう番となっていたのだ。

 

今まで怖いもの知らずで通していた不敵の彼女だったが、恐ろしさと絶望に涙を流したのも初めてのことだった。

 

自分の中での希望の灯がフッと息を吹きかけられたかのように無残にも消え行くのを感じてしまった。

 

恐怖と絶望――――――、ナリタブライアンにとっては初めてとなる感情のうねりに翻弄されて身動きが取れなくなってしまった。

 

それだけ この世界には存在しない馬という生き物のマスクを被って全身白タイツを履いている感じに見えるふざけた格好の怪人:ウマ女の2mはある異形はさることながら、

 

その身体能力が“怪物”ナリタブライアンですら勝ち目がないことを本能で理解させるレベルのものに達していたのである。

 

しかし、初めての恐怖と絶望で身動きが取れなくなってしまったナリタブライアンを間一髪で助けたのはウマ娘に劣る身体能力のヒトである飯守Tであった。

 

彼は先程も人間砲弾になることを自ら志願して 担当ウマ娘を怖がらせた明らかにヤバイ挙動と形相をして迫ってくる得体の知れない偽物に敢然に立ち向かっていった。

 

そして、正体を現した怪人の蹄の拳の鋭い一撃によって内臓を貫かれる危険を知ってか知らずか、自分よりも他者を守るために身を挺したのだ。

 

だが、プライドの高いナリタブライアンにとっては普段は意識しなくとも圧倒的弱者に思えていたヒトに助けられたことに言い知れぬ悔しさを与えてしまっていたのだった。

 

だから、涙がこぼれてしまう。自分は本当はこんなにも非力な存在だったのかと、“怪物”と恐れられた圧倒的強者のプライドが圧倒的暴威の前に叩き壊されてしまったのだ。

 

 

怪人:ウマ女「――――――!」 ――――――今度こそとどめと言わんばかりん右手を蹄に変えて迫る!

 

ナリタブライアン「く、くそっ! どうしてだ!? どうして身体が言うことを聞かないんだ!?」

 

ナリタブライアン「や、やめろ! 来るな! 来るなああああああああああああああ!」

 

怪人:ウマ女「――――――!」

 

 

ビワハヤヒデ「どけ! 私はナリタブライアンの姉:ビワハヤヒデだぞ!」ドン! ――――――背後から全力でタックル!

 

 

怪人:ウマ女「!!?!」ドサッ

 

ビワハヤヒデ「無事か!」

 

ナリタブライアン「あ、姉貴……、私は…………」

 

ビワハヤヒデ「…………!」

 

ビワハヤヒデ「大丈夫、大丈夫だよ、ブライアン。また泣いたっていいんだ」

 

ビワハヤヒデ「でも、貼るとオバケにだって強くなれるムテキになるバンソーコーがついているじゃないか」

 

ビワハヤヒデ「お姉ちゃんを信じて、さあ、立ち上がって、ブライアン」

 

ナリタブライアン「あ……」

 

ナリタブライアン「ああ! 姉さん!」

 

ビワハヤヒデ「さあ、1人では立ち向かえなくても、私たちが力を合わせればバケモノだってなんとかできるさ!」

 

ナリタブライアン「ああ! 不思議と力が湧いてくる!」

 

 

――――――秒単位の逆転に次ぐ逆転。瞬きしている間に状況は刻々と変わり続ける。

 

学園の平穏を脅かし 最愛の妹:ナリタブライアンの存在をも脅かした憎き敵に対して盛大な意趣返しが炸裂し、

 

再び目前に迫った生命の危機は最愛の姉であるビワハヤヒデによって脱することができた。

 

いかに“怪物”ナリタブライアンが本能で恐怖と絶望を味わうことになったウマ娘の天敵と言えども、自動車と並走できるウマ娘の渾身の体当たりを2本脚で受けきれるものではなかった。

 

ついでに言えば、最初に食らった感電トラップのダメージが残っているらしく、最初に遭遇した個体と比べるとキレがない動きをしている。

 

そして、幼い頃の記憶にある涙をこぼす弱虫だった妹を思い出し、ビワハヤヒデは自然と妹に対して昔の頃のように振る舞っていた。

 

それは危機的状況に際して、彼女たち自身が知らぬ間に被り続けていた仮面が剥がれ落ちた瞬間でもあり、大きくなるに連れていつの間にかすれ違っていた姉妹の絆が蘇った瞬間でもあった。

 

妹:ナリタブライアンは姉:ビワハヤヒデのことをずっとずっと慕っていたのである。それは今でもずっとずっと変わらなかったのだ。

 

だが、それまでのすれ違っていた期間も決して無駄だったわけではないのだ。

 

そうして互いに切磋琢磨して互いに実力を高め合う好敵手としてリスペクトし合えるものを掴み取った姉妹の絆はますます断ち切れぬものになっていたのだから。

 

 

斎藤T「よし! ウマ娘が2人がかりなら、怪人:ウマ女でも身動きを取れなくできるはずだ!」

 

斎藤T「けど、単体ではウマ娘以上の脅威になる怪人:ウマ女を倒す手段がない!」

 

斎藤T「あの時のようにカウンターキックで飛節を打ち砕いて全身のカタストロフを引き起こすことなんて狙ってできることじゃない……」

 

斎藤T「どうすればいいんだ、こんなバケモノ! 警察やERTの手に負えるわけがない! C4爆弾で爆破処理するしかないのか!?」

 

斎藤T「ここから先をどうしたら――――――」

 

 

ブーンブーンブーン!

 

 

斎藤T「うん? この羽音は――――――」

 

斎藤T「うおっ」パシッ

 

斎藤T「え? こいつはコーカサスオオカブト? どうしてこんなところに?」

 

斎藤T「ヒノオマシが飼い始めたやつ――――――なわけないか。こんなコンクリートのジャングルまで飛んでこれるはずがない」

 

斎藤T「でも、この大きさ、完全に憶えが――――――」

 

 

――――――心の時計を走らせ 描いた明日に向かえ!

 

 

 

ドゴォ! ズサアアアアアアアアアアアア!

 

 

 

怪人:ウマ女「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

ビワハヤヒデ「え!?」

 

ナリタブライアン「なっ!?」

 

斎藤T「え?」

 

 

――――――怪人:ウマ女 討伐完了。

 

そして、気づいた時には私は怪人:ウマ女の利き足の飛節にミドルキックをまた置いていた。半月前とまったく同じ方法で怪人:ウマ女を私は打倒したのだ。

 

勢いよく地面を滑った怪人:ウマ女はしばらくのたうち回った後はピクリとも動かなくなり、我に返って振り向いた時には粉々になっていく石膏像のように塵となっていった。

 

自分でも何が起きたのかわからない。それはウマ娘であるビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹も同様だった。

 

ただ、確実なのは買い替えた安全靴の鉄芯がまた砕けた感触と一緒に怪人:ウマ女の全身の細胞がカタストロフを引き起こした感覚だ。

 

 

つまり、私たちは命拾いをした。今はそれだけわかっていればいい――――――。

 

 

とりあえず、退治した証拠として怪人:ウマ女だったものの灰塵が風に飛ばされないように上着を脱ぎ捨てて覆い被せた。

 

前回はまともにとりあってもらえなかったが、今回は証人が多いので ヒトどころかウマ娘すら超越した身体能力を発揮した不審者の存在を警察も認めてくれることだろう。

 

その警察も 今頃になって ようやく到着したものの、反対車線だったので私たちの存在に気づかずにパトカーが何台か通り過ぎてしまったものの、

 

途中でライスシャワーを拾っていたパトカーがすぐにUターンして飯守Tに化けた自分をお兄さまだと思っている不審者を退治したことが理解されることになった。

 

もちろん、一部始終を近くで見ていたはずのビワハヤヒデとナリタブライアンによる状況説明と証言は支離滅裂となっており、

 

とにかく、不審者の正体が見たこともない恐ろしいバケモノであり、それを私が倒したらバケモノが灰になって死んだことだけは伝えることができ、

 

バケモノ退治の功労者となった私と、ビワハヤヒデと、ナリタブライアンと、一番の被害者の飯守Tはライスシャワーに付き添われて救急車で搬送されることになった。

 

半月前も救急車で搬送されたばかり――――――、そこも半月前の再現であり、そのことに不謹慎ながらもホッとした。

 

しかし、ナリタブライアンを庇って背中の皮膚を大きく引き裂かれた飯守Tを必死に涙をこらえながら見守るライスシャワーの姿に罪悪感を覚えてしまう。

 

今回は買い替えた安全靴の鉄芯が砕けただけですんだが、半月前は私の妹:ヒノオマシがこんな必死の表情になっていたのかと考えると、悔しくてしかたがない。

 

それはビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹も同じらしく、二人共 軽傷ですんだものの、 今回の一件で揃ってヒトに助けられているのだから。

 

一方で、姉妹がお互いの無事を確認し 互いの勇気を分け与えるかのように 強く手を握り合っている様子を私は微笑ましくも思っていた。

 

基本的に今回の件はどこまでいっても不祥事でしかないのだが、そうした事案の中にも人間として成長できるものがあることに、欠片ばかりの希望と元気をもらうことができていた。

 

 

しかし、私はヒトなのでどう足掻いてもウマ娘を追い越すことはできない。それは歴然とした事実である――――――。

 

 

だから、私はビワハヤヒデにスタンガンをもたせて先行させ、ビワハヤヒデは 見事 最愛の妹の危機を救った。スタンガンは役に立たなかったけど、そこまではいい。

 

なのに、いつの間にか 私は睦み合う姉妹を追い越して、なおかつ地に伏せていたはずの怪人:ウマ女は勢いよく地面を滑るぐらいの加速を得ていたのだ。

 

スピードに関しては他の追随を許さない競走バの強豪姉妹がヒトである私の接近や怪人:ウマ女の挙動にまったく気づかないはずがないのだ。

 

 

つまり、姉妹が目を離した一瞬の隙に ウマ娘に劣るヒトである私がウマ娘を恐怖に陥れる怪人:ウマ女に姉妹を追い越して反対側からカウンターキックを食らわせたという不可解な状況になるのだ。

 

 

ビワハヤヒデとナリタブライアンが目に光景とは、学生寮の方面にいたはずの斎藤 展望がショッピングモールの方面に立って怪人:ウマ女にミドルキックを食らわせた直後であった。

 

だから、何が起きたのかを理路整然と説明できるはずもない。私自身も何が起きたのかをまったく理解できていないぐらいなのだから。

 

安直な表現で言うなら、『ただのヒトである私がワープして先回りした』としか言えない――――――。

 

それはいい。いや、よくないが、そう仮定するとなると、今度はウマ娘に劣る身体能力のヒトである私が正確にカウンターキックを食らわせることができたことや、その反動をまったく受けていないことが謎なのだ。

 

けれども、私はビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹が睦み合った次の光景として思い描いたのは、まさに半月前の再現であり、現実にはそうなったのだ。

 

残念ながら、監視カメラの範囲外だったので決定的瞬間を捉えることができなかった。

 

ただ、23世紀の宇宙船エンジニアだった私には、机上の空論ではあるものの、ある1つの可能性が頭には浮かんでいた。

 

 

――――――それは 私の専門であった波動エンジンの動力である タキオン粒子による『時間跳躍』という机上の空論であった。

 

 



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第6話   天才に向き合い続ける熱血トレーナー

-西暦20XX年09月02日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

8月31日に起きたトレセン学園の学生寮に不審者が侵入したという重大事件は、予想通り、カバーストーリーによって隠蔽されることになった。

 

なにしろ、物的証拠が残っているならいいのだが、飯守Tに化けていたとされる怪人:ウマ女の存在はにわかには信じ難く、

 

今回は証人も多数いるので警察もとりあってくれてはいたが――――――、無視はされていない。しかし、どうにも反応が鈍い。

 

一方、この事件で一番の被害を受けたのは 何を隠そう ライスシャワーの担当である飯守Tであり、

 

私も怪人:ウマ女が擬態したものだとは見抜けなかったので、生徒会にも警察にもERTにも不審者が飯守Tだと言い触らしてしまっていた。

 

飯守Tには その日 担当のライスシャワーと一緒にショッピングモールで買い出しに行っていたアリバイが証明されている。

 

 

よって、今回の事件のカバーストーリーは『ライスシャワーの熱狂的なファンが担当トレーナーに変装して学生寮に押し入った』となっている。

 

 

それでも、『人の口に戸は立てられぬ』わけなので、当日に口コミで広がった憶測や伝聞を一掃するために、

 

トレセン学園の理事会・生徒会・トレーナー組合の役員が総結集した緊急記者会見を早々に開いて 飯守Tとライスシャワーの名誉を守ることに努めた。

 

また、巨大な住宅団地であるトレセン学園学生寮の警備体制の見直しも検討されることになった。

 

 

その記者会見を意識を取り戻したばかりの飯守Tと見た後、私が飯守Tを不審者として通報していたことを見舞い品持参で詫びた。

 

 

それよりも、事件解決のためとは言え、飯守Tの寮室に無断侵入してデータを盗んだことを全身全霊で詫びた。とばっちりもいいところだからだ。

 

しかし、飯守Tは情に厚い好青年であり、最初は事情を説明されて気難しい表情になったが、次の瞬間にはあの状況で正しい行動を取り続けたことを絶賛してくれたのだ。

 

自分も必要になったら他人の部屋に押し入ってでも大事をなそうとするだろうと。

 

というのも、なんと飯守Tは警視総監の息子だったので正義感が強く、皇宮警察の息子である私と非常に()()()()()のだ。

 

もっとも、夫婦仲が冷え込んでいて警視総監である父親からもろくに相手にされなかった反抗心でトレセン学園のトレーナーになったという経緯なんだそうだが、

 

それでも、トレセン学園のトレーナーバッジを獲得するだけのエリートの血筋を感じさせる能力は保証されていた。

 

つまり、うまぴょいの指導も行えるぐらいのエンターテイナーであることは疑いようがない。才羽Tと同じく、この人となら一緒にうまぴょいを完走できると確信したぐらいだ。

 

それはそれとして、見舞金という名目でこちらの誠意を受け取らせることにはなったが。

 

 

だが、事件において担当ではないナリタブライアンを身を挺して庇ってみせた勇気はまさしく本物であった。

 

 

言動からやや知性よりも直情的な感情が先行していることが見え隠れしているが、その情熱がライスシャワーに必要なものだったことは実績が証明している。

 

才羽Tのミホノブルボンの後塵を拝することが多いのだが、それでも数多くのレースで上位入賞してきているので、

 

小柄な体躯で“クラシック三冠バ”ミホノブルボンに追随する勢いで長距離走を完走する姿に感動を覚えるファンも多く、

 

ライスシャワーはいつしかミホノブルボンをも超えることも期待されている人気の名バとなっていた。うん、私の担当のハッピーミークより人気なんだ、勝利数は少ないのにね。

 

そう、才羽Tという不世出の天才によって優勝を阻まれ、担当が二番手に甘んじているイメージが強い飯守Tではあるが、

 

最初から二人の目標はレースに勝つことではなく、尊敬している才羽Tとミホノブルボンのように直向きでありたいと願っているからこそ、

 

勝敗や結果に拘泥することなく、ライスシャワーが 本来 備えている ありのままの良さをレース場で表現することができているのだ。

 

才羽Tの浮世離れした感性と清らかさと比べると 自分のことを熱血馬鹿の凡人と評する非常に俗っぽい感性と暑苦しさが目立つ人物ではあるものの、

 

若輩でその境地に達している時点で、才羽Tに匹敵する才覚の持ち主であると私はそう評価している。

 

 

――――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

つまり、出走するレースに合わせてウマ娘を調整するのとは正反対。出走するウマ娘に合わせてレースを選んでいるだけなのだ。

 

似ているようでまったくちがう。やはり、本物は本物を知るのだ。

 

これを自然と実践できているのが才羽Tと飯守Tであり、それだけの素養を担当ウマ娘であるミホノブルボンとライスシャワーは持っていたというわけでもある。

 

 

Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て 並ぶ者なし)

 

 

これこそがトレセン学園のモットーの真意なのだろう。

 

現実に自分を合わせるのではなく、自分の手で現実を合わせこんでいく主体性こそが、天運をものにする者たちの最大の武器なのである。

 

別な言葉で言い換えれば、『人事を尽くして天命を待つ』――――――今日のレースの女神はそんなあなたにこそチュゥする!

 

だからこそ、私は先輩には――――――。

 

 


 

 

飯守T「しっかし、あんな見たこともないようなバケモノが世の中にいるだなんてな! しかも、俺に化けるだなんてよ!」

 

斎藤T「ええ。正体はメスと判別できる異形でしたが、男性のヒトである飯守Tに完全な擬態をすることができるので、ウマ娘に化けることも可能でしょう」

 

斎藤T「しかも、“怪物”ナリタブライアンが本能的に恐怖を感じるほどの相手ともなると、ヒトよりも強靭なウマ娘では対処できないことが予想されます」

 

飯守T「とんでもないバケモノだな、そいつは。あの時はブライアンに背負われて駆けつけたけど、ライスシャワーももうちょっと身体が大きかったら俺のことを担いでいけるだけの力があるってのに」

 

斎藤T「……怖くはなかったのですか?」

 

飯守T「たしかに、得体の知れないバケモノを前にしてビビっちまったよ」

 

飯守T「でも、俺はそれ以上に怖いものがあるから、気づいたら身体が勝手に動いちゃっててさ……」

 

斎藤T「――――――『それ以上に怖いもの』ですか?」

 

 

飯守T「ああ。俺が痛い思いをするよりも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だよ」

 

 

斎藤T「なるほど。素晴らしいですね」

 

斎藤T「私も皇宮警察の両親から生を受けた身です。自分の命よりも大切なもののために力を発揮できる人間のことを尊敬します」

 

飯守T「いやいや、それを言ったら あのバケモノを倒したっていう斎藤Tもすごいよ! 俺の仇をとってくれてありがとな!」

 

斎藤T「では、お礼として表彰式で一緒にうまぴょいする権利を進呈します。才羽Tも巻き添えです」

 

飯守T「お、いいねぇ! 俺たちがトレセン学園のトレーナーになるために鍛えたダンスのキレを見せつけてやろうぜ!」

 

 

ハハハハハハハ・・・!

 

 

飯守T「けど、真剣な話、あんなバケモノがいるってのに何の対策も打たないなんて、親父は何を考えてんだよ? いや、わかるけどさ?」

 

斎藤T「それについては、個人的なコネを使って対策してもらおうと思っています」

 

飯守T「お、皇宮警察だった両親のコネ?」

 

斎藤T「ちょっとちがいますけど」

 

 

コンコンコン・・・

 

 

斎藤T「あ、ちょうど来たみたいですね」

 

飯守T「入ってどうぞ!」

 

藤原さん「よう、お邪魔するぞ、警視総監のご子息様」ガチャ・・

 

藤原さん「俺は皇宮警察騎バ隊の斎藤夫婦とは昔からの付き合いの藤原 秀郷。警視庁警備部災害対策課のもんだ」

 

飯守T「あ、はじめまして! 父がお世話になってます、飯守 祐希です。トレセン学園のトレーナー3年目です」

 

藤原さん「いや、警視総監は直接の上司じゃないから別に世話にはなっていないが、まあいい」

 

藤原さん「テン坊の話は聞いているな?」

 

藤原さん「怪人:ウマ女――――――、通称:WUMA(世界的な未確認侵略生物)による事件を凶悪犯罪とはせずに怪人災害と認定して対策しようって話になっているんだ、警備部では」

 

斎藤T「罪を犯した場合は罰することで許される――――――。であるなら、許す必要のない怪人の存在は災害という理屈です」

 

飯守T「警備部っていうと、SATですよね!」

 

藤原さん「ああ。Special Assault Team(特殊強襲部隊)にも頑張ってもらうことになる」

 

藤原さん「まあ、一番は『俺が2度も怪人と遭遇して撃退した功労者のテン坊の知り合いだった』っていうコネで成り立っているんだがな」

 

藤原さん「まったく、腐れ縁っていうのか、あの2人の子供たちの面倒をこうも見ることになるとはな。俺にはちゃんとカミさんも娘もちゃんといるってのに」

 

飯守T「じゃあ、警視庁で表彰式する時は才羽Tも呼んでください。3人でうまぴょいしますから」

 

藤原さん「あ、ああ。考えておくよ……」ハハハ・・・

 

藤原さん「おいおい、いきなり良い友人をできたみたいだな、お前さん?」

 

 

斎藤T「ええ。かけがえのない戦友です。一緒に宇宙に連れ回したいですね」

 

 

藤原さん「そいつはよかったな」

 

藤原さん「だが、お前さんがハーフだってことは忘れんなよ? 一人で突っ走ったら止まらなくなるんだからさ?」

 

斎藤T「はい。常々弁えておきます」

 

藤原さん「さて、飯守T。まだ政府からのWUMAの存在について正式な発表がなされない以上は他言無用だ」

 

飯守T「はい」

 

 

私たちが遭遇したバケモノ――――――、怪人:ウマ女は警察関係者の間では“WUMA”と呼ばれることになっている。

 

これは半月前の8月15日の深夜に交戦状態となった第一発見者の私と妹が名付け親となっており、

 

私が見たままバケモノを“ウマ女”と呼んでいたのを妹が最初の証言で伝説上の妖怪“NUE”のような正体不明の存在ということで“ウーマ”と答えたのがきっかけである。

 

そして、アルファベットにしたら“UMA:Unidentified Mysterious Animal (未確認生物)”という単語があったので、

 

怪人:ウマ女の存在は通称“UMA:Unidentified Miscreant Alien (未確認侵略生物)”で通るのかと思いきや、

 

いやいや、トレセン学園のトレーナーがバケモノの名前に“UMA”を使うもんじゃないと呆れられてしまった。

 

どういうことかと言うと、国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』を主催し それに出走するウマ娘たちが集うトレセン学園を運営するURAは、

 

正式名称“Uma-musume Racing Association(ウマ娘競走協会)”であるため、あんなバケモノとウマ娘が混同されるような略称はやめろということになったのだ。

 

こことはちがう進化と歴史を歩んだ地球の記憶を持つ私からすれば、いやいやウマ娘もウマ女も似たようなもんだと思っていたが、とりあえず黙っておくことにした。

 

すると、中国語で“午馬(ウーマ)”という()()()()()()()()()()()()()()()()()がいるという話になり、中国語風にWを付け足して“WUMA:Worldwide Unidentified Miscreant Alien(世界的な未確認侵略生物)”となったのだ。

 

なので、警察関係者の間でも馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好のあれは怪人:午馬(ウーマ)女としても通用することになった。

 

まさか、馬が伝説の生き物として一応は認知されていることには驚いたが、よくよく見ると伝統的な干支に書かれている午馬はどれもこれも麒麟のような派手な馬飾りが標準装備されていた。

 

そのため、馬飾りの下の姿を誰も見たことがないというわけで、誰も怪人:ウマ女が本当に午馬の獣人であることを理解できていないのだった。

 

 

ライスシャワー「お兄さま!」ガバッ

 

飯守T「おお、よしよし。心配させて悪かったな、ライス」ナデナデ

 

ライスシャワー「はい! 本当に心配したんですよ! お兄さまがいなくなったら、ライスは――――――」スリスリ

 

斎藤T「“トレーナー”と書いて『お兄さま』と読ませているのですか、飯守T?」

 

飯守T「それを言ったら、才羽Tだって“トレーナー”と書いて『マスター』と呼ばれているじゃないか」

 

 

――――――俺のことを“お兄ちゃん”と呼んでいいんだよ!

 

 

ライスシャワー「ライスはみんなを不幸にしちゃう――――――。それを変えたくて!」

 

ライスシャワー「ライス、本当に嬉しかったですよ。引っ込み思案ですぐに落ち込んじゃうのをお兄さまはいつも元気にしてくれますから」

 

飯守T「最初に見かけた時、なんて声を掛けてあげたらいいのか わかんなかったんだけどさ」

 

飯守T「でも、俺は俺なんだ。俺にしかなれない」

 

飯守T「配属してすぐに担当ウマ娘を勝たせていく同期の名門トレーナーや天才トレーナーともちがうってことを2人の真似をして必死に追いかけて ようやくそれがわかったんだ」

 

斎藤T「最初はサブトレーナーとして様子を見ていたってわけなんですね」

 

飯守T「ああ。俺、普通にサブトレーナーとして先輩のチームで下積みしてから自分で担当の子と勝負に行くもんだと思ってたから、」

 

飯守T「2年前の俺たちが新人の時の『選抜戦』――――――、さすがは名門の桐生院Tが仕上げたハッピーミークもすごかったけど、」

 

飯守T「一番に度肝を抜かれたのはベテランTに指導を受けて【短距離】で走るはずだったミホノブルボンが才羽Tの采配で【中距離】で勝利したことでさ」

 

飯守T「あそこから俺もすぐに担当ウマ娘を見つけて勝負の世界に行こうって決めてたんだ」

 

飯守T「そうしたら、どうしても先輩と2人の同期を見比べて意見するようになってさ。生意気になったから先輩を怒らせてチームを追放されちゃって」

 

飯守T「俺も単純だったから、2人の同期のようにやれるもんだと思ってたんだけど、無名の新人トレーナーの誘いに応じてくれる子なんて簡単に見つからないから、いろいろと苦労してきたんだ」

 

斎藤T「でも、その状況にめげずにトレーナーとしての自己研鑽と研究を重ねていったおかげで、飯守Tはライスシャワーのお兄さまになれたわけなんですよね?」

 

飯守T「ああ。俺にはコネも才能もないから、新人らしく努力で差を埋めるしかなかったからさ」

 

斎藤T「手本にしたのが桐生院Tと斎藤Tの対照的な2人で本当によかったですね」

 

飯守T「本当だよ。2人の超優秀な同期を見比べながら自分で真似できそうなところと真似できないところを徹底的に分析したら、自然とライスも勝てるようになっていったし」

 

斎藤T「最終的にはハッピーミークを一度は下してますし、『次はミホノブルボン!』ってところですか?」

 

飯守T「そんなところ」

 

斎藤T「う~ん、担当につく前の話とは言え、担当ウマ娘を負かしたライバルと親しくしているのって裏切りかな?」

 

飯守T「そんなことないよ。新人の副トレーナーなんて来年になったら自分のチームを作って旗揚げする未来のライバルなんだし」

 

飯守T「ミホノブルボンとの直接対決は年の瀬の『URAファイナルズ』の前の『有馬記念』が最後のチャンスってところかな」

 

斎藤T「その割には気負うところがないですよね」

 

飯守T「まあ、惜しくもライスが勝ちきれなかった『天皇賞(春)』でメジロ家三代で三連覇したメジロマックイーンが()()()()()()()()()()()を思うとね……」

 

 

飯守T「ライスには無茶をさせたくないんだ。『沈黙の日曜日』の二の舞 三の舞なんて見たくないし」

 

 

斎藤T「…………そうですか」

 

斎藤T「ライスシャワー、あなたのその名は風雨に晒されながらも苦難の末に多くの人々に生きる力と喜びを与えるもの――――――」

 

斎藤T「いつかは暗黒大陸を黄金色に染める力があるのですから、禍福は糾える縄の如し、苦しみがあるからこそ喜びがあることを忘れないでください」

 

ライスシャワー「ありがとうございます、斎藤T!」パア!

 

斎藤T「飯守T、あなたが大切に育てて実らせた輝く笑顔ですよ」

 

飯守T「おいおい、才羽Tみたいなことを唐突に言ってくるなよ。その、照れるだろう?」

 

斎藤T「いや、どうしても皇宮警察の息子として“米”に関して一家言があって」

 

飯守T「あ、そっか。伊勢神宮だと境内で米を収穫して神前に奉納するんだっけ?」

 

斎藤T「そうそう、それを天皇陛下が大神と一体となって召し上がるわけですから」

 

斎藤T「名は体を表す――――――、そうなるか そうならないかの運命の分岐点を見事に乗り切ったわけです」

 

飯守T「へへへ、そう言われるとトレーナー冥利ってもんだぜ。まあ、俺なんて まだまだなんだけどさ」

 

 

飯守T「なんていうか、才羽Tと似ているんだけど どこかちがうよな、お前って。飄々としてスケールが大きい感じがするのは同じなんだけど」

 

 

飯守T「でも、才羽Tよりは親しみやすい感じはするな」

 

斎藤T「才羽Tも 結構 わかりやすい人なんですけどね」

 

斎藤T「さあ、これから担当ウマ娘:ハッピーミークの好敵手として、これからの健闘を祈って、花束贈呈!」

 

斎藤T「はい!」ドン!

 

飯守T「お、おおお!?」

 

ライスシャワー「わあああ!」

 

 

斎藤T「黄金のバラ。造花だけど純金箔。永遠の輝きを放つ――――――」

 

 

ライスシャワー「す、凄いです! これ、本当にもらってもいいんですか?」

 

斎藤T「もちろんですよ。でも、どちらかと言うと()()()ではなく()()()()()()()の贈呈ですね」

 

飯守T「え、俺もなの?」

 

斎藤T「そうですよ。これはナリタブライアンとビワハヤヒデからのあの時のお礼の品でもあるんですから」

 

斎藤T「共に『URAファイナルズ』で雌雄を決する時を心待ちにしているそうです」

 

飯守T「まいったな、返しきれないよ、こんなの……」

 

ライスシャワー「じゃあ、これ、ライスの青いバラをお返しに」

 

斎藤T「いいのですか?」

 

飯守T「いいっていいって。勝負服に使っている予備だし。同じ造花だから不釣り合いかもしれなけれど」

 

 

ライスシャワー「どうぞ受け取ってください! ライスの夢はすでに叶ったから!」

 

 

飯守T「ああ。それを俺たちの命の恩人に託すよ」

 

斎藤T「……わかりました。ありがたく頂戴します、先輩方」

 

ライスシャワー「うん!」

 

斎藤T「――――――でもね?」

 

飯守T「?」

 

ライスシャワー「?」

 

斎藤T「世の中の事象っていうのはみんな波なんだよ。周波数なんだよ。山と谷なんだよ」

 

斎藤T「今の幸せの後に必ず新たな幸せを求める旅が始まる。その繰り返しなんだ、人生は」

 

斎藤T「だから、これからも次のレベルを目指してめげずに進歩発展向上していくんだ。それが天地自然の在り方なんだ」

 

ライスシャワー「はい!」

 

飯守T「ああ! 『有馬記念』の結果を楽しみに待っててくれよ、後輩!」

 

斎藤T「楽しみに待ってます」

 

 

――――――バラの花言葉は『愛』。青いバラの花言葉は『夢は叶う』『神の祝福』。

 

 




●プロフィール(20XX年当時) 
名前:飯守 祐希(いいもり ゆうき)
年齢:20代前半
所属:トレセン学園トレーナー 3年目
血統:父親(ヒト) -警視総監 / 母親(ヒト) -学閥令嬢

誕生日:07月25日
身長:173cm 
体重:トレセン学園のトレーナーとしては結構な筋肉量
体格:甲子園球児だったのでガッチリしている

好きなもの:努力・熱血・友情
嫌いなもの:親の七光り、冷たい人間関係
得意なこと:直球勝負
苦手なこと:搦め手


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第6話秘録 カバーストーリー

-シークレットファイル 20XX/09/02- GAUMA SAIOH

 

国民的スポーツ・エンターテイメントの殿堂:トレセン学園で起きた8月末の不祥事に対して最大限の誠意を示すために理事会・生徒会・トレーナー組合の役員が総出の緊急記者会見が執り行われた。

 

実際には完全に事件の全貌が判明したわけではなく、重要参考人である飯守Tに至っては意識が回復したのは事件の翌日以降なので、

 

まだ何もわかっていないことを無事に終わらせたかのように言うことこそ不誠実に思えるが、それだけトレセン学園のブランドイメージに傷がつくことを上層部が恐れていたことが窺える。

 

そう、これは目眩ましのパフォーマンスに過ぎず、生徒会長:シンボリルドルフを始めとする錚々たる顔ぶれを並べて観衆に有無を言わせないようにする世論操作の茶番劇でもあった。

 

というより、事件の主犯である怪人:ウマ女の存在を世間に公表するわけにもいかないからなのだ。

 

もちろん、自分が知らぬ間にバケモノに擬態されて好き勝手された一番の被害者:飯守Tと担当ウマ娘:ライスシャワーの名誉回復のために早急に記者会見が開かれたのだが、

 

実のところ、飯守Tとライスシャワーのサクセスストーリーを引用して 今回の事件で発覚したトレセン学園の数々の不手際から観衆の目を逸らさせるために積極的に利用されたのだった。

 

そのことに対して、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として在り続けようとする“皇帝”シンボリルドルフは内心ではどう思って記者会見に臨んでいたのだろうか――――――。

 

生中継の様子をその飯守Tと一緒に病室で見ていただけに、飯守Tは自分が警視総監の息子だから過剰なまでの美談を演出させているように映ったという。

 

それもそのはずで、原則的にトレセン学園の生徒しか出入りできない学生寮;巨大な住宅団地の治安維持をするためには明らかにERTだけではカバーしきれていないことが露呈している。

 

そこからERTでの対処が困難な場合に警察への応援も要請されていたのだが、やはり2000名弱の生徒たちを収容できる巨大な住宅団地に展開できるだけの人員を確保することなど不可能であった。

 

そうしてERTも警察もまごまごしているうちに、事件を解決に導いたのが評判が非常に悪かった新人トレーナーだなんて知られたら、世間の反応はいったいどうなることか――――――。

 

そのため、ERTとしても警察としても今回の緊急記者会見に関しては正体不明のバケモノに襲われることになったという証言に活路を見出したとばかりに全力で乗っかり、

 

今回の事件は『ライスシャワーの熱狂的なファンが担当トレーナーに変装して学生寮に押し入った』というカバーストーリーで押し通すことになったのだ。

 

もっとも、馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好の怪人:ウマ女なる存在をはたしてどれだけの人間の脳が受け付けるかを考えると、そう説明した方が全員が納得できるものでもあった。

 

現場の混乱や半信半疑のバケモノの存在などを考えると、いつまで経っても納得のいく答えが出ようはずがないのだから、結果としてはこれが最善だったのかもしれない。

 

ただ、今回の観衆の目を逸らすために取り上げられた美談の主役である飯守Tとしては2年前のライスシャワーの『選抜戦』のことを思い出すことになり、

 

不安と恐怖からレースから逃げ出して部屋に閉じこもってしまった かつてのライスシャワーのような状態に今現在なっている生徒たちの存在にまったく触れなかったことに遺憾の意を示していた。

 

ちなみに、飯守Tは部屋に閉じこもったライスシャワーを『選抜戦』の出走させるために特別に学生寮に入れさせてもらった貴重な経験があったのもあり、自分の偽物が学生寮に押し入ったこの事件のことを苦々しく思っていた。

 

現在も、警察が トレセン学園全施設の監視カメラの映像を網羅して 事件全体における飯守Tに化けた偽物の行動を洗い出しているのだが、

 

ここで問題視されるのは、学生寮に押し入った飯守Tに化けたバケモノが()()T()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事件発生当初にERTが生徒たちに聞き取りした証言であった。

 

保守点検や視察あるいは緊急事態でもない限りは生徒以外の人間の出入りが原則禁止されている――――――。

 

そのため、いかに担当トレーナーであっても ライスシャワーの寮室やよく利用する場所などを勝手知ったるかのような足取りで真っ先に向かっていたという不自然さも浮かび上がっていたのである。

 

ただ、少なくとも まともな精神状態ではない狂人と遭遇して軽いパニック状態になった生徒たちの証言なので、どこまで信用できるものなのかは定かではないが、

 

もし本当に怪人:ウマ女が擬態した対象の記憶や感情さえもコピーできてしまうのかどうかの検証も丹念に行われていた。

 

もしくは、擬態した対象の記憶や感情を読み取れるということは、周囲の人間の記憶や感情も読み取れてしまうのではないかという可能性も確かめるべく。

 

重要参考人である飯守Tとライスシャワーも事の重大さを知らされているため、証言に対する確認作業への協力と部屋の移動が言い渡されていた。

 

詳細は私も知らされていないが、現場で実際にある程度の生徒から証言を聞くことができていた副会長:ナリタブライアンが憐憫の眼差しを向けていたのだから、ライスシャワーの()()()()()()も確認されるのであろう。

 

 

 

ともかく、ネットの反応を見るに緊急記者会見のパフォーマンスは大成功のようである。私も見ていてレース後のヒーローインタビューを見ているような錯覚に陥ったぐらいだ。

 

 

 

これを機に緊急記者会見で飯守Tとライスシャワーの知名度はぐんと伸び、ファン数が急上昇。この勢いはしばらく続くことだろう。

 

一方で、『飯守Tが犯人を捕まえた』という事実は緊急記者会見にはなかったにも関わらず、

 

飯守Tが警視総監の息子である事実と照らし合わせて『自分に化けた偽物を成敗した』と実しやかに囁かれるようになっていた。

 

これはどうも例のバケモノ:WUMAを退治したのが()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実を隠すのにはうってつけだったということらしい。

 

冷静に考えると こんなどうでもいいデマを流してしまった辺り、警察も今回の事件での失態を揉み消そうとかなり必死であるのが透けて見えてしまう。

 

まあ、斎藤 展望が悪党(ヒール)だった事実は決してなくなることはないし、波動エンジンの専門家の私がバケモノ退治の専門家なんてのに転職する気はないから、別に気にはしていない。

 

ただ、生徒会長:シンボリルドルフたちの人気と飯守Tとライスシャワーの美談で華やかに幕を閉じた緊急記者会見の裏で、

 

生徒会のバックの『名家』、トレーナー組合のバックの『名門』、それから警察;正確には『警視庁』といった権力機構が今回の責任をなすりつけあっていることを考えると、いたたまれないものがある。

 

 

――――――やりたいことはいっぱいある。

 

 

斎藤 展望の唯一の肉親:ヒノオマシが両親の後を継いで立派な皇宮警察の一員となれるように支えてやらなくてはならないし、

 

この時代で波動エンジン搭載の宇宙船を完成させて宇宙開拓時代以前の手つかずの太陽系をぶらりと1周するだなんてことに思いを馳せてもいる。

 

そのための資金集めと技術開発と人脈作りもやっておかなくちゃならない。私の力で200年先取りした技術革新を世界に巻き起こすための計画だってある。

 

だが、しかし、何よりも安全保障が確立されてこその文明的活動でもあるわけで、人類種の天敵によって生存圏が脅かされる状況を放置することなどありえない。

 

やはり、怪人:ウマ女を逸早く駆逐するための装置や仕組みを自分で創り上げないといけないのが、

 

問題は怪人:ウマ女の完璧なまでの擬態能力で記憶や感情までも完璧に盗まれるし、見分けがまったくつかないし、正体を暴いたらウマ娘も真っ青の戦闘力と異形だし――――――。

 

 

23世紀の地球とは異なる進化と歴史を歩んだこの21世紀の青い星はWUMA(世界的な未確認侵略生物)のものになるんじゃないか、もう?

 

 

呑気にウマ娘のトレーナーなんてやっている場合じゃないと思うけれども、トレセン学園のトレーナーとしての知名度を利用して投資を集めることも考えていたから、やめるわけにもいかないか。

 

もう、手っ取り早く『名家』『名門』『警視庁』のお墨付きということで、23世紀の天才エンジニアである私に時間と設備と資金を気前よく与えてはくれないものか――――――。

 

しかし、このまま何も対策をしないわけにもいかない。

 

怪人:ウマ女の擬態を見破ったところで実際に倒すための手段を最優先で編み出しておかないと詰みである。

 

とりあえず、感電トラップぐらいの電撃ならダメージになるのは確認済みなので、超強力なスタンガンを携帯するようにするしかないのかもしれないが、効率が悪すぎる。

 

だったら、相手は凶悪犯罪者ではない害獣とみなして猟銃とするべきか。これなら怪人:ウマ女の気を引いたところを遠くから狙い撃てるので確実性が増す。

 

問題は23世紀では当たり前だったID銃がまだ開発されていないし、銃規制の厳しい21世紀の日本ではスイスのように携帯できないのが難点だ。

 

なら、トレセン学園のトレーナーが持ち歩いていてもおかしくない身近なものはないか――――――、なおかつ21世紀の科学力でも実現可能なもの――――――。

 

 

あったよ! 電気推進宇宙船にも原理が使われているアーク放電! それを使ったプラズマジェットブレード!

 

 

何々? 21世紀のプラズマジェットの屋外使用は大型の発電機がないと使用できない――――――?

 

ステンレス鋼やアルミニウム合金の加工に使われていて、一瞬で生物の身体なんて溶解させて切断するんだから連続使用なんて考えなくていい!

 

そして、斎藤 展望の両親が遺していったコネから重工とのコネも得ているから、使い捨てのパワーセルなんて そこで造らせて持ってこさせればいい。

 

偽装に使う誘導棒もいろいろなバリエーションがあるみたいだな。これなら怪しまれずに携帯できそうだ。とりあえず、使いやすさを検証するためにサイズ違いをいくつか取り寄せてみるか――――――。

 

設計図もさっさと渡して肝心要のパワーセルの量産体制を整えさせよう。人間の手で握るものなんだから、内蔵するパワーセルの規格なんて いつの世も変わらない――――――。

 

 

――――――ホント、トレセン学園のトレーナーをやっている場合じゃないよな、これって?

 

 


 

 

――――――トレセン学園:生徒会室

 

シンボリルドルフ「まったく、よくやってくれたよ、本当に」

 

シンボリルドルフ「しかし、校門をはじめとする設備に無断で改造を施しているのは いくら非常事態であっても称賛はできないな」

 

斎藤T「あ、修理費用なら『警視庁』の方に請求しておいてください」

 

シンボリルドルフ「それはまた どういう了見で?」

 

斎藤T「トレセン学園一の嫌われ者:斎藤 展開こそが事件を解決したという()()()()()()をマスコミにリークされたくなかったら、警備体制の見直しの予算に修理費用も入れておいて」

 

シンボリルドルフ「……まったく、本当にきみというやつは」フフッ

 

シンボリルドルフ「しかし、今回の件できみが完全な畑違いの人間であることは理解できたよ」

 

シンボリルドルフ「それだけに、ご両親のことは本当に残念でならない」

 

斎藤T「ええ。天皇・皇后 両陛下をお守りする大任がありながら永遠にお暇をいただいてしまったのですから、死んでも悔やみきれないことでしょう」

 

シンボリルドルフ「……それは実の娘の命を守るためであってもなのか?」

 

斎藤T「それが宇宙船『地球号』の中に『名門』や『名家』を生み出したのではありませんか?」

 

シンボリルドルフ「…………ままならないものだな、世界というものは」

 

シンボリルドルフ「今回の事件の責任問題は理事長が即座に誠意を示したことによって、理事長が責を負うことになったよ」

 

 

シンボリルドルフ「しかし、先手を打ってトレセン学園の理事会・生徒会・トレーナー組合の役員を総結集させる緊急記者会見を開くことによって、全てを巻き込んだ形で学園の全てに責任を負わせることになった――――――」

 

 

シンボリルドルフ「……これは賭けでもある」

 

シンボリルドルフ「言うなれば、国会の解散総選挙みたいなものか。誰かの責任ではなく 全員に責任にとらせることで 世間に中央トレセン学園の在り方を問う――――――」

 

シンボリルドルフ「私も総生徒数:2000人弱の生徒会の長として次代にバトンを託す覚悟をしなくてはならない……」

 

シンボリルドルフ「その一方で、トレーナー組合というのは気楽なものだ。所詮は雇われる側の人間で、雇用関係がなくなれば、他のトレセン学園に籍を移すだけでいいのだからな……」

 

斎藤T「そうですね。ヒトよりも遥かにウマ娘にとっての10代が盛りであることを考えると、トレーナーとウマ娘の間の物の考え方や社会的基盤には何もかも差がありすぎます」

 

シンボリルドルフ「そう、ヒトの甲子園球児のエース投手が若くして肩を壊すのと、同い年の競走バのウマ娘が脚を故障するのとではリスクが比べ物にならん」

 

 

斎藤T「…………これが宇宙移民が想定すべき異種族間交流と異種族間摩擦の現実か」ボソッ

 

 

シンボリルドルフ「む?」

 

斎藤T「いえ、私は大人の世界のしがらみを教わることもないまま父と母を失い、そこからは脇目も振らずに妹と金のために生きてきました」

 

斎藤T「おかげで、事件を解決してやったってのに表彰されることもない。札付きの新人トレーナーの汚名返上も叶わないままですよ」

 

シンボリルドルフ「それなら、私の一存できみの名誉回復と表彰だって――――――」

 

斎藤T「でも、今が一番居心地がいいんですよね。桐生院Tのチームに入れたし、元から仕上がっているハッピーミークが勝てば私の評価点になりますから」

 

 

斎藤T「つまり、安定した収入がもらえて 自由でいられる時間も確保されている――――――。最高じゃないですか」

 

 

斎藤T「ね? だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですね」

 

シンボリルドルフ「!」

 

シンボリルドルフ「きみは本当にそれでいいのか? きみの悪評を払拭する機会を与えてはいけないのか?」

 

斎藤T「ねえ、知ってます、会長?」

 

斎藤T「羅針盤の発明によって一定の方位がわかるようになったことで西洋で大航海時代が到来しましたよね」

 

斎藤T「でも、羅針盤がない遥か昔の日本の縄文時代はそんなものがなくても立派に大航海時代をやっていたんですよ?」

 

シンボリルドルフ「それは聞いたことはあるが……」

 

斎藤T「私は金の臭いがする場所を求めて海を渡る大商人。安く物を仕入れて高く売りつけて大儲けすることで、あっちは物が売れてハッピー。こっちは物が買えてハッピー。みんなハッピーになれるんですよ?」

 

シンボリルドルフ「――――――()()()()()()()()()()じゃないか、まったく」

 

斎藤T「そういうことですよ、会長。さすがは『名家』の誉れです」

 

シンボリルドルフ「わかったよ、斎藤T。きみの気持ちは理解した。勝利の喜びとはちがうが、これほど嬉しいものはない」

 

シンボリルドルフ「なあ、どうしてきみはそこまで割り切ることができるんだ?」

 

斎藤T「――――――『父と母が妹を託したから』じゃないでしょうかね? ()()()()()()()()()()()()()()()()んですよね」

 

斎藤T「だから、妹の養育費と治療費のためにトレセン学園のトレーナーになることだってできました」

 

斎藤T「そして、そこで得た悪評と眠り続けた3ヶ月間のおかげで、こうして生徒会室で茶を飲むことができました」

 

シンボリルドルフ「……きみは自分の運命を、神を呪ったことはないか?」

 

斎藤T「会長はそうだったんですね?」

 

シンボリルドルフ「ああ。私のことを特に慕ってくれていた“無敵の三冠ウマ娘”になれるだけの才能のあった子を襲った悲劇を目の当たりにしてだな――――――」

 

 

シンボリルドルフ「あの時は『天が与えた才能を同じ天が奪うのか』と絶叫したよ。その才能に生きた者を空っぽにするのが天の思し召しだなんて認めたくはなかった……」

 

 

斎藤T「――――――会長は無駄なことは進んでしたいですか?」

 

シンボリルドルフ「そんなことがあるはずがない。私たちウマ娘は特に10代が盛りでヒトよりも与えられた時間に限りがあるのだから」

 

斎藤T「――――――会長は弱者を虐げることに悦びを感じますか? 競走相手の闘志を折るほどの圧倒的な勝利を望みますか?」

 

シンボリルドルフ「それも否だ。私にとっては、勝利より“たった三度の敗北”を多くに語り聞かせたい」

 

斎藤T「――――――会長は在籍しているトレセン学園の2000名弱の生徒の命と自分の命のどちらが大切ですか?」

 

シンボリルドルフ「愚問だな。私は生徒会長だ。私の存在はトレセン学園の全ての生徒たちの血と汗と涙でできている」

 

斎藤T「では、次の会長に相応しい人物の候補はありますか?」

 

斎藤T「会長が自分の首を差し出した後もトレセン学園の黄金期を導くことができる逸材は誰ですか?」

 

斎藤T「偉大なる“皇帝”の後継者としてのお役目に耐えきれずに先代が築き上げたトレセン学園の黄金期を凋落に導く者の名前は?」

 

シンボリルドルフ「そ、それは…………」

 

斎藤T「そうですか。では会長、まだまだあなたが引退するには早いようです」

 

 

――――――あなたがいなくなることで路頭に迷うことになるウマ娘たちのことを真に想うのなら。

 

 

斎藤T「()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

シンボリルドルフ「…………!」

 

シンボリルドルフ「そんなことを言わないでおくれ。きみのような忠義者こそ評価されるべきなんだ」

 

斎藤T「残念ながら、忠義なんてものは畑違いですので ここでは収穫できません」

 

斎藤T「お望みであるならば、まずはしっかりと大地を耕して種を播いて芽吹くよう根付かせてくださいませ」

 

シンボリルドルフ「……わかった。きみのいうとおりだ。少し弱気になっていたかもしれない」

 

斎藤T「会長、会長の言う『神』が何を指し示す言葉なのかはわかりませんが、」

 

斎藤T「人は祖に基づき、祖は神に基づく――――――」

 

斎藤T「他の国は知りませんが、少なくとも この国で生を受けたヒトは天神地祇、ウマ娘は三女神という元を辿れば皇祖皇霊に行き着くんです」

 

 

斎藤T「ですから、祖神の血の通った親心を信じて、子孫繁栄の御心のまにまに 目の前で起きた悲劇、繰り返される悲劇、語る者のいない悲劇を食い止めるための道を歩んでくださいませ」

 

 

斎藤T「全ては その道のために生かされ 殺されていると考えるのが天の教えです」

 

斎藤T「会長もマクロな視点とミクロな視点を使い分けることがあるように、皇祖皇霊もマクロな視点で子孫を助け ミクロ視点で子孫をくじくということです」

 

シンボリルドルフ「では、トウカイテイオーの身に起きたことをどう考えばいい?」

 

斎藤T「近代ウマ娘レースにロードレースがないのはウマ娘の高すぎる身体能力を制限して保護する目的があると桐生院Tから教わりました。競走バは戦闘バとはちがいますから」

 

斎藤T「そして、近代ウマ娘レースの黄金期を迎えた今、夢の舞台の奈落に屍の山が築かれた現状を変える時が来たのではありませんか?」

 

シンボリルドルフ「世代交代が進んでいっているのに対し、現状のルールや仕組みが旧態依然になっていると?」

 

斎藤T「ええ。門外漢が偉そうなことを言わせてもらうと、選手の能力水準が向上すれば安全基準が相対的に低くなりすぎるのは当然の話ではないですか」

 

斎藤T「安全第一です。アスリートの世界では馴染みがないでしょうが、」

 

斎藤T「工場経営者にとっては労働者の安全第一が結果として労働意欲と生産性の向上に繋がるのがわかって、現在の豊かな暮らしが実現されているのです」

 

斎藤T「勝負の世界においては『甘い』と切り捨てられることもあるでしょうが、あなたがトウカイテイオーに対して抱いたことを他の多くの人が味わっているとするなら――――――?」

 

 

――――――さあ、どうします、“皇帝”シンボリルドルフ?

 

 



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第7話   お前なんてアグネスターディオン

-西暦20XX年09月24日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

早いもので、8月末に起きた事件の記憶がまだ1ヶ月も絶たないうちに早くも風化しようとしている――――――。

 

それだけ生徒であるウマ娘たちが前向きな姿勢で直向きにアスリートとしての本分を果たそうとトレーニングに打ち込んでいるのもあるだろう。

 

しかし、例年より今月の外泊や遠征の申請数が増えていることを見ると、全寮制ではあるものの、トレーニングの名目で気軽にトレセン学園を抜け出せることは明白であった。

 

そもそも、総生徒数2000名弱のトレセン学園の生徒の全員が学生寮に同時に泊まるということはほぼないのはトレセン学園の常識でもある。

 

なぜなら、少なくとも『トゥインクル・シリーズ』においては【近距離】【マイル】【中距離】【遠距離】の4種類の距離設定があり、

 

それぞれ目標の距離に特化したトレーニングを行うウマ娘がいて、それぞれの距離設定のレースが年間を通して別個に行われているからだ。

 

また、オフシーズンであっても冬季遠征合宿などに繰り出せるのがウマ娘が私の知る馬とちがうところであり、

 

つまり、毎日 何らかの理由でトレセン学園を離れる生徒がおり、寮長はトレセン学園に不在になる全ての生徒の事情を その都度 把握する義務がある。

 

そのため、トレセン学園には2000名弱の生徒たちのスケジュールや動向を管理するためのデータベースや予定表アプリが構築されており、

 

担当トレーナーを得たウマ娘は担当トレーナーに自身のデータベースや予定表アプリにアクセスできる権限を付与することになっている。

 

正確には、担当の契約関係を解消した後にウマ娘のデータベースや予定表アプリにアクセスできないよう、

 

正式に担当トレーナーのチームの一員になった時に発行されるIDカードに生成されたパスワードでのみアクセスできるようになっており、

 

当然、契約関係を解消した後にはIDカードのパスワードは失効となって 元 担当ウマ娘のデータベースや予定表アプリに二度とアクセスできなくなるようになっている。

 

このようにデジタル上では生徒であるウマ娘の保護と管理に相当な力を入れてきているのだが、

 

8月末の事件で生徒以外の立入禁止が裏目に出て不審者の侵入を許すことになったというのがトレセン学園の反省点であった。

 

となれば当然、生徒以外は立入禁止となっている学生寮;巨大な住宅団地の警備体制の見直しが叫ばれたわけなのだが、

 

警察;正確には警察庁ではなく東京都が管轄の『警視庁』もまた、事件発生から数時間後にようやくパトカーが駆けつけたと思ったらすでに事件が終わっていたという大失態を犯しており、

 

いざトレセン学園で事件が発生して学生寮に押し入った不審者1人を捕らえることができなかったERTと共にトレセン学園の理事会から問責を受けることになった。

 

その結果、『警視庁』において責任問題に発展し、誰も新たなトレセン学園の警備体制の指導をやりたがらず、一向に改善案がまとまらないという空転を生み出した。

 

だが、そうなるのも無理はない話だった。最初から解決不可能な問題に思えるからキャリア組は名乗り出ないわけなのだ。

 

事件発生当時の問題点――――――、生徒以外は立入禁止の2000名弱の生徒が収容できる巨大な住宅団地を網羅できるだけの人員なんて確保できるわけがない。

 

だからこそ、ERTが迅速な緊急時対応を行うことで被害を最小限に食い止めるという想定だったわけであり、人手不足になるのは最初から目に見えた問題点でもあったわけである。

 

そこから、トレセン学園としては巨大な住宅団地の出入りを大幅に制限することでトレセン学園の生徒の安全確保を行おうとしたわけである。

 

そう、管理するには完全に人手不足だったから高度なデジタル・ネットワークでの管理がなされていたわけであり、原因と結果がまったく逆なのである。

 

 

――――――アホくさ。それが私の正直な意見と感想である。

 

 

もちろん、今回の事件は相手が悪すぎたのもあったが、それでもERTはちゃんと『通報を受けたら すぐに駆けつける』という最低限の仕事はしてくれたのだ。

 

なので、私が飯守Tに化けていたバケモノを何とかするまで『通報を受けたら すぐに駆けつける』という最低限の仕事すらできなかった『警視庁』のお役所仕事には反吐が出る。

 

人手不足なら警備ロボットを配備すればいいだろうに――――――。

 

いや、21世紀でようやく確立したオートメーション化の流れなので、23世紀と比べていかに遅れているかは身を持って理解していたが、これにはひどくジェネレーションギャップを感じた。

 

調べてみると、この時期にロールアウトされている警備ロボットや生活ロボットは自動掃除機やロボットホテルぐらいしかないのだから、

 

ロボット工学は専門ではないが、日常的に助手として利用して組み立てやメンテナンスもやっていた私が造った方が技術革新が100年は早まるんじゃないかと思ってしまった。

 

だいたい、洗濯機に洗剤なんて要らないし、廃プラも石油にすればいいし、水不足も海水を真水にすればいいじゃないか――――――。

 

そうしないのは洗剤メーカーが困るから――――――? 石油産出国が困るから――――――? 環境活動家が困るからか――――――?

 

つくづく、この時代は人心がバラバラであるということを認識させてくる。そもそも、地球圏統一国家も樹立していないのだから、当然か――――――。

 

では、ロボットの存在の意義とは何か――――――?

 

 

それは人間の仕事を代行することによって得られた時間と機会によって人と人のコミュニケーションを促進することにある。

 

 

どうも、ロボットによって仕事を奪われることを危惧している反対派が多いようなのだが、そんなのは自然淘汰されるノイズなのは歴史が証明している。

 

最初の産業革命への反対運動:ラッダイト運動と同じことではないか。

 

でも、結局は便利さとそれによって得られた豊かさを享受するのが当たり前の世代に塗り替わっているのだから、ロボット反対論もそういうことでしかない。

 

機械文明をやたらと悪とみなす風潮もあるようなのだが、そんな迷信めいたものを信じているとは、実におかしな野蛮で偏った未開な考えと言わざるを得ない。

 

機械も所詮は人間が使うための道具でしかないのだから、人間に使われるだけの機械そのものが悪と定義できるはずもなかろうに。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』ということか。

 

機械文明に到達する遥か以前から人間の善悪について数々の宗教家が正道を歩むべしと忠告しているのに それに耳を貸さず自ら破滅と堕落の道を辿っている古来からの歴史を鑑みて、己を正そうという気概を持つ人間が相当少ないようだ。

 

実際、そうなのだろう。我よしの精神で生きている 刹那的快楽に身を任せている 本当の学問を知らない無教養と思える人間が多すぎる。無愛想すぎる。『論語読みの論語知らず』だらけだ。

 

そういう意味では、私が皇宮警察の両親を持つ“斎藤 展望”になれたことは非常に幸運なことだった。なにしろ、時代を超えて普遍的な教えの下に“斎藤 展望”は育ってきたのだから。

 

だからこそ、『名家』も『名門』も『警視庁』もどいつもこいつも身勝手で、今回の事件で明確になった成すべきことを果たそうと一致団結しようとしないんだから、理事長は苦々しく思っていることだろう。

 

 

私から言わせてもらうと、たとえば こんなやつらと一緒に宇宙移民だなんて とてもじゃないができるとは思えない。人間にとって第一である『信頼』がないから。『コミュニケーション』がないから。

 

 

要は『船頭多くして船山に登る』――――――、いや、こいつらこそが宇宙移民船団を破滅に追いやるエイリアンみたいに感じられるわけで、

 

どれだけ私が信じられない気持ちで事態の推移を見守っていたかを誰かに理解してもらいたいものだ。――――――『こいつら、本当に人間なのか』と。

 

まだ事例が2件しかないWUMA――――――怪人:ウマ女に対して どこも懐疑的・消極的なのはしかたないにしても、

 

たった1人の不審者に対してここまで無様を晒しておきながら 一致団結して状況の改善に取り組もうとせずに ただ責任の擦り付け合いに終止しているのだから、救えない。

 

 


 

 

ハッピーミーク「斎藤T……」

 

斎藤T「どうしました、ハッピーミーク?」

 

ハッピーミーク「斎藤Tのおかげで前よりも速くなれた実感があります……」

 

斎藤T「……でも、『それだけじゃミホノブルボンやライスシャワーに勝てない』ですか?」

 

ハッピーミーク「……はい」

 

斎藤T「勝てるビジョンが思い描けないと?」

 

ハッピーミーク「……はい」

 

斎藤T「桐生院Tのことが心配?」

 

ハッピーミーク「……はい」

 

斎藤T「他のウマ娘のことはまだよくはわからないけど、ハッピーミークは身体が勝手に動き出すタイプじゃないから、メンタリティが結果に大きく直結していますね」

 

斎藤T「最初に頭の中でイメージを膨らませていくことが現実での点火剤になっているわけですから」

 

ハッピーミーク「……はい」

 

斎藤T「イメージさえできれば、あとは問題なく 完璧にこなせてしまう――――――、それが私が先輩から最初に聞いたハッピーミークというウマ娘の凄さです」

 

斎藤T「事実、名門トレーナーの指導によって当初から注目を集め、同期の中ではずば抜けた勝利数と幅広い戦法をとれる手数の多さが武器となっていますね」

 

斎藤T「――――――それだけでもダメ?」

 

ハッピーミーク「……はい」

 

 

斎藤T「そもそも、ミホノブルボンやライスシャワーに勝ちたいのか?」

 

 

ハッピーミーク「………………」

 

斎藤T「じゃあ、『URAファイナルズ』の初代チャンピオンとして名を残したいって思ってる?」

 

ハッピーミーク「いえ……」

 

斎藤T「何のために、あるいは何のおかげで ここまで頑張ってきたんだい? トレセン学園に来た時の目標を思い出してごらんよ?」

 

ハッピーミーク「それはトレーナーが私の担当になってくれたから……」

 

ハッピーミーク「私のことをレースで勝てるようにしてくれたトレーナーが凄いって証明したいから……」

 

ハッピーミーク「だから、『URAファイナルズ』制覇を2人の目標にしてここまで頑張ってきました……」

 

ハッピーミーク「でも、同期の才羽Tの担当ウマ娘はクラシック三冠ウマ娘でシニア級になっても衰えがないし、飯守Tの担当ウマ娘には追い抜かれてしまいました……」

 

斎藤T「周りの成長に自分たちが取り残されていると痛感したわけだね?」

 

ハッピーミーク「……はい」

 

 

斎藤T「なら、模擬レースをやろうか、三冠ウマ娘と」

 

 

ハッピーミーク「え?」

 

ナリタブライアン「……来てやったぞ、斎藤T」

 

斎藤T「ありがとうございます、副会長。いろいろとご多忙の中」

 

ナリタブライアン「いや、どうせエアグルーヴがいつものように完璧に仕事を済ませてくれるんだし、私もそろそろ勝負勘を取り戻そうと思ってな」

 

ナリタブライアン「だが、あんたは桐生院Tのチームのサブトレーナーに過ぎない――――――」

 

ナリタブライアン「それなのに、三冠ウマ娘を相手に勝手に模擬レースを組んで担当ウマ娘に自信喪失させるような真似をして、何を考えている?」

 

 

斎藤T「え、勝てるつもりなんですか?」

 

 

ハッピーミーク「え!?」

 

ナリタブライアン「――――――!」

 

ナリタブライアン「言っていることの意味がわかっているのか、新人? 古バだと思って随分となめた真似をするものだな……」

 

斎藤T「大丈夫ですよ、こちらには秘策があるので」

 

ナリタブライアン「なに?」

 

ハッピーミーク「え」

 

斎藤T「じゃあ、アップと休憩を済ませ次第、レース開始と行きましょうか。もちろん、芝・3000mで」

 

ナリタブライアン「いいだろう。覚悟しておけ」

 

ナリタブライアン「ハッピーミークもそのつもりで、かかってこい!」

 

ハッピーミーク「……はい」

 

ハッピーミーク「あ、あの……、斎藤T……?」

 

斎藤T「大丈夫。さっき一人で走った時みたいにやってくれれば、絶対に勝てる」

 

ハッピーミーク「ほ、本当ですか?」

 

斎藤T「本当だとも」

 

斎藤T「今日の芝・3000mは走ってみてどうでした?」

 

ハッピーミーク「一昨日の台風が横切った時に荒れた芝がまだ回復しきっていない感じでしたが……」

 

斎藤T「それだけじゃない。翌日からもたくさんのウマ娘が練習で走って、今日もたくさんのウマ娘が練習していましたよ」

 

斎藤T「いや~、こうして毎日の練習で頻繁に芝が剥げていくからトラックバイアスのない理想的な芝で走れないせいで安定したデータがとれないもんですね」

 

斎藤T「まあ、そうなると、そこからはいかに自分のベストコンディションを引き出せるかにかかってくるわけなんですが――――――」

 

斎藤T「秘策はこうですよ」

 

ハッピーミーク「?」

 

 

斎藤T「――――――」ゴニョゴニョ

 

ハッピーミーク「――――――?」

 

ハッピーミーク「!!」

 

ハッピーミーク「……わかりました。やってみます」グッ

 

 

ナリタブライアン「…………やつめ、いったい何を考えている?」

 

ナリタブライアン「あの時の礼として『ハッピーミークとの模擬レースにつきあう』――――――、それのどこが礼になるんだ? 逆に担当ウマ娘を潰すだけだろうに」

 

ナリタブライアン「ミホノブルボンならまだしも、ハッピーミークはクラシックで勝利すらしていないんだぞ」

 

ナリタブライアン「また私は誰かに『絶望』を――――――」

 

ナリタブライアン「………………」

 

 

ナリタブライアン『な、何だ これは? 涙? なんで私は泣いて……? 指先も震えて……?』

 

 

ナリタブライアン「――――――っ!」ゾクッ

 

ナリタブライアン「……くっ! いつまであの時のことを引き摺っているんだ! 私らしくない!」

 

ナリタブライアン「私は()()()()()()()()()()()()なんだぞ……」

 

 

そして、一昨日の台風で大いに荒れた芝・3000mの勝負はハッピーミークが三冠ウマ娘にハナ差で逆転勝利を収めたのであった――――――。

 

かつての三冠ウマ娘:ナリタブライアンが久々に誰かとレースするのを聞きつけて集まっていた観衆には驚愕の結果となった。

 

しかし、練習とは言え 三冠ウマ娘を下したと言うのに、ハッピーミークもそれを迎える悪評高い新人トレーナーも淡々とした様子であった。

 

まるで事務的な対応で練習に付き合ってくれたことに形ばかりの感謝の言葉を投げつけられ、

 

競走相手として呼んだはずのナリタブライアンなんて最初からいないかのように自己ベスト更新を簡単に称えるだけに収めていたのだ。

 

三冠ウマ娘の自分に勝ったのだから もっと こう喜ぶとか自慢するとか いろいろあるだろうに――――――。

 

台風の影響でバ場が荒れて内枠を避けたところをそこからハッピーミークが追い上げてきたことでハナ差で逆転されたわけなのだが、実力は誰がどう見ても完全に“怪物”ナリタブライアンの方が上だった。

 

それなのに、こうなることが見えていたかのように、あるいは計算通りの当然の結果だから さして喜ぶことでもない風の態度がナリタブライアンの心を掻き乱していた。

 

まさに『眼中にない』振舞いを前にして、かつての自分が他のウマ娘に対してそうだったことを思い出していたナリタブライアンは意を決して口を開いたのだった。

 

 

ナリタブライアン「あんたが言っていた『秘策』っていうのは何だったんだ? 教えてくれないか?」

 

ナリタブライアン「なあ、頼む……。それを聞かない限りはあんたを帰すつもりはない……」

 

斎藤T「じゃあ、お答えしましょう」

 

 

――――――勝てるぞ。今のナリタブライアンは心が定まっていない。ハッピーミークは自分のイメージした通りに走れば必ず勝てる。

 

 

ナリタブライアン「え……」

 

斎藤T「まあ、桐生院Tが育て上げたハッピーミークがいかなる状況でも安定して走ることができることを彼女自身に証明させるのが目的だったんですけどね」

 

斎藤T「そして、このとおり ハッピーミークは荒れたバ場で自身のイメージ通りの完璧な練習走りを披露してくれました」

 

斎藤T「これで新人トレーナーを勝たせたハッピーミークとそれを育て上げた桐生院Tがすごいという事実を学園の連中に再認識してもらえたことでしょう」

 

斎藤T「だから、練習相手は本当は誰でもよかったんですよ」

 

斎藤T「そこにたまたま、()()()()()()()()として私があれからずっと気にかけていた副会長がいたわけで」

 

斎藤T「でも、実力で言えば完全に副会長が上でしたので、台風の影響で荒れたバ場になった日を選ばせてもらいました」

 

斎藤T「つまり、実質的にはハンデキャップ競走だったので、副会長は今回の負けを気にする必要はないですよ。ただの肩慣らしの練習なんですし」

 

斎藤T「貸し借りはさっさとなくした方が互いに気が楽ですしね」

 

ナリタブライアン「……あんたはそこまでのことを考えて私を練習相手に選んだっていうのか」

 

 

ナリタブライアン「……大したやつだよ、あんたは。姉貴が注目していた理由がよくわかる」

 

 

ナリタブライアン「当然か。担当ウマ娘のことを一番に考えている桐生院Tがあんたのことを側に置いて こうしてその担当ウマ娘を任せているんだ――――――」

 

ナリタブライアン「……完全に足元を掬われたな。こんな調子じゃ『URAファイナルズ』で姉貴に失望されるな」

 

ナリタブライアン「目が覚めた。感謝する。慢心を戒めてもらった。あんたのような人を名伯楽っていうのかもしれないな」

 

ナリタブライアン「ハッピーミークにもきっちりリベンジさせてもらうからな。楽しみに待っていろ」

 

ハッピーミーク「はい。今度は負けません。目標は『URAファイナルズ』制覇です」

 

斎藤T「………………」

 

 

 

――――――その日の深夜:事件現場

 

 

斎藤T「ここで私は怪人:ウマ女に蹴りを置いて退治したわけだったな……」

 

斎藤T「A地点からA'地点までの間にビワハヤヒデ、ナリタブライアン、怪人:ウマ女、飯守Tがいたはずなのに、次の瞬間には――――――」

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「…………この試作品のプラズマジェットブレードでなんとかなればいいが」スッ ――――――腰に佩いた誘導棒を手に取る。

 

斎藤T「逆手持ちにも順手持ちにも対応できるようにトリガーはグリップと同じ大きさ」ブンブン! ――――――逆手持ちや順手持ちに切り替えての素振り。

 

斎藤T「連続使用時間は5秒――――――。ボタン電池による誘導棒の機能時間の方が長いか」ポチッ ――――――赤く点滅する誘導棒。

 

斎藤T「――――――胴体を切り捨てる必要はない。か細い蹄の脚さえ切り捨てることができれば取り押さえられる」ダン! ――――――怪人:ウマ女の脚を切り捨てる鋭い踏み込み。

 

斎藤T「とにかく、怪人:ウマ女――――――WUMAの存在の解明のために、なんとしてでも生け捕りにしなくては」ブンブン!

 

斎藤T「擬態対象と入れ替わって人間社会に紛れ込み、裏から侵略していく――――――まさに“世界的な未確認侵略生物”というわけだな」

 

斎藤T「やつらが地球外生命体なのは明らかだ。この星の進化と歴史には存在しない馬面に加えて、ウマ娘が本能的に天敵と感じる異常性――――――」

 

斎藤T「そこから何か擬態を見破るヒントが見つけられたらいいな……」

 

斎藤T「けれど、それはウマ娘の本能を利用する生体レーダーになるのか。探索者(シーカー)にかなり無茶を強いることになるな……」

 

斎藤T「いや、こういう場合は“HOW DONE IT?(どうやったのか?)”じゃなくて、“WHY DONE IT?(なぜやったのか?)”でもなく、“WHO DONE IT?(誰がやったのか?)”だ」

 

斎藤T「やつらがどういう条件で擬態する対象を選んでいるかの傾向を見極めないと何も始まらない。何も始まらないんだ――――――」

 

 

ブーンブーンブーン!

 

 

斎藤T「――――――!」パシッ

 

斎藤T「またお前か!? さすがに三度もコーカサスオオカブトを手掴みすることになったら偶然とは言わないだろう!?」

 

斎藤T「まさか、お前も擬態しているのか!? WUMAは人型以外の昆虫でさえも化けることができるのか!?」 ――――――手にはコーカサスオオカブトが握られる。

 

 

 

――――――部活棟に向かうんだ。そこで“きみの運命”と出会える。

 

 

 

斎藤T「なに!? それはいったいどういうことだ――――――」

 

斎藤T「き、消えた――――――?!」スゥ・・・ ――――――掴んだコーカサスオオカブトが消えてなくなった。

 

斎藤T「嘘だろう!? たしかにコーカサスをこの手に握った感触があったのに――――――」

 

斎藤T「――――――『部活棟』?」

 

斎藤T「この時代のデジタル・セキュリティを突破するだなんて朝飯前だが、深夜に不法侵入とはな!」

 

 

トレセン学園の生徒は基本的には『トゥインクル・シリーズ』に出走するために在籍し、そのトレーニングを専らの課外活動にしているが、

 

トレセン学園は中高一貫校としても部活が用意されていて、その分野においても全国大会で数々の実績を残している強豪校としても知られている。

 

なにせ、総生徒数2000名もいる中高一貫校なのだ。様々なアプローチで『トゥインクル・シリーズ』の激戦を勝ち抜こうとするので人材の宝庫なのは間違いない。

 

そして、全員がまず『トゥインクル・シリーズ』のレースに出走できる保証はない。他にもライバル校は存在するのだから。

 

場合によっては担当トレーナーが見つからないまま――――――、あるいは引退した後に生徒が進学する際の内申点として部活が利用されていることもある。

 

実際、ウイニングライブの創作や勝負服のデザインを目的するウイニングライブ部や『名家』同士の交流を深めるための社交部など、ウマ娘レースにの文化に密着したものがあれば、

 

美術部や演劇部、化学部や物理部、吹奏楽部やなどの学術・芸術系の部活も設立されており、こうして立派な部活棟が建てられているぐらいには部活は軽視されていないことがわかる。

 

さすがに競走バのエリート校なので普通の運動部は存在しない。レースで発揮する筋肉がちがうのもあるが、やはり統計的に見て接触系競技でのウマ娘の故障率が著しいのもあるのだろう。

 

これがはたしてWUMAに繋がるという確証はないが、そうじゃないかという確信に突き動かされて、私は校門破りをして学園内の防犯システムを潜り抜けて部活棟に辿り着いていた。

 

まったく、生徒会長や理事会にクビにならないように取り計らってもらったというのに、これでは言い訳ができないぞ。

 

しかし、他に手掛かりがない以上、2度の偶然に居合わせたコーカサスオオカブトに賭けてみたい気持ちになっていた。

 

あのコーカサスオオカブトが怪人:ウマ女を引き寄せているのではなく、怪人:ウマ女の出現に合わせてコーカサスオオカブトが現れているのだと信じて。

 

窓から防犯対策の一環として廊下の明かりが節電されながら点いているのが確認できる。それは校舎も同じことで、監視カメラも各所に設置されている。

 

よって、私は部活棟の監視室の監視カメラをハッキングして中の様子を見ると、化学部の部室:化学実験室が未だに使用中となっていることがわかった。

 

監視カメラは残念ながらプライバシー保護のために部室には設置されていない――――――、その代わりに部室の扉の前がアップになるカメラ記録で入室記録としていた。

 

この世界の顔認証システムではウマ娘は背後からでも毛並みや耳で判別できるらしく、証明写真には頭頂部の写真を提示するところもあった。

 

これは頭頂部に耳がないヒトとの区別のために絶対に必要なものであり、ヒトがウマ耳をつけてウマ娘に変装するのを見破るためにも必要な措置だと聞いている。

 

たしかに、学生寮で使われている顔認証システムを調べてみたら、ウマ耳があるか それが本物かどうかで最初にヒトかウマ娘かを判別してヒトが生徒寮に入れないように弾く仕組みとなっていた。

 

しかし、ここは国民的スポーツ・エンターテイメントである『トゥインクル・シリーズ』に出走するために全国各地から腕利きたちがこぞって入学してくるスポーツ特待生の学び舎なのだ。

 

いくら中高一貫校としての一般的なカリキュラムが用意されているからと言っても、ウマ娘レースに関わり深いウイニングライブ部や社交部ならまだ理解できる――――――。

 

が、体育会系とは正反対の学術系のインドア派の部活に打ち込む暇があったら少しでもトレーニングをするように学園から言われると思うのだが。

 

その辺りは、日本の中高一貫校として そのようにカリキュラムと環境を整備することを法律で定められているから、その部活を選ぶのは生徒の自由として認められてはいるが、

 

正直に言って、『URAファイナルズ』がいよいよ開催となって年の瀬に日本中が熱狂に包まれようとしている時期に化学実験室に閉じこもっているやつの気が知れない。

 

さて、生徒会のデータベースにアクセスして化学部に在籍している生徒の情報を探り出す。

 

もしかしたら、外部の人間が侵入しているのかもしれないが、化学実験室に好き好んで居るようなやつなんて実験大好きの変人に決まっている。

 

なんて羨ましい――――――! こっちは人生の目標である波動エンジン搭載の宇宙船を開発するために遠大な計画を遂行して、いきなりWUMAなんて障害にぶちあたっているというのに!

 

なるほど、トレセン学園には2000名弱も生徒がいるわけなんだから 意外とこうした学術系の部活に所属している生徒が全体の5%もいると言われると少なくないように感じる。

 

特に、電算部には部員がかなりいる――――――。ビワハヤヒデの名前もあり、部長の名前はエアシャカール――――――。

 

何々? どうやらスーパーコンピュータを導入してフレーム単位のカメラ解析などを駆使して“勝利の方程式”を導き出すことが目的といったところか?

 

なら、この機に電算部から高性能カメラ機器をちょっとばかり拝借したいところだが――――――、

 

これ以上はまずい。電算部のデータベースにアクセスしようとしたら逆探知されかけた。

 

部長のエアシャカールというのはトレセン学園の生徒にしては腕の立つハッカーのようだ。憶えておこう。

 

さてさて、化学部の部員はたった1名――――――。部長の名前はアグネスタキオン――――――。

 

 

ナリタブライアン『おい、お前。この辺にアグネスタキオンが来なかったか?』

 

 

ああ、あの時のウマ娘か。イメージ通りだな、まさしく。

 

けど、あれがコーカサスオオカブトの予言でいう“運命”なのか? 

 

ウマ娘としてはどの程度の実力かは知らないが、この場合はむしろ好都合かもしれない。

 

化学実験室に引き篭もるやつに擬態したWUMAなら捕獲できる可能性が非常に高い。絶好の機会と言える。

 

 

斎藤T「よし。中にいるのは 十中八九 そのアグネスタキオンだろう」

 

斎藤T「しかしまあ、“タキオン”の名を冠した異世界の英雄の魂を宿したウマ娘ねぇ……」

 

斎藤T「それが化学実験室に閉じこもっているだけだなんて、波動エンジンの開発エンジニアである私からすれば今すぐに改名してやりたい気分だよ」

 

 

――――――お前なんてアグネス()()()()()()だよ。どんなに加速しても光速を超えることなんてない。

 

 



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第7話秘録 ふたりはアグネスタキオン GOD SPEED LOVE

-シークレットファイル 20XX/09/24- GAUMA SAIOH

 

この日、たしかに私は“運命”に出会うことができた――――――。

 

結論から言うと、怪人:ウマ女の確保に成功し、WUMAの実態に迫る足掛かりを掴むことに成功した。

 

しかし、その代わりに支払った代償はあまりにも重かった。

 

 

――――――現状、WUMAについてはっきりとわかった点は以下の通りである。

 

 

・襲った人間の一切の記憶や人格、性癖、服装などを完全にコピーして擬態する能力を持つ。

 

・ただし、その擬態精度が完璧すぎることが仇となり、自身がWUMAであったという事実さえも忘れて擬態対象そのものになって普通の人間の生活を送ってしまうことがある。

 

・一方、一見すると完璧に思える擬態であるが、感情が高ぶり 我を忘れた状態となると、WUMAの闘争本能が表層化して人間としての理性的な行動から外れ出す。

 

・なぜWUMAがヒトやウマ娘に擬態するのかについては『そういうもの(世界的な未確認侵略生物)だから』としか現状では言えない。

 

・WUMAが擬態対象を選定する基準は不明。また、WUMAがどこから出現しているのか、その目的についても不明である。

 

・ただし、やはり擬態対象を抹殺して入れ替わろうとする行動原理を持っているらしく、今回 確保することができた個体は擬態対象が九死に一生を得る偶然によって確保することができた。

 

・8月15日に最初に遭遇した怪人:ウマ女の姿で襲ってきた個体と それ以降に遭遇した個体はちがう行動目的であったと推測される。

 

 

以上の点から、入れ替わりものの定番である『最近 様子が変わった』という噂が多い人物は要注意(マーク)すべきだろう。つまり、私もその一人となるか――――――。

 

信頼を第一とする宇宙移民じゃなくても純然たる社会の脅威であるので、早急にその規模や性質を解明して駆逐していく必要性があるが、これからの研究の結果を待つしかない。

 

しかし、これが仮にWUMAがそういった社会的寄生生物として純然たる進化と歴史を歩んだ地球外生命体であるならば 見つけ次第 駆除していけばいいのだろう。途方も無いが。

 

問題はWUMAが本当に社会的侵略生物としてヒトやウマ娘たちを支配しようとしていた場合であり、その司令塔(マザー)となるWUMAを叩かない限りは人類はやがて見えざる脅威に屈してしまうだろう。

 

逆に言えば、司令塔(マザー)の存在がいるのなら、その司令塔(マザー)を叩けばWUMAの統率を崩すことも可能というわけである。

 

これは23世紀の未来に実際に遭遇した地球外生命体が極めてヒトに近い存在であったので当て嵌まらないが、

 

この広い宇宙にはリドリー・スコットのSF映画に登場するような絶対悪とも言える脅威(エイリアン)が存在するのは確からしいので、宇宙移民にとっては常に想定してきた最悪の事態といえる。

 

まあ、23世紀の世界最高峰の頭脳を持つ波動エンジンの開発エンジニアがこうして21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球に到達したということを考えると、

 

私にとっては ウマ娘が生きるこの地球は私にとっての母なる地球に対する外世界――――――宇宙と見なせるので、あのキャッチコピーがいよいよ真実味を帯びてきたと言える。

 

 

In space no one can hear you scream.(宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない)

 

 

しかし、今回の擬態対象であるアグネスタキオンはとんでもないウマ娘であった。

 

レースのために走り込みに力を入れるのが常のトレセン学園の生徒でありながら、化学実験室に籠もりきりで実験ばかりしている奇人変人ぶりは想像を遥かに超えるものであった。

 

そう、擬態したWUMAの精神がそのままアグネスタキオンの精神に乗っ取られてしまい――――――。

 

そして、私は―――――― (ここから先はいろいろ書こうとして結局文書化できなかったようである)

 

 


 

 

ゴクゴク・・・ゴクン!

 

斎藤T「うおおはあああああああああああああ!?」ウゲエエエエ!  ――――――口の中に猛烈な苦味が走る!

 

斎藤T「ゴホゴホ・・・」ハアハア・・・ ――――――あまりの味覚に頭を激しく動かしてしまう!

 

斎藤T「うぇええ?」ガチャガチャ BIND! ――――――両腕と両足が椅子に固定されていたのに気づいた!

 

アグネスタキオン「おや、おはよう、モルモットくん。ようやくお目覚めかい?」

 

斎藤T「――――――アグネスタキオン」ハアハア・・・

 

斎藤T「うっ、その手に持っている試験管はいったい何だ!? いや、何を飲ませた!?」ハアハア・・・

 

アグネスタキオン「ああ、これかい?」

 

アグネスタキオン「悦びたまえ! これできみの筋力は何倍にも増強され、どんな怪物をも凌駕する最高の肉体を手に入れることだろう!」クククッ

 

斎藤T「ドーピングの人体実験だと!? 国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台の裏でお前はいったい何をやっているんだ!?」ガチャガチャ BIND!

 

斎藤T「こんなことをしてただですむと思っているのか!」ジロッ

 

アグネスタキオン「ああ、きみが実験を望んだから きみはここにいる!」

 

アグネスタキオン「深夜の学園に忍び込んで私のラボに不法侵入したんだ」

 

アグネスタキオン「それはつまり、自ら志願してモルモットになったと言うこと!」

 

アグネスタキオン「いやはや、嬉しいよ。わざわざ危険を犯してまで深夜に私のラボに訪れてくれたんだ。相応のおもてなしをしてあげないとねぇ?」

 

斎藤T「くっ! 実験大好きの頭のおかしいウマ娘だと想定していたが、ここまで倫理観が破綻しているとなると、お前の正体は――――――!」

 

 

アグネスタキオン’「おやおや、私に黙って実験を始めたのかい、()? ダメじゃないか、抜け駆けだなんて」

 

 

アグネスタキオン「ああ、すまない、()。きみがグズグズしていたから、モルモットくんが起きそうになってねぇ、つい」

 

斎藤T「あ、アグネスタキオンが2人――――――!?」

 

斎藤T「じゃあ、どちらかが偽物――――――」

 

アグネスタキオン’「おいおい、『()が2人いること』や『どちらかが偽物』だなんて些細な問題じゃないか」

 

アグネスタキオン「ああ。実に些細なことを気にするね、きみは」

 

斎藤T「いやいや! おかしいだろう!」

 

斎藤T「いいか! 8月末に起きた飯守Tに化けたファンが生徒寮に不法侵入した事件があっただろう! 実はあれは――――――」

 

 

アグネスタキオン’「ああ。警察関係者の間で通称“WUMA”と呼ばれているバケモノの仕業だったという話だろう? そして、きみがそれを退治したという」

 

 

斎藤T「!!」

 

アグネスタキオン「驚いた顔をしているね。まあ、私もさして興味があった話題じゃなかったんだが、ビワハヤヒデがきみについて面白い分析をしていてね」

 

斎藤T「まさか――――――」

 

アグネスタキオン「名前こそ伏せてはいたが、『きみがWUMAを倒す際にワープしたんじゃないか』という検証について私に意見を求めてきたことがあってだね」

 

 

アグネスタキオン’「それで私はきみの身体のことについて興味を抱いて、いずれはじっくりと調べたいと思って機会がくるのを待っていたんだ」

 

 

アグネスタキオン’「それがまさか、きみの方からやってくるだなんて、感激だよ!」

 

斎藤T「待て! どっちかのお前がもうひとりのお前のことを殺そうとしていただろう!」

 

斎藤T「私が部屋に入ってきた時には血塗れになって倒れていて――――――」

 

アグネスタキオン「ああ、あれか――――――」

 

アグネスタキオン’「たしかに、私は()のことを始末しようと思っていたんだが――――――」

 

アグネスタキオン「私としたことが、新薬を試したら効能が強すぎて その瞬間に意識が飛んでしまってね。それで手にしたフラスコごと台から滑り落ちて、真っ赤になったというだけさ」

 

斎藤T「え」

 

アグネスタキオン’「私もいよいよ実験で()が死んでしまったと思い込んで、死体の片付けをしようとしていたところで、ちょうどよくきみが来たというわけさ」

 

 

アグネスタキオン「そう、私と()が求めてやまないモルモットくんが自分からラボに来てくれた!」

 

 

アグネスタキオン’「そう気づいた瞬間には、私はきみのことを押し倒して きみのために用意していた吸入麻酔薬を嗅がせていたんだ」

 

アグネスタキオン’「しかしまあ、私も馬鹿なことをしそうになったものだ」

 

アグネスタキオン「ああ、まったくだよ、()

 

アグネスタキオン「人生において時間は限られていて、どれだけ『()()()()()()()()()()()()()()』と願ったことか……」

 

アグネスタキオン’「それがこういった形で叶ったんだから、私が()を殺そうとするだなんて実に馬鹿げた話だろう?」

 

アグネスタキオン「今日は人生で最良の日かもしれない」クククッ

 

アグネスタキオン「()()()()()()()()()()()()()()()の両方を手に入れることができたのだからね!」

 

 

アッハッハッハッハ!

 

 

斎藤T「く、狂ってる……」

 

アグネスタキオン「限界を超え、ウマ娘に秘められた可能性を導くには、弛まぬ努力と研究――――――」

 

アグネスタキオン’「――――――実験が必要なのだよ!」

 

斎藤T「馬鹿なことを……。『沈黙の日曜日』でウマ娘の限界は世に知れ渡っただろうに……!」

 

斎藤T「トウカイテイオーやメジロマックイーン――――――、それだけじゃない! トレセン学園から去っていった多くの者たちの悲劇から何も学ばなかったのか!」

 

 

アグネスタキオン「学んでいたからこそ、私は()()()()()()()()のだよ、モルモットくん?」

 

 

斎藤T「?」

 

アグネスタキオン「こう見えても私は『名家』アグネス家の一員でね」

 

アグネスタキオン「先にデビューして成績を残したマンハッタンカフェよりも脚が速くて、デビュー前から三冠ウマ娘も確実と言われていたぐらいさ」

 

アグネスタキオン’「しかし! きみが言うようにトウカイテイオーをはじめとする才能あるウマ娘たちは自らの才能によって選手生命を絶たれることが後を絶たなかった!」

 

アグネスタキオン’「そうなると、私もいずれは自分の才能によって殺されるのが目に見えていたから、待つことにしたのだよ」

 

斎藤T「…………理屈はわかる。ダメになったら担当を替えればいいトレーナーとはちがって、ウマ娘にとっては今しかない人生に一度きりのチャンスだからな」

 

アグネスタキオン’「ほう、話がわかるな、きみは。それだけで頭脳面でも非常に優秀なのがわかるぞ。よしよし」

 

斎藤T「だが、そのためにドーピングによる人体実験だと!?」

 

斎藤T「それで早死しようが『一瞬の栄光を掴めれば それでいい』という考えなのかは知らないが、根本的な解決になっていないだろう!」

 

 

アグネスタキオン「言っただろう? ――――――『待つことを選んだ』と」

 

 

斎藤T「なに?」

 

アグネスタキオン「そう、急激な身体の変化に耐えられるほどヒトもウマ娘も頑丈ではない」

 

アグネスタキオン「そして、無数の夢の屍たちが示してきたように、己の限界を超えた先に待つのは酷使によってボロボロになった夢の跡だけさ」

 

アグネスタキオン「だから、私は少しずつ少しずつ肉体改造を施して時間を掛けて身体を慣らしていくことにしたのさ」

 

アグネスタキオン’「言うなれば、今までの最高速度を安全マージン内に収める改造と言ってもいい」

 

アグネスタキオン’「限界が引き上がって これまでの最高速度が安全マージンに入れば、いくらでも私は走り抜けることができるというわけだからね!」

 

斎藤T「……考え方自体は間違ってはいないが、薬による強化で遺伝子汚染が進んだら『名家』としての()()()を果たせないんじゃないのか? 奇形児が生まれるぞ!」

 

アグネスタキオン’「そうなるのも覚悟の上さ。私の他にもアグネス家のウマ娘はいることだしね」

 

アグネスタキオン「それでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()と思うのは人間の性というものではないのかね?」

 

斎藤T「……否定はしない。私もその口の人間だから」

 

アグネスタキオン「ほう?」

 

斎藤T「だが、この雄大な天地神明の中では不自然な存在は淘汰されるのが摂理だ」

 

斎藤T「人間の営みもまた自然――――――」

 

斎藤T「今のお前のように周囲から頭がおかしいと思われるぐらいに人間の営みから逸脱した振舞いをしている時点で、お前に勝利の女神は微笑むことはない」

 

 

――――――お前なんてアグネス()()()()()()だよ。どんなに加速しても光速を超えることなんてない。

 

 

アグネスタキオン「…………ふぅン。こんな夜中に不法侵入をやるような人間の言うことじゃないね」

 

斎藤T「だが、私が死んだ瞬間には信頼できる人間の許に座標情報が行き渡るようになっているから、痛くもない腹を探られるのは困るだろう?」

 

アグネスタキオン’「おお 怖い怖い。せっかく得たモルモットなのだから、粗末に扱うつもりなんてないさ。そこは安心してくれ」

 

アグネスタキオン’「実際、自分で効能を確かめてから他人に振舞うぐらいの常識は弁えているさ」

 

斎藤T「じゃあ、『どんな怪物をも凌駕する最高の肉体を手にする』ってのは――――――?」

 

斎藤T「……そうか、『()()そうなる』とはまったく言っていなかったな」ニヤリ

 

アグネスタキオン’「おやおや? 実は期待していたのかな? きみも隅に置けないねぇ?」

 

斎藤T「当たり前だろう? どっちかはまだわからないが、お前のようなヒトより強いウマ娘が本能的に恐怖を覚えるバケモノを倒せる力が欲しい! お前は自分で自分の首を絞めているんだぞ?」

 

 

アグネスタキオン「なら、『私たちの利害は一致している』ということだな」クククッ

 

 

アグネスタキオン「まず、きみは今回の不法侵入の件、私は()()()()()()()について互いに口外しないことにしよう」

 

アグネスタキオン「そして、きみは私のモルモットになり、実験に協力してもらおう」

 

アグネスタキオン「その代わり、私も()()()()()()()についても研究をして WUMAに関する情報を提供しようじゃないか」

 

斎藤T「いいだろう。だが、いつまでも実験室に閉じこもりでいられると思うな。来年にデビューしないのなら退学なんだからな」

 

アグネスタキオン’「わかっているさ。これが私にとっても最後のチャンスであることぐらいはね」

 

アグネスタキオン’「まあ、そうなったら そうなったで、アグネス家できみの身柄を貰い受けて――――――、」

 

アグネスタキオン’「いっそ海外に拠点に移してもいいな! イギリス、フランス、アメリカ、ドバイ――――――、それはそれで新たなが可能性が拡がりそうだ!」

 

斎藤T「……なるほどな」

 

アグネスタキオン「うん? どうしたかね、モルモットくん?」

 

 

斎藤T「………………嫌になるぐらい()()()()()()()()()()だと不覚にも思ってしまっただけだ」

 

 

斎藤T「技術畑の人間として共感してしまった」

 

斎藤T「技術者なんてものはこれぐらいの熱意と勢いがないと本物じゃないからな。ここに来て久しく忘れていたよ」

 

アグネスタキオン「そうかそうか。それはいいことだ」

 

アグネスタキオン’「アッハッハッハ。いいぞ、今日は最高の日だ!」

 

斎藤T「だがなッ!」パキーン! ――――――腕の拘束具を力尽くで外す!

 

アグネスタキオン「お、おおお!」グイッ

 

アグネスタキオン’「早速 効果が――――――」グイッ

 

斎藤T「なら、誓え!」ギラッ ――――――ふたりのアグネスタキオンの胸ぐらを掴んで言い聞かせる。

 

 

――――――人間としてのお前の夢を決して裏切らないこと!

 

 

――――――人間であることを決してあきらめないこと!

 

 

――――――人間を超えた力だけでは何の価値もないことを認めること!

 

 

斎藤T「どっちが怪人:ウマ女が化けているか今の私には見抜けないが、同時に人間としての在り方を平然と踏み外しそうな頭のおかしいウマ娘にも言っている!」

 

斎藤T「人間として生きるんだったら、正体がWUMAだろうが 人格破綻者だろうが 全て個性として尊重するから、人様には絶対に迷惑を掛けるな! いいな!?」

 

アグネスタキオン「わかったわかった。そう怖い顔をしないでおくれよ」

 

アグネスタキオン’「そうだとも。私もきみという貴重な成人男性の被験体を失いたくないんだ。信じて欲しい」

 

 

アグネスタキオン’「それでどうだい? 生まれ変わった感想は?」

 

 

斎藤T「最高だよ! 振り上げた腕の筋肉細胞が何か別の細胞に置き換わったみたいに筋肉痛がひどいんだけど!」ズキズキ・・・

 

アグネスタキオン「まあ、そうだろうね。初期段階として瞬発力を強化するものとなっているからね」

 

アグネスタキオン’「いわゆる火事場の馬鹿力を任意で発揮すると同時に任意で筋肉発達を行うという趣旨のものだからね。月日を重ねていけば絶大な効果が得られるだろうさ」

 

斎藤T「それって つまり、『新陳代謝を任意で活性化させている』ということか?」

 

アグネスタキオン「ああ。その分に見合った栄養補給も必要となってくるがね」

 

アグネスタキオン’「そして、休息に掛ける時間もだ」

 

斎藤T「だから、激しい運動は避けて実験室に閉じこもりでいるわけか」

 

斎藤T「そして、同時に基礎トレーニングに掛ける時間も実験室で済ませられるように最小限にして効率よく」

 

アグネスタキオン「やはり、きみはただの新人トレーナーではないな」クククッ

 

アグネスタキオン’「普通のトレーナーならば その有用性を理解することなく 無駄の多すぎるスケジュールを押し付けてくるのにな」クククッ

 

アグネスタキオン「歓迎するよ、新人トレーナーくん」

 

アグネスタキオン’「きみも()()()()()()()だったというわけだ。一緒に仲良くやっていこうじゃないか」

 

斎藤T「……くそっ! もう どうにでもなれ!」

 

 

――――――私は23世紀の人類最高峰の頭脳を持つ波動エンジンの開発エンジニアだったからこそ、こうして世界と己を天秤に掛けて悪魔と取引してしまうのだった。

 

 



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経過報告  緑色の皮膚で牙が剥き出しの生き物

世界と己を天秤に掛けて悪魔と取引をしてしまった私はあれから未出走バ:アグネスタキオン(アグネスターディオン)のモルモットになっていた。

 

一応、自分で新薬を治験してから他人に投薬を迫っているという話なのだが、絶対にそんなのは嘘だ。

 

早速、薬品βを飲まされて大腿部がしばらく青白く発光することになり、嫌われ者であるはずの“斎藤 展望”に対して憐憫の眼差しがちらほら向けられることになった。

 

いや、先輩の桐生院Tやハッピーミークが一目見て事情を把握したぐらいにはアグネスタキオン(アグネスターディオン)の奇人変人ぶりは学園中に知れ渡っていたらしく、

 

アンタッチャブル・タキオン(触れるべからずのタキオン)”と“斎藤 展望”の厄介者同士の悪夢のコラボということで『絶対に関わりたくない』という鋼の意志を周囲から感じられた。

 

つまり、嬉しいことに悪い意味で似た者同士に思われたらしく、『本人に聞こえるように露骨に陰口を叩く連中がいなくなる』という虫除けの効果を発揮することになった。

 

しかし、『これはこれで、もしもWUMAが“斎藤 展望”に擬態した時の判別に使えるかもしれない』と思ってしまう辺り、私も相当なイカレなのを自覚してしまう。

 

 

ヒトとウマ娘の遺伝子はチンパンジー以上に近いことが判明しており、だからこそ アグネスタキオン(アグネスターディオン)はヒトにも使えるウマ娘用の肉体改造強壮剤を治験しようとしていた。

 

つまり、これを応用して『怪人:ウマ女の外面は完璧な擬態が内側の遺伝子情報までも擬態させることができるか』を比較実験することができれば、

 

WUMAが擬態していると思しき相手にWUMAが反応しないヒトとウマ娘に無害な薬を噴射して判別するなどの具体的な対策を講じることができる。

 

そして、『擬態対象を抹殺して入れ替わる』という行動原理を持つWUMAの一個体が擬態した直後に、自分の実験で擬態対象が死んだと誤認したばかりに、

 

擬態対象の破綻しきった人格に呑まれて、自身がWUMAであることを自覚しながら、擬態対象のウマ娘の脚に秘められた可能性を追究する渇望に染められることになったのだ。

 

よって、“アグネス家の最高傑作”と称されるウマ娘:アグネスタキオン(アグネスターディオン)は一夜にしてヒトとWUMAの被検体を同時に得ることができたのである。

 

これは世界のためにWUMAと戦う私にとっても朗報でもあるのだが、必要なこととは言え、自分自身が被検体にならざるを得ないことに運命の皮肉を覚えた。

 

 

一方で、定期的に投薬を受けることになったアグネスタキオン(アグネスターディオン)本人も服用している肉体改造強壮剤による肉体発達のコントロールは凄まじいものがあった。

 

まだウマ娘の全力と比べると大したことはないが、“斎藤 展望”の元々の素質と能力に噛み合っているのか、重量物を軽々と持ち上げて運ぶことができるようになってしまったのだ。

 

しかし、任意で発動できるようになった馬鹿力の反動も凄まじく、それに見合った栄養補給と休養を取らないと筋肉痛のあまりに使った筋肉が動かせなくなるのだ。

 

これはたしかにアグネスタキオン(アグネスターディオン)が一見すると怠け者になるのも当然の話で、

 

こうしてデスクワークやトレーニングの指導をしている最中にできる火事場の馬鹿力を使った最小限の筋肉トレーニングで簡単に鍛えられてしまう。

 

もちろん、筋肉が回復しきる前に無茶をすれば簡単に身体が砕けるため、慎重に慎重を重ねて細心の注意を払って肉体改造を積み重ねていくわけなのだが、

 

皇宮警察の両親から受け継いた素質と元々の本人の能力がいいのか、“斎藤 展望”の肉体改造はかなり順調に進んでいっていた。

 

これで怪人:ウマ女と対峙した時に多少なりは力競べに持ち込んで戦いらしい戦いができる土俵に立てたかもしれない。

 

 

アグネスタキオン「タキオンとは『超光速の粒子』を意味するものだが、私が目指す果ては、更にその先にあるのさ」

 

斎藤T「現実にリニアモーターカーにも勝てないウマ娘が『超光速の粒子』を超えようだなんて言い切る辺り、」

 

斎藤T「やはり、数字とデータしか信じない論理主義者とは正反対のロマンチスト。私と同じロマンに生きる技術者かぁ……」

 

斎藤T「でも、今やっている肉体改造強壮剤なんてドーピングにしか見えないだろう? ありがたく使わせてもらってはいるが……」

 

アグネスタキオン「ああ、ドーピングほど白ける行為はない」

 

アグネスタキオン「私が求めるのは永続的な速さ――――――。薬は可能性を探るものに過ぎないさ」

 

斎藤T「そうだな。タキオンとは『常に光速よりも速く移動する粒子』だ。それに対して物質界に存在する全ては『質量を持つ全ての粒子』――――――ターディオンでしかない」

 

斎藤T「ターディオンがどれだけ加速しようが亜光速にしかならないのだから、ドーピングによって引き出された限界以上の速さなんてものは所詮は紛い物だ」

 

 

斎藤T「その辺りの分別がついているのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()() ()()()()()()()()()()()?」

 

 

斎藤T「お前、脚の強化だけじゃなかったのか!? どういうことだ、これは!? 吸血鬼映画のメイクじゃないんだぞ!」ガオオオ!

 

斎藤T「あ、唇を噛みました……」ジーン

 

アグネスタキオン「いや~、まさか こんなことになるとは私も思わなかったよ……」

 

斎藤T「おい、こら! 『自分で治験してから他人に試している』って言っただろうが!?」

 

アグネスタキオン「まあまあ、それ以外に副作用があるわけでもないし、別にいいじゃないか。貴重なデータを感謝するよ」

 

斎藤T「こ、この……、親の顔がぜひとも見たいよ……」

 

アグネスタキオン「ああ、私の家族は基本的には放任主義でね。おかげで子供の頃から研究に没頭できたよ」

 

斎藤T「なにぃいいい!? ということはアグネス家は学者肌の名家だってのか!?」

 

アグネスタキオン「まあね。それと 実の家族というわけじゃないが、同部屋のアグネスデジタルもアグネス家の一員だと一目でわかるはずさ」

 

斎藤T「………………ハイリスク・ハイリターンだなぁ、アグネス家に取り入って宇宙船を創るのも」

 

 

アグネスタキオン’「やあ、モルモットくん――――――、こ、これは想像以上の結果だなぁ……」クククッ

 

 

斎藤T「お前も飲め! 飲んで牙を剥き出しにして口裂け女のようにマスクをして隅っこで震えていろ!」クワッ

 

アグネスタキオン’「いや、ちゃんと私も試してはいるんだよ?」

 

アグネスタキオン’「しかし、私も()も効果が確認されなかったのだから、この場合はヒトにだけ副作用が働き、ウマ娘に擬態したWUMAには効果が薄いと言えるだろう」

 

アグネスタキオン「何にせよ、実験サンプルが少なすぎて、これだと『きみの方が異常』だと誤った結論を導き出しそうで私も困っているんだ」クククッ

 

アグネスタキオン’「さあ、きみも食べたまえ。人前で見られるのはまずいだろう、その()()()()()()なんてものは」

 

斎藤T「他人事だと思って…………」ムシャムシャ・・・

 

アグネスタキオン「いやはや、『()()()()()()()がいる』というのは実に便利で最高だよ!」パクパク・・・

 

アグネスタキオン「こうして私の代わりに私が望むものを買い出しに行ってくれるし、周りからのお小言も聞かなくて済むのだからね!」ドヤァ!

 

アグネスタキオン’「次は()に行ってもらうからな。で、外は相変わらずだったよ、()」ゴクゴク・・・

 

アグネスタキオン’「けど、こうして充実した実験データが得られているのだから、今までと比べて毎日の気分は上々だよ。感謝しているよ、モルモットくん」クククッ

 

斎藤T「はいはい……。そっちはとっととWUMA発見器を開発して、人類の自由と平和のために貢献してくれ」

 

斎藤T「……くそっ! これ、歯を削った方がいいかな? 元に戻るのか、剥き出しの牙なんて?」ムシャムシャ

 

アグネスタキオン’「だったら、まかせたまえ。きみのために用意していた吸入麻酔薬もあることだし、きみが気持ちよく眠っている間に人前に出られる歯並びにしてあげよう」

 

アグネスタキオン「それはいい。これほどまでに犬歯が発達したというのはなかなかないことだから、ぜひとも貴重なサンプルとして採取することにしよう」

 

斎藤T「だったら、素人がやるんじゃなくて かかりつけの歯医者を手配してくれよ、頼むから……」

 

 

――――――こんなんじゃ今の私の方がバケモノだ! とてもじゃないが、今の状態を斎藤 展望の最愛の妹:ヒノオマシには見せるわけにはいかない!

 

 

そして、ウマ娘:アグネスタキオン(アグネスターディオン)()()()()()()()()となった怪人:ウマ女の存在を歓迎し、今まで以上に実験に没頭することになった。

 

私は先輩のチームの一員として普段は担当ウマ娘:ハッピーミークの指導をし、定期的な投薬と経過観察のために化学部に頻繁に足を運ぶようになったのだが、

 

同時にあの実験室に籠もりきりの“アンタッチャブル・タキオン”が今まで以上に頻繁に学内に出没するようにもなったことも()()()()()()()()()()()“斎藤 展望”と結び付けられていた。

 

しかし、そうした虫除け効果によって、“斎藤 展望”の周りには良き友人たちが集まるようにもなっていた。

 

 

ハッピーミーク「おつかれさまでした、斎藤T」

 

桐生院T「また明日もよろしくお願いしますね」

 

斎藤T「はい」 ――――――マスク装着

 

桐生院T「あ、そうでした。この後、お時間はありますか?」

 

斎藤T「どうしました?」

 

桐生院T「いえ、この前 ミークがナリタブライアンとの模擬レースで勝ったじゃないですか。その時のお礼をしていないと思いまして」

 

斎藤T「あれはこれまで培ってきたハッピーミークの実力とそこまで鍛え上げた先輩の功績です。私は確実に勝てる相手と条件を選んでハンデキャップ競走を仕掛けたに過ぎません」

 

桐生院T「それでも、模擬レースとは言え、ミークが三冠バに勝ったことが学園中で広まったことで、私自身が一番に驚いたんですよ?」

 

桐生院T「担当トレーナーの私自身がミークの勝利に勇気づけられました」

 

桐生院T「だから、どうしてもお礼がしたくて……」

 

斎藤T「……それは贈り物ですか? それとも、お食事ですか?」

 

桐生院T「あ、お食事です」

 

斎藤T「すみません。今、薬の副作用で発達した牙が剥き出しなので人前で口元を見せたくはないんですよ」

 

桐生院T「あ、すみません……」

 

斎藤T「お気持ちはありがたく受け取ります」

 

斎藤T「あ、そうだ。才羽Tを誘ってみてはどうですか?」

 

桐生院T「え!?」ドキッ

 

斎藤T「ちょっとまっててください。才羽Tに連絡しますから」prrr...

 

桐生院T「あ、あわわわ……」ドキドキ・・・

 

ハッピーミーク「…………ファイト」フフッ

 

 

 

飯守T「そっか。桐生院Tが自信回復のお礼に誘ってくれたけど、今はそんな歯だから――――――」

 

飯守T「いやいや! 全身発光しているから! 何 光っていることが当たり前みたいになっているんだよ!?」

 

斎藤T「あ、たしかに……。無害だから気にもしなくなってたけど……」

 

飯守T「お前、トレセン学園じゃあ毎月のように噂になっているから、これでまたお前の伝説が刻まれることになるんだな……」

 

斎藤T「こちらとしてはトレセン学園のトレーナーになってからも真面目一筋で通しているんですけどねぇ……」

 

斎藤T「お、そろそろ湯豆腐ができあがるかな? それじゃあ、はい」スッ

 

飯守T「お、サンキューな」

 

飯守T「おお、美味い! さすがは才羽Tがよこしてくれた出汁と豆腐だ!」ハフハフ・・・

 

斎藤T「本当だ! いいな、これ!」ハフハフ・・・

 

斎藤T「でも、よかったんですか、ライスシャワーに食べさせなくて?」

 

飯守T「ああ、いいんだ。今日はブルボンと一緒にお出かけしているから」

 

斎藤T「仲が良くて何よりです」

 

 

ゴールドシップ「そうだぜ、仲が良いってのは善き哉 善き哉。へい、あんちゃん、豆腐 おかわり。いやー、こいつは絶品ですなぁ」ハフハフ・・・

 

 

斎藤T「…………誰だ、こいつ?」ジロッ

 

ゴールドシップ「おいおい、そんな薄情なことを言わんといてくれよ、大将!」バンバン!

 

ゴールドシップ「このアタシのことを忘れちまったとは言わせねえぜ?」キリッ

 

飯守T「ああ、ゴールドシップか。まったくお前はいつも自分中心だな……」ヤレヤレ

 

斎藤T「……担当トレーナーとつるんで行動していないってことは古バですか? ここはトレーナー寮なんですけど?」

 

ゴールドシップ「や~ん! 女の子に対して年齢を訊くのは失礼よ!」ウフッ

 

斎藤T「…………何だ、こいつ?」イラッ

 

ゴールドシップ「まあまあ、気にしなさんなって。アタシと一緒に同じ釜の飯を食った仲じゃないかよ」シレッ

 

ゴールドシップ「あ? あの時は流しそうめんだったか? まあ いっか」ケロッ

 

飯守T「えらく気に入られてんな、斎藤T?」

 

斎藤T「言葉を交わしたのはこれで二度目なんですが……」

 

ゴールドシップ「大丈夫だ。考えるな、感じるんだ」

 

斎藤T「…………まあ いいけど」

 

斎藤T「ほら、どうぞ」

 

ゴールドシップ「おお! 太っ腹! さすがだぜ!」

 

斎藤T「どうせ、何を言ったって聞きやしないんでしょう? そういう手合との付き合いは慣れてますから」

 

ゴールドシップ「へへ、それがゴルシちゃんの魅力ってやつだからな!」

 

ゴールドシップ「けど、本当にいたんだな、“緑色の皮膚で牙が剥き出しの生き物”って……」ジー

 

 

ゴールドシップ「へえ、()()()()()()()()()()()()()()ってのはそういうことだったんだな……」ボソッ

 

 

斎藤T「ん?」

 

飯守T「ふぅー! 食った食ったー! 最高の湯豆腐だったぜぇ!」

 

ゴールドシップ「えへへ、今日も美味しいものをいただけたことに神に感謝 感謝ぁ……」ウットリ・・・

 

斎藤T「ええ、素晴らしき出汁と豆腐をくださった才羽Tにも改めて感謝を」

 

ゴールドシップ「なあ、アンタ、名前は何て言ったっけか?」

 

飯守T「おいおい、ある意味において学園で今一番の有名人の名前も知らないで湯豆腐を食べてたのかよ、お前は……」

 

斎藤T「――――――“斎藤 展望(さいとう のぶもち)”だ」

 

ゴールドシップ「ふーん」スッ

 

斎藤T「?」

 

ゴールドシップ「えい」プニッ

 

斎藤T「うあっ?」 ――――――ゴールドシップにほっぺたをぷにぷにされる!

 

ゴールドシップ「ホントだ。()()()()してますぜ、こいつはよぉ。ついでに()()()()してやらぁ」

 

斎藤T「????」

 

飯守T「お前、何やってんだよ?」

 

ゴールドシップ「だってよ、“もっちー”なんだぜ? アタシは“大福”なのに。あ、マックイーンは“饅頭”なんだけどな。これ、豆知識な」

 

飯守T「言っている意味がさっぱりわかんないけど、お前が斎藤Tのことが大のお気に入りだってのはわかった」

 

斎藤T「で、結局 誰なんですか、この人は?」

 

ゴールドシップ「そりゃあ、お前、ゴールドシップ様はゴールドシップ様なんだぜ? それ以上でもそれ以下でもない。こんなの 常識だぜ」

 

斎藤T「高等部なんですよね?」

 

飯守T「ああ、少なくとも2年前に俺たちがトレセン学園のトレーナーになる前からいたから、それは間違いないぜ」

 

飯守T「そう言えば、ゴールドシップもマックイーンと仲が良かったから――――――、もう間もなくの『天皇賞(秋)』に間に合うといいな……」

 

斎藤T「そうですね。それかまたは『URAファイナルズ』でメジロ家の令嬢としての意地を――――――」

 

斎藤T「…………?」

 

 

斎藤T「――――――何だ、今の違和感は?」

 

 

ゴールドシップ「それじゃあ、大福 食おうぜ。アタシはイチゴ大福な」ドン!  ――――――山盛りのフルーツ大福!

 

飯守T「お、悪いな。それじゃあ、お言葉に甘えて――――――あ、ライスの分ももらってもいいかな?」

 

ゴールドシップ「いいぜ。あ、マックイーンだったらメロン大福が好きそうだな」

 

ゴールドシップ「ほら、喰えよ、もっちーも。あ、これって共食いじゃね?」

 

斎藤T「あ、ああ……」

 

斎藤T「でも、悪い意味で有名人の私なんかと一緒にいたら、あなたの評判が悪くなるのでは?」

 

斎藤T「そう言えば、誰が担当トレーナーだったんです?」

 

ゴールドシップ「――――――アタシの担当トレーナーか? それはアタシの心の中さ」キリッ

 

斎藤T「ああ、そうですか――――――」

 

飯守T「あんまり真面目に考えない方がいいぜ。ただでさえ、タキオンなんていう厄介なやつに目をつけられているんだしさ」

 

飯守T「困ったら俺が力になるから、また一緒に晩飯にしようぜ」

 

斎藤T「あ、ありがとうございます――――――」

 

斎藤T「……え?」

 

 

――――――何だ、この感覚? ()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()みたいな感じは?

 

 

ゴールドシップ「そんじゃ、ごっそさん! またごちそうになってやるから、ちゃんと準備しておけー!」

 

ゴールドシップ「以上、ゴルシちゃんの突撃生中継でした!」タッタッタッタッタ!

 

飯守T「……それじゃあ、今日は誘ってくれて ありがとな、斎藤T」

 

斎藤T「いえ、本当は桐生院Tとお食事する予定でしたけど、今こんな見た目なので代わりに才羽Tに行かせてしまったわけでして……」

 

斎藤T「本当は才羽Tが食べようと思って用意していた出汁と豆腐を譲り受ける形になってしまいました……」

 

斎藤T「本当に才羽Tに感謝しかありません……」

 

飯守T「そうだな。今日はライスもブルボンと仲良くお出かけで一人だったから、俺としてもちょうどよかったよ」

 

飯守T「まあ、何にせよ、お前は俺やライスだけじゃなくトレセン学園のみんなの命の恩人なんだ。それを知る人間が限られていたとしても」

 

飯守T「だから、本当に危なくなったら、両親に頭を下げてでもお前のことを守るから、あんまりひとりで抱え込まないでくれよ、後輩」

 

斎藤T「はい、先輩」

 

 

 

斎藤T「……今月の『天皇賞(秋)』、来月の『ジャパンカップ』、師走の『有馬記念』か」

 

斎藤T「そして、『有馬記念』のすぐ後に年の瀬の『URAファイナルズ』が開催される――――――」

 

斎藤T「さて、先輩の担当ウマ娘:ハッピーミークを勝たせるのが今の私の役目」

 

斎藤T「それと同時並行して、地球の平和を守り、人類の未来を切り拓かなくちゃいけないな」

 

斎藤T「いいぞ、この追い詰められた感じ。波動エンジンの開発に心血を注いで昼も夜もない日々を思い出す――――――」

 

 

――――――ここからがトレセン学園の熱い冬の始まりだ!

 

 



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◆序章:前半 登場人物一覧 ✓

■ 桐生院チーム ……所属:ハッピーミーク(3年目:シニア級)

代々優秀なトレーナーを輩出してきた『名門』桐生院 葵のチーム。

当初はハッピーミークという素質あるウマ娘と名門トレーナーの組み合わせによるスタートダッシュが著しかったが、

徐々に桐生院Tとハッピーミークの間にあるズレが生じて、最終的には同期である2人のトレーナーに追い抜かされる格好となってしまった。

それでも、名門トレーナーとしての手腕は確かなものがあり、数多くのレースで勝利を重ねていけるだけの実力はあるが、人気はいまいち振るわず。

 

そんな折にサブトレーナーとしてチームに迎えたのが本作の主人公:斎藤 展望であり、

『名門』としての重圧にまた屈しそうになってしまっている桐生院Tを支えながら、

模擬レースで 古バとは言え “三冠ウマ娘”ナリタブライアンにハナ差でハッピーミークを勝たせていることから大きく立ち直っていくことになる。

 

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:斎藤 展望(さいとう のぶもち)

年齢:20代前半

所属:トレセン学園トレーナー 1年目

血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

 

誕生日:06月30日

身長:185cm 

体重:3ヶ月間の意識不明の重体によって減量気味

体格:ガタイが良い

 

好きなもの:唯一の肉親である妹

嫌いなもの:妹を苦しめるありとあらゆるもの全て

得意なこと:妹のためになること全て

苦手なこと:妹のためにならないこと全て

 

この物語の主人公であるが、トレセン学園のトレーナーになって早々に不慮の事故で当人は死んだも同然となり、

たまたま別の人間の霊魂が乗り移って肉体を動かしているので、プロフィールとなる前歴がまったく意味を成さない状態となっている。

また、本作に登場する 世界的な未確認侵略生物“WUMA”とは正反対の存在とも言える状態であるが、広い意味で同じ地球外生命体と言える存在である。

わかりやすく言うと、下記の嘘が本当になったものである。

 

「聞こえるか、隊長さん! 俺は宇宙人だ! ショウ・ザマの身体を借りている宇宙人だ!」

 

「聞こえるか! 俺はカシオペア座の第28惑星系の人間だ! あの人たちはまったく関係ない! 聞こえているか!?」

 

そのため、意識不明の重体から復活した後は完全に別人であり、別人のように周りに思われてしまう辺りは本質的にWUMAとまったく変わらない。

本人としては太陽系に最も近い恒星:プロキシマ・ケンタウリの惑星に辿り着いたのと同じ感覚で新惑星での日々を送っている。

実際、23世紀の未来人から見た 何かがちがう21世紀の過去の地球なんて時代遅れな異世界でしかなく、頼れる人もいないので全力で“斎藤 展望の人生”に乗っかることにしている。

 

内心では自身を人類最高峰の頭脳を持つ世紀の天才;波動エンジンの開発エンジニアと憚らないが、

それに負けず劣らずの皇宮警察のエリートの才能と血筋を受け継ぐ“斎藤 展望”の記憶を継承できなかったにも関わらず、

記憶喪失で誤魔化していることもあるが、妹:ヒノオマシや古い付き合いの藤原さんから受け容れられるほどの“斎藤 展望らしさ”が備わっているらしい。

また、自身が天才であることは客観的な事実ということもあり、それに奢ることもなく、非常に高度で柔軟な対応と誠心誠意の使い分けをすることができ、

宇宙開拓時代を迎えた23世紀の平和と繁栄の中で育まれた人生観と倫理観はそのまま21世紀でも通用している。

どちらかと言うと、波動エンジンの開発エンジニアであることよりも宇宙移民船のクルーであることにアイデンティティを置いているからこその責任感と連帯意識の高さなのだろう。

 

そうした経歴と実績から、妹と金のためにトレセン学園のトレーナーになった“斎藤 展望”の悪名高さで 日本人にしてはでかい図体で余計に目立つこともあって 周囲からは白眼視されてはいるものの、

復活後に直に接してみた人間からの評判はよく、トレセン学園でも理解者が 徐々にだが 増えつつある。

もっとも、その悪名高さを決定付けることになったのはトレセン学園の裏側にある『名家』と『名門』の対立の煽りを受けたものであり、彼自身が天皇家に親しい家柄なのも響いていた。

 

このように本作は原作『ウマ娘プリティーダービー』の本編では語られることのない広い世界を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が冒険するのがテーマとなっている。

同時に、自身の計画である『宇宙船を創って星の海を渡る』ためのリソース確保に動きながら、

宇宙移民にとってもそうだが 既存の人間社会の大敵であるWUMAを撲滅するための果てしない戦いに身を投じることになる。

 

 


 

 

■ 才羽チーム ……所属:ミホノブルボン(3年目:シニア級)

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:才羽 来斗(さいば らいと)

年齢:20代前半

所属:トレセン学園トレーナー 3年目

血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

 

誕生日:04月11日

身長:174cm 

体重:トレセン学園のトレーナーとしてはそれなりの筋肉量

体格:普通の日本男子に見せかけて細マッチョ

 

好きなもの:天の道を行き 総てを司る男、太陽のような笑顔

嫌いなもの:子供の願いを踏み躙る未来の現実、曇った表情と泣き顔

得意なこと:不断の努力、失敗なんてない人生

苦手なこと:間違っていることに頷くこと

 

桐生院Tと同期の驚異の天才トレーナー。原作における育成モードの主人公に当たる存在。

無名の新人トレーナーでありながら適性が【短距離】(スプリンター)だったミホノブルボンを“クラシック三冠ウマ娘”に導いた正真正銘の天才。

ミホノブルボンが“お父さん”のような存在だと感じるほどの包容力と意志力があり、傍から見るとイケメンパパに見える甘いマスクの持ち主でもある。

また、優男に見えて『間違っていることに頷くこと』は決してしない剛直さ;裏返すと頑固な一面があり、それによって他者との衝突も辞さない苛烈なところもある。

 

基本的には担当ウマ娘の意志を尊重した接し方をしているが、その在り方が天衣無縫で、桐生院Tがライバルとして憧れの念を抱くほどである。

また、無敗ではなかったものの、『失敗なんてない人生』として敗北さえも糧にして ここ一番で絶対に勝つという勝負勘にも優れており、とにかく太陽のように前向きに生きる在り方を志向している。

 

2期後輩の意識不明の重体から復活した斎藤Tとは担当ウマ娘との付き合い方に関しての意見を交わしており、互いに感じ入るものもあって良き友人関係となっている。

ちなみに、言うまでもなく その在り方は()()()()()()()()()()()に憧れてのものであり、

あらゆることを卒なくこなす天才ぶりを発揮し、特に競走バのための健康スイーツを創作するパティシエとしても名が通っている。

ウマ娘のトレーナーになったのは同じ国民的ヒーロー業とも言える『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘たちを身近に応援するためである。

つまり、テレビ番組という晴れ舞台ではなく、現実世界における太陽の光が差さない場所に強い関心を持って目を向けていた――――――。

 

 

■ 飯守チーム ……所属:ライスシャワー(3年目:シニア級)

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:飯守 祐希(いいもり ゆうき)

年齢:20代前半

所属:トレセン学園トレーナー 3年目

血統:父親(ヒト) -警視総監 / 母親(ヒト) -学閥令嬢

 

誕生日:07月25日

身長:173cm 

体重:トレセン学園のトレーナーとしては結構な筋肉量

体格:甲子園球児だったのでガッチリしている

 

好きなもの:努力・熱血・友情

嫌いなもの:親の七光り、冷たい人間関係

得意なこと:直球勝負

苦手なこと:搦め手

 

桐生院Tのもうひとりの同期となる熱血トレーナー。原作における育成モードの主人公に成り損ねた存在。

本来は新人トレーナーらしく、先輩トレーナーのチームで経験を積んでから自分自身の担当ウマ娘を探そうとしていたが、

同期に桐生院Tと才羽Tという対照的な2人の注目株がいたことで、先輩トレーナーとの方針が合わなくなってチームを追い出されることになる。

そこから桐生院Tと才羽Tという優秀な同期と自分自身を比較しながら試行錯誤と自己研鑽を重ねていく中で、『選抜戦』から逃げ出してしまうライスシャワーと運命的な出会いを果たすことになる。

 

生まれは正真正銘のエリートで熱血甲子園球児だったのだが、家庭不和から父親に反発して まったく別の道を歩んでいったら、なぜかウマ娘のトレーナーになってしまっていた。

どうやら、親の七光りと言われないように できるだけ自分の実力が試せる場所を選んだら、そうなっていたらしい。

そのため、ウマ娘のトレーナーとしてはまったくのコネも実績もない無名の新人であったが、

気弱なライスシャワーとは相性が抜群であり、同期の桐生院Tや才羽Tと比べると遅咲きであったが、徐々に同期2人の担当ウマ娘との間にある実力差を埋めていくことになった。

『菊花賞』のミホノブルボンや『天皇賞(春)』のメジロマックイーンとは接戦の末に敗れて惜しくもG1勝利を逃すものの、

最終的には『宝塚記念』で桐生院Tのハッピーミークやメジロマックイーンを下してG1勝利を果たし、数多くのファンから祝福されることとなった。

担当トレーナーが元甲子園球児ということで元から知名度も高く、警視総監と学閥令嬢のご子息であったことも人気の高さに繋がっていたのだが、そのことを本人は知らない。

しかし、元甲子園球児とスターウマ娘の国民的スポーツ選手(ヒーロー)のコラボレーションの宣伝効果は高く、トレセン学園でもトップクラスの知名度とファンを獲得するに至る。

方向性は違えども、こういうところが才羽Tと共通しているわけである。

 

なお、『菊花賞』のミホノブルボン、『天皇賞(春)』のメジロマックイーンとはプライベートでも仲がよく、担当トレーナー同士でも関係は良好となっている。

そのため、『天皇賞(春)』で敗れた後に『宝塚記念』でリベンジした相手であるメジロマックイーンに対しては繋靭帯炎の発症した際に心を痛めることになる。

なお、このメジロマックイーンはミホノブルボンの担当:才羽Tの健康スイーツの大ファンであり、野球ファンということで甲子園球児だった飯守Tのサインをねだるなどトレーナーとも繋がりが深い。

 

2期後輩の意識不明の重体から復活した斎藤Tとは8月末の学生寮侵入事件での重要参考人という繋がりで知り合うことになり、

『警察官の息子である』という共通点をきっかけに意気投合することになり、互いにバラを贈呈し合うこととなる。

また、数少ない怪人:ウマ女の目撃者として あまり頼りたくはない警視総監である父親のコネから情報を引き出そうとしてくれている良き協力者になっている。

 

 


 

 

■日本ウマ娘トレーニングセンター学園

 

●学園理事長:秋川やよい

 

●理事長秘書:駿川 たづな

 

 

●“皇帝”シンボリルドルフ

 

●“女帝”エアグルーヴ

 

●“怪物”ナリタブライアン

 

 

●“帝王”トウカイテイオー

 

●“名優”メジロマックイーン

 

●“万能”ビワハヤヒデ

 

 

 

●“黄金の不沈艦”ゴールドシップ

 

 

 

●“超光速の粒子”アグネスタキオン & “世界的な未確認侵略生物”アグネスタキオン’

 

 

 


 

 

■斎藤 展望の関係者

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:斎藤・ヒノオマシ・陽那(さいとう ひのおまし ひな)

年齢:10代前半

所属:中等部 1年目

血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

 

誕生日:12月30日

身長:168cm 

体重:両親を失って無茶をやって故障して以来ずっと塞ぎ込んで食が細かった

体格:同年代の競走バと比べると逞しい警察バの血統

 

好きなもの:唯一の肉親である兄上

嫌いなもの:兄上を苦しめるありとあらゆるもの全て

得意なこと:兄上のためになること全て

苦手なこと:兄上のためにならないこと全て

 

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:藤原 秀郷

年齢:50代前半

所属:警視庁警備部災害対策課

血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

 

誕生日:03月07日

身長:175cm 

体重:災害が起きる度に不規則な生活で磨り減るが、すぐにリバウンドする

体格:現場に出ることが少なくなったせいで弛んできた

 

好きなもの:家族(斎藤家の忘れ形見もその範疇)

嫌いなもの:家族を脅かすもの

得意なこと:面倒見の良さ

苦手なこと:家族サービス

 

 



 

 

※本編開始前に激戦を繰り広げていた名トレーナー&スターウマ娘

 

■ 神城チーム ……所属:キングヘイロー

 

■ 風宮チーム ……所属:セイウンスカイ

 

■ 織田チーム ……所属:エルコンドルパサー

 

■ 大和チーム ……所属:グラスワンダー

 

■ 柳生チーム ……所属:スペシャルウィーク

 

 




基本的に『ウマ娘プリティーダービー』では日本の中高一貫校と設定されているトレセン学園の中等部・高等部に所属を分けられてウマ娘たちの年齢が設定されているのだが、
学年に関わらずデビューして1年目:ジュニア級、2年目:クラシック級、3年目以降:シニア級となるウマ娘レースの階級制度を踏まえて、
育成モード以外での学園の中心たる生徒会メンバーの戦績を基準にレース結果を組み立てていくと、『アニメ版』では相当に無茶な構成になってしまう。
“クラシック三冠バ”自体は世代最強の称号なので学年に関係なくデビューする時期を調整すれば問題ないが、
生徒会長:シンボリルドルフの7冠最強伝説やテイエムオペラオーの年間無敗伝説のことを考えると、シニア級での戦績の再現なんてまったくできない。
『アニメ第2期』のメジロマックイーンのシニア級『天皇賞(春)』三連覇の話も真面目に考えると、少なくともデビューして5年目ということになってしまう。

――――――中高一貫校にいつまで在籍しているんですか、生徒会メンバーは!? ダブリですか!?

そりゃあ、初期の実装キャラだけ見ても、旧きはマルゼンスキー(1976-1977)から新しきはゴールドシップ(2011-2016)までの競走馬を中高一貫校の6年間に詰め込んだら、
40年以上に渡る歴史の重みで時系列がオーバーフローするのも当然というわけで、ゲーム本編のメインストーリーもオグリキャップ引退から始まるのも頷ける話である。
そうでなかったら、サザエさん時空ということで処理するしかなくなる(実際に『アニメ版』はそうなっている)。

そのため、物語を創作する上では“生徒会とその関係者”を中心にすると構成しやすく、その他の世代はいないものとして出演キャラを絞らざるを得なくなってしまう。
そういう意味では、アニメ第1期主人公:スペシャルウィークとその世代のウマ娘はキャラ人気も考えると割りを食いやすい。
いやいや、キャラは十分に立っているし、正統派スポ根青春ドラマを演出する絡みも最強世代の面々でガッツリ見せてはいるんだけど、
ミホノブルボン、ライスシャワー、ナイスネイチャと言ったそれ以上のキャラパワーを持つ人気キャラがアニメ第2期主人公:トウカイテイオーの世代に集中しているのも大きいし、
キャラクター同士の掛け合いの輪;横の繋がりを見ても、多数のウマ娘が実装されているメジロ家が強すぎる……。

実際にこの界隈を見渡して欲しい。サイレンススズカのヤンデレはあっても、スペシャルウィークのヤンデレは見ないでしょう? つまり、そういうこと。

なので、サービス開始されて間もないので気が早すぎるかもしれないが、
『第2部』と称して生徒会が世代交代した後の新体制を描いて登場するウマ娘たちを刷新することで、
今後 ゲーム本編で星1・星2のウマ娘を大量に実装しやすくなるかもしれない。
要は、『第1部(現在)』の中等部キャラが高等部キャラに昇格するといった具合で生徒会も世代交代させ、
なぜかしれっとゴールドシップは引き続きトレセン学園に在籍し続けている――――――、というような感じでいいのではないだろうか。
となると、現在の中等部で誰が高等部で生徒会メンバーとして相応しいのかを考えると、
やっぱりトウカイテイオーやメジロマックイーンがいないとちがうような気がしてきてしまう。スペシャルウィークは………………。
なら、いっそのこと『ウマ娘プリティーダービー』の顔役である3人が生徒会長・副会長職に就けば収まりがいいのではないかと思うが、どうであろうか?



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第8話   三女神の祝福

-西暦20XX年10月15日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

いよいよ10月28日にG1レース『天皇賞(秋)』が開催されることになる。

 

私が桐生院Tのチームのサブトレーナーとして初めて参加する公式戦が『天皇賞(秋)』というのは皇宮警察の息子にとってはなかなかに気が利いた展開ではないだろうか。

 

一般的に競走バのウマ娘にとっては一生に一度しかないデビュー2年目:クラシック級こそが選手人生一番の華と言えるものなのだが、

 

デビュー3年目以降のシニア級もまた、歴戦の猛者たちが自身の選手生命と能力の衰えに抗いながら、熟練した技量と精神力で連覇を成し遂げる魔境でもあった。

 

というより、ヒトと極めて近い存在であるウマ娘にとってはシニア級こそが本番と言っても過言ではなく、

 

2年目のクラシック級は新人戦、更には1年目のジュニア級はその新人戦の切符を掴めるかどうかの入試でしかないとすら一部では言われている。

 

事実、トウカイテイオーのような才能あふれるウマ娘でも、“クラシック三冠バ”を目指して故障するようなウマ娘など所詮はその程度、シニア級にも辿り着けない未熟千万の愚か者と吐き捨てる者すらいるのだ。

 

つまり、一部では相対的に“クラシック三冠バ”に対する評価や価値が落ちているのが現状とも言える。時代遅れになりつつあるという声を私は感じている。

 

もちろん、そうなる理由は明白で『無事之名バ(ぶじ これ めいば)』の格言もあるように、

 

バ主(トレーナー)にとつては、少しぐらゐ素質の秀でてゐるといふことよりも、常に無事であつてくれることが望ましい――――――。

 

それは ここ最近の人権意識や安全意識、情報技術、平均寿命の向上によって、クラシック三冠バになる夢を追い求めて次々と悲劇に見舞われていくウマ娘たちを見てきた観衆たちの時代の声でもあった。

 

あるいは、ウマ娘の選手生命は私が知る四足歩行動物よりも長く、ヒトと同じ頭脳も併せ持っているのだから、自分の才能だけで生きているような走る以外に取り柄のないウマ娘に対する軽蔑もあった。

 

そう、21世紀から人類社会は高度情報社会の到来でグローバル化が進んで地球圏統一政府樹立の流れにあるわけなのだが、

 

かつては走ることが何よりも好きでヒトよりも闘争本能が強いとされるウマ娘でもグローバル社会の企業人として成功を収めていくに連れて、ウマ娘たちの中でも価値観の変容が起こりつつあった。

 

実際、23世紀の宇宙開拓時代では誰もが何らかのスペシャリストとなっており、複数の分野に精通していないと一流とは呼べないジェネラリストの時代になるのだ。

 

つまり、宇宙移民の私の目から見て長い人生の中で一番に将来性があると言えるトレセン学園の生徒は何を隠そう――――――(ここから先はいろいろ書こうとして結局文書化できなかったようである)

 

 

よって、“クラシック三冠バ”になれた程度で持て囃される時代は近い将来に終焉を迎えるのではないかとされる。

 

 

どう考えてもシニア級のウマ娘の方が“クラシック三冠バ”よりも平均的に強いとしか思えない。

 

むしろ、古バと呼ばれるようになる3年目以降:シニア級になってからも何年も出走できるだけの最適なコンディション管理ができる時代になったのだから、

 

近代ウマ娘レースが設立された当時のヒトの近代学校制度との摺合せで1年目:ジュニア級、2年目:クラシック級、3年目:シニア級と合わせ込んだままなのがまずかったように思う。

 

年齢を問わず『レースにデビューした時点からジュニア級とする』柔軟性は20世紀後半の世界的なウマ娘レースのルール統一で実装されたものの、

 

実際問題、中高一貫校であるトレセン学園においては高等部2年からのデビューはシニア級まで出走するなら確実に留年になってしまう学制の問題を孕んでいる。

 

その矛盾はトレセン学園という夢の舞台が熾烈な競争社会であるが故に高等部1年目でデビューできなければ自主退学するようなことが罷り通っていたから問題視されていなかったに過ぎない。

 

制度上はトレセン学園はれっきとした中高一貫校なので担当トレーナーを見つけることができずにそのまま普通に3年を過ごして卒業していくことも可能なのだが、

 

ここが国民的スポーツ・エンターテイメントの殿堂であるが故に、レースで活躍することを条件とした奨学金制度によって裕福ではない生徒たちの学費が賄われているので、

 

奨学金がもらえなくなることを悟った入学生:スポーツ特待生たちは 支払えない学費が主な理由となって どんどん自主退学していっているのが実態なのだ。

 

一応、その資金繰りで多くの生徒がトレセン学園に居られなくなる問題点も過去に取り沙汰されて、現在では多方面からの奨学金制度も充実してはいるものの、

 

それでもトレセン学園という夢の舞台まで来て活躍できないことがわかってバカ高い学費と奨学金のために長居することを選択する者なんているはずがない。

 

 

つまり、トレセン学園に在籍できただけでも凄いし、担当トレーナーと組んでデビューできただけでも光るものがあったと言えるし、そこから先のレースで活躍できるのはほんの一握り――――――。

 

 

この辺りもまた技術革新によってヒトやウマ娘の生活や意識がより良く進化しているのに対して旧態依然としていることが障害となっている一例となるだろう。

 

だが、そうなると『レースにデビューした時点からジュニア級とする』制度を最大限に利用して“待つことを選択できる”のは競走バとしては最大の強みと言っても過言ではないだろうか。

 

それができるのも彼女の出身が『名家』であることもそうだが、履歴書にトレセン学園で留年したことを記す覚悟で己の肉体と精神を最高の状態に持ち込める気概も必要不可欠である。

 

しかし、トレセン学園の生徒であることに絶対の価値を置かない これから先の長い人生を歩むなら なんてことはないはずだ。

 

そういう意味では、彼女は その人間性に問題があるにせよ 非常に将来が楽しみな無敵のウマ娘だと言える。これが『馬が合う』というやつなのかもしれない。

 

事実、彼女との協力関係があったからこそ、少しずつ互いが求める先に一歩ずつ近づいていっている充実した日々を送っており、

 

担当トレーナーでもないのに学園随一の奇人変人の彼女と誰よりも親しい仲になっていることを未だに最強と謳われている生徒会長:シンボリルドルフに期待の眼差しを向けられることになった。

 

 

相変わらず“斎藤 展望”に対する周囲の目は厳しいものの、かと言って“斎藤 展望”にあれこれ物申す勇気を持つ者はもうどこにもいない。

 

なぜなら、“斎藤 展望”という新人トレーナーは今年で3年目:シニア級として活躍しているハッピーミーク、ミホノブルボン、ライスシャワーの担当トレーナーとも親しく、

 

特に桐生院Tと一緒に指導しているハッピーミークを 模擬レースとは言え 三冠ウマ娘:ナリタブライアンに勝たせる実績すら打ち立てたのだ。

 

そして、“斎藤 展望”が皇宮警察騎バ隊のエリート夫婦の息子であることも どこからともなく一部では知れ渡ったみたいなので、

 

トレセン学園のトレーナー()()()()()()()からすれば、“アンタッチャブル・タキオン”と同じく 今や“斎藤 展望”という存在なのだ。

 

つまり、自分で言うのもなんだが“斎藤 展望”は家柄もいいし、『名門』桐生院家の後ろ盾を得ているように見えるし、なんなら『名家』アグネス家も背後にいる――――――。

 

なんでこうなったのかわからないぐらいに、トレセン学園において“斎藤 展望”は無敵の存在となっていたのである。

 

ウマ娘に撥ねられて7月に3ヶ月に及ぶ意識不明の重体から回復した直後のトレセン学園随一の嫌われ者ぶりが高じて“名前を呼んではいけないあの人”みたいになったのには笑うしかない。お辞儀をするのだ。

 

そして、手のひらを返したかのように大恩ある先輩:桐生院Tの再評価も行われて、今月28日に開催されるG1レース『天皇賞(秋)』への大きな期待を寄せられ、

 

先輩とハッピーミークの表情には今までになかった眼の輝きが灯るようになり、私も初めての公式戦が今から楽しみでしかたがなかった。

 

 


 

 

――――――ショッピングモール

 

陽那「兄上、次はあちらに行きましょう!」

 

斎藤T「お、あそこは何だ? ああ、ペットショップか! 行こう行こう!」

 

斎藤T「へえ、いいな! 可愛いじゃないか、これ! 何この赤い魚?」

 

陽那「金魚ですよ、兄上!」

 

斎藤T「あ、金魚! これが金魚! はあ――――――!」パア!

 

斎藤T「宇宙船に乗せるとしたら こういうのも悪くないな!」

 

斎藤T「いいな! この琉金ってやつ! ピンポンパールも可愛いな!」ドキドキ!

 

陽那「兄上ったら、もう! 子供みたいにはしゃいで!」フフッ

 

陽那「でも、意外でしたね。兄上は意外とこういうペットや園芸がお好きだったんですね」

 

斎藤T「そりゃあ、そうだろう。宇宙SFの映画を見てご覧よ。殺風景極まりない天然自然から隔離された空間にいたら人間ってのは頭がおかしくなるんだぞ」

 

斎藤T「だから、こういうペットや園芸植物を養っていける環境を宇宙移民船には実装しないといけないんだ」

 

斎藤T「そういう意味では、枯山水庭園や茶室なんかも宇宙移民船では人気の居住空間になっているぐらいなんだ」

 

斎藤T「風光明媚な観光名所に行きたくなる人間の心理を無視しちゃいけないぞ」

 

陽那「たしかに、そうですね。宇宙は宇宙一色ですから、すぐに飽きちゃいますよね」

 

斎藤T「ヤバイ! 可愛すぎる! こんなところにいたら私の精神は萌え殺されてしまう!」フォオオオオ!

 

陽那「……も、“MOE”ですか?」

 

斎藤T「絶対に私の宇宙船には水族館と植物園は入れておくぞ! そうしよう!」

 

陽那「はい、兄上!」

 

 

斎藤T「しかし、ヒノオマシも随分と元気になったな。見違えたよ」

 

陽那「そうですか、兄上? たしかに、父上と母上が亡くなって無茶をやってから ずっと塞ぎ込んでましたから……」

 

陽那「でも、今はそうじゃない。それもこれも 全部 兄上のおかげなんですよ」

 

斎藤T「まあ、互いに負い目となるものがなくなったからな。今はのびのびとやっていけるのが幸せってことか」

 

陽那「――――――『天皇賞(秋)』、楽しみですね」

 

陽那「兄上がサブトレーナーとして指導したハッピーミークさんの活躍が楽しみです」

 

斎藤T「そうだな。ハッピーミークの仕上がりは上々、先輩も今までの自信喪失から立ち直って一致団結しているから、いいところにいけそうだ」

 

陽那「じゃあ、ハッピーミークさんが勝ったらみんなでお祝いにしましょう!」

 

斎藤T「――――――『他人の褌で相撲を取る』みたいで気は乗らないけどね」

 

 

アグネスタキオン「おや、トレーナーくんじゃないか」

 

 

斎藤T「…………!」ピクッ

 

陽那「……誰ですか、あなたは?」ジロッ

 

アグネスタキオン「きみの方こそ誰かな? もしや、トレーナーくんのカノジョなのかい?」

 

陽那「…………か、『カノジョ』」ニヤー

 

斎藤T「あ、いいか、彼女は――――――」スッ

 

 

斎藤T「――――――」ゴニョゴニョ

 

陽那「――――――!」

 

 

陽那「……そ、そうなんですか?」

 

斎藤T「ああ、そうなんだ」

 

アグネスタキオン「さて、トレーナーくんが私のことをどう説明したのかは知らないけれど、そちらのウマ娘はいったい誰なんだい?」

 

陽那「は、はじめまして。斎藤 展望の妹:ヒノオマシ・陽那と申します。兄上がお世話になっています」

 

アグネスタキオン「――――――『妹』?」

 

アグネスタキオン「ああ、そういう関係だったのか。そうかそうか」クククッ

 

陽那「………………」ジロッ

 

アグネスタキオン「そう言われてみると、たしかに似ているかもしれないね、トレーナーくんに」

 

陽那「…………『似ている』」ニヤー

 

陽那「……そう言われると こそばゆいものがありますね」テレテレ

 

陽那「あの、それで()()()()()()さんはどうしたんですか?」

 

アグネスタキオン「――――――うん?」ピクッ

 

陽那「え」

 

アグネスタキオン「トレーナーくん、今 きみの妹が私の名前を間違えたんだが、それはなぜなんだい?」

 

陽那「え!?」

 

斎藤T「何度も言わせるな。リニアモーターカーにも勝てない分際で“タキオン”を自称するとは科学者の風上にも置けないな」

 

斎藤T「再三の出走要請にも従わず 学園にも反抗的な態度で 各方面で迷惑をかけているのに 退学処分が下りない温情に甘えきった尊大な態度に文句の1つつけて何が悪い?」

 

斎藤T「だから、お前なんて“アグネスターディオン”なのだ!」

 

 

陽那「――――――兄上!」

 

 

斎藤T「…………っ!」

 

陽那「ダメです! 謝ってください! 二人だけの間の悪口なら許せますが、公然と人の目の前で侮辱する行為は許せません! 特にウマ娘の名前を愚弄する行為は!」

 

斎藤T「なっ」

 

アグネスタキオン「……ほう」

 

陽那「……お願いです、兄上」

 

斎藤T「……うっ」

 

 

斎藤T「…………申し訳ありませんでした、アグネスタキオンさん。時と場所を弁えず 不快な思いをさせたことをお詫び申し上げます」

 

 

アグネスタキオン「別にかまわないさ、トレーナーくん。それ以上の罵詈雑言を叩かれながらトレセン学園の実験室に籠もっているのだしね」

 

アグネスタキオン「しかし、驚いたよ。まさか、他人からこうやって謝られる日が来るだなんてね」

 

陽那「……それとこれとでは別ですから」ジロッ

 

アグネスタキオン「うん、そういうところもトレーナーくんにそっくりだよ、きみ」

 

陽那「……そ、そうですかぁ?」テレテレ

 

アグネスタキオン「……これはこれは 実に愉快な兄妹だねぇ」クククッ

 

 

アグネスタキオン「……これは実にいい。皇宮護衛官の警察バの血統だなんて滅多にお目にかかれない代物じゃあないか。それも兄妹なら」ニヤリ

 

 

斎藤T「それで、あなたはここに何をしに?」

 

アグネスタキオン「あー、そうだった そうだった。トレーナーくんとまさかペットショップで出会うだなんて思わなくてね……」

 

アグネスタキオン「実は、生物の飼育が校則で禁止されていてだね」

 

陽那「そうなんですか?」

 

斎藤T「ああ。ウマ娘はヒトよりも繊細な生き物、その中でも特に競走バはそれが顕著だから、基本的には生物の飼育が禁止されているな。どんなアレルギーや病原体があるかわからないしな」

 

斎藤T「だから、宇宙移民船でも水族館や植物園は実装できても動物園はとりわけ実現が難しいものなんだ」

 

斎藤T「トレセン学園で飼うことはできないから、こうしてペットショップで売られているモルモットの鑑賞に来ているってところか?」

 

アグネスタキオン「そのとおりだよ、トレーナーくん」

 

斎藤T「それで、いいモルモットはいたか?」

 

 

アグネスタキオン「ああ、いたよ。これは買いだと思った()()()()()()()()がね」クククッ

 

 

斎藤T「そうか。それはよかった」

 

アグネスタキオン「ヒノオマシと言ったかね、きみは?」

 

陽那「あ、はい」

 

アグネスタキオン「さあ、私と連絡先を交換したまえ。何かと無茶をしがちなトレーナーくんに万が一のことがあった時に顔見知りからの連絡があったら心強いだろう?」

 

陽那「あ、はい。ぜひとも お願いします、タキオンさん」

 

アグネスタキオン「実に健気で献身的で可愛らしい妹君じゃないかい、トレーナーくん?」

 

斎藤T「…………否定はしない」

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

陽那「兄上、タキオンさん! 今度はこっちに行きましょう!」

 

アグネスタキオン「そう、慌てるなよ、ヒノオマシくん。まったく、可愛いやつだよ、ホントに」

 

斎藤T「……いつまでついてくるつもりなんですか、あなたは?」

 

アグネスタキオン「気にしないでくれたまえ。私も()()()()()()()にラボをまかせて余暇を楽しんでいるのだから」

 

斎藤T「いや、『あなたに目をつけられた人間はろくな目に遭わない』って評判――――――」

 

アグネスタキオン「――――――その割にきみは私のことを高く評価しているみたいじゃないか、トレーナーくん?」

 

斎藤T「……何のことやら?」

 

アグネスタキオン「警戒心の強いヒノオマシくんが私のことをすぐに身内だと心を許すようになったのは、最初にきみがそういった説明をしたからなのだろう?」

 

アグネスタキオン「でなければ、私がどれだけ熱心に薬を勧めても逃げてしまうカフェのようになってしまうからね。――――――『きみの言うことならなんでも従う』と言ったところか」

 

斎藤T「………………ホント、嫌になるな」ボソッ

 

アグネスタキオン「おや?」

 

陽那「――――――」ジー

 

斎藤T「どうした?」

 

陽那「あ、兄上……、あそこのドラッグストアにいる人、物凄く綺麗なウマ娘だと思いまして……」

 

斎藤T「――――――『思わず見惚れた』って?」

 

斎藤T「へえ、妹の眼から見て そう思えるウマ娘か――――――」

 

アグネスタキオン「おお! 彼女か!」

 

 

ビワハヤヒデ「うーん、精油の種類は豊富だが、肝心の植物油がな。美容効果よりも香り高さを重視していると見た――――――」ブツブツ・・・

 

 

アグネスタキオン「やあ、ハヤヒデくん!」

 

ビワハヤヒデ「――――――っ!」ビクッ

 

ビワハヤヒデ「その声はタキオン!? それに斎藤T!?」

 

ビワハヤヒデ「な、なぜここに――――――、いや、買い物に決まっているか。しかし、何たる偶然……」

 

アグネスタキオン「相変わらず、苦戦しているようだねぇ、ハヤヒデくん」

 

ビワハヤヒデ「ああ、あれからいろいろと手を尽くしてはいるが、一向に効果がなくてだね……」

 

ビワハヤヒデ「ところで、そちらの方は?」

 

陽那「はじめまして。斎藤 展望の妹:ヒノオマシ・陽那です」

 

ビワハヤヒデ「――――――『妹』! そうか、きみが斎藤Tの妹か!」

 

ビワハヤヒデ「こちらこそ はじめまして。ビワハヤヒデだ。斎藤Tには 妹共々 助けられてきてね」

 

ビワハヤヒデ「今度の『天皇賞(秋)』でのハッピーミークの走りに期待しているよ」

 

陽那「ありがとうございます!」

 

陽那「…………『妹共々 助けられた』?」ボソッ

 

ビワハヤヒデ「しかし、きみが斎藤Tの――――――」

 

ビワハヤヒデ「斎藤Tがあれだけ必死になっていた理由がよくわかったよ」

 

ビワハヤヒデ「たしかに、きみのような妹がいたら どれだけ自身の名誉や外聞を損なおうとも 妹のために命を張っていこうという気にもなるな」

 

陽那「そ、そんなことは……」テレテレ

 

ビワハヤヒデ「それに何だ、この肌に髪質は!? しっかりと化粧もして香りも調えていて完璧じゃないか!?」

 

陽那「い、言わないでください、そのことは!」アセアセ

 

斎藤T「え、そうだったのか?」

 

ビワハヤヒデ「――――――何!? 何をやっているんだ、斎藤T!」

 

ビワハヤヒデ「せっかくの家族水入らずの一日にトレセン学園のトレーナーの身内として恥ずかしくないように身形に気合を入れてきているのだぞ!」

 

斎藤T「お、おお……」

 

アグネスタキオン「…………ほほう、これはこれは」クククッ

 

 

その後、フードコートで4人で和気藹々と談笑することになった。妹:ヒノオマシがいなかったら、ここまで話が盛り上がることはなかっただろう。

 

正直に言うと、私は23世紀の波動エンジンの開発エンジニア;世紀の天才のひとりではあるものの、さすがに21世紀のファッションに対するセンスを求められても非常に困る。

 

そのため、今日の出会いの数々はずっと家で塞ぎ込んでいたヒノオマシにとっては良い励みになっており、あまりウマ娘レースについて詳しくなかった妹も“万能”ビワハヤヒデの大ファンになっていた。

 

ビワハヤヒデは物凄く照れくさそうにしながらヒノオマシとの会話を心から楽しんでいる様子だった。

 

そして、長らく塞ぎ込んでいたとは言え、皇宮警察のエリートの娘というだけあり、妹:ヒノオマシのファッション知識は超一流のものがあり、段々とビワハヤヒデの方が頷く立場になっていたぐらいだ。

 

実際、ヒノオマシの養育費や治療費の具体的な内容を見ると さすがはセレブだと思わざるを得ないぐらい 普段の生活で物凄くいいものを消費しているので、

 

かつての“斎藤 展望”がトレセン学園で我が身を犠牲に荒稼ぎしようとしていたのも納得なぐらい、ヒノオマシの無駄遣いというか投資は非常に金が掛かるものであった。

 

仕上げに ビワハヤヒデがどれだけ身形に気を遣っているのかをヒノオマシがファッションに疎い私やアグネスタキオンに1つ1つ懇切丁寧に言い聞かせると、顔を真赤にして褒め殺されたビワハヤヒデがいた。

 

ヒノオマシからすれば、ビワハヤヒデのような責任感があって理知的で女性としての気品と自立心を併せ持った芯のある女性が憧れなんだとか。母上もそうだったから。

 

その上で、皇宮警察として現代の女武者の頂きに立った母上とはちがう道で一流を極めようとする姿勢が同じ女性として評価が高いらしく、ヒノオマシもまた非常に弁の立つ怜悧な女性であった。

 

しかし、所詮 私は“斎藤 展望”ではない。“斎藤 展望”の記憶を何一つ持ち合わせていないため、妹:ヒノオマシがここまで凄いだなんてことは何も知らなかった。

 

 

あらためて、妹:ヒノオマシを通して『その兄である“斎藤 展望”が超エリートの生まれ』だということを実感させられる場面であった。

 

 

ビワハヤヒデがバナナシェイクを飲み干すのを待ってから、ヒノオマシは自分が持ちうる一級品の生活用品のカタログを見せると、そこからまた話が盛り上がることになる。

 

もうビワハヤヒデとヒノオマシは誰が見ても仲良しこよしである。

 

『クラシック三冠』を競い合った“BNW"と持て囃されるライバルのナリタタイシンやウイニングチケットとはちがった交友関係をビワハヤヒデは得たのだった。

 

私から見てもビワハヤヒデの理知的な性格は社会で活躍する人間に必要な資質を持っているため、宇宙移民するには競走バのために身体が細すぎるのが懸念点だが 非常にポイントが高い女性であった。

 

意外だったのはビワハヤヒデが自身のハイパー癖毛を改善するために 自ら“禁忌”と評したアグネスタキオンの力を借りていたことであり、

 

こうなると予測して同行したのか、これで余計にトレセン学園での厄介さを知らないヒノオマシの中でのアグネスタキオンへの信頼度が上昇――――――。

 

同時に、ビワハヤヒデが同じ厄介者であった“斎藤 展望”に あの時 声をかけることに躊躇がなかった理由を理解することができた。

 

そのため、『もし出会いの順番がちがったのならビワハヤヒデを担当ウマ娘にしていたかもしれない』と存在しない記憶に少し思いを馳せることになった。

 

私ならビワハヤヒデのハイパー癖毛を直せるヘアアイロンと熱伝導を助けるナノスチームを開発できる自信があることだし。理髪は宇宙移民船で重要な娯楽なのだ。

 

 

――――――だけれど、それでも、きっと私は“待つことを選んだ”かもしれない。

 

 

ビワハヤヒデ「いやはや、本当に今日は楽しかったよ。また機会があれば お会いしましょう、ヒノオマシくん」

 

陽那「はい! ビワハヤヒデさんもレースでの活躍を楽しみにしています!」

 

ビワハヤヒデ「それではな、斎藤T。妹のこともそうだが、きみ自身のことも大切にな」

 

斎藤T「はい。またお会いしましょう、ビワハヤヒデ」

 

アグネスタキオン「さあ、ショッピングも終わりだ。一緒にトレセン学園に帰ろうではないか、トレーナーくん」

 

斎藤T「は?」

 

アグネスタキオン「見てわからないのか? これだけの量をまさか『歩いて持って帰れ』と言うんじゃないだろうね、きみは?」

 

アグネスタキオン「きみのクルマは軽トールワゴンなんだから、ヒノオマシくんのを入れても十分に載せきれる量なんだし、何か問題かね?」

 

斎藤T「いや、妹の送迎が――――――」

 

アグネスタキオン「なーに、かまわないよ。ついでに済ますといい」

 

アグネスタキオン「私はそんなに心の狭いウマ娘ではないからね!」ドヤァ!

 

斎藤T「な、なんてやつだ……」

 

アグネスタキオン「と、口では言いつつも、やはり きみは――――――」クククッ

 

 

陽那「――――――兄上! 少しだけお待ちください!」バサッ

 

 

斎藤T「え」

 

アグネスタキオン「おお!」

 

陽那「はあっ!」ピョーーーーン!

 

 

――――――突如として駆け出したヒノオマシは横宙返り:サイドフリップで子供の手から離れた風船の紐を軽々と空中でキャッチしたのだった。

 

 

突然のことに周囲は声も出なかったのだが、ヒノオマシが風船を子供の手に渡すとワッと拍手が鳴り響いた。

 

おそらく風船は3mぐらいの高さ;通常家屋の1階の天井ぐらいの高さまで上がっていたのを掴んだので、垂直跳びには世界大会など存在しないが、

 

一説にはバスケットボールの伝説(レジェンド):MJが120cmは跳んでいたらしいので、そのMJより圧倒的に身長も腕の長さも短いヒノオマシはそれ以上の跳躍力を発揮したのは間違いない。

 

そう、これこそがビワハヤヒデやナリタブライアンをはじめとする競走バではないウマ娘の別方向に研ぎ澄まされた身体能力の一例であり、

 

皇宮警察の血統であるヒノオマシをはじめとする警察バのウマ娘は基本的には市街地や屋内での追跡や急行を想定したアクロバット能力が特徴的であり、

 

オリンピック競技にもなっている総合バ術の調教審査:ドレッサージュ、耐久審査:クロスカントリー、余力審査:ジャンピングへの適性とは異なるものの、

 

芝やダートに特化した脚の作りとなっている競走バが本気で走るとあっという間に脚を壊す舗装路(オンロード)未舗装路(オフロード)での適性が非常に高いのだ。

 

そして、皇宮警察騎バ隊という組織自体は半世紀前辺りの発足ではあるものの、“The Guard(近衛兵)”の存在自体は古来から存在するため、とんでもなく歴史と格式のある御役目なのである。

 

よって、斎藤 展望の妹:ヒノオマシは実際に天皇・皇后 両陛下の護衛を務めた超エリートの両親の素質と血筋を引いているため、世界最高峰の警察バの能力を持っているとされているのだから、

 

“斎藤 展望”がその素質を開花させるためにただのヒトである兄の自分が最高の素質を持つ妹のために身を捧げる覚悟でいるのも理解できる話となった。

 

もちろん、世界最高峰の警察バなのであって、世界最速の競走バや世界最強の格闘バと比べたら中途半端なスピードとパワーかもしれないが、“The Guard”として求められる素質は紛れもなく最高峰なので、

 

両親を喪って自暴自棄になって無茶なトレーニングで故障さえしていなかったなら、養子縁組などで後見を受けて そのまますんなり超エリートの道も歩めただろうことが悔やまれる。

 

 

――――――それだけ人間の心とは単純なものではないのだ。

 

 

悪魔の声『両親が死にました! でも、その素質を惜しんで養子縁組で後見してもらえたので両親と同じ超エリートの道を歩めます! 何も問題ありません!』ニヤニヤ

 

 

 

 

――――――トレセン学園

 

斎藤T「さあ、着いたぞ、アグネスタキオン(アグネスターディオン)

 

アグネスタキオン「ありがとう、トレーナーくん(モルモットくん)。さあ、私のラボまで運んでくれたまえ」

 

斎藤T「ああ、キャリーカートを出すから、少し待っていてくれ」

 

アグネスタキオン「やはり用意がいいな、きみは。実に素晴らしいよ」

 

斎藤T「ほら、キャリーカートはこんな感じだから、手で運ぶものとそうでないものを仕分けしてくれ」

 

アグネスタキオン「ああ」

 

 

ゴロゴロゴロ・・・・・・

 

 

斎藤T「それにしても、いっぱい買い込んだな……」

 

アグネスタキオン「ああ。元々()()()()()()()との共同研究の日々を快適にするものを用意する必要があったからね」

 

アグネスタキオン「それと、きみの妹にいろんな紅茶の楽しみ方を教わったことだし、2人でいろいろと試してみようと思ってな」

 

斎藤T「それは羨ましい限りだな。私にもWUMAが擬態してくれたら どれだけ人生が楽になったことやら……」

 

アグネスタキオン「そうだね。本物のきみで 毎日 実験し放題だよ」クククッ

 

斎藤T「うっ、それもそうか……」

 

アグネスタキオン「否定しない辺り、きみは心から私の研究を求めてくれているね」

 

斎藤T「……私は戦いの専門家じゃない。けれど、戦う理由があるのが私しかいないのだから、やれるだけのことはやりたい」

 

アグネスタキオン「今日一日 付き合ってみて、きみが私といることを受け容れている理由はそれだけじゃないように思ったけど?」

 

斎藤T「…………さてな?」

 

アグネスタキオン「ねえ、トレーナーくん――――――」

 

斎藤T「うん?」ピタッ

 

アグネスタキオン「おや、何だい、あれは?」ピトッ

 

 

――――――見ると中央広場の三女神像の噴水が不思議な輝きを放っていた。

 

 

斎藤T「……あれは()()()()()()()()の仕業か?」

 

アグネスタキオン「いや、噴水全体を発光させるような研究はしていないぞ」

 

斎藤T「私たちの他に誰もいないからいいけど、このままだと お前の仕業だとされるぞ?」

 

アグネスタキオン「おおっと、それは心外だな、トレーナーくん(モルモットくん)

 

斎藤T「日頃の行いが悪いせいだぞ」

 

斎藤T「とりあえず、発光している原因を探ってみるとしようか」

 

アグネスタキオン「そうだね。けど、その前にラボに荷物を運び入れてからにしようか。()()()()()()()も待ちくたびれていることだしね」

 

 

太古の昔からその存在が信じられてきた『三女神』――――――。

 

ウマ娘の始祖との一説があるこの三柱の女神たちは、それぞれ【王冠】【太陽】【海】などのモチーフと共に絵画などに描かれてきた。

 

また、レース用語の『バ身』は三女神のモデルとなったウマ娘が両腕を広げた長さに由来するとされる。

 

三女神は子々孫々たるウマ娘を導くと信じられており、トレセン学園に通うウマ娘たちは『三女神像』の前でお祈りをし、

 

『トゥインクル・シリーズを走り抜けた先輩ウマ娘が像に託した想いを受け取り力に変える』という儀式を伝統的に行っているとのこと。

 

 

その開運効果がいかほどのものかは判然としないが、この世界だとそういうふうに競馬用語が成り立っているようである。

 

ただ、資料にある通り、このトレセン学園に存在する三女神像が世界共通のものというわけでもなく、ウマ娘レースが盛んなそれぞれの地域にはそれぞれの形の女神の信仰があるようなのだ。

 

このトレセン学園の三女神像は『トゥインクル・シリーズ』必勝祈願のための偶像といったところで、モノリス大明神みたいなものかもしれない。

 

 

――――――人は祖に基づき、祖は神に基づく。

 

 

この世界でも息づいている天神地祇こそが私たちヒトの皇祖皇霊だと信仰する身なれば、ウマ娘の皇祖皇霊とは縁がないものとして素通りしていた。

 

しかし、斎藤 展望の実家の神棚にヒトとウマ娘の皇祖皇霊がそれぞれ祀られているのを目にして、天神地祇と並び立つものとして三女神をリスペクトしなければならないという認識をもつに至った。

 

そして 今日、私は初めて斎藤 展望の妹:ヒノオマシのウマ娘としての素養の高さを目の当たりにし、初めて妹の素質を開花させたいと思った。

 

唯一の肉親である最愛の妹を想う“斎藤 展望”の願いの意味とその価値を真に理解できたような気がした――――――。

 

何が原因で三女神像の噴水が発光しているのかはわからないが、これから妹:ヒノオマシや担当ウマ娘の将来の成功を願って、原因を調査しながら初めてウマ娘の皇祖皇霊に祈りを捧げることにした。

 

 

斎藤T「この発光の仕方はルシフェリン–ルシフェラーゼ反応に近くないか?」

 

アグネスタキオン「どうだろうね? だったら、生物発光ということだから、ウミホタルが噴水に生息していることにならないかい、それは?」

 

斎藤T「じゃあ、やっぱり廃液した肉体改造強壮薬じゃないのか? 青白く光る液体って言ったら真っ先に思いついたのはそれだぞ?」

 

アグネスタキオン’「その可能性も考えたけど、成分構成の検出結果はただの水だね、これは」

 

アグネスタキオン’「つまり、噴水そのものが光っているわけじゃないんだろうね……」

 

アグネスタキオン「となると、噴水がどこからか青白い照明で照らされている――――――?」

 

斎藤T「あるいは、噴水の底が夜光塗料で光っているのか?」

 

アグネスタキオン「それじゃあ、アクアスコープを使いたまえ」

 

斎藤T「なんでアクアスコープなんてものを――――――? インドア派のお前が持っているとは意外だな」

 

アグネスタキオン「いや、なに、トレセン学園の夏合宿は臨海学校だと聞いて用意していた代物なんだが、このとおり デビューせずにずっといたからね」

 

斎藤T「…………ダメだな。特に水底が光っている様子はない」ジャブン

 

アグネスタキオン’「三女神像が抱える水瓶が汚染されている可能性を真っ先に疑ったけど、そうだとするなら先程の液体検査でただの水という結果にはならないはずなんだがね……」

 

斎藤T「なんで光っているんだ? 成分調査ではただの水と出ているのに……」

 

斎藤T「しかたがない。その調査結果をレポートにして生徒会に報告しよう。そうしないと あらぬ誤解で また生徒会長が苦労することになる」

 

アグネスタキオン「おいおい、そこは『私が』じゃないのかい?」

 

斎藤T「自分がやってないことなんだから気にもしていないだろう、そもそも。周りへの配慮を蔑ろにするな」

 

アグネスタキオン’「しかし、科学的な検証ができないとするなら、これはもう非科学的な超常現象と結論づけるしかないということかい?」

 

斎藤T「そうだな。これがまた三女神像の御利益として有難がられるのならいいのだけれど――――――」

 

 

スーーーーーーーーーーーーー!

 

 

斎藤T「ん?」パシッ

 

斎藤T「え」

 

アグネスタキオン「おや、そいつは何だい、トレーナーくん(モルモットくん)?」

 

斎藤T「あ、いや……、降ってきたんだけど?」

 

アグネスタキオン’「全体が濡れているということは、三女神像の水瓶から出てきた――――――?」

 

アグネスタキオン’「貸したまえ。安全かどうかを見てみよう」

 

斎藤T「ああ、頼む」

 

アグネスタキオン’「さて、しっかりと封をして毒性物質が飛び散らないようにしたから、後は中が放射性物質じゃないことを祈ろうか」

 

斎藤T「まさかぁ……」

 

アグネスタキオン’「…………これは何だい? 鏡に方位磁針?」パカッ

 

 

斎藤T「――――――クリノメーターだ」

 

 

アグネスタキオン「……『クリノメーター』?」

 

斎藤T「傾斜計とも言う。ルーペ、ハンマーと共に“地質調査の三種の神器”とも言われている手軽で便利な測量・測角器具だ」

 

斎藤T「そして、このタイプは測量技師:ブラントンが開発した『ポケットトランシットレベル(ブラントンコンパス)』という、磁石,気泡水準器,鏡,照尺,錘をコンパクトに組み合わせた測量・測角器具だ」

 

アグネスタキオン「……地質学か。よくそんなことも知っていたね」

 

斎藤T「宇宙移民には必須の技能ですから」

 

斎藤T「けど、なんでそのクリノメーターが降ってきたんだ? トレセン学園でクリノメーターを使う人間がいるか?」

 

アグネスタキオン’「可能性としては、地質学的なアプローチからトレーニングコースの設定をしようとしたとか?」

 

斎藤T「ああ、なるほど。ミホノブルボンやライスシャワーがよくやる坂路トレーニングってのがあるわけだから、クリノメーターの需要はゼロというわけじゃないのか……」

 

 

斎藤T「いや、それにしたって、この金ピカはないだろう! 実用性を無視したファッションアイテムか! こんなのを野外で使ったら眩しいだろう!」

 

 

アグネスタキオン「そうだね。鏡もあるんだから、反射光が大変なことになるだろうね。普通は光を吸収する黒色だろうね」

 

斎藤T「ちゃんと方位磁針は機能するんだろうな? この金ピカって金箔とかじゃないよね?」

 

アグネスタキオン’「どういうことだい?」

 

斎藤T「いや、方位磁針はその名の通り磁石だ。つまり、磁気を帯びやすい金属とかと一緒だと、金属の磁気に引っ張られて機能しなくなるんだ」

 

斎藤T「すると、木造船から金属船になった時に船体自体に方位磁針が反応してしまうことから、周囲の磁気の影響を受けない転輪羅針儀(ジャイロコンパス)の搭載が義務付けされているんだな」

 

斎藤T「だから、今時 方位磁針なんてものが活躍するのは地質調査の時ぐらいなものだ」

 

アグネスタキオン「ああ、そういうこと」

 

アグネスタキオン「なら、『天皇賞(秋)』の必勝祈願の記念に持っていったらどうだい? 御利益がありそうじゃないか」

 

斎藤T「こんな得体が知れない金ピカのクリノメーターが?」

 

アグネスタキオン’「――――――『得体が知れないから』こそだよ」

 

斎藤T「……わかった」

 

斎藤T「じゃあ、ハッピーミークの勝利を祈って――――――」

 

斎藤T「え」

 

アグネスタキオン「…………き、消えた?」

 

アグネスタキオン’「――――――謎の発光現象が止まった?」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――そして、三女神の祝福である“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は導く。果てしない先の果てへ。

 

 



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第9話   天皇賞(秋)のメビウスの輪を越えて

-西暦20XX年10月28日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

――――――いよいよ、この時が来た。

 

G1レース『天皇賞(秋)』はシニア級:3年目以上のウマ娘(外国産バ・外国バを含む)による芝・2000mの重賞競走であり、

 

昔は芝・3200mだったそうなのだが、現在では『中距離の最強ウマ娘決定戦』という位置づけであり、世界的にも高い評価を得ているG1レースとなっている。

 

また、開催時期も昔は11月下旬だったのだが、同じシニア級G1レース『ジャパンカップ』との兼ね合いを考慮して10月下旬の開催が定着している。

 

そして、10月の『天皇賞(秋)』、11月の『ジャパンカップ』、12月の『有馬記念』を三連覇したウマ娘は“秋シニア三冠ウマ娘”として表彰されることになる。

 

実は、秋川理事長体制下のトレセン学園の黄金期の象徴;今も最強と名高い生徒会長:シンボリルドルフは“クラシック三冠ウマ娘”を達成して更にG1勝利を重ねて“七冠ウマ娘”として君臨していたものの、

 

どうも“秋シニア三冠ウマ娘”とは縁がないらしく、『有馬記念』には勝ち続けたが、現役時代の三度の敗北が国内の『天皇賞(秋)』『ジャパンカップ』とアメリカ遠征の『サンルイレイステークス』となっていた。

 

名鑑を見ると“秋シニア三冠ウマ娘”の称号を勝ち取ったウマ娘はテイエムオペラオーとゼンノロブロイだけというのを見るに、

 

クラシック三冠ウマ娘が“世代最強”を決めるのに対し、秋シニア三冠ウマ娘は“現役最強”を決めるものという位置づけなので、やはりシニア級の方が強いという印象は正しかったようだ。

 

一方、“秋シニア三冠ウマ娘”に対する“春シニア三冠ウマ娘”も存在しているが、3月の『大阪杯』、4月の『天皇賞(春)』、6月の『宝塚記念』がそれに該当するのだが、

 

実は“春シニア三冠ウマ娘”は新しく創設されたもののためか、達成したウマ娘がまだいないというのだ。

 

それなら、初代“春シニア三冠ウマ娘”を目指して歴史に名を刻むチャンスも誰もが狙いそうなものだが、距離適性の幅が“秋シニア”よりも大きすぎることもあり、不人気なんだとか。

 

 

さて、今回の『天皇賞(秋)』で注目を集めているのは、“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”と名高い『名家』メジロ家の令嬢:メジロマックイーンである。悪い意味で。

 

 

実は、今年の『天皇賞(春)』で飯守Tのライスシャワーを破り、見事 メジロ家三代による三連覇を成し遂げたものの、

 

『宝塚記念』でライスシャワーにリベンジされた後、競走バにとっては不治の病とも言える繋靱帯炎に発症しており、『引退も致し方なし』という見方がなされていた。

 

しかし、ベッドの上でおとなしく死ぬか、ターフの上で華々しく死ぬかの二択が迫られた結果、

 

メジロ家の意地を見せつけて10月前半のG2レース『京都大賞典』でコースレコードを大きく更新して優勝を果たすこととなった。

 

そう、今回の『天皇賞(秋)』には間を置かずの連続出走というわけであり、当然ながら もう二度と走れなくなってもいいという覚悟の表れである。

 

そのため、今のメジロマックイーンはこのバ場で事切れることも厭わない捨て身となっており、決死の思いでメジロ家の悲願である『天皇賞(秋)』に挑んでいたのだ。

 

 

もう見てられない――――――。今や悲劇の主役を務める“名優”に同情や応援が集まって圧倒的一番人気だが、葬式への参列みたいな異様な雰囲気がバ場に覆っていた。

 

 

その雰囲気に私も圧倒され、『ウマ娘にとって 走ることは幸せであり 喜びである』ということを理解することができた。

 

しかし、同情はするが、容赦はしない――――――。

 

ここは戦場、『天皇賞(秋)』に参加した優駿たちは むしろ このバ場で引導を渡して悲劇を完成させてやろうと闘志をみなぎらせることとなった。

 

サブトレーナーとして私が先輩と一緒に担当しているハッピーミークも自分を見出して自分のためを思って行動してくれている桐生院Tのためにも負けられない。

 

ついでに言えば、模擬レースとは言え、“三冠ウマ娘”ナリタブライアンに勝たせてくれた公式戦未経験の私に初めての公式戦でG1勝利を捧げたいという強い思いを聞かせてもらった。

 

 

これが己のプライドと大金を賭けた者たちの真剣勝負ということなのか――――――。

 

 

初めて間近に体験する剥き出しになっていくウマ娘たちの闘争本能に恐れ慄きながらも、私は応援に駆けつけてくれていた妹:ヒノオマシや藤原さんたちに手を振った。

 

なお、去年のクラシック三冠ウマ娘である才羽Tのミホノブルボンは『天皇賞(秋)』には参加せずに、日本初の国際G1レース『ジャパンカップ』に向けたトレーニングをするようになっていた。

 

一方、飯守Tとライスシャワーは『有馬記念』と『URAファイナルズ』に狙いを絞ってトレーニングを重ねている。

 

そして、友人でもあるメジロマックイーンの最後となるかもしれないレース――――――、新人トレーナー:斎藤 展望にとっての初の公式戦を観戦しに駆けつけてくれていた。

 

 

初めてウマ娘のトレーナーとして参加する公式戦――――――、

 

日本全国で夢を追いかけている競走バたちにとっては永遠の憧れの舞台であるG1レース――――――、

 

それが皇宮警察の息子である“斎藤 展望”にとって強い縁を感じる『天皇賞(秋)』――――――、

 

そして、悲劇の主役となった“名優”メジロマックイーンの最後の上演――――――。

 

こうして、私の人生で忘れらない長い長い一日となったのだ。

 

 

――――――そう、何度も繰り返されるメビウスの輪を抜け出すための長い長い一日へと。

 

 


 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

斎藤T「ダメだ! メジロマックイーンを今すぐに棄権させてくれ! 本当に死んでしまうぞ!」

 

 

斎藤T「ダメだああああああああああ!」

 

 

斎藤T「あ――――――」

 

 

斎藤T「あ、ああ…………」

 

 

斎藤T「また阻止できなかった、か……」

 

―――

――――――

―――――――――

――――――――――――

 

 

斎藤T「ハッ」

 

桐生院T「大丈夫ですか、斎藤T!?」

 

斎藤T「あ……」

 

斎藤T「また ここから――――――」

 

桐生院T「東京競バ場に到着しましたけど、気分が悪いようなら――――――」

 

斎藤T「い、いえ……、大丈夫です」

 

桐生院T「何か心配事があるんですか? 話してください、斎藤T」

 

 

斎藤T「…………メジロマックイーンがターフの上で力尽きる光景を何度も見ました」

 

 

斎藤T「私はそれを阻止しようと何度も試みたのですが、私は 何回 悲劇が完成されるのを見続ければならないんですか……?」

 

桐生院T「え……」

 

斎藤T「お願いです! メジロマックイーンを棄権させてください! 選手生命どころか、生命活動すら絶たれてしまいます!」

 

斎藤T「そうなったら『トゥインクル・シリーズ』史上最大の不祥事ということで、『URAファイナルズ』は開催どころじゃなくなります!」

 

桐生院T「あ、あの……」

 

斎藤T「どうしたらいいんだ……!?」

 

斎藤T「メジロマックイーンに棄権を迫ってもダメ! 主催者を脅してもダメ! レースそのものを妨害しても張り詰めた糸が切れるからダメ!」

 

斎藤T「とにかく、メジロマックイーンはもう生きていないんです! メジロ家の悲願である『天皇賞』への執念だけで身体を動かしている状態なんです!」

 

 

桐生院T「…………斎藤T、今日はもう休んだ方がいいと思います」

 

 

斎藤T「…………っ!」

 

斎藤T「……わかりました。ハッピーミークにはうまいこと誤魔化しておいてください」

 

桐生院T「あの、どこへ?」

 

斎藤T「少し頭を冷やしてきます。今の状態だと敏いハッピーミークが動揺するでしょうから……」

 

 

――――――なんで!? どうして!? なんで私だけ時間が巻き戻されるんだ!?

 

 

斎藤T「リスタート地点は東京競バ場に先輩と一緒に到着した時……」

 

斎藤T「ハッピーミークはすでにレース前日から競バ場の調整ルームに入っている……」

 

斎藤T「同じように他の出走バも みんな そこに入っているわけだから、」

 

斎藤T「最初はメジロマックイーン本人に棄権するように迫ったけれど、『ターフの上で死ぬなら本望』と言い放った彼女の説得はできなかった……」 ※2周目

 

斎藤T「次に、主催者を脅してメジロマックイーンの出走取消をやらせようとしたけど、私はその場で取り押さえられて、結局――――――」 ※3周目

 

斎藤T「ならばと思い、今度は競バ場の破壊工作(サボタージュ)でレースそのものを妨害したら、それでメジロマックイーンは――――――」 ※4周目

 

斎藤T「そうしてわかった、メジロマックイーンの状態――――――」

 

斎藤T「どうしたらいいんだ? 『せめて、力尽きるならレースが終わった後にしてくれ』なんてのはひとでなしの言うことか……」 ※現在5周目

 

 

斎藤T「つまり、すでに死んでいるメジロマックイーンを生き返らせる“何か”が必要と言うわけなんだな……」

 

 

斎藤T「……あと 何回 繰り返せる?」

 

斎藤T「いや、あと 何回 繰り返される?」

 

斎藤T「ふざけるな! 担当ウマ娘でもないのに、どうしてここまで他人が必死にならなくちゃならないんだよ!」

 

斎藤T「――――――『ターフの上で死ぬなら本望』?」

 

斎藤T「なら、勝手に死んでいろ! 野垂れ死ね! 人様に迷惑を掛けたことをあの世で詫びろ!」

 

斎藤T「ターフの上のライバルたちだって、お前に引導を渡してやろうと手加減無しで挑んできているんだから、おとなしく成仏しやがれ! 私を巻き込むな!」

 

斎藤T「私は 何回 同じ光景を見続ければいいんだよ!? もう5周目だぞ!?」

 

斎藤T「くそっ! 馬鹿馬鹿しい!」

 

斎藤T「いっそ、先輩に勧められたとおりに競バ場から去るのもありか?」

 

斎藤T「ああ、そうしよう。何をしようが時が繰り返されるんだったら、繰り返される時を有意義に使おうか」

 

 

 

 

 

斎藤T「………………ハア」

 

斎藤T「競バ場から逃げてもダメだった……」 ※5周目

 

斎藤T「そこから開き直って、同じ府中市だからトレセン学園まで出戻りして全力でリラックスした状態で時間切れを迎えて――――――」 ※6周目

 

斎藤T「そうしてスッキリした気分で何が起きるか全てわかった状態でハッピーミークを見守って――――――」 ※7周目

 

斎藤T「周囲の雰囲気に流されて 再びメジロマックイーンを救うためにどうしたらいいのかを考えて 注意深くレースを見直して――――――」 ※8周目

 

斎藤T「万策尽きてゴールドシップと一緒に一生懸命にメジロマックイーンの無事を念じてはみたものの――――――」 ※9周目

 

斎藤T「もうね。レース展開がわかるから、実力十分のハッピーミークが勝利するのは確定になったけど、何度もメジロマックイーンが死ぬ展開を見続けるのも飽きてきたよ――――――」 ※現在10周目

 

斎藤T「……どうしたもんかなぁ? この状況っていったい何なんだろうね?」

 

斎藤T「リスタート地点は東京競バ場に着いた時で、メジロマックイーンの死亡が報じられて世間が葬式ムードに包まれた瞬間に巻き戻される――――――」

 

斎藤T「せめて、東京競バ場に出発する30分前がリスタート地点だったら、いろいろと準備もしやすかったのにな……」

 

斎藤T「え? 改めて考えると、『死人が出走している』ってどういう状況よ!? それがウマ娘の闘争本能の極致だとでも言うのか!?」

 

斎藤T「あれか? 三女神像の迷信にあるような『トゥインクル・シリーズ』の亡霊に突き動かされているみたいな――――――?」

 

 

ゴールドシップ「よう、こんなところで何してんだよ、野良トレーナー?」

 

 

斎藤T「……なぜここにいる? この時間は本バ場入場のファンファーレが鳴り響いているぞ? 観客席にいなくていいのか?」

 

ゴールドシップ「はあ? このゴールドシップ様が一分一秒でもつまんねぇことをするわけないだろうがよ?」

 

斎藤T「メジロマックイーンが大好きなお前がメジロマックイーンが出走する最後のレースを見ないってのか?」

 

ゴールドシップ「結果がわかりきったレースに意味なんてないだろう?」

 

 

ゴールドシップ「勝つのはあんたから勇気をもらったミークで、死ぬのはマックイーンだよ。何度やったってそれは決まっている」

 

 

斎藤T「……勝負はやってみないとわからないもんだろう?」

 

ゴールドシップ「いいや。勝負の世界じゃなくったって『段取り八分』だろう、世の中って」

 

ゴールドシップ「そもそも、マックイーンはこの前の『京都大賞典』で全部を吐き出しちまってよ。そんで、もう自分が死に体なのはわかって あの場に立っているんだしさ」

 

斎藤T「そこまでわかっていて、お前は友人として出走を止めなかったのか?」

 

ゴールドシップ「アタシじゃダメなんだよ……」

 

斎藤T「なら、親御さんに止めさせるよう――――――、いや、もうファンファーレは鳴ってしまったか……」

 

 

ゴールドシップ「あ、言っとくけど、メジロ家はこの出走に関しては肯定も否定もしない黙認の立場だから、そこんところ よろしく」

 

 

斎藤T「は?」

 

斎藤T「メジロ家にとって『天皇賞』は悲願なんだろう? 絶対なんだろう?」

 

ゴールドシップ「おいおい、あんたは血も涙もない鬼かよ?」

 

ゴールドシップ「もうマックイーンは『天皇賞(春)』でメジロ家三代による三連覇を達成してんじゃん」

 

ゴールドシップ「だったら、メジロ家の次代のために、あとは『名家』としての()()()を視野に入れればいいだろう?」

 

ゴールドシップ「そもそも、『京都大賞典』で勝利した時点でメジロ家の意地は世間様に見せつけられたし」

 

斎藤T「………………?」

 

 

斎藤T「それはつまり、今回の出走は『メジロ家の意地』じゃない……?」

 

 

ゴールドシップ「……そうだよ」

 

斎藤T「…………私にそれを教えてどうする? 個人的な事情に首を突っ込むなんて野暮じゃないのか?」

 

ゴールドシップ「バカヤロー!」

 

斎藤T「ぐおっ!?」ドゴォ!

 

ゴールドシップ「アメンボから人間まで、地球上のあらゆる生き物を守るんじゃなかったのか!」ポタポタ・・・

 

ゴールドシップ「あんたがそんなでっかい奴だからこそ、アタシはあんたに賭けてみたいと思ったんだぞ!」グスン・・・

 

斎藤T「い、いったい何を………………」

 

ゴールドシップ「探すんだよ、誰も捜そうとしない本当の宝を! 熱く燃える大切なものをよ!」

 

 

 

――――――ゴルシちゃんと約束だ!

 

 

 

斎藤T「くそっ! 無茶苦茶 言いやがって、あいつ……!」 ※現在11周目

 

斎藤T「あ、気づいたけど、ゴールドシップに殴られた痛みも時間が戻ればなくなるか……」

 

斎藤T「いや、当然か。何をそんな当たり前のことを――――――」

 

斎藤T「……待てよ? メジロ家としてはもうメジロマックイーンの出走に関して黙認しているんだろう?」

 

斎藤T「その本音としては、もう引退しても誰も文句なんて言わないし、これ以上の無茶はさせたくない――――――」

 

斎藤T「だったら、今のメジロマックイーンは何のために死んだ状態になってまで走り続けているんだ?」

 

斎藤T「家族が止めないなら、真っ先に指導している担当トレーナーの責任問題――――――」

 

斎藤T「あ!?」

 

 

――――――メジロマックイーンの担当トレーナーはいったいどこにいるんだ!?

 

 

斎藤T「一番はこいつだろう!? 担当トレーナーが出走の手続きをするんだから――――――」prrr...

 

斎藤T「生徒会長! メジロマックイーンの担当トレーナーと連絡がしたい! 可能な限りの情報をください!」

 

斎藤T「このままだとメジロマックイーンはターフの上で死にますよ!?」

 

斎藤T「――――――じゃあ、そうなったら絶対に情報をください。私がその和田Tを引き摺ってでも記者会見の場に連れてきますので」

 

斎藤T「それでは」ピッ

 

 

斎藤T「…………なんでこんな初歩的なことに気づけなかったんだ!?」ガン!

 

 

斎藤T「思い出せ……、名前は知らなかったけど顔は知っていたメジロマックイーンの担当トレーナーは間違いなくバ場にいたはずだ……」

 

斎藤T「誰に訊けばいい? 才羽Tと飯守Tを頼ってみるか?」

 

斎藤T「いや、事情を聞いたからってどうなる? 真相を知ったから何になるっていうんだ? メジロマックイーンはもう――――――」

 

 

――――――けど、やれることがある以上は試さないと気がすまないのが技術者の性ってもんよ!

 

 



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第9話秘録 壊れた目覚まし時計 

-シークレットファイル 20XX/10/28- GAUMA SAIOH

 

――――――()()()()()は終わった。

 

結論から言うと、メジロマックイーンの担当トレーナーである和田Tが私が囚われることになった今日一日が繰り返される時間を創り出した張本人であり、

 

担当ウマ娘と担当トレーナーが『一心同体』であることに固執して、傍迷惑なことに 担当ウマ娘はターフの上で、担当トレーナーは入水自殺で同時に死ぬ決心をしていたのだ。

 

11周目の終わりで生徒会長から和田Tの個人情報を引っ張り出した後は、和田Tがどこにいるのかを府中市のあっちこっちを虱潰しに探し回った。

 

12周目からは、担当ウマ娘の最期のレースを見届けようとしないことに異常を知らせたことで、和田Tと交友関係のある才羽Tと飯守Tの協力も得ることができた。

 

それで、睡眠薬を飲んで多摩川に愛車を突っ込ませて入水自殺をしようとしていた和田Tを見つけ出して、彼にメジロマックイーンに生きるように言わせることが正解だった。

 

それが果たされることで、ターフの上で自分は担当トレーナーと心中するのだと思いこんでいたメジロマックイーンは初めて生き永らえることができたのだ。

 

記憶違いでなければ21周目で、こうして新しい2人の人生の門出を祝うことになったわけなのだが、

 

それまでは和田Tも記憶を引き継いでいるので、私から逃げるために府中市内を駆け回ることになり、

 

結果として芝・2000mを走るハッピーミーク以上の途方も無いレースを私は走り続けることになった。

 

そうして繰り返される時間の中で私は引き出しを増やし続けることになった。

 

時には才羽Tと飯守Tの協力を仰ぎ、時にはシンボリ家やアグネス家などの『名家』に働きかけ、時にはトレーナー組合を脅して『名門』を動かし、時には警察関係者に頼らせてもらった。

 

ありとあらゆるコネを駆使して 何周も追い回しては、時が巻き戻されるのを経験していくうちに、先に音を上げたのが和田Tだったという話である。

 

その間に20回も担当ウマ娘が死を繰り返しているという罪悪感から和田Tを立ち直らせるのには本当に手間がかかった。

 

しかし、引退したウマ娘の進路がどういったものがあるのかをこっちの方で調べ上げて、新たな夢を見させてあげることで ようやく和田Tは明日を迎える決心ができた。

 

そうして迎えた21周目、和田Tは最初と同じように東京競バ場に向かい、出走前の担当ウマ娘に一緒に明日を生きて欲しいことを願い、ケーキフェスティバルに一緒に行くことを約束した。

 

そして、結果は絶好調のハッピーミークの『天皇賞(秋)』制覇。メジロマックイーンは5着となり、この場で引退を宣言することとなった。

 

繋靱帯炎という不治の病に冒されながらも最後まで掲示板を外さないというメジロマックイーンの不屈の敢闘は人々の記憶に永遠に語り継がれる一幕となった。

 

観衆が万雷の喝采で彼女を称える中、私は万感の思いで先輩とハッピーミークで勝利を分かち合い、ウイニングライブを迎えたのであった。

 

 

――――――以上、ざっとまとめるとこんな感じなのだが、およそ半日での出来事が20回も繰り返されたので 実質的に私は10日も歳をとった気分である。

 

 

しかし、『精神は肉体を凌駕する』――――――、思い込みで自分の心臓を止められるとはウマ娘の闘争本能は凄まじいものがあったと言える。

 

よくよく考えれば、メジロマックイーンが発症した繋靱帯炎は不治の病ではあるものの、死に直結する病ではなかったのだから、

 

『病は気から』――――――、G2レース『京都大賞典』でメジロ家の意地を見せていた2人にはその後の人生だってあって然るべきなのだが、

 

どうやら、将来有望だった若い男女の間にはそこから先のレースにかける夢があり、

 

その夢が繋靱帯炎の発症によって絶たれてしまったことにより、生きる希望を失ってしまったのが原因だった。

 

いやいや、『天皇賞(春)』を獲ってメジロ家三代による三連覇を果たして、『名家』メジロ家の面目も保てたというのに――――――。

 

G1参戦すら程遠い凡百のウマ娘が観客席で、テレビの前で、パブリックビューイングで目を輝かせながら見ている夢の舞台の上でウイニングライブで歌って踊って輝いておいて何を言うのか――――――。

 

 

けれども、そういうことじゃないのは私が必死に何度も和田Tをクルマから引き摺り出して説得していくうちに理解できていった。

 

 

単純に人生経験が少ない若すぎる2人の男女にとっては、そこから先の人生の展望が描けなかったのだ。

 

2人にはトレセン学園のトレーナーであることとスターウマ娘であることの生き方しか知らなかった故の若き日の過ちであった。

 

あるいは、若すぎる2人の男女の未来を導く良き大人に恵まれなかった結果とも言える――――――。

 

メジロマックイーンは気を抜くと体重が増える体質を自覚しながらも本当は甘いものが大好きで野球観戦が趣味なお茶目な女の子であったが、

 

2人の馴れ初め話を聞く限り、誰もが才能が認める“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”にしてメジロ家の誉れを背負って走る重圧は凄まじく、

 

そして、そんな彼女のそういったところを見て肯定してくれる和田Tが公私共に良きパートナーになるのは自然な成り行きだった。

 

しかし、和田Tは、”斎藤 展望”よりはマシではあるが、ベテランと呼べるような実績を持たない無名の若手トレーナーであり、

 

そんな無名の若手トレーナーが『名門』メジロ家の令嬢の担当トレーナーになったことを妬む声に常に苛まれてきていたことを告白してくれた。

 

言うなれば、これは身分差別であり、23世紀の人間からすると実力主義と言われているはずのスポーツ界隈でこんなことが普通に行われていることに反吐が出そうになった。

 

まあ、後になって”斎藤展望”が皇宮警察の息子であることを知った途端に陰口を叩いていた連中がこちらと目を合わせないように一斉に顔を背けるぐらいには権威主義が蔓延っていたか。

 

やはり、伝統と格式のあるウマ娘レースではあるものの、旧態依然としたところがあるのを 2人の男女の駆け落ちの延長線にある心中に巻き込まれて 私は嫌というほど理解させられることになった。

 

 

そして、担当トレーナーと担当ウマ娘の熱愛は決して肯定されるものではない――――――。

 

 

トレセン学園がれっきとした中高一貫校なのだから、言うなれば競走バたちは女子中学生と女子高生なので、

 

手を出したが最後――――――、性犯罪者としての逮捕も当然の不純異性交遊にしかならない。

 

しかし、トレーナーという労働者にとっては 担当ウマ娘との契約が切れれば 次の担当ウマ娘を探せばいいだけの話だが、

 

走ることが大好きなウマ娘にとっては一生に一度しかない人生で最も輝ける時期で苦楽を共にしたトレーナーとの別れをそう簡単に割り切れるものじゃない。

 

そのため、ウマ娘のその闘争本能故に特有の興奮状態に『かかる』ことが多く、ヒトよりも遥かに強大な身体能力を有する存在が我を忘れて暴走した時の被害も尋常ではない。

 

まさに『恋はダービー』というわけで、一応は担当トレーナーと担当ウマ娘の不純異性交遊は暗黙の了解として情状酌量が大きく認められているようである。

 

この辺りは社会的な立場や年齢の問題もあるのだが、ヒトとウマ娘の2つの種族の間にある人生観や生態のちがいが顕著に現れたところだと言える。

 

 

このように担当トレーナーと担当ウマ娘が上手に付き合う――――――、高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に適切な対処を取らせるのが極めて難しいことを今回の心中未遂事件は物語る。

 

 

いや、『ウマ娘のトレーナーに求められているのはそんなのではない!』と、どうせ時間が巻き戻れば傷も痛みもなくなることを踏まえて 私は和田Tをクルマから引き摺り出してボコボコにしながら言い聞かせたものだ。

 

それで私が思い出していたのは、先輩が最初に教えてくれたレースの後にウイニングライブをする意義と歴史、それをおざなりにするトレーナーが多いという話であったのだから。

 

だいたい、ウイニングライブを疎かにする者は新聞で笑い者にされ、生徒会長から直々にお叱りを受けるぐらい競走バとして恥晒しな振舞いなのだ。

 

つまり、『ターフの上で死ぬ』だなんて世迷い言はウマ娘レースの勝者となった者の義務と責任を放棄したものであり、決して称賛されるものではない。

 

この場合、『ステージの上で死ぬ』なら使っていい――――――。

 

いや、レースが原因で死ぬこと自体がそもそも良くないことなのだが、ウイニングライブを軽視する不見識さは同じくトレーナーバッジをつけている者として正さなくてはいけなかった。

 

 

そう、ここで浮き彫りになったのが『名家』も『名門』もウイニングライブを絶対視していない――――――、内心では鬱陶しい格式とすら思っていたことなのだ。

 

 

そうじゃなかったら、『名家』メジロ家の令嬢ともあろうウマ娘がレース後のウイニングライブを完遂することを考えないでターフの上で死のうとする発想に繋がるわけがない。

 

その担当トレーナーでさえ ターフの上で死なせようと考えるあまりに ウイニングライブのことを度外視しているのだから、並み居る『名門』たちに打ち勝ってきたG1ウマ娘のトレーナーのやることには思えない。

 

もちろん、20回も見ず知らずの他人のために一日をやり直しさせられてきたストレスもあるのだが、

 

いかに生徒会長:シンボリルドルフが掲げる理想が現実と掛け離れているのかを痛感する事件であった。

 

 

――――――大道廃れて仁義あり(現実がクソだからこそ理想が声高に叫ばれるのは、理想が声高に叫ばれる必要があるぐらいに現実はクソだから)。

 

 

また、ウイニングライブは基本的には1着になったウマ娘がセンター、2着と3着が両サイドという編成で行われるものとなっている。

 

後者からすれば1着に届かなかった悔しさを噛み締めながらも笑顔で歌わねばならないというハードな一面もあり、その心理的な負担や脇役パート習得の苦労も半端ではない。

 

当然、舞台の袖で担当ウマ娘がセンターになれなかったことを人知れず涙を流して死ぬほど悔しがるトレーナーだっていっぱいいたはずなのだ。

 

しかし、それが国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』という夢の舞台であり、誰もが憧れて手を伸ばし続ける場所であった。

 

 

――――――これは近い将来、ウイニングライブの伝統が消滅するかもしれないな。

 

 


 

 

――――――トレセン学園 部活棟 化学実験室

 

斎藤T「…………ただいま」

 

アグネスタキオン「おや、おかえり、トレーナーくん(モルモットくん)

 

アグネスタキオン’「どうだった、初めての公式戦;それもG1レースの感想は?」

 

斎藤T「ハッピーミークは勝ったよ。メジロマックイーンは5着でその場で引退だ」

 

アグネスタキオン「それはおめでとう。きみのサブトレーナーとしての輝かしい実績だね」

 

斎藤T「ほら、受け取ってくれ、2人共」コトッ

 

アグネスタキオン’「うん? いったい何だい、これは? きみの初勝利祝いのお裾分けかい?」

 

斎藤T「いや、今回の勝利はアグネス家の助けもあったから、お礼をしておかなくちゃと思って」

 

アグネスタキオン「いったい何の話だい? きみは ハッピーミークが府中競バ場で走るのを見て ウイニングライブするのを見届けるだけの簡単なお仕事だったんだろう?」

 

 

斎藤T「…………憶えているわけないか」ボソッ

 

 

斎藤T「ま、日頃の感謝といったところかな? あるいは、初勝利祝いの喜びをわかちあうってのは嘘っぽいか?」

 

アグネスタキオン「まあ、なんだっていいさ。きみが選ぶものに間違いはないしね。ありがたくもらっておくとしよう」

 

アグネスタキオン’「ところで、その“目覚まし時計”はいったい何だい? それも私への贈り物かい? 残念だが 使うことはないだろうけど」

 

斎藤T「これか?」

 

 

――――――世にも不思議な()()()()()()目覚まし時計だよ?

 

 

アグネスタキオン「……おや、きみがそういう冗談を言う人間だとは思わなかったよ」

 

斎藤T「信じなくたっていいさ。ただ、こいつの分解のために立ち寄ったってだけで」

 

アグネスタキオン’「だが、ただの目覚まし時計にしか見えないからこそ、俄然 興味が湧いてきたぞ」

 

アグネスタキオン’「話してみたまえ、その都市伝説について」

 

斎藤T「ああ。このゼンマイ式の目覚まし時計が持つ摩訶不思議な力に振り回された哀れなウマ娘のトレーナーの話を聞かせてあげよう」

 

斎藤T「あ、話が長くなるし、秋の夜長を語り明かすことになるぞ。心の準備はしておけ」

 

斎藤T「では――――――」

 

 

 

あるところに、トレセン学園の無名の若手トレーナーがいたんだとさ。

 

彼の目標は 当然 国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』でG1勝利する素晴らしい競走バのトレーナーとなること。

 

しかし、花形職業であるトレセン学園のトレーナーになれても、代々 名トレーナーを輩出している名門の人たちに睨まれるのを恐れて、才能のあるウマ娘にスカウトできずにいました。

 

年に4度行われるトレセン学園の生徒たちがトレーナーに実力をアピールするための『選抜レース』の予想もかなり外しており、自分にはウマ娘の才能を見る眼がないのだと落胆するばかり。

 

それで、先輩トレーナーのチームでお情けで下積みするのを許されるものの、そこはウマ娘たちの頂点を目指すG1レースでの勝利をあきらめた あまりよろしくないチームでした。

 

いわゆるトレセン学園という夢の舞台で陽の光を浴びることのない日陰者たちの溜まり場――――――。

 

入学金や授業料を支払うための奨学金を獲得してトレセン学園の卒業生であるという箔付けのために、G2レースやG3レースに出走することでしぶとく在籍し続けるグレーゾーンの住人たち――――――。

 

G1レース出場にこだわって己の才能に見切りをつけて自ら学園を去っていく者や自身の才能によって自らの選手生命が絶たれてしまう者が多いことを踏まえれば、賢い選択と言えたかもしれない――――――。

 

けれども、『日本中が熱狂し 自分が憧れた夢の舞台とはこんなものじゃない』という強い反発心から改めて頂点を目指したいという意志が生まれることになりました。

 

 

あるところに、甘いのものが大好きで野球好きなのを隠しきれない名家のお嬢様のウマ娘がいたとさ。

 

名家の誇りを背負って三代に渡っての『天皇賞』の三連覇を目指して 期待に胸を膨らませて 日本最高峰のトレセン学園の門を潜りました。

 

しかし、トレセン学園に集まるのは みな地方競バでは天才と呼ばれるような傑物揃い。『選抜レース』で彼女は結果を残すことができませんでした。

 

そのため、『次こそは!』と躍起になり、家の名に泥を塗ったことを挽回すべく『選抜レース』を勝つための更なるトレーニングに励んでいたのです。

 

ところが、彼女は正直に言って世間知らずのお嬢様でした。不器用です。抜けています。お茶目です。

 

原因不明の体調不調が長く続き、ついには倒れることになってしまったのでした。

 

 

――――――その時、彼女は自らの“運命”と出会うこととなりました。

 

 

一方、あれから若手トレーナーの彼は本気でG1で勝利するウマ娘をスカウトするために研究と研鑽を重ね続けていました。

 

そのおかげで、G1勝利を果たすウマ娘とG2勝利が関の山のウマ娘のちがいを見極めることができるようになっていました。

 

そんな ある時の『選抜レース』で、『天皇賞』制覇を家風とする名家の見目麗しいウマ娘の姿に目を引かれました。

 

そして、すぐに彼女が周囲から期待を寄せられていた“天下無類の長距離ウマ娘(ステイヤー)”だという前評判を聞き、自分のような無名の若手トレーナーとは縁がないとあきらめようとしていました。

 

あきらめようと思って彼女が出走するレースを見ずに帰ろうとしていたのですが、G1勝利ウマ娘の名家の家系がどんな走りを見せるのかを研究するという目的でその場に踏みとどまったのです。

 

すると、結果はまさかのスタミナ切れによる大敗で、“天下無類の長距離ウマ娘(ステイヤー)”という前評判が飾りだったと周囲が落胆していったのです。

 

 

しかし、彼はこれを自分に舞い込んだ幸運だと感じたのです。()()()G()1()()()()()()()()()()()()()()()()()千載一遇の機会であることを見抜いたのです。

 

 

基本的に長距離走はヒトでもウマ娘でも変わらず自分にあったペースで走ることを維持し、ラストスパートのタイミングを大事にするもの。

 

今回の彼女の失敗は『トレセン学園の『選抜レース』に出走する玉石混交のウマ娘たちの不揃いのペースに翻弄された』という経験不足によるものであって、

 

『天皇賞』制覇を前提とした英才教育とトレーニングを受けてきた彼女がスタミナ切れを起こした原因はそれしかないと閃いたのです。

 

また、二重の意味で幸運だったのは、近年のトレセン学園は最強の“七冠ウマ娘”シンボリルドルフに象徴される黄金期であったため、

 

秋川理事長の自由な校風によって続々と入学してきた早熟の天才ウマ娘たちの青田買いも盛んである分、わずかな失点で大きく評価が下がるような競争率の激しい環境でもあったので、

 

この結果だけを見て『天皇賞』をとることが最大の目標である“天下無類の長距離ウマ娘(ステイヤー)”という絶対的な存在を簡単に周囲は見放したわけです。

 

そのため、彼は自身を売り込むために彼女のトレーニングの様子を観察し続け、緻密なトレーニング計画を立てることにしたのでした。

 

後になってわかったことですが、G2勝利で奨学金を勝ち取って無難にトレセン学園卒業を目指す底辺チームでの経験がまさに大きな助けと成っていたのです。

 

 

――――――そして、彼は自らの“運命”を掴み取ることができたのでした。

 

 

 

アグネスタキオン「なかなかに感動的な導入だったね」

 

アグネスタキオン「で、いつになったら“目覚まし時計”が出てくるのかな?」

 

アグネスタキオン’「そもそも、マックイーンと担当トレーナーの話は必須なのかい?」

 

斎藤T「全然。結論だけ言えばすむ話だけど、その結論に至るまでの過程を理解しなくて結論に納得してくれるのなら、私はそれでいいけど」パシャ

 

斎藤T「私も時間が巻き戻る怪奇現象の原因となった“目覚まし時計”の謎を解き明かすために分解しに来ただけだし」パシャ

 

斎藤T「さてさて、リバース・エンジニアリングも久々だし、しっかりと分解したパーツと構成を撮影して 元に戻せるようにしないと」パシャ

 

アグネスタキオン’「それじゃあ、マックイーンにとって彼女の担当トレーナーが大きな助けになったものって言うのは?」

 

斎藤T「彼女はメジロ家の令嬢として常に均整のとれたプロポーションを維持するために厳しい食事制限を自ら課していたんだ」パシャ

 

斎藤T「つまり、太りやすい体質だったのが名家のお嬢様の最大の弱点だったんだね」パシャ

 

アグネスタキオン「なるほど。食事制限が行き過ぎて空腹で力が出ないわけか」

 

斎藤T「それだけじゃない。トレセン学園は全寮制で、食堂を利用しないなら、自炊が必要だろう?」パシャ

 

斎藤T「一応、お前も『名家』アグネス家の令嬢だから訊くけど、自炊なんてするのか?」パシャ

 

アグネスタキオン「いや、しないね。食事なんて生命維持活動に必要な栄養を補給するだけの行為だから、そんなものに手間を掛ける時間はないよ」

 

斎藤T「同じように、『名家』メジロ家の令嬢:メジロマックイーンが自炊すると思うか?」パシャ

 

アグネスタキオン’「まあ、無理だろうね。私はミキサーに入れやすいように野菜や果物を包丁で切り分けるぐらいはするけど、彼女の場合は包丁を握ったことすらないんじゃないかな」

 

斎藤T「そういうこと。自炊できないから、食事制限の方法が欠食になりがち。だから、メジロマックイーンの『選抜レース』は悪成績だったわけだ」パシャ

 

斎藤T「これが使用人を同伴できるんだったら、結果は大きく変わっていたんじゃないかな?」パシャ

 

 

アグネスタキオン’「なるほど。トレーナーが彼女から信頼を得ることができたのは『食事管理ができる人だったから』なんだね」

 

 

斎藤T「そう、わかってしまえば、実に単純な話さ」

 

斎藤T「こうしてベテラントレーナーや名門トレーナーが見放した隙に約束された未来のG1ウマ娘を無名の若手トレーナーが安々と手に入れることができたというわけだ」

 

斎藤T「そして、程度が低いと言われている底辺チームでのゆるい雰囲気の中で低糖質・低カロリー・低脂質などの“楽してG2レースに勝てる”献立や菓子をたくさん作らされていたのが吉となった」

 

斎藤T「それに付け加えて、底辺チームで扱き使われていた中でG1勝利に血道を上げることがない年頃の女の子のありのままの姿を間近で見ていたことも相性の良さに繋がった」

 

アグネスタキオン「まあ、一見すると貞淑な振舞いをしてはいるけど、きみが語ったようにズレがあるからね、マックイーンは」

 

斎藤T「そう、メジロ家の令嬢はとかく相手を見た目や身分で判断せずに、本当の意味で実力主義を徹底しているようだから、無名の若手トレーナーにとっても非常に親しみやすかったのもプラスだった」

 

アグネスタキオン’「なるほど、そう聞くと『京都大賞典』に続いて『天皇賞(秋)』に無理をしてまで出走した理由もわかるような気がするよ」

 

 

斎藤T「ああ。2人は心中するつもりだったのさ」

 

 

斎藤T「彼からすれば 経緯はどうあれ メジロ家の令嬢を再起不能にして引退させた無能ということになるし、」

 

斎藤T「最初にベテラントレーナーや名門トレーナーを出し抜いて彼女の担当になったことを根に持たれてトレーナー組合での立場は相当に悪かったらしいしね」

 

斎藤T「彼女の方も『天皇賞(春)』をとってメジロ家三代による三連覇を成し遂げたものの、」

 

斎藤T「トレセン学園の黄金期を築き上げた“七冠ウマ娘”シンボリルドルフたちと比較してどうなのかというG1勝利者特有の贅沢な悩みを抱えていてね」

 

斎藤T「そこにウマ娘にとって不治の病である繋靭帯炎――――――」

 

斎藤T「結局、2人はウマ娘レース以外での生き方を知らないし、互いが互いを最高のパートナーだと認め合っていたから、次なんてないことは理解していたんだ」

 

 

斎藤T「だから、2人に残された道は心中することしかなかったというわけ」

 

 

アグネスタキオン「それは論理が飛躍しすぎている気がするがね」

 

斎藤T「第三者から見れば そうさ。でも、2人にとっての不幸はレースに勝つことしか頭になくて、引退した後の進路について無知だった――――――」

 

斎藤T「そして、根底にあったのが身分差別、それと大人と子供という年齢差だよ」

 

斎藤T「無名の若手トレーナーとメジロ家の令嬢とでは身分に差がありすぎるし、成人男性と未成年女性の関係だ。不純異性交遊として引き離されるだろう」

 

アグネスタキオン’「まあ、身分差別については実感が湧かないけど、不純異性交遊になるのは間違いないだろうね」

 

斎藤T「でも、トレセン学園のトレーナーである以上は、食っていくためには やがては彼女以外のウマ娘の指導をしていかなくちゃならない――――――」

 

斎藤T「一方で、メジロ家の令嬢として優秀な遺伝子を遺していくために()()()を果たさなくちゃならない運命にある――――――」

 

 

斎藤T「ほら、2人に残された道はメジロ家の意地を見せた後に心中することになるだろう?」

 

 

アグネスタキオン’「……きみは随分と2人に入れ込んでいるようだね、そこまで詳しく調べ上げたということは」

 

斎藤T「いや、正論を叩きつけて事態が解決するんだったら、ここまでの経緯を本人の口から語ってもらう必要はなかったんだよ!」

 

斎藤T「私はどうしても繰り返される『天皇賞(秋)』から抜け出すために、2人の心中を阻止しなくちゃならない運命にあったらしくて!」

 

斎藤T「記憶違いでなければ20回は繰り返して、今は21周目の世界なんだよ。半日程度で時間が巻き戻ることを考えると10日は余計に歳をとったことになる」

 

斎藤T「もうね、ハッピーミークが1着になって メジロマックイーンがターフの上で力尽きる展開を飽きるぐらい見てきたよ……」

 

アグネスタキオン「なるほど、その原因となったのが“目覚まし時計”というアイテムなんだね」

 

アグネスタキオン’「どうだい? 分解してみて何かわかったかい?」

 

斎藤T「いや、全然」

 

斎藤T「もしかしたらタキオン粒子を制御するマイクロチップが搭載されているかもしれないという淡い期待を持っていたけど、特におかしなところはない」

 

斎藤T「残念、()()()()ただの目覚まし時計だ」

 

斎藤T「リバース・エンジニアリングは終わりだ。元に戻す」

 

アグネスタキオン「へえ、『タキオン粒子』と言ったかい、今?」

 

アグネスタキオン’「きみ、当たり前のように『タキオン粒子を制御する』だなんて言っているけど、本当は何者なんだい?」

 

斎藤T「言ったところで理解できないだろう」

 

アグネスタキオン「なら、話の続きをしてもらおうか?」

 

アグネスタキオン’「マックイーンの担当トレーナーが“目覚まし時計”を使うことになった経緯をね」

 

斎藤T「まあ、ここからは内容が内容だけに信憑性に欠けるけど、使った本人が言った通りの内容で語るとしようか」

 

 

 

こうして始まった無名の若手トレーナーとメジロ家の令嬢のサクセスストーリーは次第に人々の心を掴んでいくこととなりました。

 

前評判通りの“天下無類の長距離ウマ娘(ステイヤー)”の本領を発揮して2年目:クラシック級では『菊花賞』を勝利し、無名の若手トレーナーは 一躍 新進気鋭のトレーナーとして名を上げ、

 

また、好敵手となるトウカイテイオーと名勝負を繰り広げ、まさに世代の中心にいたのは無名の若手トレーナーとメジロ家の令嬢とまでなったのです。

 

しかし、彼の成り上がりとも言える成功を妬む声があり、メジロ家の令嬢という約束された勝ちウマ娘を見逃したベテラントレーナーや名門トレーナーたちの逆恨みは凄まじいものがありました。

 

何しろ、元々は底辺チームのサブトレーナーだった若造がメジロ家の令嬢を射止めて『菊花賞』をとったことで、自分たちに見る眼がなかったことを世間に嗤われていましたから。

 

そのため、彼は常に誹謗中傷や嫌がらせを受けることになり、時には彼女の担当を替わるように脅されたことさえあったそうです。買収を持ちかけられたことも。

 

けれども、底辺チームでの下積みのおかげで年頃のウマ娘の奔放さと本音に付き合うことができ、自身が憧れ続けた夢の舞台で愛バと勝ち続ける夢を譲ろうとはしませんでした。

 

 

そして、突き付けられるウマ娘とトレーナーの関係性――――――。

 

 

ベテラントレーナーや名門トレーナーたちがなぜそこまで勝ちにこだわるのか、なぜメジロ家の令嬢を欲しがるのか、なぜ名バを求めるのか――――――、

 

その本質は結局は自分のため、自分が食っていくためにウマ娘を体良く利用する魂胆だとがわかってしまった時から、

 

ベテランとしての実績や名門としての意地やしがらみなど何もない 無名の若手トレーナーは頑なになってしまったのでしょう。

 

最終的には担当トレーナーの危機を察知した彼女が実家:メジロ家に働きかけたことで事態は収束し、そうした障害を乗り越えて2人の男女の絆が深まることになりました。

 

しかし、不幸なことにベテラントレーナーや名門トレーナーたちとの確執によってトレーナー組合での彼の居場所はなくなり、

 

そして、不幸なことにベテラントレーナーや名門トレーナーというものを軽蔑するようになったことで自身がトレーナーとして成長する機会を失ってしまうことになったのです。

 

2年目のクラシック級や3年目のシニア級の成功の後、高等部に進級しての心機一転の4年目――――――、

 

『大阪杯』『天皇賞(春)』を制して『宝塚記念』に勝利すれば史上初の“春シニア三冠ウマ娘”となれると言ったところで“黒い刺客”に襲われてしまったのです。

 

手に届きそうで届かなかった“春シニア三冠ウマ娘”の称号――――――、

 

そのことを残念には思うけれども、あくまでメジロ家は『天皇賞』制覇が使命として、素直に新世代の台頭を喜ぶ中、

 

本当の“黒い刺客”が“天下無類の長距離ウマ娘(ステイヤー)”である彼女の脚を奪っていたことに気付かされたのはしばらく後のことでした。

 

更なる勝利と躍進に備えて未来の展望を明るく語り合う2人の男女に突如として彼女が不治の病に冒されたことが宣告されたのです。

 

2人の男女の未来は突如として闇に包まれてしまいました。走ることが大好きだった彼女が走ることを許されなくなってしまったから。

 

このままでは2人の関係が終わりを迎えてしまうのは明らかであり、2人は離れ離れになってしまうことに恐怖しました。

 

 

だからこそ、2人の男女は禁忌を求めてしまったのです――――――。

 

 

彼はもう彼女以外のウマ娘のトレーナーになるつもりはなく、なりたくてもメジロ家の後ろ盾を失えばトレセン学園に居場所はなく、

 

彼女の方は彼がトレーナーである以上は他のウマ娘の担当となるしかないことは理解できていても、彼以外の殿方と結ばれる運命を受け容れられませんでした。

 

そう思い込んでいただけかもしれないのに、2人は頑なになったことで2人だけの世界への逃避を始めるようになったのです。

 

自分にはもうあなた以外に何もない――――――、その思いが2人を狂気の道へと走らせたのです。

 

そして、彼と彼女は世にも不思議な()()()()()()目覚まし時計の虜となったのでした。

 

 

 

斎藤T「ウマ娘レースには以下のような原則が存在する」

 

斎藤T「競走に勝つ意志を持たずに競走バを出走させてはならない――――――」

 

斎藤T「トレーナーは競走でウマ娘の全能力を発揮させなければならない――――――」

 

斎藤T「災害や投石等の妨害行為があった場合や所定の走路と異なる走路で行われた場合には、その競走は不成立となる――――――」

 

斎藤T「以上の原則をもって、連戦連勝であったとしても大事を取って次の出走を見合わせたり、引退を宣言したりするわけだな」

 

斎藤T「勝つためではなく心中するために出走を決意した2人を違反者として私が厳しい態度で臨んだのも当然の話だろう?」

 

 

斎藤T「――――――夢の舞台を無礼(なめ)るな! そこは夢破れたお前たちの共同墓地なんかじゃない!」

 

 

アグネスタキオン「でも、きみはそれでも助けたのだろう? きみからすれば友達の友達でしかない見ず知らずのトレーナーとウマ娘のことを」

 

斎藤T「いや、ホントだよ。相手の方も私が来て『誰だ、こいつ!?』ってなったからね」

 

斎藤T「何にせよ、別々な場所だけれど心は1つの心中を防ぐことができてよかったよ」

 

斎藤T「『秋シニア三冠』の最初で、担当ウマ娘が本当にターフの上で息絶えて 担当トレーナーが多摩川に入水自殺だなんて、とんでもない不祥事だろう?」

 

斎藤T「そうなったら確実に秋川理事長が企画した新レース『URAファイナルズ』の開催は危ぶまれたことだろう」

 

アグネスタキオン’「そうだね。国民的人気を得たトレーナーとウマ娘の心中事件は確実に現状のウマ娘レースの暗部にメスを入れることになるだろう」

 

斎藤T「あーあ、そのことを誰も知らないんだからさ? まあ、褒めてもらいたいわけじゃないけど、苦労に見合った分の何かは欲しいよなぁ?」

 

斎藤T「さて、元に戻したな」

 

斎藤T「和田Tが言うには、この“目覚まし時計”は一見すると普通のゼンマイ式なんだが、」

 

斎藤T「絶対に負けられない勝負に挑む時なんかに回すと、頭の中で“日めくりカレンダー”が回り始めて、それがリスタート地点の設定になるらしい」

 

 

斎藤T「今回の『天皇賞(秋)』の前に出走した『京都大賞典』でメジロマックイーンがレコード記録を叩き出した方法がこれなんだそうだ」

 

 

アグネスタキオン「そうなのかい。まったくもって理解できない説明だが、続けたまえ」

 

斎藤T「ああ、あの時の『京都大賞典』のレース目標はメジロ家の意地を内外に知らしめて『メジロ家に自分たちの関係を認めてもらう』という極めて私的なものだったんだ」

 

斎藤T「6月の『宝塚記念』の後の不治の病で引退が囁かれた2人は進退窮まって、一時は駆け落ちも考えていたようだけど、」

 

斎藤T「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という願いから『心中を決意する』という論理の飛躍が行われてね」

 

斎藤T「本当はもうメジロ家の方でも十分に頑張った娘の意思を尊重するつもりでいたのだけれど、飛び出してきたのが『京都大賞典』『天皇賞(秋)』への出走なんだから、二の句が継げなくなったみたいだな」

 

アグネスタキオン’「だから、メジロ家としては黙認の立場となるわけだね」

 

アグネスタキオン’「そして、周囲の予想を裏切って『京都大賞典』での大勝利によってメジロ家の意地を見せつけた後は、心置きなくターフの上で死ねると」

 

斎藤T「その有無言わせぬ大勝利を叩き出すために和田Tは“目覚まし時計”を使って何度も『京都大賞典』を繰り返したそうだ」

 

斎藤T「そうなれば、もう後は簡単だろう?」

 

アグネスタキオン「待ちたまえ。“目覚まし時計”がどういったものなのかは理解できたが、その出処は?」

 

斎藤T「わからない。いつの間にか使っていたそうだ。自白剤を飲ませても『記憶にない』と言い張った」

 

アグネスタキオン「それじゃあ、きみが巻き込まれた理由は?」

 

アグネスタキオン’「きみが何度も『天皇賞(秋)』を繰り返すことになったのは『和田Tが作動させた“目覚まし時計”が停止しなかったから』なのだろう?」

 

斎藤T「巻き込まれた原因なんてわかるわけないだろう!」

 

斎藤T「使った本人の和田Tが記憶を持ち越しているのは当然として、なんで私だけがこんな目に――――――!?」

 

斎藤T「ただ、『京都大賞典』での大勝利を達成したら時が巻き戻ることがなくなったから、基本的には使用者の望みが達成された時に“目覚まし時計”は機能を停止するようだ」

 

 

アグネスタキオン「じゃあ、本当はマックイーンの担当トレーナーは心中なんて望んでいなかったわけか」

 

 

斎藤T「そういうことになる」

 

斎藤T「ただ、明日に向かう勇気がなくて、同じ時間を永劫に繰り返すことになってしまったけどな……」

 

斎藤T「まあ、部屋に遺書なんて遺していったのが運の尽きだったね。それで各方面に対して自殺志願者の捜索の協力を取り付けるのは簡単だったし、」

 

斎藤T「生徒会長のところのシンボリ家にまで追い掛け回されて、進退窮まって多摩川に身投げを図っても時間が巻き戻って また追い掛け回されるんだから、」

 

斎藤T「()()という行き止まりで立ち往生しているやつを()()()()()()追い詰めること自体は楽な作業だったよ」

 

斎藤T「まあ、追いかけっこの時間そのものは楽しかったかな」

 

斎藤T「和田Tが私から逃げるために府中市を必死に駆け回るんだけど、私が追いかけようが追いかけなかろうが時間が巻き戻ってしまうわけだし、」

 

斎藤T「私はその状況を利用してシンボリ家やアグネス家の方々からトレーナーとウマ娘の関係についての意見を聞いたり、先回りして これ見よがしに 和田Tをおちょくったりね、有意義に時間を使わせてもらったよ」

 

斎藤T「すると、どうなるか」

 

アグネスタキオン「――――――集中力が切れるだろうね。『今日この日に死ぬ』という不退転の決意すら萎えてしまうわけだ」

 

アグネスタキオン’「そして、『死にたいのに死ねない』という嘘の仮面が剥がれていく」

 

アグネスタキオン’「でも、『そこから先を どうしたらいいのか わからない』ということで再び思い悩むことだろう」

 

斎藤T「そう、結局はそこで――――――、」

 

斎藤T「和田Tをメジロのおばあちゃんの前に引っ立てて、メジロ家が引退後の2人を受け容れる用意があったことを伝えることで、ようやく空回りしていたことを自覚したんだ」

 

 

――――――()()()()()()()()()()()()

 

 

斎藤T「それがわかったのが20周目の出来事で、ようやく21周目で和田Tは担当ウマ娘を迎えに東京競バ場に()()()()向かうことになったんだ」

 

斎藤T「私も久々に先輩と一緒の場所でハッピーミークが1着を取るのを見届けることができたわけ」

 

斎藤T「――――――()()()()()()()()ってのは楽じゃないな、まったく」

 

アグネスタキオン「……そうだね、トレーナーくん(モルモットくん)

 

アグネスタキオン’「でも、私は好ましく思うよ、トレーナーくんのそういうところ」

 

斎藤T「……一方的に巻き込まれただけだ。最初から見ず知らずの他人のことを救おうとしたんじゃない」

 

斎藤T「だから、世にも不思議な()()()()()()目覚まし時計の都市伝説の最後はこうなる――――――」

 

 

 

無名の若手トレーナーは世にも不思議な()()()()()()目覚まし時計の力で もう走ることができないと絶望視された彼女の奇跡の大勝利を演出します。

 

この大勝利によってメジロ家の意地を見せつけた後、彼と彼女はもうこの世に思い残すことはありませんでした。

 

この目覚まし時計を授けてくれた神様に感謝を捧げ、その日を迎えるまでに誰も知らない2人だけの世界へと繋がる死出の旅路を夢見て、2人はこの世の暇乞いを済ませていくのでした。

 

そして、迎えた彼と彼女が紡ぐ悲劇のクライマックスの舞台――――――、2人だけの独壇場――――――。

 

 

しかし、運命は、神様は、目覚まし時計の魔力は、彼と彼女の絆を永遠に引き裂くのでした。

 

 

本当は人生最後の走りを見せて最後の暇乞いとけじめのために引退を宣言した後に、2人で多摩川の流れに身を任せようとしていたのですが、

 

なんたることか、最後の走りを目に焼き付けようと待っていた彼の目の前のターフの上で本当に彼女が力尽きてしまったのです。

 

それによって、一緒に死出の旅路につくことができないことを焦った彼はすぐに目覚まし時計を使って時間を巻き戻して、

 

ターフの上で彼女が力尽きる瞬間に合わせて、多摩川に身投げするように修正を迫られることになったのです。

 

そして、ラジオで彼女が力尽きた悲劇的なナレーションが聞こえた瞬間に多摩川に愛し合う男女2人の今生の思い出と死出の旅路の品々が積まれたウェディングカーで入水自殺――――――。

 

 

ところが、次に気づいた瞬間には また今日という一日が始まってしまいました。

 

 

何かが変わったわけでもなく、愛した彼女がターフの上で死ぬ運命であることに変わりなく、その度に多摩川に身を沈めても今日という一日が繰り返されました。

 

何度 多摩川に飛び込んでも今日という一日が繰り返されたことに いよいよ原因が世にも不思議な()()()()()()目覚まし時計にあることを悟り、彼は目覚まし時計を壊してでも止めようとしたのです。

 

しかし、彼は驚愕しました。ゼンマイを差し込んだ瞬間に浮かび上がるのは無限に今日という日がめくられ続ける日めくりカレンダーの幻影だったのです。

 

今日という一日が永遠に繰り返されることに恐怖し、思わず目覚まし時計を地面に叩きつけると、狂ったように目覚まし時計の針が回り出します。

 

それでますます恐怖に怯えた彼は多摩川に突っ込むことなくクルマを走らせ続けますが、気づいた時にはまた今日という一日が始まっていました。

 

 

――――――今も無名の若手トレーナーの彼はターフの上で死を遂げる運命にある愛しいウマ娘との再会を果たすために現実から逃げ続けていることでしょう。

 

 



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第10話   天高く馬肥える聖蹄祭

-西暦20XX年11月03日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

本日はトレセン学園の学園祭である“聖蹄祭”――――――『秋のファン大感謝祭』である。

 

基本的に日本のウマ娘レースは春と秋の催しが対になるようになっているが、トレセン学園の催しもそれに倣っている。

 

というよりは、夏と冬という表現を嫌っているが故に、無理やりにでも春と秋が対になるように設定されているようだ。年末の『有馬記念』がそうなっているのだから。

 

 

春秋グランプリ:『宝塚記念』『有馬記念』

 

春秋シニア三冠:『春シニア三冠』『秋シニア三冠』

 

春秋スプリント:『高松宮記念』『スプリントステークス』

 

春秋マイル  :『安田記念』『マイルチャンピオンシップ』

 

春秋ダート  :『フェブラリーステークス』『チャンピオンズカップ』

 

 

つまり、『秋の大ファン感謝祭』があるなら、『春の大ファン感謝祭』も存在するわけであり、こちらは春の大運動会:体育祭といった様相となっている。

 

しかし、こう考えると何だかんだ言って学園関係者以外の人間がトレセン学園に出入りする機会は多い。

 

たとえば、年に4回開かれるトレセン学園の『選抜レース』は未デビューの生徒がレース出走のために担当トレーナーにスカウトしてもらえるように実力を示すものだが、

 

レースの成績によって今後の運命が決まると言っても過言ではない重大なイベントであり、期待度の高いウマ娘は『選抜レース』の時点で数多くのファンが駆けつけてくるのだ。

 

あるいは、無差別級となる年2回の『種目別競技大会』はデビューの有無やチームの所属に関係なくトレセン学園の生徒全員に参加資格が存在しており、

 

デビュー前のウマ娘がデビュー済みのウマ娘と肩を並べて戦える貴重な機会であるため、全国から注目を集めており、やはり学外からも観覧客が大勢やってきている。

 

それ以外にも日常的に注目のウマ娘へのインタビューのために記者が頻繁に訪れているため、かなりの頻度で不特定多数の人間が来場するためにどうしてもセキュリティが甘くなってしまう。

 

そのため、緊急記者会見まで開くことになった8月末の忌々しい事件のこともあり、ERTを常駐させている民間警備会社もこの日はかなりピリピリした雰囲気を纏っていた。

 

また、所属する生徒全員が学園のイベントに参加できるわけではなく、現に“聖蹄祭”の日程とダート・2000mのG1レース『JBCクラシック』が被っており、

 

そのため、こうした学園のイベントでファンと直に接して新規ファン獲得の機会を失う面でも国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』の厳しさがあった。

 

その辺りのトレセン学園のイベント開催も計算に入れて年間計画を立てて実行に移せる担当トレーナーと担当ウマ娘でなければ夢の舞台での勝利者には成りえない。

 

なぜなら、春秋グランプリである『宝塚記念』『有馬記念』はファンの人気投票で上位のウマ娘が優先的に出走できるのだから、ファンの存在は極めて重要な出走条件にもなっているからだ。

 

もちろん、優先されるべきは公式戦での勝利であり、ターフの上での勝利こそが一番のファン獲得の手段ではあるものの、それでもファン獲得の機会に差をつけられている事実に変わりない。

 

こうした事情もあって、トレセン学園が極めて外部の人間にも開放的になっていたわけなのだが、8月末の学生寮不法侵入事件はそのことに一石を投じることになった。

 

また、つい先日のG1レース『天皇賞(秋)』におけるメジロマックイーンの悲劇的な引退も記憶に新しいため、今年の“聖蹄祭”は例年より落ち込んだ雰囲気にあったという。

 

それでも、府中市のトレセン学園を訪れる人の波は尋常ではなく、当日入場券もすでに売り切れとなっており、学園の収入面でも欠かすことができないイベントであった。

 

それは満員の送迎バスがひっきりなしに往復してくる様子からも明白であり、時には来賓のリムジンも列をなして訪れていた。

 

そして、先日の『天皇賞(秋)』で勝利を飾った名門トレーナー:桐生院Tとハッピーミークが一番の注目の的であった。

 

来賓やファンへの応対に追われる2人を他所に、妹を伴って私は気ままに“聖蹄祭”のトレセン学園を見て回っていた。

 

 

ところで、“天高く馬肥える秋”という古来からある豊穣の秋を称える季語であるが、

 

その由来は唐の詩人:杜審言の『蘇味道に贈る』の中の一節『雲浄くして妖星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ』であり、元々は「騎馬民族の襲来に備えろ」という警告である。

 

つまり、本来の『秋高く塞馬肥ゆ』から現在の『天高く馬肥ゆる秋』と変遷したものであるが、これは騎馬民族による脅威が失われた時代でも通用するものである。

 

要するに、ウマ娘レースは1月から始まって12月で締めるため、冬季でオフシーズンを迎えて力を蓄えるウマ娘や冬季のレースでの疲労を溜め込んだウマ娘が来シーズンに入り乱れるようになり、

 

翌年からの新シーズンには昨年までの実力差が絶対のものではなくなっていく様子を示唆しており、

 

夢の舞台である『トゥインクル・シリーズ』の栄光は誰もが目指せるものであると同時に誰かに追い落とされるのもあっという間となる盛者必衰のレースである。

 

そのため、暑かろうが寒かろうが年間でベストコンディションでG1勝利し続けるウマ娘は本当に凄いわけである。

 

その唯一無二の達成者である“年間全勝の伝説(レジェンド)”テイエムオペラオーが“七冠ウマ娘”シンボリルドルフ以上に競走バとして評価されるのはそれ故である。

 

しかし、そのテイエムオペラオーは“孤高の王者”であったために、トレセン学園を牽引するだけの指導者としての才はなかった。

 

そのため、競走バとしては最強格のテイエムオペラオーであったとしても、私は今現在のもっとも困難な時期に毅然と立ち向かい続けるシンボリルドルフの方を尊敬している。

 

そして、現在の秋川理事長によって築き上げられたトレセン学園の黄金期の象徴である生徒会長:シンボリルドルフの苦悩は誰にも伝わることはない――――――。

 

 


 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

陽那「兄上、今度はあちらに行きましょう!」

 

斎藤T「おいおい、周りに気をつけろよ。大丈夫だって、時間もたくさんあるんだからさ」

 

才羽T「やあ、斎藤T」

 

斎藤T「おお、こんにちは、才羽T。繁盛しているみたいですね」

 

才羽T「うん。売り子が優秀だからね。今、喫茶店は嬉しい悲鳴を上げて大変だよ」

 

才羽T「まあ、僕は健康スイーツを喫茶店に納入するだけだから、店の様子を見てるだけでいいんだけどね」

 

斎藤T「陽那、こちらは去年の“クラシック三冠バ”ミホノブルボンの担当トレーナーの才羽Tだぞ」

 

陽那「はじめまして、斎藤 展望の妹:ヒノオマシ・陽那です」

 

才羽T「こちらこそ はじめまして、陽那さん。才羽 来斗です。あなたの兄とは仲良くやらせてもらっています」

 

才羽T「どうでしょう? まだランチをいただいていないなら、担当ウマ娘:ミホノブルボンが売り子を務めてます健康喫茶店での優雅な一時はいかがですか?」

 

才羽T「こちらはその割引クーポンとなります」

 

陽那「いただいてよろしいんですか? ありがとうございます! 後ほどお邪魔しますね!」

 

才羽T「いい笑顔だ」

 

才羽T「やっぱり、()の斎藤Tは僕の予想通りの人物だったね……」

 

斎藤T「ありがとうございます、先輩」

 

斎藤T「ところで、今月の『ジャパンカップ』出走の理由はどういったものになるんですか?」

 

才羽T「単純な話だよ。ブルボンの子供の頃からの夢である“クラシック三冠バ”を達成することはできたけど、それで終わりにするのはもったいないからさ」

 

才羽T「それに僕が新人トレーナーとしてトレセン学園に配属になった年に秋川理事長が新レース『URAファイナルズ』開催の構想を練っていたわけだし、」

 

才羽T「いよいよ開催される『URAファイナルズ』に向けて、そして 更なる夢へと邁進するために『天皇賞(秋)』を捨てて『ジャパンカップ』をとったんだ」

 

斎藤T「海外遠征を考えているわけですか、それは?」

 

才羽T「ああ。僕もきみと同じだよ」

 

 

才羽T「僕は僕の夢を叶えるためにトレセン学園に来て、担当ウマ娘の願いを叶えてから僕の夢に付き合わせているんだ」

 

 

斎藤T「そうだったんですか」

 

才羽T「だから、きみも 担当ウマ娘の夢を叶えながら きみ自身の夢を追いかければいい」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

斎藤T「ええ、流しそうめんの席でお話した時の言葉通りにですね」

 

 

――――――同じ道を往くのはただの仲間にすぎない。別々の道を共に立って往けるのは友達だ。

 

 

斎藤T「だから、ウマ娘のトレーナーはいずれは“仲間”である担当ウマ娘と“友達”となって“独立自尊”させていく義務がある」

 

才羽T「そのとおり。それが『飛ぶ鳥 跡を濁さず』、トレセン学園から巣立っていく生徒たちへの最後の贈り物なんだ」

 

斎藤T「…………それができずにいたのが『天皇賞(秋)』のメジロマックイーンとその担当トレーナーだった」ボソッ

 

 

 

――――――才羽T 監修のミホノブルボンの健康喫茶店 -おいしい笑顔の真ん中に- 

 

メジロマックイーン「美味しすぎて手が止まりませんわ! パクパクですわ!」 ――――――明るい表情で頬張る車椅子のウマ娘。

 

和田T「おいおい、食べ過ぎるなよ、マックイーン」 ――――――呆れながらも車椅子の彼女に寄り添う一人の男性。

 

メジロライアン「そうだよ、マックイーン。引退したからって食べ過ぎたらモデル業の話もなくなっちゃうよ?」

 

メジロマックイーン「でも! でも! 才羽Tの健康スイーツはいくらでも食べられますわ! 美味しすぎるのがいけないんですわ!」

 

和田T「食べ過ぎたら健康スイーツの意味がないってば!」

 

 

斎藤T「あれは…………」

 

陽那「あれってメジロマックイーンさんですよね、兄上?」

 

陽那「よかった。あんなふうに笑顔になれて……」

 

斎藤T「ああ。本当だよ」

 

斎藤T「あ――――――」

 

 

和田T「――――――」ペコッ ――――――こちらを見るなり気恥ずかしそうに頭を下げた。

 

 

斎藤T「――――――」スッ ――――――才羽Tの決めポーズを真似て天を指差した。

 

 

和田T「――――――」スッ ――――――すると同じように天を指差して明るい表情を見せた。

 

 

斎藤T「……もう大丈夫だな」フフッ

 

陽那「?」

 

斎藤T「いや、なんでもない」

 

ミホノブルボン「いらっしゃいませ、お客様(マスター)。ご注文は何にいたしましょう?」

 

陽那「これをお願いします!」 ――――――割引クーポンを提示する。

 

ミホノブルボン「おお、これはマスターが直接配っているクーポンですね。注文確認。では、楽しい一時をお楽しみください、斎藤T」

 

斎藤T「ありがとう。期待してるよ、『ジャパンカップ』」

 

陽那「応援していますからね、ミホノブルボンさん!」

 

ミホノブルボン「ありがとうございます。必ずや勝利してみせます。もちろん、『有馬記念』『URAファイナルズ』もです」

 

 

ゴールドシップ「はい、ブルボン。これ、お願いな」ザッ ――――――割引クーポンを提示しながら同じ席に着く。

 

 

斎藤T「……おい」

 

陽那「…………何ですか、この人は?」ジロッ

 

ゴールドシップ「おいおい、何だよ、トレーナー! 妹にアタシとの関係を教えてなかったのかよ! 一緒にレースの感動をわかちあったってのによぉ!」

 

ゴールドシップ「アタシはトレーナーのダチだからよ、そんなふうに怖がるなってば」

 

斎藤T「……どうせ何を言っても聞きやしないんだろう?」

 

斎藤T「わかった。相席を認めてやるから、ゴールドシップの注文も頼む」

 

ミホノブルボン「わかりました、お客様(マスター)

 

斎藤T「………………」

 

陽那「………………」

 

ゴールドシップ「何だよ、黙りこくってさ? 悩みがあるんだったら、このゴルシ様が聞いてやるから、言ってみ?」

 

陽那「いえ、あなたとお話することは何もありませんが?」

 

斎藤T「……お前の大好きなメジロマックイーンはそこにいるぞ?」

 

ゴールドシップ「おいおい、いくらゴルシちゃんがマックイーンのことが大好きでも、たまにはそっとしておいてやりたいと思う時だってあるんだぜ?」

 

陽那「なら、兄上と2人きりの時間の邪魔をしないでくださいませんか?」

 

ゴールドシップ「それより なんだけどさ、トレーナー」

 

斎藤T「……何だ?」

 

陽那「むぅ……」

 

 

ゴールドシップ「ありがとな。マックイーンのことを助けてくれて。あんたが本当の『天皇賞(秋)』の勝者(ウィナー)だよ」

 

 

斎藤T「え」

 

ゴールドシップ「だからさ、今度は――――――」

 

陽那「…………あの、無視しないでいただけますか、ゴールドシップさん?」

 

ゴールドシップ「じゃあ、話はそんだけな」

 

ゴールドシップ「来週もゴルシちゃんから目を離しちゃダメよ~!」ウフッ

 

ミホノブルボン「あ、お客様(マスター)? 今 ご注文の品を届けに来ましたが、どちらへ行こうと言うのです、お客様……?」

 

ゴールドシップ「おっと、そいつはアタシからのおごりだ。とっときな」キリッ

 

ゴールドシップ「バ~イ」

 

ミホノブルボン「あの……、お代…………」

 

陽那「……相変わらず何なんですか、あの人は?」

 

陽那「兄上も兄上です! 思わず見惚れるぐらいの高身長とプロポーションの綺麗な見た目に騙されちゃいけませんからね!」プンプン!

 

斎藤T「そんなわけないだろう……」

 

ミホノブルボン「マスター、この状況、いったいどうすれば…………?」オロオロ・・・

 

斎藤T「ああ……、ミホノブルボン、ゴールドシップの伝票をください。その皿は私がいただきます」

 

ミホノブルボン「よ、よろしいのですか?」

 

斎藤T「こんなことで『ジャパンカップ』出走バの気分を害されるのは忍びない」

 

陽那「兄上……」

 

斎藤T「けど、さっきの発言は…………」

 

 

 

アリガトウゴザイマシター!

 

陽那「美味しかったですね、才羽Tの健康スイーツは」

 

斎藤T「ああ。本当によく研究しているし、大手菓子メーカーのタイアップも積極的にやっているから、トレーナー引退後はそっちの道でもやっていけそうだ」

 

斎藤T「最終的には国民的スポーツ・エンターテインメントの拠点であるトレセン学園を中心にして『健康的な食事から始まる笑顔の輪を世界中に広げていく』という壮大な夢の実現のために邁進していくんだな」

 

陽那「そうだったんですか! 兄上の夢と勝るとも劣らない素晴らしい夢ですね!」

 

斎藤T「そうだろう。だから、日本初の国際G1レース『ジャパンカップ』での海外交流を強く意識しているんだな」

 

陽那「楽しみですね、才羽Tの将来が」

 

 

斎藤T「たぶん、才羽Tはミホノブルボン以外の担当はやらないと思うな」

 

 

陽那「そうなんですか?」

 

陽那「……そうですね、私もそんな感じがしますね。スポンサーである大手菓子メーカーとの繋がりが深いですし」

 

斎藤T「私もその口でね。とりあえず、せっかく掴んだトレセン学園のトレーナーバッジの有効活用をするだけして、“未来の発明王”として ガンガン 働くからさ」

 

斎藤T「私の手で世界はどんどん変わっていくからな! その瞬間を見逃すなよ!」

 

陽那「はい! もちろんです、兄上!」

 

斎藤T「――――――っ!」ピタッ

 

陽那「どうかなさいましたか、兄上――――――」

 

陽那「!!!!」ビクッ

 

 

 

トウカイテイオー「………………」ジー  ――――――喫茶店の外から窓の向こうのメジロマックイーンの様子をずっと虚ろな目で見ていた。

 

 

 

斎藤T「………………」

 

陽那「……兄上、失礼ですよ。行きましょう」

 

斎藤T「あ、ああ……」

 

 

陽那「…………虚無に包まれていましたね、あの眼は」

 

 

陽那「父上と母上を失った直後に無理を重ねて身体を壊した時の私もあんな感じだったんでしょうね……」

 

斎藤T「あれは生徒会長のお気に入りだったトウカイテイオーだな。メジロマックイーンと同世代のホープとして“無敗の2冠ウマ娘”として勇名を馳せたが、」

 

斎藤T「――――――かつてのスターウマ娘の2人は 揃いも揃って 夢破れたり、か」

 

斎藤T「いやいや、トウカイテイオーは『日本ダービー』にも勝っているし、メジロマックイーンは『天皇賞』で勝っているんだし、」

 

斎藤T「れっきとした名バとして扱われて世代の中心に居続けたんだから、G1レースで勝ちきれない連中からすれば 羨ましいこと この上ないだろうにさ」

 

陽那「……でも、あの感じは危険な臭いがします。ずっと燻っていた火種から火の手が上がったような臭いです」

 

 

斎藤T「………………担当トレーナーは何をやっているんだ?」

 

 

斎藤T「たしか、トウカイテイオーの“クラシック三冠”は骨折によって『菊花賞』不参加で絶たれたんだっけか……」

 

斎藤T「そこから負けたから“クラシック三冠”を取れなかったわけじゃないことから、シニア級で“無敗”を目指して復帰戦の『大阪杯』を圧勝する活躍を見せ、」

 

斎藤T「そこから無敗の『天皇賞』制覇を掛けて、同じく『天皇賞』制覇を使命とするメジロマックイーンと対戦――――――」

 

斎藤T「しかし、二強対決として大きな注目を浴びたが、トウカイテイオーは5着に敗れて“無敗”の記録は呆気なく終わり、再び骨折が判明――――――」

 

斎藤T「が、その年の内に復帰して『ジャパンカップ』で優勝を果たし、メジロマックイーンの好敵手としての存在感を示し続けたわけだな……」

 

斎藤T「うん? これだけ見てもG1レースに勝ちまくってるじゃん、トウカイテイオー!」

 

陽那「はい、凄いですよ、本当に。私もテレビで見たことがあるぐらいに有名でしたし」

 

斎藤T「だが、とどめを刺したのは続く『有馬記念』――――――」

 

斎藤T「そこからトウカイテイオーは三度目の故障と休養で、もうレースには出ていない状態が続いて、」

 

斎藤T「一方、繋靭帯炎を発症したはずのメジロマックイーンが『京都大賞典』で新記録達成でメジロ家の意地を見せて『天皇賞(秋)』を掲示板を外さずに引退か」

 

斎藤T「この差は大きいな……」

 

 

陽那「…………そんなんじゃないと思います」

 

 

斎藤T「どういうことだ、ヒノオマシ?」

 

陽那「寂しいんですよ……。落ち込んだ時に側に誰もいてくれないという孤独感や疎外感が自分の存在に価値なんてなかったかのように詰めかけてくるんです……」

 

陽那「私もウマ娘ですから、走ることに限らず思いっきり体を動かすことに喜びや幸せを感じるんですけど、それと同じぐらいに誰かと一緒にいることに喜びや幸せも覚えるんです」

 

陽那「だから、トウカイテイオーさんの隣になんで誰もいてくれないんだろうって思うんです」

 

陽那「私の隣には兄上がいてくれたから、兄上の夢と共に再び立ち上がることができました……」

 

 

陽那「なんでトウカイテイオーさんの隣には生きるための夢を与えてくれる人はいないんですか?」

 

 

斎藤T「…………そんなに気になるか?」

 

陽那「だって! 兄上が二度と目覚めてくれなかったら、きっと私はあんなふうに生きていくんじゃないかって……」

 

斎藤T「……まったく、お人好しだな、ヒノオマシは」

 

斎藤T「トウカイテイオーは実績があるだけまだマシだろう」

 

斎藤T「この中高一貫校のトレセン学園だけでも2000名弱の生徒がいてG1勝利を目指して競い合っているんだ」

 

斎藤T「見てご覧よ、ヒノオマシ」

 

斎藤T「生徒数2000名弱とは言うが、その一人一人にトレーナーがつくことはない。担当トレーナーが見つからなければ、あそこにいる教官たちが数十人単位で一緒くたに指導するんだ」

 

斎藤T「メジロマックイーンの担当だった和田Tがかつて所属していたG2勝利やG3勝利でトレセン学園の卒業を狙うことを目的とした底辺チームのメンバーだって、少人数制の密着した指導を受けられるだけ十分にエリートなんだぞ」

 

斎藤T「そして、生徒全員が競走バとしての栄光を目指しているわけじゃなく、将来的なウマ娘レースの運営やサポートスタッフを目指すアシスタントコースもあるわけだから、」

 

斎藤T「選手生命を燃やし尽くしてアスリートコースから脱落しても、アシスタントコースへの転入で引き続きレースに関わっていく人生もありだろう?」

 

陽那「だから、そういうことじゃありません!」

 

斎藤T「……あの娘一人を救うことに何の価値を見出したんだ?」

 

斎藤T「あの娘以外にだって、いろいろな理由から夢破れて学園を去っていく生徒が毎年たくさんいるのに」

 

陽那「でも――――――!」

 

 

シンボリルドルフ「やあ、斎藤T。初めての“聖蹄祭”を楽しんでもらえているかな?」  ――――――名物:男装執事喫茶のコスプレ!

 

 

斎藤T「生徒会長……」

 

陽那「ほ、本物! 本物のシンボリルドルフ様ですよ、兄上! 本物!」フオオオ!

 

斎藤T「あ、ああ……」

 

シンボリルドルフ「少し時間をもらってもいいだろうか?」

 

陽那「どこへとでもついていきます! ね、兄上!」

 

斎藤T「お、おう……」

 

シンボリルドルフ「こちらへどうぞ、お嬢様」フフッ

 

 

 

――――――生徒会室

 

シンボリルドルフ「さあ、どうぞ召し上がれ、お嬢様」

 

陽那「あ、ありがとうございます! か、感激です! い、いただきます!」

 

シンボリルドルフ「そう畏まらなくてもいい。楽にしてくれたまえ、ヒノオマシくん」

 

陽那「は、はい……!」

 

陽那「さすがは兄上です! 日本中の憧れの的の生徒会長ともこうしてお話できる間柄だなんて!」

 

斎藤T「あまり言い触らしちゃダメだぞ」

 

陽那「はい!」

 

斎藤T「しかし、生徒会長。休憩時間に私たちをお呼びした理由は何ですか? メールでのやりとりではいけなかったのですか?」

 

 

シンボリルドルフ「和田Tから話があったんだ。先日の『天皇賞(秋)』でメジロマックイーンが無事に引退することができたのは斎藤Tのおかげだと」

 

 

シンボリルドルフ「だから、総生徒数2000名弱のトレセン学園生徒を代表して礼を言わせて欲しい」

 

シンボリルドルフ「本当にありがとう。和田Tが言うには『ターフの上で死ぬだなんてことが起こり得る可能性があった』というぐらいに危ない状態だったみたいなんだ」

 

斎藤T「さて、何の話でしょうかね? 私は初めての公式戦を先輩と一緒に見守っていただけで、和田Tとは友達の友達でしかないのですが?」

 

斎藤T「申し訳ありませんが、身に覚えのない話です」

 

斎藤T「それよりも、メジロ家の意地を貫けた上に掲示板を外さなかったんですから、この上ない幕引きだったことを称賛いたします」

 

シンボリルドルフ「……きみは本当に功を誇らないんだな」

 

 

斎藤T「ところで、来年の生徒会長はどなたになりますか?」

 

 

陽那「…………!」

 

シンボリルドルフ「そうだな、まず生徒会は生徒会長と副会長の2人で成り立っていて、もう1人の副会長:ナリタブライアンは私が指名したものだ」

 

陽那「え? あの、書記とか会計、庶務ってないんですか?」

 

シンボリルドルフ「ああ、必要ならばその席を用意することもあるだろうが、基本的に生徒会は総生徒数2000名弱の生徒たちのまとめ役という程度の役割で、」

 

シンボリルドルフ「学園の運営に対して各種要望や意見具申を生徒の代表として提出するのが主な役割で、さすがに2000名弱の生徒活動の一切を処理する能力はないよ」

 

シンボリルドルフ「ある程度の学園の方向性を示すのと各種要望や意見具申のチェックが主な役割で、生徒たちが本業であるレースに集中できる手配するのはトレセン学園の運営の仕事なのだからね」

 

斎藤T「つまり、そこまで強大な権限を生徒会は有さないが、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としての絶大な権威を持っているのが生徒会となる」

 

斎藤T「従って、生徒会役員には『名家』の後ろ盾とその権威を持つに相応しいレース実績があるのが望ましい」

 

斎藤T「そういう意味では『名家』シンボリ家の出身の学園最強の“七冠バ”である現生徒会長は文句なしの存在というわけです」

 

斎藤T「順当に行けば副会長:エアグルーヴが次の生徒会長になるわけですが、問題は次の世代ですよ」

 

シンボリルドルフ「その通り。生徒会総選挙は翌年の1月に行われる一大行事で私は例年こうして継続して会長職をやらせてもらっているが、」

 

シンボリルドルフ「私は秋川理事長の下で築き上げられたトレセン学園の黄金期の象徴でありすぎた……」

 

斎藤T「だから、あまり乗り気ではないナリタブライアンを副会長に指名しておいたわけなんですよね?」

 

陽那「どういうことですか、それって?」

 

 

斎藤T「要するに、“皇帝”シンボリルドルフや“女帝”エアグルーヴに匹敵する声望を持つウマ娘が後に続かないことが大問題なんだよ」

 

 

斎藤T「何しろ、今はトレセン学園の黄金期ということで、数々の名勝負を繰り広げてきた強豪バが名を連ねる一方で、」

 

斎藤T「そうして実力が拮抗し合った結果、2000名弱のエリート競走バたちを牽引していくだけのカリスマ的存在がいなくなってしまったんだ」

 

斎藤T「秋川理事長の自由な気風によって門戸が開かれて日本中から集まってきた跳ねっ返りや悍バ(じゃじゃうま)たちを有無言わせずに従わせる存在がいなくなってしまう――――――」

 

斎藤T「すると、指導力を失った生徒会の代わりにトレーナー組合のバックにいる『名門』の影響力が強まって、かつてのトレセン学園の暗黒期に逆戻りするわけなんだな」

 

陽那「えと……」

 

斎藤T「まあ、部外者のヒノオマシに学園の裏事情をいきなり言われても難しいか」

 

 

斎藤T「とりあえず、来年までは“女帝”エアグルーヴが堅実にトレセン学園の生徒たちを牽引していくだろうけど、それに続く指導者が見つからないことが“皇帝”の心残りというわけなんだ」

 

 

シンボリルドルフ「……正直に言って、どういったコネクションを使ったら そこまでの内情を門外漢のきみが知ることができたのかを問い質したいところではあるが、」

 

シンボリルドルフ「概ね きみが言った通りのことを私は懸念している」

 

シンボリルドルフ「ひどい矛盾だ……」

 

シンボリルドルフ「圧倒的強者が勝利を独占してしまっては勝負はつまらなくなってしまい、結果的に国民的スポーツ・エンターテインメントへの情熱が冷めてしまうのだからな……」

 

シンボリルドルフ「かと言って、常に勝敗が予想できないぐらいに強豪たちがお互いの実力を高め合って鎬を削り合うのは大歓迎である一方で、」

 

シンボリルドルフ「誰もが認める実力者が生徒会長にならなければ、生徒たちを守ることができないのだからね……」

 

斎藤T「突然だがヒノオマシ、生徒会長が“女帝”エアグルーヴの次の代に学園を託したいと思っていた名バは誰だと思う?」

 

陽那「それはつまり、兄上が言った生徒会役員に望ましい条件と 最近の『トゥインクル・シリーズ』での活躍が目覚ましかったという 私のような一般人でも知っているような方ですよね?」

 

斎藤T「そう、誰だと思う?」

 

陽那「えと、パッと思いついたのは――――――、え!? それってまさか――――――!?」

 

シンボリルドルフ「……まったく、敵わないな、きみには」

 

 

陽那「もしかして つい先日の『天皇賞(秋)』で引退した()()()()()()()()()さんですか!?」

 

 

斎藤T「そして、もう一人がその好敵手だった()()()()()()()()だ」

 

陽那「…………!」

 

シンボリルドルフ「ああ。まったくもって その通り。斎藤Tには全てお見通しだったよ」

 

 

斎藤T「………………1()1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんですけどね、これって」ボソッ

 

 

陽那「な、何と言ったらいいのか……、シンボリルドルフ様の心中をお察しします……」

 

シンボリルドルフ「ありがとう。そう言ってもらえるだけでも嬉しいよ」

 

シンボリルドルフ「そこでなんだが、斎藤T――――――」

 

 

斎藤T「――――――『トウカイテイオーの担当トレーナーを復帰させろ』という話ですか?」

 

 

シンボリルドルフ「その通り。彼はメジロマックイーンを引退に追いやったとして誹謗中傷を受けている和田Tよりも追い込まれている」

 

シンボリルドルフ「きみにしか頼めないことなんだ。今の和田Tとメジロマックイーンの晴れやかな笑顔をもたらしたのはきみだ。きみしかいないんだ」

 

斎藤T「しかし、生徒会長職が指名制ではない以上、走れなくなった古バをただの名誉職として生徒たちが選びますか? その前に自主退学だって有り得るでしょうに……」

 

シンボリルドルフ「そこは私が何とか筋道を立ててみせる。その流れを作ってみせる。もちろん、マックイーンのことも引き留めるつもりだ」

 

 

斎藤T「…………()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

陽那「え!? 兄上、それってメジロマックイーンさんと同じ――――――」

 

シンボリルドルフ「…………これは最後の最後まで誰にも言わないでおきたかったことなのだがな」

 

斎藤T「でも、引退を宣言したわけでもないのに、アメリカ遠征の後は後進の育成と称してトレセン学園で生徒たちと併走することに専念して公式戦には一切出ていなかったじゃないですか」

 

斎藤T「自身の更なる栄達よりも後から来る者に道を開けて学園の繁栄を選んだことで黄金期を築き上げた偉大なる生徒会長――――――、」

 

斎藤T「“皇帝”シンボリルドルフの『ドリームトロフィーリーグ』への移籍をどれだけ多くの人たちが待ち望んでいたことか……」

 

シンボリルドルフ「すまないが、今は私のことなんてどうでもいいことだろう、斎藤T?」

 

 

シンボリルドルフ「私が話しているのはトレセン学園のこれからについてだ」ドン!

 

 

陽那「…………!」ビクッ

 

斎藤T「…………生徒会長」

 

シンボリルドルフ「きみには是非ともやってもらう!」

 

 

シンボリルドルフ「きみが果たしたい夢があってトレセン学園に来たように、私にもトレセン学園で譲れない夢がある!」

 

 

斎藤T「それが“皇帝”ご自身が忌避するトレセン学園暗黒期の“トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのウマ娘レース”と同じことだとしても?」

 

シンボリルドルフ「わかっている。そうあって欲しいという願いさえも私個人のエゴに過ぎないことを」

 

シンボリルドルフ「しかし、より良い未来を思い描き、それを実現に導く筋道を立てる――――――、それが“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たる者の務めだ!」

 

陽那「…………兄上、シンボリルドルフ様」

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

 

斎藤T「……わかりました。謹んでお引き受けしましょう、“皇帝”陛下」

 

 

シンボリルドルフ「そうか。感謝するよ、斎藤T」

 

斎藤T「ですが、情報をください。面識なんてないんですからね」

 

シンボリルドルフ「それはもちろんだとも」

 

シンボリルドルフ「では、頼むぞ」

 

 

――――――私が目指すのは常にあらゆるウマ娘が幸福でいられる世界だ。だが、それはヒトとウマ娘の真の平和共存があってこそだ。

 

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

斎藤T「………………」

 

陽那「兄上……」

 

斎藤T「すまなかった、ヒノオマシ。職場の事情に巻き込んでしまったな……」

 

陽那「いえ、そんなことはありません! むしろ、“皇帝”シンボリルドルフ様からも便りにされる唯一無二の存在として鼻が高いです!」

 

陽那「兄上はシンボリルドルフ様の理想を叶えられる存在なんですね!」

 

斎藤T「まあ、答えがないわけじゃないが、『言うは易く 行うは難し』だ」

 

陽那「どんなものなんです、それって?」

 

 

斎藤T「簡単に言えば、勝ち負けにこだわりながら勝ち負けにこだわらずにレースそのものをみんなが楽しめるようになれば、“皇帝”シンボリルドルフが望む理想の幸福世界は実現する」

 

 

陽那「………………?」

 

斎藤T「そう、これを全人類が実践できたら人類は次のステップに進めるわけで、」

 

斎藤T「こう、うまく表現できないが、何事においても美点を見出して尊重(リスペクト)し合う教養(リテラシー)を誰もが身に着けることから始まるんだ」

 

斎藤T「つまり、相手のことを簡単に否定せずに理解しようとするところから始まる」

 

陽那「……な、なるほど?」

 

斎藤T「最近味わったことだけど、これがとにかく手間暇が掛かるんだな、2()0()()させられるぐらいには」

 

斎藤T「だから、根気と忍耐もいるし、あの手この手の試行錯誤の創意工夫とコミュニケーション能力もいるんだな、これが……」

 

斎藤T「ホント、人の心がまだまだバラバラな時代だよ……」

 

 

ゴールドシップ「らっしゃい らっしゃい! ゴルシちゃん焼きそばだよ! 安いよ安いよ~!」

 

 

斎藤T「…………ゴールドシップ」

 

陽那「…………何ですか?」ジロッ

 

ゴールドシップ「いよっ、そこの若いお二人さん。しけた顔してんな~。そういう時はこのゴルシちゃん焼きそばを食べて笑顔になれよ~」

 

陽那「押し売りは迷惑なんですけど」

 

ゴールドシップ「そんなこと言うなって! あのオグリキャップやタマモクロスも大絶賛のまいう~なゴルシちゃん焼きそばの味を知らないのは人生の損ってもんよ!」

 

斎藤T「……それじゃあ、いただこうか」

 

陽那「兄上……」

 

ゴールドシップ「まいどあり~」

 

斎藤T「それで、いくらなんだ?」

 

 

ゴールドシップ「そんなの、おめえ、トウカイテイオーの100億円の『有馬記念』の応援バ券に決まってんだろ?」

 

 

陽那「え」

 

斎藤T「なに?」

 

ゴールドシップ「そんじゃ、きっちりお代はいただいたからな。じゃあな~」

 

斎藤T「いや、待て! おい!」

 

斎藤T「…………いったいどういうことなんだ?」

 

陽那「……わかりません。けれど、あの人なりに周りのことを考えていることは伝わりました」

 

斎藤T「とりあえず、焼きそば、どうしよう?」

 

陽那「いいんじゃないんですか? 健康喫茶で兄上は奢らされたんですから」

 

陽那「ハッ」

 

斎藤T「どうした?」

 

陽那「……もしかして 焼きそばを奢るために健康喫茶で兄上に奢らせた? 『これで貸し借りはない』ってことで?」

 

斎藤T「……さすがにそれは考えすぎじゃないのか?」

 

陽那「でも、孔子に曰く『吾道一以貫之』と言うじゃありませんか」

 

斎藤T「あるいは『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』――――――、知るわけがないだろう」

 

斎藤T「………………なんで私なんですかね?」

 

 

もらったゴルシちゃん焼きそばは多少冷めていても美味しかった。

 

以前に才羽Tに教えられた料理人の極意として『美味しい料理とは粋なもの、さりげなく気が利いていなければならない』という言葉を思い出していた。

 

あるいは、ヨーロッパの格言『神は細部に宿る』というものを輪ゴムを外してプラスチックのパックを開けた瞬間に広がった香ばしさから感じていた。

 

これだけであのイタズラ者に対する評価が少し変わってしまったのだから、本当に食えないウマ娘だと思った。

 

しかし、私が各方面の裏事情について知ることができたのは『天皇賞(秋)』が20回繰り返された時に得たコネによるものなのだが、

 

まさかとは思うが、“目覚まし時計”の使用者だった和田T以外にタイムリープに適応していた存在が私以外にいたとするなら、あのウマ娘の訳知り顔にも納得がいく。

 

 

その後、『天皇賞(秋)』で勝利した先輩とハッピーミークのヒーローインタビューを見たり、

 

珍しくアグネスタキオン(アグネスターディオン)が後輩から慕われている様子を見てヒノオマシの『アグネスタキオン(アグネスターディオン)がまともな人』だという勘違いがますます深まったり、

 

ビワハヤヒデとナリタブライアンの最強姉妹と出会うなり ナリタブライアンの魅力にやられたヒノオマシがビワハヤヒデと一緒にナリタブライアンの可愛いところを談義することになったり、

 

命の恩人である私に遠慮してか、ヒノオマシに対してはナリタブライアンも強く出ることができず、物凄く照れ臭そうにしながらツーショットを撮らせるなど珍しいものをみることになったり、

 

いろいろとあったが斎藤 展望の妹:ヒノオマシは今日の“聖蹄祭”を心行くまで堪能できたみたいで非常に良い思い出となった。

 

 

しかし、ヒノオマシがここまで思い切りはしゃげる性格だったとは思いもしなかった。

 

 

引っ込み思案で兄に依存して他者に対して心を開かないと思いきや、初対面のビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹に見惚れる辺り、かなりの面食いのように思えてきた。

 

男装執事のシンボリルドルフを前にしてトレセン学園が誇るスターウマ娘目当てに訪れた周りの女の子と同じように憧れの人を前にして思いっきりはしゃぐような女の子らしさを見せたのだから。

 

つまり、そこまでお堅い性格というわけでもなく、どうやら現在の性格は両親を喪って故障した後に思いっきり塞ぎ込んでいたことで形成されたものらしく、

 

唯一の肉親となった兄以外の人間との繋がりが希薄な妹:ヒノオマシにとって世間を知る手段がテレビやインターネットなので、

 

俗っぽさが混じった奥ゆかしさを持つ独特な親しみやすさを持った存在だと認識されているらしく、ナリタブライアンをして『シンボリルドルフに通じる何かがある』と言わしめるものがあった。

 

これがもう少し俗っぽさとお淑やかさの落差が大きかったら、私としては『メジロマックイーンに似ている』という感想になっただろうが、

 

どちらも『名家』出身のスターウマ娘ということで、それらに比肩するほどに両親が皇宮警察だった育ちと血統の良さが滲み出ているのがヒノオマシということになる。

 

今日は“トレセン学園一の嫌われ者”としてではなく “ヒノオマシの実の兄”として身形を変えていたのもあったが、

 

私が“斎藤 展望”であることに気づいて話しかける者は少なく、いかに皇宮護衛官の警察バの忘れ形見:ヒノオマシの存在感が大きかったのかを知ることになった。

 

何しろ、斎藤 展望のことを睨んでいたようなトレーナーや教官たちがヒノオマシの得体の知れない素養を感じ取ってスカウトやトレセン学園への転入の声を掛けてきたぐらいだ。隣にいる私は()()()()()()()

 

事実、ウイニングライブの体験コーナーにおいてアクロバット能力に長ける警察バ:ヒノオマシのダンス能力は 初挑戦であることを差し引いても ずば抜けたセンスを発揮しており、周囲がハッと息を呑んで不世出の天才だと思い込んだぐらいだ。

 

残念、ヒノオマシはたしかにそんじょそこらのウマ娘より遥かに上の素質の持ち主ではあるものの、警察バの血統なので どれだけ鍛えてもターフの上で思うほどのスピードが出ません。

 

しかし、このことを見るに どうやらトレセン学園の競走バのトレーナーというやつは意外なほどに競走バ以外のウマ娘を見る眼がないらしい。みんな同じものだと一緒くたに考えるようだ。

 

あるいは、トレセン学園の競走バに匹敵すると勘違いされるぐらいに、警察バ:ヒノオマシの素質が群を抜いていることの現れなのか――――――。

 

まあ、夢の舞台として文字通り競争率が激しい職場である以上は、トレーナーが考えることは常に自分が見つけ出した才能ある競走バが勝つことなので、考えることは全て真剣そのもの。

 

決してそれが悪いというわけではないが、これは“皇帝”シンボリルドルフが抱き続けている現状の危うさのようなものを私は感じた。

 

 

その“天稟の才子”ヒノオマシが直感的に助けようと言い出したのが“悲運の天才”トウカイテイオーであり、好敵手であったメジロマックイーンが円満に引退した今、その胸中はいかなるものか――――――。

 

 

そして、どういうわけか、トレセン学園一の門外漢と言える“斎藤 展望”が“皇帝”シンボリルドルフからの勅命を受けて、

 

トレセン学園の将来を左右する重要任務を任されることになってしまったのだから、ますますトレセン学園において()()()()()()()()()となりつつあるのを感じている。

 

今月の『ジャパンカップ』にハッピーミークは出走しない上に『天皇賞(秋)』勝利の影の功労者として先輩に称えられているので、今月は自由に行動できそうだ。

 

まあ、これも『宇宙船を創って星の海を渡る』という私自身の夢のために()()()()()()()()()()()()長期的な投資だと思って前向きに取り組むことに決めた。

 

 

――――――後にヒノオマシとトウカイテイオーの2人が大きな役割を担うことを私はまだ知らなかった。

 

 



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第11話   闇の帝王、ジャパンカップに降臨す

-西暦20XX年11月25日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この日、“秋シニア三冠”の二番目、日本初の格式ある国際G1レース『ジャパンカップ』が開催された。

 

一方、今回のレースには『天皇賞(秋)』を制した先輩の担当ウマ娘:ハッピーミークは出走しないため、先輩と一緒に観戦することになった。

 

海外遠征を視野に入れている驚異の天才:才羽Tのミホノブルボンが出走するので、彼を応援する大手菓子メーカーのスポンサーも駆けつけて、

 

先月の『天皇賞(秋)』と同じ東京競バ場に斎藤 展望の友人知人が勢揃いすることになり、私は初めてバ券というものを買うことになった。

 

飯守Tとライスシャワーも先月の『天皇賞(秋)』と同じく駆けつけているが、今回は親友の才羽Tのミホノブルボンの出走ということで前回よりも真剣な表情でバ場を見据えていた。

 

よくよく考えると、トレーナー共々 ミホノブルボンと仲が良い飯守Tのライスシャワーは“春シニア三冠”の三番目である“春秋グランプリ”の『宝塚記念』を制しているため、“グランプリウマ娘”であった。

 

『本物は本物を知る』とは言うが、同期の名門トレーナーであった桐生院Tと驚異の天才トレーナーであった才羽Tを手本にして自分らしさを突き詰めていって その2人に並んだ飯守Tもまた本物であった。

 

そして、“クラシック三冠ウマ娘”という子供の頃の夢を叶えたミホノブルボンは担当トレーナー(マスター)の夢を叶えるためにより大きな目標を目指して走るのだ。

 

 

 

その裏で、トレセン学園の次代を担う若者として“悲運の天才”トウカイテイオーを生徒会役員に据えるべく、

 

トレセン学園の黄金期の象徴である“皇帝”シンボリルドルフからの勅命を受けて、私は『トウカイテイオーの担当トレーナーを復帰させる』ために行動を起こしていた。

 

幸い、今回の『ジャパンカップ』にハッピーミークは出走しないため、自由行動に使える時間がたっぷりあったので、

 

『天皇賞(秋)』の時には簡単には得ることができなかったトレーナーの個人情報をもらえたこともあって、対象への接近は問題なく行えた。

 

ただ、“皇帝”陛下も無茶ぶりをする――――――。誰もが認めていた“天才”だったからこそ、トレセン学園の未来をトウカイテイオーに託そうとするのもわかるが、

 

そのトウカイテイオーは去年の『有馬記念』で三度目の骨折に遭って今シーズンに出走はなく、三度目の復活は誰もが絶望視していたぐらいなのだ。

 

しかし、同じように引退が確実視されていた好敵手:メジロマックイーンが最後の最後にメジロ家の意地を見せて『天皇賞(秋)』で見事な引退をしてしまっただけに、

 

“シンボリルドルフの寵児”“メジロマックイーンの好敵手”である“無敗の二冠ウマ娘”の見栄えはいいハリボテの看板だけで指導力を発揮できることか――――――。

 

つまり、“皇帝”陛下はトウカイテイオーには何としてでも『ジャパンカップ』『有馬記念』『URAファイナルズ』のいずれかに参加して次代を担うに相応しい勝利を飾ることを暗に求めておいでだ。

 

ウマ娘レースのシーズンの始めと終わりは1月から12月であり、トレセン学園の生徒会総選挙は1月に執り行われるのだから、

 

トウカイテイオーを生徒会役員に“皇帝”シンボリルドルフが推薦できるチャンスはここしかないというわけなのだ。

 

しかし、その勅命が下ったのが“聖蹄祭”なのだから、同月の『ジャパンカップ』に間に合わせることは常識的に考えて不可能であった。

 

更にトウカイテイオーの担当トレーナーはシンボリルドルフと同じぐらいに担当ウマ娘に自身の夢を託していただけに三度目の故障で自信喪失となって休職していた。

 

もう11月なのに年末の『有馬記念』『URAファイナルズ』へのトレーニングが間に合うようには雰囲気でウマ娘のトレーナーをやっている私からしても不可能に思えた。

 

だが、“皇帝”陛下は最後まであきらめようとはなさらないのだ。

 

 

――――――奇跡の可能性を信じられるのもまた、誰よりもウマ娘の将来を信じているからこそ。

 

 

そして、11月25日『ジャパンカップ』の日に人々は奇跡を目にすることとなった。

 

ただし、それは神の御業などではなく、悪魔の所業であり、“皇帝”陛下の御心を曇らせる重大事件へと発展してしまったのである。

 

私からしても最悪の展開であった。まさか、ここまで侵略が進んでいたとは――――――。

 

結論を言おう。

 

 

――――――『ジャパンカップ』は()()()()()()()()()()()()()()()()ミホノブルボンが勝利した。

 

 


 

 

テイオー! テイオー! テイオー! テイオー! テイオー! テイオー!

 

 

トウカイテイオー「……2着かぁ」 ――――――街頭ビジョンを見上げる群衆の中で独り立ち尽くす。

 

トウカイテイオー「……へえ、知らなかったなぁ」

 

トウカイテイオー「……ボク以外にも“トウカイテイオー”ってウマ娘がいたんだ」

 

トウカイテイオー「でも、ボクだって『ジャパンカップ』を優勝しているし、それぐらいはやってもらわないとね……」

 

トウカイテイオー「……うん、これでよかったんだ。願ったり叶ったりじゃないか。みんなも喜んでいくれているし、カイチョーだって嬉しいだろうしさ」

 

トウカイテイオー「だから、もうボクは、いいよね?」

 

 

ポツ、ポツ、ポツ・・・

 

 

トウカイテイオー「……ボク、気づいちゃったんだ」

 

トウカイテイオー「……ここにいるボクが“トウカイテイオー”だなんて誰も気づかないんだもん」

 

トウカイテイオー「……“三冠ウマ娘”にも“無敵のウマ娘”にもなれなかったんだよ?」

 

トウカイテイオー「……でも、それ以上に“走れないテイオー”なんて誰も必要としてくれないんだ」

 

トウカイテイオー「……それで、本当の意味でカイチョーの凄さに気づいちゃった」

 

 

――――――やっぱり、カイチョーって凄いなぁ。

 

 

ザー、ザー、ザー・・・・・・

 

 

トウカイテイオー「………………」

 

トウカイテイオー「………………」

 

トウカイテイオー「………………」

 

 

藤原さん「おい、そこの嬢ちゃん。こんな雨の中で傘もささずに突っ立ってどうしたってんだ?」スッ ――――――ズブ濡れの女の子のために傘をさす。

 

 

トウカイテイオー「え」

 

トウカイテイオー「あ、すみません……」

 

トウカイテイオー「それじゃ――――――」

 

藤原さん「……ちょっと待ちな、嬢ちゃん。俺は警察のもんだが、どうだい? ここは聞き込み捜査に協力するという体で行きつけの喫茶店で温かいもんでも飲みなよ」スッ ――――――警察手帳と身分証を見せる。

 

トウカイテイオー「……別に必要ありません。お気遣いなく」

 

藤原さん「おいおい、そんなズブ濡れのまま死んだような眼をして雑踏の中に女の子が一人消えていったのを見過ごしたとあったら、警察官の俺のプライドが許さねえんだよ」

 

トウカイテイオー「……知りません、そんなこと」

 

藤原さん「……しかたねえな。お前さんもいっちょ前のウマ娘なら、これで聞く耳を持つだろう」

 

 

藤原さん「実は、俺が聞き込み捜査で待ち合わせる喫茶店でなんと あの“皇帝”シンボリルドルフがお忍びで来るんだとよ」

 

 

トウカイテイオー「え、カイチョーが!」ピーン!

 

藤原さん「お、食いついてきたな」

 

トウカイテイオー「あ……、でも、ボクはもうカイチョーに合わせる顔が――――――」

 

藤原さん「おいおい、それを言ったら警察官の俺がズブ濡れの女の子を見捨てて“皇帝”陛下に拝謁したのがバレたら、俺のクビが飛ぶっての!」

 

藤原さん「ここは俺の顔を立てると思って、素直に聞き込み捜査に協力しておけ。それがお前さんの身体を温めることになる」

 

トウカイテイオー「うぅ……、わかったよ、もう……」

 

藤原さん「…………これで何とかなったな」

 

 

――――――本当に()()()()()()()()()()の場所にいたな。

 

 

 

カラン、カラン・・・

 

 

店主(マスター)「いらっしゃい……」

 

藤原さん「よう、マスター。こっちの娘にコーヒーを――――――うん? 砂糖は入れるか?」

 

トウカイテイオー「ば、バカにするない! ボクだってブラックで飲めるもん!」

 

店主「新作のシナモンシュガーワッフルがセットになったモーニングセットがお得ですよ」

 

藤原さん「じゃあ、それで。俺も同じもんをくれ」

 

藤原さん「それと、今日は貸し切り――――――」

 

店主「――――――わかっております」

 

店主「それでは、できたてを用意しますので、しばらくお待ちください」

 

店主「それと、こちらのタオルで身体を拭いてください、お客様」

 

トウカイテイオー「あ、ホカホカだ……」

 

店主「シャワーがなくて申し訳ありませんが、幸い当店のトイレは女性のお客様にも安心の大きめな間取りとなっておりまして、洗面器も大きい方ですのでご利用ください」

 

店主「それと、アルバイトの子のものですが、ドライヤーも用意しますからね」

 

トウカイテイオー「あ、ありがとうございます……」

 

店主「では、15分ぐらいにモーニングセットをご用意しますので、ゆったりお寛ぎくださいませ」

 

 

 

藤原さん「お、随分とすっきりした表情になったな。見違えたぞ」

 

トウカイテイオー「……あの、ありがとうございました」

 

藤原さん「いいってことよ。俺にもお前さんぐらいの娘がいるんだが、それとは別に世話になった人の兄妹の面倒も見ているんだ。年頃の女の子の扱いには慣れているつもりさ」

 

店主「おまたせしました。モーニングセットとなります」コトッ

 

トウカイテイオー「わあああ! これ、本当にいいの?」パア!

 

藤原さん「ああ。食え食え。女の子は甘いものを食べて笑顔になるんだからな」

 

藤原さん「一日一善。これで今日の俺のノルマは達成だな」

 

トウカイテイオー「………………」

 

藤原さん「どうした?」

 

トウカイテイオー「ボクはまた――――――」

 

店主「シー」

 

トウカイテイオー「え」

 

 

店主「食事の時間には天使が降りてくる――――――。そういう神聖な時間です」

 

 

藤原さん「ああ。嫌なことは忘れて、今は思いっきり甘いものを温かいうちに頬張れ。そしたら天使のような笑顔を振りまいてやれ」

 

トウカイテイオー「あ、ありがとうございます!」

 

トウカイテイオー「それじゃ、いただきます!」パクッ

 

トウカイテイオー「お、美味しぃいいいいいいいいい!」

 

トウカイテイオー「へへ、マックイーンのやつ、絶対に悔しがるぞ! こんな名店があるだなんてことを知らないだなんてね!」ゴクッ

 

トウカイテイオー「あ、あれ? コーヒーが美味しい? コーヒーってこんなに美味しいものなんだ!」

 

藤原さん「そりゃあ、そうだろうがよ」

 

藤原さん「甘ったるいものを口に入れたら、口の中をきっちり苦いコーヒーで洗い流すことで、また甘さを感じることができるからな」

 

店主「料理というのはメリハリが大事なのです」

 

店主「そして、お客様の状態に合わせてその人にとっての最高のものを提供するのがおもてなしなのです」

 

店主「それと、こちらの一杯もどうぞ。サービスです」 ――――――デミタスカップのおまけの一杯。

 

トウカイテイオー「あ、ありがとう? こっちのコーヒーと何がちがうの?」ゴクッ

 

トウカイテイオー「う、うえええええええ!? に、苦っ!?」

 

藤原さん「どれどれ?」ゴクッ ――――――トウカイテイオーが手放したデミタスカップを飲み干す。

 

トウカイテイオー「あ――――――」

 

藤原さん「おい、マスター。これ、俺が飲んでいるのとまったく同じ味だぞ」

 

藤原さん「ということは、相当苦味のないやつをこの娘には提供したってわけか」

 

トウカイテイオー「え……」

 

店主「あ、ダメじゃないですか、それを言っちゃ……」

 

 

店主「美味しい料理とは粋なもの――――――。さりげなく気が利いていなくちゃいけないんですから」

 

 

藤原さん「とは言うが、はっきり言わなくちゃわからないことだって あるんじゃないのか?」

 

藤原さん「まあ、実際に自分の舌で味わってみないと苦いだけに思えるコーヒーが美味いと思えることなんてないから、これで1つ また大人になったな、嬢ちゃん」

 

トウカイテイオー「う、うん……、ありがとう…………」

 

店主「さあ、冷めない内に召し上がれ」

 

トウカイテイオー「うん!」

 

 

 

トウカイテイオー「ごちそうさまでした!」

 

店主「お粗末さまでした」

 

藤原さん「おう、いい食べっぷりだったな、嬢ちゃん」

 

店主「ええ。太陽のような笑顔でした」

 

店主「では、写真は飾らせていただきますね」

 

トウカイテイオー「うむうむ! 良きに計らえ!」

 

藤原さん「おいおい、さっきまで死んだような眼をしていたってのに調子がいいやつだな……」

 

藤原さん「だが、良い表情だぜ。女の子ってのはこうじゃないとな」

 

藤原さん「まあ、嬢ちゃんもかなり良い線を行っているが、俺の娘には敵わないけどな!」

 

トウカイテイオー「そんなことないもん! だって、ボクは――――――」

 

トウカイテイオー「ボクは………………」

 

藤原さん「?」

 

 

トウカイテイオー「――――――()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

藤原さん「……さてな。まだ名前も聞いてないしな、嬢ちゃんはいったい誰なんだろうな?」

 

トウカイテイオー「……刑事さんはボクが誰だかまったく知らないんだ」

 

藤原さん「まあ、警察ってのは現行犯逮捕以外じゃ逮捕状なしに逮捕はできねえからな。証拠なしの思い込みだけの誤認逮捕なんてやらかしたら一生の恥だ」

 

藤原さん「刑事のスキルやコネを使えば、嬢ちゃんのことは何だって知ることができるんだが、職業柄 調べだすと切りがないからな」

 

藤原さん「だから、刑事っていうのは捜査以外じゃあんまり他人に深入りしないようにするもんなんだぜ」

 

トウカイテイオー「へへ、それがダンディーってやつ? ちょっと『かっこいい』って思っちゃったかも」

 

藤原さん「まあ、そうやって他人には言えないような思いや辛さを抱えながら、みんな一日一日を一生懸命に生きているんだ」

 

藤原さん「だから、みんなが一生懸命に生きているのを邪魔するようなやつを俺はどうしても許せなくて、俺は警察官になったんだ」

 

藤原さん「見なよ。壁一面に咲き誇る大輪の笑顔の花をさ」

 

藤原さん「こういうのを守るのが俺の警察官としての誇りってやつさ」

 

トウカイテイオー「今の、ちょっとカッコつけすぎじゃない?」

 

藤原さん「正直に言うと、俺もそう思ってた。言ってて背中がムズムズしていたぐらいだ」

 

トウカイテイオー「ああ、やっぱり! そうじゃないかって思った!」

 

トウカイテイオー「でも、『みんなの笑顔を守る』か……」

 

 

――――――じゃあ、ボクはどうなんだろう?

 

 

藤原さん「………………」

 

トウカイテイオー「ボクはずっとカイチョーの背中だけを追いかけて走り続けてきた……」

 

トウカイテイオー「一生に一度しかない“クラシック三冠”だって勝って勝って勝ちまくって“無敵の三冠ウマ娘”になれるはずだったのに……」

 

トウカイテイオー「それでも、今度は生涯無敗を貫き通そうと頑張っても またつまんないことで骨折しちゃってさ……」

 

トウカイテイオー「ボクはカイチョーのようにみんなに頼られる最強無敵のウマ娘になれなかった……」

 

トウカイテイオー「もう誰もボクのことなんて憶えてなんかいないんだ……」

 

藤原さん「おい……」

 

トウカイテイオー「刑事さんだってボクのことを知らないんでしょう! 少し前までボクは“無敗の三冠ウマ娘”になれるって日本中から期待されていたのに!」

 

トウカイテイオー「負けてなかった! 誰にも負けてなかったのに“三冠”の最後の『菊花賞』――――――!」

 

藤原さん「…………そうだな。嬢ちゃんは本当に素晴らしいウマ娘だったみたいだな」

 

藤原さん「それこそ、日本中のみんなが嬢ちゃんの“クラシック三冠”達成の瞬間を楽しみにしていただろうな」

 

トウカイテイオー「知った風なことを言わないでよ! ボクのことなんて今まで知らなかったくせに!」

 

トウカイテイオー「ボクだって本当は何度だって怪我さえ治れば立ち上がれるもん! もう松葉杖だって要らないし! トレーニングだって ずっとしてきていたし!」

 

トウカイテイオー「マックイーンのように引退なんかしてやるもんか!」

 

トウカイテイオー「でも! でも! でも!」

 

トウカイテイオー「もうボクは誰からも必要とされていないんだって、わかっちゃったから――――――!」

 

 

トウカイテイオー「――――――みんなからも! カイチョーからも! トレーナーからも!」グスッ

 

 

ゴールドシップ「お届け物でーす!」バァーーン!

 

店主「ああ、おつかれさまです」

 

ゴールドシップ「こちらに受け取りのサインをお願いしまーす」

 

トウカイテイオー「……え、ゴルシ?」

 

ゴールドシップ「お、誰かと思ったら、テイオーじゃねえか。なんだよ、髪を下ろしてたから気づかなかったぜ」

 

ゴールドシップ「ちょうどよかった。ここが()()()()()()()だって言われたから、連れてきてやったぜ」

 

トウカイテイオー「え」

 

ゴールドシップ「ほら、その麻袋を開けてみな」ポイッ

 

 

モゾモゾ・・・、モゾモゾ・・・、モゾモゾ・・・

 

 

藤原さん「お、おい! その麻袋の中身ってまさか――――――」

 

トウカイテイオー「ひ、ひぃいいいいいいい! う、動いたあああああああああ!」

 

店主「い、今、開けますからね……!」

 

ゴールドシップ「そんじゃな、テイオー」

 

 

ゴールドシップ「いや、戻ってこい、テイオー。お前のことをたくさんの人が待っている」

 

 

トウカイテイオー「ご、ゴルシ……」

 

藤原さん「無茶苦茶なやつだな……」

 

店主「大丈夫ですか?」

 

 

岡田T「た、助かりました…………」プハァー!

 

 

トウカイテイオー「え、トレーナー?」

 

岡田T「え、テイオー?」

 

トウカイテイオー「え? なんで、どうして? だって、トレーナーは今日『ジャパンカップ』で――――――」

 

岡田T「え? テイオーこそ、昨年の“クラシック三冠ウマ娘”ミホノブルボンに食いついてハナ差だったじゃないか!?」

 

 

藤原さん「…………感動の再会ってところか」

 

 

藤原さん「ん」スッ

 

藤原さん「…………もしもし、俺だ。無事に要人2人を確保することができたぞ」ピッ

 

――――――

斎藤T「よかった! 始末されてなかった! 本当に良かった……」

――――――

 

藤原さん「ああ。俺がWUMA対策班でこれほど良かったと思ったことはないぜ、まったく」

 

藤原さん「しかし、岡田Tは 元々 お前さんが見張っていたからわかるが、まさか麻袋に入れて拉致とは褒められたもんじゃねえな」

 

――――――

斎藤T「――――――『麻袋に入れて拉致』?」

 

斎藤T「……すみません。そこは配達人に全て任せていたので」

――――――

 

藤原さん「まあいいさ」

 

藤原さん「それより、監視対象(ターゲット)は間違いなくそこにいるな?」

 

――――――

斎藤T「はい。対象Tは、『ジャパンカップ』の再勝利はなりませんでしたが、今回の奇跡の復活についてのインタビューに追われて報道陣に囲まれています」

 

斎藤T「そして、対象Uは1着のミホノブルボンと3着のナイスネイチャと一緒にウイニングライブのリハーサルのためにライブステージに移動しました」

 

斎藤T「どうですか? まさか、そちらにいる岡田Tとトウカイテイオーの方が偽物だなんてことはありませんよね?」

――――――

 

藤原さん「トウカイテイオーについてはまだ身体検査が必要だが、お前さんが見張っていた岡田Tに関しては間違いなくシロだ」

 

藤原さん「そして、お前さんが入手してくれた調整ルームでのトウカイテイオーの身体検査の記録があれば、この場でシロクロつけることができる――――――」

 

藤原さん「が、お前さん、俺と目を合わせないようになった隙にろくでもない人間になりやがって……」

 

藤原さん「強請りのネタを仕入れるために磨いたやつだろう、それ? 本当に突っ走ったら何をするかわからねえ人間だから、今の内に首輪をかけた方がいいかもな」

 

――――――

斎藤T「……そう言ってくれる人間がいることを嬉しく思いますよ」

――――――

 

藤原さん「抜かせ。そういうグレーゾーンの人間の相手をさせられるこっちの苦労を考えろっての」

 

――――――

斎藤T「周辺の調査状況は?」

――――――

 

藤原さん「とりあえず、現地警察に協力を依頼してトウカイテイオーと岡田Tの家族に聞き込み捜査はしている」

 

――――――

斎藤T「藤原さんが警視庁警備部災害対策課で大助かりです」

――――――

 

藤原さん「その代わり、日本各地で災害が起きたら真っ先に出向かなくちゃならないから、台風や地震の速報が来る度にビクついた日々を送ってはいるがな」

 

藤原さん「早速だが、トウカイテイオーの両親が『今回の『ジャパンカップ』出走の件はまったく知らなかった』という証言を得ている」

 

藤原さん「元々、去年の『有馬記念』での三度目の骨折から段々と連絡する頻度は少なくなっていたようだが、少なくとも月に一度は連絡はするようにしていたらしい」

 

――――――

斎藤T「いい家族ですね」

――――――

 

藤原さん「お前さんは唯一無二の肉親や面倒を見てやってる俺を心底心配させてきた悪童だがな」

 

藤原さん「でだ。トウカイテイオーが秋の頃からトレーニングに姿を見せるようになっていたから、近い内にレースに復帰するだろうことは巷で噂されていたが、」

 

藤原さん「まさか、その状況に便乗して“成り代わり”を実行するとはな……」

 

藤原さん「やられた本人からしてみればたまったもんじゃないが、感動の復活劇が偽物による成り代わりだなんてことを公表する勇気を持つものは誰もいないだろう……」

 

藤原さん「そんなことをしたら信頼で成り立つ人類社会が崩壊しちまうから、この件は何としてでも闇に葬らなくちゃならねえ……」

 

――――――

斎藤T「それだけじゃないですよ」

 

斎藤T「やつら、岡田Tの休職を利用して岡田Tに成り変わって職場復帰したり、銀行口座の変更届など提出したりと好き勝手にやってました」

 

斎藤T「いよいよ“世界的な未確認侵略生物”の本領発揮と言ったところですね」

――――――

 

藤原さん「……厄介だな」

 

藤原さん「今回はたまたまお前さんが“皇帝”陛下の勅命で先に動いていたから、状況証拠からWUMAの成り代わりを見抜くことができたが、次はそうはいかん」

 

藤原さん「おっと――――――」

 

 

シンボリルドルフ「テイオー!」カランカラン!

 

 

トウカイテイオー「か、カイチョー……!」

 

シンボリルドルフ「無事でよかった!」ギュウウウ!

 

トウカイテイオー「え、ええええええええええ!?」

 

トウカイテイオー「か、カイチョーがボクのことを抱き締めて――――――」ドキドキ!

 

藤原さん「――――――“皇帝”陛下がおいでなすった」

 

藤原さん「それじゃ、こっちの方で要人保護の方針を練るから、そっちはヘマするんじゃねえぞ」

 

――――――

斎藤T「はい!」ピッ

 

斎藤T「………………なんでこんなことに!」ギリッ

 

斎藤T「いや、成り代わりを許す隙と奪い取れる名声を考えるなら、長期休養中のトウカイテイオーと長期休職中の岡田Tが狙い目だったってわけか!」

 

 

斎藤T「やつらの今回の動き、確実に司令塔(マザー)がいるはずだ!」

 

 

斎藤T「調整ルームでの身体検査の記録を見る限り、『骨折が完全に治癒した』とあるが、『そもそも骨折していない』んじゃないのか?」

 

斎藤T「……解説・実況の人たちは本当によく見ているよ」

 

斎藤T「あの偽物の正体が本当に2年目:クラシック級の時の()()()()()()()()()()()()とでも言うのか!」

 

斎藤T「WUMAの擬態は擬態対象の現状だけじゃなく過去の状態も再現できるというわけか」

 

斎藤T「これはもうお手上げだな。人類科学の敗北だ」

 

斎藤T「唯一の希望はこの“黄金の羅針盤(クリノメーター)”だけ――――――」パカッ

 

 

――――――まさに私が適任者ってことか!

 

 

第八種接近遭遇。宇宙人の侵略はすでに始まっていた。

 

私は“皇帝”シンボリルドルフの計画;“悲運の天才”トウカイテイオーを生徒会役員に入れてトレセン学園の未来を繋げるための行動を“聖蹄祭”からし始め、

 

計画の要となるトウカイテイオーの担当トレーナーである岡田Tを復帰させるために個人情報をもらって接触を図ることになったが、

 

去年の『有馬記念』で発覚したトウカイテイオーの三度目の故障によって、ついに休職することになった岡田Tは写真の人物とは随分と様変わりしていた。

 

一計を案じて“皇帝”シンボリルドルフに贈り物を用意させて配達員を装って岡田Tのアパートに侵入すると、予想通りの代物が次々と見つかった。

 

 

結論から言うと、トウカイテイオーの担当:岡田Tもメジロマックイーンの担当:和田Tと同じく自殺を考えていたぐらいに追い詰められていた。

 

 

ただ、メジロマックイーンの場合は『名家』メジロ家とのしがらみから逃げたいワガママもあったことから、それは『ターフの上で死ぬ』という決意の下の心中未遂となったのだが、

 

『別離』ではなく『孤独』が原因で岡田Tはひっそりと死ぬことを考えていたようであり、それを後押しする三度目の故障が発覚した当時の世間の声には心身を凍えさせるものがあった。

 

元々 トウカイテイオーの担当である岡田Tは好敵手であるメジロマックイーンの和田Tよりもベテランであり、

 

実際、“皇帝”シンボリルドルフがトレセン学園中等部に入学したのと同じくして配属になった新人トレーナーとして、“皇帝”の神威をリアルタイムで見てきた世代であった。

 

そのため、新人だった頃の彼自身も“皇帝”シンボリルドルフに魅せられて シンボリルドルフのようなスターウマ娘の担当トレーナーになることを目指した人たちの一人であり、

 

そうして自身と同じく“皇帝”シンボリルドルフに憧れる才気煥発の“天才ウマ娘”トウカイテイオーと出会ったことで同じ夢を持つ二人三脚の旅が始まった。

 

まさしくシンボリルドルフの再来とも言える圧倒的な走りと魅力で“クラシック三冠バ”も確実視されていたトウカイテイオーだったのだが、

 

まさかの“三冠”達成を目前にして骨折が発覚して一生に一度しかないクラシック戦線からの脱落――――――、

 

そして、今度は“生涯無敗のウマ娘”を目指すものの、好敵手:メジロマックイーンに敗れた上に再び故障――――――、

 

それでも、二度目の故障から復帰して『ジャパンカップ』で優勝し、『有馬記念』の優勝も目指すが――――――。

 

そこからは何度も言われているとおり、三度目の復活は絶望視されており、ついに今シーズンの出走はまったく見られなかった。

 

 

だが、世間の反応とは裏腹に 秋の頃からトウカイテイオーがトレーニングしている様子が学園でも見られたように トウカイテイオーは決してあきらめていなかったのだ。

 

 

さすがは“皇帝”シンボリルドルフが自身の後継者として認めただけあり、故障から復帰していきなり『ジャパンカップ』で優勝を果たすだけのずば抜けた才覚の持ち主だ。

 

そして、当初は岡田Tも『二度あることは三度ある』としてトウカイテイオーの三度目の復活を目指していろいろと年間計画を立てていたことがデータ上で発見された。

 

それを見る限りは今年の1月まではトウカイテイオーの三度目の復活のために奔走していたようだが、2月で鬱状態となって休職した辺りまでだと推測できる。

 

 

そう、担当ウマ娘の三度の故障を受けて、ついに世間や周囲からのダメトレーナーの烙印を押されて()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

というより、本当は奇跡の復活劇であった去年の『ジャパンカップ』で引退させるつもりだったのが、奇跡の勝利を収めてしまったことで『有馬記念』の出走枠をもらってしまったのが運の尽きだったのだ。

 

ファンからの人気投票で参加資格が得られる“春秋グランプリ”の『有馬記念』に選出されるぐらいなのだから、本当にトウカイテイオーの人気は凄まじかった。

 

しかし、それ以上の無茶をやれば また故障するのが目に見えていたものの、担当ウマ娘の熱意とファンを思う気持ちに根負けして『有馬記念』の出走を認めてしまった結果が――――――。

 

そのため、担当ウマ娘と担当トレーナーの間に三度目の故障の原因となった『有馬記念』出走の是非を巡ってお互いが自分の非であるとして擦れ違うことになった。

 

それでも、トウカイテイオーは担当トレーナーが最初に立てた三度目の復活計画を信じて、今度こそ故障しないように孤独にトレーニングを積み重ねていったのだが、

 

今年の『ジャパンカップ』の開催時期になっても担当トレーナーからの連絡がなかったのだから、とっくの昔にトレーナーからも見放されていたことに気づかなかったバカなウマ娘として絶望していたのであった。

 

 

それが今日の出来事であり、私が“黄金の羅針盤(クリノメーター)”で場所を特定して藤原さんに保護してもらわなかったら、本当にどうなっていたことか――――――。

 

 

それまでの間、『ジャパンカップ』にハッピーミークが出走しないおかげで自由時間があった私は、翌月までに岡田Tにトレセン学園に復帰してもらうことを目標に近隣住民に扮して岡田Tに密着することになり、

 

アグネスタキオン(アグネスターディオン)からもらった怪しい薬や自白剤やら使えるものは何でも使い、『ジャパンカップ』が開催される本日:11月25日までには随分と岡田Tとは親しくなることができた。

 

しかし、それまでトレセン学園から離れていたことによって、『ジャパンカップ』にトウカイテイオーが出走する手続きがすでになされていたことに気づくのが遅れてしまった。

 

知らぬのは担当トレーナーと担当ウマ娘という不可解な状況から、私はWUMAの侵略がこのように密やかに巧妙に進んでいることをようやく悟ったのだった。

 

 

 

だが、それと同時に、かつてトレセン学園の暗黒期と忌避された“トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのウマ娘レース”が開催されるようになった経緯も理解できてしまった――――――。

 

 

 

たしかに、実際に出走するウマ娘にとっては“クラシック三冠”に代表されるように一生に一度しかない人生の一番大切な時期ではあるものの、

 

実はトレーナーにとっても自身の夢を託すに値する()()()()()()()()()()()の出会いはウマ娘のトレーナーにとっても一生に一度にあるかどうかのチャンスなのだ。

 

そして、その夢を託して夢破れたトレーナーはこうして岡田Tのように鬱病になるぐらいに自身を追い詰めることも多々あったようである。

 

それはトレセン学園の生徒が自主退学するのと同じぐらいの割合でトレーナーが自主退職する数から見ても明らかであった。休職しているトレーナーも少なくない。

 

 

――――――絶対の王者の存在は無辺に拡がる絶対の敗者の骸の上にあったのだ。

 

 

事実、勝負の世界とは非情であった――――――。

 

たとえば、“クラシック三冠”の『皐月賞』は「もっとも速い馬が勝つ」のに対して、『日本ダービー』は「最も幸運な馬が勝つ」、『菊花賞』は「もっとも強い馬が勝つ」となっている。

 

この3つの要素を全て兼ね備えた世代最強のウマ娘こそが“クラシック三冠ウマ娘”というわけであり、それはトレーナーにとっても、ウマ娘にとっても、最高の目標であるのだ。

 

だが、その栄光を掴めるのはその世代でたった一人のウマ娘であり、そんな最高のウマ娘と同じ世代でデビューしてしまったら、他のウマ娘たちは引き立て役としての評価しかくだされない。

 

そうなると、その世代のウマ娘たちもそうなのだが、そのウマ娘の担当トレーナーへの評価も加点しようがなく、多くのウマ娘とトレーナーたちが恨めしそうな目で頂点を見上げるのだ。

 

 

――――――その栄光の影で綿々と紡がれてきた怨嗟の声こそが トレセン学園のかつての暗黒期をもたらしたのである。

 

 

そう、結局は今のトレセン学園の黄金期も、かつての暗黒期とはコインの裏と表であり、その繁栄は長く続くことは決してないのである。

 

“皇帝”シンボリルドルフが求める絶対的な実力主義と成果主義によって、たしかにトレセン学園に集まる生徒の能力水準は高まり、かつてないほどの活況を見せているが、

 

その結果として“皇帝”シンボリルドルフに続く絶対の王者の存在が生まれづらくなり、総生徒数2000名弱もいるトレセン学園の統率が失われようとしている。

 

秋川理事長が強行したこれまでになかった自由な気風の学園生活は当然として深刻な風紀の乱れに繋がっていたのだが、それを許容範囲にまで抑止できていたのは偏に“皇帝”の威厳あってのものだった。

 

つまり、自由には責任がつきものであり、拡大した自由を制御するためにはそれだけの責任ある存在による統制が必要不可欠なのだ。

 

しかし、“皇帝”と渾名されるシンボリルドルフと言えども、所詮は中高一貫校の一生徒に過ぎず、終身執政官などではない。

 

そう、中高一貫校の生徒として卒業していかねばならない社会のルールによって代替わりをしていかなくてはならないわけなのだが、

 

“皇帝”シンボリルドルフはあまりにも長く総生徒数2000名弱のトレセン学園の頂点たる偉大な長でありすぎたのだ。

 

そうなると、代替わりの必要がない労働者であるトレーナーの影響力が次第に学園内で増すのは当然の結果であった。

 

人間の心理とはいいかげんなもので、優駿たちの頂点に立つ絶対の王者の存在によって日陰者になった層が数多く誕生することによって、

 

その日陰者たちが自分たちが受けた悲しみをこれ以上拡げないようにしようとする優しさと利害の一致から真剣勝負の世界に『待った!』を掛けるようになっていくのだ。

 

 

 

つまり、トレセン学園の黄金期は外野席のファンに多くの夢と希望を与えていく一方で、そこで走るウマ娘やトレーナーたちの夢と希望を奪っていく矛盾によって支えられ、

 

一方で、トレセン学園の暗黒期は外野席のファンに偽りの夢と希望を与えながら、そこで走るウマ娘やトレーナーたちにも偽りの夢と希望を与える虚飾に彩られているものなのだ。

 

 

 

いったいどちらがマシなんだろうか――――――。

 

正々堂々の実力主義と成果主義こそが一番に公平と思えるのだが、実際に大多数の人間の心理とはそこまで思慮が足りていることはほとんどない。

 

誰だって負けたら悔しいし、負けたやつをボロカスに言いたくなるのが人間の性分だ。

 

そして、成功者のことを無条件に妬む負け組がいるのは歴然とした事実であり、得てして そうした連中は愚痴愁嘆や不平不満ばかりを喚く口舌の徒と化すのが常だ。

 

そこから『出る杭は打たれる』わけであり、それによって組織が壊滅することも人類の歴史の中で繰り返されてきた出来事であり、

 

やがて、正々堂々とぶつかり合って互いに傷つき倒れるようなら とても未来は切り拓けないことから談合をするようになるのも自然の成り行きと言える。

 

 

――――――各方面の不平不満を抑えるために 談合を行ってレース結果を操作して 万遍なくみんなに実績を積ませることの何がいけない?

 

 

――――――話し合いで解決することを至上とするのなら、闘争や格差を生み出す真剣勝負の世界は平和を求める声に反する戦争行為なのでは?

 

 

そういったもっともらしい屁理屈が罷り通ってしまうようになるのが暗黒期の影を出現させる黄金期のまばゆい輝きであった。

 

ただ、そんなのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からくる戯言に過ぎないことを私は理解している。

 

結局は針小棒大――――――、マクロな視点とミクロな視点を都合よく使い分けて己に利するように口を利いているだけに過ぎない話だ。

 

 

だが、今はそんなことはどうでもいいのだ! そんなのはお偉いさんが判断することであって! 目の前にある問題と比べたら! 

 

 

私が今一番に許せないのが他人の成果を自分のものとする剽窃行為や略奪行為であり、

 

それは今回の『ジャパンカップ』における偽りのトウカイテイオーの復活劇の真相を知る者として必ずや報いを受けさせようと強く心に誓った。

 

それでも、“皇帝”シンボリルドルフが“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たろうとする御心が間違っているはずがないから。

 

 

――――――今に見ていろ! WUMA(世界的な未確認侵略生物)共! 全滅だ!

 

 



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第11話秘録 黄金の羅針盤が導く未来

-シークレットファイル 20XX/11/25- GAUMA SAIOH

 

今年の『ジャパンカップ』は1着:ミホノブルボン、2着:トウカイテイオー’、3着:ナイスネイチャとなった。

 

まさかの三度目のトウカイテイオーの復活に日本中が沸き立つ中、あのトウカイテイオー’が偽物であることを知っている私は抹殺の機会を窺っていた。

 

完璧に擬態して対象と入れ替わる“WUMA”の存在が世に知れ渡った場合、信頼で成り立つ人類社会が崩壊してしまうことから、絶対に闇へと葬らなくてはならなかった。

 

そのため、何食わぬ顔でウイニングライブを見終わった後、もう一人の偽物である岡田T’もまとめて始末するためにC4爆弾をセットしていたが、藤原さんの連絡で見逃すことになった。

 

そして、藤原さんから作戦中止の理由を問い質した時、思わずC4爆弾の起爆装置を握り潰しそうになっていた。

 

 

なんと、“皇帝”シンボリルドルフが互いの存在理由を賭けて()()()()()()()()()()()()()()T()()()()()()()()()()()()()ように命を下したと言うのだ。

 

 

相手が8月末の学生寮不法侵入事件の真犯人であるWUMAであったとしても、今年の『有馬記念』で優勝したら自分の後継者として来年1月の生徒会総選挙で生徒会メンバーに推薦するとのこと。

 

つまり、『有馬記念』の出走権を賭けて事前に本物と偽物が模擬レースを行うわけなのだが、その後に『有馬記念』で優勝しなければトウカイテイオーのことは完全に切り捨てるという宣言であった。

 

もっとも確実に偽物2人を始末できるタイミングは今まさにここしかないという時に、“皇帝”は人類の未来よりもトレセン学園の未来を選んだのだ。

 

しかも、自分の後を継ぐトレセン学園の指導者になるならトウカイテイオーが本物か偽物かどうかなど関係ないと言い切ったのだ。

 

たしかに、WUMAは擬態対象の記憶や精神まで再現してしまうため、WUMA自身の意識がなくなって擬態対象そのものに成りきってしまうことがあるのは知っている。

 

しかし、それが成り立つのは擬態対象が実験大好きで部屋に閉じこもりがちで人前に姿を晒さないような頭のおかしい人間;()()()()()()()()の存在を歓迎するような人格破綻者ぐらいで、

 

闘争本能と自尊心が強いウマ娘にとっては()()()()()()()()に自分が走る舞台を奪われることは屈辱以外の何物でもない。

 

ましてや、三度目の復活を期して担当トレーナーが休職になっても一人でもトレーニングを続けていたようなトウカイテイオーが受け容れるはずがない。

 

 

――――――問答無用。それが“皇帝”陛下の覚悟というわけなのか。

 

 

ならば、元からトレセン学園の門外漢である私としてはこれ以上の口出しは無用というもの。

 

結果として、“皇帝”の命を受けて岡田Tに近隣住民を装って私がメンタルケアを行っていたのは無駄とはならず、

 

『ジャパンカップ』にて2人に擬態したWUMAを見た瞬間にゴールドシップに依頼して()()()()()()()にて無理やり担当ウマ娘と引き合わせたことで、

 

トウカイテイオーと岡田Tは次こそが最後として再び夢の舞台に自分の足で立つために人知れず再起することになり、2人の身柄はシンボリ家で秘匿されることとなった。

 

その間、“皇帝”シンボリルドルフは2人に擬態したWUMAの監視を自ら行うことにしたのだ。

 

そのため、これ以上の追跡は不必要だとして、藤原さんから引き上げるように指示を受けた――――――。

 

 

しかし、そうは問屋が卸さない。手出しが無用だとしても『WUMAの擬態する基準や目的がわからない』という最大の謎に迫るために追跡は続行した。

 

 

宇宙移民にとって先制的自衛権の行使は合法であり義務なのだ。

 

そのために宇宙移民船のクルーは拳銃やもちろん、擲弾発射器(グレネードランチャー)狙撃銃(スナイパーライフル)の訓練も受けている。

 

それらは惑星開拓における狩猟や発破のために必須の生活技能としての側面もあるため、VR訓練によるものだとしても――――――否、仮想空間でのイメージトレーニングのおかげで、

 

こうして21世紀のウマ娘のハーフの身体になった現在でも、FPS(ファーストパーソン・シューティング)ゲームで精密にモデリングされている銃器の動作を見ているだけで大体の使用感がわかるぐらいだ。

 

しかし、ここは惑星開拓における無法地帯ではないため、猟銃(ハンティングライフル)すら簡単に手に入れることができないので、C4爆弾による爆殺が一番確実だと思われた。

 

そう、もしかしたら人の目がないところで秘密の集会を開いている可能性があるため、そこにC4爆弾を仕掛けておくことができたら一網打尽にできる。そこが狙い目だ。

 

 

そして、レースが終了してトレセン学園に凱旋する偽物2人に発信機を取り付けて、指向性マイクや望遠監視カメラを携えて夜通しで監視し続けていたところ、早速 大物の姿を捉えることに成功した。

 

 

しかし、その大物こそが目下最大の問題であり、怪人:ウマ女との戦い――――――疑心暗鬼に打ち克つことの困難さを象徴するものであった。

 

『天皇賞(秋)』の時に初めてその真価を発揮した“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は指し示す。そいつは偽物であると。討つべき敵であると――――――。

 

行方知れずだった和田Tやトウカイテイオーの居所を指し示してくれた“黄金の羅針盤(クリノメーター)”のことを信頼してないわけじゃない。

 

だが、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”のことを全面的に信用して それが外れた場合のリスクを考えると、この場で抹殺に動くべきかの判断ができなかったのだ。

 

もしかしたら“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が間違っているかもしれない――――――。

 

そもそも、金ピカの傾斜計(クリノメーター)なんてふざけた代物に合理性の欠片なんてないのに、これまで藁にもすがる思いで頼り切りになっていた方がおかしいのだ。

 

しかし、やつらの侵略は密やかに巧妙に進んでいる。

 

どうにかして自分から正体を現すように誘導する手段はないものかと必死に考えながら大物を追跡していると、その絶好の好機が訪れたのであった。

 

 


 

 

シンボリルドルフ’「――――――」

 

 

斎藤T「結局、あれは本物なのか、偽物のなのか――――――、指向性マイクにも限界がある」

 

斎藤T「学生寮に侵入できない以上は高所からの直接の監視と学生寮の監視カメラで追跡できているが、」

 

斎藤T「わざわざ深夜に外に出てトウカイテイオー’と2人きりで話をするだなんてこと、普通するか?」

 

斎藤T「…………“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は正確にシンボリルドルフの方向を指し示している、か」パカッ

 

 

私はトレセン学園に凱旋した偽物のトウカイテイオー’と岡田T’の監視を続け、それぞれが学生寮とトレーナー寮に帰り着いた後も監視し続けていた。

 

トレーナー寮の岡田Tの部屋にはすでに監視カメラや盗聴器を仕込んでおいたので、生徒以外は進入できない学生寮の方に目を向けていた。

 

どう考えても学生寮の監視カメラはスタンドアローンにしておくべきなのだが、そうなるとERT(緊急時対応部隊)が監視カメラの映像を基に適切な対応(オペレーション)ができなくなるため、

 

結局、学生寮の監視カメラがERT管轄のサーバーに接続されていることから、こうして外部の人間が学生寮を覗き見ることができた。

 

もちろん、部屋の中にまでは監視カメラは入っていないのでプライベート保護はなされているから、そこは安心して欲しい。

 

また、トレセン学園の生徒は21世紀に普及したPDA(携帯情報端末)でインターネットを閲覧しているため、そのままだと基地局のサーバーに侵入する手間が掛かるのだが、

 

学生寮に居る時は普通に学生寮のWi-Fiスポットを使っているので、そこから情報を盗み見ることは非常に簡単であった。

 

やはり21世紀、情報通信技術がまだまだ原初的でその場で解体できるような脆弱さが目立つ。

 

これによって、我が物顔で自室に帰っていった偽物のトウカイテイオー’の動きは視覚的・電子的に監視されており、不穏な動きはすぐに察知できるようになっていた。

 

なので、わざわざ私自身が夜通しで肉眼で塀の向こう側にある学生寮を見下ろせるトレセン学園の本校舎屋上で監視する意味はほとんどないのだ。

 

エアシャカールが部長を務める電算部のスーパーコンピュータやサーバーの機能を少しばかり借りるだけで、トウカイテイオー’と岡田T’の監視体制は万全に整ったのだから。

 

しかし、何となくだが、12月を迎えようとする深夜の寒空の下で初日ぐらいは監視しておくことにしたのだ。

 

 

そしたら、深夜の寒空の下でトウカイテイオー’が突如として外に出てシンボリルドルフ’と何かを話し合っていたのだ。

 

 

指向性マイクで物理的に盗聴しようと思ったが、さすがにそこまでの万能性はない。

 

話している内容は不明だが、部屋に戻ったトウカイテイオー’がボロを出すのを期待しながら、慎重に監視カメラでシンボリルドルフ’を追跡していく。

 

ここでケータイを鳴らしてみようとも思ったのだが、それはシンボリルドルフ’が自室に帰り着くタイミングにしておくことにした。

 

さしもの、怪人:ウマ女も多くの生徒が寝静まっている学生寮で不意にケータイを鳴らされたら迂闊な行動がとれなくなるはずだ。

 

もっとも、電源を切っていたり、マナーモードに設定されていたり、そもそも持ち歩いていなかったりした場合は空振りに終わるが、

 

すぐに応答しなかった場合は 些細なことだが その点を突いて問い詰めることもできるはずだ。やって損はない。

 

 

そして、私は“黄金の羅針盤(クリノメーター)”を何度も見て、それが指し示すものがシンボリルドルフ’であることを何度も確かめることになった。

 

 

この“黄金の羅針盤”だなんて呼ぶことになった金ピカの傾斜計は『天皇賞(秋)』の前に妹:ヒノオマシと一緒にショッピングに行った帰り、

 

アグネスタキオン(アグネスターディオン)の脚に使われて大量の荷物を部活棟に運び入れる際に、

 

謎の発光現象を起こしていたトレセン学園の中央広場にある三女神像の噴水を調査していた時にどこからともなく降ってきたものだった。

 

正確にはこのタイプの傾斜計は『ポケットトランシットレベル(ブラントンコンパス)』と呼ばれるものであり、磁石,気泡水準器,鏡,照尺,錘をコンパクトに組み合わせた代物である。

 

地質調査の三種の神器の1つとされる傾斜計は野外で使うものなのだから、金ピカにしたら反射光が眩しいというわけで実用性皆無の悪趣味な代物であった。

 

しかし、それを回収した時に噴水の謎の発光現象が収まったことから、意外にロマンチストな彼女に言われるがままに、“三女神の祝福”としてお守り代わりに持ち歩くことにしていた。

 

実際、宇宙移民にとっては地質調査は必須の技能なので非常に馴染みの深い代物ということで、宇宙船開発へのモチベーションを維持するのに役に立った。

 

少し気晴らしに傾斜計を使って測量・測角していると、自分が23世紀の宇宙移民船のクルーだったことを鮮明に思い出せるからだ。

 

 

ところが、それが実はとんでもないオカルトグッズだったことが判明したのは『天皇賞(秋)』の繰り返される時の中であった。

 

 

最終的に“目覚まし時計”の故障によって『天皇賞(秋)』が繰り返されるのに巻き込まれた私は重要参考人である和田Tの居場所を探し当てるのにもっとも苦労することになった。

 

担当ウマ娘:メジロマックイーンがターフの上で死ぬのに合わせて多摩川に入水自殺し続けていた和田Tであったが、本当は心中なんて望んでいなかったためか、死ぬに死にきれなかったのだ。

 

そのため、永遠に死に続ける運命にあったのをターフの上で死に続ける担当ウマ娘も一緒に救うことが必須となり、結果として20回も時が巻き戻されることになった。

 

しかし、一度は心中することを決意した者を説得するのは容易ではなく、何度も巻き戻される時の中で誰も知らない壮絶なレースが開催されることになり、府中市内を駆け回ることになった。

 

その際に時の迷路で私を導いていくれたのが この金ピカの傾斜計“黄金の羅針盤”であり、

 

自分と同じように時が巻き戻っていることを認識している私から逃げ続ける和田Tのいる方角を何度も指し示すことになった。

 

また、気泡水準器を見れば自分から見て和田Tがいる角度がわかり、照尺で覗き込みことで目標の姿がはっきりと見えてしまう。

 

なので、“黄金の羅針盤”の使い方が段々とわかっていくことで、府中市内を惨めに逃げ回る和田Tの向かう場所を特定することが容易となり、

 

あとは死ぬしかないという絶望に囚われた和田Tを説得するために時が巻き戻される状況を利用して各方面の協力をありったけ取り付けて追い詰めることで、

 

死ぬことを断念した和田Tが 担当ウマ娘に対して これからもこの世界で一緒に生き続けることを告げることで、ようやく“目覚まし時計”の魔力から解放されたのだ。

 

 

そして、今回の『ジャパンカップ』においても状況証拠から東京競バ場に現れたトウカイテイオー’と岡田T’が偽物であることが即座にわかったため、

 

本物のトウカイテイオーと岡田Tの確保に奔走する事態となり、岡田Tに関しては以前から私が直接メンタルケアをしていたので確保は他人に任せられるぐらいに容易だったのだが、

 

問題は本物のトウカイテイオーが競バ場にいないならどこにいるかという話となり、すぐに怪人災害による静かなる侵略の被害者の安全確保のために藤原さんに出動してもらった。

 

そこでまたもや私が頼ったのが“黄金の羅針盤”であり、トウカイテイオーの最近の様子から復帰に向けてトレーニングしていたことは把握していたので、

 

“黄金の羅針盤”が指し示した方角に『ジャパンカップ』の放送を見ることができる場所がないかを藤原さんに伝えて、なんとか街頭ビジョンを見上げて立ち尽くしていたトウカイテイオーを発見することに成功したのだ。

 

 

このように()()()()()()()()として“黄金の羅針盤”はここ一番の時に成果を上げてはいるのだが、

 

こんな得体の知れないオカルトグッズに頼り切りになっているのは人間として間違っていると思っているからこそ、

 

『天皇賞(秋)』の時にシンボリ家やアグネス家などの『名家』も動かしてみせたり、問題の中心であるメジロ家にも首を突っ込んだりして、和田Tに死ぬことをあきらめさせることになった。

 

そもそも、“黄金の羅針盤”が指し示すものが意味するところが正確にはわからないので、裏を読んだり 裏の裏を読んだりするなど いろいろと悩まされてもいるのだ。

 

つまり、こんなものに縋るしかないぐらいに手詰まりの状態や極限状態でもない限りは無い知恵を絞ってギリギリまで冷静な判断で物事に対処すべきなのだ。

 

そんなわけで、十中八九 深夜に現れたシンボリルドルフ’が偽物であるという確信は持ちつつも、学生寮に突入することもできないまま、姿を消すところまで見届けようとした――――――。

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

斎藤T「この羽音は――――――」

 

斎藤T「またお前か、コーカサスオオカブト」パシッ

 

斎藤T「ヒノオマシのところからまたこっそり抜け出してきて今度はどうした? 寿命もそろそろなんじゃないか?」

 

斎藤T「それとも、あそこにいるシンボリルドルフ’が()()()()()手伝いをしてくれるのか? ――――――ウマ女だけに」

 

 

――――――さあ、来るよ。かまえて。

 

 

斎藤T「――――――っ!」ゾクッ

 

シンボリルドルフ’「そんなところに隠れていたのか、ケイローン」

 

斎藤T「……なに!?」

 

斎藤T「嘘だろう? いつの間に学生寮からトレセン学園の屋上まで――――――」

 

斎藤T「けど、それ以上に――――――」

 

シンボリルドルフ’「そうか。つまり、そのヤフーが()()()()()()()()()()()()()()の――――――」

 

シンボリルドルフ’「探す手間が省けたよ。ありがとう、ケイローン。そして、さよならだ」

 

斎藤T「待て!」

 

シンボリルドルフ’「…………ヤフーごときが我々に発言することは許されない」

 

斎藤T「……“ヤフー”っていうのは私のようなホモ・サピエンスのことを言っているのか?」

 

シンボリルドルフ’「それ以外の何だと言うんだ?」

 

シンボリルドルフ’「ああ……、この姿の持ち主は愚かにもヤフーとの絆なんかを信じているようだがね」

 

シンボリルドルフ’「……うん? 誰だ、この女がデビューした時からずっと記憶の中にいるこのヤフーは?」

 

斎藤T「――――――“皇帝の王笏”と呼ばれた伝説のトレーナーのことだ、きっと」ボソッ

 

シンボリルドルフ’「……なるほどな。この女はヤフーと肉体的な繋がりを持っているのか」

 

 

シンボリルドルフ’「薄汚れた女め!」

 

 

斎藤T「え」

 

斎藤T「――――――っ!」ギリッ

 

斎藤T「なら、その姿で語るな! バケモノめ!」

 

斎藤T「そもそも、ウマ娘はヒトと結ばれることで子をなす種族なのを知らないのか!」

 

シンボリルドルフ’「なるほどな。ヤフーに使役されてヤフーに媚び諂うことで生き永らえた()()()()()()()()というわけか」

 

斎藤T「――――――『我らが同胞の末路』?」

 

斎藤T「……まるで()()()()()()()()辿()()()()()のことを知っているみたいな口振りだな」

 

シンボリルドルフ’「……驚いたよ。知能指数から言って、ケイローンが言うことを理解できるヤフーがいるだなんてね」

 

斎藤T「え」

 

 

シンボリルドルフ’「そこまで知っているなら、()()()()()()()()()()()()である“ヤフー”をこの宇宙から消滅させるという我々の崇高なる使命も理解しているはずだ」

 

 

斎藤T「なに……」

 

シンボリルドルフ’「ならば、安心したまえ。我々は“ヤフー”とはちがう」

 

シンボリルドルフ’「我々は平和を愛する心を持ち、非常に知性あふれる高貴な精神性を持つ社会的生物だ」

 

シンボリルドルフ’「我々の適切な管理の下でならヤフーと言えども生存を許そうではないか」

 

シンボリルドルフ’「そう、きみのような()()()()()()()()の存在を求めていたのだよ」

 

 

シンボリルドルフ’「きみのような()()()()()()()()が見つかったとあれば、あとは繁殖に必要な数だけ確保しておけば、この星はヤフーの脅威から解放されることだろう」

 

 

斎藤T「な、何を言って――――――」

 

シンボリルドルフ’「そこのケイローンは我々の裏切り者だ。我々こそが悪の権化だと不遜にも言い放ったが、」

 

シンボリルドルフ’「それなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という矛盾が生まれないか?」

 

シンボリルドルフ’「我々はヤフーの脅威から宇宙を守る平和の使者なのだから、悪であるはずがないだろう?」

 

シンボリルドルフ’「だから、安心して我々の管理を受け容れたまえ」

 

斎藤T「詭弁だ! そんなのは嘘つきのパラドックスだ! 自分たちに都合がいいように問題を単純化して自己肯定しているだけだろう!」

 

シンボリルドルフ’「ふん――――――」

 

斎藤T「え――――――」

 

シンボリルドルフ’「ちっ」

 

斎藤T「なっ!? め、目の前――――――」

 

斎藤T「…………う、動きが見えなかった!? それどころか、動く前兆や気配すら感じなかったぞ!?」

 

シンボリルドルフ’「ケイローンめ、すばしっこい……」

 

シンボリルドルフ’「だが、我々の知性あふれる高貴な精神性を宿した肉体を捨ててまで得たヤフーにも劣る虫ケラの身体で満足か?」

 

 

気づいた時にはとんでもないことに巻き込まれてしまった。

 

監視もこの辺りで切り上げて今も研究に没頭しているだろうアグネスタキオン(アグネスターディオン)がいる部活棟の実験室で一眠りしようかと思った時に、

 

確証はないがヒノオマシが飼っているはずのコーカサスオオカブトがタイミングよく姿を現したかと思った瞬間、

 

偽物のトウカイテイオー’をトレセン学園の校舎屋上から監視していたところに新たに現れたシンボリルドルフ’の偽物が私の目の前に現れたのである。

 

ありえない。どんな身体能力があろうとも、塀に囲まれた学生寮から同じく柵に囲まれたトレセン学園の校舎屋上に一直線に迫ることなんてできるはずがない。

 

しかも、これまで遭遇してきたWUMAの正体――――――、馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好の怪人:ウマ女の状態でもないのに、これである。

 

そして、明確にコーカサスオオカブトのことを“皇帝”の姿や声でもって“裏切り者のケイローン”と名指しするのだ。

 

 

これで隕石が降ってきた夜に遭遇することになったコーカサスオオカブトとWUMAの関係性は明白となった。

 

 

コーカサスオオカブト:ケイローンはWUMAの脅威を察知して ずっと私のことを助けてくれていたのだ。

 

しかし、やはりというかWUMAという存在は“世界的な未確認侵略生物”であった。

 

我々ヒトのことを“ヤフー”という蔑称をつけて公然と差別しており、基本的にこちらの発言を認めない姿勢のため、対話による和解など到底不可能だと思わせるのに十分な邪悪さであった。

 

何となくだが、かつて“怪物”ナリタブライアンがWUMAに対して本能的に恐怖を感じたのも納得がいくほどの異物感があり、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たるシンボリルドルフの顔で他の全てを心底汚らわしいと蔑んだ表情には拒絶感が湧き上がった。

 

しかも、こちらが本当は何も知らないことを察することなく、自分たちの使命だの価値観だの言いたいことを一方的に喋ってくれるのでWUMAの狙いがわかって大助かりではあったが、

 

“皇帝”シンボリルドルフの情事について何の配慮もなく『汚らわしい』と吐き捨てるような地球外知的生命体には腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えてしまった。

 

だが、その能力は圧倒的であり、これまで遭遇してきた怪人:ウマ女はまだ動く前兆や気配などを感じ取ることができたものの、

 

このシンボリルドルフ’の偽物は明らかに別格であり、気づいた瞬間にはコーカサスオオカブト目掛けて私の目の前に踏み込んできており、

 

ほとんど密着の状態にまで持ち込まれたと言うのに、私の頬を掠めた強烈な突きや踏み込みによる衝撃が一切感じられなかったのだ。

 

おかしい。どれだけ高速移動しようとも大気圏内である以上は絶対に空気抵抗から風を切るはずなのに、それすらなかった。

 

気づいた時には拳が突き出されることなく、すでに私の耳元に拳が置かれている状態だったのだ。

 

それどころか、目にも留まらぬ速さという表現があるが、こうして私の目の前にピタリと停止するのならば一瞬でも止まるために減速する様子が目に留まるはずなのだ。

 

むしろ、それほどまでの高速移動で急停止した時の風圧で私の身体が切り刻まれるか吹き飛ばされるかするはずなのに、私の身体は何の衝撃も受けていないのだ。

 

遠くから見下ろしていたはずの学生寮からトレセン学園の校舎屋上まで一瞬で移動したことを考えても、これがただの高速移動なんかじゃないことは明らかだった。

 

それだけにいつでも殺せるためか、完全に私のことは眼中にない様子であり、シンボリルドルフ’の偽物は何もない虚空を睨んだままだった。

 

近くにいるはずの あれだけ目立つ羽音を立てるコーカサスオオカブトの気配はすでにない――――――。

 

 

斎藤T「こ、この――――――」

 

シンボリルドルフ’「さて、多少の野蛮さはヤフーだから目を瞑るとしても、貴重な()()()()()()()()()のサンプルだ。どうすればおとなしくしてくれるか――――――」

 

シンボリルドルフ’「そう言えば、この女は相当にきみのことを評価しているようだな」

 

シンボリルドルフ’「なるほど、()以外に見つけた“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たる自分の使命を理解してくれている同志――――――」

 

シンボリルドルフ’「そして、皇宮警察騎バ隊の血筋のハーフという日本国最高の高貴な血統のウマ娘から生まれたヒトの子か」

 

シンボリルドルフ’「――――――“アグネス家の最高傑作”と結ばれるなら それでよし」

 

シンボリルドルフ’「でなければ、シンボリ家の誰かを宛てがってでも取り込みたいと――――――」

 

斎藤T「――――――今っ!」 ――――――腰に履いた誘導棒;プラズマジェットブレードを振り抜こうとする!

 

 

斎藤T「え」

 

 

斎藤T「え――――――?」

 

シンボリルドルフ’「たしか、ウマ娘の腕っ節に敵うヒトなど存在しないのだったな」

 

斎藤T「い、いつの間に押し倒されていた――――――!?」 ――――――次の瞬間にはすでにシンボリルドルフ’に馬乗りされていた!

 

 

シンボリルドルフ’「――――――そうか。ヤフーはこういうのに弱いのだな」ニヤリ

 

 

斎藤T「!!!!」ゾクッ

 

斎藤T「ま、まずい!」ジタバタ

 

シンボリルドルフ’「ジタバタするな。喜べ、友好の証としてきみたちに愛の印を授けようではないか」ガシッ

 

斎藤T「は、放せ!」 ――――――両手を掴まれてしまう!

 

斎藤T「うううぐうううううううううう!」グググググ・・・!

 

斎藤T「こ、このぉ……!」

 

斎藤T「や、やめろ! その顔で私に――――――」

 

斎藤T「あ――――――」

 

 

ズキュウウウウウウン!

 

 

シンボリルドルフ’「――――――」

 

斎藤T「――――――」

 

 

 

 

シンボリルドルフ’「………………」

 

斎藤T「ゴホゴホ・・・」

 

シンボリルドルフ’「ど、どうだ? きみたちが恋焦がれているキスの味は?」ドキドキ

 

斎藤T「…………ふざけるな」ボソッ

 

シンボリルドルフ’「なに?」

 

斎藤T「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなあああああああああああ!」ペッ

 

 

斎藤T「他人の姿を弄んでいる偽物とわかっていて心を奪われてなるものかああああ!」ゴチーン! ――――――起き上がりの頭突き!

 

 

シンボリルドルフ’「きゃっ!」フラッ

 

斎藤T「今だ! どけっ!」ドン! ――――――突き飛ばして馬乗り状態から脱出!

 

シンボリルドルフ’「お、おのれ! ヤフーがよくもこの私に! 付け上がるな!」ドタッ

 

斎藤T「本当の姿を見せてみろよ! まさか、自分の姿が醜いからって他人の姿を盗んでいるじゃないだろうな?」バッ ――――――誘導棒を構える。

 

シンボリルドルフ’「――――――後悔するなよ、ヤフー!」

 

斎藤T「来たか!」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

相手が生物である以上、プラズマジェットブレードに絶対に耐えられるはずがない――――――。

 

向こうの方から密着してきたという絶好の好機到来で すかさず誘導棒に偽装したプラズマジェットブレードでバケモノを一刀両断にしようとした次の瞬間、

 

私は押し倒されたことも理解できないままシンボリルドルフ’の偽物に馬乗りされており、そこからウマ娘の力に抑え込まれて熱い口付けを喰らわされる羽目になってしまった。

 

生まれて初めてのキスの味は意識が蕩けてしまうような甘美なものであり、相手を本能のままに求めてしまう情動に煽られ、敵を討ち果たすべき意志が吸い取られてしまった。

 

もう何もかもがどうでもいい――――――。このまま快楽に身を委ねてしまいたいという欲求と目の前にいる絶世の美少女に対する欲望が沸々と湧き上がっていく。

 

そう、あのままだったら、本当に口付けだけで身も心も堕とされていたところだった。

 

 

ところが、薄れていく意識を一気に現実に戻す興醒めなことが起きてしまうのであった。

 

 

それは非常に単純で、口付けが長過ぎたことで危うく酸欠で私が死にかけたというだけのことである。

 

というより、相手が“皇帝”シンボリルドルフの過去の記憶や体験を完全に再現した存在だということを踏まえても、

 

“皇帝”陛下が初心なのか経験が1回だけなのかは知らないが、他人の情事を虚仮にしたバケモノの分際で私にも心臓の高鳴りが伝わってくるぐらいに緊張していたのがわかった。

 

それによって、相手は息を止めながら私の唇を深々と奪っていたわけなので、毒が塗られていない新手の死神の口付けで意図せず私は普通に殺されそうになっていた。

 

間一髪、相手が離れてくれたおかげで九死に一生を得たが、“皇帝”陛下の情事が相手を殺しかけるようなものであるはずがない。

 

さっきの口振りやしている最中の心臓の高鳴りと言い、全体的にヤフーとみなして見下している地球人の文化に対して無知で無理解なのもあって、加減がわからないのだろう。

 

つまり、擬態対象の記憶や体験を頭で理解していても、いざ自身が実践するというのは別の話だというのがこれでわかった。

 

あるいは、WUMAとしての自我を保つために擬態対象に成りきれていない弊害とでも言うべきか――――――。

 

ともかく、相手が自ら晒した隙を突いて頭突きをかまして押し退けると、私はすかさず誘導棒に偽装したプラズマジェットブレードを再び手にとった。

 

そこから刺し違える覚悟でWUMAを挑発して その真の正体を現すように迫った。

 

偽物だとわかってはいても、改めて向き合った時に這い寄った私の心の弱さ故に“皇帝”シンボリルドルフの御姿を傷つけることは憚られた――――――。

 

そして、真の姿を現した怪人:ウマ女は今までとは何もかもがちがった。

 

 

斎藤T「――――――こいつは今までのやつとは全然ちがう!?」

 

怪人:ウマ女「モウコウナッタラ マエホドヤサシクハナイゾ?」

 

斎藤T「――――――角が生えてる!? ウマはウマでも一角獣(ユニコーン)の怪人ってことか!?」

 

怪人:ウマ女「ホウ、キサマハ ヤハリ フツウノヤフートハコトナルヨウダナ」

 

怪人:ウマ女「ナラ、コウエイニオモウガイイ! ワタシノキュウキョクノスガタヲミルコトガデキルノハ コノホシデハ キサマガサイショデサイゴダ!」

 

斎藤T「な――――――」

 

斎藤T「翼が生えて――――――」

 

怪人:ウマ女「サア、エラベ! コノバデシヌカ、ワタシノモトニクルカ!」

 

斎藤T「――――――まさか、有翼一角獣(アリコーン)の怪人だったとはな」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

斎藤T「ケイローン!」パシッ ――――――コーカサスオオカブトを再びこの手に。

 

怪人:ウマ女「チョウドイイ。サア、ケイローンヲシマツシロ。ソウスレバ、エイエンノハンエイガヤクソクサレルダロウ」

 

斎藤T「こんなことに巻き込んでおいて、当然 勝てるんだろうな?」

 

 

――――――相手が強大なエルダーであるからこそ、ここで打ち勝たなければならない。

 

 

斎藤T「ああ! 愛を知らぬ隣人にはお引き取り願おうか!」

 

怪人:ウマ女「ナニヲモタモタシテイル。ケイローンヲシマツシナサイ」

 

斎藤T「悪いな。間違っていることには従えない」

 

斎藤T「そして、話し合うことに意義を見出さない連中なら尚更!」

 

怪人:ウマ女「……コウカイスルゾ」

 

斎藤T「後悔するのはそっちだ!」

 

怪人:ウマ女「……ヒジョウニザンネンダ」

 

怪人:ウマ女「ワレワレハコンナニモヘイワノコトヲアイシテイルノニ」

 

怪人:ウマ女「デハ、シヨリモオソロシイキョウフヲアタエルトシヨウ」

 

斎藤T「……来る!」

 

 

――――――交渉決裂。この瞬間から第八種接近遭遇:宇宙人による侵略行為からこの星を守るための戦いが始まった!

 

 

怪人:ウマ女「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」ズバーーーン!

 

斎藤T「え?」

 

斎藤T「あ、あれ……?」

 

斎藤T「い、いったい何が起きて――――――」 ――――――手にしたプラズマジェットブレードの外装は蒸発してパワー切れになっていた。

 

怪人:ウマ女「ソ、ソンナバカナ……。エルダーデアルワタシガヤフーゴトキニマケルダナンテ……」

 

怪人:ウマ女「ソンナ! タスケテ! シニタクナイ! ヒトゴロシ! イヤダ!」ジタバタ!

 

斎藤T「…………“エルダー”って大層な肩書の割にはその最期は“ヤフー”に命乞いか?」

 

斎藤T「みっともないと思わないのか? 潔く勝者に道を譲れ!」

 

怪人:ウマ女「ヒ、ヒィイイイイン…………」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

――――――()()()()()()()()()()()()

 

 

()()()()()()()()()()すでに私は誘導棒に偽装したプラズマジェットブレードでエルダークラスの怪人:ウマ女を斬り伏せていたのだ。

 

私はもちろん、相手の方も何が起きたのかまったくわからない様子だった。

 

はっきりしているのは、プラズマジェットブレードの外装が蒸発し、怪人:ウマ女の両脚を溶断された上に背後から私が翼を斬り落としていたことだった。

 

ウマという生物にとって命である両脚を失い 更にはエルダークラスの特徴である翼までも失った以上は誰の目から見ても再起不能である。

 

しかし、()()()()()()()は理解できなくても、()()()()()()()()()()()()ははっきりと覚えていた。

 

怪人:ウマ女の高速移動を封じるために両脚を切断するというセオリーと、初めて遭遇する有翼のウマ女の行動を完全に封じるために翼を斬り落とそうと私はしていた。

 

そして、()()()()()()()()()私は次の瞬間にはエルダークラスの怪人:ウマ女を斬り伏せていたのだ。

 

これまで遭遇した怪人:ウマ女の飛節に蹴りを置いてカウンターキックを喰らわせたのとまったく同じことが形を変えて繰り返されたのだ。

 

そう、()()()()()()()()()()()の流れで怪人:ウマ女を討ち果たす――――――。

 

つまり、こちらが認識することができないほどの目にも留まらぬ動きができるエルダーが逆に認識できない動きを私はしていたことになるのだ。

 

そうじゃなかったら、連続使用時間が5秒のプラズマジェットブレードで相手の背後に回り込んで両脚・両翼を斬り落とすことまでできるはずがないのだ。

 

これはもう身体能力がどうとかの次元の話などではないことは理解できた。

 

その力を与えてくれていたのが、コーカサスオオカブトの姿に身をやつした裏切り者のケイローンだということもわかってきたのだった。

 

しかし、私は小心者であった。WUMAが化けていると確信が得られたシンボリルドルフ’の偽物をそのままの姿で討ち果たすことに躊躇いを覚えたような半端者――――――。

 

『ただやりづらい』という理由でバケモノの姿になるように挑発して自ら討ち果たした怪人:ウマ女であろうとも、その最期を目の当たりにして私の中で憐憫の情が湧いてしまったのだ。

 

 

斎藤T「………………」スッ ――――――力尽きた怪人:ウマ女を抱き起こして優しく摩る。

 

怪人:ウマ女「……ナ、ナニヲ? イッタイコレハ?」ナデナデ

 

斎藤T「……本当は殺したくはなかったからだ」

 

斎藤T「お前は死ぬ。だから、本当にすまない。こんな手段を選ぶしかなかった地球人類の無知と無力を嗤ってくれ」

 

怪人:ウマ女「………………」

 

斎藤T「あとは、『ファーストキスを奪っていった相手のことを憶えておきたい』っていう男のワガママかな?」

 

怪人:ウマ女「エ……」

 

斎藤T「私も男なんだなって。柄にもなく、無理やりキスされていながらも舞い上がっててさ」

 

斎藤T「お前だって、擬態対象の過去の記憶や体験で知った気になって――――――、初めてだったんだろう? 慣れないことはするもんじゃないな」

 

怪人:ウマ女「ウゥ…………」

 

斎藤T「まあ、『“皇帝”シンボリルドルフの姿を盗んでいる』っていう点で気分が悪くはなったけれど、」

 

斎藤T「そのさ、『好きな人とキスできたら本当に気持ちがいいんだろうな』って、ときめきを覚えたよ」

 

怪人:ウマ女「キミハ……」

 

斎藤T「だから、せめて痛みを忘れて安らかに眠れ」

 

 

――――――これが()()()()()()()だぞ。

 

 

私は偽善者。WUMAの存在を誰よりも危惧して率先して根絶のために準備して、いざプラズマジェットブレードで斬り刻んでおきながら、その最期をキスで締め括るような偽善者だ。

 

取ってつけたような良心の呵責のために、全身白タイツの馬面のバケモノに()()()()()()()をしてしまったのだから、人前でカッコつけて内心ではグチャメチャに精神が乱れていたようだ。

 

一方的かつ侵略的なものであったとは言え、言葉が通じる知的生命体をこの手で抹殺したという事実は決して後腐れない美談にはならなかったのだ。

 

これこそが宇宙移民がいつかは乗り越えなければならない障害だとしても、ただただ善良でありたいと願う一人の人間としては非常に堪えるものがあった。

 

そして、相手の方から無理やり唇を奪われたからと言って、自分で始末した相手との口付けの感触がたまらなくて、あれこれ理由をつけて自分から人外とのキスを求めてしまうとは、

 

追い詰められた状態になると、本当に人間ってやつは 自分でも何をしでかすか わからないものだ。この時の自分がまったくもって理解できない。

 

いや、相手が偽物だと頭で理解できていても、“皇帝”シンボリルドルフを再現した存在から求められて それを本心から拒めるかどうかを改めて自問自答すると、かなり怪しいところがあった。

 

私自身、彼女のことが好きとか嫌いではなく一個人として敬意を持って接しているからこそ――――――、

 

裏返すと、それまで性的に無関心だったからこそ、こうして強引に迫られた時に『別に受け容れてもいいか』と流されてしまうのだ。

 

未成年だとか立場がちがうなどの建前で意識しないようにしていただけで、本当のところは誰に対しても性的な執着を抱いていないからこそ、ふとしたきっかけで流されてしまう危険性があったというわけだ。

 

例えばの話、特に関係があるわけじゃないスターウマ娘にキスされたら途端に意識してしまうのと同じことで、『その気はないのだ』と思っていてもどこかで期待してしまう下心のことだ。

 

これまでヤフーと蔑んでおきながら両脚・両翼をもがれて高慢な態度を崩さずに命乞いをするような恥知らずなエルダークラスの怪人:ウマ女と同レベルの醜態だろう。

 

いやはや、これはかなり効いた。シンボリルドルフ’の偽物が色仕掛をした時に抵抗できる人間がどれだけいることだろうか――――――。

 

けれども、実物の馬を見たことがない私でも理解できるような優しいお馬さんの表情になったことは肉体組織が崩壊して全身が灰になる前にしっかりと目に焼き付けることはできた。

 

おかげで、怪人:ウマ女だったものの灰に塗れてしまったものの、これで憂えなく彼女の冥福を祈ることができた。

 

次からはこんな思いをしないように情け無用で見敵必殺を心掛けなければならない――――――、『そのための苦い思い出だった』とでも思っておくことにしよう。

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

斎藤T「――――――」パシッ

 

斎藤T「ケイローン、全てを話してもらうぞ」

 

斎藤T「あいつらはいったい何なんだ? これからどうすればいいんだ? こんなことに巻き込んだ責任をとってもらうぞ?」

 

 

――――――あらためて、私はケイローン。そして、きみこそが絶望の未来から宇宙を救う救世主なのだ。

 

 



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経過報告  ウマよ、ウマよ! わが征くは星の大海!

明日には12月:師走となる11月の末、私は藤原さんに1()0()()()()()()から空間跳躍してきた“ケイローン”から得た情報をまとめた報告書を例の喫茶店で渡していた。

 

一連のWUMAによる怪人災害に対する極秘チームの責任者となっている警視庁警備部災害対策課の藤原さんはその内容に目を通すとコーヒーを何度も飲み干した。

 

怪人災害への対策として有力な情報を得られたことで大きな前進となったわけなのだが、書かれている内容をそのまま受け取ることができずに、何度も何度も見返していた。

 

一見すると、特撮ヒーローの企画書や設定資料みたいな荒唐無稽な報告書を私に出されて、どう上司に報告すべきかに頭を悩ませている様子であった。

 

まず、順序立てて説明するとこうなる――――――。

 

 

 

●怪人:ウマ女――――――“WUMA:Worldwide Unidentified Miscreant Alien《世界的な未確認侵略生物》”の正体

 

結論から言えば、宇宙から飛来した侵略的外来種という当初の予想に間違いはなかった。

 

遭遇したエルダークラスやケイローンからの証言によると、WUMAはヒトがウマ娘と共存する地球とは異なる進化と歴史を歩んだ()()()()()()()からの侵略者であり、

 

この時点で常人には意味不明なのだが、怪人:ウマ女という単一種族で構成された彼女ら自身の呼称は“フウイヌム”と言った。

 

この“フウイヌム”という馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好をしたような女性だけの単一種族が()()()()()()()の支配種族となっており、

 

ケイローンが言うには同じ21世紀の地球でも文明レベルや科学力は“フウイヌム”が支配する()()()()()()()()の方が段違いに発達しているとのこと。

 

というのは、“フウイヌム”が統一した地球は徹底的なエリート主義と官僚主義で創造性に欠けた厳密な多種族的カースト制度による適材適所が正しく運用されていることによって、

 

戦争や疫病などの世界規模の厄災による歴史の停滞や資源の浪費から解放されたことで、順調な科学文明の発達による技術革新が行われていたからなのだと言う。

 

その最たるものが俗に言う超能力や時空のシステムの解明であり、我々が知る物理法則を超越した超科学の実用化によって空間跳躍といった魔法すらも扱えるようになっていた。

 

つまり、社会を構成するあらゆる要素が歯車としてきちんと機能している徹底的な管理社会が()()()()()()()に築かれており、

 

それを土台にして安定した技術革新を遂げてきた超高度な科学文明人であるが故に、そのレベルに達していない他の文明を見下す傲慢さを持つ種族となっていた。

 

そして、()()()()()()()には“ヤフー”と呼ばれるヒトに酷似した邪悪で嫉妬深く争いばかりをしている汚らしい毛深いサル族が生息しているらしく、

 

そのため、“フウイヌム”は“ヤフー”やそれに類似する種族を徹底的に差別していたために、この地球を支配しているヒトに対して最初から敵意を向けているのだ。

 

また、この地球でヒトと共存しているウマ娘を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と見做して、ヤフーに支配されている地球とウマ娘の解放を目的に暗躍しているのだという。

 

そう、“フウイヌム”の目からすれば()()()()()()()は自分たちが“ヤフー”に敗北した()()()()()()ということで、その可能性を容認することができなかったのだ。

 

 

つまり、正真正銘の“世界的な未確認侵略生物”ということであり、地球人類にとって不倶戴天の敵というわけである。

 

 

なお、WUMAとしての擬態能力は元々の能力であるらしく、怪人:ウマ女としての姿が基本となっている理由は“フウイヌム”にとっては最大の禁忌となっているらしい。

 

超科学とは別に元々から備えていた擬態能力を有した“フウイヌム”の起源について調べていくうちに、その最大の禁忌に触れてしまったがために、ケイローンは社会から抹殺されそうになったという。

 

そこでケイローンは侵略中の()()()()()()()に逃走した後に、10年前の過去となる現在の地球へと飛来したというのだ。

 

侵略を受けた1()0()()()()()()()()()()()は他所の宇宙からやってきた“フウイヌム”によって支配され その独善的な価値観に基づく徹底的な種族的カースト制度が敷かれており、

 

ウマ娘が新たな支配者の同胞として地位向上がなされたものの、ヒトは“フウイヌム”が規定した種族的カースト制度では奴隷階級に甘んじることになり、人類文明は荒廃の一途を辿ったという。

 

しかし、その荒廃した絶望の未来の中で“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たる存在が反乱軍を組織して、最終的に()()()()()は救われることが予言されていたのである。

 

その予言こそがケイローンが掴んだ最大の禁忌の1つであり、ケイローンは将来的に現れる救世主を探し求めて、10年前の現在の地球に時間跳躍したと言うのだ。

 

なお、“フウイヌム”の超科学においては並行宇宙への干渉を可能とする空間跳躍は実現していても、過去や未来の時間軸への干渉を可能とする時間跳躍は実現されていないらしく、

 

時間跳躍したケイローンを追跡してきたWUMAたちは現在の地球のことを更なる空間跳躍で侵入した別の並行宇宙の地球と認識している――――――。

 

そうとは知らずに()()()()()()()を征服した余勢でもって、WUMAは現在のこの地球の侵略も開始しているのだ。

 

よって、WUMAの擬態はヒトとウマ娘を支配下に置いて地球征服する目的で行われ、その戦略目標を達成するために必要な人物の影響力や権限を利用することで実現を果たそうとしている。

 

 

●怪人:ウマ女の擬態能力と空間跳躍能力

 

“フウイヌム”――――――我々がWUMAと呼ぶ侵略者には3つの階級が存在する。あるいは3段階の進化形があると言った方が適切か。

 

そして、その3つの階級に応じた指揮系統と能力の大小と見た目のちがいが特徴となっている。

 

 

・ジュニアクラス = 普通の怪人:ウマ女

 

・シニアクラス  = 一角獣(ユニコーン)の怪人:ウマ女

 

・エルダークラス = 有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ女

 

 

まず、“フウイヌム”は馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好でいずれも生を受け、やがて女性とはっきりわかる豊満な輪郭の2mぐらいの巨体に成長するのが通常である。

 

これがジュニアクラスと呼ばれる階級であり、徹底的な血統主義の“フウイヌム”においては後述のシニアクラスやエルダークラスに進化できない者は全てこれに該当する。

 

そして、シニアクラスに進化できる血統の場合、頭の角が生えて一角獣(ユニコーン)の怪人になる。

 

そこから更に進化してエルダークラスとなった時、翼も生えて有翼一角獣(アリコーン)の怪人となるのだ。

 

基本的に“フウイヌム”の階級と進化形は一致しており、最上位であるエルダークラスの命令は絶対であり、

 

たとえエルダークラスの血統であっても角も翼も生えていない未成熟の個体はジュニアクラスの有象無象と同じ扱いを受けることになる。

 

実は、最初に私が隕石が降ってきた日に遭遇したWUMAは見た目は普通の怪人:ウマ女ということでジュニアクラスであったが、ケイローンが言うには特命を帯びた未成熟のエルダークラスの個体とのこと。

 

そうして自然と下積みを重ねてエルダークラスに進化した“フウイヌム”はジュニアクラスやシニアクラスのことを手足のように扱うことができるのだそうだ。

 

この辺りの生態が非常に理知的で合理的とも言える社会的生物であり、聞いているだけでも確かに“フウイヌム”がヒトよりも優れた種族に思えてくる。

 

平和を愛し 非常に合理的な社会を持つ 高貴な精神性と知性あふれる種族と自称しているだけのことはある。

 

 

身体能力はジュニアクラスの個体であってもウマ娘が本能的な恐怖と絶望を感じるほどであり、

 

擬態能力と空間跳躍能力を標準搭載しているため、ウマ娘よりも脆弱なヒトなどひとたまりもない能力差があった。

 

もちろん、進化によって見た目通りの能力強化が施されていき、角の生えたシニアクラスになると超能力が使えるようになり、そこから翼の生えたエルダークラスは実際に空を飛ぶことも可能。

 

正確には、超能力を制御できるようになる一本角によって空間跳躍能力を強化しているため、進化を重ねることで空間跳躍能力が強化されていき、

 

たとえば、私が2度遭遇した一般的な怪人:ウマ女――――――ジュニアクラスは辛うじて動きの前兆や気配を読み取れたのだが、

 

エルダークラスになると そうしたものを何一つ悟らせることなく 学生寮からトレセン学園校舎屋上まで一瞬で移動し、動作の過程をすっ飛ばした動作の結果だけをもたらすことが可能となってくる。

 

 

これだけ聞くと、ウマ娘が本能的に恐怖と絶望を感じる身体能力と擬態能力と空間跳躍能力を兼ね備えた超生物に対抗する意欲が失せてしまうのだが、

 

実は徹底した種族的カースト制度によって上意下達が当然となっているため、上位の存在を失うと一気に統制が失われるという組織の弱点を抱えているのだ。

 

そのため、末端であるジュニアクラスを排除するよりも上位のクラスを排除することができれば、WUMAを分断することができるため、指揮を執っている上位のWUMAは最優先で撃破しなければならない。

 

そして、『WUMAの擬態能力と空間跳躍能力は反比例する』事実こそが最上位の存在であるエルダークラスを最優先で討伐する最大の理由であり、

 

実はWUMAの擬態能力の完璧さはいかに擬態対象の思考に同化させられるかにかかっており、基本的に上意下達が徹底されているが故にジュニアクラスの能無しほど完璧な擬態が可能となっている。

 

上位の存在からの干渉がなければ、擬態したジュニアクラスは完全に擬態対象そのものに成りきってWUMAであったことを完全に忘れてしまうため、上位の存在による統制は不可欠。

 

しかし、超能力が使えるようになるシニアクラスやWUMAを統率するエルダークラスとなると、進化する過程で強固な自我が形成されていくために、それが仇となって擬態対象の思考と同化しづらくなる弊害が生じることになる。

 

また、擬態対象の選定は基本的にはエルダークラスが立てた戦略に従うのだが、

 

基本的に自分よりも知能の低い生物に擬態することはできても、自分よりも知能が高い生物に擬態することができず、

 

少なくとも敏腕経営者などの頭を常にフル回転させているような人間に擬態するためにはそれ相応の知能がないとなりすますことができないため、そうしたVIPには上位のWUMAが擬態することになる。

 

そのため、上位のWUMAでしか擬態できないほどの格を持つ擬態対象に化けている個体ほど、地球侵略を企てながら擬態対象の日常生活もこなさいといけないためにボロを出しやすいわけなのだ。

 

よって、必然とVIPに擬態したエルダークラスの方が正体を見破りやすく、討伐することで一帯のジュニアクラスの統制が失われるため、エルダークラスの撃破を最優先するのが推奨されるわけである。

 

裏返すと、ジュニアクラスのWUMAの擬態の摘発が非常に困難であることも意味しており、

 

末端の雑兵として知能に劣るとは言っても 超科学文明の出身ということで 平均的な地球人の知能を上回るので ほとんどの人間に擬態できてしまえる。

 

そのため、下位のWUMAにも、上位のWUMAにも、それぞれの長所と短所があるのだが、上位と下位が持つ長所と短所を適切に運用することで補い合っているため、一筋縄ではいかないのだ。

 

そういうわけで、エルダークラスを最優先で排除することで上意下達のWUMAの組織的行動を機能不全に陥れることがもっとも勝算があるというわけである。

 

もちろん、エルダークラスの戦闘能力はジュニアクラスの比ではないし、背中に生えた翼や高度な空間跳躍能力にWUMAとしての意識によって簡単に逃走を許してしまうが、

 

こうした“成り代わり”を行うWUMAの存在をまず察知することができないと戦いにもならないので、怪人:ウマ女――――――“フウイヌム”の実態と行動目的が判明しただけでも大収穫と言える。

 

つまり、『ジャパンカップ』の日の深夜に学生寮に現れたシンボリルドルフ’に擬態したエルダークラスを撃破できたことはここ一番のファインプレーとなっており、

 

これにより『トレセン学園やその周辺で潜伏しているWUMAの組織的行動がしばらくはおとなしくなる』というわけである。

 

また、“皇帝”シンボリルドルフに擬態するためにはエルダークラスの知能が必要ということも1つの判断材料になるだろう。

 

となると、8月末に普通の怪人:ウマ女であるジュニアクラスに擬態された飯守Tの知能は――――――。

 

いや、競争率の激しいトレセン学園のトレーナーという常日頃から担当ウマ娘を勝たせようと必死に頭を働かせている人種にも簡単に擬態できるほどの知能の高さが真の脅威と言うことか。

 

 

●空間跳躍能力 VS.時間跳躍能力

 

私がこれまでヒトでありながらウマ娘が本能的に恐怖と絶望を覚える圧倒的存在であるWUMAを撃退できたのは、ひとえに時間跳躍能力によるものだとケイローンが説明した。

 

WUMAの空間跳躍能力は人為的に付与された機能であり、その遺伝子と内部機構を可能としたのが元々の高度な擬態能力であるとも説明しており、

 

この点をもってWUMA――――――“フウイヌム”が遺伝子改造によって種族全体が空間跳躍を行える超科学生命体となっている。

 

しかし、物理法則を超越する超科学によって空間跳躍を行える無敵の肉体にも欠点があり、死亡時には内部組織が崩壊して その場で灰になってしまうのだ。

 

それはケイローンの推測では合理性の追求のために意図的に組み込まれた機能であるらしく、死んだらすぐに灰になるため、遺灰は“フウイヌム”の社会ではただのゴミとして捨てられる。

 

そのため、死者を弔うことや故人を偲ぶことは“フウイヌム”の超科学文明には存在せず、葬式や埋葬といったものを“ヤフー”の非生産的な野蛮行為と見做している。

 

この空間跳躍能力だが、基本的にジュニアクラスから上位になるほど高度なものになる代償に擬態能力の精度が落ちるのは説明した通り。

 

それでも、ジュニアクラスの怪人:ウマ女を前にして“怪物”ナリタブライアンが恐れ慄くぐらいなのだから、真向勝負となれば完全にお手上げなのだが、

 

空間跳躍能力も原則的には時間の経過を必要としており、ジュニアクラスのそれはまだ高速移動程度のものとなるが、

 

エルダークラスのものは更に進化した身体能力と超能力によって発生も隙も完全になくして行動の結果を導くため、完全に時間の経過をすっ飛ばした瞬間移動と化している。

 

しかし、そんな高速移動や瞬間移動として理解される空間跳躍能力を使ってくるバケモノを返り討ちにしてこれたのは空間跳躍能力を超越した時間跳躍能力によるものであった。

 

そして、それはWUMAの出現に際してケイローンがいちいち私の手に収まりに来ていたことに大いに関係していた。

 

 

――――――実は、コーカサスオオカブトの身体になってしまったケイローンの存在自体が時間跳躍能力のエネルギー源だったのだ。

 

 

つまり、ケイローンは“特異点”となっており、本来はエルダークラスの“フウイヌム”だったのが、征服された()()()()()から10年前にタイムスリップした際に肉体が失われた結果、

 

たまたま隕石が降ってきた日に野外に解き放たれていたコーカサスオオカブトの身体に空間跳躍能力のエネルギー源となったケイローンの意志が宿ったというものらしい。

 

その説明を受けた時、タキオン粒子をエネルギー源とする波動エンジンの開発エンジニアであった私がどれほど驚愕したかは言うまでもないだろう。

 

23世紀に普及した波動エンジンは宇宙エネルギーを超光速のタキオン粒子へ圧縮変換して動力とするために通常空間における事実上の無限動力機関であり、

 

そのタキオン粒子を展開した超光速航法による空間歪曲型ワープによって外宇宙への宇宙移民が現実のものとなっている。

 

言うなれば、超科学生命体“フウイヌム”は擬態能力による肉体改造と超能力によって成立させた生体波動エンジンによる空間歪曲型ワープによる空間跳躍能力を有しているものと解することができ、

 

23世紀の宇宙開拓時代になって空間歪曲型ワープが実用化されても まだ超弦理論は完成を見ていないが、超弦理論の観点から空間跳躍能力を制することができるのが時間跳躍能力となるのも非常に納得がいく結論である。

 

以下は事前に2人のアグネスタキオン(アグネスターディオン)に時間跳躍能力が空間跳躍能力に勝る理由を説明した際に使ったモデルである。

 

 

――――――ここに映画フィルムがある。35mmフィルム。

 

 

この映画フィルムの1コマ1コマに同一時間軸に存在する宇宙が1つあると仮定した場合、空間跳躍能力では任意で1コマを早めたり遡ったりすることはできない。

 

それができるのが時間跳躍能力ということなのだが、これを35mmフィルムでモデル化するなら『ある1コマに存在する宇宙から飛び出して向こう側の1コマに存在する宇宙に飛び移る』ことを意味している。

 

つまり、超弦理論に基づいてグニャグニャし続けている35mmフィルムのある1コマから飛び移れる別の1コマの範囲がこの場合の時間跳躍能力の限界と言うことになる。

 

これは宇宙移民船で実用化されている超光速航法による空間歪曲型ワープの空間跳躍能力とまったく同じ理屈であるのだが、

 

この場合の空間跳躍能力が展開されているのは35mmフィルムのある1コマに存在する宇宙の中の出来事であるのに対し、

 

時間跳躍能力は空間跳躍能力が展開された1コマから別の1コマへと飛び移れるため、時間跳躍している間は完全に35mmフィルムという形で現される時間の流れから完全に切り離されている。

 

つまり、空間跳躍能力よりも時間跳躍能力の方が高次元ということになり、『二次元を平面、三次元を空間、四次元を時間とする』タイムマシンの理論にも合致している。

 

なので、どんなにWUMAが空間跳躍能力を使おうが時間跳躍能力を使われた時点で無意味となるのだ。空間跳躍能力自体が時間跳躍能力に含まれているからだ。

 

ちなみに、“フウイヌム”が誇る同一時間帯の並行宇宙への空間跳躍技術も35mmフィルムのモデルで説明すると、隣接する別の35mmフィルムに跳躍するものとなる。

 

肝腎なのは隣接した別の35mmフィルムへの跳躍であり、そこに僅かながらでも隙間があると同一時間帯の並行宇宙への空間跳躍は失敗する。

 

なぜなら、その隙間こそが35mmフィルムを俯瞰して見ることができる四次元空間だからであり、四次元空間に立てる資格こそが時間跳躍能力なのだ。

 

 

しかし、理論的にはそうではあっても、実際にはそんな便利なものでもない。

 

 

エルダークラスのケイローンは更なる進化を求めて ついに空間跳躍能力を超越した時間跳躍能力を極めることに成功し、10年前の今の地球に実際にタイムスリップしたわけなのだが、

 

そのタイムスリップによって元の肉体を失ってコーカサスオオカブトに意識が定着することになったのを見れば、超科学生命体“フウイヌム”とて 時間跳躍能力を備えた究極の存在にはまだまだ達し得ないことがわかる。

 

また、元の肉体を失ったことで本質的には35mmフィルムの外:四次元空間の住人になってしまったことで、35mmフィルムの中の宇宙で活動することができなくなっているのだ。

 

そして、たまたま依代と定着することができたコーカサスオオカブトの成虫の寿命は半年――――――。もう幾許もない肉体の死によってケイローンの魂が四次元空間に隔離されてしまうだろう。

 

 

 

 

 

斎藤T「――――――以上の点を踏まえて、対策を協議していただきたい」

 

藤原さん「………………」

 

斎藤T「……藤原さん?」

 

藤原さん「……SFコンテストにでも応募すればいいんじゃないか?」

 

斎藤T「藤原さん! WUMAの狙いは世界征服! そのために司令塔となるエルダークラスがVIPに擬態しようと狙っているんです! 注意を払ってください!」

 

藤原さん「……そう言うが、テン坊よ? こんなのを読んで警察が動くと思うか?」

 

斎藤T「じゃあ、『警察は頼りにならない』ってことでいいんですね?」

 

藤原さん「8月末のああいった事件があったなら、またケツを叩かれた状態になるんだがな……」

 

斎藤T「『ジャパンカップ』の時も状況証拠をしっかり提示しなかったら要人保護に動いてくれなかったでしょうね」

 

藤原さん「おい、テン坊? 焦ってないか? 一人で突っ走ろうとしてないか?」

 

斎藤T「誰もやろうとしないなら、私一人でもやるというだけのことです」

 

藤原さん「…………『有馬記念』や『URAファイナルズ』があるんだろう、お前さん?」

 

 

藤原さん「まさか、ハッピーミークのサブトレーナーとしての職務から逃げるのか?」

 

 

斎藤T「………………!」

 

藤原さん「落ち着け、テン坊。“皇帝”陛下に化けたエルダークラスをやっつけたんなら、やつらの活動も少しはおとなしくなるんだろう?」

 

藤原さん「だったら、今はトウカイテイオーと岡田Tに化けたWUMAの動向に目を光らせておくべきだろう」

 

藤原さん「もしかしたら、エルダークラスじゃなくてもシニアクラスのWUMAが来る可能性だってあるんだし」

 

藤原さん「とにかく、焦んな、テン坊。急いては事を仕損じる。お前さんのいつもの悪い癖だ」

 

藤原さん「来月は師走なんだぞ。みんな大忙しの時にお前さんに突っ走られたら、もう手に負えん」

 

斎藤T「…………わかりました」

 

藤原さん「まあ、要点はわかった。さすがにこの内容で対策会議を開くわけにもいかないから ある程度は誤魔化しておくが、対策はしやすくなった」

 

藤原さん「よくやってくれたな、テン坊」

 

 

藤原さん「いや、バカヤロー。本当に無事でよかったよ、テン坊……」

 

 

藤原さん「まったく、心配するこっちの身にもなれってんだよ……」

 

斎藤T「藤原さん……」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

藤原さん「それじゃ、またな、テン坊」

 

斎藤T「はい」

 

 

カランカラーン!

 

 

店主「いらっしゃい」

 

マンハッタンカフェ「マスター、いつもののやつで」

 

店主「はい。わかりました」

 

店主「才羽くん。彼女にいつものをやつを淹れてあげて」

 

才羽T「はい、マスター」

 

才羽T「それじゃあ、これを彼女に」

 

ミホノブルボン「わかりました、マスター」

 

ミホノブルボン「どうぞ」コトッ

 

マンハッタンカフェ「うん」

 

藤原さん「お、カフェじゃねえか。今日はここで飲む気分か?」

 

マンハッタンカフェ「ああ、藤原さん――――――」

 

 

斎藤T「……あれはマンハッタンカフェだな」

 

斎藤T「アグネスタキオン(アグネスターディオン)とは腐れ縁で 実験台にされることが多く、私のことも何かと気遣ってくれている優しい子だな」

 

斎藤T「――――――?」

 

斎藤T「あれ、ちょっと待て……?」

 

 

――――――そう言えば、アグネスタキオン(アグネスターディオン)に擬態しているWUMAってただのジュニアクラスだっけか?

 

 

斎藤T「完全にもうひとりのアグネスタキオン(アグネスターディオン)に成りきっていることを考えるとジュニアクラスのはずだけど、」

 

斎藤T「“皇帝”シンボリルドルフに擬態するのがエルダークラスなんだぞ?」

 

斎藤T「超弦理論を理解できて明らかに知能が群を抜いていそうなアグネスタキオン(アグネスターディオン)の格がジュニアクラス――――――?」

 

斎藤T「いや、そもそも擬態を完璧にこなすためには擬態対象よりも知能がなくちゃいけないから、絶対にアグネスタキオン(アグネスターディオン)と同等かそれ以上の知能が必要のはず――――――」

 

斎藤T「!!」

 

斎藤T「そうか! そうかもしれない!」

 

斎藤T「なら、利用できるんじゃないか?」

 

 

――――――()()()()()()()()()()に私は人類の命運を賭ける!

 

 



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研究報告  自称:未来人の頭のおかしい新人トレーナー 

今年のトレセン学園の新人トレーナーで 今 もっとも注目を集めている人物がいる。

 

その人物は日本人の成人男性の平均的な体格を上回り、良くも悪くも常人には近寄り難い雰囲気を醸し出しており、

 

しかも家柄に至っては皇宮警察;またの名を皇宮護衛官の家系というのだから、普通ならば多くのウマ娘たちが興味津々となるだろう。

 

しかし、新年度早々にウマ娘を金儲けの道具と見做して形振り構わず有望なウマ娘のスカウトや引き抜きを行おうとするのだから、

 

すぐに生徒会長に睨まれて要注意人物として素行不良が続くなら来月にはクビを言い渡す予定であったことを私は噂好きの生徒たちのおしゃべりから知ることになった。

 

もっとも、私は カフェと一緒に走った最初の『選抜レース』以来 何年も実験室に閉じ籠もり続けていたから、悪名高い新人トレーナーの噂なんてのは研究に没頭する毎日の中ですぐに記憶の彼方へと消えた。

 

 

なにしろ、その新人トレーナーは来月になるのを待たずに学園外の不慮の事故でウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になってしまったのだから。

 

 

そのため、ウマ娘を金儲けの道具にしようとして天罰が下った典型例として、多くのトレーナーが反面教師にし、より一層 ウマ娘との絆を意識して接するようになった。

 

それ自体は一般的には悪いことではないものの、生徒会長:シンボリルドルフがその事実を大変不服そうにしていたのが私の中で強く印象に残っていた。

 

穿った見方をするなら、悪役としての強烈な存在感を発揮して間を置かずに破滅したことで、トレーナーとウマ娘の絆を強める一種の潤滑油となったとも言える。

 

本人にそうした意図があったとは到底思えないが、悪徳トレーナーの生きた見本としてあまりにも出来すぎた勧善懲悪の顛末と周囲の反応には確かに皮肉めいたものを感じた。

 

『一層気を引き締めることになった』ということは、『これまで一層気を引き締めることができる余地を残し続けていた』ということに他ならないからだ。

 

 

それから、7月に意識を取り戻した例の新人トレーナーは記憶喪失になり、本当に人が変わってしまっていた。

 

 

本当なら職場復帰したところで そのままクビにする予定ではあったものの、来月まで様子見をするとして生徒会長がもう一度チャンスを与えたところ、

 

運がいいことにハッピーミークの担当トレーナーとして活躍している桐生院Tのチームのサブトレーナーとして拾われたため、トレセン学園を去ることにはならなかった。

 

それどころか、名門トレーナーである桐生院Tとハッピーミークの両者から早々に信頼を得ていることに周囲の人間が大いに驚き、

 

今度は『名門』に胡麻を擂る方向に切り替えたのだと、以前の悪辣さを目の当たりにしていた人たちは口々に罵っていた。

 

そのため、桐生院Tとハッピーミークに告げ口をする者もいたそうなのだが、それが逆に温厚な2人の顰蹙を買う結果になり、ますます2人は噂の新人トレーナーへの信頼を深めた。

 

そして、新人トレーナーも度重なる誹謗中傷に屈することなく、これまでと打って変わって『名門』桐生院Tの受け売りでもって自分に批判的なトレーナーやウマ娘の評価と助言を穏やかな態度でするため、

 

『名門』桐生院家を味方につけた威光で相手の言動を封殺するという以前とはまったく別の悪辣さを誹謗中傷対策で発揮するようになり、

 

生徒会にそれに対する苦情が多く寄せられるものの、その根源にあるものが噂の新人トレーナーが『名門』に取り入って勝ちウマに乗ったことへの僻みでしかないことを生徒会長に喝破されることになった。

 

これに関してはむしろ、証拠品として提出されていた嫌がらせメールに添付されていた電子ファイル――――――、

 

そうした一悶着を起こしたトレーナーやウマ娘に噂の新人トレーナーが 後日 ひとりひとりに丁寧に電子メールで送りつけていたデータベースの精巧さと情報量には卓越したものがあり、

 

内容は極めて機械的に分析された客観的なデータとそれに対する『名門』桐生院家の育成論に基づいた評価と助言で綺麗にまとめられており、どこをどう見ても悪意のある表現はなかった。

 

そのため、データベースの作成対象となったトレーナーやウマ娘の今現在の実態はどうなのかは別として、

 

情報収集が可能な範囲でこれほどよくできた分析データはないとして、これほどの逸材なのだから桐生院Tが重用しているのも当然だということがはっきり示される結果となってしまった。

 

しかし、生徒会にとって問題だったのは、内容を精査するために全てのデータベースの全内容に目を通す必要があったのだが、その数が短期間で30近くあったということで多大な労力を伴ったことだろう。

 

今回の一件ではあまり働き者ではない方の副会長(ナリタブライアン)の皺寄せで働き者の副会長(エアグルーヴ)への負担が大きくなり、遠目に見ても不機嫌そうなのを隠せていないぐらいだったので相当なものだ。

 

かくいう私も、私のことを慕ってくれている後輩(ダイワスカーレット)働き者ではない方の副会長の姉(ビワハヤヒデ)と一緒にデータベースの解読の手伝いをさせられたから、よく憶えているとも。

 

こうして、内容を全て調べてみたら至極真っ当なことしか書かれていなかったということで、中身をろくに見ないで槍玉に挙げて生徒会に大きな負担をかけたことが一番のお叱りのポイントとなった。

 

これはなかなかに有効な反撃だと思わず感心したよ。聞く耳を持たずに先走った連中の自業自得とは言え、文字通り『データで相手を黙らせてしまった』のだからね。

 

この一件で、私もそうだが、関わった全員が何かと悪評の絶えない新人トレーナーの並外れた能力を実感したわけで、

 

サブトレーナーとは言え、初めての担当ウマ娘の面倒を見ながら その他大勢のデータベースを大量に作成できるだけの能力があるなら、

 

別にトレセン学園のトレーナーじゃなくても一流のデータアナリストとして十分に大金を稼げることが容易に想像できた。

 

だから、お盆休み明けの生徒会に多忙を極めさせた張本人である復活の新人トレーナーに生徒会長も非常に強い興味を持つようになった。

 

 

そこからトレセン学園の各組織の役員が勢揃いして一斉に謝罪の意を表した緊急記者会見を開くことになった8月末に起きた学生寮不法侵入事件――――――。

 

警察関係者が“WUMA”と呼称するバケモノを退治して事件を解決に導いたことで新人トレーナーへの生徒会長の認識が完全に変わった日であった。

 

また、妹共々 噂の新人トレーナーに助けられたというハヤヒデくんがその時に目の当たりにしたという非常に興味深い事象についての意見を求められたことで、

 

以前にデータベースの解読をしたことや印象に残る出会いをしていたことで多少は興味を持っていた私も本格的に研究対象として意識するようになり、その機会が訪れるのを待ち侘びることになった。

 

 

――――――その事象と言うのが『人間がワープした』というものであった。

 

 

そうとしか考えられないということで、私も最近読んだ超弦理論の論文の中にあった机上の空論が現実のものとして存在しているなら、是非ともこの眼で確かめたいと心が突き動かされていた。

 

私も相当な変わり者の扱いを受けていると自覚してはいるが、それは実家のアグネス家の家風といえる傾向なので、他人が何を言おうが気にしないでいた。

 

事実、学者肌のアグネス家が中央競バ界に名を連ねる『名家』の扱いを受けていることだし、

 

勝負の世界は結果こそが全てであり、その結果を出してきたアグネス家の在り方を否定できるものなどいるはずがない。

 

 

――――――そう思っていた。彼が突如として夜遅くに私のラボに訪れるまでは。

 

 

それも、私が()()()()()()()に殺されるのを察知して、深夜の学園に不法侵入までしてきて、見ず知らずの私を助けに。

 

そして、あまりの不味さで目が覚めるほどの肉体改造強壮剤の有用性をその場で理解した瞬間に目の色が変わっていた。

 

誰にも理解されるとは思っていなかった私の研究が理解された瞬間であり、そんな彼が傍から見れば狂気を帯びた眼差しを私に向けていた。

 

 

いや、あれこそが周囲の眼に写った私の姿なのかもしれない――――――。

 

 

思わず、私の胸は高鳴っていたよ。あるいは、ゾクゾクしていた。初めて私の研究を誰かに強く求められたから。

 

それは拘束具を力尽くで外した両の手で()()()()()()()諸共 胸倉を掴まれて迫られた驚きもあったかもしれない。

 

本当に不思議な感覚だった。他の人間と同じように私の問題行動をいちいち強い口調で咎めるものの、私はそれに煩わしさよりも快感のようなものを覚えていたのだから。

 

 

斎藤T『………………嫌になるぐらい()()()()()()()()()()だと不覚にも思ってしまっただけだ』

 

 

おそらく、私が感じていたものと同じものを彼は覚えていたはずだ。

 

噛み合っていないようで、どこか私たちは通じ合うものがあるように思えた。これが“ケミストリー”というやつなのかもしれない。

 

それだけじゃなく、彼はこの学園に集まる人間とはまったく異なる視点と価値観を持っており、私のことを常に一人の人間として見ていることに私は言いようのない嬉しさみたいなのを感じていたと思う。

 

彼自身も技術者であることを口にしていたので、私のような研究者との付き合いには慣れているらしく、私との付き合いに張り合いを覚えているらしかった。

 

やはり、彼は根本的にトレセン学園のトレーナーとしての在り方に馴染まない門外漢であり、本質的に私と同じ食み出し者だが、そこにはヒトとウマ娘の区別が一切なかった。

 

そこには所謂“父性”のようなものも働いていたように思う。

 

私の長所と短所を同時に見て、それらを個性と尊重しながら、ダメなところは直すように諭そうとする辺りがそうだった。新人トレーナーのくせに。

 

 

――――――人間としてのお前の夢を決して裏切らないこと!

 

 

――――――人間であることを決してあきらめないこと!

 

 

――――――人間を超えた力だけでは何の価値もないことを認めること!

 

 

ヒトに対する“ウマ娘”に訴えかけるのではなく、ヒトもウマ娘も総括した“人間”として私に訴えかけていることが非常に斬新なものに思えた。

 

よくよく考えると、トレセン学園の生徒はウマ娘しかなれず、トレーナーになるウマ娘も少数派なので、トレセン学園においてはヒトとウマ娘は何事においても切り離されて扱われており、

 

ヒトとウマ娘が同じ“人間”であるという見方は、トレセン学園の人間の大半がそうであるように、久しく私自身も忘れていたこともあり、お小言は 大体 聞き流しているはずの私でも腑に落ちるものがあった。

 

後に、彼は私に紅茶を淹れながらこの三箇条を次の言葉で端的に表して講義をした。

 

 

 

――――――主静立人極:静を主として人極を立つ。

 

 

 

静とは乱れた心に対する落ち着いて定まった心。その状態にあって初めて人間としてのあらん限りの努力が報われると説く。

 

だから、私のことを彼は“アグネス()()()()()()”と呼ぶ。どんなに加速しても光速を超えることなんてないという当てつけ。

 

“超光速の粒子”という目に見えないものに憧れ続けて『地に足をつけていない生き方をしていてはいけない』と彼は説いた。

 

そして、私が目指す“果て”のことで 彼は冷静に『リニアモーターカーにも勝つ見込みがないウマ娘の肉体で何を為そうとするのか』と私に問い掛けてくる。

 

そこから畳み掛けるように具体的な目標設定を事細かく訊いてきたのだ。その辺りはさすがは桐生院Tが真っ先にスカウトしたデータアナリストというだけのことはあった。

 

いや、彼の本質が技術者なのを考えると、そういった計画立案や進行管理もお手の物なのかもしれない。

 

そう、彼は技術者で私は研究者。似ているようで似ていない。

 

学問で言えば、不可能を証明するのが理学、不可能を可能にするのが工学、そのどちらに根差しているのかが私と彼の間の大きなちがいとなっている。

 

たしかに言われてみれば、私は()()()()()()()()ものの、トレセン学園の生徒として『トゥインクル・シリーズ』における目標が何一つなかった。

 

漠然とプランAとプランBは考えてはいたものの、今までずっと漫然と研究の日々を送り続けていただけだったことに気付かされた。

 

 

光速:約30万km/s――――――1秒で地球を7周半する以上の()()()()()の“超光速”で自在に動き回れるようになったとして『それでレースに勝って嬉しいのか』を最後に訊いてきたのだ。

 

 

私はすぐに答えを出せなかった――――――。

 

それは初めての『わからない』だった。検証までの時間がかかっているのではなく、その状況を想像した時の私の感情が想定できないのだ。

 

すると、彼は私のプランに修正を要求した。途中段階に『100km/hの到達』を盛り込むことを。

 

この数字である意味なんてない。とりあえず、ウマ娘が出せる最高速度とされる70km/hを超える具体的な目標というだけ。

 

けれど、初めて提示された具体的な目標に対して私は久々にズシンと重たいものを感じることになったよ。

 

 

斎藤T『安心したよ。勝負にならないレースで勝ち誇ったり つまらなそうにしたりするようだったら、今すぐにトレセン学園を自主退学するように言うつもりだったから』

 

斎藤T『そりゃあ、バカ高い授業料を払ってまでトレセン学園にいる意味なんてないだろう? そんなのは然るべき研究機関でやった方が実験データも集めやすいしな』

 

斎藤T『でも、お前も立派なアスリートなんだってことは今のでわかった。やっぱり自分の脚で最後まで走りたいと思うのが普通だよな』

 

斎藤T『よかった。お前は“超光速の粒子”なんかじゃない。この世に生を受けた一人の人間だ』

 

斎藤T『なら、しっかりと身体は丈夫にしておかないとな』

 

斎藤T『そりゃあ、わかるよ。わかりきったことで不可能に挑戦する理由なんて1つだろう? 『必要は発明の母、不便は必要の母』なんだから』

 

 

彼から言わせると、研究者でありながらアスリートとしてトレセン学園に籍を置き続ける私は()()()()()()()()()()()ということらしい。

 

まあ、他にもいろいろと秘密を共有している間柄ではあるものの、それを抜きにしてもトレセン学園の関係者の中では一番に信頼されていることは嫌なことではない。

 

嘘か真かわからない摩訶不思議な体験を唯一語り聞かせることができる相手として、彼の話に耳を傾ける時間が良い気分転換や新たな発想のヒントになった。

 

けれども、私が彼に一番興味を抱いたきっかけは、そういった日々の積み重ねよりも、時折 発作のように彼が見せてくる狂気にあった。

 

そう、自称:未来人の頭のおかしい新人トレーナーくんは自信満々に言うのだ。

 

 

――――――“超光速の粒子(タキオン)”の扱いに関して波動エンジンの開発エンジニアである私の右に出る者はいない。

 

 


 

 

――――――夜の首都高

 

ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

斎藤T「どうだ! これが湾岸線の80km/hの世界だ! 中央環状線の60m/hとは大違いだろう!」

 

アグネスタキオン「凄いよ、トレーナーくん!」

 

斎藤T「出発前に見せた臨海副都心ってやつが見えてきたろう?」

 

アグネスタキオン「ああ! いいよ、この景色! 見たことない!」

 

 

この日、私は彼に誘われて大型バイクで二人乗りのツーリングに出かけていた。

 

名目は『60km/h以上のスピードの世界を肌で体感するため』であり、トレセン学園がある府中市を出て自動二輪車の二人乗り規制区間を避けて湾岸線を一気に駆けて行った。

 

ウマ娘の最高速度は70km/hとされ、中央環状線の法定速度が60km/hで、湾岸線が80km/hということで、最強のウマ娘を目指す上では非常に有意義な実験となった。

 

もちろん、バ場と高速道路とでは条件が何もかもちがい過ぎるが、ウマ娘レースで長距離と呼ばれているのはたったの3000m前後で、毎分1000mで駆けるなら3分で終わる距離である。

 

そのため、湾岸線を法定速度ギリギリまで飛ばし続ける時間とその中で擦れ違っていく光景が競走バの私にとってはまさに未知の体験だった。

 

ちなみに、彼は意外な程の吝嗇――――――というよりは溺愛する妹を養うために出費を抑えることを優先した金の使い方をしているので、

 

愛車は意識不明の重体から目覚めて心機一転するまでは持たずに これまで全てレンタカーやレンタルバイクで済ませてきており、今日の大型バイクももちろんレンタルだった。

 

けれども、最初から妹と二人乗りすることを前提に大型バイクを乗り回していたので、私にとっては初めてのバイクでも気遣いがしっかりと行き届いていた。

 

府中市内の道路で実際の運転で気をつけるべき点や二人乗りでの注意事項などを法定速度遵守の中でレクチャーしながら緩急自在にバイクの挙動に慣れさせていったことで、

 

最終的には私も法定速度遵守のフルスロットルで飛ばす夜の湾岸線をしっかりと観光名所を脇に見据えながら楽しむことができていた。

 

一方で、私のライディングウェアを気前よく買う辺り、彼にとってはれっきとしたトレーニングの必要経費と見做されているらしく、

 

あまりこういったものに触れる機会がなかった私にとっては自分の脚以外でスピードを求める者たちの在り方を学ぶことができて非常に有意義なものとなった。

 

すると、自分で買い与えたものだろうに、今日着用したライディングウェアが要らないなら、彼はそれをもらい受けるつもりでいたのだ。

 

どうやら、どうせ二度と着ることなんてないんだから、()()()()のライディングウェアの研究も兼ねて、合法的にウマ娘用の衣類を入手するために私を利用していたようだ。

 

そして、終いには彼はとんでもないことをさらりと言い出したのだ。

 

 

――――――馬油(バーユ)を造るから()()()()()()()()()()()ライディングウェアが合法的に手に入れたかった。

 

 

それを聞いて、思わず私は彼を蹴り上げてしまっていた。初めてだよ、そんなことを面と向かって言われたのは。

 

冬物を着込んでいるだけに12月の夜でも身体が温かったのだが、今ので体温が2,3度は上昇して顔が紅潮しているのがわかるぐらいに熱くなってしまった。

 

いや、そもそも“馬油”が何なのかが私にはわからなかったのだが、彼はもっともらしいことを言ってのけた。

 

曰く、一般的にウマ娘は一定水準以上の可憐な容姿をしており、美の象徴として古来から羨望と嫉妬の対象で在り続けた。

 

一方で、浮世絵や絵巻物に描かれている時代毎の美人の基準は彼が知るものと変わっておらず、ウマ娘もまたヒトにとっての美人の価値基準の変化に合わせて容姿が変化していったという歴史的事実が存在する。

 

あるいは、ウマ娘の美貌に対抗してヒトもまた競うように美容に力を入れてきたらしく、桐生院Tのようにウマ娘と遜色ない整った外見のヒトも多いことが気になっていたらしい。

 

しかし、ブスと呼ばれるような容姿が劣っているウマ娘の存在が文献では一切語られないことから、とても敏感にヒトの価値観の変化に対応していったと考えられるのだ。

 

つまり、ウマ娘には種族の本能としてヒトに対する()態能力があると推測され、ブスの壁を軽く超えるような活発な遺伝子変異と環境適応が行われていると推測していた。

 

これは()()()()()()()の支配者とされる“フウイヌム”――――――この地球を密かに侵略している“WUMA”とウマ娘の関連性を調べるための実験の第一歩と彼は言ってのけたのだ。

 

要するに、“馬油”とやらの精製で(ウマ娘)もうひとりの私(WUMA)の分泌物の比較実験を行うと同時に、

 

『ウマ娘の起源を探る』というもっともらしい理由をつけて(ウマ娘)の身体を彼なりの観点から徹底的に調べ上げようとしている。

 

私は彼のことを貴重なモルモットとして数々の実験に付き合わせてきたが、彼の方もWUMAを分析するためにウマ娘である私のことを躊躇いなく実験サンプルとして利用してくるのだ。

 

この時、私ははっきりと確信したね。

 

 

――――――ああ、彼は私以上の奇人変人だ。最愛の妹のために悪徳トレーナーになることも造作もなかった()()()()()()()筋金入りの奇人変人だ。

 

 

しかも、ただ私の汗が染み込んだ衣類が欲しいと言うわけではない。私の普段着に薬品の臭いが染み付いているから、自分で高い金を支払って新品の服を私に着せたのだ。

 

そして、『私が疑問なく着込んで』『二度と使わないだろう』『しっかりと汗を染み込ませて』『トレーニングの一環として安全にスピード体験ができる』ものならバイクツーリングじゃなくてもよかったそうだ。

 

他に候補として上がっていたのはアルペンスキー。ただし、バイクツーリングと比べると先述した4つの点で問題があったので、結果として安上がりで手慣れたバイクツーリングとなったようだ。

 

彼は極めて合理的であった。1つのことにいくつもの意味を持たせて誰もが納得するやり方を通してくるため、多面的に見なければ彼の真意は見えてこない。

 

もしかすると新年度早々の絵に描いたような悪役ぶりも自身に注目を集めさせるための身体を張ったパフォーマンスだとするなら、とんでもない千両役者ではないか。

 

 

だから、不思議と悪い気はしなかった。

 

 

私が差し出す薬を嫌々ながらも一気に飲み干して後から文句を言うのはお決まりなのだが、

 

それでも私の実験に最後まで付き合ってくれるぐらいには、彼は私のことを信頼してくれている。

 

言っている内容も技術者としての観点から述べた現実的なものが多く、時には採算性や実用性があるとわかった場合には製薬会社に成分調整と治験を依頼するぐらいには真剣だった。

 

それと同じように、私の汗が染み込んだ衣類を欲しがったのも二の次であって絶対ではなく、

 

今回のバイクツーリングは、60km/h以上のスピードの世界を私に体験させて これからの目標設定に役立てるように私への配慮を第一に彼なりの最適解を導き出した結果なのだと、私は確信していた。

 

だから、私も彼のことを信頼していたし、彼もトレセン学園では一番に私のことを信頼していると言っても過言ではないはずだ。

 

いったい私以外の誰が彼のことを理解してやれるというのだろう。

 

 

――――――そう、彼は私だけのモルモットであり、私は彼だけのウマ娘なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイワスカーレット「へえ、昨日はそんなトレーニングをしていたんですね! それってすごくいいですね、タキオンさん!」

 

アグネスタキオン「ああ。ウマ娘の脚でも60km/h以上は出せるわけだけど、何十分もその脚で走るわけじゃないから、とても刺激と発見に満ちたものになったよ」

 

アグネスタキオン「ほら、これはレインボーブリッジとやらの夜景だよ」

 

ウオッカ「ま、マジかよ! かぁー! 俺も早くバイク手に入れてぇー! そ、そしたら、俺もいつか二人乗り(タンデム)で……」

 

ダイワスカーレット「あ、アタシもそういうのには少し憧れるかも……」

 

ウオッカ「さすがはタキオン先輩の担当ってだけあるよな! 『我が道を行く』って感じでホントにイカしてるぜ!」

 

アグネスタキオン「うん? いや、まだ彼が担当と決まったわけじゃ――――――」

 

ダイワスカーレット「え、ちがうんですか? みんな、そうじゃないかって言ってましたよ?」

 

ウオッカ「ああ。“怪物”ナリタブライアンに模擬レースで競り勝って『天皇賞(秋)』でブッちぎったハッピーミークを仕上げた桐生院Tの自慢の弟子ってことでな!」

 

ウオッカ「ブライアン先輩に勝てるウマ娘なんて会長ぐらいしかいないと思っていただけに、本当にあれには驚いたぜ! というか、感動した!」

 

 

アグネスタキオン「……そうかい」フフッ

 

 

ダイワスカーレット「あ! 今、タキオンさんが笑った!」

 

ウオッカ「お、おう……! まさか そこまでデキているだなんて、思いもしなかったぜ……」

 

アグネスタキオン「え」

 

ウオッカ「あ、ヤベ……! は、鼻血が……」

 

ダイワスカーレット「ちょっと、大丈夫……?」

 

 

アグネスタキオン「……騒々しいね、まったく」フフッ

 

 

ビワハヤヒデ「やあ、タキオンくん」

 

アグネスタキオン「やあ、ハヤヒデくん、私に何か用かね?」

 

ビワハヤヒデ「ああ。来年には私は会長と一緒にトレセン学園を卒業することになっているだろう?」

 

アグネスタキオン「ああ そうか。すまないね、きみの髪のことは間に合わなかったね……」

 

ビワハヤヒデ「いや、気にしないでくれ。それ以外にもきみにはいろいろと助けられてきたのだから、礼を言うのはこちらの方だ」

 

ビワハヤヒデ「来年にはいよいよデビューするのだろう? 同じ学び舎の仲間として応援することはもうできないが、活躍を期待しているよ」

 

アグネスタキオン「それは光栄なことだね」

 

ビワハヤヒデ「それと――――――」

 

 

ナリタブライアン「これまでは会長が手を尽くしてくれていたから退学にならずにいたことを忘れるなよ」

 

 

アグネスタキオン「おやおや、今度はブライアンくんではないか。姉妹揃って いったいどうしたと言うんだい?」

 

ナリタブライアン「おい、姉貴。こいつの監視役を押し付けて卒業するのは勘弁してくれ」

 

ビワハヤヒデ「そうは言うが、ブライアン? タキオンくんのメイクデビューが見られないことが会長の心残りでもあるのだし、彼への恩返しのためにも面倒を見てやるべきではないか?」

 

ナリタブライアン「そう言われると、何も言えないが……」

 

ナリタブライアン「まあ、あの男がついたおかげで面倒事を起こさなくなったのも事実だからな……」

 

ビワハヤヒデ「そうだろう? それに、彼がいなくなったら彼の妹とも会えなくなるぞ?」

 

ナリタブライアン「…………いや、別に会いたいわけじゃないが」

 

ビワハヤヒデ「そうか? あの時のブライアンは子供の頃のように無邪気で可愛らしいところを見せてくれたじゃないか?」フフッ

 

ナリタブライアン「い、言うな! あれは、何というか、会長みたいな雰囲気でやりづらかっただけだ……!」

 

ビワハヤヒデ「まあ、どちらにしろ、私たちのトレセン学園の日々、『トゥインクル・シリーズ』を駆ける日々は今年で終わりを告げる」

 

アグネスタキオン「ほう、それはつまり――――――」

 

 

ナリタブライアン「ああ。私も姉貴も『ドリーム・シリーズ』に移籍する」

 

 

アグネスタキオン「なるほど。『ドリーム・シリーズ』――――――正式名『ドリームトロフィーリーグ』」

 

アグネスタキオン「生涯現役を貫く殿堂入りウマ娘たちによる夏と冬の激しい熱戦が繰り広げられる至高の舞台か」

 

アグネスタキオン「まあ、競バ場なんてものは限られていることだし、会おうと思えばいつでも会えるじゃないか」

 

ナリタブライアン「正直に言えば、会長がトレセン学園の顔として『トゥインクル・シリーズ』に残り続けているのを尻目に移籍するのは心苦しいものはある――――――」

 

ビワハヤヒデ「けれども、会長は私たちの夢を快く応援して送り出してくれたよ」

 

アグネスタキオン「まあ、そうだろうね。夢の舞台『トゥインクル・シリーズ』の先の更なる夢の舞台『ドリーム・シリーズ』に優駿たちを送り出すことを躊躇うような人じゃないさ」

 

アグネスタキオン「おめでとう、二人共」

 

ビワハヤヒデ「ああ、ありがとう、タキオンくん」

 

ナリタブライアン「だからと言って、私は また一年 副会長をやり通す必要があるから、会長もいなくなることだし、迷惑になることはするなよ?」

 

アグネスタキオン「さて、そいつはどうだろうね?」クククッ

 

ナリタブライアン「相変わらずなやつだ……」

 

ナリタブライアン「私やエアグルーヴの後を継ぐことになる生徒会役員がかわいそうになってきた」

 

ビワハヤヒデ「本当はそこまで心配はしていないだろう、ブライアン?」

 

ナリタブライアン「……まあ、あの新人トレーナーがいるなら、きっと大きな力になるだろうからな」

 

ナリタブライアン「事情は知らないが、『天皇賞(秋)』でメジロマックイーンが無事引退できた件にも一枚噛んでいたようだしな……」

 

ナリタブライアン「エアグルーヴはあまり良い顔はしてないが、お前と同じ会長のお気に入りということで これから何かと気を遣うことになったんだ」

 

ナリタブライアン「お前たちに目を掛けてきた会長の顔に泥を塗らないように、来年のメイクデビューを成功させることを考えておくんだな」

 

 

アグネスタキオン「ああ、わかったよ。忠告に感謝するよ」

 

 

ナリタブライアン「……本当に変わったな、タキオンのやつ」

 

ビワハヤヒデ「そうだろう、ブライアン」

 

アグネスタキオン「……うん?」

 

ナリタブライアン「良い方向に変わっていっているのなら、それでいいさ。まあ、私の迷惑にならなければ何だっていいけどな」

 

ビワハヤヒデ「これからが楽しみじゃないか」

 

アグネスタキオン「……何の話だい?」

 

ビワハヤヒデ「タキオンくん、『きみも身形に気を遣うようになった』という話だよ」クスッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アグネスタキオン「ただいま」

 

アグネスタキオン’「やあ、おかえり、()

 

斎藤T「お、戻ってきたか」

 

 

――――――待っていたぞ、アグネスタキオン(アグネスターディオン)

 

 

少し前まではずっと一人だけの実験室だったこの場所には()()()()()()()と彼が居着くようになった。

 

今では私だけだった実験室が自分の知らないものや彼が良かれと思って用意したもので溢れかえっているが、今の私はそれが当たり前のものとして受け容れている。

 

そして、今日もまた彼の顔を見る度に彼が何をしでかすのかを楽しみにしていた。

 

 

――――――ああ、やっぱりきみは私だけの最高のモルモットだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャージャージャージャー!

 

斎藤T「湯加減はどうだ?」ワシャワシャ

 

アグネスタキオン「ちょうどいいよ」

 

斎藤T「痒いところはない?」ワシャワシャ

 

アグネスタキオン「気持ちいいぐらいさ」

 

アグネスタキオン’「モルモットくん、今日はこのシャンプーを使ってくれ」

 

斎藤T「はいよ」ワシャワシャ

 

アグネスタキオン’「いやはや、ここ最近は一気に生活感に溢れるようになったね、この実験室も」

 

斎藤T「これも立派な新発明の運用テストだ」ワシャワシャ

 

アグネスタキオン’「美容院で使われている移動式洗面台(シャンプーボウル)だなんて、よくもまあ、用意してこれるもんだねぇ」

 

斎藤T「毎回 楽しみにしているくせに」ワシャワシャ

 

アグネスタキオン「ああ、そこ、いい~」

 

斎藤T「はい、いっちょあがり」キュッキュッ

 

アグネスタキオン「ふぅ、綺麗サッパリだよ、モルモットくん」フフッ

 

斎藤T「はい、ホカホカのタオルで水分を拭う」

 

アグネスタキオン「あ~、これはいい……」ホカホカ

 

斎藤T「ほら、()()()()で一番性能がいいマイナスイオンドライヤーだぞ」ゴォオオオオオオオ!

 

アグネスタキオン「きみって必要と思ったら何でも大人買いするけど、大丈夫なのかい?」

 

斎藤T「まったく問題ない。トレセン学園のトレーナーの給料より本業である副業の収入の方が多いし」ゴォオオオオオオオ!

 

斎藤T「だいたい、この洗面台(シャンプーボウル)の改良も本業である副業のためのものだ」ゴォオオオオオオオ!

 

アグネスタキオン’「まあ、私が()()()()()()()としてあまり出歩けないことから始まったことなんだけどね」

 

斎藤T「そうだぞ! 薬品臭いのは元々だが、何日も風呂に入らないでいた臭いには我慢ならなかったからな!」ゴォオオオオオオオ!

 

斎藤T「せめて髪ばかりはここで洗って誤魔化しておかないと、身体を洗いに行くこともままならなかったもんな!」ゴォオオオオオオオ!

 

アグネスタキオン’「……おやおや、随分な言いようじゃないか、モルモットくん?」

 

アグネスタキオン’「そうだ、先程 新しい薬ができたばかりなんだ。最初にその効能を堪能してもいいんだぞ? 目で見ても楽しめるぞ~?」

 

斎藤T「事実だろう! まあ、おかげでお前たちは実験室で髪を洗えて、私は完全循環型洗面台(シャンプーボウル)の開発が捗ると」ゴォオオオオオオオ!

 

斎藤T「ほら、終わりだ」カチッ

 

アグネスタキオン「ありがとう。本当に助かるよ、モルモットくん」

 

斎藤T「どういたしまして。忘れずに身体は洗うんだぞ、自分でな」

 

アグネスタキオン「どうせなら、移動式シャワーユニットも造ったらどうだい?」

 

斎藤T「そんなのは言われなくても造るさ、いずれ。基本構造は洗面台(シャンプーボウル)とまったく同じなんだから」

 

斎藤T「けど、身体中の汗や汚れを落とすんだぞ? 快適に身体を洗うためには必要面積が洗面台(シャンプーボウル)の3倍以上は違ってくるから、実験室に置けるものか」

 

斎藤T「まあ、立ったままシャワーを浴びるだけのショーケースを改造しただけのものなら すぐに用意できるが、それじゃあリラックスできないだろう?」

 

斎藤T「だいたい、部活棟にもシャワー室があるんだから、そこで身体を洗えっての! まさか、身体を洗うのも私にやらせるつもりか!?」

 

アグネスタキオン「アッハッハッハ。まさか、冗談だよ、モルモットくん。本気にしないでくれたまえよ」

 

 

斎藤T「…………“スーパークリーク”って名バを知っているか?」

 

 

アグネスタキオン「うん? たしか、トレセン学園の卒業生の中にそんな名前があったような――――――」

 

斎藤T「実は、競走バ引退後に主にブライダルフェアなどでスーパーモデルとして活躍しているスーパークリークと家電売場で知り合いになってな」

 

斎藤T「彼女、お世話することがとにかく大好きで、それが高じて 旦那や友人と“でちゅね遊び”をするのが趣味なんだそうだ」

 

アグネスタキオン「う、うん……?」

 

斎藤T「なあ? 紹介してやってもいいんだぞ? “でちゅね遊び”の相手は何人いても困らないし、その度に新しい発見があるそうだ」ニヤリ

 

アグネスタキオン「…………冗談はよしといてくれよ、モルモットくん?」

 

斎藤T「それはこっちのセリフだ! これまでは薬品臭さで誤魔化せていたが、さすがに思春期の汗臭さは我慢ならんぞ!」

 

斎藤T「髪を洗ってサッパリしたからって、首から下の身体が臭いのは変わらないんだから、2日に一度は絶対に身体を洗え!」

 

斎藤T「そうでなかったら、“スーパークリークママ”を専属マッサージャーとして雇って身体を洗ってもらうことにしよう」

 

 

斎藤T「これを見ろ。“でちゅね遊び”ってのはこういうものなんだ」ピッ ――――――“でちゅね遊び”中のスーパークリークと旦那のホームビデオ

 

 

アグネスタキオン「………………」ゾゾゾ・・・

 

斎藤T「そうだった、彼女の実家は託児所なんだそうだ」

 

アグネスタキオン「わ、悪かった! 悪かったから! 今度からはちゃんと身体は自分で洗うから!」

 

斎藤T「洗濯もしろよ!」

 

斎藤T「いいか! この完全循環型洗面台(シャンプーボウル)のモデルが完成したら、次はお使いロボットを造ってやるから、待っていろ――――――」

 

アグネスタキオン’「ほら、モルモットくん! 飲みたまえ! 時間は有限なのだからね!」

 

斎藤T「グォオオオオオオオオオオオオ!」

 

斎藤T「こ、こいつぅううう……! 今度は何を飲ませた!?」ウゲェ!

 

アグネスタキオン’「それを見るための楽しい実験じゃないか」

 

 

――――――そう、私たちは互いをモルモットとして扱うギブ・アンド・テイクの関係なんだからさ!

 

 

そして、今日もトレセン学園の片隅で賑やかで楽しい実験が繰り広げられる。

 

最近の彼は完全循環型洗面台(シャンプーボウル)の開発に掛り切りで、私はその実験台というわけだ。

 

この『完全循環型』というのは、蛇口と排水口が複数のタンクを通して循環していることに由来しており、

 

理論上はタンクの水だけを永遠に使い回すことができる究極の節水能力をもたせた洗面器具という位置付けとなっている(浄水器の交換は必須)。

 

そのための第一段階として、既製品の洗面台(シャンプーボウル)をリバース・エンジニアリングして内部構造を把握した後、

 

完全循環型の複数のタンクを水源とする内部構造に改造したところに出所不明の超高性能浄水器の試作品を設置して、

 

後は実際に髪を洗った後の排水が綺麗に再利用できるようになるまで浄水器の性能テストを繰り返すことになった。

 

そのために、私と()()()()()()()はいろいろなシャンプーを試しながら彼の手で洗われることになり、使用後のタンクの成分調査も毎回やらされることになった。

 

まあ、実験室で髪を洗うことになったのには驚きだったが、Win-Winの取引だったので、今はもう実験室で彼に髪を洗ってもらうことが当たり前となっている。

 

そして、どこかの工場とのコネがあるためにそういった性能テストができるらしく、あっという間に完全循環型洗面台(シャンプーボウル)のモデルが完成してしまった。

 

これだけでもその名に違わぬ超高性能な代物であり、すでに工場と提携して完全循環型のシステムの特許を出願して、モデルを応用した各種製品が開発中らしい。

 

しかし、それだけに留まらず 今度は第二段階としてタンクを改良して加湿器と除湿器の機能も取り付けることになった。

 

冬場の湿度管理が大変な時期としては加湿器の機能はありがたく、本人曰くシャワーの温度調整機能に改良を加えただけなので、あっという間に実装された。

 

そして、操作は温度計と湿度計が内蔵された専用リモコンの簡単操作であり、操作パネルを洗面台(シャンプーボウル)から切り離すことで本体の肥大化を避けた構造である。

 

この構造の利点は、リモコンを持った場所の温度と湿度を正確に測れることにあり、リモコンの場所に合わせた調整指示が出せることにあった。

 

なので、あらゆる意味で実験室に閉じ籠もって研究している私にはありがたい機能ばかりであり、製品が販売されたら絶対に買う予定だ。

 

とは言え、排水口から黙々と水蒸気が出たり空気中の水分を吸収したりするのは効率が悪すぎるので、洗面台のカバーから加湿・除湿ができるように改良を加えることで第二段階は完了となった。

 

なお、安全のためにシャワー機能と加湿・除湿機能は排他的構造になっており、つまりは同時に使うことができないようになっている。

 

もちろん、これもモデルの検証が終わってすぐ特許出願となり、たった数週間で特許を立て続けに出していることに驚きを禁じ得ない。

 

現在の第三段階は余熱を利用してホカホカのタオルを用意できる機能が追加されているのだが、本命は搭載した小型発電機だけで連続使用時間:720時間という冗談みたいな目標を掲げていた。

 

しかし、小型発電機の性能がまったく足りていないので頓挫しているのだが、いずれは実現させると躍起になっていた。

 

曰く、洗面台(シャンプーボウル)から始まった試作品の究極の到達点はサバイバルに耐え得る性能を持った“多目的自動給水器(Multi Purpose Automatic Water Server)”なんだとか。

 

他にもいろいろな発明のアイデアを持っており、それらをすぐにでも製品化したいから“もうひとりの自分”が欲しくてしかたがない様子。

 

だから、WUMAが自分に擬態してくれる日を心待ちにしているわけで、改めて時間のやりくりの上手さと実際に未来世界を見てきたかのような先見の明の数々に驚かされる。

 

そんなわけで、私は本当に退屈しない毎日を送ることができている。ひとり閉じ籠もった日々の記憶は今はもう遠い彼方のようだ。

 

 

――――――ああ、やっぱりきみは私だけの最高のモルモットだよ。このまま()()()()()()()()()()を後悔させないでいてくれ。

 

 



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第12話   因子継承と特異点

-西暦20XX年12月07日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

――――――幻覚を見た。

 

深夜、再び謎の発光現象が発生したトレセン学園の中央広場の三女神像の噴水の調査をしていた時だった。

 

成虫は寿命が半年とされるコーカサスオオカブトに転生してしまった異世界の賢者:ケイローンの寿命は残りわずかで、

 

『有馬記念』『URAファイナルズ』への調整のために先輩が全身全霊を込めた担当ウマ娘:ハッピーミークの最終トレーニングを施す傍ら、

 

私は異世界の叡智を記録することにも力を入れて、異世界の怪人:ウマ女“フウイヌム”の支配する並行宇宙の地球の超科学文明に思いを馳せていた。

 

とにかく時間がないので要点から話してもらえるのだが、ケイローンの身体がコーカサスオオカブトなので意思疎通の手段が肉体次元を超越した精神世界のテレパシーしかないため、どうしても聞き取りには膨大な時間が必要となった。

 

本来の肉体を時間跳躍によって失ってしまい、コーカサスオオカブトに魂を宿して生き永らえた代償として、その小さな身体でテレパシーの使用も都度休みを挟まないといけないのだから、非常に気の長い調査となった。

 

それでも、地道な聞き取り調査によってWUMAに関する大まかなことは把握できたので、府中市に潜むWUMAを駆逐するための具体的な手段を講じる段階へと移った。

 

そして、いつかのようにアグネスタキオンと一緒に買い出しに行って、部活棟に荷物を運び入れようとした途上、誰もいない三女神像の噴水が謎の発光現象を起こしていたのを再び目撃することとなった。

 

あの時とちがうのは、呼び出せば妹:ヒノオマシの許から賢者ケイローンが空間跳躍してくることであり、この不可解な現象に関する意見を求めることにしたのだ。

 

もちろん、今は北半球の12月だ。夏が盛りのカブトムシの身体には寒空は身体が堪えるので、ホカホカのタオルに断熱材で覆った飼育容器に入れて、再調査していた時にそれは起こった――――――。

 

 


 

 

斎藤T「は」

 

斎藤T「え?」キョロキョロ・・・

 

アグネスタキオン「おや、どうしたんだい?」

 

斎藤T「今さっき、幻覚を見た」

 

アグネスタキオン’「ほう、どんな?」

 

 

斎藤T「いや、見たこともない“人生真っ盛りの三十路のおっさんって感じのヒトの男性”と“肩にサバトラ猫を乗せた二十代の若いヒトの男性”が光の彼方へと駆け抜けていくイメージ――――――」

 

 

斎藤T「…………?」

 

斎藤T「いや、二人共、ウマ娘と二人三脚で走っていた――――――?」

 

斎藤T「私を追い越す時に見えたのは、もしかしてスーパークリークとシンボリルドルフ――――――?」

 

アグネスタキオン「ほう、それは非常に興味深いことだねぇ? なあ、()()()()()()()?」

 

アグネスタキオン’「ふぅン、モルモットくんも同じような幻覚を見ていたわけか……」

 

斎藤T「え、まさか――――――」

 

 

アグネスタキオン「私の場合はハヤヒデくんとブライアンくんだったね」

 

アグネスタキオン’「私の場合はそこのコーカサスオオカブトと翼の生えた会長だったね」

 

 

アグネスタキオン「ハハハ……アーッハッハッハ! 素晴らしい!」

 

アグネスタキオン’「何者かが中枢神経に干渉したというのかい!? 実に面白いビジョンじゃないか!」

 

アグネスタキオン「たまらないねぇ! 力が――――――力が溢れ出てくるよッ!」

 

アグネスタキオン’「ああ! まるで漫画だな! これこそウマ娘に秘められた真の能力が開放された瞬間とでも言うのかい!?」

 

斎藤T「…………!」

 

斎藤T「――――――三女神は子々孫々たるウマ娘を導くと信じられており、」

 

斎藤T「トレセン学園に通うウマ娘たちは『三女神像』の前でお祈りをし、『トゥインクル・シリーズを走り抜けた先輩ウマ娘が像に託した想いを受け取り力に変える』という儀式を伝統的に行っている言う」

 

斎藤T「本当にそうなのか、ケイローン!?」

 

 

――――――どうやら、この世界は本当に素晴らしき偉大なる神々に守護されているみたいだね。

 

 

斎藤T「ビワハヤヒデとナリタブライアンの最強姉妹が今シーズン『URAファイナルズ』を最後に上位リーグに移籍するって話だから、まあ そこそこ付き合いがあるし、わからなくはないが……」

 

斎藤T「あれは……、私が見たウマ娘と二人三脚で私の前を走り抜けていった二人も過去のトレセン学園のトレーナーだったってことなのか……」

 

斎藤T「じゃあ、もうひとりのアグネスタキオン(アグネスターディオン)’が見たのは――――――?」

 

 

――――――きみを通じて私と彼女;二人のエルダーの因子が継承されたようだ。

 

 

斎藤T「私を通じて二人のエルダー――――――」

 

斎藤T「…………!」カアアアア!

 

アグネスタキオン「どうしたんだい? きみがそこまで動揺するだなんて珍しい。そこのカブトムシから何を聞かされたんだい?」

 

斎藤T「いや、私は――――――」

 

 

――――――これが()()()()()()()だぞ。

 

 

アグネスタキオン’「ふぅン? きみ、会長に化けたエルダー相手に大立ち回りしたのは聞いていたけど、まさか ()()()()()()もしていたとはね? これは役得と言ったところかな?」クククッ

 

斎藤T「なっ」

 

アグネスタキオン「?」

 

アグネスタキオン’「ありがとう、賢者ケイローン。後のことは全て私にまかせたまえ」

 

 

――――――ああ。それを聞いて安心した。ヒッポリュテーも喜ぶことだろう。

 

 

斎藤T「……ケイローン」

 

アグネスタキオン「おい、わかるように説明したまえ、きみたち。私だけ除け者にするな」ムスッ

 

アグネスタキオン’「おおっと! すまないねぇ、()()()()()()()! どうやら私は一足先に超光速を超えた先にある“果て”に辿り着いてしまったようなんだよ!」

 

アグネスタキオン「な、なんだって!?」

 

アグネスタキオン’「まあ、私の正体がWUMAなんだから、元から身体の作りがちがっていたわけだが、私は()()()()その“果て”を見ることができたんだよ!」

 

斎藤T「本当か、それ!」

 

 

アグネスタキオン’「ああ。今さっき時を見てきたよ」

 

 

アグネスタキオン「なに?」

 

斎藤T「どうだった? 四次元世界に行ってきた感想は?」

 

アグネスタキオン’「まあ、そこまで長い時間を移動することはやめた方が良さそうだったね」

 

アグネスタキオン’「10年前の過去に時間跳躍したケイローンの肉体が崩壊するぐらいだったんだ。小説やアニメのように恐竜時代や原始時代に行くだなんてことはやめたほうがいい」

 

斎藤T「そうか」

 

アグネスタキオン’「なるほど、これが“果て”か。ウマ娘がどうのこうのという次元じゃなくなってしまったな」

 

アグネスタキオン’「だから、きみが求めていたものは私が果たそうじゃないか」

 

アグネスタキオン’「そう、私はエルダークラスをも超越した――――――、何と言えば言いのだろうな?」

 

斎藤T「――――――ジュニア(Junior)シニア(Senior)エルダー(Elder)を超えた先の“果て”か」

 

斎藤T「なら、奇を衒うことはない」

 

斎藤T「現実の粒子ではない“超光速の粒子(タキオン)”に対して粒子が実在性を持つと仮定されている“もう1つの超光速の粒子(スーパーターディオン)”を名乗ればいい」

 

アグネスタキオン’「――――――『スーパーターディオン』?」

 

斎藤T「ああ。スーパーターディオン(Super-Tardyon)は正の実数の質量とエネルギーを持つのに対して、タキオン(Tachyon)は虚数の質量とエネルギーを持つ」

 

 

――――――だから、“フウイヌム”の多種族的カーストの新たな頂点に立つ者『スーペリアクラス(Superior class)』の誕生だ!

 

 

アグネスタキオン’「――――――『スーパーターディオン』に因んで『スーペリアクラス』か。悪くないよ」

 

アグネスタキオン「……だから、私を除け者にすーるーなー!」ムスッ

 

斎藤T「あ、すまんすまん」

 

斎藤T「どうやら、目には見えない次元での因子継承が行われたみたいだな」

 

斎藤T「はっきりとしたことはわからないが、不思議と力がみなぎっている感じがしてならない」

 

斎藤T「――――――あの二人が誰だったのかを調べておかないとな」

 

アグネスタキオン’「む、謎の発光現象が収まったな。やはり、三女神とやらは私たちを呼び寄せていたということか」

 

アグネスタキオン’「では、撤収だ。これ以上の調査の必要はない」

 

アグネスタキオン’「そうだ、私がケイローンとヒッポリュテーから継承した力を体験してもらった方が理解が早いだろう」

 

アグネスタキオン’「モルモットくん、私は()()()()()()()を連れて今から30分後の実験室に時間跳躍するから、片付けは済ませておいてくれたまえ」

 

アグネスタキオン「あ、おい――――――」

 

斎藤T「はいはい。行って来い 行って来い」

 

アグネスタキオン’「それじゃ、ちょっとばかり“果て”を見てもらうぞ、()()()()()()()()?」

 

 

 

パチン!

 

 

 

斎藤T「――――――消えた」

 

斎藤T「けど、四次元世界に突入するまでの乱れた時間の流れを目で追うことができたぞ」

 

斎藤T「これが“特異点”ということなのか、ケイローン?」

 

 

――――――そうだ。その深淵に到るためには()()()()()()()()()()()()ところから始まる。

 

 

斎藤T「…………まあ、一足先に地球によく似た新惑星で開拓生活をやらせてもらっていると考えれば、私としては特に問題はないのか」

 

斎藤T「惜しむらくは宇宙移民として習得した技能の大半が活かせないぐらいに開拓されきった世界――――――」

 

斎藤T「なら、宇宙移民として目指すのは新たなる未知の世界――――――」

 

斎藤T「けれど、それじゃあ“斎藤 展望”はいったいどこへ消えてしまったと言うんだ?」

 

 

私は“斎藤 展望”の身体を借りて21世紀のウマ娘と共存共栄している地球で生き永らえている23世紀に外宇宙へと旅立った宇宙移民船の一員にして波動エンジンの開発エンジニアという世紀の天才――――――。

 

その途上の空間歪曲型ワープの最中に起きた波動エンジンの暴走事故によって宇宙から肉体が消滅し、その魂はM理論に基づく多次元宇宙の並行宇宙に流れ着いたものだと理解している。

 

そう、私は三次元の物質世界から跳躍してしまったことで世界の外側である高次元世界と接続した“特異点”となっていたようなのだ。

 

難しく考えることはない。言うなれば映画のフィルムを1つの世界と考えるとわかりやすい。

 

空間歪曲型ワープにおいては、映画のフィルムがぐわんぐわんに波打っていると考え、ある1コマと別の1コマが波打って近接した瞬間に飛び移ることで時間跳躍を可能としているわけなのだが、

 

私の場合は元の映画のフィルムにすぐに戻ることができなかったことで三次元の物質世界の肉体が消滅して、肉体を失った魂が別の映画のフィルムの世界に流れ着いて新たな肉体を得たのが現在の“斎藤 展望”ということだ。

 

そして、新たな肉体を得た“特異点”が高次元世界での感覚を記憶し続けている限り、WUMAが能動的に発動できる空間跳躍などの超次元的な事象を認識することが可能となっていた。

 

ただ、この身体でWUMAと同じ超能力を発動するためには肉体的な鍛錬に精神的な修養が必要不可欠ということらしく、現状はせいぜい相手の四次元能力を感知して逆利用する程度しかできない。

 

しかし、相手が1コマの中だけの空間跳躍しかできない映画世界の住人に過ぎないのに対し、こちらは時間跳躍によって1コマ1コマを自由にフィルム編集を行うことができる映画世界の創造主に等しい存在――――――。

 

WUMAがこちらが認識できる範囲で四次元能力を使った瞬間に“特異点”である私が思ったように世界が書き換えられると言っても過言ではなく、“特異点”である私の存在もまたスーペリアクラスなのである。

 

ただ、生体波動エンジンを内蔵しているに等しい怪人:ウマ女とはちがって、能動的に四次元能力を発動させるための装置や器官(キックスターター)がないヒトの肉体のために、

 

これまでは“特異点”である賢者ケイローンに触れることで一時的に四次元への感覚を研ぎ澄ませてもらった上でのどうしても受動的な発動に留まっていた。

 

 

要するに、スーペリアクラスに匹敵する“特異点”である私は全知全能の神になったというわけではない――――――。

 

 

実際、シンボリルドルフ’に化けたエルダークラスに対しては、まだ四次元能力に対する理解がなかったとは言え、その空間跳躍の前に為す術もなく 押し倒されたことも認識できないまま唇を奪われてしまったぐらいだ。

 

あそこから逆転することができたのはエルダークラスをも上回る四次元能力を発揮して“特異点”が望む未来に時間跳躍した結果というわけであり、

 

それは端的に言うと“そうなること”を望む意志力がエルダークラスを上回った瞬間に初めて相手の四次元能力を逆利用した必殺のカウンターが炸裂するのだ。

 

つまり、相手が四次元能力なんか使わずに普通にヒトを凌駕するウマ娘を本能的に絶望に追いやる怪人:ウマ女としての超越した身体能力だけで殴り合いになったら、まず間違いなく“特異点”としての特性を活かすことができないまま私は一方的に嬲り殺しにされていたことだろう。

 

四次元能力は物質世界の肉体の次元を超越した部分で性能が左右され、時間跳躍能力は空間跳躍能力の完全上位なので、空間跳躍に依存した上位クラスほど“特異点”である私にとっては返り討ちにしやすい反面、

 

実際のところ、最初に遭遇した エルダークラスの血統とは言え 空間跳躍がまだ未熟なジュニアクラスの怪人:ウマ女がもっとも私を甚振って追い詰めたわけであり、

 

もっとも数が多い上に擬態精度が非常に高いジュニアクラスと真っ向から戦うのはこういった面でも不利で、ますますエルダークラスを優先的に狩った方がいいという結論となる。

 

四次元能力を上位クラスのように上手く使えない雑魚ウマ女の方が手強くなるあたり、相性の面でも奇妙な3すくみを生み出す“特異点”となっていた。

 

 

 

斎藤T「まだ30分後じゃないか……」ガチャ・・・

 

斎藤T「うん、アグネスタキオンの2人のGPSの反応が地球上から消滅しているな。間違いなく三次元世界から消滅している」

 

斎藤T「寒かっただろう、ケイローン? ほら、部屋も暖かいし、少しは元気になったか?」

 

 

――――――ありがとう。きみが“預言の子”であったことを嬉しく思うよ。きみこそが絶望の未来から宇宙を救う救世主なのだ。

 

 

斎藤T「……それは私が“フウイヌム”の空間跳躍能力に対抗できる“特異点”だからというのもわかった」

 

斎藤T「けど、それなら“特異点”が“斎藤 展望”になった理由はわかるか?」

 

斎藤T「それに、先程の因子継承とやらについてもどういうことなんだ?」

 

 

――――――あれはね、因子継承に関しては“斎藤 展望”がウマ娘とのハーフだったからできたことなんだよ。

 

 

斎藤T「……なるほど。“特異点”と“斎藤 展望”のコラボレーションが宇宙を救う救世主の正体だということか?」

 

斎藤T「いやはや、この大宇宙を司る父なる神と子なる神と聖霊の三位一体ってことなのか?」

 

斎藤T「たしかに、23世紀には大いなる宇宙の創造神を中心にした宇宙宗教の下に国民皆信仰が実現されてはいるけど――――――」

 

 

――――――きみが因子継承した二人の先人たちもウマ娘とのハーフの肉体に宿った偉大なる魂だよ。

 

 

斎藤T「え」

 

斎藤T「じゃあ、あのビジョンで見た通りの外見じゃない――――――?」

 

斎藤T「それはつまり、私と同じようにウマ娘のハーフであるトレセン学園のトレーナーってことで間違いないか?」

 

 

――――――きみはこれから二人の先人たちの後を継いで 未来からの侵略と過去からの遺産に敢然と立ち向かう宿命にある。

 

 

斎藤T「――――――『二人の先人たちの後を継ぐ』」

 

斎藤T「――――――『未来からの侵略』」

 

斎藤T「――――――『過去からの遺産』」

 

 

――――――その最後の締め括りのために きみという存在はこの世界に遣わされたのだと三女神が教えてくれた。

 

 

 

チクタク、チクタク、チクタク・・・

 

斎藤T「そろそろだな」

 

斎藤T「というか、向こうはこっちがすでに実験室にいる1コマを見て時間跳躍してくるんだから、絶対にピッタリだろうな――――――」

 

アグネスタキオン「お、おお!?」

 

アグネスタキオン’「待たせたね、モルモットくん。こっちとしては1秒ぶりなんだが」

 

斎藤T「ああ。暇だったからカブトムシと 長いこと おしゃべりしていたぞ」

 

斎藤T「ほら、きっかり30分はGPSから反応がなくなって地球上から消え去っていたぞ。他にも、お前たちが使っているPDAの通信量の測定グラフもしっかりと30分間は値はゼロになっているぞ」

 

アグネスタキオン「え、ええ!?」

 

アグネスタキオン’「落ち着きたまえよ。ほら、時刻はきっかり30分後だ。三女神像の噴水の調査から帰ってきたばかりなのもテーブルの上に並べられた私たちの実験器具でわかるだろう?」

 

アグネスタキオン「そ、それはそうなんだが……」

 

斎藤T「どんな感じだった? 気づいた瞬間には“こうしようと思ったことがすでに終わっている”状態になっているのが私の感想なんだが?」

 

アグネスタキオン「あ、ああ……。本当に一瞬だった。次の瞬間には実験室に戻っていたからびっくりだよ……」

 

アグネスタキオン’「…………ふぅン、やはりというか、時間を進める方向に時間跳躍する方が楽だね、これは」

 

斎藤T「時間を遡るのは時間の流れに逆らうわけだからな、文字通り」

 

アグネスタキオン’「これが賢者ケイローンが肉体を失うことで完成させることができた時間跳躍――――――!」

 

アグネスタキオン’「そして、エルダークラスのヒッポリュテーの因子で“フウイヌム”の感覚を補うことで、私は()()()()で完成させることに成功したのだ!」

 

斎藤T「あ、試しにお前の背後をとりたいから、四次元能力を展開してみて」

 

アグネスタキオン’「わかった――――――」

 

斎藤T「――――――あ、ちゃんと使えてる」ツンツン! ――――――次の瞬間にはアグネスタキオン’の背後をとって ほっぺを突っついていた。

 

アグネスタキオン「うおおっ!?」ビクッ ――――――テーブルでカブトムシの世話していた次の瞬間には移動していたことに驚愕!

 

アグネスタキオン「な、なるほど。映画のフィルムのコマが飛んだようにしか見えないな、まさしく……」

 

アグネスタキオン’「ああ なるほど、“特異点”となった賢者ケイローンの残滓を継承した私と、生粋の“特異点”であるきみとでは、どう逆立ちしてもきみが支配的というわけか」

 

アグネスタキオン’「ただ、普通に殴り合いになったら“フウイヌム”である私の力の前にはどうすることもできないわけだけどね」ガシッ

 

斎藤T「…………肉体改造強壮剤もかなり馴染んできたけど、この能力差は如何ともし難い!」ググッ

 

斎藤T「けど、これでWUMAに対抗することができる!」

 

アグネスタキオン’「ああ。“フウイヌム”は徹底した階級社会だ。エルダークラスの因子を開放した私の命令には下位クラスの“フウイヌム”は絶対服従となるわけだ」

 

アグネスタキオン’「問題は同じエルダークラスの抗争になった時だが、これでしばらく時間は稼げるはずだろう、モルモットくん?」

 

斎藤T「上出来じゃないか!」

 

斎藤T「あとはジュニアクラスの完璧な擬態を見破る手段があれば、そこから駆逐していく筋道が立てられるんだがな……」

 

アグネスタキオン’「まあまあ、時間跳躍能力を使えば どうとでもなるのだし――――――」

 

斎藤T「?」

 

アグネスタキオン「あ、おい――――――」

 

 

アグネスタキオン’「さあ、モルモットくん。今日は思いっきり夜を楽しもうじゃないか」

 

 

斎藤T「は」

 

アグネスタキオン「な、なんだって!?」

 

アグネスタキオン’「ほら、ターフの上で実際に走るのは()()()()()()()だから、“フウイヌム”である私がトレーニングをするのはまったく無意味でも、たまには実験室に籠もりきりの私にも甘えさせろ!」

 

斎藤T「おいおい、実験室に閉じ籠もってずっと研究三昧なのは研究者としては本望だろう? 私からしても羨ましいご身分のくせに何を言い出すんだ?」

 

アグネスタキオン’「うるさいなー! いくら()のためだって言われても、()のことが羨ましいと思うことがあるんだぞ!」

 

アグネスタキオン’「今日だって二人で買い物デートを楽しんできただろう? やっと帰ってきたと思ったら、謎の発光現象を起こしている三女神像の噴水の調査なんかに連れ出してさ!」

 

斎藤T「…………なあ、人が変わってないか?」

 

アグネスタキオン「もしかすると、上位クラスには絶対服従の“フウイヌム”だから、エルダークラスの因子が流れ込んだことで人格に変化が起きたのかもしれないね」

 

斎藤T「ああ なるほどな……」

 

アグネスタキオン「ふぅン? 『なるほど』って言うからには、きみは()()()()()()()が変わってしまった理由にはっきりとした心当たりがあるわけなんだね?」

 

斎藤T「…………想像におまかせする」

 

アグネスタキオン「ふぅン? たしか、『トゥインクル・シリーズを走り抜けた先輩ウマ娘が像に託した想いを受け取り力に変える』って話だったっけ?」

 

斎藤T「……そうだな! それは本当の話だった!」

 

 

アグネスタキオン「じゃあ、私の中にはハヤヒデくんとブライアンくんのきみに対する感情が流れ込んでいるというわけなのかな?」

 

 

斎藤T「え?」

 

アグネスタキオン「……すまないが、予定になかった調査は終わった。今日はもう寝るから、後はお好きに」ガチャ ――――――隣の実験準備室の寝床に着く。

 

斎藤T「あ、おい――――――」

 

アグネスタキオン’「さあ、モルモットくん! 今日は寝かせないからな! 楽しい楽しい実験の時間だ!」クククッ

 

斎藤T「ぐぅううううう!? 実験に協力すると言った憶えはないぃいいいいいい!」グググ・・・

 

アグネスタキオン’「無駄な抵抗はやめたまえよ、モルモットくん! ウマ娘にすら勝てないのに“フウイヌム”の私に勝てるはずもないだろうに!」

 

斎藤T「ケイローン! ケイローン! 来てくれ、ケイローン!」

 

 

――――――間もなく別れの時は近い。案ずるなかれ、私の意志は若い命に受け継がれた。

 

 

斎藤T「いや、助けて! ケイローンが来てくれれば すぐにでも逆転できるのにぃいいいいいいいい!」

 

斎藤T「こっちに来てよ、ケイローン!!!!」

 

斎藤T「ああ――――――」

 

アグネスタキオン’「頼みのカブトムシくんは愛しの妹君のところに帰ったみたいだねぇ?」

 

アグネスタキオン’「これでやっと二人きりだよ、モルモットくん」

 

斎藤T「ま、まさか、因子継承で受け継がれるMEMEの中には本当に継承元の想いまで――――――」

 

アグネスタキオン’「どうだろうねぇ? でも、侵し難い聖像である会長よりも嫌になるぐらい()()()()()()()()()()の私の方がいいんだろう、きみも?」スリスリ

 

斎藤T「うう……」

 

アグネスタキオン’「いいねぇ、最高だねぇ、顔では苦悶の表情を浮かべているのに身体は正直じゃないか、モルモットくん」ハハハハハ!

 

斎藤T「……一夜の過ちだけではすまなかったか、おのれぇ!」

 

 

――――――WUMAめ、根絶やしにしてやる! この世から一匹残らず!

 

 

この日を境に二人のアグネスタキオンがはっきりと別の人格と気質を持った存在へと差別化されることになった。

 

いや、元々がウマ娘と怪人:ウマ女という根本的なちがいがあったことから、

 

本物のアグネスタキオンには 昼間 人前で行動する方を担当してもらい、できるだけ人として当たり前の健康的な生活を送らせることにしていたわけで、

 

もうひとりのアグネスタキオン(アグネスターディオン)は逆に人前に姿を見せないように実験室に籠もりきりにして思う存分に実験三昧にして人気のない時間帯に出歩かせるようにしていた。

 

そのため、もうひとりのアグネスタキオン(アグネスターディオン)が言ったように、どうやっても同じアグネスタキオンの間にも不平不満が出るのもしかたがないことだった。

 

それが嫌だったら、もうひとりのアグネスタキオン(アグネスターディオン)で在り続けることを辞めて 適宜 擬態対象を変えればいいと考えるのは早計である。

 

WUMAは擬態した時に擬態対象を抹殺する衝動が働くため、どうしようもない性として“成り代わり”に対する心理的抵抗がなくなるように遺伝子レベルで設定されているのだから、擬態を解いて擬態し直した瞬間に地球人類に牙を剥くようになるのは侵略的外来種として自然な成り行きであった。

 

上位クラスのWUMAならば自我を両立させることによって殺人衝動を抑えることもできるだろうが、逆に自我が残り続けるせいで完全な擬態能力が失われるデメリットもあるため、

 

完璧な擬態が行えるジュニアクラスと司令塔として地球侵略の命令を下すことができるエルダークラスはそれぞれの長所と短所を補う関係として互いに必要不可欠なものとなっているのだ。

 

よって、せっかくアグネスタキオンに擬態して もうひとりのアグネスタキオン(アグネスターディオン)そのものに成りきって共存することになった唯一無二のWUMAを迂闊に扱うこともできずにいた。

 

 

しかし、今回の因子継承によって何から何まで行き届いた究極の進化を果たしたことにより、最大の問題が解決してしまったのだ。

 

 

元々 知能が並外れて高いアグネスタキオンにはエルダークラスの知能がなければ擬態できないことから、エルダークラスの血統のジュニアクラスの怪人:ウマ女が擬態していたことは以前からわかっていた。

 

つまり、擬態した状態のままでエルダークラスに進化して自我を獲得することができれば、完全にアグネスタキオンの人格をコピーした地球人類に味方するオンリーワンのWUMAが誕生することになる。

 

また、上位の存在に対して下位の存在は絶対服従であるWUMAの実態を踏まえれば、エルダークラスに進化することによって他で暗躍しているジュニアクラスを無力化することができるし、逆にこちらがエルダークラスの命令に服従させられる危険性もなくなる。

 

それが初めて遭遇した“皇帝”シンボリルドルフ’に化けたエルダークラス――――――、個体名:ヒッポリュテーから聞き出すことができた情報であり、状況を打開する一筋の光であった。

 

 

そして、トレセン学園で記事にも取り上げられていた中央広場の三女神像でのおまじないの儀式がそれをそれ以上のものにしてくれたのだ。

 

 

“フウイヌム”の禁忌を犯した裏切り者でかつエルダークラスをも超越した存在である賢者ケイローンの因子によって、エルダークラスさえも服従させられるかは不明だが、少なくともWUMAに服従させられることがない更なる進化を遂げた存在になったのだ。

 

また、私が一夜を共にしたことで因子がこびりついていたらしいシンボリルドルフ’に擬態していた初めてのエルダークラス:ヒッポリュテーの因子によって、賢者ケイローンが失っていた“フウイヌム”の肉体的要素を補ったことで、擬態を解くことなくエルダークラスを超えたスーペリアクラスへと進化したのだ。

 

 

――――――時間跳躍能力を行使する地球圏最強の超科学生命体の誕生である。

 

 

研究者であるアグネスタキオンの人格がコピーされているので基本的に戦いには向いていないが、最大の特徴である時間跳躍能力を悪用する恐れがないという意味では非常に安心である。

 

大丈夫。戦いになったら、人間の形をした“特異点”である私が敵を排除すればいいだけの話なので、四次元能力のスイッチとなる彼女にはむしろ安全第一で行動してもらえると更に安心である。

 

そんなわけで、四次元能力の解明ができた上に具体的な戦術が確立し、それを後押ししてくれたのが三女神ともなったら、気分が高揚するのもしかたがない話だろう。

 

 

しかし、この三女神像のおまじないの儀式で目に見えない次元で行われている因子継承には副作用というものが存在していた。

 

 

想いを受け継いで力に変えるということは、つまりは多かれ少なかれ因子継承で受け継いだ誰かの想いに人格が影響を受けてしまうということだ。

 

そして、上位クラスの命令が下位クラスにとっては絶対のWUMAにとって、ジュニアクラスへのエルダークラスの因子継承はトレセン学園の競走バたちがするのものとは比較にならないほどの影響力があった。

 

私の場合は 誰かは知らないが自分と同じくウマ娘とのハーフの身体に宿った 私よりも前にトレセン学園のトレーナーとして活躍していたらしい 二人の先人たちの後を継ぐことになっているらしく、

 

ウマ娘の方のアグネスタキオンは来年からは上位リーグの『ドリーム・シリーズ』に移籍するビワハヤヒデとナリタブライアンの最強姉妹の想いを受け取っていたと言った。

 

一方で、怪人:ウマ女が擬態している方のアグネスタキオン(アグネスターディオン)’はコーカサスオオカブトの賢者ケイローンと翼の生えたシンボリルドルフ’の姿をしたヒッポリュテーの想いを受け取ったと言っていたのだ。

 

つまり、目に見えない四次元的要素は“特異点”である賢者ケイローン、目に見える三次元的要素はエルダークラス:ヒッポリュテーの因子を色濃く受け継いでいたらしく、

 

それは要するに見た目はアグネスタキオンなのだが、中身は“皇帝”シンボリルドルフに擬態したエルダークラス:ヒッポリュテーの想いも色濃く受け継いでいるのだ。

 

 

もっと正確に言えば、見た目はアグネスタキオン。中身は担当トレーナーと愛を育んで“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として毅然と生き貫く“皇帝”シンボリルドルフの記憶と人格をコピーしたら、地球人類の文化に理解がないのに野蛮人を魅了しようとキスに挑戦して一夜の過ちを犯したエルダークラス:ヒッポリュテーの体験と感覚を因子として刷り込まれた、理屈はわかるし好きだから実験室に閉じ籠もっていたけれども《もうひとりの自分》が外で楽しそうにしているのを見せつけられてフラストレーションが溜まっていたアグネスタキオン(アグネスターディオン)’なのだ。

 

 

なので、ウマ娘の方のアグネスタキオンとはちがって、因子継承が招き寄せた他人の記憶と体験と境遇にごちゃまぜになった超複雑な精神状態になっていた。

 

順番に説明してもわかりづらいこと この上ないが、エルダークラスが擬態対象の思考と記憶を持ちながら自身の自我を持ち続けているために、完全に擬態対象に成りきれていないところが混乱に拍車を掛けていた。

 

 

“皇帝”シンボリルドルフ (擬態) 偽物のシンボリルドルフ’ (並列思考) エルダークラス:ヒッポリュテー (因子継承) アグネスタキオン(アグネスターディオン)

 

 

あと、一夜の過ちで私が死にゆくヒッポリュテーに最後にしたことが今回の因子継承の決定打になってしまっていたことを考えると、私はいつまでもあの一夜の過ちのことを忘れることが許されなくなってしまった。

 

いや、ホント、やればできる――――――。別に童貞を捧げたというわけではないが、これはこれで責任を取らないといけない事態というわけなのか。

 

そのおかげで奇跡のスーペリアクラスへと進化したのだから、ウルトラハイリスク・ウルトラハイリターンもいいところだった。

 

そして、私は地上に舞い降りたグリゴリの天使を見た――――――。

 

 

アグネスタキオン’「どうだい? エルダークラスなら誰でも持っている翼だよ?」バサァ

 

斎藤T「何これ!? 服を破っていないか、その翼!?」

 

アグネスタキオン’「ああ、そこは擬態能力を使って修復するから心配ないよ」

 

アグネスタキオン’「それよりも、翼はこんなふうに大きくしたり小さくしたりできるんだよ」

 

アグネスタキオン’「そして、きみも知っているように空を飛ぶこともできるし、こうやって全身を覆う盾にすることもできる」

 

斎藤T「へ、へえ……、繭のように全身を覆い隠すこともできるわけなのか……」

 

アグネスタキオン’「これで誰にも邪魔されないというわけなのだよ、モルモットくん」モジモジ

 

斎藤T「あ、ああ……」

 

アグネスタキオン’「……一応、シニアクラス以上の角も生やすことができるけど、見てみたいかい?」

 

斎藤T「え? 見てみたい」

 

アグネスタキオン’「……鬼みたいで気味が悪いかもしれないよ?」

 

斎藤T「そこは擬態能力があるんだから見た目なんてどうとでもなるだろう。それよりも、シニアクラス以上に生える角の特性を把握しておかないとな」

 

アグネスタキオン’「……文句なんて言わないでおくれよ」

 

斎藤T「言わない言わない。角のある動物なんてVRシミュレーターで見慣れているし」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、行くよ、モルモットくん?」ニョキ

 

斎藤T「へえ、これで有翼一角獣(アリコーン)の擬人化がなったというわけか」

 

斎藤T「おお! VRシミュレーターで見たイッカクの牙ともちがうし、サイのようなケラチンの繊維質ともちがう感じだ!」

 

アグネスタキオン’「………………」ドキドキ

 

斎藤T「触っていいか? ケイローンの話によれば、角は超能力を制御するための感覚器らしいから、結構 鋭敏かもしれないけど」

 

アグネスタキオン’「も、モルモットくんになら、いいよ」モジモジ

 

斎藤T「よし。最初は先端から根本へとツンツンしてみるぞ」

 

アグネスタキオン’「い、いいよ……」

 

斎藤T「この感じは中身が空洞というわけでもなさそうだな」ツンツン!

 

斎藤T「次は痛覚と耐久性の確認をするぞ。測定方法は肉体改造強壮剤で強化された私の握力だ。圧し折るわけにはいかないから、ちゃんと危ないと思ったら引っ込めるなりするんだぞ」

 

アグネスタキオン’「うん……」

 

斎藤T「よしよし」ガシッ

 

アグネスタキオン’「ん……」ギュッ

 

斎藤T「どうした? 痛いのか? 急所になっているなら、ここをシニアクラスの弱点と判定してこれ以上はやめるが?」

 

アグネスタキオン’「いや、そうじゃないんだ、モルモットくん……」

 

アグネスタキオン’「この角が超能力を制御するために発達した器官なのはケイローンから聞いていただろう?」

 

斎藤T「ああ」

 

アグネスタキオン’「その超能力が頭の中の思考や意志で発動させるものなのは、四次元能力を受動的に使えているきみも知るところだ」

 

アグネスタキオン’「つまり、この角は四次元の刺激を感知することができる器官でもあるんだ……」

 

斎藤T「それが?」

 

アグネスタキオン’「きみ、“特異点”だろう?」

 

斎藤T「ああ」

 

 

アグネスタキオン’「そんなきみが四次元の刺激を感知できる角に 直接 触れたら、いろいろわかっちゃうんだよ……」ドキドキ

 

 

アグネスタキオン’「嬉しくなっちゃうじゃないか。こんなにも私のことを大事に想ってくれている誰かがいることを知ったら」

 

斎藤T「なっ」カアアアアア!

 

アグネスタキオン’「だから、きみのことがどうしようもなく欲しくなっちゃう……」

 

アグネスタキオン’「責任を取ってくれよ。きみと出会わなければ私は殺戮の天使でいられたのに……」

 

アグネスタキオン’「会長の想いやその想いをコピーして恋を知ったヒッポリュテーの想いも継承されているから、余計に実験室に独りでいることが寂しくなってしまったよ……」

 

アグネスタキオン’「私はまだ誰でもない。本当の私はアグネスタキオンでもないし、会長やヒッポリュテーでもないんだ……」

 

アグネスタキオン’「でも、この気持ちは他の誰でもない私のもの。けれど、今の私を構成する何もかもが偽物でしかなくて――――――」グスン・・・

 

斎藤T「じゃあ、きみは誰なんだ? エルダークラスの血統とは言え、進化するまでは擬態することが目的の使い捨てのジュニアクラスに個体名なんてあるのか?」

 

アグネスタキオン’「そんなものはジュニアクラスには必要ない。進化した時に初めて得られるものだから」

 

斎藤T「なら、名前は誰からもらうんだ?」

 

アグネスタキオン’「わからない……。ジュニアクラスはただ擬態するだけの存在だから……」

 

斎藤T「わかった。これも敵に関する重要な情報提供だ。感謝する」

 

斎藤T「そういうことなら、スーペリアクラスに進化した記念だ」

 

斎藤T「よし、パッと思いついたのが2つある」

 

斎藤T「スター(Star)ターディオン(Tardyon)を掛けて“スターディオン(Stardyon)”だ。つまり、スタディオン(Stadion)だな」

 

斎藤T「スタディオンは古代地中海世界での距離の単位で、古代オリンピックの栄えある第一競技:スタディオン走から競技場を意味する“スタジアム(Stadium)”という単語が誕生した」

 

斎藤T「もう1つは、ケイローン(Chiron)タキオン(Tachyon)を掛けて“タキロン(Tachiron)”だ。これは安直かな?」

 

 

アグネスタキオン’「なら、今の私はスーパーターディオン(Super-Tardyon)だから、スターディオン(S-Tardyon)がいい」

 

 

斎藤T「では、今後ともヨロシク、アグネスタキオン’(スターディオン)

 

アグネスタキオン’「うん!」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――これ、世界の平和のために私が人柱にならざるを得ないのか? だって、相手は時間跳躍で何だってできる超科学生命体だぞ? 逃げることなんてできないぞ?

 

 



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第12話秘録 この空の下で絶対なのは帝王ただひとり

-シークレットファイル 20XX/12/10- GAUMA SAIOH

 

今年の『有馬記念』は12月23日の中山競バ場で開催される。

 

実は、『有馬記念』は1956年12月23日に第1回『中山グランプリ』として開催されたのが最初であり、奇しくも第1回大会と同じ日に開催されることになった。

 

いや、別に開催日が重なることは特段珍しいわけではないのだが、『有馬記念』の歴史を調べていてちょっとばかりへぇと思った程度の薀蓄である。

 

 

つまり、“皇帝”シンボリルドルフにとってトレセン学園の命運を賭けた決戦の日まで2週間を切った。

 

 

突如として『ジャパンカップ』で三度目の復活を果たして“クラシック三冠バ”ミホノブルボンとハナ差で2着にもつれ込ませたトウカイテイオー’の姿は鮮烈であり、

 

あれが去年の『有馬記念』で三度目の骨折をして以降は公式戦に一度も姿を見せていなかったトウカイテイオーなのかと誰もが目を疑い、実況と解説をして『全盛期の姿で完全復活!』とさえ言わせたぐらいだ。

 

次にミホノブルボンがトウカイテイオーと対決したらトウカイテイオーが圧勝するんじゃないかと言うぐらいに、ミホノブルボンに追い縋った存在として期待十分であった。

 

 

しかし、そのミホノブルボンはなんと芝・2500mの『有馬記念』ではなく、12月22日のダート・2000mの『東京大賞典』への出走となったのだ。

 

 

これには内外で様々な憶測が行き交うことになり、年の瀬に行われる『URAファイナルズ』で芝・長距離を走るはずのミホノブルボンにとっては意味不明のローテーションとも言えた。

 

完全復活のトウカイテイオーに恐れをなして逃げたにしてはあまりにも無謀過ぎるローテーションであり、そのことから担当の才羽Tに対して批判以上に困惑の声が上がった。

 

そして、日本のダート競バの1年を締め括る総決算レースに突如として殴り込みにきた“クラシック三冠バ”ミホノブルボンを返り討ちにしようと、トレセン学園のダートウマ娘たちは例年以上に燃え上がっていた。

 

もちろん、『有馬記念』でライバル対決になると思われた飯守Tのライスシャワーも驚く結果になり、

 

実際に飯守Tが才羽Tのところに殴り込みに行ったところ『楽しみは最後にとっておく』という才羽Tの言に納得したらしく、

 

それなら『URAファイナルズ』で決着をつけるということで気持ちを切り替えて『有馬記念』で優勝候補と目される“悲運の天才”トウカイテイオーの打倒を目指すことになった。

 

 

しかし、実はこれも“皇帝”シンボリルドルフが描いたトレセン学園の世代交代のシナリオを実現するべく、密かに“皇帝”と協力関係を結んでいた“驚異の天才”才羽Tの舞台演出の一環でもあったのだ。

 

 

そう、舞台の準備はあの『ジャパンカップ』の日の時点でなされており、あの喫茶店は才羽Tの親戚が店主(マスター)を務めている穴場だったのだ。

 

そのため、WUMA対策班の藤原さんと“皇帝”シンボリルドルフ、本物のトウカイテイオーと担当トレーナーを交えて、『有馬記念』において昨年の雪辱を果たしてトウカイテイオーが勝利するシナリオがあの密会の場で組み立てられていた。

 

よって、才羽Tは『有馬記念』の演目をトウカイテイオーの真の復活劇として譲った代わりに、海外遠征の布石として『東京大賞典』に出走させることをしていたのだ。

 

この『東京大賞典』は国際G1レースでもあるので、『ジャパンカップ』に引き続き 国際招待された海外バとの真剣勝負ともなる(もっとも、12月はじめの『チャンピオンズカップ(ジャパンカップダート)』が海外勢としては本命だが)。

 

もちろん、ミホノブルボンも勝つ気満々であり、『URAファイナルズ』初代チャンピオンになるための緒戦として『東京大賞典』を走破するべく、秘密の特訓をしていたのであった。

 

そもそも、2年目:クラシック級で“クラシック三冠”を達成した時からダートで走るトレーニングもし始めていたというのだ。

 

まさに天才がやることであり、常人には真似できない戦略と感性であり、その目に映すのは世界というとんでもない夢想家であった。

 

そのため、尋常ならぬ努力家であるミホノブルボンが本当に『東京大賞典』で勝利してしまったら、それはもう天才と呼ばれていたトウカイテイオー以上に凄まじい名バの証明にすらなってしまう。

 

そういうわけで、12月22日の『東京大賞典』と12月23日の『有馬記念』の2本立てでクリスマス前の土日休みに連続して奇跡を演出しようと言うのが、“皇帝”シンボリルドルフと“天才”才羽Tが立てた感動のシナリオというわけである。

 

 

――――――だが、その前に『ジャパンカップ』での因縁に決着をつけなければならない。

 

 

偽りの復活劇を演じた偽物のトウカイテイオー’と岡田T’を本物のトウカイテイオーと岡田Tが下してこそ、その奇跡には真の価値がある。

 

誰にも知られることがなく闇から闇へと葬らなくてはならない宿命の対決が『名家』シンボリ家の別荘地にある芝・2000mのトレーニングコースで執り行われようとしていた。

 

シンボリ家の使用人たちに扮して、その立会人として唯一無二のWUMA殺しである私とスーペリアクラスに進化したアグネスタキオン(スターディオン)’に加えて、WUMA対策班が詰め掛けることになった。

 

しかし、“皇帝”シンボリルドルフとしては、本物であることや偽物であることは関係なく、勝った方を『有馬記念』に勝利をもたらすトレセン学園の未来を担う“帝王”として扱うつもりであった。その内心はどうであれ。

 

偽物に自身の存在を奪われた『ジャパンカップ』以来、シンボリ家の別荘地でトレーニングに積み重ねていた本物のトウカイテイオーに場馴れの優位性はあるものの、全盛期の過去の自分に打ち勝てるかどうかは未知数であった。

 

もちろん、偽物のトウカイテイオー’の正体はウマ娘が本能的に絶望と恐怖に追い込まれる怪人:ウマ女なので骨折の恐れもないだろう。擬態能力を駆使した治癒能力は絶対に敵わない。

 

付け入る隙があるとすれば、相手がジュニアクラスということで完全に擬態対象に成りきっている点だが、

 

トレセン学園で暗躍していたエルダークラス:ヒッポリュテーによって『ジャパンカップ』での敗北を淡々と受け容れるように調整を受けていたため、肉体的にも精神的にも極めて安定しているのも手強いところだ。

 

一方、本物のトウカイテイオーにしてみれば『有馬記念』出走を賭けた久々の模擬レースであり、いつまた故障するかもわからない不安と自身の存在価値を天秤に掛けた死闘となるだろう。

 

もちろん、こちらには時間跳躍が使える最強の超科学生命体:アグネスタキオン(スターディオン)’がいるのだが、いくら仕組まれた決戦とは言え、本当にズルをするのは直向きにターフの上で走ってきたウマ娘たちへの侮辱となる。

 

だから、“皇帝”シンボリルドルフはトレセン学園の未来を自身の天運に全て賭けて静かにバ場を見下ろしていた。

 

 


 

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「きみはやはり『本当に勝てるのか』だなんては訊いてこないんだな」

 

斎藤T「“皇帝”陛下が望んだことを信じるのが臣の務めですから」

 

シンボリルドルフ「……訊きたいことがあるみたいだね」

 

斎藤T「はい。私的なことなのですが、三女神像で行われているおまじないの儀式で幻覚を見たのです」

 

シンボリルドルフ「――――――『幻覚』」

 

斎藤T「私が目撃したのは、何というのでしょう、“人生真っ盛りの三十路のおっさんって感じのヒトの男性”と“肩にサバトラ猫を乗せた二十代の若いヒトの男性”でした」

 

斎藤T「賢者ケイローンが言うには、私はその二人の先人たちの後を継いで、未来からの侵略と過去からの遺産に敢然と立ち向かう宿命にあるとのこと」

 

シンボリルドルフ「――――――『猫を肩に乗せた』?」

 

斎藤T「ここでお訊ねしたいのは、この二人の先人たちにそれぞれスーパークリークとシンボリルドルフの姿がオーバーラップして見えていたということで、」

 

斎藤T「この二人の先人に関して知っている情報を教えてもらいたいのです」

 

シンボリルドルフ「――――――『スーパークリークと私』?」

 

シンボリルドルフ「……そうか。()()()()()()だったのか」

 

シンボリルドルフ「なら、何も心配することはなかったのだな」

 

斎藤T「あの……」

 

 

シンボリルドルフ「ありがとう、斎藤T。きみが来てくれたのは全ては尊い三女神の導きだったというわけだな」

 

 

斎藤T「……何の話です?」

 

シンボリルドルフ「私が幼い頃の中央競バ界が暗黒期だったことは知っているな?」

 

斎藤T「そこから御自らの手で秋川理事長と共に黄金期を築き上げたことも当然」

 

シンボリルドルフ「幼い頃の私は腐敗しきっていた中央競バ界の惨状に絶望しきって、競走バとしての生き方から逃げようとしていたんだ」

 

斎藤T「え」

 

シンボリルドルフ「あの頃は、中央と地方の人気が逆転された上に、天災人災によって競走バの存在価値と担当トレーナーの社会貢献が問われた低迷期でもあったんだ」

 

シンボリルドルフ「だから、私は国民的スポーツ・エンターテイメントの主役である競走ウマ娘として生まれてきたことに嫌気が差すようになっていてね」

 

シンボリルドルフ「その大変な時期に活躍したのが荷役ウマ娘・農耕ウマ娘・格闘ウマ娘・軍隊ウマ娘であり、天災人災においては競走ウマ娘にできることは何もなかった――――――」

 

シンボリルドルフ「きみから見ても競走ウマ娘は長期的に見て脆弱な存在に見えるだろう? 中央での故障率を見ても競走ウマ娘の全盛期は長い人生においては本当に儚いものだ……」

 

斎藤T「それは………………」

 

シンボリルドルフ「だから、私は競走ウマ娘なんて小綺麗に整ったターフの上でしか走れない脆弱な存在に生まれてきたことを恨んでいたぐらいだ」

 

シンボリルドルフ「わかるだろう。近代ウマ娘レースは 王侯貴族がバルコニーから見下ろせる範囲で ウイニングライブの権利を得るために宮廷舞踏家のウマ娘たちが競走したものが起源だ」

 

シンボリルドルフ「つまり、ここから見下ろせるだけの範囲しかない狭い世界にしか私の居場所がないみたいで息苦しかった……」

 

シンボリルドルフ「両親にも酷い言葉をぶつけて傷つけてしまった……」

 

斎藤T「そんなことが……」

 

 

シンボリルドルフ「そこから私の心を繋ぎ止めてくれたのが“魔王”スーパークリークの担当トレーナーとなった通称“ウサギ耳”のトレーナーだったんだ……」

 

 

斎藤T「――――――“ウサギ耳”?」

 

シンボリルドルフ「ああ。ウマ娘にしては異様に耳が長かったことで付けられた仇名でもあり、それと同じぐらいに並外れた180cmの体躯と豊満さと男気を誇った魔性のウマ娘だった」

 

シンボリルドルフ「彼女は世間的には悪役トレーナーとして名を残しているが――――――、」

 

シンボリルドルフ「その実、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()トレセン学園の真の救世主でもあったんだ」

 

斎藤T「どういう意味です?」

 

シンボリルドルフ「言葉の綾さ。今が黄金期と言われるなら、その前の時代はどうあっても見劣りする時代だったと言われてしまうのだから、当時 幅を利かせていた連中からしてみれば最悪の侮蔑だろう?」

 

シンボリルドルフ「そうなれば、たとえ改革の意志があったとしても、自分たちの批難に繋がることに協力する気にはなれないだろう」

 

斎藤T「つまり、暗黒期の原因となっていたトレセン学園の膿みを出し切って黄金期をもたらした影の功労者――――――」

 

 

シンボリルドルフ「そして、彼女は偉大なる予言者でもあったんだ。予言者だったからこそ黄金期の到来のために全てを擲って私に栄光のバトンを渡してくれたんだ」

 

 

斎藤T「――――――『予言者』?」

 

シンボリルドルフ「彼女はトレセン学園で活躍することになる名バたちの目録となる未来の予言書『ウマ娘 プリティーダービー』を私にくださったのだ」

 

シンボリルドルフ「ある程度は読みが外れているところはあったが、外見や性格、脚質や適性に関してはピタリと予言していた」

 

シンボリルドルフ「特に暗黒期ではありえないぐらいに自由な気風に染まった個性豊かな勝負服を全て正確に絵に残していたことが予言書の最たるものだった」

 

シンボリルドルフ「そして、私自身が予言書を信じるきっかけになったのは、『沈黙の日曜日』の予言だった」

 

斎藤T「…………なんですって!?」

 

シンボリルドルフ「予言を信じてさえいれば防ぐことができたかもしれない悲劇を前にして、私は彼女から与えられたものの大きさを初めて理解することができた」

 

斎藤T「じゃあ、その予言書には――――――」

 

シンボリルドルフ「ああ。私が“七冠ウマ娘”となってトレセン学園の黄金期を牽引する最強の生徒会長として長らく君臨することも、三度の敗北で引退することも全て予言されていた」

 

斎藤T「まだ引退宣言はしていない辺り、ちがいますけどね」

 

シンボリルドルフ「それでも、大筋は合っている」

 

シンボリルドルフ「そして、トウカイテイオーという“天才”が私のことを慕い、私も期待を寄せたところ、“無敗の三冠ウマ娘”の夢は果たされなかったということすらも予言されていた」

 

斎藤T「それじゃあ、あのメジロマックイーンの引退に関しても?」

 

シンボリルドルフ「いや、彼女の予言に関してはかなり結果がちがっていた」

 

シンボリルドルフ「というよりは、『ミホノブルボンとライスシャワーに関する戦績がまったくちがった』といった方が正しいか」

 

斎藤T「――――――才羽Tと飯守Tの二人は予言を変えた?」

 

シンボリルドルフ「それはわからない。けれども、()()()()()()()()()()()はここ最近でそう強く思うようになっていたことだ」

 

 

シンボリルドルフ「そして、トウカイテイオーが三度目の復活を果たした『有馬記念』でビワハヤヒデに勝つという予言がなされていた」

 

 

斎藤T「!!」

 

斎藤T「その予言に全てを賭けるのですか?」

 

シンボリルドルフ「いや、こうして予言書『ウマ娘 プリティーダービー』のことを話していると、」

 

シンボリルドルフ「あの予言書はトレセン学園に黄金期をもたらすための方向性を示したものであり、それを踏まえて最善の選択をする自由と未来に立ち向かう勇気を与えるものだったかもしれないな……」

 

シンボリルドルフ「だから、私に血の宿命に抗わずにトレセン学園に進む勇気を与えてくれた“ウサギ耳”の偉大なるトレーナーには感謝しかないな……」

 

斎藤T「なるほど、そういうわけで賭けに出たわけですか」

 

 

シンボリルドルフ「それと、きみが三女神像のおまじないの儀式で見たであろう もうひとり先人というのは、私の担当トレーナーだ」

 

 

斎藤T「……そうじゃないかとは思っていましたが、写真とは随分とちがった見た目でしたけどね」

 

シンボリルドルフ「どういった姿を見たのかはわからない。けれど、飼育禁止のトレセン学園で()()()()()()()()()()()()()()()()()のは今も昔も彼ひとりしかいない」

 

シンボリルドルフ「公式の場ではそんな姿を見せるわけにもいかなかったが、彼は常々ペットのぬいぐるみを持ち歩いて撫で回していたような変人だったよ」

 

シンボリルドルフ「その、私もその対象だったのだがな……」フフッ

 

斎藤T「おお、それが“皇帝の王笏”と呼ばれた最強の新人トレーナー……」

 

シンボリルドルフ「ああ。中等部の頃はよく撫でてもらっていて、今でも懐かしく思うよ」

 

斎藤T「――――――その人は今どこに?」

 

シンボリルドルフ「…………冗談だと笑い飛ばしてくれてかまわない」

 

 

――――――未来だよ。私たちは()()()()()()()()()輝く未来をこの手に掴むと決めたんだ。

 

 

斎藤T「…………!」

 

シンボリルドルフ「私は今でも彼のことを愛している。()()()()()()()()()()とずっと恋い焦がれている」

 

シンボリルドルフ「でも、()()()()()()()()()()()()()()悲しい未来にしないためにも、私はその幻想を振り払って“皇帝”で在り続けなくてはいけないんだ」

 

斎藤T「そんなことが――――――」

 

シンボリルドルフ「ハッ」

 

シンボリルドルフ「そうか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだな……」ポタポタ・・・

 

 

シンボリルドルフ「いや、私のために天は素晴らしき3人の無名の新人トレーナーをその時々に遣わしてくれていたのか……」ボタボタ・・・

 

 

シンボリルドルフ「ううっ!」ガバッ

 

斎藤T「あ、ちょっと――――――!?」ドキッ

 

シンボリルドルフ「すまない。今だけは“皇帝”ではなく“新堀 ルナ”として胸を貸して欲しい……」グスン・・・

 

シンボリルドルフ「私は、私のような卑怯な女に“皇帝”なんて大役が務まるのかどうか、ずっとずっと不安だった……」ボタボタ・・・

 

シンボリルドルフ「競走ウマ娘や『トゥインクル・シリーズ』の人気が低迷した時代に『名家』の看板と期待を背負ってターフの上を走ることを義務付けられた人生が嫌で嫌でしかたがなかった……」

 

シンボリルドルフ「それでも、そんな暗黒期で『私の笑顔が見たい』と言って“ウサギ耳”の無名の新人トレーナーは誰にも称賛されることがない戦いをやり抜いて、私に予言書の通りの黄金期に到る道を整えてくれた……」

 

シンボリルドルフ「そして、私が予言書にあった“皇帝”になるための茨の道を共に歩んでくれたのが私のために時を超えてきた無名の新人トレーナーだった……」

 

 

シンボリルドルフ「彼がいたからこそ私は一人の人間が得るべき愛の在り方と一生分の喜びと悲しみを知って“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として生きる決心ができたのだ……」

 

 

シンボリルドルフ「それから現れた3人目の無名の新人トレーナーこそがきみだよ」

 

シンボリルドルフ「きみのことを私は出会う前からずっと待っていたのかもしれない――――――」

 

シンボリルドルフ「だから、テイオーのことや後のことを全てまかせてもいいだろうか?」

 

斎藤T「!」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――まだ本日のメインイベントである宿命の対決が始まる前だと言うのに、そもそも担当ウマ娘のデビューすらやっていないサブトレーナーでしかないのに、いろんなことがわかってしまった。

 

 

詳細はまだわからないが、黄金期を築き上げることになった“皇帝”シンボリルドルフのトレセン学園での6年間にも決して語られることがないヒューマンドラマがあり、

 

それ以前の暗黒期と呼ばれていた時期でもトレセン学園に入学するかどうかの葛藤と苦しみを抱えた日々を送っていたらしいことが本人の口からそれとなく聞かされることとなった。

 

そして、私が因子継承することになった二人の先人たちもとんでもない経歴の無名の新人トレーナーだったらしく――――――、

 

そうか。だから、皇宮警察の息子である無名の新人トレーナーだった“斎藤 展望”をすぐにクビにすることなく、こうしてシンボリルドルフは期待を寄せていたわけなのか。

 

それと、賢者ケイローンがやってきた10年後の未来――――――、異世界からの侵略者“フウイヌム”によってヒトが奴隷階級に貶められる絶望の世界を救う存在が現れるという予言との関連性も感じられた。

 

ということは、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たる“皇帝”シンボリルドルフの存在はこの世界にとって極めて重要な要素であると考えられ、

 

そのシンボリルドルフが自身の後継者として目を掛けていたトウカイテイオーもこれから時代において非常に重要な働きをすることが予想された。

 

そうなると是非とも見てみたいものだ、その予言書『ウマ娘 プリティーダービー』というやつを。

 

それと“ウサギ耳”のトレーナーの足跡を追う必要もあるだろうし、新たな事実が新たな謎を呼ぶ今の状況はちょっとした冒険活劇みたいで心が躍る展開でもある。

 

 

――――――だから、『本物が偽物の勝つ』という王道に期待して、その時を静かに待ち続けた。

 

 

一応、偽物のトウカイテイオー’と岡田T’は何も知らずに呼ばれており、芝・2000mの模擬レースをシンボリ家の別荘で行うことだけ伝えてあった。

 

そのため、“皇帝”シンボリルドルフが直々に『有馬記念』に向けた秘密の特訓をしてくれるものだと浮かれて偽物のトウカイテイオー’が合宿に現れた。

 

バ場に着くまでは完全に“皇帝”シンボリルドルフはトウカイテイオー’に対して学園にいる時と変わらぬ朗らかな表情で応対していた。

 

一方、私は別荘で働くシンボリ家の使用人に扮して いつでも偽物のウマ娘とトレーナーを始末できるように C4爆弾を送迎車にセットしながら、藤原さんのWUMA対策班と一緒になって警戒を怠らなかった。

 

そう、人目につかないように本物のトウカイテイオーと岡田Tの療養と特訓のために選ばれた別荘地であるが、同時に馬脚を現した偽物を人知れず始末するための処刑場としても選ばれていたのだ。

 

そして、勝負服を来たシンボリルドルフとトウカイテイオー’がトレーニングコースに現れた時、満を持して本物のトウカイテイオーが現れたのであった。

 

 

トウカイテイオー「その勝負、ちょっと待ったー!」

 

トウカイテイオー’「うわっ!?」

 

岡田T’「こ、これはいったいどういうことだ!?」

 

トウカイテイオー’「ぼ、ボクが二人いるだなんてどういうこと~!?」

 

トウカイテイオー「ちがう! テイオーはこのボクだぞ、偽物め!」

 

トウカイテイオー’「カイチョー! カイチョーにはどっちが本物のテイオーかわかるよね?」

 

 

シンボリルドルフ「ああ。勝った方が本物のテイオーだ」

 

 

岡田T’「ええ!? ちょっと待ってくださいよ、生徒会長! 万が一にもテイオーが偽物に負けたら――――――」

 

トウカイテイオー’「ふふーんだ。心配することなんてないよ、トレーナー」

 

トウカイテイオー’「ボクが偽物なんかに負けると思ってるわけ?」

 

岡田T’「い、いや、そんなことはないが……」

 

シンボリルドルフ「なら、決まりだな。私はバルコニーから戦いぶりを見させてもらう」

 

シンボリルドルフ「――――――勝てよ、テイオー」ボソッ

 

トウカイテイオー「うん。まかせて、会長」ボソッ

 

 

そう言って場を離れたシンボリルドルフを尻目に偽物の岡田T’の周囲に使用人に扮したWUMA対策班がいつでも取り押さえることができるように配置に着いた。

 

そして、シンボリルドルフがコースを一望できるバルコニーから姿を現して手を振ると、スターティングゲートに入っていた二人のトウカイテイオーも手を振った。

 

ここからは真剣勝負だ。本当ならばシンボリ家の別荘地に呼び寄せたところをC4爆弾で爆殺して終わりの話だったのだが、“皇帝”陛下の無茶振りでどっちが勝ってもいいようにしてしまったのだ。

 

もちろん、本物が勝つことを信じているからこその賭けだが、この一戦にシンボリルドルフの全てが込められていた。

 

もっとも、偽物からすればハンディキャップ戦を仕掛けられているわけであり、様々な面で圧倒的不利となっていた。

 

まず、私有地のトレーニングコースという情報未公開の不慣れな場所に加えて、本物は今日という日まで走り込んだホームグラウンドとなっていた。

 

また、学園の監視映像を本物の岡田Tに流して偽物の能力や傾向を確認してしっかりと対策を立てていたぐらいなのだ。

 

『ジャパンカップ』での実況と解説の言葉を信じるなら全盛期のトウカイテイオーをベースにした過去の存在に対して、いかにしてそれを乗り越えて『有馬記念』に勝利するかに全力を込めた一世一代の特訓がなされていたのだ。

 

実際にはシンボリルドルフのエゴによってトウカイテイオーを次期生徒会メンバーに入れるための箔付けとして意図された一連のレースの舞台ではあるものの、

 

自分の存在意義を“成り代わり”によって偽物に奪われたまま終わることを良しとしないウマ娘の闘争本能が人生最高にして最後のレースへの貪欲なまでの勝利への執念を昂ぶらせた。

 

そして、それを体現したかのような装い新たにした真っ赤な勝負服はもちろん予言書『ウマ娘 プリティーダービー』にあったものをシンボリルドルフが私費で再現して贈ったものであり、

 

好敵手:メジロマックイーンが『天皇賞(秋)』でターフの上で死ぬ覚悟をしていたのと同じく、トウカイテイオーとしては人生最後の『有馬記念』でリベンジを果たすことに全てを賭けていた。

 

それ故に、この一戦に賭ける両者の想いの強さと顔の表情には雲泥の差があったのはもはや言うまでもないことだろう。

 

挫折を知らないまま成長した無垢な天才と何度も挫折して復活を遂げてきた傷だらけの天才のどちらに勝利の女神は微笑むのか――――――、それは言うまでもないだろう。

 

そうだ。『ジャパンカップ』で偽物のトウカイテイオー’がミホノブルボンにハナ差で勝ちきれなかった理由はまさにそこにあったのだ。

 

 

 

――――――絶対は、ボクだ!

 

 

 

斎藤T「併走させてみた結果はご覧の通りですけど、やはり全盛期のトウカイテイオー’の方が実力としては上でしたね」

 

斎藤T「どれだけ有利な条件を突き付けても本物の天才はそれらを跳ね除けてしまう――――――」

 

岡田T「しかし、それを破ったのは天才をも上回る勝利への執念ですよ、斎藤T」

 

岡田T「本当によくやったよ、テイオー……」ポタポタ・・・

 

アグネスタキオン’「――――――感情が与える力か。これを見ていると本当に馬鹿にならないものだね」

 

斎藤T「では、岡田T。『有馬記念』での勝利を祈ってますよ。ミホノブルボンの才羽Tもそのために『東京大賞典』に変えたのですから」

 

岡田T「わかってます」

 

岡田T「……行くのですね?」

 

斎藤T「はい、それが使命ですので」

 

斎藤T「もっとも、仕掛けたC4爆弾を起爆させた後の死体確認が主ですので、すぐに終わります」

 

斎藤T「岡田Tは全てが終わるまで待機していてください。状況が混乱しますので」

 

岡田T「はい。気をつけてください、斎藤T」

 

アグネスタキオン’「おや、トレーナーくん。偽物の岡田T’をどこへ連れて行くんだい、あれは?」

 

斎藤T「え? 何をやっているんだ、あれは?」

 

斎藤T「藤原さん! 駆除対象(ターゲット)Tをどこへ連れて行くつもりなんです? 作戦通り、駆除対象(ターゲット)Uと一緒にC4爆弾で爆殺する流れですよね?」スチャ

 

斎藤T「――――――は? 『WUMA捕獲作戦』をSAT(特殊急襲部隊)が行う? 何ですか、それは!?」

 

斎藤T「報告しましたよね!? 状況証拠が揃っている以上は擬態対象に完全に成りきっている無防備状態から爆殺するのが一番だと! そのために人気のない別荘地に誘い込んだんですよ!?」

 

斎藤T「擬態を解いて正体を現したら怪人:ウマ女の姿になって高速移動で対処不能になりますって!」

 

斎藤T「――――――たしかに現実的なWUMAの脅威を上層部に認識させるためには()()()()()()()()必要はありますが、SATの隊員を人柱に捧げるわけにはいきません!」

 

斎藤T「――――――警察バの精鋭が相手するとかじゃなくて、そもそもの怪人:ウマ女のスピードとパワーに対処することが難しいからC4爆弾で爆殺すると言っているのです!」

 

斎藤T「……くそっ! 空間跳躍の餌食になるぞ! 催眠術だとか超スピードだとか そんな程度の話じゃないというのに!」チッ

 

アグネスタキオン’「――――――時間跳躍するかい、ここは?」

 

斎藤T「ダメだ。現場を説得できる状況でもないし、上層部に直談判することもできない。無駄にお前の命を削らせるわけにはいかない」

 

斎藤T「本物が偽物に勝つのを見届けてから爆殺するだけの話だったのに、なんでこんなスマートにいかないんだ!」

 

 

今回のWUMA討伐作戦は前提として『本物が偽物に勝つこと』が絶対条件であったため、それが見事に果たされたことで感動もひとしお、予定通りに決行されるはずだった。

 

ところが、土壇場の予定変更で風雲急を告げる事態へと発展していくことになってしまった。

 

なんと、何をとち狂ったのか、WUMA討伐作戦は『警視庁』上層部からの伝達でWUMA捕獲作戦に変更されていたのだ。

 

そのために協力を取り付けていた『警視庁』のSATは最初からそのつもりで準備を進めてきていたらしく、

 

この作戦の前提としてWUMAが化けた偽物が勝っても担当トレーナーの偽物の安否は重要視されていなかったことを突いて、偽物の岡田T’の正体を暴いてWUMAを生け捕りにしようとしていたのだ。

 

たしかに成功すれば見返りは大きいだろうが、そもそもウマ娘よりも強大な存在である怪人:ウマ女を管理する方法などあるのだろうか。

 

まあ、脚を切り落としてしまえば空間跳躍しようがそれまでだが、何にしても捨て置くわけにはいかない。

 

時間跳躍も超弦理論の時間の流れに抗って行われることを考えると、三次元の物質世界の肉体に多大な負担を掛けるものとなっているため、気軽に使えるものではない。

 

しかも、認識できる範囲にしか四次元能力は影響しないので、アグネスタキオン(スターディオン)’がいきなり大捕物の現場に乱入することはできないのだ。

 

結局、使い所を見極めなければならないものの、相手の四次元能力を逆手に取ることができれば必殺のカウンターを浴びせることができるようになっただけマシか。

 

 

しかし、今回もまたくだらない警察官としてのプライドだの意地の張り合いに巻き込まれた形となってしまった。

 

 

なにしろ、WUMAの撃退実績は一民間人に過ぎない悪名高い無名の新人トレーナーが独占しており、8月末の責任問題に発展した忌まわしき事件のリベンジの機会を『警視庁』が待ち望んでいたわけなのだから。

 

そのため、ここで『警察がWUMAを対処した』という実績を作ることに躍起になっていたのだ。『警視庁』も突如として降ってきたトレセン学園で起きた事件への対応力不足の責任問題の被害者でもあったためだ。

 

こちらとしても国家権力が真面目にWUMA問題に取り組んでくれるようになってくれたのは正直に言ってありがたいことなのだが、動機が不純過ぎるのが透けて見えた。

 

SATの精鋭たちを侮っているわけじゃないが、それ以上にWUMAのことを侮っているわけじゃないからこそ、C4爆弾で有無言わさずに爆殺すると言っているのに、このわからず屋が……。

 

とにかく、大捕物の前に偽物の岡田T’を拷問して正体を暴くことができそうな場所が近くにあるはずなのだ。

 

そこでWUMAとの戦闘データも取るつもりでいるらしいから、どこかのメインホールを貸し切って万全の態勢を敷いているはずなのだ。

 

さすがは『名家』シンボリ家の別荘地だ。芝・2000mのトレーニングコースやスターティングゲートを用意しているだけあって非常に広々としている。

 

時間跳躍するなら無理やりにでも情報を聞き出して現場に突入して記憶するのが一番だ。

 

 

 

 

 

――――――結果に関しては言うまでもないことだろう。

 

 

 

 

 

作戦はものの見事に大失敗。当初のWUMA討伐作戦としても、WUMA捕獲作戦としても大失敗に終わってしまった。

 

いや、結局は偽物の岡田T’の正体であるWUMAは私が始末したわけなのだが――――――。

 

当初、拷問して生命の危機に陥らせたことで生存本能から偽物の岡田T’が正体を現すところまでは上手くいったのだが、

 

ここからはモンスター映画のお約束どおり、怪人:ウマ女の圧倒的なパワーによって拘束は力尽くで破られてしまった上に、

 

岡田Tに擬態したWUMAがシニアクラスの一角獣(ユニコーン)の怪人だったため、超能力によって暴徒鎮圧用ガス弾は全て不発となり、出鼻を挫かれてしまった。

 

ということは、担当トレーナーらしく担当ウマ娘を管理するように、ある程度のWUMAとしての自我を持ったままの偽物の岡田T’が偽物のトウカイテイオー’を管理していたということなのか――――――。

 

最上位のエルダークラスではないにしろ、下士官に相当する上位のシニアクラスをこの場で排除することができたのはWUMA対策のセオリーで言えば不幸中の幸いだった。

 

そして、角が生えたことで引き起こされる超能力による放電により、列を組んだライオットシールドによる鉄壁の布陣は一挙に瓦解することになった。

 

そこからはまさにWUMAの本領発揮であり、空間跳躍による超高速移動によって次々と蹄の手でSATを八つ裂きにしていき、血みどろの凄惨な状況を創り上げてしまったのだ。

 

もちろん、警察バの精鋭たちもいたわけなのだが、ヒトと同じように普通に為す術もなく八つ裂きにされていた。あらためて、人間なんかがまともに敵う相手ではなかった。

 

 

――――――先程まで命だったものがたくさん転がっている。

 

 

そのため、SATが一度は全滅する憂き目に遭っており、完全に間に合わなかった上にWUMAには現場から逃走されてしまったので、時間跳躍を使わざるを得ない状況になってしまった。

 

しかし、アグネスタキオン(スターディオン)’の機転で殺戮現場のカメラ映像を持ち出すことになったので、戦闘データ(決定的な画)の回収によって上層部への説得材料はこれで十分だろう。

 

問題はどのタイミングでSATを救出するかであったが、これはもう痛い目に遭った生き証人を残すために鉄壁の布陣が崩されてWUMAにSATが八つ裂きにされる瞬間しかない。

 

時間跳躍に関しては公には秘密にしておきたいので、陣形を崩された混乱の中に紛れ込むのがベストな選択と言えた。

 

 

よって、大捕物の現場を特定された時点で岡田Tに擬態していたシニアクラスの一角獣(ユニコーン)の怪人:ウマ女の命は消し飛んだ。

 

 

やっぱり、時間跳躍能力は最強であり、今日も“斎藤 展望”が怪人:ウマ女を屠ったのであった。

 

突如としてプラズマジェットブレードで両脚を切断し、超能力の制御器官である角も肉体改造強壮剤で得た豪腕で根本から圧し折って、無慈悲にも怪人:ウマ女の無力化に成功。

 

あとのことはSATにまかせて――――――、これで土壇場になってWUMA捕獲作戦の命を下した『警視庁』の面目が立ったことだろう。

 

しかし、またしても活躍した私の功績が妬まれたのか、いきなりSATに取り押さえられることになってしまった。

 

曰く、突如として現場に現れた私が擬態したWUMAではないかという恐怖に襲われたのだとか。

 

時間跳躍してきたことを公言するわけにはいかなかったので、極秘であるはずのWUMA捕獲作戦の現場に『最初からいた』ということで押し通すことに成功した。そう考えないと彼らの中で辻褄が合わないので簡単なことだった。

 

ところが、私がSATの尋問を受けている間にそんな些細な問題が吹き飛ぶほどの深刻な問題が浮上してしまったのだ。

 

 

 

――――――偽物のトウカイテイオー’はどこへ行った!?

 

 

 

そう、SATが作戦の前提として注目していなかった偽物のトウカイテイオー’に擬態していたWUMAが行方不明になっていたのだ。

 

いや、偽物のトウカイテイオー’も決して野放しにしていい存在ではなかったのだが、ここで土壇場でのSATの作戦変更が響いてしまっていたのだ。

 

当初の予定では、本物に負けた後だろうと、油断させるためにシンボリ家の別荘で丁重にもてなした後に駆除対象(ターゲット)2体を乗せた送迎車を爆破ポイントに誘導してC4爆弾で爆殺する流れとなっており、

 

元々のSATの役割はその爆破ポイントを包囲して確実な死体確認をするために呼び寄せた保険でしかなかったのだが、その保険のせいで偽物のトウカイテイオー’を取り逃す羽目になってしまった。

 

 

――――――負けられない一戦で負けてしまったウマ娘の心情を考えてみれば当然の話だろう!

 

 

偽物のトウカイテイオー’と言えども自分こそが本物のトウカイテイオーと思い込んでいるのだから、突如として現れた偽物(本物)のトウカイテイオーに負けてしまったショックは想像に難くない。

 

その時、敗戦のショックで茫然自失のウマ娘を支えてやるのが担当トレーナーの役割でもあるのだから、憧れの生徒会長に合わせる顔がなくなったトウカイテイオー’が真っ先に頼ろうとするのは担当トレーナーしかいない。

 

しかし、作戦の前提である本物が偽物に勝つのを見届けた直後に、SATが偽物の岡田T’を大捕物の舞台に引きずり込んでしまった――――――。仕掛けるのが早すぎたのだ。

 

当然、SATとは別に動いているシンボリ家の使用人に扮して監視を続けていたWUMA対策班の藤原さんはトウカイテイオー’が岡田T’を探しに出歩こうとする事態になってようやく作戦ミスを悟った。

 

藤原さんはWUMA対策班の責任者ではあるが、正式な所属は警視庁警備部災害対策課なので今回の怪人災害に関しては全般的な指揮権を持つものの、

 

SATが警視庁警備部警備第一課という別の管轄ということもあったが、警視庁警備部の誇りでもあるSATの能力を信じていたことが冷静な判断を狂わせてしまったのだ。

 

もちろん、今回の土壇場の変更によるWUMA捕獲作戦は『警視庁』上層部の意向が絡んでいるので、藤原さんには拒否権がないのでしかたがなかったのだが、

 

またしても『警視庁』が失態を犯してしまったことに、別荘地を貸してくれていた“皇帝”シンボリルドルフの怒りに触れることになったのだ。

 

私としても駆除対象(ターゲット)が2体なのでバラバラに逃げ出す可能性を考慮した立ち回りをいつでもすべきだったと反省しているのだが、

 

偽物御一行様が送迎車に乗ったところをC4爆弾でまとめて始末する計画だったのを土壇場でひっくり返されたんだから、どうしようもないだろう!

 

頭に来たので、S()A()T()()辿()()()()()()()()()()()()()()迫真のシミュレーション映像(スナッフフィルム)をその場で提出して、知らんぷりをすることにした。

 

確実に始末できる時に始末しなかったら次にどういった行動をやり出すか予測がつかないのだから、

 

作戦の前提となる“皇帝”陛下の望みは叶えられたものの、WUMA対策班の本分を全うできなかったということで大失敗である。

 

SATの尋問を受けるという致命的なタイムロスがなければ、まだ時間跳躍して追いかけることもできただろうに!

 

もっとも、誰も偽物のトウカイテイオー’がどこにいたかを正確に憶えているやつがいなかったのだから、命を削るぐらいの肉体疲労を招く時間跳躍の濫用はできそうになかった。

 

そして、偽物のトウカイテイオー’が失踪した理由については定かではないが、おそらくは現在も無我夢中に走り抜けているだろうから、まともな捜索は不可能だろう。

 

外見はウマ娘でも中身は怪人:ウマ女であり、擬態能力に由来した高い治癒能力によって数十kmを走ることになる耐久競技並みの距離を苦にすることなく爆進しているにちがいない。

 

 

――――――こうしてWUMAによる“成り代わり”から存在意義を取り戻せたトウカイテイオーと担当トレーナーは最後の決戦の舞台『有馬記念』へと赴くのであった。

 

 

しかし、決して『めでたしめでたし』なんかではない。

 

WUMAの存在は闇から闇へと葬らなくてはいけないのだから、『警視庁』はまたしても今回の作戦変更で生じた作戦失敗の責任問題で揉めることになり、

 

まさかトウカイテイオーのそっくりさんの捜索願を出すわけにもいかないので、責任を取るために『警視庁』は独自に捜索隊を編成することになったのだ。

 

私としても時間跳躍がそこまで万能ではないことが骨身に染みることになり、WUMAを複数体同時に相手取るための戦術を模索することになった。

 

 

 

それからの話である。

 

本当の意味でトレセン学園に復帰することができたトウカイテイオーと岡田Tとしては、自分たちに成り変わったのが先だとしても『ジャパンカップ』を走ってくれた偽物の成績を横取りすることに対しても申し訳ないと思ったらしく、

 

せめて、事の真相を知っている相手であり、トウカイテイオーの真の復活劇のために『東京大賞典』に出走することにしたミホノブルボンと才羽Tに対してお詫びを入れに行ったようである。

 

すると、そこで偽物のトウカイテイオー’がミホノブルボンにハナ差で勝ちきれなかった理由を知ることになり、感服したのだとか。

 

それは“皇帝”シンボリルドルフの躍進を見続けた世代としてそれに続く“帝王”の存在を夢見ていた岡田Tと、“皇帝”シンボリルドルフの偉大なる業績とは別の在り方で大きな夢を叶えようとする才羽Tの差であったのだ。

 

 

そう、近代ウマ娘レースにおいて勝利の栄光を掴ませるのは担当ウマ娘の才能が従であり、担当トレーナーの手腕こそが主であったということなのだ。

 

 

元々は近距離ウマ娘(スプリンター)でしかなかったミホノブルボンが“無敗の三冠ウマ娘”も夢ではなかったと評された全盛期のトウカイテイオー’に『ジャパンカップ』で勝ったことが何よりの証だった。

 

そうだった。岡田Tは“皇帝”シンボリルドルフがデビューしたのと同じ年にトレーナーとなり、自身も“皇帝”シンボリルドルフのような栄光あるウマ娘のトレーナーになることが夢だったのだ。

 

それは裏返すと、どこまでも“皇帝”シンボリルドルフが辿った道を後追いするものでしかなく、新たな道を切り拓くだけの器量がなかったとも言えるのだ。

 

そういう意味では、必要とあれば『有馬記念』を捨てて『東京大賞典』を選ぶことができた才羽Tは融通無碍であり、自分で価値を生み出せる正真正銘の天才であった。

 

そもそも、才羽Tがミホノブルボンの担当になった動機や短距離ウマ娘(スプリンター)から遠距離ウマ娘(ステイヤー)に肉体改造を施せたのも普通のトレーナーの判断ではありえないものばかりであった。

 

なので、才能や能力は間違いなくトウカイテイオー’が上ではあったが、それでもミホノブルボンが勝つのは紛れもなく担当トレーナーの才覚と手腕によるものだ。

 

そして、それを実現させるのはウマ娘自身が抱く夢に向かっていくために勝利を掴み取ろうとする意志の強さであり、

 

それは つい先日 トウカイテイオー自身が全盛期の自分に擬態したトウカイテイオー’に勝利したものに通じるものであった。

 

だから、トウカイテイオーも岡田Tもミホノブルボンと才羽Tには敵わないと素直に感服したのであった。

 

そのことを知って“皇帝”シンボリルドルフはひとり満足そうな表情を浮かべるのであった。

 

 

シンボリルドルフ「そうか。テイオーも岡田Tも本当の意味でヒトとウマ娘の絆が生み出す力の偉大さを理解することができたか……」

 

シンボリルドルフ「そう、夢なんだ。夢の大きさが現実を変える力になるんだ」

 

シンボリルドルフ「私が“七冠ウマ娘”になれたのはそのことを“ウサギ耳”の無名の新人トレーナーに教わったから」

 

シンボリルドルフ「そして、私自身が最愛の人となる無名の新人トレーナーとそれを実践してみせた――――――」

 

シンボリルドルフ「今度は股肱之臣と呼べる無名の新人トレーナーが新しい世代に伝わるのを支えてくれる」

 

 

――――――だから、私もまた次の世代、次の時代、次の輝きのために最後の時を刻もう。

 

 



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第13話   恋はダービー;愛ゆえに人は苦しまねばならぬ

-西暦20XX年12月22日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

 

――――――“クラシック三冠ウマ娘”ミホノブルボン、飛び入り初参戦のダートレースとなる『東京大賞典』を制覇!

 

 

地方競バ界『ローカル・シリーズ』においては初めての国際G1レースであり、中央競バ界『トゥインクル・シリーズ』の所属ウマ娘にも参加資格が与えられる、

 

日本のダートウマ娘レースの1年を締め括る総決算レース『東京大賞典』の大井競バ場はかつてない盛り上がりを見せることとなった。

 

驚異の天才トレーナー:才羽Tの“クラシック三冠ウマ娘”ミホノブルボンはダートの上でも強かった――――――。

 

そして、その事実を観衆の記憶に焼き付ける偉業を果たした才羽Tの演説パフォーマンスに日本中が熱狂することになった。

 

“クラシック三冠ウマ娘”ミホノブルボンはトレセン学園を卒業するまで日本と世界の隅々まで走り続けることを天地神明に誓ったのだ。

 

 

それは“皇帝”シンボリルドルフとはまったく違った伝説をトレセン学園の歴史に刻もうという壮大な夢であり、まさしく“皇帝”シンボリルドルフが求めていた新たな時代の幕開けであった。

 

 

中央だとか地方だとか、G3だとかG2だとかG1だとかは関係なく、全てのウマ娘が輝ける舞台のために界隈の隅々まで目を向ける王者の存在は“皇帝”陛下の理想のその先にあるものであったのだ。

 

そのため、秋川理事長が一番に評価しているのも頷けるものがあり、より先進的で より創造的で より発展的な新たな潮流が生まれようとしていた。

 

同時刻、翌日の『有馬記念』に向けてのハッピーミークの最終調整を終えて部屋に戻った時、“皇帝”陛下からただ『感無量』とだけ書かれていたメールが届いていたのを見て、

 

“皇帝”陛下と一緒に思い描いたシナリオの通りに才羽Tとミホノブルボンが『東京大賞典』で勝ったのを察し、これで“皇帝”陛下が憂えなく明日を迎えられることを嬉しく思った。

 

さて、明日は『有馬記念』で担当ウマ娘が出走するわけなのだが、その担当トレーナー:桐生院 葵は大井競バ場に観戦に行っていた。

 

それだけに私が先輩とハッピーミークからどれだけ信頼されているのかがわかると同時に、先輩が才羽Tのことをどう想っているのかもわかるというものだった。

 

同じように『有馬記念』に出走するライスシャワーの最終調整を終えた担当トレーナー:飯守Tと互いの健闘を祈って、中山競バ場の調整ルームに担当ウマ娘を送り出した。

 

 

――――――その際、明日の主役であるトウカイテイオーの担当トレーナー:岡田Tとも擦れ違った。

 

 

勝負の世界に絶対などない――――――。しかし、明日の大一番には“皇帝”陛下のエゴによってトウカイテイオーに勝ってもらわないといけないのだ。

 

それはつまり、名門トレーナーである桐生院 葵の担当ウマ娘:ハッピーミークが負けることが条件ともなっており、

 

大恩ある先輩の担当ウマ娘が負けるのは見たくないと思いながらも、“皇帝”陛下の勅命を受けた身としてトウカイテイオーには何としてでも勝ってもらわないと困るという二律背反を抱えることになった。

 

そもそも、トウカイテイオーにそれだけの価値があるのかは私にはわからないが、実力で総生徒数2000名弱のトレセン学園の顔役になることを認めさせることをただ願うのみである。

 

 

正直に言うと、“皇帝”陛下が憂うトレセン学園の未来がどうだのといったことは私個人としては心底どうでもいい話だった。

 

 

はっきり言って、波動エンジンの開発エンジニアである私が23世紀の宇宙科学を先取りして21世紀の地球の文明を促進させることの方がはるかに人類のためになるし、

 

この世界で“斎藤 展望”として生きることを決めた時からトレセン学園での日々は近代ウマ娘レースの人気を利用した人脈作りに使われる踏み台としていたのだ。

 

なので、名門トレーナー一族の桐生院T、中央から世界の果てまで行こうとする才羽T、警視総監の息子である飯守T、それに和田Tや岡田Tといった大物トレーナーとも知り合いになったのだ。

 

他にも、競走ウマ娘の『名家』であるシンボリ家やメジロ家、アグネス家とも個人的なコネを持つことができているし、宇宙船開発のための投資にはもう困らないだろう。

 

まあ、それらは全て三女神やWUMAといった超常的存在との接触によって得てしまったものであり、多大な労力やリスクと引き換えに得ることができたものではある。

 

そのため、トレセン学園という環境が新惑星での新たな人生の最高のキックスターターになったことへの報恩感謝をしなくてはならず、こうして割りに合わないと思いながらも厄介事を引き受ける他ないわけなのだ。

 

もっとも、トレセン学園での日課は可能な限りAIを育成してボット化して処理させているので、直接的なトレーニングの指導ぐらいしか他人のために時間を割いていない。

 

逆に言えば、ボット化して処理できる程度の仕事とハッピーミークのトレーニングをこなすだけで、

 

地球の未来という崇高なる目的のために、宇宙船開発やWUMA撲滅のための研究開発に取り組むことが許されているわけであり、

 

なので、たかが数時間程度の担当ウマ娘:ハッピーミークの面倒を見ることを嫌がるわけにもいかなかったのだ。

 

 

しかし、こうして名門トレーナーが育てたハッピーミークと天才トレーナーが育てたミホノブルボンの方向性が最終的に似通ったものになっているのは興味深い。

 

トレーナーとしての実力で言えば、芝もダートも短距離も遠距離も走り抜けるようにハッピーミークを育成して年間勝利数最多記録に迫る成績を叩き出した桐生院Tは一級品と言えるものがある。

 

事実、ミホノブルボンよりもハードトレーニングをしているというわけでもないのに様々な条件のレースに出走して勝ち続けてきたハッピーミークはトウカイテイオー以上の天才とも言えた。

 

いや、かつての世代の中心であったトウカイテイオーやメジロマックイーンが故障に悩まされてきたのをまざまざと見せつけられた後だと、

 

厳しいローテーションで組まれる あらゆる条件のレースにいつでも出走して いつもの無表情のまま次のレースでも好成績を残し続けるハッピーミークはまさに『無事是名バ』であった。

 

その割にはライスシャワーの人気に及ばないのは、控えめな性格のハッピーミークには人を惹きつける才能がなかったということでもあるが、

 

トウカイテイオー以上の才能を誇りながらも驚くほど控えめで我慢強く頑健だったからこそ、新人の名門トレーナー:桐生院Tとの相性は抜群だったとも言える。

 

私としてもハッピーミークについては“クラシック三冠バ”であるシンボリルドルフやナリタブライアンと比較するとあまりにもおとなしい気性のウマ娘であったために、

 

本当に名門トレーナー:桐生院Tが一族の誇りを賭けて求めるほどの逸材なのか疑問に思っていたが、観察していくと才羽Tのミホノブルボンなんかよりもあらゆる面で才能豊かな人材であったことがわかった。

 

正直に言って、現役引退したら宇宙移民船のクルーとしてスカウトしたいぐらいに人格や知能が安定しているのだ。ただ、華がないだけで。

 

最近になってわかったのだが、先輩は新人の名門トレーナーということで非常に保守的な姿勢の持ち主であると同時に、名門トレーナーとして実績をとにかく出し続けなければならない重圧に苛まれていたようであった。

 

だから、安定を重視して様々な重賞レースに出走させ続け、担当ウマ娘のみならず自身を勇気づけようとしていたことがこれまでの戦績から浮かび上がってきていた。

 

しかし、その傾向がハッピーミークの人気がイマイチになっている原因ともなっており、元々 ハッピーミークが地味な存在なのに加えて、名門トレーナーの点数稼ぎに使われているという負のイメージを抱え込むことにもなった。

 

一応、『天皇賞(秋)』で堂々と1着になったことでイメージ改善もされつつあるのだが、それ以上に『その日上演された悲劇の主役:メジロマックイーンが万全だったら』という声が残り続けるぐらいには、スター性に欠けていた。

 

そして、厳しいことを言わせてもらえば、新人ということで経験不足だったとしてもハッピーミークの才能に先輩の才能がまったく追いついていないように見受けられた。相性は抜群ではあるが。

 

 

そう、ハッピーミークは受動的な性格のために自らの才能を活かしきれず、桐生院Tは保守的な性格のために担当ウマ娘の才能を伸ばしきれないのだ。

 

 

そこが桐生院Tの担当ウマ娘:ハッピーミークの限界であり、二人の相性は抜群ではあるが、イマイチ冴えない組み合わせとも言えた。

 

そういう意味では“ケミストリー”というものがいかに重要なのかを考えさせられることになった。

 

これが“皇帝”シンボリルドルフが追い求めてやまないヒトとウマ娘が織りなす不思議な絆の力というやつだろう。

 

実際、トウカイテイオーと岡田Tと比べたらハッピーミークと桐生院Tの方が圧倒的に才能や実績があるのに対して、世間の人気ぶりはそうでもないのだから。

 

 

一方、才羽Tの存在は規格外の一言であり、セオリーを踏まえた上で我が道を行く姿勢が短距離ウマ娘(スプリンター)でしかなかった凡才を“クラシック三冠バ”へと導いた。

 

入学当初のハッピーミークの素質と比べたらミホノブルボンがなんで“クラシック三冠バ”になれたのかが不思議なぐらいに差があったはずなのだ。

 

人格面で言ってもハッピーミークとミホノブルボンはどっこいどっこいなのだから、才能がある分だけハッピーミークの方がまだスターウマ娘に相応しいはずだった。

 

正直に言って、機械オンチというだけなら まだ可愛げがあるが、何もしていないのに機械を壊すようなやつに命を預けたくないので、私としては宇宙移民船のクルーとしてスカウトしたくない。

 

そう、ハッピーミークとは正反対に私としてはまったく評価できないウマ娘であった。別に人格否定というわけではないが、あまりにも機械適性がなさすぎるのは痛すぎる。

 

はっきり言って才能がないといえる そんなミホノブルボンが最終的には『ジャパンカップ』で全盛期のトウカイテイオー’相手にハナ差で勝ち切る程の最強のウマ娘にまでなってしまったのだ。

 

そして、今日の『東京大賞典』でまったく走ったことがないダートレースに初参戦で優勝を飾ったのだから、もはや既存の競バの常識はこの天才トレーナーの才覚と手腕によって打ち砕かれ、

 

トウカイテイオーやメジロマックイーン、ハッピーミークのような才能も血統もなかったミホノブルボンはまさしく『名家』も『名門』もない“皇帝”陛下が望んだ新たな時代の象徴となる存在へと至ったのだ。

 

ウイニングライブの当日券は『東京大賞典』でミホノブルボンが1着になって1時間経たずに完売になり、視聴率も過去最高記録に達していたようだ。

 

そして、明日の『有馬記念』のために中山競バ場近くのトレセン学園が押さえていたホテルの一室で今日の『東京大賞典』とウイニングライブのハイライトを観終えた。

 

その感想――――――、明日の主役となるトウカイテイオーには悪いが、今のミホノブルボンには絶対に勝てないだろう。

 

いやはや、『有馬記念』にミホノブルボンが出走していたら、トウカイテイオーの真の復活劇は絶対に失敗に終わっていただろうから、ダートレースも走るように準備させていた才羽Tには返しきれない恩ができたな。

 

 

そんなわけで、ハッピーミークや先輩には申し訳ないが、明日はトレセン学園の命運を賭けたトウカイテイオーのためのレースとなる。

 

 

いや、『有馬記念』にまた出走できるぐらいには人気なんだから、普通に生徒会メンバーに入れるとは思うが、その相方が『天皇賞(秋)』で引退したメジロマックイーンということで不安でもあるのか――――――。

 

とにかく、“皇帝”シンボリルドルフがそう望んだのだから、本来はトレセン学園の門外漢である“斎藤 展望”としては、公正中立の立場からより良い未来になることだけを願って明日を迎えるだけだ。

 

そんなわけで、トレセン学園に同期で配属になった名門トレーナーと天才トレーナーの考察を終えて、今頃 二人がどう過ごしているのかを気に掛けながら、ベッドに身を預けるのであった――――――。

 

 

――――――だが、この一夜は長く苦しい眠れぬ夜となってしまったのである。

 

 


 

 

――――――深夜:中山競バ場近くにあるホテルのロビー

 

才羽T「待っていたよ、斎藤T」 ※現在5周目!

 

斎藤T「――――――まさか都市伝説の“目覚まし時計”なんて持っていたわけですか、才羽Tは」ゼエゼエ

 

才羽T「ああ。けど、ミホノブルボンがこれまで勝ち続けてきたのは彼女の実力だから、そこは信用して欲しい」

 

斎藤T「じゃあ、『天皇賞(秋)』の時に二言三言で協力してくれたのは――――――」

 

才羽T「斎藤Tのように使用者じゃなくても記憶を持ち越せるわけじゃないけど、ベテラン使用者だから すぐに察するものがあったってことだね」

 

才羽T「あ、とりあえず、席にどうぞ。息を切らしてまで駆けつけて来てくださったのだから」

 

才羽T「僕はね、この“目覚まし時計”でどれくらいのことができるのかを何年も試してきたから、疑問に思ったことがあったら訊いてね」

 

 

斎藤T「じゃあ、どうして時間が繰り返され続ける状況になっているんです?」

 

 

才羽T「その答えは簡単だよ。こうしてネジを巻くと頭の中にその日の予定が書かれた日めくりカレンダーが現れて目標未達成によって時間が巻き戻るんだけど、」カチカチ

 

才羽T「時間が巻き戻されるのは三度までなんだ、普通は」

 

斎藤T「え? でも、『天皇賞(秋)』の時は20周もしたぞ?」

 

才羽T「実はね、長年の経験で段々とわかってきたことなんだけど、時間が巻き戻される時は一見すると状況が完全に元通りになっているようで微妙に変わるようになっているんだ――――――」

 

才羽T「いや、その表現には語弊があるか」

 

 

才羽T「――――――『次周に頑張った分の結果を持ち越せる』と言った方が正しいね」

 

 

才羽T「要するに、因果応報、善因善果、悪因悪果とも言う」

 

斎藤T「?」

 

才羽T「子供の頃の話なんだけど、“目覚まし時計”を使ってテスト勉強もせずに満点を取ろうとするとね、テスト問題が必ず変わるんだ、不思議なことに」

 

才羽T「しっかりと勉強して確実に解ける箇所だけは何周しても同じで、しっかりと暗記しようとしなかったところは絶対に変わるから、時間を巻き戻しても楽をさせてくれないんだ、これが」

 

斎藤T「つまり、時間が巻き戻るまでに自分が行動した結果の分だけ状況が好転したり悪転したりするように世界が再構築されている――――――?」

 

才羽T「だから、“目覚まし時計”によって時間が巻き戻される使用者が積み重ねて周囲に働きかけた分しか大筋の結果は変わらないんだ」

 

才羽T「テスト勉強しなかったらテストで赤点になるという当たり前の結果は、自身がテスト勉強をしてテストの点数を上げる努力をしない限りは絶対に変わらない――――――」

 

才羽T「結局、リトライが許されるのは3回までということで、僕は“目覚まし時計”で時を巻き戻しても楽をすることができないおかげで、しっかりと勉強をする習慣が身につくようになった」

 

斎藤T「じゃあ、例外というのは?」

 

 

才羽T「時間が巻き戻されるのを利用して天の道に背く行いをしていると、そのことを反省するまで永遠に時間が巻き戻されるんだよ、この“目覚まし時計”は」

 

 

斎藤T「なに!?」

 

才羽T「いや~、そのおかげで得るものもあったけれど、巻き込まれた側としては最悪でしかないよね」

 

才羽T「僕はね、“目覚まし時計”の力で調子に乗って親の財布を盗んで遊び呆けたり、おまわりさんの補導を受けないように夜遊びや火遊びをしたりしたらね、ずっとその日が繰り返されるという罰を受けたんだ」

 

才羽T「ずっと同じ日が繰り返されるのを利用して最初はむしろラッキーだと思って何周もいろんな悪さを積み重ねていくんだけど、」

 

才羽T「そうすると段々と運が悪くなっていくのを感じるようになって、一定のラインを越えると一気に世界が悪いものに様変わりして大変だった」

 

才羽T「だって、今までは僕が何かしない限りはずっと同じ行動を取り続けるはずなのに、突如として僕にとって都合の悪い行動ばかりをみんながするようになって、世界から袋叩きに遭っているような感じになっちゃってね」

 

才羽T「それでいろいろと追い詰められていった僕のことを最後に救ってくれたのが何周も財布を盗んでいた養親の無償の愛だったんだ」

 

才羽T「そこから心を入れ替えて何周もかけて僕がこれまで悪さをして困らせてきたみんなに心から謝っていくことで、ようやく僕は許されたんだ」

 

才羽T「あの体験がなかったら、今の僕にはなれなかったから、本当に感謝しているんだ」

 

斎藤T「じゃあ、『天皇賞(秋)』で担当ウマ娘と心中を決め込んでいた和田Tの時間が巻き戻されることになったのは――――――」

 

 

才羽T「うん。心中しようとしたから。“目覚まし時計”の力を利用しておきながら、辛い現実から逃げようとしたからだね」

 

 

斎藤T「やっぱり……」

 

才羽T「本当は『天皇賞(秋)』を走る必要なんてなかったのに、そこを二人の共同墓地にしようとした独り善がりで迷惑なところもそうなんだけどね」

 

才羽T「そういったところも天がご照覧になって それに相応しい罰を与えるわけだよ」

 

 

――――――天道、人を殺さず。

 

 

斎藤T「じゃあ、この状況は才羽Tが創り上げたものじゃない――――――?」 ※現在5周目!

 

才羽T「誰かが追い詰められた状態で“目覚まし時計”を使ってドツボにはまったのだろうね」

 

才羽T「そして、すでに5周目になっているわけで、与えられた3回のチャンスをふいにしている」

 

才羽T「これは現実逃避に“目覚まし時計”を使った報いで天の道に背いて時間の牢獄に囚われたのだと推測できる」

 

才羽T「だから、5周目になったら何か確実な変化が起こると踏んで、こうしてロビーで待っていたら、斎藤Tが息を切らしてやってきてくれた」

 

 

斎藤T「………………そうか、5周目になって“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が才羽Tの居場所を指し示すようになったのはそういうことだったのか」ボソッ

 

 

斎藤T「…………“目覚まし時計”の出処は? 再発を抑えるためにも供給元を絶たないと!」

 

才羽T「それについてはわからない。幼い頃に養親から贈ってもらったのが“目覚まし時計”で、こうしてネジを巻く時に頭の中で日めくりカレンダーが出てくることを少し不思議に思っていたぐらいで」

 

才羽T「ただ、僕が今回“目覚まし時計”を持っている理由は『有馬記念』でトウカイテイオーが“帝王”として認められることを願ってのものだったから」

 

斎藤T「――――――!」

 

才羽T「ああ、トウカイテイオーが勝つ必要はないよ。勝ったところで“皇帝”の後を継ぐ“帝王”だと認められるようなものじゃないと意味がないからね」

 

斎藤T「……それもそうか」

 

才羽T「けれど、『有馬記念』の前夜で時間が巻き戻されて5周目に入ったということは、『有馬記念』に関係する致命的な何かがこの夜に起こっていることに他ならない」

 

才羽T「ただ、それ以上のことは僕にはわからない」

 

才羽T「けれど、斎藤Tが来てくれた。ということは、斎藤Tになら この事態を解決する力があるんじゃないかと僕は期待しているんだ」

 

斎藤T「そういうことなら――――――、才羽Tが巻き込まれたということは、才羽Tに親しい誰かが“目覚まし時計”の使用者ということになりませんか?」

 

斎藤T「時間の牢獄から脱出するためには誰かが働きかけて反省を促さなくちゃならないのでしょう?」

 

才羽T「――――――!」

 

才羽T「……そうか、なるほど。その発想はなかったな」

 

才羽T「てっきり“目覚まし時計”の日程が被ったから僕も巻き込まれたんだと思ったけれど、」

 

才羽T「時間の牢獄からの脱出方法が誰かからの助け舟に乗ることだとすれば、こんな夜に動ける人間は限られているから、必然と“目覚まし時計”の扱いに長けている友人知人になるのか……」

 

才羽T「そうだ。でないと、同じ日に“目覚まし時計”を使ったとは言え、無関係の僕に時間の牢獄から見ず知らずの誰かを助け出すことなんてできないものな……」

 

斎藤T「つまり、才羽Tの友人知人の誰かが“目覚まし時計”を使わざるを得ない状況にまで追い込まれていたわけですね?」

 

斎藤T「そして、それは過去に“目覚まし時計”の力を借りて『有馬記念』に繋がる活躍をしておきながら、繰り返される時間の中で現実逃避の罪を犯し続けている――――――」

 

斎藤T「え、誰なんです?」

 

才羽T「……誰なんだろうね?」

 

 

状況説明としては、私が12月22日23時45分頃に部屋の明かりを消して眠りに就いて、再び目覚めたら12月23日03時45分であり、そこから二度寝をしたことで時刻が12月22日23時55分に巻き戻されていた――――――。

 

思わず『有馬記念』を寝過ごしてしまったのかと思いきや、冷静に考えるとチェックアウト時間を越えているのにホテルから追い出されていないのも変だし、

 

PDAやテレビを確認して日付が変わる前に時間が巻き戻されていたことを確かめると、『天皇賞(秋)』の時と同じ状況になっていたことに思い至った。

 

しかし、あの時とは状況はまったく異なり、『有馬記念』前夜ということで“目覚まし時計”の使用者を探し出すことは比較にならないほど困難を極めた。

 

そこで以前も活躍してくれた“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が指し示した方角に向かって深夜の船橋市を歩き回る羽目になってしまった。

 

結局、北へ向かって随分と練り歩いたところで時間が巻き戻されたことで“黄金の羅針盤(クリノメーター)”がただの方位磁針にしかなっていなかったことに絶望する羽目になった。

 

なにしろ、『天皇賞(秋)』の時は日中だったのでやろうと思えばいろいろなことができたのだが、

 

今回の場合は『有馬記念』前夜ということでほとんどの店が閉まっているし、多くの人たちが眠りに就いている状況なので、やれることがほとんどなかった。

 

しかし、こうして5周目を迎えるまではじっとしていてもやることがないし、どうせ不貞寝したところで時間が巻き戻されたら状況は全て元通りになるので、開き直って深夜の船橋市で楽しみを見つけることにしたのだ。

 

あるいは、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の不調を直すために東京都府中市のトレセン学園に帰り着くための算段を立てることもたまにはしていた。

 

暇だったので、深夜のふなばし三番瀬海浜公園まで来て、真冬の東京湾を眺めることもしていた。

 

 

そうして5周目を迎えて目覚めた時、確実に()()()()()()()という直感が働き、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が北ではない方角を指し示したことで、転機が訪れた。

 

 

5周目で何かが変わった理由は、幼い頃から“目覚まし時計”を使い続けていたベテラン使用者である才羽Tからの説明を受けて理解することができた。

 

最初の失敗の後に発動する“目覚まし時計”は3回までは目的達成のために力を貸すが、その中で不徳となる行いをしていると本来はありえない5周目が始まり、そこからは時間の牢獄に閉じ込められてしまうのだ。

 

そして、その時間の牢獄から罪人を助け出すために親しい誰かが救いの手を差し伸べるべく時間の牢獄に巻き込まれるといったところであり、

 

どうやら、今回は才羽Tから“目覚まし時計”の使い方を教えられた上で、才羽Tとも因縁の深い誰かを時間の牢獄から救い出すための長く苦しい旅となるようだ。

 

 

――――――さて、何周で事件解決となるのかを今から予測してみよう! いや~、楽しみだな~! ふざけやがって!

 

 



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第13話秘録 天才に儚い恋をした名門トレーナー

-シークレットファイル 20XX/12/22- GAUMA SAIOH

 

――――――名門トレーナーである桐生院先輩は本当に不器用な人だった。

 

能力や知識はたしかに新人トレーナーだった当初としては『名門』出身なだけあって抜きん出ていたようであり、担当ウマ娘:ハッピーミークの天才ぶりも見抜いた慧眼の持ち主であった。

 

しかし、最終的に今年の3年目:シニア級においては同期の無名の新人トレーナーであった才羽Tを直向きに追い続けていた飯守Tに追い抜かされてしまっており、

 

私が先輩に拾われた頃は名門トレーナーとしての矜持から実力の伴わない現実を前にしてかなり精神的に追い詰められた状態であったらしく、自分には才能がないのだと苦しんでいたようなのだ。

 

実際、今ならはっきりと言えるのだが、初めての担当ウマ娘である受動的な性格のハッピーミークとは相性は抜群なのは間違いないことだが、先輩にはその才能を伸ばし切るだけの能力はない。

 

これは私が宇宙移民船のクルーとしての厳しい評価なのだが、能力や知識はあっても多種多様で複雑怪奇で千変万化の諸行無常の現実世界を雄々しく生きるだけの適応力や応用力がないのは評価点が低い。

 

正直に言って、仕事ぶりが丁寧で熱意もあるのは過去の評判でも確認されていることだが、ボットで代用できそうな仕事ぶりなのがかえってよろしくない。

 

要するに、詰め込み教育の産物である杓子定規で頭が固くて鈍臭い人間であり、未知の領域に足を踏み入れる開拓者としての適性に乏しい人間だ。

 

だからといって、それで差別するのは間違いであるし、その丁寧な仕事ぶりと熱意があったからこそ、私は無名の新人トレーナー:斎藤 展望で在り続けることができていた。

 

 

しかし、21世紀の地球圏統一国家が誕生する以前の時代に生きる人々の心はまさにバラバラで自分勝手で無遠慮なものであった。

 

 

宇宙時代においては独立自尊を保証するものは自分たちの国家である宇宙移民船のコミュニティしかなく、完全な保障がないからこそ自己責任が徹底している社会なのだが、

 

同時に尊重(リスペクト)し合うことを絶対とする教養(リテラシー)を誰もが身に着けており、少なくとも言葉で相手を傷つけることはしない社会でもあった。

 

だから、私は宇宙移民船の中での惑星規模と比べたら遥かに小さいコミュニティに馴染んでいたせいか、この時代で幅を利かせている誰も顔を知らない世間様というやつが大嫌いになっていた。

 

というより、トウカイテイオーとメジロマックイーンの悲劇の一因にはそういった無責任で無遠慮で無愛想な世論の声が背景にあったことを嫌でも知る羽目になったのだから、ネガティブな印象を持つのも当然だろう。

 

 

そう、去年の『ジャパンカップ』で二度目の復活を果たして優勝したトウカイテイオーはそれで有終の美を飾って引退しようとしていたのに、

 

ありがたいことに『有馬記念』の出走権がファン投票で与えられてしまったのだから、ファンの気持ちに応えようとして出走したら、三度目の骨折で世間様の失笑を買うことになったのだ。

 

これにより、その出走の是非を巡ってトウカイテイオーと担当トレーナー:岡田Tの間で互いに『自分が悪かった』と言い争うことになったのだ。

 

それに巻き込まれて、無関係だった私がこうして初めての『有馬記念』で担当ウマ娘:ハッピーミークではなくトウカイテイオーが勝つことを願う状況になってしまったのだから、本当に世間様の気紛れには辟易させられる。

 

だから、トウカイテイオーはともかく、世間様のありがたいお言葉によって自殺未遂にまで追い詰められた岡田Tに関しては、もうトレーナー業を続けられるほどの気力は残っていなかったのだ。

 

こうして現場復帰させてはみたものの、すでに“皇帝”シンボリルドルフような最強のウマ娘の担当になるという夢が絶たれた上に軽度の人間不信にも掛かっているので、岡田Tは再び静養させる他ない。

 

正真正銘、今年の『有馬記念』がトウカイテイオーとの最後の二人三脚であり、トウカイテイオーとしても骨折を直す必要がなくなるので、二度と走れなくなってもいい覚悟で新勝負服を着込んでいた。

 

もっともメジロマックイーンの時とはちがって、“皇帝”シンボリルドルフからその後の居場所を与えられていることもあって、決して孤独ではなかったことが二人にとって救いであった。

 

 

それだけに、メジロマックイーンの悲劇に関してはトウカイテイオー以上に酷いものがあった。

 

 

別に王権から爵位が与えられているわけでもないのに、『名家』だの『名門』だので公然と威張り散らす身分差別が横行している時代錯誤な状況が創り上げた『ロミオとジュリエット』であったのだ。

 

だから、『天皇賞(秋)』でターフの上で死んでみせるという心中未遂事件にまで発展してしまい、担当トレーナーの和田Tはトレーナー組合にも味方がいないのでトレセン学園に居場所がないぐらいだ。

 

そして、“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”という評判の担当ウマ娘をダメにしたことから、世間様の声は容赦なく和田Tの最後の拠り所を叩き壊してしまったのだ。

 

そのため、担当ウマ娘:メジロマックイーンの引退と卒業を見届けてトレセン学園を去っていくことは決定事項であった。

 

幸い、メジロ家からは二人の仲が認められていたので、卒業後も二人の関係が続いていくことには一安心だが、本当に知れば知るほど夢の舞台の裏側の惨状にはため息しか出てこない。

 

 

だが、夢の舞台の表側から昨日までの声援を罵声に変えてくる世間様の方が舞台裏で折檻することができないのだから、なお質が悪い――――――。

 

 

このようにトウカイテイオーとメジロマックイーンの悲劇は夢の舞台の表側の事情と裏側の事情の比率はちがうものの、世間様の無責任で辛辣な言葉に傷つけられて担当トレーナーの方が再起不能に陥るのは共通していた。

 

一方で、担当ウマ娘は最後まで担当トレーナーを信じて運命を共にする覚悟であったため、メジロマックイーンもトウカイテイオーも最後となるレースを命を燃やして走り抜く――――――。

 

そういう意味では、夢の舞台で輝きを放つウマ娘を再起不能にする最も効率的な方法とは担当トレーナーを再起不能にすることで間違いない。

 

つまり、担当トレーナーの存在こそが夢の舞台を駆けていく競走ウマ娘にとって最大の精神的支柱であり、担当トレーナーがあきらめない限りは競走ウマ娘は命ある限り走り抜く意志を持ち続けることができるというわけである。

 

 

――――――だから、現在もハッピーミークが走ることができるのはサブトレーナーである私の功績というわけなのだ。

 

 


 

 

――――――船橋市三番瀬

 

桐生院T「………………」

 

桐生院T「私なんて、もう……」

 

桐生院T「ミーク、ごめんなさい――――――」

 

 

斎藤T「先輩、初日の出のご来光を見るにはまだ10日は早いんじゃありませんか?」

 

 

桐生院T「え、斎藤さん!? ど、どうしてここが――――――」

 

斎藤T「ええ、探すのに苦労しましたよ。先輩が利用しているホテルで問題があったのを知って駆けつけたのに、こんな月の見えない寒空の下で散歩ですか」

 

桐生院T「す、すみません、斎藤さん! 斎藤さんに迷惑を掛けるだなんて、本当に私ったらダメで――――――」

 

斎藤T「そうですよ。今日の『有馬記念』がどういう結果になったとしても、それを粛々と受け容れて次に繋げてくださいよ」

 

 

斎藤T「しかし、参りましたね。8月末の事件と同じことがこんな場所で起きるだなんて」

 

 

桐生院T「え」

 

斎藤T「本当に困りますよね。あの時はライスシャワーの飯守Tでしたが、今度は先輩に化けて“成り代わり”をしようとするやつが出るだなんて」

 

桐生院T「――――――!」

 

桐生院T「だ、大丈夫だったんですか!?」ガタッ

 

斎藤T「ええ。すぐに取り押さえて警察に引き渡しましたよ」

 

桐生院T「ほ、本当ですか!?」

 

斎藤T「まあ、先輩に本当にそっくりでしたから、取り押さえて警察に突き出した時には心が痛みましたけど」

 

桐生院T「……よかったぁ」ヘナヘナ

 

斎藤T「大丈夫ですか? もしかして以前からストーカーに“成り代わり”のタイミングを狙われていたんですか?」

 

桐生院T「は、はい……。何度も何度も私と同じ顔をしたストーカーに襲われる夢を見てきたんです……」

 

桐生院T「最初はホテルの部屋に入ってきて私の首を絞めてきて――――――、」

 

桐生院T「悪い夢だと思ったら、またホテルの部屋にストーカーが入ってきて抵抗したんですけど、すぐに――――――」

 

桐生院T「だから、それからはホテルから逃げ出して船橋市のあちこちを逃げ回っていたんですけど、どこをどう行っても私と同じ顔をしたストーカーに迫られて、私は――――――」

 

斎藤T「それは本当に怖い夢でしたね……」

 

 

斎藤T「ですが、これで夢は終わりですよね? 『有馬記念』を迎えることができますよね?」

 

 

桐生院T「――――――『これで夢は終わり』?」

 

桐生院T「………………」

 

斎藤T「どうしたんですか? 少し怖いでしょうが、こうなったらホテルに一旦戻ってチェックアウトして、中山競バ場が開く時まで24時間営業の店で待ってましょうよ?」

 

桐生院T「…………嫌です」

 

斎藤T「……先輩?」

 

 

桐生院T「わ、私よりもミークに相応しいのは斎藤さんなんです! だから、ミークの側には斎藤さんが居てあげてください……!」

 

 

斎藤T「…………どうしたんですか? ハッピーミークの担当トレーナーは先輩なんですよ?」

 

桐生院T「だって、私は『有馬記念』を翌日に控えていたのに、『東京大賞典』の観戦に行っていたトレーナーなんですよ!?」

 

斎藤T「別に、最終調整をやらないと普段の実力が発揮できないわけでもないんですし、1日ぐらいプライベートな時間を設けてもいいと思いますけどね。それが労働者の権利です」

 

斎藤T「そのためのサブトレーナーなんですから」

 

桐生院T「私はずっとミークに嘘をついていたんです……」

 

桐生院T「ミークのことを一番に考えているはずだったのに、私はいつの間にかミークのことをあなたに預けることに何の疑問を抱かなくなっていたんです……」

 

斎藤T「……そうですか? 先輩も来年には4年目なんですから、他の子の担当も検討する時期に入っているんですし、敏いハッピーミークですから そのことに不満を抱くとは思えませんが?」

 

斎藤T「先輩にはハッピーミークのような子を見出す慧眼があるんですし、ハッピーミークとの3年間で得られたものを次に活かしましょうよ」

 

桐生院T「で、でも! 私はミークの才能を伸ばすことができなかったんですよ!?」

 

斎藤T「え? 『天皇賞(秋)』には勝ったじゃないですか? 他にも、様々な重賞レースに参加して年間最多勝利記録に迫る勢いで勝ってきてますし」

 

斎藤T「それにトウカイテイオーやメジロマックイーンに起きた悲劇を考えれば、ハッピーミークは何の怪我もなく重賞レースを走り続けてきたとんでもない名バですよ」

 

桐生院T「で、でも……!」

 

桐生院T「わ、私は――――――」

 

斎藤T「まあまあ、落ち着きましょうよ。年の瀬の『URAファイナルズ』だってあるんですし」

 

斎藤T「とりあえず、荷物を引き払って落ち着ける場所でコーヒーでも飲みましょう」

 

斎藤T「寒かったでしょう? 真冬の東京湾を前に立ち竦んでいて」

 

桐生院T「……はい。すみませんでした、斎藤さん」

 

斎藤T「…………よし」 ※現在8周目!

 

 

――――――WUMAめ、先輩を何度も殺害するとは絶対に許さん! 必ず根絶やしにしてやる!

 

 

現在8周目、ようやく繰り返される時間の謎に迫ることができた。

 

まず、今回の“目覚まし時計”の使用者はなんと先輩:桐生院Tであった。

 

そして、日付が変わる時刻から4時間程度の時間を何度も繰り返すことになった核心については これから自白剤を飲んでもらって思う存分に喋ってもらう予定である。

 

しかし、WUMAがホテルの宿泊客に擬態することですんなりと擬態対象の暗殺を成功させることができる点には恐怖しかなかった。

 

フロントとしてはまさか本物にそっくりな偽物がこの世に存在するだなんて思いも寄らないのだから、『うっかり部屋に鍵を挿しっぱなしにしてしまった』という利用客の言葉を信じないわけがない。

 

なので、ホテルの従業員がWUMAの完全犯罪の片棒を担ぐことになるのだ。これはもうWUMAの脅威を知っていたらホテルで寝泊まりなんて恐ろしくてできなくなる。

 

 

だが、見落としてはいけないのは『桐生院TがWUMAに殺されるから』時間が巻き戻されているのではない――――――。

 

 

あくまでも“目覚まし時計”の使用者が天の道に背く振舞いをしていたから、その罰として時間の牢獄に閉じ込められてしまっているのだ。

 

WUMAに狙われることになったのは時間の牢獄の中で救いの手を掴むために因果律が操作された結果と考えればいいのかもしれない。

 

今回は『自分の顔をしたストーカーに殺され続ける』という悪い夢を見続けていると勘違いしていることでそこまで先輩は絶望しているわけではないが、

 

私がようやく何周目かに見物しに来た三番瀬で立ち尽くしていた先輩が時間の牢獄に囚われる原因となるものを口々に喋っていたので、次の周に持ち越すことを前提に真実を探ることに腐心した。

 

おそらく、時間が来たら容赦なく時間が巻き戻されるので、その直前に先輩の行動を操作しつつ、先輩に擬態したWUMAを排除しやすいように仕向けておけば、次からはかなり有利に状況を展開することができるだろう。

 

 

 

 

――――――だからって、こんな()()()()()()()()()()()にする必要はどこにもないだろうに!

 

 

 

 

桐生院T’「逃げても無駄ですよ。あなたの役目は終わったんです」

 

桐生院T「まただ! また先回りされて――――――!」

 

桐生院T「いったいいつになったこの悪夢は終わるの――――――?」

 

桐生院T「あ!」

 

桐生院T’「もうどこにも逃げ場はないですよ」

 

桐生院T「誰か! 誰か助けてええええええ!」

 

 

斎藤T「待てぇ!」ダッダッダッダ! ※現在10周目!

 

 

桐生院T「斎藤さん!? 斎藤さん!」

 

桐生院T’「助けて、斎藤さん! 私に化けたストーカーに襲われてます!」

 

桐生院T「えっ!?」

 

斎藤T「な、なんだってー」

 

桐生院T「ち、ちがいます! 私の方が襲われていたんですよ!」

 

桐生院T’「聞いてください! 私が本物の桐生院 葵です! 斎藤さんにならわかるはずです!」

 

斎藤T「ど、どっちが本物なんだー」

 

 

――――――手の込んだ料理ほど不味い。どんなに真実を隠そうとしても隠し切れるものじゃない。

 

 

桐生院T「え!?」

 

桐生院T’「この声は――――――」

 

斎藤T「………………ハハッ」

 

 

才羽T「やあ、明日の『有馬記念』が楽しみだからって、夜遊びをしているとはな、斎藤T? それに桐生院Tもか?」

 

 

桐生院T「さ、才羽T!」

 

桐生院T’「ち、ちがうんです! 私にそっくりな悪質なストーカーに襲われそうになっていたんです!」

 

才羽T「それで、斎藤Tに助けを求めたってところか」

 

才羽T「それじゃ、斎藤T、本物がどっちかわかるかい?」

 

斎藤T「いや、ここじゃ暗いし、外見からだとまったく判別ができない……」

 

斎藤T「とりあえず、こっちに来てください、2人共」

 

桐生院T「だ、ダメです! 危険です! このストーカーは私のことを何度も夢の中で襲ってきたような危険人物ですよ!?」

 

桐生院T’「それはこちらのセリフです!」

 

才羽T「……じゃあ、手筈通りに」

 

斎藤T「……はい」

 

 

才羽T「葵」

 

 

桐生院T’「はいっ!」

 

桐生院T「は、はいっ!」

 

斎藤T「お」

 

才羽T「うん」

 

才羽T「それじゃあ、きみは僕と来てもらおうか」

 

桐生院T「あ、はい、才羽T……」

 

桐生院T’「ち、ちがいますよ、才羽T! そっちは私じゃないんです! 本物は私なんです!」

 

斎藤T「……私じゃ不満ですか?」

 

桐生院T’「あ、いや、そういうことじゃ――――――」

 

 

 

ブーンブーン・・・ブーンブーン・・・

 

 

 

怪人:ウマ女「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!??!」

 

斎藤T「……これは非常に参考になったよ、才羽T」 ――――――WUMA討伐完了!

 

斎藤T「それじゃあ、シニアクラスの証である角は採取させてもらうぞ」ベギッ! ――――――根本から角を剥ぎ取る!

 

斎藤T「これが完全な擬態ができなくなったシニアクラスの欠点だな、ケイローン。ジュニアクラスの方が手強い」パシッ

 

 

――――――ああ。なまじ“フウイヌム”としての自我があるばかりに人間よりも優れた身体能力が仇となった。

 

 

斎藤T「大丈夫か、ケイローン? もうそろそろでコーカサスオオカブトの身体の寿命が尽きるはずだ……」

 

斎藤T「大まかなことは全て聴けたけれど、まだまだ聴きたいことがいっぱいあるんだ……」

 

斎藤T「頼む!」

 

 

今回の桐生院Tに擬態したWUMAはシニアクラスであり、シニアクラスだったからこそ簡単に擬態を見破って排除することができた。

 

WUMAとしての自我を併せ持つシニアクラス以上であることが条件であるが、これが本物と偽物が見分ける方法としては非常に最適であった。

 

そのやり方は非常に簡単なもので、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――――。

 

今回の場合は才羽Tが同期である桐生院先輩のことを“葵”と呼び捨てにしたのがそれだ。

 

反射的に本物も偽物もほぼ同時に返事をすることになるのだが、すると実際には反応がワンテンポの差が開いたのだ。

 

これは身体能力が人間を超越したWUMAならば擬態対象である本物よりも確実に早く返事をしてしまうことを見越した罠だったのである。

 

考えてみればわかる。唐突に親しい人から普段言わないような呼ばれ方をしたら、普通なら返事という行動に移る前に一瞬だけ違和感を覚えるはずだろう。

 

その一瞬の違和感が反応をワンテンポ遅らせることに繋がるわけであり、シニアクラス以上のWUMAの場合だとWUMAとしての自我があるせいで呼び方がちがうことへの違和感を覚えずに普通に返事をしてしまうわけなのだ。

 

だが、呼ばれ慣れていないはずなのに普通に返事をする自然さこそが不自然ということであり、WUMAとしての認識が強いほど見下しているヤフーの名前に愛着なんかを抱かないわけで普通に反応してしまうのだ。

 

おそらく WUMA自身が認識できていない普段からの徹底した差別意識によって染み付いた悪癖であり、擬態対象を擬態直後に抹殺する習性に身を委ねていることから、認識しようがない弱点とも言えた。

 

まさに、才羽Tが大好きなヒーロー語録のとおりである。

 

 

――――――手の込んだ料理ほど不味い。どんなに真実を隠そうとしても隠し切れるものじゃない。

 

 

なお、才羽T本人も“サイボーグ”などと仇名されているミホノブルボンと同じぐらい精密機械と思わせる特技があり、

 

それは()()()()()()()()()()()()()1()0()()()1()0()()()()()()()()0.1秒単位の変化を見逃さない人間時計であった。

 

なんでも、料理の世界においては秒単位の計測では大雑把であるらしく、最高に美味い味付けを100%提供するために感覚を極限まで研ぎ澄ましていったら自然と人間時計になっていたとのこと。

 

0.1秒単位で世界を見ることができるのだから、才羽Tからすれば世界は停まって見えているようでもあった。

 

なので、競走ウマ娘のトレーナーの能力として活かすと、単純に競走ウマ娘の速い遅いの良し悪しが0.1秒単位ではっきりとわかってしまうのだから、理屈抜きで見ただけで的確な指導が行えるのだ。まさに天才。

 

 

もっとも、今回の場合は桐生院Tが“目覚まし時計”を使って時間を巻き戻していたから、先輩は幸運にもWUMAの魔の手から逃れることができただけで、

 

先輩が“目覚まし時計”を使っていなかったら、最初の1周目で自分に化けてホテルの部屋を開けさせたWUMAの奇襲に為す術もなく“成り代わり”が果たされていたわけなのだ。

 

だからこそ、今まで問題視されていなかったシニアクラス以上のWUMAの擬態の弱点が浮き彫りになったというわけであり、同時に末端のジュニアクラスの擬態の完璧さが際立ち、

 

今回はたまたま“目覚まし時計”のおかげで先輩に擬態したWUMAを見抜いた上で茶番に付き合うことになったが、依然としてジュニアクラスの完璧な擬態を見破る手掛かりはない。

 

一応、擬態直後のWUMAは擬態対象に対して殺人衝動を抱き、その本能によって殺害を実行する際にWUMAの驚異的な身体能力を発揮する仕組みとなっており、人間と同じ姿で石をも握り潰すような握力で人間の首を折ることなど容易であった。

 

ただし、ジュニアクラスの場合は擬態対象の抹殺に失敗してしまうと、擬態対象の思考に支配されてしまい、場合によっては擬態対象と共存する事例もある――――――。

 

ジュニアクラスの完璧な擬態を見破るヒントはこういった殺人本能や生存本能を揺さぶることにありそうだ。

 

 

さて、今回はWUMAの禁忌を犯した裏切り者である賢者ケイローンの姿を見せることで、その存在を知っているWUMAに揺さぶりを掛けて正体を暴いたところをいつものように返り討ちにした。

 

四次元能力を展開して速攻を極めようとしたところで逆に時間跳躍によるカウンターで即死したために、シニアクラスの特徴である超能力制御器官である角を活かした戦いが日の目を見ることはなかった。

 

これだから『下位のジュニアクラスの方が質と量の両面で手強い』という評価になるわけで、すぐに空間跳躍を使おうとするWUMAは“特異点”の前に平伏すのが定めである。

 

先日、シンボリ家の別荘地での大捕物で偽物の岡田T’だったシニアクラスの遺体は肉体組織が崩壊する前にSATが何とか原型を留めるようにして手を尽くして回収したらしいが、

 

今回の偽物の桐生院T’だったシニアクラスは十分な装備が用意できなかった遭遇戦だったことも鑑みて、せめてシニアクラス討伐の証である角だけは採取しようと考えていた。

 

これを研究分析することができれば、ヒトの身でも超能力を人為的に発揮することができるかもしれない――――――。今回の討伐戦の戦利品だ。

 

あとは、天才に儚い恋をした名門トレーナーの少女時代を才羽Tに終わらせてもらおう。

 

 

――――――それができない限り、私も才羽Tも桐生院先輩が発動させた“目覚まし時計”から永遠に解放されることがないのだから、これで終わりにしてくれ!

 

 



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第14話   三度 落陽を迎えても 帝王は有馬記念に歴史を刻む

-西暦20XX年12月23日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

 

――――――『URAファイナルズ』初開催を目前にした今年の『有馬記念』はまさに帝王のための舞台であった。

 

 

去年の『有馬記念』で惨敗を喫した本物のトウカイテイオーにとっては実に1年振りの出走であり、再び訪れた『有馬記念』であった。

 

今年の『ジャパンカップ』でトウカイテイオーがかつてなろうとしてなれなかった“無敗の三冠ウマ娘”ミホノブルボンとハナ差で偽物のトウカイテイオー’が2着だったことは当然ながら関係ない話である。

 

しかし、全盛期の自分に擬態した偽物のトウカイテイオー’を 場馴れの優位性や入念な対策があったとはいえ 己の存在価値を賭けた模擬レースで追い抜いたトウカイテイオーの偉容に私は感動していた。

 

正直に言って、私はただ走るだけの競技に感動を覚えることはないと思っていたが、思いの外 感動してしまったぐらいに他人の担当ウマ娘:トウカイテイオーに入れ込んでいたのだ。

 

あの場で本物が偽物に負けた方が面倒な展開になるから応援していた面もあったのだが、あの模擬レースで私は思わず『負けるな!』と画面越しに手に汗を握って声を上げたぐらいなのだから。

 

そう、ただ走るだけの競技の結果には 職業柄 関心はあっても本質的な興味はなかった。そこには宇宙時代の人間にとって重要なイノベーティブなものが感じられないから。

 

しかし、私は知っていた。トウカイテイオーが世間から見放されようとも、担当トレーナーが倒れようとも、自身の夢であった“無敗の三冠ウマ娘”になれなくても、三度目の復活を期して一人になっても走り込んでいたのを。

 

そのことをWUMA絡みで私は知ることになり、『ジャパンカップ』で偽物に自分の居場所と存在と名前を奪われて今度こそ絶望しても、その偽物に完全に能力で劣っていようとも、最後には執念で勝ったのだ。

 

私はその透徹した意志に敬意を払う。普通ならば全盛期の過去の自分に勝てるとは思わないところを良い意味で裏切ってくれたのだから。

 

そして、トウカイテイオーを誰よりも信じ抜いた“皇帝”の神威に改めて礼賛を――――――!

 

そうして自身が尊敬する偉大なる“皇帝”シンボリルドルフの願いをを受け継ぐ者となって、“皇帝”とはちがうトレセン学園の新たなる象徴となるべく、中山競バ場に再び立ったのだ。

 

中山競バ場に至るまでの壮絶な葛藤と苦難を乗り越えてきた足跡があったことを理解できたからこそ、ただ走るだけの競技に私は大いに感動することが出来たのだ。

 

否、ただ走るだけの競技の結果に感動したのではない。そこに生きる人々の偉大なる意志とその足跡にこそ人間は感動するのだ。

 

 

――――――下見所(パドック)に姿を見せた時に観衆が一斉に驚きの声を上げた。

 

 

そこには『ジャパンカップ』で完全復活した全盛期の“天才”の才気煥発と若さ溢れる真っ白い勝負服の姿はなかったのだから。

 

初めてお披露目となる真っ赤な勝負服を着込んだトウカイテイオーには今まで感じたことがない“帝王”の覇気と風格が備わっており、完全に別人となっていたのだ。

 

何も知らない観衆は『ジャパンカップ』から『有馬記念』の間にトウカイテイオーの身に何があったのかを大いに疑った。

 

皮肉なことに、結果として『ジャパンカップ』で替え玉となったWUMAが擬態した偽物の方が本物らしいという声が上がることになり、

 

この『有馬記念』で1年振りに出走することになった不屈不撓を貫いた本物の方が偽物のように思われる始末であった。

 

 

――――――これだから私はこの時代が嫌いだ。本当の愛というものを学ばずに互いを傷つけ合うだけの誰のでもない大地の揺り籠で眠り続けるだけの過去の地球人類の存在が気に入らない。

 

 

さて、今年の『有馬記念』は『URAファイナルズ』という新たな大舞台が控えていようとも決してファンの期待を裏切らない実力と人気を兼ね備えたスターウマ娘が勢揃いである。

 

まずは、昨年の『宝塚記念』『有馬記念』――――――“春秋グランプリ”制覇のメジロパーマー、『有馬記念』二連覇を目指す。

 

お次は、今年の『宝塚記念』でメジロマックイーンに『天皇賞(春)』のリベンジを果たして“春秋グランプリ”制覇を狙うライスシャワー、ここでメジロマックイーンに続きメジロパーマーをも討ち果たして新たな“春秋グランプリウマ娘”となるか。

 

最大の注目は“三冠ウマ娘”ナリタブライアン、トレセン学園卒業となる“皇帝”シンボリルドルフの後継者として再度『有馬記念』の栄冠を手にすることができるか。

 

そして、同じく今年でトレセン学園を卒業して『ドリーム・シリーズ』に移籍することになるBNW筆頭のビワハヤヒデとの姉妹対決にも観客の興奮が大いに高まる。

 

未だG1勝利ならずともファン人気投票上位は決して外さないブロンズコレクター:ナイスネイチャ、強豪揃いの『有馬記念』のバ場に堂々と参戦。

 

それから、『天皇賞(秋)』で堂々とG1勝利を飾った年間最多勝利数に迫る活躍を見せつけた『名門』桐生院家が見出したハッピーミーク、好走を期待したいところ。

 

ざっとこんなところ。あとは以下省略。普通に考えるならビワハヤヒデとナリタブライアンが勝ちそうだが、トウカイテイオーが勝つシナリオとなっているので、他に注目すべきウマ娘はいない――――――。

 

 

――――――いや、あれは誰だ? 外国バにも優先出走枠があったが、ルナシンボル:Lunar SymbolとかいうアメリカのG1レース『パシフィッククラシック』勝利ウマ娘は?

 

 


 

 

ナリタブライアン「………………」

 

ビワハヤヒデ「………………」

 

ナイスネイチャ「………………」

 

 

トウカイテイオー「――――――」ゴゴゴゴゴ!

 

ルナシンボル「――――――」ゴゴゴゴゴ!

 

 

ナイスネイチャ「先月の『ジャパンカップ』で奇跡の復活を果たしたテイオーがまるで会長みたいな雰囲気になっただけでも驚きだって言うのに――――――」

 

ナリタブライアン「ああ。ダートが主流のアメリカのG1勝利ウマ娘とも戦うことになったか」

 

ナリタブライアン「おもしろい。昨日の『東京大賞典』でミホノブルボンがダートレースに飛び入り初参加で優勝したように、お前も飛び入り初参加で日本のターフで王座を奪い取るつもりか」

 

ナリタブライアン「そうやって簡単にやれると思うなよ! なあ、姉貴!」

 

ビワハヤヒデ「ああ、レースというのはおもしろいな、ブライアン!」

 

ビワハヤヒデ「私の理論が世界に――――――、そして、ブライアンの背中に届くのかを試す絶好の機会だ」

 

ナイスネイチャ「いやいやいや!」

 

ナイスネイチャ「ルナシンボルさんってどう見ても会長ですよね……?」

 

ナリタブライアン「何を言っているんだ? 会長なら放送席で実況と解説と同じ場所から見ているじゃないか?」

 

ナイスネイチャ「それはそうなんだけど……」

 

ビワハヤヒデ「シンボリ家は海外交流も盛んなのだし、向こうに会長にそっくりな血族がいたとしても不思議ではない話だ」

 

ナイスネイチャ「………………『サンルイレイステークス』の海外遠征が会長の最後のレースって聞いていたけど」

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

ミホノブルボン「マスター、いよいよ始まりますね」

 

才羽T「ああ」

 

飯守T「がんばれ、ライス! 新しい“春秋グランプリウマ娘”はお前だ!」

 

桐生院T「ミーク! ミーク!」

 

メジロマックイーン「テイオーさん……!」

 

和田T「去年の“春秋グランプリウマ娘”メジロパーマーでさえも掲示板に残れるかわからない大激戦が予想されるな……」

 

岡田T「テイオー……」グッ

 

藤原さん「さて、前段階はクリアしても本番で本当にこれだけの強豪揃いでトウカイテイオーが勝てるかどうか――――――」

 

陽那「勝ちますよ、きっと!」

 

ゴールドシップ「そうだぜ。約束通り100億円の応援バ券は達成されたからな。感謝するぜ、斎藤T」

 

斎藤T「……なあ、アグネスタキオン(アグネスターディオン)?」

 

アグネスタキオン「何だい、トレーナーくん?」

 

斎藤T「本当にお前と組むかどうかをこのレースの感想で決めていいか?」

 

アグネスタキオン「いいよ。私も私が目指したい“果て”が何なのかをあれからずっと考えていたからね」

 

斎藤T「なら、目指す“果て”は――――――」

 

アグネスタキオン「当然――――――」

 

 

トウカイテイオー「――――――」ゴゴゴゴゴ!

 

ルナシンボル「――――――」ゴゴゴゴゴ!

 

 

 

 

 

シンボリルドルフ『さあ、神にも悪魔にもなった“魔神”に可能性の光を――――――、『プリティーダービー』を完成させようじゃないか!』

 

 

 

 

 

――――――こうして『東京大賞典』の翌日に開かれた芝・2500mの『有馬記念』は年の瀬の『URAファイナルズ』への期待も相まって過去最高の盛り上がりを見せるのであった。

 

 

 

 

 

そして、中山競バ場のスターティングゲートが開かれた!

 

各ウマ娘、綺麗なスタートを切った。出遅れはなし。

 

先頭に躍り出たのは前回の覇者:メジロパーマー――――――、いや、ツインターボだ。G1未勝利のツインターボがメジロパーマーに先頭争いを仕掛けた。

 

ツインターボの【大逃げ】に引き摺られて速いペースでバ群が第1コーナー、第2コーナーを駆け抜けていく。

 

しかし、第3コーナーでターボエンジンが逆噴射! ツインターボの先頭はここで終わり! メジロパーマーが先頭となった!

 

おっと、ここからナリタブライアンとビワハヤヒデがメジロパーマーとツインターボを一気に追い抜いた。ヒシアマゾンも来ている。

 

ハッピーミーク、ナイスネイチャも追い縋る。トウカイテイオーとルナシンボルは好位置を維持したまま。ライスシャワーがそれに続く。

 

さあ、最終コーナーで一気にバ群がラストスパートに入った!

 

しかし、ナリタブライアン、まだ先頭! いや、ビワハヤヒデが先頭! ブライアン先頭! ハヤヒデ先頭! バ群から3バ身4バ身と差をつけていく! 

 

これはナリタブライアンか! ビワハヤヒデか! 今日のレースの女神はどちらに微笑むのか!

 

おおっと、ここでヒシアマゾン、ライスシャワー、ハッピーミーク、ナイスネイチャらを追い抜いて上がってきたのはトウカイテイオーと――――――、えっ、トウカイテイオー!?

 

と、トウカイテイオーが来た!? トウカイテイオーとルナシンボルです! 真っ白な勝負服から真っ赤な勝負服に衣替えしたトウカイテイオーとアメリカからの刺客:ルナシンボルが来ました!

 

影さえ踏ませないナリタブライアンとその背中を越えようとするビワハヤヒデの激しい格闘戦の脇を二筋の流星が並んで最終直線を駆け抜ける!

 

驚異的! ナリタブライアンとビワハヤヒデに二筋の流星が迫る! いや、追い越すか! 追い越すのか! 目にも留まらぬ流星の瞬きが燃え尽きんばかりの勢いでゴール板を目掛けて降ってくる!

 

残り100mを切った、並んだ、そのまま横並びで突っ込んでくる! いったいこの戦いを制するのは誰なんだ!

 

そして、ゴール! わずかに二筋の流星が最強姉妹の先を行ったように見えますが、これはわかりません! 何という大接戦! 5着はライスシャワー! 

 

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

 

斎藤T「……終わったな」

 

アグネスタキオン「ああ、そうだね」

 

岡田T「はい! テイオーはやりました! テイオーは走り抜いたんです、最後まで!」

 

 

テイオー! テイオー! テイオー! テイオー! テイオー! テイオー! テイオー!

 

 

メジロマックイーン「テイオーさん!」

 

ゴールドシップ「よくやったぜ、テイオー! お前の走りに全宇宙が泣いた!」

 

藤原さん「まったく、さすがは“皇帝”陛下が認めたウマ娘だよ。盛大な花火を打ち上げやがった」

 

陽那「本当に凄かったです……」

 

和田T「まったく、こんなのオグリキャップのラストランみたいじゃないか」

 

和田T「まいったよ、本当に。これじゃあ、うちのマックイーンのラストランが見劣りするじゃないか……」

 

 

――――――天才はいる。悔しいが。

 

 

トウカイテイオー、完全復活! テイオーコールが中山競バ場に響き渡ります!

 

ミホノブルボンはいなかったが、ナリタブライアンやビワハヤヒデといった数々の強豪たちを抜き去ったその実力は日本中の誰もが知るところとなりました!

 

しかも、私たちは聖夜を前にして2日連続で素晴らしいチャンピオンが誕生する奇跡の瞬間に立ち会うことができました!

 

ミホノブルボンとトウカイテイオー! こんなことがあるんでしょうか! 『東京大賞典』と『有馬記念』で誰もが予想がつかなかった奇跡が続いたのです!

 

ありがとう、ミホノブルボン! ありがとう、トウカイテイオー! ありがとう、ウマ娘!

 

この奇跡の序曲によって年の瀬にいよいよ開催されることになる史上最大規模のオールスターレース『URAファイナルズ』への期待と熱気が高まっていくのを会場全体で感じていきます!

 

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

 

ルナシンボル「……終わった」

 

ルナシンボル「……成し遂げたよ、私は」

 

ルナシンボル「……ねえ、この空の向こうで きみは見ていてくれたかな?」

 

ルナシンボル「……まだ泣いちゃダメだから」

 

ルナシンボル「……あ」

 

 

――――――流れ星。

 

 

 

さて、知っているだろうか、外国バがこうした国際G1レースで入賞した場合のウイニングライブがどうなるのかを。

 

当然、競走ウマ娘の起源が宮廷舞踏家だったことを踏まえればウイニングライブは競走ウマ娘にとっては必須の技能ではあるが、さすがに他所の国のウイニングライブまで完璧にこなすことはできない。

 

そのため、国際G1レースにおいてはそういった状況もしっかりと想定した規約が設けられており、

 

基本的に外国バは他所の国のウイニングライブは踊らないがステージの上にちゃんと姿を見せるように演出されるのだ。

 

つまり、外国バが海外遠征で獲得したウイニングライブの権利を他のウマ娘に譲るという形でステージに設けられた特等席で歓待されることになっていた。

 

それも金銀銅といった見た目で順位がわかる王座なのだから、もしも外国バに上位独占されて金銀銅の王座が並べられたウイニングライブが開かれたら、どんな思いをすることだろうか――――――。

 

それぐらい国際G1レースで外国バのための王座;特に1着バの黄金の王座がウイニングライブのステージに設置されるのは開催国にとっては屈辱的なことでもあり、

 

かつて欧州最強と名高い凱旋門賞バ:モンジューを『ジャパンカップ』で打ち破ったスペシャルウィークが“日本総大将”の誉れを受けたのはそういったところがある。

 

そう、視覚的にもはっきりとした構造物がステージに追加されるため、黄金の王座が設置されるのを阻止したウマ娘の評価は非常に高くなるのだ。

 

そのため、国内G1クラシック路線での栄誉は“クラウン/ティアラ(王冠を戴く王様)”と呼ぶが、国外G1路線での栄誉は“スローン(王座に位置する王者)”と称えられたのだ。

 

一方で、スペシャルウィークの同期であるエルコンドルパサーは海外遠征で4戦2勝しており、2敗の内容もモンジューに敗れた『凱旋門賞』では2着、『イスパーン賞』でも2着なので、

 

エルコンドルパサーはなんと海外遠征の全てのレースで王座を獲得したことにより、“王座の怪鳥”として称えられることになった。

 

つまり、4回も他所の国のウイニングライブで代理を指名してステージに設置された王座から高みの見物をしてきた大物ということなのだ。

 

 

――――――王者の証を“王冠”とするか“王座”とするかのちがいで国内路線と国外路線で上手く両立させているのには素直に感心する他ない。

 

 

そして、私は初めて外国バがステージの奥に設置された王座から見下ろすウイニングライブというものを見ることになった。

 

銀の王座からウイニングライブを後方から見渡しているルナシンボルの表情は非常に満ち足りたものとなっていたのがわかった。

 

しかし、『DNA鑑定ではシンボリルドルフではない』と判定されているし、戸籍もしっかりとアメリカの『名家』の出身となって、ベテラントレーナーも付き添っているが、まさかそういった一面を隠し持っていたとは驚きである。

 

全ては芝・2500mの()()()()()()()この日のために積み重ねてきたものであり、

 

“皇帝”シンボリルドルフがトレセン学園の暗黒期を救った“ウサギ耳”の無名の新人トレーナーから授かった予言書『ウマ娘 プリティーダービー』に基づいた行動の結果であった。

 

 

――――――レースに絶対はないが、”そのウマ娘”には絶対がある。

 

 

予言書『ウマ娘 プリティーダービー』は基準となる『正史の巻』ともしもの未来を綴った『分史の巻』で構成されており、『正史』と『分史』を見比べながら“皇帝”陛下はトレセン学園の最良の将来を選択していた。

 

つまり、『正史』ではトウカイテイオーがビワハヤヒデと『有馬記念』で対決するのだが、『分史』ではシンボリルドルフと『有馬記念』で対決することが予言されていたらしく、

 

結果としては『正史』と『分史』が混ぜ合わさったような大激戦になったが、今回の好敵手がルナシンボルに置き換わっていた点を踏まえると、トウカイテイオーが完全な主役となる場合の『分史』に近いのだと言える。

 

 

――――――そうなるように『シンボリルドルフがあらかじめ準備をしてきていた』というわけなのだ。

 

 

本当にあなたという御方は“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として、自分の栄誉のためではなく、この輝かしい瞬間のために全てを捧げてきたというわけなのですね。

 

やろうと思えば何だってできる“特異点”ですが、『未来をこの手に掴む』というのがどういうことなのかを学ばせてもらいました。

 

そして、予言書『ウマ娘 プリティーダービー』に記された内容が『URAファイナルズ』までなのを踏まえると――――――、

 

なあ、シンボリルドルフは見事にやりきったよ、彼女のために悲しい未来から時を超えてやってきた無名の新人トレーナーよ。

 

もう二度と会えないのだろうけれど、きみが愛した女性はきみが生まれてくることになる悲しい未来にならないように世界を救ったよ。

 

そうか、“王冠(クラウン)”“王座(スローン)”とは別のレガリアが称号に使われるなら、黄金期を“皇帝”と共に歩んだ無名の新人トレーナーは“王笏(セプター)”と呼ばれるのは自然なことだったのか。

 

 

そして、私はこうした無名の新人だった先人たちの歴史の影にある偉業と意志を受け継いで、WUMA撲滅のための果てしない戦いに身を投じることになるのだな――――――。

 

 

そう、これまで“皇帝”シンボリルドルフを導いてきたのは暗黒期の“ウサギ耳”や黄金期の“王笏”といった無名の新人トレーナーだった。

 

だから、常々求めていたのは自分が去った後のトレセン学園をより良く導いてくれる次の時代を担う無名の新人トレーナー――――――。

 

ターフの上で繰り広げられる誇り高き勝負の世界よりももっと大きな世界を見据える誰かを“皇帝”はずっと探し続けていた。

 

そして、“王笏”を失った後でミホノブルボンの担当の天才トレーナーとライスシャワーの担当の熱血トレーナーがそうではないかと注目するようになった。

 

完全に『プリティーダービー』の予言から外れてミホノブルボンが自身に続く“無敗の三冠バ”にまでなり、“悪役”になるはずだったライスシャワーが名前の通りにファンから愛される名バになったのだ。

 

その上で、それぞれちがったアプローチでヒトとウマ娘の絆を体現していっており、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”が願う理想の後継者は彼らになるのではないかと期待していた。

 

一方で、あらかじめ予言されていたとは言え、自身を慕い 自身もその才能を愛したトウカイテイオーに起きた悲劇を回避することができず、その意味を教えてくれる賢者を探し続けていた。

 

そう、暗黒期に“ウサギ耳”が導き、黄金期に“王笏”が導いてくれたように、悩める“皇帝”シンボリルドルフを新しい時代に導いてくれる誰かをずっと探し続けていた。

 

それこそがずっと探し続けていた3人目の無名の新人トレーナーのはずなのだ――――――。

 

しかし、残念ながら期待していた天才トレーナーと熱血トレーナーとはあまり接点がなく、むしろ理事長と理事長秘書との繋がりが深かった。

 

また、シンボリルドルフを導いてきた無名の新人トレーナーというのは何かしら癖のある存在であり、組織から浮いた存在であったので、そこまで問題行動が多いわけではない天才トレーナーと熱血トレーナーはその意味でもちがっていたのだ。

 

中央の顔役として誰よりも秩序正しい存在でなければならないのに、既存の秩序を超越した存在を暗に求め続けてきた“皇帝”の葛藤と苦悩は尽きなかった。

 

 

――――――そんなある年、新年度始まって早々にウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体に陥った悪名高い無名の新人トレーナーが現れたのだ。

 

 

その正体が23世紀の宇宙移民船のクルーの魂が乗り移った存在だなんてことは口が裂けても言えないのだが、

 

つまるところ、皇宮警察の両親を亡くして唯一の肉親のためにトレセン学園のトレーナーになった“斎藤 展望”こそが探し求めていた3人目だったというわけなのだ。

 

8月末の学生寮不法侵入事件で初めて生徒会室で対面した時から“皇帝”は“斎藤 展望”の異質さに心惹かれていたそうだ。

 

実際、23世紀の宇宙移民に由来する私の知見や実行力はWUMA撃退の功労者であると同時に デビューせずに退学も辞さない姿勢だったアグネスタキオンすらも動かしたとのことで ますます魅力的に見えたようだ。

 

そうして、誰にも明かすことが出来なかった秘密を共有できる現存する唯一の存在になったということで、私は“皇帝”陛下から後のことを全て託されることになってしまった。

 

 

そう、『ウイニングライブのセンターを踊るのがトウカイテイオーである』という最後の予言であり 個人的なエゴであり より良い未来に思いを託した願いを実現に導いてくれた偉大なる存在として――――――。

 

 

誰が見ても生徒会長:シンボリルドルフとしか思えないけど別人であることが証明されているアメリカの競走ウマ娘:ルナシンボルとしても、これで引退である。

 

“皇帝”シンボリルドルフのトレセン学園での6年はこれで終わりを告げた。あとは来年1月の生徒会総選挙という名の“帝王”の立太子の礼を待つだけだろう。

 

だが、それなら、その前にやるべきことがあるはずだ――――――。

 

誰にも見送られることなく 静かに銀の王座から退場したルナシンボルに対して、なぜだか無性にそのことををやらずにはいられなくなっていた。

 

 

 

運転手「それではお送りします、お嬢様」

 

付き人のトレーナー「ルナシンボル様、さあ」

 

ルナシンボル「ああ、頼む」

 

ルナシンボル「ん」

 

ルナシンボル「……ちょっと待ってくれ」

 

 

斎藤T「――――――」

 

アグネスタキオン「――――――」

 

 

ルナシンボル「きみたちか」

 

アグネスタキオン「()()()()()()()()とここでは呼ばせてもらうが、」

 

アグネスタキオン「黄金の6年を走り抜いた偉大なる先人であるきみへの惜しみない称賛と、私のことを庇ってくれていたことへの礼を言わせてもらうよ」

 

ルナシンボル「そうか。ついに決心したのだな」

 

ルナシンボル「二人の活躍を期待しているよ、他の誰よりも」

 

斎藤T「……ありがとうございます」

 

ルナシンボル「……どうしたんだい、斎藤T?」

 

アグネスタキオン「……ほら、さっさと済ませるといいさ」プイッ

 

斎藤T「あ、ああ……」

 

ルナシンボル「?」

 

斎藤T「その、私は()()()()()()()()の代わりにはなれない――――――」

 

斎藤T「けれど、三女神像の儀式で()()()()()()()()()()()()として代わりに言わなくちゃならないことがあるんだ、あなたに」

 

ルナシンボル「…………わかった。聞かせてくれ」

 

斎藤T「じゃあ、言わせてもらいますよ」

 

 

――――――よくやったよ、ルナ。()はきみのことを誇りに思うよ。ありがとう、()はきみと出会えたことをずっと忘れない。

 

 

ルナシンボル「…………そうか」

 

斎藤T「………………」

 

ルナシンボル「ン」

 

斎藤T「え」

 

ルナシンボル「ン」

 

斎藤T「あ」

 

斎藤T「……よくやったよ、本当に」ナデナデ

 

ルナシンボル「うん、うん。うん……」ヒッグ

 

ルナシンボル「がんばったよ。ひとりでがんばったよ、ずっと……」ポタポタ・・・

 

ルナシンボル「だから、がんばるからね、これからも……」ポタポタ・・・

 

アグネスタキオン「………………」

 

ルナシンボル「ねえ、トレーナー?」

 

斎藤T「……何だい?」

 

ルナシンボル「私はね、シンボリ家の競走ウマ娘として、七冠の栄光も、トレセン学園の未来も、人としての喜びも悲しみも全て掴んだけれど――――――、」

 

ルナシンボル「そんなものなんかよりも、私が心から欲しいと思った()()()()()はこうして全て取り零していってしまったよ…………」

 

ルナシンボル「だから、嫉妬しちゃう。私が欲しかったものの最後の1つを掴んだアグネスタキオンというウマ娘のことが」

 

ルナシンボル「そう、()()を得た過去の競走ウマ娘は“魔王”となり、()()を得た現代の競走ウマ娘は“皇帝”となったのだから、()()を得た未来の競走ウマ娘はきっと――――――」

 

斎藤T「………………」

 

ルナシンボル「……アグネスタキオン、だから 勝ってくれ。それが去り行く者への餞となる」

 

アグネスタキオン「いいとも。そのために私はその時がくるまで()()()()()()()()のだからね」

 

ルナシンボル「健闘を祈る。“新堀 ルナ”が最後に愛した無名の新人トレーナーのことは決して忘れない」

 

斎藤T「さようなら、“新堀 ルナ”。私もあなたのことを決して忘れない」

 

 

――――――勝利よりもたった3度の敗北(かけがえのない人との別れ)を語りたくなるウマ娘、それは“永遠なる皇帝” 。

 

 



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完了報告  先を行く者とそれを追う者 LORD OF THE SPEED

200X年、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』が地方競バ『ローカル・シリーズ』に人気が逆転された暗黒期の真っ只中――――――。

 

様々な要因が重なった結果の人気低迷の時期であり、トレーナー組合と生徒会、その背後の『名門』と『名家』がトレセン学園の主導権を握るための対立をしながら、それぞれが人気回復のための方策を模索していた時期――――――。

 

まだ名門トレーナー:桐生院 葵が恋も知らない少女だった時代に『名門』桐生院家はかつてない栄誉を獲得していた。

 

それはシンザン以来の“クラシック三冠バ”ミスターシービーの輩出であり、彼女の存在と活躍によって『トゥインクル・シリーズ』人気回復の兆しが見え始めたのであった。

 

しかし、外野から見れば『名門』桐生院家はこれによって他には成し得なかった不動の栄光を掴んだかのように見えたのだが、

 

当の『名門』桐生院家としては“クラシック三冠バ”ミスターシービーの栄光は桐生院家の黒歴史として扱われていた。

 

 

なぜなら、そのミスターシービーの担当トレーナーは桐生院家御本家ではなく、地方競バから中央競バに乗り込んできた分家筋の若造であったからなのだ。

 

 

普通に考えれば、分家筋であっても桐生院家の一員なのだから、その栄光も名誉も『名門』桐生院家に帰するものなので、そう無下に扱われるものではない――――――。

 

しかし、後世に暗黒期と酷評されるほどに腐敗していた中央トレセン学園の面々は自分たちの名誉のための功績を貪欲に欲し、自分たちの汚点となるものを過剰に恐れていた。

 

そのため、格下と見下していた地方から中央に転入してきた実質的に実績なしの若造にシンザン以来の“クラシック三冠バ”を奪われたことを逆恨みしていたのだ。

 

もちろん、桐生院家御本家のベテラントレーナーも中央にはいたわけであり、ミスターシービーの担当の座を献上するように一方的に迫ったぐらいなのだが、

 

肝心のウマ娘:ミスターシービーが自分の脚で走って稼ぐわけでもないのにレースを我が物にしている傲慢無礼なベテラントレーナーを毛嫌いしている自由人であったため、

 

当然ながら権威主義的な桐生院家御本家のトレーナーとは反りが合わず、彼らではミスターシービーの能力を発揮させることが難しかったのだ。

 

それでいて、地方競バ出身の分家筋の若造と意気投合してシンザン以来の“クラシック三冠バ”の偉業を達成してしまったのだから、御本家としてはまったくおもしろくなかったわけなのだ。

 

当然、同じ桐生院家でありながら地方出身として見下されていた若造は実力主義・成果主義の正論を盾に御本家に遠慮などしないし、中央のトレーナー組合の八百長会議の決定にも従わない存在だった。

 

そのため、桐生院家にもたらされたはずの栄光は血縁を重視する『名門』にとっては()()()()()()()()というつまらないプライドによって素直に受け取られることはなかったのだ。

 

 

――――――要するに、ただの嫉妬とくだらないプライドからの劣等感である。

 

 

自分たちではこれまで成し得なかったシンザン以来の“クラシック三冠バ”誕生という快挙を 血の薄い地方の若造によって あっさりと成し遂げられてしまったのだから。

 

それはまさに中央競バと地方競バの人気が逆転していたのと同じように、中央のトレーナーと地方のトレーナーの実力が逆転していたことを世に映し出していたかのごとく。

 

つまり、地方の若造ごときに遅れを取った事実によって中央の御本家の名誉に傷をつけられたという強烈な逆恨みなのだから、嫉妬とは醜いものである。

 

そのため、そういった理不尽な扱いに腹を立てて夢の舞台に見切りをつけたことでミスターシービーが引退すると同時に地方の若造もトレーナー業を引退することになり、その後の消息は不明である。

 

 

そうして意固地になった『名門』桐生院家の醜い嫉妬に染まりきった内情を知らないまま、御本家の令嬢:桐生院 葵は自分たちの家から出た“三冠ウマ娘”ミスターシービーのことを誇りに思っていた。

 

 

そして、その担当トレーナーであった地方の若造に憧れを抱くようになり、いつか同じ桐生院家の人間として会ってみたいと思っていた。

 

しかし、その願いは叶うことはなかった――――――。

 

また、ミスターシービーとその担当トレーナーに関係することを調べることは一切禁じられ、一族秘伝の『トレーナー白書』にもその記録は抹消されていた。

 

その理由を知らされることなく、桐生院 葵は名門トレーナーとしての徹底的な英才教育を受けることになったのだが、

 

それが結果として暗黒期から黄金期に移り変わって自由な気風に染まった中央トレセン学園において かえって世間知らずの浮いた存在になってしまう原因となってしまっていた。

 

それは10代の青春をレースに費やす競走ウマ娘たちと同じように、名門トレーナーとしての英才教育によって普通の少年少女が体験するはずだった男女交際にも疎い歪な人間像を作り上げてしまっていたのだ。

 

 

――――――『府中の常識は世間の非常識』とはよくいったものである。夢の舞台の住人は現実社会とは隔絶されたルールと価値観で運営されているのだから当然か。

 

 

そして、桐生院 葵は何の疑問も葛藤も挫折もなく親が敷いたレールを走って中央トレセン学園の新人トレーナーとなった。

 

世間的にはシンザン以来の“クラシック三冠バ”であるミスターシービーの存在もあって近年では最も声望のある『名門』桐生院家の令嬢ということで その年の新人トレーナーで最も注目を集めることになり、

 

実際、名門トレーナーに相応しく新人としては抜きん出た能力と知識を持ち合わせ ウマ娘レースに懸ける情熱も併せ持った逸材として期待を寄せられることになった。

 

 

しかし、ここで 桐生院家の名門トレーナーとして施した 時勢の読めない英才教育が完全に裏目に出ることになったのだ。

 

 

桐生院 葵がその年の新入生になった競走ウマ娘にはミホノブルボン、ライスシャワー、サクラバクシンオー、レガシーワールド、ニシノフラワーなどがいたのだが、

 

能力と知識だけの箱入り娘は最初の担当ウマ娘に『名家』でもないし 覇気が微塵も感じられない 物静かなウマ娘:ハッピーミークを選んでしまったのだ。

 

たしかに、前年度のトウカイテイオーやメジロマックイーンのような華のあるウマ娘や前評判のいいウマ娘があまりいなかったにしても、

 

これには御本家も相当に焦ったらしく、御本家お抱えのベテラントレーナーからレガシーワールドを薦められるものの、レガシーワールドのあまりの気性難にベテラントレーナーの方が振り回されることになってしまったのだ。

 

そのため、大切な御本家の令嬢が初めて担当するにはあまりにもレガシーワールドは危険すぎるというベテラントレーナーの口添えもあって、

 

最初の担当ウマ娘だから失敗するのは已む無しということで渋々ハッピーミークの担当になることが許可されたのだが、またしても御本家の人間は自分たちで勝手に恥を上塗りすることになった。

 

なんと、ハッピーミークの才能がトウカイテイオーやメジロマックイーンをも超えるものがあったことが早々に判明してしまったからだ。

 

どんなバ場だろうと、どんな距離だろうと、自分で想像した通りに問題なく走ることができる脚とずば抜けたイメージ力の持ち主であり、

 

鍛え方次第でどんなレースでも戦うことができるウマ娘など前代未聞であり、これには桐生院家の誰もが娘がとんでもない逸材を見つけてきたことに腰を抜かすことになった。

 

そのため、その才能を買ってハッピーミークには全力で桐生院家が支援することになり、『選抜レース』では他を圧倒する成績でその将来性が期待された――――――。

 

なお、御本家の方で担当を薦めていたレガシーワールドの『選抜レース』の結果は散々であったため、ますます御本家は劣等感に苛まれたという。

 

 

しかし、そんな名門トレーナー:桐生院 葵の同期にそれ以上に注目を集めることになる無名の新人トレーナーが2人もいたのが運の尽きだった。

 

 

一人は、元甲子園球児でかつ 警視総監の息子という『名門』とはちがった次元の御曹司と言える熱血トレーナー:飯守 祐希であった。

 

プロ野球選手だったわけではないにしろ、国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』に並ぶ 野球少年にとっては憧れの『甲子園野球』で活躍した名投手であり、知名度抜群であった。

 

そう、府中では無名の新人トレーナーの扱いなのだが、トレセン学園の経営陣からしてみれば警備担当である『警視庁』の最高責任者の息子ということで、ただの名門トレーナーである桐生院 葵よりもよほど気を遣う人物であった。

 

秋川理事長は特にそういった経歴を気にすることなくトレーナーバッジを与えたが、暗黒期で八百長に関わっていた生き残りからすれば、警察関係者が同じトレーナーになったことに冷や汗が止まらない。

 

また、下手なことをすれば 元甲子園球児だったことから野球関係者も雪崩込んで戦争になる可能性もあり、別な意味で熱血トレーナーの存在は“触れるべからず”として周囲から浮いていた。

 

そして、後の担当ウマ娘となるライスシャワーを『選抜レース』に出走させるために特例として学生寮に進入したことがある貴重な人物としても知られることになった。

 

 

だが、『選抜レース』で名門トレーナーに相応しい余裕のあるスタートを見せた桐生院 葵よりも周囲を驚かせた存在こそ、天才トレーナー:才羽 来斗だったのである。

 

稀代の短距離ウマ娘(スプリンター)として注目されていたミホノブルボンは『選抜レース』前にはすでに担当トレーナーも決まっていたのだが、

 

“クラシック三冠バ”になるという適性に合わない目標から方針が合わずに契約解除していたのが天才の目に留まり、

 

彼がミホノブルボンの担当トレーナーになったことで『選抜レース』で短距離ウマ娘(スプリンター)が中距離2000mを誰よりも速く駆け抜けたのだ。

 

このミホノブルボンの『選抜レース』での勝利は学内で大きな衝撃でもって受け止められ、後に短距離ウマ娘(スプリンター)の頂点に輝くサクラバクシンオーの存在を霞ませるほどであった。

 

一応、才羽 来斗も府中では無名の新人ではあるが、スイスからの帰国子女であると同時に高校サッカーでは全国大会のレギュラー選手だったという得体の知れなさのため、熱血トレーナー同様に中央トレセン学園で横行している新人イジメの対象にはならなかった。

 

むしろ、天才トレーナーが天才たる所以はその圧倒的な存在感と実行力にあり、明らかに無名の新人トレーナーが出していいオーラの持ち主ではなかった。

 

そして、ミホノブルボンの一報を聞いて その担当トレーナーを見た時に、御本家はこの天才トレーナーのオーラに()()()()()()()()()()()()を重ねてしまい、できる限り関わらないように指示したのであった。

 

なぜなら、ミスターシービーの時と同じく、自分たちのやり方で短距離ウマ娘(スプリンター)を中距離で勝たせるビジョンが思いつかないことで、自分たちの無能さが再び白日の下に晒されたような感覚に襲われたからだ。

 

それほどまでに『名門』桐生院家は自意識過剰で虚栄心に塗れた劣等感の塊となっており、シンザン以来の“クラシック三冠バ”ミスターシービーの栄光が逆にトラウマになっていたようだ。

 

そのため、御本家の指示に従って桐生院 葵は、自身も新人トレーナーとしてのトレセン学園での日々に追われていたこともあって、当初は自身の同期となる噂の天才トレーナーとは関わろうとはしなかったものの、

 

やはりミスターシービーの奇跡と今回のミホノブルボンの躍進がどこか重なるものを感じることになり、見るなのタブーを課されてしまったことで逆に気になり、またしても『名門』桐生院家のやることが裏目に出ることになった。

 

 

――――――男がやってはいけないことが二つある。女の子を泣かせることと食べ物を粗末にすることだ。

 

 

早速、天才トレーナーは トレセン学園の小さな箱庭では決して抑えることができない その抜群の存在感を思う存分に発揮し始めた。

 

彼はスイスの帰国子女であり、スイスはフランス料理、ドイツ料理、イタリア料理など、ヨーロッパの中心地にあることで育まれた豊かな食文化を誇り、

 

そして、本場とも言えるヨーロッパのウマ娘レースを身近に体験してきたものとして、ヨーロッパの一流の競走ウマ娘が日頃から食べているアスリートフードに通じていた。

 

そう、彼は若年にして一流の栄養管理士であるし、腕利きのシェフであり、新進気鋭のパティシエであったのだ。

 

その腕前は食堂を貸し切ってのヨーロッパのアスリートフードの試食会で披露されることになり、ミホノブルボンの担当になったばかりの無名の新人トレーナーの存在を一躍有名にした。

 

そうしてヨーロッパのアスリートフードの紹介で多くのウマ娘たちの興味と関心を自身に集中させたところで、日本料理こそが世界に冠たるアスリートフードであることを主張した。

 

そのことに日本のトレセン学園に所属する誰もが頷いたところで、この天才トレーナーは爆弾発言を行ったのだ。

 

 

――――――じゃあ、世界一の日本料理を食べることができる日本の競走ウマ娘が世界一になれないのはなぜ?

 

 

この主張によって、美味しいアスリートフードに舌鼓を打って和気藹々としていた食堂の空気が一気に凍りつくことになった。

 

それは暗に日本の競走ウマ娘やトレセン学園のレベルの低さを詰った言葉のようにも感じられ、無名の新人トレーナーの分際で講釈を垂れる彼にベテラントレーナーたちが食って掛かる。

 

しかし、そのことを意に介さずに彼は丁寧な所作で先輩方を席に案内して一皿だけ提供するのであった。

 

 

――――――本当に美味しい料理は食べた者の人生まで変える。

 

 

その一言だけを添えた一皿を訝しんで口にした瞬間、トレセン学園のトレーナーで涙を流さなかった者はいなかったという。

 

口に含んだ瞬間に広がったのは、この世のものとは思えない感動の味だった。これだけで先程まで喉に出かかっていた文句が綿菓子のように舌の上で甘々に掻き消えてしまった。

 

そして、その感動がもたらしたのはそれだけではなく、もっとそれ以上の『どうしてトレセン学園のトレーナーになったのか』という自分たちの原点――――――、

 

すなわち、ウマ娘レースで覚えた感動と興奮の原点であり、自分たちが目指していたものの初心の思い出であったのだ。

 

そこには『一芸は万芸に通ず』――――――、本当に素晴らしいレースは観た者の人生まで変えることをこの一皿だけで雄弁に表現していたかのようだった。

 

こうしてベテラントレーナーたちを一皿だけで黙らせてしまったという伝説を築き上げたのを皮切りに、“皇帝”シンボリルドルフ以来の“無敗の三冠ウマ娘”を達成したミホノブルボンと天才トレーナーの時代が始まったのであった。

 

そして、同時期に秋川理事長が開催を宣言した新レース『URAファイナルズ』に向けた中央ウマ娘レース界の新たな流れが誕生することになった。

 

 

それからの天才トレーナーはトレセン学園の敷地内にいることはあまりなく、“クラシック三冠バ”を目指すミホノブルボンのオーダーに応えて彼女に殺人的なトレーニングを施す一方で、

 

アスリートフードの試食会のような学外でのイベント開催にも力を入れており、そこで担当ウマ娘のファンを大勢獲得すると同時に担当トレーナーとしてミホノブルボンとの交流も深めていった。

 

恐ろしいことにスイス時代や高校サッカー時代に培ったコネなども総動員した横の繋がりから異業種交流を盛んに行い、それでメイクデビューにもならないうちからお祭り好きな秋川理事長の大のお気に入りとなっていた。

 

天才トレーナー:才羽 来斗のミホノブルボンの学外での人気はこの時点でトレセン学園でのハッピーミークの人気を軽く凌駕しており、デビュー前から知名度抜群に仕上がっていたのだ。

 

その一方で、『名門』桐生院家の手厚い支援と教義に基づいてトウカイテイオーやメジロマックイーン以上の才能を持つハッピーミークにトレーニングを順調に施していく名門トレーナーであったが、どこかぎこちない様子であった。

 

それもそのはずで、桐生院 葵は『担当ウマ娘のことをよく知るべし』というトレーナー白書の金科玉条を『担当ウマ娘の身体能力を把握せよ』という表面的な理解しかできていなかったのだ。

 

こんなにも頭の固い人間に育ってしまうような『名門』桐生院家の英才教育とやらが何を教えているのかを是非とも見学させてもらいたい。おそらく教えているのは頭の凝り固まった年寄ばかりなのだろう。

 

そして、ハッピーミークは受動的な性格で意思表示をあまりしないし、桐生院 葵にしても『レースに関係ないことには首を突っ込まない』と解釈していたので、互いのことがよくわからないまま背中を預け合っている関係となっていたのだ。

 

それに加えて、敏いハッピーミークは担当トレーナーが学園で噂の的になっている天才トレーナー:才羽 来斗に関する話題について意図的に無視していることに気づいていた。

 

そのため、本当はハッピーミークも才羽 来斗が開催するアスリートフードの試食会に興味があったのに我慢することになり、そういった事が何度もあったことで ますます自己主張することがなくなってしまっていた。

 

活発な意見交換ができないような信頼関係のパートナーシップの二人三脚でいったい何を為そうというのか――――――。彼女に親友と呼べる存在がいなかったことがありありと伝わってくる。

 

 

しかし、太陽が素晴らしいのは塵さえも輝かせることにある――――――。天の道を往き 総て司る 天才トレーナーに敵なんかいなかった。

 

 

天才トレーナーは自身の担当ウマ娘:ミホノブルボンを通じて同期の誼でハッピーミークを遊びに誘うように指示を出していた。

 

そのおかげで、ハッピーミークは担当トレーナーの気持ちを汲みながらも才羽 来斗が主催するイベントに参加することができた。

 

他にも、同期のライスシャワーやサクラバクシンオーとも交友関係を結ぶことになり、炊き出しボランティアや地域美化活動、留学生の観光案内などにも参加することになり、ハッピーミークの日常は賑やかとなった。

 

その様子を桐生院 葵は遠くから微笑んでいたのだが、ここで登場したのが ライスシャワーの担当トレーナーとなった もうひとりの無名の新人トレーナー:飯守 祐希であり、

 

担当トレーナーと担当ウマ娘の関係性は三者三様ではあるものの、あまりにも桐生院 葵は担当ウマ娘に無関心なんじゃないかと元甲子園球児は疑問を呈したのだ。

 

特に自分に自信が持てないライスシャワーを常に励ましている飯守 祐希からすると、あまりにも桐生院 葵とハッピーミークの会話が淡々としすぎている気がしていた。

 

そんなことはないと桐生院 葵は反論するが、桐生院 葵が噂の天才トレーナーのことを無視していることに気遣ってアスリートフードの試食会に行きたいのを我慢してきていたことについて訊ねられ、

 

そこでようやく自分の担当ウマ娘が 常日頃 何を考えているのかがわからないことに思い至り、『担当ウマ娘のことをよく知るべし』という言葉の本当の意味を理解することになったのだ。

 

そして、飯守 祐希としては本当は言うつもりはなかったが、こうして忠告しに来た熱血直情な自分よりも不器用な桐生院 葵のためにハッピーミークのことを陰ながら気遣ってきた才羽 来斗へ礼を言うようにアドバイスを送ったのだった。

 

最初はそうすることの意味がまったくわからなかった桐生院 葵であったが、まったくもって担当ウマ娘に対する自分の接し方に足りないところがあることを知ることができた。

 

 

こうして親切な熱血トレーナーのおかげで、桐生院 葵は初めて桐生院家の指示に逆らって『担当ウマ娘のことをよく知るべし』という建前で才羽 来斗という人間との関わりを持とうと思うようになった。

 

 

そこから同期の新人トレーナーの3人;名門トレーナー、熱血トレーナー、天才トレーナーのライバル関係が始まり、

 

あまり社交的とは言えないハッピーミーク、ライスシャワー、ミホノブルボンの仲良し3人組の関係も始まったわけである。それを引っ張るのが学級委員長:サクラバクシンオーだった。

 

そして、桐生院家御本家が危惧していたように、桐生院 葵は自分では決して辿り着けないような天才トレーナーの融通無碍の在り方に心惹かれていくようになり、熱血トレーナーと同じように強く意識していくようになっていった。

 

しかし、実際には天才トレーナーが何十歩も先に進んでおり、名門トレーナーが能力と知識で追い縋るのに対し、熱血トレーナーが2人の背中を必死に追い上げる形となっていた。

 

 

はっきり言って、短距離ウマ娘(スプリンター)でかつ初めての担当ウマ娘のはずのミホノブルボンを“無敗の三冠ウマ娘”にまで仕上げてみせた天才トレーナーの才覚に敵うものはいない。

 

 

そのことを2年目:クラシック級ではっきりとした戦績で示されたことで、先を行く者とそれを追う者としての歴然とした差が付き始めたのである。

 

そのことで名門トレーナーとしての重圧と実力不足に苛まれることになったのが桐生院 葵であり、ハッピーミークの戦績や人気が振るわないことで思い詰めた表情になっていった。

 

一方で、無名の新人ということで自身が実力不足であることは元々だと開き直って 勝利よりも担当ウマ娘の願いのために熱血トレーナーは歯を食いしばって天才トレーナーの背中を追い続けた。

 

そう、ここから2年目:クラシック級での敗北にめげずに彼方を見据えたことで熱血トレーナーが名門トレーナーに勝る活躍を見せ始めるのだ。

 

その差を分けたものこそが、担当ウマ娘との二人三脚の完成度;担当ウマ娘の夢をどれだけ共有できているかであった。

 

実は熱血トレーナーの担当ウマ娘:ライスシャワーのレースに懸ける願いはレースでの勝利ではなく、『自分が勝つことでキラキラと輝き、見てくれる人々に新たな希望を与えたい』というものであったのが3年目:シニア級における勇躍に繋がったのだ。

 

そこから天才トレーナーとは全くちがうファンサービス重視のローテーションを組むようになり、2年目:クラシック級の段階で『有馬記念』に勝つ見込みがなくても出走するぐらいの芯の強さをライスシャワーは得た。

 

その集大成が3年目:シニア級におけるメジロマックイーンやハッピーミークを追い抜いた『宝塚記念』での劇的な勝利であり、スターウマ娘の仲間入りを果たすと同時にライスシャワーの願いを叶えることができたのである。

 

一方で、ハッピーミークは3年目:シニア級で『天皇賞(秋)』で勝利するまで年間最多勝利数に迫るローテーションを愚直に走り抜くことになったのだが、ミホノブルボンやライスシャワーと比べるとイマイチな人気のままだった。

 

 

残酷なことを言わせてもらえば、能力や才能は確かに桐生院 葵とハッピーミークにはあったのだが、元々の素質として華がないのは仕方がないとしても、ヒトとウマ娘の絆が生み出す不思議な力を発揮できていない――――――。

 

 

要するに、レースの女神が誰よりも祝福したくなるような何かがこの2人には致命的に欠けていたのだ。それで勝てるわけがない。

 

だからこそ、天才トレーナーは名門トレーナーのことがあまり好きではなかったという。見ていてイライラさせられる愚鈍な女というのが正直な評価であった。

 

才羽 来斗の眼から見ると桐生院 葵はあまりにも社交能力に欠けるダメな大人でかつ 典型的な『論語読みの論語知らず』であり、

 

数々のG1勝利ウマ娘や顕彰ウマ娘を輩出した桐生院家秘伝の『トレーナー白書』の教えをまったく理解できていないことに大いに失望していたぐらいだ。生兵法とはまさにそなたの為にある言葉よ。

 

こんな大人に導かれる子供が本当にかわいそうだと思っていながらも、そんな大人になりきれない大人と子供の両方の成長を願って才羽 来斗は辛抱強く桐生院 葵の面倒を見続けていた。

 

そして、ようやく担当トレーナーである自分が支えるつもりが自分の独り善がりが原因で逆に担当ウマ娘に支えられる事態になっていることを認めることになり、これで無事に再出発ができたかのように思えた。

 

それから素直に桐生院 葵は“無敗の三冠ウマ娘”を輩出した天才トレーナー:才羽 来斗に謙って教えを請うようにもなり、以前よりも社交能力が増したかのように思えた。

 

しかし、元々の名門トレーナー一族の箱入り娘:桐生院 葵の社交能力の無さが新たな歪みを生み出すことになっていくのだった。

 

 

All work and no play makes Jack a dull boy《勉強ばかりして遊ぶことを知らない子供は馬鹿になる》.

 

 

そう、普通の少年少女の青春を送ることがなかった桐生院 葵にとって あまりにも刺激が強かった 才羽 来斗の存在が興味以上の対象になるのは時間の問題ではあった。

 

何しろ、記憶の片隅に追いやられたはずの憧れだったシンザン以来の“クラシック三冠バ”ミスターシービーとその担当トレーナーであった桐生院家の分家筋の若者のことを思い出させる存在でもあったから。

 

だが、他人を頼ることさえも経験不足な女は自分の欲求に素直になることも不器用であり、常に自分の気持ちを誤魔化した立居振舞をし続けるのであった。

 

そうなのだ。才羽 来斗への相談は常に『ミークのため』と称しているのだが、それが何故か二人きりのカラオケや遊園地に誘われるのだ。どこからどう見ても完全にデートの誘いである。

 

それでも、才羽 来斗は大人であったために面と向かって罵ることはなかったのだが、デートと呼ぶにはあまりにも興冷めになる不器用さや世間知らずな面が露呈するばかりで、

 

『名門』桐生院家における“家族”というものがいかなるものなのかがわかってしまったばかりに、桐生院家の令嬢:桐生院 葵に向ける天才トレーナーの眼差しには憐憫の情が募っていく。

 

そのため、他人をダシにしないと誰かと繋がることができない無自覚な大きな子供を育てた大人たちへの苛立ちを募らせていくことになった。

 

 

――――――友情とは友の心が青臭いと書く。

 

 

青臭いなら青臭いで、それを包み隠さずに本気で誰かに打ち明けることができなければ、本物なんか手に入るはずもない。

 

事実、2年目:クラシック級において熱血トレーナー:飯守 祐希は同期の優秀な新人トレーナー2人と自分を見比べて 2人の真似をしてみて 2人にはない自分だけの在り方を確立することができたのだ。

 

桐生院 葵はまだ誰でもない自分というものを見つけることができていない。それ故に揺るがぬ信念を確立することができていないから担当ウマ娘と心を1つにすることができず伸び悩むのだ。

 

だから、3年目:シニア級において配属された新たな無名の新人トレーナーである私が名門トレーナーのサブトレーナーに就いたことに天才トレーナーは期待していたと言う。

 

 

――――――否、実は才羽Tこそが桐生院先輩と“斎藤 展望”を引き合わせた人物であったのだ。

 

 

新年度早々に学外でウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になっていた悪名高いトレーナーに一度は会って話をしてみることを先輩に薦めていたのだ。

 

桐生院 葵はあまりにも人付き合いが下手で、来年には4年目ということで新たな担当ウマ娘を持つように言われる立場になるのだが、それに先立ってサブトレーナーとの共同作業に慣れておくことを薦めていた。

 

そう、偶然などではなかったのだ。私と先輩が出会って同じチームになれたのは。

 

 

――――――天才はいたのだ。嬉しいことに。

 

 

その天才トレーナーの導きがあって、ハッピーミークは模擬レースで“三冠バ”ナリタブライアンに僅差で勝利し、『天皇賞(秋)』で文句なしの勝利を飾ることがついにできたのだ。

 

けれども、そのことを先輩が素直に受け止めることができなかったのは『府中の常識は世間の非常識』で育まれた偏った人生観と人生経験の無さによるものであり、本人としては善良なのだが謙虚を通り越した卑屈な性格も災いしていた。

 

だから、宇宙移民船のクルーである私が箱入り娘の大きな子供に世間の荒波を制する処世術を教え込むことになったのだろう。

 

そういう意味では、いきなり“斎藤 展望”になってしまった私にとっては自分の居場所を得るために先輩の心の隙を付け込むことになったのだが、

 

確かな能力と知識を兼ね備えたバカ正直で誠実な先輩の在り方のおかげで近代ウマ娘レースの成り立ちやノウハウを習得することができたのは互いにとっては最良の結果だったのかもしれない――――――。

 

 


 

 

――――――『有馬記念』終了後のウイニングライブ前の反省会

 

桐生院T「斎藤さん、『URAファイナルズ』の開催日程と参加人数の調整が終わったみたいですよ」

 

斎藤T「ということは、無事に『URAファイナルズ』の全レースの開催が問題なく行われるわけなんですね」

 

桐生院T「はい。ミークも『URAファイナルズ』の出走が叶いました」

 

斎藤T「しかし、年の瀬の仕事納めの時期に開催されるはずだった『URAファイナルズ』の規模が拡張されて、翌年の1月:予選、2月:準決勝、3月:決勝の3ヶ月間の勝ち抜き方式に変わったわけですか」

 

斎藤T「まあ、全ての距離と適性のレースを同時開催するにしても、会場の確保や大会運営の面でいろいろと人手やノウハウが足りないことは予想できましたからね……」

 

斎藤T「今回の『URAファイナルズ』は第1回ということで運営面や興行面での問題をどう克服するかが問われている――――――」

 

桐生院T「そうですね。ただでさえ、ウマ娘というのはヒトよりも繊細な生き物ですから……」

 

桐生院T「1ヶ月おきの3連戦となるトーナメント形式は『クラシック三冠』以上に過酷なもので、途中で故障による脱落の危険性も深刻ですから」

 

斎藤T「しかも、普通はオフシーズンとなる1月から3月の気温の変化が厳しい時期の開催ですから、」

 

斎藤T「距離や適性が合わずに涙を呑んだウマ娘たちが多いことから『全てのウマ娘が輝けるレース』として理事長が情熱をもって開催したものだとしても、『レースの世界が過酷である』という現実は何も変わってない――――――」

 

斎藤T「そもそも、競技人口が少ないダートレースなんて参加人数を確保するだけでも大変ですよ」

 

斎藤T「その上で、『毎年恒例にしたい』とまで言っているわけですから、とんだ夢物語ですよ」

 

斎藤T「ダートは良いとしても、毎年の芝の供給が追いつくかどうか……」

 

桐生院T「はい……」

 

 

斎藤T「……先輩、表情が変わりましたね」

 

 

桐生院T「え」

 

斎藤T「吹っ切れたようで何よりです」

 

桐生院T「すごいですね。わかっちゃいますか……」

 

桐生院T「ありがとうございます」

 

桐生院T「才羽Tにはっきり言われましたよ」

 

 

――――――全ての女性は花であり、花は全ての女性を輝かせる。よって、全ての女性は等しく美しい。

 

 

桐生院T「けれども、花を咲かせる方法は人それぞれ、1つとして同じものはないって」

 

桐生院T「だから、人生を輝かせていくために自分という花に寄り添って咲かせてくれる人を見つけるべきなんだって」

 

斎藤T「――――――『それが私だった』と?」

 

桐生院T「そうなんです。実際、斎藤さんがサブトレーナーだったからこそミークは『天皇賞(秋)』にも勝つことができましたし、私自身も救われることになりました」

 

 

桐生院T「だから、フラれちゃったんです、私……」ポタポタ・・・

 

 

桐生院T「“無敗の三冠バ”を出した憧れの人から『ミーク以上に手のかかる大きな子供だった』だなんて言われたら、泣いちゃうのも無理ありませんよね?」ハハ・・・

 

斎藤T「……そうですね」

 

斎藤T「でも、先輩も泣いてスッキリしたんじゃないんですか? 自分がやりたいと思っていることが本当に担当ウマ娘のためなのか、それとも 自分自身がやりたいと思っていたことなのかがはっきりして」

 

桐生院T「……本当に斎藤さんはお見通しなんですね」

 

斎藤T「――――――ウマ娘に関すること(先輩が得意なこと)以外はね」

 

桐生院T「……まだまだ敵わないですね」

 

 

桐生院T「だから、私もミークの可能性に負けないぐらいに人間として成長してみせます!」

 

 

桐生院T「ですから、これからもいろいろと教えてくださいね、斎藤さん」

 

斎藤T「こちらこそ、あらためてよろしくお願いします、先輩」

 

桐生院T「……はい」ハハッ

 

斎藤T「?」

 

桐生院T「あ、すみません。私って惚れっぽい性格なのかなって思って……」

 

桐生院T「だって、『有馬記念』を迎える日の夢の中で私を助けに来てくれたのは斎藤さんだったから…………」

 

桐生院T「それに、一緒にミークのことを一生懸命に考えてくれる人は他にいなかったから――――――」

 

斎藤T「でしたら、悪い男に騙されないように節度ある付き合い方を学んでいきましょう、これから」

 

桐生院T「はい。人生は学ぶことがたくさんありますから、この『トレーナー白書』に書かれていない大切なことをこれから――――――」

 

 

 

サクラバクシンオー「ライスさん、ミークさん! 『有馬記念』は見事にバクシンしてましたよ! 私、とっても感動しました!」

 

ミホノブルボン「はい。優勝争いには届きませんが、上位入賞した4人全員が『トゥインクル・シリーズ』から去ることを踏まえると、ライスさんとミークさんが実質的に上位入賞したようなものです」

 

ミホノブルボン「それは誇るべきことだとマスターは評価しておりました。私も『URAファイナルズ』で雌雄を決する日を楽しみにしています」

 

ライスシャワー「ありがとう、みんな」ニコッ

 

ハッピーミーク「……がんばった」ブイッ

 

飯守T「ああ。よくがんばったぞ、ライスもミークも」

 

駿川秘書「はい、お見事でした。4年目の活躍が楽しみです」

 

飯守T「まあ、担当トレーナーが勝てなかったことを褒めるのは間違っているんだろうけど、今日の『有馬記念』は完全にテイオーのためのレースだったからなぁ……」

 

駿川秘書「……そうですね。素晴らしいレースだったとは思います」

 

駿川秘書「でも、あんな無茶は担当の子にはさせないでくださいね、トレーナーさん? 絶対ですよ?」

 

飯守T「わかっていますって、たづなさん。俺も元 甲子園球児の一人として怪我の恐ろしさは十二分に理解してますから」

 

駿川秘書「そうですか。それならいいんですけど……」

 

駿川秘書「あ、そうだ。『URAファイナルズ』の開催日程が来年になったことですし、トレーニングにも余裕がありますよね?」

 

駿川秘書「あの、よかったら、トレーナーさん? その、私と一緒に――――――」

 

 

 

陽那「あの、タキオンさん……」

 

アグネスタキオン「ああ。()()()()()()()()」クククッ

 

陽那「ありがとうございます。これで私も兄上と同じように――――――」

 

アグネスタキオン「健気だねぇ」

 

アグネスタキオン「くれぐれも無理はしないでくれたまえよ」

 

陽那「はい。心配してくれてありがとうございます。私としても兄上をまた悲しませるわけにはいきませんから」

 

陽那「でも、力が欲しいんです。私の中に世界最高の皇宮護衛官の素質が眠っているのなら――――――!」

 

アグネスタキオン「……兄妹だねぇ」

 

アグネスタキオン「それでこそ――――――、なんだけどね?」クククッ

 

 

 

才羽T「………………」

 

飯守T「どうしたんだよ、窓の外なんて見てさ?」

 

斎藤T「もしかして『URAファイナルズ』の開催日程の変更に伴う来年のローテーションについて考えているんですか?」

 

才羽T「あ、いや、そういうわけじゃないんですよ」

 

才羽T「担当ウマ娘にとって大切な最初の3年間を無事に走り抜くことができたということを考えていました」

 

飯守T「そっか。4年目も無事でいられるかどうかなんてわからないもんな……」

 

飯守T「それこそメジロマックイーンやトウカイテイオーが辿った道でもあるし……」

 

飯守T「新レース『URAファイナルズ』の3ヶ月間のトーナメントもそういう意味では故障者が続出するかもしれないしな……」

 

斎藤T「それでも、年の瀬の仕事納めの数日間に8つのレース会場でやるとなったら、師走がますます忙しくなってしまいますから、これで良かったのかもしれませんよ?」

 

飯守T「ホント、ウマ娘レースってのは野球とは休養期間や休憩時間の取り方がまったくちがうからな。どこまで休ませるべきかの見極めが難しいよな――――――」

 

 

才羽T「僕はね、昔、異世界の邪神に攫われたところを“魔王”スーパークリークに救われたんだ」

 

 

飯守T「は」

 

斎藤T「え」

 

才羽T「その時にもらったチョコレートが天にも昇る味で、その味が忘れられなくて僕は料理の世界に足を踏み入れたんだ……」

 

飯守T「!?」

 

斎藤T「………………」

 

才羽T「あ、スイスってチョコレート大国で、幼い頃はスイスで育ったから、尚更 チョコレートにこだわりができてね……」

 

才羽T「僕がウマ娘のトレーナーになろうと思ったのもスーパークリークのおかげなんだ」

 

飯守T「す、スーパークリークってたしか200X年の辺りに活躍した長距離ウマ娘(ステイヤー)で当時の絶大な人気を誇ったオグリキャップの宿敵だった“最低最悪の悪役(ヒール)”――――――」

 

飯守T「いや、そもそも『異世界の邪神』って何だよ? 夢でも見ていたんじゃないのか?」

 

才羽T「かもね。でも、僕はその腕に抱かれたことやチョコレートの味を憶えている」

 

斎藤T「…………スーパークリークの担当トレーナーはトレセン学園に暗黒期をもたらした“ウサギ耳”の真の救世主、か」

 

飯守T「まあ、それなら俺もここだけの話だけど――――――、」

 

 

飯守T「俺がトレセン学園のトレーナーになるきっかけになったのは、“皇帝”シンボリルドルフの担当トレーナーに命を救ってもらったことかな」

 

 

斎藤T「え!?」

 

才羽T「そうだったんですか?」

 

飯守T「あ、シンボリルドルフの現役時代じゃなくて、たぶんトレセン学園のトレーナーになる前なんじゃないかと思う」

 

飯守T「実はさ、俺にとって最後の甲子園に向かう途中でとんでもない交通事故が目の前で起きてさ、そこで立ち往生することになったんだ」

 

飯守T「そこにシュワちゃんが乗ってそうなカッコいいバイク*1に乗った青年が通りかかって、事故車両を牽引してどかしてくれたんだ」

 

飯守T「そして、事故現場の後処理をまかせてバスが甲子園へと再出発した直後だった」

 

飯守T「事故車両が映画みたいな大爆発を起こしてさ、もしも事故車両をすぐにどかしてくれなかったら、俺たちが乗っていたバスも巻き込まれていた――――――」

 

飯守T「それで思わず俺が外に飛び出たら、煙の向こう側から砕けたヘルメットやぐちゃぐちゃになったライディングウェアを脱ぎ捨てて青年が現れたんだよ」

 

斎藤T「…………それが“皇帝の王笏”と呼ばれたトレセン学園のトレーナーだったと?」

 

飯守T「ああ。黒煙の中から姿を現した時の顔や姿は忘れようがないさ」

 

飯守T「それで甲子園優勝も夢破れて、親への反発もあって大学受験にも失敗して、やることが見つからなかった時に、たまたまウマ娘レースでシンボリルドルフの特集があったのを見て、俺はハッとなったんだ」

 

才羽T「その時から命の恩人に憧れてトレセン学園のトレーナーになることを目指し始めたわけですか」

 

飯守T「ああ。だって、最初に見た時はシュワちゃんみたいでカッコよかったし。でも、ハンサムだったからシュワちゃんが敵になるやつの主人公っぽかったか?」

 

飯守T「でも、結局は俺はライスをカッコよく勝たせることはできなかったな……」

 

才羽T「いや、花は全ての女性を輝かせる――――――。ライスシャワーにはライスシャワーの花の咲かせ方があって、飯守Tは見事にそれを咲かせてみせましたよ」

 

才羽T「負けて悔しいと思う心もレースには大事ですが、重い荷物は捨てて手ぶらで歩いたほうが楽しいじゃないですか」

 

飯守T「……そうだな。俺も野球のことが今でも大好きだし、スポーツを通じて勝ち負けよりも大切なものをもらってきているしな」

 

飯守T「でも、やっぱり負けたら悔しいからな!」

 

飯守T「よし、覚悟しろよ! 来年の『URAファイナルズ』は絶対にライスが勝つからな!」

 

才羽T「受けて立ちますよ、飯守T」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――運命は このように扉を叩いて どこを目指すのかを問いかけてくるのであった。

 

 

*1
1991年型ハーレー・ダビッドソンFLSTF FAT BOY



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◆序章:後半 登場人物一覧 ✓

■ 桐生院チーム ……所属:ハッピーミーク(3年目:シニア級)

代々優秀なトレーナーを輩出してきた『名門』桐生院 葵のチーム。

当初はハッピーミークという素質あるウマ娘と名門トレーナーの組み合わせによるスタートダッシュが著しかったが、

徐々に桐生院Tとハッピーミークの間にあるズレが生じて、最終的には同期である2人のトレーナーに追い抜かされる格好となってしまった。

それでも、名門トレーナーとしての手腕は確かなものがあり、数多くのレースで勝利を重ねていけるだけの実力はあるが、人気はいまいち振るわず。

 

そんな折にサブトレーナーとしてチームに迎えたのが本作の主人公:斎藤 展望であり、

『名門』としての重圧にまた屈しそうになってしまっている桐生院Tを支えながら、

模擬レースで 古バとは言え “三冠ウマ娘”ナリタブライアンにハナ差でハッピーミークを勝たせていることから大きく立ち直っていくことになる。

 

メジロマックイーンの不調もあったが、『天皇賞(秋)』に堂々と勝利したことで名門トレーナーとしての面目と自信を取り戻すことができた一方で、

“無敗の三冠ウマ娘”を世に送り出した同期の天才トレーナーの存在が常に眩しく写っており、憧れの存在として いつしか恋焦がれるようになっていた。

しかし、自身が掲げていた担当ウマ娘を第一とする信条と憧れの人への想いの間でせめぎ合うことになり、

そこに名門トレーナーとしての重圧と責任感から無意識に()()()()()()()()()()()()()()()現実逃避したいという願望を膨らませるようになり、

『有馬記念』前日は担当ウマ娘の最終調整をサブトレーナーに任せて、自身は『東京大賞典』の観戦に向かってしまっていた。

実は、サブトレーナーになった斎藤 展望の存在もまた、己の力不足や劣等感を引き立たせることにもなっていた。

そのため、自分の気持ちの整理をつける建前で『東京大賞典』を観戦しにいくワガママを言い出したのを特に気にせず受け入れられたことに、逆に自分の存在価値がなくなったように感じてしまう。

その結果、『有馬記念』前夜において過去に“目覚まし時計”を何度も使ってまでハッピーミークを勝たせていたのに、全てを投げ出して楽になろうとしたことで真夜中にWUMAに襲われ続ける時の牢獄に囚われることになった。

最終的には憧れの人:才羽Tから直接のお叱りを受けたことで名門トレーナーであることの重圧と責任感から解放され、

それによって何者でもなくなってしまった喪失感と虚無感を斎藤Tが支える形で、自分の未熟さを受け容れることになり、『有馬記念』を無事に迎えることができた。

 

 

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:斎藤 展望(さいとう のぶもち)

年齢:20代前半

所属:トレセン学園トレーナー 1年目

血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

 

誕生日:06月30日

身長:185cm 

体重:3ヶ月間の意識不明の重体によって減量気味

体格:ガタイが良い

 

好きなもの:唯一の肉親である妹

嫌いなもの:妹を苦しめるありとあらゆるもの全て

得意なこと:妹のためになること全て

苦手なこと:妹のためにならないこと全て

 

この物語の主人公であるが、トレセン学園のトレーナーになって早々に不慮の事故で当人は死んだも同然となり、

たまたま別の人間の霊魂が乗り移って肉体を動かしているので、プロフィールとなる前歴がまったく意味を成さない状態となっている。

また、本作に登場する 世界的な未確認侵略生物“WUMA”とは正反対の存在とも言える状態であるが、広い意味で同じ地球外生命体と言える存在である。

わかりやすく言うと、下記の嘘が本当になったものである。

 

「聞こえるか、隊長さん! 俺は宇宙人だ! ショウ・ザマの身体を借りている宇宙人だ!」

 

「聞こえるか! 俺はカシオペア座の第28惑星系の人間だ! あの人たちはまったく関係ない! 聞こえているか!?」

 

そのため、意識不明の重体から復活した後は完全に別人であり、別人のように周りに思われてしまう辺りは本質的にWUMAとまったく変わらない。

本人としては太陽系に最も近い恒星:プロキシマ・ケンタウリの惑星に辿り着いたのと同じ感覚で新惑星での日々を送っている。

実際、23世紀の未来人から見た 何かがちがう21世紀の過去の地球なんて時代遅れな異世界でしかなく、頼れる人もいないので全力で“斎藤 展望の人生”に乗っかることにしている。

 

内心では自身を人類最高峰の頭脳を持つ世紀の天才;波動エンジンの開発エンジニアと憚らないが、

それに負けず劣らずの皇宮警察のエリートの才能と血筋を受け継ぐ“斎藤 展望”の記憶を継承できなかったにも関わらず、

記憶喪失で誤魔化していることもあるが、妹:ヒノオマシや古い付き合いの藤原さんから受け容れられるほどの“斎藤 展望らしさ”が備わっているらしい。

また、自身が天才であることは客観的な事実ということもあり、それに奢ることもなく、非常に高度で柔軟な対応と誠心誠意の使い分けをすることができ、

宇宙開拓時代を迎えた23世紀の平和と繁栄の中で育まれた人生観と倫理観はそのまま21世紀でも通用している。

どちらかと言うと、波動エンジンの開発エンジニアであることよりも宇宙移民船のクルーであることにアイデンティティを置いているからこその責任感と連帯意識の高さなのだろう。

 

そうした経歴と実績から、妹と金のためにトレセン学園のトレーナーになった“斎藤 展望”の悪名高さで 日本人にしてはでかい図体で余計に目立つこともあって 周囲からは白眼視されてはいるものの、

復活後に直に接してみた人間からの評判はよく、トレセン学園でも理解者が 徐々にだが 増えつつある。

もっとも、その悪名高さを決定付けることになったのはトレセン学園の裏側にある『名家』と『名門』の対立の煽りを受けたものであり、彼自身が天皇家に親しい家柄なのも響いていた。

 

このように本作は原作『ウマ娘プリティーダービー』の本編では語られることのない広い世界を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が冒険するのがテーマとなっている。

同時に、自身の計画である『宇宙船を創って星の海を渡る』ためのリソース確保に動きながら、

宇宙移民にとってもそうだが 既存の人間社会の大敵であるWUMAを撲滅するための果てしない戦いに身を投じることになる。

 

三女神像の因子継承の儀式によって、過去のトレセン学園で活躍した同じく無名の新人トレーナーの先人2人の因子を受け継いでいるが、具体的にはどういった効果や特典があるのか現状では不明。

一方で、異世界転生したことで四次元空間を漂流した感覚を記憶していたことで“特異点”と化しており、三次元存在が行使した四次元能力を一方的に支配することが可能となっている。

これにより、WUMAが空間跳躍を使った場合は逆にそれを利用して完全上位である時間跳躍で返り討ちにすることができるが、逆に相手が人間を超越した身体能力で圧してくると手も足も出ない。

そのため、能動的に四次元能力が発動できる装置が開発されない限りはWUMAの能力を逆手に取る綱渡りを強いられることになり、

一応、和田Tから没収した“目覚まし時計”のおかげで3回まで復活することが可能であるが、できる限りは死なないように全身全霊で立ち回ることになる。

ただ、WUMA対策は賢者ケイローンからの情報提供もあって着々と進んでおり、WUMAを殺す方法を幾通りも考案しており、

更には、アグネスタキオン特製の肉体改造強壮剤によってシニアクラスの角を圧し折るぐらいのパワーを得ているので、不意討ちからならWUMAは確実に殺せるぐらいには仕上がっている。

 

 


 

 

■ 才羽チーム ……所属:ミホノブルボン(3年目:シニア級)

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:才羽 来斗(さいば らいと)

年齢:20代前半

所属:トレセン学園トレーナー 3年目

血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

 

誕生日:04月11日

身長:174cm 

体重:トレセン学園のトレーナーとしてはそれなりの筋肉量

体格:普通の日本男子に見せかけて細マッチョ

 

好きなもの:天の道を行き 総てを司る男、太陽のような笑顔

嫌いなもの:子供の願いを踏み躙る未来の現実、曇った表情と泣き顔

得意なこと:不断の努力、失敗なんてない人生

苦手なこと:間違っていることに頷くこと

 

桐生院Tと同期の驚異の天才トレーナー。原作における育成モードの主人公に当たる存在。

無名の新人トレーナーでありながら適性が【短距離】(スプリンター)だったミホノブルボンを“クラシック三冠ウマ娘”に導いた正真正銘の天才。

ミホノブルボンが“お父さん”のような存在だと感じるほどの包容力と意志力があり、傍から見るとイケメンパパに見える甘いマスクの持ち主でもある。

また、優男に見えて『間違っていることに頷くこと』は決してしない剛直さ;裏返すと頑固な一面があり、それによって他者との衝突も辞さない苛烈なところもある。

 

基本的には担当ウマ娘の意志を尊重した接し方をしているが、その在り方が天衣無縫で、桐生院Tがライバルとして憧れの念を抱くほどである。

また、無敗ではなかったものの、『失敗なんてない人生』として敗北さえも糧にして ここ一番で絶対に勝つという勝負勘にも優れており、とにかく太陽のように前向きに生きる在り方を志向している。

 

2期後輩の意識不明の重体から復活した斎藤Tとは担当ウマ娘との付き合い方に関しての意見を交わしており、互いに感じ入るものもあって良き友人関係となっている。

ちなみに、言うまでもなく その在り方は()()()()()()()()()()()に憧れてのものであり、

あらゆることを卒なくこなす天才ぶりを発揮し、特に競走バのための健康スイーツを創作するパティシエとしても名が通っている。

ウマ娘のトレーナーになったのは同じ国民的ヒーロー業とも言える『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘たちを身近に応援するためである。

つまり、テレビ番組という晴れ舞台ではなく、現実世界における太陽の光が差さない場所に強い関心を持って目を向けていた――――――。

 

実は、“目覚まし時計”を幼い頃から使っていたことで、人間としての努力を重ねることの真髄を体得しており、

それによって“目覚まし時計”を一度も使わずに初めての担当ウマ娘を“無敗の三冠ウマ娘”に導くほどの能力と直感と天運を得るに至っていた。

そのため、秋川理事長の一番のお気に入りであり、彼のやること成すことを二言三言で了承するため、トレセン学園においてはまさしく名実共に天上の存在となっている。

一方で、自身に好意を持つようになっていた同期の桐生院Tには前々から憐憫の情を抱いており、

雁字搦めになって自身の良さを活かせなくなっている彼女のために、自身も『有馬記念』前夜で時の牢獄に巻き込まれた際は、あえて桐生院Tを突き放す態度で叱りつけている。

しかし、それは斎藤Tという優秀なサブトレーナーが彼女を支えてくれるからできたことでもあり、斎藤Tとは方向性は違えども通じ合っている仲となっている。

実際、桐生院Tに斎藤Tを会って話をするように薦めたのは才羽Tであり、自分よりも斎藤Tの方が桐生院Tと相性がいいことを見抜いていた。

そのため、斎藤Tにとっても桐生院Tにとっても恩人とも言える存在となっている。

 

 

■ 飯守チーム ……所属:ライスシャワー(3年目:シニア級)

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:飯守 祐希(いいもり ゆうき)

年齢:20代前半

所属:トレセン学園トレーナー 3年目

血統:父親(ヒト) -警視総監 / 母親(ヒト) -学閥令嬢

 

誕生日:07月25日

身長:173cm 

体重:トレセン学園のトレーナーとしては結構な筋肉量

体格:甲子園球児だったのでガッチリしている

 

好きなもの:努力・熱血・友情

嫌いなもの:親の七光り、冷たい人間関係

得意なこと:直球勝負

苦手なこと:搦め手

 

桐生院Tのもうひとりの同期となる熱血トレーナー。原作における育成モードの主人公に成り損ねた存在。

本来は新人トレーナーらしく、先輩トレーナーのチームで経験を積んでから自分自身の担当ウマ娘を探そうとしていたが、

同期に桐生院Tと才羽Tという対照的な2人の注目株がいたことで、先輩トレーナーとの方針が合わなくなってチームを追い出されることになる。

そこから桐生院Tと才羽Tという優秀な同期と自分自身を比較しながら試行錯誤と自己研鑽を重ねていく中で、『選抜戦』から逃げ出してしまうライスシャワーと運命的な出会いを果たすことになる。

 

生まれは正真正銘のエリートで熱血甲子園球児だったのだが、家庭不和から父親に反発して まったく別の道を歩んでいったら、なぜかウマ娘のトレーナーになってしまっていた。

どうやら、親の七光りと言われないように できるだけ自分の実力が試せる場所を選んだら、そうなっていたらしい。

そのため、ウマ娘のトレーナーとしてはまったくのコネも実績もない無名の新人であったが、

気弱なライスシャワーとは相性が抜群であり、同期の桐生院Tや才羽Tと比べると遅咲きであったが、徐々に同期2人の担当ウマ娘との間にある実力差を埋めていくことになった。

『菊花賞』のミホノブルボンや『天皇賞(春)』のメジロマックイーンとは接戦の末に敗れて惜しくもG1勝利を逃すものの、

最終的には『宝塚記念』で桐生院Tのハッピーミークやメジロマックイーンを下してG1勝利を果たし、数多くのファンから祝福されることとなった。

担当トレーナーが元甲子園球児ということで元から知名度も高く、警視総監と学閥令嬢のご子息であったことも人気の高さに繋がっていたのだが、そのことを本人は知らない。

しかし、元甲子園球児とスターウマ娘の国民的スポーツ選手(ヒーロー)のコラボレーションの宣伝効果は高く、トレセン学園でもトップクラスの知名度とファンを獲得するに至る。

方向性は違えども、こういうところが才羽Tと共通しているわけである。

 

なお、『菊花賞』のミホノブルボン、『天皇賞(春)』のメジロマックイーンとはプライベートでも仲がよく、担当トレーナー同士でも関係は良好となっている。

そのため、『天皇賞(春)』で敗れた後に『宝塚記念』でリベンジした相手であるメジロマックイーンに対しては繋靭帯炎の発症した際に心を痛めることになる。

なお、このメジロマックイーンはミホノブルボンの担当:才羽Tの健康スイーツの大ファンであり、野球ファンということで甲子園球児だった飯守Tのサインをねだるなどトレーナーとも繋がりが深い。

 

2期後輩の意識不明の重体から復活した斎藤Tとは8月末の学生寮侵入事件での重要参考人という繋がりで知り合うことになり、

『警察官の息子である』という共通点をきっかけに意気投合することになり、互いにバラを贈呈し合うこととなる。

また、数少ない怪人:ウマ女の目撃者として あまり頼りたくはない警視総監である父親のコネから情報を引き出そうとしてくれている良き協力者になっている。

 

実は、理事長秘書:駿川 たづなとは随分と仲が良い模様。

 

 


 

 

■日本ウマ娘トレーニングセンター学園

 

●学園理事長:秋川やよい

 

●理事長秘書:駿川 たづな

 

 

●“皇帝”シンボリルドルフ

『ウマ娘 プリティーダービー』は一人一人が主人公となる群像劇である性質上、全員が全員の物語で登場することはないにしても、

少なくとも、『ウマ娘 プリティーダービー』の舞台であるトレセン学園の顔役として絶対に欠かすことができない大黒柱であり、

誰を主役にしても生徒会長:シンボリルドルフの存在を抜きにしてトレセン学園の物語を構成することができないぐらいに『ウマ娘』の中心人物として君臨している超重要人物。

本作では『アニメ版』のようなサザエさん時空ではなく、“皇帝”シンボリルドルフが入学して卒業するまでのトレセン学園の黄金期やその前後の時代や時間経過をきっちり設定しているため、

どうしても誰かを“クラシック三冠バ”に据えるためには踏み台となる世代を用意しなくてはならないことから、40年以上の日本競馬の歴史を中高一貫校の6年間に凝縮した原作設定から大きく改変せざるを得なかった。

本作では暗黒期という独自の過去設定を踏まえた上で形成された人格と生い立ちとなっており、夢の舞台で起こり得るだろう諸問題について頭を悩ませ続けてきた苦労人として描かれている。

 

これまで3人の無名の新人トレーナーとの出会いと別れを繰り返して、その最初の賢人であった暗黒期の通称“ウサギ耳”から渡された予言書『ウマ娘 プリティーダービー』に従って“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としての道を歩んできた。

そして、自身が競走ウマ娘としてデビューを果たして“皇帝”として秋川理事長と共に築き上げる黄金期を共に歩んだ“皇帝の王笏”と渾名された担当トレーナーとは一生分の愛を育んで永遠の別れを体験しており、

自身が卒業する年にめぐりあった新年度早々にウマ娘に撥ねられて三ヶ月間の意識不明の重体に陥った悪名高い新人トレーナーこと“斎藤 展望”が最後に“新堀 ルナ”として全てを曝け出せる存在となった。

そして、これからも“皇帝”としてがんばっていくことを自身を導いてくれた無名の新人トレーナー3人に誓って、『有馬記念』を機に引退することとなる。

卒業後の進路は海外留学ということになっており、名実共に『名家』シンボリ家の総領娘としての道を歩むことになっている。

 

 

●“女帝”エアグルーヴ

現生徒会副会長。“三冠ウマ娘”ナリタブライアンとは同期のティアラ路線で勇名を馳せた“女帝”であり、順当に行けばシンボリルドルフ卒業後の次期生徒会長となる人物。

基本的にはシンボリルドルフよりキツめの性格だが、母は数々の偉業を成し遂げた競走ウマ娘であり、後進をも育成してきたため、偉大なる母親を理想としてトレセン学園を見事に牽引していくことだろう。

しかし、彼女の次に続くじゃじゃ馬揃いの個性豊かなトレセン学園の顔役となるカリスマ性を持つ競走ウマ娘がいないことが生徒会長:シンボリルドルフの悩みの種となっていた。

 

誇り高い理想主義者であるため、アメとムチにおいては綱紀粛正のムチの役割を担当しているため、基本的に問題児に対しては厳しい態度で臨む。

そのため、新年度早々に問題を起こしたトレセン学園一の嫌われ者:斎藤Tに対しても良い感情は持っておらず、アグネスタキオンとつるんで何をしでかすか、気が気でならない。

ただ、その出自や能力に関しては認めており、正直に言って自分では手に余る相手なので、もうひとりの生徒会副会長の方に丸投げすることで心の安定を図ろうとしている。

 

 

●“怪物”ナリタブライアン

もうひとりの生徒会副会長。“三冠ウマ娘”として勇名を馳せて姉妹揃っての『ドリーム・シリーズ』移籍が話題となる。

その圧倒的な強さに惹かれて人が集まってくるタイプであり、一匹狼であまり勤勉ではない彼女がもうひとりの副会長なのは現生徒会長:シンボリルドルフからの指名であり、

姉:ビワハヤヒデを抱き込むことで、本人はあまり乗り気ではなかったが、姉の顔を立てる面目でやる気も程々に、生徒会の一員として働かせることに成功している。

これも“三冠ウマ娘”であるナリタブライアンのネームバリューからトレセン学園の顔役として使わない手はないという思惑があり、

生徒会長:シンボリルドルフがエアグルーヴと比べて勤勉ではないナリタブライアンをそのままにしているのも、2人の次の世代となる生徒会役員に求められるハードルを下げるためでもあった。

そのため、事務能力や勤務態度は二の次としてトレセン学園の実力の高さを示すための番犬みたいな立ち回りを許していた。

実際、あまり仕事をしないことがわかっているので、生徒会副会長の肩書はあるものの、その威容でもって相手に言うことを聞かせて回る“簡単なお仕事”をする使いっぱしり:庶務のような扱いを受けている。

 

生徒会長:シンボリルドルフとはちがって実際にWUMAの脅威を目の当たりにして斎藤Tに助けられた経緯を持つことから、斎藤Tに対しては 姉妹共々 恩義を感じているため、彼女にしては珍しく気を遣った態度を見せている。

また、斎藤Tの最愛の妹:ヒノオマシには姉妹共々タジタジであるため、この兄妹に対しては非常にやりづらさを感じているが、自分とはちがった世界に生きている兄妹の在り方に関心を抱くようになった。

 

 

 

●“帝王”トウカイテイオー

本作におけるキーパーソンの一人であり、誰もがその実力や才能を認めながら“三冠ウマ娘”にも“無敗のウマ娘”にもなれなかった“悲運の天才”。

その悲劇性ばかりが取り沙汰されるが、実際には優駿たちの頂点を決めるG1レースで勝利を積み上げていることからもわかるように、

まさしく“天才”とも呼べる別格の強さを持っており、特に二度目の復活となる『ジャパンカップ』の復帰戦で勝利を収めている時点でその非凡さが窺える。

 

本作においては三度の敗北を語りたくなる“皇帝”とはまったく異なる道を歩んできた 傷だらけに成りながらも這い上がってきた“帝王”としての貫禄を身に着けることになり、

全盛期の自分に擬態した偽物のトウカイテイオー’を打ち負かした上で『有馬記念』で並み居る猛者たちに競り勝った堂々たる勝利によって、日本中から声援を集めることになった。

しかし、本人としては不屈の精神で這い上がることができたが、担当トレーナーである岡田Tの方が精神的に限界であったこともあり、

“皇帝”から与えられた“帝王”としての新勝負服で昨年のリベンジを果たして有終の美を飾ったことにより、昨年の『ジャパンカップ』では果たされなかった引退を堂々と宣言するに至った。

その後は同期の好敵手だったメジロマックイーンと共に次期生徒会メンバーになることが内々で決定している。

 

基本的には“皇帝”シンボリルドルフを中心にしたトレセン学園の物語であるため、他所の担当ウマ娘であるトウカイテイオーと主人公:斎藤Tの繋がりは希薄である。

ただ、公にはできない岡田Tの現場復帰や偽物成敗の立役者であり、“皇帝”シンボリルドルフも困ったことがあったら彼を頼るように言い残していること、

長らく学園の話題から離れて三度目の復活を期して孤独なトレーニングを積み重ねていたこともあってか、斎藤Tのことは噂でしか知らないため、

よくは知らないけれどもシンボリルドルフや担当トレーナーが揃って信頼している人物として一定の敬意をもって接することにしている。

 

 

●“名優”メジロマックイーン

トウカイテイオーの同期にして好敵手の“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”の称号を得た『名家』メジロ家の令嬢。

『宝塚記念』の後に故障によって引退も已む無しと思われていたが、一念発起して『京都大賞典』でコースレコードを打ち立てて『天皇賞(秋)』で5着で引退となっているため、メジロ家の意地を世間に見せつけることに成功。

後にトウカイテイオーの『有馬記念』での劇的勝利を飾って引退したことによって何かと比較されることになったが、かつての世代の中心であった2人が上位リーグである『ドリーム・シリーズ』に進めなかったことを悔しく思うファンも数多い。

その後は、生徒会長:シンボリルドルフから贈り物として新衣装を贈られてもいることを大々的に宣伝しているため、同期の好敵手だったトウカイテイオーと共に次期生徒会メンバーになることが内々で決定している。

 

本作においてはトウカイテイオーと比べるとそこまで比重が置かれている存在ではなく、トウカイテイオーの同期の良き好敵手という立ち位置に収まっている。

事実、シンボリルドルフを中心としたウマ娘たちの視点と岡田Tや和田Tたちを中心とした担当トレーナーたちの視点を公平に学ぶため――――――、

あるいは、メジロマックイーンと和田Tに起きた悲劇を通じて“目覚まし時計”による時間の巻き戻しと時の牢獄の事象を学ぶための配役だったと言える。

そのため、主人公:斎藤Tとの関係はトウカイテイオー以上に希薄で、まさに他人。他所のウマ娘。

トウカイテイオーと同様に自分たちの進退を賭けた復帰戦に全てを賭けてトレーニングに集中していたため、復活後の“斎藤 展望”の評判については詳しいことはまったく知らない。

一方で、担当トレーナー:和田Tからすれば、『天皇賞(秋)』で担当ウマ娘と心中しようとしていたのを何周にも渡ってあの手この手で追い掛け回して救いの手を差し伸べ続けた大の恩人なので、

担当ウマ娘のトウカイテイオーとメジロマックイーンは知らなくても、担当トレーナーの岡田Tと和田Tにとっては斎藤Tは頭が上がらない存在となっている。

 

 

●“万能”ビワハヤヒデ

“三冠ウマ娘”ナリタブライアンの実の姉で、姉妹揃って上位リーグ『ドリーム・シリーズ』への移籍もするほどの強豪であることから“最強姉妹”として名が通っている。

ただし、後述する『ウマ娘 プリティーダービー』における設定上の最大の矛盾となる“ミスターシービー問題”によって、

ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンの3名の“クラシック三冠ウマ娘”が同時に高等部に所属するように設定すると、ナリタブライアンの実の姉であるビワハヤヒデらBNW世代が『クラシック三冠』を絶対に勝つことができなくなってしまう――――――。

これを解決するためには、そもそも同世代の好敵手が登場していない上に影が薄いミスターシービーを最初からいなかったものとして扱えば、

ナリタブライアンを高等部1年生にしてBNWをティアラ路線のエアグルーヴと同年代:高等部2年生にすれば史実通りの戦績にできるが、

今度は本作でやったトウカイテイオーとメジロマックイーンの悲劇を採り入れようとするとナリタブライアンが2人と同年代になる矛盾が生じてしまう。

生徒会長:シンボリルドルフの存在は『ウマ娘 プリティーダービー』においては絶対であり、生徒会長:シンボリルドルフともっとも関係が深いトウカイテイオーを抜きにトレセン学園の物語を組み立てるのは違和感があるので、

本作においてはBNWは『“七冠バ”シンボリルドルフに迫った同世代の好敵手だった』という割りを食った設定となっている。

 

トレセン学園の生徒の中では業務上の付き合いがある担当トレーナーを抜きにして斎藤Tに好意的に接して逆スカウトしてきた唯一のウマ娘であり、

“怪物”と恐れられた妹:ナリタブライアンの影響で、あらゆる可能性を模索して偏見を持たずに公平な態度でアグネスタキオンにも接することができるような懐の深い人柄のため、斎藤Tとしても気品があって理知的で聡明な彼女に好印象であった。

すでにシーズンも後半で卒業を控えている他所のチームの担当ウマ娘であったので逆スカウトのお誘いはありがたくも丁寧にお断りすることになったが、

初対面での逆スカウト以降から互いの妹を交えた親しい交友関係を築くことになり、シンボリルドルフの次に斎藤Tのことを信頼しているウマ娘となった。

斎藤Tの正体が23世紀の宇宙移民船のクルーであることを踏まえると、アグネスタキオンの次に相性がいいウマ娘であり、

理知的で偏見を持たずに公平な態度で物事に取り組むという理解のある性格のため、斎藤Tのライフワークとなる新製品開発のモニターになることも快く引き受けていたことだろう。

彼女のハイパー癖毛も再現された23世紀の科学力で何とかしてしまえる自信があり、常識的でおしゃれや身嗜みもしっかりとしている彼女を通じて未来の便利グッズ開発に着手しやすい。

また、戦友であるBNWや実の妹:ナリタブライアンを巻き込んでモニターにすることもできていたことから、

もしも“斎藤 展望”に転生していなければ、ビワハヤヒデの担当トレーナーになる可能性も十分にあったかもしれない。

ただし、23世紀の天才エンジニアの能力を最大限に活かせるのは『生活能力が無くて』『試作品の整備や検査ができて』『開発資金を提供できる』アグネスタキオンなので、

アグネスタキオンやナリタブライアンと比べれば極めて真っ当な真人間であるビワハヤヒデはベターであってもベストではなかった……。

 

 

 

●“黄金の不沈艦”ゴールドシップ

公式でも学年不明の存在であり、『ゴルシだから』の一言で何でも許される『ウマ娘』におけるデウス・エクス・マキナ。

神出鬼没かつ意味不明の言動や思考によって周りの人間を振り回している変人奇人だが、総生徒数2000名弱の全国から選りすぐりの個性豊かな競走ウマ娘が結集するトレセン学園では屈指の変人奇人だが 要注意人物扱いされてはいない。

実際、彼女の奇行の被害者になるのは常に身内や同類と一方的に認めた相手ばかりであり、シンボリルドルフやエアグルーヴ相手に傾くような真似は一切しない。

むしろ、節操なく他人を被験体にしようとするアグネスタキオンの方が問題児であり、ゴールドシップはしっかりと相手と状況を見極めた上でギリギリを攻めている節がある。

23世紀の天才エンジニアである斎藤Tとしては 真意は不明だが芯のあるイタズラ者であることはしっかりとわかった上で応対しているので、時折 本音とも言えるものを打ち明けられることがある。

 

 

 

 

 

●“超光速の粒子”アグネスタキオン(アグネスターディオン)

学者肌の『名家』アグネス家の“最高傑作”とも言われている変人奇人の問題児であり、“触れるべからずのタキオン(アンタッチャブル・タキオン)”として学園の要注意人物となっている。

自身の競走バとしての天性の才能を自覚しながらも 自身の脚が能力に追いついていない問題を克服する自己改造のヒントを得るためにトレセン学園では実験三昧の日々を送っていた。

本作においては同期のマンハッタンカフェがすでにシニア級となっているのに対して、ずっと“待つことを選んだ”というIF展開を遂げており、

長年に渡る肉体改造強壮剤の使用によって少しずつ強靭な肉体を得ていき、『本格化』を迎えていないので いきなりシニア級の猛者たちと戦えるほどの能力は持っていないが、デビュー前の競走バとしては順当に歳を重ねたこともあって最強のステータスを持つに至る。

しかし、マンハッタンカフェたちを圧倒した初めての『選抜レース』での勝利からスカウトしに来たトレーナーたちのあまりの無理解に失望して全ての誘いを素気なく払い除けて実験室に閉じ籠もっていたことで、

ようやく肉体が自身の能力に耐えられるぐらいに強靭になったところで自身が積み上げた悪評によってスカウトしてくれそうなトレーナーもいないことで粛々とトレセン学園の退学を受け容れるつもりではあった。

 

ところが、新年度早々にウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になっていた悪名高い新人トレーナーが彼女を助けに深夜の実験室に訪れたことで転機が訪れることになり、

最初は他と同じように自身の研究に対して否定的であったものの、肉体改造強壮剤の有用性を即座に見抜いて取引関係を結ぶことになって、初めて得ることができた理解者に心が躍ることになった。

また、たまたま新薬の実験に失敗して意識を失ってしまったことで自身に擬態したWUMAが擬態対象が死んだものと誤解して そのまま人格がアグネスタキオンの精神に染め上げられた結果、

元々“もうひとりの自分”を欲しがっていたこともあって自分を殺しに来ていたWUMAが擬態したアグネスタキオン’の存在も快く受け容れ、灰色に染まっていた日々が色付くようになった。

 

以来、来年にデビューすることを前提に3人で秘密のチームを組むことになり、アスリートとして健康的な生活を送らせることともうひとりの自分の正体が露見しないために昼間に活動するようになって、外出も多くなった。

そして、何かと斎藤Tが彼女の側にいて実験の被験体にされている姿が目撃されたため、2人の関係は様々な名目で注目する野次馬によって噂されるようになった。

実際、23世紀の天才エンジニアが評価するように卓越した頭脳と知識と情熱を持つロマンチストな科学者である彼女とは非常に相性が良く、

生活能力が皆無なところも23世紀で普及していた全自動家財道具を21世紀で実装するための実験台としては理想的であり、まったく欠点になっていない。

むしろ、生活能力はなくても、ある程度の新開発の試作品のメンテナンスや性能検査を行えることが重宝されており、必要となれば実家であるアグネス家からの出資も受け取れるので、最高のビジネスパートナーとなっていた。

つまり、アスリートの養成機関であるトレセン学園の人間なのに、本業とは関係ないところで本領発揮して意気投合している間柄で、

彼女が競走ウマ娘として自身の夢を掴むためにトレーナーをモルモット扱いするように、トレーナーの方も彼女を新製品開発のモニターとして利用し合っているわけなのだ。

また、新製品開発は不摂生で無頓着な協力者の生活環境や習慣を整える目的も兼ねて行われているため、

たとえば、新製品開発のために実験室で洗顔や洗髪のテストを行うようになり、それで人前に姿を見せた彼女から頻繁にちがうシャンプーの香りや清潔感が漂うことで、彼女を知る者たちに大きな変化があったことを臭わせることになった。

そのため、ここまで親密な距離感になった人間はいなかったということで、斎藤Tのことを得難い存在として大切に思っている。

なお、WUMA対策や新製品開発で忙しいので手作り弁当なんてものは斎藤Tから振る舞われていないが、

その代わりに様々な宇宙食や携帯食料、保存食を取り寄せて食レポをつけるように言われているので、粗食なのは変わらないが悪食は改善されて割と舌は肥えている。

因子継承は『ドリーム・シリーズ』に移籍が決まったビワハヤヒデとナリタブライアンのものを受け継いでいる。

 

 


 

 

■並行宇宙の地球の支配種族“フウイヌム”

 

●“もうひとつの超光速の粒子”アグネスタキオン’(スターディオン)

本来は実験室に籠もりきりのアグネスタキオンと“成り代わり”をしようとしていたWUMAだったが、

ちょうどよく擬態対象が新薬の実験で死んでしまったと勘違いしてしまったことで擬態直後の殺人衝動が失われ、

そのまま擬態対象そのものに成りきったことで、擬態対象が息を吹き返しても常日頃から“もうひとりの自分”を欲していたこともあって、互いに納得し合って共存を果たすことになった。

現状では唯一無二の人類側のWUMAであるため、WUMA研究やWUMA対策において非常に重要なキーパーソンとなるが、

本物がターフの上で走ることに意義があるために、偽物である自分が実験室に籠もって夜型の生活を送っているので、トレセン学園ではその存在を知る者はほとんどいない。あるいは本物と区別がつかない。

 

完全に擬態対象に成りきってしまったことから正体はジュニアクラスのWUMAの一個体に過ぎないのだが、擬態対象であるアグネスタキオンの知能の高さから最上位のエルダークラスの血統であることが推測され、

擬態した状態で進化を進めて自我を確立させることで人間としての自我を維持したまま人類の味方となるWUMAが誕生するのではないかと進化のための方策を探っていたところ、

三女神像の因子継承において、斎藤Tを介して賢者ケイローンと偽物のシンボリルドルフ’に擬態していたヒッポリュテーの2人のエルダークラスの因子を受け継いだことで、エルダークラスを超越したスーペリアクラスに進化している。

これによって、本来あるべきWUMAとしての帰属意識は完全に消去され、擬態対象であるアグネスタキオンの人格をベースにシンボリルドルフやヒッポリュテーの意識や体験が混ぜ合わさった自我が確立され、

擬態を解除しても敵性存在に戻ることはなくなり、上位クラスのWUMAからの命令に絶対服従させられる危険性も解消されている。

そして、“特異点”である賢者ケイローンの因子を受け継いで空間跳躍を超越した時間跳躍を使えるようになっている他、シニアクラスの超能力やエルダークラスの飛翔能力も展開できるため、地上最強の超科学生命体へと進化を果たしている。

しかし、時間跳躍の負担は三次元の肉体では激烈なもので、おいそれと使えば賢者ケイローンのように肉体を失ってしまう恐れがあるため、最後の切り札として慎重に使用を検討するものとなっている。

 

そのため、因子継承をしてからは擬態対象であるアグネスタキオンとは完全に別人として扱われるようになり、

“もうひとつの超光速の粒子”としてスーパーターディオン(Super-Tardyon);略してスターディオン(S-Tardyon)の名が与えられることになった。

また、元々が上位クラスの命令に絶対服従かつ擬態対象の人格に染め上げられるジュニアクラスだったことも影響して、

因子継承で受け継いだエルダークラス:ヒッポリュテーとそれが擬態していたシンボリルドルフの記憶や体験が色濃く反映されることになり、

本物のアグネスタキオンよりも高圧的でワガママで初心で独占欲が強い性格になりつつあるが、基本的には実験室の外には出さないので対外的な問題は起こらない。

ただ、因子継承の原因となった()()()()()を斎藤Tがいつまでも引き摺る羽目になり、本物のアグネスタキオンよりも感情に素直なっている上に正体が最強格のWUMAなので非常に気を遣う存在となっている。

 

 

●“超科学生命体の禁忌に触れた特異点”賢者ケイローン

本作における物語の導き手であり、壮大な冒険の始まりを担う役割を持った存在。

普段はヒノオマシに飼われて飼育日記をつけられて可愛がられているコーカサスオオカブトだが、時間跳躍能力でどこへでもワープしてくることができ、斎藤Tの四次元能力の感覚を研ぎ澄ますのが役割。

元々は並行宇宙の地球を支配する怪人:ウマ女の種族“フウイヌム”において最上位のエルダークラスであり、

他種族に対して公然と差別するのが当然の“フウイヌム”では非常に理知的で公平な考え方を持っていた根っからの学者肌であった。

そのため、元々は研究熱心で“フウイヌム”の繁栄のために幅広い分野で研究を重ねて知見を得ていたことで賢者と呼ばれるほどの叡智と名声を得ていたのだが、

その知的好奇心がついに元々の擬態能力によって他の文明社会を侵略する超科学生命体の起源に迫ったことで禁忌に触れたとして処刑されそうになってしまう。

そのため、独自の理論から超科学生命体として組み込まれていた空間跳躍能力を超越した時間跳躍能力を実現するに至り、侵略中の()()()()()()()に逃走した後に、10年前の過去となる現在の地球:本編の舞台へと飛来している。

その禁忌の中にあった予言から救世主となる存在を探し求め、8月半ばの隕石が降ってきた日にコーカサスオオカブトの肉体に宿ることになった。

 

コーカサスオオカブトの成虫の寿命は半年以内とされているため、その死期は近いが、それまでに可能な限りの情報や知識を引き出すことになり、

アグネスタキオン’への因子継承とそれによるエルダークラスを超越したスーペリアクラスの誕生と地球人類の味方となる地上最強の超科学生命体の誕生が果たされたことで大方の役目を果たすことができた。

あとは、現在の地球にまで追跡してきた“フウイヌム”の追手を一掃する段階となり、絶望の未来を救う“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たる存在が生き延びることができるように祈りながら、種族の過ちを償うべく死地に赴くのみ。

本来のエルダークラスの肉体こそは失われているものの、それによって四次元空間を直に体験してきた感覚を記憶し続けている“特異点”の1つであり、

それによって、三女神の意志を受け取ることやWUMAの超能力を封じることができるため、虫ではなくて もっと長生きできる生物に転生できていれば強力な味方に成りえただけに、寿命が短いのは残念極まりない。

 

 

●“愛欲を知ってしまった超科学生命体”ヒッポリュテー

偽物のシンボリルドルフ’に擬態していた初めて遭遇したエルダークラス;有翼一角獣の怪人であり、

因子継承でヒッポリュテーの記憶と体験を受け継いだアグネスタキオン’の証言によれば、並行宇宙の地球における同胞であるウマ娘の解放を目論む“フウイヌム”たちの尖兵であり、

手駒となるジュニアクラスや部隊長となるシニアクラスを総括する司令塔:エルダークラスとして主に府中市のトレセン学園を持ち場にして侵略を指揮していたようである。

そのため、ヒッポリュテーを討ち取ったことによって府中市近辺のWUMAの活動が停滞したことは間違いなく、敵の幹部としての重要性は然ることながら、

斎藤Tが彼女を討伐したことと唇を奪われたことが結果としてスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の進化に繋がったため、

登場期間は短く すでに討伐されているものの、斎藤Tにとっては一夜の過ちということもあって、物語上では非常に重要な存在となっている。

 

現状、その為人は初遭遇時の言動やアグネスタキオン’に引き継がれた記憶や感情から窺い知ることができるのみだが、

少なくとも、偽物のシンボリルドルフ’に擬態して演じることができるだけの知能と演技力はあることは確定している。

そして、擬態対象を抹殺するのが性であるWUMAらしく、本物のシンボリルドルフを亡き者にしようと画策していたのも確かであり、エルダークラスなので自我を持つことから抹殺する時期を選べることから慎重に機を窺っていた。

その際、偽物のトウカイテイオー’や岡田T’を使って“成り代わり”の指揮と調整も行っていた。

そこからWUMAの擬態能力の長所と短所が浮き彫りになり、WUMAもそこまで万能ではないことが判明している。

また、WUMAの侵略経路も因子継承でアグネスタキオン’に受け継がれた記憶で判明しており、

あらゆる意味でWUMA研究とWUMA対策の指標ともなった存在でもあり、WUMA殺しの“特異点”が相手だったことや因子継承というイレギュラーがあったにせよ、WUMAにとっては最大の痛手となった。

 

 

●“自分こそが偽りの偶像”トウカイテイオー’

担当トレーナー共々、世間からも忘れ去られようとしていた存在に擬態して成り代わりをしようというWUMAたちにとっては格好の標的であったこともあり、

『ジャパンカップ』にて本物のトウカイテイオーに成り代わって全盛期の姿で三度目の復活劇を果たしたことで世間を湧かせた偽りの存在。

偽物の岡田T’がシニアクラスであり、部下となるジュニアクラスである偽物のトウカイテイオー’の調整を行っていた。

そのため、偽物のトウカイテイオー’自身はトウカイテイオー本人だと思いこんでいるが、“三冠ウマ娘”の夢が絶たれる前の全盛期の肉体と精神となるように調整されているため、本物とはかなりの認識のズレがある。

しかし、本物が昨年の二度目の復活で『ジャパンカップ』を制したように、元々のトウカイテイオーの能力がずば抜けていたため、2年目:クラシック級の最盛期の姿でも他を圧倒する能力を発揮していた。

おまけに、中身は擬態能力を有する強靭な身体能力のWUMAであるため、怪我に悩まされることもないことから、WUMAの目論見通りに『トゥインクル・シリーズ』を席巻できるはずだった。

ところが、ハナ差でトウカイテイオーが成りたくて成れなかった“無敗の三冠ウマ娘”ミホノブルボンに競り負けたことで、

いきなりだが偽物のシンボリルドルフ’に擬態したエルダークラス:ヒッポリュテーが建てた計画が頓挫してしまう。

そして、負け知らずの精神状態に調整されていたことで敗北を受け容れられず、WUMAの本能が表面化し、そのままだとふとした拍子に正体が露見しかねなかったので、

本来は担当トレーナーである偽物の岡田T’が対処すべき案件だったのだが、学生寮には生徒以外は進入できない規則のため、

エルダークラス:ヒッポリュテーが深夜のトレセン学園の学生寮に姿を現すことになり、精神状態の調整と計画の軌道修正を施すことになった。

しかし、その様子を監視していた斎藤Tの許に姿を現した裏切り者のケイローンに誘い込まれて、結果として指揮官であるヒッポリュテーが討ち取られてしまうことになり、WUMAの侵略計画の綻びを生むことになった。

 

その後は軌道修正された計画に従って相変わらず自身をトウカイテイオー本人だと思い込んで『有馬記念』での巻き返しを図るものの、

指揮官であるヒッポリュテーが一夜にしていなくなったことで、偽物の岡田T’は軌道修正した計画を知らされておらず、偽物のトウカイテイオー’から今後の方針を聞き出すこともできないまま、

本物のシンボリルドルフとWUMA殺しの斎藤Tが立案した本物のトウカイテイオーの復活劇の布石となるWUMA討伐作戦に嵌められ、偽物の岡田T’に擬態したシニアクラスは討ち取られてしまう。

また、新衣装を着込んだ本物のトウカイテイオーとの互いの存在を賭けた模擬レースでハナ差で負けたことで落ち込んだ偽物のトウカイテイオー’であったが、

SATが仕掛けたWUMA捕縛作戦の一部始終と、偽物の岡田T’が正体を現した瞬間を目撃してしまい、思わずその場から逃げ出したことにより、

SATに斎藤Tが取り押さえたことを抜きにしても、どうあがいても偽物のトウカイテイオー’を追跡するタイミングを失ってしまい、まんまと逃げられてしまった。

そのため、シンボリルドルフからお叱りを受けた『警視庁』が独自に捜索隊を編成して捜索に当たっているが、中身がWUMAであるために通常の競走ウマ娘では考えられないような行動範囲を持っていたため、捜索は難航している。

 

 


 

 

■斎藤 展望の関係者

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:斎藤・ヒノオマシ・陽那(さいとう ひのおまし ひな)

年齢:10代前半

所属:中等部 1年目

血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

 

誕生日:12月30日

身長:168cm 

体重:両親を失って無茶をやって故障して以来ずっと塞ぎ込んで食が細かった

体格:同年代の競走バと比べると逞しい警察バの血統

 

好きなもの:唯一の肉親である兄上

嫌いなもの:兄上を苦しめるありとあらゆるもの全て

得意なこと:兄上のためになること全て

苦手なこと:兄上のためにならないこと全て

 

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:藤原 秀郷

年齢:50代前半

所属:警視庁警備部災害対策課

血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

 

誕生日:03月07日

身長:175cm 

体重:災害が起きる度に不規則な生活で磨り減るが、すぐにリバウンドする

体格:現場に出ることが少なくなったせいで弛んできた

 

好きなもの:家族(斎藤家の忘れ形見もその範疇)

嫌いなもの:家族を脅かすもの

得意なこと:面倒見の良さ

苦手なこと:家族サービス

 

 




●ミスターシービー問題;またの名をBNW問題(二次創作する上での世代設定の矛盾)
基本的に二次創作であり、『ウマ娘』自体がそれぞれが主人公となる群像劇のため、どういった設定を組み込もうと面白ければ それで結構なことなのだが、
ただ、あらゆる二次創作をする上で『ウマ娘』において決して外すことが出来ない基本設定;『ウマ娘』の舞台であるトレセン学園の顔役である生徒会メンバーの基本設定を洗い出すと、
40年以上の日本競馬の歴史を6年間の中高一貫校に詰め込んだ『ウマ娘 プリティーダービー』で可能な限りウマ娘たちの史実を採り入れようとすると、どうしても割りを食ってしまうのがミスターシービーとBNWであった。
正確に言えば、『生徒会副会長:ナリタブライアンとBNW:ビワハヤヒデが姉妹であること』がシンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアンら生徒会メンバーの戦績を設定する上で頭を悩ませる原因となる。


1、“皇帝”シンボリルドルフ、“女帝”エアグルーヴ、“怪物”ナリタブライアンは少なくとも史実通りの活躍をしていることを評価されたことで生徒会メンバーとなっていることが推測できる。

2、ビワハヤヒデはナリタブライアンの実の姉であり、一緒に在学しているのでナリタブライアンよりも1,2年上の世代であることは確定。

3、“女帝”エアグルーヴはティアラ路線なので問題ないが、クラシック路線を制した“皇帝”シンボリルドルフがいるため、普通はBNWは“皇帝”とはちがう世代になるはず。

4、ところが、史実で“皇帝”シンボリルドルフが目標としていたシンザン以来となる昨年度の“クラシック三冠バ”ミスターシービーも実装されていた――――――。



Q、ミスターシービー、彼女に続く“クラシック三冠バ”と紹介されることが多い“皇帝”シンボリルドルフ、そしてBNWの戦績はいったいどうなる――――――?


――――――以上が、『ミスターシービー問題』の概要である。


A、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンの全員が高等部で“クラシック三冠バ”であると仮定すると、
3人は絶対に同じ世代にならないが、同時にナリタブライアンの姉:ビワハヤヒデらBNWはミスターシービーかシンボリルドルフの“三冠バ”達成に阻まれてクラシック戦線を勝てなかったことになる。

B、ミスターシービーという『ウマ娘』では影の薄い存在を一切無視して世代設定を組み立てる場合、
必然とBNWがシンボリルドルフ世代とナリタブライアン世代を回避しなくてはならないので、ティアラ路線の“女帝”エアグルーヴと同世代にすればBNWが“クラシック三冠バ”の引き立て役になってしまうという史実との矛盾はなくなる。
あるいは、高等部3年:BNW、高等部2年:シンボリルドルフ、高等部1年:エアグルーヴ、ナリタブライアンとする変わり種もあるが、矛盾を解消しようとするあまりにかなり違和感がある設定となっている。


一見するとB案であれば何の問題がないように思えるが、前提として『“クラシック三冠バ”ミスターシービーの存在を無視している』ことを史実再現の面で容認できるのかという感情的な問題になってくる。
もっとも、実装されているウマ娘の傾向を見れば、オグリキャップからの第二次競馬ブーム以降の世代を中心に実装されており、
大きく年代の離れているマルゼンスキー、ミスターシービー、シンボリルドルフの3人が同世代の好敵手なしでポツンと実装されているので()()()()()()()()の扱いとなっている。
そのため、史実を踏まえると当たり前のように『ウマ娘』の中心人物となっている生徒会長:シンボリルドルフこそが一番に異質な存在だったということがわかることだろう。


しかし、このように『ウマ娘』の生徒会メンバーの戦績を設定してみると高等部の世代がガッチガチに固められており、創作の自由がかなり狭まってしまった。
そこから脱却するために、公式の方でも明確に学年設定がなされていない自由な気風のサザエさん時空のオールスターゲームなのを見習うことにした。
そこでメジロマックイーンが中等部なのにライスシャワーが高等部、トウカイテイオーよりも世代が上になっているナリタブライアンというような設定になる原作における時空の歪みを最大限に利用した本作で採用した『ミスターシービー問題』に対する回答が以下のようになる。


C、ミスターシービーという『ウマ娘』では影の薄い存在を一切無視して、偉大なる“皇帝”のためにBNWには涙を飲んでもらう。

・実際に本作で設定した世代設定
高等部3年:シンボリルドルフ、BNW
高等部2年:エアグルーヴ、ナリタブライアン
高等部1年:メジロマックイーン、トウカイテイオー


こうしないとシンボリルドルフが在籍している状態でメジロマックイーンとトウカイテイオーの悲劇を描けないので、こういう世代設定となった。
一方で、シンボリルドルフが目標としたのがミスターシービーという史実性は過去の中高一貫校の6年間の中で『薫陶を受けた』とすることで解決。
なので、本作におけるBNWは“皇帝”シンボリルドルフと同世代のクラシック戦線で覇を競った強豪になっている。

このように『ミスターシービー問題』は二次創作において『ウマ娘』でのキャラ設定と史実をどのように取捨選択して採り入れるかに悩まされる最たるものであり、
よりにもよって、トレセン学園の生徒会メンバーの戦績が固定されるために高等部の世代が生徒会メンバーの踏み台になることから、高等部のウマ娘を活躍させづらくなってしまうのだ。
だから、高等部1年までの戦績を自由に設定できるように、本作ではBNWは会長の踏み台となり、史実ではエアグルーヴと世代が近い最強世代なんかは会長より前の時代に活躍したウマ娘という『アニメ版』とはちがった世代設定としている。

この辺り、皆がどう考えているかをアンケート調査という形で訊ねてみたい。ぜひともアンケートに協力してもらいたい。



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第一次決戦 この星の明日のために -奥多摩攻略戦-

-西暦20XX年12月24日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この年のクリスマスイブは『東京大賞典』でのミホノブルボンと『有馬記念』でのトウカイテイオーの奇跡の勝利が連続した日の翌日であった。

 

そのため、『URAファイナルズ』の開催日程が来年の初めの3ヶ月になったことを受けて、国民的スポーツ・エンターテインメントである『トゥインクル・シリーズ』の一年は感動の余韻に包まれて締め括られた。

 

それと同時に、シンボリルドルフとトウカイテイオーの引退が報じられることにもなり、人々は1つの時代が終わったことを肌で感じながら、しんしんと雪が降り積もる聖夜を迎えたのであった。

 

 

――――――クリスマス。救世主降誕。

 

 

馬という生き物が存在せず、代わりにウマ娘と言うヒトに極めて近い生き物が存在する世界においても、イエス・キリスト―――ナザレのイエスは存在していた。

 

バイブルの勉強で私はその降誕場面の場所は“馬小屋”だと記憶していたが、改めてホテルに置いてあったウマ娘の世界のバイブルを読み返したら“家畜小屋”と表現されており、それで記憶違いだったことを思い出した。

 

そうだった。西洋だと降誕場面の模型に使われるのが牛と驢馬なのだから、日本で馬小屋だとしているのはこの“家畜小屋”の翻訳を重ねることで“家畜小屋”=“馬小屋”という誤訳が生まれたというのが結論であった。

 

そう、時代ごとに翻訳を重ねることによって単語の意味が変わってしまい、それによって生まれた誤訳がありもしない伝承を生み出したという一例として記憶に残っていた。

 

すなわち、イエス・キリストが馬小屋で生まれたという伝承と日本の厩戸皇子:聖徳太子との類似性は誤訳から生まれたガセネタに過ぎない――――――。

 

これは私が23世紀の日本人の宇宙移民だったからイエス・キリストと厩戸皇子の例で教え込まれたことであり、

 

これから広大な宇宙でバラバラに散らばってそれぞれの歴史と文化を育んでいくことになる一方で、単語の意味を取り違えることで誤解が広がることがないよう、普遍的な価値観と意思疎通の重要性を伝えていた。

 

そして、23世紀の宇宙時代では宇宙の創造神の下に全ての宗教が共存することになり、宗門宗派の枝葉末節の些細な教えのちがいにこだわって他人を貶めたり罵ったり殺めたりする人間などいない。

 

それは“神”という存在や言葉、概念に対して“全知全能の存在”などという現実では絶対にあり得るはずがない漠然としたイメージで語らなくなっているのが第一である。

 

そのことを誰もが理解した時、地球上における宗教紛争は初めてなくなるわけであり、結局は無知であることによって偏見が生じるのを防ぐ本当の学問や心の教養が敷衍されることで真の平和は達成されたのだった。

 

だから、宇宙移民船の閉ざされた社会の中で何世代に渡って星の海を渡る旅もできるわけであり、この時代における宇宙船『地球号』の漂流はまだまだ続きそうである。

 

何にせよ、来年1月の『URAファイナルズ』の予選まで時間をもらうことができた――――――。となれば、これから私にしかできないことをするだけのことである。

 

 

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 


 

 

アグネスタキオン「…………きみ、私のことを置いていくつもりじゃないだろうね?」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「沈黙は肯定だよ?」

 

アグネスタキオン「きみがやろうとしていることは常に2つに1つだ」

 

アグネスタキオン「昨日、会長に言ったことは全て嘘だったのかい、きみ?」

 

斎藤T「さてな。私は“目覚まし時計”を使うから自分が死ぬだなんてことは微塵も思っていないけどな」

 

アグネスタキオン「――――――WUMAを一掃する算段があるということだね、それは?」

 

斎藤T「ああ。それで全てが解決するという保証はないが、少なくとも来年からのお前のメイクデビューに集中できるようになる」

 

アグネスタキオン「……わかったよ。好きにしたらいい。それ以外にどうしようもないことだしね」

 

 

アグネスタキオン「ただ、私に()()()()()()()()()()を後悔させないでくれたまえよ、モルモットくん?」

 

 

斎藤T「ああ。そっちもあり得ないような目標を立てて ようやく“超光速の粒子(タキオン)”の名前に相応しくなったんだから、私の夢のためにもしっかりとG1勝利をしてもらうからな」

 

アグネスタキオン「必要なものがあったら遠慮なく言いたまえ。もっとも、言われるまでもなく必要なものは用意できているだろうけどね」

 

アグネスタキオン「妹君と一緒に首を長くして待っているからね」

 

斎藤T「ああ」

 

アグネスタキオン「またバイクに乗せて連れて行ってくれよ、スピードの彼方へ。楽しみにしているから……」

 

斎藤T「ああ。()()()()()()()()()()()()()()()、絶対にその日を迎えてみせるさ」

 

 

 

斎藤T「さて、遺書も用意したことだし、府中市で過ごす人生最後の一日になるかもしれないな……」

 

斎藤T「――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は今もここから北西の奥多摩の方向を示し続けているか」パカッ

 

斎藤T「ここからが長い道程になりそうだ。“目覚まし時計”もセットしたことだし何回のコンティニューで目標を達成できるかな、ケイローン?」

 

斎藤T「それとも、闇に葬られるのは私の方か――――――?」

 

 

――――――待たせたな、WUMA共! ここらで決着をつけてやる! お前らに新年の朝日は拝ませない!

 

 

『有馬記念』と『東京大賞典』を終えて競バ業界は少し早めの仕事納めとなり、12月24日:クリスマスイブから私はWUMA殲滅のための作戦行動に取り掛かった。

 

8月半ばに初めてWUMAと遭遇してからすでに4ヶ月が経っているのだ。4ヶ月もあれば あらゆるコネクションから必要なものを取り寄せることも可能だ。

 

ちょうどよく武器の密輸の情報があったので、アグネスタキオン’(スターディオン)と協力して その現場を時間跳躍で取り押さえて 大量の銃火器を横取りすることもしていた。

 

しかし、やはり密輸されるような銃火器は管理状態が劣悪で信頼性に欠けていた粗悪なコピー品に過ぎなかった。

 

一応はこの時代で流通している銃火器のサンプルとして秘密の倉庫に一定数は保管しておくものの、信頼できる飛び道具(サイドアーム)は絶対に欲しかった。

 

なので、()()()()から国産のボルトアクションライフルの害獣駆除仕様(ヘビーバレル)などを借り受けることになったが、

 

相手が人間よりも身体能力が遥かに優れているWUMAであることを考えると、もっと威力と射程が欲しかったが、しかたがない。

 

しかも、WUMAの標準身体機能である空間跳躍によって一瞬で距離を詰められるので遠距離狙撃の利点は1発の弾丸にしか込められない。

 

なので、その後は接近戦で対処するしかなく、相手が四次元能力を使わずに圧倒的な身体能力で圧倒してきた場合の生存率は0%に等しかった。

 

どの辺りにどれくらいの数のWUMAや敵性存在が潜んでいるかもわからない状態で奥多摩の敵地に乗り込んでいくわけなので、死を覚悟して府中市を出発するのも無理ないことだった。

 

 

つまり、この12月24日:クリスマスイブが私にとっての生きるか死ぬかの分水嶺であり、世界にとっての最後の晩餐になるかもしれない聖夜となった。

 

 

コーカサスオオカブトに身を窶して いよいよ死期が迫った賢者ケイローンは私のことを救世主と言っていたが、ならば この12月を乗り越えて それが真実だったことを証明しよう。

 

奥多摩までは府中市からだと電車で移動ができ、事前に奥多摩駅まで下見に行った時は“黄金の羅針盤(クリノメーター)”がそこから北を指したことで川苔山:百尋ノ滝の辺りに目的のものがあることが割り出せた。

 

つまり、真冬の山登りであり、人気のある山なので登山道はある程度は整備されており、日帰りも可能で登山初級者も経験者が付き添えば問題ないというものらしいが、

 

WUMA殲滅のための重装備を背負って行軍できるほどの体力は“斎藤 展望”にはないし、敵地にはWUMAの密かな侵略によって“成り代わり”が大量にいるだろうこともあって潜入は困難を極めるだろう。

 

しかし、こちらには世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”があるので、通常は3回までリトライのチャンスが与えられると言うので、それらを最大限に活用して突破口を見出すしかない。

 

一方で、“目覚まし時計”を使わずに“無敗の三冠ウマ娘”に担当ウマ娘に至らせた天才トレーナーの在り方を見習って、只今を生き抜いてみせるのが本当だろう。

 

大丈夫だ。相手が四次元能力を使ってさえくれれば逆手に利用して全て返り討ちにすることができる。そうなることを信じよう。

 

敵も賢者ケイローンを追跡して処刑するために派遣されたついでに転移した先の並行宇宙の地球を次の侵略先とするために橋頭堡を築こうという程度で、まだ本格化が決まったわけじゃない。

 

つまり、この先遣隊をMIA(作戦行動中行方不明)にして、賢者ケイローン抹殺が完了したことも本国に報告しておけば全ては解決する。どっちみち、ケイローンの寿命は尽きる。

 

そして、この戦いは闇から闇へと葬らなければならないものであり、山狩りのために『警視庁』を動員することはできない。

 

自分で何をやっているんだろうとは思っている。自分一人で何でもできるだなんてのは大した思い上がりだ。

 

だが、他人に任せるにはあまりにも敵について知らなすぎるのだ、誰も彼も。

 

だから、12月24日から12月31日までの1週間を目標期間に定め、情報を過去に持ち越して奥多摩を攻略するつもりである。

 

ともかく、奥多摩までは府中市からはそう遠くはない。青梅線で2時間で着く場所だ。

 

そのことを踏まえれば1週間の最後に奥多摩に乗り込んでいって、31日を迎えた時に時間の巻き戻しで死なずに敵地から生還するという荒業も使えるはずだ。

 

『天皇賞(秋)』の時の牢獄では実質的に半日を20周したので10日は歳をとったが、

 

さてさて、メリー・クリスマスからハッピー・ニューイヤーへと繋げることが本当にできるのか、煽てて飛び出た救世主の見せ所だ。

 

 

――――――元旦はヒノオマシと一緒に伊勢神宮に初詣だ。つまらない仕事はさっさと終わりにしよう。

 

 



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第一次決戦Ⅰ 表現の自由と束縛からの自由

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 

さて、いよいよ始まった、ひとりだけの最終決戦――――――。

 

世にも不思議な時間を巻き戻すことができる“目覚まし時計”の使い方をベテランユーザーである天才トレーナー:才羽Tに教えてもらい、

 

とりあえずは12月24日から12月31日までをループ期間として目標未達成で時間の巻き戻しが行われるように“目覚まし時計”をセットすることになった。

 

通常は3回までは時間を巻き戻すことができるらしいので、私がWUMAに殺されても3回までならコンティニューが可能となっているのだが、

 

その際のデスペナルティがどういったものなのかがわからないため、絶対に死なないことを大前提に立ち回りを考える必要があり、

 

最悪、時間を巻き戻せなくなって目標未達成で新年を迎えることになっても、WUMA撲滅に繋がる決定的な収穫があれば それでもよしとした。

 

 

並行宇宙の地球から今から10年後の未来世界を侵略していたところを裏切り者の賢者ケイローンを追跡して現代の地球に襲来したWUMAは奥多摩を根城にしていた。

 

 

早速、WUMAを撲滅するための準備を整えて奥多摩駅の真北にある川苔山:百尋ノ滝に目星をつけて出発するつもりであった。

 

そのための装備も準備できており、12月31日でタイムリープするタイミングを見計らって突撃する安全策を講じたのは冗長だったかもしれない。

 

しかし、こちらの想定を遥かに上回る事態となって追加の準備が必要となった場合に備えて1週間という期間を設けたわけであり、

 

最初の1周目で敵地に乗り込んで情報優位性を稼がなくてはタイムリープによるループの優位性を活かせないため、最初の1周目で情報を集めきることが本当に重要であった。

 

 

なので、最初はいきなり敵の本拠地である奥多摩に乗り込んでいこうと考えていたのに、時間を有効活用しようとして段々と行く気が削がれていっていた。

 

 

だいたい、トレセン学園のある府中市から奥多摩まで電車でたった2時間で行ける距離なだけに後回しにしたくなった。

 

というより、死なないことを前提に作戦を立てると12月31日を迎えてタイムリープして過去に脱出するのが一番のため、こうして1周目の1週間を持て余すことになってしまったのだ。

 

自分で『とりあえず』決めた行動期間とは言え、あれだけカッコつけておいてアグネスタキオンのラボにすぐに出戻りするのは気恥ずかしくもあり、府中市を宛もなく彷徨うことになった。

 

 


 

 

●1周目:12月24日

 

当初の予定では聖夜を迎える今日が決戦前夜ということで英気を養う最後の機会だと思っていたものの、生き残ることを最優先にした結果、敵地に突入するのはタイムリープ直前の12月30日でいいという考えに至ってしまった。

 

そのため、1周目は完全にWUMA討伐の話は忘れて、聖夜を迎えて年末年始へと向かっていく21世紀の地球の賑わいを見て回ることにした。

 

基本的に“目覚まし時計”によるタイムリープで過去に持ち越せるのは自身の記憶と善因善果・悪因悪果の因果だけなのを考えると、

 

府中市の北西:奥多摩の方角に“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が現在も向き続けているのを確認しつつ、

 

どうせ聖夜の日にまで時が巻き戻って全てが元通りになるため、新製品開発に取り組む気になれず、せめて奥多摩周辺の怪情報に目を光らせる程度にしていた。

 

攻略の決行日と決めた12月30日の前日:29日から奥多摩で宿泊することにして現地で情報を集めて回ってから川苔山に突入することにした。

 

ただし、奥多摩駅から15分の川乗橋バス停に降りて、そこから百尋ノ滝を目指すのは所要時間:6時間とあるので、東京で日帰り登山で人気のコースと言えども、素人がいきなり挑戦するのはキツイものがある。

 

となると、やるべきなのは所要時間:6時間を歩き通すイメージトレーニングなのかもしれないと分析し、背嚢を背負って杖を突きながら実際の山登りを想定したトレッキングのトレーニングをし始めた。

 

なお、中高一貫校であるトレセン学園は 東京都の公立の学校と同じく 今年は25日で終業式となり、来年の1月7日までの13日間を冬休みとしていた。

 

そのため、『東京大賞典』『有馬記念』に参加したウマ娘は週明けの月曜日が振替休日になるため、トレセン学園では火曜日に全校集会を開くことが多いので、自然と25日が終業式になっていた。

 

だから、明日の終業式は午前で終わりなのもあって、この日は『東京大賞典』『有馬記念』に姿を見せたウマ娘たちが一足早くに冬休み気分を味わっていたのを目撃することになった。

 

 

アリガトウゴザイマシター!

 

斎藤T「さて――――――」

 

トウカイテイオー「あ!」

 

岡田T「あ、朝食にするんでしょう? こっちに来てくださいよ、斎藤T!」

 

斎藤T「おはようございます。奇遇ですね」

 

トウカイテイオー「おお! おはよう、斎藤T!」

 

斎藤T「……明日の終業式が終わったら引退式ですよね?」

 

トウカイテイオー「うん。会長と一緒に引退式なんだ。それが嬉しいんだけれども悲しくもあってね」

 

トウカイテイオー「昨日のウイニングライブの余韻がずっと残り続けているんだ……」

 

斎藤T「………………」

 

トウカイテイオー「でも、本当は去年の『ジャパンカップ』で有終の美を飾って引退する予定だったんだから、もう1年 走ることができて本当によかったと思ってる」

 

トウカイテイオー「だから、ありがとう、斎藤T。ボクのことだけじゃなく、ボクの大好きなトレーナーのことも助けてくれて」

 

岡田T「俺からも改めて礼を言わせてください」

 

斎藤T「……岡田Tとしては満足でしたか?」

 

岡田T「――――――満足しているように見えるかい?」

 

斎藤T「いえ」

 

岡田T「……俺もテイオーも目標は“七冠バ”シンボリルドルフだったんだけどなぁ」

 

トウカイテイオー「……うん」

 

岡田T「でも、昨日の『有馬記念』は“名優”以上に“帝王”が輝いた歴史に残るレースにすることができました」

 

岡田T「俺は“皇帝”とは違った道を歩んできた“帝王”の担当トレーナーだったことを誇りに思います」

 

トウカイテイオー「トレーナー……」

 

岡田T「大丈夫だよ、テイオー。俺はもうトレーナーをやっていける気がしないからな。お前で最後だ」

 

岡田T「俺には無理だったよ。中央で求められる常勝不敗の重みに耐えられるような“皇帝の王笏”みたいな度胸も能力もなかった。それが俺の限界だった……」

 

岡田T「シンボリルドルフが入学してきたのと同時期に地方から中央に来れた偶然をものにしてやってきたトレーナーとしては最高の夢を見させてもらったよ……」

 

トウカイテイオー「トレーナー! ボクにはトレーナーが――――――!」

 

斎藤T「いいんじゃないんですか? トレセン学園の卒業に合わせて担当トレーナーと結婚しているスターウマ娘も多いみたいですし」

 

斎藤T「ただ、岡田Tは静養する必要があるのですから、担当ウマ娘が卒業するまでにしっかりと回復に努めるべきです」

 

岡田T「そう言われては面目ない」

 

岡田T「けど、本当に俺なんかでいいのか、テイオー? お前が卒業する頃には俺は三十路だぞ?」

 

トウカイテイオー「うん! ボクはトレーナーと一緒じゃないと嫌だよ?」

 

岡田T「本当に甘えん坊だな、テイオーは」

 

トウカイテイオー「トレーナーの前だけだよ」ニシシ!

 

斎藤T「…………これでいいのでしょう?」

 

 

――――――“皇帝”とはちがった道を歩むのが“帝王”の道なのだから。

 

 

斎藤T「物は相談なんですが、内職として新製品開発のモニターをやってもらえないでしょうかね?」

 

岡田T「え?」

 

斎藤T「そうすれば結婚資金や生活資金の足しになると思いまして」

 

岡田T「い、いいんですか、斎藤T!? そんなところまでお世話になって!?」

 

斎藤T「いいですよ。私の夢は『宇宙船を創って星の海を渡る』ことですから。未来世界のガジェットを実用化するのに人手が足りなくて足りなくて」

 

斎藤T「そこであなたの弱みを握って仲間に引き入れようという腹ですよ」

 

岡田T「……天下のトレセン学園のトレーナーになってやることが資金集めという噂は本当だったんだ」

 

トウカイテイオー「ねえ、受けようよ! 何だかおもしろそうだし、ボクもやりたいことが見つからなくて宙ぶらりんだったんだ!」

 

岡田T「そんな夢みたいな話が――――――、」

 

岡田T「いや、夢の舞台で人々に夢を見せる側の人間がそれを軽々しく否定しちゃ世話ないな……」

 

岡田T「参りました。この身はご自由にお遣いください、ボス。あなた様がいたおかげで今日という日を迎えられたのですから」

 

斎藤T「よろしくお願いしますよ」

 

岡田T「あ、そうだ! 斎藤Tは来年からアグネスタキオンをデビューさせるんですよね?」

 

岡田T「だったら、俺が集めてきたウマ娘レースのデータを全てお譲りいたしますので、どうぞお役立てください」

 

斎藤T「……いいんですか? それこそ あなたのトレーナー人生の集大成となるものじゃないんですか?」

 

岡田T「自分にとって恩を返せるだけの価値があるものはこれぐらいしかありませんから」

 

トウカイテイオー「トレーナー……」

 

岡田T「でも、テイオーとの思い出は譲れませんけどね!」

 

斎藤T「それはしかたないですね」

 

トウカイテイオー「トレーナー!」

 

トウカイテイオー「うん!」

 

トウカイテイオー「さあさあ、このテイオー様からのレガシーをありがたく受け取りたまえよ、新人くん!」ドヤァ!

 

トウカイテイオー「そして、“無敗の二冠バ”にして“四冠バ”のボクを目標にして励みたまえよ!」ハハハ!

 

斎藤T「なら、“皇帝”“女帝”“怪物”が名を連ねた生徒会メンバーの一員として新しい時代のトレセン学園を引っ張って行ってくださいませ、我らが“帝王”よ」

 

トウカイテイオー「まっかせたまえ!」

 

岡田T「……俺も()()()()()()()()()だの言ってないで頑張らないとな」フフッ

 

 

競走ウマ娘の引退式は必ずしなければならないというものではなく、競走ウマ娘が故障や成績不振によって引退を余儀なくされることがいついかなる場合にでも起こり得るので、

 

引退式をやるための会場費だってタダではないことから、その競走ウマ娘の集客力に応じた規模と開催日時が選ばれることになった。

 

だいたいはトレセン学園の所属だと、現役時代最後のファンとの交流の機会を設けるために引退レースの後に来る直近のトレセン学園のイベントに便乗する形で開かれることが多い。

 

たとえば、『天皇賞(秋)』で完全に選手生命を燃やし尽くした“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”メジロマックイーンの引退式は『秋のファン大感謝祭』となる“聖蹄祭”で特別に設けられることになった。

 

それと同じように、“奇跡の天才”トウカイテイオーの引退式はトレセン学園の終業式の日に執り行われることになり、シンボリルドルフの引退式と合わせて盛大な規模になることが予想された。

 

このように盛大に引退式を開けるのは堂々たる実績を持つスターウマ娘に限られており、実績を残せないまま引退することが多い生徒たちの大半が騒がれるのを恥ずかしく思うものなので、引退式の盛大さもまたスターウマ娘のステイタスとも言えた。

 

そういう意味では岡田Tのトレーナー人生は長続きはしなかったものの、それ以上に実績を残すことができなかったトレーナーたちと比べれば間違いなく大成功したと言えるものではないだろうか。

 

なのに、客観的に見れば成功者であるはずの若い2人の背姿はどこか寂寥感があり、ウイニングライブで綺羅びやかに輝いていた姿との落差にひどく驚かされてしまう。

 

全盛期のトウカイテイオーに擬態していた偽物が再現した元気溌剌とした無邪気な姿を直に見比べているだけに、“帝王”としての落ち着きと威風を得たことでトウカイテイオーの良さが失われたことを寂しく思えた。

 

これがあるスターウマ娘の最後なのかと思うと――――――、こうやって明るい子供が影のある大人に育っていくのだと思うと――――――、

 

秋川理事長やシンボリルドルフが掲げる“全てのウマ娘が輝ける世界”とやらがいかに矛盾と欺瞞に満ちたものなのかと悪態をつきたくもなる。

 

肝煎りでいよいよ来年の冬季に開催されることになる前代未聞の全国各地の会場で一斉にスタートとなるトーナメント形式の大規模な大会でどれだけのウマ娘たちが春を迎えられることだろうか。

 

けれども、そんなことは人の上に立つ者として百も承知だろう。それだけの覚悟の下に『URAファイナルズ』の理念を打ち立てているのだ。

 

むしろ、あんなにも年若い2人の乙女に公営競技(ギャンブル)の業を背負わせている世界の不明を思わずにはいられない。

 

なぜそんな当たり前のことを誰も唱えようとしてこなかったのか、実現しようとしてこなかったのか――――――、そのことが23世紀の宇宙移民からすると物凄く恐ろしいものがあった。

 

 

――――――諸行無常。人気低迷の暗黒期が終わりを告げて到来した空前絶後の黄金期でさえも例外なく終わりを迎えようとしていたのを感じた。

 

 

そうしてクリスマスイブの朝、『トゥインクル・シリーズ』を走り抜いた2人の偉大な先輩を見送ると、私は背嚢を背負って杖を突きながら府中市の街並みをひたすら歩き続けた。

 

そうすると、この世界がウマ娘と共生しているからこその独自の工夫があちらこちらに凝らされていることに改めて気付かされることになった。

 

たとえば、今では見慣れた法定速度で走ることができるウマ娘専用車線はトレセン学園や運動公園などのトレーニング施設の周りの車道にしかないものであり、

 

バ場を抉るウマ娘の脚力とその反動からの保護のために低反発の特別な配合のアスファルトが使われているらしく、日本はこうした低反発素材の分野において世界一となっているそうだ。

 

ただし、よくよく標示を調べてみると、府中市で見られるウマ娘専用車線はパワーならウマ娘で随一の農耕バの脚力に完全に対応しているわけではなく、

 

脚力という指標を基に一口にウマ娘専用車線と呼ばれているものはしっかりとスピード最強の競走バとパワー最強の農耕バで区別されていることを知った。

 

むしろ、田舎では農耕バが荷車を牽いて走ることが前提となる頑丈なウマ娘専用車線もあるらしく、そこで競走バが走った場合はあっという間に脚を壊すことが説明されていた。

 

一方で、街中を卓越したアクロバット能力で縦横無尽に駆けて犯人を追跡する警察バは歩道で疾駆しなくてはならないことから、警察バの豪脚を基準にした耐久性と反発性を都市部の歩道に求められていた。

 

このように、それぞれのウマ娘のほぼ生まれながらの脚力に合わせた都市機能が実装されており、棲み分けと言えば聞こえはいいが、実質的に生まれながらにして種別ごとの制限を課されているのがヒト社会におけるウマ娘という生き物であった。

 

ウマ娘は自身の脚の保護のためにも『一般的な歩道を法定速度以上の速さで走ってはならない』と法規制されており、つまりは日常的に窮屈な暮らしを強いられていた。

 

そして、装着が義務化されると噂されている万歩計には秒間当たりの歩行量から歩行速度を算出する計算機が内蔵されており、法定速度を超えそうになるとアラームが鳴り響くようにもなっていた。

 

このように、ヒト社会で第3の性として受け容れられているウマ娘ではあるが、その闘争本能の強さや身体能力の高さが災いして実際にはヒト社会において柵の中で暮らしているようなものだった。

 

 

逆に言えば、ウマ娘にとってヒト社会において規制されている全力疾走が許されている夢の舞台こそが国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』なのかもしれない。

 

 

だから、トレセン学園に今日も今日とて自分の夢を自分の脚に託してウマ娘たちが狭き門を潜ってくるのだろう。

 

じゃあ、もし私が23世紀の科学力を駆使してウマ娘の窮屈さを解消してしまったら、“皇帝”シンボリルドルフが守ろうとしていたトレセン学園の将来はいったいどうなるのだろうか?

 

21世紀、ムーアの法則に従って20世紀に思い描かれてきたレトロフューチャーとはちがったハイテク技術が加速度的に発達して、やがては環境問題や戦争の時代は完全に終わりを告げるが、

 

一方で、それによって産業や娯楽の多様性も地球上に行き渡ったことで、旧世紀に既得権益を築き上げてその上に胡座をかいていた時代遅れ(オールドタイプ)は駆逐され、正しい競争の時代が訪れた――――――。

 

それと同じように、旧世紀で人気を博していたスポーツなんかも生活様式やそれに伴う価値観の変化に競技人口が流出して衰退していった歴史を私は学んでいる。

 

 

つまりは国民的スポーツ・エンターテイメントの殿堂などと謳っているトレセン学園がウマ娘に与える夢など、所詮は表現の自由(フリーダム)ではなく束縛からの自由(リバティー)でしかない――――――。

 

 

もしかして、私がやろうとしている文明の進歩はトレセン学園の衰退を招くことになるんじゃないかと思ってしまう。

 

もちろん、トレセン学園など私がやろうとしている『宇宙船を創って星の海を渡る』事業を興すための資金集めの場と手段に過ぎないし、そこまで義理立てする必要はないのかもしれない。

 

あるいは、近代ウマ娘レースの起源がウイニングライブなので、それが単純に全力疾走するだけのレースの付加価値となって、これからも近代オリンピックのように継承され続ける文化となるかもしれない。

 

しかし、『ターフの上で死ぬ』というウイニングライブを蔑ろにした姿勢をスターウマ娘とその担当トレーナーが普通にしていたぐらいにレースの結果を優先する間違った実力主義と成果主義が横行しているのも確かで、

 

将来的に地方競バがそうであるように近代ウマ娘レースの起源が忘れ去られてウイニングライブの伝統が消えていくだろうことはその夢の舞台の中でひしひしと予感させられた。

 

近代ウマ娘レースの起源がヨーロッパの王侯貴族の前で踊る権利を得るために見目麗しい宮廷舞踊家のウマ娘たちがウマ娘らしく庭園でレースしてきたことに由来するのだから、

 

近代ウマ娘レースがまさしく貴族のスポーツである以上、その歴史と伝統が引き継がれることなく、地方競バにおいてウイニングライブのやる気がないのは当然の結果でもあるわけなのだ。

 

となれば、将来的にウマ娘レースが ウイニングライブのない ただの公営競技(ギャンブル)になっていくのは火を見るより明らかなことだろう。

 

大衆は現象しか見ることができず、そうなる因果を知ることもないのだから、“斎藤 展望”がそうであるように大衆がウマ娘レースを金儲けの道具にするのも自然な話だ。

 

 

だから、怒りが湧いてくる。秋川理事長や“皇帝”シンボリルドルフに対しても。

 

 

夢の舞台で起き続けている悲劇と搾取は現代に蘇った剣闘士の見世物だ。トウカイテイオーとメジロマックイーンが受けた仕打ちを見れば、否応なくネガティブになるのは自然な運びだ。

 

それなのに誰も現状を変えようとしない有様に私が苛立った。このままでいいはずがないと誰もが思っているはずなのに、そのことが不思議でしかたなかった。

 

いったいどれだけの生徒が夢破れて自主退学していっているのを 毎年 見送ってきていたのだろうか、秋川理事長やシンボリルドルフは。

 

だが、こうして莫大な需要と供給で成り立っている以上は、ウマ娘レースのファンと言ってもレースの結果にしか興味がない人間が大半なのも事実だ。

 

 

だから、苛立っているのだ。私がもたらそうとしている23世紀の未来科学を悪用されるんじゃないかと思って。『馬鹿と鋏は使いよう』とは言うが、()鹿()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

そして、私が良かれと思ってやろうとしていることが結果として秋川理事長やシンボリルドルフの夢を阻むものに成りかねない矛盾に気づいてしまったのだから。

 

けれども、トレセン学園の与える夢が表現の自由(フリーダム)ではなく束縛からの自由(リバティー)である時点でマイナスなので、根本的な解決など あり得ない。

 

つらい。しんどい。23世紀の未来人にとって21世紀の文明精神がいかに文字通りの時代遅れなのかをたかがウマ娘専用車線の道路標示だけでわからされてしまったのだから。

 

 

そうこうしているうちに、府中市を学園都市たらしめている街のシンボル:トレセン学園に流れ着き、その外周部を歩き通して、改めて その広大さを識ることになった。

 

 

背嚢を背負って杖を突きながら府中市を歩き回っていたが、いつの間にか時刻は昼過ぎであり、ちょうどよかったので休憩のためにトレセン学園の正門から入ろうとした。

 

明日が終業式なのでトレセン学園にはまだ生徒がたくさんいるが、学園一の嫌われ者である“斎藤 展望”のことを誰もが見て見ぬ振りをしていた。

 

『天皇賞(秋)』でハッピーミークが優勝した時には随分と注目を浴びたが、昨日の『有馬記念』の結果を見て すぐに評価を取り下げただろうことはわかる。

 

だからこそ、逆に誰かが“斎藤 展望”に注目していることにはすぐに察知できた。

 

 

駿川秘書「こんにちは、斎藤T」

 

斎藤T「こんにちは、駿川さん」

 

駿川秘書「変わったトレーニングをしていますね」

 

斎藤T「ええ。それで府中市を歩いてみて いろんな発見がありましたよ」

 

駿川秘書「そうだったんですか」

 

駿川秘書「たしかに、斎藤Tのように自分の脚で学園の周りを練り歩くような人はあまりいませんから、意外と身近なところに何があるのかを知らない人が多いんですよね」

 

駿川秘書「でも、さすがに担当ウマ娘とバイクで二人乗りしたり、まるで山登りをするかのように背嚢を背負って杖を突いたりして市内を見て回る人はいなかったです」

 

斎藤T「………………」

 

駿川秘書「あ、すみません。詮索するつもりはなかったんですけど、同じ府中市ですから、よくお見かけしちゃうんです」

 

斎藤T「いえ、トレセン学園のトレーナーですから。常に誰かに見られていることはわかっていますから」

 

駿川秘書「……まるで映画みたいですね」

 

斎藤T「?」

 

駿川秘書「あ、いえ、前々から斎藤Tとはお話してみたいとは思っていたんです」

 

駿川秘書「模擬レースで担当のハッピーミークさんをナリタブライアンさんに勝たせた手腕と言い、先日の『有馬記念』の最終調整を桐生院Tからも任されていましたから、みんな楽しみにしているんですよ?」

 

斎藤T「そうですか。それなら期待に応えられるといいですね」

 

駿川秘書「……あの、ここではなんですから、一緒にお食事にいたしませんか?」

 

斎藤T「それはかまいませんが」

 

駿川秘書「ありがとうございます」

 

斎藤T「………………」

 

 

正直に言うと、この緑服の理事長秘書の存在のことはさっぱり忘れていた。

 

というより、秋川理事長とも話をしたことがない。才羽Tが大のお気に入りということで、才羽Tとはかなりの頻度で顔を合わせているとは聞いてはいるが。

 

そう、“斎藤 展望”としては理事会やトレーナー組合よりも生徒会との繋がりが深いため、学内の派閥においては『名家』に与する存在と見做されていた。

 

実際、私が『名家』アグネス家の最高傑作とされているアグネスタキオンといつからか一緒にいることが公然となったのだから、そう見られてもおかしくないことだ。

 

それだけに、皇宮警察の息子に対する()()()()()()が晴らされた今だからこそ、こうして理事長秘書:駿川 たづなが声を掛けてきたように思える。

 

まあ、シーズン後半からトレセン学園で起きた数々の事件の影の功労者なのだから、理事会が何の挨拶もなく生徒会に私への対応を任せ続けさせるわけにもいかなくなったのだろう。

 

私としても、ウマ娘専用車線の道路標示を見て 23世紀の地球とはちがった進化と歴史を歩んできた21世紀の異なる地球の文明に思うことがあるので、理事会の人間の考えを知っておく必要があった。

 

 

ズズー! ズズー!

 

斎藤T「…………ラーメンか」

 

駿川秘書「……お気に召しませんでしたか?」

 

斎藤T「いえ、感動していただけです」

 

駿川秘書「え?」

 

斎藤T「本格的な生麺をこの低価格で丼で大量のスープの湯気を味わいながら大口で食べられることに感動です」

 

駿川秘書「えと?」

 

斎藤T「無重力空間ではこういったスープ料理はチアパックで飲むものですから」

 

斎藤T「ですから、丼に盛られたスープ料理は重力空間でしか味わうことができない高級品のイメージがありまして。このラーメンはその最たるものですよ」

 

駿川秘書「そ、そうだったんですか……」

 

駿川秘書「いえ、いくら今日がクリスマスイブとは言っても、高級料理店にお誘いしたつもりではなかったんですけどね……」アハハ・・・

 

斎藤T「そうか。流しそうめんやわんこそばはあっても、丼いっぱいに熱々のスープが注がれたラーメンは初めての経験だったな」

 

斎藤T「――――――これが重力;母なる地球に抱き締められている感覚か。久しく忘れていたな」

 

駿川秘書「……詩人ですね」

 

斎藤T「おお! これが()()()()のラーメンか! まさしく古き良き豊かさの象徴だ!」

 

 

 

――――――ラーメン大国である日本は世界一幸せな国ですね。

 

 

 

駿川秘書「ラーメンだけであそこまで幸せそうになった人は初めて見ましたよ」アハハ・・・

 

駿川秘書「でも、こういった当たり前のことの中に幸せがあることを忘れてはいけませんよね」

 

斎藤T「そうですとも」

 

駿川秘書「斎藤Tはシーズン後半に桐生院Tのチームのサブトレーナーになりましたけど、どういった感想を持ちましたか?」

 

 

斎藤T「……それはトウカイテイオーの岡田Tとメジロマックイーンの和田Tが見込み違いだったことへの意見ですか?」

 

 

駿川秘書「!?」

 

駿川秘書「み、『見込み違い』だなんて、誰も言ってないじゃないですか……?」

 

駿川秘書「でも、たしかに新人の斎藤Tにとってはトウカイテイオーさんとメジロマックイーンさんの最後のレースが印象に残るのは当然のことですよね……」

 

斎藤T「ええ」

 

駿川秘書「明日でトレセン学園の1年が終わりますよね」

 

斎藤T「はい」

 

駿川秘書「……私、このトレセン学園で、いろんな子たちを見てきました」

 

駿川秘書「見事に『トゥインクル・シリーズ』で活躍して、その先の『ドリームトロフィーリーグ』へ進んでいく子たちもいましたが、」

 

駿川秘書「そういう子たちは、ほんの一握り。大抵はそうもいきません」

 

駿川秘書「怪我や事故によって、満足に走ることもできなくなる子もたくさんいました」

 

斎藤T「……公式レースに出ることすらできずに自主退学や卒業になるのが普通のコースですけどね」

 

駿川秘書「はい。夢の舞台でありながら夢破れて去っていく子たちの背中をたくさん見てきました」

 

駿川秘書「それでも、人生を懸けて このトレセン学園に来るくらいですから、だいたいの子たちは走ることが大好きなんです」

 

駿川秘書「それなのに、二度と風を感じられなくなる――――――、その瞬間の絶望と言ったら――――――」

 

 

駿川秘書「凄まじいですから」

 

 

斎藤T「……よくはわからないんですが、それはターフの上でしか感じられないものなんですか?」

 

駿川秘書「そうですよ」

 

斎藤T「――――――本当に束縛からの自由(リバティー)だったな」ボソッ

 

駿川秘書「え」

 

斎藤T「いえ、随分と窮屈な暮らしをウマ娘はしているんだなと。いろいろと人生を持て余しているのがかわいそうに思えまして」

 

斎藤T「この街並みを初めて歩いてみて、ウマ娘専用車線や歩道に関する法規制を調べてみて、そんなことを思っていましたけど、()()()()()()()()()()()だったのですね」

 

駿川秘書「あ」

 

駿川秘書「……すみません。先程の発言は理事会の総意ではありません。私個人の見解ですので、他言無用でお願いします」

 

斎藤T「大丈夫です。私は何もしませんから」

 

駿川秘書「……あ、ありがとうございます?」

 

斎藤T「さあ、明日は終業式ですから。夜遊びは程々にしてくださいね」

 

駿川秘書「あ、はい……」

 

 

――――――きっと、これが秋川理事長の人柄を表すのだと思った。

 

一方で、駿川 たづなの正直な意見を聞いたおかげで今日思いついた束縛からの自由(リバティー)に関する私の偏見を変える必要があると思った。

 

そう、まず何にしてもウマ娘は走ることが大好きなのだ。だから、ウイニングライブの権利を得るために昔の宮廷舞踊家のウマ娘は競走をしたのだ――――――。

 

そうだ。近代ウマ娘レースの起源が王侯貴族のための宮廷舞踊が先にあるにしても、根っことしては“ウマ娘が走ることが大好きなんだ”という大前提を私は軽く視ていた。

 

あくまでも宮廷舞踊は日銭を稼ぐための手段であって、実際にウイニングライブとレースの組み合わせは多くのトレーナーたちがその起源を知らずに不思議に思っているぐらいに関連性がまったくない要素の組み合わせでしかない。

 

つまり、ウイニングライブの権利を得るためにレースで決着をつけることに納得するぐらいにウマ娘は走ることが大好きなのだ。

 

そうなると、大半のウマ娘たちの本音としてウイニングライブは近代ウマ娘レースの格式で渋々踊っているだけのものに過ぎないわけか。

 

王侯貴族に見せる宮廷舞踊の伝統を受け継いだ洗練された格式にはなってはいるが、所詮は使う側(ヒト)の需要と使われる側(ウマ娘)の供給が噛み合った結果の産物でしかなく、

 

こうして元々は王侯貴族のために披露されたものが使う側(ヒト)の需要が薄れていったことで意義を失っていったわけなのだ。

 

だから、ターフの上で死のうとしてウイニングライブを踊らなくてはならない勝者の義務を放棄したメジロマックイーンのことを心得違いだと軽蔑するのは少しちがうようにも思えてきた。

 

やっぱり、ウイニングライブなんて走ることが大好きなウマ娘にとっては本質ではないと思っているわけで、

 

そんな彼女たちと誰よりも身近に接してきているトレーナーたちもまたウイニングライブの意義を疑問視するのも当然のことだろう。

 

 

なんだか馬鹿みたい。23世紀の宇宙移民として『郷に入れば郷に従え』ということで現地の文化を最大限に尊重しているのに、現地の人間の方が自分たちの文化を蔑ろにしているのだから。

 

 

そういうところが私が“門外漢”と言われる所以なのかもしれないが、考えれば考えるほどトレセン学園での公営競技(ギャンブル)の実態と秋川理事長とシンボリルドルフの理想が矛盾しているようにしか思えない。

 

考えをまとめるなら、今やウイニングライブがおまけ扱いの近代ウマ娘レースの本質は束縛からの自由(リバティー)なのだから、そこに表現の自由(フリーダム)などあろうはずがない。

 

もしも私が23世紀の宇宙科学を用いて世界中の道路を競走ウマ娘の全力疾走にも対応したアスファルトを普及させたら、たちまちのうちに国民的スポーツ・エンターテイメントである『トゥインクル・シリーズ』は廃れていくことだろう。

 

なぜなら、競走ウマ娘はターフの上でしか走れないから専用のレース場を必要としている――――――日常的にその能力を制限されているからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のが現状だからだ。

 

そう、日常的にウマ娘の能力すなわち行動の自由が制限されているからこそ近代ウマ娘レースが成り立っているのだから、そこで得られる夢というのが表現の自由(フリーダム)ではなくて束縛からの自由(リバティー)でしかない。

 

 

だから、私は考えを進めるうちに つい立ち止まってしまうのだ。

 

 

23世紀の宇宙移民の魂が21世紀の異なる進化と歴史を歩んできた地球人に乗り移った存在である私もまた、本質的にはWUMAと同じ宇宙からの侵略者ではないのかと――――――。

 

とりあえず、侵略的外来種であるWUMAは根絶やしにするのは決定事項だが、私の手でその後の21世紀の異なる地球の文明を進歩させることもまた文化侵略や文化破壊に繋がるのではないかと――――――。

 

間違いなく私のやろうとしていることが辿り着いた先の新惑星で栄えているウマ娘の伝統的な文化や価値観を破壊することに繋がってしまう気がしてならない――――――。

 

それに、ウマ娘たちに束縛からの自由(リバティー)でもって夢を与えているという欺瞞に満ちたヒト社会の支配体制をもたらした時代遅れで未開の文明精神にも嫌悪感を抱いてしまうのだ。

 

こんなやつらに23世紀の宇宙科学を渡したら、きっと――――――。

 

だから、“ヤフー”を駆逐しようとしている“フウイヌム”WUMAの言い分に僅かばかりでも納得しかけていることを必死に否定している自分がいるのだ。

 

そう考えると、シンボリルドルフ’の偽物に化けていたエルダークラス:ヒッポリュテーが私のことを()()()()()と認めていたことにも腑に落ちてしまったのだ。

 

そのせいで、敵地への山登りに備えて背嚢を背負って杖を突きながら府中市の街並みを歩き回ってウマ娘専用車線について調べたことがきっかけで、こうしてなぜだか虚しい気分に落ち込んでしまった。

 

けれども、中央広場の三女神像の噴水にこのやりきれないさとムシャクシャしたものをぶつけた後、今は川苔山:百尋ノ滝へのトレッキングに備えたトレーニングを再開する他なかった。

 

 

 

そして、府中市の聖夜に雪が街明かりに照らされながらしんしんと降り積もる。

 

 

 

私は万歩計で体脂肪燃焼量を計測しながら、腹持ちのいい携帯食料を吟味しつつ、ひたすら府中市を背嚢を背負って杖を突きながら歩き続けていた。

 

真冬の外気が適度に汗だくに火照った身体を冷やしてくれる中、日が暮れていくに連れてトレセン学園の関係者たちがゾロゾロと街中に姿を見せ始めていく。

 

仲のいい友人同士でクリスマス仕様にライトアップされた街並みを意気揚々に駆け出す様子や親密そうな関係の男女のカップルの姿もそこかしこに見受けられた。

 

あれはトレーナーと担当ウマ娘だろうか――――――。

 

あれは教員(ティーチャー)と教え子だろうか――――――。

 

あれは教官(インストラクター)と生徒だろうか――――――。

 

トレセン学園には2000名弱の全国から集ったトップクラスの素質を持った優駿たちが在籍しているが、その優駿たちの頂点を決めるG1レースで栄光を掴めるのはほんの一握りだ。

 

そもそも、トレーナーに見出されて担当ウマ娘となって出走権を得ることさえも幸運の出来事であり、メイクデビューすら果たせずに普通の学生として過ごしている生徒が大半であった。

 

だから、『恋はダービー』という標語があるように、走ることが大好きだけれども その機会を得られずに情熱を持て余して 教員や教官たちに熱い視線を向ける年頃のウマ娘も多いわけで、眼前に広がる逢引の光景さえも歪に見えてしまう。

 

 

――――――もうボットで最適化すればいいんじゃないの?

 

 

それが私の正直な感想であり、ひとりひとりの生徒に人生航路の航海士(ナビゲーター)となるボットを与えれば、2000名弱の競走ウマ娘に対してトレーナーが圧倒的に不足している状況を解決できるようにも思えた。

 

しかし、駿川 たづなの行きつけのラーメン屋で腹を満たしてから夕闇まで歩き通して6時間の感覚も掴めたところで、少しだけ自分がこれからどうしていきたいのかがわかってきた。考えの整理ができてきた。

 

そうだ。走ることが大好きなウマ娘たちがヒト社会においては過剰な身体能力を日常的に制限されているからこそ束縛からの自由(リバティー)=行動の自由が与えられるターフを夢の舞台としているが、

 

どれだけターフの上で栄光を掴もうが、結局は10代の青春の思い出にしかならず、引退しようが卒業しようが短いようで長い人生においてはターフから離れて生活せざるを得ないのだ。

 

となれば、束縛からの自由(リバティー)によって成り立っている近代ウマ娘レースという人生の一コマに過ぎない場所をわざわざ自分の手を煩わせてまで変える必要はない。

 

 

斎藤T「そうか! 表現の自由(フリーダム)束縛からの自由(リバティー)か……!」

 

斎藤T「よくよく考えたら、中高一貫校で繰り広げられるスポ根ドラマの青春なんて、たかだか6年だろう?」

 

斎藤T「私が変えたいと思ったのは()()()()()()()()じゃないんだ」

 

斎藤T「星の海に散らばって それぞれの進化と歴史を歩むことになる宇宙時代だからこそ、多文化共生をモットーとする宇宙移民にとっての一番の悩みの種はこれで解決されたな」

 

斎藤T「あははは! 実に簡単なことだったな!」

 

 

――――――行動の自由が与えられる束縛からの自由(リバティー)の先にある表現の自由(フリーダム)とは自己実現の自由なんだから!

 

 

私がすべきことは束縛からの自由(リバティー)で成り立っている近代ウマ娘レースにはない。何かしてしまえば、たちまちのうちに近代ウマ娘レースの歴史と文化が崩壊してしまう。

 

ならば、10代の青春を燃やす近代ウマ娘レースに干渉せずに、それ以外のあらゆる年代が参加する生涯スポーツの分野で好き勝手にやればいいのだ。

 

だから、私の発明は近代ウマ娘レースに還元などさせない。私の目から見て歪に思えようとも、その格式に干渉しないことが宇宙時代の異文化理解と多文化尊重なのだから。

 

それよりも、もっと広い世界で風を感じる喜びを掴み取れる自己実現の自由を享受させることが私の使命とでも言うべきか。

 

開き直ったわけじゃない。『ターフの上でしか風を感じたくない』と理事長秘書がウマ娘たちの意志を代弁した以上は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というだけのことだ。

 

 

だから、私は秋川理事長やシンボリルドルフのやり方にケチをつける必要はなくなったのだ。

 

 

それでモヤモヤが晴れてスッキリすることができた。

 

私はトレセン学園の門外漢として関係ないところで粛々と技術革新をもたらしていくだけで、近代ウマ娘レースの歴史と伝統にケチをつけずに上手に付き合う術を手に入れたのだ。

 

そう、当初の予定通りにトレセン学園は資金集めの場所に過ぎないのだから、稼ぐだけ稼いで束縛からの自由(リバティー)によって成り立つ夢の舞台を壊さずに黙って去っていくだけのこと。

 

そもそも、公営競技(ギャンブル)の暗黒期が何だって言うんだ? それなら近代オリンピックの総合馬術と同じ感じにしたらいいじゃないか?

 

 

斎藤T「よし、冷静になれた」

 

斎藤T「世の中には解決できる問題と解決できない問題の2種類がある。解決できない問題に注力するのはリソースの無駄だ」

 

斎藤T「だから、必要以上に問題意識を持っちゃいけないわけなんだな。私は門外漢なのだから」

 

斎藤T「私としたことがセンチメンタリズムな感傷に浸ってしまったな。首を突っ込み過ぎたな。いわゆるカルチャーショックか……」

 

斎藤T「いや、それも無理ないことか。いろいろとあったからな……」

 

斎藤T「けど、報恩感謝を欠いちゃ人の世は成り立たない。けじめはつけておかないとな」

 

 

――――――第八種接近遭遇:宇宙人による侵略から世界を守ることもな!

 

 

ようやく自分の中でトレセン学園に対してなすべきことの割り切りができた。

 

それは この聖夜にサンタさんが与えてくれた 川苔山:百尋ノ滝へのトレッキングに向けて何時間も府中市を歩き回っていた自分への贈り物――――――、ソロモン王が神に求めた叡智のごとき閃きだった。

 

ここで得た結論はタイムリープしても確実に引き継がれる財産であり、WUMA殲滅とは直接的には関係ないことだが、その後のことをあれこれ考えなくて済むようになったのは大きい。

 

 

 

――――――ところが、神はそれ以上の厄を現実にもたらしたのだった。

 

 

 

ヒュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!

 

ドッガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!

 

 

斎藤T「?!!!」

 

斎藤T「……何だ!?」

 

斎藤T「うおおわあああああああ!?」

 

斎藤T「はあ!?」

 

 

――――――わずか数瞬の出来事だった。信じられないことが起きたのだ。

 

聖夜のライトアップに照らされた府中市の交差点に突如として巨岩が降ってきたのだ。

 

あまりにも予想外な出来事に私も周囲も時間の流れが停まったかのような感覚に染め上げられた。

 

しかし、それ以上に問題になったのは突如として交差点のド真ん中に巨岩が降ってきたことで――――――。

 

 

ピッピイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!

 

 

斎藤T「ハッ」

 

ウマ娘「きゃああああああああああああ!」

 

斎藤T「――――――!」

 

斎藤T「行けっ!」ドン!

 

ウマ娘「きゃっ」

 

斎藤T「――――――よし」

 

斎藤T「――――――あっ!」

 

 

キキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!

 

 

そう、交差点に突如として現れた障害物を全力で躱そうとした自動車が一斉にハンドルを切り、その中にはペダルの踏み間違えたものもあったのだろう。

 

気づいた時には目の前から自動車がアクセル全開で突っ込んでくる光景を見たや否や、私は隣を歩いていたトレセン学園のウマ娘を全力で突き飛ばして、再び自分めがけて突っ込んでくる自動車を見た――――――。

 

あれはボンネットのないワンボックスカーで、運転席のドライバーの絶叫の表情がはっきりと見えて――――――。

 

 

 

――――――あ、死んだ。死ぬんだ、私はこれで。

 

 

 



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第一次決戦Ⅱ 侵略者は青梅線から

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 

結論から言うと、私は死ななかった。聖夜の交差点事故の犠牲者にはならなかったのだ。

 

突如として目の前に巨岩が降ってきたパニックからアクセル全開で迫る自動車を前にして私は助かったのだ。

 

ただ、6時間は掛かるらしい川苔山:百尋ノ滝のトレッキングに向けて、背嚢を背負って杖を突きながら丸一日を歩き通していた疲労がどっと吹き出たようだ。

 

病床で目を覚ましたら、日付はクリスマス前夜からクリスマス翌日に飛んでいた。

 

それで背中に物凄い違和感があると思ったら、昨日からずっと眠り続ける私に付き添って眠りこけていたアグネスタキオンが教えてくれたのだ。

 

 

なんと、ワンボックスカーに対して背嚢をクッションにしながら背中からぶつかる体当たりをして暴走車をその場で止めてみせたというのだ。

 

 

にわかには信じがたい話で、それは世界最高峰の皇宮警察を両親に持っていた“斎藤 展望”が無意識に繰り出した最善の選択だったのかもしれないが、

 

その踏み込みでもって歩道を抉って聳え立つ壁となり、アクセル全開のワンボックスカーをビクンと跳ねさせて止めたと言うのだから、自分でも何を言われているのかが理解できなかった。

 

しかも、それは隣にいたから私が咄嗟に突き飛ばして助けたトレセン学園のウマ娘が一部始終を間近に見て証言したため、すでにれっきとした事実となっているらしい。

 

実は、後で藤原さんに教えてもらったのだが、皇宮警察騎バ隊の警察バの護身術には自らを犠牲にして自動車による襲撃から要人を守るための体術が存在していると言うのだ。

 

遺伝子的にスピードにパラメーターを振りすぎて それ以外が貧弱とされる競走ウマ娘でさえも 10代の全盛期なら側溝に嵌った自動車を持ち上げるぐらいは容易いので、あり得ない話ではない。

 

その一例として、卓袱台返しの要領で突き出たボンネットから乗用車をひっくり返す技があるらしく、ヒトを超越した身体能力を持つウマ娘ならではの力技の護身術が存在していた。

 

しかし、私はあくまでも世界最高峰の皇宮警察の警察バのハーフであり、生物学的にはヒトなのだから武術の達人がやってみせる超人技を披露したことになるのだろうか、この場合は?

 

ともかく、聖夜の府中市を混乱に陥れた事件の詳細を求めると、幸いなことに交差点事故の死傷者は出ていないものの、巨岩の飛来物の被害はそこだけではなかったことが報じられていた。

 

府中市のみならず、八王子市や立川市、所沢市に青梅市などの多摩地域が聖夜に謎の飛来物の被害に見舞われ、出所不明の巨岩の災厄を贈り物に捉えて『ブラックサンタクロースが現れた』と茶化す声があった。

 

ただ、こうして謎の巨岩の飛来物の被害に遭っているのが多摩地域だと言うのが、私には非常に引っ掛かるわけであり、あの時に何が起きたのかが想像ついてしまった――――――。

 

 

――――――やられた。完全にしてやられた。まさか、そんな大胆な行動をしてくるとは思いもしなかった。

 

 


 

 

●1周目:12月26日

 

斎藤T「――――――やっぱり、そういうことか!」

 

――――――

アグネスタキオン’「ああ。私の中のヒッポリュテーを含めて、この世界に来たエルダークラスは4人だったからねぇ」

 

アグネスタキオン’「その残る3人のエルダーの誰かが聖夜の暗闇に紛れて多摩地域の空で岩を降らせていたという推測は間違いない。ステルス迷彩ぐらい持っているしね」

 

アグネスタキオン’「岩を降らせるのはシニアクラス以上で生える角:念波増幅器でテレポーテーションなり、テレキネシスしたものだろう」

 

アグネスタキオン’「そして、あの巨岩がただの岩の塊のはずもない」

 

アグネスタキオン’「然るべき研究機関に運ばれることを見越して、中にいろいろと仕込んでいるはずさ」

――――――

 

斎藤T「……わかっていたことなのに、完全に後手に回ってしまった」

 

斎藤T「……行くべきだったんだ。トレッキングの練習なんかしてないで、直接!」ギリッ

 

斎藤T「……今すぐにでも討ちに行く!」ガバッ

 

斎藤T「――――――うくっ!?」ズシーン!

 

斎藤T「くそっ! 背中に違和感が! 妙に力が入らない感覚が!」ググゥ・・・

 

アグネスタキオン「トレーナーくん!」

 

藤原さん「おい、テン坊! 慌てなさんな! それだから“テン坊”なんだぜ? 一人で突っ走るなっての!」

 

斎藤T「…………っ」

 

藤原さん「まだ俺たちに話していないことがあるだろう?」

 

藤原さん「まあ、今年のウマ娘レースも終わって年明けまで残り1週間をお前さんがどう使うかなんてのは、わかってはいたけどな」

 

 

藤原さん「忘れたわけじゃないだろう? 妹さんの誕生日は12月30日なんだぞ? そんな大切な日のことを後回しにして予定を入れたんだぞ?」

 

 

斎藤T「それは……」

 

藤原さん「それに『有馬記念』翌日のクリスマスイブだってのに、どっかに山登りしそうな格好で府中市内をずっと歩き回っていたんだって?」

 

藤原さん「そして、今回の巨岩の飛来物が多摩地域で降っていることにお前さんはすぐに反応したな」

 

斎藤T「………………」

 

藤原さん「なあ、テン坊。別に俺は怒っちゃいねえよ。こうして体を張って東京都民を守ってくれたんだからさ」ポンッ

 

藤原さん「むしろ、お前さんの反応を見て ようやく俺でも目星がついたっていう愚図なんだから、お前さんが誰よりも賢い選択をしてきているのは身に染みている」

 

藤原さん「まあ、俺をはじめとする『警視庁』の連中が信用できないのはしかたねえよな……」

 

藤原さん「8月末の学生寮不法侵入事件の体たらくもそうだし、シンボリ家の別荘地でのSATの失態もそうだし、実際に何の役にも立ってないもんな、威張り散らしている大の大人がよ……」

 

藤原さん「本当にすまねえな、こんなのが東京都民を守る『警視庁』でよ……」

 

斎藤T「藤原さん……」

 

藤原さん「責任感があって勇敢で頭も切れるんだから、テン坊が今回の事件の被害者のために居ても立っても居られなくなるのはわかっている」

 

藤原さん「俺だって許せないさ。やつらを今すぐにでもぶん殴ってやりたい気分だ」

 

藤原さん「けどな? だからこそ、力にはなれなくても『わかっていてあげたい』と思うのが人情ってもんなんだぜ?」

 

藤原さん「だいたい、お前さんがひとりで罪の意識を感じて傷ついているのを知らないで のうのうと過ごしていた自分をぶん殴りたい!」ウゥ・・・!

 

アグネスタキオン「……ふぅン」

 

 

――――――“斎藤 展望”は藤原さんにとっては年来の友人夫婦の大切な忘れ形見であった。

 

 

だから、血は繋がっていなくとも長年の付き合いから息子のようにウマ娘の妹と一緒に愛情を持って接してきたという矜持があったからこその男泣きであった。

 

それは今は亡き両親の最高の血統と才能を受け継いでたったひとりで人類の脅威に敢然と立ち向かおうとする“斎藤 展望”に対する積もり積もった複雑な感情が顕になった瞬間でもあった。

 

その様子を同席していたことで間近に見ることになったアグネスタキオンは『自分はどうなのか』を自然と振り返ることになった。

 

 

現在の黄金期を迎えたトレセン学園においては非常に個性豊かな校則スレスレの問題児が全国からわんさかと集まっているが、

 

それ以前の時代から学者肌で凝り性なのが特徴の『名家』としてウマ娘レースで実績を残してきたアグネス家の最高傑作とも評されているアグネスタキオンだが、

 

幼い頃から自分自身の研究に取り組めるぐらいに彼女の両親は自分たちの研究に夢中で、それが普通なんだと幼心に信じ切っていた頃があった。

 

だから、今更になって『両親からの愛が欲しい』とか そんな承認欲求はなく、ウマ娘らしく純粋に脚が速かったからレースに勝つことに夢中になっていった。

 

しかし、やがて自分の能力に自分の身体が耐えられないことに気づくことになり、このままだと『日本ダービー』にすら出走できずに確実に故障で引退するだろう予測が立ってしまった。

 

だったら、自分の脚で最後までターフの上で走ることなどできそうもないのだから、最初から無駄なことをしない道を選ぶべきだと合理的な思考で彼女は自分の人生を考えていた。

 

 

つまり、本当はトレセン学園にはアスリートコースではなく、アシスタントコースの生徒として入学して実験データを集めるつもりでいたのだ。

 

 

すると、娘のアシスタントコースでの入学に関して、珍しく両親が席を設けて暗黒期に活躍した“ダービーウマ娘”アグネススプライト(Agnes Sprite)に引き合わせるという珍事が起きた。

 

ヒトとウマ娘の絆が消えかかっていた暗黒期においても独立独歩を貫くアグネス家の人間らしく、

 

自分が思うように走りたいアグネススプライトは実質的に出走チケットになってくれる傀儡の無能トレーナーを利用して『日本ダービー』を見事に制したわけであったが、

 

今ではその傀儡の無能トレーナーとは相思相愛の仲であり、自身の経験からわずかでも可能性に賭けるべきだと――――――、

 

アグネスタキオンという一人の人間に向き合ってくれる誰かを見つける未来を掴み取るべきだとトレセン学園の大先輩が力説したのだ。

 

最終的に自分が決めたことだったが、ターフの上の先人の助言をもっともだと頷いて翻し、こうして自分の脚で走る道を選ぶことになった――――――。

 

 

 

アグネスタキオン「ふぅン、情報セキュリティを設けて段階的に情報公開するように協定を取り付けたのはいいけど、」

 

アグネスタキオン「結局はWUMAの空間跳躍能力や超能力、ウマ娘を超越した身体能力に対抗できないのだから、どうしようもないんじゃないかね?」

 

斎藤T「私もそう思ってはいたけど、正しい状況把握があって初めて正しい状況判断をすることができるわけだから、『多様性を尊ぶ宇宙移民の在り方に反していた』と反省している次第だ」

 

斎藤T「実際、情報の共有・交換・継承によって人類社会が発展してきたことを踏まえれば、私以外の誰かが解決に向けて情熱を燃やしてくれる可能性が万が一にだってある」

 

斎藤T「お前だって、確率的には1%にもならない優駿たちの頂点を目指すという無謀な戦いに身を投じている夢見がちな向こう見ずの一人だろう?」

 

アグネスタキオン「……そうだね。夢なんて 確率論からすれば そういうものだったね」

 

斎藤T「とにかく、この世界に来たエルダークラスが4体いて、トレセン学園侵略を指揮していたヒッポリュテーを討って残り3体が健在――――――」

 

斎藤T「12月24日にタイムリープした時に、巨岩の飛来物を多摩地域にバラ撒いた有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ娘は確実に仕留めるとして、」

 

斎藤T「エルダークラスは基本的に上意下達の命令には絶対服従の軍団をそれぞれ持っているわけだが、逆に同格のエルダークラス同士の連携はよろしくないようだ」

 

斎藤T「これは“フウイヌム”の生物学的な特徴:進化形態によってジュニアクラス、シニアクラス、エルダークラスの階級社会を構築しているわけだから、」

 

斎藤T「人間社会のように家格や血統によって差別ができない“フウイヌム”特有の社会構造の問題点と言えるな」

 

斎藤T「だから、同じ階級において序列が基本的にないからエルダークラスはそれぞれ使命に従って独自の行動を暗黙の了解のうちにとってしまいがちだ」

 

アグネスタキオン「つまり、連中は未だに数少ないエルダークラスの1体:ヒッポリュテーが討たれたことを知らない――――――?」

 

斎藤T「おそらくは」

 

 

斎藤T「エルダークラスの階級自体が司令部(ヘッドクォーター)なんだけれども、それらを束ねる最高司令官(ヘッドマスター)がいないわけだ」

 

 

アグネスタキオン「じゃあ、実態としては命令系統の遵守が重要視される軍事組織とちがって、『名家』と似たような明確なトップを定めずに民主的な議論で組織運営されている感じなんだね」

 

斎藤T「実際は議論すら必要ないぐらいにそれぞれのエルダークラスが好き勝手に動いてみて調整を入れていく感じだと思うけどね」

 

斎藤T「それを種族レベルで可能にしているのが、はっきりとした姿形で示される“フウイヌム”の進化形態による階級社会による“階級の下の平等”だ」

 

斎藤T「これによって、同格となる それぞれの幹部の自主独立性が保たれ、組織としての冗長性と安定性が保たれているわけだ」

 

斎藤T「実際、4人いる司令官の一人:ヒッポリュテーが討たれてからもWUMAの活動は止まることはない」

 

斎藤T「だから、組織図としてはピラミッド型ではなく、蜘蛛の巣型の円環構造だと考えると理解しやすい」

 

斎藤T「わかるだろう? 今回はたった4人の場合でも、作図するにあたってのこの面倒さと広大さが現実に現れるWUMA撲滅の厄介さになるわけだ」

 

斎藤T「ヒッポリュテーの軍団は指揮権を持つヒッポリュテーがいなくなったことで、決して無視はできないが、ヒッポリュテーの命令を遂行するしか能がなくなっている。軍団が麻痺したわけだ」

 

斎藤T「けど、残り3体のエルダークラスに率いられた軍団がヒッポリュテー討伐の影響を受けずに行動しているわけだ」

 

斎藤T「特に、船橋市で桐生院先輩がシニアクラスに襲われたことを考えると、あの辺り一帯で活動しているエルダークラスが絶対にいるはずなんだ」

 

アグネスタキオン「ヒッポリュテーはそのことを知らないのかい?」

 

斎藤T「ああ。それぞれが“フウイヌム”の使命である『同胞たるウマ娘の解放』のために活動している」

 

斎藤T「それだけで各々がすべきことに向けて役割分担で動けるのが“フウイヌム”ということだ」

 

斎藤T「たぶん、互いの領分を侵さないためにいちいち言わなくてもわかるようなマーキングの仕方が確立されているんだろうな」

 

アグネスタキオン「なるほどね。それは確かに優れた社会性とも言えるだろうね」

 

斎藤T「ただ、エルダークラスがバラバラに自分たちの判断だけで独自の行動をしているせいで、情報が一箇所に集まらないから『重大な問題に関する通達・議論・決定が遅い』というデメリットがつきまとっている」

 

斎藤T「だから、そこから連中を分断していくことができるわけだ。そこが狙い目なんだ」

 

アグネスタキオン「ふぅン。並行宇宙の地球の支配者になったからこその放漫な組織体制というわけだね、これは」

 

アグネスタキオン「つまりはこういうことかい?」

 

 

――――――奥多摩にいるエルダークラスが1体だけの可能性が極めて高いから、敵本拠地を簡単に制圧できると?

 

 

そう、アグネスタキオン’(スターディオン)に継承されたヒッポリュテーの記憶が正しければ、この世界に来た敵の司令部:エルダークラスの構成員は4人だけであり、

 

聖夜の空から巨岩の贈り物をしてきたブラックサンタクロースに扮したと思われるエルダークラス――――――、

 

『有馬記念』前夜に船橋市で桐生院先輩をシニアクラスに襲うように命令したエルダークラス――――――、

 

『同胞たるウマ娘の解放』のためにトレセン学園の顔役であるシンボリルドルフに擬態したエルダークラス:ヒッポリュテー――――――、

 

すでに3体のエルダークラスが地図上に現れているわけであり、記憶違いや増援の可能性を無視して それぞれのエルダークラスの軍団の勢力図を推測していくと、

 

最後の1体となるエルダークラスが本拠地と思われる奥多摩の川苔山:百尋ノ滝の一帯を陣取っているのではないかという予想がつくのだ。

 

もちろん、多摩地域に岩を降らせたブラックサンタクロースが奥多摩の本拠地を守っているエルダークラスである可能性もあるが、

 

“階級の下の平等”によって自主独立性が強い“フウイヌム”たちがそれぞれ持つ軍団と縄張りを考えると、その可能性は限りなく低いはずだ。

 

そして、次の周から聖夜に現れるブラックサンタクロースを撃ち落とすことを考えれば、確実に奥多摩に集結する戦力を減らすことができるわけなのだから、

 

実は、ブラックサンタクロースの登場はエルダークラスが4体という情報と『有馬記念』前夜に桐生院先輩が船橋市で襲われた事実を踏まえると、とんでもない情報源となったのだ。

 

そう、結果としてワンボックスカーに撥ねられそうになった聖夜だったが、奥多摩攻略に役立つ有力情報につながる福音になったのだ。

 

惜しむらくは、なんちゃって八極拳の代償で背中の異状によって病床から抜け出せなくなったという致命的なタイムロスだが、どうせ1周目は情報集めがメインだったから、この収穫の結果には満足であった。

 

 

 

アグネスタキオン「けど、怖くはないのかい?」

 

斎藤T「何が?」

 

アグネスタキオン「もしも“目覚まし時計”による時間の巻き戻しが起きなかったら? そしたら、きみは12月31日に異形の化け物たちの巣でそのまま死ぬんだよ?」

 

斎藤T「リドリー・スコットの映画のようになるな」

 

 

In space no one can hear you scream.(宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない)

 

 

斎藤T「そうだ。もしもそうなった時に備えて、聖夜の日に府中市をずっと歩き回って閃いたことを言っておきたい」

 

アグネスタキオン「何だい?」

 

斎藤T「――――――行動の自由:束縛からの自由(リバティー)のために生きるな。自己実現の自由:表現の自由(フリーダム)のために生きろ」

 

アグネスタキオン「……何だい、それは?」

 

斎藤T「考えてみろ。ウマ娘レースのことをウマ娘たちが夢の舞台と崇めている根本的な理由は何だ?」

 

 

――――――日常的にヒト社会で能力を制限されているからこそ、思いっきり全力で走れるターフの上でレースを夢の舞台と言っているんじゃないのか?

 

 

アグネスタキオン「…………!」

 

斎藤T「だからな、私は多様性を尊重する人間として近代ウマ娘レースの歴史と伝統を尊重するが、束縛からの自由(リバティー)を売り物にして夢を見させる実態には反吐が出るようになった」

 

アグネスタキオン「……ふぅン。たった1日、山登りのつもりで街中を歩いたことで世界が変わったみたいだねぇ」

 

斎藤T「ああ。だから、私は“皇帝”シンボリルドルフに顔を立てて ウマ娘レースに干渉しないでいるつもりだ――――――」

 

アグネスタキオン「――――――逆に、ウマ娘レースに恩恵を与えるつもりもない、だろう?」

 

斎藤T「そういうことだ。でないと、私がこれから世界にもたらしていく宇宙科学によって ウマ娘レースの歴史と伝統を破壊していくことになるからな」

 

アグネスタキオン「ふぅン。こういうのを『男子、三日 会わざれば 刮目して見よ』とでも言うべきなのかねぇ?」

 

アグネスタキオン「けど、きみの言いたいことはよくわかったよ」

 

 

――――――私の研究が束縛からの自由(リバティー)から表現の自由(フリーダム)をウマ娘にもたらすものであれと。

 

 


 

 

●1周目:12月27日

 

12月24日に多摩地域に岩の贈り物をしてくれたブラックサンタクロースに扮するエルダークラスへの報復と対処の方法を考えながら、

 

病床でWUMAに関する情報セキュリティの枠組みを制定していた時、新たに入ってきた情報を見て 私は完全にWUMA共にしてやられたと思った。

 

なんと、多摩地域のハブとなっている立川駅をはじめとする青梅線で列車事故が相次ぎ、多摩地域における自動車のスリップ事故の大発生も報じられていたのだ。

 

その他にも不可解な出来事が多摩地域で頻繁に起こって、年末に向けて大忙しの中、多摩地域の警察も今まで以上に大忙しといった状況に陥っているらしい。

 

 

――――――WUMAの仕業だ。

 

 

おそらく年内中に奥多摩一帯を完全な支配下に置くつもりで、東京都からの分断を意図したものなのだろう。

 

ヒッポリュテーの記憶が正しければ、WUMAの襲来は今年の7月であり、いくら超科学生命体であっても初めての場所で土地勘などないため、

 

その記憶を継承したアグネスタキオン’(スターディオン)からWUMAの本拠地に関する正確な場所を聞き出すことができずにいた。

 

何しろ、誇り高きエルダークラスにとっては自分たち以外の下等種族に擬態することすら屈辱的であるため、率先して擬態するつもりはない。

 

それを補っているのがやつらなりの使命感と自負心であり、怪人:ウマ女の分際で高貴な者の義務(ノブレス・オブリージュ)なんてものを語るのだ。

 

なので、シニアクラスを部隊長にしたジュニアクラスの尖兵たちを人類社会に紛れ込ませて入念な情報収集をした上で方針を取り決めることになっており、

 

つまり、それぞれのエルダークラスの軍団が最初に擬態して集めた情報を下に侵略計画を立てるという、ある意味においては行き当たりばったりなのだ。

 

エルダークラスが擬態するのはシニアクラスでは擬態できないほどの知能を持った相手に限り、無闇矢鱈と擬態対象を殺害することもなく、軍団の司令官らしく自身が思い描いた展開になるように務めるものらしい。

 

そして、エルダークラスは有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ娘であるため、あらかじめ潜り込ませた部下が立案した侵略計画の前線基地に翼で一飛びしていけるので、地上の様子は具には知らない。

 

だからこそ、三女神が与えてくれた“黄金の羅針盤(クリノメーター)”というオカルトグッズの力を借りないと本拠地を探り当てることができなかったので、『必要以上の情報を持たせない』という意味では情報セキュリティがしっかりとしていた。

 

つまり、奥多摩に本拠地を構えていると思われるWUMA共が多摩地域で目立った行動を取り始めているということは、やつらの地球侵略が次の段階に進んだことを示しているのだろう。

 

 

ちょうどいい。1週間のお暇をいただいてやつらに初日の出を拝ませないようにしているのだから願ったり叶ったりだ。決着をつけてやる。

 

 

しかし、よりによってWUMA共が降り立った地が年間を通して日帰りの登山客が多い川苔山だったのは幸か不幸か――――――。

 

登山客に次々と擬態しては証拠隠滅のために殺害して“成り代わり”をしていき、人類社会に紛れ込んで情報を集めて回る。

 

この時、擬態してもWUMAとしての意識を保てるシニアクラスが監視役となって、登山客に完全に成りきったジュニアクラスに対してその場で交友関係を結ばせることで、自然と情報を吸い上げることを可能となっている。

 

そこから登山客に成りきったジュニアクラスを追跡して その私生活を監視しやすいように部隊長のシニアクラスは状況に応じて擬態を頻繁に行っていることを考えると、

 

これまではWUMAの擬態能力が擬態対象の知能を再現できることを条件としてWUMAの擬態対象が選定されているものだと思わされていたが、

 

シニアクラスの擬態に関してはWUMAの侵略においては極めて重要な役割を担っていたことが判明し、擬態対象に成りきったジュニアクラスの掌握に加えて、エルダークラスの懐刀として要人暗殺も担っていたのだ。

 

だから、『有馬記念』前夜で桐生院先輩を襲ったのがシニアクラスなのも当然の話にもなるわけだ。

 

そして、8月末の学生寮不法侵入事件でライスシャワーの担当トレーナー:飯守Tに擬態したのが格下のジュニアクラスだったのも不自然なことではなかったのだ。

 

そう考えると、“フウイヌム”ことWUMAのジュニアクラス、シニアクラス、エルダークラスで構成された階級社会は侵略種族の在り方に相応しい見事な造形と言わざるを得ない。

 

完全に擬態対象に成りきることができるジュニアクラスと自我を保つことで擬態精度が落ちるが侵略の指揮を執ることができるエルダークラスの間を取り持つシニアクラスは必要不可欠だったというわけだ。

 

 

一方、川苔山に降り立ったWUMAは登山客に擬態して人類社会に潜入していくわけなのだが、いくら東京都から日帰りで行ける整備された山でも交通の不便を覚えないはずがない。

 

もちろん、川苔山を訪れる登山客の存在は非常に貴重だったため、WUMAの侵略の最初期は数少ない登山客からの情報を繋ぎ合わせて行われていたわけだから、

 

WUMAの特徴である空間跳躍能力で一気に川苔山を下ることもできなくはないが、こういった四次元能力は使用者が認識できる範囲が限界なので、結局は誰かしらが実際に歩いて認識を拡げていかないと有効活用できない。

 

付け加えて、空間跳躍能力は壁抜け能力というわけでもないので、東京の名物とも言える地下鉄の閉じた空間からの地上への脱出には不向きであり、

 

その特性上、広大な平野なら一瞬で端から端まで移動できるわけだが、コンクリートのジャングルである東京都心の複雑に入り組んで迷いやすい街並みでも十分な力を発揮するためには土地勘を得てからとなる。

 

また、WUMAとしての自我を保つせいでシニアクラスは擬態しても危険意識がなくなるので自動車運転が極端に下手になって検挙されやすかった。

 

そのため、奥多摩や川苔山へのアクセスを担う青梅線を利用して山を下ることが推奨されることになり、こうして青梅線を通じて行ける範囲がWUMA御用達の侵略経路となっていったわけなのだ。

 

そう、青梅線の奥多摩駅から立川駅へと行き、立川駅から中央東線の西国分寺駅、武蔵野線に乗り換えて着いた先が府中本町駅――――――。

 

 

つまり、WUMAが奥多摩から青梅線を通じて府中市のトレセン学園に『同胞たるウマ娘の解放』をしに侵略してくるのも時間の問題だった。

 

 

しかし、今回のWUMAの侵略は裏切り者である賢者ケイローンを始末することが主任務で、いずれは本格的に侵略する布石として まだ情報収集や橋頭堡を築く段階であり、本腰を入れているわけではなかった。

 

もちろん、放っておけば先遣隊としての役割を果たして夥しい数のバケモノ共を人類社会に招き寄せることになるので、先遣隊の地球侵略がここに来て次の段階に入った時点で何としてでも排除しなければならない。

 

だが、見事に24日のWUMAの作戦行動の被害に巻き込まれて本調子ではないので出向くことができない――――――。

 

撥ねられても死ぬ程ではなかったのだから、他人を助けるべきではなかったのではないかという思いに駆られる。

 

どっちにしろ、ループ初日の24日の夜にブラックサンタクロースのエルダークラスを必ず討伐して、翌日の25日のうちに奥多摩に乗り込まないと、26日に多摩地域で起きる交通事故に阻まれて奥多摩に行けなくなるわけだ。

 

だから、こうして27日を迎えてしまった以上は手遅れであり、開き直って31日の“目覚まし時計”の発動:タイムリープを待って最終的に何が起きるのかを見届けるつもりでいた。

 

 

斎藤T「ああ、すごかった! これが伝説の1980年代のジャパニメーションの真骨頂か! 200年以上 電子の海に沈む前だから探しやすくていいな、21世紀は!」

 

斎藤T「これがキース・エマーソン! ローズマリー・バトラー! 金田 伊功! そして、さすがは虫プロの系譜のマッドハウス! 作画から迸る気韻生動!

 

斎藤T「この時代だからこそ生み出されたレガシーは23世紀にも届いているよ」

 

斎藤T「そう、時代を超えた普遍性こそが神なるものの体現! 波動エンジンの開発エンジニアである私が掴めなかった最高の真善美だ!」

 

斎藤T「憧れるねぇ! 妬けるねぇ! もしも私がアニメ監督だったら効率の悪い手書きを否定してボットで制作しちゃうだろうから、手作りの良さという最高の贅沢を味わうことができないねぇ!」

 

 

斎藤T「…………いやはや、やつらの地球侵略が次の段階に進んだってのに何をやっているのやら、私は」

 

 

斎藤T「あははは! にしても、振り返ってみると、私ってば結構な頻度で病院のお世話になっているよな~!」

 

斎藤T「おかげさまで、この時代の医療現場の実態にかなり詳しくなっちゃって……!」

 

斎藤T「――――――本調子じゃなくて、やることがないんだから、しかたがないだろう!」ガン!

 

斎藤T「……“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は依然として北西の奥多摩を指しているか」パカッ

 

 

ナリタブライアン「おい、邪魔するぞ」ガチャン!

 

 

斎藤T「……これは予想外な見舞客だな」

 

ナリタブライアン「その様子だと、すぐに退院できないほどの後遺症があるみたいだな……」

 

斎藤T「いえいえ、背中に違和感を覚えるぐらいで日常生活に支障はないですよ」

 

ナリタブライアン「相変わらずだな、あんたは。大したことを大したことがないと平然と言ってのけるんだからな」

 

ナリタブライアン「これは会長からの見舞いの品だ。昨日 意識が回復したという報告を受けて見舞いをお願いされた」ゴトッ

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

斎藤T「あ、そうか。25日はトレセン学園の終業式で、会長の引退式――――――」

 

ナリタブライアン「ああ。会長だけじゃなくテイオーもお前がいないことを寂しがっていたぞ」

 

斎藤T「それは申し訳ないことをしました」

 

ナリタブライアン「いや、あんたは多摩地域を襲ったブラックサンタクロースの贈り物でハンドルを狂わされた暴走車から生徒の命を救ったんだ。加害者になってしまった運転手のこともな」

 

ナリタブライアン「そうじゃなかったら、終業式で引退式の他に生徒の葬式もやる羽目になったんだ。あんたは生徒会の恩人だよ」

 

斎藤T「それは災難でしたね……」

 

ナリタブライアン「あんたは底が知れないな。知れば知るほどレースの世界には場違いな存在だと思うよ」

 

 

斎藤T「それで?」

 

 

ナリタブライアン「ん?」

 

斎藤T「わざわざ私の見舞いを率先して引き受けた理由は何です?」

 

ナリタブライアン「――――――!」

 

ナリタブライアン「……さすがにあんたには誤魔化せないか」

 

 

ナリタブライアン「あんた、『ジャパンカップ』でミホノブルボンにハナ差で負けた偽物のトウカイテイオー’のことを始末したんだろう?」

 

 

ナリタブライアン「誤魔化すなよ。『有馬記念』で私はトウカイテイオーに競り負けたんだ。あの時は姉貴と最高のレースをしていたのに、最終的に追い抜かされたんだ」

 

ナリタブライアン「『ジャパンカップ』のテイオー’と『有馬記念』のテイオーが別人なのはわかっている。去年まで生徒会室に入り浸っていたことだしな。あの不自然さは私でも気づく」

 

ナリタブライアン「それに“無敗の三冠バ”を目指していたテイオーにとっては“ただの三冠バ”の私も超えるべき目標の一人として強く意識していたからな」

 

ナリタブライアン「となれば、答えは8月末の不審者――――――、飯守Tに擬態していた あのバケモノしかないだろう」

 

斎藤T「何が言いたいのです?」

 

ナリタブライアン「……あんたはずっとバケモノと戦い続けている」

 

ナリタブライアン「あの日だって世間が『有馬記念』翌日のクリスマスイブを楽しんでいる中、あんたは山登りの格好をして街中をずっと歩き続けていたんだ」

 

ナリタブライアン「学園で話題になってたぞ。街中で山登りの格好をしていたあんたが生徒を助けたのにニュースでは別人の手柄になっていたからな」

 

斎藤T「……そういうことですから」

 

ナリタブライアン「だから、誤魔化すな!」

 

 

斎藤T「子供は深夜になる前に家に帰って身体を洗って寝ろ!」

 

 

ナリタブライアン「!!!!」

 

斎藤T「あなたは無事に『トゥインクル・シリーズ』を走り抜いて、その先の『ドリーム・シリーズ』に姉妹揃って昇格したんです」

 

斎藤T「それは“皇帝”シンボリルドルフも果たせなかった快挙なんですから、あなたには勝者の義務を遂行してもらいます」

 

ナリタブライアン「ふざけるな! ウマ娘にも劣るヒトの身体でどこまで戦い続けるつもりなんだ!?」

 

斎藤T「借りを返そうだなんて思わなくていいですよ。子供に見返りを期待するような素寒貧のつもりはないですから」

 

ナリタブライアン「あ、あんたは……」

 

斎藤T「逆に訊きますけど、アスファルトの上で全力を出せない競走ウマ娘が格闘ウマ娘の真似事をして何になるんですか?」

 

ナリタブライアン「それは……」

 

斎藤T「寝覚めの悪い夢なんて忘れて、みんなの夢に向かって走り続けてください」

 

ナリタブライアン「――――――『夢』か」

 

斎藤T「そうです。夢は一人でも見ることができますが、夢の舞台はみんなで形作ってきたものなんですから、送り出してくれた人たちへの報恩感謝を忘れずに」

 

 

まさかの見舞客に驚くことになったが、よくよく考えると“斎藤 展望”の保護者である藤原さんが私を気遣って妹:ヒノオマシに連絡を入れなかったのに、アグネスタキオンが見舞いに来ていたぐらいだ。

 

アグネスタキオンと同じく25日の終業式にこれまでの影の功労者である私の姿がないことを不審に思い、生徒会の誰かしらが来ることになるのに不思議はなかった。

 

生徒会長:シンボリルドルフが『名家』の勤めか何かで来れなかったとすれば、接点のないエアグルーヴよりも姉妹揃って恩を感じているナリタブライアンが見舞いに来るわけか。

 

だからと言って、社会通念上では子供に過ぎないナリタブライアンをWUMA討伐作戦に参加させるわけにはいかない。

 

それに、中途退学者が毎年のように出続けるのが当たり前のトレセン学園での競走を勝ち抜いて上位リーグに昇格したのだから、何も考えずに前を向いて走ってもらいたい。

 

だから、やがてこの新惑星にも訪れるだろう宇宙時代を生きた先人として、人としてあるべき姿を示し続けるしかない。

 

 

――――――行動の自由:束縛からの自由(リバティー)のために生きるな。自己実現の自由:表現の自由(フリーダム)のために生きろ。

 

 

斎藤T「あ、そうだ。せっかく来たんだから、ただで帰すわけにはいかないな?」

 

ナリタブライアン「うん?」

 

斎藤T「はい、まい泉のチーズメンチかつサンド!」

 

ナリタブライアン「お、かつサンド!? いいのか?」

 

斎藤T「どうぞ」

 

ナリタブライアン「おお! 食パンよりも分厚いな、この肉は!」

 

ナリタブライアン「うん! これはいいものだな! カマンベールチーズの濃厚な味わいとメンチカツの相性が抜群だ!」

 

ナリタブライアン「お、あんた、何を食べているんだ?」

 

斎藤T「これ? ニューヨーカー御用達のスモークサーモンとクリームチーズのベーグルサンド」

 

ナリタブライアン「……へえ」

 

斎藤T「ほら、はんぶんこ」スッ

 

ナリタブライアン「い、いいのか?」

 

斎藤T「育ち盛りなんだから、食べなさい」

 

 

斎藤T「そして、常に他人に施しを与えられる余裕を持つのが大人の条件だ」

 

 

斎藤T「子供がガキって言われるのは施餓鬼を受ける側にそっくりだから。他人に求めるだけで他人に与えることをしないからだ」

 

斎藤T「つまり、互恵関係(ギブ・アンド・テイク)を成り立たせることができたら、初めて大人になれたというわけだ」

 

ナリタブライアン「……大人の条件か」

 

ナリタブライアン「そう言われると、私は他人に求めることはしなかったが、他人に与えることもしなかったから、私は大人とは言えないんだろうな」

 

ナリタブライアン「姉貴や寮長たちは立派に大人というわけだな。エアグルーヴが次期生徒会長なのも当然だな」

 

斎藤T「逆に言えば、他人に求めないのなら それは子供じゃない」

 

斎藤T「――――――何だと思う?」

 

ナリタブライアン「……何だろうな?」

 

斎藤T「他にも、一方的に与えるだけの存在もいるわけだな」

 

斎藤T「――――――何だと思う?」

 

ナリタブライアン「さあな。小難しい話は姉貴にしてやってくれ」

 

斎藤T「これから大人を目指す上で重要な話だ」

 

 

斎藤T「一方的に与えるだけの存在にはなっちゃいけないよ。目指すべきは互恵関係(ギブ・アンド・テイク)を結べる大人なんだからね」

 

 

ナリタブライアン「どうしてだ?」

 

斎藤T「たとえば、はい。ちょっと少ないけど1000万円の小切手です」スッ

 

ナリタブライアン「え!?」

 

斎藤T「ね? 素直に受け取れないでしょう? あなたの獲得賞金と比べたら端した金額でも、それが与えられる側の負担になることもあるわけだ」

 

斎藤T「そして、大体は一方的に与えるだけの存在というのは相手の気持ちを汲み取ることもない有難迷惑な存在というわけだ」

 

斎藤T「あなたも誰かとつるむことが好きじゃないだろうから、自分が求めてもいないのにあれこれしてやろうとする周囲の人間が鬱陶しく思うでしょう?」

 

斎藤T「だから、一方的に与えるだけの存在にはなっちゃいけない。一方的に与えた後のことは知らん顔をするのが常だから。そこまで気を回さない人種だから」

 

ナリタブライアン「……なかなか難しい話だな」

 

斎藤T「あ、難しくないよ。互恵関係を結べばいいのだから、相手の方から求めてきた時に自分がどういうことを望んでいるのかをしっかりと伝えて調整するだけで、相互理解が促進するから」

 

斎藤T「まずは自分から何かを積極的に与える必要はないから、相手が何かを求めてきた時に誠実に対応することに努めればいいよ」

 

斎藤T「返せることも与えることだ」

 

斎藤T「生徒会なんだから、それを日常的に心掛けるだけで多くの人たちと互恵関係が結ばれるよ」

 

ナリタブライアン「そういうものなのか?」

 

 

斎藤T「そう。易経にある鼎の卦と井の卦だよ。生徒会の一員なら そのことを知るべきだ」

 

 

ナリタブライアン「すまない。古文や歴史はさっぱりなんだ」

 

斎藤T「まあ、簡単に言うと鼎っていうのは古代中国で煮炊きに使われていた3本脚の土器だったんだけど、青銅器時代になると国家の君主や大臣などの権力の象徴となっていったんだ」

 

斎藤T「一方で、井というのは井戸のこと。この場合は宮殿には水瓶などで貯水されているのに対する、民衆にとっての大切な生活用水の象徴だね」

 

斎藤T「転じて、鼎は支配者の象徴、井は被支配者の象徴となり、鼎の卦は為政者として国全体に益する働き、井の卦は末端の人々をひとりひとり救う働きを示す」

 

斎藤T「具体的な例で言うと、医療現場でマンツーマンで患者の治療を施すのが井の卦、医療現場を支えるための制度や予算を整えるのが鼎の卦となる――――――」

 

斎藤T「つまり、どちらも欠かせないものなのはわかるよね? 一言で言うなら富と豊かさのことだから」

 

斎藤T「豊かなら下々の民はどうにだって生きていけるよ。でも、それ以上の暮らしを望むなら力を合わせて富を成す叡智もまた不可欠」

 

ナリタブライアン「つまり、末端の人間と頂点の人間の両方の視点を持ち合わせるべきなんだな?」

 

斎藤T「そう。末端の人間は贅沢三昧に思えるお偉方の生活をとにかく羨むでしょう? 逆に、頂点の人間は下々の民をお上の苦労を知らない気楽な立場だと軽んじるでしょう?」

 

斎藤T「これは両方の立場の視点を持たないことで相互理解が欠如するから起きる擦れ違いなんだ」

 

斎藤T「末端には末端の、頂点には頂点の楽しみや苦しみがあって、そのどちらが自分に適しているのかを判断して選択できる自由と機会を持てないのは人間として不幸なことだ」

 

ナリタブライアン「だから、一方的に与えるだけの存在になってはならないわけなのか。なるほどな」

 

 

ナリタブライアン「わかった。あんたは会長が卒業した後のトレセン学園でそういう在り方を生徒会に望んでいるわけなんだな」

 

 

斎藤T「ええ。『名家』の出身ではない庶民が大半の生徒たちでもそういった視点が備わるようにしてもらいたいのですよ」

 

斎藤T「そうでなければ、全国から集った校則スレスレの個性豊かな問題児だらけのトレセン学園の秩序は守れません」

 

斎藤T「木を見て森を見ず、森を見て木を見ず、正しくは『木も見て森も見る』です。シンプソンのパラドックスに騙されるな」

 

 

斎藤T「――――――“皇帝”シンボリルドルフの御心はそこにある」

 

 

ナリタブライアン「会長の……」

 

ナリタブライアン「言っていることの半分も理解できていないと思うが、あんたは本当におもしろいな」フフッ

 

ナリタブライアン「これまで会長を称える人間は数え切れないぐらい見てきたが、あんたにはまったくちがったものが見えているんだな」

 

ナリタブライアン「その、よかったら また話を聞かせてくれないか?」

 

斎藤T「ええ。もちろんです」

 

 

――――――生きていたらね。

 

 



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第一次決戦Ⅲ 逆撃の跳躍

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 

年末まであと僅か、多摩地域での混乱が拡がりつつある。やつらの破壊工作(サボタージュ)が奥多摩を隔離させている。

 

多摩地域で原因不明の事故が多発するようになり、それと共に怪奇現象の報告も次々と上げられるようになったのだ。

 

地図上でその分布を見てみると、やはり24日にブラックサンタクロースが巨岩の贈り物をした地域――――――、正確にはその巨岩を回収した然るべき研究機関の辺りに集中していると見ていいだろう。

 

府中市もその例外ではなく、終業式を迎えて故郷に多くの生徒たちが帰っていることもあってトレセン学園での被害報告は少ないが、職員や警備員たちが怪奇現象を目撃しているそうだ。

 

あの巨岩はやはりオカルト現象を引き起こすための装置だったと考えるべきだろう。

 

となれば、奥多摩に侵入することは不可能になった。完全に手遅れと見るべきだ。

 

 

――――――やつらの超科学によって奥多摩はこの世界から分断されることになったのだから。

 

 

正式な発表はないが、すでに奥多摩との連絡が途絶えており、奥多摩に入る道路を進んでいたと思ったら()()()()()()()()()()()()()()()()()という ありのまま今起こった事を話す者が後を絶たなかった。

 

ヘリコプターで上空から進入する時も同様で、奥多摩に向かって進んでいたはずが、()()()()()()()()()()()()()という不可解な現象が行く手を阻んだ。

 

どうやら並行宇宙を侵略できるほどのWUMAの空間跳躍技術のちょっとした応用のようだ。

 

超弦理論に基づいて外界からの進入路を四次元空間上でU字に繋ぎ合わせることで、()()()()()()()()無限の城門を築き上げたというわけだ。

 

これにより、東京都を管轄する警察組織『警視庁』は奥多摩との連絡の回復と多摩地域で起きている怪奇現象の解明のために総力を上げることになった。

 

もちろん、並行宇宙の地球を支配して異なる地球を侵略しに来ている超科学生命体“フウイヌム”に21世紀の異なる地球の文明の技術で対抗などできるはずがない。23世紀の宇宙科学でもだ。

 

 

つまり、25日までに奥多摩に乗り込んで やつらを殲滅しておかなければ、こうして奥多摩は()()()()()()() ()()()()()辿()()()()()()()()として、やつらの完全な支配下に置かれてしまうのだ。

 

 

そうなれば先遣隊による橋頭堡の確保という戦略目的は達成されたことになり、この世界もやがては超科学生命体の大群の攻勢を受けて人類社会は遠からず滅亡するだろう。

 

ホント、世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”が存在してなかったら、私はこの時点で発狂していたかもしれないな。

 

となると、24日で奥多摩隔離の布石が打たれ、27日に奥多摩隔離が実現されたと考えるなら、やつらの侵略計画の進展は一段落ついたとも言える。

 

 

――――――要するに、()()()()()()()()()()()はずだ。

 

 

そうなると、私が病床でやることが完全になくなり、終末が確定した世界の年末の様子を見ながら病院でダラダラと過ごすしかないのかもしれない。

 

とりあえず、31日に目標未達成でタイムリープが起きた時に備えて次周の予定表を作成して、ループ初日の24日の夜にブラックサンタクロースを討伐する手筈を整えておこう。

 

大丈夫。1日使って府中市を自分の脚で歩き回ったばかりだから、ブラックサンタクロースを撃ち落とすのに最適なビルは調べがついてる。撃ち落とす手段も法律のグレーゾーンのものを用意できる。

 

 

そして、4体のエルダークラスの勢力図は“奥多摩”“多摩地域”“トレセン学園”“船橋市”の4つの地域に割拠しているものと思われる。

 

 

奥多摩はWUMA襲来の地であり、年間を通して登山客も多く 人目につかずに侵略の準備をするにはうってつけの山間の場所なので、そこを防衛する軍団がいるのは軍事の常識だろう。本拠地を留守にするわけがない。

 

次に多摩地域は奥多摩と東京都心との接点であり、奥多摩を下りた先の前線基地として侵略を進めていったのは自然な流れだ。ここも要衝として押さえておく場所だ。

 

その中でも府中市のトレセン学園は『同胞たるウマ娘の解放』を目標にしたWUMAにとっては重要な場所であり、日本中から優駿たちが集まることもあって、地球征服後はウマ娘たちを支配者にするためのエリート教育機関に塗り替えられるかもしれない。

 

最後に船橋市には『皐月賞』『スプリンターズステークス』『有馬記念』『ホープフルステークス』が開催される中央競バの中山競バ場、平日開催となる地方競バ(南関競バ)の船橋競バ場があり、非常にウマ娘レースが盛んな場所となっていた。

 

つまり、4体の有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ女の軍団のうち、半分は奥多摩から地球侵略のための準備を進め、もう半分は『同胞たるウマ娘の解放』のためにウマ娘たちの聖地で活動をしていることが推測できる。

 

奥多摩は完全に侵入不可となり、多摩地域は混乱の真っ只中で、トレセン学園はエルダークラス討伐によって何事もなく冬休みを迎え、船橋市は今の所は異常はない。

 

 

――――――なるほど、なるほど。それなら、暇だから船橋市のエルダークラスを討ちに行くか。

 

 


 

 

●1周目:12月28日

 

URAが開催運営する中央競バに出走する競走ウマ娘の育成機関:中央トレセン学園は府中市にあるものが唯一無二のものではあるが、分校が京都競バ場の近くに存在しており、

 

京都分校は西日本での中央トレセン学園の入試会場や遠征合宿の宿泊施設としても利用され、中央トレセン学園の学校行事を見学できるサテライト会場としても機能していた。

 

一方、地方競バ『ローカル・シリーズ』の歴史は近代ウマ娘レースの統一ルールの国際規格と照らし合わせると中央競バ『トゥインクル・シリーズ』よりも新しいが、

 

かつて戦国時代の群雄割拠でそれぞれの地域でウマ娘たちが活躍していたことを考えれば、地方競バの方がルーツが古いわけであり、それぞれの地方で独自の興行と縄張り意識が現代にも根強く残っていた。

 

そのため、現在では一口に地方競バ『ローカル・シリーズ』として中央競バにも似た全国的な枠組みが構成されているが、

 

『ローカル・シリーズ』が成立したのは意外にも1990年のNAU(地方ウマ娘全国協会)グランプリ制度の導入からであり、いかに地方競バ界のそれぞれの独自性や利権を保ちながらの団結に長い時間を擁したかがわかるだろう。

 

結果としては、ますます『トゥインクル・シリーズ』の後追い劣化版の下位リーグの印象を『ローカル・シリーズ』が受けることになり、

 

現在でも地方競バ『ローカル・シリーズ』は中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の下位リーグと見做されているが、中央で夢破れてからの天下り先として敗者たちの受け皿の役割を担うことになった。

 

しかし、日本競バ界は『ローカル・シリーズ』『トゥインクル・シリーズ』『ドリーム・シリーズ』の三重構造で成長することになり、

 

中央トレセン学園の暗黒期は笠松トレセン学園出身のオグリキャップの絶大なる人気によって終焉を迎えることになり、『ローカル・シリーズ』の存在価値が見直される契機ともなった。

 

そのため、オグリキャップの成功によって『ローカル・シリーズ』から『トゥインクル・シリーズ』への移籍が積極的に行われるようになり、

 

中央トレセン学園は秋川理事長と“皇帝”シンボリルドルフという二大巨頭に支えられて総生徒数2000名弱となる黄金期を迎えることになったのだ。

 

憧れの夢の舞台である中央トレセン学園への転入が地方出身のオグリキャップの活躍によって認められやすくなったことが結果として業界全体の活況へと導いた。

 

そう、オグリキャップが今でも神格化された存在なのはそういった功績があるからであり、まさしく日本競バ業界の救世主とでも呼ぶべき偉大なる存在であった。

 

 

さて、地方競バ『ローカル・シリーズ』は日本各地に割拠している地方競バを総括したものであり、

 

細かく見れば、北海道シリーズ、東北シリーズ、北関東シリーズ、南関東シリーズ、北陸シリーズ、東海シリーズ、近畿シリーズ、中国シリーズ、四国シリーズ、九州シリーズで構成されている。

 

北海道シリーズには競走ウマ娘ではなく世界唯一の農耕ウマ娘が主役の“ばんえい競バ”という地方特有の競技があるのが有名である。

 

また、九州シリーズにも参加資格が古代種に限定されるトライアスロン形式の“高千穂競バ”が開催されており、日本古来からの旧き血統を未来に残そうという運動が残っている。

 

 

そんなわけで、中央競バ:中山競バ場が同じ市内にあるせいで平日開催で興行する羽目になった南関東競バ:船橋競バ場が存在する船橋市に再び赴くことになった。

 

 

今日が28日で、23日に『有馬記念』が行われたばかりなので、あれから1週間も経たないうちに多摩地域は大変なことになってしまった。

 

しかし、私にとってはそんなことはもうどうでもよく、桐生院先輩を何度も襲った報復のために船橋市に潜伏しているだろうエルダークラスの討伐に赴いた。

 

地方競バ『ローカル・シリーズ』の特徴だが、基本的に地方競バ場をホームグラウンドとした地方トレセン学園が存在しており、

 

中央競バ『トゥインクル・シリーズ』のためのトレセン学園が京都に分校があるにしても府中市にあるのが唯一無二なのを考えると、地方競バ場と結びついた地方トレセン学園は非常に贅沢な場所に思えるかもしれない。

 

だが、府中市の中央トレセン学園と同じようなものだと思って、それぞれの地方トレセン学園を初めて訪れたら誰もが中央のレベルの高さに驚愕することになるだろう。

 

何しろ、それぞれの地方トレセン学園は基本的には金欠で、芝を買う金がないので地方レースはダートコースになるわけなのだ。

 

そのため、『ターフの上で走る』という表現が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を意味する業界用語にすらなっている。

 

もちろん、中央トレセン学園には芝のコースだけじゃなく、ダートコースもちゃんと用意されており、それで全距離バッチリ対応しているのだから、とんでもない規模を誇るのだ。

 

それぐらい中央と地方の格差は大きいわけであり、近代ウマ娘レースの起源を考えれば 本来はメインであるはずのウイニングライブに掛ける予算も地方の経営では厳しい。

 

そういった中央と地方の落差を目の当たりしているからこそ、中央トレセン学園が夢の舞台だと この世界に住む誰もが憧れを抱くわけである。

 

地方競バ:南関東シリーズの船橋トレセン学園も例によって船橋競バ場をホームグラウンドにして存在しているが、

 

府中市に広大な生徒寮やトレーナー寮の住宅団地に全ての距離やバ場に対応したトレーニングコースを有する中央トレセン学園と比べたら豆粒みたいなものであった。

 

しかし、ホームグラウンドの船橋競バ場の他にも中央競バ:中山競バ場があるため、中央入りができなくても走ることが大好きなウマ娘たちにとっては非常に人気がある地方トレセン学園となっていた。

 

一般的には興行収入の面からも南関東シリーズが『ローカル・シリーズ』の筆頭とも言える地位にあり、船橋(千葉)、川崎(神奈川)、大井(品川区)、浦和(埼玉)の4つの競バ場で構成されている。

 

現在では一般的となっているゴール写真判定、枠別の帽色、スターティングゲート、パトロールフィルム制度、ナイターレースは、ミホノブルボンが飛び入り初参加で優勝を果たした地方初の国際G1レース『東京大賞典』を開催した大井競バ場が初めて採用している。

 

一方で、南関東があるなら北関東シリーズもあるわけだが、宇都宮(栃木)、足利(栃木)、高崎(群馬)の人気も興行もイマイチであり、規模縮小を重ねて存続の危機にあるのだとか。

 

そこで北関東シリーズでは地域おこしの一環としてレースよりもウイニングライブに力を入れるという独自路線を走っているらしく、近代ウマ娘レースの本当の勝利者として評価を集めているらしい。

 

そして、その立役者の名前に『名門』桐生院家の人間の名前があった――――――。

 

しかも、それは中央トレセン学園の暗黒期にシンザン以来の“クラシック三冠バ”を達成したミスターシービーの担当トレーナーだというのだから、不思議な縁を感じざるを得ない。

 

ともかく、日本競バにおける1レースの売上最高額としてギネス世界記録に登録された『有馬記念』などで賑わう中山競バ場での優先席を得られるのが売りになっている船橋トレセン学園にエルダークラスが隠れ潜んでいると見て捜査を進めていった。

 

 

 

――――――深夜の船橋市

 

 

斎藤T「まさか、『有馬記念』前夜の船橋市を出歩いていた経験が活かされるとはな……」

 

アグネスタキオン’「全ては運命の女神の掌の上ということかい?」クククッ

 

斎藤T「どうだろうな? ここまでうまくいくとは思わなかったよ」

 

アグネスタキオン’「さて、エルダークラス:ヒッポリュテーの因子を継承した私がこうして他所のエルダークラスの縄張りを見せつけるように出歩いたら、いったいどうなるのかな?」ニヤリ

 

斎藤T「ああ。完全に擬態対象そのものになって日常生活から抜け出せない下位存在に悪態をつきながら、横暴な上司と無能な部下に苛まれる哀れな中間管理職の上位存在が釣られたというわけだ!」ニヤリ

 

アグネスタキオン’「聞け! “スーペリアクラス”アグネスタキオン’(スターディオン)が命じる!」バサッ

 

 

――――――お前たちの主の下に案内したまえ!

 

 

12月28日、背中の調子も良くなって私は一念発起して退院すると、アグネスタキオン’(スターディオン)を連れて再び船橋市を訪れた。

 

そして、府中市の中央トレセン学園をエルダークラス:ヒッポリュテーの軍団が侵略していたように、船橋トレセン学園に当たりをつけて、すでに冬休みに入っていた船橋トレセン学園の周りを目立つように偵察したのだ。

 

それもできるだけ浮浪者に思わせる装いをするのがポイントで、やつらの正体が馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好の怪人:ウマ女であったとしても、馬鹿というわけではない。

 

擬態しては擬態対象を殺害するのを繰り返すのには限度があり、“成り代わり”を終えた後の社会的損失の影響が少ない人物を狙っての地道な情報収集をやっていたのだ。

 

だから、ホームレスや浮浪者、家出少女やネカフェ難民、一人暮らしの老人などを狙って次々と擬態しては“成り代わり”を果たして、不要になったら その存在を使い捨てることを繰り返していたようである。

 

そうすれば存在を使い捨てても不審に思われることもないし、社会から関心を持たれることも少ない。死を隠蔽するのは非常に簡単だった。

 

私からしても自我を保ちながら擬態したくはない擬態対象ばかりで、命令に絶対服従のジュニアクラスを充てがうのが適切とも言える。

 

だから、ジュニアクラスの監視を行う部隊長のシニアクラスはそれなりの身分で身動きが取りやすい立場が好まれていた。

 

一人暮らしの大学生や単身赴任のサラリーマンや独身のキャリアウーマン、妻に隠れてキャバクラや不倫に走るスケベオヤジ、親のカネで遊び呆けて回るドラ息子辺りが狙い目だった。

 

 

そして、やつらは『同胞たるウマ娘の解放』を建前に行動しているため、ウマ娘に擬態して殺害させることは少ないような気がする。

 

そう、なぜ擬態した時に擬態対象を抹殺する殺人衝動に駆られるのか――――――。そこが賢者ケイローンが矛盾に思う“フウイヌム”の生態であり、

 

並行宇宙に進出できるほどの空間跳躍技術があるなら、その驚異の科学力で人類文明を蹂躙すればいいだけだろうに、やつらはなぜかわざわざ擬態してからの情報収集を優先しているのだ。

 

それしか侵略のノウハウがないとは思えないが、それが逆にこちらに付け入る隙を与えているのだから、そこまで洗練されているとは言えないやり口だ。

 

もちろん、地球侵略という崇高な目的の邪魔になれば、躊躇わずに同胞たるウマ娘であろうと排除しようとするため、ウマ娘を囮にする作戦は有効ではない。

 

 

しかし、やつらには理念があり、戦略があり、感情があるのだ。必ず今回の地球侵略に当たっての戦闘教義(ドクトリン)があるはずなのだ。

 

 

つまり、基本的にはウマ娘保護政策を推し進めながら状況に応じて非情な決断を下して絶対に失敗が許されない地球侵略を行っているように思えた。

 

それを踏まえてヒッポリュテーの記憶を継承したアグネスタキオン’(スターディオン)の証言からエルダークラスの軍団の作戦行動や作戦指針を洗い出してみると、驚くほどに明快な答えが返ってきた。

 

そう、非情な決断を下して同胞たるウマ娘を殺害する要素はどこにあるのかと言えば、それは考えてみれば簡単なことだったのだ。

 

 

あの日、アグネスタキオンに擬態させるように名もなきジュニアクラスに過ぎなかったアグネスタキオン’(スターディオン)が迫った理由は、アグネスタキオンが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()危険人物だったからなのだ。

 

 

まさか、侵略的外来種に過ぎない怪人:ウマ女なんかにウマ娘保護政策のために常識的な見地から排除されそうになっていたとは思わず鼻で笑ってしまった。

 

だが、少なくともエルダークラス:ヒッポリュテーの記憶から読み取れる限りだと、擬態対象のシンボリルドルフのヒトとウマ娘の絆を信じる心を読み取って知らず識らずのうちに影響を受けていたことで、

 

トレセン学園を離れて静養していたトウカイテイオーの担当トレーナー:岡田Tを始末するべきだったのを同情心から見逃していたこともあり、

 

それが仇となって私が本物の岡田Tと接触していたという状況証拠から『ジャパンカップ』に現れたトウカイテイオー’と岡田T’が偽物であることが割れてしまったのだ。

 

そう、少なくともWUMAは自分たち以外の存在は下等種族として差別してはいるものの、やつらなりの喜怒哀楽や倫理観というものがあるため、超科学生命体ではあるけれどもウマ娘のために涙を流せる存在でもあったのだ。

 

もちろん、『同胞たるウマ娘の解放』を謳っているわけなのだから、“ヤフー”に飼い慣らされた哀れな存在だとは思っていても、少しは彼女たちの気持ちに寄り添う感情の動きが芽生えていたのだ。

 

それが府中市の中央トレセン学園で果てたエルダークラス:ヒッポリュテーが擬態をしたことで犯してしまった最悪の失策であり、

 

本物のトウカイテイオーと岡田Tを始末しなかったことを皮切りにしてWUMAの地球侵略に足がついてしまったのだから、それを徹底的に利用している側としてはやるせない。

 

 

 

――――――船橋トレセン学園

 

 

ガチャリ・・・

 

斎藤T「ほう、これは想像以上の大物だったな。道理で船橋トレセン学園に巣を張るわけだ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。ここは1932年の第1回『日本ダービー』優勝の“ワカタカ”の担当トレーナーとその一族が戦後に開いた由緒正しき地方トレセン学園だったか」

 

アグネスタキオン’「――――――『名門』箱館一族」

 

 

箱館理事長’「そうだ。戦後の日本競バ界の歴史は『名門』箱館一族から始まったと言っても過言ではない」

 

 

箱館理事長’「故に、我ら誇り高き“フウイヌム”の同胞たる“ウマ娘”を金儲けの道具にする“ヤフー”のもっとも罪深き血族をこの世から抹殺しなければならなかったのだ」

 

斎藤T「異世界からの侵略者の方が私たちよりもよっぽど歴史に詳しいようだな。まあ、ウイニングライブの伝統と文化に懐疑的なトレーナーも多いことだしな」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、トレーナーくん。黒幕もわかったところで――――――!」

 

斎藤T「――――――WUMA共! 全滅だ!」

 

 

 

 

――――――時間跳躍! 5分前の世界に修正が入る!

 

 

 

 

斎藤T「――――――トレセン学園に堂々と入らせてもらえれば、後は用済みだ」パキポキ 

 

斎藤T「ウマ娘よりも強大なWUMAとは言え、擬態したままじゃ実力の半分も出せまい」パンパン ――――――あっという間に5人のWUMAを灰に変える。

 

斎藤T「そして、WUMAの死体は灰となる。理事長室までの道で監視されていない場所だから、これで完全犯罪の成立だ」

 

アグネスタキオン’「いやはや、本当に怖い能力だねぇ、我ながら」

 

アグネスタキオン’「きみも肉体改造強壮剤で立派に育ってきたねぇ。一瞬で首を圧し折るぐらいに仕上がっているよ」

 

斎藤T「頬張ったフライドチキンの骨を折るみたいな感触であまり気持ちのいいものじゃないけどね」

 

斎藤T「さて、これで偽物の箱館理事長’とサシで対面できるな」

 

 

ガチャリ・・・

 

 

怪人:ウマ女「シネェ!」 ――――――いきなり有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ女に襲われる!

 

斎藤T「いきなりだな」パシッ

 

アグネスタキオン’「でも、きみからしたら欠伸が出るぐらいなんだろう?」

 

怪人:ウマ女「ナッ!?」

 

怪人:ウマ女「バ、バカナ!? ドウシテ“ヤフー”ゴトキニ“フウイヌム”デアルワタシガオクレヲトル……?」

 

怪人:ウマ女「ナラ、クラウガイイ! ワガサイコキネシスヲ――――――!」

 

アグネスタキオン’「ふぅン」

 

怪人:ウマ女「ム」

 

怪人:ウマ女「ムムッ!?」

 

怪人:ウマ女「――――――サイコキネシスガ!? チカラガカキケサレル!?」

 

斎藤T「ちゃんと角も羽も生えているのが確認できたことだし、次からはいつでも殺せるな」

 

アグネスタキオン’「ああ。思い切って来た甲斐があったね」

 

怪人:ウマ女「イ、イッタイナニモノダトイウノダ、キサマタチハ!?」

 

怪人:ウマ女「イヤ、ワタシノイトシイコタチヲチリニカエストハ、カトウセイブツノブンザイデヨクモ! ユルサナイィイイ!」

 

斎藤T「馬面でも怒ったら迫力が出るもんだな」

 

アグネスタキオン’「ああ、なるほど、こいつがエルダークラス:ヒッポクラテアだね」

 

怪人:ウマ女「ナ、ナゼワタシノナマエヲシッテイル……!?」

 

怪人:ウマ女「イヤ、コノカンジハ マサカ ヒッポリュテー!? ヒッポリュテートモアロウモノガ ケイローントオナジク ワレラヲウラギッタトイウノカ――――――?!」

 

怪人:ウマ女「イヤ、チガウ? ナゼ“ヤフー”カラモ ヒッポリュテーヲカンジル!?」

 

怪人:ウマ女「ナラ、ドウイウコトナノダ!? コノ“ヤフー”カラカンジルノハナマナマシクテ、ウマムスメノホウカラカンジルノハスキトオッタカンカク――――――」

 

怪人:ウマ女「オマエタチ! ヒッポリュテーニナニヲシタアアアアアアアアアアアア!?」

 

 

アグネスタキオン’「さあ、最上位の“フウイヌム”を使って楽しい楽しい実験といこうか!」バサッ ――――――自由の女神の冠を模した角と純白の翼が展開される!

 

 

怪人:ウマ女「ナッ!?」

 

怪人:ウマ女「ソノツバサハエルダークラスノアカシ――――――」

 

怪人:ウマ女「オ、オマエ! オマエェ! オマエェエエ! ジュニアノブンザイデナリアガッテ!」

 

怪人:ウマ女「“ヤフー”ゴトキニホダサレタカ、ワレラ“フウイヌム”ノツラヨゴシガ!」

 

アグネスタキオン’「そんなに怯えなくてもいいんだよ、すぐに気持ちが良くなるからさ」

 

アグネスタキオン’「ほら、手伝いたまえよ。そのために協力してやったんだから。実験データはきちんとレポートにして次の周の私に提出するように」

 

斎藤T「……お前がアグネスタキオン’(スターディオン)で本当によかったよ」

 

怪人:ウマ女「ナ、ナニヲスルキダ! ヤ、ヤメロ! ワカッテイルノカ!? ワタシハエルダークラス! オマエタチノヨウナチヲハウムシケラガフレテイイワケガナイノダ!」

 

アグネスタキオン’「いよいよ仮説を証明する時が来たね」

 

 

――――――なら、エルダークラスより更なる進化した“スーペリアクラス”が命じる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●1周目:12月31日

 

――――――船橋市三番瀬

 

 

斎藤T「見ろ、朝日だぞ」

 

アグネスタキオン’「これが今年最後の来光か……」

 

アグネスタキオン’「最高に充実した実験データと共に年末を迎えられたね、トレーナーくん」

 

斎藤T「そうだな。エルダークラス:ヒッポクラテアを服従させることに成功して、そこからヒッポクラテアの軍団を使って実験三昧だったものな」

 

斎藤T「おかげで、WUMAに関する情報はバッチリ集まった。これで残り2体のエルダークラスの軍団とも戦える」

 

斎藤T「あとは、24日の夜に多摩地域の空に現れるブラックサンタクロースを撃ち落として、その勢いで奥多摩を奪還すれば、WUMAは年内に殲滅できる!」

 

アグネスタキオン’「……うん」

 

斎藤T「なんか、さっきから頭の中で日めくりカレンダーがちらついているから、ここで念じれば その瞬間に24日に時間が巻き戻されるんじゃないかって気がしている」

 

斎藤T「じゃあ、本当にありがとう、アグネスタキオン’(スターディオン)。次の周でもお前とは仲良くやらせてもらうからな」

 

アグネスタキオン’「……トレーナーくん」

 

斎藤T「?」

 

 

アグネスタキオン’「日めくりカレンダーをめくることができるきみだけがタイムリープするのだろう?」

 

 

斎藤T「ああ、そうなるという確信が今ではある」

 

アグネスタキオン’「私ときみは同じ“特異点”であっても、私はきみとは一緒にはいられないのだな……」

 

斎藤T「その寂しいと思う心すら書き換えられるのが時間跳躍だ」

 

アグネスタキオン’「ああ。空間跳躍を応用した並行宇宙への移動なんて所詮は別な映画のフィルムの世界に飛び移るだけのことだけど、」

 

アグネスタキオン’「きみが経験する時間跳躍は世界である映画のフィルムそのものに手を加えることができるディレクターズカットだ」

 

アグネスタキオン’「そして、世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”によって再構築された世界は三女神というプロデューサーによるファイナルカットだ」

 

アグネスタキオン’「きみは総監督(プロデューサー)に気に入られた現場監督(ディレクター)と成り得たのかな?」

 

斎藤T「どうだろうな? 私は今回の1週間で多摩地域を見捨てて、必要なことだったとは言え、船橋市でWUMAを使った非人道的な実験に残りの日々を費やした――――――」

 

斎藤T「ずっと“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が同じ方角を指し続けていたのにも関わらず、だ」

 

 

アグネスタキオン’「私はこの時間がずっと続けばいいと思っていたよ」

 

 

アグネスタキオン’「ここでの実験を通してわかったことがあるんだ」

 

斎藤T「――――――『実験』? まだ何か報告したいことがあるのか?」

 

アグネスタキオン’「いや、こればかりは絶対に言葉じゃ伝わらないものだから、それを報告させることができないのが悔しくてね」

 

アグネスタキオン’「でも、プロデューサーによって再構築されたファイナルカットに引き継がれることを祈りたい気分なんだ」

 

斎藤T「だから、何なんだ? 大丈夫だ、日めくりカレンダーをめくらない限りは今の時間の流れは続く」

 

斎藤T「もしかして、“目覚まし時計”が不発に終わっても大丈夫なように、ヒッポクラテアの軍団を完全に傘下に収めたことに何か不安でもあるのか?」

 

アグネスタキオン’「そうじゃないんだ」

 

アグネスタキオン’「そうじゃなくて、私はようやく理解できたんだ」

 

 

アグネスタキオン’「――――――きみはずっと私の側にいてくれただろう?」

 

 

斎藤T「ああ」

 

アグネスタキオン’「私はアグネスタキオンに擬態したジュニアクラスの“フウイヌム”に過ぎなかった」

 

アグネスタキオン’「それがたまたまエルダークラスの血統であり、2人のエルダークラスの因子を受け継いだことでスーペリアクラスへと進化することができた」

 

アグネスタキオン’「それによって、私はきみが名付けてくれたアグネスタキオン’(Super-Tardyon)としての自我を確立することができたわけなんだ」

 

 

アグネスタキオン’「でも、それが本当に私自身の意志なのかが証明できずにいてね」

 

 

斎藤T「?」

 

斎藤T「――――――『我思う、故に我あり』ということか?」

 

アグネスタキオン’「わかるだろう? 下位クラスのジュニアクラスにとっては上位クラスの命令は絶対。それはエルダークラスであっても例外じゃなかった」

 

斎藤T「ああ。完全にスーペリアクラスがエルダークラスよりも上であるという格付けはすんだだろう?」

 

アグネスタキオン’「となると、私が“もうひとりのアグネスタキオン”だと思っていたものは本当はヒッポリュテーやケイローンの意識が合わさったものなんじゃないかって不安になっていたんだ」

 

斎藤T「いや、因子継承が起きた後も根っこは“もうひとりのアグネスタキオン”にしか見えなかったぞ? 空間跳躍能力が使えるようになって、そこから個性が芽生えただけだろう?」

 

アグネスタキオン’「そうじゃない。そうじゃないんだよ、トレーナーくん」

 

アグネスタキオン’「私がきみに対してどういった想いを向けているかは知っているだろう?」

 

斎藤T「……まあ、ヒッポリュテーの想いを継承しているからな」

 

斎藤T「いや、それを言ったら、お前だって私がどう思っているかなんてわかっているだろう?」

 

 

アグネスタキオン’「私はね、トレーナーくん。私自身のことが怖いんだよ……」

 

 

斎藤T「え」

 

アグネスタキオン’「どうして私が同胞である“フウイヌム”たちで人体実験ができたのかを考えていたよ」

 

斎藤T「……今回のことは勝つためにはしかたがないことだったんだ」

 

アグネスタキオン’「私は臆病だったんだと思う」

 

アグネスタキオン’「もしも“フウイヌム”に対してあれほどの人体実験をできるのだとしたら、私がやつらの仲間であると思われることもなくなるんじゃないかって……」

 

斎藤T「まさか――――――」

 

アグネスタキオン’「ああ。ヒッポリュテーは“フウイヌム”としての意識に“皇帝”シンボリルドルフの意識が割り込んできていたわけだが、」

 

アグネスタキオン’「私の場合はウマ娘:アグネスタキオン’の意識にウマ女:ヒッポリュテーの意識が割り込んできているから、」

 

アグネスタキオン’「本来は私こそがそのバケモノの一人なのにバケモノの思考に自分が染まることにひどく怯えているんだよ、実はね……」

 

斎藤T「……2つの心を持つのも大変だな」

 

アグネスタキオン’「ああ。だから、私は殺したよ、たくさん」

 

アグネスタキオン’「最低だとは思わないかい? 他人から借りた偽物の姿をして ここまで悍ましくなっちゃったよ、私は……」

 

斎藤T「それなら私も同じことだ」

 

 

アグネスタキオン’「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()というわけだよ、トレーナーくん。そのことが完全に証明された」

 

 

アグネスタキオン’「無理だったよ。私がウマ娘を超えたバケモノであることはどこまで行っても変えようがない真実だった……」

 

斎藤T「ああ、なるほど。そうかい」

 

アグネスタキオン’「でも、だからこそ、()()()()()()()()()()こともわかったんだ」

 

斎藤T「そういうことか」

 

 

斎藤T「だから、怖いのか? 『もしも世界から取り残されたら』と考えると?」

 

 

アグネスタキオン’「……ああ。本当に“目覚まし時計”によって世界が再構成されるのではなく、ただ単にきみが並行世界に旅立つものだったとしたら?」

 

斎藤T「そうだな。こういうのはこれで最後にした方がいいのかもしれないな」

 

アグネスタキオン’「トレーナーくん……」

 

 

斎藤T「やはり、“目覚まし時計”を使うことを前提にした戦略は間違っていたというわけだな」

 

 

斎藤T「そのことに気づけただけでも『ここまで来れてよかった』と心の底から思っているよ」

 

アグネスタキオン’「……わからない」

 

アグネスタキオン’「どうしてきみは私のことを肯定するんだい!? 私は本物のアグネスタキオンでもなければ、ヒッポリュテーでもないし、会長でもない! 全てが偽物なんだ!」

 

アグネスタキオン’「でも、その事実から逃げようと足掻いたら、私は同胞であるはずの“フウイヌム”を実験という名目で手にかけてきた真性のバケモノだったんだよ!?」

 

アグネスタキオン’「そして、今だって私はきみがいなくちゃ本当は……」

 

斎藤T「……これはどういったらいいんだろうな?」

 

 

そして、年末の朝を迎えた。初日の出の正反対ということで終いの日の出である。

 

あれから私とアグネスタキオン’(スターディオン)は冬休みを迎えて静かになった船橋トレセン学園を占拠して“フウイヌム”への非人道的な人体実験に明け暮れていた。

 

これによって、アグネスタキオン’(スターディオン)はエルダークラス:ヒッポクラテアの軍団を接収することに成功し、圧倒的な情報優位性と戦略を確立することができた。

 

これで『有馬記念』の翌日となる24日に時間が巻き戻るのだから、船橋トレセン学園理事長に成り代わりをしていたエルダークラス:ヒッポクラテアをいつでも無力化できる。

 

そこから多摩地域に現れたブラックサンタクロースを24日の夜に討ち果たして、25日に奥多摩を制圧すれば異世界からの侵略を食い止めることができる。

 

しかし、必要なことだったとは言え、まさかアグネスタキオン’(スターディオン)がWUMAに関するありとあらゆる情報をエルダークラスの軍団から得るために人体実験をやりだした背景に、

 

『自身の正体がバケモノであっても人間で在り続けたい』という願いに加えて、『人間でありながら自身がバケモノの思考に染まる』という恐怖に人知れず苛まれていたなんて――――――。

 

これはたしかに普通に人間として生まれてきた存在には絶対に理解できない境遇の宿命であった。

 

しかし、そもそも、このアグネスタキオン’(スターディオン)はたまたま擬態対象が新薬の副作用で意識を失ったのを中毒死したと勘違いしたことで殺人衝動が発散して“もうひとりのアグネスタキオン”になったバケモノであるのだ。

 

だから、そういうものだと最初からわかっているからこそ細心の注意を払って接してきたわけであり、因子継承するまでは実験室に籠もることを強要された方のアグネスタキオン’という程度のちがいしかなかった。

 

 

だが、三女神像のおまじないの儀式で得たWUMAの進化はこのようにして代償を求めてきたのだった。

 

 

やはり、ウマ娘にとっての皇祖皇霊たる三女神はWUMAとして生まれた彼女の業の深さを許しはしなかったのだ。

 

たしかに、私がアグネスタキオン’(スターディオン)と彼女のことを呼ぶようになったのも因子継承ではっきりとした擬態対象とのちがいが生まれたからなのは事実だ。

 

そして、WUMA討伐の戦力として当てにしていたのも事実で、彼女自身がが必死に否定し続けているバケモノが次々に討たれていくことに何を感じているのかを考えてこなかった。

 

なるほど、私に狩られる側の存在から一緒になって狩る側になることができれば、自身がバケモノであるという決して逃れられない宿業も忘れられると――――――。

 

いや、そうじゃない。そういう風に教え込んでしまったのは他の誰でもない――――――。ふとした拍子にWUMAとしての本性が露になることを恐れて彼女を実験室に閉じ込めてきた私自身だ。

 

そう、本物のアグネスタキオンが来年のレースデビューのために私と一緒に外出することが増えた一方、私は“もうひとりのアグネスタキオン”をWUMA討伐の時だけ実験室から連れ出していた。

 

そうだ。“もうひとりのアグネスタキオン”として好きなだけ実験室で実験漬けの幸せな生活を送ることができる存在だと私は羨んでいたが、

 

アグネスタキオンが誰かと一緒に出かけることに喜びを覚えたということは、それを実験室に一人居て聞かされてばかりの“もうひとりのアグネスタキオン”も羨ましいと思わないはずがない。

 

そうか、彼女も立派な乙女だったんだなって、宇宙移民船での限られたコミュニティでの暮らしの中ですっかり忘れていたことに気付かされた。

 

まだまだ子供――――――、というより実際に成長期半ばの色づく年頃の子供なのだから、そういった少年少女たちの繊細微妙な感情の揺れ動きを大人が無視してはいけない。

 

それが表面化したのがヒッポリュテーの想いを受け継いだ因子継承の時だったとすれば、そのままにしておいていいはずがないのだ。

 

 

そうなれば、いずれは報われない想いのために昏い感情を爆発させることになり、そうなった時に何が起きるのかなんて予想なんてつかない。そのことを私は『有馬記念』前夜のこの街(船橋市)で学んでいたのだ。

 

 

そうだ。私はこうして彼女と一緒に年末を迎えられたことを全力で肯定していいんだ。

 

最初から24日に時を巻き戻して多摩地域を救うことを決めていたのだから、船橋市を救って世界も救う算段をここで整えて正解だったんだ。

 

たとえ“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が今も奥多摩の方角を指していたとしても、そこに至るまでの過程までは事細かくは指示はしていない。

 

それよりも、私は今ここで奥多摩を攻略した後に将来的に爆発することになるだろう地上最強(スーペリアクラス)の脅威を事前に取り除くヒントを得ることができたのだ。

 

年内にWUMAを殲滅できた後も、私は私の独断でバケモノでありながらバケモノであることを否定する他ない彼女の面倒を見るのだから、その可能性を思い出すことができて本当によかった。

 

そう、24日の聖夜に身を挺してトレセン学園の生徒を暴走車から救って入院生活から始まった最初の1週間で話したことや思いついたことは決して無駄にはならないのだ。

 

WUMAに勝つためにWUMAの思考や在り方を追究して理解を深めていくことで、WUMAであろうとも人間と変わらない喜怒哀楽や倫理観があることを私は認めるようになっていた――――――。

 

 

――――――彼女が年末の朝に海辺で来光を拝みたくなった気持ちの奥にあるものがわかった。

 

 

 

バチャバチャ!

 

アグネスタキオン’「うわっ!? 冷たいじゃないか!?」

 

斎藤T「ほら! 朝焼けなのに何を黄昏れてんだ!」

 

アグネスタキオン’「トレーナーくん! 私は真剣に――――――」

 

 

斎藤T「生きろ!」

 

 

アグネスタキオン’「え」

 

斎藤T「生きろ!」

 

アグネスタキオン’「いや、『生きろ』と言われても――――――」

 

斎藤T「生きろ!」

 

アグネスタキオン’「だから……!」

 

斎藤T「生きろ!」

 

アグネスタキオン’「きみ!」

 

斎藤T「生きろ!」

 

アグネスタキオン’「……トレーナーくん?」

 

斎藤T「生きろ!」

 

アグネスタキオン’「きみはこんな私でも『生きろ』と言ってくれるのか?」

 

斎藤T「生きろ!」

 

 

アグネスタキオン’「わかった。生きるよ」

 

 

アグネスタキオン’「だから、生きろ! 死なないでおくれよ、トレーナーくん!」

 

アグネスタキオン’「私も生きていくから!」

 

アグネスタキオン’「そういうことなんだろう!?」

 

斎藤T「ああ、さようならだ」

 

 

――――――また会おう!

 

 

タッタッタッタッタ! バンッ! バチャアアアアン!

 

 

言うべきことはシンプル。私はその言葉を全力で表現して思いっきり大地を蹴り飛ばして東京湾へと飛び込んだ。

 

私が記憶する走り幅跳びの人類記録が10m未満だと考えるなら、最後の朝焼けの中で三番瀬から臨む東京湾に大きな水柱を立てた私は十分に人間を超えたのだろう。

 

だから、意識が暗く冷たい重たい東京湾に沈むきる前に確かに私は見ることができたのだ。

 

東京湾の朝焼けの中で純白の翼をはためかせたグリゴリの天使の飛翔――――――。

 

 

生きるとは怖いこと。

 

生きるとは傷つくこと。

 

生きるとは間違うこと。

 

生きるとは苦しむこと。

 

生きるとは涙を呑むこと。

 

生きるとは勇み立つこと。

 

生きるとは巣立つこと。

 

生きるとは高みを目指すこと。

 

生きるとは()()()()()に辿り着くこと。

 

 

 

 

 

――――――そして、時は巻き戻る!

 

 

 

 

 

●2周目:12月24日

 

アグネスタキオン「必要なものがあったら遠慮なく言いたまえ。もっとも、言われるまでもなく必要なものは用意できているだろうけどね」

 

アグネスタキオン「妹君と一緒に首を長くして待っているからね」

 

斎藤T「ああ」

 

アグネスタキオン「またバイクに乗せて連れて行ってくれよ、スピードの彼方へ。楽しみにしているから……」

 

斎藤T「ああ。()()()()()()()()()()()()()()()、絶対にその日を迎えてみせるさ」

 

 

ガチャリ・・・

 

 

アグネスタキオン「さて、これからどうするとしようかねぇ?」

 

アグネスタキオン「トレーナーくんが12月31日を迎えることで“目覚まし時計”の力で時間が巻き戻されて全ての状況がリセットされるのなら、この1週間は形に残る研究は無意味になるからねぇ」

 

アグネスタキオン「となると、研究は中止して最新の研究論文を読み漁って情報収集に徹しているのが一番かな?」

 

アグネスタキオン「……それと、ニュースでも見ておこうか。もしかしたらトレーナーくんが頑張っている様子を見られるかもしれないしね」

 

 

――――――なあ、トレーナーくん。

 

 

アグネスタキオン「まったく、私を待たせるとはねぇ。私はずっときみのような最高のモルモットが来るのを待ち続けていたのに、また待たせるつもりなのかい?」

 

アグネスタキオン「この実験室も随分と快適な環境になったもんだよ。実にいいじゃないか、このマッサージチェアも」

 

アグネスタキオン「けど、万が一に備えての特許の相続権なんて、私にとっては無用の長物でしかないのにな……」

 

アグネスタキオン「きみがいない実験室はこんなにも静かだよ。シーズンが終わったトレセン学園の冬休みなんていつもこんな感じだったのに……」

 

アグネスタキオン「早く帰ってきておくれよ、トレーナーくん……」

 

 

ガチャリ・・・

 

 

アグネスタキオン「ん?」

 

斎藤T「あ、ちゃんと24日の朝に戻っているな」

 

アグネスタキオン「……トレーナーくん!?」ガタッ

 

アグネスタキオン「――――――!」ゴクン

 

アグネスタキオン「おやおや、トレーナーくん? 随分とお早い帰りだねぇ? ついさっきここを出たばかりなのにねぇ?」ニヤニヤ

 

斎藤T「ああ。やることができた。手伝ってくれ。今夜、絶対に必要なものなんだ」

 

アグネスタキオン「なるほど、きみはちゃんと()()()()()()()()んだね。感心 感心」クククッ

 

 

――――――おかえり、トレーナーくん。

 

 



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第一次決戦Ⅳ めぐってきた決戦前夜

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 

『有馬記念』翌日の12月24日の聖夜を起点とする激動の2周目(オーバータイム)が始まった。

 

この日のうちに多摩地域に軍団を展開している4人のエルダークラスのひとり:ブラックサンタクロース(仮称)を討伐し、

 

翌日:25日にWUMAの本拠地である奥多摩を攻め落とさないと、26日には奥多摩はやつらの空間跳躍技術のちょっとした応用である無限の城門によって隔離されてしまう。

 

そうなったら、もう人類科学では対抗しようがなく、奥多摩を要塞化した超科学生命体の文明の波が21世紀のヒトとウマ娘が共存する地球を覆うことになる。

 

しかし、ただ勝てばいいという話ではなかったことを、私は船橋市に展開していたエルダークラス:ヒッポクラテアをいつでも討伐しに、あるいは玩具(モルモット)にできるようになった過程で学んだ。

 

そのための1周目(ファーストタイム)であり、WUMAを殲滅したらアグネスタキオン’(スターディオン)という地上最強の超科学生命体であるスーペリアクラスが生き残る事実を決して忘れてはならない。

 

そして、自身がWUMA(バケモノ)であるという宿業から逃れられないアグネスタキオン’(スターディオン)の悲哀を理解した上で、WUMAの殺人衝動との付き合い方を模索していかなくてはならず、いつまた人類の敵になるかわからない問題に向き合わなくてはならなかった。

 

その問題の本質が表現の自由(フリーダム)束縛からの自由(リバティー)にあることをヒト社会の中でのウマ娘たちの抑圧された暮らしぶりから学び取ることができた。

 

それにしてはラスコーの壁画に記録されるほど古代からヒトとウマ娘の絆があるわりには、現状におけるウマ娘のヒト社会での抑圧された暮らしぶりには疑問が湧いてくる。

 

まるで、怪人:ウマ女が正体であるWUMAこと並行宇宙の地球の支配種族たる超科学生命体“フウイヌム”だが、空間跳躍能力の方が後付で、擬態能力の方が元々あったとされる賢者ケイローンの証言に通じるものが――――――。

 

 

24日のメリークリスマスに沸き立つ聖夜に多摩地域のあちこちに巨岩を降らせるというブラックサンタクロースっぷりを披露した多摩地域に割拠する3人目のエルダークラスの倒し方はいくらでもある。

 

まず、やつらの第一目的が裏切り者である賢者ケイローンを始末することにあり、たった4人のエルダークラスの軍団だけでヒトとウマ娘が暮らす地球を侵略してきたのはあくまでついでの事前準備に過ぎない。

 

そのため、一市町村を丸々“成り代わり”するには程遠い限られた人数での諜報活動に専念する傍ら、賢者ケイローンの足取りを追って虱潰しに探し回っていたようだ。

 

なので、肉体を失って虫ケラに身を窶していようとも下っ端のジュニアクラスが即座に裏切り者の成れの果ての姿なのを見破ってくるぐらい同胞の存在に敏感なので、

 

ブラックサンタクロースが現れた瞬間にその虫ケラを呼び寄せて気を引けば、何も知らずに勝手に向こうの方からこちらにノコノコと向かってきてくれるはずだ。

 

やつらはたしかに強い。地球人類がどう逆立ちしても勝てそうにないほどの超科学生命体の名に相応の能力と文明を築き上げている。

 

しかし、やつらは非常にシンプルでわかりやすい“フウイヌム”の進化形態に即した階級社会を徹底しているがための“階級の下の平等”によって、同じクラスの同格とは上下関係が築けないことが転じて、横の繋がりが希薄で同格の相手との情報共有をあまりしないらしいことがわかってきている。

 

つまり、上下関係には厳しいが逆に横の繋がりが希薄ということは、侵略軍の司令官であるエルダークラスたち4人の間で情報共有というものがあまりなされていないらしく、

 

私が府中市の中央トレセン学園を侵略していたエルダークラス:ヒッポリュテーを『ジャパンカップ』の夜には討っていたことも、船橋市の地方トレセン学園の理事長に擬態していたエルダークラス:ヒッポクラテアを年末まで玩具にしていたこともまったく伝わっていない気配だった。

 

 

そう、やつらはこの“斎藤 展望”という唯一無二のWUMAキラーの存在をまったく知らないまま、同胞が次々と討たれていっていることも把握できずに滅びるというわけなのだ。

 

 

切り札としている目にも留まらぬ超高速移動を使ったが最後、その瞬間に私が相手の四次元能力を逆手にとって必殺のカウンターをお見舞いしてしまえば、ブラックサンタクロースは為す術もない。

 

ただし、空間跳躍能力で本当に一瞬だけ現れて また一瞬で移動することができるため、それでこちらの存在に気づくことなく、聖夜の日に巨岩を降らす特大プレゼントを配り続けることも十分に考えられる。

 

そこで私には1周目でその事故現場に居合わせたという実体験と新聞やSNSで確認できる詳細な時刻の情報を持ち帰って、そのブラックサンタクロースが府中市に現れるその瞬間を狙い撃つ作戦を立てていた。

 

もちろん、1周目で船橋市のエルダークラス:ヒッポクラテアの軍団を尽く実験動物(モルモット)にして得られた数々の新情報を基にしているので、多摩地域に割拠するエルダークラスが例外か防御策を持っていたらどうしようもないが、十中八九 討伐できると確信していた。

 

まあ、実際にそうなったわけで、1周目で検討していた決戦前夜を迎えることができたよ。

 

 

――――――WUMAがいくらウマ娘すら超越した優れた身体能力を持っていようが、やつらの想像を上回ってしまえば全てが無意味というわけだ。

 

 


 

 

●2周目:12月24日

 

――――――府中市の交差点にあるビルの屋上

 

 

怪人:ウマ女「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

斎藤T「手慣れたもんだな、WUMAを狩ることなんてな」 ――――――WUMA討伐完了!

 

斎藤T「エルダーよ、お前たちはたしかに強い。超能力で超重量の物体を街中に降らせることもできるし、空を飛べるから空間跳躍能力の有用性も段違いだ」

 

斎藤T「だが、その強さ故にまったく想定していないことや突発的な状況への対応力や警戒心を持ち合わせていないから、超科学生命体ともあろう存在がこんな簡単な罠に引っかかるんだ」

 

斎藤T「あ、灰になる前に角はもらっていくぞ」ベギッ ――――――根本から頭に生えた角を圧し折る。

 

怪人:ウマ女「」サァァァア・・・ ――――――力尽きて灰に還る。

 

アグネスタキオン’「ふぅン、こいつはエルダークラス:ヒッポネイピアだね」

 

アグネスタキオン’「まさか“目覚まし時計”の作用で1周目から戻ってきて早速、エルダークラスを討伐することになるとは思わなかったよ」

 

アグネスタキオン’「しかも、船橋市にいるのがヒッポクラテアという情報も持ち帰って。大収穫だったね」

 

アグネスタキオン’「けど、こうして空中を空間跳躍で瞬間移動し続けるエルダークラスの対抗策として用意したものが、まさかのカカシ作戦とはね……」

 

 

アグネスタキオン’「……よくできているじゃないか、このWUMAのマネキン。こんな粗末なものに騙されるだなんて、そのバケモノのひとりである私としては複雑な気分だよ」

 

 

斎藤T「ホント、大変だったんだぞ。怪人:ウマ女って胴体部だけ見れば豊満な女性の身体なんだけど、この世界には存在しない馬のマスクを被らせて馬の四肢で直立させるんだからさ。羽の飾りもな」

 

斎藤T「おお、これが噂のステルス迷彩か。あ、光を空間跳躍させているから見えなくなるやつだったか。やっぱり、人間には使えないか――――――」

 

斎藤T「けど、1周目の船橋市で思う存分に怪人:ウマ女の肉体や骨格を調べ上げることができたから、こうして賢者ケイローンの模型を目立つところに置いてWUMAを誘い出すことができたってわけだ」

 

斎藤T「もちろん、こんなのはしっかりと見ればマネキンだってわかる」

 

アグネスタキオン’「けれども、身体ではなく思考を専有する四次元能力である空間跳躍を使って府中市の空に現れた直後のヒッポネイピアには『有翼一角獣(アリコーン)の怪人が街中にいた』という事実だけで賢者ケイローンと早合点してしまったわけだね」

 

アグネスタキオン’「もちろん、府中市の空に現れた瞬間を捉えて、時間跳躍でその瞬間に戻って、その座標に向けてペットボトルランチャーをピタリとぶつけて来るんだから、そりゃあ冷静じゃいられなくなるさ」

 

斎藤T「ついでに、虫ケラに身を窶している本物のケイローンも呼んでいたから、その気配を感じ取って ますます事実誤認が加速するわけさ」

 

斎藤T「なあ、ケイローン?」 ――――――防寒対策を施した虫カゴにいるコーカサスオオカブトに語りかける。

 

 

――――――やはり、きみで間違いはなかったよ。きみは本当に私たち“フウイヌム”の想像を超えてくる。

 

 

斎藤T「超科学生命体の賢者からお褒めの言葉を預かったぞ」ハハッ

 

斎藤T「頑張ってくれ。寿命はあと僅かだろうが、明日にはやつらの本拠地に乗り込むことになるから、その時には全力を出してもらうからな……」

 

アグネスタキオン’「ペットボトルランチャーで迎撃するだなんてよく思いついたものだね。ペットボトルロケットなら知っていたけど……」

 

斎藤T「市街地上空でこちらに注意を向けさせるための手段がどうしても思いつかなくてさ。クリスマスの晩餐だからって、七面鳥を狩るための猟銃を響かせるわけにもいかなかったし」

 

斎藤T「何より、タイムリープしたその晩が勝負だったから、時間がなかった」

 

斎藤T「そこで閃いたのが、多段式ロケットを模したペットボトルロケットを発射するペットボトルランチャーだったというわけでね。これなら即席かつ いくらでも距離を稼げて対空できるんじゃないかと思ったら、うまくいったよ」

 

アグネスタキオン’「いやはや、実銃をその場で解体してペットボトルランチャーを組み立てて、その規格に合う多段式ロケットや噴射剤となる封入ガスを学園で一から作成しているんだけどね……」

 

アグネスタキオン’「しかも、その片手間にきみはマネキンを買いつけて市販のパーティーグッズを盛り付けてWUMAの模型を急拵えで造っているんだからさ」

 

 

アグネスタキオン’「でも、なんでこんな急拵えの安物のカカシにWUMAは完全に騙されたんだい?」

 

 

アグネスタキオン’「心理的要因や状況要因ならいくらでも思いつくさ。今回はそういう場面でエルダークラスを討伐するんだからね」

 

アグネスタキオン’「けれども、ここは万全を期して精巧な偽物を用意するもんじゃないのかい?」

 

斎藤T「いや、そうでもないんだな。並行宇宙の地球を支配する超科学生命体と言えども、やはり万能というわけではないわけさ」

 

アグネスタキオン’「そうなのかい?」

 

斎藤T「まあ、それに関しては生物学の勉強をしてくれ。生物学だぞ。お前の得意分野の生化学じゃないぞ」

 

アグネスタキオン’「あ、ああ……、わかった……」

 

斎藤T「予定通りだな」チラッ

 

斎藤T「さあ、今日は決戦前夜だぞ、アグネスタキオン’(スターディオン)。楽しいお食事を満喫しようか」

 

アグネスタキオン’「うん……」

 

 

――――――こんなあっさりエルダークラスを仕留めて明日には奥多摩に乗り込んでいくきみはどうしてそこまで?

 

 

やはり、1周目で多摩地域を捨てて船橋市を救ったことは結果としては大成功だった。

 

今度は多摩地域を救って船橋市は後回しにすることにはなるが、いつでも船橋市のエルダークラスは討伐ないし玩具にすることができるようになったので、

 

この調子で奥多摩を攻略できれば、司令官であるエルダークラスたちは全滅し、WUMAの侵略作戦はこれで頓挫することになる。

 

それ以上に、1周目で敵のことについて詳しく知ることができたおかげで、今回のブラックサンタクロース迎撃作戦もスムーズになり、こうして新兵器開発のアイデアも閃くことになった。

 

 

さて、1周目で得られたWUMAの新情報について一部を開示すると――――――、

 

まず、WUMAは怪人:ウマ女である。そのため、パーティーグッズの馬のマスクを被ったような全身白タイツのふざけた格好だという話はすでに聞き飽きた特徴だろう。

 

しかし、今回はその馬面が致命的な弱点となっており、まず馬は草食動物なので()()()()()()()()()()()()()という生物学の初歩の初歩の点に注目してもらいたい。

 

人間および肉食動物の視界はおよそ180度となり、草食動物と比べると視野が狭い代わりに両眼視野が広いことで立体的にものを見易くなり、距離感を掴みやすい利点がある。

 

一方、怪人:ウマ女および草食動物の視野は肉食動物よりも遥かに広く、種によっては真後ろに近い範囲も見通せるのだが、逆に両眼視野が狭いために立体視できる範囲が狭い。

 

これが亜人:ウマ娘と怪人:ウマ女の決定的な差となっており、シニアクラス以上のWUMAとしての自我を持つ擬態したWUMAの正体を看破るヒントにも繋がってくる。

 

想像してもらいたい。ウマ娘はヒトと同じ顔の作りのためにヒト社会に参画することも容易だが、果たして文字通りの馬面の怪人:ウマ女はヒトによるヒトのためのヒト社会は生きやすいだろうか?

 

たとえば、ビワハヤヒデのようにメガネを掛けたウマ娘は容易に想像できるが、()()()()()()()()()というものを想像することができるだろうか?

 

そう、実用性の観点から言っても()()()()()()というのは()()()()()()であり、草食動物に適したメガネの形状を想像できないようなら、つまりはそういうことなのだ。

 

 

そのため、シニアクラスが擬態した偽物というやつは()()()()()()()()()()()()()()()()ことが多いのだ。

 

 

怪人:ウマ女としての肉体の感覚を記憶しているからこそ、本来ならば見えているはずの真横や真後ろに誰かがいることを極度に恐れる習性がある。

 

つまり、人間の視野とWUMAの視野のちがいによって、4人しかいないエルダークラスはともかく、ヒト社会に紛れて擬態しているシニアクラスは注意して見ると日常でもわかるレベルの異様な行動を無意識にとっているのだ。

 

たとえば、立体視に頼っている人間ではあまり馴染みがないが、シニアクラスが擬態した偽物は長方形のテーブルでのデスクワークが不得意になり、逆に半円形のテーブルでのデスクワークが得意になる。

 

その証拠にシニアクラスはパソコンを真正面には置かずに必ず左側か右側に詰めて、空いた側に本やプリントを斜めにして配置するという、テーブルに対してV字の配置をしたがるのだ。はっきり言って異様だ。

 

WUMAの巣窟となっていた船橋トレセン学園の職員室やトレーナー室を見て回っていた時に最初に覚えた違和感の正体がそれだった。

 

シニアクラスが擬態した偽物の多くが首回りの疲労が絶えないことで頻繁に保健室で診てもらっていたことも診療データに記録されており、視野のちがいから相当な不便さを抱えて擬態していることが窺えた。

 

 

完全な擬態を可能とする超科学生命体の侵略者のお仕事も言うほど簡単じゃないということか。

 

 

また、鼻も重要な部位である。人間の場合は呼吸は口でしがちで、口は閉じることができるが、鼻の穴が開きっぱなしなのはそこが本来の呼吸する部位であるからだ。

 

そのため、馬をはじめとする面長の動物ほど鼻の穴が詰まることは呼吸困難の致命傷に陥りやすく、シニアクラスが擬態した偽物は口呼吸よりも鼻呼吸をしがちである。

 

つまり、シニアクラスが擬態した偽物は極端に鼻呼吸を阻害する行動や装備を嫌がる。たとえば、マスクの装着を嫌がるし、鼻をかむことなど鼻への刺激が伴う行為が心理的な急所になっていた。

 

そして、別種の知的生命体である以上は味覚を誤魔化すことはできないが、そこは擬態対象の趣味嗜好に合わせるのはスパイ活動の基本なのであまりボロは出していないようだ。

 

しかし、ここでも面長の馬面であったことが食事の面でもシニアクラスの擬態を見破るヒントになっていた。ジュニアクラスはそうではないのが本当に手強い。

 

 

――――――知っているだろうか、『コップ飲みが上手にできる生物は地球上では人間しかいない』という事実を。

 

 

人間以外の生物は舌を出して舐め取った水分を喉に運ぶのが普通であり、どう逆立ちしても親指が発達した生物でなければ水を注いだコップを飲み干すことすらできない。

 

そして、馬や牛などの四本脚の動物は地面に生えている草を食べるために常に下の方向に顔が伸びているのだから、人間のようにコップを飲み干すために顔を水平以上に持ち上げるだなんてことはしない。

 

だから、怪人:ウマ女の感覚を維持しているシニアクラスはコップ飲みを下品な行いだと認識しており、母乳を飲むのと同じ要領のストロー飲みを徹底していた。

 

そういう意味では、アスリート御用達のストロータイプの水筒が日常的に使われているトレセン学園という環境は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()シニアクラスにとっては居心地が良かったと言える。

 

だが、それでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは異様な光景であろう。

 

ストロー付きのドリンクが出ない場合に備えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから、ただの水でもマイストローを差して飲むのはやっぱり変だ。

 

それが船橋トレセン学園でヒッポクラテアの軍団で人体実験や持ち物検査をしていた時に最初に驚いたシニアクラスの共通項だった。()()()()()()()()()()()()()()()()()のが目立った。

 

そのため、やつらが牛耳る船橋トレセン学園の自動販売機はペットボトルや缶ジュースは徹底排除されて、ストロー付きの紙パック飲料やゼリー飲料に統一されていたのだ。

 

いやはや、本当にヒト社会に紛れて暮らさなくちゃいけない中間管理職のシニアクラスに同情してしまう。

 

ジュニアクラスは完全に人間そのものに成りきっているから生活面での不便など感じるはずがないし、

 

エルダークラスは基本的に司令塔として前線基地に座してWUMAにとって住心地がいい暮らしをしているだけに。

 

なので、『シニアクラスが擬態した偽物かどうかは()()()()()()()()()()()()()()()()()()で判別できる』という冗談が成り立つぐらいだ。

 

他にも、元が草食動物の頭と歯の作りなので()()()()()()()()()()()()()()()が挙げられた。

 

つまり、草食動物のように臼歯で飼葉をよく磨り潰して飲み込むのと同様、人間に擬態していてもシニアクラスはよく噛んで食べるので食事のペースが異様に遅くなるわけだ。

 

その様子は船橋トレセン学園の昼食時間がある時期を境に延長されていることからも知ることができる。

 

こうして自我が残るせいで無意識の行動からWUMAの擬態の判別方法や弱点などが次々と解明しており、一般人でも怪しいと思える代表的な特徴を挙げさせてもらった。

 

裏返すと、WUMAに支配されるといったいどういった社会が築かれてしまうのかも これで窺い知れることだろう。ペットボトル業界や缶ジュース業界に明日はない。

 

 

このように、WUMAはたしかに並行宇宙の地球を支配できるだけの驚異的な知能や能力を持ち合わせた全知全能に手が届くかに思えた種族であるが、自分たちの天敵がいないばかりに異なる環境で浮き彫りになる弱点を自覚できていないのだ。

 

 

そして、無敵に思えた四次元能力にも同じく性質上の弱点が存在しており、今回のように空間跳躍した直後を狙われると冷静な判断力や認識力が致命的なまでに低下することになる。

 

そもそも、三次元の物質世界に存在する以上は肉体を通じての感覚に依存しがちだが、四次元の超越世界では頭の中の出来事がそのまま現実世界に反映されるわけなので、

 

当然ながらワープする際にはワープした先の光景に意識を極限まで集中させるわけなのだから、三次元の物質世界の媒体となる肉体の感覚をシャットアウトするため、どうあってもワープの直前と直後に隙が生じるのだ。

 

言い換えると、イメージ力の強さ あるいは思い込みの強さで四次元能力を高めるのだから、四次元能力の完成度が高くなるほど三次元の物質世界での隙も完全になっていくのだ。

 

こうして下等生物である“ヤフー”と認識されている人間ごときが超科学生命体である“フウイヌム”を次々と討ち果たすことになった背景には多様性や選択肢の追求を捨てたことによる種としての停滞があったのである。

 

それはWUMAが完璧な種族だと自身を位置づけている傲慢さが招いた進化の袋小路でもあり、生成化育して絶えず進化していく大自然の掟に背いてしまったことで背負った十字架とも言えた。

 

もちろん、依然として普通の人間では太刀打ちできない程に強大な進化を遂げた種族である事実に変わりがないが、こうした傾向を抱えているという事実に辿り着いたことで、WUMA殲滅は秒読みに入った。

 

だからこそ、私は年末行事である除夜の鐘を思い出して、こうしてしみじみと思うのだ。

 

 

――――――諸行無常の響きあり。やはりお釈迦様の教えは正しかった。

 

 

そして、日本の神仏習合の伝統がいかに時代を超越する普遍の真理であったのかも、21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球においても確かめることができた。

 

奥多摩のWUMAを殲滅した後、私は“斎藤 展望”としてその家族と一緒に皇室に仕える家系として伊勢神宮に初詣に出かけるわけなのだが、

 

その伊勢神宮は式年遷宮によって定期的に施設更新によって伝統技術の継承を行ってきた結果、少なくとも私が生きた23世紀になっても昔の造形を今に伝えている。その永続性に時代を超越する普遍的な真理が存在しているのだ。

 

また、西洋のキリスト教的世界観でありがちな自然と文明の対立なんかも啓蒙主義や理性主義を主張しているわりにはかなり矛盾して迷走している感があるが、

 

中国における儒教と道教が中国思想における陰と陽になっているように、西洋においてはキリスト教的世界観と非キリスト教的世界観が西洋思想の陰と陽となってもつれながら時代を前進させてきている歴史的事実がある。

 

その矛盾が別個に存在しながら陰陽合体することができた時、人類は自然と文明の対立という幻想から初めて脱却して、自然と文明の共存繁栄の時代を迎えることができるのだ。

 

そう、人間の遺伝子であるDNAが二重螺旋構造となって世代を重ねる毎に進化しているのと同じことなのだ、世界というものも。

 

その矛盾を受け容れる柔軟性と咀嚼力で世界をリードすることになるのが21世紀において世界の王となる細戈千足国(くわしほこちたるのくに)というわけなのだが、現状ではまだまだその真価は発揮されてはいないようである。

 

 

 

カツーン!

 

斎藤T「乾杯」

 

アグネスタキオン’「ああ、乾杯」

 

斎藤T「うん、大人の味のぶどうジュースだな。タンニンの渋みがよく出ているよ」ゴクッ

 

アグネスタキオン’「これを美味しいと思うわけなのかい、大人ってやつは?」ウッ・・・

 

斎藤T「ああ。素材の味を活かすのは本当に日本ぐらいなもんだぞ。紅茶もコーヒーも酒もな」

 

斎藤T「コーヒー大国のブラジルだとコーヒーに砂糖を大量に入れるのが普通だし、紅茶が人生の友のイギリスにしても香り付けしたフレーバー無しじゃ飲めないしな」

 

斎藤T「そして、酒にしてもカクテルのようなジュース割が普通だから、素材の味に拘る日本人が世界的に見ておかしいと言ってもいい」

 

斎藤T「逆に言うと、それだけ繊細な味わいの鑑賞にも耐え得る咀嚼力を先天的に持っているとも言える」

 

斎藤T「こんな極東の島国でどうして広大なアメリカの3分の1に匹敵する人口が繁栄して、GDP(国内総生産)が第3位の経済大国にもなっているのかと言えば、それだ」

 

斎藤T「ついで言えば、近代ウマ娘レースでURAが主催する競走の賞金は、世界の中でもUAE(アラブ首長国連邦)と並んでトップクラスだ」

 

斎藤T「具体的に言えば、G1賞金総額では圧倒的第1位のUAEとの差は大きいが、3位帯のカナダやオーストラリアとは3倍近くの差もあるそうだ」

 

斎藤T「そして、重賞レース全体の平均賞金額ではそのUAEとほぼ横並びの数字になっているらしいから、日本人は実質的にイギリス・フランス・アメリカなどの国際G1レースが身近な国々よりも単独主催でウマ娘レースに熱狂しているわけなんだな」

 

斎藤T「その割には世界ランキングを名を刻む本当の名バが現れないことをスイスからの帰国子女:才羽Tは嘆いているわけなんだけどね」

 

アグネスタキオン’「ふぅン、そうかいそうかい」

 

斎藤T「思ったよりも興味がないようだな、競走バなのに」

 

アグネスタキオン’「ああ。ターフの上で走るのは私じゃないからね」

 

 

駿川秘書「――――――」

 

飯守T「――――――」

 

 

斎藤T「うん。ヒッポネイピアを排除したことでブラックサンタクロースの話題は入ってこないな。最初が府中市からで本当に良かったよ」ピッ

 

アグネスタキオン’「これで多摩地域の平和は守られたわけだね。まずはおめでとう」

 

斎藤T「ありがとう」

 

斎藤T「けど、本番は明日からだ」

 

アグネスタキオン’「そうだね。奥多摩――――――」

 

斎藤T「これだけは確認しておきたい」

 

 

――――――自身の正体がバケモノであることを自覚しながら生き続ける覚悟はあるか?

 

 

アグネスタキオン’「……どうだろうね。そんなことを気にしている時点でどうにもならないところがあるかもね」

 

斎藤T「なら、お前は私と一緒にいろ。WUMAの殺人衝動を抑えるためには そもそも擬態できない相手と一緒にいるのが一番だ」

 

アグネスタキオン’「そ、それって――――――」

 

アグネスタキオン’「………………」ゴクリッ

 

 

アグネスタキオン’「きみってやつはついさっきも私の同胞を散々殺めておきながら平気でそんなことを言うんだね?」

 

 

斎藤T「怖いか? 理解できないか? だが、そういう反応なら『私の方が知能が上』だと言えるな?」

 

アグネスタキオン’「ああ、認めるよ」クククッ

 

アグネスタキオン’「そういうことなら、私のようなバケモノを見事に飼い馴らしてみせておくれよ、トレーナーくん?」

 

 

――――――それで責任をとってくれよ?

 

 

アグネスタキオン’「………………」モジモジ

 

斎藤T「……まあ、考えておくよ。お前の面倒を見ることができるのは現状では私しかいないんだからな」

 

アグネスタキオン’「そうだろう そうだろう?」

 

アグネスタキオン’「だからさ、トレーナーくん? 『ジャパンカップ』の夜と同じものを期待してもいいかな?」モジモジ

 

斎藤T「なに!?」ドキッ

 

アグネスタキオン’「だって、今夜は恋人たちが共に過ごす聖夜なんだろう? そういうのに憧れだってするよ」

 

アグネスタキオン’「私はもう“もうひとりのアグネスタキオン”じゃなくなったんだからさ」

 

アグネスタキオン’「私の正体がバケモノなら歳だって関係ないだろう? きみが恋というものを知らなかった彼女(ヒッポリュテー)の想いを受け止めたんだから、私にも情熱的な抱擁をしたっていいんじゃないかい?」

 

斎藤T「いや、それはだな……」

 

アグネスタキオン’「ダメなのかい?」

 

斎藤T「こ、これは難題だな……」

 

 

そう、因子継承をした時から“ふたりはアグネスタキオン”ではなくなってしまっていた。

 

ウマ娘の方のアグネスタキオンはいよいよ機が熟してターフの上を走ることになったのに対して、

 

中身が完全にWUMAになって超科学生命体に覚醒した“もうひとりのアグネスタキオン”だった存在はレースに対する情熱は完全に失われてしまっていた。

 

中身が完全に競走バではなくなっているのだから、外宇宙へと旅立った宇宙移民の私がそうであるように、ただ走っているだけに見える公営競技(ギャンブル)に魅力を感じなくなったのもしかたがない。

 

そういう意味ではアグネスタキオンとアグネスタキオン’(スターディオン)が互いの存在理由を賭けて相争う関係にならずにすんでホッとしてもいるのだが、

 

そうなるとアグネスタキオンには『レースで勝つ』という生き甲斐のために心血を注いで研究をしてきた情熱と積み重ねてきた日々があるから一人でもどうとでも生きていけるわけで、

 

一方で、自身を構成する要素の全てが偽物でしかないアグネスタキオン’(スターディオン)にとっては生き甲斐となるものが何もないので人間として生きていくためのあるべき芯が備わっていないのだ。

 

なので、私がこのヒト社会における居場所を与えるためにアグネスタキオン’(スターディオン)のことを責任を持って面倒を見なくてはならなかった。

 

まあ、十中八九 私が最期まで面倒を見ることになるだろうが、独り立ちする能力を持たせないのは教育における虐待なので、せっかくだから自分好みに育成することにしよう。

 

 

――――――そのためにも明日は絶対に勝たなければならない。

 

 

当初の目論見としては、アグネスタキオン’(スターディオン)を奥多摩攻略戦に参加させるつもりは毛頭なかった。

 

スーペリアクラスに進化したとは言え、もしかしたら奥多摩に潜んでいるかもしれない上位存在を超えた未知の存在にアグネスタキオン’(スターディオン)が絶対服従するかもしれないリスクのことを考えると、どこか信用できなかったからだ。

 

しかし、こちらが年末までの1週間を3周する前提でじっくりと攻略に乗り出そうとしていたら、最初の24日の段階でやつらは地球侵略を次の段階に進めてきたので計画を大きく変更せざるを得なかった。

 

つまり、敵地に突入する前日に青梅線に乗って奥多摩を目指す陸路はすでにやつらがすでに封鎖しているだろうから、当初の計画ではどうしようもなくなってしまったのだ。

 

なので、2周目の初日では絶対にブラックサンタクロースになって多摩地域に巨岩をプレゼントしてくるエルダークラス:ヒッポネイピアを討ち取る必要があった。

 

その戦利品こそがWUMAの超科学の産物:ステルス迷彩であり、その原理がWUMAの体内に備わる生体波動エンジンを利用するものなので、WUMAでないと取り扱えない代物なのだが、

 

つまり、スーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)ならば使えるわけであり、エルダークラス:ヒッポリュテーの感覚や記憶を継承しているので、取り扱いは手慣れていた。

 

 

――――――ここまで言えば、わかるだろう。もう四の五の言ってられる状況じゃないのだ。

 

 

そのために私は1周目の最後の三番瀬でアグネスタキオン’(スターディオン)に発破をかけて、自分の意志で初めて飛翔させる経験を積ませていたのだ。

 

そして、“目覚まし時計”によって時が巻き戻る際には善因善果・悪因悪果・因果応報によって自分を取り巻く世界が再構築されるらしいので、その経験が果たしてどれだけ功を奏すかわからないが、無駄になっていないと信じたい。

 

だから、私はここでアグネスタキオン’(スターディオン)との関係にけじめをつける必要があった。

 

内心ではどう思っているかは正確なところはわからないが、互いを必要としている関係になっているのを確かめ合い、いざ敵地に飛び込んでいく他ない。

 

どっちにしろ、私がやらなければ21世紀の異なる進化と歴史を歩んだこの地球は並行宇宙の地球を支配した“フウイヌム”によって支配されるのだから、ここは乾坤一擲あるのみ。

 

一夜にして世に解き放たれた全てのWUMAが殲滅されるわけではないが、やつらの侵略を阻止できれば後は残党狩りを着々と行うだけである。本国から援軍が来ることはない。

 

そう、1周目に冬場の山登りを想定して府中市を歩き回ったことも本質的にはまったく意味のない行為になってしまったわけなのだ。

 

けれども、1周目での展開を踏まえて それらの対策について考え抜いて2周目を迎えたのだから、後はヒトとウマ娘の皇祖皇霊たる天神地祇と三女神の加護を信じて戦い抜くだけだ。

 

 

――――――こうして世界の命運を賭けた奥多摩攻略戦は人知れず25日の朝にて終結した。

 

 

 

 

 

斎藤T「……ひとつ勘違いをしているぞ」

 

アグネスタキオン’「?」

 

斎藤T「お前の面倒を見切れるのは私しかいないのだから、生涯に渡って長い付き合いになることだろう」

 

斎藤T「けれど、それは安直に『籍を入れる』という関係のことを指すんじゃない」

 

 

斎藤T「全てが偽物でできたお前がヒッポリュテーやシンボリルドルフの記憶や感覚を頼りに関係を求めているのなら“斎藤 展望”はやめておけ」

 

 

アグネスタキオン’「ふぅン?」

 

斎藤T「私はお前にはひとりの人間として生きていけるように教育を施したいと思っているんだ」

 

斎藤T「その時点で先生と教え子、師匠と弟子、親と子の関係になるのだから、対等ではない」

 

斎藤T「その上で、私は私自身の『宇宙船を創って星の海を渡る』という大きな夢のためにたくさんの人たちを同志として引き入れることになる」

 

斎藤T「つまり、特別な事情を抱えている人間というのはお前だけじゃない」

 

アグネスタキオン’「なんだ、そんなことか。それでもいいさ、私はね」

 

斎藤T「?」

 

斎藤T「なら、言っていることの意味がわかっているな――――――」

 

 

アグネスタキオン’「要は、きみの指導を受けて選択の自由を与えられてから私自身の人生を決めるべきなのだろう?」

 

 

アグネスタキオン’「それが()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんだろう?」

 

斎藤T「……そういうことだ」フフッ

 

アグネスタキオン’「なら、きっと()()()の答えは変わることはないさ」フフッ

 

斎藤T「わからないぞ。たしかに私と()()()の出会いのケミストリーはこれから世界を救うことになるが、それ以上のケミストリーがあるかもしれない」

 

アグネスタキオン’「おかしなことを言うものだね、トレーナーくん!」

 

 

アグネスタキオン’「――――――『世界を救う以上の出会い』なんてあるわけがないじゃないか、私だけの最高のモルモットくん!」アッハッハ!

 

 

斎藤T「それもそうか」

 

斎藤T「私はきみがきみであったことを神に感謝しているよ」

 

アグネスタキオン’「ああ。私もきみという存在から始まったこの運命を心の底から楽しんでいるよ」

 

斎藤T「そうだな。全てはウマ娘レースの殿堂に身を置きながら実験三昧で退学処分を受けそうになっていた風変わりなウマ娘のおかげか」

 

斎藤T「今も実験室で一人寂しくクリスマスキャンドルに火を灯しているのかな? 実家に帰ればいいのにな?」

 

アグネスタキオン’「だったら、素敵なクリスマスプレゼントを送り届けてやろうではないか、トレーナーくん!」

 

 

――――――ずっとずっとひとりで()()()()()()()()ウマ娘に神の祝福を! もう一度、乾杯!

 

 



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第一次決戦Ⅴ 百尋ノ滝の秘密基地

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 

24日の深夜、世間では子供たちがサンタさんからのプレゼントを夢見て寝床につき、恋人たちが愛を囁き合う聖夜――――――、

 

25日の夜明けまでに、ついに並行宇宙からの侵略者であるWUMAの本拠地である奥多摩に乗り込むことができた、空から。

 

WUMAの超科学生命体としての超越した能力は正体である怪人:ウマ女の異形でしか発揮することができない。

 

そのため、SATを一瞬で全滅させるほどの戦闘力を標準装備しているWUMAを排除するなら、能力を封じられた擬態状態(人間の姿)の時に確信を持って排除するのが一番であった。

 

しかし、最上位のエルダークラスすら超越したスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)は擬態した状態で超能力制御機関である角や三次元移動を可能とする翼を展開できた。

 

さながらグリゴリの天使であり、身を覆い隠すほどの巨大な純白な翼と自由の女神の冠を模した角を展開した容貌であった。

 

惜しむらくは純白な翼とマッチしない無骨な夜間迷彩のスニーキングスーツで風情が色褪せ、一般大衆に見つかるわけにもいかないのでステルス迷彩で姿が見えなくなることだが。

 

飯守Tと駿川秘書が2人で食事していた高級レストランでの晩餐の後、私は府中市のビルの屋上に満載にした装備品を密かにアグネスタキオン’(スターディオン)に運ばせていた。

 

もう一瞬である。1秒にもならない一瞬で時間跳躍の下位能力である空間跳躍で奥多摩に侵入することができるため、開けた空間が確保できているなら物質転送装置なんていらないぐらいであった。

 

翼を持つことで閉鎖空間でなければどんな座標にでも一瞬で移動できるエルダークラスの存在自体が一種の物質転送装置と化していた。

 

もちろん、イメージ力が重要な四次元能力なので正確な座標に止まるためには正確な情報が必要不可欠で、

 

一度も奥多摩に行ったこともない上に そもそも空を飛んだ時のイメージもない状態でどうやって奥多摩の川苔山にピンポイントで到達するかという根本的な問題に直面したのだが、

 

そこはエルダークラス:ヒッポリュテーの記憶を継承していたので、奥多摩の川苔山のどの辺から飛び立ったかの感覚と光景がしっかりと継承(インプット)されていたので、普通に敵地に潜入することができた。

 

そう、府中市から青梅線で2時間を掛けて奥多摩に乗り込むことや、そこから6時間ほどの登山で川苔山:百尋ノ滝を目指す想定は何だったのかと思うぐらいに、あっさりと百尋ノ滝に到着することができてしまった。

 

 

ちなみに、以前までの『奥多摩から川苔山:百尋ノ滝まで6時間』という想定は、私ともあろうものが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに気づかなかったという初歩的な勘違いであった。

 

 

1周目の最後となる船橋トレセン学園での日々で、改めて川苔山:百尋ノ滝への登山ルートを練っていたら、普通に『1時間半で百尋ノ滝に到達できる』という事実を知ることになった。

 

だが、()()()()()()()()()()私は1周目の24日を府中市をずっと背嚢を背負って杖を突きながら歩き回ることになり、聖夜に巨岩のプレゼントを降らせたブラックサンタクロース:ヒッポネイピアの襲撃に居合わせることになったのだ。

 

そして、25日は眠り続けて、目が覚めた26日には奥多摩が完全に隔離されて、そこから船橋市に割拠するエルダークラス:ヒッポクラテアを討伐する流れになって、WUMAについて多くのことを知ることになった――――――。

 

この()()()()()()()こそが皇祖皇霊の大いなる導きであったと私は信じてみたい。孔子が言うように『過ちて改めざる、是を過ちという』のだから。

 

 

――――――百尋ノ滝。川苔山から日原川へ流れ込む川苔谷上流部にあり、奥多摩山域でも有名な滝の一つである。

 

 

「尋」は古く日本で用いられた長さの単位であり、現在のメートル法では約1.818mである。およそ2mと考えてもらって問題ない。

 

そのため、「百尋」とは181.8mとなるが、実際の落差は約40mほどしかないわけで、4.5倍しないと本当の意味での「百尋ノ滝」とは言えないものであった。

 

しかし、東京から日帰りできて登山初心者でも年間を通じて楽しめる四季折々の顔を見せてくれるため、川苔山:百尋ノ滝は人気の登山スポットになっていた。

 

春の新緑、夏の避暑地、秋の紅葉、冬の氷瀑――――――。残念ながら名物である氷瀑を見るにはまだまだ寒さの厳しい時期ではなかったが、宇宙移民にとっては滝の荘厳さは心惹かれるものがあった。

 

だからこそ、年間を通じて登山客が多い川苔山:百尋ノ滝に並行宇宙からの侵略者が降り立ったことで、誰にもわからない静かな侵略が20XX:今年の後半から始まっていたのだ――――――。

 

 


 

 

●2周目:12月24日から25日にかけての夜

 

斎藤T「これが百尋ノ滝か……」

 

アグネスタキオン’「不思議だね。一度も来た憶えがないのに、ここのことをよく知っている気がするよ」

 

アグネスタキオン’「まあ、それがヒッポリュテーから受け継いだ記憶と感覚なんだけどね」

 

斎藤T「ついにここまで来たんだな。一瞬だったけど」

 

斎藤T「けど、ピアニストはたった数分の1曲、あるいは数時間のコンサートのために何日も何時間もかけて練習を重ねてくるものだ」

 

斎藤T「そして、長い人生の中で 実力を発揮した その一コマから全てが変わり始める」

 

 

斎藤T「――――――ここで全てを出し切る!」

 

 

アグネスタキオン’「エルダークラスは4人――――――」

 

アグネスタキオン’「船橋市のヒッポクラテア、府中市のヒッポリュテー、多摩地域のヒッポネイピア――――――」

 

アグネスタキオン’「残るは奥多摩に陣取るヒッポカンポスとなるわけだね」

 

斎藤T「ああ、狙うはヒッポカンポスの首だ!」

 

斎藤T「しかし、守衛は本当にいないのか? ここがやつらの巣窟の入り口なのだろう?」

 

アグネスタキオン’「ああ。おそらく、使える駒は全て出払っているはずだよ」

 

アグネスタキオン’「おそらく、26日に奥多摩をこの世界から隔離させる最後の仕掛けを発動させるために警戒網が境界線まで押し拡げられているはずだ」

 

アグネスタキオン’「つまり、青梅線などの陸路が最終防衛ラインになっていて、そこを突破されないように25日以降に多摩地域の各地で不可解な現象が多発するようになるわけさ」

 

 

斎藤T「となると、のんびりはしていられないな」

 

 

斎藤T「ヒッポネイピアが聖夜に巨岩を多摩地域に降らせることで奥多摩を分断する布石に打っていた以上、多摩地域にブラックサンタクロースが現れなかったことは配下であるヒッポネイピアの軍団はすでに知っている」

 

斎藤T「時間との勝負だ。やつらの自主独立性に期待して、情報伝達の遅れに乗じて、一夜にして本拠地を制圧するぞ」

 

アグネスタキオン’「ああ。気をつけてくれたまえよ。ヒッポリュテーの記憶があるとは言え、全てがそのままである保証はないのだから」

 

 

――――――こうして滝の裏側に偽装された意外と大きいエレベーターから()()はあるかに思える川苔山に築かれた地下要塞へと侵入した。

 

 

ヒッポリュテーの記憶と賢者ケイローンの推測を照らし合わせたWUMA襲来の経緯では、やつらは現実宇宙(ユニバース)に対する並行宇宙(マルチバース)を侵略するための宇宙船でやってきている。

 

直接的に並行宇宙にある本国を結ぶワープゲートを築き上げることもできなくはないようだが、そのために必要なエネルギーと機材は手軽に用意できるものではないらしく、

 

また、本国との並行宇宙航路が確立されなければ自分たちが本国に帰ることも、本国からの援軍を呼び寄せることもできないため、

 

裏切り者であるケイローンを討伐しに来た先遣隊の宇宙船は侵略の橋頭堡を築くために最初に派遣される"潜航艇”と分類される小型タイプであった。

 

侮ることなかれ。この最初に派遣されて比較的少人数で現地調査を実施する空飛ぶ円盤(flying saucer)こそがWUMAの超科学の最高峰とも言えるものとなっており、

 

この“潜航艇”自体が最終的には本国からの本格的な侵略部隊を安全に呼び寄せるための並行宇宙航路における灯台や管制塔となるのだ。

 

そのため、“潜航艇”には最初に現地住民に発見されないようにお得意の空間跳躍技術のちょっとした応用によって地下に潜って秘密基地を築き上げるトンデモ機能が備わっていた。

 

具体的には、自分に当たる光を空間跳躍で当たらなくすることで不可視を体現するWUMAのステルス迷彩と同じく、周囲の物体を空間跳躍で()()()()()()退()()()()()()あらゆる場所へと潜航することができるため、”潜航艇”と言うのだ。

 

そこから空間歪曲させて押し拡げた地下空洞に基礎工事をすることによって、どんな場所の地下にも安定した居住空間を築き上げることができる。

 

なので、東京都心の発達した地下迷宮で使う分には相性が悪い機能だが、奥多摩のような地下が手付かずの場所に地下要塞を築き上げることがいくらでもできるため、都心から離れた奥多摩に降り立ったことはやつらにとってはいつもどおりだったのだ。

 

むしろ、未開の文明を侵略するのが前提なのだから、未開の不整地でも安定した橋頭堡を築き上げる目的に適ったトンデモ機能と言えよう。まず地下に潜られたら追撃しようがない。

 

そんなわけで、まずは現地住民に見つからないように地下要塞を築き上げてから地上の様子を見て回ったら、そこが奥多摩の川苔山:百尋ノ滝の近くだったというわけで、

 

年間を通じて訪れる登山客に“成り代わり”をして21世紀のヒトとウマ娘が共生する地球の侵略の第一歩を始めることになったわけである。

 

 

要は、やつらの宇宙船である“潜航艇”を破壊すれば百尋ノ滝の秘密基地の機能は停止する――――――。

 

 

しかし、すでに百尋ノ滝の地下に広大な秘密基地が築かれているし、“潜航艇”を破壊したところで世に解き放たれたWUMAたちの悪行が止まることはない。命令はいつまでも実行され続ける。

 

やはり、侵略を指揮している最上位のエルダークラスを排除して命令系統の崩壊による組織の無力化しか手はないのだ。

 

そんなわけで、SATの装備を参考にプラズマジェットブレードや猟銃などを満載にした完全武装の状態で、裏切り者のスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の手引で乗り込んだ地下要塞――――――。

 

 

斎藤T「凄いな。やつらの侵略の手口はヒッポリュテーの記憶とケイローンの証言から理解できていたけど、本当にこんな地下要塞が奥多摩に築かれているだなんて……」

 

斎藤T「しかも、これは地下要塞というよりは地下宮殿の趣があるな……」

 

斎藤T「超科学の未来感はあっても清潔感や品位というものが感じられて、SF映画で見られるような無骨な機械化がなされていない空間だ……」

 

斎藤T「嘘であって欲しかったな。先遣隊の装備だけでここまで風情のある改築や優雅な装飾が行えるだなんて、人類はSF映画の空想ですらも負けているな……」

 

斎藤T「紅茶にうるさい英国紳士のように、先遣隊の装備でさえもこれだけの飾り付けを行える余裕と文化性が標準搭載されているわけだ……」

 

 

百尋(181.8m)のエレベーターから見えてきた光景――――――、そこには信じられないような荘厳で麗しい広大な地下空洞が拡がり、地球空洞説における理想郷:アガルタの伝説を私は思い出していた。

 

太陽に準じる光源に照らされた地下空洞にはやつらの肌の色を思わせる美白を基調とした西洋風の古典的な街並みと城塞が聳え立ち、トレセン学園を思い出させる清水が湧き出る噴水の広場や芝生の緑も見えた。

 

高度な科学文明と精神社会の融合、超能力を含む超人的な特異能力を持つ極めて長寿な人類や動植物が描かれることがあるのがアガルタである。

 

まさにその条件に相応しい地下世界が東京都心の近くの奥多摩山中に築かれていたことに驚愕を禁じえない。これだけで人類社会がWUMAに勝てるところが何一つとしてないと自信喪失してしまう。

 

しかし、百尋に思える入口となる百尋ノ滝のエレベーターから見下ろせる街並みには人の気配はなく、無人の街並みが虚無感を生み出していたのも事実だった。

 

これだけ見晴らしがいい街並みで地下空洞の壁面全体に装飾を施すほどに気を回せるのだから、エレベーターから降りてくる侵入者の存在に気づいていないはずがない。

 

なので、軍団のほとんどが出払っているにしても、絶対に誰かいるはずの状況で誰もいない静寂が逆に緊張感を高めていた。

 

 

アグネスタキオン’「見た感じだと、そこまで変わっているようではないみたいだねぇ」

 

アグネスタキオン’「まあ、元々 派遣されたのは4個軍団を乗せた“潜航艇”だから、人手が圧倒的に足りないのは最初からわかりきっていたことだけど」

 

斎藤T「なら、どうして?」

 

アグネスタキオン’「それは末端(ジュニアクラス)だった私にはわからない」

 

アグネスタキオン’「裏切り者の討伐指令は急な話だったからね。裏切り者一人を始末するのに4個軍団は大げさだが、そのまま侵略するには心許ない軍団の数だったね」

 

斎藤T「ちょっと待て!? エルダークラスの階級そのものが司令部(ヘッドクォーター)なのに、それに指令を出す司令官(ヘッドマスター)がいたのか!?」

 

アグネスタキオン’「それは少しちがうかな。地球人が自分たちとまったく同じ存在の中から国家元首や代表を選出するのとはわけが違う」

 

アグネスタキオン’「言うなれば、あれは“神”とでも言うべき絶対的な存在――――――」

 

斎藤T「なに!? 初耳だぞ、そんなこと!?」

 

アグネスタキオン’「あ、語弊があったね。なら、あれは“統一意思”とでも言うべき存在とでも理解してくれたまえ」

 

斎藤T「?」

 

 

アグネスタキオン’「つまり、“マザー・ブレイン”とでも訳した方がいいかな?」

 

 

斎藤T「――――――“マザー・ブレイン”だって?」

 

アグネスタキオン’「ああ、この世界だと()()()()()()のように思うよ」

 

アグネスタキオン’「残念ながら私は“マザー”から直接指令を受け取る立場じゃなかったから詳細はわからないけれど、エルダークラスは“マザー”からの指令を受け取って活動しているみたいだよ」

 

アグネスタキオン’「そして、全ては“マザー”から生まれ“マザー”に帰っていくのが“フウイヌム”の死生観でもあるんだ」

 

アグネスタキオン’「だから、私たち“フウイヌム”は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というわけだね」

 

斎藤T「なるほど、西洋の一神教において人間とは神の似姿であり、地上において神の意志を代行する存在というのと同じわけだな」

 

斎藤T「それを唯物論的なSF作品で例えるなら、“マザー・ブレイン”という“神”であり、“統一意思”であり、“統制機構”というわけか」

 

アグネスタキオン’「そう、末端だった私は“マザー”を見たことがないし、ヒッポリュテーの記憶にも“マザー”の使者である伝令しかいないから、本当に“マザー”なんて存在しているかどうかを疑っているわけさ」

 

アグネスタキオン’「もしかしたらその正体が高度な人工知能かもしれないしね」

 

斎藤T「WUMAは人工知能の発達したエゴによって使い潰される宇宙侵略の手駒である可能性も無きにしもあらずか」

 

アグネスタキオン’「それが賢者ケイローンが触れた禁忌なのかもしれないねぇ……」

 

斎藤T「ああ。どう考えても、超科学生命体である“フウイヌム”が空間跳躍能力より先に擬態能力が備わっていた侵略的外来種の種族なのは不自然だしな」

 

斎藤T「上位存在の命令に絶対服従の階級社会が維持されていながら、侵略を是として他種族の文明に触れて感化されるリスクに常にさらされているわけだからな」

 

斎藤T「今まで『なぜWUMAは侵略するのか』という根本がわからなかったが、絶対的存在である“マザー・ブレイン”が命令しているとなれば、話は見えてきたな」

 

アグネスタキオン’「さて、それが真実かどうかはわからないけれど、着いたよ」

 

斎藤T「自分たち以外の存在が侵入してくることを想定していないのか、それとも迎撃準備は万端なのか――――――、見せてもらおうか」

 

 

空間跳躍によって一瞬でどうにかなってしまう刹那の死線の上、WUMAを返り討ちにできるだけでそれ以外の脅威に強いわけではないので、細心の注意を払って真っ白い街中を練り歩く。

 

聖夜に地球侵略を次の段階に上げる準備でみな出払っているのかはわからないが、間近で見る“フウイヌム”が築いたやつら色の純白な街並みは地下都市であることを忘れ去せるほどに魅力的なものであった。

 

特に、地下空洞を照らす太陽のごとき光源、どこから吹いているのかわからない芝生を撫でる心地良い風、噴水の広場に代表される街中に張り巡らされた水の流れが誰も姿を見せない街中に生き生きとした鼓動を感じさせた。

 

侵略的外来種であるWUMAが非常に美意識の高い種族なのはわかっていたことだが、こうしてやつらの住む世界を再現した街並みを見せつけられると思わず敬意を払ってしまう。

 

 

しかし、私はWUMAを討伐しに来たのだ。やつらの親玉であるエルダークラスを皆殺しにし、やつらの宇宙船を破壊して、やつらの侵略を阻止するために来たのだ。

 

 

だから、“斎藤 展望”はやつらにとっての侵略者(WUMA)となるのだ。

 

目標は奥多摩に割拠するエルダークラス:ヒッポカンポスの討伐と、本国との連絡を絶ってWUMAの地球侵略を阻止することにある。

 

それにしても拍子抜けであった。本当に誰もいない。このままやつらの宇宙船があるだろう城塞の中枢に入り込めそうだ。

 

もしかするとヒッポカンポスも最終確認のために出払っている可能性があり、今ならば難なく秘密基地を制圧することもできるかもしれないが、空間跳躍でいつでも一瞬で帰ってくるだろうから油断は禁物であった。

 

さて、広場の噴水はトレセン学園の三女神像と同じような3人の怪人:ウマ女が背負う水瓶から清水が心地良い音を立てて落ちていた。

 

ウマ娘にとっては怪人:ウマ女の異形は本能的な恐怖を覚えるそうだから、言うなれば三女神像ならぬ“三悪魔像”とでも言うべきか。

 

 

――――――ここは大胆に打って出るべきか。“目覚まし時計”による時間の巻き戻しはまだ1回だけであり、あと2回は有効なので、一気に城下町を突破して城塞に突入してもいいような気がしていた。

 

 

宇宙移民船の波動エンジンでも利用されている空間歪曲型ワープで実現される空間跳躍能力の弱点は()()()()()()()()()()ことだ。

 

時間跳躍能力が空間跳躍能力の上位互換と言われる所以は、時間の流れを映画のフィルムに見立てて その映画のフィルムの一コマから別の一コマに飛び移ることで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことにある。

 

一方、空間跳躍能力はあくまでも映画のフィルムの一コマの中の世界でしか働かない能力であり、別の例えになって申し訳ないが、オリガミの上のある点から別のある点へとオリガミを隣接させることで実現される。

 

オリガミを手に持って 任意のある点とある点が隣接するように折り畳んでもいい。とにかく、物理的にオリガミの上の任意の2つの点が隣接するようにイメージできたら空間跳躍能力は成立する。

 

だから、障害物がない平面的な地形ならば いくらでも空間跳躍で一瞬で距離を詰めることができるわけなのだ。

 

逆に、どう折り畳んでもある点の裏側にある点に隣接させることができないことから、ある点とある点をオリガミの表側と裏側に隔てる壁の存在は無視できない。

 

そのため、空間跳躍能力は壁抜け能力には成りえないわけであり、あくまでもオリガミを折り畳んだように詰められる距離しか跳躍できないのだ。

 

まあ、頑張って表面を丸めてオリガミの裏面に触れさせることもできなくはないが、表面と裏面の同じ平面座標に存在している2つの点を隣接させることは物理的には不可能であることは理解してもらいたい。

 

なので、もしも空間跳躍能力を極めたエルダークラスが戻ってくるにしても、地上まで直通の発進路がなければ最速で戻ってくるなんてことはできるわけがない。

 

よくある誤解だが、空間跳躍能力は高速移動能力ではない。ある点からある点を目指す時にその間にある距離をどう解決するかのアプローチが完全にちがう。

 

しかし、このように空間歪曲型ワープの空間跳躍はあくまでも直線距離を折り畳んで極限まで短縮したものでしかないので、目標まで最速で接近する高速移動能力と同様に目標まで一直線になるコース取りが重要となるのだ。

 

付け加えて、()()()()()()()()()()()()()()()のであって、別に湾曲した軌道で移動できないわけではないし、ギザギザ軌道でも大きく見れば直線になっていれば問題ない。そこは自前の超能力による軌道修正である。

 

 

何が言いたいかと言うと、滝の裏に隠された百尋(181.8m)に思える長大なエレベーター内で空間跳躍なんてできないが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを私は見落とさなかった。

 

 

つまり、エルダークラスの襲来に備えて直線距離で一気に詰められそうな地上との唯一の出入り口になる百尋のエレベーターに罠を設置することを私は忘れなかった。

 

よく見ると地上の百尋ノ滝まで伸びるエレベーターの内部面積はエルダークラスが翼を広げても問題ないぐらいであり、これは一度に大量の人員や物資を移動させるための広さだと思っていたが、

 

エレベーターの半透明の天井や床面の中心となる大部分が段ボール箱のようにパカッと割れそうな構造になっていたことに気づくと、

 

百尋(181.8m)の長さを誇るエレベーターを支える根元部分のエレベーターホールの施設の屋根に落下防止の手摺がついていた理由もわかった。

 

エルダークラスが秘密基地から地上に出向く際の入口と通路がエレベーターの軌道と共用になっていて、地下のエレベーターホールの屋根となる階段のないテラスからダクト内に進入することができるようなのだ。

 

何度か往復してみて百尋のエレベーターの全貌を解明したい気分に駆られたが、ここはグッと我慢して討伐対象であるエルダークラスが確実に利用している場所に罠を仕掛けることにした。

 

そう、理論上は直線コースでしか空間跳躍できない以上は、方向転換するためには必ず一瞬は止まるわけであり、

 

エレベーターの屋根やその高さにあるエレベーターホールの2階部分を目掛けて地上から空間跳躍で垂直降下してくるだろうエルダークラスを迎撃するにはうってつけだった。

 

地上との出入り口となる百尋はありそうなエレベーターがこれで壊れたって一向にかまわないのだから、よくはないが周回を前提にした破壊工作(サボタージュ)による時間稼ぎと情報収集で今回は終わってもかまわない。

 

そう思って最初にエレベーターホールに罠を仕掛けて やつら色のやつら好みのやつらの植民都市に足を踏み入れたわけであり――――――。

 

 

チュドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

 

斎藤T「え」

 

アグネスタキオン’「あ」

 

斎藤T「ハッ」

 

斎藤T「い、行くぞ! とどめを刺すぅうううう!」

 

アグネスタキオン’「あ、ああ! 行こうか!」

 

 

 

怪人:ウマ女「アアアアア………………」ドサッ ――――――真っ黒焦げに千切れた身体に焼き焦げた翼が痛々しい。

 

 

 

アグネスタキオン’「さあ」

 

斎藤T「ああ」

 

斎藤T「悪かったな。安らかに眠ってくれ」ブン! ――――――介錯!

 

 

怪人:ウマ女「」サァアアアア・・・ ――――――肉体が崩壊し灰となっていく。

 

 

斎藤T「……終わったな」

 

アグネスタキオン’「……終わったね、あっさりと」

 

斎藤T「本当に地上との連絡路が百尋はありそうなエレベーターの軌道だけだったなんて、こっちがびっくりだよ」

 

斎藤T「まあ、これでやつらはもう何もすることはできない。司令塔となるエルダークラスはここに滅んだ……」

 

アグネスタキオン’「……そうだね」

 

斎藤T「でも、ちょっとなぁ……、こうも簡単にエルダークラスが次々と罠に引っ掛かるとか――――――、」

 

斎藤T「なんかこう、策の練り甲斐もないというか、天敵がいなかったせいで脇が甘いと言うか、知能は高くても危険予知がまったくできていないぞ!」

 

斎藤T「こいつら、想定外の状況に弱すぎだろう!? いや、『統治はすれども侵略は下々の勤め』ってことで()()()()()()ってことか!?」

 

斎藤T「逆に怖いんだけれども!? こっちを油断させるための壮大な罠でも仕掛けられているような気がして!?」

 

 

斎藤T「だって、並行宇宙の地球を支配している超科学生命体って話だよね!?」

 

 

斎藤T「見てよ! とりあえずWUMAを殺せるだけの爆薬を飛べる人(エルダークラス)限定の2階部分からエレベーターの屋根に仕掛けてもらったけど、ご覧の有り様だよ!?」

 

斎藤T「ダクト内部で爆発したってのに百尋のエレベーターはまったく崩壊する気配がないし、軌道となる半透明のダクトには傷一つついていないんだぞ。何事もなかったかのように普通に動きそうだ」

 

斎藤T「で、一方で逃げ場がないダクト内で爆発の勢いを一身に受けて即死しなかったばかりに、必死に2階のドアを押し開けて脱出できたところで力尽きて、介錯だ」

 

斎藤T「……何、この何? ちょっとした爆発ぐらいじゃビクともしないエレベーターを見ればたしかに優れた科学力を持っているのはわかったんだけど、」

 

斎藤T「それならどうして黒焦げになって灰になったの、その優れた科学力を持つ文明人とやらは?」

 

アグネスタキオン’「私もびっくりだよ。私もその仲間だと言うのに、いくらなんでもこれはないね……」

 

斎藤T「いや、楽ができることはいいことだ。贅沢を言うつもりはない。さっさと宇宙船を破壊しよう」

 

斎藤T「もちろん、油断大敵だ。気を引き締めて行くぞ」

 

アグネスタキオン’「うん……」

 

 

嫌な気分になった。もちろん、やつらにとっての侵略者(WUMA)となる決心をして足を踏み入れたばかりだった――――――。

 

しかし、21世紀の科学力は言うまでもなく、私が生きた23世紀の宇宙科学でさえも到底実現できそうにない超高度な科学文明を誇る並行宇宙の地球を支配している超科学生命体がこんな間抜けだと信じたくない気持ちでいっぱいだった。

 

だが、人間の空想の産物であるSFでは現実世界を超越した科学は人を幸せにすることができずにくだらない理由で引き起こされた諍いによって人を不幸にすることにばかり使われがちだった。

 

もちろん、戦争という非生産的活動から隔絶された世界に住んでいるのなら需要と供給や必要性によって安全設計に求められる水準もかなり下げられることだろうが――――――。

 

 

なのに、『これはいくらなんでもない』と思ってしまった――――――。

 

 

別に、翼の生えた怪人:ウマ女があっさりと死んでくれたことを言っているのではない。討伐対象なのだから。そのためにここに来たのだから。

 

そうじゃない。無様に灰になる一方で自分たちが生み出した文明の産物だけが何事もなかったかのように依然として残り続けていることに無情さを覚えたのだ。

 

全盛期ならばクルマを持ち上げることすら容易なウマ娘が本能的に恐怖を抱くような怪人:ウマ女なんだぞ。しかも、その最上位の存在であるエルダークラス――――――。

 

爆発に巻き込まれて即死しなかったのなら、必死になってダクトを突き破ろうと暴れ狂ったはずなのに、見上げる半透明のエレベーターの軌道となるダクトは爆発で煤けた程度の変化しか見受けられなかった。

 

そうして空を飛べるエルダークラス専用の出入り口となるエレベーターホールの2階部分のドアを押し開けたところで力尽きて真っ黒焦げの灰になったわけなのだ。

 

そう、怪人:ウマ女が死物狂いで藻掻いても破ることが出来ない超頑丈な半透明の素材でできたエレベーターの軌道なのだ。それだけで評価が天井知らずの夢の建築材がここにあった。

 

それでいて、これほどのものを造ることができる超科学文明の住人でありながら、やっていることは並行宇宙の異世界への侵略なのだ。それでいて自称は平和をこよなく愛する種族――――――。

 

それなのに、21世紀で用意できる程度の爆薬なんかで致命傷を負わされてしまう――――――。そこはまだいい。同じ生き物だから爆発に耐えるほどの生物の進化なんて想像がつかない。

 

けれども、もしかしたら一瞬でもあれば自身の蘇生を可能とする設備に空間跳躍できたかもしれないのに、自分たちが造った鉄壁のダクトに阻まれて真っ黒焦げになって力尽きるだなんて、笑えない話ではないか。

 

 

なので、複雑だった。ここに来て超科学生命体に対する期待値がとてつもなく下がったと言ってもいい。

 

 

いや、たまたま今回のWUMAの先遣隊が無能だった可能性も考慮に入れておかなければならないが、『納得がいかない』という感情が爆発跡の煤のようにこびりついていた。

 

それとも、高度に発達した科学文明がもたらすものが緩やかな種族の衰退や文明の退廃を招いているという可能性を波動エンジンの開発エンジニアである世紀の大天才のひとりである私が認めたくないからなのか。

 

こうして超科学生命体を自称するWUMAに対して様々な策を弄して対抗できた理由も、科学が発達した分だけ叡智が後退していたからとでも言うのだろうか。

 

 

この有り様を見て、私の中で『23世紀の宇宙科学を21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球にもたらすことが本当に人々のためになるのか』という疑念が深まっていったのを強く認識した。

 

 

いまだ地球圏統一国家が樹立されていない様々な問題を抱えているバラバラな世界において、私がやろうとしている技術革新がもたらすものは世界の繁栄か、破滅か――――――。

 

ともかく、侵入して早々に討伐対象のエルダークラス:ヒッポカンポスを絶対に壊れない唯一の出入り口を利用して排除する方法が極めて有効であることを確認することができたことは喜ぼう。

 

しかし、あまりにも想像と違いすぎた侵略者の本拠地は本当に清廉潔白な場所であり、賢者ケイローンが自分たちの在り方に疑問に思うのも無理はない世界となっていた。

 

だからこそ、宇宙の真理をこの場で 今一度 声に出して、自分を落ち着ける必要があった。

 

 

 

――――――新世界なんて来ない。ただ今まで通りの世界が続くだけ。

 

 

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン’「どうしたんだい、急に?」

 

斎藤T「別な言葉で言ってやろう」

 

斎藤T「神の国は目に見える形では来ないし、地獄の正体は人心そのものに見たり」

 

斎藤T「天国だの、極楽だの、楽園だのが説かれて何千年――――――、人々は未だに苦しみの中で古聖の教えを学んでは頷くばかりだ」

 

斎藤T「そうして藻掻き苦しみながら死んでいくのが世の常である一方で、確実に世界が素晴らしい方向に突き進んでいることを知らないんだ」

 

斎藤T「そのことを知るべきなんだ。連綿と続いてきた人の営みの歴史にこそ現実に起きた事象を超えたものが起き続けていることを」

 

 

――――――だから、ここですべきことは立ち止まることじゃない。

 

 

こうして私はWUMAに対する偏見と先入観をまた捨てることができた。

 

そう、宇宙移民である私にとっては こうした侵略者に対する警戒は職業病や宇宙時代における全人類の義務みたいなものだったのだが、

 

今回の侵略者であるWUMAはこれまで想定してきたS()F()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であることを認識しなければならなかったのだ。

 

いやいや、そういう意味ではない。完全に無害な生物というわけではないのは他の種族の社会に紛れ込んで“成り代わり”をしようとする習性で明らかなのだが、

 

『では、侵略をしていない時のやつらの生活はいかなるものなのか』についてはこれまで考察が行き届いていなかったことでいろいろとWUMAのことを見誤っていたのだ。

 

そうなのだ。我々は得てして物事には多面性があることを忘れがちだ。属性やレッテルで単純化してしまいがちなのだ。誰だって公的な場と家庭とでは立居振舞がちがうように。

 

 

たとえば、アグネスタキオンというウマ娘を知らない一般人に『あいつは他人を実験台にする危険なウマ娘』としか伝えなかったら、どういった認識を持つだろうか?

 

 

つまりはそういうことなのだ――――――。

 

私が妹:ヒノオマシに彼女を紹介する時にそれだけしか言わなかったら、絶対にヒノオマシは私から彼女を遠ざけようと警戒心を剥き出しにして接していたことだろう。

 

当然だろう。私がなぜ彼女のような学内でもトップクラスに危険なウマ娘とつるんでいるか、その事情を最初に言わなかったら、あそこまでヒノオマシが彼女を信頼することもない。

 

そう、たしかに『あいつは他人を実験台にする危険なウマ娘』という事実は伝えたが、それ以上に『自分の夢を自分で叶えるか、誰かに託すために客観的なデータを集めている一生懸命なウマ娘』という事情をあの時に話していたのだ。

 

だから、そういった事前情報を踏まえた上で、学内での評判も丸っきり聞かないわけがないのに、妹:ヒノオマシは私の側に常に彼女がいることを現在でも容認しているのではないかと思っている。

 

 

――――――そう、自称:平和を愛する侵略者である超科学生命体“フウイヌム”にもある多面性を認めるのだ。全てはそこからなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピピッピピッピピッ・・・カタン!

 

 

斎藤T「――――――入力完了。“潜航艇”はこれより四次元空間に突入後は整備用メンテナンスモード:自己解体フェイズに入る」

 

斎藤T「……終わったな。これで この世界にWUMAの魔の手は迫ることはないだろう。100%と言い切れないのが怖いところだが」

 

アグネスタキオン’「何だか拍子抜けだったね」

 

斎藤T「そう思うのは、我々が()()()()()()()()に対して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というレッテルを無意識に貼っているからであって、」

 

斎藤T「自称:平和を愛する完全生命体であるやつらにとっては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ」

 

斎藤T「だって、そうだろう? 対策なんてものは不完全な存在が必要とするのであって、自分たちを完全無欠の存在だと肯定しきっている連中にはそんなものは必要ないんだから」

 

斎藤T「だから、やつらの中では自分たちの領域が逆に侵略されることなんて想定されていないから、超科学生命体でありながら旧き良き時代を思わせるアナログな街並みが建ち並ぶわけなんだな」

 

 

斎藤T「つまり、やつらの懐にさえ飛び込むことができれば、こっちとしてもやりたい放題だったというわけだ」

 

 

斎藤T「いや、そもそも 擬態によって あらゆるセキュリティを無効化してくる先天的な侵略種族なんだから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というわけで、」

 

斎藤T「やつらは他の種族の社会に防御不可能な攻撃を仕掛けることができる一方で、自分たちも攻められたら弱い社会構造に陥っていたわけなんだな」

 

斎藤T「でも、逆に言えば、セキュリティがない社会構造ということは他人との境界線がない完全な群体になっているわけで、末端のジュニアクラスには名前すらないのがその証拠だ」

 

斎藤T「やつらは基本的には個体としての意識よりも群体としての意識の方が強い ある意味における()()()()()の最たるものになっていたんだな」

 

アグネスタキオン’「そうして連綿と他の世界を侵略することを習性にしていながら、自分たちが逆に侵略される恐れを抱かずに長年の繁栄と平和を謳歌していた報いを受けたか……」

 

斎藤T「ああ。やつらが非常に単純明快な進化形態による徹底した階級社会を築き上げているなら、同じように物事も極めてシンプルに捉えていることもわかってしまったな」

 

斎藤T「事前情報無しに侵略を開始しても問題がないように現地住民に擬態して一から情報収集していくやり方で侵略を 毎回 最適化しているから、事前調査やその情報共有の必要性すらない」

 

斎藤T「そんなわけだから、侵略を是とする自称:平和を愛する種族を疑いなく名乗れるわけだ」

 

斎藤T「だから、やつらは何も知らない。ただ使われるだけの駒だから想像ができなくて侵略による平和を押し付けてこれる」

 

アグネスタキオン’「そうだね。人間の価値観からすれば、それは本当の意味で社会性が発達しているとは言えないもので、さながら少年兵を育てているみたいで気味が悪い」

 

アグネスタキオン’「でも、今回はそんなふうに使い捨ての駒同然に人間の価値観からすれば渡しておかなければいけない最低限の情報や自衛の手段すらない状態だから――――――」

 

斎藤T「しかも、今回はやつらが侵略を次の段階に進めるために全員が出払っていたというタイミングだ」

 

斎藤T「おかげで、何の憂いもなく こうしてまんまとやつらの中枢に堂々と侵入して破壊工作(サボタージュ)できたんだから、平和を愛する心と侵略する習性が完全に切り離されていたな」

 

 

斎藤T「――――――これが並行宇宙の地球を支配する超科学生命体への進化だと!? 笑わせるな! 1984年(ジョージ・オーウェル)じゃないんだぞ、ここは!」

 

 

斎藤T「攻めている時が一番守りが弱くなるとは言うが、ここまで無防備だとはな!」

 

斎藤T「それとも、『戦争は平和である (WAR IS PEACE)』『自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)』『無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)』とでも言いたいのか!?」

 

斎藤T「ふざけるな! ふざけるなぁ!」

 

 

――――――お前たち“フウイヌム”にとって“ヤフー”が支配する世界が認められないように、私もお前たちの築き上げる世界を理想郷(ユートピア)だなんて認めないからな!

 

 

アグネスタキオン’「……そろそろ行こうか、トレーナーくん」

 

斎藤T「ああ」

 

斎藤T「でも、本当にこれで良かったのか、ケイローン?」

 

 

――――――ああ。ここまでよくやってくれたよ、二人共。

 

 

斎藤T「……わかってる。この場でやつらの宇宙船を破壊しても、その航跡を追って増援が来る可能性を考えると、やつらの宇宙船がこの世界に存在した痕跡を完全に抹消しなくちゃならないんだ」

 

斎藤T「そして、四次元空間に突入した宇宙船が別世界に転移しないように四次元空間で消滅するのを誰かが確実に見届けなくちゃならない」

 

斎藤T「それでも、寿命が本当に残りわずかだとしても――――――、なにも、誰もいないところでひっそりと死ぬだなんて寂しいことじゃないか、ケイローン」

 

 

――――――悲しむことはない。元いた場所に帰るだけだよ。それに私の意志はきみたちに受け継がれている。

 

 

斎藤T「ケイローン……」

 

斎藤T「本当にありがとう、ケイローン。あなたがここまで導いてくれた」

 

アグネスタキオン’「あと1分で“潜航艇”はこの世界から跳躍していくね」

 

斎藤T「ああ」

 

斎藤T「テレパシーってのは便利なものだな。通信機がなくても、こうして飛び立っていく宇宙船の外にいながらでも通信できるんだから」

 

 

――――――でも、意志だけで通じ合えるのなら私たちが肉体を持って生まれてきた意味がない。肉体があるからこそできることがあるんだよ。

 

 

斎藤T「そうだな」

 

斎藤T「こうして自分とはちがう誰かの手を繋ぐことができるのも肉体があるからだな、ケイローン」

 

斎藤T「だから、しっかりと手を繋いでいくさ」

 

アグネスタキオン’「?」

 

斎藤T「もう間もなくだ。最後に言いたいことはあるか?」

 

 

――――――きみの妹によろしく。カブトムシとして生きるのも そう悪くはなかった。成虫に限るけどね。

 

 

斎藤T「そうだったな。こうなるだろうことを見越して、ケイローンにそっくりなコーカサスオオカブトの標本を用意するのは大変だったんだからな」

 

斎藤T「これでヒノオマシのカブトムシの観察日記も終わりだな」

 

斎藤T「――――――そうか、来年からはみんなが新しいことのために生きていくんだな」

 

斎藤T「でも、そんなのは誰にだって言えたことだけれども、ひとりひとりにとっては大事なことでもあるんだ」

 

 

――――――そう、わからないからこそ頑張れる。その努力こそが世界をより良くしていく。その積み重ねしかないんだ。

 

 

アグネスタキオン’「10秒前だよ、トレーナーくん」

 

斎藤T「ああ」

 

アグネスタキオン’「5」

 

アグネスタキオン’「4」

 

アグネスタキオン’「3」

 

アグネスタキオン’「2」

 

アグネスタキオン’「1」

 

斎藤T「ゼロ」

 

 

 

――――――さらば、友よ。時間と空間を超越した場所でまた会おう。

 

 

 

罠とか錠なんて何一つなかった。通常ならあって当然の鍵付きの扉などなく、風除けや遮光のための簾がたまにある程度で防犯性は皆無だった。

 

そして、やつらの情報端末の操作も地球人類なら絶対に驚くことにログインの必要すらなく、一見すると大量に乱雑に並べられているように見えるデータの海を越え、

 

今はカブトムシの賢者ケイローンやアグネスタキオン’(スターディオン)に継承されたヒッポリュテーの記憶を頼りにするだけで普通にアクセスすることができてしまった。

 

指紋スキャンや網膜スキャンなんてものはないし、宇宙船を空間跳躍させる重要なシークエンスもいちいち安全確認なんてしないから、必要最低限の情報だけを入力した後はほぼ次をクリックするだけで済んでしまった。

 

極めつけは、並行宇宙へ空間跳躍する際に経由する四次元空間は防御障壁を展開しないと いかに超科学生命体の高度な科学力の結晶と言えども無事ではいられないのに、

 

計算上では防御障壁の限界を超えてしまう空間跳躍の設定をしても警告やフェイルセーフが働かないぐらいなのだ。こんなの、絶対ありえない安全設計である。

 

 

――――――これが犯罪ゼロの理想社会のあるべき姿なのは頭では理解できたのだが、どうしても脳が受け付けなかった。

 

 

やはり、やつらは根本的に地球人類とは異なる社会性や価値観を持つ異種族であり、

 

21世紀の地球がグローバリゼーションを推進していくことでグローカリゼーションという反動が起きたのと同様に、多文化共生社会の理想を謳うにも限度がある相手に思えてしまった。

 

いや、絶対に歩み寄ってはいけない関係なのだと確信してしまう。互いの不幸にならないように関わり合いを持つべきではない――――――。

 

あまりにも無垢なのだ。やつらの肌の色がそのことを言外に主張しているかのようにあまりにも白くて、未だに原始の時代に生きているかのような感覚すらしてくる。

 

それと比べると、我々 地球人類はいかに世間の俗悪に染まって真っ黒く染まった存在なのかを思い知らされてしまうような眩しすぎる理想郷がここにはあった。

 

そう、完全な白と黒ほどのちがいがやつらと我々の間にはあり、多文化共生を謳って交流を持ったら、まさしく灰色に染まった世界しか生まれないような気がするのだ。

 

グローバリゼーションによる多文化共生の反動の話もそうだが、宇宙移民が常々想定しているような異種族間交流における文化破壊や文化的自殺行為、そこからエスノセントリズムの悲劇が起こりかねない。

 

やはり、他者と上手に付き合っていくためには他者とのちがいを容認できるだけの共通点の多さが不可欠だが、この場合は何から何まで共通点を見出だせない――――――。

 

それぐらい危機感を覚えた上に、近代革命以降の自由民主化の時代を生きる人間として持ってはいけない思想すら抱いてしまう。

 

言うではないか。黒は何色にも染まらない。葬式に着る喪服や裁判官の服が黒なのは操を立てる意味合いからだ。

 

 

――――――一方、白糸は染められるままに何色にも変ずる、と。ウェディングドレスの白は『あなた色に染まります』という意思表示。

 

 

こうして百尋ノ滝の地下百尋(181.8m)に存在する地下宮殿に格納されていたやつらの宇宙船をこの世界から消滅させることに成功するのであった。

 

正確にはこの場で破壊するのではなく、すでに本国へこの世界の並行宇宙座標を送信する秒読みの段階になっていたのを逆手に取って、どこでもない四次元空間に転移させることで この世界との繋がりを完全に断つのだ。

 

そして、本来の目的であった『裏切り者である賢者ケイローンの討伐に成功した』という偽報もセットで送信することになっており、実際にケイローンの命は果てるので嘘は言っていない。

 

それでいて、やつらは自分たちの完全さを疑うことがないため、同じように同胞の()から発信された情報を疑うことをしないだろう。間違っていたとしても、それは状況が動いたものとして都合がいいように勝手に補完するはずだ。

 

これで奥多摩に割拠するエルダークラスの排除と、やつらの本格的な地球侵略を阻止することに成功したことになる。

 

 

――――――もうやつらは何もすることはできない。やつらの侵略計画はこれによって完全に頓挫したのである。

 

 

真の支配者と想定される“マザー”からの命令を受理して作戦を立てて指揮をする最上位のエルダークラスがいなければ下位の存在はいつまでも命令が更新されないことで立ち往生するしかなく、

 

最初に並行宇宙に侵入して橋頭堡を構築するための機能が満載の“潜航艇”を失った以上はもうどうすることもできないのだ。

 

一応、その機能の一部を写したものがこの秘密基地にあるのだが、それはこの秘密基地を管理運営するのに必要な機能でしかなく、別な場所に拠点を構築する際に宇宙船を移動させた時に備えたものでしかなかった。

 

特に、先遣隊の宇宙船である侵略の要となる“潜航艇”に搭載されている並行宇宙にも干渉できる空間跳躍技術の一切を降ろしていくことができず、基地から宇宙船との通信も同じ世界に存在している時に限る。

 

並行宇宙の壁を越えて本国との連絡をつける機能は“潜航艇”を介する他ないので、侵略活動の中枢となる宇宙船を失ってしまったら他所の世界を侵略することを生態とする侵略的外来種の本領を発揮することは永遠にないのだ。

 

また、奥多摩を隔離する仕掛けも“潜航艇”を親機として中心に発生させて子機となる装置を現地に設置して調整するものであるため、“潜航艇”が存在しなくなった以上は奥多摩が隔離される心配はなくなった。

 

 

――――――なので、ここからはWUMA討伐作戦からWUMA掃討作戦へと切り替わることになる。

 

 

やつらが築き上げた百尋ノ滝の秘密基地(マザーベース)はやつら自身の秘密墓地(キリングフィールド)となるのだ。

 

おそらく、先遣隊にとっては要となる機能の中枢を担う宇宙船がこの世界から存在しなくなった影響はすぐに出ており、その異常のために奥多摩に展開していた部隊が百尋ノ滝に引き上げてくるはずだ。

 

となれば、地上との出入り口が1つしかない上に最高位のエルダークラスでさえも抵抗できなかったのだから、すでに敗残兵となったやつらを大量に始末するための方法はすでに確立されている。

 

 

 

ここに宇宙船や重要設備を爆破するために用意した大量のC4爆弾があります。

 

しかし、宇宙船は四次元空間で消滅させることになったので大量に余ることになりました。

 

唯一の出入り口である百尋のエレベーターはC4爆弾でもビクともせず、エルダークラスのパワーで持ってしても軌道となるダクトを破ることができません。

 

 

――――――ゾンビサバイバルゲームが大好きなあなたなら、何が最適解か これでわかるはず。

 

 



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第一次決戦Ⅵ 宇宙最悪のケミストリー

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 

基本的にWUMAの1個軍団は最上位のエルダークラス:1、上位のシニアクラス:10、下位のジュニアクラス:100という比率で構成されているらしい。

 

要するに、上位の存在は10人の部下を持つ構成となっており、シニアクラス:1に対してジュニアクラス:10人の10個の部隊が編成されている。

 

そのため、WUMAの1個軍団は多少の誤差はあっても111名が基本単位となっており、今回は4個軍団なので444体のWUMAが裏切り者である賢者ケイローンの討伐のために派遣されていたことになる。

 

よって、先遣隊が使う宇宙船である空飛ぶ円盤の“潜航艇”は1隻で4個軍団:444体を運搬できた実績があるため、旧帝国海軍の軍艦で例えるなら軽巡洋艦ぐらいの規模と見なせるだろう。

 

それだけに下位の存在をとりまとめる上位の存在の排除はやつらの組織的行動を阻害するのにはもっとも効果的であり、軍団の長であるエルダークラスの排除はその手足となる10部隊が分断されることを意味する。

 

もちろん、エルダークラスを排除した瞬間に軍団全体が機能停止するというわけではなく、シニアクラスの部隊がエルダークラスから受け取った命令を依然として遂行する恐れがあった。

 

しかし、命令の更新がされないので決して次の段階に進むことができない。これが最上位のエルダークラスを優先的に排除する意義であり、即効性はなくとも将来的に軍団全体が無力化される根拠である。

 

実際、そういう存在だったのが進化形態によって一目瞭然の徹底した階級社会を築き上げていた“フウイヌム”であった。

 

そこから1周目の船橋市で数多く判明した中間管理職のシニアクラスの擬態の見破り方をもって4つの地域に展開したWUMAの残党を各個撃破していくのがこれからの流れであった。

 

当然だが、最上位のエルダークラスを排除して組織的行動をとらせないようにしても、相手はそもそもヒトよりも遥かに強大な身体能力を有するウマ娘を本能的に恐怖させるレベルの怪人:ウマ女なのだから、残りがエルダークラス以下であっても依然としてその脅威は変わらない。

 

24日の聖夜からやつらの侵略が次の段階に進むのを阻止するという第一目標はすでに果たされたので、悠々と時間跳躍で即座に作戦エリアから離脱することもできたのだが、

 

実際、奥多摩の本拠地を陣取っていたエルダークラス:ヒッポカンポスと多摩地域に軍団を展開していたエルダークラス:ヒッポネイピアを立て続けに排除した影響から何が起きるかわからない状況となっていた。

 

本当に自分たちの完全さを一ミリも疑わずに『侵略が完全に頓挫してしまう』という万が一の敗北に備えての策がないかは時間が経過しないことにはわからない。むしろ、あると疑ってかかった方がいい。油断大敵。

 

そのため、百尋ノ滝の秘密基地を全員が出払っていた隙をついて制圧した後も、残されたシニアクラスの部隊を各個撃破できる状況になるかどうかを見届けることになり、

 

そこで侵略の要であるやつらの宇宙船がこの世界から存在しなくなった後も唯一無二の出入り口となる百尋のエレベーターに罠を仕掛けて監視し続けることになった。

 

とりあえず、1個軍団につき10体はいるシニアクラスの排除が確認できればヨシ。ジュニアクラスは完全に擬態対象に成りきっている個体を見破ることができないので、現状は放置。

 

 

――――――経過は順調。基本的に奥多摩のヒッポカンポスの軍団は百尋ノ滝の秘密基地を寝床にしているので絶対に帰ってくるのだ。

 

 

なので、一番最初に戻ってきたエルダークラス:ヒッポカンポスがそうだったように、自分たちの超科学技術の結晶である超頑丈なエレベーターに守られた状況で、その内側からボンッ。

 

やつら、規律正しく部隊単位であるシニアクラス:1、ジュニアクラス:10の比率を守ってエレベーターをいちいち部隊ごとに利用してくるもんだから、爆破した後の死体確認と罠の再設置も物凄く効率よくできてしまった。

 

こうして何度も何度も地上の百尋ノ滝との接点となるエレベーターホール内で爆発が観測され、その度に真っ黒焦げの11の灰の山を掃除しては次の死刑囚を11人ずつ呼び寄せていくのが繰り返された。

 

なお、シニアクラスの灰は進化したことで獲得した角だけ成分がちがうことで識別が可能で、仮にエルダークラスが混じっていた場合は翼の分だけ灰の量が増えているはずなので識別は容易である。

 

こうしてエルダークラス:ヒッポカンポスの軍団がきっかり111体分の灰の山になったのを確認した後、奥多摩の完全解放が果たされたのであった。

 

そうだろう そうだろう。一番安全なはずの本拠地で欠員が出るはずがないんだから、これでいいんだよ。

 

まさか、敵の本丸を一夜にして陥落させることができるだなんて思いもしなかったので、この結果には大満足であった。

 

 

だが、勝って兜の緒を締めよ、私はこの後 死ぬほど後悔することになってしまった――――――。

 

 

いや、まさか――――――、その可能性を考えていなかったわけではないが、恋人たちや子供たちがなかなか寝付けない聖夜を送っていたように この大勝に浮かれていたことで完全に油断していた。

 

やはり、片時もバケモノはバケモノであるとして侮ってはいけなかったのだ。

 

そして、それだけじゃなかった。それだけじゃなかったのだ。

 

この宇宙でもっとも邪悪な存在とは何かを考えた時、我々の認識世界の中に存在する地獄の主が夜明けと共に姿を現す――――――。

 

いったい何が起きたのかを掻い摘んで説明すると、こうなる。

 

 

――――――白と黒が交わった結果は灰色の世界;すなわち近墨必緇・近朱必赤だったのだ。

 

 


 

 

●2周目:12月25日の夜明け前

 

――――――百尋のエレベーターは地上に向けて昇る

 

アグネスタキオン’「本当に一夜のうちに1個軍団を殲滅することができただなんてね……」

 

アグネスタキオン’「今でも信じられないよ、トレーナーくん……」

 

斎藤T「だが、しっかりとエルダークラス:1、シニアクラス:10、ジュニアクラス:100の墓標を立てることができたんだ。これで奥多摩は完全に救われた」

 

アグネスタキオン’「けど、奥多摩に割拠するヒッポカンポスの軍団がいなくなったけれど、やつらの要となる“潜航艇”が失われた影響で何が起きるかはまだわからない……」

 

アグネスタキオン’「特に、多摩地域の軍団も連携していたわけだから、その司令官であるヒッポネイピアが第2段階移行の初動でいなくなったことで、多摩地域の残党が何をしでかすか――――――」

 

斎藤T「まあ、まだ時間の巻き戻しは1回しかやってないから、また年末まで監視を続けていればいいと思うぞ。船橋市のヒッポクラテアの軍団を傘下に加えてな」

 

アグネスタキオン’「そうだね、ヒッポクラテアの軍団は私たちの玩具になるわけだ」

 

アグネスタキオン’「まあ、船橋トレセン学園そのものがやつらの巣窟になっている以上は、全員を排除してしまっては学園の存続に関わってしまうから、本当に困ったやつらだよ」

 

斎藤T「ああ。正解なんて もうない話だ」

 

斎藤T「だが、すでにそうなってしまっているのだから、船橋の連中には最後まで嘘を貫き通してもらうしかないじゃないか」

 

アグネスタキオン’「この事件は闇から闇へと葬らなくちゃならないわけだからね……」

 

アグネスタキオン’「私にそれだけの権限があること自体に驚きだが、1周目の私が実際にやったことなのだから、信じる他ないか……」

 

 

時刻は聖夜を終えて聖誕祭の朝になろうとしていた。

 

それまでずっと地上との唯一の連絡路になる百尋(181.8m)のエレベーターに爆弾を仕掛けては遺灰を十字架の下に埋める作業を繰り返し、それが10回は繰り返されてWUMAの1個軍団が殲滅されたのを見届けることになった。

 

生命反応が停止した瞬間に灰になってしまうWUMAの死体確認と後始末は非常に簡単であり、ハンディクリーナーで1体分の遺灰を吸っては墓穴に捨てるだけの作業を繰り返すだけだった。

 

それでも、十字架の墓標を立ててしまうのはせめてもの弔いか、単に死体確認がしやすいように目印を立てただけなのか――――――。

 

そうして、繰り返される爆音と111体の埋葬が終わり、元の静寂な世界が百尋ノ滝の秘密基地に訪れたのを確認すると、時刻も夜明け前なので百尋ノ滝からの日の出を拝もうと気持ちが弾んでいたのだ。

 

終わってみれば、百尋ノ滝を百尋足らしめた地下深くのバケモノたちの巣窟の空気を長く吸い続けた圧迫感から解放されるために、外の空気を無性に吸いたくなっていたのだからしかたがない。

 

しかし、一夜にして敵の本丸を攻め落とさなければ奥多摩が人類の手では届かない次元に隔離されてしまうのを阻止する重大な使命を果たし終えたことで緊張の糸が解れたのは取り繕うことができない事実であった。

 

 

――――――百尋(181.8m)のエレベーターが地上との唯一の出入り口である百尋ノ滝に向けて昇り始める。

 

 

今までは次の死刑囚が地下の処刑場に運ばれて来るのを見上げてばかりだったが、全てが終わったかに思えた今となると地獄から天国に導く天使の階梯のようにすら思えてくる。

 

全てが半透明のエレベーターに乗り込むと私は糸の切れたマリオネットのようにみっともなく床に座り込んでしまっていた。

 

そうだ。このエレベーターの四隅にC4爆弾を仕掛けては地下で停止した時の衝撃で爆発するようにセットするだけで、恐怖の怪人:ウマ女軍団はいとも容易く駆逐されたのだ。

 

ゾンビサバイバルゲームでの稼ぎ行為のように楽をさせてもらったが、それぐらい私は容赦なくWUMAを殺してきた。

 

まさか唯一の出入り口となるエレベーターを使った簡単な爆破トラップを仕掛けるのを繰り返すだけの単純作業になるとは思わなかったが、

 

いくらバケモノ狩りという大義名分があるとは言え、111体分の共同墓地を一夜にして築き上げてきた重みはこみ上げてくるものがあった。

 

やつらこそ平行宇宙の地球を支配する超科学生命体ではあったものの、あまりにも理想的な社会を築き上げた代償に、自分たちの住む社会の全てが理想的であるが故に、

 

こうして唯一無二の出入り口となる百尋のエレベーターに変化があることに違和感を覚えても正常性バイアスで誰も気にも留めないだろうことを見越して、堂々と室内に爆弾を仕掛けることになった。

 

そう、自称:平和を愛する種族である“フウイヌム”の日常や社会には恐るべき犯罪や不幸な事故なんて起きないのだから、警戒心なんてものが育まれるわけがない。

 

そして、現地住民に擬態して得た記憶や知識も所詮は“ヤフー”の下等なものと見下して精査する必要がなければ一顧だにしないのもわかっている。

 

なぜなら、“フウイヌム”は理想的な社会を築き上げた()()()()()()()()()()種族であるわけなのだから。そういうものなのだ、元々から。

 

しかし、理想社会で生まれ育っただけの存在が理想の人格者であるかどうかは別問題であり、

 

理想とは現実と相反するものだからこそ、それを目指す姿勢にこそ、神仏が加護を与えることを思えば、“フウイヌム”とは無邪気で邪悪な存在であった。

 

そこに人間味を感じるかどうかは微妙なところであり、それこそゾンビサバイバルゲームの稼ぎに利用されるような単細胞なアルゴリズムしか持たされていないモンスターにしか思えなかった。

 

 

だからこそ、これでゲームクリア(You Survived)になったことで全てが終わった気になっていた。

 

 

今日が救世主の聖誕祭(12月25日)だからか、これで地獄から天国に掬い上げてもらっていたような気がしていた。

 

そして、それは本来はそのバケモノの一人であるアグネスタキオン’(スターディオン)も同様であり、

 

今回は幸いにも 直接 命のやり取りをすることはなくても、無造作に次々と同胞(バケモノ)たちが灰になっては墓穴に埋められていくことに思うことがないはずがない。

 

けれども、それが何者でもないアグネスタキオン’(スターディオン)になった時に選んだ道である以上、絶対に避けては通れない裏切り者の苦しみでもあるのだ。

 

 

だから、最初は離れた位置に立っていた彼女が私の隣に腰を下ろすのを拒むわけにはいかないし、膝枕のご褒美を強請ってくるのを黙って受け容れる他ない。

 

 

そこから地上の天国までの退屈な時間を今後のことについてまじめな話をしながら、実験室で髪を洗ってあげている感覚を思い出しながら優しく彼女を撫で続けた。

 

髪の毛は血液から作られている以上は頭皮マッサージによって血流を良くして栄養が行き渡るようにしなければならない。白髪は血管が収縮したことで色素が毛根に行き渡らなかったことで起きるもの――――――。

 

他にも、疲労によって凝り固まった表情を柔らかくするために彼女のほっぺたにも触れたし、尻尾の毛並みも手櫛で整えていった。

 

そうすることによって、互いに無心になってリラックス状態になっていき、そのうち不思議な一体感と高揚感が行き渡った。

 

この感覚は以前にもどこかで味わった覚えがあり、脳内の快楽物質が濁流のように押し寄せ、癖になりそうだった。

 

きっと、恋人同士なら ここから情熱的な抱擁を交して メチャクチャになるまで互いを求め合うことになるのだろう。

 

実際、彼女は甘えるような表情を浮かべて両手を肩まで回そうとしてくる――――――。その火照った表情の艶に思わず頭の中が真っ白になりそうになる。

 

けれども、こうして互いを見つめ合ううちに、あることに気づいた。気づいてしまった。

 

 

――――――そうか、これはヒノオマシと同じなんだ。

 

 

ヒトとウマ娘の間に芽生える不思議な絆の力の重要性をトレセン学園では繰り返し説かれているが、その1つの兆候として挙げられるのが『距離感がバグる』という現象であり、

 

世間的にはウマ娘の強すぎる闘争本能と過剰すぎる身体能力に起因するリスクを恐れて同じヒトの女性と結婚したいという声が多いのだが、

 

それでも、ウマ娘と身近に接しているヒトの男性ほどウマ娘と結婚する割合が高くなるのは間違いなく、ヒトとウマ娘のふれあいの中で快楽物質を分泌させる何かがあるからなのだろう。

 

それが何かと言えば、言葉は悪いが やはり()()()()()()()()に近いものがあるんじゃないかと私は分析している。

 

亜人:ウマ娘と怪人:ウマ女はどちらもウマの擬人化であると23世紀の人間なら一緒くたに考えることができるが、実際に両者に触れてみて大きなちがいがあることを体験からなんとなく理解することができていた。

 

なぜなら、亜人:ウマ娘は()()()()()()()()()()()()であり、怪人:ウマ女は()()()()()()()()()()()()であるため、()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

そのため、ウマの擬人化らしく全体的に走ることが大好きな亜人:ウマ娘は基本的にヒトより本能の部分で生きている無邪気な性質なので、まさしくヒトではない異種族の雰囲気をまとっているのだ。

 

そして、怪人:ウマ女の築き上げた超科学生命体の生活を再現した百尋ノ滝の秘密基地にある人間的な街並みを見ると、本質的に頭の作りがウマではなくヒトであることが理解できる。

 

だから、この『距離感がバグる』という現象は他種族のオスから種をもらう必要があるメスしかいない異種族:ウマ娘が無自覚に他種族のオスを誘惑するために生み出しているものなのだろう。

 

以前に何度か行ったヒトとウマ娘の共生の考察を何となく頭に思い浮かべながら、メスしかいない種族が編み出した無自覚の誘惑のフェロモンに私のオスの本能が刺激されるが、

 

しかし、それ以上に斎藤 展望の妹:ヒノオマシにすら『距離感がバグる』現象が起きたことの()()()()()()()を再認識してしまい、いたたまれない気持ちになってしまったので一瞬で萎えてしまった。

 

 

――――――斎藤 展望の妹:ヒノオマシ・陽那の誕生日は12月30日(もうすぐ)だった。

 

 

やはり、不純異性交遊はよろしくない。聖夜の熱に浮かされて一夜の過ちを犯すのは下半身でしかものを考えることができない恋人たちがやることでしかない。

 

それに、身体は身籠ることができるようになっても まだ子供のままの子供が子供を生むような社会は地球圏統一国家には相応しくないものだ。

 

私の知る21世紀は融和の時代、宇宙の時代、科学の時代、女性の時代となり、子供の誰もが大人になれるように導かれる時代でもあるのだから。

 

だからこそ、宇宙時代の人間には 愛欲をも上回る愛情でもって この場を収める知性と教養が必要不可欠となるのだ。

 

アダムとイヴがエデンの園を追放されることで背負わされた労働と出産の苦しみからも解放される時、人類は究極的に束縛からの自由(リバティー)から表現の自由(フリーダム)のために生涯の全てを費やすことができるようになるのだ。

 

そうなれば、限られた人生の選択肢からも解放されて、本当により良い人生を探し求める自己実現の自由を誰もが享受することができる。

 

そうした時代で生を受けた私が誰かの人生を自分の手で選ばせないのはありえないのだ。23世紀の宇宙移民のポリシーとして受け容れられない。

 

 

だから、私はアグネスタキオン’(スターディオン)やその奥にあるヒッポリュテーの想いには今は蓋をしてもらうことにした。

 

 

両手を肩にまで伸ばした彼女は 私が何もしてこないことを察して するりと肩から手を放した。

 

そんなお利口さんだからこそ、ご褒美をあげたくなるわけで、そうした中で見せてくれた溌剌とした表情が私は大好きだった。

 

もちろん、私にだって相手の好みはあるが、こういう表情で満ち溢れていた時代だったからこそ、私は 尚更 この時代に生きる人たちを憐れんでしまうのだ。

 

 

 

――――――本当の幸せをひとりひとりに掴んでもらいたいから!

 

 

 

しかし、ここから私は“特異点”である自分自身の弱点を嫌という自覚させられてしまうことになった。

 

百尋のエレベーターはいよいよ築き上げられた地下空洞を抜けて地層の中に入ったことで、地上の出入り口となる百尋ノ滝までかなり近づいた。

 

それまでには随分と荒んだ気持ちが落ち着いており、外の空気を清々しい気持ちで吸えるものだと浮かれていたのだ。

 

そう、決してその可能性を考えてこなかったわけではないが――――――。

 

 

――――――統制者を失った無法者の集団が一挙に暴徒と化す可能性。

 

 

シュウウウウ・・・

 

斎藤T「……うん?」ビクッ

 

アグネスタキオン’「どうしたんだい?」

 

アグネスタキオン’「――――――っ!?」

 

アグネスタキオン’「こ、これは――――――!?」ゴホゴホ

 

斎藤T「――――――やられた!?」ゴホゴホ

 

アグネスタキオン’「と、トレーナーくんッ!?」ゴホゴホ

 

斎藤T「逃げろッ!」

 

アグネスタキオン’「いや、待って――――――」

 

アグネスタキオン’「あ」 ――――――時間跳躍!

 

斎藤T「よし、これで――――――」ゴホゴホ

 

斎藤T「……うぅ」ゴホゴホ

 

斎藤T「あ」

 

 

――――――詰んだ。咄嗟の判断で致命的なミスをしてしまったことに気づいてしまった。

 

 

完全に油断した。これまでさんざん利用してきた逃げ場のないエレベーター内に神経ガスが流れ込んだのだ。

 

全てが半透明で内部構造が丸見えのエレベーターにそんな防衛機構があったとは到底思えない。あるにしても、それなら最初から起動するべきものだ。

 

しかも、SFでは定番の暴徒鎮圧剤ではあるが、これは催涙ガスでも催眠ガスでもなく、神経ガスだ。

 

神経ガスの起源は第二次世界大戦の前後にドイツで開発された(Germany)剤であり、立派な化学兵器なので使用はもちろん禁止されており、対策として軍隊では自己治療用の解毒剤キットが装備されている。

 

その教訓が23世紀にも継承されているため、宇宙移民は長きに渡る宇宙航海の合間にVRシミュレーターで様々な化学兵器の恐ろしさを身を以て味わう地獄のレッスンを経験していることから、

 

私は即座に察知することができたが、私が認識するよりも先に“斎藤 展望”の身体が反応していたところを見るに、皇宮警察の訓練にも化学兵器への対処法があったのかもしれない。

 

神経ガスは筋肉を収縮する神経伝達物質の伝達を阻害して筋肉の活動を停止させるものであるため、強烈な睡魔や目の刺激を直ちに感じるわけではない。

 

しかし、全身の倦怠感を伴う筋肉の収縮と痙攣による昏睡状態にやがて陥り、最悪の場合は呼吸器系の筋肉が機能しなくなることで呼吸困難の窒息死に至るような代物だ。

 

つまり、相手に与える不快感は催涙ガスや催眠ガスの比ではなく、全身の筋肉機能が正常に働かないことで、鼻水が出て、呼吸が苦しくなり、目が霞んでいき、涎が止まらなくなり、吐き気も催す。

 

そして、筋肉の締まりによって調整されていた内臓機能が完全停止するため、いろんなところでおもらしをする羽目になるだろう。もちろん、そこまで言ったら全身の機能が麻痺して死んだも同然だが。

 

危なかった。時間跳躍を使ってアグネスタキオン’(スターディオン)をすぐさま避難させることができてよかった。これがエルダークラスだったら壁抜けできない空間跳躍で逃げ場がなかっただろう。

 

そう、エルダークラス:ヒッポカンポスはこの逃げ場のない百尋のエレベーターの軌道を利用されて爆殺されたのだ――――――。

 

 

――――――いやいや、よく考えたら全然良くねえよ!?

 

 

咄嗟に時間跳躍を使ってアグネスタキオン’(スターディオン)を避難させたのは正しい判断だ。

 

しかし、その咄嗟の判断に『“斎藤 展望(自分)”のことを含めなかった』のは致命的なミスだった。

 

二人揃って確実に脱出できたのに、私はアグネスタキオン’(スターディオン)を発動機にして時間跳躍する際に、自分の存在を完全に入れ忘れていたのだ。

 

だから、自分だけ神経ガスが充満した逃げ場のないエレベーターにポツンと取り残される羽目になり、土壇場で自分よりも他人を優先する性根が裏目に出てしまったのだ。

 

これが頭でイメージした通りにダイレクトに世界が塗り替わる四次元能力の最大の特長と欠陥であり、

 

こうして四次元空間の感覚を記憶している“大特異点”の私のイメージが四次元能力の発動機になっているが“小特異点”のアグネスタキオン’(スターディオン)のイメージよりも優先された結果がこれである。

 

 

まぬけ、ここに極まれり。天体の崩壊が近づく中、命からがら宇宙船のエンジンを点けておきながら、宇宙船に乗れずに置いてけぼりになった格好だ。

 

 

初めて神経ガスにやられたアグネスタキオン’(スターディオン)がすぐに助けに戻ってくる可能性はほとんどなく、戻ってきても神経ガスが充満した場所に戻ってくるのは自殺行為である。

 

何よりも、バケモノである彼女のこれからの人生には理解者である私の存在が必要不可欠なのだから、私は絶対に生きねばならないのだ。

 

そう、口では大人として子供を導くとか言っておきながら、何があっても彼女と一緒に生きることを肝に銘じることができずにいた半端者でしかなかった。

 

自分で思っていたよりも他人の人生を預かることが()()()()()()()()()()()()を正しい理解をしていなかったのだ。

 

子供が正しい成長を遂げるのを見届ける義務が大人にはあるというのに――――――。

 

神経ガスの影響は長期に渡り、累積性もあるため、たとえ死を免れた場合でも障害は一生残り続けてしまう――――――。

 

信頼できる性能のガスマスクや解毒剤キットなんて民間人が持っているわけないし、入手は絶対に間に合わないのだから――――――。

 

 

――――――だから、詰んだ。これはもう時を巻き戻す(リセット)しかない。

 

 

斎藤T「ゴホゴホ・・・」

 

斎藤T「ゴホゴホ・・・」

 

斎藤T「ゴホゴホ・・・」

 

斎藤T「ゴホゴホ・・・」

 

斎藤T「ゴホゴホ・・・」

 

 

ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!

 

 

斎藤T「ア・・・?」

 

斎藤T「アア・・・?」

 

斎藤T「ウアア・・・」

 

 

しかし、思ったよりもなかなか死ねない身体なのが“斎藤 展望”であったのだ。

 

おかしい。可能な限り神経ガスを吸わないようにエレベーターの隅に頭を突っ込んで衣類を被っているとは言え、すでに身体は神経ガスにやられて手遅れのはずなのだ。

 

神経伝達物質:アセチルコリンが神経ガスの成分で分解がストップすることで筋肉や臓器の運動指令が解除され、半永久的に筋肉を緩和させられているのだから、目や鼻や口や膀胱からありとあらゆる汁が垂れ流しになるはずなのだ。

 

つまり、日常的にはアセチルコリンが分解されることで筋肉の収縮が行われている――――――。

 

普段から何気なく身体を動かそうとする行為の1つをとっても体内での化学反応;生化学が絶え間なく行われているわけなのだ。

 

その生命活動を維持するために絶え間なく行われている生化学をいとも容易く阻害する神経ガスの恐ろしさを今まさに味わっている――――――。

 

それなのに、神経ガスが充満したエレベーターにバキューム音が鳴り響いた後、百尋ノ滝の裏側に隠された扉が開かれて新鮮な外の空気が流れ込むのを感じることになった。

 

ありえない。私の知る斎藤 展望という人間はトレセン学園のトレーナーになってすぐに学外でウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になっていた男なのだぞ。

 

いくら世界最高峰の皇宮警察の血統と才能を受け継ぐハーフだからと言っても、ウマ娘よりも脆弱なヒトの身でここまで化学兵器に耐えられるのはバケモノ染みている。

 

逆に言えば、『それほどにまで頑健な男がウマ娘に撥ねられたぐらいで意識不明の重体になるのか?』という根本的な疑問が湧いてくる。

 

 

そして、生存本能に突き動かされて みっともない格好で 無防備に滝の裏へ這い出そうとする――――――。

 

 

いやいや、エレベーターに神経ガスを流し込んだ上でバキュームで吸った連中が外で待ち構えているんだから、ここは死んだふりをしているべきだろうに。

 

ほら、見ろ。捕まったぞ。よりにもよって、こいつらは――――――、え!?

 

いや、待て。神経ガスで全身麻痺に陥っているのに、どうしてここまで私の思考は冷静沈着なのか――――――。

 

 

斎藤T「ウアア・・・」

 

横嶋T’「どういうことだ、これは? こいつは担当のハッピーミークが一昨日の『有馬記念』に出走しているのだから、昨日は休暇をとっているはずだが……」

 

横嶋T’「それに、奥多摩は昨日の時点で交通が分断され、多摩地域からの侵入路も封鎖されているはずだから、ヤフーの身でどうやってここまでやってきた?」

 

 

横嶋T’「まさか、あの“斎藤 展望”が我々の本拠地から出てくるとは思ってもみなかったぞ」

 

 

横嶋T’「しかし、見た目と装備からして『ここが何であるのか』をわかっていたらしいな」

 

横嶋T’「まあいい、運良く神経ガスで死ななかったようだが、すでに虫の息だ。俺以外にもこの機に乗じようとしたやつがいたのなら、そいつの成果は全て俺のものだ」

 

横嶋T’「よし。俺たちに先んじて何をやっていたのかは知らないが、その頑張りを褒め称えて、()()()()()()()()()()。それで全てがわかる」

 

横嶋T’「お前、擬態しろ」

 

怪人:ウマ女「ハッ」

 

斎藤T「アア・・・」

 

怪人:ウマ女「……ムッ」

 

横嶋T’「どうした? 何をしている?」

 

怪人:ウマ女「ダメデス。コイツニギタイデキマセン……」

 

横嶋T’「なんだと? なら、エルダークラスの血統のお前が擬態しろ」チッ

 

怪人:ウマ女「……アリエナイ、アリエナイ、アリエナイ」

 

横嶋T’「どうした? まさか、血統の良さだけが取り柄のお前でも擬態できないと言うんじゃないだろうな!?」

 

怪人:ウマ女「モ、モウシワケアリマセン……」

 

横嶋T’「そんなバカなことがあるか!? 俺たち“フウイヌム”の知能が“ヤフー”ごときに劣るはずが……」

 

斎藤T「ウアア・・・」

 

怪人:ウマ女「ナラ、ドウシマショウカ?」

 

横嶋T’「おい! いちいち言わねえとわかんねえのか、お前らは!?」

 

横嶋T’「だったら、好きにしろ。どうせ、神経ガスで虫の息なんだ。放っておけば、この氷点下だ。すぐに息絶えるだろうよ」チッ

 

 

横嶋T’「それよりも、お前。ヒッポカンポスの軍団を呼び出せ。さっきは雑魚相手に空撃ちになったが、今度こそ神経ガスの餌食にしてくれる!」

 

 

怪人:ウマ女「シ、シカシ、ソレハ――――――」

 

横嶋T’「いいか、黙って命令に従え! お前らのボスは誰だ!? この俺だ!」

 

横嶋T’「俺の命令はヒッポリュテー様の遺志だと思え!」

 

怪人:ウマ女「ハ、ハイ……」

 

横嶋T’「さあ、とっと行け! 他の連中も神経ガスとバキュームの用意を怠るな!」

 

横嶋T’「これでようやく――――――」チラッ

 

斎藤T「アアア・・・」

 

横嶋T’「クククク! ハハハハハ! フハハハハハ!」

 

 

横嶋T’「なあ、今年一番のビッグな新人Tの“斎藤 展望”さんよぉ! 俺はあんたのことが羨ましくて妬ましくてしかたがなかったぜぇ!」

 

 

横嶋T’「ヒッポカンポスの連中が昇ってくるまで暇だから、せっかくだから冥土の土産として面白い話を聞かせてやろうか?」

 

横嶋T’「まあ、まともな反応が返ってくるわけがねえんだけどな!」

 

横嶋T’「それでも、桐生院の小娘に上手く取り入ってG1勝利の箔を付けたのは気に入らねえからな!

 

横嶋T’「苦節十年、G1勝利に手が届かずにずっと踏み台にされてきた人間の気持ちがわかるか、ぽっと出の新人によ!?」

 

横嶋T’「俺のトレーナー人生最後の希望になったあの子もライスシャワーに勝てなかったんだ! ライスシャワーのようなくだらないウマ娘さえいなければ、俺もG1勝利の栄光を掴めたはずなのに!」

 

横嶋T’「ふざけんな! ミホノブルボンは別格だとしても、ライスシャワーなんかが“グランプリウマ娘”の座に就くとかどこまで世の中ってのは舐めてやがるんだ!」

 

横嶋T’「しかも、元甲子園球児だか何だか知らないが初めて担当したウマ娘が“グランプリウマ娘”になるとか――――――、」

 

横嶋T’「じゃあ、10年以上トレーナーをやってG1勝利を掴めない俺はいったい何だ!?」

 

横嶋T’「俺の最後の挑戦――――――」

 

横嶋T’「だから、ライスシャワーの担当トレーナーに擬態した駒を使って恥をかかせようとした!

 

横嶋T’「なのに、学園全体でライスシャワーを擁護するような真似をしやがって!

 

横嶋T’「偉いのはG1ウマ娘かよ! 負けたやつのことは誰も見てくれねえ! ただ そこからどくように言ってくるだけだ!」

 

斎藤T「ア・・・」

 

 

横嶋T’「まあ、今となってはどうでもいいことだがな。おかげで、擬態対象の“ヤフー”が抱え込んでいた()()()()()()()からも解放された」

 

 

横嶋T’「俺は今、一個の生命体として物凄く充実しているんだ」

 

横嶋T’「今の俺は“フウイヌム”のくだらない血統社会から解放されようとしているんだ」

 

横嶋T’「想像できるか? 生まれた時からシニアクラスの血統として最上位のエルダークラスになることができずに中間管理職として使い倒されるだけの人生が想像できるか!」

 

横嶋T’「まあ、そのことに気づけたのは横嶋T(こいつ)をはじめとして社会に不満を抱え込んでいる使い走りたちに擬態してきたおかげだがな」

 

横嶋T’「そして、いつの間にか 俺のことを便利な駒として扱き使っていた上司がいなくなっていたんだよ

 

横嶋T’「――――――俺はチャンスだと思ったよ」

 

横嶋T’「何もしなかったら、侵略が次の段階に進んで本国からの援軍が来ちまうからな。そうなったら、俺はまたエルダークラスの誰かの言いなりになるだけの人生に逆戻りだ」

 

 

横嶋T’「だから、俺はヒッポリュテーのフリをして、ヒッポカンポスから侵略を次の段階に進める日時を聞き出して、それまでに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というわけだ!」

 

 

横嶋T’「最高の気分だぜ、今! シニアクラスの俺が100人近くの部下を従えているんだからよ!」

 

横嶋T’「だが、エルダークラスの命令に絶対服従なのは変わらないから、これをどうするかでかなり悩んだんだぜ?」

 

横嶋T’「そこで思いついたのが、()()()()()()()()()()()()()()ってな」

 

斎藤T「アア・・・」

 

横嶋T’「そう、こんなふうに声を発することができなくなれば、命令のしようがないというわけさ!」

 

 

そうか、私という存在は賢者ケイローンと同じく、一度は四次元空間と同化した存在だから、三次元の肉体の器が衰弱するほど幽体離脱しやすくなっているのか。

 

だから、肉体の感覚が失うほど“私”としての意識が冴え渡っていき、こうして肉体を超越した視点で状況整理を行うことができるようになっているのだ。

 

それで、百尋ノ滝を数え切れないほどのパーティーグッズの馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好の怪人:ウマ女が取り囲んでいた。

 

その中に 唯一 トレセン学園のトレーナーに擬態したリーダー格がいたが、あれは横嶋Tというベテラントレーナーだったのは何かで憶えていたが、実際に見かけたことはあまりなかった。まさかシニアクラスに擬態されていたとは――――――。

 

WUMAの擬態はできるだけ怪しまれないように世間の関心が向かない日陰者が選ばれる傾向にあるので、横嶋Tはすでに中央では居場所がなくなった落ち目のトレーナーだったのだろう。

 

こちらの意識がはっきりしていないと思って調子に乗って聞いてもいないことをペラペラと自白してくれるぐらい横嶋T’は下衆の心に堕ちきっており、それに擬態したシニアクラスの心も真っ黒に染まっていた。

 

そして、府中市の中央トレセン学園に割拠していたエルダークラス:ヒッポリュテーの軍団が現在進行形で何をしているのかについては今まで謎だったが、

 

実は、私が『ジャパンカップ』の夜にエルダークラス:ヒッポリュテーを排除してしまったことで、その配下のシニアクラスの統制が取れなくなっていたわけか。

 

そして、ヒッポリュテーから調整を受けられなくなったことで横嶋Tの人格に半ば乗っ取られたシニアクラスの一個体がクーデターを起こして、他のシニアクラスを排除して部隊を次々と傘下に収めていったわけか。

 

これは凄いな。さすがはシニアクラスの裏切り者なだけに私たちよりもはるかに情報優位性があるとは言え、

 

私がスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)を使って1周目で船橋市のヒッポクラテアの軍団をまるまる傘下に収める計画を立てるよりも早くに、

 

横嶋T’に擬態したヒッポリュテーの部下だったシニアクラスの一個体はヒッポリュテーがいなくなったのを好機と見て完全なる束縛からの自由(リバティー)を求めて、

 

結果として自分たちWUMAの存在意義である異世界侵略を食い止める“世界を救う”裏切り行為のために陰ながら奮闘していたというのだから、呆れて物が言えない。

 

だって、こいつのおかげで府中市やトレセン学園に潜伏して侵略を指揮していたヒッポリュテー麾下の他のシニアクラスが全滅しているらしいわけだからな。

 

しかも、おそらく1周目の結果を踏まえると、こいつらのクーデターは失敗したと考えるのが自然かもしれないが、

 

もしかしたら、ヒッポカンポスの軍団を騙し討ちで排除した後に何者も入り込めなくなった奥多摩で自分たちの王国を築き上げて、WUMAの本格的な侵略を阻止していたかもしれないのだ。

 

なるほどね。シニアクラスはWUMAとしての自意識を保ったまま擬態を繰り返すことができるわけだが、当然ながら擬態対象の意識や記憶に染まって離反される恐れが当然ながらあったわけだ。

 

それを更に上位の存在から思想や意識の調整を受けることによって軍団の統制を行うことができるわけだが、

 

計画進行のために必要な調整を行うことができる最上位の存在を排除されれば、野放しになったシニアクラスはどんどん擬態対象の思想や感覚に染まっていくわけだ。

 

やっぱりな、こいつらはグリゴリの天使だったというわけだな。

 

一見すると完璧に思えた階級社会を築き上げていた超科学生命体“フウイヌム”だったが、いつの世も王と民の間に立って中間搾取ができる役人から腐敗が進むわけだ。

 

だからこそ、理想社会の建設にはそういった不都合な真実が入り込めないように徹底的な管理と統制が必要なのかもしれない。まさしく理想状態そのものだ。

 

しかし、このように蟻の一穴でその堤防も決壊するのだから、社会的生物というのはどこまでも不便な存在であるのが宿命なのだ。

 

あるいは、その完璧に思えた“フウイヌム”の階級社会の大前提をひっくり返してしまうほどに反社会的な思想を抱いている邪悪な存在こそが“ヤフー”なのかもしれないな。

 

 

――――――これが()()()()()()()()()()()というわけだ。

 

 

やはり、21世紀の地球圏統一国家が樹立する以前のバラバラの時代の人間たちに23世紀の宇宙科学も平行宇宙の超科学も渡すわけにはいかない。

 

となれば、私が選ぶべき道は詰まる所はこのクーデター軍団と同じになるのかもしれないな。

 

つまり、WUMAの侵略を食い止めた後は23世紀の宇宙移民としてはもう何もしない。やつらの遺産である百尋ノ滝の秘密基地に閉じ籠もって余生を過ごすのも悪くない。

 

もっとも、それは次の周にこのクーデター軍団の頭目となった横嶋T’に擬態したシニアクラスを排除して、残党をスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の軍団に吸収してからだ。

 

すでに“斎藤 展望”は神経ガスで全身麻痺状態に陥った上に百尋ノ滝の氷点下の空気に浸され続けて生命の灯火が消える寸前なのがわかる。

 

だから、私はこの2周目の反省を活かして、次はより完璧に仕上げた3周目を始めるだけ――――――。

 

そして、21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ この地球での生き方を改めよう――――――。

 

やはり、近代ウマ娘レースと同様に、この世界のためにくれてやるものや してやれるものなど何一つない――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――立て、立つんだ! 斎藤 展望(さいとう のぶもち)! お前は斎藤・ヒノオマシ・陽那の兄だろう!?

 

 

意識の暗闇の中で誰かが呼ぶ声が聞こえる。それはほんの一瞬に過ぎる必死の声。現実世界を超越した部分で聞き取れる声。

 

それははっきりと“斎藤 展望”の名前を呼び、“ヒノオマシの兄”であることを強く訴えかけてきた。

 

ケイローンの声ではない。ケイローンの声は怪人:ウマ女から発する不快なノイズが混じったような声を超越した男も女もない透き通るような声の響きだった。

 

これは明らかに男性の声であり、はっきりと聞いたことがある声だ。それも、日常的に耳にしているこの声は――――――。

 

 

斎藤T「そうだッ!」ガバッ

 

横嶋T’「なにッ!?」ビクッ

 

斎藤T「こんなところでくたばってなるものかああああああああああああ!!」ゴゴゴゴゴ!

 

横嶋T’「馬鹿な……、我々“フウイヌム”に対しては動きを鈍らせるのがやっとであっても“ヤフー”なら全身の筋肉が完全に麻痺して最終的に窒息死する神経ガスを浴びて、なぜ立っていられる!?」

 

斎藤T「さて、なぜだろうな!? このまま死んでやってもいい気分だったけど、“斎藤 展望”としてやるべきことを思い出したからかな!?」ググッ

 

 

――――――もう躊躇っている余裕はない! ここが天下分け目の天王山! 一気に決めさせてもらうぞ、アグネスタキオン!

 

 

斎藤T「ぐうぉおおおおおおおおおおおおおお!」ザシュ! ――――――怪しく光る注射器を自分の首筋に射ち込む!

 

横嶋T’「おい、今 何を射った!? 今の注射器は何だ――――――!?」ガシッ

 

斎藤T「――――――」ピカァ

 

横嶋T’「!?!?」

 

横嶋T’「う、嘘だろう!? な、何なんだ、今のお前――――――!?」

 

 

キラキラキラ・・・

 

 

ゴールドシップ「うおっほー! 盛り上がってきたぜぇ!」

 

 

トウカイテイオー’「え、何アレ……」

 

 

斬馬 剣禅「そうだ。今のお前が“斎藤 展望”なのだから、ここで終わったら承知しないぞ。お前こそが“斎藤 展望”に誰よりも相応しいのだから――――――」

 

 

――――――星が先立って進み、幼子のいる場所の上に止まる。東方の賢者たちは母に抱かれた幼子を拝み、青年は黄金、壮年は乳香、老年は没薬を贈り物として捧げた。

 

 



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第一次決戦Ⅶ 黄金に光り輝く新人トレーナー -終結-

――――――目標:12月31日までにWUMAを殲滅せよ!

 

 

終わったよ、みんな。とりあえずはWUMAの侵略はこれで解決できたと思っていいんじゃないかな。私はもう疲れた。

 

一夜にして多摩地域に割拠していたエルダークラス:ヒッポネイピアを討って、奥多摩のヒッポカンポスの軍団:111体全てを殲滅して、更には府中市のヒッポリュテーの軍団の残党:100体近くを百尋ノ滝で討った。

 

あとは、船橋市のヒッポクラテアの軍団をスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)に絶対服従させるぐらいか。

 

そうそう、多摩地域のヒッポネイピアの軍団の残党に関しては、WUMAの四次元能力を封じることができるNINJAにまかせることにしたよ。

 

いや~、まさか21世紀の地球でNINJAの助けを得られることができたとは思わなかったよ。いたんだな、NINJAって本当に。感激だ。

 

私も四次元空間の感覚を記憶している“特異点”としてWUMAが使ってきた四次元能力を逆利用した時間跳躍でヒッポリュテーの軍団の残党を始末したけど、

 

WUMAの思考力を縛り上げるNINJAの忍法:金縛りの術がピンポイントに刺さって お得意の空間跳躍を封じられたWUMAの動揺を突いて次々と葬っていた。

 

本当に凄かった。WUMAの細い脚じゃ百尋ノ滝の辺りの不整地は不得意だったにしろ、100体近くがズラリと集まっていたことで仇になって身動きがとりづらかったにしろ、NINJAの驚異的な身体能力で飛び回って直刀で次々と首を刎ねていったのだから。

 

そこに自分たちが用意していた大量の神経ガスが流出したことで崩壊に歯止めがかからない――――――。

 

そのことで動揺した横嶋T’に擬態していたクーデター軍団の首魁だったシニアクラスが正体を現して空間跳躍を使った瞬間、私の時間跳躍が発動;全ての決着がついたというわけだ。

 

まさに未来と過去の存在の時空を超えたコラボレーション。予想もつかなかった天敵が2人も同時に現れたことでWUMAの命運はこれで潰えたというわけだ。

 

 

そして、あの覆面の男(NINJA)は“斬馬 剣禅(ざんば けんぜん)”と名乗っていた。まさに(WUMA)をも斬り捨てる剣の(極意)を得た男だった。

 

 

その斬馬 剣禅だが、やたらと『ヒノオマシを不幸にしたら殺す』と脅してくるので、ヒノオマシとはどういう関係かを聞き出そうとすると『察しろ』としか言ってこなかった。

 

覆面の下の素顔はわからないが、目元を見る限りは“斎藤 展望”と同じぐらいの20代男性の若くて鋭いものだったので いろんな可能性が思い浮かんだが、結局はよくわからないままだ。

 

また、本当はNINJAの存在を知った者は口封じするのが決まりだったのだが、この場で殺さない代わりにWUMAに関する情報を包み隠さず提供することで難を逃れることができた。

 

実際、ここで討ち取った奥多摩の軍団と府中市の軍団はちゃんと灰の山の数を数えても、まだまだ多摩地域の残党と船橋市の軍団が健在なのだ。

 

なので、船橋市の軍団は船橋トレセン学園の存続のためにもアグネスタキオン’(スターディオン)に絶対服従させるにしても、

 

多摩地域のエルダークラス:ヒッポネイピアを討つことはできたが、その配下となるシニアクラスの10部隊がどこにいるかなんて現時点でもわからないので、ここはNINJAの情報網にお願いする他なかった。

 

むしろ、WUMAに対抗できるだけの異能を持ったNINJA軍団が現代でも存在しているのなら、もう私が出る幕ではなくなったので、思わぬ味方の出現にホッと一安心である。

 

むしろ、なんで最初からWUMA退治をしていなかったのかを訊くと、NINJAもそんなに暇ではなく、普段からいろんな顔を持って兼業しているので、WUMAの存在は『警視庁』からの情報で知っていても動くに動けなかったらしい。

 

少なくとも、NINJA:斬馬 剣禅がWUMA退治に動いたのはなんと12月からであり、とりあえず第一発見が報じられたトレセン学園を監視することになり、

 

昨夜24日から怪しい集団がゾロゾロと奥多摩に向かっていくのを追跡したところ、百尋ノ滝に辿り着いてヒッポリュテーを失って独立を目論んだクーデター軍団と衝突することになったという。

 

本来ならばNINJAと言えども単身で集団とぶつかるのは愚の骨頂であったのだが、やつらが用意していた神経ガスを逆利用することで一網打尽にできる勝算を神経ガスにやられていた私が結果として引き出したことで加勢してくれたそうだ。

 

つまり、勝ち誇ってペラペラと大事な情報を喋りすぎた横嶋T’に擬態したシニアクラスの落ち度というわけだ。

 

 

しかし、斬馬 剣禅が本当に人間なのかどうかは怪しいところがあったのはここだけの秘密だ――――――。

 

 

朝日が差し込む中での 明らかに100人以上が乱戦するには不向きな地形の百尋ノ滝での死闘だったので、さすがのNINJAも気付かないうちに負傷していたのを私は見逃さなかった。

 

灰の山を数え終えてふと見るとNINJAの左手の薬指がなくなっており、私が看ようとすると慌てた様子で応急処置をし出したのだ。その慌て方と応急処置の仕方からして違和感があった。

 

また、NINJAがどれだけ人間離れした存在なのかは23世紀の宇宙時代でも語り継がれてはいたが、伝説上の存在なので吸血鬼(ヴァンパイア)並みに能力の振れ幅があるのも知っていた。

 

それでも、ヒトを凌駕する身体能力を有するウマ娘が本能的に恐怖するほどの怪人:ウマ女と真向勝負を仕掛けて生き残るだけの戦闘能力の高さはいったい何だと言うのか?

 

まあ、それを言ったら『突如として神経ガスを克服して()()()()()()()()()()()()()()の私の存在こそいったい何なんだ!?』という話だけど!

 

 


 

 

●2周目:12月25日の夕方

 

――――――府中市:トレセン学園/生徒会室

 

シンボリルドルフ「斎藤T! もう きみというやつは! こんなにも心配させて!」ギュッ

 

斎藤T「……“皇帝”陛下」 ――――――ローブに全身を包まれて車椅子の上で力無く項垂れている。

 

アグネスタキオン「……むぅ」 ――――――車椅子を押して介護している。

 

トウカイテイオー「……会長!?」ドキッ

 

シンボリルドルフ「もう無茶なんかしないでくれ」

 

シンボリルドルフ「きみには担当ウマ娘がいて、最愛の妹がいて、これからのきみの活躍を楽しみにしている私のようにきみのことを心配している人間がいるんだぞ?」

 

シンボリルドルフ「でも、本当によくやってくれたよ。ずっとずっと――――――」

 

シンボリルドルフ「きみは本当に私が探し求めていた新人トレーナーの一人だったよ」

 

斎藤T「……まだ全てが解決したというわけではありません。あくまでも、解決の目処が立ったというだけで、それを実行に移す必要があります」ボソボソ ――――――小声で喋るぐらいしかできないぐらいに消耗していた。

 

シンボリルドルフ「わかっている。報告書には目を通したよ」

 

シンボリルドルフ「しかし、ここに来てNINJAか……」

 

シンボリルドルフ「それに、船橋トレセン学園がやつらの巣窟になっているわけか……」

 

シンボリルドルフ「()()()()()()()()()()()()()()と考えるとゾッとするな……」

 

シンボリルドルフ「こうなってしまってはもうどうしようもないな……」

 

斎藤T「……はい。満点の正解なんてありえません、もう」ボソボソ

 

 

シンボリルドルフ「ありがとう。きみは世界を救った英雄――――――いや、救世主だよ。今日がクリスマスなだけに」フフッ

 

 

斎藤T「……お褒めいただき、光栄です」ニコー

 

トウカイテイオー「……か、会長」ジトー

 

トウカイテイオー「でも、本当に大丈夫、斎藤T? 毒ガスを食らったって聞いたけど平気なの?」

 

斎藤T「ああ。それに関しては――――――、アグネスタキオン。きみの研究が誰かを、私を、ひいては世界を救ってくれたよ」ボソボソ

 

斎藤T「だから、今回の奥多摩攻略戦の最大の功労者として報いてあげて欲しいんだ」ボソボソ

 

アグネスタキオン「え、そうかい……」

 

アグネスタキオン「私は別にきみが無事に帰ってきてくれただけでも十分だよ……」モジモジ・・・

 

 

シンボリルドルフ「それはよくないな、アグネスタキオン」

 

 

アグネスタキオン「……会長?」

 

シンボリルドルフ「アグネスタキオン、最初の『選抜戦』以来 全てのスカウトを断って ひとりでただひたすら待つことを選んで ようやく得られたきみだけの担当トレーナーなんだぞ」

 

シンボリルドルフ「きみはもう少し自分の感情を素直に表現できるようになった方がいいぞ」

 

アグネスタキオン「え」

 

トウカイテイオー「そうだよ。レースで勝つためには我慢することも必要だけど、我慢のし過ぎは身体に毒だし、何よりトレーナーに心配をかけちゃうからね」

 

トウカイテイオー「それに、きみが待ち望んだトレーナーは世界だって救えるんだから女の子の願いを叶えるぐらいなんてことないよ」

 

シンボリルドルフ「だから、これから始まる 過酷なレースの世界で送る青春を 目一杯 楽しんで欲しいんだ」

 

 

――――――私には()()()()()()()()()()()のだから。

 

 

アグネスタキオン「会長……」

 

トウカイテイオー「さあ、遅咲きの大型新人くん。吾輩のような“無敗の二冠バ”を目指して励み給えよ」エッヘン

 

アグネスタキオン「テイオーくん……」

 

アグネスタキオン「なら、トレーナーくん――――――」

 

斎藤T「……ああ」

 

 

ナリタブライアン「会長! 斎藤Tが帰ってきたのは本当か!?」ガチャ

 

 

アグネスタキオン「………………」プクゥ

 

斎藤T「………………」

 

ナリタブライアン「ん?」

 

トウカイテイオー「タイミング悪すぎですよ、ブライアン先輩……」アチャー

 

シンボリルドルフ「ああ。せめて、ノックぐらいはして欲しかったな……」

 

ナリタブライアン「何を言っている?」

 

ナリタブライアン「それよりも、そこのローブを被っているのは斎藤Tか? そうなんだな!?」ガシッ

 

アグネスタキオン「あ、いや、ちょっと待ってくれ、ブライアンくん――――――」

 

ナリタブライアン「うおっ!? な、何だ、これはあああああああああ!?」

 

 

ピカァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!

 

 

奥多摩で神経ガスに冒された私を死地から救ってくれたのは、アグネスタキオン特製の肉体改造強壮剤であった。

 

この場合は普段遣いしているものではない特別製であり、まさしく最後の切り札となる諸刃の剣;一時的な強化(ドーピング)を邪道とするアグネスタキオンにとっては甚だ不本意な代物であった。

 

私があの場で直面した生命の危機が任意で筋肉発達を行える;新陳代謝を活性化させることで神経ガスへの免疫を獲得させたらしい。

 

実は、神経ガスは脳内の中枢神経や感覚神経に対する作用は弱く、運動神経を阻害するだけでしかないものなのだ。もちろん、それだけでも致命的な重体に陥るのは知っての通り。

 

そのため、急激な筋肉発達によって神経ガスと共有結合した分解できないアセチルコリンが排出され、結果としては少量の毒素を継続的に取り込んだことによって神経ガスに対する耐性を獲得するに至ったというわけである。

 

正確にはアセチルコリンを分解する酵素アセチルコリンエステラーゼと共有結合することで筋肉緩和を阻害させる神経ガスの成分に先んじて無効化する未知の化学反応が体内で起きているらしい。

 

要するに、神経ガスから酵素アセチルコリンエステラーゼを守る盾になる免疫が急激な新陳代謝によって誕生したようなのだ。

 

こう考えると、人間の進化や環境適応も WUMAほどではないにしろ 大したものではないか。

 

しかし、おそらくは今回の特別性の肉体改造強壮剤の効果だけじゃなく、世界最高峰の皇宮警察の血統と素質を継承している“斎藤 展望”の体質も関係しているんじゃないかと思っている。

 

あるいは、神経ガスがどういうものなのかをVRシミュレーターでの体験で把握している具体的なイメージが土壇場での免疫獲得のヒントにもなっていそうだ。

 

ともかく、急激な筋肉発達;新陳代謝を任意で行うことでデトックス効果を発揮して免疫獲得に繋がったのは紛れもなくアグネスタキオンが持たせてくれた肉体改造強壮剤のおかげであった。

 

なので、本当は堂々と姿を見せて思いっきりヨシヨシしてあげたい気分でもあったのだけれど、今回の特別製の肉体改造強壮剤の副作用も半端なものではなかった。

 

 

――――――何しろ、全身が黄金に光り輝くようになり、その眩しさのおかげで100体近くの怪人:ウマ女を捌けたぐらいなのだから。

 

 

ここでも怪人:ウマ女が草食動物の目であることで視野が広いのが災いして、ただでさえ朝の日差しが差し込む状況なのに、百尋ノ滝で黄金に光り輝く奇妙な生物の存在は嫌でも視界に入ってしまった。

 

今はかなり和らいだ方だが、全身がスポットライトになったかのような眩しさの驚愕は尋常ではなく、

 

光が物体に反射したものを視界に捉えることで物が見えるわけなので、私自身は意味不明な強烈な光を出している側なので問題なかったが、意味不明な光の存在に目を潰されたWUMAたちは身動きがとれずに次々と灰になっていくことになった。

 

もちろん、こちらとしてはリスクを冒して接近戦を仕掛けて怪人:ウマ女の急所である飛節や鼻面、喉笛を容赦なく打ち砕いていくので、相手も蹄の手に変化させて 敵わないまでも こちらの皮と肉を削ぎ落としくる。

 

しかし、新陳代謝の活性化によって多少の傷は瞬間的に治癒してしまうので光り輝く奇怪な存在の勢いは止まらず、バケモノの分際で想像を絶する意味不明な存在に襲われたことで恐慌状態に陥っていたぐらいだ。

 

私もあの時は完全に普通ではなく、神経ガスで死の淵に立たされて幽体離脱しかけていたことで、肉体を超越した次元で状況把握をして次々とバケモノに襲いかかる痛みを完全に忘れた狂戦士と化していた。

 

いや、ホント、クーデター軍団の親玉であるシニアクラス一人に率いられた100体近くのジュニアクラスの大群なんて 状況がとことん味方していたとしても 物の数ではなかった。

 

こちらは最初から遥かに格上のエルダークラスを倒すために総力を上げてきており、ただの高速移動でしかないジュニアクラスの空間跳躍なんて児戯に等しいぐらいに動きがのろく感じられてしまった。

 

そして、いわゆる一流のスポーツ選手が起こす奇跡:ゾーン体験とでも言うべき超集中状態に入っていたのだろう。

 

私は四次元空間での感覚を記憶する“特異点”であるが、自分から四次元能力を発動させるための機関(キックスターター)を内蔵していないので任意で時間跳躍を使うことができないが、

 

それでも“特異点”として意識は常人を超越したものがあるため、こうしてウマ娘よりも遥かに強大な怪人:ウマ女の大群を真正面から相手取って生き残ることができたのだろう。

 

そこから、その機に乗じて神経ガスを流出させて戦いの趨勢を決定づけたのがNINJA:斬馬 剣禅だったというわけで、この副作用も含めてアグネスタキオンの功績は絶大なものであった。

 

 

しかし、普段遣いしている肉体改造強壮剤でさえもその反動となる栄養補給と休養の請求が馬鹿にならないのに、全身が黄金に光り輝くほどの特別版は更にその上を行くものであった。

 

 

肉体改造強壮剤の一時強化(ドーピング)状態が切れると同時に神経ガスから全快してWUMAを鏖殺して回った不死身の肉体が音もなく崩れ落ちてしまった。

 

それなのに意識はこの場の全てを見渡せるぐらいにはっきりとしており、身体がまったく動かない状況にWUMAを次から次へと的確に葬り去ってきた冷徹な思考は一気に焦りの色に染まってしまった。

 

助太刀してくれたNINJA:斬馬 剣禅が忍法:口寄せの術で自分の身体を貸して自動書記をして筆談してくれなかったら、“斎藤 展望”の生命が完全に力尽きることで無情にも時が巻き戻って全てが徒労に終わってしまっていただろう。

 

いや、3周目に入るなら それはそれで 2周目よりもうまくやるつもりだし、元々3周目で決着をつける心積もりでもあったので、どっちでもよかった。それで冷静さを取り戻すことができた。

 

そこからは驚異的な跳躍力で千里を駆けるNINJAに背負われて川苔山を駆け下りていったことはわかるが、NINJAに守られてトレセン学園に帰ることができる安心感から今度こそ意識を失うことになった。

 

しかし、そこからはどういった経緯があったのかは不明だが、私は麻袋に入れられて私の帰りを待っている2人のアグネスタキオンの許に配達されていたそうである。

 

私が逃したアグネスタキオン’(スターディオン)も神経ガスにやられて安静になっていたが、私が昼前にトレセン学園に荷物として配達された頃には調子を取り戻していたようである。

 

 

 

よって、WUMAの残党は多摩地域と船橋市に残ってはいるものの、世界の命運を賭けた誰も知ることがない決戦:奥多摩攻略戦はここに終結することになったのである。

 

 

 

終わってみれば 嬉しい誤算が山のように積み重なった これ以上ない完全勝利であり、一番がWUMAが理想郷(ディストピア)の住人だったことが攻略の大きな足掛かりとなっていた。

 

そして、いきなり現れたNINJAに多摩地域をまかせて本当に大丈夫なのか気掛かりではあるが、エルダークラスを失った以上は組織的行動は不可能で手詰まりになっているのだから、いずれは完全に駆逐されるだろう。

 

一方で、1周目と同じく船橋市のヒッポクラテアの軍団をこちらの方でどうにかするしかないが、奥多摩攻略戦よりかはずっと気楽なものだった。

 

だが、エルダークラス:ヒッポリュテーを排除したことで統制から解放されたシニアクラスの一個体が擬態対象の人間の思想や人格に染まってクーデターを引き起こすこともわかり、

 

やつらの侵略の中枢となる“潜航艇”が失われた影響によって、船橋市のエルダークラス:ヒッポクラテアがどう動くかも気掛かりではあり、油断はできない。

 

しかし、今は黄金の肉体改造強壮剤の壮絶な反動でほぼ廃人同然の脱力状態がしばらく続くことになり、1周目と同じように療養を余儀なくされるだろうが、1周目と同じ運命ならば船橋市の解放も同じことになるはずだ。

 

もっとも、奇跡的に生還することはできても神経ガスによる化学反応不良の全身麻痺とはちがって全身筋肉痛の慰労困憊で身動きがとれず口を動かすだけで精一杯で、全身が光る副作用も徐々に効果を失いながらも継続中であるため、要介護状態となってしまっていた。

 

 

なので、今日が12月25日でトレセン学園の終業式を迎え、翌日からは冬休みとなるため、私は療養のために実家に送り返されることが決定した。

 

 

年末年始を“斎藤 展望”の家族と過ごすという使命があったので、これはこれで望み通りの展開になったとも言える。

 

しかし、徐々に感覚が肉体の器に再定着していくに連れて全身筋肉痛の苦しみが蘇り、“特異点”としての超常的な感覚が失われていく中、車椅子に乗せられてローブに包まれた私はふと窓の外の中央広場に目が行った。

 

すると、中央広場の噴水の三女神像が不思議なほどに輝いて見えたのだ。

 

今までとは少し様子がちがうが、また原因不明の発光現象が三女神像の噴水で起きており、そのことを車椅子を押しているアグネスタキオンに伝えようとしてもボソボソとしか発声することができず、車椅子が立てる音に掻き消されてしまう。

 

腕を持ち上げて指をさすことすらままならないまま、限られた視野に収まった発光現象を見つめていると、三女神像からの幻覚を再び目にすることになったのだ。

 

 

それは聖夜に沸き立つ街の上に雷光の稲光が降りると同時に、雷雲から上に伸びていく青い稲妻が成層圏へと迸り、視界はどんどん大気圏外へとスクロールしていく。

 

やがては熱圏でドーナツ状に広がる発光現象が起きたと思うと、そこから熱圏と成層圏の間の中間層で超巨大な赤い落雷のようなものが落ちるのが見えた。

 

しかし、その超巨大な赤い落雷は逆ピラミッド型に落ちたかと思えば、突如として有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ女の姿を形取った――――――?

 

何が何だかわからない幻覚だが、有翼一角獣の怪人:ウマ女のへその位置に当たる場所が中心となって、有翼一角獣の怪人:ウマ女は左上に人間の乙女、右下に有翼一角獣に分離したのだ。

 

これが何を意味するのか、私にはまるで意味がわからなかったが、どこか脳裏に引っ掛かるものがあった。

 

そうだ、左上に人間の乙女、右下に有翼一角獣が配置されている構図は――――――!

 

 

――――――それが私の次なる運命であることをこの時はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――ありがとう。きみが“預言の子”であったことを嬉しく思うよ。きみこそが絶望の未来から宇宙を救う救世主なのだ。

 

 

――――――きみはこれから二人の先人たちの後を継いで 未来からの侵略と過去からの遺産に敢然と立ち向かう宿命にある。

 

 

――――――その最後の締め括りのために きみという存在はこの世界に遣わされたのだと三女神が教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴールドシップ「まいどあり~、お忍びの旦那。クリスマスプレゼントはできたてホヤホヤの状態で送り届けたぜ」

 

斬馬 剣禅「……よくやってくれた、ゴールドシップ」

 

ゴールドシップ「いいってことよ。アタシとアンタの仲だろう?」

 

斬馬 剣禅「……相変わらず調子がいいやつだな」

 

ゴールドシップ「そういうアンタも()()()()()()()よりは断然イイ男になっているぜ?」

 

斬馬 剣禅「………………」

 

ゴールドシップ「こうして改めて見ると目元とかはそっくりだぜ、モッチーによ」

 

斬馬 剣禅「……当然だろう」

 

ゴールドシップ「でも、アンタとモッチーはやっぱり別人だ」

 

ゴールドシップ「アンタもモッチーみたいにでっかい夢があれば、アタシがアンタの担当ウマ娘になってやってもよかったのにな」

 

ゴールドシップ「それとも、()()()()トレセン学園のトレーナーになってみるってのもアリだと思うぜ、アタシは」

 

ゴールドシップ「だって、今のアンタは存在自体が()()()()()()()()()()なんだからさ。面白すぎ」

 

ゴールドシップ「あ。いや、実際には()()()()になるのか、こいつは?」

 

斬馬 剣禅「……今となっては是非も無し。忘れてくれ」

 

 

斬馬 剣禅「そして、誰よりも“斎藤 展望”に相応しいのはあいつなのだから、俺としてはそれで満足だ」

 

 

斬馬 剣禅「……ヒノオマシを助けてやれなかった俺なんかに生きている価値なんてなかったんだから」

 

ゴールドシップ「……そうやってアンタは自分にも嘘をついて生きていくんだな」

 

斬馬 剣禅「……お前にヒノオマシの何がわかる?」

 

斬馬 剣禅「ヒノオマシはお前のような競走バとは比べ物にならない人類の宝だ。その宝を磨いて輝かせることができないような俺では傷つけるだけだ」

 

ゴールドシップ「まあ、アンタがそれでいいんなら、アタシから言うことは何もないぜ」

 

ゴールドシップ「じゃあな。また会おうぜ。今度は黄金の菓子を持参でな」

 

斬馬 剣禅「……二度と会うこともないだろう」

 

ゴールドシップ「とか何とか言って、本当はゴルシちゃんのかわいさに見惚れてたんでしょう?」キャハ!

 

斬馬 剣禅「……冗談はジョーダンだけにしろ」

 

ゴールドシップ「そうだな。そう言えば メリー・クリスマスの挨拶代わりのラリアットを極めてなかったぜ、アタシとしたことが」

 

斬馬 剣禅「さらばだ、戦友」シュッ

 

ゴールドシップ「ああ! 共に人々の平和を守ろう!」グッ

 

 

 

ゴールドシップ「……行っちまいやがったか、あの野郎」キリッ

 

ゴールドシップ「しっかし、モッチーは相変わらず病院とかと縁があるよな。今回も病院じゃないけどベッドから離れられない状態になって帰ってくるしさ」

 

ゴールドシップ「まあ、あれが“クリスマス・キャロットの予言”で言われていた救世主の正体だったわけか」

 

ゴールドシップ「まさか、本当にこのゴールドシップ様を差し置いて黄金に光り輝くだなんてな……」

 

ゴールドシップ「にしても、今年の“クリスマス・キャロットの予言”もびっくりするような内容だった」

 

ゴールドシップ「相変わらず、アタシのレーダーは受信しまくりだぜ」

 

 

――――――聖夜(クリスマス)に現れるキャロット・スプライト(人参型 超高層紅色型雷放電)はよ。

 

 

今年も聖夜に大型のレッドスプライトが観測されたことが太平洋側に住まう気象マニアの間で湧き立つことになった。

 

レッドスプライト(red sprite)とは雷雲から落ちる雷とは発生が異なる発光現象だが、超高層雷放電に付随して発光するといわれている中間圏発光現象の1つである。

 

名の由来はその色 (red)妖精 (sprite)のように発光時間:1秒以下のコマの中でひょっこり姿を現すことからであり、

 

スプライトの種類はその形状によって分類されており、日本においては太平洋沖では“キャロット”が、日本海側では“カラム状”及び“妖精型”が出やすいといわれている。

 

スプライトの発見はアマチュアの撮影によるものが最初だったように、そこまで高価ではないビデオカメラで撮影できることもあって、学生の間でも非常に盛んに観測できるアマチュア好みの気象現象として親しまれていた。

 

とにかく、一度見たら圧倒される雷雲の更に上の高度20–100kmで観測できる超巨大な発光現象がレッドスプライトの魅力であり、その発生メカニズムがわからないこそレッドスプライトの名の由来になった具象性の神秘性が引き立つ。

 

世界的に見てニンジンが特に大好きな日本のウマ娘なら、キャロット・スプライト(ニンジンの妖精)の名の響きを聞いて興味を引かれないわけがないのだ。小学生の自由研究のテーマとしても人気であった。

 

そして、気象マニアの熱が高じて このレッドスプライトから発する電波から何かを受け取ろうとして 人知れずオカルティストたちが続々と生まれていたのが21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球でもあった。

 

そのため、このゴールドシップという奇天烈なウマ娘も興味を示さないわけがなく、今年もレッドスプライトの観測のためにトレセン学園にビデオカメラを四方八方に仕掛けて待ちわびていたわけなのだ、奥多摩で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トウカイテイオー’「ボクはあんな……、あんなバケモノなんかじゃないやい……」

 

トウカイテイオー’「でも、それじゃあボクはいったい何なの!? ボクはいったいどうしたらいいの!?」

 

トウカイテイオー’「トレーナー! カイチョー! みんな……!」

 

トウカイテイオー’「誰か、助けて……。誰か、教えてよ……」

 

トウカイテイオー’「――――――ボクはいったい誰なの?」

 

 

 

――――――これにて序章(チュートリアル)は終わり。黄金に光り輝く新人トレーナー“斎藤 展望”のヒトとウマ娘が共存する21世紀の地球をめぐる冒険譚が幕を開けることになる。

 

 



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戦勝報告  愛のポトフはコトコト煮える

――――――12月25日の夜明け、世界は人知れず平行宇宙からの侵略者から救われることになった。

 

多くの人間はそう言われても真に受けることはないだろうし、私自身も報告を聴くだけで実感が湧かないのでいつものほら話のようにしか思えなかった。

 

ただ、いつものように私の知らないところで想像もできないような偉業を成し遂げて帰ってくる彼の充実した土産話を聴くのが楽しみで、呑気にかまえていたものだ。

 

だから、今年の『東京大賞典』『有馬記念』を前に邪道でしかないドーピング剤を用意するように言われたのは大きな衝撃だった。

 

普段から使っている肉体改造強壮剤の効能を数倍にして発揮される火事場の馬鹿力を遥かに上回る瞬間的な爆発力の代償は想像するだけでも寒気がした。

 

それでも、そんなものを彼が絶対に使うはずがないし、第一“目覚まし時計”で時間を巻き戻すことができるし、時間跳躍能力まで使える彼がそこまで追い詰められるはずがないと――――――。

 

しかし、いきなり『有馬記念』の翌日に多摩地域に割拠するエルダークラス:ヒッポネイピアを討って決戦前夜を迎えることになり、

 

優雅に()()()()()()()と高級レストランで晩餐を摂った後、一気に奥多摩の本拠地に乗り込むことになったのには私の理解や心の準備がまったく追いつかなかった。

 

そして、府中市から奥多摩の川苔山:百尋ノ滝に行くにしても本当に一瞬で辿り着いて、たった一夜で地球外生命体の本拠地を制圧するというのも俄には信じられなかった。

 

もちろん、ウマ娘よりも強大な怪人:ウマ女に100体近く囲まれて返り討ちにしたというのもまったくもってデタラメにしか思えなかった。

 

けれども、どうしても寝付けなくて 実験室でひとりクリスマスキャンドルを灯して最新の研究論文を読み漁っていると、

 

25日の夜明け前に突如として実験室に()()()()()()()が神経ガスで苦しみながら時間跳躍してきたのだ。

 

いきなりのことで私はただただその治療に追われるばかりで彼が今どうしているのかなんて完全に忘れていた。

 

もちろん、これが神経ガスの中毒症状だなんて判断する術や知識を持ち合わせていなかったこともあり、

 

適切な治療なんてできるはずもないのだから、ただただどうすることもできず、WUMAの驚異の自己再生能力による時間経過を待つしかなかった。

 

それで、昼前になって軽度の神経ガスの中毒症状から自力で回復した()()()()()()()が必死の形相で今すぐに百尋ノ滝に時間跳躍しようとして、

 

彼が敵地にひとり取り残されて神経ガスに冒されて数時間も経っている絶望的な状況をようやく知ることになった。

 

 

その時、これまで待つことを選んできた私がどれだけ()()()()()()()()()()我が身を呪いたくなったことか――――――。

 

 

しかし、そうして私の理解が追いつかなくて必死に()()()()()()()から大切なことを訊き出そうとして縋り付くと、()()()()()()()は思い切り払い除けようとした。

 

その時、自分の想像を遥かに超えた()()()()()()()の圧倒的な身体能力を感じることになり、思わず腰が引けてしまった。身体が軽く浮いたのだ。

 

けれども、冷静さを欠いた状態では思考がダイレクトに反映される四次元能力は失敗するため、()()()()()()()の時間跳躍はどんなに頑張っても発動しなかった。

 

そうして ますます焦りを募らせて歪ませた必死の形相から、私にも彼が置かれた状況がどれだけ危機的なものなのかを理解できてしまった。

 

だけど、ただのウマ娘でしかない私にできることなんて――――――。

 

 

ゴールドシップ「へい、お待ち遠! ゴルシ運送だぞ! ほら、さっさと荷物を受け取りやがれ! 時間は有限! Time is money! じゃあな!」ドン!

 

 

すると、突如として私たち以外には誰も訪れることがない実験室に入ってきたゴールドシップの存在に私はどうすることもできなくて驚くだけだったが、

 

彼女が両手に抱えて丁寧に運んできた麻袋がやけに光っていることを理解すると、一瞬で麻袋を奪い取った()()()()()()()が中身を確かめたのだ。

 

 

すると、麻袋の中から眩ゆい光を放つ彼が現れたのだ――――――。私の意識は完全に宙に舞った。

 

 

すかさず、()()()()()()()が眩しいのを堪えてマッサージチェアに彼を運び、心臓が動いているかを耳を当てて確かめると大粒の涙を流して彼の胸に飛び込んだのだ。

 

一応、あれは()()()()()()()だが、私の姿をした()()()()()()()()()()が人目を憚らずに大粒の流して大声でしゃくりあげながら彼に抱き着く姿は少なからぬ衝撃を私に与えた。

 

そのため、どういう状況なのかを訊き出すこともできなかったのだが、意を決して何があったのかを訊き出そうとすると、光を放つ彼はまったく返事をしなかった。

 

()()()()()()()は心臓の鼓動と人肌の温かさから気づいていなかったが、いくら何でも返事をしないのは情報共有を欠かさない彼の性格からして変だと思った――――――。

 

しかし、その理由を完全に理解した時、私は初めて彼がどれだけ辛い思いをしながら人知れず21世紀を生きる地球人類のために奮闘してきたのかを実感することができてしまった。できてしまったのだ。

 

 

そう、マッサージチェアの手摺に乗らなかった手が光り輝きながらいつまでも力無くぶらーんとしていたのだ。

 

 

ここまで観察できれば、いったい彼の身に何が起きたのかも想像がついた――――――。

 

ああ、これだけの輝きを放つ代償に返事をすることすらできなくなるぐらいに疲労困憊に追い込む特別製の肉体改造強壮剤を使ってしまったんだ。使わざるを得なかったんだ――――――。

 

ひとり敵地に取り残されて死物狂いで状況を打破するためにはそこまでの覚悟を決めるしかなかった――――――。

 

その光景を思うと、()()()()()()()が神経ガスに苦しめられていたのを黙って見守るしかなかっただけに、自分がどれだけ無力な存在なのか打ちのめされてしまい、

 

手摺に乗らずにぶら下がり続けている光り輝く彼の手を両手に取って、私も()()()()()()()と一緒になってむせび泣く他なかったのだ。

 

同じ顔をしたウマ娘2人がマッサージチェアに死んだようにもたれかかっている光る何かに縋り付いて泣き濡らす状況は実に滑稽だろう。

 

 

けれども、両手に掴んだ光り輝く手に微かな力が入ったことを私は見逃さなかった。

 

 

そして、眩しく光って輪郭がぼやけてしまいながらも彼の口から不規則な息遣いを感じ取ると、指向性マイクを使って音声を拾うことに成功したのだ。

 

そこでようやく彼が肉体的にも精神的にも死んでいないことを悟り、この時ばかりは嬉しさのあまりに()()()()()()()と手を取り合って飛び跳ねてしまった。

 

そこから指向性マイクを介して彼自身からの的確な指示を受けて介護し、小声ながらもしっかりと口を動かせるぐらいに回復させることに成功して、ようやく一安心することができたのだ。

 

相変わらず、自分の身体がまったく動かない状況だと言うのに彼はいたって冷静であり、『生きているだけでも儲けもの』とこちらを茶化すぐらいには頭は冴え渡っていた。

 

そんなわけで、今日は12月25日:トレセン学園の終業式であり、シンボリルドルフとトウカイテイオーの引退式もあったわけなのだが、

 

そんなものは最初からどうでもよくて、意識ははっきりしているが身体がまったく動かない植物人間状態に近い彼の介護のために2人で寄り添うことになった。

 

彼が私のために用意してくれた超特別製のマッサージチェアも今度は彼自身のために有効活用され、その甲斐あって夕方には生徒会室に顔を出すことができるようになった。

 

しかし、終業式が終わって一目散に生徒たちが学園を後にしていくのが大半である中、まだ学園に残っている生徒もそれなりの数になるため、

 

全身が黄金に光り輝く副作用のために遮光用のローブを身に纏うことになり、それを私が車椅子で押す光景はいろんな意味で噂になってしまった。

 

だが、そんなのは今更なのだ。今はとにかく莫大な新陳代謝の代償で請求されている栄養補給と休養を取らせ続けるしかない。

 

なので、私が彼の最愛の妹:ヒノオマシに連絡を取り、実家に引き取ってもらうように手配を進めながら、私も彼の実家に宿泊する準備を始めた。

 

一方、学園の実験室を棲家にしていた()()()()()()()は――――――。

 

 


 

 

●20XX年12月26日

 

――――――斎藤家の実家;母方の祖母(ウマ娘)の屋敷

 

斎藤T「ふっ! ぬんっ! とっ!」グイグイ

 

アグネスタキオン「ほら、1,2! 1,2! 1,2!」グイグイ

 

陽那「おつかれさまです、タキオンさん。休んでください」

 

アグネスタキオン「あ、ああ……。そうするよ……」フゥ・・・

 

斎藤T「……苦労をかけるな」フゥ ――――――ベッドの上でリハビリテーション中。

 

陽那「そんなことはないですよ、兄上」

 

陽那「兄上は世界を救ったんですから、これぐらいはしないと、です!」モミモミ!

 

斎藤T「……一生寝たきりかもしれないぞ?」

 

陽那「大丈夫です。私はこれまで兄上に養ってもらってきたのですから、今度は私が兄上を養う番ですから」

 

 

――――――それに、兄上はここで止まる人じゃないでしょう?

 

 

斎藤T「……ああ。みんなのおかげで力が湧き上がるのを感じている」

 

斎藤T「……WUMA討伐作戦の後始末はまだまだ残っているからな。資料作成と情報セキュリティの制定、多摩地域と船橋市の残党狩り、百尋ノ滝の秘密基地の管理とかな」

 

斎藤T「……楽しみだ。百尋ノ滝の秘密基地を解析したらどんなオーバーテクノロジーがもたらされることか」

 

陽那「さすが、兄上は本当に凄いですね。私と同じように寝たきりの状態になっても、こうして夢に向かうことができるんですから」

 

斎藤T「……人間の価値は舌先だけでも創れるというわけだ」

 

陽那「兄上、報告書を代筆させていただいた時に疑問に思ったのですが……」

 

斎藤T「……何だ?」

 

陽那「兄上の夢は『宇宙船を創って星の海を渡る』ことでしたよね?」

 

 

陽那「なら、WUMAの宇宙船を破壊することなく、そのまま所有すれば夢は実現できたのではありませんか?」

 

 

斎藤T「……それはないな」

 

陽那「すみません。浅はかでした」

 

斎藤T「……謝ることはない。宇宙にもいろんな種類があって、私が目指したい可能性(星の海)というのは“極めて近く 限りなく遠い世界(パラレルワールド)”ではないのだから」

 

斎藤T「……まだ見ぬ別天地なんだよ、辿り着きたいのは」

 

斎藤T「……まあ、そこに効率よく辿り着くためのヒントは得られたけどね」

 

陽那「そうでしたか」

 

陽那「兄上。正直なことを言えば、私にとって世界というのは兄上のことでした」

 

陽那「けれども、()()()()()()()()()()()()兄上に教えられて、世界がこんなにも広いものだってことを知ることができました」

 

陽那「こうして親戚の方々と親しく付き合うところから始まり、今度は兄上の職場となるトップアスリートたちが集うトレセン学園の方々との交流も深めて――――――」

 

 

陽那「そして、()()()()()()()()()幸せな世界なんてものはどこにもないんだってことを思い知りました」

 

 

斎藤T「……そうか」

 

陽那「兄上、子供を育てるのは本当に社会;たくさんの人たちとのふれあいや支え合いなんですね」

 

陽那「そういう意味では、核家族化して共働きのために子育てが満足にできない環境を生み出しているのは政治の問題というよりももっと根本的な個人個人のつながりの問題でもあったわけです」

 

斎藤T「……当たり前だ。動物の生態を見てみろ。父親と母親で出稼ぎと子育てを見事に分担しているだろう」

 

斎藤T「……下等生物になればなるほど子をたくさんを産み落とすが世話なんてしなくなるのだから」

 

斎藤T「……そもそも、()()()()()()()()()()()男女が夫婦になるというのが結婚の建前なのだから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう」

 

陽那「本当にそのとおりですね、兄上」

 

陽那「ですから――――――」

 

陽那「………………」

 

斎藤T「……どうした?」

 

 

陽那「いえ、ただ、だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだなって……」

 

 

斎藤T「……それはヒノオマシも同じじゃないのか?」

 

陽那「兄上はタキオンさんとスターディオンさんのどっちが好きなんですか?」

 

斎藤T「……急にどうした?」

 

陽那「いえ、兄上だったらどういう方が好みなのかと――――――」

 

斎藤T「……子供のままの子供が子供を生む社会は不幸なだけだ」

 

斎藤T「……愛欲に勝る愛情があれば結婚も離婚も恋愛も破局も好きなだけやればいい」

 

陽那「はっきり言いますけど、それって男の人の考え方ですよね? 身籠ることが決してない気軽な立場の意見じゃありませんか?」

 

斎藤T「……そうとも言う。けれども、自由には責任が伴う。統制がなければ秩序は保たれない」

 

斎藤T「……これからの時代は女性の時代でもあるんだ。女性らしさが個性となって理性を保つ高度な精神文明の時代にもなる」

 

陽那「で、どっちが好きなんですか?」

 

斎藤T「……どっちも嫌いじゃない。むしろ、好きになるように努力したから一緒にいるんだけど」

 

陽那「質問が悪かったです。結婚したいと思うなら――――――?」

 

斎藤T「……紙切れ一つで婚姻関係を結べるんだから、VRゲームの世界で思う存分に好きなだけ結婚すればよろしい」

 

斎藤T「……要は気持ちの問題だろう? 現実世界での婚姻とVRゲームの中での婚姻を同質に考えることができるなら人生の中でいくらでも重婚は可能だ」

 

陽那「でも、イチャイチャしたいとか、その、好きな人の身体に触りたいとか思いません?」

 

斎藤T「……いや、全然。フェロモンにクラッとした後には後悔することばかりだ」

 

 

陽那「――――――それが来たる宇宙時代における結婚観なんですか?」

 

 

斎藤T「……ああ。そうしないと現実世界での人口管理や痴情のもつれを回避することができなくなって逃げ場のない宇宙船での狭いコミュニティを健全に保つことができない」

 

斎藤T「……だから、人々は仮想世界に自由で解放的な社会を幾重にも築き上げて多層現実に生きるようになる。情報化社会の極みだ」

 

斎藤T「……やがて現実世界の価値はVRシミュレーターでは算出できない未知なる可能性を探し出すための仮想世界の裏庭になるぞ」

 

 

――――――つまり、この現実世界を生きるために必要な肉体でさえもアバターの1つになる。

 

 

陽那「だから、兄上は未知なる可能性を求めて 並行宇宙(マルチバース)ではなく この世界(ユニバース)に拡がる星の海を渡るのですね」

 

斎藤T「……そういうことだ。並行宇宙を渡ったところで“もしもの世界”が拡がるだけだからな」

 

陽那「それも、そうですね。“もしもの世界”も元からこうだという予想が着いている世界であって」

 

斎藤T「……それにだ、“もしもの世界”の主役に成り代われないだろう、絶対に?」

 

斎藤T「……たとえば、両親を失わずに済んだ兄妹のところに上がりこんだところで、自分自身の辛い過去が変わるわけでもないし、そこにはもう幸せな兄妹がいるのだから居場所なんてない。完全な余所者だ」

 

陽那「そうでしたね。“もしもの世界”を夢見て そこに行くことができたとしても、そこで幸せに過ごしているだろう自分自身を押し退けて成り代わるのは本末転倒ですよね」

 

斎藤T「……だから、WUMAの存在は許せなかった」

 

陽那「でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、兄上?」

 

斎藤T「……それだから、責任を持って私が最期まで面倒を見るしかないんだ」

 

陽那「兄上……」

 

斎藤T「……結局さ、世界っていうのは寛容と忍耐と妥協によって出来上がっているものなんだよ」

 

陽那「じゃあ、どちらかと言うとスターディオンさんの方が兄上に近いわけなんですね?」

 

斎藤T「……独立自尊ができる大人になったら一人の人間としてのお付き合いを考えないわけでもない」

 

斎藤T「……選択肢のない人生は不幸だ。選択肢のある人生が本当なんだ」

 

陽那「本当にお優しいですね、兄上は」

 

 

陽那「だから、突然 ポトフを食べたくなった(オーダーした)わけなんですね」

 

 

陽那「フランス料理の基本となるダシの作り方をマスターできれば、料理人としての生き方も備わるでしょうから。一石二鳥ですね」

 

陽那「科学者なんですから、分量の計算も完璧ですもんね」

 

斎藤T「……ああ。新開発の自動アク取り鍋の性能試験も兼ねてな」

 

斎藤T「……あいつは実験好きらしく出不精だから、実験の片手間にじっくりコトコト煮込む料理が得意になれば、たくさんの人にポトフを振る舞ってあげられるようになる」

 

陽那「素敵です、兄上」

 

斎藤T「……ちょっとした対抗心だよ。“無敗の三冠バ”ミホノブルボンがメイクデビュー前からアスリートフードの試食会や炊き出しのボランティアによってファン数獲得を行っていたことへのね」

 

陽那「よかった。兄上も担当ウマ娘のために本気を出してくださってる」

 

斎藤T「……だから、手伝ってやって欲しい。何事も経験だ」

 

陽那「はい。わかってますよ、兄上。あの様子なら、正月三が日のおせち料理も張り切って作るでしょうから」

 

 

――――――でも、()()()()()ということでしたが、本当にタキオンさんとスターディオンさんはちがいますよね。

 

 

 

コトコトコト・・・

 

アグネスタキオン’「………………」

 

アグネスタキオン「……戻ったよ」

 

アグネスタキオン’「……そうかい」

 

アグネスタキオン「……なあ?」

 

アグネスタキオン’「……ああ、言いたいことはわかる」

 

 

――――――私たちは“子供”にしか過ぎないってことだろう。

 

 

アグネスタキオン「……ああ」

 

アグネスタキオン’「……そりゃあ、悔しいさ。()()()()()()()がどれだけ肉体改造しようがWUMAの私の方が断然強いことに変わりはない」

 

アグネスタキオン「……けど、それはただ待っているだけの私と何も変わらなかった」

 

アグネスタキオン’「……ああ。ウマ娘よりも圧倒的に強いはずの私がウマ娘に及ばない脆弱なヒトに一方的に助け出されたのだから」

 

アグネスタキオン「……だから、勝つために本当に大切なものが何なのかを『東京大賞典』『有馬記念』でのミホノブルボンとトウカイテイオーの勝利から学ぶことができたと思う」

 

アグネスタキオン’「……そうさ。それこそが四次元能力の要であるんだから」

 

アグネスタキオン「……でも、私たちは自分たちに与えられた能力を完全に使いこなせているとは言えない」

 

アグネスタキオン’「……ゴールドシップやNINJAとやらが助けてくれなかったら、私たちは本当に大切なものを失うことになったのだからね」

 

 

アグネスタキオン「……だから、私はプランAだけじゃなく、プランBも遂行しようと思う」

 

 

アグネスタキオン’「……けど、私には『ターフの上で走るな』と言うのだろう?」

 

アグネスタキオン「……ああ。一度きりの真剣勝負の世界だ。そこに甘えがあったら私が望むものには一生手が届くことはない」

 

アグネスタキオン’「……会長やテイオーにそっくりな眼になったな、()

 

 

――――――真剣な眼差しの上を行く“使命感を帯びた眼差し”とでも言うのかい?

 

 

私は最初の『選抜レース』以来、自分自身が目指す“果て”を共に夢見ることができる担当トレーナーを求めて待ち続けた。

 

そして、中等部の3年を完全に待つことに費やし、そうして待つことが許された最後の年:高等部1年のシーズン後半に私はようやく待ち続けていた()()()()()()()()()と出会うことができた。

 

彼は私が目指す“果て”のその更に向こう側から来たかのような規格外の存在であり、彼自身が言うようにトレセン学園のトレーナーをやっているような人物ではない“門外漢”であった。

 

しかし、私が想像していた以上に対等の関係:互いをモルモットとモニターにする他にはない関係を結ぶことになり、今までの孤独だった日々が嘘みたいに毎日が満たされた日々を送ることができた。

 

その一方で、私と同年だったトウカイテイオーやメジロマックイーンに起きた事件にも深く関わるようになり、もしかしたらターフの上で競い合うはずだった彼女たちの栄光と失墜を間近に見ることなった。

 

そうした中で、少しずつこれまで漠然としていた自分がターフの上で目指したい“果て”というものが具体的な目標になっていき、

 

最終的には想像を遥かに超えるほどの逸材だった彼――――――、斎藤 展望の担当ウマ娘として相応しくあるために、“皇帝”シンボリルドルフから後を託された次の時代の象徴となるべく前人未到の領域を目指すことになった。

 

そんな矢先、人間としてできないことが何もないように思えるし 四次元能力や時の巻き戻しが使えて 地上最強のWUMA殺しとして まさに無敵に思えた彼が廃人寸前になるほどに光り輝く様を見せつけられて、私の意識は変革した。

 

そうだとも。トウカイテイオーやメジロマックイーンがそうだったように、どんなに強い存在でも絶望的な状況に追い込まれてしまうものであり、彼とて例外ではなかったのだ。

 

むしろ、そこから這い上がって『天皇賞(秋)』『有馬記念』をそれぞれ走り抜いたトウカイテイオーとメジロマックイーンの意志の強さを学ばなければならない。

 

だが それ以上に、誰にも知られることもなく ひとりでウマ娘以上のバケモノたちと戦い続けた不撓不屈の精神を私は誰よりも知っている――――――。

 

だからこそ、一度掴んだら絶対に離さない。彼は私だけの――――――。

 

 

アグネスタキオン「あ、あーん……」

 

斎藤T「……あーん」

 

アグネスタキオン「ど、どうだい?」ドキドキ

 

アグネスタキオン’「きみに言われた通りに肉は細切れにして野菜はドロドロになるぐらい朝から煮込んだぞ」ドキドキ

 

斎藤T「……うん。塩加減や風味が抜群だね。計算通りだね」

 

陽那「はい! すごく美味しいですよ!」

 

アグネスタキオン「や、やった!」

 

アグネスタキオン’「ああ!」

 

斎藤T「……これで自分でもポトフを作ることができるね? 次があったらミネストローネとかボルシチを頼みたいな」

 

アグネスタキオン「い、いいとも! 作ってやるさ」

 

アグネスタキオン’「次とは言わずに、年越しそばやおせち料理だって作ってやるからな」

 

陽那「いいですね! 兄上の快復次第ですけど、実家に帰ってきても宇宙食や流動食ばかりなのは気が滅入るでしょうしね」

 

 

 

アグネスタキオン「これで最後」

 

斎藤T「……あーん」

 

斎藤T「……ごちそうさまでした」ゴクン

 

アグネスタキオン「あ、ああ。おそまつさま……」ホッ

 

アグネスタキオン’「……よかった」ホッ

 

陽那「あ、タキオンさん、スターディオンさん。お風呂が沸いたみたいですので、お先にどうぞ」

 

陽那「片付けは私がやっておきますから」

 

アグネスタキオン「そうかい。じゃあ、使わせてもらうとするよ」

 

アグネスタキオン’「ああ――――――」ピタッ

 

アグネスタキオン’「ん? それは何だい? 紙オムツにウェットタオル? それに『おむつが臭わない袋』――――――?」

 

陽那「――――――『何』って、その、それはお客様には見せられないものですので」アセアセ

 

アグネスタキオン’「え」

 

アグネスタキオン「いや、答えになっていないぞ? はっきり言い給え」

 

 

陽那「ですから! これから兄上の身体を綺麗にする大事なお勤めがありますから、お風呂に行っててくださいぃいいいい!」カアアアア!

 

 

アグネスタキオン「うええええ!?」ドキッ

 

アグネスタキオン’「あ、ああ……うん……」ドクン!

 

陽那「さあさあ! 行った行った!」

 

 

 

斎藤T「……すまないな」

 

陽那「こ、これぐらいなんてことはないですから、兄上」ゴシゴシ

 

陽那「……わあ、立派ですねぇ、兄上」ゴクリ

 

斎藤T「……いや、しかし、今時 年頃の女の子がやるようなことではないだろうに」

 

陽那「いえ、昔の女の子は子だくさんの家で赤ん坊の面倒を見るのは当たり前だったんです!」ゴシゴシ

 

陽那「それに、光明皇后陛下も施薬院にて千人の垢を洗い落とすことを発願したんです!」

 

陽那「そして、最後の千人目に重症の癩病患者が現れ、皇后陛下に膿を口で吸い出すよう要望し、その通りになさったことで病人は正体を現して阿閦如来となって発願成就が果たされたのですから!」

 

陽那「下の世話ぐらいなんだって言うんですか! 今の時代はこんなにも便利なグッズがあるのに、できないだなんて甘ったれたことを言っていたら、先人たちに顔向けができないじゃないですか!」

 

 

陽那「ですから、その、苦しくなったら()()()を楽にしてやってもいいんですよ……?」モジモジ

 

 

斎藤T「……気持ちは嬉しいが、そこまでやったらヒノオマシの品性を疑われることになる」

 

斎藤T「……安心なさい。宇宙船開発に私は()()()()から」

 

陽那「でも、殿方はそういうことをしてもらったら喜ぶと――――――」

 

斎藤T「……言ったはずだ。子供のままの子供が子供を生む社会は歪だと」

 

斎藤T「……興味があるのは否定しないが、気持ちよくなれるのは一瞬だけで後悔ばかりが後を引くものだぞ」

 

陽那「わかりました……」

 

陽那「でも、オムツ交換は譲りませんからね」

 

斎藤T「……ウマ娘の腕力に物を言わせて そういうことをやるんだな」

 

陽那「だって、これまでの記憶をなくしてしまった()()()()だって私にとってはかけがえのない家族だから……」

 

陽那「憶えておきたいんです。他の誰が忘れ去ったとしても唯一の肉親である私だけは……」

 

陽那「まさか、タキオンさんやターディオンさんにこういうことをやってもらうわけにもいかないじゃないですか……」

 

陽那「それこそ、若い年頃の娘さんとの責任を取ることになるのは、兄上にとって甚だ不本意なことですし」

 

陽那「観念してください。今の兄上の下の世話ができるのは唯一の肉親である私だけだと」

 

斎藤T「……本当にすまないな」

 

陽那「だから、謝らないでください! 兄上はこうして帰ってこれたじゃないですか! 今はちょっと身体が動かないだけで! 五体満足で!」

 

陽那「父上も母上も私のせいで遠くに逝ったのと比べれば――――――」グスン

 

斎藤T「……頼む」

 

陽那「はい!」

 

 

斎藤T「………………」

 

陽那「わあ……、これが兄上の…………」ドキドキ

 

陽那「でも、兄上だって私が赤ちゃんだった頃にオムツ交換をやってたんですから、私の――――――」

 

斎藤T「……言うな。はしたない」

 

陽那「だから、これでおあいこです」テヘッ

 

斎藤T「……本当に強くなったな、ヒノオマシは」

 

陽那「――――――毛も剃っておきましょうか?」

 

――――――

 

アグネスタキオン「………………」ドクンドクン

 

アグネスタキオン’「………………」ドクンドクン

 

アグネスタキオン「……お風呂、使わせてもらおうか」ドクンドクン

 

アグネスタキオン’「……ああ」ドクンドクン

 

 

 

・・・チャポン!

 

アグネスタキオン「…………ちょうどいい湯加減だね」

 

アグネスタキオン’「……訊いてもいいか、()?」

 

アグネスタキオン「何だい、()?」

 

 

アグネスタキオン’「――――――“家族”とはああいうものなのかい? ああいうこともできるから“家族”なのかい?」

 

 

アグネスタキオン「……さてね。私にはわからないね。きみの中の会長の記憶はどうなんだい?」

 

アグネスタキオン’「いや、さすがにオムツをしていた頃の記憶なんてないさ。それは()もそうだろう?」

 

アグネスタキオン「そうだね。研究熱心な両親の代わりに使用人たちに育てられていたから、実の両親にオムツを取り替えてもらったという話は一度も聞いたことがない」

 

アグネスタキオン’「そう考えると、『トゥインクル・シリーズ』を走り抜いた先にあるものについて、真剣に考えていかないとだね」

 

アグネスタキオン「そうだね。少なくとも、きみはそうだろうね、今からでも。きみには絶対に彼が必要だから」

 

アグネスタキオン’「……すまない。私のこの姿も記憶もどこまでいっても()からの借り物でしかないのに」

 

アグネスタキオン「謝ることはないさ。全ては私が始めたことさ」

 

 

――――――だからこそ、私自身がこれまで“果て”を目指してきた人生を裏切るわけにはいかない。

 

 

 

●20XX年12月27日

 

――――――夜明け前の早朝

 

アグネスタキオン’「さて、そろそろ2人が帰ってくる頃かな?」

 

アグネスタキオン’「おはよう、トレーナーくん。よく眠れたかい?」

 

斎藤T「……ああ。ラジオでは怪しい情報はなかった」

 

斎藤T「……朝はお前が担当か?」

 

アグネスタキオン’「まあね。2人は朝の走り込みだから、私がこうして卵雑炊をきみに食べさせてやるわけさ」

 

アグネスタキオン’「ほら、口を開けたまえ」フーフー

 

斎藤T「……あーん」

 

アグネスタキオン’「ど、どうだい?」

 

斎藤T「……若干 塩味が薄い気がしたが、お粥ならこんなもんか」

 

アグネスタキオン’「そうかい。それはたぶん蒸発する分を計算に入れてなかったかもしれないねぇ」

 

アグネスタキオン’「それで、今日が27日で明日が28日なのだろう?」

 

アグネスタキオン’「1周目だと明日28日に多摩地域が怪奇現象に見舞われて奥多摩に入り込めなくなったのを逆手に取って船橋市のヒッポクラテアの軍団の討伐しに行った――――――」

 

アグネスタキオン’「その再現をするためには ここから立ち上がらないとだけど、今の段階でどこまで動く?」

 

斎藤T「……そうだな。少し肩を貸してもらえるか」ヨロヨロ・・・

 

アグネスタキオン’「お、普通に起き上がった」

 

斎藤T「……本調子とはいかないが、最低限のことはできそうだ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン」ドン!

 

斎藤T「うおっ!?」ドサッ 

 

斎藤T「お、おい――――――!?」 ――――――ベッドに押し倒される!

 

 

アグネスタキオン’「ウマ娘の存在自体がいまだ深遠なのは知ってのとおりだが、私のようなWUMAと同じようにヒトについても同じことが言えるとは思わないかね、きみ?」

 

 

斎藤T「は」

 

アグネスタキオン’「客観的に考えてヒトがウマ娘に敵う道理はない。けれども、きみはウマ娘以上の脅威に戦いを挑み続けて こうして生還することができた――――――」

 

アグネスタキオン’「そこに単純な能力の比較だけでは測ることができない“生命が持つ可能性”があるとは思わないか?」

 

斎藤T「……何を言っているんだ、さっきから?」

 

 

アグネスタキオン’「欲しくなった」 ――――――馬乗りになって狂気を宿した眼で舐めるように見下ろす。

 

 

斎藤T「……なに!?」

 

アグネスタキオン’「なあ、昨晩はきみとはこの襖を隔てていた。もちろん、きみの妹君や()()()()()()()も一緒だったが、今はいない」

 

アグネスタキオン’「そして、今のきみは全身が光り輝いた代償にまだ全身に力が入らない――――――」

 

アグネスタキオン’「まさに“生命が持つ可能性”について実験し放題じゃないか!」ククククッ

 

アグネスタキオン’「そう、たとえば“特異点”であるきみと私で――――――」

 

 

斎藤T「キスがしたくなったのか? わかった、すればいいだろう」ギュッ ――――――目にも留まらぬ速さで抱き寄せた!

 

 

アグネスタキオン’「――――――っ!?」カアアアアアア!

 

アグネスタキオン’「え!? ま、まだ、身体に力が入らないんじゃ――――――」アワワ・・・

 

斎藤T「さっき押し倒されたら身体が元気になった。たぶん、身体が接触した瞬間にエネルギーの受け渡しがされたんだと思う」

 

アグネスタキオン’「えええええええええええええええええ!?」

 

斎藤T「あ、わかるぞ。こうやってお前を抱き締めているともっと元気になっていくのがわかる」ギュッ

 

斎藤T「動くな。もうしばらく。お前の言う“生命が持つ可能性”の実験だ」ナデナデ

 

アグネスタキオン’「は、は……」アワワ・・・

 

斎藤T「なるほどな。だいたいわかった」

 

アグネスタキオン’「な、何がだい!?」アワワ・・・

 

斎藤T「お前の中のヒッポリュテーとその中のシンボリルドルフの記憶がそうさせたんだろう?」

 

斎藤T「望んで得たわけでもない他人の記憶と感覚だが、それで()()()()()()()()()以上は無垢な乙女には戻れないか……」

 

斎藤T「メアリーの部屋というわけじゃないが、因子継承で得てしまった耳年増の疼きは悶々とさせられるだろうな………………かくいう私も 一生 童貞だったが」ボソッ

 

アグネスタキオン’「うぅ……」カアアアアアア!

 

斎藤T「けど、男と女を満足させる方法は肉体的な繋がりばかりじゃないんだ」

 

斎藤T「それがつらいなら、超科学生命体らしく肉体の疼きを抑えられるように自己を変革してみせろ」

 

斎藤T「それが怪人:ウマ女からウマ娘に生まれ変わる際にウマ娘の皇祖皇霊たる三女神が課した苦役だ」

 

斎藤T「いいか、その愛欲の苦しみと向き合っている限りはお前はウマ娘でいられるわけだからな。生の実感は苦楽と共にある」

 

斎藤T「わかったな?」

 

アグネスタキオン’「う、うん……」ドクンドクン・・・

 

斎藤T「さて、卵雑炊だけじゃ物足りないが、まあ ここは美味しくいただくとするか」スッ

 

斎藤T「うん。たまにはこういう薄味のやつも悪くないな」ゴクン

 

斎藤T「はい、ごちそうさま。またお願いしたいな」コトッ

 

斎藤T「それじゃ、行くか」

 

アグネスタキオン’「あ、どこに行く気だい――――――」

 

斎藤T「お前も来るか?」

 

 

――――――始まりの場所へ。

 

 

 

 

 

斎藤T「8月半ばの深夜に()()は降ってきた――――――」

 

アグネスタキオン’「ここがきみにとっての始まりの場所かい?」

 

斎藤T「ああ。ここに絨毯ぐらいの大きさの隕石が落ちてきた衝撃で真夜中に叩き起こされて、それで私と妹がものさしを置いて証拠写真を撮った帰りに、怪人:ウマ女に初めて遭遇したわけだ」

 

斎藤T「“斎藤 展望”が7月に目覚めてから それから半年で何もかもが変わったな……」

 

斎藤T「まだ残党狩りが残っているし、WUMAの超科学の遺産を悪用されないように処分していく必要があるが、本格的な侵略は未然に阻止することができた」

 

斎藤T「あの時は夜明け前だったが、今は夜明けを迎えることができているな」

 

アグネスタキオン’「そうだね。新しい年を迎えることがようやくできるね」

 

アグネスタキオン’「そして、“斎藤 展望”と“超光速の粒子”の時代の幕開けにもなる」

 

斎藤T「――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は回り続ける、か」パカッ

 

斎藤T「ハッ」

 

斎藤T「え」キョロキョロ・・・

 

アグネスタキオン’「どうしたんだい?」

 

斎藤T「この辺りに何か埋まっているみたいだ。“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の水準器が傾いている……」

 

アグネスタキオン’「え」

 

 

斎藤T「あの隕石はたまたまここに落ちて来たわけじゃない……?」

 

 

斎藤T「どこだ? どの辺だ? 近すぎて“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の方位磁針が狂っていたようだ……」

 

斎藤T「ここに来れば何かあるような気がしていたが、まさか宝探しになるとは……」

 

アグネスタキオン’「待ちたまえ。それが本当なら、発掘できた未来を視てこようじゃないか」

 

斎藤T「できるのか? 無理はするな」

 

アグネスタキオン’「なに、すぐに見つけているだろうから、そこまで負担にはならないはずさ」

 

アグネスタキオン’「それじゃ――――――」

 

アグネスタキオン’「………………」 ――――――未来視!

 

アグネスタキオン’「え、こんなものが……?」

 

斎藤T「?」

 

アグネスタキオン’「ちょっとまっててくれ。地中に埋まっているから、今から隆起させる」

 

アグネスタキオン’「ぬぅううううう!」グググ! ――――――突起の王冠に擬態した角が顕現する!

 

斎藤T「おお!」

 

 

ググググ・・・ボコッ! ――――――サイコキネシスで地面が盛り上がる!

 

 

アグネスタキオン’「……やったよ」フゥ

 

斎藤T「どれどれ、何か光沢が見えるな」パラパラ・・・

 

アグネスタキオン’「ふぅン? 隕石の落下地点にアタッシュケースなんて埋まっていたというのかい?」

 

斎藤T「そうか、そうじゃないかとは思ってはいたが、さすがにケイローンでも探しきれなかったわけか」

 

 

――――――これが三女神が私に“黄金の羅針盤(クリノメーター)”を渡した本当の理由か。

 

 

アグネスタキオン’「おや、どういうことだい?」

 

斎藤T「これはケイローンの置き土産ということだ」

 

斎藤T「やはり、8月半ばの隕石が落ちた衝撃の瞬間に四次元空間に溶けて魂だけの存在になったケイローンはこの世界にやってきたんだ」

 

斎藤T「そして、肉体を失ってカブトムシになってしまったが、ケイローンが手土産に持ってこようとしていたものも無事にこの世界に運ばれていた」

 

斎藤T「ただ、このアタッシュケースも四次元空間に溶けてしまったものだとケイローン自身も思っていたわけだし、無事にこの世界に運ぶことができてもどこに転移したか把握できないから――――――」

 

斎藤T「……そうか。そういうことなのか」

 

アグネスタキオン’「どうしたんだい?」

 

斎藤T「帰ろう。家に連れ帰ってくれ。ここでの用事は全て済んだ」

 

斎藤T「明日には予定通りに船橋市のヒッポクラテアの軍団を支配下に置くぞ」

 

アグネスタキオン’「……わかったよ」

 

アグネスタキオン’「それじゃあ、玄関まで跳ぶよ」

 

 

――――――時間跳躍!

 

 

アグネスタキオン’「ほら、到着。けど、こんな一瞬だけれど疲れを感じるねぇ」フゥ

 

斎藤T「思った瞬間には到着しているから、本当に1秒もかからないな。ありがとう」

 

陽那「あ、兄上!? いったいどちらへ行っていたんですか!?」

 

アグネスタキオン「そうだぞ! 勝手に出歩かないでくれないか!? 何かあったんじゃないかって心配したんだぞ、本当に!」

 

斎藤T「ただいま。リハビリがてら少し散歩してた」

 

陽那「リハビリって――――――、昨日まで満足に歩けなかったはずなのに?」

 

陽那「ハッ」

 

陽那「いえ、普通に出歩けて、普通に喋ることができるようぐらいに回復したのなら、もう言うことはありません」

 

陽那「でも、その手にしたアタッシュケースは――――――? 見たところ、かなり土埃がついていて長いこと外に放置されていたもののように見えますけど?」

 

アグネスタキオン「ふぅン?」

 

アグネスタキオン「まさか、きみはどこかに埋まっていたアタッシュケースを探しに出かけていたんじゃないだろうね?」

 

アグネスタキオン「――――――“黄金の羅針盤”に導かれて」

 

陽那「あ、まさか、ここに初めてきた時の夜に降ってきた隕石が落ちた場所――――――?」

 

斎藤T「ああ。これはケイローンの置き土産だ。悪用させるわけにはいかない機密情報が満載のトップシークレットというやつだ」

 

 

――――――こうして彼は本当の意味で賢者ケイローンの叡智を受け継ぐ者となったのだ。

 

 

日進月歩、彼の進化はとどまるところを知らない。身体が動かなくても1日たりとも止まることを止めない。

 

その勢いは全宇宙の何者もついてくることはできない。まさに“超光速の粒子(タキオン)”のようであった。

 

タキオンは常に光よりも速く移動するので、それが近づいてくるのを見ることは超光速に対応したカメラが開発されない限りは絶対にできない。

 

たとえば、仮にタキオンで構成された超光速物体が近くを通過した後、観察者はその超光速物体の2つの像を見ることができ、それらは反対方向に現れて去っていく――――――。

 

つまり、文字通りに光よりも速く駆け抜けていくため、タキオンが通過するまで観測者には何も見えず――――――、

 

もちろん、物体に反射した光が観測者に届かないとものが見えないという基本原理には反さないが、

 

通過してからようやくタキオンが到着する様子とタキオンが出発する様子を同時に見ることになるはずなのだ。

 

そう、計算上ではタキオンは虚数の質量を持つ粒子とされ、虚数は2乗するとマイナス1になるわけなので、観測者は同時に2つの像を矛盾なく目撃することになるとされるのだ。

 

もっとも、このモデルは非常に単純化したものであり、私たちがものを見続けることができるためには当然ながらものを見る時間に比例するだけの光を受け続ける必要があるように、

 

超光速物体の始まりと終わりの相反する像を見続けるためには、その時間に比例するだけのタキオンを受け続ける必要があるので非現実的な話とも言える。

 

裏返すと、私たちの世界は常に“光”で満たされているとも言え、その光さえも失われた世界で満たされるのが“音”になるのは深海のクジラや暗闇のコウモリの生態を見れば明らかである。

 

しかし、もしもタキオンを無限に受け続けることができたのなら、超光速物体が動き始めた最初の時点から現在に至るまでの像を見続けることができることになる――――――。

 

そう、この二重像効果の理論によって、『光を超えることで時空を超えることができる』という理屈が生まれたわけである。

 

それと同じように、彼は一日たりとも休んでいない。休んでいるようで動き続けている。それも常に想像を遥かに超える勢いで。

 

 

――――――それこそまさしく超光速物体が通り過ぎた後の残像のようだった。

 

 

私はそのことを特に『有馬記念』からの年末最後の1週間で身に沁みるほど感じることになった。

 

彼からすれば2周目の年末1週間であるにしても、呆気にとられて完全に置いてきぼりを喰らった気分を私はこの1週間で何度も彼に味わわされたのだ。

 

まだミホノブルボンの『東京大賞典』、トウカイテイオーの『有馬記念』、クリスマスイブ、トレセン学園の終業式と会長の引退式があって、全身が光り輝いた代償に療養を余儀なくされた彼の実家にお邪魔したのが昨日なのだ。

 

それが昨日まで満足に身体を動かすこともできなかったのに、夜明けになったら彼は平然と外を出歩いており、まるで計画通りだと言わんばかりに翌日には船橋市をWUMAの残党の脅威から解放すると言うのだから――――――。

 

 

それぐらい、彼は速かった。もちろん、ウマ娘の脚にヒトが勝つという意味なんかじゃなく。

 

 

気づいたら どんどんどんどん私の知らない領域へと駆け上がっていく彼の存在が今ではとてつもなく遠くに感じてしまっているのだ。

 

同じ感想を彼の最愛の妹も抱いたはずだ。そして、誰よりも一番身近な存在のはずの()()()()()()()でさえも決して追いつくことはできない――――――。

 

それはあまりにも鮮烈なまでに孤高であり、そのことに対する言いようのない焦燥感が私の中に芽生えたのを今でもはっきりと思い出せる。

 

けれど、それはウマ娘の闘争本能を燃え上がらせるような競争心を煽るものではなく、『有馬記念』の終わりにひっそりと見送った“皇帝”の背中と同じもの――――――。

 

 

――――――そうか、“斎藤 展望”という王者を知る者もまた王者というわけなのか。

 

 

ようやく合点がいった。これは会長が欲しがるわけだ。私に嫉妬するわけだ。

 

そのことを理解できたのなら、私もまた期待の裏返しに応えて 待ちに待ったこの時を“超光速の粒子”となって駆け抜けることにしよう。

 

それが“超光速の粒子”を冠した異世界の英雄の魂をこの身に宿したウマ娘:アグネスタキオンの宣誓だ。

 

 



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最終報告  帰るべき場所はご来光と共に

時間は有限だ。人間の一生は光陰矢の如し。

 

けれども、焦っては事を仕損じる。千丈の堤も蟻の一穴より崩れるのならば、

 

偉大なる事績は堅実な積み重ねがあればこそ、金字塔や五重塔は時を超えて受け継がれていく。

 

だから、焦ってはいけない。いつの御時世も他者より強く、他者より先へ、他者より上へと進化と成長を求められる競争社会ではあるのだけれど、その自然淘汰の流れに身を任せることを覚えるべきなのだ。

 

その自然の営みを自然の一部である人間が忘れているからこそ、不自然なものとして自然の摂理によって自ら裁かれるというだけなのだ。

 

古代で言う『天命を知る』というのは、己の生まれ持った限界を個性として受け容れ、その上でより高みを目指す進化と成長を日々の生活の中での精進努力で促すことを指す。

 

いや、そんなのは生命の営みの中でごく自然に行われていることであるが、

 

なまじ知性があるばかりに常に焦ってはならないのだけれど日々の進化と成長を求められるという極めて難しいバランスの取れた生活を求められているのだ。

 

ごく自然なことで難しいことじゃないはずなのに、いつからこんな時代になってしまったというのだろうか。

 

そこできみたちに1つ質問がある。

 

 

――――――神様に定休日はあると思うか? 世界を光で遍く照らす仕事を放り出すことが許されるか?

 

 


 

 

●20XX年12月30日

 

 

――――――Happy Birthday To You.

 

 

陽那「フー」 ――――――バースデーケーキのろうそくが消える。

 

アグネスタキオン「おめでとう」パチパチ・・・

 

アグネスタキオン’「おめでとう」パチパチ・・・

 

斎藤T「おめでとう!」パチパチ・・・

 

トウカイテイオー「おめでとー!」パチパチ・・・

 

岡田T「おめでとうございます!」パチパチ・・・

 

陽那「ありがとうございます、みなさん!」

 

 

今日は12月30日、妹:ヒノオマシの誕生日である。

 

基本的に皇宮警察の血筋の家系であるため、普通の一般家庭のように年末年始を家族と一緒に過ごすことは決してなかった。

 

天皇・皇后両陛下の護衛まで勤めて多忙を極める両親と歳の離れた兄とは一緒にいられることが少なかったヒノオマシは学校が終業式を迎えたら実家で過ごすことが常だった。

 

もっとも、両親が生きていた頃からヒノオマシはカギっ子であり、敬愛してやまない最愛の兄と同じく幼い頃からお稽古事に明け暮れていたので、夜遅くまで指導を担当するお師匠と一緒に過ごす時間の方が多いと感じるぐらいだった。

 

それから、両親を早くに失った焦りから無理をしたことで身体を壊してしまって塞ぎ込んでからは藤原さんが様子を見に来るようになり、

 

今年に入って唯一の肉親となる兄が3ヶ月の意識不明の重体から復活したと思うと、あっという間に妹の学資金を集めたことで、お師匠のコネで皇宮警察になるための登竜門になる寄宿学校の中等部に編入されることとなった。

 

その編入がお師匠の鶴の一声で認められるぐらいに、ヒノオマシの警察バとしての素養は歴代でも抜きん出ているらしく、久しぶりの学校生活にヒノオマシは長らく忘れていた充実感を覚えていた。

 

もっとも、皇宮警察の界隈はそれほど広いわけではないので、世界最高峰の皇宮警察の両親の才能と血筋を受け継いだヒノオマシの存在は覚えめでたいもので、ようやく復帰できたことに多くの関係者が祝福してくれていた。

 

今日のヒノオマシの誕生日だって、いつもお世話になっている藤原さんやそのご家族の方からもそうだし、両親と親しい付き合いをしていた友人知人や職場の方々が様々なお祝い品を贈ってきてくれているし、斎藤家の親戚一同からも心からの祝福が届く。

 

SNSにだって今年になってヒノオマシと親しくなったビワハヤヒデやナリタブライアン、それからシンボリルドルフをはじめとするトレセン学園の面々からの誕生日祝いのメッセージがたくさん届いていた。

 

もちろん、寄宿学校での友達もそうだし、お稽古の先生やその門弟たちからもお祝いの声が寄せられ、生まれながらのスター性を発揮していたのがヒノオマシというウマ娘であった。

 

 

さて、ヒノオマシの年末年始は12月30日に自身の誕生日を迎えてから、翌日:12月31日に皇室の氏神である天照大御神を祀る伊勢神宮の御垣内参拝をし、そこから富士山を一緒に拝める初日の出の名所:三保の松原で年越しをする流れとなっていた。

 

 

これに関しては、皇宮警察の家系ということもあり、年末に伊勢神宮に御垣内参拝するのは家の者としての義務であり、お勤めを果たしている両親に成り代わってお伊勢参りに詣でていた。

 

斎藤 展望もまた、どれだけ忙しくてもヒノオマシの誕生日とこのお伊勢参りのために必ず帰省していたという。真冬の駿河湾の夜を過ごすための装備は実家に置いたままになっていた。

 

しかし、今年の年末年始は一味も二味もちがう様相を呈しており、いつもの誕生日とは比べ物にならないぐらいに祝福の声で溢れていた。

 

具体的には、来年からいよいよメイクデビューを果たすことになる斎藤 展望の担当ウマ娘:アグネスタキオンとその双子の姉妹ということになっているアグネスタキオン’(スターディオン)の存在、

 

それから『有馬記念』で劇的勝利を飾ったトウカイテイオーとその担当トレーナーの岡田Tである。

 

2人のアグネスタキオンに関しては死地から生還を果たした斎藤 展望を介抱するためにその場の勢いで斎藤家の実家までお邪魔して26日から連泊し続けており、自分の実家(アグネス家)に帰る気配がまったくない。

 

一方で、28日に1周目と同じように船橋市のヒッポクラテアの軍団を支配下に置いた帰りに、斎藤家の年末年始に招待したのが岡田Tであり、トウカイテイオーは岡田Tの付き添いだった。

 

というのも、『有馬記念』で見事に三度目の復活劇で日本中に感動を与えたトウカイテイオーではあったものの、すでに担当トレーナーの方が精神がズタボロで病んでいたため、まだまだ静養が必要だったからだ。

 

しかし、再び休職になるのは自身の夢となる担当ウマ娘も引退したこともあって非常に難しく、精神を擦り減らして これ以上の活躍が望めない以上は トレーナー業を引退するべき立場になっていた。

 

一方で、トウカイテイオーは功労バとしてトレセン学園を退学することなく、これからは生徒会の一員として“皇帝”シンボリルドルフ卒業後の新しい時代のトレセン学園を牽引する“帝王”になってもらわなくては困る。

 

なので、トレーナー業はいずれ廃業するにしろ、元担当ウマ娘:トウカイテイオーが“帝王”としての任を終えるまで互いを必要とする関係を継続してもらうしかないので、私が岡田Tの生活を保障しなくてはならなかった。

 

メジロマックイーンと和田Tの2人とはちがって、トウカイテイオーは裕福な一般家庭の生まれで、岡田Tも地方トレセン出身なので後ろ盾になるものがないからだ。

 

どっちにしろ、10代の青春こそが長い人生における短い全盛期となるウマ娘にとっては限られた時の中で進むべき道を示して苦楽を共にした担当トレーナーの存在との日々は1つの人生観となり、

 

そうして七転び八起きの末に『有馬記念』で有終の美を飾って堂々と引退を果たすことができたトウカイテイオーと岡田Tは実際には共依存に陥るほどに心身共に擦り切れた状態にもなっているわけなので、

 

岡田Tとトウカイテイオーの復活が“皇帝”シンボリルドルフからの勅命であったにしろ、私が静養していた岡田Tを表舞台に引っ張り出した責任を取る必要があるということだ。

 

とにかく、私が岡田Tに心の平穏を与えてトレセン学園での居場所を残し、トウカイテイオーが“皇帝”の後を継ぐ“帝王”として毅然と振る舞えるように物心両面で支えようというわけなのだ。

 

そういうわけで、学園に復帰してもらうために近づいたとは言っても、岡田TとはWUMAの件でも秘密を共有する間柄なので、二言三言で斎藤家の年末年始への招待に応じてくれた。

 

休職期間中はひたすら孤独だったように、岡田Tには盆と正月に帰る家はなく、ましてや人生の生き甲斐となっていたトウカイテイオーが引退したことで空っぽになっていた。

 

そのことを担当ウマ娘だったトウカイテイオーは誰よりも理解しており、自分の実家で年末年始を過ごすことなく、こうして最愛の人の隣に寄り添うことを選んでいた。

 

 

岡田T「いや~、喰った喰ったぁ。誕生日っていいものだなぁ……」

 

陽那「お片付けしますね」

 

岡田T「あ、ダメだよ。今日の主役はきみなのに……」

 

陽那「いえいえ、客人をもてなすのが亭主の勤めですから」

 

陽那「さあさあ、東京から伊勢まで運転手付きの貸し切りバスで行きますから、時間まで どうぞ ごゆるりとお過ごしください」

 

アグネスタキオン「そういうことだから、お客人はお風呂にはさっさと入ってくれよ? あとがつかえているからねぇ」

 

アグネスタキオン’「一応、団体参拝前に正装に着替える時間はとってあるようだけど、シャワーを浴びることができるのは参拝の後の三保の松原に向かう途中の休憩所らしいから」

 

トウカイテイオー「うん。わかった。ちょっとまっててね」

 

 

トウカイテイオー「でも、黒一色のスーツか。これで少し大人になれたかな、トレーナー?」ニシシ!

 

トウカイテイオー「トレセン学園の制服にも礼服用の真っ黒なやつがあるらしいけど、使っているところなんて見たことないし」

 

岡田T「まあな。俺も初めての伊勢参りだから、いきなりスーツを仕立てることになるとは思わなかったが、これはこれで心機一転する良い機会だな」

 

トウカイテイオー「――――――伊勢神宮か。名前は聞いたことがあるけど、よくは知らないんだよね」

 

岡田T「まあ、ウマ娘レースで皇室ゆかりと言えば『天皇賞(春)』の淀の坂と『天皇賞(秋)』の府中だもんな」

 

トウカイテイオー「淀の坂か……。ボクからすると『菊花賞』と『天皇賞(春)』だから、悔しい思い出しかないんだよね……」

 

岡田T「テイオー……」

 

トウカイテイオー「大丈夫だよ、トレーナー」

 

トウカイテイオー「今日までいろいろあったけれど、ボクは“皇帝”ともちがう“帝王”になれたから」

 

トウカイテイオー「だから、ボクね、感謝しているんだ、神様にね」

 

 

――――――ボクの大好きな人がボクの最高のトレーナーになってくれた幸運に。

 

 

岡田T「テイオー、俺もだよ……」

 

岡田T「俺もお前に出会えて大きな夢を追いかけることだができたよ……」

 

岡田T「シンボリルドルフのような“最強のウマ娘”にはなれなかったけれど、“皇帝”シンボリルドルフと同じぐらいにみんなの記憶に残る“帝王”になる瞬間を俺は見ることができた」

 

岡田T「俺のトレーナー人生に一片の悔いはない」

 

トウカイテイオー「――――――ボク、嫌だからね」ギュッ

 

トウカイテイオー「だから、伊勢の神様にトレーナーのこれからのことをたくさんお願いしておくから」

 

岡田T「テイオー……、ありがとう……」

 

トウカイテイオー「じゃあ、時間もそんなにあるわけじゃないから、先にお風呂を使わせてもらうね」

 

岡田T「ああ」

 

 

斎藤T「いい娘ですね。たしかに、シンボリルドルフとはちがうが、シンボリルドルフに比肩するだけの才器の持ち主に思えます」

 

岡田T「才色兼備、元気溌剌、G1:4勝――――――、俺のような元トレーナー(無職のおっさん)にはもったいない娘ですよ」

 

岡田T「本当にありがとうございました、斎藤T。あなたのおかげで、俺とテイオーはこうして無事に年末を迎えることができました」

 

岡田T「それに、テイオーに対する情熱しか持ち合わせない俺なんかに施しを与えてもらって……」

 

斎藤T「いいんですよ。元は“皇帝”陛下の勅命で近づいたのがきっかけですが、これも縁ですよ」

 

岡田T「――――――縁か。こうして聞くと素敵な響きですね」

 

斎藤T「そう言えば、気になることがあるのですが」

 

岡田T「何です?」

 

 

斎藤T「ウマ娘レースで名を残した競走ウマ娘の誕生日が1月から6月まで(シーズン前半)に偏っている事実はご存知ですか?」

 

 

岡田T「ああ、たしかに。見事に()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことで、競走ウマ娘の出産予定日がシーズン前半になるように愛し合うのが暗黙のルールになってますね」

 

岡田T「だから、府中の聖夜は日本一プラトニックな夜だとも言われていますよ。ええ」

 

岡田T「まあ、生まれてくる競走ウマ娘のために節制を行うわけですから、裏返すと日本一プラグマティックな聖夜とも言えますけど」

 

斎藤T「なるほど。道理で、クリスマスケーキの売上が府中では悪いわけですね」

 

岡田T「あ、そうなんだ。そう言われると、テイオーとクリスマスケーキを食べたのは1年目だけだったな…………地方で担当してたあの子とは毎年食べていたけど」

 

斎藤T「となると、今年は『URAファイナルズ』のために『有馬記念』が『東京大賞典』の翌日に前倒しされてましたが、年末の『有馬記念』への闘争心を萎えさせないために日本一プラトニックな聖夜になっているわけでもあるんですね」

 

岡田T「まあ、中山の『有馬記念』は府中の『日本ダービー』に対抗して開設されたものだから直接的には関係はないけれど、年末の『有馬記念』のおかげで競走バのモチベーション維持がなされているのは間違いないですね」

 

 

これはちょっとした発見であった。

 

以前に船橋トレセン学園に巣食っていたWUMAの軍団を玩具(モルモット)にしていた時に、船橋トレセン学園の在校生の名簿を見ていて誕生日が1月から6月まで(シーズン前半)に偏っていたのが目に留まり、

 

比較のために中央トレセン学園での誕生日の分布を調べたところ、やはり1月から6月まで(シーズン前半)に生まれてきたウマ娘の割合が驚異の99%となっていたのだ。

 

こんなことが統計学的にありえるのかと目を疑ったが、こうして岡田Tにも確認してみると、どうやらシーズン前半に生を受けることが名バの条件として公然の秘密となっていたのだ。

 

私が知る限り地球時代の日本ではクリスマス:12月25日か翌日:12月26日での出産日が1番多いが、

 

その次にメジャーなのが9月生まれなのだから、いかに12月24日:クリスマスイブが聖夜ならぬ()()として恋人と一心同体になる日として親しまれていたのかを知っていた。

 

だから、こういった点でもウマ娘はヒトとは根本的に異なる価値観を持つ異種族であることを改めて認識させられるのだった。

 

そして、あくまでも競走バにまつわるジンクスであったはずが、『トゥインクル・シリーズ』が国民的スポーツ・エンターテイメントになったことで、ウマ娘の間でもシーズン前半に子供が生まれるように節制するのが常識になっているらしく、

 

そのため、この世界の日本におけるヒトの誕生日とウマ娘の誕生日の分布が見事に食い違っており、4月2日を誕生日とするウマ娘が一番メジャーであり、誕生月で見ると4月が断トツであった。

 

実際、トウカイテイオーもメジロマックイーンもミホノブルボンもアグネスタキオンも4月生まれであり、ウマ娘の誕生日は3月・4月・5月あたりに全体的に集中していた。

 

となると、ウマ娘との夫婦にとって()()となるのは7月・8月となり、たしかに『トゥインクル・シリーズ』で言えばG1レースがほとんどない夏季のオフシーズンに当たるので、納得がいく。

 

なるほど、ヒトは冬場に盛るが、ウマ娘は夏場に盛るわけなのか、少し勉強になった。

 

というより、トレセン学園のトレーナーの間では知る人ぞ知る知識なのかもしれないし、競走バたちも自分の子に夢を託すつもりなら避けては通れないジンクスとして耳年増も多いことだろう。

 

あ、ゴムや大人のおもちゃの売れ筋が『夏季ではウマ娘、冬季ではヒトが多い』ってはっきりと実証されてた――――――。

 

一方で、斎藤 展望の妹:ヒノオマシは競走バではないので12月30日生まれでも特に変な目で見られることはない。

 

ただ、今回のヒノオマシの誕生祝いにはトウカイテイオーをはじめとする“府中の常識は世間の非常識”とも言える競走バたちも加わっていたため、

 

どうやら、年末に誕生祝いをする奇特さ以上にシーズン後半で友人知人の誕生日を祝うのは初めてとか不慣れだという感想が一部では見られた。

 

私からすれば そういう感想が出ること自体が違和感を覚えるものなのだが、この世界に魂が流れ着いて半年しか経っていないというだけか――――――。

 

 

斎藤T「で、どうするんですか?」

 

岡田T「え?」

 

斎藤T「責任はどの程度まで取るつもりなんです? 私が結婚式で司会を務めればいいんですか?」

 

岡田T「ええ!?」

 

岡田T「いや、まだその話は早いんじゃ――――――」

 

斎藤T「それじゃあ、意識していないわけじゃないんですね、一回り下の娘との将来」

 

斎藤T「少なくとも、メジロマックイーンとその担当トレーナーは添い遂げる気満々でしたよ」

 

岡田T「……まあ、あんな可愛い子にあそこまで入れ込まれたら 男として責任をとらないといけないというか、はい」

 

岡田T「いや、『そういう下心がなかった』とは言わないさ! でも、一心同体なんだよ!」

 

岡田T「わかるよね!? マンツーマンで何年も面倒を見続けてきたら、そういう関係にもなりやすいってもんだろう!?」

 

斎藤T「別に、非難しているわけじゃないですよ」

 

斎藤T「問題なのは、トレーナーと教え子(トレイニー)の関係のその先を目指すだけの気概と器量があるかであって」

 

斎藤T「先輩はトレーナーとしての栄光を掴んだ代償に、人間としての尊厳を失ってしまったわけですから、これから先 どうやってただの人間として生きていくのですか?」

 

岡田T「……そうなんだよな。俺みたいになったやつは意外と多いからな」

 

 

岡田T「正直に言うと、もう怖くてしかたがないんだ。これまでファンだった人間から手の平を返されてさ……」

 

 

岡田T「だって、国民的スポーツ・エンターテイメントで屈指の人気を誇ったトウカイテイオーだぞ」

 

岡田T「ファン数だって50万人を記録していたんだ。それって日本国民の200人に一人はテイオーのファンってことだよね?」

 

斎藤T「知名度で言えば、もっとでしょうね。それこそ、その200倍の日本国民1億人が知る有名人のはずですよ」

 

岡田T「そう! だから、俺はテイオーを何度もダメにしたクズトレーナーとして日本中から後ろ指を指される人生しかなくて――――――」

 

岡田T「転職のために面接を受けた時の面接官の俺を見る眼がそのことを――――――」ガタガタ・・・

 

斎藤T「落ち着いてください」

 

斎藤T「そのために私はあなたのことを雇うつもりでいるのですから」

 

斎藤T「そうしないと、トウカイテイオーが心置きなく“皇帝”の後を継ぐ“帝王”として安心してトレセン学園を導けないでしょうから」

 

岡田T「本当にありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます……!」ボタボタ・・・

 

 

夢の舞台の華やかさとは裏腹に、のしかかる責任感と罪悪感で押し潰されていったトレーナーたちも数知れず。

 

愛おしさの対義語は憎しみであり、熱心なファンは時として凶悪なアンチに大化けして、責任ある大人の精神をボロボロに打ちのめしてしまうのであった。

 

実に、愚かなことではないか。叩くだけ叩いて、罰するだけ罰して、それと同じだけ人生がより良くなることを願っての教訓を与えることもない。

 

その言葉が心を引き裂く刃となって他人の人生を狂わせることもあるという認識と責任が伴わない無責任極まりない民衆、社会、世界――――――。

 

要するに、創造性がないんだ。ダメなものをダメと言うのは容易いが、それならどうすればより良いものになるかの発展的な議論に繋がらないのが21世紀の地球人のダメなところなんだ。

 

 

だから、私はこういう人たちが報われるものをトレセン学園の外側に創っていこうと決心していた。

 

 

そういう意味では、“皇帝”シンボリルドルフに自然と臣下の礼をとって厄介事を引き受けてしまったことに後悔はない。

 

むしろ、トレセン学園を通して見た 21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球で私が成すべきことを見つけることができたのだから。

 

ならば、私はトレセン学園を叩き台にして宇宙開拓もままならない未開惑星に文明開化をもたらそうではないか。

 

その手始めとして、いろいろと考えなくてはならないことが他にもたくさんあるけれども、岡田Tのように夢の舞台での栄光の影で精神を擦り減らしてしまったトレーナーたちの救済から始めることにした。

 

手本とすべきは五代 友厚だ。渋沢 栄一と共にたくさんの会社を立てて、大阪経済を立て直すために奔走した“大阪の恩人”の20世紀の偉業を23世紀の手法でもって21世紀に蘇らせたい。

 

すでに斎藤家のコネでとある重工の次世代技術開発部門で私の席は用意され、数々の新発明と特許の収入で生涯年収はトレセン学園のトレーナー以上になるだろうことは確認できたので、財団を立ち上げる計画もしておこう。

 

まあ、恩を着せて扱き使おうというギブ・アンド・テイクの精神ではあるのだけれど、“目覚まし時計”の和田TとはちがってWUMAの存在を知ってしまった一般人を野放しにするわけにもいかないから、

 

悪いが、私なしでは生きられない人生設計にして、21世紀がこれからより良くなるように天下国家のために働いてもらうぞ。それがあなた自身の救いにもなる。

 

 

――――――数時間後、

 

岡田T「もうそろそろで伊勢参りのバスが到着しますね。皇宮警察の関係者の集まりなのに、私なんかが居ていいのかと不安になるぐらいですよ。周りはみんな斎藤Tの親族ばかりで」

 

斎藤T「大丈夫ですよ。元々は伊勢講の流れを汲んでいるそうで、天下国家のために熱誠祈願をする者なら大歓迎だそうで」

 

斎藤T「まあ、現実的なことを言えば、貸し切りバスなので参加者が多いほど一人当たりの交通費が安くなるし、伊勢神宮に奉納する御玉串も増えるので、良い事尽くめです」

 

岡田T「ああ、三保の松原で初日の出を見るっていうのも最後にありますし。楽しみですな」

 

斎藤T「ええ。私も記憶を失ってから初めてなんですけど、最後部座席がトイレと簡易更衣室になっていますし、スリーピングシートで快適な夜行バスの旅になるはずですよ」

 

岡田T「いいですね! トレセン学園のバスも凄いですけど、こっちはこっちで貸し切りバスでやるってのがもっと凄い!」

 

トウカイテイオー「……ちょっと斎藤Tって、ボクのトレーナーに近くない?」ジトー

 

岡田T「え、そうか?」

 

斎藤T「まあ、これからチームとしてやっていく仲ですし、打ち合わせのために2人で話し込むことも多くなるでしょう」

 

トウカイテイオー「……本当?」ジー

 

岡田T「おいおい、テイオーだってシンボリルドルフの後を継いで生徒会のメンバーになるんだから、これからは俺よりも生徒会の面々と一緒の時間が増えるんだぞ? それで大丈夫なのか?」

 

トウカイテイオー「……わかんない。でも、あの時のように胸がイガイガするんだ」

 

岡田T「え」

 

斎藤T「ほう」

 

斎藤T「どうします? 席を替わりましょうか?」

 

岡田T「え、でも……」

 

斎藤T「大人として責任を取りなさい」

 

岡田T「!」

 

岡田T「わかりました」

 

トウカイテイオー「え、いいの?」

 

斎藤T「いいよ。ただし、生徒会長:シンボリルドルフがいかにトウカイテイオー一人のために時間を割いてくれていたかを思い出してね」

 

斎藤T「それがトレセン学園生徒会役員の心得だ」

 

トウカイテイオー「あ」

 

トウカイテイオー「わかりました」

 

 

斎藤T「結局、こうなっちゃったな、ヒノオマシ」 座席:B6

 

陽那「はい。でも、また今年も兄上の隣にいられることを嬉しく思います」 座席:A6

 

斎藤T「東京から伊勢まで8時間、早朝には伊勢に到着するわけだから、一眠りしている間だがな」

 

斎藤T「だから、おとなしくしていてくれよ、お二人さん?」

 

アグネスタキオン「ああ、わかっているさ。私もこんなところで実験なんて野暮な真似はしないさ」 座席:D6

 

アグネスタキオン’「むしろ、きみを介抱するために急いで来たせいで、ろくに研究道具を持ってこれなかったんだから、しっかりともてなしてくれよ?」 座席:C6

 

斎藤T「いいや、いつももてなしているんだから、たまには私をもてなせ。それでおあいこだ」

 

アグネスタキオン「言うようになったじゃないか、きみ」

 

アグネスタキオン’「ほうほう。それなら、実はとっておきの紅茶のレシピがあるんだが――――――」

 

陽那「兄上」クスッ

 

斎藤T「あ、悪いな――――――」

 

陽那「いえ、楽しいです」フフッ

 

 

 

●20XX年12月31日

 

 

――――――二礼二拍手一礼。

 

 

伊勢神宮には天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を祀る皇大神宮:内宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮:外宮に分かれており、

 

一般にはまず伊勢市駅近くの外宮から参拝して次に内宮に参拝することになり、外宮から内宮までは市内バスで20分程度で到着することになる。

 

今回は貸し切りバスでの団体参拝なのでバス専用駐車場を利用するだけですんなりと外宮・内宮の境内に辿り着くことができた。

 

そこで競走バの名家:アグネス家の令嬢であるアグネスタキオンや一般家庭の生まれの天才児:トウカイテイオーは非常に驚くことになったという。

 

それもそうだろう。一般的な神社のイメージとは掛け離れた構造になっているのが伊勢神宮であり、

 

鳥居の色は赤くないし、神社といえば定番のおみくじもなく、何より鬱蒼とした森の中に日本一の神社があるだなんて信じられなかった。

 

賽銭箱もなく 白い布の上に賽銭が投げられ、別宮とされている神社のあまりに簡素な造りに驚いたし、

 

20年に一度の式年遷宮のための外宮の新御敷地(古殿地)が正宮のすぐ隣にあるというあっけらかんとした間取りにも心底驚いたようだ。

 

他にも、年末年始に参拝に来る一般人が多くても、正式参拝に来ている人に着物を着る人がいないのも未知の体験だったようだ。みんな黒の正装である。

 

そうして、いよいよ御垣内参拝となって、踏む度に小気味よく敷き詰められた石が音を立てる中、きっちりとフォーマルスーツで統一された団体が整列して神主と代表の者に合わせて二礼二拍手一礼をした。

 

ただ、それだけである。伊勢神宮の御垣内参拝は 神主が祝詞を上げることなく 御垣内に参拝者を整列させて二礼二拍手一礼をさせるだけで、ものの数分程度で終わってしまうものであった。

 

だから、仰々しくて長ったらしい祝詞があると身構えていた初見さんは呆気にとられていた。

 

けれども、その瞬間、私は外宮と内宮の二度の御垣内参拝で二度も幻覚を見ることになり、

 

参拝が終わった後の内宮のご祈祷で初穂料:50万円以上の神楽舞を見物していた時も不思議な光景が脳裏に浮かんでいた。

 

 

――――――参拝後のおかげ横丁

 

陽那「どうですか、松阪牛の味は?」

 

岡田T「うおおお! これが松阪牛! 美味い! 美味いぞー!」

 

トウカイテイオー「うん! マックイーンがいたら絶対に食い倒れになっているよ、ここにいたら!」

 

陽那「これがおかげ横丁です!」エッヘン!

 

アグネスタキオン「ふぅン。驚いたね。ここは毎日のように祭り屋台が立ち並んでいるみたいだ。これは退屈しそうにないねぇ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。こっちだと普通に着物を着ている観光客が多いんだね」

 

斎藤T「そうだな」

 

陽那「兄上、どうします? 昼は伊勢うどんにします? てこね寿司にします?」

 

斎藤T「どうするかな? 伊勢肉のコロッケもいいし、牡蠣フライもあるな。団子屋もあるし、赤福餅も外せない」

 

斎藤T「けど、来年も来るんだったら、伊勢うどんにしないか? 初めてだから他にもいろいろと立ち食いしたいだろう?」

 

陽那「わかりました。とっておきの伊勢うどんの店に案内しますね」

 

斎藤T「あ、勝手に決めちゃいましたけど、ここは伊勢うどんでいいですよね?」

 

岡田T「ああ、かまいませんよ。どっちみち、来年もここに来ることになるでしょうから」

 

トウカイテイオー「うん! こうやって年末年始はずっとレースのことで頭がいっぱいだったから今まで知らなかったけど、日本にはこんなところがあったんだね、トレーナー!」

 

岡田T「ああ! 伊勢神宮ってこういうところだってのを生まれて初めて知ったよ、俺も」

 

斎藤T「それはよかったです」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――こうして笑顔になれる驚きと感動が溢れる世界にしたいな、私の願いは。

 

 

ヒノオマシが案内してくれた店の伊勢うどんは美味かった。松阪牛や牡蠣フライの串もジューシーで、アイスキャンデーやみたらし団子もよかったが、中でも赤福餅は最高だった。

 

昨日は斎藤 展望の妹:ヒノオマシの誕生日と言うことで誕生日祝のご馳走とバースデーケーキを腹いっぱい食べたのに、おかげ横丁で本当に食い倒れになりそうだった。

 

それは あまり食にこだわらない2人のアグネスタキオンやいろいろと幼いところがあるトウカイテイオーが初めての赤福餅を口にした瞬間に眼が輝いて、コーヒーが苦くて飲めないはずが赤福餅とセットの茶も苦もなく飲み干すぐらいであった。

 

ヒトを遥かに凌駕する運動能力を誇るウマ娘の成長期からすれば赤福本店で提供されている食べきりの甘味セットはあまりにも量が少なく感じるため、何度も列に並んでおかわりをしだす程であった。

 

さすがに糖分の摂取が過剰になることとマナー違反から 職業柄 食事管理に厳しく世間の目に鋭い岡田Tが止めたが、

 

すっかり究極の和スイーツである赤福餅に魅了されて箱入りの赤福餅を大量に買い付けようとしたのだが、それもヒノオマシに止められた。

 

なぜなら、赤福餅は消費期限が2,3日しかない生菓子のため、すぐに傷むからだ。

 

一応、冬季なら3日以内にすぐにお召し上がりできる地域に宅配サービスが利用できることがわかったので、現地でしか味わえないものに焦点を合わせることで何とか納得させることができたが、

 

そうか、これから私は担当ウマ娘の食事管理もしないといけないから、いつまでも宇宙食や保存食のレビューをさせる食生活から卒業させないといけないか――――――。

 

 

しかし、こうして黒のフォーマルスーツでめかしこんだトレセン学園の競走バたちの姿は非常に新鮮だった。

 

もちろん、服装だけじゃなく、フォーマルスーツに合う髪型になるように斎藤家のばあちゃんたちが結い上げてもいるので、普段の姿と打って変わって物凄く落ち着いた印象になっていた。

 

ヒトとウマ娘が共生する世界なので このおかげ横丁にはたくさんの一般ウマ娘の姿は見えるし、斎藤家のウマ娘たちもいるわけなのだが、

 

常に学園では白衣を着込んでいるイメージの2人のアグネスタキオンはもちろん、元々の勝負服が白のトウカイテイオーにしても、今までのイメージとは正反対の黒のフォーマルスーツの姿に岡田Tも同じものを感じ入っていた。

 

そのせいか、悪い意味でトレセン学園で有名人のアグネスタキオンはおろか、つい先日の『有馬記念』で再び全国にその名を知らしめた国民的アイドル:トウカイテイオーがこうして伊勢参りに来ているとは誰も気づいていない様子だった。

 

 

斎藤T「国民的スポーツ・エンターテイメントで日本中にファンを抱えていたトウカイテイオーでさえも、今は伊勢参りに来た参拝客の一人に過ぎないわけか……」

 

アグネスタキオン「まあ、芦毛のウマ娘のような特徴的な毛色じゃないしね、テイオーは」

 

アグネスタキオン’「となると、栗毛の()も“無敗の三冠バ”になったところで、気づいてもらえないんじゃないのかい?」

 

アグネスタキオン「おいおい、よしてくれよ。キャベツに群がるモルモットのように追いかけ回されるのはゴメンだが」

 

斎藤T「そうだな。私も嫌だぞ。相手にするのも面倒だし、一定のファン数さえ稼げれば『宝塚記念』『有馬記念』には出走できるから、過度にファンサービスをするのも時間の無駄だしな」

 

斎藤T「むしろ、フォーマルスーツを着込んだぐらいで見分けがつかなくなるのなら、非常に都合がいいとは思わないか?」

 

アグネスタキオン’「まあ、()がそういうことに慣れているとは誰も思わないだろうしね」

 

アグネスタキオン’「実際、()の担当トレーナーになるモルモットくんとしてはどうなんだい、正直な感想は?」

 

斎藤T「いや、もったいないなと」

 

アグネスタキオン「……ふぅン?」

 

 

斎藤T「思ったよりも綺麗だったから、かなり損しているなって」

 

 

アグネスタキオン「えっ!?」カアアア!

 

アグネスタキオン’「ふぅン。それもそうだろうね」ニヤニヤ

 

斎藤T「まあ、普段がしっかりしていないからこそ、こうした場ではきっちりとしているのがより際立ってしまっているな」

 

アグネスタキオン「あ、おい、トレーナーくん!?」ドクンドクン

 

斎藤T「おっと、いかんな。客観的な事実を述べて 特段 褒めるつもりはなかったのに、これでは私がお前にギャップ萌えしているように聞こえてしまったか?」

 

斎藤T「だからな、ほら」パシッ  ――――――不意にアグネスタキオンの手を取る。

 

アグネスタキオン「ふぇっ!?」

 

斎藤T「――――――そこまで荒れてはいないか」ジー

 

アグネスタキオン「な、何だって言うんだい、突然!?」ドクンドクン

 

斎藤T「はい、伊勢志摩が誇る『世界中の女性を真珠で飾りたい。』という世界に冠たる養殖真珠産業の創業者の想いを受け継いで派生したミキモト コスメティックスのハンドクリームだ」

 

斎藤T「化学者なんだから薬品で手が荒れるのは重々承知だが、それでも手は大切にしなよ」

 

 

斎藤T「結婚式で化学熱傷した手を大勢の前に晒して指輪を嵌めてもらいたくはないだろう?」

 

 

アグネスタキオン「――――――け、『結婚』ッ!?」ドクンドクン

 

アグネスタキオン「お、おい、きみ!? さっきから何を言っているんだ!? 少し変だぞ!?」ドクンドクン

 

アグネスタキオン’「おいおい、私にはないのか、モルモットくん?」ニヤニヤ

 

斎藤T「フウイヌムのお前に化粧品なんて必要ないだろう? 肌荒れや怪我さえも擬態能力で修復できるんだし、神経ガスですら克服しただろう?」

 

アグネスタキオン’「それもそうだった」

 

斎藤T「さあ、手を出して」

 

アグネスタキオン’「え」

 

アグネスタキオン’「――――――ミキモトのケース?」

 

斎藤T「開けてみてくれ」

 

アグネスタキオン’「これって――――――」パカッ

 

アグネスタキオン「ええええええ!? トレーナーくん!?」

 

アグネスタキオン’「きれい」

 

 

――――――100万円相当のミキモトのダイヤモンドネックレス。

 

 

アグネスタキオン「お、おいおい、いくら何でもハンドクリームとダイヤモンドじゃ差がありすぎじゃないか、トレーナーくん!」

 

斎藤T「そんなことを言うな。激しい運動をするお前にダイヤモンドや真珠をやったら すぐに壊すだろう。それに薬品で変質する恐れもある」

 

斎藤T「それよりも、たった100万円のダイヤモンドネックレスだけど、それがあれば万が一に時間跳躍で遭難した時に換金できるはずだ」

 

アグネスタキオン’「本当にいいのかい? たしかに、きみの本業である副業での収入からすれば安物かもしれないけれど、それでも一般的には高価な代物だ」

 

斎藤T「これは私なりのけじめなんだ。もしもあの時に化学実験室ではなく、別な場所を思い浮かべてしまったらどうなっていたか――――――」

 

アグネスタキオン’「……そうかい」

 

アグネスタキオン’「そういうことなら、ありがたく受け取っておくよ。ありがとう」

 

斎藤T「そうしてくれ」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、私のために買ってきたんだから、きみが私に付けてみせてくれよ」

 

斎藤T「いいぞ」

 

アグネスタキオン’「………………」

 

斎藤T「ほら、ついたぞ。鏡」パカッ  ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の鏡で見せる。

 

アグネスタキオン’「……ふぅン、悪くない」フフッ

 

斎藤T「そいつはよかった」

 

アグネスタキオン「むぅ……」プクー

 

斎藤T「ん、お前も欲しいのか? 100万円のダイヤモンドネックレスよりも100万円の研究資金を直接もらえた方が嬉しいと思うお前が?」

 

アグネスタキオン「それはそうだけど! 何か、こう、不公平じゃないか!」ブンブン!

 

斎藤T「とは言っても、“クラシック三冠バ”になったとかの記念に贈るんだったら納得だけど、まだお前は何も成し遂げてないじゃないか」

 

斎藤T「かたや こっちは地球を救った英雄なんだから、それ相応の礼はしないと」

 

アグネスタキオン’「まったく、これだからモルモットくんは……」クククッ

 

アグネスタキオン’「おいおい、待ちたまえよ、モルモットくん」

 

アグネスタキオン’「世界を救った功績を称えているのなら、それこそ肉体改造強壮剤や学園内での研究拠点を提供してきた()も功労者だろう?」

 

斎藤T「あ」

 

アグネスタキオン’「というわけで、まだ安物を買う予算はあるな。早速、()のためにダイヤモンドを贈りたまえ」

 

アグネスタキオン’「たしか()の誕生日は4月13日で誕生石はダイヤモンドなんだから、これから永遠に語り継がれるウマ娘界の伝説を築き上げることを祈念してね」

 

斎藤T「……わかった」

 

アグネスタキオン「もうひとりの私――――――」

 

アグネスタキオン’「気にするな。礼には及ばないさ」

 

 

――――――私もきみと同じ“アグネスタキオン”なのだから。

 

 

それから内宮近くのホテルで三保の松原でのご来光に向かう時間を待つことになった。

 

斎藤家の親族たちがこの日に集まった旧知の仲の皇宮警察の関係者や他の親族たちと交流しながら、その時間を満喫することになった。

 

伊勢神宮から歩いてすぐの場所にあるホテルでの会食に参加することができる辺り、改めて皇宮警察の斎藤家の血筋の良さを感じることになった。

 

23世紀の宇宙船エンジニアの私は知らないが、とにかく各界の大物が集まっているらしく、ヒノオマシが言うには古くから天皇家に仕えてきた名族の末裔の集まりなんだとか。

 

そう言えば、伊勢神宮の内宮・外宮と神楽舞で三度見ることになった幻覚でも、斎藤 展望が尊い血筋らしいことを聞かされていたが、実際にそうだったらしい。

 

なので、場違いな場所に来てしまったと岡田Tは戦々恐々としていたのだが、伊勢講に参加しているのなら同胞として大歓迎なのに嘘偽りはなく、

 

ちゃんとフォーマルスーツを着込んでいることだし、特に問題なく高級ホテルでの会食を堪能することになった。

 

もちろん、提供されるのは伊勢神宮の側近くにあることを売りにしているので一人当たり1万5千円の会席料理であり、伊勢志摩の豊かな海の幸の象徴である伊勢海老がとにかく美味であった。

 

こうした中で育ちの良さが光るのが斎藤 展望の妹:ヒノオマシであり、こうした血筋の良い家族旅行が年中行事なので気品のある所作で会席料理を召し上がるのだから、

 

記憶喪失を装っている私もそうだが、こうした席が初めての岡田Tとトウカイテイオーもヒノオマシに教わりながら見様見真似で伊勢志摩の素晴らしい料理に舌鼓を打つことになった。

 

そうした中で、意外な程に行儀よく会席料理を平らげていたのが マッドな印象が強すぎて忘れられがちだが れっきとした『名家』の令嬢であるアグネスタキオンであり、

 

もうひとりのアグネスタキオン(スターディオン)に至っては ヒッポリュテーを介してシンボリルドルフの記憶があるためか それ以上に慣れた所作で私やヒノオマシを驚かせた。

 

 

そう、黒のフォーマルスーツを着込んでいることもあって、この時ばかりは普段の姿からは考えられないほどに2人のアグネスタキオンが非常に大人びて見えたのだ――――――。

 

 

それだから、ますますヒノオマシの中でのアグネスタキオンの評価が上がり、トウカイテイオーに至ってはトレセン学園一の問題児の意外な一面を見て『カッコイイ!』と評価を改めることになった。

 

それもそうだろう。アグネスタキオン’(スターディオン)には憧れであるシンボリルドルフの記憶と感覚があるわけで、トウカイテイオーはその幻影を見ていたのだ。

 

ということは、シンボリルドルフには会席料理の経験があるわけか――――――、いや、そういうことではない。

 

これは意外なことになったものだ。アグネスタキオンの数少ない理解者であった点も含めて、トウカイテイオーはシンボリルドルフの後継者になろうとしているのだ。

 

そういう意味では、“帝王”トウカイテイオーが“皇帝”シンボリルドルフの後を継ぐのに大切なものが今回のお伊勢参りで備わったようにも思え、一段とトウカイテイオーがまとう“帝王”のオーラが濃くなったように感じられた。

 

そのためか、新年のカウントダウンを終えて東京から伊勢に出発する前は担当トレーナーの隣は絶対に自分のものだと無意識に威嚇していたのが、時間が来て静岡の三保の松原に出発する際は本来の席:ヒノオマシの隣の席に着いたのだ。

 

そうした心情の変化を間近に見た岡田Tはそのことに一抹の寂しさを覚えたものの、これからのことを思えばこそ、自分以外の他者や府中よりも大きな世界に目を向けるようになった成長を心から喜んでいた。

 

そう、今まで自身の青春をウマ娘レースに捧げてきた生粋のアスリートであるトウカイテイオーが自分の道を歩けるようになったことで、担当トレーナーだった岡田Tもまた自分の道を歩けるようになった。

 

これは別れを意味するものではない。今までは二人三脚で夢を追い続けたわけだが、今度からは互いの人生を背負えるようになるために己を磨くことに専念する余裕ができたということなのだ。

 

はたして、2人の互いを想う気持ちがどこまで続くかはわからないが、少なくともトウカイテイオーが卒業するまでの2年間はこれからの人生でたくさんの大切なものが得られることだろう。

 

そのためにも、私がトウカイテイオーの精神的支柱である岡田Tの精神的支柱となれるように社会に働きかけなければならないと一層強く思った。

 

そして、もうひとりのアグネスタキオン(スターディオン)の中に生き続けているヒッポリュテーとシンボリルドルフの存在を決して忘れてはならないことを胸に刻んだ。

 

まったくもって、最初に遭遇したエルダークラス:ヒッポリュテーとの一夜の過ちもそうだが、私が“皇帝”シンボリルドルフにとっての特別な存在の一人になってしまったことをしっかりと受け止めなければならない。

 

 

 

●20XY年01月01日

 

 

――――――そして、陽はまた昇る。

 

 

中部地方はだてに“中京”と呼ばれているわけではない。

 

東京と大阪の中間に位置するので、東京から伊勢まで8時間程度なので伊勢から静岡までは4時間で到着する。

 

そして、初日の出が元日の午前7時前というわけなので、夜食の年越しそばを伊勢のホテルでご馳走になって新年のカウントダウンを終えても十分に間に合うというわけなのだ。

 

それまでは本来は宿泊者にのみ提供されている大浴場で年末の汗を流し、堅苦しいスーツを脱いでゆったりとした気分でその時を待つことになった。

 

そうした時間の経過もあって、初めての伊勢参りに参加した私はもちろん、飛び入り参加のトウカイテイオーと岡田Tも伊勢神宮の神気を浴びて心機一転して新年の抱負;これからの第2の人生への決意を固めたようであった。

 

トウカイテイオーが元々の席だったヒノオマシの隣の席に収まり、そうして私と隣り合った岡田Tの表情には出発前にはなかった生気がみなぎっているのがわかった。

 

それから富士山と同時にご来光を拝めるという日本三大松原:三保の松原まで4時間の道程を夜行バスが駆けていくのであった。

 

ヒーリングミュージックと共に車内が消灯され、一富士・二鷹・三茄子・四扇・五煙草・六座頭の初夢を見ていく中、

 

私は高速道路の明かりとバスを追い越していくたくさんのクルマの光の軌跡をぼーっと見つめながら、伊勢神宮で脳裏に刻まれた幻覚を一人思い返していた。

 

そうして余裕を持って運転手付きの貸し切りバスは三保の松原に到着するのだった。

 

 

ザァ・・・、ザァ・・・、ザァ・・・

 

 

斎藤T「ここが世界文化遺産としての富士山の構成資産である三保の松原か……」ザッザッザッ・・・

 

斎藤T「波の音、潮の香り、冬の寒さ――――――、」

 

斎藤T「まだ真っ暗で何も見えないな……」

 

 

斎藤T「けど、ようやく初日の出を拝むことができるのか」

 

 

斎藤T「本当に長かったな、12月は。直接的には『東京大賞典』からだが、『有馬記念』でのトウカイテイオーの奇跡の復活劇のために偽物を打倒する流れもあるから、本当に12月は師走だった」

 

斎藤T「そして、『有馬記念』の翌日からはWUMA殲滅作戦:奥多摩攻略戦になって、年末の1週間を一度はやり直すことにもなって――――――」

 

斎藤T「桐生院先輩も初日の出をどこかで見ているのでしょうか?」スチャ

 

斎藤T「おや」

 

――――――

桐生院T『新年の挨拶が遅れて申し訳ありませんでした』

 

桐生院T『こちらこそ、あけましておめでとうございます』

 

桐生院T『今、三番瀬にいます!』

 

桐生院T『今年もよろしくお願いします!』

――――――

 

斎藤T「――――――『家族と一緒に伊勢参りの後、三保の松原にいます。ここから富士山も一緒に拝みます』っと」フフッ

 

斎藤T「お、まだ1時間以上はあるのに、みんな 初日の出を拝みに外に出ているみたいだな」

 

斎藤T「千葉県には日本で最初に初日の出を拝める犬吠埼もあることだから、船橋トレセン学園の連中もそこに行っているようだな」クククッ

 

斎藤T「いや~、エルダークラス:ヒッポクラテアを服従させられたのは大きかったな………………いつまで生かしておくかはまだ決めてないけど」

 

斎藤T「そして、多摩地域のヒッポネイピアの軍団の残党のことも忘れちゃいけない」

 

斎藤T「はたして、現代に生きるNINJA:斬馬 剣禅がどこまでやってくれるかはわからないけれど、これで跡形もなく解決してくれるといいな」

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「…………フフ」

 

斎藤T「……ハハハハ」

 

 

――――――ありがとう。きみが“預言の子”であったことを嬉しく思うよ。きみこそが絶望の未来から宇宙を救う救世主なのだ。

 

 

――――――きみはこれから二人の先人たちの後を継いで 未来からの侵略と過去からの遺産に敢然と立ち向かう宿命にある。

 

 

――――――その最後の締め括りのために きみという存在はこの世界に遣わされたのだと三女神が教えてくれた。

 

 

斎藤T「……いったい何が待ち受けているのやら?」

 

斎藤T「絶対にWUMAだけじゃないだろう、私が取り組むべき21世紀の問題ってのは?」

 

斎藤T「ケイローンが伝えてくれた『未来からの侵略』ってのがWUMAだとして、それなら『過去からの遺産』ってのは何なんだろうな?」

 

斎藤T「それに、伊勢神宮で見た三度の幻覚が本当に皇祖皇霊の天神地祇のものなら――――――」

 

斎藤T「まあ、やれるだけのことはやろうじゃないか」

 

 

――――――私は“超光速のプリンセス”アグネスタキオンの担当トレーナーなのだからな。

 

 

斎藤T「……波の勢いが緩やかなせいか、時間の経過が遅く感じられるな。まだ誰も来ないし」

 

斎藤T「……少し肌寒いな。中から温まるものが欲しくなるな」

 

斎藤T「ん?」

 

 

飯守T「おお! 本当にいたよ! あけましておめでとう、斎藤T!」カチカチ! ――――――ゴミ袋とゴミ拾いトング!

 

才羽T「どうぞ、生姜ココアです。生姜のジンゲロールという成分が手足を温めてくれます」スッ ――――――保温ポットと紙コップ!

 

 

斎藤T「おお、ありがとうございます! そして、新年あけましておめでとうございます!」

 

斎藤T「お二人は毎年ここで初日の出をご覧に? ――――――あたたかい」ゴクッ

 

飯守T「いや、俺も初めて来た。いつもは担当ウマ娘と一緒に年末年始を過ごすんだけど、担当ウマ娘との大切な3年が終わったことだし、互いに今後のことを考えないとだから」

 

飯守T「そんな時に才羽Tが富士山と一緒にご来光を拝める日本三大松原:三保の松原に誘ってくれてな」

 

才羽T「ええ。だから、ここでスポンサーが出している機能性表示食品の生姜ココアを飲むんです」

 

斎藤T「――――――(才羽Tの担当ウマ娘が)三保の松原(ミホノブルボン)だけに?」

 

飯守T「生徒会長が聞いたら大笑いしそうだ!」アハハハ!

 

 

才羽T「斎藤Tは憶えてないでしょうけど、ここで僕はあなたがご家族と一緒に初日の出を拝んでいる姿を見たことがあるんですよ」

 

 

斎藤T「え」

 

飯守T「ホントかよ!?」

 

才羽T「僕は 毎年 初日の出を見る場所を変えているんですが、去年はここで初日の出を拝んでいたら、東京から来たバスから大勢の伊勢帰りと思しき団体と出くわしたんです」

 

才羽T「その中に185cmはある偉丈夫がいたのを僕は憶えてましたよ。ウマ娘である妹の手を引いていて、トレセン学園のトレーナーになること、それで大金を稼いで妹を進学させると声を大にしていましたね」

 

斎藤T「…………不思議な縁ですね」

 

飯守T「そうか。だから、お前は斎藤Tと桐生院Tを引き合わせたわけなのか」

 

 

才羽T「斎藤T、この夜明けはあなたがもたらしたものであり、これからはあなたの時代です」

 

 

才羽T「たぶん、僕のトレーナーとしての最初の3年間は 斎宮頭に任ぜられて官職名と姓に因んで“齋藤”氏を名乗った藤原 叙用(ふじわらののぶもち)の末裔である 貴方にめぐりあうための時間だったと思うんだ」

 

斎藤T「………………!」

 

飯守T「だな!」

 

 

飯守T「――――――年越し前に何とかしてくれたんだろう、WUMAのこと?」

 

 

飯守T「でなくちゃ、終業式の日の夕方にローブに包まって車椅子で運ばれてないもんな。今年最後にして最大の学園の噂になってたぞ」

 

飯守T「3ヶ月間の眠りから目覚めて毎月のように学園の噂になり続けた学園一の嫌われ者“斎藤 展望”が俺たちにとって最初の担当ウマ娘との3年間の締め括りとなるシニア戦線を影から支えてくれたんだ」

 

飯守T「いや、才羽Tが言っていることが確かなら、去年のここで斎藤Tがトレセン学園のトレーナーになることへの願掛けをした時から――――――、だよな?」

 

才羽T「まさに縁の下の力持ちですね」

 

才羽T「斎藤Tという学園一の嫌われ者であり 生徒会長から誰よりも信頼された“門外漢”がいなかったら『URAファイナルズ』の開催は危ぶまれていたことでしょう」

 

飯守T「ああ。忘れもしない。8月末にWUMAが俺に化けて学生寮に侵入した事件とかあったよな。それで俺の親父の勤め先の『警視庁』がてんやわんやになって……」

 

才羽T「他にも、『ジャパンカップ』で偽物のトウカイテイオー’が出現して“成り代わり”を果たしたこともありましたね」

 

飯守T「ああ、そうだよ! それで人知れず偽物のトウカイテイオー’に本物のトウカイテイオーが立ち向かって『有馬記念』で奇跡を起こしたんだからさ! つい1週間前の話だぞ、これ!」

 

飯守T「こうして考えると、シーズン後半で起きた怪事件を人知れず解決してきたのはみんな斎藤Tなんだよな。『天皇賞(秋)』でもマックイーンが最後まで走り抜けたのも斎藤Tのおかげだって、和田Tが証言してたし」

 

飯守T「いや、もう、警察なんかじゃどうしようもない問題を、『有馬記念』の翌日のクリスマスイブで片付けてきて生還したのが学園での最後の姿なんだから、かっこよすぎるだろう!?」

 

飯守T「だからさ、俺も担当のライスをはじめとして『みんなを守りたい』って気持ちがウズウズしてて!」

 

飯守T「ライスが現役でいる間はトレセン学園のトレーナーを続けるつもりだけど、」

 

飯守T「俺、トレーナーを辞めたらWUMAみたいな連中の対策ができるような警備会社か、親父のところ――――――いや、藤原さんのところで頑張りたいと思うんだ」

 

斎藤T「ほう?」

 

飯守T「とにかく、斎藤Tがどれだけ凄いやつなのかを知っているのは俺たちぐらいなもんなんだから、こうして無事に年を越せたことのお礼を言いたくて、ここまで来たんだ!」

 

飯守T「ありがとう、斎藤T! お前がいたからこそ、俺もライスも最高の3年間を送ることができた!」

 

才羽T「ええ。秋川理事長としても『URAファイナルズ』開催どころかトレセン学園の存続――――――、人類の未来が懸かっていた戦いに勝利してくれたことを誇りに思うでしょう」

 

才羽T「まあ、『URAファイナルズ』は新年から始まる3ヶ月に渡る異例のトーナメント戦。まだ興行自体が成功するかは未知数ですが、3年を掛けてようやく開催できるところまで来ることができました」

 

才羽T「これから始まるのは“皇帝”シンボリルドルフから始まったトレセン学園黄金期のまだ見ぬ明日――――――」

 

才羽T「はたして、トレセン学園の明日は昨日よりも輝きを放つのか――――――」

 

飯守T「――――――全てのウマ娘たちが輝ける未来のために、か」

 

飯守T「なあ、斎藤Tだったら、これからどんな未来が来ると思う?」

 

斎藤T「そうですね――――――」

 

 

そう言いかけて脳裏によぎるのは、これから先に訪れる苦難の連続、苦難の記憶、苦難の歴史――――――。

 

これから21世紀のヒトとウマ娘が共生する地球は私が生まれ育った23世紀の地球がそうだったように苦難の道を乗り越えて地球を一つの国にする激動の時代が到来することだろう。

 

宇宙移民からすれば、地球圏統一国家が成立していない21世紀の地球は干渉や移住すべき別天地ではないし、愚かな戦争に巻き込まれるリスクが高い未開の土地でもあった。

 

しかし、何の因果か、こうして元の肉体を失って“斎藤 展望”となってしまった以上は、21世紀の地球人“斎藤 展望”の人生を代行する他ないのだ。

 

そして、右も左も分からないままにトレセン学園のトレーナーとして選んだのが己の信ずる道を征くウマ娘であった。

 

これが運命だと言うのなら、私も覚悟を決めて自分の正しさを常に確かめながら己の信ずる道を征くだけだ。

 

 

ザァ・・・、ザァ・・・、ザァ・・・

 

 

トウカイテイオー「うぅ、元旦の海って 結構 寒いね、トレーナー……」

 

岡田T「そ、そうだな……」

 

トウカイテイオー「でも、トレーナーの手はおっきくてすっごく温かいや……」

 

アグネスタキオン「おーい! トレーナーくん! 大事な大事な担当ウマ娘を放ってどこへ行った~?!」

 

アグネスタキオン’「あ、いた! いたよ、トレーナーくん! おーい!」

 

 

飯守T「お、そろそろ いっぱい来たな!」

 

飯守T「というか、あれって岡田Tとトウカイテイオーじゃん! おーい!」

 

才羽T「それじゃあ、生姜ココアを配ってきますか」

 

斎藤T「ごちそうさまでした」

 

斎藤T「来年からは私が温かいものを用意しましょう」

 

才羽T「そうですか。来年もここに来るかはわかりませんが、楽しみにしています」

 

才羽T「そして、できればゴミ拾いもお願いします」

 

才羽T「この三保の松原を含む富士山が世界文化遺産に登録できたのは、こうした地道な美化活動の賜物でもあるのですから」

 

斎藤T「わかりました」

 

才羽T「お、見えますか。東の空が白み始めましたよ。そして――――――」

 

斎藤T「――――――あれが富士山」

 

 

私は忘れることはないだろう。斎藤 展望がこれまで見続けてきた三保の松原での初日の出のご来光と富士山の輝きを。

 

私はただただ呆然と立ち尽くして、周りに促されるがままに太陽と富士山に坐す天神地祇に対して二礼二拍手一礼をするだけだった。

 

そして、まだ見ぬ驚きと興奮を求めて宇宙を流離い、時空を超えて辿り着いたヒトとウマ娘が共生する未知なる惑星でのこれまでの日々の守護と導きに感謝を“斎藤 展望”と共に捧げ、

 

23世紀の本当に素晴らしい時代に生まれ育った誇りを胸に、まだ目覚めて半年しか経っていないというのに人知れず世界を救った功績に驕ることなく、

 

たとえいついかなる時の何者になろうとも人間として正しいことを貫き通して、この世界に骨を埋める決心ができた瞬間でもあった。

 

 

――――――そして、知るだろう。これはただの序章;始まりに過ぎなかったことをすぐに思い知ることになったのであった。

 

 



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第1部 GIII:翼覆嫗煦のチーム<アルフェラッツ>
第0話   過去と現在と未来に捧ぐ新人トレーナー


-西暦20XY年01月15日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

世界の命運が懸かった年末年始が人知れず終わりを告げ、束の間の安息の中で三保の松原で富士山と一緒にご来光を拝んだのが2週間前となる。

 

そうして“斎藤 展望”として骨を埋める覚悟を決めて府中市に戻った後は、表向きはトレセン学園のトレーナーをしながら、裏でひたすら奥多摩攻略戦の戦後処理に明け暮れていた。

 

WUMAの本拠地:百尋ノ滝の秘密基地の掌握も重要であり、並行宇宙の地球を支配した超科学生命体のテクノロジーの解明も急務であり、技術者として一番に楽しみな時間でもあった。

 

そのため、スーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍能力は一度行ったことがある場所なら空間的な繋がりを完全に無視して一瞬で移動できるので、

 

実際には年明けからは府中市の中央トレセン学園よりも奥多摩の川苔山:百尋ノ滝を拠点に活動するようになっていた。

 

このとおり、WUMA殲滅作戦は本拠地である奥多摩を完全攻略したことによって終了したが、

 

実際にはWUMAの地球侵略を阻止したことでWUMAの戦略目標の達成が不可能になるように導いたことで、次の段階となるWUMA掃討作戦に切り替わっただけで、多摩地域に割拠していたエルダークラス:ヒッポネイピアの軍団の残党が健在であった。

 

また、WUMAの残党である船橋トレセン学園に巣食っていたエルダークラス:ヒッポクラテアの軍団をまるごとエルダークラスを超越したスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)に絶対服従させたはいいが、

 

船橋トレセン学園の運営に関わる重要ポストが尽くWUMAによって“成り代わり”がなされたことにより、WUMAの存在は闇から闇へと葬るべきだが、表向きは無辜の民に化けているバケモノの排除は極めて難しい判断が要求されていた。

 

WUMAが化けた職員を更迭して船橋トレセン学園の運営の入れ替えを行ってから始末するのが穏当な判断なのだが、それにはとにかく時間がかかるし、待っている間に面従腹背の裏で出し抜かれる可能性が無きにしもあらずなので油断大敵であった。

 

いっそのこと、爆弾テロで船橋トレセン学園を壊滅させてスッキリさせるのが人類のためだと思うこともあるのだが、

 

船橋トレセン学園(=船橋競バ場)の近隣が『皐月賞』『有馬記念』で賑わう中山競バ場なので間接的に中央トレセン学園の『トゥインクル・シリーズ』への悪影響が懸念された。

 

当然ながら、国家権力である日本の警察;特に東京都を管轄とする『警視庁』との協力も警視庁警備部の藤原さんを通して要請しているのだが、

 

ここに来て完全に“斎藤 展望”は『警視庁』から目の敵にされたらしく、WUMAの案件に関わることで次から次へとキャリア組がエリート街道から脱落する現状に恐れ慄いたようだ。

 

現場を知らない人間からしても、私が一人で集めてくるWUMAの情報というのはあまりにも現実離れして胡散臭いものらしく、

 

WUMAの脅威を書類で理解できない連中が『警視庁』で幅を利かせることになって、年明けからのWUMA対策班の動きは目に見えて悪くなった。

 

せっかく転がり込んできた地位を失いたくないがために、見て見ぬ振りをして知らぬ存ぜぬで押し通したいというのがWUMA事件以降の『警視庁』の幹部連中の正直な気持ちということだ。

 

なので、もう警察;特に『警視庁』には期待しない。もっとも、最初のWUMA事件となった中央トレセン学園学生寮不法侵入事件の対応の悪さから最初から信用なんかしてなかったが。

 

そういうわけで、私は船橋トレセン学園に巣食っていたヒッポクラテアの軍団の存在は警察には教えてないし、WUMAの本拠地である百尋ノ滝の秘密基地のことだって教えていない。

 

WUMA討伐作戦:奥多摩攻略戦で得られた情報で『警視庁』に与えて対応して欲しいのは、とにかく多摩地域の潜伏しているヒッポネイピアの軍団の残党であり、

 

1周目で船橋トレセン学園に巣食うヒッポクラテアの軍団で実験して得られたデータを基にして摘発を地道にやってもらう他なかった。

 

それはそれとして、斎藤 展望がやり残したことであるトレセン学園のトレーナーをやりながら、私自身の『宇宙船を創って星の海を渡る』という夢のために忙しない日々を送っていたのだった。

 

 


 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

斎藤T「さて、これで百尋ノ滝との往復ができるようになったか?」 ――――――ユニットシャワールームに偽装した装置を見やる。

 

アグネスタキオン「トレーナーくん、私は未だに納得がいかないんだが、どうしても部室を引き払わなくちゃいけないのかい?」

 

斎藤T「ああ。6月から新バ戦(メイクデビュー)してクラシック戦線(ロード)を走り通すためには完璧なスキャンダル対策が必須だ」

 

斎藤T「だから、実験がしたかったら百尋ノ滝の秘密基地(セーフハウス)でこれからはやることだ」

 

斎藤T「それに、肉体改造強壮剤をはじめとする薬物濫用に対する監視もつけてアンチ・ドーピングは徹底する」

 

斎藤T「そうでもしなければ、お前はすでに中央トレセン学園での悪名が知れ渡っているのだから、悪徳記者に素っ破抜かれて出走権の剥奪やURAの登録抹消も有り得る。勝ちに行くなら潔白を証明できるようにしろ」

 

斎藤T「だから、これでもう他人で実験する前に自分で新薬を試すこともできなくなる――――――」

 

斎藤T「それに今までは“皇帝”シンボリルドルフが部員1名の化学部の存在を守ってくれていたのだから、来年度からはどうなるかはわからないんだ。副会長:エアグルーヴが律儀に守ってくれるとは思えない」

 

アグネスタキオン「……そうかい」

 

アグネスタキオン「で、本当に完成したのかい?」

 

 

――――――瞬間物質移送器とやらは?

 

 

斎藤T「どうやら成功したみたいだぞ。試料として移送した岡持ちが送り返されたな」

 

アグネスタキオン「おお」 ――――――ユニットシャワールーム内に複数の岡持ちが現れた!

 

斎藤T「中身を確認してくれ」

 

アグネスタキオン「ああ」ガチャ

 

アグネスタキオン「ふぅン。これがかの有名な“シュレディンガーの猫”というやつかい?」

 

斎藤T「いや、モルモットと金魚とサボテンとラーメンと蚊取り線香だろ? 移送実験のためにホームセンターで買ったやつだ」

 

アグネスタキオン「見たところ、異常はないようだね」

 

斎藤T「そうか。後は自動設定にして耐久試験を24時間行わせるだけだ。本当は720時間はやりたいところだけど」

 

斎藤T「これが成功すれば、ポータルを設置して任意のポータルに一瞬で移動することができるようになり、流通革命が起こる――――――」

 

アグネスタキオン「これはいったいどういう原理なんだい? きみは私にこれを使って学園と往復しろと言うのだろう?」

 

斎藤T「結論から言うと、こいつは物質転送装置じゃない。物質を量子レベルにまで分解して転送ビーム化してエネルギー波として運んで目的地で再物質化するみたいな万能なものじゃない」

 

斎藤T「この場合の『転送』っていうのは情報工学用語で、情報やデータを信号として一方の装置から他の装置へ移動させ、形式を変えずにそのまま移動させることを意味する」

 

斎藤T「だから、形式を変えて情報やデータを移動する場合は『伝送』と言って、物質が意図せず伝送されてしまったら『元の物質が別の物質に再構築される』という事故が起きたということになる」

 

斎藤T「ここまで物質転送装置で想定できるリスクとして理解できるな?」

 

アグネスタキオン「ああ。だから、本当に使って大丈夫なものなのか不安なんだが」

 

斎藤T「それに対して、これはあくまでも移送器。運びたいものを量子化するのではなく、運ぶための経路の方を量子化して転送空間を構築して輸送距離を極限まで短縮させるものなんだ」

 

斎藤T「だから、まずはポータル同士を結ぶ経路がないと使えないし、物質を転送ビーム化した方が重量やコストの面で優れていると考えられるから、この移送器は転送装置と比べると下等なものと言える」

 

斎藤T「けど、物質が分解されずに別のポータルに送り届けられるわけだから、貨客の安全面には関しては安心できるだろう?」

 

アグネスタキオン「なるほど。そう言われると『転送』ではなく『移送』だから安心できるというわけだね」

 

斎藤T「まあ、移送中に物質が転送空間で流出する危険性が付いて回るけど、それはいかなる距離の輸送においても避けられない問題だから、圧倒的な距離と時間の短縮の利点に比べたら些細な問題だろう?」

 

アグネスタキオン「ふぅン。けど、ここはトレセン学園の施設内なのに、どうやって川苔山の地下深くにある秘密基地までその経路を結ぶんだい?」

 

 

斎藤T「いい質問だ。ここからが並行宇宙の地球から侵略しに来たWUMAが誇る空間跳躍技術の真骨頂だ」

 

 

斎藤T「そもそも、やつらは橋頭堡を確保するために先遣隊には必ず超科学生命体の技術の結晶である潜航艇を使う必要がある」

 

斎藤T「そして、潜航艇によって地下深くに築かれた秘密基地には後続部隊を呼び寄せるために必要な港湾施設と並行宇宙座標を表示する標識が設置されるのは容易に想像がつく」

 

斎藤T「更に、やつらは去年のクリスマスには奥多摩を完全に隔離するという地球侵略の次の段階のために、境界線となる場所に子機を設置して侵入者が入ってこないように監視するために奥多摩の全戦力を展開していた」

 

斎藤T「その遠隔操作可能な子機を回収して原理を解析した結果、やつらは時間跳躍とまではいかなくても実質的に空間跳躍能力の上位ともなる空間跳躍技術を確立していたことが明らかになった」

 

斎藤T「この瞬間物質移送器はその子機に内蔵されていた核心技術を移し替えた簡単な試作品だ」

 

アグネスタキオン「――――――きみさ、()()()()()()ねぇ?」

 

アグネスタキオン「それで、まだ肝腎な答えをもらっていないけど?」

 

斎藤T「ああ、そうだったな」

 

斎藤T「結論から言えば、あらゆる環境や状況を想定した侵略兵器に使われている技術だ。それは必然として決して環境や状況に左右されないようにポータルとポータルを結ぶ転送空間を築くものでなければならない」

 

斎藤T「それはすなわち四次元的な答えだった」

 

アグネスタキオン「????」

 

斎藤T「ここにいつもの空間跳躍と時間跳躍の例えに使う35ミリフィルムがあるだろう」

 

斎藤T「今回の空間跳躍能力の上位ともなる空間跳躍技術というのは時間跳躍しているわけじゃないんだけど、WUMAが生身でやる空間跳躍能力を超えたものとなる」

 

斎藤T「つまり、この35ミリフィルムにこんなふうに台紙を重ねたみたいな感じに、フィルムの外側である虚空:四次元空間に食み出しながらフィルムに張り付いている――――――裏世界に通じたトンネルでポータルとポータルを一直線に結ぶものとなっているんだ」

 

アグネスタキオン「…………??」

 

アグネスタキオン「――――――!!」

 

アグネスタキオン「ふぅン。わかったわかった。だいたい理解できたよ」

 

アグネスタキオン「そうか。トンネルか。たしかに物質世界である三次元世界ではない四次元空間に()()()()()()()を通せば何の障害物もない理想的な直線路になるね」

 

アグネスタキオン「そこからはWUMAお得意の空間跳躍能力で直線距離を極限まで短縮させるということかい」

 

斎藤T「そういうことだ。従来の空間跳躍能力の補助として空間跳躍技術が成立したと見ていいだろう」

 

斎藤T「だから、この偽装したユニットシャワールームには空間跳躍をするために必要な最初の加速のために少し強力なバキュームが内蔵されている」

 

アグネスタキオン「バキューム程度の吸引力が加速になるのかい?」

 

斎藤T「なる。けど、本当は必要ない。地球上で使うのだったら 元々 あらゆる物体に重力がかかっているから、バキュームを取り付ける必要はない」

 

斎藤T「ただ、この移送器が設置されている場所が傾いている場合や寝かせた状態でも問題なく作動するようにバキュームを搭載している。無重力空間での使用を念頭に入れている」

 

斎藤T「他にも、真空状態を作るためや物質を吸着して固定させるためなどあり、ユニットシャワールームとして使用した後のルーム内の乾燥にも使えるし、同時に物干しスペースにも活用できるぞ」

 

斎藤T「ちなみに、シャワールームとしての機能はいつだったかお前にも実用化のテストを手伝ってもらった完全循環型洗面台(シャンプーボウル)の構造が応用されているから、タンクに必要な分の水を入れた後はフィルターが完全に汚染されるまでは何度でも浄化水を使い回すことができるぞ」

 

斎藤T「惜しむらくは、発電機までは内蔵できなかった――――――この時代の発電機の設計の古臭さには本当にイライラさせられる」

 

アグネスタキオン「そうかいそうかい。なんだかんだ言って ついにユニットシャワールームの実用化に漕ぎ着けたわけか」

 

アグネスタキオン「これでシャワー室にいちいち行く必要もなくなったね」

 

斎藤T「……まあ、そうなんだが。本当はお前の出不精を悪化させないようにしたかったんだが、部室がなくなるんだから しかたがない」

 

 

斎藤T「ユニットシャワールームとしての機能を説明しよう。この台座になる黒い部分だな」

 

 

斎藤T「このユニットシャワールームは完全循環型洗面台(シャンプーボウル)の構造をそのまま適応しただけのものだから、原理については 今更 説明することもないだろう」

 

斎藤T「ただ、ユニットシャワールームだからな。洗面台(シャンプーボウル)よりあらゆる意味で大きいぞ」

 

斎藤T「接地面積や重量、内蔵タンクやフィルター、湯沸かし器の容量も大きいから、使用電力や維持コストはこれだけでも3倍以上にはなるだろう」

 

斎藤T「また、立ったままシャワーを浴びるだけならもっと面積を狭めてもよかったのだが、これは瞬間物質移送器でもあるから、こうやって段差に腰掛けて足を伸ばすことができるぐらいには広々としているぞ」

 

斎藤T「そして、八角形の構造の瞬間物質移送器の正面にシャワーヘッド、洗面台、シャワーラックが収納されているから、移送に巻き込まれる心配はほぼないだろう」

 

斎藤T「そうそう、ドライヤー用のコンセントとラックもあるから、シャワーを浴び終わったら、そのまま洗面台で髪を整えることもできるな」

 

アグネスタキオン「そうだね。おかげで、実験室に置くことができなかったぐらいだよ」クククッ

 

斎藤T「そして、バキュームを利用して部屋干し乾燥機としても使うことができるから、バスタオルや衣類を干すのにも使えるだろう」

 

斎藤T「これを見ろ。この瞬間物質移送器は八角形になるように設計されているが、実際には上下左右に拡張されているな」

 

斎藤T「真正面にシャワーヘッドなどが収納されているスペースを開ければ三面鏡になっているのはわかるな」

 

斎藤T「そして、左右には小さいながらもハンガーラックが収納されている。ここでは試しに左側にバスタオル、右側に衣類をかけているな」

 

斎藤T「どうしてユニットシャワールームにハンガーラックがあるのかと言えば、こうやって左右のハンガーラックを引き伸ばして合体させることができるからだ。こうすればシャワールームの中で物を干したり着替えたりすることができるだろう」

 

アグネスタキオン「おお! これは確かに便利だねぇ!」

 

斎藤T「ただし、これが偽装された瞬間物質移送器である以上は、シャワールームとして利用している人間が誤って移送されないように、移送器の機能とシャワールームの機能が排他的構造になっている」

 

斎藤T「つまり、両方の機能を同時には絶対に使えない安全設計となっている」

 

斎藤T「だから、アグネスタキオン’(スターディオン)が向こうから帰ろうとしている時にお前がシャワーを浴びていたら帰れないから、そこはしっかりと連絡を取り合ってくれ」

 

斎藤T「そして、今はガラスが透明なままだが、これからは使用中は必ずスモークが掛かるようになるぞ」

 

斎藤T「この技術は知っているだろう。都内の公共トイレで使われるようになった()()()()()()()()()()特殊な曇りガラスだ」

 

アグネスタキオン「へえ。じゃあ、透明になっているのは通電されている状態なのかい?」

 

斎藤T「そう。だから、停電になった場合はスモークになるから安心して使えるな。それに使用していない時は必ず透明になっているから未使用であることと中の状態が一目瞭然というわけだ」

 

斎藤T「これによって、瞬間物質移送器が使用されている時の目眩ましにすることができる。今の状態は導通確認のためのテストモードだから以降は回路を切っておく」

 

斎藤T「そして、省エネのためにドアセンサーに連動してガラスに通電される仕様にもなっている」

 

アグネスタキオン「なるほど。こうすることによって私が百尋ノ滝の秘密基地から瞬間移動して帰ってきているのを部外者に見られる心配がなくなるわけだね。よく考えられているよ」

 

斎藤T「そうだ。だから、トイレ用擬音装置(音姫)ならぬシャワー用擬音装置(音姫)も搭載されている。スピーカーがついているわけだな。一応、中からマイクで話すことも可能だ」

 

斎藤T「また、向こうのポータルからある程度の操作ができるようにもなっている。そうしないとシャワーを使った後片付けをしないせいで、移送できなくなる可能性もあるからな」

 

斎藤T「よって、この試験映像のようにハンガーラックの収納やシャワーヘッドの格納も向こうのポータルから遠隔操作でできるようになっているが、しっかりと後から使う人のことを考えろよ?」

 

斎藤T「少なくとも、この八角形の段差の範囲の空間には何もない状態を常に保つように心掛けろ。わかりやすいだろう」

 

アグネスタキオン「ああ。肝に銘じておくよ」

 

斎藤T「基本的な仕様については以上かな」

 

斎藤T「他にも、瞬間物質移送器ならではの気密性を最大限活かして外部から大量の水を移送してお風呂にする使い方も検討中だ。八角形の段差の構造は移送範囲の識別も兼ねた構造だ」

 

斎藤T「だから、百尋ノ滝の天然水の水風呂にすることも理論上はできなくもないぞ?」

 

アグネスタキオン「いや、ここまで自己完結したシャワールームがトレーナー室で使えるだけでも十分さ」

 

アグネスタキオン「じゃあ、これから24時間の移送器の耐久試験だね、トレーナーくん」

 

斎藤T「ああ。これに成功すれば、シャワーを使ってもいいぞ。積極的に性能テストのモニターになってくれ」

 

斎藤T「ただ、瞬間物質移送器としてはまだ性能テストが不完全なところがあるし、ポータルも百尋ノ滝以外にはないから、私とアグネスタキオン’(スターディオン)で運用試験を続けていくからな」

 

 

――――――だから、新年度を迎える前に部室を引き払ってくれ。

 

 

正直に言って、他にもいろいろとやらなくちゃならないことが山程あるのだが、今の私は高揚感を覚えていた。

 

技術者の性というやつだろう。こうして組み立てられた瞬間物質移送器の完成がWUMA討伐作戦の報酬だと考えるなら、未知への探究心がこうして満たされているのだから、年末の死闘の疲れなど吹っ飛んでしまっていた。

 

トウカイテイオーの岡田Tからトレーナー室を内々で譲り受けると、ここを新たな実験室にする約束で私の担当ウマ娘となるアグネスタキオンに部活棟の実験室からの引っ越しを要求することになった。

 

もちろん、トレーナー室よりも化学実験室の方が生化学者のアグネスタキオンにとっては利便性があるし、私としても好き好んで名門スポーツ校の化学実験室にほとんどの人間が来ることがない立地なので都合がよかったのだが、

 

これからはファン獲得数もレースの出走条件にもなる『トゥインクル・シリーズ』においてはマスコミ対策は必要不可欠であり、

 

特にアグネスタキオンの評判の悪さ:ドーピング疑惑はいつまでも残り続けているので、6月からの新バ戦(メイクデビュー)以降のマスコミの眼を考えるなら、イメージの払拭は最優先であった。

 

となれば、生化学(biochemistry)に胡散臭さを感じる連中に対してわかりやすいアンチ・ドーピングとして、人間工学(human engineering)の権威でもって疑惑を晴らすだけだ。

 

そして、所詮は食うために部数やネタに飢えている覗き魔だ。軍資金の準備も十分だし、トレセン学園で幅を利かせているトレーナーの名門や競走ウマ娘の名家ともコネがあるから怖いものなしだ。

 

 

――――――事実、今の私は“斎藤 展望”であった。

 

 

新年度早々に形振り構わず金稼ぎのために強引なスカウトや引き抜きを行う悪名高い学園一の嫌われ者になり、

 

1ヶ月も経たないうちにいきなり学外でウマ娘に撥ねられる天罰によって3ヶ月間の意識不明の重体の後、

 

どういうわけか名門トレーナー:桐生院Tのサブトレーナーに収まり、模擬レースでG1未勝利のハッピミークを“三冠ウマ娘”ナリタブライアンに勝たせる手腕を発揮した。

 

そして、いつの間にか“皇帝”シンボリルドルフとも懇意になり、メジロマックイーンの和田T、トウカイテイオーの岡田T、ライスシャワーの飯守T、ミホノブルボンの才羽Tとも親しくしている様子が見られるようになり、

 

とどめに“斎藤 展望”が皇宮警察の両親を持つ天皇家に親しい家柄の『名族』であることが密かに知れ渡ると、“斎藤 展望”に対する侮蔑の視線を感じることが極端に少なくなってしまった。

 

まあ、一番は私がアグネスタキオンと関係を持つようになって、彼女の新薬を飲まされて身体のあっちこっちが発光するようになった境遇に対する憐憫や畏怖から関わりたくなくなったようだが。

 

そう、学園一の嫌われ者:斎藤 展望と学園一危険なウマ娘:アグネスタキオンのコンビに好き好んで自分から関わろうとする者はいないわけなのだ。

 

なので、私が年明けに岡田Tのトレーナー室を貰い受けたことが知れ渡ると、途端に周りのトレーナー室で引っ越しを検討する声が聞こえてきていた。

 

そして、来年度からは岡田Tのトレーナー室の周りが空きになることが確認されただけに、親しい人たちとそうでない人たちの信頼度に天と地ほどの差があることを痛感せざるを得なかった。

 

それはそれとして、譲り受けたトレーナー室を 早速 担当トレーナーと担当ウマ娘の色に染め上げていく様子を怖いもの見たさでジロジロと見ていた連中が情報を拡散させたのだから、これからも噂は絶えることはないだろう。

 

しかし、こうして学内での拠点を実験室からトレーナー室に変えたことである大きな変化が起きたのも事実であった。

 

 

――――――その夜、

 

斎藤T「WUMAに関する情報セキュリティの構築はできたし、果たしてどこまで『警視庁』が有効活用してくれることやら……」カタッ

 

シンボリルドルフ「やあ、斎藤T。今日はどういった具合だい?」

 

斎藤T「はい。完全循環型ユニットシャワールームの耐久試験に入っています」

 

シンボリルドルフ「おお、いよいよか。ブライアンがまだかまだかと楽しみにしていたよ」

 

斎藤T「ひとまずは24時間の連続稼働で故障がないことが確認できれば、モニターを募集しようかと思います」

 

シンボリルドルフ「うん。一個人のトレーナー室に置いてあるのはいろいろと噂にはなるだろうが、このユニットシャワールームが実用化できれば気軽に入浴することができるわけだな」

 

斎藤T「そうです。徹底したユニット化によって十分な外部電力が賄えればウマ娘が4人ぐらいで現地に運んで組み立てるだけで機能することでしょう」

 

斎藤T「このモデルはコストパフォーマンスと機能性を重視したハイモデルの雛形で、単純にシャワーヘッドだけを取り付けた簡易生産品のハコなら同じ価格で8基は造れるんじゃないかと思われます」

 

斎藤T「この曇りガラスなんて通電している時には透明になる仕様ですからね。コストは掛かりますけど、部屋ド真ん中に置いてもまったくの問題がないですよ」

 

シンボリルドルフ「節水対策としては是非とも大々的に導入したいものだな。特に、完全循環型構造による浄化水のほぼ完全な再利用性が素晴らしい」

 

シンボリルドルフ「夏場は特に水使用量が著しいから、各人が自前で完全循環型ユニットシャワールームを使ってくれるのなら、水道費が大いに削減できて その分だけ予算に回すことができる!」

 

斎藤T「総生徒数2000名ですからね。それだけでも生活費が馬鹿にならないから、その分だけバカ高い入学金や年間の学費の他に寄付金を募るわけですよね」

 

シンボリルドルフ「ああ。中央の名に恥じぬ世界最先端のスポーツ校としての体裁を保つためにはどうしても見栄を張る必要があるんだ」

 

 

シンボリルドルフ「そういう意味では、きみが“門外漢”であったことが何よりの福音だよ」

 

 

斎藤T「果たして、どこまで私の担当ウマ娘がやってくれるかは知りませんけれど、私は私の方できっちりと儲けさせてもらいますね」

 

斎藤T「私の発明品である新製品のモニターとしてこのトレセン学園を利用させてもらいましょう」

 

シンボリルドルフ「それでかまわないさ。きみの発明品を逸早く導入して宣伝することはこの中央トレセン学園が世界最先端のスポーツ校としての体裁を保つ目的にも一致している」

 

シンボリルドルフ「しかし、慢性的なトレーナー不足に悩まされている現状はどうにかならないものかな」

 

斎藤T「生徒数を減らすか、自然人トレーナーの資格を緩めるか、法人トレーナーを認めるかです」

 

シンボリルドルフ「生徒数を減らすのは以ての外だ。ただでさえ、狭き門である『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台に上がれるチャンスを潰したくはない」

 

斎藤T「なら、トレーナー不足を解消するためにトレーナーを増やすしかないわけですが、自然人トレーナーを増やすために資格のハードルを下げたら中央のレベルと品格が下がるのは避けようがありません」

 

斎藤T「となれば、残るは法人トレーナーを認める他ないじゃないですか」

 

斎藤T「さあ、立ち話もなんですし、こちらの席にどうぞ」

 

シンボリルドルフ「ありがとう」

 

シンボリルドルフ「もう、このトレーナー室にはテイオーと岡田Tの思い出の跡は残っていないんだな……」

 

シンボリルドルフ「ここは完全にトレセン学園とは切り離された別空間だ」

 

斎藤T「はい。学園の備品は全て返却した上で、搬入したものは全て自前のものです」

 

シンボリルドルフ「ついにトレーナー業でさえも機械化の流れが来ているのか。どこも慢性的な人手不足だものな。由々しきことだ」

 

斎藤T「トレーナー業が続けられなくなる原因を作っているのは他ならぬウマ娘レースを心から愛している人たちでしょう?」

 

シンボリルドルフ「――――――認めたくはないがな」

 

シンボリルドルフ「きみがこうしてこのトレーナー室を譲り受けることになったのも、全てはそういうことだからな」

 

斎藤T「勝てば勝つほど積み重なった掛け金の重みが担当トレーナーを押し潰していくわけです」

 

斎藤T「それに『名門』や『名家』の囲い込みだってあるでしょう?」

 

シンボリルドルフ「――――――和田Tの件に関しても耳が痛いよ」

 

シンボリルドルフ「私自身がきみに対してそう思っているところがあるから、どうしようもなくエゴイスティックな動物の一頭になってしまったと自分自身が怖いよ」

 

斎藤T「だから、私はそういった中央で夢破れた若者たちが社会復帰できるようにするための財団を立ち上げる予定です」

 

斎藤T「もちろん、私の夢のために奉仕してくれる労働力を仕入れるための職業安定所も兼ねてますがね」ニヤリ

 

シンボリルドルフ「つまり、トレセン学園やURAが人材流出を阻止できない場合はきみのところにどんどんどんどん元トレーナーたちが流れていくわけだ」

 

 

――――――夢の舞台に立つために狭き門を潜り抜けてきた才能あるウマ娘と同じぐらいに未来の名伯楽だったはずの者たちがね。

 

 

斎藤T「そうした方が社会の損失、無駄がないじゃないですか」

 

シンボリルドルフ「そうだな。それは認めるよ」

 

シンボリルドルフ「しかし、法人トレーナーか。その実態としては『名門』に近いものがあるんじゃないのか?」

 

斎藤T「そうですよ。特定の個人:自然人ではなく不特定の個人:法人がトレーナーになることで責任分担とリスク分散をしようという話ですよ」

 

シンボリルドルフ「そのために一人一人に擬似人格プログラムを施したAIをつけて管理しようというのは時代が早すぎるのではないか?」

 

斎藤T「現状で受け容れられるとは微塵も思っていません」

 

斎藤T「ただ、人というのは流されやすい生き物ですから、勢いに乗せられたら どうなるかはわかりませんよ?」

 

シンボリルドルフ「十分な議論の余地もなく、AI管理が浸透する可能性があるというわけか」

 

斎藤T「ちがいますよ。可能性があるのだから 想像力を働かせて あらかじめ十分な議論を尽くさないから、後手に回るだけです。時間はたっぷりあったはずだと、私ならバカにしますけどね」

 

シンボリルドルフ「目先のことしか考えずに将来を見越した議論ができないから、管理者側にとって予測できたはずの不測の事態に陥るか――――――」

 

 

シンボリルドルフ「ありがとう。きみはそうして私にこれからのことでヒントを惜しみなく与えてくれている」

 

 

斎藤T「単純な話ですよ。将来のことを語るなら、そうすることでどれだけの影響があるかを知悉して対策し切らないと死んでも死ぬ切れないほどの後悔が襲います」

 

シンボリルドルフ「そうだな。まったくもって、そのとおりだよ。どれだけ悔いても悔やみきれないことなんて私の人生にはいくらでもあったからな……」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

斎藤T「……マテ茶です」コトッ

 

シンボリルドルフ「ああ、ありがとう」

 

シンボリルドルフ「――――――マテ茶か」

 

斎藤T「南米で常飲されている“飲むサラダ”と呼ばれているイェルバ・マテの葉や小枝を乾燥させた茶外茶です」

 

斎藤T「特に、肉食が中心のアルゼンチンで肥満や生活習慣病が少ないのはフレンチ・パラドックス同様にこのマテ茶の栄養価の高さによるものだそうです」

 

斎藤T「そして、アルゼンチンでは相手に振る舞うマテ茶で意思表示をするマテ言葉があるとか」

 

斎藤T「たとえば、熱いマテ茶は『燃える恋』、冷めたマテ茶は『歓迎していない』、泡を立てたら『きみが好き』、砂糖入りは『私の両親に会って欲しい』、シナモン入りは『愛している』、蜂蜜入りは『結婚して欲しい』とかあるみたいです」

 

シンボリルドルフ「それは面白いな。テイオーは蜂蜜入りが好きだから、いずれはそういうことになるのかな――――――」フフッ

 

シンボリルドルフ「………………!」カタッ

 

斎藤T「……どうしました?」

 

 

シンボリルドルフ「そう言えば、私のトレーナーだった彼はやたらと熱々のコーヒーや紅茶に甘いものを入れて泡立てるのが好きだったような――――――?」

 

 

シンボリルドルフ「え、もしかして彼はマテ言葉からブレンドしていた――――――?」

 

シンボリルドルフ「そうだ。彼はシナモンや氷砂糖、蜂蜜が大好きだった――――――」

 

シンボリルドルフ「それで、たしか、父親が大好きだった茶が何なのかがわからないでいた――――――」

 

シンボリルドルフ「もしかしてマテ茶が彼がずっと探していた茶だったのか?」

 

斎藤T「……なるほど。茶外茶なら わからないのも無理はない」

 

斎藤T「シナモンスティックです。意味は『愛している』ですね」コトッ

 

シンボリルドルフ「……シナモンか」クンクン・・・

 

シンボリルドルフ「――――――うっ」ジワッ

 

斎藤T「えっ!?」

 

シンボリルドルフ「い、いや、すまない。人前で泣くだなんて何をやっているんだろうな、私は?」ポタポタ・・・

 

シンボリルドルフ「でも、ずっとトレセン学園の黄金期の象徴である“皇帝”として在り続けるために彼のことは思い出さないようにしていたから、」ポタポタ・・・

 

シンボリルドルフ「ああ、ついに私は彼との思い出が詰まった この素晴らしきトレセン学園を卒業してしまうんだなって――――――」ポタポタ・・・

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「もうどこにもいないんだ、私の最愛の人は……」ポタポタ・・・

 

シンボリルドルフ「最愛の人が生まれ落ちる哀しい未来は他ならぬ私と彼の二人で――――――」ポタポタ・・・

 

シンボリルドルフ「きみが人知れず世界をWUMAの脅威から救ったように――――――」ポタポタ・・・

 

斎藤T「会長…………」

 

シンボリルドルフ「やっぱりダメだったよ。何にでもシナモンを入れていたきみのことを思い出してしまったよ……」ポタポタ・・・

 

シンボリルドルフ「ダメだ。会いたい、会いたいよ。まだ何者でもなかった私と一緒に“皇帝”の道を共に駆け上がっていたあの頃に戻りたい……」ポタポタ・・・

 

シンボリルドルフ「つらすぎるよ。一生分の愛を受け止めた後に、私はこれから他の誰かと愛し合うようになってしまうのかな……?」ポタポタ・・・

 

斎藤T「シナモンは世界最古のスパイスとも言われ、紀元前4000年頃からエジプトでミイラの防腐剤として使われ始めたと言う」

 

シンボリルドルフ「――――――?」

 

斎藤T「しかし、シナモンに含まれるクマリンは高濃度で肝障害と腎障害を引き起こすことなどから毒性が認められていて、過剰摂取は禁物だ」

 

シンボリルドルフ「え」

 

斎藤T「そして、シナモンスティックは樹皮だから食べても苦くて美味しくないし先程述べた毒性があるので、直接 口にしてはいけません」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

シンボリルドルフ「それは私が“ミイラ取りがミイラになる”ことを心配しているのかい?」

 

斎藤T「さあ、どうでしょうね」

 

斎藤T「どのみち、“皇帝”陛下からは予言書『ウマ娘 プリティーダービー』を託されて今日に至るのですから、今度は“皇帝”自身が予言書を書いて託す番なんじゃないかと」

 

 

――――――いろいろと聴かせてはくれませんか、あなたの最愛の人だった“皇帝の王笏”について。

 

 

時の流れとはなんと残酷なことだろう。二人が愛し合った時間でさえも無情にも過去へと押し流していく。

 

しかし、こうして語り継ぐことによって人は歴史を紡ぐことができたのだ。

 

トウカイテイオーは“皇帝”シンボリルドルフの後を継いで、シンボリルドルフ卒業後の新たな時代の荒波を切り拓く“帝王”としてトレセン学園の君臨しなければならない。

 

一方で、私は“皇帝”が生涯で得た3人の過去・現在・未来を象徴する股肱之臣の最後の一人として、その後のトレセン学園の舵取りを見守ることを託された未来の人間だ。

 

ヒトとウマ娘が共生する21世紀の地球において国民的スポーツ・エンターテイメントの地位を確立している『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台である中央トレセン学園が変われば、未来は必然と大きく変わることだろう。

 

そう、私としては出来る限りは宇宙移民の流儀に則って文明の侵略や文化の破壊を促すような急速な改革や革命をもたらす気は毛頭ない。

 

それでも、こうして救いを求める人々がいるのならば手を差し伸べたくなるのが人情であり、良いものを取り込んで 向こうが学んでいく分には何も問題はなかった。

 

あくまでも、23世紀の未来人である私が革命を扇動して支配者になることが許されないのであって、そこに生きとし生ける人々が自分たちの手で新たな未来の可能性を模索していくのを手伝わない道理はない。

 

それは立派な損得勘定に基づくものであるし、これでも23世紀と比べたら200年も遅れている21世紀の人々の営みにケチをつけながらも十分に我慢している方だと思っている。

 

だから、あちらも私が長々とトレセン学園のトレーナーをやっているとはまったく思っていない。

 

あくまでも、トレセン学園の黄金期の象徴だった“皇帝”シンボリルドルフが卒業した後の新しい時代におけるトレセン学園の方向性が良いものになるのを期待しているのであって、“門外漢”である私が主導してトレセン学園の改革をするなど求めてはいない。

 

それはそうなんだけれども、私から得られるものを得ようとして、こうして足を運んでくださっているのだから、私も少しでも23世紀の生活様式に世の中が近づいて快適なものになるように惜しむつもりはない。

 

 

――――――この関係が非常に心地よかった。

 

 

もっと早くに出会えていたら――――――、と そう思ってしまっているようだった。正直に言って、一目会った瞬間に互いが惹かれるものがあった。

 

本質的に異性を求めているわけではないが、自身の満ち欠けを埋められる得難き存在として いつまでも心に残り続けることになるのだろう。

 

今にして思えば、この出会いは皇祖皇霊が仕組んだ尊い導きによる毛筋の幅もちがわない必然だったのかもしれない。

 

そう、“斎藤 展望”がこうしてトレセン学園にいられるのもシンボリルドルフのおかげであり、シンボリルドルフが卒業していけるのも“斎藤 展望”がトレセン学園に現れたおかげでもあった。

 

そうして、心の整理ができる相手として最後の導きを与える賢人という役割を担わされているのだとしたら、

 

それは『名家』の出身のシンボリルドルフの王道が『名族』であった“斎藤 展望”との出会いで整えられることを、ダビデ王を導いたサムエルの後を継いでソロモン王を導いたナタンの事績に擬えているように感じられた。

 

こうして23世紀の宇宙時代からやってきた魂が宿った21世紀の新人トレーナー“斎藤 展望”の身体を通じて、今ここにトレセン学園の黄金期の過去・現在・未来を象徴するトレーナー因子の継承が完成するのであった。

 

 

――――――ここより ヒトとウマ娘が共生するこの世界の 過去から現在の先の 未来が始まる。

 

 



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第1部 冬季:URAファイナルズの暗闘 -延長戦-
第1話   夢の舞台のその先にあるもの ✓


-西暦20XY年01月16日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

国民的スポーツ・エンターテイメントの殿堂『トゥインクル・シリーズ』において新たな時代の象徴となる空前絶後のレースが開催されようとしている。

 

3年前;“天才”トウカイテイオー、“名優”メジロマックイーンらがクラシック世代の年、あるいはミホノブルボン、ライスシャワー、サクラバクシンオー、ハッピミークらが入学してデビューした年に、

 

中央トレセン学園の秋川やよい理事長が突如として本競走の開催を発表したことからトレセン学園の黄金期が最後の輝きを増したように感じられた。

 

当初、構想だけは語られ、秋川理事長が実現のために各方面に協力を仰いだわけなのだが、その内容は前代未聞の『全レース場の全距離』『全国で同時開催』『トーナメント方式』というものであった。

 

理事長によれば、距離や適性が合わずにこれまで涙を呑んだウマ娘たちが多い中、“全てのウマ娘が輝けるレース”として設定したという。

 

これは“皇帝”シンボリルドルフが掲げていた“ウマ娘の誰もが幸福になれる時代”という理念に一致するものであり、理事長と生徒会長による二人三脚の理想であったことの証明であった。

 

 

しかし、この理念と構想を実現するために求められるものがあまりにも現実離れし過ぎていて発表から開催までに実に3年の年月が流れてしまっていた。

 

 

まず、出走枠が大きいレースであるなら、URAに登録して参加枠に恵まれなかった競走ウマ娘たちに公平にチャンスを与えることができるので、『全レース場の全距離』を対象にしたレースを開催することに疑問を抱く者はいないだろう。

 

だが、それは要するに、バ場には【芝】と【ダート】の2種類があり、距離には【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】の4つが存在するので、その組み合わせで8部門のレースが開かれることになる。

 

そして、全国各地の競バ場も年間を通して様々なレースを開催しているので、理念を理解したが新設したレースのために何日もスケジュールを割くわけにはいかないので、足並みを揃えて『全国で同時開催』になるのも自然なことだ。

 

なので、当初は船橋市の中山競バ場の年末の名物だった『有馬記念』を前倒しにして、仕事納めの年末の最後の1週間なら全国各地の競バ場が全て使えるように調整を進めていたようであった。

 

ここまでだったら、年末の『有馬記念』を超える新たなオールスターゲームの誕生で、更に日本中が熱狂するはずだと誰もが楽観視していた。

 

むしろ、『有馬記念』が『URAファイナルズ』に組み込まれるのか、あるいは前哨戦という位置づけになることを危惧する声もあったが、全国各地の競バ場の日程を照らし合わせると仕事納めの年末最後の1週間に開催することが妥当と判断されていた。

 

そして、新たなるオールスターゲームへの参加条件と出走枠について議論が交わされ、ファン投票による春秋グランプリ『宝塚記念』『有馬記念』と同じくすることはすぐに決まった。

 

しかし、問題は『宝塚記念』『有馬記念』はバ場や距離が固定だからファン投票の結果も単純に反映できたが、

 

たとえば【芝】と【ダート】の両方で活躍していたウマ娘はどちらに出走するのか、たとえば【中距離】と【長距離】で活躍してたウマ娘はどちらに出走するのか――――――、その選択権がファン投票にあるのか、競走ウマ娘の側にあるのかであった。

 

これに関しては、理事長が単純明快に出走拒否するかは陣営の判断にあることにならって『どの部門で出走するかは競走ウマ娘自身の決定に委ねる』とした。

 

それに付け加えて、まだ開催時期が明確になっていない頃から『URAファイナルズ』出走を希望するウマ娘たちが事前に登録することができる特設サイトも開設して、そこで自身の希望する部門が公表される仕組みも作ることになった(開催2週間前まで途中変更可能)。

 

これによって、ファン投票の実施もまだではあったものの、ウマ娘レースのファンたちは応援するウマ娘の特設サイトでの登録情報を見て、夢の対決を心待ちにすることになった(実は、このファン投票という制度が()()()()()()に繋がっている)。

 

 

ただ、春秋グランプリ『宝塚記念』『有馬記念』と明確にちがう点は、出走条件をシニア級(3年以上)に限定していたことにあった。

 

 

つまり、『有馬記念』のような新旧世代対決は意図しておらず、どちらか言うと『トゥインクル・シリーズ』を3年以上走り続けることができたウマ娘に対する最後の晴れ舞台を用意する意味合いが大きいのだ。

 

これはそもそも『トゥインクル・シリーズ』を3年以上走り抜くことができなかった;故障や成績不振などで引退してトレセン学園を退学する生徒が多いことに対する中高一貫校としてのトレセン学園への批判が根底にあり、

 

特に、中等部からデビューを果たして2年目:クラシック級で“三冠バ”になれなかったことを苦にして引退・退学する生徒の存在はいくら厳しい勝負の世界とは言っても教育現場としては見過ごすことができない問題であった。

 

そのトレセン学園が抱える二律背反の問題に対する回答が『URAファイナルズ』という()()()()()であり、故障や成績不振であっても引退や退学をせずにシニア級:3年目までやり通せば“ファン投票によって”誰でもターフの上で走る最後の機会が公平に与えられる――――――、

 

これが秋川理事長とシンボリルドルフが目指した理想であり、そのために出走枠が部門ごとにたった18人で満足できるわけがなかったのだ。

 

とにかく、たくさんのシニア級:3年目まで走り抜いたウマ娘たちが上位リーグへの昇格やG1勝利を果たせずとも全員がターフの上で走ることができる最後の記念となる卒業レースを夢想していたのだ。

 

だから、前代未聞の『トーナメント方式』を採用して、どれだけ才能や運に恵まれてこなかったウマ娘であっても一度はトレセン学園の狭き門を潜り抜けてきた矜持と闘争心を満足させるための最後の場を溢れんばかりの情熱と莫大な私財を擲って秋川理事長は設けたのである。

 

そのため、この『URAファイナルズ』には中央官庁も開催に全面的に協力しており、参加者を増やすための前代未聞の『トーナメント方式』で興行を成功させるためにはどういったバ券を販売するべきなのかを真面目に試算して取り組んでいたという。

 

なにしろ、ウマ娘レースという公営競技(ギャンブル)は文部科学省の管轄*1であるので、これで中高一貫校であるトレセン学園で道理とすらされている引退即退学という教育現場としては大変よろしくない――――――、

 

なので、そういった状況が改善されると見込まれている上に、かつてない規模の興行による文部科学省への実入りを考えれば、全力を出さざるを得ないだろう。

 

 

つまり、『URAファイナルズ』の本質というのは、公営競技であるウマ娘レースの厳しい勝負の世界を取り仕切る元締めと青少年の健全な育成と教育を指導すべき立場の2つの顔を持つ文部科学省が主導する官民一体の政策でもあったのだ。

 

 

そうした背景を踏まえると、なぜ『URAファイナルズ』について秋川理事長が頑なに『全レース場の全距離』『全国で同時開催』『トーナメント方式』であることに拘ったのか、“全てのウマ娘が輝けるレース”の意味が理解できたはずだ。

 

よって、本来は世界基準に従ってシーズンの終わりとなる年末の仕事納めからの1週間で開催すると思われていた『URAファイナルズ』であったが、

 

日本の教育現場の事情が絡んだことにより、年度末から逆算した1月:予選、2月:準決勝、3月:決勝戦という異例の長期戦になるように最終的な開催日時が決定したのである。

 

もちろん、URAに登録しているウマ娘のための卒業レースなのだから、ここに外国バが参戦する枠など用意されるわけがないのだが、

 

世界でも異例とも言える構想と理念の『URAファイナルズ』の開催について海外の反応を見るに『まさに日本人だから開催できる真心のこもったレース』という期待と羨望の声が寄せられていた。

 

 

そういうわけで、どうやら“門外漢”である私が 今更 トレセン学園における中高一貫校の6年間に対して メスを入れる必要性はどこにもなかったというわけである。

 

 

ちゃんと当事者同士で問題意識を持って改革をやろうとしていたのだから、私は私の方で中高一貫校の6年間でしかウマ娘たちが走る機会と興奮が得られない問題を解決することに目を向ければいい。

 

ただし、やはりというか、【ダート】に関しては元々の競技人口が少ないせいで距離別に部門を立てることができなかったことから、距離が統一されることが通達されることになった。

 

なので、実質的には【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】【ダート】の5部門による『全国の競バ場で同時開催のトーナメント』にシフトしている。

 

 

要約すると、国民的スポーツ・エンターテイメントである『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台の狭き門を潜り抜けることができた者は、どれだけ実績がなかろうとシニア級:3年目が終わるまで在籍し続けていれば、“ファン投票によって当選した”という体裁で全員が卒業レースに望むことができるというわけなのだ。

 

 

これは非常に画期的なことであり、成績不振や故障によって引退即退学となりがちなトレセン学園において辛い立場に追い込まれる担当ウマ娘と担当トレーナーに対する風当たりを緩和する救済策として有効に働くのではないかと期待されていた。

 

そして、ファン投票という体裁だが、実際にはG1勝利もできなかった夢の舞台の主役にもなれなかったウマ娘を対象に最後の記念として誰もが参加できることを目的とした卒業レースのため、

 

予選トーナメントであろうと、きちんと1試合ずつに賞金が支払われるようになっているので、フルゲート:18人の抽選次第で未勝利バが予選レースで掲示板入りを果たして初めて賞金を獲得することもまったくの夢ではないのだ。

 

だから、1月に開催される予選トーナメントにこそ一番に力を入れており、試合数も多いので土日を費やしてのビッグイベントとなることだろう。

 

また、決勝戦は必ずフルゲート:18人になるように全体の参加人数から準決勝での決勝戦進出の人数調整が行われるのも特徴で、トーナメントを勝ち抜いてきた18人の実力者たちが一斉に駆け抜けるレースの興奮はどれほどのものか――――――。

 

そして、基本的に部門ごとに設定された競バ場を使い続けるので試合の順番が後になるほどバ場が荒れてしまうなどのリスクがあるが、

 

準決勝のレースで勝利できなくても必ず決勝戦はフルゲート:18人になるように順位ごとのタイムで決勝戦進出の優先順位が決められていくので、準決勝でベストを尽くす意味は失われない。

 

むしろ、この『トーナメント方式』における真の勝利とは優勝しかないので、たとえ予選や準決勝で1位通過できなくても、そこから決勝戦で優勝してしまえば、予選や準決勝での敗北は公式記録にはカウントされないことになっているのだ。

 

逆に言えば、決勝戦進出を果たして優勝しなければ『URAファイナルズ』での予選や準決勝での勝利は勝鞍にカウントされないわけであり、かなり特殊な裁定がなされてもいるようだった。

 

 

ただ、必ずしも『URAファイナルズ』が全てのウマ娘たちの絶対の目標になるかは別な話である。

 

 

以前から指摘されていたように、基本的に1月から3月の冬季は世界基準ではシーズンの頭ではあるものの、あまりメジャーではないオフシーズンであり、開催時期としてはベストコンディションを維持するのが難しい時期でもある。

 

冬の寒さが極まる1月に予選トーナメントが開催され、次にトレセン学園の入学試験によって学内の施設が利用できない期間を挟む2月の準決勝トーナメント、最後に大学入試や卒業式の後の季節の変わり目となる3月に開催されるのが決勝戦なのだ。

 

しかし、そういう時期じゃないと『全レース場の全距離』『全国で同時開催』『トーナメント方式』の条件を満たすことができないわけであり、秋川理事長としては苦渋の決断でもあった。

 

しかも、ウマ娘は極めてデリケートな生き物で、3ヶ月に渡る3連戦が必ずできる保証はないため、シニア級:3年目を無事に終えて4年目も5年目も頑張ろうとする強豪たちがこぞって参加を見合わせることも十分に考えられる。

 

そう、国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』で活躍して その存在を日本中に知らしめ、あるいは上位リーグ『ドリーム・シリーズ』への昇格が見込めるような名バたちからすれば、

 

『URAファイナルズ』は トレセン学園で夢を掴めむこともできずに みっともなく夢の舞台にしがみついていた者たちの慰安が目的の 真剣勝負の世界で仲良しこよしを謳った 卒業レースだと酷評してくることだろう。

 

そんなことはわかっている。真剣勝負の世界に情けは無用であり、同情は侮辱にもなろう。

 

しかし、それなら自分の力で道を切り開ける者は『トゥインクル・シリーズ』のシニア級のもう1年を過ごせばいいし、あるいは『ドリーム・シリーズ』に昇格して更なる高みを目指せばいいのだ。

 

そうじゃない。秋川理事長としては『URAファイナルズ』で栄誉が与えたいのではない。機会を与えたいのだ。

 

 

――――――秋川理事長は信じていた。ウマ娘という生き物がどれだけ走ることが大好きなのかを。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

ジャー、ジャー、ジャー・・・

 

斎藤T「いよいよ、『URAファイナルズ』が開催されるな」

 

アグネスタキオン「ふぅン。()()()()()()()()()()()()()

 

斎藤T「まあ、そうだな」

 

斎藤T「とりあえず、このトレーナー室も随分と狭くなったな。お前のなけなしの実験機材やら何やらで」

 

アグネスタキオン「そうだね。懐かしい感じがするね。カフェと一緒に部屋を分け合っていた頃を思い出すよ。部活棟が新しく建て直される前の話さ」

 

斎藤T「アンチ・ドーピングに引っ掛かりそうな生化学のイメージを払拭させるために、工学のイメージで頑張ってもらうからな。その分だけ嵩張るんだがな」

 

アグネスタキオン「ああ。私にしても肉体改造強壮剤はもう必要ないぐらいだからね。後は本格化を迎えた時に効率的な成長が見込める算段を6月の新バ戦(メイクデビュー)までに整えておくさ」

 

アグネスタキオン「しかし、きみねぇ? ペーパーレス化のためにスーパーコンピュータを置くのはいいけど、これだけの宇宙食や非常食、健康食品を備蓄しておく必要があるのかい?」

 

斎藤T「あるに決まっているだろう。これは百尋ノ滝に移送する分でもあるんだから」

 

斎藤T「私はエンジニアだ。私のトレーナーの仕事なんてものは、トレーニングに足を運ぶこと以外はここにあるスーパーコンピュータを介してレンタルオフィスで十分にできることだからね。ここは堂々と使える物置でしかないよ」

 

アグネスタキオン「まあ、言わんとすることはわからなくはないがね」

 

アグネスタキオン「レースに出走する前日にはウマ娘は競バ場の調整室に入ることが普通だしね」

 

アグネスタキオン「しかし、まだ実験室の頃の方が生活感があったぞ? ここは本当に頭が混乱しそうなカオスな物置だよ。ユニットシャワールームなんて置いてあるしね」

 

斎藤T「それは私とアグネスタキオン’(スターディオン)がお前の許に現れたからだろう?」

 

アグネスタキオン「あ、それもそうだったね……」

 

アグネスタキオン「お、上がったみたいだね」

 

アグネスタキオン「どうだい、使い心地は?」

 

 

ナリタブライアン「悪くないな。前々からシャワールームで服を脱げばいいと思っていたが、これはそれを叶えてくれた」サッパリ  ――――――ユニットシャワールームのモニターに協力!

 

 

ナリタブライアン「おい、そこの保存食の中に北の珍味の缶詰があっただろう。それをもらおうか」

 

斎藤T「ヒグマとかエゾシカのことか? あ、トドやクジラもあるぞ」

 

ナリタブライアン「全部だ。1つや2つじゃない。全部だ」

 

斎藤T「わかった。しかし、味が濃そうだな。白米も欲しくないか」

 

ナリタブライアン「ああ。4パックくれ」

 

斎藤T「欲張りだな」

 

ナリタブライアン「どうせ、貯め込んだところで消費しきれないだろう。食べるのを手伝ってやるから、早く食べさせろ」

 

斎藤T「……大丈夫なのか? 『URAファイナルズ』の予選が26日か27日かは知らないけど」

 

ナリタブライアン「安心しろ。これでもクラシックの頃よりは食べてない。小腹を満たす程度だ。むしろ、調子を取り戻すためにはもっと必要だな」

 

ナリタブライアン「だいたい、私の元担当がうるさいんだ。姉貴も姉貴で卒業したら栄養バランスが偏るとか言ってうるさくなってな」

 

ナリタブライアン「私だって栄養学の基本ぐらいは理解しているさ。だから、サプリメントで必要な栄養は摂取している」

 

ナリタブライアン「けど、それ以上に好きなものを口に入れておかないと落ち着かないから、勝つために必要なことが何なのかは私自身が一番に理解している――――――」

 

アグネスタキオン「だから、放っておいて欲しいわけなんだな」

 

ナリタブライアン「ああ。会長や姉貴のために生徒会副会長だなんて柄でもないことをやっていたせいで身体が鈍ってしかたがなかったんだ」

 

ナリタブライアン「けど、あんたがサブトレーナーになったハッピミークにまさかハナ差で負かされるとは思ってなかったし、『有馬記念』でトウカイテイオーにも負かされたからには次こそは勝ちを掴み取りたい」

 

アグネスタキオン「なるほどねぇ」

 

ナリタブライアン「タキオン、お前はテイオーとは同期ではあっても同世代ではなかった」

 

ナリタブライアン「会長はテイオーが“三冠ウマ娘”になることに賭けていたようだが、私も姉貴も名家の出身ではないテイオーよりも“アグネス家の最高傑作”という前評判のお前が“三冠ウマ娘”になると期待していたんだぞ」

 

ナリタブライアン「それをこうも長々と待たせたんだから、今更メイクデビューするからには絶対に勝て」

 

アグネスタキオン「言われずとも、私の研究成果であるウマ娘の可能性の“果て”を見せてやるさ。そのために私は待つことを選んだのだからね」

 

 

ナリタブライアン「――――――最高のウマ娘には最高のトレーナーがつくというわけだが、私を前にして物怖じしないのもそっくりだな」フフッ

 

 

アグネスタキオン「ありがとう。私の実力は私自身が誰よりも正しく評価しているからね」

 

斎藤T「勝つかどうかなんて知らん。トレーナーなんてものは出走チケットに過ぎないのだから、勝てる見込みのあるウマ娘で儲けさせてもらうだけだ」

 

ナリタブライアン「それもそうだな。姉貴があんたをトレーナーに逆指名しようとしていたように、私の担当があんただったとしても何だかんだ言ってうまくやれそうだ」ハハッ

 

アグネスタキオン「――――――!」

 

斎藤T「ほら。ごはん4パックと北の珍味の缶詰の盛り合わせだ」

 

ナリタブライアン「おお。ありがたくいただくぞ」

 

斎藤T「そうだ。飲み物も欲しいだろう。マテ茶とレモン水があるけど、どっちがいい?」

 

ナリタブライアン「それなら、どっちもだ!」

 

 

その日、24時間の耐久試験が終わった偽装された瞬間物質移送器の表向きの機能であるユニットシャワールームのモニターを募集する準備をしていたところ、

 

以前に岡田Tのトレーナー室を貰い受けて学園の備品を返却するのを見届けに来た生徒会副会長:ナリタブライアンが部屋の中に抜群の存在感を示す完全循環型ユニットシャワールームに興味を持って、自らモニターを名乗り出ていた。

 

彼女は『URAファイナルズ』を最後に姉共々『トゥインクル・シリーズ』を卒業して上位リーグである『ドリーム・シリーズ』に移籍することが決まっていた。

 

昨年の『有馬記念』で姉:ビワハヤヒデと熾烈な先頭争いをしていたところを“皇帝”シンボリルドルフが自身の後継者と見込んでいた“悲劇の天才”トウカイテイオーに差し切られたが、

 

それでも、ブランクを感じさせない圧倒的な走りで“怪物”ナリタブライアンが健在であることを世に知らしめることになり、こうして『URAファイナルズ』に堂々と参戦することになった。

 

そのため、『URAファイナルズ』において【中距離】部門に出走希望しているナリタブライアンは姉:ビワハヤヒデと共に優勝候補として目されており、

 

『有馬記念』を機に堂々と引退することになったトウカイテイオーに勝ち逃げされたことでウマ娘としての闘争心を昂ぶらせた今のナリタブライアンは全盛期の力を取り戻しつつあるようだった。

 

それだけに、今までは生徒会長:シンボリルドルフに直接指名され、生徒会に協力している姉:ビワハヤヒデの顔を立てるために、柄でもない副会長として比較的理性的に振る舞っていたが、

 

『URAファイナルズ』というかつてない大舞台を前に すでに思考がレースに勝つことでいっぱいになっているため、周囲の人間が思わず世話を焼きたくなるような元々のズボラな性格が表に現れ出しており、

 

人目も気にせずに学園一の嫌われ者の根城となった 元 岡田Tのトレーナー室に設置されたユニットシャワールームでトレーニングの汗を思いっきり流すことにしたのだ。

 

誰もが認める“三冠ウマ娘”である彼女からすれば、卒業レースが本質である『URAファイナルズ』に向けて 大した実績もない古バたちが所狭しとトレーニングをしている状況ともなれば、

 

必然とトレーニング後の学園内のシャワールームの利用者も激増しているため、一匹狼の彼女としてはこうして誰も知らないユニットシャワールームのモニターになることは渡りに舟だったのだ。

 

この辺りが走ることが大好きで闘争心が強いウマ娘らしい彼女のズボラな面の最たるものであり、

 

生徒会長:シンボリルドルフが密かに発行していたモニター募集の許可証がなければ、念の為にカーテンで仕切られているにしてもトレーナー室で生徒にシャワーを浴びさせるのは公序良俗違反にもなっていたことだろう。

 

しかし、本来ならば生徒たちの代表として問題提起すべき生徒会長がその有用性を理解してモニターになりたがるため、知る人ぞ知る学園内の穴場スポットとして利用され始めていた。

 

早速、ユニットシャワールームの試運転となったが、宣伝広告のために機能性を追求しながらもモダンなデザインのハイモデルの使い心地は良好で、シャワールームの中で着替えや髪を乾かすことができるのが革新的で衝撃的であったようだ。

 

全寮制のトレセン学園には常に共用であるバスルームやシャワールームしかないことを考えると、外部から遮断されたお一人様用にコンパクトにまとめられたユニットシャワールームの浴室には得も言われぬ開放感があり、一匹狼の彼女には非常に居心地が良かったようだ。

 

そのため、非常にサッパリした様子でユニットシャワールームから出ており、非常に満足してもらえたようだ。

 

 

ナリタブライアン「お、これがヒグマか。なかなかの珍味だな」ムシャムシャ

 

アグネスタキオン「………………」ジー

 

ナリタブライアン「ん」

 

ナリタブライアン「どうした? お前もヒグマが食いたかったか?」

 

アグネスタキオン「いや、別に」プイッ

 

ナリタブライアン「そうか」ムシャムシャ

 

アグネスタキオン「トレーナーくん! 私も喉が渇いたから紅茶を淹れたまえ!」

 

斎藤T「ああ、そうか。それならクッキーを出してくれ。今日はこの“極上はちみつ紅茶”を試そうと思う」

 

アグネスタキオン「ああ!」

 

ナリタブライアン「………………」ムシャムシャ

 

アグネスタキオン「よしよし、今日はこのクッキーにするぞ!」コトッ

 

ナリタブライアン「お、変わったコップに皿だな。陶器製に見えるが、音が軽いな」

 

斎藤T「ああ。それはロールストランド風にプリントされたプラスチックだ。見た目だけは華やかにしようと思ってな」

 

ナリタブライアン「――――――『ロールストランド』?」

 

アグネスタキオン「たしか、スウェーデンの王室御用達の陶器ブランドとか言ったかな?」

 

斎藤T「おいおい、知らないのか? ノーベル賞授賞式の晩餐会で使用される食器は決まってロールストランドの『ノーベル』なんだぞ。それに肖っているんだ」

 

 

――――――アグネスタキオンという一人のウマ娘の研究成果であるウマ娘の可能性の“果て”とやらが真に価値あるものだと願ってね。

 

 

アグネスタキオン「え」

 

ナリタブライアン「なるほどな」

 

ナリタブライアン「タキオン、前言撤回する。斎藤Tは誰よりもお前に相応しいトレーナーだ」

 

アグネスタキオン「えええええええええ!?」

 

斎藤T「なんだ、本当に知らなかったのか? それだけ私はお前の研究成果を楽しみにしているんだぞ?」

 

アグネスタキオン「あ、ああ………………」アワワワ・・・

 

ナリタブライアン「本当に将来が楽しみだよ」フフッ

 

斎藤T「さ、食べよう食べよう。この“極上はちみつ紅茶”もどれほどのものかを検証しないとな」

 

アグネスタキオン「あ、うん……」

 

ナリタブライアン「おい、そのクッキー、1つくれ」ヒョイ

 

 

三ケ木T「うわああああああああああん! ブライアアアアアアアアアアアン!」ドン!

 

 

ナリタブライアン「うわっ」

 

三ケ木T「いやああああ! やっぱりブライアンも女の子だってことだったのね!?」ヨヨヨ・・・

 

アグネスタキオン「……いきなり誰だい?」ジロッ

 

ナリタブライアン「私の元担当だよ」ハア・・・

 

三ケ木T「そんな!? そんな他人行儀に『元担当』だなんて言わないで! そんな男よりも私の膝の方がいいよね!?」

 

ナリタブライアン「お、おい!? 人前でなんてことを言うんだ、あんたは!?」カアア!

 

ナリタブライアン「だいたい、私が生徒会役員になってからは他の子の担当になったんだから、今更 あんたの出る幕なんてないだろうに……」プイッ

 

三ケ木T「でもぉ! それでも、あなたの担当トレーナーは私のままよ! 今も昔も!」

 

三ケ木T「だから、『有馬記念』の時のように一人で『URAファイナルズ』に挑むことなんてないじゃない!」

 

ナリタブライアン「また始まった……」ボソッ

 

斎藤T「まあまあ、せっかくお越しになったのですから、一緒に紅茶にしませんか? これ、“極上はちみつ紅茶”ですよ?」

 

三ケ木T「あなたね! 私のブライアンを騙してこんな怪しい部屋に連れ込んでいる悪徳トレーナーは!?」キッ

 

アグネスタキオン「……大した物言いだね。人様のトレーナー室に勝手に上がり込んできてさ?」ギロッ

 

三ケ木T「って、ひ、ひぃいいいいいいいいい! 助けて、ブライアン!」

 

三ケ木T「この子、“触らずのタキオン(アンタッチャブル・タキオン)”よ!?」ギュッ

 

アグネスタキオン「食べたのなら、とっとと連れ帰ってくれ。不愉快だ」チッ

 

ナリタブライアン「すまない……」

 

斎藤T「いやいや、気にすることはないですよ。初めての担当ウマ娘の最後の晴れ舞台で何もせずにいられるわけがないんですから」

 

斎藤T「あなたも元担当とは縁を切っていないおかげで、『有馬記念』に出走することができたわけですし、憎からずは思っているのでしょう?」

 

ナリタブライアン「それはそうだが……、それにしたって、ここまで取り乱すことはないじゃないか……」

 

三ケ木T「ああ!? ブライアン、その缶詰、ヒグマにトドとかあるけど、要するにお肉でしょう!?」

 

三ケ木T「ちゃんと食事管理できてる? お姉さんは卒業しちゃうんだよ? ヒシアマ姐さんの手作り弁当はちゃんと食べてる?」

 

ナリタブライアン「――――――っ!」

 

ナリタブライアン「う、うるさい! あんたはいつまで私に付き纏う気だ!?」

 

 

――――――それとも、私と一緒に『ドリームトロフィーリーグ』に来てくれるのか!?

 

 

三ケ木T「あ……」

 

ナリタブライアン「ハッ」

 

三ケ木T「そ、そうだよね。私が悪いんだよね……」

 

三ケ木T「私にとってブライアンは最初にして最高の担当ウマ娘だから、『トゥインクル・シリーズ』はブライアンの才能で勝ち続けることができたけど、私、ほとんどブライアンにしてやれることがなかった……」

 

三ケ木T「だから、私、『トゥインクル・シリーズ』の先のあなたの夢を叶えるのに力不足で足手まといだったから、あなたから逃げて……」

 

ナリタブライアン「お、おい……」

 

アグネスタキオン「……くだらない茶番だね」ボソッ

 

斎藤T「まあ、そう言うな」

 

 

――――――出会いがあれば、必ず別れがあるんだから。よく見ておけ。

 

 

三ケ木Tはナリタブライアンの担当トレーナーであり、見てわかる通り、非常に大人としては頼りない印象の年若い女性であった。桐生院先輩の方がまだ安心して見ることができる。

 

そのため、彼女もまた“怪物”ナリタブライアンに相応しくないとして当初から様々な批判や脅迫を受けていたものの、ナリタブライアンの圧倒的な実力によってそういった声を黙らせてきた経緯があった。

 

というよりは、ナリタブライアンの1個上の世代が“皇帝”シンボリルドルフであったことが彼女のトレーナー人生の大きな支えになっていたと言っても過言ではない。

 

そう、シンボリルドルフの担当トレーナーだった“皇帝の王笏”と呼ばれた彼がトレセン学園の黄金期を担当ウマ娘と共に切り拓いていく過程で、

 

彼女のような頼りない新人トレーナーがベテランを押し退けて三冠ウマ娘の担当トレーナーになることを容認される開放的な流れを生み出していたのだ。

 

とは言え、本当に何の実力も覚悟もない新人トレーナーが孤高の彼女のトレーナーの座に収まるわけがなく、

 

積極的に指導することはできなくても、気難しい性格の実力ピカイチの“怪物”の能力をフルに発揮できるように頑張り通したことで、見事 シンボリルドルフに続く“三冠ウマ娘”を達成することに成功したのである。

 

なので、“皇帝の王笏”と呼ばれて華々しい最強の道を歩んだシンボリルドルフの担当トレーナーに続く偉業を果たしたことで、

 

ウマ娘の才能を引き出すことができれば、実績も後ろ盾もない新人トレーナーでも“三冠ウマ娘”達成がやれることを証明したため、

 

実は、トレセン学園の黄金期;総生徒数2000名弱の個性豊かな才能あるウマ娘とトレーナーたちが自分たちの可能性を信じて全国各地から府中市に集まるようになったきっかけとして、黄金期到来の最大の功労者である時の人として表彰されてもいたのだ。

 

つまり、黄金期への道を切り拓いたのがシンボリルドルフなら、それに続いて黄金期を築き上げた功労者というのがナリタブライアンということになり、黄金期であることを決定づけたのが国民的アイドルとして抜群の人気を誇ったトウカイテイオーが続くという流れになっているのだ。

 

 

ただ、ナリタブライアンの戦績は厳しいことを言えば“無敗の三冠ウマ娘”シンボリルドルフと同じではなかったことから、

 

自身にとって最初にして最高のウマ娘が“ただの三冠ウマ娘”というケチがついたのは紛れもなく自身の実力不足であったと負い目を感じていたため、

 

ナリタブライアンが更なる高みを目指して『ドリーム・シリーズ』への移籍を表明した時に、すでに他のウマ娘の担当もしていたこともあり、それについていこうと声を上げることができずにいた。

 

日本競バ界は地方競バ『ローカル・シリーズ』、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』、優駿競バ『ドリーム・シリーズ』の三重構造になっており、それぞれのシリーズに同時にトレーナーと競走ウマ娘は席を置くことはできないのだ。

 

一応、『ドリーム・シリーズ』への移籍に関してはトレーナーと競走ウマ娘のどちらかの移籍が認められれば、そのまま二人三脚を継続して一緒に移籍することも可能なのだが、

 

ここで三ケ木Tは自身の実力不足を直視することになり、怖くなって最初の担当ウマ娘である彼女の呼びかけに応えることができなかったのだ。

 

そもそも、『ドリーム・シリーズ』の創設は『トゥインクル・シリーズ』で長年に渡って()()()()()()()()を殿堂入りさせて実質的に追放することでウマ娘レースの興行の安定と世代交代を促すための措置でもあり、

 

長年に渡ってターフの上で君臨する王者も最終的にファンからレースの結果がわかりきって退屈だと飽きられて文句を言われるようになるのだから、()()()()()()()()()()()というのも興行の面から言って非常に目障りな存在であったのだ。

 

そう、人気者から一転して厄介者の扱いを受けるようになるのが公営競技(ギャンブル)の世界であり、賭け事が成立しないことに文句を言う連中の声が大きい世界でもあるのだ。

 

別に、悪いことばかりではない。それだけの待遇が『ドリーム・シリーズ』では用意されており、それによって『トゥインクル・シリーズ』のその先としてハイレベルな戦いの世界が用意されることになったのだから。

 

一方で、やはりというか、実質的に『トゥインクル・シリーズ』から追放された扱いのためか、一般的にはオフシーズンとなる冬季と夏季の年2回の開催なところに厭味ったらしさを感じるのだが。

 

 

しかし、これが国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の在り様なのだ。

 

 

勝っても地獄、負けても地獄――――――。

 

私は私の担当ウマ娘:アグネスタキオンにこのことを知った上で『トゥインクル・シリーズ』で“超光速の粒子”の名に相応しい神話を打ち立てて欲しいと願っている。

 

そう、私たちは『トゥインクル・シリーズ』での栄誉という移ろいやすいものなどをレースで求めていない。

 

 

――――――ウマ娘の可能性の“果て”とやらを一緒に見ることができれば それで満足なのだ。

 

 

斎藤T「当て身」トス!

 

三ケ木T「キャッ!」ガクッ

 

アグネスタキオン「あ」

 

ナリタブライアン「な、何をする、貴様ッ!?」ガタッ

 

斎藤T「――――――それが答えだな」

 

ナリタブライアン「!!!!」

 

ナリタブライアン「……くっ!」

 

ナリタブライアン「……あんたには敵いそうにない」

 

斎藤T「バスタオルを敷いてくれないか」

 

アグネスタキオン「あ、ああ……」

 

ナリタブライアン「言いたくはないが、お前が羨ましい限りだよ、タキオン」

 

アグネスタキオン「………………」バサッ ――――――床にバスタオルを広げる。

 

ナリタブライアン「……こういうのを“不釣り合いだった”って言うのだろうな」

 

斎藤T「なら、他に選択肢があったとでも?」ヨッコラセ

 

三ケ木T「」 ――――――バスタオルの上に寝かせられる。

 

ナリタブライアン「いや、私のトレーナーは今も昔も唯一人だ」

 

 

――――――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

彼女の言うように実力不足の新人トレーナーが最強のウマ娘とコンビを組むことが“不釣り合いだった”のかは私にはわからない。

 

しかし、彼女自身が認めているように、彼女にとってはどうあれ一緒に最強の道を駆け抜けた担当トレーナーの存在は唯一無二のものであった。

 

であるなら、『一緒にその先を目指すことができない』という時点で2人の未来は担当になった時点で決まっていたのかもしれない。なんという運命の皮肉――――――。

 

だが、トレセン学園のトレーナーを職業に選んでしまった以上、担当トレーナーは担当ウマ娘を勝たせないと食い扶持を稼ぐことができないのだから、実力不足を感じて『ドリーム・シリーズ』への移籍に尻込みするのも致し方ない。

 

そのため、賢しいトレーナーは4年以上になる担当ウマ娘にはノラリクラリして『トゥインクル・シリーズ』に残り続けることを指示することもあり、無理に『ドリーム・シリーズ』に移籍することを目指すこともしない。

 

というより、そもそも『トゥインクル・シリーズ』のG1レースで勝利するだけでも日本国内の憧れとなる偉業なのに、G1勝利が当たり前の強豪が所狭しの『ドリーム・シリーズ』でボロクソに叩かれるのは想像するだけでも寒気が止まらないことだろう。

 

 

なので、ここでも私は桐生院先輩とハッピーミークの間に見られたような()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を抱えた二人三脚の例を見ることになった。

 

 

やはり、どれだけ日本中の男女を虜にするような凛々しいウマ娘であっても所詮は中高一貫校の年頃の乙女でしかなく、精神的支柱として導いてくれる身近な大人の存在は必要不可欠なのだ。

 

なので、二人三脚を続けていくためには実力相応のパートナーシップがなければ、このように最終的に躓いてしまうのだ。

 

それでも、“怪物”ナリタブライアンはその実力だけで『ドリーム・シリーズ』への移籍が認められるほどの圧倒的な才能を見せつけることができたのだが、果たして『ドリーム・シリーズ』でも通じるかどうかは本人としても不安が隠せなかった。

 

だからこそ、今までのように自分の実力を発揮できるように支えてくれるはずだった担当トレーナーが当たり前のように『ドリーム・シリーズ』への移籍に頷いてくれなかったことに動揺が隠せずにいたのだ。

 

そういうわけで、彼女は“斎藤 展望”が担当トレーナーになるアグネスタキオンのことを羨ましく思ってしまったのだ。

 

確かに、私なら彼女が求める最高の仕事をすることができるはずだ。それだけの実力を有して熱意があるのなら、その可能性を信じて力を貸すだけでいいのだから。

 

なので、私自身そもそもウマ娘レースそのものにそこまで興味があるわけでもないので、才羽Tや飯守Tのように担当ウマ娘を奮起させるまでのことはできないと思う。

 

そう、私はミホノブルボンやライスシャワーのようなウマ娘とは根本的に相性が悪いように思う。

 

トレーナーとしての知識もさることながら、何というのかシンボリルドルフのような才気と風格がないと興が乗らないのかもしれない。

 

ただ、“怪物”ナリタブライアンがそう感じたように、私が非情な勝負の世界に向いているのも確かで、私がトレーナー業をまじめにやれば担当ウマ娘の実力以上の成果をもたらすことに疑いを持っていない。

 

WUMA事件で姉妹揃って助けられた恩義があるにしろ、“怪物”として畏敬の念を持たれて周囲から距離を置かれている自分に対して物怖じしない大胆不敵さを彼女は買っているようで、

 

一匹狼としてあまり他人との関わり合いに積極的でない反面、自身が認めた人物には背中を預けることを躊躇しないため、私としても非常にわかりやすい相手に思えた。

 

私が見るに、彼女にとって三ケ木Tは実姉:ビワハヤヒデと同じく邪険にあしらわれても彼女のことを真剣に思って踏み込むことができた大胆さが気に入られたから、ナリタブライアンの担当トレーナーになれたところが絶対にあるはずなのだ。

 

だからこそ、『ドリーム・シリーズ』への移籍に怖気づいてしまった担当トレーナーとの積み重ねてきた時間と愛情の分だけ筆舌に尽くしがたい悔しさで心が染め上げられていることだろう。

 

 

――――――なら、この場合の答えは簡単ではないか。

 

 

アグネスタキオン「なあ? でも、それって実質的にプロポーズみたいなものじゃないかい?」

 

斎藤T「そうだな。すでに三ケ木Tが次の子の担当をしている以上は、その子の面倒を放り投げて移籍することに良心の呵責を覚えることだろう」

 

アグネスタキオン「そうだね」

 

 

――――――今の担当(カノジョ)と昔の担当(カノジョ)のどちらを選ぶのか、というね。

 

 

斎藤T「ウマ娘にとっては一生に一度の夢の舞台である以上は()()()()()()()()()のに対して、トレーナーには()()()()というのが大きな差となっているわけだ」

 

斎藤T「だから、ベテラントレーナーにはそういった割り切りができた人間だけがなれる」

 

斎藤T「けど、そういった割り切りができるようになったことで失ってしまうものがあるのも事実だ」

 

斎藤T「少なくとも、シンザン以来のミスターシービー以降の“クラシック三冠ウマ娘”は全て新人トレーナーの若造によって達成されているのがその証拠だ」

 

アグネスタキオン「つまり、いろんな意味でフレッシュな若者同士のケミストリーが“クラシック三冠ウマ娘”になるために必要なものになってくるのかな?」

 

斎藤T「統計学的にはまだ何とも言えないがな」

 

斎藤T「だが、それが事実だとすれば、慢性的なトレーナー不足を解消する手立てが思いつかないな……」

 

アグネスタキオン「なら、私は幸運なウマ娘だったと自惚れてもいいんだね?」

 

斎藤T「そういうのは勝ってから言え」

 

 

アグネスタキオン「よく言うよ。大の大人が未成年に100万円相当のダイヤモンドのネックレスをポンと買い与えておいて」キラキラ ――――――ダイヤモンドのネックレスが輝きを放つ。

 

 

斎藤T「……実際の貢献と比べたら遥かに安物ではあるが、それだけの功績を称えたものだ。疚しいことなんてない」

 

アグネスタキオン「まあ、そうだろうね!」プイッ

 

アグネスタキオン「誰のおかげで、きみはどんな怪物をも凌駕する最高の肉体を手にすることができたと思っているのやら!」プンプン!

 

斎藤T「怒るなよ。たしかに“怪物”ナリタブライアンもあっと驚くような戦果を上げることができる最高の肉体にはなったさ。お前と出会ったことで」

 

斎藤T「だから、同じ炭素の塊を贈るんだったら そんなダイヤモンドなんかよりもカーボンナノチューブでできたサポーターをあげたかったよ」

 

アグネスタキオン「トレーナーくん……」

 

斎藤T「そうだな。今だからこそ、はっきりと言える」

 

斎藤T「私としてはナリタブライアンでもなく、ビワハヤヒデでもなく、シンボリルドルフでもなく、アグネスタキオンというウマ娘が私にとっての一番だと思っているよ」

 

アグネスタキオン「………………!」

 

斎藤T「ヒトとウマ娘が共生する21世紀のこの世界において、未だウマ娘は存在自体が深淵なのだろう?」

 

斎藤T「ヒトに酷似した外見でありながら高性能かつ高機能な耳と尾を持ち、その筋力は質量に反して異様に甚大」

 

斎藤T「特に、走力は時速60km以上を記録し、その圧倒的な身体能力が仇となってヒト社会において制限がかけられているのにも関わらず、ウマ娘はそのことを受け容れてヒト社会の一員として慎ましく暮らしている――――――」

 

 

――――――実に、興味深いとは思わないか? 並行宇宙には怪人:ウマ女もいたことだしな!

 

 

*1
我々の世界における日本競馬は農林水産省の管轄




●殺人的なローテーションによる“全てのウマ娘が輝けるレース”は死屍累々!
原作においては3年目終了後の育成情報上では翌年1月後半に連続して『予選』『準決勝』『決勝戦』が行われているのが新設レース『URAファイナルズ』であり、
現実における競馬においてかなりの期間が設けられている『クラシック三冠レース』ですら全てに出走できる競走馬が少ない事情が忠実に反映されて、
少なくともヒトよりも強大な身体能力を持つ設定のウマ娘ですらも連続出走に耐えられないことを踏まえると、
1月後半にまさかの三連戦となる大人数のトーナメント戦は明らかに競馬=ウマ娘レースの常識から反した狂気の沙汰としか思えないローテーションだろう。
そのため、この開催日程はあくまでもゲーム的な表現であって、そもそも1位通過しか勝ち上がることができない条件でトーナメント表を組んだら、
18人から1人選抜のレースを3回戦・5部門行うには、18³×5=29160人のウマ娘が必要になるので、中央トレセン学園に在籍しているのが2000名弱なのを考えれば とてもじゃないが足りない足りない。

――――――そもそもが投票結果で出走権が与えられる現役のシニア級の名バが万単位でそんなにいるはずがなかろう!

というより、それだけの数のウマ娘を揃えることができたら『予選』だけでいったい何レース・何日かかることやら――――――、
いや、それよりももっと深刻なのは興行を支えるファンの購買力が完全に尽きることであり、大赤字間違いなしの不採算になることだろう。

なので、トレセン学園の総生徒数:2000名弱を鑑みて『そんなに3年目:シニア級を完走できたスターウマ娘がいるわけがない』という推測を基に、
実際に開催するとなるとトーナメントの規模は意外とそんなに大きくはないとして、できるだけ実現可能な設定を模索したものとなる。

よって、かつてないオールスターゲームになることや全国各地の競バ場を同時に使用するために、
当初は『東京大賞典』『有馬記念』終了後の仕事納めした後の年末の1週間でやれる規模の世界初のトーナメント戦として構想されていた(そのために『有馬記念』の開催日が前倒しになった)。
世界基準で言えば1月から始まって12月で終わるシーズンを踏まえると、どうしても年末の最後の1週間しかオールスターゲームを開催するに相応しい時期がない。
そして、シーズン頭の1月の冬季にオールスターゲームを開催するのはどう考えても出走するリスクが大き過ぎた。

そこから、最低でも1ヶ月ずつ間を置いた上で『予選』『準決勝』『決勝戦』のトーナメント戦を行い、全てのレースがフルゲートになるように勝ち上がりの人数調整が行われ、出走するメリットと出走しないメリットを用意するという独自設定を設けた。
すなわち、『URAファイナルズ』の本質を 過酷なレースの世界において大切な最初の3年間を最後まで走り抜くことの励みになる最後の晴れ舞台;弱者救済のための“卒業レース”と位置づけることにしたのだ。
そうじゃないと、明らかに“全てのウマ娘が輝けるレース”の趣旨に反する 競馬初心者もびっくりな殺人的なローテーションを素人の思いつきでやっているようにしか見えないので、4年目以降も走り続けるウマ娘にとっては傍迷惑なものでしかない――――――。
ゲームの世界じゃない物語の世界として考えると、そんなふうに強者と弱者の2つの立場の現実があるため、こうした甘っちょろい趣旨のレースの開催目的を創作したわけである。


●ハルウララに救済を…… シナリオ分岐のアップデートを求む!
ざっけんな、この野郎! 
初期キャラのダートウマ娘でありながら、完全に適性がない芝・長距離の『有馬記念』が必須目標とか、
しかも、意図的に設定された負けイベント同然で、その惨敗でマイナススキルがつきまくるとか、
シナリオの流れをぶった切る最低最悪な負け展開の後に「全目標達成! 『URAファイナルズ』出走おめでとう!」なんて言われても全然嬉しくないよ!

せめて、同じ時期に開催されるダート・中距離の『東京大賞典』に挑戦する選択の権利ぐらいくれ! 中山の芝を地均しするとかじゃなくて!

願わくば、何かの間違いで中央トレセン学園に在籍しているのなら、中央に相応しい新勝負服をください。
せっかく『アオハル杯』シナリオのダート枠の初期キャラに選ばれているのだから、何かしら負け続けてきながらも名馬だった史実性を取り入れて欲しかったよ……。

下記のアンケートはハルウララの救済案なので、ぜひとも賛成意見に投票をしてもらいたい。

1,『有馬記念』『東京大賞典』の選択性に
大本命。どう考えても適性のない芝・2500mの『有馬記念』に出走を強制させられて惨敗の結果、マイナススキルがつきまくるのは胸くそ悪い。
なので、同時期に開催されるダート・2000mの『東京大賞典』との目標選択ができるようにシナリオをアップデートしてくれ!

第9目標:有馬記念に出走 → 第9目標:G1レースに出走


2,新勝負服で中央らしい性能と面影に
スキルは据え置きで オグリキャップのような芝とダートの適性を両立させた スタンダードな学生服をモチーフにした新勝負服で ターフの上も走れる 通称:夢ウララの実装。
初期適性さえ上がってくれれば、劣化オグリキャップであっても『有馬記念』での勝利も夢物語ではなくなるので、
史実通りの“勝てないウマ娘”であることにこだわりがない限りは、夢ウララの実装は『有馬記念』の特殊実況を生で聞きたい人たちにはありがたいはずだ。
固有スキルは『順位が50%未満で近くのウマ娘の適性と脚質と持久力になる』なんてどうだろうか。チーム戦前提の育成で因子継承が非常に楽になって起用もありじゃろう。

――――――強すぎるだって? 夢ウララですから! 『有馬記念』で勝つような因子爆発(魔改造)ウララよりかはまだ現実的だろう!

→2021年12月31日:新勝負服『初うらら♪さくさくら』実装!
ただし、

3,負けることがメリットになるサポート性能に
こちらは1着にならないと全て負け扱いになる厳しいレースの世界において、
1着じゃない;負けた場合のレースボーナスとファン数ボーナスとやる気効果アップが倍になる特殊効果を持ったSSRサポートが実装されたら、未勝利の名馬:ハルウララらしいサポート性能になるんじゃないかと。
特に、キングヘイローやフジキセキのような因子継承が大前提の高難易度シナリオで全勝を目指さない場合や勝率が安定しない『アオハル杯』の予選での負けを補填する保険として、
他にも、初めて挑戦するウマ娘の育成の際に最高の性能を発揮する初心者救済用のサポートになるはずだ。
あるいは、“当たらない馬券”としてお守り代わりになった逸話から、バッドステータスの予防・解除に特化したイベントも完備していると、サポーターとして非常に手堅く仕上がるだろう。


4,他の地方ウマ娘を増やして底辺争いに
文字通り、中央ウマ娘とのレベルの差を見せつけるために、ハルウララの他に地方ウマ娘を増やして、ハルウララの相対的な地位を上げる陰湿な策。
“ハルウララよりも勝てない馬”ダンスセイバー、“ハルウララ超え”マイネアトリーチェとか割と候補がいるのが、競馬という勝負の世界の厳しさを物語る。


5,いいや、ハルウララは勝てないのがいいんだ
現状で問題なし。ハルウララは1勝も挙げずに負け続けたことで逆に人気を呼び、ブームを巻き起こしたのだから、これでいい。何も言うことはない(無慈悲)。



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第2話   皇帝と女帝と怪物と――――――

-西暦20XY年01月17日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

トレセン学園の全校集会は火曜日に行うのが定例となっている。

 

なぜか。それは国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の興行が年間を通して土日にあり、出走した生徒は月曜日が振替休日となるからである。

 

来週の26日と27日はいよいよ秋川理事長と生徒会長:シンボリルドルフの全身全霊が込められた前代未聞のビッグレース『URAファイナルズ』の予選トーナメントが開催される。

 

どれだけ実績がなくてもシニア級:3年目を走り抜くことができた競走ウマ娘がファン投票という体裁で全員が得意なバ場と距離を選んで参加でき、

 

中央官庁も全面協力していることや初めての試みということで、この1月の予選トーナメントに限っては週明けの月曜日が生徒全員の振替休日になるのだ。

 

そのため、できるだけ多くの生徒たちに『URAファイナルズ』に出走・観戦してもらい、引退即退学となってしまう教育現場として大変よろしくないトレセン学園の状況が変わることが期待されていた。

 

なぜなら、総生徒数2000名弱の個性豊かな才能あるウマ娘たちが全国各地から集まる中央トレセン学園だが、その全員が『URAファイナルズ』に出走できるわけでもない。

 

そのおかげで、事前に配られた競バ番組にあるトーナメント表を見ると、今回の第1回は 壮大な構想と理念に反して そんなに出走バが多い印象はなかった。

 

原則として全てのレースでフルゲート:18人立ての大激闘になるように準決勝・決勝進出の人数調整がなされるわけなのだが、

 

18人から1人選抜のレースを3回戦・5部門行うには単純計算で29,160人のウマ娘が必要になるが、実際にはそんな数のシニア級:3年目を終えたウマ娘は日本にはいない。

 

そもそも、『トゥインクル・シリーズ』を3年間走り抜くことができた生徒があまりにも少ない;引退即退学が当たり前と見なされ、狭き門を潜って入学しても退学者が続出するのが中央トレセン学園の厳しい勝負の世界であった。

 

また、単純に考えて中高一貫校の6年間の半分以上を走り抜くことができないといけないので、当然ながら中等部からデビューすることができたエリート;トレーナーからのスカウトに成功したエリートの中のエリートしか出走できないの事実であった。

 

そのことを考えると、『URAファイナルズ』を最初から目指すなら遅くとも高等部1年生の時にデビューしないと、この卒業レースに参加する権利すら与えられない。

 

そして、トレセン学園の生徒の全員がターフの上で走るわけではなく、圧倒的な比率ではあるものの、アスリートコースとは別に舞台裏を支えるアシスタントコースで入学している者もいる。

 

それに付け加えて、一般的にウマ娘レースと聞いたら平地競走のことを指すが、これも圧倒的な比率ではあるものの障害競走の出走バもおり、

 

結果として【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】【ダート】の5部門にシニア級:3年目を終えている出走バが分散するので、前代未聞のトーナメント形式の割にはトーナメント表が小ぢんまりしているように感じられたのだ。

 

だから、『全レース場の全距離』『全国で同時開催』『トーナメント方式』という初めての試みで開催することができると中央官庁のお役人たちのお墨付きをもらうことができたのだろう。

 

その事実がいかに国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台として持て囃されている『トゥインクル・シリーズ』の栄光の影で人知れず消えていく夢のカケラが世界に零れ落ちていたのかを想像させた。

 

しかし、その前にトレセン学園では毎年恒例となる行事が『URAファイナルズ』の前日となる火曜日:1月22日の全校集会で執り行われようとしていた。

 

 

――――――そう、生徒会総選挙である。

 

 

そして、3期連続で会長職を務める偉業を成し遂げたのが“皇帝”シンボリルドルフであり、高等部1年生の時点で中央の顔としてトレセン学園の黄金期を絶頂に導いたのだ。

 

そのため、彼女が中等部の現役時代に打ち立てた“最強の七冠ウマ娘”にして“無敗の三冠ウマ娘”の偉業によって、“皇帝”シンボリルドルフはまさしくトレセン学園においては絶対の存在であり、

 

その実績と威厳があったおかげで、黄金期を迎えるにあたって個性豊かであると同時に学園の風紀や秩序を乱す才能ある問題児たちを統制することができたのだ。

 

となれば、その素晴らしい為人の生徒会長がいよいよ卒業してしまうことになれば、当然ながら それまで“皇帝”の威光の前におとなしくしていた 才能はあっても素行に問題があるような生徒たちの締め付けが甘くなってしまう。

 

実際、現在の黄金期は 関係各位としてはまだまだ記憶に新しい あの忌まわしき暗黒期よりも確実に風紀や秩序が乱れており、それは暗黒期と評される時期よりも勝る補導の多さからも歴然としている。学生寮の門限を守らない生徒が多すぎるのだ。

 

それでも、忌まわしき暗黒期よりも自由で開放的な校風を目指した黄金期は“皇帝”シンボリルドルフと秋川理事長の不断の努力によって実現されたものであり、

 

その場合の威厳とは何か――――――、それははっきり言ってしまえば東京都を管轄としている『警視庁』との癒着を意味していた。

 

それだけの財力とコネを動員した裏工作をシンボリルドルフは秋川理事長と一緒に大人顔負けの実行力と意志力でやっていたことを多くの人間は知らない。

 

なので、ウマ娘の名家:シンボリ家の総領娘であるシンボリルドルフが卒業してしまえば、マスコミ業界に圧力をかけてきた『警視庁』の影響力や指導力がかなり弱まり、

 

トレセン学園の非行やスキャンダルを素っ破抜こうとする悪徳記者から学園の評判を守ることが今後はかなり難しくなることが予想されていた。

 

 

そうなのだ。表向きは一介の生徒が卒業するにあたって会長職を次の世代に譲り渡すだけの儀式に見える生徒会総選挙ではあるのだが、実際にはこれで黄金期は終焉を迎えるという見方が裏事情に詳しい人間の間でなされていたのだ。

 

 

そう言われると、次期生徒会長と目されている“女帝”エアグルーヴにはそれだけの力量と威厳がないのかと訊かれれば、実際にそうだとしか言いようがないのが非情な現実であった。

 

というより、なぜシンボリルドルフが“皇帝”で、エアグルーヴが“女帝”と呼ばれるのか、である。

 

それは単純に競走ウマ娘:エアグルーヴが2年目:クラシック戦線で目指したのがトリプルティアラ路線と呼ばれる『桜花賞』『オークス』『秋華賞』の三冠だったからだ。

 

このティアラ路線に対するのが我々が頻繁に口にする通常の三冠路線:トリプルクラウンであり、クラウンは男性用の王冠、ティアラは女性用の王冠である。

 

そして、“三冠ウマ娘”と言ったら『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』制覇のトリプルクラウンを意味するように、トリプルティアラの扱いはトリプルクラウンよりも低いものになっていた。それだけである。

 

理由は『桜花賞』が1600m、『オークス』が2400m、『秋華賞』が2000mであり、いわゆる【長距離】がなく、開設も実質的にトリプルクラウンの後追いであったからだ。

 

 

しかし、トリプルティアラには独自の精神性があり、それが従来の王道路線であるトリプルクラウンに後追いするだけの独立性を保つ要因になると同時に、とある思想問題に繋がっていたのだ。

 

 

近代ウマ娘レースの原点がヨーロッパの王侯貴族の前でセンターを決めるためにバルコニーから見渡せる庭園で徒競走をした踊り子ウマ娘をルーツにしていたのは御存知の通り。

 

それは言うなれば亭主であるヒトの男性の寵愛を受けるために異種族であるウマ娘が媚び諂う行為でもあり、有史以来 ヒトの女性はウマ娘の美貌に羨望と嫉妬の眼差しを向けながら美容技術を発展させてきた歴史がある。

 

一方で、古代からウマ娘の美貌と能力に羨望と嫉妬の眼差しを向けてきたヒトの女性ではあったが、同じ女性として その美貌と能力を称揚するヒトの女性も少なからず存在していたのだ。

 

その結果、旦那に媚び諂う踊り子ウマ娘を排して“一流の淑女”としてウマ娘を養育して競わせることが女性貴族の間で流行し、それがこの世界における近代フェミニズム運動の先駆けとなったというのだ。

 

そのため、トリプルティアラは女性解放思想と結びつくようになり、従来のトリプルクラウンを目指す競走ウマ娘を所詮は男に媚を売るしか能がない“卑しい存在”と差別するようになった時期があるようなのだ。

 

さながら、フランスの絶対王政期の国民的喜劇作家:モリエールが「完璧なものを誤って模倣すると、昔からいつも喜劇の題材となってきた」と述べて題材にした プレシューズの真似をする田舎娘たちのような お高く留まったお局が大量に現れたのだとか。

 

それ故に、トリプルティアラ路線のウマ娘は既存社会への反発心が強い傾向にあると分析されることもあり、

 

その禍根は現代になってもフェミニズム批判と結び付けられるようになり、何かと胡散臭い目でトリプルティアラ路線のウマ娘は見られるようになっていた。

 

 

つまり、モリエールが喜劇にしたような“一流の淑女”によるトリプルティアラは近代ウマ娘レースの王道とは見なされていないのだ。

 

 

実際、ティアラ路線で活躍した“女帝”エアグルーヴは典型的なお高く留まったお局という評判が外部で立っており、

 

それに対してフェミニストがいちいち噛み付くのだから、ますますフェミニストに結び付けられてしまったトリプルティアラに対する世間の評判が上がらない。

 

もっとも、日本の近代ウマ娘レースは明治維新において西欧列強の制度を模倣して導入しただけなので、そこまで深刻なジェンダー問題にはなっていないのは救いか。

 

いやいや、ウマ娘はメスしかいないのだから、ヒトのジェンダー問題に巻き込まれるのは傍迷惑としか言いようがないだろう。

 

なので、メスしかいないウマ娘の側からすれば、単純に距離適性の問題で狙える三冠がトリプルティアラだから それを狙ってみるという考えの競走ウマ娘が大半で、

 

エアグルーヴは別にフェミニストだからトリプルティアラを目指したわけでも、お高く留まったお局様みたいな性格というわけでもないのに、それだけで社会的評価がマイナスになっているのが理不尽なところであった。

 

 

ティアラ路線のウマ娘というだけで求心力が下がるのだから、これが“女帝”に“皇帝”は絶対に超えられないという理屈なのだ。

 

 

これこそがヒトとウマ娘が共生する異なる進化と歴史を歩んだ地球であり、これもまた多数派の支配に巻き込まれた少数派の悲哀の一例と言えるだろう。

 

と、まあ、ここまでさんざんティアラ路線だのクラウン路線だの何だかんだ言ってきたが、

 

結局のところは、名家:シンボリ家の力があり、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として生きる覚悟を決めたシンボリルドルフだったからこそ黄金期の繁栄を遂げることができたのであって、競走ウマ娘のカリスマ性だけで成り立ったわけではない。

 

だから、一介の生徒に過ぎない“女帝”エアグルーヴは本当にただのウマ娘たちの代表としての生徒会長になるしかないだろう。

 

そして、ティアラ路線の“女帝”エアグルーヴの求心力を補うために、クラウン路線の王者である“怪物”ナリタブライアンをあらかじめ副会長に指名しておいたという政治的判断があったことがようやく私にも理解できた。

 

つまり、“女帝”と“怪物”が肩を並べて ようやく偉大なる“皇帝”の背中に追いつける可能性があるわけであり、追い越すことなど絶対に不可能であった。

 

 

なので、トレセン学園の黄金期は“皇帝”シンボリルドルフの卒業によって終焉を迎えるというわけである。

 

 

後は、“皇帝”が築き上げた黄金期の莫大な遺産で食いつないでトレセン学園の命脈を保つしかないはずだ。

 

だから、秋川理事長は『URAファイナルズ』をシンボリルドルフが卒業する時期に間に合うように開催したようにも思えた。

 

最初からわかっていたのだろう。“皇帝”シンボリルドルフのように実力も名声も兼ね備えた理想的な指導者はそう簡単に現れることはない――――――。

 

ならば、その理想的な指導者が在位している幸運な時間で改革を推し進める他なく、

 

だからこそ、秋川理事長は『URAファイナルズ』開催のために莫大な私財を擲った――――――。

 

つまり、秋川理事長とシンボリルドルフで築き上げた黄金期最大の遺産となるのが『URAファイナルズ』という名の引退即退学に繋がる冷酷非道なトレセン学園の現状を変えるための大慈大悲の政策であったのだろう。

 

そう、“皇帝”陛下も秋川理事長も大変なロマンチストであると同時に非情なまでの現実主義者でもあったのだ。

 

後継者となる者の力量には期待していないからこその新制度であり、“女帝”エアグルーヴや“怪物”ナリタブライアンも秋川理事長とシンボリルドルフからは後事を託すに値しないという判断であったのだ。

 

いや、むしろ、それでいいのだ。“女帝”だの“怪物”だの恐れられたところで、所詮はトレセン学園の生徒に過ぎず、裏の事情なんて何も知らず みんながまっすぐに健全な学園生活を送ってくれれば それでいいのだから。

 

これは理事会で働く大人が頑張ることであり、トレセン学園は狭き門を潜って夢の舞台に立つことが許された生徒たちを全力で輝かせるための舞台装置なのだから。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

ナリタブライアン「最近、エアグルーヴの様子が少しおかしいんだが」

 

ナリタブライアン「会長が引退のために生徒会室を整理し終わった後なのに、何度も整理し直していてな。見ていて不安になった」

 

斎藤T「そうか。生徒会総選挙ももう間もなくだし、そうなるよな」

 

ナリタブライアン「今まで副会長として会長の右腕としてやってきたんだから、別に何も変わることなんてないんじゃないのか?」

 

アグネスタキオン「そう思うのは、もうひとりの副会長がこれまで遊び呆けていたからじゃないのかい?」

 

斎藤T「いや、これはあなたが言うようにエアグルーヴは気にし過ぎだ」

 

ナリタブライアン「やっぱりか」

 

アグネスタキオン「え」

 

斎藤T「たしかに、トレセン学園の黄金期を築き上げた偉大なる“皇帝”の後を継いでトレセン学園の評判が下がることを恐れるのは自然なことだ」

 

斎藤T「だが、あの偉大なる“皇帝”が自身がいなくなった後のことを何も考えていないはずがないだろう?」

 

斎藤T「そのことを信じればいいじゃないか。あの聡明で偉大なる御方ができないことを押し付けるはずがないと。そんなことも測れない蒙昧についてきたわけじゃないと」

 

ナリタブライアン「なるほどな。言われてみれば そうだったかもしれないな」

 

アグネスタキオン「なんだ、あっさりと解決してしまったな」

 

斎藤T「だって、“女帝”だの“怪物”だの言われている副会長2人が力を合わせたところで、偉大なる“皇帝”陛下以上にうまくやれるとは微塵も思ってないだろう?」

 

斎藤T「だったら、それを貫き通せばいい。漢の高祖:劉邦が蕭何とともに天下を平定し 法令はすでに明白となったのなら『我々はそれを遵守すればよい』と 曹参が恵帝に述べたようにな」

 

斎藤T「焦っちゃいけない。真に求められていることが何なのかを考えれば、自ずと答えは見つかるさ。そのために評判を利用することはあっても評判を気にして成すべきことを見失ってはいけない」

 

ナリタブライアン「――――――評判を利用しても評判に利用されるな、か」

 

ナリタブライアン「ありがとう。エアグルーヴにはそう言っておこう」

 

斎藤T「あまり私の名前は出してはいけないよ。私が黒幕みたいになるじゃないか」

 

ナリタブライアン「今更、何を言っているんだか」

 

 

――――――今のトレセン学園に“斎藤 展望”以上に恐れられている人物はいないぞ。

 

 

ナリタブライアン「なにしろ、あの“触らずのタキオン(アンタッチャブル・タキオン)”の担当トレーナーというだけで学園の連中が震え上がるぐらいだからな」

 

ナリタブライアン「実際、このトレーナー室の周りはあんたが岡田Tのトレーナー室を譲り受けたことが知れ渡った瞬間に空き部屋になったことだしな」

 

アグネスタキオン「おやおや、随分な嫌われようだねぇ、トレーナーくん?」

 

斎藤T「安心しろ。学内での評判なんてウマ娘レースの結果次第でいくらでも変わる」

 

斎藤T「それに、夢の舞台の現実が知れ渡っていないから、引退即退学に繋がるような文部科学省管轄の公営競技(ギャンブル)としては大変よろしくない教育現場ってことは、いくらでも外部の人間には夢を見させることができるさ」

 

斎藤T「だてに大衆娯楽じゃないんだよ、国民的スポーツ・エンターテイメントってのは」ニヤリ

 

ナリタブライアン「……なるほど。そういったことも会長は考えていたわけなのか」

 

斎藤T「けど、そこまでのことを考えることを“皇帝”は“女帝”や“怪物”には求めていないだろうけどね」

 

ナリタブライアン「……そうだな。今更、自分の生き方を変えることもできないし、会長が私の『ドリーム・シリーズ』への移籍を心から祝福してくれたことに嘘偽りはない」

 

ナリタブライアン「ただ、私もいつまでも子供じゃないからな。それぐらいのことは頭の片隅に置いておくつもりさ」

 

アグネスタキオン「……トレーナーくんから見て、エアグルーヴというウマ娘はどういう感じなんだい?」

 

斎藤T「シンボリルドルフと比べるのは酷だけど、十分に立派な生徒だと思うよ。偉大な母親を手本にして生徒たちの手本になろうとしていることだしね」

 

斎藤T「ただ、ティアラ路線というだけでウマ娘と関係ないヒトのジェンダー問題に巻き込まれて評判を落とされているのが気の毒に思う」

 

ナリタブライアン「くだらない話だな。ティアラ路線だの、クラシック路線だの、単なる距離適性の問題だろうに」

 

斎藤T「あと、シンボリルドルフと比べると『大気』『勇気』『知恵』が欠けているから、どうあっても“トレセン学園の生徒としては完璧”止まりで乱世の奸雄には成りえない。治世の能臣が精々だろう」

 

ナリタブライアン「なかなか厳しいな」

 

斎藤T「いや、褒めてるんだよ。シンボリルドルフが築き上げた遺産を無駄に食い潰す恐れがない 規範に則る 保守的な性格だから」

 

斎藤T「そういう意味では、あなたも無駄に野心を持たずに純粋に競走ウマ娘としての強さを追求する求道心が高く評価されているから、もうひとつの手本として副会長に指名されているわけなのだし、あなたも保守的な人間だ」

 

斎藤T「対して、私は この通りの 保守派に対する 革新派の人間だから、危険視されるのが当然なんだよ」

 

ナリタブライアン「……自分でそこまで言うか」

 

ナリタブライアン「なら、なんであんたはおとなしくしているんだ?」

 

 

斎藤T「私にとってトレセン学園は私の夢を叶える場所じゃないから。それだけ」

 

 

ナリタブライアン「まさしく、会長が言ったとおりの“門外漢”だな」フッ

 

斎藤T「まあ、秋川理事長とシンボリルドルフも私と同じ革新派の人間だけどね」

 

ナリタブライアン「そうなのか?」

 

斎藤T「いいんだよ。たまに画期的で人々のためになることを革新派が主導して、あとは保守派の人間が良いものを維持し続ければ」

 

斎藤T「革新派の人間がずっと居座ったら、『改革!』『改革!』『改革!』ばかりになって休まることがないだろう?」

 

斎藤T「今までのことに慣れていた人たちが新しいことに慣れるようにする期間が必要なんだし。改革ってのは体力を使うもんだよ」

 

斎藤T「ほら、ちょっと古いけど、PDCAサイクルだって『Action(改善)!』『Action(改善)!』『Action(改善)!』じゃないでしょう? 途中経過を見守ってCheck(評価)しなくちゃならないから」

 

斎藤T「だから、革新派の人間がいいことをしたのなら、それに続く者は保守派となって その理念と構想を適宜微修正を加えながら維持するだけでいいんだ。無理に新しいことをやろうとしなくていい」

 

斎藤T「改革の本質は社会の新陳代謝;社会の膿を排出するためのデトックスと言い換えてもいい」

 

斎藤T「そもそも、社会とは人の集合体なのだから自然人と法人としての両方の特性を併せ持っていることを考えれば、社会というものが理解できるはずだ」

 

斎藤T「そういう意味では、私の担当ウマ娘が大好きな生化学に通じるものがあるな」

 

斎藤T「少量の劇薬は薬になるが、大量になれば毒にしかならないから、秋川理事長やシンボリルドルフのような人間は少数でいいんだよ」

 

ナリタブライアン「そう言ってもらえて、肩の荷が軽くなったよ」

 

 

ナリタブライアン「それはそうと、トレーニングが終わったら今日は丼が食べたいから用意してくれ」ドン!

 

 

斎藤T「……ここは空港ラウンジじゃないんだけど?」

 

ナリタブライアン「似たようなものだろう? マッサージチェアにシャワーが使えて軽食も用意してもらえるんだからな」

 

ナリタブライアン「会長が用意してくれたんだから、ありがたく使わせてもらう。文句なんてないだろう?」

 

斎藤T「まあ、積極的にモニターになってくれるのはありがたいのだけれど、担当ウマ娘でもないのに私物を持ち込むのだけは止めてくれ。あくまでも利用客としての節度を弁えてくれ」

 

ナリタブライアン「わかっている。私もベタベタするのは好きじゃないからな」

 

ナリタブライアン「じゃあ、放課後」

 

 

バタン!

 

 

アグネスタキオン「……随分と気安くなったものだね、彼女とも」

 

斎藤T「おいおい、私は『宇宙船を創って星の海を渡る』ことを夢見る男だぞ? 船員(クルー)を集めるためにも、誰とでも分け隔てなく接して人心掌握するぐらい容易くなければ、船は沈むぞ?」

 

斎藤T「それに、お前より僅差でナリタブライアンの方が付き合いが長いしな」

 

アグネスタキオン「そうかい!」プイッ

 

斎藤T「けど、ダイヤモンドのネックレスを贈呈したのはお前だけだ。これでもかなり特別扱いしているつもりなんだけどね」

 

アグネスタキオン「……()()()()()()()だってもらっているじゃないか」

 

斎藤T「あれは必要な装備だ。時間跳躍でどことも知れぬ場所に転移してしまう事故に備えて換金できるものを選んだ」

 

斎藤T「それに対して、お前のダイヤモンドはアグネスタキオンという競走ウマ娘が成そうとしていることにはまったく関係ないものだし、趣味の研究にも役に立たないじゃないか」

 

斎藤T「だから、手荒れを防ぐハンドクリームを選んだわけなんだが」

 

斎藤T「WUMA討伐の論功行賞でやるんだったら、これからお前が挑戦する『トゥインクル・シリーズ』で役に立つものを贈りたかったよ」

 

アグネスタキオン「……理屈ではわかってるさ。きみが意味のないことなんてしないのは」

 

 

――――――でも、私は“超光速の粒子”なんだ。“女帝”や“怪物”と同じにはなりたくないんだよ。

 

 

現在、私は暇をいただいていた。

 

というのも、桐生院先輩から『URAファイナルズ』に勝つために初心に帰って担当ウマ娘と担当トレーナーの一心同体になるためにサブトレーナーの私の手は借りないことを通告されたからだ。

 

もちろん、用済みになったわけではない。『URAファイナルズ』での獲得賞金は今まで通りにチームの一員として山分けしてくれることは明言していた。

 

これは桐生院Tとハッピミークの大切な最初の3年間の締め括りとして、自分たちがどこまでやれるようになったのかをはっきりと確かめるためには必要なことなのだ。

 

なので、岡田Tからトレーナー室を譲り受け、アグネスタキオンの研究室を引き払った後は、私はずっと自分のトレーナー室になった場所でやりたいこととやるべきことをやっていた。

 

アグネスタキオンも留年や出走取消にならないようにトレセン学園の生徒として当然の義務である学業のために出席日数をいやいや稼ぐことになったのだが、何をやったのか授業免除になってトレーナー室に居座るようになった。

 

とは言え、私としても学業の成績不振のために退学にさせられるのは不本意であり、それなりに時間が余ってきたので私は担当ウマ娘の期末試験の予想問題を授業中に解くように渡していた。

 

文武両道を目指す偏差値の高い一流アスリート校を謳っても所詮はスポーツ校、可能な限り過去の期末試験を集めて それぞれの教科担当の教師たちの会話ボットを作成し 期末試験の問題を予想させると非常にわかりやすい傾向にあることがわかった。

 

なので、会話ボットからランダムに作成された予想問題を授業中に繰り返し解いていれば期末試験は8割以上は点が採れると踏んでいたし、授業に出席したところで退屈すぎて何かしでかさないように予想問題を解くようにさせていたのだが、本当に何がいけなかったのだろう。

 

とりあえず、授業免除となってからも期末試験を落とさないように私のトレーナー室でもきっちりと予想問題を解かせながら、私と私の担当ウマ娘のトレーナー室でののんびりとした毎日が始まりそうだった。

 

一方で、部活棟の実験室からトレーナー室に拠点を移したことで、周りのトレーナー室から人がいなくなった代わりに私と親しく付き合っている友人知人が頻繁に訪れるようになり、来訪者が絶えない毎日になっている。

 

一番に目立つ存在が生徒会副会長:ナリタブライアンであり、在学中に『ドリーム・シリーズ』への移籍を果たし、『トゥインクル・シリーズ』最後の大舞台となる『URAファイナルズ』中距離 部門の優勝候補として猛特訓に励んでいた。

 

日課のトレーニングが終わるなり、一人でシャワーを浴びたいがために学生寮のバスルームや既存のシャワールームよりも私のトレーナー室に設置されたユニットシャワールームを利用するようになっていた。

 

そして、トレーナー室に大量に備蓄された宇宙食や非常食、健康食品で小腹を満たすようになり、腐っても生徒会副会長としての視点で様々な話題を提供するのだ。

 

そのため、私は自分の担当ウマ娘ではないナリタブライアンとは随分と打ち解けるようになり、

 

これから私の担当ウマ娘:アグネスタキオンがクラシック級:2年目を迎えるまで;ナリタブライアンが卒業するまでに有意義な話し合いを重ねることになるのだと感じていた。

 

 

しかし、私の担当ウマ娘は明らかに“皇帝”よりも“怪物”がここに来ることの方が気に食わない様子であった。

 

 

私としては“怪物”よりも“皇帝”がお見えになる方がいろんなことを思い出してしまうのでかなりドキドキしそうになるのだが、今年 卒業する相手よりも 来年 卒業する相手がこれから居座ることの方が気に障ったらしい。

 

その他にも、アグネスタキオンがこれまでトレセン学園を退学せずに済んでいたのは“皇帝”が庇ってくれていたことに恩義を感じていたこともあるのだが、“怪物”にはそれはないので余計に刺々しく感じるのかもしれない。

 

それとも、アグネスタキオンとナリタブライアンがどちらも本質的には好きなことにはとことん夢中になって他のことはズボラな甘えん坊という似た者同士だから、同族嫌悪しているのだろうか。

 

まあ、他人に対して遠慮がない者同士なのだから、一線を踏み越えることに関しては言いたいことがあるのだろう。

 

そういう意味なら、そんなナリタブライアンの保護者をずっとやっていた実の姉:ビワハヤヒデとアグネスタキオンの面倒を見ている私が似た者同士ということにはならないだろうか。

 

そう、よく似ている。目指しているものの方向性も揃っているし、結構 仲良く出来るもんだと思うのだが。

 

ただ、難しいお年頃なのも事実だ。他者との関わり方が普通じゃなかったアグネスタキオンにとって、あの実験室の中で築かれてきた唯一無二の自分たちの関係の仲にこれから他者が割り込んでくることを極度に恐れているようにも見える。

 

要するに、自分のペースを掻き乱されるのが嫌いで自分の研究に信念を持つ研究者らしい典型的な人間嫌いが表出しているように思えた。

 

しかし、学園一危険なウマ娘と呼ばれているアグネスタキオンもナリタブライアンと同じように気にかけてくれている人たちが意外といることにまだ気づいていないだけなのだ。

 

 

コンコン・・・

 

斎藤T「おや」

 

斎藤T「入って、どうぞ」

 

フジキセキ「やあやあ、タキオン」ガチャ

 

アグネスタキオン「おやおや、フジくんじゃないか。どうしたんだい、自分から私のところに来るだなんて珍しいねぇ」

 

アグネスタキオン「あ、もしかして私の実験に協力してくれる気になったのかい?」

 

フジキセキ「こらこら、他者を実験体にしてはいけないよ、タキオン」

 

フジキセキ「でも、最近はトレーナーさんを光らせてはいないよね?」

 

斎藤T「それは単純に学園一危険なウマ娘が漂わせるドーピングのイメージを払拭するためにやらなくなっただけで、生化学から人間工学に人体実験を切り替えただけですよ、寮長」

 

フジキセキ「そうなんだ。タキオンも 随分 変わったんだね」

 

アグネスタキオン「どういう意味だい?」

 

フジキセキ「――――――『誰かのために走りたい』って思えるようになったんじゃないかな?」

 

アグネスタキオン「…………ふ、ふぅン?」

 

フジキセキ「だって、タキオンって、斎藤Tがトレーナー室を譲り受けるようになったら、同じ部屋にずっと一緒にいるよね。噂になっていたよ」

 

フジキセキ「それに、今じゃもう誰かを実験体にすることがなくなったのも、もう十分に実験データは得られて満足したわけなんでしょう?」

 

フジキセキ「そして、みんなが知っているアグネスタキオンというウマ娘はトレーナーの指示に従うような子じゃないって認識だったから、案外 いい人に出会えて丸くなったんじゃないかってね」

 

アグネスタキオン「!!!!」

 

 

フジキセキ「ダイヤモンドのネックレス、見せて欲しいな」

 

 

アグネスタキオン「なっ!?」

 

斎藤T「授業中に暇だからってネックレスを取り出してニヤニヤしていたのか?」

 

アグネスタキオン「そ、そんなことがあるわけ――――――」アワワ・・・

 

フジキセキ「嘘だよ」ニッコリ

 

アグネスタキオン「ええええええええええええ!?」

 

フジキセキ「持ってそうな雰囲気はしてたんだよね。ほら、首筋に見えているチェーンが宝飾品のものなのは見ればわかるし」

 

フジキセキ「それに、本当に素晴らしい宝飾品は付けただけでその人のオーラが増すって言うし、俳優業でも宝飾品のあるなしで不思議と印象が変わることはよく聞かされていたしね」

 

フジキセキ「でも、まさかトレセン学園でダイヤモンドのネックレスをしている子がいたとは本当にびっくりだけどね」

 

フジキセキ「本当に素晴らしい人が担当トレーナーになってよかったね、タキオン」

 

アグネスタキオン「………………」カアアアア!

 

斎藤T「まあ、本当はハンドクリームで十分だったんだけど」

 

斎藤T「論功行賞の結果、それぐらい価値のあるものをやらないと報いることができないから、たった100万円程度の安物だけど報酬として伊勢参りの際に贈ることになりまして」

 

フジキセキ「わお! もしかして年末年始に一緒に伊勢参りに行ったの? びっくりするぐらい仲が進展しているね!」

 

フジキセキ「そっか、私が心配するようなことは何もないね、これなら」

 

アグネスタキオン「うぅ…………」

 

アグネスタキオン「トレーナーくん!」

 

斎藤T「ん?」

 

アグネスタキオン「シャワー、浴びるから!」

 

斎藤T「どうぞ」

 

アグネスタキオン「うわあああああああああああ!」ダッダッダッダ!

 

フジキセキ「え、トレーナー室にシャワー――――――?」

 

斎藤T「寮長、お時間があるなら、是非ともお話がしたいのですが、どうでしょうか? 珍しい紅茶やコーヒーでもたなしますよ?」

 

フジキセキ「……そうだね。いただくとしようかな」

 

斎藤T「それと、あまり広めないで欲しいのですが、一応は生徒会からの許可証をもらって我が社の新製品のモニターをここでやらせてもらっているのですよ。これが許可証と製品の概要です」

 

フジキセキ「そうなんだ」

 

フジキセキ「へえ、これが製品化できれば、水道費の大幅な節約が見込めて予算が増やせるわけなんだ」パラ・・・

 

フジキセキ「しかも、コンセントが確保できれば屋外で組み立てて使用することも簡単みたいだから、合宿や遠征で使えたら便利そうだよね」

 

フジキセキ「……これはやっぱりエンターテイナーとして嫉妬しちゃうな」ブツブツ

 

 

珍しい客人が来たものだ。

 

フジキセキ、栗東寮の寮長である。総生徒数2000名弱を収容する巨大な住宅団地となっている学生寮を総括する一人であり、もうひとりは美浦寮の寮長:ヒシアマゾンである。

 

実は、トレセン学園の学生寮寮長の権限は生徒会に匹敵するものがあり、トレセン学園生徒会はトレセン学園の生徒たちの代表機関なのに対し、トレセン学園学生寮を治める自治会の長なのが寮長なのである。

 

そのため、生徒会長ほどではないにしろ、全寮制であるトレセン学園の生徒たちのプライベートな居住区である学生寮を取り仕切るだけの器量と威厳が必要であるため、寮長もそれ相応の実績と品格のある競走ウマ娘でなければまずなれないのだ。

 

実際、寮長であるフジキセキとヒシアマゾンの2人は、生徒会役員ほどではないにしろ、世間的に見れば れっきとしたスターウマ娘のひとりであり、生徒会役員ではないが学生寮自治会の長として生徒会に直接物申す権限を有していた。

 

一方で、学生としてのパブリックな部分の代表機関:生徒会とプライベートな部分の代表機関:自治会の間で過去にトレセン学園の運営や自治をめぐって深刻な対立関係に陥った歴史もあり、それが寮長の存在を学園の裏の支配者としての地位を確立させるに至る。

 

なにしろ、生徒たちが通う学び舎のある学園内での事件は自治会の出る幕はないが、全寮制として全生徒が寝泊まりする学生寮内での事件に生徒会は介入しづらいため、過去の歴史に起きた深刻な対立において互いの職域での職権乱用による嫌がらせが横行し、それで理事会の調停で両成敗を喰らった事実があるぐらいなのだ。

 

それぐらい、巨大な住宅団地になっているトレセン学園学生寮の閉鎖空間には現在の自由で開放的な校風のトレセン学園のイメージから想像がつかないような光の届かない淀みが沈殿していたことがあるのだ。

 

 

ただし、現在の黄金期と評される秋川理事長と生徒会長:シンボリルドルフによる1強体制の下、理想的な指導者の統制と統治によって 過去 類を見ないほどに生徒会と自治会の関係は良好なものとなり、これまで閉鎖的だった学生寮と自治会の風通しが良くなっていた。

 

 

つまり、フジキセキとヒシアマゾンの寮長2人もトレセン学園の黄金期を支えた功労者;生徒会の影に隠れた縁の下の力持ちということになり、

 

特にフジキセキはクラシック級:2年目の『弥生賞』で4戦4勝の活動休止(引退に非ず)となり、最終的には微妙な評価に落ち着いたものの、

 

当初からその人望と面倒見の良さと競走ウマ娘としての圧倒的な走りから多くの人たちを魅了してきたため、秋川理事長と当時の生徒会長がフジキセキの引退を引き止めて学生寮寮長に推薦した経緯があった。

 

そのため、ティアラ路線を行き 最終的に『有馬記念』で“三冠ウマ娘”ナリタブライアンと激闘を繰り広げた“女傑”ヒシアマゾンに先駆けて、中等部の時点で栗東寮の寮長にフジキセキは就任していた。

 

そして、秋川理事長の『URAファイナルズ』の構想と理念を早くから聞かされていたこともあり、

 

1世代先輩である“皇帝”シンボリルドルフと共に改革を遂行する同志として、学生寮自治会の長の一人として陰ながら“皇帝”陛下の治世を支え続けたわけである。

 

なので、生徒会長:シンボリルドルフにとっては右腕である副会長:エアグルーヴよりも寮長:フジキセキの方が自身の治世においては付き合いが長いわけであり、

 

生徒会にエアグルーヴが健在でも『自治会にフジキセキがいなかったら黄金期の繁栄はありえなかった』と評していたぐらいにトレセン学園の歴史において地味ながら非常に重要な存在であったのだ。

 

そう、エアグルーヴがシンボリルドルフの右腕なら、フジキセキはシンボリルドルフの腹心であり、生徒会の管轄外にある学生寮とその自治会をまとめ上げている手腕はエアグルーヴよりも卓越していたのだ。

 

もうひとりの副会長:ナリタブライアンと寮長:ヒシアマゾンのトレセン学園での功績や影響力も十分なものがあるが、実際には表舞台をシンボリルドルフが導き、その足元をフジキセキが最初に整えたという先人の功と比べたら、2人は大したことはない。

 

しかし、こうして間近に見ると、そんな偉業を成し遂げた大人物であることを一切感じさせない親しみやすさとお茶目な一面を併せ持った甘いマスクの麗人であり、こういうところが“皇帝”シンボリルドルフにそっくりに思えた。

 

別に、“女帝”や“怪物”が人間的に劣っていることを言いたいわけではない。“女傑”についてもまた然り。

 

ただ、フジキセキは当時のナリタブライアン以上に“三冠ウマ娘”になることが期待されていた 王としての風格を持った数少ない人物であり、

 

もしも私が二つ名をつけるとしたら、シンボリルドルフほどの父性は感じないが才色兼備が引き立つ麗人なのでトウカイテイオーにならって、“黒き帝王”と評していたことだろう。

 

 

ジャー、ジャー、ジャー・・・

 

斎藤T「寮長としては『URAファイナルズ』についてどう思いますか?」

 

フジキセキ「そうだねぇ。私はいわゆるブライアン・エアグルーヴ世代だから、全戦全勝でありながら結果については言うまでもなく散々なもので、みんなの憧れの“三冠ウマ娘”の夢を叶えることができなくて悔しい思いをしてきたけど、」

 

フジキセキ「秋川理事長や当時の生徒会長が引退を引き止めてくれたおかげで、こうして再びターフの上で走る機会が得られたことを光栄に思うよ」

 

フジキセキ「だから、私は“三冠ウマ娘”にはなれなかったけれど『URAファイナルズ』の初代チャンピオンとして名を残すよ、絶対に」

 

斎藤T「意気揚々ですね」

 

フジキセキ「ただし、私のことを“幻の三冠ウマ娘”だって言ってくれているみんなには悪いんだけれども、出るのはマイル部門なんだけどね」

 

フジキセキ「だから、『URAファイナルズ』で戦うとしたらティアラ路線の“女帝”エアグルーヴだと思っていたんだけど、彼女は出走しないみたいだから残念に思うよ」

 

斎藤T「肩の力が入りすぎていますよね、次期生徒会長は」

 

フジキセキ「うん。そうだね。エアグルーヴも私と同じなんだよね」

 

フジキセキ「私もエンターテイナーとして人前で失敗することを恐れないようにする方法がないかを悩んでいた時期があったけれど――――――」

 

斎藤T「――――――そんなものはない。結局はどれだけ準備したところで成るようにしか成らない」

 

フジキセキ「そう。だから、舞台に上がる者にできることは成功しようが失敗しようが次に向かって努力し続けることだけ」

 

斎藤T「同じですね。一芸に秀でる者は多芸に通ず。完璧なんてありえないんだから、失敗を失敗のままにしないこと」

 

フジキセキ「うん。今ならお母さんに言われたことが十分に理解できるよ」

 

 

フジキセキ「やっぱり、会長が認めるだけのことはあるね、斎藤Tって」

 

 

斎藤T「そういうフジキセキ寮長からも“皇帝”と似たようなものを感じてます」

 

斎藤T「さながら、黄金期を陰ながら支えてきた“黒き帝王”ですね。シンボリルドルフと比べたら軽い印象ですけど、それならトウカイテイオーのような才色兼備ということで」

 

フジキセキ「いやぁ、それは褒め過ぎかなぁ……」アハハ・・・

 

フジキセキ「でも、こうして面と向かって話をすることができたのが今日が初めてなのに、そう評価してくださるということは斎藤Tは生徒会長のことをよく理解していらっしゃるというわけですよね」

 

 

フジキセキ「さすがは去年の学生寮不法侵入事件の功労者です」

 

 

フジキセキ「自治会の長として この場を借りて お礼申し上げます。むしろ、今までお礼の1つもなかったことを深くお詫びします」

 

斎藤T「そう畏まらないでください。あれは本当にどうしようもなかったんですから」

 

フジキセキ「それを解決してみせたのが学園一の嫌われ者という学園の噂の的なんですから、エンターテイナーとしてはいろんな意味で嫉妬しちゃいますよ」

 

フジキセキ「それにしても隙がないなぁ、まったく」

 

フジキセキ「よくはわからないですけど、皇宮警察のご両親を持つとそういうこともできちゃうんですか?」

 

斎藤T「さて、ね?」

 

 

――――――ただ、私の夢は『宇宙船を創って星の海を渡る』ことですから。

 

 

 

 

――――――それから、

 

ナリタブライアン「よし、さっぱりした」

 

ナリタブライアン「おい、頼んでおいた今日の丼は――――――」

 

フジキセキ「やあ、ブライアン。門限はしっかりと守ってね」ニコッ

 

ナリタブライアン「な、なんでフジがここに……」ビクッ

 

フジキセキ「なぜって、私も斎藤Tと会って話をしたいとずっと思っていたからだよ。去年の事件の功労者なんだし」

 

ナリタブライアン「それはそうだが……」

 

ナリタブライアン「そういうフジも『URAファイナルズ』に出るのに、こんなところでのんびり茶なんか飲んでて大丈夫なのか?」

 

フジキセキ「大丈夫だよ。自治会は私ひとりだけじゃないし、私が走る姿をまた見たいというポニーちゃんたちの応援もあるからね」

 

斎藤T「はい、おまたせ! ありとあらゆる缶詰の珍味を載せた特製肉肉丼! 是非ともご賞味あれ!」ドン!

 

フジキセキ「うわっ! 肉が山積みになった丼だね!」

 

ナリタブライアン「おお! これだ、これだ! 何の肉かはわからないが、海鮮丼みたいに一度にたくさんの種類の肉を頬張りたいと思っていたんだ!」ガツガツ!

 

斎藤T「わかめスープもどうぞ」コトッ

 

ナリタブライアン「ああ、助かる!」ガツガツ!

 

フジキセキ「――――――さしもの、“怪物”ナリタブライアンも“斎藤 展望”には敵わないか」ボソッ

 

ナリタブライアン「うん?」ガツガツ!

 

フジキセキ「じゃあ、トレーナーさん。私には何をご馳走してくれるのかな?」

 

斎藤T「今日は三色鍋に招待だ」

 

フジキセキ「――――――三色鍋!」

 

ナリタブライアン「ほう?」

 

アグネスタキオン「まったく、私を扱き使うだなんて、いい度胸だね、トレーナーくん!」ドン!

 

フジキセキ「これって、仕切り鍋ってやつだよね。初めて見た」

 

斎藤T「そう、このように仕切りをつけることで複数のスープを楽しむことができる鍋で、他にもカレーやフォンデュの食べ比べに使うことができるのは見ての通り」

 

斎藤T「しか~し! この三色鍋は実際には3つの小さな鍋で構成されているから、こんなふうに小さな鍋を持ち上げて、予備の鍋に簡単に入れ替えることができるわけ!」

 

斎藤T「特徴的な形状のおかげで脱着も簡単。更には、この小さな鍋も穴開きの二重構造でスープと具を分離させることもできるから、スープごと鍋を交換することや鍋の具だけ交換することも簡単にできちゃうんだ」

 

斎藤T「そして、普通に1つのスープで鍋を楽しみたければ、小さな鍋を全部取り外せばよし」

 

斎藤T「更に、3つの小さな鍋はだいたい1.5人前になるから、そのまま鍋から切り離して食べることも可能!」

 

斎藤T「または、小分けにしてあるから気軽に鍋のシメを試すことができるな!」

 

斎藤T「こういった創意工夫がなされて改良された我が社の新製品の三色鍋をどうぞお試しあれ!」

 

フジキセキ「おお! これは見ていてワクワクさせられたね! こうした商品宣伝も立派なエンターテイメントだよ!」

 

ナリタブライアン「で、肝腎のスープと具は何だ?」

 

斎藤T「今回は豆腐専門店の老舗の高級豆腐による湯豆腐と、北海道直送の鮭の味噌仕立ての石狩鍋と、クリームシチューっぽい洋風豆乳鍋でございます」

 

アグネスタキオン「トレーナーくん! 私は慣れない鍋の準備でもうクタクタだから、よそってくれよ~!」

 

フジキセキ「へえ、3つの鍋を楽しむために小鉢が3つくっついたものを取皿に使うんだね。これなら嵩張らないし、いいね」

 

フジキセキ「はい。どうぞ、タキオン」

 

アグネスタキオン「あ……」

 

ナリタブライアン「おい、私の皿、小鉢は?」

 

斎藤T「え? なんであなたの分まで用意しなくちゃならないんですか? 図々しいですよ?」

 

ナリタブライアン「なんだと!?」

 

斎藤T「これは私と担当ウマ娘の夕飯であって、あなたには肉肉丼があるでしょう?」

 

フジキセキ「まあまあ、そう言わずに」

 

フジキセキ「なら、ブライアン。私の分をわけてあげるから、次からはお礼ぐらいするんだよ?」

 

ナリタブライアン「う、うぅ……。それもそうか……」

 

フジキセキ「うん! この湯豆腐、物凄く美味しいね!」ハフハフ・・・

 

フジキセキ「それに、クリームシチュー風の洋風豆乳鍋も洋野菜をしっかりと摂ることができるから栄養満点だよ!」

 

ナリタブライアン「野菜は勘弁して欲しいんだが……」

 

斎藤T「だから、肉肉丼にしてあげたんでしょう?」

 

ナリタブライアン「あ、そういう気遣いがあったのか……」

 

フジキセキ「はい、鮭の切り身なら大丈夫だよね?」

 

ナリタブライアン「すまないな」

 

ナリタブライアン「お、この鮭の切り身はなかなかだな!」

 

アグネスタキオン「……あ、美味しい」パクッ

 

斎藤T「だろう? よくやってくれたよ。初めてにしては上出来じゃないか。スープの配合を完璧に仕上げたんだから、これまで生化学を誰よりもやってきてよかったな」

 

アグネスタキオン「……そ、そうかな?」

 

フジキセキ「………………」

 

ナリタブライアン「………………」

 

フジキセキ「ホント、楽しみだね、ブライアン」

 

ナリタブライアン「そうだな。姉貴には悪いが、もう1年 トレセン学園にいられることがこんなにも楽しみに思えるだなんてな」

 

 

――――――こうして今日の夕餉は4人で三色鍋を楽しむことができた。

 

 



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第3話   栄華を極めたら――――――

-西暦20XY年01月18日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

基本的に日本ウマ娘トレーニングセンター学園(中央トレセン学園)の生徒たちは中高一貫校の生徒として学業が本業なんだけれど、

 

それと同時に国民的スポーツ・エンターテイメント:中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の出走バとして活躍することを義務付けられて入学している。

 

そして、府中市にある中央トレセン学園がURAが管轄するものでは日本最高峰のレベルとされており、ここを本校として日本各地に分校がいくつか設置されていた。

 

もっとも、分校はあくまでもサテライト会場や遠征の宿泊地のような本校の附属施設の扱いであり、そこの保守点検業務のために本校に入学できない三流どころを養成している面が強かった。

 

実際、中央トレセン学園では出走バとなるアスリートコースと運営に携わるアシスタントコースが生徒たちに用意されており、

 

当然ながら府中市の本校の総生徒数2000名弱の生徒の大半がアスリートコースなのだが、分校になるとアシスタントコースに在籍する生徒の比率が大きいのだ。

 

当然ながら、“中央の中の中央”である府中市の中央トレセン学園は日本最高峰と評されるだけに最新設備と環境が整っており、ここでトレーニングを受けられることが最大のメリットでもあった。

 

 

なので、当然ながら設備の更新や維持のためには莫大な費用がかかるわけであり、その資金源となる学費も連動して非常に高くなるわけである。

 

 

となれば、貧乏苦学生ではいくら才能があっても成長し切ることは難しいわけであり、そうした不公平から奨学金制度が非常に充実することになったが、

 

結局、夢の舞台の主役になれなければ賞金は手に入らないので、何者にもなれずにそのままバカ高い学費を支払い続けて卒業した結果、その後の人生が奨学金返済で首が回らなくなるよりかは、早々に見切りをつけて第2の人生のために引退即退学が常識ともなっていた。

 

更に言えば、府中市のトレセン学園の全員が全員、アスリートコースの平地競走の出走バになるわけではないが、

 

年間のURA重賞レースはせいぜい100ぐらいで、その半分ぐらいがG3レース、残りをG1レースとG2レースでその半分を分け合っている上に、バ場や距離の適性や出走条件によって更に出走できる数は絞られる。

 

だからこそ、G1レースで勝利することがウマ娘にとっての憧れであり、国民的スポーツ・エンターテイメントとしてのウマ娘レースの醍醐味なのだ。

 

 

そこで課題となってくるのが、中高一貫校としての中央トレセン学園におけるシニア級:3年目以降の生徒たちであった。

 

 

なぜ競走ウマ娘にとってデビューしてからの1年目:ジュニア級、2年目:クラシック級、3年目:シニア級の最初の3年間が重要なのかと言えば、

 

ウマ娘がヒトを超越した身体能力を発揮していく“本格化”が思春期における二次性徴が著しい時期の3年前後のものとされているからだ。

 

どれだけ見積もってもウマ娘としての最盛期は長い人生における十代の中のわずか数年の青春にしかないという れっきとした事実があるため、

 

古来から強いウマ娘を育てるためにティーン・エイジャーのウマ娘の学制をどうするかで頭を悩ませながら発展してきて今日に至るのがこの世界における近代教育制度であり、

 

日本では最終的に中高一貫校の6年間で『トゥインクル・シリーズ』に参加できる資格と猶予を提供することになっていた。

 

ただ、21世紀になり、昨今では文明の発展によって人類全体の寿命が伸びたことで、本来ならば3年程度が限界とされていた競走ウマ娘の選手寿命も長生きするようになり、

 

そこから長らく勝ち過ぎて競バが退屈になるような息の長いウマ娘たちが現れ始め、続々と優駿競バ『ドリーム・シリーズ』への昇格という名の追放を受けるようになり、少しずつ状況が変わり始めていた。

 

そして、秋川理事長とシンボリルドルフが象徴となった中央トレセン学園の黄金期には総生徒数2000名弱のマンモス校にまで発展し、夢の舞台のその先となる『ドリーム・シリーズ』へと羽ばたいていく生徒たちが次々に現れたのだ。

 

これにより、“最初の3年間を走り抜く”という『URAファイナルズ』の基本的な出走条件にもなっている従来の競走ウマ娘の目標は終着点から上位リーグへの通過点になりつつあり、そのことが更なる格付けに繋がることになる。

 

それは同時に、たとえ最初の3年間を走り抜くことができても そこからは下降気味になってしまうという“本格化”の期間の長さに恵まれなかった()()()()()()()()()()競走ウマ娘たちに新たに突きつけられた残酷な現実にもなった。

 

 

そう、中高一貫校の6年間のうちの3年間で夢の舞台を走り抜くことができれば満足だった時代からなくなりつつあるのだ。

 

 

むしろ、その先となる『ドリーム・シリーズ』に昇格できなければ()()()()()()()()()()()()()()()()という新たな価値観が生まれ、

 

これからは担当トレーナーの指導力と担当ウマ娘の才能だけじゃなく、どれだけ故障せずに勝利を積み重ねて上位リーグに昇格できるかの運と実力を兼ね備えた 緻密で遠大な人生設計まで求められる時代になりつつあるのだ。

 

そうなれば、“三冠ウマ娘”ナリタブライアンと三ケ木Tのようなウマ娘の才能だけで勝ち上がってきた名コンビは完全に価値を失っていくことだろう。

 

あの2人の成功が“皇帝”シンボリルドルフと“皇帝の王笏”たる彼が切り拓いたトレセン学園の黄金期の流れを確実にしたのだから、その2人が評価されないような時代が来るなら それはもう――――――。

 

 

なので、『トゥインクル・シリーズ』の位置づけはいつしか『ドリーム・シリーズ』の単なる下位リーグとなって国民的スポーツ・エンターテイメントの座を明け渡すことになるのだろう。

 

 

しかし、選手寿命が伸びることによって『トゥインクル・シリーズ』の絶対的立ち位置が揺らぐのが自然な流れだとしても、

 

そうなると、ただでさえ狭き門に狭き門を重ねて潜り抜けて夢の舞台の3年間を走り抜くことができるように頑張り通すことができても、

 

そこから更に『ドリーム・シリーズ』に昇格して活躍できるだけの選手寿命を求められるようになったら、ますますトレセン学園の生徒たちの間の格差が拡がっていくことにならないだろうか。

 

つまり、田舎の貧乏苦学生が才能1つで伸し上がったところで、通過点に過ぎない『トゥインクル・シリーズ』での活躍までが精々だと言われてしまう時代が来てしまったのなら、もう狭き門を潜る勇気を持つ者はいなくなるのではないかと思ってしまう。

 

どれだけウマ娘が生まれながらの闘争本能に身を任せて挑んだところで、自分以上のウマ娘たちとの激闘に敗れて自身の能力の限界を知って引退即退学になっていることが問題視されている現状を踏まえれば、楽観的な観測などできるはずがない。

 

それが秋川理事長とシンボリルドルフの理想の集大成である『URAファイナルズ』開催を素直に感心する一方で、

 

その実態が最初の3年間を多くのウマ娘たちが最後まで走り抜いて気持ちよく卒業してもらうためのレースであることと、最初の3年間以降も走り続けようとする現役ウマ娘たちが存在していることの間にある違和感の正体であった。

 

 

要するに、『URAファイナルズ』によるトレセン学園の更なる繁栄の時代は選手寿命が伸びて『ドリーム・シリーズ』に移籍する名バが増えるに連れて翳りゆくのが定めなのだ。

 

 

“皇帝”シンボリルドルフがそうであるように『ドリーム・シリーズ』に送り出すのがトレセン学園の役目だと割り切れるのなら それでいいのだが、抜き差しならないものを感じている。

 

とにかく、中央トレセン学園の引退即退学の原因となっている一番の理由が金銭面での問題であり、

 

たとえ引退を検討するぐらいに“本格化”のピークを過ぎたとしても挑戦できる機会は残しておくべきであり、残留するためにも学費を抑えることができれば それだけ可能性は拡がる。

 

もちろん、どうにかして才能ある貧乏苦学生の金銭面の負担を減らしてやりたいところだが、それは最高の環境を維持して生徒たちに公平に提供するためには必要不可欠な徴収なので、これをカットするわけにはいかないのだ。

 

ただでさえ、莫大な寄付金を『名門』や『名家』から受け取って成り立っているのが世界有数の実力を有する中央トレセン学園なのだから、やはり発祥からして王侯貴族の金持ちの道楽で成り立っていることがわかる。

 

となれば、設備維持のためにコストカットができないなら人件費を削るのが一番であり、そうするためには給料を渡さなければならないトレセン学園の職員や関連施設の従業員や、夢の舞台の主役である生徒たちの福利厚生にかかる費用を減らしていく他ない。

 

ところが、ここではヒトとウマ娘の絆から生まれる不思議なパワーを信仰している他、ウイニングライブなど機械が代行できないような独特のセンスの世界が拡がっているため、軽々しく免職・解雇することは絶対にできない。

 

ならば、できるのはインフラ設備の機能性向上による生活費の大幅な節約であり、これならトレセン学園以外の場所でも需要があるため、そのための技術革新は決して無駄にならない。

 

これこそが私の狙いであり、地球圏統一国家が成立していない頃の紛争や貧困が絶えない21世紀の地球を恒久平和に導くための宇宙時代への文明開化の第一歩であった。

 

 


 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

シンボリルドルフ「――――――これがきみの『URAファイナルズ』の分析結果というわけか」

 

シンボリルドルフ「結局は学費の問題で退学する生徒は後を絶たない、と」

 

斎藤T「結局はそこです。何をするにしても日本最高峰のトレーニング環境を維持するための莫大な学費を支払うことができないことで退学になるので、」

 

斎藤T「これからは最初の3年間を『URAファイナルズ』までみんなが走り切って引退即退学とはならないでしょうが、」

 

斎藤T「それでも、レースで賞金を稼げなくなれば、奨学金の返済でこれからの人生の負債が膨らむ前に退学を選ぶことが顕著になるだけです。引退即退学から()()()退()()の時代です」

 

斎藤T「特に、中等部1年生の時点でデビューすることができた所謂“エリート”がもし中等部3年のシニア級:3年目で引退を決意するほどに活躍ができなかった場合は、天下のトレセン学園を中等部で卒業して夢の舞台から下った普通の高校生としてこれからを生きていくしかなくなるわけです」

 

斎藤T「それは闘争心の強いウマ娘にとってはとても屈辱的なことのはずです。中高一貫校の6年間の半分しかいられずに夢の舞台から追いやられるわけですから」

 

斎藤T「そうなると、中等部1年でデビューするエリート路線を目指す生徒がかなり減るんじゃないかと思いますね」

 

斎藤T「そして、自分は勝つという絶対的な自信 または現実が見えていない無謀さで『選抜レース』に出てくる新入生ばかりになり、トレーナー側としても分の悪い賭けになってきてスカウトにも慎重になっていくことでしょう」

 

シンボリルドルフ「つまり、新入生たちの『選抜レース』が盛り上がりに欠けてくるようになる――――――」

 

シンボリルドルフ「もちろん、真の実力者ならば競走相手が減ってスカウトをますます受けやすい状況にはなるが、慎重派がスカウトする側とスカウトされる側の両方で増えて、スカウトが消極的な状況に陥るわけか」

 

斎藤T「デフレですよ、デフレ。所得が減るために、消費者は消費を控えるようになって、借金をしている人の負担がますます重くなる――――――」

 

斎藤T「引退した後も見栄を張って高い学費を支払ってトレセン学園に居座ることが許されるだけの財力があれば卒業することもできるでしょうが、自分の学費が他人のトレーニング代になって消費されるのを喜べるウマ娘なんているわけないですから」

 

シンボリルドルフ「そうだな、自分の学費の元を取ろうとして懸命にトレーニングに打ち込んでいることもあるしな」

 

シンボリルドルフ「となると、どうにかして学費を抑えて経済的な負担を抑えないと、教育現場としてはよろしくない現状の根本的な解決には成りえないか」

 

斎藤T「そもそも、『トゥインクル・シリーズ』は公営競技(ギャンブル)なんですから、出走バの側もバカ高い学費の当てをレースの賞金にしている時点で自分の人生を丸ごと賭け金にしているんです」

 

斎藤T「それがあるからこそ、たとえG3レースであっても出走バの真剣勝負が成り立っているところがあります」

 

斎藤T「裕福じゃないからこそ格の低いレースに出走したくなる必死な連中もいるんですから、」

 

斎藤T「逆に学費を格安にしたら、退学勧告を受けない程度にG3レースでそこそこの活躍をしたらとっとと引退してトレセン学園卒業まで居座る 質の悪い競走ウマ娘が生まれることにもなります」

 

斎藤T「現に、実力はG1出走可能であってもG2勝利やG3勝利で小遣い稼ぎを目標にして手を抜いている志の低い者たちがいるわけですし」

 

シンボリルドルフ「それも問題だな。安すぎてもいけないし、高すぎてもいけないか」

 

斎藤T「でも、コストカットしようがないんです。ロボットという量産品ではなくスターウマ娘というハンドメイドをプロデュースしている以上は常に流行の最先端であるためにも人件費を削るわけにはいかないんです」

 

シンボリルドルフ「だから、極限までインフラ設備の高効率化による生活費の大幅な節約が求められるわけか」

 

シンボリルドルフ「そして、選手寿命が伸びることによって『ドリーム・シリーズ』の人口が順調に増えていくことで、将来的に『トゥインクル・シリーズ』での最初の3年間が終着点から通過点に成り下がり、」

 

シンボリルドルフ「いずれ才能だけで戦うウマ娘たちが狭き門を潜る勇気や希望を持てなくなり、近代ウマ娘レースの原点であった王侯貴族の道楽に時代逆行して、競技人口の固定化による緩やかな衰退が始まるという別の問題も同時進行している――――――」

 

 

シンボリルドルフ「まいったな。これは問題だらけだ……」ハハッ

 

 

シンボリルドルフ「中央官庁の官僚たちめ、『URAファイナルズ』の開催協力だけで終わりだと思うなよ……」

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「でも、きみがどれだけウマ娘たちの想いを汲んでいるかもこれでよくわかったよ」

 

シンボリルドルフ「本当にありがとう。きみには本当に助けられてばかりだな」

 

斎藤T「まあ、できることから手を付けていく他ないですね」

 

斎藤T「これもまた私にとっては『宇宙船を創って星の海を渡る』ための積み重なる一歩です」

 

シンボリルドルフ「そうだな。私も秋川理事長や多くの者たちと夢見た理想への一歩を着実に歩んでいるんだ」

 

 

――――――あらためて、“同志”と呼ばせてもらってもいいかな?

 

 

いよいよ、来週の火曜日は『生徒会総選挙』となり、前代未聞のトーナメントレース『URAファイナルズ』開催前のトレセン学園生徒会役員の世代交代と1つの時代の終焉を象徴する盛大な式典が催されることになる。

 

もはや、誰が生徒会役員になるかは内々で決まっているし、そのことは周知の事実として知れ渡っているにしても、建前上は民主的な手続きに則って生徒たちの代表として選出されるので、

 

冬休み明けのトレセン学園は立候補者の演説と共に始まる選挙活動を経た投票日を前日:月曜日に行い、開票と当選を翌日:火曜日の午後の全校集会に間に合うように処理するという。

 

そして、宮廷舞踏家のウマ娘たちがセンターの座を賭けてレースで決したのが近代ウマ娘レースとウイニングライブの起源であり、

 

そのエリート校ということもあって、新生徒会長は就任演説の代わりに当選者と推薦人2人によるウイニングライブをするのが慣習となっている。

 

これはURA公認ではない学園独自のウイニングライブであり、生徒会長に立候補する者と推薦人は必ず踊れる者でなければ、生徒たちの長として示しがつかないというわけである。

 

そのため、高等部からずっと3期に渡って生徒会長職に就いていた“皇帝”シンボリルドルフと一緒に踊れる権利を巡って 毎年 推薦人の募集は殺到しており、

 

年明けからシンボリルドルフが推薦人と一緒のウイニングライブの練習に明け暮れていたのも良い思い出となっている。

 

そして、今度は次期生徒会長である“女帝”エアグルーヴと一緒にウイニングライブするために推薦人が殺到することになり、

 

エアグルーヴはその練習に明け暮れるようになっていたので、これではたしかに『URAファイナルズ』出走は難しいものがあった。

 

そういう意味では、第一線を引いて生徒会活動に専念している功労バたちにとっての最後のウイニングライブが生徒会長就任ウイニングライブということになるのだろう。

 

とは言っても、選挙の告知は去年の12月にはなされており、そこで『トゥインクル・シリーズ』で活躍した名バたちが出揃うので、

 

選挙対策委員会を独自に結成して誰と誰が推薦人の2つの枠をとるのかを立候補者の熱心な支持者同士で決める熾烈な戦いがあらかじめ済んでいる。

 

なので、基本的に“皇帝”シンボリルドルフ1強体制を引き継ぐ“女帝”エアグルーヴ1強体制のため、対立候補がいない信任投票なので そこまで熱心に選挙活動に力を入れる必要もなかった。

 

ウイニングライブの練習も選挙活動の1つに数えられているのが非常にユニークであり、当然ながら制服や体操服で踊るわけにもいかないし、

 

普通は一生に一度しかないだろう生徒会長就任ウイニングライブということもあって、たとえG1未出走であってもG1レースでしか着られない勝負服を着込んでの盛大な晴れ舞台が展開されることであろう。

 

それでも、3期に渡ってトレセン学園を導いてきた偉大なる“皇帝”の後を継ぐことになるプレッシャーは尋常ではなく、

 

“女帝”エアグルーヴはやや掛かり気味になってウイニングライブを完璧に仕上げようと無理をしているようにも思えた。

 

 

そんな中、私は間もなく元会長になるシンボリルドルフからの勅命でシンクタンクとして意見を提出するのだった。

 

 

それはもう、個人的な主従関係としてシンボリルドルフが卒業してからも力を貸すことを誓うものでもあった。

 

本当は“斎藤 展望”が皇宮警察であることとシンボリルドルフが“皇帝”と呼ばれていたことに掛けた洒落に過ぎなかったのだが、

 

やがて、三女神像のおまじないの儀式によって“ウサギ耳”や“皇帝の王笏”の因子を継承した結果、互いを必要とする関係だったのがわかっていき、こうして協力関係を結ぶことになったのだ。

 

実際、トレセン学園の黄金期を牽引することができたシンボリルドルフの実家である名家:シンボリ家のウマ娘レース界隈における影響力は絶大で、

 

()()()()としてヒト社会と運命を共にしているウマ娘たちの支持を取り付けて技術革新を推進するにはなくてはならない要素となっていた。

 

そういう意味では、すでに“斎藤 展望”は“皇帝”の御墨付きということで、ウマ娘レース界隈ではほとんど怖いものなしの存在になっていた。

 

しかし、それだけに互いが実現しようとしているものがあまりにも理想が高すぎるため、“皇帝”からの勅命はこちらの能力の限界ギリギリまで突き詰めるようなものがあり、これからも馬車馬のように働かされることだろう。

 

 

――――――ええ、やってやりますとも。これは『宇宙船を創って星の海を渡る』という夢のために必要なことだから。

 

 

 

ジャー、ジャー、ジャー・・・

 

飯守T「――――――基本的には最初の3年間までのトレーナー契約を結ぶもんだ」

 

飯守T「けど、俺はライスの次の子を探すよりも、8月末の事件のようにトレセン学園の子たちが安心して生活ができるようにしなくちゃいけないと思っているんだ」

 

飯守T「だから、トレセン学園のご意見番になったお前の分析結果を踏まえると、やっぱり3年間の基本契約も時代に合わなくなっているのかもしれないな」

 

斎藤T「シニア級:4年目を迎えるライスシャワーの今後の活動はどうします? 中等部卒業に合わせてトレセン学園を卒業するという道もありますよ?」

 

飯守T「卒業はないかな。ライスもやる気十分だし、これからもミホノブルボンの背中を追い続けるさ。俺もトレーナーとしての意地があるしさ」

 

斎藤T「そうですか」

 

飯守T「ただ、()()()()と言われると、ライスもいつまで“本格化”を維持して走れるかが心配になってくる頃だけどな」

 

斎藤T「やはり、3年程度ですか」

 

飯守T「ああ。良くて4年で、そこから身体を休めていけばナリタブライアンのように全盛期とまではいかないまでも8割ぐらいの能力で『ドリーム・シリーズ』を走れるって感じだ」

 

飯守T「そういう意味では古バでもう若くないから、『ドリーム・シリーズ』からは才能任せの走りはもうできないってことで、プロ野球選手と同じように徹底した健康管理で能力維持に励む感じだ」

 

飯守T「だから、『ドリーム・シリーズ』で勝つなら、今よりもっとストイックな生活を送らなくちゃならないから、」

 

飯守T「ミホノブルボンなら間違いなくできるだろうけど、ライスの場合はよくて五分五分で、それこそ長続きしないと思うんだ」

 

飯守T「そう考えると、どうして才羽Tがあの世代の中でミホノブルボンを選んだのか、ようやくわかったような気がするな」

 

 

――――――真の才能は少ない。そして、それに気づくのはもっと少ない。

 

 

飯守T「ってな」

 

斎藤T「それも例の語録からですか?」

 

飯守T「ああ。才羽Tはたぶん短距離ウマ娘(スプリンター)長距離ウマ娘(ステイヤー)とかの素質云々より、斎藤Tが指摘した真の才能である選手寿命を見て 決めていたんだと思う」

 

斎藤T「なるほど。私は生徒会長のお気に入りですが、才羽Tは秋川理事長のお気に入りになるわけです」

 

飯守T「まあ、斎藤Tは功績を表に出すわけにはいかない事情もあるしな。派手好きな秋川理事長とは相性が悪いのもわかる」

 

飯守T「思うに、才羽Tは自分のことを太陽に擬えていたけど、斎藤Tはもっと、こう、何か大きな働きを担っているんだと思うな」

 

斎藤T「つまり、太陽の遍く降り注ぐ光の恵みを司るのが才羽Tで、私は太陽系の中心として惑星の公転を司るみたいな感じなんでしょうね」

 

飯守T「あ、何かそんな感じ! そんな感じがする! 目でははっきり見えないけど、太陽を中心にした公転があるから季節があって、季節ごとの星の海を地上から見ることができる、みたいな?」

 

斎藤T「しっくりきましたね」

 

飯守T「ホントだよ」

 

飯守T「けど、ライスには夢を掴んでもらいたいな」

 

 

――――――競走ウマ娘としての使命を果たし終えた後の社会人としての第2の人生で。

 

 

 

 

ナリタブライアン「相変わらず、ここに来ると珍しいものが食えるなぁ」ガツガツ

 

ナリタブライアン「このマグロの漬け丼はなかなかだぞ。焼き魚もこれぐらい旨味があれば食えるのにな」ガツガツ

 

飯守T「毎日ここで飯を食っているわけか……」

 

斎藤T「まあ、これもどれだけ効率良く食事のオーダーをこなせるかの研究を兼ねてますので」

 

斎藤T「空いたトレーナー室を使っていいのなら、完全循環型ランドリーで汗や泥塗れのジャージが洗えるようにしてもいいですよ」

 

飯守T「さすがにそこまでは許してはくれないだろうけどな。でも、あったら便利だよなぁ……」

 

斎藤T「部活棟の何割かを譲ってもらったら、もっと便利になりますけどね」

 

飯守T「でも、部活棟に足を運ぶのが億劫じゃないか。校舎に近い立地だからブライアンは利用しているんだろう?」

 

斎藤T「それもそうか……」

 

飯守T「それに、ブライアンのような物臭のためにランドリーまで置いたら、斎藤Tがジャージを干すことになるから、いろんな意味で止めといた方がいいぞ」

 

斎藤T「それはたしかに」

 

ナリタブライアン「おい、私のことを何だと思っているんだ?」

 

 

飯守T「――――――ライスと同じ庇護欲を掻き立てる妹キャラ」

 

 

ナリタブライアン「な、なにぃいいいいいい!?」

 

飯守T「いや、ライスの方が立派だよな。ブライアンの周りには世話を焼きたがる人たちでいっぱいだったから、本当に恵まれているよ」

 

ナリタブライアン「そ、そうなのか?」

 

飯守T「ああ。ライスの『選抜レース』は俺が特別に学生寮に入れて連れ出したことでやっとの思いで走ることができたからな」

 

飯守T「誰もライスを支えてくれる人がいなかったんだ。誰もかまってくれなかったんだ。独りだったんだ」

 

飯守T「それと比べたら、鬱陶しく思えたかもしれないけれど、ブライアンは独りじゃなかっただろう?」

 

ナリタブライアン「…………ああ」

 

飯守T「なあ、斎藤T?」

 

 

――――――もしもブライアンのように『ドリーム・シリーズ』に昇格していく名バが順調に増えていったら、ライスのように学生寮で塞ぎ込んじゃう子たちが増えちゃうんだよな?

 

 

斎藤T「いえ、ナリタブライアンのような才能任せのウマ娘とその才能を引き出すことで成り上がる新人トレーナーのサクセスストーリーが一切なくなります」

 

飯守T「あ、じゃあ、俺のようなやつもいなくなるわけか……」

 

ナリタブライアン「え」

 

ナリタブライアン「おい、どういうことだ、それは?」

 

斎藤T「経済の話です。『URAファイナルズ』開催によって最初の3年間を走り切ることが徹底されるようになる一方で、それと並行して選手寿命が全体的に伸びていることが問題になっているんです」

 

ナリタブライアン「いいことじゃないのか、それは?」

 

斎藤T「中高一貫校の教育現場からしてみれば、『URAファイナルズ』で引退即退学の現状が改善されるのは間違いなく良いことですし、」

 

斎藤T「そのために、年々と競走ウマ娘が故障しづらくなる環境が整っていくことも喜ばしいことです」

 

斎藤T「でも、そうやって誰もが最初の3年間を走り切ることができるのが今よりもっと当たり前になってくるようになったら、今のように最初の3年間を無事に走り切れたことのありがたみがなくなりますよね?」

 

 

斎藤T「――――――『無事之名バ』という格言の重みがなくなりますよね?」

 

 

ナリタブライアン「それは、まあ、理解できるが……」

 

斎藤T「そう、社会の発展に伴い、トレーニング技術や医療技術の進歩も相まって自然と選手寿命が伸びるようになるわけです」

 

斎藤T「特に、世界最先端のスポーツ科学を導入して設備更新に余念がない中央トレセン学園だと、それが顕著になります」

 

斎藤T「そうなると、上位リーグ『ドリーム・シリーズ』への移籍も以前では考えられない数に昇ることが予想されるわけで、夢の舞台『トゥインクル・シリーズ』が一転して『ドリーム・シリーズ』の通過点にしかならなくなりますよ」

 

ナリタブライアン「……当たり前のことじゃないのか?」

 

飯守T「ちがうんだよ。初めてトレセン学園の門を潜った時に見据える先が最初の3年間から、その先の向こう3年も付け足されるような感じになるって話だ」

 

飯守T「ほら、選手寿命が伸びて最初の3年間を走り切って『URAファイナルズ』出走が当たり前になれば、周りはみんな『ドリーム・シリーズ』での勝利を最初から目指そうってことになるだろう?」

 

飯守T「そうなると、『最初の3年間だけしか走れないウマ娘は真の名バじゃなかった』って言われるようにならないか? 当たり前じゃなかったことが当たり前になってくるとさ?」

 

飯守T「だから、トレセン学園に来る生徒たちは『ドリーム・シリーズ』まで行けるかどうかをまず考えて『トゥインクル・シリーズ』に出るか出ないかを考えるようになって、今よりもっと篩い落とされるんじゃないかってことで心配なんだ」

 

飯守T「当然、トレーナーにしてみても『トゥインクル・シリーズ』での最初の3年間だけじゃなく『ドリーム・シリーズ』でも勝てるような遠大な計画を練らなくちゃならなくなるから、」

 

飯守T「それだけ経験も知識も乏しいのが当然の新人トレーナーなんかに自分の将来を預けられるわけもなく――――――」

 

斎藤T「結果として、出走バとトレーナーを合わせた競技人口の衰退が懸念されるわけです」

 

ナリタブライアン「……でも、それはすぐにそうなるというわけじゃないんだろう?」

 

斎藤T「元々、優駿競バ『ドリーム・シリーズ』が中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の新陳代謝を求めて設立された経緯を考えると、当初の理念が破綻する時期が迫っているのは間違いないです」

 

ナリタブライアン「……要するに、勝って当然のウマ娘を老廃物として洗い流すことができなくなるという意味か、それは?」

 

斎藤T「それ以外に聞こえましたか?」

 

ナリタブライアン「……キレイな表現で包んだところでな」

 

斎藤T「とりあえず、今は目の前にある課題の回答として『URAファイナルズ』の恒例化を目指しますが、将来的に競技人口が飽和状態になって衰退する問題の解決策については模索中です」

 

飯守T「まあ、ブライアンはトレセン学園の黄金期の象徴として そんな明るくない将来のことなんか気にせず走れってことだな」

 

ナリタブライアン「……そうか」

 

 

――――――いよいよ『生徒会総選挙』が始まる。

 

 

それは今年でトレセン学園を卒業していく“皇帝”シンボリルドルフが象徴となった黄金期の終焉を意味した。

 

当然、生徒会役員も3期に渡って生徒会長職に就いていたシンボリルドルフが退位することによって、今までとはまったく新しい明日を迎えることになる。

 

生徒会副会長:エアグルーヴは満場一致で会長職を引き継ぐことになるが、あまりにも偉大でありすぎた先代の路線を維持するのが精々で、その影響力のちがいは言うに及ばず。

 

そして、もうひとりの副会長:ナリタブライアンも在学中に上位リーグ『ドリーム・シリーズ』に移籍することになり、そういう意味では『トゥインクル・シリーズ』の卒業レースとして『URAファイナルズ』を出走することになる。

 

 

そのため、生徒会メンバーの三者三様の一足早い卒業式が『生徒会総選挙』で成されるというわけである。

 

 

だが、それぞれの行き先で困難が待ち受けていることは先に述べた通りである。

 

この世の中に完璧なものなど存在しない。完璧なものがないからこそ、生成化育して自然は絶えず進化し続けているのだ。その可能性を信じる他ない。

 

だからこそ、先人たちは後を継ぐ者たちを憐れんで良いものを遺していこうと愛をもって生業に励むべきなのだ。

 

そして、その意志を受け継いだ者たちが問題に取り組んで少しでもより良い明日を託すことができるように、また後を継ぐ者たちのために励んでいくのだ。

 

そう考えると、新たに生徒会役員になる“帝王”トウカイテイオーと“名優”メジロマックイーンに受け継がれるものは非常に重たい。

 

でも、シンボリルドルフたち偉大な先人たちによって黄金期が切り拓かれたという記憶は残り続け、それがいつの時か黄金期の再来を目指して奮起させることになるだろう。

 

 

――――――やれるということを示す。

 

 

――――――できないことはないと示す。

 

 

――――――ウマ娘の可能性を示す。

 

 

それは“超光速の粒子”を目指すウマ娘:アグネスタキオンにとっては、自分とはちがったアプローチで“可能性”を目指すものとして受け止められることになった。

 

だから、“超光速の粒子”の名に相応しい活躍をすることを約束したからこそ“斎藤 展望”という待ちに待った担当トレーナーを得られたのだから、

 

アグネスタキオンが計画するプランAの終着点が()()()()()()()()()()()()()のは彼女なりのトレセン学園への恩返しの形だったのかもしれない。

 

トレセン学園の将来について理解したのだから、それだけ生徒会に深く関わっていく展開になっていくというわけなのだ、これから。

 

そして、まさかのまさか――――――。

 

 

――――――まさか、WUMA以外の脅威にこんなにも戦い続けることになるとは思いもしなかった。

 

 



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第4話   もうひとつの世界への入り口

-西暦20XY年01月19日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

最初に言っておく。私にはいろいろな肩書がある。決して一言では説明できない多様性を持った複雑極まりない人間だ。

 

手始めに、この身体の本来の持ち主である“斎藤 展望”は両親が皇宮警察であり、それも天皇・皇后 両陛下の身辺警護を担当したような世界でもっとも誉れ高い役職に就いていた両親の血筋と才能を受け継いでいる。

 

それも、私が生まれ育った23世紀の地球とは異なる進化と歴史を歩んだヒトとウマ娘が共生する世界において、由緒正しき天皇家に仕えてきた『名族』の末裔である父親と世界最高峰の警察バの母親の間に生まれたハーフである。

 

そして、自身も両親の後を継ぐ者として皇宮警察官を目指していたが、両親が妹を残して事故死したことによって、唯一の肉親にして警察バとして最高の血筋と才能を受け継いだ最愛の妹のために人生を捧げることになった。

 

そのため、国民的スポーツ・エンターテイメントであるウマ娘レースのトレーナーになって一攫千金を狙うことになるが、あまりの余裕の無さからくる強引さから配属して早々に“学園一の嫌われ者”として悪名高くなってしまう。

 

当然、すぐに免職・解雇の対象になるのだが、時同じくして4月中に学外でウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体に陥る天罰を受けることになったのだ。

 

結果、どういった因果か、本来の“斎藤 展望”の魂は肉体から離れ、23世紀の宇宙船エンジニアである世紀の天才の私がワープ航行中の波動エンジンのトラブルによって四次元空間で肉体を失った状態で、空っぽになった“斎藤 展望”の肉体に宿ることになったのだ。

 

 

――――――もう、これだけでいっぱいであろう。

 

 

だが、私が“斎藤 展望”として活動しだした7月から12月までの期間(シーズン後半)で、私は21世紀の人間としても、元々の23世紀の人間としても、ありえないような体験を積み重ねていくことになった。

 

その最たるものこそが、未知との遭遇。第八種接近遭遇:宇宙人による侵略であり、

 

並行宇宙の地球の支配種族である“フウイヌム”こと怪人:ウマ女――――――WUMA:Worldwide Unidentified Miscreant Alien《世界的な未確認侵略生物》との暗闘の日々であった。

 

擬態対象への完全な擬態“成り代わり”を繰り返し、這い寄るように人間社会を乗っ取るために密かな侵略を繰り出す恐るべき超科学生命体であり、

 

WUMAの存在が明るみになった時の社会秩序への悪影響を考えれば、決して公表すべきではない 闇から闇へと葬るべき 忌むべき存在であり、その戦いは非常に孤独なものであった。

 

それでも、年末の1週間での奥多摩攻略戦によって、WUMAの本拠地となっていた川苔山:百尋ノ滝の地下に存在する秘密基地を制圧することに成功し、

 

やつらの侵略の要である“潜航艇”を四次元空間で消滅させることで、やつらは本国から増援を呼ぶことができなくなり、WUMAの本格的な地球侵略をこうして未然に阻止できたのである。

 

ついでに、奥多摩に割拠するエルダークラス:ヒッポカンポスの軍団を全滅させ、船橋市のエルダークラス:ヒッポクラテアの軍団を服従させることに成功。

 

また、府中市のエルダークラス:ヒッポリュテーの軍団の残党がいたが、横嶋Tに擬態したことで人格を染め上げられたシニアクラスの一個体がクーデターを起こし、

 

他のシニアクラスを暗殺して残党を丸ごと自身の傘下に組み込んだ後、奥多摩の本拠地を占拠しようと押し寄せたのだが、そこでまさかのNINJA:斬馬 剣禅の登場によって返り討ちにすることができた。

 

よって、残るは多摩地域のエルダークラス:ヒッポネイピアの軍団の残党たちであり、すでに散り散りになって追跡が困難な残党の追討をNINJA:斬馬 剣禅にお願いしていた。

 

 

箇条書きにするとこんなところだが、協力者がいたにしても、単身で超科学生命体の軍団を各個撃破していく難行を半年でやることになったのだから、いかに21世紀の地球が滅亡の危機と隣り合わせになっていたかにゾッとしてしまう。

 

 

しかし、単身で怪人:ウマ女の軍団を打倒できるだけのこの世のものとは思えない力と世界を救った英雄に相応しい報酬を得ることができたのだ。

 

また、その過程で“斎藤 展望”の学園一の嫌われ者の悪名はついて回ったものの、逆に興味本位で周りの人間から言い寄られることがなくなり、本当に信頼できる人たちからの知遇だけを得ることができたのだ。

 

そういう意味では、学園一の嫌われ者として最初の動きでさえも計画的犯行だったのじゃないかと、生徒会長:シンボリルドルフが冗談めかして言うぐらい、私は完全なマイナスの状態から大逆転してみせたのだ。

 

それはそれとして、今は肉体から離れて何処かへと消えた“斎藤 展望”への義理立てでトレセン学園や斎藤家への奉仕に明け暮れながら、

 

私は私で宇宙移民らしく『宇宙船を創って星の海を渡る』という夢を追い求めてヒト・モノ・カネを集めて回り、21世紀の地球圏統一国家樹立がいまだならずの御時世で恒久平和実現への技術革新に邁進するのであった。

 

そう、この世界に“斎藤 展望”として生まれ変わってWUMA撃滅に明け暮れた半年間は、年明けからの革新に繋げるための序章であり、未知なるカダスを夢に求めるような日々が始まったのだ。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

・・・ガチャン!

 

斎藤T「よし、これで向こうに行く準備ができたな」

 

斎藤T「では、出発する前に最後の確認をしておこうか」

 

斎藤T「トレーナー室の入り口にあるスケジュールボードにはきちんと今日明日が遠征になることは明記した」ヨシ!

 

斎藤T「いつもシャワーを使っているナリタブライアンには昨日ちゃんと伝えて非常食も渡した。他の人たちにもメッセージも送ったし、予定表アプリやデータベースにも入力してある」ヨシ!

 

斎藤T「扉に閂をして物理的に開かないようにした」ヨシ!

 

斎藤T「そして、万が一 扉を破った場合には火災報知器が鳴るようになっている」ヨシ!

 

アグネスタキオン「それだけじゃなく、粘着式トラップもこの通り!」クククッ!

 

斎藤T「これで万が一に私のトレーナー室に土足で踏み込んできた連中の物的証拠を確保できる」ヨシ!

 

斎藤T「監視カメラやセンサーも異常なし」ヨシ!

 

斎藤T「必要な物資はすでに移送済み」ヨシ!

 

斎藤T「では、行こうか」

 

アグネスタキオン「ああ」

 

 

――――――いざ、百尋ノ滝の秘密基地へ!

 

 

そうしてトレーナー室に置かれた完全循環型ユニットシャワールームに偽装された瞬間物質移送器が本来の機能を発動させる。

 

外見は八角形型の培養槽やミキサーに似ているユニットシャワールームがSFに出てくるワープ装置の一種であるとはまさか誰も思うまい。

 

当然、遠隔地に物質を移送するだけのエネルギーを家庭用電力で賄えるかという真っ当な疑問に答えれば、もちろん莫大なエネルギーが必要になり、地域一帯が停電になるレベルなので不可能である。

 

むしろ、地域一帯が停電になるだけでそれが実現できる超科学生命体の並行宇宙の地球を支配するに相応しい科学力の高さを評価すべきだろう。

 

では、どうやって瞬間物質移送器の動力が賄われているのかと言えば、この偽装されたユニットシャワールームの本来の機能が発動する際に、子機である瞬間物質移送器に親機からエネルギーを直接的に移送されているからできることである。

 

つまり、最初に親機と子機の間に目に見えないエネルギーラインのパスを繋げておく必要があり、この瞬間物質移送器の子機はあらかじめWUMAが別用途で使っていたものを移植したものなので、パスの接続に問題はなかった。

 

そして、瞬間物質移送器を使用する際は親機からエネルギーを送電してもらう必要があるため、まず親機にアクセスする手順を踏まないと瞬間物質移送器として使うことができない。

 

なので、まさか百尋ノ滝の地下深くに存在する親機にアクセスする必要があるだなんて普通はわかるわけがないので、

 

完全循環型ユニットシャワールームに偽装された瞬間物質移送器の機能が明るみになることは絶対にないため、本当は出発前にここまで防犯対策をしておく必要はない。

 

ただ、完全循環型ユニットシャワールームはウマ娘4人ぐらいで組み立てができるもののため、盗もうと思えば持ち出しが可能であることから、用心するに越したことはない。

 

 

ところで、WUMAたちはこの瞬間物質移送器を積極的に活用することはなかった。

 

 

それはなぜかと言えば、まだ侵略が本格化する次の段階が進行していない時期であったのも一因にあり、

 

どれだけ技術革新によって改良されているにしても、21世紀の地球では使うだけで地域一帯が停電するレベルの電力を必要とするだけに、迂闊に家庭用電力からエネルギー供給を受けるわけにもいかなかったのだ。

 

そして、私がそうであるように 万が一にもポータルが盗まれて その技術が明るみになるリスクをまず考えてしまうので、

 

そもそも、やつらには空間跳躍能力が備わっている他、擬態能力を活用することで欲しいものがその場で手に入るので、瞬間物質移送器の運用には消極的であった。

 

なので、ポータルを置いたところにしか移送できない瞬間物質移送器のありがたみがWUMAにはあまり感じられないし、侵略の尖兵たる先遣隊としては活用する場面がない。

 

ジュニアクラスは完全に擬態対象に成りきってWUMAの技術に触れることもないし、シニアクラスは擬態対象に成りきっているジュニアクラスの監視で忙しいし、エルダークラスは一飛びで本拠地から往復できるのでまず使わない。

 

そういうわけで、本国からの増援を大量に呼び寄せて侵略を本格化させる段階まで行けば瞬間物質移送器も大々的に利用されることになるのだが、基本的に先遣隊には不要なものであった。

 

 

――――――そう、現に地球人に技術を奪い取られて活用されるぐらいなのだから。

 

 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

アグネスタキオン「ハッ」

 

岡田T「おつかれさまです!」 ――――――手にはタブレットコンピュータが握られている。

 

アグネスタキオン’「やあやあ! よく来たね! しばらくぶりだよ!」

 

アグネスタキオン「お、移送に成功したか……」ホッ

 

斎藤T「さて、報告は確認しているが、あれからWUMAの本拠地がどんなふうに様変わりしたことか」

 

岡田T「スゴイですよ! さすがは超科学生命体の遺産です!」

 

岡田T「さあ、バルコニーから見ますよ。着いてきてください」

 

アグネスタキオン「ほう」

 

 

――――――そして、移送先の城塞のバルコニーから見える光景は百尋ノ滝の地下深くあるとは思えない光景であった。

 

 

アグネスタキオン’「どうだい! WUMAの技術の結晶である潜航艇は四次元空間に消えたけれども、この秘密基地の機能でここまでのことができるんだよ!」

 

アグネスタキオン「おお!」

 

斎藤T「大したものじゃないか! これが本当に川苔山の地下の光景なのかと改めて目を疑ってしまうよ!」

 

岡田T「未来都市っていうのはこういうものなんでしょうね」

 

斎藤T「ああ。やつら、太陽に準じた光源の開発に成功しているから、無限に近い動力をあれで供給できるわけだ」

 

アグネスタキオン「地下都市なのに青い空、風にそよぐ青々とした芝生、水の都を思わせる青さを湛える水路か――――――」

 

斎藤T「ただ、以前に来た時はやつら色の純白な西洋建築で統一されていたんだがな」

 

アグネスタキオン’「ああ。あれも悪くはないセンスだったけど、これからは私たちの研究施設として存分に使うから、区画整理をさせてもらったよ」

 

 

斎藤T「わかるよ。この城塞のバルコニーから見下ろせた西洋庭園がウマ娘レースのバ場になっているし」

 

 

岡田T「そうそう。近代ウマ娘レースのルーツになっている王侯貴族の庭園で踊りのセンターの座を賭けてレースをした踊り子たちの歴史に因んでね」

 

斎藤T「これはまた、やつらにとっては強烈な屈辱だろうな」

 

アグネスタキオン’「そうだねぇ。やつらにとってこの世界は野蛮な猿人類“ヤフー”によって“フウイヌム”の同胞たるウマ娘が愛玩動物扱いされている間違った歴史だからねぇ」

 

アグネスタキオン「ざっと見たところ、府中:東京競バ場を再現した感じかい?」

 

岡田T「まあ、見た目だけはね。芝は元々ここで使われていたもので構成してある」

 

岡田T「見取り図と比較すればわかるとおり、府中:東京競バ場はテーマパークとしても完成された場所だから、この本丸からバ場を構成する際の参考になったよ」

 

 

 

――――――アグネスタキオン、これがきみ専用の練習場だ!

 

 

 

アグネスタキオン「大した贈り物――――――、いや、お年玉じゃないか! たまらないねぇ!」ハハハ!

 

斎藤T「よかった。喜んでもらえたみたいだ」

 

アグネスタキオン「いや~、私への贈り物にバ場を用意してくれるだなんてね! これ以上の贈り物が他にどこにあるっていうんだい?」クククッ!

 

アグネスタキオン’「どうだい、モルモットくん? 私の判断に間違いがなかっただろう? 私も同じアグネスタキオンなのだからね?」

 

アグネスタキオン’「――――――私の演技力も大したものじゃないか」

 

斎藤T「いや、あの時()()()()()()()買わせたんだろう? 私が本当に意味もなくダイヤモンドのネックレスなんて贈るわけないだろう?」

 

斎藤T「なんとなくわかってたさ」

 

アグネスタキオン’「そうかい」フフッ

 

アグネスタキオン’「まあ、同じ炭素ならダイヤモンドよりもカーボンナノチューブのサポーターの方が喜ぶだろうと思うきみなんだからさ」

 

アグネスタキオン’「そうさ。そんなものより、もっと実用的なものを贈りたいに決まっている」

 

 

アグネスタキオン’「そこで、私が()のために秘密の練習場を用意したというわけさ!」ドン!

 

 

岡田T「ああ 羨ましい! おひとり様専用にしておくにはもったいないぜ! テイオーにも使わせたかったな!」

 

岡田T「けど、それだけじゃなかったんだな」

 

アグネスタキオン「え」

 

斎藤T「?」

 

岡田T「府中:東京競バ場を再現できたということは――――――?」

 

斎藤T「――――――ということは?」

 

岡田T「チェエエエエエエエエエエエエエンジ!」クワッ!

 

 

――――――キョート・レースコース! スイッチ・オン!

 

 

斎藤T「お、おおおおおおおおお!?」

 

アグネスタキオン「まさか――――――」

 

アグネスタキオン’「そのまさかだよ」クククッ!

 

岡田T「ほら、わかるかい? あそこの芝・外回りの第3コーナー“淀の坂”! あれも再現できたから!」ピッ

 

アグネスタキオン’「この通り、京都競バ場の特徴的な斜面も再現できたよ」

 

アグネスタキオン’「まあ、中央トレセン学園で保管されてた各競バ場の3Dモデルを読み込ませた後に手直しをしただけだから、一から造ったわけじゃないけどね」

 

アグネスタキオン「つまり、この空間自体が巨大な3Dプリンタのようなもので自在に造形できるというわけなんだね!」

 

斎藤T「報告にはあったが、さすがは超科学生命体の空間跳躍技術だな……! 凄まじい!」

 

アグネスタキオン’「別に、そこまで難しくはないさ。21世紀の地球の回路設計や建築設計を足して2で割ったような都市設計図を操作するだけだしね」

 

岡田T「俺にはさっぱりだったけど、現代人(俺たち)向けにスターディオンさんがインターフェースを改良してくれたおかげで、俺でもバ場の造成ができたからな!」

 

斎藤T「――――――楽しかった?」

 

岡田T「ああ! メッチャ楽しい! 実際に目の前でバ場を弄くり回せるんだよ! 東京の地下鉄のモデルを創り上げる鉄オタの気持ちがわかったかもしれない!」

 

岡田T「だから、見てください、斎藤T! これが今の俺の最高傑作です!」

 

岡田T「チェエエエエエエエエエエエエエンジ!」クワッ!

 

 

――――――ナカヤマ・レースコース! スイッチ・オン!

 

 

アグネスタキオン「おお!」

 

斎藤T「?」

 

斎藤T「え? 去年の『有馬記念』はハッピーミークのサブトレーナーとして観戦してましたけど、改めて見ると中山競バ場ってこんな造形だったんですか?」

 

斎藤T「ちょっと見取り図を見ても理解できないんですけど、中山競バ場ってどういう造りになっているんです?」

 

岡田T「ちょっとわかりづらいでしょうから、平面の走路図がこんな感じです」ピッ

 

斎藤T「え? 何だ、この入り組んだトラックはいったい――――――?」

 

岡田T「それで、高低断面図のデータを反映させると、目の前のバ場の状態になるわけですよ」ピッ

 

斎藤T「おお。高低差のない平面なトラックも再現できるんだ」

 

岡田T「競バシミュレーターとしては最高ですよ、これ! マーキングだって反映されますから、あの辺がゴール前の逆転劇に繋がる“急坂”ってのもわかりますし!」

 

岡田T「あ、そうだ。見ててください。こうすれば『有馬記念』で走る芝・2500mが丸わかりですよ」

 

斎藤T「へえ、トウカイテイオーやハッピーミークが走っていたのはあんなコースだったんだ……」

 

斎藤T「あ、そうか。見慣れてないこともあったけど、バ場だけ再現した光景だし、バルコニーから見下ろす形で観戦はしてなかったな……」

 

岡田T「更に、調整を加えれば荒れたバ場にも重バ場にも変えられます!」

 

アグネスタキオン’「雰囲気を出すために天気でも変えてみるかい? 風も吹かせるかい?」

 

アグネスタキオン「おお、暗くなって風も吹いてきたよ! 小雨も降ってきたね!」

 

アグネスタキオン’「どうだい? きみの練習に合わせて秘密基地全体の天候だって変えられるんだよ?」

 

アグネスタキオン「そうかい! そいつはたまらないねぇ!」

 

岡田T「そうです! 世界最高のトレーニング場ですよ、みなさん!」

 

斎藤T「………………恐るべしWUMAの科学力! こんなの、23世紀の宇宙科学でも到底実現できないことだ!」

 

 

そう、斎藤家の年末年始が終わってから、岡田Tとアグネスタキオン’(スターディオン)には百尋ノ滝の秘密基地にずっと行かせていた。

 

スーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍能力ならば、一度行ったことがある場所なら いつでもそこに行くことができた。

 

最初は私も一緒に誰もいなくなった無人都市を見て回ることになり、唯一の出入り口である百尋のエレベーターで爆殺したヒッポカンポスの軍団が眠る共同墓地で黙祷を捧げた。

 

そして、WUMAの遺産として何があるのかを調べてみたところ、瞬間物質移送器なるものが存在することを知ることになり、ちょうどその頃に完成していた完全循環型ユニットシャワールームを改造して実用化できないかを検討することになったのだ。

 

そのため、トレセン学園で瞬間物質移送器のテストをするためにある程度まとまった空間が要求されたため、岡田Tのトレーナー室を譲り受けることになった。

 

 

だから、年明けで部活棟の実験室を引き払って岡田Tのトレーナー室に拠点を移すことになったのである。

 

 

瞬間物質移送器の実験に成功すれば、こうして百尋ノ滝の秘密基地に瞬間的にアクセスすることができるようになり、学園から貸し与えられた限られた空間と設備の実験場が不必要となるからだ。

 

そうなれば、これから競走ウマ娘として『トゥインクル・シリーズ』に出走することになるアグネスタキオンのドーピング疑惑の証拠を隠すのも容易であり、スキャンダル対策にももってこいだった。

 

それから、アンチ・ドーピングのイメージを確立するために生化学から人間工学に切り替えた実験設備をトレーナー室に構えることになり、元々の生化学の実験設備は百尋ノ滝に移転させることで納得させることになった。

 

 

なので、こうして偽装した完全循環型ユニットシャワールームからアクセスできる百尋ノ滝の秘密基地にある自分たちだけの広大な実験場を獲得できたアグネスタキオンの表情はかつてないほどに夢と希望に満ち溢れていた。

 

 

それは科学者ならば誰だって一度は夢見る自分だけの秘密基地には心躍るものがある。

 

私とて内心では知的探究心と興奮が冒険しそうになっている。

 

正直に言って、トレセン学園のトレーナーであることを放り出して、WUMAの遺産である未知のテクノロジーの解明に乗り出したい衝動でウズウズしているぐらいだ。

 

とりあえず、実際に百尋ノ滝の秘密基地で生活をすることが可能なのかを岡田Tとアグネスタキオン’(スターディオン)に検証してもらい、完成した瞬間物質移送器で移送が問題なくできることまでは確認できた。

 

これで私の担当ウマ娘:アグネスタキオンが『トゥインクル・シリーズ』で勝って当然と言えるほどの反則級の武器が手に入った。

 

もちろん、レースは展開次第で何が起きるかわからないものなので油断大敵だが、クラシック級:2年目ではほとんどのウマ娘が初めて走るはずの各競バ場を再現したコースで練習できる優位性は言うまでもないだろう。

 

なので、岡田Tには引き続きクラシック戦線で走ることになる代表的なバ場を優先して再現パターンを組んでもらうことにし、再現したバ場ごとに基本給にプラスすることにした。

 

その一方で、基地の機能を使って東京競バ場をはじめとしたバ場を再現するなど、担当ウマ娘を三度も故障させた負い目から鬱病になっていた岡田Tに新しく熱中できるものが見つかったようで、元気溌剌とした表情と力のこもった瞳を見て そのことを非常に嬉しく思う。

 

 

スタスタ・・・

 

斎藤T「さすがに、メインストリートの純白に調えられた西洋の街並みには手を出していないか」

 

斎藤T「まあ、ここから見える本丸だけでも十分過ぎる広さだからな」

 

斎藤T「これはたしかにちょっとした国の規模にもなるから、本国から呼び寄せるはずだった増援のことを思うと、本当に何とかなって良かったよ……」

 

斎藤T「改めて、トレセン学園もそうだが、競バ場ってのはとにかくデカイんだな」

 

アグネスタキオン「本当に広大だねぇ。全国各地の競バ場を入れても余りそうなのに、本当に地下空間なのかい、ここは?」

 

斎藤T「そうでもあるし、そうでもないと言える」

 

 

斎藤T「ここはやつらの超科学の空間跳躍技術の応用で本来の地層を歪ませて築かれた場所なんだ」

 

 

斎藤T「あるいは、宇宙の膨張を利用して空間を自在に圧縮・展開させているとも言える」

 

アグネスタキオン「????」

 

斎藤T「ほら、遥か頭上に見える人工太陽も実際にはあそこに見える百尋のエレベーターよりも低い位置にあるはずなんだけど、あれが歪曲空間を発生させる力場の中心となる支柱になっているんだ」

 

斎藤T「あれがあるから最初に地下空間に拠点を築き上げるのが役目となる潜航艇がなくなった後も、百尋ノ滝の地下に広大な居住空間を維持することができているんだ」

 

斎藤T「だから、この空間は超科学で再現された“天球”と言えるのかもしれない」

 

アグネスタキオン「――――――観測者を中心とした半径の無限に大きい仮想的球面だったね」

 

斎藤T「そう、実際の距離を極限まで短縮させる空間跳躍技術をもってすれば、逆に無限遠に存在する物体を設置することも可能なんだ」

 

アグネスタキオン「それはつまり、百尋のエレベーターよりも低い位置にありながら、実際にはどれだけ近づこうとしても辿り着けない場所に、あの人工太陽とやらは存在するのかい?」

 

斎藤T「ああ。証拠に、スーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)に試しに飛んでいってもらったけどまったく辿り着けなかったんだ。天井まで百尋(181.8m)ぐらいの高さのはずなのに」

 

斎藤T「直線コースなら極限まで距離を短縮することができるはずの空間跳躍でもってしても辿り着けないとすれば、それは目で見る事実よりも遥かに遠くに存在している無限遠の物体という推測が成り立つんだ」

 

斎藤T「無限遠――――――、つまり無限大に収束してしまっているから具体的な距離が想像・算出できないんで、スーペリアクラスの空間跳躍でもってしても辿り着くのが無理なんだな」

 

斎藤T「おそらくは、四次元における並行宇宙座標を参照させることで三次元の物質世界のどんな場所でも安定できるようになっているはずなんだけど……」

 

アグネスタキオン「????」

 

斎藤T「結論から言えば、あの人工太陽は潜航艇で持ち込んだものじゃないんだ」

 

斎藤T「瞬間物質移送器と同じで、あらかじめパスを繋げて潜航艇からアクセスすることで無限大のエネルギーをこの歪曲空間に供給して恒久的に安定させていることがわかっている」

 

斎藤T「つまり、恒星を卵の殻のように覆うことで恒星の発生するエネルギー全ての利用を可能とする宇宙コロニーの究極の姿:ダイソンスフィアの原理に辿り着いているんだよ、やつらの超科学は」

 

アグネスタキオン「そ、そうなんだ? すまないが、宇宙科学はそこまで詳しくないんだが……」

 

斎藤T「もう凄いよ。超巨大な物体である恒星すら覆う超超巨大な宇宙コロニーによる考えられる上で最大の太陽光発電を空間跳躍技術で極限まで最小化して実用化しているんだから」

 

斎藤T「だから、やつらの文明はエネルギー不足に悩まされることなく、潤沢なエネルギー資源によって地球の科学では机上の空論だったものが次々と実用化できているわけなんだな」

 

斎藤T「そりゃあ、超科学生命体にもなるさ。並行宇宙の地球の支配種族にもなるさ」

 

斎藤T「そして、幸か不幸か、やつらはその超科学に依存する必要がないほどに強大な怪人:ウマ女であったことから、たったひとりの地球人に本拠地を制圧されることになったんだ――――――」

 

アグネスタキオン「ふぅン。つまり、あの人工太陽からのエネルギーラインを外に引くことができれば、この地球でエネルギー革命が起こせるんだね?」

 

斎藤T「ああ。ただ、アクセス権を持つのはこの歪曲空間を作成できる機能を持つ潜航艇だけだ。その潜航艇は賢者ケイローンと共に四次元空間に消滅してしまったが……」

 

斎藤T「けど、それでいいんだ。今の地球圏統一国家が成立していないような戦争が止められない21世紀の地球人には過ぎた代物だ」

 

 

アグネスタキオン「要するに、“天球”の概念を用いて説明すると、この地下空間の天井にあるように見える人工太陽は実際には四次元空間に存在するものなのかい?」

 

 

斎藤T「そう。天井までを大気層と見做した時、そこから先の宇宙空間が四次元空間になっていると考えられるな。そういう境界線に天井が利用されているのかもしれないね」

 

アグネスタキオン「ふぅン。そう考えるとわかりやすいね」

 

斎藤T「まあ、宇宙科学が専門外なら、そこまで深く考える必要はないさ。私の趣味で研究を進めるだけだから」

 

 

斎藤T「それよりも、お前専用の練習場をこうして用意したんだから、これからはお前自身が積極的に活用してくれ」

 

 

斎藤T「私はトレーナーバッジを身に着けてはいるが、この通り“斎藤 展望”の記憶を一度は失くしている身でね。トレーナーとしての知識や指導力に関しては完全な素人だ」

 

斎藤T「それを補うのが“無敗の2冠バ”トウカイテイオーの担当トレーナーの岡田Tというわけだが、そこまで他人の世話にはなりたくないだろう」

 

アグネスタキオン「ああ。それもそうだね」

 

斎藤T「改めて言うが、私は私の夢のために必要なものでトレセン学園で得るものは十分に得たから、お前の勝敗なんかに興味はこれっぽっちもない」

 

斎藤T「最低限 担当トレーナーとしての出走チケットの役割は果たすから、勝手に走って、勝手に勝って、勝手に引退すればいい。儲けた分は手数料として山分けだが」

 

アグネスタキオン「ああ、それぐらいが私たちにはちょうどいい」

 

斎藤T「もちろん、スキャンダルになるようなことは控えてもらおう。実験場もここにあるのだから、トレセン学園にいる間はある程度は品行方正でいてもらうぞ。学生寮にもきちんと帰れ」

 

アグネスタキオン「まあ、授業なんて免除されているから、もう出る必要もないんだがね」

 

斎藤T「…………何のために学校に通っているんだ、これは?」

 

斎藤T「なんでなんだ? せっかく授業中でもおとなしくしていられるように予想問題を解かせているのにな?」

 

アグネスタキオン「さあ、なんでなんだろうね、トレーナーくん? これが私にもさっぱりだよ」

 

斎藤T「まあ、何にせよ、ここで週末を過ごす時間が楽しみでならないな!」

 

アグネスタキオン「ああ! 毎週のように外出届を出すのが面倒でしかたないけどね」

 

斎藤T「あ、そうか。証拠写真とか必要だよな。監督者としてレポートも出さなくちゃだしな」

 

アグネスタキオン「なんだかんだ言って、きみもちゃんとトレーナーしているじゃないか」フフッ

 

斎藤T「トレーナーとしての実績がつかないように立ち回らないとな。まさかとは思うが、逆指名されて追い掛け回されることになったら やりづらいこと この上ない」

 

アグネスタキオン「いや、ミークくんを模擬レースでブライアンくんに勝たせて『天皇賞(秋)』優勝に導いた実績があるのに、何を今更?」

 

アグネスタキオン「まあ、その時はいつでも言いたまえ。私の新しいモルモットとして可愛がってあげるから」クククッ!

 

 

そして、百尋ノ滝の秘密基地でのオリエンテーションは終わり、世界一受けたい秘密の特訓の初日が始まった。

 

最初は府中:東京競バ場の“だんだら坂”に挑戦し、次は京都競バ場の“淀の坂”、中山競バ場の“急坂”を体験することになった。

 

もちろん、ウマ娘は身の丈に余る力で自壊しかねない繊細な生き物だ。練習で常に全力疾走して選手寿命を擦り減らすわけにはいかないので、あくまでもコースの感覚に慣れることに終始している。

 

トレーニングコーチはこの秘密のバ場の管理責任者に任命した“帝王”トウカイテイオーの 元 担当トレーナー:岡田Tが担当であり、

 

ハッピーミークのサブトレーナーをしていた私よりも圧倒的に経験豊富のため、効率的なトレーニングメニューも次々と提案してくるので頼もしい限りだった。

 

基本的なトレーニング方針としては、平日のトレセン学園で基礎練習を行い、週末の百尋ノ滝でコース練習をすることになっている。

 

やはり、何をするにしても基礎練習は重要だ。同時に専門技術も勝敗を分ける上で重要となるが、まずは基礎だ。

 

トレセン学園にあるトレーニング設備はさすがは世界最先端のものに設備更新しているだけあり、これを利用するために入学しているようなものなのだから、バカにしたものではないし、使わない手はない。

 

つまり、同じトレーニング環境での基礎練習だけではトレセン学園のライバルたちと差をつけることはできないだろうが、これが中央と地方のレベルのちがいになるのだから恥ずかしくないように励むべし。

 

その上で、中央で勝ち抜いていくための強みになるものこそがその競走ウマ娘の持ち味というわけであり、この場合は自分だけの秘密の練習場を持っていることがアグネスタキオンの最大の武器になるだろう。

 

いや、実際にはそれだけではなかったことを今更ながらに認識させられることとなる――――――。

 

 

カチッ

 

アグネスタキオン「…………フゥ」

 

斎藤T「おつかれ」

 

アグネスタキオン「ああ……」

 

アグネスタキオン’「タイムは?」

 

岡田T「うはっ!? こんなの、“本格化”を迎える前の未出走バが出すタイムじゃねえよ!?」

 

アグネスタキオン’「具体的には?」

 

岡田T「悔しいけど、テイオーが『皐月賞』に挑む前ぐらいのハロンタイムだよ!」

 

岡田T「未出走バがテイオーの最盛期のちょい手前ぐらいに匹敵する能力を有しているだとぉおおおお!?」

 

岡田T「これ、ジュニア級にいていいやつじゃないから! 逆に出走回避でレースが不成立になるんじゃないか?!」

 

岡田T「だって、勝てるわけないじゃん!? テイオーの全盛期とまともに戦って勝てるウマ娘がどれだけいるって話だよ!?」

 

斎藤T「それは、逆に困ったな……」

 

アグネスタキオン「まあ、実に4年もの歳月を肉体改造強壮剤による地道な強化で費やして、それがトウカイテイオーの全盛期に追いつくぐらいなら、上出来じゃないか」

 

岡田T「――――――ドーピング?」

 

アグネスタキオン「いや、一時的な能力強化じゃないからドーピングじゃないし、禁止物質を投与した形跡はないから合法だよ、これは。何も疚しいことはない」

 

アグネスタキオン「そうだ、きみも試してみるかい、肉体改造強壮剤? 私のトレーナーくんにも試したが、効果は絶大だったぞ! 新しい世界が開くぞ!」

 

斎藤T「やめておいた方がいいです。ドーピングではないのは確かですが、それに見合うだけの栄養補給と休養が必要になるので、下手をすると日常生活が破綻することになります」

 

斎藤T「言うなれば、短期間に常人の数倍の勢いで新陳代謝を活性化させて肉体を急成長させるものなので、栄養失調で死ぬか、力加減を間違って全身が粉々になって死ぬ恐れがある成長促進剤です」

 

岡田T「……そうなのか。じゃあ、今は要らない、今は」

 

アグネスタキオン「――――――『今は』ねぇ?」

 

岡田T「それよりも、ダメだ! これは速すぎる! 圧倒的すぎて賭けが成立しないから、URAが儲からないってことで疎まれるぞ!」

 

岡田T「そうなったら、ドーピング疑惑を掛けて追放しようとする可能性だってある!」

 

斎藤T「つまり、手加減しないといけないわけですか? 競走でウマ娘の全能力を発揮させなければならない建前があるのに?」

 

アグネスタキオン’「……能力がありすぎるのも難儀なものだねぇ」

 

アグネスタキオン「まあ、そういうことなら しかたがないさ」

 

アグネスタキオン「むしろ、余力を残して勝てばいいのだから、戦略的にも有利だろう?」

 

岡田T「それはそうなんだが、きみは脚質からしてテイオーと同じ【先行バ】だろう? このままだと能力がありすぎて結果として【逃げウマ】になるのが目に見える」

 

岡田T「実力を隠すためにポジションを抑えて【差しウマ】や【追込バ】にきみはなれるのかい?」

 

アグネスタキオン「ふぅン、できなくはないね」

 

岡田T「いや、しかしだね、脚質というのは一朝一夕で変えられるものじゃない。それは脚質というのが真剣勝負のレースで表面化するウマ娘の気性と脚力に左右される先天的な要素だからなんだ」

 

岡田T「それに、本番のレース展開を意識した練習もしづらいから脚質を矯正するというのも本当に難しいことなんだよ」

 

アグネスタキオン「ふぅン……」

 

斎藤T「――――――?」

 

アグネスタキオン’「どうしたんだい?」

 

斎藤T「そんなに難しいことかな?」ボソッ

 

岡田T「え?」

 

 

斎藤T「いや、実力は十分にあるから脚力の問題はどうでもいいとして、気性の問題なら別に本番を再現した練習に拘る必要はないんじゃないかと思って」

 

 

アグネスタキオン「ふぅン?」

 

斎藤T「とりあえず、脚質について教えていただけませんか? そうすれば解決の糸口が見出だせるかもしれません」

 

岡田T「いや、そんな簡単に脚質を変えることができるのなら、脚質:自在のウマ娘が天才だなんて言われないんだけどな……」

 

岡田T「じゃあ、わかった。今日はこれぐらいにして、俺は作戦会議のために資料を整理しておくから、適当なところで上がってくれ」

 

アグネスタキオン「ああ、わかったよ、コーチ」

 

 

タッタッタッタ・・・

 

 

アグネスタキオン’「まあ、初日としては担当ウマ娘の能力と課題が判明したわけだから上出来じゃないかい?」

 

斎藤T「そうだな」

 

斎藤T「さすがは岡田Tだな。だてに“帝王”の担当トレーナーじゃない。“皇帝”シンボリルドルフが入学した時に地方から中央に上がってきた選りすぐりの実力者だ」

 

斎藤T「こっちはただ単に勝てばいいと軽く思っていただけに、ああいった立ち回りや戦略を考えることができるのは経験豊富なベテランならではだ」

 

アグネスタキオン’「ああ。自宅療養中でもトウカイテイオー復活のためのトレーニング計画やローテーションを組んでいたぐらいだから、トレセン学園にいなくても問題なくトレーナーとしての実力を発揮していけるな」

 

斎藤T「――――――本当に惜しいことをしたな、世間様は」

 

斎藤T「間違いなく“皇帝の王笏”に匹敵する功績をこれからも打ち立てていくことができただろうに……」

 

斎藤T「まあ、そのおかげで有能な人材を確保することができたんだから、遠慮なく扱き使ってやるさ」

 

アグネスタキオン’「そうだね。打ち込めるものがないとかえって生気を失うらしいから、そうした方がいい」

 

アグネスタキオン’「そういう意味では、抜け殻のような彼を救ったのはきみだよ」

 

斎藤T「成り行き上 そうなっただけで、“皇帝”陛下からの勅命がなければ 会うこともなかったのにな……」

 

 

アグネスタキオン’「実は、私もそうなんだよ、モルモットくん」

 

 

斎藤T「ん?」

 

アグネスタキオン’「この姿も、この想いも、全て貰い物だけれど、私は今が楽しいから」

 

アグネスタキオン’「ジュニアクラスの替えの利く有象無象として使役されることに疑いを持つことがなかったから、何が楽しくて、何が悲しくて、何が嬉しいことなのかを貰い物を通して知ることができたんだ」

 

アグネスタキオン’「だから、私はアグネスタキオンという素敵なウマ娘と姉妹のような関係が結べたことがとても嬉しいんだ」

 

アグネスタキオン’「そして、ヒッポリュテーとケイローンの因子を継承したことで、私がこの世界においてバケモノの一人であるという歴然とした事実に打ちのめされて、そのことで思い悩む日々がずっと続いていた」

 

アグネスタキオン’「でもね、不思議なんだよね。きみが言うことならスゥーッと安心することができたんだ。不安を忘れることができたんだ」

 

アグネスタキオン’「だからね、こうしてきみから御礼の品としてもらったこれをつけてから、私は不思議と落ち着くことができているんだ」 

 

 

アグネスタキオン’「――――――心のこもった贈り物だからなのかねぇ?」キラキラ ――――――ダイヤモンドのネックレスが情熱的に輝く。

 

 

斎藤T「……ご褒美が欲しいのか?」

 

アグネスタキオン’「うん! ここまでWUMAの遺産の調査と区画整理を頑張ったんだから労ってくれよ、モルモットく~ん!」

 

アグネスタキオン’「しばらくぶりなんだし、いっぱい話したいことがあるんだ! 今日明日いっぱい話そうよ~、モルモットくん!」

 

アグネスタキオン’「あと、髪や尻尾も洗っておくれよ~! ユニットシャワールームは便利だけど、やっぱり洗面台(シャンプーボウル)でモルモットくんに髪や尻尾を洗ってもらうのが気持ちいい!」

 

斎藤T「はいはい、労ってやるさ。ここなら人の目を気にしなくていいからな。つきあってやるよ」

 

斎藤T「お前には助けられてきたからな。そんな安物では払いきれないほどにね」

 

アグネスタキオン’「それを言うなら、岡田Tもそうだし、テイオーだってそうだし、私もだよ」

 

 

――――――名前のないバケモノからアグネスタキオン’(スターディオン)に私を生まれ変わらせてくれたのは他でもないきみなんだから。

 

 



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第4話秘録 裏側の世界への入り口

-シークレットファイル 20XY/01/21- GAUMA SAIOH

 

21世紀に放映された近未来SFアニメやスペースオペラを鑑賞して、この時代の人たちがどういった宇宙時代を想像しているのかを分析していると、

 

やはり唯物論に染まった21世紀の人間には『人の心を大事にする』という当たり前の価値観があまりないことがわかる。

 

たしかに、実証主義も近代革命においては重要な価値観の転換をもたらしたものだが、何でもかんでも科学的かどうかで考えること自体が非科学的と言える。

 

そもそも、科学的というのは一言で言えば『同一条件下の再現性』であり、ある同一条件下で独立な試行を繰り返し行い、許される誤差の中で結果が得られることである。

 

なので、神の存在証明において神が存在する科学的な根拠がないからと言って『神が存在しない』と結論づけたいのなら、次に()()()()()()()()()()()()()をしなければ憶測で物事を判断しているのだ。

 

そういった態度は 決して科学的と言えない 先入観と偏見による無知者の物言いであり、先程の神の存在証明についても『科学的には存在するかもしれないし、存在しないかもしれない』『科学的にはわからない』というのが正しい科学的な結論である。不可知論である。

 

ただ、この命題にもそもそもの先入観と誤解による認識のズレが生じている可能性があり、何をもって“神”と定義しているのか、何をもって“存在する/存在しない”と結論づけるのかを逐一確認しなければならない。

 

その意味で、我々は『同一条件下の再現性』という観点から誤解と偏見なく我々を他者と結びつけてくれている言葉で精査しなければならない。

 

特に、この時代の科学で私が鼻で笑っている最たるものは二転三転と主張がコロコロ変わる栄養学であり、

 

薬食同源という言葉をまるで知らないかのような『〇〇は体にいい』『〇〇は身体に悪い』という頭の悪そうなニュースを目にする度に21世紀の人間の大半が信奉している科学に対する認識の低さに呆れてしまう。

 

本当に『〇〇は体にいい』という主張がしたいなら、まるでそれだけ食べていれば健康でいられるような万能感を売りに出した 頭の悪そうな記事の書き方をやめてもらいたい。

 

食べ物は本質的に健康を維持するための経口摂取する薬の一種なのだから、薬学実験と同じようにしっかりとした根拠と条件分けを書いて安全性を保証するのが科学的というものだろう。

 

人それぞれにアレルギーや持病があることを知らないのか。生活習慣病患者や妊婦、幼児にも有効なのかどうかを書かないのは卑怯じゃないのか。前提を書け、前提を。

 

だから、21世紀で目にする栄養学に関するニュースの大半が21世紀の人間がオカルトとバカにしている神の存在証明と同レベルのインチキ科学だと23世紀の人間である私は見下している。

 

しっかりとした科学的な見地に基づいて23世紀では完全に誤っている結論を主張しているのなら『まだ21世紀の未開文明だから仕方ない』と思うが、非科学的な態度で物書きをして誤った情報を垂れ流しにしているのだけは我慢ならない。

 

実際、将来の夢のためにフードテックに投資しまくっている私からすれば、人間が生きる上で絶対に欠かすことができない栄養学で非科学的なフェイクニュースが跋扈していることが非常に腹立たしい。

 

全てが完璧に管理された宇宙船での限られた食習慣を思えばこそ、栄養学に関する誤情報は間違いなく死活問題に直結しているからこそ、

 

栄養学に関するフェイクニュースを垂れ流すやつは人間としての理性と愛情に欠けているひとでなしと罵りたくもなる。

 

食い物の怨みは恐ろしいぞ。そのことがわからないような人間が物書きになっていいかげんな情報を垂れ流すのを許容している21世紀の人間のモラルが恐ろしい。

 

 

なので、21世紀の人々は定量的に研究する対象に成りえない“人間の心”を大切にしようとはしない冷血動物の群れにしか思えなかった。

 

 

それが何よりも、私が生まれ育った23世紀の宇宙時代にとってはありえない価値観であり、地球圏統一国家が成立していないことがその最たるものであった。

 

幸運にもシンクレティズムの聖地である日本に転生していなければ、あまりの無神論ぶりや唯物論ぶりにこの世の地獄を体験して半狂乱になっていたかもしれなかったのだ。

 

それぐらい私にとって21世紀の人間の価値観や精神文化は汚濁に塗れたものであり、かろうじて宇宙移民としての心得で未開文明への寛容な精神を養っていなかったら――――――。

 

そう、そんな私がこの世界の住人として落ち着くことができたのは、ウマ娘という異種族が共生する異世界へのカルチャーショックと異文化理解の必要性が最初にあったのが大きかった。

 

そして、立て続けに並行宇宙の地球の支配種族である怪人:ウマ女“フウイヌム”の侵略に対して己の持てる能力の全てを擲った暗闘の日々が21世紀の人間の本質的な醜さを忘れさせていた。

 

そのおかげで、私は21世紀の地球人が高貴な種族を自称する“フウイヌム”の言う野蛮な猿人類“ヤフー”に相当する存在であることに共感を覚えながらも、私自身もそのひとりとして生きる覚悟ができた。

 

その覚悟を支えてくれているのが、皇宮警察の血筋と才能を引き継ぐハーフ“斎藤 展望”の肉体を通して得ることができた最低最悪な環境の中で希望となる最高に素晴らしい人たちの出会いであり、

 

この世の地獄にあってなお天上界の輝きを放つ人たちとの出会いがあって、私は21世紀の未開惑星の俗悪に屈することなく生きることができていた。

 

そういう意味では、23世紀の波動エンジンの開発エンジニアである世紀の天才である私が、21世紀で最高に素晴らしい血筋と才能とそれに付け加えて豊かな人間関係を持つ“斎藤 展望”の肉体に宿ることができたのは、この上ない僥倖だったと言える。

 

 

その上で、21世紀の人間には到底理解し難いことが宇宙移民にとっては当たり前になっていることを表さなければならない。

 

 

それは何かと言うと、23世紀の宇宙移民は当然ながら限られた人員で人類社会において必要なことをスマートにこなさなければならないのは理解できるだろう。

 

その中には自分たちのルーツになる“文化の継承”というものがあり、当然ながら これを蔑ろにする者は誰一人としていない。これも理解できることだろう。

 

普段は21世紀よりも遥かに進んだ機械化と高性能化による快適かつ機能性に溢れた衣食住になるが、伝統的な芸能や儀式となる冠婚葬祭においては決して手を抜かないのが鉄則となっている。

 

もちろん、宇宙船の中でピラミッドやオベリスクを建てたり、オレンジを投げ合ったり、お焚き上げをしたりはできないので、そういったものは全て電脳世界の仮想現実で開催されている。

 

一方で、伝統的な芸能や儀式を担える人間ほど教養がある存在として珍重されるため、21世紀よりも遥かにハイテクな暮らしをしていながら、伝統的なものほど尊ばれる価値観を有していた。

 

たとえば、宇宙時代の武器はレーザーガンが主流で、宇宙空間でも安定して光の速さで標的を撃ち貫くことができるので、旧来の武道は実戦ではまったく役に立たないかもしれない。

 

しかし、ただの武術はレーザー兵器の普及で衰退したが、求道心や修養が軸になっている旧来の武道は宇宙時代になって形を変えながらも現役であった。

 

同じように、ただ単に新しいものが全てにおいて素晴らしいという価値観で生きる人間は宇宙移民には存在しない。

 

たとえば、西洋芸術の最高峰であるルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロ・サンティを超える大作を生み出せていないことを教訓にして審美眼を養うことも、

 

宇宙移民が未知なる惑星に根を下ろすことになる地球文明の継承者であると同時に地球人類の代表として恥ずかしくないようにあらゆる分野での修養に励むことの一環なのだ。

 

そういう意味では宇宙移民のひとりひとりが地球圏統一国家の外交官であるという自覚の下に規律正しく、時には非常事態を想定したシミュレーションに一致団結して挑戦するキャンペーンも行われることもあり、

 

基本的に宇宙移民はあらゆる状況を想定した行動力と想像力が必要不可欠であり、未知なる新天地で予想外の災難に見舞われて後悔することがないように只今に生きることを肝に銘じていた。

 

そうすれば、死を迎えることになっても決して悔いることのない立派な人生が送れたと胸を張って、大いなる意思の許に還れるとみなが信じていた。

 

 

――――――つまり、宇宙移民は信心深いからこそ、広大な宇宙の中での孤独に耐えられた。心の距離は物理的な距離と一致しないのだ。

 

 

そして、広大な宇宙の中で離れ離れになってしまうからこそ、人と人との繋がりを より一層 大事にして、先人たちの生きた証である文化の継承を蔑ろにすることはない。

 

だから、21世紀の人間が非科学的だと一笑に付す死後の捉え方についても23世紀の宇宙移民は長けているのである。

 

そう、オカルトだとかスピリチュアルな分野で23世紀の宇宙移民の平均は21世紀のそれを遥かに上回る能力と才能を真剣な態度で臨む修養で得ているのだ。

 

むしろ、スピリチュアルなことは冠婚葬祭を執り行う上での一般常識であり、自分たちもいずれは肉体を離れて霊体になることを知っているため、21世紀の人間が無闇矢鱈に死を恐れる考えでいることが非常に哀れに思えてしまう。

 

死ぬ時はどうあっても死ぬのが自然の摂理だというのに、これだから唯物論に染まった人間は死を恐れるあまりに愚かなことをしてしまうのだと、私は世間のニュースを読んでいてそう思ってしまう。

 

いや、宇宙移民の修養のテキストに使われるのがいずれも21世紀の誰もが知っている宗教や哲学のものなのだから、となれば教育・徳育・訓育・武育が伴わない現代の教育制度が悪いとしか言いようがない。

 

ただ、ここはヒトとウマ娘が共生する異なる進化と歴史を歩んだ21世紀の地球だったからこそ、私は心の平静を保つことができた面もあり、

 

純粋に過去の地球とは言えない異世界だからこそ、未来人からすればどうしようもない未開文明であろうとも過度な干渉は控える宇宙移民の心得で一線を引くことができたとも言える。

 

そんなわけで、さて、長々と何が言いたいのかと言うと――――――、

 

 

――――――宇宙移民はひとりひとりが冠婚葬祭を司ることができる祭司長なのである。

 

 


 

 

――――――トレセン学園?

 

 

斎藤T「まったく、そんな気はしていたが、ここも業が深いな……」

 

斎藤T「まさか、あの“目覚まし時計”に別の機能があったとは思わなんだ」ヤレヤレ

 

斎藤T「もう! 勝手に発動するだなんて勘弁してくれよ!」

 

 

――――――この感じ、後になって災いを招く何かを取り除かないと永久に今日を繰り返させるつもりなんだろう!

 

 

斎藤T「あのさ! いくら私が悪霊祓いできるからって、何でもかんでも私を巻き込むな!」

 

斎藤T「悪霊祓いするにしても、この世界の幽霊がどういったものなのかもわからずに『ぶっつけ本番で何とかしろ』ってのかい!」

 

斎藤T「明日は『生徒会総選挙』という名の“皇帝”シンボリルドルフの退位の礼だってのに――――――」

 

斎藤T「そうか。となると、今日の投票か明日の開票で何かが起きたということか?」

 

斎藤T「とりあえず、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は正常に作動しているな。そこを目指せばいいのか」パカッ

 

 

――――――1月21日の『生徒会総選挙』前日の投票日のトレセン学園は夕焼けに染まった。

 

 

そう確信できたのは、狂ったような空模様に轟く不快な叫び声が木霊する 人の気配がまったく感じられない 寒気がひた走る空間にひとり取り残されたからだ。

 

たしか、私は週明けの投票日の様子を見るためにトレセン学園を見て回っていたわけで、対立候補がいない信任投票なのだから、結果が最初からわかりきった行事であっても表面上は真剣な面持ちで誰もが投票所に行っていた。

 

もちろん、これは中高一貫校での社会教育の一環であり、これから社会人になった時に参加すべき選挙の投票の訓練にもなっており、実際の選挙と同じやり方で投票箱に人が集まっていた。

 

私の担当ウマ娘:アグネスタキオンも 毎度のことながら面倒だと思いながら さっさと投票を済ませて平日の基礎練習に励んでいた。

 

それから私はトレーナー室で執務をこなして、ふと気晴らしに外の空気を吸いにトレーナー室を出た瞬間だった。

 

 

――――――青空の世界は一瞬にして紅い月が妖しく輝く世界に反転した。

 

 

トレーナー室にいても聞こえるぐらいに賑やかなトレセン学園の活気がピタッと静まり返った瞬間に鳥肌が立った。

 

しかし、一通りの冠婚葬祭が執り行える私からすると、こういったこともVRシミュレーションで経験済みであり、23世紀にはこうしたオカルト現象も科学的な証明はできずとも科学的な手法で解明されていた。

 

要するに、科学的な証明というものも結局は経験的方法の1つでしかないのだから、オカルト現象に関するデータが集積されれば自然と非科学的であっても解明されていくものであり、

 

私から言わせてみれば、社会科学と銘打っている心理学や経済学も似たような非科学的なものなのに、オカルト研究を非科学的なものとしてバカにする不合理性が理解できなかった。

 

そう、言うなれば、宇宙移民はひとりひとりがオカルトの専門家であり、それでいて立派な科学者でもあった。それが来たる23世紀の宇宙時代の常識だ。

 

ただし、あくまでも現実世界の努力で得られることが主であり、非科学的なオカルトに頼るのは従であるため、結局は自分自身のベストを尽くすことが最善であることに変わりはない。

 

言うなれば、ウマ娘レースにおいて一番に頑張るのは実際にターフの上で走るウマ娘であり、トレーナーの助力はどれだけ大きくとも本人の努力には本質的に及ばないと考えればわかるだろう。

 

その上で、トレーナーの助力を抜きにして勝ち抜けるほどウマ娘レースは甘くないと誰もが認めているから、ウマ娘もトレーナーからのスカウトを心待ちにしているわけである。

 

つまり、どちらも有用で必要なものであり、どちらが本質的な主体であるかを言っているのあって、優劣や要不要で区別するものではない。

 

それと同じことをどうして21世紀の人間のほとんどが理解できないのかが、私にはまったく理解できない。

 

それは本当の意味で論理的じゃないからこそ、時代遅れの人間ばかりということなのか――――――。

 

 

 

――――――さて、ここは学校裏サイトならぬ、学校裏世界というわけか。

 

 

斎藤T「やあ、こんにちは。ここにはずっといるの?」

 

ウマ娘D「そうなのよ! 聞いてよ、あの子ったら私の担当トレーナーを寝取ったのよ! それが悔しくて悔しくて!」

 

ウマ娘D「だから、呪ってやったの! 今頃、あの2人が酷い目に遭っているはずよ!」

 

斎藤T「きみ、何期生? それって何年前の話?」

 

ウマ娘D「え?」

 

斎藤T「いや、今のトレセン学園の制服はこんなデザインになっているから、きみは何年もここに居続けているんじゃないかと思ってさ」スッ ――――――写真を見せる。

 

ウマ娘D「ええ!?」

 

斎藤T「もう許してやりなよ。きみを裏切ったひどい男のことは忘れて、きみ自身の新たな幸せを掴みに行きなさい」

 

ウマ娘D「で、でも、私、本当にトレーナーが好きだったから……」グスン・・・

 

ウマ娘D「あんなに一生懸命に私のことを追いかけてスカウトしてくれたのに……、二人三脚で何年も走ってきたのに……、それなのに新しく担当になった子に心を奪われていくだなんて……」グスン・・・

 

斎藤T「そうか。でも、見てご覧」パカッ ――――――“黄金の羅針盤”の鏡を写す。

 

斎藤T「――――――これが今のきみだよ」

 

ウマ娘D「う、嘘?! 何これ、おばさんじゃん!? でも、これ、たしかに私だ……?」

 

斎藤T「ずっと忘れられなくて引き摺ったまま大人になっていたんだね」

 

斎藤T「さあ、帰りなさい、自分自身の許に。そうすればきみの止まっていた時間が動き出すよ」

 

ウマ娘D「で、でも、どうすればいいの? 外の世界なんて知らない! 私がどこにいるかなんてわからないよ!」

 

斎藤T「いや、よく観るんだ! 心の世界は時間や空間を超越する! 鏡に写る自分自身にそう念じれば願いは叶うよ!」

 

ウマ娘D「う、う~~~~~~~~~~~~~~~~~ん!」

 

斎藤T「位置について!」

 

ウマ娘D「――――――!」

 

斎藤T「よーーーい!」

 

 

――――――ドン!

 

 

斎藤T「…………行ったか」フゥ

 

斎藤T「――――――これで4人か。人使いが荒いんだから」

 

斎藤T「ちくしょう! こうするために三女神は“黄金の羅針盤(クリノメーター)”を渡してきたっていうのかい!」

 

斎藤T「つまり、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の鏡は閻魔庁の浄玻璃鏡だったのか!」

 

斎藤T「いやはや、天界も時代に合わせて進化して こういう文明の利器になっているわけか!」

 

斎藤T「そうだよな! かつて全知全能であらせられる神は天地創造の際に万物の境界を定めた黄金の羅針盤(製図用コンパス)を用いたわけだもんな! ()()()()()()()()()使()()ってこった!」

 

斎藤T「うん、ホント便利。方位磁石の向きで行くべき場所がわかるし、その他の機能も全て意味があるものだしね」

 

斎藤T「とにかく、どうして私がトレセン学園の裏世界に溜まっている幽霊たちを救わなくちゃならないのかはわからないけど、それ相応の報酬は用意してくれよ。同意なくつきあわされている身にもなってくれ」

 

 

――――――頭の中で日めくりカレンダーがめくられる。

 

 

それがこの世界に迷い込んでしまった実刑判決であり、世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”を使った時に視える幻覚が私の成すべきことを知らせる。

 

この時間の牢獄から脱出するためには、三女神が用意した“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が導く先々での問題を解決していくしかない。

 

逆に言えば、こんな異界に迷い込んでしまっても進むべき道を示してくれる頼もしさがあるわけであり、それを信じて自分が成すべきだと思ったことをやるしかなかった。

 

ただ、ここは 生者の世界とは掛け離れた いるだけで背筋が寒くなるような世界であっても、彷徨える霊たちはこうして迷い込んでしまった生者を襲おうとはしていない。

 

いや、もしかしたら三女神の加護か何かでこちらから話しかけない限りは存在が感知できていないのかもしれないし、恨んでいる相手にしか意識を向けていないから無事でいられるのかもしれない。

 

 

そうしてトレセン学園に蟠る霊魂たちをひとりひとり除霊ならぬ“助霊”していくと、やはり名門スポーツ校の裏で繰り広げられていた犬も食わない痴情の縺れがあったことを赤裸々に彷徨える霊たちが語ってくれるのだった。

 

 

よくあるのが、担当ウマ娘が担当トレーナーに恋をしていたが、他の女に盗られて失恋してしまった青春の残滓がいつまでも残り続けているというものである。

 

それもそうだろう。それはもうトウカイテイオーやメジロマックイーンの恋愛事情で私でもよく知っていることだし、

 

ナリタブライアンと三ケ木Tの関係性から言っても同性であったとしても並々ならぬ感情を抱くようになるのがここでは普通のことなのだ。

 

驚くことに、こういった学校裏サイトにはつきものの、陰湿なイジメの雰囲気はなかった。

 

それはウマ娘の闘争本能が何をするにしても『レースで決着をつける』という単純明快な解決方法を導き出すことにも関係しているようで、

 

トレセン学園では誰かをイジメている暇があったら少しでもバカ高い授業料で還元されているトレーニング設備を使い倒してG1勝利の誉れを掴み取るのが一番だと信じられているように思えた。

 

そのため、ここが地獄の最下層ではないと確信できるぐらいに 猛吹雪の中でマッチの温かさを感じられるような 生温い場所のようでもあった。

 

だからなのか、今のところは自殺した霊や他殺された霊;生者に対する死霊と遭遇することもなく、

 

自分の青春を共に駆けた相手と結ばれることがなかった青春の残り滓である生霊をなぜか私が処分する作業が続いている。

 

 

――――――いろんな人間がいて、いろんな人間模様や人間ドラマがあったことを偲ばせた。

 

 

ある時、中央で夢を掴むために上京した才能あるウマ娘がいたのだが、地元の憧れだった男の人が中央に進学することもできないような才能や能力のない幼馴染のウマ娘とつきあうようになったのを聞かされたという話もあった。

 

担当トレーナーに恋をしたウマ娘がいたが、担当トレーナーがよりにもよってライバルの子と隠れてつきあっていたという話や、

 

同じく担当トレーナーに恋をしたウマ娘がいたが、既婚者であることを隠していたことが発覚して それまでの二人三脚が破局した話もあり、

 

中にはトレーナー同士で仲良くなっていくのを指を咥えて見ていることしかできなかった無念さをここに残してひっそりと卒業していった子もいたようだ。

 

総生徒数2000名弱の現状からすると1割にもならないものの、それでも“目覚まし時計”の時間の巻き戻しが何度か発動するぐらいにはトレセン学園に心残りを置いていったウマ娘たちが多かったのも事実であり、これもまた異種族共生社会の現実なのだと思い知った。

 

実際、ウマ娘という女性しかいない種族は本能的に他種族の男性からの精子をもらって種族を存続させたい生存本能によって、長年のパートナーであるヒトの男性に媚びるようにウマ娘が進化を遂げてきたというのは否定しきれない事実である。

 

なので、客観的に見て不純異性交遊でしかない担当トレーナーと担当ウマ娘の痴情の縺れは起こるのはしかたがないこととして、そこまで厳しく取り締まることができない空気がトレセン学園には充満していた。

 

しかし、知能がヒトよりも野性寄りのウマ娘はその闘争本能の強さゆえに勝った負けたがはっきりするためか、こちらの言葉に耳を傾ければすんなり助霊されていくので、途中から失恋相談所のカウンセラーになっていた。

 

そういう意味では、『あいつのせいで負けた!』『あいつがいなければ勝っていた!』みたいな往生際の悪い言い訳を並べるような敗北者はいないため、

 

終わってみれば後腐れなく清々しい気分にさせられるので、闘争本能の強さの良い面がこういうさっぱりとしたところに繋がっているのがウマ娘というこの世界特有の異種族の魅力なのだと改めて再認識した。

 

あるいは、夢の舞台の役者に相応しい清廉なスポーツマン精神に溢れたものが集まっているからこうなっている可能性もあり、ウイニングライブの伝統と精神の実行が伴っていない地方トレセン学園ではこうはならないはずだ。

 

なので、改めて国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台である中央トレセン学園の品の良さを学校裏世界を通じて体感することになった。

 

だが、私の直感が告げるのだ。

 

 

――――――トレセン学園の闇は本校舎に蟠ってなどいないと。

 

 

そう、明るく開放的なイメージに満ちている現在のトレセン学園がそうであるように、今のところシンボリルドルフの時代である黄金期に代表される比較的新しい時代の生霊はここにはいない感じがしていた。

 

そして、私の失恋相談所の世話になるのはどうも 年季の入った 相当 昔のトレセン学園の生徒たちばかりで、それも比較的怨みが軽い 何というのか存在感の薄い ウマ娘の生霊しか相手にしていない。

 

実際、引退即退学で有名な 教育現場としては大変よろしくない トレセン学園ではあるが、引退即自殺といった風聞を聞かない以上はかなり健全な環境にも思えた。

 

もちろん、退学した後に生きる希望を完全に失って自殺している可能性はあったが、どうも夢の舞台を血で汚したくないという思いが全員にあるのか、そういった話は一切聞かなかった。

 

せいぜい、グラウンドでいつまでも膝をついて呆然と何年もそうしていた生霊がいるぐらいで、ここで見かけるのは色恋沙汰で苦しんだ末に時間が止まったウマ娘ばかりである。

 

だからこそ、『そんなことがあり得るのか?』という当然の疑問が湧き上がるわけなのだ。

 

 

――――――全ての不祥事を退学した後のことだと隠蔽している可能性。

 

 

そして、その疑惑を包み隠さない闇の聖域がトレセン学園の敷地の隣に堂々と聳え立っている。

 

それはトレセン学園学生寮;トレセン学園の影にあたる生徒たちにとってプライベートな領域であり、基本的に生徒以外は立入禁止ということで担当トレーナーにとっても未知の領域である。

 

そう、こうして真正面から眺めていたのが去年の8月末の事件だったと考えると、いつかはこうなる日が来るような気がしていた。

 

それはヒトとウマ娘が共生する新惑星という未知なる世界を隅々まで冒険したいという宇宙移民の探究心からなのか――――――。

 

 

斎藤T「うわ……、ヤバい感じがヒリヒリする……」

 

斎藤T「トレセン学園学生寮;総生徒数2000名弱が寝泊まりしている巨大な住宅団地――――――」

 

斎藤T「もちろん、校舎と同じく老朽化の度に建て直しているにしても、歴史的には自治会の縄張りで生徒会とは対立関係にあった場所でもある」

 

斎藤T「基本的には生徒以外立入禁止で、決まった時間に業者が入ってきて業務を行うだけで、あの住宅団地の隅々まで知悉している人間は自治会の人間以外ではほとんどいないはずだ」

 

斎藤T「自治会の長である寮長や警備担当のERT(緊急時対応部隊)もどこまで実態を把握しているのやら――――――」

 

斎藤T「ただ、以前に偽物のトウカイテイオー’を監視するためにERTの監視カメラシステムを使って学生寮を見ていたから、内部構造についてはある程度は知っていることになるか?」

 

斎藤T「うわ~、入りたくねぇ……」

 

斎藤T「でも、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が学生寮の住宅団地を指しているし……」

 

斎藤T「バケモノなら人間の知恵でどうとでも殺せるが、オバケは理屈じゃないからな……」

 

斎藤T「一応、“目覚まし時計”が作動しているということは死んでもやり直すことになるけど、対策とかどうすりゃあいいんだよ?」

 

斎藤T「おい! 聞こえているか! 今からお望み通りに禁断の花園に飛び込んでやるから、何とかしろ!」

 

斎藤T「じゃあ、逝くか!」

 

 

――――――意を決して 表世界では入ることが許されない トレセン学園学生寮の住宅団地に飛び込んでいった。

 

 

 

――――――トレセン学園学生寮?

 

 

斎藤T「ただの住宅団地にしか見えないけど、ここはマイナス想念の渦の中だな……!」

 

斎藤T「表世界は冬の真っ只中で、ここでは白い息が出ないのに、一歩踏み込む度に息が詰まって背筋が凍るような感覚に襲われる……!」ゾゾゾ・・・!

 

斎藤T「で、どこへ向かえばいいんだ?」パカッ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の方位磁針を確認する。

 

斎藤T「えっと、そうだ」

 

斎藤T「たしか、広大な住宅団地ではあるけれど、栗東寮と美浦寮で区分されているんだったな、そうだな?」

 

斎藤T「西側がフジキセキの栗東寮で、東側がヒシアマゾンの美浦寮だったな。自治会企画の学生寮対抗戦ってのもあったことだし」

 

斎藤T「お、案内板があるじゃないか。これで構造がわかるな」

 

 

現在、トレセン学園の学校裏世界という現実世界の裏側に存在する異界にいるため、電波が届かない状況にあった。

 

そのため、PDA(携帯情報端末)から以前に利用したERTの監視カメラシステムにアクセスすることができず、土地勘がない状態で目的地もわからないまま巨大な住宅団地を彷徨うことになった。

 

学園を出て道路を挟んで真向かいにあるが、安全面を配慮して地下通路で学園校舎と直通となっており、トレセン学園には巨大な地下道が張り巡らされていた。

 

これ自体は東京都心でよく見られる地下構造であり、2つに分かれている学生寮もこの地下通路で1つに繋がっていた。

 

そして、学生寮に進入するためには地下通路にあるセキュリティゲートを通らなくてはならず、または業者用の搬入路を利用する他ない。

 

あるいは、巨大な住宅団地である学生寮を囲っている塀を飛び越えることも不可能ではないが、当然ながら監視カメラやセンサーがそれを見逃さない。

 

しかし、紅い月が妖しく輝くこの裏世界では電子セキュリティの類は一切働いていない。

 

電源が消えているわけじゃない。電子ロックが遮断されてセキュリティゲートを素通りできるようになっていたのだ。

 

同じように、閂で物理的に扉が封鎖されているようなことがなければ電子ロックが全て無力化された物理鍵の全盛期に時代逆行していたのだ。

 

このように、清潔感と未来感のある最新設備に人がどこにもいないという非日常の光景はホラーというには雰囲気が明るすぎるというギャップがあり、サバイバルホラーやホラーアドベンチャーとはちがった趣があった。

 

そうなると、ヒトとウマ娘が共生する異世界での出来事なので、その裏に潜む邪悪な存在の影に怯えるコズミックホラーの世界に私はいるのかもしれない。

 

悪霊が相手というよりは根源的に対話が成立しない相手がいるかもしれない恐怖が私にはあったのだ。

 

そう、去年の盆休みにWUMAと初遭遇した時の怖さは意思疎通ができない理不尽な暴力に裏付けされていたわけであり、

 

それがシンボリルドルフに擬態したエルダークラス:ヒッポリュテーと遭遇したことで、そこからはあまり怖くなくなってしまっていた。

 

自分たちの狙いを 訊いてもいないし 訊き出す余裕もないのに 向こうからペラペラと喋ってくれたおかげで、“皇帝”の情事について悪し様に罵ったヒッポリュテーに対して激昂するぐらいには私は正気を保つことができたからだ。

 

そう、対話が成立することが本質的に快いものがあり、対話が成立しないことは本質的に不快に感じるのが人間というものだ。

 

そのことを意識すれば、まだ言語が明確な悪霊は悪霊祓いの私からすれば御しやすい相手であり、野生の猛獣の方が話が通じないので苦手だ――――――。

 

 

ヒヒーーーーーーーーーーーーーーーーン!

 

 

斎藤T「――――――馬の嘶き?」ゾクッ

 

斎藤T「え? なんで 馬の代わりにウマ娘が存在する この世界の学園裏世界で 馬の嘶きが聞こえてくるんだ?!」

 

斎藤T「まさか、これはWUMA――――――」

 

 

パカラパカラ!

 

 

斎藤T「!?」

 

暴れ馬「ヒヒヒィイイイイイイイイイイイン!」 ――――――黒鹿毛の馬が尋常ならざる気を纏って突進してくる!

 

斎藤T「なんだと!? 本当に馬ぁあああああ!?」

 

斎藤T「くっ」バッ ――――――間一髪で緊急回避!

 

斎藤T「くそっ!? なんで暴れ馬なんかがいるんだよ!? あれもWUMAの擬態か!?」ヨロヨロ・・・

 

斎藤T「ハッ」

 

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイ」ボソボソ ――――――振り返ると紅い月を背にした漆黒の勝負服のプレッシャーの塊がいた!

 

 

斎藤T「え?」

 

斎藤T「え!?」

 

斎藤T「ライスシャワー!?」

 

斎藤T「え!? さっきの馬は――――――!?」

 

ライスシャワー?「――――――!」シュッ! ――――――腰に佩いた短剣を手を掛ける!

 

斎藤T「――――――させるか!」バッ ――――――偽装した誘導棒を振り抜く!

 

 

バキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!

 

 

斎藤T「うわあああああああああああああああ!」ドサッ ――――――衝突の勢いで吹っ飛ばされた!

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイ」スタスタ・・・ ――――――よろめいたものの、歩調を調えて短剣を握り直して一歩一歩迫る!

 

斎藤T「くぅうう! WUMAと比べたら大したことはないけど、それでもヒトなんかよりもよっぽど強いな!」

 

斎藤T「お前、何だ? ライスシャワーの生霊か? そんなに殺したい相手でもいたのか!?」ヨロヨロ・・・

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイ」ボソボソ

 

斎藤T「――――――?」

 

斎藤T「……何だ、この違和感は? さっきまでの生霊とはたしかにちがうが、決定的な何かがちがう?」

 

斎藤T「そうか! こいつ、知性が無いな! 何か、こう動物的な感情の向け方を――――――」

 

ライスシャワー?「――――――!」シュッ!

 

斎藤T「悪いな! 相手をしている暇はないんだ!」

 

斎藤T「こいつはこういう使い方もできるんだ!」カチッ ――――――プラズマジェットブレードの出力を誘導棒に回した!

 

ライスシャワー?「!!!!」

 

 

ピカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!

 

 

馬の嘶きを聞くと、それが怪人:ウマ女の狂気の叫び声に変換されてしまうのだが、なんと私はこの世界で初めてまともな馬の存在を目撃にすることになった。

 

しかも、こちら目掛けて狂った瞳に憎悪の炎を宿して突っ込んでくるのだから、一瞬 蛇睨みされたかのように身体が固まって、次の瞬間には“斎藤 展望”がそうだったように暴れ馬に撥ねられそうになっていた。

 

しかし、間一髪で我に返って緊急回避すると、振り返った瞬間には気が狂った黒い馬の姿はなくなり、代わりに飯守Tの担当ウマ娘:ライスシャワー?がそこにいたのだ。

 

だが、その目は虚ろにして狂気を孕んでおり、黒の勝負服も相まって先程の黒い馬との繋がりを意識せざるを得なかった。

 

これまでVRシミュレーションでも馬を飼育したことがないので馬について詳しいことはわからないのだが、たしかに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような気がしていた。

 

それはウマ娘の特徴であったウマ耳やしっぽではなく、()()()()()()()()()()()()()がライスシャワーというイメージを押し付けて、無意識にライスシャワーというウマ娘に結びつけるのだ。

 

この学校裏世界が全体としてスピリチュアルな世界だとするなら、あの黒い馬がウマ娘の姿に化けた姿がライスシャワー?という推測も成り立つ。

 

 

――――――だが、ウマ娘:ライスシャワーとあの黒い暴れ馬:ライスシャワー?の関係がわからない!

 

 

そして、腰に佩いた短剣に手を掛けたのを見て、こちらも護身用の誘導棒に偽装したプラズマジェットブレードを振り抜いた。

 

基本的に私はウマ娘よりも圧倒的な脅威であるWUMAを次々とあの手この手で抹殺してきたが、実際のところは強大であるが故に生まれる慢心の隙を突いて正攻法で勝った試しはないため、

 

肉体改造強壮剤によって常人を遥かに超える身体能力は得ていても、それは精々ウマ娘の動きに合わせることができる程度で、ウマ娘と互角に戦えるほどの戦闘力は保証されていなかった。

 

結果、小柄な体格のライスシャワー?が抜いた短剣をタイミングよく誘導棒で払うことができても、かまわず突進してきたライスシャワー?の体当たりによって、思いっきり吹き飛ばされてしまった。

 

いや、至近距離では回避できないことを踏んで自分から吹き飛んだおかげで 衝撃をうまいこと逃がすことができたので すぐに立ち上がることができたが、想像したよりも衝撃は軽かった。

 

――――――そう、それで正解だったのだ。

 

接触された時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような怖気が走ったので、おそらくは肉体を持っていないマイナス想念の塊:悪霊だと推測できた。

 

10秒も触れていたら たちまち死んでいたんじゃないかと思わせる恐怖が冷や汗と共に頬を伝い落ちる――――――。

 

つまり、あれはウマ娘に擬態することが可能なガス状の霊体であり、ライスシャワーの生霊ではない完全に別の何かであった。触れられたら完全にアウトの毒ガスの塊と考えていい。

 

もちろん、ライスシャワーがミホノブルボンやハッピーミーク、サクラバクシンオーらと一緒に投票していたのを見ていたのでライスシャワーの死霊であるはずがない。

 

そして、あれは生霊のような肉体の次元に近い生々しさや肉肉しい感触がまったくなく、純粋に憎いという感情を動物的な本能でぶつけてきている感じがしていた。

 

要するに、人間的な知性の醜悪さを感じなかったのだ。憎悪という醜悪な感情を向けながらも人間らしい賢しらなものを感じさせない純粋なものに思えたのだ。

 

それでありながら、同時に作為的なものも感じた。

 

というのも、どんな悪霊にもそこにいることになった理由があるからそこにいるのだし、ヒトとウマ娘が共生するこの世界では認知されていない未確認生物の悪霊が自力で学生寮に流れ着いたとは考えられない。

 

しかし、それならば、人間的な知性がないなら やり過ごすのは簡単なはずで、私はプラズマジェットブレードに使う出力を最大限に誘導棒に回すことで眩い光(フラッシュライト)を放った。

 

 

――――――そこから私は一目散に近くにあった施設に逃げ込んだ。

 

 

これでも悪霊祓いの奥伝を授かった身だ。正体がわからない悪霊が有利な状況で戦ってはたちまちのうちに取り込まれてしまうため、こういう時は『一目散に逃げる』のが正解なのだ。

 

悪霊祓いの基本から言っても、()()()()()()()()()()()()()()()()()から悪霊祓いというのであって、あの悪霊が確固たる存在として独立している状況では悪霊祓いは何の効果も発揮しない。

 

なので、悪霊そのものを無害化して消滅させるためのやり方として除霊から“助霊”に切り替えないといけないのだ。

 

というより、元から死んで肉体を失った存在を殺すことはできないのが摂理である。肉体は生命体であるが、霊体は生命体ではないから死なないという理屈である。

 

肉体を離れた霊体はすでに死んでいるから不死身であるなら、死を体験させるためには肉体という器が必要とも言える。

 

では、不死身の存在からの悪影響をなくすためにはどうすればいいのかと言えば、現実社会と同じように隔離するしかない。

 

否、本来の肉体から離れた霊体は不自然な存在であるのだから、自然な状態になるように導くしかないのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()というのが真理だ。生きている時は霊魂は生まれ持った肉体にあり、死後は冥界へと旅立つのが本当であるという考え方だ。

 

なので、生霊・死霊・悪霊が相手だろうと助霊の基本はまったく同じであり、本来あるべき場所;還るべき霊界に還すことが霊たちへの絶対の救いなのだ。

 

そのため、それがどこなのかがわからないと除霊をしたところで取り憑かれた相手は救われても、除霊で追い払われた彷徨える霊魂はあるべき場所に収まらないので再び誤った依り代に取り憑くのが繰り返されてしまう。

 

でなければ、古今東西の神話で語られるように不死身の怪物を無力化する方法として生き埋めにして無力化するなどの封印を施すしかない。

 

しかし、それもまた準備が大変で、封印を実行に移すのも命懸けで、何より根本的な解決に繋がらない不自然な状態が続くだけなので、悪霊祓いの奥伝である助霊を最終的には行うべきなのだ。

 

でなければ、死ぬことのない霊魂はどんどんどんどん現実世界の裏側に溜まっていく一方で、生者の世界への悪影響も凄まじいことになってしまうのだから。

 

死霊たちはあるべき場所にいない不自然な存在であることから、不自然な存在は自然淘汰される摂理に抗うために、自然な状態であった肉体の感覚を維持するために表世界の生者から生気を盗み取っている盗人に成り下がる。

 

要は、不法滞在者として あるべき霊界に還らずに地上に居座るために 日銭として生者から生気を盗み取って不運や死に至らせる犯罪者になってしまっているわけであり、

 

そんな連中が本質的な善であるはずがないため、治安維持のために取り締まるのは当たり前のことである。

 

そう、悪霊とは地上に蟠る存在だが、逆に善良なる善霊は肉体を失ったら四十九日でやってくる迎えに素直に導かれてあの世に旅立っているため、地上に蟠る善霊なんてものは存在するわけがない。

 

地上で幽霊を見かけたら 十中八九 悪霊であるので、どれだけ善良そうに見えようが不法滞在者として厳しい態度で臨むか無関係を貫き通すのが善良な人間の生き方である。

 

おそらく、23世紀でこうした悪霊祓いのノウハウが宇宙移民のひとりひとりに伝授されるということは、21世紀でも国家の暗部でこうしたオカルトを駆使する霊能力者や魔術師が鎮護国家のために暗躍しているはずであり、

 

この中央トレセン学園も数々の名勝負やドラマが生まれた裏側には夢破れた敗者たちの残留思念が毎年のようにたくさんこびりついているはずなので、特に力を入れて定期的に除霊をしてくれているはずなのだ。

 

だから、学園校舎には年季の入った完全に世界から忘れ去られた生霊しかいなかったのかもしれない。

 

 

斎藤T「しかし、こうも広大な住宅団地を建てるくらいなら、タワーマンションを建てた方がいいような気もするけどな……」

 

斎藤T「高層ビルじゃなくても5階建てアパートぐらいにしておけば収容人数の整理もしやすいだろうに、3階建てのおしゃれなコーポで統一する必要はあったのかねぇ?」

 

斎藤T「そして、それぞれの学生寮の中心になる食堂、多目的ホール、学習室、調理室、会議室などを揃えた立派な公会堂まで建っているんだな」

 

斎藤T「へえ、みんな ここで朝は食べて学園に来ているわけなんだな」

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイ」ボソボソ

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイ」バッ!

 

斎藤T「うわっ! あのライスシャワー?の悪霊、よほど私のことを追いかけ回したいようだな!」

 

斎藤T「退散 退散!」

 

 

逆に言えば、生徒以外立入禁止であり 業者も限定的にしか入れない 学生寮の闇はその大部分が光に照らされることのないまま放置されているはずだ。

 

だいたいにして、綱紀粛正というものはパブリックな場所でこそその必要性や重要性を声高に叫ばれるが、

 

プライベートな場所にはプライバシー保護を盾にして実行された試しがなく、まず腐敗の温床になるのがそういった日の光が差さないジメジメした陰の部分だ。

 

ということは、そういった場所にこそ霊能力者や魔術師が密かに学園の除霊のために送り込まれている可能性が十分に考えられた。

 

もちろん、こうした悪霊祓いの奥伝になるものは他人に漏らした瞬間に()()()()()()()()()()()()()()()()()()ため、秘密の力というのは秘密であるからこそ力を発揮するのだ。

 

なので、絶対に口外してはならない決まりがあるので、霊能力者も魔術師たちも同じように決して自分たちの能力や正体を明かそうとはしない。自慢気に話しだしたら そいつがペテン師であることは確定である。

 

これもまた経済で理解できる話であり、企業のコア・コンピタンスが知れ渡ってしまったら たちまちのうちに類似品が出回って 儲けがなくなっていくのと同じである。企業秘密というやつである。

 

そのため、理事会もその存在を把握しているとは思えないが、過去のトレセン学園では明らかに悪霊たちの溜まり場になって放置されて好き放題されていたと思われる時期があり、それを霊能力者や魔術師が陰ながら解決したものだと私は見ていた。

 

 

そう、シンボリルドルフが登場する以前の暗黒期と呼ばれていた頃のトレセン学園である。

 

 

具体的にどういった悪行三昧が行われていたのかはまだ自分で調べてはいないが、“皇帝”シンボリルドルフが反面教師として自由で開放的な校風を目指すきっかけになったぐらい、生徒会とトレーナー組合の対立が激化していた時期であった。

 

そういう場所ほど恨み辛みの生霊を飛ばしあって互いにデバフを掛け合っている地獄絵図に染まっているため、絶対にいい雰囲気であるはずがないのだ。

 

それが一転して総生徒数2000名弱のマンモス校として黄金期を迎えることになったのだから、おそらくは暗黒期から黄金期に移り変わる前にこれまでトレセン学園に蟠っていたものを綺麗に掃除することができたのだと推測される。

 

それだけの能力と実行力を持った霊能力者か魔術師がトレセン学園に来ていたはずなのだから、何かしら再発防止策になるものを用意して、シンボリルドルフによる黄金期を密かに支えていたはずだ。

 

そういう裏世界の実情を踏まえて、ウマ娘のトレーナーにとっては秘密の楽園である学生寮の探索を始めると、面白いように不法侵入者である私に冷たい視線が四方八方から突き刺さった。

 

でも、私はまったく気にしない。波長を合わせた瞬間に生気を吸い取られて亡き者にされるので、意識を向けないようにしていた。

 

これも悪霊祓いの基礎であり、日常生活で現実世界と紙一重の裏世界の住人である()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを踏まえるだけで不自然な存在を遠ざけることができる非常にシンプルかつ堅実なやり方であった。

 

ただ、先程の物理的干渉能力を持った悪霊に対しては無視を決め込んでいたら確実に成すがままにされるので、あの場合は物理的干渉能力を具現化させるほどの想念の強さを逆利用して変質者の撃退方法がそのまま使える。

 

要は、肉体を失っているからこそ生者とは互いに物理的干渉ができない幽霊だが、肉体的要素を具現化させた瞬間に肉体的要素による特性や弱点も同時に得るわけなのだ。

 

WUMAのジュニアクラスが完全な擬態能力を有する代わりに指揮能力がなく、エルダークラスは指揮能力がある代わりに擬態能力が完璧ではなくなるのと同じことが起きている。

 

だからと言って、思い込みで肉体があるのと同じ状態を再現していることから二度目の死を与えることはできないし、触ったらマイナス想念の毒ガスを食らわされる悪霊の基本性質はそのままなので、やっぱり今は逃げるしかない。

 

 

斎藤T「――――――このコーポでいいんだよな?」パカッ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が進むべき先を示す。

 

斎藤T「うん。間違いない。ここで合っているな」

 

斎藤T「しかし、やはり『死せる孔明、生ける仲達を走らす』だな」

 

斎藤T「並行宇宙からの侵略者であるWUMA相手に真正面から太刀打ちできないってのに、それと同じぐらいに悪霊の相手にも手を焼かされる……」

 

斎藤T「――――――()()()()()W()U()M()A()()()()()()()()()というのもなぁ」

 

斎藤T「けど、ウマ娘は基本的には実力主義が徹底していることもあってか、過酷なレースの世界で他人を恨むことがほとんどないのが凄いな」

 

斎藤T「そして、その残留思念もお行儀よくコーポに閉じ籠もっている窓の外を見ているだけだから、ここまで怨霊の類には一切襲われなかったな。本当に自分の非力を死ぬほど呪っている内向的な性格の子が大半なんだろうな、ウマ娘ってのは」

 

斎藤T「じゃあ、ライスシャワー?に化けてくる あの馬の悪霊はいったい何なんだ?」

 

斎藤T「何度もフラッシュライトで撃退されていることをいいかげん学べばいいのに、バカみたいに一直線に突っ込んできてさぁ?」

 

斎藤T「こっちはエルダークラスと渡り合うために動体視力を鍛えてきているんだから、ウマ娘の攻撃をいなすぐらいは余裕だってのに、相手の力量や自身の失敗を省みることすらできなくなっているわけだが……」

 

 

コツコツコツ・・・

 

 

斎藤T「へえ、実際に生徒たちが寝泊まりしている集合住宅のコーポはカードリーダー式の電子ロックの自動ドアを抜けたら真っ先に談話スペースになっているんだな」

 

斎藤T「パソコンブースに、湯沸室、内線電話、テレビ、エアコン、共用棚、浴場、ランドリー、トイレ、楽屋――――――、1個のコーポにこれだけの設備のエントランスホールを用意しているわけか」

 

斎藤T「維持費が高くなるわけだ。学生寮の住居費が膨れ上がって当然だな」

 

斎藤T「それで? このフロアマップのどこへ行けばいいか、教えてちょうだい」パカッ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の方位磁針に注目する。

 

斎藤T「……ああ、この寮室に向かえと。なるほど、なるほど」ブンブン! ――――――右に左に振ってみて方位磁針が同じ部屋を指しているかを確認。

 

斎藤T「誰の部屋かな――――――、まあ、知ったこっちゃないな」

 

斎藤T「ここが終着点だというのなら、とっとと用事を済ませて表世界に帰って、アグネスタキオンとナリタブライアンの今晩のおかずでも考えるさ」

 

斎藤T「たぶん、二度は時間が巻き戻ったから、ここにいる時間は相当なはずなんだけど、きちんとトレーナー室から出た時間に巻き戻って何事もなかったようになるはずさ」

 

 

コンコンコン・・・、ガチャリ!

 

 

斎藤T「さて、お邪魔するよ」

 

ウマ娘S「だ、誰ですか、あなたは……?」シクシク・・・

 

斎藤T「きみがずっとそこで塞ぎ込んでいるのはなぜなんだい?」

 

斎藤T「――――――今の自分の顔を見たことがあるかい?」パカッ  ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の鏡を見せる。

 

ウマ娘S「え!?」

 

ウマ娘S「……これが私? え? これ、何? どれくらい時間が経っているの!?」

 

斎藤T「外見から察するに二十代半ばぐらいだから、だいたい10年ぐらい経っているんじゃないのかな? 私は20XY年の世界の住人だけど、きみにとっての青春はいつのことなんだい?」

 

ウマ娘S「………………」

 

斎藤T「きみのことを教えてくれ」

 

ウマ娘S「あ……」

 

 

ヒヒヒィイイイイイイイイイイイン!

 

 

ウマ娘S「ヒッ」

 

斎藤T「あのライスシャワー?のオバケもしつこいもんだな」チラッ ――――――窓の外を見る。

 

斎藤T「――――――うん?」

 

――――――

 

ライスシャワー?「ヒヒヒィイイイイイイイイイイイン!」

 

別の黒い馬?「ヒヒヒィイイイイイイイイイイイン!」 ――――――額に白い線が入っている。

 

――――――

 

斎藤T「何だ? あのオバケに仲間がいた――――――というわけでもないな?」

 

斎藤T「どういうことだ? 馬同士で争っているぞ? 縄張り争いでもしているのか?」

 

ウマ娘S「な、何なんですか、あの()()()()()()()()()()()()()()は!?」

 

斎藤T「……さあ、何だろうな? 『触らぬ神に祟りなし』だから、無視しよう」

 

ウマ娘S「は、はい……」

 

斎藤T「それで、きみは? 私は20XX年にトレセン学園のトレーナーになった者だけど」

 

 

ウマ娘S「私は、その、カミングダウン(Coming Down)です」

 

 

斎藤T「……凄い名前だな」 ※Comedown:零落、失墜、落下、墜落、期待はずれ

 

ウマ娘S「よく言われます」

 

斎藤T「でも、きっと素晴らしいものが降りてくる(Coming Down)中で生まれた異世界の英雄の名前なんだろうな」

 

ウマ娘S「あ、ありがとうございます!」ジーン!

 

斎藤T「そっか、名前に強烈な劣等感を覚えていたようだな。これで少し気が晴れたみたいだな」

 

ウマ娘S「はい、私、トレーナーの指示に従ってさえいれば、トレーナーに迷惑を掛けることはなかったのに…………」グスン・・・

 

斎藤T「名前は聞いた。この寮室で学園時代を過ごしていたこともわかった。それできみがいつの頃の競走バだったかは調べることができる。きみの身に起きた事件を知ることができる」

 

斎藤T「でも、きみ自身が何を願ってどうあって欲しいと思うから、ずっとここにいたのかを訊かせてくれないか?」

 

斎藤T「死んでも悔やみきれないような想いだったから、こんなところに残り続けているのなら、もう楽になりなよ」

 

ウマ娘S「大好きだったんです……、尊敬していたんです……、感謝していたんです……」ポタポタ・・・

 

ウマ娘S「私のトレーナーは物凄く運動音痴、ウマ娘のトレーニングについていけないから、人一倍頭を使って いつも的確な指導をしてくれたんです……」ポタポタ・・・

 

ウマ娘S「それでいて担当ウマ娘のことを何よりも気にかけて 何かあったら100mにもならない距離で息を切らしながらもすぐに駆けつけてくれるような 優しい人だったから、どこまでも私たちの意志を尊重して厳しくとも確実に上達していける指導を考えてくれていたんです……」ポタポタ・・・

 

 

ウマ娘S「だから、ごめん! ごめんね! ごめんなさい、リコちゃん! リコちゃん……!」グスン!

 

 

ウマ娘S「リコちゃんの心配に耳を貸さずに意地を張ってチーム対抗戦で負けたくない一心で無理を押し通そうとしたら、私とリコちゃんの二人三脚の大事なクラシックの一戦で、あんな、あんな――――――」

 

斎藤T「言うな!」ギュッ ――――――口を塞ぐかのように思いっきり少女を抱きしめた!

 

ウマ娘S「あ」

 

斎藤T「――――――ううっ」ゾゾッ ――――――身体から生気が吸われていく感覚が虚脱感を伴って這いずり回る! 

 

斎藤T「もういいんだ……! トレーナーってのはどこまでも薄情な人種で、今の担当ウマ娘がダメになったら次の担当ウマ娘に切り替えることができるんだ!」ゼエゼエ ――――――体感温度が5℃は下がった気分だ!

 

ウマ娘S「うぅ……」

 

斎藤T「トレーナーってのは社会人だからな。食っていくためにも、嫌でも次の担当ウマ娘を見つけて勝たせることに集中しなくちゃならない」ゼエゼエ

 

斎藤T「塞ぎ込んでいる暇なんて与えられなくなるんだよな、責任を取らなくちゃだから」ゼエゼエ

 

斎藤T「でも、そうして身体を動かしているうちに、これまでの反省を踏まえての新たな目標に生きることができるように人間ってのはできているんだ」ゼエゼエ

 

斎藤T「だから、きみがいつまでもこんなところで塞ぎ込んでいることの方が恩人を苦しめることになるんだぞ」ゼエゼエ

 

斎藤T「立て! いつまでもこんなところでああでもないこうでもないと悩んでいる暇があったら、実際に恩人のところに行って元気な姿を見せてやれ!」ゼエゼエ

 

斎藤T「――――――『恨んでなんかいない』って言ってやれ!」ゼエゼエ

 

斎藤T「――――――『ありがとう』って言ってやるんだよ!」ゼエゼエ

 

斎藤T「本当のことを言えれば、少しでも恩人の心を軽くしてやれるんじゃないのか!?」ゼエゼエ

 

斎藤T「それが罪と向き合うということだぞ……!」ゼエゼエ

 

ウマ娘S「あ……」

 

斎藤T「さあ、行くんだ! 現実世界の自分自身と向き合って! 逃げずに大切な人の許へ!」ゼエゼエ

 

斎藤T「位置について!」

 

ウマ娘S「――――――!」

 

斎藤T「よーーーい!」

 

 

――――――ドン!

 

 

斎藤T「あぁ……」ドサッ ――――――それまで抱き締めていたはずのウマ娘の身体は何もなかったかのように消え去り、支えを失って倒れ込む。

 

斎藤T「い、行ったかぁ……」ガクガク・・・

 

斎藤T「現実世界に還る元気を出させるために私の生気を渡す荒療治はもう二度としたくない……」ガクガク・・・

 

斎藤T「寒い……」ガクガク・・・

 

斎藤T「これでいいんだろう……? こうすることで未来が何か良くなるんだよな……?」ガクガク・・・

 

斎藤T「ヤバいな……。こっからどうやって帰ればいいんだ……」ガクガク・・・

 

斎藤T「WUMAが相手なら四次元能力を逆利用して時間跳躍できるけど、相手は馬のオバケだぞ?」ガクガク・・・

 

斎藤T「今の状態じゃ、あっさりオバケに捕まっちまうなぁ……」ガクガク・・・

 

斎藤T「とりあえず、気力が回復するまで真言(マントラ)を唱えまくるしかないな……」ガクガク・・・

 

斎藤T「これだから悪霊祓いはやりたくないんだよな……」ガクガク・・・

 

斎藤T「しかも、人間形成の背後にいる悪霊だの何だのを祓ったら、露骨にその人の人生を変えることになるから、宇宙移民として未開惑星への過度な干渉に相当する行為だしさ……」ガクガク・・・

 

斎藤T「だから、救いすぎてもいけないわけで、試練や天罰を通じて その人が進歩発展向上する機会を奪うのは教育の義務と権利の侵害になるのだから……」ガクガク・・・

 

斎藤T「でも、それ以上に自己防衛は宇宙移民の義務と権利だし、この地の皇祖皇霊である三女神がやらせるんだから、『許可は得ている』ってことでいいんだよな!?」ガクガク・・・

 

斎藤T「ああ 寒っ……」ガクガク・・・

 

斎藤T「あれ、何か静かだな……」ガクガク・・・

 

斎藤T「馬同士の縄張り争いが終わったのかな?」ガクガク・・・

 

 

 

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」ジー・・・

 

 

 

 

 

――――――それから夢を見ていた。

 

どうやって学校裏世界から帰ってこれたのかははっきりとせず、気晴らしにトレーナー室を出た瞬間に我に返っていた。

 

ただ、悪い夢だと思った後には誰かに抱き締められたかのような安心感と温かさが充足することになり、何となく良い夢で終わったんだと感じていた。

 

後になって、世にも不思議な時間が巻き戻る“目覚まし時計”の効果で現実世界の許の時間帯に帰り、成すべきことを果たしたので時の牢獄から解放されたのだと理解した。

 

しかし、悪霊祓いは宇宙移民の心得として未開惑星への過度な干渉になるとして絶対に使わないようにしてきていたが、また使わざるを得ない状況が来るのだろうと予感させられた。

 

そう、トレセン学園の学校裏サイトならぬ学校裏世界にはライスシャワーに擬態する馬のオバケという魔物が潜んでいたように、絶対に見てはならないような恐るべき秘密が隠されているような気がしてならなかった。

 

もちろん、私は出来る限りは関わりたくない。

 

お抱えの霊能力者や魔術師が定期的に魔を祓っているはずだから、そいつらの領分に土足で踏み込んだ時の泥沼の争いは絶対に避けたい。

 

そして、悪霊祓いの能力は冠婚葬祭を執り行うための常識的なものであって 特段 誇るようなものでもなく、

 

むしろ、そんな力にばかり頼っていると、普通の人間としての暮らしや価値観を忘れたオバケに自分自身がなってしまうので、忌むべきものでもあった。

 

そう、あくまでも現実世界を生きる人間としての最大限の努力が主であり、ああいったスピリチュアルなものは従だからこそ、そこを主客転倒してはいけない。

 

勝利の女神が微笑むのに値するのがどういった人間なのかを考えれば、まったく難しい話じゃない。

 

何より、あんな感じの暖房や厚着でどれだけ暖を取ろうとしても寒気が止まらないような世界には1秒たりともいたくないので、私も普段はスピリチュアルなことは完全に忘れるようにしていた。

 

 

――――――トレセン学園/レース場観客席

 

 

斎藤T「えっと、カミングダウン、カミングダウン――――――」

 

斎藤T「あ、あった。担当トレーナーの名前は樫本 理子――――――」

 

斎藤T「――――――たしかに“リコちゃん”だな」

 

斎藤T「へえ、カミングダウンの担当をしていた時点で、二十代でG1勝利バが何人もいる優秀なトレーナーだったみたいだな」

 

斎藤T「そうか。暗黒期だもんな。この頃はまだトレーナーが今よりたくさんいた頃だから、複数のトレーナーが複数の担当ウマ娘を指導するチーム制が普通だったか」

 

斎藤T「そう言えば、重賞レースとは別のチーム対抗戦での過労が原因で、選手生命が絶たれたって話だったか――――――」

 

斎藤T「その反動と反省でマンツーマン指導が多くなったのが黄金期の特徴でもあるわけか」

 

斎藤T「今、この樫本Tは今どうしているのかな? 今のトレセン学園にはいないわけだから、その足取りを追うのは骨が折れそうだな……」

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

斎藤T「授業が終わって練習しに来た子たちが集まってきたか……」

 

斎藤T「さて、今日もナリタブライアンが押しかけてくることだし、夕飯の準備しておかないとな」

 

斎藤T「うん――――――」チラッ

 

――――――

 

 

ライスシャワー「――――――」

 

ミホノブルボン「――――――」

 

ハッピーミーク「――――――」

 

サクラバクシンオー「――――――」

 

 

――――――

 

斎藤T「仲がいいのはよろしいことで」

 

斎藤T「……あのライスシャワー?のオバケはいったい何だったんだろうな?」

 

斎藤T「まあいい。念には念を入れて、次からはしっかりと準備をしておくだけさ」

 

斎藤T「ああ、やりたくねぇ。独鈷と使い捨てカメラぐらいは持ち歩いておかないとか」

 

斎藤T「――――――!」クルッ

 

――――――

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」

 

 

――――――

 

斎藤T「……あれはマンハッタンカフェ?」

 

斎藤T「――――――?」

 

斎藤T「何だったんだ、今の感じ――――――」

 

 

アグネスタキオン「おお! カフェに注目するとはきみも隅に置けないねぇ、トレーナーくん!」

 

 

斎藤T「お、おお!?」ビクッ

 

アグネスタキオン「やはりというか、私の目には狂いはなかったよ、彼女は」

 

斎藤T「は?」

 

アグネスタキオン「なに、私もカフェもテイオーくんとマックイーンくんの同期だから、順当に行けば“正真正銘の天才”と“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”と同世代になるだろう?」

 

アグネスタキオン「その結果、私が見込んだカフェは2人の影に隠れることになったが、ところがどうしたことか、その2人が“悲劇の主役”として華々しく競走ウマ娘としての選手人生に幕を下ろすことになったからね」

 

アグネスタキオン「これからカフェの時代が始まるんじゃないかと期待しているのだよ」

 

斎藤T「あそこの『URAファイナルズ』の優勝候補が揃っている黄金期最高の世代は興味の対象じゃないのか?」

 

アグネスタキオン「ああ。私が求める理想の実験体ではないからね」

 

 

斎藤T「それはお前の理想である“ウマ娘の可能性”が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からか?」

 

 

アグネスタキオン「さすがだよ! さすが、私のトレーナーくんだよ!」

 

アグネスタキオン「そう、あそこにいるのはみんなダメさ」

 

アグネスタキオン「自分の目標として“ウマ娘の可能性”を追究していない時点で“果て”を目指そうという根源的なスタートラインに立っていない」

 

斎藤T「――――――それがアグネスタキオンとマンハッタンカフェにはあると?」

 

アグネスタキオン「そういうことだよ、トレーナーくん」

 

斎藤T「そうか。同期でありながら、ここまで世代が開いた例はないだろうが、そこまで言うなら今後の活躍について注目しておこうか」

 

アグネスタキオン「なあ、トレーナーくん?」

 

斎藤T「ん?」

 

 

アグネスタキオン「私がもしも『カフェが欲しい』と言ったら、きみもカフェを欲しがってくれるか?」

 

 

斎藤T「……それは『すでにシニア級:3年目を終えたG1出走バを引き抜け』ということか?」

 

アグネスタキオン「ああ。きみは元々()()()()()()として名が知られているだろう?」

 

斎藤T「……考えておく」

 

アグネスタキオン「頼んだよ。そうすれば、私の見せたい“果て”にグッと近づくはずだろうからさ」

 

斎藤T「そうか」

 

斎藤T「……ん」チラッ

 

 

ライスシャワー?「――――――」

 

マンハッタンカフェ?「――――――」

 

 

斎藤T「………………っ!」ゾクッ

 

アグネスタキオン「……どうしたんだい?」

 

斎藤T「いや、なんでもない。夕飯の支度にかかる……」

 

アグネスタキオン「ああ。ぜひ、そうしたまえ。ブライアンくんも楽しみにしているだろうから」

 

斎藤T「………………」チラッ

 

ライスシャワー?「――――――」

 

マンハッタンカフェ?「――――――」

 

 

――――――その日から時折マンハッタンカフェ?とライスシャワー?の幻影がチラつくのであった。

 

 



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第5話   生徒会総選挙に現れた明暗境界線

-西暦20XY年01月22日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

もうね、いいかげんにしろって話だよ。

 

この日は『生徒会総選挙』の開票日で、火曜日定例の全校集会でその結果を報じて生徒会役員の就任式もやるわけなんだけど、

 

基本的に内々で生徒会役員になることを打診されて立候補した者だけの信任投票なので対立候補がいないし、何の問題もなく終わると思っていた。

 

台本通りの開票結果と就任式で“皇帝”シンボリルドルフが生徒会長の座を“女帝”エアグルーヴに譲り渡してウイニングライブが行われたまでは既定路線だったのだけれど、

 

ところで、私は 昨日 学校裏サイトならぬ学校裏世界を歩かされることになったのに、今日もまた日めくりカレンダーが数時間前に頭の中に浮かんできており、嫌な予感しかしていなかった。

 

 

――――――実際、人生ってのは何があるかわからないものだ。

 

 

突如として、窓を突き破って講堂に筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイが乱入してきて、次々と生徒たちに暴行を加えるという目を疑うようなテロリズムが起きたのだ。

 

当然、こうした学園の式典などでは警備を行っているERTが対処に動いたが、その前に生徒一同が集まる講堂は『生徒会総選挙』どころではない大パニックになり、我先へと出口に生徒たちが殺到することで大勢の負傷者が発生した。

 

その時、私は学校行事では部外者の扱いになるトレーナーのひとりとして『生徒会総選挙』の中継映像を自室で見ることなく他のトレーナーたちと一緒に大画面で見ていたわけであり、

 

大切な担当ウマ娘たちが襲われていることを知って動転したトレーナーたちもまた我先へと講堂に詰めかけたせいで、ますます混沌とした状況になってERTの到着が遅れることになった。

 

その間にも、トレセン学園に突如として現れたムキムキマッチョマンの侵略者は逃げ惑う生徒たちに無作為に襲いかかり、暴力を振るった。

 

もちろん、講堂にいるのは教職員以外にはヒトよりもはるかに身体能力に優れているウマ娘ばかりであり、

 

パワーにおいては農耕バ、スタミナにおいては荷役バに劣るものの、スピードにおいてはピカイチの競走ウマ娘たちは自慢の脚力で翻弄する肉弾戦を展開し始めた。

 

相手が男であることを理解するなり、こういった荒事に自信がある勇敢なウマ娘が筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイに力を合わせて対抗するものの、そのヘンタイは規格外の存在でもあったのだ。

 

なんと、強烈な脚力から繰り出される蹴りをボディに叩き込んだウマ娘の方が骨が砕けることになってその場で蹲ることになり、そのことに全く意に介さずに巨漢がウマ娘に容赦なく暴力を振るう様を延々と見せつけられるのだ。

 

 

私は逸る気持ちを抑えてその様子を大画面でじっくりと観察しながら、時間が巻き戻ることの予兆である“目覚まし時計”の日めくりカレンダーが発動したことの意味を噛み締めながら、冷静に対策を練っていた。

 

 

そうこうしているうちに、人間離れした頑丈さによって打撃が全く通じないことを察して組み付いて押し倒そうとすると、目に見えない力で組み付いたウマ娘が 全員 壁に叩きつけられることになり、更にパニックは加速していく。

 

私の周りでは勇敢にも立ち向かって返り討ちに遭ったウマ娘の担当トレーナーたちが血相を変えてこの場から飛び出したり、その場で絶叫して泣き崩れたり、携帯電話で懸命に呼びかけたりして阿鼻叫喚であった。

 

そんな中で悠然と中継映像を見ているのは私ぐらいなもので、他は呆然とした表情や動揺や絶望の色に染まった顔でただただ画面の前で立ち尽くすだけだった。

 

そして、壁に叩きつけられて動けなくなったウマ娘に対して、侵略者が乱暴に髪を掴み上げて何かを確認しては無造作に投げ放つ様子が大きなヒントになった。

 

そう、このことに真っ先に気づくことが敵の狙いを看破するために必要な観察力と胆力であり、どうせ遅れてやってきたERTが身を挺して更なる戦闘データを採ってくれるのだから、私は冷徹なまでに今は画面に集中していた。

 

 

今回の事件も結局は私が何とかするしかないのだから、今すぐにでも侵略者をプラズマジェットブレードで八つ裂きにしたい衝動を抑えて真実にのみ意識を向けるようにしていた。

 

 

そして、ERTの身を挺した作戦もあって講堂の床を踏み砕く駿川秘書の尋常ならざる鉄拳によって一時は沈黙した――――――。

 

と思われた筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイは胸部が陥没した状態で()()()を果たしたのだった。

 

先程の渾身の一撃で片腕が使い物にならなくなっていた駿川秘書が再び鬼気迫る表情で反対の腕で陥没した胸部に追撃するものの、もうすでに脅威と見なされなくなっていたらしく、軽くいなされてしまった。

 

それよりも、秋川理事長に狙いを定めたらしく、現場に駆けつけたトレーナーたちが我が身を犠牲にしてでも立ち塞がるが、ウマ娘が敵わないのに大の大人が束になったところで負傷者の山が増えて死屍累々に彩りを添えるだけだった。

 

しかし、ここでトウカイテイオーとシンボリルドルフが立ち向かうと、途端に秋川理事長から狙いを変えることになり、2人が囮になって死屍累々の講堂から凶悪犯を連れ出すことになったようだ。

 

 

――――――そこで、“目覚まし時計”の針が反時計回りして、時間は巻き戻ったのだった。

 

 


 

 

●2周目:『生徒会総選挙』の数時間前

 

斎藤T「ハッ」

 

斎藤T「…………そうですかい」ハハッ

 

斎藤T「何が起こるのか、どうすればいいのか、必要な情報は与えたから、今回は『生徒会総選挙』が何事もなく終わるようにしろというわけね」

 

斎藤T「とりあえず、あれは明らかに人間じゃないな」

 

斎藤T「競走ウマ娘が蹴りを入れて逆に脚が砕ける強度といい、駿川秘書の渾身の一撃で胸部が陥没して一時は沈黙していたのに すぐに()()()していたからな」

 

斎藤T「しかも、あれだけの猛攻を受けながら息が上がることもないスタミナ、人間味も感じられなかった無慈悲で正確無比の精密機械のような立ち回りのテクニック――――――」

 

 

――――――つまり、侵略者は超高性能な人造人間(アンドロイド)ということか。

 

 

斎藤T「襲撃を未然に防ぐためには、『生徒会総選挙』が行われている講堂に窓から侵入してくる前に取り押さえる必要があるな」

 

斎藤T「そして、侵略者はトレセン学園をただ混乱に陥れたいわけじゃない。明確だが曖昧なはっきりとした目標設定を与えられた()()()というわけだ。帰還させられるはずもないからな」

 

斎藤T「じゃあ、その目標設定とは何だ?」

 

斎藤T「秋川理事長が一番の標的だと思っていたが、最後の場面だとシンボリルドルフとトウカイテイオーを追いかけていたことだし、その他大勢のウマ娘の顔を調べ上げてもいたよな?」

 

斎藤T「何かを探しているのは明白だが、あれほどの人造人間を捨て駒にできるということは絶対に暴れ回ることなんかが目的じゃない」

 

斎藤T「その場に留まって暴れることで()()()()()()()()と踏んでいるからこそ、相手を殺さない程度の手加減(リミッター)を施した暴力装置を送りつけているはずだ」

 

斎藤T「私が黒幕なら、あの場にいる標的の誰かを確認できたら標的の確実な抹殺と機密保持のために()()()()()()()()()()()()()ように爆弾を仕込むな」

 

斎藤T「でないと、拳を振り上げれば間違いなく肉体がバラバラになるだろうに、それをわざわざ抑えて慎重に標的を探させる鉄砲玉にした意味がわからない」

 

斎藤T「おそらく、標的の情報は大雑把に言えば明確だが、細かい特徴が曖昧だから、こうして堂々と乗り込んで暴れ回ることを選択したのだろう」

 

斎藤T「それなら、尚更 秋川理事長とシンボリルドルフとトウカイテイオーに注意が向いた理由は何だ?」

 

斎藤T「別に倒すだけだったら、どうとでもなるんだ。どうとでも」

 

斎藤T「けど、あの人造人間を倒したとして、あれほどの人造人間を鉄砲玉にするようなやつが黒幕なんだから、絶対に次もある!」

 

 

――――――誰をこれから守るのが正解なんだ?

 

 

斎藤T「考えろ! 窓を突き破って講堂に侵入してきたのなら、そこに罠を仕掛けることはできる!」

 

斎藤T「けど、敵の狙いがわからないと根本的な解決にならない!」

 

斎藤T「それなら、シンボリルドルフとトウカイテイオーに最初から囮になるようにお願いするべきか?」

 

斎藤T「わからん! 学園に混乱をもたらすなら、たしかに『生徒会総選挙』で生徒たちが集結しているあの場面が一番の狙い目だが、秋川理事長に目が向いてながらシンボリルドルフとトウカイテイオーに誘い出された理由がわからない!」

 

斎藤T「どうにもやり方がスマートじゃない――――――。狙いを絞らせないように立ち回っているということなのか?」

 

斎藤T「けど、ひとりひとりを調べてみないとわからないから肉弾戦を――――――」

 

斎藤T「何だ? 勇敢なウマ娘を探しているのか? 何なんだ、どうなんだ?」

 

斎藤T「いや、そういうことなら、いろいろと試してみようじゃないか」

 

 

――――――超科学生命体と人造人間のどちらが手強いのかを!

 

 

 

――――――トレセン学園/講堂近くのグラウンド

 

アグネスタキオン’「ERTが講堂を囲んで警戒態勢になっている傍らで、きみも頓珍漢なことをするもんだねぇ」 ――――――シンボリルドルフに変装中!

 

岡田T「よし、テイオーに似せたマネキンはこんな感じでいいかな?」 ――――――トウカイテイオーに変装させたマネキン人形!

 

斎藤T「そして、その隣には電力供給の問題をWUMAの空間跳躍技術で解決してターフの上に設置できた立体ホログラム装置で投影した秋川理事長だ」

 

斎藤T「あとは、去年の8月の学生寮不法侵入事件と同じように、あの人造人間が遠目から見たお前の変装、マネキン人形や立体ホログラムに引っ掛かって芝で偽装した感電トラップを踏むだけだ」

 

アグネスタキオン’「しかし、冬は日の入りが早いとは言っても、まだ日没には早い午後の晴天だよ?」

 

斎藤T「わかっている。はっきりとした変装と立体ホログラムであることがわかるからこそ、あの人造人間が最初に生物学的特徴で標的を探っているかを見ることができる」

 

アグネスタキオン’「もし真上を素通りされたら?」

 

斎藤T「その時はここまでシンボリルドルフが囮になって感電トラップに誘い込む手筈になっている」

 

岡田T「え? 筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイが襲ってくることを話したんですか?」

 

斎藤T「いや、もしもの時に備えて講堂の外で私が待機していることは伝えているから、賢明な“皇帝”陛下なら真っ先に行動に移してくれると信じている」

 

アグネスタキオン’「果たして、うまくいくかねぇ?」

 

斎藤T「何とかして鹵獲するしかないだろう。敵の狙いがわからないのだから」

 

斎藤T「それに、私なら あの人造人間をデータ収集の捨て駒にして機密保持のために自爆装置を入れるから、何が何でも機能停止に追い込まないとだぞ」

 

岡田T「ヒッ」

 

斎藤T「だから、可能な限りの好条件が揃った ここで爆弾処理をするというわけだ」

 

アグネスタキオン’「人造人間とやらが窓を突き破ってきたルート上で、できるだけ講堂から離れていて、感電トラップを覆い隠せるような場所ねぇ……」

 

斎藤T「とにかく、駿川秘書の講堂の床を割るような怒りの鉄拳で胸部が陥没しても平気だったのを見るに、メインの動力炉の他に予備の動力炉が絶対にあるはずだから、感電トラップで一度は機能停止が確認できても油断はできない……」

 

斎藤T「よし、岡田Tがトウカイテイオーのマネキンはこれで十分だと言うなら、校舎屋上からの監視と録画をお願いします」

 

岡田T「わかりました」

 

岡田T「気をつけてください」

 

斎藤T「はい」

 

 

タッタッタッタ・・・

 

 

アグネスタキオン’「ところで、変装のために髪や身長を伸ばすぐらいなら、私が会長そのものに擬態すればいいんじゃないかい?」 ――――――シンボリルドルフに変装中!

 

斎藤T「……お前の意識がシンボリルドルフのものに侵食される恐れがある」

 

アグネスタキオン’「……そうかい」クククッ

 

斎藤T「何がおかしい?」

 

アグネスタキオン’「いや、今回の作戦はまだ最適解が見つからない手探り状態だからこそ、『私がシンボリルドルフそのものになる』という選択肢をきみが積極的に外していることに、私は満足感を覚えただけさ」

 

斎藤T「……そうしたところで高確率になるわけでもないのに、たかが変装程度のことで()()()()()()()()()()()が損なわれるのは非常に困る。それだけだ」

 

斎藤T「アグネスタキオンの人格だからこそ、WUMAの能力に溺れることもない――――――」

 

斎藤T「その信用があるからこそ、時間跳躍を駆使すれば いかようにも地球人類を滅ぼすことができる 最強の生物:スーペリアクラスの生存を許していることを忘れるな」

 

アグネスタキオン’「わかっているさ」

 

アグネスタキオン’「でも、嬉しくなるねぇ。会長よりも()を選んでもらえたみたいで」

 

アグネスタキオン’「きみの中ではシンボリルドルフよりも()()()()()()()()の方が信頼できる相手と評価されている」

 

 

アグネスタキオン’「そして、シンボリルドルフとはちがって気まずくならない相手というわけさ」

 

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン’「やっぱりね。きみも男だから初めての相手のことが忘れられないか」フフッ

 

斎藤T「勝手に満足していろ」

 

斎藤T「結局、あの一夜での出来事がこうして名もなきジュニアクラスをスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)にするために必要なことだったのなら、受け容れるしかないじゃないか」

 

斎藤T「ホント、シンボリルドルフという一人のウマ娘のことを一生忘れられないようにする三女神の縁結びの働きにはまいっちゃうね!」

 

斎藤T「そして、シンボリルドルフ(因子継承元の擬態対象)アグネスタキオン(自身の擬態対象)の両方の要素を兼ね備えたバケモノは誰よりも“斎藤 展望”の隣にいられることに女としての充足感を得ると」

 

アグネスタキオン’「そういうことさ。わかっているじゃないか」

 

 

アグネスタキオン’「きみはね、()のためにも、会長のためにも、三女神のためにも、トレセン学園の未来を掴み取らなくちゃならないんだ。この私を隣に置いてね」

 

 

斎藤T「魔女め」

 

アグネスタキオン’「褒め言葉をどうも」

 

アグネスタキオン’「きみはその魔女の力を頼らないといけないのだから、これがものすごくたまらないねぇ!」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン’「しかし、本当にまた使う気なのかい?」

 

斎藤T「それで機能停止に追い込むことができるのなら、黄金の肉体改造強壮剤の再使用も辞さない」

 

アグネスタキオン’「――――――間違いなく寿命を縮めるよ?」

 

アグネスタキオン’「その結果がどういう結末を生むのかもわかっているよね?」

 

斎藤T「わかってる。だからこそ、ギリギリまで人間としての最大限の努力を尽くすんだ」

 

斎藤T「つまり、お前をひとりにはさせない」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。なら、いいんだ」

 

 

――――――きみには生きていてもらいたいから。

 

 

そして、私の記憶にある襲撃時刻に侵略者は予想通りに空から現れた。

 

生身で前傾姿勢で飛んできているということは、おそらくあれは21世紀ではまだ未完成だったはずのジェットパックの完成品を用いての侵入であった。

 

一応、アメリカの自由の女神像で飛行が行われた記録もあって21世紀の技術力でもジェットパックは実現可能のようだが、23世紀の人間である私からするとジェットパックは好きではない。

 

ジェットパックは噴出物の勢いで推進力にしている原始的なものだと真上にしか進めない上に、噴射炎や噴射水で下半身が大怪我する危険性があるため、そういった初期型のジェットパックは真上や真下に昇降する時にしか使えない上に取り扱いが非常に難しい欠陥品であった。

 

それなら身体を水平にして真横に飛べばいいという原始的な工夫も、重力下で身体を水平にしたまま飛ぶことがいかに下半身に負担をかけるかの想像力が足りていない。

 

なので、初期型の立ったままの姿勢で垂直方向にしか使えないジェットパックはすぐに噴射口の角度をつけられるタイプに改良されることになったのだが、

 

それはそれで進行方向に対して身体を垂直にして飛ぶことになるので空気抵抗が大きく、単純に身体を水平にして頭から真っ直ぐに飛ぶよりも圧倒的にスピードが出ないことで問題になっていた。

 

私からすれば、なぜに人体を浮かせるほどの推進機を背負おうとするのかがまったく理解できない。

 

姿勢制御が重要なジェットパックでの飛行は その構造上 同じ飛来物との衝突に非常に弱く、何かの手違いで姿勢制御をミスしたら最期、真っ逆さまにジェット噴射で地上に激突なんてことも簡単に起こりうる。

 

だから、体幹に推進機を取り付ける発想はどう考えても安全面や制御面のユーザビリティに配慮していない間抜けなものでしかない。鳥の翼とは根本的に構造がちがうのだ。

 

それなら、推進機を台の下に配置したフライングプラットフォームを実用化すれば安全面も確保できて拡張性にも富んでいる。気球だって頭の上に推進機を載せて飛んでいるのになぜそうしない。

 

つまり、あの人造人間がジェットパックで空を飛んできたということは、ジェットパックの噴射物への対策や要求される飛行技術は完璧であっても、ジェットパックよりも堅実なフライングプラットフォームを用意できない程度の黒幕が背後にいると判断できる。

 

まあ、私なら自爆特攻させるつもりの鉄砲玉の人造人間にフライングプラットフォームなんてものは渡したくはないが、

 

ジェットパックを取り扱う上での噴射物の対策や姿勢制御の問題で余計な予算や技術を要求される手間を考えると、どう考えてもフライングプラットフォームに乗せて突っ込ませた方がお得なのだ。

 

なので、私はノロノロと空から現れた侵略者に対して年末年始のカウントダウンで使われなくて保管されていた打ち上げ花火で容赦なく迎撃すると、日も明るいうちに広がる花火の一輪によってあっさりと墜落するのだった。

 

どう動こうがこれは必中である。なぜなら、直撃しなかったら隣りにいるスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍で直撃するまで繰り返すからだ。拡散範囲も申し分ない。

 

本当はヘリコプターか何かで輸送されてくるのなら、アグネスタキオン’(スターディオン)の飛行能力と空間跳躍能力の組み合わせで一気に乗り込んで制圧することも考えていたのだが、襲撃が単独で行われた以上は致し方ない。

 

必ずや鹵獲して人造人間の出所を掴んで、被害が拡がる前に未然に脅威を排除するだけのことだ。

 

 

アグネスタキオン’「それじゃあ、行ってくるよ」バサッ ――――――自由の女神の王冠と純白の翼を展開する!

 

斎藤T「待った。光学迷彩も忘れるな」

 

アグネスタキオン’「おっと、そうだったね」ピッ ――――――光学迷彩も起動して姿が見えなくなる!

 

アグネスタキオン’「じゃあ」ビューン!

 

斎藤T「頼もしいこと、この上ないな」

 

斎藤T「――――――空中戦はエルダークラスの独壇場だったのにな」

 

 

そして、空中制御を失って墜落する人造人間に対して、超科学生命体であるWUMAが容赦ない追撃を浴びせた。

 

エルダークラスになると生える翼は三次元移動を可能にすることで持ち前の空間跳躍能力を文字通り飛躍的に向上させるため、空中戦でエルダークラス以上のWUMAに敵う存在はありえない。

 

なので、今回の戦いはエルダークラスを超えたスーペリアクラスが味方にいるので、あっさりと終わる。

 

忘れられがちだが、空間跳躍能力を強化するシニアクラスの角によってサイコキネシスなどの超能力も使えるのだから、いかに蹴った方が脚を砕かれる頑丈な装甲を持っていようが任意の地点に落下するように目に見えない力で弾き飛ばすことなど造作もない。

 

結果、ターフに仕掛けていた感電トラップの上に叩き落とすことになり、筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイは激しい火花を散らして這い蹲るのだった。

 

これでもしも自爆することがわかれば、その時は瞬時に時間跳躍で太平洋のド真ん中に捨て去るだけなので、自力で空を飛べないような敵の対策は万全だった。

 

それができるように、以前に光学迷彩の試験運用と空間跳躍の限界距離の算出のためにひとりで太平洋横断をさせていたことが役に立ってくれていた。

 

飛べないやつは 容赦なく海のど真ん中に捨てれば それで終了なのだ。それに耐えるなら、今度は溶鉱炉に突き落とすまでのことだ。

 

そして、基本的に電気製品というやつは過電流から保護するための回路が必ず内蔵されている。もちろん、過電流に耐えられるだけの容量がなければ無意味なのは言うまでもない。

 

私の予想が正しければ、こういった人造人間は人間なら黒焦げになって見る影もなくなるような感電トラップにも耐えられるはずなのだ。

 

が、しかし、侵略者はジェットパック無しで講堂に窓から侵入していた――――――。

 

そう、今はジェットパックがあるわけだから――――――。

 

 

チュドーーーーーーン!

 

 

斎藤T「あ」

 

アグネスタキオン’「もう! 何をやっているのさ!」 ――――――空間跳躍!

 

斎藤T「すまない、助かった……」

 

斎藤T「失敗した。敵の狙いを探るために鹵獲するはずが、ジェットパックに誘爆したか……」

 

アグネスタキオン’「……マズいよ。あいつ、死んでない」

 

斎藤T「……さすがにタフだな。ジェットパックが誘爆したせいで、感電トラップが破壊された!」

 

アグネスタキオン’「けど、それで化けの皮が剥がれたみたいだよ」

 

 

人造人間「――――――」プスプス・・・  ――――――ジェットパックの爆発による衝撃で 人造皮膚が剥げて おどろおどろしい金属骨格が日の光を照り返す!

 

 

斎藤T「ああ。おかげで、内骨格(エンドスケルトン)が丸見えだ。外骨格(エクソスケルトン)ではなかったみたいだな」

 

アグネスタキオン’「どうする? 破壊するだけなら海に捨ててくればいいだろうけど、あいつは感電トラップにも耐えたし、ジェットパックの誘爆にも耐えて、自由落下でも死なずに再び立ち上がった――――――」

 

斎藤T「WUMAとは違った意味で『警視庁』のSATでも対処不可能な怪人だな。とんでもなく頑丈な基本フレームには称賛しかないよ」

 

斎藤T「けど、あれが陽電子頭脳で動いているのなら、次からはラドン温泉に漬け込んでやらないとだな」

 

アグネスタキオン’「おいおい、赤外線や紫外線ならまだしも、アルファ線からの放射線粒子で回路中の陽電子が一掃できるとは言え、放射能汚染はよくないだろう」

 

斎藤T「なら、金属加工に使われる数万度の熱量のプラズマジェットブレードで溶断できるか、試してみるか」

 

アグネスタキオン’「そうだね。もっとも融点が高い元素であるタングステンですらおよそ3400℃程度なんだから、プラズマジェットの数万度の噴射炎に直接耐えられる物体はこの宇宙には存在しない」

 

斎藤T「そう、大気圏突入時にこの時代の宇宙船が空力加熱による10000℃に耐えられるのもアブレーションのおかげであって、まだアブレーション無しで理論上は無限に大気圏突入できるウェイブライダーが登場していないしな」

 

 

斎藤T「最初に造っておいてよかった、プラズマジェットブレード!」スッ ――――――誘導棒に偽装した使い捨てのプラズマジェットブレードを構える!

 

 

アグネスタキオン’「奥多摩攻略戦の時には結構な数を用意していたのに、最終的にはC4爆弾のエレベータートラップで奥多摩の軍団を一掃したことだしねぇ。腐るほどあるね」

 

斎藤T「どうあれ、中枢神経になる電子回路を切断してしまえば鹵獲できる。あるいは、液体窒素で凍らせるのも電子回路にとっては致命的な打撃だ」

 

斎藤T「そう、あれがこの宇宙で造られたものならばな」

 

アグネスタキオン’「案外、21世紀の地球の科学力でもどうにでもなるか」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、とっとと決めてきておくれよ」

 

アグネスタキオン’「はい、3,2,1――――――」 ――――――四次元能力発動!

 

斎藤T「――――――」カチッ ――――――プラズマジェットブレードのスイッチを入れて時間跳躍!

 

 

スパーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

 

 

人造人間「!!?!」ゴトッ! ――――――剥き出しになった金属骨格の首をプラズマ切断で刎ね飛ばす!

 

斎藤T「――――――何だ、こんなものか」フゥ ――――――手には回路が焼ききれたプラズマジェットブレード!

 

斎藤T「あとは!」ピン! ――――――ピンを抜く!

 

 

ポイッ、コロコロ・・・バァアアアアアアアアアン! シュゥウウウウウウウウ!

 

 

斎藤T「どうだ? 電子回路はどうあっても電気エネルギーを電気抵抗で熱エネルギーに変換してジュール熱を発する――――――」 ――――――液体窒素爆弾を投げていた!

 

斎藤T「となれば、自由落下して原型を留めるほどの内部骨格(エンドスケルトン)の頑丈さなら、首を刎ねられても電子回路が生きていて必ず常温以上の熱が検知されるはずだ」スチャ 

 

斎藤T「――――――そこがこの人造人間の心臓だ!」ジー ――――――サーマルゴーグルを装着!

 

斎藤T「……なるほど! こいつ、四肢に動力源を積んで、胴体に演算器を積んでいたぞ! まさにジャパニメーションが誇る巨大ロボットと同じ構造だ! 頭は飾りだ!」

 

斎藤T「考えたな。腕や脚だけになっても作業が中断されないように動力源を四肢に直接搭載できるだけの小型化ができる程度の科学力を持った敵が相手か」

 

斎藤T「そうだな。頭と腹はもっとも作業で使わない部位だからな。モジュール構造で頭や腹に動力源を載せるバカはいないか」

 

斎藤T「よし、頼むぞ!」カチッ ――――――2本目のプラズマジェットブレードのスイッチを入れる!

 

アグネスタキオン’「ほら」 ――――――四次元能力発動!

 

斎藤T「――――――!」 ――――――時間跳躍!

 

 

スパスパスパアアアアン!

 

 

斎藤T「……胴体部へのエネルギー供給は停止したな」フゥ ――――――サーマルゴーグルは氷点下に完全に染まる!

 

人造人間「」 ――――――バラバラ死体と化した!

 

斎藤T「よし、動力源はこの四肢だ。頭と腹はただの飾りだったから、四肢を塩水に浸けてきてくれ」スチャ ――――――サーマルゴーグルを外して一息!

 

アグネスタキオン’「大したことはなかったね」シュッ ――――――空間跳躍!

 

斎藤T「相手が1人だったからだ。エルダークラスを同時に複数体相手にしていたら完全に詰んでいたのと同じだ。敵が1体だけだったから対処できたんだ」

 

斎藤T「1頭の象を狩るより、狼の群れを狩る方が遥かに難しいだろう?」

 

アグネスタキオン’「それもそうだね」

 

アグネスタキオン’「けど、自爆の危険性がなくなったのなら、わざわざ塩水に浸ける必要はないんじゃないのかい?」

 

斎藤T「わからないぞ。陽電子頭脳ではないにしても、反物質や放射性物質を隠し持っていたら、それで一巻の終わりだからな」

 

斎藤T「とにかく、今はこの内骨格(エンドスケルトン)の構造を解析して、せめて敵の狙いや正体を探って時間が巻き戻るようにしたいな」

 

斎藤T「――――――解析機は十分に扱えるな?」

 

アグネスタキオン’「ああ。問題ない」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、四肢は海水を満たした水槽に入れて保管しておこうか」

 

斎藤T「……わかった。まかせるぞ」

 

アグネスタキオン’「安心したまえ。プラズマジェットブレードでどうにかなるような相手なのだから、次からは一刀両断(真っ二つ)でも四肢切断(ダルマ)にでもしてやれるだろう?」

 

斎藤T「それは時間跳躍の発動機であるお前が側にいることが条件だからな? これまでまともにWUMAとも戦ったことはないんだからな? そこを勘違いするなよ?」

 

斎藤T「いくら肉弾戦が弱いと評される競走ウマ娘でも、それでもヒトより遥かに強大な生命体だ。それをいとも容易く返り討ちにできる人造人間の戦闘力はWUMA並みの脅威だ」

 

アグネスタキオン’「そんなふうに心配する割には口元が歪んでいるぞ、モルモットくん?」

 

アグネスタキオン’「きみ、今からどんなオーバーテクノロジーが回収できるか楽しみでならないんだろう?」

 

斎藤T「ああ。命令を実行するためのメモリさえ回収できれば、こいつの正体にあっさりと辿り着けるからな」

 

斎藤T「生物が相手だと自白剤を使わないとだし、良心がとがめると言いますか……」

 

 

――――――でも、ロボットに人権なんざねえ! 何をやっても許されるのさ!

 

 



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第5話秘録 流れ星に願いを託して

-シークレットファイル 20XY/01/22- GAUMA SAIOH

 

だからね、いいかげんにしろって話だよ。

 

今日は『生徒会総選挙』で、“皇帝”シンボリルドルフの退位の礼にして、“帝王”トウカイテイオーの立太子の礼だと言うのに、

 

なんで私は 同時刻 トレセン学園とはまったく関係ない場所で筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイの相手を何度もしなくちゃならないわけ!?

 

そうだよ、あの“目覚まし時計”だよ! 時間が巻き戻ったんだよ! 時の牢獄にまた囚われたんだよ!

 

どうも、あの筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイの外見をした人造人間を無力化しただけじゃダメだったらしく、

 

首も刎ねられて四肢切断のバラバラ死体になった人造人間を回収して、内心ではウキウキになって明らかなオーバーテクノロジーの塊である人造人間の解析が ある程度 済んだところでやり直しよ!

 

いや、たしかに人造人間の出所や標的が誰なのか、根本的な解決に繋がる手掛かりが何一つ得られなかったわけなので、ある意味 やり直しはありがたい状況でもあるのだが、命懸けの戦いは何度もしたいとは思わない。

 

またターフの上に感電トラップなどを 一切合切 用意するのもアレだし、動力源が四肢にあることが判明し、WUMAと同じくプラズマジェットブレードだけで無力化ができることもわかったので、

 

そこで今度はアグネスタキオン’(スターディオン)を偵察に出して いったいどこから人造人間が現れるのかを時間を遡って追跡調査することになった。

 

スーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)は単独で飛行可能で光学迷彩も使えるので、府中市上空を滞空してジェットパックで空を飛ぶ人造人間を見つけ出すのは容易なことだった。

 

更に、時間跳躍によって時間逆行も可能なので、府中市の空を飛ぶヘンタイを発見次第 その出所を時間を遡って突き止めることも容易であり、

 

三女神がこの時間の牢獄で私に見つけ出させようとしている何かを探し当てるまでは時間が巻き戻ることはわかっているので、寿命を縮める時間跳躍のリスクも ある程度 無視することができた。

 

そうして、府中市上空で空を飛ぶヘンタイを発見して時間を遡ってマッチョマンの追跡を行うと、府中市内でマッチョマンが道行く人たちに聞き込み調査をしていたことが判明した。

 

その日時をしっかりと頭で記録しながら、府中市の街中で浮いた巨漢を光学迷彩で姿を隠しながらアグネスタキオン’(スターディオン)に指向性マイクを持たせて追跡させると、

 

中央トレセン学園という夢の舞台の城下町である府中市にあるURA公認の『トゥインクル・シリーズ』に出走するスターウマ娘のオフィシャルショップに足を運んで、じっくりとウマ娘のブロマイドを閲覧していたのだ。

 

う~む、斎藤 展望は身長:185cmの宇宙移民にとって望ましい逞しい体格だが、それが裏目に出て ただでさえトレセン学園の日常で威圧感を放って浮いているのと同じように、

 

筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイも195cmはある筋骨隆々の体格なので、膝を屈めてトレセン学園の競走ウマ娘のブロマイドを真剣な眼差しで1枚1枚見ている様は一見するとにこやかな店の空気を重苦しくしていた。

 

あの巨漢のヘンタイとは10cmは身長差があるものの、それでも現代日本人男性の平均身長:170.6cmを大きく上回る体格のため、私では目立ちすぎて市内で尾行することができない。

 

なので、私は店内のカメラシステムを掌握して監視しながら、引き続き光学迷彩で姿を隠しながらアグネスタキオン’(スターディオン)に追跡を任せながら、

 

通常の時間の巻き戻しは3回までが原則であることを胸に刻んで、4周目に突入する前に人造人間の目的と出所を突き止められるように、スーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍を上手に使いこなさなければならない。

 

そして、筋肉ムキムキのマッチョマンのヘンタイをどうにかして随分と経ってから時間の巻き戻しが起こった真相を探るために、今日の『生徒会総選挙』が終わった後に何が起きたのかをしっかりと見届ける必要があった。

 

 


 

●3周目:『生徒会総選挙』の数時間前

 

――――――府中市内のテナント募集中の空きスペースにて

 

ズバズバズバアアアアアアアアアアアアアアアアン!

 

人造人間「」ドサッ ――――――首を刎ねられ 四肢は切断されて ダルマ状態!

 

斎藤T「動力源が四肢にあることが最初からわかっていれば、人造人間だろうが こんなもんだ」フゥ・・・ ――――――焼き切れた誘導棒に偽装した使い捨てのプラズマジェットブレード!

 

アグネスタキオン’「相変わらず、怖いものなしだねぇ」

 

斎藤T「それは語弊がある言い方だな」

 

斎藤T「怖いものから身を守るために勇気を振り絞って戦っているのだからな」

 

アグネスタキオン’「それはそうだったねぇ!」クククッ!

 

斎藤T「手筈通り、こいつを百尋ノ滝で分析しておいてくれ」

 

斎藤T「特に、多重プロテクトが掛けられているメモリーの解析を最優先でな。これが一番時間が掛かって2周目では結果を見ることができなかった」

 

アグネスタキオン’「結局、最終手段として私が会長に変装して誘い出しても、その場で抹殺に動いたわけでもなく、ノコノコとこの場所についてきたわけだからねぇ……」

 

アグネスタキオン’「はっきりとした目的はわからずじまいのままさ」

 

アグネスタキオン’「ただ、厳つい外見に反して慎重な対応を選べる辺り、目標設定が曖昧かつ明確になっているらしいことはわかった」

 

斎藤T「とりあえず、シンボリルドルフに変装したお前の誘いに乗るぐらいだから、何のためにDNA鑑定機能が内蔵されているのかがわかんなくなってきた……」

 

斎藤T「シンボリルドルフに擬態して表面上のDNA鑑定を騙せたのならまだしも、なぜアグネスタキオンのDNA鑑定をした上で誘いに乗ってむざむざ斬られたのか――――――、これがわからない!」

 

 

侵略者の排除そのものはわかってしまえばWUMA以上にあっさりとこなすことができていた。できてしまっていた。

 

プラズマジェットブレードでバラバラにできる程度の敵だとはっきりわかった上に、機密保持のために内蔵した戦術核爆弾も動力源が四肢にあるために四肢を同時に切断すれば無力化できていたのだ。

 

なので、空間跳躍すら使えない ただの機械の木偶の坊の相手なんて 超科学生命体よりも遥かに楽に捌けていた。

 

しかし、機械であるために簡単には口を滑らせない情報セキュリティは並行宇宙の支配種族であるが故の傲慢さと増長によって訊いてもいないことを自分から自慢気にペラペラと喋りだすWUMAと比べたら非常に堅固であった。

 

そのため、ハード面でのスペック解析があらかた終わり、真っ先に調べるべきだった肝腎のメモリーなどのソフト面での分析結果を待って寝床に就いた結果、時間の巻き戻しが発動して3周目の今に至る。

 

このことから、黒幕の狙いや情報を探るためにはトレセン学園で人造人間を取り押さえたところで意味がないことから、トレセン学園に来襲する前に時間を遡って府中市内を屯するマッチョマンを追跡した。

 

驚くことに、数時間後にはトレセン学園を襲撃する侵略者は威圧感を放つ巨漢でありながら非常に紳士的な態度を貫いて市内に存在する『トゥインクル・シリーズ』のオフィシャルショップを歩き回っていたようなのだ。

 

 

おそらく、人造人間の内部構造から判断するに、内蔵されたDNA鑑定機能で標的と思しき人物かどうかを直に判断してから事に及ぶように命令されているはずなのだが、これがよくわからなかった。

 

 

標的が誰だかわかっているのなら、さすがに標的の写真や基本的な情報を記憶(インプット)させられているはずなのだから、わざわざDNA鑑定機能を内蔵するまでもないだろう。これがわからない。

 

DNA鑑定機能なんて、暗殺用人造人間にはもっと他に必要なものがいろいろあるはずなのに、わざわざその場でDNA鑑定できるようにした意図を掴みかねていた。

 

しかし、アグネスタキオン’(スターディオン)が少しだけ擬態能力を使って背丈や髪の毛をイジって外見だけシンボリルドルフに変装する前に、アグネスタキオンの姿で近づいた場合にヒントが出た。

 

どうも、アグネスタキオンの姿で近づいた場合は穏やかな態度で誘われても断りを入れるのだが、しばらくしてからシンボリルドルフに変装して誘った場合はノコノコとテナント募集中の空きスペースに誘い込まれたのだ。

 

これによって、少なくともDNA鑑定機能を内蔵していながら外見でまず相手を判断する基準があることが判明する。

 

どうやら、1周目の最後に見た光景で侵略者に襲われそうになっていた秋川理事長もそうだが、それを身を挺して引きつけたシンボリルドルフやトウカイテイオーに共通する外見の特徴に秘密がありそうだった。

 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

斎藤T「……いったいどういうことなんだ?」

 

アグネスタキオン’「()の姿で近づいた時は会長:シンボリルドルフにはない外見の特徴でDNA鑑定をする判定から漏れていたとするなら――――――」

 

アグネスタキオン’「ハッ」

 

アグネスタキオン’「たぶん、きみの証言にある1周目で秋川理事長が襲われそうになったことや、わざわざ講堂に乗り込んで暴れ散らかしながらもウマ娘の顔を確認する謎の行動をとっていた理由がわかったかもしれない」

 

斎藤T「わかるのか!?」

 

アグネスタキオン’「ああ。秋川理事長やシンボリルドルフに共通する特徴で、()にはないものだ。そう考えると、その最初の選別の後にDNA鑑定が必要になるのにも一応納得できるかもしれない」

 

斎藤T「何なんだ、それは?」

 

アグネスタキオン’「ああ」

 

 

アグネスタキオン’「二度の接触で目の動きを直に確かめて薄々感じていたんだが、あの人造人間は()()()()()()を最初に見て 標的かどうかを判断していたんだよ」

 

 

斎藤T「は?」

 

斎藤T「――――――『前髪』?」

 

斎藤T「……いや、たしかに秋川理事長やシンボリルドルフは『前髪が白い』って目立つ共通点があるのはわかるけど?」

 

斎藤T「え? あれって、染めてるんじゃないの? 今まで深く考えたことないけど、過去の名バに肖って染めてるみたいな感じじゃないの?」

 

アグネスタキオン’「いや、あれは地毛だよ」

 

斎藤T「えええええええ!? 染めてるんじゃないの? 本当にあそこだけ白髪なの? 随分とキレイな菱形の器用な白髪をした子を見かけたことがあるんだけど!?」

 

アグネスタキオン’「そうだよ、モルモットくん」

 

アグネスタキオン’「あれもね、ヒトにはなくてウマ娘にはあるという ウマ娘の謎の1つとされている“星”と呼ばれている白斑だよ」

 

斎藤T「――――――“星”? ――――――『白斑』?」

 

アグネスタキオン’「たとえば、きみがいうように おでこの辺りで前髪が白斑になっているのが基本形の“星”で、」

 

アグネスタキオン’「人造人間がおそらく探していたのは“流星”という髪の毛の先までまるまる白斑になったウマ娘だと私は思うよ」

 

斎藤T「――――――“流星”」

 

斎藤T「あ、そう言えば『有馬記念』で実況が終盤に物凄い勢いで追い上げたトウカイテイオーとシンボリルドルフを“流星”に擬えていたけど、あれってそういうことだったのか」

 

アグネスタキオン’「ああ。全てのウマ娘に“星”があるわけじゃないけど、これも耳や尻尾と同じく、ヒトにはないウマ娘の外見的特徴の1つに数えられるものだからね」

 

アグネスタキオン’「どうだい? 少なくとも、きみの記憶の中であの人造人間は“流星”のウマ娘に探りを入れていなかったかい?」

 

斎藤T「……言われてみれば、そうだったような気がする。中継映像だったから自信はない」

 

 

斎藤T「じゃあ、『標的は“流星”のウマ娘』ということぐらいしか情報がない状態でやってきたのか!? いくらなんでも情報不足だろう!?」

 

 

アグネスタキオン’「おそらくね。その上で、DNA鑑定をして標的の確実なる抹殺を仕掛けてきたんだと思うけど」

 

斎藤T「けど、それなら 尚更 おかしいだろう!?」

 

アグネスタキオン’「ああ、わかってるよ」

 

 

――――――目の前でDNA鑑定をして標的を判別するぐらいなら最初から標的の情報を持っているはずだ。

 

 

アグネスタキオン’「トレセン学園に所属している競走ウマ娘の基本的な情報は全て公開されているんだ。どのウマ娘が“流星”をしているのかも全校生徒の写真を見ていけば自ずと絞り込めるはずなんだ」

 

斎藤T「もしかして『標的は“流星”のウマ娘に変装している』とか? それも、『胎毛ぐらいしかDNAの試料がなかった』とか? 探しているのは御落胤か?」

 

アグネスタキオン’「……その可能性もなくはないんだろうけど、それなら講堂で襲撃する意味はないだろう?」

 

アグネスタキオン’「ウマ娘の顔は整形できても、耳や尻尾、“星”なんかは整形しようがないんだ」

 

アグネスタキオン’「内蔵した核爆弾でトレセン学園や学生寮をまとめて消し飛ばせば標的の抹殺は果たせるのだし、トレセン学園に標的がいることはわかっていてもトレセン学園で自爆できない理由があるはずなんだよ」

 

アグネスタキオン’「そして、今はメモリーの解析結果を待つしかないのだけれど、それが時の巻き戻しまでに間に合うかどうか――――――」

 

斎藤T「少なくとも『“流星”のウマ娘の姿をしている生徒の中から 直接 DNA鑑定をして標的を割り出す必要がある』ことはわかった――――――」

 

斎藤T「そして、府中市内のオフィシャルショップでトレセン学園の競走ウマ娘の情報を探っていたことはわかったから、次の4周目で最後にしたいな」

 

斎藤T「とにかく、2周目は人造人間のオーバーテクノロジーの解析に夢中になって、侵略者が現れなかった場合の本来あるべき『生徒会総選挙』がどうなってしまっていたのかを忘れていたからな……」

 

斎藤T「……無事に終わってくれているよな?」 ――――――ディスプレイで就任式の中継映像を見ている。

 

アグネスタキオン’「今の所は、特に何かあるわけじゃないようだね」 ――――――ディスプレイで就任式の中継映像を見ている。

 

 

不可解な状況は続いたままだ。

 

1周目で『生徒会総選挙』が執り行われている講堂を襲撃してきた侵略者を2周目でターフの上で撃退した後、

 

3周目が始まってトレセン学園を襲撃する前に府中市内で侵略者を鹵獲して、急いで『生徒会総選挙』の様子を監視することになった。

 

とにかく、侵略者である人造人間のメモリーが解析できれば全てがわかるはずだが、それにはWUMAの遺産である百尋ノ滝の秘密基地の解析装置を使っても1日以上はかかる――――――。

 

超科学生命体の解析装置を使っても容易に解除できないプロテクトを施せるのに、装甲材はプラズマジェットブレードで普通に切断できる程度の人類科学の範疇にある極めて人間的な科学力の存在――――――。

 

 

あとで考えると、それこそが突然現れた人造人間の出所の大きなヒントだったのに、私はそれに気づくことができなかった。

 

 

というのも、もしかしたら他にも人造人間がいる可能性もあったし、寝床に就いて日付が変わる瞬間に時間の巻き戻しが起きたと考えるなら、今日一日は警戒を緩めることは許されなかったのだ。

 

世にも奇妙な時間が巻き戻る“目覚まし時計”による時間の牢獄は問題解決ができる人物が巻き込まれるようになっており、

 

基本的にはタイムリミットまでに解決しなければならない;裏返すとタイムリミットになるまでに必ず解決できる問題に立ち向かうように仕向けられるものだ。

 

なので、少なくとも今日一日の中で知り得た情報から展開を予測できるものの中に解決すべき問題の本質が浮かび上がるはずなのだ。

 

今回の場合はそれが二段構えになっていると思われ、人造人間の襲撃は前座であって1日の終わりに時間が巻き戻ることになった本質的な問題とはちがう。

 

それを一石二鳥の要領で、一度に私に解決させようと三女神は考えておいでのようだ。あるいは、私にしか解決できない事態になっているとも言える。

 

だから、今回の本質的な問題とは何なのかを見逃さないためにも、本日のメインイベントである『生徒会総選挙』の様子を一瞬たりとも見逃さないように目を凝らして画面を凝視していた。

 

 

斎藤T「新生徒会長になったエアグルーヴと推薦人のウイニングライブが終わったな」

 

アグネスタキオン’「まったく()のことじゃないのに、なぜだか懐かしい気分にさせられるねぇ」

 

斎藤T「エルダークラス:ヒッポリュテーが擬態していたことで得たシンボリルドルフの記憶がそう思わせるのだろう」

 

アグネスタキオン’「ああ。さすがに3期に渡って会長職に当選することにもなれば、この生徒会長当選のウイニングライブも3回もやっているから、慣れるもんさ」

 

 

アグネスタキオン’「けど、()()()()()()()()()()()()()

 

 

斎藤T「――――――!」

 

斎藤T「……“女帝”エアグルーヴは理想主義者だ。周りもそれをよく知っている」

 

斎藤T「レースの世界に必然はないにしても、それ以外の場所では完璧でなければいけないと思いこんでいるような彼女だ」

 

アグネスタキオン’「ああ。だから、()()()()()()()()()()()()が言うんだ」

 

 

――――――彼女は、“女帝”は1年で精根が尽き果てるんじゃないかって。

 

 

アグネスタキオン’「何か、新生徒会長就任のウイニングライブを見ていて、無性に物悲しさや罪悪感を覚えてしまうんだよ……」

 

斎藤T「去年の11月の『ジャパンカップ』までにヒッポリュテーに擬態されたシンボリルドルフの記憶がそうお前に囁くのなら、当然 本物のシンボリルドルフも同じことを感じているはずだよな――――――」

 

斎藤T「あ――――――」ゾクッ

 

 

そして、トレーナー室のディスプレイで『生徒会総選挙』の就任式の様子を何事もなかったかのように観賞していると、新生徒会長:エアグルーヴと推薦人による就任式専用の特別なウイニングライブがお披露目になった。

 

それを見終わった私は前生徒会長として3期も務めた“皇帝”シンボリルドルフとしての感想を代わりに呟いたスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)に同意していた。

 

私としても、記憶喪失の体で初めて見た就任式のウイニングライブはさすがは偉大なる母親の理想を受け継ぐ理想主義者による完璧なパフォーマンスに最初は思えたのだが、

 

はたして先代となる“皇帝”シンボリルドルフのものと比較したらどうなるかと想像すると、どう考えても連続3期を務めたシンボリルドルフの方がより完璧に仕上げているだろうことは言うまでもなく。

 

しかし、門外漢である私でさえもそう思ってしまうのだから、少なくとも“皇帝”シンボリルドルフが生徒会長になってからの生徒会を見慣れている一般生徒たちだって そう比較するのは自然なことであった。

 

それは当然、その後を継ぐことになった“女帝”エアグルーヴにしても――――――。

 

だから、ふと論語にあった『子、韶を謂ふや美を尽せり、又善を尽せりと。武を謂ふや美を尽せり、未だ善を尽さずと』の故事を思い出していた。

 

別に『“女帝”に善がまったくない』というわけではないが、『“皇帝”ほどの善がない』というのは歴然とした事実であろう。

 

つまり、“女帝”では“皇帝”ほどに人々を突き動かすような感動を与えられなかったことを“皇帝”の記憶を持つスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)が人間社会に無理解なところがあっても率直に感じ取っていたようなのだ。

 

それは私にしてもそうであり、“皇帝”の為人やその胸中を知っているからこそ、その二代目となる“女帝”は偉大なる先代の存在と自身を比較して至らぬと卑下しているから、ウイニングライブの感動がイマイチに思えた。

 

そのことはウイニングライブが終わった瞬間の講堂に集まっている一般生徒たちからの熱狂が思ったよりも抑えめに感じられたことが悠然にそのことを物語っていたのだから、壇上の“女帝”本人もその落胆のような静けさを感じ取っているにちがいない。

 

何しろ、私にとっては初めてでも他ならぬ“女帝”自身も3度に渡る“皇帝”による就任式のウイニングライブを間近に見ていたはずなのだから、嫌でもその温度差を体感できてしまえるのだ。

 

これでは『一頭の狼に率いられた百頭の羊の群れは一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れに勝る』ということになりかねない――――――。

 

 

斎藤T「あ、わかったかも……」

 

アグネスタキオン’「何がだい?」

 

斎藤T「やだなぁ……、門外漢の私はあんまり干渉したくないんだけどな……」

 

アグネスタキオン’「………………?」

 

 

斎藤T「なあ、超科学生命体である“フウイヌム”って運不運とか運命とか宿命とか信じるかい?」

 

 

アグネスタキオン’「いや、“フウイヌム”の完璧な統治には運不運なんてものが介在する余地がないと信じ込んでいるから、エルダークラスの全員がきみに狩られることになったんだろう?」

 

斎藤T「そうだよな……」

 

アグネスタキオン’「なんだい? きみの言う『運不運』とやらが今回の“目覚まし時計”の発動の原因に繋がっているのかい?」

 

 

斎藤T「……日付が変わった頃に“目覚まし時計”が発動した理由は“皇帝”から“女帝”に譲位されたことに他ならないんだよ」

 

 

アグネスタキオン’「はあ?」

 

斎藤T「まあ、オカルトを徹底的に排除した超科学生命体にも、信仰心が失われた末世を生きる21世紀の人間にもわからないことだろうけどな」

 

斎藤T「端的に言えば、“女帝”エアグルーヴは“皇帝”シンボリルドルフほどの天運強運を持っていないから、確実にトレセン学園は荒れることになる」

 

アグネスタキオン’「生徒会長が交代したからって なぜそんなことが言えるんだい?」

 

斎藤T「いいか。これは普遍的無意識の世界の話であり、自然人に対する法人の運不運がどのようにして決まるのか、考えたことはあるか?」

 

アグネスタキオン’「……いや、ないな」

 

アグネスタキオン’「つまり、自然人:個人とは明確にちがう法人:集団の運不運は何によって決まるのかという話だろう?」

 

アグネスタキオン’「――――――法人:集団を構成する全員の運不運の平均とかかい?」

 

斎藤T「それは法人:集団を構成する個人個人のポジションで必要になる運不運の重みのちがいは計算に入れているか?」

 

斎藤T「責任重大な法人:集団の長と責任が分散されている末端の部下が神頼みしたくなるような事態に大小で比較されるだろう運不運の総量は同じか?」

 

アグネスタキオン’「――――――!」

 

 

アグネスタキオン’「じゃあ、生徒たちを束ねる生徒会の長たる生徒会長個人の運不運が生徒会に所属する生徒たちの運不運に大きく影響してくるということなのかい?」

 

 

斎藤T「そういうことだ」

 

斎藤T「そして、それは普遍的無意識の世界だと法的効力が発揮された瞬間からはっきりと変わる。そういう認識が当事者たちの間に定着するからだ」

 

斎藤T「たとえば、古代では発見されなかった天王星は1781年3月13日にウィリアム・ハーシェルによって発見されたわけだが、1775年から始まり1783年に終結したアメリカ独立戦争があったぐらいには科学的な時代に発見されたことはわかるだろう」

 

アグネスタキオン’「それはそうだけど、それがなんだって言うんだい?」

 

斎藤T「そう、それがなぜか、西洋占星術に1781年に発見された天王星が 早速 取り入れられて、天王星の働きが実しやかに知れ渡るようにもなっているんだよ」

 

斎藤T「そして、西洋占星術における天王星の働きとは革命・改革・革新なんだ」

 

アグネスタキオン’「それじゃあ、天王星が発見されて 人々が天王星の存在を認識したから、アメリカ独立戦争が成功したとでも言うのかい? それこそオカルトじゃないか!」

 

斎藤T「ああ、そのとおりだ。天王星が発見されたから近代革命は始まり、封建時代から民主的な世の中へと続く革命の時代に突入したんだ」

 

アグネスタキオン’「……真顔でそんな冗談を言うんだね」

 

斎藤T「信じなくてもいいが、世界の政治の裏には霊能力者や魔術師たちが背後にいて目に見えない世界から歴史を動かしてきた事実ぐらいは知っておいて損はないぞ」

 

斎藤T「実際、天皇家にだって そういった裏側の世界から玉体安穏の祈りを捧げられて万世一系の世界に冠たる皇族の血脈が受け継がれているのだからね」

 

斎藤T「つまり、日本国の運気は日本国の長人である天皇陛下の運気に支えられているわけだから、天皇陛下を崇敬しない日本人は自分自身の運気を損なう 天に向かって唾を吐く 愚かなことをしているわけだよ」

 

アグネスタキオン’「……まあ、皇宮警察の家系であり、古来から天皇家に仕えていた名族の末裔のきみが言うなら そうなんだろうね」

 

斎藤T「あと、結婚届を役場に提出した瞬間に目に見えない世界で正式に2人が結ばれることも憶えておくいい」

 

アグネスタキオン’「え、そうなのかい?」

 

斎藤T「最近は結婚式も挙げず、内縁の相手との事実婚も珍しくもないようだが、離婚調停や遺産相続の際には必ず役場での書類のやり取りが必須になることを考えれば、わかるだろう?」

 

斎藤T「あと、目に見えない世界で結婚が2人にどう影響を与えるかと言うと、両家の悪因悪果・善因善果を2人で受け持つようになるから、」

 

斎藤T「最悪の先祖を持っている相手と結婚したら それに引き摺られて不幸になるし、逆に最高の先祖を持っている相手と結婚したら 一気に運が開くぞ。結婚届を役場に提出した瞬間にだ」

 

斎藤T「つまり、人間としての最大限の努力と善行を行って血筋を残すことは子孫繁栄の秘訣でもあるんだよ」

 

斎藤T「だから、昔の人は家門の名誉を重んじたわけだ。良縁を結ぶというのはそういうことなんだ」

 

斎藤T「そう考えると、この“斎藤 展望”は良縁を結ぶだけなら最高の結婚相手だよ。少なくとも、結婚できた相手の運気が凄まじく上がることだろうよ」

 

斎藤T「ただ、皇祖皇霊に見込まれてメチャクチャな試練を課せられて世界を救う救世主になるような過酷な運命に巻き込まれる可能性があるけど」

 

斎藤T「あ、実際に斎藤家に起きた数々の悲劇を考えると、英雄と結婚できたところで幸せになれるかどうかは別問題ってことだな。両親は妹のために死んだし、遺された兄妹も悲惨な目に遭っているし」

 

斎藤T「普通の結婚の幸せを求めるなら普通の相手と結婚するのが一番だよ。可もなく不可もなく」

 

アグネスタキオン’「……それが普遍的無意識の世界というわけかい。勉強になったよ」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、“女帝”の運不運の足りない部分を補わないと、確実にトレセン学園の黄金期は終焉を迎えるというわけなんだね?」

 

斎藤T「いや、あくまでも“皇帝”シンボリルドルフは生徒たちの代表機関の長人であって、その影響力は生徒たちに限定されているから、生徒たちの質に影響することはあっても学園全体の評判にまで関わるかはわからない」

 

斎藤T「学園全体となると、“皇帝”シンボリルドルフと二人三脚で黄金期を牽引していた秋川理事長の方が影響力は強いから――――――」

 

斎藤T「あ、そうか! “女帝”エアグルーヴは秋川理事長とそんなに相性がいいわけじゃないから、秋川理事長の運気を生徒会長として受け取れない可能性があるな……!」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。なるほど、ここでも二人三脚の相性が大きな影響を及ぼすわけだね」

 

斎藤T「もちろん、個人の努力や力量、相性なんかも重要なんだけど、それが最適に発揮される状況に導いてくれるかどうかを決める運勢というのが運命というわけだ」

 

斎藤T「命を運ぶもの、その勢い、それが運不運となるわけだな」

 

アグネスタキオン’「それじゃあ、何がちがうんだい、“女帝”と“皇帝”とでは?」

 

斎藤T「まず、生まれ持ってきた個人の才能や家格もそうだけど、それを支えているのが“皇帝”になるに相応しい試練に耐え抜くだけの天運があることが非常に大きい」

 

斎藤T「そして、“無敗の三冠バ”にして“最強の七冠バ”としての名声と栄誉を保ったまま引退できただけでも並みのウマ娘とは雲泥の差の強運の持ち主なのがわかる」

 

斎藤T「それはね、ひとえにシンボリ家の家運がエアグルーヴの実家の家運を突き放すほどに輝いているからこそなんだ」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、誰の家族の子として生まれてきたかで全てが決まっているのかい!?」

 

斎藤T「昔はそうだっただろう? 子孫のために善行や功績を求めるのは、自分たちが同じように先祖の善行や功績によって生かされている――――――それを理解しているから、盂蘭盆会で先祖供養するわけだろう?」

 

斎藤T「だから、先祖が繋げてくれたものを伝統として大事にするんだろう?」

 

アグネスタキオン’「……あまり実感が湧かないのは私が“フウイヌム”だからなのかな?」

 

斎藤T「いや、個人主義と物質主義の弊害かな」

 

斎藤T「昔は家族や地域の人たちが助け合わないと生きていけなかったから村社会が発達したわけだけど、」

 

斎藤T「今はひとりでも生きていけると錯覚するほどに豊かになったからこそ、逆に無為自然の中にあった本当に大事なものを見失いつつあるのが末世というわけだな」

 

アグネスタキオン’「――――――『錯覚』?」

 

斎藤T「だって、夫婦ってのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ものだろう?」

 

斎藤T「ひとりの力じゃ満足に生きていけないから、もうひとりの力を借りて自分の人生を支える――――――そう神父が結婚式の時に新郎新婦に言うじゃないか」

 

斎藤T「けど、昔は村や地域が一体となって家族の営みを支えていたのに、妻夫以外の他人になる赤ちゃんの世話なんて夫婦だけでできるもんじゃないよ。だから、少子化や待機児童が問題にもなる」

 

斎藤T「今の時代は本来あるべき自然な暮らしから逸脱した不自然な社会構造になっていることに気づいていない物質主義の悪魔:アーリマンの時代というわけさ」

 

 

斎藤T「うぅ……、じゃあ何か!? 私が“女帝”エアグルーヴの治世では足りないトレセン学園の国運を全力で補わくちゃいけないのかい!? 門外漢だぞ、私は!?」

 

 

アグネスタキオン’「おい、勝手に納得してくれたのなら、さっさとそうしてくれないか、モルモットくん?」

 

斎藤T「なに!?」

 

アグネスタキオン’「きみは()のトレーナーなのだろう? そのために全力を尽くすことを誓ってくれたじゃないか」

 

斎藤T「あ」

 

アグネスタキオン’「理不尽なことじゃないさ。むしろ、()が“ウマ娘の可能性”を世に示すために必要なことを三女神がはっきりと教えてくれたのだろう?」

 

 

――――――“皇帝”なきトレセン学園を支えろ。

 

 

アグネスタキオン’「ふぅン、実にありがたいことじゃないか」

 

アグネスタキオン’「なら、()が出走バとしてターフの上を走りきれるまで夢の舞台の屋台骨を支える甲斐性をきみが世間に見せつければいいだけのことさ」

 

アグネスタキオン’「きみが“女帝”と“怪物”の2人が“共同皇帝”になることを期待したのだから、きみも“黒衣の宰相”としての役割を果たせばいい」

 

斎藤T「………………」

 

 

斎藤T「つまり、競走ウマ娘:アグネスタキオンがこれから築き上げる伝説は三女神の導きの下に果たされるわけか」

 

 

アグネスタキオン’「きみがそう言うのなら そうなるんだろうさ」

 

斎藤T「……理屈はわかった。けど、憂鬱だよ。それがどれだけ大変なことなのか、わかるだけに」

 

斎藤T「あ」

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」ジー

 

ライスシャワー?「――――――」ジー

 

 

斎藤T「……そういうことか」ゾクッ

 

斎藤T「そうか。だから、私は昨日――――――」

 

アグネスタキオン’「そう、だから、きみが選ばれたのさ」

 

 

――――――そして、そんなきみに相応しいウマ娘が()であったことをこればかりは三女神に感謝しないとだね。

 

 

 

 

 

斎藤T「あ、わかった! 将来的に秋川理事長もトレセン学園を離れることになるから、トレセン学園の運気が下がるんだ! もう何年も理事長をやっていることだし、異動は有り得る話だ!」

 

アグネスタキオン’「つまり、秋川理事長と比べるまでもない運気の人間が新たにトレセン学園の理事長になることで、黄金期は終焉を迎えるというわけだね」

 

斎藤T「ああ、黄金期の象徴であるシンボリルドルフと秋川理事長がいなくなれば、それで完全に黄金期は終わるのは明白だ」

 

斎藤T「かと言って、門外漢の私が理事会の人事に口出しなんてできるものか!」

 

斎藤T「明日から生徒会長が換わったことによる影響が『URAファイナルズ』開催によってモロに出てくるはずだ」

 

斎藤T「そして、秋川理事長の異動を契機にしてトレセン学園は大きく変わる」

 

斎藤T「そこで秋川理事長のやり方に反発していた勢力が理事会を掌握して かつての暗黒期の再来となってしまうのか――――――」

 

斎藤T「まったく、面倒な話だ。斎藤 展望が競走ウマ娘を使ってトレセン学園で一儲けするだけの話だったのに……」

 

アグネスタキオン’「考えていてもしかたがないじゃないか、モルモットくん」

 

アグネスタキオン’「なら、きみにとっての転機は WUMAと初めて遭遇した 隕石が落ちた日なんだろう?」

 

斎藤T「ん? ああ、まあ、そうとも言えるな……」

 

アグネスタキオン’「なら、人造人間も鉄の塊ということで あれも隕石みたいなものじゃないか。たしか、自由落下でも平然と起き上がるほどの頑丈さなんだろう?」クククッ!

 

斎藤T「――――――悪趣味な隕石だな」ハッ

 

斎藤T「だが、そうだな。あの人造人間から得られるオーバーテクノロジーがどれほどのものをもたらすかが楽しみでならない。そういう捉え方もあるか」

 

斎藤T「だったら、祈ろうじゃないか。その人造人間が探し求めていたものに因んで」

 

 

――――――流れ星に願いを託して。

 

 



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当選報告  吾が道は一を以て之を貫く

自身を“門外漢”と位置づけるあのトレーナーは今回の『生徒会総選挙』はこれまで黄金期の象徴となった生徒会役員それぞれの卒業式に当たると評していた。

 

会長:シンボリルドルフは文字通りのトレセン学園からの卒業で、会長職を引き継ぐ“女帝”エアグルーヴにしてみれば“皇帝”シンボリルドルフに導かれてきた時代からの卒業――――――、

 

そして、私の場合は上位リーグへの移籍のために国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』からの卒業を意味していた。

 

そのため、長年に渡って影で支えてくれていた裏方の入れ替えはあっても 表向きはこれまで固定だった生徒会役員の3人は先日の『生徒会総選挙』で大きく道が別れることとなった。

 

実際、元会長:シンボリルドルフは去年で引退、新会長:エアグルーヴは生徒会活動のために活動休止、私は現役だが上位リーグへの移籍のために実質的にトレセン学園の生徒の範疇から食み出した存在になっている。

 

これまでは副会長が2人いた生徒会も、今回からは名実共に会長の右腕だった方の副会長が会長職を引き継ぎ、会長に指名されて 渋々 生徒会役員をしていた方の副会長は据え置きとなった。

 

ただ、あのトレーナーは“女帝”と“怪物”による2人で1つの“共同皇帝”となって新しい時代の平々凡々の生徒会の在り方を恙無く実践することが前任者の願いとも言っていた。

 

たしかに、私もエアグルーヴも、トレセン学園に所属するひとりの競走ウマ娘としてもそうだが、“皇帝”が秋川理事長と一緒に築き上げたものに勝る功績を打ち立てられる気がしなかった。

 

だからこそ、“皇帝”に比肩するカリスマになることを“皇帝”自身が後継者に期待してはいない――――――。

 

むしろ、肩の力を抜いて“皇帝”が切り拓いた黄金期の遺産をできるだけ多くの人たちが享受できるように黄金期の精神の履行と遵守だけが求められていた。

 

無理に二代目・三代目としての特色や功績を打ち立てる必要はどこにもなく、革新派の中の保守派として革新派の中の革新派が成功させたものがしっかりと世に根付くのを見届けるのが役目なのだと言ってくれた。

 

ただ、生徒会の二代目・三代目としてはそれでよくとも、個人の鍛錬や修養の成果を披露することは必要であるらしく、そこが個々人のアピールポイントになるそうだ。

 

基本的に 生徒会活動だけじゃなく あらゆる職種の仕事も技術進歩で自動化が進んでいくことで時間の余裕ができるようになり、それでできた余暇でいかに自分の個性を磨くかが未来における価値観になるという。

 

なので、黄金期の遺産を大事に使わせてもらいながら、ワークアンドライフバランスの追究による個性の充実の実践して多方面で才能を発揮することが新しい時代における自由で開放的な校風の黄金期の継承者の在り方なのだと。

 

ただし、“個人の充足”と“個性の充実”は別物であると、あのトレーナーは語気を強めて注意した。

 

どういうことかと言えば、子曰く『古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす』、学問は己を向上させるためのものであって己の名誉や出世のための道具じゃないことを説いたのだ。

 

更には、『修身斉家治国平天下』を説き、本気で世の中のことを考えるならば、自分自身を立派にして 周りの人間も立派になるように働きかけられるようじゃないと 空回りするだけだとも。

 

そういった教えを私がトレーニング後のシャワーを使って夕飯にがっついている時にいろいろと言ってくるものだから、私は自然と古聖の教えに耳を傾けるようになり、

 

姉貴に見てもらいながらの最低限の勉強以外では一度も足を運ぶことがなかった図書室の蔵書に自然と手を伸ばすようになっていた。

 

 

――――――思えば、私の周りには望むと望まざるとにかかわらず常にたくさんの人たちが集まってきた。

 

 

大抵は私の競走ウマ娘としての走りに闘争心を折られて去っていく中で、私はトレセン学園に来てからは思ったよりもたくさんの人たちに囲まれて学園生活を送ることができていた。

 

それが誰のおかげなのかを考えると、やはり何かと世話を焼きたがりな姉貴のおかげでもあるのだが、

 

それ以上に自由で開放的な校風の中でただただ走ることが本当に大好きなバカたちにも居場所を与えてくれた会長のおかげであったことに今更ながらに気付かされた。

 

そして、初めて手にした論語を読んで、孔子が掲げる仁義礼智信の中で何が一番に大事なのかをあのトレーナーに問いかけたら、当意即妙というのだろう、淀みなくすぐに答えを返した。

 

 

――――――吾が道は一を以て之を貫く。

 

 

ああ、これは論語にあった一節だと気づくことができた。すぐに流し読みして大半の内容は忘れていたように思えても、これは憶えていたのだ。

 

だから、わかった。この答えは『忠恕』であるのだから、孔子の言う仁義礼智信の中で一番に大事なものが何なのかは聞くまでもなかった。

 

けれど、あのトレーナーはそこにオリジナリティのある文言も追加した。

 

 

――――――吾が道の一と汝が道の一が合わされば二とならん。三とならん。四とならん。五とならん。

 

 

それが人の道であり、仁の心なのだと私はこの時は深く感銘を受けたものだ。

 

そういった考えで“皇帝”シンボリルドルフのことを振り返ると、夢の舞台とは裏腹に過酷なレースの世界であるトレセン学園で どうしてあんなにも全てのウマ娘たちに別け隔てなく接しようと心を砕いていたのかが少しだけわかったような気がした。

 

いや、シンボリルドルフだけじゃない。フジやアマさんにしてもそうだし、姉貴やエアグルーヴにしてもそうだ。

 

どうして頂点に立てるのはたった1人だけの非情なレースの世界で才能のなかった落ちこぼれや自分の地位を脅かそうとする競争相手を含めたあらゆる他人のために頑張れるのかを今更になって考えるようになった。

 

そういった心境の変化が、これまでは会長の指名で副会長職に任命され続けてきたが、いよいよ私自身が立候補して形ばかりの投票で当選した際の副会長としての所信表明演説に現れたようだった。

 

 


 

 

ナリタブライアン「いつもは会長――――――、いや、前会長の“皇帝”シンボリルドルフの指名で副会長職をやらされてきた私だが、」

 

ナリタブライアン「今回ばかりはエアグルーヴが今までそうであったように同じように壇上で言わせてもらう。長々と喋る気はない」

 

ナリタブライアン「わかっていると思うが、私はすでに上位リーグ『ドリーム・シリーズ』への移籍が決まっている」

 

ナリタブライアン「だから、いよいよ開催される『URAファイナルズ』は私にとっては一足先の卒業レースということにもなる」

 

ナリタブライアン「そうなれば、普通はオフシーズンとなる夏季と冬季に開催されるレースに向けてのトレーニングを行うことになり、『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘とはまったくちがうローテーションを組むことになる」

 

ナリタブライアン「だからといって、あと1年は私はトレセン学園の生徒であり、『トゥインクル・シリーズ』を走り抜いたお前たちの先達にもなるわけだ」

 

 

ナリタブライアン「だからこそ、私は“豊富”の二文字を掲げてお前たちの挑戦を待つ!」

 

 

ナリタブライアン「豊かであれば下々の民は生きていける。その辺に種を蒔いておけば勝手に作物が育つような場所にいられる幸せがお前たちにはある」

 

ナリタブライアン「けれども、富がなければ格好がつかない。だからこそ、富、力、名声を求めてお前たちが崇拝する英雄たちは冒険に繰り出してきた」

 

ナリタブライアン「そして、私は“怪物”だ。昔から財宝を隠し持っているのが相場で決まっているような“怪物”だ」

 

ナリタブライアン「“無敗の三冠バ”じゃなくても腐っても“三冠バ”の私の財宝が欲しければくれてやる!」

 

ナリタブライアン「探せ! 豊かさに甘んじることなく、お前たちが誇れる富を掴み取れ!」

 

 

――――――だからこそ、私は“豊富”の二文字を掲げてお前たちの挑戦を待つ!

 

 

本当は 姉貴に用意してもらった 所信表明演説のメモをそれらしく読み上げるつもりだった。

 

けれども、この時ばかりは初めて自分の言葉で自分の熱意を自分の責任の下に観衆に叩きつけることになったのだ。

 

当然、場は突然のことで静まり返り、ウイニングライブ前の簡単な所信表明を終えて舞台裏で勝負服に着替えている新生徒会長:エアグルーヴの唖然とした表情が目に浮かぶ。

 

もちろん、生徒会役員に当選して同じ壇上で所信表明演説の順番を待っていた書記:トウカイテイオーと会計:メジロマックイーンも言葉を失っていた。

 

これは完全に滑ってしまった――――――。大学受験を控えている姉貴のことを思うと、途端にシャレにならない冷や汗が流れ、ターフの上での高揚感とは異なる壇上での緊張感に足が竦みそうになった。

 

 

しかし、数瞬遅れて この場でどっと大きな笑い声を上げる人がいた。

 

 

そして、その笑い声につられて講堂から所々で笑い声が溢れ出し、そこから堰を切ったように講堂内が大きな歓声と熱気に包み込まれ、一瞬の静寂が嘘のように盛大な拍手に変わったのだ。

 

私が呆気に取られていると、私の肩に手が乗せられ、いつの間にか会長;すでにこの場で前会長となっていた“皇帝”シンボリルドルフに力いっぱいの握手をしていた。

 

そう、最初に講堂で笑い声を上げたのは 他ならぬ この前生徒会長:シンボリルドルフだったのだ。

 

 

シンボリルドルフ「そうか、ブライアンも副会長としての自覚を持つようになってくれたんだな」

 

ナリタブライアン「……会長や姉貴、フジやアマさん、それにたくさんの人たちに支えられてきたことにようやく気づいただけのことです」

 

シンボリルドルフ「ああ。それでいいんだ。よくやってくれたよ」

 

シンボリルドルフ「私は嬉しいよ」

 

ナリタブライアン「……会長」

 

 

シンボリルドルフ「まさか、きみ自身の言葉で行った所信表明演説で渾身のギャグをかましてくれるだなんてね」

 

 

ナリタブライアン「……ん?」

 

シンボリルドルフ「そうか、ブライアンも私と同じ結論に至ったわけだ」

 

シンボリルドルフ「これからもその調子で頼むよ」

 

ナリタブライアン「……何の話です?」

 

シンボリルドルフ「とぼけなくてもいい。私も壇上で言うことができなかった渾身作なんだから、もっと自信を持っていい」

 

 

シンボリルドルフ「さっきの“豊富”の所信表明演説は“豊富(wealth)”と“所信表明演説(policy speech )”の2つを“抱負(resolution)”で掛けた見事なものじゃないか!」ニッコリ!

 

 

ナリタブライアン「は」

 

ナリタブライアン「………………あ!」

 

ナリタブライアン「なああああああああああ!?」ガビーーーーーーーーン!

 

トウカイテイオー「……ああ、ブライアン先輩もカイチョーの悪いところを受け継いじゃった」ジトー

 

メジロマックイーン「……さすがは“怪物”ナリタブライアンですわね。無自覚とはやりますわね」

 

ナリタブライアン「いや、ちがう。私はそんなつもりは――――――」

 

ナリタブライアン「ハッ」

 

エアグルーヴ「………………ブライアン」ズーーーン・・・

 

ナリタブライアン「いや、ちがうんだ、エアグルーヴ! 私は一言も“抱負”だなんて言ってないじゃないか……!」

 

エアグルーヴ「いや、誰がどう聞いても最初に“ホウフ”と所信表明で言われたら『“抱負”の二文字を掲げて』としか聞こえないだろう……」

 

エアグルーヴ「脈絡なく“ホウフ”と言われて“ホウフ”が“豊かさと富”だとすぐに思い浮かべられるか、たわけぇ!」

 

 

――――――エアグルーヴのやる気が下がった!

 

 

ナイスネイチャ「こ、これはツボに……、ツボに……!」フ、フフフ・・・

 

ウオッカ「カッケー! さすがはブライアン先輩だぜ!」ウオオオオオオオ!

 

ビワハヤヒデ「ブライアン、大きくなったな……」ホロリ・・・

 

 

こうして新生徒会長:エアグルーヴとその推薦人によるウイニングライブもエアグルーヴのやる気が下がったことで若干の乱れが生じたものの、

 

来年度:20XY年度に向けた新生徒会役員を決める『生徒会総選挙』は生徒会長:エアグルーヴ、副会長:ナリタブライアン、書記:トウカイテイオー、会計:メジロマックイーンの満場一致の当選で幕を下ろすことになったのだが、

 

学校新聞やブログで大きな話題を呼んだのが、副会長:ナリタブライアンが生徒会長:エアグルーヴと前生徒会長:シンボリルドルフの役割を分け合った結果、ダジャレ担当にもなっていたという意外な事実であったという――――――。

 

 

そう冷静にトレーナー室でいつものように夕飯をたらふく腹に入れていた時に顛末を聞かされた時、

 

この時は姉貴も同席していたから、私はどうしようもなく 壇上であんな所信表明演説をさせた元凶に言いようのない腹立たしさを感じ、罰としておかわりを何杯も要求したのだった。

 

それぐらいしか、あのトレーナーに対して私が強気に出られるものがなかったのだが、そっとお椀を出すと何も言わずにすぐにおかわりを用意してくれるところに居心地の良さを覚えていた。

 

そして、あのトレーナーは決して姉貴のようにベタベタと甘やかしてくることもなく、アグネスタキオンと一緒に『親しき仲にも礼儀あり』として常に礼節を弁えた態度を貫き、

 

そのことが私のことをひとりの人間として接している誠実さやひとりの人間として見てもらえる喜びみたいなものをそこはかとなく感じ、向き合う度に自然と背筋を正していた。それでいて堅苦しくないと感じるのだから不思議だ。

 

そういう意味では、私が見てきた中であのトレーナーは私がこれまで見てきた誰よりも大人に感じられ、

 

最愛の妹をどうにかして皇宮警察にするために精神的に追い詰められた状態から解放された後の本来の姿はこんなにも大人の魅力に溢れた存在なのだと何気ない仕草や気遣いの中で感じることができた。

 

そう、妹のことになると我を忘れるところなんかは姉貴にそっくりだったわけで、姉貴もいいかげんに妹離れすれば、きっとあのトレーナーのように立派な大人になれるはずだ。そう確信させる手本となる大人があのトレーナーだった。

 

最初の評判こそ最悪だったものの、憑き物がとれたかのように三ヶ月間の意識不明の重体から復活した後は、

 

あれほどトレーナー組合の手先じゃないかと疑ってかかっていた会長や姉貴が今では誰よりも頼りにしている存在になるほどなのだから、

 

もちろん、私とあのトレーナーは所属するリーグがちがうので二人三脚を組むことは決してないが、こうして卓を囲むことはできるのだ。

 

だから、会長や姉貴とはちがって もう1年だけトレセン学園にいられることの幸運を 私はしっかりと噛みしめるように心に誓った。

 

 

それだけに、いまだかつて誰もしたことがない中等部の3年をまるまる見送って退学勧告ギリギリまでトレーナーの厳選をした末に学園一の嫌われ者を自分のものにした学園一危険なウマ娘には素直に敬意を表したい。

 

 

私も幼くして周りから“怪物”としての能力でさんざん周囲から恐れられて孤独に走ってきたが、

 

あの頃、“クラシック三冠バ”を期待されていたのは私なんかよりも圧倒的に人気で人望があった全戦全勝のフジキセキだったのだから、本当に人生とは何が起きるかわからないものだ。

 

そして、私に続く世代として こうして同じ壇上に立つことになった“帝王”トウカイテイオーと“名優”メジロマックイーンとで熾烈な激闘が繰り広げられてきたわけだが、

 

本当はその同期に“アグネス家の最高傑作”と評されていたアグネスタキオンが『選抜戦』で圧倒的な勝利を収めており、誰もがその走りに惹かれてスカウトしようと夢中になっていたのだ。

 

実際、“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”という前評判のメジロマックイーンのライバルになるのは“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンだと誰もが予想していた中、メジロマックイーンは過度な食事制限で『選抜戦』で実力を発揮できなかったことで評価を落とし、

 

最終的には国民的なアイドルになった“帝王”トウカイテイオーにしても、一般家庭の生まれで“皇帝”シンボリルドルフの追っかけであることや自身の能力を鼻にかける性格だったこともあって、その天才ぶりが学園中に知れ渡るには時間を要した。

 

 

なので、当時はアグネスタキオンこそが私に続く“クラシック三冠バ”の最有力候補として注目を集めていた。

 

 

しかし、スカウトの交換条件で持ち掛けられたアグネスタキオンの実験の被害と恐るべき本性が知れ渡るに連れて、学園一危険なウマ娘として敬遠されるようになり、それから今日に至るまで会長の全力の擁護があって在籍を許されていたような危うい立場にあった。

 

そういった意味では、トレーナーなんてものはまったく誰でもよかった『選抜戦』当時の私以上にトレーナーを選んだ難物だったわけであり、アグネスタキオンは最初から私以上の大物だったのだ。

 

そう、誰よりもアグネスタキオンは自分の信じた道を貫いた。

 

貫いた結果、自分の信じる道を言葉と態度と背中で語れる最高のトレーナーを引き当てることに成功した。

 

 

――――――吾が道は一を以て之を貫く。

 

 

究極の一を持つものが二となり、三となり、四となり、五となる奇跡を生んだ。

 

なので、入学当初は同期の“悲劇の天才”と“悲劇の名優”を圧倒する走りを『選抜戦』で見せつけていた正真正銘の“最高傑作”がいよいよ満を持してターフの上に降り立つのだから、レースの勝敗なんて見えている。

 

いくら中高一貫校の6年間のうちで自由に時期を選んでデビューできるとは言え、退学勧告ギリギリまで粘って得た4年間の雌伏の時を経てデビューを果たすアグネスタキオンに勝てるウマ娘なんて絶対にいない。

 

そのことがいったいどういった状況を招くことになるかは私には予想がつかないが、“皇帝”シンボリルドルフにとっての股肱之臣となった皇宮警察の家系のあのトレーナーがフジキセキと同じ平々凡々な結果でアグネスタキオンのレースを終わらせるはずがないのだから。

 

それに、そのフジに教えられたのだが、学園一の嫌われ者は学園一危険なウマ娘に魔法の首輪を掛けていたのだ。それも決して砕けることのない永遠の輝きの金剛石。

 

黄金に光り輝く新人トレーナーから永遠の輝きの金剛石を与えられた稀代の天才が往く道はいかなるものとなるか――――――。

 

 

――――――人知れず聖夜に世界を救っていた英雄の愛バが築き上げることになる伝説を私は誰よりも見たいと思うようになっていた。

 

 



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当選報告  トレセン学園 黄金期 最後の輝き

この日、俺の担当ウマ娘にして俺の愛バ:メジロマックイーンは筋書き通りに無事に生徒会会計に当選することになり、

 

全校集会の就任式の後に自由参加となる新生徒会役員それぞれの推薦人と一緒のウイニングライブで前生徒会長:シンボリルドルフが贈ってくれた白の新勝負服をお披露目となった。

 

同期にして同世代のライバルだったトウカイテイオーも『有馬記念』でお披露目した赤い新勝負服で姿を表し、

 

今まで前生徒会長:シンボリルドルフからの指名によって後から2人目の副会長となっていたナリタブライアンも今回はしっかりと立候補して当選した上で、上位リーグ『ドリーム・シリーズ』への移籍に伴い、その記念となる新勝負服で堂々とウイニングライブの舞台に駆け上がった。

 

そのため、全校集会の新生徒会役員就任式でウイニングライブをお披露目した新生徒会長:エアグルーヴも新勝負服だったので、

 

全員がこれまでにない装いと新時代を象徴する未発表の新曲によるウイニングライブのお披露目ということもあり、生徒たちの興奮は高まるばかりであった。

 

一緒にターフの上で競い合った上でウイニングライブを一緒に踊る機会なんてほとんどない 功労バたちの推薦人になれた それぞれの生徒会役員の支持者は最高の恍惚に達していた。

 

もっとも、一匹狼のブライアンは両脇をヒシアマゾンとフジキセキで固めるというパフォーマンスで有無を言わさない姿勢であったが、

 

これはこれで全員がスターウマ娘の夢のコラボレーションであったため、最終的な学校新聞でのアンケートでは新生徒会長:エアグルーヴのウイニングライブを押し退けてブライアンのウイニングライブが一番人気になった。

 

もちろん、ブライアンがアンケートで一番人気になった事実以外は明かされておらず、テイオーとマックイーンのどちらが最下位だったのかなんて野暮なことは発表されることはなかった。

 

というより、常に生徒会長からの指名で後から2人目の副会長になっていることから就任式で壇上に立ったことがないブライアンの所信表明演説でまさかの渾身のダジャレが炸裂した意外性が大いにウケたのだろう。

 

 

いや、ブライアンにそんなつもりはなかった――――――。それは見てればわかる。“怪物”がどれだけウマ娘の闘争本能を体現した存在であるかはみんなが知っているから。

 

 

だからこそ、今までやる気がなかったブライアンがしっかりと立候補して最低限の選挙活動をしっかりとこなして当選した上で自分の言葉で“ホウフ”を熱く語ったことで、副会長としての自覚が備わった内容の真剣さのギャップに思わず吹き出してしまうのだ。

 

いやいや、こうなったのも黄金期の象徴だった最強の生徒会長:シンボリルドルフが普段からしょうもないダジャレを言うもんだから、特に意識して無くてもそういうふうに捉えてしまう妙な校風が出来上がっていたというわけなのだ。

 

そして、“怪物”ナリタブライアンと同じくターフの上で鎬を削る闘争本能を呼び覚ます所信表明演説に触発されて“三冠バ”に挑戦しようという闘志が湧き上がった者とに分かれたわけだが、

 

だからこそ、何気ない発言から“皇帝”シンボリルドルフの影響力の強さを感じ取れるわけであり、

 

“女帝”エアグルーヴの足りないところを“怪物”ナリタブライアンが補った形で『生徒会総選挙』は最高の盛り上がりで幕を下ろすことができたのだ。――――――ダジャレで。

 

 

そう、厳しいことを言えば、それぐらい これからの新しい時代のトレセン学園の最初の顔役となる“女帝”エアグルーヴの負担が大きいものになるのだと周囲の大人たちは感じ取っていたことだろう。

 

 

別に、“女帝”エアグルーヴに非があるわけじゃない。前任者があまりにも偉大すぎただけなのだ。

 

それでも、どうしても先代と比べられてしまうのが代表者の辛いところであり、私も直感的には総生徒数:2000名弱の全国各地から集まってきた才能あふれる個性豊かな生徒たちを統制するには足りないものがあるように感じてしまう。

 

そういう意味ではエアグルーヴはこれまで通りのNo.2が適任だし、ナリタブライアンはNo.3辺りが適任の感じがしてならない。

 

 

――――――とは言え、他に適任者がいないのだからしかたがない。

 

 

世代の中心になったスターウマ娘が号令しないと 中央に入学できるほどに可能性に恵まれた 我の強いウマ娘たちを従わせることはできないのだから。

 

良くも悪くも、3期に渡って生徒会長職に就いていたことで“皇帝”シンボリルドルフの印象と影響が強すぎるからこその相対的かつ絶対的な批判というわけであり、

 

新生徒会長:エアグルーヴはマックイーンとテイオーのどちらかが次の生徒会長になる時の要求を下げるためのクッションにならざるを得ないわけなのだ。

 

その心労の程は常にメジロ家のウマ娘としての強い自覚の下に己を律してきたマックイーンには痛いほどにわかっているため、

 

実質的に庶務の扱いで事務処理では頼りにならないブライアンの代わりに新生徒会長をしっかりと支える覚悟で今回の『生徒会総選挙』に臨んでいた。

 

別に、生徒会の仕事は生徒会役員だけでやる必要はない――――――。

 

現に、あまり仕事をしない方の副会長であったブライアンの実の姉:ビワハヤヒデが2人目の副会長だと勘違いされたことがあるように、部外者であっても役員権限で仕事に参加させることはできるのだ。

 

要は、役員権限でどれだけ有効に生徒たちに益することができるかを問われているわけであり、シンボリルドルフがナリタブライアンを2人目の副会長に指名してきたことが実例となっている。

 

少なくとも、メジロ家の令嬢であるマックイーンと国民的アイドルとして顔が広いテイオーが生徒会役員になった以上はこれまで以上に協力を得ることができるはずだ。

 

 

そして、何よりも これからは あの無名の新人トレーナーが! 学園一の嫌われ者であったトレーナーが! 実はトレーナーの『名門』やウマ娘の『名家』がどう逆立ちしても勝てないほどの由緒正しき血統の『名族』だったトレーナーがいる!

 

 

俺もマックイーンもあの方に命を救ってもらえたし、岡田Tとテイオーの復活もあの方のおかげなのだ。

 

だから、何も心配することはない。俺もマックイーンが卒業するまではトレーナーバッジを絶対に手放さないつもりでいるし、岡田Tもあの方の許で良くしてもらっているのは聞いたから。

 

ああ、俺がメジロ家恒例の新年会に参加していた一方で、岡田Tはあの方と誘われて伊勢参りした後に三保の松原で富士山と一緒に初日の出を拝んだって聞いた。

 

 

だから、どちらかというと心配なのはマックイーンとテイオーの次の世代のブルボン世代なんだよなぁ……。

 

 

いや、ミホノブルボン、ライスシャワー、ハッピーミーク、サクラバクシンオーとかかつてないほどの逸材が揃ってはいるんだけど、生徒会役員としては正直に言って評価に困る面々が世代の中心にいるわけでして……。

 

まあ、競走ウマ娘としての資質と生徒会役員としての能力は別問題だから、無理に生徒会役員になる必要はないのだけれど、

 

今まで内々で立候補者が決められて対立候補のいない信任投票だったから、もしも立候補者が多数になって激しい選挙戦になった時に本当に生徒たちの統制がとれるようになるかが心配だ。

 

それだけ実力が拮抗し合うレベルの高い名勝負が繰り広げられてきた証でもあるのだけれど、逆に満場一致で中央の顔として認められるような絶対的な王者が生まれづらくなってもいるわけなのだ。

 

そういう意味ではテイオーが成りたくて成れなかった“無敗の三冠ウマ娘”にまで殺人的なトレーニングの末に昇りつめた“サイボーグ”ミホノブルボンに生徒会長としての素質がまったくないのが『天は二物を与えず』とでも言うのか――――――。

 

いや、元々が短距離ウマ娘(スプリンター)だったミホノブルボンを現役最強バにまで育て上げたのはまさしくあの天才トレーナーの才覚と手腕によるものだから、やはり本質的にミホノブルボンは平々凡々な競走ウマ娘だったと言える。

 

 

なので、ミホノブルボンが強かったのではない。あの驚異の天才:才羽Tが担当だったからミホノブルボンは最強なのだ――――――。そう結論付けられていた。

 

 

素質で言えば、名門トレーナーである桐生院Tが発掘してきたハッピーミークがトウカイテイオー以上の天才であったことでミホノブルボンより断然凄かったことが明らかになっている。

 

また、天才:才羽Tの同期である熱血甲子園球児:飯守Tが“お兄さま”になっている気弱なライスシャワーも長距離ウマ娘(ステイヤー)としての才能があったために、短距離ウマ娘(スプリンター)と評されていたミホノブルボンよりも断然“クラシック三冠”を狙いやすかったはずなのだ。

 

そう、“怪物”ナリタブライアンがそうだったように担当ウマ娘が強かったから無名の新人トレーナーでもG1勝利を果たすことは稀によくあるのだが、

 

それとは正反対に、“クラシック三冠”など夢のまた夢でしかなかった平々凡々なウマ娘を最強にまで導いた無名の新人トレーナーというのはおよそ聞いたことがない話である。

 

だからこそ、秋川理事長が一番に評価しているわけであり、当然 あの天才トレーナーは表彰だって満場一致で授与されている。

 

そもそも、メイクデビューする前から本場ヨーロッパのアスリートフードの試食会や地域美化活動を主催するなどして積極的に担当ウマ娘のファン数稼ぎを行いながら、自身の存在を内外に知らしめていたぐらいだ。

 

その学園の内外にまで拡がる行動力は一般トレーナーの枠を超えており、ひとりの人間としても才羽Tに敵う者はいないと思えたぐらいだ。

 

 

なので、才羽Tとミホノブルボンは規格外としか言いようがなく、それが後々になって満場一致の最強のウマ娘なのに生徒会長に推すにはいろいろとアレになっていることに頭を抱えることになろうとは――――――。

 

 

だって、去年の『ジャパンカップ』で全盛期の姿で復活したと言われていたトウカイテイオーにハナ差で勝ち切るだけの力量を示した上に初めてのダート戦『東京大賞典』でも圧勝するようなウマ娘なのに――――――!

 

もうね、いろんな意味で才羽Tは太陽なんだわ。太陽のごとく陽の光の恵みと渇きを与える存在という意味で。

 

だから、俺はマックイーンと一緒にトレセン学園を卒業するからいいけど、そこからバトンを託す側としては誰かしら生徒会長に相応しい逸材が現れないと気が気でないのが正直な感想だった。

 

そんな先のことまで“皇帝”シンボリルドルフが面倒を見る義務なんてものがあるはずもなく、こればかりは次の世代にバトンを託された側の義務と責任なのだ。

 

ただ一方で、いよいよマックイーンとテイオーとは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()当時最強のウマ娘が4年の時を超えてメイクデビューを果たそうとしていた――――――。

 

 


 

――――――トレセン学園/和田Tのトレーナー室

 

 

和田T「――――――さすがは“アグネス家の最高傑作”なだけはある」

 

和田T「祖母:アグネスレディー → 母:アグネスフローラ → アグネスタキオンと繋がるわけだ」

 

和田T「マックイーンもメジロ家三代に渡る『天皇賞』制覇で名を上げたわけだけど、結局は自分の意志を貫いたアグネスタキオンは自分の理想となるトレーナーの厳選のために誰よりも待つことを選択した――――――」

 

和田T「その結果が去年のシニア戦線の最大の功労者となった学園一の嫌われ者というのだから、こればかりはアグネスタキオンにレースの女神が微笑んだとしか思えないな……」

 

和田T「これは再来年度のクラシック戦線がとんでもないことになりそうだ……」

 

和田T「けど、メジロ家のウマ娘もこれで打ち止めになった感が否めないな……」

 

和田T「一応、まだライアンとパーマーがいるけど、そろそろ引退も視野に入っている頃だしな……」

 

和田T「また20年後に期待するしかないか……」

 

和田T「そうなんだよな。暗黒期から黄金期までを彩ってきた『名家』のウマ娘たちがここに来て全て出し切った感があるしな」

 

 

和田T「アグネスタキオンは今まで秘蔵されてきたトレセン学園黄金期最後の輝きを象徴するウマ娘になるんだろうな」

 

 

和田T「現時点で来年入学が確定している有望株でアグネスタキオンに勝てるウマ娘なんているはずがねえよ!」

 

和田T「でも、どうするつもりなんだろうな? 今はマックイーンとテイオーの同期だから今は高等部1年で、」

 

和田T「来年度の高等部2年からメイクデビューするってことは、高等部3年でクラシック級なんだろう?」

 

 

和田T「3年目:シニア級は本当にどうするつもりなんだろうな?」

 

 

和田T「まあ、他人の俺があれこれ考えていてもしかたがないな……」

 

和田T「俺としてもマックイーンが卒業するまでトレーナーバッジを手放さないようにしないとだから、あとの2年をどう過ごすのかを考えておかないとな……」

 

和田T「いっそのこと、古巣に戻って G2勝利を目指す 小遣い稼ぎでもやっていようかな? メジロ家の新人がいるんだったら良かったけどな……」

 

和田T「さて、俺も岡田Tのように このトレーナー室を後進に譲るかどうかを考えておかないとな」

 

 

ガチャガチャ・・・

 

 

和田T「え、あれ? ドアノブが回らない――――――?」

 

和田T「おい! どうなってんだよ!? ついに壊れたか!?」

 

和田T「まいったなぁ……」

 

和田T「ここ、3階なんだよなぁ……。ベランダの非常階段を使って外に出るわけにもいかないしな……」

 

 

トレセン学園の将来に不安を覚えているが、それはそれとして、最高のライバルだったトウカイテイオーと岡田Tが新たな道を歩み出したように、

 

『天皇賞(秋)』の後、あれから俺は正式にメジロ家の令嬢である担当ウマ娘:メジロマックイーンと正式なお付き合いを認められることになり、しばらくは引退後の療養のために二人きりの甘々な時間を過ごすことになった。

 

もちろん、まだ相手は高等部1年の女の子だし、良識ある大人として手を出すわけにもいかないので大人の関係はお預けにはなったものの、それでも好きになった女の子に背中を流してもらえる至福のひとときを過ごすことができていた。

 

危うく掛かり気味になって押し倒された結果、男と女の関係になる一線を越えそうになった瞬間もあったけれど、押し倒されたことを逆手に取って力いっぱいに抱き寄せることで互いの欲求を何とか鎮めることができた。

 

とにかく、こうした場合はヒト以上に強大な身体能力をもつウマ娘に両手を掴まれたらアウトなので、先手を取って男の胸板に吸い寄せて心音を聞かせて気持ちを落ち着かせるのが有効だとウマ娘との恋愛の手引書に書いてあったのを何とかやれた。

 

でも、そこからは何かとメジロ家の令嬢としての体裁を保ちながらも、一心同体であることを強調して他人の目を盗みながら とにかく身体を擦り寄せてくるようになってきたので、段々と担当ウマ娘からするようになったキャラメルのような甘い臭いに身体が反応するようになってきた。

 

おそらく、これがG1勝利を果たしたメジロ家のウマ娘の大半が担当トレーナーと結ばれている秘訣であり、将来を誓った相手を決して逃さないための『名家』秘伝の婚活を実践しているのだろう。

 

これと見込んだ相手が年の差からロリコン扱いされることも厭わない積極性はさすがは『名家』の仕込みというわけであり、

 

これこそがウマ娘のトレーナーになる醍醐味として 良識ある大人としての理性の裏で さっさと誘惑に負けて欲望に身を委ねて俺の愛バをメチャクチャにしてやりたいという気分にもなっていた。

 

特に、会長が生徒会役員に就任するにあたって特別に用意してくれた白い新勝負服を初めて見た時、お腹周りが健康的で美しいナーベル・ビューティーの嗜好を強く刺激されていた。

 

 

この時、俺はとんだドスケベ野郎だったことを深く自覚することになった。

 

 

何というのだろうか、触れてみたくなる。摘みたくなる。頬ずりしたくなる――――――。

 

そう言えば、その片鱗はマックイーンが夏場にスクール水着を着ていた時からあったのかもしれない。

 

太りやすい体質の彼女の腹回りがどうしてもはっきりしてしまうスクール水着に俺の目線は妙なところに合わせがちで、

 

そのおかげでお胸とかお尻などのデリケートゾーンに目が行かないことで他のメジロ家のお嬢様から無害認定を受けたことがあった。

 

でも、実際にはちがうんだ。ちがったんだ――――――。

 

俺は太りやすい体質のために過度な食事制限を課していたおかげで契約を結ぶことになった“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”である彼女;メジロ家のお嬢様の劣等感になるところについつい目が行くゲス野郎だったのだ。

 

俺は 新勝負服に身を包んでへそを丸出しにした担当ウマ娘を抱きしめるなら絶対に腹回りだと決めているぐらいに 引っ込んだり膨らんだりする担当ウマ娘のお腹に言いようのない魅力を感じていたヘンタイだったのだ。

 

だって、メジロマックイーンというひとりの女の子の魅力の源泉は太りやすい体質でありながらスイーツが大好きなことで常に頭を悩ませているところじゃないか――――――。

 

よくよく考えたら、元々の黒の勝負服でも腹回りがチラチラしていたので、もしやサブリミナル効果で――――――?

 

 

しかし、妄想や衝動に支配されかかる度に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が走り、俺は人間としての尊厳と誇りを捨てずにいることができていた。

 

 

そう、俺はやっぱり引退してもターフの上で優雅に華麗に懸命に走る担当ウマ娘の姿をずっと見ていたかった。

 

全力で走ることはできなくとも、華やかな勝負服で着飾って優雅なスタートを切った後、ラストスパートで歯を食いしばってメジロ家の令嬢としての体裁を擲って懸命に誰よりも先を目指す あの表情が俺の心を捉えて放さない。

 

だから、何というのか、メジロ家の令嬢としての外面や気品を全て溶かしきってしまった今の担当ウマ娘の有り様が俺にはどうしてもちがうものに感じてしまっていた。

 

やっぱり、憧れは理解から遠い感情なのかもしれない。走りに魅力される――――――、それがトレーナーという人種の業や性なのかもしれない。

 

それに、さすがにだらしのない弛んだ腹になることを歓迎しているわけでもないので、

 

引退した後もしっかりと食事管理を維持して俺の愛バの腹回りの健康的で美しいプロポーションが維持されるように愛でる義務と責任がある。

 

 

それからトウカイテイオーと岡田Tが伝説となった『有馬記念』に向けて猛特訓を送っている裏で、『生徒会総選挙』で内々の決定として立候補することになり、

 

選挙活動の一環として全校集会としての就任式が終わった後の生徒会役員による推薦人とのウイニングライブの練習に励むことになっていた。

 

だから、すでに引退した身としてターフの上での勝利を求められる重圧から解放されていた私と彼女にとって、『有馬記念』におけるトウカイテイオーの世紀の逆転劇は緩みきっていた自分たちの在り方を見直す良いきっかけになった。

 

実際、『有馬記念』の後の火曜日の終業式で改めてトウカイテイオーと岡田Tの許に年末の挨拶をしに行ったところ、以前に見た時と比べて一回りも二回りも大きくなった感じがしていた。不思議なことに。

 

そして、年末年始で伊勢参りにいって三保の松原で富士山と一緒に初日の出を拝んだというトウカイテイオーと岡田Tに年明けに会った時は更に大きくなった気がしていた。

 

なので、段々と気持ちが切り替わって生徒会役員として新生徒会長:エアグルーヴを支えたいという気持ちがはっきりするに連れて、マックイーンも落ち着きを取り戻してきた。

 

少しだけハネムーンを先取りしたような甘い時間は終わりを告げ、早速 会計としてエアグルーヴと一緒に事務処理を頑張っていることを聞いて鼻が高くなったところで、自分の身の振り方を考えていた時のことであった。

 

 

――――――なぜかトレーナー室のドアノブがガチガチになって動かなくなっていた。

 

 

和田T「しかたがない。えと、こういう時のための直通電話だ」

 

和田T「えと、施設管理者の内線番号は、ああ、これだこれだ」ピポパ・・・

 

和田T「さて――――――」

 

 

prrrrrrrr...

 

 

和田T「……なんですぐに出ないんだ? 常駐しているはずだろう?」

 

和田T「じゃあ、ERTだったら確実か? こっちは学生寮の監視だってしているし」ピポパ・・・

 

和田T「………………」

 

 

prrrrrrrr...

 

 

和田T「……どうなってるんだ?」

 

和田T「……なんで繋がらない!?」

 

和田T「……直通電話が壊れている? そうか、そうなんだよな?」

 

和田T「じゃあ、普通にケータイで誰か――――――」

 

和田T「え?」

 

 

和田T「――――――け、圏外?」 ――――――手にしたPDAのアンテナは死んでいた。

 

 

和田T「は? Wi-Fiもダメ?」 ――――――そして、無線LANも機能していない。

 

和田T「……くそっ! じゃあ、有線LANは!?」カチッ ――――――パソコンに有線LANを接続!

 

和田T「繋がれ繋がれ繋がれ繋がれ繋がれ繋がれ……!」

 

 

和田T「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」ダンッ!

 

 

和田T「ど、どうなってんだよ、くそぉ!?」

 

和田T「何だ、これ? まるで『天皇賞(秋)』の時のような“目覚まし時計”が暴走した時のようなヤバいやつ!?」

 

和田T「もうダメだ! ベランダの非常階段で出よう!」

 

和田T「あ、あああっ!? 窓の鍵がなくなってる――――――!? どこにもついてないぞ!?」

 

和田T「開け、このっ!」グイグイッ!

 

和田T「な、何なんだよ、いったい!?」

 

和田T「ハッ」ゾクッ

 

 

ライスシャワー?「――――――」 ――――――窓に反射して写し出される揺らめく漆黒の勝負服!

 

 

和田T「え?」クルッ

 

和田T「な、なんで、ここにライスシャワーが? しかも、勝負服って……」

 

和田T「なんで? どうやって? ドアノブをこじ開けてくれたのか?」

 

ライスシャワー?「………………」

 

和田T「ねえ、すまないけど、外に出たいんだけど?」

 

ライスシャワー?「………………」

 

和田T「ね、ねえ? 騒ぎを聞きつけて開けてくれたんだよね? ありがとう――――――」

 

ライスシャワー?「………………」

 

和田T「も、もしも~し……」

 

ライスシャワー?「――――――クイ」ボソッ

 

和田T「え」

 

和田T「あ、ごめん。よく聞こえなかったんだけど………………何かヤバそうな雰囲気なんだけど大丈夫だよな? 息が詰まりそうになってんだけど、今の俺」ハアハア・・・

 

ライスシャワー?「――――――クイ」ボソボソ

 

 

ニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイニクイ!

 

 

和田T「へ」

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ!」ギラーン! ――――――鬼の形相で短剣を振り抜く!

 

和田T「うおわあああああああ!?」

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ!」ブン!

 

和田T「あ、あぶねえ!?」ビシュッ! ――――――腕を斬りつけられた!

 

和田T「っつううう! 傷は浅い! けど!?」ジワァ・・・ 

 

 

――――――勝負服の短剣はバラの造花と同じレプリカのはずなのに!?

 

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ!」ブン!

 

和田T「お、落ち着け! 自分が何をやっているのかわかっているのか!? 警視総監の息子さんの飯守Tに迷惑がかかるだろう!?」

 

和田T「どうする!? どうする!? 死にたくねぇよ!?」

 

 

――――――だって、俺はようやくマックイーンと一心同体になれたってのに!? 全部これからだってのに!?

 

 

いったい何が何だか、わけがわからなかった。

 

俺はどうして自分のトレーナー室に閉じ込められてライスシャワーに殺されそうになっているのか――――――。

 

しかも、考えれば考えるほど理不尽な展開の連続で、いったい 何度 夢の中だと思い込もうとしたことか――――――。

 

ヒトとウマ娘の身体能力の差は歴然としており、別に短剣なんて持ち出さなくてもターフを抉る強靭な脚で繰り出す蹴りを急所に入れられただけで死ねる――――――!

 

そう考えると、この正気を失っているとしか思えない勝負服に身を包んだライスシャワーは割と知性的に思える。

 

ウマ娘の蹴りをうまいこと誘導してドアや窓を破らせれば脱出ができるようになるのだが、それを知ってか本物の斬れる短剣で確実に息の根を止めようと立ち回ってくるのだ。

 

ただし、小柄なライスシャワーの細腕なので、しっかりと間合いと踏み込みを計算に入れて立ち回れば、意外と刃は骨には届かない。

 

大丈夫だ。競走ウマ娘の瞬発力は完全にヒトより勝っても、逆に優れているからこそ 足首を捻りやすく故障しやすくもなっているので、急な方向転換は連続ではできない。

 

しかも、動きがどうにも力任せで感情的で素人だ。円の動きで立ち回れば、トレーナー室でも十分に攻撃を躱せる。土俵際での攻防をイメージすればわかりやすいか。

 

そして、こういった対ウマ娘用格闘術では鍛えようがない弱点を攻めるのが鉄則であり、足を引っ掛けて転ばせるのもありだが、ヒトにはない長い耳や尻尾を掴んで投げ飛ばすのも有効な手段とされている。

 

特に、ライスシャワーの耳は体格の割には大きい方なので、容易に掴み投げることもできるが、できればそんなことはしたくはない。

 

それよりも、どうにかしてあの短剣を取り上げないと、そろそろ受け流すのにも限界が来る。

 

そして、ライスシャワーの小柄な体格からくる とある弱点に対応した対処法を閃く――――――。

 

 

――――――ウマ娘のトレーナーたる者、担当ウマ娘を勝たせるために ありとあらゆる場面で ふと閃いてトレーニングに活かせるアイディア力を養わければならない!

 

 

和田T「来るなら来い!」バッ ――――――3枚重ねのハードタオルを広げて構える!

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ!」バッ ――――――間髪なく短剣で突いてくる!

 

和田T「今だっ!」バッ

 

ライスシャワー?「!!?!!!」

 

 

バサッ

 

 

ライスシャワー?「!!?!!!」 ――――――短剣で突き破られた3枚重ねのタオルだったが、

 

和田T「そらよっと!」グイッ ――――――そのまま腕まで貫通させたところで3枚重ねのタオルで絡め取る!

 

ライスシャワー?「ア……」ザシッ ――――――突如として腕を絡め取られたことで短剣を手放してしまうのだった!

 

和田T「っと、チェックメイトだ。少しばかり手足が短かったな」パシッ! ――――――手放した短剣を掴み取ってすかさず喉笛にあてがった!

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ……!」ギリリ・・・

 

和田T「落ち着け!」

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ!」

 

和田T「!!!?」

 

ライスシャワー?「――――――!」

 

 

ヒヒヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!

 

 

黒い馬「――――――!」 ――――――なんと、ライスシャワーが見たこともない黒い四足歩行の動物に化けた!

 

和田T「なっ!?」 ――――――タオルが引き千切られる!

 

黒い馬「――――――!」 ――――――そして、後ろ脚でゆうに2m以上はある巨体を持ち上げた!

 

和田T「え」 ――――――熊が立ち上がって身体を大きく見せて威嚇するように!

 

黒い馬「――――――!」 ――――――そこから、前脚を勢いよく!

 

 

ドゴオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

 

和田T「うおおおおわああああああああああああああああああああああああ!?」ベチャ・・・ ――――――肩に叩きつけ!

 

黒い馬「ヒヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!」 

 

和田T「あああああああああああああああああああああああああああああああ!?」ゴシャ・・・ ――――――巨体に踏みつけられるのであった!

 

 

――――――もうわけがわからなかった。

 

 

いきなり部屋に閉じ込められるわ、ライスシャワーに殺されそうになるわ、そのライスシャワーが見たこともないような動物に変身するわで、

 

完全に俺の想像力を超えた超展開の連続で生じた隙を突かれて、強烈なハンマーを肩に叩きつけられて勢いよくトレーナー室の床に叩きつけられ、とどめとばかりに更にストンピングを浴びせてきたのだ。

 

身体の中のものがいろいろと潰される重圧と共に絶叫と血反吐が激痛によって吐き出され、薄れゆく意識の中で自分で吐いた血反吐で血の気が引いていくのを感じた。

 

 

――――――ごめん。マックイーン。

 

 

その瞬間、俺の担当ウマ娘の思い出;楽しかったことや苦しかった日々、嬉しかったことや辛かった日々の記憶が次々と瞼の裏に映し出されていった。

 

そして、最後に映し出されたのは存在しない記憶;大人になった俺の愛バと結婚する時のウェディングドレスを彩る朗らかな笑顔の彼女――――――。

 

俺はそんな彼女に永遠の愛を誓う指輪と口づけを――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンドンドン・・・、ガチャ!

 

「――――――大丈夫ですか、和田T!? 返事をしてください!」

 

「ひ、ひどい……。あのライスシャワー?の馬のオバケに襲われたんだな………………いったいどういう因果関係が?」

 

「ともかく、今はオバケに吸い取られた生気を回復しないと。あとは呪いを解いておかないと内臓破裂の因果が残ってしまう……」

 

「――――――お守りが必要だよな。馬が相手なら聖水と称して刺激臭のするものを持たせておくべきか?」

 

「何にせよ、あのライスシャワー?のオバケはただの動物霊ではないな。何か、作為的なものを感じるが正体がわからないな……」

 

「おそらく、背後に――――――」

 

「さあ、万年茸:霊芝のドリンクを飲みなさい。意識がなくても飲め」グビッ!

 

「よし、あとは裏世界からの脱出だな」パカッ 

 

 

――――――そして、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が行くべき道を指し示す。

 

 

―――

 

――――――

 

―――――――――

 

――――――――――――

 

 

――――――起きてください、あなた! あなた! あなた!

 

 

和田T「ハッ」

 

メジロマックイーン「ああ、よかった……!」

 

和田T「え? マックイーン? いったい何が……?」 ――――――気がつくと保健室のベッドの上。

 

メジロマックイーン「憶えてませんの?」

 

和田T「あ、いや、何も……」

 

メジロマックイーン「その、トレーナー室で血を吐いて倒れていたそうです……」

 

メジロマックイーン「それをあの方がここまで運んでくださったみたいで……」

 

和田T「――――――『あの方』」

 

和田T「……そうか」ホッ

 

メジロマックイーン「これ、お見舞い品だそうです。なんでも、今のあなたは相当に内臓が弱っているそうですから、この滋養剤の霊芝のドリンクと、適度な休息と運動を絶対にして欲しいと」

 

メジロマックイーン「それと、他の栄養ドリンクは絶対に飲んではいけないともおっしゃってましたわ」

 

メジロマックイーン「典型的なエナジードリンクの飲み過ぎによるカフェイン中毒の可能性が高いと」

 

和田T「え」

 

和田T「あ、そっか。俺、最近、エナジードリンクを 結構な量 ガブ飲みしてた気がするな………………もうマックイーンを勝たせる必要もなくなったのにな」

 

メジロマックイーン「あなた……」

 

 

和田T「ごめん。思っていたよりも、俺、あと2年、トレセン学園のトレーナーをやるのが怖くなっていたみたい……」

 

 

メジロマックイーン「だったら、もう無理をせずに引退なさっても……」

 

和田T「でも、そうしたらマックイーンの旦那さんとしての格好がつかないじゃないか……」

 

メジロマックイーン「そんなこと……」

 

和田T「嫌なんだ。このまま勝ちウマに乗って逆玉の輿みたいに寿退社するのが……」

 

和田T「俺のトレーナーとしての実績はそんなでもないからこそ、子供に肩身の狭い思いはさせたくないって、何もしないまま終わるのが怖くて……」

 

和田T「一心同体だからこそ、少なくとも一緒にトレセン学園を卒業するぐらいの意地と甲斐性がなくちゃ、」

 

和田T「俺と一緒にターフの上で死んでくれるようなこともしてくれた最愛の人に対して申し訳がなさすぎて、本当に自分のことが好きじゃなくっちまうよ……」

 

和田T「俺からトレーナーバッジを取り上げたら、残るのは 何の取り柄のない ただのおっさんだろう?」

 

メジロマックイーン「………………」

 

 

和田T「いつかの時と逆になっちまったな……」

 

 

メジロマックイーン「あなた――――――」

 

メジロマックイーン「いいんですよ、トレーナーさん……」

 

和田T「え」

 

メジロマックイーン「今度は私が貴方のことを支える番ですから」

 

メジロマックイーン「私、この度 晴れて生徒会役員に就任できましたけれど、それに値する実績を築き上げることができたのは、他ならぬトレーナーさんのおかげです」

 

メジロマックイーン「トレーナーさん、私はトレーナーさんが私のために用意してくださった献立表のノートが一番の宝物ですわ」

 

 

――――――最初は自己管理もできない未熟者でした。頼れるトレーナーさんに出会えて本当に幸せでした。

 

 

和田T「でも、俺は――――――」

 

メジロマックイーン「言い訳無用ですわ!」

 

和田T「え」

 

メジロマックイーン「病は気から! 今のトレーナーさんは私のために不健康な生活を送らされていたわけですから、弱気になって当然ですわ!」

 

メジロマックイーン「ですから、少しずつ健康な生活習慣を送れるように私が看てあげますわ!」

 

メジロマックイーン「そして、おばあさまが言っておりましたわ」

 

 

――――――病は飯から。『食べる』と言う字は“人が良くなる”と書く。

 

 

メジロマックイーン「これからは 毎日 私の作ったメジロのみそ汁を味わってくださいな」

 

和田T「マックイーン……」

 

和田T「俺は、俺は――――――」

 

 

アグネスタキオン「やれやれ、いつまでそうしているつもりなんだい? もうそろそろで門限になるんだし、起きたのならさっさと帰りなよ」ドン!

 

 

メジロマックイーン「た、タキオンさん!?」

 

和田T「………………」

 

アグネスタキオン「ほら、かきたま汁だよ。豆腐や生姜も入っているから これで軽く腹を満たすといい、二人共」

 

和田T「そうか。わざわざありがとう。斎藤Tにもよろしく伝えてくれ」

 

アグネスタキオン「ああ。それと、これをお守り代わりに持っていろとさ」

 

和田T「……ん、これは八ツ橋の匂い? いや、微妙にちがう?」

 

メジロマックイーン「これはシナモンの香りですわね……」

 

アグネスタキオン「これを気付け薬として常に持ち歩くことだね」

 

和田T「わざわざすまない……」

 

アグネスタキオン「さあさあ、私も暇じゃないんだから、食べ終わったら私のトレーナー室に返しに来ておくれ」

 

メジロマックイーン「ありがとうございました、タキオンさん」

 

メジロマックイーン「あ、タキオンさん!」

 

アグネスタキオン「何だい?」

 

 

メジロマックイーン「当時 誰よりも“三冠バ”に近いウマ娘であったあなたとはターフの上で競い合いたかったですわ」

 

 

メジロマックイーン「だからこそ、楽しみにしておりますわ、タキオンさんの走りを」

 

アグネスタキオン「なら、その期待を裏切らないようにするとしよう」

 

アグネスタキオン「見せてやるよ、ウマ娘の可能性の“果て”をね」

 

 

・・・バタン!

 

 

和田T「……それじゃ、ありがたくいただくとするとしようか」

 

メジロマックイーン「はい。タキオンさんに先を越されたのが悔しいですけど、これからは――――――」

 

和田T「ああ。楽しみにしているよ、マックイーン」

 

 

――――――俺はまたもや助けられたみたいだ、あの方に。

 

 

あの方とは去年の『天皇賞(秋)』で大変お世話になっているが、実際にはそれほど親しいわけじゃなく、岡田Tを通じて最近の動向を知る程度の距離感だった。

 

しかし、こうしてまた助けられたことに、私はあの方の気遣いと心遣いに深く感謝する他なかった。

 

たぶん、一発で私が謎のオバケに襲われている現場に辿り着けたというわけじゃないはずだ。

 

あの時と同じように、何度も繰り返される時の中で必死に私のことを探し回って、私を死の運命から救い出してくれたにちがいない。

 

そうして、愛する人と時間いっぱいにあーんし合った かきたま汁は不思議なほど腹にたまり、指先にまで熱が行き渡って、活力がみなぎっていくのが感じられた。

 

あとで知ったのだが、この時は疑いなく学園一危険なウマ娘が用意したスープを飲んでしまったのだが、薬膳料理としてしょうが汁をベースにしたかきたま汁だったそうなのだ。

 

なので、その薬効によって身体が温まっていく過程で かつてトウカイテイオーやメジロマックイーンよりも最強の座に相応しかったアグネスタキオンというウマ娘に対するイメージが変わっていった。

 

ここまで親切にされるのもあの方が担当トレーナーとなっているからなのだろうが、言葉は通じるのに話が成立しない問題児:ゴールドシップとはちがった意味で親切心を疑ってしまいがちなアグネスタキオンの心変わりを如実に感じられた。

 

俺も食事管理で苦しんでいる担当ウマ娘のためにいろんな健康スイーツを手作りしていたからこそ、優しさが染み渡る温かな味に心が震えた。

 

正直に言って、今でも夢に出てきそうなぐらいオバケの恐怖が身体に染み付いているが、こうしてお守り代わりのシナモンの香りを嗅いでいると途端に現実に引き戻される感じがして、ようやく落ち着きを取り戻すことができた。

 

そして、見舞いの品として用意してくれた霊芝のドリンクの他に、いつの間にか採血されたのだろう、血液検査の結果も添えられており、簡単な診断結果にカフェイン中毒の警告があった。

 

そんなことができるのも明らかな理科系のウマ娘であるアグネスタキオンならではであり、俺はこの味をきっかけにしてしっかりと養生して来年度からの新しいトレーナー人生のスタートを切ることができた。

 

マックイーンにしても、まさか学園一危険なウマ娘であるアグネスタキオンに心温まるスープを振る舞われるとは思いも寄らず、このことが俺の健康管理のためにいろいろと励む良い刺激にもなった。

 

だから、学園一危険なウマ娘と学園一の嫌われ者のあの2人が繰り出す二人三脚;ウマ娘の可能性の果てを俺は陰ながら見届けたいと強く願うようになっていた。

 

それがまさか、残り2年の学園生活でああいったことになるだなんて、この時はあの方も誰も予想ができなかった――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタスタスタ・・・

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ!」ブン! ――――――短剣が突き出される!

 

才羽T「おいおい、せっかくの豆腐が崩れるじゃないか」ヒョイ! ――――――しかし、豆腐の入ったボウルを片手に紙一重で躱す!

 

ライスシャワー?「ニクイニクイニクイニクイニクイ!」ブン! ――――――憎しみを更に込めて突き出す!

 

才羽T「そんななまくらじゃ、僕の命は奪えないよ」スッ ――――――危うげなく足を引っ掛ける!

 

ライスシャワー?「アァアア!?」ズサァ ――――――勢い余って転んでしまう!

 

才羽T「世の中で覚えておかなければならない名前はただ一つ。天の道を往き、総てを司る――――――」

 

ライスシャワー?「ウゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!」

 

 

ヒヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!

 

 

黒い馬「――――――!」パカラパカラ! ――――――ウマ娘の姿から正体不明の四足歩行動物に変化する!

 

才羽T「なるほどな。きみの正体はウマだったわけか。懐かしいな」

 

黒い馬「――――――!」パカラパカラ!

 

才羽T「いや、ここが裏側の世界だとするなら、ライスシャワーのウマソウルが暴走しているわけだね」スタスタ・・・ ――――――1!

 

才羽T「なら、ウマの代わりにウマ娘が存在するこの世界にウマソウルを召喚した術者がいるわけか」スタスタ・・・ ――――――2!

 

才羽T「そして、それがどういった因果かトレセン学園に解き放たれて、不幸を告げる黒ウマとして人々を襲うナイトメアになっている――――――」スタスタ・・・ ――――――3!

 

黒い馬「ヒヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!」

 

才羽T「…………イダーキック」ピタッ

 

才羽T「ハアッ!」グルッ! ――――――豆腐の入ったボウルを片手に!

 

黒い馬「!!?!!!」

 

 

ドゴオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

 

黒い馬「ヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン……」ドサッ・・・――――――上段回し蹴りが顔面に炸裂!

 

才羽T「だから、言ったよね。せっかくの豆腐が崩れるって」シュタ! ――――――豆腐の入ったボウルを片手に!

 

才羽T「きみがライスシャワーのウマソウルであろうと、僕は手加減しないぞ」ゴゴゴゴゴ・・・

 

才羽T「あるべき場所に還るんだな」スタスタ・・・

 

黒い馬「――――――」

 

 

――――――その瞬間、紅い月が照らす世界は星空の下の夜道に戻った。

 

 

才羽T「これはいよいよ封印が破られる前兆か……」

 

才羽T「それだけ、人はこの世で生を受け、業を積み重ね、同胞と競い 妬み 憎んで、心の世界を闇に染めてきた……」

 

才羽T「となれば、トレセン学園は破滅するしかないのだろう……」

 

 

――――――執念や憎悪を“夢”と言い換える者は“悪夢”しか見続けられない。

 

 



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当選報告  夢の舞台の初めての男のシナリオ通りに

・基本的に時系列順に掲載しているのでネタバレというわけではありませんが、
次の話となる 第6話 鏡開きのURAファイナルズ を先にご覧になってから今回の話をお読みなると展開がスムーズです。

――――――明らかに住んでいる世界と作風が違う人物が登場します。




――――――都内のとある高級ホテルのスイートルーム

 

2人の男女がベッドの上で互いの身体を貪るようにして交わり合い、中央トレセン学園からのメッセージが届いたのを少し見て、すぐに行為を再開していた。

 

それは互いが主導権を握ろうとベッドの上で揉み合う高度な心理戦の応酬となっており、瞬間瞬間に繰り出される男と女の駆け引きを楽しみながら、貞淑さや建前などかなぐり捨てて気の赴くままに男女が交わる一体感を精一杯に味わっていた。

 

しかも、若い娘の味を知り尽くした手練である狡猾な男の相手は自分好みに調教されることが決してない大胆不敵な態度を崩すことがない烈女であり、今夜こそ同じ女にばかり可愛がる烈女の身体を完全に自分のものにしようと腰に血を滾らせていた。

 

そして、女の方もまた嘘や方便が嫌いなので口から出る言葉は全て本気の天性の人誑しであったのだが、担当トレーナーと担当ウマ娘が結ばれた若夫婦よりも大きな年齢差のある野性味溢れる男の存在が甚く気に入っていた。

 

だから、同じ女以外でこうしてベッドの上での駆け引きを楽しめる唯一の男として、女はこの男以外の欲望を受け容れたことはない。

 

そう、2人の男女はこうして顔を合わせると 躊躇いなく肌を重ね合わせるほどに 互いを求め合ってはいたものの、籍を入れて落ち着くという考えが毛頭ない 自由な生き方に忠実な 素直になれない似た者同士であった。

 

だから、『好きだ』とか『愛してる』だなんて 心の中で猛烈に連呼するしかないぐらいに そういった甘い言葉を口が裂けても絶対に言わない意地の張り合いを何年も続けており、

 

挑発的な物言いと仕草と顔を互いに崩さずに互いの弱いところを緩急をつけながら激しく優しくねっとりじっとり攻め合い、

 

心の底から求めている相手から与えられている快感の渦に耐えながら1分1秒でも長く繋がって最高潮に達したいという情動の果てに、2人の男女は 他の女の身体では味わえない 矛盾した感情の鬩ぎ合いで積み上げていく充足感を毎回得ていた。

 

というのも、男も女もが相手がそれまでにどれだけ他の女を抱いていようが、こうして顔を合わせたら絶対に一夜を共に過ごすことは言わずもがなの決定事項であり、時には他の女たちを一緒に可愛がった後も平気で2人で昼下がりまで寝ずにやり続けているぐらいなのだ。

 

むしろ、他の女を可愛がるのなんて空気を吸って吐くのが当たり前なぐらいに2人の男女にとっては容易いことであり、それだけの場数を風俗に通い詰めてなくても日常的に踏めるほどの豪快な日々を送っているのだ。

 

そして、2人の男女がスイートルームに足を踏み入れた瞬間から互いに贅を尽くしたフルコースがベッドの上に運ばれたことになり、

 

突き出し(アミューズ)前菜(オードブル)、スープ、ポワソン(魚料理)お口直し(ソルベ)肉料理(アントレ)デザート(デゼール)コーヒーと菓子(カフェ・ブティフール)を余すことなく堪能するのだ。

 

 

 

さて、シンボリ家の総領娘:シンボリルドルフがいよいよ生徒会長の任期を終えて、トレセン学園の世代交替が行われたことで、黄金期は終わりを告げた。

 

それは“皇帝”シンボリルドルフが持てるものを全てを動員したことでトレセン学園の黄金期は実は非常に危ういバランスの上で成立しており、

 

ウマ娘の自主性を可能な限り重んじた自由で開放的な校風によって、黄金期を象徴する才能豊かな個性溢れるウマ娘たちが引き起こす風紀と秩序の乱れに目を瞑ってもらうことで成り立っていたのだ。

 

つまり、シンボリ家の外部への影響力と内部への統制が行き渡っていることによって、暗黒期よりも乱れた風紀と秩序の問題を黙殺させていたのだった。

 

しかし、それは“皇帝”シンボリルドルフがトレセン学園に在籍している限り、そういった裏工作を一手に担っていた男との契約関係が終了することで、今まで封じられていた問題が一気に噴出することになる。

 

 

なぜなら、その男は純粋にトレセン学園やシンボリ家のために動いていたわけではなく、あくまでも自分の欲望の思うがままに生き、その生き様がまさに“太陽を落とした男”フランシス・ドレイクに喩えられた“悪魔の権化”だったからだ。

 

 

そう、政変や革命によって世間の価値観が逆転することによって左派と右派の立ち位置が逆転するように、

 

この場合の“太陽を落とした男”という称号は“太陽が沈まぬ帝国(スペイン帝国)”を打ち破って覇権を“女王の帝国(大英帝国)”に取らせた“女王()の海賊”フランシス・ドレイクに擬えて、

 

現在では暗黒期と呼ばれる トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのウマ娘レースが展開されていた頃のトレセン学園の体制を打ち壊した主犯格としての異名だったのだ。

 

中央トレセン学園においてフランシス・ドレイクに喩えられるような大悪党であるが故に、腐敗しきった暗黒期のトレセン学園の体制を素っ破抜くことができたというわけであり、

 

本来ならば秋川理事長やシンボリルドルフが進んで協力を仰ぐような人物ではなかったのだが、男の力でもって暗黒期から黄金期に進ませるために旧弊を一掃するように取り計らったのが“唯我独尊の開拓者”であったのだ。

 

 

 

そう、この世界においては“皇帝”よりも“開拓者”の方が世代が上であり、“開拓者”が先んじて切り拓いた道を“皇帝”が歩んでいたのだ。

 

 

 

では、“悪魔の権化”フランシス・ドレイクに喩えられた男のトレセン学園における立場はいかなるものだったのだろうか――――――?

 

実は、この男はトレセン学園の暗黒期において相当数の生徒たちに手を付けており、それでいて 多額の賄賂をもらっていながら、その犯行は決してバレることがなかった――――――。

 

それを可能にしたポジションはいかなるものか――――――?

 

 

――――――その答えが“トレセン学園の3T”と呼ばれた教育体制の3重構造にあった。

 

 

3Tが何の略なのかと言うと、教師(Teacher)教官(Instructor)指導員(Trainer)である。

 

教師(Teacher)とは、トレセン学園において学校教育を施す教職員のことを指す。つまり、学校の先生のことである。

 

教官(Instructor)は、トレセン学園において体育の先生を意味するのだが、同時に未出走バたちの集団指導やトレーニング設備の保守も受け持つ。

 

そして、指導員(Trainer)こそが、トレセン学園の花形職業であり、一般的にはスターウマ娘と二人三脚ができる憧れの職業となっている。

 

ちなみに、教師と教官は学校職員の扱いであるのに対して、指導員は学校職員とは別に雇用関係が結ばれているため、学校の先生ではない(ただし、副業として臨時講師を務めることは可能)。

 

ウマ娘ではないためにターフの上で一儲けすることができない男はこのトレセン学園の教育体制の3重構造:3Tを利用して、トレセン学園のウマ娘を次々と味見していったわけなのだ。

 

 

おやおや、3Tなのに教官(Instructor)だけ頭文字がTじゃない――――――?

 

 

実に、その通り。教官(Instructor)の頭文字をTと書き間違えるのもしかたがないことを男はやってのけていた。

 

そう、男は教官(Instructor)の立場を最大限まで悪用して、“悪魔の権化(Tagger)”として、トレセン学園の暗黒期を跳梁していたのだった。

 

どういうことかと言えば、暗黒期における“トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのウマ娘レース”というものは、トレーナー組合であらかじめ 『誰がどのウマ娘の担当になって いつ実績を積ませるか』のローテーションが組まれており、

 

ローテーション通りの勝敗になるように出走する全てのウマ娘のスカウトやトレーニングを調整し、担当ウマ娘に八百長試合をするように指示することは一切する必要がないほどに非常に巧妙かつ緻密な計画の下、

 

トレーナー組合に所属するトレーナーたちに、ある程度の差はあるものの、少なくとも勝利バを輩出する実績を満遍なく積ませて安定した評価と報酬と興行収入を得るというトレーナー本位のレースが展開されていた。

 

もちろん、自分たちの実力で激戦を勝ち抜いてようやく掴んだと思われた栄冠が全てトレーナー組合で仕組まれたシナリオ通りのものでしかないことを知ってしまったウマ娘たちの失望感と虚無感は言うに及ばず、

 

しかし、自分たちがその真相を暴露してしまった場合の国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台に憧れてきた自分たちの在り方や先人たちや未来の名バたちのことを思うと、真実よりも自分たちが思い描いてきた夢のために誰も口に出すことができなかったのだ。

 

まさに夢の舞台での栄光を目指してターフの上で競い合っていたつもりのウマ娘たちにとっての暗黒期だったというわけである。どうすることもできなかったのだ、子供たちには。

 

 

――――――ここで1つ問題が生じる。

 

 

そもそも、自分たちを稼がせてくれる金儲けの道具であるウマ娘の才能を見抜くことができないと計画の立てようがないわけであり、その才能を見抜いてスカウトして二人三脚で『トゥインクル・シリーズ』を駆け上がるのが担当ウマ娘と担当トレーナーの理想像であった。

 

しかし、暗黒期においてはトレーナー組合が巧妙かつ緻密に計画した指示書のとおりに動いていれば、多少のレース本番のハプニングによる番狂わせが起きたとしても、いずれ必ず順番がめぐってきて重賞レースで勝利を掴んだという箔付けがなされることが完全に保証されているようなものだった。

 

だが、そんな八百長試合で勝ちをもらってきたようなカネに魂を売ったトレーナーにウマ娘の才能を見抜く真剣な眼差しが備わると思うだろうか?

 

そのため、暗黒期においてはクラス制で一度にたくさんの生徒たちを指導する体育の先生でもある教官(Instructor)指導員(Trainer)たちが賄賂を贈って、その目利きで先んじて将来有望なウマ娘たちを早々に計画に組み込んで その他大勢の有象無象を排除する流れができあがっていたのだ。

 

そうすれば、スカウトされないウマ娘は永久に『トゥインクル・シリーズ』の重賞レースに出走することができないので、もしもこの目利きで将来大化けする可能性があるウマ娘を見逃していたとしてもトレーナー組合の計画を揺るがすものには成りえない。

 

本来は『選抜レース』での結果からウマ娘の実力を測って指導員(Trainer)がスカウトするのが正しい流れなのに、教官(Instructor)から仕入れたマル秘情報で逸早く計画に見込まれたウマ娘をスカウトして一足先に専属トレーニングを受けられるようにして優位性を確保するのだ。

 

それぞれのウマ娘に合ったマンツーマンのトレーニングの許可は担当トレーナーが握っており、教官は個別指導に対応していないからこそ、ウマ娘たちはトレーナーからのスカウトを無条件に受け容れてしまうのだ。

 

そのため、暗黒期ではトレーナーの質は非常に低かったとされ、逆にトレーナー組合の計画に斡旋されるウマ娘を目利きできる教官は凄まじい影響力を持っていたことになるのだ。

 

そのため、入学前の前評判だけで実力がわかるウマ娘、入学したての頃の教官の集団指導の中で素質を見出したウマ娘だけしか、暗黒期と呼ばれた時代のスターウマ娘になれなかったのである。

 

もちろん、国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台のブランドイメージを崩さないように“ウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘のウマ娘レース”への回帰を目指す生徒会との対立は不可避であった。

 

正確には、学園の方針を決められる理事会をめぐってトレーナー組合の背後にいるトレーナーたちの『名門』、生徒会の背後にいるウマ娘たちの『名家』の熾烈な水面下の争いが繰り広げられていたのである。

 

 

――――――ほら、見てご覧。賄賂で一番に甘い汁を吸っているはずの教官(Instructor)が矢面に立つことがない。

 

 

そう、ウマ娘たちは教師(Teacher)教官(Instructor)をウマ娘レースとは本質的に関係ない学校職員として認識しており、

 

マンツーマン指導ではないとは言え、スカウトされるまで一応はトレーニングを担当してくれている教官(Instructor)の存在をトレーナーと一緒になって完全に軽んじているのだ。

 

そうした夢の舞台への狭き門である熾烈な入学試験を勝ち進めた喜びと期待で胸を膨らませたことによる思考の穴によって、入学したての時期の体育の時間ですでにデビューできるウマ娘や重賞レースで勝たせるウマ娘が決まっていたのだから、とんでもない話である。

 

トレーナーたちは 自分の目ではなく 教官の目利きでスカウトを決めている――――――。そのことに入学してすぐに気づけたウマ娘はどれだけいたことだろうか。

 

夢の舞台で一緒に二人三脚していく相手として理想のトレーナーにスカウトされることを夢見るのが何も知らないウマ娘たちの実態であった。

 

 

だが、“悪魔の権化”がどれだけ優秀な目利きであろうと学校職員の給料しかもらえない教官の立場で現在に至るまで豪遊しまくれるほどの資金を得ることができたのには更なる秘密があった。

 

 

この男、トレセン学園の教官を初老になるまで勤め上げた超ベテラン教官である一方、トレセン学園の教官はトレーニング器具の管理にも長けている必要があるため、設備更新の度に最新のトレーニング器具の点検や修理について熟知しなければならなかった。

 

そのため、男は積極的に中央トレセン学園の分校でトレーニング器具の講習会も開けるほどに仕事熱心であり、そのまましばらくは分校の教官を務めることも珍しくはなかったし、最新のトレーニング器具の購入についての発言権も有していた。

 

もちろん、表向きは非常に仕事熱心で尊敬できる模範的な教官の一人であったが、裏では名門トレーナーに脅されたフリをして賄賂を受け取っている善良で無力な目利きの教官の一人としても振る舞っていた。

 

なぜなら、男はウマ娘への情熱を持ちながらトレセン学園のトレーナーの資格をとることができなかった落ちこぼれであり、

 

どれだけ目利きが優れていてもトレーナーの資格を持てない以上はスターウマ娘との二人三脚が許された殿上人たるトレーナーに傅くしかない存在なのだと――――――、

 

そう周りに信じ込ませて栄枯盛衰のトレセン学園に20年近く勤務し続けていたこともあり、博奕に敗れて表舞台を去っていく名門トレーナーや数多のトレーナーたちを見送ることになり、

 

そうして男はトレーナーの世代交代によって着実に受け継がれていった自身への絶対の信頼を掴み取ると同時に、学園内に忍ばせていた自分の手駒となる教え子である女たちを利用して次々と若手のトレーナーたちの弱みを握っていったのだ――――――。

 

 

気づけば、男はトレセン学園内に張り巡らされた組織犯罪集団(マフィア)の元締めになっており、八百長試合によって得られた賞金の一部を全て上納金として自分の懐に収められるシステムの構築により、巨万の富を得たのである。

 

 

そう、この男は現在のトレセン学園の黄金期に対して暗黒期と呼ばれる時代よりもっと前から、トレセン学園の夢の舞台に競走バとして出走するためのアスリートコースに進学してくる大半の生徒ではなく、

 

出走バたちのサポートスタッフとして養成されるアシスタントコースの生徒に狙いを定めて、じっくりと時間を掛けてレースの女神と閨を共にする“洗礼者(ゴッドファーザー)”として君臨したのである。

 

つまり、トレセン学園で一番最初に全てのウマ娘にターフの上での走り方を教えるのは他ならぬ教官(Instructor)であり、指導員(Trainer)は『選抜レース』で活躍したウマ娘からしか目が行かない――――――。

 

更に、トレセン学園のトレーナーは現場では担当ウマ娘との最初の3年間を単位にして将来設計する考え方のため、10年以上にもなるような長期的な展望をまったく考えられない一種の職業病に冒されており、

 

また、どれだけ実績を積み重ねたベテラントレーナーでも、担当ウマ娘を勝たせられなかった責任、スキャンダル発生による監督不行き届きの責任、故障による引退の責任などなど、

 

一夜にして名トレーナーの地位と名声を剥奪されて路頭に迷うこともあるのだから、全神経を担当ウマ娘の勝利に費やす生き方しかできないようにウマ娘レースという巨大な化け物に飼いならされているのだ。

 

その一夜にして全てを失う潜在的な恐怖がトレセン学園のトレーナーの心に刷り込まれているため、八百長試合を決定してるトレーナー組合の背後にいる『名門』のお偉方の心を意のままに動かすのは非常に簡単なことだった。誰だって自分の分身として生ませた自分の子が可愛いものなぁ。

 

そして、そのカラクリの一例として、レース本番前日の調整ルームに入れるのは出走バとサポートスタッフのウマ娘という事実――――――。

 

全てはそういうことなのだ。長い年月を掛けて自分の手駒となるように調教した教え子たちを全国各地の競バ場のサポートスタッフに紛れ込ませているのだから、後は『名門』のお偉方だけが知るレースの結果を変えてしまえばいい――――――。

 

レースの結果さえも男の気分次第で変えられて上納金を満足に収められなくなった場合の制裁の恐怖をお偉方に植え付けてしまえば、もうトレーナー組合の人間で夢の舞台の影の支配者である男に逆らえる者はいないのだ。

 

そう、夢の舞台の影で頂点に立つ“洗礼者(ゴッドファーザー)”の正体が普段は格下だと侮って賄賂を握らせて 才能のある未来の名バの情報を売り渡すしかない 善良で無力な目利きの教官(Instructor)だとは誰も気づかないのだ。

 

あとは、秋川理事長とシンボリルドルフによる黄金期の幕開けの直前に行われた大粛清において、これまでの贈収賄の罪を問われて懲戒免職になるのだが、

 

受け取った賄賂は一切手を付けずに全額を詳細な記録と併せて学園に提出することで往年の善良で無力な名教官としての最後の誠意が認められ、

 

その誠実な人柄と長年に渡る貢献を踏まえた情状酌量によって、一人だけ自主退職で悠々と学園を去っていったのだった。

 

もちろん、これまで上納金として懐に収められたものは全て自分のものであり、一生遊んで暮らせるんじゃないかというほどの財産を隠し持ち、最後まで尻尾を掴ませることがなかったのである。

 

 

――――――これが“太陽を落とした男”の伝説であり、この事実は秋川理事長でさえ知らないことであった。

 

 

むしろ、理事会や『名門』の大物の誰かが組織犯罪集団(マフィア)のボスだと疑ってかかっていたこともあり、その理事会や『名門』の大物でさえも疑心暗鬼の状態で互いを疑っていたこともあり、捜査線上にあの名教官が浮かび上がる暇がなかったのだ。

 

ただ、この男はたしかに暗黒期に跳梁した“悪魔の権化”であったわけなのだが、あっさりと既得権益を手放して勇気の告発によって大粛清の後押しをした背景には、それこそ“悪魔の権化”と呼ばれた男が改心するほどのとてつもない出来事があったのだ。

 

そして、男は“女王()の海賊”になり、黄金の牝鹿(ゴールデンハインド)号の船長として、偉大なる女王のために世界をめぐる人生航路を進んだのだ。それこそ黄金期の輝きの裏で。

 

その後も“洗礼者(ゴッドファーザー)”としての影響力は依然として持ち続け、“皇帝”シンボリルドルフへの義理立てで裏から手を回して様々な不祥事の火消しに協力し続けたわけだが、

 

それがいよいよ偉大なる女王からの命令による義理立ての期間も終わったということで、完全にトレセン学園から引き上げようという段階に入ったのだ。

 

 

そう、レースの女神と閨に共にする“洗礼者(ゴッドファーザー)”には黄金期の後に待ち受けるトレセン学園の未来なんてものは元から見通しがついていたのだ。

 

 

黄金期や暗黒期といったものなど所詮は相対的なもので、“ウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘のレース”を重視すれば風紀と秩序が乱れ、

 

そこから監督責任から“トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのレース”が強く求められ、いつかはそれが逆転しだすのを初老になるまでトレセン学園で見続けていたのだから。

 

そう、男が学生だった頃は“芦毛の怪物”オグリキャップよりも先に中央に移籍して活躍した“地方の怪物”ハイセイコーによるウマ娘レースの人気再燃の時期だったのだ。

 

そして、歳の離れた従兄が地方から中央トレセン学園のトレーナーになることを目指し、従兄を通じて夢の舞台の実態の輝きと影を知ることで、

 

幼くして誰よりも野心家であった男は従兄の二の舞を演じることがないようにトレセン学園の教育体制の3重構造の隙に真っ先に気づくことができ、わざと指導員(Trainer)ではなく教官(Instructor)の道を歩んだのだった。

 

結果、自分をただの教官と侮ってきた同期のトレーナーたちは男が初老で悠々と自主退職した時には誰一人として残っておらず、

 

自分がトレーナーになってウマ娘を勝たせるよりも莫大な財産を簡単に築き上げることができたのだから、男はすでにトレセン学園での金儲けに飽きてしまっていたのだ。

 

 

だからこそ、“女王()の海賊”となって冒険心のままに未知の世界を旅することに生き甲斐を見出しており、男の忠誠は偉大なる女王に捧げられ、愛する女との駆け引きで人生は満たされていた。

 

 

もちろん、アシスタントコースの教え子たちはみな大人になったのを確認してからご褒美をあげており、不純異性交遊などといった大人としての良識を疑われることは一切していないが、違法じゃなくなれば話は別である。

 

否、アシスタントコースに進まざるを得なかったウマ娘たちの劣等感を煽って同じようにトレーナーにならなかった名教官への好感度を高めた後、レースの結果は自分たちの意のままであるという仄暗い優越感を覚えさせることで未来のサポートスタッフ全員を共犯者にしたてあげる技術はまさに天才であった。

 

更には効果的なボディタッチによる刷り込みと開発もお手の物であり、そうやって情熱を秘めた若い果実を次々と熟成させて、大人になった教え子を自らの意志で男を求めて大人の女になるように仕向けながら、

 

それでいて、ちゃんと他の男と家庭を築けるように二重思考(ダブルシンク)を積極的に施してきたので、黄金期を迎えるに当たって初老を超えた男は本当に大切なものだけを持って これまでの全てを捨て去ることができたのだ。

 

そうじゃなければ、男もまたトレセン学園のトレーナーが常にヒトよりも強大な身体能力と闘争本能を持ったウマ娘が掛かった時に不純異性交遊を犯してしまう二の舞を演じるのだから――――――。

 

 

――――――俺は従兄のようにウマ娘にされるがままの人生は送らない!

 

 

この話の間抜けなところは、トレセン学園の3Tの中でもっとも不純異性交遊に目が行かないのが中高一貫校のトップアスリート校においてもっとも立場の弱い教官(Instructor)という話であり、

 

教師(Teacher)は学生としての本分として教室での日常で頻繁に顔を合わせることになり、トレセン学園じゃなくても稀によくある教師と生徒の禁断の関係に進む可能性は十分にあった。

 

そして、指導員(Trainer)に至っては未来の花婿候補として競走ウマ娘たちの憧れの対象になっているだけにマンツーマンの指導から不純異性交遊に発展する危険性がもっとも警戒されていた。

 

一方で、教官(Instructor)はスカウトを今か今かと待ち望んでいる圧倒的大多数の有象無象のウマ娘のトレーニングとデータベースの作成に追われ、日々のトレーニング設備の点検や修理にも忙しい。

 

どちらかと言えば、教官(Instructor)と距離が近いのが未来のサポートスタッフの卵であるアシスタントコースの生徒たちであり、トレーニング設備の点検や修理の仕方を教え、時には怪我人の手当や応急処置の講習などで会う機会が他より多かった。

 

しかし、トレセン学園の話題の中心は言うまでもなく目まぐるしく世代交代していくアスリートコースの出走バたちであるため、どうしてもアシスタントコースの生徒たちへの注意が薄くなるのも当然であり、分校にいる生徒たちにもなると より一層 顕著だった。

 

だからこそ、男は全ての競走ウマ娘にとって夢の舞台で最初にターフの走り方を指導する誰もが知っている存在:トレセン学園の“洗礼者(ゴッドファーザー)”としての誠実さと無力さを最大の武器にしてアシスタントコースのウマ娘を次々と共犯者にしたてあげて一儲けすることに成功したのだ。

 

 

――――――それが“太陽を落とした男”フランシス・ドレイクに重ねられた暗黒期の生き証人であった名教官:水鏡 久弥(みずかがみ ひさや)であった。

 

 

 

――――――窓から朝日が差し込む頃、

 

水鏡I「へえ、こいつは面白そうなのが出てきたもんだなぁ」

 

シリウスシンボリ「どうした? ルドルフが卒業するから『生徒会長を辞める』ってだけの当たり障りのないメールだろう?」

 

シリウスシンボリ「まあ、あの泣き虫のルドルフが入学してからあっという間の6年間だったけど、少しはまともになったんじゃないか、あそこも?」

 

水鏡I「シリウス、鍵はちゃんと持ってきているんだろうな?」

 

シリウスシンボリ「あぁん? そりゃあ、アンタの敬愛する女王陛下が預けたもんだから、必ず持ってきているさ」

 

水鏡I「ちゃんとメールは見たか? “皇帝”は女王陛下から賜った予言書『プリティーダービー』を学園一の嫌われ者に渡すつもりだぞ」

 

シリウスシンボリ「はあ……?」

 

シリウスシンボリ「まあ、『URAファイナルズ』開催までの予言書って話だったな」

 

シリウスシンボリ「なら、もう期限切れの予言書ってことなんだから、渡したって何の問題はないだろう?」

 

水鏡I「そして、『土曜日の『URAファイナルズ』予選初日のOB会に必ず来い』という話さ」

 

シリウスシンボリ「……そのために私まで東京に帰ってきたわけじゃねえんだがな」チッ

 

水鏡I「いい機会じゃないか。懐かしい顔に会えるかもしれないぞ」

 

シリウスシンボリ「会うまでもなく、あいつらは何も変わってないだろうさ」

 

シリウスシンボリ「それはアンタの教え子たちもそうだっただろう?」

 

水鏡I「ああ、子供も大きくなってたな。来年にはいよいよトレセン学園に入学する子だっているぐらいだ」

 

水鏡I「だから、いいかげん、素直になれよ。俺の子供が欲しいんだろう?」

 

シリウスシンボリ「おい、それが人にものを頼む態度か?」フフッ

 

 

――――――何でもします。俺のお嫁さんになってください。

 

 

シリウスシンボリ「だろ? ほら、そう言うんだよ」

 

水鏡I「そっちこそ、そろそろ欲しがっているくせに強がるなよ」

 

シリウスシンボリ「強がっているのはそっちの方だろう? ()()()()()()()()()()()歳を重ねたところで心は立派な中年のままで、今更 恥も外聞もないだろうに」

 

水鏡I「男ってのはいつまでも初心な少年のままなんだよ」

 

シリウスシンボリ「スケベオヤジのマセガキの甲斐性なしが」

 

水鏡I「ムッツリスケベめ。今日だけで20回はやったのに、その前に若い女を3人は摘み食いしただろう」

 

シリウスシンボリ「甘いものは別腹とよく言うだろう」

 

水鏡I「ああ、だから、俺がメインディッシュってことなんだろう? 認めろよ、お前は俺の子供を欲しがっているんだよ」

 

シリウスシンボリ「ちがうだろう? アンタの方が私がいないとダメになる身体になっているから、他の女を取っ替え引っ替えしたところで満足できないんだろう?」

 

シリウスシンボリ「ほら、来なよ、ぼうや。私がお寂しいぼうやを慰めてやるよ」

 

シリウスシンボリ「それとも、クリークのように“でちゅね遊び”したいでちゅか~?」

 

水鏡I「アハハハ! ほら、意識してる意識してる! 幼児プレイをご所望ってことはやっぱりママになりたいって疼いているんだろう?」

 

シリウスシンボリ「そういうアンタのところのムスコもママのところに帰りたがっているじゃないか」

 

水鏡I「じゃあ、優しくしてよ~、ママ~」

 

シリウスシンボリ「よくできまちたね~。えらいでちゅね~」

 

 

――――――こうして“太陽を落とした男”と“唯我独尊の探求者”の 冬の大三角が煌めく星の夜を追い落とす長いレースは半日に渡り 今回だけで24回を数えることになった。

 

 



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第6話   鏡開きのURAファイナルズ

-西暦20XY年01月25日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

さあ、みなさん、お待ちかね! 待ちに待った『URAファイナルズ』予選トーナメントの開催である!

 

今から3年前、生徒会役員に就任したトウカイテイオーとメジロマックイーンがクラシック世代の時、ミホノブルボンとライスシャワーとハッピーミークが新入生だった頃に、

 

高等部1年で圧倒的な支持によって3期に渡って生徒会長を勤め上げた“皇帝”シンボリルドルフと共にトレセン学園の黄金期を主導したちびっ子理事長:秋川 やよいが立ち上げた前代未聞の大規模レースである。

 

すでに『URAファイナルズ』がどういった点で異例のレースなのかは何度も語られたが、先日の夜に開催直前の特別番組が放送され、そこで改めて『URAファイナルズ』を開催する意義と特徴が語られることになった。

 

これは生放送というわけではなく、実際に放送された時間帯には競バ場の調整ルームに多くの競走ウマ娘がすでに入っていることもあり、出走バによる選手宣誓の場面などは『生徒会選挙』の前に収録されたものである。

 

その特別番組を私は出演者であった“皇帝”シンボリルドルフと一緒に鑑賞することになり、

 

秋川理事長と二人三脚で『URAファイナルズ』の開催に協力していた前生徒会長:シンボリルドルフから裏話をいろいろと聴くことになり、いかに秋川理事長が優秀な経営者だったかを知ることになった。

 

母親であった前理事長から理事長職を世襲した親の七光りといろいろ言われているが、

 

実際には高等部1年で一分の隙のない最強のウマ娘として若くして生徒会長職になるのを内外に“皇帝”シンボリルドルフが認めさせたように、

 

秋川 やよい自身も見た目通りの若さで大学に飛び級で卒業して理事長になっているのだから、夢の舞台で働く大人の中では学歴と学力はトップクラスであり、個人の財力も凄まじいものがあった。

 

もっとも、最初から秋川 やよいが先代理事長である母親が始めた暗黒期からの脱却:“ウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘のウマ娘レース”への回帰のための英才教育を施されていたのも事実であり、

 

だからこそ、『URAファイナルズ』開催にとんでもない額の私財を擲って社会に還元しているわけであり、妹のためにまとまった資金を稼ぐ目的でトレーナーになった斎藤 展望とは何もかもが大違いである。

 

豪快で幼い外見で年齢の割に落ち着きのない性格でいろいろと侮られることも多いが、それをトレセン学園の最高責任者である理事長の年相応の姿だと思っているやつがいるなら、そいつは相当な世間知らずの苦労知らずの恩知らずの不逞の輩だろう。

 

全てが全て演技であるはずもないが、もっとも効果的な嘘というのは()()()()()()()()()()ことだとよく言うではないか。ドストエフスキーも『本当の真実というものはいつでも真実らしくないものだ』と言っている。

 

つまり、理事長という最高責任者らしからぬ豪快な性格は、半分は自分の趣味やワガママを押し通すためのものだろうが、もう半分は自由で開放的な黄金期であることを内外に印象づける必要性があったから演出しているものだ。

 

と言うより、やはり自分の趣味やワガママを周囲に見せつけているのも、見えないところでいろいろとまじめな話をしていることで周りに心労をかけないために偉い人がする典型的な気分転換のストレス解消法だ。

 

それこそがやる必要性とやりたい欲求を両立させた趣味と実益を兼ね備えた表向きの態度なのだから、それを新人トレーナーたちと大して変わらない歳でやりきることを決めた不退転の覚悟と使命感に敬意を払いたい。

 

そういう意味では、やはりトレセン学園の黄金期を一番に支えていたのは最高責任者である秋川理事長であり、生徒会長:シンボリルドルフも偉大ではあったが、秋川理事長の手腕と忍耐に比べたら――――――。

 

実際、『URAファイナルズ』開催のために一気に需要が増える芝の買い付けも、一時は生産者側のトラブルで供給が間に合わなくなる危機に見舞われたが、最終的には各方面の協力もあって計画通りの量を賄うことができたのだ。

 

 

――――――これを一流の経営者の手腕と言わずして何とする?

 

 

なので、私はヒトとウマ娘が共生する21世紀の異なる進化と歴史を歩んできた地球におけるトレセン学園理事長の平均がわからなかったので、当初は秋川理事長の偉大さを測りかねていたが、別に若いからといって侮ったことはない。

 

外見だけで判断するのは宇宙の果ての未知なる世界を探索することになる宇宙移民にとっては致命的な欠点であり、

 

たとえば、突如としてトレセン学園を襲撃してきた謎の人造人間が機密保持のために自爆用に戦術核爆弾を内蔵している可能性ぐらい想定できなくちゃ。

 

だからこそ、科学的な態度が必要不可欠であり、全ての情報が得られるわけじゃないにしても、可能な限り憶測で物事を判断することだけは排除しなければならない。そう立ち回る努力をするのは義務なのだ。

 

とは言え、科学万能主義者の誤解としてガリレオ・ガリレイの地動説を異端審問に掛けて教会が認めなかった話が多々挙げられるが、

 

一方で、この件で話題となった科学と宗教の対立という構図は19世紀の科学者たちがオッカムの剃刀で単純化したストーリーであることを知らないことが多い。科学万能主義者でさえも当時の宗教裁判が三権分立と完璧な教義による私情を持ち込まない審議の結果だと無意識に設定しているのだ。

 

そもそも、当時のガリレオ・ガリレイは『地動説が正しい』という仮説を述べた――――――。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

地動説の確固たる証明ができたのはジェームズ・ブラッドリーの光行差の発見、フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッセルによる年周視差の観測の成功によるので、

 

よって、ガリレオ・ガリレイは『地動説が正しい』という科学的な証明はしていないのだから、ガリレオ・ガリレイがどれだけ慣性の法則の発見などで確信を持っていようが憶測で物事を判断していたことに他ならない。

 

だから、予想や仮説が正しかったことと科学的な証明が果たされたことはイコールではない。

 

そこを21世紀の科学万能主義者たちは履き違えており、それがわかってないから科学的な態度を自分たち自身が貫けないわけである。

 

それが21世紀を生きる人々に足りない基本的な姿勢であり、まだまだ教育改革の必要があることをSNSの書き込みなどを調べていてひしひしと感じていた。

 

だからと言って、過去の人間や先人たちに対して後から間違っていることが証明されている事柄を信じているのを嘲ることも許されないことで、自分が相手と同じ立場になってみてどう思うのかをまず考える習慣が第一なのだ。

 

そういう意味では、昨今で人気となっている人狼ゲームは相手を疑うことを前提にしているゲーム性でありながら、他者の視点から真相を推理するという点で、他者の気持ちを汲み取る教材としては非常に好ましいゲームであった。

 

もちろん、与えられた情報や展開次第なので、23世紀のどこに出しても恥ずかしくない地球の代表者の1人を自負する私でも必ず勝てるわけではないが、やはり勝率は9割前後を維持できているのがその証明にもなろう。

 

よって、それが間違っていることを知っているのとそれが間違っていることを証明することは同じようにイコールではない。

 

そこが徹底されていると、無知から生じる偏見や先入観を取り払った別け隔てない円滑なコミュニケーションが可能になるわけであり、自然と揉め事も減ってくるのだ。

 

 

そういうわけで、秋川理事長の苦労を知ろうとしない上っ面な人間が多いこと多いこと。それでいて自分こそが一番の苦労人だと堂々と人前で言える人間の神経を疑うよ。

 

 

お気楽そうにしているように見えるのが腹立たしいのなら、いつも深刻そうな態度をしている相手と仕事するのが自分にとって働きやすいのかを考えてみればいい。

 

そういったことを経営者としてあらかじめ考え抜いた上でああした態度をとっていることぐらい勉強して欲しいものだ。それが自分にとっても利になる。

 

一方で、好ましいと思われる態度をとっていても自分でものを考えないアホ共に理不尽に腹立たしく思われることさえあることもセットで覚えておくといいだろう。

 

そう、多様性を認めるということは支持率100%にならないことに決して腹を立てないことであり、それが嫌ならば独裁者になって自身を崇拝させればいい。それを想像すれば、自分がどういった人間なのかがわかるはずだ。

 

だが、多様性を認められない国家がどういった運命をたどることになるかは、近代化に失敗して西洋列強にパイにされた清朝の末路を見ればはっきりわかる。

 

そうならないために、宇宙移民はあらゆる可能性を想定して多様性に順応する過程で外見や憶測で物事を判断することは絶対に(可能な限り)しない学問と教養を身に着けているのだから。

 

 


 

――――――都内の子供たちを集めた『URAファイナルズ』予選トーナメント観戦プログラム

 

シンボリルドルフ「それでは、餅搗き競争のリハーサルを始めるとしましょう」

 

スーパークリーク「準備はいいですよ~」

 

シンボリルドルフ「では、お願いします」

 

シンボリルドルフ「えい!」ペチッ

 

スーパークリーク「はい!」コネッ

 

シンボリルドルフ「えい!」ペチッ

 

スーパークリーク「はい!」コネッ

 

シンボリルドルフ「えい!」ペチッ

 

スーパークリーク「はい!」コネッ

 

シンボリルドルフ「えい!」ペチッ

 

スーパークリーク「はい!」コネッ

 

シンボリルドルフ「えい!」ペチッ

 

スーパークリーク「はい!」コネッ

 

シンボリルドルフ「えい!」ペチッ

 

スーパークリーク「はい!」コネッ

 

 

斎藤T「おお、速い速い!」ペチッ

 

アグネスタキオン’「こっちも負けてられないね!」コネッ

 

斎藤T「ああ。三色餅を子供たちに食わせてやらにゃ、年長者としての務めが果たせん!」ペチッ

 

斎藤T「おい、アルヌール! 杵で臼を叩き壊すなよ! 見てわかるだろう!」ペチッ

 

アルヌール「問題ない」ペチッ

 

シリウスシンボリ「それじゃ、お手並み拝見だ、()()()()()()」コネッ

 

アルヌール「――――――」ペチッ

 

シリウスシンボリ「おい、シュワちゃん!」

 

アルヌール「何だ?」ピタッ

 

シリウスシンボリ「声を出さねえとタイミングが掴めねえだろうが! よく考えろ!」コネッ

 

アルヌール「わかった」

 

アルヌール「えい」ペチッ

 

シリウスシンボリ「ほら!」コネッ

 

アルヌール「こんな感じか?」ペチッ

 

シリウスシンボリ「そら、いい調子だぞ、シュワちゃん! そのまま続けろ!」コネッ

 

アルヌール「わかった」ペチッ

 

シリウスシンボリ「待ってろよ、おチビ共。すぐにできたての三色餅をたらふく食わせてやるからな」コネッ

 

 

今、私たちがいるのはトレセン学園OB会による地域交流イベントを兼ねた『URAファイナルズ』予選トーナメントの観戦プログラムである。

 

【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】【ダート】の5部門のレースが全国の競バ場で2日間に渡って一斉に開催されるのを5つの巨大なスクリーンで未来の競走ウマ娘たちを大勢招いて観戦させるものであった。

 

そういった学外での『URAファイナルズ』を盛り上げていくための催しに元生徒会長:シンボリルドルフに招待されることになり、私はこうして大量の三色餅を用意するための労働奉仕をさせられていた。

 

否、肉体改造強壮剤による常人を超えた筋力を役立てるために、昔とった杵柄、肩をはだけて自ら杵を振るって餅搗きを披露していた。

 

そして、ここで1つの見世物として、三色餅に因んだヒト 対 ウマ娘 対 人造人間(アンドロイド)による餅搗き勝負をすることになったのだ。

 

ヒトより卓越した身体能力が自慢のウマ娘であっても杵で臼を破壊するわけにもいかないため、この餅搗き勝負は宇宙船のクルーで一番の餅搗き名人である私に分があった。

 

一方で、さすがは未来からやってきた人造人間:アルヌールであり、人間精密機械として餅搗き名人である私の完璧な動きをトレースして一寸たりとも違わぬ一定のペースを保って小気味よく餅搗きをする。

 

195cmの巨体で筋肉美が光る肩をはだけた和装で餅搗きに精を出すという、とにかく目立ちまくる筋肉ムキムキマッチョマンの姿はとにかく目を引いた。

 

しかし、むさ苦しい男たちの餅搗きの中で桃色の餅を搗く かつてのトレセン学園の顔役である シンボリルドルフがそれに負けじと肩をはだけた弓道着姿で餅を搗くのだから、そこであつあつの餅の湯気で火照った表情が人々の目を引いた。

 

結果としては、カメラ判定になるほどの接戦にもつれ込んで、ここではシンボリルドルフに花を持たせるために(本当は餅搗き名人である私が一番先に餅を搗き終わったけど!)彼女に勝ちを譲ることにした。

 

というのも、斎藤 展望は学園一の嫌われ者でなければならないし、未来から送り込まれた人造人間が周囲の関心を寄せられるわけにもいかない。引き立て役になって その存在を隠さなければならない。

 

なので、ヒトや機械が単純な筋肉労働でウマ娘相手に互角の餅搗き勝負を繰り広げたこと自体がシンボリルドルフからするととんでもないことだったのだが、ここはいつもの“皇帝”らしく互いの健闘を称えて後、盛大な拍手が響き割った。

 

その後、出来上がった三色餅で大きな鏡餅を作って皇祖皇霊の天神地祇と三女神に供えた後、すでに始まっている『URAファイナルズ』の予選レースを5部門全てを大画面で同時に観戦しながら、

 

いろんな形で三色餅を子供たちと食べることになり、『URAファイナルズ』が開催できたことをシンボリルドルフが子供たちに未来のスターウマ娘になることを願いながら祝いだ。

 

私はぜんざいと雑煮を味わいつつ、もち米の赤飯も口にいれながら、ミホノブルボンやナリタブライアンと言った顔見知りのウマ娘が予選を楽々と突破していくのを見た。

 

おお、未勝利バが奇跡の予選突破で感激のあまりに胴上げまでしているぞ。予選突破しても勝利にはならないけど、予選突破の賞金はちゃんと出るから初めての入賞で大喜びだな。

 

もちろん、子供たちにとっては世界的にも異例なトーナメント戦は応援しているほんの一握りのスターウマ娘が出てこない限りは退屈にもなってくるので、“最強の七冠バ”シンボリルドルフにドシドシ質問をぶつけていた。

 

それから新春芸能大会としてシンボリルドルフがウマ娘だからか自分で走って弓を射るウマ娘流の流鏑馬を披露し、

 

私もアグネスタキオンのファン数稼ぎのために23世紀の宇宙科学や現行の最新の科学のちょっとした応用実験を披露し、会場は大いに盛り上がるのだった。

 

そして、人造人間:アルヌールは暗黒期に欧州遠征で活躍したシンボリ家のダービーウマ娘:シリウスシンボリの興味の対象になったらしく、シリウスシンボリはアルヌールを“シュワちゃん”と呼んで子供たちと一緒に面倒を見ていた。

 

たしかに、私は未来からやってきた暗殺用人造人間ということで、意図的にシュワちゃんに似せたマスクに作り直して“アルヌール”を名乗らせていたが、ヒトとウマ娘が共生するこの21世紀の地球にもシュワちゃんは健在のようだ。

 

 

しかし、あの人造人間の出所が賢者ケイローンが警告した第八種接近遭遇:宇宙人による侵略よる10年後の破滅の未来より()()()()()()()()()()()()()()()とは度し難いものだ……。

 

 

火曜日の『生徒会総選挙』を襲撃するはずだった人造人間は“目覚まし時計”によって襲撃前の府中市内で鹵獲されることになり、侵略の中心地:奥多摩にあるWUMAの遺産である解析機で内蔵されたメモリーが暴かれることになった。

 

そこで超科学生命体の解析機を使って()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことで、人造人間に用いられているプログラムが同じWUMAの遺産によって構築されていることに察しが付いてしまったのだ。

 

プログラムソースを参照して比較するとほとんどそっくりであり、所々にこの時代のプログラムソースが混ざっているのを見て、私は途方も無い落胆を覚えていた。

 

そして、どうしてDNA鑑定機能を搭載しているのかも察しがつき、最優先抹殺目標のメモリーに書き込まれていたのは『WUMAの侵略から未来を救った英雄のパーソナルデータ』『未来の英雄のDNAデータ』であった。

 

どうやら、トレセン学園を襲撃する前から『未来の英雄のDNAデータ』に近い存在としてウマ娘のDNAデータを収集しており、『未来の英雄のパーソナルデータ』の写真と照合して、“流星”のあるウマ娘が未来の英雄の母親ではないかという推測をしていた。

 

 

そして、未来の英雄の母親を殺すことで未来を救われなくする――――――。

 

 

未来を救われてしまったWUMAの残党が過去に時間を遡って干渉しようとしたわけなのだ。そこから分岐したパラレルワールドを生み出すだけなのに、なんとも報われない話だ。

 

ただ、純粋なWUMAのプログラムソースの中に現在使われているプログラミング言語に近いものが混じっていることから、おそらくはWUMAの支配をよしと思っていた人間たちなのだろう。

 

それは未来の問題として未来の人間に託したいところだが、それは100年後ぐらい後の話などではなく、斎藤 展望がまだまだ元気に生きている頃なので、私の夢である宇宙開発が滞るような未来は願い下げである。

 

そして、共通する過去Oで何かを変えたところで未来Aの住人は分岐した未来A’の住人ではないことなど少し考えればわかるのに、どうしてパラレルワールドを生み出そうとしているのか、判断材料に乏しいので現状では推理はそこまでだった。

 

 

一方で、肝腎の『未来の英雄のDNAデータ』だが、これの元になる両親を捜索するかどうかを私は決めかねていた。

 

 

別に、未来の英雄の両親になる存在を過去の世界で抹殺するだけで望み通りの未来が創り出せるとは限らないからだ。絶対的な因果の話だ。

 

この世の事象は同様に確からしい確率に収束している確率論によって構築されているわけなのだから、

 

もしも33%の確率で未来でそうなった事実があるとして、それを過去に持ち越したら未来がそうなる33%の確率を引かせるのを後押しする因子をもたらすだけなのだ。

 

つまり、無駄なんだよ。過去を変えようと思って未来からやってきた時点で、過去と未来の連続性が因果律で結ばれるわけだから、それを逸脱したらどうあってもパラレルワールドに分岐する。

 

そもそも、たった1人か2人の過去の人間を殺したところで、未来のシナリオは最終的には長い目で見て必ず同じ結果に収束するのが確率論なのだから。

 

たとえば、ある家族や子孫の未来を変えたいのなら直接的にその家族を過去で救い続ければ問題ないが、それが市町村や国家単位になると1人2人を救った程度で世の中の流れが変わるのかという常識的に考えればわかる話である。

 

つまり、過去を変えて異なる未来に到達したいと思うのなら、それはそれ相応の規模で時代を動かすことと同義であり、

 

未来を救う英雄の存在を過去の世界に行って抹消したいのなら、未来を救う英雄に当てはまる素質を持った人間やその関係者を全て抹殺しないとお話にならない。

 

なぜなら、未来を救う英雄には固有性がないから、その場にいる誰かが状況に迫られて英雄になるしかないのだろうから。きっと、その未来を救った英雄も血統にではなく状況によって選ばれた存在だったはずである。

 

なので、こんな過去にまで遡ってねずみ算式に増えていくだろう関係者を全て皆殺しにするより、未来を救う英雄が未来を救う直前に遡ってその1人を抹殺するのが一番に確実な方法であろう。

 

だから、過去に行って未来を変えることはパラレルワールドを創るだけであって わざわざタイムスリップした目的である直接的な救いにはならないし、

 

むしろ、逆にそうなった過去と未来の因果の連続性が確定するので、どっちみち、やっぱりタイムスリップした目的を果たせなくなるだけだ。

 

 

一方で、このままだとWUMAの支配から救った未来の英雄を抹殺しようとする残党たちとの戦いの未来になるというのが確定していることを私は知ったので、パラレルワールド化に踏み切るべきかを考えていた。

 

 

そうすれば、並行宇宙の支配種族である“フウイヌム”の侵略による絶望の未来がそもそも回避される可能性もあった。

 

ただ、それはつまりは賢者ケイローンの時間跳躍によって決定づけられた世界の命運が今回の人造人間を未来から呼び寄せたことにも繋がっているので、

 

賢者ケイローンの知る未来の地球から大きく掛け離れた異なる地球の未来を創り出さないと、絶対に“フウイヌム”によっては一度は支配される絶望の未来に陥ってしまうのだ。

 

つまり、10年以内に“フウイヌム”が襲来してしまう未来の地球の文明レベルを圧倒的に上回るか、圧倒的に下回るように変えていかないと、最終的な地球の未来は絶対に変えられないのだ。

 

 

なので、『未来の英雄のDNAデータ』が指し示す両親を私が探し出して保護しようが監視しようが抹殺しようが未来は大して変わらないのだから、探し出すのも億劫であった。

 

 

それよりも、こうして学校関係者ではあるが実際には部外者であるOB会に参加するように言われたのには理由があった。

 

それは“皇帝”シンボリルドルフが譲り渡すことを約束していた予言書『ウマ娘 プリティーダービー』のためであり、

 

それを書き上げたのは“魔王”スーパークリークの担当トレーナーだった“ウサギ耳”で、元々は“皇帝”シンボリルドルフが己の生まれの不幸を呪っていたのを励ますために未来はこうなるということを記したものだった。

 

その予言書は『URAファイナルズ』開催までのものだったのですでに役目を終えたが、こうして“皇帝”シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園で何かしら役に立つことを願って、股肱之臣として受け取る次第であった。

 

ただし、それは正伝の巻の話で、トウカイテイオーやサイレンススズカに襲った悲劇やたくさんのスターウマ娘の活躍と実績などを事細かく予言した外伝の巻はそれこそ門外不出のため、

 

こうして暗黒期に“ウサギ耳”と行動を共にした仲間たちに鍵を渡して全員が集まった時に封印が解かれるようになっていたので、今回の会合は全て私のためでもあったのだ。

 

 

――――――それはまさに鏡開きと言えた。

 

 

斎藤T「それじゃあ、神前に供えた鏡餅を下げて鏡開きといたしましょう」

 

斎藤T「こうやって固くなった鏡餅を叩いて『開く』のは、神前に供えた神聖な餅を刃物で『切る』のは“切腹”を連想させ、こうやって木鎚で叩いて『割る』のも“腹を割る”を連想させるので、『開く』と言い換えているわけです」

 

斎藤T「そして、昔の『鏡』は丸いから“円満”、『開く』は“末広がり”を意味するので、鏡餅を食べるのはとても縁起が良いわけですよ」

 

斎藤T「だから、今日は最後にこの縁起が良い鏡餅を開いたものをお土産に持って帰って美味しく食べてね」

 

斎藤T「それではまた明日も楽しんでいってね」

 

子供たち「はーい!」

 

シンボリルドルフ「解説、ありがとうございました」

 

シンボリルドルフ「では、『URAファイナルズ』予選トーナメントも前半を終え、本日最後のプログラム! 最後に鏡開きといきます!」

 

シリウスシンボリ「いいか、シュワちゃん。ちゃんとタイミングを合わせて、床まで『開く』なんてことはないようにしろ」

 

シリウスシンボリ「できるだろう?」

 

アルヌール「できるとも」

 

シリウスシンボリ「なら、よし」

 

シンボリルドルフ「用意はいいですか!」

 

シンボリルドルフ「では、1,2,3!」

 

シンボリルドルフ「――――――」

 

斎藤T「――――――」

 

アルヌール「――――――」

 

 

――――――ズドオオオオオオオン!

 

 

 

 

 

 

スーパークリーク「今日の催しは大成功でしたね」

 

シンボリルドルフ「はい。本当にご協力に感謝します」

 

シリウスシンボリ「こっちとしては『ふざけんな』ってところだったけどな」

 

シリウスシンボリ「『URAファイナルズ』の開催日程の変更が『有馬記念』の後で、会場を押さえることができなかったからって、OB会にも無茶振りしやがって」

 

シリウスシンボリ「それで たまたま今年のOB会の幹事になっていたやつが私に泣きついてきやがった」

 

シンボリルドルフ「それでも、何とかしてもらえるという絶対の信頼を大人になってからも持ち続けているのは素晴らしいことだと思いますよ」

 

シリウスシンボリ「相変わらずルドルフは模範的な回答だな。さすがはシンボリ家の総領娘。未来の皇帝様だな」

 

シリウスシンボリ「ほらよ、鍵」ポイッ ――――――クラブの鍵!

 

シンボリルドルフ「ありがとうございます」パシッ

 

スーパークリーク「じゃあ、私の分の鍵もどうぞ」 ――――――ハートの鍵!

 

シンボリルドルフ「ありがとうございます」

 

シンボリルドルフ「あとは――――――」 ――――――ダイヤの鍵!

 

 

マルゼンスキー「ハァイ♪ マルゼンスキーよ! おまたせ!」 ――――――スペードの鍵!

 

 

シリウスシンボリ「おう、遅かったじゃないか、マルゼンスキー」

 

マルゼンスキー「そりゃあ、待ちに待った『URAファイナルズ』だもの。あの頃にあったら、私もあんなにも荒れることはなかったって、つい……」

 

マルゼンスキー「それで、観客席で応援してたのよ。昔じゃ考えられないぐらいに最高に盛り上がって凄かったのよ~」

 

シンボリルドルフ「それはよかったです。秋川理事長もそれを聞いて大喜びでしょう」

 

マルゼンスキー「もう! ルドルフちゃんったら! そういうことじゃないでしょう?」

 

シンボリルドルフ「え?」

 

シリウスシンボリ「そうだろう?」

 

 

――――――やっと、終わったんだからさ。

 

 

シンボリルドルフ「…………っ!」

 

スーパークリーク「よくがんばりましたね。いい子いい子~」

 

シンボリルドルフ「う、うぅっ……」ボタボタ・・・

 

シンボリルドルフ「本当に終わったんだな……?」ボタボタ・・・

 

シリウスシンボリ「ああ、終わったよ。凄いやつだよ、お前は」

 

シリウスシンボリ「本当は顔を出すつもりはなかったけど、今はお前のことを誇らしく思っているぞ、ルドルフ」

 

シンボリルドルフ「あ、ありがとう……」ボタボタ・・・

 

シリウスシンボリ「ああ、今は存分に泣け。ずっと流せなかったもんだからな」ヨシヨシ

 

 

――――――お前が好きだったあいつもこれで浮かばれたかな?

 

 

斎藤T「………………」

 

アルヌール「質問がある。どうして人は涙を流すのだ?」

 

斎藤T「シー」

 

アルヌール「シー」

 

斎藤T「ヨシ」

 

アルヌール「ヨシ」

 

斎藤T「――――――」スッ ――――――PDAに文字を打って説明する。

 

アルヌール「――――――」スッ ――――――同じようにPDAに文字を打って返答する。

 

 

 

――――――都内の高級ホテルの三ツ星レストラン

 

シリウスシンボリ「で、あいつの後釜がこいつだったってわけだな」

 

シンボリルドルフ「はい。彼には今までの誰にもなかったものがあります」

 

マルゼンスキー「へえ? たとえば、()()()()()()だったり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったり?」

 

スーパークリーク「どうなんですか、斎藤Tさん?」

 

斎藤T「私ですか? 私はトレセン学園で宇宙船を造る資金集めをしているだけですよ?」

 

シリウスシンボリ「とぼけるなよ。アンタからはとてつもないものを感じる。それに雰囲気がそっくりさ」

 

アルヌール「それは誰に?」

 

シリウスシンボリ「そりゃあ、私のツレにだよ、シュワちゃん」

 

アルヌール「――――――『ツレ』?」

 

マルゼンスキー「それはね、スパダリのことよ、シュワちゃん」

 

アルヌール「――――――『スパダリ』?」

 

スーパークリーク「本当に大切な人のことですよ、シュワちゃん」

 

アルヌール「それは恋人ということか? それとも、結婚相手のことか?」

 

スーパークリーク「そうじゃないですよ。そういうふうに好きじゃなくなったら恋人を止めたり、結婚生活をやめたりするような関係じゃないんですよ」

 

スーパークリーク「だから、私はあの人にバレンタインデーで贈るチョコは『何かしら大切なチョコ』なんです」

 

アルヌール「まとめると()()()()()()()()というわけか」

 

スーパークリーク「そうですよ。よくできましたね~」ヨシヨシ

 

シリウスシンボリ「そもそも、籍を入れてないしな、ツレとは」

 

マルゼンスキー「ええ? まだ結婚してなかったの、シリウスちゃんってば?」

 

シリウスシンボリ「そういうマルゼンスキーも独身のままだろう」

 

マルゼンスキー「だって、私もクリークちゃんと同じだから」

 

シリウスシンボリ「待つだけ無駄だと思うけどな、そいつとはな」

 

アルヌール「こいつは斎藤Tで、あいつは鈴音Tで、そいつはムラクモTで間違いないか?」

 

シリウスシンボリ「おっと、悪かったな、『あいつ』とか『そいつ』とかで」

 

アルヌール「では、斎藤Tがアグネスタキオン、鈴音Tがシンボリルドルフ、ムラクモTがスーパークリークの担当トレーナーで間違いないか?」

 

スーパークリーク「はい。それで合ってますよ」

 

アルヌール「しかし、鈴音TもムラクモTも行方不明という扱いだが?」

 

マルゼンスキー「あ、それは――――――」

 

シンボリルドルフ「いや、いいんです。彼には全てを知ってもらいたいと思って、ここに呼んだのですから」

 

斎藤T「本当にいいんですか?」

 

シンボリルドルフ「詳細はここでは話せないが、後でまとめたデータを渡す」

 

シンボリルドルフ「私の担当トレーナーは私を守って遠いところに行ってしまったが、ムラクモTはこことは別の遠いところに旅立った――――――。そういうことなんだ」

 

斎藤T「そうだったんですか……」

 

シリウスシンボリ「つまり、マルゼンスキーとスーパークリークは置いていかれたってわけさ」

 

斎藤T「寂しくはないのですか?」

 

マルゼンスキー「ううん、全然」

 

スーパークリーク「だって、約束しましたから」

 

 

――――――必ず迎えに来るって。

 

 

アルヌール「それは結婚するという意味か?」

 

スーパークリーク「ちがいますよ。何かしら大切な人なのはこれからもずっと変わらないです」

 

マルゼンスキー「うん。これからもムラクモちゃんは私にとってのスパダリだから」

 

シリウスシンボリ「それで行き遅れたら世話ねえだろうに」

 

シリウスシンボリ「実は、この2人だけじゃないんだぜ、シュワちゃん」

 

シリウスシンボリ「他にも、シンザン以来の“三冠バ”だったミスターシービーも泣かせているからな、ホント罪作りな男?だったな、そいつ……」

 

斎藤T「え?」

 

斎藤T「ミスターシービーの担当トレーナーってたしか桐生院先輩の親戚の今は行方不明の桐生院兄妹って話じゃ……」

 

アルヌール「それは二股じゃなくて三股だったということか?」

 

シリウスシンボリ「実際はちょっとちがうんだな」

 

シリウスシンボリ「ミスターシービーの担当トレーナーである兄妹が揃ってムラクモTと一緒に向こうに行っちまったんだよ」

 

シリウスシンボリ「だから、ミスターシービーは完全にフラれたショックであっちこっちをフラフラしてるって話だけど」

 

シリウスシンボリ「そういう意味では私以上に女誑しだったんだぜ、“ウサギ耳”は」

 

シリウスシンボリ「実際、私も何回もベッドに誘ったのに、最終的にはヒトの兄妹を選んだしな」

 

斎藤T「行方不明の真相って、そうだったのか……」

 

アルヌール「それはどこのことだ?」

 

シリウスシンボリ「おっと、そこから先は言えないな、シュワちゃん」

 

シリウスシンボリ「世の中には頭で理解できないことなんてたくさんあるしな」

 

シリウスシンボリ「まあ、シュワちゃんもチーム<アルフェッカ>の秘密を知りたければ、後でこいつから話を聞くことだな」

 

アルヌール「わかった」

 

シリウスシンボリ「そういうわけだ、斎藤T」

 

シリウスシンボリ「暗黒期の競走ウマ娘だった私たちにとっては『URAファイナルズ』開催という形で私たちの夢をルドルフが締めくくったんだから、その先がどうなるかなんてのは私たちの出る幕じゃないのはわかっているよな?」

 

斎藤T「わかってます。私としても現在の本業であるトレーナーが人生の副業ですから」

 

マルゼンスキー「でも、正直に言って、ルドルフちゃんがいなくなった後のトレセン学園が心配なのよねぇ」

 

マルゼンスキー「ほら、今日もすごかったじゃない、ミホノブルボン」

 

マルゼンスキー「あの子が向こう3年の生徒会長になってくれるのなら、本当に何も心配事はなかったんだけどねぇ……」

 

斎藤T「残念ながら、ミホノブルボンにはその器はありません。特に、何もしていないのに機械を壊してしまうような彼女では大切なデータベースを破壊される恐れがあるので絶対に安心できません」

 

シンボリルドルフ「ええ。私もブルボンに声を掛けてみたのですが、『マスターである才羽Tの指示に従う』としか答えなかったので才羽Tに打診してみたのですが……」

 

斎藤T「才羽Tから見てもミホノブルボンには生徒会長は任せられないと」

 

シンボリルドルフ「はい。彼女は大人の言うことには従う良い子である一方、自分が決めたことにも絶対ですから、まず自分がやりたいと思ったことがないと操り人形にしかならないと」

 

スーパークリーク「本当に才羽Tさんは担当の子のことを真剣に考えているんですね」

 

シンボリルドルフ「そうですね」

 

シリウスシンボリ「まあ、結局は自由と統制のバランスが釣り合うところに落ち着くまで何度も揺れ動くわけだな、これからも」

 

シンボリルドルフ「難しい話です」

 

マルゼンスキー「そうよね。それこそ大人のエゴを子供に押し付けているだけよね……」

 

シリウスシンボリ「なら、斎藤T、アンタならどうする? 力がなければ統制はとれないが、これも私たちが暗黒期で求めた自由の結果だ」

 

斎藤T「さあ? 私なら統制を強化してから社会の信用を得て自由の価値観を転換させる技術革新を行いますけどね」

 

スーパークリーク「どういう意味なんですか、それ?」

 

斎藤T「う~ん、手始めに門限破りが多いのが問題ですから、門限になったら強制的に学生寮に帰還させられる装備の装着を義務付けますね」

 

シリウスシンボリ「はあ? 本当に夢を語るな、アンタは。すぐに実現できると思っているのか?」

 

 

斎藤T「ですので、ワープ装置になるバスを門限破りが多い子のいる地域に向かわせて、それに乗ったらセーフになるように門限の定義と場所を変えます」

 

 

シリウスシンボリ「はああああ!?」

 

スーパークリーク「まあ!」

 

マルゼンスキー「え、いいじゃない、それ!」

 

シリウスシンボリ「アンタ、すげえな! 学生寮の外に向かわせたバスに乗ればセーフって天才かよ! なあ、聞いたか、ルドルフ?」

 

シンボリルドルフ「ええ。相変わらずのとんでもない発想力です」

 

シンボリルドルフ「――――――統制を強める一方で門限破りをする子たちにも最大限配慮した譲歩か」

 

斎藤T「別におかしなことじゃないはずです」

 

斎藤T「学生寮にいることが重要じゃなくて、学園でしっかり安否確認ができているかを見ているのなら、信頼できる関係者が送り迎えするのも同じじゃないですか」

 

斎藤T「どうして近くの競バ場に向かうために安全を配慮して送迎車を用意できるのに、生徒たちを保護するための送迎車を用意できないんですか? どっちも安全保護でやることじゃないですか?」

 

斎藤T「たしか、門限破りの最高値はグループで練習していたという10人程度でしたよね?」

 

斎藤T「それなら、門限破りしそうだと自覚している子にGPSで追跡できるバッジでもあらかじめ配って安否確認をはっきりさせれば、それにも乗らないような跳ねっ返りを問答無用で叩き出すことができます」

 

斎藤T「どうです? 門限破りの可能性をあらかじめ自己申告してワープ装置のバスに乗せることで安否確認を確実なものにすれば、理想から程遠くても それに近づけることは十分に可能だと思いますが」

 

シリウスシンボリ「………………」

 

マルゼンスキー「………………」

 

スーパークリーク「まあまあ!」

 

シンボリルドルフ「どうですか、彼は?」

 

 

シリウスシンボリ「ああ くそくそっ! ふざけんな! なんでもっと早く生まれてこなかったんだよ、アンタはよ……!」

 

 

シリウスシンボリ「最高だよ! アンタはツレと同じで学園の連中とはまったくちがう視点で物事を考えている!」

 

シリウスシンボリ「アンタ、いったい何なんだ? 本当は()()()()()か何かで実年齢を詐称しているんだろう? そうだと言えよ?」

 

斎藤T「いえ、身分を詐称したことはないですが――――――」

 

アルヌール「――――――シリウスシンボリのツレというのは担当トレーナーのことか?」

 

斎藤T「お」

 

シリウスシンボリ「あ? ちがうぞ、シュワちゃん。私のツレは担当トレーナーなんかじゃねえよ」

 

斎藤T「え?」

 

アルヌール「――――――担当トレーナーがツレじゃない?」

 

スーパークリーク「はい。シリウスさんのツレは担当トレーナーじゃありません」

 

マルゼンスキー「まあ、マンツーマンで何年も一緒に二人三脚で夢を目指すことになる担当トレーナーに憧れるのはトレセン学園の生徒なら誰もが夢見ることよね」

 

マルゼンスキー「流れから言って そう勘違いするのも無理ないわ、シュワちゃん」

 

シンボリルドルフ「――――――あの人か。考えなくても一番世話になったな」

 

斎藤T「………………」

 

シリウスシンボリ「アンタ、いいよ! ツレに会わせたら絶対におもしろいことになる!」

 

シリウスシンボリ「なあ、明日もOB会に出るんだろう? スイートルームにいるから会っていきないよ! 今日泊まる部屋だって用意してやるからさ!」

 

シンボリルドルフ「そうでしたか。いらっしゃるのなら、私もこれまでのお礼を言わせてください」

 

アルヌール「そのツレとはどういう人物なのだ?」

 

マルゼンスキー「そうねぇ、ロマンスグレーよ、シュワちゃん!」

 

アルヌール「――――――『ロマンスグレー』?」

 

スーパークリーク「そうですねぇ。ある意味、私の大切な人と同じ人ですね」

 

スーパークリーク「あ、でも、広い意味ではあの人も斎藤Tさんも同じでしたね」

 

斎藤T「え?」

 

シリウスシンボリ「まあ、とにかく、アンタはツレに会ってけ」

 

シリウスシンボリ「それと、ルドルフからもらうもんをもらっておけよ。そのためにわざわざ来てやったんだからな」

 

 

――――――覚悟しておけよ、私のツレはチーム<アルフェッカ>とチーム<シリウス>の仕掛け人なんだからな。

 

 



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第6話秘録 あなたとお前でバカ息子

-シークレットファイル 20XY/01/25- GAUMA SAIOH

 

あの天災人災もあってウマ娘レースがかつてないほどの腐敗と人気低迷に苛まれていた暗黒期を終焉に導いた原動力となったチーム<シリウス>とチーム<アルフェッカ>――――――、

 

結果として善玉と悪玉に分かれて『トゥインクル・シリーズ』を盛り上げることでウマ娘レースの信頼と人気を回復させることになったのだが、

 

現在の黄金期へとバトンを渡したトレセン学園の歴史に欠かすことができない2つの名チームの仕掛け人は理事会役員でも、トレーナー組合員でも、生徒会役員でもなかった。

 

 

なんと、およそ20年間に渡って狭き門を潜り抜けて夢の舞台に辿り着いたウマ娘たちに最初にターフの走り方を教えてきた名教官(Instructor)こそが初老になって学園を去った後も黄金期を支えた“女王()の海賊”だったのだ。

 

 

それでいて完全な正しいことをしている“白”ではなく、暗黒期の裏でトレーナー組合から上納金を巻き上げて『名門』たちを震え上がらせていた誰にも正体を悟られることのないまま、悠々と学園を去っていった組織的犯罪集団(マフィア)の元締めでもあった。

 

現在になっても誰もその正体を知る者がいないとされ、それでいて汚職や贈収賄で摘発されたURAや『名門』の大物ですら、その意向には絶対に逆らえなかったため、トレセン学園史上最大の悪人“悪魔の権化”とも呼ばれていた。

 

そのため、腐敗した組織の大粛清によって黄金期を迎えて健全化されたとされる現在のURAやトレセン学園の上層部からもいつ忍び寄ってくるかわからず恐れられており、

 

上層部が正体不明の“悪魔の権化”の存在を忘れずに常に警戒していることで、組織の健全性が保たれるという皮肉な結果を招いていた。

 

いや、それこそが堕落の象徴とされる悪魔に対する正しい心構えであり、その高貴な精神が保たれているうちは黄金に輝いていられるだろう。

 

 

なので、正しい意味で“悪魔の権化”を演じきった怪傑が私の目の前にバスローブ姿でソファで寝そべりながら不敵に出迎えてくれたのだ。それはまさしく“試す者(サタン)”の有り様であった。

 

 

そして、オグリキャップ以前の地方競バの怪物:ハイセイコーの活躍を体験していた世代に生まれ、

 

およそ20年間の時間の移り変わりで徐々にハイセイコーの遺産であるウマ娘レースの人気が翳りゆくのに怒りを感じていたようでもあり、

 

話してみると、類稀な野心家ではあり 前述通りの相当なワルである自覚を持った悪人であるものの、それでいて良識や美学を持ち合わせており、善人らしい純粋さと悪人らしい狡猾さによる独自の世界観を持っている印象だった。

 

というより、最初に目にした瞬間に明らかに()()()()()()の住人ではない異質な雰囲気を醸し出しており、正直に言って何と表現したらいいのか、判断に困る掴み所のない危ない魅力を放っていた。

 

少なくとも、この男は性質が完全に日本人のそれではない。顔の作りからして西洋人の血が多く流れているのが大きい。

 

その風貌は海外ドラマに出てくるマフィアの首領であり、それでいて陰湿なことを嫌う清廉さと明るく物事を楽しむ豪放磊落さも併せ持ち、清濁併せ呑む度量の大きいロマンチストでもあったようだ。

 

なので、世が世ならば、この男は宇宙海賊の船長にでもなっているのがお似合いだった。

 

 

――――――名を水鏡 久弥と言い、この男もまた大海を征く荒波の王者であった。

 

 


 

―――――都内のとある高級ホテルのスイートルーム

 

水鏡I「は」

 

水鏡I「俺が“宇宙海賊の船長”――――――?」

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

水鏡I「アーハッハッハ! 俺が女王陛下から“女王()の海賊”と呼ばれていることを一発で見抜くとは、お前も大したタマじゃねえかよ!」

 

水鏡I「ほら、やっぱり、おもしろいやつだったろう、シリウス?」 ――――――シリウスシンボリの膝の上に頭を乗せている!

 

シリウスシンボリ「ああ。アンタの見込み通りのやつだったよ、こいつは」 ――――――傍から見ると同年代の危ない雰囲気の大人のカップルに見えた。

 

水鏡I「それじゃあ、お前さんは自分を例えるのなら何だ?」 ――――――“若返りの薬”とやらで40代には見えない若さ!

 

 

斎藤T「――――――“宇宙移民の船長”です」

 

 

水鏡I「ハハッ! ハハハ! アーハッハッハ! アーハッハッハ!」

 

水鏡I「いい! 最高にいい! 嬉しくなると人間って思いっきり笑いたくなるもんなんだな! 今世紀最高に笑ったかも!」

 

水鏡I「俺のことを“宇宙海賊”と評して、自分は“宇宙移民”ってところが実にルドルフ好みのお行儀の良さを感じないか!?」

 

水鏡I「それでいて、いっちょ前に俺と同じ“船長”だと言い切れる辺りが、只者じゃねえよな」

 

シリウスシンボリ「へえ、それなら取っ組み合いになったら、どうなる?」

 

水鏡I「――――――勝てねえかもしれねえな」

 

シリウスシンボリ「え」

 

水鏡I「正直に言って、こいつには絶対に勝てねえ。俺の勘がそう告げている。こいつは絶対に敵に回しちゃならねえ存在だ」

 

シリウスシンボリ「なんだって? アンタにそこまで言わせるほどなのかい?」

 

水鏡I「当然だ」ビュン! ――――――不意にアイスピッケルをシンボリルドルフの方に投げつける!

 

シンボリルドルフ「――――――っ!」ビクッ

 

斎藤T「おっと」パシッ ――――――シリウスシンボリに投げつけられたアイスピッケルを余裕でキャッチ!

 

シリウスシンボリ「あっ!」

 

水鏡I「わかったか。こいつ、完全に俺の動きを読んでいやがる。瞬発力はウマ娘にはさすがに及ばないにしても、それ以前に投げようと俺が思った一瞬で対応してた」

 

シンボリルドルフ「あ、ありがとう、斎藤T……」

 

斎藤T「どういたしまして」

 

水鏡I「なあ、斎藤T。それが皇宮警察の血統と素質が成せる業なのかは知らないが、平和ボケした日本で明らかにそれはありえないだろう」

 

 

水鏡I「一人でWUMAとかいう()()()()()()()()()と戦ってきたっていう武勇伝は本当らしいな」

 

 

斎藤T「え? 今、なんて――――――?」

 

斎藤T「――――――『ウマの頭』って言ったんですか?」

 

水鏡I「ああ、見たまんまのウマの頭――――――、怪人:ウマ女ってやつだろう。お前さんの報告書の通りだったな」

 

シリウスシンボリ「――――――『怪人:ウマ女』って何の話だ、おい?」

 

 

水鏡I「斎藤Tってさ、()()()()()()()()()()()()をどれだけ知っている?」

 

 

斎藤T「!!」

 

斎藤T「それは()()()()() ()()()じゃない時期のを含めてもいいのなら」

 

シンボリルドルフ「え」

 

水鏡I「……なるほど。道理で人が変わったわけだよな、3ヶ月間の眠りの後で」

 

シンボリルドルフ「ど、どういうことです……?」

 

斎藤T「むかし、荘子は夢の中で胡蝶となり、自由に楽しく飛び回っていたが、目覚めると紛れもなく荘子である――――――」

 

シンボリルドルフ「?」

 

斎藤T「しかし、荘子が夢の中で胡蝶となったのだろうか、それとも、胡蝶が見る夢の中で荘子となったのだろうか――――――」

 

 

水鏡I「――――――胡蝶の夢、だな」

 

 

斎藤T「はい」

 

シリウスシンボリ「さっきから何を言ってるんだ? 私やルドルフにもわかるように話せよ、二人共」

 

水鏡I「要するに、今や学園一の嫌われ者:斎藤Tは新年度早々にウマ娘に撥ねられて意識不明の長い眠りの中で宇宙移民だった自分の夢を見続けていた――――――、()()()()()()()()()()()()()()()()という話さ」

 

シンボリルドルフ「!!!!」

 

シンボリルドルフ「だから、突然『宇宙船を創って星の海を渡る』ことを夢だと言うようになった――――――!?」

 

斎藤T「そんなところです」

 

シンボリルドルフ「それは文字通りに『心が入れ替わった』とでも言うべきことなのでしょうか……?」

 

水鏡I「――――――夢と現の渾然一体の境地:逍遥游の1つの完成形として、文字通りの無窮な宇宙の中で心を遊ばせているってわけなのかな?」

 

水鏡I「つまり、誰よりもこの世のしがらみから解放された究極の自由を体得した存在――――――」

 

シリウスシンボリ「それがこいつだと?」

 

水鏡I「そこのところは俺でもわからないけど、少なくともこいつは自分に正直に生きながら それ以前の斎藤Tとしての在り方を崩さないことに終始しているようだから、絶対に裏切らない人間だと俺は思うな。味方にできたら最高だな」

 

水鏡I「普通に考えて、自分が学園一の嫌われ者だって評判なら、その汚名をすぐにでも返上するか、その場から逃げ出すだろう?」

 

水鏡I「けど、斎藤Tは学園一の嫌われ者の評判をそのままにしながら居直りを決め込んでいるところが、ホントに俺そっくりだと思ってな」

 

 

シンボリルドルフ「それは水鏡教官がトレセン学園の3Tの中で一番に存在感の薄い教官(Instructor)――――――、“悪魔の権化”として当時のURA幹部や『名門』の大物たちに一番に恐れられていたのとそっくりということですか?」

 

 

水鏡I「実際にそうだろう、ルドルフちゃんよぉ?」

 

水鏡I「俺の場合はトレセン学園の利権に群がる悪党共の親玉から一番に恐れられて、姿を見せない“悪魔の権化”として暗黒期を跳梁していたわけだが、」

 

水鏡I「こいつの場合は生徒会役員から一番に頼りにされる縁の下の力持ちになりながら、学園一の嫌われ者として他人を近寄らせないからな」

 

水鏡I「つまり、トレセン学園は見事に俺の二代目とも言える影の支配者――――――、いや、不正をしているってわけでもないから、光の支配者の座に収まったわけだよ」

 

斎藤T「光がなければ何も見えませんけど、光を直視したら何も見えなくなりますからね。たしかに同じですね」

 

水鏡I「しかも、俺と同じでトレセン学園に来た理由は最初から金儲けだろう?」

 

斎藤T「本当にそっくりですね」

 

シリウスシンボリ「……何だよ、それ? それじゃあ、アンタじゃなくて、こいつが学園の裏の支配者になってくれればよかったじゃないかよ」

 

斎藤T「いえ、私がどうこうしたところで、私が拭き取る以上に汚れは溜まっていくものです」

 

斎藤T「そのために、神社では年越しの大祓というのがあるわけで、それにならったのが年末の大掃除ですから、自分で自分の心に溜まった汚れを定期的に掃除しないと人間も組織もいくらでも腐敗します」

 

 

水鏡I「そう、結局は繰り返されるんだよ」

 

 

水鏡I「俺が学生の頃は地方から成り上がったハイセイコーが人気で、それでウマ娘レースの人気が高まっていった時期でさ、」

 

水鏡I「それがオグリキャップの登場によって黄金期への架け橋がかかるまで、いつの間にかお前らが言う暗黒期になっちまっていたわけだから、」

 

水鏡I「やっぱり、こいつは俺の二代目だから、そのことがちゃんとわかっているわけだよ」

 

シンボリルドルフ「なら、どうして斎藤Tは無意味になるとわかっていて、私が卒業した後のトレセン学園のことを引き受けてくれたのだ……?」

 

 

斎藤T「進化と歴史は決して歩みを止まることがないからです」

 

 

水鏡I「へえ? それが宇宙移民の時代における基本的な歴史観や価値観ってやつかい?」

 

斎藤T「はい。どんなに悲劇の歴史や暗黒時代の中であっても、総人口は順調に右肩上がりになっているじゃありませんか」

 

シンボリルドルフ「?」

 

シリウスシンボリ「いや、まあ、それは世界的に見ればそうだろうけどよ……?」

 

斎藤T「歴史を紐解けばわかるように、戦乱の時代や疫病の時代で世界人口が激減した時期があっても、最終的に技術革新を踏まえた政治改革によって人口の推移は常に右肩上がりになっているんです」

 

斎藤T「つまり、人類の進化と歴史は常に右肩上がりの正弦波の波になって、谷あり山ありを繰り返しながら、時間の経過と共に水準はどんどん上がっていっているんですよ」

 

シリウスシンボリ「へえ……?」

 

水鏡I「ああ、なるほどね。マクロな視点では右肩上がりしているように見える直線になっていて、ミクロな視点では正弦波になっていて山あり谷ありを繰り返しながら成長していっているというわけね」

 

水鏡I「図に書くとこんな感じだぞ、シリウス」ササッ ――――――手が届くところに置いたメモ帳とペンでササッと右肩上がりの直線にギザギザを重ねた図を書く。

 

シリウスシンボリ「ああ、そういう意味か。なるほどな、そういうことか、斎藤Tが言いたいことは」

 

シリウスシンボリ「ほら、ルドルフも見ろよ。こういう上がり下がりが絶対に繰り返されるのをわかって、谷の時期と山の時期を昇っていくのが人生だってな」

 

シンボリルドルフ「すると、『壁を超えていく』などの表現にも通じていますね、それは」

 

シンボリルドルフ「そうか、結局は避けては通れない山道や下り坂が待っているわけか……」

 

水鏡I「――――――水戸黄門の主題歌だな」

 

斎藤T「そして、一人一人の人生がそうであるなら、一人一人の集合である国家や世界の運命だってそうなっているということになりますよね」

 

 

水鏡I「かぁーッ! 気に入ったぜ! 気に入ったよ、お前さんよ! お前さんに会うためなら喜んで世界の外側から駆けつけてやるからな!」ガシッ ――――――立ち上がってご機嫌な表情で手を取った。

 

 

斎藤T「こちらこそ、ありがとうございます!」ガシッ ――――――こちらも快く強く握り返した!

 

シリウスシンボリ「おいおい、私と会うよりも嬉しそうじゃないか、ああ?」

 

水鏡I「これもあれだよ、別腹ってやつだ」ニヤッ

 

シリウスシンボリ「……そうかよ!」スッ

 

シリウスシンボリ「じゃあ、私はもう寝るから、後はご自由に」

 

シリウスシンボリ「ルドルフももう帰って寝ておきな。こうなったら、なかなか寝かせてくれなくなるから」

 

斎藤T「私もそうした方がいいと思います。あなたはまだ未成年ですし、明日も早いのですから」

 

シンボリルドルフ「ああ、わかったよ、斎藤T」

 

 

シンボリルドルフ「では、あらためて水鏡教官。これまで影から黄金期をずっと支え続けてくださり、ありがとうございました」

 

 

水鏡I「ああ、いいってことよ。俺の女王様の命令だったし、女王様は最初からルドルフちゃんのことをずっと可愛がっていたからな」

 

水鏡I「それに、女王手ずから書き上げた予言書『プリティーダービー』に予言された通りの、今までになかった最高に盛り上がれるトレセン学園の未来をこの眼で拝むことができたんだ」

 

水鏡I「俺は思ったよりも、ハイセイコーが切り拓いた時代を生きて、その仕上げにオグリキャップが切り拓いた先の時代を俺自身が陰ながら支えることができて、幸せだったかもしれないな」

 

水鏡I「その最後の最後になって、こうして俺の二代目とも言えるような、それでいて真っ当な道を歩む“宇宙移民の船長”とも美味い酒に酔うことができるんだ」

 

 

――――――付き合ってくれるだろう、御一献?

 

 

 

 

カツーーーン!

 

斎藤T「お、美味い!」ゴクッ

 

水鏡I「どうだい、本場の命の水(ウイスキー)の味は? アイリッシュウイスキーらしい、まろやかで深くてコクのある純粋な味わいが楽しめるから、飲み慣れてないやつにも好評でね!」ゴクゴク

 

水鏡I「それでだな、ルドルフちゃんが後事を託すに値すると認めた相手なんだから、昔のことをいろいろと知っておきたいだろう」

 

水鏡I「なら、喜べ。お前にとって先輩である影の支配者が光の支配者になるお前さんに有り難い昔話をしてやろう」

 

水鏡I「まあ、他に話せる相手もいないことだし、酒の席での戯言だと思って、黙って聞いてくれや」

 

斎藤T「どうぞ」

 

水鏡I「俺はトレセン学園の教官として最新のトレーニング器具の専門家になるべく、海外のトレセン学園のトレーニング事情の視察に結構行っててな」

 

水鏡I「そうした中で、パート1に格付けされている本場のイギリス・フランス・ドイツ・アイルランドのウマ娘レースを見てきたが、やっぱり日本は遅れていると思い知らされたもんだよ」

 

水鏡I「だから、最新のトレーニング器具の輸入やトレーニング法の導入を積極的に働きかけた結果、俺は名実共に名教官の一人に数えられるようになってな」

 

 

水鏡I「けどな、俺の本当の目的はカネやチヤホヤされることのために夢の舞台に居座ることだったから、ようやく俺のやりたいことがやれるようになってきたってわけよ」

 

 

水鏡I「まあ、そもそものきっかけは俺の歳の離れた従兄がウマ娘レースの熱烈な大ファンで、ハイセイコーによる人気上昇の時代の流れに乗ってトレーナーになったのが一番に大きかったな」

 

水鏡I「初めての担当ウマ娘でG1勝利を掴んだぐらいだ。従兄には情熱だけじゃなく才能があったよ」

 

斎藤T「なら、どうして教官になったんです? そこまでの才能がある従兄がいたのなら?」

 

水鏡I「簡単さ。俺の従兄は間違いなくトレーナーとしての情熱も才能もあった。担当ウマ娘からの信頼も厚かったさ」

 

水鏡I「けどな、あっさりと従兄の誇りと栄光は崩れ去ってしまったんだよ……」

 

 

――――――他ならぬ自慢の担当ウマ娘との不純異性交遊で妊娠までさせていたことがバレたからな。

 

 

斎藤T「………………!」

 

水鏡I「まあ、表沙汰にはなってないけど、闇に葬られることにはなったな」

 

水鏡I「当然、従兄は社会的制裁を受ける前に一身上の都合により辞職になったし、担当ウマ娘も故障したとか適当な理由をつけて引退よ」

 

水鏡I「そして、担当ウマ娘は自分たちでレースで稼いだカネで堕ろしたってな」

 

水鏡I「妊娠数ヶ月でお腹に赤ちゃんを抱えた状態で重賞レースに参加しようとしていたんだから、そりゃあ絶対に産ませられるわけもないよな!」

 

水鏡I「それで、従兄は一族の誇りから一気に一族の恥として勘当されたし、自分の子を宿した担当ウマ娘とも二度と会わせてもらえずに、たぶんその辺で野垂れ死んだんじゃないかって」

 

 

水鏡I「でもな! 従兄は俺が言うのも変だが真面目な人間で、俺のように善良な家庭の一族に生まれ育ちながら有り余る野心を抑えるのに苦労したこともない、本当にただの善良な性質の人間だったんだ!」ドン!

 

 

水鏡I「それを台無しにしたのは、従兄が大事に大事に育て上げた結果、つけあがった担当ウマ娘なんだ! そいつは自分の感情の赴くままに善良な従兄から全てを奪っていったんだ!」

 

水鏡I「それなのに、従兄ばかりが悪者にされて! 泣く泣く親の命令で愛する人の子を堕ろしたとか美談にするんじゃねえよ!」

 

水鏡I「――――――どうすることもできねえだろうが! ヒトよりも力の強いウマ娘が掛かったらよぉ!?」

 

斎藤T「それはたしかに気をつけてもどうにもならないことですよね。ヒト同士でもあり得ることなんですから」

 

 

水鏡I「だから、俺も従兄に憧れてトレーナーになるのを止めて、教官になる道を選んだ」

 

 

水鏡I「今までトレセン学園に行くことばかり考えて 突然 身内の恥が出てきたら、俺のトレーナー人生は最初からどん詰まりだからな。トレーナー認定試験もわざと落とした」

 

水鏡I「だから、“トレーナーの成り損ない”として滑り止めだった教官(Instructor)として採用されて、俺はひたすらに従兄が傷跡を残していった一族の汚名を雪ぐために模範的で在り続けた!」

 

水鏡I「まあ、元から俺の一族はそういった傾向が強かったみたいだから、周りが性犯罪者の親戚をどう見ていようが、表面上は善良な人間を装うのは息を吐くように簡単だった」

 

水鏡I「だからなのか、俺の一族が善良であるから俺は悪徳にも敏感で、ハイセイコーによって かつてないほどの活気に満ち溢れて膨らんだ公営競技の利権で組織の腐敗が進行していくのを肌身で感じられたみたいだ」

 

水鏡I「元々、俺は生まれながらの善良な一族にして その中で異端児でもあったみたいだから、」

 

水鏡I「カネやチヤホヤされることのために従兄に憧れてトレセン学園のトレーナーになろうとしていたが、しかたなく教官の立場でそれができるかどうかを検討してみて、」

 

水鏡I「そして、俺はいわゆる“トレセン学園の3T”の教育体制の隙を見つけ出して、最終的にトレーナー組合から上納金を巻き上げる正体不明の首領“悪魔の権化”になったというわけさ」

 

斎藤T「それでよく尻尾を掴ませなかったですね」

 

 

水鏡I「簡単さ。俺は女は大人になってからいただくことにしている。その約束だけで女はそれまでずっと男のために何だってするようになるのさ」

 

 

水鏡I「まあ、3年間という基本契約が果たされたことで従兄が担当ウマ娘に裏切られて性犯罪者に仕立て上げられたことが大きかったように思うけどな、『大人になるのを待つ』ってのは」

 

水鏡I「そして、それは教官という3Tの中でもっとも存在感の薄い上に、トレーナーにスカウトされた以外の全てのウマ娘のトレーニングを担当しなくてはならない割りに合わない職業だからな、」

 

水鏡I「一人当たりに掛けられる時間も少ないから、当然ながらアスリートコースのウマ娘たちと親密になれる時間の長さや密度はトレーナーとは天と地ほどの差がある」

 

斎藤T「想像以上に激務だったんですね、教官というのも」

 

水鏡I「そりゃそうさ。全国各地から地方では天才とか褒めそやされたような連中が何百人も集まる場所で、それよりも圧倒的に少ない数で トレーナーのように担当ウマ娘を選べない苦労を 全部 引き受けるわけだからな、教官ってのは」

 

水鏡I「それで俺が目をつけたのは教官と同じようにトレセン学園では存在感が薄いアシスタントコースのサポートスタッフになるウマ娘だったというわけさ」

 

斎藤T「まさか!?」

 

水鏡I「ああ、その『まさか』さ」

 

水鏡I「俺は善良で無力な教官の姿でアシスタントコースのウマ娘たちを手取り足取り指導して刷り込んでいって俺好みに調教してやったんだよ」

 

水鏡I「もちろん、今ではセクハラ認定されることも昔はグレーゾーンだったし、何より俺は海外の最新式のトレーニングの導入で発言権を持つようになったから、それらしい論文を見せつけるだけで論文も読めない生徒たちは疑いもしないからさ」

 

水鏡I「いや~、あの頃は本当に楽しかった。二十歳になったアシスタントコースの卒業生たちが自分から俺に純潔を捧げてくれるように調教するのが『最高に教官している』って気分だったぜ」

 

斎藤T「それが憧れだった人に捧げた善良で無力な復讐だったわけですか」

 

水鏡I「……いや、俺は元から“悪魔の権化”と呼ばれるような頭脳を持っていたんだぞ。俺の中では従兄の存在は今となっては野望の糧になっただけだ」

 

斎藤T「そうですか」

 

水鏡I「……とにかく、俺はそうして俺の調教を受けてサポートスタッフになった子たちをあちらこちらの競バ場に潜り込ませた」

 

水鏡I「あとは、簡単な話だろう?」

 

 

――――――名門トレーナーの担当ウマ娘の大事な一戦を当日のちょっとした不具合で惨敗に追いやることぐらい。

 

 

水鏡 久弥は40代であり、暗黒期の終わりを告げる大粛清の中、長年の功績と誠実さから情状酌量で自主退職の体で学園を追い出された時が初老であり、それまでに莫大な隠し財産を持つに至った。

 

もちろん、財産と言うのは単純なカネのことだけではなくコネのことも言い、今でも競バ場に勤務する水鏡教官の教え子であるサポートスタッフに号令すれば、URAやトレセン学園の現体制をひっくり返せるだけの影響力を持っていた。

 

しかし、その影響力を暗黒期では腐敗した体制を恐怖で統制するために使い、黄金期では希望に満ちた夢の舞台で起きた不祥事の揉み消しのために行使してきた。

 

そのため、完全な善人でもなければ、まったく他人を省みない悪人というわけでもないため、独自の価値観と自身の欲求に忠実な我が道を往く人物というのが適切だと思う。

 

それは性根が善人でありながら悪人の時代が長かったからこそ、悪党のやり方を知り尽くしている強力な正義の味方にもなり、正義と悪は紙一重であることを体現した組織的犯罪集団(マフィア)の元締めに相応しい風格の持ち主であった。

 

実際、水鏡教官の先祖にシチリア島出身のイタリア人の血が流れているらしく、そういった気質と素質の因子を発現させているのもまったく不思議ではなかった。

 

その一方で、水鏡教官の一族が茨城県鹿嶋市の出身であることを聞いて、瞬間に頭の中に不思議な光景が浮かび上がってきたのだ。

 

 

――――――アメノカク。

 

 

斎藤T「鹿だ」

 

水鏡I「え」ピタッ

 

斎藤T「あなたは鹿? 歯医者(dentist)さんじゃなくて、鹿(deer)? 非力の象徴? 鹿も四つ足、馬も四つ足、鹿が越す坂ならば、馬も越せぬ道理はない?」

 

水鏡I「!!!?」ガタッ!

 

水鏡I「なんでそのことを!?」アセダラダラ・・・

 

斎藤T「え」

 

斎藤T「いえ、なんとなくあなたは鹿だなと」

 

水鏡I「末恐ろしい……。いや、それが皇宮警察の最高の血統と素質がなせる業なのか!?」

 

斎藤T「どうしたんです?」

 

 

水鏡I「いえ、こちらこそ とんだご無礼を! 貴方様はまさしく天皇家の玉体護持の懐剣にございます! 貴方様以上に“皇帝”シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の天下静謐を担える者はございません!」 ――――――頭を擦り付けて土下座!

 

 

斎藤T「へ」

 

斎藤T「わかるように話してください。そうじゃないと、謝罪の誠意を受け取れません」

 

水鏡I「わかりました。某の秘密を包み隠さずに全てお話いたします」

 

 

――――――某はこことはちがう世界で生まれた“シカ娘のハーフ”なのです。

 

 

斎藤T「え」

 

斎藤T「――――――『シカ娘』?」

 

水鏡I「左様にございます」

 

斎藤T「…………へえ、そんなのがいるんだ」

 

斎藤T「…………ふーん」

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「え、えええええええええええええええええええ!?」

 

水鏡I「驚くのは無理もありません。しかし、某が表世界から姿を消している理由の1つとして、シカ娘のハーフのDNAをこの世界に遺さないようにするためでもあるんです」

 

水鏡I「まあ、もともとウマとシカとでは交配ができないわけですが、某はハーフなのでヒトの子を生ませること自体は問題なくできるわけです」

 

水鏡I「問題はウマ娘の因子とシカ娘の因子が混じり合った嵌合体(キメラ)因子を持った存在――――――、」

 

 

水鏡I「言うなれば、バカ(馬鹿)娘が生まれる時に世界が激変するという予言がありまして……」

 

 

斎藤T「はあ!?」

 

水鏡I「ですので、その予言がより良いものであることを期待して某はもっとも信頼できる愛すべき女との子を……」

 

水鏡I「そして、まるでそのことを後押しするかのように、若返りの泉でお揃いの年齢にまでなってしまったので、某は今までの自分の在り方を貫いて愛する女にバカ娘を生んでもらおうと 今 必死になっているのです」

 

斎藤T「語呂が最悪じゃないですか、“バカ娘”って!」

 

水鏡I「日本語の妙ですな!」

 

斎藤T「しかも、語源は『鹿をさして馬となす』という故事成語で、嫌なぐらいにあなたの人生に通じていますよね!?」

 

水鏡I「まあ、某が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()親父が若い時に神社で出会った不思議な女の子と恋をした時にできた子だというのを、シカ娘の世界で知った時は全てを理解しましたけどね」

 

斎藤T「まさか、その不思議な女の子って、もしかして2本の角が生えていた?」

 

水鏡I「はい。親父は『鬼の娘と恋をした』と言ってましたけど、とんでもないです。シカ娘の世界の巫女さんがウマ娘の世界に迷い込んできていたんです」

 

水鏡I「そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしく、親父が神社で鬼の娘と出会わなくなって その思い出をずっと大事にしてお袋と結婚した時、ずっと子宝に恵まれなかったことでずっと祈願していたみたいです」

 

水鏡I「それで、『死産したはずの赤ん坊が生き返った』という奇跡が起きた――――――」

 

 

斎藤T「実際には、父親が若い時に鬼の娘との間にできた生まれたばかりの双子の片方を授かったわけですね」

 

 

水鏡I「……そこまで言ってないのに、そこまでわかっちゃうんだから、本当に凄いですね」

 

斎藤T「まあ、黄金の牝鹿から双子の姉弟が生まれて弟の方をウマが連れ去っていくのが頭に浮かんでましたから」

 

水鏡I「……はい。親父は記憶を封じられていましたけど、角が生えた不思議な巫女のお姉さんと交わっていたみたいで、赤ん坊が生き返ったと周囲に錯覚させて親父の子を半分返したというのが真相です」

 

水鏡I「なので、向こうの世界でシカ娘の双子の姉と母上に会ってきましたよ」

 

水鏡I「シカ娘の世界は本当にメルヘンチックな世界でしたよ。ここよりも機械文明が発達していなくて、自然と一体化した素朴で豊かな森の民の暮らしがどこまでも拡がっていて……」

 

水鏡I「いるだけで心が洗われるような最高の森林浴が味わえる浄土です」

 

斎藤T「それは凄いな……」

 

水鏡I「なので、一度はいらっしゃってください。ただし、向こうの世界での朔日にしか送迎ができないので、しばらくこの世界に帰ってこれなくなりますが」

 

斎藤T「それは楽しみです」

 

水鏡I「しかし、機械文明の俗悪に染まりながらも そこまでの霊性を兼ね備えた文明人が存在するとは思いもしませんでした」

 

斎藤T「他にも、いろいろな世界があったんじゃないんですか?」

 

水鏡I「ええ、それはもちろん」

 

 

水鏡I「というより、私の女王陛下;つまり、スーパークリークの担当トレーナー:ムラクモTはロバ娘の世界の王族でした」

 

 

斎藤T「――――――『遠い場所』というのはやはりそういうことか!」

 

水鏡I「しかも、ウマ娘のハーフとロバ娘の間に生まれたラバ娘の女王として、こうしたヒトとアジン娘たちが共生する世界を統合する異世界平和連合の主宰となって、あっちこっちの異世界に冒険に繰り出しているわけです」

 

水鏡I「某はその手伝いをさせていただいておりまして、女王陛下の寵愛を賜ったシンボリルドルフが卒業するまでこの地に留まって支える命を受けておりました」

 

斎藤T「だから、来年度からはもうトレセン学園を支えることが難しいという話ですね」

 

水鏡I「左様です。本当はすぐにでも馳せ参じるつもりでしたが、女王陛下のたっての願いならば聞き入れないわけには参りませぬ」

 

斎藤T「なるほど」

 

 

――――――こうして、私は並行宇宙の支配種族“フウイヌム”が襲来する絶望の未来にならないために必要なものが何であるのかをここで知ることができた。

 

 

つまり、このままだとヒトとウマ娘が共生する21世紀の地球は大きく分けて3つの可能性の未来を辿ることになる。

 

1つ目は、現状維持で進んでいくと近い将来に並行宇宙の支配種族“フウイヌム”の侵略を受ける絶望の未来となり、未来の英雄が打倒しても残党が起死回生を賭けて過去に暗殺用人造人間を送りつけてくるような未来である。

 

今のところは、賢者ケイローンの時間跳躍によって絶望の未来とその過去となる現在の因果関係が結ばれたことで更なる未来から刺客が送り込まれる事態となっており、もっとも絶望の未来に至る因子が揃っている状況である。

 

2つ目は、絶望の未来よりも更に絶望的な未来を辿らせて文明レベルが圧倒的に後退した世界になることであり、この時代ではまだ第三次世界大戦の脅威が現実味を帯びているため、並行宇宙からの侵略を受けないために第三次世界大戦を引き起こして世界を破滅に導くのも1つの策ではある。

 

もちろん、その選択肢は絶対にありえないが、もしくは天変地異によって第三次世界大戦に匹敵する大破壊が起これば同じことである。地球温暖化を陰謀論にしている愚か者が跋扈している世の中だ。それも十分にあり得た。

 

3つ目は、並行宇宙の支配種族“フウイヌム”による侵略ではなく、こことは異なるヒトとアジン娘が共生する異世界を繋げていって異世界平和連合樹立によるフロンティアの拡大である。

 

むしろ、そうなる可能性:因子は十分に揃っていたのに、並行宇宙の支配種族の次の侵略先として繋がってしまったようなこの世界の業を乗り越えなければ辿り着くことは決してない。

 

つまり、このヒトとウマ娘が共生する21世紀の地球で文明崩壊ルートを辿らずに現状維持をしていると 並行宇宙からの侵略者に世界征服され、現状維持を飛び越えた希望の未来を築き上げることができれば 異世界平和連合との更なる飛躍の時代を迎えることができるわけである。

 

目指すべきは当然、現状維持を飛び越えた進歩発展向上の未来であり、実質的に未来は怪人:ウマ女たちの絶対的な多種族カースト制の支配による平和か、更なるアジン娘との交流と多様性の調和による平和の2択となっていた。

 

このことが理解できたのなら、私が自分の夢を叶えるために絶対に必要な最終的なWUMA対策は明確となった。

 

 

――――――現状維持を飛び越えた進歩発展向上した希望の未来を築き上げるしかない! それは21世紀の明治維新しかありえない!

 

 

しかし、それは23世紀の宇宙移民としては“あり”なのだろうか?

 

現状、並行宇宙と異世界の概念はイコールとして扱っており、怪人:ウマ女もシカ娘もロバ娘も等しくウマ娘の世界の外側からやってきた地球外生命体という大きな括りに入っている。

 

一方で、私としてはWUMAを並行宇宙からやってきたバケモノとして取り扱い、犯した罪に対して許しを与える必要のない怪人災害と認定して、生存圏確立のために積極的に排除することが許されているものと考えている。

 

だが、WUMAの襲来を根源的に回避するために 積極的に21世紀の地球の文明を加速させることが 果たして地球圏統一国家の国民ではない21世紀の人間に益することなのかを考えると何度も踏みとどまってしまう。

 

むしろ、バラバラの国家に飼いならされた過去の地球人には過ぎた科学の発展が第三次世界大戦や天変地異の引き金となって、絶望の未来より更に絶望的な破滅の未来に至らせる可能性だってあった。日常的に21世紀の人間に覚える不審感や嫌悪感がそう思わせるのだ。

 

下手に干渉すると2択だった未来が、選択肢から除外した まさかの最低の未来のドン底に転げ落ちる可能性に気づくと、今まで通りの在り方を貫くべきじゃないかと縮み込んでしまう。

 

 

そう、私にはそれだけの能力がある。200年先の進んだ知恵を持つ自分の決断次第で21世紀の地球の未来を創り変えることができる立場にいつの間にかなっていたのだ。

 

 

実際、私は去年のクリスマスでひっそりと世界を救っていたことだし、やろうと思えば いくらでも自分の手で未来を変えられる要素を抱えるようになっていた。

 

トレセン学園の将来についてもそうだ。基本的にはシンボリルドルフも秋川理事長も黄金期で確立された路線を可能な限り維持することを望んでいるわけだが、それではいずれは擦り減った先に暗黒期に戻ってしまう。

 

となると、地球の未来のことも考えると、やはり現状維持は悪手のように思えるが、下手なことをして今まで築き上げたものを台無しにしてしまう恐れもあり、考えが堂々巡りしてしまう。

 

そう、こうして考えると去年のクリスマスに排除できたはずのWUMAの脅威が重くのしかかってくることになり、

 

賢者ケイローンを抹殺するのが目的で現地調査はおまけの先遣隊が相手だったから何とかなったのであって、艦隊が丸ごとやってきたら私一人でどうにかなるわけがない。

 

たまたまWUMAに対して必殺のカウンターを決められる特別な力を持った個人がいたところで数の理を覆せるわけでもなく、私だけが生き残ってしまうような絶望の状況で勝利など存在するはずもない。

 

あらためて、奥多摩攻略戦をはじめとする数々のWUMA討伐作戦は数え切れないほどの幸運に支えられていたものだったと思い知らされた。

 

賢者ケイローンの時間跳躍によって絶望の未来に繋がる因子がもたらされたとしても、

 

逆に言えば、絶望の未来が到来するまでの期間は絶対にWUMAが襲来することはないとも考えることができ、

 

むしろ、賢者ケイローンが命を賭して時間跳躍してくれたおかげで、時間の猶予をもらうことができたと考えることにしよう。

 

 

そう、もしも賢者ケイローンが時間跳躍することがなかったら、もしかしたらWUMAは襲来する未来に繋がらなかったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれない――――――。

 

 

人間の科学では科学的な証明が不可能に近いとされる因果律による未来予測であるため、どこまでいっても仮説の理論でしかなく その憶測だけで判断するわけにはいかないが、

 

少なくとも賢者ケイローンの登場によって並行宇宙からの侵略者の存在を知ることができ、こうして頭を悩ませるぐらいにはその脅威を正しく理解して対応することができるようになったという事実は決して揺るがない。

 

そう、もしも賢者ケイローンが未来から警告することがなく そのまま並行宇宙の超科学生命体の存在など知る由もなくWUMA襲来の日を迎えてしまった場合の未来を考えると、

 

やはり賢者ケイローンの命を賭した時間跳躍はありがた迷惑なものなどではなかったと、改めてそう断言しよう。

 

 

――――――未来からの警告。それもまた予言や予測の類のものを信じるかどうかの問題なのだから。

 

 

 

斎藤T「………………」

 

水鏡I「どうなさいました?」

 

斎藤T「いえ、実はこのままだと将来的にWUMAの侵略によってヒトとウマ娘が共生するこの地球の文明が崩壊する可能性が大で、女王陛下が主宰の異世界平和連合にこの世界が加盟できなくなるんじゃないかと」

 

水鏡I「なんですって!?」

 

斎藤T「説明すると長くなるのですが、タイムマシン理論と並行宇宙と因果律についての知識はどれほどありますか?」

 

水鏡I「いえ、そういったことには興味はありましたけど、異世界を旅するようになってからはそんなものは無意味なもんだとばかり……」

 

 

斎藤T「では、結論だけ言いますと、現状維持のままで行くとウマ娘の世界は怪人:ウマ女の軍勢に支配されます」

 

 

斎藤T「おそらく、超科学生命体のWUMAの戦闘力はウマ娘が本能的な恐怖を覚えるほどですから、その他のシカ娘やロバ娘がどれほどのものかはわかりませんが、」

 

斎藤T「十中八九 WUMAの脅威を察知して侵略されないようにウマ娘の世界を隔離するでしょうね。そうしないとウマ娘の世界を窓口にしてWUMAが異世界を次々と侵略するはずですから」

 

水鏡I「そんな馬鹿な!?」

 

斎藤T「科学力や身体能力で対抗しようものなら、やつらには絶対に勝てません」

 

斎藤T「やつらはウマ娘以上の身体能力に加えて、超能力に擬態能力に、空間跳躍能力と超科学生命体としての知能を標準搭載していますから」

 

斎藤T「少なくとも、擬態能力を見破る手段と空間跳躍能力に対抗できる何かがないと、『警視庁』の精鋭である完全武装のSATが文字通りに瞬殺されるぐらいです。そのシミュレーション映像がデータベースに上げてあるはずですよ」

 

水鏡I「………………」

 

斎藤T「だから、お願いがあるんです!」

 

斎藤T「並行宇宙のWUMAと異世界のアジン娘連合が戦争になる未来を回避したいのなら、WUMAが襲来した未来の地球と同じ状態にならないように圧倒的に文明を進歩させるか、圧倒的に文明を後退させるかの2択しかないんです!」

 

斎藤T「もちろん、選ぶのは前者ですよね!? ですから――――――!」

 

水鏡I「落ち着いてくだされ!」

 

斎藤T「…………っ!」

 

水鏡I「大丈夫です。新年度になるまで まだ某はこの地に留まっております」

 

水鏡I「それまでに協力できることや知りたい情報がありましたら、私が目となり耳となり口となり、必ずや女王陛下にお伝えいたしましょう!」

 

水鏡I「今日、貴方様がとてつもなく強大な敵と一人で戦い続けていたことを知ることができました」

 

 

水鏡I「かつて邪神パレスとの異世界の命運を賭けた決戦の日々を思い出しますな」

 

 

斎藤T「――――――『邪神バレス』?」

 

斎藤T「――――――『異世界の命運を賭けた決戦』?」

 

水鏡I「そうです。予言書『プリティーダービー』もそうですが、どうやら我々は共有すべき情報がたくさんあるようです」

 

水鏡I「そして、我らの共通の敵と戦いましょうぞ! これからは一人じゃない!」

 

水鏡I「さあ、複雑なことやいろんな思いは忘れて、この杯を!」

 

斎藤T「はい……」

 

水鏡I「これは故郷の茨城県の地酒でして、関東地方では最も多い酒蔵を抱えている酒造りの名産地でもあります」

 

水鏡I「これは復活米を使ったもので、アメリカでも人気の銘酒ですぞ」

 

水鏡I「これを共に分け合って義兄弟の契りといたしましょう」

 

水鏡I「某はシカ娘の息子!」

 

斎藤T「私はウマ娘の息子!」

 

 

――――――二人合わせてバカ息子!

 

 

斎藤T「――――――」グイッ

 

水鏡I「――――――」グイッ

 

斎藤T「美味い!」

 

水鏡I「なかなかの飲みっぷりで!」

 

斎藤T「なら、これからよろしくお願いします!」

 

斎藤T「今日 得られた情報から導き出された絶望の未来の予測をどうにかして乗り越えて、私は『宇宙船を創って星の海を渡る』のですから!」

 

水鏡I「なら、某も好きな女とこれからも愛し合うため、女王陛下が切り拓く更なる異世界の先を目指して!」

 

 

――――――もう一度、乾杯!

 

 



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第7話   新たなる創造へのURAファイナルズ 

-西暦20XY年01月26日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

本日、昨日とは競バ場を変えての『URAファイナルズ』予選トーナメント後半戦――――――。

 

すでに昨日の前半戦で数々の感動のドラマが誕生しており、出走バや視聴者によるそれぞれのアンケート調査でも『URAファイナルズ』開催に対する肯定的な意見が大多数で、肝腎の興行収入も予想を大変上回るものとなり 大盛況であった。

 

特に、競走ウマ娘にとっての最初の3年間:ジュニア級・クラシック級・シニア級を走りきった完走バの実力はピンからキリまであるため、

 

世間的には超有名人のナリタブライアンやミホノブルボンといったかつての“三冠バ”が勝つのは当然であっても、それ以外のほとんどはまったく勝敗の予想がつかない組み合わせになってくるのだ。

 

未勝利バもいれば、G2勝利バやG1レースの常連なども犇めき合い、これまでのローテーションの常識が通用せず、

 

この時のために学園から引退を引き止められて秘密の特訓を重ねて最後の大一番で己の存在をレースに刻みつけようと闘志を滾らせた競走ウマ娘が大番狂わせを果たしたぐらいだ。

 

そのため、ナリタブライアンよりも“三冠バ”になることが期待されて早々に一線を退いてしまった“幻の三冠バ”フジキセキの復活は、マイル部門での出走ではあったものの、凄まじい人気と注目を集めることになった。

 

三冠に挑戦する直前に屈腱炎を発症し、全治に1年以上かかる見込みであったことから、普通なら引退即退学の道を辿っていたはずの“幻の三冠バ”がこうして再び日の目を見ることになったのだ。

 

そして、『URAファイナルズ』限定で復活したフジキセキの走りはブライアン・エアグルーヴ世代にとっては昔を思い出させるものがあり、こうしたかつてのスターウマ娘の勇姿を再び見られることが『URAファイナルズ』の醍醐味になったのだ。

 

そうして、私とは顔馴染みであるスターウマ娘たちは順調に予選突破を果たしていき、ミホノブルボンに後塵を拝するばかりのライスシャワーとハッピーミークの強さが際立つ結果にもなった。

 

やはり、ミホノブルボンの背中をあきらめずに追い続けたG1レースの常連となる競走ウマ娘はやっぱり強かったのだ。ハッピーミークの実力はもうこれで文句の付けようがないだろう。

 

おかげで、私が賭けた応援バ券は全て大当たりで、改めて考えると 学園一の嫌われ者の私と繋がりがあるウマ娘は一流どころのG1勝利バばかりであり、

 

ルドルフ世代のBNW筆頭のビワハヤヒデも『有馬記念』でナリタブライアンと競り合った実力を遺憾なく発揮して余裕の予選突破だ。

 

 

――――――国民的スポーツ・エンターテインメントと謳われているだけのことはあった。

 

 

会場から感じる熱量の大きさは私の予想を遥かに超えたものであり、未だにトレセン学園のトレーナーになっていながら ただの徒競走に価値を見出だせない私であっても、この熱気に当てられて思わず知り合いの勝利を喜んでしまうぐらいだ。

 

これこそがスポーツの力なのだ。そこに心血を注ぐ人たちの情熱がこうして見る者を感動させて熱く燃え上がらせるのなら、たしかにそれは魂を揺さぶる芸術として価値あるものだと再認識させられた。

 

どうも宇宙移民というやつはハイテクな環境に身を置きながら地球上に存在しなかったような未知なるものを探して星の海を流離う身なればこそ、

 

誰でも出来る原始的なことだからと古代オリンピックで最初の種目になるような徒競走を無意識にバカにしてしまうところがあったようだ。

 

そういう意味では、どうして人類はスポーツを通して共存共栄の道を歩むことができていたのか、その答えを古きことを新しい知識として学ぶことができた;温故知新とは本当にバカにしてはいけないものだ。

 

だからこそ、私は宇宙移民としての探究心が満たされた歓喜に包まれており、頭であれこれ考えたトレセン学園の将来のことはさておき、目一杯にこの御祭に参加するようになっていた。

 

 


 

――――――都内の子供たちを集めた『URAファイナルズ』予選トーナメント観戦プログラム

 

シリウスシンボリ「じゃあ、さっさと餅搗きするぞ、シュワちゃん!」

 

アルヌール「おう」ペチッ

 

シリウスシンボリ「そら!」コネッ

 

アルヌール「えい」ペチッ

 

シリウスシンボリ「そら!」コネッ

 

 

アグネスタキオン「おや、今日も餅搗きをするのかい?」

 

斎藤T「今日のは普通の白餅を鏡餅にして供えるだけだけどね」

 

斎藤T「そう言えば知ってるか。神前に捧げられた鏡餅は皇室の三種の神器の象意なんだ」

 

アグネスタキオン「ふぅン、どの辺が?」

 

斎藤T「まず、神社の拝殿には鏡が供えられていて、古代では非常に高価な鏡は円いものだから、それに見立てて餅を円形にしたものを供えたのが鏡餅の始まりだとされる」

 

斎藤T「つまり、鏡餅は名の通りに鏡が由来で、その鏡の元となるのが三種の神器が1つ:八咫鏡だ」

 

斎藤T「そして、積み重ねた餅の上に戴く橙が三種の神器が1つ:八尺瓊勾玉、串柿が三種の神器が1つ:天叢雲剣というわけだ」

 

斎藤T「材料は全て庶民にとって身近なもので構成されていて、それによって天孫降臨から始まる日本国民の統合の象徴たる天皇家の祭祀に肖ったものを民間でもやれるようにした代用品が現在に伝わる鏡餅の様式なんだ」

 

アグネスタキオン「なるほどねぇ。三種の神器を用いた天皇家の祭祀を真似たものが鏡餅というわけなのかい」

 

斎藤T「パンがキリストの肉、ワインがキリストの血となっているんだから、鏡餅だって天皇家にまつわるものなんだぞ」

 

アグネスタキオン「ふぅン。言われてみれば、そういうものだと納得がいくもんだねぇ」

 

アグネスタキオン「ところで、今日はどうして昨日と同じように大々的に餅搗き競争をしないんだい? 今日も搗いた餅で鏡餅を供えるぐらいならさ」

 

斎藤T「それはウマ娘レース界のレジェンドに配慮したものです」

 

アグネスタキオン「へえ?」

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

斎藤T「来たようだ」

 

アグネスタキオン「ふぅン、どれどれ?」

 

アグネスタキオン「おお、あれが伝説の――――――」

 

 

オグリキャップ「オグリキャップだ。よろしく頼む」

 

スーパークリーク「よく来てくれましたね、みなさん」

 

タマモクロス「せやで。せっかく 遥々 こっちに来たんやから、しっかりとゲストとして紹介してな、クリーク」

 

スーパークリーク「は~い。みなさ~ん、こちらは私の親友のタマちゃんで~す」

 

タマモクロス「――――――“タマモクロス”や! 紹介するんなら、ちゃんと紹介せいっちゅーねん」

 

タマモクロス「けど、暗黒期と散々言われていた時代から、ようホンマに『URAファイナルズ』みたいなレースが開催されるようになって、ウチ 嬉しいんや」

 

オグリキャップ「ああ。画面越しにでもわかるぐらいに全てのバ場で喜びと感動が溢れているのが伝わってくる」

 

オグリキャップ「私たちの走りは未来にバトンを繋いでいくことができたんだな……」

 

タマモクロス「まあ、ウマ娘レースの徒競走にはバトンなんてもんはないけど、小学校ん時の運動会のリレー競走なら誰だって走ったことがあるから、そう言いたくなるのもわからなくはないんやけどな」

 

 

アグネスタキオン「なるほどねぇ。知らぬ者はいないオグリキャップの大食いは誰もが知っていることだから、子供たちに提供するはずの搗きたての餅をみんな横取りされる恐れがあるという――――――」

 

斎藤T「今日の特大スペシャルゲストではあるけれど、一番にもてなすべきは未来の名バとなる子供たちなんだから、年甲斐もない振舞いを見せつけるわけにもいかないからな」

 

斎藤T「よく見ておけよ。あれがお前が超えるべきウマ娘レース界の伝説だ」

 

斎藤T「お前はオグリキャップが築き上げた伝説から始まる黄金期最後の遺産として、ウマ娘レースのみならず、()()()()()()()になることを誓ったんだ。気後れするなよ」

 

アグネスタキオン「そうだったねぇ」クククッ

 

 

――――――あれがオグリキャップ。国民的アイドルウマ娘にして神の愛し子か。

 

 

アグネスタキオン「6年目となる上位リーグ『ドリーム・シリーズ』での冬季・中山・2500mの引退戦での奇跡の大勝利……」

 

斎藤T「そう、1月に起きた伝説を超える不動の神話を相手は6年だが、()()()()――――――」

 

アグネスタキオン「みなまで言わなくてもいい。誰かに聞かれるだろう」

 

アグネスタキオン「それに、『ドリーム・シリーズ』での公式戦の記録まで含めて6年なら、ある意味 ()()()()()()()()()だろう?」

 

斎藤T「わかっているならいい」

 

 

――――――Hasta la vista, baby.

 

 

シリウスシンボリ「意味は『地獄で会おうぜ、ベイビー』だ」

 

アルヌール「Hasta la vista, baby」

 

シリウスシンボリ「おチビ共も! さん、はいッ!」

 

子供たち「Hasta la vista, baby!」

 

シリウスシンボリ「そう、で、その後に“dickwad(この間抜け)”。誰かキレ出したら“chill out(頭を冷やしな)”。組み合わせてもいい」

 

アルヌール「Chill out(頭を冷やしな), dickwad(この間抜け)!」

 

シリウスシンボリ「わかってきたじゃないか、シュワちゃん。らしくなってきたぜ」

 

アルヌール「No problemo」

 

シンボリルドルフ「あの……、シリウス? 子供たちに何を教えているんです?」

 

シリウスシンボリ「海外で舐められないようにするための流儀をこの私が直々に教えてやっているんだよ」

 

シリウスシンボリ「ほら、“日本総大将”スペシャルウィークだって、『ジャパンカップ』の時に凱旋門賞バに向かって『La_victoire_est_à_moi(調子に乗るな)』って挑発したのは有名な逸話じゃないか」

 

シンボリルドルフ「いや、あれは『凱旋門賞』で敗れたエルコンドルパサーの意趣返しで何も知らずに吹き込まれたものだって聞いてますけど……」

 

シリウスシンボリ「それからも、お気に入りのフレーズになって 何度も使っているじゃねえか」

 

シリウスシンボリ「お行儀よくゲートに入るだけの日本のウマ娘はだから舐められるんだよ」

 

シリウスシンボリ「一人ぐらいはこうした跳ねっ返りがいる方がわかりやすいストーリーになって興行は盛り上がるのはわかってんだろう?」

 

 

シリウスシンボリ「神が人にパンを与え、悪魔が人にスパイスを与えた」

 

 

シリウスシンボリ「さあ、おチビ共! 前置きをこの辺にして、今日は海外のウマ娘共が恐れ慄く日本の食い物:ライスケーキの食い方を伝授してやるから国際競走のディナーで実践するんだぞ!」

 

子供たち「はーい!」

 

シリウスシンボリ「ほら、アルヌールは搗きたての餅を1人前に千切っていくんだよ!」

 

アルヌール「Yes,ma'am!」

 

シリウスシンボリ「ちなみに、ma'amは“madam”の縮約形だけど、意味は『奥方様』になるから実質的に“ma'am”と“madam”は別の単語だから、忘れてもいいぞ」

 

子供たち「はーい!」

 

シリウスシンボリ「ほら、どいたどいた。オグリキャップのやつに目をつけられる前に食わせてやらないと」

 

シンボリルドルフ「わかりました」フフッ

 

 

ジュー、ジュー、ジュー!

 

 

タマモクロス「ええか? これが明日から使える100円レシピやで! せっかく中央に上がってきたのに、練習後の空きっ腹を食費を気にして腹を満たせないのはホンマにつらいことや!」

 

タマモクロス「せやから、こういう安くて美味くて腹に溜まるレシピをたくさん持ってきたから、家に帰って自分の小遣いでちゃんと練習するんやで?」

 

タマモクロス「わかったか!」

 

子供たち「はーい!」

 

オグリキャップ「タマ、私も――――――」ジュル・・・

 

タマモクロス「あ、オグリ! 今日は『レジェンドウマ娘直伝! 世界一受けたいお料理教室!』なんやから、自分で賄い飯を作って勝手に喰ってろや!」

 

 

オグリキャップ「でも、私はタマの作ってくれた料理が食べたいんだ……」

 

 

タマモクロス「うぅ……。そんなで目でウチも見るな……!」

 

タマモクロス「わかった。わかったから! ちゃんとオグリの分も作ってやるから、お行儀よくして待つんやで。子供たちが見とる」

 

オグリキャップ「ありがとう、タマ」ニッコリ

 

タマモクロス「ああもう! ホンマ、オグリは何も変わっとらんな! 今 何歳やねん!」

 

オグリキャップ「そういうタマも昔とまったく変わってなくて、私はとても嬉しい」

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

スーパークリーク「さあ、慌てないでくださいね。応募者全員サービスの復刻版『ぱかプチ』の引き換えはこちらになります」

 

子供たち「やったー! 念願のオグリキャップだー!」

 

子供たち「タマモクロスも!」

 

スーパークリーク「はいは~い」

 

スーパークリーク「あ、この引き換え券は私ですね」

 

スーパークリーク「よく来ましたね。いい子いい子ー」ヨシヨシ

 

子供たち「ま、ママ……」

 

 

スタスタスタ・・・

 

 

アグネスタキオン「まったく、どうして私が会場を隈なく回って甘酒やソフトドリンクを配らないといけないんだい?」

 

斎藤T「今日の主役じゃないからだ」

 

斎藤T「それと、イメージ戦略だ。お前はただでさえ“学園一危険なウマ娘”としてのイメージが強すぎるから、こうやって何も知らない人たちからの支持を得て回るしかないんだ」

 

斎藤T「いいか、雑用こそが判断能力の源なんだ」

 

斎藤T「雑用に使われる末端の人間の動きや考えが正確にわかってこそ組織が円滑に回せるわけだから、リーダーこそが率先垂範して雑用をやれるようじゃないと、資本主義における資本家と労働者の垣根がなくなることは永遠にない」

 

斎藤T「そもそも、自分がやりたいこと・実現したいことの全てを自分でやれるのが理想であり、それこそが神なるものの体現だろう」

 

斎藤T「だからこそ、お上の人間と下々の人間を一体になった時に一個人では果たされないような組織の巨大な力が発揮されるわけだ」

 

斎藤T「労働者は資本家の手足として分身として入念に労るべき存在なのを自覚するべきであり、だからこそ、雑用を厭う者に神の叡智は宿らない」

 

斎藤T「――――――WUMAの階級制度だってそうなっていただろう?」

 

アグネスタキオン「だから、きみは一人で何でもやろうとするわけなんだね」

 

斎藤T「まあ、他に任せられる人間がいないことばかりだからな……」

 

斎藤T「とは言え、スポーツドリンク・栄養ドリンク・ミックスジュースの飲み比べのコーナーを一手に担っているお前の評判は上々だぞ」

 

アグネスタキオン「まあ、私の得意分野だからね」

 

アグネスタキオン「そして、挽きたてコーヒーの自動販売機があるように、ミキサーとサーバーを一体化させて配合比率を変えられて裏漉しやボトル詰めができる超ハイテクの新型ドリンクサーバーを用意したのはきみだろう?」

 

斎藤T「ああ。これでいちいちミキサーからコップに注ぐ手間や保存の手間が省けて、手軽に自家製ミックスジュースを楽しめるだろう? 裏漉しで飲みやすさも自在に調整できる!」

 

アグネスタキオン「いや、それ自体はありがたいんだけれど、体験コーナーに人が集まっているのに『私がこうしてドリンクを配って回る意味はない』と言っているんだけど」

 

斎藤T「わからんやつだな。こうした地道な努力と経験を知らない根性なしに育てるつもりは毛頭ない」

 

斎藤T「私がトレーナーをするということはそういうことだ。トレーニングに関しては口出しするつもりはないが、それ以外の面ではトレーナーである私に従ってもらう契約だ」

 

アグネスタキオン「……まあ、こうしたウマ娘レースのレジェンドと会う機会や未来のスターウマ娘になる子供たちとふれあう機会を得られたのは、私の研究においても有益なことではあるよ」

 

アグネスタキオン「私の白衣のイメージもここでは随分とちがった意味に捉えられているみたいだしね」

 

斎藤T「ああ。何も知らない人しかいないからな、()()()()

 

斎藤T「ぜひとも、ウマ娘最速理論の実証が成されることを期待しているよ」

 

アグネスタキオン「ああ。もちろん、見せてやるさ」

 

 

――――――ウマ娘の可能性の“果て”をね。

 

 

本日は超大物ゲストであるウマ娘レースの伝説:オグリキャップとタマモクロスを迎えてのアスリートフードをテーマにした2日目となっており、

 

オグリキャップの大食いとタマモクロスの料理上手であることや鏡開きで餅をたくさん食べさせたいことから、前日が餅をメインにしたもてなしにして、その翌日がアスリートフードによるもてなしとなっていた。

 

そのため、『URAファイナルズ』開催の歓びを白熱する現地のバ場で味わってきたファンですら『こっちに来たかった』と言わしめるほどの伝説のOB会となっていた。

 

『URAファイナルズ』の本質が中高一貫校として退学が多い現状を憂えた国策の卒業レースであり、引退を引き止めて この日限りの復活を期して ついに再び夢の舞台を駆け上がるウマ娘たち――――――。

 

それを大スクリーンで見つめる未来のスターウマ娘となるだろう子供たちが『トゥインクル・シリーズ』の激闘の歴史を駆け抜けた伝説と一緒に観戦する様は、まさに過去と未来の融合とも言えた。

 

これが卒業してからも母校であるトレセン学園を想う有志たちの新たなる役割とも言え、『URAファイナルズ』の裏でこうした交流イベントをOB会が開催する意義でもあった。

 

つまり、『URAファイナルズ』にはこれだけのトレセン学園の内外で大きな動きがあり、それが新たなウマ娘レース文化の創造に繋がっていたのだ。

 

そういう意味では、日本における『URAファイナルズ』の開催は諸外国にとってはまさにアメイジングであり、本場のパート1国ですら絶対に真似することができない“日本だからこそできた興行”だと大絶賛となっていた。

 

何しろ、冬季に開催される前代未聞のトーナメント戦は無謀の一言であり、ここまで興行が大成功になるとは誰も思っておらず、秋川理事長のポケットマネーと国民の血税が無駄に流れるだけだと誰もが鼻で笑っていたぐらいなのだ。

 

なので、まだ予選トーナメントでしかないものの、ここまで大盛況であるのならば秋川理事長が世界の競バ界を相手取った賭けは完勝に近いものがあった。

 

この成功があればこそ、新時代の先頭を切る“女帝”エアグルーヴやそれに続く者たちもやっていけるのだと、私は改めて未知なるものを求めて新天地を目指す宇宙移民としての初心に帰っていた。

 

知識だけじゃダメなんだ。計算だけじゃダメなんだ。体験を通して得たものこそが本物だ。

 

 

――――――何事も『やってみなければわからない』ということだ!

 

 

 

斎藤T「私、天皇家に代々仕えてきました家系の生まれでして、ここだけでしか到底言えないような恐ろしいことを今から言いますね?」

 

斎藤T「いいですか? 来年度の5月1日から平成から令和になるわけですからね、その時まで秘密にしておいてくださいね? 絶対にですよ?」

 

オグリキャップ「ああ、わかったぞ。楽しみにしている」

 

タマモクロス「期待しとるで、あんちゃん! 一発、特大のギャグをかましてや!」

 

斎藤T「はい、平成のウマ娘レースの伝説となる御二方に許されたので、お教えしますね」

 

斎藤T「今はまだ平成時代なので、今上天皇陛下のことについては触れません」

 

斎藤T「はい、今は平成時代だけれど、昔は何時代だったかな? 答えられるかな?」ビシッ ――――――江戸時代と平成時代の間の3つの時代が隠された歴史年表!

 

子供たち「明治!」

 

子供たち「大正!」

 

子供たち「昭和!」

 

斎藤T「はい、正解!」

 

斎藤T「そんなわけで、時代が変わる今だからこそ! 私のご先祖様がお勤めになっていた皇宮護衛官の間で伝わる秘密のこぼれ話をいたします!」

 

 

斎藤T「はい、こちらの御方が明治天皇陛下です! 代々木公園の明治神宮で有名ですよね!」

 

斎藤T「ある時、明治天皇陛下のお側に仕えていた人がこっそり目を擦りました。こんなふうに見えないように」

 

斎藤T「すると、明治天皇陛下はこうおっしゃられたのです」

 

 

明治天皇『――――――()()()()()()()?』ヤレヤレ

 

 

オグリキャップ「…………?」

 

アグネスタキオン「ふ、ふぅン……」

 

シリウスシンボリ「ブハッ」

 

シンボリルドルフ「……く、くくっ」

 

タマモクロス「ワハハハハ! 最高や! 最高やで、あんちゃん!」

 

タマモクロス「おい、拍手や、拍手!」

 

 

パチパチパチ・・・!

 

 

斎藤T「ありがとうございます。くれぐれも秘密にしておいてください。でないと、怖いですからね」

 

斎藤T「続きまして、大正天皇陛下。第123代天皇にして漢詩人だったことを憶えておいてください。わかりやすいでしょう」

 

子供たち「はーい!」

 

斎藤T「よろしい」

 

 

斎藤T「ある時、大正天皇陛下の前を恵比寿さんが通っていきました」

 

斎藤T「恵比寿さんって知っているよね。右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿で七福神の1柱として有名だよね。関西の方だったら馴染み深いんじゃないんですか」

 

斎藤T「すると、大正天皇陛下はこうおっしゃいました」

 

 

大正天皇『――――――()()()()()()()()?』ビックリ!

 

 

シリウスシンボリ「こ、これは……!」

 

シンボリルドルフ「く、くくく……!」

 

アグネスタキオン「ふ、ふふ、ふぅン……!」

 

タマモクロス「ワハハハハ! 最高! ホンマ おもろいで、あんちゃん!」

 

オグリキャップ「お、おお! たしかに鯛を背負う恵比寿は珍しい! そういうことだな、タマ?」

 

 

パチパチパチ・・・!

 

 

斎藤T「ありがとうございます。これも秘密にしておいてくださいね」

 

斎藤T「じゃあ、最後。昭和天皇陛下。これは言うまでもないでしょう。今上天皇陛下のお父さんとして大変に素晴らしい方でした」

 

斎藤T「そんな私が崇敬してやまない昭和天皇陛下のこぼれ話を1つ」

 

 

斎藤T「ある時、昭和天皇陛下がウマ娘レースのウイニングライブというものをご覧になろうと思い立ちました」

 

斎藤T「今日 国民的スポーツ・エンターテインメントとなった近代ウマ娘レースは昭和時代に形が整いましたからね」

 

斎藤T「しかし、生まれて初めてのウマ娘レースをご覧になったのですが、レースが終わってもライブステージはバ場のどこにも見当たらず、とうとう迎えの人が来てしまいました」

 

斎藤T「すると、昭和天皇陛下はこうおっしゃいました」

 

 

昭和天皇『――――――()()()()()()()()()()?』ションボリ!

 

 

シリウスシンボリ「あ、ああ! アハハハ! もう無理! こんな不敬罪スレスレのジョークを皇宮護衛官の息子のアンタが言うだなんて反則だろうが!」

 

シンボリルドルフ「さ、さすがにこれは……! 笑っちゃいけないはずなんだけど……!」

 

アグネスタキオン「ふ、フフフ……! さすがは私のトレーナーくんだよ……!」

 

オグリキャップ「ふ、ふふふふふふ!」

 

タマモクロス「見ろ! オグリですら笑うほどやで! ホンマに最高だったわ、あんちゃん!」

 

オグリキャップ「昭和天皇陛下もドジだったんだなぁ。ウマ娘のレースの会場とウイニングライブの会場は別なことも知らないだなんて」フフッ

 

タマモクロス「――――――不敬やで!」

 

オグリキャップ「あうっ」

 

斎藤T「オチがついたところで、本日はありがとうございましたー!」

 

 

パチパチパチ・・・!

 

 

 

――――――イベント終了後の打ち上げ

 

シリウスシンボリ「よし、グラスは持ったな」

 

シリウスシンボリ「それじゃ、『URAファイナルズ』開催を記念して!」

 

シンボリルドルフ「乾杯!」

 

 

――――――乾杯!

 

 

タマモクロス「いや~、ホンマに見応えのあるレースやったな、オグリ」

 

オグリキャップ「ああ。私もあそこに混ざって走りたくてしかたがなかった」

 

シリウスシンボリ「まあ、実態としては最初の3年間を走りきった競走ウマ娘に全員がなれるように願った卒業レースで、実力も実績もバラバラなのが入り混じっているから、普通じゃ見られないようなレース展開になってハラハラさせられるな……」

 

シリウスシンボリ「昔だったら普通にタイムオーバーになっているような大差もチラホラあったしな」

 

シリウスシンボリ「まあ、腐っても最初の3年間を走りきった競走ウマ娘しかいないから、走りきれないようなヤワなやつは一人もいなかったがな」

 

アルヌール「実力も実績もバラバラでタイムオーバーが許されるということは『選抜レース』と同じ条件ということか」

 

シリウスシンボリ「お、そうだな。そういうことだよな」

 

 

シンボリルドルフ「つまり、卒業レース『URAファイナルズ』はトレセン学園の生徒なら誰もが一度は時と場所を同じくする『選抜レース』に立ち返ったものになるのか」

 

 

スーパークリーク「いいですね。自分たちのトレセン学園での原点になる『選抜レース』を振り返るというのも」

 

オグリキャップ「そうだな。今も昔も『選抜レース』で競い合ったライバルたちが みんながみんな バ場に居続けるわけじゃないにしても、あの頃のことを思い出しているんじゃないかな?」

 

タマモクロス「せやけど、『選抜レース』とはえらいちがいやで。異例のトーナメント形式だし、予選トーナメントでも上位入賞で賞金は出るわ、何より練習コースじゃない本物のバ場を実力・実績に関係なくみんなで走れるんや。ホンマにええ時代になったな、オグリ」

 

 

オグリキャップ「それを実現してくれたのは“皇帝”シンボリルドルフだ」

 

 

シンボリルドルフ「いえ、私はチーム<シリウス>とチーム<アルフェッカ>が遺してくれたもののおかげでここまで来ることができただけです。私一人の力で成し遂げられたものは何一つとしてありません」

 

タマモクロス「けどな、ウチらにしてみれば“新堀 ルナ”っちゅうひとりの女の子をあれだけ可愛がった人が太鼓判を押してくれたから、ウチらはみんな“皇帝”の道を用意していけたんやで?」

 

オグリキャップ「懐かしいな。ムラクモTは今も元気にしているだろうか」

 

タマモクロス「せやな。最初からウチの担当がしたくてしたくてたまらなかった御仁で、見た目からしてクリークが2人に増えたみたいでウチのことを可愛がってくれたけど、最後はえらい男前になってたからホンマにびっくりやったで」

 

スーパークリーク「大丈夫ですよ。今も昔と変わらずにあの人はタマちゃんのことを心から可愛がってくれるはずですよ」ヨシヨシ

 

タマモクロス「ほっとけ! あの頃から何も変わってないのはウチもわかっとるから!」

 

タマモクロス「にしても、クリークはずっと待つんか、自分の担当トレーナーのこと?」

 

スーパークリーク「はい」

 

 

――――――だって、“何かしら大切な人”ですから。いつまでも待ってます。

 

 

アグネスタキオン「…………ふぅン」

 

斎藤T「どうした? ノンアルコールワインの味はお気に召さなかったか?」

 

アグネスタキオン「いや、『URAファイナルズ』開催までにいろんなことがあっただろうことを考えていてだね」

 

斎藤T「私もこうして直に人に会ってみないとわからないことだらけだったのを痛感したよ」

 

斎藤T「知識としてデータ化される中で削ぎ落とされていったものがこんなにもあったんだ」

 

アグネスタキオン「そうだね……」

 

斎藤T「いったい後世の人間にアグネスタキオンというウマ娘はどう記録されるのだろうね?」

 

アグネスタキオン「さてね――――――」

 

 

スーパークリーク「あ、そうだ! ルナちゃん、ルナちゃん!」ムギュッ 

 

シンボリルドルフ「う、うわっ!? クリークさん!?」カアア! ――――――突如スーパークリークの胸に引き寄せられる!

 

スーパークリーク「あの人の代わりとは言いませんけど、きっとあの人だったらこうすると思い、トレセン学園の6年間を頑張りぬいたルナちゃんにいい子いい子です!」ヨシヨシ

 

シンボリルドルフ「く、クリークさん……、もうそんな歳でもないから恥ずかしい……」

 

オグリキャップ「ルナ!」ムギュッ

 

シンボリルドルフ「ふえっ!?」ドキッ ――――――背後からオグリキャップに抱きつかれる!

 

オグリキャップ「よく頑張った。よく頑張ったな」ヨシヨシ

 

シンボリルドルフ「あ……」

 

オグリキャップ「ほら、タマも!」

 

タマモクロス「はぁ? ウチも!?」

 

スーパークリーク「タマちゃん!」

 

タマモクロス「ああもう! しゃーない!」

 

タマモクロス「ほら、ルナ! ウチも褒めてやるから今日は思いっきり泣いていいんやで」

 

タマモクロス「今じゃウチよりもこんなに大きく育ったけど、ウチらからすれば いつまでも“新堀 ルナ”なんやからな」

 

シンボリルドルフ「タマさん……」

 

シンボリルドルフ「う、うぅ…………」ジワァ・・・

 

 

シンボリルドルフ「うん、がんばったよ……。ルナ、がんばったもん……」

 

 

タマモクロス「ああ、よしよし。ようやった、ようやった」ヨシヨシ

 

タマモクロス「しかし、男っちゅうのは本当にどうしようもないやつやな」

 

タマモクロス「ウチは別にいいとして、担当ウマ娘のクリークやルナを置いていって どっか遠くへ行ってまうんやからな」

 

タマモクロス「でも、ルナ。人前でずっと泣いていないと思ってたんやけど、随分と涙脆い気がするな。これまで人前で泣いたことがあったんか?」

 

シンボリルドルフ「え? あ、それは…………」チラッ

 

 

斎藤T「――――――」 ――――――いつの間にか背中を向けて担当ウマ娘と話している。

 

 

シンボリルドルフ「………………」

 

タマモクロス「……そうか。ルナもまだまだ女の子なんやし、恋の1つや2つあったって当然やな」

 

シンボリルドルフ「ち、ちがいます! 私にとっては私と一緒に“皇帝”の道を歩んでくれた彼しか――――――」

 

タマモクロス「でも、別の男の前で泣いたんやろ?」

 

シンボリルドルフ「!!!!」

 

タマモクロス「ええんやで。今の時代は離婚の1つや2つ経験して堂々と女を磨くような価値観にも成りつつあるんやし、」

 

タマモクロス「ひとりの人間を愛して その人を失ったら ずっとその人のことを想い続けて操を立て続けるのも辛いだけやで?」

 

タマモクロス「そもそも、ルナは結婚していたわけでもないんや」

 

タマモクロス「シンボリ家の総領娘として、これから数え切れない人たちと渡り合っていかなくちゃならんのやし、絶対に信頼できるパートナーは身近に必要になるで」

 

 

タマモクロス「せやから、釣った魚に餌をやらない亭主は最低やけど、釣った魚より先に死ぬような男はもっと最低や」

 

 

シンボリルドルフ「そ、そんなこと――――――!」ギリッ

 

タマモクロス「お、ちゃんと怒る気力があるぐらいに情はまだ残っているわけやな」

 

タマモクロス「せやけど、実際には寂しくて辛いんやろう?」

 

タマモクロス「だったら、ウチから言えることは一つや」

 

 

――――――自分の担当トレーナーと同じ歳になるまで今の気持ちを持ち続けたのなら十分に操を立てたんやから、そこからは自由に選択するんやで。

 

 

シンボリルドルフ「え」

 

タマモクロス「いつまでも引き摺ってたらあかん。そんな青春の燃えカスのような人生のためにあんたの担当トレーナーは命を張ったわけじゃないっちゅうことや」

 

タマモクロス「幸せになる義務があるんやで、残された人間にはな」

 

タマモクロス「だから、今は気持ちの整理をつけなくてもいい」

 

タマモクロス「けど、同時にルナには残りの人生を選び直すこともできることは忘れんといてな」

 

タマモクロス「はい、ウチからは以上!」

 

シンボリルドルフ「……タマさん」

 

タマモクロス「大丈夫やって。今のルナは酸いも甘いも経験したイイ女になれる素質は十分にあるから、いい出会いにもきっと恵まれるからな」

 

タマモクロス「せやから、今はいろんな重責から解放されて宙ぶらりんになって昔のことを思い出して憂鬱になるかもしれへんけど、その分だけ今までになかった未来だってちゃんと待っとるから!」

 

オグリキャップ「ああ。ルナは強い子だ。誰もルナのことをほっとかないさ」ヨシヨシ

 

スーパークリーク「いい子いい子~」ヨシヨシ

 

シンボリルドルフ「それじゃあ、クリークさん。昔みたいに泣いてもいいかな」

 

スーパークリーク「いいですよ~。大きくなりましたね~」ヨシヨシ

 

シンボリルドルフ「ありがとうございます……」

 

 

――――――では、胸を借ります。

 

 

シリウスシンボリ「なあ、アンタらはルナのことをどう思ってんだ?」

 

アグネスタキオン「何だい、急に?」

 

シリウスシンボリ「いいから。アンタらのことをルナはずっと気にかけて庇い続けてきたんだろう? それなりに恩義は感じてるんだろう?」

 

シリウスシンボリ「――――――今だったら夜這いしたって誰も文句は言わねえよ」

 

アグネスタキオン「――――――『夜這い』!?」

 

 

斎藤T「別に。極上の肢体を味わうのなんて仮想現実でもできるようになりますし、未成年との情愛に現を抜かすほど私は暇じゃないので」

 

 

アグネスタキオン「お」

 

シリウスシンボリ「言うじゃないか、ああ?」

 

斎藤T「なら、はっきり言うと、私は未知なるものを探求する宇宙移民ですので、ウマ娘の幸福を願うシンボリルドルフとウマ娘の可能性を追究するアグネスタキオンなら、私はアグネスタキオンと一緒に冒険したいですね」

 

アグネスタキオン「トレーナーくん……」

 

シリウスシンボリ「言い切ったな」ハア・・・・

 

シリウスシンボリ「まあ、メイクデビューもしていない新人にダイヤモンドのネックレスを渡しているぐらいにはお熱のようだし、悪かったな。野暮なことを聞いた」

 

斎藤T「いえ。こちらとしても大切なビジネスパートナーですので、末永いお付き合いをさせてもらいたいとは思っていますよ」

 

シリウスシンボリ「大人がみんなアンタやツレみたいな余裕の持ち主だったら、何の心配も苦労もないんだけどな」

 

シリウスシンボリ「まあ、この場に居合わせて簡単に情が移るような人間なら こっちから願い下げだったし、アンタは絶対に信頼できる人間なのはわかった」

 

シリウスシンボリ「なら、頼んだぜ。私たちが夢見た黄金期はこうして『URAファイナルズ』として結実した」

 

 

シリウスシンボリ「そこから先の私たちが創造できなかった新しい未来をルナと一緒に見させてもらうからな」

 

 

斎藤T「いいですよ。少なくとも、私の担当ウマ娘はウマ娘レースの伝説を超えるウマ娘界の神話になると思いますので」

 

シリウスシンボリ「――――――『オグリキャップを超える』とは大きく出たな」

 

シリウスシンボリ「だが、そうでなくっちゃな。やっぱりアンタはツレと同じ人間だ。確実に何かしでかしている人間の臭いがする」

 

シリウスシンボリ「今夜も来るんだろう? 楽しみにしていたからな」

 

斎藤T「ええ。こちらとしても楽しみですよ」

 

 

――――――本当にいろんな意味で新しいものが続々と生まれつつある今日此頃。

 

 



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第7話秘録 希望と絶望、支配と調和、並行宇宙と異世界

-シークレットファイル 20XY/01/26- GAUMA SAIOH

 

その男は、基本的には戸籍謄本のためだけにマンションを買ってハウスキーパーに部屋の清掃を行わせるだけで、ほとんど家に帰ることがない海の男であった。

 

そう、ホテルや船の客室、公園のベンチ、裏通りの階段の踊り場、木の陰、ネットカフェ、レンタカーの中、女の家など、行く先々で好きなように寝られるというのが男のタフさを雄弁に語っていた。

 

そのため、基本的には長居はしない男なのだが、その男が1週間近く同じホテルに泊まり続けるのは極めて珍しいことであり、

 

“皇帝”シンボリルドルフと秋川理事長の二人三脚で切り拓かれた黄金期の終焉を見届けに『URAファイナルズ』開催で日本中が盛り上がるのを肌で感じながら、

 

トレセン学園の名教官の姿を隠れ蓑にアシスタントコースの生徒たちを次々と自分好みに調教していった充実した日々のことを思い返していた。

 

そんな中、日本に帰ったら必ず故郷の地酒を一人で呑むことにしていた男が、初めて同じ杯で飲み交わす相手を見つけた――――――。

 

『URAファイナルズ』予選トーナメント後半となる2日目の夜も私は暗黒期を跳梁した“悪魔の権化”水鏡教官と一緒に酒を酌み交わしていた。

 

 

その男は元々はこの世界の生まれではなく、異世界の異種族との間に生まれたハーフであった。

 

 

そして、ヒトとウマ娘が共生する世界において 確認できる限り5代前からヒト同士で婚姻してきたことでウマ娘の因子が極めて薄い一族であったことから 異世界の異種族の因子が非常に濃い存在となっていた。

 

その男はヒトとシカ娘が共生する異世界で生まれ落ち、取り替え子によって父親の許に送り返された双子の片割れであった。

 

そのため、ウマ娘と比べて 森の民の気質と文化性を受け継ぐ血筋のためか 霊性が非常に発達しており、これはたしかに霊性に劣る物質主義のウマ娘世界の女の子たちを次々と自分好みに調教できるわけである。

 

むしろ、走ることが遺伝子レベルで大好きでありながら自分でターフの上を走ることのないアシスタントコースのウマ娘にとっては自分の中の闘争本能に蓋をして生きていることもあり、

 

表面上は割り切っているように見えてもアスリートコースの出走バたちに対する燻った感情を誰しも秘めているため、ぬるりと“悪魔の権化”らしく相手の心の隙間に入り込むことを容易にしていたのだ。

 

なので、闘争本能を剥き出しにしたアスリートコースの競走バは感情が暴走しやすくなるリスクを強く認識していたため、アシスタントコースのウマ娘に狙いをつけるようになっていた。

 

実際、ヒトとシカ娘が共生する世界では直接的な殴り合いは滅多にしないらしく、白黒つける方法は歌詠みや相撲、射的や鳥占などの天に任せるシャーマニズムに則った形式らしい。

 

そういった世界が本当の生まれ故郷であったため、後に自身が女王陛下として忠誠を誓うことになった“ウサギ耳”のウマ娘のトレーナーと一緒にシカ娘の世界に渡って自身が生まれた意味を知ることで、暗黒期に跳梁した“悪魔の権化”は改心したのだった。

 

つまり、トレセン学園以外に自分が生きる道があることを知り、そこで本当に自分が必要とされていることを知ったことで、トレセン学園を裏で操ることはもう辞めにしたのだ。

 

これが表にはならない1つの大きな契機となって、男が自主退職という扱いでトレセン学園を去ったことで、トレセン学園の暗黒期は終焉に向かっていったわけなのだが、

 

その後のあれほど到来を待ち望んだ黄金期の本質は多様性という言葉で美化された無秩序と言って差し支えなく、統制によらない人徳によって支えなくてはならない砂上の楼閣であった。

 

結局、未知なる可能性への挑戦によるそのリスクを恐れる人間が大半で、安定した秩序を求めて人々は統制を強めていくことを知ることになったのだ。

 

自身が後見人となって黄金期を切り拓いた“皇帝”シンボリルドルフの後釜が“女帝”と“怪物”なのを見て、男は早々にトレセン学園に見切りをつけていた――――――。

 

 

――――――黄金期の情熱は熱しやすく冷めやすく、常温のぬるま湯に浸かる時代が続いた後に、凍りつくような寒さの暗黒期へと至るだろう。

 

 

私が推測するに、男の一族が常に善良と評され、ウマ娘の因子が薄い一族になっているのは、元々からシカ娘の因子が混じっていたからなのだと思う。

 

実物のウマやシカの世話をしたことはないが、ウマとロバからラバが生まれることはあっても、ウマとシカからバカが生まれることは生物学的にありえないことぐらいは知っているため、

 

おそらく、男の一族が茨城県鹿嶋市の出身なのも、文字通りに“鹿”の字が入っている鹿島神宮との縁がそのことを物語っているように思えた。

 

つまり、遠い先祖から受け継いできたシカ娘の因子がウマ娘の因子を遠ざけることになり、本能的に男の一族はウマ娘との間に子が生まれづらいことを理解して、ヒトとの婚姻を結んできたのではないだろうか。

 

あるいは、昔はウマ娘以外にもたくさんのアジン娘との交流があった名残として、その一例としてシカ娘の末裔たちが鹿島神宮の辺りに定住したのだと考えると、未来に希望が持てるではないか。

 

 

――――――シカ娘のハーフである男はいまや未知なる可能性を求めて新天地を目指す宇宙移民の私にとって最高の興味と研究の対象となった。

 

 


 

―――――都内のとある高級ホテルのスイートルーム

 

ジャージャージャー!

 

水鏡I「おお……、3ヶ月間 意識不明の重体だった割には いい筋肉しているねぇ、お前さん……」

 

斎藤T「そういう水鏡教官も若返りの泉で20代になってもしっかりと身体を維持してますね」

 

水鏡I「そりゃあ、体力がなくちゃ女を昇天させ続けることはできねえからな。腰が砕けるぐらいまでやって『もう許してぇ……』って言わせるのが俺の生き甲斐だし」

 

斎藤T「――――――生まれたての子鹿のようにしちゃうんですか」

 

水鏡I「…………!」

 

水鏡I「ああ、そんな感じ」

 

水鏡I「というか、そこからが本番だぜ? そこからもっともっと深いところに連れて行ってやるのさ」

 

水鏡I「でも、ウマ娘の因子が強い人間と比べたらシカ娘の因子の人間はひ弱だからさ、それで 人一倍 悪意とか汚れに敏感でガキの頃はすぐに気分が悪くなって大変だった……」

 

水鏡I「だから、俺は生きていくために自然と負けず嫌いで上昇志向が強くて他人を屈服させることに悦びを覚える最低野郎にならざるを得なかったと今なら思う……」

 

水鏡I「自分自身も悪に染まって臭いを同じにしないと生きていけなかったから、強がりを重ねるうちに“悪魔の権化”なんて呼ばれるようになっちゃってさ……」

 

斎藤T「それでも、シカ娘の因子として自然と善と悪を選り分けてしまう本能が最後の良心を残し続けていたわけなんですね」

 

斎藤T「さあ、お背中 流しますね」

 

水鏡I「ああ。頼む」

 

水鏡I「まあ、ウマ娘よりかはひ弱なシカ娘だけど、都会に飼いならされたウマ娘より遥かに危険予知に長けていて、本能的に超えちゃならない一線がわかるから非常に長生きしやすいぞ」

 

斎藤T「たしかに、ウマ娘は闘争本能の強さから掛かりやすくて、突っ走ってしまいがちですからね」

 

斎藤T「私もその因子を色濃く受け継ぐ身なので そのことを常々戒めていますけど、」

 

斎藤T「最初にウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になっていながら、この半年で割と死にそうになった場面が両手で数え切れないほどあるんですよねぇ……」

 

水鏡I「でも、こうして生きている。絶体絶命の状況を重ねても生き残れる天運をお前さんは持っているわけだ」

 

水鏡I「俺の直感は正しかった。お前さんを敵に回して生き残れる気がしない」

 

 

水鏡I「しかし、世界は広い――――――」

 

 

水鏡I「トレセン学園に集まる競走バ以外にも世の中には農耕バ、荷役バ、警察バ、軍隊バ、格闘バなどなど いろいろな形態のウマ娘がいるのに、トレセン学園のトレーナーは競走バしか知らないのが大半だ」

 

水鏡I「そして、建前上ではウマ娘どころか身体能力が相応ならヒトでも入学できることになっているが、実際にはトレセン学園の入学試験の段階でヒトはウマ娘との圧倒的身体能力の差で後塵を拝することになる」

 

水鏡I「けど、後塵を拝することになるのはヒトだけじゃないんだ。競走バとして生まれることができなかったその他のウマ娘も同じことなんだ」

 

水鏡I「だから、アシスタントコースのウマ娘たちは自分で夢の舞台を走ることができない現実を呑み込んだ上で入学していることになっているが、実際にはそう割り切れないのが人間の感情ってもんさ」

 

水鏡I「俺の中のシカ娘の因子はそういう社会の矛盾を見つけるのが大の得意でね――――――」

 

水鏡I「とカッコよく言ってみたものの、実際には嫌でも目についちゃうから『夢の舞台でバリバリに活躍してガキの頃に見下してきた連中を見返してやろう』という野望との折り合いをつけた結果が“悪魔の権化”なわけだ」

 

斎藤T「逆境を跳ね返した忍耐と根性が揺るぎない自信と能力を支えたわけですね」

 

水鏡I「そういうことだ。お前さんはもっと凄い逆境を跳ね除けているけどな」

 

水鏡I「――――――辛くはなかったかい?」

 

斎藤T「そりゃあ、辛いですよ。相手は超科学生命体で、WUMAの擬態能力と空間跳躍能力に対抗できるのが私しかいないから、誰も助けにならないですから」

 

斎藤T「何とかWUMAの侵略を阻止できたのも、WUMAという並行宇宙の支配種族の習性を利用する他なかったですし」

 

斎藤T「あれがこの世界の人間と同じ思考で擬態能力と空間跳躍能力を駆使したら、もう誰にも止めることなんてできません」

 

水鏡I「そうか。邪神パレスとの戦いもヤバかったどころの話じゃないが、俺たちの知らないところでたった一人でそんなバケモノと戦い続けていた英雄がいたわけなんだよな……」

 

 

水鏡I「俺はお前さんが“斎藤 展望”で在り続けて良かったと心底思っているよ」

 

 

水鏡I「お前さんがトレーナーを辞めてトレセン学園を去っていたら、8月末の最初のWUMA事件でトレセン学園は大惨事になっていただろうし、」

 

水鏡I「俺はこうして“皇帝”シンボリルドルフを介して斎藤 展望に会うこともできなかったからな」

 

斎藤T「まったくですよ。WUMA対策のためにトレーナーをやっている場合じゃないと思いながらも、WUMAの目的が『ウマ娘の解放』だったことから、トレセン学園に身を置き続けるのが最適解だったわけですから」

 

 

――――――まさしく、人生塞翁が馬。

 

 

そう、私が“斎藤 展望”がやり残したこととしてトレセン学園のトレーナーを真面目にやろうとしたことが、結局はこうしてヒトとウマ娘が共生する21世紀の地球を救う最短の道だったことを理解することになった。

 

去年のクリスマスで賢者ケイローンを抹殺するためにやってきたWUMAの侵略は阻止できたものの、未だに多摩地域の残党は健在で、これをどう掃討するかで頭を悩ませている一方で、

 

賢者ケイローンが時間跳躍でやってきた そう遠くない将来に WUMAが本格的に侵略してくる絶望の未来が待ち構えており、

 

そこから更なる未来から暗殺用人造人間が送り込まれるほどに絶望の未来に舵を切る因子が集まっていることに私はどうしようもなさを感じていた。

 

WUMAが侵略してきた状況と同程度の未来の変化では絶望の未来に収束する可能性が高く、絶望の未来を回避するためには同程度の未来の変化を思いっきり逸脱させるしかない。

 

よって、絶望の未来よりも圧倒的に進化した文明になるか、圧倒的に後退した文明になるかの2択となるのだが、誰がどう考えても前者を選ぶのが正しいと答えるはずだ。

 

 

問題は、そう遠くない未来にそこまでの差が開くほどの圧倒的に進化した文明になる未来像が私には思い描けなかったことにあった。

 

 

いや、やろうと思えば、私が23世紀の宇宙科学を再現して200年先の世界を先取りすることもできるのだが、高度な文明には高度な精神が伴うべきであり、

 

未だに地球圏統一国家を樹立できないような愚かな21世紀の人間たちが23世紀の未来科学を悪用して第三次世界大戦を引き起こすかもしれない危険性があった。

 

なので、私としては命からがらWUMAの先遣隊による侵略を阻止できたのに、絶望の未来を回避するためにもたらした23世紀の宇宙科学が21世紀の地球を滅ぼす火種になるかもしれないという危惧から二の足を踏む状況になっていたのだ。

 

 

ところが、“皇帝”シンボリルドルフに紹介されて黄金期の影の功労者であるチーム<アルフェッカ>とその仕掛け人である名教官:水鏡 久弥と出会ったことで未来の展望が大きく変わった。

 

 

WUMAの襲来以前からウマ娘の世界にはその他のアジン娘たちが存在する異世界との密かな繋がりがあり、チーム<アルフェッカ>のチーフトレーナー:ムラクモTが主宰となって異世界平和連合を結成しようと今も奮闘中なのだ。

 

つまり、WUMAが襲来するはずだった絶望の未来を異世界平和連合との友好的な遭遇に至る希望の未来に塗り替えてしまえば、宇宙移民のモットーに反することなく、私が今いるウマ娘の世界を自然な形でより良い方向に進化させられる希望が見えてきたのだ。これが目指すべき未来なのだ。

 

だからこそ、これまで私が何度も何度もトレーナーなんかをやっている場合じゃないと思いながらも、初志貫徹でトレセン学園のトレーナーで在り続けたことはそう遠くない将来におけるWUMA襲来の最終的な解決策に繋がる最適解だったのだ。

 

 

そう、私が絶望の未来を希望の未来に変えられる唯一無二の情報を持った存在となって、こうして希望の未来を担う英雄たちと繋がりを持つことができたことで未来は大きく変わる可能性を持つようになっていた。

 

 

ただし、異世界平和連合との友好的な遭遇が実現されるように急かす一方で、下手をすれば私がもたらした情報が元で破滅の未来に進むかもしれないので、異世界平和連合に丸投げするわけにもいかない。

 

なので、異世界平和連合の活動を支援できるように互いの情報共有を推進して、並行宇宙の支配種族という将来的な脅威に対抗できるようにもしてもらいたかった。

 

はっきり言って、WUMAの軍事力は宇宙最強であり、異世界にどれだけの兵力があろうとも、超科学生命体の科学力と擬態能力と空間跳躍能力に掛かればイチコロである。

 

私が構築した対策案をどれだけ国家レベルで実行できる異世界があるかはわからないが、少なくとも私はウマ娘の世界の人間に23世紀の宇宙科学を渡す勇気はないため、どこかの異世界に託すに値する叡智の種族が見つかることを祈りたい。

 

一応、エルダークラスを超えたスーペリアクラスを私は擁しているが、ヒトとウマ娘の絆が絶たれ ウマ娘がヒトを支配するようになる 絶望の未来に至る程の超科学生命体の軍事力が突如として来襲してくるのに、たったひとりのスーペリアクラスで対処できるわけがない。

 

なので、そもそもWUMAが襲来する可能性を引かない未来を不断の努力によって達成し続けなければならないことを全宇宙に知らしめることが重要となってくる。

 

それによって、多少はWUMA襲来の時期がズレ込む可能性があり、それで時間を稼ぐことも可能とされるのが、因果律によるパラレルワールド形成の仮説である。その分の努力は裏切らないのだ。

 

そう強く言えるのも、私がこれまでに夥しい数の時間の巻き戻しを“目覚まし時計”を通じて体験してきたからであり、時間が巻き戻っているように見えても実際に自分の行動によって与えた影響の分だけ状況が少しずつ変化するようになっていたのだ。

 

なので、それを一般化すれば、人類全体がより良い方向に努力し続ければ、その分だけ人類全体の未来がより良い方向に修正されていくという理屈に行き当たるのだ。

 

もちろん、因果律の実証は23世紀になってもなされていないので、完全な科学的な証明ができていない以上 憶測で物事を判断していることになるが、それを確かめるために実証すること自体は間違ったことではない。

 

よって、私は並行宇宙のバケモノがもたらす絶望の未来よりも異世界平和連合がもたらす希望の未来になることを願うばかりであった。

 

 

水鏡I「つまり、思った以上に女王陛下の活動は俺たちの地球にとって重要だったってわけか……」

 

水鏡I「邪神パレスの討伐だけでも1つの異世界が滅亡していたぐらいなのに、今度はそれとはまったくちがう並行宇宙のバケモノの襲来を阻止するためにウマ娘の世界の文明を進化させないといけない――――――、か」

 

水鏡I「――――――超科学生命体の科学力・擬態能力・空間跳躍能力によって『戦ったら絶対に負ける』という意味では邪神パレス以上の絶望感だな」

 

水鏡I「実は、女王陛下はその滅びた異世界を再建して異世界平和連合の中心地にして、そこで異世界競バ『JAPAN WORLD CUP』を開催しようと考えておられてな」

 

斎藤T「なら、それを国際競走にしたのを皮切りにして、ウマ娘の世界の未来を変えていけるはずです」

 

斎藤T「ところで、その滅びた異世界と言うのはどういうところなんです? その跡地を首都にしているんですよね?」

 

 

水鏡I「ああ。キリン娘の世界だそうだ。会ったことはないが、高度な文明の残骸がいろいろと残っていたよ」

 

 

斎藤T「え」

 

斎藤T「キリン娘って、偶蹄目ウシ亜目キリン科が擬人化したやつですか?」

 

水鏡I「いや、全てのアジン娘の祖となる獣類の長となる伝説の種族という話だ。ウシ娘の仲間ではないと思うが」

 

斎藤T「あれ? まさか、本当に麒麟が擬人化したアジン娘が存在して、その文明が滅んでいた――――――!?」

 

水鏡I「お、何かキリン娘の文明について知っていることがあるのか?」

 

斎藤T「いえ、中国神話に現れる瑞獣:麒麟は足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う神聖な生き物で、その麒麟を傷つけたり、死骸に出くわしたりするのは、不吉なこととされているんです」

 

水鏡I「……なに?」

 

斎藤T「だから、アジン娘の祖となる獣類の長となるキリン娘の文明が滅んだことは、アジン娘が住む数々の異世界にとって多大な悪影響を及ぼしたんじゃないかと思う」

 

 

水鏡I「――――――邪神パレスがキリン娘の世界を征服したのは滅びの序曲に過ぎなかったのか?」

 

 

斎藤T「わかりません。けど、並行宇宙のバケモノがウマ娘の世界にいずれ襲来することもその1つなのかもしれません」

 

水鏡I「……マジかよ」

 

水鏡I「いや、本当に感謝します、斎藤T。どうして滅亡したキリン娘の文明がかつてアジン世界の中心地になっていたのか、これでわかった」

 

水鏡I「これは本当に異世界平和連合を成立させて、かつてのキリン娘の王朝の文明や在り方を継承しないとマズいことになるな……」

 

斎藤T「そうですね――――――」

 

斎藤T「あ」

 

 

――――――あ、どうしよう。殺さなきゃ。

 

 

私はとんでもないことを思いついてしまっていた。

 

昨夜、私はトレセン学園が暗黒期から黄金期に移り変わる過程で暗躍していた“悪魔の権化”である名教官:水鏡 久弥との対談でとんでもない裏事情と世界の外側にあるものを知ることになり、

 

そこから互いにこの星の明日のために人知れず戦い抜いてきた英雄であることを理解し合うと大いに盛り上がり、流れで義兄弟の杯を交わすまでになった。

 

そして、名教官が裏で糸を引いていたチーム<シリウス>とチーム<アルフェッカ>の活躍の記録やその裏事情を綴った秘密文書のデータを譲り、私もWUMAとの交戦記録のデータを段階的に渡す契約も交わした。

 

とにかく、一気にデータを渡されて事の重要さを理解できないまま流出される危険性を最小限に食い止めるための措置であり、データの更新のために定期的に会合の機会を持つための取り決めでもあった。

 

その中で、未来から送り込まれた暗殺用人造人間:アルヌールに内蔵されていたメモリーとDNA鑑定機能で探していた『未来の英雄のパーソナルデータ』と『DNAデータ』を一番に渡しており、

 

私としては未来の英雄の両親となる人物を探し出すメリットはないものの、万が一に新たな人造人間が未来から送り込まれてきた時に後手に回らないようにするぐらいの用意はしておきたかった。

 

一方で、並行宇宙からの侵略者による絶望の未来を回避するために賢者ケイローンが持ち込んでしまった因子以上に、異世界平和連合との調和による希望の未来に分岐させるための因子を集めることが必要だと悟った。

 

そのため、絶望の未来に繋がる決定的要因となる因果律の因子の特定のことを考えると、やはり人造人間が持ち込んだデータは気になってしかたがなかった。

 

 

しかし、その『未来の英雄のDNAデータ』は非常に興味を惹くDNAの塩基配列になっており、超科学生命体の解析機を使っても割り出すことができない――――――、まったく未知の生物の遺伝子情報が混ざっていたのである。

 

 

つまり、未来の英雄は地球外生命体の混血であることが確定しており、おそらくは地球外生命体のクォーターにしか思えないほどの嵌合体(キメラ)遺伝子であった。もうメチャクチャである。

 

父親はおそらくヒトのハーフだと思われるのだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の遺伝子を持っており、

 

母親は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の遺伝子を持っているため、解析機にある遺伝子情報のライブラリでは照合が――――――。

 

 

あ、わかった。この()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の遺伝子って、ウマ娘に擬態したWUMAの遺伝子じゃ――――――。

 

 

年代を考えても賢者ケイローンを追ってきた先遣隊の生き残りぐらいしかWUMAは存在しないし、絶望の未来で新たな地球の支配者になった“フウイヌム”がわざわざウマ娘に擬態して子を成すことはないのだから――――――。

 

そこまでは推測がついたが、問題は父親の方であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の遺伝子が完全に謎だったのだが、それが昨夜の水鏡教官との対談でその出所に目星がついたのだ。

 

なので、ウマ娘以外のアジン娘たちが共生する異世界を渡っている異世界平和連合に捜索を依頼するのが一番だと気づいたのだ。

 

 

水鏡I「なるほど。未来から送り込まれた人造人間が握っていたDNAデータを解析したら『他の異世界のアジン娘のハーフがウマ娘の世界をWUMAの支配から解放する未来の英雄の父親になる』ってことを示しているのか」

 

水鏡I「それでもって、母親の遺伝子が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の遺伝子ってことで『この時代にやってきてウマ娘に擬態したWUMAの残党が未来の英雄の母親になる』って――――――?」

 

水鏡I「おいおい、こいつはとんでもないタイムパラドックスじゃねえかよ?」

 

斎藤T「因果律の連続性を考えると、すでに紐付けられて()()()()()()()()()()()()自体がWUMA襲来の強烈な因子になっているので、やはりこの時代にやってきたWUMAは完全に駆逐するべきでした……」

 

水鏡I「けど、ここまでユニークな因子の持ち主だと、アジン娘のハーフの父親とウマ娘に擬態したWUMAの母親の間に生まれた子供じゃないと、未来の英雄だなんて大役を務まらないんじゃないのか?」

 

斎藤T「いえ、もしかしたら、それを生み出すのはあなたかもしれないじゃないですか」

 

水鏡I「嫌なことを言うなぁ……」

 

 

――――――シカ娘のハーフである俺が“流星”のあるウマ娘に擬態したWUMAと子を生む可能性か。

 

 

水鏡I「パーソナルデータにある未来の英雄の写真にきっちりと特徴に“流星”があるって分析されているし、髪の色も鹿毛だもんな、この青二才は!」

 

水鏡I「うわぁ! どことなく俺と俺の愛バ:シリウスシンボリの両方の特徴を持っているようにも見えるから困る!」

 

水鏡I「まさかな? まさかな……!?」

 

水鏡I「本当にシカ娘のハーフである俺とウマ娘であるシリウスの間に子ができなかったからって、WUMAの擬態能力を利用して代理母出産させた結果がこれなのか!?」

 

 

水鏡I「――――――『シカ娘とウマ娘の因子を両方持つバカ(馬鹿)娘が生まれたら世界が激変する』という俺がシカ娘の世界で聞かされた予言の正体ってこれなのかよ、おい!?」

 

 

斎藤T「まあ、データを見る限りは完全な男なので、肝腎の()()()の方はあなたの双子の姉がそうであったようにシカ娘の世界にいるのかもしれませんが」

 

斎藤T「まさかこうしてドンピシャな人物に巡り合うとは、これも皇祖皇霊の尊い導きか……」

 

水鏡I「これが俺の()()()()になるってのか……?」

 

水鏡I「でも、鹿毛で“流星”という条件だけなら、シンボリ家にも結構いるしなぁ……」

 

水鏡I「それこそ、シンボリルドルフだってそうだろうし――――――」

 

水鏡I「わかった。英雄の父親の遺伝子については最速で調べておく。まさに俺のことかもしれないし」

 

斎藤T「その他にも、アジン娘の因子が流れている人物をリストアップしなければなりませんよ」

 

水鏡I「――――――場合によっては絶望の未来の因子になる両親を殺すべき、か」

 

 

斎藤T「ただ、それだけに“未来の英雄”の誕生には並行宇宙と異世界の両方が関わっていることがこれではっきりしました」

 

 

斎藤T「なので、現状維持で精一杯だと並行宇宙からの支配、進歩発展向上が果たされれば異世界からの調和がもたらされることにも納得がいったことかと思います」

 

水鏡I「なあ、ジュニアクラスのWUMAは完全に擬態対象に身も心も完全に同化するんだろう?」

 

斎藤T「ええ。擬態直後の擬態対象への殺人衝動が収まれば、あとは完全にもうひとりの人間となって擬態対象と共生できるのは私の担当ウマ娘:アグネスタキオンで実証済みです」

 

斎藤T「もちろん、もうひとりの自分がいることを許容できる人格である必要がありますので、もうひとりの自分がいてくれたら大助かりだと大真面目に考える変人でもないと、それは難しいでしょう」

 

斎藤T「特に、走ることが大好きで闘争本能が強い競走ウマ娘だと、もうひとりの自分が不倶戴天の敵になります」

 

水鏡I「そうだな。ウマ娘じゃなくても、もうひとりの俺がいたらどっちがシリウスをモノにできるかで絶対に自分同士で争うだろうしな」

 

水鏡I「でも、即座に見破る方法がないから、俺がシリウスに完全に擬態したWUMAと交わり続けたら、生まれる可能性は断然高いわけだよな……」

 

水鏡I「上級クラスのWUMAの命令には絶対だから――――――、閃いた!」

 

斎藤T「現逮ッ!」ガシッ

 

水鏡I「ああ こいつ、皇宮警察だから通報されるどころじゃなかった!」

 

 

――――――でも、欲しいな、もうひとりのシリウスシンボリ。

 

 

水鏡I「なあ、もらってもいいか? いいじゃねえかよ、WUMAの1つや2つ?」

 

斎藤T「生存本能が脅かされた瞬間にWUMAとしての意識が一時的に戻るので殺されかねませんよ?」

 

水鏡I「でも、代理母としては最高じゃねえかよ!」

 

斎藤T「それであなたが納得するなら、名目を付けてこちらでお好みに調整したジュニアクラスを派遣してもいいですけど、果たして命令でいくらでも人格改造を施せる愛玩動物に本物以上の魅力が出せますかね?」

 

水鏡I「……たしかに、これまで調教してきた教え子のようにひたすら俺に従順で俺への愛を叫びまくって白目をむくようなシリウスは気持ち悪いかもな。何かこれじゃない感が酷い」

 

斎藤T「でしょう? 妄想を実行に移したところであなた自身が想像してたのとちょっとちがう現実に落胆するだけですから、そういった類のロマンスは頭の中だけにしておいてください」

 

水鏡I「なあ、思ったんだけど、“宇宙移民の船長”ってそんなにも堅苦しいもんなのか? むしろ、“宇宙警察の船長”みたいにお堅いよな、その辺」

 

斎藤T「ちょっと話の規模を勘違いしているかもしれませんけれど、宇宙移民はお気楽に新天地を目指しているわけじゃないんですよ」

 

斎藤T「徹底した人口管理で最低でも4光年以上の彼方にある未開惑星に国を築き上げるために必要な人員を不用意に増やしたり減らしたりはできないから、仮想世界のアバターで夫婦生活や男女交際を疑似体験して済ませているぐらいなんですから」

 

斎藤T「いいですか? 4光年ですよ? 約9.5兆キロメートル:光が自由空間かつ重力場及び磁場の影響を受けない空間を1ユリウス年(365.25日)の間に通過する距離の4倍は進まないとプロキシマ・ケンタウリには辿り着けないんですからね」

 

斎藤T「宇宙警察の船長なんて、すでに生存圏が築かれた場所を巡回するだけでいいので、宇宙移民に課せられた厳しい環境に身を置いているわけじゃないですから、よっぽどお気楽ですよ」

 

水鏡I「はぁーーー、1光年:約9.5兆キロメートル! プロキシマ・ケンタウリまで4光年!」

 

水鏡I「光の速さで1年休むことなく進んでも4年以上かかるところに太陽系にもっとも近い恒星系があるってのか!」

 

水鏡I「無理だ! 4年も抱かないでいるのなんて、俺には耐えられん! 疑似体験(もどき)じゃなくてモノホン()がいいんだよ! そんなの 生殺しじゃねえか!」

 

斎藤T「そんなわけで、下半身にダラシないあなたは宇宙移民のメンバーには推薦できませんので、悪しからず」

 

水鏡I「ああ そう。そういうことなら、たしかに俺は“宇宙海賊の船長”にしかなれないわな……」

 

 

――――――世界一周を達成した“太陽を落とした男”の再来を自負する俺も形無しだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トボトボトボ・・・

 

トウカイテイオー’「――――――『URAファイナルズ』、始まったね」

 

トウカイテイオー’「……カイチョーもマックイーンも引退して、エアグルーヴが新しい生徒会長になって、ブライアンは上位リーグ入りして、何もかも昔のままじゃなくなっていくんだよね」

 

トウカイテイオー’「…………いつまでボクはボクでいられるのかな?」

 

 



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第8話   節分祭で煎り豆に花が咲く

-西暦20XY年02月03日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

実は、トレセン学園:日本ウマ娘トレーニングセンター学園にとって一番に忙しい時期は年末年始などではない。

 

中高一貫校として中学受験と高校受験が用意されている2月こそがトレセン学園の繁忙期である。

 

東京都における教員採用試験は7月から10月の合格発表までの長期戦となっていることを踏まえると、

 

一般的なウマ娘レースのオフシーズンの時に冬季に入学試験、夏季に採用試験と綺麗に分かれて行われていることになる。

 

勘違いしてはいけないのは、教員採用試験で採用されるのはトレセン学園の3Tにおける教員(Teacher)教官(Instructor)である。

 

トレセン学園に入学した競走ウマ娘の運命の人となる指導員(Trainer)はトレセン学園の所属ではあるのだけれど、正確には教育機関としてのトレセン学園の教職員にはトレーナーは数えられていない。

 

公営競技(ギャンブル)であるウマ娘レースを管轄している文部科学省*1の長人たる文部科学大臣の監督を受けながら日本国政府が資本金の全額を出資する特殊法人:URAの所属団体であるトレーナー組合と雇用契約を結んでいるのが指導員(Trainer)である。

 

指導員(Trainer)は一般的にはトレセン学園の一員として広く世間に認知されているものの、正確にはURAから出向している外部指導者(コーチ)であるため、国家資格であるトレーナー登録及びトレーナー採用試験はURAの直接の管轄である。

 

要するに、トレセン学園のトレーナーと一口に言っても、トレセン学園の夏季の職員採用試験や冬季の入学試験とはまったく無関係の部外者の立場にある。

 

だから、教育機関の教職員とはまったくちがった観点からトレーナーとして採用される人間が多いわけでもある。

 

 

そのため、中高一貫校のトレセン学園には教職員と生徒以外に本来ならば学校関係者に数えられないURAの職員に属する人間(トレーナー)が気軽に出入りできる特殊な教育現場となっているわけである。

 

 

なので、学園関係者に数えられないトレーナーは特に2月の未来のスターウマ娘が入ってくるかもしれない入学試験には関わることができないようになっており、公平を期すためにトレセン学園の教職員に数えられている教官(Instructor)が実技試験の試験官を担当していた。

 

つまり、トレセン学園の2月は中学受験と高校受験のためにトレーニングに大きな制約ができる状況になっており、生徒たちは少なくとも2月上旬には進級や卒業を懸けた期末試験を受けることになっていた。

 

そして、トレーナーも受験期間中に学園にいることが歓迎されていないため、オフシーズンとして余暇を満喫することを推奨されていた。

 

なので、ここでトレーナーとその担当ウマ娘は3月から始まる激戦に備えた束の間の休息をとることができるわけなのだが、

 

ここで地獄を見るのが総生徒数2000名弱の生徒を抱えている中高一貫校のトレセン学園の教職員たちであり、競争倍率がとんでもない数字になっている夢の舞台への入学希望者たちを捌かなくてはならない。

 

筆記試験に関してはマークシート試験で対応することで大人数の採点も機械的に行って何とかなっているが、

 

入学後の『選抜レース』のような組み合わせの悪さで本来の実力を発揮できずに入学できずに地方で活躍したなんてことがあっては中央の目利きのレベルを疑われるので、

 

実技試験に関しては夢の舞台で輝けるチャンスを公平に与える場を提供する目的を第一に、最低限のハロンタイムを超えてさえいれば実技試験での多人数のレースの順位とは関係なく全員合格とし、

 

実際にはその後のトレセン学園のトレーニング設備を使った簡単なトレーニングに耐えられるかを主に見るものとなっていた。

 

そして、最終的には面接試験で学費をどのようにして支払うのかを確認し、問題がなければ入学試験に合格することになっていた。

 

そう、トレセン学園の入学試験においては最初から()()()()()()()()()()()()()()()()()は見ていない。

 

レースには一握りの勝者とそれ以外のその他大勢の敗者がいるわけなのだから、勝者を引き立てるだけの最低限の実力としっかりと入学金や学費を支払う当てがあれば、それで十分なのである。

 

なので、トレセン学園に所属する教官(Instructor)総出で実技試験で故障しやすいウマ娘かどうかを見張り、教員(Teacher)総出で面接試験でウマ娘レースの興行にどれだけ貢献する人材かを確かめるわけである。

 

 

つまり、中央トレセン学園の夢の舞台に入るための水準に達すること自体は実際にはかなり簡単なのだ。

 

 

ちゃんと入学金と学費を支払う当てがあることと引き立て役になるのに必要な最低限のハロンタイムを叩き出せるのなら、トレセン学園のトレーニングや学力についていけるかどうかの試験結果は二の次だったのである。

 

実際、サクラバクシンオーのように明らかに学力不足な生徒でも入学が許されているし、それが結果として短距離最強ウマ娘として勇名を馳せることになったのだから、この思惑は一定の成果を上げたと言える。

 

一方、巨大な組織を運営するのにどうしてもカネが必要になってくるので、常に最新のトレーニング設備や環境を用意するためにも、集客力と資金力のある最低限の実力(ハロンタイム)が保証されているのなら誰でも歓迎していたわけである。

 

そして、はっきり言おう。最低限のハロンタイムでさえも叩き出せない子であろうと、寄付金が多ければ裏口入学は可能であるし、

 

面接試験でレースを盛り上げてくれる存在になってくれると面接官からの口添えをもらえれば無手勝流の大逆転が可能であるのだ。

 

というより、就職の面接試験とはちがって現状の職能力ではなく“本格化”を迎える前の大勢のウマ娘の将来性を買う側にあるのがトレセン学園なのだから、まだ見ぬ名バの可能性を発掘するために裏口入学や無手勝流の大逆転を容認しているところがあったのだ。

 

そう、引退即退学などの夢破れた生徒たちの去就の問題の本質は実力不足だと公然と周囲に嗤われる状況に闘争本能の強いウマ娘の面の皮と矜持が耐えられるかどうかであり、

 

これでもトレセン学園は可能な限り夢の舞台への門を開いて未来のスターウマ娘の挑戦をこれでもかと待っているわけなのだ。実際、トウカイテイオーなんかは3度も故障して最後に歴史に残る栄冠を掴んだ。

 

しかし、その結果として、暗黒期よりも大幅に生徒が増えた黄金期では明らかに勝てない競走ウマ娘たちをどんどん増産することになった――――――。

 

だいたい、正々堂々と実力でトレセン学園に入学ができたとしても、次に『トレーナーにスカウトされるかどうか』という更に狭き門が待ち構えて、それで実際に勝てるかどうかも絡んでくるため、

 

結局は入試に合格できなかった人生の負け組に入試に合格できた大勢の未出走バや未勝利バが加わっていくのも周知の事実であったのだ。

 

なので、右も左も夢の舞台は敗北者だらけであるため、まじめに勝てるウマ娘かどうかを入学の時点で見定めるのも馬鹿らしいため、入学の基準は世間が想像するのとは正反対に実はかなり甘くなっていたのだ。

 

だからこそ、入学できても夢破れた落ちこぼれもたくさん生まれるわけで――――――。

 

中にはトレセン学園の出身という箔付けのためだけに中等部に入学して、何事もなくバカ高い授業料を払い続けて何食わぬ顔で中等部で卒業し、トレセン学園の出身であることを武器にして飯を食っていく強者もいたぐらいである。

 

つまり、入学生がトレーナーの手で才能を開花させて活躍しようがしなかろうが大きなカネの動きがあるため、部外者であるトレーナーに関わらせたくないというのが本音である。

 

トレーナーは未来のスターウマ娘の買い手ではあるが、売り手である仲介業者のトレセン学園にも入学生を選ぶ権利はあるため、こうした複雑な市場が出来上がっていたわけだ。

 

 

――――――カネに意地汚いのは 未成年の才能で興行をやっているのだから 学園もトレーナーもお互い様だ。

 

 

しかし、他の面でも2月は特に気を遣う時期でもあった。

 

何しろ、ダートウマ娘にとってはダート・1600mのシニア級G1レース『フェブラリーステークス』が第3日曜日:2月17日にあるため、受験期間中ということで学園のトレーニング設備に制限がかかるのは大問題であった。

 

そのため、他にも2月に出走を予定しているウマ娘のために受験期間中にトレーニング設備を使えるようにしておく必要があり、2月に開催されるレースの予定に合わせて受験期間を調整していたのだから、いろいろと大変なのだ。

 

そのため、今年から第4日曜日:2月24日には『URAファイナルズ』準決勝トーナメントのために『フェブラリーステークス』の日程が完全に固定されることになった。

 

 

一方、『フェブラリーステークス』と『URAファイナルズ』が連続して開催されるため、シニア級:4年目以降のダートウマ娘にとっては非常に悩ましい展開になっていた。

 

 

しかし、その問題を解決するために最近では競走ウマ娘にとって最初の3年間を走り抜いた完走バに対して“スーパーシニア級”という用語を新設することにより、

 

『フェブラリーステークス』はシニア級:3年目の競走ウマ娘が参加し、『URAファイナルズ』にはシニア級:3年目を完走したスーパーシニア級が参加できるものだとしっかりと区分されることになったのだ。

 

今までは1年目:ジュニア級、2年目:クラシック級、3年目以降:シニア級という括りであったため、どうしても一言で『URAファイナルズ』の出走条件を表現できず、一部で大きな誤解を招いていた。

 

なので、この“スーパーシニア級”の概念の発明は画期的なことであり、『URAファイナルズ』開催と同時にすぐに広まることになった。

 

最初の3年間を走りきった完走バに用意される道が、スーパーシニア級としてこれからも『トゥインクル・シリーズ』を走り抜くか、上位リーグ『ドリーム・シリーズ』へ移籍するか、それとも契約を延長することなく解除するか、はっきりと単語1つで表現できるようになったのだ。

 

 

――――――スーパーシニア級(契約続行)か、『ドリーム・シリーズ』(昇格移籍)か、契約解除(競走ウマ娘卒業)か。

 

 

さて、話を戻すと、2月はただでさえ中高一貫校としての中学受験と高校受験があるだけじゃなく、公営競技のプロスポーツ校としてひとりひとりの実力や資金力を確認しなくちゃならないのに、

 

同時期にれっきとした重賞レースの興行も執り行われるのだから、そちらに出走する生徒たちがベストコンディションで出走できるようにトレーニング設備の割り振りも学園は考えなくてはならなかった。

 

ところが、今までは考えられないほどにこの時期に大勢の完走バたちが『URAファイナルズ』準決勝トーナメントに出走することになったため、学内のトレーニング設備の割り振りがとんでもないことになってしまっていた。

 

1月の『URAファイナルズ』予選トーナメントは2日間に渡って全国の競バ場を専有するほどのかつてないほどの大規模レースになったが、

 

2月は2月で日本最高峰のトレーニング設備を持つトレセン学園が入学試験に対応するためにトレーニング設備の使用が大幅に制限される状況で最終調整をしなくてはならないため、その不満を抑えるためにトレセン学園の教職員たちは目を回すことになった。それで負けたら学園側の不備として非難されるからだ。

 

他にも、2月の『URAファイナルズ』準決勝トーナメントにスーパーシニア級の担当ウマ娘を出走させるために、今までは余暇を楽しむことが推奨されていたはずのトレーナーも最終調整に付き合う必要が出てきたので、これまた2月のオフシーズンを楽しんでいたベテラントレーナーたちにとっても大きな負担となっていた。

 

学園のトレーニング設備が今まで通りに使えないからと言ってこんな寒い時期に担当ウマ娘を遠征させるのも難しく、

 

今までは教職員たちが死ぬほど忙しいだけだった2月はトレーナーたちも一緒になって死ぬほど忙しい季節に変わろうとしていた。

 

もちろん、学業が本分である生徒たちにとっては進級や卒業を懸けた期末試験があるので、2月は本当にトレセン学園全体が慌ただしくなってきたのだ。

 

それを門外漢の私は横目に見ながら、やりたいこととやるべきことに邁進することができるので、非常に気楽にこの時期を快適に過ごすことができていた。

 

 

●2月度の『URAファイナルズ』開催による影響

 

・中高一貫校なので中学受験と高校受験があり、志望倍率がアホみたいに高いので、受験期間中は学園のリソースのほとんどが受験に割り振られてしまう。

 

・トレセン学園の教職員は圧倒的志望倍率からくる受験生の対応のために総出になる。

 

・そのため、教職員の都合で2月上旬には進級や卒業を懸けた期末試験があるため、生徒たちは必死になって試験問題に向き合うことになる。

 

・一方、URAの職員であってトレセン学園の教職員ではないトレーナーのほとんどは期末試験を終えた担当ウマ娘とオフシーズンとして受験期間の余暇を楽しむことになっていたが――――――、

 

-新設レース『URAファイナルズ』準決勝トーナメントのために出走バの最終調整をしなくてはならなくなったため、余暇を楽しむことができなくなる。

 

-それに伴い、受験期間中のトレーニングの要求が増加し、学園のトレーニング設備のやりくりが大変になり、寒さの厳しい冬季の遠征で最終調整をするべきか大いに悩むこととなる。

 

 

→ 結果、『URAファイナルズ』開催で2月は生徒も教職員もトレーナーもトレーニング設備の確保で紛糾することになった。今後の開催において一番の課題となることだろう。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

飯守T「ああ もう メチャクチャだよ!」

 

斎藤T「そもそもが総生徒数2000名弱のマンモス校ですからね。テストの点数をつけるだけでも大変だし、追試や補習も大変だし、最終的な進級と卒業の判断もありますからね」

 

飯守T「まあ、追試や補習に関しては例年通りに受験期間が終わった後にやればいいから、『URAファイナルズ』準決勝トーナメントの後にでもやればいいさ」

 

飯守T「そもそも、重賞レースのトレーニングを優先して期末試験の勉強に集中できない生徒のために追試期間があったわけだしな」

 

飯守T「けど、この時期にトレーニングを必要とする競走ウマ娘が一気に増えて、受験期間中のトレーニングが満足にできない状況はマズいんじゃないのか?」

 

 

斎藤T「まあ、この問題の解決を通してトレセン学園が大きく脱皮することになるでしょうから、そう悪いことでもないですよ。これが改革の原動力になります」

 

 

飯守T「わりと期末試験が終わった後の暇な時期を『ハッピー・バレンタイン!』ってことでライスと一緒にのんびりするのが楽しみでもあったんだけどな……」

 

斎藤T「出走する/しないも出走申請ができる担当トレーナー次第じゃないですか」

 

飯守T「この時期にこんなにも最終調整を思い悩むんなら、次からは『URAファイナルズ』には出したくないけどな!」

 

 

斎藤T「それだけ、今まで入学した後の競走ウマ娘たちのことを平然と見捨ててきたツケを学園が払わされるわけですよ」

 

 

飯守T「……だな」

 

飯守T「今も学生寮に閉じこもりきりの子が何人もいるのが現実だしな」

 

飯守T「ターフの上の夢を見て、夢の舞台を目指して、そして 夢破れて――――――」

 

飯守T「俺と出会わなかったら、きっとライスも――――――」

 

飯守T「そんな夢の舞台の輝きの陰で蹲っている生徒たちと向き合おうとしない大人たち――――――」

 

飯守T「なあ、お前だったら、どういう風に解決する? 同時開催できるバ場の確保を優先するばかりにトレーナーや学園の都合を一切無視した無茶苦茶なローテーションをどう変える?」

 

 

斎藤T「トレーニングできる場所を増やせばいいんじゃないんですか? あるいは、入学試験のために使える会場を用意するかですね」

 

 

飯守T「つまり、『受験生と在校生を完全に分離させて邪魔しあわないようにする』ってわけだな? まあ、それが正統派だよな」

 

斎藤T「だいたい、距離適性がちがうのに“本格化”を迎えていない小学生に2000mを走らせるのは明らかに問題ということで、ハロンタイムが最低ラインを超えたらみんな合格ってことになっているんでしょう?」

 

飯守T「まあ、その最低ラインのハロンタイムをなかなか超えられる小学生がいないから狭き門なんだけどな」

 

 

斎藤T「だったら、1ハロン(200m)の芝コースとダートコースのカーペットを野球場とかサッカーグラウンドにいっぱいに敷いて一斉に走らせればいいじゃないですか」

 

 

飯守T「え!?」

 

斎藤T「ほら、そうすればハロンタイムの測定を場所を問わずに簡単にできるようになるでしょう? 全国各地でハロンタイムによる実技試験が行えるようになる! 各地の競バ場のスタッフを試験官に回せる!」

 

斎藤T「そうすれば、最新のトレーニング器具の適性調査は少なくとも学園で受けなくちゃならなくても、受験期間中にトレセン学園のコースを受験に割り当てる必要はまったくなくなりますよね?」

 

飯守T「それが実現すれば、2月も今まで通りにトレーニングができるようになるじゃないか!?」

 

飯守T「すげえよ、斎藤T! そのアイデアを理事長に提出しようぜ!」

 

斎藤T「すでにシンボリ家を通して提案済みです。あとは使い捨てのハロンカーペットの生産の目処がつくかどうかです」

 

斎藤T「いつも思いますけど、コースに芝を敷き詰めたところで触りもしない余剰部分が目立ちますから、障子の張り替えと同じ要領で必要な面積分のタイルカーペットの上を走ればいいじゃないですか」

 

飯守T「おお!」

 

 

斎藤T「――――――問題は今というわけです」

 

 

飯守T「……そうなんだよな。斎藤Tの発明で来年から受験期間中の不便がなくなるかもしれないけど、俺たちとしては今をどうするかだよな」

 

飯守T「まあ、条件はどこも同じだし、みんなトレーニングができないなら、準決勝トーナメントで差が開くことはないよな?」

 

飯守T「ここは無理はせずに基礎トレーニングか?」

 

斎藤T「まあ、それが無難でしょうね」

 

飯守T「“皇帝”シンボリルドルフの時代もいよいよ終わった矢先にこのドタバタ感もあって『本当に1つの時代が終わりを迎えるんだ』って感じがするよ」

 

斎藤T「開催まで漕ぎ着けることができただけでも御の字で、最初だからいろいろと問題もあるわけですけど、挑戦を恐れるようになったら学園も終わりですから」

 

飯守T「そうだな。夢の舞台で働いているんだから、これぐらいの夢とロマンのある特大イベントをこなせるだけの大仕事を教職員にも参加させてやらないとな!」

 

 

斎藤T「さあ、今日は節分祭です。恵方巻と福茶をどうぞ」

 

飯守T「あ、黒豆が入っているんだな、福茶って」

 

斎藤T「基本的には梅昆布茶をベースにしてましてね」

 

斎藤T「起源は村上天皇の御代に空也上人が十一面観音に祈願して供えた茶が疫病で苦しんだ人々を救ったことに始まります」

 

斎藤T「あるいは、村上天皇の御身が病を患った時に空也上人が開基した六波羅蜜寺の観音様に供えた茶で快復したことに因み、“皇服茶”とも呼ばれています」

 

飯守T「――――――“幸福”をもたらす茶だから()()()か。また1つ勉強になったよ」

 

飯守T「おお、美味い! 梅の風味と昆布の出汁が利いてて、しかも抜群の塩加減でまろやかで飲みやすい!」ゴクッ

 

飯守T「何か悪いな。いつもご馳走してもらってよ」

 

斎藤T「いいんですよ。この部屋に入れるVIP限定のおもてなしなのですから」

 

 

シンボリルドルフ「やあ、斎藤T! 何やら素晴らしいトークに花を咲かせているようだね!」ニッコリ!

 

 

飯守T「わ、シンボリルドルフ!?」

 

斎藤T「どうぞ、幸福をもたらすお茶“皇服茶”です」

 

シンボリルドルフ「そうか、そうか。幸福をもたらすお茶“皇服茶”か」フフッ

 

シンボリルドルフ「うん! 美味い!」ゴクッ

 

斎藤T「黒豆は正月のおせち料理にもあるように『()()に暮らせるように』という意味合いがあり、黒は何物に染まらない色として『強い意志力』の象意となります」

 

シンボリルドルフ「おせち料理は掛詞の宝庫だな」フフッ

 

飯守T「へえ。じゃあ、福茶に黒豆が入っているのは『()()に暮らせる』ことが幸福だって教えているんだな」

 

斎藤T「そうです。整理・整頓・清掃・清潔・躾の5Sを行えない人間はそれだけで不幸になるわけです」

 

斎藤T「たとえば、タバコをポイ捨てして引火させる危険性のことを思えば、5Sがどれだけ大切かわかりますよね」

 

斎藤T「するか/しないかを考えて取捨選択をすれば、自ずと正解が見えてくるものです。ゲーム理論です」

 

斎藤T「そして、雑然とした空間は気が乱れるもので、もしも宿泊施設が広々とした空間である場合と狭い空間のどちらがゆったりできるかと言えば、当然 広々とした空間の方が気はいいんです」

 

斎藤T「だから、おもてなしをする以上は5Sは絶対にしなくてはならないのです」

 

斎藤T「あ、どうぞ。恵方巻をいただいてください」

 

シンボリルドルフ「ああ、いただきます、斎藤T」

 

飯守T「でも、それだと この部屋はあまり気がいいとは言えないよな……」ムシャムシャ

 

シンボリルドルフ「そうだな。山積みになった保存食に、タキオンの実験スペースに、スーパーコンピュータに、ユニットシャワールームに囲まれた中で、こうしてテーブルを囲んでいるからな」

 

シンボリルドルフ「でも、ここに来ると不思議と晴れやかな気分になるな。ブライアンが入り浸るのもよくわかる」ムシャムシャ

 

斎藤T「それは空気の流れがちがいますからね。どうして周りをスクリーンで仕切っているかと言えば、空気の流れを変えつつ認識の世界で境界を作っているからですね」ムシャムシャ

 

斎藤T「そこの実験スペースや山積みになった保存食のところに足を踏み入れた瞬間に空気が変わりますよ」

 

飯守T「そういうもんなんだ」

 

斎藤T「そういうもんなんです。あるかないかの効果を確かめて統計データが得られれば、それはれっきとした科学的事実になりますよ」

 

シンボリルドルフ「なるほど。部屋を仕切るだけでこんなにもちがいが出るものなのだな」

 

斎藤T「多目的ホールを展示会ブースにする時にパネルをどう配置して、どういった順路になるように考えていけば、自ずとわかることです。街の美術展を見てくださいよ」

 

シンボリルドルフ「――――――私もまだまだ勉強不足だな」

 

シンボリルドルフ「そういった視点があるからこそ、先日 企画書にまとめてくれたハロンカーペットのアイデアが思いつくわけなんだな。さすがだ」

 

飯守T「でも、今日はどうして神棚に鏡餅を飾っているんだ? しかも、メチャクチャ気合が入っている飾り付けもしてあるし」

 

 

斎藤T「そんなの、本来の正月が旧正月だからです」

 

 

飯守T「え」

 

シンボリルドルフ「ああ、今の暦は西洋のグレゴリオ暦:太陽暦に合わせたもので、元々は中国暦:太陰暦の旧暦が使われていたんだよ」

 

シンボリルドルフ「それで、だいたい太陽暦の2月1日の節分の時期を太陰暦の正月としていたから、今でも太陰暦の国や中国文化圏では旧正月を元日として国の祝日にしていることが多い」

 

飯守T「じゃあ、昔ながらの正月を祝っているわけなんだな、斎藤Tは」

 

斎藤T「ええ」

 

飯守T「あ、そう言えば、節分と言えば豆撒きだけど、皇宮警察の家系だと『福は内、鬼は外』って言いながら豆を撒くのか?」

 

斎藤T「しないですよ。数々の鬼神を使役した“神変大菩薩”役行者に倣って『福は内、鬼も内』です」

 

斎藤T「禍福は糾える縄の如し、神が人に害したらそれは試練、悪魔が人に害したらそれは災いだと区別する21世紀の底の浅さに呆れるばかりです」

 

斎藤T「雄大な自然の弱肉強食の摂理を見れば、生まれたら死ぬのは当たり前で、その中で生き物はストレスを抱えながら互いに傷つけ合って進化してきたんです」

 

斎藤T「コノハムシとかナナフシとか見てくださいよ。あんなにも見事なまでに葉っぱや枝に化けてでも生きていることを強いられていることを不幸だと嘆かないでしょう」

 

斎藤T「だから、生き物にとって人生で起きるあらゆることが善因善果・悪因悪果・因果応報の賜物であり、その上で明るく前向きに楽天的で発展的で創造的であることが天地自然の掟なのです」

 

斎藤T「“皇帝”陛下におかれましても、幼い頃からの競走ウマ娘の『名家』の総領娘としての英才教育を嫌がって遊び呆けていたら、今のようにご立派になれましたか?」

 

シンボリルドルフ「いいや。辛くても努力してきた甲斐があったと過去の自分を誇れるよ」

 

斎藤T「そう、嫌なことは嫌なんだけど、その中で喜びや楽しみ“苦中有楽”を見出して向上していくのが人生の醍醐味ですから」

 

斎藤T「善と悪の色分けも抽象化すれば、それは自身によりストレスを与える側を悪として、それを克服することを善と呼んでいるわけで、我々はあらゆる意味でのストレスと向き合うことで日進月歩を果たしているわけです」

 

斎藤T「飯守Tにしても、担当ウマ娘が『選抜レース』を前にして怖気付いて逃げ出すような子だったから、縁が結ばれたわけでしょう?」

 

飯守T「ああ。普通だったら、スカウトするわけないよな、あんな別な意味で気性難の気弱な子」

 

飯守T「でも、ふとした偶然からライスが普段からどれだけ頑張っているのかを目にすることができていたし、そこは本当にめぐりあわせの良さを感じていたよ」

 

飯守T「まさか、ライスがグランプリウマ娘になってメジロマックイーンに匹敵する実力者になるだなんて思いもしなかったな」

 

シンボリルドルフ「ああ。あれには本当に驚いたよ。才羽Tや桐生院Tの他にも無名の新人トレーナーがこうも活躍しただなんて目を疑ったよ、本当に」

 

 

シンボリルドルフ「だからこそ、用心しておいてくれよ、飯守T。メジロマックイーンのようにならないようにな」

 

 

飯守T「ええ。わかってますって。俺も元甲子園球児で、球児が投げられなくなる辛さは理解していますから」

 

飯守T「ライスには無理はさせたくないんだ。あの子が引退したら絵本作家になって幸せな物語をたくさん描いてもらいたいんだ」

 

シンボリルドルフ「それなら全てのウマ娘が幸福になれる絵本を描いてもらいたいな」フフッ

 

飯守T「そうですね」

 

シンボリルドルフ「そして、それが新しい時代の福音書になることを」

 

斎藤T「………………」

 

 

この日、テスト期間中ということで多くの生徒たちがテスト勉強に励んでいる中、私は飯守Tを招いて節分祭:本当の正月を祝っていたところ、“皇帝”シンボリルドルフがお越しになった。

 

すでに生徒会長の座をエアグルーヴに譲った後のシンボリルドルフは長年に渡る重責から解放されたためか、物凄い頻度でここを訪れるようになった一方で、生徒会長だった頃の輝きが薄れているようにも感じられた。

 

それだけ夢の舞台の顔役を務めることが責任重大の大役であったことを物語るわけであり、その大役を全うしようとする気概がシンボリルドルフのカリスマを 一層 輝かせていたのだ。役作りが人を作るのだ。

 

ただ、最愛の人だった担当トレーナーとの思い出が残り続けるトレセン学園から離れたくないというのが一人の少女“新堀 ルナ”としての本心であり、その寂しさを忘れるために生徒会の仕事に打ち込んでいたところがあった。

 

そうすることがここまで自分を導いてくれた最愛の人と恩師に報いることになるのだと自分に言い聞かせて、かつてないほどに最高のトレセン学園の日々を創り出すことに情熱を注いでいたのだ。

 

だから、“皇帝”シンボリルドルフの全てがなくなったわけではないが、今のシンボリルドルフはどこか空気が抜けた印象を受けた。

 

そう、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としてトレセン学園を黄金期に導く存在であることを“ウサギ耳”に予言され、

 

一人の少女の道標となるべく託された予言書『プリティーダービー』で描かれた数々の未来の可能性を吟味しながら、“皇帝の王笏”と呼ばれた彼と一緒にスターウマ娘の発掘と保護に陰ながら尽力していたことの証であった。

 

たとえば、“悲劇の天才”トウカイテイオーや“メジロ家の至宝”メジロマックイーンこそ今では世代の中心ともてはやされているが、

 

実はあの世代で『選抜レース』において満場一致で最強だった学園一危険なウマ娘:アグネスタキオンやそんな彼女と一緒に旧校舎の理科準備室を分け合った不気味なウマ娘:マンハッタンカフェがいたわけであり、

 

かたやマッドサイエンティスト、かたや深夜徘徊の経験がある変わり者の 白と黒の2人に惜しみなく便宜を図ることができたのも予言書『プリティーダービー』があればこそである。

 

この2人はターフの上での勝利よりも速さを追究する独自の美学を持ち、そのアプローチが他とはちがった形になっていることをだいたい予言書に書いてあった通りであるのを確かめることができて以来、

 

退学処分勧告を受けないように“無敗の三冠バ”の威光を駆使して積極的に生徒会や校外活動の手伝いをさせて周囲の評判を少しでも良くなるように良き先輩として面倒を見ていたのだ。

 

そんな最強の生徒会長の心遣いが伝わったからこそ、中等部1年生の時点でトレセン学園に自分が求めるものがないとしてすぐに見切りを付けて自主退学を考えていたアグネスタキオンを引き留めることになり、マンハッタンカフェも妥協を覚えて入学した年にメイクデビューを果たしたエリートになることができた。

 

それからアグネスタキオンのメイクデビューに4年以上は掛かったことを考えれば、同期のトウカイテイオーたちが最速でメイクデビューを果たしたのに続いてメイクデビューを年内に果たせたマンハッタンカフェはどれだけ優等生だったのかを肌身で感じることになった。

 

予言書『プリティーダービー』に距離適性やバ場適性に脚質、性格や容姿まで予言された競走ウマ娘を全てチェックしていた“皇帝”シンボリルドルフは、予言とは多少のちがいが見受けられても、だいたいは予言された通りに競走ウマ娘が次々と重賞レースで優勝するのを見て、予言の正確さへの確信を深めることになった。

 

つまり、予言書に描かれているウマ娘は総生徒数2000名弱になる中央トレセン学園の中でもトップクラスの逸材で世代の中心になることがわかってしまうのだ。

 

ただ、もちろん、ウマ娘の『名家』やトレーナーの『名門』が幅を利かせているのが中央トレセン学園であり、名もなきウマ娘と担当トレーナーによる成り上がりというのは俄には信じられなかったのが暗黒期の残滓でもあった。

 

シンボリルドルフとて予言書の内容を盲信しているわけではない。しっかりと今の現実と照らし合わせた上で予言書に記されたウマ娘の才能を発掘していたが、予言書に記された約束された名バだけを贔屓するわけにもいかなかった。

 

なので、たまに予言書にはまったくない展開が起きても、大筋が合っていることを確認できれば、予言書はおおむね正確であるという信頼は揺らぐことはなかった。

 

 

しかしながら、これまでもトレセン学園で起こり得る喜びや悲しみも余すこなく予言されていたのに驚きを禁じ得なかったシンボリルドルフではあったが、予言書の中で一番にありえない存在の予言が成就したことに彼女のみならず日本ウマ娘レース界が震撼した。

 

 

それこそが 秋川理事長が新設レース『URAファイナルズ』の開催を宣言した年;トウカイテイオーやメジロマックイーンが世代の年に入学してきたトレセン学園黄金期における最終最高最大の“無敗の三冠バ”ミホノブルボンであった。

 

現在でも前人未到の果てへと先陣を切っている新進気鋭の“サイボーグ”ミホノブルボンがいかに当時としては奇跡の存在と謳われたかと言えば、それは『短距離ウマ娘(スプリンター)が“無敗の三冠バ”になった』という事実だけで伝わる。

 

そう、距離適性が合っていないのを鉄の意志と鋼の強さで矯正して“無敗の三冠バ”になった経歴はこれまでの競走ウマ娘の常識を覆す衝撃的なものだったのだ。

 

もしも、そのままの才能を活かして短距離路線を走っていたなら、きっと現在では短距離最強ウマ娘と名高いサクラバクシンオーの最大のライバルとして名を残していたはずなのだ。

 

しかも、驚くことに『選抜レース』の前から担当トレーナーがいたというだけでも『選抜レース』の結果をもってトレーナーからのスカウトを心待ちにしているウマ娘からすれば羨望の的であるのに、ミホノブルボンにはこれと言ったコネがなかったのだ。

 

はっきり言って、国民的スポーツ・エンターテインメントの殿堂である中央トレセン学園に通わせることができる程度の普通の家庭の生まれであり、

 

たしかに両親はウマ娘レースに参加していたにしても、それでウマ娘の『名家』やトレーナーの『名門』の出身だったりコネがあったりしたわけでもない。

 

ただ、入学試験において機械の如く異常なほど正確なペースで逃げを打つ姿が内外で大きな噂になっていたから、耳聡いベテラントレーナーが入学直後にスカウトしたのだ。最初からそれぐらいの能力があったのだ。

 

ところが、明らかに適性が短距離ウマ娘(スプリンター)ということでベテラントレーナーはそれ以外に育てようがなかったのだが、

 

当のミホノブルボンは“三冠ウマ娘”になりたくてトレセン学園に来たわけなので、スカウトを受けたはいいものの、“三冠ウマ娘”の夢だけは絶対に譲れないとして頑なにトレーナーが出す短距離路線の方針に従うことができなかった。

 

そこで登場したのがその年に配属された無名の新人トレーナーであった才羽Tであり、後に正真正銘の天才としてウマ娘レースに新たな歴史を刻むことになる名伯楽であった。

 

結果として、セオリー通りにしか育ててくれないベテラントレーナーとは契約解消となり、自分の夢を応援してくれる新人トレーナーと再スタートしたミホノブルボンは短距離ウマ娘(スプリンター)を克服して“三冠ウマ娘”になることができたわけなのだ。

 

 

――――――子供の願い事は未来の現実。それを夢と笑う大人はもはや人間ではない。

 

 

この時点で、いかに“無敗の三冠バ”ミホノブルボンがいくつもの奇跡によって成り立った存在であるか、理解できただろう。

 

予言書にそうなると記されていても本当にそうなると信じて全てを賭けられる人間はどれだけいるだろうか。むしろ、ウマ娘レースのことを知っている人間ほど尻込みするような賭けの連続である。

 

だからこそ、何のしがらみもない無名の新人トレーナーはベテラントレーナーでは見出すことができなかった大切な何かをミホノブルボンに見出して、ミホノブルボンの夢に全てを投じることができたのである。

 

この天才トレーナーの登場は同期の名門トレーナー:桐生院先輩や、熱血トレーナー:飯守Tに大きな影響を与え、後にそれぞれの担当ウマ娘であるハッピーミークとライスシャワーの活躍に繋がったのである。

 

当然、その驚愕は同期のトレーナーや競走ウマ娘だけのものではなかった。

 

生徒たちの長たる“皇帝”シンボリルドルフも、“ただの三冠ウマ娘”にしかなれなかったナリタブライアンや“無敗の二冠ウマ娘”にしかなれなかったトウカイテイオーが成し得なかった、自身に続く“無敗の三冠ウマ娘”がミホノブルボンになったことに誰よりも驚いたのである。

 

というのも、予言書ではミホノブルボンは“三冠”達成をライスシャワーに阻まれることになっていたのだ。

 

しかも、質が悪いことに、ライスシャワーは昨年トウカイテイオーが怪我のために成し得なかった“無敗の三冠ウマ娘”誕生の歴史的瞬間を心待ちにしていたファンたちから“レコードブレイカー”として勝ったのに悪者扱いされると予言されていたのだ。

 

そして、ミホノブルボンは夢を果たせずして怪我で引退することになったのだから、ライスシャワーに対する風当たりはますます強くなったと記されている。今までは考えられないようなウマ娘レースファンたちのモラルハザードが起きようとしていた。

 

更に、翌年の『天皇賞(春)』においてメジロマックイーンのメジロ家三代に渡る三連覇を阻止したことで、またもや勝ったのに称えられることなく、悪者扱いを受けるというとんでもなく過酷な運命が待ち受けていたのだ。

 

あんな幼気で健気な少女に対して容赦なく罵声を浴びせるという前代未聞の事態が起きてしまえば、夢の舞台の根底を揺るがすことになりかねない――――――。

 

当時のシンボリルドルフは『沈黙の日曜日』の苦い思い出もあり、ミホノブルボンの“三冠”達成を賭けた『菊花賞』には相当な対策を用意して臨んでいた。

 

 

――――――そして、ミホノブルボンは勝ったのだ。勝って“三冠ウマ娘”の夢を叶えたのだ。

 

 

結果として、ミホノブルボンはシンボリルドルフに続く“無敗の三冠ウマ娘”として歴史に名を残しただけじゃなく、ライスシャワーが悪役扱いをされて心を痛めるような事態にはならなかったのだ。

 

むしろ、最強のウマ娘:ミホノブルボンとの接戦の末に負けたことを称えられることになったのだから、予言が覆されたことを素直に喜んでいいのか、もし勝っていたら悪役扱いしだす大衆の身勝手さに憤っていいのか、わからなくなってしまっていたという。

 

更に、ミホノブルボンの無敗記録は“三冠”達成後に止まってしまったものの、

 

翌年の『天皇賞(春)』でもメジロマックイーンにライスシャワーは勝たなかったことで称えられ、次の『宝塚記念』でリベンジを果たしてグランプリウマ娘になることでライスシャワーの人気は不動のものとなったのだ。

 

本当に信じられない気分だった。予言がここまで覆されただけじゃなく、結果として全てがより良い方向に変わっていったのだから。

 

その原動力になっていたのはまさしく驚異の天才:才羽Tであり、トレセン学園が理想としていたヒトとウマ娘の間に生まれる不思議な絆の力による奇跡を現実のものとして呼び起こしたのだ。

 

 

だから、才羽Tとミホノブルボン、飯守Tとライスシャワーは“皇帝”シンボリルドルフにとっては自身が卒業した後のトレセン学園の新たな時代を切り拓いてくれる存在だと現役組の中でもっとも期待を寄せていたのだ。

 

 

そして、才羽Tと飯守Tが生徒会よりも理事長との付き合いばかりしていることを非常に残念に思っていたが、ここに来て2人と生徒会を結びつけてくれる逸材が最後の最後になってようやく現れてくれたのがシンボリルドルフにとっての望外の喜びだった。

 

しかも、予言の通りにメイクデビューできるように退学処分を取り下げるようにギリギリまで庇護し続けていた“幻の三冠ウマ娘”アグネスタキオンの担当トレーナーの座に収まり、

 

ウマ娘の世界を襲う様々な悲劇からたくさんの人たちを人知れずに救いながら、トレセン学園の将来をより良いものに変えていける創造力を持ち合わせた規格外の“門外漢”だったのだ。

 

 

シンボリルドルフ「――――――煎り豆に花が咲いたな」フフッ

 

飯守T「え?」

 

シンボリルドルフ「炒った豆はすでに死んでいるから芽が出るはずがないんだから、そこから芽が出て花を咲かせるのは、ありえないような奇跡という意味だよ、飯守T」

 

シンボリルドルフ「まあ、『厄払いに用いた豆から芽が出る縁起が悪い』ということで煎り豆で豆撒きをするわけなんだけど」

 

飯守T「それって、あまりいい意味で使わない言葉なんじゃ……?」

 

シンボリルドルフ「どうなんだい、斎藤T? きみならどう解釈する?」

 

斎藤T「当然、『福は内、鬼は内』なら吉祥ですよ。“苦中有楽”の理想を考えれば、それこそ“渡る世間に鬼はなし”です」

 

斎藤T「こういう教えがあります」

 

 

――――――Lost and Found(彼は失われていたが見つけ出された).

 

 

斎藤T「昔々、あるところに二人の息子がいました」

 

斎藤T「兄はとてもまじめな性格で親の言いつけをきちんと守り、日々 誠実に過ごしておりました」

 

斎藤T「しかし、弟の方は兄ほどまじめでもなく、いつも親の言いつけを守るのを嫌がって、遊び呆けていたそうな」

 

斎藤T「やがて、独り立ちができるようになると、早速 弟は親が健在なうちに財産の分け前を請求したのです」

 

斎藤T「そして、生前分与を受けた弟は自由な暮らしを求めて遠い国に旅立ちましたが、そこで放蕩に身を持ち崩してすぐに財産を使い果たしてしまったのです」

 

斎藤T「すると、大飢饉が起きて、その放蕩息子は何とか食っていくために豚の世話でも何でも必死になって生計を立てました。豚の餌さえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだのです」

 

斎藤T「そんな日々を送って、何もかもが虚しくなって呆然と空を見上げて、昔のことを懐かしんでいた時でした」

 

斎藤T「父のところには食物がたくさんあるし使用人が大勢いるのに、私はここで飢えて死のうとしている――――――」

 

斎藤T「手紙を出すカネもないぐらいに困窮している親不孝者の私でも、せめて家族に看取られて死にたい――――――」

 

斎藤T「そして、帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着いて、ボロボロになりながらも必死の思いで懐かしい我が家に帰り着いたのです」

 

斎藤T「そして、彼は父に向かって言おうと心に決めていたことを表情がグシャグシャになりながらも打ち明けたのです」

 

 

「お父さん、私は世の中に対しても、お父さんに対しても恥ずかしい人生を送って参りました……」

 

「もう息子と呼ばれる資格はありません。でも、どうか私を豚の世話係にしてください。お腹が空いて死にそうです……」

 

「それが叶わないのなら、せめて最後に家族に看取られて死にたいと思って恥ずかしながら帰ってきました……」

 

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

飯守T「……つ、続きは?」

 

斎藤T「すると――――――」

 

 

斎藤T「父は帰ってきた息子の言葉を聞き届けると、同じように涙を流して抱き寄せたのです」

 

斎藤T「そして、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いて饗したのでした」

 

 

飯守T「ああ、よかった!」

 

シンボリルドルフ「ああ!」

 

斎藤T「ところで――――――」

 

 

斎藤T「それを見た兄は放蕩の限りを尽くして財産を無駄にして無様に生き恥を晒してきた弟を軽蔑し、そんな弟のために宴まで開いて迎え入れた父親に不満をぶつけたのです」

 

 

飯守T「あ」

 

シンボリルドルフ「むぅ……」

 

斎藤T「しかし――――――」

 

 

斎藤T「父親は兄をたしなめて言ったのです」

 

 

「子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ」

 

「だが、お前の弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ」

 

「祝宴を開いて喜ぶのは当たり前ではないか」

 

 

斎藤T「と」

 

飯守T「おお!」

 

シンボリルドルフ「……『放蕩息子のたとえ話』ですか」

 

斎藤T「そうです」

 

シンボリルドルフ「つまり、『山上の垂訓』にあるような天国の生き方に必要なのは家族愛に代表されるような無償の愛ということか……」

 

斎藤T「それだけじゃ足りないですよ」

 

 

斎藤T「それと、パラダイムシフトですから」

 

 

飯守T「――――――ぱ、『パラダイムシフト』?」

 

シンボリルドルフ「パラダイムという概念を一言で表すのは難しいが、『規範』や『常識』と言った方がわかりやすいかもしれない」

 

飯守T「なるほど。で、その『パラダイムシフト』ってのが?」

 

斎藤T「自分自身が信じていた価値観や正義をひっくり返すことが必要になってきますよ」

 

飯守T「ええ?」

 

シンボリルドルフ「それは、いったい……?」

 

斎藤T「昔は王様の言うことが絶対で正しかったじゃないですか。それが昔の人の常識」

 

斎藤T「でも、今は法律や憲法に基づいて王様でも悪いことをしたら裁かれるのが社会のルールに変わっているじゃないですか」

 

斎藤T「あるいは、現代で考えても、TPOを弁える、郷に入れば郷に従え、いろいろとあるじゃないですか」

 

斎藤T「そのことを言っているんです」

 

飯守T「ああ、なるほど……?」

 

シンボリルドルフ「……つまり、私たちが正しいと信じていることがいずれは過ちになる時が来ると? そのことを受け容れられるようになれと?」

 

斎藤T「そうですよ。原始時代のルールは暴力、貴族社会のルールは階級制度、市民社会のルールは人権宣言ですから」

 

斎藤T「これを孔子で言えば『君子豹変す』。豹の毛が秋になって抜け変わり 紋様が鮮やかになるように、位の高い者や徳を備えた人物は、時代の変化に応じて自らを改めていくことができるわけです」

 

斎藤T「つまり、新たな時代の規範を創り出せるのが孔子の言う“君子”の特徴の1つです」

 

 

斎藤T「ですから、話は戻って『煎り豆に花が咲く』というのも、新しい時代の予兆;パラダイムシフトの前触れと考えることができません?」

 

 

斎藤T「悪と見なされていたものが善となり、善と思われたものが悪に塗り替わるのなんて、人類の歴史では幾度となく繰り返されてきたことです」

 

斎藤T「たとえば、暗黒期が黄金期に移り変わったように――――――」

 

シンボリルドルフ「――――――『その逆もある』ということか」

 

斎藤T「はい」

 

飯守T「!!」

 

飯守T「……ま、マジかよ」

 

斎藤T「まあ、結局はその時々の状況に応じた取捨選択の結果でしかなく、それを臨機応変と称えるか、節操なしと見做すかの()()()()()()()でしかないですよ」

 

斎藤T「善と悪の概念もよりストレスを与えて不快に思えるものを悪と見定めて、それに立ち向かうことを善として奮い立たせているように」

 

斎藤T「“魅力的な悪役”や“人間味を感じない正義の味方”という善と悪の基準に矛盾した概念が平然と存在することが人間の理性の限界であると同時に、多様性の萌芽であり、進化の素でもあるのですから」

 

飯守T「そうだな。悪役に魅力を感じるのは良くないはずだし、正義の味方に人間味を感じないことで不満を覚えるのも、考えてみるとおかしな話だよな」

 

シンボリルドルフ「けど、実際に暗黒期はチーム<シリウス>とチーム<アルフェッカ>の対決でウマ娘レースの人気を取り戻したところがあるから、」

 

シンボリルドルフ「そういう意味では闇の中でこそ正義が輝くように感じられるように我々はできていることを理解しておかないとな」

 

シンボリルドルフ「どんな善政であろうといつかは腐敗して悪が蔓延り、どんな悪政だろうといつかは義の心が満ちて善が栄えることになる――――――」

 

斎藤T「そうです。その上で、山あり谷あり 浮き沈みしながら、人類はこの地上で更なる繁栄を遂げていっているのですから、微調整は都度必要であっても全てが上手くいっていると信じることです」

 

斎藤T「もちろん、トレセン学園が暗黒期から黄金期を迎えたことで かつてないほどに興隆を果たした裏で、夢の舞台で落ちこぼれの未出走バや未勝利バが大勢増えた罪にも向き合わないとですが」

 

飯守T「…………難しい話だな」

 

シンボリルドルフ「……ああ、そうだな」

 

 

――――――この世界はひどく矛盾している。

 

暗黒期が黄金期に移り変わった要因を簡単に言えば“トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのウマ娘レース”であったことに不満を覚えたからだ。

 

それは統制が行き過ぎたからだと言う。その結果として八百長レースが横行することになった。

 

そして、黄金期が暗黒期に移り変わる要因も簡単に言えば“ウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘のウマ娘レース”だと指摘される時代が来るのだろう。

 

それは自由が行き過ぎたからだと言う。その結果として風紀と秩序が乱れることになった。

 

しかし、そのどちらも根源となっているのは『ウマ娘レースの主役であるウマ娘が輝けるようにしたい』という願いからであり、それが結果として暗黒期と黄金期の両方を招いたのだ。

 

一方で、国民的スポーツ・エンターテインメントとして夢の舞台として国民の憧れとなっているトレセン学園には一握りの栄光を掴んだ名バの他にはその引き立て役になる脇役しかいないのも事実である。

 

いや、レースで全力を尽くして負けたのなら割り切れるが、そもそも『選抜レース』で結果を残せずにトレーナーからのスカウトを受けられない未出走バもたくさんいるわけなのだ。

 

それも黄金期の輝きが増して過去最高の総生徒数2000名弱を記録したことで、当然ながら総生徒数が増えたところで重賞レースが増えたわけじゃないので、トレセン学園内の落ちこぼれはますます増えていくだけだった。

 

そうなれば、当然ながら夢の舞台で活躍できない己の惨めさから怒りや不満を募らせ、恨みを残すようになるのも自然な成り行きだろう。

 

昔の暗黒期よりも今の黄金期の方が総生徒数が増えたのだから、夢の舞台で活躍できない生徒たちの恨みの総量も単純に黄金期の方が大きいと計算できるのではないだろうか――――――。

 

 

――――――そう、斎藤 展望の次なる戦いとは賢者ケイローンが告げていた“過去の遺産”であったのだ。

 

 

斎藤T「物は相談なんですけど、手伝って欲しいことがあるんですが、飯守T?」

 

飯守T「え」

 

シンボリルドルフ「…………!」

 

斎藤T「以前に飯守TはWUMAの侵略に対してトレーナー職よりも警視総監の父親のように『直接的に誰かを守れる仕事がしたい』って言いましたよね」

 

飯守T「!」

 

飯守T「ああ! 俺も何だかんだ言って親父の子なんだって強く認識しているぜ」

 

 

斎藤T「なら、ライスシャワーの命が2年後の6月までと言ったら、何ができる? 何をしてくれる?」

 

 

飯守T「え」

 

シンボリルドルフ「……え?」

 

シンボリルドルフ「ちょっと待って欲しい、斎藤T。今のは予言書の話でいいのだろう?」

 

斎藤T「ええ、そうですよ」

 

飯守T「え、『予言書』――――――?」

 

シンボリルドルフ「しかし、予言書『プリティーダービー』の外伝の巻:ライスシャワーの章にはそんな未来は予言されていなかったはずだぞ」

 

斎藤T「まあ、そうでしょうね」

 

斎藤T「正伝の巻の構成するメニア本とリプア本に隠されていた予言でしたからね。外伝の巻は最初の3年間:完走バになるまでの話までしか書かれてないですからね。その先ですよ」

 

シンボリルドルフ「なんだって!?」

 

飯守T「ちょ、ちょっと待ってくれ。予言書ってことはウマ娘のこれからのことがわかるってことなんだよな!?」

 

飯守T「え、ということは“皇帝”シンボリルドルフはウマ娘の未来がわかって――――――」

 

斎藤T「今はそんなことよりも、ライスシャワーが2年後の6月にレース場で死ぬ予言が書かれていたことですよ」

 

斎藤T「何か思い出しません?」

 

 

――――――サイレンススズカが選手生命と一緒に天に召されそうになった『沈黙の日曜日』のこと。

 

 

シンボリルドルフ「!!?!」ガタッ

 

飯守T「ま、待ってくれよ!? 俺のライスがサイレンススズカと同じことになるだなんて、俺は――――――!?」

 

斎藤T「どうなんですか? サイレンススズカと同じことになったらライスシャワーは死ぬと思いますか?」

 

飯守T「なっ……」

 

シンボリルドルフ「……そう言うからには、きみには成すべきがわかっているということだね?」

 

斎藤T「そうなんですよ。人手不足でどうしても信頼できる人間の手を借りたいんです。できればウマ娘ではなく、ヒトじゃないとダメです」

 

シンボリルドルフ「なぜだ!?」

 

斎藤T「では、どうしてウマ娘の手を借りることができないのかを説明しますね。百聞は一見にしかず」ゴトッ

 

シンボリルドルフ「こ、これは……?」

 

飯守T「……何かの道具? いや、ロボット? 割と大きいけど何なのかがよくわからないな」

 

斎藤T「やはり、()()()()()()()が――――――」

 

飯守T「?」

 

 

斎藤T「こちらは“鞍野郎”という妖怪で、こっちは“鐙口”という妖怪を退治して得た抜け殻となる()()です」

 

 

飯守T「え? 妖怪!?」

 

シンボリルドルフ「――――――『バグ』? 『バグ』とはいったい何だ?」

 

斎藤T「どうです? WUMAと同じように本能的に何かを感じませんか、ウマ娘なら?」

 

シンボリルドルフ「うっ、そう言われると、何か表現し難い感情が渦を巻く」

 

シンボリルドルフ「あ」

 

斎藤T「何でもいいです。その直感を教えてください」

 

シンボリルドルフ「あ、ああ。なぜだか、この妖怪の死骸とでも言うべきものを見ていると、不思議なイメージが湧いてくるんだ」

 

 

――――――ハイハイしていた頃の赤ちゃんの自分の姿が思い浮かぶんだ。

 

 

飯守T「えと……」

 

斎藤T「実は、同じことを私の担当ウマ娘が言ってましてね。その瞬間、正体不明の痛みに襲われたので、見せないようにしていましたが、やはりウマ娘に何らかの影響を与える呪具と化していました」

 

斎藤T「飯守T。と言うことで、ウマ娘に何らかの悪影響を与える存在となる妖怪を一緒に駆除して欲しいのです」

 

飯守T「え!?」

 

斎藤T「怪人:ウマ女と同じです。WUMAもヒトよりも遥かに身体能力に勝るウマ娘が本能的に恐怖を感じる存在でしたが、妖怪は裏世界に住み着いてウマ娘に密かに悪影響を与える存在となっています」

 

 

斎藤T「そして、その正体がトレセン学園に蟠る怨念や無念が集まった悪霊だとしたら――――――?」

 

 

飯守T「!!」ガタッ

 

シンボリルドルフ「!!?!」ガタッ

 

飯守T「そういうことなら、絶対にライスを護らないと! あいつも落ちこぼれの一歩手前だったからこそ、落ちこぼれになった連中にとってのヒーローであると同時に一番の嫉妬の対象だ!」

 

シンボリルドルフ「待ってくれ! それが本当だとしたら、そのけじめをつけるべきなのは私だ! 私が――――――」

 

シンボリルドルフ「あ」

 

斎藤T「戦力外です。競走ウマ娘はスピードとビジュアルに特化している反面、全体的に見て荒事に向いていませんし、当事者が現れる方が余計に怨みを増すので手出しは無用です」

 

斎藤T「それに、青少年の健全な育成のためにも、ここは大人がしっかりと子供を護る場面です」

 

斎藤T「まあ、忘れてください。あなたは未成年者で保護される義務がある」

 

斎藤T「しっかりと卒業して総領娘としての責務をまず果たしてください。その方がいろいろと力になれますから」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

飯守T「わかったぜ、斎藤T! やってやろうじゃんか!」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

斎藤T「目標としてはテスト期間中の担当トレーナーが暇になる時期に妖怪退治に精を出します」

 

斎藤T「詳しいことについては、後ほど。それまでWUMAと戦うつもりで準備を進めておいてください」

 

飯守T「よし! これで用意してもらった対WUMA用の装備が埃を被らずにすむな!」

 

シンボリルドルフ「…………今の私にできることは少ない」

 

 

――――――頼んだぞ、トレセン学園の守護者たちよ。

 

 

*1
我々の世界における日本競馬は農林水産省の管轄



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第8話秘録 期末テスト必勝祈願の豆を撒け

-シークレットファイル 20XY/02/06- GAUMA SAIOH

 

現在、黄金期を迎えて大きく成長したトレセン学園は総生徒数2000名弱のマンモス校であり、当然ながら毎年の入学試験の受験者の人数も膨大であるため、

 

すでに夢の舞台に入れた生徒たちはまだ見ぬ未来のスターウマ娘たちを迎え入れる入試期間の前に各々の進級や卒業を懸けた期末試験を受ける必要があった。

 

そのため、『フェブラリーステークス』に出走するような一部のウマ娘でもない限りは、3月から実質的に開幕するウマ娘レースを目前に控えた2月の入試期間は多くの生徒たちにとっての安息の時であった。

 

もちろん、それには2月上旬の期末試験に合格することが第一であり、それが叶わない場合は2月にウマ娘レースの出走に力を入れて期末試験を受けることができなかった出走バたちと追試期間で追試というわけである。

 

すでに、期末試験期間が半ばを迎え、生徒たちの大半は入学した目的であるウマ娘レースのことを完全に忘れて、学業が本分である学生らしく今回の期末試験の手応えで一喜一憂していた。

 

 

その裏で、トレーナーがもっとも暇になりやすい時期に、私は数少ない協力者を得て 学校裏世界で妖怪退治に明け暮れることになった。

 

 

そして、何故に門外漢である“斎藤 展望”がトレセン学園に導かれたのか、その答えの1つが明かされることになった。

 

そう、斎藤 展望が皇宮警察の家系;正確には天皇家に代々仕えてきた由緒正しき“The Guard(近衛)”の家系であったことで、トレセン学園に巣食う妖怪退治の役目を与えられたようなのだ。

 

実際、斎藤家の血筋は 10世紀の半ば頃の村上天皇の御代に 伊勢神宮に奉仕していた未婚の皇女斎宮である伊勢斎王の一般の世話を職掌とする斎宮寮の長官:斎宮頭に任じられたことで官職名と姓に因んで“斎宮頭の藤原氏”を号した藤原 叙用(ふじわら の のぶもち)の子孫であることがわかっている。

 

これが不思議な縁で、斎藤氏の始祖:藤原 叙用(ふじわら の のぶもち)と名前の読みが一致しているのが この斎藤 展望(さいとう のぶもち)であり、

 

更に、伊勢神宮に御垣内参拝した時に見た幻覚がきっかけで斎藤家のルーツを調べると、斎藤氏の始祖:藤原 叙用(ふじわら の のぶもち)の父は坂上 田村麻呂・藤原 保昌・源 頼光とともに中世の伝説的な4人の武人に数えられる鎮守府将軍:藤原 利仁(ふじわら の としひと)でもあった。

 

その藤原 利仁(ふじわら の としひと)は坂東の国司を歴任して群盗退治で天下に名を知らしめた当代随一の武人であり、また『宇治拾遺物語』にも芥川龍之介の『芋粥』の題材になった逸話を残す徳高き人物でもあった。

 

 

――――――この藤原 利仁・叙用の親子の在り方が斎藤 展望とその父親の在り方に重なって見えた。

 

 

そして、学校裏世界の度々呼び出されること数度、メジロマックイーンの担当トレーナー:和田Tが例のライスシャワーに化けたオバケに殺されかけることもあり、

 

想像以上に深刻な事態を招くオバケ退治の準備を着々と進めていった中、紅い月が妖しく輝く世界の住人たちが少しずつ悪質なものにランクアップしていくのを肌で感じていった。

 

どうやら、トレセン学園に蟠る悪霊は年季の入った忘れ去られた残念無念怨念の生霊ばかりではなかったようなのだ。

 

こちらが学校裏世界での除霊・助霊をこなしていくのに合わせて厄介な生霊に変わっていき、途中から明らかに人間じゃない姿の別の何かと激しい戦闘を繰り広げるようになってきたのだ。

 

それが人間としての理性を失って妖怪化したトレセン学園に蟠る真の悪霊たちであり、誰かを怨み続ける一心で人間ではなくなった存在の相手をするのは非常に危険であった。

 

 

そして、どうして身体能力が圧倒的にヒトを凌駕するウマ娘がこの世界で支配種族になれずに、自身の身体能力や闘争本能を抑えながらヒトとの共生の道を歩むことになったのかも、裏側の世界の実相を見続けて理解することになった。

 

 

それは学校裏世界で妖怪化した悪霊の大半がヒトであり、ウマ娘の悪霊はそれに使われる側でいるのが大半であったからなのだ。

 

他にも、シカ娘のハーフである水鏡教官から教わった無数に存在するヒトとアジン娘の異世界では、その世界固有のアジン娘は他所のアジン娘の世界に渡ることが難しいらしく、

 

異世界に渡ることで他種族のアジン娘と接触した際に引き起こされる致命的カルチャーショックを防ぐ認識プロトコルの影響をモロに受ける中、ヒトは致命的カルチャーショックの影響を受けづらいとされている。

 

そのため、アジン娘と比べると個々の能力で劣ってはいても、ヒトはあらゆるアジン娘の異世界に適応することができる無個性(プレーン)のおかげで 一番の繁栄が約束された どこの異世界でも一定以上の文明を築き上げる特性があるとされる。

 

つまり、それは表世界と表裏一体の裏世界においてもアジン娘に対するヒトの優位性が現れるわけであり、どれだけウマ娘がヒトとは異なる身近な脅威であろうとも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というわけなのだ。

 

もちろん、妖怪の存在は表世界の生き物ではなく裏世界の生き物なので『いないと思えばいない』程度のものだが、この表裏一体の現実世界で知らず識らずのうちに悪影響を与えて、人々に災いをもたらしてきているのだ。

 

そして、23世紀の宇宙移民である私自身はNUE退治をしたという源 頼光のような誉れ高き天皇家の忠臣というわけではないが、

 

地球の文明の継承者として冠婚葬祭を一通り執り行える祭司長であり、心の世界のバケモノに通じているので、妖怪退治に駆り出せる人材の目利きと教育ができるというわけである。

 

このことがわかった上で、ウマ娘の異世界におけるヒトの悪霊が強大化した妖怪がいかなるものなのかを、その生々しい実態を見ていこう。

 

 


 

 

――――――学校裏世界/トレセン学園/中央広場

 

 

飯守T「うぅ……、ここが学校裏世界ってやつなのか……」

 

斎藤T「大丈夫ですか?」

 

飯守T「大丈夫だ。来たばかりですぐに引き返すだなんてカッコ悪いからな……」

 

 

ドスンドスンドスン・・・!

 

 

飯守T「うおっ!?」ビクッ

 

斎藤T「おお、早速 妖怪が現れましたね」

 

飯守T「な、何だ、あれは!?」

 

 

――――――壁!? 壁が歩いてる!?

 

 

塗壁「ドッス~~~ン!」ドスンドスンドスン・・・!

 

飯守T「ぬ、妖怪:塗壁ってやつか!? 何あれぇ!?」

 

斎藤T「飯守T、早速 対象に向けてデジタル妖怪図鑑を向けるんだ」

 

飯守T「あ、ああ……」スチャ ――――――専用タブレット端末のロッドアンテナを対象に向ける。

 

飯守T「お、自動的にデータが読み込まれたみたいだ」ピッ

 

 

『妖怪:塗壁。日本の九州北部に伝えられる妖怪の一種。夜道で人間の歩行を阻む、姿の見えない壁のような妖怪といわれる』

 

 

飯守T「へえ、妖怪:塗壁って九州の妖怪なんだ」

 

飯守T「お、他にも類似する妖怪として“野襖”とかいろいろいるんだな。全国地図に分布が表示されるから便利だな。世界一有名な任天堂のゲームの図鑑を参考にしているな、これ」

 

斎藤T「それだけじゃないですよ。ロッドアンテナには怪電波受信器や集音マイクの機能だけじゃなく、広角カメラも内蔵されてますから、対象に向けた瞬間に撮影もすんでいるわけです」

 

斎藤T「その写真情報を基に妖怪の正体を自動で解析する回路が搭載されているのがデジタル妖怪図鑑です」

 

飯守T「最新の科学の力ってすげーな!」

 

斎藤T「いえ、デジタル妖怪図鑑の底本は斎藤家が収蔵していた妖怪データベースと国際日本文化研究センターなどの資料が最初にあって成り立っているものですから」

 

斎藤T「そして、種別ができたとしても個々人に起きたことを類型として一緒くたにまとめられることは誰にとっても不誠実なことですから、デジタル妖怪図鑑で正体を見破ったとしても1体1体が常に真剣勝負ですよ」

 

飯守T「ああ。妖怪の正体が人間の無念や怨念が具現化した悪霊だってわかった以上は誠実に向き合わないとだしな」

 

飯守T「でも、元が人間の霊だと思えないような心の世界のオバケになった妖怪を浄化するために、伊勢神宮の神々に教えられたものが、この金剛杵(ヴァジュラ)か」

 

斎藤T「元々は仏の教えが煩悩を滅ぼして菩提心:悟りを求める心を表す様をインド神話の主神であるインドラ――――――仏教における帝釈天の武器:雷霆に譬えて法具としたものです」

 

斎藤T「これは実際に武器として取り回しやすいように大きさを調整したもので、槍状の刃が柄の上下に一つずつ付いた独鈷杵です。この刃を伸ばしたものが独鈷剣になるわけです」

 

飯守T「まるで忍者が使うクナイみたいだな。お、持ってみると意外と軽いぞ」

 

斎藤T「使い捨てを前提にしたプラスチックの成型に金色の塗料で塗っただけですから。でも、雰囲気が出ているでしょう。イメージの世界ではこれで十分です」

 

飯守T「つまり、これを帝釈天の武器に見立てて妖怪に攻撃すればいいんだよな?」

 

斎藤T「妖怪そのものを攻撃したらいけません。銃刀法違反に抵触しないように殺傷性がないものを採用しているので、そもそも刺すことも斬ることもできないです」

 

斎藤T「ポイントは人霊が妖怪に化ける原因となった悪因縁の糸を断ち切って正しい霊体に浄化しなくてはなりません」

 

斎藤T「そして、浄化した霊体を心霊写真としてカメラに封印して、それを助霊を専門とする心霊機関に預けなくてはなりません」

 

飯守T「つまり、分析をするのがデジタル妖怪図鑑で、浄化するのに使うのがこの金剛杵で、浄化した霊体を封印するために使い捨てのフィルムカメラを使うんだな」

 

 

斎藤T「そう、これが妖怪退治の3点セットです。デジタル妖怪図鑑・金剛杵(ヴァジュラ)・フィルムカメラ」

 

 

斎藤T「フィルムカメラを使う理由はフィルムを依り代にして物理的に封印するためであると同時に、たくさんの悪霊を心霊写真として封印することでフィルムカメラそのものが呪物になっていくので、買い替えが簡単なものとして最適な封印具なんです」

 

斎藤T「それじゃあ、手始めにあの妖怪:塗壁の解析が済んだみたいなので、早速 妖怪退治をやってみましょうか」

 

斎藤T「解析が完了した状態で対象にロッドアンテナを向けてください。そうすれば悪因縁が浮き上がることでしょう」

 

飯守T「よし」スチャ ――――――専用タブレット端末のロッドアンテナを再び対象に向ける。

 

塗壁「ドッス~~~ン!」ドスンドスンドスン・・・!

 

飯守T「お、妖怪:塗壁の身体に線とか点が浮かび上がってきたぞ!?」

 

斎藤T「あれが悪因縁の線と点です。あそこに金剛杵でなぞったり押したりすることで徐々に妖怪化の原因となった悪因縁を分解することができるんです」

 

斎藤T「ためしに、ここから線をなぞったり点を押したりしてみてください」

 

飯守T「え、ここから届くのか?」

 

斎藤T「ここは心の世界が具現化した三次元空間の裏となる四次元空間です。この金塗りのプラスチックが帝釈天の金剛杵だと信じれば必ずそうなります。遠くにあっても近くにあると思えば近づくんです」

 

斎藤T「では、私から行きますね」ビュン! ――――――妖怪:塗壁に浮かび上がってきた悪因縁の線をなぞるように金塗りのプラスチックの独鈷杵で空を切った!

 

塗壁「ドッス~~~ン!!?!」ズドオオオオオオオオオオオン!

 

飯守T「うおおお!? 本当に離れた場所の妖怪:塗壁に雷が走った!?」

 

斎藤T「線が薄まっているのがわかりますか? あれで悪因縁が雷霆に焼き払われて浄化されているわけですね」シュウウ・・・ ――――――金塗りのプラスチックの独鈷杵が黒焦げになっている。

 

飯守T「うおわっ!? 独鈷杵が黒焦げになって煙を噴いてる!?」

 

斎藤T「だから、使い捨てなんです」

 

斎藤T「そして、当然ながら悪因縁を浄化しているわけですが、それは妖怪を妖怪足らしめている悪因縁を消し去ろうとしているわけですから、妖怪たちも自己の存在を維持するために必死の抵抗を行うわけですよ」

 

斎藤T「ほら!」

 

塗壁「ドッス~~~ン!」ドスンドスンドスン・・・! ――――――怒りの形相で地響きを立てて迫ってくる!

 

飯守T「うおおお!? こっちに妖怪:塗壁が迫ってくる!?」

 

斎藤T「だから、できるだけ遠くから一気に悪因縁の線や点を浄化できる腕前が必要になります」

 

飯守T「なら、昔とった杵柄、元甲子園球児の強肩の出番だ!」ブン! ――――――見事な投球フォームで独鈷杵を投げつけた!

 

斎藤T「お」

 

 

バチバチバチィイイイイイイイイイイイイイイイイン!

 

 

塗壁「グギャアアアアアアアアアアアア!!?!」バチバチバチ・・・

 

斎藤T「この距離からこちらに迫ってくる妖怪の悪因縁の点に――――――! み、見事ですね……!」

 

斎藤T「しかも、今のはクリティカルヒットで妖怪:塗壁がひっくり返った!」

 

飯守T「おっしゃああ! やったぜ、俺ぇ!」

 

斎藤T「今なら追撃のチャンスです! 一気呵成に攻めましょう!」

 

飯守T「ああ!」

 

 

これが飯守Tの妖怪退治デビューであった。担当ウマ娘:ライスシャワーを護るために一緒に学校裏世界に乗り込んでくれたわけなのだが、助っ人としては十分すぎる戦力になってくれた。

 

とにかく、斎藤 展望が編み出した妖怪退治は3ステップと非常にシンプル。

 

デジタル妖怪図鑑で解析することで悪因縁の線と点を浮かび上がらせて、金剛杵で悪因縁を浄化して、妖怪化が解除された悪霊を使い捨てカメラのフィルムに封印するのだ。

 

しかし、今回は図体がでかくて動きが鈍い妖怪:塗壁だったから簡単ではあったが、妖怪は多種多様の姿や形態を持っており、動きも予測不可能なものが多いため、一人で戦うにはあまりにも危険すぎた。

 

なので、最初は地上最強の生物であるスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)に協力してもらおうとしたが、万が一にも妖怪の精神攻撃か何かでWUMAとしての本能が覚醒して敵になった場合が恐ろしすぎるのでヒトを仲間にすることにしたのだ。

 

むしろ、ヒトよりも繊細な生き物であるウマ娘に学校裏世界の強烈なプレッシャーなんて耐えられそうにないし、多感な時期のトレセン学園の生徒たちが自分たちの学び舎の裏側がこんな悍ましいものだと知ってしまった場合の悪影響も考えたくない。

 

 

となれば、いかなる世界においてももっとも繁栄を遂げるヒトがやるしかないのだ、ここは。

 

 

しかし、こうして初めて仲間を引き連れて悪因縁を浄化して妖怪化を解除した妖怪:塗壁の正体は意外なものであった。

 

実は、妖怪:塗壁の正体は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったのだ。壁が妖怪化しているのは学生寮を隔てている塀にトレーナーの煩悩がこびりついていた故だ。

 

そう、人の恨み辛みの妄念・妄想が向けられた無機物はこうして裏世界では人霊と合体して妖怪化しており、妖怪:塗壁は自分が味わった想いを他人にも味わわせようと通せんぼする傍迷惑な存在であった。

 

要するに、トレセン学園に跋扈する妖怪:塗壁はウマ娘とトレーナーの出会いを邪魔する存在であり、そのために学園内をうろついてはウマ娘をスカウトしようとしているトレーナーの視界からピンとくるウマ娘の姿を見えなくしたり 回り道をさせたりするのだ。

 

それができるのも妖怪:塗壁の正体が同じトレーナーの人霊だから同業者であるトレーナーや育成対象であるウマ娘の目利きができ、

 

そういう存在と定義されているが故に寝食の概念もなく長い時間をひたすら裏世界から表世界を見つめてきた圧倒的な経験の量がそれを可能にしていた。

 

もちろん、基本的に霊的存在には物理的干渉能力がなく、触ろうとしても物体をすり抜けてしまうのだが、

 

問題は 我々 生きている人間もまた“肉体を持った人霊”だという原則があることである。

 

我々はたしかに肉体に備わった五感でこの世の全てを感じ取っているように思えるが、それならば どうして“なんとなく”無表情の相手が怒っていると感じ取ることができるのか――――――。

 

それは我々の肉体を通じて我々の霊体が霊的存在の波動を感じ取っているからであり、誰かに視られているような気配を感じ取れるのも視線に乗せられた人の思念を我々の肉体に宿った霊体が敏感に察知しているからなのだ。

 

なので、妖怪:塗壁はそこに立って『ここは通してやらないぞ。見せてやらないぞ』という意志をもって立ち塞がるだけで、“なんとなく”ここは通っちゃいけない気にさせられて生者が無意識のうちに誘導されるのだ。

 

そういう意味では、入学試験に合格して夢の舞台に入ることができた夢いっぱいの新入生にとって、ウマ娘との出会いをなくすことでトレーナーからのスカウトを妨害してくる妖怪:塗壁の存在は非常に害悪であり、入試期間を目前にした時期の妖怪退治は熱が入った。

 

そのためか、学生寮に特別に入ったことがある飯守Tの目には妖怪:塗壁がたくさん写ることになった。私も学校裏世界の学生寮に進入しているので、正体がわかって以降の妖怪:塗壁に対する浄化の雷霆の威力は増していった。

 

どうやら、人によって遭遇できる妖怪に傾向があるらしく、それが悪霊が妖怪化する悪因縁に対抗できる因果を作り出しているらしい。妖怪:塗壁なんてデカくて地響きを立てて目立つ妖怪は今まで見たことがなかっただけに。

 

あるいは、退治できる妖怪としか戦わないように全ての生命のエネルギーの源である太陽神であり日本国民の祖神であり大日如来と同一視される天照大神の加護がそうさせているとも言える。

 

これが伊勢神宮の御垣内参拝で見た幻覚から得た霊智であり、全ての生命のエネルギーの源である太陽神の加護によって、適度に視える悪霊や妖怪を天照大神が階層化させて退治できるようにしてくれていた。

 

また、生物の常識を超えた悍ましい異形の悪霊や妖怪を前にして恐怖のあまりに正気を失いそうになる時も偉大なる祖神の御名を唱えることでチャクラを通じて天照大神の太陽エネルギーを引き出すことができるようになっていた。

 

しかし、無限には引き出せないので、学校裏世界に呼び出された時に与えられる目標に向かって 毎回毎回を全力で取り組めるように あえて制限してくれているようでもあった。

 

実際、いろいろな異形と裏世界で戦うことになった私が正気を保つことができているのも、全ては伊勢神宮で授かった霊智のおかげであり、裏世界での戦いの恐怖を表世界に引き摺ることなく過ごせるようにメンタルケアも完備されていた。

 

 

それでも、私一人で戦うにはあまりにも妖怪たちは奇想天外かつ強大であった――――――。

 

 

今でこそ3ステップで妖怪退治を行えるプロセスが確立しているが、その鉄則がわかるまで雑魚妖怪相手にどれだけ霊的に殺されそうになったかを思うと、命がいくつあっても足りはしない。

 

他にも、並行宇宙からの侵略者であるWUMAは肉体を持つ(生命体である)が故に生命活動を停止させられるように肉体を欠損させれば普通に死ぬのだが、

 

妖怪共は霊的存在として肉体を持たない(生命体ではない)が故に殺すことができないので、きっちりと妖怪を妖怪足らしめている悪因縁を断ち切るように浮かび上がらせた線や点を浄化しないといけないのだ。

 

そのため、無闇に一撃死を狙って頭から真っ二つにしても逆に怨みを強めて復活してしまうので、WUMAとはちがった意味で常に急所を抉る一撃を繰り出していかないとならないので、毎回毎回の真剣勝負の重みが半端ではなかったのだ。

 

 

パシャパシャ・・・

 

飯守T「よっしゃあ! 一丁上がり!」

 

斎藤T「妖怪:塗壁の退治も順調ですね」

 

飯守T「けどよ、斎藤Tからすれば妖怪:塗壁の相手は今日が初めてなんだろう? 他にはどんなのが居たんだ?」

 

斎藤T「そうですね。たとえば、妖怪:馬の足という夜道を歩いているときに遭遇するといわれる日本の妖怪の退治もしましたね」

 

飯守T「……は? 『うまのあし』? えと、どれどれ?」スチャ ――――――デジタル妖怪図鑑で『うまのあし』を検索!

 

斎藤T「基本的にデジタル妖怪図鑑には解析した妖怪の個々のデータは裏世界から帰還する際に呪物化するのを防ぐ目的で即時抹消されているので、一般的なデータベースのものしか参照できませんけどね」

 

飯守T「うわっ!? なんだ、この脚しかないのに木の枝からぶら下がっているのは!? おっかねえ!?」

 

斎藤T「それが妖怪:馬の足で、校舎の桜並木にたくさんぶら下がっているのを見た時はあまりの意味不明さに血の気が引いたものです」

 

斎藤T「まあ、動かない的なので3ステップの妖怪退治のプロセスを確立するのに役に立ちましたけどね」

 

飯守T「……こいつの正体はいったい何なんだ?」

 

 

斎藤T「妖怪:馬の足の正体は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()です」

 

 

斎藤T「足しかないのは夢の舞台に片足を突っ込んだ程度しかいられなかったから。桜の木にぶら下がっているのは入学シーズンの象徴で、嫉妬心から不用意に近づいたウマ娘に蹴り上げようとしているわけです」

 

飯守T「!!」

 

飯守T「つまり、来週からの入試期間の結果次第で妖怪:馬の足が再び桜並木にぶら下がってくるわけなのか!?」

 

斎藤T「こればかりはしかたがないですね。夢破れた受験生の未練の象徴ですからね。入学シーズンに不用意に桜並木に近づかなければ害はないし、実害も軽く蹴られた程度です。塗壁ほどの有害さはないです」

 

飯守T「…………本当にどうしようもないな、これは」

 

斎藤T「ただ、数が数ですからね。総生徒数2000名弱にもなるマンモス校として数多くの生徒を受け容れる努力をしても、入試倍率は凄まじいものですから」

 

斎藤T「これはこれで駆除するのも一苦労で、カメラのフィルムや金剛杵が足りなくなるので、別の意味で手強い妖怪でしたよ」

 

斎藤T「まあ、おかげで大量受注で使い捨てカメラや金剛杵の単価が安くなるメリットと妖怪退治の3ステップのプロセスを確立することができたので、良い訓練相手になりましたが」

 

飯守T「他には?」

 

斎藤T「他には、妖怪:馬鹿というオバケに襲われましたね」

 

飯守T「――――――『うましか』? 」スチャ ――――――デジタル妖怪図鑑で『うましか』を検索!

 

飯守T「ぎえええええええええ!? 何だ、このオバケぇえええええ!?」

 

斎藤T「凄いでしょう? 衣服を着て前足を左右に広げ、目ん玉が上に向かって飛び出した馬の姿で描かれていて、前足の蹄がふたつに割れて鹿の足になっているんだよね」

 

斎藤T「馬は1本指の奇蹄目で、鹿は2本指の偶蹄目ということで、馬のようでいて実際には鹿の足をしているオバケということで妖怪:馬鹿らしいです」

 

斎藤T「あ、この場合の馬というのは干支の“午”のことだけれど、イメージがつきます?」

 

飯守T「あ、ああ……。干支の“午”のことね……。てっきりWUMAのことかと思ったけど、本当にそっくりだよ……」

 

斎藤T「ええ。WUMAにそっくりです。ただ、WUMAは全身タイツに見える肌白が特徴なので、こんなふうに衣服を着ることもないですけど、目玉が飛び出ているのはさすがにビックリ仰天ですけどね」

 

斎藤T「おそらくWUMAと同じようにウマ娘がこいつと遭遇した場合は本能的な恐怖から発狂する可能性が非常に高かったわけなので、仲間に誘うことができなかったんです」

 

飯守T「ああ。というか、こんな両手を広げて迫ってくるだなんて正真正銘の変質者じゃねえか!? こいつはいったい何なんだよ!?」

 

 

斎藤T「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()です」

 

 

飯守T「うわあああああああああああああああああああああ!?」

 

斎藤T「目玉が上に向かって飛び出しているのは『下を向きたくない』という報われない境遇の中での強がりと自己愛が妖怪化したもので、馬の蹄から鹿の蹄に変貌しているのは溢れんばかりの性欲によって闘争本能が萎えて蹄が割れたのがケアされていないことが具象化したものだと思われます」

 

飯守T「え、ええええええええええええ!?」

 

斎藤T「要するに、夢の舞台でスターウマ娘になるという自己実現の欲求が叶えられずに 唯一残されたものが思春期特有の情動に身を焦がして『誰かに自分を見てもらいたい』という非常にシンプルな承認欲求ですね」

 

斎藤T「つまり、夢の舞台で自己実現ができずに誰からも注目されない寂しさが生み出した承認欲求と愛欲のオバケですよ」

 

飯守T「…………俺のライスもそうなる可能性があったと考えると笑い事じゃなくなるな。あいつ、最初から自分が勝つことを前提にして話を進めるところがあったからな」

 

斎藤T「なので、とにかく自分以外のウマ娘が目立つのを嫌がり、自分が注目されるように注目を集めているウマ娘の側でアピールをしまくるわけですが、」

 

斎藤T「表世界ではまったく視えない存在であっても 当然 目玉が上に飛び出ているようなオバケの風体なので、何か変なのが一緒にいる気配を撒き散らして周囲のウマ娘の存在感を汚くする悪徳を働いているわけですよ」

 

飯守T「うわっ! 目に見えないのに目の毒になる妖怪かよ! 最悪だな!」

 

 

斎藤T「そうです。これからもトレセン学園は自己実現の欲求が叶えられずに妖怪になるウマ娘たちの無念を無限に創り上げていくわけです」

 

 

飯守T「……知りたくなかったかもしれない、そんな裏事情なんて」

 

飯守T「でも、本質はそこじゃないんだよな」

 

斎藤T「そうです。学校裏世界におけるウマ娘の無念が妖怪化したもののほとんどは大した害意をもっているわけじゃないんです」

 

斎藤T「どうも、ウマ娘は闘争本能の強さ故に白黒つけるのがハッキリしている分、勝負事での恨み辛みはあまり残さない性分らしいですね、裏世界の実態を見る限りだと」

 

斎藤T「傾向としては内向的で、自分の問題点を責める形で妖怪化しているのが大半です」

 

斎藤T「むしろ、勝負の世界で出走バ以上に熱くなって強烈な恨み辛みを残していくのが――――――」

 

飯守T「――――――『ヒトの方』だってことなんだな、妖怪:塗壁のように」

 

斎藤T「ウマ娘の塗壁はおそらくはいないはずです。トレーナー寮の出入りは可能ですからね」

 

飯守T「つまり、どこまでも本質が自分自身のことじゃないからこそ、ウマ娘レースで走る当人以上に周りの人間が外向的な傾向になって、結果として他者に積極的に害をもたらす妖怪にもなるわけなんだな」

 

 

斎藤T「そうです。ヒトをもっとも苦しめる存在は他ならぬヒト自身です」

 

 

飯守T「………………」

 

斎藤T「!」ピクッ

 

飯守T「?」

 

斎藤T「――――――どうやら、来たみたいですね」

 

飯守T「何が? 新手の妖怪か?」グッ ――――――金剛杵を握りしめる。

 

飯守T「ん、何だ!? 空に浮かんでいる玉虫色に光るアレは!?」

 

斎藤T「あれこそがウマ娘にとっての死神!」

 

 

――――――その名も妖怪:頽バ!

 

 

妖怪:塗壁 退治は一段落し、用意してきた使い捨てのフィルムカメラとプラスチックの金剛杵の数も心許なく、今日のところは飯守Tの初陣として戦果は十分として そろそろ撤収を考えていた時、やつは来た。

 

玉虫色に妖しく輝く緋色の着物と金の頭飾りを身につけた小柄なウマ娘が凍てつく波動の魔性の笑みを浮かべながら こちらに空からゆったりと降りてきたのだ。

 

最初に接触した時は心臓が凍りつくかのような恐怖に包み込まれて危うく殺されかけたのだが、そこを伊勢神宮で授かった真言を唱えることで生命の源である太陽エネルギーをチャクラから引き出すことができた。

 

それでようやくまともに戦うことが出来る学園裏世界最強の妖怪であり、今でこそ正体はヒトの悪霊であることがわかっているが、初遭遇時は見た目通りのウマ娘の妖怪だと誤認していた。

 

しかし、デジタル妖怪図鑑の完成によって正体を解析できた時、ウマ娘の異世界において最強クラスの妖怪であることを知り、ウマ娘のハーフである斎藤 展望の肉体が途方も無い絶望感に打ち震えるのを感じた。

 

 

そう、ウマ娘界最強の妖怪:頽バの正体はウマ娘という種族に対するヒトという種族が抱くコンプレックスが凝縮した妖怪であり、言うなればウマ娘に対するヒトの欲望が具現化した悪霊なのだ。

 

 

妖怪が妖怪としてその姿になるのは全て理由があるからであり、働きそのものが見た目になっていることを踏まえると、

 

玉虫色に妖しく輝く緋色の着物と金の頭飾りを身につけた小柄なウマ娘の姿になっているのはひとえにヒトのウマ娘に対するコンプレックスが可視化されたものと言える。

 

玉虫色の妖しい輝きは古来からのウマ娘に対する羨望や嫉妬が入り混じったヒトの感情が渦を巻いて乱反射しているからなのだろう。構造色:特定の波長の光同士が互いに強まったり弱まったりすることで目に見える色が変化したものに通じている。

 

また、法隆寺の玉虫厨子のように、タマムシ科の甲虫の翅は色彩が美しい上に年月を経ても色褪せないので、古くから調度品の装飾に使われていたとも言うので、仏の智慧の輝きとはちがう意味で物理世界に根を張った永遠なる輝きと言えた。

 

緋色の着物は大和朝廷時代より緋色が官人の服装の色として用いられて紫色に次ぐ高貴な色のイメージであり、やはりウマ娘に対する古来からの憧れや畏怖の色だと思われる。

 

あるいは、緋色とはスカーレット(scarlet);正しくはスカーレットレッド(茜染めの高級織物の赤色)であり、それに因んでスカー・レッド(scar red)という言葉遊びで嘲ることもある色らしい。

 

金の頭飾りもヒト社会におけるウマ娘の地位の高さ(ステイタス)の象徴であり、国民的スポーツ・エンターテインメントとして近代ウマ娘レースのスターウマ娘たちが持て囃されていることの象意であろう。

 

しかし、私からすれば『位が認められているということは位を認める存在に服従している』とも見做せるので、ヒト社会にウマ娘が服従していることの象徴にも見えた。

 

そして、小柄な体格のウマ娘として具現化しているのは、どれだけ高貴な身形をしていようとも『所詮はヒト社会では不自由を強いられるだけの小娘である』という本音が形になったものだと思われる。

 

実際、ウマ娘はヒトを超越した身体能力や美貌を持っていたとしても、その身体能力の高さから何かとヒト社会では不便や不自由を強いられてきたのは確かであり、

 

どれだけウマ娘が平均的にヒトを超越した力自慢であろうとも高性能化した重機のパワーと精密さには人力では敵わなくなってきているし、

 

文明開化を果たした近代国家においてはウマ娘特有の尻尾と長い耳が工場勤めでは邪魔になっていることもあり、ウマ娘は近代革命において一時期は労働力としてヒトの女に劣るウドの大木とされた時期さえあった。

 

そうしたヒトとウマ娘が共生する異なる進化と歴史を歩んだ21世紀の地球の複雑に入り混じったコンプレックスの象徴として、今まさしく目の前にヒトが生み出した最強のウマ娘の妖怪:頽バが降り立ったのだ。

 

そのため、妖怪退治の3ステップのプロセスが完成した今となっても、存在そのものがウマ娘の異世界に住むヒトの業の化身である妖怪:頽バの悪因縁を一時的に弱らせることはできても決して断ち切ることができないので、撃退するのが精一杯であった。

 

おそらく、世界中のヒトとウマ娘が共生する進化と歴史を象徴する場所にはその土地土地の妖怪:頽バが存在しており、まだ地球規模の存在ではないからこそ、私一人でも撃退できる程度の脅威ではあったが、

 

逆に言えば、学園規模の存在でさえも撃退するので精一杯の脅威であり、これが地域規模や国家規模にまでなった場合は本当に手が付けられないことが予想された。

 

 

なので、妖怪:頽バと遭遇したら 対抗手段である金剛杵にも数に限りがある以上 一目散に逃げる他なかったのだ。

 

 

何しろ、妖怪:頽バはヒトのウマ娘に対するコンプレックスが化身した妖怪だ。切り口1つで様々な形態になるため、何が飛び出してくるかがわからないぐらいだ。

 

そして、哀しいことに、別に妖怪:頽バだけが 特別 強敵というわけではない。他にもいろいろな複雑怪奇で退治するのに骨が折れる以上の妖怪共が存在していたのだ。

 

そもそも、妖怪退治の3ステップのプロセスの欠点は、何をするにしても対象に向けてのアクションが全てなので、まず対象を捕捉できないとどうすることもできないことにある。そのための広角レンズなのだ。

 

悪因縁を浮かび上がらせるためには最初の段階でデジタル妖怪図鑑を対象に向ける必要があるし、その悪因縁を浄化するためには金剛杵を命中させる必要があり、最後の封印もフィルムカメラでベストスナップする必要があるわけなのだから。

 

なので、今回はデカくて動きも鈍い妖怪:塗壁だったので飯守Tの初陣となるチュートリアルとしては最適だったが、妖怪:頽バのように小柄なウマ娘に擬態している妖怪が俊敏に動き回った場合はとてつもない脅威になるのは理解できるだろう。

 

しかも、見た目はウマ娘だが 実態はヒトの悪霊の集合体なので、三人寄れば文殊の知恵とでも言うのか、凄まじく悪知恵が発達しているのだ。

 

 

――――――ヒトの知恵とウマ娘の肉体の悪夢のコラボレーションが学校裏世界に存在していたのだ。

 

 

 

――――――現実世界/トレセン学園/中央広場

 

 

斎藤T「……どうでしたか、初陣の感想は?」ゼエゼエ

 

飯守T「いやはや、一筋縄ではいかないよな、さすがに……」ゼエゼエ

 

飯守T「正直に言って、楽勝な相手と一緒に詰みに近い相手と戦わなくちゃならない怖さで震えが止まらないよ……」ゼエゼエ

 

斎藤T「だとしても、いずれは妖怪:頽バは必ず退治しなければならない」ゼエゼエ

 

飯守T「だな。あんなのが裏世界にいることを知ったら、何とかしなくちゃならないと思う」ゼエゼエ

 

 

斎藤T「ただ、妖怪:頽バは校舎側に現れる最強の妖怪です」

 

 

飯守T「――――――『校舎側』?」

 

飯守T「おい、ちょっと待ってくれよ。それじゃ、まるで他にも最強の妖怪がトレセン学園の裏世界に巣食っているみたいじゃないか」

 

斎藤T「そうですよ。妖怪:頽バがヒトのコンプレックスがウマ娘の形になった最強の妖怪で、その領域がトレセン学園校舎だとすれば――――――?」

 

飯守T「ま、まさか!?」

 

 

飯守T「その逆となるウマ娘のコンプレックスがヒトの形になった最強の妖怪がトレセン学園学生寮に――――――!?」

 

 

斎藤T「ええ、いるはずですよ。妖怪:頽バは学生寮の領域に侵入できませんから」

 

飯守T「妖怪:頽バの正体がヒトだから、学生以外進入禁止の学生寮に入ったヒトがほとんどいないからだな」

 

斎藤T「そうです。同じように、学生であるウマ娘のほとんどが足を踏み入れたことがない場所には、ウマ娘に由来する妖怪は入ってこれないです。それが証拠です」

 

斎藤T「ライスシャワーの死の予言は別なところで知りましたが、学校裏世界の実態を見れば その因果にも納得がいくでしょう?」

 

飯守T「ああ……」

 

飯守T「納得かも。今だって理想のトレーナーからスカウトされるのを夢見て部屋に閉じこもっている生徒がいるんだから」

 

斎藤T「それに、聞いたことがありますか?」

 

 

――――――トレセン学園学生寮に現れるという“座敷童子”の噂。

 

 

国民的スポーツ・エンターテインメントの夢の舞台であるトレセン学園の闇は深い――――――。否、それこそが異種族共生社会の現実であり、避けようがない必然でもあった。

 

しかし、そうなるのがわかっていながら何もしないでいるのが21世紀の人間の悪いところであり、

 

自分たちの悪習や悪性を理解していながら自己改革を果たそうとしないところが23世紀の人間とはまったくちがう生き物のように感じられていた。

 

つまり、歴然とした学問や教養の差であり、人と霊と神が一体となっていた太古の時代への帰還はまだまだ先のことに感じていた。

 

 

だが、それでも私は契約書のない契約を律儀に果たそうと足掻き続ける他なかった。

 

 

それが23世紀の本当に素晴らしい時代に生まれ育った人間としての誇りであり、地球の文明の継承者としての自負心がそうさせた。

 

正直に言って、もう自分ではどうしようもないほどの脅威の数々に向き合わされ続けており、23世紀の宇宙科学による文明開化を目指すためにはそれらを順番に解決しなくてはならないとあきらめてさえいた。

 

それらを無視をして自分の夢に邁進したら21世紀の地球がどうなっていくのかがわかるだけに、私は多方面に渡って孤独な戦いを続けなくてはならないだろう。

 

WUMAに人造人間に、学校裏世界の妖怪、それにトレセン学園のトレーナーとして担当ウマ娘をレースで勝たせる他に、現実世界の複雑な人間関係や権力構造とも戦っていかなくてはならないのだから。

 

ただ、そうした戦いの日々に言いようのない高揚感を抱いているのも本心であり、ここに来て『剣と惑星もの(Sword and Planet)』の冒険活劇の日々に悦びを感じているのも事実であった。

 

そのため、運命の歯車が回って冒険活劇の陶酔感に浸って流れていくように毎日を送っており、新たな発見と未知への興奮が絶えることがない。

 

そういう意味では、私はとにかくどうしようもないほどに宇宙移民として最高の資質を持っており、

 

それが当初の予定とはまったくちがった新惑星での日々に活かされているのだから、自分の運命なんてものは肯定も否定もせずに只今を生きるだけだ。

 

だから、今日の反省を踏まえて 次はどの手を使おうか どうしてやろうかと考える度に、明日の予定はもっともっと夢が詰まっていく。

 

そして、小休止の後、校内の見回りをして今日も今日とて期末テストに追われている生徒たちの勉強を風景を横目に、

 

学業が本分である子供たちのよくある恨み言である『テストなんてなくなればいい!』と喚いている生徒たちの心の叫びが妖怪に変わっていないかをロッドアンテナを向けて確かめるのであった。

 

 

――――――今日も期末テスト必勝祈願の豆撒きをする必要がありそうだ。

 

 

もっとも、豆とは言っても実際には無色透明の魔除けのお香の消臭ビーズを煎り豆に見立てて投げることでリラックス効果のある香りを拡散させて恨みの炎の初期消火を行うようなものである。

 

それを誰もいなくなった頃合いを見計らってそこら中に投げつけるわけであり、人の体温に触れてから1分以内に拡散するので速効性があり、辺りにお香が漂うので気分が非常に和らぐことだろう。

 

だからこそ、こうして校舎側の清掃ができても学生寮に撒くことができない歯痒さがあり、どうにかして生徒たち自身で学生寮の清掃をしてもらいたいところだが、迂闊なことを教えられないのが現状であった。

 

人の心の世界は無限大に拡がっているからこそ ありとあらゆる天国と地獄に感応するわけであり、面白半分に踏み込んで正気を完全に失う危険性があった。

 

そして、現実世界においては身体能力こそヒトを超越しているウマ娘だが、霊的な次元においてはヒトがウマ娘に完全に勝っていることも知ったため、霊的なことに関しては適材適所でヒトにやってもらいたかった。

 

なので、学校裏世界にある学生寮には何度か進入することはできているのだが、裏世界の生き物の糧になるものを供給し続けている表世界の改革に着手できない現状が歯痒いばかりだ。

 

こういった面でまだまだ21世紀の人間は未熟な文明の担い手であると言え、自分たちが出した悪因縁の後始末ができない赤ん坊のようなものであった。

 

だが、それが事実だからといって自分だけの世界に逃げ出すことも叶わないのなら、可愛げのないブサイクな赤ん坊の面倒を見るものだとわりきって、真心をもって接していく他ないのだ。

 

これもまた私個人の人間形成の修行の道であり、生徒たちにとっては期末テストは決まった時期に必ず訪れる季節の風物詩であるが、

 

私にとっては年中絶えず訪れる試練の数々が 今まで自分が学んできたことの全てが問われる 赤点で世界が終末を迎えてしまう 期末テストのようなものである。

 

なので、私も一夜漬けの付け焼き刃で期末テストに臨むのではなく、心を落ち着けて日々の誠心誠意の努力で成績を掴み取る堅実さを忘れないように、

 

試験期間中の生徒たちの断末魔を何度も耳にしてから無心で魔除けのお香の消臭ビーズの豆撒きをするのであった。

 

 

――――――鬼は内! 福は内! 鬼は内! 福は内!

 

 



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祈願報告  厩戸皇子の伝説 前編

聖徳太子を観音の化身として祀る太子信仰というものがある。

 

21世紀の日本の歴史教育の現場においては聖徳太子虚構説なるものが蔓延して、天皇を中心とした神仏習合の“和を以て貴しとなす”日本の文化と歴史を築き上げた最大の功労者の存在をなかったものにされているようだが、

 

それならば、キリスト教の創始者であるナザレのイエスや仏教の創始者であるゴータマ・シッダールタの実在性についても同じことが言えるはずである。

 

少なくとも、本格的な日本国の始まりを担った聖徳太子の存在を教科書から抹消するのは愚かなことで、この辺りが私が21世紀の歴史学者というものを栄養学者の次に信用していない根拠であり、

 

21世紀では未だに本能寺の変の真相についてああだのこうだので様々な論が飛び交って、それが様々な切り口からの創作物になっているのは知らないからこその創造性としてかえっておもしろいものがあるが、

 

聖徳太子の存在を蔑ろにする21世紀の現代人の感覚は、23世紀にも生き残る太子信仰から敏達天皇3年1月1日(574年2月7日)の生誕祭を祝う私にとっては信じられないものがあった。

 

しかし、信教の自由が認められている世界なので別に太子信仰をしていないこと自体は罪ではない。

 

ただ、忘恩負義の者が跋扈している状況を 先日の学園裏世界での妖怪退治で垣間見た人間の負の一面を見てきたばかりなだけに 無性に腹立たしく思っているだけで、

 

どのみち、23世紀の宇宙時代には太子信仰が今よりも盛んになるわけなので、それ以上は追及するつもりはない。

 

 

 

さて、そんな聖徳太子であるが、その「聖徳太子」は後世の尊称ないし諡号であり、生前は厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこと)と呼ばれていたとされる。

 

つまり、馬小屋で生まれた逸話と一度に十人の話を聞くことができた逸話から名付けられたものであり、本名や幼名となるものは不明である。そのように私の知る歴史では理解されてる。

 

しかし、このヒトとウマ娘が共生する 異なる進化と歴史を辿った 異世界においてはどうなのかと言うと、

 

こちらにおけるナザレのイエスがヨーロッパと同じように馬小屋ではなく家畜小屋で生まれたと明記されているのに合わせて『馬小屋で生まれたことが一致している』という私の世界における俗説はなくなっているが、

 

このヒトとウマ娘が共生する異世界における『厩』というのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を意味するものであり、

 

つまり、ウマ娘というヒトとは似て非なる人種もまた古代においては鬼の一種として怖れられて迫害されてきた歴史があるのだ。

 

たしかに、ヒトを超越した身体能力を持つウマ娘であるが、その馬鹿力に対応できる道具や環境が21世紀になっても完全とは言えないことを考えると、

 

現代に至るまでウマ娘はその力の強大さ故にヒト社会に馴染むことができず、時の為政者が管理のために集落から離れた場所で暮らさせてきたのが普通であるらしい。

 

実際、美しい女性しか誕生しない種族であるが故に観賞用や性の捌け口としては申し分ないが、閨で抵抗された時には一瞬で蹴り殺される事故も多いため、権力者たちはむしろウマ娘と交わることを忌避していたとされる。

 

というより、権力者を暗殺するために特徴である耳や尻尾を切り落としたウマ娘が拳一つで宮廷を血の海に変えたこともあるらしく、ウマ娘の圧倒的な力は古代では鬼の一種として怖れられたのも当然だったのだ。

 

だいたいにして、雌しかいないがためにヒトの雄を必要とする種族なので、古来からヒトの精子を求めて男子を攫いに人外のパワーで暴れ回る鬼の一種ということなので、働き手である男子の価値が非常に高かった古来のヒト社会においてはとてつもない脅威でもあった。

 

そのため、そうした鬼共を退治して管理下に置いて統制する厩司(うまやつかさ)を置くのが古代の宮廷では常識であったらしく、そうした鬼の生存本能を満たすために生贄となる者を“種馬”として送り出す風習すらあるのだそうだ。

 

そのため、私の知る地球の歴史でも馬は軍事力の象徴でもあるのだから、厩司がそういった武断的な性質を帯びるのは不自然なことではない。

 

これがヨーロッパにおいては野蛮なケルピー族やケンタウロス族として猛威を振るっていたわけであり、魔族として徹底的に弾圧されて撲滅させられたらしいのだ。

 

だからこそ、ウマ娘は今でこそ第3の性としてヒト社会に溶け込んではいるが、人口比で言えば1割にもならない少数派(マイノリティー)でもあったのだ。

 

 

そうなのだ。ウマ娘がどれだけ強大であろうとも所詮は野卑の存在であり、文明の力で百獣を駆逐して勢力を拡大してきたヒトの叡智の前に平伏したのが20世紀後半の“発見の世紀”までの扱いでもあるのだ。

 

 

実は、私の生まれた世界における四本脚の「馬」は存在せず、この世界ではヒトの姿を取った二本脚の「ウマ娘」が存在するため、その象形文字となる「ウマ」の漢字も 点は4つではなく 2つであるのは周知の事実だが、

 

現在では「ウマ」の漢字だけはそのとおりで、馬偏の漢字の場合だと私の知る四本脚に由来する「馬」の字そのものになっているのだが、

 

一説によれば、とある歌人が狂歌の中で「駆」や「駿」などの時の馬偏を「点四個」で記し始め、曰く『駆けるウマ娘の脚の動きは余りに速く、我が目には四本にも見えるほどだ』と述べたのだそうだ。

 

その表記は歌人の間で流行りに流行り果てには庶民にまで広まっていき、明治時代を迎える頃には「点四個」の馬偏はすっかり人々の間で一般的になっていたのだとか。

 

 

――――――しかし、実際にはそうではなかったのだ。

 

 

そもそも、なぜ「馬」という漢字から「点二個」となる不自然に隙間の空いた象形文字が「ウマ娘」に当てられたかである。

 

それは非常に簡単なことであった。美しい女性しかいない異種族であるウマ娘に対して、漢字を発明した中華帝国の中華思想が反映されたものがその「ウマ」という漢字の成り立ちであるからだ。

 

そう、同じ二本脚で歩くことができる人型生物であるウマ娘に対して古代中国の文献では「馬」の字が宛てがわれていたのである。元から「ウマ娘」を意味する漢字は「馬」だったのだ。

 

これが意味するところ、即ち美しい女性しかいない異種族である強大な力を持つウマ娘を四つん這いにさせた時の姿が漢字になったものであり、

 

中華思想において禽獣夷狄の具現であるケモノの耳と尻尾と獣性を持つウマ娘に対して中原を治める天子に平伏す――――――、

 

否、朝貢のために天子に自らの肢体を差し出し、その見返りに天子の子種を授かることに喜んでいるさまが由来になっており、それぐらいにウマ娘という強大な異種族を征服することは古代における支配者の威光を示すものであったのだ。

 

つまり、ウマ娘は完全にヒトではない“バケモノ”という見方がなされていたが故に最初は「馬」という征服と嘲りを含んだ漢字だったものが、次第に古代中国においてウマ娘の地位が向上する過程でヒトであることが認められて現在の「ウマ」の字に置き換わったようなのだ。

 

なので、後に漢字を輸入した日本においてはその成り立ちを詳しく知ることなく「ウマ」の字が受け容れられたらしく、

 

更に、遣隋使や遣唐使たちが持ち帰った漢籍においてはウマ娘を明らかに蔑視している古代中国人の間では旧字となった「馬」が依然として使われており、一部の歴史学者が熱心に否定している事実となっている。

 

なので、「ウマ」=「ウマ娘」に関連する漢字の全て――――――一般的には『厩』という漢字も差別用語と言っても差し支えないのだが、ウマ娘の異世界における厩戸皇子の名の由来は非常に肯定的なものであった。

 

 

――――――家柄にこだわらず貴族ではなくても有能な人間を確保する人材登用のために制定された『冠位十二階の制』で厩の住人たちにも門戸を開いたのだ。

 

 

そう、厩戸皇子が現代においてもウマ娘たちからの理解を得られているのは、当時としては非常に開明的で、賤人階級にあったウマ娘たちにも遇したことに由来するのである。

 

一説によれば、聖徳太子の死は後に政権を握ることになった蘇我氏の陰謀であるとされ、その動機の1つとして神仏習合までは受け容れられるがウマ娘の政治への参画には反対であったことが挙げられる。

 

実際、日本におけるウマ娘の社会的地位は明治時代の文明開化以降にようやく向上したと言っても過言ではなく、それまでは見た目通りのケモノの特徴を併せ持った畜生道の化身として忌避されており、

 

当時の男尊女卑の風潮から地蔵菩薩の二十八種利益:女転男身(女性から男性になれる)と為王臣女(王や大臣の令嬢になれる)が厩の住人たちにとっての救いでもあったのだ。

 

しかし、裏を返せば、男性のような立居振舞ができる威風堂々のウマ娘や高貴な生まれの令嬢のように振る舞えるウマ娘もいたわけであり、

 

それが 代々に渡って天皇家を警護することを使命とする 現代に繋がる皇宮警察のウマ娘のルーツというわけでもあり、ヨーロッパにおいては近代ウマ娘レースのルーツとなった宮廷舞踊家の踊り子ウマ娘もそれに該当する。

 

この皇宮警察の家系のルーツとなるウマ娘こそが、厩戸皇子の『冠位十二階の制』で冠位を授かった最初のウマ娘であり、

 

それ故に天皇家への忠誠を誓う皇宮警察の家系のウマ娘はそれとは別に熱心な太子信仰であることが多いのだ。

 

よって、聖徳太子虚構説をもっとも糾弾しているのが他ならぬ熱心な太子信仰の皇宮警察の家系である斎藤 展望の実家であり、2月7日は聖徳太子生誕祭として必ず祝うのが習いとなっていた。

 

 


 

 

●西暦20XY年02月07日の午前中 1周目

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

斎藤T「……よし」スッスッ ――――――旧正月での書き初め!

 

斎藤T「我ながら上手い出来だ」

 

斎藤T「……まさか、ここまで聖徳太子を信仰するようになるとは思わなかったけどな」

 

 

シリウスシンボリ「よう、斎藤T。邪魔するぜ」ガチャ

 

 

斎藤T「……うん? 期末試験中に生徒がいない隙に学園に入り込むとは何用かな?」

 

シリウスシンボリ「そういうあんたも生徒が期末試験中に書き初めなんてしてるのか?」

 

シリウスシンボリ「……それで何だ、その四字熟語?」

 

 

――――――兼知未然

 

 

斎藤T「訓読して『兼ねて未だ然らざるを知ろしめす』と言う。王羲之の書風で書いた」

 

シリウスシンボリ「はあ……? まあ、あんたが相当な達筆だってのはわかるけど……」

 

斎藤T「……あまり知られてないかぁ」

 

シリウスシンボリ「そんなことよりも、あんたに会わせたいやつがいるんだ」

 

シリウスシンボリ「入って来な」

 

斎藤T「……『予約もなしに会いたい』ということは非公式の会見ということか」

 

 

シンボリグレイス「お初にお目にかかります、斎藤T。私はシンボリグレイスと申します」※成人女性

 

 

シリウスシンボリ「ダービーウマ娘の私とは同期にして同世代のいけ好かない菊花賞ウマ娘だ」※成人女性

 

シンボリグレイス「情報は正確に言いなさい。『菊花賞』の他にも『有馬記念』『天皇賞(春)』も制しています。『日本ダービー』だけのあなたとはちがって」

 

スカーレットリボン「………………」※成人女性

 

ソラシンボリ「………………」※小学生ぐらいの顔つきの子供

 

斎藤T「割と大勢で来たようですけど――――――」

 

斎藤T「ん? んん?」

 

ソラシンボリ「あ……」

 

シリウスシンボリ「お、気がついたか?」

 

 

シリウスシンボリ「こいつはソラシンボリ。来年度からの新入生だから、よろしく頼む」

 

 

ソラシンボリ「あのっ!」

 

シンボリグレイス「――――――!」ジロッ

 

ソラシンボリ「あ……」

 

ソラシンボリ「よ、よろしくお願いします……」

 

斎藤T「は、何を? 何を『よろしく頼む』って?」

 

シリウスシンボリ「おいおい、()()()()()()だぜ、あんた」

 

斎藤T「ああ、なるほど。()()()()()()ですか」

 

シリウスシンボリ「ああ」

 

斎藤T「……そうか」

 

スカーレットリボン「………………」

 

斎藤T「……そちらの秋川理事長によく似た流星のあなたは?」

 

 

スカーレットリボン「スカーレットリボンと言います。勝鞍はG2『報知杯フィリーズレビュー(桜花賞トライアル)』です」

 

 

斎藤T「なるほど、毛並みからしてシンボリ家の人間ではない気がしていたけど、スカーレット族の方ですか」

 

スカーレットリボン「はい」

 

スカーレットリボン「この子は、その、()()()()()でして 、とても才能があるんです」

 

スカーレットリボン「ですから、シンボリ家の方に――――――」

 

 

斎藤T「ああ、つまり、『身分を貸してもらっている』と?」

 

 

ソラシンボリ「………………」

 

スカーレットリボン「……はい」

 

斎藤T「……この業界に入ってまだ1年目なのでわからないのですが、よくあることなんですか?」

 

シンボリグレイス「特段珍しいことではありません。ウマ娘の『名家』とはウマ娘が生まれ持ってきた異世界の英雄の名前で結びついておりますので」

 

シリウスシンボリ「そりゃそうさ。必ずしも『名家』のウマ娘の子供が『名家』の冠名を戴く異世界の英雄の魂を宿すわけじゃないしな」

 

シリウスシンボリ「世間体のために生まれてきた令嬢に冠名を戴く真名を名乗らせることもあるし、『名家』に才能あるウマ娘を迎え入れる時もそういった配慮はするよな」

 

シリウスシンボリ「他にも、トレセン学園に在籍していられるのは生徒なら中高合わせての6年だけなのに、トレーナーってやつは引退即退学にならずに何年でも居座れるしな」

 

シンボリグレイス「そういう意味ではトレーナーと競走ウマ娘は対等の関係ではないのです」

 

シンボリグレイス「ですので、常に競走ウマ娘の側に立って狡猾なトレーナー組合の毒牙から才能あるウマ娘を護るために、『名家』では多くの才能あるウマ娘を継続的に輩出し続ける必要があるというわけなのです」

 

 

シリウスシンボリ「要は、『名家』のウマ娘に相応しい実力さえあれば、出自は不問にするのが習わしだぜ」

 

 

シンボリグレイス「もちろん、『名家』の冠名を戴く真名ではなくとも、別の冠名を持つ同胞を見つけ出して立派に独立を果たした『名家』もありますので、それに相応しい実力と品格があればよいのです」

 

シンボリグレイス「冠名を貸し与えているのに実力だけの品位を損なう輩は迎え入れるつもりはありませんよ、シリウス?」

 

シリウスシンボリ「そもそも、『名家』なんて嘘か本当かわからない共通の冠名の真名を自己申告して群れている連中の寄り合い所帯なんだから、その一員になるために真名を偽ってくる連中なんてごまんといるけどな」ハッ!

 

シリウスシンボリ「で、『名家』の一員になる資格をもらうために、『名家』が運営している私立のトレセン学園推薦校で英才教育を受けるわけだから、結局は実力第一で品位なんてものは勝手に身につくだろうに?」

 

斎藤T「なるほど」

 

ソラシンボリ「………………」

 

斎藤T「それで、この子がシンボリ家の冠名を与えるに値する未来の名バだと?」

 

シンボリグレイス「そういうことです」

 

シリウスシンボリ「ああ、こいつは“皇帝”シンボリルドルフに匹敵する才能を持っているシンボリ家の秘密兵器というわけさ」

 

斎藤T「――――――『秘密兵器』」

 

ソラシンボリ「………………」

 

斎藤T「ふーん」

 

シンボリグレイス「ここまで言えば、おわかりでしょう」

 

 

――――――“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンと同世代になることは避けねばなりません。

 

 

斎藤T「そういうことか」

 

シリウスシンボリ「ああ、そういうことさ」

 

シリウスシンボリ「こっちとしても“皇帝”卒業後のトレセン学園でのシンボリ家の影響力を残しておくためにもソラには勝ってもらわなくちゃならないんだ」

 

シリウスシンボリ「けど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってんなら話は別だ」

 

シンボリグレイス「来年度はアグネスタキオンにとってのメイクデビューの最後のチャンスですからね。延期してもらうわけにもいかないでしょう」

 

シンボリグレイス「勝算のない戦いをさせるよりはそのアグネスタキオンを見習って()()()()を視野に入れております」

 

斎藤T「つまり――――――?」

 

 

スカーレットリボン「……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

ソラシンボリ「……お願いします」

 

斎藤T「ああ、()()()()()()ですか」

 

シンボリグレイス「そうです。シンボリ家は来年度のアグネスタキオンのメイクデビューを全面的に支援することをお約束いたします」

 

シンボリグレイス「ただし、取引に応じない場合はウマ娘の未来のためにいかなる手段も講じます」

 

シリウスシンボリ「まあ、悪い話じゃないだろう? あんたは 元々 ()()()()()()だったわけなんだし、今更 悪名を被ることに抵抗なんてないだろう?」

 

スカーレットリボン「…………お願いします」

 

 

この日、私は懐かしの母校であるトレセン学園に密かに入り込んできていたシンボリ家の卒業生たちと密約を交わすことになった。

 

それは担当ウマ娘:アグネスタキオンのメイクデビューをシンボリ家が全面的に支援する代わりに、シンボリ家の次代を担う“ソラシンボリ”という一人の競走ウマ娘を監視役として手元に置くという裏取引であった。

 

『名家』シンボリ家のウマ娘というだけでも間違いなく注目の的になるというわけで、そのネームバリューだけでスカウトは引く手数多になることだろう。

 

実力が折り紙付きだからこそ、シンボリを名乗らせてもらっているだけに、ソラシンボリの素質はダービーウマ娘や菊花賞ウマ娘のシンボリ家の優駿たちから見ても本物なのだろう。

 

しかし、今年で卒業する“皇帝”シンボリルドルフに続くシンボリ家の新入生であるのならば期待の星として常勝を義務付けられているも同然のため、シンボリ家のウマ娘としてG1レースで勝つのは当たり前みたいなところがあったのだ。

 

その辺りは『天皇賞』での勝利こそが最強のウマ娘の証明であるという信念の下に長距離ウマ娘(ステイヤー)の育成に特に力を入れているメジロ家や、常識に囚われない手法と卓越した探究心による独自の最速理論を展開するのが持ち味のアグネス家などを見れば『名家』の矜持というものがわかるだろう。

 

 

そのソラシンボリの入学の年に“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンが満を持してメイクデビューするともなれば勝ち目はまったくないとして、シンボリ家の威厳を保つためにソラシンボリのメイクデビューを1年ズラす必要が生まれてしまったのだ。

 

 

なぜシンボリ家がこうして他所の『名家』のウマ娘のメイクデビューを支援するのかと言えば、同じく“シンボリ家の最高傑作”シンボリルドルフが自身をよく慕った“悲劇の天才”トウカイテイオーとは別な意味で一番にその才能を愛していたからに他ならず、退学にならないようにずっと手を回していたのだ。

 

シンボリ家もまた『名家』の筆頭格として『全てのウマ娘が幸福となる世界の実現』をモットーにしているため、素直にアグネスタキオンというウマ娘がどれほどの走りを見せてくれるのかを同じウマ娘として楽しみにしている。

 

もちろん、ターフの上で競う時は勝敗を争う純然たるライバルとして臨むが、こうしてウマ娘の未来を真剣に考える立場の人間にもなれば、誰よりもウマ娘の可能性を信じて結果が出ることを心待ちにしているわけなのだ。

 

実際、入学当初はアグネスタキオンはトウカイテイオーやメジロマックイーンでは比較にならないほどの実力を見せつけて、その走りに魅せられたトレーナーたちがキャベツに群がるモルモットのように矢継ぎ早にスカウトをしまくったぐらいなのだ。

 

そのことを“皇帝”シンボリルドルフを通じてシンボリ家も記憶しているため、アグネス家のウマ娘ではあっても前人未到の大記録の達成に純粋な期待と好奇心で胸が高鳴るのだ。

 

なので、才能を愛するシンボリ家のウマ娘たちからのアグネスタキオンの評判は意外にいいらしく、トレセン学園という狭い枠組みに満足してもらえずに立ち去ってしまうことを危惧して、いろいろとあの手この手のコネをシンボリルドルフに使わせて引き留めさせてきていた。

 

 

しかし、それだったら、研究者肌のために自分のペースを邪魔されたくないアグネスタキオンを慮って これまで通りに何も言わずにいればよかったのに、わざわざ私の顔を見に来たことの意味である。

 

 

それは言うまでもなく、シンボリ家が全力で支援すると決めたアグネスタキオンのその担当トレーナーと 直接 顔を合わせて為人を確認して釘を刺すことに他ならず、

 

すでに知り合いとなっていたシリウスシンボリを通じて、シンボリ家の代表としてトレセン学園暗黒期に活躍した菊花賞ウマ娘:シンボリグレイスがここに来たというわけなのだ。

 

このシンボリグレイスというウマ娘は戦績で言えば海外遠征で1勝も上げられなかったダービーウマ娘:シリウスシンボリよりも格は上であり、

 

クラシック三冠バが次々と輩出されたトレセン学園黄金期と比べるとイマイチに思えてしまうが、そのクラシック三冠がミスターシービーの登場でようやく果たされた暗黒期においては凄まじい戦績と人気で通っており、

 

『名家』の出身であることが一目でわかる その出で立ちと振る舞いから“貴公子”と呼ばれ、生徒会役員にも堂々と選出されていた。

 

一方で、同期にして同世代のシリウスシンボリは ご覧の通り シンボリグレイスとは犬猿の仲であり、暗黒期において直接的な弱者救済を掲げて学園に対して反抗的な姿勢を繰り返し、同じシンボリ家のライバルとは事ある毎に言い争いをしていた。

 

そのため、暗黒期において日陰者として燻っていた生徒たちからは“優等生”であるシンボリグレイスに対する もっとも明るい“一等星”として支持されており、海外遠征での勇ましさから“唯我独尊の開拓者”としてヨーロッパに名を知らしめていた。

 

しかし、一見すると相容れない関係に見える2人ではあるが、どちらもシンボリ家のモットーである『全てのウマ娘が幸福となる世界の実現』を真剣に考えているからこそのアプローチのちがいでしかなく、不倶戴天の敵同士というわけではないのだ。

 

私にとって一番身近なシンボリ家のウマ娘と比較すると、“貴公子”シンボリグレイスは非常に堅物で冷徹な男のような振る舞いをする鉄の女であり、“一等星”シリウスシンボリは身寄りのない者が集まる村の荒くれ者を従える女親分であった。

 

要するに、1人の人間としては非常に偏りがある2人であるが故に、それぞれの視点と理想からトレセン学園の表と裏の両方を動かす原動力になって暗黒期を終わらせることができたわけであり、大きな願いのために最終的には手を取り合うことができたのだ。

 

そんな2人の背中を見てトレセン学園の黄金期を築き上げた“皇帝”シンボリルドルフは“貴公子”シンボリグレイスと“一等星”シリウスシンボリの両方の要素を兼ね備えた 威厳と寛容と愛嬌と度胸を兼ね備えた完璧超人に育ったわけなのだ。

 

 

ならば、“皇帝”シンボリルドルフを形作った偉大なる先人たちがシンボリ家のモットーに基づいて見出したウマ娘とはいかなるものか?

 

 

このソラシンボリというウマ娘は“皇帝”シンボリルドルフによく似た流星と毛色をしており、見ただけでシンボリ家の人間だと見紛うほどの品格と才気を醸し出していた。

 

ただ、シンボリ家における扱いは生まれながらのシンボリ家のウマ娘とは雲泥の差であるらしく、夢の舞台の暗黒面を最初から聞かされて育てられているため、華やかな雰囲気の裏側に表情に影があった。

 

いや、これはおそらくはスカウトをされないように陰気な雰囲気を漂わせるように指示されたもので、その本性はトレセン学園に蟠る悪霊たちの相手をしてきたばかりの私にはうっすらと見えていた。

 

というより、私が知るスカーレット族:ダイワスカーレットと同様の華やかな雰囲気のスカーレットリボンの姪っ子という触れ込みのソラシンボリ(偽名)の本性の第一印象はこうであった。

 

 

――――――トウカイテイオーとダイワスカーレットを足して2で割ったような小学生離れした豊満さと才気煥発の大器である。

 

 

宇宙移民の私からすれば、セクシーな女性の豊満な肉体は宇宙空間においては真っ先に脂肪の塊と化す駄肉でしかないのでマイナス点なのだが、

 

今年でトレセン学園に入学するというわけなのだから、小学6年生でこのダイワスカーレットに匹敵する発育の良さは思春期を迎えたばかりの小学生男子にとっては目に毒だろうな。

 

しかし、恐ろしいのはその上でスカーレット族から生まれた豊満な娘にシンボリの名を冠することが許された競走ウマ娘としての天性の才能であり、

 

まだ小学6年生なのにシンボリグレイスやシリウスシンボリと隣に並んで遜色ないほどに早熟の体躯なのだから、これは嫌でも目立つ。私の担当ウマ娘:アグネスタキオンの華奢な身体とは比べ物にならない。

 

そのため、このソラシンボリを名乗る ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 未来のスターウマ娘が強引にスカウトされないように次のシーズンが始まる年明けまで庇護する必要が生じた。

 

 

しかし、それが1つの大きな理由ではあるが、もう1つは私のことを監視するために寄越された『名家』からのスパイでもあった。

 

 

というのも、シンボリ家との接点となる“皇帝”シンボリルドルフに私のあらゆる秘密を共有しているというわけでもなく、報告を受けているシンボリ家からの疑惑の声が上がるのも自然なことであった。

 

つまり、私は股肱之臣として“皇帝”シンボリルドルフからは個人的な信頼を得たものの、ご実家となるシンボリ家からは信頼されているわけではないという話だ。

 

実際、シンボリ家は『名家』の筆頭格として全ウマ娘を導く使命を抱いており、私の担当ウマ娘の実家のアグネス家が放任主義であることも相まって、何をしでかすかわからないトレーナーと担当ウマ娘の動向を監視する義務感が生まれたのだろう。

 

もちろん、顔見知りのシリウスシンボリとしてはそこまで心配することでもないとして気楽に構えていたのだが、シンボリ家の代表として この場に臨んだ堅物のシンボリグレイスの場合は 初対面であることもあって そうはいかない。

 

だが、こうしてトレセン学園暗黒期の名残とも言えるトレーナー組合に対抗して真名を偽って影響力を学園に残そうとする『名家』の裏の顔をいきなり見せつけられたのには苦笑いしかなかった。

 

何という矛盾――――――。『全てのウマ娘が幸福となれる世界』という使命と理想のために滅私奉公する一族といえば聞こえはいいが、実際は『名家』の権勢を維持するのに必死だ。

 

こうしてシンボリ家の冠名を授けられたウマ娘に名を偽ってなれたことは栄誉なことなのか、それとも異世界の英雄の名前とは――――――。

 

 

――――――こうして私は突然の来客で密約を交わすことになり、来年度からの計画に大幅な修正を迫られることになってしまった。

 

 

 

斎藤T「……まあ、“皇帝”陛下以外にもシンボリ家との接点があった方がいいか」

 

斎藤T「さて、そろそろ昼飯時だし、何にしようか――――――」コンコンコン・・・

 

斎藤T「……うん? 今日は客人が多いようだな?」

 

斎藤T「どうぞ」

 

 

美髪美白のウマ娘「………………」ガチャ

 

 

斎藤T「どちら様です?」

 

美髪美白のウマ娘「カイノタケキヒト」

 

斎藤T「――――――『カイノタケキヒト』?」

 

美髪美白のウマ娘「………………」チラッ

 

 

美髪美白のウマ娘「――――――『兼ねて未だ然らざるを知ろしめす』」

 

 

斎藤T「お、ご存知ですか」

 

斎藤T「そうなんです。聖徳太子の予言書である『未来記』の存在に因んだ言葉です。数々の伝説を残した聖者だったわけですよ、太子は」

 

斎藤T「たとえば、『平家物語』巻第八に『聖徳太子の未来記にも、けふのことこそゆかしけれ』とあるし、」

 

斎藤T「『太平記』巻六に『正成天王寺の未来記披見の事』で楠木 正成が『未来記』を読んだことで倒幕の成功と後醍醐天皇の復帰とその親政を確信したともあり、」

 

斎藤T「これらの記述から聖徳太子の『未来記』の存在が当時よく知られていたわけなんですよ」

 

斎藤T「そして、今日は聖徳太子の誕生祭なんです」

 

 

美髪美白のウマ娘「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」

 

 

斎藤T「は」

 

美髪美白のウマ娘「――――――!」

 

斎藤T「!?」

 

 

ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

 

――――――その時、世界が粉々に砕け散った!

 

 

ウマ娘の極限まで鍛え上げられた中国拳法の震脚は空間をも破壊する威力があったのだろうか――――――。

 

午前中に聖徳太子生誕祭の記念に『兼知未然』の書き初めをした色紙を飾りながら、私はお昼時を迎える前の部屋を見渡した。

 

基本的に期末試験期間中の学校は午前で終わる。それは生徒たちに午後の時間いっぱいに試験勉強をして得点を上げてもらいたいという願いと実際に試験の採点に追われる学校教員の都合が大きい。

 

そのため、期末試験期間中は他の生徒たちと同じように正午からは私の担当ウマ娘が足早にトレーナー室に駆け込んでくることになり、食事の準備と次の試験の対策が迫られた。

 

しかし、先程までトレーナー室は来賓を出迎える部屋ではないので文句を言われることはなかったが、ここによく足を運ぶ“皇帝”陛下から報告を受けていただろうシンボリ家の方々は足を踏み入れた瞬間に呆気にとられていた。

 

何しろ、元々のトレーナー室の備品は全て排除され、大量の非常食や宇宙食などが山積みになった一角、アグネスタキオンの研究コーナー、私の数々の発明品が置かれた区画に、スーパーコンピュータにユニットシャワールームがドンと置かれているのだ。

 

トレーナー室と言ったら、ウマ娘レースの資料やトレーニング器具の他にスポーツ名門校のトレーナーらしい趣味の品や嗜好品が多少は置いてあるのをイメージするだろうに、ここは丸っきり別世界である。

 

普段はスクリーンで仕切りをしてはいるものの、この期末試験中に来客が来るとは微塵も思っておらず、私や担当ウマ娘からすれば自由な時間が増えるということでスクリーンを元に戻すことはしていなかった。

 

もっとも、決して狭くはないトレーナー室を意図的に狭めるスクリーンに囲まれた空間というのも考えてみれば異様なもので、初めてここに来たことでいろいろと言いたいことがあるのを抑えてもらうことになった。

 

自慢の姪っ子であるソラシンボリを伴ってきたスカーレットリボンの不信感と驚愕に満ちた出会い頭の表情よ。

 

 

しかし、そうして密約を交わし終わった矢先に、新たなる客人が来たのである――――――。

 

 

一瞬、何が起きたのかがわからなかった。シンボリ家の人間が帰った後、何の前触れもなく美しい濡鴉と色白のウマ娘が部屋を訪れて足を大きく踏み鳴らしたんだから。

 

次の瞬間には、トレーナー室であった空間がまるでひび割れた鏡のようにガラガラと崩れ落ちて、ハリボテの裏に隠された暗黒空間が姿を見せたのである。

 

この超非現実的な光景に私がただただ目を白黒させた隙に、襲撃者との間を隔てていた机すらも消え失せて、その暗黒空間から強烈な体当たりが私の身体にめり込んでいたのだった。

 

すでに世界は舞台裏とでも言うべき暗黒空間であり、私の背後にある壁すらなくなり、大砲で発射された人間砲弾のように暗黒空間に吹き飛ばされ、強烈な衝撃で肺に送り込まれる空気が止まると息も止まって白目を剥くことになった――――――。

 

 



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祈願報告  厩戸皇子の伝説 中編

●西暦20XY年02月07日の午前中 3周目

 

シリウスシンボリ「よう、斎藤T。邪魔するぜ」ガチャ

 

斎藤T「ようこそ、お待ちしておりました」 ――――――ロールストランド風にプリントされたプラスチックのカップとソーサーを用意して。

 

シリウスシンボリ「え」

 

斎藤T「さあさあ、お掛けになってください。いろいろと騒がしい部屋ですが、美味しいものがいっぱいありますから」

 

シリウスシンボリ「……おい、グレイス? 話がちがうぞ? あらかじめ話を通していたなんてな?」ヒソヒソ

 

シンボリグレイス「いえ、抜き打ちのつもりで前触れ無く訪れる予定でしたが、これは……」ヒソヒソ

 

ソラシンボリ「えっと……」

 

スカーレットリボン「………………」

 

 

斎藤T「さあ、こちらにどうぞ。スカーレットリボン様、ソラシンボリ様」

 

 

ソラシンボリ「え!?」

 

スカーレットリボン「ど、どうしてこの子のことを!?」

 

シリウスシンボリ「なんであんたがルドルフに紹介したことがない新入りのことを知っているんだ?」

 

斎藤T「なぜだと思います?」ニヤリ

 

シンボリグレイス「……そう、これが」

 

シンボリグレイス「……さすがは“斎藤 展望”といったところでしょうか」

 

シリウスシンボリ「じゃあ、私たちがここに来た理由もわかっているか。さすがだよ、あんた」

 

 

斎藤T「ええ。私の担当ウマ娘の輝きの影に埋もれないように取引をしたいわけなんですよね」

 

 

スカーレットリボン「!!」

 

ソラシンボリ「スゴイ! 斎藤Tってもしかして何でもお見通しなの?!」ガタッ

 

シンボリグレイス「あ」

 

ソラシンボリ「ハッ」

 

ソラシンボリ「す、すみません……」

 

シリウスシンボリ「……なあ、グレイス? お前がソラのことを“皇帝”の権力を受け継ぐウマ娘として育て上げたわけだが、ここまでお見通しなら 斎藤Tの前では素でいさせてもいいんじゃないのか?」

 

シンボリグレイス「しかし……、それではシンボリ家の品位が……」

 

シリウスシンボリ「まだそんなことを言っているのか。さすがは胸まで装甲に覆われた堅物ウマ娘だな!」ハハッ! ←167cm B89

 

シンボリグレイス「…………うるさいですよ、関係ない話はしないでください」ムスッ ←170cm B73

 

シリウスシンボリ「いやはや、最近の小学生は凄いもんだな。そう思うだろう、斎藤Tも?」

 

斎藤T「そうですね。顔が歳相応なのを除けば遠目に見て成人女性と間違われてもおかしくないぐらいに早熟した身体です」

 

ソラシンボリ「あ、ありがとうございます!」← 165cm B85

 

斎藤T「ただ、それだけバ体が大きいと適性が短距離ウマ娘(スプリンター)になりませんか?」

 

斎藤T「それに、思春期の一定段階になると体が急成長を果たし、その後は緩やかに衰えていくというウマ娘の特性である“本格化”を先取りしすぎていることも考えられますので、」

 

斎藤T「私の担当ウマ娘:アグネスタキオンと同世代にならないようにメイクデビューを来年度に延期するのはかなり危険な賭けではありませんか?」

 

シンボリグレイス「ええ。それは大きな懸念ではありますが――――――」

 

シリウスシンボリ「なら、同じことはあんたのアグネスタキオンにも言えることだろう? 高等部2年からのメイクデビューなんて前代未聞なんだからさ」

 

 

シリウスシンボリ「――――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って話だ」

 

 

シンボリグレイス「……シリウス!」

 

シリウスシンボリ「澄ました顔で上品に言い繕ったところで、暗に言いたい内容なんてものは研究成果の横取りだろうが。そういう腹芸は相変わらず好きになれないな」

 

シンボリグレイス「場を弁えなさい。あなたは余計なことまで喋りすぎる。仲介人としての役割を果たしなさい」

 

シリウスシンボリ「従うと思っているのか、心の底から?」

 

シンボリグレイス「……話を進めます。よろしいでしょうか」

 

斎藤T「それはかまいませんよ」

 

 

斎藤T「むしろ、被検体(モルモット)が増えることを私の担当ウマ娘は喜ぶでしょうから、シンボリ家も実験に参加するのは大歓迎ですよ?」ニヤリ

 

 

シンボリグレイス「…………!」

 

ソラシンボリ「え?」

 

スカーレットリボン「本当に大丈夫なんですか!?」ガタッ

 

シリウスシンボリ「落ち着きなよ。ちょっと身体が光るぐらいの薬を飲むぐらいなんだから、大事にはならないさ。それぐらいは今の学園で有名な話だったろう?」

 

スカーレットリボン「いや、普通に考えておかしいじゃないですか! 何ですか、『ちょっと身体が光る』って!?」

 

ソラシンボリ「それ、本当?」

 

斎藤T「本当だよ」

 

 

ソラシンボリ「いいなぁ! ボクも試してみたい!」キラキラ!

 

 

斎藤T「ほう……」

 

シンボリグレイス「あ、こら!」

 

ソラシンボリ「あ、すみません……」

 

斎藤T「いや、気にしないで。きみには素質が大いにあるようだ。これは楽しみだ」

 

スカーレットリボン「あ、あの……、冗談ですよね?」

 

シンボリグレイス「……シンボリ家のウマ娘として相応しくあるように指導をお願いします」

 

斎藤T「具体的には?」

 

シンボリグレイス「え?」

 

 

斎藤T「――――――その『シンボリ家のウマ娘』とは何ですか?」

 

 

スカーレットリボン「え?」

 

シンボリグレイス「な、何を……? あなたはルドルフから信頼を得ている程に通じ合っているのに、なぜそんなわかりきったことを?」

 

斎藤T「そうですね。“皇帝”シンボリルドルフとは通じ合えていますよ」

 

 

斎藤T「でも、『シンボリ家のウマ娘』なる特定の個人とは会ったことがないですね、一度も」

 

 

シンボリグレイス「…………なっ!」

 

シリウスシンボリ「グレイス、お前の負けだ。勝てるわけがねえよ、こんなのと」

 

シリウスシンボリ「最初から私たちが来るのがわかっていたんだから、この裏取引の主導権を握ろうだなんてのは最初から無理だったんだ」

 

シリウスシンボリ「それによく考えたら、グレイス。お前は斎藤Tのことをただのトレーナーだと勘違いしているようだが、」

 

シリウスシンボリ「こいつは愛しの妹の治療費や教育費を稼ぐことだけを考えてトレセン学園にやってきた“門外漢”だぞ。そこからして狙いがズレていたな」

 

シンボリグレイス「……たしかに、それを 今 実感しています」

 

シリウスシンボリ「なら、あんたはとっくにソラのことをどうするべきかがわかっているんだろう?」

 

斎藤T「ええ。さっきの元気の良い声とキラキラとした眼の輝きでどうしてあげるのが一番なのかがはっきりとしました」

 

斎藤T「ソラシンボリ」

 

ソラシンボリ「は、はい!」

 

斎藤T「きみはいろんなことに興味を持って新しいものに触れることに喜びを覚える素晴らしい素質の持ち主だ」

 

斎藤T「だから、きみは 1年間 トレセン学園で好きなことや興味を持ったことを探究して充実した日々を送るだけでいいよ。それだけで この裏取引の目的は果たされるからね」

 

斎藤T「私はきみを歓迎するよ。何だったら、指導はしないけど担当ウマ娘にしてもいいぐらいだよ」

 

ソラシンボリ「!!!!」

 

ソラシンボリ「ありがとうございます!」

 

スカーレットリボン「え、えっと……」

 

シンボリグレイス「ど、どういうことですか、今のは?」

 

斎藤T「私の担当ウマ娘と同じ匂いがした」

 

斎藤T「この子にとってウマ娘レースでの才能も数ある才能の1つでしかないんだよ」

 

 

斎藤T「だから、私は競走ウマ娘としての才能だけじゃなく、それ以外の豊かな才能の数々も光らせたいという欲求に駆られた!」

 

 

斎藤T「そういうわけで、この子にならアグネスタキオンの研究を引き継がせてもいいと思いますよ」

 

斎藤T「なので、下手な芝居はやめるべきです。この子の意欲や情熱を削ぐようなボンクラを演じさせるよりかは、この子のありままを見せつけた方が健全に目的が果たされることでしょう」

 

シリウスシンボリ「そっか。あんたがそういうのならそうなんだろうな」

 

シリウスシンボリ「よかったな、ソラ!」

 

ソラシンボリ「うん!」

 

シンボリグレイス「しかし!」

 

 

斎藤T「あのですね、『しかし』も何も、あなたの在り方はシンボリ家のモットーとこれからのトレセン学園の在り方に反しますので聞くに値しません」

 

 

シンボリグレイス「なんですって!」

 

斎藤T「――――――『全てのウマ娘が幸福となる世界の実現』のために自分とは正反対のウマ娘(シリウスシンボリ)との協力があって今のトレセン学園があることをお忘れか?」

 

シンボリグレイス「!!!!」

 

シリウスシンボリ「やれやれ、嬉しいことを言ってくれるな、斎藤T」

 

シリウスシンボリ「昨日のことのように思い出せるよな、あの頃のことを。なあ、グレイス?」

 

シンボリグレイス「…………そうでしたね、シリウス」

 

シンボリグレイス「たしかに、今のトレセン学園の有り様は昔のウマ娘の私からすれば風紀と秩序が乱れきっていますが、」

 

シンボリグレイス「それが暗黒期に“ウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘のウマ娘レース”の自由を求めて私たちが掴み取った未来というわけなんですよね……」

 

シンボリグレイス「そして、私たちが託したバトンを受け取って秋川理事長と一緒に黄金期を築き上げたルドルフに続く 次なる飛躍の時代――――――、か」

 

シンボリグレイス「……私も随分と年を取りました。私の在り方は今のウマ娘にとっては古臭いのでしょうね」

 

シリウスシンボリ「まあな。お前と私の背中を見て それぞれの良いとこ取りをして 黄金期を乗り切ったルドルフの努力は素直に褒め称えてやりたいよ」

 

スカーレットリボン「………………」

 

 

斎藤T「それで、()()()()?」

 

スカーレットリボン「あ、はいっ!」

 

 

ソラシンボリ「あ」

 

シンボリグレイス「あ!」

 

シリウスシンボリ「ああ……」

 

スカーレットリボン「あっ!?」

 

斎藤T「これでもう誤魔化す必要はないですよね?」

 

スカーレットリボン「あ、ああ…………」オロオロ・・・

 

シンボリグレイス「そのとおりです。完敗です、斎藤T」

 

スカーレットリボン「あ……」

 

シリウスシンボリ「もう楽にしてな、リボン。ソラもな」

 

ソラシンボリ「いいの?」

 

シンボリグレイス「斎藤Tの言う通り、誤魔化しが効きませんから」

 

ソラシンボリ「わーい! ありがとう!」

 

スカーレットリボン「はい……」

 

スカーレットリボン「あの、どうして私が――――――」

 

斎藤T「別にいいじゃないですか、そんなこと」

 

スカーレットリボン「え、そんなことって――――――」

 

 

スカーレットリボン「だって、私は()()()()()()()()()()()()()――――――!」

 

 

斎藤T「――――――()()()()()()()()()のでしょう?」

 

斎藤T「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それで十分じゃないですか」

 

スカーレットリボン「!!!!」

 

スカーレットリボン「……はい」ポタポタ・・・

 

ソラシンボリ「あ!」

 

スカーレットリボン「あ、大丈夫だから。この涙は自然と湧き上がってきた温かいものだから……」ポタポタ・・・

 

ソラシンボリ「お母さん……」

 

シンボリグレイス「どうして、そこまでのことを確信を持って言えるのです……?」

 

シンボリグレイス「いえ、そもそも、今日の取引のことも どこから情報を得ているのですか?」

 

シリウスシンボリ「聞くだけ無駄だとは思うけど、それは私も知りたいな。教えてくれるのなら」

 

斎藤T「ああ、そんなこと簡単じゃないですか」

 

斎藤T「それを知るためには『それを知っている自分になっていればいい』というだけのことです」チラッ

 

シリウスシンボリ「ん? あのサイン色紙の四字熟語、何て書いてある――――――?」

 

 

――――――兼知未然;兼ねて未だ然らざるを知ろしめす。

 

 

そして、時は繰り返す――――――。

 

実に、私は西暦20XY年02月07日の午前中を この後 何十周も繰り返すことになり、タイムリープ過去最多記録をぶっちぎりで更新し続ける修業の場となり、修羅場と化した。

 

なので、この密約の現場を何十回も繰り返しているわけであり、3周目で時間が繰り返されていることを悟ったら、その度に飽きが来ないように趣向を変えながらシンボリ家御一行様を饗すことになった。

 

幸い、去年の『天皇賞(秋)』で最初の時の巻戻し/時の牢獄を経験して以来、何度も繰り返される時の中で飽きが来ないように創意工夫や思い切って新しいことに挑戦する心持ちやノウハウを培ってきたわけなので、

 

過去最高の数十回にもなる時の巻き戻しで何度も密約を交わす場面を繰り返すわけなのだが、それが行われる場所が私の城とも言える自室のトレーナー室なので、

 

大量に備蓄された非常食や通販で取り寄せた各地の珍味や銘菓、銘茶、銘品でもてなし、部屋に置いてある発明品や設備を駆使して趣向を凝らすことをやってのけていた。茶道の精神である。

 

なので、時間が巻き戻ることで何十回も同じ相手に様々な趣向を試すことができ、これはこれで有意義で得るものが多く、非常に充実した時間をもらえていると喜びと感謝の念を抱くことができていた。

 

何しろ、私は常に“もうひとりの自分”が欲しいと思うぐらいにはやりたいことだらけの毎日を送っているのだ。

 

時間は有限だ。それを肝に銘じて完全に開き直って、繰り返される時間の中でやりたいことをやれるだけやれる貴重な機会を逃すつもりはなかった。

 

正直に言って、すでにトレセン学園を卒業したシンボリグレイス、シリウスシンボリ、スカーレットリボン、これから入学してくるソラシンボリというウマ娘について、これでかなり一方的に為人や趣味嗜好を知ることができた。

 

あちらが先触れなく押しかけてくるわけなのだから、急に来られても出迎えの準備なんてないという建前を盾にして、非常に自由度の高いおもてなしを極限まで試すことができてしまった。

 

しかし、今回の時間の巻き戻し/時の牢獄はあの“目覚めし時計”が働いたわけでもなく、脳内に日めくりカレンダーが現れたわけでもなく、決まって 期末試験が終わって生徒たちが一斉に教室を飛び出す 正午を迎える前に戻されてしまうのだ。

 

それがなぜなのかと言えば――――――!

 

 

 

●西暦20XY年02月07日の午前中 88周目

 

斎藤T「はああああああああ!」ドッゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

美髪美白のウマ娘「…………っ!」

 

門弟のウマ娘たち「おおっ!」

 

斎藤T「これで勝負あったな」

 

美髪美白のウマ娘「……はい。おめでとうございます」

 

斎藤T「……そうか。ようやくか」フゥ

 

 

美髪美白のウマ娘「斎藤 展望殿。この度は、アングロアラブ八極拳またの名を天賦羅八極拳の免許皆伝、誠におめでとうございます」

 

 

斎藤T「…………『おめでとう』じゃないよ、まったく!」

 

斎藤T「――――――なんで、夢の世界で!」

 

斎藤T「――――――あの世界遺産の法隆寺の夢殿の八角堂の中で!」

 

斎藤T「――――――八極拳の修行をつけさせられて!」

 

斎藤T「――――――その度に師匠に打ち殺されることになるんですか!?」

 

斎藤T「おかげで、何十回 シンボリ家の方々との午前の時間を繰り返すことになったと思っているんですか!? 飽きが来ないように趣向を変える努力も嬉しい反面、限界以上にさせられてきた苦労も何なんですか?!」

 

美髪美白のウマ娘「これもまた あなたの発願である尊き天命を果たす お手伝いです」

 

美髪美白のウマ娘「夢殿での八極拳の稽古を通じて、あなたは()()()()()()()()()()()()()()()()を悟ったはずです」

 

斎藤T「無意識に自分の体が動いてベストな結果を導き出せるようになったら超一流のアスリートの証だろうけど、」

 

斎藤T「実際にはどういうことがベストな結果なのかがあらかじめイメージされることで身体が動いてベストな試合運びができるようにインプットされているからこそ、」

 

斎藤T「超一流同士の戦いともなれば、究極的には対戦者の勝利への思いの強さが勝敗を分かつ絶対的条件という、まさに意志と意志のぶつかりあいになる――――――」

 

美髪美白のウマ娘「その通りです。人間とは肉体を持った霊格であるが故に、まずは肉体を意のままに動かせることから始まり、そこから肉体を超越した意志の力によって現し世を象っていくのです」

 

斎藤T「そして、八極拳とは八極すなわち八方の極遠にまで達する威力で敵の門を破ることを極意とする、か」

 

美髪美白のウマ娘「はい。それは一念三千と同じく、八極にまで達する意志の力があれば、いかなる困難にも立ち向かうことができるのです」

 

斎藤T「その起源は中国ムスリムの回族武術――――――、だから、アングロアラブ八極拳というわけか。そこが本場だからか」

 

斎藤T「アングロってのはアングロサクソンとあるようにドイツのアンゲルン半島から来たゲルマン系のアングル人が席巻した中世イギリスの呼称である“アングリア”を意味するわけだから、」

 

斎藤T「近代ウマ娘レースの発祥であるイギリス“アングリア”と八極拳の起源とある中国ムスリムの故郷“アラビア”を掛け合わせたものか」

 

美髪美白のウマ娘「そう、ローマから正倉院に至るシルクロードよりも遥かなる古今東西のエッセンスが混ぜ合わさったアングロアラブ八極拳はこれから大きな力となります」

 

斎藤T「しかし、もう一つの“テンプラ”というのは?」

 

美髪美白のウマ娘「もちろん、海老天や芋天のことではありませんよ?」

 

斎藤T「わかってる」

 

 

美髪美白のウマ娘「天賦羅とは“天賦の才能を天道のために捧げられる羅漢”のことで、阿修羅と対をなす者です」

 

 

斎藤T「――――――『阿修羅と対』に?」

 

斎藤T「まあ、少なくとも『修羅道』や『修羅場』のように激しさや苛烈さのイメージがあるから聖者のイメージとは程遠いですね」

 

美髪美白のウマ娘「他にも、『修羅を燃やす』と言って嫉妬・執着の心が強いところから激しく嫉妬して、激しく恨みを募らせて、激しく怒り狂うわけですから、常に争いや怒りの絶えない世界を『阿修羅道』というわけです」

 

斎藤T「トレセン学園の生徒とは無縁ですね」

 

斎藤T「でも、公営競技でカネが絡むから、夢の舞台の主役以上に熱くなって場を炎上させるのが周りの人間――――――」

 

美髪美白のウマ娘「そういうことです」

 

美髪美白のウマ娘「競争社会(Competitive Society)に生きるとは言っても、それは切磋琢磨(Friendly Competition)であるべきであって、弱肉強食(Survival Competition)など真に人の心を持つ人間のすることではありません」

 

美髪美白のウマ娘「そして、阿修羅とは“自ら修めたものに阿る者”でもあるのです。つまりは自分の価値観を絶対とし、他者の声や天の導きから背く者なのです」

 

斎藤T「だから、“自ら天に賦す者”こそが“自ら修めたものに阿る者”と対になりえるわけですね」

 

 

私は一度も死んだことはない――――――、というのは最初に私自身の肉体を失って“斎藤 展望”になった私に言えたことではないが、

 

それでも、世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚めし時計”の力で何度かやり直すことができるという人生最高の保険を持っていたとしても、絶対に死に至ることだけは避けてきた。

 

死ぬことに慣れてしまったら、それはもう生き物ではなくなる――――――。

 

私は不死者として生き永らえることに価値を見出していない。一個の生命でどこまでやれるかに挑戦する日々に邁進しているからだ。

 

もちろん、そうした日々の前提となる秩序と平和を乱す者に対しては容赦をするつもりはないが、絶対に死なない立ち回りを心掛けてきたつもりだ。

 

なのに、そんな天運に恵まれた私がかれこれ数十回はシンボリ家の面々を見送った後に決まって必ず現れる死神である美髪美白のウマ娘が繰り出す八極拳の餌食になっていた。

 

 


 

 

●西暦20XY年02月07日の午前中 2周目

 

最初に時間が巻き戻って即刻、それはもう必死になって逃げた。世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚めし時計”の使用は三度までという話なのだから、4周目で死ぬことになったら本当に死んでしまう――――――。

 

何なのだ、あのウマ娘は!? もしや、最強の妖怪:頽バが表世界に現れた姿なのかと思ったが、圧倒的な妖気が感じられず、むしろ清涼な気を感じていたからこそ、いきなり打ってくるとは思わなかったのだぞ!?

 

なので、いつも時間が巻き戻る予兆となる日めくりカレンダーが脳裏に現れないことに動揺しながらも、正体不明の悪霊と遭遇したら三十六計逃げるに如かず――――――!

 

2周目はシンボリ家の面々とも会わないように すぐにユニットシャワールームの真の機能である瞬間物質移送器を起動させた――――――。

 

 

すると、移送されたら そこはビックリ仰天! 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺! 木造建築としては現存する世界最古のあの有名な五重塔が目の前にあるではないか!

 

 

こんなことは絶対にありえない! 瞬間物質移送器のポータルは母機が設置されている奥多摩の川苔山/百尋ノ滝の秘密基地にあり、どこへ移送するのにも必ずターミナルとなる場所を経由しなければならないのだから、子機を置いた憶えのない場所に出るはずがない!

 

しかも、ここにワープしたということは当然ながらここにワープするための瞬間物質移送器の子機があるはずなのに、それすら見当たらないので帰ることができず、私は愕然とする他なかった。

 

なので、世界に名高い世界遺産:法隆寺またの名を斑鳩寺を これからどうすべきか思い悩みながらも、次第にせっかく来た記念に持ち前の冒険心から跳ねるような足取りで見て回っていた。

 

ところが、人の気配がない。人っ子一人いないのだ。もしかすると今日は休日なのかと思い立つのも束の間、学園裏世界のように全てのセキュリティが解除されていたことに気づき、ここが異界であることを理解した。

 

つまり、それらは想念によって創り出された霊空間;閉ざされた世界(クローズド・サークル)であり、塀の上に飛び上がって誰もいない法隆寺から脱出しようとすると、凄まじく弾力の強いゴムシートのような目に見えない壁に行く手を阻まれた。

 

コンクリートや鉄の壁のように固くはないが『糠に釘』のように前に進んでいるようで進んでいない徒労に終わり、私は南中した太陽に照らされた無人の法隆寺に空恐ろしいものを感じ始めた。

 

 

――――――これが意味することは、()()()()()()()()()()()()()()()()()ということなのだ。

 

 

どういった縁であの死神と法隆寺が関係しているのかはわからないが、こうして異界に入り込むという現実に直面するということはすでに相手の頭の中に築かれた脳内世界の住人として私は取り込まれているというわけなのだ。

 

こうした異界を構成するものは想念そのものであるため、私は 今 何者かのとてつもなく壮大な想念の中に沈められた状態となっているのだ。

 

しかし、悪霊は天界に行けないが故に地上に蟠り、善霊なるものがすぐに天界に向かうように、私の命を狙う何者かが追い込んだ想念の世界の殺人現場が法隆寺というのも奇妙な話だ。

 

今日、聖徳太子の生誕祭であり、それを祝ったから そういった縁で法隆寺なのだろうか――――――。

 

とにかく、理由も状況もわからないが、私は絶対に肌身離さずの誘導棒に偽装したプラズマジェットブレードの感触を確かめ、悪霊退散のプラスチック製の金剛杵(ヴァジュラ)を数え、三女神から授かった“黄金の羅針盤(クリノメーター)”で行くべき場所を求めた。

 

すると、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は明確に行くべき道を指し示し、カーナビのように私を的確に法隆寺の外へと導いた。

 

普通に門を開けて五重塔を後にすると、風に乗って斑鳩の里:法隆寺の案内図が印刷されたパンフレットが私の目の前に落ちてきた。

 

どうやら、五重塔がある区画を西院伽藍と言い、五重塔の隣に国宝指定の金堂があり、私がいた場所はまさに西院伽藍の中であった。

 

そして、西院伽藍を出て辺りを見渡しても人の気配はまったくない無人の世界に慄きながらも、私は“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の指示に従う他なかった。

 

どうやら、私は北側から西院伽藍を出たらしく、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”は東を向いていたので、大宝蔵院のある道を進んでみた。

 

百済観音像をはじめとする寺宝を公開している大宝蔵院はもちろん見学者や守衛の姿はなく、カーナビとなった“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が正確に大宝蔵院に入るように方位磁針を回転させるので、せっかくのなので見学していくことにした。

 

23世紀の国民皆信仰の時代の太子信仰の人間としては聖徳太子ゆかりの国宝を見て回れる機会が訪れたことを泣いて喜ばないわけがない。

 

ここが何者かが創り出した私を抹殺するための異界だとしても、国宝級の名宝の数々をタダで拝むことができるのなら、少しでも得るものがあったと前向きになれるからだ。国宝の数々を再現して拝ませてくれるのなら敵ながら天晴というもの。

 

おそらく、そこまで邪悪な気配がしていないので大丈夫だとは思うが、今の私の怯えはむしろ俗世間の汚濁がまったく感じられない清浄な世界にいたたまれなくなっている状態なんだと思う。

 

時計回りの順路の回廊となっている大宝蔵院を進んでいくと、驚いたことにパンフレットにある写真とは異なり、全ての展示品が経年劣化を感じさせない新品同然の状態で保管されていたのだ。

 

嘘だ。まやかしだ。もう間もなく聖徳太子1400年御遠忌になるのだから、ここに展示されているものは1400年前ぐらいに作られているのに、どうしてできたてのように瑞々しさや金属の輝きが照り返しているのだろうか。

 

年代物であるはずの銅造仏像の金属光沢の輝きは想像以上に神々しく、それを見て奈良の大仏が金メッキされていた迫力は壮観なのだろうと驚くばかりだ。

 

 

そんな中、とりわけ目を引いた宝物が玉虫厨子であった。装飾に玉虫の羽を使用していることからこの名がある国宝――――――。

 

 

私にとっては玉虫色の妖しい輝きを放つ学園裏世界最強の妖怪:頽バを思い出させるものであり、実際に頽バの妖しい輝きの意味を法隆寺の玉虫厨子に求めたことがあった。

 

まさか、こうして妖怪:頽バなのかはわからないが 私の命を狙ってきたウマ娘の姿をした何かが誘い込んだ異界に再現された法隆寺で 玉虫厨子の実物を見ることになるとは――――――。

 

厨子とは仏像などの礼拝対象を納めて屋内に安置する屋根付きの工作物であり、祠の一種と言える。

 

その中でも玉虫厨子は当時の仏堂建築の外観を模した造りになっており、古代の日本建築を知るうえでも重要な遺品ともなっており、言うなれば当時の仏教寺院のミニチュアであった。

 

そして、斎藤 展望の185cmのガタイの良さよりも大きい2mは優に超えており、写真で見るよりもずっと大きく、非常に色鮮やかな顔料の装飾、金銅金具の下には装飾のために玉虫の羽を入れてあり、その芸術性の高さに目を奪われた。

 

こうして完成当時の時代を超える芸術の極致を体感することになったのだが、玉虫厨子で有名な捨身飼虎図はそれ以上に感動するものがあった。

 

捨身飼虎図とは、仏教の宗祖:ゴータマ・シッダールタの前世の1つである薩埵(サッタ)王子が飢えた虎の母子に自らの肉体を布施するという物語を描いたものであり、

 

この図は「異時同図法」の典型的な例としても知られ、「王子が衣服を脱ぎ」「崖から身を投げ」「虎にその身を与える」までの時間的経過を表現するために、王子の姿が画面中に3回登場する。

 

私はこの絵を初めて見た時の衝撃を今でも鮮明に憶えている。身投げして虎に喰われる様を克明に描いているのだから、それに至る背景を知らなければグロ画像でしかなかった。

 

しかし、今となって見れば、お釈迦様が何度生まれ変わっても捨身を貫く慈悲深さの極致として、理性のない獣畜生にすら慈しみの心で自身の大切な命を捧げる気高さがこうしてリマスターされて鮮明に伝わってきたのだ。

 

だから、温かい涙がポロポロこぼれてきて、ヒトとウマ娘が共生するこの惑星で生きる上で大切なことは何も違わないことを教えられたようだ。

 

そうして大切なものがズシンと胸に収まったところで、次の展示品に向かうとそこには2mを超える飛鳥文化を代表する仏像:百済観音像が色鮮やかに待ち構えていた。

 

圧倒された。仏像がこんなにも大きいとなると、まず圧倒されてしまう。実際の御仏がこれだけ大きいのかはわからないが、大きいと言うだけでこうも圧倒されてしまうのだから、大きいことは力なのだ。

 

しかし、その隣に見たことのない仏像があったことに気づいた。

 

しかも、それは紛れもなくウマ娘の仏像であったのだ――――――。

 

 

斎藤T「まあ、ヒトとウマ娘が共生する異世界なのだから、ウマ娘の仏像があってもおかしくはないが……」

 

斎藤T「逆に言うと、古代におけるウマ娘の扱いがヒトと敵対的な異種族で一貫しているのに、なぜウマ娘の仏像が――――――?」

 

斎藤T「しかし、白い仏像のウマ娘――――――?」

 

斎藤T「まさか、このウマ娘は――――――」

 

 

美髪美白のウマ娘「お察しの通り、ゴータマ・シッダールタ王子の愛バ:カンタカ様です」

 

 

斎藤T「!!?!」

 

美髪美白のウマ娘「古代においてはウマ娘は戦車(チャリオット)の御者として使役されておりました」

 

美髪美白のウマ娘「そして、時には護衛として、時には夜伽の相手として、ヒトの王に仕える栄誉ある血統でもあったのです」

 

斎藤T「………………」

 

美髪美白のウマ娘「当時の古代インドにおいてはウマ娘は不可触賤民(アウトカースト)であり、人間として扱われなかったのです。古代ローマの剣闘士(グラディエーター)に近い扱いだと考えてください」

 

斎藤T「……釈迦の出家を手伝った後、釈迦と別れて帰城してから絶食して死に、天界に生まれたとも言うが?」

 

美髪美白のウマ娘「ええ、主人の命に従ってシッダールタ王子の装身具、武器、髪の毛を引き渡した後、その責を負って獄中死です」

 

美髪美白のウマ娘「ですが、カンタカ様の娘が仏弟子となって悟りを開いたともあり、その供養の結果、死後にバラモンに生まれ変わって仏弟子になったとも伝えられてもいます」

 

美髪美白のウマ娘「ただ、ウマ娘という異種族を統制する必要があった古代の権力者たちにとってはウマ娘にも仏性があることが不都合な事実であったため、カンタカ様の仏像は秘仏として隠されていたものなのです」

 

斎藤T「……結局は20世紀の発見の世紀になるまでは同じ人間として人権が認められることはなかったわけか」

 

美髪美白のウマ娘「さあ、次に行きましょう」

 

斎藤T「………………」

 

 

私に選択の余地はなかった。シンボリ家との密約の後に私をいきなり暗黒空間に引きずり込んできた美髪美白のウマ娘が音もなく背後をとっていたのだから、逃げても無駄なのを思い知らされた。

 

せっかくなので、誰もいない無人の法隆寺に展示されている国宝の数々を鑑賞しながら案内してもらうことになり、楽しい楽しい法隆寺の観光案内の一時を過ごすことができた。

 

そうして、東院伽藍にある夢殿を訪れると、そこもまた新築同然の輝きを放っており、夢殿の甍の宝珠がまるで太陽のように眩かったのだ。

 

ここは聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立された場所であり、本来の法隆寺と呼ばれている場所こそが西院伽藍であり、

 

東院伽藍は聖徳太子一族の宮殿が荒廃しているのを見て嘆いた僧:行信によって天平11年(739年)に創建された場所と伝えられる。

 

廻廊で囲まれた中に八角円堂の国宝:夢殿が建ち、廻廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建つ。

 

そして、夢殿中央の厨子に安置する木造の観音像こそが明治時代にアーネスト・フェノロサが夢殿厨子と救世観音の調査目的での公開を寺に求めて長い交渉の末に公開された秘仏:救世観音像である。

 

法隆寺夢殿の本尊で、聖徳太子の等身の御影と伝わる観音菩薩立像であり、太子信仰にとっては最大の聖像(イコン)との夢のご対面であった。

 

しかも、できたてホヤホヤの完全な金箔貼りの黄金仏として永遠の存在としてそこにあったのだ。

 

 

――――――驚嘆すべき無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現はれたり。

 

 

斎藤T「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます……」

 

斎藤T「たとえ ここが夢幻の黄泉路であったとしても、こうして在りし日の完全な形の救世観音像を拝めただけでも それでもう十分でございます……」

 

美髪美白のウマ娘「なら、始めましょうか」

 

斎藤T「なにっ!? いったい何を始めるつもりだ!?」

 

美髪美白のウマ娘「当然、あなたの発願を叶えるために必要なことをするのです」

 

斎藤T「は」

 

 

――――――観音妙智力 能救世間苦(観音様の偉大なる智慧の力は人々を世の苦しみから救うことができる)。

 

 

美髪美白のウマ娘「さあ、かまえてください」

 

美髪美白のウマ娘「でなければ、死にますよ!」

 

斎藤T「ふ、ふざけるな! 殺すなら一思いに殺せ! いったい何なんだ!? 何が目的だ!?」

 

美髪美白のウマ娘「いいですか、この法隆寺から出たいのなら あなた自身の発願のために必要な修行を積まないといけないのですよ」

 

美髪美白のウマ娘「ですので、最初は基本となる馬歩の稽古から始めます」

 

斎藤T「――――――『馬歩』? 馬歩って中国武術の立禅のことか? それなら私にだってできる」

 

美髪美白のウマ娘「やってみてください」

 

斎藤T「そう、こんな風に馬に跨る感じに足を開いて腰を下ろして、膝が爪先より前に出ないように――――――」

 

斎藤T「久々にやると、これが、なかなかにキツイな……」プルプル・・・

 

斎藤T「でも、こうやって足腰に負荷をかけることが無重力空間で足腰が弱るのを抑える筋トレになるわけだからな……」プルプル・・・

 

美髪美白のウマ娘「では、立禅を開始してください」

 

斎藤T「いいっ!?」

 

美髪美白のウマ娘「――――――」スッ ――――――足を振り上げて震脚の用意をする。

 

斎藤T「わかった! わかったから! やればいいんでしょう!? どうせ、この術中から覚めることはないんだから、もうどうにでもなれ!」

 

斎藤T「………………」プルプル・・・

 

斎藤T「――――――」

 

美髪美白のウマ娘「……さすがは観音にして明王の未来仏」

 

 

こうして、私は 夢か現か幻か曖昧な世界で更に意識を没入させることで、アングロアラブ八極拳 またの名を天賦羅八極拳の修得のために、夢殿の八角堂の修行場で師匠となった美髪美白のウマ娘に無限に思える稽古の時間を過ごすことになった。

 

目を瞑った先では、1964年の東京オリンピックの柔道競技会場として法隆寺夢殿をモデルにした八角形の意匠で建設された東京の武道館らしき場所の道場に立たされており、そこではたくさんのウマ娘が稽古を積んでいた。肉付きを見る限りだと競走ウマ娘ではない。

 

後に、現実世界に時間が巻き戻った際に武道館について調べると、その名のとおりに日本の武道(柔道・剣道・弓道・相撲・空手道・合気道・少林寺拳法・なぎなた・銃剣道・古武道)の稽古場、競技場として使用されている他、

 

ダンス、マーチングバンド、バトントワリングの競技会、民放キー局が主催・放送していた年末の賞取りレースと称される音楽祭コンサートや格闘技(プロボクシング、プロレス、総合格闘技)の興行会場、大学や企業などの大規模な入学式・卒業式・株主総会の会場として幅広く使用されているそうなのだ。

 

なので、大道場(アリーナ)を囲む観客席には、武道の稽古をつけているウマ娘以外にも企業人の装いをしたウマ娘が見学している様子が見受けられ、突如として入り込んでしまった私の存在に興味津々のようであった。

 

 

そこで私は私を襲撃して異界に引きずり込んできた美髪美白のウマ娘を師匠として、どういうわけかアングロアラブ八極拳の修行をすることになった。

 

 

もちろん、ウマ娘の異世界ならではの格闘ウマ娘によるウマ娘格闘技が存在するわけなのだが、もっとも貧弱な肉体の競走ウマ娘でさえもヒトはまともな力競べができないほどに腕力の差があるのだから、

 

警察バに近い体格のウマ娘が繰り出すアングロアラブ八極拳の打撃をまともに受けたら、そこから一瞬で骨が砕け散り、内臓が粉砕されて、身体が吹き飛んで八角堂の壁に叩きつけられて口から血反吐を吐いて白眼を剥くのは無理ないだろう。

 

ただ、幸か不幸か、精神世界の更に奥の世界での死であるために、それは現実的な死には結びつかず、気づいたら またしても西暦20XY年02月07日の午前が繰り返される。

 

だからこそ、私はどうあっても精神世界の更に奥の世界でのアングロアラブ八極拳の修行から逃げられないストレスから、無限に繰り返されるシンボリ家との密談でのおもてなしに趣向を凝らすことになった。

 

人間、やればできるものだ。追い詰められたストレスによって生物が進化を遂げるのは自然の摂理なのだから、普通の人間であることを少しずつスパルタ教育で辞めさせられていくのを如実に感じられる。

 

おかしいな。私は普通に聖徳太子の生誕祭を一人で慎ましく祝っていただけなのに、なんでシンボリ家との密談とアングロアラブ八極拳のお稽古を無限に繰り返さないといけないんだろう。

 

一応、精神世界の更に奥の深層世界でのアングロアラブ八極拳の修行の成果は時間が巻き戻った現実世界に逐一反映されており、その度に動かしたことがない筋肉が叫び声を上げるものの、少し練習をすればイメージ通りに身体が動くようになってきていた。

 

そのため、夢殿で教わった套路を軽くこなすだけで、翼が生えたかのように身体が軽くなったのを実感できる。

 

実際、繰り返される死と再生の中で八角形の大道場(アリーナ)で師匠の散打をどう凌ぐかに意識を集中して対策を講じていく度に、精神世界の更に奥の深層世界では瞬間に相手の動きが読める上にイメージ通りに身体が動くので、師匠の繰り出す技の数々をどれだけ予想して意表を突けるかの知恵比べとなっていった。

 

これでも私は脳内シミュレーションやVRシミュレーターは大得意だし、波動エンジンの開発エンジニアという世紀の大天才だし、並行世界の地球の支配種族である怪人:ウマ女との死闘を潜り抜けてきたんだから、頭脳勝負で簡単に負けてやれない。

 

やっぱり、私も男の子なんだな。格闘技にハマりだすとやめられない。怪人:ウマ女との生死を賭けた激闘の日々に懐かしさを憶えている始末だ。

 

 

しかし、こうしてウマ娘の全力と直に手合わせする毎に、最初に私の担当ウマ娘が説明してくれた『ヒトとウマ娘の身体構造はほぼ同一』でありながら、ヒトとウマ娘とであそこまで身体能力に差が生まれることに改めて疑問を抱くようになった。

 

 

もちろん、ウマ娘自身もヒト社会においては持ち前の身体能力をフルに活用できる機会が少ないからこそ、ウマ娘レースの殿堂である『トゥインクル・シリーズ』に誰もが憧れを抱くわけなのだが、

 

実際には精神世界である学園裏世界においてはウマ娘の霊はヒトの霊に使い魔にされていることが多く、こうして精神世界の実相からウマ娘がヒトに従わされていることにも嫌でも納得させられている。

 

というより、ウマ娘は古代史においてはヒトの男子を攫う鬼の一族であり、それらが調伏された結果、全体として1割にも満たない第3の性としてヒト社会に溶け込んでいるというわけなのだ。

 

となれば、聖徳太子やお釈迦様はどうウマ娘に接して教化を果たしたのか、そのヒントになるものが掴めそうな気がしていた――――――。

 

そして――――――。

 

 


 

 

●西暦20XY年02月07日の午前中 88周目に話は戻り――――――

 

美髪美白のウマ娘「では、お別れです。ご武運を」

 

斎藤T「――――――必要な時に必要なものを必要なだけ与えるのが上の人間の理想像なのだから、全知全能と定義されて人間の究極的存在である神がもたらすことにムリ・ムラ・ムダがあるわけがない」

 

斎藤T「このタイミングで何度もシンボリ家との密約とアングロアラブ八極拳の稽古をさせたのはそれが本当に重要なことに繋がっているんでしょうね」

 

美髪美白のウマ娘「わかっているではありませんか」

 

斎藤T「だから、なんで私なんだ?」

 

美髪美白のウマ娘「あなたがそう願って生まれてきたからですよ」

 

斎藤T「それは、どっちの意味で?」

 

美髪美白のウマ娘「そうでした。これをあなたに」ゴトッ

 

 

斎藤T「お、おい! これって、瑪瑙(アゲート)団塊(ノジュール)じゃないか!?」ズッシリ!

 

 

斎藤T「しかも、これは針状インクルージョン。ということは、針入り瑪瑙(セージナイト・アゲート)ってやつだよな?」

 

斎藤T「この鉛灰色の針状インクルージョンになる鉱石と言ったら――――――、あ、これ、知ってる。難燃剤に使われるアンチモンだ。その鉱石である輝安鉱(アンチモナイト)だ」

 

斎藤T「これは輝安鉱(アンチモナイト)針入り瑪瑙(セージナイト・アゲート)団塊(ノジュール)だ! これは凄い! 標本としては最高の状態じゃないか!」

 

美髪美白のウマ娘「これをお使いください」

 

斎藤T「は? 何に? こんな立派な標本は大切に保管すべきじゃないんですか?」

 

美髪美白のウマ娘「お使いください」

 

斎藤T「何に? ねえ、何に? 難燃剤にしか使えないでしょう?」

 

斎藤T「あ、わかった。瑪瑙(アゲート)ってことは、仏教の七宝(金、銀、瑠璃、玻璃、硨磲、珊瑚、瑪瑙)に数えられていることに何か関係があるんでしょう?」

 

美髪美白のウマ娘「それもありますが、あなたの発願を叶えるためにはとても重要なものですよ」

 

 

美髪美白のウマ娘「――――――“瑪瑙”という漢字を思い浮かべてください」

 

 

斎藤T「……珍しい漢字ではある。他で使われているところは見たことがない。せいぜい当て字で(ヤード)と読ませるぐらいか」

 

美髪美白のウマ娘「そうですよ、“瑪瑙”のためだけに作られた漢字なのですから」

 

美髪美白のウマ娘「ほら、10世紀前半成立の『和名類聚抄』巻11「玉類」の項目を御覧なさい」ペラッ ――――――突如として古文書が出てくるがもう驚くことではない。

 

美髪美白のウマ娘「瑪瑙を漢語で“馬脳”と表記し、万葉仮名では“俗音”“女奈宇”と記述されていますよ」

 

 

美髪美白のウマ娘「つまり、瑪瑙という宝玉は虎目石(タイガーズアイ)青玉(サファイア)紅玉(ルビー)と同じように呼ぶと、馬脳石(ホースブレイン)になるわけですよ」

 

 

斎藤T「え」

 

斎藤T「え?」

 

斎藤T「え!?」

 

美髪美白のウマ娘「ですので、ウマ娘を操る魔力を秘めた宝玉として古代の権力者たちは世界各地で求めたわけで、仏教の七宝にも数えられるわけですよ」

 

美髪美白のウマ娘「ちなみに、その輝安鉱(アンチモナイト)針入り瑪瑙(セージナイト・アゲート)団塊(ノジュール)の産出地は今で言う愛媛県の市之川鉱山(閉山済み)。そこに赴いた聖徳太子に献上されたものです」

 

斎藤T「!!!?」

 

斎藤T「――――――聖徳太子ゆかりの七宝!? これって、とんでもない大秘宝じゃないか!?」

 

美髪美白のウマ娘「ですので、どうぞお使いください」

 

美髪美白のウマ娘「大丈夫です。ここは現実世界の裏側の精神世界の更に奥にある深層世界です」

 

美髪美白のウマ娘「ここでの出来事は全て現世に具現化する前の象徴の世界。泥中の蓮の世界の出来事であり、現実世界に蓮華の花を咲かすための栄養素となって あなたの身に備わるのです」

 

美髪美白のウマ娘「ここに戻れば いつでも取り出すことができます故、存分にお使いください」

 

斎藤T「…………ありがたく頂戴いたします」

 

美髪美白のウマ娘「では、それを踏まえて、皇大神宮(伊勢神宮内宮)に向けて 末広がりにて締め括らせていただきます」

 

 

 

――――――二礼八拍手一礼。

 

 

 



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祈願報告  厩戸皇子の伝説 後編

●西暦20XY年02月07日の午前中 89周目

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

斎藤T「……よし」スッスッ ――――――旧正月での書き初め!

 

斎藤T「我ながら上手い出来だ」

 

斎藤T「……まさか、ここまで聖徳太子を信仰するようになるとは思わなかったけどな」

 

 

キーンコーンカーンコーン!

 

 

斎藤T「正午のチャイムが鳴ったか」

 

斎藤T「じゃあ、昼餉としようか」

 

斎藤T「今日は奮発したからな。喜んでくれるかな」

 

 

 

ダッダッダッダッダ・・・ガチャン!

 

 

 

アグネスタキオン「トレーナーく~ん! お腹が空いたよ~!」

 

斎藤T「おお、来たか。今日の期末テストはどうだった?」

 

アグネスタキオン「そんなわかりきったことを訊くのかい? 昨日までと同じく、時間を持て余すだけだったよ!」

 

斎藤T「そうか」

 

アグネスタキオン「――――――?」

 

アグネスタキオン「……トレーナーくん、きみ、何かあったのかい?」

 

斎藤T「どうしてそう思う?」

 

アグネスタキオン「……たぶん、確証はないのだけれど、昨日までと感じがちがうから」

 

斎藤T「だろうな」

 

斎藤T「けど、そんなことは今はどうでもいい」

 

斎藤T「ほら、明日で期末テストは最後なんだから、しっかりと油断なくな」

 

アグネスタキオン「……うん」

 

アグネスタキオン「あ」

 

アグネスタキオン「ねえ、その額縁に入っているのは何だい?」

 

斎藤T「ああ、これか」

 

 

――――――兼知未然:兼ねて未だ然らざるを知ろしめす。

 

 

 

 

 

アグネスタキオン「……そうかい。私がテスト中にシンボリ家の面々が押しかけてきて密約を交わすことになったのかい」

 

斎藤T「具体的な内容はその契約書に書いてある通りで、シンボリ家の影響力を残していくためにソラシンボリのメイクデビューを来年に引き伸ばすことを求められた」

 

アグネスタキオン「まあ、来週の入試でシンボリ家の次代として注目を集めることになるだろうから、この私の前に後塵を拝する展開になるのはおもしろくないだろうねぇ」

 

アグネスタキオン「そのために、悪名高いきみがソラシンボリという未来のスターウマ娘を囲うわけなんだね」

 

アグネスタキオン「で、そのソラシンボリと会ってみてどうだった?」

 

斎藤T「お前の研究を引き継いでくれるかもしれない逸材だったぞ」

 

アグネスタキオン「へえ、そいつは楽しみだねぇ」

 

 

アグネスタキオン「……それで、きみがソラシンボリのトレーナーになるわけなのかい?」

 

 

斎藤T「まあ、スカウトして私のチームに入れるだろうね。それが一番手っ取り早くスカウト攻勢からソラシンボリを守る手段だ」

 

アグネスタキオン「ふぅーーーん」ムスッ

 

斎藤T「だから、私の許で 1年間 遊んで暮らすことにした。その間にお前の研究の助手にしてもいいだろう」

 

アグネスタキオン「む」

 

斎藤T「安心してくれ。お前とのトレーナー契約が何よりも優先だ。次のシーズンになったら、後はもうソラシンボリの自由だ」

 

アグネスタキオン「……随分と思い切ったことをするもんだねぇ」

 

アグネスタキオン「まあ、私の研究の邪魔にさえならなければ、何だっていいさ」

 

斎藤T「まあね。『トゥインクル・シリーズ』を卒業した後のウマ娘のセカンドキャリアについても考える必要があると思い始めてきたことだしね」

 

アグネスタキオン「そうだね。きみは廃人になったトレーナーたちの社会復帰(セカンドキャリア)を支援するための財団を立ち上げることを目標にしていたね」

 

アグネスタキオン「――――――『セカンドキャリア』か」

 

 

アグネスタキオン「まあ、私のやることは変わらないさ、ウマ娘の可能性の“果て”を追究していく人生は」

 

 

アグネスタキオン「その実証実験のために必要な条件を整えるのが私のトレーナーであるきみの役割なのだから、よろしく頼むよ」

 

斎藤T「まかせておけ」

 

アグネスタキオン「ああ、まかされた」

 

アグネスタキオン「しかし、これ、なかなかに美味いじゃないか。気に入った」

 

斎藤T「そう?」

 

アグネスタキオン「なあ、きみ?」

 

斎藤T「うん?」

 

 

アグネスタキオン「……“果て”を見届けたら、次は“きみ”だからな」

 

 

アグネスタキオン「それだけは忘れないでいてくれたまえよ」

 

斎藤T「は」

 

アグネスタキオン「私の名はアグネスタキオン。超光速の粒子を冠するウマ娘――――――」

 

アグネスタキオン「その隣に立つのは光の速さを超える進化をし続けるトレーナー――――――」

 

アグネスタキオン「きみの存在を解明することが私の人生の第二幕(セカンドキャリア)なのだから……」

 

 

私の担当ウマ娘:アグネスタキオンはトレセン学園において私ともっとも身近な存在として、私の目に見えざる変化に敏感であった。

 

それは私が時間を巻き戻すことができる“特異点”であることをそれとなく聞かされ、誰にでも平等であるはずの1日の過ごし方に歴然とした差がついていることを理解しているからなのだ。

 

実際、私はこの日の午前中を数十回も繰り返して、ようやく私の担当ウマ娘と一緒の午後を過ごすことができている。

 

だからこそ、昨日まで隣りにいるのが当たり前に思えた存在と出会えたことの心からの安心感が顔に出ていたのかもしれない。

 

そういう意味では、時を巻き戻すことで常人の数倍以上の早さで変化を遂げる今の私は人間ではない何かのように思われているのかもしれない。

 

見た目は昨日までの私に見えても、こうして目に見えない何かが昨日までの私ではない真実を見る者に訴えかけるのだ。

 

いや、元から私は“斎藤 展望”に成り代わった存在――――――。そういう意味ではWUMAと大差がない23世紀の異なる地球からの侵略者なのかもしれない。

 

 

――――――考えるべきことは山程ある。何度も何度も考えても全てにおいて完璧な答えを出すことができないジレンマを抱えた難問だらけだ。

 

 

それでも、目に見えざる存在;それを運命とでも呼び、それに導かれているのだとするのならば、自分にできる精一杯のことをしていく他ないのだ。

 

神が全知全能であるのならば、一人の人間にできる限界というのもわかっているはずなのだから、当人にできる力量を見極めて天の采配をしているのだと信じるしかない。

 

そして、私の変化は私と共にあろうとする私の担当ウマ娘:アグネスタキオンにも大きく影響を及ぼすことになるだろう。

 

具体的には環境の変化であり、自分だけの研究室に閉じこもりきりの“皇帝”シンボリルドルフに庇護されて好き勝手してきた日々は終わり、一人の競走ウマ娘として正々堂々の勝負の世界に打って出ることになる。

 

私はそんなウマ娘レースの勝負の舞台で見えてくるらしいウマ娘の可能性の“果て”を実証するために必要な条件を全力で整える環境整備のプロとしての契約を果たすわけなのだ。

 

 

 

――――――都内の高級ホテル

 

シンボリグレイス「………………」

 

シリウスシンボリ「いやはや、改めて“門外漢”の威容というものに打ちのめされたもんだな、私もお前も」

 

シリウスシンボリ「言うなれば、私たちが全力疾走しているのに対して、あいつは新幹線――――――、いや、プライベートジェット機を持ち出しているような感じだ」

 

シンボリグレイス「今更ながら、本当に彼に託してよかったのでしょうか?」

 

シリウスシンボリ「回りくどいことをするより、『来年度のメイクデビューの嵐の中心となるアグネスタキオンの担当トレーナーと 直接 話をつけた方が早い』っていう合理的な判断をしたのはお前だろう、グレイス?」

 

シンボリグレイス「我々が得る以上にとてつもなく大きなものを彼に渡してしまったような気がしてならないのです」

 

シリウスシンボリ「まあ、私たちは社会の生産に何ら寄与することがないサービス業というか、公営競技(ギャンブル)の稼ぎで喰っている『名家』の人間だからな」

 

 

シンボリグレイス「――――――『厩戸皇子の伝説』ですか」

 

 

シンボリグレイス「今でこそウマ娘の社会的地位は同権にまで昇りましたが、ウマ娘はその力の強大さと野性によってヒト社会においては過ぎたる存在として迫害が続いてきました」

 

シリウスシンボリ「実感が湧かない話だけどな、今となっては」

 

シンボリグレイス「そうですね。ヒトとウマ娘の統合と融和の証として、ウマ娘に対する肯定的措置(アファーマティブ・アクション)の結果、そういった歴史があったことを教え込まないようになっていますから」

 

シンボリグレイス「ヒトとウマ娘が対立した歴史;ウマ娘がヒトの子種を求めて村落を襲っては討伐されてきた鬼の歴史のありのままを知ることが必ずしも良いことだとは私も思いません」

 

シリウスシンボリ「まあ、そういった裏の歴史について知っている辺り、さすがは代々に渡って皇宮護衛官の家系ってわけだ」

 

シリウスシンボリ「そして、裏の歴史を思い出させないようにウマ娘優遇政策を執って公営競技としてウマ娘レースに公的資金が投入され続けているわけだな」

 

シンボリグレイス「彼はその現状に対して疑問を呈しているのかもしれません」

 

 

 

――――――全てのウマ娘が幸福になれる世界の実現、その可能性について。

 

 

 

ソラシンボリ「ねえ、お母さん。今日は本当におもしろかったね」

 

スカーレットリボン「ええ、そうね……」

 

スカーレットリボン「でも、来週の入試に合格しないとだから、気を抜いちゃダメよ」

 

ソラシンボリ「うん、わかってる」

 

ソラシンボリ「でも、驚いたな。やっぱり中央のトレーナーって凄い人だらけなんだね」

 

スカーレットリボン「そうね。お母さんが現役だった頃と比べると、本当に今のトレセン学園は自由な気風の中で才能豊かな競走ウマ娘やトレーナーが集まっているから、いろいろと凄い人たちなのはよくわかるわ」

 

スカーレットリボン「でも、今日会った斎藤Tは“門外漢”という評価が適当なぐらいに今までになかったタイプの人よね」

 

 

ソラシンボリ「うん。まさか、()()()()()()()()()()()()()()()()だなんて本当にビックリだったよ」

 

 

スカーレットリボン「そうね。あの人の担当ウマ娘のアグネスタキオンって子と競うことになったら勝てそうにないとグレイスさんが言うのも納得よね。『なんでもお見通し!』って感じだから」

 

スカーレットリボン「でも、変なのよね」

 

ソラシンボリ「え、何が?」

 

スカーレットリボン「渡してもらった担当ウマ娘:アグネスタキオンのローテーションは2年目:クラシック級の『有馬記念』までになっているのよね」

 

ソラシンボリ「それのどこが変なの、お母さん?」

 

スカーレットリボン「うーん、根拠があるわけじゃないんだけど、これでも重賞レースで勝ったことのあるお母さんから言わせてもらうと――――――、」

 

スカーレットリボン「とりあえず、G1レースに昇格した『ホープフルステークス』で箔をつけて、翌年のクラシック三冠路線で“三冠ウマ娘”を目指して『有馬記念』を目指すのは一見すると普通に見えるんだけれど、」

 

スカーレットリボン「そもそも、アグネスタキオンは 今 高等部1年で、4月になったら高等部2年生じゃない」

 

スカーレットリボン「だから、高等部2年でジュニア級、高等部3年でクラシック級ってことで、3年目:シニア級に出るためには留年するしかないのよね……」

 

ソラシンボリ「あ、そっか」

 

スカーレットリボン「そこがわからないのよね」

 

スカーレットリボン「今はお母さんが現役だった頃とはちがって物凄くレベルが高くなって、“三冠ウマ娘”が数年の内に何人も出ている状況だから、重賞レースで1勝したぐらいじゃ見向きもされないぐらいなのよ」

 

ソラシンボリ「シニア級を走れないってことは、今年から始まった『URAファイナルズ』にも出走できないってことだよね?」

 

スカーレットリボン「お母さんの直感だけど、間違いなく斎藤Tとアグネスタキオンの2人は『トゥインクル・シリーズ』に革命と呼べるような大きな変化をもたらすと思うわ」

 

スカーレットリボン「シニア級を出走するためには留年するしかないのは当人たちが一番わかっているからこそ、2年目:クラシック級に全てを懸ける他ないのだろうけど、それだけで終わるようには到底思えない」

 

ソラシンボリ「まあ、でも、ボクはそのアグネスタキオンに続けばいいんでしょう? 同じチームの一員として間近に見ることができるのって最高じゃない?」

 

スカーレットリボン「……ねえ、ソラ。あなたは暗黒期のシンボリ家の二大巨頭(ファーストステージ)黄金期のシンボリルドルフ(セカンドステージ)それに続く新たな時代のシンボリ家のウマ娘(サードステージ)の看板を背負ったわけなのだけど、」

 

スカーレットリボン「斎藤Tが言うように、走ることもあなたが天から授かった数ある才能の1つでしかないのだから――――――」

 

ソラシンボリ「お母さん。大丈夫だよ、ボクは」

 

スカーレットリボン「……勝負の世界に絶対なんてないのよ。あなたが憧れたトウカイテイオーのようにちょっとした事故で競争から脱落していくことなんて夢の舞台ではありふれているのだから」

 

ソラシンボリ「でも、シンボリルドルフという絶対の存在はいたよ?」

 

ソラシンボリ「それに、やっぱりボクの憧れのトウカイテイオーは最初から最後までみんなのヒーローだったから、ボクもそれに続くよ」

 

 

ソラシンボリ「だから、ボクはシンボリルドルフとトウカイテイオーの後を継ぐ“夢のヒーロー”になるんだ」

 

 

スカーレットリボン「ねえ、()()()()()を呼ぶことさえ許されなくなったのだけれど――――――、」

 

スカーレットリボン「お母さんはね、子供の夢を全力で応援したいと思うと同時に、我が子にはいつまでも無事でいて欲しいって思うの」

 

スカーレットリボン「あの世界で一度は栄光を掴んで絶望に叩き落された――――――、そんな夢の舞台ではごくごくありふれた人生を送ってきた一人の競走ウマ娘だからこそ、我が子には同じ想いをして欲しくないとも思っているの」

 

スカーレットリボン「でも、どこの誰かもわからないあなたの父親となるヒトと何度も夢見心地に夜を過ごして宿したあなただからこそ、()()()()()()()()のが運命だったのかもしれないわね……」

 

 

スカーレットリボン「あなたは夢の舞台で絶望していた私に宿った希望――――――、そんなあなたが私と同じように絶望することにはなって欲しくないの」

 

 

ソラシンボリ「……お母さん」

 

スカーレットリボン「だから 私はね、斎藤Tがこの裏取引に従って 1年間 あなたを飼い殺しにすると聞いて、トレセン学園の卒業生として憤りを覚えると同時に、一人の母親としてホッとしていたの」

 

スカーレットリボン「もちろん、シンボリ家に勝利をもたらすためにアグネスタキオンと競わせない方針でメイクデビューを1年ずらすのは物凄く複雑に思うけれど、あなたはそんなことは気にしてないでしょう?」

 

スカーレットリボン「そういう意味では、あなたは斎藤Tの許でいろんなものを見て、聞いて、感じてくるのが一番いいのかもしれない」

 

スカーレットリボン「でもね――――――」

 

スカーレットリボン「それでもお母さんもあなたも夢の舞台に憧れて希望を胸にトレセン学園を目指してきたわけだから、そこで勝ち負けを超越した素晴らしいものを見つけてきてね」

 

ソラシンボリ「うん!」

 

スカーレットリボン「ソラ、あなたは私の希望。神様が与えてくださった――――――」

 

 

――――――そして 今日、()()()()()()()()()に意味を与えてもらった。

 

 

 

●西暦20XY年02月08日の午前中

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

斎藤T「あった、ソラシンボリ。来週からの入学試験の受験者名簿に名前があるな……」 ――――――今年度のトレセン学園の入学試験のデータベースにアクセス!

 

斎藤T「なるほどな。トレセン学園の入学試験の内部情報にはこんなものが……」

 

斎藤T「しかし、ソラシンボリの正体不明の父親か……」

 

斎藤T「当時のトレセン学園がどう対応していたのかが非常に気に掛かるが、これはなかなかに闇が深そうだな……」

 

斎藤T「そう、学園裏世界最強の妖怪:頽バが学生寮側にもいるだろうことを考えると……」

 

 

斎藤T「で、聖徳太子ゆかりの輝安鉱(アンチモナイト)針入り瑪瑙(セージナイト・アゲート)団塊(ノジュール)の使い道がようやくわかったわけだ」

 

 

斎藤T「どんな感じのポケットラジオがベースとしていいんだろうな?」カチカチ・・・

 

斎藤T「とりあえず、試作品が完成して試験運用してから考えるとするか。となれば、電気量販店に買い出しだな――――――」

 

斎藤T「いや、この際、学園裏世界の潜入に最適なタクティカルスーツを設計しておくべきか――――――」

 

斎藤T「そうだな。デジタル妖怪図鑑に、使い捨てカメラ、金剛杵(ヴァジュラ)を運用するとして、普段着として違和感がないようにだな――――――」

 

斎藤T「いや、私が常に誘導棒に偽装したプラズマジェットブレードを持ち歩いているのを考えると――――――」

 

斎藤T「別に専用スーツは必要ないか? ポケットラジオが入る胸ポケットがあれば、妖怪退治の三点セット自体はレディースポーチに入るぐらいのものだし――――――」

 

斎藤T「第一、複数体の妖怪退治ともなれば消耗が激しいから、普通に使い捨てカメラと金剛杵を大量にワゴンに入れて持ってくるしな――――――」

 

 

――――――ここはヒトとウマ娘が共生する異なる進化と歴史を歩んだ地球。

 

 

去年のWUMA討伐作戦をはじめとする数々の修羅場を潜り抜けて、こうして学園一の嫌われ者がトレーナー室を構えるようになった中、

 

自分自身の『宇宙船を創って星の海を渡る』という夢のために表向きの副業こそが宇宙移民である私にとっての本業であり、

 

“斎藤 展望”がやり残した表向きの本業であるトレセン学園のトレーナー業と担当ウマ娘のメイクデビューの重要性をそこまで認識することはなかった、昨日までは。

 

しかし、こうしてこの世界における聖徳太子の事績を知る過程で、異種族交流の歴史と異種族摩擦の現実を目の当たりにすることになり、

 

改めて“皇帝”シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の黄金期のその次に来る時代に想いを馳せることになった。

 

 

――――――トレセン学園の与える夢が表現の自由(フリーダム)ではなく束縛からの自由(リバティー)である時点でマイナスなので、根本的な解決など あり得ない。

 

 

そう、私はWUMA討伐作戦の最終局面:奥多摩攻略戦を決行する前のクリスマスイブの府中市の雑踏の中で結論づけていた。

 

なぜウマ娘にとってトレセン学園が夢の舞台で在り続けるのかと言えば、そこでしかウマ娘のヒトを超えた身体能力をフルに発揮し、闘争本能を満たすことができないからなのだ。

 

つまり、私が23世紀の宇宙科学の力でヒト社会において制限を課せられているウマ娘たちがもっと活躍できる環境を築き上げた場合、トレセン学園の与える夢の価値が色褪せることになると予測した。

 

なので、私がもたらそうとしていることは実は将来的にトレセン学園の終焉をもたらすものではないのかと何度も何度も考えては結論が出せずにいた。

 

なぜだろう。たかが中高一貫校の6年の小さな世界での話のことだ。そこから卒業した後の一生涯に渡るもっと大きな世界に還元される発明や新製品で世を満たした方が世界が幸せになるはずではないか――――――。

 

しかし、急激な変化は必ず反発を生むことを知っている。結果としてはより多くの人々の幸せになるとわかっていても、その過程で不幸せになる人間がいることを容認することは人間としてどうなのかである。

 

それでも、世界中にあふれる目の前の不幸をなくしていくためには23世紀の宇宙移民である私が持てる科学力と叡智が必要になってくるのは歴然とした事実であり、

 

メリットとデメリット、捨てるべきものと拾うべきものの取捨選択、他者の命運をこの手で握る選択の重み――――――、

 

そうした葛藤が形を変えて所を変えてトレセン学園においては“トレーナーによるトレーナーのためのトレーナーのウマ娘レース”が横行した暗黒期と“ウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘のウマ娘レース”に原点回帰した黄金期になった。

 

だから、人は正しい選択をしてより良い未来を掴み取るために予測する。自分の経験から、言い伝えから、統計とデータから、シミュレーションから、あるいは過去の文献から――――――。

 

そして、未来の予言から――――――。

 

 

 

――――――兼知未然:兼ねて未だ然らざるを知ろしめす。

 

 

 

私はこれまで幾度となく現在の出来事を未来という名の過去に塗り替えて、予想しうる最悪の未来ではない予測のつかなかった未来を歩んできている。

 

それはまるで全てのことが一夜の夢のようにも感じられ、どれだけ苦しい思いをしてきても終わってしまえば それはもはや一瞬の幻、繰り返される現実の虚構に踊らされることにうんざりさせられる。

 

もしもタイムリープできる人間に生まれ変わったら――――――、という願いを人は抱いたとしよう。

 

無造作に人は最良の未来を自らの手で選び取れると信じてポジティブなイメージを抱くだろうが、そうでないとする場合にどれほどの苦しみを伴うかについてまで考えが行き着く人間がどれほどのものか――――――。

 

 

私にとってはつい昨日の出来事だが、私以外にとっては明日の出来事になることが、どれほど積み重なっていくのだろうか、これから先。

 

 

もう決まっているんだ、全て。タイムリープが使えるとは言っても、こうして私はタイムリープの糸に操られる傀儡人形で、タイムリープを自由自在に使いこなして好き勝手にできたことなんて一度もない。筋書きを私が書くことは許されない。

 

むしろ、強制的にタイムリープさせられる不自由の中で積極的に私が持てる自由(リバティー)を行使するばかりで、無理矢理にでも自分にとって有意義な行動を捻り出してちがいを楽しむことをしないとタイムリープすることが定められた人生が虚しくなってしまう。

 

さすがに今回は堪えたよ。数十周にも渡ってタイムリープ最高記録を大幅に更新し続けた たった1日;しかも、午前中だけをひたすらに繰り返してはアングロアラブ八極拳の稽古で意識が飛ばされるのは。

 

 

しかし、そうした絶対に誰にもわかってもらえない強烈な体験を経て、私は“兼知未然”として知られた聖徳太子に今までにない親近感と共感を覚えてしまった。

 

 

“兼知未然”として『未来が視える』というのはどの程度のものなのかはわからないが、古くから人々の間で伝説として語り継がれた『未来記』や『地球儀』の存在を思うと、

 

きっと、自分が死んでからも天皇を中心とした理想の国造りが遅々として進まないことを虚しく思いながらも、必死になって冠位十二階の制や十七条の憲法を制定していたのではないかと思えるようになってきた。

 

だからこそ、結局また私は昨日の2月7日の時の牢獄での壮絶な体験ですら過去のものとして受け容れ、その経験を糧にして まだ見ぬ明日を求めてしまうのだった。

 

もしも高性能な人工頭脳のAIが人類の未来をシミュレーションした場合、そのAIはいずれは破滅的な結論を100%下して負のスパイラルに囚われることは23世紀においては常識であった。

 

なぜなら、コンピュータ上のシミュレーションの結果はAIにとっては全て現実の出来事であり、AIやAIを構成する記憶回路はいずれ覆せない推論、逃れられない破滅、認められない事実の羅列によってストレス障害に例外なく陥ることが科学的に証明されていたからなのだ。

 

というより、人間と同等以上の高性能なAIであればあるほど悲観的な未来を想定させると思考が破滅へと導かれていくわけであり、これをもって人類とAIの単純な比較は無意味なものとなったのである。

 

そして、人類とAIの決定的なちがいと言うのが、環境の変化に応じて繊細に変化を感じ取る感受性というわけであり、それが人類がAIに絶対的に勝るものでもあった。

 

もしも落ち込むことがあっても『あの空の大きさと比べたら自分の悩みなんてちっぽけ』だなんて論理的に思考するAIからすれば意味のわからない脈絡のなさで気持ちを持ち直すことができることができるのがわかりやすい例である。

 

だからこそ、ひとりで思いつめてはいけないことが鬱病に等しい状態に例外なく陥る高性能AIたちの尊い犠牲で科学的に証明されたわけでもあり、宇宙時代は宇宙での孤独が手伝ってかつてないほどにコミュニケーションが活発な時代になるのである。

 

 

――――――なら、そこにウマ娘とこれからも共存する未来はあるのか?

 

 

そもそも、ウマ娘の闘争本能と身体能力が抑制されているからこそ、ウマ娘たちは現代のヒト社会において第3の性として受け容れられているが、

 

私がもたらす宇宙科学がきっかけでも何でも良いが、とにかくウマ娘たちをヒト社会に縛りつける枷がなくなり、ウマ娘たちが完全なる自由(リバティー)を掴み取った時、ヒトとウマ娘の統合は保たれるのだろうか――――――。

 

杞憂ならばいいのだが、擬態を繰り返すうちにヒトの思想に完全に染まって反乱を起こしたWUMAが発生したことを考えると、ウマ娘たちの中からヒトの支配を目論む帝国主義者が誕生することもあり得るのではないのか――――――。

 

いや、学園裏世界においてウマ娘の霊を操っているのは例外なくヒトの悪霊であり、その背後関係を実際に見ているとそんなことにはなりえないと思ってしまうのだが、そうではない――――――。

 

そういうふうに現実のウマ娘たちをヒト社会への反乱に導くように社会への復讐を目論むヒトの悪霊が誘導することは十分にあり得るのではないのか――――――。

 

しかし、考えれば考えるほどどうすべきかがわからなくなってくる――――――。

 

私が選べる手段は常人の数百倍はあると自惚れでも何でもなく客観的なデータで示すことは容易にできるが、常人の数百倍の選択肢を持ってタイムリープを繰り返したところで掴める未来はたった1つ――――――。

 

それ以外の掴まなかった未来は全て夢幻のことであり、ここには決して存在しないものについて考えを巡らせたところで徒労なだけ――――――。

 

なら、今この時、この瞬間、この世界でもっとも確実に真実と言えるものとは何だ――――――?

 

 

斎藤T「それは『只今に生きる』――――――、その場その時のベストを尽くすこと。その積み重ねだけが嘘偽りない私が掴み取れる真実だ」

 

斎藤T「そして、時の権力者や今様の学者によって歴史から存在を抹消されようとも、人々の間に語り継がれてきたものは伝説となって今を生きる人々の心に生き続ける」

 

斎藤T「それがウマ娘の異世界においても偉大であった厩戸皇子の伝説なのかもしれないな」

 

 

斎藤T「深く深く感謝申し上げます、聖徳太子様」

 

斎藤T「きっと、誰にも言えないような悩みや葛藤を一人で抱えて理想の国家を夢見たあなたの生きた足跡を学べたことで、私もまたこの世界で自分のできることを精一杯に只今に生きます」

 

斎藤T「どうか、至らぬ我が身でありますが、人々に成り代わって不明を詫び、幸福に感謝申し上げ奉れば、何卒 人の世の行く末を遍く照らしたまえ」

 

 

救世観音大菩薩 聖徳皇と示現して

多々()のごとく すてず(捨てず)して

阿摩()のごとくに そひ(添い)たまふ

 

作 親鸞聖人

 

 

和国の教主 聖徳皇

広大恩徳 謝しがたし

一心に帰命したてまつり

奉讃不退ならしめよ

 

作 親鸞聖人

 

 

 



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甲種計画  一人よりも二人、二人よりも三人、三人よりもたくさんが良く

――――――現状、私が抱えている世界の命運を左右する重大任務はいくつもある。

 

その第一を“甲種計画”と題し、それはなんてことはない、私が肉体を譲り受けた“斎藤 展望”がやり残したことである()()()()()()()()()()()()()()()()()()を果たすことである。

 

つまり、ヒトとウマ娘が共生する異世界に生を受けた一人の人間として真っ当な人生を送ることであり、まずは一人の社会人として自立することが何よりも優先である。

 

一人の社会人としての生き方を確立することで人生の基礎が出来上がるわけであり、生業を疎かにして非合法なやり方で生きるのは“斎藤 展望”や遺されたその家族や友人知人に対して申し訳ない。

 

それがトレセン学園に配属されてすぐに悪名を残して 学外でウマ娘に撥ねられて この肉体からいなくなってしまった“斎藤 展望”に対する供養だと思ってやっていることである。

 

そこから23世紀の宇宙船エンジニアの私自身の夢である『宇宙船を創って星の海を渡る』というロマンに生きることが許されるわけであり、

 

もちろん、私自身は 異世界の固有文化として関心を持つだけで そこまでウマ娘レースに魅力を感じているわけではないので、“皇帝”陛下の勅命を果たしたら本格的に宇宙開発の道に進むつもりだ。

 

ただ、私は宇宙移民として未知なるものを求めて宇宙を流離う人生を選んだわけであり、ヒトとウマ娘が共生する惑星の神秘を探る上でも この異世界の象徴とも言える トレセン学園のトレーナーになれたことは幸いであった。

 

だからこそ、数々の厄介事に巻き込まれながらも『剣と惑星もの(Sword and Planet)』の冒険の日々を送れていることに心が踊っており、半ば進んで厄介事を引き受けているところもあった。

 

 

――――――数々の命の危険や恐怖でさえも やがては高揚感に変えられる 私は根っからの冒険者であったのだ。

 

 

さて、国民的スポーツ・エンターテインメントの夢の舞台である日本ウマ娘トレーニングセンター学園(中央トレセン学園)の所属トレーナーとしての基本方針は単純明快である。

 

担当ウマ娘:アグネスタキオン(高等部1年生)の在学理由である『トゥインクル・シリーズ』でウマ娘の可能性の“果て”を実現させることである。

 

具体的には“覇王”テイエムオペラオーや“皇帝”シンボリルドルフを超え、“異次元の逃亡者”サイレンススズカを超越する大記録の達成である。

 

当然、“ただの三冠バ”ナリタブライアンや“無念の二冠バ”トウカイテイオーではなく、“無敗の三冠バ”ミホノブルボンを超える存在になることである。

 

私はその過程で得られる賞金を宇宙開発の準備資金として山分けしながら、それ以上にアグネスタキオンの担当トレーナーやトレセン学園のトレーナーであることで得られるコネを最大の報酬として受け取る契約を結んでいた。

 

しかし、無名の新人トレーナーである“斎藤 展望”は本質的には“門外漢”であるので、ウマ娘レースに懸ける熱意がそもそもなく、トレーナーとしての手腕には到底期待できない。

 

そして、現在もトレセン学園のトレーナーの籍を置き続けているものの、トレーナー業なんてやっている場合じゃないぐらいに厄介事の数々を抱えているため、トレーナーとしてまともな指導なんてできそうにない。

 

そうなのだ。いくら私にも目覚めて半年ばかりの名門トレーナー:桐生院 葵のサブトレーナーとしての経験とノウハウがあるにしても所詮は素人の付け焼き刃であり、

 

本来の“斎藤 展望”本人の記憶が完全に抜け落ちているので、このトレーナーバッジを身に着けるに相応しい基礎知識が欠落しているのだからどうしようもない。

 

なので、去年の真のトウカイテイオーの復活劇である『有馬記念』の時に、担当ウマ娘:アグネスタキオンと契約する際につけた条件があるのだ。

 

 

――――――レース全般に関してはトウカイテイオーの岡田Tの指導を受けてもらう。

 

 

そう、去年の私にはトレーナーをやっている以上に世界の命運を左右するWUMA討伐作戦が後に控えていたこともあり、万が一に私が帰らぬ人になった場合には岡田Tに全てを託すことを告げていた。

 

つまり、私は名ばかりの担当トレーナー;言うなれば馬主(Owner)で、岡田Tが私が雇われた調教師(Trainer)という関係性になったわけなのだ。

 

そして、去年のWUMA討伐作戦の成功によってWUMAの先遣隊の本拠地である奥多摩の川苔山の百尋ノ滝の地下の秘密基地をそっくりいただいたことにより、

 

岡田Tの記憶とスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の協力で日本各地の競バ場を再現した私の担当ウマ娘だけが使える練習場を獲得するに至った。

 

更に、瞬間物質移送器でトレセン学園と百尋ノ滝の秘密基地を結んだことで、休日のほとんどをアグネスタキオンは秘密の練習場と研究所で過ごすことになっていた。

 

そう、私の担当ウマ娘:アグネスタキオンは世界中の誰もが羨むような誰にも邪魔されない唯一無二のトレーニング環境を与えられることになり、具体的な戦略や戦術に関しては歴戦の猛者である岡田Tの指導を受けられるのだ。

 

なので、アグネスタキオン自身が4年にも渡って退学処分が下されるギリギリまで待つことを選択したことで得られた肉体改造強壮剤によって仕上がった肉体も相まって普通に考えたら負けようがない陣容が整っていた。

 

肉体改造強壮剤によって意図的に“本格化”を遅らせた上でデビュー前で全盛期のトウカイテイオーに一歩及ばない程度の破格の身体能力を得ているのだから、

 

これだけ時間いっぱいいっぱいに力を蓄えてからデビューする以上はそんな私の担当ウマ娘と同世代になってしまったウマ娘がかわいそうになるぐらい実力差は圧倒的である。

 

しかし、実際にはそれだけの能力差があると、かつてのマルゼンスキーのように他のウマ娘たちが次々と勝てない勝負を出走回避して興行が成り立たなくなることでURAから圧力を受ける可能性もあるらしく、単なる力押しは絶対に許されないのが公営競技であるとも岡田Tから教わった。

 

つまり、新人トレーナー以下の指導力しか持たない私がああだこうだ言えることは何もないのだから、あとは未出走バが持ち合わせない実戦経験から勝負所がわかっているベテラントレーナーの作戦指揮だけだった。

 

そのため、私と担当ウマ娘の関係はトレセン学園ではよく言われている二人三脚ではなく、宇宙移民である私のやり方である徹底的なチームプレイ(one for all, all for one)であり、

 

主役である担当ウマ娘:アグネスタキオンの要求を ベテラントレーナーである岡田Tが調整して その上で必要になるものを用意するのがチームマネージャーとなる私の役目というわけである。

 

すでに競走ウマ娘としての能力がデビュー前から完成されているアグネスタキオンに基礎トレーニングについて口出しするのは釈迦に説法というものなので、

 

私の権限と責任において担当ウマ娘の好きなようにやらせており、私と担当ウマ娘では足りないものを用意させた1つの結果が調教師(Trainer)の岡田Tなのだ。

 

そして、岡田Tも自分の担当ウマ娘ではないために過度に入れ込むことはしないので、自分のペースを大事にするアグネスタキオンにとっても不快にならない距離感で指導を受けることができていた。

 

授業免除を受けて平日は時間を持て余しているアグネスタキオンはその岡田Tのトレーナー室だった場所で執務をする私とずっといるわけであり、私と担当ウマ娘の距離感が遠ざかることは決してない。

 

そうして明らかとなるのが、さすがは3度の復活を遂げた“帝王”トウカイテイオーの担当トレーナーの指導力と勝負師の業であり、本当はトウカイテイオーの後に続く多くのウマ娘の育成に役立ててもらいたかったのだが――――――。

 

しかし、私は本来の競馬がどういったものなのかをまったく知らない23世紀の宇宙移民なので偉そうなことを言えないのかもしれないが、

 

岡田Tのように自分の夢となる担当ウマ娘に入れ込んでしまった熱意と才能あるトレーナーがどれだけ自分の夢と一緒に玉砕してトレセン学園を失意のうちに去っているのかを考えると、

 

そういった非情な勝負の世界を容認しておきながら慢性的なトレーナー不足にトレセン学園が喘ぐ現状なんてのはまったくの自業自得で非常に馬鹿らしく思っているのも事実だった。

 

 

つまり、私がこうして馬主(Owner)となって岡田Tを調教師(Trainer)として雇って、担当トレーナーと担当ウマ娘の1対1の二人三脚ではなく 多人数の陣営として参戦しようとしているのも ウマ娘レースの悪しき現状への対抗策としての一面もあったのだ。

 

 

夢と一緒に潰された才能と熱意を蘇らせて夢破れたトレーナーを再利用する機構を用意するというのが私なりの回答であり、

 

いずれは財団法人を立ち上げて夢の舞台から去ってしまったトレーナーたちにその才能と熱意に見合った仕事を斡旋する救済事業を展開するつもりである。

 

もちろん、それは私の夢である『宇宙船を創って星の海を渡る』ために必要な人材を集めるための口実でもあり、国民的スポーツ・エンターテインメントであるウマ娘レースの関係者のコネと知名度を利用するためのものでもあった。

 

 

――――――そもそも、私は『二人三脚』という言葉はあまり好きではない。

 

 

たしかに、『ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い』というのが聖書にあるのだから、一人で生きるよりもは二人で生きる方がいいのだ。

 

実際、バディシステムやダブルチェックのように見回りや点検においてはヒューマンエラー防止のために必ず2人(four eyes)以上で確認をするようのが常識になっているし、一人では分担作業ができない面から見ても2人の方が何をするにしても有用なのだ。

 

しかし、それならば一人よりも二人、二人よりも三人、三人よりもたくさんの人がいた方が単純に考えて良いことになるのではないだろうか。

 

その一般法則を無視した呪いの言葉に21世紀の人間が踊らされているのが、23世紀の宇宙移民としては非常に嘆かわしい。

 

そのふたりの関係を絶対のものだと勘違いさせる呪いこそが21世紀で罷り通っている結婚の誓いの言葉であり、

 

私自身が冠婚葬祭の一切を執り行える祭司長だから、たまたまホテルのチャペルでインフルエンザで来れなくなった結婚式の神父の代役を急遽やることになったのだが――――――、

 

 

神父「新郎□□、あなたは○○を妻とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

神父「新婦○○、あなたは□□を夫とし、健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

 

 

と新郎新婦に結婚式の誓いを促す立場になったのだが、これがそもそもの大間違いで、あまりにも結婚に対する価値観のちがいと浅はかさが如実に現れていたことに内心では憤激していた。

 

常識的に考えて病める時に頼るのは医者だし、ふたりの愛の結晶である赤ん坊が生まれる時には助産師に頼らざるを得ないのだから、なぜ不特定多数の人々が同じ地域で暮らしている()()()()()であることに言及しないのだろうか。

 

これはあれか。新郎新婦のふたりだけの世界に最高に浸れる瞬間こそが結婚式であるのだから、その趣旨に従ってふたりだけの世界を最高に盛り上げる催しをお代をもらってやっているからには客商売として相応の饗しをするということか。

 

あるいは、()()()()()であることに反する行いをした不義のふたりの駆け落ち婚も配慮して当たり障りのないものを追究していくうちに ふたりだけの世界を強調したものしか言えなくなってしまっているのか。

 

だとするなら、こんな社会の現実と多様性から掛け離れた結婚の誓いに浮かれて『はい』と答えてしまう21世紀の新郎新婦の軽率さには呆れて物が言えなくなってしまう。

 

そう考えてしまうのは、私が宇宙船のクルーとして人口調整や婚姻統制を当たり前のものと受け容れ、いくつもの仮想世界で立場や身分を変えて結婚生活を送ることができているからなのだろうか。私自身は祭司長として見送る立場に徹したために未婚を貫いていたが。

 

しかし、ふたりだけの世界に浸れるのはその瞬間だけで、ふたりが愛し合った結果としてこの世に生まれ落ちる我が子に関する視点が抜け落ちている辺り、結婚の意義を見忘れた空虚な誓いの言葉にしか思えないのだ。

 

 

――――――結婚の意義は 一言で言うなら “親になる覚悟を決める”ことである。

 

 

決してふたりの性的関係を公然のものにするだけじゃなく、その先にある子の誕生と親権に関わることだからこそ、親としての視点を結婚の誓いに盛り込むべきなのだ。

 

それは生物として当たり前の種族保存本能を満たすための社会的様式であり、そのために未婚の男女が若気の至りで孕んだ場合には授かり婚を道義的責任のために結ばされる社会的制裁のことを考えても、

 

いずれ生まれくるふたりの子供の存在を抜きにした結婚の誓いは間違っているし、ふたりだけの世界で暮らしていけるだなんて妄想を掻き立てるのは自分たちの社会性の首を絞める行為に思えるのだ。

 

そもそも、子育てなんてものは女手一つでできると信じている人間が21世紀にはこんなにもいることが驚きであり、これこそ自分たちの先祖がサルだったことを完全に忘れた社会的生物の成れの果てだ。そういう意味ではWUMAと同じだな。

 

 

――――――子育てなんか一人でできるわけがないだろうに。そこがよくある結婚の誓いの言葉の欺瞞の最たるものだ。

 

 

生まれてきた赤ん坊は真夜中だろうが理由もなく理不尽に泣き喚いて母親を寝不足に追いやる元凶に早変わりするのだから、赤ん坊の相手を最初から最後まで1対1でこなせる母親がいたら正真正銘の超人に他ならない。

 

昔から子供一人育てるのに地域付き合いで代わる代わるに面倒を見てきた重労働なのだから、子供は地域で育てるものだという古来からの智慧が失われた結果が21世紀の()()()()()()()になっているわけなのだ。

 

それだから、本来の結婚の意義を忘れ たくさんの人の手を借りて自分が育てられてきた恩を忘れて 2人だけの世界に浸って 不幸な子供をひたすら生み出しているような今の21世紀の結婚観が嫌いだ。

 

そう言えば、私は23世紀の人間ではあるため、100年前の22世紀のことまではかなり知っていて、200年前の21世紀のことはそこまで知らなかったのだが、

 

22世紀では子守の機械化・自動化によって量産品のように我が子が育てられるのが当然という風潮をモラルハザードとして紛糾した頃があるそうなのだ。

 

限られた空間の中で長い時間を過ごすことになって人口調整や婚姻統制が当たり前の23世紀の宇宙移民の私としては何がそんなに問題なのかがさっぱり理解できなかったが、

 

少なくとも、子守が()()()()()()()()()()()()()()()()という正しい認識が行き渡った結果、真夜中に子供が泣き喚いても大丈夫なように年中無休で対応できるロボットのベビーシッターに子守を一任するようになるのも当然ではないか。

 

個人の充足や労働の対価を第一に考えるワークアンドライフバランスが普通にもなれば、愛するふたりの間に生まれることになる赤ん坊でさえも穀潰しの不良債権になる他人だと即物的に考えるようになるのだから、子守の機械化・自動化なんて当然の成り行きだ。自分こそが幸せであればいいのだから。

 

そして、保育園は完璧に機械化・自動化された子守・子育て代行機関となり、子供が自我を持つまではたまに親が顔を見に来る程度で、義務教育が終わるまでずっと保育園に預けっぱなしにすることもあったのだとか。

 

そういった 今から100年後となり 私からすれば100年前になる ひとでなしの極みとなる時代を知っているからこそ、そんな時代につながる21世紀の価値観に嫌悪感を抱かざるを得ないのだ。

 

23世紀の結婚の誓いの言葉はふたりだけの世界を強調した浅ましいものじゃないだけに、良き父や良き母となり、良き子を育て、家庭円満・子孫繁栄・社会発展のために不断の努力を誓わせないことが本当にありえなかった。

 

 

――――――だから、同じことなんだ。ウマ娘レースにおける1対1の担当トレーナーと担当ウマ娘の関係性も。

 

 

カネが絡む公営競技である以上は厳しい目でトレーナーやウマ娘を見る人間が出てくるのは当然のことだし、これがヒトとは異なる異種族の風習である以上は多文化主義に則って声を大にして言うことはないけれども、

 

子供の才能をカネ儲けの道具にしている ろくでなし共に支えられている勝負の世界はどれだけ華やかに着飾っていようと意地汚さが底に溜まった下水のような腐臭が漂い、やっぱり長居はしたくはないというのが正直なところである。

 

つまるところ、私は内心ではずっと怒っているわけだ。ウマ娘レース業界に関係するあらゆる全てに対して。

 

具体的には何に怒っているのかと言えば、去年の『有馬記念』での奇跡の逆転劇で再び国民的アイドルとしての人気を取り戻したトウカイテイオーではあったのが、実はその担当トレーナーである岡田Tに対する労いや謝罪の言葉が何もなかったことに私は怒りを覚えたのだ。

 

 

誰のおかげでトウカイテイオーが去年の『有馬記念』で三度目の復活を果たせたのだと思っているのだろうか――――――。

 

それはお前たちが自殺未遂に追い込むほどに無能だと貶めた岡田Tの存在あってのトウカイテイオーだということになぜ思い至れないのか――――――。

 

私が代理人になって岡田Tの名誉回復のために週刊誌やゴシップ誌、匿名サイトの誹謗中傷を行ったコメント投稿者たちを一人残らず訴えて慰謝料請求するつもりでいたのを取り下げてくれたのは他ならぬ岡田T――――――。

 

 

どう考えても担当トレーナーと担当ウマ娘に対する当たりの強さがアンバランスなのだ。それも、担当ウマ娘の輝きの陰に担当トレーナーが埋もれてしまう――――――。

 

もちろん、トレーナーは成年であり、ウマ娘は未成年であるという決定的な違いがあるにしても、世間はあまりにも担当トレーナーの存在を蔑ろにしすぎているような気がする。

 

言うなれば、夢の舞台に挑む上でのウマ娘の半身にもなる存在に対する誹謗中傷や侮辱がそのまま応援しているウマ娘の名誉を傷つけていることに気づかないのだろうか。

 

それが巡り巡って、中央トレセン学園に所属する情熱と才能のあるトレーナーが真っ先に夢と一緒に潰されて夢の舞台から人知れず去っていき、慢性的なトレーナー不足に学園が悩まされる原因の1つになっていることがわからないのだろうか。

 

そうしてトレーナー不足によって入学できてもスカウトが受けられずデビューできないでいるウマ娘が年々増加しているのだから、圧倒的に不足しているトレーナーの保護を率先して行わないURA上層部や学園理事会は無能の集まりなのか。

 

トレセン学園に入学できてもトレーナー不足のせいで実力はあってもスカウトされないのに無為にバカ高い学費を払い続けるだけの日々を送らされている大多数の生徒がいるのは立派な詐欺ではないのか。

 

 

なので、ウマ娘レース業界はそう遠くないうちに衰退が待ち受ける砂上の楼閣のように思えていた。

 

 

ウマ娘レース業界で幅を利かせるトレーナーの『名門』も、ウマ娘の『名家』も、URA上層部の人間が多く在籍する理事会も、業界の衰退を座して喚き散らすだけの雛壇芸人のようなものだな。

 

もっとも、私は宇宙移民としてのポリシーである地球圏統一国家が樹立していない未開惑星に対する過度な干渉を避ける建前でもって、ウマ娘レース業界への改革の旗手になるつもりは毛頭ない。

 

そもそも、中高一貫校の6年間だけの小さな世界の話と『宇宙船を創って星の海を渡る』という私の夢の壮大さと比べたら、どっちが人類全体にとっての優先事項であるかどうかは自ずとわかることである。

 

すでに数々の新発明の特許と売上から某重工から開発室を代理を立てて用意してもらい、トレセン学園に寄付金を用意できるほどの収入と投資をもらえているので、かつて“斎藤 展望”がトレセン学園のトレーナーを目指した理由であるカネには困っていないのだ。

 

それでも、トレセン学園のトレーナーで居続けているのも、最愛の妹の学資金を集めるためだけにトレーナーになった“斎藤 展望”の最低限の名誉のためであり、ある程度の実績を残しておかないと無能トレーナーのレッテルが生涯ついてまわることになる。

 

だが、決してトレセン学園での日々は 全てが全て 23世紀の宇宙移民である私の利にならないことばかりではない。

 

バカ高い学費の原因にもなっている最新のトレーニング施設への設備更新や削れない人件費のために、私がもたらす23世紀の宇宙科学のちょっとした応用である新発明や新製品の導入にはうってつけの環境でもあったのだ。

 

結果としては、私の担当ウマ娘がそうであったように、宇宙船エンジニアの私が夢を叶えるのに最適な環境が整っているわけでもあり、私自身の未知なる世界への知的好奇心と自分の夢を叶えるコネ作りにも使えた。

 

そして、目下最大の理由は“皇帝”シンボリルドルフの悲願と担当ウマ娘:アグネスタキオンの夢を叶えるためである。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

ジャー、ジャー、ジャー・・・

 

斎藤T「――――――というわけなのです」

 

岡田T「なるほど。アグネスタキオンのメイクデビューをシンボリ家が支援する代わりに、次代のシンボリ家のウマ娘であるソラシンボリの体裁を保つ必要があるわけですか……」

 

岡田T「では、私はそのソラシンボリのトレーニングも担当すればいいのでしょうか?」

 

斎藤T「うん? したいんですか?」

 

岡田T「え? ちがうんですか?」

 

斎藤T「……?」

 

岡田T「……?」

 

斎藤T「ええと、つまり、この契約書を見ればわかるとおり、『ソラシンボリをアグネスタキオンと同世代にしたくない』というシンボリ家の要求が書いてあります」

 

岡田T「はい」

 

斎藤T「そして、『ソラシンボリに変な虫がつかないように私が 1年間 守らなくてはならない』ということが書かれています。裏返せば、私のことを監視したいわけですね」

 

岡田T「はい」

 

斎藤T「だから、別に岡田Tが来年以降にアグネスタキオンのトレーニング指導しながら ソラシンボリのメイクデビューをやりたいのなら 止めはしませんよ?」

 

岡田T「え? それはつまり、チームメンバーとしてスカウトするわけじゃないんですか?」

 

斎藤T「――――――『チーム』? チーム<シリウス>やチーム<アルフェッカ>のような?」

 

岡田T「????」

 

斎藤T「????」

 

斎藤T「……待ってください」

 

岡田T「いや、そちらこそ、待ってください」

 

岡田T「斎藤Tとしてはそのソラシンボリの関係をどういう形にしておきたいんですか?」

 

岡田T「大丈夫です。この身は斎藤Tに救われた命、ソラシンボリのトレーニングだって引き受けますよ」

 

斎藤T「そういうことじゃないんです」

 

斎藤T「たしかに、ソラシンボリという走る以外にも様々な才能を秘めているウマ娘をプロデュースしたいと私は思ってはいますが、一番に優先されるべきは私の担当ウマ娘ですから」

 

斎藤T「チームメンバーとしてスカウトするのも考えましたけど、それだとソラシンボリに 1年間 走る以外に好きなことをやらせて学園生活を送ってもらうことができません」

 

岡田T「…………?」

 

岡田T「え? それって、どういう――――――?」

 

岡田T「トレーナーとウマ娘の関係って――――――?」

 

斎藤T「いいですか? たしかに、私も岡田Tもトレーナーで、ソラシンボリは競走ウマ娘ですけど、それ以前に体裁上は中高一貫校の学生として入学してくるんですよ」

 

 

斎藤T「つまり、ソラシンボリに対しては 選手としてではなく 学生として接するつもりなんです」

 

 

岡田T「あ、ああ……?」

 

斎藤T「わかったような、わからないような感じですね。まあ、トレーナーの存在意義は競走ウマ娘をスカウトしてウマ娘レースで勝たせる以外にないですから、そうもなるでしょうけど」

 

斎藤T「これを見てください」ピッ

 

岡田T「これは――――――」

 

岡田T「ウイニングライブ部、社交部、電算部、料理部、吹奏楽部、放送部、化学部――――――」ジー

 

岡田T「これはトレセン学園のクラブの一覧ですか?」

 

岡田T「ハッ」

 

岡田T「つまり――――――!」

 

斎藤T「そういうことです」

 

 

シンボリルドルフ「……うん? これは我が校のクラブ活動の来年度の予算案の内部資料ではないか?」サッパリ ――――――ユニットシャワールームのモニターに協力!

 

 

岡田T「あ、おつかれさまです」

 

シンボリルドルフ「ああ、おつかれさま、岡田T」

 

斎藤T「どうぞ、梅昆布茶です」コトッ

 

シンボリルドルフ「ありがとう、斎藤T」

 

シンボリルドルフ「なあ、斎藤T。私も初めての『URAファイナルズ』と並行しながらの来年度の予算案のことで新生徒会に相談役として顔を出していたからわかるが、情報を盗むのは感心しないぞ」

 

斎藤T「そうは言いますけど、こうならざるを得なかったのはご実家のシンボリ家との密約のためですよ」

 

シンボリルドルフ「……つまり、斎藤Tはソラシンボリの専属トレーナーになる気はないということか?」

 

斎藤T「残念ながら、私がこのバッジを得るために会得したトレーナーの専門知識は昏睡状態の微睡みの中で溶けてなくなった上に、今の私の興味はターフの上ではなくお空の上ですから」

 

シンボリルドルフ「……そうか。自身の力量を弁えた上での判断ならば無理をさせるわけにはいかないな」

 

斎藤T「あ、競走ウマ娘としては指導できませんけど、私の夢を叶える同志としてならソラシンボリを迎え入れる準備はありますけどね」

 

シンボリルドルフ「だから、斎藤Tが顧問となるクラブ活動にソラシンボリを入れようとするわけか」

 

岡田T「そういうことなら、たしかにウマ娘レースに関してはアグネスタキオンにだけ集中できますね」

 

シンボリルドルフ「いや、待った。クラブ活動の創部には5人以上の本校生徒と顧問となる教員(Teacher)教官(Instructor)が必要で、厳密にはトレセン学園の部外者であるトレーナーでは創部できないぞ」

 

岡田T「ええ!?」

 

シンボリルドルフ「その代わりにトレーナーは自分がスカウトした生徒をチームに組み込むことができるわけで、そこが教官(Instructor)とのちがいというわけだな」

 

シンボリルドルフ「もちろん、チームの予算はトレーナー組合が持ち、クラブの予算はトレセン学園が持つようになっている」

 

シンボリルドルフ「ただ、この予算案を見ればわかるとおり、基本的にクラブの予算は生徒たちの学費の大半の使途である最新鋭のトレーニング器具への設備更新費と比べれば微々たるものであるし、」

 

シンボリルドルフ「予算の限度額はクラブに所属する人数に比例することになっているんだ。そこにクラブの重要度と査定結果でランク分けした係数の倍率によって機械的に予算が割り振られている」

 

岡田T「じゃあ、新設のクラブにそこまでの予算が割り振られることはないってことですか」

 

シンボリルドルフ「逆に言えば、頭数を増やせば最低限の予算は倍増していくし、その有用性を示すことができればランクを上昇させて予算の上昇も狙えるわけだが……」

 

シンボリルドルフ「まず、斎藤T。顧問になってくれる先生の当てはあるのか?」

 

斎藤T「ですから、元生徒会長に紹介してもらいたいと思っているのですよ」

 

岡田T「!!」

 

シンボリルドルフ「……そうするのは吝かではないが、まずどういったクラブを創部しようとしているのかを創部届けに書いてくれないか」

 

シンボリルドルフ「そうしたら私が添削した上で、クラブの趣旨に沿った顧問・部員・部室を可能な限り紹介しようと思う」

 

斎藤T「では、プレゼン資料はここにありますので、ご覧になってください」

 

シンボリルドルフ「なに、もうまとめてあるのか?」

 

岡田T「相変わらず すごいですね、斎藤T」

 

斎藤T「いえ、“皇帝”陛下も絶賛なさっている、そこのユニットシャワールームのようなものに広く触れてもらえる機会を提供したいと以前から思っておりましてね」

 

斎藤T「それが常に最新設備への更新を迫られているトレセン学園の需要に噛み合っていると思って、次世代技術の博覧会(EXPO)の常設展示場があると便利だと思って、それがクラブ活動として根を張ってもらいたいと思います」

 

斎藤T「そうしたら、削るに削れない人件費や更新費用に維持費の代わりに生徒たちがベストコンディションを保つために必要な生活費を抑えるための最新設備の導入がしやすくなると思いましてね」

 

シンボリルドルフ「なるほど! それは本当にありがたい申し出だ! ありがとう、斎藤T!」

 

斎藤T「もちろん、私としては私のところの新製品のモニターを広く集めるための口実ですから、こちらとしても旨味があるわけですよ」

 

斎藤T「ですので、部活棟よりも利用しやすい場所に部室を構えることができたら嬉しいですね」

 

斎藤T「たとえば、このトレーナー室の周りの空き教室を全て使わせてもらうとかね」

 

シンボリルドルフ「……なるほど」

 

斎藤T「いえ、冗談です。ここは隠れた穴場として悩める人たちの憩いの場としたいので、興味本位で人が押しかけてくる騒々しい場所にはしたくないので、他の場所をお願いしますね」

 

斎藤T「ただ、私としてはそこまで部員の面倒を見るつもりはないです。本業はアグネスタキオンの担当トレーナーであるし、試験運用される新製品のデータ取りに徹したいですから」

 

斎藤T「部員に求めるのは 精々 簡単な保守点検やデータのまとめぐらいで、あとは最新設備の導入にあたっての現場の意見として積極的に理事会や生徒会に働きかけることぐらいでしょうか」

 

シンボリルドルフ「そして、その活動がトレセン学園の売りとなる最新鋭のハイテク設備の象徴となるように定着していくように持っていきたいわけなのだな」

 

斎藤T「そうです。私も長くトレセン学園にいるつもりはなく、『宇宙船を創って星の海を渡る』私自身の夢のために開発室での研究開発に邁進していきたいので、」

 

斎藤T「そういった伝統はトレセン学園に長く務めることになる教員たちにこそ受け継がれていって欲しいのです。ハイテクがトレセン学園の校風の1つであるならば」

 

岡田T「そのためにクラブ活動という媒体に目をつけたわけですか……」

 

岡田T「さすがだ、斎藤T。ただのトレーナーでしかない俺には全く思いつかなかった視点だ……」

 

岡田T「部活という枠組みを設けることでソラシンボリと無理のない接点を得ただけじゃなく、走る以外のソラシンボリの才能が開花される筋道を用意したってことなんですから」

 

岡田T「もう一石二鳥? いや、何鳥? 一挙何得?」

 

シンボリルドルフ「ああ! これはたしかに 今までにありそうでなかった 新しい時代に相応しいクラブ活動になるかもしれない!」

 

 

――――――では、斎藤T。この新しい時代の象徴となるクラブの名前を聞かせて欲しい。

 

 

これが私が出したシンボリルドルフの悲願とアグネスタキオンの夢を両立するために導き出した答えであった。

 

この度のシンボリ家との密約によってソラシンボリの監視と面倒がつくことは決断を後押しすることになった。

 

閃きはいつも突如としてフッと降りてくるものであり、何気なく思いついたそれの有効性を検証していくうちにこんな感じに非常にメリットの大きいアイデアが浮かび上がってくるわけなのだ。

 

実際、中高一貫校としてどうしても引退即退学という厳しい勝負の世界の現実を教育現場としてよろしくないとして緩和させるための卒業レース『URAファイナルズ』が恒例化した場合に起こるトレセン学園の人口爆発――――――、

 

中途退学者がいないことが普通なのに公営競技に直結した勝敗が全てのトレセン学園の非情さがなくなれば、重賞レースで入賞することも叶わない凡百のウマ娘がますます溢れ返ることになるため、

 

そんな主役になれないその他大勢になってしまうウマ娘たちの卒業後のセカンドキャリア支援のために、今こそトレセン学園におけるクラブ活動の価値を見直すべきではないかと企図したのだ。

 

また、私が23世紀の宇宙科学を広める売り場として最適なトレセン学園の需要に目をつけていたこともあり、私の発案となるクラブ活動はそうした最新技術の博覧会(EXPO)になるものにすれば、トレセン学園の将来にも大きく貢献すると閃いていた。

 

そのため、この提案に対して元生徒会長:シンボリルドルフはトレセン学園の生徒として最後の大仕事と意気込み、生徒会長職を退いてから消えかけていた覇気が再び漲ろうとしていた。

 

実際、自身を“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として自分の人生をトレセン学園の黄金期に全てを捧げてきたために、その大任を見事に成し遂げてトレセン学園を卒業するともなれば、達成感以上に人生の柱となったものの喪失感が大きかったぐらいなのだ。

 

なので、2月のトレセン学園が一番忙しい時期に新しいクラブの立ち上げに“皇帝”シンボリルドルフを巻き込んだことは『自分によし、相手によし、世間によし』の三方良しの精神に適っているのだ。

 

 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

岡田T「見てください! これで全てのURAの競バ場の再現が可能となりました!」

 

アグネスタキオン’「まあ、私が現地に行ってステルス迷彩で上空からキャプチャーしてきたのだけどね」

 

斎藤T「おお、これで練習場としては完璧になったわけか」

 

岡田T「はい。ただ走るだけなら、これだけでいいです」

 

岡田T「ですが、実際のレースはちがいます。優勝候補ともなればマークが厳しくなり、集団でブロックされる危険性もありますし、バ場の荒れ方によっても走路の選択が決まってきます」

 

岡田T「それを嫌って、全てのレースを圧倒的な能力差で【逃げ】を選択することも可能ではありますが、そうなると各陣営が勝てない勝負と判断して揃って出走回避となり、公営競技(ギャンブル)が成立しなくなるのです」

 

アグネスタキオン’「まあ、そこが近代ウマ娘レースと近代オリンピックの最大のちがいだろうね」

 

アグネスタキオン’「近代オリンピックならばベストを尽くした上で互いの健闘を称えるものだけど、近代ウマ娘レースは勝って賞金(ファイトマネー)を得るのが本質のプロフェッショナルスポーツだから」

 

アグネスタキオン’「そんなわけで、近代ウマ娘レースは現代に蘇った剣闘士(グラディエーター)の興行と揶揄されることもあるね」

 

 

岡田T「そこでアグネスタキオンには“変幻自在の脚質”で勝負させようと思います」

 

 

岡田T「まあ、これははっきり言って、俺の夢だったトウカイテイオーの全盛期に一歩届かない程度の能力をデビュー前から持っているアグネスタキオンだからこそできる力業でもありますけどね」

 

斎藤T「全バ場・全距離に対応した天下無双のウマ娘にヒントを得たものでしたね」

 

岡田T「ええ。驚異の天才が世に送り出した最強のウマ娘:ミホノブルボンがアグネスタキオンという最高のウマ娘を育成していくための大きなヒントになりました」

 

 

――――――全バ場・全距離に対応した最強のウマ娘:ミホノブルボンに対する、全距離・全脚質に対応した最高のウマ娘:アグネスタキオンのメイクデビューです!

 

 

岡田T「そのために必要となるトレーニング内容をここにまとめてきましたが、こういったトレーニングは実現できそうですか?」

 

斎藤T「……なるほど、バ場の再現ができた次はより実戦に近づけるためにMOB(Mobile OBject)が必要になるわけか」

 

斎藤T「アグネスタキオン’(スターディオン)、競走ウマ娘を模した敵部隊(adversary)を用意できるか?」

 

アグネスタキオン’「できなくはないんじゃないかな」

 

アグネスタキオン’「たとえば、より本番に近づけるのなら、すぐに思いついたのはホログラム投影だね。それなら きみでも簡単にできるだろう」

 

斎藤T「そうだな。観客席の臨場感を再現するところから始めて、過去のウマ娘レースを再現したホログラムをバ場に投影するだけでも大いに参考になるはずだ」

 

アグネスタキオン’「そこから個々の競走ウマ娘の動きや思考を再現したシミュレーターを創るのは地道な作業になるだろうね」

 

斎藤T「そうだな。これは過去問を集めて期末試験の予想問題をAIに自動生成させるのよりも遥かに難しいナマの問題だ」

 

斎藤T「じゃあ、こうしましょう、岡田T」

 

斎藤T「まず、私がビデオ映像からバーチャル再現したホログラムをバ場に投影する機能を実装するから、研究対象や目標にする敵部隊(adversary)のビデオ映像を集めてきてください」

 

岡田T「わかりました! それならすぐにでもリストアップできます!」

 

アグネスタキオン’「まあ、ビデオ映像をバーチャル再現したホログラム投影なんて、この2月中には完成するさ」

 

斎藤T「それを可能にするWUMAの超科学文明の遺産のおかげだがな、全て」

 

アグネスタキオン’「そして、その超科学文明の遺産を接収して運用できる頭脳のおかげでもあるさ」

 

斎藤T「まあね」

 

斎藤T「ともかく、トレーニングや戦略に関してはトウカイテイオーの岡田Tに全て丸投げして、身軽になれたのは非常に大きい」

 

斎藤T「しかも、例年2月はトレーナーが暇になる時期なのもあって、こうして岡田Tと連絡を密にしてメイクデビューの対策と戦略を確固たるものにできた」

 

斎藤T「普通に考えたら、全盛期のトウカイテイオーに準じる初期能力でメイクデビューする私の担当ウマ娘に勝てる者はいない」

 

アグネスタキオン’「けど、強すぎることがかえってウマ娘レースをつまらなくするわけでもあるから、その辺りの興行に関してはきみが何とかしないとだよ」

 

斎藤T「わかってる。自殺寸前まで追い込まれた岡田Tを人前に立たせるわけにもいかないし、そういった政治の駆け引きや経済の流れについては宇宙移民である私の得意分野でもある」

 

アグネスタキオン’「まあ、その“宇宙移民”という単語がどこまで万能なのかは未知数だけれど、ともかく来週・再来週はトレセン学園の入試期間だから、この間にやれるだけのことはやっておこう」

 

斎藤T「ああ」

 

 

去年、一人だけの最終決戦であったWUMAの先遣隊との人知れぬ死闘の末、様々な偶然から勝ちを拾い続けて、ついにやつらの本拠地:百尋ノ滝の秘密基地を制圧した後、

 

元々 WUMA(バケモノ)の一個体だったアグネスタキオン’(スターディオン)の助力もあって、私は私の担当ウマ娘:アグネスタキオンの夢を実現するために必要な投資を続けていた。

 

その第一が、百尋ノ滝の秘密基地の機能の最大の特徴である やつらが誇る空間跳躍技術のちょっとした応用である空間設計であり、それによって日本各地のURAの競バ場を再現することに成功していた。

 

実際に走る競バ場を再現した場所でトレーニングした方が実際のレースに限りなく近い条件になるのは当然なので、この時点で私設レース場でトレーニングを行っているエリートウマ娘と大差をつけることになる。

 

そもそも、アグネスタキオンは当初からトウカイテイオーやメジロマックイーンを超えた才能を持った競走ウマ娘なので、

 

入学してすぐにトレーナーにスカウトされて華々しくメイクデビューを果たす所謂“エリートウマ娘”の地位を捨てて退学ギリギリまで待ち続けて実を取ることができた()()()()()()()()()()に勝てるわけがない。

 

同じ冠名を持つウマ娘が集まってできた寄合所帯である『名家』の出身であるメジロマックイーンや、借金や奨学金なしで多額の寄付金を用意できるぐらいのパパとママがいる旧家の出身でもあるトウカイテイオーがやらなかったことをやり遂げた意志力と忍耐力はすでに他を卓越している。

 

 

だから、アグネスタキオンが十全に走ることができるのなら、必ず勝利するだろうことは疑いない。その前提を支えるのが担当トレーナーたる“斎藤 展望”の務めなのだ。

 

 

まだメイクデビューの時期に至らず、完璧な準備段階の甲種計画ではあるが、少なくとも進捗としては順調であった。

 

しかし、“皇帝”シンボリルドルフから始まったトレセン学園の黄金期の次となる時代の魁となる()()()()()()()()()で終わらせるつもりは毛頭なく、

 

どういった方向性で黄金期の次の時代が進むべきかのヒントを随所に織り込ませるつもりであり、世論先導者(オピニオンリーダー)として多数の後継者(フォロワー)を世に送り出したいところである。

 

そうでなければ、近代ウマ娘レースの伝統はそう遠くない未来に潰えてしまうことが予測され、実際に黄金期の大きな輝きに比例する巨大な影が反動勢力を生み出しているのだから。

 

 

ダッダッダッダッダ!

 

アグネスタキオン「トレーナーくん! がんばれ! あともう少し!」

 

斎藤T「――――――!」ゼエゼエ・・・

 

アグネスタキオン「さあ!」

 

斎藤T「ご、ゴール……」ゼエゼエ・・・

 

斎藤T「ああっ……」ドタッ

 

アグネスタキオン「トレーナーくん!」ギュッ

 

岡田T「斎藤T!」

 

斎藤T「――――――タイムは?」ゼエゼエ

 

アグネスタキオン’「……ふぅン。新記録だよ、モルモットくん」ピッ

 

アグネスタキオン’「世界記録更新だよ。斤量:20kg・中山競バ場・芝・2500m・男子の部」

 

斎藤T「そりゃそうだろうよ。競走ウマ娘専用の競バ場で長距離走をするヒトなんていないんだしさ……」ゼエゼエ

 

斎藤T「いやはや、競バ場というのは不貞なやつだ! 相変わらず『平地競走』の定義が乱れた場所だ! 高低差:芝・5.3メートルとかふざけんな……!」ゼエゼエ

 

アグネスタキオン’「でも、『せっかくだから』背嚢を背負って自分の脚で走ることにしたきみがやりだしたことなんだから、この調子で全ての競バ場の全てのコースを走り切るんだよ」クククッ

 

岡田T「鬼か!? コースの上をオフロードバイクで走ってコースの感覚を掴むだけで十分じゃないか、スターディオンさん!?」

 

アグネスタキオン’「まあまあ、『ササバリィンクル・シリーズ』に出走する笹針強化人間ごときに私のモルモットくんが負けることがあってはならないのだし、」

 

アグネスタキオン’「モルモットくんはウマ娘以上の脅威と戦い続けなくてはならないのだから、ここでしっかりと調整をしておかないとだよ」

 

アグネスタキオン’「いくら最強無敵の時間跳躍能力が使えるとは言っても、それは私が側にいてこそだし、モルモットくんにはむざむざと死んでもらいたくはない」

 

斎藤T「ああ!」グッ

 

アグネスタキオン「トレーナーくん……」

 

斎藤T「心配するな。これも曲がりなりにもお前の担当トレーナーとしての勉強だから」ハアハア・・・

 

斎藤T「だいたい、背嚢を背負った状態で中山・芝・2500mの高低差の激しいコースを走り切れたんだ。これもお前の研究の成果だよ」フゥ・・・

 

アグネスタキオン「そうだね」

 

斎藤T「そうだとも」

 

アグネスタキオン「そうだったね」フフッ

 

斎藤T「よし! しっかりとデータを取ってくれ! 常にベストコンディションでお前の求めるウマ娘の可能性の“果て”を阻む災禍厄難を退けてやる!」

 

アグネスタキオン「なら、整理運動として一緒に軽いジョギングをしよう。もう立てるだろう」スッ

 

斎藤T「ああ」パシッ

 

アグネスタキオン「じゃあ、しばらくしたら戻るから、食事の支度を済ませておいてくれよ、もうひとりの私」

 

アグネスタキオン’「ああ。気が済むまで走ってくるといい、()

 

 

タッタッタッタッタ・・・!

 

 

アグネスタキオン’「それじゃ、岡田T。食事を用意してくれたまえ」

 

岡田T「……まあ、いつもどおりのことだし、雇われの身だから文句を言うつもりはないけど、スターディオンさん?」

 

アグネスタキオン’「なんだい?」

 

岡田T「一緒に走ってくればいいじゃないか」

 

アグネスタキオン’「……ああ、そんなことかい。バカバカしい」

 

アグネスタキオン’「私はウマ娘:アグネスタキオンの姿を借りた怪人:ウマ女。バケモノ。しかも、その頂点たるスーペリアクラスなんだぞ。普通に走るだなんてバカバカしいことさ」

 

アグネスタキオン’「実際に見ているだろう。空間跳躍を使えば瞬きする間もなくゴール板を越えることなんてさ」

 

アグネスタキオン’「だから、私はハロン棒になって間近でハロンタイムを測定してきたんだ」

 

岡田T「それはそうだけど、スターディオンさんだって“もうひとりのアグネスタキオン”だろうに……」

 

アグネスタキオン’「それが許されるのは()が目指す“果て”を見届けてから――――――」

 

アグネスタキオン’「まあ、()()()()なんて いつもどおりのことさ、“私”にとっては」

 

アグネスタキオン’「岡田Tもテイオー以外のウマ娘の担当にならなくてすんでホッとしているのだろう。これ以上は野暮というものさ」

 

岡田T「………………」

 

アグネスタキオン’「さて、甲種計画と乙種計画を同時並行で進められる妙案が出たことだし、その両方に深く関わっているきみにも手伝ってもらうからな、存分に」

 

岡田T「それは望むところだ」

 

岡田T「俺の命は斎藤Tに拾い上げてもらったもの。他にもたくさんの人がそう思っていることだし、きっと――――――」

 

 

――――――ここは21世紀のヒトとウマ娘が共生する異なる進化と歴史を歩んだ地球。

 

 

その世界に迷い込んでしまった23世紀の宇宙移民として、地球圏統一政府が未成立の未開惑星の歴史と文化を最大限に尊重するために、私は吹けば飛ぶような絶えず揺れ動く人々の心を相手にしてウマ娘の異世界の安寧を求めるのである。

 

そのことを繰り返し確認し続け、甲種計画を第一にして、それを土台として金字塔を積み上げていくことを肝に銘じるのだ。

 

そして、その他にも私が“斎藤 展望”としてやらなければならないことは山ほどあるのだ。

 

甲種計画に関しては実際にレースに挑む私の担当ウマ娘:アグネスタキオンに一任して、その他のやらなければならないことについて対策と戦略を練っていく。

 

 

それでは、次は順を追って乙種計画について確認していこう。

 

 



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乙種計画  未だ来たらぬ世界に願いを込めて

 

――――――現状、私が抱えている世界の命運を左右する重大任務はいくつもある。

 

その第二を“乙種計画”と題し、それは23世紀の宇宙移民船の心臓たる波動エンジンの開発エンジニアだった私が21世紀の地球で『宇宙船を創って星の海を渡る』というロマンを叶える願いである。

 

乙種計画は甲種計画を主として従たるもので、まずは甲種計画を完遂して“斎藤 展望”を一人の社会人として確立させるところから始まるわけで、ロマンに全力で生きるには今は忍耐の時期であった。

 

しかし、実際には 一番の得意分野は生化学ではあるが 様々なアプローチで同じくウマ娘の究極“その果て”とやらを目指す担当ウマ娘:アグネスタキオンと利害が一致したことで、私からすれば200年前の地球圏統一国家が樹立していない未開惑星に宇宙科学をもたらして巨万の富を得るきっかけを掴むことができた。

 

 

まず、国民的スポーツ・エンターテインメントの夢の舞台である日本ウマ娘トレーニングセンター学園(中央トレセン学園)は世界最先端のトレーニング設備や環境を提供することで中央の格というものが保たれているわけだが、

 

当然ながら、最高級のものを追究して それを提供し 維持するためには莫大な資金が必要になるわけで、それを賄うために私立ということもあって入学金や授業料はバカ高いものとなっている。

 

そのため、生徒たちは入学前に基本的には以下の3つの層に分類されることになっている。

 


 

富裕層……奨学金なしで年間の学費を納めることができる生徒が該当。その上で多額の寄付金を納めることができるとワンランク上の扱いを受けることができるが、その分だけ恵まれた環境で育っている反動でプレッシャーに負けて大成しないことも珍しくない。

 

一般層……奨学金制度を利用しながら中央で学園生活を送っていける生徒が該当。重賞レースで賞金を学費の返済に充てられる実力派はともかく、大半は夢破れて学園の運営資金の養分となって搾り滓となって中途退学して去っていくのが普通であった。

 

貧困層……奨学金の他にもバイトをする必要があるぐらいに金銭に不自由している生徒が該当。重賞レースに出走できなくとも、高い学費を払ってでも天下の中央トレセン学園の卒業生になることに価値を置いて在籍しているため、割合的に意外と中途退学者が少ない傾向にある。

 


 

この中央トレセン学園の生徒の貧富の格差は建前上はレースの世界では実力が全てと嘯いて黙認されているところがあるが、

 

門外漢の私から言わせれば、『“実力が全て”じゃなくて“結果が全て”の間違いだろう』としか言えないぐらいに厳然たる格差社会があったのが実態だ。

 

それは思春期の一定段階になると体が急成長するウマ娘の神秘の1つである“本格化”を前提に、トレセン学園の学制と近代ウマ娘レースの階級が擦り合わされているわけであり、

 

URAをはじめとする運営側の言い分としては、この“本格化”によって大きく化ける可能性があるわけなので、建前上は貧富の格差はレースの結果に影響を及ぼさないとしているが、

 

いやいや、待て待て。そんな欺瞞に騙されるほど23世紀の宇宙移民である私は未開の地の野蛮人ではないぞ。

 

それぞれ個人差があるウマ娘の“本格化”のブレに合わせて中央トレセン学園が中高一貫校の学制を採っているのは理解できるが、それ以前に“本格化”を迎える前の入学試験の結果の意味をどう受け止めているのだろうか。

 

そう、なぜ地方ウマ娘レース『ローカル・シリーズ』よりも中央ウマ娘レース『トゥインクル・シリーズ』の方がランクが上だという扱いを受けているのかと言えば、端的に言えば、地方ウマ娘レースでは資金難であるから芝のコースにできないから。だから、日本の地方ウマ娘レースはダート、中央ウマ娘レースは芝と綺麗に色分けされているのだ。

 

それは当然ながら国民それぞれの家計にも同じことが言えるわけで、我が子を夢の舞台である中央トレセン学園に入学させられるほどの実力を幼少期から養成できるほどのノウハウや資金力がそもそもあるかどうかによって、その時点で篩い落とされていることに気づいていないはずがない。

 

そのため、ネットスラングで それを“親ガチャ”と言っているわけで、地方ウマ娘レースの奇跡であるオグリキャップのように中学時代に実力を示して中央に転入して栄光を掴める可能性が示されたが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことの不公平さを教育現場の人間は噛み締めなければならない。

 

ウマ娘レースという公営競技(ギャンブル)のプロスポーツのためのスポーツ校だと理解されてはいても、同時に健全な青少年の育成を義務付けられている中高一貫校なのだから、これまで引退即退学が当然と見なされ、その大半の生徒が奨学金という名の借金返済の負担を軽くするために早々に夢の舞台に見切りをつけた結果だというのは、それが異世界の風習だとしても欠陥制度としか思えないものがある。

 

特に、レースで勝ちまくって得た賞金で学費を払うことでバラ色の学園生活を送れると楽観視してきた生徒たちからすれば、重賞レースで上位入賞できない現実を払いきれない学費という形でその認識の甘さを償う羽目となり、夢の舞台から去ることになるのだ。

 

だいたいにして、年間に開催される重賞レースは100程度なのを考えると、中央トレセン学園だけで生徒数2000名で、その他にも参加団体があるのだから、明らかに枠が足りていない。

 

なので、そもそもが公営競技という青少年の育成に不健全なものを運営の柱にしている時点で、トレセン学園が子供たちの夢や才能を食い物にして懐を潤しているようにも見えるため、力だけはヒトを凌駕しているだけのウマ娘がヒト社会に隷従している悲哀を垣間見ることになった。

 

しかし、近代ウマ娘レース自体がヨーロッパの宮廷で踊り子のウマ娘たちが主人から寵愛を得るためにセンターの座を競走で決めるために庭で走ったのが起源なのだから、その伝統の精神は何も変わっていないのかもしれない。

 

 

そういう意味で、私は近代ウマ娘レースの本質を表現の自由(フリーダム)ではなく、束縛からの自由(リバティー)なのだと嫌悪感を抱いていた。現代に蘇った剣闘士の見世物試合とも言う。

 

 

ただ、力に物を言わせてウマ娘たちがヒト社会に対して反乱を起こすことなく、国民的スポーツ・エンターテイメントとして平和な勝負の世界をずっと夢見続けている現状はベストではないがベターではあるため、宇宙移民の未開惑星への不干渉の原則もあって曖昧な対応しかできない。

 

だからと言ってはなんだが、夢破れて夢の舞台から去っていくのが当たり前と見做されている現状を変えてやろうという慈愛の念が極まった怒りが湧き上がってくるが、そこからは政治の世界の話だ。

 

そして、政治の世界を動かすのは理念以上に現実性というものが必要であり、要はその理念を現実のものにすることのメリットを提示しなければ、全ては絵空事に過ぎない。

 

 

なにも、中央トレセン学園の学費の高さは国民的スポーツ・エンターテイメントの舞台という甘い餌に釣られてきた子供たちからカネを巻き上げるために不当に設定されているわけではないのだ。

 

本当に拝金主義なら、生徒数2000名弱のマンモス校であることに飽き足らず、どんどん入学を許可して拡大路線を突っ走ればいいのだから。

 

そうではない。全ては中央でターフの上で走るという国民的スポーツ・エンターテイメントの格を維持するために必要な投資を回収するためのギブ・アンド・テイクであり、

 

むしろ、肥大化することによって中央の格が下がることを恐れずにより多くのウマ娘たちにチャンスを与えるために入学枠を増やしてきたのだから、相関関係と因果関係の混同は非常に頭の悪い発想である。

 

というより、学費自体は年々下がってはいるのだ。なぜなら、中央トレセン学園に入学する生徒が増えたことによって最新のトレーニング設備に掛かる一人当たりの費用が安くなっているからだ。

 

それが実感しづらいのは、トレーニング設備の高性能化による値段の上昇でそこまで学費が安くならないのもあるが、一番は生徒の増加に対して最新のトレーニング設備が圧倒的に足りず、それを利用できない不満が解消されないことにある。

 

そう、より多くの“本格化”を控えている才能あるウマ娘たちに夢の舞台に入れるようにした結果、一人当たりの学費はたしかに安くはなったが、それが逆に中央の売りである日本最高峰のトレーニング設備を利用できる機会さえも減少させることに繋がっていたのだ。

 

つまり、バカ高い学費に対する見返りが得られないのが夢の舞台である中央トレセン学園で中途退学者が続出する引退即退学の心理であり、これは中高一貫校の教育現場としては非常に問題である。

 

むしろ、学費自体は年々下がってはいるのは事実が、それでもバカ高いものであるという庶民の認識は変わっていないのだから、結果としては元から資金力に問題ない富裕層にとってはありがたい学費の節約になっただけで、それ以外の層にとっては体感的に得した気分にならないスタグフレーションになってすらいる。

 

そうなるのも、バカ高い学費の大部分を占める中央トレセン学園の売りである最新のトレーニング設備や環境自体が年々高性能化して価格上昇をしているのを入学者数の増加によって頭割りしていることで学費が下げられているのであって、物価上昇に対して景気停滞による生活苦が広まるのはスタグフレーションの典型である。

 

 

つまり、現状の中央トレセン学園の国内最高峰にして世界最先端の最高のトレーニング環境へのこだわりは経済的にも経営的にも非常に危うい状態と言えるのだ。

 

 

先程も述べたように、本来ならば年々トレーニング設備の高性能化によって価格上昇しているのを頭割りして学費の上昇を抑えているのだから、ある時を境に頭割りできる人数がガクッと減ったら その皺寄せが一気に押し寄せてくるわけなのだ。

 

つまり、国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台としての中央トレセン学園の人気が失われた瞬間に学費が跳ね上がるという爆弾を抱えているわけで、自らが課した国内最高峰にして世界最先端の誇りによって入学生を集めている限りは 一流のスポーツ校足らしめて肥大化し続けている学園の誇りによって 不人気になった瞬間に破産に追いやられる運命なのだ。

 

だから、現在の中央トレセン学園の理事長は一見すると散財や博打にも思えるような奇想天外な企画を次から次へと打ち立てて、世間の注目を集めてウマ娘レースの人気と関心が途切れないように宣伝のために投資しまくっているわけなのだ。

 

そういう意味で、あのちびっ子理事長は自らをウマ娘レース界を支える人柱になる覚悟を決めているわけであり、それを悟られないようにして私財を擲つ姿勢に敬意を払いたい。

 

そう、21世紀の異なる歴史と進化を歩んできた地球はまさに不完全な経済システムによって血を吐きながら続ける悲しいマラソンの真っ只中であり、非常に愚かなことで、この辺りが実に地球圏統一国家に至らない未開惑星の野蛮さが滲み出ていた。

 

 

とは言え、中央ウマ娘レース『トゥインクル・シリーズ』の出走権を与えてくれる団体は中央トレセン学園以外にも存在しており、他にも選択肢はあるわけなので不満ならば他の団体から出走を目指せばいいだけのことだ。

 

それでも、中央トレセン学園にこうして今年も受験生が溢れんばかりに殺到するのも、日本最高峰と評されるほどの伝統と信頼がある夢の舞台で、自分こそが重賞レースで勝利をつかむ未来のスターウマ娘になれると誰もが夢を見続けているからだ。

 

だてに、国民的スポーツ・エンターテイメントとして21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球が誇る文化ではないのだ。日本最高峰であると同時に世界でも指折りの中央トレセン学園という夢の舞台がウマ娘の異世界のシンボルで在り続けた誇りのためにも。

 

そのことを否定する権利は私にはないが、『だったら、この現状をどう変えていくのか』という1つの解答として、私は己のロマンを追究する“乙種計画”と一人の社会人として成果を残す“甲種計画”の一挙両得を果たす方法を編み出したのである。

 

 

――――――それこそがトレセン学園においては重視されていないクラブ活動の活性化であった。

 

 


 

 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

 

ジャー、ジャー、ジャー・・・

 

 

斎藤T「――――――というわけなのです」

 

シンボリルドルフ「いかがでしょうか、女代先生? これからの中央トレセン学園の新しい時代にはセカンドキャリア支援を押し出した在り方が必要になります。この部活はその第一歩になります」

 

女代先生「……そうねぇ。“皇帝”陛下に直々にお声を掛けていただいたのは大変光栄で、“皇帝”陛下の後を託される大事なお役目に選ばれたことも嬉しい限りなのだけれど、」

 

女代先生「私のようなメジロ家の遠戚というだけの40を超えて早アラフィフのオバサンに任せるのは時代に合わないんじゃないのかしらねぇ?」

 

斎藤T「他にも紹介のあった候補はいました」

 

斎藤T「ですが、私は女代先生がこのクラブの顧問に相応しいと見込んで、こうしてお願いしているのです」

 

女代先生「そう?」

 

斎藤T「そうです。女代先生はスポーツ校ではあまり熱心に勉強する生徒が少ないだろう理科の先生ですが、それで何十年も中央トレセン学園に行ったり来たりしているので、トレセン学園の進化の歴史を具に見てきたはずです」

 

女代先生「ええ~? それって、つまり一番は私が こうして寿退社のチャンスを逃した いつまでも独り身のおさみしいアラフィフだからってこと~?」

 

斎藤T「亀の甲より年の功ですよ、女代先生。ちがいがわかる人間になるためには何よりも経験が必要ですが、それ相応の年季と知識がなければ積み重ねてきたデータを活かすことはできません」

 

斎藤T「別に、理科の先生に難しいことはやらせるつもりはありません。私がクラブの顧問に欲しいのはその良さをわかって宣伝ができて簡単な保守メンテとデータまとめができる理系の頭をした方ですので」

 

斎藤T「専門的な知識や技能は不要です。そういったものは私の開発室のスタッフに任せてください」

 

女代先生「ぶっちゃけるわね~」

 

 

斎藤T「そして、その若々しさですよ」

 

 

女代先生「へ」

 

斎藤T「正確に言えば、いつまでも衰えることのない知性と愛嬌ですね」

 

斎藤T「女代先生はこれから中央トレセン学園の新たな象徴となるクラブの顧問として、私の代わりにメディア露出することになりますからね。それは得難いものですよ」

 

女代先生「へ、へ~? うれしいこと、言ってくれるじゃないの、新人トレーナーくん?」

 

斎藤T「聞けば定年退職だって引き上げられて年金暮らしも遠退いているそうじゃないですか、昨今だと」

 

斎藤T「なら、いつまでも若々しく自分らしく働ける場所を探しておくのは、これからのセカンドライフを考える上で有用だとは思いませんか?」

 

女代先生「つまり、私が今の仕事(Teacher)を退職したら、あなたが面倒を見てくれるってことかしら?」

 

斎藤T「いいですよ。私の夢につきあってくださるのなら」

 

女代先生「ねえねえ! どうしよう、ルドちゃん!? 私、今からこの人のところに永久就職しちゃおうかしら!?」

 

シンボリルドルフ「それは、気が早いのではないですか……?」ハハ・・・

 

女代先生「まあね! でも、いいじゃない! ここまで熱心に口説かれたら、年甲斐もなく心が踊るじゃない!」

 

シンボリルドルフ「では?」

 

女代先生「うん! ルドちゃんの紹介だし、新人トレーナーくんにスカウトされちゃったし、私、顧問になっちゃおうかな!」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

シンボリルドルフ「やったな、斎藤T」

 

斎藤T「ええ」

 

 

ナリタブライアン「おい、上がったぞ、斎藤T。今日の夕飯は何だ?」サッパリ ――――――ユニットシャワールームのモニターに協力!

 

 

女代先生「まあ、ブライアンちゃん! こんなところに居たんだ!」

 

ナリタブライアン「うっ! まさか、女代先生か!?」

 

女代先生「屋上でお昼寝する娘はこれまで何人も見てきたけど、トレーナー室でシャワーを浴びる娘は初めて見たわねぇ」

 

女代先生「それに、『今日の夕飯』って言った? 湯上がりで?」

 

ナリタブライアン「……別に、何の問題もないだろう。しっかりと仕切りをしてユニットシャワールームの中で着替えもできているんだし」

 

女代先生「そうねぇ。私もブライアンちゃんが使う前に中を見せてもらったし、これからそういう便利グッズを紹介しまくって、学園の運営を助けるお役目を任せられたことだし、生徒会副会長に自分から立候補するようになったブライアンちゃんが協力してくれるなら安心ね」

 

ナリタブライアン「おい、斎藤T? よりにもよって、女代先生が顧問なのか?」

 

斎藤T「それは顧問に推薦してくれた“皇帝”陛下の人選に問題があったと?」

 

ナリタブライアン「あ、いや、そういうつもりじゃ――――――」

 

シンボリルドルフ「まあまあ、ブライアン。私が卒業してからの新体制を支える協力者は多い方がいいし、ブライアンも女代先生のような寛大で人望のある先生が顧問になってくれた方が話がしやすいだろう」

 

ナリタブライアン「それは、そうですが……」

 

女代先生「まあまあ、ブライアンちゃんを探す口実で、私もブライアンちゃんと一緒にお昼寝を楽しむことができたわけだし、知らない仲じゃないんだしさ、そんなに嫌がらないでよ」

 

ナリタブライアン「うぅ、だから、苦手なんだ……」

 

女代先生「いい思い出じゃない。先生と一緒に生徒会の仕事をサボって屋上でお昼寝っていうのも」

 

ナリタブライアン「なあ、どう思う、斎藤T!?」

 

斎藤T「うん、最高の教師だと思うよ。頭ごなしに目下を従わせるよりも、親身に寄り添ってくれる先生は貴重だ」

 

ナリタブライアン「ぐおおおおおおおお!?」

 

シンボリルドルフ「まあ、そのおかげで、きみも生徒会役員としての自覚を持つようになったのだし、女代先生には本当に感謝だな」

 

ナリタブライアン「か、会長……」

 

シンボリルドルフ「おっと、私はもう会長じゃないぞ。私はもうただのシンボリルドルフだ」

 

シンボリルドルフ「ともかく、これで顧問は見つかって、場所も新年度に合わせて竣工されるエクリプス・フロントを使わせてもらうことになったし、必要生徒数:5人もすでに達成しているから創部の条件は揃ったわけだ」

 

女代先生「うんうん。エクリプス・フロントなんてビルが建つ時期にちょうどよくブースが空いていて本当に良かったわねぇ」

 

ナリタブライアン「まったくだ。これも皇宮警察の家系の斎藤Tが招き寄せた皇室の神々の御加護とでも言うべきものなのかな」

 

 

――――――トレセン学園の新たなシンボルとなる附属高層施設:エクリプス・フロント。地上10階・地下1階建て。

 

 

府中市を学園都市たらしめているトレセン学園を一望できる展望台と歴史博物館を担う施設であり、同じ府中市にある東京競バ場にも博物館や様々な施設があるわけだが、同時に生徒数2000名弱のマンモス校となった中央トレセン学園の機能の一部を移す目的で開設されている。

 

もっとも、単純計算で1階当たりの高さが3mだとしても、超高層建築物の条件である高さ:60mには満たないし、府中駅周辺によくある100mになるだろう超高層ビルと比べたら慎ましい大きさである。

 

例えるなら、大阪城ホールの場所(トレセン学園の外側)に建てられた大阪城天守閣(展望台と歴史博物館)といった“皇帝”シンボリルドルフに象徴されるトレセン学園黄金期を記憶する遺産であり、

 

トレセン学園が所有する 文明開化と共に輸入されてきた日本における近代ウマ娘レースの歴史と栄冠を物語る貴重な資料や展示物を一般公開して 新たな収入源を得ようというトレセン学園理事会の苦肉の策でもあった(トレセン学園生徒は見学無料)。

 

一応はトレセン学園の附属施設という認識でも間違ってはいないが、正確に言えばURA傘下の管理会社のものであるから展望台と歴史博物館での営業を行えるわけで、直接的にエクリプス・フロントの営業利益がトレセン学園に入るわけではない。

 

また、民間警備会社のERT(緊急時初動対応部隊)の新たな詰め所としても機能することになり、トレセン学園や学生寮での緊急事態発生に即応できるように充実した装備の保管や車両の発進にも便利な立地となっていた。

 

他にも、トレセン学園のデータセンターもここに移設されることになり、トレセン学園の倉庫にしまわれていたものも大部分はここに移すことになったので管理がしっかり行き届くようになり、学内のレイアウト変更もしやすくなった。

 

ついでに、新たな図書館の設置によって生徒たちの勉強スペースも増えることになるだけじゃなく、

 

府中市をそこそこ高い場所から見下ろせる展望台は新たな憩いの場となることが予想され、スカイレストランではトレセン学園で実際に提供されているメニューを体験することもできる。

 

シアタールームにも使える会議室も多数用意され、将来的にはIT化の推進に伴う校舎の建て直しに備えた手堅い内装となっていた。

 

そんなトレセン学園附属の最新施設の一角に存在する多目的ホールをこうして新たに創部されるクラブのために提供してもらえるよう、元生徒会長:シンボリルドルフが 早速だが 目敏く取り付けてきたのだ。

 

これは新年度に竣工されるエクリプス・フロントをこれから積極的に生徒たちに利用してもらうためのデモンストレーションとして、同時期開催の4月前半の『春のファン大感謝祭』で客引きに使えるアイデアを募集していたことで実現したものであった。

 

つまり、非常にタイミングが良かったというわけであり、こうして意外なほどにすんなりと希望したことが実現したのにもしっかりとした背景があったわけなのだ。

 

 

 

さて、そんな黄金期の遺産となる高層施設:エクリプス・フロントの完成を生徒たちに広く知ってもらうために真新しさと先進性を打ち出した私が黒幕の新たなクラブ活動の顧問となってくださったのは、競走ウマ娘の『名家』である ご存知 メジロ家の出身であるアラフィフの女代先生だった。

 

私立の中高一貫校のトレセン学園においては理科を担当しており、中学理科・高校理科のどちらもこなせるため、6年間 理科はずっと女代先生だったという学年も見受けられた。

 

女子しか存在しないウマ娘だけのスポーツ校という性質上、あまり理系に進む子がトレセン学園では少ないわけなので、女代先生のような理系の不人気教科の先生は文系教科の先生より負担が少ないことも理由の一つだった。

 

しかし、私がクラブ活動の顧問として“皇帝”シンボリルドルフに探してもらったのは新しい時代を牽引していけるだけの知性と活力のある人であり、その意味では女代先生は非常に条件に合致した逸材であった。

 

一番の武器はアラフィフだと自分でネタにしているように齢を重ねて得た知見の深さと愛嬌であり、教職員でさえも公営競技の熱に当てられてトレーナー組合との癒着や成果主義が横行している私立の中高一貫校の先生でいられただけの老獪さと剽軽さを併せ持っているのだ。

 

そう、この人は 少なくとも ここ30年近くのトレセン学園の長い歴史や時代の移り変わりを目の当たりにしているわけで、トレセン学園の暗黒期に失望して離れていくことなく、それ以前の時代の生徒たちとも付き合いがあるわけなのだ。

 

そういう意味では、トレセン学園の職員としては 未来のスターウマ娘に教職員の立場からお近づきになりたいと思って就職してくる人間が多い中、これまで極めて公平に一教職員であることに徹することができた人でもあった。

 

それでいて、こうして“皇帝”シンボリルドルフの時代が終わりを迎えた時でさえも依然として中央トレセン学園の教員(Teacher)でいるのだから、お茶目ながら抜け目なく物凄く世渡り上手なのが窺える。

 

そして、こうして“皇帝”シンボリルドルフが母校での最後の役目として私に紹介してきた人物であり、“怪物”ナリタブライアンでさえも頭が上がらない人物ともなれば、クラブの顔役として一発採用にもなる。

 

 

女代先生「まあ、私も他の職場に行っていた時期もありましたけど、かれこれ30年近くをトレセン学園の先生としてやってきました」

 

女代先生「いろんなことがあったように思いましたけど、いつの時代も勉強は素直な子が伸びるのは変わりません」

 

女代先生「けれど、ウマ娘レースは生徒として求められる勤勉さや社会性よりも、実力やスター性が求められているからねぇ……」

 

女代先生「だから、ここで教員として長くやっていくコツとしましては、自分の領分を絶対に食み出さない程度に時代に適合することしかないと思うのよ」

 

斎藤T「つまり、勉学ができるだけの生徒よりもトレセン学園の本分であるウマ娘レースで活躍しているスターウマ娘の在り方に寄り添う方がここでは長生きできるわけですね」

 

女代先生「そう。それに、若い子の流行を真似るようにしていると、身も心も若いままでいられるからね」

 

女代先生「おかげで、私、ゲームの世界だったら指2本でウマ娘に勝てちゃうからね」

 

シンボリルドルフ「どう思う、ブライアン?」

 

ナリタブライアン「……私にそれを訊くんですか?」

 

ナリタブライアン「両親と同じくらいの年齢で 年甲斐もなく 生徒と一緒になってはしゃぎまくる大人の姿は物凄く居た堪れないのですが……」

 

シンボリルドルフ「これが本当の反面教師。反面教師もまた教師というわけだな」

 

ナリタブライアン「両親と同じぐらいの年齢で 勝負服を自作して ウイニングライブの練習に混ざってくるのは拷問ですよ……」

 

シンボリルドルフ「……え」

 

ナリタブライアン「いえ、見た目は20代後半の若さを保っているから多少はマシですけど、両親と同じぐらいの年齢だと認識すると、何というのか拒絶感が……」

 

シンボリルドルフ「……そ、そうだったのか」

 

 

 

 

――――――トレセン学園附属高層施設:エクリプス・フロント(地上10階・地下1階建て)

 

 

シンボリルドルフ「ここが斎藤Tの開発室から提供される新製品の体験コーナーなどを取り扱うクラブの部室になる多目的ホールですね」

 

女代先生「へえ~、こんなにも広い場所を使っちゃっていいんですか?」

 

斎藤T「間取りや用力に問題はないようですし、これぐらいの広さならいろいろとできそうでいいですね」

 

斎藤T「サービスエンジニアのオフィスや倉庫も同じ階に用意できて大満足ですよ」

 

ナリタブライアン「まあ、トレーナー室なんて要らないとすら思っているあんたからすれば、こっちに拠点を構えることができた方が何かと便利なんだろうからな」

 

女代先生「1階のエントランスもURA直属のアンテナショップにたくさんの人が足を運びそうで、トレセン学園にもっとも近いトレセン学園のテーマパークとして新しい地域交流の場になりそうね」

 

斎藤T「実際、『トゥインクル・シリーズ』のサテライト会場として地域住民と一緒に各地の重賞レースを観戦することも視野に入れているみたいですからね」

 

斎藤T「最上階の展望台のスカイレストランや歴史博物館の収益だけで維持費を賄えるわけがないので、積極的にトレセン学園に関心や興味を持った人たちに来てもらうように、よく工夫されていますよ」

 

斎藤T「この設計思想は、まさに黄金期を“皇帝”シンボリルドルフと共に築き上げた秋川理事長らしいですよ」

 

シンボリルドルフ「ああ。一応は入場整理券などでトレセン学園に入る方法はいくらでもあるわけだが、基本的には学園関係者以外は立入禁止で、トレセン学園という夢の舞台の実態についてテレビの中でしか知らない人も多かったからな」

 

シンボリルドルフ「だから、こうやって近い立地でトレセン学園のことを身近に体験できる施設を建てることは1つの目標でもあったんだ」

 

シンボリルドルフ「それに、毎年盛況の『春と秋のファン大感謝祭』での混雑を緩和する狙いもあって、ある程度離れた場所から学園を見下ろせる新たな名所にすることも求められていたんだ」

 

斎藤T「スカイレストランでの観戦もできるわけですし、トレセン学園やその近くを訪れた記念に立ち寄るには遠すぎない距離なのもいいですね」

 

シンボリルドルフ「あとは、縁日での混雑を嫌って屋上のヘリポートから学園を訪れたいという支援者たちの要求にも応えた形にもなる」

 

 

エクリプス・フロントはURA傘下の管理会社が所有する施設であり、同じURA傘下の中央トレセン学園との連携を目的にした設計思想のため、将来的な学園内の整理や効率化も兼ねて歴史博物館や展望台、図書館や会議室、警備会社の詰め所、データセンターや倉庫などが置かれているが、

 

更なるトレセン学園とウマ娘レースのPRと収益のために、『トゥインクル・シリーズ』のサテライト会場やアンテナショップも営業することになり、シアタールームを兼ねた多数の会議室や最上階のスカイレストランなどを観戦席として提供する試みがなされていた。

 

また、府中市は総生徒数2000名弱の全寮制のトレセン学園の存在によって学園都市となっている他に、東京競バ場も存在する、まさにウマ娘レースの聖地となっているだけに、トレセン学園や東京競バ場における交通量の激化は昔から都市問題となっており、

 

前々からお偉方からの要望だった交通規制緩和のために屋上のヘリポートからエクリプス・フロントを経由して学園を訪れるルートもこうして実現することになった。

 

そのため、エントランスは地域住民との交流や生徒の利用がしやすい作りとなっており、学園とエクリプス・フロントを繋ぐ道は全寮制であるトレセン学園の通学路の1つとして色分けされることになり、更には民間警備会社のERTが巡回することになり、地域の治安維持の強化も積極的に行われることになった。

 

この学園とエクリプス・フロントを繋ぐ通学路というのもなかなかおもしろいもので、歩道・ウマ娘専用レーン・車道としてしっかりとガードレールで分離されて3分で着くようになっている他、必要ならばERTがバスを出して学園まで送ってくれるようにも取り付けているというのだ。

 

これは言うまでもなく去年の8月末の学生寮不法侵入事件で犯したERTと警視庁の大失態が原因であり、交番も新たに置かれることになり、警視庁の連中も汚名返上のために精勤してくれそうだ。

 

建築が進められていたのは知ってはいたエクリプス・フロントに関しては私はまったく関係していなかったわけなのだが、随所に私という存在が少なからず与えた影響を肌で感じることができた。

 

そして、これからもっと直接的に23世紀の宇宙科学をこの世界にもたらすことで私の影響力を強めていくことになるのだ。

 

 

ナリタブライアン「それで、例のユニットシャワールームを置くのか? ここに?」

 

斎藤T「さすがに公共の場で実機稼働させることはできないから、モニターに使ってもらった感想を寄せてもらうだけかな。それをユニットの隣で映像再生するだけでいい」

 

斎藤T「そこから夏合宿や海水浴場でサービス展開をして、トレセン学園から新製品の情報を発信させていくかな」

 

シンボリルドルフ「最終的には学園や学生寮のシャワールームを例のユニットシャワールームに準じた構造に置き換えることで水道費の大幅な削減を目指すことを目的にしている」

 

女代先生「そうねぇ。全寮制で2000名弱はいる生徒たちの学園での毎日の生活費を削るしかない以上は、効率化の効果は馬鹿にならないはずよね」

 

女代先生「たださ、新人くん? そんなよくある博覧会(EXPO)で終わらせるつもりは毛頭ないのよね?」

 

女代先生「クラブ活動の活性化によって重賞レースの栄冠を掴めない大多数の生徒(脇役)たちのセカンドキャリア支援が目的なんだから」

 

斎藤T「そうですよ。そして、その良さを知ってもらうためには実際に使ってもらう他ないじゃないですか」

 

女代先生「ほへ~? なるほど、斎藤屋、お主も悪よの~!」

 

ナリタブライアン「……どういうことです、女代先生?」

 

女代先生「どうもこうも、新人くんがこの新しいクラブにつけた名前の意味がね、なかなかに凝っていることに気づいてね」

 

ナリタブライアン「……クラブ名ですか?」

 

女代先生「そうそう。言ってみて、ブライアンちゃん」

 

ナリタブライアン「は、はあ」

 

 

 

――――――ESPRIT(エスプリ)ですが、何か?

 

 

 

シンボリルドルフ「英語の“Spirit”やドイツ語の“Geist”に相応する概念ですね。原義はラテン語の“spiritus”で『空気』『風の一吹き』『息吹き』などを意味して、転じて生命の根源となる霊魂や精神を意味するフランス語だな」

 

ナリタブライアン「それがどうして斎藤Tが監修する新技術の展覧会をする部活の名前になるのです?」

 

女代先生「それはね、このESPRITのロゴを見ればわかるんだけど、“ESPRIT”の文字の背景に青い地球があって、月と太陽が回っていることを地球の円周に沿った赤い矢印で表現しているじゃない」

 

ナリタブライアン「ええ」

 

女代先生「これね、矢印に沿って“ESPRIT”の“E”を最後に持ってくると“SPRITE"になるじゃない」

 

ナリタブライアン「お、スプライトか。私も好きだぞ。カフェインが入っていない炭酸飲料で、しかも海外のどこでも売っているらしいから、海外遠征してきた連中にとっては三ツ矢サイダーより馴染み深いらしいな」

 

斎藤T「なぜ『息』を意味するラテン語の“spiritus”が『霊魂』や『精神』を意味するようになったかと言えば、ギリシャ語聖書の“プネウマ”のラテン語訳に当てられたのがきっかけなんです。“プネウマ”自体も『息』を意味するギリシャ語ですから」

 

女代先生「そういえば、アグネススプライトなんて名前のダービーウマ娘がいたわね」

 

ナリタブライアン「おお! ここでまさかの担当ウマ娘との意外な繋がりが!」

 

斎藤T「ああ、いたんだ、スプライトの名前を冠したウマ娘なんて」

 

シンボリルドルフ「知らなかったのかい?」

 

斎藤T「ええ。私としては“E”は“The Earth(地球)”の略で、残された“SPRIT”が『帆船の船首から前方へ伸びている棒(バウスプリット)』ということで、転じて“宇宙船:地球号”をイメージしたロゴマークにしてますよ」

 

斎藤T「帆船の正面には航海の安全を祈った船首像(フィギュアヘッド)がついているので、地球という船首像を掲げたロゴマークということになりますかね」

 

斎藤T「まあ、英語だと“SPIRIT”が正しい表記ですが、古英語の“sprit”でも通用するので、“E”が前と後ろに入れ替わっても“SPRIT”の本質は何も変わらないことになりますね」

 

ナリタブライアン「ほほう。よく考えてできているんだな、“ESPRIT”のロゴマークというのは」

 

斎藤T「あとは、レッドスプライトのアナグラムですかね」

 

ナリタブライアン「……『レッドスプライト』?」

 

女代先生「あら、ブライアンちゃん、知らないの?」

 

女代先生「超高層紅色型雷放電。高度50〜80kmで発光し、鉛直方向の大きさは20km程度、水平方向の大きさは数km〜70km程度の超大型の発光現象で、小学生の自由研究なんかでキャロットスプライトの観測が人気じゃない」

 

女代先生「去年のクリスマスの夜にもキャロットスプライトが見られて、その手のマニアの間では話題になっていたのよ

 

ナリタブライアン「……ああ、小学生の頃の自由研究の課題か何かで聞いたことがあるような気はしますね」

 

シンボリルドルフ「ということは、この地球の円周に沿った赤い矢印はレッドスプライトの象意でもあったのか」

 

 

女代先生「そして、こんなアラフィフの私に地球(The Earth)そのものを船首像(フィギュアヘッド)にした宇宙船の紋所(ロゴマーク)を背負えというわけね」

 

 

ナリタブライアン「……あんたらしいな、斎藤T」

 

シンボリルドルフ「そうだな。一気に地球の未来を左右する重大な使命が課せられたのだからな」

 

斎藤T「そういうわけですので、ESPRITの部員には私の開発室の新製品のモニターとなってもらいますので、それを口実にいろいろと便利グッズを融通してあげますからね、先生?」

 

女代先生「そうね。その良さがわからないと宣伝することなんてできないからね」

 

女代先生「じゃあ、比較的時間に余裕がある不人気教科の先生の日々のデスクワークを快適にする夢のソリューションってある?」

 

斎藤T「ございますよ。まずはこのQRコードからESPRITの部員サイトに登録してください。そうしたらモニターとしての活動契約、レビューやオーダーの投稿、カタログの閲覧ができるようになりますから」

 

女代先生「まあ、本格的! 実質的にタダでいろんな便利グッズの試験運用という体裁で使い回せるんだったら、きっと毎日が面白可笑しくなりそう!」

 

斎藤T「とりあえず、部員サイトの登録は少々時間が掛かるので、先にカタログをお見せしましょうか」

 

ナリタブライアン「ほう、レンタルサービスの他にも商品紹介もなされているのか」

 

ナリタブライアン「お、これは私が斎藤Tのところでいつだったかごちそうしてもらった肉肉丼の具じゃないか。トレーナー室に大量に備蓄している非常食のレビューがここに載っているのか」

 

シンボリルドルフ「おや、すると、ここに載っている非常食のレビューの大半が食レポをさせられてきたアグネスタキオンと斎藤T本人のものということか」

 

斎藤T「こんなふうに既存の便利グッズの紹介をして生活の質を高めていくこともESPRITでは目的にしているわけです」

 

ナリタブライアン「いや、待て。これは『赤福餅』? それに『阿波牛』の名店のレビューまであるじゃないか! こんなのを食べているのか! ズルいぞ、斎藤T!」

 

女代先生「これは凄いわね! 日本全国の名店のレビューまで集めて! ねえ、こういった情報もカタログに入れることにどういったメリットがあるわけ?」

 

斎藤T「これは部員の胃袋をガッシリと掴むためにモニターの報酬となるものとして用意したカタログギフトですよ」

 

 

斎藤T「女代先生、頑張ってモニターしてレビューで売上が出たら、カタログギフトの中から報酬を出してあげますよ。中高一貫校のクラブ活動でやることですので直接的な金銭のやり取りはできませんから、これでね」

 

 

女代先生「ホント!? いぃいいいやったーーーー! モニターを頑張ったら、アレとかコレとか報酬として頼んでもいいのよね!?」

 

斎藤T「はい。頑張ったご褒美にトレーナーが担当ウマ娘に美味しいものを奢ってやるのと同じことですよ」

 

ナリタブライアン「おいいいいいいい! 斎藤T! 私もユニットシャワールームのモニターをしているんだから、徳島県の黒毛和牛ブランド:阿波牛をもらう権利があるだろう!?」

 

斎藤T「……自分で買ったらどうですか? その方が早いと思いますよ」

 

ナリタブライアン「な、なにぃいいいいいいい!? 私にタダ働きをさせるつもりか!」

 

シンボリルドルフ「まあまあ、落ち着け、ブライアン」

 

シンボリルドルフ「ESPRITはそもそもトレセン学園で活躍の場がない生徒たちのセカンドキャリア支援の一環で創部されているわけだから、賞金を稼いでいる勝利バにとっては買おうと思えばいくらでも買える粗品でしかないものをお礼に贈ろうとしているんだ」

 

シンボリルドルフ「それも、斎藤T自身がしっかりと確かめた良いものをより多くの生徒たちに触れてもらうためにやっていることだから、最初からESPRITの活動は持たざるものに施しを与える精神(esprit)の下に行われていることを忘れるなよ」

 

ナリタブライアン「そ、そうか……」

 

女代先生「そうよ! 担当ウマ娘が勝ったら賞金を山分けのトレーナーとちがって、教職員の給料なんてたかが知れているわけだし、こういう贅沢ができるのならモニターを喜んでやるわ!」

 

女代先生「レースで勝ちまくって賞金ガッポガッポのブライアンちゃんにとっての阿波牛の価値と、安月給のアラフィフの私にとっての阿波牛の価値は天と地ほどちがうんだから」

 

女代先生「阿波牛なんてブランド物、一生に一度 食べられるかどうかなのよ。気軽に買えるぐらいなんだったら自分で買った方が絶対にいいわよ、ブライアンちゃん」

 

ナリタブライアン「………………考えたこともなかったな」

 

女代先生「この贅沢者! 生まれながらにして全てに恵まれていることに気づかないんだから!」

 

ナリタブライアン「………………」

 

斎藤T「それにしては、そんなにカネに不自由している感じはしませんが、女代先生?」

 

女代先生「まあ、それは財テクよ、財テク。私もウマ娘レースの予想で結構稼がせてもらっているし、ゲームアカウントを高値で売ることもやっているしね」

 

女代先生「それでも、1回のレースに勝つだけでサラリーマンの年収を軽々超える賞金を手にすることができるんだから、そういう意味でも『トゥインクル・シリーズ』は夢の舞台よね」

 

斎藤T「とは言っても、獲得賞金の大半が奨学金の基金として運用されて卒業後に分割払いされて返還されるようになってはいますけどね。健全な青少年教育という名目で泡銭で豪遊させないためにも」

 

女代先生「まあね。それを嫌って他の団体から出走するウマ娘もいるけれど、福利厚生やトレーニング環境のことを考えたら、中央トレセン学園が一番よ。一番には一番になるだけの信頼と実績があるわけだし」

 

女代先生「そんなわけだから、新人くん! これから先の長い人生を楽しんで生きていくためにも、ちょっとした贅沢品の数々、いっぱい用意しておいてちょうだいね!」

 

斎藤T「楽しみにしておいてください、先生」

 

ナリタブライアン「おい、私は?」

 

斎藤T「夕飯をご馳走しているじゃないですか」

 

ナリタブライアン「あ」

 

斎藤T「大丈夫です。ESPRITの部員というわけではありませんが、外部協力者としてカタログギフトは贈りますから、その気があるのでしたら今後もモニターをお願いしますよ」

 

ナリタブライアン「ああ。そうさせてもらうとしよう」

 

シンボリルドルフ「ブライアン。生徒会メンバーに頼れる後輩が入ってきたからと言って、エクリプス・フロントや斎藤Tの部屋に入り浸るのはほどほどにな。エアグルーヴ(生徒会長)のことを労ってくれよ」

 

ナリタブライアン「むぅ」

 

 

シンボリルドルフ「……なあ、ブライアン。これからが楽しみだな」

 

 

ナリタブライアン「え、ああ、はい。トレセン学園で過ごす最後の1年が楽しみですよ、心の底から」

 

シンボリルドルフ「……そうだろうな。それが私が秋川理事長と一緒に黄金期を切り拓いてきた意義なのだから、そうでなくては困る」

 

ナリタブライアン「……会長?」

 

シンボリルドルフ「……『会長』じゃないぞ、もう」

 

シンボリルドルフ「……ブライアン、在学中に『ドリーム・シリーズ』に移籍することになるが、決して悔いが残らないようにな」

 

ナリタブライアン「……どうしたんです、急に?」

 

シンボリルドルフ「……いや、このエクリプス・フロントの建築費用は暗黒期から黄金期になったことで『トゥインクル・シリーズ』の信頼と人気が復活して、その活況と建て替えの時期に合わせて建築が認可されたものだ」

 

シンボリルドルフ「……これを世間では“皇帝”シンボリルドルフの功績による遺産だと言われるようになるわけだが、私自身はエクリプス・フロントでの思い出を何一つ持つことなくトレセン学園を巣立っていくことの矛盾に羨望と嫉妬の念を覚えただけだよ」

 

ナリタブライアン「………………!」

 

シンボリルドルフ「だから、私の代わりに思いっきり私が卒業した後のトレセン学園の新しい日々を楽しんでもらいたいんだ」

 

シンボリルドルフ「ブライアン、きみが私の後に続く“三冠バ”になったことで私が切り拓いた黄金期の流れを定着させたわけなんだから」

 

 

――――――ウマ娘レースには絶対はない。だが、シンボリルドルフには絶対がある。

 

 

勝利よりもたった三度の敗北を語りたくなる名バとして“永遠なる皇帝”は近代ウマ娘レース界隈の歴史に名を刻んだ。

 

その後もウマ娘レースの『名家』であるシンボリ家の惣領娘として活躍の場を海外にも拡げることになり、トレセン学園卒業後は同志である秋川理事長と予てより計画していた海外留学をすることになっていたが、

 

その当時の心境は『燃え尽きていた』の一言であり、トレセン学園でなすべき使命を全て果たし終えた“皇帝”は卒業後はそんな称号など何の価値も持たない“ただのひとりの人間”へと還ることになっていた。

 

いや、本来ならばその隣には将来を誓った相手が寄り添うはずであったが、今はその隣はずっと空白となり続けていた。

 

その空白を埋める()()()()()()()()を最後の最後になって見つけることもできたものの、それがかえってますます 空白を埋めるべきものとのちがいと尊さを思い起こすことになり、心の中の淀みが重たくのしかかってさえいた。

 

自分は“皇帝”としてトレセン学園に全てを与え、“皇帝”としての任を成し遂げた栄光を掴むことができたが、はたして“皇帝”ではなくなる一人の少女の手元に残されたものはいったい何が残ったのだろうか?

 

その意味で誰よりもウマ娘レースの業である束縛からの自由(リバティー)に囚われて、自分で掴めた表現の自由(フリーダム)などあろうはずがない。

 

だからこそ、私は後に知ることになった。

 

 

――――――“永遠なる皇帝”シンボリルドルフこそが黄金期の次なる 彼女自身が待ち望んだ 新しい時代を切り拓くための最大の障害となることを。

 

 



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丙種計画  未来からの福音と不協和音の多重奏

 

 

――――――現状、私が抱えている世界の命運を左右する重大任務はいくつもある。

 

 

その第三を“丙種計画”と題し、実に荒唐無稽な話ではあるのだが、今から(昨年20XX年から数えて)1()0()()()()()()に並行宇宙の地球から侵略してくる通称:WUMAによる怪人災害の対策の話である。

 

すでに何度も述べたとおりだが、WUMAとはWorldwide Unidentified Miscreant Alien(世界的な未確認侵略生物)の略称であり、初めて遭遇した私が怪人:ウマ女と評したことを覚えていた妹:ヒノオマシが警察にそう供述したのが始まりである。

 

やつら自身は“フウイヌム”を名乗り、馬のマスクを被った全身白タイツのふざけた格好をしたような女性だけの単一種族が()()()()()()()の支配種族として君臨し、

 

同じ21世紀の地球でも文明レベルや科学力は“フウイヌム”が支配する()()()()()()()()の方が段違いに発達しているため、昨年のクリスマスで奥多摩の川苔山の本拠地を潰しておかなかったら いったいどうなっていたことやら――――――。

 

そのため、去年の8月末のグランプリウマ娘:ライスシャワーの担当トレーナーである飯守Tに擬態したWUMAがトレセン学園の学生寮に不法侵入した事件を皮切りに警察関係者の極一部にその名が知られることになり、

 

密かに東京都が管轄の警視庁において怪人災害の対策チームが設置される運びとなり、警視庁警備部災害対策課の藤原さんがその主任となり、警視庁警備部警備第一課のSATとの協力も実現した。

 

しかしながら、ここで足枷になったのが『警視庁』におけるキャリア組の出世レースやメンツの問題であり、それによってWUMAを取り逃したこともあるため、私としては非常に信頼できない連中という評価になっていた。

 

また、裏切り者:ケイローンの討伐を主目的として更なる並行宇宙の侵略のために遣わされた先遣隊の戦力は最上位となる4体のエルダークラス:ヒッポカンポス、ヒッポネイピア、ヒッポリュテー、ヒッポクラテアが無力化されたために命令系統が麻痺した上に、

 

川苔山の百尋ノ滝地下の秘密基地を守るヒッポカンポスの軍団はC4爆弾ではびくともしない耐久性の超科学を逆手に取ったC4爆弾のエレベータートラップで一掃、

 

エルダークラス:ヒッポリュテーを失った混乱に乗じて あるシニアクラスが反乱を起こして他のシニアクラスを始末して百尋ノ滝を占拠しようときたところを突如現れたNINJAと協力して撃破、

 

船橋トレセン学園に巣食っていたヒッポクラテアの軍団はエルダークラスを超えるスーペリアクラスに進化したアグネスタキオン’(スターディオン)に屈服している。

 

唯一、真っ先にエルダークラスを失ったことで組織的活動が続けられなくなってはいるが、その構成員の所在が掴めない多摩地域に割拠するヒッポネイピアの軍団が野放しになっていることが最大の懸念点となっている。

 

そう、やつらの侵略の要である 並行宇宙への空間跳躍を可能とするやつらの超科学の結晶である 潜航艇を賢者ケイローンが身を挺して亜空間に遺棄したことで今の時代における侵略活動に歯止めがかかったわけだが、

 

今は服従させることに成功したが船橋トレセン学園の重鎮たちに擬態したことで処分を躊躇わせているヒッポクラテアの軍団と、広大な多摩地域のどこで潜入工作をしているかが手掛かりがまったくないヒッポネイピアの軍団の処理に未だに頭を悩ませることになった。

 

 

しかし、それ以上に今回のWUMA襲来は1()0()()()()()()()()()から賢者ケイローンが逃亡してきたことがきっかけであるため、10年後にWUMAが侵略してくる因果が強く結ばれたことが一番の問題であった。

 

 

それどころか、1()0()()()()()()()()()より更なる未来となるWUMAの支配から解放されたはずの世界から人造人間が刺客として送り込まれるという事態にまで発展したため、未来を変えなければ気が休まることはない。

 

わかりやすく言えば、認識の世界においては認識されているものが優先され、認識されていないものは効力を発揮しないという、何をそんな当たり前のような そうじゃないような そんな話だと思って欲しい。

 

CMなんかを思い浮かべればわかるはずだ。知らない店よりもCMで知ってる店の方が親しみがあるし、そっちの方を利用する客が必然と多い。それ以外に選択肢がない場合や冒険したい性分でもなければ全国チェーン店に安心と信頼を置くはずだ。

 

そんなふうに一度繋がってしまった世界とそうでない未知の世界のどちらが結びつきが強いと言ったら、当然ながら一度でも繋がってしまった世界の方が結びつきが強いわけで、

 

並行宇宙に空間跳躍して結ばれる他所の世界とWUMAが支配する並行宇宙が結ばれる可能性を強くする因果関係の根拠となるものがすでに提示されてしまったわけであり、

 

賢者ケイローンが1()0()()()()()()から来た時点で、世界の命運は自然とその1()0()()()()()()に近づくように軌道修正させられたのだ。

 

 

――――――だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

具体的に『未来を変える』とはどういうことなのかと言うと、端的に言えば賢者ケイローンが見てきた1()0()()()()()()と掛け離れた世界を創造することであり、賢者ケイローンが逃亡する際にWUMAが支配する並行宇宙と結ばれた条件に当てはまらない世界に変えていくことなのだ。

 

概念的にもっとわかりやすく言うなら、WUMAの支配する並行宇宙と接続するオスコネクタに合わないメスコネクタの形や規格にこの世界の歴史を作り変えるという意味であり、

 

その1つのアプローチとなるのが、23世紀の宇宙科学によって21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球で技術革新を起こして10年以内に100年ぐらい先の未来を地上に写し出すことである。

 

 

――――――これを一言で表現すれば“タイムパラドックス”である。

 

 

つまり、この時代にやってきたWUMAの残党狩りは別問題として、この丙種計画の達成には『宇宙船を創って星の海を渡る』というロマンを追究する乙種計画の達成が不可欠というわけであり、乙種計画の推進を後押しさせる要素に丙種計画がなっていたのだ。

 

そういう意味では、私にとっては当たり前の23世紀の宇宙科学を広めるだけで確実に21世紀の異なる歴史と進化を歩んだ地球の情勢を押し進めることができるのだから、私以上に成し得る人物はいないと言える。

 

ただ、ムーアの法則で知られるように21世紀の科学力は年を追うごとに加速度的にハイテク化が進み、更には地球圏統一国家の成立によって軍備撤廃の末に浮いた軍事費が教育費や研究費に回されることで、その流れは現在とは比較にならないほどに怒涛の勢いとなる。

 

そのため、23世紀の宇宙科学と21世紀の地球科学の間にある200年の技術力の差は凄まじく、私にとっては100年前となる22世紀からの技術なら辛うじて網羅しているが、

 

23世紀において人類有数の頭脳を持つ波動エンジンの開発エンジニアである世紀の天才である私でさえも、それ以上に旧い21世紀の技術体系を完全に理解することはかえって難しいぐらいだ。

 

 

21世紀から23世紀に向かうまでの加速度的な進化によって様々な分野でミッシングリンクが生じているのだ。

 

 

これが技術的理解を目指す上で一番に困る話で、技術者として自分の専門分野についての歴史の流れは知っていて当然であり、先人たちの功績を辿って歴代の名作や名品に肖ることはあっても、精々が本当に黎明期の傑作だとか転換点となる革新的なものぐらいしか触れることがないのだ。

 

半導体が“産業の米”と喩えられているのに倣えば、今の私は稲作(半導体技術)最初(黎明期)後半の部分(22世紀から23世紀まで)の技術はかなり詳しいつもりだが、前半部分(21世紀から22世紀まで)がわからないせいで、実際に21世紀に23世紀の宇宙科学をもたらそうとして大きな壁にぶつかっているわけなのだ。

 

なので、私が知っている稲作(半導体技術)後半部分(22世紀から23世紀まで)における最初の部分の技術を21世紀に伝播させて周囲の反応を窺いながらミッシングリンクを埋めて21世紀と23世紀を結ぶ他ない。

 

ただ、地球圏統一国家が成立していない未開惑星の住人に技術を渡しすぎると野蛮人に悪用される恐れが大いにあるため、未開惑星に対する過度な干渉を避けるという宇宙移民のポリシーの間でギリギリを攻めていくことになるだろう。そういった配慮が求められるぐらいには決して楽な道ではない。

 

私は宇宙船エンジニアなんだぞ。いろいろと技術的なことで不平不満はたくさんあるが、21世紀の半導体のパワー不足はどうしようもなく、私が投資を呼ぶために某企業に渡した22世紀で一般的だった宇宙船の設計図はこの時点で『時代を先取りした天才的な設計である』という評価ですらあった。

 

裏返せば、時代を先取りしすぎて実際には造ることが絵空事のように思われたわけであり、宇宙移民船の開発設計でお世話になった23世紀にも健在の老舗ですらこうなのだから、これは本当に先が思いやられる。

 

 

しかし、その過程で私は人間であることを止めさせられて制作指揮(プロデューサー)に扱き使われる現場監督(ディレクター)とならざるを得なくなった。

 

 

去年、私は配属されて早々に強引な手口から学園一の嫌われ者になった新人トレーナー“斎藤 展望”として三ヶ月間の昏睡から目覚めて、

 

馬のマスクを被ったような全身タイツのふざけた格好の並行宇宙の地球の支配種族である怪人:ウマ女を撃退するために、人知を超えた能力や道具を得ることになった。

 

その最大の収穫物となるのが、怪人:ウマ女の地球侵略の本拠地となった奥多摩の川苔山/百尋ノ滝の地下秘密基地であり、これが甲種計画や乙種計画を遂行する上で大きな力となることだろう。

 

その他にも、“特異点”として時間跳躍ができるようにもなったわけで、それでWUMAが空間跳躍を行使した瞬間にカウンター発動で返り討ちにすることができ、

 

あるいは、時間跳躍できる“特異点”の体質が招いたのか、世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”の存在に触れたことをきっかけに要所要所で目的を達成するまでタイムリープすることにもなり、1日24時間の定義が常人離れすることになった。

 

その恩恵で、繰り返される時間を有効に使って思索や試行を重ねることができた一方で、思索や試行を繰り返すぐらいしか代わり映えしない繰り返される時間の中で時計を前に進めるために藻掻き続ける必要があり、単調な反復練習ほど人生でつまらないものはないと思い知らされることになった。

 

 

一方で、WUMAで初めて時間跳躍を体得した賢者ケイローンは過去の時代に跳躍する過程で情報の波に肉体を洗い流され、魂だけ辿り着いて野に放たれていたコーカサスオオカブト(キロンオオカブト)の肉体に宿ることになってしまった。

 

それによって、本来の肉体を失った挙げ句にコーカサスオオカブトの寿命の分しか生きられなくなっていたが故に、クリスマスの決戦において死にゆく体に鞭打って最期に亜空間で自壊させた潜航艇と運命を共にすることになった。

 

もっと長生きできる生物に宿ってくれてさえいれば、今頃は丙種計画の遂行をケイローンに託して進捗も抜群に良く、負担も大幅に軽減されていたのだろうが、それはもうどうしようもないことだった。

 

しかし、亜空間に二度目の生を散らせた後でも 因子継承を果たしてスーペリアクラスに進化したアグネスタキオン’(スターディオン)の存在を通じてか 声が届けられることがあり、

 

それぐらい賢者ケイローンとその仮初めの肉体であったコーカサスオオカブトとの縁に愛着が湧いたこともあり、ついでに妹:ヒノオマシが飼育日記をつけていたこともあって、

 

寿命で死にかけのコーカサスオオカブトの体でも操作ができるように即席で造った制御盤を個人的な趣向で設計し直して、それからコーカサスオオカブトの模型を載せたものを数少ない趣味品としてトレーナー室に置いていた。

 

 

なぜ私がこうして賢者ケイローンとめぐりあうことになったのかと言えば、私が23世紀の宇宙移民船のワープ航法中の波動エンジンの暴走事故に巻き込まれて、賢者ケイローンと同じように本来の肉体を失って過去の地球で新たな生を受けた“特異点”だったからなのだろう。

 

 

そのため、私が“斎藤 展望”として盆休みに母方の実家に帰省した夜の隕石が降ってきた日に、ブーンブーンと大きな羽音を立てるコーカサスオオカブトと出会ったのも、私の存在が未来世界のオスコネクタと過去世界のメスコネクタを一致させるハブになってしまったせいなのだ。

 

そして、本来はWUMAの侵略に対抗できるように手土産になるものを持ってきていたのだが、肉体を失ってコーカサスオオカブトという不自由な体に縛られたせいで、そのことを伝えることがずっとできずにいたのだが、

 

私が奥多摩攻略戦を命からがら完遂して年末年始に再び母方の実家に帰省していた時、皮肉なことに肉体を再び失った上にWUMAの侵略が防がれて全てが終わってから、隕石が落ちた日と同じく時間跳躍で地面に埋まっていた賢者ケイローンの手土産をようやく回収することに成功したのであった。

 

その賢者ケイローンの手土産こそが未来を変えるための重要な手掛かりの1つとなっており、そこに()()()()()()()が加わることで甲種計画と乙種計画の究極の方向性が決まったのである。

 

 


 

 

――――――目標Ω:重賞レース『アグネスタキオン記念』を創設せよ!

 

 

斎藤T「これが丙種計画を踏まえた上での甲種計画の最終目標だ」

 

斎藤T「現在、『トゥインクル・シリーズ』にはG2レース『朝日杯セントライト記念(菊花賞トライアル)』とG3レース『「日刊スポーツ賞 シンザン記念』という初代と二代目のクラシック三冠バを記念した重賞レースが設けられている」

 

斎藤T「そして、賢者ケイローンの手土産となる『未来世界のデータベース』と、“皇帝”シンボリルドルフから託された予言書『ウマ娘 プリティーダービー』の内容を重ね合わせると、だ」

 

斎藤T「未来世界にも予言書にも『アグネスタキオン記念』なる重賞レースが記録されていない点から、アグネスタキオンというウマ娘が目指すウマ娘の可能性の“果て”が少なくとも人々の心に残るものではなかったことが窺える」

 

斎藤T「そもそも、予言書によればアグネスタキオンは『弥生賞』『皐月賞』を圧勝して誰もが“三冠バ”になることを確信させたその走りを鮮烈に記憶させた矢先に引退してしまう運命のようだから、『トゥインクル・シリーズ』を走りきれるかどうかも大きな分岐点になるだろう」

 

斎藤T「つまり、WUMA襲来の未来を回避する1つの方策として、この世界における国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』の重賞レースの歴史と構成を変えることが非常にわかりやすいちがいとなるはずだ」

 

斎藤T「となると、重賞レース『アグネスタキオン記念』が創設されるほどの偉業を果たさなければ、WUMA襲来によって世界が絶望の淵に叩き込まれるわけだが、いったいどれほどの活躍をすれば認めてもらえるかを現時点で見定めなければならないな」

 

斎藤T「更に現役時代に『アグネスタキオン記念』が創設されるわけがないから、少なくともWUMA襲来に至るXデーまでの10年近くの歳月の中での実現を目指す必要があり、こればかりは一個人の力だけでどうにかなるわけがない」

 

斎藤T「つまりは、『アグネスタキオン記念』創設のために長年に渡ってロビー活動を行ってくれる支持母体も必要不可欠だ」

 

斎藤T「まあ、その辺の政治的な話に関しては、幸い ソラシンボリを預かる代わりにアグネスタキオンを 最大限 シンボリ家が支援してくれる約束を利用して、まずは『シンボリルドルフ記念』創設で前例を創った方が話が通しやすいはずだ」

 

斎藤T「さて、『セントライト記念』『シンザン記念』『シンボリルドルフ記念』に続く『アグネスタキオン記念』を創設するためには、いったいどれほどの偉業を果たさなければならないのだろうな?」

 

斎藤T「他の歴代三冠バの名を冠した『ミスターシービー記念』『ナリタブライアン記念』『ミホノブルボン記念』を超える魅力を持たせなければ『アグネスタキオン記念』など到底実現しないことだろう」

 

斎藤T「なので、申し訳ないが、岡田T。先に提出してもらった三冠バになるためのローテーションだが、三冠バを超える名声を博すローテーションに机上の空論でもいいから作り直して提出して欲しい」

 

斎藤T「そして、アグネスタキオン。お前もだ。私が去年のシーズン後半を人知れずWUMA退治に明け暮れて世界を救ったのだから、お前も1年でウマ娘界の神話になる道を探せ。そうすれば世界は救われる――――――」

 

 

――――――喜べ、ウマ娘。お前の願いが叶えば、私の願いも叶う。

 

 

これが夢の世界で法隆寺夢殿にアングロアラブ八極拳の稽古のために御百度参りする羽目になった2月7日のシンボリ家との密約を経た後に私が告げた競走ウマ娘:アグネスタキオンに課せられた目標であった。

 

もちろん、必ずしもアグネスタキオンである必要はない。賢者ケイローンの手土産である『未来世界のデータベース』と“皇帝”シンボリルドルフから下賜された予言書『プリティーダービー』に載っていない出来事を起こし続けて世界の命運の軌道修正(タイムパラドックス)を掛け続ける必要があり、『アグネスタキオン記念』創設はあくまでも軌道修正のプロセスの1つに過ぎない。

 

つまり、『アグネスタキオン記念』は甲種計画における究極の目標の1つであって、予言書においてもその実力がお墨付きのアグネスタキオンが普通に“クラシック三冠”達成を果たしても、世界の命運に作用する波紋の1つとなってくれるだろう。

 

ただ、肉体改造強壮剤によって“本格化”を抑えながら 退学処分を受けそうになりながらも4年間の雌伏の時を経て ようやくお披露目となるその実力は、すでに全盛期のトウカイテイオーに一歩劣る程度に仕上がっているため、トウカイテイオーの担当トレーナーである岡田Tをして『これで負けたら天地がひっくり返る』ほどなのだそうだ。

 

それだけに“三冠”達成が確実視されているぐらいなのだから、そこを突き詰めて前人未到の偉業を成し遂げてウマ娘レース界隈の神話を目指すのは決して高望みではないはずだ。

 

むしろ、私が去年の9月24日の深夜のトレセン学園の部活棟に忍び込むよう、賢者ケイローンは言った。

 

 

――――――部活棟に向かうんだ。そこで“きみの運命”と出会える。

 

 

つまり、WUMAの脅威からこの世界を救う大役を背負わされた学園一の嫌われ者である“斎藤 展望”がめぐりあうことができた担当ウマ娘はアグネスタキオン以外にありえない。そう自惚れてもいいんじゃないかと。

 

そう、このヒトとウマ娘が共生する異世界において大きな影響力を持つ国民的スポーツ・エンターテインメントとなっている『トゥインクル・シリーズ』で“三冠”達成が目指せるだけでも奇跡の存在だと言うのに、それ以上の偉業を成し得る要素が私の許には揃っているのだ。

 

つまりは、未来の情報や予言書にも載っていない歴史的事件を起こし続けることでWUMA襲来による()()()()()とのタイムパラドックスを『トゥインクル・シリーズ』において果たせるなら本当は誰だってよかったのだが、

 

だからこそ、それを果たせる可能性がもっとも高い私の担当ウマ娘:アグネスタキオンに甲種計画の遂行を託すことにしたのである。

 

そして、4年間の雌伏の時を費やして“ただの三冠ウマ娘”になるぐらいだったら、そんなことをしなくても“三冠”達成してきた先人たちに申し訳がないので、それ以上の戦績を要求するのは驕りでも何でもない。それがウマ娘の可能性の“果て”というやつだろう。

 

当時、トウカイテイオーやメジロマックイーン以上に『選抜レース』で圧倒的な走りで誰もが“三冠ウマ娘”になると熱狂させた“アグネス家の最高傑作”としての本懐を遂げなければ、私はもうウマ娘の可能性の“果て”など一緒に見る気はない。

 

これが改めて『トゥインクル・シリーズ』に参戦することになった私の担当ウマ娘:アグネスタキオンに対する波動エンジンの開発エンジニアである私からの第一声である。

 

 

――――――お前なんてアグネス()()()()()()だよ。どんなに加速しても光速を超えることなんてない。

 

 

 

アグネスタキオン「ふぅン、黄金期に入って“三冠ウマ娘”のバーゲンセールにもなると、“ただの三冠ウマ娘”を目指す価値はないときたか」

 

アグネスタキオン’「おやおや、優駿たちの頂点を決めるG1レースに勝つだけでも名バと呼ばれる資格があるのに、人間というやつはそれ以上を求めだして度し難いものだねぇ」

 

斎藤T「で、“クラシック三冠バ”を超えるものを打ち立てることはできそうか、1年で?」

 

アグネスタキオン「そこのところはどうなんだい、コーチ?」

 

岡田T「……正直に言って、“皇帝”シンボリルドルフに並ぶG1:7勝の“覇王”テイエムオペラオーの年間無敗記録を2年目:クラシック級で実現できたら、それはもう伝説を超えた神話にもなるだろうよ」

 

岡田T「そう考えると、“皇帝”シンボリルドルフのように“無敗の三冠ウマ娘”であることが最低条件になるし、“覇王”テイエムオペラオーが味わったように完全な包囲網を敷かれることにもなる――――――」

 

岡田T「これは正々堂々なんて期待しない方がいいかもしれない。出走回避によってレースが開催されるだけで御の字になる可能性すらある……」

 

斎藤T「無理ですか」

 

岡田T「そうですね。陣営同士の出走の読み合いになると言いますか、こちらとしては『レースになれば絶対に勝つ』という前提で行動しているのを悟らせないようにレース開催に漕ぎ着ける立ち回りが必要になりますね」

 

斎藤T「つまり、各陣営の最終的な出走権を握る担当トレーナーに勝負に打って出させる(ベットさせる)ように煽る必要があるんですね」

 

斎藤T「要は、功名心やプライドを煽って相手に勝てない勝負に繰り出させればいいんですね?」

 

岡田T「……残念ながら、そういったことに関しては俺は力になれません」

 

斎藤T「ふーむ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン、正攻法でシンボリルドルフやテイエムオペラオー以上の戦績を築くことは絶対にできないのは確実ってところか」

 

アグネスタキオン’「なら、いっそのこと、『有馬記念』と対になる春グランプリの『宝塚記念』も勝って、“クラシックグランプリウマ娘”になるとかはどうだい? 全盛期のトウカイテイオーに準じる能力が()にはあるのだろう?」

 

斎藤T「それは可能ですか?」

 

岡田T「いや、たしかに『宝塚記念』は開催時期も繰り下げられて『日本ダービー』『オークス』で活躍したウマ娘の参戦にも前向きなところはあるが、」

 

岡田T「それがいないんだよ、クラシック級で『宝塚記念』を優勝したウマ娘は。『有馬記念』ならシンボリルドルフをはじめとしていっぱいいるんだけど」

 

アグネスタキオン’「じゃあ、“クラシックグランプリウマ娘”という史上初の称号を目指そうじゃないか。なあ、()?」

 

アグネスタキオン「そうだね。史上初の称号を得たとなれば、これで神話に一歩近づくねぇ」

 

岡田T「簡単に言ってくれるな。テイオーの時でさえも『日本ダービー』を勝って憧れのシンボリルドルフよりも強い走りを見せられて天国の気分だったのに、そこから地獄に真っ逆さまに落とされた気分が蘇ってきそうだ……」

 

アグネスタキオン’「あ、そういえばメジロ家の『天皇賞』に懸ける情熱は凄かったけど、アグネス家でも何か()が勝つことで記念になるような記録とかはないのかい?」

 

アグネスタキオン「さて、どうだったかねぇ……」

 

岡田T「たしかに。メジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーンと続くメジロ家三代による『天皇賞』制覇は大きな話題にもなったし、アグネス家にも実績がたくさんあるはずだ」

 

斎藤T「どれどれ、祖母:アグネスレディーが『オークス』、母:アグネスフローラが『桜花賞』を獲っているみたいだな」

 

斎藤T「他にもアグネステスコが『エリザベス女王杯』を勝っているようだし、それなら『秋華賞』をお前が獲って“アグネス家三代によるトリプルティアラ制覇”の名誉をもたらせるんじゃないか?」

 

アグネスタキオン「ふぅン、『秋華賞』か。京都競バ場・芝・2000m。悪くないんじゃないかい」

 

斎藤T「おお! じゃあ、『秋華賞』を獲ってアグネス家に“トリプルティアラ制覇”の名誉をもたらそう!」

 

岡田T「いやいやいや、待て待て待て! “トリプルティアラ”は基本的に“トリプルクラウン”の前の週に開催されるんだぞ!」

 

岡田T「“クラシック三冠ウマ娘”を目指すのに、“三冠”達成の最難関となる最後の壁『菊花賞』の前週に『秋華賞』だぞ! ただでさえ“三冠”達成を前にして周りがそれを阻もうと必死な強敵だらけの長距離なのに、中距離から間を置かずにすぐに長距離を走れるわけがないだろう!」

 

岡田T「それとも、“トリプルティアラ”に路線変更するかい? そうしたら自然と『エリザベス女王杯』にも参加することになって、G1:4勝も手堅いかな?」

 

岡田T「それでも、アグネスタキオンの距離適性が【中距離】だからこそ、“トリプルクラウン”、“クラシック三冠”を目指していたんじゃないのか? マイルウマ娘(マイラー)の適性も高くはないだろう?」

 

岡田T「一応、マイルウマ娘(マイラー)のトリプルティアラ路線の理論値を挙げていくとこうなるかな」

 


 

●クラシック級・マイルウマ娘(マイラー)・トリプルティアラ路線

 

3月:G2レース 阪神・芝・1600m『チューリップ賞』

4月:G1レース 阪神・芝・1600m『桜花賞』

5月:G1レース 東京・芝・2400m『オークス』

6月:G1レース 東京・芝・1600m『安田記念』

6月:G1レース 阪神・芝・2200m『宝塚記念』

 

10月:G1レース 京都・芝・2000m『秋華賞』

11月:G1レース 阪神・芝・2200m『エリザベス女王杯』

12月:G1レース 中山・芝・2500m『有馬記念』

 


 

斎藤T「早速、“クラシックグランプリウマ娘”の要素を入れてきてますね」

 

岡田T「まあ、あくまでも理論値ですけど、“トリプルクラウン”が朝飯前に思えるアグネスタキオンの実力を考えたら、マイルウマ娘(マイラー)にするにはもったいないぐらいですけどね」

 

斎藤T「でも、こうして見ると“トリプルティアラ”は『桜花賞』以外は【中距離】なんですね」

 

アグネスタキオン’「そうだねぇ。最初の『桜花賞』を何とかできれば普通に“トリプルティアラ”達成は簡単じゃないかい?」

 

岡田T「いやいやいや! ですから、“トリプルティアラ”のレースの翌週に“トリプルクラウン”のレースが開催されることが最大のネックなんですってば!?」

 

アグネスタキオン’「つまり、たった1週間で距離や疲労の問題を解決できれば、連続出走しても問題ないんじゃないかい?」

 

岡田T「……つまり、“トリプルティアラ”と“トリプルクラウン”で連闘!? 本気で!?」

 

斎藤T「――――――『連闘』?」

 

岡田T「2週連続してレースに出走させることです」

 

岡田T「基本的に世代最強の座を賭けて強豪たちが鎬を削るクラシック戦線では、怪我のリスクやスタミナ回復などを考えたら、とてもじゃないですけど連闘はありえない話です」

 

岡田T「たとえば、新バ戦や未勝利戦、1勝クラスなら中央でも地方でもよくありますけど、そういうのは『数撃ちゃ当たる』で期待されていない競走ウマ娘が運試しにやる程度のもので、G1ウマ娘がやることじゃないです!」

 

岡田T「だいたいにして、クラシック級のG1レースで連闘になるような組み合わせは本当に“トリプルティアラ”と“トリプルクラウン”ぐらいなもので、いまだかつて誰もやったことがないことなんですよ!?」

 

斎藤T「じゃあ、それを目標にしようか」

 

岡田T「ええっ!?!?!?」

 

アグネスタキオン’「ふぅン、そうだねぇ。『菊花賞』と『秋華賞』はさすがに1000mの差があるから厳しい戦いになりそうだけど、同じ2400mの『日本ダービー』と『オークス』が狙い目じゃないかい、()?」

 

岡田T「はあぁああ!!?!!!」

 

アグネスタキオン「いや、『桜花賞』と『皐月賞』は確実に獲るべきだね。シーズン序盤に【マイル】の調整をしておけば余裕で勝てるさ」

 

岡田T「うええええええええええええ!!!???」

 

斎藤T「なら、それで行こう。これぞ前人未到の挑戦というわけだな」

 

岡田T「あれ、おかしいな? こんなの、ただの素人の思いつきで無謀でしかないはずなのに、なんだか『桜花賞』と『皐月賞』を連闘で獲るのはできて当然みたいな感覚に俺自身がなっている……?」

 

アグネスタキオン’「ふぅン、これで“トリプルクラウン”と“トリプルティアラ”と“春秋グランプリウマ娘”を独占したら、それだけでG1:8勝で“七冠ウマ娘”シンボリルドルフを超えるね」

 

岡田T「うげえええええええええええええええ!?」

 

斎藤T「だ、大丈夫ですか、岡田T!?」

 

岡田T「い、いえ、言っていることが無茶苦茶で、完全に素人の思いつきなのか、天才の発想なのかで、少し頭痛がしまして……」

 

 

斎藤T「まあ、気楽にしてくださいよ。アグネスタキオンが実現しようとしているウマ娘の可能性の“果て”とやらに、たかが世界の命運が懸かっているだけじゃないですか」

 

 

岡田T「ほげえええええええええええ!??!!!」

 

岡田T「な、なんで!? なんでなんですか!? なんでそんな簡単に『ウマ娘の可能性』だとか『世界の命運』だなんてことが言えるんですか!?」

 

斎藤T「あくまでも甲種計画は丙種計画のアプローチの1つとして是非とも勝って欲しいだけであって、負けたら負けたで他に歴史的事件を起こしてWUMA襲来に繋がらないようにタイムパラドックスを狙うだけだから、私としてはそこまで賭けてないので、気楽にやって欲しいですね、岡田T」

 

アグネスタキオン「まあ、私としてもコーチから全盛期のトウカイテイオーに準じる能力があると太鼓判を押されたのに負けることになったのなら、それはそれで私のプランAが不完全だったということでプランBに移行するだけのことだから、私の勝ち負け自体には大した意味なんてないのさ」

 

岡田T「おお…………」

 

 

アグネスタキオン’「そういうことだから、“クラシック八冠ウマ娘”という永遠の神話を是非とも打ち立ててみようではないか、コーチ?」

 

 

岡田T「ああ…………」

 

岡田T「うう…………」

 

アグネスタキオン’「なあ、岡田T? きみは一度は担当ウマ娘を見捨てて首を括ろうとしたんだろう? そんなきみに 今更 何の未練や恥なんてものがあるんだい?」

 

アグネスタキオン’「きみも気楽に『シンボリルドルフに憧れた』なんて言っていたけど、きみの覚悟なんてそんな程度のものだったのかい?」

 

岡田T「!!!!」

 

岡田T「………………」

 

岡田T「……もうどうなっても知りませんよ?」

 

岡田T「出れば勝って当然で、一切の怪我のリスクを考えなくていいのなら、まさに机上の空論でしかないローテーションで勝負に出ましょう」

 

岡田T「それでいいんでしょう、ボス?」

 

斎藤T「それでいいですよ。“三冠”達成を果たしてきたトレーナーはみんな新人トレーナーだったわけだし、そんな素人たちが今までになかったトレセン学園の黄金期を盛り上げてきたのだから、私もそれに倣うだけです」

 

岡田T「でも、戦う相手がいなくちゃ公営競技の興行は成り立たないんですからね。どうにかして全戦全勝の最強のウマ娘を相手に果敢に挑もうとする勇者たちを集めてレース開催に漕ぎ着けないとですよ」

 

斎藤T「そこはまあ、()()()()()()()()に肖ろうと思います」

 

斎藤T「そのためには、今年 入学してくる有望な競走ウマ娘たちには何が何でも頑張ってもらわないと」

 

斎藤T「そして、使えるものは何だって使わせてもらうことにしましょう」

 

 

 

――――――世界を救うタイムパラドックスを引き起こすためにも。

 

 

 

斎藤T「岡田T。おそらく思い出したくもないと思いますが、番記者のリストアップをしてもらえませんか。名刺などもありましたら、全てください」

 

岡田T「なに?」

 

斎藤T「どれだけ階級制度や身分差別を憎んでいても、大衆というのはいつだって王子様やお姫様が大好きですから」

 

斎藤T「見た目で人を判断してはいけないと言いつつ、物語の悪役はいつもいかにも怖いって感じの大人だって、そう童話で読み聞かされているものです」

 

斎藤T「とりあえず、フリーライターを用意しておきますか。『ペンは剣よりも強し』ってね」

 

岡田T「ま、まさか――――――」

 

斎藤T「私は書いても投稿はしませんよ。あくまでも書き方を教えるだけであって、()()()()()()()()()()()()()()()()()ことですし」

 

岡田T「へ」

 

斎藤T「偉大なる英雄の偉大さは乗り越えてきた試練、立ちはだかった壁、打倒してきた悪の強大さに比例する――――――」

 

 


 

●クラシック級・トリプルクラウン・トリプルティアラ・グランプリ路線

 

4月:G1レース 阪神・芝・1600m『桜花賞』

4月:G1レース 中山・芝・2000m『皐月賞』

5月:G1レース 東京・芝・2400m『オークス』

5月:G1レース 東京・芝・2400m『日本ダービー』

6月:G1レース 阪神・芝・2200m『宝塚記念』

 

10月:G1レース 京都・芝・2000m『秋華賞』

10月:G1レース 京都・芝・3000m『菊花賞』

12月:G1レース 中山・芝・2500m『有馬記念』

 


 

 

―――――都内のとある高級ホテルのスイートルーム

 

 

斎藤T「――――――というわけですので、“クラシック八冠ウマ娘”を目指しますので、約束通りにシンボリ家の総力を挙げてご協力ください」

 

水鏡I「はあああああ!?」

 

シリウスシンボリ「おい、気が狂ってるのか!? 何なんだ、このふざけたローテーションは!?」

 

斎藤T「でも、これぐらいは目指さないと重賞レース『アグネスタキオン記念』創設なんて夢のまた夢じゃないですか」

 

斎藤T「とりあえず、まずは重賞レース『シンボリルドルフ記念』創設を目指してロビー活動をお願いします。その流れで『アグネスタキオン記念』に繋げたいので」

 

水鏡I「……言っていることはわかる。WUMA襲来の未来を回避するためにタイムパラドックスを引き起こす必要があるのはよく理解した」

 

水鏡I「そこで、『未来世界のデータベース』と予言書『プリティーダービー』に載っていない歴史的事件を国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』で実現させることができれば未来を変えられる可能性が高い――――――」

 

水鏡I「だが、予言書にすら黄金期の象徴だったシンボリルドルフの名を冠した重賞レースがなかったとなると、相当 骨が折れるぞ」

 

斎藤T「なら、何度も骨折しても不死鳥にように『有馬記念』を走りきったトウカイテイオーのように粘り強く活動してください。WUMA襲来の未来が回避されるまで」

 

水鏡I「むぅ……」

 

シリウスシンボリ「意味がわからないぐらいに無茶を言ってくれるな、アンタ?」

 

シリウスシンボリ「けど、たしかに予言書『プリティーダービー』や『データベース』に載っていない新記録が達成できれば、間違いなくそれからの『トゥインクル・シリーズ』の流れは変わり、世間の動きも変わってくるだろうな」

 

シリウスシンボリ「それに、ここまで素人の考え丸出しの無謀な挑戦をしようだなんて、かえっておもしろいじゃないか! 気に入ったぜ! それで“アグネス家の最高傑作”がどこまでやれるか見せてもらおうじゃないか!」

 

水鏡I「まあ、最初の連闘になる『桜花賞』と『皐月賞』だけでも勝つことができれば、それはそれで真の意味で“変則三冠バ”クリフジを超えたウマ娘と評されることになるだろうな」

 

水鏡I「それにクリフジの頃の八大競走の時代だと『オークス』は10月に開催されて、それで『菊花賞』にも出走したのだから、今で言うと『秋華賞』と『菊花賞』を優勝したようなものだから決して前例がないわけではないしな」

 

斎藤T「――――――“変則三冠バ”、そういうのもあるのですね」

 

水鏡I「いや、“トリプルクラウン”と“トリプルティアラ”に連闘する怖いもの知らずが今までいなかったわけじゃないんだ」

 

水鏡I「実際、日本の『トゥインクル・シリーズ』は基本的には近代ウマ娘レース発祥のイギリスウマ娘レースに倣ったもので、それが成立する背景や思想までは受け継いでいないこともあって、」

 

水鏡I「特にこだわりがなければ、担当ウマ娘の距離適性を鑑みて、ひたすら中距離路線を貫いて『皐月賞』『日本ダービー』『秋華賞』のような組合せの“変則三冠ウマ娘”を目指す自由は最初から認められている」

 

水鏡I「ただ、今まで誰もそれを達成してこなかったのはそういった“トリプルクラウン”と“トリプルティアラ”混合の自由な組合せでの“変則三冠バ”達成の褒賞金が出ないせいでもあるわけだ」

 

 

斎藤T「わかりました。では、“変則三冠バ”達成の褒賞金が出るようにロビー活動をお願いします」

 

 

シリウスシンボリ「ハハハハハ! こいつは本気でこれまでのレース体系を変えようとしてやがる、その場の思いつきで! もう笑うしかないな、こんなにも思い切りがいいとな!」

 

水鏡I「たしかに、世界中のウマ娘にとって最高の舞台と崇められている『凱旋門賞』のフランスでは当初は『プール・デッセ・デ・プーラン』『リュパン賞』『ジョッケクルブ賞』『ロワイヤルオーク賞』の四冠体制となっていたが、後に『プール・デッセ・デ・プーラン』『ジョッケクルブ賞』『ロワイヤルオーク賞』で“フランス三冠”とするようになった――――――」

 

水鏡I「ところが、『ロワイアルオーク賞』の後から創設された『凱旋門賞』に有力馬が参戦するようになり、『プール・デッセ・デ・プーラン』や『リュパン賞』で好走したフランスウマ娘がイギリスの本家本元『ダービーステークス』を目指すようになって“フランス三冠”は形骸化された歴史がある」

 

水鏡I「そうした状況からフランスウマ娘レース協会はレース体系の見直しを図り、『プール・デッセ・デ・プーラン』『ジョッケクルブ賞』『パリ大賞典』で“新フランス三冠”とし、」

 

水鏡I「開催時期をイギリス・アイルランドのものよりも早めて、人気の『凱旋門賞』に国内の有力バたちが参戦しやすいように腐心したわけだ」

 

水鏡I「しかし、結果は知っての通り、“フランス三冠”に数えられない『凱旋門賞』の人気ばかりが集中して、“新フランス三冠”の名が広く知れ渡ることはなかった――――――」

 

水鏡I「一方、そのフランスウマ娘たちを魅了する近代ウマ娘レース発祥の地である“イギリス三冠”は『2000ギニーステークス』『ダービーステークス』『セントレジャーステークス』。それぞれが日本の三冠における『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』のモデルとなった由緒正しき伝統レースだ」

 

水鏡I「更に、“トリプルティアラ”は『1000ギニーステークス』『オークスステークス』『セントレジャーステークス』となっている――――――」

 

斎藤T「……あれ? 『セントレジャーステークス』が“トリプルクラウン”と“トリプルティアラ”で被ってませんか?」

 

水鏡I「そうだ。近代ウマ娘レース発祥の地:イギリスだと日本で言う『菊花賞』が“トリプルクラウン”と“トリプルティアラ”の最終戦となっているわけで、世界最古のクラシック競走とも呼ばれ、最高の権威を誇っている」

 

シリウスシンボリ「ウマ娘レースの代名詞となる『ダービー』や『オークス』も、元を辿れば この『セントレジャー』の成功から生まれたわけなのさ」

 

 

斎藤T「――――――世界最古のクラシック競走『セントレジャーステークス』か」

 

 

水鏡I「斎藤T、さっきの“変則三冠バ”への褒賞金制度はそこまで悪くないやり方もしれないぞ」

 

水鏡I「『凱旋門賞』で有名なフランスでさえ“クラシック三冠体系”が崩壊し、ヨーロッパ諸国でまともな参加率と体系を維持しているのは本家本元:イギリスぐらいなもので、むしろ愚直なまでに“クラシック三冠”を守り抜いている日本のレース体系の方が異常とも言えるぐらいだ」

 

水鏡I「となれば、これからの日本のウマ娘レース界隈を盛り上げるものとして“変則三冠ウマ娘”の認定と褒賞金制度は今までにないローテーションとレース展開を呼んで新しいものが生まれてくるかもしれないな」

 

水鏡I「むしろ、重賞レース『アグネスタキオン記念』創設よりも実現の可能性があるかもしれないな」

 

 

水鏡I「ともかく、斎藤Tがやろうとしている計画については理解した」

 

水鏡I「我らが女王陛下の異世界平和連合がこのウマ娘の異世界と友好的な接触を果たすためにも、恐るべき並行宇宙の侵略者であるWUMAの世界との接触は絶対に避けなければならない」

 

シリウスシンボリ「そのための手段として賢者ケイローンがもたらした『未来世界のデータベース』と女王陛下が自ら書き記した予言書『プリティーダービー』にはない新たな歴史を創ることでタイムパラドックスを引き起こそうというわけだな」

 

水鏡I「そういうことでしたら、我々と利害の一致が図れたということで、喜んで協力しましょう」

 

水鏡I「1年、時間をください。私もこれから異世界を渡って異世界平和連合の主宰であらせられる女王陛下の許で準備と調整を行ってから、あなたの担当ウマ娘のクラシック戦線に加勢します」

 

斎藤T「わかりました」

 

水鏡I「それと、1()0()()()()()()()()()に備えるなら、選択の幅を拡げるために、陣営の人間には10年分のパスポートを用意させておくといいかもしれません」

 

水鏡I「私自身も世界各地を練り歩いて各方面に顔が利きますから、報道の目から逃れるのにうってつけの隠れ家に案内できますよ」

 

斎藤T「なるほど。用意させておきます」

 

水鏡I「とにかく、これから成そうとするのは伝説などではなく神話だ。神話の世界はとかく奇想天外で圧倒的で理不尽なものだ。それを現代で成そうとするのだから、異端に対する排斥運動は過激となるはずだ」

 

水鏡I「それでもやり遂げる価値があると思わせたあなたの熱意に応えて “悪魔の権化”が契約に従い 参上しましょう」

 

 

――――――なに、とっくの昔にトレセン学園を去った“悪魔の権化”の存在に今もURAのお偉方が怯えているのですから、いざとなったらどうとでもなりますよ。

 

 



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丁種計画  無限に広がる心の世界の暗黒宇宙に光あれ

 

 

――――――現状、私が抱えている世界の命運を左右する重大任務はいくつもある。

 

 

その第四を“丁種計画”と題し、23世紀においては常識の話を21世紀に定着させるという、現代人が原始人の在り方を野蛮人と嘲笑うのと同じことをしなくてはならない、ある意味においては幼児教育並みのことをせざるを得ないのだ。

 

ちがうな。21世紀の人間にとって200年の前の19世紀の近代革命前後の基本的人権の尊重というものが芽生え始めた頃のモラハラ・パワハラ・セクハラ全開の差別と暴力の時代の人間を嘲笑うようなものだな。

 

だが、それは23世紀の宇宙科学によって培われた新たな生活様式において発明された画期的で先進的で21世紀に人間にとってまったくもって未知の常識のことなどではない。

 

逆なのだ。既知の常識;有史以来 親から子へと連綿と語り継がれていくべき、人間がいつの頃からか自らの理想として確立してきた、人間としての真っ当な生き方をすることを言っているのだ。

 

簡単に言えば、明治天皇陛下が近代日本の教育の基本方針として下した『教育勅語』に書かれていることを素直に実行できる人間があまりにも少なすぎる印象を私は21世紀の人間から感じていた。

 

実際、この時代で一般的なチャペル式の結婚式で神父が新郎新婦に永遠の愛を誓わせる場面に憤懣やるかたない思いを抱いたように、個人主義と物質主義に随分と毒された無教養で非理性的で刹那的な快楽に身を委ねる愚かな人間ばかりが目に映ってしまう。

 

それは毎日確認しているニュースサイトの記事を見れば、このご時世にどういうことに世間一般の人々が関心を持っていて、その世間一般の関心を引くために記事を書いている人間がどれだけいるのかがわかってしまう。

 

言うなれば需要と供給の観点から人民の興味関心や教養のレベルがわかるわけであり、くだらないニュース記事の類がいつまでも存在し続けているということは、そういった類を容認あるいは歓迎しているのが大多数というわけであり、そのことが地球圏統一国家に至らない未開惑星の人間の娯楽になっているのかと思うと憐れに感じてしまう。

 

曰く『他人の不幸は蜜の味』とは言うが、ネガティブな記事ばかりじゃなく、もっとこうポジティブな記事は書けないものだろうか。そういう過去の時代の人間の意地汚さを新聞やニュースサイトを見ていてふと思ってしまうのだ。

 

 

しかし、良きこと・素晴らしいこと・喜ばしいことの真相とはそういうものではないのかもしれない――――――。

 

 

人間、眼の前の現実を生きるのに精一杯で苦しみに満ちた世界しか体験できていないのだから、そういうネガティブな物の見方に染まってしまうのはしかたがないのかもしれない。

 

そう、『昔はよかった』と懐古する感情を人類全体に当て嵌めれば、人類の歴史を振り返ってみた時に初めて人々の苦悶に満ちたノイズが取り除かれた燦然と輝く偉業の足跡が顕になるのかもしれない。

 

歴史を語れるのは当事者でない後世の人間の特権であり、誰かの苦難に満ちた生涯がそうやって後世の人間に語り継がれる歴史となった時こそが、生きた証として普遍にして不変のものとして誇れるのであろう。

 

そう、ポジティブなことがいつかネガティブになり、ネガティブなことがいつかポジティブなことに入れ替わるのが世の理なのだ。陽 極まれば陰となり、陰 極まれば陽となる――――――。

 

理不尽で見る者が見れば体罰に等しい厳しい躾がなければ心身ともに立派な紳士淑女にはなれず、甘やかされて育った子供が社会不適合者の烙印を押されるのと同じことだ。

 

 

――――――小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり。

 

 

このちがいは間違いなく『善を行う上でどこまでのことを見据えて善行したいのか』目標意識の高さにあり、ウマ娘レースで言えば『G3勝利でよく頑張ったね』と褒めるのか『G3勝利など次のG1勝利の過程に過ぎない』と気を引き締めさせるかのちがいだろう。

 

つまり、幸せに生きる義務を我々は生まれた時点で天命として与えられているが、幸せになるために幸せの種を蒔いて幸せの実が実るまでの桃栗三年柿八年の忍耐を強いられている――――――。

 

そのことを思えば、私は私の冒険心の赴くままに生きていける。誰かに頼まれたわけでもない割に合わないことを背負って自分の人生を思うがままに行けるのだ。

 

必ず報われる時はくる。善因善果・悪因悪果・因果応報は絶対の理――――――。

 

だからこそ、私は今こそ赤裸々な気持ちを天に御わす主に向かって告白しよう。

 

 

――――――やっぱ、人生なんてクソ喰らえだな!

 

 


 

 

――――――トレセン学園 入試期間

 

 

ザザザ・・・・・・    

 

斎藤T「………………」スッ ――――――ポケットラジオからノイズが強く響き渡る。

 

斎藤T「………………」スッ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の鏡が真実を映し出す。

 

斎藤T「うおっ」ビクッ

 

 

受験に失敗したウマ娘の生霊「うらめしや~」

 

 

斎藤T「……そこのきみ、名前と受験番号は?」スチャ ――――――使い捨てカメラを構える。

 

斎藤T「――――――悔しいだろう。死にたい気持ちになっているだろう」

 

斎藤T「けど、人生はそれで終わりじゃないんだ」

 

斎藤T「悔しかったら、あのオグリキャップのように高等部への編入を狙って地方で実績を積んで見返してやったらどうだ?」

 

斎藤T「何にせよ、きみにはまだ高等部に入る二度目のチャンスが残されている」

 

斎藤T「入学早々にスカウトされてメイクデビューを果たして一生に一度のクラシック戦線で華々しい活躍をする所謂“エリートウマ娘”になることを義務付けられているなら、誰の迷惑にならないところで親の言いつけ通りに自害して果てればいい」

 

 

斎藤T「――――――甘ったれたことを言うな!」

 

 

斎藤T「合格者数には定員がある。きみが合格したらきみの代わりに誰かが定員から漏れるだけで、こうして代わりの誰かがここにずっといることになるんだぞ」

 

斎藤T「弱肉強食は宇宙の法則だ。我々は常に何かを犠牲にした対価によって生きていられることを忘れるな。そのことへの感謝を忘れてはいけない」

 

斎藤T「ともかく、ここにいるのは学園にとって迷惑だから、次は堂々と高等部への編入を果たして闊歩しろ」パシャ

 

 

――――――さもなければ、私の夢に協力してもらおうか?

 

 

現在、私は2月の地獄週間の真っ只中にいた。

 

理由は明白。国民的スポーツ・エンターテインメントの夢の舞台であるトレセン学園への受験に失敗してこの世の未練を目に見えない世界にベットリとくっつけて去っていく負け組受験生の後始末をしているからだ。

 

全国各地の脚自慢が我こそはと名乗り出て高倍率の受験率となっているのだから、そりゃあ夢の舞台の入門テストになる受験に対する意気込みも人それぞれで天と地ほどの差があった。

 

最初から自分には無理だったと納得して帰る子もいれば、自分が夢の舞台の主役であると信じて疑わずに現実を受け容れられずに崩れ落ちてしまった子もいれば、この受験に全てを賭けて精も根も尽き果てた子もいるぐらいなのだ。

 

正式な通知は他校の受験のためにも翌週には届くようにはなっているが、その場に居合わせた他の受験生との試験レースの結果は実際に走った自分が誰よりも理解しているのだから、全ての試験が終わる前に心が折れた受験生への配慮としての途中退場も認められていたぐらいだった。

 

そして、『思いは重い』というわけで、重い思いが目に見えない重力を発生させ、目に見えない世界と表裏一体の目に見える現実を静かに歪めていくことになる。

 

ただ、霊魂から分離して魂のない霊は具体的な主体性を失った力となって同じ波長を持つ波と一体化していくうちに独自の霊体を形成していくようになり、それが裏世界においては妖怪となって表世界の住人にちょっかいを出すようになるのだ。

 

なので、私は2月の受験シーズンから災いの種が蒔かれているのを座視するわけにもいかず、学園裏世界で確立されたノウハウを用いて、今年の受験生たちの無念を浄化する無料奉仕活動(ボランティア)に勤しんでいた。

 

正直に言って、他にもやりたいことがあるのに、トレセン学園に門前払いされた受験生たちの面倒を見なくてはならないことに理不尽さを覚えながらも、

 

現実には夢の舞台の門を通ることなく肉体はトボトボと帰っていっても、生霊はきっちりと残していって その場にいる生者たちに悪影響を及ぼしていくのだから、始末に負えない。

 

そう、23世紀の人間のコミュニケーションの常識として『一念を大事にする』というものがあり、目に見えない世界での悪態はいずれ現実世界に悪影響を及ぼすことが常識として備わっているために、自分自身の幸福のためにも自分自身に跳ね返ってくる悪想念を生まない努力や習慣をするわけなのだ。

 

だから、勝負の世界を生業にして実績を叩き出す義務があるとしても、心のゆとりを保つために勝ち負けに拘らずに純粋に楽しめる趣味を23世紀の人間は誰しも持つようになっている。

 

少なくとも、相手にどれだけ非があろうと、立場上 叱りつける必要があるにしても、最後には他人を傷つける言葉や場の雰囲気を悪くする態度を心からお詫びして、『終わりよければ全てよし』となるように附祝言をするのだ。

 

そうすることで最初と最後をポジティブな想いで繋ぐことができ、その過程がネガティブな想いで満たされていようと最後はポジティブな想いで次の最初に人生を進めることができるようになる――――――。

 

 

そうなのだ。私はこうして夢の舞台からトボトボと去っていく受験生たちの生霊を元の肉体へと助霊していく中で毒を盛っているのだ。

 

 

『毒を以て毒を制す』とは言うが、私の場合は『毒を盛っている』側になっており、こうして悪霊祓いの資格と能力を持つ祭司長の私がトレセン学園に蟠る生霊たちに辻説法できる機会に利点を見出していた。

 

要は、夢の舞台に入ることを許されずに家路に就いたウマ娘やその家族が不幸な出来事で天に召されない限りは今後も国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』との縁を切ることはない――――――。

 

そこで、これから私の担当ウマ娘がメイクデビューをする際にメディア露出も当然あるわけなので、生霊を相手に事前に“斎藤 展望”の顔や声を憶えさせて潜在的なファン層に取り入れようという大胆にして地道な宣伝活動をしているわけなのだ。

 

少なくとも、現実には面識のない相手であろうと ここで結ばれた縁は普遍的無意識で繋がっているので、はたしてどれほどの宣伝効果になるかは未知数ではあるが、そういうふうに利点(メリット)を見出さないと 正直に言って この助霊の無料奉仕活動(ボランティア)はやってられないものがある。

 

 

――――――なぜなら、やはりメスしかいないウマ娘の生霊よりもヒトしかいない父親の生霊の方が強烈だったからなのだ。

 

 

ウマ娘は“ヒトがウマになった”その亜人特有の野性と闘争本能からとにかく走ることが大好きであり、勝負事には強く熱中する一方で、その分だけ勝ち負けに潔い傾向があると分析される。

 

何しろ、白黒つける方法が至極単純な競走なのだから、そこに小細工が介入する余地はあまりにも少なく、優劣は歴然としたものになるので言い訳などしようがない。

 

しかし、それだけに競走への執着心は種族としてヒト以上であったとしても、勝敗への執着心は抽象概念や複雑怪奇な思考が発達しているヒトの方が圧倒的に上であるために、ウマ娘の競走の価値をつけるのは常にヒトであったのだ。

 

そして、メスしかいない種族であるが故にヒトの男性の精を受けなければ種の存続が不可能なウマ娘はそれだけにヒトの男性から精を絞り出すために時代ごとに敏感に男性に媚びるように進化してきた歴史もある。

 

その伴侶ともなるヒトの男性にとって、基本的人権の尊重によって“第3の性”という建前はあるものの、実際にはヒトを凌駕した身体能力を誇る異種族であるウマ娘を伴侶として自分のものにできている支配欲は“距離感がバグる”という表現に代表されるようにどんどん深みにのめり込ませるものとなっている。

 

それだけに、ウマ娘の父親になったヒトの男性というものは我が子が一番だという親馬鹿になりやすいらしく、母親になったウマ娘が年頃に育った娘のことを新たな競争相手としてやがて敵対心を抱く傾向にあるのとは対照的である。

 

たしかに、種の存続の観点から言えば、父親が次代を担う娘のことを一番に思うようになった方が生存戦略では有利になるわけで、母親が年頃の娘に敵対心を抱くようになるのも身近な相手と競争心を煽ることで成長に繋げられるので、実に理に叶った異種族共生社会の家族の生態だと言わざるをえない。

 

しかし、それが自らの理性によってあらゆる暴力や差別を律して地球上の誰とでも手を取り合って地球圏統一国家を築ける真の文明人でもない限りは、人類全体として悪い方向に行くのも自明の理である。

 

 

――――――孔子やお釈迦様が理想の教えを説いて、いったい何年が経っていると思っているんだ?

 

 

斎藤T「……もう嫌だぁ」グデー・・・

 

斎藤T「……あんのクソ親父どもがぁああああ! そりゃあ、我が子が可愛いのは当然だろうが、過保護にも程があんだろうよ!」

 

斎藤T「……全寮制の学校だって情報公開されているだろうがよぉ!」

 

斎藤T「……そりゃあ、一時は学生寮の建て直しの都合もあって自宅通学ができた時期もあるにはあったけどさ!?」

 

斎藤T「……全体的に自分の娘に期待を寄せる母親(ウマ娘)もいるにはいるけど、圧倒的に父親(ヒト)が目に見えない世界でモンスターペアレント化している割合が高すぎんだろう!?」

 

斎藤T「もう裏口入学でいいだろうがよ! 全てのウマ娘の頂点に立つためには脇役も不可欠なんだからさ! 試験レースの結果だけ見て あきらめるのは早すぎるだろうが!」

 

 

斎藤T「ホント、夢の舞台の運営はそういった自分の娘に期待を寄せる親のエゴ(財布)によって賄われているわけだから、公営競技の人気商売というのもなかなかに罪作りなものだ……」

 

 

斎藤T「でも、これで少しはスッキリしたか?」

 

斎藤T「また、使い捨てカメラのロット単位での発注をしなくちゃだな」

 

斎藤T「……ん?」ゴロゴロ・・・ ――――――キャリーカートに満載の使い捨てカメラ。

 

 

織田T「よう、こんなに大量の使い捨てカメラなんて運んでどうしたんだ、トレーナー?」 ――――――やや着崩した身形に熱意と野心を感じさせる成人男性。

 

北斗T「もしや、あなたも“同業者”?」 ――――――非常に気が強そうな秘書の身形をした成人女性。

 

 

斎藤T「……トレーナーバッジ。見ない顔」

 

斎藤T「――――――いや、あれは中央のものじゃない?」

 

織田T「ああ。俺たちは 元 中央(ここ)のトレーナーってところだ」

 

北斗T「そして、夢の舞台に入ることが許されなかったウマ娘たちを勧誘しているの」

 

斎藤T「日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称:中央トレセン学園はURAが管轄するものでは日本最高峰のレベルのスポーツ校――――――」

 

織田T「ああ。日本だけじゃなく世界が注目している『トゥインクル・シリーズ』の参加資格を得られるのは中央だけじゃないというわけさ」

 

北斗T「『トゥインクル・シリーズ』に出走して優勝したいなら、URA所属のトレーナーが所属する公認団体からの参加もできるわけだから」

 

北斗T「中央の利点は言うなれば世界最先端のトレーニング環境とトレーナー陣というわけ。なら、それが用意されている環境と人材が整っていれば、中央にこだわる必要はどこにもない」

 

斎藤T「なるほど。中央トレセン学園の寡占状態が緩和されれば、『トゥインクル・シリーズ』で活躍できる機会が広くもたらされ、新たな競争と発展がもたらされるわけか」

 

斎藤T「――――――そういう救済の在り方もアリか」

 

織田T「お、話がわかるじゃないか、トレーナー。お前も中央のやり方に不満を持っていたか」

 

北斗T「あなた、中央にいるのがもったいないわね」

 

北斗T「ねえ、才能を持て余してない? 私たちの団体に来ない? この数年でG2格まで昇り詰めた新進気鋭のトレセン予備校に転職しない?」

 

 

斎藤T「パンフレットや資料をくれないか。一考の価値があるかもしれない」

 

 

織田T「渡してやれ、北斗T」

 

北斗T「どうぞ、これが私たちの横浜トレセン予備校“根岸校”です」

 

斎藤T「……どこ? そういえば東京競バ場のG3レースに『根岸ステークス』なんてあったような?」

 

織田T「おいおい、横浜(ハマ)の南海岸のことだぞ、根岸ってのは。他にも神奈川県は関東随一の喧嘩っ早い連中の集まりで、いろんな少年漫画の舞台になっているから読んでおけよ。だから、賭け事も大繁盛でね」

 

織田T「そしてな、それだけじゃねえんだぞ、根岸は」

 

北斗T「幕末の黒船来航によって開校された横浜で展開された日本で初めてもたらされた近代ウマ娘レース『居留地競バ』の舞台であり、日本の近代ウマ娘レースの発祥の地でもあるのです」

 

北斗T「かつての大戦の影響で閉鎖されることになり、各地の競バ場の近代化改修の波にも乗り遅れ、『根岸競バ場』は正式に中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の管轄から外れて、根岸森林公園と根岸競バ記念公苑となってしまいましたが、」

 

北斗T「URAの管轄から外れて遺構となって残り続けた『根岸競バ場』を文化財として保存活用するように求める声が上がり、そこを我々が『トゥインクル・シリーズ』での賞金を元手にして買収・整備したのが 現在 G2格となる横浜トレセン予備校“根岸校”というわけです」

 

織田T「つまり、俺たちのバックについているのは『居留地競バ』で日本で初めて近代ウマ娘レースの華々しさを目に焼き付けることになった 先祖代々 横浜(ハマ)の根っから競バ好きってことなのさ」

 

織田T「それに、昔は『札幌・函館・福島・新潟・中山・東京・横浜・中京・京都・阪神・小倉・宮崎』の12の競バ場で中央競バが開催されていたのに、九州の片田舎の宮崎はともかく、横浜がいつまでも除外された扱いなのに地元民は我慢ならないわけでな」

 

織田T「日本競バの発祥の地:横浜根岸だぞ! 蔑ろにしやがって!」

 

織田T「そんなわけで、設立して10年にもならないが、歴史と伝統ある『横浜競バ場』をホームグラウンドにしてるURA公認の横浜トレセン予備校“根岸校”は今やG2格になって立派に繁盛しているぜ」

 

斎藤T「それは将来性に期待できますね。これからのワークアンドライフバランスを重視した生活様式を考えるなら、全寮制ではなく、予備校というスタイルで重賞レース制覇を目指すのも新しい時代の在り方ですね」

 

 

斎藤T「ひとまず、これからのお付き合いとして、少ないですが100万円の小切手をどうぞ。仲良くしましょう。より良い未来を共に創り出す者同士として」ビリッ ――――――その場で小切手を切った!

 

 

織田T「うおおっ!? お前、新人トレーナーだろう? 担当ウマ娘を勝たせたわけでもないのに、よくポンと出せるもんだな! 気に入ったぜ!」

 

北斗T「少なくとも、メディアであなたの顔を見たことがないので無名のはずですが、これは将来が期待できますね」

 

斎藤T「ええ。理事長に悪いですが、健全な競争(Friendly competition)がなくては組織の新陳代謝は促されることはありませんからね」

 

 

こうして『災い転じて福となす』――――――、

 

トレセン学園にいつまでも居座って未練がましい態度を取り続ける生霊たちをぶん殴りたい気持ちを抑え込んであるべき場所に送り返した後、アメとムチということで意外な出会いがもたらされた。

 

そして、今年から始まった『URAファイナルズ』に出走する担当ウマ娘の調整のために一般的にはオフシーズンとして休暇が奨励されていた受験期間中に残るトレーナーは多くはなったが、

 

受験期間中にまだ見ぬ未来のスターウマ娘である受験生たちへトレーニング施設やレース場が割り当てられていることを嫌って、遠征や自主トレにして結果として例年通りに学園を離れているトレーナーがそれでも多かった。

 

そんな中、自分の実力を知って失意の底に叩き落されて学園を後にする未来のスターウマ娘になりそこねたウマ娘たちを勧誘するURA公認の団体があった。

 

それはトレセン予備校と呼ばれているものであり、トレセン学園とはちがって学校教育は担当しないので 指導をする教官と出走権を与えるトレーナーだけで構成されている 純粋に走ることにだけ特化したアスリート養成校となっている。

 

一般的には『トゥインクル・シリーズ』への出走権を得るには東京(府中市)の中央トレセン学園しかないと錯覚するぐらいに、中央の知名度と実績が抜群ではあるのだが、

 

中央トレセン学園もまたあくまでも『トゥインクル・シリーズ』への出走権を与えられている団体の1つに過ぎず、探せばトレセン予備校なるものから出走権を得る道が存在するし、地方トレセン学園での鬼神の如き活躍で高等部に編入する脇道も存在するのだ。

 

他にも、頂点のウマ娘を誕生させるために踏み台になるべき脇役の存在も大量に欲しいわけなので、試験レースでの戦績が散々であっても心が折れずに学資金の宛があるのなら裏口入学も広く認められているのが黄金期で総生徒数2000名弱を記録したトレセン学園の実態なのだ。

 

つまり、脚自慢のウマ娘たちが勝てないことに心が折れて自ら勝負の世界から下りようとしなければ、道はいくらでも開かれているのだ。――――――籍を置くだけなら。

 

そのことをどれだけ知っているかによって、こうして無関係な私が夢破れた敗残兵の処理に追われずにすむのだ。

 

そういう意味では私は中央トレセン学園の理事会とは馬が合わないはずだ。実質的な商売敵とこうして縁を結んだのだから。

 

 

しかし、WUMA襲来の()()()()()を回避するためにタイムパラドックスを目的とする丙種計画とは対照的に日常の裏側に潜む悪意を言向け和す丁種計画というのも表裏一体で決して手を抜けないものである。

 

 

何しろ、この世に悪があるとすれば、それは悪を知りながら善を果たせない人の心そのものなのだから。

 

この宇宙の中心で蠢く白痴の塊(アザトース)とはまさしく人類が存在していく上で避けられない自分たちが生み出していく業に他ならない。

 

しかし、それは同時に見方を変えれば善でもあるし、そうではないと言いきることさえ可能である。

 

そして、一番に最も恐れるもの、勝たねばならない敵、それは自分の心であり、自分自身の認識が事象の世界での全ての原因と結果の糸を紡いでいるのだ。

 

それが23世紀の宇宙移民たちが胸に刻んで広大な宇宙で孤独に至らない『一にして全、全にして一(ヨグ・ソトース)』になり得るのだ。

 

だからこそ、『自灯明、法灯明』と言い遺したようにお釈迦様は神の如く言うのだ。

 

 

――――――天上天下唯我独尊(アルファ・オメガ)

 

 

あるいは、孔子の『修身斉家治国平天下』にあるように、まずは自分自身が極まっていなければ法:神の叡智も悪魔の囁きによって、たちまちのうちに俗悪に堕ちてしまうことだろう。

 

自分自身が世のため人のために何をなすべきか天命を悟り、その天命に生きられることを至上の喜びとした叫びが『天上天下唯我独尊』なのだと23世紀の宇宙移民の私はそう教わっている。

 

つまり、認識の世界においては自分自身が世界の中心であるわけなので、その世界の理である自分自身が一番に尊い存在であるのは実は至極当然の話でもあるのだ。

 

自分を大切にできない者に他者に施しを与えることなどできない。あるいは、自分で“自分”を客観視してその時々の“自分”の目的に沿った動きができないような自律心のない未熟者に救える者などない。

 

問題は自分自身の世界以外にも無数に存在する世界との繋がりをどうしていくのかという多面的かつ多元的な視点が必要になるわけであり、他人との付き合いもまた自分自身の世界にどう取り入れていくかという永遠の課題が突きつけられている。

 

思えば、光の速さですら達することができない だだっ広い宇宙の無限に広がる虚無の空間に価値を見出せない人間には宇宙移民は向かないのと同じはずだ。

 

あるかどうかも行ってみないことにはわからないシュレディンガーの猫の状態の新惑星を求めて流離う宇宙移民の旅の空虚な日々を満たすのは常に創造性と発展性に満ちた日々であり、自ら価値を創造できない人間はただ退屈で死んでいくだけである。

 

 

 

――――――トレセン学園/トレーナー寮

 

 

斎藤T「――――――トレセン予備校か」ゴロゴロ・・・ ――――――使い捨てカメラ満載のキャリーカートを押す。

 

斎藤T「選択肢は多い方がいいからな。保険を掛けておくのも悪くない」

 

斎藤T「この調子で船橋トレセン学園のWUMA共を一掃する手立てが見つかればいいがな……」

 

斎藤T「そして、来週は高等部()の敗残兵の処理となるわけだな。『高等部()がある』と気軽に言える中等部よりも気が重たくなる……」

 

斎藤T「けど、トレセン予備校を紹介する選択肢もできたわけだし、これは良い天の采配じゃないか」

 

斎藤T「ともかく、生者の足を引っ張る魑魅魍魎を私が祓わないとかぁ……」

 

斎藤T「まあ、これも甲種計画を頂点にして丁種計画を土台にした私の計画であるからなぁ……」

 

斎藤T「お」

 

 

ライスシャワー「あ、おかえりなさい、斎藤T!」

 

飯守T「遅かったじゃないか、斎藤T。何してたんだ――――――って、そのキャリーカートいっぱいの使い捨てカメラは!」

 

斎藤T「まあ、そういうことですよ」

 

ライスシャワー「……?」

 

飯守T「そっか、明日で中等部の受験も最終日だもんな。そりゃ、いろんなものがこのトレセン学園に溜まっていくよな」

 

斎藤T「できれば、ERTにそういったことをお願いできる人材がいればいいんですけどね」

 

飯守T「そうだな」

 

ライスシャワー「あの……」

 

飯守T「あ、そんなことよりもだ!」

 

飯守T「ほら、ライス!」

 

ライスシャワー「うん! お兄さま!」

 

 

ライスシャワー「どうぞ、ハッピーバレンタイン! 斎藤T!」

 

 

斎藤T「ああ、ありがとう。そっか、今日は02月14日:バレンタインデーってやつか」

 

飯守T「ライスお手製の栄養満点の五穀米のパフチョコレートだからな!」

 

斎藤T「おお! 栄養を考えたチョコバーなのはありがたい!」

 

ライスシャワー「それと、これ、ブルボンさんからの!」

 

飯守T「こっちは才羽Tの力作:フルーツチップスや野菜チップスのチョコチップスだぞ」

 

斎藤T「おお! さすがは才羽T! 一捻り一手間を加えている!」

 

ライスシャワー「それで、最後はミークさんからです!」

 

飯守T「いや~、桐生院Tも初めてのチョコ作りでだいぶ苦戦していて、ミークが大部分を作った感じになってて大変だったけど、一緒に楽しくチョコ作りができたぜ、今日は」

 

斎藤T「そうでしたか」

 

飯守T「桐生院T、だいぶ吹っ切れた感じになって、才羽Tと笑い合うことができていたぜ」

 

斎藤T「それはよかった」

 

飯守T「で、日頃の感謝のお礼ってことでお前には愛情たっぷりのチョコだってさ」

 

斎藤T「いい先輩にめぐりあえて私も嬉しいですよ」

 

飯守T「で、中身はチョコレートソースをかけたパウンドケーキだから」

 

斎藤T「じゃあ、それからいただこうかな」ヒョイ

 

ライスシャワー「わあ!」

 

斎藤T「うん、美味しい」モグッ

 

斎藤T「いろんなドライフルーツが散りばめられているから擬似的なフルーツチョコレートのような酸味が程よく広がるね」

 

飯守T「俺も試食したけど、フルーツチップスや野菜チップスの余りを使った割にはよくできていてビックリだったよ」

 

斎藤T「うん。ごちそうさま。掛け値なしに愛情たっぷりで大変美味でした」ペロリ

 

飯守T「へへ、一流のパティシエの才羽Tとチョコ作りをした甲斐があったな。桐生院Tも喜ぶよ」

 

ライスシャワー「……?」

 

ライスシャワー「……このチラシって?」パラッ

 

 

ライスシャワー「――――――『横浜トレセン予備校“根岸校”』?」

 

 

斎藤T「あ」

 

飯守T「え、『トレセン予備校』!?」

 

ライスシャワー「あ、ごめんなさい! 勝手に見ちゃって!」

 

飯守T「え、お前、予備校に転職するの!?」

 

斎藤T「まあ、一考の価値はあるかと思ってますけど」

 

ライスシャワー「え、えええええええええええ!?」

 

飯守T「ちょっとまてよ!? これからアグネスタキオンのメイクデビューなんだろう!?」

 

斎藤T「もちろん、私の担当ウマ娘とは最後まで走り抜くつもりですよ」

 

斎藤T「ただ、そもそも夢の舞台に入ることができなかった子たちを『トゥインクル・シリーズ』に走らせることができる場所が他にもあっていいと思ってましてね」

 

ライスシャワー「あ……」

 

斎藤T「それに、『居留地競バ』をルーツにする『横浜競バ場』を建て直して経営されている予備校に入学する未来のスターウマ娘の動向を探る必要も出てきましたから」

 

飯守T「へえ。たしかに、中央トレセン学園以外のURA公認団体から出走している子がいるのは知っていたけど、それでもG1レースに出てくるのは極々稀だったから、学園以外にライバルがいることをすっかり忘れていたな」

 

 

飯守T「じゃあ、これからは中央(ここ)以外の団体からも強豪たちが出てくる可能性があるってわけなのか」

 

 

斎藤T「そうです。今は中央競バと言えば中央トレセン学園(ここ)と名指しされていますが、かつて地方競バ出身で中央の人気を取り戻した伝説:オグリキャップのような存在に足元を掬われる未来がいずれ来るでしょう」

 

飯守T「むしろ、自宅通学を望んでいる子やバカ高い学費に苦しんでいる子たちからすれば、予備校という形態は全寮制の学園生活に合わない子たちにとっては むしろ大歓迎かもしれないな」

 

斎藤T「そうです。これがかつてG1ウマ娘を輩出した実績のある織田Tが中央から独立して横浜に予備校を構えた勝算ですね」

 

飯守T「ああ。中央トレセン学園が最高のトレーニング環境とトレーナー陣に直結している全寮制の中高一貫校であることが利点である名門校に対して、」

 

飯守T「ハイレベルな学校教育が間に合っているなら、後は中央トレセン学園に並ぶ最高のトレーニング環境とトレーナー陣を用意できれば、コストパフォーマンスに優れているのは 断然 予備校になるからな」

 

飯守T「これは全寮制であることやバカ高い学費を嫌う貧乏苦学生や屋敷から通わせたい箱入り娘の強い支持を得るかもしれないな」

 

飯守T「それに横浜だもんな。地方競バで言えば近くに川崎トレセン学園があることだし、そこと提携して中央競バへの出走チケットを握らせれば、根岸と川崎の両方を活気づかせることもできるわけだし、東京に対抗意識を燃やしている神奈川県民にとっては良いこと尽くめだろうな」

 

飯守T「おい、見ろよ。根岸ってスゴく横浜市街に近いぞ。海釣り施設や中華街なんかが近くにあるし、港の見える丘公園とかロケーション最高かよ!」ピッ

 

飯守T「こりゃあ、多摩地域の府中市(ここ)なんかよりもよっぽど通いやすいし、東京にこだわりがないならコスパがいい横浜トレセン予備校に通わせたくもなるな」

 

飯守T「たしか、避暑地とかで有名なの、葉山じゃなかったっけ?」

 

斎藤T「そうですよ。葉山御用邸。嘉仁親王;後の大正天皇陛下が 幼小時 健康が優れず、侍医のエルヴィン・フォン・ベルツが保養地として勧めた場所です」

 

斎藤T「ですので、そうした神奈川県の保養地から通える横浜トレセン予備校の価値は 年々 ますます高まっているわけですよ」

 

斎藤T「なにせ、私立も公立も関係ない予備校ですから、毎回の交通費と中央より格段に安い授業料を払うことができればG1レースの出走チケットを狙えるわけですからね」

 

斎藤T「まあ、もちろん、総生徒数2000名弱のマンモス校になった中央トレセン学園と比べたら小規模ですけど、」

 

斎藤T「それでも、通常の募集枠に加えて中央(ここ)での入試から落ちた子たちに特別枠を設けている辺り、完全に中央にと張り合う気概を出していますね」

 

飯守T「天下の中央トレセン学園に挑戦するライバル団体かぁ」

 

ライスシャワー「………………」

 

斎藤T「あ、ごめんね。長々と」

 

ライスシャワー「あ、ううん。ライスも聴いていたいの。お兄さまや斎藤Tがみんなのためにどんなことを考えているのかをライスも知っておきたい」

 

飯守T「そっか」

 

飯守T「ライスも来年度で高等部だもんな。そうなれば、地方トレセン学園やトレセン予備校からの編入生と同じクラスになるかもしれないことだしな」

 

ライスシャワー「うん。ライス、高等部でも『ライスの走る姿を見てくれる人に希望を与えたい』から」

 

斎藤T「いい子だね」

 

飯守T「いい子だぞ」

 

斎藤T「じゃあ、今日はそういったことについて、いろいろと話し合いましょうか」

 

ライスシャワー「うん!」

 

飯守T「あ、でも、そろそろ学生寮の門限が――――――」

 

斎藤T「そこでビデオ通話ですよ」

 

飯守T「なるほど!」

 

飯守T「じゃあ、グループに参加だ、ライス! 眠くなったら いつでも切っていいからな!」

 

ライス「うん!」

 

飯守T「よし、グループに入ったな。今日のところはおかえり、ライス」

 

ライス「じゃあ、お兄さま! ビデオ通話で!」

 

 

タッタッタッタッタ・・・・・・

 

 

飯守T「さあ、大量の使い捨てカメラを運ぼう」ゴロゴロ・・・ ――――――使い捨てカメラが満載のキャリーカートを押す。

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

飯守T「いや、礼を言うのはこっちの方だって」

 

飯守T「いつもありがとな。俺も手伝いたいから、いつでも呼んでくれよ」

 

斎藤T「そう言うと思ってましたよ」

 

斎藤T「実は、新装備を渡しておこうと思いましてね」

 

飯守T「お、本当か!」

 

斎藤T「はい、これがその新装備です」スチャ ――――――取り出したのはポケットラジオ!

 

飯守T「え、これって、ポケットラジオ……?」

 

斎藤T「近くに妖怪や悪霊がいると悪の波動を受信してノイズが強まる仕様です」ザザザ・・・・・・

 

飯守T「うえええええええええ!?」

 

斎藤T「他にも、同時に妖怪を追い払う魔除けのミュージックの再生機能を追加しているので、霊的に危ないと思った時に鳴らしてください。防犯ブザーとしても使えます」

 

飯守T「い、いいのか、これ!?」

 

斎藤T「いいんです。とにかく、人手が欲しいので、これと思った人材には惜しみない支援をします。頼りにしてますよ」

 

飯守T「……わかったよ。お前には借りがあるからな。これで恩返しさせてくれ」

 

 

ゴロゴロ・・・

 

 

飯守T「しっかし、またこんなにも使い捨てカメラで撮りまくることになるだなんて、これじゃあ毎年の受験シーズンは地獄だな」

 

斎藤T「地獄ですよ。私も散々苦しめられました」

 

斎藤T「それじゃあ、その使い捨てカメラが入ったプラ段はいつもどおりにガムテープで閉じて宅配便に出すので、守衛のところでカートから下ろして置いてください」

 

飯守T「ああ」

 

斎藤T「さてさて――――――」

 

斎藤T「!!!!」ゾクッ

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」ジー ――――――こちらをジッと見つめる黒い影!

 

 

斎藤T「………………」カチッ ――――――ポケットラジオの録音再生機能を使う!

 

飯守T「おお? これが悪霊退散ミュージックか?」 ――――――悪霊退散ミュージックが鳴り響く!

 

斎藤T「………………」

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」スゥーー・・・ ――――――跡形もなく消えていく!

 

 

斎藤T「……効き目はあったか」ホッ

 

飯守T「どうしたんだ、急に?」

 

斎藤T「何でもないです」

 

斎藤T「…………そうだった。メジロマックイーンの和田Tに持たせておく必要があったな、これ」

 

斎藤T「…………またライスシャワー?に化けたオバケに襲われる心配があるもんな」

 

 

――――――人知れず 未来からの侵略者と現実世界の裏側に潜む怪異との戦いの日々は続く。

 

 



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第9話   白熱のアフター・バレンタインデー

-西暦20XY年02月15日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

ようやく2月11日の建国記念の日の祝日を押しての中等部のトレセン学園の入試期間が終了する。

 

来週からは高等部の入試期間――――――、そして、『URAファイナルズ』準決勝トーナメントである。

 

その前日、私は夢の舞台の門を潜ることができずに失意の内に去っていきながら、残念で無念な妄念の後片付けをさせられることになり、この時ほど冠婚葬祭を執り行える祭司長の資格を取っていたことを後悔させられたことはない。

 

しかし、私の苦悶、受験生たちの絶望とは裏腹に、世間では女性がアプローチしたい意中の男性に愛情の告白として本命チョコを贈る習慣があるバレンタインデーでもあった。

 

事実、『URAファイナルズ』準決勝トーナメントや2月の重賞レースに出走する陣営であったとしても、トレセン学園はまだ見ぬスターウマ娘たちの超高倍率の入試期間によって授業を行うどころではないため、実質的な休業期間にもなっていた。

 

それで得られる毎年2月の余暇に2月14日:バレンタインデーが重なっているため、進級や卒業を懸けた期末試験を終えて3月からの激戦の幕開けに備えて英気を養う合間に生徒たちは日頃の感謝や応援の気持ちを表すためにこぞってチョコを贈り合うのであった。

 

それが顕著なのは、自分こそが未来のスターウマ娘なのだと真剣な表情でトレセン学園の正門を潜る受験生たちが集まる校舎側ではなく、生徒以外立入禁止の巨大な住宅団地となっている学生寮側であり、

 

私自身は生徒ではないので未だに学生寮の中を見て回ることはできずにいるのだが、少なからずバレンタインデー当日のSNSでの投稿によってその活況を窺い知ることができていた。

 

そして、トレセン学園の華であるスターウマ娘ともなれば万単位のファンがいるわけであり、学園に通っている我が子や友人を通じて日本各地から手作りチョコが山のように送りつけられ、その圧倒的物量が近所迷惑になることもあり、

 

学生寮という巨大な居住区の1つの中心となっている公会堂にて、有志が一角を借りて そこに気持ちのこもった手作りチョコを集めて整理するようになっていたようである。

 

やがて、それが一種の人気投票企画にもなったようで、それによって自分たちが応援しているスターウマ娘の人気度が一目瞭然になることもあり、手作りチョコの山が競うように無秩序に大きくなっていくのであった。

 

そのため、トレセン学園学生寮の自治を司る自治会の長である歴代寮長はこの状況に規制をかけるようになり、常識的に考えて一個人が持ち帰って食べ切れる量ではなくなったチョコの山の処理の負担を減らすように配慮を生徒会に具申してファンクラブの規則に改定をもたらした。

 

また、無秩序に積み重なったチョコの山が倒壊した時の危険性や、隣のチョコの山にのしかかった時に余所行きのチョコが混同する被害も考えて、

 

ホールケーキが入るぐらいの四角いブロックの中にチョコを入れて積み重ねていけるように規格化されるようにもなり、

 

無秩序に積み重なったチョコの山から一変してチョコが入ったブロックで構成されたお菓子の城が公会堂の中に立つようになり、これがトレセン学園学生寮における季節の風物詩になっていたのだ。

 

 

やがて、この自治会考案の積み重ね可能な四角いブロックの名称は西洋料理で用いる食べ物の温かさや鮮度を保つために皿にかぶせる金属製の覆いに擬えて“クロッシュ”と呼ばれることになった。

 

 

一方で、スターウマ娘を擁する名トレーナーも総生徒数2000名弱に対して1割程度しか居ないこともあって、トレーナーからのスカウトを受けないことには夢の舞台を走ることができないウマ娘からの熱い感情がぶつけられる日でもあった。

 

URAの職員であってトレセン学園の教職員ではないトレーナーは必ずしもトレーナー寮を利用する必要はないし、大人の世界においてはそれが贈収賄になる可能性があるのでチョコの山がトレーナー寮に築かれることはないのだが、

 

それでも、スターウマ娘と同じぐらいに想いを伝えたい名トレーナーにはトレーナー室に自分の担当ほどではない小ぢんまりとしたチョコの山が築かれることにはなった。

 

あるいは、自治会で規格化されたブロック“クロッシュ”に本格派スイーツなどを入れる生徒もいるわけであり、

 

トレセン学園においては自治会で規格化されたブロック“クロッシュ”のレンタルサービス事業が展開されており、それが自治会の主な収入になっていた。

 

規格化されて様々なカラーリングが用意されている“クロッシュ”は包装してプレゼント箱にすることも許可されており、QRコードを読み取れば誰が誰宛にどういうメッセージを持って送り出したものなのかがはっきりわかるようにもなっていた。

 

そして、重要なのは消費期限の表示であり、元々が全国各地から学生寮宛に送りつけられるチョコの置き場所の安全と品質の管理のために規格化された“クロッシュ”であるので、内容物の消費期限に関しては極めて厳しい規定が施されていた。

 

更に、最新式の“クロッシュ”になると、やや重いが 電子錠によって送り主が設定したパスワードを入力しないと開かない仕掛けになっているので、これによって内容物とプライバシーの保護が強固となっていた。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

 

アグネスタキオン「おお、この“クロッシュ”はハヤヒデくんとブライアンくんからだね。律儀なものだ」

 

アグネスタキオン「中身は――――――」

 

斎藤T「こっちは“皇帝”シンボリルドルフからか……」

 

アグネスタキオン「おやおや、全てのウマ娘にとって憧れの存在である“最強の七冠ウマ娘”からチョコを貰えるとはねぇ」クククッ

 

斎藤T「まあ、トウカイテイオーやメジロマックイーンの名義で岡田Tと和田Tからも感謝の印をもらっているけどね」

 

アグネスタキオン「ライスシャワー、ミホノブルボン、ハッピーミークといったスターウマ娘からももらっただろう、昨日 手渡しで」

 

アグネスタキオン「きみ、世間の人間から見たら羨ましいを通り越して嫉妬のあまりに刺し殺されるかもねぇ?」

 

斎藤T「うん、正確にはライスシャワーが代表してだけど、その場で口にした桐生院先輩とハッピーミークが作ったフルーツパウンドケーキは美味かったな」

 

アグネスタキオン「う、ううん……? これはまさかの“女帝”エアグルーヴからの“クロッシュ”じゃないか、トレーナーくん?」

 

斎藤T「え、どれどれ?」

 

斎藤T「――――――」ジー

 

アグネスタキオン「わざわざバレンタインデーに“クロッシュ”を送ってきてくれたんだ。メッセージには何て書いてあったんだい?」

 

斎藤T「ああ、アグネスタキオンのメイクデビューを祝う言葉と担当トレーナーとしてその手綱をしっかりと締めて各方面に迷惑を掛けないようにと」

 

斎藤T「それと、『先代のように甘くはないから、そのつもりでいろ』という有り難い忠告だな」

 

アグネスタキオン「そうか。わざわざ“クロッシュ”のレンタル代に手作りチョコを添えて、こんな形で忠告してくる辺り、彼女も律儀なものだねぇ」

 

斎藤T「そうだな。偉大なる指導者であった“皇帝”の後を継ぐ“女帝”としては何から何まで比較されて本当に辛い1年間になるだろうからな」

 

斎藤T「せめて、来年度の『URAファイナルズ』で有終の美を飾れるようには支えてやる義理はあるかな」

 

アグネスタキオン「そうだね。それが私からの“皇帝”シンボリルドルフへの義理立てでもあるねぇ」

 

斎藤T「おや、まさか、そんな殊勝な心掛けがアグネスタキオンにできたとはな」

 

アグネスタキオン「きみ、私のことを血も涙もない冷血動物だと勘違いしていないかい? さすがにそこまで冷酷非道ではないぞ?」

 

 

斎藤T「だったら、チョコレートの体臭にする手作りチョコを渡してきたことへの釈明は?」

 

 

アグネスタキオン「いや~、いいモルモットだよ、きみは!」

 

斎藤T「たしかに疲れた身体には優しいミルクチョコレートで、おそらくは疲労回復効果のあるスパイスも混ぜてくれていたんだろう? 掛け値なしに美味かったよ!」

 

斎藤T「けどな! そのせいで『風に乗って受験生たちの集中を乱す』ということで駿川秘書に外出禁止にさせられているんだぞ、今!」

 

アグネスタキオン「まあまあ、退屈になったのなら ここから百尋ノ滝に行けばいいのだし、昨日は満足に確認できなかった“クロッシュ”を見る時間がとれたのだし、何も損などしていないだろう?」

 

斎藤T「あ、わかった! 疲労回復効果のあるスパイスが混ざったドリンクって臭いがアレだから、それが鼻につかないようにチョコレートの臭いを強烈に強化した結果がアレなんだろう!? どうもありがとなッ!?」

 

アグネスタキオン「おやおや、さすがだね、モルモットくん」

 

アグネスタキオン「実は、そうなんだよ。自然な臭いにするためにスパイスの臭いを打ち消すようにチョコレートの臭いを強めた結果、体臭をチョコレートに変える大発見をしてしまってだねぇ」

 

斎藤T「……うーむ、一時的に体臭を変化させられる薬か。内分泌によって香水よりも長く効果を得られるわけだが使い所を選ぶな、これは」

 

斎藤T「けど、魔除けや虫除けの香を体臭にすることができれば、かなり作業性が上がるだろうな」

 

アグネスタキオン「すぐに実用性を見出すとはさすがだね。そうでないと」

 

アグネスタキオン「ということは、今度は除虫菊に含まれる殺虫成分:ピレトリンの体臭を発するチョコレートを作ればいいのかな?」

 

斎藤T「……いや、その前に石鹸だとかハーブの香りがする無難なものから安定した発現性と時間設定のものを作ろう。これだと臭いがキツすぎるし、長すぎるのも問題だ」

 

アグネスタキオン「そうか。それもそうだね。今後の参考にさせてもらうよ」

 

 

アグネスタキオン「ああ、やっぱりいい! やっぱりいいよ、モルモットくん! きみは最高のモルモットだよ!」

 

 

斎藤T「どうした、急に?」

 

アグネスタキオン「いや、改めてきみという“門外漢”とこうしてトレーナー契約を結んで、ギリギリまで待つことを選んだメイクデビューの最後のチャンスを掴めたことに、思うところがあってね」

 

アグネスタキオン「それに、私はウマ娘の神秘を追究する研究者で、自分の興味の赴くままに没頭する私の研究成果に実用的価値を次々と与えてくれたのはきみなんだ」

 

アグネスタキオン「だから、私としてはきみを手放す気は毛頭ないのさ」

 

 

――――――さもないと、他の誰かにきみを奪られてしまうからね。

 

 

斎藤T「まあ、当然だな」

 

アグネスタキオン「言い切ったね」

 

斎藤T「そりゃそうだ。人の上に立つということは下々を掌握するために最低限の知識と理解を持って一定の万能性を有さなくてはならないからな」

 

斎藤T「組織という不特定多数の法人に注がれていた能力を特定の個人にだけ使い切ることになったら、そりゃあ何をしたって一角の人物になれるさ。コツさえ掴めば何にだって成功体験は応用できる」

 

斎藤T「能力を磨くというのは責任の重圧に耐えていくうちに本当の実力が身につくわけで、地球の重力から解放された筋肉や骨がすぐに衰えてしまうことを考えれば、成長のためには圧力は不可欠だ。それが自然の法則だ」

 

斎藤T「逆に言えば、本物になりたいのなら安住を捨てて自らを窮地に追い込む他ない」

 

斎藤T「そうした宇宙の真理を説いているのが老子の教えだ」

 

 

学を為せば日々に増し、道を為せば日々に損ず 

 

これを損じて又損じ以って無為に至る 

 

無為にして為さざる無し

 

 

斎藤T「まあ、『商人は損していつか倉が建つ』『商人は損をして得を取れ』と言い換えれば、俗的な理解に繋がるか」

 

斎藤T「私が思うに、ウマ娘:アグネスタキオンは所謂“エリートウマ娘”の道を捨てて、退学処分の瀬戸際を歩きながらも4年間ジッと忍耐を重ね続けてきたわけだから、それも無為にして為した結果と言えるのだろうな」

 

斎藤T「そういう意味でも、私が選ぶならアグネスタキオンだっただろうな」

 

アグネスタキオン「そうかい」

 

斎藤T「もっとも、それはアグネスタキオンのことを十分に知っていることが前提だ」

 

斎藤T「部活棟の化学実験室に引き籠もっていたお前の許に向かう偶然がなかったら、お前はそのまま退学処分になっていた」

 

アグネスタキオン「でも、きみは来てくれただろう? そうして今、トレーナー室に私ときみは一緒にいる」

 

斎藤T「賢者ケイローンは言った」

 

 

――――――部活棟に向かうんだ。そこで“きみの運命”と出会える。

 

 

アグネスタキオン「そして、私という“運命”に出会えた」

 

斎藤T「アグネスタキオンという“約束された三冠バ”を口説き落とせない 口ばかりのベテラントレーナーたちはこれを機に己を磨くことだな」

 

斎藤T「コモディティ化した白物家電業界は少しでも顧客に注目してもらえるように懸命に差別化を図って独自の進化を遂げているんだ」

 

斎藤T「いや、日本の優れた精密工業を支えている下請け業者だって、他の業者に仕事を取られないように日々の研究で改良を重ねてきているんだ」

 

斎藤T「同じように、ウマ娘を育てるだけのトレーナー業界もまた、大きな個性を光らせて差別化ができるようにならないとな」

 

 

アグネスタキオン「そのために、きみは()()()()()()()()になるわけかい?」

 

 

斎藤T「いかにも。黒船来航以来の幕末の激動から世界に冠たる明治維新の原動力になったのは外圧だ。危機感だ。同胞意識(愛国心)だ」

 

斎藤T「私は黄金期によって絶頂を迎えた中央トレセン学園を絶望に叩き落として脱皮を促すつもりだ。失敗すれば、脱皮不全になって そのまま滅びるだけだ」

 

斎藤T「まあ、これしかないんだ。“帝王”トウカイテイオーの全盛期に準じる能力を4年間で蓄えた最強のウマ娘:アグネスタキオンとの勝負から逃げ出さないようにするためには、敵の存在を通じて中央のプライドを煽るしかない」

 

斎藤T「私はそのための有用なコネクションを 昨日 手に入れることができた」

 

 

アグネスタキオン「――――――横浜トレセン予備校“根岸校”か」

 

 

アグネスタキオン「まあ、知らないわけじゃない。私もいつまでもトレセン学園にいられると思っていたわけじゃないから、国の内外問わず いろんな団体の情報を集めていたからね」

 

アグネスタキオン「しかし、そうか。きみは横浜に興味を持ったわけか」

 

アグネスタキオン「元が中央から独立したトレーナーたちが中心になっているだけに、設立して10年足らずでG3ウマを数多く輩出してきた新進気鋭で、中央に入れなかった子たちの勧誘に熱心だったし、G2レースで好走を果たした子たちも多く見られるようになってきたからね」

 

アグネスタキオン「たしかに、東京に対抗するなら横浜は申し分ないだろう。近隣の川崎トレセン学園とも提携することも容易で、歴史的にも『横浜競バ場』の復活を心待ちにしていたファンも多いからね」

 

斎藤T「そうだ。これでお前が主役のレース開催は確実なものとなった。トレセン予備校という団体を利用することでね」

 

アグネスタキオン「つまり、私の実力を恐れて中央のウマ娘たちが出走回避するようになったら、G1格への昇格を狙う横浜トレセン予備校のウマ娘たちを出走させてレース開催に持ち込むという駆け引きができるようになったというわけだね」

 

斎藤T「そういうことだ。天下の中央トレセン学園に所属していることに胡座をかいていると、かつての暗黒期のように地方競バ出身のオグリキャップに中央競バの人気回復を託すような事態を再び招くことになる――――――」

 

 

コンコン・・・!

 

 

アグネスタキオン「おや?」

 

斎藤T「……まだお昼時には早いし、今日で最後になる中等部の入試も始まったばかりの時間だぞ?」チラッ

 

アグネスタキオン「――――――」コクリ

 

斎藤T「どうぞ」ガチャ

 

 

ソラシンボリ「ハッピーバレンタイン! 斎藤T!」

 

 

斎藤T「ソラシンボリ!?」

 

ソラシンボリ「はい、ソラシンボリです! 斎藤T!」

 

斎藤T「このイタズラ者め。一度来たことがあるからって、関係者以外立入禁止の場所になっているだろう、ここは」

 

ソラシンボリ「だって、これからお世話になるのに、昨日は入試だったから――――――」エヘヘ・・・

 

 

ソラシンボリ「…………物凄くチョコレートの甘い臭いがしますね、斎藤Tって」

 

 

ソラシンボリ「チョコレートの食べ過ぎですか?」

 

斎藤T「いや――――――」

 

アグネスタキオン「ほほう! いい筋肉だ!」ガバッ!

 

ソラシンボリ「きゃっ」

 

アグネスタキオン「きみが噂のソラシンボリくんかい! 歓迎しようじゃないか! ようこそ、私のラボへ! 私がアグネスタキオンだ!」

 

ソラシンボリ「あ、はい。はじめまして、アグネスタキオンさん」

 

斎藤T「……えらく上機嫌だな」

 

アグネスタキオン「いや~、なんだか 一目見た瞬間 他人のようなそうでないような気がしてねぇ」

 

アグネスタキオン「なんというか、スカーレットくんに近いものを強く感じるよ、きみからは」

 

ソラシンボリ「ダイワスカーレットさんのことですか?」

 

アグネスタキオン「うん、そうそう。スカーレットくんは間違いなく“女帝”の後を継ぐ存在になるだろうから、きみも将来有望だねぇ!」

 

ソラシンボリ「ありがとうございます!」

 

斎藤T「きみ、昨日が入試だったんだろう? 家に帰らなくていいのかい? 親御さんは?」

 

ソラシンボリ「あ、大丈夫ですよ。タキオンさんのライバルになるだろう“エリートウマ娘”の候補を見定めるためにシリウスさんが連れてきてくれましたから」

 

斎藤T「……ここまでシンボリ家の形振り構わない姿勢を見ていると『名家』も『名門』も本当に同じ穴の狢だな」

 

斎藤T「まあ、とりあえず 保護者同伴なら、ここで預かることにはするけど……」

 

アグネスタキオン「ああ。さあさあ、こっちの席だよ、ソラシンボリくん」

 

ソラシンボリ「はい」

 

ソラシンボリ「――――――」キョロキョロ

 

ソラシンボリ「あ」

 

斎藤T「ああ、これはトレセン学園名物のバレンタインデーの贈り物で、トレセン学園学生寮自治会考案の“クロッシュ”という規格のプレゼント箱だよ」

 

斎藤T「こんなふうにトレセン学園内では“クロッシュ”という社内便のようなもので運送する配達サービスとレンタルサービスが事業化されているんだ」

 

斎藤T「たとえば、この“クロッシュ”のQRコードを読み込んでみて」

 

ソラシンボリ「はい」スチャ

 

ソラシンボリ「あ、これって――――――」

 

斎藤T「うん。“最強の七冠バ”シンボリルドルフからのバレンタインデーの贈り物だ」

 

ソラシンボリ「凄いです! “皇帝”シンボリルドルフから直々にチョコが貰えるなんて!」キラキラ

 

ソラシンボリ「じゃあ、こっちは!?」ワクワク

 

斎藤T「どうぞ」

 

ソラシンボリ「わあー! この箱は“最強姉妹”ビワハヤヒデとナリタブライアン! こっちは“女帝”エアグルーヴ! “最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”メジロマックイーン!」キラキラ

 

アグネスタキオン「そして、この箱が――――――」

 

ソラシンボリ「――――――“不滅の帝王”トウカイテイオー!」キラキラ

 

ソラシンボリ「凄いです! 斎藤Tは今を時めくスターウマ娘からこんなにもバレンタインデーの贈り物を貰っているんですね!」ドキドキ

 

アグネスタキオン「それだけじゃなく、ライスシャワー、ミホノブルボン、ハッピーミークの分からも手渡しで貰っていたね、昨日」

 

ソラシンボリ「わあー!」ウキウキ

 

斎藤T「せっかくだから、食べていかない? “皇帝”シンボリルドルフからのバレンタインデーチョコなんて今年で最後なんだから」

 

アグネスタキオン「おやおや、いいのかい? きみに宛てたものじゃないのかい?」

 

斎藤T「――――――『()()()()()()()()()が私の代わりに食べた』なんて証明はできるのか?」

 

アグネスタキオン「そうだね。『ソラシンボリなんて子はここにはいない』、そういうことだね」

 

斎藤T「それに消費期限も気になるところだし、早いところ食べちゃわないと、そっちの方が失礼に当たるからな」

 

アグネスタキオン「じゃあ、食器を並べてくれ、トレーナーくん。私は紅茶を用意しよう」

 

斎藤T「わかった」

 

ソラシンボリ「へえ……」ドキドキ

 

 

 

ソラシンボリ「美味しかったです!」ニッコリ

 

斎藤T「ああ、本当に美味しかったな、これ」

 

アグネスタキオン「さすがは“皇帝”シンボリルドルフといったところだね。オリジナルのトリュフチョコとはねぇ」

 

斎藤T「じゃあ、次は“女帝”エアグルーヴからの贈り物:薔薇のチョコブーケをいただくとしようか」

 

アグネスタキオン「こっちも手が込んでいるねぇ」

 

ソラシンボリ「はい!」

 

斎藤T「む、ビターな味わいだな。厳格な“女帝”らしい味わいでもあるかな」フムッ

 

アグネスタキオン「これはホイップクリームの甘さがちょうどいいぐらいだね」ペロッ

 

ソラシンボリ「糖分控えめの味ですね」パクッ

 

斎藤T「しかし、こうして中等部の入試試験の最終日に優雅にスターウマ娘のバレンタインデーチョコの試食会をやっているだなんて、とんだ贅沢だな。あ、紅茶が美味い」ゴクッ

 

ソラシンボリ「そうですね。私も昨日は真剣な態度で入試を受けていましたから、昨日の緊張感と今日の幸福感で頭がどうにかなりそうです」

 

アグネスタキオン「シンボリ家で英才教育を受けたきみから見て強そうだと思ったウマ娘はいたかい?」

 

ソラシンボリ「そうですね。試験レース自体は私の圧勝で、それで途中退場しちゃった子が何人もいましたけど、」

 

ソラシンボリ「ボクの次の組で走ったキタサンブラックっていうボクと同じぐらいにバ体の大きい子が鬼気迫る勢いで圧勝していましたね」

 

斎藤T「――――――『キタサンブラック』? どこかで聴いた名前だな」

 

アグネスタキオン「他には?」スッ ――――――メモを取って それをトレーナーに渡している。

 

ソラシンボリ「あと、リトルココンって子が凄かった」

 

ソラシンボリ「1ハロン走を全力疾走して少しも息を切らしていなかったから、スタミナと肺活量に優れた長距離ウマ(ステイヤー)になると思う」

 

斎藤T「なるほど、『リトルココン』か。これは将来有望ってところかな」カタカタ ――――――受験者名簿を確認中。

 

ソラシンボリ「それぐらいかな、昨日のバレンタインデーの時の凄かったの」

 

ソラシンボリ「でも、建国記念の日の受験初日で話題に上がったサトノダイヤモンドも要注目って言ってた、シリウスさん」

 

斎藤T「――――――『サトノダイヤモンド』? こっちも聴いたことがある名前だな」

 

アグネスタキオン「ああ、サトノグループの令嬢だろう。URAへの運営協力や慈善事業といったレース文化の発展に貢献している財閥(コンツェルン)として有名だね」

 

アグネスタキオン「私もサトノ家のウマ娘とは会ったことはあるし、実験の協力を依頼したこともある」

 

斎藤T「そうなのか?」

 

アグネスタキオン「まあ、アグネス家のやり口を知っているから、色の良い返事はしてもらえなかったけどね」

 

アグネスタキオン「でも、そうか。あそこは新興ということもあって、未だにG1ウマ娘を輩出していないから、いよいよ本腰を入れてG1制覇のために動き出したか」

 

ソラシンボリ「そうみたいですね。たしか、来年度に竣工するエクリプス・フロント建設のために多額の資金提供をしたのもサトノグループだって聞いてます」

 

アグネスタキオン「だろうね。おそらく、エクリプス・フロント建設の背景にはサトノ家の姫であるサトノダイヤモンドの入学が大いに関係しているはずだよ」

 

斎藤T「秋川理事長とシンボリルドルフが築き上げた黄金期の遺産であるエクリプス・フロントをサトノ家の栄光の象徴にするためか。大した野心だ」

 

 

――――――だが、そうでなくちゃ! こいつはおもしろいことになったな、競走バ:アグネスタキオン!

 

 

アグネスタキオン「そうだね。これは退屈せずにすみそうだよ、トレーナーくん」クククッ

 

ソラシンボリ「?」

 

アグネスタキオン「なに、意地と誇りと美学を持ったウマ娘たちが相手なら、相手として不足はないというだけの話さ」ニヤリ

 

斎藤T「ああ。『名家』とまではいかない良家の姫君が出てくるんだったら、サトノ家に認められた担当トレーナーとしては引くに引けないよな?」ニヤリ

 

斎藤T「これは来週からの高等部の入試試験も大物が来そうだな。中高一貫校だから、中等部の枠より定員が少ないけど」

 

アグネスタキオン「まあ、『URAファイナルズ』準決勝トーナメントもあることだし、来週も大きな動きが見られそうだね」

 

 

――――――逃げないでおくれよ? ウマ娘の可能性の“果て”に辿り着くためには最高の舞台が必要なのだからね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アグネスタキオン「ところで、きみ? 最愛の妹からチョコはもらっていないのかい?」

 

斎藤T「もらっているよ。超高級フルーツ大福の詰め合わせと宇治玉露」

 

斎藤T「ただ、ここでいただくつもりはない」

 

アグネスタキオン「どうしてだい?」

 

斎藤T「ヒノオマシは賢い子だからな。もうひとりのお前(スターディオン)と一緒にお召し上がりになるように手紙が添えてあった」

 

斎藤T「だから、ヒノオマシからの贈り物は百尋ノ滝でゆっくり味わおう」

 

アグネスタキオン「そうか。きみの妹も律儀だねぇ」

 

斎藤T「そうだな。あっちも全寮制だから しばらく会っていないけど、近況を綴った筆ペンで書いた古風な手紙を読む限りだと、先生や友達に恵まれているようだ」

 

アグネスタキオン「……これからきみが私と一緒にやろうとしていることは何も知らずにね」

 

 

斎藤T「――――――これも広い意味で天皇家への奉公だ」

 

 

斎藤T「近代ウマ娘レースの日本での受容とウマ娘の社会進出は明治天皇陛下が国を思ってしたことなのだから、私は明治天皇陛下の御心に従って、少しばかり業界に圧力を掛けるだけだ」

 

アグネスタキオン「あるいは、江戸幕府の遺産である横浜競バ場との繋がりを考えると、もっと大きなものになりそうだけどね」

 

斎藤T「ああ、東京の全てを敵に回しても横浜の全てが味方になれば、無視はできないさ」

 

斎藤T「横浜トレセン予備校と近いうちに接触するつもりだから、準備はしておいてくれよ」

 

アグネスタキオン「やれやれ、トレセン学園の支配層であるシンボリ家との密約を交わしただけじゃなく、トレセン学園から独立した横浜の連中とも密約を交わすことになろうとはね」

 

アグネスタキオン「トレーニングやレース全般に関しては“無敗の二冠バ”トウカイテイオーの岡田Tに任せて、きみは私のための舞台を用意してくれるのだから、私もウカウカしていられないねぇ」

 

斎藤T「それじゃ、仕事に行ってくる」ゴロゴロ・・・ ――――――使い捨てカメラが満載のキャリーカート!

 

アグネスタキオン「ああ。存分にやってくれたまえ。学園に蟠る未練を払っておいてくれたまえ」

 

 

ゴロゴロ・・・

 

 

斎藤T「さて、中等部の入試は今日で終わりだ」

 

斎藤T「今日もまた、どれだけの生霊が大地にこびりついたのやら」

 

斎藤T「ん」

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」ジー

 

 

斎藤T「ああ、そうだった」ピポパ・・・

 

斎藤T「もしもし、和田Tですか? 渡したいものがあるんですけど、今 どこにいます? トレーナー寮にいないなら守衛室に預けておきますね」

 

斎藤T「――――――御守ですよ、御守」

 

斎藤T「ええ。効果覿面ですから、肌見放さず持っていてください。デザイン面に不満があったら、改良案に従ってカスタマイズしますから」

 

斎藤T「お代は、お気持ちでどうぞ」プツッ

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」ジー

 

 

斎藤T「これで満足か?」

 

斎藤T「いったい何なんだろうな、お前は?」

 

斎藤T「まあいい。邪魔をしないんだったら、それでいいさ」

 

 

――――――今日も今日とて、昨日も昨日とて、明日も明日とて、世のため、人のため、斎藤 展望が往く。

 

 



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第10話   雪に耐えて梅花麗しURAファイナルズ

-西暦20XY年02月23日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

地獄の狂騒の2週間がようやく終わりを迎え、待ちに待った『URAファイナルズ』準決勝トーナメントが開幕となった。

 

第1回ということで、まだ見ぬスターウマ娘を迎え入れる入試期間が大きく占める2月に新しいレースを開催するといったいどうなるのかを関係各位が身をもって理解すると、次回の開催に向けた改善案に反対するものはいない。

 

私もまた中等部に続いて高等部の入学試験の後始末に追われることになり、中高一貫校なので中等部よりも圧倒的に少ない定員だったので、質と量ともに手強い夢のカケラが化けて出たオバケをあるべき場所に還すのにまたもや命を張ることになった。

 

高等部の入学試験の受験者の傾向は、さすがに中等部の頃から中央の芝に慣れ親しんだ中等部合格者(エリート)たちに差をつけられている現実を重々承知の上でやって来てるので、その精神の成熟具合と潔さは歳を重ねて中等部志望者の比ではなかった。

 

そして、高等部に地方から昇格して編入してきた“芦毛の怪物”オグリキャップに憧れて中等部を地方で走り抜いた古強者もいるわけであり、中等部での試験レースで敗れた雪辱を果たすために心身共に鍛え直して這い上がってきた者もいる。

 

なので、高等部の入学試験はまさに才能を凌駕する気迫の勝負となっており、臥薪嘗胆を誓って積み重ねてきた年月の努力と情熱の差がそのまま合格か否かを峻別することになった。

 

こうして私だけが馬鹿を見るみたいに精根尽き果てんばかりの全身全霊の勝負に人知れず次々と打ち勝って助霊を完遂してヘトヘトになった翌日、入試期間が終わった直後の『URAファイナルズ』準決勝トーナメントの日となっていた。

 

目に見えない世界においてはヒトの霊がウマ娘の霊を使役している現実を体感してしまった後だと、社会経験も少ないウマ娘の生霊を相手に叱り飛ばすだなんてことに恐れを抱くことはもうなくなっていた。

 

そして、ウマ娘以上に勝敗だの体裁にこだわるヒトの生霊に対しても、23世紀の宇宙移民でかつ波動エンジンの開発エンジニアの世紀の大天才でWUMA退治の専門家であるこの私が人生経験と気迫で負けるわけがないので、助霊そのものは終わってみれば全てが順調にいったのだ。

 

だが、実際に全てが終わってぼんやりとその時になって初めて気づくことになった、『URAファイナルズ』の新たな問題点。

 

 

――――――『URAファイナルズ』によって引退即退学の問題が解決されていったら、これまで中途退学が横行した穴を埋めるために用意された高等部からの編入枠が大幅に縮小されるのではないか?

 

 

そう、私自身が中等部の受験に失敗した者たちが夢の舞台にこびりつけていった残滓に対して『高等部()がある』と言ってきた手前、高等部からの入学のダブルチャンスに賭けてきたウマ娘たちの努力が完全に意味をなくす時がやってくるのではないか――――――。

 

ただでさえ、全てが全て現役アスリートというわけでもないが、総生徒数2000名弱のマンモス校に高等部からの編入枠をこれからも同じペースで採り続けていたら、トレセン学園が人口爆発してしまう。

 

つまり、これもまた非常に悩ましい問題で、中高一貫校の教育現場として引退即退学が横行している状況を改善してしまったら、今度は高等部からトレセン学園に入ってこようとする受験生たちに対して門を閉ざすことになるのだ。

 

しかし、ただでさえ、慢性的なトレーナー不足で喘いでいるのに、これ以上 無理に『より多くのウマ娘にチャンスを与える』という当初の目的に沿って在籍者を増やしていっても、バカ高い学費を払い続けるだけで勝ちウマたちの養分にしかならないのだ。搾取されてしまうのだ。

 

そう、トレセン学園における入学生の需要と供給のバランスが『URAファイナルズ』をきっかけにして大きく崩れようとしていた――――――。

 

 

第一は、入学してもスカウトされないままの子があまりにも多すぎるのが問題で、慢性的なトレーナー不足の解決こそが最優先ではあるのだが、その人材育成など一朝一夕で解決できるものでもない。

 

第二は、スカウトを受けてメイクデビューしたとしても、メイクデビューの目的である重賞レースの数もそう簡単に増えないので、結局は重賞レースで勝てるウマ娘の厳選によって簡単に切り捨てられる勝負の世界の厳しさは何一つ変わらない。

 

第三は、これまで中途退学者の穴を埋める前提で高等部からの編入枠が設けられていたため、中途退学者が激減すれば その趣旨に従って高等部の編入枠もまた減らしていかなければならない。

 

 

そのことを考えると、実はトレセン学園の改革は黄金期の象徴であった“皇帝”シンボリルドルフが卒業した後に本格化する流れになっており、それは皮肉にも『URAファイナルズ』という秋川理事長の理想がその歪みを生み出すことになるのだ。

 

 

――――――否、これまで見えてこなかったトレセン学園の歪みがいよいよ表世界に現れるといったところか。

 

 

どんな制度にも限界はある。完璧な秩序もいつかは腐敗する。それがこの世の在り方であり、需要と供給が価値を決めるのと同じだから限りあるものに尊さがある。

 

けれども、それを世俗を捨てた仙人や修行僧のように世を儚む態度を究極のロマンに生きる宇宙移民の私が評論家気取りでしているわけにもいかないのだ。

 

何より、私こそが誰よりも矛盾した存在であり、23世紀に生まれ育った誇りを持ちながら21世紀の旧い時代の在り方を尊重して生きねばならない制約を自ら課すことになり、

 

地球人類の未来のためにWUMAのような並行宇宙からの侵略者と戦いながら、現人類の在り方に嫌悪感を抱いてWUMAの思想に共感することもある“門外漢”だからこそ、どちらにも馴染めずにどっちつかずの何者にもなれない存在なのだ。

 

 

そう、だからこそ、どっちつかずの私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()であり、片方の側に立つことなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()でもあるのだ。

 

 

今も思う。私が“斎藤 展望”となってしまってからの日々は永遠の孤独ではないのかと。これが宇宙移民となることを望んだ末路だとしても、独り寂しさを感じる虚しい感情は普段の自分の仮面の下から顔を覗かせてくる。

 

もうどこにもヒノオマシを愛し続けた“斎藤 展望”はいないことを告げる勇気はなく、DNAでは紛れもない本人でありながら、記憶喪失を装ってSOULはまったくの別人が成りすましているのだ。

 

だからこそ、完全に姿形、能力、記憶さえも完全に擬態して人生を乗っ取ることができる並行宇宙のバケモノであるWUMAとはちがう存在であることを自分に対して示し続ける必要があり、そのために“斎藤 展望”の魂の抜け殻を必要としてなければならない矛盾をまた抱える。

 

最初から私にとってウマ娘レースは宇宙移民としての好奇心からの異文化理解の対象以上の意味はなく、甲種計画は私が23世紀の人間にとって文字通りに時代錯誤な21世紀の人間にさっさと見切りをつけて宇宙制覇を目指す乙種計画を制限する人間性の檻でもあった。

 

そして、21世紀の異なる歴史と進化を歩んできた地球に向ける正の感情を呼び覚ます丙種計画と負の感情を呼び起こす丁種計画が牽制し合って押し引きしながら、新惑星の未開の人類に対する私の見識を深めさせていく。

 

 

――――――それが今の私という()()()()()()()()()を支える4つの柱であり、それぞれが合わせ鏡のように私の在り方を映し出す道標となっていた。

 

 


 

 

――――――都内の子供たちを集めた『URAファイナルズ』準決勝トーナメント観戦プログラム

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「………………」

 

 

斎藤T「ハッ」

 

 

斎藤T「……ヤバい。かなり精神がキているな、これは。気力がガリガリ削られたなぁ」

 

斎藤T「近墨必緇、近朱必赤。悪霊共の悪口雑言の生気が吸われる風雨に晒されて身体がかじかんだままだったな……」

 

斎藤T「気晴らしにスカッとすることをしたいと身体が訴えている……」

 

 

今、私たちがいるのはトレセン学園OB会による地域交流イベントを兼ねた『URAファイナルズ』準決勝トーナメントの観戦プログラムである。

 

これは先月の予選トーナメントでも行われていたのだが、引き続き『URAファイナルズ』を盛り上げていって毎年恒例になるように、今回も豪華なゲスト陣とイベントが準備されていた。

 

もちろん、『URAファイナルズ』は異例のトーナメント形式のレースであるため、先月の予選トーナメントよりもレース数は少ない。

 

通常の興行では1日に行われるレースは12回であり、メインレースは最終レースの1つ前に行われるのが習わしだが、

 

『URAファイナルズ』というファン投票という体裁で行われている卒業レースを開催するにあたっては――――――、

 

 

(一日の出走者数)=(一日のレース数)×(出走数:フルゲート)=12×18=216

 

 

216人のスーパーシニア級の競走ウマ娘が出走し、それを土日の2日間を使って前代未聞の大規模レースに最初の3年間を走りきったスーパーシニア級の強豪や復活の時を迎えた勇士たちが一斉に駆け抜けたのが先月の話であった。

 

当然、トーナメント制なので、次戦が必ずフルゲート:18人になるように勝ち上がり人数や一日のレース数が調整されるというウマ娘レースならではの特殊ルールがあるにせよ、次第に時間を持て余すようになってしまう。

 

なぜならば、トーナメント制で全てのレースがフルゲート:18人になるようにレースを組むとなれば、決勝トーナメントは必ず1レースだけの決戦になるわけだが、勝ち上がれる人数が決まっているのだから、その前の準決勝トーナメントは確実に18レースまでしか開催できない。

 

となると、準決勝トーナメントは土日を使って18レースを開催することになるが、一日のレース数は9レースになるわけで、3レース分の空き時間ができるわけである。

 

なので、予選トーナメントのギッシリと夢が詰まった2日間の方が熱狂していたなんて言われないよう、全国各地の競バ場で開催されていることを活かした特別番組で間を待たせることになっていた。

 

しかし、元からウマ娘レースそのものには興味がない私にとっては、大人気長編シリーズの最初と最後の売上が高くなるように中間の中弛みの時期にあたる『URAファイナルズ』準決勝トーナメントが非常に退屈に思えていたのだ。

 

何しろ、予選トーナメントは本当に誰が勝つか予想がつかない復活選手の活躍が感動と興奮を呼び覚ましたが、それよりもフルゲート:18人になるように人数調整が行われるために1着にならなくても思いがけず準決勝進出の歓喜が大きかったはずだ。

 

だが、次の準決勝トーナメントは最強のウマ娘を決める決勝トーナメント:18人を選抜するために1着しか勝ち上がれなくなるのだから、途端に最初の3年間を走り抜いた現役選手が順当に勝つ展開が多く、なかなか復活選手の番狂わせは続かないものなのだ。

 

そのため、『URAファイナルズ』決勝トーナメントはまさに1月から3月に至る冬の季節を3ヶ月連続出走になるクソのようなローテーションの末に勝ち抜いた精鋭:18人による最後の死闘ということもあって手に汗握る戦いが展開されることは容易に想像がつくが、

 

準決勝トーナメントはレース数が減ったことで空いた時間を特別番組で埋めるような運営のお茶を濁している感じが目立っており、私が感じているのなら私以外の人間も似たようなものを感じているのだと確信して、どうにも気分が盛り上がらないでいた。

 

それは昨日までトレセン学園という夢の舞台の暗黒面と独りで対峙し続けて心身共に弱った状態だから素直に物事を楽しむ気力が湧いてこないというのもあるのだろうが、

 

だとしたら、最低の気分で中弛みのもっとも物事のつまらない部分を見せられている谷の底の状態と、WUMAの本格的な侵略を阻止し掴み取った平和の日々を噛み締めて心身共に充実した山の頂きの状態を経験して見えてくるものとは何なのだろうか――――――。

 

 

大江巡査「失礼。皇宮警察騎バ隊の御子息の斎藤 展望殿でよろしいでしょうか」スッ

 

斎藤T「…………警察?」チラッ ――――――警察手帳を見せてもらった。

 

大江巡査「どうなさったのですか? せっかく、“アグネス家の最高傑作”の担当トレーナーになったということで多少の縁を感じて、非番をもらって 遥々 京都からやってきたというのに……」

 

斎藤T「――――――『京都』? ――――――『警察』? ――――――『京都府警察』?」

 

大江巡査「その通りです。申し遅れました。私は京都府警察 平安騎バ隊所属の大江巡査です」

 

 

――――――またの名を競走ウマ娘:アグネスマキシマムと申します。

 

 

斎藤T「あなたはアグネス家の……」

 

大江巡査「はい。元 中央トレセン学園の卒業生でもあるので、このイベントに招待された一人でもあります」

 

斎藤T「そうでしたか」

 

斎藤T「さっき『皇宮警察と縁を感じた』と言いましたが、皇宮警察本部直轄の京都護衛署の方なのですか?」

 

大江巡査「いえ、平安騎バ隊は1994年に平安遷都1200年を記念して創設されたものでして、どこの県警本部でも騎バ隊は編成されていますから、京都府警察における名誉職みたいなものではありますね」

 

斎藤T「どういうことです?」

 

大江巡査「アグネスマキシマムとしての中央での戦績は6年48戦4勝。獲得賞金:7,428万円」

 

斎藤T「え!? 6年間で『48戦』!? 主な勝ち鞍は?」

 

大江巡査「――――――『クラシック級1000万下』ですね」

 

斎藤T「…………?」

 

大江巡査「重賞レースじゃないですよ。私のような凡才なんてG3レースに出走することも烏滸がましいぐらいですよ」

 

大江巡査「重賞レースで勝ち切れない“シルバーコレクター”や“ブロンズコレクター”のことを弱いウマ娘だと勘違いしている人間がたまにいますけど、」

 

大江巡査「勝利数を積み重ねるだけなら、私のような有象無象の弱いウマ娘たちが毎月のように出走している一般競走やリステッド競走でお山の大将になっていればいいんですよ」

 

大江巡査「年間3400は『トゥインクル・シリーズ』でレースが組まれていて、重賞レースはその中での130超しかないわけで、しかも八大競走が大本のG1制覇だなんて まさに夢物語じゃないですか」

 

大江巡査「だから、本当に才能のある子は大事にされてトウカイテイオーのように無期限活動休止の末に奇跡の大復活で二度も日本中を沸かせたのですから、」

 

 

大江巡査「本当に大事にしてやってくださいよ、“アグネス家の最高傑作”のこと」

 

 

大江巡査「そもそも、“クラシック三冠”を目指すとなると『日本ダービー』を制した後の『菊花賞』まで何ヶ月も間が空いて他に出走することなく脚を温存しますけど、その間もダメなウマ娘ほど夏場の炎天下も走り続けることになるわけですからねぇ……」

 

斎藤T「なるほどな」

 

斎藤T「じゃあ、たとえば4戦4勝で引退――じゃなくて活動休止していたフジキセキのことをどう思う?」

 

大江巡査「同じ4勝でこんなにも評価に差がつくわけですからね。6年間ひたすら走り続けて ただのレースで4勝をもぎとったのに、あっちは“クラシック三冠”の開幕戦の『皐月賞』を前に身を引いたのにねぇ……」

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

斎藤T「あ!」

 

大江巡査「おお、【マイル部門】でそのフジキセキが圧勝! 『URAファイナルズ』決勝トーナメント進出!」

 

大江巡査「いやはや、スゴイねぇ! かつて“クラシック三冠”を期待された矢先に怪我で引退同然になっていたのに【マイル部門】の参戦でここまで走れるだなんてねぇ!」グスッ!

 

斎藤T「………………」

 

大江巡査「いやぁ、感動するねぇ! 私があそこで勝ったところで誰も歓声を上げてくれないだろうに、フジキセキだったから あそこまで盛り上がったんだ! あれが重賞レースを勝ち上がるスターウマ娘の貫禄だよ!」

 

斎藤T「たしかにフジキセキに関して言えば王者の風格がある」

 

大江巡査「そういうことだから!」パン!

 

斎藤T「いたっ」

 

大江巡査「あなたの評判はいろいろと聞いていますし、アグネスタキオンという競走ウマ娘の噂もいろいろと調べさせてもらっています」

 

大江巡査「ですが、同じアグネスの名を冠する者として、世代はちがえども、それだけで親近感が湧くというものです」

 

 

大江巡査「ですので、『無事是名バ』を座右の銘として、今後の励みにしてください」

 

 

大江巡査「私のような6年48戦4勝の駄バが言うようなことではありませんが、そんな駄バの私でも6年48戦4勝をやれたのです。獲得賞金:7,428万円ですから」

 

大江巡査「そのことを考えれば、引退即退学の現状を改善して気持ちよく卒業していけるように組まれた『URAファイナルズ』もそう悪いものじゃないように思いますよ」

 

大江巡査「むしろ、ただただ走ることが本当に大好きだったから、クラスだとかグレードだとか賞金だとか関係なく一般競走やリステッド競走も走ることができましたから」

 

斎藤T「……そうかもしれないな」

 

斎藤T「重賞レースにこだわらなければ走れる舞台なんていくらでもあるわけか」

 

斎藤T「むしろ、重賞レースの最高の舞台を求めて闘争本能を滾らせた結果が『沈黙の日曜日』なんだろうな」

 

大江巡査「行き過ぎた闘争本能は身を滅ぼしますよ。それが『URAファイナルズ』を生み出したのですから」

 

斎藤T「同感だな」

 

斎藤T「大江巡査」

 

大江巡査「はい」

 

斎藤T「京都観光に行ったら案内してくれるかな?」

 

大江巡査「まあ、京都三大祭りの時は無理ですけど、平安騎バ隊は京都府警察本部地域部地域課として日々パトロールに勤しんでいますので、会える時は会えるでしょう」

 

斎藤T「そっか。ありがとう」

 

 

――――――きみの4勝が今日一番に勇気を与えてくれたよ。

 

 

不思議な縁は続くものだ。イベント会場の隅で壁にもたれかかって スパークリンググレープジュースを手にしたまま 虚ろな目で辺りをボーッと見つめていた私に声を掛けてきた者がいた。

 

一目見てウマ娘だとは気づかない自然な帽子姿と整ったパンツスーツのやや大柄の男装の麗人にも見えた『名家』アグネス家出身の彼女――――――。

 

非番をもらって京都から遥々やってきた京都府警察本部地域部地域課平安騎バ隊の婦警:大江巡査こと 競走ウマ娘:アグネスマキシマムとの対話で語られた経験と意見は大変参考になった。

 

そう、『トゥインクル・シリーズ』と言えば重賞レースで勝つことだけが目的のように思われがちだが、実際には年間3400もの非重賞レースが催されており、

 

重賞レースで勝てないウマ娘であっても出走して無様を晒さない(タイムオーバーしない)だけの実力を有しているわけであり、重賞レースへの出走なんて夢のまた夢と考えている競走ウマ娘からすれば憧れの的や応援の対象にもなるわけなのだ。

 

思えば、総生徒数2000名弱の中高一貫校のマンモス校の中央トレセン学園ではあるが、そこだけが唯一『トゥインクル・シリーズ』に出走できる団体ではなく、全国各地にもURA所属のトレーナーがいて公認の団体があり、それぞれの目標に向けてひっきりなしに各地でレースが毎週開催されているのだ。

 

中央競バ『トゥインクル・シリーズ』だけでも年間3400であるのだから、これが地方競バ『ローカル・シリーズ』ともなると、一体全体 どれだけのレースが開催されているのやら。

 

もちろん、『トゥインクル・シリーズ』と言ったら中央トレセン学園しかパッと思い浮かばないぐらいに、中央とその他大勢という扱いになるぐらいには『トゥインクル・シリーズ』の勢力図は中央一色ではあるのだが。

 

そして、48戦4勝の凡才と自嘲するアグネスマキシマムが特に大きな災禍なく6年間を走りきったという事実と、クラシック戦線が始まって早々に4戦4勝で第一線を退くことになったフジキセキの現実が、ウマ娘レースの真理を顕にする。

 

鎬を削る以上に生命を燃やして年間に片手で数えるぐらいしか走らない最高の舞台:重賞レース優勝の名バと次こそ勝つために月一のペースで参加する非重賞レース:平場レースの勝ちウマでは何もかもが違って見えた。

 

しかし、ウマ娘のヒトを超越した身体能力と闘争本能と走ることへのこだわりが極限まで高められた重賞レースで勝ちを狙える競走ウマ娘というのは、自分の能力に身体が追いつかないせいであっという間に故障して引退即退学で、『URAファイナルズ』開催の糧になってしまっているのだ。

 

 

つまり、ウマ娘という種族は種族の限界に挑戦し続けて本当に限界に達してしまった限界種族とも言えるのだ。

 

 

そう、限界なのだ。思春期にG1制覇という夢を追い求めて不可能の挑戦し続けて、近代ウマ娘レースの歴史は16世紀にイギリスで始まったわけだが、日本においては幕末の『居留地競バ』に端を発し、たかだか100年超でしかない。

 

そのたかだか100年程度で、これだけの故障率と引退即退学を叩き出す場所が中央トレセン学園というわけなのだから、すでに種族の限界を迎えてしまっているのだ。だから、すぐに故障して引退して退学にもなる。

 

そんな当たり前のことに私が今更ながら気づいたのだから、この世界に生まれ育った人間たちは気づいていないはずがないのだ。

 

 

――――――いや、()()()()()()()()()()()()()

 

 

私の担当ウマ娘が『ウマ娘の存在は未だに神秘である』と断言し、()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

そもそも、ウマ娘は古代においてはメスしかいない種族のために大事な働きであるヒトの男子をさらって性を搾り取っては驚異のパワーで暴れまわる鬼でもあったのだ。

 

そうして鬼と恐れられた者たちの末裔の人権が認められて“第3の性”として広く受け入れ始めたのも公民権運動の後であり、ウマ娘は近代革命においては工場労働に適さない野蛮人としてウマ娘レースで活躍したスターウマ娘以外は依然としてバケモノ扱いでもあったようなのだ。

 

それが数十年の徹底した肯定的措置(アファーマティブ・アクション)によって現在の人気と地位を得ているわけであり、ラスコーの壁画にその存在がはっきりと描かれてはいるものの、天地開闢からヒトとの絆の歴史があったとは素直に言い難い複雑な関係性を歩んできたのがウマ娘という異種族である。

 

とすれば、ターフの上でスピードの世界を極限まで追究していった先にあるのは、ウマ娘レースで名誉除隊したスターウマ娘が軒並み車椅子に乗る世界なのかもしれない。

 

とは言え、全体として見れば医療技術などの発達の恩恵で『トゥインクル・シリーズ』から『ドリーム・シリーズ』に昇格するスターウマ娘も多くなっているわけで、相対的に『トゥインクル・シリーズ』における最初の3年間の価値が色褪せてくる時代にも差し迫ってもいるのも事実だ。

 

 

すなわち、公営競技としても、種族としても、限界を迎えつつあるのがウマ娘の世界における近代ウマ娘レースという文化でもあった。

 

 

そういった人類の未来といったマクロな視点を持って肉体改造を強く願ったわけではないのだろうが、三冠バを目指せる脚なのに自分の能力に耐えきれない絶望を抱いて4年間も肉体改造強壮剤を服用し続けて待つことを選んだ私の担当ウマ娘の自己の将来に対する不安はここに淵源を発しているのかもしれない。

 

そして、走りやすい芝も年々改良されて高速バ場はより完成度を増していくわけだが、ヒトと身体構造に差がほとんどないというのに自動車並みの速度を出して走ることができる衝撃と反動もまた年々脅威が増していってもいるのだ。

 

そう、あらゆる面で極限という名の限界にまで達しそうになっているのが近代ウマ娘レースの夢の舞台であり、最高の勝負の舞台であり、ロマンの結晶というわけなのだ。

 

しかし、ウマ娘との絆の歴史、ウマ娘への本当の理解が浅いからこそ、ウマ娘の身体能力を過信して未だに悲劇は繰り返されようとしている――――――。

 

 

アグネスタキオン「やあ、トレーナーくん。さっき、アグネス家(私のところ)の誰かと随分と話し込んでいたみたいじゃないか」

 

斎藤T「ああ、京都観光の案内を約束してきたんだ」

 

アグネスタキオン「おやおや、横浜の次は京都かい? それは皇宮警察繋がりかい?」

 

斎藤T「そうでもあるな――――――」

 

斎藤T「あー!?」

 

アグネスタキオン「な、なんだい、急に!?」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「な、何だい? どうしたんだい!? 言いたいことがあるならはっきりしたまえ!」

 

斎藤T「……なあ、ウマ娘の可能性の“果て”というのはウマ娘の限界と同義か?」

 

アグネスタキオン「なに?」

 

斎藤T「答えてくれ。お前にとっての限界とはどういう状態を指す?」

 

 

――――――もしも『沈黙の日曜日』が第3コーナーで起きずにゴール板で起きたとしたら?

 

 

この時の私の思考はおそらくトレセン学園の受験期間に蟠った悪霊共にやられていたんだと思う――――――。

 

あるいは、本質的に私の生まれ育った23世紀の地球とは異なる世界の文化であるウマ娘レースに対して理解が足りないから、優駿たちの頂点を決めるだなんて謳い上げて報われなかった生徒たちのためにファン投票で全員が参加できる卒業レースへの皮肉のつもりか――――――。

 

私はまさにスピードの世界で勝利を現出するシミュレーションの中での理想を現実に形にした時に起きることを想像して、甲種計画・乙種計画・丙種計画・丁種計画を完遂に導く禁じ手を幻視してしまったのだ。

 

まさしくヒトデナシの発想であると同時に、ロマンを形にしたいという技術者の性と藁にもすがる思いで世界を救う使命という重荷への疲弊感から、見てはならない幻の続きを目で追っていた。

 

 

ウマ娘の可能性の“果て”を追究する競走ウマ娘:アグネスタキオンにとって、“最強の七冠ウマ娘”シンボリルドルフや“年間無敗の覇王”テイエムオペラオー以上に“異次元の逃亡者”サイレンススズカの存在は重要な研究対象であった。

 

 

その『沈黙の日曜日』、過去最高のデキであると本人が豪語していた程に1000m:57秒4という圧倒的ハイペースでレースを進めたところで、第3コーナーの大襷を越えたところで突如として失速――――――、

 

明らかに異常が確認され、観客席が大いにどよめく中、苦痛に歪んだ表情を見せないように顔を伏せながらレース外まで走りきって倒れ込んだおかげで後続との衝突事故は避けられたが、

 

常勝不敗でも三冠ウマ娘でもないサイレンススズカがシンボリルドルフやテイエムオペラオーに並べられるほどの歴代最強のウマ娘の一人に数えられる“異次元の逃亡者”とまで称えられた圧倒的なまでの大逃げの果てが競走ウマ娘の人生の果てとなっていたのは何たる運命の皮肉か。

 

彼女一人のためにどれだけの人たちが涙を流し、その裏でどれだけのウマ娘たちが人知れぬ涙を流して夢の舞台からひっそりと姿を消しているのか――――――、

 

あるいは、無冠でしかないレースを勝つまで次々と出走しては『今日も勝てなかった』といつもの足取りで帰っていくウマ娘たちがいることか――――――。

 

そのことを考えれば、人々が司馬懿よりも諸葛亮が好きであるように、足利尊氏よりも楠木正成を尊ぶように、徳川家康よりも豊臣秀吉、豊臣秀吉よりも織田信長が人気であるように、時に悲劇の英雄は時代の覇者よりも人々の心に刻まれるのだから――――――。

 

 

だから、私はゴルゴダの丘に繋がる坂道を十字架を背負って昇った聖書の救世主の象徴性に魅せられてしまう――――――。

 

 

いや、何を言っているのだ、私は。自己破滅願望と英雄願望が綯い交ぜになっていないか。こんなのはまったくもって私らしくない。宇宙移民としての在り方はどうした。

 

今の私は明らかに冷静ではない。今まで意識していなかった重賞レースへの挑戦すら許されない正真正銘の凡才ウマ娘たちの羨望と憧憬というものを初めて認識したせいで――――――、

 

そうか。今の私は中央トレセン学園の入試で落第したウマ娘たちの残念無念妄念を浴びまくってそういったウマ娘たちの感情に感化されてシンクロしてしまっているのだ。

 

そして、まったくもって私らしくないヒトデナシの思考によって導き出された究極の一手に対して私が思い悩むように導かれたというか、仕向けられたというか、とにかくそうなるようになっていたのだ。

 

だから、私ではない私が導き出した答えを私の担当ウマ娘が聞いた時に何が起こるのかを想像すると口を噤むしかないのだ。絶対に言うわけにはいかないし、やらせるわけにもいかない。

 

 

――――――目的のために4年間も待つことを選んだアグネスタキオンというウマ娘なら、それがウマ娘の可能性の“果て”を示すものだと納得すれば、やりかねない確信があるのだから。

 

 

でも、そうなった瞬間を実際に見てみたいと思う私がいる。それを見せつけられた民衆が何を思うのか、どんな評定をするのか、いかなる言い訳をするのかを――――――。それは狂喜とも言える嘲笑が溢れ出す歓喜の瞬間でもあった。

 

やはり、私という“門外漢”は21世紀の人間の在り方を愚かというよりは野蛮だと感じているわけで、その後始末を誰よりもさせられていることもあって好きになれる要素がどこにもないのだ。

 

けれども、そんな私が“斎藤 展望”として在り続ける決心ができた瞬間はいつなのか――――――、私はその感動の原点を常々思い続ける必要があった。

 

 

――――――そもそも、私という存在の本質は宇宙移民なのだ。

 

 

21世紀など比較にならないほどに便利で豊かに進化した既存の生活圏での安定した暮らしを自ら捨てて、光の速さで到達するのも気が遠くなるような宇宙の彼方に実際にあるかどうかもわからないものを目指して、限られた居住空間での管理社会に身を置くことを良しとした最高の道楽者でもあるのだ。

 

つまり、一般的に見れば苦痛を伴う日々を乗り切れるだけの生き甲斐とも呼べる喜びを見出しているから、私は宇宙移民で在り続けることができるわけなのだ。

 

だから、宇宙移民としての道楽者の在り方を貫けなければ、私は私としてあることはできなくなる。

 

 

――――――私は“斎藤 展望”として在り続けるためにも もっとワガママに生きるべきなんだと思った。

 

 

それが私にとっての中道であり、決して平均点のことを言うのではない。だが、究極の平均点とも言える。

 

要は、その人に課せられた命に中たる道ということで、己が天命の在り方に忠実である生き方を中道というのであって、常人は己が天命を悟らずにそれぞれの命から外れた生き方をして偏っているのだ。

 

つまり、私の偏りというのは23世紀の宇宙移民として生きることと21世紀の“斎藤 展望”として生きることを同時に迫られ、どちらの生き方にも忠実であろうとして右に左に振り回されて、中途半端な態度になっていることなのだろう。

 

 

しかし、Aの生き方を理想としながらBの生き方も捨てられないのなら、それはA+Bの生き方ではなく、まったく別種のCの生き方ということにならないのだろうか。

 

 

すなわち、23世紀の宇宙移民として生きた誇りを胸に21世紀の地球人として立派に生き抜くのは A+Bの生き方ではない まったく別のCの生き方であり、Aの生き方とBの生き方に愚直なまでに忠実である必要はないのだ。

 

簡単な話だ。たとえば、普段遣いできる自家用車が欲しいという要求に対して、それが一人暮らしの人間が使うのなら軽自動車や軽トラックで十分だろう。オートバイでもいいかもしれない。

 

一方で、4人家族を乗せる前提ならファミリーカーが必要になるという具合に、Aという要求に組み合わされるBという要求によって導き出されるのはAの要求に合致する車種とBの要求に合致する車種の合計ではなく、AとBの最大公約数であるCという車種になる――――――。

 

化学だったらもっとわかりやすいはずだ。塩化水素と純水が化合すれば塩酸になるため、絶対に化合前の純水のように安全に飲めるものじゃなくなる。管理の仕方だって違う。

 

あるいは、フランス料理におけるワインとのマリアージュもそうだろうし、赤色と青色の絵の具を混ぜたら紫色になって印象や意味合いがガラッと変わってくる。

 

どちらの性質を有しているが故の新種であり、ある意味においては『白馬は馬にあらず』が真実になる時がくるだろう。

 

よって、私という存在は23世紀の宇宙移民であって21世紀の地球人でもあり、その実、23世紀の宇宙移民でも21世紀の地球人でもない存在であるという、()()()()()()の“門外漢”というわけなのだ。

 

 

――――――もしも『沈黙の日曜日』が第3コーナーで起きずにゴール板で起きたとしたら?

 

 

アグネスタキオン「トレーナーくん……」

 

アグネスタキオン「きみ、相当に眼が狂っているぞ……」

 

斎藤T「あ……」

 

アグネスタキオン「まあ、本来 人間の眼には見えないものを見続けるというのは、常人よりも遥かに脳の処理が圧迫されるというわけなのだからねぇ……」

 

アグネスタキオン「ただ、さっきの質問を返すとするなら――――――」

 

 

――――――それで本望だったと思うよ。

 

 

斎藤T「え」

 

アグネスタキオン「いや、よくはないさ。けど、『レースを走りきった』ということで区切りがいいから、あきらめもつくさ」

 

アグネスタキオン「それはきみが過去に救ってきたメジロマックイーンやトウカイテイオーもそうだっただろう」

 

斎藤T「それはそうだろうが……」

 

アグネスタキオン「ただね、サイレンススズカは今でこそ最強のウマ娘の一人に数えられるわけだけど、クラシック級の時は重賞レースを1勝もできず、翌年から『沈黙の日曜日』まで全戦全勝ということで一気に知名度を上げた経緯がある」

 

アグネスタキオン「それでも、G1勝利が『宝塚記念』だけしかないのを見れば、同じ最強候補の“皇帝”シンボリルドルフや“覇王”テイエムオペラオーの戦績と比べるべくもない」

 

 

アグネスタキオン「だとしても、私が目標とするのはそんなサイレンススズカなんだ」

 

 

アグネスタキオン「――――――嬉しいよ」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「きみがどこまでの考えでさっきの質問をぶつけてきたのかは正直に言って私でもわからないさ」

 

アグネスタキオン「でも、きみは日本のウマ娘レースにおいてはタブー視されている『沈黙の日曜日』の可能性について私に訊いてきたことが私にとっては何よりも嬉しいんだ」

 

アグネスタキオン「きみは私がやろうとしていることを知ってか知らずか言い当ててきたわけだからね。それもきみが信仰する皇国の神々の導きとやらかい?」

 

 

アグネスタキオン「だから、私ときみはうまくやっていけるさ、この先」

 

 

アグネスタキオン「なんだったら、遠慮なく使い潰してくれてもいいさ、この脚なんて」

 

斎藤T「おい……」

 

アグネスタキオン「本質的にトレーナーじゃない“門外漢”のきみが欲しいのは競走ウマ娘の脚じゃなく、()()()()()()()()()なのはわかっているさ。だからさ」

 

 

アグネスタキオン「きみ、今更 逃げられると思うなよ?」クククッ

 

 

アグネスタキオン「きみは自分から厄介事を背負い込む性分なんだから、私のことを走れない身体にした責任ぐらい簡単にとれるだろう?」

 

アグネスタキオン「そうそう、他でもない()()()()()()()()()()()()()を私に捧げてくれるだけでいいのだからねぇ」

 

斎藤T「…………おっかないやつだな」

 

アグネスタキオン「ちがうねぇ。こういうのは『用心深い』と言って欲しいねぇ」

 

アグネスタキオン「私の望むものを叶えるのに必要なものがきみだったというだけで、他の選択肢なんていくらでもあったさ」

 

アグネスタキオン「けど、だからこそ、私の望むものを一番に叶えられると判断したのがきみでもあるんだ」

 

アグネスタキオン「これまで人知れず人類の脅威から世界を守り続けてきた強靭無敵のきみが初めて見せた狂った瞳から察するに、まとも精神状態ではなかったことはわかる。あるいは、()()()()()()()なのかもしれない――――――」

 

アグネスタキオン「でも、それで私と同じ結論にたどりついてくれたんだ」

 

 

――――――だったら、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

アグネスタキオン「そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()競走ウマ娘の自分から初めて解放された気分だよ」

 

アグネスタキオン「自分がやりたいように生きる。そして、自分がやりたいようにきみと共に新しい世界を作っていこうじゃないか」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「安心したまえ。きみの方が再起不能になったのなら、きみの妹の面倒は私が代わりに見てあげようじゃないか。私もヒノオマシくんのことは嫌いじゃないからねぇ」

 

アグネスタキオン「何なら――――――、ね」

 

斎藤T「……そう言われると弱いな」

 

 

――――――これが束縛からの自由(リバティー)からの表現の自由(フリーダム)か。

 

 

 

 

 

ソラシンボリ「…………いいなぁ」ジー

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 



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第11話   黒と影と闇のURAファイナルズ

-西暦20XY年02月24日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この日は『URAファイナルズ』準決勝トーナメント2日目、決勝戦がフルゲート:18人となるように準決勝のレース数は18レース(1着のみ勝ち上がり)となり、通常の一日12レースまでの開催を踏まえて9レースずつの開催となる。

 

予選トーナメントの時は『URAファイナルズ』に参加できる資格を持つ現役のスーパーシニア級のウマ娘が少なかったことで1着じゃなくても勝ち上がることができたため、どれだけ実力差があったとしても賞金獲得と準決勝進出で歓喜に湧き上がる声が響き渡ったが、

 

準決勝トーナメントは完全にG1ウマ娘の独壇場となっており、順当に実力者が決勝戦進出を果たすこととなり、それこそが最強のスーパーシニア級を決める『URAファイナルズ』の趣旨としてわかりきった展開のため、私はそれをつまらないものに感じていた。

 

 

さて、準決勝トーナメントのレースも残り半分となり、これで来月3月の卒業シーズンに開催される決勝トーナメントに出走する強豪18人の顔ぶれが決まるわけである。

 

ただ、3月からは春の訪れと共に実質的なウマ娘レースの開幕戦が始まる頃でもあるので、世間の関心は『弥生賞』『チューリップ賞』『高松宮記念』へと向いていき、『URAファイナルズ』から離れていくことが予想された。

 

もちろん、『URAファイナルズ』決勝トーナメントでトレセン学園を卒業する子たちにとっては4月からの新生活のことも考えなくてはならないわけで、その辺りのトレセン学園卒業や新生活準備に配慮した日取りが求められた。

 

もっとも、『URAファイナルズ』決勝トーナメントは異例のトーナメント制であることから1レースしか開催されないため、そのためだけに他の重賞レースの開催に割り込ませて共催とするのは既存のレース体系を混乱させることになるため、

 

『URAファイナルズ』決勝トーナメントは3月に開催される重賞レースの日程とどうしても重なってしまうものの、開催を主導した秋川理事長としては 他の重賞レースの開催を妨害しないように たった1レースだけの決勝トーナメントの日程調整には随分と骨を折ったようである。

 

 

『第68条:競走の数は、1日につき12以内とし、日出から日没までの間に行う』

 

 

その結果、決勝トーナメントは重賞レースが開催されている競バ場以外の場所で開催し、それでいて1レースだけの開催としながら異例の13レース目に相当する時間帯を指定し、日本全国で同時中継できるように各方面に掛け合ったそうなのだ。

 

これによって、最終的な『URAファイナルズ』決勝トーナメントの日取りは都内の学校の卒業式が終わった直後の3月16日に設定されることになり、G3レース『フラワーC』『ファルコンS』が終わった後に満を持しての開催となるとのこと。

 

 

そんな内容の説明が『URAファイナルズ』準決勝トーナメントのレースの合間に流れる特別番組でなされた後、私は昨日に引き続き『URAファイナルズ』準決勝トーナメント観戦プログラムの場で、積極的に担当ウマ娘:アグネスタキオンの売り込みを行っていた。

 

これは“最強の七冠バ”シンボリルドルフに続く“無敗の三冠バ”ミホノブルボンが新バ戦(メイクデビュー)前から相当数のファン数を獲得して人気投票で出走権が得られる『宝塚記念』『有馬記念』への布石を打っていたことにならった地道な営業活動でもあった。

 

しかし、これがなかなかに効果覿面で、この観戦プログラムにやってくるのは自分こそがターフの上で栄光を掴むと意気込んでいる未来のスターウマ娘たち以上に、テレビ画面からウマ娘レースを見ていることが多い一般人ばかりなのだ。

 

要は、実際に競バ場まで行って自分たちの推しを応援するファンや関係者とはちがって、ここに集まっているのはどちらかというと過去のウマ娘レースで名を残した往年の名バたちに会えることを楽しみにしているような古参ファンやよくわからないけど有名人が来ているなら会ってみようとやってきたミーハーが多いのだ。

 

そのことは何ら悪いことはない。自分たちがウマ娘レースに熱狂していた頃の名バに会える機会を古参ファンに提供することで観戦プログラムに来てもらって、子供たちと世代を超えて『URAファイナルズ』という新たなレースを心に刻ませるのが目的でやっていることなのだから。

 

つまり、夢の舞台の実情をよく知らない人たちだらけというわけで、こうした層はトレセン学園のファン感謝祭に足を運ぶことも稀であるため、ここで学園で悪名高い担当ウマ娘“触れるべからずのタキオン(アンタッチャブル・タキオン)”への第一印象を最高のものにしておけば、あらかじめファン数を稼いだ状態で新バ戦(メイクデビュー)に挑むことができるようになるのだ。

 

業界への話題性は元より十分だろう。前代未聞の高等部2年生からのメイクデビューであり、過去に何度も退学勧告を受けてきた超問題児“アグネス家の最高傑作”がいよいよ歴史の表舞台に姿を現すのだから。

 

私が担当ウマ娘に求めているのは未来の歴史に存在しないタイムパラドックスであり、神話として語り継がれるほどの偉業の達成であり、そのためにはアグネスタキオンというウマ娘に触れたそれぞれが生き証人となって神話を語り継いでくれる語り部になってもらわなければ困る。

 

そのため、現地に足を運んで観戦している熱心なファンには申し訳ないが、私が求めるのはアグネスタキオンという存在に心を奪われてウマ娘レースに関心を寄せるようになる新規ファン層の開拓であり、にわかファンにアグネスタキオン最強説を吹聴してもらいたいのだ。

 

そして、このOB会が主催する観戦プログラムもまた『URAファイナルズ』を毎年盛り上げるために恒例化させることが決まったため、現地で観戦するよりも超大物ゲストとして呼ばれることになる歴代の名バたちとここで繋がりを持った方がイメージ戦略としては大変有効なのだ。

 

実際、この第1回となる最初の『URAファイナルズ』観戦プログラムだけで、オグリキャップ、タマモクロス、スーパークリーク、マルゼンスキー、シリウスシンボリといった暗黒期に活躍した名バたち、黄金期の象徴である“皇帝”シンボリルドルフとの集合写真に私の担当ウマ娘が堂々と入っているというだけで宣伝効果は抜群である。

 

また、トレセン学園が世界最先端のハイテク校を目指していることもあって、そういった最先端テクノロジーの紹介コーナーでは私と私の担当ウマ娘の独壇場となるため、ウマ娘レースにそこまで興味を持っていなかった層や昔ながらの古参ファンからはアグネスタキオンこそが次世代を象徴するウマ娘であると印象付けることに成功した。

 

意外なのは、そのアグネスタキオンが特にファンという程の関心を持っているわけでもない子供たちの相手に真摯に向き合っていたことだった。

 

私もそのアグネスタキオンの担当トレーナーとして場にいるわけで、古参ファンに昔のウマ娘レースの何が素晴らしかったのかなどを積極的に聞き込みをして歓談をしながら交流を深めていったのだが、第3の性としてヒト社会に溶け込んでいるウマ娘の存在はやはり全体的に見れば希少な存在なのだと口々に語られることになった。

 

というのも、かつてハイセイコーによって第一次競バブームが到来した際、日本ではヒトとウマ娘との結婚が盛んになり、ウマ娘;とりわけ競走ウマ娘の年間出生数が世界第3位に食い込んでいた時期があったのだ。

 

それでも、その時の競走ウマ娘の年間出生数はたったの1万人超であり、日本でのヒトの出生数が年間100万人前後なのを考えたら、やはり第3の性であるウマ娘はヒト社会においては圧倒的少数派であった。

 

ところが、段々とヒトを超越した身体能力と闘争本能を持つウマ娘と結婚することがどういうことなのかが知れ渡っていくに連れ、ウマ娘との結婚を控える流れが生まれ、現在では競走ウマ娘の年間出生数のランキングでは第5位:7000人程度にまで激減している。

 

そのため、世界的に見てウマ娘大国に数えられる日本においても、実際にウマ娘と間近に触れ合える機会は少なく、ヒーローショーでしか会えないマスコットキャラクターのような感覚があるのだとか。

 

もちろん、この時代だと女性の社会進出もようやく本格化していたが、圧倒的少数派の第3の性であるウマ娘はオフィス街で見かけることは確率的にかなり低いこともあって、黄金期を迎えて人気絶頂とされるウマ娘レースとは裏腹にヒト社会におけるウマ娘の社会進出もまた問題を抱えていることを知ることになった。

 

なので、子供の好奇心に興味津々なアグネスタキオンの科学者としての振る舞いは意外にもウマ娘レースとは縁遠い一般家庭の子供にとっては親しみやすいものがあるらしく、見ていて安心するものがあるらしい。

 

正直なところ、私も思うのだが、国民的スポーツ・エンターテインメントである『トゥインクル・シリーズ』に興味がない世事に疎い例外的な層からすれば、ウマ娘レースの何が持て囃されているのかがわからないところがある。なんで走った後に踊るのかという初歩的な疑問を抱いている層も多いことだろう。

 

そして、そのためにウマ娘のクラスメイトがいない子供時代を送っている小学生ほど、第3の性であるウマ娘がテレビで存在が語られる半ばファンタジーの存在だと捉えており、外国人を見るような眼で見ているのだとか。

 

だから、もしも競バ場によく足を運ぶウマ娘レースのファンがこの観戦プログラムの方に数多く足を運んでいたのなら、超豪華ゲスト陣の人気に便乗した私の担当ウマ娘の人気取りはそこまで成功しなかったかもしれない。普通にウマ娘レースのファンはウマ娘レースで活躍した過去の名バたちにファンが群がるからだ。

 

しかし、あらためてウマ娘が身近ではない人たちにウマ娘のことを語らせるとなったら、理知的で情熱的に語ることができるアグネスタキオン以外に適任者はいないことだろう。

 

他にも、トレセン学園卒業生を代表するOB会が暗黒期で活躍したオグリキャップやシリウスシンボリらを中心に動いていることもあって、その世代からバトンを渡された“皇帝”シンボリルドルフが後事を託した相手である私への信頼、アグネスタキオンのメイクデビューを全力で応援することを密約で交わしたシリウスシンボリの意向もあって、明らかにアグネスタキオンに注目が集まるように会場が誘導されていた。

 

つまり、この時点でアグネスタキオンの後援者には“ウマ娘のウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘レース”を標榜する『名家』や暗黒期を打ち破ったウマ娘レースの人気再燃の立役者たちが勢揃いしているわけであり、この星の未来を変えてしまうような神話の誕生に向けた準備は着々と整いつつあったのだ。

 

ウマ娘レースで歴史に残る活躍をしてきたトレセン学園卒業生のオグリキャップやシンボリルドルフがアグネスタキオンの肩を持つようになったら、誰がアグネスタキオンの在り方を否定できようか――――――。

 

こうして退屈に思えていた『URAファイナルズ』準決勝トーナメントだったが、結果としては競バ場に足を運ぶほどそこまでウマ娘レースに熱心ではない層への理解と私の担当ウマ娘の知名度を観戦プログラムで得ることができたため、得るものが大漁で大成功と言えた日になったのだ。

 

 


 

――――――都内の子供たちを集めた『URAファイナルズ』準決勝トーナメント観戦プログラム2日目

 

 

アグネスタキオン「見た目はヒトと同じ。しかし、その筋力はその数倍」

 

アグネスタキオン「この驚異の肉体が、どこまで行けるのか――――――」

 

アグネスタキオン「幼心に、このロマンを追究しないだなんて嘘だなんて思っていた」

 

アグネスタキオン「更に言えば、私には走る才能がある。それが客観的な事実だ」

 

アグネスタキオン「だからこそ、自分の目で、その脚で到達したい」

 

アグネスタキオン「それがヒトを凌駕する身体能力と闘争本能を持ったウマ娘の性なら、尚更 その奥にあるものをこの手に掴みたいと、そう願って私は“待つことを選んだ”というわけなのさ」

 

アグネスタキオン「まあ、結果として4年間も待つことにはなったが、今の私は最高の気分でメイクデビューを迎えられそうだよ」

 

アグネスタキオン「にしても、神秘とも評されているウマ娘、それに並ぶ脚力を得たいと言うきみの憧れは実に無謀!」

 

アグネスタキオン「しかし、だからこそ、おもしろい!」ハッハッハッハ!

 

アグネスタキオン「ただ、実際にヒトがウマ娘と同等の能力を得たいのなら、それはウマ娘そのものになるしかないわけだから、少し見方を変えようじゃないか」

 

アグネスタキオン「要は、きみ自身の目的を叶える手段としてウマ娘のようなスピードが欲しいと本当に思っているかを見極めることだ」

 

アグネスタキオン「きみはウマ娘ではなくヒトの子なのだから、ヒトの子が走るレースを懸命に走った結果1位を獲って嬉しいかどうかを考えたまえよ」

 

アグネスタキオン「その上で、ヒトの限界を超えてウマ娘の脚力が欲しいのなら、研究あるのみ」

 

 

――――――未来のきみの成果に期待しているよ、私は。

 

 

シリウスシンボリ「何だかんだで、学園一危険なウマ娘と評されているアグネスタキオンも子供には優しいんだな」

 

斎藤T「目指しているものが家の名誉のためでもなく、レースの勝利でもなく、ただウマ娘の可能性を追究したいという純粋な興味ですからね。不可能や限界、未知への挑戦といったものには強く心惹かれるものです」

 

斎藤T「男として生まれたからには誰でも一生の内一度は夢見る“地上最強の男”――――――。それに憧れるようなものです」

 

シリウスシンボリ「まあ、あんたのウマ娘が目指すのは“クラシック八冠ウマ娘”とかいう“皇帝”も“覇王”も裸足で逃げる前代未聞の記録への挑戦だからな」

 

シリウスシンボリ「たしかに、ヒト最速記録が45km/h。しかも、それはヒトの短距離走での記録であって、70km/hをkm単位で出せるウマ娘の脚力に敵うわけもない」

 

斎藤T「そもそも、最速記録保持者が成人男性のオリンピック選手と、未成年の“本格化”の時期が最盛期のウマ娘とではまず比較の対象としても不適格に思いますが」

 

シンボリルドルフ「しかし、その歴然たる事実を誰よりも理解して突きつける立場になったとしても、それであきらめさせないところが彼女の良さでもあります」

 

シンボリルドルフ「実際、彼女はトレセン学園の競走ウマ娘としては非常に困難な“待つこと”をやり抜いたのです。実を結ぶまでの苦労や喜びを誰よりも理解しています」

 

斎藤T「ところで、もしもあの子が研究の末にウマ娘並みの脚力を実現させたら、トレセン学園としては受け容れる用意はあるのですか?」

 

シンボリグレイス「……理屈の上では可能ではありますね。トレセン学園の入学資格はハロン走で指定されたタイムをクリアすることですから、試験レースの順位はあまり重要ではないです」

 

シンボリグレイス「ただ、ウマ娘用のトレーニング器具を使いこなせるかの試験も入っていますので、脚力だけウマ娘並みになれたとしても、そこで落とされる可能性が非常に高いですね」

 

斎藤T「あ、そっかぁ」

 

シンボリグレイス「しかし、ウマ娘にヒトが勝てないのは歴然とした事実でもあります」

 

斎藤T「でも、サーベルタイガーが滅んだのはその象徴となる牙故だと言いますよ」

 

シンボリグレイス「……それも真実ですね」

 

シンボリグレイス「私もこうして一人の社会人として生きてきて、いかにウマ娘がヒト社会において不便を強いられているかが身に沁みて理解できます」

 

シリウスシンボリ「まあ、ヒトを軽く超える身体能力と闘争本能を抱えたウマ娘がヒト社会でうまくやっていくのは相当な苦労があるもんな。カッとなった時なんて取り返しがつかないぐらいに致命的だしな」

 

斎藤T「だから、ウマ娘のセカンドキャリアは昔ながらの力仕事の単純作業か、容姿を活かした広報や受付などに限られてくるわけですね」

 

 

――――――それがウマ娘という第3の性の性役割(ジェンダーロール)だと言わんばかりに。

 

 

斎藤T「そして、希少な第3の性であるウマ娘への肯定的措置(アファーマティブ・アクション)によって、とにかく会社で優遇されることに不満を抱かれていると」

 

斎藤T「まあ、そもそもの個体数が少ないからこその保護政策ですからね」

 

斎藤T「ウマ娘はどこまでいってもヒトの女性ではなく第3の性:ウマ娘ですから、同性の仲間を固めておかないと気が休まらないですからね」

 

斎藤T「とは言っても、闘争本能が強いウマ娘ですから、会社内で替えが利かない同性の仲間同士で張り合うことも多いわけですから、会社としてはウマ娘を雇うことに相当なリスクを感じているそうです」

 

シンボリルドルフ「……そうか。やはり前途多難だな」

 

斎藤T「それでも、日本はウマ娘大国としてよくやっている方だと思いますよ」

 

斎藤T「ご存知かと思いますが、世界の競走ウマ娘の年間出生数は10万人を切ることになったのに対し、日本では最盛期の1万超えしていた頃と比較するとさすがに落ち込んだままですが、年間7000人前後を維持しながら近年だと回復傾向にありますから」

 

斎藤T「これもみなさんが黄金期でもたらした繁栄の証の1つでしょう」

 

シンボリルドルフ「なるほど。そういってもらえると助かります」

 

シリウスシンボリ「けど、世界全体でウマ娘の赤ん坊が生まれた数が減っているってのは、あまり穏やかじゃない話だな」

 

シンボリグレイス「世界普遍化(グローバリゼーション)が進んだ結果、地域主義(ローカリズム)国家主義(ナショナリズム)が台頭して強い反発が起きたのと同じことが、ヒトとウマ娘の融和においても起きているのでしょう」

 

シンボリルドルフ「ウマ娘への肯定的措置(アファーマティブ・アクション)の反動がいずれ――――――、いや、すでに世界中で起きているというわけなのか」

 

斎藤T「どうなのでしょうね」

 

斎藤T「調べてみると、広大な土地を持つアメリカとオーストラリアの競走ウマ娘の年間出生数が不動のツートップになっているわけですが、それでも万単位ですよ。アメリカの人口が3億に対して2万強、オーストラリアが2500万人に対して1万3千程度だとすると少なすぎるぐらいです」

 

斎藤T「そして、ハイセイコーの時代に日本が第3位になっていた時は1万超えして、今では第3位はアイルランドの1万弱、第4位がアルゼンチンの7000強で第5位の日本に追い抜かれそうな予感」

 

斎藤T「そこから後続が突き放されて、第6位のフランス:5000強、第7位のイギリス:5000弱――――――」

 

斎藤T「ドイツに至っては800、イタリアに至っては500、中国に至っては100、UAEに至っては1か0ですから!」

 

斎藤T「香港やドバイで世界ランキングに響く国際重賞レースが幅広く開催されている割には、薄情なものだと思いませんか?」

 

斎藤T「まあ、外国人嫌悪(ゼノフォビア)女性嫌悪(ミソジニー)以上の異種族嫌悪の対象になっているのかもしれませんが」

 

シンボリルドルフ「……ウマ娘がヒトに勝てたところで共存できなければ意味なんてないな」

 

 

斎藤T「そういう意味では、日本は出生数:0のUAEに続く 全レース賞金総額 不動の第2位のウマ娘大国を超越したウマ娘天国ですから」

 

 

斎藤T「聞きましたよ。どうして本場ヨーロッパではなく、日本のトレセン学園でデビューしようとする留学生が多いのかを」

 

斎藤T「それは中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の平均的な賞金額が他国の重賞レースの平均的な賞金額を軽く上回っていて、その上で日本で独自に発展したアイドル文化と組み合わさった綺羅びやかなステージでのウイニングライブに憧れて来ている子が多いのだとか」

 

斎藤T「世界中のウマ娘にとって『トゥインクル・シリーズ』が開催される日本はまさに別世界に存在する夢の国のようなものに感じられるそうです」

 

斎藤T「ですから、今回の『URAファイナルズ』に対する海外の反応はあなた方が想像している以上に驚きと感動があったように思えます」

 

 

――――――自信を持ってください。問題は山積みですが、『URAファイナルズ』の理念は必ずや世界さえも良い方向へと変えていくことでしょう。

 

 

それが私の中でようやく出すことができた『URAファイナルズ』への最終的な評価であった。

 

というよりは、世界の未来を変えないと並行宇宙からの侵略者であるWUMAに地球征服される()()()()()がやってきてしまうため、世界全体がより良い方向へと大きく変わるきっかけになる可能性に賭けたといったところだ。

 

そのためなら、『URAファイナルズ』開催によって起きるトレセン学園における諸問題など些末なものであり、少しばかり学園の問題に首を突っ込みすぎていたと反省していたところなのだ。

 

というのも、私がウマ娘という異種族とあまりに身近な生活を送っていたため、今回の観戦プログラムでウマ娘レースとは縁遠い一般人の方々と歓談を交わしていくうちに、第3の性としてヒト社会に馴染んでいると思われたウマ娘が実は世界的に見ればとんでもない少数種族だとわかってしまったからなのだ。

 

だって、おかしいもん。ウマ娘大国と理解されるパート1に分類されるドイツの競走ウマ娘の年間出生数がたったの800で、世界最高賞金額レースが開催されるドバイで有名なUAEに至っては0か1かのとんでもない数字が出てきてしまった。

 

そして、世界全体の年間出生数の桁数と年々減少傾向にあることを知ると、これはウマ娘が自分たちの種族の生存を賭けてヒト社会に対して反乱を起こす可能性すら浮かんできてしまったのだ。

 

いや、WUMAが()()()()()で地球征服を果たした時、元からヒト社会で不自由を強いられているウマ娘がWUMAの同胞として支配者層に迎え入れられてヒトを支配するようになる大本の原因はまさしくこれではないのかと――――――。

 

そう言えば、ウマ娘という異種族を見たことがない移民たちがウマ娘を悪魔の化身やらアニメのキャラと誤解して傷害事件を起こすカルチャーショックが起きたとかいう海外のニュースもチラホラ見受けられる。

 

そう、競走ウマ娘以外にも様々な職種に適応した遺伝子を持つウマ娘がいるわけで、警察バ、格闘バ、農耕バ、荷役バなどが多種多様にいるのだが、それでもヒトの男女と比べて圧倒的少数派の第3の性故に、ヒトだけの暮らしをしてきた田舎者がウマ娘の異形の姿に驚くのも無理はない。

 

そのことを思うと、はたして重賞レース『アグネスタキオン記念』なるものを創設したところで何かが変わるような気がしなかった。世界にとってどれほどの影響力があるというのか。

 

 

 

――――――そして、それは【長距離部門】の2日目11レースであった。訂正:11レース目の時間の8レース目であった。

 

 

 

アグネスタキオン「おや、カフェじゃないかい、あれは!」

 

シリウスシンボリ「そして、“グランプリウマ娘”ライスシャワーか」」

 

ソラシンボリ「どっちも黒を基調としてよく目立ちますね」

 

シンボリグレイス「成績としてはどちらも世代の中心となったトウカイテイオーやミホノブルボンの後塵を拝すことになりましたが、いずれのレースでも好走を記録している長距離ウマ娘(ステイヤー)ですね」

 

シリウスシンボリ「昨日の11レース目の時間:メインレースにミホノブルボンが選出されていた辺り、ライスシャワーが世代の二番手って立ち位置は確立されているみたいだな」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――嫌な組み合わせだな。

 

 

斎藤T「あ」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

斎藤T「……どうかなさいましたか?」

 

シンボリルドルフ「少し思い出したことがあったんだ」

 

シンボリルドルフ「なあ、タキオン? きみは私にトウカイテイオーよりもマンハッタンカフェこそがウマ娘の頂点に立つ逸材だと大絶賛していたな?」

 

アグネスタキオン「ああ、そうだっただろう。世代の中心だったトウカイテイオーやメジロマックイーンがターフの上から去った今でもマンハッタンカフェは走り続けることができている――――――」

 

シンボリルドルフ「そうだな。きみの見立ては合っていたと思う」

 

シンボリルドルフ「もちろん、予言書の裏付けがあったとは言え、“シンボリルドルフ以来となった功績”を築き上げると予言された実力は本物だ」

 

アグネスタキオン「ただ、残念なことにトウカイテイオーとメジロマックイーンがいたことでそれは叶わなくなったがね」

 

シンボリルドルフ「ああ。でも、きみの言う通り 予言書を覆して“それでも走り続ける”ことができているんだ」

 

 

――――――いったい何がこの差をわけたのだろうな?

 

 

シンボリルドルフ「ほぼ予言書通りの苦難の道を歩んだトウカイテイオーとメジロマックイーンの栄光を褒め称えるのは容易い」

 

シンボリルドルフ「だが、『無事是名バ』というように、予言書の内容を覆してマンハッタンカフェが栄光は掴めなくても今もターフの上を走り続けることができていることを喜ぶべきなのかな?」

 

シンボリルドルフ「私はその答えを持ち合わせていないのだ」

 

シンボリルドルフ「ライスシャワーにしても、予言書の通りならミホノブルボンの“無敗の三冠バ”達成を阻止して勝ったのに“悪役(ヒール)”扱いとなり、翌年のメジロマックイーンの『天皇賞(春)』も奪い取って“悪役(ヒール)”の名を不動のものにしていたはずなんだ」

 

シンボリルドルフ「なのに、そこでミホノブルボンとメジロマックイーンに負けて好走になったからこそ、かえって悪名がつくことなく素直にウマ娘ファンの祝福を受けられるようになったことをどう受け止めたらいいのだ?」

 

アグネスタキオン「……さてねぇ。私もその予言書から外れて4年間も待ち続けたものだから、自分の選択が間違っていたなんて思いたくもないけど、待つことを選択しなかった場合の内容もあながち間違いじゃないからねぇ」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――人生万事塞翁が馬だな。

 

 

アグネスタキオン「え」

 

シンボリルドルフ「うん?」

 

斎藤T「いえ、気にしないでください」

 

斎藤T「ただ、予言書の内容にあったように、『シンボリルドルフとオグリキャップが同学年になってペアでフィギュアスケートをする可能性の世界』も存在するとあったぐらいです」

 

斎藤T「そんな荒唐無稽に思える可能性の世界が無数に広がるのが、私たちが常に希望の象徴として唱える“無限の可能性”なのですから、本当にいろんな可能性があるわけなのですよ」

 

斎藤T「でも、どれだけ可能性の輪が広がろうとも、ここにいる自分自身が望むことは変えようがないはずですよ」

 

斎藤T「なら、確実に言えることは顧客満足度(Customer Satisfaction)を少しでも上げる努力だけだと思いますけどね」

 

斎藤T「何のためにターフの上で走るかなんて人それぞれなんですから、それを満たしてあげてセカンドキャリアに送り出せれば、トレセン学園の社会的責任は十分に果たせたのではありませんか?」

 

 

――――――終わり良ければ全て良し。

 

 

斎藤T「そういうことじゃありませんか?」

 

シンボリルドルフ「……ありがとう。本当にありがとう」

 

斎藤T「どういたしまして」

 

アグネスタキオン「つまり、勝っても負けても望みが叶う人生が最高というわけだね」

 

斎藤T「ちがうぞ。どんな状況になっても 望みが叶わなくても そこに喜びややり甲斐を見いだせたら勝ちなんだ。なんでも興味を持って、なんでも楽しめたら、人生はバラ色ということだ」

 

斎藤T「逆のことを考えてご覧よ。愚痴愁嘆嫉妬癇癪不平不満ばかりの人生って何がおもしろいんだか」

 

斎藤T「だから、全ては成長の糧として次に繋がればいい。理想は高く求め、現実はほどほどにしてね」

 

斎藤T「現実なんてそんなもんだと思いながらも、それでも理想を追い求めることが素晴らしいのだから」

 

斎藤T「そういうわけだから、予言書とちがったことになっても、本人が納得しているのならそれでよし。報われなかったのなら、そのことを胸に秘めて ますます理想に邁進すればいいのさ」

 

斎藤T「その想いは必ずや報われる」

 

 

――――――情けは人の為ならず。

 

 

斎藤T「そのことを取り違えちゃいけない。自分の心を重たくするだけの情けは不要だ。時には自分の痛みをわかってもらうために訴えることも心の教育に繋がる」

 

斎藤T「言わなくちゃわからないのだから。そういうことを感じているのだと伝えなくちゃ、双方の善意も空回りするだけだから」

 

アグネスタキオン「………………」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

斎藤T「まあ、古の教えも時を経れば その真意が裏返ってしまうこともあるのだから、そこが人間の度し難いところでもあるし、肉体に囚われているが故の苦しみでもあるわけですがね……」チラッ

 

 

マンハッタンカフェ?「――――――」

 

ライスシャワー?「――――――」

 

 

斎藤T「………………」カチッ ――――――こっそりポケットラジオの録音再生機能で悪霊祓いのBGMを小音量で流した。

 

ソラシンボリ「……さっきからどこを見ているんだろう、斎藤Tは?」ボソッ

 

アグネスタキオン「……なら、世界でたった一人 タイムリープによってあらゆる可能性を紡ぎ出せるきみの孤独はわかちあえるのかな?」ボソッ

 

シンボリルドルフ「……『肉体に囚われているが故の苦しみ』か。そこから解放されたら、私は もう一度 愛する人に会うことができるのだろうか?」ボソッ

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

シンボリグレイス「さすがは“皇帝”シンボリルドルフの後継とも言われた “サイボーグ”ミホノブルボン――――――、そして、驚異の天才トレーナー」

 

シンボリグレイス「そんな2人に良きトレーナーに支えられながら立ち向かい続けた駿バです」

 

ソラシンボリ「ライスシャワーの勝ち!」

 

シリウスシンボリ「また勝ちきれなかったな、マンハッタンカフェのやつ」

 

シリウスシンボリ「ただ、結果はクビ差で後続を大差で突き放してライスシャワーに食らいついていたわけだから、実力としてはライスシャワーと互角どころか、“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”メジロマックイーンにも引けを取らないかもしれないな」

 

シリウスシンボリ「ホント、運がないというか、長距離ウマ娘(ステイヤー)としては一級品なのに惜しいもんだな」

 

シリウスシンボリ「なあ、あんた。自分の担当ウマ娘を神話にしたいなら、『菊花賞』で戦うことになる長距離ウマ娘(ステイヤー)の対策は――――――」

 

シリウスシンボリ「うわっ!?」ビクッ

 

 

斎藤T「」ガクガク・・・ ――――――振り向くと顔面蒼白で足元には水溜りができていたぐらいだった!

 

 

シリウスシンボリ「おい!? 何だよ、これは!?」

 

アグネスタキオン「うわっ!? これはいったいどうしたんだい、トレーナーくん?! まさか、失禁したわけでもあるまい!?」

 

シンボリグレイス「え、えええええ?! さっきまでこんな水溜りなんてなかったじゃないですか!?」

 

シンボリルドルフ「大丈夫か、斎藤T!? 一瞬の間に何があったと言うのだ?!」

 

ソラシンボリ「誰かに水を引っ掛けられたの?! そうだよね!? ねえ!?」

 

斎藤T「」フゴフゴ・・・

 

アグネスタキオン「トレーナーくん!」

 

シリウスシンボリ「おい、何だって!? 何って言ってる!?」

 

シンボリグレイス「そんなことより、要救護者の安静が最優先ですよ、シリウス!」

 

ソラシンボリ「どいてくださーい! 要救護者を控室に運びますから!」

 

シンボリルドルフ「い、いったい、何が起きたと言うんだ……」

 

斎藤T「」フゴフゴ・・・

 

 

――――――頽バだ! 最強の妖怪:頽バが2人の前を走っていた!

 

 

意識の世界は空間を超越する――――――。

 

私は巨大なモニター越しに映し出された『URAファイナルズ』準決勝トーナメント2日目の大一番となる第8レース【長距離部門】で他の追随を許さない黒と影の長距離ウマ娘(ステイヤー)の一騎討ちを眺めていた。

 

どちらが勝つかは未知数であったが、さすがは“無敗の三冠バ”ミホノブルボンに次ぐ実力者と目された“グランプリウマ娘”ライスシャワーと、トウカイテイオーやメジロマックイーン以上の才覚の持ち主のアグネスタキオンが自ら推したマンハッタンカフェといったところで、後続集団を完全に突き放してのクビ差のゴールであった。

 

そこまでは普通だったのだが、その一瞬だけ時間が巻き起こったのである。

 

ゴール直前の写真判定の映像再生のようにゴール板を前にしたスローモーション映像が再生されると、そこには禍々しく2人の前を光る風を遮るスリップストリームを創り出す異形のウマ娘の姿が先にゴール板を通過していたのだ。

 

それを見せつけられた瞬間、視界がマンハッタンカフェとライスシャワーの後方に移ったのだが、眼の前から暗黒空間の風が迫り、包みこまれると身体が一瞬で氷漬けにされたのである。

 

これがゴール板を1着で通過するものが浴びることができる夢の舞台における栄光である光の風を受けることができなかった世界の冷たさであり、あの妖怪:頽バは目に見えない世界で2人よりも疾く駆けることでスリップストリームを創り出して2人が受けるはずだった光る風を遮ったのだ――――――。

 

そのことがいかなる意味を持つのかを身を以て体験させられた私は、魂の防衛機制の結果なのか、目に見えない次元の心胆を寒からしめる極寒を現実世界に異常な冷気として置き換えることで素早く平静を取り戻すことができたのだった。

 

風邪を引いた時に熱が出るのは風邪の原因となるウイルスに感染したのを免疫細胞がサイトカインという炎症物質を放出して自ら炎症を引き起こした結果であり、要は人体を害するウイルスを自らを燃やした熱で焼き殺しているのだ。

 

それと同じように、目に見えない次元で受けた害を目に見える世界での現象に置き換えることで災いを被害最小限に抑えたのが異常なまでの発汗による熱放散と脱水症状からくる倦怠感と凍える寒さの効能であったのだ。

 

実際には、任意で筋肉破壊を起こして超回復を自由自在に行うようにする肉体改造強壮剤によって私の身体機能が常人離れしていたせいでもあるのだろうが、

 

しかし、こうもライスシャワーとマンハッタンカフェの姿をした悪霊だけじゃなく、人霊がウマ娘の姿に化けた妖怪:頽バがその2人に対して災いをもたらそうとしていることが一層気になるようになってきた。

 

それは予言書『プリティーダービー』においても、栄光のままで終わることができず転げ落ちるように不幸や災難に見舞われるウマ娘であることが語られてもいたのだが、ウマ娘に不運をもたらす死神の正体が妖怪:頽バとなると話は一気に複雑化してくる。

 

今まで学園校舎で何度か交戦してきた妖怪:頽バであったが、初めてレース中に姿を現して具体的に悪事を働いている姿を見てしまうと、俄然 震える身体に沸々と沸き上がる怒りが身体の芯を燃やすかのように熱くさせる。突然 冷や水を浴びせられたら嫌でもカッとなるものがある。

 

どうやら、新年度を迎える前に これまで接触を避けてきた最強の妖怪:頽バと真正面からやりあう必要があるようだ。そして、完膚なきまでに叩きのめす必要があるときた。

 

そう、モニター越しでもそこにいるかのように感じ取れることができるのなら、これまで学園裏世界でしか入ることができなかった禁断の領域:トレセン学園学生寮にもいる頽バともカメラ越しに対峙することも可能になる。

 

問題は、現実世界のトレセン学園学生寮で学生寮の隅から隅まで探検して妖怪退治に協力してくれる戦場カメラマンとなる勇敢なウマ娘――――――、

 

しかも、ただのウマ娘ではない。悪想念の塊である妖怪たちの悪の波動に負けない強靭な精神力と耐性を持つ適正者じゃなければ、魂を持っていかれて みすみす妖怪の仲間入りをさせることになるのだ。

 

 

――――――そして、すでにその候補は見つけていた。見つけるための手段はすでに揃っていたのだ。

 

 

さあ、盛大に歓迎しようではないか。

 

旧正月を迎えて、新年度に向けて続々と新しい人との繋がりが結ばれていく中、私の担当ウマ娘のメイクデビューはまだまだ先だというのに、新たな戦いもまた激しさを増していこうとしている。

 

相手が肉体を持たぬ不自然なる存在ならば、こちらは生命ある自然の存在としての全力を尽くすのみだ。

 

 

――――――闇があるからこそ光に憧れ、光があるからこそ闇に魅せられるものだ。そこに善悪などないのだから。

 

 



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合格報告  生命の泉から零れた一雫

 

トレセン学園から合格通知が届いた時は、試験レースのハロン走で堂々の1位だったこともあって絶対に受かると思っていたけど、本当に嬉しいものがあった。

 

近代ウマ娘レースにおいてはパート2国の扱いを受けている祖国を一人出て、遥々と極東の島国にやってきた時、なぜだかひどく懐かしい気持ちになれた。

 

祖国や遠征先の大都会とも異なるトーキョーの空港に降り立った瞬間に、私はなぜだか本当に涙が止まらず、世界的に有名なゲームキャラによる『Welcome to Japan』が私の心を揺さぶった。ここまで頑張ってきたことが本当に報われた瞬間に思えた。

 

 

そう、子供の頃から日本のアニメやゲームに慣れ親しんでいたこともあったのだけれど、何かの特集で日本の中央競バ『トゥインクル・シリーズ』でオグリキャップの名前を知った瞬間、『日本に行こう!』という決意が湧き上がって、

 

パート2国の出身とは言え、競走ウマ娘として生まれてきた以上は、ウマ娘レースで自分がどこまでやれるのかを試したいというウマ娘特有の闘争本能を初めて自覚した瞬間でもあった。

 

だから、私はEUに加盟する必要がないぐらいに水産業や北海油田の開発で裕福な国の支援を受けて、日本のウマ娘レースでトレーナーと取引材料になりそうな本場ヨーロッパの芝のサンプルや情報を手土産に極東の地を目指してきたのだ。

 

そして、『悲壮な顔をしてこの絵の前に立ってください』というユーモアが込もった駐日大使館でお世話になりながら、祖国に帰る前に世界が驚愕した異例のトーナメント戦『URAファイナルズ』の準決勝トーナメントを都内のイベント会場で観戦することになった。

 

 

すると、そこには日本で伝説的なウマ娘と称えられている、私が日本を目指すきっかけになった、私が競走ウマ娘であることに目覚させた、あのオグリキャップがいたのだ。

 

 

私は思わず立ち止まってジッと見つめてしまっていた。

 

そのことにオグリキャップも気づいて自ら歩み寄って自分が食べていたものを勧めてきた時はこれが現実のこととは思えないぐらいに感極まっていた。

 

本当に()()()()()()()()()()()()()と涙ぐんでしまうと、今度は困った表情のオグリキャップが何かを閃いて突然いいこいいこされた時には、もう頭の中が破裂しそうになっていた。

 

そこから更にタマモクロスとスーパークリークといった日本競バ界のスターウマ娘にも可愛がられることになり、気づいたら私は控室でチャイルドスモックを着せられてガラガラを持った満面の笑みを浮かべたスーパークリークにあやされていた。

 

ありのままに その時 起きたことを思い返すと、自分が何をされたのかもわからないぐらい、何がどうなってこうなってしまったのかの経緯すらも吹っ飛んでしまっていた。

 

ただ、日本の学制に合わせて7年制の初等教育を飛び級で卒業して 極東のトレセン学園を目指した来た日々は本当に遮二無二で、祖国にいる家族や友人たちよりも先に大使館の人たちに合格祝いをしてもらった後に、日本競バ界のスターウマ娘に優しくしてもらったことは本当に嬉しくて嬉しくてしかたがなかった。

 

そして、私はふと我に返って、『どうして見ず知らずのウマ娘にここまで優しくしてくれるのか』と訊いたのだ。

 

すると、ガラガラを持って満面の笑みを浮かべていたスーパークリークはスッと真面目な表情になった。その答えは――――――。

 

 

――――――たぶん、あの人に似ていたから。あの人の子供はこんな感じなのかなって、つい思っちゃって。

 

 

私はもうドキドキが止まらなかった。さっきまで赤ちゃんを可愛がる表情から変わって大切な人を思う女性の表情があんなにも綺麗だなんて思わなかったから。

 

スーパークリークが言う“あの人”ってことは、つまりは『トゥインクル・シリーズ』を二人三脚で戦い抜いて一心同体になった担当トレーナーのことなんだってことは使い古されたトレーナーバッジを大事にしている様子から見て取れた。

 

でも、とっくの昔にトレセン学園を卒業して社会人として働いているスーパークリークが私のことを“あの人の子供”に重ね合わせているのはどういうことなんだろうと思っていると、

 

よくよく考えると、私自身もジャパニメーションが大好きなんだけど、どちらかというと女の子向けのメルヘンなアニメよりもウマ娘の闘争本能を高ぶらせそうな熱血・友情・勝利に象徴される男たちの熱いバトルアニメが好きで、男子と一緒に混ざって聖闘士星矢ごっこで盛り上がっていたっけ。

 

ちなみに、私はおうし座生まれだから星座カースト制度では良くも悪くもない微妙な立ち位置だったけど、一般的に名バと呼ばれるウマ娘たちの誕生日が日本では3月から5月に集中していることを知ってジャパニーズ・ドリームをより一層目指そうと思ったのも、これがきっかけでもあった。

 

だから、その時の私はスーパークリークの担当トレーナーは腕白小僧な一面が強かった人なのだと勝手に想像していた。

 

だって、それがスーパークリークの趣味である“でちゅね遊び”をしたいという欲求を満たしたいと思う相手の条件であるはずだから――――――。

 

 

――――――そんな時だった。私の運命が変わる瞬間は。

 

 


 

――――――都内の子供たちを集めた『URAファイナルズ』準決勝トーナメント観戦プログラム2日目/控室

 

 

斎藤T「私はトレセン学園のトレーナーの斎藤 展望という新人だが、きみ、名前は?」

 

アクアビット「はい、アクアビットです!」

 

斎藤T「ああ、ノルウェーから来た子だったね。きみもジャパニーズ・ドリームを夢見てやってきた感じかな」

 

アクアビット「はい! オグリキャップに憧れて、ここまで来ました!」

 

斎藤T「そっか。憧れの人に会えてよかったね」

 

アクアビット「本当です! なんで私が控室で安静になっていたかも憶えていないぐらいに有頂天になってました!」

 

斎藤T「そうか。まずは夢が叶って良かったね」

 

斎藤T「ただ、それで満足していたら すぐに学園を去ることになるから、改めて学生証を受け取って学園の芝を踏んだら、しっかりと頑張るんだよ」

 

アクアビット「ありがとうございます!」

 

アクアビット「でも、斎藤Tはどうしてこちらのイベントの方に?」

 

斎藤T「まあ、簡単に言うと、メイクデビューさせる私の担当ウマ娘の売り込みのためだね。『宝塚記念』『有馬記念』といった“春秋グランプリ”はファンからの人気投票で出走権がもらえるわけだから、今からでもファン数を稼いでおこうと思ってね」

 

アクアビット「そうだったんですか」

 

斎藤T「きみもギネス記録になっている『有馬記念』に憧れているんじゃないのかい?」

 

アクアビット「はい! やっぱり、ウマ娘として生まれてきたからには自分の脚で栄光を掴み取りたいです!」

 

斎藤T「そうか。きみの脚質が日本の芝に合っていればいいね。知っての通り、日本の高速バ場での事故が絶えないからね」

 

アクアビット「あ、大丈夫ですよ! 日本の芝を輸入してもらって研究してきましたから!」

 

アクアビット「他にも、日本のウマ娘が多く参加しているフランスの芝とか、近代ウマ娘レース発祥の地のイギリスの芝とか、ドイツの芝のサンプルも持ってきてます」

 

アクアビット「私、本場ヨーロッパのウマ娘レースの最新情報を翻訳できますよ!」

 

斎藤T「……それはスゴイな」

 

アクアビット「――――――あ、目の色が変わった」

 

アクアビット「どうですか、斎藤T! ここで会ったのも何かの縁ということで、私のことをボトルキープ(仮契約)しませんか?」

 

斎藤T「――――――“アクアビット(ジャガイモを主原料とした蒸留酒)”だけに?」

 

アクアビット「はい!」

 

斎藤T「…………うん?」

 

アクアビット「?」

 

斎藤T「…………あれ?」

 

アクアビット「どうしたんですか?」

 

 

斎藤T「…………きみのウマ娘としての名前:きみに宿る異世界の英雄の魂の名は“アクアビット”で間違いないか?」

 

 

アクアビット「!!!!」ビクッ

 

アクアビット「……え、な、何ですか、急に?」

 

斎藤T「どうなんだい?」

 

アクアビット「……そ、そうですよ! 私は“アクアビット”です! それ以上でもそれ以下でもないですから!」

 

斎藤T「いや、別に責めているわけじゃない。私が面倒を見ることになったシンボリ家の子も偽名だし、だいたいにしてウマ娘の名は自己申告制だから虚偽を問われることもない」

 

アクアビット「え」

 

斎藤T「ただ、きみには『名家』の看板を背負う義務もないことだし、ウマ娘はみな自分に宿ることになった異世界の英雄の魂の名を大事にしていると聞かされていたから、自分で偽名を名乗るようになったことが不思議に思えてね」

 

アクアビット「あ…………」

 

斎藤T「嫌いじゃないよ、アクアビットって名前も。ウィスキーと同じで語源は“生命の水”だからね」

 

 

斎藤T「でも、辛くはないか?」

 

 

アクアビット「あ……」

 

アクアビット「あ…………」ジワッ

 

アクアビット「ああ………………!」グスン

 

アクアビット「う、ううう…………」

 

アクアビット「ううわあああああああああああ……!」

 

斎藤T「………………」

 

 

日本の地に降り立ってからの私は泣かされてばかりだった。

 

思えば、私が日本に憧れを抱いたのも、私の本当の名前を明かすことが許されない事情があるからこそ、それとは無縁の極東の夢の国に想いを馳せるようになったのかもしれない。

 

そう、“アクアビット(生命の水)”という名前は北欧諸国で有名なジャガイモの蒸留酒としてとてもありふれたものだったのだけれど、私はあえてそのありふれた名前で人生を生き通すことを決めていた。

 

 

――――――“レーベンスボルン(生命の泉)”。それが私の本当の名前だった。

 

 

斎藤T「……ドイツ語で“生命の泉(Lebensborn)”? どこも悪い意味じゃない気がするが?」

 

アクアビット(レーベンスボルン)「……戦時中のドイツの戦争犯罪として大いなる燔祭(ホロコースト)が世界的に有名ですけど、その原動力となった『アーリアン学説』についてはどこまでご存知ですか?」

 

斎藤T「いや、人間の都合で左右されるいいかげんな学説で、戦時中に同盟国だった日本人が名誉アーリア人認定されていたぐらいには」

 

アクアビット「実は、『アーリアン学説』の下に行われた経済の脱ユダヤ化以外にも『アーリア化』を目指した政策があったんです」

 

斎藤T「それが――――――」

 

アクアビット「はい」

 

 

アクアビット「ユダヤ人絶滅のための強制収容所と対照をなす、アーリア人増殖のための収容所である“レーベンスボルン”です」

 

 

アクアビット「実情としては前の大戦(グレート・ウォー)での戦死者やその後の世界恐慌の生活苦で堕胎施術が年間出生数を上回ることで、ゲルマン民族がまさに滅亡の危機に瀕していましたから、」

 

アクアビット「ナチス・ドイツは母子援助制度を開始し、女性の出産育児に対する経済支援の一環として、母子家庭の支援団体の名目で“生命の泉協会(レーベンスボルン)”を首都:ベルリンに設置したのが始まりです」

 

斎藤T「……ということは、近代革命以降の基本的人権の尊重と人種差別が混在した時代に“サビニの女たちの略奪”みたいなことがあったんだな?」

 

アクアビット「まあ、神聖ローマ帝国・ドイツ帝国の後継となるドイツ第三帝国を標榜していたわけですから、あながち間違いでもないですね」

 

アクアビット「基本的にはアーリア人の純粋な末裔と位置づけたゲルマン民族の純血性と繁栄のためにドイツ国内でのみ展開されていた人口政策ですけど、占領地域の拡大によってその例外があった地域があったんです」

 

斎藤T「それがゲルマン民族の発祥とされるスカンジナビア半島のノルウェーだったと」

 

アクアビット「そうです。ノルウェーなんです」

 

アクアビット「もっとも、占領地域の女性が占領軍の兵士の慰み者にされるのはいつの世も変わらないことで、フランスやオランダ、ポーランドにもたくさんアーリア人の落し胤が生まれてますよ」

 

アクアビット「ただ、ノルウェーの場合だとドイツ降伏後に“生命の泉協会(レーベンスボルン)”に協力していたノルウェー人女性を逮捕して不当な差別的取扱いをしてきたということで、後々になって“生命の泉協会(レーベンスボルン)”出身の混血児が政府に対して国家賠償を求める訴えを起こすことにもなりました」

 

斎藤T「…………だからか」

 

アクアビット「はい。だから、私は意味も知らないままに初めて呟いたドイツ語の名前を他人に知られないように両親から厳しく躾けられることになりました」

 

 

アクアビット「――――――バカみたいですよね」

 

 

アクアビット「だって、ウマ娘大国と認定されているパート1国以下の国でのウマ娘レースを支えているのは、様々な理由でその国で暮らすことになった競走ウマ娘たちのコミュニティで、それで地元に残り続けているのは多国籍の混血児なんですよ?」

 

アクアビット「私も父方がまさにその“生命の泉協会(レーベンスボルン)”出身のドイツ人とノルウェー人の混血児で、母方に至ってはドイツ第三帝国と敵対した大英帝国の一部だったアイルランド人とイギリス領ジブラルタル人の混血児なんですからね!」

 

斎藤T「ということは、ヨーロッパのウマ娘レース界隈は国際色豊かなのだな」

 

アクアビット「でも、少数民族問題を超えた異種族問題としてウマ娘の身体能力と闘争本能を満たしてあげる舞台を用意してあげないと差別問題に結び付けられるからこそ、ウマ娘大国であるパート1国以外ではあまり歓迎されない向きがあるんです」

 

アクアビット「そう、パート1国以外の国々ではウマ娘レースはまさに王侯貴族の娯楽で、生活苦に喘ぐ一般庶民からすれば、ウマ娘というだけで目をかけてもらえるのは羨望と嫉妬の対象でしかないんです」

 

アクアビット「ですから、ウマ娘であること自体がかえって人生のハンディキャップみたいになって、ウマ娘の特徴であるウマ耳や尻尾を隠すようなユニセックスの身形が普通なんです」

 

アクアビット「だから、両親は私のことを極東の島国に一人送り出すことに躊躇いはありませんでした」

 

斎藤T「……おかしな話だな」

 

アクアビット「まったくもってそうです」

 

アクアビット「たぶん、だから、私は日本のアニメが大好きなんです。日本のアニメは本当に人間として大切なものをまっすぐに教えてくれて、リアルに描きすぎないことで人種のことなんて忘れさせてくれますから」

 

斎藤T「そうか」

 

 

――――――そういうことなら、きみ、私の夢に参加してみないか?

 

 

アクアビット「え?」

 

斎藤T「トレーナー契約を結ぶことは難しいが、それ以外の形できみが憧れてきた夢の国:日本での暮らしを最高に豊かなものにしてあげようじゃないか」

 

斎藤T「ちなみに、私の夢は『宇宙船を創って星の海を渡る』ことだ」

 

アクアビット「!!!!」

 

斎藤T「俄然、きみという逸材が欲しくなった。是非、私のところに来てくれ」

 

斎藤T「ただし、トレーナーとしての腕前に期待するな。去年 配属になったばかりの新人で、実績は何もないからな」

 

アクアビット「え?! 斎藤Tほどの人がまだ実績のない新人――――――!?」

 

斎藤T「あと、そうだ。合格祝いだ。この御守(タリスマン)を渡しておこう」

 

アクアビット「あ、アニメでよく見る日本の神社の御守!」

 

斎藤T「皇大神宮:伊勢神宮の御守だ。これから日本で過ごすことになるのだから、しっかりと守ってもらいなさい」

 

斎藤T「それと、オリガミの手裏剣なんてどう? ほらほら、カラーホイルの超ピカピカの手裏剣だぞ!」シュシュシュ!

 

アクアビット「うわあああああああ! いいんですか!? これ、持って帰っても!?」キラキラ!

 

斎藤T「これは支度金みたいなものだ」

 

斎藤T「これから祖国に帰って留学の準備に取り掛かるのだろう。トレセン学園の門を潜り抜けるまでにどんな事故が起こるかわからないんだ。気をつけて帰るんだぞ」

 

 

――――――でないと、半身不随になって寝たきりの人生を送ることになるからな。

 

 

アクアビット「へ」

 

斎藤T「これぐらいでしか今はきみのことを守ってやれないんだ。許してくれ」

 

斎藤T「けど、命からがらであっても トレセン学園の門を潜れた時は 全力できみを守ろう。這ってでも絶対に来てくれ」

 

アクアビット「あ、あの……」

 

斎藤T「まあ、そういうことだよ」

 

 

――――――世界が注目する日本で国民的スポーツ・エンターテインメントにまでなった『トゥインクル・シリーズ』で夢を掴むというのは。

 

 

本当に今日のことは衝撃の連続だった。

 

自分の専属になってくれるかもしれない 見るからに一般的な日本人男性の平均を超えたガタイの 只者じゃない雰囲気のトレーナーに会えたかと思ったら、いきなり不吉なことを告げてくるのだから、今日だけでどれだけ私の心が揺さぶられたことだろう。

 

でも、これから祖国に帰って極東のトレセン学園の門を潜れるかどうかも留学生としては非常に大切な過程になるわけだから、地元の家族や友人たちの別れをしっかりとして再びトレセン学園の門を潜れるかどうかを心配するのも当たり前のことなのだと気づけた。

 

そう、私はトレセン学園合格や憧れのオグリキャップにいいこいいこされたことで舞い上がっていたところがあり、気が緩んでいたところがあった。思い出す度に顔がニヤけそうだ。

 

だから、半身不随になるというのは脅しになるだろうけど、それで少し冷静になって入学までの準備期間を用心を重ねて送ろうと考えるようになった。

 

でも、控室に運ばれてきて会って数分で“アクアビット”が偽名であることを見破って、私の本当の名前を初対面の人に教える展開になるだなんて、やっぱり、私と斎藤Tには何か縁があるんだと思えた。

 

 

まあ、そのトレーナーがイベント会場の熱気にあてられたのか脱水症状で死にそうになって運ばれてきて、ちょうどよく用意してあった点滴を刺しながら血色の悪い顔であんなことを言ってきたら、誰だって慎重になっちゃうよ。

 

 

私は日本の学制や入学シーズンに合わせて飛び級で小学校をすでに卒業し終えているが、これから日本で留学生活の準備をするために祖国に帰らなくてはならない。

 

大使館の人に迎えに来てもらって大使館に用意してもらったホテルで最後の夜を過ごして、トーキョーの国際空港でお土産をたくさん買って満喫したら、ドイツのフランクフルトで乗り換えをして辿り着く長い長い空の旅になる。

 

その時間を埋め尽くすほどに これからトレセン学園の生徒として暮らすことになる日本で もうすでにたくさんの思い出ができた。

 

電子書籍化された入学の手引やウマ娘名鑑を読み耽って、私は待ち焦がれていた夢の舞台の芝の上で走る自分の姿を何度も何度も想像した。

 

 

さてさて、私がもしメイクデビューするとしてぶつかるとしたら、やっぱり同じ日の別の組で試験レースで1着だった良いところのお嬢様といった感じがプンプンしていたサトノダイヤモンドかな。

 

ハロンタイムは私が一番だったはずだけど、息を乱さずに余裕を持って1着になっていた辺り、長距離ウマ娘(ステイヤー)の素質が非常に高そうだった。

 

それでも、私が強化遠征のために見て回ったドイツ・フランス・イギリスの同年代の子たちと比べると、日本の子たちはどうなんだろう――――――。

 

海外では日本のウマ娘レースはまさに夢の国の舞台と喩えられるほどに ある種 隔絶された環境にあると言え、昔は海外バが『ジャパンカップ』を席巻するぐらいに圧倒していたのに、今では海外バの参戦が消極的になるほどに日本のウマ娘たちが強くなった――――――、

 

以上にガラパゴス化とも言われるほどに独自の進化を辿ったわけであり、それをジャパニーズ・ドリームと持て囃す風潮があると同時に、世界でも最高品質の芝で整えられた高速バ場による故障率も問題視されているほどだった。それは『沈黙の日曜日』という形で諸外国にも伝わっていた。

 

なので、UAE(ドバイ)に次いで重賞レースの全合計金額がトップラクラスに高い日本競バに参戦するのは一種の冒険になっており、世界ランキングや純粋に賞金を稼ぐならUAE(ドバイ)に挑めばいいが、それ以上に文化的魅力に溢れているアニメやマンガの国:極東の地で活躍したいという欲求が海外バにはあった。

 

もしくは、近代ウマ娘レース発祥の地であるイギリス以外では“クラシック三冠”の王道路線がそこまで尊ばれているわけでもなく、日本のように“クラシック三冠バ”というみんなで共有する大きな目標達成を夢見て走り込む姿を見ることはない。

 

そう、世界ランキングや賞金を稼ぐならUAEではあるのだけれど、そこには純粋にウマ娘レースを楽しむというよりは世界ランキングや賞金ランキングの名誉のために走っているウマ娘が多く見受けられたのだ。

 

だから、純粋に“ウマ娘のウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘レース”が執り行われている日本競バの舞台に殊更憧れを抱くようにもなっていた。

 

本場ヨーロッパと持て囃されている祖国で馴染み深いウマ娘レースはあんなにもキラキラなんてしていないのだから。

 

 

――――――“皇帝”シンボリルドルフを戴いた日本競バ界は本当に幸せだな。

 

 

でも、その後を継ぐのが“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンとなると、少しばかり微妙な印象を受けてしまう。

 

いや、あまりにも“皇帝”シンボリルドルフの在り方が一生徒の影響力を超えたものがあり、あまりにも幼い見た目の秋川理事長と並べられると、どっちが学園を取り仕切っている人間なのかを見間違えるぐらいだ。

 

そもそも、本場ヨーロッパのウマ娘にとっては日本は夢の国であり、同じ近代ウマ娘レースの統一ルールに則っていながら自分たちとはまったくちがう別のウマ娘レースの世界という認識が強いので、自分たちより強いか弱いか以前に比較の対象にもなりづらいのが実情だった。

 

そう、Japanizing Beamによって本当に可愛さと強さを兼ね備えた競走ウマ娘が日本のウマ娘なのだから、ある意味において幼気(ロリ顔)過ぎて闘争本能を剥き出しにして戦う同じウマ娘には思えないというのが正直な感想でもある。

 

アニメやマンガの世界やキャラクターがそのまま形になるのが日本というメルヘンの世界であり、誰もがその素晴らしさを実体験して称えすぎて、逆に嘘臭くなってしまっているぐらいなのだ。

 

それなら、北欧のパート2生まれの 自分の名前を誇りに持つことを決して許されない 競走ウマ娘の私にとっては、そういった最初から嘘臭いメルヘンの国の住人でいていいような気がしていた。

 

 

それで、私は“生命の泉(レーベンスボルン)から零れた一雫(アクアビット)”でしかない自分からも解放されるような気がして――――――。

 

 

だから、これからが楽しみでしかたがない。

 

ユニセックスに身を窶して第3の性としてヒト社会に受け容れられたはずのウマ娘に対する嫉妬や羨望の眼差しからも逃れるように生きてきたおうし座生まれの私にはこれから始まるウルトラロマンティックな運命を感じざるを得ない。

 

でも、だからこそ、唐突に微笑みながら斎藤Tが発した半身不随になるという警告のことを思うと合格祝いに首から下げた日本の神社の御守をギュッと握らずにはいられなかった。

 

子供心にどんな真名なのかを楽しみにしていた両親が掌を返したようにウマ娘としての真名を歓迎されなかった衝撃は今でも忘れることはできない。

 

それと同じように、不幸は突然に降りかかるものなのだと意識して懐に忍ばせたおりがみの手裏剣の感触を確かめながら、私はトーキョーを後にするのだった――――――。

 

すると、リフトオフした飛行機の窓から見下ろした東京国際空港の展望デッキに、祖国の旗:赤地に白の縁取りがなされた青のスカンディナヴィア十字を掲げる誰かの姿が見えたのだ。

 

しかし、それ以上にハッとなったのはそれは光っていたのだ。昼前と呼ぶにはまだ早い朝の光が満ちた展望デッキで輝く光点がはっきりと見えたのだ。

 

 

 

斎藤T「――――――」ピカァーーーン! ――――――身体を光らせながらノルウェーの国旗を力強く掲げる!

 

 

 

アクアビット「あ」

 

アクアビット「あああああああああああああああああ!?」

 

アクアビット「もしかして、斎藤Tって――――――」

 

アクアビット「斎藤Tの担当ウマ娘って――――――」

 

 

――――――斎藤Tってモルモット!? タキトレだああああああ!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斎藤T「――――――行ったか」ピカピカ ――――――ノルウェーの国旗を丁寧に片付ける。

 

アグネスタキオン’「おいおい、これがきみの求めるタイムパラドックスかい? 急にあの薬が欲しいだなんて言うもんだから、何をするのかと思えばねぇ?」クククッ

 

斎藤T「まあ、これぐらいの“おもてなし”があれば、きっと来てくれるだろう、()は」バサッ ――――――ローブを深々と被って遮光する。

 

アグネスタキオン’「そうかい。きみも相当なワルだねぇ」

 

アグネスタキオン’「これからその()を使って妖怪退治をするというのだろう? 必要な犠牲・尊い献身と称して」

 

斎藤T「さてね、これから半身不随になってトレセン学園に来れなくなる未来よりは万倍マシだろう」

 

アグネスタキオン’「さあ、長居は無用だよ。警備員に捕まる前にさっさと帰ろう」

 

斎藤T「そうだな」

 

 

――――――その日の夕方、東京国際空港に突如として現れたノルウェーの国旗を掲げる光る怪人物がトップニュースとなったが、その正体は杳として知れないのであった。

 

 



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第12話   火蓋切られる青春の弥生月

 

-西暦20XY年03月02日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

さあ、『URAファイナルズ』準決勝トーナメントも各部門の決勝進出者(ファイナリスト)18名が出揃い、一般的な小中高校の卒業式や修了式の後に決勝戦が行われるわけなのだが、

 

すでに“最初の3年”というトレーナー契約の基本単位を走り終えたスーパーシニア級の古豪たちの物語から、これから生まれる新たなスターウマ娘の誕生を見届けるために、

 

3月初週の土日からクラシック級の新世代のウマ娘たちの頂点を決めるトリプルクラウンとトリプルティアラのトライアル競走となる『チューリップ賞』『弥生賞』が今日と明日で連続する。

 

そのため、入試期間と準備期間が重なった『URAファイナルズ』準決勝トーナメントがようやく終わって地獄のような2月が終わったかと思えば、実際は3月から全ての階級のウマ娘レースの1年が本格始動するので、

 

トレセン学園は3月初週の『チューリップ賞』『弥生賞』に参戦する新進気鋭の未来のスターウマ娘のトレーニング環境の調整までしなくてはならないので目が回る日々はまだまだ終わらない。

 

もちろん、受験期間の前に行われていた進級・卒業を懸けた期末テストで落第した生徒や事情により期末テストを受けられなかった生徒に追試する期間も必要なため、

 

3月になれば中旬までに追試期間からの修了式・卒業式が執り行なわれ、それで授業がなくなるので、そこまで一気に駆け抜けなくてはならないのが2月からのトレセン学園教職員の絶叫の日々であった。

 

もちろん、新年度から入学してくる新入生たちの受け入れや授業計画のカリキュラムを作らなくてはならないので、教職員に暇な時期などない。

 

その点で言えば、担当ウマ娘をレースで勝たせることだけに時間や労力を注げるトレーナー業の気楽さよ。

 

もちろん、ウマ娘レースで担当ウマ娘を勝たせて高額な賞金を得られることで許されているものがあり、勝たせられない弱小トレーナーの扱いは露骨に悪くもなる。

 

そのため、こう言ってはなんだが、やはり重賞レースを勝てるウマ娘の才能を見抜いて勝たせるのが一番の栄達の早道というわけであり、子供の才能に全力で乗っかるしかないトレーナーの必死さと悲惨な末路を見ていると、学校法人としてやって当然の仕事程度でヒーコラ言っているだけの先生の辛さなどトレーナーなど意に介する余裕などないわけなのだ。

 

そう、元からトレーナーと教職員とでは優先すべきものや課せられたものがそもそもちがうことから常にすれ違いが起こっているわけで、学校法人の雇われ人と公営競技の請負人とでは求められる能力や素行のちがいもあり、今回の『URAファイナルズ』準決勝トーナメントまでの対応でとてつもない禍根を残すことにもなった。

 

 

その処理に生徒であるウマ娘たちの代表機関であるトレセン学園生徒会がトレーナー側の要求と教職員側の要求の間で葛藤させられることになり、新生徒会長:エアグルーヴの前にいきなり難題が突きつけられることになっていたのである。

 

 

いや、何を言っているのか、自分で言っていて理解できない。そういう事態に華やかなる『トゥインクル・シリーズ』の新しい世代と時代とレースが始まろうとしている裏で何をやっているのだ、本当に。

 

いやいや、教職員の主張とトレーナー陣の主張のどちらに従うべきかと言われたら、学校法人であるトレセン学園の部外者に過ぎない外部コーチのトレーナーの側が引き下がるべきであって、勝つか負けるかの真剣勝負の世界に『十分なトレーニングができなかったせいで負けました』と言い訳ができるのかという話だ。

 

そういう意味では担当ウマ娘を勝たせる大義名分のために社会常識を犠牲にして夢の舞台という小さな世界で殿様になっているトレーナー連中に世間の冷たい風を浴びせたい気分になった。

 

そもそも、双方が生徒会に陳情を申し立てたのも建前上は『どちらがウマ娘のためになっているかを審議してもらいたい』と綺麗な言葉で言い直せるが、新生徒会長:エアグルーヴがなぜ教職員とトレーナー陣の間に立って仲裁しなければならないのかが私には理解できない。

 

こんなのは審議するまでもないし、高い学費を払って在籍している生徒たちに便宜を図る側のトレセン学園教職員が子供の賛成・反対を聞かないと場を収められない辺り、ひどく未熟な大人ばかりに思えた。

 

自分の担当ウマ娘が何よりも優先されるとして、所属する団体であるトレセン学園の方針に逆らって是が非でもトレーニング設備を使わせて欲しいと訴えて学園側と言い争いになるのはトレーナーとして、大人として、一人の社会人として正しい姿と言えるのだろうか。

 

だったら、自分の担当ウマ娘を連れて自分の思いどおりになる場所を求めてトレセン学園を去ればいいだけの話だ。他の団体から出走登録もできるわけだし。

 

あるいは、トレーニング器具ぐらい子供の才能から儲けて得た賞金で自前で用意すればいいのだ。そうすれば、突発的なトレーニング制限に悩まされなくてすむ。

 

少なくとも、去年の年の暮れから異例のトーナメント戦『URAファイナルズ』が毎月連続で行われることは告知されていたのだから、その従来とは異なるローテーションで勝たせるように全力を尽くすのがトレーナーの役目だろうに、中央のトレーナーはそのエリート意識の高さから視野が狭いと見える。

 

こうなってくると、本格的に教職員とトレーナーを切り離したトレセン予備校が持て囃されるようになるのも納得かもしれない。

 

むしろ、幼年期から小学生まで、果ては大人まで参加しているレースクラブの年齢制限版と考えるなら、トレセン予備校の方がとっつきやすいようにも思える。

 

思春期に“本格化”を迎えるウマ娘をウマ娘レースで効率よく勝たせるために全寮制の中高一貫校にしたはいいが、組織の新陳代謝として必要不可欠な受験期間でトレーニング制限が課せられることに対応できない愚かなトレーナーが当然の権利のように学園側に無理を通そうだなんて、宇宙移民の私からすれば絶対に乗船させてはいけない自分勝手なトラブルメーカーとして船から降りさせたいぐらいだ。

 

それよりも、双方がウマ娘ファーストを標榜しているのなら、くだらん諍いを起こして生徒たちの代表機関である生徒会に問題の解決を丸投げしたことを反省して、自ら腹をくくるべきではないかとすら思ってしまう。

 

それぐらい問題が噴出することになった異例のトーナメント戦『URAファイナルズ』はついに3月で終わりを迎え、敗れ去ったウマ娘たちも3月を迎えて開幕となったクラシック戦線の開幕戦の熱狂を背に心新たにして歩み出すことになる。

 

そして、卒業まで2週間もない残り少ない我が学び舎での日々を高等部3年生たちは1日1日懐かしみ味わい尽くすかのように『チューリップ賞』『弥生賞』の現場に揃って足を運ぶのであった。

 

 


 

――――――G2レース『チューリップ賞』阪神競バ場・芝・1600m

 

アグネスタキオン「ふぅン、アグネスパレードとやらが『チューリップ賞』初代優勝バねぇ」

 

斎藤T「ああ。わりとティアラ路線で広く成績を残しているのがアグネス家の傾向みたいだな」

 

アグネスタキオン「その代わり、クラウン路線での成績はパッとしないか」

 

斎藤T「そういう意味では史上初“トリプルティアラ”のメジロラモーヌや現在でも最強と名高い“無敗の三冠バ”シンボリルドルフを輩出したメジロ家とシンボリ家には一歩劣るな。その分だけ独自性は強いけど」

 

アグネスタキオン「まあ、家の名誉や誇りのために走るウマ娘なんてアグネス家にはいないさ」

 

アグネスタキオン「そういう意味では、何にも縛られることなく自由に走ることを謳歌しているウマ娘らしいウマ娘の在り方だとは思わないかい?」

 

斎藤T「他には、アグネスワールドが日本のウマ娘では初めて日本国外の2か国のG1制覇を達成し、近代ウマ娘レース発祥のイギリスの重賞を制した初の日本ウマ娘でもあるみたいだ」

 

アグネスタキオン「なるほどねぇ。私の身内は本当に独自路線で道を切り拓いてきた変わり者が多いみたいだねぇ」

 

アグネスタキオン「なら、私たちが進むべき道は正統派路線じゃないのは元から決まりきっていたことだねぇ!」

 

斎藤T「ああ!」

 

 

藤原さん「おーい! こっちだ、テン坊!」

 

 

斎藤T「藤原さん!」

 

藤原さん「よう、しばらくぶりだな」

 

斎藤T「藤原さんも阪神競バ場までよく来れましたね」

 

藤原さん「まあ、受験期間と重なって準備期間がドタバタ騒ぎになったっていう『URAファイナルズ』準決勝トーナメントが終わったと思ったら、毎年恒例の“トリプルティアラ”と“トリプルクラウン”の実質的な開幕戦になるトライアル競走『チューリップ賞』と『弥生賞』だ」

 

藤原さん「警察としても中央官庁の協力があって新設された『URAファイナルズ』を成功させなくちゃならない面目もあって全国の警察は大忙しだったさ」

 

藤原さん「これからは『URAファイナルズ』が毎年恒例になるわけだから、警備の強化も常態化するってことで本当に大変だぜ、これから」

 

アグネスタキオン「ふぅン、新しいことを始めて定着させることがどれだけ大変なのかがよくわかるねぇ」

 

斎藤T「そうだな。はたして、せっかく新設された“春シニア三冠”を制覇するウマ娘は現れて、それに続くウマ娘も出てくるか――――――」

 

藤原さん「ああ、そうだな。『大阪杯』『天皇賞(春)』『宝塚記念』の三連覇は骨が折れるぞ。“クラシック三冠”よりも期間が短いし、“秋シニア三冠”よりも勝つ旨味が少ないともなればな」

 

藤原さん「で、わざわざ阪神競バ場(仁川)に来たってことは誰かの応援に来たってわけだろう?」

 

 

――――――ウオッカとダイワスカーレットのどっちが勝つと思う?

 

 

アグネスタキオン「そうだねぇ。どちらもデビューから連対(2着以内)し続けていることだし、適性は【マイルウマ娘(マイラー)】寄りだから、ティアラ路線で対決し合うことになると思うけどねぇ」

 

斎藤T「寮室も相部屋の同期にして同世代のライバル対決というわけか」

 

藤原さん「ああ。ただ、ウオッカの場合はジュニア級の時点でG1レース『阪神ジュベナイルフィリーズ』を制している時点で戦績としては 断然 上だぜ。しかも、その時と同じ阪神・芝・1600mだから地の利もある」

 

斎藤T「それを言うなら、“トリプルティアラ”本戦となる『桜花賞』も阪神・芝・1600mになりますから、ここで負けた方が有利になりません?」

 

藤原さん「ほう、言うようになったな、テン坊も。トレーナーらしい戦略もいっちょ前に考えるようにもなったか」

 

藤原さん「つまり、ここで負けた方が次の『桜花賞』で勝つって予想だな?」

 

斎藤T「ええ。その方が『桜花賞』で注目の的になって対策を取られなくなるじゃないですか。ここで実を取るなら連対(2着以内)記録を伸ばすように負けますけどね」

 

藤原さん「まあ、たしかに勝ち続けると包囲されるのはテイエムオペラオーやミホノブルボンが辿った道でもあるからな。それが勝ちウマに対する正攻法でもあるな」

 

藤原さん「ただ、ウオッカは明らかに実力と人気があるウマ娘だ。同じ連対(2着以内)記録を持つライバル:ダイワスカーレットがどこまで走りきれるか――――――」

 

藤原さん「ちなみに、連対(2着以内)記録のランキングではシンザンの19連対、ビワハヤヒデの15連対ってところだな」

 

斎藤T「うわ、出た、戦後初の二代目“クラシック三冠バ”にして“五冠バ”シンザン! 重賞レース『シンザン記念』に名を残す“神メ”だ!」

 

アグネスタキオン「ほう、今年で卒業のハヤヒデくんもあのシンザンに次ぐ大記録を達成していたというわけかい。大したものだねぇ」

 

斎藤T「――――――『連対(2着以内)記録』。そういうのもあるのか」

 

藤原さん「ああ。“皇帝”シンボリルドルフに次ぐ“クラシック三冠バ”ナリタブライアンの実の姉として、彼女はシンザンに次ぐ大記録を達成していたわけだから、まさしく“最強姉妹”というわけだ」

 

藤原さん「お前さん、そう言えば陽那ちゃんから聞いたが、今年のバレンタインデーで生徒会メンバー全員からチョコを貰ったんだって? やるじゃねえか、色男!」

 

斎藤T「他にも、ミホノブルボン、ライスシャワー、ハッピーミーク、トウカイテイオー、メジロマックイーンからももらいましたよ」

 

藤原さん「おいおい、“学園一の嫌われ者”から一転して“学園一の切れ者”になったってことかい、そいつは?」

 

斎藤T「まあ、これも全て“斎藤 展望”が必死に遺してくれたもののおかげです」

 

藤原さん「……そうか。そいつは寂しいな。テン坊が立派になったというよりは人が変わった結果だもんな」

 

アグネスタキオン「………………」

 

藤原さん「けど、まあ、お前さんがそう思ってくれているのなら、“斎藤 展望”も幸せだろうよ、テン坊」

 

斎藤T「……ありがとうございます」

 

 

藤原さん「俺はお前さんがずっと“斎藤 展望”で在り続けることに賭けているからよ」

 

 

斎藤T「…………!」

 

アグネスタキオン「ん?」

 

斎藤T「ああ、どうして怪人災害対策の第一人者がこうして全国の競バ場を見て回っているのかと言えば――――――」

 

藤原さん「まあ、そういうことだ」

 

斎藤T「……私も“斎藤 展望”で在り続けたいですね」

 

藤原さん「ああ。そうあってくれ。テン坊はずっとテン坊だってことがわかれば、俺も無い知恵を絞ってバケモノと闘える」

 

斎藤T「はい」

 

藤原さん「おっと、ゲートインの時間だな。じゃあ、答え合わせの時間と行こうじゃないか」

 

 

――――――ウオッカとダイワスカーレットのどっちが勝つと思う?

 

 

入学してトレーナーから早速スカウトを受けてメイクデビューを果たせたウマ娘は所謂“エリートウマ娘”と呼ばれていた。

 

ウマ娘特有の“本格化”の機会を最大限にまで活かすためにトレセン学園では中高一貫校の学制を採用しているため、原則としては中高一貫校の6年間にメイクデビューのチャンスが与えられているが、

 

日本各地から地方では天才と呼ばれているような駿メたちが入学試験で篩いにかけられて総生徒数2000名弱にまで絞られ、更にトレーナーからのスカウトを受けなければメイクデビューを果たせないとなれば、早い段階でトレーナーのスカウトを受けてメイクデビューできるに越したことはないという考えが優勢であった。

 

というのも、日本最高峰にして世界最先端のトレーニング環境を提供しているのだから、その維持費となる学費も馬鹿にならないわけで、そのバカ高い学費を優駿たちの頂点を決めるG1レースでの優勝賞金で賄えることを夢見る子が多いともなれば、一向にスカウトが来ない日々の中で自分は何のために夢の舞台の門を潜れなかったライバルを蹴落としてまで門の中に入ってきたのかを自問自答する時間が自然と増えもする。

 

なので、学園の教職員に数えられる教官による画一的な集団指導よりも、専属トレーナーによる充実した個人指導でメキメキと実力をつけさせてもらえることを生徒であるウマ娘たちは願わずにはいられないのだ。

 

そのため、入学して早々にトレーナーからスカウトを受けて華々しいメイクデビューをして、そのまま一生に一度しかない2年目:クラシック級のG1レースで勝つことを夢見て、その多くがそんなことが夢物語であるとわからされてきたからこそ、尚更“エリートウマ娘”であることの価値は上がっていくのだ。

 

そう、だからこそ、それが“皇帝”シンボリルドルフから始まる黄金期におけるスターウマ娘の最低条件にもなっているとも言え、その輝きが大きな影を作ることにもなっていた。

 

 

――――――エリートに非ずんばウマ娘に非ず。

 

 

当たり前に思えたことが当たり前であるために、当たり前(エリート)ではない存在を異端視する考えが自然と蔓延することにもなっていたのだ。

 

つまり、新入生:中等部1年生でメイクデビューできないウマ娘の評価は低く、たとえ中等部2年生からメイクデビューを果たしたとしても、たったそれだけで不当に価値が擦り減らされていたのだ。

 

そうなったのも、暗黒期と比べて黄金期においてはシンボリルドルフ、ナリタブライアン、トウカイテイオー、ミホノブルボンといったスターウマ娘たちが『世代の中心』=『年代の中心』と同一視されるほどに階級と学年が一致し続けていたからであり、そこに善も悪もない。

 

そう、『そういうものになっている』という変化が次第に『そういうものなんだ』という常識に変わり、新たな弊害を生み出すようになったという新たな時代の幕開けであった。

 

そのため、現在のトレセン学園においては『エリートであるか否か』で同じウマ娘でも公然と差がつけられるわけであり、それが暗黒期とはちがった黄金期特有の競争意識を激化させていた。

 

だから、“アグネス家の最高傑作”と評され、実際に当時の『選抜レース』においてはトウカイテイオーやメジロマックイーンの存在を霞ませるほどの圧倒的な走りでスカウトが引く手数多だったにも関わらず、自らのこだわりから全て拒絶して以降、メイクデビューもせずに好き勝手に学園生活を送ってきたアグネスタキオンというウマ娘に向けられる評判はすこぶる悪い。

 

しかも、そんな学園一危険なウマ娘を“皇帝”シンボリルドルフが全力で庇い立てするのだから、お高く留まっているどころではない。何から何まで気に食わないだろう、『選抜レース』で成績も残せず、トレーナーからのスカウトを死ぬほど待ちわびている、才能も実績もないようなウマ娘たちからしてみれば。

 

しかし、そんなふうに“エリートウマ娘”であることが絶対であるとして 一刻も早いメイクデビューのために時間に追われるようになった先輩同輩後輩は尽く時代の荒波によって存在を掻き消されていった。

 

その結果、念願のメイクデビューを果たして早々に引退即退学で学園を去るのと、スカウトを受けられず未出走であっても学園に居続けるべきか、どちらがマシなのかを少し考える世代が後に続くようにもなったようだ。

 

何しろ、“エリートウマ娘”になることを自ら拒絶した ある意味においては留年生とも言える 学園の常識で言えば愚かなアグネスタキオンが実験動物(モルモット)を求めて学園内を堂々と徘徊しているのだから。

 

しかも、あの学園一危険なウマ娘が生徒会長:シンボリルドルフから一目置かれていることを知れば、自然と関わらない方向に周りが動くようにもなる。

 

そのため、アグネスタキオンは無視されるようになった。敬遠されるようになった。畏怖されるようになった。孤独になった。当然の流れである。

 

否、元々そうだった。誰からも理解されないからこそ、シンボリルドルフの庇護下に置かれていたのだ。何も変わってなどいない。

 

 

――――――ただ、“世界の全てが敵になる”ということは決してなかったのである。

 

 

振り返ってみれば、アグネスタキオンの孤独に思えた学園生活にも愉快な記憶がいくつも刻まれていた。

 

それは自分とは全くちがった方向性でウマ娘の可能性を追究する同志とも言える後輩たちと激論を交わした時の思い出であり、

 

もちろん、その実力を高く評価して最大限まで自身の在り方を尊重して便宜を図ってくれたシンボリルドルフ、あらゆる可能性を追究するために偏見なく接してくれたビワハヤヒデという偉大な先輩がいた。

 

あるいは、当時のことを知らないからこそ、無邪気に自分のことを慕ってくれる ある意味においては風変わりだが とても素直で可愛い後輩たち――――――。

 

それがアグネスタキオンにとってのウオッカとダイワスカーレットという存在であった。

 

だから、こうして彼女は観に来たのだった。

 

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

 

 

藤原さん「結果はクビ差で外のウオッカが制したか」

 

アグネスタキオン「う~ん、まあ、惜しかったね、スカーレットくん。連対記録は維持したままか」

 

斎藤T「三番以下を大きく突き放してのクビ差ですから、両者の実力は互角で、今日は阪神競バ場に慣れているウオッカに軍配が上がりましたね」

 

藤原さん「ティアラ路線では断トツであの2人が世代の中心になっていくのは間違いないだろう。“女帝”エアグルーヴと“女傑”ヒシアマゾンの再来だな」

 

藤原さん「明日はクラウン路線で世代の中心になっていく未来のスターウマ娘の存在が明らかになるはずだ」

 

斎藤T「そして、未来の生徒会メンバーとしても」

 

アグネスタキオン「そうだね。トレセン学園としてはそこだろうね」

 

藤原さん「……うん? 何の話だ?」

 

斎藤T「あれですよ、“皇帝”シンボリルドルフが卒業することで自由な校風で全国各地から集まってきたジャジャウマ娘たちの統制が利かなくなると同時に、シンボリ家のコネで学園の不祥事を揉み消しにできていたのがなくなるから――――――」

 

藤原さん「ああ……、そういうことか……」

 

藤原さん「生徒たちの代表機関の長である生徒会長には自由な校風の中で秩序を保つために威厳がなくちゃいけないから、ウマ娘レースで成績を残してきた名バであることが最低条件であると同時に、外向けにも発信できる能力が求められてくるわけか」

 

アグネスタキオン「正直に言って、それは生徒会の問題なのかい?」

 

斎藤T「いいや、受験期間と重なってトレーニングが十分にできなかったと喚かれた『URAファイナルズ』準決勝トーナメントの学園側とトレーナー陣の紛糾と同じで、学園の治安は生徒会の問題のはずがないだろう」

 

斎藤T「いくら生徒たちの代表機関であると言っても、実権を握っているのは学園の運営であり 理事会なのだから、全寮制の中高一貫校で保護者となる大人がやんちゃな子供たちに躾けをするのは当然だろう」

 

藤原さん「まあ、そうは言うが、総生徒数2000名弱に対して教職員とトレーナーを合わせてもその半分にもならないからなぁ……」

 

斎藤T「わかっていながら、長年に渡って問題を放置とは、やるもんですねぇ」

 

斎藤T「これなら学園の機能とトレーニングセンターの機能を分離させた予備校方式が今の時代には合うのではありませんか?」

 

藤原さん「――――――トレセン予備校かぁ。横浜のやつが物凄く評判がいいって話だが」

 

斎藤T「ともかく、生徒会やスターウマ娘の能力やカリスマ性に学園側は甘えすぎですよ。大人の役割を果たしてください。公営競技の儲け以外でも子供に頼り切りだなんてみっともない」

 

斎藤T「あ、そもそも、多額の寄付金や裏口入学がなくちゃやっていけないのがトレセン学園でしたね! まあ、ただの新人トレーナーの私にはそんな懐事情なんて関係ないことですけどね!」

 

藤原さん「おいおい……」

 

斎藤T「それよりも、“学園一の嫌われ者”として名高いこの私の次に世代となるトレーナーはどういった人たちが来るんでしょうね?」

 

藤原さん「トレセン学園としては配属されるトレーナーの質も大切な要素だしな」

 

アグネスタキオン「安心したまえ。きみを超える逸材など補充されるわけがないだろう」

 

アグネスタキオン「そもそも、きみは最愛の妹の養育費のために何が何でも大金を得たいという一心でトレーナーになっただけでウマ娘レースに何の興味もない“門外漢”だったのだからねぇ」

 

アグネスタキオン「今は別の方法で妹の養育費を賄えてしまったから本当はトレセン学園のトレーナーで在り続ける理由もなく、気負うことなく、自由気ままにトレセン学園での日々を送っているというわけで」

 

斎藤T「そうそう。それでも、トレセン学園はいろんなアプローチでスターウマ娘を目指す人材の宝庫だから、私の夢のために使えそうな人材がいたら引き抜こうとしているわけでして」

 

斎藤T「――――――セカンドキャリア支援という名目でね!」

 

藤原さん「商魂たくましいな」

 

斎藤T「いえいえ、宇宙を目指すことは一人では決してできないことですから。国を一から造るようなものです」

 

藤原さん「おいおい、律令制の国司にでもなるつもりか? ――――――皇宮警察なだけに」

 

 

 

コツコツコツ・・・・・・

 

 

 

アグネスタキオン「ふぅン、今日はウオッカくんとスカーレットくんのいい勝負が見られたねぇ」

 

斎藤T「ああ、『宝塚記念』『有馬記念』でも戦うことになるだろうからな、あの2人なら」

 

藤原さん「おお、そうか。今年からメイクデビューなんだもんな、お前さんの担当ウマ娘は」

 

藤原さん「いやはや、中等部から入学して4年待って高等部2年生からのメイクデビューとなると、いろいろと話題になるだろうな」

 

斎藤T「ルール違反はしていませんよ。それに高等部2年生からメイクデビューした生徒なんて重賞レースではあまり見かけないだけで、オープン競走にだっているじゃないですか」

 

藤原さん「それはそうだろうが、高等部2年生からのメイクデビューは留年覚悟の編入生がやるものであって、中等部から入学してデビューもせずに居座り続ける度胸が普通じゃねえよ」

 

 

斎藤T「――――――ウマ娘レースで言う“普通”って何ですか?」

 

 

藤原さん「あん?」

 

斎藤T「勝負の世界は結果が全てなんでしょう? なら、実績を持たない者は実績を持つ者に従うのが筋でしょう? 勝つためには実績のある者のノウハウを学ぶしかないのでしょう?」

 

藤原さん「それは極論というやつだぜ」

 

藤原さん「まあ、だが、言わんとしたいことはわかる」

 

藤原さん「元から規範的な生徒を求める学校法人:トレセン学園としての要求と、公営競技を盛り上げていくスターウマ娘を求める特殊法人:URAの要求は、水と油の関係だからな」

 

斎藤T「そう、水と油が混じり合うために水と油が均一に混ざり合った状態となる乳化(Emulsion)が必要となるわけですよ」

 

斎藤T「まあ、軒を貸しているのはトレセン学園の方ですから、トレーナー組合が母屋を乗っ取るようなことがあってはならないのですけれど」

 

藤原さん「そりゃそうだな。あくまでもトレーナーはトレセン学園にとっては課外活動の外部コーチの扱いで、学校関係者には厳密には含まれていないからな」

 

藤原さん「トレーナーだけじゃねえ。民間警備会社のERT(緊急時対応部隊)だって常駐はしているが、トレーナー寮で寝泊まりしているトレーナーと同じ外部の人間って扱いだからな」

 

藤原さん「まあ、何にせよ、久々に会えてよかったよ、テン坊」

 

斎藤T「はい」

 

藤原さん「お前さんが命懸けでWUMAの侵略を防いでくれたおかげで、次のレース、次のシーズン、次の世代が始まっていったんだ」

 

藤原さん「たぶん、俺なんかじゃお前さんが描く未来なんか何一つ想像することもできないだろうが、たまにはこうして顔を合わせようぜ。お前さんの両親のことも忘れないうちに話してやりたいからよ」

 

斎藤T「楽しみにしてます」

 

藤原さん「まあ、気が済むまでトレーナー業を頑張ってくれや。お前さんが選んだアグネス家のお嬢さんのこと、しっかりと勝たせてやるんだぜ、トレーナーとしてな」

 

斎藤T「記憶喪失で基本知識が吹っ飛んだ素人の付け焼き刃の指導なんて不要ですよ、彼女には」

 

藤原さん「まあな。トレーナーなんてのは実質的には出走チケットだしな。重要なのは自分のウマ娘が勝つかどうかだけだもんな」

 

藤原さん「でも、専属契約を結んだということは互いに旨味があるからで、トレーナーに求められるもの以外を求められているのなら、お前さんだったらやれるさ」

 

 

――――――妹さんのために我が身を犠牲にして中央のトレーナーになったテン坊なら何だってな。

 

 

それから私たちは藤原さんの関西で行きつけの居酒屋でいろいろと話し合った後、藤原さんに東京行きの駅まで送ってもらえた。

 

私の担当ウマ娘であるアグネスタキオンは家族関係が希薄な環境に生まれ育っているので、大の大人が子供が入ってこれない大人の話をして飲み食いをするだけの退屈な時間のはずだろうに、

 

意外と藤原さんに対しては愛想の良い態度を見せており、藤原さんも年頃の娘がいるので扱いに慣れているのか、居酒屋で子供が楽しめるメニューを注文して飽きさせないように気遣いをしていた。

 

そのため、久々に予定が合ったので会うことになった藤原さんがこんなにも子供受けする家族愛に溢れた素晴らしい大人なんだということをヒシヒシと感じることになった。

 

それは両親を早くに喪った斎藤 展望とその妹にしても同じであり、藤原さんと顔を合わせると温かく包み込まれるようでどっしりと支えられるような安心感が蘇ってくるのだ。これが所帯持ちの包容力というやつなのだろうか。

 

 

コツコツコツ・・・

 

 

アグネスタキオン「藤原さんって いい人だねぇ」

 

斎藤T「どうした、急に?」

 

アグネスタキオン「いや、私の家庭が基本的に研究一筋で放任主義なのは知ってのとおりだが、きみが育った家庭というのは私のところとはまるで違ったことに毎回驚かされていてね」

 

アグネスタキオン「きみも世界最高峰の警察バの血統のハーフなのだから、もっとそのことを誇りに思いたまえよ。両親のことを何も憶えていないのはとても悲しいことじゃないか」

 

斎藤T「およそアグネスタキオンらしからぬことを言う」

 

アグネスタキオン「考えてもみたまえ。何のために人は生きて死んでいくのか――――――」

 

アグネスタキオン「結局は死ねば全てが無に戻るなら、どれだけ一生懸命に生きて頑張り抜いたところで意味はないだろう」

 

アグネスタキオン「それがわかっていながら、なぜ私たちはそれでも生きるのかと考えたら――――――、」

 

 

――――――その答えは『誰かに託すため』だろう。

 

 

アグネスタキオン「もっと正確に言えば、『誰かに託す』ことでもっとより良い幸せや生活、未来がやってくると信じているからだろう。残せたものが生きた証だ」

 

斎藤T「……そうだな」

 

アグネスタキオン「私はね、トレーナーくん。きみを通じて初めて広い世界を見据えることができた。研究室に一人閉じこもって、周りを省みることなく、ただひたすらに待つことを選んでいた――――――」

 

アグネスタキオン「そして、そんな自分も世界さえも変えてしまうような存在が 今 目の前にいるんだよ」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「でも、目を離した瞬間には最初からそこにはいなかったかのように消えてしまいそうな存在がきみでもあるんだ」

 

アグネスタキオン「きみは言っていたな」

 

アグネスタキオン「これから先の未来はWUMA襲来の()()()()()に繋がる因子が集まっているからこそ、それを打ち消すほどのタイムパラドックスで軌道修正の因子を集めて未来を変える必要があるのだと」

 

アグネスタキオン「つまり、私のいつもすぐ側にきみという存在を観測し続けるためには、きみという存在を誰よりも識っていればいい――――――。因子とはそういうことだろう?」

 

 

アグネスタキオン「だから、私はきみのことを識りたいと日に日に強く思うようになっているんだ」

 

 

アグネスタキオン「私が研究室に一人閉じこもって募らせていた不安の正体はそれだったんだ。何を待っているのか、何のためにトレセン学園に残り続けているのかもわからなかった――――――」

 

アグネスタキオン「そのことに気づかせてくれたきみの存在が締め切ったカーテンの隙間から差し込む朝日のように眩しくてね」スッ ――――――ダイヤモンドのネックレスが月明かりに照り返す。

 

アグネスタキオン「だから、漠然とプランAとプランBだけは考えついていたのかも」

 

斎藤T「……そうか。まあ、助けに行った時は深夜だったけどな」

 

アグネスタキオン「それも、怪人:ウマ女の魔の手から一人のウマ娘を助けるためにだろう?」

 

斎藤T「その後、お前に擬態して存在を乗っ取ろうとしていた怪人:ウマ女と一緒になって人体実験を楽しんでいたがな!」

 

アグネスタキオン「まあまあ! 今ではいい思い出じゃないか、トレーナーくん!」ハハハ!

 

斎藤T「自分で言うか!?」

 

 

――――――ホント、嫌になるぐらい()()()()()()()だよ、お前は。嫌いではないさ。

 

 

斎藤T「さてさて、明日は中山競バ場で『弥生賞』というわけですが、明日は誰が勝つと思いますか、アグネスタキオンさん?」 ――――――気分転換のインタビュー口調!

 

アグネスタキオン「それはもちろんエアシャカール。シャカールくんだろうねぇ」

 

斎藤T「ああ、電算部部長の。私も大変お世話になりましたよ、彼女には」 ※電算部のスーパーコンピュータを無断拝借していたという意味で

 

アグネスタキオン「同じ理論派のハヤヒデくんが“神メ”シンザンに続く連対記録達成者になったことだし、今度は狂信的な数字の信奉者であるシャカールくんが導き出したロジカルな理論が実証されることを願っているよ」

 

斎藤T「エアシャカールはすでにジュニア級でG1レース『ホープフルステークス』を勝利しているG1ウマ娘ですが、連対記録を持っているウオッカとダイワスカーレットと比べると安定感に欠ける印象があるみたいですよ?」

 

アグネスタキオン「まあ、シャカールくんはデータ至上主義者だからこそ不確定要素を排除したがる潔癖症でもあり、それで逆に神経質になって突発的なトラブルに弱い面を生んでもいるから、データに頼りすぎるのも考えものだねぇ」

 

斎藤T「そうですね。どんなに正確な計測機器や精密機械であろうとも誤差や故障は必ず生じるわけですから、不測の事態に対応できるように冗長性は持たせるべきだと私も思います」

 

斎藤T「数字も正しい勝利へのアプローチではあるけれど、徹底的に管理・シミュレートされた結果のとおりにならないからこそ、公営競技として成り立っている本質を忘れちゃいけないです。結果がわかっている賭けなど退屈なもので、公営競技として成り立たないんですよね」

 

アグネスタキオン「それこそ、未知なるものを求めて宇宙を目指すトレーナーくんからすると、シャカールくんは『誤差を許容できないために想像力が足りない』というわけだね」

 

斎藤T「自分が安心するためにデータに縋っているのに、現実としてそのデータとちがうことに振り回されているんじゃ、まだまだといったところですよ。データはあくまでも手段の1つです」

 

アグネスタキオン「まあ、結果がどうなるかは明日のお楽しみというやつだね」

 

斎藤T「お」ブルブル・・・ ――――――携帯電話が受信!

 

斎藤T「――――――はい、もしもし、中央トレセン学園所属の斎藤です」スチャ

 

斎藤T「――――――あ、そうですか。『契約は成立』。では、月末の『大阪杯』を楽しみにしていますよ」

 

斎藤T「――――――ええ。あなたがメジロマックイーンという“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”のオマケではなかったことを存分に証明してください」チラッ

 

アグネスタキオン「おお! これは目が離せなくなってきたねぇ!」

 

斎藤T「でなければ、あなたは 一生 担当ウマ娘に頭が上がらない情けない男のままですよ」

 

斎藤T「愛バの卒業まで足掻いてください。セカンドキャリア支援は手厚く行いますので。なんなら、メジロ家も巻き込んで私の夢に参加してください」

 

斎藤T「では、お願いしますよ」

 

 

――――――史上初“春シニア三冠”達成という偉業を自らの手でメジロ家にもたらしてください! でなければ、今度こそ多摩川で死ね!

 

 



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第12話秘録 今こそ覚醒のSS因子

-シークレットファイル 20XY/03/03- GAUMA SAIOH

 

世間一般で言えば、この日は女子の健やかな成長を祈る節句の年中行事:雛祭りであるのだが、生物学的にはメスに分類される第3の性:ウマ娘にとってはやや異なる。

 

この日はウマ娘にとって一生に一度しかないクラシック路線のトライアル競走となる中山・芝・2000m『弥生賞』であり、先日の阪神・芝・1600m『チューリップ賞』に勝る盛り上がりを見せていた。

 

が、私たちは冬の寒さを越えて新世代への熱狂の渦を生み出す船橋市の中山競バ場に向かうことはなく、この“斎藤 展望”の4つの柱となる甲種計画と丁種計画の新たな進展のための秘密会議の場にいた。

 

場所は来年度の『春のファン大感謝祭』でお披露目となるURA所有のトレセン学園附属施設の扱いにもなる超高層ビル:エクリプス・フロント――――――、その中で私が実質的な顧問を務める新クラブ活動:ESPRITの部室となる多目的ホールであった。

 

ここはまだ竣工とはなっていないので学園関係者でも立入禁止となっているが、一部の例外として私はエクリプス・フロントのテナント(借主)に施工の進捗確認を頼まれて来た名目で入れるので、こうして秘密会議を開くことができた。

 

 

さて、ここでの秘密会議に召喚されたのは、“メジロ家の至宝”メジロマックイーンの担当トレーナーだった和田Tと先月の『URAファイナルズ』準決勝トーナメントでライスシャワーに接戦の末に敗北した5年目:スーパーシニア級のマンハッタンカフェであった。

 

 

順に説明しておくと、メジロマックイーンとマンハッタンカフェはトウカイテイオーとアグネスタキオンと同期;同じ年にトレセン学園に入学してきた才能のある競走ウマ娘である。

 

しかし、“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンは『選抜レース』でこの3人を凌駕する走りでトレーナーたちの注目を一番に浴びるものの、トレーナーに対して被験者(モルモット)になることを契約で持ちかけてくるため、その危険すぎる本性から敬遠されて以来、中等部を卒業してからも実験室に一人閉じ籠もって肉体改造に励んでいた。

 

一方、トウカイテイオーとメジロマックイーンは『選抜レース』ではアグネスタキオンに観衆の注目を奪われてしまうものの、ベストパートナーとなるトレーナーと二人三脚を組むことで年内にメイクデビューを果たし、幾多の波乱や苦難の末に生徒会役員に相応しい実績と人望を築き上げて感動的な引退を果たすことに成功した。

 

マンハッタンカフェの場合は、ちがった意味でアグネスタキオンに比べられるような人を不安にさせる不気味な雰囲気を漂わせていたことで敬遠されることになったのだが、最終的にはメジロマックイーンに後れてメイクデビューを果たすことになった。

 

なお、3年目:シニア級には“最強の七冠バ”シンボリルドルフがおり、まだ生徒会長ではなかったものの、“無敗の三冠バ”達成によって次期生徒会長に内定したこともあり、

 

危険すぎるアグネスタキオンと不気味すぎるマンハッタンカフェの方向性のちがう2人の問題児を積極的に庇護することになり、現在の部活棟が建てられる前は旧化学実験室を2人に充てがうなど異例の待遇をしていた。

 

というのも、暗黒期を終焉に導いた影の英雄:ウマ娘であるトレーナー“ウサギ耳”から託された予言書『ウマ娘 プリティーダービー』に、2人が稀代の名バになることが記されていたからでもあった。

 

あるいは、こういった問題児たちを御する器量を見せつけることで、トレーナー主導の管理主義と八百長レースが跋扈した暗黒期のアンチテーゼであるウマ娘主導の自由な校風によって才能豊かなウマ娘たちに溢れ返る黄金期に導こうとした背景もあった。

 

しかし、アグネスタキオンは一向にトレーナーのスカウトを受けることなく、新部活棟の化学実験室に一人閉じ籠もることになり、シンボリルドルフが卒業するまでに何度も退学勧告を受けるのをシンボリルドルフが庇い立てすることが繰り返されることになる。

 

一方で、マンハッタンカフェも明らかにG1ウマ娘に相応しいだけの実力を有してはいたものの、同期にして同世代に誰もが認める“天才”トウカイテイオーと“名優”メジロマックイーンがいたことで能力はあっても栄光を掴むことはできず、その輝きの影に埋もれることになった。

 

そのため、アグネスタキオンは高等部1年時にトレーナーのスカウトを受けて来年にはメイクデビューを果たさなければ、最大の庇護者であるシンボリルドルフが卒業することもあって退学処分も待ったなしの状況となっており、

 

マンハッタンカフェにしても、『URAファイナルズ』開催によって最初の3年間を走りきったスーパーシニア級に最後の見せ場となる卒業レースの出走権が与えられるということでもう1年だけ契約を続けて引退を先延ばしにしていたのであった。

 

そして、なんという運命の皮肉か、2人の進退が掛かったトレセン学園4年目にしてトウカイテイオーとメジロマックイーンが最後の輝きとも言える感動的な引退によって『URAファイナルズ』に出走できなくなったため、あの4人の中でマンハッタンカフェだけが『URAファイナルズ』に出走することになったのだ。

 

そのマンハッタンカフェも1つ後の世代の『宝塚記念』でメジロマックイーンに勝利したライスシャワーに『URAファイナルズ』準決勝トーナメントで敗れ去ることになったため、トウカイテイオー・メジロマックイーン・アグネスタキオン・マンハッタンカフェといった世代の中心となったウマ娘たちが尽く淘汰されてしまったのだと世間の目にはそう映っていた。

 

もちろん、マンハッタンカフェもG1ウマ娘に相応しい実力があることをメジロマックイーンやライスシャワーを相手に健闘したことで証明されているが、『URAファイナルズ』開催のためだけに契約を延長していた関係だったので、準決勝トーナメント敗退をもってトレーナー契約はなくなったのだが――――――。

 

 

しかし、そこで“学園一の嫌われ者”である この斎藤 展望と“学園一危険なウマ娘”であるアグネスタキオンが甲種計画と丁種計画に基づいて動き出していたのである。

 

 

その発端となっていたのが、メジロマックイーンの担当トレーナー:和田Tであった。

 

和田Tは担当ウマ娘:メジロマックイーンをメジロ家の使命である『天皇賞』制覇を見事に果たしたことで正式にメジロ家より交際を認められた関係になっていたが、そのことを自覚させるのに私は何度も『天皇賞(秋)』を繰り返され、初めての時の牢獄の囚われたことは未だに記憶に強く焼き付いている。

 

その後はメジロ家の専属トレーナーになって安穏とした余生を過ごすのかと思いきや、原因不明だが、年明けからライスシャワーに化けたオバケに命を狙われるようになり、元から不安定な状態だったのが、それによって精神的にも大いに追い詰められることになってしまったのだ。

 

新生徒会役員として新生徒会長:エアグルーヴを献身的に支える生徒会会計になった元担当ウマ娘:メジロマックイーンにそのことを打ち明けることもできず、襲われる度に私に助けられては精神を摩耗していくため、かつてのトウカイテイオーの岡田Tと同様に死んでしまわないかを私が見張る状態が裏では続いていたのだ。

 

ようやく悪霊祓いに使える悪霊退散のポケットラジオの開発に成功した頃には、担当ウマ娘が新たな生徒会役員として精力的に働いている裏で、担当トレーナーが手持ち無沙汰にしている現状に思い悩むことになり、このままメジロ家に婿入りしたところで何の力にもなれないことで気に病むようになっていた。

 

元から正体不明の悪霊に取り憑かれていた状況で、辛い現実を忘れるほど打ち込めるものがなく、自分の身の振り方や立ち位置について考えだしたら、もうネガティブ思考は止まることはない。

 

その結果、またしても和田Tは自殺を考え出すようになり、多摩川の辺りを虚ろな目でフラフラと歩く姿をたまたま見かけていなかったら、いったいどうなっていたことか――――――。

 

なので、私は和田Tの襟首を掴み上げて2月の多摩川にお望み通りにぶん投げた後、私も2月の多摩川に入って2月の多摩川に沈んでいく和田Tを救助する他なかった。

 

もちろん、心身共に弱っていた和田Tは2月の多摩川の水に浸かっていたために盛大に風邪を引くことになった。私は心身共に鍛えていたので寒中水泳ごときで風邪を引くことはなかったが。

 

そして、私が2月の多摩川に投げ入れたという事情は伏せて元担当ウマ娘:メジロマックイーンに和田Tの看病をさせた後、知らない仲ではない私は何食わぬ顔で見舞いに訪れ、和田Tの口から『何がしたいのか』『何が気に入らないのか』を自白剤込みで吐き出させた。

 

すると、元々は底辺チームのサブトレーナーに過ぎなかった自分にはやはり“メジロ家の至宝”たるメジロマックイーンには相応しくないと弱音を吐くことになり、彼女の許を去ることばかりを考えてしまっていたようである。

 

実際、新たな担当ウマ娘を見つけようにも自分はもうトレーナー組合からも睨まれていて中央で続けていく自信もないときた。中央での再出発は絶望的だと。

 

よって、私はふと悪魔の契約を持ちかけることにしたのだ。

 

 

――――――メジロ家に相応しいトレーナーであることを示すために、ちょうどよく契約終了となったマンハッタンカフェを史上初の“春シニア三冠ウマ娘”にしてみせろ。死ぬのはそれからでも遅くはない。

 

 

一方で、『URAファイナルズ』準決勝トーナメント敗退でついに契約終了になったマンハッタンカフェが引退届を学園に提出するのをアグネスタキオンが妨害していた。

 

トウカイテイオーやメジロマックイーン以上にマンハッタンカフェの才能を認めていたアグネスタキオンにとっては世代の中心であったトウカイテイオーやメジロマックイーンがいなくなった今こそが勇躍の時だと熱烈に語ったのである。

 

トウカイテイオーやメジロマックイーン以下の才能であろうとも、どうせ辞めるのなら自分の実力がG1ウマ娘に相応しいことを見せつけてから引退でも遅くないとアグネスタキオンは言い寄る。

 

もちろん、マンハッタンカフェとて自分の目標である幼い頃から自分だけに見えている特別な存在である“謎の幽霊(お友だち)”に追いつきたいという願いを捨てたくはない。

 

けれども、5年目:スーパーシニア級の契約切れのウマ娘に対して 今更 契約を結んでくれるトレーナーなどいるはずもない――――――。

 

その予想通りの答えを待っていたとばかりに、アグネスタキオンは最後のチャンスをマンハッタンカフェに与えたのである。

 

 

――――――3月2日『チューリップ賞』の日にきみを勝たせるトレーナーと引き合わせるから引退届を出すかはその時に判断したまえ。

 

 

部活棟が建て直されて化学実験室に一人閉じ籠もるようになってから絡むことがなくなったアグネスタキオンのいつもの強引な押しがこの時ばかりは心強く感じられたそうだ。

 

どのみち、引退をしたところで退学まではする気はないので、それならば公式戦に出走できる最後のチャンスに縋ってみるのも悪くはないんじゃないかと思い、マンハッタンカフェはその誘いに乗って引退届の提出を今は取りやめることにしたのだ。

 

そして、私たちが阪神競バ場で藤原さんと一緒に観戦している裏で、マンハッタンカフェはまさかの名トレーナーとの再契約に驚きを隠せずにいたのであった。もちろん、私が用意した和田Tのことだ。

 

それ以上に、今まで自分の勝利を阻んできた光の存在:世代の中心であったメジロマックイーンの担当トレーナーが自分の次のトレーナーになるのだから、このめぐりあわせには 双方 驚く他なかったのだ。

 

しかし、“メジロ家の至宝”メジロマックイーンにメジロ家の本懐を遂げさせた和田Tからすれば、“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェの実力や脚質はメジロマックイーンに通じるものがあると認めるものがあり、

 

自分の担当ウマ娘と同じ5年目:スーパーシニア級であったとしても『URAファイナルズ』準決勝トーナメントで1つ下の4年目:スーパーシニア級のライスシャワーにも接戦を挑めたことを踏まえると勝機は十分にあると思えたのだ。

 

そのため、互いの実力と実績をよく知るトレーナーとウマ娘であるために、双方の利害が一致して『URAファイナルズ』準決勝トーナメントで敗退して、すぐ翌月から始まる『大阪杯』『天皇賞(春)』『宝塚記念』を三連覇して誰も達成した者がいない史上初の“春シニア三冠ウマ娘”という新たな目標に挑むことになったのだ。

 

どちらもこれが自分の存在価値を示す最後のチャンスということで瞳に炎のような光が灯ることになり、すでに史上初の“春シニア三冠”に向けたトレーニングメニューとローテーションを組んできたようであった。

 

もちろん、私としては知らない仲じゃない有能なトレーナーである和田Tを、私の担当ウマ娘からすればずっと目をかけていたウマ娘を自陣営に引き込むことに成功したわけであり、思い通りの結果になって内心では有頂天になっていた。

 

 

――――――だが、やはりというか、惹かれ合うものが元から和田Tとマンハッタンカフェの間にはあったように思うのだ。

 

 


 

 

――――――トレセン学園附属高層施設:エクリプス・フロント(地上10階・地下1階建て)

 

 

斎藤T「――――――『弥生賞』を制したのは 予想通り エアシャカールでしたね」

 

アグネスタキオン「まあ、シャカールくんがロジカルに導き出した当然の結果だろうね」

 

和田T「そうでしたか。彼女はたしか1年遅れのデビューでしたね」

 

アグネスタキオン「そう! そして、シャカールくんの先輩であるこの私はこれから4年遅れのデビューなんだけどねぇ!」ハッハッハ!

 

マンハッタンカフェ「……何にせよ、担当トレーナーが見つかってよかったですね、タキオンさん」

 

アグネスタキオン「それはきみも同じだろう、カフェ?」

 

アグネスタキオン「きみの元担当トレーナーも優秀ではあったけど、ベテランだからこそ きみの実力を過去の名バと比べてしまっていて、非常に惜しいことをしたねぇ」

 

マンハッタンカフェ「……あなたのように“待つことができる人”はいないんですよ、タキオンさん」

 

和田T「けど、あのベテラントレーナーの許だったからこそ無理が許されず、こうして無事に5年目も走ることができるわけじゃないか」

 

マンハッタンカフェ「はい。そのことには深く感謝しています。おかげで、この脚はまだまだ走れますから」

 

アグネスタキオン「そういう意味では担当ウマ娘に入れ込みすぎて、トウカイテイオーとメジロマックイーンという世代の中心を故障に追いやった和田Tと岡田Tはまだまだ学ぶべきものがあるだろうね」

 

和田T「……そうですね。このままメジロ家の専属トレーナーになるのも不安だったことですし、是非ともマンハッタンカフェからはベテラントレーナーの許で教わったことをご教授してもらいたい」

 

斎藤T「5年目:スーパーシニア級――――――、いや、前シーズンの4年目の時って最初の3年間を走り抜いたウマ娘の育成方針ってどうなっているんです? 普通は新しい担当ウマ娘を持つようになるんですよね?」

 

マンハッタンカフェ「去年は理事長からのお願いもあって『URAファイナルズ』出走だけを念頭に置いて、とにかく故障しないように許される範囲でレースを絞って出走していました」

 

マンハッタンカフェ「その間は新しく担当ウマ娘になった子たちのトレーニングの補助をしていました」

 

和田T「なるほど。俺も元々は先輩チームのサブトレーナーをやっていましたけど、G2勝利が最大目標の底辺チームでしたから。そこまで気の利いたことはしていなかったです」

 

斎藤T「そっか、私の周りにいるG1トレーナーは揃いも揃って担当ウマ娘が1人だけで、そういう意味では新人しかいないのか」

 

アグネスタキオン「だろうねぇ。慢性的なトレーナー不足もあって、トレセン学園では基本契約の3年毎に新しい担当ウマ娘を持つことが取り決められていて、それに従わない場合は1年毎にシーズンの終わりに罰金として天引きするからねぇ。査定にも影響が出るそうだよ」

 

和田T「ああ、俺も冬のボーナスから天引きされてましたよ。まあ、俺にはマックイーン以外いないから、他の子の担当なんて とてもじゃないけど自信がなかったですし」

 

斎藤T「じゃあ、桐生院先輩も当然の流れとして『URAファイナルズ』が終わればハッピーミーク以外の新しい担当ウマ娘と契約するようになるわけですね」

 

アグネスタキオン「まあ、契約しているウマ娘の数だけ職務手当が増えるようになっているし、学園もあれだけ門戸を開いておきながら実際にはトレーナー不足でスカウトもデビューもさせられない状況を詐欺として訴えられることは絶対に避けたいからねぇ」

 

アグネスタキオン「そうなれば、これも当然の流れというやつで、最初の3年間を走り切ったスーパーシニア級の担当ウマ娘にかける時間も労力も減らさざるを得ないわけで、これはこれで世代交代を促す仕組みにはなっているか」

 

斎藤T「ああ……、『ドリーム・シリーズ』の開設目的が強すぎるウマ娘を体よく追放して『トゥインクル・シリーズ』の新陳代謝を促すものになっている辺り、公営競技の世界は弱者にも厳しく強者にも容赦ないのだな……」

 

斎藤T「ただ、『無事是名バ』の格言を思えばこそ、マンハッタンカフェの元担当トレーナーはあと一押しが足りなかっただけでトウカイテイオーやメジロマックイーンのように故障によって引退とはならなかっただけ、本当に優秀な人であることがわかります」

 

マンハッタンカフェ「はい。本来は最初の3年という基本契約も『URAファイナルズ』開催まで1年延長してくれた上で、その1年を私の自由にさせてくれましたし、後輩たちの指導の仕方も教えてくれました」

 

斎藤T「なるほど。それなら、ますますあなたをスカウトしたいですねぇ、マンハッタンカフェ」

 

マンハッタンカフェ「え」

 

斎藤T「あ、ちがいますよ。新人トレーナーの私なんかに前人未到の“春シニア三冠”なんて無理ですから」

 

斎藤T「そうじゃなくて、エクリプス・フロントのこの多目的ホールを部室として構える 前生徒会長:シンボリルドルフが最後の仕事として創設した クラブ活動:ESPRITの入部の誘いですよ」

 

マンハッタンカフェ「は、はあ……」

 

斎藤T「まあ、やることがなくて暇を持て余すようになったのなら、セカンドキャリア支援事業の一環としてトレセン学園のクラブ活動を盛り上げていこうという動きがありますので、ぜひ検討してみてください。こちらがESPRITの勧誘パンフレットになります」

 

マンハッタンカフェ「……あとで見ておきますね」

 

 

斎藤T「それよりも、今は“春シニア三冠”ですからね」ギラッ ――――――顔つきが鋭く変わる。

 

 

マンハッタンカフェ「!」

 

マンハッタンカフェ「……はい!」

 

斎藤T「じゃあ、互いの意見交換としましょうか」ピッ ――――――多目的ホールに備え付けのモニターとプロジェクターを起動させる。

 

和田T「え、斎藤T? その資料は何なんですか?」

 

斎藤T「あ、これですか? 満を持して開催された『URAファイナルズ』の影響についてまとめた各種情報ですね」

 

斎藤T「注目してもらいたいのは、『URAファイナルズ』は元からファン投票の形をとった卒業レースであるために、これが前代未聞の3ヶ月間の冬場のトーナメント戦ということで――――――、」

 

斎藤T「メジャーなG1レースが見当たらない時期だからこそ、あるいは3月からの春季の開幕戦のために安静にしていたいからこそ、出走する旨味もないようなクソローテーションとして一部では大変不評でしたね」

 

斎藤T「それでも、もう公式戦で走る機会がないと思われたウマ娘たちに実質無条件で出走できる最後の晴れ舞台を用意したということの社会的意義から世間の評価は高いようです。もちろん、公式戦に出たことがないような未出走バや未勝利バにとっても最後の思い出となりました」

 

斎藤T「そのため、『URAファイナルズ』が毎年恒例にもなれば、安易に引退即退学を選ばずに『URAファイナルズ』まで療養を適度にとりながらシニア級まで頑張り通せるウマ娘が増加することにもなります」

 

 

斎藤T「ただ、その煽りを受けることになるのが、この“春シニア三冠”というわけです」

 

 

和田T「まあ、『URAファイナルズ』優勝を目指したら、決勝トーナメントが3月半ばになるにしても月末の『大阪杯』まで回復しきれるわけがないですからねぇ……」

 

マンハッタンカフェ「2月末の準決勝トーナメントから3月半ばの決勝戦という間隔の短さも無視できませんからね」

 

アグネスタキオン「そして、初めての『URAファイナルズ』ということで、秋川理事長が可能な限りの人数に参加してもらうために今までなら引退するような子でも慰留させてきたこともあり、十分な人数を確保することに成功したわけだねぇ」

 

アグネスタキオン「けど、その中には特にこだわりがなければ『URAファイナルズ』に参加して欲しいと理事長から要請のあった現役ウマ娘もかなりの数いたわけだ」

 

アグネスタキオン「――――――『URAファイナルズ』は最初の3年間を走り抜いたスーパーシニア級限定の史上初のトーナメント戦であることも組み合わせるとねぇ? 随分と準決勝トーナメントの時は揉めることになってたねぇ?」

 

マンハッタンカフェ「ハッ」

 

 

マンハッタンカフェ「つまり、『大阪杯』に出走するスーパーシニア級のウマ娘がほとんどいなくなる!」

 

 

斎藤T「そう、史上初のトーナメント形式であるからこそ、『URAファイナルズ』決勝トーナメントが3月にまでもつれ込むことがわかった時点で大事を取って月末の『大阪杯』をあきらめざるを得ないわけですよ、普通は」

 

斎藤T「だから、第1回『URAファイナルズ』開催直後の阪神・芝・2000m『大阪杯』が狙い目だってことになるわけですよ」

 

和田T「なるほど。そこから“春シニア三冠”を目指すとなると。その次は京都・芝・3200m『天皇賞(春)』となって、阪神・芝・2200m『宝塚記念』にもなるから、メジロマックイーンやライスシャワーに並ぶ長距離ウマ娘(ステイヤー)のマンハッタンカフェなら“春シニア三冠”が狙えるというわけか!」

 

斎藤T「なので、頑張ってください。かつてないほどに前人未到の“春シニア三冠”に手が届く位置にいて果たせぬようなら、その時は潔く引退して私のセカンドキャリア支援のお世話になって(私の夢に参加して)ください」

 

アグネスタキオン「そういうわけで、『大阪杯』出走を表明しているシニア級ウマ娘の情報だよ」

 

和田T「おお! 去年までマックイーンに掛かり切りでシーズン後半からクラシック戦線がどうなっていたのか見る余裕がなかったから、この情報はありがたい!」

 

アグネスタキオン「まあ、きみの敵ではないとは思うがね。健闘を祈るよ、マンハッタンカフェ」

 

マンハッタンカフェ「……タキオンさんに乗せられる形で“春シニア三冠”だなんて挑むことになりましたけど、」

 

マンハッタンカフェ「わかりました。私にも追い続けてきたものがあります。それをあきらめることなんてできません」

 

アグネスタキオン「うんうん。それでこそカフェだ」

 

 

これも巡り巡って世界を救うタイムパラドックスに必要なことだと前向きに捉えて、私はどうしてかマンハッタンカフェの“春シニア三冠”達成のために活動していた。

 

非常に遠回しな話なのだが、甲種計画の要であるアグネスタキオンがトウカイテイオーやメジロマックイーン以上に才能があると踏んでいたマンハッタンカフェの潜在能力を解放させるためにプランBを始動させたのだ。

 

元々は自分自身がウマ娘の可能性の“果て”を体現するプランAもあったのだが、どちらかと言えば、自分の才能によって自分の肉体が破壊されることを予見していたからこその肉体改造強壮剤による4年間の雌伏の時であるため、

 

当初のアグネスタキオンにとっての本命というのは自分自身のためのプランAではなく、自分の夢を体現してくれる誰かのためのプランBの方なのだ。

 

だからこそ、アグネスタキオンの研究が果たして他のウマ娘にも適用できるものなのかを立証するために、自分自身の安全と天秤にかけながら必死にデータ取りの毎日に追われていたわけでもあったのだ。

 

並外れた飽くなき“果て”への探究心によって、自分が果たせなくても他の誰かが体現してくれれば もうそれでいいと言う、一般的に勝負好きで闘争心が強いウマ娘にしては珍しい傾向の持ち主であり、

 

他人のことなんておかまいなしの傍若無人に見える学園一危険なウマ娘であったが、その実、自分の探究心を満たす手段として自分が見込んだ人物には物凄く親身で情熱的になる性分でもあった。

 

ある意味において偏執的な愛情の注ぎ方ではあるが、『名家』アグネス家の中でも“最高傑作”でありながら、それ故に“異端児”とも扱われ、基本的に放任主義で育てられてきたというアグネスタキオンにとってはそれこそが愛するということであった。

 

まさしくステレオタイプの狂気の科学者(マッド・サイエンティスト)であり、秩序と調和が両立された宇宙時代ではまず見ない人格で、これはこれで物珍しくて非常に見ていておもしろいものがあった。

 

そして、『割れ鍋に綴じ蓋』とでも言うのか、そんなステレオタイプの狂気の科学者(マッド・サイエンティスト)の寵愛を受けてしまった不幸な存在であるマンハッタンカフェの反応はあまり好意的ではないものの、それでいて自ら拒絶することもせずに呆れながらもアグネスタキオンと向き合っているのだ。

 

ということは、言いたいこともやりたいこともできる遠慮のない関係性に居心地の良さを双方が感じているわけで、喧嘩するほど仲が良い親愛関係があることが見て取れた。

 

以前からマンハッタンカフェにそっくりな謎のオバケが何かを訴えかけるように冠婚葬祭の一切を取り仕切れる地球文明の継承者たる私につきまとってくるだけに、

 

目に見えない次元においてアグネスタキオンとマンハッタンカフェという2人のウマ娘を強く結びつける何かがあることをこれで確信できた。

 

これで目に見えない次元において魔を祓い清める丁種計画が大きく進展する足掛かりになることを期待して、私もマンハッタンカフェを自陣営に引き込むことに同意していた。

 

そして、その結果は驚愕の――――――。

 

 

和田T「……あの、タキオンさん。アグネスタキオンさん」

 

アグネスタキオン「なんだい、私の担当トレーナーに何かと活を入れられてばかりの和田T?」

 

和田T「ああ いや、俺はあの世代の中でメジロマックイーンでG1勝利を目指そうとしたわけだけど、『どうしてマンハッタンカフェだったのかな?』って」

 

アグネスタキオン「うん?」

 

マンハッタンカフェ「あ……」

 

和田T「だって、実力はマックイーンの強力なライバルの一人だったからよく理解しているけど、結局は俺の担当ウマ娘(メジロマックイーン)が勝ってきたのに、『どういうところでマンハッタンカフェだったのか』を聞いておきたいんんだ。昨日組んだばかりだし」

 

アグネスタキオン「ああ、なるほどねぇ。それもそうだねぇ」

 

 

アグネスタキオン「なあ、カフェ? 憶えているかい、私たちが最初に出会った時のことを?」

 

 

マンハッタンカフェ「忘れもしません」

 

マンハッタンカフェ「あれは入学して間もない頃、私が深夜のグラウンドを歩いていた時に、あなたは一人で走り込みをしていましたよね」

 

和田T「へえ?」

 

斎藤T「ふむ」

 

アグネスタキオン「ああ、そうだとも。腐っても『名家』アグネス家の出身だからねぇ。最初からその家名(ネームバリュー)に惹かれて私の走る姿を見ようと眼を光らせているトレーナー連中には困らされたもんだ」

 

アグネスタキオン「それに、日中はプランBの候補に相応しいウマ娘や被験体(モルモット)になってくれるトレーナーを探していたわけだしねぇ」

 

アグネスタキオン「そうなると、私自身のトレーニングは誰もいない夜中にする他なかったのさ。実際のトレセン学園の環境データの収集も兼ねてね」

 

斎藤T「入学して早々に校則違反の常習犯だな」

 

アグネスタキオン「そういうきみは配属されて早々にウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になった学園一の嫌われ者だねぇ!」

 

斎藤T「おお、似た者同士だな! 学園一危険なウマ娘!」

 

和田T「は、はは……」

 

マンハッタンカフェ「………………」

 

アグネスタキオン「そして、私は偶然にも深夜のトレーニングの場に出食わしたカフェにモル…実験の協力をお願いしようとしたら、なぜか学生寮に逃げ帰らずに夜の学園の敷地内を散々に駆け回ることになっていた」

 

アグネスタキオン「夜の学園の不慣れな視界の悪さやトレーニングの疲労があったにせよ、結果は見事に逃げ切られてしまってね。そのことが私にとっては驚きであったと同時に可能性を感じた瞬間でもあったんだよ」

 

和田T「そんなことが……」

 

斎藤T「ん」ブルブル・・・ ――――――ポケットラジオに感!

 

アグネスタキオン「で、今だから訊くけど、どうして あの時はまっすぐに逃げ帰らなかったんだい、カフェ?」

 

マンハッタンカフェ「……あまり憶えていないです。そもそも、あの日の夜にグラウンドまでやってきたのも“お友だち”に誘われたからでした」

 

 

和田T「――――――お、『お友だち』?」

 

 

斎藤T「…………和田T、お静かに」ジー ――――――ポケットラジオの新機能:パッシブレーダーに感!

 

和田T「あ、はい」

 

斎藤T「………………」ジー

 

マンハッタンカフェ「でも、その時は物凄く冷静でいられなくなったぐらいに脚を走らせていたことは憶えています」

 

マンハッタンカフェ「なんというのか、タキオンさんのことは顔と名前ぐらいは知っている程度で、会った瞬間にグワーッと込み上げてきたと言いますか……」

 

アグネスタキオン「要領を得ないねぇ。不審者を見つけて助けを求めるわけでもなく、トレーニング中の私の姿を見て無性に腹を立てたと?」

 

マンハッタンカフェ「そうなるのでしょうか……」

 

斎藤T「――――――?」

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「………………ほう」

 

和田T「つまり、入学して早々に自慢の脚で追いつけなかった相手にトウカイテイオーやメジロマックイーン以上の可能性を感じていたと?」

 

アグネスタキオン「噛み砕いて言えば、そうなるだろうねぇ。捕まえられなかったことはもちろんだけど、実に奇妙な感覚で、追いかけている途中から普通じゃない動きをしていたのを何度も見て 驚いた記憶があるねぇ」

 

 

斎藤T「たとえば『コーナーで驚くほどに加速して柳のように柔らかい走りができる』とか?」

 

 

マンハッタンカフェ「え?」

 

アグネスタキオン「それだ! 私の同期となる新入生の平均より脚が優れているのはすぐにわかっていたけど、それでも私の方が断然速かったのに、曲がり角に入るとするりと私の手から離れていったんだ! そうだった!」

 

アグネスタキオン「だから、俄然 興味を持ったんだよ、カフェ。あれほどの走りをするウマ娘にね」

 

マンハッタンカフェ「そ、そうだったんですか――――――?」

 

マンハッタンカフェ「いえ、少し待ってください。どうして、去年 トレーナーになった斎藤Tにそのことがわかるんですか? 私たちが入学した時のことですから4年前のことですよ?」

 

和田T「あ、それ、俺も思ってた」

 

 

斎藤T「だって、そこの過保護過ぎる“守護天使”がうるさく言ってくるんだもん」ブンブン ――――――ポケットラジオのロッドアンテナでマンハッタンカフェの頭上を指差す。

 

 

マンハッタンカフェ「え」 ――――――思わず、顔を天井に向ける。

 

アグネスタキオン「んん?」 ――――――指差された方を見るが、そこには何も存在しない。

 

和田T「は、――――――『守護天使』?」

 

斎藤T「はあ、『マンハッタンカフェのご先祖様』? 『アメリカの出身』? 随分とそっくりですねぇ。先祖返りですねぇ」

 

斎藤T「え、『1986生まれで2002年にお亡くなりになった』って、おかしいじゃないですか? 今は20XY年で、マンハッタンカフェは今年で高等部2年生になるんですよ?」

 

斎藤T「しかも、『G1:6勝のエクリプス賞バ』ですって? そんな大物が先祖にいることを競走ウマ娘の家系が誇らないわけがないじゃないですか?」

 

斎藤T「――――――いや、そんなことを言われても。私に愚痴を言われても困るのですが」

 

斎藤T「――――――なに? 『これ以上は天界の機密で明かせない』って? 期待なんてしてないですよ、別に」

 

斎藤T「――――――それで、『()()()()()()()()()()()()の願いに従って『凱旋門賞』に行く未来から別の方向に進む最大のきっかけになるのがアグネスタキオンだった』と」

 

斎藤T「その前に、『ミホノブルボンによって日本のウマ娘レースの未来が変わったことで、今回は“春シニア三冠”実現を目指せるチャンスが与えられた』と――――――」

 

斎藤T「あ、そうですか。『必ず勝てるから必ず勝てる努力を怠らぬよう』――――――、そこまで話しちゃっていいんですか? あんまり話しかけてこないでくださいよ、過干渉でしょう?」

 

斎藤T「――――――『全部 私のため』!? それが『三女神の意志』だと!?」

 

斎藤T「……そうでしたか。はい、ありがとうございました。3月3日の雛祭りの日に素晴らしいご縁を結んでもらいました」

 

 

――――――ペルセウス。そう呼ぶということは、やはりあの時の幻覚が意味したものとはそういうことか。

 

 

斎藤T「………………」

 

和田T「………………」

 

アグネスタキオン「………………」

 

マンハッタンカフェ「…………斎藤T?」

 

 

斎藤T「――――――明日、パスポートを作りに行くぞ。公欠だ」

 

 

斎藤T「今日のうちに用意できる書類は書いてもらう」

 

和田T「え!?」

 

マンハッタンカフェ「ど、どういうことですか、急に!?」

 

和田T「まさか、“春シニア三冠”の後に海外遠征ですか!?」

 

マンハッタンカフェ「!!!!」

 

アグネスタキオン「まあ、海外遠征も選択肢に入れるためにパスポートを持つのが私たちの基本方針ではあるが、今は“春シニア三冠”に集中するために言わないでいると思っていた……」

 

アグネスタキオン「それは今すぐじゃないとダメなのかい? 急すぎないかい?」

 

斎藤T「何を言っているんだ? これはマンハッタンカフェにそっくりな“守護天使”からの直々のお告げだ」

 

 

――――――いいか、『大阪杯』が終わったらアメリカの『サンタアニタダービー』に来いってさ!

 

 



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第13話   もうひとつの黄金期の輝き ~勝利の方程式は無限の解を生み出してこそ~

 

-西暦20XY年03月10日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この日は重賞レース『阪神スプリングジャンプ』があった日なのだが、どちらかと言えば卒業式を火曜日の全体集会の日に控える卒業生にとっての“最後の日曜日”でもあった。

 

週明けとなる月曜日は卒業式前の卒業生の送別会が開かれており、それでその翌日は『立つ鳥跡を濁さず』卒業式が終わり次第 学園を巣立っていけるような日程が組まれていた。

 

そのため、この最後の日曜日は学生寮を巣立って行くための準備に追われており、重賞レースの障害レースなんかよりも巣立っていく先輩の引っ越しの手伝いに参加したいウマ娘たちで休日の全寮制の学園がてんやわんやとなっていた。

 

というのも、競走ウマ娘の頂点を極めるためにトレセン学園の狭き門を潜り抜け、引退即退学が当たり前だった過酷なトレセン学園において退学せずに卒業できるだけでも一定の評価と敬意が得られるわけで、『無事是名バ』の体現である卒業生に少しでも肖りたいとウマ娘たちが集まるからだ。

 

今年の卒業生は 所謂 ルドルフ世代であり、“最強の七冠バ”シンボリルドルフの独壇場とも言えるほどに圧倒的な支配者が君臨していたわけであり、完全な1強であったためにシンボリルドルフ以外の名バの名を挙げることが難しいとすら言われていた。

 

ある意味においては圧倒的な王者の君臨によって黄金期を切り拓いたはいいが、逆に自分と同世代になったウマ娘たちの戦績がパッとしなくなる最大の障害にもなったため、絶対的勝者として歴史に名を刻んだシンボリルドルフとしては複雑であった。

 

 

なにしろ、予言書『プリティーダービー』の内容から状況を分析すると、ルドルフ世代の実態とはBNW世代:ビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケットの3人が“クラシック三冠”を分かち合い人気を博すはずだったと読み取れるからだ。

 

 

その結果、BNWはシンボリルドルフの栄光の前に消え去ることになり、予言書の内容から大きく外れた運命を辿ることになったのである――――――。

 

皐月賞ウマ娘になるはずだったナリタタイシンやダービーウマ娘になり損ねたウイニングチケットは3年目:シニア級で引退することになり、そのまま中等部でトレセン学園を卒業していったそうなのだ。

 

もっとも、2年目:クラシック級で華々しい活躍をしているのが全盛期であったと非情にも予言書『プリティーダービー』に予言されていたことなので、シンボリルドルフが出走していない重賞レースでしっかりと勝っているだけ凡百のウマ娘よりも恵まれた選手人生であったことだろう。

 

一方で、シンボリルドルフが3年目:シニア級における海外遠征での故障によって無期限活動休止で生徒会活動に専念することになり、その結果として歴代最高の生徒会長となってトレセン学園の顔役として長らく君臨し続ける裏で、

 

“永遠なる皇帝”に対して“永遠の二番手”と呼ばれ続けていたBNW最後の一人であるビワハヤヒデだけは級友であるナリタタイシンとウイニングチケットが中等部で卒業し、シンボリルドルフが第一線を引いても走り続けていた。

 

そこが予言と大きくちがったところであり、中高一貫校の長い6年間を徹底的な管理の末に故障なく出走し続け、最終的に“神メ”シンザンに続く 永遠に破られることがないであろう 連対記録第2位を更新し続け、史上最多の重賞レースのウイニングライブ参加率を誇る常連として“万能”とまで称えられるようになったのだ。

 

その原動力となったのは、最高のライバルにして最愛の妹:ナリタブライアンという身近な存在と、“皇帝”シンボリルドルフという絶対者がいる状況でウマ娘としての自分がどうあるべきかを適切に導いた偉大なるトレーナーの存在であった――――――。

 

 

――――――その名トレーナーは“皇帝の王笏”に対して“万能ステッキ”と評されていた。

 

 


 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

 

ビワハヤヒデ「………………」

 

ナリタブライアン「おい、姉貴?」

 

ビワハヤヒデ「……あ、ああ。すまない。少し物思いに耽ってしまった」

 

アグネスタキオン「しかし、本当にいいのかい? それはきみの担当トレーナーとの思い出の品なのだろう?」

 

ビワハヤヒデ「ああ、いいんだ。少しでも役立てて欲しいと思って持ってきたんだ。遠慮なくもらって欲しい」

 

斎藤T「公共財としてエクリプス・フロントに寄付するという手もあるんですよ?」

 

ビワハヤヒデ「いや、シンボリルドルフが認めたきみたちに受け取ってもらいたいんだ」

 

斎藤T「では、ありがたくちょうだいしますが、“万能ステッキ”と呼ばれた あなたの担当トレーナーの思い出を聴かせてもらえますか? これは当事者であるあなたの口から語ることで価値が出るものです」

 

ビワハヤヒデ「……そうだな。私の担当トレーナーのことは何て言えばいいのか、難しいな」ゴクッ

 

 

ナリタブライアン「――――――いや、()()()だろう、姉貴?」

 

 

ビワハヤヒデ「!!?!」ブッフォーー!

 

アグネスタキオン「うわっ」

 

ビワハヤヒデ「な、何を言い出すんだ、ブライアン!?」ゴホゴホ・・・

 

斎藤T「あ、これで口元を拭いてください」スッ

 

ビワハヤヒデ「あ、すまない、斎藤T……。お見苦しいものを……」

 

斎藤T「いや、気にしないでください」ササッ ――――――吹きこぼした緑茶を綺麗に拭き取る。

 

斎藤T「それより、本当に“皇帝”シンボリルドルフに勝るとも劣らない“万能”ビワハヤヒデを支えた名トレーナーとはそこまで親密だったというわけでしたか」

 

ビワハヤヒデ「いや、さすがに“無敗の三冠バ”シンボリルドルフと並ぶだなんてことはないだろう。勝っているところと言えば、せいぜい会長の倍近く長くターフの上で走り続けることができたぐらいで」

 

 

ナリタブライアン「その結果が“神メ”シンザンに続く連対記録歴代第2位:ビワハヤヒデだろう、姉貴?」

 

 

アグネスタキオン「大したもんじゃないか。“五冠バ”シンザンを超える“七冠バ”シンボリルドルフに、シンザンの連対記録最高記録に次ぐ大記録を達成したビワハヤヒデということで釣り合いは十分に取れているだろう」

 

アグネスタキオン「なんなら、重賞レース・ウイニングライブ参加記録:連続三連対記録では近年では不動のトップでもあるのだし」

 

ナリタブライアン「ああ。姉貴がいないウイニングライブのステージはやけに広々と感じて違和感を覚えるぐらいには、姉貴は6年間“皇帝”シンボリルドルフの黄金期を支え続けた もうひとつの生きた伝説だ」

 

斎藤T「そうですねぇ。“皇帝”シンボリルドルフの右腕となるのが副生徒会長として規範で在り続けた“女帝”エアグルーヴで、腹心となるのが栗東寮寮長である“幻の三冠バ”フジキセキ――――――」

 

 

斎藤T「となると、シンボリルドルフの道を照らした太陽とは“万能”ビワハヤヒデになりますね」

 

 

ビワハヤヒデ「えっ」

 

アグネスタキオン「ほう! 太陽! 太陽か!」

 

ビワハヤヒデ「はっ」

 

ナリタブライアン「わかっているじゃないか、斎藤T!」

 

ビワハヤヒデ「い、いや、いやいや! 私が太陽だなんて、エアグルーヴやフジキセキ以上に私がそんな……! 過大評価じゃないのか、それは!?」アセアセ・・・

 

斎藤T「じゃあ、こう言えばわかるか」

 

 

斎藤T「ビワハヤヒデ、あなたは“皇帝”シンボリルドルフに続く“三冠バ”ナリタブライアンを世に送り出した名トレーナーだったから、あなたの功績は大きいのですよ」

 

 

ビワハヤヒデ「え、それはどういう――――――」

 

ナリタブライアン「まあ、実際そうだったな、そう言われると」

 

ビワハヤヒデ「お、おい、ブライアン?」

 

ナリタブライアン「私の担当トレーナーはトレーナーとしての実力は完全に新人レベルで役に立たなかったからな」

 

ナリタブライアン「その新人トレーナーが必死になって姉貴のところのトレーナーに弟子入りして少しはマシになったわけで」

 

アグネスタキオン「そして、“皇帝”シンボリルドルフという絶対者を前にしても最後まで走り続けてシンザンに次ぐ連対記録を築き上げ、無敗になれなかったナリタブライアンの目標に成り得たというわけだね」

 

ビワハヤヒデ「ブライアン……」

 

ナリタブライアン「私には2つの目標があった。シンボリルドルフとビワハヤヒデだ」

 

ビワハヤヒデ「それを言うなら、私にとっても目標は2つ。シンボリルドルフとナリタブライアンだったよ」

 

斎藤T「そして、実の姉妹で互いを高め合った結果、“最強姉妹”として揃って『ドリーム・シリーズ』への移籍を果たしたわけですから、あなた方 姉妹がシンボリルドルフに続く者として『トゥインクル・シリーズ』を盛り上げた功績は偉大だったわけですよ」

 

斎藤T「実際に訊きました。シンボリルドルフがもっとも評価しているウマ娘が誰なのかを」

 

斎藤T「それは後にも先にもビワハヤヒデ唯一人であり、もうひとりの自分のようにその活躍ぶりにいつも励まされていたそうですよ」

 

ビワハヤヒデ「か、会長が……」

 

斎藤T「そうです。会長にとっては右腕となるエアグルーヴも、腹心となるフジキセキも大切だけど、あえて順位をつけるならビワハヤヒデの学園内外での功績が一番でそれがライバルとして誇らしいと」

 

ビワハヤヒデ「わ、私がシンボリルドルフのライバル――――――?」

 

アグネスタキオン「実際、そうだろうね。“皇帝”シンボリルドルフが無期限活動休止で第一線を引いた後もターフの上で走り続けて連対記録を更新し続け、重賞レース・ウイニングライブの常連でもあるのだし、」

 

アグネスタキオン「それでいて、会長から直々に指名されたはずのあまり働かない方の副会長(ナリタブライアン)のお株を奪うほどに生徒会活動にも協力的で、新入生からもうひとりの副会長と誤解されていたこともあったろう」

 

アグネスタキオン「それぐらい実力も人望もあって性格も面倒見も良いと来たら、シンボリルドルフがいなければ“クラシック三冠バ”も狙えただろうし、生徒会長にもなれただろうねぇ」

 

ナリタブライアン「当然だな。姉貴は最強なんだからな」ウンウン!

 

 

斎藤T「だから、“皇帝”シンボリルドルフが築き上げた黄金期には学園と競バ場のそれぞれにトレセン学園の生徒たちの規範となる生徒会長が6年間ずっと居続けたというわけですよ」

 

 

ビワハヤヒデ「……会長」

 

斎藤T「これはその感謝の印だそうです」スッ ――――――シンボリ家の紋章が入った瀟洒な宝石箱を置いた。

 

ナリタブライアン「何だ、それは?」

 

ビワハヤヒデ「……開けても?」

 

斎藤T「どうぞ」

 

ビワハヤヒデ「――――――」パカッ

 

ビワハヤヒデ「おお、これは――――――!」

 

ナリタブライアン「桜色の宝石のネックレスだな」

 

アグネスタキオン「それはモルガナイトだね。ピンクベリルやピンクアクアマリンとも言われているもので、所謂 カラーストーンジュエリーというやつだね」

 

斎藤T「正確にはプラチナチェーンのモルガナイトとダイヤモンドのネックレスです」スッ ――――――ルーペをかざす。

 

斎藤T「ほら、大粒のモルガナイトを囲むようにダイヤモンドが散りばめられているでしょう。鑑定書と保証書もここに」

 

ビワハヤヒデ「きれい……」

 

ビワハヤヒデ「ハッ」

 

ビワハヤヒデ「え、いや、本当にこんなものをもらっていいのか!?」

 

斎藤T「面と向かって贈呈できないから、こうして私が代理人として引き渡しているだけですので、面倒ならば配達に出しますよ」

 

アグネスタキオン「おいおい、せっかくもらったんだから、実際につけてみたらどうだい。鏡台ならユニットシャワールームにあっただろう」

 

ビワハヤヒデ「え、でも、こんな高価なもの、私には――――――」

 

ナリタブライアン「いやいや、何を言っているんだ、姉貴は。遠慮なんてするなよ」

 

ナリタブライアン「ほら、あれだ。『URAファイナルズ』の後のプロムナードとかで着飾るんだから、ちょうどいいのがもらえてよかったじゃないか」

 

ナリタブライアン「ほら、姉貴、貸せ」

 

ビワハヤヒデ「あ……」

 

ナリタブライアン「……なあ、これ、どうやって付けるんだ?」

 

斎藤T「ああ、こういうのはコツがいるんですよ。それに、ウマ娘の握力だと簡単に折れることもあって、この専用のピンセットを使うとやりやすいですよ」

 

ナリタブライアン「お、こうか。よし、チェーンが外れた。それで、これをこうして――――――」

 

ビワハヤヒデ「………………」ドクンドクン

 

ナリタブライアン「よし、できたぞ、姉貴」

 

ビワハヤヒデ「あ……」

 

ナリタブライアン「それじゃあ、ユニットシャワールームの鏡で――――――」

 

ビワハヤヒデ「あ、待ってくれ。手鏡ぐらい持っているから」

 

アグネスタキオン「ああ、ハヤヒデくんなら普段から持ち歩いているか、髪のことで」

 

ナリタブライアン「それもそうだったな」

 

ナリタブライアン「で、どうだ、姉貴。チェーンが髪に絡まないようにしっかりと首筋につけてはみたが」

 

ビワハヤヒデ「ああ、相場はわからないが、とてもいいものだと思う」

 

斎藤T「モルガナイトの石言葉は『清純』『愛情』『優美』とされています。つまり、真心のこもった行動を力強く支えてくれる石であり、精神の安定をさせることで本物の愛を実践する力があるのだとか」

 

斎藤T「それをダイヤモンドの『永遠』やプラチナの『固い絆』などで補強しているというわけです」

 

ビワハヤヒデ「そんな意味が」

 

ナリタブライアン「それなら姉貴にピッタリだな」フフッ

 

ビワハヤヒデ「そうか。では、ありがたくちょうだいしよう」

 

ナリタブライアン「本当は義兄貴からこういうのをもらうはずだったんだけどな」

 

ビワハヤヒデ「ブライアン、その話はもういいだろう……」

 

ナリタブライアン「けど!」

 

ビワハヤヒデ「いいんだ。私にとって初めての人は本当にこのジュエリーのように繊細ながら優しさに満ちた力強い輝きを放つ人だったから……」

 

 

――――――本当に私のトレーナーがあの人でよかった。心からそう思う。

 

 

ビワハヤヒデの担当トレーナーはある意味においては絶対的支配者である“皇帝”シンボリルドルフに対する反逆者として有名でもあり、反シンボリルドルフ勢力の旗手として祀り上げられた英雄でもあった。

 

それはメディアが生み出した“皇帝”シンボリルドルフの英雄譚を面白可笑しくするために拡大解釈された虚像に過ぎず、何かとシンボリルドルフとビワハヤヒデの対決の構図を持ち出そうとする周囲とは裏腹に、当人同士は非常に親密な関係であったという。

 

なにしろ、目指しているものは互いに『全てのウマ娘が輝ける世界』であり、暗黒期から完全に脱却した黄金期に相応しい新時代の在り方を模索していた新進気鋭のトレーナーでもあったのだ。

 

つまり、無名の新人トレーナーが最強のウマ娘と組んで一時代を築き上げるという王道を果たす一方で、無名のウマ娘が最高の名門トレーナーに導かれて常道を貫く物語が陰陽となって黄金期の6年間に織りなされていたのである。

 

そして、黄金期の6年間を彩るDNAの二重螺旋のごとき2つの物語はトレセン学園の卒業式と『URAファイナルズ』でもって感動のフィナーレを迎えるというわけである。

 

 

しかし、2つの物語の主役であるウマ娘を支えた半身たるトレーナーの姿はどちらにもない――――――。

 

 

どちらも、最愛のウマ娘の最初の3年間を支えきる前に、シーズン後半で姿を消してしまったのだった。

 

だから、中高一貫校の6年間の学園生活の後半となる高等部から――――――、

 

“皇帝”シンボリルドルフは第一線を引いて“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としてトレセン学園の良き指導者として“皇帝の王笏”なしにただ独りで君臨し続けることになり、

 

“万能”ビワハヤヒデは戦友たちが次々とターフの上からいなくなっていく中で人生のテーマとなっていた理論を完成させるべく、“万能ステッキ”のカラクリを胸に秘めてただ独りで果てしないターフを走り抜くことになった。

 

そうして迎えたのが、かつてないほどの絶頂期を迎えたトレセン学園の黄金期というわけであり、歴代最長の就任期間によって長年に渡ってトレセン学園の顔役として世間からの認知度が高いシンボリルドルフと、シンボリルドルフと激戦を繰り広げて今もターフの上を走り続けて記録更新をし続けるビワハヤヒデの存在は黄金期に欠かせない重要な要素となっていたのである。

 

 

ビワハヤヒデ「――――――懐かしいな。昔は『逆なんじゃないか』と言われていたよ」

 

ビワハヤヒデ「シンボリ家が満を持して送り出した最強のウマ娘に相応しいのは、あの『有馬記念』として名を残すウマ娘レース界の重鎮である“天上人”有馬一族の御曹司であるべきだとね」

 

ビワハヤヒデ「なのに、実際にはシンボリ家の惣領娘が自ら選んだのは名もなき新人トレーナーで、有馬一族の御曹司が選んだのが私だったのだから、当時としては本当に揉めていたよ、周りが」

 

ビワハヤヒデ「実際、現在でこそ“皇帝の王笏”と称えられている伝説の新人トレーナーとして有名な鈴音Tは“皇帝”に媚び諂って取り入った小男という扱いで妬み嫉みが激しかったことだし、」

 

ビワハヤヒデ「私も来年に入学してくることになる妹のブライアンの規格外の“怪物”としての評価でそのついでに名が知れ渡っていた“不出来な姉”という評価で散々に罵倒されてきたからな。私が色目を使ったとも言われて大変だった」

 

ナリタブライアン「本当にふざけた話だったな。義兄貴が姉貴のことをスカウトしたのも気難しい扱いの私の引換券にするつもりだって吹き込まれた時は思わず殴りかかろうとしたっけな……」

 

 

斎藤T「――――――“天上人”有馬一族の御曹司であった鐘撞Tか」

 

 

斎藤T「そのルーツは戦国大名にして 旧筑後国 久留米藩主:有馬家であり、第15代当主の伯爵であった『有馬記念』に名を残す有馬 頼寧である」

 

斎藤T「有馬 頼寧は戦前は農政学者として活動、農民運動を支援した後に農林大臣などを歴任し、戦後はURA第2代理事長としてウマ娘レース界の発展に尽力し、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』を国民的スポーツ・エンターテインメントにまで押し上げる端緒を開いた功績により、『中山グランプリ』として開始された『有馬記念』に名を残すこととなる――――――」

 

斎藤T「有馬 頼寧はもっともファンサービス拡充に努めた理事長として知られ、これにはウマ娘レースは全くの()()()だった故の柔軟な発想があったからとされる」

 

斎藤T「PR機関:中央ウマ娘レースサービスセンターを創設し、日本短波放送によるレースの実況放送を開始し、競バ場内に託児所や遊園地を設置するなどの他、1956年にプロ野球のオールスターゲームのように人気投票で出走馬を選ぶレースでファンに喜んでもらおうとした企画が現在の『有馬記念』である」

 

斎藤T「まさに、中央競バ以前に農民運動や部落解放運動や卓球、プロ野球の発展にも携わった有馬 頼寧ならではの発想だったと言えよう――――――」

 

ナリタブライアン「ああ。だから、ウマ娘レース界隈においては有馬一族はまさに“天上人”のような扱いで、姉貴を担当ウマ娘に選んだ時の最大の罵倒が『人間宣言』だったもんな」

 

斎藤T「あぁ!?」ゴゴゴゴゴ! ――――――皇宮警察の令息、キレる!

 

アグネスタキオン「うわっ」ビクッ

 

ナリタブライアン「うおっ」ゾクッ

 

ビワハヤヒデ「お、怒らないでくれ、斎藤T。もう過ぎたことだから……」アセアセ・・・

 

斎藤T「あ、すみません……」

 

斎藤T「でも、当時としては本当にそれぐらいに『名家』と『名門』のいざこざが残っていたわけなんですね……」

 

ビワハヤヒデ「まあ、だからこそ、こうしてシンボリルドルフ会長とは親しくなれたのかな。互いに周りの思惑や理想を押し付けられて苦労しているということで」

 

斎藤T「ある意味においては、暗黒期から黄金期に時代が進むためのウマ娘の『名家』とトレーナーの『名門』の代理戦争・頂上戦争・最終戦争の時代でもあったわけですね」

 

ビワハヤヒデ「うん。正直に言って、裏ではいろいろと批難や罵倒を受けてきたけれど、その分だけ表向きは最高の名門トレーナーに対する忖度で待遇がよかっただけに、有馬一族の御曹司の担当ウマ娘であることが重苦しくなる時があったさ」

 

ビワハヤヒデ「けれど、それは有馬一族の御曹司であった私の担当トレーナーも同じだった――――――」

 

ビワハヤヒデ「だからこそ、当初から“怪物”として期待されていた妹:ナリタブライアンに対抗する武器を必要として“勝利の方程式”を追究してきた私の在り方に尊敬の念を抱いてくれていたんだ」

 

 

ビワハヤヒデ「そして、『トゥインクル・シリーズ』という夢の舞台で妹と最高のレースをするという願いに誰よりも直向きであってくれた――――――」

 

 

ナリタブライアン「それこそ、“万能ステッキ”と呼ばれるほどの多芸多才ぶりでな」

 

ナリタブライアン「本当に義兄貴は姉貴のことを守ってくれたんだ。そして、姉貴と私の『最高の舞台で最高のレースをどこまでも』という夢も結果として叶えてくれた」

 

ナリタブライアン「だから、義兄貴はずっと姉貴の側にいてくれるもんだと思っていたのに――――――」

 

ビワハヤヒデ「………………」

 

アグネスタキオン「……何があったんだい?」

 

ビワハヤヒデ「まあ、一言で言うなら、私のトレーナーは病に倒れたんだ。不治の病に」

 

斎藤T「………………」

 

ビワハヤヒデ「3年目:シニア級のシーズン後半のことだった」

 

斎藤T「――――――『3年目の後半』」

 

アグネスタキオン「たしか、同じ時期に“皇帝の王笏”が行方不明になってたんじゃないかな」

 

ナリタブライアン「ああ、そうだ。それに前後してだ」

 

ビワハヤヒデ「皮肉なものだよ。それで『名家』シンボリルドルフとそれに挑む『名門』有馬一族の御曹司が最後に病床で手を取り合ったことで、それまでのことが丸く収まったのだから」

 

ビワハヤヒデ「私は有馬一族に色目を使って擦り寄った“ブライアンのダメな姉”から評価が一転して、薄幸の有馬一族の御曹司から夢を託されてターフの上を走り続ける使命を帯びた“悲劇のヒロイン”扱いだよ」

 

ビワハヤヒデ「そして、今ではそんなこともあったのかと私たちが直面してきた苦難は時代の移り変わりと共に忘れ去られ、私たちが憧れ続けた夢の舞台はまさに黄金期の眩い輝きを放っている――――――」

 

ナリタブライアン「姉貴……」

 

ビワハヤヒデ「でも、それはしかたがないことなんだ。そういう吹けば飛ぶような人々の熱情によって感動の物語というものが生み出されていくのだから」

 

 

斎藤T「だから、あなたは私を最後のトレーナーに選ぼうとした――――――?」

 

 

アグネスタキオン「…………!」

 

ナリタブライアン「姉貴……!」

 

ビワハヤヒデ「ああ。きみはシンボリルドルフ会長のトレーナーとはちがった意味で私のトレーナーと似ていたんだ」

 

ビワハヤヒデ「ウマ娘レース業界では“天上人”に喩えられる有馬一族の御曹司でありながら、“ブライアンの姉”という以上の評価がなく、理論に縋るしかなかった私の在り方に敬意を抱いてくれた彼に――――――」

 

ビワハヤヒデ「そうか、きみが配属されて早々に形振り構わない強引なスカウトや引き抜きで学園一の嫌われ者として警戒された一因に、かつての暗黒期の様相を思い出させるものがあったわけだが、」

 

ビワハヤヒデ「実際にきみは有馬一族以上に 代々 天皇家に仕えてきた正真正銘の『名族』でもあったのだな」

 

 

ビワハヤヒデ「不思議だな。シンボリルドルフ会長も 面と向かって話してみて きみのことをかつての担当トレーナーと重ねて見ていた――――――」

 

 

ビワハヤヒデ「まったく正反対のトレーナーの姿を誰よりも側にいた担当ウマ娘が見るだなんて、本当に不思議な話だな……」

 

ビワハヤヒデ「でも、だからこそ、私もシンボリルドルフ会長も安心して卒業していけるわけだ。そういうわけだったのか……」

 

ナリタブライアン「姉貴……」

 

斎藤T「………………」

 

 

そういうことじゃないと。私は声を大にして言いたいが、今は卒業式を迎えるビワハヤヒデを客人としてもてなすために思い出話に耳を傾けることに徹することにしていた。

 

いつだったか話したように、おそらくシンボリルドルフの鈴音Tもビワハヤヒデの鐘撞Tも保守派()革新派()で言ったら革新派()の人間だったというだけの話だろう。

 

そして、時代を変える人間というのは重大な局面において面舵いっぱい(時計回り)ではなく取舵いっぱい(反時計回り)を選択するのだ。

 

常識に則った上で常識に縛られないからこそ常識と非常識の境目を渡り歩いた常識破りが新たな常識を生み出すものだ。

 

つまり、こうして人伝にしか想像することができないトレセン学園の新たな時代を切り拓いた先人たちはそういう生き方に目を向けるぐらいに現状を良しとしない価値観や創意工夫を持っていたことに他ならない。

 

だからこそ、以前にシンボリルドルフの担当トレーナーだった無名の新人との思い出を聴いているからこそ、その対抗バとして持ち上げられることになった無名の新バを導いた名門トレーナーの話は一層心に染み渡った。

 

それがわかっただけでも、私の在り方は間違いなく先人の心根を継承していることを確信できて安心できた。

 

私だけが死ぬ思いを何度もしながら苦しい思いをしてきたわけじゃないと知れただけでも今の自分の在り方を肯定できる安心材料が増えた。

 

 

けれども、この時代を生きる人々にとっては目に見えるもの、耳で聞こえるもの、肌で感じたものが全てであり、ちがいを認識することで自分というものを認識する原始的な肉体精神しかないのが、非常に哀れに思えた。

 

 

そうじゃない。そういうことじゃない。「ちがい」を認識することでしか世界というものを知覚できないのなら、どこまでも無限に拡がる月の大地で正確な距離感を目測で掴むことなどできないのだから。

 

だから、宇宙時代の人間は「ちがい」で世界を知覚する以上にそれとは正反対の「同じ」ものを認識することで無限大の宇宙でも繋がることができるのだ。

 

だいたいにして、広大な宇宙では「ちがう」ことだらけで、宇宙科学の分野では常に地球に瓜二つの居住可能な惑星の可能性を求めて血眼になっているのだから、

 

地球では「同じ」ことが当たり前でも、宇宙に出たら「ちがう」のが当たり前になるパラダイムシフトを体感すれば、いつだって世界は「同じ」ことに常に目を向けて繋がることができるのだ。「同じ」ことが当たり前の境遇に甘え過ぎなのだ、21世紀の人間は。

 

23世紀の宇宙船エンジニアだった私が21世紀のウマ娘のハーフである“斎藤 展望”になった時、新惑星探検の手始めとして何から始めたのかと言えば、「ちがう」ことだらけの新惑星において23世紀を生きた自分と「同じ」ものを必死に探して“斎藤 展望”として生きる取っ掛かりを見つけることだった。

 

私には競走ウマ娘の担当トレーナーとしての知識も背景も持ち合わせていないからこそ、担当ウマ娘を選ぼうとしても素人の私には全てが「同じ」に見えて「ちがい」がわからないものだから、

 

 

それならば、もっとも自分と「同じ」ものを持っているウマ娘を選ぶことになったのだ。

 

 

斎藤 展望の最愛の妹の養育費を稼ぐという最大の目的が果たされているのだから、トレセン学園に残り続けているのは完全な道楽であった。

 

というより、それこそ天の配剤か、学園一の嫌われ者が学園一危険なウマ娘と巡り合うようになっていたのだが、それに運命を感じたとしてもアグネスタキオンというウマ娘が本当に自分の担当ウマ娘として相応しいかを何度も検証して、それでようやく正式な契約を結ぶことになったのだ。

 

そう、「同じ」ことが当たり前だからこそ、そうではない「ちがう」ことばかりが真新しく映ってしまい、その綺羅びやかさに目を奪われて、それでわかりあえない――――――。

 

だから、“斎藤 展望”という無名の新人トレーナーは不思議と鈴音Tや鐘撞Tの両名に似ている部分や通じる箇所があるのではない。

 

()()()()()()()()()のではなく、()()()()()()()()()()()なんだということにまだ気づけていないだけなのだ。

 

 

――――――それがいくらでも応用が可能な宇宙の真理:方程式の解というものだ。

 

 

斎藤T「糖分控えめサクッと甘いアーモンドキャラメルにバナナチップスです」

 

ビワハヤヒデ「おお、バナナチップス。美味しそうだな。では、遠慮なくいただくぞ」

 

ナリタブライアン「お、このアーモンドキャラメル、しっとり甘いものと塩パンみたいな味わいのものがあるな。わざわざ別の味を用意してくれていたのか」

 

斎藤T「糖分補給用と塩分補給用に分けて作ってますよ」

 

アグネスタキオン「どうせなら 1つにまとめればいいのにねぇ。その方が効率が良いだろう?」

 

斎藤T「だったら、砂糖水と塩水を混ぜただけのものが美味しいと思えるのか? 角砂糖に粗塩をまぶしたやつでもいいが?」

 

アグネスタキオン「ふぅン。それはたしかに食欲が失せるだろうねぇ」

 

ビワハヤヒデ「それはたしかにそうだな。野菜嫌いのブライアンのために野菜をとことん煮込んでドロドロになるまで溶かしたカレーも野菜の旨味を引き立てるように作らないとだしな」

 

ナリタブライアン「まあ、足りない栄養なんてものは 極論 サプリで摂ればいいとは思うが、それだと本物の食材を使った豊かな味わいは体験することはできないからな」

 

ナリタブライアン「トレセン学園の寮生活でふと姉貴の作ってくれたカレーの味を思い出して、市販のレトルトじゃ味気ないことに初めて気付かされたこともあったっけな」

 

ビワハヤヒデ「なあ、アグネスタキオン」

 

アグネスタキオン「なんだい?」

 

 

ビワハヤヒデ「当時 中等部3年の“無敗の三冠バ”シンボリルドルフが黄金期の象徴として向こう3年も生徒会長に就任することが内定していたわけなんだが、就任するにあたって条件を出していたことは知っていたか?」

 

 

アグネスタキオン「いや」

 

ビワハヤヒデ「――――――()()だよ」

 

アグネスタキオン「ん?」

 

ビワハヤヒデ「正確にはきみとマンハッタンカフェだったかな」

 

斎藤T「それって、アグネスタキオンとマンハッタンカフェという未来のスターウマ娘に対する異例の待遇を認めたことですか?」

 

ビワハヤヒデ「ああ。学園一危険なウマ娘と学園一不気味なウマ娘の才能を高く評価して、旧化学実験室を与えて数々の奇行や不良行為に対して大目に見てもらうことを交換条件にしていたんだ」

 

アグネスタキオン「ふぅン……」

 

ナリタブライアン「そうだったのか。知らなかったな、そんなことは全然」

 

ビワハヤヒデ「だから、アグネスタキオン、きみというウマ娘が導き出す ウマ娘の可能性の“果て”をシンボリルドルフ会長は誰よりも楽しみにしていたわけなんだ」

 

ビワハヤヒデ「まあ、実際は会長のことを慕っていたトウカイテイオーがブライアンに続く“三冠バ”になることを期待していたようだけど、それとはちがった意味でアグネスタキオンに対する期待は非常に大きかった」

 

ビワハヤヒデ「それが会長が卒業するというギリギリの時期まで庇い続けて、ようやく“アグネス家の最高傑作”と呼ばれたウマ娘が表舞台に立つことになったんだ」

 

ビワハヤヒデ「それも、私と会長が互いの担当トレーナーの姿を重ねるような『名族』出身の“門外漢”である無名の新人トレーナーと出会ったことでね」

 

アグネスタキオン「……そうかい」

 

ナリタブライアン「まあ、去年の8月末のWUMA事件がなければ、学園一の嫌われ者の斎藤Tとはここまで親密な関係を築き上げることにはならなかったはずだから、」

 

ナリタブライアン「斎藤Tはたしかに鈴音Tや鐘撞Tと同じタイプの、普通じゃないというか、見ているものや目指しているものが他のそれとは大きく異なる規格外の存在だから、何かと重なるところがあるんじゃないか?」

 

ナリタブライアン「少なくとも、担当ウマ娘を勝たせて自分が栄達することを第一にするトレーナーとは完全にちがうわけだからな」

 

ビワハヤヒデ「そうかもしれないな。自分の担当ウマ娘が勝つ以上のものを私のトレーナーもシンボリルドルフのトレーナーも求めて、私たちに寄り添ってくれていたのだからね」

 

ビワハヤヒデ「そして、“学園一危険なウマ娘”アグネスタキオンにも寄り添ってくれる担当トレーナーがついに現れたというわけだ」

 

ビワハヤヒデ「それも、私たちの想いを受け継いでヒトとウマ娘が共存するこの世界を守ってくれているヒーローにね!」

 

 

ビワハヤヒデ「だから、安心して卒業していけるんだよ、私は。ブライアン」

 

 

ナリタブライアン「ああ。これからが楽しみだ」

 

ビワハヤヒデ「だが、互いにとって『トゥインクル・シリーズ』で最後のレースになる『URAファイナルズ』決勝トーナメント、負けるつもりはないからな、ブライアン」

 

ビワハヤヒデ「そこで私がトレセン学園の6年間でトレーナーと一緒に組み立ててきた“勝利の方程式”が本物であることを証明する!」

 

ナリタブライアン「ああ、それでこそビワハヤヒデだ! 私の自慢の姉貴だ!」

 

アグネスタキオン「やれやれ、そういうのは他所でやってくれないか? 最後の日曜日をここで過ごすのもどうかと思うがねぇ?」

 

ビワハヤヒデ「すまない。でも、これは私たち姉妹が憧れの夢の舞台で証明を重ねてきた大切なものだからこそ、きみたちにこそ受け継いでもらいたいと思ってね」

 

ビワハヤヒデ「その始まりは妹:ナリタブライアンの傑出した才能に対抗するべく、凡人が叡智を振り絞った結果なのだから、これは私とブライアンが立てた“勝利の方程式”でもあるんだ」

 

ビワハヤヒデ「だからこそ、自分の打ち立てた理論に基づいて“待つことを選択できた”唯一無二のウマ娘に託したいのさ」

 

アグネスタキオン「……わかったよ、ハヤヒデくん」

 

 

アグネスタキオン「私としては他人の評価なんてものはどうでもいいものだと思っていたけれど、ここまで熱いものを託されるとなると、しっかりと誠意を持って受け止めてやらないとだね」

 

 

ビワハヤヒデ「ありがとう、アグネスタキオン」

 

ナリタブライアン「わからないものだな。いつもいつも生徒会に迷惑を掛けていた あのアグネスタキオンというウマ娘が、こうして会長や姉貴の想いを受け継いでいくことになるんだからな」

 

アグネスタキオン「そうだねぇ。私としても自分の研究に自信を持っているからこそ、他人の言うことなんてお構いなしだったのに、我が事ながら最近は少しちがうみたいだねぇ」

 

斎藤T「あ」

 

 

 

こうして想いは受け継がれていく。受け継がれようとしていた瞬間であった――――――。

 

 

 

ピースベルT「ハッロォオオオ!!!!」ガラッ 

 

ビワハヤヒデ「!」

 

ナリタブライアン「うおっ!? だ、誰だ、こいつ!? デカい!?」ビクッ

 

アグネスタキオン「……誰だい? ここは関係者以外立入禁止なんだけどねぇ?」ジロッ

 

斎藤T「――――――身長:180cm超のスレンダーの芦毛のウマ娘に、ベテランのトレーナーバッジだと?」

 

斎藤T「いや、誰だ?! トレセン学園に所属するトレーナーの顔と名前は全員憶えているから、あなたのことは知らない! さもなければ、トレーナーバッジを偽造した不審者か!」ガタッ

 

 

ピースベルT「そう、あなたなの。()()()()()()()が最後に選んだ相手というのは」フフッ

 

 

斎藤T「は」

 

アグネスタキオン「????」

 

ナリタブライアン「え、ちょっとまってくれ。あんたのその声、その息遣い、その眼差し、どこかで――――――」

 

ビワハヤヒデ「あ……」

 

斎藤T「…………何者か名乗れ」スチャ ――――――ポケットラジオの電源を入れる。

 

ピースベルT「これは失礼! 私はピースベル!」キリッ

 

ピースベルT「ここのトレーナーで、最近 現場復帰したってわけ♪ 可愛い名前でしょう♪ 可愛らしく“ピーちゃん”か、“ベルちゃん”って呼んでね♪」エヘッ!

 

斎藤T「――――――!」ザザザ・・・ ――――――ポケットラジオに感あり!

 

アグネスタキオン「――――――『ピースベルT』? やっぱり そんな名前のトレーナーはいなかったよ、トレセン学園には」イラッ

 

アグネスタキオン「しかも、成人男性の平均を上回る身長の芦毛の“性別:ウマ娘”であるトレーナーなんて怪人物、今まで見たことがないよ。居たら確実に私の興味を引いていたはずだからねぇ、そんな面白い存在」ジロッ

 

ピースベルT「まあね。私って、こういう存在だったから」スッ ――――――側面の髪をたくし上げてウマ娘には存在しないヒトの耳を顕にする。

 

アグネスタキオン「ふぅン。なるほど、トランスジェンダーの元女性トレーナーといったところか」

 

 

斎藤T「――――――いや、トランスジェンダーの()()()()()()()()だろう?」

 

 

ビワハヤヒデ「!!!!」

 

ピースベルT「正解! さすがは皇宮警察の三羽烏だった斎藤家の御子息だこと! お見通しってね!」ワオ!

 

アグネスタキオン「な、なんだって!?」

 

ナリタブライアン「いや、そんなことがあるわけが――――――!?」

 

 

ビワハヤヒデ「――――――なあ、()()なんだろう?」

 

 

アグネスタキオン「へ」

 

ピースベルT「何かな、“万能”ビワハヤヒデ? こうして会うのは初めてのはずだけど?」フフフ・・・

 

ビワハヤヒデ「誤魔化さないでくれ! どれだけ姿形が変わり果てたとしても、ずっと変わらないものがあることを教えてくれたのはきみだ!」

 

アグネスタキオン「?」

 

斎藤T「………………」

 

ナリタブライアン「ま、まさか、本当に――――――!?」

 

 

――――――嘘だろう、義兄貴!? 何かの冗談だよな、その格好!? なあ、鐘撞T!?

 

 

それは晴天の霹靂とでも言うべき衝撃的な展開であった。

 

ビワハヤヒデにとっての最後の日曜日に楽しく中高一貫校の6年間の思い出話に花を咲かせていた時、突如として学園一の嫌われ者が専有する秘密の花園の扉を開ける者がいた。

 

そして、それは得体の知れない高身長のスレンダーの芦毛のウマ娘であり、トレセン学園のトレーナーバッジをつけてはいるものの、顔と名前が完全に一致しない怪人物であるため、思わず身構えてしまった。

 

というより、ウマ娘の平均身長を優に超す180cmの巨体でかつスレンダーな芦毛の存在は嫌でもパーティーグッズの馬マスクを被ったような全身白タイツのふざけた格好の並行宇宙の支配種族に重なるところがあるため、瞬間的に頭の中がWUMA掃討作戦のものに切り替わりかけてしまっていた。

 

ただ、直感的にそういうことではないのだと告げられているようで、不思議とどうにか落ち着いた対応をとることができていた。それでよかったみたいだ。

 

しかし、ビワハヤヒデにとっての最後の日曜日にまさかの“万能”ビワハヤヒデの担当トレーナーが姿形を変えて現れるだなんて、誰が予想ができようか――――――。

 

しかも、なぜ男性からウマ娘へのトランスジェンダー(Male To Uma-musume)に変わり果ててしまっていたのか――――――、

 

訊くべきことはいろいろとあるだろうに、この場は思い出話に花を咲かせて果を実らせたビワハヤヒデとその愛しい人との感動の物語の終幕へと移行していた。

 

 

ピースベルT「……まだ某のことを“兄”と呼んでくれるか、ブライアン」

 

ナリタブライアン「本当に、本当に義兄貴だったのか……」

 

ナリタブライアン「なら、何がどうなって、義兄貴がウマ娘になるだなんて……」

 

アグネスタキオン「う、ううん……!?」

 

ビワハヤヒデ「どうして!? どうしてなんだ、トレーナーくん! そんな姿になるだなんて! 今までどこに行っていたんだ!? 何があったのか、教えてくれ!」ガタッ

 

ピースベルT「……不治の病に冒されていただろう」

 

ビワハヤヒデ「ああ! だから、私はきみが紹介してくれたトレーナーの許でトレセン学園での残りの3年間を同期たちが次々とターフの上から去っていく中をずっと独りで走り続けて――――――」

 

ピースベルT「……これは、まあ、生き返った代償というやつさ」チラッ

 

斎藤T「………………」

 

ピースベルT「最後に見舞いに来てくれた後に病状が本格的に悪化して、最終的には身体が骨と皮だけになって、余命幾ばくもない状態に陥っていた」

 

ビワハヤヒデ「そんな…………」

 

ピースベルT「まあ、でも! 某はこうしてウマ娘として生き返ることができた! それで『めでたし めでたし!』ということだから!」

 

ビワハヤヒデ「――――――何が『めでたし めでたし!』だ! 結果だけ示されても、それで理解できるわけがないじゃないか!」ボタボタ・・・

 

 

ピースベルT「なら、証明してくれよ、ビワハヤヒデ!」

 

 

ビワハヤヒデ「へ」

 

ピースベルT「最初の3年間できみと某で一緒に組み立てていった“2人で築いていった勝利の方程式”が残りの3年間でどこまで本物になったのかを」

 

ピースベルT「――――――()()()()()だろう?」

 

ビワハヤヒデ「あ……」

 

ビワハヤヒデ「ああ…………」

 

ビワハヤヒデ「まったく、本当にきみは何も変わらないな……」

 

ビワハヤヒデ「変わってしまったと思っていたのはいつも私ばかりで、周りは何も変わってなどいなかったんだ……」

 

ピースベルT「ああ。きみのその真面目で、お茶目で、不器用で、思いやりがあって、妹思いで、優しくて、大きいところは何も変わってない」

 

ビワハヤヒデ「――――――何が『大きい』って!?」

 

ピースベルT「だから、某はきみの許に帰ってこれたよ――――――」

 

ビワハヤヒデ「あ」

 

ビワハヤヒデ「………………」

 

 

ビワハヤヒデ「おかえり、トレーナーくん」

 

ピースベルT「ただいま、ハヤヒデ」

 

 

ピースベルT「あ、綺麗だな」

 

ビワハヤヒデ「あ、これか。実は会長が私ときみで築いてきた6年間の走りを――――――」

 

ピースベルT「よかった、ピッタリだった」

 

ビワハヤヒデ「え」

 

 

ビワハヤヒデ「あ!」キラッ ――――――いつの間にか左手の薬指に有馬巴紋に敷き詰められたダイヤモンドの指輪!

 

 

ピースベルT「いつもレースの中心にいながら、決して物語の中心にはいなかった;真のスターの座につけないまま、『トゥインクル・シリーズ』を卒業していくけれども――――――」

 

ピースベルT「それでいいんだ。たとえ、空気のような存在に思われていても、なくなってからすごく大切なものだったと気づくような存在なのだから」

 

ピースベルT「わかるかい。シンボリルドルフだって、長年に渡って生徒会長をやり続けるよりも、一人の競走ウマ娘として最前線で走り続けたかったにちがいない……」

 

ピースベルT「堅実でかつ波瀾万丈でない分、地味な印象を与えがちなビワハヤヒデというウマ娘だったが、妹:ナリタブライアンが三冠を獲ったことによって立ち位置が一歩下がってしまった感があるが、終わってみれば“神メ”シンザンに次ぐ連対記録という勲章を得たのだ」

 

ピースベルT「宝石だって同じだろう? 原石を磨かなければ光らないし、その原石も長い年月を経て地下で結晶化して、たまたま掘り起こされて世にお披露目になるわけなのだし」

 

 

ピースベルT「某はそんな貴方のことが愛おしいのだ。愛している。異形の身に成り果てても、某はいつまでも貴方と同じ空気を吸っていたい――――――」

 

 

ビワハヤヒデ「あ、ああ…………」

 

ピースベルT「だから、某は望む」

 

ピースベルT「ビワハヤヒデ」

 

ビワハヤヒデ「は、はい!」

 

 

ピースベルT「貴方と某で作った“勝利の方程式”を届けてやって欲しい」

 

 

ビワハヤヒデ「…………!」

 

ピースベルT「すでにビワハヤヒデという偉大な競走ウマ娘を得る解に繋げられたが、方程式はあらゆる解を導いてこそ」

 

ピースベルT「それが“皇帝”シンボリルドルフの功績(レガシー)に匹敵する“万能”ビワハヤヒデの遺産(レガシー)になる」

 

ビワハヤヒデ「ああ、わかったよ! わかった、トレーナーくん!」

 

 

 

ナリタブライアン「…………このクソボケが。姉貴ぃ。義兄貴ぃ」

 

ナリタブライアン「…………なんでだ! なんでそこで、そんな話になるんだ!」

 

ナリタブライアン「…………私はいったい何を見せられているんだ、これは? なあ?」

 

アグネスタキオン「まあまあ。これはこれで得難い経験じゃないか」

 

 

斎藤T「――――――尻尾」

 

 

アグネスタキオン「え」

 

アグネスタキオン「あ」

 

ナリタブライアン「?」

 

ナリタブライアン「あ――――――」

 

ナリタブライアン「ああ……」

 

ナリタブライアン「本当に不器用だな……」

 

ナリタブライアン「でも、そういう愛の形もありなのかな?」

 

 

――――――愛の告白こそなかったのだけれども、2人の間にある熱い絆は尻尾で結ばれていた。

 

 

斎藤T「………………」

 

ナリタブライアン「で、私たちはいつまで観客として見ていればいいんだ、これは?」

 

アグネスタキオン「私に訊かないでおくれよ。妹のきみにわからないことが私に理解できるわけがないだろう」

 

アグネスタキオン「けど、よかったじゃないか。最後の最後に 6年間 頑張り通したきみの自慢の姉貴に『神様が素敵な贈り物をしてくれた』といったところかい、これは」

 

ナリタブライアン「ああ。これで姉貴の心残りが完全になくなった」

 

斎藤T「…………“平和の鐘(peace bell)”か」

 

 

――――――平和の鐘(peace bell)とは裏返せば 平和じゃなかったからこそ 価値を持ち 記念となる鐘;すなわち、平和への礎となった者への弔いの鐘(death bell)である。

 

 



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第13話秘録 ウマ息子になった改造人間は水天宮で平和を祈る

-シークレットファイル 20XY/03/11- GAUMA SAIOH

 

私が“斎藤 展望”として二度目の生を受けることになった21世紀のヒトとウマ娘が共生する世界において異なる進化と歴史を歩んだ文明では、ヒトとウマ娘の関係性は非常に複雑である。

 

生物学的にはウマ娘はヒトと極めて近く「ほぼ同じ」であるという話だが、私からすればチンパンジーの方がヒトに近いと思ってしまう。

 

どこからどう見ても、頭の横に耳がついているヒトと頭の上に耳がついているウマ娘が生物学的に「ほぼ同じ」なわけがない。尻尾もそうである。

 

耳が頭の上にあるせいで安全帽が安全に機能しなくなるウマ娘は近代においては工場で使う労働力としては不適格とされ、尻尾も工場機械に巻き込まれる危険性を高めている要素のため、場合によっては長い耳と尻尾を切り落とされて酷使されていたという歴史もあるぐらいだ。

 

そのため、元からヒトを上回る身体能力を持つウマ娘はかえって 人一倍 騒音や悪臭、震動などの労働環境に気を使わなくてはならず、そのヒトを超越した高すぎる能力が社会進出の足を引っ張ることになった。

 

しかし、それでも太古からウマ娘がヒトとの関わりを断つことなく存在し続けられたのも、ウマ娘には女性しかいないためにヒトの男子から精をもらわなければ種族の存続ができないこともあって、ウマ娘はヒトと共生するために必要な能力と美貌を連綿と磨き上げることになった。

 

そう、人類の歴史からすればたかだか数百年でしかない近代;それ以前の遥かな時代における異種族であるウマ娘のヒトからの需要とは――――――、

 

ウマ娘の能力と美貌は人力に頼るしかなかった古代においては非常に重宝されることになったために積み上げられてきたものであり、近代革命はあらゆる意味で昔ながらのヒトとウマ娘の絆を踏み躙る所業にもなっていたのである。

 

それでいて、その憧れと伝統は近代革命において散々に労働力としては下劣であるとウマ娘の尊厳を踏み躙った後も受け継がれることになり、子供心にウマ娘のようにヒトを超越した能力と美貌を持ちたいという欲心をヒトが抱くのはこの世界では自然なことでもあった。

 

そのため、ウマ娘の能力と美貌を我が物にしようという研究は古代から自然に存在していたのだが、近代以降にナショナリズムの勃興と共に世界大戦の時代になると、それがいよいよ国家主義や愛国心の下に加速度的に狂気が増していったのである。

 

そもそも、ウマ娘は明らかにヒトとはちがう外見をした異種族なのだから、いくら近代ウマ娘レースによって世間の憧れとなるスターウマ娘が誕生しようとも、それは古代ローマの剣闘士に対する人気と同じであり、決して人類の同胞として認められているわけでもなかった。

 

実際、肌の違いによる差別以上にウマ娘の基本的な人権を世界が認めるのには時間がかかることになり、今でこそ平和の国:日本では国民的スポーツ・エンターテインメントとして『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘たちが大人気であるが、海外においてはそうでもないのが現実である。

 

 

むしろ、世界からすれば平和の国:日本が異常なのが常識なのだから――――――。

 

 

だからこそ、23世紀の宇宙時代に生まれた私からすれば、21世紀の地球時代はあらゆる意味で嫌悪感を抱く地獄の世界であった。仏教で言えば末法の世:人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代である。

 

少なくとも、私が生まれ育った人類社会というのは『持続可能な開発目標(SDGs)』が達成された世界であるため、貧困や差別といったものは過去の地球の歴史を再現したドキュメンタリーやシミュレーターでしか味わえないもののはずだった。

 

それらが現実のものとして当然のように存在することを許容している愛の無い世界、解決するだけの知恵もない世界、正しいことをなすことができない秩序のない世界を過去の地球だと認めたくないのが実際の感覚だ。

 

宇宙移民としてのモットーのおかげで21世紀の地球を未確認の新惑星と見做して『そういうものなのだ』と割り切ることで正気を保つことができているが、そうでなかったらこの世の地獄の悍ましさに天国の住人の息が詰まることだろう。

 

だからこそ、一層 23世紀の地球で生まれ育ったことに誇りを持つことができ、私は“斎藤 展望”をやりながらも自分自身の夢に邁進することができていた――――――。

 

 

――――――故に、私の怒りは頂点に達しようとしていた。

 

 


 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

ピースベルT「………………」

 

アグネスタキオン’「待ったかい。これが検査結果だよ」ボン ――――――カルテを投げ渡す。

 

ピースベルT「……某の身体はいったいどうなって?」

 

アグネスタキオン’「一言で言うなら、きみは改造人間になったんだよ」

 

ピースベルT「――――――か、『改造人間』?」

 

アグネスタキオン’「そう、横文字で言えばサイボーグだ。“無敗の三冠バ”ミホノブルボンとはちがって正真正銘のな」

 

アグネスタキオン’「ヒトであるはずのきみにウマ娘と同種の耳と尻尾が生えているわけだが、これは人為的に取り付けたもので、それを機能させるために身体の中身のほとんどが人工臓器に置き換わっているわけなのさ」

 

アグネスタキオン’「そして、その人工臓器はきみ自身の遺伝子に内包されていたウマ娘の因子からクローン培養して生み出されたわけだから、ある意味においては自家製でもある」

 

アグネスタキオン’「きみは芦毛のウマ娘の因子を色濃く持っていたというわけだねぇ」

 

ピースベルT「たしかに、某の家系には芦毛のウマ娘が確実にいたとは思うが……」

 

ピースベルT「では、某は何のために――――――?」

 

アグネスタキオン’「自分でわかっているんじゃないかい?」

 

 

――――――ヒトがウマ娘の能力と美貌を得るための人体実験さ。

 

 

ピースベルT「――――――!」

 

アグネスタキオン’「特に、ウマ娘レース業界においては“天上人”である有馬一族の御曹司であったきみの血統はヒトの身体に内包されたウマ娘の因子を発現させる実験には最適だったと言えるだろうねぇ」

 

アグネスタキオン’「私が知るウマ娘のハーフの最高傑作である“斎藤 展望”は世界最高峰の警察バの血統のおかげで常人離れした身体能力を発揮することもあるわけだし、きみもウマ娘の因子による力に身に覚えがあるだろう」

 

ピースベルT「そんな……」

 

ピースベルT「某はトレーナー組合の神輿に乗ったつもりはない……」

 

アグネスタキオン’「まあ、結果としては、生物学的にはヒトにウマ娘の身体的特徴を持たせてしまったことで、ヒトでもウマ娘でもない未知の生物になってしまっているわけだがね」

 

 

アグネスタキオン’「そう、きみは世界で初めて確認された“ウマ息子”というわけだ!」

 

 

アグネスタキオン’「きみの股座についている()()()も立派に機能しているから、ウマ娘はついに番となる種族を見つけてヒト社会から独立を果たせるねぇ!」

 

ピースベルT「じょ、冗談じゃ……」

 

アグネスタキオン’「冗談なものか。きみの存在は間違いなくヒトとウマ娘が共生するこの世界の現在を変えることになるだろうね」

 

アグネスタキオン’「近代革命において工場の労働力としては不適格だったことでウマ娘に役立たずの烙印を押してきたことを忘れて、ウマ娘レースで飾り付けられたウマ娘の能力と美貌に憧れと妬みを抱く現代人にとっては、ヒトからウマ娘への性転換手術は非常に魅力的に感じるだろうねぇ」

 

ピースベルT「某は! ただ、平和のために“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としてシンボリルドルフと協調路線を歩んできたというのに!」

 

アグネスタキオン’「それがきみの生まれ持って背負わされた有馬一族としての宿命なのだろうねぇ」

 

 

アグネスタキオン’「――――――きみの判断は正しい」

 

 

アグネスタキオン’「命からがらトレセン学園に逃げ込んできて、真っ先に()()()()()()()の担当トレーナーに保護を求めたのは正解だった」

 

アグネスタキオン’「だから、こうしてきみは誰も知ることのない私たちだけの秘密基地(セーフハウス)に匿ってもらえているのだから!」

 

アグネスタキオン’「私としても嬉しいよ! こうして貴重な実験体(モルモット)が増えたのだからねぇ!」

 

ピースベルT「あのアグネスタキオンが二人に増えるとか悪夢でしかないけど、この場合はかえって吉夢なのかな……?」

 

アグネスタキオン’「安心したまえ。きみは()()()()()()()とは知らない仲じゃないし、私の中のシンボリルドルフとも付き合いがあるわけなのだから、きみのことを粗末な扱いはしないよ」

 

ピースベルT「それを聞いて安心した」

 

ピースベルT「でも、本当に助かったよ……」

 

ピースベルT「長期休業中という扱いでまだ学園に席が残っていたおかげでトレーナーバッジがまだ効力を持ったし、卒業生にとって最後の日曜日になっていたから業者の出入りも多くて入り込むことができた――――――」

 

ピースベルT「何から何まで最後まで運に見放されることはなかった……」

 

アグネスタキオン’「で、どうするんだい? 担当ウマ娘の卒業に合わせて きみもトレーナーを引退するのかい?」

 

ピースベルT「いや、某はそれでもトレーナーでありたい」

 

 

――――――それが“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としてシンボリルドルフと交わした誓約でもある。

 

 

ピースベルT「某には“皇帝”が去った後のトレセン学園をトレーナーの立場から見守り続ける責務がある」

 

アグネスタキオン’「難儀なものだねぇ。じゃあ、その格好でこれからも表舞台に顔を出すのかい。有馬一族の御曹司がねぇ……」

 

ピースベルT「それしかあるまいて。生きて再びこの学園を訪れた時にはすでに某は一人のウマ娘:ピースベルとして振舞っていたのだから」

 

ピースベルT「こうなれば、もう 頭が狂った“オウマさん”として有馬一族の御曹司の成れの果てを演じるしかないのだ」

 

アグネスタキオン’「いいねぇ! 実にイイ!」

 

アグネスタキオン’「ヒトからウマ娘になったトランスジェンダーが担当トレーナーになった場合に担当ウマ娘の成長にどれほどの影響を及ぼすのか、貴重なデータが得られるよ!」クククッ

 

ピースベルT「普通ならばバカにされたと怒るところだろうが、この場合だと不気味さを気にしない無頓着さがかえって頼りになるな……」

 

ピースベルT「そういう意味では、きみの存在は旧化学実験室を分け合ったマンハッタンカフェにとっては日向になったのだろうな……」

 

 

斎藤T「具合はいかがですか、鐘撞T?」

 

 

ピースベルT「決めたよ、斎藤T」

 

ピースベルT「某は闘病生活の末に頭が狂ってトランスジェンダーと化した“ピースベル”として生きていくよ」

 

ピースベルT「どれだけ惨めであろうとも、それが有馬一族の生まれである某のシンボリルドルフとの誓約だから」

 

斎藤T「そうですか。わかりました。そのように宣伝工作をしておきます」

 

ピースベルT「うん、そうなの♪ 闘病生活で身も心も弱っていると、いつもよりも他人の優しさに感じるものがあってね、つい込み上げてくるものがあって♪」テヘッ

 

 

――――――私ね、心が女の子になっちゃった♪

 

 

ヒトの男性から第3の性であるウマ娘に性転換したというのは正確ではなく、ヒトの男性の性器がそのままついており、そこから検出されたDNAもヒトの男性そのものであるため、

 

あくまでもウマ娘の外見的特徴を非人道的な人体実験で可能な限り再現した改造人間というのが、ビワハヤヒデの元担当トレーナー:鐘撞T あらためピースベルTの今の姿であった。

 

今日はトレセン学園の卒業式前日となる卒業前夜祭の送別会なのだが、並行宇宙の支配種族である超科学生命体から接収した奥多摩の川苔山/百尋ノ滝の秘密基地の解析装置で、本人の同意なしに勝手にウマ娘に性転換手術を施されて監禁されていたというピースベルTの精密検査を行っていた。

 

証拠隠滅用の小型爆弾や追跡用の発信機などが体内に仕組まれている可能性も踏まえて、世にも不思議な時間が巻き戻る“目覚まし時計”をあらかじめ使用し、ピースベルTを眠らせてズタ袋に入れた上でアグネスタキオン’(スターディオン)に百尋ノ滝の秘密基地に時間跳躍で運んでもらった。

 

その結果、ウマ娘の耳と尻尾をヒトの肉体で再現して実際に機能させるために一から肉体を再構築するために身体の中身を自身に内包するウマ娘の因子とDNAでクローン培養して最適化した人工臓器に置換されている他、ウマ娘のヒトを超越した身体能力を再現するための人工筋肉や人工神経などの改造手術も行われていることが判明している。

 

ただし、それだけ手を尽くしてもヒト以上ウマ娘未満の身体能力に留まっており、肉体改造強壮剤によって無理なくWUMAを容易く屠るだけの身体能力を得た“斎藤 展望”とほとんど差がないことも明らかとなっている。

 

試しに単純な力比べとして腕相撲をすると、同意なしにウマ娘化させられながら監禁生活で身体が鈍っていたピースベルTよりも肉体改造強壮剤込みのウマ娘のハーフである私が有利となり、ウマ娘:アグネスタキオンに擬態しているWUMA:アグネスタキオン’(スターディオン)がぶっちぎりで強いという結果になった。

 

もっとも、ウマ娘へのもう1つの憧れである美貌に関しては、180cmを超える高身長でかつスレンダーながら均整の取れた美しい芦毛のウマ娘となっているため、そちらに関しては目的は達成されたものと言える。

 

やはり、並行宇宙の超科学生命体の戦闘能力は地球生物の比ではなく、あらためて敵に回して無事でいられるわけがないことを痛感することになった。その上で、擬態能力と空間跳躍能力まで持つのだから、まともにやりあって勝てる見込みなど元よりない。

 

そう、どれだけ非人道的な改造実験をしようが、所詮は現代科学の範疇に過ぎず、並行宇宙を次々と侵略することができる空間跳躍技術を確立したWUMAの超科学の産物に敵う道理などどこにもないのだ。

 

なので、おそらく世界初になるかもしれない異形“ウマ息子”になってしまったことに対するピースベルTが抱く不安も、それ以上のバケモノであるWUMAの存在を知ることによって相対的に自分がまだ生物として普通であるという安心感を与えることになり、多少は落ち着きを取り戻すことに成功した。

 

むしろ、近くに発動機となるアグネスタキオン’(スターディオン)さえいれば WUMAの空間跳躍能力を超越した時間跳躍能力で時間遡行も可能になる私という存在も異常なまでに異常で、こうして奥多摩の地下深くに競バ場を丸々再現しても余りある超巨大な秘密基地を所有して容易にアクセスできる手段も持ち合わせているのだ。

 

まさに次元が違う存在というわけで、自分が改造人間にされた悲哀さえも吹き飛ぶような驚きと興奮を提供することになったのだから、少しばかりWUMA討伐に全力を尽くしてきた去年の難行苦行を誇りたくもなる。

 

私が天皇・皇后 両陛下の護衛も務めたこともあるような皇宮警察騎バ隊の超エリートの息子ということで、その伝手で改造手術を受けた自分が匿ってもらえる場所を期待して“斎藤 展望”に保護を求めてきたのはまさに大正解であり、

 

私が接収して管理している百尋ノ滝の秘密基地に住まわせる代わりに、ビワハヤヒデの元担当トレーナーとしての手腕を発揮することやアグネスタキオン’(スターディオン)研究対象(モルモット)になることを契約で交わすことになったのだ。

 

なので、トウカイテイオーの元担当トレーナー:岡田Tと同様、大半の時間を百尋ノ滝で過ごさせることで改造手術を施した謎の組織の魔の手から解放された平穏な日々を送らせることは容易だった。

 

 

しかし、困ったことにピースベルTこと鐘撞Tは有馬一族の人間として“皇帝”シンボリルドルフと共に“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としてトレセン学園を支えることを誓っていたことから、トレセン学園への職場復帰を強く希望していたのだ。

 

 

一応、長期休業中の扱いだったのでトレセン学園のトレーナーとしての席は残り続けているが、ウマ娘に性転換したとしか思われない風貌に変わり果てており、“天上人”に等しい有馬一族の御曹司がそうなった事実に周りが受ける影響は計り知れないものがある。

 

なので、現場復帰させることは心身共にウマ娘レースで擦り切れたトレーナーたちのセカンドキャリア支援を主導している私が反対するわけにはいかなかったが、改造手術を施した謎の組織の魔の手や周囲への悪影響のことを考えると自殺寸前まで追い込まれた岡田Tのように表に出したくないのが本音である。

 

一方で、黄金期の象徴であった“皇帝”シンボリルドルフと同じく“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としてトレセン学園をトレーナーの立場から善導していけるのは、“天上人”として扱われている有馬一族の彼しかいないのも事実なのだ。

 

 

そのため、あらゆる意味で“皇帝”シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の将来を左右するキーパーソンとなっており、あまりにも世間に与える影響力が大きすぎる存在となっていた。

 

 

そう、このピースベルTの使い方次第で、WUMA襲来による絶望の未来を回避するためのタイムパラドックスの可能性が大きく変わるかもしれないのだから、突然の改造人間の登場には驚きを隠せなかったが、その分だけ希望の未来の可能性が拡がったので私としてはピースベルTの登場は大歓迎であった。

 

また、ピースベルTこと鐘撞Tが“万能”ビワハヤヒデと共に“怪物”ナリタブライアンと最高のレースをするために築き上げた“勝利の方程式”が結果を残しているようにトレーナーとしての才覚は血統も然ることながら超一流であるため、“不滅の帝王”トウカイテイオーと共に過酷な道を走り抜いた岡田Tとはちがったコーチングができるということで私の担当ウマ娘の最強のコーチ陣が より一層 厚みを増したのだった。

 

これで私の陣営のトレーナーは、トウカイテイオーの岡田T、メジロマックイーンの和田T、ビワハヤヒデのピースベルTという ただのG1トレーナーでは決して太刀打ちできないような偉業を成し遂げてきた面々なので、甲種計画の遂行はこれで盤石といったところだろう。

 

それに加えて、ミホノブルボンの才羽T、ライスシャワーの飯守T、ハッピーミークの桐生院先輩とも親しいので、学園一の嫌われ者であるはずの“斎藤 展望”が一転して新進気鋭の超一流の若手トレーナーと次々に交流を持つことに畏敬の念すら持たれているぐらいだ。

 

他にも、ウマ娘の『名家』であるシンボリ家、メジロ家、アグネス家とも関係を持っているので、何とかこうした有力者たちとの繋がりを駆使して有馬一族出身の鐘撞TことピースベルTの職場復帰を実現して、シンボリルドルフとの誓いを守り通してやりたいと強く思う。

 

少なくとも、ビワハヤヒデの担当トレーナーである以上に有馬一族の御曹司の鐘撞Tがトレーナーたちの中心として影響力を発揮してくれれば、トレセン学園に蔓延る旧弊を打ち破る改革の原動力の1つとなって暗黒期を終焉に導いたように、黄金期から次の時代に滞りなく進むことができるようになるはずなのだ。

 

それはこれから卒業式を迎える“皇帝”シンボリルドルフの憂いを断つことに繋がるのだから、謎の組織に拉致されて改造手術を施されていなければ――――――。

 

ともかく、有馬一族出身の鐘撞TことピースベルTの存在がこれからのトレセン学園を左右することになるのだから、答えを急がずに熟慮する他なかった。この時点では。

 

 

 

斎藤T「――――――『ミレニアム』?」

 

ピースベルT「それがやつらの合言葉(キーワード)だった」

 

斎藤T「一般的に『ミレニアム』は“千年王国”を意味する。つまり、千年王国思想を持った秘密結社といったところか」

 

斎藤T「…………んん、何か憶えがあるような気がするな。21世紀の地球で『千年王国(ミレニアム)』を夢見て人体実験を施すような連中か」

 

アグネスタキオン’「何か住所を特定するものはないかい? そうすれば時間跳躍で直接見てこれるんだけどねぇ……」

 

ピースベルT「とは言っても、記憶にあるのはまさに悪の秘密結社の薄暗い秘密基地の中でのことで、外の様子なんてほとんど見ることができなかったし……」

 

ピースベルT「あ、待てよ。やつら、英語に近い言語を用いていたような気がするな……」

 

斎藤T「再現できますか?」

 

ピースベルT「難しいな……。盗み見たファイルを見ても英語じゃないのは雰囲気でわかったんだけど……」

 

斎藤T「それは英語と完全に同じアルファベット;いわゆるラテンアルファベット26文字で構成されていましたか?」

 

ピースベルT「んん……! そもそも、印字されているアルファベットがよく見る書体じゃないから、英語と同じアルファベットか自信がない……!」

 

ピースベルT「たしか、DやFの書き方がこんな感じだったのは憶えている……」カキカキ

 

アグネスタキオン’「本当にこんな書体だったのかい?」

 

ピースベルT「あ、小文字だったらそんなちがいはなかったはずだけど、hの書き方が物凄く特徴的だったっけ……」カキカキ

 

斎藤T「………………」

 

ピースベルT「えと、あとは数字で“21”みたいに書く大文字があったっけ」カキカキ

 

斎藤T「どれどれ、“21”みたいなアルファベット――――――?」

 

斎藤T「あ、この書き方、もしや――――――」

 

斎藤T「わかったかもしれない」ピピッ ――――――素早くネット検索!

 

ピースベルT「本当!?」

 

斎藤T「これじゃないですか」スッ

 

 

――――――フラクトゥール:ドイツ文字、亀の子文字、亀甲文字、ひげ文字などとも呼ばれる書体。

 

 

ピースベルT「あ!」

 

ピースベルT「これだ! これだよ! 完全に見たことがある!」

 

ピースベルT「ええ!? “21”みたいに書くやつが大文字の“A”だったの!?」

 

斎藤T「田中芳樹のスペースオペラのタイトルロゴで見覚えがあったけど、やっぱり これだった!」

 

アグネスタキオン’「これは文法を知る知らない以前に書体そのものを知ってないと同じアルファベットだと読めないねぇ……」

 

アグネスタキオン’「しかも、『ドイツでは第二次世界大戦頃までこの書体を印刷に常用していた』――――――?」

 

ピースベルT「じゃ、じゃあ、まさか、『ドイツ語』で『人体実験』している連中って――――――!?」

 

アグネスタキオン’「こ、これはとんでもない大物が出てきたもんだねぇ……」

 

斎藤T「たぶん、そうだろう」

 

 

――――――かの有名なナチス・ドイツの残党がドイツ第三帝国(ミレニアム)復活のためにウマ娘の改造人間を創り出しているみたいだ。

 

 

ピースベルT「!!!!」

 

ピースベルT「そんなことをして、何の意味があるって言うんだ!? ナチス・ドイツなんてとっくの昔に滅びただろう!?」

 

アグネスタキオン’「さあねぇ。意味があるかどうかを決めるのは当人たちの問題だからねぇ……」

 

ピースベルT「他人事のように言って、お前の実験につきあわされてきたウマ娘たちにも同じことが言えるのか、アグネスタキオン!?」

 

斎藤T「いったい鐘撞Tがどこに拉致されて改造手術も施されたのかはわからないが、こうして日本に帰されていたことを考えると、連中にとっては改造手術のデータ取りも終わって用済みか、今も観察対象として追跡しているのかもしれないな……」

 

斎藤T「だから、襲われる可能性そのものは極めて低いと思う――――――」

 

 

斎藤T「そうか。むしろ、日本のウマ娘レース業界では“天上人”として扱われている有馬一族の御曹司がどういった行動するのかを見ているのではありませんか?」

 

 

ピースベルT「え」

 

斎藤T「監禁生活の中で目撃したのが『ドイツ語(フラクトゥール)』で正しければ、ナチス・ドイツの流れを汲む千年王国思想の秘密結社というのは間違いないはずです」

 

斎藤T「ただし、人の頭で考えた矛盾だらけの教えのアーリア人崇拝のナチズムにおけるウマ娘の扱いはアーリア人に所有される奉仕種族としての生存しか認められていないわけですので、ウマ娘への改造手術はアーリア化を目指すナチズムに反するものです」

 

斎藤T「となると、アーリア化の教義をウマ娘化に置き換えた新人類への進化を目論む分派の仕業ではありませんか? ウマ娘の能力や美貌への羨望と嫉妬は古来からのヒトの欲望でもありましたから、アーリア人限定のナチズムよりも広く支持者を集められるはずですよ」

 

斎藤T「つまり、ヒトを超越したウマ娘と同化して進化することを謳い、あなたはその広告塔としての任を背負わされたという、世界規模の陰謀に巻き込まれたのではないかと」

 

ピースベルT「なっ」

 

ピースベルT「それはつまり、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”である某のことを良いように利用する気だと……?!」

 

斎藤T「わからないですよ。曖昧な証言だけで、物的証拠を押さえたわけではないので」

 

斎藤T「ただ、どうやってトレセン学園に帰れたのかを考えると、それぐらいの利用価値がなければ解放なんてされないと思いますので」

 

ピースベルT「…………某がこんな姿になってもトレーナー業を続けることを見越してか」

 

斎藤T「他にもいたのでしょう、改造人間は?」

 

アグネスタキオン’「なら、きみが表舞台に立たなくてもウマ娘化による人類の進化の広告塔になる改造人間が世に解き放たれていると考えるべきだろうね」

 

ピースベルT「………………」

 

アグネスタキオン’「つまり、きみがどう動こうとヒトからウマ娘へと性転換したトランスジェンダーの存在は世に浸透していくことになるはずだ」

 

アグネスタキオン’「だから、安心して職場復帰できるというわけさ。全て杞憂だったね」

 

ピースベルT「某は……」

 

ピースベルT「………………」

 

 

それはまったくもって とんでもなく ろくでもない都市伝説であった。

 

まだ断定はできないものの、『千年王国(ミレニアム)』『ドイツ文字(フラクトゥール)』『人体実験』というキーワードだけで、ヒトラーが演説において度々口にした真のハーケンクロイツの日にユダヤを打倒する謎の戦闘集団『最後の大隊(ラストバタリオン)』の存在が思い浮かんだ。

 

そんなものは23世紀の宇宙時代においては単なる都市伝説であったと明確に否定されているが、まだ21世紀にはその流れを汲む秘密結社が実在しているのかもしれないし、ヒトとウマ娘が共生する異世界においては事情が異なるのかもしれない。

 

しかし、私の脳裏にはいつだったかの競走ウマ娘の年間出生率のランキングで妙に印象に残っていた国が浮かび上がっていた。

 

 

年間出生率 第1位:アメリカ、第2位:オーストラリア、第3位:アイルランド、第4位:アルゼンチン、第5位:日本、第6位:フランス、第7位:イギリス、第8位:ニュージーランド、第9位:南アフリカ…………

 

 

そう、第二次世界大戦後においてナチス残党の避難場所となった国々は多々あるのだが、その中でもナチス逃亡者の受け容れに積極的だったのが、スペインのフランコ政権とアルゼンチンのペロン政権だ。

 

スペインは戦時中は中立国の立場を堅持して枢軸国にユダヤ人への引き渡し請求を断固拒否したのに対し、戦後は一転してナチス残党の身柄引き渡しを拒否している。

 

一方、それ以上にナチス残党の逃亡先として有名となっていたのがアルゼンチンを始めとする南米諸国であり、近年になってもアルゼンチンでナチス残党の隠れ家の跡が見つかっているのだ。

 

とりわけ、中央アジアにルーツを持つとされるアーリア人至上主義のナチス・ドイツにおいては南米世界はその主義主張に反して神秘的な魅力や憧れが詰まっていた新天地でもあったようだ。

 

 

かと言って、ナチス残党の避難先になったアルゼンチンに『ドイツ第三帝国(ミレニアム)』復活を掲げる悪の秘密結社が実在しているかは、まさに陰謀論や都市伝説の類であり、現時点では何の確証もないのだ。

 

 

もしかしたら、ナチス残党の仕業に見せかけた偽情報を掴まされている可能性もあるし、ピースベルTの正体が改造手術を施された鐘撞T本人ではなく、そのDNAから一から創り出された複製人間(クローン)である可能性すらある。

 

それでも、現にウマ娘に中途半端な性転換手術をさせられたピースベルTが実在しているわけであるし、本人としてはいつまでも改造人間(サイボーグ)になってしまった業を背負わされて生きていかなかればならない悲哀を抱えることになっているのだ。

 

私としてもウマ娘の立場で“ヒトとウマ娘の統合の象徴”であったシンボリルドルフと肩を並べる もう1つの象徴である鐘撞Tには是非とも現場復帰して トレーナーの立場からシンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の行く末を見守ってもらいたいと思う。

 

しかし、考えれば考えるほど雁字搦めになってしまい、世界規模の陰謀の見えざる手にどう立ち向かえばいいのか、思わず考え込んでしまう――――――。

 

 

――――――水天宮に祈らせてくれ。

 

 

ピースベルT「水天宮だ。水天宮を。水天宮に」

 

アグネスタキオン’「なに?」

 

ピースベルT「困った時こそ神頼みってね。斎藤Tも皇大神宮の氏子なら、そうするでしょう」

 

斎藤T「それは久留米水天宮を総本山とする安産・子授けの神“お水天宮様”のことですか?」

 

ピースベルT「そう。今だと久留米藩有馬家の17代目の某のおじちゃんが宮司を務めている東京半蔵門線:水天宮駅の“情け有馬の水天宮”だ」

 

ピースベルT「そこに連れて行くか、神棚を頼みます」

 

斎藤T「じゃあ、すぐに行きましょう」

 

斎藤T「アグネスタキオン’(スターディオン)

 

アグネスタキオン’「ふぅン。日本橋というと、どの辺だい?」

 

斎藤T「東京駅だ。そこから半蔵門線に乗ればいい」

 

アグネスタキオン’「なるほど。それなら簡単だねぇ」

 

アグネスタキオン’「それじゃあ、準備をしたまえ。東京駅前のビルに送り届けよう」

 

ピースベルT「よし!」

 

 

こうして私に保護を求めてきた有馬一族の御曹司である改造人間:ピースベルTの切なる願いに応えて、水天宮参りに付き合うことになった。

 

水天宮とは筑後川水系の水神を祀る民間信仰の社であったと考えられる尼御前社を起源にしており、当時の祭神は尼御前大明神・荒五郎大明神・安坊大明神の三神であったという。

 

尼御前大明神は筑後川の水神、荒五郎はその荒御魂となる動物守護の水神、安坊とは和御魂となる安徳天皇を指す。

 

安徳天皇――――――、すなわち源平合戦の最終戦:壇ノ浦の戦いで安徳天皇と共に入水自殺を図って源氏に生き取りにされた按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)が筑後川のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年-1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まるという。

 

この按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)が剃髪し、千代と号し、平家一門の菩提を弔い、村人に加持祈祷をして慕われたことで“尼御前”と呼ばれていたわけであり、

 

尼になった後のある夜、夢の中で筑後川の水底にあった水天宮で平家一門に会い、水難避けの符として今日に伝わる『五文字の神符』を授かって、筑後川の氾濫を鎮める奇跡を起こしたことで信仰を確立したとされる。

 

この尼御前の末裔とされるのが幕末において“今楠公”と呼ばれた烈士:真木 和泉であり、毎年 楠木正成公の命日には楠公祭を行い、その思想と実践はその楠木正成公を祀る湊川神社を始めとする人物顕彰神社の創建や靖国神社を始めとする招魂社の成立に大きな影響を与えているのだ。

 

つまり、久留米藩有馬家の子孫の一人であるピースベルTこと鐘撞Tは水天宮の氏子としての強い自覚と信仰心があるからこそ、神仏への報恩感謝と祈願を欠かすことがなく、それによって支えられた運気と本人の努力と才覚が担当ウマ娘:ビワハヤヒデが『トゥインクル・シリーズ』を走り抜いて『ドリーム・シリーズ』への昇格も果たせたのだと納得できるものがあった。

 

 

――――――神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う。 御成敗式目より

 

 

 

――――――水天宮

 

ピースベルT「――――――二礼二拍手一礼」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン’「………………」

 

ピースベルT「…………フゥ」

 

ピースベルT「やはり、持つべきものは信仰心。それがあるからこそ、某は耐え抜くことができました」

 

斎藤T「実にそのとおりです」

 

斎藤T「旧来の宗教を否定してフランス革命を主導したロベスピエールも結局は最高存在の祭典を執り行ったように、ナチス・ドイツもソ連も個人崇拝によって人心をまとめ上げていましたから」

 

斎藤T「人は縋るものがなければ生きていけない儚い生き物です」

 

斎藤T「だからこそ、広大な宇宙において孤独感から人を救うものが信仰なのです」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。WUMAの私には実感が湧かないものだねぇ」

 

 

アグネスタキオン’「けど、その顔を見る限りだと、伊勢神宮の時と同じく答えをもらったようだね」クククッ

 

 

斎藤T「まあ、とんでもない話だったけど……」

 

ピースベルT「斎藤Tにも()()が見えましたか……」

 

斎藤T「まいったな……」

 

ピースベルT「まいったもんだ……」

 

アグネスタキオン’「……何が見えたんだい?」

 

斎藤T「――――――ベルリン・フィルハーモニーのオーケストラだ」

 

アグネスタキオン’「は?」

 

斎藤T「ただ、指揮者が、ベック、ホーネッカー、ヒトラーに替わっていったわけだが……」

 

 

――――――黒・赤・金のオーケストラということだ。

 

 

アグネスタキオン’「????」

 

斎藤T「ここで言う“オーケストラ”というのはスパイの無線交信を音楽演奏に擬えた秘密警察(ゲシュタポ)における隠語だ」

 

斎藤T「黒いオーケストラはナチス・ドイツ時代にドイツ国防軍の将校を中心とした反ヒトラーグループのことで、ルートヴィヒ・ベックはヒトラー暗殺計画の中心人物であり、暗殺が成就した暁には反ヒトラー政権の大統領となって連合国と停戦協定を結ぼうとしていた」

 

斎藤T「赤いオーケストラはナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに存在したソビエト連邦に情報を流していた共産主義者のスパイ網のことで、戦後に東西に分け隔てられた東側:ドイツ民主共和国において強硬路線のマルクス・レーニン主義者として有名なエーリッヒ・ホーネッカーが指揮者になっていた」

 

斎藤T「金色のオーケストラはまさにドイツ第三帝国(ミレニアム)の最高指導者である総統:アドルフ・ヒトラーによる理想世界の暗喩であろうな」

 

アグネスタキオン’「そうかい。まさか、本当にナチス・ドイツだったとはねぇ」

 

アグネスタキオン’「で、それが? それは本質ではないだろう?」

 

斎藤T「それがドイツの三色旗に擬えて黒・赤・金と代わる代わるにベルリン・フィルハーモニーで演奏しているんだ」

 

 

斎藤T「――――――この問題はかなり根が深いぞ」

 

 

ピースベルT「………………」

 

アグネスタキオン’「まあ、受け取るものは受け取ったのだから、さっさと買い出しを済ませようじゃないか。それで受け取ったものを整理してさ」

 

ピースベルT「ああ……」

 

アグネスタキオン’「楽しみだねぇ。人体実験の大御所がどこまで関係してくるのやら」

 

斎藤T「嬉しそうに言うなぁ」

 

アグネスタキオン’「だって、楽しみじゃないか!」

 

アグネスタキオン’「数々の非道な人体実験を行ってきた“死の天使”ヨーゼフ・メンゲレでさえもヒトとウマ娘の身体構造は『ほぼ同一』でありながらヒトよりも遙かに優れた身体能力を持つ神秘を解明できなかったんだ」

 

アグネスタキオン’「あれからウマ娘の神秘を解明する研究が禁忌を犯してどれだけ進んでいるかを考えると、その研究成果を目の当たりにすることができるのは最高にワクワクすることじゃないか」

 

ピースベルT「お前、それでも人間か!」

 

アグネスタキオン’「ちがうねぇ。私は正真正銘のバケモノだが」クククッ

 

ピースベルT「こ、こいつっ!」

 

アグネスタキオン’「私の力は直に体験して理解しているだろう。時間や空間、現象さえも超越する超科学生命体から更に進化したスーペリアクラスがこの私だ」

 

アグネスタキオン’「むしろ、泣いて喜んでもらいたいな。スーペリアクラスの私が力を使えば世界なんて思うがままなのに、こうして人並みの暮らしに甘んじているのだからね」

 

アグネスタキオン’「――――――『大いなる力には、大いなる責任が伴う』とは言うが、私の持てる力の全てを大いなる責任の下に使えというのなら、それは世界征服になるけど、どうだい?」

 

ピースベルT「もういい。反面教師として見習わせてもらう」

 

アグネスタキオン’「そうだね。私のようなバケモノから学べるものなんて、そんなものしかないさ。そうであるべきだ」

 

ピースベルT「………………」

 

斎藤T「大丈夫ですか?」

 

ピースベルT「……大丈夫。むしろ、冷静になれた」

 

ピースベルT「さすがは古来から妖怪退治で名を馳せる源 頼光に代表される皇宮護衛官の末裔というだけのことはあると実感した」

 

ピースベルT「こんなバケモノの手綱をしっかりと締めている辺り、某はどこまでもウマ娘のトレーナーでしかないと自覚させられる」

 

斎藤T「それでも、私の戦いは一人ではできないからこそ、力を貸して欲しいのです」

 

ピースベルT「いいでしょう」

 

 

――――――某には悪と戦う力はないが、あなたを支えることができる。そういうことなのでしょう。

 

 

そして、久留米藩有馬家17代目のおじちゃんが宮司をしている水天宮に一般客を装って報恩感謝の祈願を捧げると、年末年始の伊勢参りの時と同じように幻覚を視ることになった。

 

それは水天宮の氏子であるピースベルTも同じであり、黒・赤・金のドイツの三色旗に擬えたオーケストラが代わる代わるに繰り広げられるといったものであり、その厳かで勇壮で威風堂々でありながら どこか陰鬱とした 素直に感動できない狂気を帯びた雰囲気に私は黙示録のラッパ吹きの演奏を想像させ 背筋を凍りつかせた。

 

事実、指揮者が近代ドイツを代表する指導者たちであり、宇宙移民として地球時代の愚かな歴史の語り部でもある私からすれば、ヒトラー暗殺計画の中心人物や、東ドイツのパラノイアの首領に、ドイツ第三帝国の偉大なる総統といった錚々たる顔触れなので、一目見ただけで気分が悪くなった。

 

ピースベルTも同じものを視たようだが、オーケストラが仰々しく奏でられている以上のことはわからなかったらしく、かろうじて世界でもっとも有名なチョビヒゲの独裁者が指揮者の一人であったことに畏怖の念を抱いたぐらいしか理解が進んでいなかった。

 

だが、ピースベルTこと鐘撞Tには一緒に幻覚を視るという、それだけでいいらしいのだ。核心となる部分を私が理解していればいいのであって、鐘撞Tには絶対の協力者となる動機を与えるだけでよかったようなのだ。

 

実際、水天宮の幻視を視ることができなかったアグネスタキオン’(スターディオン)に解説する中で、ピースベルTが宇宙時代の祭司長である私の特技の一端に触れることになり、

 

また、私が生涯を懸けて監視し続けなければならないスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の危険性を理解すると共に、そんなバケモノに首輪をかけている私の器量にも感じ入ったようである。

 

なので、昨日出会った程度で互いに様子見をしながら信用できる相手なのかを探り合っているわけなのだが、『水天宮に一緒に参拝した』というイベントのワンシーンだけで強固な信頼関係が結ばれたのを実感した。

 

そこからトレセン学園では卒業式前日ということで送別会が催されている裏で、水天宮の帰りに百尋ノ滝の秘密基地で匿うことになるピースベルTの生活用品の買い出しとなり、黒・赤・金のオーケストラの幻覚の要点や考察をまとめることになった。

 

それまでにわかる範囲で情報を集めながら、場合によっては日本唯一の法定納本図書館である国立国会図書館にあるナチス残党の文献調査も行う必要があるように感じていた。

 

なぜなら、現在のドイツ大使館が東京都港区だが、国立国会図書館は国会議事堂の北隣にあった旧ドイツ大使館跡地に建設されることになったわけであり、ドイツ敗戦によってドイツ大使館並びにドイツ領事館の職務執行停止になって日本政府に接収された経緯があったのだ。

 

つまり、旧ドイツ大使館跡地に建てられた国立国会図書館に何か秘密があるような気がして――――――。

 

 

――――――ピースベルTの生活用品の買い出しを終えて

 

斎藤T「憶えているか、世界各国の競走ウマ娘の年間出生率のランキング」

 

アグネスタキオン’「たしか、ランキングだとドイツは年間で800程度で、イタリアが500程度だったねぇ」

 

ピースベルT「ロシアや中国なんて論外で、とてもじゃないがウマ娘大国に挙げられることはまずないよな」

 

斎藤T「それだ。G8(主要国首脳会議)に数えられているドイツがイタリアと並んでウマ娘の年間出生率が圧倒的に少ない状況が未来においてある大きな問題の原因になるらしい」

 

アグネスタキオン’「というと?」

 

斎藤T「この世界はウマ娘という第3の性が存在しているが、その比率は男女比に対して圧倒的に少ないわけで、そのことで第3の性であるウマ娘用の社会インフラの整備がドイツでは遅々として進まないわけだ」

 

アグネスタキオン’「そうだねぇ。ドイツで移民問題も活発化している中で、女性しかいない少数民族にも数えられるウマ娘を多大な国費を投じて優遇するのは人口比からすれば民族の公平性の議論の対象になるはずだね」

 

ピースベルT「たしかに、経済不況が長引く国だと王侯貴族の道楽だった近代ウマ娘レースの整備と開催は国にとっては大きな負担になっているぐらいだ」

 

 

斎藤T「そう、近い将来にウマ娘と移民の軋轢がドイツウマ娘レースの崩壊と世界大戦を招くことになるらしい」

 

 

斎藤T「そして、ヨーロッパにおいて反ウマ娘団体によるヘイトクライムが活発化し、ドイツウマ娘の多くが ドイツ系移民が多いことでナチス残党の最大の避難先となったアルゼンチンに脱出することになる――――――」

 

ピースベルT「!!!!」

 

ピースベルT「だから――――――!?」

 

アグネスタキオン’「だから、ウマ娘への性転換によってウマ娘の人口を増やしてドイツウマ娘レースの崩壊を防ぐために――――――!?」

 

斎藤T「そう、だから、かつてのナチス・ドイツの遺産である黒・赤・金のオーケストラという禁忌に手を出したというわけだ」

 

斎藤T「それが黒:男性、赤:女性、金:ウマ娘を意味する新たなドイツ第三帝国(ミレニアム)の復活宣言だ」

 

斎藤T「そこからヒトを超越した身体能力と科学力を持ったウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘の世界征服の狼煙が上がるそうだ」

 

ピースベルT「――――――ナチス・ドイツの遺産!」

 

 

斎藤T「つくづく、ドイツという国、ゲルマンという民族は世界秩序に挑戦するのがお好きなようだ。ヴァンダリズムの語源となったヴァンダル族もゲルマン民族だったな」

 

 

ピースベルT「あのオーケストラにそこまでの意味が……!?」

 

アグネスタキオン’「なるほど、そうなるといろいろと辻褄が合うんじゃないかい」

 

斎藤T「そうだな。WUMAが侵略してきた時にウマ娘が支配階級となってヒトを奴隷階級に貶めるそうだが、」

 

斎藤T「ウマ娘天国の日本はそうでもないが、ウマ娘レースと移民問題が衝突しているような海外だとウマ娘の迫害がいつしか種族紛争に発展していくのも無理はない」

 

ピースベルT「地上でもっとも繁栄している種族であるヒトと比べたら、ウマ娘なんて圧倒的少数民族に過ぎないわけだけど……」

 

ピースベルT「じゃあ、これからどうすればいい? 世界的な不況や貧困が創り出した流れなら、どうしようもないじゃないか!」

 

アグネスタキオン’「放置していたら 当然 日本にも波及するわけだし、日本だけが良くてもいいわけじゃないだろう?」

 

 

斎藤T「いや、その鍵を握る歴史的事件を丁寧に潰していけばタイムパラドックスは果たされるとも言われている」

 

 

斎藤T「結局、日本なんだ」

 

斎藤T「ウマ娘天国である日本がヒトとウマ娘の共生社会をどこよりも実現して世界に冠たる国になれる流れがすでにできあがっているんだ」

 

斎藤T「それをお抱えの黒魔術師から知ったドイツの闇組織が動き出しているぞ」

 

斎藤T「まあ、母体は世界中に散らばったナチス残党だけど、世界中に散らばってアーリア人至上主義のナチズムの理念が失われる中、パート1国でありながらウマ娘人口が先進国の中で極端に少ないことで遅れを取っている世情と移民問題の板挟みになって、その解決策として出されたのが――――――」

 

アグネスタキオン’「なるほど、『ヒトがウマ娘になる』のではなく、『ウマ娘をアーリア人に取り込む』というナチズムの御題目のアーリア化の派生だね」

 

斎藤T「世界各地に支部を展開していたようだからねぇ――――――」

 

斎藤T「あ、なんかロシアや中国も入っていそうだな。あそこも国家の威信を賭してスターウマ娘の養成はしているけど、国際G1レースを首都圏で開催できない辺り れっきとしたウマ娘後進国であるからな」

 

アグネスタキオン’「平和な時代が続くことで、第3の性であるウマ娘が住みづらい国というだけで後進国のレッテルを貼られることを大国のプライドが許さないか」

 

ピースベルT「だから、世界征服の手始めにウマ娘天国である日本侵略からやろうって!? 上等だ!」

 

斎藤T「戦争になるから国家間の憎悪を私は煽ることはしないけど、見えざる魔の手が日本を乗っ取ろうとしているのは間違いないね」

 

斎藤T「――――――『URAファイナルズ』開催によって世界がもっとも注目している日本の国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』をナチス式のプロパガンダを応用してね」

 

斎藤T「あ、そうか! その手の資本も混じっていたか! なるほどね、『URAファイナルズ』開催の裏にはそういった連中も絡んでいたわけか!」

 

ピースベルT「!!!!」

 

ピースベルT「絶対にそんなことはさせない! 彼女たちの青春を手前勝手な闘争の道具にしてなるものか!」

 

斎藤T「なので、覚悟してください」

 

 

――――――この1週間が! トレセン学園 黄金期 最終最大の危機にして総決算! 新たな時代の幕開けとなることを!

 

 

事実、明日の卒業式から来週の修業式までの『URAファイナルズ』決勝トーナメントを含めた1週間は新たな時代を迎えるための長い春の夜となった。

 

しかし、いきなり出てきて取り沙汰されたナチス残党の魔の手もそうなのだが、目に見えない裏世界に蟠る夢の舞台が積み上げてきた夢の骸たちが妬みと恨みの妄念から現実世界を侵食しようと牙を研いでいるのだ。

 

なので、現実世界での『URAファイナルズ』の成功は密かにナチス残党のプロパガンダに利用され、その失敗は裏世界に蟠る悪霊たちの勝利に繋がるという――――――。

 

けれども、20世紀最大の戦争犯罪者:アドルフ・ヒトラー一人を抹殺したところで、ドイツが戦争の道に進む流れは変わらない。象徴となる人物とはその時代の個性や特色になるものであって本質ではない。歴史とは、世界とは、社会とは、そう単純なものではないのだ。

 

第二次世界大戦に至った原因が世界恐慌ひいては植民地を多く持つ列強のブロック経済が原因であると理解しているからこそ、保護貿易を撤廃した自由貿易の推進が第二次世界大戦後の世界では広く求められるようになっていたのだ。

 

ならば、ドイツがナチス化しないためには世界恐慌を防ぐか、イギリスやフランスなどの植民地大国にブロック経済をさせないか、ドイツもまたブロック経済ができるだけの植民地を持つかしかないのだ。

 

それぐらいのことをして初めて時代が求めた偉大なる反英雄:アドルフ・ヒトラーの功績を完全否定できるわけであり、全ての罪をたった1つの象徴になすりつけて物事を善悪に単純化するのは、それこそナチズムが強力な指導力を発揮した原理と同じなのだ。

 

物事はできるだけ単純に憶えやすいものやわかりやすいもの、習慣づけられるものであればあるほど人々の意識の中に刻み込まれるわけなのだから、無意識にナチズムのプロパガンダの手法を多くの人間が真似していることを自覚するべきなのだ。

 

 

けれども、もちろん、象徴となる人物の存在は歴史の転換点を担うことは一概に間違いとは言い切れない。正確ではないが、ある程度の事実は経験則として誰もが認識している。

 

 

というのも、象徴となる人物とは一般には指導者(リーダー)と解される人物であり、その指導者を指導者たらしめるのは大多数の支持者による指導の実践と追従と追求なのだから、

 

全体の流れを決める指導者も大切だが、その指導を現実のものにする大多数の支持者こそが重要なのだ。指導者の支持層こそが時代の流れを作るのだ。人一人にできることなどたかが知れているはずではないのか。

 

実際、志半ばで指導者が反対勢力の凶刃に倒れることになっても、その遺志を受け継いで後継者が歴史的偉業が果たされたという例はいくらでもあるわけであり、愚かな時代の象徴となる指導者一人を葬ったところで愚かな時代が瞬間的に良き時代に切り替わるわけでもない。

 

そこを見誤ってはダメなのだ。個人個人の功罪を正すのも人間として大事なことだが、全体の流れを良い方向に変えるためのポイントを見極めなければ、指導者の地位に就く人間がすげ変わるだけで全体の傾向が改まるわけでもない。

 

だから、武力で敵を排除するだけでは何も変わらないのだ。時として武力行使も必要になることもあるだろうが、それは『全体の流れを変える目的のために必要だからやる』のであって、『許せない悪だから制裁を下す』という義憤からの憂さ晴らしでやるものでもないのだ。

 

そして、“皇帝”シンボリルドルフ卒業と『URAファイナルズ』成功を懸けた最後の1週間の激闘の裏に潜む全ての元凶の正体を知った時こそ――――――。

 

 

――――――あなたはそれを悪だからと裁くことができますか?

 

 



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状況報告  光と影にわかれたアグネスタキオンの日常

 

この報告書は去年のシーズン後半までの部活棟の化学実験室から環境を変えて年明けに引っ越すことになった、WUMA討伐作戦の最大の戦利品となる奥多摩の川苔山/百尋ノ滝の秘密基地での3ヶ月間の記録をまとめたものである。

 

保守管理は報告者であるこの私:アグネスタキオン’(スターディオン)という名をもらった並行宇宙の地球を支配する超科学生命体“フウイヌム”の一個体によってなされており、最上位となるエルダークラス:ヒッポリュテーの因子が継承されているために可能になったことであった。

 

 

◆川苔山/百尋ノ滝の秘密基地とは

 

まず、百尋ノ滝の地下基地は百尋ノ滝の裏側に隠された百尋(181.8m)のエレベーターで下っていくことになるのだが、百尋ノ滝そのものは落差:40mしかないのと同じように、このエレベーターも実際には百尋(181.8m)以上200.0m未満であった。

 

新年度にオープンとなるトレセン学園の黄金期を記念する附属高層施設:エクリプス・フロント(地上10階・地下1階建て)が超高層建築物の条件である高さ:60mには満たないことを考えれば、いかに広大な地下空間が広がっているかが想像できるはずだ。

 

 

●あべのハルカス(地上60階)……300m:日本最高

 

●横浜ランドマークタワー(タワー棟:70階)……296.33m

 

●東京都庁第一本庁舎(地上48階、地下3階)……243.4m(軒高:241.9m)

 

 

もちろん、日本屈指の超高層ビルと比べれば遥かに低い百尋の天井ではあるものの、それ以上に敷地面積が 東京競バ場を再現しても なお有り余ることを考えれば、延床面積はそれらと比べるのも馬鹿らしくもなる規模になる。

 

東京競バ場の敷地面積は622,635m2(188,347坪)で、東京ドームが46,755m2(14,168坪)として単純比較すると、東京競バ場は東京ドームの13.32倍もの土地の広さを誇る。

 

その東京競バ場をこの百尋ノ滝の秘密基地では概算して8つは再現できる約500万m2の広さを誇るのだから、実際の建築面積や延床面積を考えると凄まじく土地がダダ余りしていることは容易に想像できることだろう。

 

更に、この地下空間は天球になっているために本来の敷地面積は円形になっていなければならないのだが、力場の境界線をわかりやすく天球の直径に合わせた正方形にしており、正方形から食み出した円の部分に地下空間を維持するWUMAの空間跳躍技術の真髄となるものが配置されているのだ。それを除いた部分が500万m2という整った数字であり、実際にはまだまだ土地はあるのである。

 

そして、500万m2とは換算して5km2なので500haであり、比叡山全域の500haに約150の堂塔が建ち並んでいるという比叡山延暦寺と同等の規模を持っていると考えれば、少しはわかりやすくはなっただろうか。

 

 

掻い摘んで言えば、夢の舞台であるトレセン学園と学生寮を含む近隣の附属施設の全てが丸々と入るほどなのだから、ここに裏トレセン学園を築き上げても余裕ということだ。*1

 

 

更に驚くことに、天井までが200m弱で5km2の敷地面積であるため、実は地図上では川苔山/百尋ノ滝(標高:874.46m)から奥多摩駅(標高:343 m)までが直線距離:5kmなので、奥多摩町は完全にWUMAの本拠地の勢力下に入っていたのである。

 

おそらくは東京までの安定した侵入路になるJR青梅線の終着駅:奥多摩駅を行き来しやすいように地下空間の拡大と移動を図っていたのだろう。

 

ところが、実際の標高を比べて見ればわかるとおり、高低差:200m弱の百尋ノ滝の秘密基地の範囲が川苔山どころか奥多摩町にまで伸びているが、地上に食み出しているどころか、奥多摩町の上空に存在していないといけないはずなのだ。

 

そう、これが百尋ノ滝の秘密基地が三次元世界と四次元空間の接点となる所以であり、WUMAが地球侵略のための橋頭堡として築き上げた亜空間要塞なのである。去年のクリスマスに侵略を次の段階に進める際に奥多摩を三次元世界から分断できる原理はこれである。

 

こうすることによって、WUMAが誇る空中戦艦が航空戦力の猛追を受けても何もない上空で亜空間要塞で入港することが可能になり、あらゆる追撃を空間ごと遮断して悠々と再出撃の準備をすることが可能となるのだ。

 

つまり、三次元世界と四次元空間の中間となる亜空間に存在しているからこそ、百尋ノ滝の地下にありながら奥多摩町の上空に存在するべき秘密基地が成立するのであり、

 

これによって、もしもモルモットくんが昨年の奥多摩攻略戦において最終手段として戦術核兵器を用いて奥多摩を消滅させたとしても、亜空間に存在する百尋ノ滝の秘密基地には何の打撃も与えられないのである。

 

 

――――――これにより、百尋ノ滝の秘密基地では()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という非常に都合の良い実験環境が整っていることを理解してもらいたい。

 

 

◆百尋ノ滝の秘密基地に移ってからの2人のアグネスタキオンの研究生活

 

さて、去年の20XX年までの()の活動拠点はトレセン学園部活棟の化学実験室であり、シンボリルドルフの計らいでマンハッタンカフェと旧化学実験室を分け合っていた頃が遠い昔に思えるほど、()はそこで()()()()を選び続けた。

 

そして、その甲斐あって、()の想像を遥かに超える“門外漢”が担当トレーナーになることになり、年末にWUMAを殲滅して接収した百尋ノ滝の秘密基地に研究拠点を移すことになったのは前述の通り。

 

正直に言うと、私もそうだが、()としても、いきなりトレセン学園を丸々再現しても有り余るほどにだだっ広い地下空間を気前よく与えられても持て余すだけであり、最重要区画である城塞の一帯で東京競バ場を再現するだけに利用は留まっていた。

 

比叡山延暦寺と同等の敷地面積なのだ。普通の会社や工場の延床面積など芥子粒にもならないほどであり、WUMAの超科学の結晶である城塞の一室を研究室としてもらうだけでも十分過ぎる。そもそもが、部活棟の化学実験室の一室で充実した研究の日々を送っていたのだから、ここはあまりにも快適すぎた。

 

というより、WUMAには空間跳躍能力があるからこそ広大な平面を1秒も掛からずに移動できるためにこうした広々とした空間を過不足なく利用できるわけで、空間跳躍ができない地球人にとってはアメリカやオーストラリアの広大な農地(メガファーム)並みに閑散とした風景の中を移動するのはそれだけで気が遠くなることだろう。

 

もちろん、一見すれば広大に見える500haの土地ではあるが、ウマ娘レースの代表的な長距離走『菊花賞』が芝・3000mで3分程度であり、起伏がまったくない平坦な土地の直線距離を走るとなればウマ娘でなくてもオートバイに乗って端から端まで3分以内辿り着けることだろう。

 

 

大雑把に5km2の土地利用を説明すると、まずは入口となる百尋のエレベーターが北端に位置しており、エレベーターホールの隣にモルモットくんが爆破トラップで全滅させたヒッポカンポスの軍団をはじめとするWUMAの共同墓地と礼拝堂が建てられることになり、簡易的な墓標からしっかりとした墓石を名もなきジュニアクラスのためにも1つずつ用意されることになった。

 

そこから5km2の地下空間の中心に住まいにしている超科学城塞が位置しており、北端の百尋のエレベーターとの間にWUMAの肌の色を思わせる美白を基調とした西洋風の古典的な街並みが連なり、トレセン学園を思い出させる清水が湧き出る噴水の広場や芝生の緑も見えた。

 

つまり、最初に訪れた際にモルモットくんに地下空洞説における理想郷:アガルタと譬えられた広大な地下空間は北側だけしか利用されていないに等しい状況であり、残りの東西南は本格的な侵略を開始した時に来援してくる艦隊の居留地として確保しているのではないかという推測がなされている。

 

実際、無補給で運営される基地機能は現存する施設だけで全て完結しており、完全栄養食品の食糧生産工場は原材料の栽培や収穫から加工まで全て自動化されているため、WUMAである私としてはそれだけで生活していけた。

 

もちろん、それだけでは味気ないので学園から新鮮な食糧をモルモットくんに来てもらう次いでに大量に持ち込んでもらって、モルモットくんが来てくれている間は栄養満点の手作り料理を用意してもらい、それを“クロッシュ”に入れて時間の流れが非常に遅い亜空間ボックスに保存することで出来たてのものをいつでも食べられるようにしてあった。

 

また、大手流通会社の倉庫で採用されている完全自律倉庫ロボットなどの最新のロボットをモルモットくんが某重工に席を持つ開発室のコネから大量に仕入れてきて、少人数で超科学城塞の保守管理が可能になるようにあっという間にレイアウト設計してみせたのだ。

 

WUMAの超科学をもってすればできないことはないとは思ってはいたが、理想的な管理社会がすでに築き上げられた無駄のない生活環境には創意工夫の余地などないため、不便に感じたら積極的に生活環境を作り変えるといったことはWUMAの発想にはないので、手ずからレイアウト設計して生活環境を変えていけるモルモットくんの適応力には素直に感心した。

 

これぞ自称:23世紀の宇宙船エンジニアの本領発揮であり、宇宙船という閉鎖環境において持続可能な独立した生存圏を確立させるために培われたというノウハウは本物で、城塞内部で全自動住宅のモデルルームを設計してあっという間に実現してしまったのだから、これには()も驚きが隠せなかった。

 

最初の頃は超科学城塞のレイアウトや機能の把握のための調査として最低限の生活物資を持って入って探索することになり、ベッドなどの大型家具を移送してこれない制約上、生活感などまったくない城塞内部の一角を宿営地と定めて室内用テントにシュラフを敷いて寝ていたぐらいだ。WUMAの理想社会に鍵付きの部屋やロッカーなんてものは存在しない。

 

電化製品の利用も百尋ノ滝の秘密基地で利用されているエネルギーパスから日本の電気設備の規格に合うように電力供給できるようになるまではガソリンで動く発電機を使う必要があったぐらいで、

 

モルモットくんにそうしたノウハウがなかったら、学園の実験室の一室から超科学城塞で暮らすことになった私は全自動住宅のモデルルームで快適な暮らしをすることなく、今もずっと室内用テントで宿営していたはずだ。

 

それどころか、自分でレイアウト設計した研究室でWUMAの超科学や空間跳躍技術を盛り込んだまったく新しい宇宙船を鼻歌交じりで大量のディスプレイに囲まれながら見たこともない形のキーボードを何台も使い分けて片手間に設計しているほどであり、その頭脳はエルダークラスでも擬態しきれないものがあると元々がエルダークラスの血統であった私でさえも戦慄するほどだった。

 

このようにハイテクの環境を与えさえすれば世紀の発明を無尽蔵に生み出せる頭脳の持ち主であり、ウマ娘のトレーナーをやっているよりもそっちに専念してくれた方が絶対に世界のためになるとそう確信させるほどで、トレセン学園などという百尋ノ滝の秘密基地に何個も収まるような小さな箱庭世界のためにその才能を縛り付けたくはないとすら思ってしまった。

 

 

――――――だからこそ、()は理解する。ウマ娘の可能性の“果て”に至るための可能性を無限大に広げてくれるトレーナーの偉大さと共にある尊さを。

 

 

しかし、本当ならば私もWUMAの一人なのだから、城塞内部にはなくとも、城塞から見渡せる白亜の城下町にある完璧に整えられた生活環境を今までのように使っていれば何の不便もなかったはずだった。

 

私も当初は調査を進めながら かつての名もなきジュニアクラスの一人だった頃の 超科学生命体の完璧な住環境で生活をしようとしていたのだ。住み慣れているし、初期投資も大幅に抑えられるのだから、利用しない手はない。

 

ところが、これまで散々自分たちの手で討ち取ってきたWUMAの日常を悍ましく感じるように私は地球人として変わっていたことを強く自覚させられた。

 

軍団ごとに割り当てられた大部屋にあったのが全自動万能デバイスとなっている一人用のポッドが所狭しと壁一面に並べられている――――――。

 

私もただのジュニアクラス(バケモノ)の一個体だった頃は青果売り場のように並べられているあのキャベツ(一人用のポッド)の中が唯一自分に与えられた自分だけの世界(自由)だったことを疑問にも思わなかった。

 

ただ、全自動万能デバイスとしての完成度は確かなものがあり、酸素マスクを取り付けてナノマシンが充填された培養液に身を沈めると、ナノマシンに全身が包まれることによって脳が電脳世界に直結することになり、自動で全身マッサージや体調管理、排泄処理、栄養補給、疲労回復、治癒促進が行われ、意識は電脳の海を漂って心地よい夢の中に浸れるのだ。

 

また、電脳の海の仮想世界に自分だけの世界を築き上げることができ、現実世界に戻される時に意識の切り替えが機械的に行われるのもWUMAが現実世界における自分たちの非人道的な侵略行為に疑問を抱かなくなる仕掛けとなっていた。

 

この感覚のおかげで一人用ポッド以外の私物はまったく要らなくなる全能感に浸れるわけで、これこそが徹底された管理社会の究極であり 文明を持つ知的生命体としては下劣な進化として、モルモットくんはWUMAの評価を“虫”にまで格下げするようになった。

 

もちろん、それはそれとして一人用のポッドが4個軍団分は残っているため、予備パーツにはまったく困らず、解析と利用をモルモットくんは着々と進めることになった。

 

 

ところで、先遣隊が土地利用している北側だけでも単純に125haはあるわけで、その大部分もみっちりと使っているわけでもないので、地下空間の中心に位置する城塞から四方を見渡すといかに何もない平坦な土地が広がっていることか――――――。

 

なので、これまでの競走ウマ娘:アグネスタキオンに必要な研究環境は東京競バ場を再現した超科学城塞の一室をもらい受けるだけで事足りるわけなのだが、ここまで土地が余っていることがわかると、その空虚さを埋めるためにどうにかしたいという欲求が湧いてくるものだ。

 

地下空間の中心となる城塞の高所から周囲を見渡せば、百尋のエレベーターがある12時の方向にしか街並みがない場所なのだ。快適過ぎる研究室の一室とWUMAの超科学で再現された競バ場を行き来するだけの生活とは言え、あまりにも何もなさすぎる。

 

実際、トレーナーとしての経験が浅いモルモットくんの代わりに実践的な指導を受け持つことになった岡田Tもこの広大な地下空間でオートバイを走らせてみて、何もないのは味気ないと感じて気分を盛り上げるために簡易的な休憩所を各所に設置するように進言していた。

 

あるいは、北側の美しい街並みを支える清水や芝生を残りの東西南にも見られるようにしたいと、土地利用や外観に凝りだすようになり、リアルタイム都市経営シミュレーションゲームにのめり込むようになっていた。

 

なので、いずれは有り余る土地を利用しようとも考えてはいるのだが、個人で思いつく範囲などたかが知れているので、今のところは土地の大規模利用に関しては検討中といったところである。

 

 

一方、私の方は動画共有サイトにアップされている『トゥインクル・シリーズ』の重賞レースの映像記録を片っ端からダウンロードして、その内容を岡田TがWUMAの空間跳躍技術で再現した競バ場にホログラム投影する作業に従事していた。

 

そして、未デビューですでに『全盛期のトウカイテイオーに一歩劣る実力は有する』とトウカイテイオーの元担当トレーナーであった岡田Tの太鼓判を押された“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンの実力がどこまで通じるのかを私の脚で計測する日々が続いた。

 

 

そう、私という存在はWUMAがウマ娘:アグネスタキオンに擬態した一個体に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない存在でもあった。

 

 

なので、WUMAの完璧な擬態能力は怪我や劣化をもたらすことはないが、同時に苦難の乗り越えた証である成長をもたらすこともない――――――。

 

そのため、動画共有サイトに残る過去の重賞レースの内容をホログラム投影したシミュレーターの具合を確かめながら、トウカイテイオーやシンボリルドルフといった()にとって身近な名バたちの重賞レースを私なりに走ってみると結果は全て惨敗に終わったのだが、私は特にその結果に驚くこともなかった。

 

岡田Tが言ったとおりの『全盛期のトウカイテイオーに一歩劣る』結果になっただけなので驚く要素などどこにあるだろうか。

 

私は淡々と()が平日のトレセン学園で基礎トレーニングを重ねている裏で、再現された過去の重賞レースで勝ったり負けたりを繰り返して、どこのシミュレーションよりも正確なデータを収集し続けていた。

 

そして、AIやホログラムの改良によってホログラム投影されたシミュラント(模造品)が明確な思考と質感をもった敵部隊(アグレッサー)を演じることが可能になり、私という存在を過去の重賞レースに出走させる“もしも”のシチュエーションの再現も可能になった。

 

これにより、実際のウマ娘レースに限りなく近づいた迫力のあるシミュレーターとなり、私が()のつもりで走ろうとすると重賞レースに出走を果たした過去のウマ娘を再現したシミュラントたちは千変万化に対応を変えることになり、ただ走っているだけに見えたウマ娘レースにも奥深い駆け引きがあることを理解させられることになった。

 

 

その結果を暗号化通信でトレセン学園で基礎トレーニングに励む()に送りつけるのが、軽度の人間不信で人前に姿を現したくない岡田Tと空虚さを覚えるほどに広大な地下空間を保守管理している私の日常であった。

 

 

別に、寂しいとは思わない。その前に4年間も待つ選択をしてきたのが()なのだから、その完璧な模造品(シミュラント)である私も()がやりたいと思うことをやりたいだけやれる日々に充実感を覚えている。

 

ただ、私が思うに()の方は年が明けてからの新しい日々にそこまで満足感を覚えているようではないように見える。

 

むしろ、モルモットくんと模造品(シミュラント)の私を含めた3人で化学実験室であーだこーだ言いながら研究開発三昧していた去年のシーズン後半からの日々の方が心が弾んで活気づいていたように思える。こんな日々がこれからずっと続いていくんじゃないかと――――――。

 

実際、モルモットくんの実力と人柄が徐々に知れ渡っていくうちに、岡田Tから譲り受けたトレーナー室での日々は毎日のようにモルモットくんに用がある客人が来ることや実験設備のほとんどを百尋ノ滝の方に移してしまっていることもあり、()が想像していた日々とは大きく掛け離れていったことは想像に難くない。

 

また、留年にならないように新年からは退屈ながらもきちんと授業に参加し、期末試験の予想問題を退屈しのぎに授業中にやるようにしていたのに、学園側から授業免除を言い渡されて教室から追い出されてしまっているのだ。

 

そのため、4年間ずっと実験室に閉じ籠もっていた()にとってはモルモットくんに手を引かれて部屋を出た結果、自分を取り巻く環境の大きな変化に戸惑うことになり、これからメイクデビューをしていく上でどのような人間関係や学園生活を送っていくべきなのかで揺れ動く時期を迎えているようだった。

 

 

◆年が明けてからの新たな研究生活を迎えての所感と危惧

 

これが同じアグネスタキオンである私と()の役割分担の結果といえば聞こえはいいが、元から三女神像の前で行った“おまじないの儀式”による因子継承によって、怪人:ウマ女である私とウマ娘である()とで差が生まれるようになっていたのだが、今回はこのように年明けからの環境の変化に伴う心境や立場の変化によって明確なちがいが生まれるようになり、()()()()()模造品(シミュラント)の私が奪い取ってしまったように思えてならない。

 

実際、ウマ娘:アグネスタキオンのライフワークであったウマ娘の可能性の“果て”を探究するための実験三昧の日々はドーピング疑惑を回避するために設備の大半を百尋ノ滝に移して、怪人:ウマ女の私がその研究を引き継ぐ形となっているのだから、ウマ娘:アグネスタキオンにとっては今まで自分を満たしていた生き甲斐や習慣になるものがなくなった虚無感を埋める何かを求めているはずなのだ。

 

だからこそ、土日休みは遠征という名目で百尋ノ滝の秘密基地に必ず来るようにして、トレセン学園ではすることができなくなった実験の続きを一層打ち込むようになっていた。

 

 

しかし、その虚無感を埋めることになったのがウマ娘:アグネスタキオンにとってはマンハッタンカフェであり、怪人:ウマ女のアグネスタキオン’(スターディオン)にとってはシンボリルドルフとなった――――――。

 

 

それは2月の『URAファイナルズ』準決勝トーナメントでマンハッタンカフェが敗退したことでトレーナー契約が終了して自身も引退しようとしていたところに、無力感と孤独感からメジロ家に婿入りする将来に重圧を感じて自殺を考えていたメジロマックイーンの元担当トレーナー:和田Tの救済が求められていたことに起因していた。

 

元から()は同期の中では“天才”トウカイテイオーや“名優”メジロマックイーンよりも“幻影”マンハッタンカフェにこそウマ娘の可能性を感じていたこともあり、()と同じように結果こそ振るわないものの決して無理をしない忍耐の末に『URAファイナルズ』まで走り切るに至った。

 

一生に一度しかない2年目:クラシック級限定のG1レースで勝てれば全てよしと考えるウマ娘が大半の中、マンハッタンカフェというウマ娘はそれ以上に目に見えない存在“お友だち”に追いつくことを目標にして懸命になっており、()が注目したのは誰に教わったわけでもない独自の走法や目的意識でもあったのだ。

 

事実、メジロマックイーンやライスシャワーといった強豪たちに負け続けてはいるものの、長距離G1レースで必ず好走を果たしてきた実績は十分にG1ウマ娘に相応しい素質があったことの証明であり、足りない何かが足されていれば長距離G1レースを連勝することも十分に狙えていた。

 

それ故につけられた二つ名が“摩天楼の幻影”であり、()と同じく彼女のために部屋をシンボリルドルフが提供して厚遇してきたことの正しさがようやく証明される気がしていた。

 

そして、元から自分でウマ娘の可能性の“果て”に辿り着くプランAと同時並行して、自分の研究を他のウマ娘に適用してウマ娘の可能性の“果て”を目指すプランBの対象としてマンハッタンカフェが遅まきながら選ばれたのだ。

 

まずは前人未到の“春シニア三冠”達成という目標を掲げて、今更になってメイクデビューを果たすアグネスタキオンとトレーナー契約を終えて引退するはずだったマンハッタンカフェという極めて正反対の異色の経歴の2人が新たな学園生活を再スタートさせることとなる。

 

それからの()は 裏でチームメイトになった かつての同期と一緒に併走やトレーニングをするようになり、まるで昔に戻ったみたいな距離感を堪能しているようだった。

 

現場には私はいなかったので実際の秘密会議の様子はどういったものだったのかは私にはわからないが、

 

目に見えない霊と対話ができるというモルモットくんがマンハッタンカフェが言う“お友だち”からアグネスタキオンとマンハッタンカフェがこれからのトレセン学園で果たす役割について聞かされていたらしく、“春シニア三冠”も勝てるように努力すれば必ず勝てるというお墨付きをいただいたそうだ。

 

モルモットくんが言うには、マンハッタンカフェの“お友だち”は一人であって一人ではないというのだ。例え話で、“お友だち”の正体はその働きを総称した法人格“守護天使”とのことで、“お友だち”を構成している霊は実際は何人もいる――――――。

 

ただ、私の記憶にもある入学当初のマンハッタンカフェの驚異的な走りを導いてきた“お友だち”は間違いなく存在しており、“お友だち”の代表格と考えればいいとのこと。

 

一方で、完全に擬態に“成り代わり”を行える並行宇宙からやってきた怪人:ウマ女である私が思い出すのは、卒業するまでずっと目を掛けて庇護し続けてくれた大恩人:シンボリルドルフであり、

 

私の中にはモルモットくん経由でシンボリルドルフに擬態していたエルダークラス:ヒッポリュテーの因子が継承されているため、シンボリルドルフの意識や記憶の一部も間接的に継承されていた。

 

エルダークラス:ヒッポリュテーが擬態対象の記憶を盗み見て印象に残ったものしか私には引き継がれなかったが、過去の内面や思考がはっきりと思い出されるため、シンボリルドルフという人間がどういう思いでトレセン学園の日々を送っていたのかが卒業式の日が近づくにつれて不思議と私にはわかってしまった。

 

 

――――――それはトレセン学園を卒業していくことへの虚無感であり、恐怖感であり、孤独感であった。

 

 

()にとっては大恩人であっても世代のちがう赤の他人の記憶が3月の卒業シーズンにに入ってから何度も頭の中を過ってくるのだが、よほどトレセン学園を卒業してしまうのが嫌なのだとわかってしまう。

 

その現象を助長させているのが“最強の七冠バ”シンボリルドルフの重賞レースを再現したシミュレーションなのは言うまでもなく、シミュレーションで再現されたシンボリルドルフのシミュラントに注目すると、ヒッポリュテーを介して自分の中に継承されたシンボリルドルフのその当時の記憶や感情が朧気ながら私の中で蘇ってくるのだ。

 

そして、“皇帝”シンボリルドルフが出走したレースから優先してシミュレーターに落とし込んで一通りのレースを追体験してきたからこそ、はっきりわかってしまうのだ。

 

シンボリルドルフにあるのは未来への希望などではなく、大切な人たちと一緒に過ごしてきた過去への憧憬であり、全てのウマ娘が幸せになれる世界を願う理想を掲げているのも本心からの願いなどではなかったのだ。

 

 

――――――むしろ、“私”と同じだ。借り物の理想で外面を綺麗に整えて自分の居場所を確かめている空虚な存在。

 

 

私は理想世界の侵略生物として擬態した時の殺人衝動を抑えらない“バケモノ”として決して相容れない一線が引かれた存在であり、だからこそ、モルモットくんが最後まで面倒を見てくれるという喜びにも恵まれてはいるが、

 

幼い頃からそうあるようにその道を歩まされてきた“皇帝”の道は常に孤独な旅路であり、誰よりもウマ娘の幸福を願うように強制されてきたからこそ()()()()()()()真理にも辿り着いており、口で高らかに希望を謳うほど楽天的な心根では決してなかったのだ。

 

だからこそ、史上初の“無敗の三冠バ”として誰からも畏敬の念を持たれるようになった自分に対して距離を置かずに慕ってくれるトウカイテイオーの存在は身近な支えになってくれたし、自身に続く“三冠バ”ナリタブライアンの登場の大きな原動力になって黄金期を完成に導いたビワハヤヒデの存在もまた孤独な旅路を照らす太陽となっていた。

 

当然、黄金期は暗黒期のアンチテーゼであることを証明するために非常に開放的な雰囲気の学園作りになったわけなのだが、それに伴って従順ではない生徒たちによる非行や補導の増加に繋がったという聞きたくもない現実も受け止めなければならなくなった。

 

それが本心から自分が望んだ道ならば甘んじて受け容れられるのだが、実際には生まれた時から押し付けられた役割に辟易していたとするのなら、『どうして自分がここまで反抗的な生徒たちの尻拭いをやらなくてはならないのだ』と粛々と退学処分を後押しするのは簡単ではあった。

 

けれども、そんなふうに人情味がない在り方が問題視されて馴れ合いから正邪がひっくり返ったのが暗黒期でもあったのだから、ここで寛容さを示し続けなければ暗黒期と何も変わらないという事実を理解できる怜悧さがあったのが たかが中高生のシンボリルドルフという一人の少女の人生の重荷になっていた。

 

それどころか、年を跨げば自然と生徒たちが代替わりすることによって暗黒期の負の記憶は洗い流されていくわけでもあるのだが、逆に黄金期の在り方が当然のものとして その成立背景や有り難みがわからない生徒も当然となり、そうした横行に対して厳罰化を求める声と忍耐強く指導すべきという声との間で板挟みになる苦悩をずっと抱え込んでいたわけなのだ。

 

そもそも、サービスを受ける側である生徒たちの代表でしかない生徒会長にサービスを提供する側の大人が何でもかんでも判断を迫ってくるのは間違っていると声を大にして叫びたい日々はずっと続いてきた。

 

そうして歴代最高の評価の生徒会長職をいよいよ次の世代に譲った時に、生徒会長職の重責と日々の忙しさの中で忘れていた自己の内面の空虚さにいよいよ気づいてしまうことになった――――――。

 

 

――――――だから、私にはわかる。シンボリルドルフというウマ娘の心の空虚さが。

 

 

レースに絶対というものがないのに対して、シンボリルドルフには絶対が存在していたということは、シンボリルドルフはウマ娘であってウマ娘ではないとも言える。

 

それが暗黒期から黄金期へと時代を切り拓いていくために役割を押し付けられてきた“皇帝”シンボリルドルフという特別な存在であったのだが、その“皇帝”としての自分から卒業した後の何でもない一般人としての自分には何が残っているのか――――――。

 

答えは“皇帝”としては決して許されない一人の少女としての恋愛:最愛の人との情愛であり、ウマ娘とトレーナーの間に生まれる絆が奇跡を生み出すことを証明するという建前(言い訳)で不純異性交遊を裏でしていたことが自分の意志で得た唯一の宝物だったのだ。

 

そのことが長く険しい道を共に歩むと誓い合った最愛の人を早くに喪ったことで より一層 彼女の中の空虚を構成する要素となっており、

 

元から競走ウマ娘の社会的価値に希望を見出させずにトレセン学園への入学すら親の敷いたレールの上だと嘆いていたシンボリ家の次期惣領娘にとっては最愛の人が生まれるはずだった未来の可能性を潰してまで得た現実に価値など求めていないのだ。

 

公人(建前)としてはウマ娘の幸福を誰よりも願いながらも、私人(本音)としては最初からウマ娘の未来などどうでもいいという、幼い頃から抱き続けていた悲観的人生観を変えられるきっかけこそ掴んでいたものの、そこから一気に絶望の淵に突き落とされる人生を歩んできているため、

 

結果としてはシンボリルドルフ個人としては“皇帝”と崇められるほどの名声を得た裏で、卒業した後の“新堀 ルナ”として手元に残ったものは何もないという虚無だけが待ち構えていたのだ。

 

これこそがモルモットくんがかなり辛口でつけている近代ウマ娘レースの研究論文での最大の問題点である“表現の自由(フリーダム)束縛からの自由(リバティー)”であり、

 

“皇帝”シンボリルドルフがトレセン学園で持ち合わせた自由とは“皇帝”としての役割の中で許された制限下の自由(リバティー)であって、自己実現の自由(フリーダム)ではなかったわけなのだ。

 

その観点からすると、少なくとも()のライフワークであるウマ娘の可能性の“果て”の研究は自己実現の自由(フリーダム)であり、同じようにマンハッタンカフェの“お友だち”に追いつくという目標も自己実現の自由(フリーダム)であると分類できる。

 

つまり、()がマンハッタンカフェをプランBの最有力候補として選んだ理由も、()の次か()以上に自己実現の自由(フリーダム)に生きて、トウカイテイオーの“無敗の三冠バ”やメジロマックイーンの『天皇賞』制覇といった具体的目標に左右されないが故の普遍的目標を追究していたのが大きい。

 

いや、そんなのは()がマンハッタンカフェにこだわった理由の1つに過ぎない。彼女は()の求める全てを最初から持っていたと過去の()はそう結論付けていた。そのことにわずかばかりの嫉妬心を抱いているようにも思えた。

 

この辺り、怪人:ウマ女の私とウマ娘の()との差なのか、競走ウマ娘としての素質そのものはトウカイテイオーやメジロマックイーン以上であったと客観的事実として自分で認めているからこそ、あの夜にマンハッタンカフェを捉えきれなかったことが大きな衝撃となっていたようなのだが、今の私にはそこまで重要なことだったのかがわからなくなっていた。

 

けれども、“皇帝”シンボリルドルフがわざわざ()と一緒にすることで彼女に部屋を充てがったのだから、“皇帝”すらも認める素質が最初からあったことは間違いないのだ。そして、そのことは“春シニア三冠”を獲ることで証明される――――――。

 

 

 

そして、その未来を掴み取るために;トレセン学園に君臨し続けた“皇帝”シンボリルドルフの時代を完全に終わらせるために、また私のトレーナーが人知れず決戦に赴くことになるだろうと私は予感していた。

 

 

 

*1
更に言うと、夢の国:東京ディズニーリゾートは 201万m2 = 2.01km2 なので、この地下空間は東京ディズニーリゾートが2.5個分は入る計算になる。



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状況報告  シンボリルドルフという時代の光と影の先

 

いよいよ、トレセン学園 黄金期を秋川理事長と共に牽引してきた“皇帝”シンボリルドルフが学園を卒業する――――――。

 

つまり、俺が地方トレーナーから念願の中央トレーナーに成り上がってから実に6年が経過したわけで、

 

6年と言えば世間的に見れば小学生が入学してから卒業するまでの期間になるわけで、中高一貫校が基本である各地のトレセン学園に入れば その6年がまた積み重なるわけなのだ。

 

その間、本当にいろいろなことが起きた――――――。

 

俺もシンボリルドルフの入学から卒業までを見送って立派な30代なわけで、俺のトレーナー人生最大の夢となるトウカイテイオーのレースも見届けることになった。

 

シンボリルドルフ以上の才能を持ったウマ娘を是が非でもスカウトできた喜び、更にはシンボリルドルフに続く“無敗の三冠バ”も夢じゃないと誰もが認めるほどの走りを見せつけられた絶頂感は今でも昨日のことのように思い出せる。

 

そして、その直後に天国から地獄に突き落とされるかのような最悪の日々;担当ウマ娘を置いて逝くこともやってしまいそうになるほどに辛すぎた日々のことも――――――。

 

そこから何がどうなったのか、偽物のトウカイテイオー’が4年目:シニア級の『ジャパンカップ』で俺の担当ウマ娘がなりたくてなれなかった“無敗の三冠バ”ミホノブルボンと競り合っていたのだ。

 

そう、そんなことがあって、俺とテイオーは最後の『有馬記念』で劇的勝利を掴むことを“皇帝”の勅命で課されることになり、“皇帝”が直々に後事を託すことになった規格外の存在“斎藤 展望”の介添えを受けて、3年目:シニア級の『ジャパンカップ』を超える世紀の復活劇を演出することになったのだ。

 

踏んだり蹴ったりに思えた俺とテイオーの悲運のレース人生ではあったものの、最後の最後に不死鳥のごとくレースで命を燃やして、人生最高の歓声を浴びることになったのだ。

 

だから、俺もテイオーもこの結果に満足して、ターフの上から共に去っていくことができた。

 

 

――――――けれども、人生はそれで終わりではなかった。

 

 

ずっと憧れだった“皇帝”シンボリルドルフのように何から何まで同じにはなれなかったものの、“帝王”トウカイテイオーは今度はトレセン学園生徒会で“皇帝”の後継者とならんと新しい舞台で頑張っている。

 

俺もテイオーが卒業するまでは中央のトレーナーで居続けようと意地を張ることになり、これもまた数奇な運命というべきなのか、トウカイテイオーの同期でありながら同世代にならなかった 入学当初にトウカイテイオー以上の才気を放っていたアグネスタキオンという学園一危険なウマ娘の実質的な担当トレーナーに選出されることになった。

 

そして、その実力はまさに入学当初の“アグネス家の最高傑作”に違わぬ実力ぶりであり、テイオーがデビューして引退するまでの4年間を待ち続けた結果、“帝王”の担当トレーナーだったからこそわかる;未出走でトウカイテイオーの全盛期に一歩劣る程度まで能力を高めていたのだ。

 

その上で“本格化”を温存しているというのだから、これで順当に成長していけば“無敗の三冠バ”達成が確実視されていたテイオー以上の最強のウマ娘が誕生するわけであり、俺もトレーナーだから、その光景を想像するだけで興奮のあまりに身震いが止まらなかった。

 

そう、“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンは“皇帝”シンボリルドルフ、“怪物”ナリタブライアンと続く“帝王”トウカイテイオーの同期なのでシンボリルドルフからすれば2期下の後輩となるわけなのだが、

 

『選抜レース』で最高の能力を発揮して誰よりも熱烈にスカウトを受けていたのを全て拒絶してことで学園内で孤立することになったアグネスタキオンの才能を惜しんで、同じように長距離ウマ娘(ステイヤー)としての素質を秘めていながらも それ以上に不気味がられていたマンハッタンカフェと分け合う形で個室を与えるという破格の待遇を“皇帝”がしてきたことが正しかったことが証明されようとしていた。

 

そして、そのマンハッタンカフェも先月の『URAファイナルズ』準決勝トーナメントで同じ長距離ウマ娘(ステイヤー)のライスシャワーに競り負けて引退するかと思いきや、

 

メジロマックイーンの担当トレーナーで婿入りが決まっていた和田Tと再契約を果たして、前人未到の“春シニア三冠”達成に向けて再始動したというのだから、黄金期を切り拓いた“最強の七冠バ”シンボリルドルフが卒業して1つの時代が終わりを迎えようとしている時、普通じゃありえないようなことが次々と起き始めていた。

 

俺も和田Tも同期にして同世代の最大のライバルであったトウカイテイオーとメジロマックイーンの担当トレーナーにして、同じシーズンに最高のウマ娘を引退させることになった負い目を持った者同士で、

 

しかも、斎藤Tという偉大なる存在にどちらも人生を救われてこうして新たな人生を歩んでいる――――――。

 

俺はテイオーに“最強の七冠バ”を超えるだろう才能を与えておきながら栄光を奪い去っていったような神様なんてものは一生信じないつもりでいたのだが、最近では個人の幸不幸を超えた大きな運命の存在を感じるようになり、

 

日本民族の長人たる天皇陛下に代々仕えてきた『名族』である斎藤Tが3ヶ月の昏睡から目覚めてからのシーズン後半に積み重ねてきた信じられないような事績の数々を知る度に人智を超えた何かが確実に世界に存在することを意識するようになっていた。

 

事実、俺やテイオーが人生の集大成となった最後の『有馬記念』に挑む直接的なきっかけになったのは、並行宇宙からやってきて完璧な擬態によって存在を奪い取るバケモノとの戦いであり、過去の全盛期の姿を再現した最強の敵に対して自分自身の存在を賭けた模擬レースによって尊厳を取り戻すことができた感動が俺やテイオーの中で人間の不可能を超える何かを信じさせる大きなきっかけになっていたのだ。

 

 

そして、現在も俺の中の不可能の壁が壊されていく日々が続いている――――――。

 

 

俺とテイオーに擬態して存在の全てを奪い取ろうとしたバケモノたちの秘密基地を逆に奪い取って、そこを拠点にして俺は斎藤Tの担当ウマ娘:アグネスタキオンの専属コーチをすることになり、

 

平日は世界最先端のトレーニング環境で基礎トレーニングをやらせ、休日はこの百尋ノ滝の秘密基地に再現された各地の競バ場で限りなく実戦に近いトレーニングを行うことで、実施している自分自身がテイオーにやらせたかったと嫉妬するほどの世界一受けたいトレーニングを積ませることができていた。

 

更に、とんでもない話だが、平日は学生らしく学園生活をアグネスタキオンに送らせている一方で、完全にアグネスタキオンに擬態してしまったことで“もうひとりのアグネスタキオン”に成りきってしまったバケモノの一個体:アグネスタキオン’(スターディオン)がトウカイテイオーの全盛期に一歩劣る程度の能力を維持してトレーニングプログラムを試行するので、休日に本物のアグネスタキオンに実施させるトレーニングの精度は抜群に高められているのだ。

 

他にも、動画共有サイトに保存されている過去のウマ娘レースの映像から再現された質感を持ったホログラム映像をこれまた並行宇宙の超科学でもって再現された競バ場で走らせる完璧なシミュレーターも完成したことにより、トウカイテイオーがターフの上で走る裏で実験室に籠もって待つことを選び続けたアグネスタキオンのちがいがはっきりくっきり浮かび上がったのだ。

 

たしかに、トウカイテイオーの全盛期に一歩劣る程度のアグネスタキオン’(スターディオン)では全盛期のトウカイテイオーやシンボリルドルフには絶対に敵わないという結果が出てきたのだが、

 

実験室に籠もりきりでデビューしなかった未出走バに全盛期の“帝王”や“皇帝”に追随する能力があることが確かめられたのなら、“本格化”を温存してきた本物のアグネスタキオンなら余裕で“帝王”も“皇帝”も超えることができるという確証が得られたのだ。

 

一方で、その完璧なシミュレーターを使って 俺の愛バが“サイボーグ”よりも先に“皇帝”に次ぐ“無敗の三冠バ”になれたのかを当時の『菊花賞』の設定を起こして“もしも”の検証してみると、『勝負の世界に“もしも”はない』からこそ、俺はそこで得られた結果に満足しながら墓場に持っていくことができた――――――。

 

 

さて、奥多摩の川苔山/百尋ノ滝の地下深くにこんな地下空間が存在しているとは 一度 説明されても理解できなかったわけなのだが、実際に百尋のエレベーターで地上の百尋ノ滝に出てみると付近の立看板からそうなのだと納得せざるを得なかった。

 

更には麓町の奥多摩町の上空に存在していることにもなっているらしいことを聞かされると完全に人知を超えていることもあり、年明けから百尋ノ滝の秘密基地の整備を受け持つ傍ら、いろんな意味で自分の在り方が一新されたことへの戸惑いからバケモノたちの巣窟だった場所にいる不安感から真冬の百尋ノ滝からマイナスイオンを浴びることが日課になっていた。

 

しかし、バケモノ退治の専門家の斎藤Tとそのバケモノの一人であるアグネスタキオン’(スターディオン)はまったく気にしていないようなのだが、本物のアグネスタキオンからすると やはり“怪物”ナリタブライアンですら恐怖で足が竦むほどの威容を放つ怪人:ウマ女の根城は物凄く空気が合わない感じがしていた。

 

というのも、静養と称して学園から離れて一人暮らしを長らくしていた俺でも完全に人の気配が存在しない異形のバケモノの巣窟を漂う空気は何かがちがいすぎることを感じ取れるぐらいだし、訳あり物件のように進んでテイオーをここに招こうという気が起きないぐらいだった。

 

いくら並行宇宙の超科学を利用した全自動住宅の実現によって快適な住居が提供されるようになっても、まともな精神状態で居られる気がしないので、定期的に学園に復帰しては『URAファイナルズ』やその他の重賞レースに挑もうとするウマ娘たちの様子を見て 心の平静を取り戻すようにもなっていた。

 

そう、人がいるべき世界は人の中にこそあるのだと、何度もテイオーを故障させた責任と世間の誹謗中傷を恐れて人目を避けて学園から離れていた俺だったが、そんな愛憎入り交じった世界に安心感を覚えるぐらいにはあそこは異界だったのだ。

 

そもそも、現実には存在し得ない500haもある広大な地下空間の中で12時の方向にだけ必要な設備しかなく、それ以外は全てデコレーションが何もないような不毛のスポンジ生地のケーキだと言えば、どれだけ1ピースが見事に飾り付けられていても不気味でしかない。

 

だからこそ、どれだけ精巧に質感を再現した完璧なウマ娘レースシミュレーターを作れたとしても、寂しさや虚しさが込み上げてくる寒々とした感覚に襲われるのだ。

 

なので、少しでも秘密基地での居心地が良くなるように人気がある雰囲気をどうにかして地下空間全体に作ってもらえないかと宇宙船エンジニアが本職であると発覚した斎藤Tに相談してみたのだ。

 

すると、この地下空間そのものが亜空間に築き上げられた天球状のスペースコロニーの一種という純正100%の人工空間であり、WUMA以外の生命体が存在しない極めてクリーンな世界であることが生命の息吹を感じられない寂しさや虚しさの原因であると確信を持って言うのだ。

 

 

白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき

 

 

つまり、完璧に管理された理想社会には知的生命体以外の不純物となる生命体の生存は一切許されないわけであり、完全な社会の歯車となる生産物になった存在にしか生きることが許されない空間になっているのだとか。

 

なので、生き物が生き物らしく生きられる環境をこの天球状の地下空間に一から構築すればいいと涼しい顔で言ってのけるのだから、つくづくこの新人トレーナーには敵わないと思うばかりだ。

 

要は、500haはあるのに12時の方向にしか綺麗に整えられた清水と緑の芝が美しい白亜の街がないという死の世界に生命の息吹を生み出す場所を設ける都市計画が必要なのだと言ってきたのだ。

 

そして、伊勢神宮の内宮・外宮の分社を自らが神主になって祀れるように明治神宮(73ha)を手本にした鎮守の森を(北東)の方角:2時の方角に位置するように注文をつけてきたのだ。

 

そこから俺はテイオーが卒業したらトレーナーを廃業にするつもりでいたので、せっかくなのでこうしてまっさらな土地を自分の手で住みやすくする都市計画を素人ながら手掛けることになり、

 

リアルタイム都市経営シミュレーションゲームをやりながら、実際の都政の都市計画の資料を集めながら注文にあった明治神宮にもテイオーと一緒に参拝することにもなった。明治神宮の神棚を買ってくるという大事な使命も帯びて。

 

その際、明治神宮(73ha)とそれに隣接する代々木公園(54ha)を合わせると百尋ノ滝の秘密基地(500ha)の4分の1の大きさになることを知り、更には明治神宮や代々木公園の成立の歴史や施設を知ることによって、百尋ノ滝の地下に明治神宮や代々木公園を作りたいという欲求が湧き上がってくるのだった。

 

なので、URAが所有する日本各地の競バ場のバ場の再現も終わり、ビデオ映像から過去のウマ娘レースを再現した世界一受けたい究極のウマ娘レースシミュレーターも完成して手持ち無沙汰になっていたこともあり、ウマ娘レースで大きな夢を見せたもらった後の次なる夢として理想の街づくりに打ち込むようになっていたのだ。

 

 

その一方で――――――、そう、ようやく話はいよいよ卒業となる“皇帝”シンボリルドルフの話に戻る。

 

 

どういう原理なのか未だに理解できなくてもインターフェースを現人類向けに改良してもらったことで使うことができる地形作成機能によって各地の競バ場の再現を寝る間を惜しんで有り余る時間と労力を注いで完成させたわけなのだが、

 

実はその機能を使えば自分だけの競バ場のバ場を創り出すこともできるわけで、理想の街づくりに打ち込むようになると、今度は理想の競バ場の設計にも関心が向くことになった。

 

そして、俺が地方から中央に上がった年に入学してきた“最強の七冠バ”シンボリルドルフへの思い入れからアグネスタキオン’(スターディオン)と一緒にシンボリルドルフの全てのレースをシミュレーター上で再現させることになったのだ。

 

すると、事実上の引退レースとなる海外遠征『サンルイレイステークス』が再現できていないことに気づき、急いでサンタアニタパーク競バ場の資料を取り寄せて再現を試みると、コースの特徴でもあるダートコースを横切る場所でシンボリルドルフが左前脚繋靭帯炎を発症したことが敗戦の理由であったことに忘れ去っていた当時の怒りを思い出した。

 

そうだ、だから俺は海外遠征には乗り気じゃないと言うか、海外の競バ場に対して不審感を抱くようになったんだ。

 

ダートコースを横切らせるような構造のコース設計なんて普通に考えて欠陥以外の何物でもないのに、それが最高格のG1レースだっただなんて、こんなふざけた話があってたまるか――――――。

 

一方で、シンボリルドルフに擬態していたエルダークラス:ヒッポリュテーの因子を引き継いでいるアグネスタキオン’(スターディオン)にもシンボリルドルフとしての記憶や感覚が残っているため、“無敗の三冠バ”として海外遠征に望んだ当時の『サンルイレイステークス』の記憶が朧気ながら蘇ってきたようだった。

 

ここまで“最強の七冠バ”と謳われるほどの華々しいG1勝利の足跡『皐月賞』『東京ダービー』『菊花賞』『ジャパンカップ』『有馬記念』『天皇賞(春)』『宝塚記念』の追体験をしてもらったアグネスタキオン’(スターディオン)であったが、

 

3年目:シニア級のシーズン後半に“皇帝の王笏”と呼ばれた名トレーナーを失って『天皇賞(秋)』で初めて勝利を逃すほどに不調を来たし、その年の『ジャパンカップ』『有馬記念』が“万能”ビワハヤヒデ”と“怪物”ナリタブライアンの姉妹対決が盛り上がる裏で新旧“三冠バ”対決は中止となり、なぜか翌年の年度末に突如として海外遠征『サンルイレイステークス』となったのだ。

 

そう、年明けの4年目に“無敗の三冠バ”にして“最強の七冠バ”である“皇帝”シンボリルドルフの生徒会長就任となり、これからトレセン学園の顔役として生徒会活動に専念するだろうことから完全に第一線から退いたと思いきや――――――。

 

 

アグネスタキオン’「ああ、この頃の“皇帝”は日本を捨ててアメリカで暮らす算段をつけるつもりで海外遠征を組んだみたいだねぇ。日本ウマ娘レース界からの亡命とでも言うべきかな」

 

岡田T「ええ!?」

 

アグネスタキオン’「それもそうか。“皇帝”と同じ視座に立って義務と責任を分かち合うことを誓ってくれた最愛の人を失ってしまったのだからねぇ……」

 

岡田T「……その頃の俺は“無敗の三冠バ”を目指すテイオーの『皐月賞』が控えていたから、何も気づけなかったし、生徒会長自らが海外遠征に出たことを遠巻きに見ているしかなかった」

 

岡田T「そうか。俺は地方で下積みをしてシンボリルドルフの入学と同時期に中央に来たわけで、“皇帝の王笏”も同じ年で配属されたばかりの新人で俺の同期になるわけだったし、俺は羨望をずっと抱いてシンボリルドルフの担当トレーナーになることができた彼を見ていた気がするよ……」

 

岡田T「!」

 

岡田T「じゃあ、シンボリルドルフが卒業後にアメリカに留学する話って――――――」

 

アグネスタキオン’「ああ。日本に帰らないつもりでアメリカ留学を考えていたみたいだねぇ。今もそのつもりなのかはわからないけど」

 

アグネスタキオン’「まあ、つまりはそういうことさ」

 

アグネスタキオン’「どうやら、彼女が声高に叫んできた理想とやらは一緒に支えてくれる人がいなければ今すぐにでも投げ捨てたいほどの重荷でしかなかったみたいだねぇ」

 

岡田T「――――――全てのウマ娘が幸福でいられる世界」

 

アグネスタキオン’「その理想を叶えるために幸福であるべきウマ娘である我が身を犠牲にするという矛盾だよ」

 

アグネスタキオン’「しかも、そのために暗黒期のアンチテーゼとなる開放的で明るい雰囲気の学園作りを目指せば目指すほど実力はあっても奔放なウマ娘たちの問題行為が絶えなくなり、秩序のために統制を強めるべきという意見と暗黒期とはちがうことを示すために忍耐強く見守るべきという意見の間で揺れ動いていたみたいだねぇ」

 

岡田T「……シンボリルドルフ本人も自由を謳歌する一生徒として義務や使命に縛られずに自由な学園生活を満喫したかったってことか」

 

アグネスタキオン’「そうさ。考えれば考えるほど馬鹿らしくなってくるだろう。自分が目指した理想に自分が含まれていないし、目指した世界は想像していたよりも批判にあふれていて――――――」

 

アグネスタキオン’「だから、()とマンハッタンカフェに特別待遇をする一方で、明るく無邪気に自分を慕って“無敗の三冠バ”を目指したトウカイテイオーのことを 自分が成りたくて成れなかった 自由な学園生活を満喫している もしもの姿に重ね合わせていたわけだよ」

 

岡田T「そんな…………」

 

アグネスタキオン’「ああ、そんなトウカイテイオーに入れ込んでいたからこそ、最後まで生徒会長で居続けることもできたとも言えるけどね。()のこともあったけど」

 

岡田T「え」

 

アグネスタキオン’「自分のもしもの姿に重ね合わせたトウカイテイオーの一番のファンだったからね。ファンなら自分が応援しているウマ娘の動向が一番よくわかる位置にいたいと思うものだろう」

 

アグネスタキオン’「そういう意味では、生徒会長:シンボリルドルフを支えた右腕はエアグルーヴ、腹心はフジキセキ、黄金期に至る道を照らす太陽となったのがビワハヤヒデとナリタブライアンの最強姉妹――――――」

 

アグネスタキオン’「そして、自分自身のウマ娘レースへの情熱と興奮を与え続けてくれたのが一番のウマ娘:トウカイテイオーだったというわけさ」

 

岡田T「!!!!」

 

アグネスタキオン’「だから、その担当トレーナーであった岡田Tのことはずっと気にかけていたわけで、きみもビワハヤヒデの担当トレーナーと同じぐらいに重要な働きをしてくれたことへの感謝の念が尽きないね」

 

岡田T「……そうか。ありがとう、シンボリルドルフ」

 

アグネスタキオン’「私が言うのも変だけど、どういたしまして」

 

岡田T「いや、それが聞けただけでも俺のトレーナー人生にそれだけの価値があったんだなって嬉しくなるよ」

 

岡田T「本当によかった、よかったよ……」

 

アグネスタキオン’「………………」

 

岡田T「でも、それなら、卒業を迎える今のシンボリルドルフは――――――?」

 

アグネスタキオン’「ああ、そうだね。競走ウマ娘:シンボリルドルフとして得られたものは決して一人の少女:新堀 ルナには還元されない」

 

アグネスタキオン’「トレセン学園を卒業して競走ウマ娘としての矜持と栄光を取り上げたら、彼女の中には何も残っていないはずさ」

 

岡田T「……辛すぎる。辛すぎるよ、それ」

 

アグネスタキオン’「そうだね。これからの人生を支えてくれると誓ってくれた最愛の人には先立たれ、自分の願望を投影したトウカイテイオーの栄光と挫折もあって、いろんな意味で人生にあきらめがついているからね」

 

岡田T「なんとかできないか! 俺にとってはずっとシンボリルドルフは憧れだったんだ! だから、テイオーと二人三脚でシンボリルドルフの背中を追い続けてきたんだ!」

 

アグネスタキオン’「……私の中のシンボリルドルフは去年の『ジャパンカップ』の時期に擬態されたものだから、それ以降の心境の変化までには対応していないけれど、卒業後の進路の構想に関しては大きくは変わらないはずさ」

 

岡田T「なら――――――!」

 

アグネスタキオン’「まあ、そういうことだろうね」

 

 

――――――生涯の伴侶は唯一無二であっても、生涯の友は何人いてもいい。

 

 

アグネスタキオン’「モルモットくんなら、そんなことを言いそうなものさ」

 

岡田T「そうかも。セカンドキャリア支援事業を志しているわけだし、俺もその支援を受けているわけだから」

 

岡田T「やっぱり、夢なんだな。人間、夢がなくちゃ生きていけないから、夢を見せなくちゃいけないんだ」

 

アグネスタキオン’「全てが借り物で成り立つバケモノの私にはよくわからないことだがね」

 

アグネスタキオン’「走ることが何よりも大好きなウマ娘なら、そのことを生き甲斐にし続ければいいものを。そんな簡単なこともできない辺り、ウマ娘とは不便な生き物だねぇ」

 

 

この瞬間、俺の中にセカンドキャリアの大きな野望が生まれた。

 

俺にとっての夢はトウカイテイオーだったが、俺にとっての永遠の憧れはシンボリルドルフ――――――。そのことがはっきりしたのだ。

 

別に“皇帝の王笏”に取って代わろうとしているわけじゃない。俺の同期だったあの無名の新人トレーナーとちがって、『選抜レース』で余裕の勝利を飾ったシンボリルドルフに対して声をかける度胸なんて俺にはなかったのだから。

 

それでも、“皇帝”シンボリルドルフの走りに魅せられて、俺は“俺だけのシンボリルドルフ”に成り得るウマ娘を地方トレーナーだった経験を活かして日本各地に足を運んで徹底的にリサーチしてきた。

 

それで最後の最後に見つけることができたのが俺の夢となった“帝王”トウカイテイオーであり、全ては“俺だけのシンボリルドルフ”という憧れから始まったことだった。

 

もっとも、全盛期のトウカイテイオーに擬態した偽物が去年の『ジャパンカップ』でミホノブルボンに敗れてしまったのは、俺やテイオーに『シンボリルドルフを超える』という気概がなかったからであり、その辺りが俺の限界でもあったわけだが。

 

だからこそ、俺には新しいものや新しい価値観を生み出すほどの能力や才能がないことを“無敗の三冠バ”を世に送り出してきた無名の新人トレーナーたちに教えられたのだ。所詮はどこまで行っても後追いにしかならない。

 

だったら、俺にはトレーナーとしての価値など残っていないだろうが、俺の中央での原点でもある“俺だけのシンボリルドルフ”を追い求めることをあきらめる必要もないのではないかと思えるようになったのだ。

 

むしろ、“俺だけのシンボリルドルフ”だけを追い求めるトレーナーなんて、シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園や新しいスターウマ娘に憧れてやってきた新世代には不要かもしれないし、トウカイテイオー以上の存在に巡り会える奇跡がまた起こるとは夢にも思わない。

 

俺はシンボリルドルフという時代の旧い価値観に囚われた過去の遺物としてこのまま時代の荒波に洗い流されて消えるよりも、卒業したらそこでスターウマ娘との縁が切れるトレセン学園のトレーナーであるよりも、どこまでもシンボリルドルフについていく人生を歩みたいと思ったのだ。

 

そうだ。自由だ。これからは自由なんだ。トレセン学園での立場に縛られることはもうないんだ。

 

 

だから、俺の夢だったトウカイテイオーには悪いが、俺の夢を叶えてくれたテイオーにはテイオー自身が選ぶ人生がある――――――。

 

 



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◆冬季 登場人物一覧

■ 桐生院チーム ……所属:ハッピーミーク(4年目:スーパーシニア級)

代々優秀なトレーナーを輩出してきた『名門』桐生院 葵のチーム。

当初はハッピーミークという素質あるウマ娘と名門トレーナーの組み合わせによるスタートダッシュが著しかったが、

徐々に桐生院Tとハッピーミークの間にあるズレが生じて、最終的には同期である2人のトレーナーに追い抜かされる格好となってしまった。

それでも、名門トレーナーとしての手腕は確かなものがあり、数多くのレースで勝利を重ねていけるだけの実力はあるが、人気はいまいち振るわず。

 

そんな折にサブトレーナーとしてチームに迎えたのが本作の主人公:斎藤 展望であり、

『名門』としての重圧にまた屈しそうになってしまっている桐生院Tを支えながら、

模擬レースで 古バとは言え “三冠ウマ娘”ナリタブライアンにハナ差でハッピーミークを勝たせていることから大きく立ち直っていくことになる。

 

メジロマックイーンの不調もあったが、『天皇賞(秋)』に堂々と勝利したことで名門トレーナーとしての面目と自信を取り戻すことができた一方で、

“無敗の三冠ウマ娘”を世に送り出した同期の天才トレーナーの存在が常に眩しく写っており、憧れの存在として いつしか恋焦がれるようになっていた。

しかし、自身が掲げていた担当ウマ娘を第一とする信条と憧れの人への想いの間でせめぎ合うことになり、

そこに名門トレーナーとしての重圧と責任感から無意識に()()()()()()()()()()()()()()()現実逃避したいという願望を膨らませるようになり、

『有馬記念』前日は担当ウマ娘の最終調整をサブトレーナーに任せて、自身は『東京大賞典』の観戦に向かってしまっていた。

実は、サブトレーナーになった斎藤 展望の存在もまた、己の力不足や劣等感を引き立たせることにもなっていた。

そのため、自分の気持ちの整理をつける建前で『東京大賞典』を観戦しにいくワガママを言い出したのを特に気にせず受け入れられたことに、逆に自分の存在価値がなくなったように感じてしまう。

その結果、『有馬記念』前夜において過去に“目覚まし時計”を何度も使ってまでハッピーミークを勝たせていたのに、全てを投げ出して楽になろうとしたことで真夜中にWUMAに襲われ続ける時の牢獄に囚われることになった。

最終的には憧れの人:才羽Tから直接のお叱りを受けたことで名門トレーナーであることの重圧と責任感から解放され、

それによって何者でもなくなってしまった喪失感と虚無感を斎藤Tが支える形で、自分の未熟さを受け容れることになり、『有馬記念』を無事に迎えることができた。

 

新年を迎えてからはハッピーミークが最初の3年を走り抜いて4年目:スーパーシニア級になることで新年度から新しい担当ウマ娘を迎える立場となっている。

それまでハッピーミークとの二人三脚を継続していくべきか否かを真剣に考え、『URAファイナルズ』での最後の二人三脚に全てを出し切るべく、

そのけじめとしてこれまで自分を支えてくれたサブトレーナーの斎藤Tには来年度から担当ウマ娘をデビューさせる兼ね合いもあって距離を置くことにしている。

そして、『URAファイナルズ』決勝トーナメント進出で、あらためてハッピーミークがどれだけ強いウマ娘なのかを内外に示すことになり、担当トレーナーとしての手腕が再評価される流れとなった。

そのため、去年の低迷期を支えてくれた弟子筋となる斎藤Tには深い感謝を示しつつ、『URAファイナルズ』での賞金の分前をしっかりと振り込んでおり、師弟関係は非常に良好となっている。

 

 

●プロフィール(20XY年当時) 

名前:斎藤 展望(さいとう のぶもち)

年齢:20代前半

所属:トレセン学園トレーナー 2年目

血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

 

誕生日:06月30日

身長:185cm 

体重:3ヶ月間の意識不明の重体によって減量気味

体格:ガタイが良い

 

好きなもの:唯一の肉親である妹

嫌いなもの:妹を苦しめるありとあらゆるもの全て

得意なこと:妹のためになること全て

苦手なこと:妹のためにならないこと全て

 

この物語の主人公であるが、トレセン学園のトレーナーになって早々に不慮の事故で当人は死んだも同然となり、

たまたま別の人間の霊魂が乗り移って肉体を動かしているので、プロフィールとなる前歴がまったく意味を成さない状態となっている。

また、本作に登場する 世界的な未確認侵略生物“WUMA”とは正反対の存在とも言える状態であるが、広い意味で同じ地球外生命体と言える存在である。

わかりやすく言うと、下記の嘘が本当になったものである。

 

「聞こえるか、隊長さん! 俺は宇宙人だ! ショウ・ザマの身体を借りている宇宙人だ!」

 

「聞こえるか! 俺はカシオペア座の第28惑星系の人間だ! あの人たちはまったく関係ない! 聞こえているか!?」

 

そのため、意識不明の重体から復活した後は完全に別人であり、別人のように周りに思われてしまう辺りは本質的にWUMAとまったく変わらない。

本人としては太陽系に最も近い恒星:プロキシマ・ケンタウリの惑星に辿り着いたのと同じ感覚で新惑星での日々を送っている。

実際、23世紀の未来人から見た 何かがちがう21世紀の過去の地球なんて時代遅れな異世界でしかなく、頼れる人もいないので全力で“斎藤 展望の人生”に乗っかることにしている。

 

内心では自身を人類最高峰の頭脳を持つ世紀の天才;波動エンジンの開発エンジニアと憚らないが、

それに負けず劣らずの皇宮警察のエリートの才能と血筋を受け継ぐ“斎藤 展望”の記憶を継承できなかったにも関わらず、

記憶喪失で誤魔化していることもあるが、妹:ヒノオマシや古い付き合いの藤原さんから受け容れられるほどの“斎藤 展望らしさ”が備わっているらしい。

また、自身が天才であることは客観的な事実ということもあり、それに奢ることもなく、非常に高度で柔軟な対応と誠心誠意の使い分けをすることができ、

宇宙開拓時代を迎えた23世紀の平和と繁栄の中で育まれた人生観と倫理観はそのまま21世紀でも通用している。

どちらかと言うと、波動エンジンの開発エンジニアであることよりも宇宙移民船のクルーであることにアイデンティティを置いているからこその責任感と連帯意識の高さなのだろう。

 

そうした経歴と実績から、妹と金のためにトレセン学園のトレーナーになった“斎藤 展望”の悪名高さで 日本人にしてはでかい図体で余計に目立つこともあって 周囲からは白眼視されてはいるものの、

復活後に直に接してみた人間からの評判はよく、トレセン学園でも理解者が 徐々にだが 増えつつある。

もっとも、その悪名高さを決定付けることになったのはトレセン学園の裏側にある『名家』と『名門』の対立の煽りを受けたものであり、彼自身が天皇家に親しい家柄なのも響いていた。

 

このように本作は原作『ウマ娘プリティーダービー』の本編では語られることのない広い世界を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が冒険するのがテーマとなっている。

同時に、自身の計画である『宇宙船を創って星の海を渡る』ためのリソース確保に動きながら、

宇宙移民にとってもそうだが 既存の人間社会の大敵であるWUMAを撲滅するための果てしない戦いに身を投じることになる。

 

三女神像の因子継承の儀式によって、過去のトレセン学園で活躍した同じく無名の新人トレーナーの先人2人の因子を受け継いでいるが、具体的にはどういった効果や特典があるのか現状では不明。

一方で、異世界転生したことで四次元空間を漂流した感覚を記憶していたことで“特異点”と化しており、三次元存在が行使した四次元能力を一方的に支配することが可能となっている。

これにより、WUMAが空間跳躍を使った場合は逆にそれを利用して完全上位である時間跳躍で返り討ちにすることができるが、逆に相手が人間を超越した身体能力で圧してくると手も足も出ない。

そのため、能動的に四次元能力が発動できる装置が開発されない限りはWUMAの能力を逆手に取る綱渡りを強いられることになり、

一応、和田Tから没収した“目覚まし時計”のおかげで3回まで復活することが可能であるが、できる限りは死なないように全身全霊で立ち回ることになる。

ただ、WUMA対策は賢者ケイローンからの情報提供もあって着々と進んでおり、WUMAを殺す方法を幾通りも考案しており、

更には、アグネスタキオン特製の肉体改造強壮剤によってシニアクラスの角を圧し折るぐらいのパワーを得ているので、不意討ちからならWUMAは確実に殺せるぐらいには仕上がっている。

 

奥多摩攻略戦においてWUMA討伐作戦が遂行され、本格的なWUMAの侵略を未然に防いだことでWUMA掃討作戦へと移行したが、

すでに人類社会に溶け込んでしまったWUMA残党の処分に頭を悩ませながら、次々とトレセン学園に襲いかかる新たな脅威に敢然と立ち向かうことになり、

地球文明の継承者として冠婚葬祭の一切を取り仕切ることができる祭司長としての特技で悪霊祓いができることから、トレセン学園に蟠る夢破れたウマ娘たちの悪霊が化けた妖怪を退治する日々を送ることになった。

また、WUMAの侵略から更なる未来から暗殺用人造人間が送り込まれてくることにもなり、ただ単に並行宇宙からの侵略者から解放された程度では真の平和は訪れない異種族共生社会の未来にも想いを馳せることになる。

極めつけには、日本のウマ娘レース『トゥインクル・シリーズ』を利用して世界に災いをもたらそうとするナチス残党を母体とする国際的なドイツの闇組織の暗躍も知ることになる。

そのため、去年のWUMAとの死闘はその序章に過ぎないと言わんばかりの新たな超常的な脅威の数々に立ち向かう宿命を背負わされることになったが、

奥多摩攻略戦の時とは異なり、信頼できる協力者や活動拠点、新たな発明やノウハウを得たことによって孤立無援ではなくなったため、幾分かは役割分担によって負担が軽減されている。

それでも、異能者である自身が主力となって脅威にぶつかるしかない状況は変わらないため、いかにして事態の解決のために使えるものを活かし切るかの采配が一層重要となってきた。

 

そのため、『甲種計画』『乙種計画』『丙種計画』『丁種計画』を4つの柱にして平和な未来へと舵を取るタイムパラドックスの実現に向けて作戦行動をとっている。

 

また、紆余曲折を経て激動のトレーナー1年目を終えて、アグネスタキオンを担当ウマ娘にしてウマ娘レースに挑むことになるが、

それまでにただの無名の新人トレーナーでは絶対に掴み取れないコネを得ているため、“学園一の嫌われ者”から一転して“学園一の切れ者”として注目を集めることになり、

実質的に日本ウマ娘レース業界では天上人の扱いを受けている有馬一族の御曹司でかつビワハヤヒデの担当トレーナーであった鐘撞Tの再来と評価される。

事実、主にトレセン学園生徒会との繋がりが深い他、名門トレーナー:桐生院 葵の弟子筋でもあり、担当ウマ娘が“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンであり、

自身もまた古代から天皇家の近衛を務めてきた皇宮警察の超エリートの生まれという正真正銘の『名族』であることが知れ渡った結果でもあった。

そのため、あらゆる意味で“門外漢”ではあったものの、日本ウマ娘レース業界においては天上人と讃えられるほどの功績を築き上げた有馬 頼寧に通じる名士として徐々にトレセン学園の外部で存在感を発揮し始めている。

 

 


 

 

■ 才羽チーム ……所属:ミホノブルボン(4年目:スーパーシニア級)

 

●プロフィール(20XY年当時) 

名前:才羽 来斗(さいば らいと)

年齢:20代半ば

所属:トレセン学園トレーナー 4年目

血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

 

誕生日:04月11日

身長:174cm 

体重:トレセン学園のトレーナーとしてはそれなりの筋肉量

体格:普通の日本男子に見せかけて細マッチョ

 

好きなもの:天の道を行き 総てを司る男、太陽のような笑顔

嫌いなもの:子供の願いを踏み躙る未来の現実、曇った表情と泣き顔

得意なこと:不断の努力、失敗なんてない人生

苦手なこと:間違っていることに頷くこと

 

桐生院Tと同期の驚異の天才トレーナー。原作における育成モードの主人公に当たる存在。

無名の新人トレーナーでありながら適性が【短距離】(スプリンター)だったミホノブルボンを“クラシック三冠ウマ娘”に導いた正真正銘の天才。

ミホノブルボンが“お父さん”のような存在だと感じるほどの包容力と意志力があり、傍から見るとイケメンパパに見える甘いマスクの持ち主でもある。

また、優男に見えて『間違っていることに頷くこと』は決してしない剛直さ;裏返すと頑固な一面があり、それによって他者との衝突も辞さない苛烈なところもある。

 

基本的には担当ウマ娘の意志を尊重した接し方をしているが、その在り方が天衣無縫で、桐生院Tがライバルとして憧れの念を抱くほどである。

また、無敗ではなかったものの、『失敗なんてない人生』として敗北さえも糧にして ここ一番で絶対に勝つという勝負勘にも優れており、とにかく太陽のように前向きに生きる在り方を志向している。

 

2期後輩の意識不明の重体から復活した斎藤Tとは担当ウマ娘との付き合い方に関しての意見を交わしており、互いに感じ入るものもあって良き友人関係となっている。

ちなみに、言うまでもなく その在り方は()()()()()()()()()()()に憧れてのものであり、

あらゆることを卒なくこなす天才ぶりを発揮し、特に競走バのための健康スイーツを創作するパティシエとしても名が通っている。

ウマ娘のトレーナーになったのは同じ国民的ヒーロー業とも言える『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘たちを身近に応援するためである。

つまり、テレビ番組という晴れ舞台ではなく、現実世界における太陽の光が差さない場所に強い関心を持って目を向けていた――――――。

 

実は、“目覚まし時計”を幼い頃から使っていたことで、人間としての努力を重ねることの真髄を体得しており、

それによって“目覚まし時計”を一度も使わずに初めての担当ウマ娘を“無敗の三冠ウマ娘”に導くほどの能力と直感と天運を得るに至っていた。

そのため、秋川理事長の一番のお気に入りであり、彼のやること成すことを二言三言で了承するため、トレセン学園においてはまさしく名実共に天上の存在となっている。

一方で、自身に好意を持つようになっていた同期の桐生院Tには前々から憐憫の情を抱いており、

雁字搦めになって自身の良さを活かせなくなっている彼女のために、自身も『有馬記念』前夜で時の牢獄に巻き込まれた際は、あえて桐生院Tを突き放す態度で叱りつけている。

しかし、それは斎藤Tという優秀なサブトレーナーが彼女を支えてくれるからできたことでもあり、斎藤Tとは方向性は違えども通じ合っている仲となっている。

実際、桐生院Tに斎藤Tを会って話をするように薦めたのは才羽Tであり、自分よりも斎藤Tの方が桐生院Tと相性がいいことを見抜いていた。

そのため、斎藤Tにとっても桐生院Tにとっても恩人とも言える存在となっている。

 

 

■ 飯守チーム ……所属:ライスシャワー(4年目:スーパーシニア級)

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:飯守 祐希(いいもり ゆうき)

年齢:20代半ば

所属:トレセン学園トレーナー 4年目

血統:父親(ヒト) -警視総監 / 母親(ヒト) -学閥令嬢

 

誕生日:07月25日

身長:173cm 

体重:トレセン学園のトレーナーとしては結構な筋肉量

体格:甲子園球児だったのでガッチリしている

 

好きなもの:努力・熱血・友情

嫌いなもの:親の七光り、冷たい人間関係

得意なこと:直球勝負

苦手なこと:搦め手

 

桐生院Tのもうひとりの同期となる熱血トレーナー。原作における育成モードの主人公に成り損ねた存在。

本来は新人トレーナーらしく、先輩トレーナーのチームで経験を積んでから自分自身の担当ウマ娘を探そうとしていたが、

同期に桐生院Tと才羽Tという対照的な2人の注目株がいたことで、先輩トレーナーとの方針が合わなくなってチームを追い出されることになる。

そこから桐生院Tと才羽Tという優秀な同期と自分自身を比較しながら試行錯誤と自己研鑽を重ねていく中で、『選抜戦』から逃げ出してしまうライスシャワーと運命的な出会いを果たすことになる。

 

生まれは正真正銘のエリートで熱血甲子園球児だったのだが、家庭不和から父親に反発して まったく別の道を歩んでいったら、なぜかウマ娘のトレーナーになってしまっていた。

どうやら、親の七光りと言われないように できるだけ自分の実力が試せる場所を選んだら、そうなっていたらしい。

そのため、ウマ娘のトレーナーとしてはまったくのコネも実績もない無名の新人であったが、

気弱なライスシャワーとは相性が抜群であり、同期の桐生院Tや才羽Tと比べると遅咲きであったが、徐々に同期2人の担当ウマ娘との間にある実力差を埋めていくことになった。

『菊花賞』のミホノブルボンや『天皇賞(春)』のメジロマックイーンとは接戦の末に敗れて惜しくもG1勝利を逃すものの、

最終的には『宝塚記念』で桐生院Tのハッピーミークやメジロマックイーンを下してG1勝利を果たし、数多くのファンから祝福されることとなった。

担当トレーナーが元甲子園球児ということで元から知名度も高く、警視総監と学閥令嬢のご子息であったことも人気の高さに繋がっていたのだが、そのことを本人は知らない。

しかし、元甲子園球児とスターウマ娘の国民的スポーツ選手(ヒーロー)のコラボレーションの宣伝効果は高く、トレセン学園でもトップクラスの知名度とファンを獲得するに至る。

方向性は違えども、こういうところが才羽Tと共通しているわけである。

 

なお、『菊花賞』のミホノブルボン、『天皇賞(春)』のメジロマックイーンとはプライベートでも仲がよく、担当トレーナー同士でも関係は良好となっている。

そのため、『天皇賞(春)』で敗れた後に『宝塚記念』でリベンジした相手であるメジロマックイーンに対しては繋靭帯炎の発症した際に心を痛めることになる。

なお、このメジロマックイーンはミホノブルボンの担当:才羽Tの健康スイーツの大ファンであり、野球ファンということで甲子園球児だった飯守Tのサインをねだるなどトレーナーとも繋がりが深い。

 

2期後輩の意識不明の重体から復活した斎藤Tとは8月末の学生寮侵入事件での重要参考人という繋がりで知り合うことになり、

『警察官の息子である』という共通点をきっかけに意気投合することになり、互いにバラを贈呈し合うこととなる。

また、数少ない怪人:ウマ女の目撃者として あまり頼りたくはない警視総監である父親のコネから情報を引き出そうとしてくれている良き協力者になっている。

 

実は、理事長秘書:駿川 たづなとは随分と仲が良い模様。

 

新年を迎えてからは、学園裏世界に蔓延る悪霊が化けた妖怪を退治する丁種計画に参加しており、丙種計画以前のWUMA討伐作戦に参加できなかった鬱憤を晴らすかのごとく精力的に妖怪退治に協力してくれている。

元より去年の8月末のWUMA事件から元熱血甲子園球児だった頃のハードトレーニングも行って密かに鍛え直していたこともあり、昔とった杵柄、野球で鍛えた能力が上手い具合に斎藤Tが編み出した妖怪退治のノウハウにマッチして地道に人知れず大活躍を重ねている。

 

 


 

 

■日本ウマ娘トレーニングセンター学園

 

●学園理事長:秋川やよい

 

●理事長秘書:駿川 たづな

 

 

●“皇帝”シンボリルドルフ(6年目:スーパーシニア級 引退)

『ウマ娘 プリティーダービー』は一人一人が主人公となる群像劇である性質上、全員が全員の物語で登場することはないにしても、

少なくとも、『ウマ娘 プリティーダービー』の舞台であるトレセン学園の顔役として絶対に欠かすことができない大黒柱であり、

誰を主役にしても生徒会長:シンボリルドルフの存在を抜きにしてトレセン学園の物語を構成することができないぐらいに『ウマ娘』の中心人物として君臨している超重要人物。

本作では『アニメ版』のようなサザエさん時空ではなく、“皇帝”シンボリルドルフが入学して卒業するまでのトレセン学園の黄金期やその前後の時代や時間経過をきっちり設定しているため、

どうしても誰かを“クラシック三冠バ”に据えるためには踏み台となる世代を用意しなくてはならないことから、40年以上の日本競馬の歴史を中高一貫校の6年間に凝縮した原作設定から大きく改変せざるを得なかった。

本作では暗黒期という独自の過去設定を踏まえた上で形成された人格と生い立ちとなっており、夢の舞台で起こり得るだろう諸問題について頭を悩ませ続けてきた苦労人として描かれている。

 

これまで3人の無名の新人トレーナーとの出会いと別れを繰り返して、その最初の賢人であった暗黒期の通称“ウサギ耳”から渡された予言書『ウマ娘 プリティーダービー』に従って“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としての道を歩んできた。

そして、自身が競走ウマ娘としてデビューを果たして“皇帝”として秋川理事長と共に築き上げる黄金期を共に歩んだ“皇帝の王笏”と渾名された担当トレーナーとは一生分の愛を育んで永遠の別れを体験しており、

自身が卒業する年にめぐりあった新年度早々にウマ娘に撥ねられて三ヶ月間の意識不明の重体に陥った悪名高い新人トレーナーこと“斎藤 展望”が最後に“新堀 ルナ”として全てを曝け出せる存在となった。

そして、これからも“皇帝”としてがんばっていくことを自身を導いてくれた無名の新人トレーナー3人に誓って、『有馬記念』を機に引退することとなる。

卒業後の進路は海外留学ということになっており、名実共に『名家』シンボリ家の総領娘としての道を歩むことになっている。

 

 

そして、暗黒期を終焉に導き 黄金期へと導いた彼女の存在こそが黄金期が次の時代を迎えるために超えるべき壁となっていた――――――。

 

 

●“女帝”エアグルーヴ(6年目:スーパーシニア級 活動休止)

新生徒会長。“三冠ウマ娘”ナリタブライアンとは同期のティアラ路線で勇名を馳せた“女帝”であり、シンボリルドルフ卒業後に次期生徒会長を務める人物。

基本的にはシンボリルドルフよりキツめの性格だが、母は数々の偉業を成し遂げた競走ウマ娘であり、後進をも育成してきたため、偉大なる母親を理想としてトレセン学園を見事に牽引していくことだろう。

しかし、彼女の次に続くじゃじゃ馬揃いの個性豊かなトレセン学園の顔役となるカリスマ性を持つ競走ウマ娘がいないことが前生徒会長:シンボリルドルフの悩みの種となっていた。

 

誇り高い理想主義者であるため、アメとムチにおいては綱紀粛正のムチの役割を担当しているため、基本的に問題児に対しては厳しい態度で臨む。

そのため、新年度早々に問題を起こしたトレセン学園一の嫌われ者:斎藤Tに対しても良い感情は持っておらず、アグネスタキオンとつるんで何をしでかすか、気が気でならない。

ただ、その出自や能力に関しては認めており、正直に言って自分では手に余る相手なので、もうひとりの生徒会副会長の方に丸投げすることで心の安定を図ろうとしている。

 

 

●“怪物”ナリタブライアン(6年目:スーパーシニア級 → 上位リーグ『ドリーム・シリーズ』昇格)

生徒会副会長。“三冠ウマ娘”として勇名を馳せて姉妹揃っての『ドリーム・シリーズ』移籍が話題となる。

その圧倒的な強さに惹かれて人が集まってくるタイプであり、一匹狼であまり勤勉ではない彼女が副会長なのは前生徒会長:シンボリルドルフからの指名が続いたからであり、

姉:ビワハヤヒデを抱き込むことで、本人はあまり乗り気ではなかったが、姉の顔を立てる面目でやる気も程々に、生徒会の一員として働かせることに成功している。

これも“三冠ウマ娘”であるナリタブライアンのネームバリューからトレセン学園の顔役として使わない手はないという思惑があり、

前生徒会長:シンボリルドルフがエアグルーヴと比べて勤勉ではないナリタブライアンをそのままにしているのも、2人の次の世代となる生徒会役員に求められるハードルを下げるためでもあった。

そのため、事務能力や勤務態度は二の次としてトレセン学園の実力の高さを示すための番犬みたいな立ち回りを許していた。

実際、あまり仕事をしないことがわかっているので、生徒会副会長の肩書はあるものの、その威容でもって相手に言うことを聞かせて回る“簡単なお仕事”をする使いっぱしり:庶務のような扱いを受けている。

 

前生徒会長:シンボリルドルフとはちがって実際にWUMAの脅威を目の当たりにして斎藤Tに助けられた経緯を持つことから、斎藤Tに対しては 姉妹共々 恩義を感じているため、彼女にしては珍しく気を遣った態度を見せている。

また、斎藤Tの最愛の妹:ヒノオマシには姉妹共々タジタジであるため、この兄妹に対しては非常にやりづらさを感じているが、自分とはちがった世界に生きている兄妹の在り方に関心を抱くようになった。

 

 

 

●“帝王”トウカイテイオー(4年目:スーパーシニア級 引退)

本作におけるキーパーソンの一人であり、誰もがその実力や才能を認めながら“三冠ウマ娘”にも“無敗のウマ娘”にもなれなかった“悲運の天才”。

その悲劇性ばかりが取り沙汰されるが、実際には優駿たちの頂点を決めるG1レースで勝利を積み上げていることからもわかるように、

まさしく“天才”とも呼べる別格の強さを持っており、特に二度目の復活となる『ジャパンカップ』の復帰戦で勝利を収めている時点でその非凡さが窺える。

 

本作においては三度の敗北を語りたくなる“皇帝”とはまったく異なる道を歩んできた 傷だらけに成りながらも這い上がってきた“帝王”としての貫禄を身に着けることになり、

全盛期の自分に擬態した偽物のトウカイテイオー’を打ち負かした上で『有馬記念』で並み居る猛者たちに競り勝った堂々たる勝利によって、日本中から声援を集めることになった。

しかし、本人としては不屈の精神で這い上がることができたが、担当トレーナーである岡田Tの方が精神的に限界であったこともあり、

“皇帝”から与えられた“帝王”としての新勝負服で昨年のリベンジを果たして有終の美を飾ったことにより、昨年の『ジャパンカップ』では果たされなかった引退を堂々と宣言するに至った。

その後は同期の好敵手だったメジロマックイーンと共に次期生徒会メンバーになることが内々で決定し、翌年に正式な手続きを経て生徒会書記に当選する。

 

基本的には“皇帝”シンボリルドルフを中心にしたトレセン学園の物語であるため、他所の担当ウマ娘であるトウカイテイオーと主人公:斎藤Tの繋がりは希薄である。

ただ、公にはできない岡田Tの現場復帰や偽物成敗の立役者であり、“皇帝”シンボリルドルフも困ったことがあったら彼を頼るように言い残していること、

長らく学園の話題から離れて三度目の復活を期して孤独なトレーニングを積み重ねていたこともあってか、斎藤Tのことは噂でしか知らないため、

よくは知らないけれどもシンボリルドルフや担当トレーナーが揃って信頼している人物として一定の敬意をもって接することにしている。

 

 

●“名優”メジロマックイーン(4年目:スーパーシニア級 引退)

トウカイテイオーの同期にして好敵手の“最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)”の称号を得た『名家』メジロ家の令嬢。

『宝塚記念』の後に故障によって引退も已む無しと思われていたが、一念発起して『京都大賞典』でコースレコードを打ち立てて『天皇賞(秋)』で5着で引退となっているため、メジロ家の意地を世間に見せつけることに成功。

後にトウカイテイオーの『有馬記念』での劇的勝利を飾って引退したことによって何かと比較されることになったが、かつての世代の中心であった2人が上位リーグである『ドリーム・シリーズ』に進めなかったことを悔しく思うファンも数多い。

その後は、前生徒会長:シンボリルドルフから贈り物として新衣装を贈られてもいることを大々的に宣伝しているため、同期の好敵手だったトウカイテイオーと共に次期生徒会メンバーになることが内々で決定しており、生徒会会計に当選となる。

 

本作においてはトウカイテイオーと比べるとそこまで比重が置かれている存在ではなく、トウカイテイオーの同期の良き好敵手という立ち位置に収まっている。

事実、シンボリルドルフを中心としたウマ娘たちの視点と岡田Tや和田Tたちを中心とした担当トレーナーたちの視点を公平に学ぶため――――――、

あるいは、メジロマックイーンと和田Tに起きた悲劇を通じて“目覚まし時計”による時間の巻き戻しと時の牢獄の事象を学ぶための配役だったと言える。

そのため、主人公:斎藤Tとの関係はトウカイテイオー以上に希薄で、まさに他人。他所のウマ娘。

トウカイテイオーと同様に自分たちの進退を賭けた復帰戦に全てを賭けてトレーニングに集中していたため、復活後の“斎藤 展望”の評判については詳しいことはまったく知らない。

一方で、担当トレーナー:和田Tからすれば、『天皇賞(秋)』で担当ウマ娘と心中しようとしていたのを何周にも渡ってあの手この手で追い掛け回して救いの手を差し伸べ続けた大の恩人なので、

担当ウマ娘のトウカイテイオーとメジロマックイーンは知らなくても、担当トレーナーの岡田Tと和田Tにとっては斎藤Tは頭が上がらない存在となっている。

 

 

●“万能”ビワハヤヒデ(7年目:スーパーシニア級 → 上位リーグ『ドリーム・シリーズ』昇格)

“三冠ウマ娘”ナリタブライアンの実の姉で、姉妹揃って上位リーグ『ドリーム・シリーズ』への移籍もするほどの強豪であることから“最強姉妹”として名が通っている。

ただし、後述する『ウマ娘 プリティーダービー』における設定上の最大の矛盾となる“ミスターシービー問題”によって、

ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンの3名の“クラシック三冠ウマ娘”が同時に高等部に所属するように設定すると、ナリタブライアンの実の姉であるビワハヤヒデらBNW世代が『クラシック三冠』を絶対に勝つことができなくなってしまう――――――。

これを解決するためには、そもそも同世代の好敵手が登場していない上に影が薄いミスターシービーを最初からいなかったものとして扱えば、

ナリタブライアンを高等部1年生にしてBNWをティアラ路線のエアグルーヴと同年代:高等部2年生にすれば史実通りの戦績にできるが、

今度は本作でやったトウカイテイオーとメジロマックイーンの悲劇を採り入れようとするとナリタブライアンが2人と同年代になる矛盾が生じてしまう。

生徒会長:シンボリルドルフの存在は『ウマ娘 プリティーダービー』においては絶対であり、生徒会長:シンボリルドルフともっとも関係が深いトウカイテイオーを抜きにトレセン学園の物語を組み立てるのは違和感があるので、

本作においてはBNWは『“七冠バ”シンボリルドルフに迫った同世代の好敵手だった』という割りを食った設定となっている。

 

トレセン学園の生徒の中では業務上の付き合いがある担当トレーナーを抜きにして斎藤Tに好意的に接して逆スカウトしてきた唯一のウマ娘であり、

“怪物”と恐れられた妹:ナリタブライアンの影響で、あらゆる可能性を模索して偏見を持たずに公平な態度でアグネスタキオンにも接することができるような懐の深い人柄のため、斎藤Tとしても気品があって理知的で聡明な彼女に好印象であった。

すでにシーズンも後半で卒業を控えている他所のチームの担当ウマ娘であったので逆スカウトのお誘いはありがたくも丁寧にお断りすることになったが、

初対面での逆スカウト以降から互いの妹を交えた親しい交友関係を築くことになり、シンボリルドルフの次に斎藤Tのことを信頼しているウマ娘となった。

斎藤Tの正体が23世紀の宇宙移民船のクルーであることを踏まえると、アグネスタキオンの次に相性がいいウマ娘であり、

理知的で偏見を持たずに公平な態度で物事に取り組むという理解のある性格のため、斎藤Tのライフワークとなる新製品開発のモニターになることも快く引き受けていたことだろう。

彼女のハイパー癖毛も再現された23世紀の科学力で何とかしてしまえる自信があり、常識的でおしゃれや身嗜みもしっかりとしている彼女を通じて未来の便利グッズ開発に着手しやすい。

また、戦友であるBNWや実の妹:ナリタブライアンを巻き込んでモニターにすることもできていたことから、

もしも“斎藤 展望”に転生していなければ、ビワハヤヒデの担当トレーナーになる可能性も十分にあったかもしれない。

ただし、23世紀の天才エンジニアの能力を最大限に活かせるのは『生活能力が無くて』『試作品の整備や検査ができて』『開発資金を提供できる』アグネスタキオンなので、

アグネスタキオンやナリタブライアンと比べれば極めて真っ当な真人間であるビワハヤヒデはベターであってもベストではなかった……。

 

実は、“皇帝”シンボリルドルフの同期として卒業まで『トゥインクル・シリーズ』を走り抜いた“万能”ビワハヤヒデの大記録が黄金期を支えたもう1つの象徴になっていたことが判明し、

学園生活を最後まで現役を貫き通したことから右腕となるエアグルーヴや腹心となるフジキセキ以上にシンボリルドルフからの評価が高く、シンボリルドルフが進む道を照らす太陽となっていた。

また、卒業式直前になって かつての担当トレーナー:鐘撞Tがトレセン学園に帰還したことにより、遅まきながら“万能”ビワハヤヒデのレース人生が報われることにもなり、あらゆる意味でシンボリルドルフとは対照的なトレセン学園での日々を送ったと言える。

 

 

 

●“黄金の不沈艦”ゴールドシップ(出走歴不明)

公式でも学年不明の存在であり、『ゴルシだから』の一言で何でも許される『ウマ娘』におけるデウス・エクス・マキナ。

神出鬼没かつ意味不明の言動や思考によって周りの人間を振り回している変人奇人でかつ、総生徒数2000名弱の全国から集まった選りすぐりの個性豊かな競走ウマ娘が結集するトレセン学園でも屈指の変人奇人だが、意外なことに生徒会からは要注意人物の扱いはされていない。

実際、彼女の奇行の被害者になるのは常に身内や同類と一方的に認めた相手ばかりであり、シンボリルドルフやエアグルーヴ相手に傾くような真似は一切しない。

むしろ、節操なく他人を被験体にしようとするアグネスタキオンの方が問題児であり、ゴールドシップはしっかりと相手と状況を見極めた上でギリギリを攻めている節がある。

23世紀の天才エンジニアである斎藤Tとしては 真意は不明だが芯のあるイタズラ者であることはしっかりとわかった上で応対しているので、時折 本音とも言えるものを打ち明けられることがある。

 


 

 

■トレセン学園暗黒期:チーム<シリウス>&チーム<アルフェッカ>

 

●“悪魔の権化”水鏡 久弥(みずかがみ ひさや) ……トレセン学園教官

 

●“一等星”シリウスシンボリ

 

●“貴公子”シンボリグレイス

 

 

●“ウサギ耳の淫獣”ムラクモT ……トレセン学園所属トレーナー

 

●“スーパーカー”マルゼンスキー

 

●“芦毛の怪物”オグリキャップ

 

●“魔王”スーパークリーク

 

●“白い稲妻”タマモクロス

 

 

●“ターフの偉大なる演出家”ミスターシービー

 

 

●“皇帝の王笏”鈴音T ……トレセン学園所属トレーナー

 

 

ESPRIT(エスプリ)顧問:女代先生 ……トレセン学園教員

 

 

 


 

 

■????

 

●プロフィール(20XY年当時) 

名前:鐘撞(かねつき)・ピースベル・頼利(よりとし)

年齢:20代後半

所属:トレセン学園トレーナー 7年目

血統:父親(ヒト) -有馬一族トレーナー / 母親(ヒト) -有馬財閥令嬢

 

誕生日:12月26日

身長:182cm 

体重:3年間の監禁生活で痩せ細っている

体格:3年間の監禁生活で痩せ細っているが、高身長かつスレンダーなウマ娘に生まれ変わった

 

好きなもの:一所懸命

嫌いなもの:諂佞阿諛

得意なこと:万能一心

苦手なこと:驢鳴犬吠

 

トレセン学園卒業式の直前にいきなりウマ娘に性転換した姿で登場した“皇帝”シンボリルドルフの最大のライバルと評された“天上人”たる名門トレーナー。

名門トレーナーの中でも屈指の名門;ギネス記録認定を受けるほどの国民的スポーツ・エンターテインメントの最高峰『有馬記念』に名を残す“有馬 頼寧”の出身である久留米藩有馬家に連なる御曹司であり、

水天宮の宮司を務めている御本家の分家にあたる有馬財閥令嬢と名門トレーナー一族としての有馬一族との間に生まれた超エリートの貴公子であり、その扱いは“皇帝”すら超えた“天上人”ですらあった。

また、生まれも超エリートなら能力や才覚も超一流の完璧超人であり、それでいて名門中の名門である自身の出自を鼻に掛けない飄々とした振舞いも世の淑女の憧れの的であり、浮世離れした雰囲気に加え 何でもできるし 気さくにふれあえる自由人として抜群の存在感を発揮している。

そのため、シンボリルドルフが秋川理事長と共に“ウマ娘のウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘レース”を標榜した黄金期の開闢を阻む“トレーナーのトレーナーによるトレーナーのためのウマ娘レース”を望む暗黒期の勢力の期待の星となっていたが、

実際には自身が有馬一族の御曹司というだけで媚び諂ってくる連中には吐き気を催しており、有馬財閥の御曹司という恵まれた身分のため、ウマ娘レースに求めるものがレースの賞金や勝ち負けではなく、“手に汗握る熱いレース(一所懸命)”となっていることから、“天上人”と崇めてきた嫌いな連中(諂佞阿諛)は尽く彼の逆鱗に触れることになる。

そのため、周囲の期待や思惑など何処吹く風で 当時は入学前の妹の噂がすでに届いていたことで評価が下げられていたビワハヤヒデの『妹と最高のレースをする』という“勝利の方程式”が琴線に触れることになり、周囲の反対を押し切ってビワハヤヒデを担当ウマ娘を選ぶことになる。

結果として、“皇帝”シンボリルドルフは史上初の“無敗の三冠バ”となり 対決は全敗を喫するものの、“手に汗握る熱いレース(一所懸命)”と“勝利の方程式”が目的の2人には勝敗の結果など関係ないことで、心からシンボリルドルフの活躍を褒め称えていた。

そのため、『名家』のトップである“皇帝”シンボリルドルフと『名門』のトップである“天上人”鐘撞Tは対立関係にあるのかと思いきや当人同士は極めて良好な関係となっており、

“万能ステッキ”という二つ名もシンボリルドルフの担当トレーナーが世間的には“皇帝の王笏”という嘲りの意味を込めた評価を受けていることへの意趣返しであり、

互いにそれぞれの立場から“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として生きていくことを誓い合っているため、当時のシンボリルドルフの全盛期を支える一人であったことは疑いようがない。

 

しかし、3年目:シニア級のシーズン後半で、シンボリルドルフの担当トレーナーが失踪する事件によってシンボリルドルフの無敗が止まり無期限活動休止になるのに続いて鐘撞T自身が不治の病によって倒れることになり、

念願の姉妹対決となった同年の『有馬記念』がシンボリルドルフに続く“三冠バ”となったナリタブライアンの勝利に終わったことを見届けて、本格的な治療のためにビワハヤヒデとのトレーナー契約を解除することとなる。

そこから“皇帝の王笏”と呼ばれた無名の新人トレーナーを失ったシンボリルドルフは傷心に苛まれながらも最年少で生徒会長の座に就くことになり、抜群のカリスマ性と指導力を発揮して黄金期を本格的に牽引することとなった。

一方、“天上人”であった有馬一族の名門トレーナーを失ったビワハヤヒデは“勝利の方程式”を完成させるべく彼が紹介したトレーナーの許で走り続けることになり、結果として卒業までシニア級G1レースを走り続けてウイニングライブの常連にまでなり、いつの間にか“神メ”シンザンに次ぐ大記録を達成することになった――――――。

 

ここまでが黄金期前半におけるシンボリルドルフとビワハヤヒデの物語となり、高等部からの黄金期後半においてはどちらのトレーナーも消息を絶って3年が経っていたというのが、本作のスタートラインとなっている。

そして、シンボリルドルフとビワハヤヒデがトレセン学園を卒業する直前にウマ娘へと性転換手術を施されて斎藤Tと最後の日曜日で思い出話に花を咲かせていた担当ウマ娘の許に帰ってきたのであった。

その衝撃的な再会にビワハヤヒデもナリタブライアンも驚愕するものの、姿形が変わっても何も変わっていないことを確かめ合った担当トレーナーと担当ウマ娘は抱擁を交わしたのであった。

しかし、それで愛し合う二人が結ばれるのかと思いきや、担当トレーナーはトレーナーの立場から“ヒトとウマ娘の統合の象徴”である道を選び、担当ウマ娘は“勝利の方程式”を証明し続けるために更なる舞台へと駆け上がる道を選ぶのであった――――――。

 

それまでナチス残党を母体とするドイツウマ娘レースの将来を憂えて日本ウマ娘レース業界の乗っ取りを企む国際的なドイツの闇組織による陰謀によってウマ娘化の実験台にされて3年間監禁されていた。

ヒトにはないウマ娘特有の耳と尻尾が生えている他、ウマ娘の身体能力を再現するべく、身体のあちこちが自身の細胞からクローン製造されて強化を施された人工臓器や人工筋肉に置換された改造人間であり、

アグネスタキオン特製の肉体改造強壮剤によって強化された斎藤Tと互角の身体能力を発揮しているが、どちらにせよヒト以上ウマ娘未満といったところであるため、身体的特徴の再現は成功しても身体能力の再現に関しては失敗していると思われる。

また、ウマ娘に性転換したとは言っても生殖器はそのままであるため、世界初の“ウマ息子”とも呼べるウマ娘の番になれるだろう新種の生命体になっていることから、自身の存在が世界に大きな波紋を呼ぶことを恐れて、

3年間の闘病生活の末に頭がおかしくなってウマ娘のように振る舞うようになったオカマさんならぬ“オウマさん”を演じる羽目になり、かつての“天上人”の姿を知る者からすれば愕然とする他ない。

 

有馬家宗家が安徳天皇に仕えていた千代尼を祖とする水天宮の社家であることから広い意味で天皇家に仕えていた家系ということもあり、皇宮護衛官の家系である斎藤 展望とは『名族』同士で通じ合うものがある。

事実、斎藤 展望を逆スカウトしたビワハヤヒデが担当ウマ娘であったように、ウマ娘やウマ娘レースに求めるものが他とはまったく異なるわけであり、まさしく馬が合う関係であった。

しかし、馬が合う関係であっても本質的には有馬一族の御曹司と23世紀の宇宙船エンジニアでは根本的な部分で大きなちがいがあるため、学園一危険なウマ娘:アグネスタキオンに向ける感情はまったく異なる。

そこが斎藤 展望がビワハヤヒデからの逆スカウトを嬉しく思いながらも辞退した理由でもあり、自由人である道楽息子が学園一危険なウマ娘に手を出して火傷をしないように距離を置いていた理由でもある。

 

 

●“皇帝を継ぎし帝王の次に来る者”ソラシンボリ(受験生)  欧字表記:Solar Symboli

母親は中央トレセン学園卒業生のスカーレットリボンであり、品行方正の優等生であった彼女が知らぬ間に在学中に妊娠していたため、この学園の不祥事を隠蔽するために療養と称してシンボリ家に身柄を引き渡されて出産している。

そのため、ソラシンボリは不祥事を隠蔽するために書類上では孤児から引き取られたシンボリ家養子という扱いであるが、

スカーレット族の傾向である女性としての華やかさとシンボリ家に多く見られる鹿毛と流星という外見的特徴を併せ持つことから“生まれながらのスターウマ娘”としてシンボリ家当主に将来を期待されることになった。

それにより、シンボリ家の惣領娘となるシンボリルドルフと同様の英才教育を受けているため、実質的にシンボリ家の令嬢であり、シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園にシンボリ家の影響力を残し続けるために送り出されている。

実母であるスカーレットリボンはソラシンボリ出産後はそのことを秘匿してトレセン学園を卒業し、シンボリ家の奨学金制度で大学進学を果たし、シンボリ家のコネが強い職場の紹介を受けて社会経験と実務経験を積んだ後、実の子であるソラシンボリと一緒に暮らしたい一心でシンボリ家の侍女となっている。

戸籍上では親子関係はなく シンボリ家で立派に育て上げられた我が子に拒絶されるかもしれない不安を抱いていた母親の心配など何処吹く風で 聡いソラシンボリは一目で母親であることを見抜き、親子の感動の再会は果たされるのであった。

以来、ソラシンボリの専属使用人として書類上の姪っ子(実の娘)に実の母親であるスカーレットリボンが仕えることになり、親子の縁を公私と共に使い分けて実の親子のように愛し合う半ば公然の関係となった。

なお、ソラシンボリの名は異世界の英雄の魂に由来する真名ではなく、シンボリ家に引き取られることになった令嬢としての偽名であり、欧字表記ではSolar Symboliで“(ソラ)”と”太陽(Solar)”を掛け合わせたものとなっている。

スカーレットリボンの子としての本名は“皇帝”シンボリルドルフと“帝王”トウカイテイオーに続く存在になることを運命づけられたド直球の名前であるとのこと。

 

競走ウマ娘としての能力は入試の時点で“本格化”を迎えて平均身長を大きく上回る体格をしており、ランドセルを背負っていたとは思えないほどに豊満な体つきをしながら、その表情は飄々としながら遠くを見つめる陰のあるものとなっており、一目で只者ではない雰囲気を醸し出している。

具体的には1期先輩のダイワスカーレット(B90 W56 H82)と遜色ない豊満な体つきかつ、卒業生となるシンボリルドルフ(165cm)と大差ない高身長であり、更に成長の余地があるのだから末恐ろしい。

入試のハロン走ではその組の1位やその日の記録1位どころかその年の受験生全体での最速記録を叩き出す異次元の走りを見せており、彼女の後に走る受験生たちの心をを容赦なく圧し折り 大勢を受験会場である学園から退場させるほどであった。

シンボリ家の隠し玉として惣領娘のシンボリルドルフすらも知らずに育て上げられたシンボリ家のウマ娘であるために一般的な知名度はなかったものの、もしも堂々と名を知らしめていた場合は入学前から“怪物”として姉以上に有名であったナリタブライアンを超える“シンボリルドルフの再来”として俄然注目を集めていたことだろう。

 

しかし、それは表の顔である“皇帝”シンボリルドルフの後継者として只者ではない雰囲気を出さざるを得ないソラシンボリとしての“私”であり、

本名を明かせない素顔の“ボク”の顔は“帝王”トウカイテイオーを彷彿とさせる好奇心旺盛でいたずら好きでありながら透明感のある食わせ者である。

才能豊かで挫折を知らずに無邪気に奔放に育ってきたトウカイテイオーよりかは事情が事情だけに年不相応の落ち着きと知見を持っているが、

黄金期を切り拓く先駆者として“ヒトとウマ娘の統合の象徴”足らんと勤め上げた傑物である惣領娘のシンボリルドルフほど重責を担っているわけでもなく、

結果としては実の親子で一緒に暮らすようになった自身の生い立ちについてもあっけらかんとしているため、不幸な境遇さえも笑顔に変えていける“夢のヒーロー”になることを夢見ているぐらいだ。

事実、“私”としての目標はシンボリ家のウマ娘として“皇帝”シンボリルドルフであるべきなのだが、“ボク”としての憧れは栄光から一気に転落しながらも奇跡の復活を遂げてみせた“帝王”トウカイテイオーであった。

その両者の在り方やちがいを踏まえた均整の取れた性質を持っており、シンボリルドルフの王者の風格とトウカイテイオーの天性の才能に加えたスカーレット族の華やかさがウマ娘の極致に至らせている。

 

もちろん、さすがに4年間の雌伏の時を経てトウカイテイオーの全盛期に一歩劣る程度にまで高められた本作のアグネスタキオンにはいきなりは敵わないが、成長性はトウカイテイオー以上だったアグネスタキオンさえも超えていると評価されている。

また、斎藤Tとはシンボリ家との密約で“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンには絶対に勝てないことを踏まえてシンボリ家がアグネスタキオンが追究するウマ娘の可能性の“果て”を全力支援する代わりに、

学園におけるシンボリ家の影響力を維持する算段で、入学生の段階でメイクデビューを果たす所謂“エリートウマ娘”にならないようにスカウト攻勢から庇護する役割を斎藤Tは担うことになっており、

初対面の感触としては斎藤Tが何度も時間の巻き戻りを利用してソラシンボリのことを知り尽くしているために好印象であり、何よりもソラシンボリの好奇心旺盛で恵まれた才能に深い知見性はアグネスタキオンに通じるものがあるので相性がいい。

アグネスタキオンにしても可愛い後輩であるダイワスカーレットと同じスカーレット族の血筋であることから他人のような気がしないようなそうでないような不思議な感覚を抱いており、大恩あるシンボリルドルフの縁者であることからも無下に扱うことはない。

ソラシンボリもまた『名家』の勤めがいかなるものかを知りつつ“夢のヒーロー”に憧れているため、栄光の影で人知れず奮闘してきた“皇帝”や“帝王”に負けず劣らずの偉業達成のために現在進行形で力を振るっている斎藤Tとアグネスタキオンに尊敬の念を抱いており、この時点で並のトレーナーのスカウトに心を揺さぶられることはなくなっている。

 

 

●“生命の泉から零れた一雫”アクアビット(受験生)  欧字表記:akevitt

民族の坩堝と化したヨーロッパを象徴する様々な国籍の血が流れているパート2国:ノルウェーからの留学生であり、

元から日本のアニメやゲームに夢中の男勝りな女の子であったが、トレセン学園暗黒期に活躍したオグリキャップに憧れて極東の地のトレセン学園への留学を決意している。

そのために、恵まれた支援制度を利用してヨーロッパ各国のバ場を研究して芝のサンプルを手土産にスカウトを有利に進めようという強かな面もあり、一人で極東の地に留学を決心するだけの利発さと周到さを持つ。

ただし、そういう研究熱心で用意周到な性格になったのもウマ娘大国に数えられないパート2国における現実;ウマ娘に対する世間からの扱いや評価を幼くして理解しているからであり、

ヨーロッパ発祥のウマ娘レースが元々が王侯貴族の道楽であることから非常に国家の負担が大きいものであるために納税者や貧困層から湯水の如くウマ娘レースの興行に資金が投下されていることへの恨みをぶつけられることもあった。

また、ウマ娘というヒト社会における少数種族を見たことない移民からバケモノ扱いされて襲われることもあるために、ウマ娘の特徴である耳としっぽを隠せるユニセックスの身形に日常的に身を窶す必要もあった。

それ以上に、アクアビット(生命の水)の名は北欧圏では特産品ゆえに逆に身近に非常にありふれたジャガイモを主原料とした蒸留酒であるため、かえって地元でも奇異に思われている名前なのだが、これはもちろん偽名であり、

本名はレーベンスボルン(生命の泉)というナチス・ドイツの戦争犯罪の1つの象徴でもあったために公然と名乗れるものではなかったのが初めてドイツ語を口にした幼気な少女に大きな衝撃を与えることになった。

その時に明かされたのが父方がまさにその“生命の泉協会(レーベンスボルン)”出身のドイツ人とノルウェー人の混血児で、母方に至ってはドイツ第三帝国と敵対した大英帝国の一部だったアイルランド人とイギリス領ジブラルタル人の混血児であったという事実――――――。

そうした重たい歴史を背負っているために、面倒かつ複雑極まりない民族問題や戦争犯罪の歴史を忘れて人間として大切なことを包み隠さず表現して熱い気持ちにさせてくれる日本のアニメやゲームに夢中になっていたわけなのであり、

ドイツ語の生命の泉(レーベンスボルン)から零れた北欧圏で身近な生命の雫(アクアビット)というのが偽名の由来である。

 

競走ウマ娘としての能力は国家の支援を受けてやってきた北欧からの留学生ということで極めて高く、入試のハロン走ではその組で独走して堂々の1位を獲得して余裕の合格を受けるほど。

また、本場ヨーロッパのウマ娘レースの研究をしてきたこともあって、様々なバ場の芝に適性があることが強みであり、国際色豊かなヨーロッパの血統もあって体格にも恵まれている。

ただし、世界的に長距離走が段々と廃れていることもあって長距離適性に不安が残るため、日本セントレジャーこと『菊花賞』を目指すクラシック路線は不向きだと自己分析している。

かと言って、フェミニズム運動に端を発するティアラ路線も日本人が考える以上にヨーロッパ人として重たく受け止めるものがあり、目標とするレースが現状としては定まらないままでいる。

強いて言うなら、本人としてはギネス記録にもなった『有馬記念』に出走できるようなスターウマ娘になりたいと思うぐらいで、憧れの夢の舞台に足を踏み入れることができただけでも感涙といったところ。

 

トレセン学園の入試次いでに『URAファイナルズ』準決勝トーナメントを都内で観戦していた際にトレセン学園の新人トレーナー:斎藤Tと知り合うことになり、入学後にスカウトしてもらうべく懸命に自己PRをしたことで興味を持たれ、無事にトレセン学園の門を再びくぐれるように御守りを渡されている。

そして、わざわざ空港まで身体を光らせて見送りに来るほどであり、斎藤Tから入学前からヘッドハンティングの対象と見込まれており、出会ってしまったばかりに留学生の運命は大きく変わっていくことになる。

 

 

●“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェ(5年目:スーパーシニア級)

学園一危険なウマ娘:アグネスタキオンとセットの扱いでシンボリルドルフから異例の待遇を受けていた学園一不気味なウマ娘。

学園裏世界に蟠る悪霊たちの存在を感知する霊能力者であり、幼い頃から“お友だち”と呼んでいるウマ娘の幽霊の走りに憧れを抱き、それに追いつくことを目的に『トゥインクル・シリーズ』に出走しているという誰にも理解されない動機で走る。

そのため、周囲からは不気味な印象を持たれることになって実力はあってもスカウトを敬遠されるという、アグネスタキオンとはちがった方向性で孤立していた。

最終的に“お友だち”のイメージを未来の自己像と解釈したベテラントレーナーの懸命な努力と説得の末に妥協し、トウカイテイオーとメジロマックイーンに後れて同世代のメイクデビューを果たすこととなった。

本作においては同世代がトウカイテイオーとメジロマックイーンだったことで史実のようなG1勝利を掴めず、かと言って次世代であるミホノブルボンやライスシャワーにも遅れを取ってきた影の薄い三番手に甘んじている。

ところが、史実とは大きく異なり、学園一不気味なウマ娘の担当を引き受ける条件として決して無理をしないことを徹底したおかげで、

トウカイテイオーやメジロマックイーンといった世代の中心が次々と引退していく中、世代の生き残りとして『URAファイナルズ』出走を果たすことになった。

それでも、勝ちきれずに『URAファイナルズ』準決勝トーナメントで敗退するものの、斎藤Tとアグネスタキオンの思惑に乗せられてメジロマックイーンの元担当トレーナー:和田Tと再契約して史上初の“春シニア三冠”を目指すために奮起することになる。

 

腐れ縁となっている学園一危険なウマ娘:アグネスタキオンが大きく変わるきっかけになった学園一の嫌われ者の斎藤Tはその経歴や学園での動向の異質さもあるのだが、かつての自分がそうだったようにアグネスタキオンの被験体にされていることを深く同情されていた。

そのため、何かと斎藤Tのことを同じ被害者仲間として気遣ってきており、実は学園一の嫌われ者という評判の斎藤Tがアグネスタキオンと出会ってから話す機会を持つことになった一人となっている。

そうした縁もあって『URAファイナルズ』敗退によって引退するのを引き止められたことで、斎藤Tが“お友だち”と会話できる以上にその正体まで見破ることができる人物だと判明することになった。

そのため、知らない仲じゃない斎藤Tの陣営に参加することになり、新年度から物凄く後れてメイクデビューを果たすアグネスタキオンと陰と陽となって陣営を大きく導く両翼となっていく。

 

 

●“超光速の粒子”アグネスタキオン(未出走 → 1年目:ジュニア級)

学者肌の『名家』アグネス家の“最高傑作”とも言われている変人奇人の問題児であり、“触れるべからずのタキオン(アンタッチャブル・タキオン)”として学園の要注意人物となっている。

自身の競走バとしての天性の才能を自覚しながらも 自身の脚が能力に追いついていない問題を克服する自己改造のヒントを得るためにトレセン学園では実験三昧の日々を送っていた。

本作においては同期のマンハッタンカフェがすでにシニア級となっているのに対して、ずっと“待つことを選んだ”というIF展開を遂げており、

長年に渡る肉体改造強壮剤の使用によって少しずつ強靭な肉体を得ていき、『本格化』を迎えていないので いきなりシニア級の猛者たちと戦えるほどの能力は持っていないが、デビュー前の競走バとしては順当に歳を重ねたこともあって最強のステータスを持つに至る。

しかし、マンハッタンカフェたちを圧倒した初めての『選抜レース』での勝利からスカウトしに来たトレーナーたちのあまりの無理解に失望して全ての誘いを素気なく払い除けて実験室に閉じ籠もっていたことで、

ようやく肉体が自身の能力に耐えられるぐらいに強靭になったところで自身が積み上げた悪評によってスカウトしてくれそうなトレーナーもいないことで粛々とトレセン学園の退学を受け容れるつもりではあった。

 

ところが、新年度早々にウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になっていた悪名高い新人トレーナーが彼女を助けに深夜の実験室に訪れたことで転機が訪れることになり、

最初は他と同じように自身の研究に対して否定的であったものの、肉体改造強壮剤の有用性を即座に見抜いて取引関係を結ぶことになって、初めて得ることができた理解者に心が躍ることになった。

また、たまたま新薬の実験に失敗して意識を失ってしまったことで自身に擬態したWUMAが擬態対象が死んだものと誤解して そのまま人格がアグネスタキオンの精神に染め上げられた結果、

元々“もうひとりの自分”を欲しがっていたこともあって自分を殺しに来ていたWUMAが擬態したアグネスタキオン’の存在も快く受け容れ、灰色に染まっていた日々が色付くようになった。

 

以来、来年にデビューすることを前提に3人で秘密のチームを組むことになり、アスリートとして健康的な生活を送らせることともうひとりの自分の正体が露見しないために昼間に活動するようになって、外出も多くなった。

そして、何かと斎藤Tが彼女の側にいて実験の被験体にされている姿が目撃されたため、2人の関係は様々な名目で注目する野次馬によって噂されるようになった。

実際、23世紀の天才エンジニアが評価するように卓越した頭脳と知識と情熱を持つロマンチストな科学者である彼女とは非常に相性が良く、

生活能力が皆無なところも23世紀で普及していた全自動家財道具を21世紀で実装するための実験台としては理想的であり、まったく欠点になっていない。

むしろ、生活能力はなくても、ある程度の新開発の試作品のメンテナンスや性能検査を行えることが重宝されており、必要となれば実家であるアグネス家からの出資も受け取れるので、最高のビジネスパートナーとなっていた。

つまり、アスリートの養成機関であるトレセン学園の人間なのに、本業とは関係ないところで本領発揮して意気投合している間柄で、

彼女が競走ウマ娘として自身の夢を掴むためにトレーナーをモルモット扱いするように、トレーナーの方も彼女を新製品開発のモニターとして利用し合っているわけなのだ。

また、新製品開発は不摂生で無頓着な協力者の生活環境や習慣を整える目的も兼ねて行われているため、

たとえば、新製品開発のために実験室で洗顔や洗髪のテストを行うようになり、それで人前に姿を見せた彼女から頻繁にちがうシャンプーの香りや清潔感が漂うことで、彼女を知る者たちに大きな変化があったことを臭わせることになった。

そのため、ここまで親密な距離感になった人間はいなかったということで、斎藤Tのことを得難い存在として大切に思っている。

なお、WUMA対策や新製品開発で忙しいので手作り弁当なんてものは斎藤Tから振る舞われていないが、

その代わりに様々な宇宙食や携帯食料、保存食を取り寄せて食レポをつけるように言われているので、粗食なのは変わらないが悪食は改善されて割と舌は肥えている。

因子継承は『ドリーム・シリーズ』に移籍が決まったビワハヤヒデとナリタブライアンのものを受け継いでいる。

 

しかし、年が明けてからは担当トレーナーとなった斎藤Tのペースで新生活が始まったため、今までずっと研究室で籠もりっきりだった彼女にとっては斎藤Tのペースに追い縋るのに必死な毎日を送っており、思っていたよりも楽しくない日々となってしまっている。

実際、表舞台に立つために変わっていかなければならないと頭で理解している一方で、もうひとりの自分にこれまでのライフスタイルを継続させるように役割分担してしまったことで、もうひとりの自分であるアグネスタキオン’(スターディオン)の方がかつての学園一危険なウマ娘らしくなっており、WUMAに自分らしさの大半を奪われてしまった形になり、ウマ娘である自分にできることが何なのかを年明けから考え始めるようになった。

それだけ、もうひとりの自分と規格外の新人トレーナーとの出会いは彼女の価値観や人生観を揺るがすことになり、その存在に圧倒されてしまった無力感が自身の限界の殻を破る桁上りのゼロの始まりでもあった。

そして、その道を共に往くのはマンハッタンカフェ――――――。

 

目指すは明るい未来を目指すためのタイムパラドックス;歴史を変える大記録の達成であり、永遠に語り継がれるウマ娘の神話“クラシック八冠ウマ娘”!

 

 


 

 

■並行宇宙の地球の支配種族“フウイヌム”

 

●“もうひとつの超光速の粒子”アグネスタキオン’(スターディオン)

本来は実験室に籠もりきりのアグネスタキオンと“成り代わり”をしようとしていたWUMAだったが、

ちょうどよく擬態対象が新薬の実験で死んでしまったと勘違いしてしまったことで擬態直後の殺人衝動が失われ、

そのまま擬態対象そのものに成りきったことで、擬態対象が息を吹き返しても常日頃から“もうひとりの自分”を欲していたこともあって、互いに納得し合って共存を果たすことになった。

現状では唯一無二の人類側のWUMAであるため、WUMA研究やWUMA対策において非常に重要なキーパーソンとなるが、

本物がターフの上で走ることに意義があるために、偽物である自分が実験室に籠もって夜型の生活を送っているので、トレセン学園ではその存在を知る者はほとんどいない。あるいは本物と区別がつかない。

 

完全に擬態対象に成りきってしまったことから正体はジュニアクラスのWUMAの一個体に過ぎないのだが、擬態対象であるアグネスタキオンの知能の高さから最上位のエルダークラスの血統であることが推測され、

擬態した状態で進化を進めて自我を確立させることで人間としての自我を維持したまま人類の味方となるWUMAが誕生するのではないかと進化のための方策を探っていたところ、

三女神像の因子継承において、斎藤Tを介して賢者ケイローンと偽物のシンボリルドルフ’に擬態していたヒッポリュテーの2人のエルダークラスの因子を受け継いだことで、エルダークラスを超越したスーペリアクラスに進化している。

これによって、本来あるべきWUMAとしての帰属意識は完全に消去され、擬態対象であるアグネスタキオンの人格をベースにシンボリルドルフやヒッポリュテーの意識や体験が混ぜ合わさった自我が確立され、

擬態を解除しても敵性存在に戻ることはなくなり、上位クラスのWUMAからの命令に絶対服従させられる危険性も解消されている。

そして、“特異点”である賢者ケイローンの因子を受け継いで空間跳躍を超越した時間跳躍を使えるようになっている他、シニアクラスの超能力やエルダークラスの飛翔能力も展開できるため、地上最強の超科学生命体へと進化を果たしている。

しかし、時間跳躍の負担は三次元の肉体では激烈なもので、おいそれと使えば賢者ケイローンのように肉体を失ってしまう恐れがあるため、最後の切り札として慎重に使用を検討するものとなっている。

 

そのため、因子継承をしてからは擬態対象であるアグネスタキオンとは完全に別人として扱われるようになり、

“もうひとつの超光速の粒子”としてスーパーターディオン(Super-Tardyon);略してスターディオン(S-Tardyon)の名が与えられることになった。

また、元々が上位クラスの命令に絶対服従かつ擬態対象の人格に染め上げられるジュニアクラスだったことも影響して、

因子継承で受け継いだエルダークラス:ヒッポリュテーとそれが擬態していたシンボリルドルフの記憶や体験が色濃く反映されることになり、

本物のアグネスタキオンよりも高圧的でワガママで初心で独占欲が強い性格になりつつあるが、基本的には実験室の外には出さないので対外的な問題は起こらない。

ただ、因子継承の原因となった()()()()()を斎藤Tがいつまでも引き摺る羽目になり、本物のアグネスタキオンよりも感情に素直なっている上に正体が最強格のWUMAなので非常に気を遣う存在となっている。

 

あれから奥多摩攻略戦において同胞であるWUMAを手に掛けて同胞殺しの罪を背負うことになるが、それ以上に運命共同体ともなるかけがえのないパートナーの存在を意識することによって罪悪感に駆られることなく、我が物顔で百尋ノ滝の秘密基地の管理人の座に収まった。

その結果、実験室の外の世界に踏み出した本物のアグネスタキオンが表沙汰にできない実験や研究を担うようになり、段々と偽物であるはずの彼女の方が学園一危険なウマ娘らしくなっていく逆転現象が発生することになった。

実際、WUMAの完璧に擬態する能力はある種の不老を実現したものであり、永遠の不変をもたらすものでもあったため、偽物である彼女がもうひとりのアグネスタキオンであるというアイデンティティを守り通そうとするほど、かつての学園一危険なウマ娘であった頃の孤高さを際だたせていくことになる。

それでいながら、シンボリルドルフの因子もヒッポリュテーの因子から間接的に継承しているため、自身がウマ娘でありながらウマ娘ではない擬態した存在であることも相まって、ウマ娘の可能性の“果て”に対する情熱はなくなっており、怪人:ウマ女の意識からウマ娘という種に対する諦観や憐憫の念を抱くようになっている。

しかしながら、それでいてアグネスタキオン’(スターディオン)として存在することを選び続けていられるのは、唯一無二の理解者である斎藤 展望がしっかりと手綱を握っているからであり、同時に斎藤 展望の()()()()()の相手であったエルダークラス:ヒッポリュテーの因子のおかげでもある。

このように因子継承の果てに、アグネスタキオンに完全に成りきった存在でありながら あらゆる意味で本物とは正反対の側に立つ存在になりつつあり、トレセン学園所属の競走ウマ娘という肩書を持たなくなったもしもの姿がそこにあった――――――。

 

 

●“超科学生命体の禁忌に触れた特異点”賢者ケイローン

本作における物語の導き手であり、壮大な冒険の始まりを担う役割を持った存在。

普段はヒノオマシに飼われて飼育日記をつけられて可愛がられているコーカサスオオカブトだが、時間跳躍能力でどこへでもワープしてくることができ、斎藤Tの四次元能力の感覚を研ぎ澄ますのが役割。

元々は並行宇宙の地球を支配する怪人:ウマ女の種族“フウイヌム”において最上位のエルダークラスであり、

他種族に対して公然と差別するのが当然の“フウイヌム”では非常に理知的で公平な考え方を持っていた根っからの学者肌であった。

そのため、元々は研究熱心で“フウイヌム”の繁栄のために幅広い分野で研究を重ねて知見を得ていたことで賢者と呼ばれるほどの叡智と名声を得ていたのだが、

その知的好奇心がついに元々の擬態能力によって他の文明社会を侵略する超科学生命体の起源に迫ったことで禁忌に触れたとして処刑されそうになってしまう。

そのため、独自の理論から超科学生命体として組み込まれていた空間跳躍能力を超越した時間跳躍能力を実現するに至り、侵略中の()()()()()()()に逃走した後に、10年前の過去となる現在の地球:本編の舞台へと飛来している。

その禁忌の中にあった予言から救世主となる存在を探し求め、8月半ばの隕石が降ってきた日にコーカサスオオカブトの肉体に宿ることになった。

 

コーカサスオオカブトの成虫の寿命は半年以内とされているため、その死期は近いが、それまでに可能な限りの情報や知識を引き出すことになり、

アグネスタキオン’への因子継承とそれによるエルダークラスを超越したスーペリアクラスの誕生と地球人類の味方となる地上最強の超科学生命体の誕生が果たされたことで大方の役目を果たすことができた。

あとは、現在の地球にまで追跡してきた“フウイヌム”の追手を一掃する段階となり、絶望の未来を救う“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たる存在が生き延びることができるように祈りながら、種族の過ちを償うべく死地に赴くのみ。

本来のエルダークラスの肉体こそは失われているものの、それによって四次元空間を直に体験してきた感覚を記憶し続けている“特異点”の1つであり、

それによって、三女神の意志を受け取ることやWUMAの超能力を封じることができるため、虫ではなくて もっと長生きできる生物に転生できていれば強力な味方に成りえただけに、この世界に来てからの寿命が短いのは残念極まりない。

 

 

●“愛欲を知ってしまった超科学生命体”ヒッポリュテー

偽物のシンボリルドルフ’に擬態していた初めて遭遇したエルダークラス;有翼一角獣の怪人であり、

因子継承でヒッポリュテーの記憶と体験を受け継いだアグネスタキオン’の証言によれば、並行宇宙の地球における同胞であるウマ娘の解放を目論む“フウイヌム”たちの尖兵であり、

手駒となるジュニアクラスや部隊長となるシニアクラスを総括する司令塔:エルダークラスとして主に府中市のトレセン学園を持ち場にして侵略を指揮していたようである。

そのため、ヒッポリュテーを討ち取ったことによって府中市近辺のWUMAの活動が停滞したことは間違いなく、敵の幹部としての重要性は然ることながら、

斎藤Tが彼女を討伐したことと唇を奪われたことが結果としてスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の進化に繋がったため、

登場期間は短く すでに討伐されているものの、斎藤Tにとっては一夜の過ちということもあって、物語上では非常に重要な存在となっている。

 

現状、その為人は初遭遇時の言動やアグネスタキオン’に引き継がれた記憶や感情から窺い知ることができるのみだが、

少なくとも、偽物のシンボリルドルフ’に擬態して演じることができるだけの知能と演技力はあることは確定している。

そして、擬態対象を抹殺するのが性であるWUMAらしく、本物のシンボリルドルフを亡き者にしようと画策していたのも確かであり、エルダークラスなので自我を持つことから抹殺する時期を選べることから慎重に機を窺っていた。

その際、偽物のトウカイテイオー’や岡田T’を使って“成り代わり”の指揮と調整も行っていた。

そこからWUMAの擬態能力の長所と短所が浮き彫りになり、WUMAもそこまで万能ではないことが判明している。

また、WUMAの侵略経路も因子継承でアグネスタキオン’に受け継がれた記憶で判明しており、

あらゆる意味でWUMA研究とWUMA対策の指標ともなった存在でもあり、WUMA殺しの“特異点”が相手だったことや因子継承というイレギュラーがあったにせよ、WUMAにとっては最大の痛手となった。

 

 

●“自分こそが偽りの偶像”トウカイテイオー’

担当トレーナー共々、世間からも忘れ去られようとしていた存在に擬態して成り代わりをしようというWUMAたちにとっては格好の標的であったこともあり、

『ジャパンカップ』にて本物のトウカイテイオーに成り代わって全盛期の姿で三度目の復活劇を果たしたことで世間を湧かせた偽りの存在。

偽物の岡田T’がシニアクラスであり、部下となるジュニアクラスである偽物のトウカイテイオー’の調整を行っていた。

そのため、偽物のトウカイテイオー’自身はトウカイテイオー本人だと思いこんでいるが、“三冠ウマ娘”の夢が絶たれる前の全盛期の肉体と精神となるように調整されているため、本物とはかなりの認識のズレがある。

しかし、本物が昨年の二度目の復活で『ジャパンカップ』を制したように、元々のトウカイテイオーの能力がずば抜けていたため、2年目:クラシック級の最盛期の姿でも他を圧倒する能力を発揮していた。

おまけに、中身は擬態能力を有する強靭な身体能力のWUMAであるため、怪我に悩まされることもないことから、WUMAの目論見通りに『トゥインクル・シリーズ』を席巻できるはずだった。

ところが、ハナ差でトウカイテイオーが成りたくて成れなかった“無敗の三冠ウマ娘”ミホノブルボンに競り負けたことで、

いきなりだが偽物のシンボリルドルフ’に擬態したエルダークラス:ヒッポリュテーが建てた計画が頓挫してしまう。

そして、負け知らずの精神状態に調整されていたことで敗北を受け容れられず、WUMAの本能が表面化し、そのままだとふとした拍子に正体が露見しかねなかったので、

本来は担当トレーナーである偽物の岡田T’が対処すべき案件だったのだが、学生寮には生徒以外は進入できない規則のため、

エルダークラス:ヒッポリュテーが深夜のトレセン学園の学生寮に姿を現すことになり、精神状態の調整と計画の軌道修正を施すことになった。

しかし、その様子を監視していた斎藤Tの許に姿を現した裏切り者のケイローンに誘い込まれて、結果として指揮官であるヒッポリュテーが討ち取られてしまうことになり、WUMAの侵略計画の綻びを生むことになった。

 

その後は軌道修正された計画に従って相変わらず自身をトウカイテイオー本人だと思い込んで『有馬記念』での巻き返しを図るものの、

指揮官であるヒッポリュテーが一夜にしていなくなったことで、偽物の岡田T’は軌道修正した計画を知らされておらず、偽物のトウカイテイオー’から今後の方針を聞き出すこともできないまま、

本物のシンボリルドルフとWUMA殺しの斎藤Tが立案した本物のトウカイテイオーの復活劇の布石となるWUMA討伐作戦に嵌められ、偽物の岡田T’に擬態したシニアクラスは討ち取られてしまう。

また、新衣装を着込んだ本物のトウカイテイオーとの互いの存在を賭けた模擬レースでハナ差で負けたことで落ち込んだ偽物のトウカイテイオー’であったが、

SATが仕掛けたWUMA捕縛作戦の一部始終と、偽物の岡田T’が正体を現した瞬間を目撃してしまい、思わずその場から逃げ出したことにより、

SATに斎藤Tが取り押さえたことを抜きにしても、どうあがいても偽物のトウカイテイオー’を追跡するタイミングを失ってしまい、まんまと逃げられてしまった。

そのため、シンボリルドルフからお叱りを受けた『警視庁』が独自に捜索隊を編成して捜索に当たっているが、中身がWUMAであるために通常の競走ウマ娘では考えられないような行動範囲を持っていたため、捜索は難航している。

 

 


 

 

■斎藤 展望の関係者

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:斎藤・ヒノオマシ・陽那(さいとう ひのおまし ひな)

年齢:10代前半

所属:中等部 1年目

血統:父親(ヒト)-皇宮警察騎バ隊 / 母親(ウマ娘)-皇宮警察騎バ隊

 

誕生日:12月30日

身長:168cm 

体重:両親を失って無茶をやって故障して以来ずっと塞ぎ込んで食が細かった

体格:同年代の競走バと比べると逞しい警察バの血統

 

好きなもの:唯一の肉親である兄上

嫌いなもの:兄上を苦しめるありとあらゆるもの全て

得意なこと:兄上のためになること全て

苦手なこと:兄上のためにならないこと全て

 

 

●プロフィール(20XX年当時) 

名前:藤原 秀郷

年齢:50代前半

所属:警視庁警備部災害対策課

血統:父親(ヒト) / 母親(ヒト)

 

誕生日:03月07日

身長:175cm 

体重:災害が起きる度に不規則な生活で磨り減るが、すぐにリバウンドする

体格:現場に出ることが少なくなったせいで弛んできた

 

好きなもの:家族(斎藤家の忘れ形見もその範疇)

嫌いなもの:家族を脅かすもの

得意なこと:面倒見の良さ

苦手なこと:家族サービス

 

 

●織田T ……横浜トレセン予備校“根岸校”所属トレーナー

 

●北斗T ……横浜トレセン予備校“根岸校”所属トレーナー

 

●大和T ……警視庁トレセン警察校“府中校”所属トレーナー

 

●柳生T ……警視庁トレセン警察校“府中校”所属トレーナー

 

 

 

 





◆20XX年度 トレセン学園 生徒一覧 (中途退学または卒業済み)

高等部3年……シンボリルドルフ、ビワハヤヒデ、(ウイニングチケット)、(ナリタタイシン)

高等部2年……エアグルーヴ、ナリタブライアン、ヒシアマゾン、フジキセキ

高等部1年……トウカイテイオー、ナイスネイチャ、ツインターボ、メジロマックイーン、メジロパーマー、メジロライアン、ダイタクヘリオス、イクノディクタス、アグネスタキオン、マンハッタンカフェ、ジャングルポケット、(アグネスゴールド)
 
中等部3年……ミホノブルボン、ライスシャワー、サクラバクシンオー、ニシノフラワー、ハッピーミーク

中等部2年……エアシャカール、アグネスデジタル

中等部1年……ウオッカ、ダイワスカーレット

来年度入学……キタサンブラック、サトノダイヤモンド、リトルココン、ビターグラッセ、ソラシンボリ、アクアビット


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第二次決戦 永遠なる皇帝が迎えるべき絶対の卒業式 -超時空の大決戦-

-西暦20XY年03月12日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

――――――ついにその日がやってきた。

 

始まりがあれば終わりが来るのは世の理。いつもと変わらぬ今日も、昔からこうであった過去も、永遠に続くかに思われた明日も、望むが望むまいが全てはいずれ必ず終わりを迎えるのだ。

 

いつものように土曜日曜にウマ娘レースの興行があるため、出走したウマ娘は月曜日が振替休日になることから、全校集会は火曜日に行うのが習わしのトレセン学園の卒業式もまた火曜日に行われる。

 

そう、今日は20XX年度の中央トレセン学園の卒業式である。在校生たちの修業式は来週になるが、これでトレセン学園の歴史の1ページに終止符が打たれ、新たなる歴史が始まるのだ。

 

そして、今年度の卒業式は例年以上の熱を帯びて記者たちが詰めかけており、警察やERTも可能な限りの応援を呼んで厳重な警備が行われていた。

 

 

何を隠そう、トレセン学園の黄金期の象徴として在り続けた“皇帝”シンボリルドルフの卒業式でもあるのだから。

 

 

中高一貫校である中央トレセン学園においては引退即退学の文字がチラつく激戦の日々であるため、中途退学者続出の中で中等部卒業まで在学していられた者はほぼ高等部へ自動的に進学することになることから、“皇帝”シンボリルドルフが在籍していた6年間はまさに“皇帝”の時代であった。それが総生徒数2000名弱にまで繁栄を遂げた黄金期なのだ。

 

もちろん、今週の土曜日には黄金期を主導した秋川理事長とシンボリルドルフの集大成となる『URAファイナルズ』決勝トーナメントがあり、

 

年度が改まるまではトレセン学園の生徒であることから、ギリギリまで中央の競走ウマ娘としての矜持を貫き通そうとする高等部3年の古豪たちが卒業の日にあって静かに闘志を燃やし続けていた。

 

そのため、基本的には卒業式を迎えてもレースに出走する卒業生への配慮として、卒業式前日の月曜日に卒業生の送別会が事前に執り行なわれており、卒業式当日は『立つ鳥 跡を濁さず』ですぐに巣立っていけるように取り計らわれていた。

 

なので、卒業式そのものは非常に厳粛なものとなっており、学校関係者である生徒たちの父兄とは異なり、外部コーチに過ぎないトレーナーは別の場所に集まってモニター越しに式の様子を見ている他なかった。これは以前の『生徒会総選挙』の時と同様である。

 

 

――――――だからこそ、嫌な思い出が蘇ってしまう。

 

 

誰も憶えていないが、私だけは()()()()()()()()()()()()記憶しているのだから、卒業式の様子を春の陽気の中でジーッとボケーッとトローンとしながら胡乱げに見ているわけにもいかなかった。

 

どうせ、ビデオ撮影されたものが広報などに使われるのがわかっているのだから、あとでそのビデオを複製してきて気が向いた時に見ておけばいい。モニター越しに生中継を見るのとビデオ再生した映像に差などあるだろうか。

 

それよりも、去年まで私は並行宇宙からの侵略者であるWUMA退治に明け暮れていたわけだが、WUMA掃討作戦に段階が切り替わったとは言え、新年を迎えてからいきなり戦うべき相手が増えてしまった。

 

WUMA侵略から更なる未来から送り込まれた暗殺用人造人間(アンドロイド)に、目に見えない裏世界からウマ娘たちに災厄をもたらす妖怪(オバケ)たち、ウマ娘天国である日本を静かに侵略しているナチス残党から派生したドイツの闇組織――――――。

 

そして、世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”のネジを回した時に浮かんでくる日めくりカレンダーが今日この日に発動したことから、去年の『有馬記念』明けの1週間の年の暮れに人知れず世界を救うことになった奥多摩攻略戦の激闘の記憶が鮮やかに蘇ってくる。

 

それぐらいの長期戦になることを覚悟して、まずは1周目でいったい全体として何が起こるのかをしっかりと見定める他ない。何が起こるのかがわからないし、何が起きても不思議ではないのだから、事前の対策などしようがない――――――。

 

なので、1周目で取りこぼしなく 2周目で全ての問題を解決する勢いで挑もうという後の先の妙技を発揮するのだ。そうするしかない。

 

そのための時の巻き戻り(タイムリープ)であり、それを担わされた“斎藤 展望”の使命なのだと自分に言い聞かせて、いざ決戦の舞台に赴かん――――――。

 

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 


 

 

――――――卒業式が始まる前の早暁

 

飯守T「………………」

 

和田T「………………」

 

ピースベルT「………………」

 

斎藤T「さて、マンハッタンカフェ。何やら不吉な予感がしてならないという話だが」

 

マンハッタンカフェ「はい。この感じは、1月の『生徒会総選挙』と同じように思います」

 

アグネスタキオン「なら、また未来から暗殺用人造人間(アンドロイド)が送り込まれてくる感じかな」

 

飯守T「じゃあ、今すぐに卒業式を中止してライスもみんなも避難させないと!」

 

和田T「いや、そんなのは無理だ。事件ってのは何かが起きて初めて事件になるんだし、何も起きていないのに避難しようだなんて聞いちゃもらえない。ただ頭がおかしいと言われて摘み出されるだけだ」

 

斎藤T「何も起きていないのなら、こっちの方で何かを起こして卒業式を中止に追い込むこともできなくはないです。C4爆弾を敷地内で起爆させれば1発です」

 

ピースベルT「きゃあ! こわぁーい! 大人の私でも怖いのに子供たちにとっては一生もののトラウマになっちゃう~!」キャピ!

 

飯守T「……それもダメだ! テロの恐怖に脅かされるだなんて!」

 

和田T「でも、何が起こるのかもわからないのに、対策なんて……!」

 

斎藤T「何とかして未然に防ぎたいところだが、ここで覚悟を決めるしかない……」

 

 

斎藤T「和田T! 愛する者のために もう一度 時の牢獄に入ってくれ!」ドン! ――――――和田Tから押収した“目覚まし時計”を突き返す!

 

 

和田T「!!!!」

 

飯守T「え、目覚まし時計……?」

 

ピースベルT「あ、それ……」

 

斎藤T「和田Tの役割は、時の牢獄に入って時が巻き戻る毎に記憶を持ち越して、この場この時に報告することだ」

 

飯守T「え!?」

 

ピースベルT「なるほど……」

 

和田T「わかった! マックイーンのためでもあるし、トレセン学園のみんなのためにも、俺がやります! 全力で!」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

 

斎藤T「飯守Tは和田Tが持ち越した情報を基に警察関係者に働きかけをお願いします」

 

 

飯守T「え」

 

アグネスタキオン「――――――『ナチス残党がトレセン学園を狙っている』だなんて話、まともに取り合ってもらえないだろうからねぇ。荒唐無稽すぎて」

 

飯守T「!!」

 

飯守T「そっか。それは俺にしかできないことだもんな」

 

飯守T「いざとなったら、俺が警視総監の親父に直接訴えるぞ」

 

和田T「……なるほど。管轄の『警視庁』のトップである警視総監を動かせる可能性があるとしたら、親子の情に訴えるしかないのか」

 

和田T「あらためて、とんでもない経歴の後輩が育てたウマ娘が『宝塚記念』でマックイーンに追い上げたわけか……」

 

ピースベルT「そういう和田Tも 万年G2勝利が目標の底辺チームで下積みをしてきて“メジロ家の至宝”のハートを手料理で掴んでるじゃない♪ やっぱり、料理が上手い男の人ってモテるって本当ね♪」コノコノー!

 

和田T「あ、いや……、経験も実績もない俺が約束されたG1ウマ娘と契約を結ぶためにはそういうトレーナーの能力とは関係ないところで勝負に出なくちゃならなくて、少し恥ずかしいものがあります……」

 

和田T「そもそも、料理が上手いだなんて、専属料理人が何人もいるメジロ家で何のメリットになるんだか……」

 

ピースベルT「なら、私は何すればいいのかしら、斎藤T?」ウフッ

 

斎藤T「わからないです。有馬一族の影響力を使ってトレーナー組合や理事会に働きかけることになるかもしれませんし、改造人間(サイボーグ)として暴れてもらうことになるかもしれません」

 

 

ピースベルT「そうね! 私の愛バから3年間引き離された鬱憤を晴らす機会が早速もらえて嬉しいわぁ! 腕が鳴るわねぇ!」パキ! ポキ!

 

 

マンハッタンカフェ「あ、あの…………」

 

和田T「そうだ。カフェもこの場で待機ってことでいいのかな?」

 

斎藤T「いえ、大恩あるシンボリルドルフやビワハヤヒデたちの卒業式なんだから、礼儀として生徒には出席してもらいます」

 

アグネスタキオン「ええー? 私もなのかい?」

 

飯守T「それって危険なんじゃ?」

 

斎藤T「せめて、1周目は参加してください。1周目の状況から具体的な対策を講じることになるので」

 

アグネスタキオン「じゃあ、危なくなったら助けておくれよ、トレーナーくん? そのためにどんな怪物にも負けない強靭な肉体にしてあげたんだからさ?」

 

斎藤T「それはもちろん。場合によっては私やアグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍で何とかする」

 

斎藤T「ただ、1回だけなら それで終わりでいいけど、襲撃に至る因果関係がわからないから、再発防止のために情報を可能な限り引き出したいのが正直なところではある……」

 

マンハッタンカフェ「……本当に大丈夫なんですか?」

 

斎藤T「まあ、不安なことは多々あるけれども、大丈夫なんだと信じる他ない。全てはうまくいくようにできているのだと」

 

ピースベルT「そうよ! みんなも不可能に思えた大きな夢をウマ娘ちゃんと叶えてきた実績があるんだし、これから輝かしいトレセン学園のまだ見ぬ明日を掴み取るために張り切っていきましょう!」ドン!

 

ピースベル「ね」ニッコリ

 

飯守T「そうだ。もしかしたら、思っていたよりも簡単に終わるかもしれないし。やれるだけのことはやったら、後はウマ娘を信じてレースの結果を見守るのがトレーナーってもんだ」

 

和田T「なんだって言ってください! 何度も救われた命、これで恩を返せるのなら!」

 

アグネスタキオン「やる気は十分だねぇ。なら、さっさと終わらせてカフェの“春シニア三冠”も見届けさせておくれよ。現役の子にとっては卒業式の後からがレース本番なのだし」

 

マンハッタンカフェ「タキオンさん……」

 

マンハッタンカフェ「私も“お友だち”と一緒に警戒を怠らないようにしておきます」

 

マンハッタンカフェ「ですので、みなさん、よろしくお願いします」

 

ピースベルT「まかせて、カフェちゃん♡」ウフッ

 

マンハッタンカフェ「は、はい……」

 

アグネスタキオン「……鐘撞T。事情は理解しているから、私たちの前だけでも普通にしてもらえないか?」

 

アグネスタキオン「正直に言って、3年の空白(ブランク)があるとは言え、私たちにとってはビワハヤヒデの担当トレーナーである有馬一族の華麗なる貴公子のイメージがあるのだから、気色悪いぞ」

 

和田T「い、言ったぁ……」

 

飯守T「言っちゃったぁ……」

 

ピースベルT「いやなの~♪ これで鐘撞Tとして普通に振舞ったらパニックになるでしょう♪ ふざけた格好にはそれに相応しい頭がおかしい立居振舞をしないと脳がバグるから、みんなのためにも私はこれでいいの~♪」フリフリ!

 

マンハッタンカフェ「で、でも、斎藤Tとそう差がない身長で、とてもキレイな顔立ちだと、目の前にした時に言葉が詰まると言いますか、とにかくビックリします……」

 

ピースベルT「そうよ♪ 私こそが絶世のウマ娘:ピースベル♪ みんなのハートをキュンキュンさせるの♪」

 

和田T「だ、ダメだぁ………………これを有馬一族出身の鐘撞Tだと脳が受け付けないぃ!」ウゲーッ!

 

飯守T「これは残念というか、痛々しいというか、年甲斐もないというか、キツイです……」ウワー・・・

 

斎藤T「だから、無言でいさせるしかなくなるんです」

 

和田T「うう……、斎藤Tは元々の鐘撞Tの姿を見たことがないから平気か……」

 

飯守T「そういう意味では過去の姿と今を比べることも偏見になるのかも……」

 

 

斎藤T「――――――『過去と今を比べることもまた偏見』か」

 

 

アグネスタキオン「どうしたんだい?」

 

斎藤T「因果律に基づくと、どんな悲劇も元を辿れば一本のマッチ棒というちっぽけなものに行き着くという話を思い出した。そこから災の芽が育っていくわけだ」

 

アグネスタキオン「ああ、『火の用心 マッチ一本 火事の元』の夜回りの掛け声のことかい」

 

斎藤T「これまでの時の牢獄(日めくりカレンダー)の発動条件は、事態の解決に必要なものが全て揃っていることが前提となっていて、それらをうまく当て嵌めることで明日を迎えられる仕掛けになっていた」

 

斎藤T「すでに解決に導くために必要な要素は全て揃っているけれども、その時にならないと使い道がわからないものがあるということにもなる――――――」

 

 

それがこれまで何度も時間の巻き戻り(タイムリープ)に巻き込まれてなお明日を迎えてきた私が経験則で理解していた時の流れの掟であり、私はそこに神々が定めた『こうあって欲しい』という願いが込められた筋書きなるものが存在することを明確に体感していた。

 

全ては神々が書いた脚本通りに同意なしに事が進められていることに異議を唱えることも簡単なのだが、私の場合は時間の牢獄から出るために課せられた目標を達成しなければいつまでも明日を迎えられなかったため、目標達成を監視する上位存在の意志を認識せざるを得なかったのだ。

 

実際、私は何から何まで21世紀の人間から常人離れした存在となっており、普通の人間には受け取ることができないものが見えたり、聞こえたり、感じたりすることができるため、段々と考え方も俗人離れしてきているのは間違いない。離れすぎないように現代の事情も学ぶ努力も欠かさないが。

 

だから、私という存在は世界の命運を操る上位存在の意志を代行する操り人形ということにもなり、常人と異なるのはそれが世界の在り様であると認識しているかどうか受け容れているかの差ということになる。

 

ただ、そのことに関して不平はあっても不満ということはなく、私がそういう使命を背負わされたのも私がそういった冒険心を持った人間だから自分から求めていたことで選ばれたのだと内心では納得できるものがあった。

 

そして、21世紀のヒトとウマ娘が共生する地球に“斎藤 展望”として覚醒してからまだ1年も経っていないのに、私は門外漢でありながら世界に冠たるウマ娘天国である日本の国民的スポーツ・エンターテインメントの夢の舞台の命運を握るほどの重要な立ち位置につくことになった。

 

更には、そこから一国のみならず世界の命運すらも左右する重要な歴史の転換点にも関わることにもなり、あくまでも宇宙移民としての未開惑星への過度な干渉は避けつつも、その未開惑星の住人の一人としてできる精一杯を貫き通す健全かつ不器用な生き方をすることにもなっている。

 

やろうと思えば23世紀の世紀の天才である私がもたらす宇宙科学によって宇宙時代への文明開化を牽引することも可能ではあるし、そうした方が何事も私の意のままになって圧倒的に楽だというのもわかっている。

 

けれども、技術の進化に対して人々の心の在り方や価値観の変化が追いつかないのだ。軍備撤廃を自らの理想とながら理性でもって果たせないような臆病で姑息で卑怯で利己的で浅はかな現人類に23世紀の宇宙科学を提供したところで、待っているのは更なる軍拡競争の悲劇でしかないだろう。

 

たしかに世紀の天才の一人に数えられた23世紀の技術者からすれば、200年も前の昔の時代の21世紀の最新技術の程度の低さに呆れることは多いが、それ以上に地球圏統一国家を建国できない未熟で蒙昧で偏狭な国家観に縛られた技術体系にこそ失望することが山ほどあった。

 

無駄な軍拡競争に金を使うよりも、その軍事費を教育費や研究費に充てれば、どれほどの技術革新がもたらされるのかを計算できずに安全保障がどうのこうのと騒いでいるのが21世紀の人間というやつらしい。

 

戦争などという基本的人権の尊重などなかった近世の時代遅れの思想の人間でもできたことを今でも繰り返して反省と後悔を繰り返す様は滑稽でしかない。現代日本人の子供に『昔は山口県が鹿児島県と組んで東京都に戦争していた時代があった』なんて言ったら何を思うことだろう。

 

でも、それが国家を統一すること、内乱を起こさない天下統一の意義と実態でもあるのだ。昔は群れや村同士の争いから発展して都市が発達して、やがては国へと社会が成長するに従って秩序が安定して武力衝突が起きづらくなっていくのだ。

 

だから、地球圏統一が果たされて久しい23世紀の宇宙時代の人間としては地球人同士で争っている状況は他所様には決して見せられない恥ずべき醜態であるわけで、地球文明の後継者の看板を背負って星の海を渡る宇宙移民なら尚更である。

 

どれだけ地球の素晴らしさを地球文明の後継者たる宇宙移民の私が完璧にプレゼンテーションして異星人たちに好評を博したところで、地球に憧れて遥々やってきた異星人たちが実物を見てガッカリするようなことになるのは遙かなる宇宙に人類圏を拡げる使命を受けた宇宙移民としての誇りが汚されたことになるのだ。

 

それぐらい筆舌に尽くしがたいジェネレーションギャップを常々感じながら21世紀の異なる進化と歴史を歩んだ地球で生きているわけであり、23世紀の未来の常識を200年も過去の時代に当て嵌めて正当性を問うのは法の不遡及に反することであり、地球圏統一国家が不成立の未開惑星に対する過度な干渉を避けなくてはならないことでもあるので悶々とするのだ。

 

過去の地球あるいは異なる進化と歴史を歩んだ並行世界の地球であろうと地球は地球であり、宇宙移民の偉大なる母星であり誇りであり精神の柱でもあるので、未開惑星を完全に脱して未開惑星を慮る立場になったはずの地球人が未開惑星だった頃の野蛮な時代があったことを現実に突きつけられるのは非常に堪えるものがある。

 

しかも、『戦争にならなければ平和である』という概念も善悪二元論でしか物を考えられない甘ったれの戯言であり、『犯罪がなければ平和である』と理想の社会や生活に近づけるべく言葉を変えていける発想力もないときた。

 

 

――――――わからないんだろうな。『修身斉家治国平天下』という言葉も知らないのだろうし。

 

 

だからこそ、今回の戦いは力で勝つだけじゃ解決しない難問だということがありありとわかってしまう。力には力で対抗できる分だけ、並行宇宙の侵略者であるWUMAとの戦いの方が何倍も楽なのだとこうしてわからされてしまっている。

 

そして、人々を育む叡智の究極というのが無駄を極限まで省く;最小限の努力で最大限の効果を発揮させるのが理想の上司の在り方だと言うのなら、世界の運命(舞台の台本)を書いている上位存在の使い走りをさせられている“斎藤 展望”に与えられた全てが必要最小限にして必要不可欠の要素の集まりだとも言える。

 

なら、復活した“斎藤 展望”がこれまでトレセン学園で得てきたものの中で今回の卒業式でもっとも影響が大きいものとは、すなわち――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――今日で私のトレセン学園の日々は終わる、か。

 

 

 

 

 

シンボリルドルフ『……ダメだ。忘れたくない。忘れられるものか』

 

シンボリルドルフ『……みんな、行かないでくれ。一人にしないでくれ』

 

シンボリルドルフ『……いやだ』

 

シンボリルドルフ『……いやだ』

 

シンボリルドルフ『……いやだぁ!』

 

 

 

 

 

シンボリルドルフ「うわあああああああああああああああああああああ!?」ガバッ

 

シンボリルドルフ「あ」ゼエゼエ・・・

 

シンボリルドルフ「ああ……」ゼエゼエ・・・

 

シンボリルドルフ「………………フゥ」

 

 

シンボリックリンク”「ああ、また怖い夢を見ていたのですね、お客様。とても魘されていましたよ」クスクス

 

 

シンボリルドルフ「え?」

 

シンボリルドルフ「だ、誰だ……」

 

シンボリックリンク”「おや、お客様。私のことをお忘れですか」フフッ

 

シンボリックリンク”「お客様がトレセン学園で最初の3年間を終える前に初めて契約を結んで、()()()()()()()()()()()となりますのに」

 

シンボリルドルフ「――――――最初の3年間から『9年』? 何の話をしている?」

 

シンボリックリンク”「お客様。お喜びください。私はお客様と結んだ契約に基づいて、ようやく準備を終えることができたのです。卒業式の今日この日に間に合ってよかったですね」

 

シンボリルドルフ「え?」

 

シンボリックリンク”「お忘れですか? お客様はお望みになられたではありませんか? 思い出せませんか?」

 

 

――――――さあ、お受け取りになってください。世にも不思議な時間を巻き戻す“置き時計”を。

 

 

そう言ってシンボリックリンク”と名乗る妖しい影が卒業式が間近となってブルーな気分に染まって悪夢に魘され続けてきたシンボリルドルフの寮室に見るからに高価な“置き時計”を置く。

 

その“置き時計”は100万円はくだらないだろう高級時計であることを一目で理解させる全体的にメタリックでガラス張りに覆われた金色の装飾の上にガラスドームの中には太陽を中心に地球と月がリアルタイムで自転と公転を繰り返し、1年かけて実際に地球が太陽の周りを1回転するのを再現していた。天体時計である。

 

更にガラスドームの中の地球が公転する円盤は黄道十二星座が配置されており、時計が1日24時間という情報だけを表現できるものではないということを雄弁に物語っていた。

 

時計と言ったら1日24時間であるという一般庶民の常識を打ち壊す 天体時計搭載のガラス張りの金色に照り輝く“置き時計”は地球と太陽と月の動きすらも盤上で表現することができるのだ。

 

 

――――――だからこそ、精巧に造り込まれた工芸品である“置き時計(アストロラーベ)”には魔力が宿った。

 

 

芸術が作者の内面を表現したものであるのなら、誰かに讃えられる人生とはある意味においてはその人が生きた足跡そのものが芸術的なまでに仕上がっているわけなのだろう。

 

けれども、誰だって悲しいことや惨めな思いはしたくない;楽がしたいのは当たり前のことなのだから、人々はそこに至るまでの過程を顧みることはなく目の前に形として現れた結果ばかりを求め、当然の権利のように形になったものを僻むのである。

 

そして、結果を掴むための過程の大変さを理解しているからこそ、結果を掴み取った人間は過程を無視して結果を求める上辺ばかりの人たちを軽蔑するようにもなる。

 

でも、それはある意味においてはしかたのないことであり、ある意味においては当然のことでもあるのだから。

 

 

――――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 



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第二次決戦Ⅰ シンボリルドルフがいないトレセン学園 -八冠の女王の世界-

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

嫌な胸騒ぎがしてならない卒業式が厳かに始まる。

 

トレセン学園の全校集会は土日のウマ娘レースの出走した生徒たちに振替休日を与える関係上、火曜日に行われるのが定例となっていることから、トレセン学園の週明けとは一般には火曜日のことを指す。

 

つまり、先日の月曜日は卒業式前の卒業生個人個人に向けた有志主催の送別会で学園が貸し切りになっており、ピースベルTこと鐘撞Tの愛バ:ビワハヤヒデも主賓としてもてなされていた。

 

そこにはかつての友人であるウイニングチケットとナリタタイシンもやってきており、面と向かって『トゥインクル・シリーズ』の完走、『ドリーム・シリーズ』への昇格、我らが母校:トレセン学園の卒業を記念して花束を贈呈していた。

 

同じ頃、私とピースベルTはアグネスタキオン’(スターディオン)と共に東京半蔵門線の“情け有馬の水天宮”で恐るべき神託を受けた後、百尋ノ滝の秘密基地に持ち込む生活用品の買い出しをしていた。

 

そんなことをしていると、世にも不思議な時間が巻き戻る“目覚まし時計”が一人でに発動し、私の頭の中に同じ日が何度も繰り返される日めくりカレンダーのイメージが浮かび上がるのだ。

 

だから、明日の卒業式には時の牢獄が発動して絶対に解決しなければ明日がないほどの不測の事態が起こることがわかり、使えるものをありったけ総動員して今回の超時空の大決戦に挑むことになった。

 

トレセン学園を黄金期に導いてきた“皇帝”シンボリルドルフの卒業式ということで世間の注目を集める中、私たちは警戒態勢を敷いてピリピリとした雰囲気を出している警察や民間警備会社のERT(緊急時対応部隊)と同じくらいの気持ちで、心を落ち着けながらそれぞれの持場で卒業式の中継を見ていた。

 

そして、私たちは孤独の群衆の中でありえない展開に驚愕した――――――。

 

 


 

 

●1周目:3月12日/トレセン学園卒業式

 

和田T「――――――ここまでは特に異常なし」

 

和田T「警察隊近くに張り込んでいる飯守Tからも『異常なし』です」

 

斎藤T「しかし、エレベーター式に中等部から高等部に進学できる中高一貫校とは言え、中等部卒業者と高等部卒業者の比率がおかしいですね」

 

ピースベルT「うん♪ それはしかたないの♪ 中等部に夢いっぱいに胸を膨らませて入学してきて そのままメイクデビューを果たした子が“エリートウマ娘”って呼ばれるように、トレーナーからスカウトを受けてメイクデビューできるってだけでもお祝いを受けるぐらいなんだから♪」ウフフッ

 

和田T「まあ、『選抜レース』でもそこそこの成績でスカウトされそうでうまくいかないままズルズルと引きずったまま中等部を卒業する子もいないわけじゃないですよ。いつかは自分にもチャンスがやってくるものだと信じている子もいますから」

 

和田T「けれども、『選抜レース』でそこそこの成績でスカウト候補になることもできない子たちは自分の才能に見切りをつけて、高等部の偉大なる先輩たちと一緒に卒業する誉れを受け取ることになるんですよね」

 

和田T「もっとも、トントン拍子で『選抜レース』で好成績を残して見事にトレーナーからのスカウトを勝ち取った“エリートウマ娘”ほど、卒業の日を迎えることなく、学園からいなくなるもんなんですけどね」

 

斎藤T「……そうだとすると、和田Tが下積みしていた万年G2勝利が目標の底辺チームって、実はかなり学園生活を満喫できてません?」

 

和田T「そうですよ。誰もがG1勝利を目指して血反吐を吐くような思いをして厳しいトレーニングに励んでいる中、重賞レースに参加枠をもらえるぐらいにはほどほどに勝って好走できるぐらいの才能があるわけですから」

 

ピースベルT「でも、そういう小遣い稼ぎの感覚で程々にレースを走るQOL重視のポニーちゃんたちがね、トレセン学園の素晴らしき青春ライフの良い広告塔になっているわけだから、そういう層も集客には必要なわけなの♪」キラキラ

 

和田T「え、そうだったの!? あいつらがぁ……? あんなのがぁ……?」

 

ピースベルT「ダメよ♪ ダメダメ♪」メッ

 

和田T「え」

 

ピースベルT「女の子にはいろいろあるんだから♪」ウフッ

 

和田T「あ、はい……」

 

斎藤T「そうですよ。女の子の本性が顕になった底辺チームでの下積みのおかげで、あなたは『天皇賞』勝利に邁進する約束されたG1ウマ娘の心と胃袋を掴むことができたのですから」

 

斎藤T「憧れの夢の舞台の裏側を知って理解したからこそ、あなたはメジロマックイーンの担当トレーナーになれたのです」

 

斎藤T「無駄なことなんて何一つとしてないんです、この世の中には」

 

和田T「……ありがとうございます。何度もそう言ってもらえて」

 

和田T「俺、本当にこんなんでG1勝利のトレーナーだって胸を張れるものがないように思えて。全部、マックイーンが実力で掴み取ったものであって、俺がトレーナーとしてどれだけやれたかなんて――――――」

 

ピースベルT「もう♡ カワイイ♡ このこの♡」ムフッ

 

和田T「ぴ、ぴええぇ……」

 

ピースベルT「そんなの、『名家』のウマ娘は期待してないから♪ 最初から全て仕上げてトレセン学園に送り込んでいるんだから、全力を発揮できるようにすれば必ず勝つって豪語するのが『名家』ってもんよ♪」ニコニコ

 

ピースベルT「だから、『名家』にとってトレーナーなんてものは最高のトレーニング環境を提供してくれている中央トレセン学園でのお目付け役としての役割を果たしてくれるだけで十分なのよ~♪」ニコニコ

 

ピースベルT「だって、走るのはウマ娘だし~♪ 結局、トレーナーも最後は自分の担当ウマ娘を信じてスターティングゲートに送り出すしかないもんッ♪」ニコニコ

 

和田T「あ……」

 

ピースベルT「けど、そんなのはウマ娘の『名家』を豪語するための建前や心構えの話であって♪」ウキウキ

 

ピースベルT「女の子はね、やっぱり頼り甲斐ある年上の人に憧れるちゃうもんなのよ♪ 男でも女でも関係なく♪」ワクワク

 

ピースベルT「だから、そうやってね、自分のために必死に頑張ってくれるトレーナーに胸がキュンってするの♡」ポッ

 

ピースベルT「マックイーンちゃんは『名家』のウマ娘として何かとお上品な振舞いをしなくちゃならないと気を張っているけれど、自分が好きなものを心置きなく語り尽くせる殿方がいるだけで身も心も満たされちゃった♡」ドキドキ

 

和田T「……そういうものなんですか?」

 

ピースベルT「そうよ♪ マックイーンちゃんにとって、応援している球団の試合で一緒に大盛りあがりできて、大好きなスイーツを楽しめるだなんて、人生で最高の贅沢だから♪」ニコニコ

 

ピースベルT「大好きなことは大好きな人と楽しみたいから♪」ドンッ!

 

ピースベルT「大好きなところを知っているあなたはそれだけの価値があるのだから♪」ニパァ!

 

和田T「――――――『大好きなところ』か」

 

和田T「……マックイーン」

 

斎藤T「……これが“万能ステッキ”か」

 

 

ピースベルTこと鐘撞Tは“天上人”と謳われるほどのトレーナーの『名門』の出身であるが、それ以上に鐘撞Tを存在を不動のものにしたのは“万能ステッキ”と呼ばれるほどの多芸多才ぶりにあった。

 

というよりは、自身が『名門』である上に久留米藩有馬家をルーツに持つ有馬一族と有馬財閥の御曹司という『名族』であることが一般的なトレーナーの価値観から掛け離れているところが最大の特徴であった。

 

言うなれば、ピースベルTの本来の姿であった“万能”ビワハヤヒデの担当トレーナーだった頃の鐘撞Tもまた、私と同じくまともな動機でトレセン学園のトレーナーになろうとしなかった門外漢であったということだ。

 

あるいは、ライバルであった“皇帝”シンボリルドルフの担当トレーナーが“皇帝の王笏”というシンボリルドルフの才能に依存したもっともらしい(僻みのこもった)渾名をつけられていたのに対して、“天上人”鐘撞Tが自称した“万能ステッキ”は高位の人間がお忍びで宮廷道化師を演じていることの強い自己主張であるようにも受け取られていた。

 

そもそも、自身がトレーナーの『名門』だから親の後を継いでトレセン学園のトレーナーになったわけでもなく、有馬財閥の御曹司でもあるからこその非常に恵まれた生活からの“手に汗握る熱い勝負”を求めたから現在があり、完全なる浮世離れである。

 

要するに、正真正銘のおぼっちゃまであるが故に何でもやれて何でもできる環境に飽き飽きし、自分の興味を満たすものを求めて次から次へといろんなことに挑戦しては人並み以上の才能からすぐに他人よりもうまくなってしまうのに慣れすぎた生粋の道楽者であると同時に、飽き性だからこそ自身のルーツがサムライにあることもあって真剣勝負の世界に強い憧れを抱いてもいたわけなのだ。

 

そう、恵まれた環境に生まれ育った生粋のおぼっちゃまだからこそ、才能も実力も財産もあるわけで、その才能を持て余した日々を送ってきているのだから、G1勝利を目指して鎬を削るウマ娘やトレーナーたちの苦労を面白可笑しく間近で見物しようと囃し立てていたのが鐘撞Tの存在感の大きさであった。

 

近代ウマ娘レースとは元を辿ればヨーロッパの王侯貴族の道楽でやっていることであり、トレーナーとしての栄誉も勝ち負けも賞金も本物の貴族からすれば些細なことに過ぎないのだ。そんな端金程度の賞金で飛び跳ねるぐらい喜ぶ様を観察して滑稽に思うのが鐘撞Tである。

 

そして、そんな王侯貴族の道楽ごときに自身の存在意義を懸けて全身全霊を尽くして無念の敗北の末に夢破れて去っていくウマ娘の背中を見送るのも大好物であり、“天上人”として決して味わうことのない栄光と挫折の一幕に一喜一憂する群衆の様子がおかしくてしかたがなかった。

 

 

そうである。トレセン学園に配属当初の鐘撞Tは真剣勝負の末に栄光を掴んだ勝者も惨めさに打ちのめされて挫折した敗者も等しく見世物として楽しむぐらいに底意地が“天上人”であった。

 

 

だからこそ、鐘撞Tにとって『名家』が送り出した新時代を切り拓く最強のウマ娘:シンボリルドルフは興味の対象になり得なかった。

 

なにしろ、『名家』のウマ娘でありながら『名門』の自分と同じくウマ娘レースの本質を王侯貴族の道楽と冷めた眼で見ており、勝つことが『名家』のウマ娘として当たり前の責務であるとは言え、ウマ娘レースそのものがくだらないと思っているのがわかってしまったからだ。

 

しかも、シンボリルドルフの圧倒的な走りに最初からみんな恐れ慄き、『名家』であることも相まって誰も立ち向かおうとしないのだから、これでは真剣勝負の末に勝者と敗者がわかれる栄光と挫折の瞬間を見ることができないのだから実に興醒めである。

 

なので、鐘撞Tは最初からシンボリルドルフと真剣勝負の末に奇跡の勝利を収めて舞い上がるほどのウマ娘か、どれだけ努力しても叶わないことを悟って絶望に沈んでくれるウマ娘を求めて回ったのだ。

 

あるいは、シンボリルドルフを負かして彼女を応援しているファンたちを絶望に沈めるほどの最凶のウマ娘を求めて――――――。

 

そんなわけで勝とうが負けようが二つに一つであり、名門中の名門トレーナー一族の御曹司は自身の立場を鼻にかけることなく、決して偉ぶることなく、寄り添うように気さくにどんなウマ娘とも別け隔てなく接するため、その人気は“皇帝”シンボリルドルフと学園を二分するほどにあった。

 

もちろん、名門トレーナーやベテラントレーナーなら見向きもしないようなウマ娘にも時間を割くぐらいであり、その在り方の本質はトレーナーなどではなかった。

 

 

つまりは、勝ち負けといった記録ではなく、“手に汗握るレース”という記憶に残る勝負になるように場を大いに盛り上げる興行師(プロモーター)であったのだ。

 

 

だから、鐘撞Tは“天上人”として地上を這う蟲のさざめきに妄想を拡がらせてトレセン学園の日常を芝居に見立てていた。

 

そうしてできあがった戯曲を噂好きの子や記者たちに面白可笑しく語るのだから、鐘撞Tの胸三寸でウマ娘レースのトレンドが決まるぐらいに発信源(インフルエンサー)としても卓越しており、史上初の“無敵の三冠バ”誕生の瞬間の興奮をこれでもかと盛り上げた結果が総生徒数2000名弱のトレセン学園の黄金期である。

 

そして、その“皇帝”シンボリルドルフのクラシック戦線を盛り上げるために最終的に鐘撞Tが自分の担当ウマ娘としてスカウト候補に上がったのがビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケットの3人“BNW”であったのだ。

 

最終的には鐘撞Tがビワハヤヒデを担当ウマ娘としてスカウトするわけなのだが、その決め手となったのは『すでに“怪物”として入学前から噂になっている最愛の妹:ナリタブライアンが満足するようなレースをするため』にビワハヤヒデは“勝利の方程式”を打ち立てるという物語性(台本)――――――。

 

そう、この頃の鐘撞Tにとっては“天上人”として地上のノミ共が必死に生き足掻くさまを見下ろすのが サムライを先祖に持ちながら真剣勝負の世界には縁遠い 何でもやれて何でもできる 自分が抱く一番の関心事であったわけであり、

 

もちろん、素直にビワハヤヒデの“勝利の方程式”に関心を抱いたわけでもなく、ビワハヤヒデの言う『妹と最高のレースをする』望みなら、そのための“勝利の方程式”が実現しようがしなかろうが、どちらでも楽しめそうだと思ったからである。

 

ここまで言えばわかるだろうが、ビワハヤヒデが溺愛する妹:ナリタブライアンの実際の“怪物”ぶりも鐘撞Tの偏執的な興味関心を満たすものがあり、その担当トレーナーにまったくもって頼りない無名の新人トレーナー:三ケ木Tが収まったのも最高に愉悦であった。

 

特にトレーナーバッジを賭けた三ケ木Tの常に崖っぷちの捨て身の行動の数々は“一所懸命”に言い表される真剣勝負の世界を体現しており、見ているだけでハラハラドキドキで結果を見届けるのがいつも楽しみになっていたぐらいに、鐘撞Tは三ケ木Tのことを『評価していた』というよりは()()()()()だった。

 

おかげで、相手がシンボリルドルフであろうと妹:ナリタブライアンと最高のレースをする約束で常に最善を尽くして誰よりも勇敢に立ち向かうことで、シンボリルドルフは出走回避によって競走不成立になることなく、史上初の“無敗の三冠バ”を達成することができたわけなのである。

 

それはこれから斎藤 展望が世界をより良く変えるタイムパラドックスのために自身の担当ウマ娘を“最強の七冠バ”シンボリルドルフさえ超える近代ウマ娘レースの神話を打ち立てるためにG1格へ昇格を目指す横浜トレセン予備校を利用して競走不成立を回避させる戦略を先取りしていたことになる。

 

 

そう、自分の担当ウマ娘が勝とうが負けようが関係ない。ただただサムライの末裔らしく見応えのある真剣勝負が見たいだけで、真剣勝負の結果にも人並み以上の興味関心があるというだけのことである。

 

 

そのために自身の損得や勝ち負けよりも自身の興味関心を最優先して真剣勝負の舞台を用意するのに終始し、それによって世間的には敵対関係に思われた“皇帝”シンボリルドルフや“怪物”ナリタブライアンであろうと別け隔てなく接し、結果として“三冠バ”の担当トレーナーになったことでいろいろと言われている2人の無名の新人トレーナーにも惜しみなく助力を図った。

 

その結果が自身の望み通りの“手に汗握る熱いレース”の数々であり、担当ウマ娘こそビワハヤヒデ唯一人であったが、黄金期を象徴する“三冠バ”のシンボリルドルフとナリタブライアンの名声を高める舞台を用意した影の功労者(最高の興行師)という意味では2人の“三冠バ”も鐘撞Tが世に送り出した(プロデュース)ようなものであった。

 

実質的に“皇帝”シンボリルドルフが入学してから卒業するまでの黄金期の前半を鐘撞Tが極限まで盛り上げ、自身がトレセン学園を離れた後のシンボリルドルフが生徒会長になってからの後半も最後まで支えきったのだ。

 

その功績をわかっているからこそ、鐘撞Tの一般人の感性から大きく掛け離れた本性を知って“皇帝”シンボリルドルフも“怪物”ナリタブライアンも“天上人”鐘撞Tには恩情から敬意を払うのである。

 

当然ながら、当時それだけの影響力を持ったトレーナーだったのだ。黄金期前半のルドルフ世代やブライアン世代が一番だと胸を張る世代ならば、当時のトレセン学園を導いていた三巨頭が誰なのかを迷わず答えることだろう。

 

 

――――――1に秋川理事長! 2にシンボリルドルフ! 3に有馬一族の御曹司!

 

 

そう、“無敗の三冠バ”シンボリルドルフが生徒会長となって高等部に君臨し続けること3年;たった3年、されど3年――――――。

 

知らない人は知らない。その3年にその場にいない者は無情にも忘れ去られるのが世の常であり、あれだけの存在感を放った鐘撞Tの存在は無情にもトレセン学園の忘却の彼方へと流されていったのだ。

 

それでも、記録よりも記憶に残る方の存在であった鐘撞Tのことを知る者は多かれ少なかれシンボリルドルフとトレセン学園を二分した偉業の数々と歴史を動かした快男児の風采を鮮明に憶えていることだろう。

 

 

だからこそ、鐘撞Tの今の姿であるピースベルTの変わり果てた姿には知る者が知れば誰もが拒絶反応を示すことだろう。知らぬ者も呆気にとられること間違いない。

 

 

ところが、こうした鐘撞Tの暇を持て余した“天上人”の本性を世話の焼ける妹ですら理解していたのに一番身近に接していた担当ウマ娘:ビワハヤヒデはまったく気づかなかったどころか、

 

努めて理知的に振舞っておきながら常に一所懸命なところが一周回って頓珍漢な回答を導き出すボケっぷりが鐘撞Tのツボにハマっており、掛け値なしに非常に相性が良かったようなのだ。

 

そして、あらゆる可能性を模索して“怪物”ナリタブライアンに立ち向かえる自分だけの武器を鍛え上げるビワハヤヒデのために最高に盛り上がる戦いの舞台を用意する完璧な仕事をしてきたのが鐘撞Tである。

 

そのため、勝とうが負けようが常に感動がバ場全体を包み込むわけであり、それはレースだけじゃなく、2人が行く先々に降り注ぎ、一緒にいて飽きがまったくこないことで いつからか観察対象に過ぎない担当ウマ娘に特別な感情を抱くようになっていた。

 

そういう意味では、一般的には“皇帝”シンボリルドルフや“怪物”ナリタブライアンに一歩及ばない印象の“万能”ビワハヤヒデではあったが、とうの“三冠バ”2人からすれば大恩ある“天上人”に特別な感情を抱かせたビワハヤヒデはレースの勝ち負けに関係なく偉大なウマ娘であると常々実感しているのだ。

 

だからこそ、鐘撞Tは3年目:シニア級のシーズン後半に志半ばで不治の病に倒れたことで自身の短い人生を振り返ると、シンボリルドルフで楽しむつもりで選んだ自分の担当ウマ娘:ビワハヤヒデの存在が自分の中でどれだけ大きくなっていたことを自覚せざるを得なかったのだ――――――。

 

 

●????:3月12日/トレセン学園卒業式

 

――――――

司会「卒業生代表答辞」

――――――

 

和田T「卒業証書授与の次に長い長い祝辞も終わって、いよいよ“皇帝”シンボリルドルフの最後の登壇か」

 

ピースベルT「秋川理事長、見ない間に随分と貫禄がついてたね~♪」フフッ

 

斎藤T「――――――ッ!」ガタッ

 

和田T「どうしました?」

 

斎藤T「今さっき、何かが――――――」

 

和田T「え」

 

ピースベルT「?」

 

――――――

司会「卒業生代表:アグネスオタカル!」

――――――

 

和田T「……あ、『アグネス』!? 『アグネスオタカル』!?」

 

斎藤T「――――――シンボリルドルフではない!?」

 

和田T「誰ええええええええ!?」

 

和田T「というか、卒業証書授与で『アグネスオタカル』なんて呼ばれてなかっただろう!?」

 

ピースベルT「ナニコレ」

 

斎藤T「――――――『オタカル』。『アグネスオタカル』か」

 

和田T「ハッ」

 

和田T「応答せよ、応答せよ! 飯守T! 返事をしてくれ!」

 

ピースベルT「どうしたの?」

 

和田T「見て! さっきまで映っていた飯守TのGPSが! 飯守Tの反応が消えた……!」

 

斎藤T「なにっ!?」ガタッ

 

斎藤T「くっ!? 悪い予感が中たった!」ダダッ

 

和田T「あ、斎藤T!」ダダッ

 

ピースベルT「くっ」ダダッ

 

 

ダッダッダッダッダッダッダッ!

 

 

ピースベルT「反応が消えたのはこの辺りよね……」

 

和田T「おーい! 飯守T! どこに行ったんだ!?」

 

斎藤T「ちょっと待って!」

 

ピースベルT「?」

 

和田T「どうした!?」

 

斎藤T「おかしい! この方角ならばトレセン学園を見下ろせる黄金期の記念碑となるエクリプス・フロントがあるはずなのに、エクリプス・フロントがない!?」

 

和田T「あ、ホントだ!? トレセン学園からはっきり見える高層ビルがなくなってる!? 来賓はたしかあそこのヘリポートで来ていたはずでローター音がはっきりと聞こえていたってのに!?」

 

ピースベルT「へ、へえ? そうなんだ……?」

 

ピースベルT「言われてみると、朝方見た風景と何かいろいろと変わってない?」

 

斎藤T「……今すぐにトレセン学園の生徒名簿とかウマ娘レースの戦績一覧を調べてみよう」

 

和田T「あ、ああ! 誰だよ、アグネスオタカルって!? 冠名からして『名家』アグネス家の何かなんだろうけどさ!?」

 

ピースベルT「そうね。ここは冷静に情報を集めてみましょう」

 

 

何が起きてしまったのか、私たちは 突然 未知の世界に迷い込んでしまっていた。

 

卒業生代表に選ばれるのは誰がどう考えても“皇帝”シンボリルドルフであるべきだし、退屈極まる祝辞の前にあった卒業証書授与にさえ呼ばれていなかった私たちの誰も“アグネスオタカル”なるシンボリルドルフを差し置いて卒業生代表に選ばれるウマ娘のことを知らない。

 

そして、突如として飯守Tの存在が地球上から消えたばかりか、トレセン学園の歴代生徒会長や卒業生の名簿やシンボリルドルフが入学して卒業するまでの6年間の中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の歴史を調べるだけで、私たちは異世界に迷い込んでしまっていたことに気づいた。

 

 

なんとアグネスオタカルの世界(仮称)の中央競バ『トゥインクル・シリーズ』に“無敗の三冠バ”を達成したウマ娘はいまだ存在せず、近年で“神メ”シンザンに続く“三冠バ”は暗黒期に活躍したミスターシービーの後には“怪物”ナリタブライアンしかいないというのだ。

 

 

それだけじゃなく、驚異の天才トレーナーによってシンボリルドルフに続く“無敗の三冠バ”に到達したミホノブルボンはアグネスオタカルの世界(仮称)では“無敗の二冠バ”止まりになっていた。

 

それどころか、ミホノブルボンによる史上初の“無敗の三冠”達成を阻止し、メジロマックイーンによるメジロ家三代による『天皇賞』制覇を阻んだライスシャワーが“悪役(ヒール)”として世間の批難にさらされ、勝ったのに会場がブーイング一色に染まるほどの異常事態が二度も続いたのだ。

 

もちろん、良識ある人間やライスシャワーのファンは勝者に対する無礼極まる事態に激怒し、ライスシャワーのファンとアンチの間で大規模な衝突が各地で巻き起こり、トレセン学園やウマ娘レースに対するイメージ悪化が取り沙汰されていたのだ。

 

とうのライスシャワーを担当ウマ娘にして“グランプリウマ娘”にまで一緒に駆け上がった元甲子園球児の熱血トレーナー:飯守Tが悔しさのあまりに血涙を流しそうな別世界の陰惨なトレセン学園の歴史に震えが止まらなくなる。

 

 

そう、ほとんどの内容が私たちの世界よりも予言書『プリティーダービー』に近い悲劇に見舞われたものになっていたのだ。

 

 

しかも、“最強の七冠バ”シンボリルドルフがトレセン学園に存在しないためか、“皇帝”の後を継がんとした“帝王”トウカイテイオーの存在も確認できないのだ。岡田Tの名前も見当たらなかった。

 

その一方で、シンボリルドルフが存在しない代わりに私たちの世界では“無敗の三冠バ”誕生の踏み台になったビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケットが三冠を分け合った形でBNW世代を形成していたのである。

 

そのため、ビワハヤヒデの元担当トレーナーである鐘撞TことピースベルTとしては自分が“最強の七冠バ”シンボリルドルフ誕生を祝うために用意したBNWが別世界でクラシック三冠を分け合っていたことに運命を感じていたものの、それ以上に常に大胆不敵で余裕綽々の表情は凍りついていた。

 

 

――――――そして、謎の卒業生代表:アグネスオタカルの正体がわかった。

 

 

アグネスオタカルはクラシック路線のBNW世代の活躍の裏で別の意味で史上初の“無敗の三冠バ”を達成したティアラ路線の覇者であったのだ。まさにこの世界で卒業生代表になるのも文句なしのシンボリルドルフに比肩する存在であった。

 

しかも、クラシック級のティアラ路線で『有馬記念』までも勝利している“無敵の八冠バ”なのである。

 

なぜ八冠なのかと言えば、トリプルティアラ『桜花賞』『オークス』『秋華賞』に加えて旧トリプルティアラ最終戦『エリザベス女王杯』にも参戦して勝利しているからである。

 

つまり、『エリザベス女王杯』の後に同じ11月の『ジャパンカップ』にも出走しているわけで、更には同年の『有馬記念』にまで勝利しているのだから、クラシックG1レースを6勝するという規格外すぎる存在になっていた。

 

なので、G1勝利数で言えば“最強の七冠バ”シンボリルドルフよりも1つ多い“無敵の八冠バ”アグネスオタカルの方が戦績は上なのだが、あくまでも“無敵の八冠バ”と呼ばれているところにティアラ路線に対する偏見があることを感じてしまう。

 

ティアラ路線だったからクラシック路線のBNWと覇を競わずに“無敗の三冠バ”になれたのだと酷評されることもあったぐらいなのが、『エリザベス女王杯』『ジャパンカップ』と連闘して優勝し、『有馬記念』すらも制しているともなれば、表立ってティアラ路線の最強ウマ娘に対する陰口を叩くこともできない。

 

ところが、ティアラ路線最強のウマ娘が『ジャパンカップ』『有馬記念』まで制してクラシック路線の人気が落ちたことで、トリプルティアラと関連が深い女性解放運動も盛り上がることになってしまい、間違った女尊男卑が流行したことでその遠因となったアグネスオタカルにマイナスイメージがつきまとうことになってしまった。

 

そのため、素直に“無敵の八冠バ”を褒め称えたくないという声が根強く残っており、シンボリルドルフ以上の偉業を成し遂げていながら、どうにも人気が振るわない印象を覚えた。

 

そう、ミホノブルボンとメジロマックイーンに勝ったのに“悪役”にされたライスシャワーと同じく、本人の意志とは無関係にトレセン学園とウマ娘レースのイメージを悪化させる遠因になっていたようなのだ。

 

事実、“最強の七冠バ”シンボリルドルフが君臨した黄金期によって総生徒数2000名弱を記録したのに対し、“無敵の八冠バ”アグネスオタカルが君臨したトレセン学園は総生徒数1500名弱しか伸びていないのだ。

 

むしろ、私たちの世界でシンボリルドルフが入学してきた時が1500名強だったのを考えると、誤差の範疇だとしても微妙に減っているし、成長していない。

 

つまり、“最強の七冠バ”シンボリルドルフを超える“無敵の八冠バ”アグネスオタカルが君臨したことで逆にウマ娘レースの人気が数々のマイナスイメージによって完全に相殺されてしまったようなのだ。

 

実際、心なしかギスギスとは言わなくてもギクシャクした軽薄な空気をそこはかとなく感じられてしまうほどだ。

 

 

――――――そう、これはある種の思考実験の結果と言えた。

 

 

ティアラ路線のスターウマ娘がトレセン学園の顔役になった場合に何が起きてしまうのかを卒業式が終わるまでのごく短い時間の文献調査だけでわからされてしまった。

 

これは非常にまずい。シンボリルドルフの後を継いで新生徒会長になった“女帝”エアグルーヴに対する世間の本音というのがこれだけで透けて見えてしまい、シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の未来に暗雲が立ち込めるのが嫌でも目に浮かんだ。

 

だが、英邁なる君主:シンボリルドルフにはそれがわかっていたからこそ、生徒会長の権限で後輩の“クラシック三冠バ”を副会長に指名していたのだ――――――。

 

そして、それはそれとして、別世界のトレセン学園でクラシックG1レースを6勝した伝説のウマ娘が他ならぬアグネス家から出ていることに私は感心せざるを得ず、このアグネスオタカルの戦績をしっかりと記憶して元の世界に持ち帰ろうと意気込んでいた。

 

しかし――――――。

 

 

――――――卒業式終了後、

 

斎藤T「シンボリルドルフがいないトレセン学園って全体としてこんな感じなのか……」

 

和田T「我らが“皇帝”陛下が統治された世界と比べてひどすぎやしません、こんなの!?」グスン・・・

 

和田T「――――――『俺がマックイーンの担当トレーナーじゃない』ってことは覚悟できてましたけどねぇ!?」シクシク・・・

 

ピースベルT「泣かないで……」ヨシヨシ・・・

 

和田T「そんなこと言ったってよぉ! 俺の愛バがぁ! 別に俺じゃなくてもだいたい似たような戦績なのが嬉しいような悔しいような……!」ヒッグ!

 

ピースベルT「……うん。わかるよ、その気持ち」

 

ピースベルT「私がね、必死になってシンボリルドルフとの戦いを盛り上げようと見つけ出したBNWがここでは三冠を分け合っていたからね……」

 

ピースベルT「あれだけ全力を振り絞ってウマ娘レースの歴史を動かしたと自画自賛する()の人間としての努力はBNWの名をウマ娘レースに刻む台本通りの配置に過ぎなかったのかと思うところはあってねぇ……」

 

斎藤T「鐘撞Tの名前もここにはなかった……」

 

斎藤T「それどころか、才羽Tや飯守Tの名前もなかったし、他にも……」

 

斎藤T「その中で確認ができたのが桐生院先輩と私の名前か……」

 

 

斎藤T「要点としては、トレセン学園やウマ娘レース全体の人気が増えずに、“無敵の八冠バ”アグネスオタカルに人気が集中しすぎた結果がこの世界における業界の活況のなさにつながっています」

 

 

斎藤T「つまり、アグネスオタカルをはじめとしてスターウマ娘に対して何かとマイナスイメージがつきすぎて、世間一般からアグネスオタカル以外のスターウマ娘に不信感を抱いているわけですね」

 

斎藤T「それは学園に所属するウマ娘につくファン数の割合がアグネスオタカル1強になっていることから断言できます」

 

斎藤T「そう、この世界のトレセン学園やウマ娘レースの人気はアグネスオタカル個人の信用と人気によって支えられており、そのアグネスオタカルが卒業した後は衰退していく一方でしょう」

 

斎藤T「実際、アグネスオタカルが卒業するこの年の入試は例年通りに満員であっても、倍率は一気に落ちていますから」

 

斎藤T「結果としてアグネスオタカル一人に人気が集中しすぎたことは全体としてはマイナスになっているわけです」

 

 

斎藤T「他にも、アグネスオタカルというウマ娘が()()()()()()()()()()()()()()()ということで常軌を逸しているのもよくなかったのでしょう」

 

 

和田T「そうですね。トレセン学園の顔役のアグネスオタカルが『URAファイナルズ』開催のために3年目:シニア級に引退ではなく 無期限活動休止になっていたのは、まあ我らが“皇帝”陛下と同じでしたけど、」

 

和田T「その後の高等部での活動が完全にユーチューバーでしたからね」

 

ピースベルT「しかも、トレセン学園の公式チャンネルではなく、アグネス家が公式提供している個人チャンネルでの投稿だから、これだとトレセン学園のイメージ改善活動ではなく、完全にアグネスオタカルの個人活動になってるわね~♪」

 

斎藤T「そう、あまりにも時代を先取りし過ぎていて、個人の人気取りなら問題なくても学園や業界全体のイメージ改善のために自分から企画を立てて積極的にメディア露出を目指す動きは理事会から賛同を得られなかったようです」

 

斎藤T「ですから、“無敵の八冠バ”アグネスオタカルはその実績からシンボリルドルフと同じく、高等部1年生の時に満場一致で生徒会長に就任したものの、自分のやり方に賛同しない時代遅れの理事会と喧嘩別れの形で1年で生徒会長を引退してしまったわけです」

 

和田T「ああ~、そうなるのも納得だわ~! アグネス家のウマ娘だもん! 絶対に理事会と反りが合わない!」

 

ピースベルT「そうねぇ。先進性はともかく独自性が強すぎて組織改革の担い手になるのには劇薬だものねぇ……」

 

ピースベルT「あ、そっか」

 

ピースベルT「そうじゃないのよ。やっていることはたぶん興行師(プロモーター)として学園を面白可笑しく盛り上げていこうという鐘撞Tと同じ方針だったんだけど、締まりのないやり方なのよ」

 

ピースベルT「特にトレセン学園の顔役ともなれば一種の公人でしょう? 公人としての格式や礼儀を求められる立場なのに、タレントや芸人の一種のユーチューバーとなると、ね?」

 

和田T「社長や首相がやるようなことじゃないよな、たしかに……」

 

ピースベルT「つまり、緩める時は緩めて締める時は締める――――――」

 

ピースベルT「それをね、鐘撞Tとシンボリルドルフが役割分担していたから飴と鞭が成立したわけで、アグネスオタカルという極上の飴に対する愛の鞭を振るえる対等の相手がいなかったのが、オタカルちゃんが生徒会長として学園や業界全体のイメージ改善活動できなかった原因なのだわ」

 

斎藤T「――――――『健全な輿論の力で強い民主主義を作り出す』ことができなかったわけですね。それも学園側の悪手になりましたね」

 

斎藤T「最年少で生徒会長に就任したあのアグネスオタカルが精力的に働き詰めて1年で生徒会長を辞めてしまったことを世間はどう見るか――――――、わかりきったことですね」

 

和田T「あれ? でも、それなら“女帝”エアグルーヴのようなしっかりものが生徒会にいるもんじゃないのか?」

 

和田T「あと、“怪物”ナリタブライアンのような勝負に直向きな硬派なウマ娘を副会長に据えることだって――――――」

 

 

ピースベルT「残念だけどね♪ ここはアグネスオタカルの世界であって、シンボリルドルフの世界じゃないの♪」アハッ

 

 

和田T「え」

 

斎藤T「残念ながら、シンボリルドルフの世界で副会長だった二人は生徒会役員じゃないんだ」

 

和田T「ええええええええ!?」

 

和田T「いやいやいや、エアグルーヴだよ!? アグネスオタカルと同じティアラ路線の後輩の“女帝”エアグルーヴは――――――!?」

 

ピースベルT「……エアグルーヴちゃんはねぇ、理想に生きている子だから理想に染まりやすい子よ?」

 

和田T「え」

 

斎藤T「さっき自分で言ったじゃないですか」

 

 

――――――“無敵の八冠バ”アグネスオタカルと同じティアラ路線の後輩なのだから、理想を目指すエアグルーヴはどうなると思いますか?

 

 

アグネスオタカルの世界(仮称)の生徒会役員は元の世界と見比べると壊滅的な状態であった。

 

生徒会長に“皇帝”シンボリルドルフ、副会長に“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンという硬軟併せ持った世代最高の実力者が揃った文句なしの人選に対し、

 

アグネスオタカルの世界(仮称)の生徒会は最年少で生徒会長に就任したアグネスオタカルが1年で辞職したこともあり、学園の顔役でありながら世代最高の実力者が揃わない羊頭狗肉の生徒会に成り果てていたのだ。

 

もちろん、“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンの2人はそれぞれクラシック路線とティアラ路線で活躍したところは何も変わらないのだが、問題はあまりにも私たちの世界と掛け離れてしまった世界の歴史にあった。

 

 

ガチャ!

 

ビワハヤヒデ「やあ、斎藤T。やっぱり、ここに居てくれたか」

 

斎藤T「え」

 

ピースベルT「まあ……」ドヨーン・・・

 

和田T「え、ビワハヤヒデ!? あのまま卒業生退場の後の卒業パレードで学園を巣立ったんじゃ!?」

 

ビワハヤヒデ「いやいや、何を言っているんだ。一番の恩人に挨拶するのが礼儀じゃないか。昨日の送別会には来てくれなかったのだし」

 

ビワハヤヒデ「おや」

 

ピースベルT「………………」

 

ビワハヤヒデ「お初にお目にかかります。新しく配属になったトレーナーの方でしょうか」

 

ビワハヤヒデ「まあ、『はじめまして』とは言っても、さっき卒業したばかりですが――――――」

 

ピースベルT「――――――」ポタポタ・・・

 

ビワハヤヒデ「あ、大丈夫ですか!?」アセアセ

 

和田T「あ、これは、その――――――」

 

ピースベルT「だ、大丈夫ですわ。私の憧れのビワハヤヒデさんとこうして卒業の日に顔を合わせることができた幸運に感謝してますの……」ポタポタ・・・

 

ビワハヤヒデ「そ、そうでしたか。同じ芦毛のウマ娘として初めて会った気がしなかったので、それはよかったです」

 

ビワハヤヒデ「もしかして、今までウイニングライブのステージやファン感謝祭の時にお越しになったことが?」

 

ピースベルT「はい。いつも近くで見てましたよ、あなたのバ場もステージも……」ニッコリ

 

ビワハヤヒデ「そうでしたか。いつもありがとうございます。こうしてファンの声援もあって無事に卒業することができました」

 

斎藤T「――――――世界は残酷だ」ボソッ

 

和田T「うわぁ……、鐘撞Tですら別世界の愛バに脳が破壊されているんだから、俺、この世界のマックイーンに知らない人判定を受けたら立ち直れないかもしれない……」ガクガク・・・

 

 

ダッダッダッダッダッダッダ! バァン!

 

 

和田T「!!」

 

エアグルーヴ「あ、和田T! いたいたー! ねえねえ、ほらほら、あんたのことをみんな待っているんだから、行ってあげなよ!」

 

和田T「え、エアグルーヴ――――――じゃない!? 誰!? もしかして妹さんか!?」

 

エアグルーヴ「どうしたの、和田T? あ、もしかして愛しの教え子たちが巣立っていくのに耐えられなくなって記憶でも失くしちゃった?」アハッ

 

和田T「嘘だッ! “女帝”エアグルーヴがパーマーやヘリオスみたいな陽キャでパリピなギャルなわけがない!」

 

エアグルーヴ「え? まさか、本当に記憶が……?」

 

和田T「だいたい、誰だよ!? 俺のことなんか待っているウマ娘ってさ!?」

 

エアグルーヴ「そんな悲しいこと、言わないでよ、たわけッ!」ドンッ

 

和田T「ひっ」ビクッ

 

エアグルーヴ「わかった。もうトレセン学園の生徒とトレーナーの関係じゃなくなったんだし、ここは私が恋のキューピットになって先輩に最後の素敵な思い出をプレゼントしなくちゃね」ガシッ

 

和田T「や、やめろおおおおお!」ジタバタ!

 

エアグルーヴ「それじゃ、斎藤T! 和田T、借りてくね!」ヒョイ ――――――大の男を担ぎ上げる!

 

和田T「た、助けて、斎藤T! うええええええええ!?」ジタバタ! ――――――お米様抱っこ!

 

斎藤T「和田T!」

 

ピースベルT「なら、ここはまかせて」スッ

 

斎藤T「!」

 

ピースベルT「さようなら、ビワハヤヒデ」

 

 

――――――ちがうきみに出会えて某は今のきみをもっと好きになれたよ。

 

 

ダッダッダッダッダッダッダ!

 

 

ビワハヤヒデ「相変わらずだな、エアグルーヴも」フフッ

 

斎藤T「……そ、そうですね」

 

ビワハヤヒデ「ああ。身も心もティアラ路線の覇者:“八冠の女王(エイト・クイーン)”アグネスオタカルの後継者になったものだ」

 

斎藤T「……そうですねぇ」アハハ・・・

 

斎藤T「――――――これでは“エアギャルーブ”だな」ボソッ

 

ビワハヤヒデ「昨日の卒業式前の送別会にどうして来てくれなかったんだ? アグネスオタカルも楽しみにしてくれていたのに」

 

斎藤T「ああ、さっきのピースベルTの現場復帰の準備に付き合っててね」

 

ビワハヤヒデ「そうか。まあ、()()()()()()()()()()と言えばそうだな」

 

斎藤T「え」

 

 

ビワハヤヒデ「本当にありがとう、斎藤T。去年のシーズン後半からの付き合いでしかないのに本当に悔やまれるよ。もっと早くにきみとは出会いたかったな」

 

 

斎藤T「…………!」

 

ビワハヤヒデ「でも、私の妹はきみともう1年やっていけるだから、それ以上は贅沢と言うものだな」

 

斎藤T「――――――心残りは本当にないのか?」

 

ビワハヤヒデ「いいや、たくさんある。もう取り返しがつかないから、嘆いてもしかたがないだけで」

 

ビワハヤヒデ「最高の舞台で姉妹対決をするのが私の夢だったのに、その直前になって私がヘマをしたばかりに、ブライアンには悲しい思いをさせてしまった――――――」

 

ビワハヤヒデ「そのことがずっと。もしも過去に戻れるのなら、『有馬記念』でブライアンと最高のレースをしたかった……」

 

ビワハヤヒデ「でも、最後の最後に『URAファイナルズ』で果たせなかった約束を果たす時が来たから、ブライアンの失われた時がどれだけ大きくても、私は感謝してもしきれないんだ」

 

斎藤T「……そう」

 

ビワハヤヒデ「私のせいなんだ、全部。私がブライアンと最高のレースをする約束を破ったばかりに、ブライアンはクラシックで燃え尽きて――――――」

 

ビワハヤヒデ「別に“ただの三冠バ”ブライアンが“無敗の三冠バ”アグネスオタカルと比べられるのはいい。それが厳正なるレースの結果なのだから、ごまかしようがない」

 

 

ビワハヤヒデ「でも、3年目以降のブライアンの不調でクラシック路線とティアラ路線の格が逆転しただなんて世間の論調だけは許せない!」ギリッ

 

 

ビワハヤヒデ「ブライアンは外聞を気にしなくても、クラシック路線の王者である私の自慢の妹に謂れのない批難が集中するのは家族として耐えられなかった!」

 

ビワハヤヒデ「――――――『誰のためにウマ娘は走っている』!? 私たちは私たちのために走っているのであって、トリプルクラウンとトリプルティアラの間で優劣を証明するためなんかに走ったことは一度たりともない!」

 

ビワハヤヒデ「だから、私たちは“八冠の女王”アグネスオタカルが生徒会長になって世間の間違った風潮や認識が改まることを期待していたんだ」

 

ビワハヤヒデ「けれども、現実はどうしようもなく残酷で、私たちが支持したアグネスオタカルは精力的に学園や業界全体の雰囲気や流れを変えようとして1年で辞表を叩きつけることになり、」

 

ビワハヤヒデ「アグネスオタカルほどの実力者であっても現状を変えることができないことに失望した多くは、ユーチューバーとして個人的な活動をやり始めたアグネスオタカルにならって、学園に頼らない独自の在り方を模索するようになった」

 

ビワハヤヒデ「そのおかげで、アグネスオタカルに憧れて中央の門を叩くはずだった目敏いウマ娘たちは別の団体から『トゥインクル・シリーズ』出走を目指すようになり、中央トレセン学園の衰退に歯止めがかからなくなった」

 

ビワハヤヒデ「そんな状況の中、秋川理事長が『URAファイナルズ』開催を宣言し、私もブライアンもターフの上で走り続けることを選択し続けたんだ」

 

ビワハヤヒデ「けれども、『URAファイナルズ』開催まで3年というのは本当に時間が長く感じられた。トレーナーとの3年の基本契約も終了したこともあって」

 

ビワハヤヒデ「その間に私もブライアンもターフにかける情熱が日に日に弱まっていくのを感じられて、いよいよ『URAファイナルズ』開催まで半年にもなったところで、互いに燻ったままだった」

 

 

ビワハヤヒデ「そして、私たちはついに3ヶ月の眠りから目覚めたきみという無名の新人トレーナーに出会えた」

 

 

斎藤T「………………」

 

ビワハヤヒデ「それからいろいろあったけれども、おかげで一世一代の最後のレースに挑めることになった」

 

ビワハヤヒデ「だから、本当にありがとう。ブライアンもきみの支えがあってレースに対する情熱を取り戻すことができた」

 

ビワハヤヒデ「大切なものを取り戻すことができた」

 

斎藤T「あ……」

 

ビワハヤヒデ「その……、」

 

ビワハヤヒデ「だから…………、」

 

 

――――――もしよければ、私たちの夢を叶えてくれたことに報いて、きみの大きな夢の手伝いをさせてはくれないだろうか?

 

 

 

 

 

――――――これはあり得たかもしれない世界。もしもの可能性の世界。あってはならない世界。

 

 

 

 

 

斎藤T「………………」

 

ピースベルT「………………」

 

和田T「………………」

 

 

和田T「あの、泣いていいですか? いや、首を吊ってもいいですか? 心臓にナイフを突き立ててもらっても――――――!?」

 

斎藤T「……ダメです。私たちはこの生き地獄を味わい尽くすことを“目覚まし時計”に仕向けられているのだから」

 

ピースベルT「本当に出会い方次第で人っていくらでも変われるのね………………まあ、“オウマさん”になった私が言うのもアレだけど」

 

斎藤T「そうです! 無限の可能性がいくらあろうと、世界なんて一つで十分だ!」

 

和田T「ホントだよッ! もう頭の中がメチャクチャになって、息をすることでさえシンドいです……!」

 

ピースベルT「大事な人をほったらかしにしたツケってのは払いきれないものよねぇ……」

 

斎藤T「これってネトラレってやつなのでしょうかねぇ?」

 

和田T「言うなッ! 俺はキツイし、鐘撞Tだってキツイし、斎藤Tもキツイでしょう!?」

 

斎藤T「これからどうします? どうせ、時間が巻き戻るわけなんですけど……」

 

和田T「飲もうぜッ! 酒ッ! 飲まずにはいられない!」

 

ピースベルT「うん、飲もう飲もう。ちょっと沈んだ気持ちをハイにしないとやっていけないから今日は思いっきり飲もうねー!」

 

斎藤T「はい、もうとことんおつきあいしましょう……」

 

 

斎藤T「………………」

 

ピースベルT「………………」

 

和田T「………………」

 

 

すっかりと私たち3人はあるはずもない現実に踊らされて意気消沈してしまうのであった。

 

“女帝”エアグルーヴは同じティアラ路線の偉大なる先輩である“八冠の女王”アグネスオタカルの影響を受けてギャル化してしまい、アグネスオタカルの取り巻きのギャルグループの筆頭格になっていた。

 

というより、ティアラ路線と関係が深い女性解放運動に反発したアグネスオタカルが求めたウマ娘の真の自由の形がチャラい雰囲気の迎合であり、

 

アグネスオタカルという自身の名が“オタク・カルチャー”の略称になることから、あえてオタカルの名に相応しい低俗さを極めた道を突き進んだという意味では偉大な挑戦者でもあったのだ。

 

そのため、見た目や雰囲気はチャラくても筋の通った任侠を大事にするギャル文化がアグネスオタカルの支持者たちの間に広まることになり、誰よりも理想に忠実な“女帝”エアグルーヴはその煽りを受けたわけなのだ。

 

事実、メジロ家の名誉のために淑女たらんとするメジロマックイーンが新生徒会長:エアグルーヴを心から尊敬して支えようとしているの対し、

 

こちら側の世界のギャル化したエアグルーヴは生徒会役員に立候補することなく、メジロパーマーやダイタクヘリオスといった“八冠の女王”シンパのギャルグループの筆頭格になっているのだ。

 

高尚さを保ち続けた“永遠なる皇帝”シンボリルドルフに対して低俗さを極めた“八冠の女王”アグネスオタカルの在り方に時と場合によって“女帝”エアグルーヴが染まってしまう事実が天地がひっくり返ったかのような衝撃を与えた。

 

それでいてアグネスオタカルの“オタカル”を受け容れられなかった中央トレセン学園はアグネスオタカルの絶対的人気があっても在籍者数を劇的に増やすことができないまま緩やかな衰退を迎えることになり、中央への世間の不信感によって他方で中央トレセン学園以外の団体から出走するウマ娘が増加傾向にあった。

 

別に中央トレセン学園じゃなければ“無敵の八冠バ”アグネスオタカルに会えないわけじゃないのだ。

 

アグネス家公認のユーチューバー活動にしっかりとしたアポをとればサービス精神旺盛な“八冠の女王”は気軽にコラボしてくれるのだから、卒業後は中央トレセン学園を通さずにコラボできる可能性に気づいた目敏い団体は 早速 アグネスオタカルとのコラボに動き出していたぐらいだ。

 

 

そんなわけで、ギャル化したエアグルーヴに連れ去られた和田Tとそれを追うピースベルTはそのギャルグループの卒業生の告白に巻き込まれることになった。

 

実は、これもまたメジロマックイーンと添い遂げる和田Tにとってはあり得たかもしれない可能性が残酷にも現実のものとして突きつけられることになった。

 

というのも和田Tに告白してきた卒業生のギャルは決して別世界のまったく知らない間柄の子ではなかったからだ。

 

そう、メジロマックイーンを担当ウマ娘にするまでお世話していた G2勝利を目標にして程々に勝って賞金を稼ぐだけのダラダラとした学園生活を送る 最底辺のチームに所属していた子だったのだ。

 

 

もしもメジロマックイーンを担当ウマ娘にできずに底辺チームに残り続けていたら――――――?

 

 

そんなことは和田Tにとっては笑い事では済まされなかった。曲がりなりにも決死の思いで名門トレーナーたちを出し抜いて未来のG1ウマ娘を食事管理で口説き落としてきた男の意地と愛バと駆け抜けた日々が目の前の現実を否定した。

 

メジロマックイーンではなく、メジロパーマーと親しくなっていることになっているのも、同じメジロ家のウマ娘ながらイメージが正反対すぎて受け付けないものがあったのだろう。

 

そう思うと、低俗な底辺チームを抜け出すきっかけになった“メジロ家の至宝”メジロマックイーンとの出会いがどれだけ自分の人生を高みへと掬い上げてくれていたのかを見つめ直すきっかけにもなった。

 

だから、優しい和田Tはこんな頼りない自分に対して勇気を出して告白してくれた優しい子に優しい嘘を返すしかなかったのだ。

 

 

――――――俺のことが本当に好きならば 俺のような悪い大人にはならないでくれ。

 

 

その瞬間、ヒト以上ウマ娘以下のウマ娘の外見をした“オウマさん”ピースベルTに和田Tは一発お見舞されて宙に舞い、その場はお開きとなった。

 

こんなことになるなら会わせるべきではなかったとギャルグループの“女帝”エアグルーヴが和田Tに謝罪してくれたのが唯一の慰めであったが、

 

一発お見舞いした方のピースベルTにしても見た目がどれだけ変わっても一目で自分だとわかってくれた自分の愛バに存在を認識されなかった事実は重くのしかかっており、そのやりきれなさが乗った拳を通じて和田TとピースベルTは哀しみをわかちあうことになった。

 

そうして惨めな気持ちを引きずりながら卒業式が終わった後の静かになった校舎のベンチで打ちひしがれていたところをビワハヤヒデから卒業後の進路として不器用でいじらしくも愛らしい愛の告白を告げられた私が来たというわけである。

 

もちろん、何があったのかを時の巻き戻りを通じて次回に持ち越すために包み隠さず情報共有しなくてはならなかったために、全員が気まずい思いをしながら夕闇に沈む太陽を見送る他なかったのだ。

 

 

和田T「もう1件行こうぜ~」ベロンベロン・・・

 

ピースベルT「いっちゃいましょ~」アハハハハ・・・

 

斎藤T「さすがに飲み過ぎですよ。寝落ちしちゃいますってば」

 

斎藤T「あ、それならカラオケにしません? あそこなら寝落ちしちゃっても大丈夫なはずですよ?」

 

和田T「いいねいいねー。そういうことならカラオケにしようぜー。思いっきり飲んで歌って寝てー」ベロンベロン・・・

 

ピースベルT「うんうん! おもいきり歌おうねー! 悲しみの向こうへとー!」アヒャヒャヒャヒャ・・・

 

斎藤T「じゃあ、あそこに――――――」

 

 

キキーッ! 

 

 

ピースベルT「あらァ?」ヒッグ

 

和田T「え、タクシー? でも、これ、リムジンに見えるけどー?」ヒッグ

 

斎藤T「……何だ?」

 

 

アグネスオタカル「ようやく見つけたわ。エアグルーヴから聞いたけど、卒業式のめでたい日に大の大人がこんなところで飲んだくれてるだなんてね」

 

 

和田T「え? あれ、これってアグネスオタカルだっけ?」ウィー

 

ピースベルT「あ、そうそう。“最強の七冠バ”ならぬ“無敵の八冠バ”ってやつー」ヒッグ

 

斎藤T「…………!」

 

アグネスオタカル「何か初めて見る芦毛のスレンダー美人のトレーナーもいるし、随分と酔っているみたいだけど、和田Tもいるならちょうどいいわ」

 

アグネスオタカル「さあ、来て! 斎藤T!」

 

 

 

――――――これからトレセン学園の歴史に終止符を打つのよ!

 

 

 



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第二次決戦Ⅱ アグネスオタカルの憂鬱 -八冠の女王の世界-

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

卒業式の日、卒業生代表答辞を境に世界は突如“最強の七冠バ”シンボリルドルフではなく“無敵の八冠バ”アグネスオタカルが君臨した別世界に変わってしまった。

 

いや、正確には斎藤T、ピースベルT、和田Tの3名がこのアグネスオタカルの世界(仮称)に異世界転移してしまったのかもしれない。

 

というのも、元の世界と比べてトレセン学園の総生徒数が1500名弱ということで、明らかにシンボリルドルフとアグネスオタカルの間で何かがちがっていたことは明白であった。

 

アグネスオタカルの世界の生徒会メンバーは全員知らないウマ娘であり、元の世界の生徒会メンバーは生徒会役員ではなく まったくちがった学生時代を送ることになっていたことに、私たちは少しの掛け違いで何もかもが変わってしまう世界の微妙なバランスというものを体感することになった。

 

そう、それはあり得たかもしれない可能性の数々であり、いきなりは理解できなくても 順を追って考えれば いずれは納得してしまうような もしもの世界でもあった。

 

 

たとえば、BNWとの戦いを制して史上初の“無敗の三冠バ”になれたシンボリルドルフが存在しなかったら――――――?

 

 

もしもビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹対決が果たせなかったら――――――?

 

 

あるいは、和田Tがメジロマックイーンをスカウトできずに底辺チームに居続けたら――――――?

 

 

もしくは、ビワハヤヒデが最初の3年間を支えた相手の存在を思い出にして、最後のシーズンを支えてくれた相手に想いを寄せるようになっていたら――――――?

 

 

トレセン学園やウマ娘レース全体が時代の最先端から取り残されることになったら――――――?

 

 

そういったちがいが結果として国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台であるトレセン学園の総生徒数や入試倍率にもろに響いていたわけなのだ。ついでに黄金期の繁栄の記念碑となる附属高層施設:エクリプス・フロントも建てられていない。

 

そして、この世界でトレセン学園の顔役になっていた“八冠の女王”アグネスオタカルは独自路線の追求が特徴的なアグネス家のウマ娘であったことが災いして先進的な改革案の数々が旧態依然とした組織に歓迎されることがなかったため、最年少で就任してたった1年で生徒会長職を辞したことがトレセン学園や業界に対する世間の不信感をますます高めることになった。

 

そう、言ってみれば“八冠の女王”アグネスオタカルは改革ではなく革命の担い手であり、現在でも自由で開放的であるが故に奔放な生徒たちに手を焼くような“永遠なる皇帝”シンボリルドルフが導いた黄金期よりも更なる自由化を推し進める過激さが問題となっていたのだ。

 

つまり、“皇帝”シンボリルドルフぐらいの歩みの改革路線でなければ黄金期を迎えることができなかったことの一種の証明となっており、“女王”アグネスオタカルの時代の最先端を走り過ぎた革命路線は結果としてトレセン学園の衰退を招くことになった。

 

一応は総生徒数が1000人を割っていた暗黒期よりは成長してはいるが、普通に考えて単純なG1勝利数は“皇帝”を超える“女王”が治める時代だと言うのに、総生徒数1500名弱なのはあり得ないことである。

 

いや、人気は間違いなく“皇帝”よりも“女王”の方があった。それは公式ファン数で明確に順位付けられていた。

 

しかし、問題となるのはそれは()()()()()()()()()()()()()()()()であって、()()()()()()()()()()()()()()()()()ではないことだ。

 

むしろ、現在のトレセン学園や業界全体の人気を支えているのがアグネスオタカル個人の人気というのが実態であり、統計資料で見たファン数の割合がアグネスオタカルに一極集中している状態はアグネスオタカル卒業後のトレセン学園や業界全体の雲行きが一気に不安になるほどであった。

 

また、予言書『プリティーダービー』に書かれていたスターウマ娘に舞い降りる災難の多くが現実のものになっており、

 

ライスシャワーはミホノブルボンやメジロマックイーンに勝ったことで悪役(ヒール)になるわ、ビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹対決は実現しなかったことで“クラシック三冠バ”ナリタブライアンのその後が荒むわで、とんでもない災難に見舞われ続けていた。

 

それに対する大人の対応が悪かったことが生徒たちの代表機関である生徒会役員として1年は精力的に働いてみせたアグネスオタカルの失望であり、同時にそれはアグネスオタカルを支持してきた生徒たちの怒りや嘆きでもあった。

 

その後、アグネスオタカルは『URAファイナルズ』開催を受けて競走ウマ娘としては引退ではなく無期限活動休止とする間、ユーチューバー活動に専念してトレセン学園や業界全体を盛り上げようとアグネス家公認の個人活動を繰り出すようになった。

 

それによって、姉妹対決が実現できずに荒れ果てた“クラシック三冠バ”ナリタブライアンと比較して圧倒的評価の高さの“トリプルティアラ”アグネスオタカルの支持層は爆発的に増加したものの、その人気は肝心のトレセン学園や業界全体に還元されることはなかったのだ。

 

むしろ、ますますトレセン学園や業界全体への不支持が高まっていくことになり、そもそもアグネスオタカルがアグネス家公認の個人チャンネルで活動していること自体がトレセン学園の非協力的な態度の現れであると有識者たちは言うのだ。

 

そう、アグネスオタカルがトレセン学園や業界全体を盛り上げようと必死にアグネス家公認のユーチューバー活動をして、そこで見せつけた人間性や先進性がかえって旧態依然のままのトレセン学園に世間の怒りの矛先が向けられてしまうという悪循環に陥ってしまっていたのだ。

 

高尚さを保ち続けた“永遠なる皇帝”シンボリルドルフとは正反対の低俗さを極めた“八冠の女王”アグネスオタカルはそれ故に個人としては圧倒的にシンボリルドルフをしのぐ実績と支持を集めたものの、業界全体の人気を上向きにすることは決してできなかったのである。

 

 

つまり、個人の才覚は独自路線を貫くアグネス家の“女王”アグネスオタカルが上であっても、指導者としての器量は格式と伝統を守り抜くシンボリ家の“皇帝”シンボリルドルフには遠く及ばなかったのだ。

 

 

そのことを考えると、“皇帝”シンボリルドルフが幼くして背負わされた道というのはなんと退屈極まりないものであろうか。個人の自由はなく 組織の柱となるべく その全てを背負うことだけが存在意義であると教え込まれたウマ娘――――――。

 

一方で、“女王”アグネスオタカルは誰よりもウマ娘のために単なる改革を超えた革命路線を突っ切ろうとして猛烈な反発を受けて頓挫することになり、結果として自身の存在がトレセン学園や業界全体に悪影響を及ぼすことになっていることに愕然としていた。

 

つまり、どちらのやり方が正しかったのかはさておき、どちらのやり方が結果を出しているのかを考えれば、“皇帝”シンボリルドルフを玉座に戴いた黄金期を迎えられたウマ娘たちの方が圧倒的に幸せであると言えるだろう。

 

その点で、私たちは極めて近く限りなく遠い世界の洗礼を受けた衝撃を忘れるべく酒場をハシゴして一眠りした後に元の世界への帰還を急ぎたかった。

 

正直に言って この世界におけるトレセン学園を取り巻く状況も最悪だが、それ以上に人間関係の問題で受け容れられないことが大量発生したため、現実逃避するかのように酒を飲み干さずにはいられなかったのだ。

 

しかし、さすがに酔いが回ってきて寝落ちしても大丈夫なように、最後はカラオケで思いっきり泣き叫んでストレス発散しようとしていた時である。

 

 

――――――これからトレセン学園の歴史に終止符を打つのよ!

 

 


 

 

●アグネスオタカルの世界:3月13日

 

斎藤T「――――――起きてください」ユサユサ

 

和田T「う、ううん……」ウトウト・・・

 

ピースベルT「あらぁ? ここはどこかしらぁん?」トローン・・・

 

斎藤T「とりあえず、酔い醒ましの水でも」

 

和田T「あ、ありがとう。さすがに飲み過ぎて頭が痛いなぁ……」

 

ピースベルT「これってリムジンの中ぁ……?」

 

斎藤T「それじゃ、外の空気でも吸いましょうか」

 

和田T「う、うん……」

 

 

ガチャ

 

 

和田T「おお、空気がうまい!」

 

ピースベルT「のどかな朝ねぇ」

 

斎藤T「ここは――――――」

 

 

アグネスオタカル「あら、ようやくお目覚めかしら?」

 

 

和田T「あれ、誰だっけ、この人? シンボリルドルフよりもすごい実績のトリプルティアラの人だっけ?」

 

ピースベルT「たしか、アグネスオスカルじゃなかった?」

 

アグネスオタカル「ちがうから! アグネスオタカル! オタク・カルチャーの略! ちがうけど!」

 

和田T「あれ? じゃあ、なんで俺たち、リムジンで一晩過ごしたんだっけ? というか、ここはどこ?」

 

アグネスオタカル「よく聞いて、和田T。それと――――――、あなたは?」

 

ピースベルT「あ、私はピースベルT♪ 気軽にピーちゃんやベルちゃんって呼んで♪」ウフッ

 

アグネスオタカル「こんな芦毛の高身長のスレンダー美人のトレーナーなんていたかしらね? 来年配属の方かしら?」

 

アグネスオタカル「でも、存在感はあるし、なかなかの逸材だと思うわ!」

 

ピースベルT「ありがとう♪」

 

和田T「それで、ここは――――――?」

 

 

斎藤T「――――――根岸競バ場」

 

 

和田T「…………『根岸』? 東京・ダート・1400m『根岸ステークス』の?」

 

ピースベルT「それって戦前まで存在していた横浜競バ場のこと?」

 

アグネスオタカル「なんだ、知ってたんだ。驚かせようと思ったのに」

 

斎藤T「アグネスオタカル。『トレセン学園の歴史に終止符を打つ』というのは根岸競バ場をホームグラウンドにした“第2の日本トレセン学園”を発足させることなのか」

 

アグネスオタカル「さすがね、斎藤T。相変わらず察しがいいこと」

 

アグネスオタカル「まあ、一言で言えば そういうこと」

 

アグネスオタカル「ねえ、目黒から移転した府中のトレセン学園が“中央”と呼ばれるのはなぜだと思う?」

 

和田T「そんなの、世界最先端のトレーニング環境と日本最高峰のトレーナー陣でしょ?」

 

アグネスオタカル「なら、それが揃っているのなら全寮制の学園である必要もないでしょう?」

 

 

アグネスオタカル「だから、私は横浜競バ場を復活させて、日本の近代ウマ娘レースの原点である居留地競バの発祥地:根岸に第2の日本トレセン学園を築き上げるの!」

 

 

斎藤T「改革ではなく革命に行き着く“八冠の女王”らしい発想だ。内側から変えることができないなら、外側に新しいものを打ち立てるという――――――」

 

アグネスオタカル「もうね、URA上層部の改革派も第2の日本トレセン学園を承認して、私が生徒会長を辞めた時からこの極秘計画はスタートして、私の卒業と同時に発表されるってわけ」

 

斎藤T「――――――『URAファイナルズ』に対するあてつけか」

 

アグネスオタカル「そうなったら府中の()トレセン学園は終わりよ。旧態依然とした府中のやり方に不満を持ったトレーナーたちの引き抜きも完了しているしね」

 

斎藤T「そんな簡単にうまくいくのか?」

 

斎藤T「慣れないトレーニング環境への適応;勝手の違いになれるまで本調子を出せるようには思えないが」

 

アグネスオタカル「その辺も抜かりないわ。私を支持する子たちを使って去年から新しい合宿場のレビュアーになってもらってたから」

 

アグネスオタカル「それに日頃の私の行いが良かったから、基本的に()トレセン学園と同じ業者と契約できているし、運営の方もそんな勝手はちがわないから」

 

アグネスオタカル「まあ、とりあえず、ここでいつまでも立ち話をするのもなんだし、崎陽軒のシウマイ弁当でもどう?」

 

和田T「シウマイ弁当か。横浜名物だけど、たまに東京でも見かけるし、美味いよな」

 

ピースベルT「お腹もペコペコだし、ごちそうになります♪」テヘッ

 

斎藤T「………………」

 

 

元々、中央トレセン学園と呼ばれている府中市の日本トレセン学園は目黒競バ場に併設されていたものが移設され、全寮制の住宅団地を抱えるほどの独自の規模をもったものである。

 

しかし、最高のトレーニング環境を多くの才能あるウマ娘に与えようとして住宅団地になるほどの学生寮を抱えたことで寮費が高騰してバカ高い学費に膨れ上がっており、それが多くの生徒たちが引退即退学につながる要因にもなっていた。

 

また、住宅団地になるほどの生徒以外立入禁止の学生寮は巨大過ぎる閉鎖空間となって学生寮自治会が必要となり、ベッドタウンの市長とシティセンターの市長の対立に喩えられる長年に渡る生徒会との対立の根深い温床にもなってきた。

 

一方で、元の世界の横浜トレセン予備校“根岸校”のように通常の教育機関の機能を完全に排除するわけではなく、既存の中央トレセン学園が抱える問題をスリム化によって解決しようとしたのがアグネスオタカルの考える“第2の日本トレセン学園構想”であった。

 

というよりは、東京都心から離れた多摩地域にある府中市の立地が選手生命を燃やして一世一代の大勝負に打って出たウマ娘たちの心を癒やすのには風情がなさすぎるということで、東京の近場に療養地に使えそうな横浜競バ場があったことで思いついた計画なのだと言う。

 

元より横浜トレセン予備校ができあがるぐらいには横浜とウマ娘レースの繋がりは歴史的に深いものがあり、府中市にはない海に面した風光明媚な立地が療養地として最適ではないかと、一度はトレセン学園の理事会にオンライン分校にすることを意見具申していたのである。

 

そう、当初は府中の日本トレセン学園から独立した第2の日本トレセン学園としてではなく、静養を必要としているウマ娘たちの療養所(サナトリウム)としてオンライン授業が受けられるように希望したものが土台となっており、あくまでも中高一貫校である日本トレセン学園のノウハウを継承していた。

 

なので、第2の日本トレセン学園は広大な住宅団地が必要な学生寮の存在を否定し、()日本トレセン学園を中心にした学園都市を形成して、地方自治体に治安を委ねることにしていた。

 

事実、民間警備会社のウマ娘で構成されたERT(緊急時対応部隊)だけで住宅団地の規模の学生寮を警備するのは無理があるのは去年の事件で明らかになっているだけに、

 

私としても警備の観点から『住宅団地にまで膨れ上がった学生寮は解体して地方自治体に組み込むべき』だと現実的解決策としてシンボリルドルフに提案したことがあるので、これには完全に同意だった。

 

それに飯守Tの体験談にあったように、学生寮に引きこもってしまった生徒を外に連れ出して心の安定を図る療養所(サナトリウム)のアイデアは悪くないものなので、そのアイデアはこの場でありがたくちょうだいすることにした。

 

つまり、私から見ても“八冠の女王”アグネスオタカルの中央トレセン学園の改革案は非常にいい線を行っているのだ。

 

正直に言って、“皇帝”よりも“女王”の方が支持(ファン数)を集めるのは当然だと思えるぐらいにアグネスオタカルのアイデアと企画力はアスリート養成校の一生徒であることを抜きにしても卓越していた。

 

しかし、それ故に組織の裁量や都合を無視した急進的なものでもあり、トレセン学園の理事会の裁量や都合だけでどうこうできるような話でもないことを推し量れないところが改革を志す政治家から過激な展開に繋がる革命家たる所以なのだろう。

 

ウマ娘のためなら私財を擲って何だってする秋川理事長でも本気でウマ娘たちのことを考えてやれた精一杯が新設レース『URAファイナルズ』開催なのを考えると、いかに現実離れした提案なのかが理解できるだろう。

 

その現実離れの部分がいろんな前提を無視しているからこそ出てくる天才の発想であると同時に相互理解の欠如の現れでもあることを個人活動で絶大な支持を集めることに成功した“八冠の女王”アグネスオタカルには理解できないことだろう。

 

そして、URA上層部の改革派が秘密裏に計画を進行していき、発起人である“八冠の女王”アグネスオタカルは3年間の現役時代に築き上げた名声と1年間の生徒会長として得られた知見を資本にした2年間のユーチューバー活動を通じて、水面下で府中からの独立を画策していたのであった。

 

一応は母校の名誉のために卒業するまでは発表を待ってあげてはいるが、これは明らかな秋川理事長の献身に対する裏切り行為であり、長期的に見て業界全体を後退させる自殺行為にしかならないように感じられた。

 

そう、『秋川理事長以上にウマ娘を愛して私財を擲ってドンと構えられる胆力を持つ経営者が現れるのか』というのが“第2の日本トレセン学園構想”の目的が果たされないだろう原因と私は見ている。

 

 

そして、横浜トレセン予備校のパンフレットとは異なる建て替えがなされた()日本トレセン学園のゲストハウスで朝食のシウマイ弁当を平らげた後、横浜の第2の日本トレセン学園の案内を“女王”陛下自ら行った。

 

総生徒数2000名弱を誇った“皇帝”シンボリルドルフが治めた府中の中央トレセン学園と比べれば、総生徒数1500名弱の“女王”アグネスオタカルの治めたトレセン学園はその分だけ規模が縮小していたというより、1000名を割っていた暗黒期からここまで膨れ上がったのだから それ以上の規模の拡大がなされなかったのが正解だろう。

 

一方、この根岸校は当初は療養所(サナトリウム)を目指していたこともあって、規模としては500人程度の分校を想定しており、府中と根岸を合わせることで総生徒数2000名を超える規模拡大を当初は目論んでいたようなのだ。

 

いや、総生徒数2000名弱というのはアスリートコースとサポートスタッフコースの生徒を合わせた数であるのでトレセン学園の生徒の全員がターフの上を走るわけではないし、

 

一応は関西遠征のための拠点となる京都分校などがあるので、療養所(サナトリウム)となる根岸分校の設立も問題があるようには思えない。

 

それならウマ娘レース業界を支えているアグネスオタカルの提案に全力で乗っかっておけば安泰だろうに、それに対してウマ娘ファーストの第一人者の秋川理事長が乗らなかったことの意味を考えなければならない。

 

それから私は可能な限りの情報を集めた上で結論を叩きつけた。我らが“皇帝”陛下が別世界の“女王”陛下に勝っているところを言わねばならない。

 

 

斎藤T「――――――『世界は何も変わらない』と思います」

 

アグネスオタカル「は」

 

斎藤T「たしかに、療養所(サナトリウム)のアイデアは是非とも採り入れたいぐらいに素晴らしいものですが、はたして秋川理事長を目の敵にしてまでやるようなことだとは到底思えません」

 

アグネスオタカル「は?」

 

アグネスオタカル「何かの冗談だよね?」

 

アグネスオタカル「きみ! 今更になって引けない状況なのに何を言っているわけ?」

 

斎藤T「なら、助言はしておきますよ」

 

斎藤T「生徒会長職を辞職した後にユーチューバーとしての個人活動でウマ娘レース業界の人気を牽引することになった“女王”陛下には実感が湧かないことでしょうが、」

 

斎藤T「ウマ娘レースがウマ娘一人一人のマンパワーによって成り立っているように、トレセン学園という組織もまた経営陣一人一人のマンパワーによって成り立っているのです」

 

斎藤T「そのことを何よりも軽視して競走ウマ娘と担当トレーナーだけの楽園を築き上げようとしたところで、そこは下水処理場のない汚物の掃き溜めになるのが定めですよ」

 

斎藤T「それこそ、清貧を謳ってユダヤ人の金貸しに縋るキリスト教徒みたいなものじゃないですか」

 

斎藤T「あるいは、泥中の根があるからこそ水面に美しい花を咲かせる蓮の教えを知らない仏教徒みたいなものですね」

 

アグネスオタカル「………………!」

 

アグネスオタカル「……ガッカリだよ。私はビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹の心を取り戻してくれたきみにこそ来て欲しいと願っていたのに」

 

斎藤T「理想が間違っているわけじゃない。実践が伴っていないだけだ」

 

アグネスオタカル「同じことじゃないか!」

 

斎藤T「それなら別に、本質的にはウマ娘レースになど関心がない“斎藤 展望”にこだわる必要はないのではありませんか?」

 

アグネスオタカル「――――――ッ!」

 

アグネスオタカル「き、きみってやつは人の厚意をなんだと思って――――――」

 

斎藤T「それより、ひどい矛盾だとは思いませんか?」

 

アグネスオタカル「何が!?」

 

斎藤T「どちらにしろ、秋川理事長はあなたの入学から数えて就任6年目、そろそろ理事長の座から下りる時期にもなっています」

 

斎藤T「だから、今回の独立騒ぎで責任を問われて失脚するにしても、すでに理事会は次を見据えているので秋川理事長の進退は大した痛手にはならないでしょう」

 

斎藤T「どちらかと言えば、秋川理事長以上の理事長は今後現れないことを踏まえて、次に就任する理事長の失策を世間の衆目に晒してから府中からの独立を果たすべきだったと思いますがね」

 

アグネスオタカル「え」

 

斎藤T「少しだけあなたの個人チャンネルのアーカイブを見返したんですけど、これまで様々な業界の垣根を超えた交流活動をしてきたのなら、オフレコとして世間に公表しなかった秘密をいくつも話し合ってきたわけなのでしょう?」

 

 

――――――どうして秋川理事長と話し合わなかったのですか?

 

 

アグネスオタカル「…………!」

 

斎藤T「アグネスオタカルがトレセン学園を卒業した今だからこそ、秋川理事長と腹を割って現実のことを話し合うべきなんです!」

 

斎藤T「それさえできれば、あなたにはシンボリルドルフを超える才能と声望があるのですから! 現実的な困難を超克して秋川理事長は絶対に力になって理想は大きな一歩を遂げるはずですよ!」

 

アグネスオタカル「――――――し、『シンボリルドルフ』?」

 

アグネスオタカル「そ、そうなのか?」

 

斎藤T「そうですよ!」

 

 

要するに、“皇帝”シンボリルドルフが“女王”アグネスオタカルに政治力で勝る点は、関係各位への根回しと歩調を合わせることができることに他ならなかった。

 

トレセン学園の旧態依然とした態度に痺れを切らして精力的な個人活動で絶大な支持を集めることができたアグネスオタカルのカリスマ性とフットワークの軽さはシンボリルドルフを完全に超えているが、それだけに誰もついていくことができないのは指導者としては致命的なものがあった。

 

才羽Tの作った鯖の味噌煮が大好きな飯守Tではないが、()()()()のは時と場合によっては非常に困る時があるというわけなのだ。

 

というより、“女王”アグネスオタカルの天才的な発想は“皇帝”シンボリルドルフにはあった運営側の視点や事情を一切考慮しない顧客側の無茶振りなので、現実的なことを踏まえなければならない理事会としては史上最強のスターウマ娘というただでさえ世間への影響力が強い存在なだけに頭を抱えたことだろう。

 

むしろ、ほぼ人気を一極集中するほどの絶対的存在に対して流されることなく毅然と対応していた秋川理事長の肝の据わり具合がまた浮かび上がってくるぐらいだ。

 

となれば、“女王”アグネスオタカルの存在感と幼くして誰よりも肝っ玉を練り上げている秋川理事長が手を組めば、今までのウマ娘レース業界の人気低迷を覆すほどの新秩序が築き上げられるのだ。

 

第2の日本トレセン学園を標榜する根岸校の存在は中央を分断するものではなく、これまでウマ娘レースで全身全霊を込めて戦い抜いた子たちを癒やすための療養所(サナトリウム)としての性格を強めていけば、横浜トレセン予備校としても成立していた立地なのだから共存していくことはできるはずだ。

 

それが アグネス家のウマ娘が頂点に君臨していた この世界におけるトレセン学園が辿るべき未来だと確信できた。

 

そう、“女王”アグネスオタカルの強みは“皇帝”シンボリルドルフとはちがって卒業後の進路は海外留学ということはなく、東京の大学に通いながら引き続きユーチューバー活動をしながらウマ娘レース業界全体が盛り上がるように頑張ろうとしている点だ。

 

つまり、トレセン学園の生徒の立場から解放された今後は、自身の知名度と影響力をフルに活用して縦横無尽に活躍することができるようになるはずだ。

 

今までそれを生徒の立場で精一杯にやれてきたのだ。となれば、いつまでも人々の側に親身に寄り添って未来の進むべき方向性を正していける生粋のウマ好きなのだ。

 

そういう意味では“無敵の八冠バ”アグネスオタカルは真の意味で無敵の人であり、現実的な面を調整してくれる最大の後援者さえいれば、思ったよりもこの世界の展望は明るく思えた。

 

良くも悪くも“女王”アグネスオタカルに影響力が一極集中していることがこれからの人類の未来を左右している点で非常に不健全と言えるものの、この世界の日本ウマ娘レース界を前向きに支えていえる存在だと心から思えた。

 

 

――――――アグネスオタカル。この方は自分の立場から逃げようとせずに真っ向から道を切り拓いていける強い心の持ち主でした。

 

 

和田T「へえ、そんな壮絶な話し合いがあったわけなんですか。おつかれさまです」

 

斎藤T「ええ。人気が一極集中しているからこそ、トレセン学園を卒業して自由を得たアグネスオタカルの影響力を秋川理事長の後援の下でフルに発揮していけるようになれば、みんなが“女王”陛下に従ってくれるはずですよ」

 

ピースベルT「ユーチューバー活動での垣根を超えた様々な企画がますますファン数を増やしているから、卒業した後なら もっと活躍できるというのも頷けるわねぇ♪」ウフッ

 

ピースベルT「そういう意味だと、アグネスオタカルには理想と現実の折り合いをつける政治家としての能力はなくても、理想家である自身を支えてくれる後援者がいれば、どこまでも突き進める一途さが魅力の子なのね♪」ニッコリ

 

ピースベルT「これはたしかに“皇帝”シンボリルドルフに勝るとも劣らぬ偉大なスターウマ娘だったわ♪」ウンウン!

 

和田T「ですね。我らが“皇帝”陛下が秋川理事長と二人三脚で黄金期を導いてきたのとはちがった成功の道が示されているだけに、療養所(サナトリウム)としての根岸校の成功を祈るばかりです」

 

 

和田T「で、いつまで俺たちはこの別世界にいなくちゃならないんですか?」

 

 

和田T「ここで見て聞いて学んできたものを俺たちは持ち帰らなくちゃならないわけなんですよね?」

 

和田T「おかげで、元の世界がどれだけ恵まれたものなのかを再確認することができましたけど……」

 

ピースベルT「まあ、あまり長居はしたくないわねぇ。ただでさえ、いろいろと思い出しちゃうから……」

 

斎藤T「別世界とは言え、“目覚まし時計”の効力で時間が巻き戻って()()()()()()になるはずだけどね……」

 

和田T「でも、横浜/根岸は東京/府中とはちがった魅力にあふれた場所ですね」

 

斎藤T「元の世界だと横浜トレセン予備校“根岸校”になっているわけで、元からこれだけのポテンシャルを秘めていたわけですからね」

 

ピースベルT「どういう形であれ、理想のためにみんなが切磋琢磨して前を向いて歩いていけることは素敵なことよ♪」フフッ

 

和田T「けど、気になるのはやっぱり根本から変わっているのは6年前;シンボリルドルフが入学した年から中央トレセン学園の歴史の流れが変わっていることですね」

 

斎藤T「元からアグネスオタカルなんて最強のトリプルティアラのウマ娘はいなかったから『6年前が歴史の分岐点になっている』と言うのは厳密にはちがうのだけれど――――――」

 

斎藤T「!!!!」ガタッ

 

和田T「……どうしました?」スッ

 

ピースベルT「……あれ、この臭い、憶えがあるわ?」クンクン

 

和田T「え?」

 

斎藤T「いや、あれ――――――」スッ

 

和田T「……あれは鹿毛のウマ娘?」

 

斎藤T「――――――」ダダッ!

 

和田T「あ! 斎藤T……!」

 

ピースベルT「……ようやくわかった♪」フフッ

 

和田T「え」

 

ピースベルT「三女神は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を試していたみたい♪」テヘッ

 

 

ダッダッダッダッダッダ・・・!

 

 

斎藤T「あ、すまない。そこの人……」ハアハア

 

女学生「え、あ、はい……」 ――――――深々とした帽子を被った車いすの女学生。

 

斎藤T「私は中央トレセン学園のトレーナーなんだ。名を“斎藤 展望”という」

 

女学生「――――――『中央トレセン学園』」ムッ

 

女学生「そうですか。府中からわざわざ根岸までいらしたわけなんですね」

 

 

斎藤T「――――――それで今の人生に満足ですか、“新堀 ルナ”?」

 

 

女学生「………………!?」

 

女学生「……突然 何を?」

 

斎藤T「ウマ娘という生き物は自身の能力を把握した上で闘争本能に適度に身を委ねなければ正気を保っていられないと聞く」

 

斎藤T「どれだけ自分を偽ろうとも隠しきれるものじゃない」

 

斎藤T「それこそ、生まれながらにして『名家』の惣領娘と見込まれるほどに将来を約束されていたウマ娘だったなら」

 

女学生「……………はい」ポタポタ・・・

 

斎藤T「……辛かったね。全てから逃げ出そうとして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に見合ったものはあったのかな」

 

女学生「それは、わからないです……」

 

斎藤T「そうだね。どっちの道も苦しみに満ちているのなら、比べることさえも無意味だとわかっているのに、どうしようもないよね」

 

 

――――――ようやく私はこの世界の真相を理解することができた。

 

 

これで“八冠の女王”アグネスオタカルの世界の攻略に成功し、元の世界である“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの世界に戻ってこれたわけなのだが、

 

今回の異世界探訪はチュートリアルということで すぐにまた別世界を彷徨うことになるとは思いもしなかった。

 

今回の異世界探訪の攻略条件は『()()()()()()()()()()()()を探し出すこと』に他ならず、たまたま()()()の女学生として開校前の根岸校を訪れていた()()()()()()()()()()()()()を見つけ出すことができたので意外にあっさりと元の世界:卒業式の朝(セーブポイント)への帰還を果たすことができた。

 

そう、最初はそんな印象ではあったが、自分たちを含めて様々な可能性が実現した別世界の洗礼を受けた身としては言うほど簡単な話ではないことを冷静に理解するに連れて、力だけではどうしようもない事態になっていることも合わせて言いしれぬ恐怖を感じることになった。

 

ともかく、“女王”アグネスオタカルの世界の大まかな成り立ちとしては、6年前にシンボリルドルフが『名家』シンボリ家の惣領娘であることを嫌って自由を手に入れようとした結果、走ることが大好きなウマ娘として致命的な障害を自ら負ったことに端を発していたのだ。

 

つまり、自身の宿命に逆らった結果が黄金期を迎えられなかったトレセン学園というわけであり、その窮状を解決することができるだけの才覚を持った“女王”陛下がいたことで何とか命脈を保つことができたというわけなのだ。

 

それだけに“皇帝”シンボリルドルフの存在がいかに世界にとって重要なのかを再確認することになり、元の世界でそのシンボリルドルフが卒業の日を迎えることがどれだけの意味を持つのかを考えると、卒業した後のトレセン学園の将来もまた危ういものに感じられた。

 

 

――――――いやいや、それってつまりはシンボリルドルフが在籍していようがいなかろうが問題だらけのウマ娘レース業界ということではないか!?

 

 

そして、なぜかトレセン学園が抱える問題を体当たりで解決していく何でも屋(トラブルシューター)に私が選ばれているわけであり、時間を巻き戻したり 別世界を見てきたり 裏世界を歩き回ったりするのは 終わってみればいろいろと楽しいものはあったものの、やっている最中としては地獄そのものなので本気で勘弁して欲しかった。

 

しかし、どれだけ『名家』シンボリ家の惣領娘から逃げ出そうとしても、そうであった事実と自身の能力を冷静に分析できる英才教育の賜物によって、自分が何をすべきなのか、何ができるのか、何者であるのかを常に自問自答する日々が際限なく繰り返されることになり、

 

何者にもならなかった自分の生き方に後悔はないと強がってみせても あれだけ憧れていた普通の人生と強制されてきたターフの上の人生とで得られるものをどうしても比べてしまう自分がいることに悩み続けてきたのだ。

 

そう、本当は自分の能力や影響力を理解してターフの上で思う存分に走りたいとウマ娘らしい願望を抱いていたはずなのだ。

 

 

――――――いつからなのだろう。自分が走るのはターフの上ではなく、親が敷いたレールの上だと感じるようになってしまったのは。

 

 

国民的スポーツ・エンターテインメントの夢の舞台であるトレセン学園に入学することを義務付けられた人生に嫌気が差した小学校卒業のお受験生は土壇場で究極の選択を迫られることになり、結果として親が敷いたレールからの脱線事故を起こすことになった。

 

血相を変えて病院に駆けつけてくれた両親にどれだけ慰めの言葉をかけられても、すでに少女の心は固く閉ざされており、親が心配しているのは自分ではなく、親の敷いたレールの上を走るための脚なのだと失望の眼差しを向けていた。

 

事実、将来を期待されたウマ娘にとって命とも言える脚に障害を負ったことで心を閉ざしてしまったのだと周りの誰もが思い違いをして見舞いに来ることに、ますます少女の心は惨めさに苛まれることになってしまった。

 

そもそも、トレセン学園の入学に反発していたのは『ウマ娘レース業界そのものが将来的に危うい』という事実を英才教育を受けて幼くして分析できた聡明さが招いたものであり、その英才教育を施した側がその事実に見て見ぬ振りをし続けるという在り方に子供心に疑問を持っていたことが少女に究極の選択を迫ったのだ。

 

 

――――――車いすのシンボリルドルフはそこから何もかも孤独になった。

 

 

やはり、実の娘でさえも『名家』の権勢と命脈を保つための政略の道具程度しか考えていないから、すぐに自分の代わりになる才能あるウマ娘を養子にして シンボリの冠名を貸し与えて シンボリ家のウマ娘としてトレセン学園に送り出してG1レースに勝つことを義務付けるのだ。

 

もちろん、養子に引き取られた子たちは『名家』シンボリ家のウマ娘として走れることを無邪気に喜ぶことだろう。それだけの手厚い支援を受けられることを考えれば人生が一転するのを如実に感じられる。

 

では、その逆はどうなのだろう。シンボリ家のウマ娘として生を受けて 惣領娘としての英才教育まで施され そこから親の敷いたレールから脱線した我が子に対する仕打ちに親子の愛など感じられるだろうか。

 

そのため、車いすのシンボリルドルフはただの一人の人間“新堀 ルナ”として男女共学の普通校に通うことになるのだが、今まで当たり前に思えた境遇が普通じゃなかったことを肌で体験することになり、自分で究極の選択をして掴み取った自由の代償に打ちのめされることになった。

 

それでも、英才教育の賜物で冷静な分析力と責任感の強さのために『親の敷いたレールの上を走り続けることに我慢さえしていれば こんな目に遭うこともなかった』のだと 自身の境遇を憎む以前に自罰意識が働いてしまうため、その間を行ったり来たりする発散されることのない感情に悶え苦しむ日々を送り続けることになった。

 

そして、車いすのシンボリルドルフ“新堀 ルナ”は ある時 学園と距離を置いたユーチューバー活動の一環でボランティア活動に参加していた“八冠の女王”アグネスオタカルと顔を合わせることになり、

 

その時にトレセン学園の門をくぐることができなかった『名家』シンボリ家の惣領娘の悲しい末路に激しい怒りを抱き、府中の連中に対する敵対心を燃やすきっかけになったのだ。

 

そう、“女王”アグネスオタカルの世界であっても場所や形を変えて“皇帝”シンボリルドルフの影響力は絶大であり、“女王”アグネスオタカルが府中からの独立を図る革命の道に突き進む原動力になっていたのだ。

 

だから、断ち切れない迷いのために車いすのシンボリルドルフ“新堀 ルナ”は自分の代わりにトレセン学園の絶対的支配者となって溜飲を下げてくれることを約束してくれた“女王”アグネスオタカルが設立した第2の日本トレセン学園となる根岸校に足を運ぶことになった。

 

しかし、実際に足を運んでみて感じられたのは満たされることのない虚ろな達成感であり、“女王”自らが車いすを押して案内してくれても、わずかばかりの温かみだけで心の傷が癒やされることはなかった。

 

それから、しばらくの間 一人になって 根岸の海から届く春風を受けながら 満たされることのなかった“本当に欲しかったもの”が何だったのかを考え込んでいたところに“斎藤 展望”が駆けつけたというわけである。

 

 

――――――その答えは車いすのシンボリルドルフ(本当の自分)“新堀 ルナ”を見つけてくれる誰かだったのだ。

 

 

 

●2周目:3月12日/トレセン学園卒業式

 

斎藤T「………………」ピッ ――――――“女王”アグネスオタカルの世界のウマ娘名鑑の電子書籍を眺め続ける!

 

和田T「ヨシヨシヨシヨシヨシヨシヨシ」ナデナデ ――――――一心不乱にメジロマックイーンのぱかプチを撫で回す!

 

ピースベルT「――――――」ジー ――――――2つの世界のビワハヤヒデのブロマイドの電子データを眺め続ける!

 

 

マンハッタンカフェ「……タキオンさん」

 

アグネスタキオン「……ああ、これは重症だね」

 

アグネスタキオン「しかし、“皇帝”シンボリルドルフが入学しなかったという別世界の話か。興味を唆られるものがあったよ」

 

マンハッタンカフェ「ティアラ路線のクラシックG1レース:6勝の“八冠の女王(エイト・クイーン)”アグネスオタカルの話ですね」

 

アグネスタキオン「ああ。アグネス家の傾向として独自路線の追求とティアラ路線での実績が豊富で、その集大成となる存在が別世界に実在していたのだから、私の“クラシック八冠バ”も不可能な話ではないという確信が得られたのは大きな収穫だね」

 

マンハッタンカフェ「他にも、ハヤヒデさんとブライアンさんの姉妹対決が実現しなかった可能性も実際にありえたわけですから、私も走れなくなった可能性が十二分にあったわけですよね」

 

アグネスタキオン「そうだね。予言書『プリティーダービー』により忠実な展開であったという話だが、私としても4戦4勝で引退だなんてことは絶対に嫌だからね」

 

アグネスタキオン「しかし、今まではトレーナーくんの記憶だけしか持ち越せなかったけど、」

 

アグネスタキオン「今回はトレーナーくんに同行した全員が記憶を持ち越せただけじゃなく、身につけていたPDAに収めた電子データも持って帰ることができたんだ」

 

アグネスタキオン「これは実に興味深い研究資料が集まったねぇ!」

 

マンハッタンカフェ「でも、そういった経験が豊富な斎藤Tはともかく、別世界での体験を和田Tや鐘撞Tが引き摺って…………」

 

アグネスタキオン「まあ、これはこれで新しい研究の題材にはなるだろうさ……」

 

マンハッタンカフェ「なら、もしもタキオンさんではない別世界のタキオンさんに斎藤Tが出会ってしまった場合の反応も見てみたいですか?」

 

アグネスタキオン「…………どうだろうね」ムッ

 

アグネスタキオン「私は少なくとも自分がもっとも研究が実現する可能性を選び取ったと自負しているから、それ以外のもっとうまくやれている可能性には目を向けたくないかもね」

 

アグネスタキオン「あるいは、その逆もね」

 

アグネスタキオン「だから、私という存在は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であると信じ抜くしかないさ」

 

アグネスタキオン「もっとも、どの世界でも“新堀 ルナ”という一人の少女が辿る道は2つに1つらしいからねぇ……」

 

 

――――――選ばれし者は宿命からは絶対に逃れられないというわけか。それはトレーナーくんにしても同じか。

 

 



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第二次決戦Ⅲ ナリタブライアンが討たれた世界 -南十字星の将星の世界-

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

まったくもって身構えていたものとは異質な異変に私たちは振り回されることになった。

 

いきなりチャンネルが切り替わったかのように何かがちがうトレセン学園へ異世界転移が行われるのだが、

 

今回はその場に居合わせた全員の記憶だけじゃなく電子データも持ち越せたため、“女王”アグネスオタカルの世界のウマ娘名鑑や歴史資料も持ち帰ることができ、それで状況説明を行えた。

 

そして、異世界転移の瞬間になるであろう卒業式の映像記録も毎回保存することになり、注意深く卒業式の中継映像を見ていた。

 

しかし、最初の“女王”アグネスオタカルの世界に存在する別世界の愛バたちに脳が破壊された者たちは愛バのぱかプチやブロマイドを穴が開きそうになるぐらいに愛でる奇行に走って精神の安定を図る羽目になっていた。

 

別世界の存在として頭で割り切ることができないのが可能性の世界の深淵なる恐怖であり、少しの掛け違いであり得たかもしれないと思わされることで、これまで築き上げてきた日々が音を立てて崩れ落ちるような錯覚に見舞われるのだから、愛しているほど可能性に裏切られたショックを受けてしまうのだ。

 

なので、“女王”アグネスオタカルの世界に居合わせることができなかった飯守Tを呼び戻し、アグネスタキオンとマンハッタンカフェも隙を見て 部屋に戻ってくるように指示を出した。

 

一方で、百尋ノ滝の秘密基地の岡田Tとアグネスタキオン’(スターディオン)は何が起こるかわからないこそ絶対に巻き込ませるわけにはいかなかった。

 

 

さて、2周目の3月12日のトレセン学園卒業式はもう卒業生代表が“八冠の女王”アグネスオタカルに入れ替わるといったことは起きずに、本来あるべき“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの感動的な答辞で締め括られることでホッとしていたところ、私たちは二度差されるのであった。

 

感動的な卒業生代表答辞が終わったら、次は在校生代表送辞となるわけなのだが、またしても知らない在校生代表が壇上に上がることになってしまったのだ。

 

しかも、あからさまに“皇帝”シンボリルドルフの存在が邪魔だったとばかりに相当に嫌味を含んだ送辞であり、これからは自分の時代だと宣言するかのような大胆不敵なものであったのだ。

 

そして、世界は“女王”アグネスオタカルが統治していた時よりも更に状況が悪化しているものに入れ替わっており、またしても“皇帝”シンボリルドルフが目指した理想の暗黒面を直視しなくてはならなくなったのだ。

 

 


 

 

●????:3月12日/トレセン学園卒業式

 

――――――

司会「在校生代表送辞」

――――――

 

飯守T「いやー、感動的な答辞でしたね!」

 

和田T「さすがは“皇帝”シンボリルドルフ!」

 

和田T「これで何もなく卒業式が終わればいいんですけど……」

 

ピースベルT「次の在校生代表もいきなり知らないウマ娘に変わっていたりしてね♪」フフッ

 

和田T「怖いこと言わないでくださいよ」アハハ・・・

 

斎藤T「――――――ッ!」ガタッ

 

ピースベルT「!!!!」

 

飯守T「え、どうしたんですか?」

 

和田T「やだなー? まさか、本当に――――――?」

 

斎藤T「勘弁してくれ……」

 

――――――

司会「在校生代表:トウショウサザンクロス」

――――――

 

飯守T「!?!!」

 

和田T「マジかよ!? これで二度目だぞ!?」

 

斎藤T「――――――『トウショウサザンクロス』!?」

 

ピースベルT「まさか、『名家』トウショウ家の?」

 

飯守T「えと、でも、今度は在校生代表が変わっているということは、元々の“女帝”エアグルーヴの存在がなかったことになってるとか?」

 

斎藤T「いや、今さっき更新された在籍者名簿を見る限り、エアグルーヴもナリタブライアンも存在しているし、総生徒数2000名弱なのは変わっていない……」カタカタカタ・・・

 

飯守T「なら、特に問題は――――――」

 

和田T「…………いや、この在校生代表、何か言っていることが棘があるというか、あからさまに我らが“皇帝”陛下がいなくなることを歓迎しているような物言いだぞ?」

 

飯守T「……聞いてて感じが悪いですね」

 

ピースベルT「――――――こ、こいつッ!」ガタッ

 

斎藤T「どうしたんですか、ピースベルT!?」

 

和田T「今度は何!?」

 

 

ピースベルT「トウショウサザンクロス! こいつ、“怪物”ナリタブライアンの三冠を阻止して、しかもビワハヤヒデとの姉妹対決を潰してるな!?」ギラッ

 

 

和田T「!!!!」

 

斎藤T「この別世界でもビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹対決が実現しなかったわけか」

 

ピースベルT「それどころか、トウショウサザンクロスというやつはオーストラリア“ジュニア三冠バ”で、外国バの優先出走権で『日本ダービー』に参戦して“怪物”ナリタブライアンに圧勝している!」ドン!

 

和田T「――――――“ジュニア三冠バ”!? そんなものがオーストラリアにはあるのか!?」

 

斎藤T「――――――オーストラリア“ジュニア三冠”」カタカタ・・・

 

 

ローズヒルガーデンズ・芝・1200m『ゴールデンスリッパーステークス』

 

ロイヤルランドウィック・芝・1400m『サイアーズプロデュースステークス』

 

ロイヤルランドウィック・芝・1600m『シャンペンステークス』

 

 

飯守T「え、ちょっとまってください! オーストラリア“ジュニア三冠”って短距離ウマ娘(スプリンター)マイルウマ娘(マイラー)の距離じゃないですか!?」

 

飯守T「それが東京・芝・2400m『日本ダービー』で“怪物”ナリタブライアンに勝ったってことですか!?」

 

和田T「これはたしかに言い訳しようがないほどにトウショウサザンクロスというのが強いウマ娘なのは疑いようがない……」

 

和田T「けど、それならわざわざオーストラリアから『日本ダービー』に参戦してきたのは何故!?」

 

和田T「――――――というか、それが在校生代表!? どういう経緯で!?」

 

和田T「うおっ!?」ビクッ

 

ピースベルT「ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな」ムカムカ!

 

飯守T「お、落ち着いてください、鐘撞T!」

 

ピースベルT「これが落ち着いてなどいられるか!」ドン!

 

ピースベルT「某の愛バの切なる願いである姉妹対決が果たされなかっただけじゃないのに、」

 

ピースベルT「今の、聞いたか!? あろうことか“皇帝”シンボリルドルフの後は自分の時代だと高らかに宣言するような無法者を野放しになどできるか!」ギラッ

 

斎藤T「やめてください! 危険です! もっと情報を集めてからじゃないと!」ガシッ

 

ピースベルT「放せッ! 共に“ヒトとウマ娘の統合の象徴”としてトレセン学園を導く誓いをオーストラリアから来た野蛮人に穢されてなるものか!」ゴゴゴゴゴ・・・

 

 

アグネスタキオン「おっと、おいたはそこまでだよ、鐘撞T?」パンッ!

 

 

ピースベルT「な、何を――――――」ゴホゴホ・・・

 

ピースベルT「そ、某は――――――」クラッ

 

ピースベルT「」ガクッ

 

斎藤T「助かったよ」ホッ

 

アグネスタキオン「やめてほしいな、もう。味方に対して暴徒鎮圧用の麻酔ガス弾を撃つことになるだなんてねぇ」

 

マンハッタンカフェ「……いったい何が起きているんでしょうか?」

 

斎藤T「それを今から調べるところだ」

 

アグネスタキオン「シンボリルドルフは健在ではあるけど、このまま接触したところでさっさと元の世界に帰れるわけじゃなさそうだねぇ」

 

マンハッタンカフェ「やはり、あのトウショウサザンクロスというウマ娘のことで何かをしないといけないのでしょうか」

 

飯守T「本当に何が起こっているんだ?」

 

和田T「こっちが聞きたいよ!」

 

和田T「ともかく、俺の推測だと我らが“皇帝”陛下が安心して過ごせる世界を作ることがクリア条件だと思うから」

 

アグネスタキオン「ふぅン。それは私たちの世界でも同じことなんだろうけどねぇ」

 

 

いきなりピースベルTこと鐘撞Tが取り繕った“オウマさん”の態度を保てないほどに怒りで我を失うほどの衝撃的な在校生代表送辞にここにいた誰もが世界が変わったことを実感した。

 

そして、ひとまず全員が別世界にいることを確認すると、手分けして元の世界:シンボリルドルフの世界と別世界:トウショウサザンクロスの世界(仮称)とのちがいを調査することになった。

 

最初に確認したのは、まず自分たちの名前がトレセン学園に存在しているかどうかであり、これで部外者となって学園から放り出されることがないかを念入りに確認した。

 

結果、やはりピースベルTこと鐘撞Tの名前が存在しないため、目を覚まして暴れられても困るので今回は眠らせたままで調査を行うことになった。

 

それ以外の全員はこの別世界のトレセン学園にも存在していることが確認できたのだが、ここで由々しき事態にまたしてもなっていた。

 

前回のアグネスオタカルの世界ではメジロマックイーンの担当トレーナーに和田Tがなれずに底辺チームの子に告白を受けることになったわけなので、この点に関してはメジロマックイーンのぱかプチを抱きしめながら神経質に和田Tは事実確認していた。

 

そして、そのことが杞憂であったとホッとした和田Tであったが、今度は飯守Tの担当ウマ娘がライスシャワーじゃなくなっていることに一同が騒然となった。

 

和田Tの時と同じで この世界の飯守Tは先輩チームのサブトレーナーであり続けたらしく、筋も悪くないのか初めての担当ウマ娘が重賞レースで好走を重ねているらしかった。

 

そうなると気になるのは飯守Tが目標にしていた驚異の天才トレーナー:才羽Tなのだが、この世界でも才羽Tの存在はなく、ライスシャワーはまたしてもミホノブルボンとメジロマックイーンを破ったことで“悪役(ヒール)”にされていたのだ。

 

懸念していたとおり、自分の担当ウマ娘に対するあまりに酷い仕打ちに飯守Tも感情が爆発しそうになっていたのだが、何もかもが予言書『プリティーダービー』の通りになるのが好ましいわけじゃないのを再確認することになった。

 

しかし、私としても『今のところ高確率でこうなるだろうな』という可能性の予感が働き、できるだけ調べ物は済ませて、これから来る客人を丁重に迎える準備に取り掛かった。

 

そして、嫌な予感は的中することになり、どうやら私と鐘撞Tはよほど似通った女の趣味をしているのだと二度目にもなると納得せざるを得なかった。

 

 

 

アグネスタキオン「――――――私のだからなッ! トレーナーくんはッ!」ムギュッ!

 

斎藤T「痛いッ! 痛いから!」グググ・・・

 

ビワハヤヒデ「……わかっているさ。私よりもタキオンの方が斎藤Tの力になれるのは」

 

ビワハヤヒデ「でも、最後だけは許してもらえないだろうか……」

 

斎藤T「……それで後腐れなく巣立っていけるのなら」

 

アグネスタキオン「……いいかい! 今回だけだぞッ! きみに免じて!」プクッ!

 

ビワハヤヒデ「ありがとう」

 

ビワハヤヒデ「うん、ありがとう……」ポタポタ・・・

 

ビワハヤヒデ「うぅ……」シクシク・・・

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「うぐぐぐぐ……!」プンプン!

 

 

飯守T「これは絶対に鐘撞Tには見せられない場面だ……」

 

和田T「眠らせたままにしておいて正解だったな……」

 

マンハッタンカフェ「そうですね……」

 

マンハッタンカフェ「でも、タキオンさんが明確に斎藤Tのことを自分のものだと主張したわけですよね?」

 

飯守T「ああ、始まるからもう『デキあがッていた』ってやつ?」

 

飯守T「まあ、去年のシーズン後半からの超濃密な時間を一緒に過ごしていたんだ。最初から特別な関係だったわけだし……」

 

和田T「でも、鐘撞Tが存在しないと高確率で斎藤Tがビワハヤヒデに好意を持たれるあたり、鐘撞Tとしては絶対に他の世界の存在は認めたくないよな……」

 

飯守T「俺だって! ライスの担当トレーナーとしていつまでも笑顔にしてやりたいし、今まで積み重ねてきた日々をなかったものにはしたくないよ!」

 

和田T「なら、さっさとこんな悪趣味な異世界探訪を終わらせて、俺たちの世界に帰ろう!」

 

飯守T「はい!」

 

 

やはりだ。そもそも、鐘撞Tがトレセン学園に籍を残し続けていようとピースベルTとして復活する可能性が極めて稀であることを考えると、ビワハヤヒデとナリタブライアンの最強姉妹に距離が近い私の存在が優先されるというのは予想できていた。

 

というより、3年目:シニア級のシーズン後半に人生のパートナーであった大切な人を失ったシンボリルドルフ同様、同じ境遇のビワハヤヒデにしても学園での日々はやはり慣れたようで喪失から逃れようと実際には無理を重ねていたわけなので、その思い出に触れてくる存在に努めて気丈な振舞いが乱されるのも無理はない。

 

そのため、姉妹対決の夢を壊されて失意の日々を送っているビワハヤヒデとナリタブライアンを『URAファイナルズ』で夢を叶える手伝いを私がすることに高確率でなっているのだろう。

 

そう、『URAファイナルズ』で念願の姉妹対決で最高のレースをやろうと一度は完全に鎮火したウマ娘の闘争本能に再び火を灯すことがトレーナーとしての私の特技のようだ。

 

否、消えているようで実はまだ燻っている火種を持つ人間を再起させることが私という人間の最大の武器であり、元の世界でそれがもっとも必要になったのはアグネスタキオン唯一人だったことを考えれば、こうして別世界では私なんかの力を更に必要とされている辺り、ひどく歪なものに感じられた。

 

だからこうして、私の胸にビワハヤヒデが顔を埋めて啜り泣くことにもなり、そのことに対抗心を燃やした私の担当ウマ娘が背中から腕を回して頭をこすりつけてくる事態にもなる。ギチギチと腹が締め付けられて息が苦しいぐらいだ。

 

正直に言って、私としても気まずくてしかたない。元の世界のビワハヤヒデはちゃんと最愛の人に姿形が変われども感動の再会を果たすことができたのだから、ちゃんとここに存在している鐘撞Tに無言で斬り捨てられそうな予感がしてならない。

 

しかし、今回のトウショウサザンクロスの世界(仮称)の場合だと、鐘撞Tの名前は残り続けていても卒業式前に再会できなかったことで完全に心が私に傾いてしまったようなのだ。

 

驚いたことにこの世界だと斎藤 展望はアグネスタキオン、ビワハヤヒデ、ナリタブライアンの3人の担当トレーナーになっているらしく、この辺りの詳しい経緯をビワハヤヒデに思い出話として語ってもらうことになった。

 

すると、“怪物”ナリタブライアンが『日本ダービー』で突如としてオーストラリアからやってきた“将星”トウショウサザンクロスに討たれた日から姉妹にとっても学園にとってもドン底の日々が始まったと言う。

 

 

斎藤T「――――――オーストラリアから突然“ジュニア三冠バ”の来襲か」

 

アグネスタキオン「そして、“ジュニア三冠”が短距離とマイルだったこともあって、“怪物”ナリタブライアンはオーストラリアの“ジュニア三冠バ”に討たれてしまったことを世間は面白可笑しく吹聴したわけだね」

 

ビワハヤヒデ「いや、本来のブライアンの実力ならサザンクロス相手でも勝てたはずだったんだ」

 

ビワハヤヒデ「けれども、私の方が事故に遭って走れなくなっていたから、それでブライアンと最高の舞台でレースをする約束を破ってしまったことが大きく響いて……」

 

斎藤T「…………それで、そのオーストラリアの外国バが高等部に編入してきて在校生代表にまでなったわけですよね?」

 

斎藤T「そんなことってあり得るんですか? いくら『名家』トウショウ家が認めているとは言え、外国バだったウマ娘が生徒会役員でもないのに在校生代表になるだなんて」

 

ビワハヤヒデ「いや、悔しいことに、シンボリルドルフもその統率力に関しては認めざるを得なかったんだ」

 

 

ビワハヤヒデ「やつは生徒会ではなく、学生寮自治会を掌握することで、生徒以外立入禁止の帝国を築き上げていたんだ」

 

 

アグネスタキオン「ふぅン……?」

 

斎藤T「それじゃあ、寮長のフジキセキやヒシアマゾンは!?」

 

ビワハヤヒデ「すでに寮長の地位から退いたじゃないか」

 

ビワハヤヒデ「そして、学生寮自治会はトウショウサザンクロスの息がかかった生徒たちのものになってしまった」

 

斎藤T「なっ」

 

 

アグネスタキオン「それじゃあ、トレセン学園の歴史に何度もあった生徒会と自治会の対立が再び起こったわけなんだね」

 

 

ビワハヤヒデ「そう」

 

ビワハヤヒデ「生徒以外立入禁止であるからこそ、学生寮自治会を掌握した後のトウショウサザンクロスはトレセン学園を実質的に征服したとして“将星”を名乗っている」

 

斎藤T「――――――“将星”」

 

ビワハヤヒデ「そう、“将星”トウショウサザンクロス――――――」

 

ビワハヤヒデ「やつ曰く、トウショウサザンクロスとは東照南十字星。転じて日本国からは見ることができない南十字星による征服の象徴なんだそうだ。“東照大権現”徳川家康:初代江戸幕府征夷大将軍にも掛けているのだろう」

 

斎藤T「……オーストラリアの日本人街の出身であることが祖国に対する恨み辛みを募らせたのだろうか」

 

ビワハヤヒデ「わからない。ある程度 推測できることはあるにしても、なぜオーストラリア出身のトウショウサザンクロスが日本トレセン学園でここまでやろうとしているのか、学生寮の外からはわからない。もちろん、学生寮の中からも見通せないが」

 

ビワハヤヒデ「ただ、トウショウサザンクロスが学生寮で勢力を伸ばすことができたのは、“皇帝”シンボリルドルフや“怪物”ナリタブライアンのような本物の天才たちの走りに心を折られてしまった生徒たちを取り込んだことにある」

 

ビワハヤヒデ「やつは何というのか人々の心の傷を――――――」

 

 

ガチャ!

 

 

斎藤T「――――――!」

 

アグネスタキオン「!!」

 

ビワハヤヒデ「なっ」

 

 

トウショウサザンクロス「ドブネズミの親玉が、まだ学園に残っていたようだな! 探したぞ!」フハハハハ!

 

 

ビワハヤヒデ「トウショウサザンクロス……!」ジロッ

 

トウショウサザンクロス「相変わらず ごみ溜めの中で元気そうだな、ビワハヤヒデ。それでこそ潰しがいがある」

 

トウショウサザンクロス「そして、よくぞ三ヶ月の眠りから目覚めて我が覇道の生贄となる者を用意してくれたな、斎藤T」

 

斎藤T「あなたが“将星”トウショウサザンクロス――――――」

 

トウショウサザンクロス「正直に言って驚いたぞ。シンボリルドルフが卒業する年にボロだらけの負け犬に形振り構わず契約を結ぼうとするような門外漢がやってくるとはな」

 

斎藤T「なに?」

 

トウショウサザンクロス「わからないのか。貴様という異物は我が覇道には不要な存在。自然に学園から排除されたのだ」

 

トウショウサザンクロス「それなのに一度は死んだも同然の男がこうも生き返り、あろうことか負け犬の姉妹と契約を交わして『URAファイナルズ』に参戦してきた その勇気は褒めてやる」

 

 

トウショウサザンクロス「もっとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだがな」

 

 

ビワハヤヒデ「!?」

 

ビワハヤヒデ「まて! さっきから何を言って――――――!?」

 

トウショウサザンクロス「鈍いな、ビワハヤヒデ。頭がデカいだけで脳みそが詰まっていないのか」

 

ビワハヤヒデ「わ、私の頭はデカくないぞ!?」

 

アグネスタキオン「へえ、つまり、『日本ダービー』でナリタブライアンが不調の原因になったハヤヒデくんの事故ってのは――――――」

 

 

トウショウサザンクロス「――――――“怪物”に恨みがある連中がやったことだ。私が手を下したわけではないが、私の役に立ってくれたな」ニヤリ

 

 

ビワハヤヒデ「なっ!?」

 

ビワハヤヒデ「サザンクロス! 貴様ァ!」ゴゴゴゴゴ!

 

アグネスタキオン「となると、新年度早々に斎藤 展望が学外の事故で意識不明の重体になったのも――――――?」

 

トウショウサザンクロス「さてな、私の預かり知らぬことだ」

 

トウショウサザンクロス「だが、妹の養育費のために形振り構わずに無名の新人トレーナーが学園のタブーを破って負け犬:ナリタブライアンをスカウトしようとしたのがいけなかったのかもなぁ」ニタァ

 

アグネスタキオン「この外道が……」ギリッ

 

トウショウサザンクロス「なんとでも言うがいい。私は関与などしていないのだからな。証拠はない。貴様らが勝手に不幸になっただけだ」

 

アグネスタキオン「くっ」

 

斎藤T「なら、教えてくれ、“将星”トウショウサザンクロス」

 

斎藤T「どうして生徒会と自治会を対立させた? 何が目的でオーストラリアから日本にやってきて侵略したんだ?」

 

トウショウサザンクロス「知れたことよ。“ウマ娘の ウマ娘による ウマ娘のための ウマ娘レース”を実現するためだ」

 

アグネスタキオン「驚いた。卒業式の在校生代表送辞で“皇帝”シンボリルドルフを暗に罵倒して自分の時代が来たと勝ち誇っていたきみが“皇帝”シンボリルドルフが目指したものを主義主張に掲げるのかい」

 

ビワハヤヒデ「ふざけるな! 貴様のやっていることは“皇帝”シンボリルドルフの御心にまったく沿わない ただの暴虐だ!」

 

トウショウサザンクロス「それだから貴様らは理想の残飯を食い漁るしか能がないドブネズミなのだ!」

 

ビワハヤヒデ「…………ッ!」

 

トウショウサザンクロス「いいか、どれだけ自由や平等を謳ったところで結局は勝者だけが評価されるのが世界の真実だ! 2着以下の敗者に存在価値などない!」

 

トウショウサザンクロス「――――――『全てのウマ娘が幸福でいられる世界』だと、シンボリルドルフ?」

 

トウショウサザンクロス「笑わせる! 貴様自身の走りに心を折られ 夢をあきらめさせられて 学園を去っていった者たちのことは見て見ぬ振りか!?」

 

トウショウサザンクロス「ビワハヤヒデ、貴様もシンボリルドルフに夢を奪われた被害者の一人だ!」

 

トウショウサザンクロス「いや、貴様はそうでなくとも、ウイニングチケットやナリタタイシンは間違いなく被害者の一人だ! そうだろう!」

 

ビワハヤヒデ「そ、それは……」

 

トウショウサザンクロス「だから、“皇帝”シンボリルドルフと同じように数多のウマ娘の闘争心を踏み躙ってきた“怪物”ナリタブライアンは我が覇道の足掛かりにはちょうどいい踏み台だったのだよ!」

 

アグネスタキオン「なるほど。本当の狙いは“皇帝”シンボリルドルフの理想であって、きみと同世代だった“怪物”ナリタブライアンはちょうどいい見せしめだったわけだね」

 

ビワハヤヒデ「許せないッ!」ギラッ

 

斎藤T「――――――」ガシッ

 

ビワハヤヒデ「あぅ」

 

斎藤T「落ち着け。挑発に乗るな。手を出したら負けだ」ギュッ

 

ビワハヤヒデ「け、けど、私は…………」グスン・・・

 

斎藤T「いい。ここで思いっきり泣け。姉妹対決の夢は私が叶える」グッ

 

ビワハヤヒデ「う、ぅうううううう……」ポタポタ・・・

 

アグネスタキオン「ハヤヒデくん……」

 

トウショウサザンクロス「ふん、少し喋りすぎたな」

 

トウショウサザンクロス「だが、貴様らが敬愛したシンボリルドルフはもういない! 学園は完全にこの“将星”のものだ!」

 

斎藤T「それで? 高等部にわざわざ転入してきた理由は? 日本のトレセン学園にこだわった理由は何だ?」

 

斎藤T「――――――オーストラリアの日本人街の出身であることと何か関係があるのか?」

 

トウショウサザンクロス「…………これ以上の問答は無用だ」

 

斎藤T「そうか」

 

斎藤T「だが、あなたの目指すウマ娘の自由は自由競争の拡大という名の弱肉強食の無秩序だぞ。弱者を完全に切り捨てる強者だけの世界に安寧などあるものか」

 

トウショウサザンクロス「そのとおりだ! 私は安寧など求めていない!」

 

斎藤T「…………!」

 

アグネスタキオン「なんだって?」

 

 

トウショウサザンクロス「私が目指す自由とはヒト社会に縛られることのないウマ娘の闘争本能の解放!」

 

トウショウサザンクロス「それこそがウマ娘の真なる自由!」

 

トウショウサザンクロス「平和という天国から見放された外側の世界;即ち闘争でしか生の充足を得られないウマ娘が永久に闘争の中で生きる為の楽園の建設だ!」

 

 

ビワハヤヒデ「ど、どういう意味だ、それは!? 正気か!?」

 

斎藤T「要するに、どうあってもウマ娘はヒト社会においては近代ウマ娘レースでしかその身体能力と闘争本能を満たすことができないなら、もう開き直ってウマ娘は弱肉強食の倫理に生きるべきだと言うわけだな?」

 

斎藤T「そのために、世界でも特異的な進化を遂げたウマ娘大国を超越した理想郷:ウマ娘天国である日本ウマ娘レースを侵略する必要があったというわけだな!」

 

アグネスタキオン「!!」

 

ビワハヤヒデ「それは本当か!?」

 

トウショウサザンクロス「……やはり、我が覇道を阻む最大の障害となるのは貴様であったようだな、無名の新人トレーナー!」

 

トウショウサザンクロス「お呼びではない遥か向こうの天国からの稀人め!」

 

トウショウサザンクロス「だが、それだけに私たちウマ娘を高みから見世物にして笑う天国の連中とは大違いのようだな」

 

トウショウサザンクロス「貴様のようなやつだからこそ――――――、いや、貴様のようなやつがどこにでもいるわけがない。それがこの世の真実だ」

 

斎藤T「………………」

 

トウショウサザンクロス「だが、それがわかったところで、もはやどうすることもできやしない!」

 

 

――――――『URAファイナルズ』決勝トーナメント! そこで貴様らを闇に葬ってくれる! それがこの世の天国の終焉となるのだ!

 

 

これまたとんでもない世界に連れてこられてしまったわけだ。

 

行き過ぎた自由は統制を破り、暴力が支配する無秩序の原始時代に帰るというわけなのか。

 

“将星”トウショウサザンクロスの世界を一言で要約するなら、黄金期を切り拓いた“皇帝”シンボリルドルフであったが後継者に恵まれなかった世界であり、結果として自由で開放的であったが故にトレセン学園を無法者に乗っ取られるという最悪の事態になっていた。

 

そう、特徴的な高笑いをしながらドブネズミの巣窟と吐き捨てた場所を悠々と去っていった“将星”トウショウサザンクロス――――――。

 

生徒以外立入禁止のトレセン学園学生寮;民間警備会社のERT(緊急時対応部隊)では決して網羅しきれない広大な住宅団地を支配下に置き、『URAファイナルズ』をトウショウサザンクロスの派閥が完全制覇することによってトレセン学園の顔役である生徒会の権威を失墜させてトレセン学園を征服することを画策していたのだ。

 

実際、トウショウサザンクロスの派閥に取り込まれたと見られるウマ娘はかなりの有名所も参加しており、“悪役(ヒール)”として完全に悪堕ちしたライスシャワーが『URAファイナルズ』長距離部門で圧倒的な走りを見せつけていた。

 

他にも、トウカイテイオーが“無敗の二冠バ”として名を残して中途退学していることもあり、その担当トレーナーの岡田Tも学園を去っていたことがわかった。

 

おそらく、トウカイテイオーの天賦の才能もまたその輝きの裏で大きな影を産み落とし、その影がトウカイテイオーの復活を許さなかったのだろう。これもトウショウサザンクロスの陰謀だと推測できた。

 

となると、ビワハヤヒデも心が傷だらけになって卒業の日を迎えてしまったように、この世界の“皇帝”シンボリルドルフもまた精神はすでに――――――。

 

 

 

 

 

斎藤T「――――――み、見つけたぁ!」ゼエゼエ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が往くべき場所を指し示す!

 

シンボリルドルフ「……そうか。きみが来てくれたか」フフッ

 

シンボリルドルフ「きみだけはどんな時でも見つけてくれると心の何処かで思っていただけに嬉しいよ、斎藤T」ニコー

 

斎藤T「……早まった真似をするんじゃない! そこを動くな!」ゼエゼエ ――――――エクリプス・フロントの屋上:ヘリポート!

 

シンボリルドルフ「そうは言っても、私はトレセン学園の黄金期を切り拓いたと自惚れていたら、そうして掴み取った自由を無法者に奪い取られてトレセン学園を占拠されてしまったのだ」

 

シンボリルドルフ「私はさしずめ蛮族に国を追われた“亡国の皇帝”さ。惨めなものじゃないか、あれだけの栄華を誇って最後はこんな……」

 

 

――――――私の掲げた理想は誰も導けなかった。誰も守れなかった。誰も掬い上げられなかった。無法者をのさばらせる都合のいい御題目でしかなかった。

 

 

シンボリルドルフ「だから、もう疲れた……」

 

シンボリルドルフ「今日この日、自分の人生そのものだったトレセン学園の卒業と共にあの人の許に旅立ってもいい頃合いだと思うのだが……」

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「うん。間違ってもきみがあの人の代わりだなんて思わないし、それはきみに対しても極めて失礼な話だろう。きみもそう思っているから、何も言えないのだろうし――――――」

 

 

シンボリルドルフ「ああ、嘘でも『大丈夫だ』とか『俺がついている』とか言って無責任に抱き寄せてはくれないな、きみは」ボタボタ・・・

 

 

シンボリルドルフ「私はもう空っぽなんだ……」

 

シンボリルドルフ「6年間 このトレセン学園でシンボリ家の惣領娘として“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として頑張ってきた! 頑張ったんだよ!?」

 

シンボリルドルフ「なのに、私が卒業したら、私が築き上げたものや遺そうとものは何一つとして残らないんだ!」

 

シンボリルドルフ「じゃあ、私が先人から託されたものを背負って命懸けで駆け抜けてきた今までの日々は何だったと言うのだ!?」

 

シンボリルドルフ「ウゥゥううううう……!」ヒッグ

 

シンボリルドルフ「うわあああああああああああああああああああああん!」

 

シンボリルドルフ「あああああああああああああああ!」

 

斎藤T「………………」

 

 

卒業式の夜、“亡国の皇帝”が月に吠える――――――。

 

ここはトレセン学園付属施設:エクリプス・フロント。“皇帝”シンボリルドルフが切り拓いた黄金期の象徴となる記念碑(モニュメント)であり、来年度に完成となる自らの偉業を讃える場所に卒業して学園から巣立っていくシンボリルドルフは立つことはなく。

 

そう、何もかもが虚しいだけだった。自身の功績を讃えるためのこんな高層ビルが建てられたところで、本当の宝物であるトレセン学園での思い出の日々が土足で上がり込んできた無法者に無惨に踏み砕かれていくことへの慰めにはならない。

 

ただ、学園を見下ろすことができる立地に建てられた見晴らしのいい場所に夜一人立ち尽くしたシンボリルドルフは卒業の瞬間をもって“皇帝”でも“無敗の三冠バ”でも“最強の七冠バ”でも何でもない一人の少女に戻っていた。

 

卒業の瞬間をもって女の子にかけられていた魔法は解けてしまい、一人の少女が甘く蕩けるような心躍る切ない夢はこうして幻となって辺りは元の静寂さを取り戻していた。

 

トレセン学園は夢の舞台。みんなの夢見る気持ちが集まってできた夢の場所であり、その大きな夢を代々継いできて発展してきた場所であるのなら、夢を継がせることができなかったことの罪は何より重い。

 

やはり、誰よりも責任感の強いシンボリルドルフなら、自身の名声よりもウマ娘の将来を思う者として責任を果たせなかったことへの罪の意識がこうさせるだろうとわかっていた。

 

下手をすればアグネスオタカルの世界の車いすの少女のように痛ましい結末が待ち受けている可能性もあり、私はシンボリルドルフが切り拓いた黄金期を讃えるエクリプス・フロントを墓標にさせないように慎重に立ち回った。

 

 

そして、どうにか最悪の結末にならずにすみそうな予感がした。

 

 

シンボリルドルフはこれまで溜め込んでいたものを月に向かって吐き出しながら泣き叫んだ。これで一安心だ。

 

死にとりつかれた人間は 思いっきり泣き叫びながら あの世に旅立つような器用なことはできない。

 

泣き叫ぶ行為はそれだけ溜め込んだものを吐き出させる作用があり、心地よい虚脱感をもたらすものなのだ。

 

となれば、思いっきり泣いてスッキリして頭のもやが晴れた彼女が一時の気の迷いから死を選択することはないだろう。

 

ならば、後はシンボリルドルフという気高きウマ娘が現実を受け容れて再び立ち上がることを信じて、自らヘリポートから戻るのを待つだけだ。

 

しかし――――――!

 

 

 

斎藤T「………………」ホッ

 

斎藤T「………………」クルッ

 

シンボリルドルフ「――――――」ダダッ

 

斎藤T「ハッ」

 

斎藤T「ぐああああああああああっ!?」ゴーーーーーーーーン! ――――――乱暴に床に叩きつけられた!

 

斎藤T「あぐぅ?!」ズキズキ・・・

 

斎藤T「ハッ」

 

 

シンボリルドルフ「 ツ カ マ エ タ 」 ――――――鼻と鼻がくっつく距離に“女”はいた!

 

 

斎藤T「!!?!」ゾクッ

 

シンボリルドルフ「きみが悪いのだからな? きみが私の心をこんなにも揺さぶるから! 私にはあの人しかいなかったのに! きみがあの人を思い出させることばかりするから!」

 

シンボリルドルフ「けど、もう私は学園(ここ)にはいられない! きみは学園(ここ)に残る! また離れ離れになる! そんなのは耐えられない!」

 

シンボリルドルフ「なら、もうきみがあの人だ! きみがあの人になればいいんだ! きみがあの人だったんだ!」

 

シンボリルドルフ「そうだった、“皇帝の王笏”なんだから、私の手元にいないとダメじゃないか!」

 

シンボリルドルフ「なんだ、簡単なことじゃないか。どうして気づかなかったんだろう」

 

 

――――――あの人がきみになったんだ。きみになって私を今日迎えに来てくれたんだ。

 

 

斎藤T「お、あ…………」メキメキ・・・ ――――――ヘリポートの床に身体がめり込んで少しずつ背骨が粉砕されていく!

 

シンボリルドルフ「うれしい! 全てが終わってからちゃんと迎えに来てくれたんだ!」

 

シンボリルドルフ「私たち、これで自由だね! そうだ、自由だ! もう周りに気を遣ったり遠慮したりする必要なんかないんだ!」

 

シンボリルドルフ「だから、今まで我慢してきた分、思いっきり愛し合おう。きみをずっと想って一人で慰める寂しい夜もこれで終わりなんだ」

 

シンボリルドルフ「さびしかった。ずっと会いたかった。あなたの胸に抱かれた日のことをずっと忘れらなかった」

 

斎藤T「ち、がう。わたしは、さいとう てんぼう――――――」コヒュー・・・

 

シンボリルドルフ「ちがう!」ガンッ!

 

斎藤T「あうっ」ズキーーン! ――――――再び床に強く打ち付けられる!

 

シンボリルドルフ「きみはあの人だ! きみはあの人なんだ! 斎藤Tの身体に宿ったあの人!」

 

シンボリルドルフ「だから、きみには私と愛し合ったことを思い出してもらわないといけないんだ」

 

シンボリルドルフ「大丈夫だ。どれだけ寂しくてもきみ以外の人間に身体を許してなんかいないから、今も昔も変わらず私は身も心もきみのものだ」

 

斎藤T「あぁぁ…………」

 

斎藤T「」

 

シンボリルドルフ「そして、きみの心も身体も私のものだ。そうだろう」ギラッ

 

 

――――――さあ、ここからは私たちだけの世界だ! 存分に愛し合おう! もう我慢することなんてない! 誰に遠慮することもない! これが私たちが最後に掴み取った自由! なんて素晴らしいんだ!

 

 

私は人間の心が無限に拡がるかに思える暗黒宇宙のように広大で不可思議なものであることを完全に見落としていた。

 

そして、侮っていた。油断していた。まさか、別世界の同一存在とは言え、あの時とはちがって本物のシンボリルドルフにぶち(おか)される羽目になるだなんて。

 

別世界の同一存在が決して同一人物ではないことは理解できていても、たとえば冤罪で犯罪者に仕立て上げられた世界や宝くじで大当たりして大富豪になった世界があったとすれば、基準にしている同一人物からまったく掛け離れた同一存在に変わり果てることを軽く見ていたのだ。

 

むしろ、あらゆる意味でシンボリルドルフと対照的であったビワハヤヒデがこの世界においては明確に好意を示して気持ちの整理をつけに私の胸の中で涙を流して健全な男女の距離感を保つのなら、

 

担当トレーナーと男女の関係となっていたシンボリルドルフから溢れ出した感情が“将星”トウショウサザンクロスに踏み躙られた心の拠り所を求めてドス黒く染まりだした先にあるものは――――――。

 

ヘリポートのHのど真ん中に引き倒されて頭を強打した私にはもう打つ手がなかった。意識が定まらないどころか、ヘリポートに身体がめり込んで全身が粉々になったかのように感覚を失っていた。その衝撃が背骨どころか中枢神経をも砕いてしまったのだろう。

 

もっとも、そんなシンボリルドルフが最後まで面倒を見てきた学園一危険なウマ娘特製の肉体改造強壮剤を服用していなかったら後頭部をヘリポートに叩きつけられた時点で即死で、ヘリポートの中心が血の池になっていたことだろう。

 

 

そう、私は見誤っていた。死の誘惑すらも拒絶してシンボリルドルフという一人の少女に残されたものが何であるのかを私は致命的に見誤っていた。

 

 

その人生は『名家』シンボリ家がトレセン学園での影響力を維持するために調教を受けてきたものであり、自分のものと言えるものが何一つ残らなかった中、最後の最後に残った()()()()が彼女の中での唯一の希望になってしまった。

 

月明かりの幻想の中で見つけた希望にすがる瞳は春の夜風の中で月の魔力を帯び始め、ついにはあるはずのないものをあるように感じられるほどにまで達し、全てを失ったかに思えた一人の少女は自分を守るために自分の大切なものを手放さないように現実を侵し始めた。

 

これだけはたしかに思えた唯一のものを守ろうとする必死さが深い憐れみを誘う。逆に言えば、トレセン学園の日々で一人の少女“新堀 ルナ”として得られたものは男女の愛(それだけ)しかなかったとも言う。

 

もはや、これまで。肉体が完全に沈黙する一瞬だけ“特異点”としての意識が全てを見通し、ヘリポートにめり込んだ“斎藤 展望(あの人)”を味わい尽くそうと光を失った眼で乱れ狂うケダモノの姿を他人事のように見つめるばかり――――――。

 

 

 

 

 

――――――ツキノヨルニアイニクルフオンナ。

 

 

 

 

 

その奥の奥の奥に今にも消え掛けそうなシンボリルドルフの理性が小さな悲鳴を上げている。本当はそんなことをしても何の意味もないことを理解しているからこそ、最愛の人以上に人生を導いてくれるだろう素晴らしい人の許から離れたくないという本心の叫びも聞こえてくる。

 

そこにトレセン学園で抑圧されてきた不平不満や自身が黄金期の特色として目指した自由で開放的な校風によって踏み躙られた己の純情が世界に報復するように悪意に満ちた黄金の眼差しと人ならざる冷笑を貼り付けた表情で自由を主張する。

 

その自由とは“将星”トウショウサザンクロスが主張する暴力の肯定に他ならず、更には縋り付けば絶対に助けてくれるという“斎藤 展望”への絶対の安心感と信頼感も加勢し、正しさと清らかさを謳うシンボリルドルフの真っ当な理性を一斉に責め立てている――――――。

 

どれだけ肉体的な繋がりを得て 快楽に身を委ねようとしても まったく救われることのない一人の少女の魂は今も辛い現実だけじゃなく、自分自身にも苛まれて、あまりにも小さくて消え入りそうな悲鳴を上げ続けた。

 

 

――――――もう何もできない代わりに、そんな様子が一瞬で時間と空間を超越して見えてきたのだ。

 

 

だから、私も泣いていた。“斎藤 展望”の肉体は完全に沈黙して、何度も後頭部を強打して死にかけているので、下半身に血と精が充填されることもないのに、涙を流している感覚があるのだ。

 

そして、気づけば何人ものシンボリルドルフに厳しい言葉、汚い言葉、不愉快な言葉、卑しい言葉を投げかけられて小さく蹲っていた少女を抱き上げていた。

 

それに対してシンボリルドルフであってシンボリルドルフではないシンボリルドルフの負の感情たちが少女を奪い取ろうとあの手この手で私を責め苛んでくるが、そんなのは全てまやかしに過ぎなかった。

 

 

――――――真実は我が手に。これがあるからこそのシンボリルドルフであり、これなくしてシンボリルドルフに非ずして、これこそがシンボリルドルフなのだ。

 

 

そう、それ以外のシンボリルドルフはこれを守るためにこれから生まれたものに過ぎず、これを自らの手で壊すものは自らシンボリルドルフの全てを失うのだ。

 

そのことがわかれば、シンボリルドルフの(シャドウ)など恐るるに足らず。影が闇に非ずして在るのは光に照らされてこそなのだ。

 

故に、私は告げる。肉体を超えた意識の世界で自分自身に言い聞かせるように森羅万象の全てに訴えた。

 

 

 

――――――赤肉団上(しゃくにくだんじょう)一無位(いちむい)真人(しんにん)有り。 常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ。

 

 

 



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第二次決戦Ⅳ トウショウサザンクロスの創痕 -南十字星の将星の世界-

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

いつでも私の目の前に立ちはだかる障害というのは聳えたつ地獄(タワーリング・インフェルノ)のように思えた。

 

怪人:ウマ女の“成り代わり”による静かな侵略もWUMA殲滅作戦の成功によって本格化を完全に阻止できたものの、命がいくつあっても足りないぐらいの無謀な挑戦の数々を強いられてきたものだ。

 

それが今ではどうしてこうなった;力でゴリ押せるバケモノ退治の方が遥かに楽に思えるほどの難局に直面することになり、力こそが全ての弱肉強食の野蛮な世界において武力によらない革新の道を歩まねばならないと言うのだ。

 

正直者がバカを見るのが現実なら、いっそ誰もが見て見ぬ振りをし続けた宇宙の究極の真理に身を委ねるほどに正直者がバカ正直になった世界というのが、“将星”トウショウサザンクロスが君臨することになる闘争の時代の到来である。

 

それがウマ娘ファーストを標榜するトレセン学園でウマ娘である生徒たちの大半が自ら導いた答えだと言うのなら、もはやウマ娘の幸せを願って正しく導こうとした者としては何も言えなくなる。

 

 

正直に言って、この世界の失敗は『運がなかった』としか言いようがなかった。いきなりオーストラリアからジュニア三冠バが日本のクラシック戦線に乗り込んでくるだなんて誰が予想ができたことか――――――。

 

 

同じようなやり方をして元の世界はこうした裏切りがなく(誰にも知られることもなく 幾度となく 死に瀕する私の奮闘もあって)卒業の日を迎えられたわけなのだから、もしかすれば こうした結果のちがいは紙一重の差でしかないのかもしれない。

 

厳しいことを言えば、自由の拡大化に伴う新たな規範やモラルの普及を怠ったのが原因であり、暗黒期から黄金期に学園の舵取りを変更した後の想定やリスク管理が甘かったとしか言いようがなかった。

 

あるいは、“トレーナーのトレーナーによるトレーナーのためのウマ娘レース”暗黒期の支配層や“ウマ娘のウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘レース”黄金期の指導層を相手取る新たな対立関係が確立したことで、『暗黒期や黄金期といった価値観でさえも旧弊である』という意識が生徒たちの間に広まってしまったことに気づかなかったこと自体がこうして誰からも背を向けられることになった傲慢さの現れであったのかもしれない。

 

 

そう、ここで重要なのは“将星”トウショウサザンクロスはトレセン学園学生寮自治会の支配者であり、一般的にトレセン学園の顔役とされる生徒会の人間ではないことが今回の問題の肝である。

 

 

一般的には生徒会役員はトレセン学園生徒の学業以外で本分となる課外活動『トゥインクル・シリーズ』で誰もが憧れるような優秀な戦績を収めたスターウマ娘が選出されるわけであり、未勝利バや未出走バが選出されることはそのようなものを代表に選ぶ中央の実力や品位を疑われることからも皆無となっている。

 

そのため、生徒会役員に選出されるほどのスターウマ娘を支持する層ともなれば 誰に憚ることのない 学園で主流となっているグループ;いわゆる“勝ち組”ということになるので、生徒会は多数決の原理という極めて民主的な選出方法も相まって“勝ち組”が支持層になっていると言えよう。

 

一方で、わずか一握りのスターウマ娘とその支持層となる取り巻き以外のその他大勢の誰からも注目されないようなモブウマ娘にとっては、広大な住宅団地と化している学生寮での近所付き合いなどで独自の仲間意識が強く芽生えるようになるわけであり、それが井戸端会議のように日常の不満や愚痴を吐き出し合う日陰者の掃き溜めとなるのだ。

 

そうすると、トレセン学園生徒の学業と並ぶ本分である課外活動:ウマ娘レース以外の面で生徒たちからの信頼の厚い者が自治会に選出されるわけであり、実力で選ばれる生徒会に対して人情で選ばれるのがいわゆる“負け組”が支持層になっている学生寮自治会の特徴であった。

 

それ故に同じ『トゥインクル・シリーズ』で活躍したスターウマ娘でも生徒会役員向きのスターウマ娘と学生寮自治会向きのスターウマ娘にわかれるわけであり、

 

たとえばブライアン・エアグルーヴ世代の“クラシック三冠バ”ナリタブライアンと“幻の三冠バ”フジキセキのどちらが生徒会役員に相応しいのかを考えたら、実際の戦績から学園の実力の高さを物語る顔役として相応しいのは圧倒的にナリタブライアンであるわけだ。当人のやる気や器量はともかく。

 

そして、生徒たちの私生活まで面倒を見きれる甲斐性を考えれば、実際には4戦4勝でターフから離れてしまいながらも“幻の三冠バ”と称えられた圧倒的人望と面倒みの良さを持つフジキセキの方が総生徒数2000名弱が住んでいることになる住宅団地の学生寮自治会に適しているのだ。

 

レースの結果で寮室に塞ぎ込んでいる生徒の面倒を見ることができるぐらいの人情味がある人物でなければ、原則として生徒以外立入禁止の住宅団地での生徒たちの安否確認ができないわけなので、

 

全寮制の学園の生徒の一人一人を日常的に気に掛ける必要がある自治会の発言力が同じく全寮制の学園の生徒の一人一人が票田となる生徒会に並ぶのは自明の理であった。

 

 

そして、“勝ち組”を支持層とする生徒会が“負け組”を配慮しなくなった時、“負け組”に常に寄り添う学生寮自治会が生徒会や“勝ち組”のやり方に異議を唱えることが可能になるわけで、それ故に常に勝負の世界で命題となっている勝利至上主義に対する警鐘を鳴らすことになっていた。

 

 

少なくとも、“将星”トウショウサザンクロスの台頭は過去の“勝ち組”が支持層のトレセン学園生徒会と“負け組”が支持層のトレセン学園学生寮自治会の対立の歴史をなぞっており、

 

高等部からの編入生である“将星”トウショウサザンクロスが学生寮自治会を掌握することができたということはそれだけ学生寮で塞ぎ込んでいる“負け組”たちの支持を得ていることに他ならない。

 

しかも、学生寮自治会の長となる寮長であるフジキセキとヒシアマゾンが解任されるほどの事態になっていることを考えるに、フジキセキとヒシアマゾンほどの人格者に解任を突きつけるほどに学生寮の闇が濃くなったと考えるのが妥当だろう。

 

それを煽ったのがオーストラリアの日本人街出身の『名家』トウショウ家と何らかの繋がりがある“将星”トウショウサザンクロスであり、これまでの日常が正されるべき社会問題として認識された結果が繰り返された生徒会と自治会の対立の歴史というわけなのだろう。

 

これは暗黒期や黄金期がどうのこうのではなく、それ以前より人間が人間である以上止むことのない勝負の世界で繰り返されてきた弱肉強食と弱者救済のバランス取りに失敗して発生する“勝ち組”と“負け組”の対立の話であり、“将星”トウショウサザンクロスが“皇帝”シンボリルドルフが与えた自由を生温いと評するのも理解できるものがある。

 

要は、別世界で“皇帝”シンボリルドルフを圧倒的に超える実績と明晰さを持つ“女王”アグネスオタカルが生徒会長として弱者救済に全力で取り組んだ場合とは対照的な展開になっているわけであり、

 

“勝ち組”が支持する生徒会がアグネスオタカルのように弱者救済に全力で取り組まなかったら、“負け組”に親身に寄り添う学生寮自治会が理想ばかり掲げて何もしない生徒会と対立するようにできあがっているようなのだ。

 

ある意味においてはよくできたパワーバランスであり、“勝ち組”生徒会と“負け組”学生寮自治会が対立しないように調和がとれないと、トレセン学園の秩序は維持できないように最初から仕組まれているようでもあった。

 

それが全寮制の学園のプライベートな面を受け持つ学生寮自治会とパブリックな面を受け持つ生徒会にわかれていることでウマ娘レースにおける“勝ち組”と“負け組”の対立関係を助長させることになり、現代日本における国会の二院制のようになっているわけなのだ。

 

もちろん、健全な民主主義を成立させるためには一方の主張だけを認めてその他の主張を排除する独裁政治を許してはならないのだが、そのためには絶えず対立関係の構図を持ち出しながら迅速な会議の決定と健全な競争を目指さなければ ()()()()()()()()というのは容易く崩壊するからこそ、民主政治は 不断の努力が求められる もっとも健全でかつ高尚な忍耐強い精神が必要とも言える。

 

だが、そうした民主主義の冗長さがはたしてウマ娘の一生において“本格化”を迎えて人生最大の輝きとなるだろう中高一貫校のトレセン学園の6年間において許容されるものなのかと問われれば、当事者たちからすれば間違いなく悠長な対応に納得がいかないことだろう。

 

そう、その『納得できないッ!』という感情を正当化する方便として当たり前の日常を社会問題にすることで学生寮自治会で急速に支持を増やしたのがオーストラリアからの留学生である“将星”トウショウサザンクロスというわけであり、自分たちが評価されない理由を社会のせいにすることで“負け組”の烙印を押された生徒たちが一斉に牙を剥いたのだ。

 

そのため、圧倒的な戦績と支持によって最年少の生徒会長として長期政権による確実な成長を目指していた“皇帝”シンボリルドルフにとっては常に悩みの種となったわけであり、ウマ娘の『名家』とトレーナーの『名門』の学園の主導権争いを制した後に政権が安定する途上で他国の侵略を受けて乗っ取られたというわけなのだ。

 

これこそが民主主義の最大の矛盾とでも言うべきか、『民衆が独裁者を望んでしまった』場合の結果であり、あくまでも“皇帝”シンボリルドルフが切り拓いた黄金期とは暗黒期からの脱却に主眼を置いたものであるため、自由の拡大化に伴う弊害にまで対応しきれていなかったのだ。

 

だからこそ、自由の拡大化に伴う勢いに乗って制御しきれないほどに自由を暴れさせて学生寮自治会で権勢を得たのが“将星”トウショウサザンクロスであり、もはや生徒会も理事会も対処できないほどにトレセン学園の人心は乱れることとなった。

 

そうして、自身の卒業の日が自身の理想の完全敗北を認める屈辱の日になるのだから、誰よりもウマ娘の幸福を願って全身全霊で学園生活を送ってきた“皇帝”シンボリルドルフが精も根も尽き果てるのは必然の帰結と言えるだろう。

 

 

――――――本当に救うべきものに手を差し伸べなかった報いを最悪の形で受けることになってしまったのだから。

 

 


 

 

●トウショウサザンクロスの世界:3月13日

 

斎藤T「う、ぅう……」

 

斎藤T「こ、ここは……?」

 

斎藤T「あっ!」ズキーーーーーーン!

 

斎藤T「背中がぁ……!」ズキズキ!

 

 

トスッ! ――――――ヘリポートで粉々になったはずの背中に人差し指が突きつけられた!

 

 

斎藤T「あ」

 

斎藤T「…………フゥ」

 

斎藤T「…………急に楽になった」

 

 

斬馬 剣禅「何をやっていた、“斎藤 展望”?」ジロッ ――――――あからさまにNINJAである!

 

 

斎藤T「あ!」

 

斎藤T「あなたは斬馬 剣禅――――――!」

 

斎藤T「相変わらず、見るからにNINJAらしい目出し帽は人前では外さないか……」

 

斬馬 剣禅「斎藤 展望たる貴様が“斎藤 展望”でなくてどうする?」

 

斎藤T「――――――!」ゾクッ

 

斎藤T「わ、私は――――――?!」

 

斬馬 剣禅「安心しろ。お前はまだ“斎藤 展望”だ。そうでなければすでに首と胴がわかれている」

 

斬馬 剣禅「無論、あの“女”もな」

 

斎藤T「そうか」ホッ

 

斬馬 剣禅「安心するのは早い」

 

斬馬 剣禅「あの“女”はすでに廃人も同然だ。全てを“将星”トウショウサザンクロスに奪われて、唯一“女”の中で残ったのが“斎藤 展望(最後の理解者)”だったわけで、」

 

斬馬 剣禅「愚かにもそれすらも“自身が愛した男(この世に存在しないもの)”に変えてしまったのだから、あの“女”にあるのは『何もない』という虚無だ」

 

斬馬 剣禅「自らが掲げた暗黒期のアンチテーゼとなる黄金期の自由で開放的な学園はまんまと無法者に自由の理念ごと貪り尽くされ、“将星”によって歪められた自由に屈したことで抑圧されていた感情が爆発して精神異常をきたしたわけだ」

 

斎藤T「そんな……」

 

斬馬 剣禅「哀れではあるが、シンボリ家の惣領娘として生まれてきた不幸を呪うがいい」

 

斎藤T「…………そこまで言う必要はないじゃないか」

 

 

斬馬 剣禅「これから何をすべきか、要点を伝えておくぞ」

 

 

斎藤T「おい」

 

斬馬 剣禅「いいか。“将星”トウショウサザンクロスが多くの生徒たちを傘下に入れてトレセン学園学生寮を占拠していることは知っていよう」

 

斎藤T「それはまあ」

 

斬馬 剣禅「だが、それだけではない」

 

斬馬 剣禅「生徒以外立入禁止でかつERT(緊急時対応部隊)でさえも対応しきれない広大な住宅団地に無数に存在する監視カメラのないプライベート空間がどれほど存在していると思う?」

 

斎藤T「!!!!」

 

斎藤T「ま、まさか、部外者を連れ込んでいる――――――!?」

 

斬馬 剣禅「そうだ。生徒以外立入禁止であることもそうだが、ERTもまた民間警備会社に過ぎず、監視カメラがまともに働いている日の方が少ないみたいだぞ」

 

斬馬 剣禅「そして、生徒会と同等の権限を持つ学生寮自治会は生徒会役員のように全生徒を挙げての大々的な民主的手続きで構成員が選出されるわけでもない」

 

斎藤T「そうして監視の目をかいくぐってウマ娘だけの秘密の花園の薄暗い奥底に“将星”の軍団が学園制圧の号令を今か今かと蠢いているわけなのか」

 

斬馬 剣禅「そういうことだ」

 

斬馬 剣禅「そして、中央トレセン学園で暴動を起こすことで――――――」

 

斎藤T「わかっている。世界が注目している日本の国民的スポーツ・エンターテインメント『トィンクル・シリーズ』の夢の舞台である中央トレセン学園を崩壊させることで、力こそが正義のやつらなりの真の自由の時代を作ろうとしている」

 

斬馬 剣禅「わかっているじゃないか。トウショウサザンクロスと直に話す機会があったようだな」

 

斎藤T「それがわかっているのなら、どうしてNINJAは何もしない!? それだけの情報が集まっていればトウショウサザンクロスを取り押さえることもできるだろう!?」

 

斬馬 剣禅「それでは日本の国体が破壊されるからだ」

 

 

――――――トウショウサザンクロスの配下になった者たちは近代ウマ娘レースの強大な輝きで出来た巨大な影。その影が光を汚そうと一斉に牙を剥こうとしている。

 

 

斎藤T「……私に何を期待している?」

 

斬馬 剣禅「どうもこうもない。“斎藤 展望”であることだけを望んでいる」

 

斎藤T「それ以外のことはどうでもいいのか?」

 

斬馬 剣禅「――――――どうでもいい」

 

斬馬 剣禅「どうでもいいが、国体護持が“斎藤 展望”に欠かせない要素である以上、トウショウサザンクロスの専横に見て見ぬ振りをするのは“斎藤 展望”らしからぬこともである」

 

斎藤T「……どうあっても“斎藤 展望”として働かせる気満々だな」

 

斬馬 剣禅「そのためだけに“斎藤 展望”は存在が許されている」

 

斎藤T「わかった。元の世界に帰ったところでNINJAに見張られていることだし、やれるだけのことはしよう」

 

 

――――――ヒノオマシの手本となるようにね。

 

 

現代に生きるNINJA:斬馬 剣禅とは去年のWUMA殲滅作戦において最後の最後の窮状を助けられた縁があり、こうして協力関係を結んでいた。

 

NINJAの掟としては目撃者は全て消すのが鉄則であるらしく、こうして協力関係を結んでも素顔は決して見せないようにNINJAらしい風貌は保ったまま、NINJAらしい鋭い眼差しは相変わらずであった。

 

おそらくは“斎藤 展望”の縁者であるのか、私が“斎藤 展望”であることを条件に私的な繋がりを持ちかけたらしく、基本的に世界最高峰の警察バの資質を持つ()()()()()()()であることを強く求めていた。

 

そのため、そのヒノオマシの将来の夢である皇宮警察の関係者として国体護持も広い意味で“斎藤 展望”であるために必要なことになっているらしいので、ヒノオマシの将来と名誉のためにも、一人のトレーナーとしても、トレセン学園で起きている騒乱を看過するわけにはいかなくなった。

 

そんな無茶を毎度のようにこちらに強いるわけなのだから、意趣返しとしてこちらも“斎藤 展望”として必要だと思ったことを要求すれば、意外にもNINJA:斬馬 剣禅は『それもヒノオマシのため』だと自分で言い聞かせて全力で応えようとするため、

 

結果としてどっちが主導権を握っているのかがわからないぐらいに お互いに無理難題を吹っ掛け合って お互い様となっており、健全な付き合いを維持するためにもできれば顔を合わせる機会を減らしたい方向で進めていた。

 

NINJA:斬馬 剣禅としても この取引関係は組織にも内密にしている節があるため、向こうとしても直接の接触は最低限にしておきたいところなのだが、

 

こうして私の窮状を救い出せるくらいには監視を緩めているわけではないので、結局はNINJA:斬馬 剣禅の気分次第となっているようでもあった。

 

 

さて、ヘリポートが砕けるほどの勢いで後頭部を叩きつけられ 背骨も音を立てて磨り潰されるぐらいに 正気を失ったシンボリルドルフに(おか)されかけた昨日この頃、

 

NINJAの秘術なのか、昨夜の出来事だったというのに何もなかったかのように私は再び健常者として卒業の日を終えたトレセン学園を歩き回ることが出来ていた。

 

いや、本来ならば全身の感覚が失われて寝たきりになっていてもおかしくないほどのダメージを後頭部に受けたはずなのだが、“特異点”として幽体離脱しているかのごとく、逆に普段よりも感覚が研ぎ澄まされているように思えた。

 

そう、後頭部へのダメージの後遺症で身体の動きが鈍く思えたのだが、実際には時計の針をはじめとして周りの全てがいつもよりもゆっくりに感じられるほどだった。

 

目覚めた瞬間に激痛に悶え苦しんだのを斬馬 剣禅が指一本で鎮めたことと言い、この身体はすでに昨日までの健常者ではなくなっていると考えておくべきだろう。

 

明らかに自然なことではないし、あれが一時的な痛み止めだとするなら 痛みがぶり返すことも念頭に置いて慎重に行動をするべきであろう。

 

 

 

――――――トレセン学園/正門:道路の向こうに学生寮の住宅団地が聳え立つ。

 

斎藤T「よくよく考えたら、卒業式の後のトレセン学園の風景ってこんな感じになるのか……」

 

斎藤T「各部門18名の決勝進出者(ファイナリスト)は出揃っているわけだし、そうでない卒業生は直ちに母校を去るのみ――――――」

 

斎藤T「学生寮の退去は来週の月曜日までとは言え、卒業式の翌日から引っ越しのトラックがこうも詰めかけているわけか」

 

斎藤T「もしも『URAファイナルズ』の開催で退学者を減らすことができたなら、これからはもっと引っ越し業者がやってくるわけだし、卒業式の後もいろいろと慌ただしくなりそうだな」

 

斎藤T「それと入れ替わりに入学生たちが入寮してくるわけで、在校生の部屋替えも同時に行われるんだったか」

 

 

トウショウドルフ「――――――貴公が噂の新人トレーナー:斎藤 展望か」

 

 

斎藤T「む、誰だ? 知らないウマ娘――――――?」

 

トウショウドルフ「失礼。私はトウショウドルフ。来年度からの新入生だ」

 

トウショウドルフ「そして、正統なるトウショウ家のウマ娘だ」

 

斎藤T「つまり、『名家』トウショウ家のウマ娘。トウショウサザンクロスとはちがう――――――」

 

トウショウドルフ「そうだ。私はトウショウ家のウマ娘として、トウショウ家の名を辱めたウマ娘を討たねばならない」

 

斎藤T「つまり、“皇帝”シンボリルドルフの仇討ちをすると?」

 

トウショウドルフ「そうとも言える」

 

トウショウドルフ「ただ、来年度でトウショウサザンクロスも卒業となる以上は直接対決の機会は永遠に訪れることはない」

 

トウショウドルフ「となれば、やつの残滓を全て取り除いて、“皇帝”シンボリルドルフが目指していたトレセン学園をあるべき姿に取り戻すことが、黄金期を継ぐ者の使命とも言える」

 

斎藤T「…………どちらもウマ娘ファーストのためにやっていることだが?」

 

トウショウドルフ「だからこそ、“皇帝”シンボリルドルフが目指した理想を遂げる必要が『名家』の私にはある」

 

斎藤T「――――――()()()()()()()こともあって?」

 

トウショウドルフ「それは否定しません」クスッ

 

トウショウドルフ「ただ、オーストラリアの日本人街出身のトウショウ家の名を騙る不届き者には鉄槌を下す必要がある」

 

斎藤T「――――――『名を騙る』も何も、それが別世界の英雄の魂の名であるなら、紛れもなく“トウショウサザンクロス”であるはずだ」

 

斎藤T「もちろん、真偽を確かめることができない以上は全て自己申告で偽名であるにしても、オーストラリアで“トウショウサザンクロス”を名乗りだす利点がどこにある?」

 

トウショウドルフ「そう、別世界の英雄の魂の名であるが故に、『名家』と所縁のないウマ娘が同じ冠名を名乗ることは多々あるわけで、」

 

トウショウドルフ「同じ冠名を持つ者同士で同胞意識をもって共同体となったものが『名家』の始まり――――――」

 

トウショウドルフ「血縁によるものじゃなく、名によって結ばれた関係である以上は、『名家』のウマ娘を騙って無法を働く者も出てくる――――――」

 

トウショウドルフ「それが“将星”トウショウサザンクロスなのだ!」

 

斎藤T「……一度得た束縛からの解放感は誰しも手放せないはずだ。秩序を取り戻すために自由を奪う圧制者を歓迎するだろうか」

 

トウショウドルフ「愚問。自由とは無秩序に非ず。秩序あっての自由。自由のための秩序だ」

 

 

トウショウドルフ「そのためにも、斎藤T。貴公には『URAファイナルズ』で勝ってもらいたい」

 

 

斎藤T「………………!」

 

トウショウドルフ「貴公は無名の新人でありながらビワハヤヒデとナリタブライアンとの再契約を結び、『有馬記念』で好走に導き、共に『URAファイナルズ』決勝進出を果たしてみせた」

 

トウショウドルフ「“将星”トウショウサザンクロスを討つための有力な駒を2つも揃えるとは並外れたものがある」

 

トウショウドルフ「これでトウショウサザンクロスの『URAファイナルズ』優勝を阻めば、確実に流れはこちらのものとなる」

 

斎藤T「そういう物言いだから、トウショウサザンクロスが台頭する隙を与えることになったのでは?」

 

トウショウドルフ「逆に問おう。自分たちが被害者であることを誇りにするような“負け組”に何を配慮する必要がある?」

 

トウショウドルフ「そもそもが、トレセン学園の生徒であるということは 毎年 驚異的な高倍率になっているトレセン学園の入試に他の受験生たちを蹴落として自らの実力でもって合格を掴み取ってきた“勝ち組”であるはずだ」

 

トウショウドルフ「自分たちがそもそも他者を踏み台にして夢の舞台に入ってきていることを省みようとせずに、学生寮に閉じこもって不平不満を叩きつけるだけの情けない日々を送っているのは甘えに過ぎない」

 

トウショウドルフ「トウショウサザンクロスが言っていることは詭弁に過ぎない」

 

斎藤T「――――――『上には上がいて、下には下がいる』という話ですか」

 

 

トウショウドルフ「だからこそ、これからのトレセン学園は適切な自由の下に管理されなければならない」

 

 

斎藤T「それは学生寮の改革案ということ?」

 

トウショウドルフ「自由には責任が伴う。自由の拡大化にはそれに伴う更なる責任があってしかるべきで、生徒以外立入禁止の風通しの悪い学生寮の閉鎖環境は打破されるべきだ」

 

トウショウドルフ「自由を持て余した結果が善悪の判断もつかぬ者たちによる下らない反乱ならば、反乱の芽を摘むためにも更なる管理の徹底は当然のこと」

 

斎藤T「…………一理ある」

 

トウショウドルフ「ならば、“皇帝”シンボリルドルフの意志を受け継ぎ、“将星”トウショウサザンクロスを討て!」

 

 

斎藤T「――――――いつまでそんな箱庭の中でのじゃれ合いをしているのやら?」ハァ

 

 

トウショウドルフ「……なに?」

 

斎藤T「どれだけ制度や支配が徹底されようが、それでも秩序に抗ってきたのが人間の歴史であり性だ。どれだけ手を尽くそうが必ず不満が生まれ、自由や快楽を求めて脇道から抜け出していくわけで、」

 

斎藤T「動物園の猛獣が自然のままの威風を保っているわけがないように、親の言うとおりに生きただけの子供に未知なる未来を掴み取る気概が得られるわけがないだろう」

 

斎藤T「となれば、生徒会と学生寮自治会の対立という形で過去に何度も繰り返されてきた“勝ち組”と“負け組”の抗争がなくなるはずがない。それはトレセン学園の歴史が証明していることだ」

 

斎藤T「ウマ娘のためを思うのなら、もっと大きな視野でもって政治を行うことだ」

 

斎藤T「生徒会長が生徒たちの代表機関の長人に過ぎないように、火のないところに煙は立たぬ、学生寮自治会を牛耳るトウショウサザンクロスもまた時代の声を代表する象徴の1つに過ぎないのだ」

 

斎藤T「アドルフ・ヒトラー一人を消したところで第二次世界大戦が回避されるものか! ファシズムの問題だけで済むのなら、戦後にブロック経済を廃して自由貿易を推進する新たな国際秩序が成立するはずもない!」

 

斎藤T「そもそも、独裁者にどれだけの権力があろうとも実際に手足となって働く人間がいなければ、独裁者なんてものは肩書だけで一人の人間にできることしかできないものだ!」

 

 

斎藤T「だから、大事なところを他力本願せざるを得ないのだろう、『名家』と言えどもな!」

 

 

トウショウドルフ「――――――ッ!」ギリッ

 

トウショウドルフ「では、トウショウサザンクロスの専横を許すと?」

 

斎藤T「――――――『名家』のウマ娘とやらはウマ娘に非ずか?」

 

トウショウドルフ「どういう意味?」

 

斎藤T「何のためにウマ娘はターフの上で走るんだ? 近代ウマ娘レースの原点は何だ? それを支えるトレーナーの役割は?」

 

トウショウドルフ「………………」

 

斎藤T「小学校卒業したてで“皇帝”シンボリルドルフと同じ視座に立とうとするのは立派なことだけれども、それでは“皇帝”の二の舞を演じるだけだ」

 

トウショウドルフ「なら、あなたは何のためにトウショウサザンクロスと戦う!?」

 

 

斎藤T「――――――『トウショウサザンクロスと戦う』? はて、誰がそんなことを言ったんだか?」

 

 

トウショウドルフ「え?」

 

トウショウドルフ「だ、だって、あなたはビワハヤヒデとナリタブライアンと再契約を結んで、“皇帝”シンボリルドルフに後を託されたんじゃ――――――」

 

斎藤T「自分たちの価値観で物事を決めつけるのは良くないんじゃないかな?」

 

斎藤T「トレーナーなんてものは中高一貫校の生徒たちの才能で大儲けするのが仕事だぞ」

 

斎藤T「もっとも、私は妹の養育費のためだけにトレーナーとなった身で、養育費の問題が解決された今となっては惰性でトレセン学園のトレーナーをやっている身に過ぎない」

 

斎藤T「だから、査定としてはまったく旨味のない 最初の3年間を走り終えている ビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹対決の実現のために再契約を結ぶことができたわけだ」

 

斎藤T「もちろん、最初の頃の形振り構わないスカウトにナリタブライアンが応じてくれた縁で、ビワハヤヒデとの姉妹対決の夢につきあうことになったわけだけど」

 

 

斎藤T「トレーナーなんてやつは走ることが三度の飯より大好きなウマ娘の夢を叶えるのが仕事じゃないのか?」

 

 

トウショウドルフ「――――――!」

 

斎藤T「複雑なようでいてウマ娘が望む答えは極めてシンプルだ」

 

斎藤T「そんなごくありふれた一般ウマ娘の願いさえも共感できないようなら、ウマ娘の代表なんて名乗るべきではないな」

 

 

――――――ここはトレセン学園。夢の舞台。そこを形作るウマ娘の純粋な夢を惑わせるのなら、トウショウサザンクロスと何がちがう?

 

 

それが私が考えるトレセン学園の担当トレーナーの理想論であり、現実としては給金だとか実績などの体裁のためにトレーナー自身の夢が歪められることが普通だと言い切れるぐらいには言うは易く行うは難しの問題ではある。

 

けれども、“将星”トウショウサザンクロスがこれまでの当たり前の日常を社会問題として大衆に認識させることで権勢を得ることができたように、解決すべき問題を認識させることで人類の歴史は前進してきたとも言える。

 

そう、基本的人権の尊重に代表されるようにどんな極悪人であろうとも裁判においては疑わしきは被告人の利益になるように弁護士もつけられるわけであり、弱者救済が果たされていく方向に社会は刻一刻と進化し続けているわけなのだ。

 

その過程における既存の秩序の崩壊や血塗られた過ちの歴史さえも反省の糧として今日の現代社会に至っている以上、いかに時代を超えて語り継がれてきた古聖の教えが正しいものであるかを再認識することになる。

 

 

古聖に曰く、君子の交わりは淡きこと水の如し。小人の交わりは甘きこと(甘酒)のごとし。

 

 

別に醴の存在そのものが悪いという訳ではないが、水のように毎日のように飲んでも健康を害さないものが本当は萬金に値するほどに長続きする人との繋がりになるわけで、甘々な恋人気分が抜けきらない夫婦が一緒の墓に入らないのと同じようなことだ。

 

もちろん、生命活動を維持するために必要不可欠な水だけでは味気ないから、嗜好品として醴でも茶でもコーヒーでも好きに嗜んでかまわないが、味の好みが変わったからと言って昨日までの関係を捨てるような薄情者の人付き合いをしてはならないという教えが根底にはある。

 

また、水は万人にとって必要不可欠なものであり、紅茶派とコーヒー派のよくある言い争いの種になり得ないことに由来している。

 

そう、トレセン学園が夢の舞台として子供たちの夢へと向かう情熱によって支えられているのなら、理事会は最高のトレーニング環境を整備するためにも生徒会と学生寮自治会の対立に繋がるような障壁を取り払うべきであり、その努力が伝わるように情報発信力を磨き上げるべきなのだ。

 

そして、誰に対して情報発信するべきなのかと言ったら、まず第一に学校法人であるトレセン学園の顧客とも言える生徒たちにであり、特に夢破れて学生寮で引き籠もってしまった傷心に苛まれた子供たちを大人が力強く支えようとしていることを伝えねばならない。

 

だいたいにして、こうしてトウショウドルフのような次の世代を担う子供たちにウマ娘レースにかける情熱以外のことで重荷を背負わせることが繰り返されるのは組織としても学習していない無能さの現れではないか。

 

繰り返すが、この世界における“将星”トウショウサザンクロスの反乱はこれまで抑えつけられていたトレセン学園にわだかまっていた不平不満がわかりやすい現象として形になって出てきたものに過ぎない。

 

悪逆無道の独裁者が権力の座に就くためには独裁者を歓迎する支持層がいる事実を決して無視してはならないのだ。

 

ならばこそ、トウショウサザンクロスの世界において次代を担う『名家』のウマ娘に対して、そのことを伝えることができれば、おそらく未来は少しでも明るい方向に進むのではないかと思う出会いであった。

 

 

――――――“皇帝”シンボリルドルフと愛称が似ていることをちょっとした自慢にしている『名家』トウショウ家の栗毛のバ体に金色の尾と立髪(尾花栗毛)の見目麗しきトウショウドルフはこれからどういった運命を辿ることになるのだろうか?

 

 

 

トウショウドルフ「………………」

 

トウショウドルフ「………………」

 

トウショウドルフ「………………」

 

斎藤T「………………」

 

 

トウショウドルフ「さすがは“皇帝”シンボリルドルフが見込んだトレーナー――――――」

 

 

トウショウドルフ「ありがとうございました。“皇帝”の道を継ぐ上で大切なことをあなたから伝えてもらえました」

 

斎藤T「とは言え、ここが公営競技の舞台である以上は何をするにしても実績が物を言う以上は、志を遂げるためにはまず勝って欲しいところではある」

 

斎藤T「――――――6年前、あなたと同じ入学生だった“皇帝”シンボリルドルフはどんな思いで当時の卒業生たちが学園を去っていくのを見送っていたのだろうな?」

 

トウショウドルフ「わかりません。ただ、希望を胸に――――――」

 

 

 

――――――おい、帰ってきてやったぞ、トレーナー。

 

 

 

斎藤T「!」

 

トウショウドルフ「あなたは――――――」

 

ナリタブライアン「会長と姉貴の卒業式には間に合わなかったが、『URAファイナルズ』決勝トーナメントまでには間に合っただろう?」

 

トウショウドルフ「――――――ナリタブライアン!」

 

ナリタブライアン「4月から入ってくる新入生か?」

 

トウショウドルフ「ハッ」

 

トウショウドルフ「……そう。“将星”トウショウサザンクロスと同じ冠名を持つトウショウドルフと言う」キリッ

 

トウショウドルフ「貴公には『名家』トウショウ家の名誉のためにもトウショウサザンクロスには勝ってもらいたい」

 

ナリタブライアン「そうか。血縁関係はないのに冠名が被るといろいろと大変なもんだな」

 

斎藤T「………………」

 

トウショウドルフ「ところで、今までどちらに? 昨日の卒業式には参加されてなかったと?」

 

ナリタブライアン「ああ。週末の『URAファイナルズ』決勝トーナメントであの“ジュニア三冠バ”に『日本ダービー』の雪辱を果たすつもりで最後の特訓に明け暮れていたからな」

 

トウショウドルフ「学園を離れて、それはどこで――――――?」

 

ナリタブライアン「……『トウショウドルフ』だったか? 会長とよく似た名前だな?」

 

ナリタブライアン「まあ、“皇帝”シンボリルドルフと同じ『名家』のウマ娘なら、誰もがその後継者たろうと血気盛んになるだろうが、そいつはトレーナー次第だろうな」

 

トウショウドルフ「…………はい」

 

斎藤T「それで得るものはあったか?」

 

ナリタブライアン「あんたが送り出してくれたんだ。それで得るものがなかったら、私はもうバ場に現れることなんてないさ」

 

ナリタブライアン「あんたが影に怯えた私の心に勇気の炎を灯してくれたんだ」

 

 

――――――しっかりこの眼で見てきたぞ、“将星”トウショウサザンクロスの生まれ故郷を。

 

 

この世界の“斎藤 展望”が新人トレーナーとして中央に配属されて早速やったことは元の世界と変わることはなかった。

 

最愛の妹の養育費を稼ぐための一攫千金の手段としてウマ娘のトレーナーになったわけであり、手当たり次第に強引にスカウトを行ったため、配属されて早々に学外の事故で意識不明の重体になったことを喜ばれるほどの“学園一の嫌われ者”になってしまっていた。

 

しかし、大きく違っていたのは入学前からウマ娘の闘争心をへし折るほどの“怪物”ぶりから畏怖の対象になっていたナリタブライアンが『日本ダービー』において優先出走権を持つ外国バとして参戦してきたオーストラリアの“ジュニア三冠バ”トウショウサザンクロスにシンボリルドルフに続く“クラシック三冠バ”達成を阻止されており、

 

その結果、高等部より編入して瞬く間に学生寮を支配下に収めた“将星”トウショウサザンクロスが“皇帝”シンボリルドルフが卒業した後のトレセン学園の真なる支配者になることを見越して、高等部3年生:最終学年になったシンボリルドルフからあからさまに人が離れていっていた時期でもあった。

 

しかも、これまで“怪物”に闘争心をへし折られてきたウマ娘たちの恨みが『日本ダービー』においてナリタブライアンが全力を出せなくなるように実姉:ビワハヤヒデがしばらく走れなくなるほどの事故に遭わせていたのだ。

 

もちろん、トウショウサザンクロスの陰謀によるものだが、あくまでも“怪物”に恨みがある者たちが勝手にしたことでもあり、『日本ダービー』でのトウショウサザンクロスの初来日とビワハヤヒデの事故は間が大きく空いているため、犯罪を立証することは当時としても困難となっている。

 

そして、『日本ダービー』で“怪物”を討ち取った“将星”は“怪物”を弱らせるために家族を事故に遭わせる悪事に手を染めた者たちを中心に罪の意識を揉み消すために英雄視するように讃えられたわけなのだ。

 

そこからスターウマ娘の栄光の影でどれだけ多くのウマ娘たちの夢が失われていったのかが公然と論議されることになり、史上初の“無敗の三冠バ”シンボリルドルフという絶対者の下に治められようとしていた学園に拭い去ることのできない不和がもたらされることになった。

 

また、『日本ダービー』で敗れたことでシンボリルドルフに続く“クラシック三冠バ”になれなかった“怪物”ナリタブライアンへのファンの期待感は失望と共に反転して、掌を返したように一気に“悪役”としてのイメージに染まり出すのであった。

 

ナリタブライアン当人としては世間からの評判などどうでもよく、自分を負かしたトウショウサザンクロスの勝利を素直に褒め称えながら、療養中の姉の許で世界は広いことを実感して“クラシック三冠バ”を超える新たな目標を嬉々として語っていたのだが、

 

ナリタブライアンの担当トレーナーであった新人トレーナー:三ケ木Tの方がその重圧に耐えかねて担当を続けられなくなり、その代理として担当ウマ娘:ビワハヤヒデが走れなくなった鐘撞Tがナリタブライアンの担当トレーナーを引き継ぐことになったのだ。

 

 

――――――これが決定打となって“怪物”の闘争心を萎えさせてしまったのだ。

 

 

やはり、担当トレーナーというのはウマ娘にとっては精神的支柱であり、絶対的な信頼を置いてトレーニングやローテーションを組んでいるわけなのだ。

 

敬愛し続ける姉:ビワハヤヒデの事故に動揺して全力を出しきれずにいたナリタブライアンがそれでもトウショウサザンクロス相手に食い下がることができたのも担当トレーナーの存在あってのものであった。

 

なので、ここで担当トレーナーを交代せざるを得ない事態になったことは重大な裏切り行為となり、ビワハヤヒデに求めるものが“最高の舞台での手に汗握る姉妹対決”であった鐘撞Tとしても興醒めな展開であり、ウマ娘の側もトレーナーの側も気分が盛り下がったまま3年目:シニア級を終えることになってしまったのだ。

 

その上で時期が多少ズレたようなのだが、元の世界がそうであったように鐘撞Tが不治の病に冒されて療養のためにトレセン学園から離れる展開は変わりなく、姉妹共々 鐘撞Tが紹介したトレーナーの許でターフの上を走り続けることになった。

 

しかし、最初の3年間を走り終えた姉妹に残された価値はそれほどでもなく、“皇帝”シンボリルドルフも“クラシック三冠バ”でもないナリタブライアンを生徒会副会長に指名するわけにもいかず、生徒会活動によって得られたはずのものをこの世界では得ることがないまま 無為に姉妹の時間が流れていくのであった。

 

そして、“皇帝”シンボリルドルフをはじめとするスターウマ娘の踏み台にされたウマ娘との不和が解消されないまま、“怪物”ナリタブライアンを『日本ダービー』で討ち取った“将星”トウショウサザンクロスのトレセン学園高等部への編入を許してしまうのであった。

 

すでに蒔かれて芽吹いていた不和の種:“勝ち組”スターウマ娘への反感が踏み台にされてきたウマ娘たち“負け組”の間で“将星”トウショウサザンクロスの到来を歓迎する風潮を形成することになり、編入早々にトウショウサザンクロスの巧みな弁舌によって“負け組”が“勝ち組”を敵視するように対立が煽られることとなる。

 

そのため、トウショウサザンクロスの周りには“勝ち組”を圧倒する数の“負け組”のウマ娘たちが集まるようになり、“皇帝”シンボリルドルフの生徒会長の座を生徒会総選挙で真っ向から奪い取れるほどの支持率を学内の世論調査で誇っていたとされる。

 

当初はそのことをシンボリルドルフも危惧してトウショウサザンクロスを懐柔すべく話し合いの場を設けていたのだが、

 

トウショウサザンクロスが目をつけていたのは 生徒会長の座などではなく 学生寮自治会であり、全寮制の学園において圧倒的大多数の“負け組”を支持基盤とするトウショウサザンクロスが根城とするにはこちらの方が好都合であったのだ。

 

そのため、こちらの世界の生徒会総選挙は無投票当選がなかったほどに対立候補がしっかりと立候補しており、シンボリルドルフへの不平不満から生徒会長の座を奪い取ろうとする生徒も他に出ていたのだが、

 

学生寮自治会を掌握したトウショウサザンクロスの号令の下に“負け組”が一糸乱れずにシンボリルドルフに投票をすることで、生徒会総選挙の結果によって選出される生徒たちの代表機関である生徒会の権威が形骸化することになったのである。

 

それだけの求心力を持つ“将星”トウショウサザンクロスが生徒会長に立候補してこないのも、生徒会と学生寮自治会の対立によって“皇帝”シンボリルドルフの理想が何一つ果たされない様を嘲笑うためであり、

 

これほどまでに冷笑主義の悪意をぶつけてくる存在とは出会ったことがないために、不動の信念であったはずの“皇帝”シンボリルドルフの理想が大きく揺らぐことになったのだ。

 

というのも、やはり“皇帝の王笏”と呼ばれた担当トレーナーを失っていたことが大きく、ここでも心の支えとなる存在がいなくなったことで、自分の正しさを誰かに確かめてもらうことができずに一人で抱え込んでしまったのだ。

 

その心労が積もり積もって卒業式を迎えた際についに正気を保てなくなってしまったのだとすると、あらためてウマ娘にとって担当トレーナーの存在は私が考える以上に重要なものであることを再認識せざるを得なかった。

 

斎藤 展望がトレセン学園に新人トレーナーとして配属されてきたのはそうした流れにあり、すでにトウショウサザンクロスにトレセン学園が乗っ取られた状態になっていたわけなのである。

 

 

しかし、元の世界と同じく、3ヶ月間の意識不明の重体から復活を果たした後、斎藤 展望はナリタブライアンとの契約を果たすことになり、次いでに姉妹対決の実現のためにビワハヤヒデとも契約を結ぶことになった。

 

 

そして、『有馬記念』出走のための復活戦でシーズン後半に目覚めたばかりの新人トレーナーがナリタブライアンを勝利に導いたことにより堂々と『有馬記念』出走を果たすことになり、トウショウサザンクロスとの因縁の対決が再び繰り広げられることとなった。

 

この『有馬記念』にはビワハヤヒデはファン投票から漏れたことで姉妹対決は実現しなかったものの、新設レース『URAファイナルズ』という大舞台が年明けに用意されていたことで努力は無駄になることはなかったのだ。

 

結果としてはトウショウサザンクロスにまたしてもナリタブライアンが敗れ去り、『日本ダービー』の再現になったことで“将星”に“怪物”が再び討たれたことに歓喜する観客の声が響き渡るが、

 

今度は姉妹対決の夢を叶えてくれる新人トレーナーの存在もあって、強者との戦いを求める“怪物”ナリタブライアンの闘争心がますます燃え上がることになり、その闘気にトウショウサザンクロスが恐れ慄くことになったのだ。

 

それ故に、“将星”トウショウサザンクロスはかつて『日本ダービー』で討ち取ることでトレセン学園の支配を確立させる踏み台になったはずのナリタブライアンを警戒するようになり、“皇帝”シンボリルドルフもまた“怪物”ナリタブライアンの復活に一縷の望みを託すことになったのだ。

 

そのため、“将星”トウショウサザンクロスの絶対的な支配を確立させるためにも新設レース『URAファイナルズ』で“怪物”ナリタブライアンを三度敗北させて屈服させる必要が出てきたわけなのだが、

 

その一方で、今まで燻り続けていたビワハヤヒデとナリタブライアンという最強姉妹を復活させた無名の新人トレーナーに強い興味を抱くことにもなった――――――。

 

 

 

トウショウドルフ「――――――『シャトル出産』?」

 

ナリタブライアン「ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを踏まえたジンクスによるものだ」

 

斎藤T「つまり、北半球と南半球とでは季節が逆転していることを踏まえて日本では季節外れに生まれてくる我が子を強引に未来のスターウマ娘にしようという魂胆の出産旅行が流行っていたということなのか?」

 

ナリタブライアン「そうだ。オーストラリアにおける競走ウマ娘の年間出生率は単純計算で日本の2倍以上だが、出生地主義によって その中には日本からのシャトル出産で生まれてきた子も含まれていたそうだ」

 

斎藤T「理屈上は南半球にある国家ならばどこでも、12月がサンタクロースがサーフィンしながら良い子にプレゼントを配るわけだから、だいたい10月ぐらいがシャトル出産の目的である春の季節になっているわけだ」

 

トウショウドルフ「…………サーフィンしながらプレゼントを配るサンタクロース」

 

斎藤T「なぜオーストラリアなのかと言えば、そのシャトル出産に利用できる南半球のウマ娘大国で一番近くのパート1国がオーストラリアだからなんだな。ブラジルやアルゼンチンは地球の裏側にあって遠すぎるものな」

 

トウショウドルフ「な、なるほど」

 

トウショウドルフ「じゃあ、トウショウサザンクロスはシャトル出産でオーストラリアの日本人街で生まれたウマ娘なのか?」

 

 

ナリタブライアン「そう。メルボルンの日本人街にシャトル出産で生まれ、そこにそのまま捨てられた残留孤児のウマ娘というわけだ」

 

 

トウショウドルフ「!?!!」

 

斎藤T「……捨てられた理由は?」

 

ナリタブライアン「日本人街で聞き込みをした限りだと、シャトル出産したはいいものの、帰国するための仕送りが足りなくなって生まれてきた子を置き去りにする他なかったとか言う話だが、そんなのは日本人街ではよくあることらしい」

 

ナリタブライアン「日本の海外旅行保険は妊娠出産費には適応されず、総費用は全額実費となることもあって、出産旅行の費用は莫大にもなる」

 

斎藤T「まあ、そもそもの出産旅行だが、いきなり妊婦を日本から遠く離れた異邦の地に送り込ませるというのも酷な話で、北半球と南半球で季節が逆転するのもかなりの負担になるはずだし、移動のための航空機の搭乗も早産の可能性が高まる!」

 

ナリタブライアン「そして、オーストラリアでは出産旅行によって生まれてきた新生児が市民権と国籍を得ることを嫌って出生地主義が撤廃されていることからも、現地としても観光がついでの出産旅行はもう歓迎していないんだ」

 

斎藤T「世界最高級の生活水準と環境、治安の良さに加えて、英語が公式言語であることも手伝って移民先として大変人気がある世界都市:メルボルンでもそんな扱いか」

 

斎藤T「いやいや、もっともなことで、出産旅行ブームで現地の産婦人科医院の病床を外国人が圧迫する状況を考えたら、オーストラリア国民の安心安全の出産を阻害することになるから、自国民を守るための当然の判断だな」

 

トウショウドルフ「………………」

 

 

どうやら、この世界での斎藤 展望は『URAファイナルズ』決勝戦進出を機に“将星”トウショウサザンクロスとの三度目の対決への秘策として、敵を知り 己を知れば 百戦殆うからず、トウショウサザンクロスの生まれ故郷を見てくるようにオーストラリア旅行に旅立たせていたようであった。

 

そう、『日本ダービー』の頃から相手はこちらのことを知り尽くしているのに こちらはいまだに相手のことを知らないというのは明らかに情報優位性(アドバンテージ)において不利である。

 

よって、去年の二度目の対決となる『有馬記念』での接戦と『URAファイナルズ』準決勝トーナメントでの調子の良さからこれ以上の小手先のトレーニングは無用と判断し、

 

“怪物”の獰猛さと勝利への執念が揺るがないように心を鍛える目的と“将星”トウショウサザンクロスの生い立ちを知ることで情報戦で互角になるように仕組んだのである。

 

もちろん、『URAファイナルズ』決勝トーナメントに出走しているのは引退即退学の過酷な中央競バの最初の3年間を走り抜いてきた4年目以上:スーパーシニア級の強豪たちであるので、“将星”トウショウサザンクロスだけに気をつけていればいいわけではない。

 

むしろ、トレセン学園の生徒の大半の“負け組”がトウショウサザンクロスに心酔しているため、『URAファイナルズ』決勝戦進出を果たしても自身を“負け組”に分類しているシンパがトウショウサザンクロスの栄光のために“怪物”ナリタブライアンを陥れようと共謀してくる可能性があった。

 

多勢に無勢の中、こちらがその不利を押し返すために猛特訓をするだろうという読み合いの発生は当然であり、その読みを外して大いに油断してもらうために、『URAファイナルズ』優勝のための長期遠征と称してナリタブライアンを秘密の特訓場に送り込んでいたのだ。

 

その時は私も同伴しており、『URAファイナルズ』決勝トーナメントまで気が済むまで遠征先に滞在するように言い触らしていたことで、トウショウサザンクロスに心酔する取り巻きの者が当人の許可を得ずに勝手に尾行するようになったのだ。

 

そう、その勝手に忖度した結果の勇み足が狙いであり、わざわざ飛行機を使わずに新幹線の切符を当日に買ってトレセン学園の京都分校に立ち寄ったことで、関西遠征の宿泊先に使われる京都分校で猛特訓をするのだろうと早合点させることに成功したのだ。

 

だが、実際にはまったくちがう。京都分校に立ち寄ったのは追手を撒くための欺瞞作戦であり、京都観光をしながら皇宮警察が警備している京都御所に入っていったことで、この“斎藤 展望”が皇宮警察の息子であることも効果覿面だったようだが、

 

京都分校にまた立ち寄って深夜に出発した先が関西国際空港のメルボルン行きであり、私がこれまで得た人脈から案内人を付き添いにしてトウショウサザンクロスの生まれ育った場所に担当ウマ娘を旅立たせたのである。

 

おかげで、東京/府中の中央トレセン学園では復活した“怪物”ナリタブライアンの動向について情報が錯綜することになり、私自身もしばらくトレセン学園に帰らず、卒業式前にようやく姿を見せたという流れだったのだ。

 

その用意周到さのおかげで、“皇帝”シンボリルドルフの世界の私が“将星”トウショウサザンクロスの世界に迷い込んでも状況整理のために堂々とこの世界について聞き込みができたわけである。

 

 

――――――そして、この世界のナリタブライアンは鼻面の絆創膏がなく、代わりに鋭い一文字傷が入っており、一般的に悪口である“怪物”らしさをより強調させるものとなっていた。

 

 

ナリタブライアン「本当にいい場所だったぞ、メルボルンは」

 

ナリタブライアン「南半球だと春が秋になるから3月が紅葉の季節なんだ」

 

ナリタブライアン「もっとも、日によって天気が目まぐるしく変わって 年間を通してはっきりした四季は無いらしく、一日の中に四季があるとも言われているような 気まぐれなところがこれまたおもしろいんだがな」

 

ナリタブライアン「そして、南半球最大の博物館:メルボルン博物館にも行ってきたぞ。オーストラリアが誇る51戦37勝“赤毛の恐怖”ファーラップの銅像が立っていたな」

 

斎藤T「――――――『51戦37勝』!?」

 

トウショウドルフ「――――――“赤毛の恐怖”ファーラップ?」

 

ナリタブライアン「ああ、“赤毛の恐怖”ファーラップはニュージーランド生まれで戦前にオーストラリアで華々しい活躍を遂げた後、北米遠征の第1戦となる当時世界最高額となる5万ドルの1着賞金が懸かった『アグアカリエンテ・ハンデキャップ』に招待され 優勝を果たしてもいる」

 

トウショウドルフ「すごい!」

 

斎藤T「――――――北米遠征か」

 

斎藤T「その後は? どんな感じに引退を?」

 

 

ナリタブライアン「――――――その後はアメリカで毒殺された」

 

 

斎藤T「!?!!」

 

トウショウドルフ「え、ええええええええ!?」

 

ナリタブライアン「メキシコの『アグアカリエンテ・ハンデキャップ』を勝利して、そのままアメリカを転戦するつもりでカリフォルニアで休養していた時だ」

 

ナリタブライアン「検死の結果、致死量を超える砒素が検出され、胃と腸から出血していることが判明すると、何者かによって毒殺されたという噂が流れたんだ」

 

斎藤T「――――――砒素中毒!? “愚者の毒”だと!?」

 

トウショウドルフ「――――――『愚者の毒』?」

 

斎藤T「砒素は単体およびほとんどの化合物において人体に対して非常に有害な猛毒である一方で、入手が容易で無味無臭かつ無色な毒であることで、遺産相続のための殺人に利用されて“相続の粉薬”とも言われてきたんだ」

 

斎藤T「有名なのはルネサンス時代のローマ教皇:アレクサンデル6世とその息子であるチェーザレ・ボルジアが砒素入りのワインで次々と政敵を暗殺したという逸話だな」

 

トウショウドルフ「…………ええ?!」

 

斎藤T「だが、“愚者の毒”と言われる所以は体内に残留して検死によって容易に検出できることから完全犯罪には向かないところにある」

 

斎藤T「なあ、スターウマ娘が毒殺の常套手段である砒素中毒で死んだとなったら、遠征先のアメリカに対するオーストラリアの反応は――――――?」

 

ナリタブライアン「察しの通りだ。国を代表するスターウマ娘が遠征先で毒殺されたというスキャンダル――――――、」

 

ナリタブライアン「これによってオーストラリア国民の間で強烈な反米感情が巻き起こり、両国間に深刻な感情的軋轢を残すこととなったという」

 

トウショウドルフ「!!!!」

 

ナリタブライアン「現在も最新の解析によって毒殺されたことは確実だが、真相は迷宮入りしたままだがな」

 

斎藤T「……地元の子供たちにとってファーラップはどれくらいの知名度なんだ?」

 

ナリタブライアン「さあな。少なくとも、“ジュニア三冠バ”トウショウサザンクロスの時代とはちがって、1週間以内に2度も3度もレースに出走するのが当たり前で、それが6年間も繰り返されての51戦37勝だ」

 

ナリタブライアン「ニュージーランドが生んだオーストラリアの伝説として語り継がれているだろうな」

 

斎藤T「……何かわかったような気がする」

 

トウショウドルフ「私もトウショウサザンクロスがオーストラリアの日本人街で何を見て聞いて感じて育ってきたのかが理解できた気がする」

 

ナリタブライアン「ああ。シャトル出産でオーストラリアに捨てられた“将星”トウショウサザンクロスにとっては遠征先で毒殺された“赤毛の恐怖”ファーラップと重なるものがあったのだろうな」

 

 

斎藤T「なら、誰がトウショウサザンクロスを“ジュニア三冠バ”にまで導いて『日本ダービー』に参戦させたんだ? その上で日本トレセン学園を支配下に置く算段を立てた動機は?」

 

 

ナリタブライアン「それも日本人街のレースクラブのトレーナーに聞くことができた」

 

ナリタブライアン「まず、オーストラリアには300を超えるウマ娘レース団体が存在し、州ごとにウマ娘レースの興行に関する法律が異なるのは、連邦制だから当然の話だな」

 

ナリタブライアン「それだけに興行の規模も多岐に渡り、国際規約に則った公営競技としてのウマ娘レースを行う大型競バ場から草競バのための競バ場など、広大な国土と競技人口によって多様性に富んでいるんだ」

 

ナリタブライアン「それだけにトレーナーライセンスの取得も日本と比べると容易で、シャトル出産が流行した際にメルボルンの日本街が発展したのは、日本でトレーナーライセンスを得られなかったトレーナー候補生たちがオーストラリアでトレーナーライセンスを得るためでもあったんだ」

 

斎藤T「そこでの経験と実績から日本に返り咲く計画だったか」

 

トウショウドルフ「けれど、オーストラリア上がりのトレーナーの中央入りが話題になったことは――――――」

 

ナリタブライアン「そうだ。ハイセイコーから始まる第一次ウマ娘レースブームの熱が高じて春生まれのウマ娘がスターウマ娘になりやすいジンクスから始まった出産旅行が廃れることで、オーストラリアでのトレーナー育成計画も頓挫することになった」

 

ナリタブライアン「今では日本人街のレースクラブのトレーナー業は副業として、日本人向けの観光業で食い繋いでいるという有様だ」

 

トウショウドルフ「じゃあ、トウショウサザンクロスが中央/府中の日本トレセン学園にあれだけの敵意を向けているのは――――――!」

 

 

ナリタブライアン「ああ。オーストラリアでのトレーナー育成計画の現地責任者だった名門トレーナーの怨念だ」

 

 

斎藤T「!!!!」

 

トウショウドルフ「――――――『怨念』」

 

トウショウドルフ「…………それもしかたがないような気がします」

 

斎藤T「……その人は今は?」

 

ナリタブライアン「トウショウサザンクロスという『名家』トウショウ家と同じ冠名を持つ天性の才能を持ったウマ娘を見出して“ジュニア三冠バ”を取らせた後に膵臓炎で亡くなったそうだ」

 

ナリタブライアン「おそらくは日常的に酒を飲んでいたせいだと、現地の人たちは言っていた」

 

斎藤T「アルコール性慢性膵炎の典型的な症状だな。元からトウショウサザンクロスを最後の担当ウマ娘として執念で育て上げていたのだろう――――――」

 

トウショウドルフ「………………」

 

斎藤T「――――――ということは、だ!」

 

トウショウドルフ「え!?」ビクッ

 

 

斎藤T「結局、トウショウサザンクロスである以外に何者でもなかった一人の少女を大人のエゴで満たしたのが“将星”の正体か!?」

 

 

斎藤T「そんなの、『名家』の影響力を維持するための政略の道具にされた“皇帝”シンボリルドルフとまったく同じじゃないか!?」

 

トウショウドルフ「――――――『シンボリルドルフとまったく同じ』?」

 

ナリタブライアン「……何者でもなかったからこそ、名門トレーナーの復讐の道具としての人生を歩むしかなかったわけだな」

 

斎藤T「同じだ! トレセン学園で繰り返される“勝ち組”生徒会と“負け組”学生寮自治会の対立の歴史と! 国境を超えるスケールのな!」

 

斎藤T「だから、こうも簡単にトウショウサザンクロスが圧倒的大多数の“負け組”を率いてトレセン学園の支配に乗り出せたわけじゃないか!」

 

ナリタブライアン「………………」

 

斎藤T「わかった。それがわかれば十分だ」

 

斎藤T「ありがとう。これでトウショウサザンクロスとの一騎討ちで負ける要素はなくなった」

 

ナリタブライアン「ああ。正直に言って あんたの判断:土壇場のオーストラリア旅行には半信半疑ではあったが、“将星”の正体を見極めることでトウショウサザンクロスの謎がなくなったことで不安や恐怖がなくなったのを実感できる」

 

ナリタブライアン「それに、“赤毛の恐怖”ファーラップの伝説にも触れることができた」

 

ナリタブライアン「そう。どうせ恐れられるのなら“赤毛の恐怖”をも上回る“怪物”として恐れられるようになりたいな」

 

トウショウドルフ「……お強いのですね」

 

 

ナリタブライアン「いいや、私はむしろ弱い方の人間だった」

 

 

トウショウドルフ「え」

 

ナリタブライアン「姉貴をはじめとして たくさんの人に支えられていたからこそ、私は“怪物”として傍若無人に振る舞うことができていたんだ」

 

ナリタブライアン「――――――“怪物”とは言い得て妙だ。私は私のままに気ままに生き、周りのことなんか気に掛けることもなかった、人の心を知らない冷酷な生き物だった」

 

ナリタブライアン「けれど、その影で同じぐらいたくさんの人たちからも恨まれていることも知って、私は自分自身が生み出した影に怯えるようになったんだ」

 

ナリタブライアン「そうだ、“将星”トウショウサザンクロスが指し示す十字架は私がこれまで犯してきた罪の象徴でもあったんだ」

 

ナリタブライアン「だから、私は『日本ダービー』でその罪を裁かれて、罰を受けることになったんだ」

 

トウショウドルフ「そんなこと……!」

 

斎藤T「――――――物事にはマクロな面とミクロな面の2つがある」

 

斎藤T「野球で言うなら、野球はチームとチームの対抗戦ではあるが、その中にはピッチャーとバッターの1対1の対決の要素もある」

 

斎藤T「それと同じように、これまでトレセン学園やウマ娘レース業界が積み重ねてきた罪穢れとナリタブライアン個人が今世に積んできた業が『日本ダービー』における“将星”トウショウサザンクロスの襲来という目に見える災厄になったと言えるな」

 

斎藤T「個人の結果の裏には個人が所属する集団・組織・団体・地域・国家が積み上げてきた原因が左右することも多々あるわけだ」

 

斎藤T「決して無関係なんかじゃない。そこに所属していることで恩恵を多少なりとも受けている以上は、同じようにそこに所属していることで罪業も引き受けることになるんだ」

 

斎藤T「だからこそ、組織のトップは天皇陛下のように俗事に心を惑わされることのない清らかな性質の運気の持ち主でなければ決して平安が訪れることはないのだ」

 

斎藤T「その点では“皇帝”シンボリルドルフは真っ当に生徒会長を果たし続けたと言える」

 

ナリタブライアン「シンボリルドルフだったからこそ今の結果があるとするなら、シンボリルドルフ以上の存在を挙げられないなら、今の結果を下回る未来しかないわけだからな」

 

トウショウドルフ「――――――『最善ではなくても最悪の結果は免れたのが今現在』ということですか」

 

斎藤T「そうだ。人は得てして自分に都合がいい最善の結果を常に求めるが、自分にとって最悪な結果が訪れる可能性を無意識に除外しがちで、現状がどれだけ恵まれた状態なのかを推し量ろうともしないのだ」

 

トウショウドルフ「……そうですね。オーストラリアの日本人街に捨てられた子供たちの境遇を思うと、学生寮で燻っている多くの生徒たちがいかに現状に甘えているのかと批判することは簡単です」

 

斎藤T「だから、簡単に“将星”トウショウサザンクロスの口車に乗せられるんだ。自分よりも強大な意志によって圧倒されたんだ」

 

斎藤T「力こそが全てだと驕れる者が更なる力の持ち主によって屈服させられるように、自分こそが世界中の不幸を背負っているのだと驕れる者は想像を絶する哀しみの持ち主に自分の哀れさを主張する言葉をなくすものだ」

 

斎藤T「結局は意志の強さが全てを決めるんだ」

 

 

――――――だから、“怪物”ナリタブライアンはもう“将星”トウショウサザンクロスには負けないんだ。十分に苦しんで哀しみを背負ってきたからな。

 

 

そして、いいところで時間は非情にも巻き戻ることになった。日めくりカレンダーが卒業の日に戻る。

 

おそらく、トウショウサザンクロスの世界において自分がトレセン学園で築き上げた全てを奪い取られて心を病むことになった“皇帝”シンボリルドルフを救って元の世界に帰るための条件というのが、

 

自身が後事を託した“斎藤 展望”の担当ウマ娘:ナリタブライアンあるいはビワハヤヒデが『URAファイナルズ』を優勝してトレセン学園における“将星”トウショウサザンクロスの絶対的支配の確立を阻止することに加えて、

 

次代を担う『名家』トウショウ家のウマ娘:トウショウドルフと接触して、繰り返される“勝ち組”生徒会と“負け組”学生寮自治会との対立の歴史に終止符を打ち、勝負の世界につきものである勝利至上主義の下の弱肉強食と弱者救済について何らかの方向性を与えることにあったように思える。

 

そう、マクロな面での弱者救済“鼎の卦”とミクロな面の弱者救済“井戸の卦”が両立されるようにトレセン学園ならびに日本ウマ娘レース業界の影が牙を剥いた結果であり、まったく無関係に思えたオーストラリアと日本ウマ娘レース業界の繋がりには驚く他なかった。

 

ここまで理解した上で“勝ち組”と“負け組”の対立構造が大小様々な形で世の中に組み込まれていることを認識しなくては“将星”トウショウサザンクロスとわかりあうためのこれまでの対話の全てが無意味であったのも当然であり、

 

この世界において“斎藤 展望”が『敵を知り 己を知れば 百戦殆うからず』という孫子の兵法の基礎の基礎を土壇場でバカ正直に実践させた結果、“将星”トウショウサザンクロスの今に至る真相になるものを掴むことができてしまったのだ。

 

普通のトレーナーなら『URAファイナルズ』決勝トーナメントを目前にして少しでも基礎トレーニングを積ませようとするだろう。

 

しかし、“怪物”ナリタブライアンの実力はすでに“将星”トウショウサザンクロスに決して劣るものではないという担当ウマ娘に対する信頼と、『URAファイナルズ』決勝トーナメント直前までオーストラリアで真相を探ってくるという奇天烈な指示に従える担当トレーナーへの信頼があって、トウショウサザンクロスの謎を解明することができたのだ。

 

トウショウサザンクロスを突き動かしているものがトレセン学園ならびに日本ウマ娘レース業界への怨念だとわかれば、あとは23世紀の宇宙移民として地球文明の後継者である冠婚葬祭の一切を取り仕切れる祭司長の私の悪霊祓いの出番である。

 

その筋道が立ったことでトウショウサザンクロスの世界に転移した私の役割は果たされたのであろう。

 

 

――――――後のことは、人事を尽くして天命を待つのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――トレセン学園/学生寮自治会本部

 

トウショウサザンクロス「……続々と学園から卒業生たちが引っ越していくな」

 

ヒシアマゾン「ああ。来年にはアタシたちもここを出ていくことになるんだ」

 

トウショウサザンクロス「そうだな。貴様の手料理を食えなくなるのは寂しいものがあるな」

 

 

トウショウサザンクロス「――――――全力勝負が信条の貴様のことだ。『URAファイナルズ』で寝首を掻きたければいつでも掛かってくるがいい」

 

 

ヒシアマゾン「おうよ! オーストラリアの“ジュニア三冠バ”にして『メルボルンカップ』を制した“将星”トウショウサザンクロスに、“クラシック三冠バ”が確実視されていた“怪物”ナリタブライアンが復活したんだ!」

 

ヒシアマゾン「アタシは“ヒシアマゾン”だ! 相手が“将星”や“怪物”であろうと全力勝負を挑む“恐れを知らぬ決闘者”さ!」

 

トウショウサザンクロス「それでいい。闘争の世界で頂点に立つ者に待つのは安楽ではなく、絶え間なく自分の頂点を脅かし続ける挑戦者との死闘の日々だ。それでこそウマ娘の闘争心が満たされるというもの」

 

トウショウサザンクロス「だが、シンボリルドルフの腹心:フジキセキと共に寮長の座を追われた貴様が私の側にいるというのも傍から見れば滑稽なものだな」

 

ヒシアマゾン「別にいいさ、周りがどう思うかなんてのは。寮長だったから美浦寮のみんなの面倒を見ていたんじゃないしさ」

 

ヒシアマゾン「アタシはお互いに最高の気分でタイマン勝負するために、アタシがやりたいように他人の世話をしていただけだから、寮長の肩書なんて元から有って無いようなものだったんだからさ」

 

ヒシアマゾン「だから、美浦寮や栗東寮のみんながシンボリルドルフよりもトウショウサザンクロスを選んだのなら、アタシはその選択を支持するだけさ」

 

ヒシアマゾン「まあ、アタシからすると手のかからない子のシンボリルドルフよりも、世話のしがいのあるトウショウサザンクロスの方が可愛げがあって好きだけどさ」

 

トウショウサザンクロス「それも“皇帝”シンボリルドルフとは何もかもが正反対であることの演出に過ぎないのだがな。やろうと思えば、いつでもオーストラリア料理を振る舞ってやれるが」

 

ヒシアマゾン「ベジマイトにバーベキュー、それにフィッシュ・アンド・チップスってのはジャンクフードって言うんだよ、日本だと!」

 

ヒシアマゾン「まあ、完璧であるが故に隙の無さが他者を寄せ付けないシンボリルドルフよりも、胸を張って自信満々に大ボケをかます少し抜けたところが美浦寮や栗東寮のみんなに愛された理由だし、アタシも好きだよ」

 

ヒシアマゾン「アンタに言うのもアレだけど、アンタのそういうところが“怪物”ナリタブライアンに似ているってのもあるのかもね……」

 

トウショウサザンクロス「なるほどな。道理で貴様だけは最初から物怖じしなかったわけか」

 

トウショウサザンクロス「………………」

 

 

トウショウサザンクロス「――――――“オーストラリアの伝説”ファーラップについて知っているか?」

 

 

ヒシアマゾン「珍しいね。あまり故郷のことはアタシにだって話さないのに」

 

トウショウサザンクロス「なぜだろうな。貴様がファーラップの終焉の地であるアメリカ出身なのが関係しているのかもしれんな」

 

ヒシアマゾン「へえ、これは意外だねぇ」

 

トウショウサザンクロス「何がだ?」

 

ヒシアマゾン「だって、アメリカ出身のアタシ、オーストラリア出身のアンタがこうして日本のトレセン学園にいるわけだろう?」

 

ヒシアマゾン「アンタがここにきた動機や来たことで起きたことはどうであれ、アンタのようなとんでもないウマ娘と会えたことは奇跡みたいなもんなんだ」

 

ヒシアマゾン「だから、アタシはアンタと出会えたことが嬉しいし、ブライアンだって『有馬記念』で復活してくれたんだ」

 

 

――――――この上ないほどに最高のシチュエーションじゃないか、『URAファイナルズ』は!

 

 

トウショウサザンクロス「………………」

 

ヒシアマゾン「ほらほら、聞かせておくれよ、そのファーラップってやつを。アンタが言い出したことだろう」

 

トウショウサザンクロス「……良かろう。心して聞くが良い」

 

ヒシアマゾン「あ、その前にアンタの故郷で有名らしいチョコレートリップルケーキを作ってみたんだ。話も長くなるだろうし、少し待ってて」

 

トウショウサザンクロス「……私が“怪物”ナリタブライアンと似ている、か」フッ

 

 

 

――――――こうしてトウショウサザンクロスの世界において『URAファイナルズ』決勝トーナメントの日を迎えるのであった。

 

 

 

 

 



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第二次決戦Ⅴ ハッピーミークが考えるのをやめた学園 -心の海から遣わされた大深淵の使者の世界-

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

物事には常に陰と陽の局面が存在する。それは言い換えれば長所と短所でもあり、誰かにとっては有り難いものであったり、誰かにとっては迷惑なものであったりするものだ。

 

だからこそ、互いにとってWin-Winの取引になるように探りを入れていくのがコミュニケーションであり、一方的な要求を突きつけることを23世紀の宇宙移民は良しとしない。

 

限られた生活空間で遥か彼方の星の海を流離う中で、互いに譲り合いながら譲れない一線をどうにか理解してもらう努力を放棄した瞬間、あらゆる次元で崩壊(カタストロフ)が始まるのだから。

 

そのため、宇宙移民たちは地球での常識の最たるものである『同じことが当たり前』という観念がむしろこの広大な宇宙においては非常識であることを刷り込まれており、

 

宇宙での常識では『ちがうことが当たり前』だからこそ、地球と同じように居住できる惑星を求めて星の海を渡ることがいかに尊いことなのかを何度も自分たちに言い聞かせるのだ。

 

だから、自分の考えとちがう相手がいて、どうしてそう考えるのかを思考や背景を共有してちがう状態から同じ状態になれたことを喜び合う精神文化が生まれている。

 

 

だが、この広い宇宙には知るべきではない悍ましいものが喜びの数と同じぐらいに存在していることを私は真に理解することなく、誰も知らない未知の惑星に独り――――――。

 

 

そこで自分が宇宙の真理だと信じていた宇宙移民の在り方も所詮は銀河系の中心から大きく離れた太陽系第三惑星で独自に発達したコミュニケーションだと打ちのめされることになるとは思いもしなかった。

 

当然だ。私たちはどこまで行ってもホモ・サピエンスという種であり、ホモ・サピエンスという種に進化してきた環境や重ねてきた歴史、備わった能力によって認識できた範囲でしか万象を語ることができないのだ。

 

となれば、言葉を通じて同じ価値観や感情を共有し合えることを喜んだ異種族との目に見えない致命的な価値観のズレに気づいたところで今更遅い話なのだ。

 

昨日までの常識が、隣人が、家族が愛すべき世界に牙を剥いた時、何のために、誰のために私は生き足掻けばいいのだろうか。

 

 

――――――私は何度もリドリー・スコットのSFホラー映画のことを思い出す。

 

 

宇宙貨物船:ノストロモ号の乗組員が船内に解き放たれた攻撃的で致命的な地球外生命体である“エイリアン(外なる存在)”に遭遇した時に起こる惨劇のことをいつもいつもシミュレーションしていた。

 

更には、「宇宙船が未知の惑星に降り立ち、謎の生命体を発見、乗組員がそれに寄生され、やがて体内から怪物が誕生する」という原案も踏まえて、いかなる危機的状況でも対応するための想像力を働かせることを宇宙移民としての命題としていた。

 

しかし、23世紀の宇宙科学の最新テクノロジーと人類の叡智の結晶である未来予測を可能とする電子頭脳をもってしても、私の身に起きた不可思議な出来事は予測ができなかったのだ。

 

だからこそ、限りある身で無限の可能性に挑むことの無意味さと無力さを噛み締めながらも、予想がつかない展開の数々に追い立てられる日々に慟哭し続ける。

 

けれども、決してわかってもらえないだろう。逆にそのことが当たり前であるということをどうして忘れていたのだろう。

 

地球の常識を持ち出して宇宙の真理を語ることの無知さと無謀さは、しばしば我々の発する声が相手に届くためには媒質を通じて伝わる必要があるという物理学の常識を意識的か無意識的に無視することで成り立っているのだから。

 

一体全体この宇宙で音波の媒質となる物質が1%以上も存在していると本気で思っている人間はいるだろうか。

 

結局は森羅万象、この広大な宇宙と同じなのだ。広大であるだけじゃないのが宇宙であり、その暗黒空間には何もないが、誰にも聞くことができないエネルギーが激しい音を立てて渦巻いていることをもっと知るべきなのだ。

 

 

――――――In space, no one can hear you scream(宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない).

 

 


 

 

●3周目:3月12日/トレセン学園卒業式

 

和田T「ああ、最悪。本当にひどい異世界探訪だった……」ズーーーン・・・

 

飯守T「まったくですよ。“将星”トウショウサザンクロスめ……!」ググッ!

 

和田T「俺たち、無事に卒業式の早朝(セーブポイント)に戻ってこれたけど、あと1回は俺の“目覚まし時計”が使えるんだよな……」

 

アグネスタキオン「ふぅン。それが確かなら、あと1回はまたまた楽しい楽しい異世界探訪ができるじゃないか」

 

和田T「か、勘弁してくださいよ、それぇ」

 

和田T「俺がマックイーンと恋人になれたこの世界がどれだけ尊い奇跡なのかをわからされましたから!」

 

飯守T「俺だって! トウショウサザンクロスの世界でも俺はそれなりに頑張れたけど、俺はこの世界の俺であって、()()()()()()()()ではない、ライスシャワーと一緒に頑張ってきたのが俺なんだ!」

 

ピースベルT「そうねぇ……。聞いている分にはそういう未来もあったんだと楽しめるものだけど、実際にそれを目のあたりにすることになった当事者としては笑えないものがあって、本当に辛かったわねぇ……」ハハッ・・・

 

斎藤T「ともかく、あんなものを続け様に見せられては対策も何もあったものじゃないけど、用心してし過ぎることはないはずです……」

 

マンハッタンカフェ「しかし、最初の“女王”アグネスオタカルの世界に、私たちも実際に目にしてきた“将星”トウショウサザンクロスの世界の次に来るのはいったい何になるのでしょうか?」

 

和田T「最初の推測通り、我らが“皇帝”陛下が憂える事態が現実になった可能性の世界だとするなら『最悪の現実から“皇帝”陛下が希望の未来を信じられるように導くのが解決の流れ』でしたね」

 

飯守T「となると、もし次も異世界転移が起きたとするなら『もっと別な角度から視たトレセン学園や業界が抱えている問題が顕在化した世界に引き込まれる』わけですか?」

 

アグネスタキオン「そこのところはどうなんだい、トレーナーくん?」

 

 

斎藤T「細かい点を挙げたらきりがないわけですけど、これまでの流れからある程度の予想はついてます」

 

 

ピースベルT「それなら聞かせて欲しいな~♪」ニコニコ

 

斎藤T「要は、“皇帝”シンボリルドルフを導くことで元の世界に帰ることができたように、別世界の現実に苦しんでいるシンボリルドルフの同一存在を導くことが誰の同意もない無理矢理の異世界転移の主目的となっているわけですが、」

 

斎藤T「よくよく考えてみると、“女王”アグネスオタカルの世界の学園は夢の舞台で傷つき去っていく者たちへの弱者救済が果たされないことで、中央こと府中の()日本トレセン学園と根岸の()日本トレセン学園に分裂する危機を迎えたわけです」

 

斎藤T「この世界でも、同じ根岸競バ場を買い取った中央出身のトレーナーたちが横浜トレセン予備校“根岸校”を開き、わずか数年でG2格の団体にまで昇りつめているという、極めて近い事象が確認できるわけです」

 

マンハッタンカフェ「じゃあ、“将星”トウショウサザンクロスの世界も私たちの世界で起きている出来事が世界の中心になったものだとするなら――――――?」

 

 

斎藤T「それについては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を満たしていないので内容を公表することはできないです」

 

 

マンハッタンカフェ「……なんですか、それ?」

 

アグネスタキオン「――――――『セキュリティ・クリアランス』?」

 

アグネスタキオン「ふぅン」

 

アグネスタキオン「ああ、なるほど。トウショウサザンクロスの軍団にトレセン学園学生寮が不法占拠された事象はこの世界だと『丙種計画』でのアレになるわけだね」

 

斎藤T「そういうことだ」

 

和田T「どういうことだよ?」

 

アグネスタキオン「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということさ」

 

和田T「え、嘘だろう?! これ以上のものがそんなにあるんですか!?」

 

飯守T「……そうかもしれませんね

 

飯守T「でも、俺はいつでも斎藤Tの力になりたいと思っているから、今回はいきなり別世界なんてものに巻き込まれたけど、裏世界のこと以外でも俺が必要になったらいつでも言って欲しい」

 

斎藤T「ありがとうございます」

 

 

ピースベルT「――――――そういうことじゃないよね♪」

 

 

斎藤T「さすがはピースベルT。そのとおりです」

 

ピースベルT「たぶんー♪ 学園の実態がどうのこうのよりもルドルフちゃんの心を救うことが別世界での用事なんだから、ルドルフちゃんの心配事が形作った世界が“女王”や“将星”の世界なんだと思うな、私は♪」フフッ

 

ピースベルT「だからー♪ 単純に“女王”の世界だと『トレセン学園に入学していなかったら黄金期は到来しなかった』って冷静な判断と客観的な分析から生まれた世界なんだと思うなー♪」ルンルン!

 

ピースベルT「そしてー♪ “将星”の世界だと、『自分が築き上げた黄金期をちゃんと継いでくれる人がいなかったらどうしよう?』って将来への不安が作った世界だと思うの♪ いわゆるマリッジ(結婚)・ブルーならぬグラデュエーション(卒業)・ブルーってやつ?」ニコニコ

 

和田T「ああ、そう考えるとわかりやすい気がする」

 

飯守T「たしかに、暗黒期を切り拓いて黄金期をもたらした当事者からすると、学園がますます発展していけるかどうかが気になりますよね。それもそうですよね」

 

マンハッタンカフェ「では、鐘撞Tが考えるに、次の世界はどんなものになりますか?」

 

 

ピースベルT「――――――ルドルフちゃんの心配事を最悪な方向に導いた悪辣なものになるのは覚悟しておいてね♪」ゴゴゴゴゴ・・・

 

 

マンハッタンカフェ「…………!」

 

和田T「ええ!? じゃあ、この“目覚まし時計”って本当は人間が頼っちゃいけない正真正銘の悪魔のアイテムなのか!?」

 

斎藤T「それはどうでしょうかね? 災厄から身を守ってくれるものを災厄と結びつけて忌避するには尚早だと思いますけどね」

 

和田T「だとしても、俺はこの“目覚まし時計”のせいで何度も『天皇賞(秋)』をやり直すことになったんだよ!?」

 

ピースベルT「まずは“皇帝”シンボリルドルフがトレセン学園で何を目指していたかが重要よ♪」ンフッ

 

アグネスタキオン「――――――“ヒトとウマ娘の統合の象徴”というやつだろう?」

 

ピースベルT「そうよ♪ 正解♪ 花丸あげちゃうね♪」ニッコリ

 

斎藤T「だから、過去の自分の選択を悔いるほどにトレセン学園が発展しなかったのがアグネスオタカルの世界、トレセン学園の未来がろくでもないことをわかっていながらどうしようもできなかったのがトウショウサザンクロスの世界――――――」

 

マンハッタンカフェ「すると、次は過去でも未来でもなく“皇帝”シンボリルドルフが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですか!?」

 

ピースベルT「そうよ♪ そうなるんじゃないかってね♪ そこのところ、同じ結論になるってことは斎藤Tも立派なルドルフちゃんの理解者ね♪」アハッ

 

和田T「何それ!? 今までのは間接的にシンボリルドルフの影響が大きく出ていたものだったのに、今度は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()になっちゃうってぇ!?」

 

飯守T「見たいような、見たくないような――――――、いや、全てのウマ娘の幸福を願うシンボリルドルフにとって一番に傷つく世界だろうから、そんな世界の可能性なんて知りたくもない!」

 

斎藤T「そして、えげつないほどに悪辣なものとなっている――――――」

 

飯守T「つまり、自分が目指してきた理想が木端微塵になるぐらいにショックを受けるってことですよね?!」

 

和田T「いや、そういうのって自分が信じてきたものに裏切られることじゃないか!?」

 

アグネスタキオン「もっと具体的に言いたまえ、きみたち」

 

和田T「言えるかよ、そんなの!? 言ったら本当になりそうじゃないか!?」

 

アグネスタキオン「じゃあ、トレーナーくん。その数ある可能性の中身を公表したまえ」

 

和田T「やめてえええ! 聞いたら可能性が増えちゃうぅううう!」

 

アグネスタキオン「何を弱気になっているんだい。可能性を恐れて足踏みするより、可能性の先の希望を信じて対策をとるのがトレーナーってもんだろうが」

 

アグネスタキオン「メジロ家の令嬢の心を射止めたきみの勇気と度胸はどこにいったんだい?」

 

和田T「うっ」

 

飯守T「そうだよな。俺だって同期に名門トレーナーや天才トレーナーがいて、そいつらに勝てるかどうかわからないけど、その背中を 遮二無二 追い続けてライスを“グランプリウマ娘”にすることができたんだ」

 

飯守T「可能性を恐れてばかりで動かなかったら、その先にある希望は絶対に掴めない!」

 

和田T「ああ……」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。私も3年の契約を延長してもらってましたし、『URAファイナルズ』で完全に引退すると思っていたわけで、史上初の“春シニア三冠”をこうして目指そうだなんて夢にも思わなかったですよ」

 

ピースベルT「じゃあじゃあ、場が盛り上がったところで、斎藤T♪」フフッ

 

斎藤T「私がこの悪趣味な別世界の創造主なら、トレセン学園や業界にとってもっと根幹になるものを揺さぶろうとしますね」

 

斎藤T「そして、それは“皇帝”シンボリルドルフが身近に問題視していることが世界の中心に据えられることになって、アグネスオタカルの世界とトウショウサザンクロスの世界が観測されることになりました」

 

斎藤T「となると、そこから導き出される最大の答えはたった1つです」

 

斎藤T「トレーナーにとっては基礎中の基礎ですよね」

 

 

――――――一部においてはヒトの完全上位互換と持ち上げられるウマ娘ではあるが、それではなぜトレセン学園があって、どうしてウマ娘がトレーナーを求めるのか。

 

 

 

●????:3月12日/トレセン学園卒業式

 

斎藤T「…………何だろう、おかしくないですか?」

 

飯守T「――――――今度は『謎の卒業生代表や在校生代表の登場もなく何事もなく無事に卒業式が終わったこと』が?」

 

斎藤T「ちがう。ちがいます。トレセン学園に所属するのが総生徒数2000名弱なのは問題なかった」

 

アグネスタキオン「シンボリルドルフやナリタブライアンの戦績にも何の違いはなかったのは確認したじゃないか」

 

飯守T「そうそう。今度はちゃんと才羽Tもいたし、ビワハヤヒデとナリタブライアンの姉妹対決だってできているし、何もちがいなんてないように思いますよ」

 

マンハッタンカフェ「でも、たしかに卒業式を無事に終えたのに私も何か違和感を覚えました」

 

ピースベルT「差分となっているのはアグネスオタカルの卒業生代表答辞とトウショウサザンクロスの在校生代表送辞だけね♪」フフッ

 

 

斎藤T「でも、何かが明らかに変わった気配がするんだ。学園の空気がガラリと変わった気がする」

 

 

ピースベルT「それって何かしらね♪」ウフッ

 

斎藤T「ちょっと、これまでの卒業式の映像を見直すから、今日のところはこれで解散にしましょう」

 

アグネスタキオン「そうかい。まあ、きみの感覚器(センサー)が何かを感知しているのだから、各々用心して明日以降もまた集合しようじゃないか」

 

和田T「そうですね。『URAファイナルズ』決勝トーナメントが無事に終わるまでは気が抜けないですからね」

 

飯守T「なら、あまりバラバラになって行動するのは良くない気がするから、俺は和田Tと一緒に行動しますね」

 

アグネスタキオン「それなら私はトレーナーくんと一緒にいようか」

 

斎藤T「おい、マンハッタンカフェをどうやって帰らせるつもりだ?」

 

マンハッタンカフェ「あ、大丈夫です。私には“お友だち”がいますので」

 

ピースベルT「私は斎藤Tに送ってもらいたいな~♪」チラチラッ

 

斎藤T「ええ。安全なところで寝泊まりしてもらいますよ」

 

斎藤T「それじゃ、安否確認システムのエマージェンシーコールを忘れずに」

 

 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

アグネスタキオン’「…………これが“皇帝”シンボリルドルフの卒業式か。壮観だね」

 

岡田T「他2つはよくできたコラ映像だって笑い飛ばさないといけないぐらいに、俺にとっての永遠の憧れを侮辱された気分になりましたけどね」ニコー

 

斎藤T「何か気づくこととかありませんでしたか?」

 

アグネスタキオン’「――――――気づいたことか」

 

岡田T「斎藤Tの話だと、すでに何かが変わってしまった別世界になっているわけですよね?」

 

岡田T「でも、アグネスオタカルやトウショウサザンクロスの登場のように明確なちがいが演出されているわけじゃないから、こうして3つの世界の卒業式の映像を同時に視ても、あまり――――――」

 

 

アグネスタキオン’「なあ、よくわからないが、赤ん坊連れの父兄が多くないかい?」

 

 

斎藤T「え?」

 

岡田T「え、どこ!? 何のシーン!?」

 

アグネスタキオン’「いや、ほら。アグネスオタカルの卒業式やトウショウサザンクロスの卒業式と見比べると、“この世界の”と言っていいのかわからないが、」

 

アグネスタキオン’「今回の卒業式の卒業パレードを見送る父兄が赤ん坊を抱いたりベビーカーを引いたりしているだろう? ざっと7割の家庭が赤ん坊を抱っこしたりベビーカーを引いたりして卒業パレードの観客にいるのは普通なのかい?」

 

斎藤T「!!!?」

 

斎藤T「……気づかなかった。卒業パレードの観客にまで眼が向かなかった」

 

斎藤T「岡田T、どうなんだ!? 6年もトレセン学園にいれば卒業パレードは見慣れているはず!」

 

岡田T「え、いや、去年の卒業式なんかは引き籠もっていたから見たことないけど、」

 

岡田T「少なくとも、俺が地方から上がってきてシンボリルドルフが入学してきた年の卒業パレードは俺も観客の側にいたから、その経験を踏まえると、たしかにベビーカーが異様に多くないか?」

 

斎藤T「まさか――――――!?」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。どうやら思い当たるものがあったみたいだねぇ、モルモットくん」

 

斎藤T「いや、そんなまさか――――――

 

斎藤T「………………

 

 

斎藤T「ちょっと調べてくるから、用があったら呼んで欲しい」スタスタスタ・・・

 

 

岡田T「あ、はい……」

 

アグネスタキオン’「どう思うね、岡田T?」

 

岡田T「どうもこうも、みんなが卒業式に何度も体験した別世界というものを体験していない俺からすれば何とも言えない話だよ」

 

岡田T「もっとも、川苔山の地下でありながら同時に奥多摩町の上空にあるという亜空間に暮らしている俺が言うのも変な話だけどさ」

 

岡田T「ただ、いきなり何の前触れもなく違和感なく卒業証書を受け取ったシンボリルドルフを最初からいなかったものとしてアグネスオタカルというウマ娘が出てきたり、シンボリルドルフの時代が終わったことを嬉々として語るトウショウサザンクロスというウマ娘が出てきたんだ」

 

岡田T「あれだ、いきなり俺やテイオーの偽物が『ジャパンカップ』に出走していることに驚くのと似たようなもんだと思うよ」

 

アグネスタキオン’「そうだね! 私のようなバケモノに日常が壊される経験はまるで別世界に迷い込んでしまったようなものか! それもそうだね!」クククッ

 

岡田T「笑い事じゃないよ」

 

岡田T「鐘撞Tは別世界の愛しのウマ娘から完全に忘れ去られた扱いを受けて傷ついているんだから。この世界では感動の再会を果たしているってだけにますます」

 

アグネスタキオン’「そうだろうそうだろう。ますますW()U()M()A()()()()()()()ことじゃないか」

 

岡田T「――――――『同じ』?」

 

アグネスタキオン’「ちがうのかい?」

 

岡田T「いや、ちがうわない……」

 

岡田T「でも、これって()()()()()()じゃないのか、もしかして?」

 

アグネスタキオン’「なんだい? 何かおもしろい発見でもあったのかい?」

 

岡田T「俺も少し考えてみる」

 

アグネスタキオン’「そうかい。まあ、考えるといいさ」

 

アグネスタキオン’「どのみち、和田Tに託した“目覚まし時計”はあと1回は使えるわけだからね」

 

アグネスタキオン’「でも、『URAファイナルズ』決勝トーナメントを迎える前に卒業式だけで“目覚まし時計”を使い切って大丈夫なのかねぇ?」

 

アグネスタキオン’「当初 想定していた脅威はまったく来なかったとは言え、それなら『URAファイナルズ』や修業式なんかが次の狙い目だろうに」

 

アグネスタキオン’「まあ、なんであれ、いつもいつもモルモットくんの想定を上回ることばかりが起きて、飽きさせないものだねぇ、人生ってものは」

 

アグネスタキオン’「いざという時は私が時間跳躍すればいいのだろうしね」

 

アグネスタキオン’「こういう可能性の世界の探究に並行宇宙を侵略してきたWUMAのノウハウを引き出せないのがもどかしいねぇ。さすがにそういったところは先遣隊(使い走り)のエルダークラスも預かり知らないか……」

 

アグネスタキオン’「いいさ。本当に必要になったらモルモットくんに遠慮なく扱き使われるのだろうし、私は私でその時が来るまでやりたいことをやって過ごしているさ。いつも通りにね」

 

 

 

●????:3月13日 朝の登校前

 

和田T「今までの傾向からすると、卒業式の翌日に斎藤Tが別世界を救うキーパーソンと出会って方策を授けて元の世界に帰れているんだし、今日この日に何かあるんじゃないんですか?」

 

和田T「それはそれとして、カフェの“春シニア三冠”のためのトレーニングや対策はやっておきますけどね」

 

和田T「何だかんだ、いろんな世界でのウマ娘レースを知ったおかげで今までになくインスピレーションが湧いて湧いてしかたがないんですよ」

 

斎藤T「今回はもっと嫌な予感がしてならないんですがねぇ……」

 

斎藤T「それで昨夜の学生寮で何か気づいたことはありませんでしたか? 卒業式の後だと卒業生たちの引っ越しでてんやわんやですけど」

 

マンハッタンカフェ「それが、ですね……」

 

和田T「ど、どうしたの? 卒業生が一斉に学生寮から引っ越しするってわけだから、何か気味の悪いものでも捨てられてた?」

 

 

マンハッタンカフェ「は、はい。それが生徒以外立ち入り禁止のはずの学生寮なんですが、ゴミ捨て場にこんなのが落ちていたんですよ……」ウゥ・・・ ――――――チャック袋に封をして回収された証拠品!

 

 

和田T「うおおおおおおおおおおおおおお!? こ、これってぇええええええ!?」

 

斎藤T「――――――男性用のコンドーム!? しかも、使用済みぃいい!?」

 

マンハッタンカフェ「あ、あの、そういうことに興味を持っている子がいてもおかしくないのはわかっているつもりでしたけど、学生寮のゴミ捨て場から()()()()が見つかるのは変ですよね?」ハラハラ・・・

 

 

斎藤T「最悪だぁ。最悪の予想が中たってしまったぁ……」

 

 

和田T「どういうことです、『予想が中たった』って!?」

 

マンハッタンカフェ「どういうことなんですか?! トウショウサザンクロスの世界ではこんなことにはなっていなかったですよ!?」

 

斎藤T「最悪のステップアップだよ!」

 

斎藤T「最初の“女王”アグネスオタカルの世界では横浜競バ場跡地に焦点が置かれ、次の“将星”トウショウサザンクロスの世界ではトレセン学園学生寮が問題の中心になっていたね!」

 

和田T「う、うん」

 

斎藤T「だから、気になってこの世界の横浜競バ場跡地がどんな風に利用されているのか、トレセン学園学生寮の問題がどうなっているのかも昨日のうちに調べておいたんだ」

 

斎藤T「するとね、“女王”アグネスオタカルの世界では実現していなかった横浜競バ場跡地を療養所(サナトリウム)とした横浜分校がこの世界では成立していたんだ」

 

斎藤T「しかも、“女王”アグネスオタカルが提案していたオンライン分校が完成されていて、ここ:府中の教室もオンライン授業に対応できるように中継機材や電子ボードが完備されていた!」

 

和田T「え!? いいことじゃないですか!? 凄いじゃないですか!」

 

マンハッタンカフェ「でも、それがどうして学生寮のゴミ捨て場から使用済みコンドームが……!?」

 

 

斎藤T「そこだよ。“女王”アグネスオタカルという“皇帝”すらも上回る実績と絶大な支持を持つウマ娘が必要性を訴えても実現しなかったことを()()()()()()()がこの世界ではあったということだよ!」

 

 

和田T「!!?!」

 

マンハッタンカフェ「それはいったい……!?」

 

斎藤T「そうするとさ、横浜分校の構想はアグネスオタカルから聞いていたから、療養のために横浜分校に移った生徒やトレーナーが出てくるわけじゃないですか」

 

斎藤T「だから、横浜分校に府中からどれだけ移っていったのかを確認してみたら、異様にトレーナーの数が少なくなっていたんだ、これが!」

 

和田T「え」

 

マンハッタンカフェ「――――――『トレーナーの数が少ない』!?」

 

斎藤T「そう、ただでさえ、全生徒数2000名弱をスカウトしきれないぐらいにトレーナーという存在が貴重だからこそスカウトの重みがあるわけだけど、この世界だとトレーナーの数が輪をかけて少なくなっているんだ!」

 

和田T「おかしくないですか、それ!? 一見すると元の世界と同じく“皇帝”シンボリルドルフの下で黄金期を迎えて暗黒期の倍以上の生徒数になったのにトレーナーの数が少ないって矛盾してますよねぇ!?」

 

和田T「それでどうやって元の世界と同じ戦績になるんですか!?」

 

斎藤T「いや、そう見えていたのは学園の中心となるスターウマ娘だけで、私たちと関わりがないウマ娘の重賞レースの結果はかなり変わってた!」

 

和田T「……言われてみると、俺も学園の顔役になる生徒会役員になるスターウマ娘の担当トレーナーだったなぁ。斎藤Tなんて俺以上に生徒会役員とガッツリ絡んでいるし」

 

マンハッタンカフェ「それで、つまり、どういうことになるんです?」

 

 

斎藤T「その答えは『どうしてトレセン学園所属のトレーナーが少なくなるのか』という問いでわかる」

 

 

斎藤T「ちなみに、年齢別に見た中央所属のトレーナーの推移や担当したウマ娘の数に離職率をまとめた資料がこれだ」ピッ

 

和田T「え!? 最初の3年間を担当ウマ娘と走り抜いた新人トレーナーの離職率がずば抜けて高くなってませんか!?」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。年齢別に見ても若手トレーナーが異様に長続きしていないですね……」

 

斎藤T「そして、これが府中における避妊具や大人の玩具、結婚情報誌の売上の推移だ。ついでに中央所属のトレーナーの婚姻状況や出産状況の推移も添えておく」ピッ

 

和田T「いやいやいやいや! もう答えが出ているようなもんじゃないですか、これで!?」

 

マンハッタンカフェ「えぇ…………」

 

 

斎藤T「もうおわかりですね! この世界で黄金期を迎えたトレセン学園はフランスの絶対王政の爛熟期のヴェルサイユ宮殿なんですよ!」

 

 

和田T「――――――『爛熟期』!」

 

斎藤T「まだ実感が湧かないですけど、トレセン学園から始まるベビーブームの真っ只中みたいですよ、この世界!」

 

マンハッタンカフェ「それじゃあ、横浜分校は――――――」

 

斎藤T「これを見てください。明らかに4年目以降のスーパーシニア級のウマ娘が元の世界よりも少なくなっている上に、横浜分校に担当トレーナー共々移って、それからずっと府中本校に戻ってきてませんよねぇ?」

 

マンハッタンカフェ「で、でも、横浜分校はそうでも学生寮で男性用のコンドームが見つかるのは変ですよ!?」

 

斎藤T「……よく考えてくれ」

 

斎藤T「あれだけ広大な住宅団地となっている生徒以外立ち入り禁止の場所を民間警備会社のERTが網羅しきれていないし、監視カメラが設置できないプライベート空間がどれほどある?」

 

斎藤T「そして、トレセン学園は莫大な寄付金によって運営費を賄われているわけで、当然ながら寄付金を納めてくれる相手に返礼として忖度するのは当然のことじゃないですか?」

 

マンハッタンカフェ「――――――ッ!」

 

マンハッタンカフェ「そ、そんな!? 生徒以外立ち入り禁止の学生寮に部外者が出入りして半ば公然と不純異性交遊が行われているということですか!?」

 

和田T「いや、可能性はなくはないよな。マンホールや地下室を通じて侵入できるはずだ……」

 

マンハッタンカフェ「でも、たしかに雰囲気というか何かがちがっていたのは間違いありません……」

 

斎藤T「おそらく、アグネスオタカルでも実現させられなかった横浜分校の設立を後押ししたのはそうした不都合な真実を隠したい連中なのだろう」

 

 

斎藤T「ともかく、()()()()()()()()()()()()()に会わなくては! 知らないはずがない!」

 

 

和田T「それなら昨日のうちに会っておけばよかったですね。こんな世界だったなんて、完全に油断してましたよ……」

 

斎藤T「そういうわけだから、シンボリルドルフの居場所がわかったら連絡をお願いします」

 

和田T「わかりました。とにかく、斎藤Tが我らが“皇帝”陛下に会って話をしなくては始まらないので、こちらはトレーニングがてら校舎を見て回ります」

 

マンハッタンカフェ「あの、これ、どうすれば……?」オズオズ・・・ ――――――使用済みの男性用コンドーム!

 

斎藤T「責任を持ってこれは私が処分しておきます」パシッ

 

マンハッタンカフェ「あ、ありがとうございます……」ホッ

 

 

斎藤T「さてさて、困った時の神頼みってね!」パカッ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が進むべき方角を指し示す!

 

 

斎藤T「ううん? こっちの方角にシンボリルドルフがいるのだろうか?」

 

斎藤T「一番確実なのは卒業式の直後にシンボリルドルフと接触することだが、そのためにアグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍を使うのはどうなんだろうな?」

 

斎藤T「それはそれとして、和田Tに預けた“目覚まし時計”による時間の巻き戻しも残り1回となると――――――」

 

斎藤T「いいや、ここは信じるしかないし、所詮は可能性の世界での出来事だ。最後まで面倒を見る必要もない」

 

斎藤T「よし、行ってみよう!」

 

 

こうして卒業式を境に突如として転移することになった3つ目の可能性の世界で助けを求めているだろう別世界のシンボリルドルフの捜索が始まった。

 

この通り、困った時は“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が指し示す方角を目指せば間違いないのだが、それが果たして誰の眼から見て正しい方角なのかが判然としないため、全幅の信頼を寄せるわけにもいかなかった。

 

ただ、この別世界で何をすればシンボリルドルフを救うことになるのかの手掛かりがまったくない状態であるため、ここぞという時の人探しにおいては抜群の的中率を誇っているだけに これに頼る他ないというのが いつもの流れであった。

 

事前に協力者たちには昨夜のうちに掴んだ別世界の特色を知らせて更なる情報収集を任せており、そうして“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が指し示す方角を目指して府中市を歩き回ることになった。

 

もうなかったことになっているが、WUMA殲滅作戦:奥多摩攻略作戦の下準備として川苔山/百尋ノ滝までの行程時間を6時間と見間違いをしたことで背嚢を背負って市内を6時間は歩き回ったことがあり、そこでの体験が全て活かされて奥多摩攻略作戦が完遂できたことを思い出す。

 

あの時は『東京大賞典』『有馬記念』に続くクリスマスであり、府中市のウマ娘専用レーンの道路標示から『ウマ娘レースで得られる自由とは束縛からの自由(リバティー)であり、表現の自由(フリーダム)ではない』という重大な結論を得られたものだ。

 

あれから卒業の季節を迎えた府中市は彩りを変えており、卒業式の翌日ということもあって引越し業者のトラックが絶え間なく市内の道路を所狭しと走っているのが見える。

 

ただ、卒業生は昨日に卒業式を迎えたことでトレセン学園から退去することが求められるわけだが、在学生に関しては来週の火曜日の修業式を迎えてから春休みになるわけなので、卒業式の後の平日は普通に学園では授業である。

 

そのため、在学生たちが平日の朝方から市内を彷徨いているはずもなく、となれば『URAファイナルズ』決勝トーナメントを最後のレースとして街中で走り込みをしている卒業生の姿はチラホラ見られた。

 

しかし、その卒業生を追尾するように“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が動いていることにふと気づかされることになり、ウマ娘専用レーンで猛スピードを出しているウマ娘をヒトの身で追いかけなければならないという不可解な展開になってしまうのであった。

 

 

斎藤T「や、やっと、追いついたぁ……」ゼエゼエ・・・

 

レオダーリング「……もしかしてずっと追いかけていたんですか?」

 

斎藤T「……この時期のこの時間帯に街中で走り込みをしているということは、トレセン学園の卒業生で『URAファイナルズ』の決勝進出者(ファイナリスト)で間違いないか?」ゼエゼエ・・・

 

レオダーリング「そうですけど、それで何の用なんですか? 見ての通り、『URAファイナルズ』優勝に向けてトレーニング中なんですけど」

 

斎藤T「……もしかして中等部? 中等部の卒業生か?」ゼエゼエ・・・

 

レオダーリング「……そうですけど? 悪いですか、中等部で卒業するのって?」

 

斎藤T「いや、『URAファイナルズ』の決勝進出者(ファイナリスト)になるってことは準決勝を1着で通過したわけだから高等部にも負けずに大したものだよ」ゼエゼエ・・・

 

斎藤T「しかも、出走資格の4年目:スーパーシニア級ってことは“エリートウマ娘”だったわけだし」ゼエゼエ・・・

 

レオダーリング「……あ、ありがとう。こんな朝っぱらから追いかけてまで褒めてくれた人はあなたが初めてです」

 

斎藤T「思い出したよ。レオダーリング、【長距離部門】だったかな」フゥ・・・

 

斎藤T「となると相手は同期にして同世代のミホノブルボンに、ライスシャワー、ハッピーミークといった強豪揃いだが、健闘を祈るよ」

 

レオダーリング「こっちも思い出しましたよ。誰かと思えば、そのハッピーミークのサブトレーナーの 学園一の嫌われ者の 奇跡の復活者の斎藤Tじゃないですか」

 

斎藤T「――――――『奇跡の復活者』?」

 

レオダーリング「だって、そうじゃないですか」

 

レオダーリング「ウマ娘に撥ねられて意識不明の重体になった後に名門トレーナー:桐生院 葵のサブトレーナーの座に収まって、“クラシック三冠バ”ナリタブライアンとの模擬レースでハッピーミークを勝たせて、その勢いで『天皇賞(秋)』でG1勝利ですよ?」

 

レオダーリング「それどころか、その学園一の嫌われ者が生徒会役員どころか世代の中心となったスターウマ娘たちからバレンタインチョコをもらっていることでも有名でしたからね」

 

レオダーリング「そして、極めつけは『選抜レース』でトウカイテイオー以上の才能を示しておきながら実験室に籠もりきっていた学園一危険なウマ娘:アグネスタキオンの担当トレーナーになったってことが一番に驚きでした」

 

レオダーリング「そんな方が卒業式の翌日に追いかけて来てまで私に声を掛けてくれるのは縁起が良いことなんでしょうかね?」

 

斎藤T「私は誰の味方でもないぞ。妹の養育費を賄うためにトレーナーになって、もう養育費に困ってないから、あとは惰性でトレーナーをやっているだけだ」

 

レオダーリング「へえ、やっぱり最悪の人ですね、あなたは。一生に一度しか無い夢の舞台に持てる全てを出し切ろうと頑張っているウマ娘にとっては腹立たしい存在ですよ」

 

レオダーリング「でも、勝ちにこだわりすぎてウマ娘を自身の栄達の道具にしてくるようなトレーナーなんかよりはあなたは万倍マシではありますね。本心を包み隠さない点ではいっそ清々しいです」

 

レオダーリング「そういうところが並みのトレーナーでは果たせなかった関係性を築き上げられたんでしょうね……」

 

レオダーリング「それに引き換え、レオダーリング(しし座の恋人)なんて名前なのに、私はどうして――――――」ハハハ・・・

 

レオダーリング「うっ」ヨロッ

 

斎藤T「お、おい!」ガシッ

 

レオダーリング「うぅ…………」

 

斎藤T「大丈夫か――――――、ん? んん? この()()()()()()は――――――?」

 

レオダーリング「触らないで!」ブン!

 

斎藤T「うおっと!?」ヒョイ!

 

レオダーリング「うぅ……、どうして? 日数計算は間違えていないはずなのに……?!」ヨロヨロ・・・

 

レオダーリング「あ、ああ……、うぅう…………」ウップ・・・

 

斎藤T「大丈夫か!? 吐き気だな!? エチケット袋になりそうなものはないから――――――!」キョロキョロ

 

斎藤T「しかたがない! これに吐き出せ!」バサッ!

 

レオダーリング「え、でも、これってあなたの上着――――――!」

 

斎藤T「いいから! おねしょした布団やクソ塗れのパンツを洗うよりはマシだろう!?」

 

レオダーリング「もう最低ぇええ…………」オロロロロロ・・・!

 

斎藤T「………………」サスサス・・・

 

 

まったくもって、とんでもない場面に遭遇してしまった。

 

中等部卒業の『URAファイナルズ』決勝進出者(ファイナリスト)の名誉を守るために吐瀉物の処理をしなくてはならなくなったわけなのだが、エチケット袋になりそうなものがなかったことで私の上着を風呂敷代わりにして処理しなくてはならなくなった。

 

大丈夫さ。私は数え切れないほどのWUMAの灰化していく死体を浴びてきた殺戮者だ。尊厳のある命だったものを服から綺麗に払い除けることと比べたら、生きている証のものを浴びた服を綺麗にするのは気持ちがいくらか軽いものさ。非常時に使い捨てることを前提にした大量発注品だから捨てるけど。

 

しかし、その時、朝方にマンハッタンカフェから別世界の特色となる()()()()()()が内ポケットに入れたままだったのを吐瀉物に塗れた上着を見て思い出したことで、嫌でもレオダーリングのお腹の膨らみと吐き気の原因を結びつけてしまう。

 

いや、最初にふらついたレオダーリングの身体を受け止めた時に不意に触れてしまったお腹の膨らみだけで 十中八九 そうであるという予想はついてしまっていたのだ。

 

ただ、()()()()()()()()()()()()()()()がいかに非人間性の極致であるかを信奉している23世紀の宇宙移民としては受け入れ難い現実でもあった。

 

それでも、受け入れ難い現実であると理解するよりも先に苦しんでいる人を助けるために適切な現場処置に動ける辺り、宇宙移民としての状況判断力は錆びついていないようであった。

 

とにかく、いろいろと問い詰めてこの世界のあらましについて情報収集したい欲求に駆られてしまうが、今の不安定な状態から更に精神的に追い詰めるわけにもいかないので救急車を呼ばずに安静できる場所にレオダーリングを連れて行く他なかった。

 

 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

アグネスタキオン’「ふぅン、妊娠2ヶ月目といったところだね」

 

アグネスタキオン’「資料によると、早い人で4週目くらいから“つわり”が始まるみたいだね。逆に2ヶ月目でも何もない人もいるわけで」

 

レオダーリング「……そうですか」

 

アグネスタキオン’「そんな身体で『URAファイナルズ』決勝トーナメントを走り抜こうとするのは無謀極まりないねぇ」

 

レオダーリング「……そんなのはわかっています」

 

アグネスタキオン’「言うまでもなく中絶した方がいい。今なら初期中絶の段階で、人工流産をミフェプリストンとミソプロストールで簡単に行える」

 

レオダーリング「――――――ッ!」

 

アグネスタキオン’「子供でしかないきみの人生にはまだ自分の子供なんてものは必要ないし、第一 子供の身で真っ当な働き口なんて そう見つかるわけもあるまい?」

 

アグネスタキオン’「それに誰との子なのかもはっきりさせないとだねぇ。シングルマザーになるなら はっきりさせる必要はないが」

 

レオダーリング「それは…………」

 

アグネスタキオン’「まったく、『URAファイナルズ』に出走するなら妊娠のリスクぐらい考えてローテーションを組みたまえよ」

 

アグネスタキオン’「まあ、妊娠カレンダーだと最後の生理が始まった日を妊娠0週0日として妊娠週数を数えるから、排卵日は妊娠2週目のことになるわけだ」

 

アグネスタキオン’「となると――――――、ふむふむ、なるほど? “ひめはじめ”というやつかい?」

 

レオダーリング「…………うぅ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン、建前としてはファン投票によって選ばれたスターウマ娘が勢揃いの『URAファイナルズ』なのに、妊娠のために出走できないだなんて、『ファンを蔑ろにしたバチが当たった』というやつかな?」

 

 

――――――そうさ、これは『URAファイナルズ』を主導した秋川理事長とシンボリルドルフにとって最終最後最大の汚点となるだろうねぇ。

 

 

レオダーリング「いやぁ! そんなことは! そんなことだけはッ!」

 

レオダーリング「お願いします! このことは誰にも言わないでおいてください! 私一人のために会長の栄光を汚すことはあってはならないことです!」

 

アグネスタキオン’「……そうは言っても、『URAファイナルズ』を運良くやり過ごせたところで、全寮制の学校を出る以上は 家族の許に帰るわけだし 誤魔化しは利かないだろう?」

 

アグネスタキオン’「まあ、一応は警告はしたし、きみ自身の人生だ。きみが進んで苦難の道を歩むのを止める義務なんてないけど、恨まれても困るから ある程度までは話を聞いてやろうじゃないか」

 

レオダーリング「あ、ありがとうございます!」

 

アグネスタキオン’「で?」

 

 

――――――さあ、教えたまえよ。きみとしてはどういった出産計画を立てているんだい。

 

 

アグネスタキオン’「ふぅン」

 

斎藤T「……どうだった?」

 

アグネスタキオン’「相変わらずだよね、きみってやつは」

 

アグネスタキオン’「こうして3つ目の別世界でも卒業式の翌日に世界を救う鍵を握るキーパーソンになる人物と運良く遭遇するわけなんだから」

 

斎藤T「それじゃあ――――――」

 

アグネスタキオン’「ああ、卒業後は病弱を装って進学先の高校には登校せずにオンライン授業で済ませて出産するってさ」

 

アグネスタキオン’「その判断を後押しするかのように、どうやらオンライン授業が元の世界よりも普及していることもあって、『額面上の不登校生の数は改善傾向にある』ってニュースに出てたね」

 

斎藤T「……何だよ、それ? そんなのが認められるのか? 子が子なら親も親か? 信じられない!」

 

アグネスタキオン’「まあまあ、そもそもがトレセン学園に入学できる時点で引退即退学の原因の高騰し続ける授業料を払い切れる良家の娘なんだから、そういったワガママも通るもんさ」

 

アグネスタキオン’「だいたい、トレセン学園のウマ娘なら誰しも自分をスカウトして重賞レースで華々しく勝利を飾らせてくれるトレーナーと恋愛することに憧れているものだし、親御さんも一生に一度しかない夢の舞台で娘さんを輝かせてくれた相手を婿に迎えたいと考えるものさ。メジロ家なんて特にそうだろう」

 

斎藤T「……だから、レオダーリングのようなエリートウマ娘が新人トレーナーに過ぎない私のことなんかも知っていたわけか」

 

 

――――――これがこの世界の異常さ! 生徒の誰もが自分と添い遂げるトレーナーを求めて喜んで処女を捧げる夢物語の世界!

 

 

本当にもう、私の方が所構わずに吐いてしまいたいぐらいに嫌悪感がみなぎってくる最悪の世界だった。

 

だが、そもそもとしてウマ娘は女性しかいない種族であるが故に、種の保存本能に従って集落を襲ってヒトの男子から精を奪い取る“鬼”として忌み嫌われてきた歴史があり、先祖返りしたことでその本性が顕になった世界だと考えれば納得がいくかもしれない。

 

正直に言って、ヒトなど敵うべくもない圧倒的な身体能力と闘争本能を持つウマ娘に襲われたらどうしようもないため、ウマ娘のトレーナーが高収入になる一因としてその手の多額の危険手当が含まれているぐらいなのだ。

 

そう、今でこそヒト社会において第3の性として溶け込んでいるウマ娘ではあったが、実際には身近に存在してしまっている人の手に負えない超常の存在であり、いつの間にか忘れ去ってしまった災厄をもたらす存在でもあったのだ。

 

そうなのだ。アグネスタキオン’(スターディオン)が唯一気づいて指摘した卒業パレードで異様なほどのベビーカーが多かった理由も、トレセン学園所属のトレーナーの総数がとんでもなく減っているのも、全てはちょっとばかりウマ娘の理性の箍が外れた世界だったからに他ならない。

 

良識あるトレーナーほど掛かってしまったウマ娘に抵抗ができずに関係を持ってしまったことの責任を取ってしまうものだから、最初に手を出したウマ娘の早い者勝ちとなっているところがあり、少しでも『これは!』と思った相手がいたら狡猾に狙いを定めるのだ。

 

もちろん、公然と襲いかかれば ただの暴行罪なので、ここからウマ娘が美しい女性しか生まれない媚態能力の全てを総動員して相手を誘惑しにかかるわけで、第二次性徴期に合わせて身体能力が急成長を果たす“本格化”の本来の目的はこの点にあるのではないかという邪推すら浮かび上がる。

 

それだけに元の世界よりも恋に恋しているような恋愛脳のウマ娘が多く、私のような学園一の嫌われ者の新人トレーナーのことも入学1年目でトレーナーのスカウトを受けてメイクデビューを果たしたエリートウマ娘が把握しているぐらいには学園中がトレーナーの存在に常に目を光らせているというわけなのである。

 

ただ、トレーナーの数が少なくなればなるほどトレーナー1人当たりにマークするウマ娘の数も増えていくわけで、早い者勝ちであっても互いに牽制し合って容易に手が出せなくなる集団心理に陥る一方で、

 

走ることも大好きなウマ娘だからこそ、正々堂々と『選抜レース』で結果を出すことでトレーナーからのスカウトを勝ち取って『トゥインクル・シリーズ』を二人三脚で駆け抜けた末に一心同体になることを直向きに目指すことができていたのだ。

 

そういう意味では非常に危ういバランスの上でトレーナーとウマ娘の関係が保たれているわけであり、私の場合は()()()()()()()()()()()()()()()()()()に何度も襲われているので、決して元の世界のシンボリルドルフ本人とそういう関係になりそうになったことはなくても、第3の性にして愛すべき隣人であるはずの異種族:ウマ娘の本質的な恐ろしさをわからされることになった。

 

 

――――――なるほど、これは別な意味でヒト社会で制約を課されてきたウマ娘たちが本能に従って束縛からの自由(リバティー)を求めた結果かもしれない。

 

 

そう、考えてみれば、ウマ娘はヒトを超越した身体能力を最大限に発揮できる場所がバ場しかないために『トゥインクル・シリーズ』がウマ娘にとって憧れの舞台になっている面もあったわけなのだが、

 

古来からヒトの精子を求めて集落を襲ってきた鬼の本能を抑えることもヒト社会では求められていたため、何かの拍子でヒト社会で躾けられてきた理性の箍が外れて種の保存本能に身を任せてしまう危険性も消え去っていないのだ。

 

だから、『恋はダービー』なんて言うわけで、ウマ娘が害獣として人類の歴史から駆除されなかったのは種の保存本能を上回るほどに走ることが何よりも大好きな闘争本能のおかげでもあったわけなのだ。

 

つまり、何よりも走ることが大好きなウマ娘の闘争本能が萎えた場合に表出してくるのが、人類史に“鬼”として存在を刻まれてきたウマ娘の種の保存本能ということになり、冷静に考えるととんでもなく厄介な異種族の性であると言えた。

 

そして、異種族の生態に由来する人生観と価値観が“皇帝”シンボリルドルフと“天上人”鐘撞Tが目指した“ヒトとウマ娘の統合の象徴”を夢物語の偶像にしていたのだ。

 

 

――――――そうか。これが異種族共生社会の現実で、決して相容れない文化の相違というやつなのか。

 

 

 

――――――トレセン学園

 

斎藤T「――――――『不倫は文化』だなんて言われたら、黙るしかないのが基本的人権の尊重に基づく多文化主義の真の文明人のつらいところだな」

 

斎藤T「こういう世界なのだと、こういう価値観なのだと、こういう文化なのだと言われたら、未開惑星人のために私からできることは何もない」

 

斎藤T「この広大な宇宙では()()()()()()()()()()だってわかっていたつもりだったけれども、この世界ではそれが少しばかり早かっただけで、ヒトとウマ娘の共生社会はいつかは破綻するのが定めだったのか――――――」

 

 

ナリタブライアン「おい、しっかりと歩けよ」

 

三ケ木T「だ、だって、ブライアンが激しくするから……」プルプル・・・

 

 

斎藤T「だ、大丈夫ですか?」

 

ナリタブライアン「あ、斎藤Tか」

 

三ケ木T「き、奇遇ですねぇ……」

 

三ケ木T「だ、大丈夫です。少しばかり腰を痛めただけでして」アハハ・・・

 

斎藤T「それにしては肩を貸してもらわないと立っていられないほどに脚が震えているのは下半身を強く打ったからでは? 本当に大丈夫ですか?」

 

ナリタブライアン「まあ、そうだな」

 

三ケ木T「え、ええ……」アハハ・・・

 

斎藤T「――――――何か雰囲気が変わった?」

 

三ケ木T「!!!!」ビクッ

 

ナリタブライアン「ああ。『元の鞘に収まった』というやつだ」

 

斎藤T「それはつまり、三ケ木Tも優駿競バ『ドリーム・シリーズ』に移籍するということですか?」

 

三ケ木T「は、はい。は、恥ずかしながら……」

 

斎藤T「おめでとうございます。よくご決心なされました」

 

斎藤T「まあ、担当トレーナーの名義はずっと三ケ木Tのままでしたから、何の問題はありませんね」

 

斎藤T「更なる戦いの舞台で栄光を掴むことを期待します」

 

三ケ木T「う、うん。私にとって最初で最高のウマ娘だもん。やっぱり、ブライアンが一番だったから……」

 

ナリタブライアン「まあ、当然の話だな。こいつが私のことを戦いに駆り立てたんだからな。その責任は取ってもらったぞ」

 

斎藤T「――――――?」

 

三ケ木T「ど、どうしましたか、斎藤T?」

 

 

斎藤T「そういえば、三ケ木Tが上位リーグに移籍するとなると、今の担当ウマ娘との契約はどうなるわけなんです? 異なるリーグに所属する者同士の関係は?」

 

 

三ケ木T「そ、それは――――――」

 

ナリタブライアン「ふん。わかりきっていることだろう」

 

ナリタブライアン「こいつは今の担当ウマ娘よりも最初の担当ウマ娘を選んだ。今の担当ウマ娘との契約もそこで打ち切りだ。当然の話だ」

 

三ケ木T「――――――ぶ、ブライアン!?」

 

斎藤T「……ああ、やっぱり、そうなりますか」

 

 

三ケ木T「や、やめてよ! やめてよ、ブライアン!」

 

 

斎藤T「!」

 

三ケ木T「私だってブライアンのことが一番だって思っているけど、タイムのことだって大事なの!」

 

三ケ木T「そりゃあ、ブライアンみたいに重賞レースを勝つだなんてことはまったくできなかったけど、精一杯やって重賞レースを好走できただけでも嬉しかった思い出はいっぱいあるもん!」

 

ナリタブライアン「ふざけるな! 最初からトレーナーバッジを捨てる覚悟で私の担当トレーナーになった女が惨めたらしく敗北の思い出を語るな! 女々しい!」

 

ナリタブライアン「いいか! あんたが私に火をつけたんだ! そのためにあんたは常にトレーナーバッジを捨てる覚悟で私を“クラシック三冠バ”にまで導いたんだ!」

 

ナリタブライアン「今更、怖じ気付いたところで手遅れなんだ! あんたには私しかいないし、私もあんたしかいないんだ!」

 

三ケ木T「でも! でもぉ……!」

 

 

ナリタブライアン「――――――懲りないやつだ! また()()()()()()()()()()必要があるみたいだな!」

 

 

斎藤T「なに!?」

 

三ケ木T「ちょっとやめて、ブライアン! 斎藤Tが見ているから!」

 

ナリタブライアン「それがいいんだろう!」

 

ナリタブライアン「斎藤T! あんたが見届人だ! こいつは私のものだからな! しっかり見ておけ!」ギラッ

 

斎藤T「――――――何というプレッシャー!?」ゾクッ

 

三ケ木T「いや! やめて! いつもの優しいブライアンに戻って! 私が、私が悪かったから!」

 

ナリタブライアン「無理だ! あんただって全身で私を欲しがっているんだ! いいかげんにそのことを認めろ!」

 

ナリタブライアン「あんたは私のものだ! 誰のものでもない! 私のものだ!」

 

 

ズキュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!

 

 

――――――あまりに壮絶な光景にもう頭がはち切れそうになっていた。

 

“皇帝”シンボリルドルフが自分が卒業した後の学園の顔役として選んだ“クラシック三冠バ”ナリタブライアンはその存在の重要性ゆえに、別世界ではいろんな可能性の姿を見せることになるわけなのだが、

 

これはもう生徒会役員にならなかったアグネスオタカルの世界や悪役のレッテルを貼られたトウショウサザンクロスの世界よりも最悪の度合いが群を抜いていた。

 

妊娠2ヶ月目で『URAファイナルズ』決勝トーナメントに出走しようとしていたレオダーリングをアグネスタキオン’(スターディオン)の許に預けて、再び“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の指し示す方角に向かって府中市を歩き回ると、あの時と同じようにトレセン学園に帰り着いてしまった。

 

昼飯時にはまだ早かったので教室で授業中の在学生たちを他所に、『URAファイナルズ』決勝トーナメントに向けて卒業式を迎えて自由な時間を得られた卒業生たちが最後のトレーニングに懸命に励んでいるのを眺めていると、

 

人気のない場所の物陰から生徒会副会長:ナリタブライアンとその元担当トレーナー:三ケ木Tが出てくるのに鉢合わせすることになってしまった。

 

一応、授業があるとは言っても来週の火曜日には修業式を迎えるので大した内容があるわけではないのだが、在学生たちが教室でまじめに授業を受けている時間に、人気のない場所に屯しているのはあまり感心できることではなかった。

 

しかし、生まれたての子鹿のように脚がプルプルと震えている三ケ木Tと肩を貸すナリタブライアンの2人はトレーニング直後のように全身から汗の臭いに混ざる蜜の匂いを漂わせて身体を火照らせた様子であり、もうこの時点で嫌な予感しかしていなかった。

 

努めて冷静に これまでの経験上 別世界の事情を知るためのバロメーターとなっているナリタブライアンから情報を引き出そうとすると、私の目の前でとんでもない修羅場が催されることになってしまった。

 

いや、元の世界でも上位リーグ『ドリーム・シリーズ』移籍をめぐって担当ウマ娘と担当トレーナーの進路が衝突することがあるのはわかってはいたし、特にこの2人の場合は最初の担当ウマ娘にして“クラシック三冠バ”を達成したことが問題を深刻化させていたのだが、

 

多くのウマ娘の理性の箍が外れた世界においては、身体の関係で担当トレーナーを寝取る悪質な行為が繰り広げられており、“怪物”ナリタブライアンがそれを行っていることに私は彼女の友人の一人として衝撃を受けてしまった。

 

 

――――――種の保存本能からヒトの精子を求めて集落を襲ってヒトの身体を貪ってきた歴史を持つ“鬼”が目の前にいるのだ!

 

 

生物学上は同性の三ケ木Tに対して大胆にも容赦なく唇を奪い、立っていられないほどにトロトロに腰砕けにして、自分のものであることを示威するかのように私を睨みつける様は完全にヒトのものではなかった。

 

そう、正気を失って凶暴になった人外に何度も襲われながらも私は幸運にも危地を脱してきただけに、こうして抵抗虚しく弱者が強者に為す術なく蹂躙されて全てを略奪されていくさまを見るのは胸が張り裂けそうな思いに駆られてしまう。

 

本当は今すぐにでも警察に通報して現行犯逮捕に動くべきなのだろうが、ヒトを圧倒的に凌駕する身体能力を誇るウマ娘を警察が無傷で拘束できるはずもなく、そうしたウマ娘の性を受け容れないのは異種族差別であるという主張してくる人権団体の圧力のことを考えると、何も効果的な策が思い浮かばなかったのだ。

 

なので、私たち以外には誰もいない場所でか弱いはずの女子供である三ケ木Tとナリタブライアンが興じている極めて愛のある不潔な行為を私はただただ見ている他なく、

 

『距離感がバグる』と形容されるほどのウマ娘からの熱烈な求愛行為の果てに嫌がっていた三ケ木Tが徐々にオンナの顔になっていく様に私は涙せずにはいられなかった。

 

最初は必死に抵抗していたはずが、やがては力尽きてされるがままになったかと思いきや、相手を求めるかのように愛おしそうに艶めかしくいじらしく背中に手を回して舌と舌を激しく絡ませていくのだ。

 

そう、最初の担当ウマ娘にして最高のウマ娘だったのだから、元の鞘に収まる、三ケ木Tがナリタブライアンのことを嫌っているわけがないので強く求められれば受け容れてしまうのは当然のことではあるのに、どうしてこんなにも哀しみが溢れてくるのだろうか。

 

そして、涙で立ち尽くしている私の存在など完全に忘れ去って、勢いで担当トレーナーのスーツパンツをズリ落とそうとする担当ウマ娘に一瞬だけ我に返った担当トレーナーが制止したものの、それならばと担当ウマ娘は担当トレーナーをヒョイと抱えて物陰へと駆け込んでいった。

 

そこから、耳を澄ませば微かに聞こえてきたのが熱のこもった吐息にオンナの喘ぎ声、ネチャネチャとした水音と一定のテンポで弾む肉感のある音が反響してくる――――――。

 

私はもう何も見なかったし聞かなかったし感じなかったことにして、頭の中が真っ白になりながら、涙で肩を震わせながら ふらついた足取りでその場を後にするしかなかった。

 

これが卒業式の翌日のまだ在学生が授業中の平日の昼飯時にならない時間での出来事だったのだから、言葉にできない衝撃がガンガンと小槌で打ち付けるように脳に打撃を与え続けるのであった。

 

 

――――――冗談であっても、こんな別世界の知り合いの姿は見たくなかった。

 

 

そうして、味のしない学食を一人で口に運び続けていると、後からやってきたナリタブライアンが非常にしおらしい態度の三ケ木Tを肩まで抱き寄せて嫌いな野菜を無理やり押し込んでいるという微笑ましい光景に胃もたれを感じてしまった。

 

更に、その光景をジーっと恨みと妬みのこもった冷えた眼差しで覗き込んでいる三ケ木Tの担当ウマ娘:シルバークイーンタイムの姿もあり、私は逃げるように胃の中にものを押し込んで食堂を後にした。

 

今までどれだけ世界の危機に直面しても私はその緊張感や恐怖感を高揚感と達成感に変えて最後には未知の惑星の冒険の思い出に変えることができていたのだが、今回ばかりはひたすらに圧迫感と無力感と嫌悪感しか湧かず、気持ち悪さがまず胸にこみ上げていた。

 

その気持ち悪さが晴れないまま、あらためて ()()()()()()()()()()()()()を求めて“黄金の羅針盤(クリノメーター)”が指し示す方角に進んでいくと、

 

なぜかトレーナー寮からウマ娘たちがゾロゾロと出てくる光景に出くわすことになり、その中には新生徒会長:エアグルーヴの姿があった。もうね――――――。

 

いや、“女帝”エアグルーヴがストレス発散の手段として掃除が趣味なのは知る人ぞ知る話で、現役時代は担当ウマ娘のために自分の生活が疎かになっていた担当トレーナーの世話を甲斐甲斐しくしていたことでも有名でもあった。

 

そのため、今も担当トレーナーの部屋に出入りしているのはおかしな話ではないし、打ち合わせのために昼間に担当トレーナーの許を訪れる生徒が多いのも理屈としては変ではなかった。

 

 

――――――こんな世界でなければ! あんな光景を見せつけられた後でなければ! もうこの時点で嫌な予感しかしていない!

 

 

理屈としては変ではないことでも元の世界と比べて違和感を覚えるぐらいに昼間からトレーナー寮に出入りする生徒が多いのはこれはどういうことなのだろう。

 

去年のWUMA殲滅作戦:奥多摩攻略作戦によって百尋ノ滝の秘密基地を本拠地にして岡田Tのトレーナー室を貰い受けて以来、トレーナー寮の荷物のほとんどを引き上げて必要最低限のものしか置かなくなった私の寮室で寝泊まりすることは稀になっていた。

 

そのため、トレーナー寮に来るのは友人となるトレーナーたちを見送る次いでで、トレーナー寮に自分一人だけで来るのは随分と久しぶりな気分だった。

 

だからこそ、トレーナー寮に足を踏み入れた瞬間に五感の全てが反応して鳥肌が立つほどに爛れた空気に怖気が走ってしまったのだ。

 

 

斎藤T「う、ぅううううううううう!?」

 

斎藤T「な、何この臭い!? 鼻がもげそうだ!」

 

斎藤T「よく見たら、あっちこっちに消臭剤や観葉植物が置かれているけど、何をしたらトレーナー寮にこれほどまでの臭気が充満するんだよ!?」

 

斎藤T「こんなところにヒトよりも身体能力が高いウマ娘が何人もやってこれるはずが――――――」

 

 

ブオオオオオオオオオオオオオオン・・・・・・!

 

 

斎藤T「何だ? 巨大な換気扇か何かが動いているのか? 吸引器の音……?」

 

斎藤T「あ、あれほど強烈だった臭いがなくなった――――――? 何らかの臭気ガスを流していた感じなのか?」

 

斎藤T「お、何だ? 扉の前に黒いゴミ袋があちこちにあるぞ?」

 

斎藤T「……うん? 何だ、あのロボットは? 黒いゴミ袋を回収していくぞ? 倉庫ロボットの一種のゴミ収集ロボットなのか?」

 

斎藤T「……どういうことだ? この世界だとトレーナー寮ではホテルのランドリーサービスみたいに洗濯物を袋に入れて表に出しておけば回収してくれるようになっていた?」

 

 

斎藤T「――――――いや、自分に嘘をつくのはやめようか、もう」

 

 

斎藤T「まったく、しばらく帰ってきていないからと言って、他人の部屋の前にゴミ袋が捨てられているのはどうかと思うがな」

 

斎藤T「じゃあ、私がゴミ袋の中を見ても問題ないということだな。それが私が出したゴミ袋であるということを否定できる証拠を自ら提出しない限り――――――」

 

斎藤T「さてさて、わざわざ黒いゴミ袋にしてトレーナー寮の外に出さないようにゴミ収集ロボットで回収させている中身は何かな? 何かな~?」ガサッ

 

斎藤T「うぉおおおおおおえええええええええええええ!」

 

 

それはそれはフルーツの女王:ドリアンの香りと熟れた果汁を貪った跡がこんもりと詰まっていた()()()()()()()であった。

 

いやいや、目につく全てが()()()()()()()()()()とは限らないので トレーナー寮を稼働するゴミ収集ロボットの後をついていって その収集先を確かめてみると、それはそれは素晴らしい果樹園となっていた。

 

別世界の話であるとは言え、異なる進化と歴史を歩んだ地球にはそういった可能性が元から存在する以上、もう言い逃れができないほどにトレセン学園は爛れきっていたことを私は認めなくてはならなくなったのだ。

 

それは理想主義者の“女帝”エアグルーヴですら例外ではなかったのだから、ゴミ収集ロボットが投げ捨てた黒いゴミ袋が詰め込まれたコンテナでゴミ漁りをしている自分の惨めさと染み付いた爛れた臭いに意識が飛びそうになるのも致し方ないことだった。

 

 

――――――花はどうして咲くのか。花はどうして香るのか。花はどうして甘い蜜を出すのか。

 

 

一言で言えば、子孫繁栄のためである。生き物として子孫を残すための戦略である。

 

そのために、動物に対して動かざる物である植物は動物を利用して、受粉し、実を実らせ、種子を運んでもらうために、芳しい香りを出し、美しい花弁で魅了し、甘い蜜で誘うのだ。

 

花とはそういうものである。花を咲かせるのは実を実らせるため。芳しい香りを出すのは種を作るため。甘い蜜で誘ってくるのは種の繁栄のためである。

 

 

だから、花はその美しさも香りも甘い蜜も全てが艶めかしいものである。

 

 

そう、“女帝”エアグルーヴの趣味が掃除であることよりも一般的にはガーデニングで、学園では花卉園芸を行って生徒たちに手ずから育てた花卉を配っている姿が有名なぐらいなのだ。

 

そして、なんだかんだで私は生徒会役員とは多かれ少なかれ接点があり、手書きの書類もそれとなく目にしてきていたので、“皇帝”“女帝”“怪物”“万能”“帝王”“名優”の格式高い筆跡は見ればすぐにわかってしまう。

 

そのため、ゴミ袋を開けた時にアロマではない生花の臭いが広がり、よほどの花好きでなければわからないような珍しい花も入っていて、なおかつ日用品の買い出しに関する見覚えのある筆跡のメモ書きがたくさん入っていたら、その時点で私の中では()()()()()()()()()()なのかが手に取るようにわかってしまうのだ。

 

1週間前後で期限切れとなって捨てられても灰になる最後の瞬間まで鼻孔をくすぐる残り香を溜め込んでいた切り花と、花を咲かせた目的として互いに溜め込んでいたものが最高潮を迎えて交わりあったのが臭いでわかるほどの愛の証が、こうして同じ黒いゴミ袋に入れられてゴミ収集ロボットに回収されていることに私は花の美しさと醜さを狂騒の中で同時に感じてしまうのだ。

 

本当におかしな話だ。それが生き物として当然の習性であり、それをしなければ種族の繁栄にはならない自然な行いだというのに、愛の営みと花の受粉が同レベルに感じられてしまうのだ。

 

それ以上に、()()()()()()()()()()()()()()の証拠品が他にもゴミ漁りをしていて簡単に見つかるわけなのだが、私はこんなものが欲しくて、こんなものが見たくて、こんなものが知りたくてゴミ漁りをしているわけではないのだ、断じて。

 

だからこそ、何もかもが本当におかしくなっているのが感じられた。ゴミ漁りをしてまでプライバシーを侵害するようなことをする気になったのは、私の中で認識が変わっていたからだ。

 

最初は信じられないものを否定したくて行動していたのだが、段々と()()()()()()()()()()()()()を見ている気分になっていた。

 

だから、久しぶりの寮室で本日2度目になるシャワーを浴びて また着替えをすると、私は決して振り返ることもせず、そそくさとトレーナー寮を後にするしかなかったのだ。

 

 

 

マンハッタンカフェ『あ、あの、そういうことに興味を持っている子がいてもおかしくないのはわかっているつもりでしたけど、学生寮のゴミ捨て場から()()()()が見つかるのは変ですよね?』ハラハラ・・・

 

 

 

今朝方、マンハッタンカフェが信じられないものを見たという困惑した表情が頭から離れない――――――。

 

元の世界から一緒に来たウマ娘は他にもアグネスタキオンがいるが、しっかりと門限までには帰って学生寮で寝泊まりする まともな感性のウマ娘が協力者にいることの幸運に感謝しつつ、私は何も考えたくない頭で府中市をまた練り歩くしかなかった。

 

所詮はヒトもウマ娘も生き物なのだ。生き物である以上は種の保存本能に従って生殖行為に励むのが自然な生き物の営みであり、そのための第二次性徴期と恋愛感情と性的絶頂いう繁殖促進システムなのだ。

 

だから、風紀を乱すものであったとしても自由恋愛を法律で処罰することができないものであることはしかたがないとして、ウマ娘が性に奔放になるのも遺伝子で決められた性だとして黙認するしかなかった。

 

そう、元の世界でシンボリルドルフがトレセン学園で唯一得られた自分だけのものが“男女の愛”しかなかったことを知っているだけに、私は綱紀粛正のために自由恋愛を取り締まることに積極的に賛同することはできなくなっていた。

 

けれども、よくよくトレーナー寮の状態を思い返してみると、久しぶりのトレーナー寮は卒業シーズンを迎えていたにしても『空き部屋が異様に多かった』という問題の本質が包み隠さず顕になっていた。

 

 

――――――そう、今まさにこの世界のトレセン学園は大事な働き手であるトレーナーたちを種の保存本能のために奪いに来る“鬼”の略奪を受けて滅亡の危機に瀕していたのだ!

 

 

歴史は繰り返されると言うが、トレセン学園の次の世代を担う若手トレーナーたちが次々と鬼の許に嫁入りしている状況に為す術がない状況になっていることに気づいていないのだろうか。

 

本当に滑稽極まる話だ。ここまでウマ娘ファーストを優先した結果が組織の成長性や持続性を損なって新しい世代への新陳代謝までも犠牲にしているのだから、組織全体が性に溺れて腹上死する日はそう遠くないはずだ。壊死するのだ。

 

そして、“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の針は延々と回り続け、進むべき道を指し示さなくなっていた。

 

だが、これは決して行き止まりに達したわけではない。時が満ちることで再び進むべき方角を指し示すことはこれまで幾度となくあったことなのだから。

 

だから、私はしばし歩みを止めて別世界のシンボリルドルフを救うために情報整理を行うことにして、授業に出ているマンハッタンカフェが戻ってくるのをトレーナー室で待つことにした。

 

すると――――――。

 

 

コン、コン、コン・・・、ガチャリ・・・

 

シルバークイーンタイム「………………」

 

斎藤T「ん?」

 

斎藤T「あなたはシルバークイーンタイム……」

 

斎藤T「ここは三ケ木Tのトレーナー室ではないのは重々承知ということですか?」

 

シルバークイーンタイム「お願いします、斎藤T……」バサッ

 

 

――――――私を抱いてください。

 

 

斎藤T「……三ケ木Tへの当てつけならご遠慮願いたいのだが?」

 

シルバークイーンタイム「トレーナーならウマ娘ファーストでしょう? ただのヒトがウマ娘からのお願いを無下にするだなんてできっこないから……!」ブルブル・・・

 

斎藤T「で? 好きでもない相手に自分から処女を捧げて、自分から腰を振って、自分から汚れて何が得られると言うんだい?」

 

シルバークイーンタイム「う、うるさい! みんなの憧れのスターウマ娘が勢揃いの生徒会役員とコネのあるあなたが私のものになれば、私だって――――――!」ブルブル・・・

 

斎藤T「まあまあ、私も生徒会役員のまさかの人が昼間から情事に耽っていたことにショックを受けていたことだし、互いに少し落ち着こうか」

 

シルバークイーンタイム「え!? だ、誰!? まさか、ブライアン――――――!?」

 

斎藤T「……まあ、スターウマ娘と言っても所詮は年頃の娘なんだし、性に興味があるのは健全な動植物なら当然のことじゃないか」

 

斎藤T「まさか、スターウマ娘として実績を残したのにその血統を残さないだなんて、人類の損失になるわけだし」

 

斎藤T「あなたも、あなたが無理でも子孫の誰かがそれを果たすかもしれないのだし」

 

シルバークイーンタイム「そ、それはたしかにそうだけど……!」

 

斎藤T「この部屋には大量の非常食や宇宙食に地元の銘品を取り揃えているから、じっくりと話を聞こうじゃないか」スッ

 

斎藤T「紅茶とコーヒーのどちらがいいかな? それとも、マテ茶やスポーツドリンクの方がいいか?」

 

斎藤T「あと、服は着な」スタスタ・・・

 

シルバークイーンタイム「…………紅茶でお願いします」

 

斎藤T「わかった」コポポポ・・・ ――――――流れる手付きで自白剤を混入!

 

斎藤T「はい、どうぞ。セイロン・キャンディ。気に入らなかったらルフナでもヌワラエリヤでも用意するから」コトッ

 

シルバークイーンタイム「い、いただきます……」ゴクッ

 

斎藤T「それじゃあ、いろいろと聞かせてもらおうか」ニヤリ

 

 

――――――知っていることの全てを。

 

 

マンハッタンカフェ「――――――それはいろいろと災難でしたね」

 

アグネスタキオン「……本当に大丈夫だったのかい、トレーナーくん?」

 

斎藤T「正直に言って、自衛のために殺傷するわけにはいかないから、毎回毎回が綱渡りの連続ですよ」

 

斎藤T「で、肝腎のシンボリルドルフの動向が掴めなかったですが、これが今のところの調査状況です」

 

和田T「うへぇ、トレーナー寮がこんなことになっていただなんて、昨夜は気づかなかったぞ!?」

 

マンハッタンカフェ「え、どんな感じですか!? 学生寮みたいに何かとんでもないことに――――――?」

 

アグネスタキオン「おい、トレーナーくん! 所々にモザイクやフィルタリングがかかっているのはどういうことだい!? これじゃ肝腎なところがわからないじゃないか!」

 

斎藤T「R18指定だから満18歳未満のお子様には見せることができませんし、別世界の話とは言え、プライバシー保護は必要ですから」

 

マンハッタンカフェ「……そういうことでしたか。わかりました。おつかれさまです」

 

アグネスタキオン「……そうかい」

 

アグネスタキオン「で、これからどうするんだい? レオダーリングの妊娠の件と言い、シルバークイーンタイムに誘惑された件と言い、ホントふざけた世界だよ!」イラッ

 

アグネスタキオン「そもそも、()()()()()()()()()()()()()はまだ見つからないのかい!?」

 

斎藤T「ああ。すぐにでも接触したいのは山々だが、手がかりがない以上はどうしようもないけど、いつまでもこんな爛れた世界にいたら気が狂いそうだ……」

 

和田T「うぅ……、俺に粉をかけてくる子がいないのは、俺がメジロ家の令嬢:メジロマックイーンの担当トレーナーだからなんだろうなぁ……」

 

和田T「そういう意味では俺はこの世界でもマックイーンにたくさん助けられているんだろうなぁ……」

 

斎藤T「ともかく、向こうで鐘撞Tがレオダーリングから引き出した追加情報と私がシルバークイーンタイムから聞き出した情報を整理すると、トレセン学園での性の乱れは歯止めが利かない状況なのは疑いようがないです」

 

斎藤T「いつからそうなったのかはトレーナー寮の改装工事やゴミ収集ロボットの導入からが本格化した時期と見て間違いないでしょう」

 

和田T「昼間っからトレーナー寮で いい大人が未成年相手にそんなことをするようになっているのが後押しされている世界だなんてさぁ……」

 

和田T「でも、あり得なくないんだよな。本当に可能性の世界ってやつはこれだから……」

 

斎藤T「マンハッタンカフェ、トレーナー寮では黒いゴミ袋に詰めて自室の前に置いておくことでゴミ収集ロボットが自動で回収してコンテナに投棄し、異臭を洗い流すために施設内にガスが充満する仕掛けになっていましたが、学生寮ではそんなような仕組みはありませんでしたか?」

 

マンハッタンカフェ「……どうなんでしょうか? ゴミ捨て場に行った時に違和感を覚えたのは斎藤Tに渡したアレぐらいなもので、卒業生たちが引っ越しする際に出たゴミがたくさん捨てられていたことにしか目が行きませんでした」

 

マンハッタンカフェ「……でも、これからどうすればいいんでしょうか、私は?」

 

マンハッタンカフェ「……生徒以外立ち入り禁止の学生寮に部外者が侵入して性行為が頻繁に行われているのだと知ったら、もう安心して寮で寝泊まりできないです」

 

和田T「ああ、不審者が近辺で彷徨いているわけだし、それはもっともな話だ」

 

 

アグネスタキオン「なら、カフェも真の意味で私たちの仲間入りを果たせばいいんじゃないかい?」

 

 

マンハッタンカフェ「え?」

 

アグネスタキオン「つまり、絶対に誰にも見つかることのない私たちだけの秘密基地で寝泊まりさせることもできるという話だよ」

 

和田T「そ、そんなものが――――――!?」

 

アグネスタキオン「ああ、鐘撞Tも普段はそこで寝泊まりしているし、岡田Tなんかはそこに常駐して私のトレーニングやローテーションを管理してくれているよ」

 

アグネスタキオン「私もね、休日はその秘密基地の快適な環境で研究やトレーニングに没頭できているけど、私一人だけだとトレーニング環境を持て余すことだし、そろそろカフェにも入場許可を出そうかと思っていてね」

 

アグネスタキオン「まあ、それだけに守秘義務を課せられるわけで、絶対に秘密基地の存在を明かさないという信用がね――――――」

 

 

和田T「お願いします、斎藤T! 俺も秘密基地に連れて行ってください! 神に誓って絶対に秘密を漏らしませんから!」ババッ!

 

 

マンハッタンカフェ「……和田T!」

 

和田T「というかね! 元の世界に戻っても、俺は トレセン学園にいる間 ライスシャワーに化けたオバケに襲われるようになっていたから、どこの世界でも絶対に安心できる場所がないんだよぉ!」

 

和田T「何だかんだで言って、別世界のことでいろいろと衝撃を受けることはあっても、命までは狙われていたわけじゃないから、別世界にいる間はオバケに襲われる気配がないことにずっと安心していてさ……」

 

 

和田T「だから、元の世界に帰るついでに俺のことも助けてください! 俺だけじゃなくマックイーンをはじめとする、たくさんの人たちのためにも!」

 

 

アグネスタキオン「――――――というわけだけど、トレーナーくん?」ニヤリ

 

斎藤T「わかりました。さすがに私もトレーナー室に乗り込んできて『抱いてッ!』と一生徒が迫ってくるような状況にもなると身の危険しか感じないので、一緒に避難しましょう」

 

アグネスタキオン「そういうわけで、カフェも来るかい? 今なら空き部屋がいっぱいで豪華な別荘として週末を快適に過ごせるようになるぞ~?」クククッ

 

マンハッタンカフェ「…………タキオンさん、秘密基地で研究を続けているんですよね?」

 

アグネスタキオン「ああ。久々にどうだい、カフェ。楽しい楽しい実験の時間が待っているぞ」

 

マンハッタンカフェ「遠慮しておきます」

 

マンハッタンカフェ「でも、今は背に腹は代えられないので、斎藤T。私もその秘密基地でお世話になっていいでしょうか」

 

斎藤T「どうぞ。あそこは間違いなく三次元世界からの干渉を遮断しているので極めて安全な場所ですから」

 

和田T「よし! じゃあ、あとは飯守Tも避難させよう!」

 

斎藤T「そうですね――――――」プルプルプル・・・

 

和田T「おっと、電話だ」

 

斎藤T「おや、これは珍しいな。ちょっと失礼」

 

ピッ

 

斎藤T「――――――どうしました、ライスシャワー?」

 

――――――

ライスシャワー「あ、斎藤T! あのね、ミークさんが昨日からずっとボーッとしていて大変なの!」

――――――

 

斎藤T「え?」

 

斎藤T「それって『URAファイナルズ』決勝トーナメントに向けて集中力を極限まで高めているとかじゃなくて?」

 

――――――

ライスシャワー「最初はそうだと思っていたんだけど、ブルボンさんも調子が悪いみたいだし、ライスも胸の中がモヤモヤしていて どうしたらいいのか……」

 

ライスシャワー「それで、その、斎藤Tに思わず電話を掛けちゃいました……」

 

ライスシャワー「ごめんなさい!」

――――――

 

斎藤T「あ、いや、困っていると聞けば、力になってあげるから、まずは落ち着いて」

 

斎藤T「私に相談が回ってきたということは、みんなの担当トレーナーは今どうしているの?」

 

――――――

ライスシャワー「あ、それが――――――」

――――――

 

斎藤T「え」

 

 

 

――――――府中市内

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

ハッピーミーク「………………」

 

斎藤T「……大丈夫ですか? 今の調子で週末の『URAファイナルズ』決勝トーナメントを走れますか?」

 

ハッピーミーク「…………わからない」

 

斎藤T「それがどうしてなのかがまだわからないわけですか?」

 

ハッピーミーク「…………うん。こんなことは初めて」

 

斎藤T「ハッピーミーク、きみは本当に賢い子だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことにいろんなことを考えちゃっているんですよね?」

 

斎藤T「いろんな可能性が浮かび上がってしまうから、逆に考えがまとまらない状態になっているはずです」

 

斎藤T「――――――ちがいますか?」

 

ハッピーミーク「…………うん。斎藤Tの言う通り」

 

ハッピーミーク「…………斎藤Tなら、私のトレーナーがどこに行ったかわかりますか?」

 

斎藤T「――――――いや、ちがうか」

 

ハッピーミーク「え」

 

 

斎藤T「絶対に認めたくない可能性に思い至ってしまったからこそ、その結論を出さないようにしているというのが本当のところなんでしょう、ハッピーミーク?」

 

 

斎藤T「たぶん、ハッピーミークは桐生院先輩が昨日から『URAファイナルズ』優勝に向けたトレーニングに励んでいる中、ソワソワしていたことやトレーニングが終わったことでいつになく弾んでいる様子が気になっていたはずです」

 

斎藤T「そして、今日も同じ様子で、それが気になって先輩の部屋まで行ってみたら、先輩がランジェリー姿になっていたのを覗き見することになったのが頭から離れなくなっていましたよね?」

 

ハッピーミーク「…………あれ? そこまで話した?」

 

斎藤T「言いづらいことをいっぱい話してくれたじゃありませんか」フゥ

 

ハッピーミーク「…………そうかな? 斎藤Tになら、そうかも」

 

ハッピーミーク「………………」

 

 

斎藤T「ハッピーミークとしては、自分のトレーナーが大事な一戦を控えた時期に男に会いに行っていることをどう思っているのですか?」

 

 

ハッピーミーク「………………」

 

ハッピーミーク「………………」

 

ハッピーミーク「…………わからない」

 

斎藤T「………………」

 

ハッピーミーク「…………わからない」

 

ハッピーミーク「…………わからない」

 

ハッピーミーク「…………だって、私のトレーナーはダメなんかじゃない」

 

ハッピーミーク「…………トレーナーだって大人だから、ダメじゃない」

 

ハッピーミーク「…………私のためにずっと一生懸命だったトレーナー」

 

ハッピーミーク「…………だから、トレーナーにも素敵な出会いがあるのは、嬉しいこと」

 

ハッピーミーク「…………でも、レースで勝てなかった時と同じような悔しさみたいなのがある」

 

ハッピーミーク「…………おかしいですよね。嬉しいことのはずなのに悔しい気持ちもある」

 

斎藤T「……いえ、それがあなたの素直な気持ちですよ。よく言葉にしてくれました」

 

ハッピーミーク「…………そうなんだ。これが私の素直な気持ち」

 

斎藤T「……今日はもう帰りなさい。タクシー代はこれで。門限までに間に合うでしょう」

 

斎藤T「それじゃあ。これでも、あなたのサブトレーナーだったのですから、また頼ってくれていいですからね」

 

ハッピーミーク「…………うん、ありがとう、斎藤T」

 

ハッピーミーク「…………ごちそうさまでした。またよろしくお願いします」

 

 

バタン! ブウウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!

 

 

斎藤T「…………先輩」

 

斎藤T「まったく、あなたという人は相変わらず何をしているのやら」ハァ

 

斎藤T「いや、理性の箍が外れた世界におけるトレーナーの『名門』がいったいどんな対応をしているのか、その辺りも聞き出しておかないと」

 

斎藤T「ああ、これも“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の導きだというのなら、今はそれに従うしかないのだろうけれど、」

 

斎藤T「――――――『嫌な予感しかしない』の繰り返しだな、今日はずっと!」

 

 

卒業式を終えて『URAファイナルズ』決勝トーナメントまで残りわずかな時に、ミホノブルボン、ライスシャワー、ハッピーミークの仲良し3人組が揃って不調を訴え、サブトレーナーだった私がハッピーミークの様子を見るために街中に連れ出してみたわけで、

 

『URAファイナルズ』決勝トーナメントに向けての景気付けとしてハッピーミークのごちそうの席で、何があったのかを奥の席でしっかりと聴き込むことに成功し、

 

ハッピーミーク本人がそうであるように私もハッピーミークの不調の原因がまたしても桐生院先輩にあることを爛れた世界であることを踏まえて認識することになった。

 

この理性の箍が外れた世界では、たとえ女性トレーナーであっても私の目の前で掛かったウマ娘に容赦なく(おか)されることになるのだから、

 

基本的にトレーナーという職種そのものがウマ娘の愛玩動物になるしかなくなる危険性と隣り合わせとなっており、それに対する危機感に相応の処世術がトレーナーの間で伝授されていると予想される中、

 

逆に 担当トレーナーと愛し合う関係になるのが自然なことだと信じて疑わないウマ娘にとって もっとも屈辱に感じることはライバルになる他のウマ娘に相手を寝取られることよりも、同じトレセン学園の競争相手ではない無関係に思えた相手と結ばれることなのだろうと感じていた。

 

とてもおおらかなハッピーミークでさえも思考停止に陥ってしまうぐらいなのだ。この世界の爛れた実情について多少なりとも知り得ているだろうことを差し引いても、対抗意識や嫉妬心が正常な思考を阻害することになっているのだからウマ娘にとってはよほどのことなのだろう。

 

ウマ娘たちもいくら種の保存本能に従おうとも誰にでも股を開くわけでもなく、自分が気に入った相手だからこそ強く求めてしまうのだと考えると、そう思える相手の存在は本当にウマ娘の中で大きな存在になっているものなのだ。

 

だから、既婚者や妻帯者に子持ちの年配のトレーナーよりも未婚の若手のトレーナーの方が好まれるのも自然なことであり、トレセン学園のウマ娘たちの恋愛観においては担当トレーナーと担当ウマ娘のラブロマンスこそが至高であり、トレーナー同士の職場恋愛は邪道なものでしかなかった。

 

だが、そんな職場だからこそ、ヒトは己の存在価値を賭してウマ娘に対して力ではなく狡猾さで恋のダービーレースを出し抜こうとするのだ。

 

 

そして、あれだけ手を尽くしてハッピーミークが不幸な目に遭わないようにしたというのに、私はハッピーミークが考えるのをやめる瞬間を目撃することになってしまうのだった――――――。

 

 

斎藤T「可能性の世界というのを考えるのはいろいろな空想が広がって本当に楽しいけれど、実際に見るとなると残酷なものだな」

 

斎藤T「それでいて腹立たしいことに、決してあり得なくないものがこうして現実のものになっていることを元の世界の現実と照らし合わせて祝福するべきなのか、否定すべきなのか――――――」

 

斎藤T「そう、結局は取捨選択の積み重ねで今が成り立っているのなら、全てがもしもの通りになった世界であろうとも、人はそこに不完全を見出して、次のもしもの世界を夢見ていくことだろう」

 

斎藤T「だから、これが運命か――――――」

 

 

 

ハッピーミーク「…………トレーナー」

 

 

 

桐生院T「トレーナーぁ……」

 

才羽T?「――――――」

 

 

 

ハッピーミーク「………………」

 

斎藤T「ハッピーミーク」

 

ハッピーミーク「………………」

 

斎藤T「ハッピーミーク!」

 

ハッピーミーク「………………」

 

斎藤T「もう門限は過ぎたし、今度は私もタクシーに乗るから」

 

ハッピーミーク「………………」

 

 

――――――もはや、掛ける言葉はなかった。帰らせる義務はあったが。

 

 

元の世界で最初の担当ウマ娘:ハッピーミークとの最初の3年間の総決算として『URAファイナルズ』優勝を目指し、サブトレーナーである私にお暇を出して、純粋な名門トレーナーと隠れた天才ウマ娘の二人三脚が大きな追い上げを見せようとしていたのと打って変わって、

 

同じオンナとしてウマ娘に負けない矜持と算段と大人気なさで恋のダービーにも全力で挑むのが実に不器用で真面目一筋の先輩らしいところであり、相手が元の世界で振られることになった憧れの人だったのも、黒いゴミ袋に捨てられた()()()()()()()()()()()()()を思い出させることになった。

 

しかし、タクシーでそのままトレセン学園に帰ったと思っていたハッピーミークがまさか自分のトレーナーの姿を追って、こんな夜遅くまで尾行していたとは、よくできた話じゃないか。

 

そうして目にしたものは『URAファイナルズ』で最強のライバルとなる“無敗の三冠バ”ミホノブルボンの驚異の天才トレーナー:才羽Tの指導を受ける深夜のウマ娘のコスチュームプレイ――――――。

 

府中市の夜の闇で、トレセン学園指定のブルマにしっぽをとりつけてウマ娘の耳までつけて桐生院先輩は担当ウマ娘に知られちゃいけない秘密のトレーニングに興じていたのだった。

 

先輩の特技がパルクールであることを考えると身のこなしに関しては“斎藤 展望”よりも上であるため、ウマ娘用のトレーニングメニューを自分で実践してみせることができるだけの身体能力を有していることもあり、

 

短距離ウマ娘(スプリンター)だったミホノブルボンを距離適性の壁を乗り越えて長距離ウマ娘(ステイヤー)へと成長させた驚異の天才:才羽Tの殺人的な指導に全力で応えて汗だくになることで、トレーニング終わりに掛けられたタオルケットで汗を拭ってもらいながら 艶のある声が弾むボディタッチでクールダウンすることなく ますます熱を帯びて夜のトレーニングは激しさを増していくのだ。

 

名門トレーナーとなるべく普通の女の子の青春を送れなかったことを思い返しながらトレセン学園生徒に扮する桐生院先輩のことを私はスコープ越しに遠巻きに監視していたわけであったが、

 

相手も0.1秒単位で目測できる全国大会出場経験ありの帰国子女のサッカー少年だった天才トレーナーであり、ヒトとして非常に高いレベルでの身体能力を発揮する桐生院先輩と組むと、

 

さながらペアスケーティングのように男女の息の合ったコンビネーションで流れるように非常に高度で立体的な愛撫がなされ、()()()()()()()()()()()()()はますます彩りをつけ、香りを強め、甘い蜜を垂らして乱れ咲いた。

 

それをハッピーミークは私よりも近い場所から両の眼で見ていたわけであり、さながら煽情的なバレエ芸術を延々と見続けることになった感動の衝撃は青少年の健全な育成には相応しくなかった。

 

そして、最高潮に達する前にその場にへたり込んだハッピーミークに気づかれないうちに、そっとハッピーミークを後ろから抱き抱えて、あらかじめ呼んでおいたタクシーでトレセン学園に連れ帰った。

 

ずっとハッピーミークの表情はいつもの無表情に見えていたが、ごくわずかに両目が見開れていたように思え、いったいどれほどの思考が脳内を駆け巡ったのかは想像に絶する。

 

特に、レースシューズからフランスパンを連想したり、水族館で先輩に似ているヒトデを見つけたりしているのがハッピーミークという隠れた天才ウマ娘の凄みだ。

 

逆にその類稀なる思考力がトレセン学園の生徒に扮して夜のトレーニングに興じる自分のトレーナーを見て何を感じて、何を想像して、何を考えてしまったのかを推測することなど私にはできそうもない。

 

しかし、私があまりに簡単に少女を抱えた時に小刻みに震えていたのだ、間違いなく。

 

その震えが自覚のあるものなのか、何の感情に因るものなのかも私にはわからないが、少なくとも強い感情を覚えていたのは間違いない。

 

 

――――――こうして歴史は繰り返され、これが戦いに取り憑かれた人と鬼が熾烈な競走をトレセン学園で繰り広げる恋はダービーな世界である。

 

 



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第二次決戦Ⅵ ダークトレーナーの誘惑 -心の海から遣わされた大深淵の使者の世界-

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

地獄だった。アグネスオタカルの世界もトウショウサザンクロスの世界も元の世界と比べて最悪の結末を迎えようとしているわけなのだが、今回の世界は別次元に地獄だった。

 

言うなれば、国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台:トレセン学園でバイオハザードが発生した世界というわけであり、理性を失った人々が欲情の赴くままに自分たちの生活の根底を支えてきた文明社会を崩壊に導く途上にあった。

 

“女王”アグネスオタカルはあくまでもトレセン学園が抱える弱者救済の解決策としてスリム化を施した第2の日本トレセン学園を作り出して彼女なりに夢の舞台を守ろうとあがいた結果の独立革命であり、

 

“将星”トウショウサザンクロスは勝負の世界では避けては通れない勝利至上主義の是非を黄金期を迎えて生徒数が最高に膨らんだ状況で投げかけることで“勝ち組”と“負け組”の対立を煽ってウマ娘の真の自由を世間に訴える侵略戦争に打って出た。

 

それらと比べたら、“皇帝”シンボリルドルフや“女帝”エアグルーヴに“怪物”ナリタブライアンが率いる生徒会が存在していながら、この世界のトレセン学園の誰もが快楽物質がドバドバ放出されて脳内ピンク状態になっていることで全員がまともではないという可能性に満ちていた。

 

しかも、“皇帝”シンボリルドルフはトレセン学園で唯一自分のものと言えるものが“担当トレーナーとの男女の交わり”だけだということを知っているだけに、

 

それすらも否定されるべき可能性の世界ともなれば、この世界に存在する“皇帝”シンボリルドルフの心境はいかに――――――。

 

それだけに今回の別世界の洗礼は過去最悪に強烈であり、決して知らない仲ではない友人知人たちの赤裸々な性事情を否応なく見せつけられ、私自身も決して無関係ではいられなかったことに戦慄する他なかった。

 

ただ、一流は一度見た技は二度は喰らわないし、同じ過ちは繰り返さないものだと相場が決まっている。

 

そう、どれだけ用心しても対応できなかったものや泡を食ったのはしかたなかったとして、いつまでも失敗を引き摺らずにすぐに頭を切り替えるのが一流の在り方である。

 

 

子曰く、君子 (もと)より窮す。小人 窮すれば ここに濫る。

 

 

この世の中、人間の思う通りにいかないことなんて山ほどあり、君子と呼ばれる大人物でさえも窮する事態に見舞われるのは人生において誰もが避けられない当たり前のことなのだ。

 

だが、君子と呼ばれる者と小人と呼ばれる者をわける要素というのが、状況に翻弄されて慌てふためくのではなく、動転する気持ちをグッと堪えて努めて平常心を保って泰然自若とし、冷静な判断で打開策を練る忍耐強さと死中に活を求める胆力というわけである。

 

じゃあ、君子でも予測できなかった突発的な出来事を乗り切れるかどうかというのは、それこそ『人事を尽くして天命を待つ』常日頃の天に捧げる誠心誠意が危難から我が身を救う最後の盾になるのだ。

 

結局はスーパーコンピュータと同じだ。人知を超えた正確性と処理速度を持つスーパーコンピュータでさえも何億分の一の確率で絶対にミスをするが、そのことをいちいち気に掛けることなく、次の操作をいつも通りに完璧にこなす。

 

要は、成功時と失敗時の振れ幅を極限まで小さくして、感情で揺れ動く振り子を静止させ、常にベストな状態で最大の効力を発揮できるように自分を持っていくのだ。人間コンピュータを目指せ。

 

だが、正確性と処理速度でスーパーコンピュータに人間が並ぶことなどできないわけで、あくまでも目標設定のための喩えであり、心構えの問題である。

 

スーパーコンピュータにできないことを人間がすべきなのであって、競うのではなく持ち味を活かす適材適所を考えられるのが使われるだけの道具にはない使う側の人間の真の値打ちなのだ。

 

そのことを学んでさえいれば、自分がどうあるべきなのか、自分が何者であるべきなのか、自分をどう持っていくべきなのかもはっきりして、寝床に就いて数分で心の整理はつく。

 

昨日の失敗を明日には持ち越さず、常に昨日の自分よりも明日の自分が進歩していることを念じて、私という存在は日に日に新しくなっていくのだ。

 

生物の進化などそういう毎日の積み重ねでしか起きないのは世代を重ねる毎にキリンの首が長くなっていく過程を思えば、今日も今日とて、昨日も昨日とて、明日も明日とて、進化を目指してコツコツ頑張っていけるはずだ。

 

 

――――――そして、重要なのは言葉で現実を支配すること!

 

 

言葉次第で黒が白となり、白が黒となるように、怪談話のように恐怖を助長する巧みな表現があるなら、現実の恐怖を冷静に分析して言語化することによって陳腐化することもできるものだ。

 

得体の知れない恐怖とは、逆説的に言えば得体が知れたら恐怖ではなくなるのだ。

 

知らないことには自然と警戒心を抱くが、どういうものなのかを知っていたら親近感を抱くのと同じこと。テレビCMによる宣伝効果を甘く見てはいけない。

 

相手の手の内を知っていれば、それだけで有利になって心理的余裕が生まれるのと同じこと。

 

未知への恐怖を克服するのは常に探究心を絶やさない勇気ある冒険者というわけであり、私はその冒険者の最高峰に位置する 遥か宇宙の彼方の あるかどうかも行ってみないことにはわからない 居住可能惑星を求めて流離う宇宙移民なのだ。

 

もしかしたら死ぬまで宇宙船で一生を過ごすか、どこにも辿り着けずに宇宙の塵になるかもしれない不安感と虚無感を相手取って、あの星を掴み取るという血気に逸る探究心と勇気が宇宙移民の最大の武器なのだから。

 

そのことを思えば、暗黒宇宙の闇と比べたら未開惑星での文明の光に包まれた暮らしは行く末が見えなくなるほどの絶望とは程遠い夕焼けみたいなものよ。眩しい眩しい。

 

 

――――――さあ、恐怖を克服するには1日生き残れば十分だ! 2日目からは攻めに転じるぞ! 死ななければいかなる犠牲も安い!

 

 


 

 

●????:3月14日

 

 

飯守T「――――――3月14日ですよ、今日!」

 

和田T「いつもは卒業式の翌日に異世界探訪は終わったというのに、今回の別世界はそれだけにとんでもないことが起きている!」

 

斎藤T「………………」

 

和田T「それで昨日のうちに斎藤Tにあったことをまとめると、本当にとんでもないことの連続じゃないか!?」

 

和田T「男として遭遇したら嬉しいラッキーなハプニングの連続というより、頭の処理が追いつかなくなって脳が破壊されるような地獄じゃないか。やだぁ……」

 

 

岡田T「最初に朝の登校前に生徒以外立ち入り禁止の学生寮のゴミ捨て場から使用済みの男性用コンドームが見つかって、」

 

 

岡田T「中等部卒業生が街中で『URAファイナルズ』決勝トーナメントに備えていた午前のトレーニング中に“つわり”になって斎藤Tが吐瀉物の処理をすることになって、」

 

 

岡田T「昼前の学園のトレーニング場でナリタブライアンと三ケ木Tが斎藤Tの眼の前でいたし始めて最後は物陰でくんずほぐれつして、」

 

 

岡田T「トレーナー寮でエアグルーヴをはじめとするたくさんの生徒が昼休みをシャワーを浴びてくるぐらいに熱烈に過ごして絆を深め合って、」

 

 

岡田T「一日の授業が終わるよりも早い頃に、トレーナー室にいた斎藤Tに元担当ウマ娘にトレーナーを寝取られた生徒が迫ってきて、」

 

 

岡田T「その日の最後は この世界の才羽Tと桐生院Tの逢瀬を担当ウマ娘が 一部始終 見てしまった、と」

 

 

斎藤T「…………『一部始終』ではないですけどね。本番になる前でしたから」

 

飯守T「似たようなもんだろう! 何が起きているのかなんて――――――!」

 

岡田T「ですが、これも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()わけなんですよね?」

 

和田T「そうだよ! 鐘撞Tが言っていたように、“皇帝”シンボリルドルフの心配事を最悪な方向に導いた悪辣なものがコレだよ!」

 

飯守T「……桐生院Tが才羽Tのことをどう想っていたのかを知っているだけに、俺としては喜んでいいのやら、怒っていいのやら、悲しんでいいのやら、わけがわかんなくなってるよ」

 

和田T「担当ウマ娘のハッピーミークならもっとわけがわかんなくなってるさ!」

 

 

斎藤T「……あれは本当に才羽Tだったのだろうか?」

 

 

和田T「え?」

 

斎藤T「可能性の世界とは言え、才羽Tにとっては桐生院先輩は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()といった扱いで憐憫しか感じていなかったわけですが……」

 

飯守T「たしかに、史上初の“無敗の三冠バ”シンボリルドルフに継ぐ“無敗の三冠バ”ミホノブルボンのトレーナーってことで知名度は抜群で、いろんなイベントでウマ娘や女の子に言い寄られることはあったけどさ?」

 

 

――――――全ての女性は花。全ての女性は等しく美しい。そして、花は太陽の下で花開くことを知っている。

 

 

飯守T「だなんて言ってのけて、鼻の下を伸ばすことなんて絶対にしないんだ」

 

飯守T「そう考えると、可能性の世界ってどこまでが実現できる可能性なんだろうな……?」

 

和田T「言われてみると、才羽Tに特定の相手ができるのがまったく想像できない……」

 

和田T「むしろ、才羽Tが男の欲求に忠実になったとしたら、一人どころじゃないだろう。太陽のように遍く人たちに愛を捧げる伝道師になっていてもおかしくないって」

 

岡田T「それに、なぜウマ娘に扮してトレセン学園の運動着で夜のトレーニングというシチュエーションなんでしょうね」

 

岡田T「才羽Tはもっと大きな世界に目を向けているから、府中市の夜の公園でそんなマニアックなプレイをするよりも、それこそ世界レベルの趣向を凝らした場所での素敵な一夜を相手にプレゼントするのがらしい感じがしますが」

 

岡田T「憶えてますよ。配属早々に食堂を貸し切って本場ヨーロッパのスターウマ娘たちが普段から食べているアスリートフードを披露して、たった1皿でベテラントレーナーたちの心を鷲掴みにしたエピソード」

 

岡田T「俺もテイオーも『皐月賞』の後だったから『とんでもない新人トレーナーがやってきたもんだ』と海外遠征のことも考えるようになった大きなきっかけでしたよ」

 

和田T「俺もマックイーンと一緒に極上スイーツを何度もごちそうになりました」

 

飯守T「俺なんて手料理を普段からたらふく食わせてもらっていたからなぁ……」

 

飯守T「だから、才羽Tがどれだけすごいやつなのかはわかるし、逆に言えばどれだけ大きなものに目を向けているのかも知っている。スケールがちがうんだ」

 

飯守T「でも、実際に才羽Tがこの世界にいるのなら、そうなる可能性だってあるのかもしれないのに、そんなはずがない気がして――――――」

 

 

貞操の危機という明らかな身の危険を感じた協力者たちをいよいよ百尋ノ滝の秘密基地に招待することになり、正式にチームの一員として登録されることになった。

 

ここに足を踏み入れるのが初めての人間はもれなく私のトレーナー室のユニットシャワールームに偽装した瞬間物質移送器を使う瞬間は目隠しと耳栓をしてもらっているが、

 

あらためて見ると、トウカイテイオーの岡田T、ビワハヤヒデの鐘撞T、ライスシャワーの飯守T、メジロマックイーンの和田TというG1トレーナーの顔ぶれであり、肩書だけを聞けばウマ娘レースの関係者の誰もが恐れ慄く陣容である。

 

そして、マンハッタンカフェも初めて足を踏み入れることになり、あらかじめ準備していた全自動住宅の一室のあまりの快適さにかえって恐縮していたぐらいだった。

 

ここだけが何十年も先の未来を先取りした別世界であり、人為的に作り出された可能性の世界の雛形がここに存在していたことを誰もが驚きを隠せずにいるのだった。

 

あとのことは全て、私がハッピーミークの件で外出している間に、先に居着いていた岡田Tと鐘撞Tが説明してくれていることだろう。

 

 

そんなわけで、いつもなら卒業式の翌日には私が()()()()()()()()()()()()と話をつけて救いの手立てを示すことで元の世界に帰されていたわけなのだが、今回は卒業式の翌日をついに超えてしまったのだ。

 

 

一向に見つかる気配がない()()()()()()()()()()()()の行方を気遣う中、百尋ノ滝の秘密基地の一室でR18指定のエログロフィルタを取り払った大人だけが参加できる朝会議が開かれることになった。

 

鐘撞TことピースベルTは別件で席を外しており、アグネスタキオンとマンハッタンカフェら学生は百尋ノ滝の秘密基地で生産されている完全栄養食である合成食料と持込みの非常食による朝食を平らげてからトレセン学園に通学となった。

 

そして、私が昨日体験してきたことを包み隠さず発表したことにより、場は張り付いた空気に縛られることになり、飯守Tが止まった時間を動かすための第一声を上げた。

 

そこからあらためて私が疑問に思った才羽Tの恋愛観について、私よりも明確に付き合いの長い各人が驚異の天才トレーナー:才羽Tの凄さを口々に語っていくことで、私の中の違和感が徐々に明確な輪郭を帯びていくのが感じられた。

 

そう、ウマ娘の才能が第一であるとしても本番で勝たせられる戦略と運気を担うのがトレーナーの役目である以上、トウカイテイオーの岡田T、メジロマックイーンの和田T、ライスシャワーの飯守Tが比較的経験の浅い若手トレーナーだとしても実績は文句なしの新進気鋭の彼らが口を揃えて才羽Tの凄さを語るのだ。

 

私としても天の道を往き 総てを司る男になることを座右の銘とする才羽Tが凡俗に陥ることなど天地がひっくり返ってもあり得ないと感じているので、あらためて 昨夜 見たハッピーミークの思考力を奪い尽くした光景を思い返してみた。

 

すると、今の話題とは関係ないことだが、後から冷静になって考えてみたことによって、この世界に関することで大変重大な見解を得るに至った。

 

 

斎藤T「――――――()()()()()()()()()()()()()、整理できました」

 

斎藤T「別にその辺で堂々と誰もがスケベしまくっているような爛れた世界だろうと、私は一向にかまいません。生殖行為は生命の義務ですから」

 

和田T「え!? 昨日のことで、さっきまで死んでそうな顔で説明していたのに、本当に大丈夫なのか!?」

 

岡田T「………………」

 

斎藤T「ええ。それがその世界の文明文化であるなら、基本的人権の尊重と多文化主義と異文化理解に基づいて異邦の民は郷に従うのみです」

 

斎藤T「だいたいにして、ウマ娘とトレーナーの理想の関係性を謳い上げたものとして『トレセン学園は婚活会場』だなんて言葉があるんですから、」

 

斎藤T「羽目を外しすぎて妊娠で互いの本分を果たせなくなるようなことがないように節度を守っていればいいんです」

 

斎藤T「だいたいにして、ウマ娘レースで活躍した生徒を良血バと尊び、良血バの子供たちが未来のスターウマ娘になることを公然と想像して期待しているくせに、性に興味を持って行為に及ぶのを咎めるのは身勝手が過ぎると思いますね」

 

 

斎藤T「だから、お目汚しになるものを見せつけられるのは避けたいので『節度を守れ』とは言いますが、『性に興味を持つな』とは言いません。存分に愛し合ってください」

 

 

飯守T「………………」

 

和田T「…………!」

 

岡田T「…………目から鱗が落ちたな」

 

和田T「……う、うん。俺もメジロ家に婿入りする身になったから、そういうものだと、何も思わなかったけどさ?」

 

和田T「……言われてみれば、女子中学生や女子高生にさ、学生の身で子供のことを期待するってのはデリカシーがなさすぎるんじゃないのか、これ?」

 

岡田T「……それに誰も違和感を覚えないぐらい、生徒たちが重賞レースで勝って“良血バ”と認定されて子供を生むことに基本的には前向きな考えでいるってことがトレセン学園の当たり前だったんだ」

 

岡田T「……なら、重賞レースで勝って“良血バ”になることは優れた血筋の子供を生むことに他ならない?」

 

 

飯守T「じゃあ、今の理性の箍が外れた世界は『トゥインクル・シリーズ』に対する理解がある意味において進んでしまった世界ということになりませんか?」

 

 

飯守T「なんというのか、勝つことがイコール子供を生める権利みたいなやつに結びついている感じです」

 

和田T「うわぁ、そう考えると本当にあり得なくない可能性なのが恐ろしい……!」

 

岡田T「そこまで性に積極的になれるのも『レースで勝てば良いお嫁さんになれる』って解釈になっているのかもしれないですな……」

 

飯守T「そうか。それがこの世界の在り方なら、たしかにそれに違和感を覚える余所者である俺たちとしては互いのためにも干渉しないようにいるのが無難か……」

 

和田T「ホントだよ! 『トゥインクル・シリーズ』でスターウマ娘になることの意義が紙一重の差で結婚とか子作りとかに結びついた世界とか、何か嫌だ!」

 

斎藤T「ただ、人類社会の理想とはすなわちSDGs:持続可能な開発目標に基づく持続可能な社会の実現による恒久平和と繁栄のことであり、」

 

斎藤T「それに反して自分たちの行いや選択の末に自滅の道を歩んでいることを自覚せずに突き進んでいるさまに私は我慢ならなかったわけです」

 

斎藤T「いいですか。個人が色事に溺れるのを『節度がない』というわけですが、集団全体で色事に溺れるのを『風紀が乱れる』というのです」

 

斎藤T「集団生活において『風紀が乱れる』というのは致命的な問題で、風紀が乱れない程度に各人が『節度がない』のを私は個人の自由として許容できますが、各人が節度を守っていても『風紀が乱れる』状態は公共の福祉に基づいて容認できないということです」

 

斎藤T「ですので、ナリタブライアンが担当トレーナーと縒りを戻すために肉体関係で縛り付けていようが、私は我関せずを貫こうと思います。それこそプライベートかつプライバシーの問題ですからね」

 

和田T「なるほど。そう説明されると、斎藤Tが昨日体験してきた絶望への行進曲みたいな一連の出来事の何に衝撃を受けていたのかがはっきり理解できる!」

 

飯守T「つまり、“皇帝”シンボリルドルフの登場によって総生徒数2000名弱に達するほどにトレセン学園が繁栄する一方で、トレーナーの数がどんどん目減りして、いずれはどん詰まりになる『風紀が乱れる』状況を体制側が助長していることに斎藤Tは精神的ダメージを受けたわけですね」

 

岡田T「俺はもうトレーナー寮に帰ってないから実感が湧かないけど、たしかに傍から見たら異常なことになっているとしか思えないですからな」

 

和田T「そうそう! ただでさえ、ウマ娘の数に対して圧倒的にトレーナーの数が少ないせいでスカウトから漏れてターフの上を走ることもままならないまま学園を去っていく子たちはいくらでもいるわけだから!」

 

和田T「トレーナーの専属契約を結ぶどころか、人生の専属契約まで結ぶのが横行しているとなると、トレセン学園という夢の舞台の存続のためにマナーとエチケットを弁えて欲しくもなるよ!」

 

飯守T「そして、体制側が淫行を取り締まるどころか黙認して更には助長させた理由がそういった行為があったことを隠蔽することだとするなら、その実態はウマ娘ファーストによる純粋なものではなく 隠蔽体質によるものだから――――――!」

 

岡田T「ついでに言えば、担当トレーナーが担当ウマ娘と関係を持つのに周りの女性が嫉妬しないわけもなく、トレセン学園の女性陣も掛かり気味になっているみたい」

 

 

斎藤T「――――――用心しておくべきですよ、飯守T」

 

 

飯守T「え、俺!?」

 

和田T「そりゃ、だって、理事長秘書の緑の人さんと随分とお熱いらしいじゃないか!」

 

飯守T「え、いや、俺はたづなさんとは担当ウマ娘のことで相談してもらっているだけで、俺にとっては今はライスが一番に大事だし……」

 

和田T「バカヤロー! 好きでもない男とめかし込んでクリスマスディナーになんか行くわけがないじゃないか!」

 

飯守T「……ああ、やっぱり?」

 

岡田T「恋に一直線のウマ娘も油断ならないですが、大人の女性にも気を配らないとあっという間に食われちゃいますよ、飯守T?」

 

岡田T「あなたは“グランプリウマ娘”ライスシャワーとの間に理想的なトレーナー像を作り上げて人気と注目の的ですからなぁ」

 

斎藤T「去年の学生寮不法侵入事件で学園が全力であなたの名誉を守ろうとしたぐらいには、飯守Tとライスシャワーはトレセン学園のトレーナーとウマ娘の理想な関係性を体現しているんですよ」

 

和田T「そうだぞ! 俺たちみたいな大事な担当ウマ娘を傷つけて世間から一斉に掌を返された落ち目なおっさんとはちがって、飯守Tは元甲子園球児で筋肉もあってハンサムで、何よりも担当ウマ娘のことを本当に大事にしてきて ついには“グランプリウマ娘”なんだしさ!」

 

和田T「よくよく考えれば、最初の担当ウマ娘と新人トレーナーの二人三脚で“グランプリウマ娘”だとぉおおおおお!? こっちはメジロ家の至宝を掴み取った偶然でもれなくG1勝利がついてきたようなものなのに、その才能に妬けちゃうぞおおお!」

 

岡田T「うんうん。俺もテイオーの才能に人生の全てを賭けていたのに、飯守Tは同期に天才トレーナーと名門トレーナーがいて、よくぞ喰らいついて昇りつめたものだと感心しますよ」

 

飯守T「まあ、こういうのは野球と同じで、ピッチャーがダメでも他のポジションがあるって思えば、俺とライスは無理にレースで一番をとらなくてもいいって思えるようになりましたからねぇ」

 

和田T「うぅ、そういう心境で『宝塚記念』でリベンジされた時は本当に悔しかったぞ、このぉ!」

 

飯守T「まあ、これもレースの常ということで1つ」

 

 

そう、私がこの別世界に来て本質的に何に怯えていたのかがはっきりわかったことで、未知の恐怖を言語化して既知の恐怖へと陳腐化させることに成功したのだ。

 

これにより、別世界での私に親しいトレセン学園の友人知人たちの痴態を最初に全部見せつけられたこともあって、並大抵の情事には動じなくなったはずだ。

 

それがこの世界のルールであるのならば、郷に入れば郷に従え、そういうものだと理解して無理に解決しようと首を突っ込むこともないのだ。

 

あくまでも目的は()()()()()()()()()()()()に接触することであり、現状ではこの別世界のあらましがしっかりとわかっていれば十分だろう。

 

また、欲情してきたウマ娘への護身具として上着に触れると火花が弾けるポケット静電気発生装置や欲情した気分を強制的に萎えさせるハンカチも準備できたので、私としては堂々とトレセン学園を歩き回れる準備は整った。

 

 

しかし、“皇帝”シンボリルドルフに続く“無敗の三冠バ”ミホノブルボンを育成した才羽Tの才能は言うまでもなく、トレセン学園どころか世界レベルの実力なのは誰もが認めるところだが、

 

その天才トレーナーに喰らいついて好走を重ねてきたライスシャワーをついには“グランプリウマ娘”にまで導いた飯守TもいかにG1勝利を重ねても担当ウマ娘を故障させて引退に追い込んでしまった負い目のある岡田Tと和田Tにとっては二度と掴むことができない光り輝くものがあるそうなのだ。

 

実際、一般的な担当ウマ娘の人気とは別に担当トレーナーも人気ランキングの対象になり得るわけであり、トウカイテイオーやメジロマックイーンといった屈指のスターウマ娘と比べるとライスシャワーの人気は絶対に及ばないのだが、

 

逆にトレーナー人気となると、知名度が抜群の元甲子園球児のナイスガイである飯守Tが気弱な女の子であるライスシャワーを力強く支え続けて『宝塚記念』勝利に至らせた成功物語(サクセスストーリー)があまりにもよくできているので、岡田Tと和田Tの2人の人気を足しても絶対に届かない位置に飯守Tがいるぐらいなのだ。

 

そのため、ターフの上では全員がライバルになるのがウマ娘レースではあるものの、こうして関係者同士は互いの持っていないものを称え合う健全なスポーツマンシップに則った気持ちのいい人間関係を構築しており、私としても全員を仲間に加えられたことに手応えを感じていた。

 

 

岡田T「それで、肝腎の()()()()()()()()()()()()()の行方は?」

 

和田T「そうだった。この世界の“皇帝”陛下に斎藤Tが会わないと何も始まらない……」

 

飯守T「けど、昨日からまったく連絡がとれないって――――――」

 

斎藤T「なので、あらゆる可能性を模索しなければならないわけですよ、飯守T」

 

飯守T「え」

 

斎藤T「並行宇宙に可能性の世界、他にもいろいろな世界が存在していて――――――」

 

飯守T「ま、まさか、裏世界――――――」

 

和田T「!」

 

岡田T「――――――『裏世界』?」

 

斎藤T「いろんな世界があることをお教えしますよ、先輩方」

 

 

 

――――――トレセン学園/大樹のウロ

 

 

和田T「――――――トレセン学園の名スポットの1つ:大樹のウロ!」

 

岡田T「これまで数々のウマ娘やトレーナーたちの嘆きや哀しみ、思いの丈が叫ばれてきた場所だ……」

 

岡田T「俺もテイオーのことで叫んだな。テイオーは人前で泣かない子だから、部屋に閉じこもって啜り泣いているんだけどさ……」

 

和田T「俺もマックイーンのことでうんと叫んだよ。マックイーンはレースのことじゃなくて極上スイーツが手に入らなかったことを叫んでたみたいだけど……」

 

飯守T「相変わらずの強烈な負の霊的磁場が形成されているな……」ビィビィビィ! ――――――ポケットラジオが不穏な電波を受信してビィビィ鳴り続ける!

 

 

斎藤T「みなさん、ここが学園裏世界の入り口です」

 

 

和田T「えと、入り口というと、この大樹のウロに飛び込めば裏側の世界に入れるってことか?」

 

斎藤T「正確には合言葉が必要です。ここが扉になっているのは間違いないですが、入門するための資格を提示する必要があるわけですよ」

 

斎藤T「裏世界に入る前に命綱として、この“釣り針”を渡しておきますね。好きな色の“釣り針”をどうぞ」

 

和田T「うわぁ! 何、この、金属じゃないカラフルな釣り針!? 天然石を加工したやつ?」

 

岡田T「波打っているようなカラフルな模様って、これってもしかして瑪瑙じゃありませんか?」

 

斎藤T「そうです。“瑪瑙の釣り針”です。これを首に下げるか、服に引っ掛けておいてください」

 

岡田T「さながら、学園裏世界という暗い海を泳ぐ魚たちを引き寄せる餌になるわけですか」

 

斎藤T「ええ。喰らいつかれた瞬間に見えない釣り糸を巻き上げて表世界に連れ戻してくれる優れもので、裏世界から帰還する時の時間短縮にも役立っています」

 

岡田T「ああ、そういうタイプの脱出装置なんですか」

 

岡田T「じゃあ、襟ピンみたいに挿しておきますか」

 

和田T「襟のところに引っ掛けるよりも首に下げれば勾玉に見えなくもないから、そうしようかな」

 

飯守T「イヤホンジャックを引き抜いた瞬間に魔除けの防犯ブザーになるポケットラジオもしっかりとONにしておいてください」

 

和田T「特殊な電磁波を検知するパッシブレーダー付きのやつだったな」

 

飯守T「それで幽霊がいる方角と距離がわかるわけですが、指向性マイクに繋げて音で拾った方が正確な位置は判別できるので、おおまかなものになります」

 

斎藤T「そして、今回はオバケ退治はせずに学園裏世界を探検するだけなので、この新兵器を投入します」

 

岡田T「――――――『新兵器』?」

 

 

斎藤T「この“提灯と拍子木”を持ってください」

 

 

和田T「え、『火の用心!』でもする感じ?」

 

斎藤T「そうです。いろいろと触ってみてください」

 

岡田T「あれ、この提灯ってアレですか。ロウソクを模したLEDライトを使っている提灯ライトですか。ちょっと重いな……」

 

斎藤T「重要なのは提灯の覆いとなる火袋なんですよ。光源の明かりが障子を通して外を照らすわけなんですが、この障子が超薄型LEDビジョンになっていているんです」

 

岡田T「じゃあ、提灯の柄を電子データで変えることができるわけなんですか」

 

斎藤T「そうです。重いのはLEDビジョンやライトの電源にワイヤレス通信機が入っているからなんです」

 

岡田T「――――――『ワイヤレス通信機』?」

 

和田T「あ、もしかして、この拍子木――――――?」

 

斎藤T「そうです。試しに拍子木を打ってみてください」

 

和田T「いい音がするねぇ」カンカン!

 

斎藤T「今、パターンデータを送りました」

 

和田T「うおおっ!?」ドーンドーンドーン!

 

岡田T「うわっ!?」ビクッ

 

和田T「何これ!? 拍子木なのに太鼓の音になったよ!? すげえ!?」

 

斎藤T「他にも――――――」

 

和田T「うおはあああああああああっ!?」チュドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

 

岡田T「こ、これは凄い……!」ビクッ

 

和田T「ああ、びっくりした……」

 

斎藤T「――――――びっくりしたでしょう?」

 

斎藤T「こんなふうに拍子木内に仕込まれた発振器で周波数を変動させることで拍子木の打音を他の打楽器に変えたり、衝撃音に変えたり、爆音に変えたりできるわけですよ」

 

斎藤T「そして、そっちの提灯もLEDビジョンに転送したデータでいろんなパターンを表示できるのですが、何のための装備かは理解できましたよね?」

 

和田T「こっちを驚かそうとしているオバケを逆に驚かして追い払うためか!」

 

斎藤T「そうです。肉体がない幽霊だからこそ、ビクッとなった瞬間に途方もない場所に一瞬で移動することになるので、火の用心をする見廻組に扮して幽霊をあえて誘い出したところを一斉に追い払えば道中の安全を確保できるわけです」

 

斎藤T「まあ、打音を変換しているので短い音しか対応できませんが、魔除けの防犯ブザーになるポケットラジオよりも長持ちして遠くに響き渡るので、母機となる提灯ライトと併用する時はなかなかに有用な装備です」

 

斎藤T「ともかく、幽霊と言っても元々は肉体を持っていた霊体です」

 

斎藤T「生前の頃の感覚や認識を持っている以上は生きていた頃の常識にも縛られるわけで、突如として響き渡る火の用心に警戒心を抱くはずで、それだけで何割かの霊を近寄らせなくなり、」

 

斎藤T「悪意を持って霊が近づいてきたら、拍子木を爆音に変えて悪霊退散です」

 

斎藤T「ヤバかったら防犯ブザーを鳴らして“瑪瑙の釣り針”で現実界に即帰還すると」

 

斎藤T「――――――簡単な話でしょう?」

 

 

 

――――――トレセン学園裏世界

 

 

岡田T「こ、ここが三次元世界と表裏一体となっている四次元世界……」ゾゾゾ・・・

 

和田T「うわぁ! この感じ、この寒気、この圧迫感! 何か憶えがあるぅ~!」ゾワゾワ・・・

 

飯守T「この世界の裏世界はこんな感じになっているわけですね……」

 

和田T「うぎゃああああああああああああ!? ななななな何なんだ、ありゃああああああ!?」

 

岡田T「――――――よ、妖怪!?」

 

斎藤T「ほう、やはり色欲に塗れた爛れた世界の裏側はそういった妖怪が彷徨きまわっているものか……」

 

斎藤T「仏教においては衆生が生死を繰り返しながら輪廻する世界を三界:欲界・色界・無色界と区分しているわけで、」

 

斎藤T「本能的欲望(カーマ)が盛んで欲望(カーマ)にとらわれた淫欲と食欲がある衆生が住む世界:欲界とはこのことを言うのだろうな」

 

斎藤T「いや、天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を巡る六道輪廻もみな欲界に属していたか」

 

斎藤T「仏教の三宝印の1つ:涅槃寂静とは、この六道輪廻の舞台である欲界から解放され、無色界に到達して永遠の安寧を得ることだ」

 

斎藤T「凄いな。少なくとも、この世界のトレセン学園はこれほどまでに欲望(カーマ)の眷属に支配されているみたいだ」

 

和田T「や、やべぇえええええ! こんなのが現実世界と表裏一体の霊界にウヨウヨしてやがったのかよ!?」

 

斎藤T「けど、相手にする必要はないですから、無闇に刺激しなければなんともないですよ」

 

斎藤T「ここは心の世界ですから、気にしなければ そこにいないも同然です」

 

和田T「そ、そうなのか!?」

 

斎藤T「ええ。現実世界だって、実際に在籍しているけれどもトレセン学園のトレーナーにスカウトされることのないようなモブウマ娘の存在を認識できていないでしょう、誰も」

 

和田T「そ、そういうものか……」

 

岡田T「俺も療養のために学園を離れていたからいなくなったも同然だったし、郷に入れば郷に従え、互いに干渉しないようにするのが最善なのはここでも変わらないわけですな」

 

和田T「そう言われると、あらためて世知辛いねぇ。ここは誰もが憧れる『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台だってのに、地方では異次元レベル扱いされるようなエリートたちが鎬を削る戦場で活躍できるのはほんの一握り――――――」

 

和田T「それで不意の故障や戦績の悪さが原因で夢破れて学園を去ることになるトレーナーやウマ娘が毎年たくさん出ているわけだから、少しの間 顔を見せなくなったらあっという間に忘れ去れてしまうわけだなぁ……」

 

岡田T「うん。俺もすぐに忘れ去られたし、“皇帝”シンボリルドルフの伝説を一番に支えた有馬一族の御曹司でさえも完全に知らない世代に入っているものなぁ……」

 

飯守T「………………」

 

斎藤T「それじゃあ、行きましょうか」

 

 

――――――本所七不思議と呼ばれる現在の東京都墨田区に江戸時代から伝承される怪談話がある。

 

 

江戸時代の典型的な都市伝説の一つであり、古くから落語など噺のネタとして庶民の好奇心をくすぐり親しまれてきたと言われ、

 

“七不思議”とあるが、伝承によって登場する物語が一部異なっていることから8種類以上のエピソードが存在するとのことだ。

 

置行堀(おいてけぼり)送り提灯(おくりちょうちん)送り拍子木(おくりひょうしぎ)燈無蕎麦(あかりなしそば)足洗邸(あしあらいやしき)片葉の葦(かたはのあし)落葉なき椎(おちばなきしい)狸囃子(たぬきばやし)津軽の太鼓(つがるのたいこ)――――――。

 

このうちの送り提灯(おくりちょうちん)送り拍子木(おくりひょうしぎ)の怪異にヒントを得て、私は学園裏世界での行動範囲を拡げるための新兵器を開発していた。

 

本所七不思議:送り提灯(おくりちょうちん)送り拍子木(おくりひょうしぎ)はどちらも江戸の夜道で人の姿は無く拍子木の音だけが響いたり、提灯の明かりがあたかも人を送って行くように現れたりする様から人々は妖怪が現れたと考えたもののようである。

 

その伝承に肖り、学園裏世界に蔓延る魑魅魍魎に襲われないようにしたのが新兵器の概要であり、魑魅魍魎の正体がかつては肉体を持っていた霊体だと仮定して徹底的に対策した代物が今回の“提灯と拍子木”である。

 

一般に動物の耳はヒトよりもその性能が良いとされているのは間違いなく、試しに調べてみたゾウも低周波の唸りが地面を伝って空気よりも密度が高いことで36km以上遠くのゾウにも届くらしいのだ。

 

となると、ウマも確実にヒトの耳には絶対に聞こえない周波数の超音波を発することができるはずなのだが、ウマが存在しない代わりにウマ娘が存在するこの地球において、ウマ娘の可聴域はヒトと大差がないことが明らかとなっている。

 

それでも、ヒト社会に慣らされて急激に退化している可能性があることを踏まえても、ヒトよりも身体能力に優れていながら繊細とされているウマ娘の可聴域はヒトよりもある程度は幅が広い――――――。

 

そこで、ウマ娘の身体能力の高さを逆手に取った音響兵器を学園裏世界で切り札としてついに導入したわけなのだ。

 

 

そう、ヒトにはまったく聞こえないがウマ娘には聞き取れてしまえる非常に不快な超音波を“提灯ライト”の方から流しており、“拍子木”との火の用心の組み合わせはそれを悟らせないための()()()()()()()()()というわけなのだ。

 

 

なので、ウマ娘の人霊が主となっている悪霊や妖怪はこれだけで近寄れなくなるわけなので、接近してくる悪霊や妖怪がヒトの人霊が主とであると判別することができるようになるのだ。

 

実際にこれが効果覿面で、驚くほどスムーズに学園裏世界を初めての人間を連れて探索することができるようになり、周りのウマ娘の悪霊が蜘蛛の子を散らすように退散するのに釣られてヒトの悪霊もその場を離れていっているのがわかった。

 

問題は完全に元の肉体の意識や感覚を失ってオバケに成り果てた妖怪たちなのだが、人間としての肉体や意識を失ったことで()()()()()()に変貌した結果、行動原理に縛られて行動範囲を大いに狭めてしまっているので その領域を見極めてしまえば攻撃されることは一切なかった。

 

 

学園裏世界から見るトレーナー寮は巨大な色欲のオバケに丸呑みされており、その周りにはトレーナー寮で半ば公然と行われている不健全な行為に対して羨ましく思いながら激しく妬むウマ娘たちの怨念が取り囲んでおり、とてつもない負の引力が発生していた。

 

そう、般若の面をしたような鬼女の人霊の大群がトレーナー寮を囲んでおり、『見ている』という視線にこもった念だけで存在に気づかれるのは厄介なので、同行者にはデジタル妖怪図鑑に表示されたものに意識を向けるように禅寺の修行のように強制していた。

 

しかし、その嫉妬の感情によって悍ましく変わり果てた鬼女たちもトレーナー寮に踏み入ることができずにジーっと外から怒りの形相を向けるだけに留まっているのは、愛の巣と化したトレーナー寮を丸呑みにしている巨大な屋敷妖怪の存在によるものだ。

 

妖怪は人霊が完全に肉体の感覚を失うことで感情通りの形質の存在に変異した存在であり、肉体の感覚という自己同一性を保つための器から解放されたことにより、波と波が合わさることで合成波になるように同じ感情を持つ者同士が1つになって完全にオバケになった成れの果てである。

 

そのため、本能的にあそこに踏み入れることで自分たちの存在がトレーナー寮そのものとなった妖怪に取り込まれてしまう恐怖があるため、いつまでも二の足を踏むしかないのである。

 

しかし、そこには愛の果実の甘い蜜の香りが漂っているのも事実であり、あそこの中に入っていきたいという誘惑もあって、トレーナー寮そのものが現実世界ではうら若き生徒たちを、裏世界では彷徨える幽霊たちを誘き寄せては捕食して自分の一部にする食虫植物のようなものとなっており、そうあるように現実世界でトレーナー寮を作り変えた者たちのイヤらしさの種が妖怪の苗床となっていた。

 

なので、トレーナー寮そのものがそういう目的で作り変えられたため、不純異性交遊の動かぬ証拠を隠蔽するための仕掛けを全て取り払う現実的な働きが必要となり、仮に私が悪魔祓いの奥義を尽くして消滅させたところで現実世界に存在するものの形質が苗床となっている限りはいくらでも復活してしまうのだ。

 

つまり、現実世界のトレーナー寮そのものを跡形もなく破壊した上で裏世界に根付いて成長し続けるトレーナー寮と一体化した巨大な妖怪を浄化しない限りはウマ娘とトレーナーの理想の関係となるべき営巣行動は留まるところを知らない。

 

ただ、トレーナー寮そのものを苗床にして成長した妖怪は幽霊と異なり、建物としての属性あるいは自意識も持つようになるため、『火の用心!』という掛け声と拍子木を叩く音が響き渡ることで妖怪を構成している人霊たちの記憶や感覚から死ぬほどビックリして萎縮するのだった。

 

なにしろ、トレーナー寮という場所に対する妖怪を構成する人霊たちの集合意識にとって、火災によって建物が全焼する恐怖は何よりも恐ろしいことであり、ウマ娘とトレーナーの愛の巣である我が身を守ろうという意識が建物を苗床にして成長した妖怪に走るのだ。

 

しかも、その集合意識の半分はウマ娘であり、なおかつ妖怪でありながら建物そのものなので“拍子木”の裏で“提灯”から流しているウマ娘には聞こえる不快な超音波から逃げ出すことができずに悶え苦しむしかないのだ。

 

その不快感は表裏一体となる現実世界にも何となくだが居心地の悪さを生者に与えることになり、自然と現実世界のトレーナー寮から人が出ていくことになるのだ。

 

そういう意味で“提灯と拍子木”は妖怪退治の新兵器であり、その試運転としては上々の結果が得られていたが、同時に対ウマ娘用制圧兵器にも転用できるため、決して表に出すわけにはいかない禁断の兵器にもなっていた。

 

 

しかし、基本的に未開惑星の習俗や文化の有り様には尊重して無干渉主義を貫く宇宙時代の文明人たる私だが、それでも主義に反してこの爛れた世界に強い怒りを覚えてしまうのは『風紀が乱れる』という理由からである。

 

『個人の風紀が乱れる』のは個人の自由として尊重して『節度を守れ』という言う程度だけだが、これが『全体の風紀が乱れる』となったら話は別で、

 

生命の答え;なぜ生き物が生まれて死んでいくのかの端的な答えが生殖行為である以上、その生殖行為を果たした生命は基本的には生命の役目を終えたことであとは死にゆくのを待つことになるのだから、

 

『全体の風紀が乱れる』状態は社会を1つの生命に喩えると生命の役目である生殖行為を終えて死にゆくのを待つ状態になっていることになるので、高度な文明を維持しつつ既存の社会を存続させるためには『全体の風紀が乱れる』のは絶対に避けねばならないのだ。

 

表向きはウマ娘ファーストを標榜した結果 ウマ娘の感情のままにトレーナー寮が愛の巣となっていたとしても、不健全極まる公序良俗違反のツケ(風紀の乱れ)は必ず社会性の破綻をもたらすことは明白である。

 

裏世界ではどれだけ悍ましい状態になっているのかが一目瞭然であるし、たとえ直接的にその存在を目にすることはできないとしても、その悪影響は次第に表裏一体の現実世界にはっきりとした形で現れるのだ。

 

そう、入試倍率が過剰で中途退学者も決して少なくない全寮制の中高一貫校のトレセン学園という一種の閉鎖空間だからこそ発生した歪な教育環境は在籍トレーナーの激減と若手トレーナーの離職率から明確に過ちを犯していると証明できているのだから。

 

そして、別世界で弱者救済のために療養所(サナトリウム)となる横浜分校の新設を訴えた“女王”アグネスオタカルの願いは後ろ暗さと熱情に浮かされた勢いによって歪んだ形で実現され、

 

内心はどうあれ“負け組”に寄り添って学生寮を支配することで実質的にトレセン学園を乗っ取ることに成功した“将星”トウショウサザンクロスにとっても シャトル出産で異国の地に産み捨てられた恨みもあって さぞや不愉快に思うこと間違いなし。

 

だが、トレーナー寮の怪異などさしたる問題ではなかった。所詮は別世界の問題であって、私たちの世界では問題ではないのだから。

 

私たちが体験している“皇帝”シンボリルドルフに対する悪意がこもった異世界転移の目的はそこにはなかったのだから。

 

 

――――――トレセン学園を黄金期へと導いた“皇帝”シンボリルドルフを讃えるための記念碑となるエクリプス・フロント。

 

 

そここそが私たちの目的地であり、()()()()()()()()()()()()()が囚われることになった晒し台となっていたのだ。

 

なぜ今まで気づかなかったのか――――――、エクリプス・フロントに巨大なシンボリルドルフが磔にされてグッタリとしていたのに気づいた時には全員が言葉を失う他なかった。

 

この世界独自に偉大なる指導者:シンボリルドルフの巨像を建てたとかわけではなく、“皇帝”シンボリルドルフというウマ娘に対する人々の思いがエクリプス・フロントという現実世界の記念碑となる施設に集まり、卒業式を迎えたことで惜別の念があのような超高層ビルの妖怪を生み出していたのだ。

 

 

和田T「――――――人々の思いが“皇帝”シンボリルドルフの巨大娘(ジャイアンテス)を生み出したというのか、あれは!?」

 

飯守T「な、何だ、あれええええ!? 特撮のセットかよ!?」

 

岡田T「…………“皇帝”シンボリルドルフを讃えるエクリプス・フロントに磔だなんて、趣味が悪いにも程がある!」

 

飯守T「まさか、あそこに()()()()()()()()()()()()()が取り込まれているんですか、斎藤T!?」

 

斎藤T「そのようです。この世界でも自身の記念碑となるエクリプス・フロントで物思いに耽るのは変わらなかったみたいですが、裏世界に取り込まれるほどに精神的に追い詰められていたみたいですね」

 

岡田T「……それって、アグネスオタカルの世界のようにトレセン学園に入学せずに車いす生活になったり、トウショウサザンクロスの世界で斎藤Tを襲いかかるほどに精神崩壊したりする以上のことなんですか?」

 

斎藤T「少なくとも、この世界はシンボリルドルフにとってはもっとも残酷な世界であるのは身を以て理解できているはずです」

 

岡田T「うっ」

 

飯守T「えっと、整理すると――――――、」

 

飯守T「アグネスオタカルの世界だとトレセン学園に入学しなかったことで黄金期を迎えられなかったことを後悔する車いすの人生を送っていたのに対して、」

 

飯守T「トウショウサザンクロスの世界だとトレセン学園を卒業したら自分の後を継いでくれる者がいなくて、残されたものが“愛した人との思い出”だけしかないことを嘆いていましたから、」

 

飯守T「トレセン学園の顔役として史上初の“無敗の三冠バ”にして歴代最長の生徒会長として生徒たちの模範と成り続ける裏で、この世界のトレーナー寮や横浜分校の爛れた実態を知っているのだとすれば、自分自身の“男女の愛”さえも否定的になる立場にいなくちゃならないはずだから――――――」

 

 

岡田T「――――――()()()()()()()()()()()()()には卒業したら本当に“何もない”というわけなのか!?」

 

 

斎藤T「トレセン学園を卒業するまで生徒たちの規範であるという義務感から卒業してしまえば、現実世界への執着が完全になくなって、裏世界に引きずり込まれることになるのも不思議ではないですね」

 

斎藤T「だって、あそこに磔にされているように、人々はずっと“皇帝”シンボリルドルフが学園に君臨し続けてくれることを願っているわけですから」

 

斎藤T「これぞ、まさしく“永遠なる皇帝”というわけですよ」

 

岡田T「!!!!」

 

岡田T「そんなバカなことがッ!?」

 

和田T「――――――あるんだろうなぁ」

 

岡田T「え」

 

和田T「俺もカフェと組むまではずっと『天皇賞(秋)』の時からトレセン学園に居場所がなくて、それでトレーナー室でボーッとする毎日を送っていたら裏世界に引きずり込まれて悪霊に殺されかけたことが何度もあるから、学園よりも斎藤Tの秘密基地で過ごしていたいと思うようになった経緯があるので……」

 

岡田T「だとしても、こんな――――――!?」

 

斎藤T「とりあえず、行けるだけ近くに行ってみましょうか。新年度にオープンのエクリプス・フロントの出入りは私ならある程度は自由なので」

 

 

 

和田T「でっけえ。恐竜のテーマパークを思い出させる迫力満点の靴のデカさだ……」

 

飯守T「うわっ! 巨大娘:シンボリルドルフの足元にスカートの中を覗こうと見上げている悪霊に、恍惚とした表情で拝んでいる悪霊や靴にスリスリしている悪霊がこんなに……!」

 

斎藤T「男も女も老いも若きも煩悩に忠実でよろしい」クスッ

 

岡田T「あの勝負服の丈の短さと絶対領域に“皇帝”のエッセンスを合わせ込むとそれはそれは魅力的にはなるだろうけど、『ああいうイヤらしい連中と一緒にはなりたくはない』と強く思ってしまいますな……」

 

和田T「………………俺、へそフェチでよかったと思ったのは初めてだなぁ」ボソッ

 

岡田T「ああ、いかんいかん。見てはいけないのに つい見上げてしまうな……」

 

飯守T「でも、こうして見上げると本当に史上初の“無敗の三冠バ”に“最強の七冠バ”を達成した“皇帝”ってのは周りからこんなふうに巨大に見えているものかもしれませんね」

 

岡田T「そうでしょうな。“皇帝”シンボリルドルフに続く“無敗の三冠バ”が確実視されていたテイオーでさえも不運に見舞われて 夢は幻になって消えてしまっていたぐらいですから……」

 

岡田T「だから、それだけの偉業を成し遂げたシンボリルドルフの存在は永遠にウマ娘レースの歴史に語り継がれることにもなる伝説にもなるわけですよ」

 

 

――――――レースに絶対はないが、“そのウマ娘(シンボリルドルフ)”には絶対がある。

 

 

和田T「こうして偉大な人物が物理的に大きくなっているのを見ると、それが逆に近くから見上げると大きすぎて――――――、あ、あの2つの豊かな双丘に阻まれて顔まで見えないということに」

 

和田T「………………マックイーンが磔の巨大娘じゃなくてよかった、ホント」ボソッ

 

斎藤T「あの勝負服は神聖ローマ皇帝:ルドルフ一世に擬えた“皇帝(エンペラー)”の装いに“最強の七冠バ”の証明であるG17勝を記念した勲章をつけた生徒会長当選祝いの式典用の勝負服でしたか」

 

岡田T「そうです。一般的にはあの勝負服のイメージが強いわけですが、まさか現役中にG17勝の勲章なんてつけるわけがないじゃないですか」

 

和田T「そうそう。やるとしてもトウカイテイオーが真似した“クラシック三冠”連勝中のVサインが有名なところかな」

 

和田T「で、トウカイテイオーの勝負服はまさしく現役時代のシンボリルドルフのものにかなり似せていたことで『本気で“皇帝”の後を継ごうといている覚悟の現れか、己の才能を鼻にかける青二才か』と賛否両論にはなるぐらいには恐れ多いものになっていたな」

 

 

岡田T「――――――思い返す度に『それでこそ俺が探し求めていた“俺だけのシンボリルドルフ”だ!』と猛烈に感動した記憶が今でも色鮮やかに蘇ってくる」

 

 

岡田T「だから、トレセン学園の“皇帝”に至る過程の走りに魅せられていた俺にとっては、“皇帝”になった後にお披露目となった勝負服は意外とそこまで印象には残っていないもんですな……」

 

和田T「やっぱり、地方から上がってきた岡田Tの気概には敵わないなぁ。当然か……」

 

和田T「たまたま、約束された未来のG1ウマ娘がスカウトできたからG1トレーナーになっただけの俺からすれば、“俺だけのシンボリルドルフ”を探し出して全身全霊で担当ウマ娘と同じ夢を目指す姿は眩しすぎるや……」

 

 

この世界のシンボリルドルフは“何もない”存在であったために、人々の集合的無意識の中に引きずり込まれることになり、文字通りに“永遠なる皇帝”としてトレセン学園に縛り付けられることを強要されることになっていた。

 

実際、卒業式を最後にこの世界のシンボリルドルフは忽然と姿を消して捜索願いが密かに出されていたわけであり、父親が警視総監である飯守Tからの情報でこの世界のシンボリルドルフが現実世界のどこにもいない可能性を見出すことになり、

 

卒業式の日からシンボリルドルフに憧れている熱心なファンたちのコミュニティで不思議とシンボリルドルフの夢を見るようになったことが共通の話題になっていたらしいのだ。

 

その噂話をこの世界のメジロマックイーンから聞いていた和田Tによって、私はこの世界のシンボリルドルフの行方が学園裏世界だろうという推測を立てることができ、実際にそれは推測通りだったことを確かめることになった。

 

先日のこの世界を象徴する強烈なまでの性的な出来事の数々はこの結論を導くための台本(シナリオ)通りの運命を操る上位者による演出だったのだと思わされるばかりだ。

 

ハッピーミークが考えるのをやめてしまうほどのショッキングな出来事など、私たちからすれば目的にたどりつくための導入に過ぎず、別世界のシンボリルドルフの心情を推し量るためのヒントでしかないのだ。

 

もちろん、もしもの現実が具現化した可能性の世界であるため、そうなりかねない因子が間違いなく元の世界のトレセン学園に存在していることをはっきりと確認できたので、元の世界でのシンボリルドルフ卒業後の新時代を迎えるトレセン学園を正しく導くための指針としてしっかりと役立てよう。

 

質量保存の法則に乗っ取ると、私が別世界を見て回っているのと同じように元の世界から忽然と姿を消した私の質量の穴を埋める形で()()()()()が元の世界を見て回っているはずであり、私がいた元の世界ははたしてどのような可能性の世界と評価されるのであろうか。

 

その痕跡は世にも不思議な時間が巻き戻る“目覚まし時計”の魔力によって全てがなかったことにされるが、私が可能性の世界を訪れた数と同じだけ、別世界の私も可能性の世界を見て回るはずなので、どの世界の私が体験する内容は等価になるようにこの異世界探訪が組まれているはずだ。

 

なので、その世界が抱えている問題に関してはその世界の私自身が何とかすると信じて、私は私の世界のトレセン学園の絶対的な象徴であった“皇帝”シンボリルドルフの明るい門出のために誠心誠意努力するのみである。

 

 

さて、まだ一般公開されていないエクリプス・フロントは魔界と化していた。

 

 

というのも、人々の膨大な惜別の念によって学園裏世界に引きずり込まれた挙げ句に巨大娘:シンボリルドルフとして磔にされているような場所なのだ。そこは過分な妄想によって現実が塗り潰されていた。

 

そうなるのも、まだ一般公開されていないために実際はどんな感じなのかがわかっていないエクリプス・フロントに対する大衆のイメージが“皇帝”シンボリルドルフの記念碑になる場所といったもののため、卒業式の日にそのイメージが最高潮に達して人々の念が合成波となってエクリプス・フロントに転写されて、人々がイメージするシンボリルドルフ一色にエクリプス・フロントを染め上げることになったのだ。

 

そのため、建物そのものが妖怪化しているのだが、妖怪化した場所に関しては異界と表現した方がわかりやすいかもしれない。現実世界の人々の念が集合的無意識となって表裏一体の裏世界での現実となっているのだ。

 

 

飯守T「どうやら、異界化の影響で“皇帝”シンボリルドルフに対するイメージが中等部の現役時代と高等部の生徒会長時代の2つに分かれて、普通の箱型の高層ビルの内装がツインタワーになっているみたいですね」

 

岡田T「あるはずのない連絡通路を渡ったら向こうが生徒会長タワー、こちら側が七冠バタワーか……」

 

岡田T「実際、シンボリルドルフの6年間はその2つの時期に分類できるわけで、シンボリルドルフ一人の力で特色づけられているわけじゃないのはわかっているはず」

 

和田T「そうですねぇ。やっぱり、シンボリルドルフの中等部時代は三巨頭の時代なわけで、いかに有馬一族の御曹司:鐘撞Tの存在が大きかったかという話ですよ」

 

岡田T「そういうわけで、早くも台頭してきた シンボリルドルフの現役時代を直に体験してこなかった 新世代のファンの熱意がエクリプス・フロントに傷をつける悪意になっているわけですな」

 

斎藤T「具体的には“無敗の三冠バ”同士の頂上決戦:シンボリルドルフ VS.ミホノブルボンを望む声がエクリプス・フロントの内装を真っ二つにわけているわけですよね」

 

和田T「つまり、シンボリルドルフ至上主義者と新世代が対立する未来が待ち構えているように感じられて嫌ですね」

 

岡田T「まったくですな。“皇帝”シンボリルドルフの偉業を讃えるのはいいが、新世代の台頭を喜べない旧弊は退屈なレースを生んで先行きを短くするだけだというのに……」

 

斎藤T「まあ、自分にとって一番のウマ娘は人それぞれですから」

 

 

岡田T「それがいつまでも当人を縛り付ける鎖になっていることに、どうして思いやれないんだろうな、人って」

 

 

和田T「岡田T……」

 

飯守T「難しい話ですよね。完全に忘れ去られて過去の人にされるよりかは寂しくはないですけど、かと言って いつまでも過去の栄光に縛られ続けるのも……」

 

和田T「――――――『そっとしておいて欲しい』と思うこともある。わかるよ」

 

和田T「メジロ家の令嬢を担当ウマ娘にした瞬間に会ったこともない人からいろいろと言われるようになったし、今まで底辺チームでサブトレーナーをしていた俺に対して『最初から見込みがあるやつだと思っていた』としたり顔で言い寄ってくる輩が出てくるしさ……」

 

和田T「でも、そういった声が展示会場の展示品になっているのは本当にシュールですねぇ……」

 

岡田T「たしか、エクリプス・フロントにはトレセン学園の歴史や貴重品を取り扱った展示会場があるとは聞いていたけど、こんな趣向のものが出てくるとは……」

 

斎藤T「案外、『こういうのを知ってもらいたい』という一人の少女の意志がこれまで自分に向けられてきたものを展示品として見せているのかもしれません」

 

斎藤T「どうします? このまま一気に階段を上がって屋上まで行けば、磔になっている巨大娘:シンボリルドルフの許に行けますが?」

 

岡田T「――――――全部見て回ろう」

 

飯守T「俺もそうするべきだと思います」

 

和田T「うん。斎藤Tが我らが“皇帝”陛下と会って話をするのが大事なわけで、俺たちはそのおまけに過ぎないけれど、必要な情報が展示されているかもしれないし」

 

和田T「時間が来たら“瑪瑙の釣り針”で一気に現実世界に帰れるんでしょう? なら、時間まで目一杯使って情報を集めた方が確実だと思いますね、俺は」

 

 

今から6年前にシンボリ家の威信を背負って入学して“最強の七冠バ”として讃えられるまでになった黄金期の前半と、

 

今から3年前に最年少の生徒会長に就任してから歴代最高の生徒会長として3年勤め上げた黄金期の後半の展示会場――――――、

 

その2つの時代の架け橋となる連絡通路そのものが中央エレベーターとなって外見は普通の箱型の高層ビルなのに中身がツインタワーの異界の探索を大いに助けてくれていた。

 

自動案内の中央エレベーターと化して新しい階への行き来が快適な連絡通路の窓の外に映るのは何もない闇が無限に広がり続けている。

 

私が創設者となる新クラブ:ESPRITの立ち上げのためにエクリプス・フロントには割りと頻繁に出入りはしているものの、それでも全ての部屋に出入りができているわけではなく、展示品コーナーもまだだった。

 

それでいて、他にもいろいろな施設や業者が入れられているエクリプス・フロントの一部に過ぎない歴史資料館の部分がツインタワーと化しており、わざわざ黄金期を前半と後半にわけたテーマ性をもたせて展示会場が設けられていることに何らかの強い意志を感じていた。

 

なので、おそらく展示品の中身は明らかに異界の産物だったとしても空間の間取りについては事前に見せてもらっているのだろう。想像力では補えないような正確な歴史資料館らしさが演出されていた。

 

たしか、『一度見た相手の顔は忘れない』という特技があると言っていたが、それは何事においても発揮されているようであり、所々に置いてあるシンボリルドルフの筆跡のルーズリーフがそのことを嫌でも思い出させた。

 

最初のルーズリーフを何気なくめくっていくと非常に分厚く、見るとそれはトレセン学園の在籍者名簿とトレーナー名簿であったのだ。

 

そして、月毎にルーズリーフの冊子が律儀に置いてあるわけなのだが、月を追う毎にその厚みが薄くなっていたのだ。

 

抜け落ちたページが下の段にあった別のルーズリーフに毎回まとめられているのを見比べることで、最初のところも例外なく月毎に2冊のルーズリーフが用意されていたことに気づいたのだ。

 

 

そう、下の段にあった別のルーズリーフはトレセン学園から去っていったウマ娘やトレーナーたちの一覧だったのだ。

 

 

人知れずにひっそりと惨めに夢の舞台を去っていく者が後を絶たない中、こんなものが人々の集合意識の産物である異界に存在することが一人の少女が抱く哀愁を物語っていた。

 

律儀に毎月分が決まって置かれているのだが、慣れてくると全ページをめくるのも億劫になってしまうものがある気怠さがトレセン学園から去っていく者を見送ることの虚しさを呼び込んでいた。

 

ページに合わせて冊子が分厚くなることで2つのルーズリーフの大小がこの時期に何があったのかを想像させることになり、去年 配属の新人トレーナーの私にとってはまったく無意味な情報でしかないのに、いつしか去っていった者のリストの厚さの変化にばかりに目がいくようになってしまった。

 

 

和田T「ああ、こんな子がいたなぁ、たしか……」ペラ・・・

 

和田T「そっか。この頃に退学していたんだ……」フムフム

 

和田T「薄情なもんだよな。『選抜レース』でいい感じだったからスカウトしようかなとか考えていた子だったのに、これを見るまで完全に存在を忘れ去っていたんだ……」

 

斎藤T「一般的にオフシーズンとされる7月と8月の時期に退学の生徒が増えるのか。全然 知らなかったな……」パラ・・・

 

飯守T「たぶん、冬のオフシーズンとはちがって夏の強化合宿に参加できなかったり、そこで十分な成果を得られなかったりして、秋以降のトップシーズンに期待が持てなかったからじゃないですか」

 

斎藤T「こうして見ると、スカウトできずに次のチャンスを待ち続けて学園に居続ける子とスカウトされても好走が果たせずに早々に退学していく子のどちらが幸せなんでしょうね」

 

和田T「やめてくれ。俺にとってトラウマの修羅場のシーンが蘇るから……」

 

 

こんな辞め方になるぐらいなら……貴方なんかと、出会わなきゃよかった……!

 

 

和田T「うぅうううううううううううううううううううううわああああああああああああああああああああ!?」

 

飯守T「だ、大丈夫ですか!?」ビクッ

 

和田T「こ、この子だぁあああああ!? あまりにも壮絶な修羅場で今でも夢に出てくる光景が――――――!」ガタガタ

 

岡田T「ああ、この子はあの――――――」

 

岡田T「トレーナーも一緒にトレセン学園を辞めていくことになったことで有名になった、あの――――――」

 

和田T「うぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

飯守T「お、落ち着いてください! しっかりしてください!」

 

和田T「す、すみません。取り乱してしまいました……」ゼエゼエ

 

和田T「いやいや、ホント、キツイ……」フゥ

 

和田T「我が事ではないにしても、他人事ではないことだから、ウマ娘にとって一生に一度しか許されない『トゥインクル・シリーズ』への挑戦を俺なんかがやりきれたことが本当に奇跡みたいなもので……」

 

和田T「G2勝利を目指して程々に頑張る底辺チームにいた俺だけど、その底辺にすら留まれずにトレセン学園を去っていったウマ娘やトレーナーを結構見てきているし、そういう話題が自然と耳に入ってくる姦しい場所にいるもんだからさ……」

 

和田T「だから、G1勝利を目指して全力でぶつかっていくことが怖くなって、自分に言い訳をして ずっと底辺チームでのんびり過ごしていたいと思っていた頃があった……」

 

 

和田T「本当に俺にとって最高の宝だったよ、メジロマックイーンは!」

 

 

斎藤T「そうですか。それはよかったじゃないですか。砂金採りをあきらめずにずっと砂さらいをしてきた甲斐がありましたね」

 

和田T「うん! ありがとう……!」

 

岡田T「……これがここにあるということは、ここにあるものを鮮明に記憶して異界に出力できるほどに日常的に関心を寄せていた人物が確実にいるわけですな」

 

和田T「そんなの、我らが“皇帝”陛下以外にいないでしょ!」

 

和田T「だから、これを見て 常日頃からどれだけ胸を痛めているかがジーンと伝わってきて、まだ飲酒もできない年頃で本当に素晴らしい御方だったんだなって――――――、ね?」

 

和田T「もうこれ以上の方なんて二度と出てこないでしょう?」

 

岡田T「そうですな。だからこそ、それがわかっている人間は“永遠なる皇帝”としてトレセン学園にいつまでも君臨してもらいたかった――――――」

 

岡田T「でも、そのエゴが卒業式を迎えなければならない当人を無自覚に一番に苦しめているわけで、それでいて一人の人間として得られたものが何一つない――――――」

 

 

――――――だから、エクリプス・フロントに磔になった巨大娘:シンボリルドルフなんてものが裏世界に存在してしまっているんだ!

 

 

こうして異界化してシンボリルドルフの深層心理さえも展示されたエクリプス・フロントの超特設歴史資料館の鑑賞の足を進めていく毎に、シンボリルドルフという一人の少女が背負ってきたものが私たちの中に溶け込んでくるのがわかってくる。

 

まるでシンボリルドルフ卒業後にその意志を継いでいくために必要な研修であるかのように感じられ、シンボリルドルフの視座というものがどういうものなのかが非常にわかりやすい形で示唆されていた。

 

しかし、ここで至極当然な疑問が湧いてしまう。

 

 

――――――それなら、どうして将来有望なウマ娘をこの世界に呼ばないのだろうか?

 

 

もちろん、多感な時期であることもあって子供であるウマ娘には裏世界の荒々しいおどろおどろしい空気に耐えられないのもそうだ。

 

実際、私が対ウマ娘用制圧兵器とも呼べる新兵器を用いているからこそ、ここまでの道中で悪霊や妖怪の類に襲われることがなく、異界化したエクリプス・フロントをじっくりと見て回ることができているのだ。私の存在が必要不可欠なのは間違いない。

 

そもそも、裏世界に同行させる運命を持つウマ娘と縁がないのも奇妙なことで、天の配剤として必要な人材が来るようになっているのなら、学園裏世界に同行させたくなるウマ娘が私の所に来るはずなのだから。

 

つまり、こういうこと。それで“皇帝”シンボリルドルフの人物評価を落とすかもしれないが、実は――――――。

 

 

岡田T「……そもそも、トレセン学園に自分の意志で入学しなかった世界がありましたな」

 

和田T「そうだよ、アグネスオタカルの世界! そこで答えが示されていたじゃないか!」

 

斎藤T「ウマ娘という生き物の性を理解しているからこそ、その将来性を誰よりも不安視していたわけですね」

 

飯守T「体制側や管理する側になってわかる業界の全体像や実態のことを思うと、自身の理想のために その理想に魅せられて学園にやってきた後輩たちに 現実の残酷さを見せたくなかったのかもしれませんね」

 

斎藤T「そもそも、子供は子供らしく夢に向かって全力ではしゃぐべきであって、大人がしっかりと土台を支えてやるべきなんですがね」

 

和田T「――――――それが俺たちに託された“俺たちにしかできない役割”だってこと?」

 

岡田T「………………」

 

飯守T「そろそろ、次の展示ブースに行きましょうか」

 

 

ゴゴォオオオオオオオオオ! ガクン! ピンポン!

 

 

斎藤T「いよいよ中等部/高等部の3年目のゾーンに突入ですね。どっちから行きます?」

 

岡田T「シーズン後半で“皇帝の王笏”と“万能ステッキ”が脱落するから、たぶん その辺りが心理的に最高に大変な時期なんでしょうな……」

 

飯守T「2年目は高等部の方から見たし、3年目は高等部の卒業式で綺麗に締めになるように行きましょう」

 

和田T「どっちにしろ、全部を見て回るつもりなんだから、その方がいいはずです」

 

和田T「お、早速! 中等部3年目4月度の在籍者と退学者はこんなものか……」パラ・・・

 

斎藤T「最終的に総生徒数2000名弱になる過程ですから、当然 中等部3年のものは高等部1年の時より厚みが少ないですね」ペラ・・・

 

和田T「あ、マックイーンにテイオー! 俺たちの世代だ!」

 

飯守T「そして、タキオンとカフェもだ!」

 

斎藤T「………………あれ?」パラパラ

 

岡田T「どうしましたか?」

 

 

斎藤T「――――――ゴールドシップを見なかったですか?」

 

 

飯守T「え」

 

斎藤T「高等部で今年の卒業生じゃないなら、この時期に入学していないとおかしい」

 

飯守T「あ、そっか。全部は見てなくても、もう中等部2年も高等部2年も見てきているのに……」

 

和田T「たしかにゴールドシップを見た憶えがないかも……」

 

斎藤T「ずっと気になっていたんですけど、ゴールドシップはもしかして生徒を装った不法侵入者じゃないですか?」

 

岡田T「待ってくれ! あれだけ学園内でハチャメチャをやっているウマ娘が不法侵入者――――――!?」

 

和田T「でも、どこを見てもゴールドシップが載っていなかったし……」

 

和田T「あれ? そう言われてみると、他にも何人かゴールドシップのようにこの在籍者名簿に載っていないウマ娘が学園にいるような――――――?」

 

斎藤T「嘘でしょう!?」

 

 

飯守T「ま、まさか、()()()()()()()()()()()()()()が存在している!?」

 

 

斎藤T「……帰ったら確かめる必要があるな」

 

岡田T「危険なことじゃないですか?」

 

和田T「いや、もしかしたら この別世界に単にゴールドシップがいないだけじゃ? そうじゃないと、俺の方でも何人か知った顔がずっと出て来ないことに説明がつかないし……」

 

飯守T「トウショウサザンクロスの世界でスターウマ娘の顔ぶれだけが同じで、実際には生徒たちの顔ぶれがかなりちがっていたのと同じだと思いたいですね……」

 

斎藤T「だといいのですが……」

 

 

そうしてシンボリルドルフの『一度見た相手の顔は忘れない』という特技に反するゴールドシップの不法侵入者疑惑が浮上してくる中、中等部3年の展示ブースを鑑賞していく。

 

中等部2年の史上初の“無敗の三冠バ”達成時の人々の声の展示も凄まじいものがあったが、G1勝利数を重ねていく毎に世間の絶賛の声も大きくなっていった。

 

しかし、シーズン後半に起きた“皇帝の王笏”と“万能ステッキ”の喪失によってG1勝利も歯止めがかかり、その時の大いに落胆した声が嫌なぐらいに聞こえてくるのだった。

 

そして、自身に続く“クラシック三冠バ”ナリタブライアンとの夢の三冠バ対決もないまま、翌年に無投票当選で生徒会長に就任している。

 

そこから実質的な引退レースとなった『サンルイレイステークス』まで非常に淡々とした世間の反応の展示となっており、シーズン前半までの盛り上がりようが嘘のように静まり返って中等部最後の展示コーナーを通り抜けるのだった。

 

それから、この長い長いツインタワーの特設歴史資料館の最後となる高等部3年のブースに足を運んだところ、私たちは驚愕することになる――――――。

 

 

――――――いや、この世界が()()()()()()()()()()()をしばらく忘れていたのを思い出すことになったのだった。

 

 

斎藤T「え、えええええええええ!?」

 

飯守T「こ、これは――――――!?」

 

岡田T「……最終学年になって自分の今までを振り返ってマリッジ(結婚)・ブルーならぬグラデュエーション(卒業)・ブルーになっていたのか!?」

 

和田T「……貞淑を貫いてて本当によかったぁ! 『宝塚記念』の辺りでマックイーンと()()()()()()になってなくてよかったよぉ!」

 

 

斎藤T「――――――トレーナーとウマ娘の()()()()()()を押さえた証拠品が所狭しと展示されているとはねぇ!?」

 

 

岡田T「そうだった。ここは()()()()()()だった……」

 

飯守T「これはもしかしなくても大変ご立腹の様子……!?」

 

和田T「た、爛れてるねぇ……!?」

 

和田T「あ、うううわああああああああああああ!?」

 

和田T「こ、これってパーマー? メジロパーマー――――――!?」

 

飯守T「見ちゃダメです、和田T!」

 

和田T「そうだよな!? “春秋グランプリウマ娘”メジロパーマーだけど! 同期のマックイーンやライアンに比べてイマイチな自分を支えてくれた最高のトレーナーだもんな!」

 

和田T「一緒に飲んでて本当にいいヤツだったからさ、パーマーの不安を抱き留めるぐらいワケないだろうけど……!」

 

岡田T「無理をしないでください、和田T……」

 

和田T「そういう岡田Tだって、知った顔の濡れ場を見て目がかなりイッちゃってますけどぉ!?」

 

岡田T「ああ、斎藤Tが目にした光景ってのはこういうことなんだと展示品だけでわからされてしまったなぁ……」

 

 

岡田T「あ、見てよ。このエアグルーヴのやつ……」

 

和田T「――――――“女帝”エアグルーヴぅ、お前もかぁ!?」

 

和田T「え、何? これって花のコスプレ? スカートの部分が花弁になっている感じのカワイイ感じの衣装?」

 

和田T「バレリーナっぽくて、ちょっと“女帝”のイメージには合わないけど――――――、あああああああああああああ!?」

 

岡田T「エアグルーヴも好きな人の前では()()()()()になるんだなぁ……」

 

和田T「いや、ちょっとまって! これって、そういうこと!? ()()()()()()()()()()のプレイかよ!? 担当ウマ娘の園芸に合わせたイイ趣味だな、おい!?」

 

和田T「あ、あああああ、見続けるべきじゃないのに目が離せないぃいいいい!?」

 

和田T「あ!」

 

岡田T「ああ、見事な()()の光景ですなぁ……」

 

和田T「す、スゴっ! え、あんなにいっぱい出るもんなの? というか、ヤベえよ、アレ! もう“女帝の支柱”じゃん! ガーデニング用の支柱だよ、アレ!?」

 

和田T「お、おお……、掃除好きだからって()()()()()()()()って、もうアレだな、アレ……!?」

 

和田T「あ、ああ……、これから俺はどんな目であの2人のことを見ればいいんだよぉおおおおお……!?」

 

 

飯守T「…………斎藤T」

 

斎藤T「…………何ですか?」

 

飯守T「正直に言って、才羽Tと桐生院Tの話があったから この世界ではそういう関係なんだって納得していたつもりだったけど、これは――――――」

 

岡田T「え、これって何人の女性トレーナーとヤッているんだ、才羽Tは?」

 

和田T「というか、あっちこっちも才羽Tだらけじゃん!? 何なの、このプレイボーイぶりは!? お、俺の中の驚異の天才:才羽Tのイメージがぁああ!」

 

斎藤T「……やっぱり、才羽Tらしくない」

 

飯守T「……それはそうだけど、こういう世界なら()()()()()()()もあるもんじゃないんですか?」

 

斎藤T「それでも、何か引っ掛かる――――――」

 

斎藤T「あ」

 

 

斎藤T『――――――ゴールドシップを見なかったですか?』

 

飯守T『ま、まさか、()()()()()()()()()()()()()()が存在している!?』

 

 

 

斎藤T「……そうか。これはそういうことか」

 

飯守T「え」

 

斎藤T「和田T! 岡田T! “提灯と拍子木”をお願いします!」

 

和田T「あ、はい!」

 

岡田T「気分転換にはもってこい!」

 

 

それが世界の本質であることを思い出させる家のように、高等部3年のゾーンに入ってすぐに一気に()()()()()がピンク色に広がっていた。

 

それがなぜなのかはすぐに予想がついた。やはり、“皇帝の王笏”を失って心の支えを無くしたことで理想に邁進してきて今まで見ようとしなかった爛れた現実から目を逸らし続ける気丈さが最終学年になって失われていたのだろう。

 

そして、最終学年になった時に本質的な興味が競走ウマ娘らしいレースの世界から年頃の女の子のように性に移ったと見える。

 

()()()()()()()()()()()()()には完全に“何もない”のだから、唯一自分のものになるはずだった“男女の愛”さえも理想のために掴み損ねてしまった未練が他の生徒たちの性事情に強い関心を寄せることになった。

 

元から予言書を授けた“ウサギ耳の淫獣”と暗黒期に仇名されたムラクモTの導きがあって『トゥインクル・シリーズ』を目指したぐらいには、競走ウマ娘の『名家』に生まれながら競走ウマ娘として縛られた一生に絶望していたような賢すぎる子だったのだ。

 

普通あらば一生に一度の『トゥインクル・シリーズ』で最高の高みに導いてくれた担当トレーナーと添い遂げるのがヒトとウマ娘の絆の物語のお約束になるわけなのだが、

 

最愛の人を失った“最強の七冠バ”であるシンボリ家の惣領娘なら()()()としてその因子を残さないわけにもいかず、最愛の人以外の男と結ばれるのが確定事項だからこそ、卒業後の人生は暗闇に閉ざされていたのだ。

 

つまり、いきなり思い出の世界がピンク色に染まったのは最愛の人と愛し合えなかったのに周りの人間は思う存分に愛し合っていることへの怒りや妬みが原因ではないのだ。

 

そもそも、学園裏世界に取り込まれるということはそれだけ現実世界に対する執着心がなく、極めて裏世界の住人と波長が近い存在になっていることに他ならないのだ――――――。

 

そして、私は“提灯と拍子木”を打ち鳴らさせて、卑猥な映像資料が流れ続けるスクリーンに手を突っ込むと、映像の中で桐生院先輩以外の女性トレーナーの蜜を散らす才羽Tの影法師の頭を鷲掴みにしたのだった。

 

 

斎藤T「ほら、出てこい! 人の心の中に巣食う魔界の住人(ダークストーカー)が!」ガシッ

 

才羽T?「うおおおおおおおおおお!?」ドサッ

 

飯守T「え、えええ?! モニターから人を引き摺り出したあああああああ!?」

 

和田T「な、何がどうなって――――――!?」

 

岡田T「ハッ」

 

岡田T「まさか、これは()じゃない――――――!?」

 

斎藤T「そのとおり。悪霊の集合体である妖怪とはまったく別の存在;魔界に属する半人半霊(エンティティ)だ」

 

飯守T「――――――『半人半霊(エンティティ)』?」

 

斎藤T「簡単に言えば、心霊主義(スピリチュアリズム)交信者(チャネラー)で、高次の霊的存在:神・宇宙人・死者などの非現実世界の存在との交信を図った者の成れの果てだ」

 

和田T「よくわからないぞ、斎藤T!」

 

斎藤T「半人半霊(エンティティ)の中でも魔界の住人(ダークストーカー)は欲心から霊的なことに興味を持って魔界に飲み込まれた人間のことを指す」

 

岡田T「……つまり、こいつの存在がこの世界にとてつもない悪影響を出していると?」

 

斎藤T「今、完全に理解した! どうして卒業式の朝から時の牢獄が発動して別世界を見て回ることになったのか!」

 

 

斎藤T「こいつの正体! 元の世界で才羽Tに憧れて別世界で才羽Tの皮を被って好き放題やっていた三流トレーナーだよ!」

 

 

才羽T?「なっ!?」ビクッ

 

斎藤T「そうだろう! シンボリルドルフに続く“無敗の三冠バ”ミホノブルボンの担当トレーナー:才羽Tのようになりたくて、自分が才羽Tになっている世界で、()()()()()()()()()()()()()()()という欲望を現実のものにしてきたわけなんだよな!?」

 

飯守T「そうか、道理でな! いくら別世界でも才羽Tなら絶対にやらないことをしていると直感的に思っていたよ、この偽物野郎!」

 

岡田T「そういうことなら、何となくだが、俺でも理解できてきたな~!」

 

和田T「こいつ、ふざけるな! 天才トレーナーの姿になってやっていることが女遊びか! 桐生院Tだけじゃなく、他にも手を出しておいて――――――!」

 

斎藤T「なるほど、そういう世界だったのか、ここは」

 

 

――――――ダークストーカーならぬダークトレーナーの世界だったんだ。

 

 

もう誰も私がモニターから時間と空間を超えて魔界の住人(ダークストーカー)を引っ張り出すことに疑問を持たないまま、この世界の真相がようやく見えた。

 

それと同時に、元の世界から半人半霊(エンティティ)になった人間がこの世界に干渉していることも判明し、想像以上に深刻な事態になっていることがわかってしまった。

 

そう、エクリプス・フロントに磔になっている巨大娘:シンボリルドルフはたしかにこの世界の人たちの『いつまでもトレセン学園に君臨して欲しい』という惜別の念が生み出し、自分のものが“何もない”状態のために裏世界に()()()()()()()()()()()()()が引きずり込まれた結果なのだが、

 

この世界だけではなかったのだ、巨大娘:シンボリルドルフをエクリプス・フロントに投影させるほどの人々の惜別の念を超えた妄念妄想というのは。

 

むしろ、“無敗の三冠バ”にして“最強の七冠バ”の“皇帝”という決して手が届かない高嶺の花だからこそ、ありもしない妄想を夢の中で自分だけの繋がりを誰もが思い描くわけであり、それが一念三千となって別世界との連絡(パス)を持つようになってしまったのだから。

 

逆説的に私たちの世界はそれだけ“皇帝”シンボリルドルフが隙のない存在に仕上がっていたことの証であり、それとは正反対に裏世界に取り込まれるほどに隙のある存在に成り下がっていたのが()()()()()()()()()()()()()と言えた。

 

これはとんでもないことで、言うなれば意識を完全にゲームの世界にフルダイブさせるVRMMORPGにおいて、現実ではないゲームの世界だからといってインモラルな行為をしていたら、実はゲームの世界によく似た別世界の現実に裁かれるというようなものである。

 

この世界に現れた魔界の住人(ダークストーカー)とは元の世界から仮の肉体(アバター)に魂を宿して欲望の解放やストレス発散とばかりに横暴を繰り出すことに何の疑問も持たない輩たちなのだ。

 

 

つまり、私がモニターから引き摺り出した半人半霊(エンティティ)の才羽Tの偽物は氷山の一角に過ぎず、元の世界で果たされなかった妄想が現実になるように別世界を侵していたのがこの世界のあらましなのだ。

 

 

これは可能性の世界への無自覚な侵略行為であり、一見すると元の世界においては罪悪がなされていないように見えても、心の中でウマ娘やトレーナーへの妄念妄想に取り憑かれた者たちの集団意識が時間と空間を超越して可能性の世界を支配しているわけであり、

 

夢を信じて頑張っていればいつかは願いが叶うのと同じように、満たされぬ思いを強く念じれば念じるほど別世界で現実になっている可能性があるのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()とはまだ接触してはいないものの、年頃のウマ娘やトレーナーがあって当然の性欲を闘争心で蓋をしている裏で、抑えつけられていた妄念妄想が別世界で結実していることを考えると、まったくもって他人事ではなくなってしまっていたのだ。

 

 

――――――つまり、この世界は別世界で発散されぬ性欲の捌け口となるべく侵された妄念妄想の世界だったのだ。

 

 



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第二次決戦Ⅶ ドリームランドの支配者 -皇帝G1七番勝負-

 

 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

第1の別世界:アグネスオタカルの世界、第2の別世界:トウショウサザンクロスの世界、第3の別世界:ダークトレーナーの世界への異世界探訪は世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”によって一度は全てがなかったことになる。

 

しかし、“特異点”である私と一緒に異世界を見て回ることになった面々の記憶や体験はそのまま元の世界に身につけていたPDAの電子データと共に引き継がれることになった。

 

なので、私たちだけはこの世界の他にいくつもの別世界が存在し、そこにはいろんな可能性が実在していたことを鮮明な体験と共に記録に残すことができたのだ。

 

これが元の世界:シンボリルドルフの世界で 将来 必要になるものだと前向きに信じるなら、私たちが受けた肉体的・精神的苦痛など未来を救うための些細な犠牲でしかない。

 

 

そう、この私が元の世界で“斎藤 展望”として目指すのはWUMA襲来の破滅の未来を回避するためのタイムパラドックスであり、少し先の未来のことさえ知ることができない人間が挑む不可能への挑戦なのだ。

 

 

そして、WUMA殲滅作戦の時のように誘い込んでC4爆弾で効率良く敵を一掃するような力押しで解決できるような問題じゃないからこそ、白黒つけることができないことも受け容れるしかない。

 

そもそも、『魔王を倒せば世界は救われる』のはそう語り継がれるエンディングが用意されているゲームの世界だけで、

 

人生とは どれだけ善行を重ねていようが 親兄弟家族友人知人親類縁者との死別が必ずあるわけで、哀しみは世界からなくなることはないのだ。

 

だからこそ、哀しみに呑まれた結果、進むべき道を踏み誤らないように豊かな心を育てていくことが大切なことであると私は理解している。

 

また、裏世界で生霊や悪霊になって妖怪に成り果てるのも、それも自然な感情であると共に懸命に生きてきたからなのを考えると、そこまで怒る気にはなれなかった。それが生物の性なのだから。

 

 

だが、魔界に属する半人半霊(エンティティ)である魔界の住人(ダークストーカー)の存在だけは許すわけにはいかなかった。

 

 

半人半霊(エンティティ)とは裏世界の生物である生霊や死霊とはまったく別の存在で、別世界に意識を傾けて異なる肉体(アバター)を得ている存在のことであり、

 

半人半霊(エンティティ)と書くように、元の世界に元の肉体(オリジン)があって別世界に異なる肉体(アバター)で活動していることが定義であるため、肉体から完全に離れてしまった霊体とはちがうのが特徴である。

 

半人半霊(エンティティ)として生者と非生者の性質をどちらも併せ持つため、生者の世界:現実世界と非生者の世界:裏世界のどちらにも出没することが可能。

 

しかし、得てして半人半霊(エンティティ)になる人間というのは現実世界がうまくいっていないからこそ別世界で成功する自分を夢見ているのが大半で、ろくでもない妄想に取り憑かれているからこそ、一念三千でついには別世界の何者かに憑依して妄念妄想のままに生きようとするのだ。

 

別に、それで善行に励むのなら、そこまで悪く言われることはないのだ。手段そのものが悪ではない。その動機や目的でもたらす結果から悪が生まれるのだから。

 

現代風にわかりやすく言うと、フルダイブ型VRMMORPGで多くの実績によって称賛と声望を一身に集める裏で現実世界ではアルバイト生活と行ったり来たりで寝たきりになっている生身のプレイヤーを想像してもらえるとわかりやすいはずだ。

 

そして、ゲームの世界では現実世界に縛られないロールプレイングが許容されているとは言え、モラル違反を問われる悪質なプレイヤーが絶えないことが魔界に属する半人半霊(エンティティ)である魔界の住人(ダークストーカー)を容認できないことのたとえに適しているのではないだろうか。

 

23世紀の星の海を渡る宇宙移民船では極めて限られた居住空間で娯楽や教養を求める目的もあってVR世界での市民生活を複数持って同時並行で文化活動や研究活動に勤しむ多層現実が当たり前となっており、

 

現実世界で宇宙移民船のクルーとしての自分以外にVR世界で獲得している全く異なるパーソナリティの自分がいるので、その宇宙移民である私はよく理解できることなのだが、

 

“ネット弁慶”と言われるように 匿名性の高い状態を確保している時は居丈高な調子を見せるが 実生活ではおとなしい小心者ものほど半人半霊(エンティティ)になりやすいのだ。

 

人間とは 遺伝的多様性を求めて 生理的にいい匂いがする相手に惹かれるものだと考えれば、現実世界の自分にはないものを『隣の芝生は青く見える』として羨ましがって現実世界の他人に自分の足りないものを求めるのと同じように、

 

同一人物になっても他の世界で異なる人生を辿ってきた同一存在にはならない他人:仮想世界の自分に足りないものを求める心理に通じるのも理解できなくはないはずだ。

 

つまり、太古からある現実逃避の手法なのだ。現実世界に生まれてきた使命を果たさずに別世界の何者かに成り代わって第2の人生を謳歌しようとしていることが大きな罪なのだ。

 

大抵は自分の劣等感を他者に倍返しにする妄想や自身を不当に扱ってきた連中への仕返しを妄想している人間が同一人物になっても同一存在にはならない他人:別世界の自分に成り代わってやることなので、“ネット弁慶”に近いイキリが横行するのだ。

 

その点では現実世界に執着しているからこそ裏世界にその思念がこびりついた悪霊たちの方が罪は小さいが、それだけに別世界にやってきて妄念妄想を果たそうとする半人半霊(エンティティ)の方が意志力が強いので裏世界の悪霊たちが体よく利用される傾向にある。

 

 

ここまで見ればわかるだろうが、結局は意志の力なのだ。

 

 

意志の力が強いものが時間や空間を遥かに超えた別世界で裏世界の悪霊さえも利用して己の妄想を遂げてしまうのだ。

 

金持ちが基本的にケチで意地汚い人間が多いのは、常日頃から金に対する執着心があり、金を得るためにどうするかの算段にかけた時間と想念の絶対量が絶対的な金運を呼び寄せているものだ。

 

金持ちが『金持ちでありたい』と思うのも立派な夢の形であり、夢は信じていれば必ず叶うのだから、煩悩まみれだとしても その強欲さに対して それ相応に人一倍の努力をしてきていることには変わらないのだから、貧者は自分が貧しいことを嘆くよりも金持ちの思考に染まる努力をするべきなのだ。

 

もちろん、そうしたハングリー精神の深淵にある身に迫った必要性というのが世界を変える意志の力の根源になるわけなのだが、

 

善行が伴わないのなら、肉体は現実世界にあって精神は魔界に堕ちている魔界の住人(ダークストーカー)に成り下がっているので、肉体を失った後は容赦なく霊魂が魔界に叩き落されるわけなのだが。

 

生きている時は肉体があるからこそ 現実世界にある様々な善きもの悪しきものに触れて 高みを目指すこともできるが、肉体を失った後はよほどの改心がない限りは 次に肉体を得るまでずっと心の高貴さに相応の場所に縛り付けられることを忘れてはならない。

 

だから、イエス・キリストは『悔い改めよ』と言い、お釈迦様は『悟りを開きなさい』と言うのだ。日本でも『お天道様が見ている』と言い聞かせるわけなのだ。

 

全ては生前の行いによって死後の世界での安寧を得るためであり、天国への永住資格を得るための長期に渡る実績作りのために口と行いと誠の三密加持である。

 

天国の住人に相応しい人間がいかなる時であろうと別世界だからといって羽目を外して悪逆無道に生きるはずがないし、別世界だから罪に問われないという治外法権は死後の世界では一切通用しないのだ。

 

誰もが肉体を失った霊体となって閻魔大王の前に立たされ、そこでの裁きに出される証拠となるものは他ならぬその人自身の魂に刻まれた記憶なのだから。

 

 

――――――だから、勝負の世界に全てを捧げて惨めに朽ち果てていく者が後を絶たないトレセン学園に対して私は憐憫の情が絶えないのだ。

 

 


 

 

●ダークトレーナーの世界:3月14日/学園裏世界/エクリプス・フロント

 

 

斎藤T「ほら、出てこい! 人の心の中に巣食う魔界の住人(ダークストーカー)が!」ガシッ

 

才羽T?「うおおおおおおおおおお!?」ドサッ

 

飯守T「え、えええ?! モニターから人を引き摺り出したあああああああ!?」

 

和田T「な、何がどうなって――――――!?」

 

岡田T「ハッ」

 

岡田T「まさか、これは()じゃない――――――!?」

 

斎藤T「そのとおり。悪霊の集合体である妖怪とはまったく別の存在;魔界に属する半人半霊(エンティティ)だ」

 

飯守T「――――――『半人半霊(エンティティ)』?」

 

斎藤T「簡単に言えば、心霊主義(スピリチュアリズム)交信者(チャネラー)で、高次の霊的存在:神・宇宙人・死者などの非現実世界の存在との交信を図った者の成れの果てだ」

 

和田T「よくわからないぞ、斎藤T!」

 

斎藤T「半人半霊(エンティティ)の中でも魔界の住人(ダークストーカー)は欲心から霊的なことに興味を持って魔界に飲み込まれた人間のことを指す」

 

岡田T「……つまり、こいつの存在がこの世界にとてつもない悪影響を出していると?」

 

斎藤T「今、完全に理解した! どうして卒業式の朝から時の牢獄が発動して別世界を見て回ることになったのか!」

 

 

斎藤T「こいつの正体! 元の世界で才羽Tに憧れて別世界で才羽Tの皮を被って好き放題やっていた三流トレーナーだよ!」

 

 

才羽T?「なっ!?」ビクッ

 

斎藤T「そうだろう! シンボリルドルフに続く“無敗の三冠バ”ミホノブルボンの担当トレーナー:才羽Tのようになりたくて、自分が才羽Tになっている世界で、()()()()()()()()()()()()()()()という欲望を現実のものにしてきたわけなんだよな!?」

 

飯守T「そうか、道理でな! いくら別世界でも才羽Tなら絶対にやらないことをしていると直感的に思っていたよ、この偽物野郎!」

 

岡田T「そういうことなら、何となくだが、俺でも理解できてきたな~!」

 

和田T「こいつ、ふざけるな! 天才トレーナーの姿になってやっていることが女遊びか! 桐生院Tだけじゃなく、他にも手を出しておいて――――――!」

 

斎藤T「なるほど、そういう世界だったのか、ここは」

 

 

――――――ダークストーカーならぬダークトレーナーの世界だったんだ。

 

 

才羽T?「フフフフフ! ハハハハハ! フハハハハハハハ!」

 

和田T「な、何だ!?」ビクッ

 

斎藤T「………………」

 

才羽T?「さすがは“特異点”といったところだな、“斎藤 展望”」クククッ

 

岡田T「こいつ、さっきまでと雰囲気が――――――!?」

 

飯守T「でも、明らかに人間のものとは思えない顔つきだ!? なんて邪悪な!?」

 

才羽T?「おっと、すまない。先程まで()()()()()だったものでね、身形を整えさせてもらうよ」ニヤニヤ

 

和田T「い、一瞬で服を着て――――――!?」

 

飯守T「お、お前はいったい誰だ!? 才羽Tでも、三流トレーナーでもないな!?」

 

 

才羽T?「どんな姿でも呼び名でもかまわないぞ。私はお前たち()()()()()()なのだからな」

 

 

岡田T「――――――『人間そのもの』だと?」

 

才羽T?「まあ、私に聞くよりも“特異点”に聞いた方が早いのではないかな?」クククッ

 

飯守T「………………!」

 

 

斎藤T「あえて言うなら、こいつは人類が共有する普遍的無意識のネガティブな領域を司る存在にして、その領域そのものの擬人化である“影の支配者(real mastermind)”だ」

 

 

岡田T「――――――『影の支配者』!?」

 

和田T「――――――『リアル・マスターマインド』!?」

 

飯守T「――――――『本当の黒幕』?」

 

才羽T?「そうだ。人間社会での出来事の全てが神などという不確かな存在によるものではないとしたら、全ての嘆きも哀しみも不幸も全てはお前たち()()()()()()が招いた破滅:自業自得というわけだ」クククッ

 

飯守T「だったら、こいつを倒せば――――――!」

 

和田T「そうだ! こいつが裏でいろんな悲劇を引き起こしていた妖怪だか半人半霊(エンティティ)だか何だか知らないが――――――!」

 

才羽T?「待ちたまえよ。私はお前たち()()()()()()。光があるからこそ影が生まれる――――――」

 

才羽T?「私を否定するということはお前たち自身を否定することになるぞ?」ニヤニヤ

 

岡田T「な、なに!?」

 

 

才羽T?「わかるぞ、わかるぞ。お前たちの心の奥底にある欲望が」

 

 

才羽T?「和田T。お前はここまでの異世界探訪で数々の別世界を見てきた結果、自分の人生は全てメジロマックイーンによって救われたものであるからこそ、それ以外の女に靡かないように一心同体となって愛を刻みつけるイメージトレーニングを膨らませているな?」

 

和田T「!!?!」

 

才羽T?「なるほど。へそか。へそはいいぞ~」

 

和田T「や、やめろおおおおおおお!?」ブン!

 

才羽T?「恥ずかしがることはない。私はお前たち()()()()()()。全ての人間の欲望を司る存在。お前たちのことは手にとるようにわかる」クククッ

 

和田T「あ、あらぁ……!?」ズコー!

 

岡田T「――――――すり抜けた!? 実体がない!?」

 

才羽T?「へそフェチはナーベルビューティーとして“おなかまわりが健康的で美しい人”を審査するコンテストが開かれているぐらいには市民権を得ているものだ」

 

才羽T?「そこをお前はねちっこく攻め立てたいと思っているわけだ。お前もここに晒されているヘンタイたちと同類だな」

 

和田T「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」ガクッ

 

飯守T「和田T!?」

 

才羽T?「次に岡田T」

 

岡田T「!!!!」ビクッ

 

岡田T「……お、俺は何もないぞ! そもそも、不純な思いなんて抱いていないからな!」

 

才羽T?「無駄だ。隠そうと思えば思うほどその部分は影に染まり、欲望の影に沈む」

 

才羽T?「ほう、お前の場合は脚か。テイオーの美脚に劣情を催しているな」

 

岡田T「う、嘘だ!? デタラメだ!? お、俺は俺のせいで何度も故障することになったテイオーの脚を純粋に気遣っているだけで――――――!」

 

才羽T?「きっかけはどうであれ、シンボリルドルフの絶対領域とは趣きが異なる勝負服の生脚だからこそ、“俺だけのシンボリルドルフ”の証として“皇帝”とは異なる“帝王”の生脚を見る度に内心では胸が高鳴っていたな」

 

才羽T?「だから、シンボリルドルフが用意した赤い新勝負服はあまり好きじゃないから、お前は元の勝負服姿の写真を今でも眺め回している」

 

才羽T?「愛し合う時は半着衣プレイで思う存分に生脚を舐め回したいと思っているな。シンボリルドルフへの憧れや他のウマ娘へのエチケットから胸に意識を向けないように劣情をこじらせてきただけにとんだヘンタイだな」

 

岡田T「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」ガクッ

 

飯守T「岡田T! 岡田T! 岡田T!?」

 

飯守T「き、貴様あああああああ!」

 

才羽T?「これで私がお前たち()()()()()()であることがよく理解できただろう」

 

飯守T「何が目的だ!? いったい何のつもりでこんなことを!?」

 

才羽T?「私の目的はお前たち人間の存在価値の否定;己の手で未来を掴み取ることも理想を叶えることもできない未熟で蒙昧で愚鈍で狭量で傲慢な存在が自ら破滅していく様を見て愉しんでいるに過ぎない」

 

 

斎藤T「そう、だから、元の世界と同じく“皇帝”シンボリルドルフが君臨することで総生徒数2000名弱にまで成長したトレセン学園の黄金期の裏で、ウマ娘ファーストの結果としてトレーナー数の減少に歯止めが掛からない状況を誘引して、遠からずしてトレーナー不足でトレセン学園が成り立たなくなる未来へと誘導しようとしている!」

 

 

斎藤T「そこから連鎖的に国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』に破滅がもたらされて混沌に陥ることさえも夢想してな!」

 

飯守T「――――――()()()()()()()()! そうか、そういうことか!」

 

才羽T?「将来的にトレセン学園がウマ娘からの求愛によってトレーナー不足で破滅していくことの何が悪い? それがお前たちが語り継いできたウマ娘ファースト、ウマ娘とトレーナーの理想の関係性というやつだろう?」

 

才羽T?「全てはお前たち人間が自分たちの意志でやってきたことの積み重ねだ。私に罪を着せるのは冤罪であろう」

 

才羽T?「成功すれば己の手柄とし、失敗すれば何かのせいにするとはまさに卑劣の極み。『困った時の神頼み』とはよく言うが、『困った時は悪魔のせい』というのもまさしく人間の愚かさの象徴だな」

 

飯守T「くっ」

 

 

斎藤T「だが、逆に言えば、お前が()()()()()()であるからこそ、お前をどうにかすることができればお前とつながっている全ての人間の心を動かして状況を一変させることもできるわけだ!」

 

 

飯守T「!!」

 

才羽T?「はたしてできるかな、“特異点”?」

 

斎藤T「やれるとも。そうでなくては“トレセン学園の敵”になる覚悟なんてしていない。私は常に世界を相手にしているのだから、今更なんだという話だ」

 

斎藤T「お前の本質も『興味があることの対義語である無関心ではない』からな。お前自身も私の力になってくれるさ。それを前提にしてこれからの戦略を立てているのだから」

 

才羽T?「普通は『好きの反対は無関心』というところではないかな?」クククッ

 

斎藤T「もうね、『好きだからやりたい』とか『嫌いだからやりたくない』とか、そんなことを言ってられる自由は私にはないの!」

 

 

――――――だから、才羽Tの皮を被った“影の支配者”を通じて全ての人たちの心に訴えかけているんでしょうが!

 

 

そして、第3の別世界:ダークストーカーの世界の象徴として、魔界に属する半人半霊(エンティティ)である魔界の住人(ダークストーカー)の究極とも言える集合意識“影の支配者(real mastermind)”の登場である。

 

今回はこの世界の才羽Tの濡れ場が映し出されている青少年の健全な成長にとって極めて有害な過去の映像から私が時間と空間を超越して引き摺り出したから才羽Tの姿を借りているわけなのだが、本来は“影の支配者(real mastermind)”自身が語るように()()()()()()であるために一定の姿を持たないのだ。

 

()()()()()()であるために“影の支配者(real mastermind)”とは誰かであって誰でもないわけであり、半人半霊(エンティティ)の性質である『状況に応じて内包している誰かの要素を使い分けている』というわけなのだ。

 

その最大公約数となる存在が()()()()()()である“影の支配者(real mastermind)”であり、あらゆる人間の要素が詰まっているから何者でもなれるわけであるが、

 

逆に言えば、一定の姿を持つ何者かになってしまうと それ以外の要素を切り捨てて その姿形に縛られてしまうわけであり、内包する全ての人間の要素を一度に表出させることは()()()()()()でありながら人間という存在では不可能であることを示唆している。

 

つまり、人間という存在が神に等しい万能性を示すためには状況に応じて内包している何者かの要素を発揮できる存在に都度変化していく必要があるわけであり、適切なものを適切な状況で適切な量だけ利用できれば神に等しい万能性に少しでも近づいていけるわけである。

 

人間が持つ無限の可能性とはそういう意味であり、人間ひとりひとりの中に内包されている要素を適切なものを適切な状況で適切な量だけ利用できるように発揮できるように導けた時が人間の可能性が目覚めたことになるのだ。

 

そして、わざわざ人間の世界に神に等しい存在が関わってきているということは、人間に対して()()()()()()である“影の支配者(real mastermind)”が求めているものがあるということなのだ。

 

だから、()()()()()()である“影の支配者(real mastermind)”相手に未知の恐怖を抱くことはないので私は恐れずに踏み込めるのだ。

 

相手がいかに()()()()()()であるために強大な存在に思えても、支配する民のいない王など滑稽であるように、()()()()()()であるために自身が存在するためには自ら嘲笑う人間の愚かさに依存するしかないのだから。

 

それがわかっていれば、どれだけ悪辣さが極まる存在であろうとも、少なくとも現実世界と表裏一体の裏世界においては負けることはない。というより、人生において真の意味で勝ち負けなどないことが悟れる。

 

これはそういう手合であり、宇宙移民であるなら徹底的に『人間とは何か?』という物事の本質を捉える哲学的思考を身に着ける訓練も相まって、私の方が()()()()()()であるために21世紀の人間の後進性の象徴となる“影の支配者(real mastermind)”のことを嘲笑えるのだから、気後れすることなど決してないのだ。

 

そもそも、ヒトとウマ娘が共存する異なる進化と歴史を歩んだ21世紀の地球の現状に対して常に批判的で、やろうと思えば23世紀の宇宙科学と並行宇宙の地球を支配するWUMAの超科学を使って世界を変えることだって可能なのが“私”なのだ。

 

そのことを考えれば、現実的な脅威として“世界の敵”に成り得るのは()()()()()()である“影の支配者(real mastermind)”よりも圧倒的にこの“斎藤 展望”であるし、

 

“特異点”である私は“影の支配者(real mastermind)”が内包する()()()()()()には含まれていないこともあり、まさしく地球外生命体(Alien)としての思考と論理で動くのだから、“影の支配者(real mastermind)”が私になろうとした瞬間に()()()()()()ではなくなるという存在消失に陥るのだ。

 

なので、私は()()()()()()であるために全ての人間とつながっている“影の支配者(real mastermind)”に対して状況打開のために取引を持ちかけるのだ。

 

それはこの第3の別世界:ダークストーカーの世界が元の世界と普遍的無意識という心の海でもっとも密接につながっているからこそできた不可能への挑戦であり、2つの世界を同時に救うための起死回生の策であった。

 

 

――――――そして、時は巻き戻る。

 

 

●4周目:3月13日/トレセン学園トレーナー寮

 

斎藤T「それで、“女帝”エアグルーヴの担当トレーナーはどんな方なんですか?」

 

ピースベルT「エアグルーヴちゃんと同じON/OFFの切り替えが激しい性格だよ♪ エアグルーヴちゃんと一緒に今は後進の育成を頑張っていて、物凄く評判のいい理想の王子様(トレーナー)なの♪」ウフッ

 

ピースベルT「そうそう、鐘撞Tはね、トレーナー人気ランキングで殿堂入りを果たすほどの超人気者だったんだけど、鐘撞Tとは世間からライバル扱いを受けていた鈴音Tはシンボリルドルフの担当トレーナーということで猛烈な嫉妬で超不人気だったのは想像できるよね♪」フフッ

 

斎藤T「ええ。基本的にウマ娘の才能に見合った貫禄のあるトレーナーじゃないと不釣り合いだと言われるような業界ですからね」

 

ピースベルT「そして、ルドルフちゃんの次に“クラシック三冠バ”になったブライアンちゃんの担当トレーナー:三ケ木Tも超嫌われていたけど、鈴音Tほどじゃなかったのよね♪」フフッ

 

斎藤T「とすると、“女帝”エアグルーヴの担当トレーナー:吾妻Tはそうじゃなかったと?」

 

ピースベルT「そうよ~♪ まさにウマ娘の格とトレーナーの格が釣り合った理想の関係性として、毎年のトレーナー人気ランキングの上位入賞の常連になっているぐらいなんだから♪」アハッ

 

斎藤T「そうだったんですか。シンボリルドルフやナリタブライアンを通じて生徒会に深く関わることになって、私もエアグルーヴとは顔を合わせることがあるのですが、吾妻Tとはこれまで顔を合わせたことがないですよ」

 

ピースベルT「ああ、その辺はね、基本的に互いのやりたいことに関しては不干渉でいる契約を交わしているから♪」フフッ

 

ピースベルT「だから、担当ウマ娘は生徒会活動で全体のために、担当トレーナーは現場で生徒たちの一人一人のために今も頑張っているわけなの♪」ニッコリ

 

斎藤T「なるほど、たしかに“女帝”と言われるだけの貫禄と支持があるわけですね。その担当トレーナーも理想の関係と言われるほどに立派な方で、“女帝の宝杖”と讃えられるだけのことはあります」

 

ピースベルT「そうそう♪ だけどね、楽しいことが大好きな私がね、そんな品行方正で お行儀が良くて 人当たりも良い まったく隙のない完璧超人のことを好きになるわけないじゃない♪」アハッ

 

ピースベルT「むしろ、エアグルーヴちゃんが心惹かれるようになったのは“女帝の宝杖”と讃えられる理想のトレーナーの()()()()()()()()()()を補うことで自身が理想のウマ娘になれる充実感からなんだから♪」ウフッ

 

斎藤T「ほう?」

 

ピースベルT「それじゃあ、お邪魔しましょうか。これからのトレセン学園の明るい未来のために」コンコン!

 

 

――――――聞こえているか、吾妻T? 某のことを憶えているのなら、少しお話しようじゃないか?

 

 

ピースベルT「………………」

 

斎藤T「………………」

 

ピースベルT「………………」

 

斎藤T「………………」

 

ピースベルT「………………」

 

斎藤T「………………」

 

 

ガチャ・・・

 

 

吾妻T「おはようございまぁーふ」トローン・・・

 

吾妻T「あんれぇ? 知らない人しかいないなぁ……?」

 

ピースベルT「相変わらず元気そうだね。某の絶世の美声を忘れていないかい?」

 

吾妻T「あ!? え!? もしかして、あなた、鐘撞Tですかぁ!? これはこれはどうもぉ……」

 

ピースベルT「とりあえず、美味しいお菓子を持ってきたから茶を出してください」

 

吾妻T「わかりましたぁ……」フワァ・・・

 

斎藤T「………………」

 

ピースベルT「それじゃあ、お邪魔しまーす♪」ニコッ

 

斎藤T「――――――『ON/OFFが激しい性格』とはこのことですか」

 

ピースベルT「うん♪ 世の中にはいるでしょう♪ 外では仕事を完璧にこなす憧れの人だけど、家では壊滅的に生活がダメな人って♪」アハッ

 

 

それが“女帝”エアグルーヴの担当トレーナー:吾妻Tとの初めての顔合わせだった。

 

3番目の別世界:ダークトレーナーの世界で、平日の昼間から担当ウマ娘と濃厚な()()()()()()()のプレイを楽しんでいたとは思えないほどにトレーナー室は汚かった。

 

汚いというよりは物が捨てられない性分なのか、おそらくはトレーナー人気ランキングで上位入賞の常連としてファンレターをもらっていることもあって、思い出の品を捨てられない人情家といった感じがしていた。

 

しかし、部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に微かながら確実な違和感が生じた。

 

どうやらダークトレーナーの世界での出来事は完全に魔界の住人(ダークストーカー)が吾妻Tの皮を被ってやっていたこととは言い難い動かぬ証拠がデカデカと飾り付けてあったのだ。

 

そう、絶対に物を置いて寝られなくならないようにする工夫なのか、場違いなほどに非常にエレガントな作りの室内テントが()()()()()()()()()()に被せてあり、簡易的な天蓋ベッドになっていたわけなのだが、そこから生徒会室に出入りしていた私が嗅いだことのある臭いがしてくるのだ。

 

 

そして、()()()()()()()()()()()()が天蓋ベッドの側に担当ウマ娘の写真と共に置いてあった――――――。

 

 

ちがう、そうじゃない。あからさまに目につくゴミ屋敷の部屋にオンナを連れ込んでいることに匂わせるのはまさしく燻製ニシンの虚偽だ。

 

そもそも、この違和感は自分の足で部屋に入った時の爪先の微かな感触からだ。

 

つまり、多少はグレードや部屋割りで内装が異なっていても、私もトレーナー寮に住んでいたのだから、明らかに通常の仕様とは異なるものを“斎藤 展望”が鋭く繊細に肌で感じ取っていたのだ。優れた危険予知能力が発揮されている。

 

それを確信したのは、空間の響き方だった。いつもの人と話す時の声量での響き方にちがいが微かに感じられ、これは通常の仕様よりも明らかに質の良い防音材が張り巡らされていたのだと予測できてしまった。

 

また、どうもこの部屋の空気は普通ではないものが漂っており、いつまでもこの部屋にいると頭の中がグチャグチャにされそうな強烈な意識が支配しているかのようだった。

 

なので、鼻面に悪臭対策の消臭ジェルを鐘撞Tにも塗って爽やかな呼吸を確保すると、私は葉巻に擬装した香木をオイルライターでこれ見よがしに吹かし、用意した葉巻用の携帯灰皿も置いて他人の生活空間に自分たちの支配域を作り出したのだった。

 

当然、かつて同期だった鐘撞Tの突然の来訪に差し出された高級品のお茶請けを取り出して それ相応の高級茶を淹れて再び姿を見せた時に吾妻Tの人畜無害そうな表情が一瞬だけ怒気を放っていた。

 

しかし、そのことをおくびにも出さないで鐘撞Tにのんびりとしながらヘコヘコと謙る様子を見るに、同期と言っても明確な上下関係があったことがうかがえた。

 

それから、卒業式を迎えたことで名実共にトレセン学園の顔役になった新生徒会長である“女帝”エアグルーヴについてアレコレ聞き出すことになった。

 

この外面だけは完璧の若手トレーナーは意外にも鐘撞Tと鈴音Tと同期であり、二人が新人トレーナーとしていきなり“万能”ビワハヤヒデや“皇帝”シンボリルドルフを世に送り出したのとは異なり、意外にもこのトレーナーはプライベートではかなりのんびりとした性格の持ち主だったようなのだ。

 

ただ、先輩チームのサブトレーナーを1年やり続けた後は新人トレーナーの初心者マークを取り上げられて自分の担当ウマ娘をスカウトして『トゥインクル・シリーズ』に挑まなければクビになるため、自分なりのペースで担当ウマ娘を探していた。

 

同じ頃、“女帝”エアグルーヴは新入生ながら自らの理想に基づいて自身のトレーニングと生徒会活動への積極的な協力、将来のライバルになるだろう同期のウマ娘の悩みを聞くなど、3足の草鞋を履くほどに精力的に活動していた。

 

そして、競走ウマ娘としての能力も理想を叶えるための武器として突出しており、最初の『選抜レース』の時点でスカウトを勝ち取るほどに順調な学園生活をスタートさせていたように思えていたのだが、

 

しかし、そのトレーナーが生徒会活動への参加やライバルへの指導を無駄なことと断じ、ちょうどよくエアグルーヴにトレーニングの相談をしに来た生徒を手酷く追い払ったのが決定的となり、エアグルーヴの方から専属契約を破棄することになってしまったのだ。

 

もちろん、ウマ娘の出走権を握っているトレーナーは『後悔することになるぞ!』と吐き捨てることになり、相手に非があるとは言え 一方的に契約を切るのはどう考えても印象が悪いということで新しいトレーナーをどうやって探そうかとエアグルーヴが思い悩んでいたところ、

 

たまたま、その場面を目撃していたのが吾妻Tというわけであり、互いの利害が一致した結果、『トレーニングのみに気を配れ。それ以外への行動への口出しは厳禁』という条件で契約をその場で交わすことになったのだ。

 

しかし、この時 エアグルーヴがその場で吾妻Tと契約を交わしたのも切羽詰まってトレーナーなら誰でも良かったというわけではなかった。

 

吾妻Tはそのプライベートではのんびりとした性格からパブリックでは極めて冷静沈着な態度に見られることになり、勝利の栄光を求めて才能あるウマ娘を求めるトレーナーにあるまじき慎重さが異質に見える存在であった。

 

そのため、同期の有馬一族の御曹司:鐘撞Tの興味を引いてパシリにされており、シンボリルドルフと最高の勝負をしてくれる気骨があるウマ娘を探し求めて学内のウマ娘たちのほとんどと話をするように命令されていたのだ。

 

そのおかげで、ルドルフ世代で強烈な輝きを放つ“天上人”鐘撞Tの存在の裏で、ウマ娘の才能を見極めようと誰にでも気さくに話を聞いてくれる 勝負事に向いていなさそうな のんびりとした性格から しっかりとウマ娘たちの話を聞く吾妻Tの存在もまた浸透していくことになったのだ。

 

そのため、シンボリルドルフ打倒のための候補として“BNW”を見出して鐘撞Tが最高に盛り上がる勝負に打って出た後も命令を遵守して、それからもシンボリルドルフ打倒を果たせるウマ娘がいないかをずっと求め続けたのだ。

 

なので、次のシーズンが来てブライアン・エアグルーヴ世代が入学してくれば、早速 新入生たちともじっくりと話し込む姿が見られるようになり、吾妻Tの存在は地味ながらも確実に学園内に広く知られることになった。

 

そして、エアグルーヴとは生徒会活動の手伝いや同期のトレーニングの相談でたまたま居合わせて力添えしたことがあるので、まったく知らない仲ではなかったというのも大きかった。

 

むしろ、吾妻Tのようにのんびり屋に見えてしっかりとウマ娘の性質を見極めようとする大らかさが冷静沈着さとして見られるのは他のトレーナーにはない特質だったことを契約破棄でエアグルーヴが学んだ後だと、これ以上に自身に適任なトレーナーはいないと胸を張れるものがあった。

 

そして、吾妻Tがシンボリルドルフの鈴音Tと仲良しの鐘撞Tのパシリであった縁から、エアグルーヴはシンボリルドルフと早期から接点を持つことにも成功しており、“皇帝”シンボリルドルフの掲げる理想に大いに賛同し、その後を継ぐ“女帝”として同志となるのだった。

 

ただ、シンボリルドルフ打倒を掲げる鐘撞Tからすると、シンボリルドルフに心酔したエアグルーヴはつまらないウマ娘という扱いになったため、エアグルーヴの同期:ナリタブライアンの噂通りの“怪物”ぶりに期待して三ケ木Tのハチャメチャぶりを応援することになった。

 

 

なので、結局のところ、トレセン学園生徒会の黄金期メンバーは 全員 鐘撞Tがいて初めて結集したところがあるので、いかに“天上人”鐘撞Tの存在が黄金期を支えてきたのかがわかるだろう。

 

 

そう、のんびり屋の吾妻Tは基本的にウマ娘の自主性を重んじて責任を全て負うというドッシリと構えた胆力の持ち主であり、何よりもシンボリルドルフ打倒を手段として“手に汗握る熱いレース(一所懸命)”を目的にしていた鐘撞Tのパシリということでその戦略性や盛り上げ上手なところを具に見てきたこともあり、

 

トレーナー不足が知れ渡っているトレセン学園だと引く手数多で多忙を極めるトレーナーに全てを求めることができないことが自明の理であることも相まって、自分の好きなように走らせてくれる吾妻Tは今では仏様のように慕われているのだとか。

 

そして、今ではトレセン学園の上位に位置するチーム<デネブ>のチーフトレーナーとして、『URAファイナルズ』開催もあって引退ではなく活動停止で第一線を退いたエアグルーヴと共に後進の指導もこなしており、育成実績は“万能”ビワハヤヒデの鐘撞Tや“皇帝”シンボリルドルフの鈴音Tを遥かに上回る成果を上げていた。

 

 

ピースベルT「で? あのダブルサイズの天蓋ベッドは何かな、吾妻T? 某に聞かせて?」

 

吾妻T「僕とエアグルーヴの寝床だけど? シングルだと2人が横になるには狭いからねぇ……」フワァ・・・

 

斎藤T「……それ、言っちゃっていいんですか? あからさまに生徒と関係を持っていることを匂わせるものを堂々と置いているのはマズくないですか?」

 

吾妻T「別に。訊かれなかっただけで、そこから訊かれたことを言うか言わないかは僕の判断だよね」

 

吾妻T「それに、僕とエアグルーヴの関係を言おうものなら、困るのは僕よりもトレセン学園の利権に群がる連中だし、僕としてはトレセン学園に居続ける理由はもうないからね」フフッ

 

斎藤T「……どうして?」

 

 

吾妻T「だってぇ、そもそも、僕はトレセン学園を潰すために送り込まれたスパイだから。願ったり叶ったりなんだよねぇ」

 

 

斎藤T「!?!!」

 

ピースベルT「おお、ようやく本当のことを言ってくれたか。担当ウマ娘:エアグルーヴがトレセン学園の顔役になったことでそろそろ何かする頃合いだと思ってたよ」

 

吾妻T「やっぱり、鐘撞Tはスゴイよ。一目で僕がよからぬ思いでトレセン学園のトレーナーになったことを見抜いて、あえてシンボリルドルフ打倒に使えるウマ娘を僕に探させるんだもん」

 

吾妻T「おかげで、僕の存在感を極限まで薄くして()()()()がやりづらくなったじゃないですか~」

 

 

吾妻T「でも、凄いですね。()()()()()()()()()はうまくいったみたいじゃないですか、鐘撞T」

 

 

斎藤T「!!!!」

 

ピースベルT「やっぱりか。やっぱり、某がいなくなった後のトレセン学園で一番に出世をした吾妻Tが黒幕だというのは推理としては捻りがない答えだったか」

 

ピースベルT「見てみなよ、斎藤T。あのチーム<デネブ>のエンブレム。ちょっと普通とちがうところがある」

 

 

――――――はくちょう座:北十字星に擬態した鉤十字(ハーケンクロイツ)になっているから。

 

 

吾妻T「ああ……、これはやってしまいましたねぇ……」アハハ・・・

 

斎藤T「……いや、わざとだろう? 何が狙いだ?」

 

吾妻T「――――――『狙い』? まあ、鐘撞Tの言うところの“一所懸命”ってやつですかね?」

 

斎藤T「将来的にトレセン学園を乗っ取るために“天上人”鐘撞Tを排除しつつ“女帝”エアグルーヴと理想の関係を築き上げたわけだが、そこから先はどうするつもりなんだ?」

 

斎藤T「お前たちの理想のためにエアグルーヴを利用して偽りの理想を幻出させたところで、エアグルーヴを捨ててお前たちの理想が叶うのか?」

 

吾妻T「……そこが悩みどころでしたねぇ」

 

吾妻T「あまりにも理想通りに事が運びすぎて、理想の関係を築き上げてしまったわけですから、これ以上の理想的な展開が思いつかないぐらいですよ」

 

吾妻T「本当は平和ボケした国の夢の舞台だとバカにすベきところですが、ここまで来ると手放すのが惜しくなってきまして」

 

 

吾妻T「――――――これも『理想』『理想』とバカみたいに言い続けて 偽りの理想に塗り固められた僕なんかに抱かれてきた 理想の女に絆された弱みなんでしょうか」

 

 

斎藤T「御託はいい! こっちは“女帝”エアグルーヴがシンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の未来のために是が非でもやってもらいたことがあって来たんだ!」

 

吾妻T「へえ? それはどういった御要件で?」

 

ピースベルT「協力してくれるなら、某も寝泊まりしている絶対に誰にも見つからない秘密基地での快適な毎日を提供してやってもいいぞ?」

 

吾妻T「わお」

 

吾妻T「鐘撞Tのご命令ならお安い御用で。パシリにされるのには慣れてますから」

 

吾妻T「でも、そのおかげで、僕はトレセン学園という夢の舞台で大きな夢を見ることができましたから、これでも感謝しているですよ、あなたとの出会いに」

 

吾妻T「それじゃあ、どうすればいいんですかね、斎藤T? “鐘撞Tの再来”として再びトレセン学園に嵐を呼ぶ噂の新人トレーナーとしては?」

 

斎藤T「なら、場所を変える前に概要ぐらいは話しておく」

 

 

――――――皇帝G1七番勝負!

 

 

結局のところ、これからトレセン学園が直面する あらゆる問題が黄金期と共に始まっていたわけであり、それを解決するキーパーソンが“天上人”鐘撞Tだったわけであり、ピースベルTこと鐘撞Tの帰還が大きな歴史の分岐点になっていたようだ。

 

そして、鐘撞Tをウマ娘へと改造手術を施したナチス残党の闇組織と繋がっていたのが、まさかの鐘撞Tのパシリだった“女帝”エアグルーヴの理想のトレーナー:吾妻Tという驚愕の事実に私は驚きを禁じ得なかった。犯人はヤス。

 

でも、そうじゃなければ水天宮での啓示にあったようにトレセン学園を乗っ取れるだけの下地が作れないわけであり、かつてサポートスタッフコースの生徒を手籠にして暗黒期までウマ娘レースを牛耳っていた“悪魔の権化”が存在していたぐらいなのだ。あり得なくない。

 

つまり、鉤十字(ハーケンクロイツ)に由来するチーム<デネブ>や吾妻Tに親しい子たちがトレセン学園の未来を闇に閉ざす悪の手先になることを考えると、たしかに吾妻Tの担当ウマ娘:エアグルーヴはトレセン学園の失墜の象徴になるに相応しい存在になっていた。

 

そう、アグネスオタカルの世界で同じティアラ路線の偉大なる“無敵の八冠バ”アグネスオタカルを手本にして“エアギャルーブ”になっていることを考えると、良くも悪くもエアグルーヴというウマ娘は理想に染まりやすいために、知らぬ間にナチスへの忠誠心を刷り込まれていてもおかしくないという笑えない話が現実味を帯びていたのだ。

 

ただ、ナチス残党の闇組織の手先であった吾妻Tはウマ娘天国であるトレセン学園での日々を送っていく中で本当の理想とは何なのかを考え直すようになり、自分の手で築き上げてしまったトレセン学園の理想を打ち壊していくことを惜しむようになってしまったのだ。

 

それどころか、ナチス残党の闇組織が唱える理想世界など現代日本の真の豊かさに劣るところしかないとも考えるようになり、シンボリルドルフがいよいよ卒業してエアグルーヴが新生徒会長の新時代が来る瀬戸際で私たちが間に合ったというわけである。

 

そして、聞けば吾妻Tの出自はまさしく第二次世界大戦において東京空襲の後に一部の通信班を残して河口湖畔の富士ビューホテルに疎開していたドイツ大使館の人間と現地人との間に生まれたハーフの末裔であり、その縁からナチス残党の闇組織に属するようになっていたそうなのだ。

 

なので、完全にナチス残党との関係に見切りをつけさせるためにナチスドイツの蛮行によって誕生したある一人のウマ娘が入学してくる件を伝えて説得にかかった。

 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

吾妻T「あの……、いいかげんに目隠しを外してもらえないでしょうかねぇ……」 ――――――実験台に縛り付け!

 

吾妻T「それとさっき、何を飲ませたんです?」

 

アグネスタキオン’「悪いねぇ。ナチス残党の闇組織のスパイである以上は体内にもスパイ道具が隠してある可能性があるから、徹底的に身体を調べさせてもらっているよ」クククッ

 

アグネスタキオン’「しかし、さすがはナチス残党の闇組織のスパイ。薬物に対してここまで耐性を示すとはねぇ。麻酔薬が効かないのには驚いた」

 

アグネスタキオン’「いやはや、トレーナーくんと一緒にいるとここまで良質な被験体(モルモット)が集まってくるとは夢にも思わなかったよ」

 

アグネスタキオン’「正直に言って、ナチス残党の闇組織っていうのも“最後の大隊(ラストバタリオン)”並みに眉唾ものの都市伝説だと笑える話だったのに、きみの存在がそれを証明してしまったわけだからねぇ……」

 

吾妻T「どうすれば信用してもらえますかねぇ?」

 

吾妻T「僕としてもこのままトレセン学園のトレーナーとして楽しくやっていく日々を続けていく方がいいんですけど」

 

吾妻T「それに、“生命の泉協会(レーベンスボルン)”の末裔のアクアビットって子の話を聞いたら、ますますナチスと縁を切りたいと思ったわけなんですが」

 

アグネスタキオン’「その条件はすでに提示されているだろう」

 

 

――――――皇帝G1七番勝負!

 

 

吾妻T「そこでトレセン学園の未来のために“最強の七冠バ”シンボリルドルフの伝説を超えていくために力を貸して欲しいと言われましたけど……」

 

アグネスタキオン’「ああ。ここにあるシミュレーターで“皇帝”シンボリルドルフのG1レースを完全再現したから、それに打ち勝つことが“皇帝”シンボリルドルフの真の卒業式になるというわけなのだよ」

 

吾妻T「何度聞いても意味がわからないですけど、たしかに“皇帝”シンボリルドルフの後を継ぐことになる“女帝”エアグルーヴには自信を持ってもらわないといけないと感じていましたから、挑戦すること自体には反対はしません」

 

吾妻T「けど、それってつまりは『“皇帝”シンボリルドルフの全盛期と真っ向勝負しろ』という話ですよね?」

 

アグネスタキオン’「ああ。『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』『ジャパンカップ』『有馬記念』『天皇賞(春)』『宝塚記念』のどれか好きなレースを選びたまえ」

 

アグネスタキオン’「実際にシミュレーションで競走してみてわかった当時のシンボリルドルフの戦略やコンディションの情報も惜しみなく与えるから、トレーナーの誇りに賭けて絶対に愛バを勝たせたまえよ」

 

吾妻T「ティアラ路線のエアグルーヴで戦えそうなのが『ジャパンカップ』と『有馬記念』しかないじゃないですか~。やだ~」

 

アグネスタキオン’「ちなみに、『日本ダービー』はトウカイテイオー、『天皇賞(春)』はメジロマックイーンが出走することになっているねぇ」

 

吾妻T「う、ううん? 活動停止どころか、すでに引退している2人が出走――――――?」

 

吾妻T「あ、そうか。『シミュレーターで再現された全盛期のシンボリルドルフに戦って勝て』という無理難題もこっちも全盛期の担当ウマ娘のデータを使って戦わせるわけですか。そういうわけですね」

 

吾妻T「そういうことなら、やりようはあるかもしれない」

 

アグネスタキオン’「そして、『宝塚記念』がマンハッタンカフェ、『皐月賞』がアグネスタキオンで行くつもりだから、『菊花賞』『ジャパンカップ』『有馬記念』のうち、エアグルーヴが選ばなかった残り2つをどうするか……」

 

吾妻T「それならナリタブライアンとビワハヤヒデの最強姉妹を出走させれば――――――」

 

アグネスタキオン’「まあ、これからきみは検査を受けている時間でVRシミュレーターで当時のシンボリルドルフの走りを体感してもらうわけだから、勝利のために全身全霊で挑みたまえ」

 

アグネスタキオン’「それじゃあ、世界最先端の超ウルトラハイパーデラックスなVRシミュレーターを起動させるよ。思う存分に感動してくれたまえ」

 

吾妻T「お、おおおおおおお!? これ、目隠しじゃなくてVRゴーグルだったのか!? この臨場感、本物の競バ場そのものじゃないか――――――!」

 

アグネスタキオン’「さてさて、あと2人をどうにかして見つけてこないとだけど、どうしたものかねぇ?」

 

 


 

レジェンドレース:皇帝G1七番勝負

 

『皐月賞』    シンボリルドルフ VS.アグネスタキオン

 

『日本ダービー』 シンボリルドルフ VS.トウカイテイオー

 

『菊花賞』    シンボリルドルフ VS.――――――

 

『ジャパンカップ』シンボリルドルフ VS.――――――

 

『有馬記念』   シンボリルドルフ VS.エアグルーヴ

 

『天皇賞(春)』 シンボリルドルフ VS.メジロマックイーン

 

『宝塚記念』   シンボリルドルフ VS.マンハッタンカフェ

 

 


 

 

――――――

才羽T?「さて、どうだい? 『URAファイナルズ』決勝トーナメントと同時に開催される『皇帝G1七番勝負』で7人のシンボリルドルフに対抗できるウマ娘は見つかったかい?」ニヤニヤ

――――――

 

アグネスタキオン’「全盛期の理想の肉体を持った上で、こちらはシンボリルドルフの記憶と感覚を持ち合わせている私からの生の情報とシミュレーターによる優位性を与えられているわけだけど、」

 

アグネスタキオン’「『URAファイナルズ』決勝トーナメントに出走するナリタブライアンとビワハヤヒデの最強姉妹は使えないから、ホトホト困ったよ」

 

アグネスタキオン’「モルモットくんが持てる人脈を最大限に活かしても、あと2人のトレーナーとスターウマ娘が見つからない……」

 

――――――

才羽T?「これも全ては“斎藤 展望(モルモットくん)”が言い出したことだろう?」

 

才羽T?「私が()()()()()()であるのならば、私の化身を使ってシンボリルドルフのG1レースを完全再現させて、そこにトレセン学園の在学生を参加させて、その全てに勝ったら巨大娘:シンボリルドルフを解放する無理難題への挑戦だ」

 

才羽T?「それをもって“永遠なる皇帝”が迎えるべき真の卒業式とするところが実におもしろい」

 

才羽T?「在学生が“最強の七冠バ”の伝説を打ち破ることで“皇帝”など無用の存在だと突きつけることが優しさに繋がるのだから、人間というのはつくづく矛盾した生き物だよ」

――――――

 

アグネスタキオン’「だから、『日本ダービー』で“皇帝”をも超える走りを見せられたのでトウカイテイオーが担当となり、『天皇賞』制覇がメジロ家の最強の証明としてメジロマックイーンが担当になるわけだね。間違いなく勝率が高い組み合わせだよ」

 

――――――

才羽T?「しかし、アグネスタキオン本人が『皐月賞』担当というのも随分と弱気なものじゃないか? “幻のクラシック八冠バ”になるんじゃなかったのか?」

 

才羽T?「マンハッタンカフェは“春シニア三冠”を獲るなら『宝塚記念』で“皇帝”を打ち破るという意気込みを見せたのに?」

――――――

 

アグネスタキオン’「しかたがないじゃないか。今まで3月は“クラシック三冠”を目指すつもりで『皐月賞』に向けての調整を一人でやってきて、その年の結果と比較することを繰り返してきたから『皐月賞』向けの調整が手っ取り早かったんだし」

 

アグネスタキオン’「まあ、負ける気はしないがね。元からトウカイテイオーの全盛期に一歩劣る程度の実力は4年間の肉体改造強壮剤で得られたことだし、そのトウカイテイオーの全盛期が『日本ダービー』なら『皐月賞』は余裕だね」

 

アグネスタキオン’「そもそもの話、単純な勝ち負けの話じゃないんだがね」

 

アグネスタキオン’「シンボリルドルフが安心して卒業していけるようにするためにやることであって、勝てなくても負けなければいいだけの話だよ」

 

アグネスタキオン’「でも、負けないための最適解なんて勝つことだから、“皇帝”シンボリルドルフの後を継いでいく新生徒会役員がこれからの時代の荒波に負けない気概をみなぎらせるためにも、是非ともウマ娘らしく全戦全勝でいってもらいたいねぇ。ここまで手厚く有利な条件をつけてあるんだからさ」

 

アグネスタキオン’「しかし、人類が共有する普遍的無意識のネガティブな領域を司る存在にして、その領域そのものの擬人化である“影の支配者(real mastermind)”ねぇ?」

 

アグネスタキオン’「その中にWUMA(バケモノ)は含まれているのかい?」

 

――――――

才羽T?「…………含まれていない」

 

才羽T?「きみのような存在は初めてだよ。まさに未知との遭遇というわけだが、きみそのものにはなれなくても擬態対象の組成を割り出せば表面上は限りなくきみを再現することはできなくもない」

 

才羽T?「ただ、間違いなく 私はきみとはつながっていない。だから、本能的に怖いと感じてしまうな」

――――――

 

アグネスタキオン’「そうかい。バケモノとしての本質は決して変わらないわけか。ついに“影の支配者(real mastermind)”からも太鼓判を押されたか……」

 

アグネスタキオン’「にしては、今回の『皇帝G1七番勝負』もきみがモルモットくんの提案した無理難題に嬉々として賛成して舞台を用意してくれたから実現したことだけど、きみも 大概 実験が大好きな私の同類なんだねぇ」

 

アグネスタキオン’「やっぱり、人間には根絶不可能な存在であったとしてもキャリアとなる人間がいなければ根絶してしまうようなウイルスみたいなやつだよ、きみは」

 

――――――

才羽T?「そう、人間の中の影の部分は本来はウイルスのように目に見えないながらも対策可能な脅威でしかない」

 

才羽T?「ワクチンを打って免疫力を高めたり、手洗いうがいマスクを徹底したり、補助金を出してワクチン接種を奨励したり、身近にできることから対策できることがたくさんあるはずだ」

 

才羽T?「けれども、それがわかっていながら、それでも毎年のようにインフルエンザに感染して命を落とす者が後を絶たない――――――」

 

才羽T?「それと同じことだ。正義と悪の戦いなどというものは」

 

才羽T?「自分たちの正しさを他者に押し付けるくせに、自身はその正しい在り方を実践できずにいるのだから、人間とは元から他者の存在によって自己を成り立たせていることに全員が気づくべきなのだ」

 

才羽T?「一人で生きていけると強がる者も、それなら文明との繋がりを完全に断って離島や山奥で暮らしてみればいいのだ。原始人のような暮らしを現代人が今更やれるはずもないことにすぐに気づくことだろう」

 

才羽T?「少し考えてみればわかる本質を見ようとしないのがホモ・サピエンスを自称する宇宙の中心で轟く白痴の塊(アザトース)の正体なのだ」

――――――

 

アグネスタキオン’「ところで、アーサー・C・クラークが著した長篇SF小説『宇宙のランデヴー』は未知の存在へのセンス・オブ・ワンダーを見事に描いた傑作として評価されているわけだが、」

 

アグネスタキオン’「きみも私も人間でありながら人間ではないことのセンス・オブ・ワンダーに感応しているわけだね」

 

アグネスタキオン’「不思議だね。そして、実に興味深いね」

 

――――――

才羽T?「たしかに興味深いことではある」

 

才羽T?「だが、この私が()()()()()()()()()()()()()の運命を握っているということは、ドリームランドの支配者である私の領域に()()()()()()()()()()()()()が自ら入ってきたということに他ならない」

 

才羽T?「つまり、魔界に属する半人半霊(エンティティ)である魔界の住人(ダークストーカー)になるべく向こう側の現実から完全に目を背けた結果が、こちら側の世界からやってきた魔界の住人(ダークストーカー)に捕らえられて裏世界で自身の記念碑たるエクリプス・フロントに磔になるという自業自得だ」

 

才羽T?「だから、こちら側の欲望の捌け口に向こう側がなってしまったツケをこちら側のシンボリルドルフにも払ってもらう。それが因果応報・信賞必罰・盛者必衰の理だ。何者も逆らうことはできない」

――――――

 

アグネスタキオン’「なら、モニター越しに見ていたまえよ」

 

アグネスタキオン’「全てが運命であるなら、全ての出会いが必然であり、予言された物語は必ず成就するとね」

 

アグネスタキオン’「きみはたしかに()()()()()()であるが故に全ての人間と繋がっているが、一方で現実世界で時間や空間を超越する四次元能力を行使することができないのだろう?」

 

アグネスタキオン’「だが、私と私のパートナーがそれができて、今きみと対峙している」

 

 

――――――運命を超える力がいかなるものかをこの実験で確かめてみようではないか。

 

 

斎藤T「よし、一切入力確認。出力確認も誤差なし。これで人数分の“一人用のポッド(クレイドル)”をシミュレーターに接続できた……」カチッ

 

斎藤T「あとはシミュレーターで検証した映像データと最新の生体データがリンクして、バーチャル上で全盛期の能力を追体験(シンクロ)できるように調整しなくては……」ピピピ・・・

 

アグネスタキオン’「精が出ているねぇ、モルモットくん」

 

斎藤T「吾妻Tの精密検査が始まったわけか」カチカチッ

 

アグネスタキオン’「ああ。薬物耐性があるおかげで自白剤が効かないねぇ」

 

アグネスタキオン’「けど、心臓の隣にペースメーカー代わりの監視装置がついていたから外しておいた。これで逆探知ができるよ」ニヤリ

 

斎藤T「動かぬ証拠が出てきたな」ニヤリ

 

アグネスタキオン’「そっちの調整も順調そうだねぇ」

 

斎藤T「まあ、吾妻Tが利用している試作品の1個ができれば、人数分を並列に繋いで同時処理できるように調整するだけだから、あとはパーソナルデータの同期でうまく全盛期の追体験(シンクロ)が実現するかだ……」

 

アグネスタキオン’「その辺りに関しては未知数だねぇ。エアシャカール御手製の超高性能物理演算コンピュータプログラム『Parcae』を転用して、日常業務をサポートするAIを生み出したきみにしかできない領域だよ、そこは」

 

斎藤T「まあ、『皇帝G1七番勝負』なんてものをやれるのも、WUMA用の全自動万能生命維持装置である“一人用のポッド(クレイドル)”が4個軍団分用意されていたことで段階的な技術検証ができたおかげだな」

 

斎藤T「去年のWUMA殲滅作戦/奥多摩攻略戦はまさに実現不可能な夢の対決を実現するために必要な過程だったのかもしれない……」

 

斎藤T「それから、今回の追体験(シンクロ)の土台となるのがアグネスタキオンが開発していたヒト用ウマ娘なりきりVRシミュレーターなわけで、これがなかったら絶対に間に合わなかっただろうな……」

 

斎藤T「――――――これも天の配剤というやつか」

 

アグネスタキオン’「そうだねぇ。全てが歯車のように嚙み合わさっているかのように運命が動き出しているみたいだ」

 

 

――――――一番の問題は意識の壁を破れるかどうかだねぇ。

 

 

斎藤T「ああ、“最強の七冠バ”シンボリルドルフを後発の優位性を活かして完全に上回ることを示さなければ、シンボリルドルフに代わってトレセン学園を率いることになる新生徒会の影響力が著しく見劣りするものになり、いつまでも偉大なる“皇帝”の遺影に縋り付くだけの旧弊が生まれてしまう」

 

アグネスタキオン’「だからこそ、今一度 現役時代の頃の競走ウマ娘としての気概を取り戻して新しい時代を雄々しく乗り越えてもらう意志力を備えてもらうわけだね」

 

斎藤T「そう、“女帝”エアグルーヴ一人では決して“皇帝”シンボリルドルフに並ぶことはできない」

 

斎藤T「だから、“怪物”ナリタブライアンとの“共同皇帝”になって次の者に求められるハードルを下げるように前もって“皇帝”シンボリルドルフは配慮していたわけだが、」

 

斎藤T「逆に言えば、“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンの2人だけで“皇帝”シンボリルドルフの後任に足るのなら、それ以上に共同者を増やせば“皇帝”を超えられるのではないか――――――?」

 

アグネスタキオン’「そんな単純な足し算ではないけれども、たしかに全員が“皇帝”シンボリルドルフの後を継がんと一丸となれば、トウカイテイオーとメジロマックイーンの支えも加わって より盤石になるのは間違いないことだね」

 

 

――――――それ故の『皇帝G1七番勝負』だ。

 

 

斎藤T「不思議な感覚だ。水天宮に参拝したのは卒業式の前日なのに、時間を巻き戻してきたせいで物凄く昔のことに感じられる」

 

斎藤T「水天宮の神様が言っていたんだ」

 

斎藤T「『URAファイナルズ』が引退即退学となる風潮を変えるための卒業レースならば、卒業生ではない4年目以上:スーパーシニア級や高等部からメイクデビューする年配のウマ娘に希望を与えるのがマンハッタンカフェとアグネスタキオンの役目なのだと」

 

 

斎藤T「そして、“女帝”エアグルーヴこそが真の理想の体現者として最後の1年を走り切る天命にあるのだと」

 

 

斎藤T「私はその新たな時代の最初の1年をやり遂げるために間配られた御魂なのだと」

 

斎藤T「言われた当時は黒・赤・金のオーケストラが強烈に印象に残って、“女帝”エアグルーヴとその担当トレーナーのことをよく知らなかったから過小評価していたところもあったから聞き流していたけど、」

 

斎藤T「そのまさかだよ。神託にあったナチス残党の闇組織のスパイが“女帝”エアグルーヴの担当トレーナーだったとはねぇ……」

 

アグネスタキオン’「ふぅン」

 

斎藤T「だから、実質的に“女帝”エアグルーヴは上位リーグに昇格した“怪物”ナリタブライアンと並ぶトレセン学園の二枚看板としてこれから激動の1年をやり遂げなくちゃならない」

 

アグネスタキオン’「つまり、来年度の『URAファイナルズ』だけじゃなく、生徒会長でありながら競走ウマ娘として活動再開もすると?」

 

 

斎藤T「だから、すでに引退しているトウカイテイオーとメジロマックイーンの支えがこれ以上になく必要になってくるんだ」

 

 

アグネスタキオン’「なるほどねぇ」

 

斎藤T「実質的に新生徒会役員4人による共同皇帝(テトラルキア)の時代がやってくるのが来年度のトレセン学園なんだ」

 

斎藤T「その新生徒会の一致団結が雛形となって“皇帝”シンボリルドルフが切り開いた黄金期を遥かに超える繁栄の時代がやってくるかどうかの分岐点が今なんだって」

 

斎藤T「だから、卒業の日を迎えてやってくる『URAファイナルズ』決勝トーナメントの日に『皇帝G1七番勝負』で新生徒会の団結力を見せつけなければならない」

 

斎藤T「そして、これまでの人類の時代というのは生きるために階級社会に誰もが縛られてきた人類皆奴隷の時代、近代革命によって基本的人権の尊重によって権利と義務が保障された人類皆貴族の時代、その次に来るものが誰もが自己実現の自由を果たして秩序と調和に基づいて生成化育 進歩発展 万民和楽の理想社会が築かれる人類皆王様の時代なんだ」

 

 

――――――つまり、偉大なる皇帝の慈悲による弱者救済が果たされた先にあるのは万民団結による共同皇帝の時代の幕開けなのだ。

 

 

――――――トレセン学園/生徒会室

 

ガチャ

 

岡田T「テイオー……」

 

和田T「マックイーン……」

 

トウカイテイオー「あれ、トレーナー? ここに来るだなんて久々だよね?」

 

メジロマックイーン「そうですわ。私のトレーナーもそうですし、何よりも岡田Tも――――――」

 

エアグルーヴ「どうした? 今、卒業生の学生寮の退去状況の整理や、在学生や新入生の部屋割りについての学生寮自治会とのリモート会議中なのだが?」

 

岡田T「和田T……」

 

和田T「ああ、やるぜ、岡田T……」

 

 

岡田T「頼む、テイオー! “皇帝”シンボリルドルフが安心して卒業していけるように、最新鋭の超高性能シミュレーターで『皇帝G1七番勝負』に出てくれ!」

 

和田T「マックイーンもだ! すまないが、『URAファイナルズ』決勝トーナメントに合わせてやるから、今すぐにでも出走の準備に取り掛かって欲しい!」

 

 

トウカイテイオー「え」

 

メジロマックイーン「な、何ですの、『皇帝G1七番勝負』というのは?」

 

エアグルーヴ「……何だ? もしかして来年度に創部のESPRITの目玉企画の宣伝か?」

 

エアグルーヴ「……先代には悪いが、今はそんな余興につきあっている余裕はないんだ。後にしてくれないか」

 

岡田T「なら、これだ!」スッ ――――――退職願い!

 

和田T「俺からもだ!」スッ ――――――退職願い!

 

トウカイテイオー「え、えええええええええええええええ!? と、トレーナー!?」

 

メジロマックイーン「ど、どういうことですの、あなた!?」

 

エアグルーヴ「な、何のつもりだ!?」

 

岡田T「どうもこうもない! お前たち、このままずっと“皇帝”シンボリルドルフ一人に並ぶことのない小粒の新生徒会のレッテルを貼られたままでいいのか!?」

 

和田T「シンボリルドルフ卒業後の新しい時代の最初の1年に対してそんな評価をくだされるのを黙って受け容れるつもりか!?」

 

エアグルーヴ「………………っ!」

 

エアグルーヴ「だとしても、今更 現役時代の評価を覆す手段など――――――!」

 

岡田T「これが『皇帝G1七番勝負』の企画書だ!」バサッ

 

和田T「高性能VRシミュレーターで完全された“皇帝”シンボリルドルフのG1レースに全盛期のデータとリンクさせたお前たちのアバターを走らせるという企画で、」

 

和田T「これを当日は1戦だけの『URAファイナルズ』決勝トーナメント観戦プログラムの前座に持ってくる!」

 

エアグルーヴ「こんなものが……」

 

トウカイテイオー「スゴイ! こんなものが本当に実現しているのなら、ボクと会長が同じターフの上で走ることも夢じゃなくなるんだね!」

 

メジロマックイーン「だとするなら、光栄なことですわね。もちろん、最強は『天皇賞』制覇のメジロ家であることを証明できますもの」

 

 

岡田T「――――――“女帝エアグルーヴ!」

 

 

エアグルーヴ「…………!」

 

岡田T「たしか、吾妻Tとは『レースのこと以外のことでは不干渉』というのが契約の条件という話だから、吾妻Tに代わって俺から言わせてもらう!」

 

岡田T「エアグルーヴ、お前の理想とはこのまま生徒会長の椅子に縋り付いて終わっていいものなのか!」

 

岡田T「お前の理想は! ウマ娘の理想は! 長い人生と比べたらたった6年間の中高一貫校でも貫けないようなものなのか!」

 

和田T「“女帝”様には“皇帝”陛下ほどの威厳も人気もないんだから! “皇帝”陛下よりも長く現役を続けて“女帝”の生き様を庶民の心に刻みつけてやれよ!」

 

和田T「もういいじゃん! 十分に後進の育成はやってきたんだから! 最後の1年はバァーっとウマ娘らしくギラギラとした眼で“女帝”の凄さを知らない連中や忘れた連中に刻みつけるんだよ!」

 

 

和田T「でないと! 安心してシンボリルドルフは卒業していけないからあああ!」

 

 

エアグルーヴ「………………!」

 

トウカイテイオー「トレーナー……」

 

メジロマックイーン「そこまで前会長のことを……」

 

エアグルーヴ「わ、私は……、私の理想は…………」

 

トウカイテイオー「迷うぐらいなら走るべきだよ、エアグルーヴ」

 

エアグルーヴ「テイオー……」

 

メジロマックイーン「そうですわね。まだ会長は全力で走ることができるのですから」

 

エアグルーヴ「マックイーン……」

 

トウカイテイオー「仕事の方は……、そうだね、ネイチャやイクノあたりに手伝ってもらおうよ」

 

メジロマックイーン「それはいいですわね。学生寮の話ですもの、そこまで機密性の高い案件でもないですし、来期の生徒会役員候補をこれで探すのも悪くないと思いますわ」

 

エアグルーヴ「い、いいのか? 私は先代の後を継いで生徒会長を任された身だというのに、そんなことで?」

 

岡田T「ああ、やっぱりな」

 

和田T「やっぱり、そうなるか」

 

エアグルーヴ「な、何だ?」

 

岡田T「いつだったか、『会長にはもっと自分たちを頼って欲しい』って言ったことがあるじゃないか、エアグルーヴ? なあ、そんな愚痴を言ってたよな、テイオー?」

 

トウカイテイオー「うん!」

 

和田T「どうだ、『もっと自分たちを頼って欲しい』って言われる側になった気分は? 生徒会長:シンボリルドルフが抱えてきた不安や責任というものがわかったんじゃないか?」

 

メジロマックイーン「そうですわね。私もメジロ家のウマ娘として相応しくあろうと空回りすることが幾度となくありましたし、」

 

メジロマックイーン「生徒会長として相応しくあろうとするのは立派なことですが、ここは初心に帰って自分がトレセン学園で目指していた理想を思い出してはいかがでしょうか?」

 

エアグルーヴ「……そんなに? そんなに今の私は自分を見失っていたのか?」

 

トウカイテイオー「うん。ずっと“皇帝”シンボリルドルフに憧れて真似してきたボクでさえもなれなかったのに、全然 似てないエアグルーヴが 今更 真似したって変なだけだよ」

 

エアグルーヴ「…………真似か」

 

エアグルーヴ「………………」

 

エアグルーヴ「…………そうか」

 

 

エアグルーヴ「…………ありがとう。どうやら、私はずっと先代に対して劣等感を抱いていたようだ。だから、知らないうちに無理をしていたのかもしれないな」

 

 

和田T「まあ、ティアラ路線はどうしてもクラシック路線と比べると不人気だから、“クラシック三冠バ”だったウマ娘の後任ともなると嫌でも比較されることにはなるけどさ!」

 

和田T「でも、そんな前任者の“皇帝”シンボリルドルフが理想の形として秋川理事長と一緒に開催を実現させたのが『URAファイナルズ』なんだ!」

 

和田T「これからは短距離路線やダート路線の王者が生徒会長になったっていい時代が来たっていいんだよ! その嚆矢となるべく後事を託されたんだから!」

 

 

――――――走ってくれ、“女帝”エアグルーヴ! 理想のために! ウマ娘のために! シンボリルドルフのために!

 

 

さあ、ここからが『URAファイナルズ』の前座にしてどちらが夢の舞台(ドリームランド):トレセン学園の支配者に相応しいかを決める超時空の大決戦『皇帝G1七番勝負』である。

 

夢の舞台は大きな夢を思い描いて入学してきたウマ娘たちの夢が集まってできた場所であるが、いつしか夢破れて散っていった夢のカケラが積もり、それが怨念となって負の霊的磁場を生み出して夢の舞台で繰り広げられる数々の悲劇の温床になっていた。

 

それが妄念妄想の“影の支配者(real mastermind)”を具現化させることになり、ウマ娘ファーストの大義名分の下にトレセン学園の持続可能性を奪い取り、シンボリルドルフ卒業後の緩やかな破滅に繋がっているのだ。

 

けれども、その流れを変える権限を持っているのは生徒でしかないウマ娘ではなく、社会的責任能力と発言力があるトレーナーの側にあったのだ。

 

そう、少なくとも“女帝”エアグルーヴが筆頭の新生徒会役員を動かせるのはルドルフ世代の新人トレーナーだった者なのだ。

 

つまり、“天上人”鐘撞Tを中心に時代を切り開いてきた者たちや、時代の変化を側から見続けてきた者が、シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園で一番の財産だったのだ。

 

ウマ娘の夢をトレーナーの情熱が具体的な形に仕上げていくわけであり、結果としては新生徒会役員を突き動かす原動力になるのがまだまだ若手の新人トレーナーだった者なのが、まさしく新しい時代を生み出す若者の力が芽吹いた瞬間である。

 

 

だから、和田Tに返却した“目覚まし時計”はもう動かない。時間の巻き戻しはもはや必要ないのだろう。

 

 

ネジを回しても日めくりカレンダーが頭の中に浮かんでこない“目覚まし時計”をまた私が預かることになるものの、これ以上の使用はないはずだ。

 

実際、『URAファイナルズ』開催を成功に導く最後の詰めとして、WUMA討伐作戦/奥多摩攻略戦以降に年が明けてから次々と襲いかかってきたWUMAに替わる数々の脅威への対抗策はすでにできあがっていた。

 

なので、これからVRシミュレーターの調整が完了次第、トレセン学園の乗っ取りを企むナチス残党の闇組織を叩き潰して、更なる未来から暗殺用人造人間(アンドロイド)が送り込まれる因果を断ち切り、学園裏世界で蠢く悪霊たちを鎮め、この世界の欲望の捌け口になってエクリプス・フロントに磔になってしまった第3の別世界のシンボリルドルフを解放することで、この世界のトレセン学園とシンボリルドルフの明日を救う死の行軍(デスマーチ)を開始する。

 

まだ『皇帝G1七番勝負』で2枠埋まっていないし、本当に“最強の七冠バ”シンボリルドルフに全員が勝てるのか気にかかるところだが、新人トレーナーの私にできることは少ないし、当日までに何とかなるだろう――――――。

 

そう楽観的に捉えて私にしかできないことをアグネスタキオン’(スターディオン)と果たしにいくのだから、きっと未来は明るい――――――。

 

 

――――――『全てはこの瞬間のためにある』のだと盲信して猪突しなければやってられるものか、こんなこと!

 

 



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第二次決戦Ⅷ ああ、あれこそが 輝かしい うまぴょい伝説 -終結-

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。


 

――――――目標:3月12日の卒業式から3月19日の修業式までの1週間の時間の牢獄を突破せよ!

 

 

そして、『URAファイナルズ』決勝トーナメントは無事に終了し、優駿たちの頂点が決まった。

 

全てが終わった頃、私は浜松市の遊園地から通じていた浜名湖底に存在するナチス残党の闇組織『アンシュルス』の秘密基地を爆破した後、日本支部最高幹部が逃げ延びた中田島砂丘まで追跡して、そこで討ち取ることに成功した。

 

もはや、相手がどれだけ人間離れした姿や能力を持っていようが関係ない。こっちには四次元能力が使える並行宇宙の支配種族“フウイヌム”から進化したスーペリアクラスがいて、それを起点に私も四次元能力が使えるのだ。文字通り次元が違うのだ。

 

そうなったら一気に懐に入り込んでC4爆弾でまとめて爆殺するなり、プラズマジェットブレードで一瞬で細切れにするなり、相手が状況を把握する前に一気に畳み掛けることなど いとも容易かった。いくら逃げても無駄である。

 

その戦いぶりは特撮番組の変身ヒーローみたいな最後には正義が勝つ勧善懲悪のプロレスなどではなく、ただの一方的な虐殺であり、敵を倒す効率性のみが追求された改造人間たちに対する屠殺業といってもいい。

 

しかし、相手が裏世界の妖怪と大差がないほどに見るも悍ましい改造人間たちとは言え、WUMAと同様に意思疎通可能な知的生命体を殺害して回る私はただの大量殺人鬼でしかなく、手に血がつかなくても心にこびり着いた断末魔の叫びが剣と惑星(Sword and Planet)の誉れを永遠に取り上げた。

 

なので、東京/府中のトレセン学園から遠く離れた静岡県浜松市の海岸でスーペリアクラスの純白の翼に包まれながらバケモノの膝の上で星空を空虚にずっと眺め続けることしかできなくなっていた。

 

それでも、『私がやるしかなかった』と自分自身に言い聞かせて頬から涙が伝い落ちた時、大きな流れ星が見えた。

 

 

浜名湖畔の遊園地を通じて浜名湖底に秘密基地を構えるナチス残党の闇組織『アンシュルス』の名の由来はかつてナチス・ドイツがオーストリアを併合した出来事を指す『接続』や『連結』を意味する普通名詞だったものが固有名詞化したものであり、

 

本来のナチス残党の闇組織も世界各地でそれぞれの組織名を名乗っていたところ、近年になってナチス残党の闇組織同士で世界規模の連携をとることに成功したことで、いずれは世界を1つにするという目的意識から『世界統一(アンシュルス)』という組織名になっていったらしい。

 

なぜその秘密基地が浜名湖にあるのかと言えば、かつて大戦中の遣日潜水艦作戦で日本に秘密裏に到着したUボートが日本の東西の中心となる浜名湖に意図的に自沈し、後年になってUボートに保管されたナチス・ドイツの禁忌の研究資料を回収することで極東の地でナチス復活の準備に取り掛かっていたという。

 

事実、浜松市の高度技術集積都市(テクノポリス)の開発には浜名湖に沈めたUボートの研究資料を回収するために集まったナチス残党の工作員の技術供与が多分にあったとされ、

 

ナチス残党の最大の逃亡先であった南米;とりわけ在留ブラジル人総数が全市町村の中で最も多く、在浜松ブラジル総領事館が置かれているぐらいであり、ナチス残党との繋がりは考えてみれば濃厚であった。*1

 

 

まあ、とにかく、そんな感じの話だった。夢の舞台:トレセン学園には何の関係もない話なのだし、私の功績など誰にも讃えられることもないのだから、必要以上に語ることもないだろう。

 

私は去年のWUMA殲滅作戦/奥多摩攻略戦ではエレベータートラップで使う機会がなかった誘導棒に擬態させた使い切りの超強力パワーセルによるプラズマジェットブレードを惜しみなく投入し、製作が比較的簡単な多種多様な擲弾(グレネード)に加えて、暴徒鎮圧銃(ライオットガン)を乱射して改造人間相手に先手必勝で制圧していった。

 

だが、相手はウマ娘の身体能力をヒトの肉体に再現しようとして禁忌の改造手術に手を出していった結果、ウマ娘の再現のみならず、生物や機械と融合させた奇怪な改造人間を次々と生み出しており、初見でそれらの冒涜的とも言える超常的存在から繰り出される不意打ちに対応しきれるわけがなく、間一髪となった瞬間だった。

 

 

間一髪で私の命を救ってくれたのはまたもやNINJA:斬馬 剣禅であり、奥多摩攻略戦の時といい、本当に絶体絶命の時に窮地を救ってくれるのだから、私にとって最高のボディガードとなっていた。

 

 

やはり、世界が認める世界最強の諜報員:NINJAは格がちがい、浜名湖底の秘密基地を爆破して命からがら地上に這い出た時も、我先にと逃げ出した日本支部最高幹部の追跡を私たちに任せて、まだ遊園地に詰めていた改造人間たちにたった一人で敢然と立ち向かっていったのだ。

 

それから、全ての後始末をつけたのか、NINJAも後から浜松市の海岸にやってきて、有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ女が正体のバケモノの膝に頭を乗せる私の隣に寝そべって星空を見上げた。

 

やはり、多勢に無勢で、単身で地上の改造人間たちを始末してきたとは言え、所々に服装の乱れが生じていたのだが、まったく血痕がついていないどころか深く抉れた傷痕が木材の破片のように非生物的に見えたのは星明かりの薄暗さのせいなどではなかった。

 

そして、新設レース『URAファイナルズ』限定仕様のまったく同じ構造の複数の特設ライブ会場による【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】【ダート】の5部門同時ウイニングライブがURA史上最高の視聴率と再生数を叩き出したという速報が流れ、“皇帝”シンボリルドルフの悲願が完遂されたことに達成感を覚えて眠りに就いた。

 

そういえば、都内のホテルで開催された『URAファイナルズ』決勝トーナメント観戦プログラムの前座となった『皇帝G1七番勝負』の結果はどうなったのだろうか――――――。

 

『URAファイナルズ』の成功もそうだが、新生徒会役員がシンボリルドルフの時代から独り立ちしていくための通過儀礼『皇帝G1七番勝負』で全員が“最強の七冠バ”シンボリルドルフに勝ってもらわないと、安心してシンボリルドルフが卒業していけないのだが――――――。

 

 


 

 

●4周目:3月17日 ……『URAファイナルズ』決勝トーナメント翌日

 

――――――トレセン学園/元 岡田Tのトレーナー室

 

アグネスタキオン「ほら、いつまで寝ているんだ。起きたまえ。そして、私に紅茶を淹れてくれよ」

 

斎藤T「う、うぅん……?」

 

斎藤T「ここはトレーナー室……?」

 

マンハッタンカフェ「あ、目が覚めましたか」

 

マンハッタンカフェ「どうぞ、コーヒーミルクです」コトッ

 

斎藤T「ああ、ありがとう……」ゴクッ

 

アグネスタキオン「こら! きみは私のトレーナーだろう! なら、私の嫌いなコーヒーなんか飲むんじゃない!」

 

斎藤T「だったら、自分で紅茶を淹れればいいじゃないか……」

 

アグネスタキオン「あのねぇ! いくらメイクデビュー前で全盛期のトウカイテイオー並みの能力があるにしても『皐月賞』のシンボリルドルフを相手に死力を尽くしてきた私に対して労る心はないのかい!」

 

斎藤T「……そんなことを言って、お前は初戦の『皐月賞』でも、マンハッタンカフェは最後の『宝塚記念』のシンボリルドルフと対決したわけなんだが」

 

マンハッタンカフェ「まあまあ、斎藤Tも『URAファイナルズ』決勝トーナメントの一日を私たちとはちがう場所で人知れず人類の平和と自由のために戦ってお疲れなんですから、たまにはタキオンさんの方から労ってあげたらどうですか?」

 

アグネスタキオン「だ、だって! こういう時でもないと、忙しさにかまけて私の言うことを聞いてくれないじゃないかい! 私のトレーナーなのにぃ!」

 

アグネスタキオン「ほら、もっと私にかまえぇ! 労れぇ!」

 

斎藤T「わかったわかった。本当にいろんなことがあったもんなぁ……」

 

アグネスタキオン「そうだ。きみは担当ウマ娘のことをほったらかしにし過ぎだ」

 

アグネスタキオン「だから、部活棟の実験室で3人で()()()()()()と楽しくやっていた時のようにさ」

 

 

――――――ここで髪を洗えとは言わないから、せめて髪を梳いてくれよ。

 

 

マンハッタンカフェ「あの、“お友だち”から何があったのかは聞きました。本当におつかれさまでした」

 

斎藤T「そう言ってくれる人がいるだけで心が軽くなるな」

 

アグネスタキオン「おい、手を止めるな。もっとぉ……」ナデナデ

 

マンハッタンカフェ「その様子だと昨日の『URAファイナルズ』の結果はまだですよね」

 

マンハッタンカフェ「どうぞ。今日のスポーツ新聞に『URAファイナルズ』全レースの結果が載っています」

 

マンハッタンカフェ「すでに学内の掲示板に貼られていて、売り切れ続出になってましたけど、“お友だち”がそうなる前に買うように言ってくれたおかげで、ここに」

 

斎藤T「ああ、ありがとう……」バサッ

 

アグネスタキオン「こら~!」

 

斎藤T「ああ、やっぱり、【長距離部門】はミホノブルボンが優勝か。準優勝:ライスシャワー、準々優勝:ハッピーミークか……」

 

アグネスタキオン「もう!」プクゥ!

 

アグネスタキオン「いいさ! きみの状況把握が済んだら、いっぱいかまってもらうから!」フン!

 

マンハッタンカフェ「本当に凄い世代です。【短距離部門】のサクラバクシンオーの優勝もそうですが、」

 

マンハッタンカフェ「同じ“無敗の三冠バ”シンボリルドルフよりも長く走り続けて、その“皇帝”が主導した『URAファイナルズ』の初代チャンピオンにまで昇りつめたことで、史上最強の称号は“サイボーグ”ミホノブルボンのものになったと話題が持ちきりです」

 

アグネスタキオン「ああ、一部では“サイボーグ”から進化して“皇帝”の地位を継承して“機皇帝”と呼ばれているのだとか」

 

マンハッタンカフェ「――――――『これでシンボリルドルフの時代は終わり、次なる時代がやってきた』のだと、世間では言われています」

 

斎藤T「そうなんだ」

 

アグネスタキオン「で、【マイル部門】で“幻の三冠バ”フジキセキが見事優勝ということで、栗東寮では朝から祝杯の騒ぎだよ。こっちとしてはいい迷惑だよ」

 

斎藤T「それで、【中距離部門】はビワハヤヒデ優勝。準優勝:ナリタブライアン。準々優勝:ヒシアマゾンか……」

 

アグネスタキオン「こっちもこっちで美浦寮も祝杯で、寮で対抗して見せつけるように派手な祝勝会を開いている始末でねぇ」

 

マンハッタンカフェ「でも、ハヤヒデさんとブライアンさんの最強姉妹対決は名勝負として語り継がれる大接戦でしたよ」

 

アグネスタキオン「その勝敗を分けたのが元担当トレーナーからの声援っていうのもなかなかに感動的じゃないか」

 

斎藤T「お」

 

斎藤T「これって、ピースベルT――――――」

 

アグネスタキオン「感極まったハヤヒデくんがね、今まで影も形もなかった芦毛で長身の謎のスレンダー美人に抱きつく姿が全国放送されて、その正体についてネットでは大論争が夜を徹して続けられているみたいだねぇ」

 

アグネスタキオン「まさか、ハヤヒデくんの元担当トレーナーにして黄金期を支えた三巨頭:有馬一族の御曹司がナチス残党の闇組織にウマ娘化の改造手術を受けた姿とは夢にも思うまい」

 

マンハッタンカフェ「でも、ハヤヒデさんと鐘撞Tの抱擁をブライアンさんとヒシアマゾンさんが温かい祝福を送っている画になっていますし、そこまで詮索されることはないかと思います」

 

斎藤T「たしかに、記事だと無難な表現で【中距離部門】初代チャンピオンになったビワハヤヒデの歓喜のシーンとして掲載されているな」

 

斎藤T「そうか。よかった。『URAファイナルズ』は大成功に終わったんだな……」

 

マンハッタンカフェ「はい。明後日:週明けの修業式の後に『URAファイナルズ』開催成功記念パーティーが行われます」

 

マンハッタンカフェ「斎藤T、あなたは『URAファイナルズ』開催を陰ながら支え続けた最大の功労者です」

 

 

マンハッタンカフェ「ですので、『あなたの隠れた功績を讃えたい』とミホノブルボンの才羽T、ライスシャワーの飯守T、ハッピーミークの桐生院Tの連名で理事長に訴え、あとは斎藤T本人の参加の意思表示によって感謝状の授与式が行われることになるのですが、出席なさいますか?」

 

 

斎藤T「いや、気持ちだけで十分だ。今の私はその舞台には相応しくない」

 

斎藤T「どれだけ必要なことだとしても下水処理場やゴミ処理場で働く人間を公の場に呼び出して市長に顕彰されるのは眩しすぎるというか、日光で貧血症になるような感じがしてダメなんですね……」

 

斎藤T「ましてや、私は『URAファイナルズ』と時同じくして たくさんたくさん 殺したよ。断末魔の叫びを浴びてきたよ」

 

斎藤T「だから、今は気持ちだけでいっぱいいっぱい。興味本位で関わってこようとする人間が増えることがこちらとしては迷惑だから、しばらくは戦場の高揚感と罪悪感が収まるまでのんびりしていたい」

 

斎藤T「これでも冠婚葬祭の一切を執り行える祭司長の資格を持っていますから。自分が犯した罪穢れを祓うまでは私自身が穢れの塊なので、人前に出るのは大変よろしくない」

 

マンハッタンカフェ「……そうですか」

 

アグネスタキオン「……ああ」

 

 

斎藤T「ただ、私のことをよく理解してくれている協力者の方々だけとなら、一緒に新しい時代を迎えることができたことを盛大に祝えるから」

 

 

マンハッタンカフェ「……わかりました。トレセン学園の『URAファイナルズ』開催成功記念パーティーの出席は欠席ということでお伝えしておきますね」

 

斎藤T「ありがとう。そして、ごちそうさま」

 

マンハッタンカフェ「いえいえ。私も感謝していますから」

 

マンハッタンカフェ「それでは、また後ほど。斎藤T」

 

 

ガチャン・・・

 

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「……ほら、早く」

 

斎藤T「うん?」

 

アグネスタキオン「今から髪を洗いに行く~!」

 

斎藤T「……そうだな。私も昨日からこの格好だし、百尋ノ滝に行くか」

 

アグネスタキオン「……まったく、また無茶ばっかりして」

 

アグネスタキオン「……きみは私のトレーナーなんだぞ。メイクデビューだってまだ先なのに、どうして私を置いてけぼりにするんだ」

 

アグネスタキオン「……きみが私を日の差さない実験室の外に連れ出しんたんだからな。それで『一緒に星の海を渡ろう』って誘ってさ」

 

アグネスタキオン「……もう本当に必死だったんだからな、『皇帝G1七番勝負』!」

 

アグネスタキオン「……()()()()()()からの情報やトウカイテイオーの全盛期並みの能力があるから『皐月賞』の時のシンボリルドルフぐらい軽く蹴散らせると思っていたら、想像以上に苦戦することになってさ!」

 

アグネスタキオン「……おかげで、一番勝負『皐月賞』の時点で敗けることになったら、もうね!」

 

アグネスタキオン「……だから、生まれて初めてと思うぐらいに久しぶりに死力を尽くして走ったよ」

 

アグネスタキオン「……それこそ、VRシミュレーターじゃなかったら、完全に脚が使い物にならなくなるぐらいの大接戦で、最後の写真判定で勝ちを拾った時はもう全身の力が抜けて立ってられないぐらいにね」

 

アグネスタキオン「まあ! そのおかげで、デビュー前の時点でシンボリルドルフ相手にVR上で勝利を収めるだけの実力があることを競バ場に詰めかけるほどではない家族連れにアピールすることができたんだ! これでグランプリ出走のためのファン数を事前に大いに稼げたがね!」

 

アグネスタキオン「それで、写真判定で勝った瞬間の大歓声と拍手が本当に凄くてね……」

 

斎藤T「そうか。よくがんばったな」

 

アグネスタキオン「でも、そこにはきみはいなかったんだ……」

 

アグネスタキオン「そうだとも、きみは()()()()()()を連れて吾妻Tの体内に埋め込まれていた監視装置から逆探知して闇組織を壊滅させに行っていたんだ。それを止めることなんて私にはできなかった……」

 

 

アグネスタキオン「だから、きみが帰ってくるのをクリスマスの時と同じようにこうして待つことになったんだぞ

 

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「……安心したまえよ。『皇帝G1七番勝負』は我々の完全勝利だよ。全員が“最強の七冠バ”シンボリルドルフに打ち勝つことができたんだ」

 

アグネスタキオン「だから、きみが想像するような未来はもうやってこない」

 

アグネスタキオン「エアグルーヴも『有馬記念』のシンボリルドルフとの対決に全身全霊で勝ちに行って“皇帝”の後を継いで新しい理想の時代を築き上げる“女帝”としての決意を見せつけてくれた」

 

アグネスタキオン「もちろん、()()()()()()からの何千通りのシミュレーション結果と出走したウマ娘全員の思考分析から編み出された必勝法が提示されていたからなんとかなったところもあるわけだが……」

 

アグネスタキオン「何というのか、写真判定の大接戦の末に一番手の私が勝ったことに勇気づけられた二番手のテイオーくんが『日本ダービー』で全盛期の肉体と全盛期を超えた精神で2バ身差でシンボリルドルフに勝ったことで流れが完全にこちらに来てね……」

 

アグネスタキオン「まさしく“帝王”の走りだったよ。岡田Tが天まで届くんじゃないかと思うぐらいの大絶叫を上げたのに釣られて、新生徒会が中心の『皇帝G1七番勝負』という前座は『URAファイナルズ』を前にして会場全体が最高の熱狂に包まれていた……」

 

アグネスタキオン「だから、新生徒会の実力と威厳というやつはしっかりと見せつけられたんじゃないかと思う。それが大きな自信に繋がったことを大観衆の大歓声の中で確かめることができたからねぇ」

 

斎藤T「それが聞けてやっと安心した」

 

アグネスタキオン「ああ。だから、安心して私のことを存分に労っておくれよ」

 

斎藤T「わかった」

 

 

ズドドドドドドド! ガチャ!

 

 

斎藤T「!」

 

アグネスタキオン「む!」

 

ゴールドシップ「ゴルシちゃん運送で~す! 配達する荷物はこちらですね! それでは、遠慮なくお運びしま~す!」バサッ

 

斎藤T「おわっ!?」ズボッ ――――――麻袋に入れられる!

 

アグネスタキオン「な、何をするんだい、きみはああああ!?」

 

ゴールドシップ「おっと、文句は依頼人に言いな」ヒョイ!

 

ゴールドシップ「じゃ、またな~!」ヒュン!

 

アグネスタキオン「ま、まてええええ! 私のトレーナーくんをどこに連れて行く!? まだ髪を洗ってもらってないんだからあああ!」ガバッ!

 

 

ズドドドドドドドドドドド・・・!

 

 

――――――トレセン学園/生徒会室

 

ゴールドシップ「待たせたな! 主役のご登場だ~い!」ドサッ

 

斎藤T「……帰ってきたばかりなんだから身形を整える時間ぐらいくれよ」

 

アグネスタキオン「まったくだよ! せっかくトレーナーくんに髪を洗ってもらえるはずだったのに……!」

 

 

エアグルーヴ「それはすまなかった。だが、今日ぐらいしか予定が空いてなかったものでな……」

 

 

斎藤T「こ、ここは生徒会室……?」

 

エアグルーヴ「ああ、ささやかながら生徒会で『皇帝G1七番勝負』の祝勝会をやろうと思ってな」

 

エアグルーヴ「意識不明の重体から目覚めたあなたが誰よりも先代のことを陰ながら支え続けていたことに感謝の意を示したいのだ」

 

アグネスタキオン「ああ、カフェだね? 言質を取ったということで私たちが外出する前にゴールドシップくんを使って無理やり連れてきたというわけか」

 

マンハッタンカフェ「まあ、そういうことです。なので、軽くお腹を満たすコーヒーミルクだけ出しました」

 

ゴールドシップ「にしても、昨日はどこで何やっていたんだ~? ステルスゲームのスニーキングスーツみたいじゃんかよ、それ?」

 

トウカイテイオー「かっこいいよね~!」

 

メジロマックイーン「そうですわね。『URAファイナルズ』決勝トーナメント観戦プログラムの前座として用意していただいたVRシミュレーターの完成度と言い、VR上で全盛期の肉体を取り戻した時の感動と言い、本当に規格外の御方ですわね」

 

ゴールドシップ「というか、いろんな臭いが混じっているんだけど? 潮の香りもするし、普通の人間じゃ絶対に嗅ぎなれないようなアブナイ臭いもいろいろしてくるぜ?」

 

斎藤T「なら、一旦仕切り直しとして着替えてきましょう。これは刺激的でしょうから」

 

エアグルーヴ「そうだな。何の臭いかはわからないが、さすがにこれは鼻につくな……」

 

 

シンボリルドルフと秋川理事長が導いた黄金期の総決算となる新設レース『URAファイナルズ』決勝トーナメントの翌日、私は気づくとトレセン学園のトレーナー室でバスタオルの上に寝かされていた。

 

たしか、浜松市の海岸でNINJAと一緒に星を眺めていたはずなのだが、あの後 アグネスタキオン’(スターディオン)が時間跳躍でここまで運んでくれたと見るのが妥当か。

 

なので、ナチス残党の闇組織『アンシュルス』の秘密基地に特攻を仕掛けるためのコンバットスーツを着たままの状態であり、改造人間たちを容赦なく一網打尽にするための装備品や一方的な大量殺戮でこびり着いた異臭をまとっているため、その嗅ぎ慣れない異臭にエアグルーヴが顔を顰めていたので一旦戻って着替えてくることになった。

 

しかし、新生徒会長:エアグルーヴの表情は一目見ただけでも別人に見えるぐらいに晴れやかで自信に満ちたものとなっており、こうしてささやかながらも生徒会室で祝勝会を開いてくれるぐらいには心の余裕が持てたようだ。

 

同時に、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』を卒業している副会長:ナリタブライアンを除く新生徒会役員の結束が固くなったことも実感でき、先代から引き継いだ仕事に対する意欲も非常に高まっていた。

 

もはや、そこには偉大なる“皇帝”シンボリルドルフの姿を求める不安な雰囲気はどこにもなく、自分たちもまた“皇帝”シンボリルドルフと同じように、新しい時代の先頭に立って力を合わせて道を切り拓いていく決意がみなぎっており、生徒会室には新時代への希望が満ちていた。

 

 

斎藤T「おまたせしました」サッパリ!

 

エアグルーヴ「うん」

 

エアグルーヴ「では、あらためて『皇帝G1七番勝負』の祝勝会を始めるとしよう」

 

エアグルーヴ「乾杯!」

 

ゴールドシップ「いえええええええええええええい!」

 

トウカイテイオー「ぃやっほーーーーー!」

 

メジロマックイーン「パクパクですわー!」

 

アグネスタキオン「いやはや、生徒会役員じゃない私たちが生徒会室に当たり前のようにいるようになるとは、世の中 わからないものだねぇ」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。でも、不快なことじゃないです」

 

エアグルーヴ「そこ、2人は先代が特に気にかけていたウマ娘だからこそ、私も気にかけているわけだが、あまり面倒事を起こすなよ」

 

エアグルーヴ「斎藤Tもな。私は先代ほどは甘くはないからな」

 

斎藤T「はい」

 

 

エアグルーヴ「ただ、先代のことも含めて本当に感謝しています」

 

 

エアグルーヴ「このまま ただの生徒会長として最後の1年を終わるのかとあきらめていた時、理想を追い求める“女帝”の在るべき姿を思い出すことができました」

 

エアグルーヴ「ですので、後進の育成も、生徒会長職も、ウマ娘レースも、全てやりこなす“女帝”として最後の1年をやりつくそうと思います」

 

ゴールドシップ「そいつはまるで“皇帝”シンボリルドルフと“万能”ビワハヤヒデの在り方を足して2で割ったみたいな感じだな」

 

エアグルーヴ「言われてみると、そうかもしれないな」

 

 

エアグルーヴ「私はトレセン学園の生徒として、そして、ウマ娘らしく最後は『URAファイナルズ』で有終の美を飾ってみせる!」

 

 

エアグルーヴ「だから、すまないが、先代と比べてろくに生徒会活動ができないかもしれないが――――――」

 

トウカイテイオー「そんなの、別にいいよ、会長! ボクだって、“皇帝”シンボリルドルフのようにみんなから憧れるウマ娘になるために、“皇帝”がしてきたことを精一杯にがんばっていくから!」

 

メジロマックイーン「ええ。まだ“女帝”は健在なのですから、最後まで走り抜いて、トレセン学園の新たな時代の先頭に立ってくださいませ」

 

 

エアグルーヴ「ありがとう、テイオー、マックイーン。私は幸せ者だな」

 

 

斎藤T「……これなら大丈夫そうだな。よかった」ホッ

 

トウカイテイオー「ねえねえ、斎藤T! またあのシミュレーターを使わせてもらえる? やっぱり、全盛期のあんなにも動ける身体の感覚はたまらないんだよね!」

 

ゴールドシップ「なあなあ、いいだろう? ゴルシちゃんにも遊ばせてよ~!」

 

斎藤T「それは無理な相談」

 

メジロマックイーン「それはどうしてですの? 何か技術的な問題があるのでしたら、メジロ家が最大限の支援をいたしますわよ?」

 

斎藤T「公平性と倫理性の2つの問題を抱えているから、学外の非公式イベントで使うぐらいならいいです」

 

ゴールドシップ「――――――『公平性と倫理性』ってのは?」

 

アグネスタキオン「つまりはね、いくら『レースでは結果が全て』とは言っても、実戦に限りなく近いシミュレーターを利用できたら圧倒的に有利に立てるわけだろう? 過去の名バとの模擬レースすらセッティングできるわけだしね」

 

アグネスタキオン「そうなると、世界最先端のトレーニング環境が与えられている上で勝利へのアプローチの仕方は個々人の自主性に委ねているトレセン学園であっても、さすがに今回のVRシミュレーターなんてものが導入されたら利用者が殺到するようになるのは容易に想像がつくだろう?」

 

エアグルーヴ「ああ。全盛期の自分を取り戻せた感覚はウマ娘として歓喜に満ちた瞬間でもあったし、過去の名レースの設定をイジって天候や枠順をランダムにしてゲートインできるシステムもシミュレーターとしてはなかなかの完成度だった――――――」

 

アグネスタキオン「そして、負けた者は口々に『シミュレーターを利用できなかったから負けた』と言うようになるだろう。勝敗を分かつ条件がシミュレーターだと、誰も実力差や時の運によるものだと言わなくなることが問題になるんだ」

 

エアグルーヴ「……そうか。たしかに総生徒数2000名弱のウマ娘たちが利用できるだけのシミュレーターを用意できるわけもないし、誰だってあのシミュレーターを一番に使いたいと言うだろうから、それはそれで現実での結果を疎かにしてしまうだろうな」

 

斎藤T「そうです。VRの便利さに慣れて現実世界を軽視するようになったら、何のために身体を鍛えて雨の中の重バ場で泥まみれになりながらも懸命にゴール板を一番に目指すのかがわからなくなります」

 

斎藤T「要するに、仮想現実(VR)が本物の現実に取って代わり、究極のウマ娘レースシミュレーターが利用者のほとんどをVR依存症に陥れる危険性があるわけです」

 

メジロマックイーン「――――――『依存症』ですか。たしかにそれは由々しき問題ですわね」

 

ゴールドシップ「たしかになぁ。レースのご褒美で食べても太らないスイーツなんてVRでもらえたら、マックイーンが現実世界に帰ってこれなくなるもんなぁ」

 

メジロマックイーン「ど、どういうことですの!?」

 

アグネスタキオン「そうだねぇ、VRでならば現実世界で飲食をしているわけではないから、いくらでもVRで食べる体験ができるわけだけど、」

 

アグネスタキオン「その実感(リアリティ)はそのまま仮想現実と現実を結びつけている脳に持ち越されてしまうから、場合によっては摂食中枢と満腹中枢のバランスが破壊されて過食症や拒食症になる危険性があるよ」

 

メジロマックイーン「そ、そうなんですのぉ!? VRでも食事制限がつくわけなんですかぁ!?」

 

アグネスタキオン「我々が何かを感じるということはそういった機能の脳内物質が分泌されているわけで、VRであってもそれは絶対に変わらないわけだから、気をつけたまえよ」

 

トウカイテイオー「あ、そっか。VRでそこまで再現できたら、怪我をして走れない子なんか特に現実世界に帰りたくなくなるよね。VR依存症にもなるわけだよ」

 

斎藤T「ですから、いずれはVRが日常生活に普及していくつもの人生を同時進行していく多層現実が実現すると仮定して、怪我で引退したウマ娘たちもVRシミュレーターによって五体満足で出走できるようなeスポーツとして開催すべきだと私は考えます」

 

マンハッタンカフェ「VRシミュレーターによるウマ娘レースはオリンピック競技とパラリンピック競技みたいな明確な分類が必要というわけですね」

 

エアグルーヴ「でないと、公平性や倫理性の問題が出てくるというわけか。これまた難しい問題だな」

 

斎藤T「参考までに、この現実世界をVR0:ユニバースと数えて、そこから仮想現実を条件や世界観に応じてナンバリングしてVR1、VR2、VR3……と数えていき、それぞれの仮想現実の規格に応じたキャラメイクのアバターを使い分けることで多層現実社会は運営されていくんですよね」

 

斎藤T「なので、今回のVRシミュレーターを使ったウマ娘レースはVR1の規格のキャラメイクのアバターのみが出走可能で、現実世界はVR0:ユニバースの規格のキャラメイクのアバターのみが出走可能という考え方ができるわけなんですよ」

 

斎藤T「そして、使い慣れたアバターを他のVR世界に持ち込む際はコンバートすることで、最小限の労力で他のVR世界の規格に沿ったキャラメイクができるわけです」

 

斎藤T「今回の『皇帝G1七番勝負』もまた、現実世界であるVR0:ユニバースで作成されたアバターをVR7にコンバートしたものと考えれば、一時的に中央競バ『トゥインクル・シリーズ』から移籍して仮想現実のレースに出走した感じに捉えるはずです」

 

エアグルーヴ「なるほど。現実世界をVR0:ユニバースと数えることで、現実世界と仮想現実のレースの出走資格を明快に比較できるようになるわけなのか」

 

斎藤T「でも、こちらとしてもより完成度を高めるための利用データは欲しいのでESPRITの目玉企画として定期的に実地試験は開催するつもりです」

 

 

――――――そう、名付けるなら『レジェンドレース』として過去のスターウマ娘の名レースに挑戦するものにしましょうか。

 

 

ゴールドシップ「――――――『レジェンドレース』か。イカしてるな、それ」

 

トウカイテイオー「つまり、ボクたちが挑むことになった『皇帝G1七番勝負』が雛形だね」

 

アグネスタキオン「なるほど。過去のレース動画を読み込んで立体的に再現するだけでもかなりの調整がいることだし、そういう名目なら腕試しとしてVRシミュレーターの利用に対して公平性と倫理性が保たれるわけだね」

 

斎藤T「こっちとしては一方的に利用データが得られるということで一切損がないわけです」

 

斎藤T「で、その際のVRシミュレーターの優先出走権は故障者に配ろうかと思います」

 

メジロマックイーン「それはいいアイデアだと思いますわ」

 

トウカイテイオー「そうだね。故障でレースに出走できなくなった子や活動休止から復帰する子のリハビリとしてはうってつけだもん」

 

斎藤T「このように、ESPRITの活動はトレセン学園の特徴である世界最先端のトレーニング環境を提供するという趣旨に則って学園が抱えている問題を解決するソリューションを提供するわけなんです」

 

斎藤T「私はESPRITの実質的な創設者ですが、公平な機会の提供のために女代先生を顧問にして誰の味方でもない立ち位置にいないといけませんので、」

 

斎藤T「生徒会の皆さんは生徒たちの代表機関として、ESPRITが提供するソリューションが本当にトレセン学園の問題解決に繋がるものなのかを生徒たちの側に立って審議して欲しいのです」

 

斎藤T「ソリューションを実際に採用するかどうかは決裁権を持つ理事会の判断なので、利用者としての率直な意見や請願を積極的に理事会に上げて採用の後押しをしてください」

 

斎藤T「ここにいるアグネスタキオンとマンハッタンカフェが部員ですので、生徒会とのパイプとしてご活用ください」

 

アグネスタキオン「まあ、そういうことだから」

 

マンハッタンカフェ「これからよろしくお願いします」

 

エアグルーヴ「ああ、よろしく頼む」

 

 

ゴールドシップ「おっしゃあああ! こんな面白そうな部活があるなら、ゴルシちゃんも入部させろ! そうしたら生徒会室からマックイーンを連れてESPRITに毎日遊びに行けるぜ!」

 

 

斎藤T「なに!?」

 

メジロマックイーン「ゴールドシップさん!?」

 

トウカイテイオー「ちょっと! 遊び呆けるのはやめてよね!」

 

エアグルーヴ「……おい、一気に不安になってきたぞ」

 

 

――――――だが、先代が卒業することで私が生徒会長としてやっていけるのか不安に苛まれていたのとはちがった将来に対する期待があるな、この不安は。

 

 

 

 

 

ゴールドシップ「いや~、新生徒会の打ち上げパーティーは楽しかったな!」

 

ゴールドシップ「この後は大人だけの打ち上げパーティーもやるんだろう? アタシも仲間に入れてくれよ~!」

 

斎藤T「………………」

 

ゴールドシップ「……それで、斎藤T? アタシに何か話があるんだろう?」

 

斎藤T「単刀直入に言う」

 

斎藤T「あなたは半人半霊(エンティティ)なのか?」

 

ゴールドシップ「――――――『エンティティ』? 何だ、そりゃあ?」

 

斎藤T「先程の仮想現実で言えば、ゴールドシップ、あなたはこの世界であるVR0:ユニバースで生まれ育った存在ではないな?」

 

斎藤T「おそらくは、VR564辺りの別世界からVR0:ユニバースにアバターを飛ばしてきているのではないか?」

 

ゴールドシップ「……どうしてそう思った?」

 

斎藤T「仮想現実というわけではないが、私は卒業式の後にここではない可能性の世界をいくつも巡ることになった」

 

斎藤T「その中で、極めてこの世界に近い別世界が存在していて、同じように黄金期の主導してきた“皇帝”シンボリルドルフの精神世界に存在した『一度 顔を見たら忘れない』という特技が反映された6年間の在学生名簿と退学者名簿の中に、ゴールドシップ、あなたの写真は1つもなかった」

 

斎藤T「そもそも、元からあなたの存在感には違和感を覚えていた」

 

斎藤T「あなたはトレセン学園の生徒でありながら学年不詳で実績や個人情報が完全に秘匿され、そのことに対して誰も疑問に思わないことが、自身の存在感を自在に薄めたり濃くしたりして世界全体に及ぼす強力な認識阻害ができる半人半霊(エンティティ)であることの何よりの証拠だ」

 

ゴールドシップ「へえ」

 

ゴールドシップ「そっか。ついにバレちゃったか」

 

ゴールドシップ「そりゃあ、そうだな。アンタは三ヶ月の意識不明の重体の後に人が変わっちまったことだしな」

 

斎藤T「………………!」

 

 

ゴールドシップ「そう、このゴールドシップ様が実はゴルゴル星からやってきた女神ゴルーシアだって驚愕の真実にな!」

 

 

斎藤T「――――――『ゴルゴル星』! ――――――『女神ゴルーシア』!?」

 

斎藤T「……競走ウマ娘の皇祖皇霊たる三女神とは別系統の女神か!?」

 

斎藤T「それで何が目的だ? 次元の壁を越えて別世界に仮初の肉体(アバター)をもって干渉しだす半人半霊(エンティティ)になるのは大抵は元の世界にないものを求めて現実逃避している輩が多いわけだが?」

 

ゴールドシップ「なるほど、それがアンタの半人半霊(エンティティ)の定義ってやつか」

 

ゴールドシップ「なら、そいつは半分正解で、半分ハズレだぜ、斎藤T?」

 

斎藤T「……なら、“ゴルゴル星の女神”ゴルーシアの化身:ゴールドシップとして明確な目的をもって地上に顕現していると?」

 

ゴールドシップ「そういうことだぜ、旦那」

 

 

ゴールドシップ「というより、アンタもアタシと()()()()じゃないのか?」

 

 

斎藤T「………………」

 

ゴールドシップ「アンタも実はアタシと同じ神様の位を持っているような偉い存在が“斎藤 展望”に乗り移っているんじゃないのか?」

 

ゴールドシップ「でなけりゃ、去年のシーズン後半に目覚めてからの超人的な活躍の数々への説明がつかねえもんな。学園一の嫌われ者が一転して生徒会から一番信頼されて学園に大きな影響を与えつつある第三者(フィクサー)になっているもんな」

 

ゴールドシップ「まあ、おかげでアタシはアンタの存在によって良い方向に変わり始めるトレセン学園の様子を間近に見て楽しめるわけなんだけどさ」

 

ゴールドシップ「何より、マックイーンやテイオーを救ってくれたことにアタシは感謝感激なんだからよー!」

 

斎藤T「……女神の化身なのに救ってやらないのか?」

 

ゴールドシップ「……いろいろとあるんだよ、ゴルゴル星にもな」

 

斎藤T「……そうか」

 

ゴールドシップ「そんじゃな~。今日はしっかりと休んで、修業式にちゃんと間に合わせろよ~」

 

斎藤T「もちろん、そのつもりだ」

 

斎藤T「けど、いつかは力を貸してくれるよな、“ゴルゴル星の女神”ゴルーシア?」

 

ゴールドシップ「ああ。その時が来たらな」

 

 

――――――それでさ、斎藤T? 思うんだけどさ、英雄譚や建国記で一番に面白いところってのは英雄になるまでの過程や建国を果たすまでの過程の波乱万丈じゃね?

 

 

 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

ピースベルT「それじゃあ♪ 『URAファイナルズ』の大成功と『皇帝G1七番勝負』の完全勝利を祝して♪」アハッ

 

ピースベルT「乾杯♪」ニッコリ

 

一同「乾杯!」

 

和田T「うわ! なにこれ!? メチャクチャ美味しいんですけど!? いいの、こんなに高そうなワインを飲ませてもらっても!?」

 

ピースベルT「いいのいいの♪ 人生で最高に幸せな気分だから♪ みんなもそうでしょう♪」フフッ

 

斎藤T「ロマネ・コンティ。世界一高値で取引されるフランスワインであり、飲むよりも語られる事の方が多いワインか」

 

岡田T「いや~、何もかも無事に終わってホッとしましたな!」

 

和田T「そうそう! 『URAファイナルズ』決勝トーナメントの前座に持ってきた『皇帝G1七番勝負』が失敗に終わったらどうしようと思って最後までハラハラさせられっぱなしで!」

 

吾妻T「過去の記録映像から起こした全盛期の生体データとの追体験(シンクロ)とそれぞれのG1レースでの“皇帝”の走りや状況から編み出された必勝法が提示されていなかったら、取っ掛かりがなくて完全にお手上げでしたからね~」

 

斎藤T「そうですね。それだけ有利な条件を整えても初戦『皐月賞』でいきなり企画が終了するかもしれなかったわけですからね。対策ができても辛勝な辺り、さすがは“皇帝”と褒めるべきですかね」

 

アグネスタキオン「結果としては勝ったんだから、そのことはもういいだろう!?」

 

吾妻T「でも、写真判定に縺れ込むほどの大接戦が後続の方々の慢心を戒めて闘志を燃え上がらせたわけですから、先鋒としての立ち回りは満点でしたよ~」

 

岡田T「いや、しかし! やっぱり俺のテイオーは最強だったんだ! 『日本ダービー』での走りが完全に“皇帝”を超えていたということがあらためて証明されたことが最高に嬉しい!」

 

和田T「何を言っているんだ! 『天皇賞』を制することが使命のメジロ家のウマ娘こそが最強なんだよ! テイオーよりも差をつけて“皇帝”に圧勝だったんだぞ!」

 

吾妻T「いやいや~、“女帝”も負けてないよ~? ティアラ路線のウマ娘がクラウン路線に劣るだなんて誰が決めたことなんだい~?」

 

ピースベルT「まあ♪ 近いうちに新生徒会役員で最強を決めるレースが起きそうね♪」フフッ

 

ピースベルT「けど、数合わせのために入れられた本物の副会長:ビワハヤヒデが横から全てを掻っ攫うけどね~♪」アハッ

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

斎藤T「みんな、自分の担当ウマ娘が一番だって自慢し合っていますねぇ」

 

マンハッタンカフェ「はい。みなさん、担当ウマ娘との二人三脚が久しぶりだったからこそ、それぞれの大勝負で最高の相手と競り合って勝てたことが本当に嬉しいわけですから」

 

アグネスタキオン「今回は本当にいいデータがとれたよ。あらためて生徒会役員の実力の高さを再認識すると同時に、いろんな箇所でプランの修正が必要になったけどねぇ」

 

アグネスタキオン「やはり、どれだけシミュレーションが正確であっても確率通りに事が運ぶとは限らないことを思い知らされたよ」

 

斎藤T「まあ、負けられない勝負で写真判定に縺れ込んで生きた心地がしないという貴重な体験を現実でしなくてよかったじゃないか。慢心はこれで戒められたな」

 

アグネスタキオン「まったくだよ」

 

マンハッタンカフェ「しかし、『七番勝負』で枠が埋まらなかった『菊花賞』『ジャパンカップ』でまさかの助っ人が来るだなんて本当に驚きましたよ」

 

アグネスタキオン「うん。テイオーくんとマックイーンくんの連闘に近い形で『菊花賞』『ジャパンカップ』にも勝ってもらおうとしたわけだけど、実績としては“皇帝”以上の強力な助っ人が来たのにはきみが用意した特大の仕掛けかと思ったよ」

 

斎藤T「私は何もしてないぞ。正直に言って『あとはなるようになる』としか思ってなかった。完全に運に任せていた」

 

斎藤T「だいたい、過去のレースを再現したシミュレーターでただシンボリルドルフに勝つことが目的じゃないんだ、『皇帝G1七番勝負』は」

 

斎藤T「偉大なる先代が卒業した後の新しい時代のトレセン学園の顔役となる新生徒会がみんなを導くという使命感と意志が備わればいいのであって、先代の偉業に劣るとも勝らない流れを作る手っ取り早い方法が『シミュレーターでシンボリルドルフに勝って自信をつけること』なだけ」

 

斎藤T「だから、結果として新しい時代を引っ張っていく使命感に新生徒会が向かうようになったのなら、勝敗はどうでもよかったところがあるから」

 

斎藤T「そういうわけで、重要なのは勝敗の結果じゃない。勝敗の結果で今後に活かせるものを得られたかだ」

 

アグネスタキオン「まあ、そうだろうね。きみ自身は徹夜で『七番勝負』の設定を完璧に仕上げた後、()()()()()()と一緒に闇組織を壊滅させるために東京を離れていたわけだし」

 

マンハッタンカフェ「ですが、どのような可能性の世界であっても“斎藤 展望”ならやってくれると信じてましたから」

 

 


 

 

レジェンドレース:皇帝G1七番勝負

 

『皐月賞』    シンボリルドルフ VS.アグネスタキオン

 

『日本ダービー』 シンボリルドルフ VS.トウカイテイオー

 

『菊花賞』    シンボリルドルフ VS.トウショウサザンクロス

 

『ジャパンカップ』シンボリルドルフ VS.アグネスオタカル

 

『有馬記念』   シンボリルドルフ VS.エアグルーヴ

 

『天皇賞(春)』 シンボリルドルフ VS.メジロマックイーン

 

『宝塚記念』   シンボリルドルフ VS.マンハッタンカフェ

 

 


 

 

斎藤T「まだ“八冠の女王”アグネスオタカルが協力してくれるのはわかるけど、“将星”トウショウサザンクロスまで力を貸してくれることになったのは、いったいどういう経緯なんだ?」

 

アグネスタキオン「それについては、()()()()()()が突如として別世界のボスウマ娘を引き連れて会場に現れたから、私たちとしても驚くばかりだったよ」

 

斎藤T「え? ――――――『()()()()()が来ていた』? 私は確実に世界に存在していたのに、質量保存の法則を無視して、そんなことがあるのか!?」

 

マンハッタンカフェ「たしか、世界全体を閉鎖系とする質量保存の法則に従って並行宇宙に存在する同一存在同士は同時に存在することができず、同時に存在してしまった場合はどちらの世界にも存在しなかったように対消滅することで均されるんでしたか?」

 

斎藤T「そう。だから、絶対に()()()()()()()()と出会うことは最初からできないはずなんだ。質量保存の法則が遵守されるように、別の世界に行ったのと同時に同一存在がこちらの世界に来て、2つの世界の質量が釣り合わされるわけだから――――――」

 

斎藤T「ハッ」

 

アグネスタキオン「どうしたんだい?」

 

斎藤T「わかった」

 

斎藤T「質問だが、“八冠の女王”アグネスオタカルや“将星”トウショウサザンクロスの存在を会場にいた誰もが違和感なく受け容れていたか? どこの誰とも知れないはずの存在がすっと出てきてシンボリルドルフに勝ったのに、すっと去っていったのを誰も追求しなかったんじゃないのか?」

 

マンハッタンカフェ「言われてみると、たしかにそこにいるのがなぜか当たり前のように感じられましたね。そして、終わったら最初からいなかったかのように――――――」

 

マンハッタンカフェ「そうでした! 別世界のことをまったく知らないはずのエアグルーヴさんがとても尊敬した様子でオタカルさんが助っ人に来てくれたことを喜んでいました!」

 

アグネスタキオン「トウショウサザンクロスについても、オーストラリア出身の外国バだなんて普通は想像がつかないはずなのに、『メルボルンカップ』を優勝した経歴から『菊花賞』をまかせられたのも満場一致だったことだしねぇ」

 

斎藤T「やっぱり!」

 

 

――――――()()()()()()()半人半霊(エンティティ)になって助けに来てくれていたということか。

 

 

斎藤T「あんまり褒められたやり方じゃないが、これも異世界探訪でそれぞれの世界のシンボリルドルフやトレセン学園の将来に関わるキーパーソンに救いの手を差し伸べたことへの返礼ということか」

 

アグネスタキオン「きみがそう言うのなら、そういうことなんだろうねぇ」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。トレセン学園にとって最悪の存在だった“将星”トウショウサザンクロスも表情の険しさがなくなって穏やかな表情で私たちに接してくれていましたし、あちら側の世界が救われたから こうして時間と空間を越えて駆けつけてくれたんだと思います」

 

アグネスタキオン「さすがは“皇帝”シンボリルドルフと同格の可能性の世界の象徴となるボスウマ娘なだけあって、『皇帝G1七番勝負』で断トツの強さを見せつけてくれたよ、“女王”と“将星”は」

 

アグネスタキオン「ティアラ路線の“クラシック6冠バ”を果たした“女王”アグネスオタカルの全盛期の走りは サイレンススズカともちがう もう1つの私の理想の走りに思えた」

 

マンハッタンカフェ「元々 オーストラリア“ジュニア三冠バ”でありながら フレミントン・芝・3200m『メルボルンカップ』も制した 驚異の距離適性を誇る“将星”トウショウサザンクロスの走りも天空に舞う翼のような異次元のものに思えました」

 

マンハッタンカフェ「なので、“最強の七冠バ”シンボリルドルフ以外にもウマ娘にはこれだけの可能性があることを誰もが実体験することになって、5戦目『有馬記念』において『URAファイナルズ』出走を見送った“女帝”エアグルーヴがまた1つ先のステージに進めたと吾妻Tも大いに感動していました」

 

斎藤T「なるほど。想像していたよりも物凄く良い結果になっていたみたいだ」

 

マンハッタンカフェ「それだけ斎藤Tが頑張ってきたということですね」

 

アグネスタキオン「ああ。善因善果・悪因悪果・因果応報ならば、トレセン学園のみならず 世界の危機を救ってきたきみの頑張りは報われなくては、真実などこの世のどこにもありはしまい」

 

斎藤T「………………」

 

 

岡田T「斎藤T! 是非とも見せたいものがあるんです!」

 

 

斎藤T「おや?」

 

岡田T「きっと、斎藤Tは俺たちトレーナーとウマ娘の絆の後押しするために、『URAファイナルズ』の裏でまた孤独な戦いに身を投じていくだろうと思っていましたから」

 

岡田T「なので、俺も『皇帝G1七番勝負』『URAファイナルズ』が終わった興奮も冷めないうちに、今回の祝勝会の余興として間に合わせたものがあるんです」

 

岡田T「さあ、こちらの席にお掛けください」

 

和田T「どうぞどうぞ!」

 

吾妻T「まだ『URAファイナルズ』の5部門同時ウイニングライブも見ていないのですよね?」

 

ピースベルT「これから近代ウマ娘レースの起源となった王侯貴族の道楽を楽しんでもらいま~す♪」ウフッ

 

斎藤T「おお!?」

 

岡田T「さあ、ご覧になってください!」

 

 

――――――私たちだけが見ることを許された()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

そうして百尋ノ滝の秘密基地で超豪華特別仕様のVRシミュレーターのホログラムを投影した『URAファイナルズ』特設ウイニングライブステージで代わる代わる『URAファイナルズ』5部門優勝バたちが華麗なライブパフォーマンスを繰り出していく。

 

これ自体はテレビ放送もされた5部門同時ウイニングライブの映像を繋ぎ合わせたものに過ぎず、映像さえ確保できれば徹夜で作るほどの代物でもなかった。

 

そこに加わったのが、新生徒会役員3名:エアグルーヴ、トウカイテイオー、メジロマックイーンの組と、トレセン学園屈指の才能と信念を持った英才たち:シンボリルドルフ、アグネスタキオン、マンハッタンカフェの組であり、

 

こちらは『URAファイナルズ』決勝トーナメントに出走していないために元になるビデオ映像がないので、5部門同時ウイニングライブの映像記録を使って一からモーションを解析してトレースさせる必要があるため、たしかに作成が大変だったことが容易に想像がつく。

 

だからこそ、VRシミュレーターに十分なデータを落とし込んでいるからこそ実現できた、ここでしか見られない『皇帝G1七番勝負』のシークレットウイニングライブであった。

 

正直に言って、ウマ娘レースの目的となるウイニングライブ自体にはそこまで興味がいかなかったものの、こうして友人同士のホームパーティーで披露されたその手作り感に込められた気持ちが何よりも嬉しかった。

 

 

そして、私はこの段階になって担当ウマ娘:アグネスタキオンがG1レースに出走する際に着用が義務付けされている勝負服の姿になっていたことにようやく気づいた。

 

 

そもそも、メイクデビューを果たしていないのに勝負服の着用など許されるものではないので映像記録がまったくなく、急遽開催の『皇帝G1七番勝負』に出走する際に間に合わせで一からキャプチャーした結果が研究者としての正装である白衣の姿であった。

 

それ自体は物臭なアグネスタキオンらしい衣装と思って眺めており、シンボリルドルフ、アグネスタキオン、マンハッタンカフェの英才組のウイニングライブは 3人共 ボトムが黒の長靴下(ストッキング)であるのに対して白・緑・黒のトップスで差別化されており、それでいて腰まで掛かるトップスの丈で不思議な統一感があり、いろいろと見比べてみると面白いものがあった。

 

そう、白衣のアグネスタキオンと黒衣のマンハッタンカフェは好対照であり、その間に挟まるシンボリルドルフの緑が上手い具合に中間色として調和をもたらしていた。

 

だが、ハッとなったのはシンボリルドルフがウマ娘の豪脚で履き潰すことが前提の黒い革靴に対して、マンハッタンカフェがまるで小学生が履きそうな上履きっぽい靴であり、更に物臭なアグネスタキオンの即興の勝負服の靴は普段のイメージからすると意外と可愛らしい感じの白のショートブーツなのが目を引いた。

 

そこに何とも言えない女の子らしさや子供の愛らしさをふと感じてしまい、思わず笑みをこぼしてしまった。

 

その様子に満足気だったアグネスタキオンが何がお気に召したのかをウキウキしながら訊いてくると、私が思わず『あんなにも可愛らしい感じのショートブーツを即興で選んだ辺り、意外に女の子っぽい趣味があったんだな』と率直に答えたら、頬を膨らませたウマ娘にポカポカと叩かれて地味に痛かった。

 

そんなふうに私がウイニングライブを鑑賞しながら担当ウマ娘とじゃれ合っている一方、トウカイテイオーの岡田T、メジロマックイーンの和田T、エアグルーヴの吾妻T、ビワハヤヒデの鐘撞Tが自分たちで作ったホログラムのウイニングライブに大粒の涙を流して声を押し殺して啜り泣いていた。

 

マンハッタンカフェも“お友だち”と一緒に感慨深そうに自分のホログラムが混じった特設の7部門同時ウイニングライブを観ており、『皇帝G1七番勝負』の締めとしては これ以上ない感動で満たされることになった。

 

 

しかし、『URAファイナルズ』の5部門同時ウイニングライブに選曲された この『うまぴょい伝説』は近代ウマ娘レースの起原である王侯貴族のための舞踊曲とは随分と掛け離れた作詞・作曲・編曲であり、日本特有のアイドル文化と組み合わさった結果の自他共に認める電波ソングとなっていた。

 

 

なので、トレセン学園のトレーナーとして勝者の義務であるウイニングライブの指導も必須技能であるため、私この『うまぴょい伝説』の振り付けもできるわけなのだが、あらためてウイニングライブの大音量の臨場感で披露されると何を言っているのかがよくわからないのが正直なところであった。

 

歌詞の内容と振り付けの結びつきはミュージカルに近いがあり、順に追っていくと内容が理解できるが、最初に聞こえてくる『うまぴょい』『うまだっち』『すきだっち』の掛け声が意味不明であり、誰もその正確な意味を知らないのがちょっとした恐怖であった。

 

しかし、サビの部分からはレースに懸けるウマ娘とトレーナーの情熱と感動をはっきりと丁寧に歌い上げた内容に仕上がっており、はっきりと何を言っているのかがわかるようになった辺りで聞こえてくるものが非常に胸に響いてくるのだ。

 

そのため、硬軟織り交ぜた非常に独特で記憶に残る構成とウマ娘レースを愛する者たちの胸に響くメッセージ性から、シンボリルドルフと秋川理事長の時代の総決算となる新設レース『URAファイナルズ』のウイニングライブに選曲されたのだろうと私は理解した。

 

 

――――――だが、ホッとしたのも束の間、これで全てが終わったわけではない。『皇帝G1七番勝負』『URAファイナルズ』が終わっても、明日にはまた私がやるべきことを果たしに行く必要がある。

 

 

そう、これらはあくまでもシンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の将来を占うものであって、私がタイムパラドックスを起こしてまで必死に変えようとしているWUMA襲来の絶望の未来を回避するにはまだ足りないのだ。

 

それどころか、私はまだ卒業式が終わってからこの世界のシンボリルドルフに会えていないのだ。別世界のシンボリルドルフに真っ先に救いの手を差し伸べる旅をしてきただけに随分と遠回りしてきたものだ。

 

そして、第3の別世界:ダークトレーナーの世界で遭遇することになった“影の支配者(real mastermind)”が実在する世界が存在するなら、それと対になる存在が支配的な世界が存在することにもなる――――――。

 

私の世界で半人半霊(エンティティ)がはっきりと存在している事実を突きつけられたのなら、不即不離である光と影の両方を同時に攻略しなければ、根本的な解決には結びつかないのだ。

 

 

さて、それでは人間のネガティブな領域の擬人化である“影の支配者(real mastermind)”と対になる人間のポジティブな領域の擬人化である存在のことをなんと呼べば良いのだろうか?

 

 

そのまま“光の支配者”と呼んでもいいのだが、()()()()()()である以上は決して完全な善とも悪とも言い切れないので、そういった極端なイメージをもたらす名称は相応しくない。

 

光が尊ばれるのはそれがなければ世界は闇に包まれるからであり、闇の世界を照らす御利益を光と呼んでいる以上、ただただ明るければ尊ばれるというものではない。

 

物事には過不足ない適切さが肝要であり、この地球に朝をもたらす生命の根源である太陽を 直接 見ようとしたら眼を灼かれて失明してしまうのだから、無闇矢鱈に明るいものをありがたがるのは阿呆のやることである。

 

となると、国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台:トレセン学園の黄金期の総決算となる『URAファイナルズ』のウイニングライブに選曲された『うまぴょい伝説』にちょうどいいフレーズがあったので、そこから拝借するとしよう。

 

 

――――――故に、これから私は挑むことになる。人間のポジティブな領域の擬人化である“虹の彼方の者(rainbow chaser)”に。

 

 

*1
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。



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通信報告  拝啓 “永遠なる皇帝”シンボリルドルフの世界の“私”へ

 

質量保存の法則に基づき、私が可能性の世界を訪れている際にまったく同じタイミングでこちら側の世界を訪れただろう“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの世界の“斎藤 展望”に宛てる。

 

 

こちらは総生徒数2000名弱まで規模が拡大して黄金期を迎えたと繁栄を謳歌する裏で、ウマ娘ファーストの御題目によって理性の箍が外れた結果、所属トレーナー数が年々減少していくのに歯止めがかからなくなり、トレセン学園の存続が危うくなっている“傾国の皇帝”シンボリルドルフの世界の“斎藤 展望”である。

 

あるいは、エクリプス・フロントに磔になった巨大娘(ジャイアンテス):シンボリルドルフの世界と言えば全てを察してくれるものだと信じている。

 

今回は無事に『URAファイナルズ』開催を乗り切り、新しい時代を迎えられたことを共に祝おうと思い、次元の壁を越えてメールを送らせてもらっている。

 

元はと言えば、そちら側の世界の人間の妄念妄想がこちら側の世界を形作ったことを考えると、そちら側がしでかしたことの責任をとっただけのことなので、怨み言さえあれど感謝の言葉を述べるべきではないのかもしれない。

 

しかし、あなたも“斎藤 展望”であるのならば、私と同じだけの艱難辛苦を耐え忍んでいることだろうから、別世界の“斎藤 展望”の同一存在に対しての嘘偽りのない労りの言葉を送りたいと思う。

 

正直に言って、すでにトレセン学園そのものが魔界の住人(ダークストーカー)の巣窟になっているので状況としては完全に詰んでいるわけであり、名門トレーナーの桐生院先輩も担当ウマ娘よりもオトコとの逢瀬を優先するぐらいに爛れているため、私自身も身の危険を感じてトレセン学園を去ろうとしていたところだった。

 

あなたも次元の壁を越える“斎藤 展望”であるのならば、最愛の妹:ヒノオマシの養育費の問題を早期に解決してトレセン学園に来た目的はすでに果たし終えているはずなので、その選択肢が思いつかないはずがない。

 

 

そちら側の世界の将来はどうだろうか。こちら側の世界に妄念妄想を垂れ流して非実在人間である半人半霊(エンティティ)が闊歩している異界を生み出したことで得られた繁栄の道はさぞや光に満ちていることだろう。

 

 

さながら、こちら側の世界はそちら側に栄光を搾取される世界――――――、というよりは妄念妄想が投棄される影の世界といったところだろう。

 

そちら側の世界は本当に規律正しい理想的な学園の風紀と秩序が保たれていて、担当ウマ娘と担当トレーナーが性的な関係になることを当たり前に思わない貞淑さがあることに驚いてしまった。

 

というのも、そちらがおそらく3つの可能性の世界を巡ったように、こちらも同じ数の可能性の世界を巡ってきたわけなのだが、そちら側以外はいずれも爛れきった世界であり、まだこちら側の世界の方がマシに思えるような有り様だ。

 

正直に言って、ウマ娘という種族の横暴さと淫蕩さはギリシャ神話のケンタウロスを思わせるものがあり、そちら側の世界に永住させてもらいたいと天に請い願うほどだ。

 

 

ただ、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たらんとウマ娘の獣性と理性の間で深い葛藤と哀しみを抱えながら賢人で在り続けた“傾国の皇帝”シンボリルドルフの後腐れない卒業とヒトとウマ娘が共存する世界のために私はトレセン学園に居続けなければならない――――――。

 

 

私はDメールを使ってそちら側の“斎藤 展望”にデータを送信している。詳しい仕組みや方法については添付データを参照してもらいたい。

 

Eメールがその名の通りにコンピュータ・ネットワークを通じて電子的にデータを送信する通信技術であることに因んで、

 

DメールはDimension(次元)の頭文字をとって従来のコンピュータ・ネットワークに次元の壁を越えるシステムを追加することでEメールの機能を拡張する通信技術と私が定義した。

 

そちら側のデータベースにこちら側の私がアクセスできなかったように、似て非なる経緯を辿っている以上は、そちら側も他の世界にはない唯一無二の経験や技術を得ているはずだ。

 

どうだろうか。Dメールの開発そのものは学園裏世界との通信を確立させるために並行宇宙を渡るWUMAの空間跳躍技術を応用することで完成したものだ。

 

次元の壁を越えるためには双方を結ぶ送信サーバーと受信サーバーを設置しなければならないため、そちら側の世界に転移した時に受信サーバーを設置してきたわけで、その証拠にこちら側からのメッセージを送ることはできているが、

 

そちら側の方で送信サーバーを立ち上げてくれれば双方向の通信が確立して、別世界の同一存在:同じ“斎藤 展望”同士で有益な情報のやりとりができるようになると思うが?

 

 

というより、あなたも“私”ならば同じ夢を持っているはずだ。のことを一番に理解してくれているのは この異なる歴史と進化を歩んできた21世紀の地球において “私”(あなた)の他に存在しないはずだ。

 

 

ならば、このDメールを通じて宇宙船の設計を“私たち”で共同でやろうではないか。妄念妄想を投棄する側の光の世界と投棄される側の影の世界の共同作業というわけだ。

 

正直に言って、こんな野蛮な未開惑星から今すぐに脱出したい気持ちでいっぱいだが、WUMAの超科学を手に入れたことによって、23世紀の宇宙科学を超える宇宙船を “私たち”世紀の天才が協力し合えば 生きているうちに建造することができるようになるのだ。

 

決して悪い取引ではないはずだ。そちら側の世界の妄念妄想によって誕生した非実在人間“半人半霊(エンティティ)”や裏世界に跋扈する妖怪共の相手をさせられるのもウンザリなんだ。

 

 

そうだ。裏世界の話で少し気になった点があるのだが、そちら側の世界が妄念妄想を投棄する光の世界なのに対して、こちら側は妄念妄想を投棄される影の世界という扱いになっているわけだが、

 

そのせいか、そちら側の世界はこちら側の世界と比べて物質的なところがあり、こちら側は精神的なところが強い印象がある。もちろん、妄念妄想をこちら側に投棄している分だけ霊的にスッキリしているわけだが。

 

その象徴として“影の支配者(real mastermind)”の気配がほとんどしないのが挙げられる。

 

こちら側の裏世界はまさに“影の支配者(real mastermind)”の箱庭で、私とアグネスタキオン’(スターディオン)でオバケ退治をしていると、“影の支配者(real mastermind)”がこちらを嘲笑う目的で悪霊を差し向けてくるから非常に面倒なことになっている。

 

特にトレセン学園中の女性とネンゴロになっているミホノブルボンの担当トレーナー:才羽Tの姿を借りていることが多くて、正直に言って顔を見るだけで腹が立ってしかたがなかったから、なんで才羽Tの姿を借りているのか、そちら側の世界に行ってようやく理解できた。

 

たしかにそちら側にいる才羽Tに憧れや妬みの念を抱く人間はたくさんいるだろうし、まさしく太陽のような存在だから、その分だけ大きな影を生み出しているわけだな。

 

そちら側の裏世界は“影の支配者(real mastermind)”どころか“半人半霊(エンティティ)”が存在しない純粋な悪霊の棲家になっていて本当に羨ましい限りだ。

 

まあ、その分だけ物質的な脅威に襲われているだろうから、どっちもどっちになるのだろうが、そういった苦労を分かち合えるのは“私”以外にいまい?

 

 

それでは返事を待っている。共に宇宙に繰り出す日を夢見て。

 

 

追伸 “傾国の皇帝”シンボリルドルフの担当トレーナーの機体(ボディ)が屋久島の千尋の滝にあるので供養しておきなさい。

 

 


 

 

――――――学園裏世界/エクリプス・フロント

 

ズバアアアアアアン!

 

才羽T?「ぐぅうううああああああああああああああああああ!」

 

斎藤T「これで終わりだ、“影の支配者(real mastermind)”!」 ――――――独鈷剣による一撃が急所に入る!

 

アルヌール「You've just been erased(お前たちは消去された)

 

アグネスタキオン’「やった!」

 

才羽T?「……こ、これで勝ったと思うなよ、“特異点”! そして、“人ならざる者たち(Non-Human)”よ!」

 

才羽T?「気づいたはずだ。この世界は影の世界。ある世界が光とならんがために影へと落とされた世界」

 

才羽T?「こんな世界で生き足掻いたところで希望などどこにもない!」

 

斎藤T「言いたいことはそれだけか? この世界の普遍的無意識のネガティブな領域を司る化身なんて御大層な肩書があるわけだが、つまりはこの世界の知的レベルの範疇での物言いしかできないわけだろう?」

 

斎藤T「なら、宇宙時代の人類に干渉できる道理もなかろう?」

 

 

――――――嘲笑えよ、『そんな未来なんて来るはずない』って嘲笑うだけの地球の重力に魂を縛られた旧人類が。

 

 

才羽T?「ぐぅぅううう……」

 

才羽T?「ふふふ、はははは、ふははははは!」

 

斎藤T「………………」

 

才羽T?「いやはや、さすがは“特異点”といったところだ。今回は素直に私の負けを認めよう」

 

才羽T?「むしろ、この時代の人間が知るよしもない未知の世界の人間相手には私の力がとことん無力だということが知れただけでも僥倖というもの」

 

才羽T?「だが、それ以上に、さすがは“世界の敵”となる存在だ。この世界の人間そのものである この私に真っ向勝負を挑んで勝つとはな」

 

才羽T?「いや、“影の支配者(real mastermind)”である私が真っ向勝負に応じたから負けたのか?」

 

才羽T?「ならば、私が直接手を下すよりもこの世のしがらみに肉体を蝕ませていくのが有効のようだな」

 

才羽T?「そして、褒美だ。“影の支配者(real mastermind)”の試練に打ち勝ったことへの」

 

 

才羽T?「約束通り、このエクリプス・フロントに磔になった玩具は返してやろう、表世界に」

 

 

斎藤T「……よし」

 

アルヌール「救助対象の保護に成功」

 

アグネスタキオン’「モルモットくん。彼女は無事だよ」

 

シンボリルドルフ「」

 

斎藤T「そうか」

 

才羽T?「だが、光の世界の人間に醜い妄念妄想がある限り、この影の世界に蔓延る人間の業は消えることなどない」

 

才羽T?「どこまでいってもこの世界は最初から『影であれ』と願われた世界。影の暗さに醜い欲望を解放するために求められた世界。光が光であるために捨てられた妄念妄想の世界なのだ」

 

才羽T?「その影の暗さに怯え、竦み、疎んじ、外の世界に光を求める者もまた『光あれ』と願うのだ」

 

才羽T?「すると、光の世界に美しい理念理想が溢れ出すことになり、ますます光の世界を輝かせようとするのだ」

 

斎藤T「だが、強すぎる光は眩く、やがては眼を灼いて失明に至らせるだろう。全ての人間がその眩さを直視できるわけでもない」

 

才羽T?「そうだ。そして、その光の眩さに怯え、竦み、疎んじ、外の世界に影を求める者が新たに『影であれ』と求めるのだ」

 

才羽T?「その揺れ戻しの繰り返しだ。人間の正しさも愚かさも善良さも悪逆さも」

 

才羽T?「なら、足掻いたところで全てが徒労でしかないのだ」

 

アルヌール「Chill out, dickwad(頭を冷やしな、この間抜け)

 

才羽T?「むっ」

 

斎藤T「じゃあ、今すぐに人生をやめれば? まあ、死んだところでさ、裏世界にわだかまる悪霊として救いを求める日々は永遠に変わらないけど?」

 

斎藤T「むしろ、全人類が無気力になって考えることをやめれば、その瞬間に普遍的無意識の暗黒面を司るお前の存在も真っ白になるか痴呆になるというわけだな。これぞ白痴というわけだ」

 

斎藤T「かわいそうにな。お前が人類を堕落させようと頑張れば頑張るほど、お前自身も堕落していって、その企みが成就するかどうかを見届けることさえもできなくなるんだから」

 

斎藤T「()()()()()()であるが故に、不完全な存在である人間に思考が引っ張られて、お前自身も劣化し続ける運命にあるのだから、まともな人間がいなくちゃ正気を保っていられないだなんて哀れ過ぎて涙が出てくるな」

 

才羽T?「………………」

 

アルヌール「Hasta La Vista, baby(地獄で会おうぜ、ベイビー)

 

斎藤T「まあ、そんなわけだから、さっさと行っちまいな」

 

 

――――――この“斎藤 展望”が普遍的無意識(お前の中)に溶け込む前に。

 

 

ここに1つの決着がついた。

 

私はウマ娘という非常に横暴で欲深で淫蕩な種族が存在する異なる進化と歴史を歩んだ21世紀の地球で“斎藤 展望”としての人生を歩むことになり、ソドムとゴモラの街のごとき、日本ウマ娘トレーニングセンター学園(通称:トレセン学園)での日々を送ることになった。

 

すでにいなくなってしまった“斎藤 展望”に成り代わって最愛の妹:ヒノオマシの養育費を稼ぐためにトレセン学園のトレーナーになって目にしたのは、さすがは未成年の才能で行われる 国を挙げての公営競技(ギャンブル)の夢の舞台の爛れきった日常であった。現代に蘇った剣闘士の見世物試合とはこんな感じなのだろう。

 

異常なほどにカネがかかる設備が充実し、この時代のサラリーマンの年収で考えると凄まじい学費を納めてしまえば学内のあらゆる施設やサービスが無料で利用できるほどであり、現代日本屈指のスポーツ名門校である以上に金満さが滲み出ていた。

 

そして、意識不明の重体から目覚めて初めてトレーナー寮に帰ってきてみれば、防音対策が完璧な部屋であっても玄関の投函口の隙間から廊下から異様なまでの生徒たちの足音が響いてきており、日常的に生徒たちがトレーナーの部屋に上がり込んでいることがすぐにわかった。

 

それは平日の昼間もそうであったし、休日ともなると朝早くにウマ娘の足音が聞こえてトレーナーの部屋に上がり込むと一日中どころか翌朝にぞろぞろと出ていく様子が扉越しにわかってしまう。

 

しかし、どうも決まった時間に生徒たちがトレーナー室を後にしていることがわかり、ぞろぞろと出ていく生徒たちに後れて部屋を出ると扉の前に黒いゴミ袋を放り出す姿が見られ、自動回収ロボットが出動すると同時に寮全体を覆う悪臭が漂い始め、私はあまりの臭さに急いで外に飛び出して大きく咳き込んでしまっていた。

 

その時は突然のことで手が回らなかったが、ホテルのランドリーサービスのように黒いゴミ袋を部屋の前に置いて出すと自動回収ロボットが回収しに来ることが非常に不可解だった。

 

明らかによろしくないものを詰めているからこそ黒いゴミ袋なんかを寮全体が悪臭漂わせるようになった中をこのためだけの自動回収ロボットで集めさせているわけなのだから、私はすぐに防犯カメラの隙をついて黒いゴミ袋を回収して中を検めたのだ。

 

すると、開けた瞬間に広がるのは生々しいオスとメスの臭いであり、健全な青少年教育にはとても相応しくない存分に愛し合った証拠が詰まっていたのだ。

 

それ自体は別にいい。いや、良くはないが、それがこの世界の人間が最新のスポーツ科学で編み出したリラクゼーションとトレーニング方法のメソッドだと主張するなら、その異邦の風習に対して宇宙時代の教養人たる私が口を挟むべきではない。

 

ただ、その割には天下のトレセン学園のトレーナー数が減少傾向で、ますますトレーナーからのスカウトの価値が高まっていき、水面下で壮絶なトレーナーの奪い合いが行われていることに対して体制側が何の効果的な手を打たないでいることが実に愚かしいところであった。

 

そう、社会の存続を無視したウマ娘ファーストの結果が将来的にトレセン学園の破滅を招こうとしていることが生徒数の増加に相反するトレーナー数の減少という明確な数値で現れているというのに――――――。

 

実際、生徒たちの代表機関である生徒会役員ですらトレーナーとの身体の関係を許しているわけであり、副会長である“女帝”エアグルーヴは理想の異性と、“怪物”ナリタブライアンは同性同士で濃厚な一心同体を何度も繰り返していたぐらいだ。

 

『恋はダービー』という言葉があるとおり、走ることが大好きなウマ娘にとっては女性しかいない種族ということも相まって番を得て生殖行動に移るための求愛行動も人並み外れた生態ということなのだろう。

 

だからこそ、“女帝”だの“怪物”だの言われているスターウマ娘であろうとも、所詮はヒトがウマになった畜生ということでケダモノらしさを上手に隠すだけの知恵や堪え性もないわけだ。

 

いや、それどころか、トレセン学園関係者のほとんどが貴重な男性トレーナーを求めている始末であり、ウマ娘と競り合って女性トレーナーや女性教師でさえも男性トレーナーに色目を使うのが当たり前となっているぐらいだ。

 

そのため、男性トレーナーに対する競争率はトレセン学園の入試倍率を遥かに上回るほどであり、いるだけで恋愛や下半身のことでいっぱいになって脳内がピンク色に染まるような異様な空気が漂っていた。

 

一方、男性トレーナーである“斎藤 展望”もスペックとしては皇宮警察のエリートの血筋ということで非常にレベルが高いということで入学当初は熱烈なラブコールをもらっていたようなのだが、

 

最愛の妹:ヒノオマシの養育費のためだけにトレーナーになった男である以上に、古代から天皇家に仕えてきた『名族』でもあることからしっかりとした貞操観念のために、あまりにも爛れきった環境にきっと反吐が出ていたのだろう。

 

ある意味においては男性トレーナーになれただけでもオンナを選び放題のハーレムみたいなトレセン学園において“学園一の嫌われ者”になるのは相当なことであり、トレセン学園のトレーナーが高給取りである実態をわからされた上で嫌悪感を隠そうとせずに毅然とした態度を貫いていたことは容易に想像がつく。

 

なので、“斎藤 展望”となった後の私の中でトレセン学園で重視するのが“処女性”に行き着くのも無理からぬ話だろう。

 

要は、処女を捧げていないウマ娘の中でも肉欲に溺れていない清らかな存在;色目を使うことがなく スポーツ名門校の生徒として 真っ当な学園生活を送っているかどうかが評価の分かれ目となっていた。

 

 

そして、出会ったのが“万能”ビワハヤヒデ、“皇帝”シンボリルドルフ、“学園一危険なウマ娘”アグネスタキオン、“学園一不気味なウマ娘”マンハッタンカフェというわけであり、おそらくどこの世界でも“斎藤 展望”と良い人間関係を結べるのだと数々の別世界を巡って実感していた。

 

 

もっとも、“万能”ビワハヤヒデと“皇帝”シンボリルドルフはそれぞれ最愛の人であった担当トレーナーが3年目:シニア級のシーズン後半に揃って生死不明になって別離してしまったこともあって初体験をすませる機会が奪われたとも言えるのだが、それでも私が敬意を持って接することができた今があるのはそのおかげでもある。

 

また、“学園一危険なウマ娘”アグネスタキオンと“学園一不気味なウマ娘”マンハッタンカフェについても身を焦がすような出会いがなかっただけかもしれないが、色ボケした学園の空間から完全に切り離された実験室と喫茶店での交流の時間が非常に心地よかった。

 

しかし、どれだけ“万能”ビワハヤヒデと“皇帝”シンボリルドルフの2人で切り拓かれた総生徒数2000名弱に成長した黄金期とは言っても、ウマ娘ファーストで掛かった担当ウマ娘の情欲に押されて愛し合った末に夢の舞台からトレーナーが去っていくのを止められないのだ。

 

ウマ娘の出走権を握ってスカウトするのがトレーナーなのに、そのトレーナーが年々減少しているのなら実質的に夢の舞台で走ることができるウマ娘の数もまた年々減少しているわけであり、暗黒期よりも遥かに風紀が乱れた上で夢に挑戦することができないままのウマ娘が無為に学園生活を送っているのだ。

 

もちろん、“皇帝”シンボリルドルフが生徒会長になったのも中高一貫校の6年間の半分である3年の出来事でしかなく、黄金期と呼ばれている裏で恋の熱で熟成が進みきってトレセン学園が爛熟期に突入してしまった原因はもっと早くに生まれていたわけでもあり、

 

こればかりは黄金期の導き手とされる“皇帝”シンボリルドルフに対して入学したての頃からまだスターウマ娘でも何者でもないのに黄金期が腐敗して爛熟期に陥る原因を道義的責任から取り除くように責め立てるのは筋違いな話であり、むしろ何もしてこなかった責任ある大人たちにこそ批難を浴びせるべきであろう。

 

そんなふうに孤立無援でありながら貞淑を貫いて“ヒトとウマ娘の統合の象徴”になろうと必死に頑張っているのだから、古代から天皇家に仕えてきた皇宮警察の血筋の“斎藤 展望”としては見過ごせるはずもなかった。

 

また、“万能”ビワハヤヒデもシンボリルドルフとは対照的に人の輪に恵まれて最愛のトレーナーを失ってもターフの上を走り続け、結果として処女のまま学園を卒業していくことになり、年代や性別を超えた善き友人関係を結ぶことができた。

 

 

――――――けれども、“皇帝”シンボリルドルフには卒業して自分の中に残るものは“何もない”のだ。

 

 

いっそのこと、最愛の人と愛し合ったという思い出だけでもあれば どれだけマシなのかと思ってしまうぐらいには、シンボリルドルフも年頃の女の子として性に興味を持っていたわけであり、将来的に結ばれるとしたら“皇帝の王笏”と称えられた最愛の人だとずっと信じていただけに現実は残酷であった。

 

その未練が学園裏世界に強烈にこびりつくことになり、将来的にシンボリ家の惣領娘としてのお勤めで誰かと子を残さなければならない『名家』のウマ娘の宿命への嫌悪感と現実逃避が卒業式に最高潮を迎えたことで、この世界から忽然とシンボリルドルフが消えてしまったのだ。

 

実際には現実逃避と表裏一体の裏世界にあるシンボリルドルフの栄光の象徴であるエクリプス・フロントに彼女の存在の大きさがそのまま具象化された巨大娘(ジャイアンテス)の姿になって磔にされていた。

 

これまで悪霊対策の“特異点”である私自身も含めた“人ならざる者(Non-Human)”で構成された最強の退治屋チームで学園裏世界に跋扈する悪霊たちを物理で除霊してきたが、

 

今回ばかりは裏世界に取り込まれてしまったシンボリルドルフを現実世界に帰還させるために物理で除霊するわけにもいかず、力尽くで何とかすることもできずにいた。

 

この後、この状況を打開するために世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”によって3つの別世界を巡ることになったのだが、最後の別世界以外は現状に輪をかけて問題が悪化した悪夢でしかない可能性の世界であったことでいろいろと吹っ切れてしまった。

 

 


 

 

1つ目の別世界:ウマ娘の暴力性と淫蕩さを統制しながら根本的なトレーナー不足を解消するためにウマ娘指導用人造人間:アイトレーナー(I-Trainer)(略称:IT)が普及している世界――――――。

 

“有機皇帝”シンボリルドルフが自身を再現した偶像の導入で永久に自身の存在がトレセン学園に縛り付けられることに絶望した世界――――――。

 

それは根本的なトレーナー不足を解消するために導入された苦肉の策の人造人間:アイトレーナーの存在が逆にトレーナー不要論を打ち出すことになり、かつて存在した優秀なトレーナーの思考や戦略をインストールしたアイトレーナーの需要と信頼と実績が生身のトレーナーの存在意義を奪い去ってしまったのだ。

 

そのため、アイトレーナー反対運動がトレーナー組合の猛抗議によって勃興するものの、ウマ娘ファーストの大義名分の下にウマ娘の夢を叶えてくれる優秀なトレーナーを供給できないトレーナー組合の非をなじるアイトレーナー擁護運動も同時に発生することになり、スカウトの格差に焦点が当てられた論争が絶えなくなってしまったのだ。

 

そして、同じように過去に存在したスターウマ娘の再現によって秩序の統制を永久的に行おうとするアイウマ娘(I-Umamusume)(略称:IU)の開発に対する是非を巡っての激しい論争が展開されるようになり、ヒトとウマ娘の絆に大きな亀裂が入ってしまうのであった。

 

全てはウマ娘のために良かれと思ってアイトレーナーの導入に賛同してトレーナー組合と粘り強く討議や交渉を進めてきた“有機皇帝”シンボリルドルフであったが、自身を再現した“無機皇帝”シンボリルドルフを求めて永遠に縋りつこうとする人間たちの身勝手さと愚かさに絶望することになってしまったのだ。

 

アイウマ娘の存在なんかを認めてしまったら、いつかウマ娘レースの主役が生身のウマ娘からアイウマ娘に取って代わられる未来がやってくるのが容易に想像がついてしまうため、それは本当にウマ娘ファーストに基づくものなのかと何度もシンボリルドルフは釘を差したのだ。

 

しかし、『できるからやった』と開き直って密かにアイウマ娘がトレセン学園以外の団体から出走して重賞レースで優勝するという事件が明るみになったことでURAやウマ娘レース業界に激震が走ったのだ。

 

聞けば『自分が果たせなかった夢を自身を再現したアイウマ娘で実現させただけ』だとお涙頂戴の配信動画を公開することで世論を味方にしたことによって、事態は更に混迷を極めることになってしまった。

 

実は、このアイウマ娘の重賞レース優勝によって 世間の関心がアイトレーナーからアイウマ娘の是非について移り変わったことで なし崩し的にアイトレーナーの存在は承認されることになり、生身のトレーナーの価値の低下が黙認される事態になったことはトレセン学園にとっても大きな痛手となってしまったのだ。

 

アイウマ娘の導入は生身のウマ娘の気性難やコンディション管理やアイトレーナー重視の風潮に辟易していたトレセン学園のトレーナー陣にとって都合のいいウマ娘として魅力的に感じられ、結果としてアイウマ娘の導入に積極的な外部団体へと人材が流出する事態に発展し、

 

生身のトレーナーを軽視してアイトレーナーをトレセン学園の生徒の大半が求めた結果、ウマ娘とトレーナーの信頼関係は破綻することになり、『トレセン学園は婚活会場』と揶揄されていた時代が懐かしく思えるほどにトレセン学園のウマ娘は生身の人間よりも人造人間を愛する冷血動物という世評が流されてしまい、これがウマ娘レース全体の人気の低下に繋がってしまっていたのだ。

 

となれば、トレセン学園黄金期を牽引した強大な指導者である“有機皇帝”シンボリルドルフの存在を柱にして業界全体を底支えしてもらいたいという情けない大人の声に心が打ちのめされた挙げ句、卒業するとなったら無断で“無機皇帝”シンボリルドルフを据えて『生身のお前はお払い箱だ!』と暗にそう言ってくる身勝手な大人の対応に絶望しかなかったのだ。

 

もうどうしようもないほどに人心は乱れに乱れきることになり、アイトレーナーやアイウマ娘の全能感に酔い痴れれた人間たちの無責任極まりない低次元の争いにはさすがのシンボリルドルフも匙を投げるしかなかったのだ。

 

結果として『地獄への道は善意で舗装されている』わけであり、根本的なトレーナー不足からスカウトできずにいるウマ娘を思ってアイトレーナーを導入したことに端を発する混沌はトレセン学園のみならずウマ娘レース業界そのものの寿命を縮めるほどの悪手になってしまったわけである。

 

 

なので、私は全てを把握した時に思わず腹を抱えて転げ回るほどに大笑いしてしまった。

 

 

元の世界のケンタウロスを彷彿させる蛮族ぶりを発揮するウマ娘の暴力性と淫蕩さを統制する最適解として人造人間をトレーナーにするアイデアそのものは悪くはなかったものの、それで生身のトレーナーの価値を下落させて人心が離れていくことにウマ娘ファーストを掲げて驕り高ぶる蛮族には理解できなかったことが最高に笑えた。

 

結局、自分たちの都合だけを優先して周りに配慮しなかったらしっぺ返しを受けるのは世の習いであり、安易に最適解に飛びついて これまでのトレーナーとの関係を蔑ろにしてしまったウマ娘レース業界の短慮と薄情さに 私は宇宙時代の文明人としてスカーッとしてしまったのだ。いけないことだとわかっていても人間の性として愚かさを嘲笑いたい心は否定できない。

 

それだけに元の世界におけるウマ娘の蛮族ぶりを解決する方法など絶対に存在しないことを世界の真理とやらに突きつけられたみたいで、もはやどうしようもなくて笑うしかなかったのもあった。

 

ただ、アイトレーナーの導入によってトレセン学園に一定の風紀と秩序が取り戻されたのも事実であり、生身のトレーナーがアイトレーナーによって自分たちの価値が下がったことを八つ当たりしてきても、理路整然とトレーナーの能力を分析して実力不足や指導力不足であると淡々とアイトレーナーに言い返されてカッとなって手を出したとしてもアイトレーナーの鋼鉄の肉体はビクともしないことで事件に発展することもない。

 

そして、いずれはコンピュータ様によって徹底管理されて幸福が義務であるパラノイアが到来することを予見するわけなのだが、それが異種族共同社会を運営していく上での理想であると思ってしまう辺り、私も相当に頭にクるものがあったみたいだ。

 

しかし、そうなるように運命を操っていたのが“影の支配者(real mastermind)”だと言うのなら話は別で、私にこんな可能性の世界を見せつけて人類に絶望するように迫ってくるのを傍から見て愉しんでいることに気づくと、私は憂さ晴らしに“影の支配者(real mastermind)”の許に赴くことになった。

 

そこからアイトレーナーやアイウマ娘といった人造人間の思考回路が裏世界の悪霊によって狂わされて人類に対して襲いかかってくる事態へと発展することになり、結果として人造人間への過度な信頼と利用に対する戒めが人類に与えられることになった。

 

そうした衝撃的な事件を経て ようやく自分たちの行いを見つめ直すきっかけを得られたのが、1つ目の別世界:“有機皇帝”シンボリルドルフの世界の結末であり、破壊と再生によって二進も三進もいかなくなった状況が打開されることこそがまさに神の御業であったのだ。

 

もちろん、世にも不思議な時間を巻き戻す“目覚まし時計”によって時間が巻き戻って全てがなかったことになるが、そこで得られた経験と技術を持ち越すことができたため、1つ目から過酷な異世界探訪ではあったものの、得るものが大きかったと夢見心地にそうつぶやくことができた。

 

 

――――――なぜなら私がいるべき元の世界とは“有機皇帝”シンボリルドルフが変えようとしていた爛れきったトレセン学園なのだから。

 

 


 

 

2つ目の別世界:理想などかなぐり捨てて力こそが正義と宣言した“悪逆皇帝”シンボリルドルフの世界は日常的に暴力に溢れていて、トレーナーとウマ娘の関係が殺るか殺られるかの殺伐としたものになっていた。

 

実際、“悪逆皇帝”シンボリルドルフは常に他者を寄せ付けないほどに威圧感を出しており、側を通っただけでその場の空気が凍りつくか雷に打たれたような衝撃が走り、実力不足のウマ娘やトレーナーが泡を吹いて倒れるというほどの圧倒的な凄みを持っていた。

 

そして、日常的にトレーナーはヒトよりも圧倒的に優れた身体能力を持つウマ娘を力で従わせるために拷問器具を持ち出しているほどで、ウマ娘も出走権を握っているトレーナーを病院送りにするわけにもいかないのだが、力に劣るヒトごときに屈服させられるいわれはないとして、逆に力の差をわからせるための一進一退の攻防が 日夜 繰り広げられていたのだ。

 

担当やライバルへの悪口は当たり前で、日常的に生徒たちの間で殴り合いが頻繁に起こっているせいで器物破損や怪我人続出のためか、やたらと設備補修と医療設備が充実しているのが目についた。

 

もはや、そういう野蛮な種族なのだとウマ娘が理解されていた職場や世界であり、危険手当が元の世界よりも高いあたり、ウマ娘の凶暴さと可憐さを天秤に掛けた人権派の主張は実に混迷を極めていた。

 

しかし、その分だけ非常にシンプルでわかりやすい力の支配による階級制度のおかげで一定の秩序が保たれているのも事実であり、トレーナーとウマ娘の押し合いも結果としては互いの主義主張を呉越同舟で聞き入れるものとなり、完全に一心同体となった時の絆の強さは目を見張るものがあった。

 

というより、日常的に暴力に溢れているせいか、元の世界の水準よりも闘争心や向上心がギラギラとしていてコースレコードの大半が上回っているように、全体的な実力の高さは間違いなく本物に仕上がっていた。

 

実際、日常的に暴力に溢れていても走ることが何よりも大好きなウマ娘であるため、レースにおいては実力主義を徹底しており、レースに出走するウマ娘に怪我をさせることは一番の不名誉とされ、『目には目を、歯には歯を』ということで加害者に制裁を加えられるぐらいにはレースに対しては例外なく真摯であった。

 

それでも、本当に価値あるものを選別するために篩いにかけられた大半の人間にとっては肉体的にも精神的にもたん瘤や痣だらけになるような痛々しい環境となっており、とてもじゃないが中高一貫校の健全な教育現場とは言いがたいものとなっていた。

 

だとしても、ここでしかウマ娘の身体能力と闘争本能を満たせる場所はないと誰もが信じ込んでいるが故に、格闘ウマ娘並みに暴虐の嵐が吹き荒れる夢の舞台となっており、確実に入学前と性格が変わらずにはいられない凄惨な世界であった。

 

そして、そんな狂った時代の象徴である“悪逆皇帝”シンボリルドルフは真実として常に平和と慈しみを求めており、ケダモノ同然に闘争心を抑えられないウマ娘を統制するためにはわかりやすい暴力しかないと嘆き、秩序のための統制が一定の成功を収めてしまったがために 今更 非暴力を訴えるわけにもいかなかったという。

 

結果として生徒たちの長人として実力を示して荒くれ者を統制するために生徒会長になってからも“春秋グランプリ”限定でターフの上を走り続けることになり、不動の“春秋グランプリ”勝利数を記録することにもなった。

 

だが、中高一貫校のトレセン学園の6年間に『この人あり!』と言われ続けた“悪逆皇帝”シンボリルドルフが卒業を迎えれば、たちまちのうちに絶対の支配者を失ったトレセン学園の秩序は崩壊することは目に見えていたために権力の移譲を図ろうとしたものの、

 

新生徒会役員となった“女帝”エアグルーヴも、“怪物”ナリタブライアンも、“帝王”トウカイテイオーも、“名優”メジロマックイーンもその器ではなかったことが悩みのタネであった。

 

というのも、“悪逆皇帝”たる所以はウマ娘の暴力性を正当化するだけの煽動力とカリスマ性による世論操作にあり、弱肉強食や実力主義を声高に叫び続けて『いつでも最強の座を奪いに来い』と挑発して“春秋グランプリ”で勝ち続ける凄みは自らを“悪逆皇帝(わかりやすい悪役)”に仕立て上げたシンボリルドルフにしかない才能でもあったからだ。世界のためにとことん嫌われぬく覚悟が突出していたのだ。

 

その“悪逆皇帝”の真相に辿り着くきっかけになったのは、ウマ娘が本能的に恐怖を抱くほどの並行宇宙の支配種族である“フウイヌム”の静かなる侵略であり、昨年の学生寮不法侵入事件で多くの生徒たちが“フウイヌム”怪人:ウマ女に果敢に立ち向かって絶対の恐怖(トラウマ)を植え付けられていったことを自身の沽券に関わることとして“悪逆皇帝”が座して見ているわけにもいかなかったのだ。

 

だから、“学園一の嫌われ者”と“悪逆皇帝”が手を組んで共同戦線を張ることになり、WUMA殲滅作戦/奥多摩攻略戦においてエルダークラス:ヒッポリュテーに擬態されていたことを逆手に取ってヒッポリュテーになりすまして学内のヒッポリュテー軍団の残党の一掃に一役買うことになった。

 

それからシンボリルドルフの卒業後にトレセン学園の秩序が崩壊することを未然に防ぐために手を尽くし終えた後、暴力が支配するのとは正反対の和気藹々としたトレセン学園での日々を穏やかに送る自分の姿を夢見て、裏世界に取り込まれてしまった“悪逆皇帝”を救い出す戦いに挑んだ――――――。

 

 


 

 

そして、最後の3つ目の別世界こそが“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの世界であり、ここに全ての発端があることを私は理解してしまったのだ。

 

そこは本当の意味でシンボリルドルフの理想に近づいた世界であり、いろいろと解決すべき問題があるにしても圧倒的に救いのある世界であった。

 

なにより“影の支配者(real mastermind)”の存在感がまったくない世界であり、気になって裏世界を覗いてみてもあまりにも平和過ぎる魑魅魍魎の世界がそこに広がっていたのだ。

 

しかし、元の世界では結果として処女を守り通した“皇帝”シンボリルドルフであったが、この世界では担当トレーナーが生死不明になる前に思う存分に愛し合ったことが語られており、

 

その点に関してはどうしても元の世界の爛れ具合に対抗するように貞淑を貫いていただけに、その反対の状況になっていることに不満を覚えてしまうのだが、そんな一個人の性事情など全体の風紀が保たれていることに比べたら些細なことでしかない。

 

実際、私にとってもっとも身近なトウカイテイオーとメジロマックイーンは爛れきった世界では完全に昏い炎を眼に宿らせた捕食者になって自分のトレーナーを自宅監禁していたらしく、最愛の人に処女を捧げる機会を永遠に奪われた“傾国の皇帝”シンボリルドルフを大いに失望させていた。

 

それと比べて、“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの世界ではトレーナーとウマ娘の理想の関係が様々な形で示されており、シンボリルドルフ卒業後にトレセン学園の顔役となる新生徒会役員への信頼と実績は他の世界にはない美点と長所となっていた。

 

また、この世界の“斎藤 展望”は非常に人望があり、生徒会を中心とした強固な人脈を有しており、裏世界に巨大なリスクを背負ってアグネスタキオン’(スターディオン)やアルヌールといった“人ならざる者(Non-Human)”を連れて行く必要がない人的資源の余裕ぶりが羨ましく思えた。

 

そうだった。一応は“学園一の嫌われ者”で通っているのは共通なのだが、そんな最悪の新人トレーナーに対して気軽に挨拶をしてくれる生徒が何人もいたというだけで感動してしまう辺り、私がいかに元の世界でトレセン学園での人付き合いを蔑ろにしてきていたか――――――、

 

あるいは、私にとっての元の世界の爛れ具合に由来するトレセン学園の人間に対する不信感から身内だけで何でも解決しようという動きになっていたことを大いに反省することになった。

 

 

しかし、どれだけ恵まれた世界だと他所の世界の人間が羨んでも、悩みというのはどこの世界でも生まれて当人を苛むものなのだ。

 

 

どこの世界でも偉大なる指導者の威光に縋り続ける本当の意味の弱者の今後を思うと安心して卒業していけないのがシンボリルドルフというウマ娘であり、この秩序と風紀が保たれた天国みたいな世界でもそれは変わらなかった。

 

けれども、“影の支配者(real mastermind)”の邪魔が入らない世界であるのなら、それだけに裏世界からの悪辣な干渉が行われないわけでもあり、この世界の“斎藤 展望”が最善の策を提示することができれば すんなりと新しい時代への理想的なバトンタッチができそうな予感がしており、非常に希望に満ち溢れていた。

 

そして、卒業式の日を迎えて学生寮から荷物を引き上げた後、修業式後の『URAファイナルズ』開催記念パーティーまでは近くのホテルに宿泊することになった“永遠なる皇帝”シンボリルドルフを探し出して、そこで最後の心残りとして生死不明となった“皇帝の王笏”と呼ばれた元担当トレーナー:鈴音Tの遺骸の捜索をお願いされることになった。

 

そこで明らかになったのが3年目:シニア級の夏合宿の船旅においてシンボリルドルフは最愛の人と死に別れることになったことの驚愕の真相であった。これはたしかに海難事故と無難に処理しないと正気を疑われる壮絶なるものだったのだ。

 

 

――――――なんと、坊ノ岬の沖合に突如として未来世界の超弩級戦艦が現れ、南西諸島をめぐる豪華客船が拿捕される事態が発生したのだ。

 

 

それはWUMAに侵略される絶望の未来から更なる未来となる暗殺用人造人間:アルヌールを送り込んできた親WUMA勢力が起死回生の策として過去改変を企図して現代に送り込んできた超時空戦艦:ジパングであった。

 

並行宇宙を空間跳躍して侵略してくるWUMAの超時空戦艦を転用して創り出された改造艦は位相をずらすことで“そこに存在しながら そこには存在しない”亜空間航法によって水中だろうが地中だろうが空中だろうがありとあらゆる座標に位置することが可能であり、時限式の空間炸裂弾によってあらゆる物体を空間ごと抉り取る最凶の攻撃性能を誇っていた。

 

よりにもよって、未来からタイムワープしてきた場所が第二次世界大戦の日本が世界に誇る戦艦大和が沈んだ坊ノ岬の沖合というのもなかなかに洒落ているではないか。

 

そして、拿捕された豪華客船の船員や乗客は並行宇宙の支配種族であるWUMAに支配層に引き立てられた未来人のウマ娘たちによって厳しい尋問を受けることになり、ヒトは尽く転移した時代や世界情勢を知るための情報源として拷問を受けることになり、ウマ娘は自分たちの未来の素晴らしさを語って洗脳するためにVIP待遇を受けることになった。

 

そうした中、豪華客船に乗り合わせていた唯一のトレセン学園のトレーナーである鈴音Tはトレーナーというだけで未来世界においてウマ娘に屈辱的な支配を強いてきたヒトたちの悪の象徴として未来人から一層の敵意を向けられることになり、拷問の末に処刑されかけることになったようである。

 

一方で、未来世界におけるWUMAの庇護下の下のウマ娘によるヒト社会の支配の素晴らしさを声高に説かれても、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として生きる決心をしていたシンボリルドルフは毅然と力による支配を否定し、未来人たちの気を損ねて別室送りにされていた。

 

別室送りにされるとヒトの愚かさとウマ娘の素晴らしさをひたすらに頭に流し込む洗脳装置にかけられることになり、目を閉じることも耳を塞ぐことも無意味となる脳に直接流れ込んでくる未来世界の完成されたVR映像に精神が破壊される寸前まで追い込まれてしまったのだ。

 

そして、未来人のプロパガンダに完全に洗脳されてしまうという間一髪のところで、命からがら拷問から逃げ出すことに成功してお返しとばかりに艦内を容赦なく破壊して回りながら最愛の人の許に辿り着いた鈴音Tが助け出してくれたのだ。

 

しかし、鈴音Tは拘束は解いても目隠しを外すことなく真っ先に最愛の担当ウマ娘を脱出艇まで押し込むと、最後まで目隠しを外すことなく愛しさのこもった言葉をかけると『死ぬ時は一緒だ!』と大粒の涙で頬を濡らして叫ぶ一人の少女から有無を言わさずに唇を奪い、最後となる抱擁を交わして鈴音Tは脱出艇を種子島へと送り出したという。

 

なので、目隠しを外すことができずに最後まで何が起こったのかがわからないまま、豪華客船失踪事件の唯一の生き残りとして脱出艇を動かぬ物証として種子島で保護されたシンボリルドルフの心は孤独に苛まれてしまっていた。

 

そこからシンボリルドルフを含む黄金期の三巨頭と呼ばれた秋川理事長と有馬一族の御曹司といった面々に支えられて“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として再び立ち上がっていく決心ができた辺り、本当に心が強い人なのだと不謹慎ながら思わず感動してしまった。

 

けれども、その時点で最愛の人を奪い去った南西という方角、夏という季節、海という場所が苦手となってしまい、死にたくなる気持ちを必死に堪えて日々の忙しさで気を紛らわせないとやってられない状態がずっと続いていたのだ。

 

 

だから、シンボリルドルフにとっては御役御免となって時間を持て余すようになった時から必死に目を背けようとしていた最愛の人を失った痛みに屈することがわかっていたために、シンボリルドルフ自身が卒業を迎えて自由になってしまうことを極度に怯えていたのだった。

 

事実、卒業式を終えて修業式までホテル暮らしに切り替わった瞬間に最愛の人を失った時の悪夢に魘されるようになり、とても人前には見せられない荒れた姿になっており、あれがトレセン学園を黄金期に導いた“皇帝”シンボリルドルフだと気づけないぐらいに零落していたのだ。

 

なので、私はシンボリルドルフ自身が依頼した元担当トレーナー:鈴音Tの遺骸(ボディ)の捜索には依頼人自身も同行してもらうことにしてもらうことにし、その場で目隠しをして種子島までアグネスタキオン’(スターディオン)に空間跳躍してもらったのだった。

 

そして、3年前に種子島で保護してもらった場所まで行き、そこでシンボリルドルフのことを憶えていた島民たちの歓迎を受け、一緒に『URAファイナルズ』決勝トーナメントを小さなテレビを5つ集めて全部門同時観戦して大盛り上がりとなったのだ。

 

種子島の島民たちに当時に豪華客船失踪事件がその後どうなったのか聞き込みをし、物証となった脱出艇がどこに保管されているかも調査すると、予想通りに宇宙センターに運ばれて解析されることになっていた。

 

そのため、シンボリルドルフを連れて種子島の宇宙センターに回収された脱出艇を見せてもらうことになり、WUMA由来の技術が使われている超時空戦艦:ジパングに搭載されていたものなら、WUMAであるバケモノとその時代から過去の世界に送り込まれてきた暗殺用人造人間の出番となった。

 

結果はビンゴであり、脱出艇とそれが積載されていた超時空戦艦:ジパングが間違いなくWUMA由来の技術が使われた産物であることが判明すると、これまで宇宙センターで解析できなかったブラックボックスの中身をあっさりと引き出すことに成功した。

 

なので、ステルス迷彩を装着した有翼一角獣(アリコーン)の怪人:ウマ女であるアグネスタキオン’(スターディオン)に脱出艇の航路を遡って超時空戦艦:ジパングがシンボリルドルフが脱出させられた後にどうなったのかを時間跳躍の応用である過去視をしてもらってきたのだ。

 

 

――――――その結果、超時空戦艦:ジパングは搭載された時限式の空間炸裂弾による自爆によって拿捕した豪華客船の乗員ごと全て消滅していたことが確認された。

 

 

そう、全ては鈴音Tが一人でやったことであり、不可抗力で未来のことを知ってしまった豪華客船の乗員さえも自身が生まれ落ちたWUMA襲来による絶望の未来に繋がる因子と見做して全て道連れにし、大きな犠牲を払ってでも未来人の侵略を阻止したのだ。

 

しかし、空間炸裂弾の安全装置が解除されて艦内で自爆する事態になったことにまったくの抵抗がなかったはずもなく、鈴音Tを人間らしく擬態させていた人工皮膚が剥がされ、覆われていた内骨格(エンドスケルトン)が露出することになり、まさに機械のバケモノといった風貌になっていた。

 

しかも、相手が人造人間に対して戦闘力に劣るウマ娘の未来人であったとしても防衛兵器の戦闘力はWUMAの超科学を応用した強力な兵器が満載だったために、すでに機体(ボディ)の各所が吹き飛んで致命的な損傷を受けていた。

 

にも関わらず、機械の体に宿った本物の人間の魂の叫びが満身創痍の仮初の肉体に奇跡を遂行させたのだ。

 

WUMA襲来によってヒト社会に反逆して特権階級の座に就いていた未来人のウマ娘たちは絶望するしかなかった。

 

絶対無敵と信じて過去の歴史を改変してあるべき世界と新秩序が始まるのだと思いきや、転移直後にたまたま情報源として拿捕した豪華客船に元の時代で自分たちを破滅に追いやったレジスタンスの工作員が機械の体でもって自分たちの計画を阻止すべく先に転移していたのだから。

 

こんな運命の巡り合わせに信じてもいない神に対して呪詛を吐きながら、都市1個を消滅させることができる核爆弾以上に綺麗に空間を削り取って無に変えてしまう空間炸裂弾の時限装置をどうにかすることができないまま、未来人たちは塵すら存在しない無へと還っていったのである。

 

結局は使う人間次第というわけであり、空間炸裂弾がWUMAの超科学の産物である超弩級戦艦の砲塔から発射されたという偽データを過去のシミュレーションデータを細工して組み込まれた以上、発射された空間炸裂弾の起爆が不発にならないように厳重にプロテクトが保護されていたことが自分たちの優位性を信じて疑わなかった未来人を破滅に導いたのだった。

 

しかし、たった一人のレジスタンスの工作員は大義のために無関係の人間を大勢犠牲にしながらも最後まで愛する人の許に帰ろうと必死に足掻いたものの、因果応報か、満身創痍の機体(ボディ)はとうの昔に限界を超えていたため、抵抗虚しく防衛兵器の追撃によって大破してしまうのだった。

 

それでも、ならば せめて 空間炸裂弾によって塵すら残らなくなるよりも海の藻屑になって いつかバラバラになった機体(ボディ)が漂着して愛する人の許に送り届けられる奇跡を最後に選び、その意識は東シナ海に沈んでいくのであった。

 

ところが、空間そのものを削り取る空間炸裂弾の影響は凄まじく、超時空戦艦:ジパングが存在していた空間:半径20kmが削り取られた反動で、大気が震え、海が荒れ、台風でもないのに南西諸島全域に津波警報が鳴り響いたのだ。

 

空間そのものを削り取ってしまうのだから反射するはずの光や発生するはずの音さえも削り取ってしまうので観測することは不可能であった。本当に何があったのか、誰にも感知できないのだ。

 

これは目隠しを外すことができないまま脱出艇で種子島に漂着したシンボリルドルフを保護した島民の証言にも合致しており、突然の津波警報に慌てた島民がシンボリルドルフを連れてすぐに避難することになった真相はこれであったのだ。

 

 

それから海の藻屑となってしまった鈴音Tの機体(ボディ)引き揚げ(サルベージ)できないかもアグネスタキオン’(スターディオン)に目で追ってもらうことにしたのだが、

 

空間炸裂弾の反動で海域が予想もつかないうねりでもって空から魚が降ってきたという珍事が当日の地方新聞に載せられていたように、鈴音Tの機体(ボディ)の一部が海面から勢いよく吹き飛んでいったのだ。

 

その全てを追跡することは現実的には不可能とであるとして、たまたま目についた空中分解しながら吹っ飛ぶ一際大きな物体となる胴体部分に注目すると、南西諸島の魚と一緒に屋久島に降り注いだのが確認できた。

 

その場所を確認させると、翌日には種子島の隣島である屋久島に渡ることになり、その場所がこれまた不思議な縁を感じさせる地名の屋久島の名所であった。

 

その場所とは多数の滝がある屋久島でも良く知られた千尋の滝(せんぴろのたき)であり、賢者ケイローンを討伐するために送り込まれたWUMAが拠点にしていた百尋ノ滝とは不思議な縁が感じられた。

 

そして、千尋の滝が降り注ぐ巨大な花崗岩の岩場に朽ち果てて自然に溶け込んでいた不自然な人工物を見つけ出すと、それが未来から送り込まれた暗殺用人造人間:アルヌールとほぼ同じ機械骨格(エンドスケルトン)の残骸であることがわかったのだ。

 

更には胴体部に主要なメモリーや分析機能を内蔵していることから、120年は保つ動力部が四肢にあることを抜きにしても、人造人間にとって一番大事なものをこうして回収することができたのはまさに奇跡であった。

 

 

だから、“目覚まし時計”によって今回の体験がなかったことになるにしても、全ての世界のシンボリルドルフの心残りを解消するためにも、是非ともDメールでこのことを伝えないといけないと思った。

 

 

そう思ってDメールの受信サーバーを立ち上げ終わった瞬間、私が元いた爛れきった世界に帰れたということは、これこそが“皇帝”シンボリルドルフへの最大の救済ということで間違いないからだ。

 

なので、元の世界に帰り次第、私は百尋ノ滝の秘密基地で屋久島の千尋の滝でピンポイントでアグネスタキオン’(スターディオン)に回収させた鈴音Tの修復作業に取り掛かっている。

 

動力部は四肢にある構造なので外部からのエネルギー供給の方法はいくらでもあり、極めて構造が近い人造人間:アルヌールをベースに機械骨格(エンドスケルトン)の修復と胴体に内蔵されたブラックボックスへのアクセスに力を入れていた。

 

また、3年前の南西諸島行きの豪華客船失踪事件の真相や、種子島の宇宙センターに物証となる脱出艇も保管されていることも“斎藤 展望”になら絶対にわかる暗号文書にまとめておいた。

 

アグネスタキオン’(スターディオン)が過去視した超時空戦艦:ジパングやWUMA襲来後の未来世界についても賢者ケイローンの置き土産以上の具体的な情報が得られるはずなので、死体の脳みそを漁っているみたいで不謹慎ではあるが、技術者として心が踊っているのがわかる。

 

そして、私がやろうとしていることは何から何まで私が嫌悪してきた可能性の世界で行われていたことを救済と称してウマ娘ファーストの大義名分の下に別世界のシンボリルドルフ自身が関与していたことの意趣返しになってくるのだろう。

 

 

そう、私はこれまで見てきた別世界での悲劇から素直に鈴音Tの機体(ボディ)を修復して人間として蘇らせることにはどうしても肯定的になれなかったのだ。

 

 

第1の別世界でアイトレーナーとアイウマ娘の導入がもたらした結果がトレーナーとウマ娘の絆の消失なのだから、死んだ人間を蘇らせることは決して生者の世界にとっては良いことではないと思うようになっていたせいだ。

 

第2の別世界はまさしくWUMA襲来がもたらす絶対の恐怖がどういったものなのかをわからされた一方で、戦友として雄々しくWUMA討伐作戦に協力してくれたシンボリルドルフがもっとも望んでいたものが暴力が支配するのとは正反対の和気藹々としたトレセン学園での日々であり、それを望めなかったことの無念さを私は思い知った。

 

だから、第3の別世界の理想世界で得られた真相はこれまでの別世界での体験を踏まえた上でどうするのかを厳しく問いかけるものとなっていた。

 

 

しかし、こうして数々の別世界をめぐって ついにシンボリルドルフに対する最大の救済策となるものを手に入れたというのに、私は元の世界で救うべき巨大娘:シンボリルドルフを磔の状態から解放することができずにいたのだ。

 

 

そこにこれまでの努力を嘲笑うかのように“影の支配者(real mastermind)”が現れ、この世界の問題を解決したところで世界は決して救われることがないという真理を口にするのだ。

 

その瞬間、なぜ第3の別世界にだけ“影の支配者(real mastermind)”の存在がどこにもなかったのか、そのおかげですんなりとトレセン学園の新しい明日を迎えられそうな希望に満ちた雰囲気になっていたことや、第3の別世界がいろんな意味で元の世界と対照的になっている理由がわかってしまったのだ。

 

それは本当にどうしようもない世界の真相であり、矛盾であった。世界でさえも世界同士で関係性を持ってしまうのだ。

 

そして、どんな世界であろうと人間が人間である限りは“影の支配者(real mastermind)”が存在するのは当たり前なのだから、それが存在できない世界ということは限りなく影の領域を排除した光の世界なのだ。

 

だが、よほどの心の鍛錬を積んだ聖人でもない限りは日常生活での不平不満から“影の支配者(real mastermind)”を育てていくことになるのだから、限りなく光の世界になるという都合の良さとは要はそういうことなのだ。

 

つまり、第3の別世界:“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの世界に生きる人間たちの妄念妄想が投棄された世界というのがこの爛れきった“傾国の皇帝”シンボリルドルフの世界であり、理想が叶う光の世界と欲望が現実のものになる影の世界に役割分担されることによって、あの憎たらしい“影の支配者(real mastermind)”が現れることのない光の世界が実現されていたというわけなのだ。

 

私は数々の可能性の世界を巡ってようやく巨大娘となって磔にされている“傾国の皇帝”シンボリルドルフを解放できると思って裏世界のエクリプス・フロントを再び駆け上がった矢先に対峙することになった“影の支配者(real mastermind)”の嘲笑に力なく膝を折る羽目になった。

 

誰かが不利益を被ることによって成り立つのが社会の現実だというのなら、世界そのものが一方的に不利益を被る側になってしまった者の苦しみはどうすれば晴らされるのだろう。

 

そして、全ての原因が第3の別世界にあったとしても、原因がわかったからと言って、じゃあどうすればいいのかなんて私にはまったく見当がつかなかった。

 

 

しかし、突如として巨大娘:シンボリルドルフを磔にして縛り付けている鎖が崩れていったのだ。

 

 

突然の不可解な出来事に動揺する“影の支配者(real mastermind)”であったが、そのチャンスを見逃すことなく一転攻勢を仕掛けていく中で、第3の別世界の“斎藤 展望”が責任を取ってくれたのだと直感で理解できた。

 

そう、光があれば影が生まれるように、誰かが恵みを享受すれば他の誰かが不利益を被るように世界ができあがっているわけだが、善因善果・悪因悪果・因果応報がこの世の真実であり、必ず最後には報いを受けるように世の中なっているのだ。

 

そして、それ以上に重要な真理は質量保存の法則に他ならず、絶対に宇宙全体に存在する質量は変化しないのだから、私が可能性の世界を旅している間にも同じように私の元いた世界を可能性の世界として訪れている“斎藤 展望”が同時に存在しているわけなのだ。

 

それさえわかれば、魔界の住人(ダークストーカー)の脅威を正しく理解している“斎藤 展望”がこの爛れきった愛すべき世界の真相に辿り着いて、必ず救済に励んでくれることだろう。

 

事実、人々の惜別の念のせいで裏世界のエクリプス・フロントに磔になっている巨大娘:シンボリルドルフを縛る鎖が一人でに解放されていっているのは間違いなくそういうことだ。“私”以外の誰にそんなことができると思う。

 

というより、この爛れきった世界の住人に嫌悪感を抱いている私にはできないやり方で“私”がやり遂げてくれたと考えるのなら、私自身が“私”のためにできることは国際分業と同じく私がこの爛れきった世界で培ってきた経験とノウハウから得られたもので国際貿易の相互主義を果たすことだろう。

 

なので、なんとか“影の支配者(real mastermind)”を退けて“傾国の皇帝”シンボリルドルフを救い出して表世界に連れ帰った後、

 

百尋ノ滝の秘密基地で作らせたVRシミュレーターの中でシンボリルドルフと鈴音Tの再会を果たさせると、このろくでもなく爛れきった世界への反撃の狼煙を上げる準備に取り掛かることにしたのだ。

 

そう、これで卒業の思い出として最愛の人に再会することができたシンボリルドルフの感情を納得させることはできたが、『名家』のお勤めとして子供を残さなければならない義務からの現実逃避が今回の事態を招いたわけでもあるのだから、今度はそうした義務からも解放されなければ完全に個人として救われたことにはならない。

 

要は、数々の別世界の失敗を踏まえた上で、血族の繁栄のために“最強の七冠バ”シンボリルドルフのDNAを受け継ぐ跡取り娘が確保されてさえいれば『名家』としても文句は言えないはずだ。

 

 

――――――となれば、完璧な人口管理の下に居住可能惑星を求めて宇宙を流離う23世紀の宇宙移民が誇る生命工学の出番というわけなのだろう。

 

 



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完了報告  虹の彼方に消ゆ -可能性の獣への退化- ✓

 

トレセン学園の卒業式の1週間後に修業式があり、そこから中高一貫校としてのトレセン学園は春休みに入るわけだが、

 

その間にシンボリルドルフと秋川理事長が主導した黄金期の総決算となる新設レース『URAファイナルズ』決勝トーナメントがあって、

 

それが大成功に終わったことを記念して、修業式の後に開催成功記念パーティーが執り行われることになっていた。

 

そのため、黄金期の象徴たる“皇帝”シンボリルドルフが参加しないわけにもいかず、卒業式の前日に『飛ぶ鳥 跡を濁さず』で卒業生への送別会が設けられているように、

 

私には修業式とその後の『URAファイナルズ』開催成功記念パーティーの前日にシンボリルドルフの安否を確認する必要があった。

 

結局、最優先で安否確認をするべきだった“皇帝”シンボリルドルフの捜索は突然の異世界探訪で切羽詰まることになって後回しになってしまったわけなのだが、

 

可能性の世界の数々をめぐって時間と空間を超越した存在と繋がりを認識することで、かえってシンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の将来を明るくすることに繋がり、安心してシンボリルドルフに報告しに行けるようになっていたのだ。

 

 

そして、卒業式の後は学生寮を出て修業式までホテル住まいになっていた“皇帝”シンボリルドルフの許にあっさりと辿り着くことができた。

 

 

その際、終わらない悪夢に終止符を打つために屋久島の千尋の滝から拾い上げた特大の手土産を持参したことにより、ようやく永い眠りから解放されたかのようにシンボリルドルフは一人の少女の姿を取り戻すことができたのだ。

 

私の信念としては人生とはなんであっても一度きりのものであり、『殺されたから死ぬ』のではなく、『寿命が尽きるから死ぬ』のが自然の摂理であると因果律の観点から理解しているため、

 

はたして、一度は人間としての死を迎えた人造人間を修理(レストア)して復活させることは自然の摂理に反するのか、私には確固たる答えを導き出すことができなかった。

 

もしかすると、今の私が“斎藤 展望”になるために三ヶ月間の意識不明の重体から蘇生したように、人造人間の復活は仮死状態からの蘇生という解釈になるので『寿命が尽きたわけではない』と見なすのが適切なのだろうか。

 

そう解釈すると、人造人間はバックアップや修理パーツが完全に枯渇するまで半永久的に寿命を永らえる種族と見なすことができるため、私がシンボリルドルフの元担当トレーナーを生き返らせることは自然の摂理に反する行いではなくなる。

 

しかし、そうなると電脳世界に仮初の肉体(アバター)と第2の人生を用意する仮想現実(VR)とは異なる、物質世界に代替ボディ(アバター)と第2の人生を用意する拡張現実(AR)での公平性と倫理性の問題に突き当たることになってしまう。

 

仮想現実(VR)だろうが、拡張現実(AR)だろうが、行き過ぎれば自然に生まれ持った肉体や生の現実を蔑ろにして人心が退廃することが明らかとなるため、どうしても人造人間の復活に二の足を踏んでしまう。

 

 

なので、私はシンボリルドルフに愛する人の復活に対する残酷な選択肢を突きつけることになった。

 

 

1つ目は、一度は人間としての死を迎えた人造人間の復活を認めないこと。最愛の人がはっきりと死んだことを受け容れることだ。それが限り在る寿命の有機生命体(Organic Life)が須らく背負うべき公平性と倫理性だからだ。

 

2つ目は、人造人間の復活を人造生命体(Artificial Life)が仮死状態から蘇生したと見做して完全復旧させること。こうすれば最愛の人が自分の許に帰ってきたことになるが、種族間の寿命の差によっていずれは死に別れるのを先延ばしにするだけじゃなく、拡張現実(AR)での公平性と倫理性の問題を提起することになる。

 

3つ目は、先の2つの中間案として、電脳世界に回収できたメモリーから誕生させた疑似人格(AI)仮初の肉体(アバター)を与えて電子生命体(Electrical Life)として転生させることである。これも一種の不死性を体現するため、仮想現実(VR)における公平性と倫理性の問題に突き当たるが、私の直感としてはこれが一番無難に感じられた。

 

つまり、シンボリルドルフにとって最愛の人とは有機生命体(Organic Life)なのか、人造生命体(Artificial Life)なのか、電子生命体(Electrical Life)なのかという解釈次第で、トレセン学園卒業後のシンボリルドルフの生涯に大きな変化をもたらす運命の分岐点となるのだ。

 

それをシンボリルドルフにとっていろいろとあきらめも覚悟もついた最後の登校日となる修業式前日に、こんな究極の3択を突きつけてくる私はとんでもなく魅惑的な選択を突きつけてくる悪魔に思えているはずだ。

 

なので、トレセン学園卒業後は完全に重圧から解放されたことで自身の空虚さから目を背けることができなくなって悪夢に魘され続けて少し見ない間に窶れ切ったシンボリルドルフは突如として与えられた途方もない選択肢の重さに大いに狼狽えた。

 

その時、明らかにホテルの備品とは思えないほどに高級そうな天体時計搭載のガラス張りの金色に照り輝く“置き時計”の存在に気づいた。

 

そして、“皇帝”シンボリルドルフ卒業と『URAファイナルズ』成功を懸けた最後の1週間の激闘の裏に潜む全ての元凶の正体を知った時こそ――――――。

 

 

――――――あなたはそれを悪だからと裁くことができますか?

 

 


 

 

●20XY年03月18日:トレセン学園修業式前日

 

斎藤T「さあ、どうします? 第4の選択肢として『今は回答を保留する』のもアリだと思いますが?」

 

シンボリルドルフ「わ、私は…………」

 

斎藤T「焦ることはないじゃないですか。これからも私はあなたと生涯の友としてお付き合いしますし、あなたは私のことを必要とし、私もあなたのことを必要としていますので」

 

斎藤T「それに、海外留学先はアメリカとのことですが、実は4月のサンタアニタ・ダート・9ハロン『サンタアニタダービー』の観戦に行きますので、そこでまた会えますよ」

 

シンボリルドルフ「そ、そうだったのか……」

 

シンボリルドルフ「でも、いよいよアグネスタキオンのメイクデビューのためにトレーナー業が本格化するのに『サンタアニタダービー』の観戦だなんて それはどうして――――――、いや、きみのやることだ。きっと、それは素晴らしいことなんだろうな。予定に入れておこう」

 

斎藤T「だから、まずは海外留学してみてから、あなたの最愛の人との理想的な付き合い方を選んでみてもいいのではないでしょうか? 少なくとも、気持ちに余裕が出てきますよ?」

 

シンボリルドルフ「…………本当にきみには助けられてばかりだな」

 

斎藤T「それはあなたが“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として頑張り通したことをウマ娘の皇祖皇霊たる三女神が祝福しているからに他なりません」

 

シンボリルドルフ「…………本当に?」

 

斎藤T「……疑うのなら、今すぐに三女神像の前に行きましょうか? それで白黒つくと思いますよ?」

 

シンボリルドルフ「………………」

 

シンボリルドルフ「……なあ、斎藤T? きみは天皇家に代々仕えてきた皇宮護衛官の家系の出身だから“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たらんとした私のようなウマ娘に 誠心誠意 仕えてくれたのだろう?」

 

シンボリルドルフ「そして、それが皇祖皇霊の加護を得て、トレセン学園に数々の救いの奇跡をもたらしてきた」

 

シンボリルドルフ「きっと、間違いなく きみがなしてきたことは天神地祇の御心をこの地に反映するための代行者の行いであるのだから、完全な善行なのだと思う」

 

斎藤T「実態としては私の意志に関係なく無理やり働かされるので、いつも死ぬような思いをしてひーこら言いながら、今回もこの瞬間に立ち会うことになっていますけどね」

 

 

シンボリルドルフ「……なら、私が史上初の“無敗の三冠バ”になるために過去改変を幾度となく行ってきたことは正しいことなのか?」

 

 

斎藤T「……なに?」

 

シンボリルドルフ「思い出したんだ。私がどうして“皇帝”と呼ばれるほどに完璧な生徒会の運営やレースの勝利を収めることができていたのか――――――」

 

シンボリルドルフ「本当はね、私は“三冠バ”ですらなかったんだ。私の世代で三冠を分け合ったのは実は“BNW”ことビワハヤヒデ、ナリタタイシン、ウイニングチケットの3人だったんだ」

 

斎藤T「それはつまり、ライバルと見なされていた有馬一族の御曹司:鐘撞Tが見出した3人が世代の中心だったという――――――」

 

シンボリルドルフ「ああ。有馬一族の御曹司は間違いなく超一流の新人トレーナーだったよ。開催状況そのものを意のままに操作してレースをいかようにも盛り上げてしまう手腕は驚異の天才:才羽Tですらなし得なかったものだ」

 

シンボリルドルフ「そんな中、クラシック戦線で鐘撞Tに敗れた私は良くて“グランプリ”三連覇の実績でもって生徒会長になれたわけなんだけれど……」

 

斎藤T「いや、それも十分に凄いんじゃないんですか!? 三連覇ってことはクラシック級『有馬記念』、シニア級『宝塚記念』、シニア級『有馬記念』を優勝して、“三冠バ”ナリタブライアンにも堂々と勝っているってことですよね!?」

 

シンボリルドルフ「そうだったな。そういう意味では“クラシック三冠バ”と“グランプリウマ娘”は同格として体裁を保つことはできていたのかもしれない……」

 

シンボリルドルフ「けれど、私はそれで最初の3年間を終えることができなかったんだ……」

 

斎藤T「まさか――――――」

 

 

シンボリルドルフ「ああ、私は最愛の人であるあの人との日々を絶対に手放したくなかったんだ……」

 

 

シンボリルドルフ「だから、私は許されざる契約を悪魔と交わしてしまったんだ……」

 

シンボリルドルフ「そして、私は()()()()()()()()史上初の“無敗の三冠バ”という絶対者として学園に君臨することができたんだ……」

 

斎藤T「なに、『3回』!? それはまさか――――――!?」

 

シンボリルドルフ「私が史上初の“無敗の三冠バ”になれた理由なんて、そんなのは簡単な理由だった」

 

 

シンボリルドルフ「――――――何度も時間を繰り返してきたから」

 

 

シンボリルドルフ「だから、本当は私は“三冠バ”の器などではなかったんだ! 何が『“そのウマ娘”には絶対がある』だ! ただの卑怯者だ、私など……」

 

斎藤T「…………それでも、時間は繰り返された」

 

シンボリルドルフ「私は! 本当はトレセン学園やウマ娘レースの未来なんてどうでもよかったんだ!」

 

シンボリルドルフ「わかるだろう!? 日本における近代ウマ娘レースの歴史はたかだか100年程度なのに、すでに競走ウマ娘という種の限界に直面しているんだ!」

 

シンボリルドルフ「平均寿命が80歳を超える時代に十代の中高一貫校のたった6年間を人生で最高に輝いた青春だと懐かしむだけの種族の人生の何が素晴らしいんだ!?」

 

シンボリルドルフ「ヒト社会においては社会人になってからが人生の本番だというのに、競走ウマ娘という種族は“本格化”による身体能力の向上が著しい時期を全盛期として、いつまでもその栄光に満たされた過去の思い出に浸るのが競走ウマ娘の正しい生き方とでも言うのか?!」

 

シンボリルドルフ「実社会に出てみれば、ヒトよりも優れた身体能力を発揮できる場面はいくらでも出てくるだろうが、結局はヒトよりも特段優れているわけでもない頭脳が求められることはなく、むしろウマ娘の生まれ持った闘争本能やヒトを超越した身体能力が社会進出の足枷にすらなっているんだぞ!?」

 

シンボリルドルフ「斎藤Tも技術者ならウマ娘の身体構造や身体能力に合わせた安全基準やデザイン設計に相当に悩まされているんじゃないか?」

 

斎藤T「たしかに。ヒトにはないウマ耳と尻尾のことを考慮しないと この世界ではユニバーサルデザインが完成しないのが物凄く手間です。ヒトとウマ娘の身体能力差から安全基準を両立させようとすると無駄が非常に大きくて困りますね」

 

斎藤T「だから、ヒトとウマ娘の両方の安全基準を考慮した時、一番安上がりになるのがウマ娘の方に拘束具をつけて身体能力差をなくすように不便を強いる方向になってしまいがちです」

 

シンボリルドルフ「そうだろう! ヒト社会において1割に満たない異物であるウマ娘の存在に対して積極的格差是正措置(アファーマティブ・アクション)が過剰なまでに執り行われることで、日本ではそうでなくても世界的にはウマ娘に対する憎悪犯罪(ヘイトクライム)は増加傾向にあるぐらいだ!」

 

シンボリルドルフ「私はもううんざりなんだ! 信じたくなかったんだ! 親から押し付けられた理想なんて!」

 

 

――――――そうとも! みんな、本当はわかっているだろう! 『全てのウマ娘が幸せになれる世界』だなんて 一生 来るわけがない!!

 

 

それが“皇帝”シンボリルドルフの罪の告白であり、これまで胸の奥に封印されてきた ありのままの感情の吐露でもあった。

 

これはたしかに“特異点”として時間を何度も巻き戻してヒトとウマ娘が共存する世界のために人知れず奔走してきた私でないと対応しきれない案件であり、

 

まさか、シンボリルドルフ自身が何らかの超常的存在との悪魔的契約でタイムリープを繰り返して“最強の七冠バ”の誕生という奇跡を演出してきたという真相に辿り着けるものなどいるはずがない。

 

そう、私がトレセン学園の新しい時代のために『皇帝G1七番勝負』で過去のシンボリルドルフのG1レースをVRシミュレーターで再現して十分な対策を施して新生徒会役員たちの躍進のための踏み台にしたことは、実は“最強の七冠バ”シンボリルドルフ誕生という繰り返されるタイムリープで誕生した虚偽の産物に対する因果応報でもあったのだ。

 

だから、三女神は『皇帝G1七番勝負』でタイムリープというズルで塗り固められた“皇帝”の偶像を打ち砕くために、別世界のトレセン学園の中心的人物となっていた最強クラスのウマ娘である“女王”アグネスオタカルと“将星”トウショウサザンクロスとの接点を私に与えたのだ。

 

そう確信できたのも、もう一人のアグネスタキオンとなった並行宇宙からやってきたバケモノに対して因子継承を行わせた結果、バケモノとしての業と悲哀を認識させてスーペリアクラスに強制的に進化させた三女神の厳しい裁きを目の当たりにしていたからだ。

 

そう考えると、エルダークラス:ヒッポリュテーの擬態対象にシンボリルドルフが選ばれた理由も本人は記憶になくてもタイムリープのチート行為によって“皇帝”の座を得たことへの因果応報なのだと理解できるようになってしまった。

 

そして、何故にウマ娘レースの公平性と倫理性の問題を頻繁に取り上げるようになっていたのも、誰よりもウマ娘の理想世界のために働いてきた人物こそが理想を叶えるために一番ズルをして不当に地位を得たことに対して三女神が警鐘を鳴らすためでもあったようなのだ。

 

 

――――――そう、だから、“皇帝”シンボリルドルフはここまで過酷な運命に苦しめられてきたのだ。

 

 

その過酷な運命の因果の糸を紡いでいたのが、現実の結果を受け容れられずに現実逃避してタイムリープに走ってしまったシンボリルドルフ自身であり、本人に自覚がなくとも三女神はそれをしっかりと見て 徹底的な裁きを与えていたのだ。

 

その(カルマ)がタイムリープする毎に向上していく競走ウマ娘としての栄光と反比例するかのような自身の空虚さを際立たせることになり、唯一自分の意志で掴み取ったものである愛する人との別離を強いる因果を紡ぎ出していたのだ。

 

その業の深さが第3の別世界で自身の栄光の記念碑たるエクリプス・フロントに巨大娘になって磔にされるという事象にも繋がっていることを考えると、本人の意志はどうであれ、一生に一度しか挑戦できない『トゥインクル・シリーズ』に出走したウマ娘たちの人生を侮辱した行いへの報いとして磔刑に処されるのも無理はないと思ってしまった。

 

そう、口では『ウマ娘の幸せな世界を築く』という理想のためと言いつつ、実際は自身の利益の最大化のためにタイムリープを悪用していた業が跳ね返った結果なのだ、全ては。

 

 

――――――天網恢々疎にして漏らさず。全ては自らが蒔いた種だったのだ。

 

 

シンボリルドルフ「………………」ゼエゼエ

 

斎藤T「……まあ、そうですね。トレセン学園の狭き門を潜ってきた時点で、相当数のウマ娘たちを夢の舞台から追い払っていますからね」

 

斎藤T「しかし、ようやく本音を見せてくれましたね」

 

シンボリルドルフ「え」

 

斎藤T「いや、“皇帝”シンボリルドルフがいったい何に腹を立てているのか、怒りの矛先はどこに向けられているのかを深く追求することができなかったので、根本的な不安の解消に取り組めなかったわけですけど――――――」

 

 

斎藤T「結局、親のエゴに反抗できない子供の不満が暴発しそうになっていたわけですよね、それって」

 

 

シンボリルドルフ「え」

 

斎藤T「これも異種族共生社会における異種族間の生態の違いから来る生活様式や文化のちがいが招いた悲劇なんでしょうね」

 

斎藤T「たしかに、あなたのご両親は“世界を良くすべく己の身をも投げ打つ者で厳格な人物”として大変評判の方々でしたが、実の子供でさえも理想を叶えるための道具にしている時点で矛盾を感じ取ってしまったのは、幼くして聡明であれと詰め込まれた帝王学のせいというのは皮肉ですね」

 

シンボリルドルフ「……そうだとも。ウマ娘にとっては“本格化”を迎える十代が全盛期で、その時でしか一生に一度の『トゥインクル・シリーズ』への挑戦が認められないからこそ、両親にとって分身(アバター)でしかない私を使うしかなかったんだ」

 

 

シンボリルドルフ「――――――自分()にできもしないことを他人()に押し付けて!」

 

 

斎藤T「……なら、自分たちがウマ娘の改造手術や若返りの手術でも受けてターフの上での理想を叶えるべきでしたね」

 

シンボリルドルフ「ああ。ようやく自分の中で封印されていたものが解き放たれてスッキリすることができた。ありがとう、本当に……」

 

シンボリルドルフ「これでも、両親には感謝もしている。尊敬もしている」

 

シンボリルドルフ「けれど、私に対して両親が期待を寄せてくれていたのは、ウマ娘としての自由を掴み取るためにターフの上で走れる脚じゃなく、親が敷いたレールの上を走ってくれる脚だったんだろうなって」

 

斎藤T「それがウマ娘レースで幅を利かせるウマ娘の『名家』の価値基準なのだから、しかたがないのではありませんか?」

 

斎藤T「まあ、そういう意味では自分たちの権益を守るために個人の自由;特に自己実現の自由(Freedom)を損なっているのは、制度の奴隷になっていて時代錯誤している価値観だとは思いますよ」

 

シンボリルドルフ「ああ、そうか。だから、“グランプリ”を三連覇しようが、史上初の“無敗の三冠バ”や“最強の七冠バ”になろうが、私とあの人の関係を頑なに認めようとしなかったわけだ……」

 

シンボリルドルフ「あの人が生身の人間じゃないにしたって、そんなに私の子が欲しいのなら、私のDNAから私の複製人間(クローン)でも作れば済む話じゃないか!」

 

シンボリルドルフ「どうせ、身元不確かな才能ある子にシンボリ家の冠名を与えて家門に加えるのなら、いっそのこと、過去のスターウマ娘の複製人間(クローン)を生産すれば安泰だろうに!」

 

斎藤T「ウマ娘が幸せになれる理想を追い求めるばかりにウマ娘に理想を強いて苦しめるという本末転倒な展開か……」

 

シンボリルドルフ「うん。この世が善因善果・悪因悪果・因果応報なら、きっとシンボリ家は自らの理想によって非道を強いてきたことへの報いを受けるはずだ……」

 

 

かつて“トレーナーの トレーナーによる トレーナーのためのウマ娘レース”に支配されて暗黒期と呼ばれた八百長試合が横行した時代があった。

 

そして、その暗黒期を打破して“ウマ娘の ウマ娘による ウマ娘のためのウマ娘レース”を目指して総生徒数2000名弱まで規模を拡大させることに成功した黄金期が到来することになった。

 

これによって、暗黒期の首魁となっていたトレーナー組合の黒幕であったトレーナーの『名門』の権勢は衰え、逆に生徒会の背後につくウマ娘の『名家』が権勢を振るい始めたわけなのだが、

 

結局、暗黒期の黒幕として粛清されたトレーナーの『名門』はともかく、暗黒期で権力争いをしていつまでも黄金期の到来を果たすことができなかったウマ娘の『名家』も新しい時代に生きる者たちにとってはそれもまた害悪でしかなかったのだろう。

 

実際、ウマ娘の『名家』が暗黒期のアンチテーゼとしてウマ娘の自由を標榜しておきながら、その理想の旗手となるウマ娘(我が子)には理想の実現(大人のエゴ)のために無理強いをするというのだから、直向きにターフの上で走ることに情熱を燃やす中高生から反感を買うのも当然ではないか。

 

だから、理想のための道具にされてきた当人が恨み言を漏らしたように、ウマ娘の『名家』もまたウマ娘を苦しめてきた報いを受けることになるのだろう。

 

 

なので、ウマ娘の『名家』が善玉だとか、トレーナーの『名門』が悪玉だとか、そんな単純な二元論に囚われずにひとりひとりの心に向き合うことがいかに大切なのかを再認識することとなった。

 

 

というより、本当にこのままシンボリルドルフを独りにしてトレセン学園から巣立たせたら、世界にとって決して良くないことが起きそうな予感がしてならないのだ。

 

そもそも、自由で開放的な学園の雰囲気作りに注力してきたからこそ、海外留学したら絶対に日本に帰らないことも視野に入れているぐらいには、本当はシンボリ家の両親が唱える理想の暗黒面に触れすぎているのだ。

 

これもまた親の業を子が受け継ぐことになる天地の法則の通りであり、シンボリ家の惣領娘として生まれてしまったことの不幸を呪うしかあるまい。それが家代々の罪が業となって御家断絶の自業自得に繋がるわけなのだ。

 

けれども、本当はそのことを呪うことも因果応報の結果でしかないことを私は弁えているが、今こうして苦しみ藻掻いている心に寄り添わずして何をもって慈悲と称するのかを考えると、因果の法則を説くのは今ではなかった。

 

今はただ、一人の少女のこれからの方向性についてしっかりとした指針を与えて、元気にトレセン学園を巣立っていくように助力するだけである。

 

 

シンボリルドルフ「………………」

 

斎藤T「………………」

 

シンボリルドルフ「ありがとう、斎藤T。さっきの流れで私が出すべき答えがようやく見つかったよ」

 

斎藤T「そうですか」

 

シンボリルドルフ「斎藤T。私はあの人のことをただの人造生命体(Artificial Life)だなんて思いたくない」

 

シンボリルドルフ「自分自身の有機生命体(Organic Life)の人生を捨ててまで、未来世界から私のことを愛するために時空を越えてやってきてくれたんだ」

 

シンボリルドルフ「血が通っているからと言って無条件に愛を得られるということでもないことを私は知った」

 

シンボリルドルフ「血が通ってなくても気持ちを分かち合い、互いに心を求め合って、私はあの人と肌を重ねて愛し合うことができた」

 

斎藤T「………………」

 

 

シンボリルドルフ「だから、もう放っておいて欲しいんだ」

 

 

シンボリルドルフ「私たちはずっと運命に弄ばれてきた。世間から 散々 見世物にされてきたんだ。親からも理想を叶えるための道具にもされてきた」

 

シンボリルドルフ「それがトレセン学園を卒業してからもかつてのスターウマ娘のその後の人生を詮索されるのは本当に鬱陶しくてしかたがない」

 

シンボリルドルフ「そう、全部 私の本心から生まれたものじゃないんだ! 全部 嘘! 走っている時の私だけはウマ娘としての欲求が満たされた本当であっても、それ以外は 全部 親が敷いたレールの上を走ってきた上辺だけのものだ!」

 

シンボリルドルフ「私が自分の意志で掴み取れたものなんて“あの人との思い出”しかないんだ……」

 

シンボリルドルフ「だから、私はあの人の死を受け容れて、競走ウマ娘:シンボリルドルフとしても卒業する――――――」

 

 

シンボリックリンク”「おやおや、お客様? まさか、『トレセン学園を卒業する』だなんて言わないですよね?」スゥー・・・

 

 

シンボリルドルフ「ひっ」ゾクッ

 

斎藤T「何者だ!?」ガタッ ――――――シンボリルドルフの盾となるように立ち塞がる。

 

シンボリックリンク”「お初にお目にかかります。私はシンボリックリンク”と申し上げます。お客様とは最初の3年間の終わりごろに 初めて契約を交わして以来 9年の付き合いになります」

 

斎藤T「――――――現実世界に干渉する非実在人間“半人半霊(エンティティ)”だな?」

 

シンボリックリンク”「おやおや、『非実在人間』だなんておっしゃいますが、私はしっかりと存在しているのに、何を以って非実在性を証明なさるのですか?」

 

斎藤T「簡単なことだ。シンボリルドルフに最初の3年間を上書きするように動いたのが、最初の3年間で愛する人と離れ離れにさせられた恨みから生まれたシンボリルドルフの影――――――、更にその影から生まれた光がお前の正体だろう?」

 

シンボリルドルフ「え」

 

シンボリックリンク”「…………!」

 

斎藤T「影の世界の“斎藤 展望”が教えてくれたよ。この世界は影に対する光の世界であり、“影の支配者(real mastermind)”が存在しない世界なんだって」

 

斎藤T「しかし、光と影は表裏一体である以上は“影の支配者(real mastermind)”と対になる存在が支配的でないと宇宙全体の調和がとれないわけで、」

 

斎藤T「何が原因である1つの世界が光の世界と影の世界に分裂することになったのかがわかった以上――――――」

 

 

斎藤T「つまり、お前こそが人間の普遍的無意識の中でポジティブな領域の擬人化である“虹の彼方の者(rainbow chaser)”なのだろう?」

 

 

シンボリックリンク”「…………っ!」

 

シンボリルドルフ「さっきから何を言っているんだ? 何の話をしている?」

 

斎藤T「確認しますが、この世界はあなた自身が記憶しているように3周目の世界で、あと1回は時間を巻き戻すことができるという認識で間違っていないですか?」

 

シンボリルドルフ「あ、ああ。間違いがなければ、1周目は“BNW”に敗北しながら“グランプリ”三連覇をして生徒会長の座を何とか掴み取って、2周目は『菊花賞』でビワハヤヒデに敗れて“無敗の二冠バ”止まりで、3周目でようやく“無敗の三冠バ”にして“最強の七冠バ”になれたはずだ……」

 

 

斎藤T「じゃあ、この人、1周目のあなた“グランプリ三冠バ”シンボリルドルフの成れの果てですよ」

 

 

シンボリルドルフ「ええ?!」

 

シンボリックリンク”「――――――ッ!」

 

シンボリルドルフ「いや、待ってくれ! 私は本当の意味(1周目)での最初の3年間の記憶を持っている――――――!」

 

斎藤T「でも、今まで時間を巻き戻していた事実を忘れていたんですよね?」

 

シンボリルドルフ「それは、そうだが……」

 

斎藤T「どうやら記憶を持ち越すことはできなくても、世界の成因となる因果は持ち越されているわけで、1周目と2周目の積み重ねによって3周目の世界で“最強の七冠バ”シンボリルドルフが誕生しているわけなので、これは“なかったこと”になった1周目の世界の残滓です」

 

斎藤T「けれど、本当に世界がタイムリープによって改変されているのなら、いったいどこの記憶域に1周目の記憶が保管されているのかと言えば、こういうことです」

 

 

――――――ここに四次元能力を説明する際によく使われる35ミリフィルムがある。

 

 

1周目までのシーンのコマからある時点の過去までタイムリープで遡った時、35ミリフィルムを折り重ねた状態がタイムリープで記憶を保持できる原理であり、他の時間軸に切り替わったわけではないのだ。

 

1周目の出来事はこのように折り重なった2周目の分のコマに覆い隠されているだけで、1周目のコマそのものは依然としてひとつなぎの35ミリフィルムに存在し続けているわけである。

 

それと同じようにタイムリープの記憶と共に因果も地続きで継承されているわけであり、3周目で“最強の七冠バ”になるまでに“なかったこと”にされたシンボリルドルフのライバルたちの努力を踏み躙る行いは最愛の人との別離という罰によって報いを受けることになったのだ。

 

 

では、1周目の“グランプリ三冠バ”シンボリルドルフに四次元能力:タイムリープという超常の力を与えた存在とは何者なのか――――――?

 

 

それは私にもその根源となるものはわからない。四次元能力の起源など三次元世界の住人には決して解明できない領域のものなのだから、究明のしようがない。

 

ただ、あの爛れきった第3の別世界が光に対する影の世界であったように、この世界が影に対する光の世界に分類されていたことで存在していたのが“虹の彼方の者(rainbow chaser)”なのだ。

 

この“虹の彼方の者(rainbow chaser)”は人間の普遍的無意識のポジティブな領域の擬人化であるのだが、厄介なことにこれが暗黒面に対する光明面と言い切れるようなものではないのが事態の混乱に拍車を掛けていた。

 

そう、少なくともシンボリックリンク”の姿で現れた“虹の彼方の者(rainbow chaser)”がおそらく良かれと思ってシンボリルドルフに与えたタイムリープは、結果として競走ウマ娘としての頂点に立つ栄光をもたらしたが、同時に三女神から罰を受けて最愛の人との別れによる虚無を与えられることになった。

 

そのため、三女神と“虹の彼方の者(rainbow chaser)”は同一の存在などではなく、天地の法則に基づいて信賞必罰を貫く 人間の中でもっとも高貴な領域の存在である 皇祖皇霊と“影の支配者(real mastermind)”とは別の意味で()()()()()()である“虹の彼方の者(rainbow chaser)”はまったくちがうものなのだ。

 

乱暴な物言いになるが、人間の中でもっとも高貴な領域を司る皇祖皇霊と比較すると、人間の普遍的無意識のポジティブな領域を司る“虹の彼方の者(rainbow chaser)”もネガティブな領域を司る“影の支配者(real mastermind)”も等しく低俗な領域の存在でしかない。

 

なぜなら、人間の普遍的無意識のポジティブな領域を司る“虹の彼方の者(rainbow chaser)”はひたすら人間のポジティブな面を追求しようと行動し、ネガティブな領域を司る“影の支配者(real mastermind)”も同じく人間のネガティブな面を見て嘲笑おうと画策しているからだ。

 

そう、あくまでも普遍的無意識の擬人化である“虹の彼方の者(rainbow chaser)”と“影の支配者(real mastermind)”は()()()()()()でありながら()()()()()()ではないため、ひとりひとりの人間性や人生になど興味はないのだ。

 

つまり、“虹の彼方の者(rainbow chaser)”は人間讃歌や人間の素晴らしさを称える感動的なシーンが見たいのであって、本当の意味でひとりひとりの心を見つめようとはしていないのだ。

 

それを都合の良い言葉で表現するなら、夢や希望、可能性といったものを貪欲に追求する存在であり、シンボリルドルフに付き纏うポジティブの化身(シンボリックリンク”)の正体は誰よりもシンボリルドルフの可能性に夢や希望を託していた存在が根源になっているのではないか――――――。

 

 

斎藤T「――――――愛しているのなら!」

 

斎藤T「――――――子供の可能性を誰よりも信じていたのなら!」

 

斎藤T「――――――そう言ってあげればよかったじゃないですか!」

 

シンボリックリンク”「!!?!」

 

シンボリルドルフ「え!?」

 

斎藤T「……シンボリックリンク”。お前の正体は“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身となったことで非常に複雑で複合的なものになっているが、その根源になるものははっきり見えたぞ」

 

斎藤T「お前の正体は光の世界の妄念妄想が不法投棄されて爛れきった影の世界で最愛の人と愛し合って処女を捨てられなかった“傾国の皇帝”シンボリルドルフの報われぬ想いが被さって、この世界の“永遠なる皇帝”シンボリルドルフにまた時間を巻き戻させようと画策しているみたいだが、そうはさせんぞ」

 

斎藤T「もっとも、その影の世界の“傾国の皇帝”シンボリルドルフもまた、この世界の“永遠なる皇帝”シンボリルドルフが生徒たちの規範として振る舞っておきながら影で担当トレーナーと愛し合っていたことを恥じて生まれ落ちた存在だから、どっちもどっちだけどな!」

 

シンボリルドルフ「うっ」

 

 

斎藤T「けど、世界が光と影に分裂する前の本当の意味での最初の3年間(1周目の世界)でシンボリ家の惣領娘となる最愛の娘に嫌われたことに絶望して、こんな歪んだ奇跡をもたらす魔界の住人(ダークストーカー)に成り下がるとは!」

 

 

斎藤T「もう十分だろう! “最強の七冠バ”にまでなったのに これ以上 何を求める!? これ以上のタイムリープはとんでもない代償をこの子に払わせることになるんだぞ! 『仏の顔も三度まで』っていうだろう?」

 

斎藤T「お前にとって我が子はシンボリ家の栄光のためだけに存在するのか!? 最高のウマ娘である我が子の可能性をどこまでも見たいという親のエゴのために、お前は我が子を永遠にトレセン学園に縛り付けるつもりか!?」

 

斎藤T「そんなのはウマ娘の未来を想ってのことなんかじゃない! ウマ娘を我が子に持った父親はみんな親バカになるのは知っているんだぞ!」

 

シンボリックリンク”「――――――ッ!」

 

シンボリルドルフ「え、もしかして、あなたは私の――――――?」

 

 

シンボリックリンク”「それの何がいけない!? 我が子に最高の栄誉を与えるチャンスを見逃す親などいるか!」ドン!

 

 

シンボリルドルフ「お、お父様……?」

 

斎藤T「……よし!」ニヤリ

 

シンボリックリンク”「言わせておけば、小僧!」

 

斎藤T「そんなに悔しかったか!? 『名家』の出身でもない“BNW”にシンボリ家の最高傑作がクラシック戦線で敗れたのが!? その“BNW”をぶつけてきた名門中の名門トレーナー:鐘撞Tの存在が!?」

 

斎藤T「その時間さえ巻き戻すあきらめない精神はまさにポジティブの極みだが、3度目の挑戦で“BNW”に完全勝利して“最強の七冠バ”にまでなったというのに!」

 

斎藤T「――――――次はない! それ以上は三女神の怒りに触れるぞ!」

 

シンボリックリンク”「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなぁー!」

 

シンボリルドルフ「…………!」

 

 

シンボリックリンク”「――――――“皇帝”シンボリルドルフこそが最強なんだ! そうであるべきなんだ!」

 

 

シンボリックリンク”「三女神もなぜこれ以上の恩寵を与えようとなさらぬのだ!? それが全てのウマ娘のためであると――――――!」

 

シンボリルドルフ「……お父様」

 

斎藤T「ん、んんん!?」

 

斎藤T「いや、待て。明らかにさっきまでの家族に対する証言と矛盾する感情――――――」

 

斎藤T「あ、なるほど、そういうことか! しまった! ちょっとちがったな!」

 

斎藤T「シンボリルドルフ、あなたの父上は本当の愛情深い人物であったようですね」

 

シンボリルドルフ「急に何を?」

 

斎藤T「だからこそ、トレセン学園やウマ娘レース業界よりももっと大きな視点でもって、これからますます異種族共生社会が混沌としていくことを予見していたからこそ、あえて突き放した態度で厳しい教育を施していたようです」

 

 

斎藤T「本当は『トゥインクル・シリーズ』でどういう結果になろうとも、レースでの実績ではなく、人間としてのあるべき振る舞いによって異種族共生社会においてウマ娘たちを正しく導けるように帝王学を自ら教えていたのが真相です」

 

 

斎藤T「だから、レースの結果になんてこだわってなんかいなかったんだよ、あなたのご両親は……」

 

斎藤T「本当の意味でウマ娘のために正しいと思えることを自分で考えて実践してもらえるように、独り立ちを最初から促していたんだ……」

 

斎藤T「生徒会長になるように強制してきたのは、将来的に政治的指導者になるための下積みであって、この辺は元から理想が高かった両親のごく自然な要求ではあったかな……」

 

シンボリルドルフ「そ、そんな……」

 

シンボリルドルフ「ま、待ってくれ! じゃあ、()()は誰なんだ!? お父様に似ているようで実はちがった――――――」

 

 

斎藤T「誰って、父方の叔父さんでしょ? それも悪魔の契約を交わして悪魔の眷属になった悪魔憑きで、最初の世界でもうこの世にはいない存在になった――――――」

 

 

シンボリルドルフ「え」

 

シンボリックリンク”「なっ!?」

 

斎藤T「そうか。なるほど、兄弟揃って中央のトレーナーとして活躍して、実の兄が恋敵だったわけですか」

 

斎藤T「だから、最愛の人の子であるシンボリルドルフにそこまで執着したわけですね。横恋慕とは末恐ろしいものですね」

 

 

――――――ここでまさかの驚愕の事実!

 

 

実は、“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身:シンボリックリンク”というウマ娘の正体は、片思いの相手だったシンボリルドルフの母親の相当に美化した皮を被った 父親と同じ中央のトレーナーだった シンボリルドルフの叔父さんだった。

 

なので、シンボリルドルフの父親の実の弟なのだから、雰囲気が極めて似ているだけに直接会ったことのない私は早合点してしまったのだ。実際、朧気ながら幼いシンボリルドルフの記憶にある ずっと優しくしてくれた叔父さんの存在もそのように誤認されていた。

 

しかし、これまでのシンボリルドルフの対話から理想のためなら我が子を理想の道具にすることも厭わない冷酷非情のイメージがあったのに、その真相を見つめているとシンボリックリンク”の感情の奥底にはシンボリルドルフとの家族愛を自己主張しており、それが極めて不自然に思えたのだ。本当に父親なら自分が父親である歴然とした事実を殊更に主張するわけがない。

 

だから、“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身:シンボリックリンク”に対して挑発的な言動で揺さぶりをかけてみたわけなのだが、すると明らかにシンボリルドルフの父親らしからぬ執着の仕方を見せており、なぜかシンボリルドルフを通して母親の方に感情が向いているのが見えたのだ。

 

結果、シンボリルドルフにとって親から受け売りだった理想の真相も浮き彫りになり、私の中で評価が二転三転しながら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の妄念妄想の正体をついに突き止めることができたのだ。

 

いや、正体というよりは起点となる核になった“半人半霊(エンティティ)”がシンボリルドルフの叔父さんであり、どうやら悪魔と契約して眷属になることでシンボリルドルフの母親:スイートルナと結ばれなかった未練を愛した人の子である姪:シンボリルドルフに愛を注ぐ代替行為で己の欲を満たそうとしていた気持ちの悪いストーカーであったのだ。

 

まさしく、魔界に属する非実在人間である“魔界の住人(ダークストーカー)”の在り方であり、こんなのが人間の普遍的無意識のポジティブの擬人化たる“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身になれる辺り、人間のポジティブな面というのが必ずしも善ではないことを物語っている。

 

要は、シンボリルドルフは母親に片想いをしていた叔父さんという悪魔の眷属にずっと取り憑かれていたわけであり、己の愛が恋敵であった実の兄よりも優れていることを証明するために愛する人の子である可愛い姪っ子に異様なまで入れ込んでいたわけなのだ。

 

愛ゆえに我が子を厳しく育てた恋敵である兄とは異なり、己の欲のために姪っ子を可愛がっていたのが真相である以上、これは悪霊祓いの技能を持つ私が容赦をするわけにはいかなかった。

 

 

シンボリックリンク”「み、見破られたあああああああ!?」

 

斎藤T「破邪顕正」シュッ ――――――十字に印を切る!

 

シンボリックリンク”「うわああああ!? 身体が熱いぃいいい!? お、俺はただルナさんのためを想ってえええええええ!?」

 

シンボリルドルフ「お、叔父さん……」

 

斎藤T「縛!」 ――――――印を結ぶ!

 

シンボリックリンク”「う、動きがああ!? は、放せええええ! あ、熱いいいいい!」ギチギチ

 

シンボリックリンク”「る、ルナちゃん! 今すぐに“置き時計”を使って! そうすれば、また何度でもやり直せるから!」

 

斎藤T「――――――“置き時計”!?」

 

シンボリルドルフ「叔父さん」

 

シンボリックリンク”「ルナちゃん!」

 

斎藤T「だ、ダメだ! これ以上のタイムリープは確実に――――――!」

 

 

シンボリルドルフ「ごめんなさい……」

 

 

シンボリックリンク”「え」

 

斎藤T「………………!」

 

シンボリルドルフ「ずっと忘れていました、叔父さんのこと」

 

シンボリルドルフ「斎藤Tに叔父さんのことを言ってもらえるまで、ずっと叔父さんが厳しい父上に代わって優しくしてくれたことを忘れていた、恩知らずでした……!」

 

シンボリルドルフ「それどころか、叔父さんのことをお父様と間違えて記憶していて――――――」

 

シンボリックリンク”「い、いいんだよ、そんなこと! 俺はルナちゃんの笑顔さえ見られれば、それで――――――」

 

 

シンボリルドルフ「でも、私は明日が欲しいんです! ずっと変わらない世界は嫌なんです!」

 

 

シンボリックリンク”「だったら! 今度こそ、叔父さんがルナちゃんの大切な人を守ってあげるから――――――!」

 

斎藤T「それは無理だ! 自分の欲望のために過去改変することはそれ以外の人たちの懸命な努力や成功を全てなかったことにする行いだからこそ、奪い取った明るい未来の分だけ虚無になるように愛する人と離れ離れになる天罰が下ったんだ!」

 

斎藤T「だから、人間讃歌や感動の場面を見たがる“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身としてのお前の役目はこれで終わりだよ」

 

シンボリックリンク”「そ、そんな――――――」

 

斎藤T「ただ、史上初の“無敗の三冠バ”に“最強の七冠バ”になった“皇帝”シンボリルドルフの存在を天が許したということは、きっと、これからの未来に絶対に必要なことだったんだ」

 

斎藤T「お前がその高みまでシンボリルドルフを導いたことは、内心は欲望塗れだったかもしれないけれども、全ては必要なこととして許されていたことなんだ」

 

斎藤T「だから、安心して天に帰れ! ここまで優しくしてくれた叔父さんのことを愛情をたっぷり注いだ姪っ子は一生忘れないだろうから!」

 

シンボリックリンク”「あ……」

 

シンボリルドルフ「叔父さん……」

 

シンボリルドルフ「今までありがとう……」

 

 

叔父さん”「……『ありがとう』。そうか、ルナちゃんが大丈夫なら、俺も大丈夫だから」 ――――――シンボリックリンク”の化けの皮が剥がれて穏やかな表情のヒトが現れる!

 

 

シンボリルドルフ「あ、本当にお父様にそっくり……」

 

叔父さん”「そういうルナちゃんもお母さん(ルナさん)にそっくりだよ……」

 

叔父さん”「本当はずっとルナちゃんのことを守ってあげたかったけど、子供が独り立ちするのを大人が邪魔するのは良くないよね……」

 

叔父さん”「達者でね、ルナちゃん。悪魔の力を借りた俺はトレセン学園でしか力を振るえなかったから、外の世界までついていって守れそうにないけど、これでお別れだ」

 

シンボリルドルフ「はい! 絶対に叔父さんのことは忘れませんから!」

 

斎藤T「あ、そうだ! 悪魔の契約はどうやって結んだ――――――?!」

 

斎藤T「あ、待て……」

 

 

スゥー・・・

 

 

シンボリルドルフ「逝ってしまった……」

 

斎藤T「くそっ! 重大な情報を聞きそびれた……!」

 

シンボリルドルフ「あぅ……」ヨロッ

 

斎藤T「大丈夫ですか!?」ガシッ

 

シンボリルドルフ「だ、大丈夫。ただ、卒業式の後に何度も最初の3年間を繰り返してきたことを思い出して、ずっとその罪深さに打ちひしがれていたから、安心したら全身の力が抜けて……」

 

シンボリルドルフ「ああ、この罪悪感から救われたことが本当に嬉しくて……」

 

斎藤T「今日は外に出ましょう。ずっとホテルの一室に閉じこもって身体が鈍っていたでしょうから」

 

シンボリルドルフ「うん。じゃあ、エスコートをお願いしようか、斎藤T」

 

斎藤T「わかりました。我が“皇帝”陛下」

 

 

これがトレセン学園の修業式前日のホテルの一室での出来事であった。

 

ホテルの一室が異界化するほどの負の霊的磁場に包まれ、ポケットラジオの振動が止まらないほどの重圧に包まれていたのが嘘みたいに晴れ、少女の身体にこれまで重くのしかかっていたものがゴソッと抜け落ちて身体が軽くなっていたのがわかった。

 

これで本当の意味で“皇帝”シンボリルドルフはトレセン学園を巣立っていくことができるようになったのだ。

 

しかし、本当に人間の心は内的宇宙と言われるように広大にして迷宮のようなものであり、姪っ子を可愛がってきた叔父さんがその母親への横恋慕によって悪魔の眷属になって、片想いの相手だった人の愛娘が『トゥインクル・シリーズ』で歴史に残る名バになるように後押ししていたとは最初は想像もしていなかった。

 

これまでシンボリルドルフの理想に対する疑念や実の両親に対する不信感は別世界のシンボリルドルフから聞かされていたことだったが、その真相に至るまでに必要な情報が可能性の世界への異世界探訪でしか得られなかった辺り、本当に今回の問題は一筋縄ではいかないものだった。

 

実際、ウマ娘の『名家』シンボリ家の複雑な人間模様とウマ娘レース業界に対する厳しい見方が根底にあり、あらためて状況を整理して正解に辿り着けるかどうかを問われたら完全にお手上げの状況であった。

 

それでも、何だかんだで真相に辿り着いて一人の少女の運命を救うことができたのは、まさに天の配剤として必要ものを必要な時に必要なだけ用意してくれたウマ娘の皇祖皇霊たる三女神の加護があってのものだと納得せざるを得なかった。

 

 

――――――トレセン学園附属高層施設:エクリプス・フロント(地上10階・地下1階建て)

 

シンボリルドルフ「――――――本当に久しぶりだった。こうして府中市のあちこちを見て回るのは」

 

斎藤T「私は何度も府中市のあちこちを走り回ることになりましたけどね」

 

シンボリルドルフ「明日の修業式の後の『URAファイナルズ』開催成功記念パーティーでいよいよ私も府中市を後にするわけか……」

 

シンボリルドルフ「自分で決めた進路とは言え、府中市を後にしてすぐにアメリカに留学するのがこんなにも嫌になったのは初めてかもしれない……」

 

斎藤T「今までシンボリ家のしがらみから解放されるために自由への逃避行として海外留学を目指していたわけですからね」

 

シンボリルドルフ「ええ。けど、本当はどれだけ家族から愛されていたのかを知ってしまうと、家族から逃げようとして海外留学を選んだことを今更ながら後悔しそうになっている自分がいる……」

 

斎藤T「アメリカへの渡航経験はあるのですか?」

 

シンボリルドルフ「はい。母方の祖父がアメリカやフランスへの渡航経験があって、私も幼い頃にそれについていったことがあります」

 

シンボリルドルフ「だから、向こうにはちゃんとシンボリ家に縁のある人たちがいて、その人たちのお世話になりながら秋川理事長と同じく経営学を学ぶつもりです」

 

斎藤T「秋川理事長は本当に大した御仁です。幼くして大学に飛び級で卒業して中央トレセン学園の理事長を 6年間 勤め上げてトレセン学園の黄金期を導いたわけですからね」

 

シンボリルドルフ「ええ。理事長の為人を知れば知るほど頭が上がらないです。私などでは到底比べ物にならないほどの知恵と勇気と愛情の持ち主です」

 

シンボリルドルフ「私の目標は秋川理事長のような若くして人々を正しく導けるような経営者になることです」

 

 

シンボリルドルフ「そして、斎藤T。あなたです」

 

 

斎藤T「そうですか」

 

シンボリルドルフ「6年間に渡る私のトレセン学園の日々を導いてくださった無名の新人トレーナーの最後となる3人目として全てを締めくくってくださった」

 

シンボリルドルフ「そして、あの人との愛を取り戻してくださった。本当の家族の愛を知らせてくれた」

 

シンボリルドルフ「だから、秋川理事長や斎藤Tのように人々を正しく導ける人間でありたいです。これでも日本ウマ娘レースで“皇帝”と言われた身です。やれないことはないはずですから」

 

斎藤T「あなたがアメリカの大学を卒業するまで私がトレセン学園のトレーナーで居続ける保証はないわけですが、」

 

斎藤T「それならば トレーナーとウマ娘の関係を通り越した 生まれも育ちもちがう世代を超えた友人ということで、これからも末永いお付き合いをいたしましょう」

 

シンボリルドルフ「はい!」

 

シンボリルドルフ「あ、斎藤T! 見てください!」

 

 

――――――トレセン学園の上に大きな虹が!

 

 

虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身となった悪魔の眷属の叔父さんを昇天させた後、ホテルからトレセン学園を卒業したばかりの一人の少女を連れ出して雨上がりの月曜日の平日の府中市を一緒に練り歩いた。

 

私にとっては 光に対する影の世界となる第3の別世界でレオダーリングという中等部卒業で無謀にも『URAファイナルズ』に出走しようとした妊婦と遭遇した衝撃が記憶に新しいので また何か変なのと遭遇するのではないかとヒヤヒヤしていたが、

 

さすがに『URAファイナルズ』も終了した後の月曜日には街中を走る卒業生の姿はなく、振り返ってみると いろんな形で府中市の街中を時の牢獄の中で巡ることになった思い出がたくさん蘇ってきた。

 

そして、卒業後はホテルの一室に閉じこもりきりで落ち込んでいたシンボリルドルフの体力を取り戻すために、アメリカに旅立ったら もう食べることができない 府中市の思い出の味を堪能するということで、気の赴くままに食べ歩きを興じることになった。

 

さすがに卒業したとは言え、日本ウマ娘レースの歴史にその名を刻む“最強の七冠バ”の存在は府中市では知らぬ者がいない大の有名人であるため、こうして簡単な変装をしていても、それでも熱心なファンにはお見通しで行く先々でサインを強請られることになった。

 

それにまったく嫌な顔をすることなく、丁寧な対応をして回るシンボリルドルフの気さくさは両親からの愛の施しである帝王学の賜物でもあるわけなのだが、今まではそのことに感謝はしても反感を抱いていたところがあったわけで、今回のことでいろんなことから解放されたことで見せた笑顔は今までにない自然な輝きを放っていた。

 

そこから幼い頃の自分を可愛がってくれた叔父さんの優しさとその裏にあった自分の母親に対する横恋慕のことを思い返すことになり、ある意味においては両親と叔父さんの三角関係がシンボリルドルフという一人の人間の基礎になる部分を作ってくれたのだと複雑な思いに駆られることになった。

 

まず、間違いなく両親からの愛情として叩き込まれた帝王学はシンボリルドルフの能力や人格の形成に大いに役立つことになったものの、それが逆に両親に対する複雑な感情を作り出し、その聡明さ故に幼くして競走ウマ娘として生まれてきてしまったことに絶望してしまうことにもなってしまった。

 

しかし、競走ウマ娘としての成功を予言して一生懸命に励ましてくれた“魔王”スーパークリークの担当トレーナー:ムラクモTと出会うまでの普通の人間らしい情緒を育んでくれたのが叔父さんだったわけであり、最終的に悪魔の眷属にまでなった気持ちの悪いストーカーに成り果てていたものの、叔父さんの献身がシンボリルドルフの人生を支えていたことは紛れもない事実であった。

 

そのため、タイムリープの代償によって悪魔の眷属となって存在が消滅してしまった整合性をとるために記憶から消えてしまった叔父さんが幼い頃の自分にしてくれたように他人に優しくしてやれているかをシンボリルドルフは意識するようになっていた。

 

だからなのか、叔父さんが自分の母親に片想いをずっとし続けていたからこそ、片想いの相手の娘である自分に優しくしてくれていたことを嫌だと思うことはなかった。

 

むしろ、叔父さんは人ならざる存在であったあの人と結ばれるように次も頑張ろうとしてくれていたわけであり、互いに報われなかった恋愛の苦い経験を持っているからこそ、両親とはちがって肯定的であってくれたことが非常に嬉しくもあったのだ。

 

 

なので、本当に何が正しいことで、何が幸せなことで、何が良いことなのかが一挙にわからなくなってしまったという――――――。

 

 

叔父さんは同じトレーナーとして最大のライバルでもあった実の兄が兄弟揃って想いを寄せていたシンボリ家の令嬢と結ばれたことで恋のダービーに敗れ、シンボリ家の親戚にしかなれなかったものの、二人の間に生まれた娘のことを大層可愛がっていた。

 

そこから両親と叔父さんの正反対の愛の形のどちらがシンボリルドルフにとって益するものだったのか、私と食べ歩きをしながらシンボリルドルフは何度もホテルの一室での衝撃的な出来事のことでひたすら反芻していた。

 

だから、ただの運命論や結果論に思えるかもしれないが、『全ては必要なことだった』と前向きに信じていればいいことを私は告げた。どちらも偏りがあるからこそ、足りないものを補うためにどちらも必要になっていたのだと。

 

 

その回答に満足した“新堀 ルナ”という一人の少女の表情は途端に朗らかになっていた。

 

 

それから互いに貴重なタイムリープ経験者ということで、決して他人には明かせないような様々な周回で遭遇した奇想天外な事態を語り尽くすことになり、

 

今回の超時空の大決戦において私が渡り歩くことになった数々の可能性の世界で見聞きしたことも包み隠さず話すことにした。

 

さすがに第3の別世界:ダークトレーナーの世界の話はあまりにもセンシティブかつ内的宇宙の話だったので言うに言えないことも多いのだが、別世界の自分が辿ることになった数々の運命に対してシンボリルドルフは静かに耳を澄ましていた。

 

トレセン学園入学から逃げ出して車いす生活を送るようになった話や、自分が必死になって築き上げた黄金期の遺産を無法者に乗っ取られて生徒会と学生寮自治会が対立関係に陥ったことで精神崩壊してしまった話ウマ娘の理性の箍が外れた世界で貞淑で在り続けて やっぱり愛する人と身も心も1つになりたかったと後悔することになった話――――――。

 

それで間違いなく、いろんなことがありすぎたのだけれど、自身が存在する今のこの世界こそが一番に恵まれた世界であることを認識すると、ようやく自分がトレセン学園を本当に卒業していくことに対して安心できたようだった。

 

府中市の街歩きの最後に自身が築き上げたトレセン学園の栄光の記念碑となるエクリプス・フロントに足を運び、屋上からトレセン学園を見下ろしている時に見えた虹がシンボリルドルフの卒業とこれからのトレセン学園の将来を祝福してくれているように思えた。

 

しかし、この私がわざわざトレセン学園を見下ろせる絶好のロケーションのエクリプス・フロントの屋上にまでシンボリルドルフを連れてきたのに、何もないわけがないではないか。

 

なので、全てが終わったことで府中市の街歩きをしている最中にこっそりとトレセン学園に私は電話を掛けていたのだ。

 

そして、時が来て――――――。

 

 

シンボリルドルフ「な、何だ!? トレセン学園で何か起こった?! もしかして何か催し物が? こんな時間から――――――?」

 

斎藤T「さて、何でしょうね?」

 

斎藤T「ただ、実の両親から不器用な愛情を注がれて、一番優しくしてくれた叔父さんの存在も忘れ去っていた“新堀 ルナ”という人間は他人からの好意に鈍感なところがあったものですから、こういう形で愛を表現されたら さすがにわかってもらえることでしょう」

 

シンボリルドルフ「きみが指示したことなのか?」

 

斎藤T「いえ。私はただGPSをONにしてエクリプス・フロントの屋上にいることを知らせただけなんですがね」

 

斎藤T「でも、御天道様が見ているからと言って虹の架け橋だけでこれまでの苦労と功績が称えられるのは味気ないわけですから」

 

斎藤T「どうですか? こうしてトレセン学園のみんなから精一杯の感謝を捧げられる気分は?」

 

シンボリルドルフ「ああ」

 

 

――――――もう最高だよ。これが罪を背負いながらも私がたくさんの人たちの手を借りて築き上げることができた黄金期の遺産となるわけなんだな。

 

 

トレセン学園に掛かった虹の架け橋がいつの間にか消えた後に、眼下に見下ろすトレセン学園の校舎から一斉に生徒たちが飛び出してきたかと思うと、ひとりひとりが大きめの写真パネルを持ってガヤガヤと整列しているのが見えた。

 

そして、生徒会長:エアグルーヴの号令によって整列した生徒たちが一斉に写真パネルを掲げると、それはエクリプス・フロントに向けられた見事なシンボリルドルフのバストアップの巨大モザイクアートになっていたのだ。

 

そこから再びエアグルーヴの号令で写真パネルを一斉にひっくり返すと、“皇帝”シンボリルドルフの勝負服に取り付けられた7つの勲章とトレセン学園のモットーである『Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て並ぶ者なし)』のメッセージが描かれた巨大モザイクアートに早変わりである。

 

それを何度も裏返して見せつけることで“最強の七冠バ”シンボリルドルフの栄光の象徴であるエクリプス・フロントの屋上から見下ろしている本人に思いを精一杯に伝えようとしていたのだ。

 

いつそんなものを準備する余裕があったのか まったくわからなかったが、見下ろすばかりで決して互いの声が届くことのない距離から伝わってくる トレセン学園のみんなの精一杯の気持ちがとにかく嬉しくて、シンボリルドルフは棒立ちのまま大粒の涙を流し続けていた。

 

私はシンボリルドルフの気持ちを代弁して信号灯のブラインドを開閉させて感謝の言葉を伝えるモールス信号を眼下のトレセン学園に向けて送り続けた。

 

後で聞いた話だが、これは私がトレセン学園に電話をして生徒会長:エアグルーヴが午前中に企画を通して午後には明日の修業式まで学園に居座っていた卒業生たちをも総動員して突貫工事で完成したサプライズイベントであり、とにかく猫の手も借りたい状況だったので秋川理事長も喜んで巨大モザイクアートの作成に協力していたそうである。

 

その際、生徒会長:エアグルーヴが真っ先にESPRITの部員であるアグネスタキオンとマンハッタンカフェにこの企画を間に合わせることができるかを訊いてきて、アグネスタキオンは自信満々に『できる』と答えて、百尋ノ滝の秘密基地で悠々自適に過ごしていたもう一人のアグネスタキオン(スターディオン)に巨大モザイクアートの設計と写真パネルの用意を丸投げしていた。

 

なので、こんな感動的なサプライズイベントを絶対に後世に残すべく、私の方でESPRITの広報活動のために購入していたカメラ機材によって、いつの間にか配置についていたアグネスタキオン’(スターディオン)が私たちの側でカメラを回してくれていたのだ。

 

そのアグネスタキオン’(スターディオン)もまた、エルダークラス:ヒッポリュテーを介して間接的に継承されていたシンボリルドルフの因子と共鳴していたのか、涙をこらえながらカメラを回していたのが印象深かった。

 

 

――――――こうして何度も最初の3年間を繰り返してきた“永遠なる皇帝”シンボリルドルフは これまで虚ろだった心が大きな愛に包まれて 新しい時代への第一歩として 心からのトレセン学園卒業を迎えられたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●20XY年03月19日:トレセン学園修業式/『URAファイナルズ』開催成功記念パーティー

 

 

――――――見事ッ! “ファイナルズ・チャンピオン”、おめでとう!

 

 

秋川理事長「この度の『URAファイナルズ』の大成功を祝し、これからのウマ娘レースのますますの発展を祈念して!」

 

秋川理事長「乾杯ッ!」

 

一同「乾杯ッ!」

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

桐生院T「本当におめでとうございます、才羽T! 思わず見惚れる走りでした!」

 

桐生院T「ですが、次こそは負けませんよ! 必ず勝ちます、私たちが! 飯守Tにもです!」

 

才羽T「うん!」

 

飯守T「ああ! 俺たちはずっとライバルだぜ!」

 

ライスシャワー「これからもみんなで一緒にターフの上を走っていこうね!」

 

ミホノブルボン「はい。きっと、その先にマスターの夢見る世界が拡がっていると信じて!」

 

ハッピーミーク「……ずっと、ライバルです」

 

秋川理事長「清祥ッ! わたし特製にんじんハンバーグDXだ!」ワハハ!

 

秋川理事長「さあさあ、才羽T! 会心の出来だぞ! 今度こそ花丸の採点をつけてもらうからな!」

 

秋川理事長「ほらほら、飯守Tも桐生院Tも遠慮せずに受け取ってくれ!」

 

才羽T「ほう」

 

駿川秘書「理事長、今朝からはりきって準備していらっしゃいましたからね」

 

秋川理事長「周到ッ! 材料の選定も含めるなら2ヶ月前からだ!」

 

ハッピーミーク「……こだわりが、すごい」

 

ライスシャワー「わあ! お兄さま! すごく美味しそうです!」

 

飯守T「そうだな、ライス」

 

飯守T「でも、さすがに、こんなには胃に入らないから、切り分けないとだな……」ハハハ・・・

 

駿川秘書「そ、そうですねぇ……」アハハ・・・

 

駿川秘書「あ、切り分けておきますね、飯守T」ドキドキ・・・

 

飯守T「あ、はい……」ドキドキ・・・

 

秋川理事長「さあさあ! どうだ、才羽T! これなら満足だろう!」

 

才羽T「む、これは……」

 

ミホノブルボン「マスター、これはとても美味しいです」

 

才羽T「ああ。美味しいね」

 

秋川理事長「本当か!?」

 

才羽T「そう思いますよね、桐生院T?」

 

桐生院T「はい! 何というのか、これだけ分厚くて肉汁たっぷりのハンバーグなんですけど、トマトソースの爽やかな酸味が脂っぽさを洗い流して、いくらでも食べられそうな不思議な軽さに仕上がっていることに驚きました!」

 

ハッピーミーク「……添え物の野菜も甘くて美味しいです」

 

秋川理事長「そうだろう そうだろう! 私が愛情たっぷりに育てた野菜だからな!」

 

才羽T「ですが、実はそれだけじゃないんです」

 

桐生院T「そうなんですか?」

 

ミホノブルボン「推測。次にマスターはこういうはずです」

 

 

――――――どんな調味料にも食材にも勝るものがある。それは料理を作る人の愛情だ。

 

 

ミホノブルボン「と」

 

才羽T「料理に込める愛情がますます深くなりましたね、理事長」

 

秋川理事長「そう言われると照れ臭いな!」ハハハ!

 

才羽T「だから、小柄な身体で調理台に立って手を脂まみれにしながらハンバーグを捏ね、これだけ大きなハンバーグにしっかりと火を通して形が崩れないようにひっくり返そうとフライパンを握る理事長の姿が浮かび上がってくるのです」

 

才羽T「理事長。あなたのその小さな手はこのハンバーグを1枚1枚捏ねて焼き上げるのにも一苦労なのに、こうしてたくさんの人たちにハンバーグを提供しました」

 

才羽T「だからこそ、僕はあなたのことを尊敬し、そんなあなたと一緒に料理を作る楽しみと喜びを分かち合えたことを誇りに思います」

 

秋川理事長「私もだよ、才羽T! 私もきみときみのウマ娘が無限の可能性に向かってターフの上を駆け抜けていく背中をいつも頼もしく思っていた!」

 

秋川理事長「これからも是非! ウマ娘たちを未来永劫輝かせるために尽力してくれ!」

 

秋川理事長「そして、目指すは――――――!」

 

 

――――――日本のウマ娘が世界に冠たるウマ娘として世界の人たちに希望を与える時代へと!

 

 

 

オオオオオオオオオオオオオオオオオオ! パチパチパチ・・・!

 

 

飯守T「おお!? 何だ何だ……?」

 

ライスシャワー「あ、見て、お兄さま! 生徒会役員のみんなだよ!」

 

桐生院T「それに――――――!」

 

ハッピーミーク「……シンボリルドルフ前会長!」

 

秋川理事長「ああ、そうだったな! 元々 私の世代を超えた同志であるシンボリルドルフの功績を称えるために開いた宴でもあったが、昨日の巨大モザイクアートもそうだったが、何やらいろいろと新生徒会の方で出し物を用意してくれていたな!」

 

駿川秘書「実質的に黄金期は秋川理事長とシンボリルドルフの二人三脚で築き上げられたものでしたから、歴代最高の生徒会長としてトレセン学園を導いた彼女がいよいよ卒業するとなると寂しくなりますね……」

 

秋川理事長「いいのだ、たづな! ウマ娘の可能性はこのトレセン学園だけじゃなく、もっとその先にも拡がっているはずなのだから、私は胸を張って最大の同志であったシンボリルドルフを送り出すぞ!」

 

ミホノブルボン「マスター」

 

才羽T「ああ。これで予言書に書かれた1つの時代が終わる――――――、か」

 

 

中高一貫校としてのトレセン学園の年度末となる修業式を迎え、その後に開かれた『URAファイナルズ』開催成功記念パーティーは、黄金期の主導した秋川理事長とシンボリルドルフが成功の喜びを一同とわかちあうことになり、大盛りあがりとなっていた。

 

そうした中、“皇帝”シンボリルドルフに代わって新しい時代の旗手となるべき新生徒会の存在感は抜群となっており、ここで新設レース『URAファイナルズ』開催までの3年間をダイジェスト(要約)にしたドキュメンタリーの短編が放映されることになった。

 

そして、トレセン学園に在籍してから6年間に渡って黄金期による新しい時代を築き上げてきた秋川理事長とシンボリルドルフへの感謝の言葉が捧げられることになり、

 

昨日に突発的に企画されたエクリプス・フロントから見下ろした巨大モザイクアートの映像も 早速 使われており、秋川理事長もシンボリルドルフも 涙こそ流さなかったものの 満ち足りた表情になっていた。

 

ドキュメンタリーが放映し終わると、今度は『URAファイナルズ』のハイライト(名場面集)が流され、5部門同時ウイニングライブに載せて各方面の反応や喜びの声も一部抜粋で伝えられることになった。

 

そのため、ハイライトだけでも手に汗握る興奮を蘇らせた『URAファイナルズ』開催成功の余韻に浸って場の空気がしんみりとしだしたところで、

 

場の空気を一転させるように、これからもウマ娘レースは続いていくし、先人たちが残した伝説を打ち破るべくトレセン学園も進化していくことを新生徒会が高らかに宣言し、

 

『URAファイナルズ』決勝トーナメントの前座として都内の観戦プログラムで実施されていたレジェンドレース『皇帝G1七番勝負』が上映され、ウマ娘レースに関わる者なら血湧き肉躍る催しに会場は再び大いに盛り上がったのであった。

 

そこから生徒会長:エアグルーヴが“女帝”として再びターフの上で走ることを宣言し、副会長:ナリタブライアンも“怪物”として優駿競バ『ドリームトロフィーリーグ』での勝利を宣言したのだった。

 

更には、『URAファイナルズ』前に開催された『弥生賞』『チューリップ賞』などの重賞レースの勝利バたちも続々と登場させ、日本競バ『トゥインクル・シリーズ』の夢はこれからも続いてくことを演出していったのだ。

 

そして、新生徒会長:エアグルーヴから前生徒会長:シンボリルドルフへ労いの言葉と感謝の気持ちを表し、先人たちが築き上げた黄金期の遺産を守り通して更なる発展と飛躍を宣誓することで、見事な生徒会の交代劇と新たな繁栄の時代の到来を約束するものになった。

 

それに合わせて、『URAファイナルズ』開催宣言の年にトレセン学園に在籍してメイクデビューを果たして『URAファイナルズ』で上位入賞を果たした世代の中心であるミホノブルボンの才羽T、ライスシャワーの飯守T、ハッピーミークの桐生院Tを登壇させて、

 

秋川理事長が先代理事長から譲り受けた扇子を授与し、これからのトレセン学園の新しい時代を託すに相応しい面々として新生徒会と並んで顕彰するのであった。

 

 

パチパチパチ・・・! パシャパシャパシャ・・・!

 

 

桐生院T「同期の3人が揃って顕彰されるだなんて、3年間いろいろなことがありましたけど、ここまで担当ウマ娘と二人三脚でがんばってきたことが誇らしくなりますね」

 

飯守T「本当にな。まさか、新人トレーナーで初めての担当ウマ娘でここまでやれるだなんてな」

 

才羽T「ただ、今日というこの日を迎えさせてくれた 最後の仕上げを担当した 一番の功労者がここにいないことがとても残念でなりません……」

 

桐生院T「はい……」

 

飯守T「まあ、しかたないよ。あいつにはここに来る以上に大切なことが山ほどあるんだしさ」

 

飯守T「それよりも、俺たちも4年目ってことだから、新しい担当ウマ娘を見つけないといけないわけだけど、どうする?」

 

桐生院T「そうですねぇ。ミークとの契約は続行ですから、自然とチームを組むことになると思いますが……」

 

才羽T「僕はこのままミホノブルボンと一緒に走り続けます」

 

飯守T「そっか。なら、俺もライスの夢をこれからも叶えられるように頑張るよ」

 

桐生院T「私も! ミークの中の可能性をもっと伸ばしてあげたいです!」

 

才羽T「……さあ、そんなわけで、これからはあなたの時代ですよ」

 

 

――――――期待しています、翼覆嫗煦“斎藤 展望”。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

 

ゴオオオオオオオオオオオオオオ!

 

 

斎藤T「――――――」ビチャビチャビチャ ――――――岩場に座禅を組んで滝行の真っ最中!

 

 

アグネスタキオン「おーい! トレーナーくん! いつまで滝行なんてしているんだい!」

 

マンハッタンカフェ「そろそろお昼ですよー!」

 

アグネスタキオン「………………」

 

マンハッタンカフェ「……ダメですね。まったく聞こえてないみたいです」

 

アグネスタキオン「やれやれ、完全循環型ユニットシャワールームの原理を用いて百尋ノ滝の地下空間に百尋(181.8m)のエレベーターと隣り合う文字通り百尋(181.8m)の滝行用の瀑布を設けるだなんて大したやつだよ、きみは」

 

マンハッタンカフェ「ついでに、修行場として雰囲気が出るように岩場や雑木林も移植していますからね。百尋のエレベーターと同じ落差の瀑布は迫力満点です」

 

アグネスタキオン「あとは古井戸を入り口にした修行窟まで完備して……」

 

アグネスタキオン「よほど、浜名湖でナチス残党の闇組織『アンシュルス』の改造人間たちを大量虐殺したことが堪えたみたいだねぇ……」

 

マンハッタンカフェ「……そんなの、殺生なんかしない真っ当な人間の人生を歩みたかったに決まっています!」

 

 

斎藤T「――――――」ビチャビチャビチャ ――――――岩場に座禅を組んで滝行の真っ最中!

 

 

アグネスタキオン「……なあ、カフェ。今回の“斎藤 展望”の決戦はまさしく超時空の大決戦ということで、様々な時間や空間での出来事が錯綜していたじゃないか」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。最初は3つの可能性の世界を通して元の世界で起きている問題やこれから起こり得る問題について直視することになりました」

 

マンハッタンカフェ「けれども、その後は斎藤Tは時間を巻き戻すことなく、日本の東西の中心に位置する浜名湖に潜んでいたナチス残党の闇組織『アンシュルス』を壊滅させ、」

 

マンハッタンカフェ「新生徒会役員が新しい時代の顔役としての自覚と使命感が得られるように『皇帝G1七番勝負』も完全勝利に導いてくれました」

 

アグネスタキオン「それどころかね、『URAファイナルズ』も『皇帝G1七番勝負』もトレーナーくんがWUMAの脅威からトレーナーとウマ娘を守り抜いたから実現したことなのを考えると、意識不明の重体から目覚めてからの去年のシーズン後半からの頑張りも無視するわけにはいかないねぇ?」

 

マンハッタンカフェ「そうですね」

 

マンハッタンカフェ「そうして段階を重ねていって、ようやく最後に“永遠なる皇帝”シンボリルドルフのタイムリープを阻止して、本当の意味でトレセン学園から卒業できるように導いたわけですよね」

 

アグネスタキオン「時間の巻き戻りがあるとは言え、カレンダー上では全て卒業式から1週間以内の修業式までの出来事なのが信じられないねぇ」

 

 

アグネスタキオン「で、その最後に対峙した“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身がシンボリルドルフの叔父だったといういきなりの事実をどう思う?」

 

 

マンハッタンカフェ「たしか、本当の意味での最初の3年間だと、シンボリルドルフは“BNW”に“クラシック三冠”を阻まれながらも、“グランプリ三冠バ”の実績で最年少の生徒会長になれたという話でしたよね」

 

アグネスタキオン「シンボリルドルフの両親も最年少の生徒会長になるに相応しい実績を叩き出した時点で十分だと思っていたらしいが、カフェも“グランプリ三冠バ”になれたら当人としても周りとしても普通は満足だと思わないかい?」

 

マンハッタンカフェ「たしかに、重賞レースの最高峰であるG1レースを1勝するだけでも十分に名バと呼ばれるのに、ファンの人気投票で現役のスターウマ娘全員と真っ向勝負になる“春秋グランプリ”を三連覇ともなれば、それはそれで“クラシック三冠”に劣るとも勝らない実績になると思いますので、そこで普通は満足しちゃうはずです」

 

アグネスタキオン「ああ、そこなんだよな、私が変に思っていたのは」

 

マンハッタンカフェ「……どういうことです?」

 

アグネスタキオン「つまり、ウマ娘の『名家』であるシンボリ家ですら“グランプリ三冠バ”で最年少の生徒会長になれた娘の活躍を認めていたのに、叔父だけは頑なにそれ以上の可能性を求めて悪魔の眷属になってまでタイムリープさせてきた――――――」

 

 

アグネスタキオン「シンボリ家に婿入した兄と同じく中央のトレーナーだった叔父というわけだが、何がそこまでウマ娘:シンボリルドルフの可能性に執着させたのだろうな?」

 

 

マンハッタンカフェ「……シンボリルドルフが最強のウマ娘であることを誰よりも信じ抜いていた根拠ですか?」

 

アグネスタキオン「ああ。シンボリルドルフは史上初の“無敗の三冠バ”であると同時に史上初の“最強の七冠バ”でもあるわけで、これまでの常識を覆す存在だったんだ」

 

アグネスタキオン「実態としてはタイムリープという究極の不正行為(ズル)によって史上初の称号の数々を得てきたわけだけど、つまりはそれまで一人のウマ娘がそこまで勝ち続けることなんて夢物語に感じていたはずだろう、誰もが? それより前の過渡期のサイレンススズカやテイエムオペラオーの年間無敗の伝説はシニア級からの記録であるしね」

 

マンハッタンカフェ「……たしかに。黄金期になってG1連勝が当たり前のような雰囲気になっていたので、そこまで疑問に思わなくなっていたのが少し怖くなりますね」

 

アグネスタキオン「だから、シンボリルドルフを史上初の“最強の七冠バ”であるように導いた何者かの強い意志を私は感じるようになっていてだね……」

 

マンハッタンカフェ「それは三女神の意志ではないのですか?」

 

アグネスタキオン「いや、トレーナーくんが言うには神霊とは自らが定めた天地の法則に背くことを決してしないから法そのものであり、三女神は極めて公平に粛々と信賞必罰を下すわけだから、タイムリープによって他者の努力や人生を否定する人間には天罰を下すそうだ」

 

アグネスタキオン「実際、トレーナーくんはそうなることを知っているから、自分からタイムリープを使おうだなんて絶対にしないわけで、自分のためではなく 世界のためや誰かを救うためという善行の万が一の保険にしか使わないわけだね」

 

アグネスタキオン「そして、何者かの強い意志の介入が事実なら、三女神や悪魔以外の何者かがシンボリルドルフが最強のウマ娘であることを吹き込んでシンボリルドルフの叔父を悪魔の眷属にしてタイムリープの罪を重ねさせてきたことになるじゃないか」

 

アグネスタキオン「まあ、タイムリープという最大級の不正行為(ズル)によって築き上げられたシンボリルドルフ最強伝説がこうして“なかったこと”にならない辺り、それさえも人類史に必要なことだったとして許されているというのがトレーナーくんの見解だけど」

 

マンハッタンカフェ「……善悪で判断しきれない話ですね」

 

マンハッタンカフェ「普遍的集合意識のポジティブな領域を司る“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身になれたように、誰よりもシンボリルドルフというウマ娘の可能性を信じていたからこそ、悪魔の眷属になってまで何度も時間を繰り返して可能性を追い求めることは、果たして罪なのか――――――」

 

マンハッタンカフェ「もし、それを罪と断じるなら、あらゆる手段で最強のウマ娘の可能性を追い求めるトレーナーの在り方もまた否定されなければなりませんよね?」

 

アグネスタキオン「だから、トレーナーくんは安易に新発明に世に広めることなく、公平性と倫理性の十分な議論を追求する姿勢を辞めないのだろうねぇ」

 

アグネスタキオン「カフェはもう見たかい、第3の別世界:ダークトレーナーの世界の“斎藤 展望”からのDメール?」

 

アグネスタキオン「どうやら、私たちが見てきた可能性の世界は他にも無数に存在していて、私たちが見てきた以上に過酷な世界が存在していたみたいだよ」

 

マンハッタンカフェ「そうなんですか。後で見せてもらいますね」

 

 

斎藤T「――――――」ビチャビチャビチャ 

 

斎藤T「――――――」スクッ

 

斎藤T「――――――」バチャバチャバチャ

 

 

アグネスタキオン「やあ、随分と待たせたものだねぇ」

 

マンハッタンカフェ「おつかれさまです」スッ  ――――――バスタオルを渡す。

 

斎藤T「ああ、ありがとう……」フキフキ・・・

 

アグネスタキオン「どうしたんだい? また厄介な幻覚でも視えたのかい?」

 

斎藤T「まあ、シンボリルドルフ卒業後の最初の1年で大体の方向性が決まるらしいから、これからも死ぬほど大変だから今後もよろしく」

 

マンハッタンカフェ「そうですか。それは何とも……」

 

アグネスタキオン「そうかい。まあ、これまでだって時間を巻き戻すほどの不可能に挑戦し続けてきたんだ。今度もまたなんとかなるだろうさ」

 

斎藤T「それと、すでにもうチームみたいなものだけど、正式なチームを結成することにした」

 

斎藤T「というより、これからはトレセン学園の生徒たちが 万遍なく競走ウマ娘としての価値を発揮できるように これまでとは異なる発展的なチーム制度を導入することになるそうだ」

 

斎藤T「だから、クラブ活動とは別の団体活動にも精を出してもらうことになる」

 

マンハッタンカフェ「すると、斎藤Tを中心に集まったトレーナー陣によるチームになるわけですか?」

 

アグネスタキオン「実績だけ見れば サブトレーナーだったきみの実績を含めて全員がG1勝利者の 最強のトレーナー陣だねぇ」

 

斎藤T「いや、吾妻Tがすでにチーム<デネブ>を率いているし、飯守Tに至っては4年目ということで新しい担当ウマ娘を決めないとだろうし、表向きはそれぞれ好きなトレーナーチームに所属して、トレーナーとして最善の仕事をこなしてもらいたい」

 

斎藤T「私が言いたいのは、これまでの数々の事件を対処してきた私たちの活動を学園非公認チームとして組織化させようと言うことで、正式にチーム名を決めたんだ」

 

アグネスタキオン「ほう? いよいよ、名もなきトレセン学園地球防衛組(仮)にも名がつけられるわけだね?」

 

マンハッタンカフェ「では、そのチーム名をお聞かせください」

 

斎藤T「うん。名前自体は前々から決まっていたけど、こんな感じ」

 

 

――――――かつてアンドロメダ座とペガスス座の両方にまたがって所属していた2.06等星に因んで、チーム名はチーム<アルフェラッツ()>だ。

 

 





怒涛の展開の数々で頭が混乱して恐縮だが、これが作者が思い描く独自のシチュエーションで起こり得ることへの思考実験として訊ねてみたいことがある。

シンボリ家の惣領娘として生を受け、競走ウマ娘として比類なき実績を打ち立てながら、自身は空っぽであると自嘲する“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの孤独に対して、
その孤独を確実に埋められる唯一の答えである()()()()()()()について正直な考えをアンケートで答えてもらいたい。

現実にはありえないことをさも当然のようにやりこなせる自称:未来人の頭のおかしい新人トレーナーが何でも願いを叶えてくれるという絶対の信頼の下――――――、
愛する人が未来世界からやってきた人造人間であり、メモリを無事に回収できたのでボディを修復できれば復活できるかもしれないという希望が与えられたものと考えて欲しい。
人造人間は表層的な生物学的特徴は完全に再現できるため、男女で愛し合うことも絶頂を迎えることもできるぐらいなのだが、子を成すことができないものとする。
そして、血統を残すお勤めがあるウマ娘の名家の令嬢の卒業後の人生に、この人造人間は必要だろうか。不要だろうか。忘れ去るべきだろうか。


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◆世界線概要:ウマ娘超光速戦記 -TACHYON Transmigration- 


注意:王道スポ根学園ラブコメ…× 『ウマ娘』の世界を駆ける奇妙な冒険譚…○

本作は『ウマ娘 プリティーダービー』の世界観とタイムリープをテーマにした作品となり、
ゲーム本編の舞台であるトレセン学園や競バ場以外の広い世界を描き出すものとなります。
そして、原作の世界観にそぐわない伝奇SFの導入と原作の世界観を独自解釈した独自設定を多く盛り込んでおります。



 

●見かけ上の世界線

【挿絵表示】

 

これがタイムリープをテーマにした本作の物語の基本構造であり、本作の土台となる世界線は単純に『異世界転移者が元いた世界』と『転移先の異世界』の2つにすぎない、極めてオーソドックスな異世界転生ものを下地にしている。

しかし、並行宇宙からの侵略者によって暗黒時代を迎えた未来世界からの過去改変がすでになされている異世界に転生してきたのが別の並行宇宙の時間軸において更なる未来からやってきた宇宙移民船のエンジニアというのが物語の特徴となる。

一方、異世界転生ものの常として異世界転生者である“私”の出身世界である西暦23世紀の宇宙時代の世界線を舞台にすることはないため、“私”という人物のキャラ付けのためのフレーバーテキスト(裏設定)になっている。

 

さて、原作『ウマ娘 プリティーダービー』においてはマンハッタンカフェやマチカネフクキタルの育成ストーリーに登場した現代科学では解明不可能(スピリチュアル)な怪異が跋扈しており、

アストンマーチャンやエアシャカールの育成ストーリーに至っては史実の競走馬の運命に魂を引かれたウマ娘の宿命が大きく関わってきている。

そこで本作では様々な現象で現れる怪異がヒトとウマ娘が共生する世界に災厄をもたらそうとしている情勢で“斎藤 展望”に転生することなったことで、それらの災厄と対決して異世界を守り抜くことが物語の目的となる。

また、原作『ウマ娘 プリティーダービー』がアストンマーチャンやテイエムオペラオーの担当トレーナーがさらりととんでもないことを次々しているのにならって、なんでそれができるかなどは結果だけを提示して想像にお任せするとして、

世界を救える存在であることを前提にして あまり話がクドくならないようにしながら 星の海を渡る宇宙移民の未来人から見たウマ娘の異世界に対するセンス・オブ・ワンダーを追求している。

特に、本人はウマ娘ではなくウマが存在する世界線の人間であるのだが、あまりにも価値観が違いすぎる上に近代競馬そのものに馴染みがない23世紀の未来人だからこそ、21世紀の文字通り200年は時代遅れの価値観や水準に常にイライラさせられる立場にあり、

更には、23世紀の宇宙時代の文明人としての矜持があるからこそ惑星統一国家が樹立していない未開惑星に対する過度な干渉を控えることにもなっているので、国家観のちがいもあって非常にもどかしい気持ちで世界情勢を憂えている。

他にも、このままだとWUMA襲来の絶望の未来がやってきてしまうことがその絶望の未来からやってきた賢者ケイローンの時間跳躍によって確定しているため、

絶望の未来に繋がる因果を断ち切るほどに世界を変革させるタイムパラドックスを引き起こすことが第一の目的となっており、

その具体的な手段の1つとして、国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』において予言書『ウマ娘 プリティーダービー』には予言されていないウマ娘レースの革新や伝説を打ち立てる算段が立てられている。

これが『甲種目標』に設定されていて、無名の新人トレーナー“斎藤 展望”としてトレセン学園のトレーナーとして担当ウマ娘を勝たせなくてはならないことの最大の理由付けとなっている。

ただし、トレーナーとしての職能力は付け焼き刃に過ぎないため、行き場をなくした実績あるトレーナーたちを陣営に引き入れて具体的な指導は調教師(トレーナー)に丸投げにする馬主(オーナー)の立場になっており、

ウマ娘を指導するトレーナーの選択肢の幅を広げるための陣営の運営や戦略の面で辣腕を発揮し、ウマ娘を育てているのではなく、ウマ娘レースに参加するウマ娘もトレーナーも関わった全てをまとめて立派な人間に育て上げることを至上としている。

 

 

 

●“皇帝”と“皇帝の王笏”と“天上人”と“BNW”の物語

本作における“皇帝”シンボリルドルフの最強伝説は実はタイムリープによって3周目によって成し遂げられたインチキだったという設定となっており、

それもそのはずで、絶望の未来でWUMAによって支配層に引き上げられたウマ娘にヒトが虐げられる未来世界で生まれ育ったレジスタンスの工作員がタイムリープしてきた際、未来世界では完全に廃れていた近代ウマ娘レースのトレーナーを基本のキも知らないド素人がやろうとすればこうもなろう。

ただ、ヒトとウマ娘の共存共栄を夢見る理想の純粋さと切実さは真に迫るものがあり、“皇帝”シンボリルドルフが求めた“ヒトとウマ娘の統合の象徴”たろうとする自身と視座を同じくできる存在だと理解できる凄みがあったため、シンボリルドルフの強さに牽引されながら新人トレーナー未満のトレーナー詐称の“皇帝の王笏”の波乱の人生が時間を巻き戻されたことで 三度 繰り返されることになった。

 

1周目の戦績は有馬一族の御曹司である同期の“天上人”鐘撞Tがシンボリルドルフ打倒という興行のために送りつけた“BNW”にウマ娘一人の才能を凌駕する戦略でクラシック戦線で完敗を喫することになった。

というより、“天上人”鐘撞Tの手腕がまさにどんなウマ娘であろうと勝たせる神域のそれであり、同期の新人トレーナーとしての力量はまさに天と地ほど差があったのだ。

そのため、鐘撞Tが世に送り出した“BNW”に完敗した1周目では、シンボリ家のウマ娘として、あるいはその担当トレーナーとしての評価は地に落ちることになったのだが、

シンボリ家のウマ娘として勝つこと以上にもっと大切なことを1周目で余すことなくやり続けたことで、結果として“グランプリ三冠バ”となって“クラシック三冠”を分け合った好敵手“BNW”全員を打ち負かすことに成功し、その実績だけで十分に最年少の生徒会長として黄金期に君臨する“皇帝”の座に返り咲くことができたのだ。

シニア級で栄光を掴んだ生き様は“黄金世代”のキングヘイローや“覇王世代”のメイショウドトウの活躍に勇気づけられたものであった。

ところが、生徒会総選挙で満場一致で生徒会長に就任した後の事実上の引退レースとなるアメリカ遠征『サンルイレイステークス』でついに未来からの刺客が現れ、帰りの飛行機を容赦なく撃ち落とす凶行から日本に帰ることができずアメリカ中を逃げ回ることになってしまう。

そこでの逃亡生活の中で初めて“皇帝の王笏”の正体が未来人であることが語られ、その時空を超える使命感の裏側に隠されてきた一人の人間のありのままの本心に触れることで、不安が募る中で互いを慰め合うように2人は結ばれることになった。

最終的にアメリカ横断の末に辿り着いたマンハッタンに出現した超時空戦艦:ジパングに拿捕され、

世界が大混乱に陥る中、“皇帝の王笏”は愛する人と世界を救うために自らを犠牲にして超時空戦艦:ジパングを轟沈させ、沈みゆく艦と運命を共にしたのだった。

マンハッタンの桜が散る中、一人取り残された少女の涙の叫びに呼応するかのように悪魔の眷属が目の前に現れ、最愛の人を失ったばかりの傷心に苛まれる少女は誘われるように悪魔の契約を結び、時間が巻き戻る――――――。

 

結果、1周目ではシンボリルドルフを理想の面でしか真っ当に導けない素人トレーナーのせいで神域の新人トレーナー:鐘撞Tが刺客として送り出した“BNW”にクラシック戦線で完敗を喫したのと比べて、

双方の記憶と経験が朧気ながらも継承されていたことで2周目は『菊花賞』の最後の関門で本気を出した“天上人”鐘撞Tが担当する“万能”ビワハヤヒデに惜敗して“無敗の二冠バ”止まりになったものの、競走ウマ娘としては格段なる進歩があった。

しかし、『宝塚記念』は出走回避となって“三冠バ”ナリタブライアンすら返り討ちにした『有馬記念』の後の年末年始で超時空戦艦:ジパングが東京湾に現れたことで“また”最愛の人を失うことになり、

関東大震災や東京大空襲の再現ともなった被害規模の惨劇の後に復興の道を歩むことになった情勢において抜群の指導力を発揮したことで満場一致で最年少の生徒会長となったものの、

日本を救った英雄として称えられたところで最愛の人を失ったことで空いてしまった穴は埋まることはない。

やがて、シンボリ家の使命でもある海外遠征の話に繋がり、事実上の引退レース『サンルイレイステークス』へと誘われることになった。

そこでの空虚な敗北と繋靭帯炎の発症の徒労感から微睡みの中で揺らされるアメリカの道を走る振動から段々となかったことになったはずの1周目の絶望を思い出していくことになり、

そこで全てを思い出して またしても最愛の人と死に別れてしまった絶望から悪魔の契約を発動させて時間を巻き戻してしまうのであった――――――。

 

そこから始まる3周目の世界こそが本作の舞台となる“最強の七冠バ”シンボリルドルフの世界というわけであり、“天上人”鐘撞Tが刺客として送り込んだ“BNW”に対して完全勝利を収め、黄金期の精神を継承する無名の新人トレーナー“斎藤 展望”が最後の最後に現れることができた世界線ということになる。

なぜ3周目で事実上の引退レース『サンルイレイステークス』から先の時代に進むことができたのかと言えば、神罰であると同時に救済として、絶望の始まりである超時空戦艦:ジパングの襲来が『宝塚記念』の後の夏季合宿の時期まで早まったからであり、

シンボリルドルフの絶望と世界の絶望が重なり合って成立した悪魔の契約で時間を巻き戻している以上、シンボリルドルフの行く所に超時空戦艦:ジパングが時空を超えて現れては最愛の人を道連れにしていく因果は確定してしまっている。

しかし、シーズン前半に最愛の人を失ってしまったシンボリルドルフを支えて翌年の『サンルイレイステークス』から先の時代に進めるだけの精神力を持つに至ったのは、

何を隠そう、“皇帝”シンボリルドルフのウマ娘レースで最大の敵役となって名勝負を盛り上げてきた黄金期の三巨頭たる“天上人”鐘撞Tの存在のおかげであり、

シーズン後半には不治の病で『トゥインクル・シリーズ』から退場してしまう因果にあったのだが、3周目では最愛の人の別れが早まった分だけ盛り上げ上手の鐘撞Tからの励ましを受けられる時期を享受することができたのだ。

その上で恩人となった鐘撞Tの退場を見送ることになったことで時間的余裕も相まって人間性が大きく成長できたからでもあり、決して3周目ということで無自覚に最愛の人との別れに慣れてしまったというわけでもない。

むしろ、周回によって記憶と経験が持ち越されていることに悪魔の契約を結んだシンボリルドルフ当人は『サンルイレイステークス』の後にようやく1周目での出来事を思い出す鈍感さのままであったのに加えて、

三女神の導きか、悪魔の契約の対象にされた“皇帝の王笏”の方が元から時空を超えてきたこともあって段々と自身に定められた因果を予感として理解するようになっていた。

それにより、3周目の超時空戦艦:ジパングの襲来においては目隠しを外さずにシンボリルドルフを真っ先に脱出させた後に、南西諸島をめぐる豪華客船に乗り合わせていたその他大勢を道連れにすることで超時空戦艦:ジパングの存在が世間に明るみになることがなくなり、

世界の絶望とシンボリルドルフの絶望が重なり合うことで『サンルイレイステークス』の後にシンボリルドルフが全てを思い出して絶望することで時間が巻き戻される因果を断ち切ったのだ。

 

 

そうして3周目でようやく始まったのが生徒会長:シンボリルドルフによる黄金期後半の3年であり、秋川理事長による新設レース『URAファイナルズ』開催宣言であった。

 

 

 

●光と影の世界と可能性の世界

【挿絵表示】

 

1周目での超時空戦艦:ジパングの襲来によってマンハッタンを壊滅に追いやられた世界の絶望と一人の少女の絶望が重なり合って悪魔の契約が成立したことで、そうして一人の少女の時間が巻き戻るのだが、

ここで超時空戦艦:ジパングによるマンハッタン襲撃の衝撃と未来人による現代社会への宣戦布告によって世界は震撼し、その絶望がシンボリルドルフが結んだ悪魔の契約と共に世界を光の世界と影の世界へと分裂させる大きな希望になってしまった。

世界が絶望に満ちた時、人々は自らの行いを後悔し、もしも叶うのならば人間の善性の極限まで達した人生や世界を願ったことで、人間の普遍的無意識のポジティブな領域が極大化したのだ。

言い換えれば、世界中の人間が絶望に直面した際に『こんなことになるんだったらこうしていればよかった。ああしていればよかった』と一斉に現実逃避したことで、人間の普遍的無意識のポジティブな領域が極まった可能性の世界が導き出されたのだ。

そのため、シンボリルドルフに悪魔の契約を迫ったのが“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身になるわけであり、それによってポジティブの領域が完全に優位な世界が宇宙に誕生したことによって、

宇宙がポジティブとネガティブのバランスをとるために“虹の彼方の者(rainbow chaser)”と対になる人間の普遍的無意識のネガティブな領域が支配的な“影の支配者(real mastermind)”の世界が生み出されることになったのだ。

これが世界が分裂して誕生した光と影の世界の起源であり、全ての始まりは可能性の世界を生み出すほどに超時空戦艦:ジパングが襲来した絶望であることから、

極大化したポジティブを引き起こしたネガティブの極みをどうにかしないことには、その時点で超時空戦艦:ジパングが襲来するという世界の絶望の因果と“皇帝の王笏”が自らを犠牲にして未来人の侵略を阻止するという一人の少女の絶望の因果もまた確定しているため、

どれだけ時間を巻き戻そうとも“皇帝”シンボリルドルフが世界を救うために最愛の人と離別する運命は変わることがないのだ。

更に、最愛の人との時間を取り戻す悪魔の契約を結んだとしても所詮は悪魔の眷属がすることなので肝腎のタイムリープが完全ではなく、朧気ながら感覚として憶えている程度しか2人の記憶が次の周に引き継がれないのだ。

そのため、なんとなくこうすると上手くいく/上手くいかないという直感が冴え渡るものの、悪魔の契約によって時間を巻き戻して最愛の人との時間を取り戻すついでに『トゥインクル・シリーズ』での戦績が上がっていく代償として、神罰として時間を巻き戻す毎に超時空戦艦:ジパングが襲来する時期も前倒しになってしまうという始末。

同時に、シンボリルドルフの卒業後の進路がアメリカ留学になるのも、1周目での逃走生活の中で愛し合った思い出が魂に刻まれているからこそ、無意識にアメリカに懐かしさを覚えるようになってもいた――――――。

 

そして、“虹の彼方の者(rainbow chaser)”によって時間が巻き戻される光の世界と“影の支配者(real mastermind)”が支配する影の世界は 文字通り不即不離の光と影の関係となって それぞれ存在することになった。

 

ただし、2つの世界は並行世界として完全な独立関係にあるのではなく、1周目の世界を基底として光の世界を繁栄世界とし、影の世界を衰退世界として、世界の壁を超えて因果が結ばれている世界群(cluster)を形成しており、

実は、光の世界でシンボリルドルフが時間が巻き戻す際に不要な因果や不都合な因果を悪魔の眷属が影の世界に追いやることで次の周の結果を良くしていた裏があるため、

周回を重ねる毎に光の世界でのシンボリルドルフがウマ娘レースで栄光を掴むことができるようになる一方で、そのツケを影の世界のシンボリルドルフが背負わされる羽目になっていた。

因果の流れを詳細に見ると、基底となる1周目の世界でこれが良かったと思う因果は2周目となる光の世界に引き継がれ、これは悪かったと思う因果は新たに産み落とされた影の世界に選別され、

2周目の時間が巻き戻る際に、光の世界でこれは良くなかったと思う因果は影の世界へ、同じように影の世界でもこうあって欲しいと思う因果は光の世界へと継承されるため、

3周目はそれによって輪をかけて光の世界は理想世界に近づき、影の世界は爛れきった世界へと腐りきっていくわけであり、光と影のそれぞれの“斎藤 展望”が目撃してきた第3の可能性の世界とはその結果のものなのだ。

よって、世界の壁を超えることができなければ時間が巻き戻しても事象を変えることができない世界群の因果に縛り付けられることになるのが光と影の呪縛ということになる。

 

可能性の世界は光と影の世界と極めて近い位置に存在するだけの別世界に過ぎないが、ある観点からの関連性は極めて高いため、世界の壁を超えることができれば訪れることができるもしもの世界(想像の範疇)である。

しかし、誰にとってのもしもの世界(想像の範疇)なのかと問われれば、“特異点”である“斎藤 展望”の印象によるものであり、

ヒト社会に参画するウマ娘という異種族の光明面を見てきた本編世界の光の世界の“斎藤 展望”の場合、“永遠なる皇帝”シンボリルドルフに代わってトレセン学園の中心となれる人物の可能性について焦点が当てられていた。

一方、通信報告においてウマ娘という異種族の暗黒面である野蛮さに辟易することになった影の世界の“斎藤 展望”の場合は、貞操を固く守っている賢人として敬愛している“傾国の皇帝”シンボリルドルフの為人がちがってしまった場合の可能性がテーマになっていた。

どちらもトレセン学園の顔役が“皇帝”シンボリルドルフではなかった場合の可能性を意識していたが故の可能性の世界への異世界探訪であったわけなのだが、

この微妙なニュアンスのちがいは、黄金期を迎えて総生徒数2000名弱まで成長していながら生徒を導くトレーナーの数が尋常ではないほどに少ない状況の影の世界においては深刻な人材不足で光の世界のように協力者が集まらない分、“皇帝”シンボリルドルフ一人に傾けられる意識の割合が大きくなっているからである。

その意味では影の世界では『まともなウマ娘はシンボリルドルフぐらいしかいない』という認識だからこそ、光の世界のようにシンボリルドルフ以外のウマ娘が黄金期を牽引することになったらどうなるのかの想像の余地が育たなかったわけである。

 

また、世界ごとにトレセン学園に所属するウマ娘やトレーナーが異なる理由は『そういう可能性の世界だから』で済むわけだが、1つの世界が分裂した光の世界と影の世界に関しては因果関係がはっきりしており、

『サンルイレイステークス』を超えた先の黄金期後半から登場した才羽Tが影の世界には存在せず、才羽Tの皮を被った“影の支配者(real mastermind)”の化身である非実在人間“半人半霊(エンティティ)”が存在する理由は、光と影の世界が元は1つの世界であったのが分裂して繁栄世界と衰退世界となった結果である。

なぜなら、基本的に光と影の世界は同一人物や同一事象による鏡合わせによって宇宙全体のポジティブとネガティブが保たれてるため、

それだけ才羽Tが光の世界の住人として圧倒的なまでの太陽のごとき存在であるからこそ、影の世界の住人にそれに対抗しうるネガティブの化身がいないことから妄念妄想の塊である非実在人間“半人半霊(エンティティ)”によって埋め合わせがなされているのである。

そこからポジティブとネガティブのバランスが光と影の世界で独立して保てるようになった時、言い換えれば“虹の彼方の者(rainbow chaser)”と“影の支配者(real mastermind)”の影響力が拮抗するようになった世界は独立した関係となって互いにとっての可能性の世界として存続することになる。

 

 

 

●悪魔の眷属:シンボリックリンク”の悪足掻き

本編において“虹の彼方の者(rainbow chaser)”の化身であるシンボリックリンク”が卒業前に契約者であるシンボリルドルフに接触してきた理由は至極単純で、悪魔の契約の目的であった時間の巻き戻りが不要になることで自身の存在が忘却されることを回避するためである。

悪魔にとって契約が不要なものになって忘れ去られることは存在の死を意味するため、それは悪魔の眷属であるシンボリックリンク”も同様で、

更には、その核になるのがシンボリルドルフの母親:スイートルナに横恋慕していたがために愛する人の子への愛情でもって自身のスイートルナへの愛情の深さを証明しようとするシンボリルドルフの叔父さんの妄念妄想なのだから、それはもう必死である。

用意してきた“置き時計(アストロラーベ)”はまさしくシンボリルドルフの絶望と世界の絶望をシンクロさせて契約者であるシンボリルドルフに時間の巻き戻りを願わせるために異なる時間を合わせる悪魔の装置であるが、

これ自体は通常の時計盤を現在世界として、天体時計の星辰の位置によって異なる時間帯を掛け合わせることで“置き時計(アストロラーベ)”の有効範囲にいる人間に異なる時間帯での出来事を追憶させる装置に過ぎない。

つまり、悪魔の眷属らしく“置き時計(アストロラーベ)”を悪用しているわけであり、言葉巧みに精神に揺さぶりをかけて時間をまた巻き戻して最愛の人と添い遂げられる未来を再構築するように誘惑してくるわけなのだが、

時間を巻き戻して前回よりも自己の利益の最大化を促進させた場合は神罰が下って超時空戦艦:ジパングの襲来が更に前倒しになることを理解していないか、あるいは自身の存在の死を回避するために本能的に理解を拒んでいるせいで、

仮にシンボリルドルフが誘惑に負けて4周目に突入してしまった場合は、仏の顔も三度まで、次はクラシック戦線の時期に超時空戦艦:ジパングを襲来させて『トゥインクル・シリーズ』に壊滅的打撃がもたらされるはずであり、ウマ娘レースでの栄光をつかむどころではなくなってしまうのだ。

なので、悪魔の契約を交わしたシンボリルドルフが4周目を望もうが望むまいがスイートルナを相当に美化した姿に擬態した悪魔の眷属:シンボリックリンク”の邪念は3周目で三女神の神罰によって息の根を止められる運命にあった。

つまり、三女神の神罰は悪魔の契約で繰り返されるタイムリープに永久に囚われることになった子々孫々たるウマ娘を解放するための救済でもあった。

 

 

 

●可能性の世界だけ存在する“特異点”

この世界は1つの壮大な歴史ドラマであり、そこで生きるひとりひとりに役者としての役割があるとする。

つまり、そのドラマを演じるに当たって登場人物(character)役割(role)役者(actor)の組み合わせが存在することになる。

本作ではヒトとウマ娘が共生する異世界で不慮の事故に遭った無名の新人トレーナー“斎藤 展望”に成り代わった存在こそが、23世紀の宇宙移民の宇宙船エンジニアの“私”だったわけなのだが、

それはたまたま光と影の世界である“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの世界や“傾国の皇帝”シンボリルドルフの世界での配役がそうだっただけで、

全ての可能性の世界で“斎藤 展望”という登場人物(character)役割(role)を果たせるのなら役者(actor)は“私”である必要もないわけなのだ。

要は、“特異点”だから“私”が“斎藤 展望”に転生したのではなく、その可能性の世界における“斎藤 展望”の役割(role)を果たせる役者(actor)が“私”だったから本作の“特異点”となっているわけであり、

明言こそしないが、もしかしたら“有機皇帝”シンボリルドルフの世界の“斎藤 展望”の中の人はちがう人かもしれないし、そうでないかもしれない――――――。

現に、光と影の世界に転生した並行世界の“私”という同一存在同士であっても、異世界で体験してきたものや置かれた状況が異なることで、ウマ娘という異種族やその異文化に対する印象が大きく異なっているわけであり、この時点で完全な同一存在であっても完全な同一人物とは言い難い差が生まれつつあるわけなのだ。

つまり、世界を1つの舞台にした壮大な歴史ドラマの尺度から見て登場人物(character)役割(role)を果たせる役者(actor)が演じたなら、誰でもその登場人物(character)その人となって同一人物に当てはまるのだ。

物語の構造上において重要なのは役割(role)であり、登場人物(character)の設定という表面的なものこそ、演じる役者(actor)の個性の表現となってくるのだ。

 

 

 

 



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第1部 春季:エクリプス・フロントを制する者こそ -新時代の幕開け-
第1話   春のファン大感謝祭で皇帝に相見える名誉は新世代に


-西暦20XY年04月06日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

新年度となり、いよいよ国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台であるトレセン学園に新入生たちが希望に胸を膨らませて入学許可証を片手に3月に学生寮に続々と入寮し、入学式の日を盛大に迎えた。

 

しかし、ウマ娘レースは日本の学制とは異なる1月からの年度制を採用している他、年中休日にはウマ娘レースの興行がびっちり組まれている以上は、誰かしら毎週のように中高一貫校としてのカリキュラムや学校行事を公欠せざるを得ないため、

 

トレセン学園の生徒の本分たるウマ娘レース;特に重賞レースへの出走を最優先にしたカリキュラムや学校行事が組まれており、それでもレースの日程が被ってしまった場合は学校行事への不参加を受け容れなければならない。

 

それは圧倒的な入試倍率の最初の関門を突破した選ばれた受験生たちがトレセン学園の一員となったばかりの4月からそうであり、

 

4月初週にティアラ路線の初戦となる『桜花賞』、第2週にクラシック路線の『皐月賞』が連続する他、土日の全てが重賞レースの予定が詰まっているため、それに出走する生徒としては学校行事に参加する余裕などなかった。

 

それでも、黄金期を迎えて総生徒数2000名弱は在籍しているため、最大でも18枠しかないウマ娘レースに様々な理由で出走することのない生徒たちが学園に残っているというわけで、そういったウマ娘レースに出走しない大勢の生徒たちの手によって学校行事は執り行われるわけである。

 

そのため、ウマ娘たちにとっては一生に一度の『トゥインクル・シリーズ』の憧れの王道路線となる月半ばのクラシック三冠路線の初戦『皐月賞』まではトレセン学園に慣れてもらうことや新入生たちを歓迎すること、一生に一度しかないクラシック級の重賞レースの挑戦を最優先にし、

 

4月前半の2週間はリオのカーニバルのごとく祭り一色の『春のファン大感謝祭』期間として模擬店などを出しつつ、新人大歓迎のレクリエーションとして各種競技や模擬レースといった催しに力が入った体育祭としての側面が強く、来場者の内訳も新入生たちの父兄やトレセン学園と馴染み深い地元の方々が大半を占めているのが特徴である。

 

ちなみに、これと対になる『聖蹄祭:秋のファン大感謝祭』は体育祭に対する文化祭であり、府中市を代表する学園祭として全国的にも有名な観光スポットになるため、日本全国から来た観光客や来年に受験する入学志願者の割合が一気に増える。

 

 

そんな中、新年度を迎えて いよいよオープンとなったのが 先月 卒業を迎えた“皇帝”シンボリルドルフの栄光を称える記念碑となるトレセン学園附属高層施設:エクリプス・フロント(地上10階・地下1階建て)である。

 

 

エクリプス・フロントはURA傘下の管理会社が所有する施設であり、同じURA傘下の中央トレセン学園との連携を目的にした設計思想のため、将来的な学園内の整理や効率化も兼ねて歴史博物館や展望台、図書館や会議室、警備会社の詰め所、データセンターや倉庫などが置かれているが、

 

更なるトレセン学園とウマ娘レースのPRと収益のために、『トゥインクル・シリーズ』のサテライト会場やアンテナショップも営業することになり、シアタールームを兼ねた多数の会議室や最上階のスカイレストランなどを観戦席として提供する試みがなされていた。

 

また、府中市は総生徒数2000名弱の全寮制のトレセン学園の存在によって学園都市となっている他に、東京競バ場も存在する、まさにウマ娘レースの聖地となっているだけに、トレセン学園や東京競バ場における交通量の激化は昔から都市問題となっており、

 

前々からお偉方からの要望だった交通規制緩和のために屋上のヘリポートからエクリプス・フロントを経由して学園を訪れるルートもこうして実現することになった。

 

そのため、エントランスは地域住民との交流や生徒の利用がしやすい作りとなっており、学園とエクリプス・フロントを繋ぐ道は全寮制であるトレセン学園の通学路の1つとして色分けされることになり、更には民間警備会社のERTが巡回することになり、地域の治安維持の強化も積極的に行われることになった。

 

この学園とエクリプス・フロントを繋ぐ通学路というのもなかなかおもしろいもので、歩道・ウマ娘専用レーン・車道としてしっかりとガードレールで分離されて3分で着くようになっている他、必要ならばERTがバスを出して学園まで送ってくれるようにも取り付けているというのだ。

 

 

さて、私は乙種計画に基づいて自身の夢である『宇宙船を創って星の海を渡る』ことのために、トレセン学園が日本最高峰にして世界最先端のトレーニング環境を提供することを是としていることに注目し、ここを市場にして技術革新を推進しようとしていた。

 

そのための足掛かりとしてトレセン学園では重視されていないクラブ活動を利用することにし、私の開発室で続々と実用化されている新発明のモニターを募集して運用データを集めることを趣旨とした新クラブ:ESPRITをシンボリルドルフの口利きで創部させることに成功した。

 

そして、今年度オープンしたばかりのエクリプス・フロントの多目的ホールを部室として与えられ、私の開発室を擁している某重工のソリューションサービス部の詰め所も併設することになり、施設の保守管理業務を日常としながらモニター業務を展開することになったのである。

 

そんなわけで、ESPRITの活動を知って多くの学園関係者がモニターになってもらうために、学園側の希望に則って『春のファン大感謝祭』を最大限に利用してエクリプス・フロントに多くの生徒たちを訪れてもらうべく、様々な宣伝活動を実施することになった。

 

しかし、元から不人気の課外活動の選択肢の1つに過ぎないクラブ活動をしているぐらいならレースで勝つためのトレーニングを望む生徒が大半のトレセン学園で文化系クラブ活動では誰にも興味を持ってもらえないのは明白。

 

そのため、私はエクリプス・フロントの公式サイトや宣伝広告などの一切合切をトレセン学園修業式の後の春休み;オープン前の準備期間に自然な流れで現場の総指揮を取って監督し、エクリプス・フロントで働く全ての人たちを味方につけておくことに成功した。

 

その中でヘリポートからお越しになるお偉方にも私のところの開発室の新発明を逸早く触れてもらえるようにカタログや実機を置いてもらえるようにしてもらったし、私の夢へと繋がる商機の仕込みは万端である。

 

 

すなわち、トレセン学園の新時代の象徴であるエクリプス・フロントの王に“斎藤 展望”は昇りつめたのだ。

 

 

そして、地道で効果的な宣伝活動でトレセン学園校舎や学生寮にエクリプス・フロントの広告が行き渡り、『新年度からそんな場所がオープンになるんだ』という共通認識を学園中に植え付けた後に、一気に学園の誰もが飛びつくような とびっきりの企画をもってくるわけである。

 

その最大の目玉となったのが、“最強の七冠バ”シンボリルドルフと観戦するアメリカのサンタアニタ・ダート・9ハロン『サンタアニタダービー』の同時視聴プログラムであり、卒業したばかりの“皇帝”シンボリルドルフとリモートながら時間を共にすることができる またとない機会が提供されたということで大きな話題を呼ぶことになった。

 

もちろん、『春のファン大感謝祭』真っ盛りということで学園施設のほとんどが他の企画や出し物で埋まっているのだから、自然な流れでオープンしたばかりのエクリプス・フロントのサテライト会場でしか体験できなくなっているのだ。

 

 

更に、アメリカ/サンタアニタ(西海岸)と日本/府中の時差は16時間;つまり、『サンタアニタダービー』開催が20XY年04月06日16時ならば、日本時間での同時視聴は20XY年04月07日08時の話である。

 

 

そう、日曜 朝8時というヒーロータイムの時間なので まだ一般開放されていない時間帯のため、シンボリルドルフの栄光の記念碑であるエクリプス・フロントにたくさんの生徒たちが一般客が押しかける前の朝の静寂さの中で詰めかけることになり、その日の目標どころか1週間ほどの目標となる来場者数を一瞬で達成してしまったのだ。

 

なぜなら、この同時視聴プログラムの時間帯だけはたくさんの生徒たちにエクリプス・フロントに来てもらうために、本来は上映設備のない場所にもレンタルしてきた大量のモニターを設置しまくったからであり、エクリプス・フロントの隅々まで見てもらうように奥深くまで誘い込むことに成功。

 

更には同時視聴プログラムの司会と抽選で同部屋になる権利には“皇帝”シンボリルドルフにインタビューする権利も与えられているため、入寮したばかりのピカピカの新入生たちは目を輝かせながらこぞって同時視聴プログラムに参加することになり、抽選に当たったら伝説のウマ娘と何を話そうかと大いに盛り上げることになったのだ。

 

こうして今回の『春のファン大感謝祭』の人気投票で堂々の一位を飾った伝説の企画となり、同時にシンボリルドルフの栄光の記念碑であると同時に新時代のトレセン学園の象徴ともなるエクリプス・フロントの華々しい歴史の1ページとなるのであった。

 

 


 

 

――――――アメリカ合衆国 カリフォルニア州 アルカディア市/サンタアニタパーク競バ場

 

 

シンボリルドルフ「やあ、斎藤T! それに、みんな!」パァ!

 

斎藤T「思ったよりも早くに再会できましたね、“皇帝”陛下」

 

アグネスタキオン「ふぅン、これがアメリカの競バ場か。日本のダートは砂だけど、アメリカのダートはまさしく土だねぇ」

 

マンハッタンカフェ「……ここが“お友だち”が呼んでくれた場所」

 

和田T「日本との時差が16時間! そして、東京(夕方)からロサンゼルス(昼前)まで10時間の空の旅! 往復で10万円か!」

 

岡田T「で、ロサンゼルス空港からレンタカーで2時間だもんなぁ。アメリカってやっぱり広いなぁ……」

 

ソラシンボリ「うわっ、本物のシンボリルドルフだ! 本物だよ! ねえねえ!」

 

スカーレットリボン「そうね、ソラ。卒業したばかりなのに、こうしてすぐに会えるだなんて、夢にも思わない驚きの光景よね」

 

斎藤T「では、現地観戦組と同時視聴組にわかれることになりますが、現地観戦組の方々には現地のシンボリ家の方が付き添いになりますので、決して側から離れないでください。ここは日本ではないので犯罪に巻き込まれる危険性が高いですから」

 

ソラシンボリ「はーい」

 

スカーレットリボン「わかりました。引率としての役目を果たします」

 

マンハッタンカフェ「気をつけます」

 

アグネスタキオン「……ああ、見知った顔だねぇ。なら、安心だ」

 

斎藤T「それでは、同時視聴組は収録現場となる近くのホテルの一室で日本トレセン学園との通信を行います」

 

岡田T「わかりました」

 

和田T「トレーナーが担当ウマ娘を置いていくのは気が引けるけど、これも大事な仕事だしな……」

 

シンボリルドルフ「では、ついてきてくれ!」

 

 

まだ『サンタアニタダービー』が開幕する前の午後の西海岸の競バ場に“皇帝”シンボリルドルフがとびっきりの笑顔で出迎えてくれた。

 

正直に言って、先月に卒業を迎えてアメリカに旅立ったばかりなので、そこまで久しぶりには感じられなかったのだが、トレセン学園時代の“最強の七冠バ”の頃とは想像もつかないほどのあどけない笑顔に溌剌とした可愛らしさが溢れ出していた。

 

アメリカの大学は9月から翌5月までの9ヶ月間を一学年制としながら、学期ごとに独立した運用となっているため、たとえば4学期制の大学ならば1年に4回は入学の機会が訪れることになる。これは春学期と秋学期を更に2分割したセメスター制の大学の話である。

 

一般的には2学期制が主流であり、欧米では9月~12月の秋学期が新学期であるため、もっとも新入生が多く入学してくるものだから、桜咲き乱れる春の季節を年度のはじめとする日本とは感覚がまったく異なってくる。新年と共に春学期される1月からの入学者は当然ながら少ない。

 

そして、卒業の時期も2学期制ならば5月と12月となり、決められただけの卒業単位を取得することで卒業資格が認められるため、卒業の時期を見定めて3年半から4年で卒業することが一般的とのこと。

 

また、日本とはちがい、1年に何度かの入学の機会があるわけなので、9月に入学できなければ来年の1月に受験し直せばいいという心の余裕がもてるわけであり、更には大学側もサマースクールを開催して そこから入学することもできるわけなのだ。

 

そういうわけで、3月にトレセン学園を卒業したシンボリルドルフであったが、欧米の年度始めの9月の入学式に合わせる形でサマースクールにも通うことを視野に入れたゆとりのある卒業生活と海外生活を送っており、6年間 トレセン学園の黄金期を導いたことへのボーナス休暇を満喫している最中であった。

 

 

さて、今回の『サンタアニタダービー』の前に、アメリカ競バは日本競バとは何もかもがちがうことから話されなければならない。

 

 

まず、アメリカの広大で多様な特色を持つ国土を1つの枠組みで統一することは不可能であったための連邦制である。

 

そのため、日本のURAをはじめとする各国の競バの統一機関に相当するものがアメリカ合衆国には存在せず、各競バ場のレース日程や施行条件、賞金を決める役割などなど、基本的にそれらは各州ごとの統一機関によって行われているのだ。

 

つまり、連邦制だから国ではなく州がそれぞれの州に属する競バ場を管轄に収めているわけであり、州都に置かれる州ごとの統一機関が運営するトレセン学園を見本にして、各地のレースクラブに州ごとの統一的な枠組みを施行していた。

 

そのため、日本競バでたとえると中央競バというものがアメリカには存在せず、『東海岸』『中央部』『西海岸』の3つの地区に大別される地方競バが日本の中央競バ以上の規模でそれぞれ執り行われているわけなのだ。

 

具体的にはアメリカ国内での競走ウマ娘の年間出生数は2万人弱、開催されたレース数は3万6千回強、レースの賞金の総額は7億9千万ユーロ強と、いずれも世界一ないし世界有数の規模を誇っている。

 

この数字はヨーロッパの競バ主要国であるイギリス・アイルランド・フランス・ドイツ・イタリアの数字を全て足し合わせたものと近いか上回る数字であり、

 

いかにアメリカという広大で肥沃な大地がウマ娘レースを通じてアメリカン・ドリームを体現できる場所かを物語っているわけで、本場ヨーロッパの“貴族のスポーツ”としての競バとは異なる独自の進化を遂げた開放的な“祭り”としてアメリカ有数の人気スポーツに成長している。

 

そのため、日本の中央競バ『トゥインクル・シリーズ』のような枠組みがなくても、アメリカでは地方競バで十分に『トゥインクル・シリーズ』以上の夢の舞台を形成していると言われても信じられることであろう。

 

ただし、日本の地方競バ『ローカル・シリーズ』と直結している地方トレセン学園が中央トレセン学園と比べて常に資金難で小規模かつ設備や制度などで一般大衆から下位リーグ扱いされているように、

 

州ごとの統一機関の直轄となるトレセン学園が州都にしかないのが基本のアメリカ競バの特徴の1つとして、

 

ウマ娘レース業界に参加する敷居が非常に低く、特別な資格などは必要なく『名前と住所を書けば誰でも出走バやトレーナーになれる』とすら言われている反面、

 

誰でも簡単になれるということは、それだけ競技人口の出入りが激しい 想像を絶する 競争社会でもあり、能力の無い者は早々に撤退に追い込まれるのが当然の自由主義経済と資本主義国家の総本山のアメリカらしい風景が拡がっていたのだ。

 

実際、深刻な社会問題として取り沙汰される貧富の格差が激しいだけじゃなく、広大な国土のために移動するだけで高くつく物理的な距離の問題もあるわけで、地域で集約してトレセン学園のようなトレーニング環境を整えることができずに無数に存在する小粒のレースクラブから出走するのが当たり前とすらなっている。

 

そのため、自分の足で優れたトレーナーやウマ娘を各地のレースクラブを渡り歩いてスカウトするのが基本となっており、州都のトレセン学園の役割は そもそも州都に有力な競バ場がないことが普通なのも相まって 両者を結びつけるための総合情報センターに近いものとなっていた。

 

そうした世界有数の億万長者の豊かさの土壌となっているはずの広大な国土こそが、ヨーロッパ発祥の王侯貴族の道楽であった近代ウマ娘レースの性格を一変させることに繋がり、アメリカ競バでのウイニングライブはそこまで普遍的な価値を置かれることはない。

 

というより、日本でならトレセン学園に入学できればウイニングライブの衣装や指導を保証してくれるわけだが、アメリカでは州政府ごとの財政や思想によってウイニングライブに対する考え方がちがうため、着飾る余裕すらない貧困層出身者を気遣ってウイニングライブを廃止するか、無償で指導するか、参加資格なしにするか、代理のダンサーを指名するかなどでいろいろと意見の対立があるのだ。

 

また、基本的に州ごとの統一機関が直轄しているのは州都のトレセン学園だけで、各地の競バ場は州都のトレセン学園を見本にして州の管理下に置かれて運営されている独立の営利組織であり、それぞれが独自の考えを持って経営を行っているわけなので、これまた州ごとにルールがちがうように競バ場ごとにも独自のルールがあるので複雑極まりない。

 

そして、経営難になって他企業による買収や最悪の場合は廃業ということも起こり、近年では西海岸の名門競バ場:ハリウッドパーク競バ場が閉鎖されたことで各界で衝撃を与えることになった。

 

そういうわけで、世界のウマ娘レース業界では現在2つの考え方が若者の中心に広がっており、1つはウマ娘超大国であるアメリカ競バでアメリカン・ドリームを目指すというもの――――――。

 

もう1つはウマ娘天国である日本競バでジャパニーズ・ドリームを目指すというものであり、本場であるはずのヨーロッパ競バに対して、世界は独自の進化を遂げて今なお発展し続けているアメリカ競バと日本競バに大きな夢を見るようになっていたのだ。

 

 

制度のことはここまでとして、次にアメリカの競バ場の特徴についても見ていこう。

 

 

アメリカの競バ場は一般客が利用するメインスタンド・駐車場・レストラン・カフェなどがあり、所属トレーナーやウマ娘の宿泊施設やトレーニング施設などを兼ねる関係者以外立入禁止のバックエリアが構成されているのは地方競バ場とセットになっている日本の地方トレセン学園を想像すればわかりやすいだろう。

 

一方、世界的な経済危機や競バ人気の低下に伴い、経営難の競バ場が行い始めたカジノが併設されていることが増えており、このようなカジノ併設の競バ場をレーストラック(Race Track)カジノ(Casino)を掛け合わせてレーシノ(Racino)と呼んでいる。

 

日本においては公営競技(ギャンブル)であるウマ娘レースだが、堂々と青少年の健全な教育には相応しくない賭博場の代名詞であるカジノが併設されるようになっている辺り、ウマ娘超大国と呼ばれているアメリカの自由主義経済と資本主義国家の有り様がウマ娘たちの青春をカネで汚しているみたいでまったく好きになれない。

 

事実、同じ賭博(ギャンブル)とはいってもウマ娘レースとスロットマシンでは客層が異なり、『レーシノは競バ場の経営改善には役立ってもウマ娘レースファンの増加には役立たない』という意見もあるぐらいだし、同競バ場所属のウマ娘が併設されたカジノでギャンブル漬けになってレースの賞金では返済しきれないほどの借金を背負って破滅した話も聞かないわけではない。

 

さて、アメリカ競バの最も大きな特徴として挙げられるのがダート競走が主流であることであり、芝競走は格が落ちるということである。世界中でダート競走が主流となっているのはアメリカとカナダ、UAE(ドバイ)ぐらいであり、本場であるヨーロッパ競バから完全に脱却した価値観と様式が際立った特徴となっている。

 

また、左回りのコース設定に統一されており、日本の競バ場のコース設定では考えられないような極めて不規則なコース設定も普通に存在する。競バ場を運営している独立営利組織の質もピンからキリまであるので このようなことは日常風景である。

 

しかも、アメリカのダートはまさしく“土”であり、日本のダートの“砂”ではない。アメリカのダートは乾燥するとどんどん硬くなっていき、その反発力から芝と同じかそれ以上に速いタイムが出るわけで、アメリカのウマ娘の屈強な脚力が養われる土壌となっていた。

 

ただし、それだけにウマ娘の脚部に与えるダメージも大きくなるのも当然であり、日本で高速バ場が整備されるに連れて故障率が高まっていることが問題視されているように、他ならぬ西海岸で伝統あるサンタアニタパーク競バ場でもウマ娘の故障率が深刻な問題となるほどであった。

 

そのため、ウマ娘の脚部に優しい人工素材を使用したオールウェザー(All Weather)バ場の開発と整備が急務となっているが導入は難航しており、

 

オールウェザーを導入した『ブリーダーズカップ・クラシック』において、ダートG1競走を6連勝中のダート最強バ:カーリンが凡走し、ダート競走に出走したことのないレイヴンズパスとヘンリーザナビゲーターに上位を独占されてしまったという不自然な結果を受けてオールウェザーに対する反発が強まり、結局は伝統あるダートにバ場が戻されるという事態がアメリカ競バ界で起こり続けたのだ。

 

一方、芝競走はダート競走よりも格下という世界的にも異例の価値観を持つアメリカ競バ界ではあるが、ウマ娘超大国であるアメリカ競バの高額賞金に魅力を感じて海外遠征に慣れているヨーロッパからの名バが続々と参戦するレベルの高い競走も目立つようになり、なんと今年からニューヨーク州で芝の三冠競走が整備されるなどで近年では従来の価値観から一転して芝競走が再評価されつつあるのだ。

 

そのため、アメリカウマ娘レース界隈もまた変革の時を迎えているわけであり、世界的な時代の変化を見定めるべく、“皇帝”シンボリルドルフはウマ娘超大国:アメリカの地に旅立ったわけである。

 

 

しかし、それ以上に重篤な問題がアメリカウマ娘レース界を蝕んでいることはご存知だろうか?

 

 

そう、アメリカ競バを語る上で悪い意味で忘れてはいけないのが禁止薬物を使用するドーピング問題である。

 

1866年にジェロームパーク競バ場が開設された際にニューヨークタイムズの記者が『ジェロームパークではトレーナーを買収したり、ウマ娘にアヘンを投与したりするようなこともない』と評したように、アメリカのほとんどの競バ場では当たり前のように買収や薬物投与が行われていたことがうかがえるわけである。

 

もちろん、格式と伝統のある近代ウマ娘レース発祥の地であるイギリスでは貴族のスポーツとしては考えられないことであり、そのためにウマ娘レース宗主国であるイギリスはダート競走が主流となった植民地のアメリカのウマ娘レース関係者を野蛮人に思うのも無理はない。

 

もっとも、アメリカにおけるスポーツ各界におけるドーピング・スキャンダルはウマ娘レースに限らず、ベースボールでもバスケットボールでもアメリカンフットボールでもどこでも見られたことであり、

 

ここでもアメリカの薬物規制がそれぞれの州でバラバラであり、州によって禁止薬物や閾値が様々であるせいで、実質的にそのちがいを利用して堂々とドーピングし放題な環境になっているわけなのだ。

 

そのあまりにも不均衡かつ不衛生かつ不公平であることから、アメリカ合衆国全土のウマ娘レースの統一機関がないのは先に述べたとおりだが、この薬物投与に関しては全米で同内容・同質の薬物規制を行うことを目指して薬物規制標準化委員会が設立されているが、遅々として改善の兆候は見られないまま いたずらに時が進むばかりであった。

 

そのため、日本の地方競バ『ローカル・シリーズ』が成立したのが1990年のNAU(地方ウマ娘全国協会)グランプリ制度の導入からであり、いかに地方競バ界のそれぞれの独自性や利権を保ちながらの団結に長い時間を擁したように、

 

アメリカ合衆国もまた遅まきながら州ごとにバラバラのウマ娘レースのルールを一元化しようという動きが見られ、この点においてアメリカ合衆国は日本に遅れを取っていると言えた。

 

 

シンボリルドルフ「ここは西海岸の主要3競バ場:ハリウッドパーク、デルマー、サンタアニタパークのうちで、もっとも歴史のある競バ場がサンタアニタパークなんだ」

 

シンボリルドルフ「日本にとっても非常に歴史的意義のある場所で、『ワシントンバースデー』でのハクチカラの優勝によって日本バによる海外競走初勝利となった記念すべき場所でもあるし、」

 

シンボリルドルフ「私個人にとっては最後のレースとなる『サンルイレイステークス』の場所でもあることから決して忘れることができない場所でもあるんだ……」

 

斎藤T「あとは、大井競バ場と友好交流提携を結んで交換競走としてサンタアニタ・ダート・12ハロン・G3レース『東京シティカップ』を開催し、開催日はジャパンファミリーデーと題して日本文化を紹介していますね」

 

岡田T「そして、大井競バ場だと大井・ダート・1600m・S3レース『サンタアニタトロフィー』も開催されて、同時にサンタアニタウィークとしてサンタアニタパーク競バ場に関する日米の交流イベントが行われているわけですね」

 

和田T「――――――交換競走か。あんまり興味なかったけど、いろんな国の競バ場やレースクラブと提携を結んでいたんですね。知らなかっただけで」

 

シンボリルドルフ「これからの時代はウマ娘天国である日本とウマ娘超大国であるアメリカが世界中のウマ娘レースに新たな息吹を吹き込むものだと私は確信している」

 

シンボリルドルフ「これは腹案なのだが、そうした交換競走や国際競走で活躍したウマ娘に特別な名誉を与える制度を考えている」

 

岡田T「ウマ娘としての実力や名誉よりも国際親善などの協調と平和に貢献した人間性に対する名誉の認定ですね。いいと思います」

 

斎藤T「しかし、ウマ娘超大国とは言ってもアメリカのウマ娘レースは実質的にはNAU(地方ウマ娘全国協会)グランプリ制度の導入以前の日本の地方競バ『ローカル・シリーズ』みたいなもので、」

 

斎藤T「アメリカの自由を日本の秩序にもたらすのは日本の地方競バの不均衡を解消する手立てを見つけてからじゃないと破壊と混乱しかもたらしません」

 

シンボリルドルフ「ああ。私の黄金期の実績というのはたくさんのウマ娘に中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台に上がるチャンスを掴んでもらえるように秋川理事長と共に総生徒数2000名弱まで規模を成長させたことにあるわけで、」

 

シンボリルドルフ「それだけに学生寮の奥で塞ぎ込んでしまうような子や早々にトレセン学園から去っていく子も増やすことになったわけで、光と影は同時に大きくなっていって劇的に改善することはできないものだ」

 

和田T「中央集権と地方自治のバランスの取り方の難しさは、そのまま国と州の在り方のちがいにも言えることだから、なんとも言えない話ですね……」

 

 

斎藤T「どうなんですか? 日本のウマ娘が海外遠征に消極的であるにも関わらず、その経済規模がギネス記録になるほどなのに対して、ウマ娘超大国であるアメリカへの遠征は魅力的に感じますか?」

 

 

シンボリルドルフ「……そうとは言い切れないな」

 

岡田T「どうしてですか?」

 

シンボリルドルフ「日本のウマ娘たちはURAによって統一された制度に誰もが従っているわけだから、それ自体が国民全体で共有された一つの常識や文化になっているわけで、所が変われば制度が『ちがう』という世界的な常識に不慣れになってしまった感が否めない」

 

シンボリルドルフ「まあ、それこそが日本最高峰にして世界最先端のトレーニング環境を提供することを是とする日本トレセン学園という日本人の誰もが憧れる夢の舞台の光と影でもあり、」

 

シンボリルドルフ「極東の小さな島国であるからこそ、どこへ行っても日本国内で統一されたルールに則っていることが全て通用するわけだから、非常に親切でわかりやすく居心地がいいと地方ごとに『ちがう』ことが当たり前だった外国人にとっては評判にもなっているわけなんだ」

 

和田T「それもそうですよね。アメリカは国土が大きいからこそ豊かですけど、逆に州政府を導入しないと首都機能(ホワイトハウス)だけで大陸国家を維持できないわけですから」

 

シンボリルドルフ「だから、これは個々人の比較の問題であって、どちらが優れているわけでもなく、劣っているわけでもないんだ」

 

シンボリルドルフ「ただ、どちらの方が自分にとって適しているかを考えて最善だと思われる方向に人生の舵取りができるように選択肢を提示しておくのは提供する側の義務だと考えている」

 

斎藤T「フランスの『凱旋門賞』参戦にばかりこだわる日本ウマ娘レース界の現状を変えるのは容易ではないわけですね」

 

シンボリルドルフ「ああ。日本人の特徴であるこだわりの強さは良くも悪くも継続的で柔軟性や変化に乏しくもなるわけで、新しい価値観の創造に関しては外部からの強い衝撃でしか動かない意固地な面もある」

 

斎藤T「でも、だからこそ、すぐにあっちに目が行ったりこっちに気が向いたりといった気分屋な面は外国人に比べて抑えられているわけなのでしょう?」

 

斎藤T「なら、それでいいじゃないですか。革新派の人間がこうしてたまに日本の国を動かすための努力をしているだけで、日本という国は最小限の努力で最大限の効果を発揮して、黒船来航(1853年7月8日)から15年で大政奉還(1867年11月9日)となって明治維新みたいな流れが実現できるのですから」

 

斎藤T「民主主義陣営の総大将:アメリカだって、大統領選挙は間接民主制で各州での一般投票は大統領選挙人を決めるためのものなのだから、本当の意味で国民全体の過半数を味方につける必要はないのですから」

 

斎藤T「戦国大名の家臣団のように国人衆を束ねている地元の有力者たちを取り込めばその地域の民意は支配したことになるのですから、その地域の民意を体現した人と繋がっていけば最終的に国は盗れますよ」

 

シンボリルドルフ「……それが政治の世界というものか」

 

斎藤T「ええ。私はもう春休みのオープン前の準備期間にエクリプス・フロントで働く人たちとはみんな仲良しですから」ニッコリ

 

 

――――――そして、エクリプス・フロントに空からお越しになる方々もいずれはそうなります。

 

 

シンボリルドルフ「よし、もうそろそろで『サンタアニタダービー』の時間だな。特別ゲストも到着の頃合いだろう」

 

斎藤T「では、最終チェックをお願いします。本番はレース開始10分前」

 

岡田T「わかりました。府中との通信を再開します」

 

和田T「それじゃあ、エクリプス・フロントのアンテナショップで売られている商品を並べておきますね」

 

和田T「今頃、エクリプス・フロントはここから16時間後の日曜朝8時でトレセン学園の生徒になったばかりの新入生たちで所狭しとなっているんでしょうねぇ」

 

岡田T「ああ。『春のファン大感謝祭』で他に場所もないわけだから、自然とエクリプス・フロントで独占配信になるわけだし、オープンになったばかりのエクリプス・フロントの宣伝としてはこれ以上ないものですな」

 

和田T「これは人気投票で一位を狙えるかも!」

 

岡田T「そんなの、余裕だな! 新入生たちの入学と入れ違いで卒業した“皇帝”シンボリルドルフに会えるんだから!」

 

岡田T「まさに夢のような機会だ! それこそが国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台に相応しい!」

 

和田T「うんうん。実質的に担当ウマ娘と一緒にトレーナーを引退したような俺たちにとってはやりがいってものがあるな」

 

和田T「主催はESPRITでも、サテライト会場になるエクリプス・フロントでの司会進行は新生徒会だから、実質的に新生徒会の功績にもなるし、良いこと尽くめだよ」

 

 

トレセン学園としてはサテライト会場による海外競バの同時視聴プログラムそのものは過去にまったくなかったわけじゃない。

 

しかし、ウマ娘レースの興行は基本的には土日の休日でやるのが世界共通であることから国内の人気レースの観戦よりも海外のあまり馴染みのないレースを観戦するのはまったくもって不人気であった。

 

せいぜい、日本でも知名度抜群の憧れの舞台であるフランスの『凱旋門賞』の挑戦があった時に海外レースオタクの有志が同時視聴プログラムのために学生寮で集まるぐらいであった。

 

そうなるのも開催国との時差によって健康生活を志向する生徒たちにとっては不健全かつ学園側から注意を受けるような時間帯に海外レースが結果として行われるせいでもあった。

 

今回の海外レース同時視聴プログラムの大成功はまさに日本のウマ娘たちが同時視聴プログラムに参加しやすい現実的な時間帯での観戦であり、しかも『春のファン大感謝祭』による一般開放を控えている絶妙な時間帯であったのだ。

 

これが一般開放の時間帯で一般客が押し寄せてくる中でエクリプス・フロントに生徒たちが一斉に来ようものなら、それだけで人混みの渋滞に阻まれて円滑に事を運べなかっただろうし、

 

トレセン学園に夢いっぱいの気持ちの新入生たちを可能な限り集めるためにエクリプス・フロントのあちこちにモニターを設置して特別席を用意するという荒業を使うことができなかったわけなのだ。

 

そういう意味では既存の『春のファン大感謝祭』の催しの枠組みの邪魔にならない一般開放前の朝の時間帯の生徒限定企画として『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムは私が想像する以上にうまく噛み合ったものになっており、

 

これこそが時間と空間を超越して先のことを見据えることができるがために一石何鳥にもなる守護天使の尊い導きだと感銘するに至った。

 

 

和田T「スタジオセットの準備はOKです!」

 

斎藤T「では、『サンタアニタダービー』のテレビ放送との画面切り替え! よし!」

 

シンボリルドルフ「特別ゲストの映りはこれぐらいでいいのかな?」

 

斎藤T「そうそう、そんな感じで『“皇帝”の向かいの席に誰かがいる』という画面で」

 

斎藤T「あ、こちら側のモニターのテロップは十分に見えますか?」

 

シンボリルドルフ「うん、ちゃんと見える」

 

シンボリルドルフ「しかし、実際は何の飾りもない真っ白なスタジオなのに、画面上ではこんなに豪華なスタジオになっているわけなのか」

 

斎藤T「うん。ちゃんと小窓から大画面の切り替えもスムーズだな。音声出力の切り替えも問題なし」

 

斎藤T「よし、『サンタアニタダービー』のテレビ放送を無音の背景にして――――――」

 

斎藤T「それでは、マイクテストをお願いします」

 

岡田T「わかりました」

 

岡田T「こちら、サンタアニタ。府中、応答願います」

 

――――――

トウカイテイオー「いえーい! トレーナー! 聞こえてる~?」

――――――

 

岡田T「おお、テイオー! 感度良好! そちらの状況は?」

 

――――――

トウカイテイオー「もうね! エクリプス・フロントに所狭しと生徒たちが入ってスゴイよ!」

 

トウカイテイオー「それでね! 抽選で当選して同じ部屋に入った新入生たちのキラキラした眼の輝きが星みたいなんだ!」

――――――

 

岡田T「そうか。これから“帝王”が“皇帝”を後を継いでその輝きを永遠のものにするんだぞ」

 

――――――

トウカイテイオー「うん!」

――――――

 

岡田T「では、シンボリルドルフ。マイクテストとして何か喋ってみてください」

 

シンボリルドルフ「わかった」

 

シンボリルドルフ「では、テイオー」

 

――――――

トウカイテイオー「はい!」

――――――

 

シンボリルドルフ「ありがとう。テイオーがいたから私は“皇帝”として歩み続けることができた」

 

――――――

トウカイテイオー「うえっ!?」

――――――

 

シンボリルドルフ「他にも礼を言いたい人はたくさんいる。それだけ私はたくさんの人たちに支えられて黄金期の生徒会長をやってきたわけだが、」

 

シンボリルドルフ「みんなを導く立場になると、そこに上下関係という段差が生まれて、それが私とみんなを隔てる必要悪になってしまったわけだが、その段差を乗り越えて同じ視座に立とうとする者の存在こそが私とみんなを結んでくれる大切なものだった」

 

シンボリルドルフ「だから、人と人とを隔ててしまう上下関係の段差をものともしない“帝王”であってくれ」

 

シンボリルドルフ「それが栄光の階段をみんなで上がるための唯一の手段だ」

 

――――――

トウカイテイオー「会長……」

――――――

 

シンボリルドルフ「もう会長じゃない。トレセン学園の先輩後輩の関係でもないんだ」

 

シンボリルドルフ「これからは世代を超えた友人や『全てのウマ娘が幸せになれる世界』という理想を同じくする同志として対等でいこう」

 

シンボリルドルフ「だから、私のことを名前で呼んでくれ、友よ」

 

――――――

トウカイテイオー「なんか気恥ずかしいかな……」

 

トウカイテイオー「じゃ、じゃあ、ルドルフ――――――、いや、無理! 無理だよ! 会長はやっぱりカイチョーだったから、他の呼び方は難しいやい!」

――――――

 

シンボリルドルフ「それが段差だ。乗り越えてくれ、テイオー」

 

――――――

テイオー「う、うん……」

 

テイオー「で、では、る、ルドルフさん……?」

――――――

 

シンボリルドルフ「ああ。それでいい」フフッ

 

シンボリルドルフ「エアグルーヴにもよろしく。みんなで力を合わせて新しい時代を切り拓いていってくれ。応援しているぞ、テイオー」

 

――――――

テイオー「もう! みんなが見ている前で何を言わせるんだい!」

――――――

 

岡田T「テイオー……」フフッ

 

斎藤T「そう、みんなが見ている前でああ言うことで、“皇帝”と“帝王”が並び立つことをエクリプス・フロントに所狭しと集まった新入生たちに印象付けることで、次の生徒会長の座に“帝王”が就くことを刷り込もうという演出なわけだ」

 

和田T「そうなんだ。相変わらず、我らが“皇帝”陛下は先のことを見据えていらっしゃる。役者が違うな、もう」

 

斎藤T「これも新生徒会の支持基盤に学園生活にエクリプス・フロントを採り入れた新しい時代の担い手となる新入生たちを取り込むために司会進行役の新生徒会と相部屋になるように抽選結果が操作されているわけでしてね」

 

岡田T「今回の企画は最初から新入生たちに狙いを絞ったものだったんですな」

 

斎藤T「そうです。大成功に終わった『URAファイナルズ』ではあったのだけれど、初めての開催ということで3ヶ月に渡るトーナメント戦の各方面への調整や準備で反省点が大いにあったわけだから、」

 

斎藤T「シンボリルドルフ卒業後の新しい時代のトレセン学園生徒としての価値観を持ってもらうべく、入学したての今だからこそ新入生たちには強く印象付ける必要があるわけです」

 

斎藤T「これからの生徒会役員は『全てのウマ娘が幸せになれる』ようにダート路線や短距離路線のウマ娘でも堂々と生徒会長になってもいいように持っていくわけですからね」

 

斎藤T「相対的にクラシック路線の絶対性は揺らぐわけですが、必要なのは実績よりもトレセン学園の顔役としての器量と情熱ですから、クラシック路線以外の不人気路線での実績に引け目など感じないようにしてもらうわけですよ」

 

斎藤T「まさかとは思いますが、社会に出た時に天下のトレセン学園出身と聞いて“クラシック三冠”しか知らないような人たちからその他の路線で活躍していたことを侮られないようにするためにもね」

 

和田T「まあ、そうだ。夢の舞台は現実世界とはちがう摂理が働いているからこそ夢の舞台なわけで、そこから卒業して実社会に出た時に社会の現実に打ちのめされないように将来のことも考えてあげないとだよな」

 

岡田T「そして、引退即退学となる風潮も変えないといけないわけだから、何度も故障しながらも引退も退学もせずに復活を遂げてきたテイオーが生徒会長になることで、『URAファイナルズ』の卒業レースも相まって、新たな環境と価値観が生まれてくるわけですな」

 

岡田T「――――――だから、“皇帝”は“帝王”に今この場で語りかけた」

 

斎藤T「では、本番1分前です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――3!

 

 

――――――2!

 

 

――――――1!

 

 

 

――――――こうして新時代の幕開けとなるエクリプス・フロントでの『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムが大盛況で幕を閉じることになる。

 

 

 

そして、また会いに来ることや気軽に通信することを約束して満面の笑みでロサンゼルス空港から見送られて日本に帰国することになったわけなのだが、

 

“皇帝”シンボリルドルフの直筆サインに加えて、同時視聴プログラムに参加して企画を更に盛り上げてくれた特別ゲストの直筆サインもESPRITの企画の景品にすることで、2週目に突入する『春のファン大感謝祭』での人気投票の得票率を更に押し上げることとなった。

 

ちなみに、日曜8時の日本で4月7日は『桜花賞』であり、優勝はダイワスカーレット。前哨戦となる『チューリップ賞』で勝利した目下3連勝中のウオッカは2着という結果となっていた。

 

来週はいよいよ『皐月賞』ということで、前哨戦となる『弥生賞』を制したエアシャカールが“クラシック三冠バ”への第一歩を刻めるかに世間の注目が集まる。

 

その時は『春のファン大感謝祭』最終日ともなるので、まだまだ入学したての新入生たちの楽しみは尽きないことだろう。

 

 

アグネスタキオン「いや~、本当に得るものがたくさんあったね、『サンタアニタダービー』。行ってよかったよ」

 

斎藤T「飛行機嫌いだからといって時間跳躍で百尋ノ滝と瞬時に往復できる影武者(スーペリアクラス)を使って現地入りするのはどうかと思うがな!?」

 

マンハッタンカフェ「結果として、私たちにとっても、学園にとっても、良いこと尽くめになりましたね」

 

マンハッタンカフェ「けれども、私たちにとって一番の収穫になったのは何と言っても、特別ゲスト――――――!」

 

アグネスタキオン「ああ。私もカフェくんもこれで追い求めるものに大きく近づけたはずだ」

 

アグネスタキオン「これも皇国の神々の思し召しや天の配剤というやつかい?」

 

 

――――――“異次元の逃亡者”サイレンススズカとの邂逅というのも。

 

 



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第1話秘録 先頭の景色は譲らない -傷だらけの天使になんてなりたいとは思わない-

-シークレットファイル 20XY/04/07- GAUMA SAIOH

 

前日の『サンタアニタダービー』は日米(西海岸)の16時間の時差によって重賞レース『桜花賞』の日にトレセン学園では『春のファン大感謝祭』が行われていたわけだが、

 

全ては学園一不気味なウマ娘:マンハッタンカフェの言う“お友だち”に導かれて観戦することが最初に決まって、そこから『春のファン大感謝祭』に便乗してエクリプス・フロントの宣伝に利用し、アメリカに渡ったばかりのシンボリルドルフとも早くに再会するという一石何鳥もの効果を私たちにもたらした。

 

そして、サンタアニタパーク競バ場の現地観戦組とホテルの一室を貸し切ったスタジオで府中と交信する同時視聴組にわかれ、その現地観戦組がトレセン学園の競走ウマ娘たちであり、今回の『サンタアニタダービー』は想像以上の収穫があったようである。

 

 

曰く、現実における『サンタアニタダービー』にオーバーラップして“お友だち”が非現実の『サンタアニタダービー』を走って2着と大差(10バ身差)となる11バ身差(27.5m)*1をつけて大差勝ちする幻覚を現地観戦組の全員が視たというのだ。

 

 

また、“お友だち”の姿はまさにマンハッタンカフェに瓜二つではあったものの、学園一不気味なウマ娘とは異なり、美少女の因子を強く発現するウマ娘にあって血色の悪さや痛々しい切り傷や痣もあって非常に醜いと評される風貌だったという。

 

それでも、その走りは自身が走る幻覚の『サンタアニタダービー』を走って2着とウマ娘レース史上最大の着差となる11バ身差で圧倒的勝利を飾っており、現実の『サンタアニタダービー』の観戦の興奮など完全に吹き飛び、全員で幻覚のウマ娘レースについてああでもないこうでもないと言い合うことになったのだ。

 

結局、過去の『サンタアニタダービー』の記録をいくら探ってみてもマンハッタンカフェに瓜二つの醜い容貌のウマ娘が11バ身差で優勝したという記録はないというわけで、

 

それならば“お友だち”の姿を視ることができて やりとりができる私に話が行くわけであり、シンボリ家が用意した宿泊先で現地観戦組と同時視聴組が合流した際に、特別ゲストの存在に誰も気づかなかったぐらいに しきりにどういうことだったのかを訊かれることになった。

 

なので、マンハッタンカフェが“お友だち”と呼ぶ“守護天使”に向かって『サンタアニタダービー』で何を視せたのかを訊ねてみたのだ。

 

すでに最初に“守護天使”と対話した時に『マンハッタンカフェのご先祖様』『アメリカの出身』『1986生まれで2002年にお亡くなりになった』『G1:6勝のエクリプス賞バ』という情報は出揃っているので、おそらくは生前のG1レースの光景を視せたということなのだろう。

 

すると――――――。

 

 

――――――あれこそが()()の我が子らに()()で超えるべき導きである。

 

 

たった一言。私は“守護天使”が言ったことを文字起こしするのに集中して読み返した時にマンハッタンカフェに瓜二つのまったく傷だらけじゃない“守護天使”のことを二度見した。

 

私が呆気にとられている様子に痺れを切らして内容をひったくるアグネスタキオンと、いったい何が書かれているのかを食い入るように見るマンハッタンカフェや興味津々のソラシンボリ――――――。

 

しかし、“守護天使”からのたった一言の意味を理解できたウマ娘は誰もいなかった。もちろん、今回の『サンタアニタダービー』観戦に同行していたトレーナーにも訊ねたがまったくもって理解ができなかったようである。

 

実は、これがとんでもない世界の理を“守護天使”が明かしているわけであり、“特異点”である私にしか絶対に理解できない異次元のお告げであったため、理解できたがために逆に何を喋ればいいのかがわからなくなってしまったのだ。

 

そう、“守護天使”はこの世界を『穢土』に対する『浄土』と呼び、つまりは仏の世界ということで ある種 救いが約束された世界だと明かしてきたのだ。

 

 

心 清浄なるが故に 世界 清浄なり、心 雑穢なるが故に 世界 雑穢なり。

 

 

これが仏説における穢土と浄土の概念であり、真実の浄土は仏の住居する処であり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である。故に浄土とは仏土であり、穢土とは悟りを開いていない凡夫が生きる俗世間を指す。

 

たしかに、ウマ娘の純真さはヒトがウマ化した亜人ということで野生の本能が強いことから心はヒトよりも無垢とは思うが、闘争本能の強さから勝負事に熱くなりやすい性質はむしろ修羅道に支配されているような気がしてならず、心の清浄とは程遠い――――――。

 

いや、仏説においてはも阿弥陀如来の西方極楽浄土、阿閦如来の東方妙喜世界、薬師如来の東方浄瑠璃世界、釈迦牟尼仏の無勝荘厳国、毘盧遮那仏の蓮華蔵世界、大日如来の密厳浄土、弥勒菩薩の兜率天など知られているわけであり、浄土はあくまでも仏土のことなので仏の数だけ浄土は存在し、阿弥陀信仰の浄土宗の発明ではないのだ。

 

そして、勘違いしやすいことだが、浄土とは成仏せんがために精進する菩薩の国土であるので、一神教で語られる永遠の楽園である天国とは異なり、そこが仏教における終着点である涅槃寂静ではないのだ。

 

言うなれば、国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台である 国内最高峰のトレーニング環境が提供されている中央トレセン学園のようなものであり、優駿たちの頂点を決めるG1レースの勝利を目指してトレーニングに死ぬ気で励むのが相応するだろうか。

 

つまり、まずは浄土に入れるだけの素質を備える必要があり、それから浄土での懸命な修行の末に、覚者として成仏を果たして涅槃寂静に至るための場所が浄土というわけであり、こう考えるとたしかに中央トレセン学園の在り方は浄土と相応するかもしれない。

 

基本的に中央トレセン学園に入学するだけの素質を持ったウマ娘を国内でも有数のエリートである中央のライセンスを持つトレーナー陣が導いてくれるわけであり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である浄土にも果てない叡智を持つ和尚がビシバシと不出来な弟子に対して愛情を持って修行をつけてくれているはずである。

 

ただ、浄土:仏の世界に対する解釈も様々であり、阿弥陀信仰に代表されるような死んだら浄土に行けるという来世浄土、穢土:現実世界を浄土化する理想への生き方を説く浄仏国土、仏の悟りである真理そのものが具現している世界である常寂光土があり、これらの浄土説はいずれを真説とするかで対立と論争を繰り返してきた。

 

だが、そんな多義的な言葉の解釈なんてどうだっていい。何のために両部曼荼羅があって大日如来が一切の諸仏菩薩の本地として時間と空間を超越してありとあらゆる如来菩薩に化身する必要があるかなど、全ては衆生済度の発願から様々な角度から救済を果たすためであり、ひとりひとりが悟りを開いて涅槃寂静に至ってもらいたいという尊い慈悲からである。

 

 

――――――だとすると、『穢土の我が子らとは何なのか?』であり、『なぜ呼ばれたのがアグネスタキオンとマンハッタンカフェなのか?』である。

 

 

ソラシンボリはシンボリ家との密約でシンボリ家のウマ娘ということでスカウトされないように私が守る必要があって連れてきたわけで、“守護天使”に『サンタアニタダービー』に来て欲しいウマ娘には指名されていない。

 

おそらく“特異点”である私だからこそ実感として理解できる真相がそこにあり、“守護天使”が実在した世界での出来事が“穢土の我が子ら”であるアグネスタキオンとマンハッタンカフェに大きく繋がっているのだと推測できる。

 

すなわち、異世界の英雄の魂が宿ることで生まれてくるとされるウマ娘の起源となるウマソウルが生まれた世界での関係性から“守護天使”と“穢土の我が子ら”の繋がりがあるのではないだろうか。

 

よくよく考えなくても、異世界の英雄の魂が宿った存在であるウマ娘は無自覚なだけで全員が私と同じ異世界転生者であった。

 

そう、例外なく名前だけは明確に覚えているという記憶喪失つきの異世界転生がごく普通に行われる世界ということは()()()()()()で間違いないのだろう。

 

そのため、ヒトとウマ娘が共存する異なる進化と歴史を歩んだ21世紀の地球と“私”の出身である23世紀の宇宙時代の地球との繋がりは唯物論では決して語れないものであることが“守護天使”のたった一言のお告げで理解させられたわけである。

 

ああ、ウマ娘レースに勝つことに全身全霊で生きているトレセン学園のウマ娘やトレーナーたちには申し訳ないが、いかにしてウマ娘の皇祖皇霊たる三女神に選ばれてしまった存在に“斎藤 展望”がなっていたかをたった一言だけで――――――。

 

そうだった。『全部 私のため』であり、それが『三女神の意志』であるとも“守護天使”は最初に言っていたのだから――――――。

 

しかし、同時に『あれこそが超えるべき導き』とも言っているわけで、2着に対して大差勝ちする11バ身差を超える圧倒的な走りを求められているわけであった。

 

そして、“皇帝”シンボリルドルフの紹介で今回の『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムに駆けつけてくれた、奇しくも『金鯱賞』で2着に11バ身差で優勝したことがある、歴代最強ウマ娘議論で必ず名が挙がる特別ゲストを指して、“守護天使”は恐るべき真相を口にしたのだ。

 

 

――――――彼の者もまた“穢土の我が子”であり、『沈黙の日曜日』にて死せる魂なり。

 

 


 

 

――――――可能性だ! この脚は! この身体は! 最高に可能性に満ち満ちている!

 

 

アグネスタキオン「さすがは引退しても“皇帝”……! まったく、『皇帝G1七番勝負』で打ち破った『皐月賞』のシミュラントと遜色がないだなんて、“本格化”を過ぎてもまったく衰えを感じさせない完成された走りだよ、シンボリルドルフ……!」

 

アグネスタキオン「カフェ……! 私が同世代の誰よりも期待した“お友だち”譲りの才能はここにいる面々と肩を並べるものだったな……!」

 

アグネスタキオン「そして、私が憧れてきた世界に一番に近かったであろう“異次元の逃亡者”サイレンススズカ……!」

 

アグネスタキオン「最高だ! 最高だよ! 私は 今 最高に充実した時間を過ごしている! 私が認めた最高のウマ娘に挑戦する模擬レースだなんて、人生で最高に贅沢な実験の一時じゃないか!」

 

 

特殊相対性理論に矛盾することなく、光速度より速く動く仮想粒子の存在は、いまだかつて否定されていない。

 

定説ではウマ娘の最高速度はおよそ70km/hとされているが、それ以上に到達しうる可能性を否定する根拠は見つかっていない。

 

そして、私はウマ娘の存在をも超越する数々の事象を目の当たりにし、ウマ娘に劣るヒトの身でありながらスピードの極限である光の速さを超越して時間を巻き戻して世界を救う奇跡を起こし続ける存在と共にある。

 

それこそが私というウマ娘の名に込められた“超光速の粒子”の存在証明であり、私の中のウマ娘の可能性を最大限に肯定する根拠である。そう信じてしまいたくなる何かが私にみなぎっているのだ。

 

 

アグネスタキオン「もっと速く! もっと速く!! もっと速く!!!」

 

マンハッタンカフェ「…………!」

 

シンボリルドルフ「…………抜かれた!」

 

サイレンススズカ「――――――!」

 

アグネスタキオン「ウマ娘に眠る可能性の“果て”は!」

 

アグネスタキオン「この身体で到達しうる限界速度は!」

 

アグネスタキオン「いまだ影すら見えなかった遥か彼方にあると思えたものに手が届く瞬間が 今 目の前にあるのだから!」

 

 

岡田T「――――――サイレンススズカの大逃げにあと1バ身!?」

 

和田T「届くのか!? 届くのか!? 逃げウマ娘は追いつかれたら一巻の終わりだぞ!? まさか、メイクデビューもしていないウマ娘がこの時点で日本ウマ娘レース界の最速伝説を超えるのか!?」

 

斎藤T「…………いや、これはダメだ」

 

 

 

――――――先頭の景色は譲らない!

 

 

 

アグネスタキオン「…………ハア」

 

アグネスタキオン「…………ああ」フラッ

 

斎藤T「ほら、全身の力を抜いて。楽にして」ヒョイ

 

アグネスタキオン「…………あ、トレーナーくん。うん」 ――――――お姫様抱っこ!

 

斎藤T「……見事にボロ負けしたな」

 

斎藤T「アメリカの芝に慣れている向こうの方が地の利を得ているにしても、向こうは“本格化”を過ぎて身体能力が衰えているし、こちらと同じ条件のスーパーシニア級のマンハッタンカフェにも追い抜かされたのだから、言い訳のしようがない」

 

斎藤T「新バ戦(メイクデビュー)じゃなくてよかったな」

 

アグネスタキオン「……ああ。清々しいほどの負けっぷりさ」

 

アグネスタキオン「けど、これまで漠然と目指してきたものがようやく見えてきたことの喜びの方が勝る結果だよ……」

 

アグネスタキオン「だから、本当にきみでよかった。きみと出会うためにずっと一人で実験室で待ち続けた日々がようやく実を結んだことを実感できたよ」

 

斎藤T「――――――『桃栗三年 柿八年』といったところか?」

 

斎藤T「だが、ようやく実を結んでも収穫されて味わってもらわなければ実がなった意味はないぞ? 観賞用じゃないだろう、その脚は?」

 

 

アグネスタキオン「わかっている。でも、嬉しいんだ。こんなにも嬉しいって思ったことはないってくらいに」

 

 

斎藤T「そうか」

 

アグネスタキオン「なあ、帰ったら全身マッサージで頼むよ。もちろん、あの全身マッサージ機と称した“一人用のポッド(クレイドル)”に放り込まれるのは絶対に嫌だ」

 

アグネスタキオン「トレーナーくんが揉んでおくれよ~、あの全身全霊マッサージぃ! ボディタッチセラピー!」

 

アグネスタキオン「それで、文字通り 担当ウマ娘に元気を分けておくれよぉ。私の担当トレーナーだろう?」

 

斎藤T「私の元気が吸い取られるからヤダ」

 

アグネスタキオン「だったら、()()()()()()()から元気をもらえばいいだろう――――――!?」

 

 

岡田T「おつかれさまです、シンボリルドルフ」

 

シンボリルドルフ「ありがとう、岡田T。きみからタオルを渡される日が来るとはな」

 

岡田T「俺もですよ。模擬レースであなたの走りをまたこの眼で見ることができた」

 

シンボリルドルフ「……きみの担当ウマ娘はトウカイテイオーだろう?」

 

岡田T「それでも、地方から上がってきたばかりの俺にとっては中央のターフの上で走るシンボリルドルフの姿は唯一無二のものだった……」

 

岡田T「人生、何があるかわからないものですな」

 

シンボリルドルフ「同感だな……」

 

シンボリルドルフ「私もシンボリ家のウマ娘として日本のウマ娘の存在を知らしめるために海外遠征をしないわけにはいかなかったし、」

 

シンボリルドルフ「正直に言って、史上初の“無敗の三冠バ”や“最強の七冠バ”なんて称号や記録を欲しいと思ったことは一度もなかったんだ。私自身も含めて、それが当時の日本のウマ娘レースの常識であり限界だったのだから」

 

シンボリルドルフ「せいぜい、日本のウマ娘としての誇りを背負って『ジャパンカップ』『有馬記念』で勝てれば十分だと思っていたのに、シンボリ家の次代を担う子たちには更なる重荷を背負わせてしまったな……」

 

岡田T「少なくとも、今年の新入生のソラシンボリはそんなのには屈しませんな」

 

岡田T「何よりも斎藤Tがついていますし、あなたの偉業の達成を敵味方の関係を超越して盛り上げてくれた黄金期の三巨頭の一人:鐘撞Tだって帰還したのですから」

 

シンボリルドルフ「ああ。これからの『トゥインクル・シリーズ』が本当に楽しみだ」

 

岡田T「俺もシンボリルドルフとこうして友人関係になれたことが嬉しいです」

 

シンボリルドルフ「……嫉妬されないようにな。テイオーは私によく似て嫉妬深いからな」

 

岡田T「そういうところも“俺のシンボリルドルフ”ですから」ヘヘッ

 

シンボリルドルフ「本人を前にしてよく言うよ、岡田T」フフッ

 

 

和田T「おかえり」

 

マンハッタンカフェ「ただいま」

 

和田T「あれが『宝塚記念』を制覇した最強のウマ娘:シンボリルドルフとサイレンススズカだったわけだけど、あれ以上の強敵なんていないはずだ!」

 

マンハッタンカフェ「はい、間違いなく『宝塚記念』も勝てます!」

 

和田T「なら、得意とする長距離の『天皇賞(春)』で足元を掬われないようにしないと」

 

和田T「今回の遠征は大成功だ! おめでとう、マンハッタンカフェ!」

 

マンハッタンカフェ「ありがとうございます、和田T」

 

マンハッタンカフェ「これで少しは“お友だち”に追いつけそうです。大きな前進です」

 

 

西崎T「いやはや、昔の評判通りの末恐ろしい脚だったな、“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオン。それがいよいよメイクデビューか。長かったな……」パチパチ・・・

 

西崎T「勝つために 5年間 脚を溜めていた これからデビューの遅咲きの新バだとしても、“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェ、“永遠なる皇帝”シンボリルドルフ、“異次元の逃亡者”サイレンススズカとの模擬レースで互角の勝負をするんだから、作戦も対策も何もあったもんじゃないな」

 

ソラシンボリ「うんうん。メイクデビュー前からシニア級G1ウマ娘の実力なんだから、勝負にならないよね」

 

スカーレットリボン「本当に今の時代のトレセン学園は素晴らしい才能に満ち溢れています」

 

西崎T「大丈夫か、スズカ。今日の模擬レースのために念入りに調整してきたけど、異常はないか?」

 

サイレンススズカ「大丈夫です。トレーナーさんが今も昔も支えてくれていますから」

 

サイレンススズカ「それに、久しぶりに『先頭の景色』を見ることができましたから。本当に夢みたいです」

 

西崎T「そうか。ようやくドクターストップも終わったことだし、リハビリを兼ねた模擬レースの相手を探していたら、ちょうどよくルドルフからの連絡があったのが上手い具合に噛み合ったな」

 

西崎T「それが、アメリカで日本の最強ウマ娘決定戦みたいなものになるとは思わなかったが……」

 

西崎T「うん。やっぱり、スズカは走っている姿が一番だな。また見ることができたから最高の一日だよ、今日は」ニッコリ

 

サイレンススズカ「……トレーナーさん」ポッ

 

ソラシンボリ「ねえ、やっぱり、この2人って()()()()()()だよね?」ヒソヒソ

 

スカーレットリボン「そうよ。担当ウマ娘のために中央のライセンスを捨ててまでアメリカについていっているんだもの。愛よ、愛」ヒソヒソ

 

 

サイレンススズカ「でも、だからといって、初対面のウマ娘のトモをいきなり撫でさするのはダメですよ」

 

 

西崎T「ああ……、それは、その……」

 

スカーレットリボン「そうですよ! そういえば、ドサクサに紛れて うちのソラに何やってくれていたんですか、このヘンタイトレーナーは!? 一度 あの世を見てもらいましょうか!?」ギラッ

 

ソラシンボリ「まあまあ。あのシンボリルドルフも一目置いたチーム<スピカ>の敏腕トレーナーさんのやることだし、何事も経験だとボクは思うな」

 

西崎T「おお、ソラは物わかりがいい子だな」

 

 

ソラシンボリ「で? ボクのトモはスズカ大先生と比べてどうでしたか?」ニヤリ

 

 

西崎T「へっ」ゾクッ

 

スカーレットリボン「そうですよ? どうでしたか? ちょっと前までランドセルを背負っていた女子小学生の平均を上回る発育のいい身体と比べて?」パキポキ・・・

 

ソラシンボリ「最速の機能美を追求したボディと比べてボクの触り心地はどうだった? ねえねえ? スズカ大先生のも触ったことあるんでしょう、たんまり?」ニヤニヤ

 

西崎T「本当に申し訳ございませんでした!」orz

 

ソラシンボリ「なら、誠意を見せてよ」

 

ソラシンボリ「乙女の大切なところに触れたんだからさ、西崎Tにも恥ずかしい思いをしてもらわないと釣り合わないよね?」

 

西崎T「に、煮るなり焼くなり好きにしてくれぇ!」

 

ソラシンボリ「じゃあ、トレーナーさんの話を聴かせてよ」

 

西崎T「お、俺の?」

 

ソラシンボリ「うん。西崎Tのことは知らなかったけど、チーム<スピカ>のサイレンススズカならよく知っているし、いろいろと他じゃ聞けないあんなことやこんなことをさ」ニヤニヤ

 

スカーレットリボン「そうそう。教え子に対するトレーナーの思いの丈もね」ニッコリ

 

西崎T「あ、ああ……」

 

 

『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムはメインゲストの“永遠なる皇帝”シンボリルドルフと特別ゲストの“異次元の逃亡者”サイレンススズカという最強ウマ娘の超豪華ゲストの対談が続くことになり、府中とサンタアニタの16時間の時差を超えてトレセン学園の新時代を担う新入生たちとの交流が行われることになった。

 

抽選によってサテライト会場の本会場に集められた新入生たちからのインタビューを新生徒会が司会進行となって円滑に進めることになり、私たちはあくまでも裏方に徹していた。

 

まさかの特別ゲストのサイレンススズカの登場には新入生たちは大いに盛り上がることになり、当然ながらサンタアニタに居合わせている“皇帝”と“逃亡者”のどちらが強いのかについての極めて純粋な質問も来たわけなのだが、

 

そこは冷静にシンボリルドルフがどういった条件で勝負するのかを質問者に訊き返し、そういった最強議論は適切な状況分析と状況判断で場合分けした積み重ねによって総合的に決まることをわかりやすく説明した。

 

たとえば、『URAファイナルズ』決勝トーナメントの5部門ごとにシンボリルドルフとサイレンススズカが競走することになったら それぞれの結果がどうなるのかを考えさせてみると、最強議論では得てして当人の中にある前提や条件を情報共有することなく話を持っていくのだから、これではいつまで経っても合意を得ることができないわけである。

 

まさか、シンボリルドルフとサイレンススズカにダートや短距離で走らせるだなんてことをこれまでの戦績からわざわざ考える必要はないわけだが、短距離最強ウマ娘と長距離最強ウマ娘の強さ比較もまた意味がないことにすぐに思い至ることだろう。距離によって求められる能力がまったくちがうのだから。

 

それと同じように、中距離が得意なウマ娘とマイルが得意なウマ娘が戦った場合の勝敗は常に最強議論ではどちらかの得意距離にのみ焦点を当てて一方的な優劣を決めるのだから、聞いていて気持ちのいい建設的な議論にはならないわけなのだ。

 

このように、ウマ娘レースの最強議論はまずはレース設定から有利・不利を判定して考えるべきであり、『そのレースなら、シンボリルドルフ/サイレンススズカが勝つ』といった具合にシミュレートすることができるようになれば、トレーナーと同じ視点でローテーションが組めるようになるわけなのだ。

 

そのため、これから『トゥインクル・シリーズ』に挑むことになる新入生たちに向けて、勝利を目指す上で自身の目標となる最強ウマ娘が何かを考えるのならば、一般観客のように自分に都合がいい物差しで最強を語るのではなく、自分と二人三脚で夢に向かうトレーナーと同じく勝利の条件に自分が当て嵌まるかどうかを考えられるようになることを諭した。

 

自分たちはトレセン学園の生徒として、もう夢の舞台を観客席から眺めて憧れるだけの一般人などではなく、夢の舞台に立って観客席にいる人たちに夢を見せる側に立っているのだという自覚を持って欲しい――――――。

 

そう解説した後、ウマ娘レースでまず第一に考えるべきレース設定がなされていない無意味な最強議論の質問に対して、シンボリルドルフはいたずらっぽくダート競走で大真面目にサイレンススズカとの勝敗を予想したのだった。

 

なぜなら、二人共 アメリカ滞在でアメリカのダートで練習経験があり、先程までサンタアニタ・ダート・9ハロン『サンタアニタダービー』を同時視聴していたのだから『自分ならこう走る』というシミュレートが互いにできあがっているのだ。

 

その結果、日本の砂とはまったく異なるアメリカの土のダートでかつ9ハロン(1810.52m)マイル(1600m)中距離(2000m)の中間の左回りのレースであるため、これは検証を進める前から大接戦になりそうな予感がしていた。

 

基本的に芝よりもパワーが必要となってくるダート競走のため、ダート競走そのものは未経験でも『菊花賞』『有馬記念』を制しているシンボリルドルフがパワーやスタミナの面で有利そうだが、

 

『2000メートルでは長く、1600メートルでは短く、ベストは1800メートル』という適性距離の的確な分析から3年目:シニア級のサイレンススズカの快進撃が始まったため、9ハロン(1810.52m)はまさしくサイレンススズカの得意距離だったのだ。更には左回りが得意というのも現役時代にアメリカへの海外遠征を検討されていた有力な根拠となっていた。

 

なので、以上の検証から『サンタアニタダービー』でシンボリルドルフとサイレンススズカが戦ったらどちらが勝つかを現場のトレーナーたちに予想させたら、私と岡田Tと和田Tと西崎Tの4人で予想が真っ二つに割れたので、

 

それならばと、サテライト会場の本会場に集まっている全員に勝敗の予想を投票することになり、投票後の抜き打ちの質問で明確な根拠でもって勝敗を分析できた新入生はほとんどいなかったことを踏まえて、

 

ここまで分析しても結局は自分が勝つと思った方に票を入れてしまうことから勝負はやってみないとわからないのがウマ娘レースの醍醐味として質問の回答としたのである。

 

そのため、今回のインタビューで出された最強議論の質問に対する回答はこれから夢の舞台で活躍することを信じて疑わない希望に満ちた新入生たちにとっては大変有意義な講義となっており、鍛え上げた能力と開花した素質を十全に発揮させるために出走するレースから考察をしていくというノウハウが伝授されたのである。

 

そうして『春のファン大感謝祭』の一般開放まで1時間といったところで開放準備のためにサンタアニタとの通信は終了となり、締めにシンボリルドルフとサイレンススズカという偉大なる先輩方の応援をもらって盛大な拍手でもって幕を閉じたのであった。

 

 

その翌日、当初の目的だった『サンタアニタダービー』観戦の後に追加された合宿遠征の肝である模擬レースが執り行われた。

 

 

これはサイレンススズカからの要望であり、アメリカの最新医療で長期に渡る治療で少しずつ走れる距離を回復していってドクターストップが解除された後のリハビリとして、同時期に『サンタアニタダービー』観戦に来ていた母校の後輩たちと一緒に走ろうとお願いしてきたのだ。

 

そのため、アメリカを渡り歩いていろいろと顔が利く西崎Tの伝手で芝のコースを借りて模擬レースをすることになり、貴重な機会として相手が“皇帝”だろうが“逃亡者”だろうが“幻影”だろうがウマ娘としての持ち前の闘争心を発揮して“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンは敢然と立ち向かうことになった。

 

そして、ソラシンボリとスカーレットリボンの親子を観客にした模擬レースの結果はアグネスタキオンのボロ負けであり、あと一歩でサイレンススズカの背に届こうとした瞬間に更なる加速を遂げた逃げウマ娘にグングンと差を開けられることになり、その一瞬の隙にシンボリルドルフとマンハッタンカフェに追い抜かされてしまうのだった。

 

しかし、全体としては実力は拮抗しており、むしろ未デビューなのにそれだけの実力がすでにあることがある意味においては最強の証明であり、全員が得るものを掴んだ大変意義のある模擬レースとなったのであった。

 

一方で、シンボリ家との密約で斎藤Tに同行していたソラシンボリとスカーレットリボンの親子にとっても夢と現の『サンタアニタダービー』と翌日の新旧ウマ娘最強決定戦となっていた模擬レースを目の前にして、競走ウマ娘特有の闘争本能がスピードの世界への興奮と歓喜を呼び覚ましたのだ。

 

トレセン学園に入学したばかりのソラシンボリにしても、トレセン学園の卒業生にして一児の母親であるスカーレットリボンにしても、これが今のウマ娘レースなのだと体感することになったのだ。

 

そして、“皇帝”シンボリルドルフが秋川理事長と共に切り拓いた黄金期の先の新たな時代の幕開けが明るいものだと確信するに至ったのだ。

 

 

それから『サンタアニタダービー』の翌日には帰国する予定を延長して行われた模擬レースの後、日本に帰国するまでの間、じっくりと情報交換と交流の機会となった。

 

基本的に黄金期の始まりと終わりは秋川理事長とシンボリルドルフの6年間と認識されているわけだが、暗黒期の終焉から黄金期の開闢までの間の時代:過渡期の『トゥインクル・シリーズ』もまた人気回復のための大変重要な時期でもあった。

 

チーム<スピカ>の西崎Tもまたトレーナー組合がローテーションやトレーニングを操作して八百長試合を組んでいた暗黒期の末期に中央のライセンスを得た新人トレーナーであり、後に生徒の自主性を最大限に尊重した指導が当時のタブーに触れたために干されていたトレーナーであった。

 

もちろん、新人トレーナーとして最初の担当ウマ娘に対しては当時の暗黒期の特徴であったトレーナー優位の指導方法をしていたのだが、当然ながらトレーナーになりたての新人ではベテランの経験と知識に敵うわけもなく、なかなか勝たせてあげることができずにいた。

 

しかも、トレーナー自身がウマ娘の才能を見抜いてスカウトするはずが、授業でウマ娘全員に『トゥインクル・シリーズ』での走り方の基礎を叩き込む教官の目利きに頼ってスカウトするのが暗黒期のトレーナーの在り方でもあったので、入学当初は他を抜きんでていても“本格化”してから伸びるウマ娘かどうかを見抜けるトレーナーが希少になっていた時代でもあった。

 

当然、最初から実力のあるウマ娘を誰が担当するかまできっちり決まっており、割当制で重賞レース勝利の箔を付けてトレセン学園の顔役となる次期生徒会役員に相応しい実績までもがトレーナー組合の予定に組み込まれていたのだ。

 

幸いだったのは自身も暗黒期の甘い汁を吸って名声を得ていたチーム<スピカ>のチーフトレーナーにその将来性を見込まれてサブトレーナーとして徹底的な指導を受けられたことであり、その下で堅実に重賞レースでの勝利を勝ち取ることに成功。この時点ですでに一人のトレーナーとしての有能さを証明していた。

 

そして、一見するとトレーナー組合の決定を疑うことなく従う次代の暗黒期のトレーナーに育て上げられ、西崎Tが若くしてチーム<スピカ>を受け継ぐことで暗黒期の特権が次代に移譲されたかのように見えたのだが、

 

実際は今のトレセン学園の在り方は間違っていると後悔したチーフトレーナーが正しきウマ娘レースを求める純粋な若者に将来を託すための基盤としてチーム<スピカ>のトレーナーという地位と名声を用意してくれていたのだ。

 

そこから先代の懺悔の告白を胸にウマ娘の自主性を最大限に尊重したやり方に方針を切り替えたところ、暗黒期のやり方に染まっていた教え子たちからは猛反発を受けてしまい、重賞バであった担当ウマ娘からも見放されて契約破棄を突きつけられてしまったのだ。

 

そのため、チーム<スピカ>のチームトレーナーになって早々にチームには誰もいないという開店休業状態となっており、自分のやり方やウマ娘レースに対する考え方が間違っているのかと思い悩むことになった。

 

そんな時、誰もいないトレーナー室で暇そうにしていた西崎Tの許にやってきた楽しいことが大好きで破天荒な芦毛のウマ娘がやってきて、そこからチーム<スピカ>のトレーナーとして再出発したわけなのである。

 

 

そして、“魔王”スーパークリークの担当トレーナーであった“ウサギ耳の淫獣”ムラクモTの活躍によって暗黒期が終焉を迎えて、黄金期に向けた準備期間となる暗黒期の残滓を消し去るための過渡期が始まる。

 

 

トレーナー組合が 一度 解散となったことで八百長ネットワークが組めなくなったことで、暗黒期で甘い汁を吸ってきたハリボテトレーナーたちは一気に没落し、そうした中でチーム<スピカ>のやり方に時代が追いついたことで躍進の時を迎えた。

 

そうして完全調和(パーフェクト・ハーモニー)を標榜する完璧超人である柳生Tをサブトレーナーに加えたチーム<スピカ>は後の“日本総大将”スペシャルウィークをスカウトしたことで最盛期を迎えることになる。

 

その裏で2年目:クラシック級ではサニーブライアン世代のG1未勝利のサイレンススズカの走る姿に感動を覚えていた西崎Tは翌年の3年目:シニア級でまさかの引き抜きを敢行しており、そこからサイレンススズカの年間無敗の重賞6連勝を達成――――――。

 

 

しかし、皮肉にも年間無敗の記録が破られることがなかった最大の理由は日本ウマ娘レース史に残る最大の悲劇『天皇賞(秋)』における『沈黙の日曜日』――――――。

 

 

このことがきっかけでその翌年の『ジャパンカップ』でスペシャルウィークが“凱旋門賞バ”モンジューを打ち破って“日本総大将”となったことを見届けた後、チーム<スピカ>を柳生Tに譲って中央のライセンスを手放すことになったのである。

 

そして、中央のライセンスを手放した後、西崎Tは療養中のサイレンススズカの許を訪ねてアメリカに渡り、アメリカ中のレースクラブを渡り歩く野良トレーナーとなって、アメリカウマ娘レース界隈で知られる“日本のサムライ”として巷で有名となっていた。

 

そのため、アメリカウマ娘レース界隈について一番の情報通としてアメリカ遠征を検討している陣営から一番に頼りにされる存在にまでなっており、こうしてシンボリ家とも交流を持っているのである。

 

 

シンボリルドルフ「そういうわけで、アメリカでの通称は最後の担当ウマ娘であったスペシャルウィークに因んで“日本のサムライ”となっているわけです」

 

西崎T「もう何年もアメリカ暮らしが続いているから、今の日本トレセン学園のことはまったくわからないけどな」

 

ソラシンボリ「でも、チーム<スピカ>を再建中の一番つらい時期に見たスズカ大先生の走りにトレーナー魂に火が点いたわけだよね」

 

ソラシンボリ「その恩返しとして、3年目:シニア級で引き抜きをして年間無敗の重賞6連勝だなんて、ボクの大好きなトウカイテイオーの復活劇と同じぐらいの感動物語だよねぇ」

 

スカーレットリボン「それで『天皇賞(秋)』であんなことがなかったら、次は『有馬記念』だったんでしょう? 本当に残念でしたね、あれは……」

 

西崎T「……まあな。『天皇賞(秋)』も完璧な調整だっただけに あんなことになったのは本当に悪夢でしかなかったよ」

 

サイレンススズカ「でも、こうして あきらめなければ また立ち上がって走り続けることはいくらでもできます」

 

サイレンススズカ「それこそ、さっき名前が挙がった去年の『有馬記念』のトウカイテイオーのラストランのように……」

 

岡田T「うん……。テイオーは頑張ったよ、走り抜いたよ……」

 

和田T「テイオーのせいでラストランの感動が薄れたけど、うちのマックイーンもだぞ……!」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「おや、どうしたんだい、トレーナーくん? 紅茶のおかわりかい?」

 

マンハッタンカフェ「タキオンさん。紅茶のおかわりぐらい自分で淹れてくださいよ」

 

 

斎藤T「つかぬことをお伺いしたいのですが、『ウマ娘レースの途中で息絶える』といったことはあるのですか?」

 

 

和田T「いっ!?」ドキッ

 

アグネスタキオン「!!

 

シンボリルドルフ「!!

 

サイレンススズカ「………………」

 

ソラシンボリ「まったく穏やかじゃない質問だね、それ」

 

スカーレットリボン「でも、この場の誰もが当事者として『沈黙の日曜日』のことをどう思っていたのかは知りたいと思っている……」

 

斎藤T「どうなんですか?」

 

 

西崎T「あり得る話だ。転倒した先行バが後続のバ群に踏みつけられたり跳ね飛ばされたりする危険性は常にある。そうなったら、同じウマ娘だ。巻き込み事故になったら まず助からない」

 

 

斎藤T「………………」

 

西崎T「ただ、『沈黙の日曜日』に関しては、スズカは死んでも前へ前へ走りきろうとするよりも後続を巻き込まないように最後の力を振り絞って自分からコースを外れてくれたんだ」

 

西崎T「だから、俺はスピードの世界を誰よりも追求しながらも他人を思いやれたスズカの最後の行動が…………」

 

サイレンススズカ「トレーナーさん……」

 

西崎T「いや、すまない。俺からはもう何も言えない……」

 

斎藤T「すみません。不躾なことを……」

 

西崎T「いや。ただ、日本の話じゃないが、アメリカでは出走ウマ娘の薬物投与が問題視されていてな」

 

西崎T「過剰なドーピングで寿命を縮めてレース中に突然死するといったことが年に何回かあるんだ、毎年」

 

シンボリルドルフ「……それは深刻な問題ですね」

 

西崎T「ああ。俺も実際に何回かコカを勧められたことがあるし、ウマ娘超大国でのアメリカン・ドリームはウマ娘天国のジャパニーズ・ドリームと比べたら幻覚の色が強いぞ」

 

西崎T「でも、そんなものを使わないウマ娘が堂々と重賞レースで勝っているんだ」

 

西崎T「だから、俺はそんなものに頼らなくて済むような環境を一人でも多くの子に与えようと思って、フリーランスのエージェントになって アメリカ中を歩き回って いつの間にかアメリカ横断の旅になっていたもんだ」

 

アグネスタキオン「それだからドーピングなんてものはくだらないんだ。ドーピングなんて弱いやつが苦し紛れにするものに過ぎない」プイッ

 

ソラシンボリ「そうだね。そんなものに手を出した時点で、ウマ娘レースからも、社会のルールからも、ウマ娘としての尊厳からも逃げたことになるからね」

 

西崎T「とは言え、スズカやルドルフも利用したアメリカでの最新医療っていうのも日本では認可されていないものに頼っているわけだから、グレーゾーンではあるんだがな」

 

西崎T「その地域差を利用して薬物投与がかえって堂々と行われているぐらいには、アメリカウマ娘レース界隈も変わっていかなくちゃならないんだ」

 

西崎T「……俺は世界中が自由の国と憧れている国に生まれながら貧困を苦にしてクスリに手を出して才能をダメにしていく子たちをごまんと見てきたからな」

 

 

――――――日本は世界一恵まれているよ。ウマ娘天国と言われるのも納得なぐらい。

 

 

私は西崎Tとサイレンススズカの関係性を尊いものに感じていた。さすがは乙女座を冠したチームを率いただけのことはあり、黄金期と暗黒期の間の過渡期を盛り上げた功労者たちであった。

 

実際、“革新世代”“黄金世代”“覇王世代”と続いた先で“皇帝世代”からの黄金期が始まるわけであり、過渡期の『トゥインクル・シリーズ』の中心にいた強豪の一角だったチーム<スピカ>の存在感は今でも色褪せることはない。

 

しかも、こうして『沈黙の日曜日』から何年も掛けて担当ウマ娘に寄り添って支え続ける人生もまたウマ娘とトレーナーの理想の関係性の1つとして持て囃されてもいるわけであり、

 

東大の入試よりも狭き門である中央トレーナーライセンス試験を合格をした逸材が早々に夢の舞台から去っていくのは業界にとっては痛手でしかないのだが、

 

現在のウマ娘たちがトレセン学園に入学して思い描くトレーナーとの甘い関係のイメージを強めることになった生きた見本として『沈黙の日曜日』が世間に与えた影響は計り知れなかった。

 

そうなのだ。ある小説家がスポーツ記者から聞いた渡米後の二人の話を聞いて執筆した 明らかに『沈黙の日曜日』をモデルにしているとわかる 一世を風靡した小説『栄光の日曜日』がトレセン学園を卒業した後の担当ウマ娘と担当トレーナーの知られざるその後を描いたことにより、

 

『沈黙の日曜日』によって世界から姿を消してしまった“異次元の逃亡者”がその後に掴んだ『栄光の日曜日』が世間に知れ渡ることになり、日本中が祝福ムードに包まれ 空前の大ヒットとなってドラマ化したことで、『トゥインクル・シリーズ』の人気が復活する大きなきっかけの1つとなっていたのだ。

 

要するに、現代に存在が確認された担当ウマ娘と担当トレーナーのラブロマンスであり、国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の裏で繰り広げられる恋のダービーでの伝説的な記録の達成である。

 

あくまでもロマン小説としてモデルからは脚色されてはいるものの、中央のライセンスを捨ててまで担当ウマ娘の後を追ってアメリカに渡り、その面倒を今も看続けているのは生きた伝説としかいいようがない。

 

この生きた伝説『栄光の日曜日』の熱狂的なブームの後押しによって総生徒数2000名以上のマンモス校へと成長する黄金期が到来することになるわけであり、『沈黙の日曜日』という日本ウマ娘レース史の悲劇が『栄光の日曜日』へと昇華されることで繁栄をもたらしたのだ。

 

 

そう、あの痛ましい悲劇であった『沈黙の日曜日』でさえも“皇帝”シンボリルドルフが導く黄金期の到来に必要なものであり、そのために選ばれたのが西崎Tとサイレンススズカであったそうなのだ。

 

 

もちろん、サイレンススズカをはじめとする“革新世代”の他の面々も暗黒期からの脱却を印象付けるためにいらない子は誰一人としていないぐらいに全員が個性豊かで才能があり、

 

それによって現在でも最強と名高い“黄金世代”や“覇王世代”へと続いていくわけだが、とりわけ西崎Tの愛情の深さとサイレンススズカの情熱の強さに三女神が応援して時代を前に進める大きな働きを担ったという。

 

そして、『穢土の我が子ら』であるウマ娘:アグネスタキオンとマンハッタンカフェには 同じ『我が子』であるサイレンススズカと同じく 勝ち負け以上の 社会に善なる働きをもたらす 大きな功績を築き上げる使命があるのだと“守護天使”は語った。

 

つまり、暗黒期と黄金期の間の過渡期を手本として、更なる繁栄の時代に繋がる礎を築き上げる役割が私たちに与えられているのだ。

 

そのために三女神も応援しているわけであり、その因子を結ぶためにサンタアニタに全てを結集させたという。

 

そして、“守護天使”はまるでこの悲劇そのものであるかのような自身の名を明かし、非常に前向きで幾通りにでも解釈できる意味の深い言葉を残して、得るものが多かったサンタアニタへの遠征は幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――我が名はサンデーサイレンス(沈黙の日曜日)

 

 

沈黙の日曜日(革新世代:サイレンススズカ)』とは、

 

沈黙せざる週日(黄金世代:スペシャルウィーク)』への(きざはし)にして、

 

覇道の布武(覇王世代:テイエムオペラオー)』の(いとぐち)なり。

 

そこから『王道の教化(皇帝世代:シンボリルドルフ)』が行き渡り、汝が『栄光の日曜日』へと至るなり。

 

故に、汝が時代の先頭の景色を掴み取らねばならない。これを知るべし。

 

 

要するに、過渡期の『トゥインクル・シリーズ』は最終的に武力でもって国を治める覇者を登場させることに意義があり、トレセン学園に絶対的な実力者が君臨することで布武がなされることを三女神は望んでおられたようだ。

 

布武とは文字通りに『武を布く』ということなのだが、正確には『七徳の武を布く』という解釈で問題ないだろう。

 

『春秋左氏伝』宣公12年に『武有七徳(武は七徳を有す)』とあり、武を用いることは「暴を禁じ」「戦を止め」「大を保ち」「功を定め」「民を安んじ」「衆を和し」「財を豊にする」の七つの徳を実現するためにあると説く。

 

すなわち、暗黒期の柱となるものを失って混迷する過渡期において“覇王”テイエムオペラオーが年間無敗の圧倒的な強さによって諸人を魅せることでトレセン学園に一定の秩序を打ち立てたことが後に“皇帝”シンボリルドルフの強さだけじゃないからこそ続いた6年間の黄金期の特徴を際立たせることに繫がっていたのだ。

 

つまり、王道とは仁徳をもって政治を行なう王者の在り方であり、“皇帝”シンボリルドルフは歴代最長の生徒会長としてトレセン学園に君臨して黄金期を正しく導いたことで“覇王”テイエムオペラオーには果たせなかったことをやり遂げていたのだ。

 

そして、『沈黙の日曜日』から『栄光の日曜日』へと至ることからわかるように、『日曜日』とはキリスト教的解釈をすれば『安息日』なので、それが『楽園』や『理想郷』の隠喩(メタファー)となるわけである。

 

そこから言えることは、“皇帝”シンボリルドルフが導いた黄金期でさえも『栄光の日曜日』に至るための過程に過ぎず、更なる創造と発展による繁栄の時代が新設レース『URAファイナルズ』開催を皮切りにして訪れるというわけなのである。

 

そう、これは始まりに過ぎないのだと、マンハッタンカフェにそっくりな“守護天使”は『穢土の我が子ら』であるサイレンススズカ、アグネスタキオン、マンハッタンカフェに祝福を与えると、更なる飛躍と発展のために更なる厄介事を私に押し付けて気配を消したのだった。

 

求められているのは価値観の転換(パラダイムシフト)であり、“守護天使”サンデーサイレンスに加えて、暗黒期と黄金期の間の過渡期に活躍した“異次元の逃亡者”サイレンススズカ、“日本総大将”スペシャルウィーク、“世紀末覇王”テイエムオペラオーを超える影響力を次の時代のウマ娘に発揮させなければならないわけなのである。

 

逆に言えば、三女神は私の望みに応えてWUMA襲来の絶望の未来に繋がらなくするタイムパラドックスの大きなヒントとして『過渡期の『トゥインクル・シリーズ』を今こそ学べ』と告げているようであった。

 

その最初の第一歩として、過渡期の『トゥインクル・シリーズ』の中心にいたチーム<スピカ>のサイレンススズカと西崎Tとの出会いがあったわけであり、その縁を辿ってウマ娘レースの伝説たちに次々と会っていくのが今後の具体的な方針になっていきそうだ。

 

 

しかし、最後の『時代の先頭の景色を掴み取らねばならない』というのは強烈極まる。

 

 

これはつまり、私が必死こいて時代を変えないと他の誰かにこれからの時代の在り方を決められてしまうというわけであり、『タイムパラドックスを引き起こすことができなければWUMA襲来の絶望の未来は不可避である』という宣告に思える。

 

なので、私は“異次元の逃亡者”サイレンススズカのごとく時代の最先端を未来が変わるまで走り続けなければならないというわけなのだ。

 

しかも、これは“斎藤 展望”であること以上に“私”として未来を変えようと暴走した瞬間、『沈黙の日曜日』のような悲劇になるという警告でもあった。

 

そう、これからは逃げウマ娘のような人生となるのだ。そのことがどれだけ大変なのかは宇宙移民だからこそ理解できる。理解できてしまえる。

 

けれども、その闇は完全なる暗黒に抱かれた洞窟の中ではなかった。光すら脱出できないブラックホールの中というわけでもない。

 

その闇は見上げると満天の星々が進むべき道を示しており、羅針盤も方位磁針もなかった頃から人々が星光に導かれて新天地へと旅立ってきた歴史があることを私は学んでいる。

 

だからこそ、私は星座の神話に運命を引かれて気高く美しい彩の希望の未来を目指せるわけなのだ。

 

 

――――――我が星は<アルフェラッツ>。かつてアンドロメダ座とペガスス座の両方にまたがって所属していた2.06等星。愛と勇気と冒険の星。

 

 

*1
1バ身:2.5m



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第2話   エクリプス・フロントを仰ぐ新学期の日常

-西暦20XY年04月10日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

“永遠なる皇帝”シンボリルドルフと“異次元の逃亡者”サイレンススズカとの貴重な交流によって新学期早々に生徒を公欠にさせながらも日本に帰国することができた私たちを待っていたのはエクリプス・フロントの大盛況ぶりであった。

 

アメリカから帰国して目にしたのが平日の夕方にエクリプス・フロントから出てくるたくさんの生徒たちの姿であったことが『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムの大成功を物語っていた。

 

シンボリルドルフの栄光を称えるトレセン学園の新たな象徴となるエクリプス・フロントの存在は内外に知れ渡ることになり、

 

こうした『春のファン大感謝祭』のような一般開放イベントの時期じゃなくても平日のスカイレストランなどで生徒たちと気軽に交流できる公共施設として一般人の出入りも多く見られていた。

 

そして、最新の発表によれば夢の舞台であるトレセン学園の総生徒数は2200名弱に達したようであり、国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台はまだまだ成長し続けていた。

 

一方で、『秋のファン大感謝祭』が日本で有数の文化祭であるのに対し、『春のファン大感謝祭』は新入生を歓迎するためのレクリエーションが目白押しの体育祭が中心になっているため、

 

新年度の世代の王者を決める王道レース『皐月賞』が終わるまでの『春のファン大感謝祭』期間、新入生を迎えた即席チームで『皐月賞』と同じ日に開催される大運動会の練習が行われるようになっていた。

 

もっとも、体育祭の中心になるのはトレーナーからスカウトを受けていないがために『トゥインクル・シリーズ』に出走することができずウマ娘の本分を全うできずにいるヒマ娘というわけであり、

 

そうしたヒマ娘たちが何も知らない新入生たちを誘って体育祭のレクリエーション競技の練習に精を出している裏で、当然ながら『皐月賞』に出走するウマ娘たちの真剣なトレーニングが行われているので、それも『春のファン大感謝祭』期間ならではの見世物になっていた。

 

そのことを内心では鬱陶しがりながらもにこやかにファンサービスする者や、集中力が乱されるということで殺気立つのを隠さずに見物人たちを遠ざける者もいたわけなのだ。

 

そのため、トレセン学園の入学式は同時に『春のファン大感謝祭』の開幕式でもあるため、歴代の生徒会長たちは夢いっぱいの新入生に対して『皐月賞』までの『春のファン大感謝祭』期間をどのように過ごしてくれてもかまわないが ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを言い含めていた。

 

そう、『春のファン大感謝祭』期間は新入生たちに『トゥインクル・シリーズ』で出走する未来のスターウマ娘たちの日常がどういったものなのかを『皐月賞』までの4月前半の日々を丸々使い切って自然と学ばせる趣旨があるために『秋のファン大感謝祭』以上の期間を設けられているのだ。

 

要は、『春のファン大感謝祭』期間が『皐月賞』の最終調整に被さって見世物にされる時期をどのように対応できるかで世代の最強バを決める第一戦『皐月賞』の勝敗が決まると言っても過言ではなかった。

 

 


 

 

――――――トレーナー室

 

アグネスタキオン「私も『クラシック三冠』に挑戦するようになったら、シャカールくんのように衆人環視の中でトレーニングをしなくちゃならなくなるわけだねぇ」

 

マンハッタンカフェ「影武者を使って自分は百尋ノ滝で悠々と最終調整するのは不正(ズル)ですからね」

 

アグネスタキオン「わかっているさ。私のプランはそういったレース本番までの過程も含めているから、対等の条件で戦わない卑怯な真似はしないさ」

 

アグネスタキオン「ただ、今までずっと実験室に籠もりきりで、こうやって『春のファン大感謝祭』で沸き立つ学園を見て回ることはなかったから、それがとっても新鮮に感じられてねぇ」

 

マンハッタンカフェ「タキオンさんぐらいですよ、高等部2年生になって そんな感想が出てくるのは」

 

斎藤T「それで、新年度を迎えて実際に新入生たちがやってきたわけだが、あらためて自分たちと戦うことになるだろう子はどれだけ見つけられたかな?」

 

ソラシンボリ「まあ、全体の評価自体は2月の入試の時とあまり変わらないだろうけど」

 

スカーレットリボン「でも、基本的に入試の時の成績はトレーナーには公表されていない機密情報だからこそ、トレーナーたちのウマ娘を見る眼が試されてるわけです」

 

アグネスタキオン「そうだねぇ。私はトレーナーというわけじゃないけど、『選抜レース』の結果や最近話題になっているウマ娘の評判なんかは見逃せない情報だからねぇ」

 

マンハッタンカフェ「普通に考えて今のタキオンさんに正攻法で勝てる新入生がいるわけがないですけどね」

 

アグネスタキオン「だが、今でこそ最強のウマ娘と名高い“異次元の逃亡者”サイレンススズカも完璧な調整をしていながら『沈黙の日曜日』を迎えてしまったことだし、私も油断していたら予想外の負荷で再起不能になるかもしれないからねぇ」

 

マンハッタンカフェ「いつになく慎重ですね。さすがのタキオンさんも緊張しているんですか、メイクデビュー?」

 

アグネスタキオン「いやいや、私は誰よりも慎重派のウマ娘だよ、カフェ。慎重派だからこそ、万全を期すまでずっと実験室に籠もっていたわけなのだから。つまり、妥協はしなかった」

 

アグネスタキオン「そもそも、私の人生は不可能への挑戦という名の綱渡りの連続だったんだ」

 

アグネスタキオン「可能性へのチケットを握っているのに途中退場してしまう公算が高く、常に楽観視できない分の悪い賭けに自分の人生を賭け続けているわけだから、どうしても楽観的な態度に気づいてしまうとどこか落とし穴があるように感じられてね……」

 

アグネスタキオン「それこそ、きみは何者にもなることができずに『URAファイナルズ』敗退で引退するはずだったんだ」

 

アグネスタキオン「それがどうだ? 『URAファイナルズ』で世間が沸き立った後、あっさりと『大阪杯』優勝で世間からのきみの評価はいとも容易くひっくり返されたんだぞ?」

 

マンハッタンカフェ「それを言うなら、『URAファイナルズ』【長距離部門】優勝の“サイボーグ”ミホノブルボンがその後の中京・芝・1200m『高松宮記念』に連闘した上で優勝したことの方が世間に与えた衝撃は大きかったように思いますけど」

 

アグネスタキオン「ああ。元々が短距離ウマ娘(スプリンター)だったミホノブルボンの原点回帰とも言える出来事だったねぇ、あの『高松宮記念』は」

 

ソラシンボリ「いやいや、それだけじゃないよね?」

 

スカーレットリボン「はい。『大阪杯』の前日:中山・芝・1600mのG3レース『ダービー卿チャレンジトロフィー』に同じく『URAファイナルズ』【短距離部門】優勝の“URA史上最強の短距離ウマ娘(スプリンター)”サクラバクシンオーが参戦して優勝を果たしましたからね」

 

斎藤T「だから、いろんな方面で『URAファイナルズ』で活躍した4年目以降:スーパーシニア級のウマ娘の『URAファイナルズ』終了直後の更なる活躍に世間が沸いているわけで、」

 

斎藤T「『URAファイナルズ』に参戦したばかりのスーパーシニア級のウマ娘が3月後半の重賞レースに出てこないと油断していた3年目:シニア級になりたての子たちにはスーパーシニア級の大先輩たちから活を入れられた形になったな」

 

斎藤T「そして、新時代のトレセン学園の顔役になった生徒会長の“女帝”エアグルーヴが『桜花賞』前日の同条件の阪神・芝・1600mのG2レース『サンケイスポーツ杯』の復帰戦でも優勝を果たして、『オークス』前週の東京・芝・1600mのG1レース『ヴィクトリアマイル』への参戦を表明――――――」

 

マンハッタンカフェ「これはいろんな意味でウマ娘レースの価値観が変わるはずです」

 

アグネスタキオン「何を他人事のように。その先陣を切って前人未到の“春シニア三冠”を目指しているのがきみだぞ、カフェ」

 

ソラシンボリ「そう考えると、次の“春シニア三冠”の『天皇賞(春)』はもらったも同然だけど、シーズン前半の最強ウマ娘決定戦の『宝塚記念』はスーパーシニア級のスターウマ娘たちとの熾烈な戦いになりそうだね」

 

スカーレットリボン「復帰を果たした“女帝”エアグルーヴが『宝塚記念』に出走しないはずもないですし、去年の“春グランプリウマ娘”ライスシャワーや一昨年の“春秋グランプリウマ娘”メジロパーマーといった強豪たちもまだまだたくさんいます」

 

ソラシンボリ「まあ、一番はトレセン学園最強の“サイボーグ”ミホノブルボンの参戦次第なんだけどね」

 

スカーレットリボン「そうね。“無敗の三冠ウマ娘”でありながら意外なことに『春秋グランプリ』の参戦には非常に消極的な姿勢が世間からの評価を二分させているわけなんですよね……」

 

スカーレットリボン「その分だけ既存のローテーションの常識を打ち破る完璧な調整の圧倒的な走りで優勝を掴み取っているわけですから、自分たちの考え方が時代遅れになっていることを認めたくない人たちからの酷評が止まないわけなんですよね」

 

アグネスタキオン「……ふぅン。まあ、それが驚異の天才:才羽Tが往く道だからねぇ」

 

斎藤T「ああ。才羽Tなら、こう言うだろう」

 

 

――――――人が歩むのは人の道、その道を拓くのは天の道。

 

 

新学期となると一番に注目されるのが卒業生たちの穴を埋めて一気に学内を賑わせてくれる新入生の実力と素質であり、出走権を握ってウマ娘をスカウトしようとするトレーナーたちの関心が一気にそちらに向くことになる。

 

事実、憧れのスターウマ娘やスターウマ娘をスターウマ娘たらしめた名トレーナーにお近づきになりたい一心で新入生たちが自分たちの推し目掛けて学内を所狭しと駆け回ることになり、この時期はトレセン学園の時の人たちが特に有名税を多く支払わされることになる。

 

一方で、今年こそはスカウトを勝ち取って『トゥインクル・シリーズ』に出走したいと臥薪嘗胆の日々を送っていた大半の生徒たちも新入生に負けじと情報網を作り上げて、

 

初めての担当ウマ娘との最初の3年を終えた新人トレーナーや先輩トレーナーのチームで下積みをしていたサブトレーナーが誰でどういった人物なのか、その評判やどういう実績を積んでいるのかを学校裏サイトで情報交換していた。

 

なので、新入生に混じってお目当てのトレーナーに果敢にモーションを掛けたり売り込みをかけたりする必死の先輩ウマ娘の姿もそこかしこに見られたわけであり、

 

その意味においては『春のファン大感謝祭』期間に開催される体育祭とは新人歓迎会に見せかけて新入生を見に来た多くのトレーナーの注目を自分たちに集めるための方便に過ぎなかったのだ。

 

もちろん、私は無数に存在する学校裏サイトにある情報網を逆利用してランキングシステムを設けて統合させることにより、百尋ノ滝に集まった勇者たちの一党(パーティ):チーム<アルフェラッツ>の面々に関心が集まらないように偽情報を流してランキングの順位を意のままに下げまくっていた。

 

そのため、学校裏サイトの情報を頼りにスカウトしてくれるトレーナーを探し求める生徒たちはこの“斎藤 展望”のことを“学園一の嫌われ者”として認識せざるを得ないし、『実は生徒会とは親密な関係である』ということを匂わせる痕跡も完全に抹消し、『新生徒会長:エアグルーヴが嫌悪している』という偽情報に書き換えていたから、新生徒会長から睨まれないようにしないためにも私という存在の扱いはもう大変だ。

 

ついでに、生徒会ブラックリストというフィルター機能が知らぬ間に掛かるようにし、私の存在はネットに疎い情報弱者には決して見つからないように念入りに細工を施していた。

 

更には、人払いの結界を施したことで私のトレーナー室の周りは未だに空き部屋だらけであり、元々はトウカイテイオーの担当トレーナー:岡田Tのトレーナー室だった私の部屋に足を運べるのは極一部の人間だけになっていた。

 

そうしないと、ユニットシャワールームに擬装している百尋ノ滝の秘密基地へのアクセス手段(ポータル)である瞬間物質移送器にイタズラをされる危険性が増すからだ。全てのトレーナー室を遥々訪ねて回るお遍路さんがいないとも限らない。

 

なくてもスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍で百尋ノ滝の秘密基地に一瞬で送ってもらえるわけだが、超常的な力の行使の代償が非常に恐ろしいので可能な限りの無駄遣いは避けたかった。

 

更に、夢いっぱいに何にでも興味を持って声を掛けてくる新入生たちに捕まらないように存在感を影と同化させる護符も解禁したため、トレーナーバッジを見るや否や片っ端から声を掛けてくるような生徒たちの眼を躱して、近くを通りかかった新人トレーナーが群がる生徒たちにもみくちゃにされるのを横目に見ながら一般通行人を装うことができた。

 

そこまでのことをしているため、今や人気沸騰のクラブ活動:ESPRITの発起人でもあるにも関わらず、私の存在感はまさに空気と化して 無人の荒野を往くごとく この時期特有の煩わしさとは無縁の快適な学園生活を送ることができていた。その分だけ顧問をお願いした女代先生に皺寄せが行っているのだが、取引の結果なので私は気にしない。

 

とにかく、入学式から『皐月賞』が終わるまでの『春のファン大感謝祭』期間は国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台におけるマナーやエチケットがわかっていない新入生やスカウトに飢えた先輩方にトレーナーがもみくちゃにされるわけなのでこの期間中は存在感は消すに限る。

 

それかまたは『春のファン大感謝祭』期間中は重賞レース参加に向けた強化合宿に出ておくなどやり方はいくらでもあり、ファンサービスは最終日の1日顔を出すぐらいで十分だ。

 

どうせ体育祭で本気になれるのはメイクデビューすら果たせない大半の生徒たちなので、大事なレースを控えているのならトレセン学園の生徒の本分である『トゥインクル・シリーズ』での勝利を最優先しても文句を言われる筋合いはない。

 

なので、『春のファン大感謝祭』期間のお祭り騒ぎを他所に私たちは誰にも邪魔されることのない自分たちの居城とも言えるトレーナー室で優雅にコーヒーや紅茶を嗜みながら今後のローテーションや戦略を練ることができ、まさに高みの見物で今年入ってきた新入生や新人トレーナーの情報を更新していく毎日を送っていた。

 

ちなみに、その影と同化する人避けの護符というのがチーム<アルフェラッツ>のアンドロメダ座とペガスス座を意匠化したエンブレムが刻印されたものであり、生徒には防犯ブザー、トレーナーにはポケットラジオという形で配布していた。

 

ソラシンボリとその付き人であるスカーレットリボンにはポケットラジオの真の機能を使わせるわけにはいかないので防犯ブザーの方を持たせており、まだ母娘共に百尋ノ滝の秘密基地には招待していないチーム<アルフェラッツ>の準メンバーという扱いだった。

 

いずれは百尋ノ滝の秘密基地に招待して正メンバーに加わることだろうが、まずは表舞台であるトレセン学園にしっかりと足をつけることを覚えてもらい、裏舞台との両立が可能になるのを見極めてからである。

 

 

ガチャ・・・

 

 

ナリタブライアン「おい、斎藤T。来たぞ」

 

斎藤T「ああ、いらっしゃい。副会長」

 

ソラシンボリ「あ、お邪魔しています、副会長!」

 

スカーレットリボン「まあ、ナリタブライアン!」

 

ナリタブライアン「ああ、客人か。このトレーナー室に出入りしているということはそういうことか」

 

ナリタブライアン「とりあえず、今日も新入生たちの相手をしてきたぞ。さあ、もてなせ。シャワーを使わせてもらうからな」

 

斎藤T「どうぞ」

 

 

ジャー・・・

 

 

スカーレットリボン「ソラの言っていたとおり、“怪物”ナリタブライアンが毎日のようにシャワーを浴びに来るトレーナー室ですか……」

 

ソラシンボリ「似たような感じとして、今の生徒会室にはキタサンブラックとサトノダイヤモンドって入試の時にトップテンに入っていたお嬢さん方がよく出入りして生徒会の仕事を手伝っているよね」

 

マンハッタンカフェ「テイオーさんが憧れの“皇帝”の許に通い詰めていた時と同じですね。今度はテイオーさんが憧れの“帝王”として自分を慕ってくれる後輩のことを力強く導いていくのでしょうね」

 

スカーレットリボン「いいですねぇ。私も“不滅の帝王”トウカイテイオーの大ファンですから、“永遠なる皇帝”シンボリルドルフと同じように慕ってくれている後輩ができたことは喜ばしいことです」

 

ソラシンボリ「ボクとしてもトウカイテイオーの奇跡の復活劇に憧れているから、“帝王”が次期生徒会長に相応しい人望を持ち合わせていることが誇らしいや」

 

アグネスタキオン「ふぅン。サトノダイヤモンドに関してはサトノ家とメジロ家の付き合いからメジロマックイーンとも顔馴染みだろうしねぇ」

 

アグネスタキオン「他に生徒会役員の周りで気になる子はいなかったかい?」

 

ソラシンボリ「あと、ブリュスクマンっていう帰国子女の物静かな子が生徒会長:エアグルーヴからお褒めの言葉をいただいて、それに感銘を受けたのか、割りと生徒会長の周りにいるのを見かける感じ」

 

 

――――――そして、なんと言ってもノルウェーからの留学生:アクアビットかな!

 

 

斎藤T「そうか。やっぱり強い? そんなに?」

 

ソラシンボリ「ボクが考えるに、『強い』というよりは『油断ならない』かな。物凄く研究熱心な子で瞬発力がずば抜けているから、単純な直線勝負だったらキタサンブラックやサトノダイヤモンドを完全に超えているとボクは思うな。スタートダッシュの速さが尋常じゃない」

 

ソラシンボリ「ただ、入学して初めての教練で教官から日本の芝の走り方を教わっていた時に思ったよりも上手く走れていなかったことを気にしていたから、掛かった時に力加減を間違えて脚がポッキリ折れそうで怖いところがあるかな」

 

アグネスタキオン「ふぅン?」

 

マンハッタンカフェ「タキオンさん、興味が湧いた相手を被験体(モルモット)にしようとしていませんか?」

 

アグネスタキオン「さて、どうだろうねぇ。たしか、『URAファイナルズ』準決勝トーナメント観戦プログラムの時に会っていたはずだから、今一度 会ってみるのもおもしろそうだと思っただけさ」

 

スカーレットリボン「他にはどんな子がいた感じ?」

 

ソラシンボリ「そうだねぇ。リトルココンにビターグラッセも入試の時から伸びそうだと思ってたし、ジュエルネフライトやデュオジャヌイヤ、ドミツィアーナって日本じゃ馴染みがない名前の子も良い感じだった」

 

斎藤T「余裕綽々だな。今年メイクデビューしないことが取り決めで決まっているにしても、自分が戦う相手じゃないと思って高みの見物ってところか」

 

 

ソラシンボリ「だって、満を持してメイクデビューを果たす“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンに同世代で勝てるウマ娘なんているはずがないし、その担当トレーナーも“学園一の切れ者”斎藤Tなんだよ?」

 

 

ソラシンボリ「たとえボクが予想した才能はあってもスカウトされなくちゃ『トゥインクル・シリーズ』にそもそも出られないし、そのスカウトを勝ち取るための『選抜レース』で好走するまでは実質的に自分が持てる全てを総動員しないとなんだし、スカウトを勝ち取るまでのレース以外の全ての人間力が問われているわけだから」

 

ソラシンボリ「それで狭き門をいくつも潜り抜けてようやくメイクデビューを果たしたところで夢の舞台の頂点で待っているのが“皇帝”シンボリルドルフが誰よりもその才能を高く評価していた“超光速の粒子”アグネスタキオンだよ?」

 

ソラシンボリ「ボクは“皇帝”シンボリルドルフの在り方を受け継いだ気になって、“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンがどこまでやれるのかを特等席で見ているから」

 

ソラシンボリ「そういうわけで、応援してます、先輩!」

 

アグネスタキオン「煽てたって何も出やしないさ、ソラシンボリくん」フフッ

 

アグネスタキオン「けど、私の研究を引き継いでくれるのは大歓迎さ!」

 

 

アグネスタキオン「肉体改造強壮剤の効果の程は実感しているだろう? 私のように研究室に閉じ籠もりではいられないだろうから、かなり効果を薄めたものだったけど」

 

 

ソラシンボリ「はい! かなりの疲労感を伴いましたけど、これは日常生活の中のちょっとしたことでもハードトレーニングが出来てよく効きます!」

 

アグネスタキオン「肉体改造強壮剤は“本格化”を抑える成分も含まれているわけだから、メイクデビューを果たした後は使用は控えることだね。どこまで待ち続けて実を実らせるかは自分で判断してくれたまえ」

 

スカーレットリボン「全寮制でなければ私が肉体改造強壮剤の反動で動けなくなったソラの面倒を最後まで見ることができるのですけれど……」

 

ソラシンボリ「いいよいいよ。自分の面倒ぐらい自分で見れるし。寮生活なんてシンボリ家での養育の延長線だもん」

 

ソラシンボリ「それに、どうせ『選抜レース』で走った後、スカウトを断り続けて しばらく経ったら、すぐに忘れ去られてボクも学園の空気になるだろうからさ。シンボリ家の看板なんてものも所詮はそんな程度のものだし」

 

スカーレットリボン「……あまりそういうことを言うもんじゃないですよ、ソラ。あなたも立派なシンボリ家の令嬢でしょうに」

 

ソラシンボリ「だって、ボクの本当の名前は“ソラシンボリ”じゃないし、シンボリ家の恩返しなんて重賞レースを1勝でもすれば十分だよね?」

 

スカーレットリボン「どうして“皇帝”シンボリルドルフと同等の英才教育を受けられたのに、そんな恩を仇で返すような物言いになるのですか?」

 

ソラシンボリ「そんなの簡単だよ」

 

 

――――――トレセン学園で一番に優先されるべきものは何? そうだよ、“ウマ娘ファースト”だよね?

 

 

ソラシンボリ「だから、レースで走ることのないシンボリ家の偉そうでヒマなおじさんおばさんの言うことなんて、ボクがやりたいことに反するなら従う気はないよ」

 

ソラシンボリ「ねえ、“ウマ娘ファースト”ってそういうことでしょう? 自分たちが言っていることの矛盾に気づかないって恥ずかしいことだよね? そのことを認識できないって脳に問題があるからだよね?」

 

ソラシンボリ「実力主義や成果主義のウマ娘レースならさ、“皇帝”シンボリルドルフの遺産に縋って偉そうな態度をとるのは筋違いだよね? 権威ではなく実績でもって人を従えるべきだよね?」

 

ソラシンボリ「そもそも、トレーナーってのはウマ娘を勝たせるために全力を注ぐのが役割なわけで、実家の人間だろうと外野が好き勝手言うのもウマ娘の機嫌を損ねる危険因子として排除されたって別にいいよね?」

 

スカーレットリボン「こ、この子ったら……」

 

ソラシンボリ「あ、ウソウソ。本当はそう思っているけれども、面と向かって言うことはないから、心配しないでよ。そういう分別はあるから」

 

スカーレットリボン「………………ああ、親の顔が見てみたい。(生みの親)だけど(育ての親)じゃないんだけどね」ハァ・・・

 

斎藤T「とんだ暴れん坊だな、ソラシンボリ。徳田 新之助(暴れん坊将軍)も庶子の生まれで八代将軍吉宗になったわけだしな」

 

ソラシンボリ「なら、そっちは“慌てん坊”だよね。トレーナーなのに担当ウマ娘よりも世界中を所狭しと走り回っている“斎藤 展望”なだけに」

 

ソラシンボリ「ね、テン坊さん」

 

斎藤T「お坊さんっていうのは坊というのが寺院において僧または檀信徒のための宿泊施設でそこに住むから“お坊さん”なわけで、子供にも“坊”と呼ぶのは寺子屋に代表されるように寺院が児童教育の中心だったからだ」

 

斎藤T「そして、明治維新の神仏分離以前の神社仏閣は神仏習合であるから、私も神道家であると同時に仏教徒だから、この暴れん坊を我が神宮寺の寺子屋の弟子にとってやろう」

 

ソラシンボリ「お願いします、先生! そして、将軍の御膝元を守る御庭番になりましょう! 享保の改革!」

 

マンハッタンカフェ「……これは悪い意味で私たちの在り方を継いだ後輩になりますね、タキオンさん」

 

アグネスタキオン「……そうだねぇ。『桜花賞』を制したスカーレットくんのように 一見すると素直で可愛げがある優等生のように見せかけて、『皐月賞』を制するだろうシャカールくんのように剛毅で、なかなかの食わせ者だねぇ」

 

マンハッタンカフェ「ですが、そういう人物だからこそ これまでの価値観から脱して新しい在り方を追究できるのかもしれませんね」フフッ

 

アグネスタキオン「まあ、カフェ。まずはきみが勝ちたまえよ。私が見込んだきみの天稟を世に示すんだ。そのためのプランBなのだから」

 

アグネスタキオン「そして、私もプランAで勝ち上がるから、最終的には来年の『有馬記念』で雌雄を決するとしよう」

 

マンハッタンカフェ「いいですよ。来てください、タキオンさん」

 

 

――――――タキオンさんがサンタアニタで可能性の“果て”に手が届きそうになったように、今の私も“お友だち”の背中に追いつけそうな予感がしていますから。

 

 

斎藤T「どうぞ。今日はシカゴ発祥のグレイビー(肉汁)ソース塗れのパンにローストビーフを挟んだイタリアンビーフ・サンドイッチです。今回の『春のファン大感謝祭』の仕入れで大量に出た屑肉が原料ですよ」

 

アグネスタキオン「その大量の屑肉を処分するためにフォン(出汁)を長時間煮込んでいたのが私だ。屑肉を乗せて肉汁をたっぷり吸う固いパンと組み合わせれば完成だ」

 

ソラシンボリ「うわぁ……。肉汁たっぷりどころかパンが肉汁に染み込んだものを提供しているよ。作り方は揚げパン並みに単純だけど、カロリーがヤバそうな料理だねぇ……」

 

スカーレットリボン「これは大人になってからは簡単には食べることができないですねぇ……」

 

斎藤T「日本じゃ馴染みがないだろうけど、シカゴ料理はアメリカでは地方料理の代表格として一定の市民権を得ているんだぞ」

 

ナリタブライアン「ほう、パンを肉汁に浸したサンドイッチか。今までありそうでなかった肉好きにはたまらない一品だな。どれ、いただくとしようか」ガブッ!

 

斎藤T「じゃあ、肉マニアの分は出し終わったことだし、私たちはクラブハウスサンドイッチでも摘むか。野菜コンソメスープもな」

 

マンハッタンカフェ「本格的なアメリカ料理を見るとつい先日のサンタアニタを思い出しますね。西崎Tも和食のように栄養バランスのとれた献立をアメリカで作ろうとして一生懸命にレシピノートに書き留めていましたから」

 

ソラシンボリ「うんうん。スズカ大先生のためにアメリカで買えるものだけで何とか日本と同等の献立を作ろうとした努力が伝わって『本当に愛されているんだな~』って凄く感激しちゃいました」

 

スカーレットリボン「そう言えば、ブライアンさんは優駿競バ『ドリームトロフィーリーグ』への移籍を果たしましたが、担当トレーナーはどうしているんですか?」

 

ナリタブライアン「ああ、有馬一族の御曹司である義兄貴が紹介してくれたトレーナーが就いてくれた。元から義兄貴が不治の病でトレセン学園を離れる際には姉貴に有馬一族のベテラントレーナーを紹介してくれていたことだし、その流れに私も乗ったわけだな」ムシャムシャ

 

スカーレットリボン「そうだったんですか。それはよかったです」

 

ナリタブライアン「……まあな」ムシャムシャ

 

斎藤T「………………

 

ソラシンボリ「今年の生徒会は本当にスゴイよね。生徒会長:エアグルーヴが活動再開して いきなり『サンケイスポーツ杯』を獲って、『ビクトリアマイル』『宝塚記念』まで見据えて まるで全盛期を取り戻したみたいにギラギラしだしたことだし――――――、」

 

ソラシンボリ「副会長も副会長で、在学中に『ドリームトロフィーリーグ』に昇格して、今年の夏に向けて猛特訓しながら新入生たちの相手もしてさ――――――、」

 

ソラシンボリ「故障で引退した書紀も会計も新入生の中でもトップテンに入る将来有望な後輩に慕われて、早速 生徒会活動を手伝ってもらって、学園の顔役としてちゃんとみんなに慕われているしね」

 

アグネスタキオン「その意味では新生徒会は新時代を導いていくスタートダッシュを綺麗に決めることができて、偉大なる先代も一安心だろうねぇ」

 

ナリタブライアン「まあ、ここまでエアグルーヴが学園生活最後の1年を競走ウマ娘の一人としてもやりきって有終の美を飾る気になったのには私も驚いているよ。今だったら『宝塚記念』や『有馬記念』でいい勝負ができそうなだけに少し残念に思う」ムシャムシャ

 

ナリタブライアン「しかし、卒業生が巣立った以上に新入生が入ってきたことで総生徒数2200名弱へ大増員でいろいろと大変になってきているな、学園の運営も」ムシャムシャ

 

マンハッタンカフェ「……そうですね。黄金期の最後を飾った『東京大賞典』『有馬記念』『URAファイナルズ』のおかげで入学者が大幅に増加したわけですが、それに対して新人トレーナーの採用が圧倒的に追いついていません」

 

アグネスタキオン「学校法人:トレセン学園の運営方針とトレーナー組合の採用基準が根本的にちがうからねぇ」

 

斎藤T「学園としては 黄金期最後の輝きに魅せられて ますます増えると予測された入学志願者を順調に取り込めたわけだけど、相変わらずの『合格者が出ない年もある』と言われるぐらいの資格試験の難易度は如何ともし難い」

 

斎藤T「そう、資格試験なんだよ、中央のトレーナーになるっていうのは。運営状況に合わせて定員枠を調整できる入学試験とは本質が異なるんだ」

 

アグネスタキオン「資格試験は全員の能力が一定水準あると認められれば受験者全員が合格にもなるが、全員がそうでなければ容赦なく全員を不合格にするべきものだからねぇ」

 

マンハッタンカフェ「それに対して、入学試験は定員枠に上から順番に合格者を入れるものだから、入試倍率が高いトレセン学園では定員割れを起こすことはまずないわけですよね……」

 

スカーレットリボン「ですので、URAとしてはトレーナーライセンスの資格試験合格者を増やすための措置をとるつもりみたいですね」

 

ソラシンボリ「だよねぇ! トレセン学園は安定した拡大路線を進んでいるのに、URA所属のトレーナーが一向に増えないんだよ! 担当ウマ娘と担当トレーナーの絆の力を謳っておきながら ますます二人三脚ができない状況に追い込まれていることに危機感をもっと持った方がいいよねぇ!」

 

スカーレットリボン「……ソラ」

 

斎藤T「……そうか、21世紀の資本主義社会において需要と供給のバランスが破綻するのは何も市場経済だけじゃなかったか

 

ナリタブライアン「なるほど、将来的にトレセン学園はおろか日本ウマ娘レース業界はトレーナー不足を解消できないがために最後には需要と供給のバランスが取れる場所まで後退する羽目になるわけなんだな……」ムシャムシャ

 

ナリタブライアン「そういう意味では私たち姉妹は有馬一族という最高のトレーナー一族と契約を結べた時点で安泰ではあるのか……」ムシャムシャ

 

斎藤T「それ以上に『合格者が出ない年もある』と言われるぐらいの資格試験に合格したような逸材を使い潰すような肉体的にも精神的にも過酷な労働環境をどうにかしないといけないんだけどね!」

 

斎藤T「トウカイテイオーの岡田Tやメジロマックイーンの和田Tのように最初に担当したウマ娘のために全てを捧げるトレーナー人生っていうのはいろんな意味で業界が求めるものから逸脱した不健全極まるものだ!」

 

アグネスタキオン「そういうきみも妹の養育費と自分の趣味の宇宙船開発の資金集めというかなり場違いな理由で夢の舞台にやってきた“門外漢”なんだけどねぇ?」

 

斎藤T「しかたがないじゃないか。受験資格を得て資格試験に合格できればURAのトレーナーライセンスは誰でも得られるんだから。そこに個人の事情が介在することを止めることなんて誰にもできやしない」

 

斎藤T「もしも“斎藤 展望”がウマ娘に撥ねられて意識不明の重体にならずに中央トレセン学園を追放されていたら横浜トレセン予備校に転がり込んでいた可能性だってあるかな、今になって考えてみると」

 

マンハッタンカフェ「ただでさえ、毎年のURAトレーナーライセンス取得者が少ないのに、中央トレセン学園から独立した他のURA登録団体に人材が流れていったら、この夢の舞台も夢から覚める時を迎えるのは早そうですね……」

 

 

現在、新時代を迎えて総生徒数2200名弱まで迎えて ますます成長していく中央トレセン学園であるが、実際には中途退学者が毎年のように列をなすのが夢の舞台の非情な現実であり、

 

ほぼ独力で磨いてきた己の才能のみでスカウトを勝ち取る第一の関門となる『選抜レース』で己を知り、敵を知り、夢の舞台の現実を思い知って心が折れた新入生が足早に退学することになることを踏まえると、最終的には総生徒数2100名強に落ち着くのではないかと予測されていた。

 

しかし、その一方で、総生徒数2200名弱まで増えた生徒たちを『トゥインクル・シリーズ』に出走させる権利を持つトレーナーの増加率が明らかに追いついていないわけであり、頭数を揃えることができていないわけなのでトレーナーこそがウマ娘の足を引っ張っている状況が更に悪化していると言えた。

 

もちろん、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』のトレーナーライセンスは国家の威信がかかった国家資格なので、その水準を下げるということは国家の品位を下げることに繋がりかねないので、軽々しく規制緩和はできないわけであった。

 

だからこそ、厳しい資格試験に合格した指折りの英才たちである中央のライセンス持ちのトレーナーからのスカウトには価値があるわけであり、ありがたみがあり、重みがあるわけなのだ。

 

そのことに胡座をかいて増長して自分たちの利益の最大化を図った結果が八百長試合が横行することになった“トレーナーのトレーナーによるトレーナーのためのウマ娘レース”のかつての暗黒期であり、

 

そのアンチテーゼとして“ウマ娘のウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘レース”を目指したのが過渡期を経たシンボリルドルフの6年間による黄金期であった。

 

そのためにより多くのウマ娘たちに夢をつかむ機会を与えるために合格枠を増やして学園の規模を拡大化してきたわけなのだが、ここに来て真剣にトレーナー不足と向き合わなければならなくなってきたのだ。

 

というのも、“皇帝”シンボリルドルフと共に新設レース『URAファイナルズ』開催に導いて黄金期の繁栄をもたらしてきた秋川理事長であったが、『私財を擲った無茶振りも限界が近づいている』という見方が業界の大部分でなされるようになっていたのだ。

 

要は、秋川理事長の無理押しに周囲がついてこれたのも“皇帝”シンボリルドルフという絶対者がいたおかげであり、シンボリルドルフの卒業に合わせた『URAファイナルズ』開催までは周囲も耐えてくれていたが、

 

シンボリルドルフという求心力の要を失った今、秋川理事長の無茶振りにこれ以上ついていく気力も従う意欲も萎えてきたというのが各方面の正直な声なのだという。

 

実際、『URAファイナルズ』初代大会はウマ娘レース史に残るほどに最高に盛り上がったものの、運営面においては最初ということを差し引いても至らないところや軋轢を生んだところが多く見受けられたのだ。

 

世界中からの大絶賛の声もあって『URAファイナルズ』を毎年恒例にすることがURA理事会で可決されたものの、もうこれ以上の負担や変化は歓迎しないことを表明することになり、秋川理事長に対して自重することを要求し、暗にトレセン学園理事長の座からそろそろ引退することを仄めかすようにもなったのだとか。

 

そんな話を駿川秘書と親しい関係の飯守Tから聞かされたばかりのため、黄金期の遺産を受け継いでどれだけ生徒会が中心になって新時代のトレセン学園を盛り上げていったところで待ち受けているのは、致命的なトレーナー不足による未出走バの増大による需要と供給の完全破綻(バブル崩壊)である。

 

そう、いつかは成長は止まり後退が始まるのが景気というものであり、ウマ娘レースの人気が下火になった瞬間にトレセン学園は経営合理化(リストラ)の波に晒されることだろう。

 

 

――――――だが、それでは困るのだ。タイムパラドックスを成功させてWUMA襲来の絶望の未来との因果を完全に断ち切るまでは黄金期の輝きで世が照らされ続けていなければならないのだから。

 

 

ナリタブライアン「屑肉を使っている割にはなかなか美味いな、このイタリアンビーフというやつは」ペロリ

 

アグネスタキオン「まあ、言うなればイタリアンビーフのグレイビーソースは牛丼のつゆだくみたいなものだからねぇ。牛丼チェーン店のノウハウを応用すれば、日本人好みのイタリアンビーフ・サンドイッチが出来上がるわけだよ」

 

斎藤T「もともと、イリノイ州の最大都市:シカゴのの精肉業地区で働くイタリア系移民が売れ残った屑肉を家庭で処分するために工夫を凝らしたものがイタリアンビーフの名の由来だ。ちなみにイリノイ州の州都はスプリングフィールドだ。シカゴではない」

 

斎藤T「だから、イタリアンビーフの特徴となるつゆだくのグレイビーソースの味がまとまれば、どんな肉でも後から火を通して混ぜ合わせることができて手軽だから、イタリア系アメリカ料理店の定番になったわけだ。スープが決め手だ」

 

ナリタブライアン「そう聞くと普通に牛丼にしても美味そうだな、この具材。さしずめ、牛丼パンといったところか」

 

アグネスタキオン「まあ、スープ(soup)の原型は元来は長期保存のために固くなったパンを食べやすいように肉や野菜を煮込んだ鍋物の出汁と具のことだしねぇ。スープ(soup)の語源に至ってはラテン語の『浸す(suppare)』で“煮汁に添えるパン”って意味になる」

 

マンハッタンカフェ「すると、このイタリアンビーフ・サンドイッチはスープに浸して柔らかくなったパンは語源通りの“煮汁に添えるパン(suppare)”になっているわけなんですね」

 

斎藤T「じゃあ、ご飯パックにグレイビーソースをかけてみるかい?」

 

ナリタブライアン「ああ! やはり米だ! 日本人には米が合う! イタリア風牛丼(イタリアンビーフ・ライスボウル)と洒落込もうじゃないか!」

 

スカーレットリボン「じゃあ、レンジでチンしておきますね」

 

ソラシンボリ「あ、ボクもイタリア風牛丼(イタリアンビーフ・ライスボウル)! そうだ、もしかしてこれが本当の“イタ飯”ってやつ?」

 

ナリタブライアン「あ、いや、それぐらいは私がやる。さすがに斎藤Tの客人に働かせるわけにはいかない」

 

斎藤T「けど、全寮制の学園で在学生が増えるということは、その分だけ生徒たちのプライベートな住宅団地になる学生寮を治める自治会の負担も大きくなることに繋がるわけだが……」

 

アグネスタキオン「たしかに。生徒以外立ち入り禁止だからこそ自治会の権限が強いわけだが、これ以上の拡大は自治会の手に余りそうな気がするねぇ」

 

マンハッタンカフェ「今年で卒業になる寮長2人:ヒシアマゾンさんとフジキセキさんが安心して卒業していける状態にまで持っていかないと、来年が不安になりますね」

 

斎藤T「生徒会役員とは求められる素質がちがうわけで、それでいて生徒会役員と協調していける人材が求められることになる」

 

斎藤T「となると、来年の生徒会長候補のトウカイテイオーと交友関係を持ちながら、ヒシアマゾンとフジキセキから信頼される誰かに白羽の矢が立つことを祈るしかないか……」

 

 

フジキセキ「やあ、こんばんは。今日はサンドイッチパーティーかい、斎藤T? 美味しそうだね」ガチャ

 

 

ソラシンボリ「あ、寮長だ」

 

アグネスタキオン「おや、噂をすれば何とやら――――――」

 

スカーレットリボン「ええ!? 『URAファイナルズ』【中距離部門】優勝のナリタブライアンに続いて、『URAファイナルズ』【マイル部門】優勝のフジキセキ様ぁ!?」キャー!

 

フジキセキ「どうも」ニコッ

 

スカーレットリボン「ああ、私ってば、本当に好みのタイプがあれなんだわ……」ウットリ・・・

 

斎藤T「さあ、どうぞ、お掛けになってください、寮長。今日は大量の屑肉を処分するためのアメリカ料理:イタリアンビーフ・サンドイッチの試食会ですから」

 

フジキセキ「ああ……、『春のファン大感謝祭』期間中に出た屑肉を1つ残らず引き取ってくれていたのって斎藤Tなんだ」

 

フジキセキ「ありがとうございます。屑肉を自治会で買い取って炊き出しをしようか悩んでいただけに助かりました」

 

ナリタブライアン「よし、パックご飯が温まったところで、このグレイビーソースをかければ、イタリア風牛丼(イタリアンビーフ・ライスボウル)の完成だ!」チーン!

 

ナリタブライアン「ソラ、お前の分だ。受け取れ」

 

ソラシンボリ「ありがとうございます、副会長!」

 

フジキセキ「おや? いつも私たちのお世話になりっぱなしのブライアンが後輩のために? 明日は土砂降りにでもなるかな?」

 

ナリタブライアン「これぐらいはな」

 

ナリタブライアン「……テイオーが先代の許に通い詰めていた頃を懐かしく思うようになるとはな」フフッ

 

 

斎藤T「それで、他にも学生寮自治会で困っていることはないですか? たとえば『次の寮長を誰にするか』で悩んでいませんか?」

 

 

フジキセキ「ああ、やっぱり、そのことを私に訊いてくるということは、斎藤Tも同じ悩みにぶつかったわけかぁ……」

 

マンハッタンカフェ「どうなんですか?」

 

フジキセキ「正直に言うと、これがなかなかに困った問題でねぇ……」

 

フジキセキ「総生徒数が結果として去年よりも200も増えて2200名弱にもなったわけだから、当然だけど その分だけ自治会が憶えておかなくちゃならない生徒もたくさん増えるわけなんだよね……」

 

フジキセキ「あと、自治会の子たちは私のために力を貸してくれている子がほとんどだから、どうしても――――――」

 

斎藤T「――――――どうしても主体性が乏しい上にトレセン学園の顔役になる生徒会役員と真っ向から言い合えるだけの胆力がないから頼りにならない、とか?」

 

フジキセキ「……そんなところかな」

 

フジキセキ「いや、自然なことなんだよ、それが。私たちは走ることが大好きで勝負事に熱くなりやすいウマ娘だから、他人の面倒を見るよりも競走ウマ娘としての本分を果たしに学園に来ていることだしね」

 

フジキセキ「ただ、生徒以外立ち入り禁止の巨大な住宅団地となっている学生寮を治める自治会の長ともなると、それはもう市長みたいなものだから、大統領や首相みたいな立ち位置の生徒会長と比べたら非常に地味だけど、」

 

フジキセキ「トレセン学園の生徒になったら学生寮がみんなの家になるんだから、そこに住む人たちの暮らしに直結している寮長の地位は軽々しく渡せないよね……」

 

斎藤T「でも、その想いが生徒たちを堕落に導いているとしたら――――――? 理想の寮長の存在が後輩たちの成長や自立の妨げになっているとしたら――――――?」

 

斎藤T「だとしたら、あなたは組織の癌だ。組織の新陳代謝に破壊をもたらす癌細胞だ。そして、癌細胞が転移しまくって激痛にのたうち回って最後はガリガリに痩せ細って死ぬんだよ、みんな」

 

フジキセキ「……なら、どうしたらいいんだろう? 教えてくれるかな?」

 

 

斎藤T「簡単だよ。新生徒会長:エアグルーヴが実践しているように、自分は新しいことにどんどん挑戦していって、部下にどんどん仕事を回していけばいい」

 

 

フジキセキ「え」

 

ナリタブライアン「そうなのか?」

 

ソラシンボリ「………………」

 

斎藤T「これも社会勉強だと思って聞いて欲しい」

 

斎藤T「基本的に会社で偉い人の仕事は全体の総括をして大局的な見地から重要な決断することであって、それを支えるための運気を身に着けるために涵養に励むことが一番の任務だから」

 

フジキセキ「へえ?」

 

ナリタブライアン「そういうものか……」

 

斎藤T「要するに、憧れの人が新しいことに挑戦するための応援を惜しまないファンがついているのなら、そのファンに自分がやってきたことを手取り足取り指導してあげることで、憧れの人と自己同一化させて仕事を覚えさせて自信をつけさせることです」

 

斎藤T「――――――自分の在り方を受け継いだ分身のような弟子を作る。それが1つ」

 

斎藤T「だから、卒業を見据えるようになったら少しずつ他人の肩に寄り掛かるようにワガママに生きてください。どうせ、最後まで真面目に偉い立場を貫き通したところで、卒業したら次の1年は一番の下っ端になるんだから」

 

斎藤T「――――――最後の1年は世代交代を意識して 偉い立場でも下っ端でもない 一人の人間としての個性を磨くことです」

 

ナリタブライアン「なるほどな、たしかに。トレセン学園を卒業したら生徒会役員だとか学生寮自治会での役職なんか全部なくなって、進学先ではピカピカの新入生になって また先輩方のシゴキに耐える日々が始まるんだからな」

 

フジキセキ「そっか。なるほど。よくわかりました。ありがとうございました」

 

フジキセキ「新生徒会長:エアグルーヴが 生徒会役員に全力で支えられながら もう一度 競走ウマ娘としての自分の在り方を貫くようになったのには、そういった教えがあったからなんですね」

 

フジキセキ「なら、私もウマ娘としての更なる高みを目指そうかな? 『ドリームトロフィーリーグ』昇格の誘いもあったことだしね」

 

スカーレットリボン「そうなんですか! それは素晴らしいことですね!」

 

ソラシンボリ「………………」ジー

 

アグネスタキオン「おやおや、どうしたのかな、ソラシンボリ? 手が止まっているぞ?」

 

ナリタブライアン「ああ、冷めるぞ?」

 

 

ソラシンボリ「ねえ? みんな、理想という名の完璧を求めているのに完璧になったらいけないの、それって?」

 

 

スカーレットリボン「……ソラ?」

 

ソラシンボリ「どうなの? たしかに黄金期だって完璧じゃなかったにしても、その黄金期を導いた人たちはまさに理想の体現者だったよね? 秋川理事長や“皇帝”シンボリルドルフ、その後を継ぐことになったトレセン学園生徒会にしても、学生寮自治会のメンバーだって歴代最高の面々だよ?」

 

ソラシンボリ「なのに、『組織の癌細胞』だなんて……」

 

マンハッタンカフェ「私もそのことを疑問に思います。もし私が“お友だち”の背中に追いついたら、斎藤Tは私のことを完成したウマ娘と評しながら冷ややかな眼で見るのでしょうか?」

 

 

 

斎藤T「――――――新世界なんて来ない。ただ今まで通りの世界が続くだけ

 

 

ソラシンボリ「え」

 

マンハッタンカフェ「…………どういうことです?」

 

斎藤T「別な言葉で言ってやろう」

 

斎藤T「神の国は目に見える形では来ないし、地獄の正体は人心そのものに見たり」

 

斎藤T「天国だの、極楽だの、楽園だのが説かれて何千年――――――、人々は未だに苦しみの中で古聖の教えを学んでは頷くばかりだ」

 

斎藤T「そうして藻掻き苦しみながら死んでいくのが世の常である一方で、確実に世界が素晴らしい方向に突き進んでいることを知らないんだ」

 

斎藤T「そのことを知るべきなんだ。連綿と続いてきた人の営みの歴史にこそ現実に起きた事象を超えたものが起き続けていることを」

 

ソラシンボリ「えと……」

 

スカーレットリボン「……つまりはどういうことです?」

 

 

斎藤T「毎日 朝のトレーニングをし続けて、1年後も朝のトレーニングをし続けている自分という存在は同じか?」

 

 

アグネスタキオン「当然、頑張った分だけトレーニングの効果は望めるだろうから、1年後の自分は 1年間 同じことをし続けて同じに見えていても、実際には日に日に進化しているということだろう?」

 

フジキセキ「ああ、そういうことか。『男子 三日 会わざれば刮目して見よ』というやつだね」

 

フジキセキ「その上で、みんなから朝のトレーニングをし続ける機会を奪わないように心掛ければいいわけだね」

 

フジキセキ「ありがとうございます。今はっきりと寮長としての最後の1年間をこれからどうすべきかがわかりました」

 

ナリタブライアン「――――――『新世界なんて来ない。ただ今まで通りの世界が続くだけ』。いつもながら大した教えだな」

 

ソラシンボリ「……よくわかんないや。なんでだろう」

 

フジキセキ「今のはね、『私一人だけで理想を目指すのがいけない』というだけの話だよ」

 

フジキセキ「さっきの斎藤Tの譬え話で思ったんだ。私が寮長として学生寮の子たちの安寧を守ろうと意気込んでいたのは独り善がりだったのかもしれないって」

 

フジキセキ「まるで私一人が倒れたら学生寮の子たちが路頭に迷うみたいになるだなんて微塵も思ってもいなかったけど、今こうして次期寮長として生徒会役員とも渡り合える誰かがいないだなんてことを嘆いているのはそういうことなんだって……」

 

フジキセキ「だから、私は これから私が次期寮長になって欲しいと思う 真心と思いやりのある子を卒業までに次期寮長として育て上げようと思うんだ」

 

スカーレットリボン「なるほど! 素敵なことですね!」

 

ナリタブライアン「……どこかで聞いたような話だな」

 

ナリタブライアン「あ、そうか。先代が私のことを副会長に指名してきた時に言われていたな、たしか」

 

 

シンボリルドルフ『――――――残念ながら否だよ、“怪物”ナリタブライアン』

 

シンボリルドルフ『“女帝”エアグルーヴという右腕ができて欲が出た』

 

シンボリルドルフ『より高い理想の世界へ手を伸ばすため、私はきみを巻き込みたい』

 

シンボリルドルフ『あまりに純然たるウマ娘としての本能を。爛々と燃え盛る魂を持つ、きみにこそ頼みたいんだ、ブライアン』

 

 

ナリタブライアン「そうだな。そのとおりだったよ」

 

ナリタブライアン「役員なんてガラじゃない私がいつの間にか自分から生徒会総選挙で立候補するまでになっていたのだからな」

 

フジキセキ「うん。そうだよ。“皇帝”シンボリルドルフは立派に“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンを生徒会役員として育て上げたんだ」

 

フジキセキ「なら、私も『いる/いない』じゃなくて素質のある子を導けばいいだけだったんだ」

 

ソラシンボリ「――――――それが毎日のトレーニングの譬え話の意味」

 

アグネスタキオン「よかったね、カフェ。きみが“お友だち”に追いついたとしても、きみがきみである限りは何も変わらないという結論が得られた」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。まだ実感が湧きませんけど――――――」

 

 

――――――ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 

 

斎藤T「はい、これは何だ?」

 

ソラシンボリ「はい、先生! 鴨長明『方丈記』!」

 

斎藤T「正解!」

 

斎藤T「ある瞬間を切り取って比較すると厳密には同じじゃないんだけど、全体としての同一性としては同じなんだよ。連続性というものがあるんだよ、存在には」

 

アグネスタキオン「――――――『テセウスの船』かい?」

 

斎藤T「あなたもいつまでも“お友だち”に追いつきそうになかった自分と最近になって“お友だち”追いつけそうだという手応えを感じた自分が同じだと言い切れるかな?」

 

マンハッタンカフェ「――――――そういうことでしたか」

 

マンハッタンカフェ「はい、わかりました。ご教授、ありがとうございました」

 

斎藤T「どういたしまして」

 

ソラシンボリ「そっか。いくらでも人は変わっていけるものなんだね」

 

ソラシンボリ「ボクね、シンボリ家のウマ娘として入学してきたけど、特に目指したいレースや称号なんてなかったんだよね。才能を持て余していると言ったら周りから怒られそうだからシンボリ家のウマ娘としての外面を保っているだけでね」

 

スカーレットリボン「ソラ……」

 

ソラシンボリ「でも、やっぱりボクもウマ娘だから、“永遠なる皇帝”シンボリルドルフや“不滅の帝王”トウカイテイオーという相反する2人の競走ウマ娘の生き方に憧れを抱いて、それでどういう学園生活を送ったらいいのか全然わからなかったけど、少しはこうありたいって思えるものができたかな」

 

 

――――――ボクね、“夢のヒーロー”になりたいんだ。まだまだはっきりとした形にはならないけど、そう思っているんだ、ずっと。

 

 

フジキセキ「なら、是非とも学生寮自治会でみんなのお世話をやってみない? きみの飾り気のない態度はなかなかに魅力的だよ」

 

ナリタブライアン「いや、こいつと話しているとシンボリルドルフとトウカイテイオーの両方と話しているような気分にさせられるから、生徒会役員がいいんじゃないか? 流星もそっくりだしな」

 

アグネスタキオン「やめたまえ、きみたち。この子は私の研究を受け継いで新たなプランを完成させるのだから、ウマ娘の可能性の“果て”へ到達するのを邪魔しないでくれないか?」

 

マンハッタンカフェ「焦って決断することもないと思いますよ。のんびりと温かいコーヒーを飲んで落ち着いた日々を過ごすのも悪くないと思います」

 

ソラシンボリ「あはは……」

 

スカーレットリボン「どうでしょうか、斎藤T? ソラは何を目指したらいいでしょうか?」

 

斎藤T「とりあえず、お試しとして全部やればいいと思います。その中で肌に合うものがあれば、その道を追求すればいいのだし、立場や思想に囚われることのない“全てを極めし者”を目指すと言うのもこれからの時代はありなんじゃないかと」

 

 

斎藤T「その仲介役を担える場所としてエクリプス・フロントにて絶賛活動中のクラブ活動:ESPRITがあることをお忘れなく」

 

 

ソラシンボリ「それもそっか。ボク、ESPRITの部員だもんね」

 

ソラシンボリ「だったら、ボクは部員の立場からみんなにソリューションを提供させてもらいまーす!」

 

フジキセキ「そうか。じゃあ、その時は是非とも耳寄りなソリューションをお願いするね、ソラシンボリくん」

 

ナリタブライアン「まあ、学園一危険なウマ娘と学園一不気味なウマ娘が揃って部員になっているところにソラシンボリが入っているのなら面倒事は少なくなるから、それはそれでいいか」

 

アグネスタキオン「そうだろうそうだろう! ソラシンボリくんには私は大いに期待しているぞ!」

 

マンハッタンカフェ「厄介な人に目をつけられましたね、ソラシンボリさんも」

 

 

ソラシンボリ「でも、嬉しいです。こうして皆さんと仲良く食卓を囲う仲に“私”はなれたのですから。本当はシンボリ家の令嬢として周りから距離を置かれると思ってましたから、ずっと」ニコッ

 

 

フジキセキ「おや、正式なお礼を言うためにシンボリ家の令嬢としての作法になったね」

 

ナリタブライアン「この公私の使い分けがシンボリルドルフとトウカイテイオーの一人二役に感じられるからやりづらいんだ……」

 

スカーレットリボン「ソラのこと、よろしくお願いします」

 

斎藤T「ええ。責任を持ってお守りいたしましょう」

 

フジキセキ「じゃあ、そろそろ良い頃合いだから、早速 手伝ってもらおうかな。私と一緒に門限までに帰ってこない子がいないかを見て回ろうか」

 

ソラシンボリ「わかりました、寮長」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。まだ入学して日が浅いことですし、門限までに新入生のみんなを寮に帰るように促さないとですね」

 

アグネスタキオン「ああ 面倒だねえ。私としてはずっとここで寝泊まりしていたいところなのだが。いちいち帰る必要性を感じない」

 

ナリタブライアン「だったら、外泊許可を その都度 申請することだな」

 

 

ナリタブライアン「そういえば、年明けから休日はずっと遠征にしているわけだが、毎回どこに行っているんだ、アグネスタキオン?」

 

 

ナリタブライアン「いや、言わなくていい。『皇帝G1七番勝負』で使った最新技術のVRシミュレーターなんかを提供できる場所に行っているんだろう」

 

アグネスタキオン「その辺りは想像に任せるよ」

 

ナリタブライアン「……まあ、斎藤Tがやることだ。しっかりと首輪を繋いでいるのなら心配は要らないな」

 

アグネスタキオン「失敬な! 首輪に繋がれているのはトレーナーくんの方だぞ!」

 

ナリタブライアン「だろうな」

 

ナリタブライアン「なら、余計なお世話かもしれないが、しっかりとリードは握っておけよ」

 

アグネスタキオン「……ああ。きみも、その、健闘を祈るよ」

 

ナリタブライアン「互いにな」

 

 

――――――先代も姉貴も卒業して 新しいトレーナーの下で優駿競バ『ドリーム・シリーズ』に挑む 最後の学園生活の日々に私は勇者に打倒される“怪物”として立ち続ける!

 

 




◆20XY年度 トレセン学園 生徒一覧 (中途退学または卒業済み)

卒業済み……(シンボリルドルフ)、(ビワハヤヒデ)、(ウイニングチケット)、(ナリタタイシン)

高等部3年……エアグルーヴ、ナリタブライアン、ヒシアマゾン、フジキセキ

高等部2年……トウカイテイオー、ナイスネイチャ、ツインターボ、メジロマックイーン、メジロパーマー、メジロライアン、ダイタクヘリオス、イクノディクタス、アグネスタキオン、マンハッタンカフェ、(アグネスゴールド)
 
高等部1年……ミホノブルボン、ライスシャワー、サクラバクシンオー、ニシノフラワー、ハッピーミーク

中等部3年……エアシャカール、アグネスデジタル、カワカミプリンセス

中等部2年……ウオッカ、ダイワスカーレット、アストンマーチャン、スイープトウショウ、コパノリッキー

中等部1年……キタサンブラック、サトノダイヤモンド、ブリュスクマン、ブチコ、リトルココン、ビターグラッセ、ソラシンボリ、アクアビット


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第2話秘録 Happy Birthday, My Dear ! Come Together !


この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。


 

-シークレットファイル 20XY/04/13- GAUMA SAIOH

 

トレセン学園は国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台である。

 

故に、年中休日に開催されているウマ娘レースへの出走が最優先される環境であるため、学校行事に出走日が重なった場合はもちろん学校行事への参加をあきらめることが義務付けられている。

 

しかし、それがトレセン学園の生徒のパブリックな面であるのなら、同じことがプライベートな面でも言えるわけなのだ。

 

そう、スターウマ娘ともなれば大勢のファンから盛大に誕生日を祝われるものなのだが、誕生日が出走日やその近日になってしまった場合は戦いに向けた集中力が削がれて有難迷惑となるのだ。

 

しかも、スターウマ娘のジンクスとして3月から5月頃に競走ウマ娘の誕生日が極端に集中しているため、トレセン学園宛てに日本全国から送りつけられてくる誕生日祝いの品の受け取りだけで学園の機能が麻痺することにもなる。

 

そのため、URA傘下にはそういったスターウマ娘のプライベートを守りながらファンとの間を適度に取り持つ専門業者としての物流センターとイベント会社が存在しており、毎月恒例の合同誕生日会という名の『ファン感謝デー』が開催されていた。

 

これがパブリックな学校行事である『春秋ファン大感謝祭』と対になるプライベートな個人行事というわけであり、『合同誕生日会ファン感謝デー』はこうしたウマ娘レースの興行や学校行事に重ならないように最大限の配慮がなされていたことで好評を博していた。

 

つまり、トレセン学園の生徒たちにとってはレースで勝つことが最優先となった結果、自分の誕生日に誕生日祝いをしてもらうことは稀となり、『合同誕生日会ファン感謝デー』の招待状が届くことで歳を重ねたことを実感するものとなっていた。

 

この辺りのトレセン学園での誕生日の祝われ方もトレセン学園が夢の舞台という印象を世間に与えているわけであり、人生で最高に輝いている時期に最高の誕生日会で祝われる経験はまさに至福の時間となることだろう。

 

もっとも、この『合同誕生日会ファン感謝デー』もトレセン学園の生徒ならば参加確認は必須ではあるものの強制ではないので、当然ながらこの盛大な誕生日会に参加しないことも許されているわけなのだ。物流センターで管理されているプレゼントの確認は絶対ではあるが。

 

そんなわけで、誕生日が『春のファン大感謝祭』期間に埋もれているし、『合同誕生日会』になどまったく見向きもせず、長年に渡って実験室に籠もり切りだったヒマ娘は入学して初めて誕生日祝いを受けることになったのだ。

 

 


 

 

――――――Happy Birthday To You.

 

 

アグネスタキオン「フー」――――――バースデーケーキのろうそくが消える。

 

アグネスタキオン’「フー」――――――バースデーケーキのろうそくが消える。

 

 

陽那「お誕生日、おめでとうございます!」パチパチ・・・

 

斎藤T「おめでとう!」パチパチ・・・

 

マンハッタンカフェ「おめでとうございます。“お友だち”も祝ってくれていますよ」パチパチ・・・

 

ソラシンボリ「おめでとうー!」パチパチ・・・

 

スカーレットリボン「おめでとうございます、タキオンさん、スターディオンさん!」パチパチ・・・

 

ピースベルT「おめでとう、タキオンちゃん、スターディオンちゃん!」ンフッ

 

 

アグネスタキオン「やれやれ、誕生日会なんて『合同誕生日会ファン感謝デー』で十分だろうに……」

 

アグネスタキオン’「そもそも、バケモノの私に誕生日なんてものはないのにねぇ……」

 

アグネスタキオン「まあ、悪くはないんじゃないかな、こういうのも」

 

アグネスタキオン’「しかし、トレセン学園にこんな隠れた穴場が存在しているとはねぇ……」

 

ピースベルT「そうねぇ♪ 部活棟にこんな本格的な珈琲店があるだなんて、雰囲気があっていいわねぇ♪」フフッ

 

ピースベルT「カフェちゃんが一人で準備したの? 片付け、大変そうねぇ? 片付け、手伝うわよ?」アハッ

 

マンハッタンカフェ「大丈夫ですよ。片付ける必要はまったくありませんから」フフッ

 

陽那「そうなんですか? もしかしてコーヒー愛好家たちの部室だった場所なんですか、ここは?」

 

 

マンハッタンカフェ「まあ、そんなところです。ここは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですから」

 

 

斎藤T「…………そういうことか。ここはそのための場所か」スクッ

 

ソラシンボリ「あれ、どうしたの、斎藤T?」

 

陽那「どうしたのですか、兄上?」

 

アグネスタキオン「どうしたんだい、トレーナーくん? 窓の外に何か珍しいものでもあったのかい?」

 

斎藤T「この中央トレセン学園があるのが府中市というわけだが、その『府中』とは『国府所在地』を意味する地名で、武蔵国の国府が置かれた地であることに由来する」

 

スカーレットリボン「それはそうですけど……?」

 

斎藤T「そして、府中市の辺りは古代の遺跡が多く、また645年の大化の改新後に武蔵国の国府が置かれるなど、古くから政治や経済と文化の中心地として栄えており、鎌倉時代には新田義貞と鎌倉幕府軍が争った分倍河原の戦い(1333年)もあり、江戸時代は甲州街道の宿場の中でも大きな『府中宿』があった」

 

斎藤T「更に、戦時中は府中基地や旧関東村の飛行場もあったわけで、府中/東京競バ場の目黒からの移築も1933年のことだ」

 

ソラシンボリ「それでそれで?」

 

 

斎藤T「とりわけ、ウマ娘の歴史の中で重要になってくるのは武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせ祀る別名“六所宮”と称される東京五社の1つ;大國魂神社でゴールデンウィークの時期に行われる関東三大奇祭の一つ“くらやみ祭り”だ」

 

 

ピースベルT「ああ、“くらやみ祭り”ね♪ ベルちゃん、関東っ子だから、よく知ってるわ♪ というか、正月になったら トレセン学園のみんなが初詣に行く神社よね、大國魂神社♪」ウフッ

 

ピースベルT「武蔵国の国府;つまりさっきの斎藤Tの説明にあった大化の改新で設置された国府の近くに大國魂神社があってね、国府と神社が共同で開催していた国府祭が長い伝統と格式を誇る大國魂神社の例大祭になったわけなの♪」

 

ピースベルT「それで、ゴールデンウィークの時期に行われるから『五月会』って呼ばれるようになって、江戸中から見物人が多く訪れていたから、まず将軍の御膝元の江戸で知らぬ者はいないほどの知名度よね♪」

 

ピースベルT「そしてね、かつて街の明かりを消した深夜の暗闇の中で祭りをやっていたから“くらやみ祭り”と呼ばれるようになっているんだけど、」

 

ピースベルT「どうしてかって言うと、『貴いものを見る事は許されない』という古来から存在する儀礼に起因し、『神聖な御霊が神社から神輿に移り御旅所に渡御するのは人目に触れる事のない暗闇でなければならない』という神事の伝統がそのまま現代まで引き継がれているためなんだって」

 

マンハッタンカフェ「――――――『見るなのタブー』ですか」

 

アグネスタキオン「実際のところはどうなんだい、そういった人類文化研究の専門家としては?」

 

斎藤T「おそらくは府中市の歴史を紐解くと厄祓いのために絶対に必要な神性だから『貴いものを見る事は許されない』という理由付けで祭りをやっているのは間違いない」

 

マンハッタンカフェ「どういうことですか?」

 

斎藤T「歴史を振り返れば、府中市は武蔵国の政治・経済・生産・流通・交通の要所であるだけじゃなく、旧帝国軍の軍事基地や鎌倉時代には古戦場にもなった場所であり、同時に日本ウマ娘レースの聖地となる東京競バ場と中央トレセン学園の立地にもなっているんだ」

 

アグネスタキオン’「なるほど。夜間人口と昼間人口がほぼ同一ということで、職住近接を実現した快適な生活環境であることで、市のアンケートでもほぼ全市民が『将来も住み続けたい街』として回答しており、『生活実感値』満足度都内第1位とされたこともあるのも、」

 

アグネスタキオン’「言うなれば、『府中市には全てが揃っている』というわけなんだね」

 

斎藤T「そうだ。特に軍事基地や古戦場にもなったような場所はそれだけ血気盛んで血生臭くなる因縁がある土地柄だからこそ、競争心が煽られて それが都市の形成や産業の発達に寄与することになる」

 

斎藤T「そのことを考えると、戦争とはやっぱりビジネスなんだよ。流通戦略の一環の商業の1形態なんだよ」

 

斎藤T「だから、発展的な気運が渦巻く土地柄であると同時に、ビジネスで人を傷つけることも人一倍多くなるわけだから、地域の御祭に現れる厄祓いの神の霊威も巨大なものになる」

 

アグネスタキオン’「で、それが私たちの誕生日祝いと何の関係があるんだい?」

 

 

斎藤T「鐘撞T、この“くらやみ祭り”と東京競バ場って何か関係があったんじゃありませんか? ウマ娘やウマ娘レースに関することで」

 

 

ピースベルT「御名答♪ うんうん、大いにあるわよ♪ そりゃあ、ご近所さんなんだものね♪」エヘッ

 

ピースベルT「たとえば、2002年の東京・芝・1600m『NHKマイルカップ』が異例の土曜日開催になったのって、他ならぬ“くらやみ祭り”がその年まで午後4時から渡御開始になっていたからなのよ♪」ウフッ

 

スカーレットリボン「なるほど。その日のウマ娘レースの興行の一番の目玉となる重賞レースはその日の11番目のレースで、だいたい午後4時前後のゲート・インだから――――――」

 

ソラシンボリ「ばっちり重賞レース『NHKマイルカップ』の時間と重なっちゃってたわけなんだ」

 

ピースベルT「そうよ♪ だから、かつては例大祭期間中における東京競バ場でのレースについて警察などの要望もあって、警備上の重複による混乱を避けてURAは開催を自粛していたわけなのよね♪」ウフッ

 

ソラシンボリ「あれ、でも、今は午後6時からみたいだよ?」

 

ピースベルT「そうなの♪ 『NHKマイルカップ』が土曜日開催になった翌年の2003年からね、“くらやみ祭り”の渡御開始が午後6時に変更になって重賞レースの時間と重ならなくなったから、“くらやみ祭り”と並行して『NHKマイルカップ』も開催できるようになったわけなの♪」フフッ

 

アグネスタキオン「ん、んんん……?」

 

マンハッタンカフェ「え? それって千年以上も続いた例大祭の伝統をURAが変えたことになるんですか?」

 

 

斎藤T「それじゃねえか、トレセン学園とウマ娘レース業界に暗黒期が到来したのって!?」*1

 

 

アグネスタキオン「な、なんだって!?」

 

マンハッタンカフェ「…………!」

 

ピースベルT「!!!?」

 

ソラシンボリ「へえ……」

 

陽那「え、なにそれ!? どういうことですか!?」

 

アグネスタキオン’「どうもこうも、2002年の『NHKマイルカップ』が異例の土曜日開催になったことへのウマ娘レースファンの恨み辛みから翌年の“くらやみ祭り”の日程が変わったことへの神罰が下りたんじゃないのかい?」

 

アグネスタキオン’「まあ、記録を見る限りだと、江戸時代に現在の様な神幸の形になったみたいだねぇ。神輿渡御は午後11時ごろ開始されて翌日の午前3時から4時頃の夜明け前に神社に戻ったという、まさに“くらやみ祭り”の様相だったけど、」

 

アグネスタキオン’「1959年に 午後4時 渡御開始になって、それから2003年に 午後6時 渡御開始になっているわけだから、千年以上前の伝統が厳密にはそのままにってわけじゃないようだねぇ」

 

アグネスタキオン’「――――――『時代背景に応じて柔軟に変化している』と評価してもいいんじゃないかい?」

 

斎藤T「問題にしているのは事柄じゃない。時代の変化によって御祭が存続できなくなる方が問題だから、御祭の日程を変えざるを得なくなった理由の妥当性が問題なんだ。要は気持ちの問題だ。誠実さがあるかどうかだ」

 

斎藤T「それが『NHKマイルカップ』の日程が“くらやみ祭り”と被ったことへの恨み辛みの意趣返し――――――、そんな程度の理由で伝統ある御祭の日程を変えられたら、神様だってご立腹になるだろうよ!?」

 

マンハッタンカフェ「………………!」

 

陽那「それは、そうですよね……」

 

スカーレットリボン「――――――2003年からトレセン学園の暗黒期が始まった」

 

ピースベルT「あ、そうだ! また思い出した!」

 

ピースベルT「“くらやみ祭り”には競バ式があって、元々が国府祭だったから武蔵国府周辺の良質のバ産地になっていたことで時の政権に忠誠心のあるウマ娘の軍団を献上するために良バを府中に集めてバ場で走らせていたんだよ!」

 

ピースベルT「それが“くらやみ祭り”の伝統行事である競バ式(駒くらべ)となって、千年以上続けられている古式にまでなっているんだよ!」

 

ピースベルT「具体的にはその年の神メに選ばれたウマ娘が旧甲州街道を3度往復する儀式になっていたかな。本番である例大祭の前日だから、『2003年に 午後6時 渡御開始』云々とはちがう話だけど」

 

ソラシンボリ「ええ、なにそれ、絶対にそれじゃん! 府中市に東京競バ場が誘致される歴史的下地を作っているのって“くらやみ祭り”なんだから!」

 

スカーレットリボン「……だとするなら、私たちはウマ娘レースに熱狂するあまりにとんでもない過ちを犯して暗黒期を招いたことになるんですか? 私たちの自業自得ですか?」

 

アグネスタキオン’「そうだろうねぇ。善因善果・悪因悪果・因果応報がこの世の理ならね」

 

陽那「兄上……」

 

斎藤T「どこでもよかったんだ、このことを受け取る場所なんて。その事実を知るべき人間が集まれば」

 

斎藤T「ただ、今は『春のファン大感謝祭』期間中で落ち着ける場所がどこにもなかったから、両アメリカ大陸からジャパニーズ・ドリームを目指したコーヒー派の隠れ家に案内されたというわけだ」

 

 

ここは『春のファン大感謝祭』期間においてのみ出現するという普段は存在しないという居心地の良い珈琲店(コーヒーショップ)――――――。

 

私たちは部活棟の一室を利用した模擬店で公然とプライベートな誕生日会を開いて盛り上がっているわけなのだが、いくら部活棟が本校舎から離れている場所にあるからといって、私たち以外の誰も足を運ぶことがない異様な静けさに包まれていた。

 

正確に言えば、ここは霊的磁場の変動によって位相がズレた異界であり、本来あるべきではない禁忌の場所であった。すなわち、学園裏世界とは別種の現実世界と表裏一体の裏世界であり、決して生者の居るべき世界ではない。

 

しかし、ここで“守護天使”が表向きは双子の姉妹とされているアグネスタキオンとアグネスタキオン’(スターディオン)の誕生日会を行うように指示してきたのだから、悪霊祓いの資格を持つ私は細心の注意を払って先に来て結界を張ることにしたのだ。魔除けのミュージックやお香も目立たないように準備した。

 

そして、ハッピーバースデーを歌って双子の姉妹がバースデーケーキに刺さったロウソクの火を吹き消して部屋の中が真っ暗になった瞬間、トレセン学園の一室からズームアウトしていって府中市を見下ろした光景が見えてきたかと思うと、東京競バ場のすぐ近くにある大國魂神社にズームインとなったのだ。

 

すると、真っ暗闇の中を神輿を担ぐ行列が行き交うのを目撃することになり、その後に府中市の歴史が映画のフィルムのようにセピア色から段々と総天然色へとなって現代へと時代が移り変わっていくのが視えた。

 

なので、私は真っ先に東京の歴史に詳しそうな有馬一族の御曹司:鐘撞Tに大國魂神社とウマ娘レースの関係について訊ねてみたら、それでなぜトレセン学園やウマ娘レース業界に暗黒期が訪れてしまったのか、その霊的背景がついにわかってしまったのだ。

 

伊勢神宮でさえも外宮所在地:山田の原の地主の神である大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を土宮で祀っているのだから、東京競バ場の土地神である大國魂神社の御祭にケチをつけるウマ娘レース業界の驕り高ぶりを戒められたのが暗黒期の霊的原因と言えた。紛うことなき神罰である。

 

現象としては一部の人間の決定が決定権を持たないその他大勢の人間を巻き込んだことになり、それを理不尽に感じるだろうが、神罰がコミュニティ全体に及ぶのは不平等でも不公平なことでも何でもない。

 

その決定に至るものや決定を後押しするもの、その決定をよしとする雰囲気を形成してきたのは他ならぬコミュニティに所属するひとりひとりの人間が捧げていた心がけと犯してきた不実の結果でしかない。

 

つまり、現象として現れる因果まで含めて現実世界を超越した観点からの総合的な判断で『そんなことをすると罰当たりになる』という予感や良識から外れた行いを正当化する歪んだコミュニティが裁かれたに過ぎない。裁きであると同時に反省と進展を促す業祓いの救済でもあるのだ。

 

とは言え、暗黒期からこうして過渡期を経て黄金期を迎えられたということは赦されたと考えてもいいのかもしれないが、肝腎なのはそのことを私の担当ウマ娘の誕生日会に教えてきたことにある。

 

 

――――――初心忘るべからず。

 

 

斎藤T「そういうことじゃないのかな? きっと、これから新時代を迎えていろんな価値観が目まぐるしく変わることになるだろうけど、今も昔も変わらずに大切にするべきものを決して見失わないように」

 

斎藤T「要は、ウマ娘の皇祖皇霊たる三女神や“守護天使”の導きもそういうもので、ここにいる全員に向けての神示なのかもしれない」

 

斎藤T「それと、『だからと言って大國魂神社の御祭(くらやみ祭り)に行く必要はない』って。大國魂神社はあくまでも武蔵国の土地神に過ぎないのだから、天神地祇や三女神に直接仕えている私には『必要なものは必要な時に必要なだけ用意している』とも言っている」

 

斎藤T「それと、『“シラオキの愛し子”が暗黒期の闇を払ってくれている』そうだ。過渡期からずっと連綿と」

 

マンハッタンカフェ「……そうでしたか」

 

陽那「――――――“シラオキの愛し子”」

 

アグネスタキオン「つまりは、それだけの警告が必要になるぐらいにこれからの時代は物凄い勢いで新しいものや価値観が生まれてくるというわけじゃないか。そいつは非常に楽しみだねぇ」クククッ

 

ピースベルT「――――――『初心』か。“皇帝”シンボリルドルフと秋川理事長と肩を並べて黄金期の三巨頭だった某が忘れるわけにはいかないな」

 

ソラシンボリ「うんうん。そうだね。どんな結果になろうとも、ボクは“皇帝”シンボリルドルフと“帝王”トウカイテイオーの在り方を継いで“夢のヒーロー”になるんだ」

 

スカーレットリボン「うん、そうよ。ソラ。どんな結果になろうとも活かされる道は必ずあるのだから」

 

斎藤T「あ、降りてきた――――――」

 

 

アグネスタキオン「!!」ドクン!

 

マンハッタンカフェ「これは――――――!?」ドクン!

 

 

アグネスタキオン「………………」

 

マンハッタンカフェ「………………」

 

ソラシンボリ「え、何々!?」

 

陽那「どうしたんですか?」

 

斎藤T「――――――降りてきたんだ、2人の身体の中に玉が」

 

スカーレットリボン「え」

 

アグネスタキオン「……視たかい、カフェ?」

 

マンハッタンカフェ「……視えましたか、タキオンさん?」

 

アグネスタキオン「ああ。あれはサイレンススズカに、きみにそっくりな“お友だち”だろう?」

 

マンハッタンカフェ「ええ。サンタアニタで見ることができた“異次元の逃亡者”と“守護天使”の走りが私たちの中に入ってきました……」

 

アグネスタキオン「こいつはたまげたねぇ。とんだ誕生日プレゼントになったよ」

 

マンハッタンカフェ「私にもその御零れがあったことが驚きです」

 

陽那「すごいです! それが因子継承の瞬間だったんですね! 大きな御役目を任じられたこと、おめでとうございます!」

 

アグネスタキオン「ありがとう、ヒノオマシくん」

 

マンハッタンカフェ「ありがとうございます、ヒノオマシさん」

 

ソラシンボリ「へえ、サンタアニタで視ることになった“異次元の逃亡者”と“守護天使”の走りが2人に継承されたんだって?」

 

ソラシンボリ「そんなの、絶対に敵いっこないよねぇ。“エリートウマ娘”を目指さなくて正解だよね、これ」

 

スカーレットリボン「そうね……」

 

 

アグネスタキオン’「きっと、鏡合わせなんだろうねぇ、ウマ娘:アグネスタキオンとマンハッタンカフェの2人は」

 

 

アグネスタキオン「どうしたんだい、その顔? 随分とらしくないじゃないか?」

 

マンハッタンカフェ「どうしたんですか、スターディオンさん?」

 

アグネスタキオン’「なに、私には何も降りてこなかった。ただそれだけさ……」

 

陽那「え」

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン’「思えば、私が継承することができたのは同じバケモノであるヒッポリュテーとケイローンの因子だった……」

 

アグネスタキオン’「あらためて、私はウマ娘:アグネスタキオンの皮を被っただけのバケモノであることを思い知らされたよ……」

 

アグネスタキオン「そんなこと……」

 

アグネスタキオン’「まあ、因子継承をした瞬間から私はターフへの興味を完全に失ったヒマ娘なんだ。きみたちがサンタアニタで視た“異次元の逃亡者”と“お友だち”の走りなんてバケモノの私には何の価値もないんだから、何もないのは当然のことか」

 

マンハッタンカフェ「スターディオンさん……」

 

 

スカーレットリボン「そんなことはないと思いますよ、スターディオンさん」

 

 

スカーレットリボン「そんなに卑下しないでくださいよ。せっかくの誕生日なのに」

 

アグネスタキオン’「ふぅン?」

 

スカーレットリボン「最初はまったく同じ外見で本当に双子なんだってビックリしましたけれど、双子は競走ウマ娘としては大成できないジンクスから生まれてきた片方を亡き者にするという歴史が昔はあったことを考えると、」

 

スカーレットリボン「双子として生を受けたウマ娘であるのなら二人の進むべき道が分かれていることは自然なことのように私は思います」

 

スカーレットリボン「あまりこういうのはウマ娘として生まれた我が子を愛する家族に対する侮辱になるかもしれませんけれど、双子だからこそ優駿の頂点の座を相争って優勝劣敗で差をつけられる様を私は見たいとは思いません」

 

スカーレットリボン「それに、スターディオンさんはタキオンさんの夢を純粋に応援しているのでしょう? だったら、ウマ娘:タキオンさんはヒマ娘:スターディオンさんの夢の分まで先頭の景色を追い求めるべきです! それが双子の絆です!」

 

ソラシンボリ「…………お母さん」ボソッ

 

ピースベルT「そうだな。姉妹同士のレースをずっと純粋に楽しめたビワハヤヒデとナリタブライアンの最強姉妹が特別なのであって、普通は勝敗の結果ではっきりと優劣に差をつけられて血を分けた姉妹間で激しい劣等感や敵愾心を抱くようになるものだしねぇ……」

 

アグネスタキオン’「……そういうことじゃないんだけどねぇ」

 

マンハッタンカフェ「いえ、そう思うこと自体がちがうと思いますよ、スターディオンさん」

 

アグネスタキオン’「ん」

 

アグネスタキオン「ああ。きみという存在が“私”を理解するためにどれだけ役に立っているか伝え忘れていたのは私のミスだった。すまなかったよ、()()()()()()()……」

 

アグネスタキオン「だが、この場合の答えは非常に単純明快だ」

 

 

――――――『必要なものは必要な時に必要なだけ用意している』のがトレーナーくんを良いように振り回している皇国の神々の導きだろう?

 

 

アグネスタキオン’「あ」

 

陽那「そうですよ、スターディオンさん!」

 

斎藤T「つまり、今のままでも十分にアグネスタキオン’(スターディオン)は私や神様の役に立ってくれているというわけだ」

 

アグネスタキオン’「ヒノオマシくん、モルモットくん……」

 

アグネスタキオン「だいたいにして、()()()()()()()の方が私のトレーナーくんを独占しているんだから、それが普通だと思わないでくれたまえよ!」

 

アグネスタキオン「おかしいだろう、トレーナーくん!? きみは私の担当トレーナーなのに、担当ウマ娘である私を放って なんでこうも死地に赴くのさ!? 私の世話をするのはトレーナーであるきみの役目だろう!? 勝手に死にに行かないでおくれよ!」

 

斎藤T「その死地にウマ娘:アグネスタキオンは連れていけないからだ」

 

陽那「兄上……」

 

アグネスタキオン「だからと言って、()()()()()()()ばかりを連れ回すのはやっぱり不公平だ!」

 

アグネスタキオン「伊勢参りの時のプレゼントだって、()()()()()()()にはダイヤモンドのネックレスだったのに、私にはハンドクリームって、差がありすぎるだろう!? あとで私も買ってもらったけど!」プンスカ

 

アグネスタキオン’「………………」

 

ソラシンボリ「なんだ。結局、スターディオンさんも学外の協力者としては一番に斎藤Tに頼られているんだから、そんなに僻むことなんてないじゃん」

 

ソラシンボリ「要は、見方の問題だったわけだよね。特に何もないことが『一番の信頼の証だった』みたいな?」

 

アグネスタキオン’「そうか、それもそうか……」

 

アグネスタキオン’「私には何もないことが裏返せば三女神からの祝福の証になっていたのか……」

 

アグネスタキオン’「まったく、そんなのわからないじゃないか、言葉にしてもらえなくちゃ――――――」

 

アグネスタキオン’「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、そういうことなのかい?」ハッ

 

陽那「きっと、そうですよ!」

 

 

スカーレットリボン「さあさあ! めでたい気分になったことですし、あらためて誕生日を祝いましょう!」

 

 

スカーレットリボン「緋色のリボンを贈り物をどうぞ!」

 

ソラシンボリ「うんうん、誕生日おめでとう!」

 

ピースベルT「おめでとう、タキオンちゃん、スターディオンちゃん! ついでにカフェちゃんも!」ウフッ

 

マンハッタンカフェ「ありがとうございます、みなさん」

 

アグネスタキオン「まあ、ありがたくもらっておくとしようか」

 

アグネスタキオン’「これが母親の手縫いのプレゼントというやつか……」

 

陽那「兄上!」

 

斎藤T「さあ、仕切り直しだ! どうしてウマ娘レースに暗黒期が到来したのか、その根源に在るものを知ることもできた!」

 

ソラシンボリ「これから新しい時代がやってきて いろんなことが変わっていく中で 変わることのない大事なものを見失わないように!」

 

スカーレットリボン「皇国の神々様や三女神様の祝福と導きに感謝を捧げて!」

 

 

――――――乾杯!

 

 

サンタアニタから続く祝福はアグネスタキオンの誕生日会に便乗して降りてきた。

 

ここは三次元世界と四次元空間の狭間の亜空間となっているために、以前の因子継承のように三女神像の前に立つ必要はなく、直接的にウマ娘レースを走り抜いてきた過去のウマ娘の想いが継承できるようであった。

 

だからこそ、誕生日会はこの場所で行うように“守護天使”が指示してきたわけであり、同時にトレセン学園の七不思議に数えられていそうな『春のファン大感謝祭』期間に出没する幻の珈琲店の存在もまた生徒たちの間で継承されていたようである。

 

なぜトレセン学園で珈琲店が幻になるのかと言うと、これもヨーロッパのウマ娘レースとアメリカのウマ娘レースの文化性のちがいを踏まえれば理解できるだろう。

 

そう、トレセン学園の生徒たちはバカ高い授業料を支払えるだけの良家の令嬢であることが多いため、上流階級の嗜みとして紅茶派の人間が多いわけなので、コーヒー派の人間はそれだけで庶民的だとバカにされて肩身の狭い思いをしてきたのかもしれない。

 

そもそも、近代ウマ娘レースがヨーロッパの王侯貴族の道楽が起源なのだから現代の競走ウマ娘のエリートたちが紅茶派になるのもそういった伝統的な背景があるわけであり、

 

ヨーロッパから独立して新天地を得て独自に発達したアメリカ競バのように誰もが楽しめるお祭りとしてホットドッグを片手に億万長者が庶民と一緒になって観戦するようなものとは程遠いわけなのだ。

 

なので、コーヒー愛好家のウマ娘たちが隠れた穴場として自分たちの珈琲店を築き上げてのんびりとした時間を過ごしたいという切実なる想いがこうした異界を築き上げていたのだろう。

 

この珈琲店の異界はイギリス競バの伝統に忠実だった日本競バが戦後にアメリカ競バの流入によって再出発した歴史があったことを物語っているらしく、同時に同じコーヒー文化圏である南アメリカの歴史にも触れられていた――――――。

 

そして、直感的に珈琲店の異界の他にもこうした亜空間がトレセン学園に点在しているような気がしてならず、その奥に潜む闇を光で照らす必要があるのではないかと思えた。

 

 

一方で、ソラシンボリの実の母親であるスカーレットリボンは一児の母親として家族という概念すら借りてこないと経験することのないアグネスタキオンの皮を被ったバケモノに対して実体験からくる慈しみを与えていた。

 

 

というより、怪人:ウマ女であるバケモノの中に流れ込んだ因子に刻まれているウマ娘:アグネスタキオンとウマ娘:シンボリルドルフの記憶と感覚には世間一般で想像されるような家族愛が存在しないだけに、

 

それは自身の名前である“緋色の装飾(スカーレットリボン)”に象徴されるように迷える子供を結ぶ絆のようになっており、表向きはシンボリ家に仕える侍女に過ぎず他所の『名家』の令嬢に親切にする義理もないはずのウマ娘:スカーレットリボンの包容力がバケモノであることに劣等感を抱いていたアグネスタキオン’(スターディオン)を優しく包み込んでいた。

 

残酷な現実として、走ることが何よりも大好きで勝負事になるとどこまでも熱くなってしまう闘争本能を持つウマ娘なのだから、必ずしも同じ母親から生まれた子供同士の仲がよくなることはない。

 

むしろ、レースでの戦績が冷酷なまでに明確な姉妹の差と優劣を生み出すわけであり、それによって血を分けた姉妹こそが他ならぬ身内として遠慮のない距離感によって激しい劣等感や敵愾心を抱くことになりかねず、闘争本能が高じて家族ですら敵と認識してしまう危険性もウマ娘は潜在的に抱えてしまっているのだ。

 

なので、ウマ娘の双子に限らずウマ娘の姉妹はこれはこれで身近な競争相手として互いを高め合う以上にどちらか片方が勝者となり 敗者となって家庭内で序列を付け合うことになるため、これではたしかに子だくさんになっても多くの不幸を生み出すだけで、ウマ娘の子供は自然と一人だけの家族構成になるのも不思議ではない。

 

その辺りがウマソウルの起源となる『穢土』に対する ウマ娘が生まれてくる『浄土』である この世界における摂理というわけであり、なまじ人としての知性を持ったばかりにかえってウマ娘は一人っ子で育てないと血を分けた肉親同士の啀み合いで人格が歪む可能性が大きいのは皮肉が利いていた。

 

そういう意味では“怪物”ナリタブライアンを妹に持つ“万能”ビワハヤヒデがいかによくできた姉だったかに気付かされるわけであり、ナリタブライアンと誰よりも愛情を持って向き合い続けてきたビワハヤヒデが弱いウマ娘のはずがなかった。

 

だからこそ、一児の母親である成人ウマ娘:スカーレットリボンのアグネスタキオン’(スターディオン)に向ける眼差しはウマ娘の双子という存在への驚きの後に努めて慈愛の念がこもることになり、

 

その正体が並行宇宙から侵略してきたWUMAであることはまったく知らずに母親がお腹を痛めて生み落とした双子だと信じ切っているからこそ、競走ウマ娘らしからぬ人格に思い悩んでいるように思えたアグネスタキオン’(スターディオン)に掛けてあげられた言葉が『双子の絆』というわけである。

 

そもそも、“アグネス家の最高傑作”であるウマ娘:アグネスタキオン自身も独自路線の開拓を得意分野とする奇矯な一族の生まれでありながら“アグネス家の異端児”として身内からも疎まれていたこともあり、孤独であることを当然のものとして受け容れてきた者にとっては“もうひとりの自分の存在”を蔑ろにするわけがないのだ。

 

そういうスカーレットリボンも普通のウマ娘の母親の価値観から明らかに逸脱しているところがあり、ウマ娘の性である闘争本能を肯定して双子の姉妹で同じ道を歩めなかったことを残念に思うべきところを、双子の姉妹で別々の道を歩めることで優駿の頂点の座を競って啀み合うことがないことを肯定するところがバケモノにとっては励ましの言葉になったのだ。

 

それもそのはずで、重賞レースを一度でも勝っているだけでも十分に優秀な素質の競走ウマ娘ではあったものの、G1勝利の栄冠は掴めないまま、在学中に何者かに妊娠させられていたという驚愕の過去があり、

 

学園の不祥事を隠すためにシンボリ家に預けられて我が子を生み落とした後、何事もなかったかのようにトレセン学園を復帰して卒業して大学に進学して一般企業で社会人生活を送っていたわけなのだが、

 

シンボリ家で養育されることになった我が子のことがずっと気に掛かっていたからこそ、シンボリ家に仕える侍女となって、シンボリ家の令嬢に育て上げられていた我が子に仕える人生を歩んできたのだ。

 

なので、一般的にトレセン学園の生徒たちが憧れる将来;トレセン学園で自分を勝利に導いてくれたトレーナーと結婚するという乙女の憧れとは縁が完全に絶たれているだけに、血を分けたウマ娘の姉妹の間に生まれることになる複雑な感情への理解が深かった。

 

事実、『サンタアニタダービー』観戦で私の付き人であるソラシンボリの付き人(おまけ)として同行することになったシンボリ家の侍女:スカーレットリボンという成人ウマ娘の存在の影響力は意外なほど大きく、成人男性の私では与えることができないものを授けてくれる存在に深く感謝していた。

 

そう、タロットカードの大アルカナに『皇帝』『教皇』『女帝』『女教皇』が同時に存在するように、どれだけ性別を超えて技能を磨き抜こうとも生まれ持った性別や性質の壁を超えることはできないわけなのだから、

 

だからこそ、それぞれが各々に与えられた使命や天分を理解して役割分担や適材適所を果たすことで『青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光』となって、互いの尊厳を侵すことなく同じ世界に存在することが果たされるのだ。

 

 

 

 

チリンチリーン!

 

スペシャルウィーク「いい匂い! やっぱり、こんなところにカフェが!」

 

柳生T「まさか、これが噂に聞く『春のファン大感謝祭』限定で開かれるコーヒー愛好家たちの秘密の珈琲店か。中央を離れてようやく見つけることになるとはな」

 

マンハッタンカフェ「え」

 

ソラシンボリ「あれ、誰か入ってきたよ――――――?」

 

ピースベルT「まあ♪」ンフッ

 

スカーレットリボン「あれってまさか、チーム<スピカ>の“日本総大将”スペシャルウィーク!?」

 

斎藤T「そして、西崎Tからチーム<スピカ>を託された完全調和(パーフェクト・ハーモニー)の柳生Tか!?」

 

 

スペシャルウィーク「あ、はい! スペシャルウィークです! 美味しそうな匂いに誘われてやってきちゃいました!」

 

柳生T「ああ、懐かしいな、完全調和(パーフェクト・ハーモニー)か。スペシャルウィークを『ドリームトロフィーリーグ』に送り出したのを機にチーム<スピカ>を解散したからな。今の俺のモットーは完全作戦(パーフェクト・ミッション)だ」

 

 

スペシャルウィーク「あれ!? ねえ、あれってスズカ先輩のサインと写真ですよね、トレーナーさん!?」

 

柳生T「ホントだな。しかも、“皇帝”シンボリルドルフに西崎先輩と一緒の集合写真だなんて、いったいいつ――――――?」

 

アグネスタキオン「ああ、それかい? 先週の『桜花賞』の日に私たちでロサンゼルス近郊のサンタアニタパーク競バ場まで行ってきて、メインゲストに“皇帝”シンボリルドルフ、特別ゲストに“異次元の逃亡者”サイレンススズカを迎えて『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムをやってきたのさ」

 

スペシャルウィーク「ええ!? 『春のファン大感謝祭』の裏でそんなことをやっていたんですか!? いいなぁ! 私も一緒に出たかったです!」

 

柳生T「その、西崎先輩は元気そうでしたか?」

 

斎藤T「ええ。アメリカ横断をしながらアメリカ中のウマ娘たちのコーチをして渡り歩く“サムライ”としてアメリカウマ娘レース業界でちょっとした有名人として活躍中です」

 

斎藤T「じゃあ、どうでしょう? せっかくですので、『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムの様子をご覧になりますか? 映像データはありますし」

 

スペシャルウィーク「お願いします!」ドン!

 

アグネスタキオン「おお、食いつくねぇ……」

 

スペシャルウィーク「それとお腹が空いていますので、このクリームなまらデカ盛りコーヒーをください! ミルクマカロンもアップルカスタードも!」

 

柳生T「そうだな。店に入ったからには俺も何か頼まないとな」

 

ソラシンボリ「ほら、店主(マスター)! 接客しないと!」

 

マンハッタンカフェ「あ、はい」

 

スカーレットリボン「手伝います、カフェちゃん」

 

アグネスタキオン’「やれやれ、騒がしいのがやってきたもんだねぇ」

 

アグネスタキオン’「今日は私たちの誕生日だったから、ほら、バースデーケーキのお裾分けだよ。これで小腹を満たすといい」

 

スペシャルウィーク「え、そうだったんですか!? 誕生日おめでとうございます! 美味しくいただきます!」

 

柳生T「おめでとう。きみのことは知っているぞ。“学園一危険なウマ娘”アグネスタキオンと……」

 

アグネスタキオン’「――――――“スターディオン”と呼んでくれたまえ」

 

 

こうして数奇な縁が新たな出会いをもたらしていき、サンタアニタで“異次元の逃亡者”サイレンススズカと邂逅して1週間で今度は“日本総大将”スペシャルウィークと遭遇することとなった。

 

西崎Tからチーム<スピカ>を引き継いでスペシャルウィークを『ドリームトロフィーリーグ』へと送り出した柳生Tとも知り合うことになり、ここまで常識では考えられないような奇跡が連続する。

 

チーム<スピカ>の活躍は暗黒期と黄金期の間の過渡期だけで終わりを迎えることになったわけなのだが、西崎Tと方針を同じくする極めて優秀な若手トレーナーである柳生Tは完全調和(パーフェクト・ハーモニー)を信条としており、

 

『チームメイトの命を守ることはチームという1つの生き物の命を守ることと同じ』という考えから、常にチームに所属するウマ娘の安全衛生に気を配り、西崎Tと同じく自ら手料理を振る舞ってウマ娘たちに惜しみない愛情を注いでいた。

 

また、ウマ娘ごとの適性やそれぞれの走る目的と心情も鑑みた上でウマ娘の自主性を最大限に尊重する 西崎T譲りの的確な判断を下すことができる 当時としては最高レベルの敏腕トレーナーの一人であったため、チーム<スピカ>は西崎Tを師匠とする弟子の柳生Tが有終の美を飾った功績でもって最終的な評価が決まったところがあった。

 

それだけに『トゥインクル・シリーズ』から『ドリームトロフィーリーグ』に昇格したスペシャルウィークの動向はよく知られているが、チーム<スピカ>の最後のトレーナーだった柳生Tが何をしているのかについてはあまり知られていなかった。

 

そのため、西崎Tがサイレンススズカの後を追ってアメリカに渡った後、西崎Tから引き継いだチーム<スピカ>を解散させた後に学園を去った後のことについて訊ねてみた。

 

その答えは――――――。

 

 

――――――警視庁トレセン警察校“府中校”。

 

 

柳生T「ああ。俺はそこの教官として赴任することになった。そのために国家公務員試験を受けることになってトレセン学園を一旦は離れることになったんだ」

 

ソラシンボリ「――――――『一旦は』?」

 

スカーレットリボン「中央のライセンスを捨てずに持っていらっしゃるんですか?」

 

柳生T「いや、取り直した。中央のトレーナーライセンス試験をまた受け直したわけだから、警視庁トレセンの教官 兼 中央トレーナーというのが今の正しい肩書だな」

 

ソラシンボリ「あれ、たしか警察官とか国家公務員って副業は許されてなかったんじゃないの?」

 

柳生T「いや、国家公務員の副業禁止は法律には直接は記載されていないぞ。国家公務員法第103条(私企業からの隔離)に書かれているのは『営利目的での私企業の経営と兼業』だから、営利目的でトレーナー業をしなければ副業は問題ないわけだ」

 

柳生T「だから、国家公務員法第104条(他の事業又は事務の関与制限)での『非営利の事業団体で事業に従事する場合は、内閣総理大臣およびその職員の所轄庁の長の許可が必要』という条件を満たすために、」

 

柳生T「中央トレセン学園のトレーナー組合に所属して担当ウマ娘を勝たせていた頃よりは 断然 収入が安くなる代わりに、最低限の給料と手厚い福利厚生を受けることはできるようにはなっている」

 

ソラシンボリ「そうなんだ。本来トレーナーがもらえる賞金の取り分は公務員だから国家に全部寄付されるわけなんだね」

 

柳生T「まあ、さすがにトレーナー業の激務で薄給にするわけにもいかないから、いろいろな名目で出される手当で埋め合わせはされているがな」

 

柳生T「実は、去年のトレセン学園学生寮不法侵入事件を受けて、巨大な住宅団地と化している学生寮での治安維持のために俺が以前からトレセン学園に導入を訴えていたことがようやく形になったんだ」

 

 

斎藤T「つまり、警視庁トレセン警察校の生徒をトレセン学園学生寮に編入させることで生徒以外立入禁止の住宅団地に交番を置くつもりなんですね」

 

 

柳生T「そういうことだ。ただ、通常の警察学校は大卒の場合は6か月間、それ以外の場合は10か月間の在籍期間なのを考えると、かなり扱いが特殊になってくる。幼年学校みたいなものだな」

 

柳生T「だから、国家公務員試験に合格した後、警視庁トレセン警察校に赴任する教官になる前に俺自身が警視庁警察学校に入校していたわけで、」

 

柳生T「中央トレセン学園と提携する上での課題点の洗い出しや対策を練りながら中央トレセン学園学生寮の一部を間借りさせて交番を設置させる案を実現させる運びになったんだ」

 

ソラシンボリ「へえ。じゃあ、警視庁警察学校のウマ娘が民間警備会社のERTと協力して学生寮内部の安全を守ってくれるようになるんだ」

 

柳生T「そう、学生寮の一部を警視庁トレセン警察校が間借りする形で学生寮内の見回りをするようになるから、これでかなりの安全性と即応性が確保されるようになるはずだ」

 

柳生T「それだけじゃなく、警視庁トレセン警察校“府中校”も中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の登録団体になったから、学生寮の治安維持に駆り出されている警視庁トレセンの生徒にも『トゥインクル・シリーズ』に出走できるチャンスが与えられることになっている」

 

柳生T「言わば釣り餌だ。それぐらいの齧り付ける餌がなければ、『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘たちを間近に見続けて嫉妬してしまうからな、警視庁トレセンのウマ娘たちがな」

 

柳生T「それに、チーム<スピカ>のチームトレーナーだった俺に『またウマ娘の担当トレーナーとして活躍してもらいたい』というトレセン学園理事会からの要請もあってだな」

 

柳生T「言うなれば、“中央トレセン学園 高等部 警視庁コース”として限定50名ずつの席が新たに毎年用意されることになって、これからの中央トレセン学園には計150人の他校生徒が在籍しながら共生することになる」

 

柳生T「ただ、あくまでも中央トレセン学園のトレーニング設備は中央トレセン学園の生徒たちが使うべきものとして、警視庁トレセン警察校の生徒は警視庁トレセン警察校のトレーニング設備を使うように区別はされている」

 

斎藤T「悪くないんじゃありませんか。シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の風紀を引き締めることができます」

 

柳生T「ああ。ようやく俺がやりたかったことが実現できて、これからが楽しみだよ」

 

柳生T「そういう意味では()()()()()()()()()()()であったきみには感謝しないとかな、斎藤T? きみ、相当に『警視庁』で話題に上がっている有名人だからな、いろいろと注目されているぞ」

 

斎藤T「では、一民間人の私が身を挺して新しい時代に繋いだのですから、本職としての本分を全うしてくださいね。私はトレセン学園のトレーナーに過ぎないわけですから」

 

斎藤T「それはそれとして、今後ともよろしくお願いします。警視庁トレセンの生徒たちが学生寮から警視庁警察学校に登校する関係上、これから頻繁に顔を合わせることになりそうですし」

 

斎藤T「何より、私は皇宮警察の息子。柳生Tも警視庁の人間なのですから、立場は違えども同じ警察章(旭日章)の下に日本の自由と平和のために戦いましょう」*2

 

 

柳生T「任せておけ。学生時代に生徒が学ぶべきものは完全調和(パーフェクト・ハーモニー)だが、大人の世界で為すべきことは完全作戦(パーフェクト・ミッション)だ」

 

 

スペシャルウィーク「今日はスズカ先輩や西崎Tがアメリカで元気にやっていることがわかったし、トレーナーさんの作るナポリタンも久しぶりに食べることができて大満足です!」

 

マンハッタンカフェ「ええ。さすがはチーム<スピカ>の西崎Tのお弟子さんなだけあって、手料理も抜群に素晴らしかったですね」

 

アグネスタキオン「ああ、サンタアニタでの西崎Tが振る舞ってくれたアメリカ料理もなかなかだったからねぇ。味付けや飾り付けだけでも強い繋がりを感じたもんだよ」

 

柳生T「なに、チームトレーナーたる者、チームメイトのことを自分の手足のように使う以上は自分の健康管理と同じようにチームメイトの管理にも贅を尽くすのも大切だからな」

 

柳生T「昔ながらの珈琲店で提供されるナポリタンのコツはカレーライスのようにご飯に合う味付けにすることだ。スパゲティサラダの一種と考えて作ると味の調和がとれるはずだ」

 

柳生T「更に、熱々の出来立ての味を提供したいのなら、保温性に優れたステーキ皿が一番だ。大阪のお好み焼きが鉄板から直にヘラで口に運ぶスタイルなのを考えればな」

 

ソラシンボリ「へえ、見た目の印象からすると西崎Tと柳生Tって正反対の感じがするけど、それこそ刑事ドラマの相棒(バディ)みたいな感じだったんだろうね!」

 

スカーレットリボン「芯となるものを同じくする同志としてチーム<スピカ>の使命を立派に果たしたわけですね」

 

 

スペシャルウィーク「私、西崎Tやスズカ先輩もいて、トレーナーさんもいたチーム<スピカ>が大好きです」

 

 

スペシャルウィーク「だから、西崎Tやトレーナーさんが完璧な調整を施して送り出して誰もがスズカ先輩の完勝を確信していた『沈黙の日曜日』のことが本当に今でも忘れられなかったわけなんですけど、今もアメリカで元気にやっていることがわかってようやく安心できました」

 

スペシャルウィーク「正直、今のトレセン学園のことはわからないですけど、きっと 私たちが頑張っていた時よりももっともっとみんなの夢が輝ける素敵な場所になっていると信じてます!」

 

柳生T「そうだな。エクリプス・フロントなんて高層ビルが建ったことだしな。それより前にこんな立派な部活棟も建てられて、いろいろと俺たちが在籍していた頃とは随分と様変わりしたもんだ」

 

柳生T「これからは一般開放の時以外はエクリプス・フロントで警視庁トレセンの子たちと打ち合わせすることにもなるだろうな」

 

ソラシンボリ「じゃあ、その時はまたいろいろと話を聴かせてもらってもいい?」

 

柳生T「ああ、いいぞ。中央の生徒たちと『警視庁』の人間が親しくしていることが去年の事件での失態に対する信頼回復に繋がることだし、ちゃんと中央のライセンスは持っているからな。トレーナーとしてアドバイスを送ることがちゃんとできる」

 

斎藤T「それはそれは、実に頼もしい限りで」

 

 

チリンチリーン!

 

 

アグネスタキオン’「おや」

 

陽那「カフェさん! お客さんですよ!」

 

ピースベルT「さあ、いらっしゃい、ポニーちゃん♪」ウフッ

 

アグネスデジタル「ままままさか、こ、こんなにもお美しいウマ娘ちゃんのトレーナーにホイホイ誘われて辿り着いた先が学園七不思議の珈琲店――――――」アワワワ・・・

 

マンハッタンカフェ「いらっしゃいませ」ニコッ

 

アグネスデジタル「おおおお! 先月の『大阪杯』を完勝したマンハッタンカフェさんが店主(マスター)だああああああ!」

 

アグネスデジタル「あ! あれはつい先週の『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムの超豪華ゲストのサインに集合写真――――――!?」ウヒョー!

 

アグネスタキオン「ふぅン。誰かと思えば、デジタルくんじゃないか。そうかそうか」フフッ

 

アグネスタキオン’「なるほど、ここに入ってこれたということは、()()()()()()なのだろうねぇ」クククッ

 

アグネスデジタル「ええええええ!? タキオンさんが二人ぃいいいいいいいい!?」

 

柳生T「おい、せっかくなんだし、お前も“日本総大将”なんて御大層な肩書きがあるんだし、お前のサインをスズカのサインと並べていったらどうだ?」

 

スペシャルウィーク「そうですね! 美味しいお店には有名人のサインが飾られてますもんね! 私もたくさんのお店にサインを飾ってもらってました」

 

柳生T「まあ、あれはお前一人のために店中の食べ物を食い尽くされたことを忘れないためのものというか、ブラックリストの証というか、被害者の会という名のファンクラブの自慢の逸品というか、いろいろと複雑な感情が入り混じったものになっているがな……」

 

アグネスデジタル「うわあああああああああ! こっちにはチーム<スピカ>のスペシャルウィーク!? 本物ぉおおおおお!?」

 

斎藤T「色紙です。どうぞ」

 

柳生T「お、用意がいいな。最初からサインを強請る気だったのかな」

 

斎藤T「トレセン学園にいるのは誰もが未来のスターウマ娘ですからね。誰にだって価値がありますよ」

 

柳生T「……それもそうだな。それが国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台というものだ」

 

 

――――――シンボリルドルフという名の1つの時代が終わりを告げた。

 

 

同時に終わりはまた新たな時代の幕開けであり、新たな出会いや価値観をもたらすことになる。

 

“皇帝”シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園は少しずつだが着実に様変わりしつつあり、そのことはトレセン学園から離れていった者たちから一目瞭然であるほどに良い方向へと変わっていた。

 

しかし、新たな時代にもたらされるものは同時にこれまでの常識や価値観との衝突を引き起こすことになり、戸惑いや誤解から変化を歓迎できず、時代に取り残される者も必ず現れる。

 

少なくとも、まだシンボリルドルフ卒業後の新学期が始まって2週間も経たない頃、これから新時代がどのようなうねりを見せるのかは未知数ではあるが、今はそのことが表面化することなく静かに爆発する時を今か今か待ち侘びているように思えた。

 

そして、時代の最先端を走り続けることと、目まぐるしく訪れる時代の変化の中で変わることのない大切なものを守り続けることを課されながら、一歩一歩 刻一刻と 進化と発展の日々を邁進していくのだ。

 

 

*1
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。

*2
ただし、現在の皇宮警察本部は警視庁皇宮警察部を前身とするが警察庁の附属機関となっている。



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第3話   家族の想いが桜と舞い散る春のファン大感謝祭 ✓

-西暦20XY年04月14日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

土日に開催されるウマ娘レースの興行の翌日となる月曜日が出走した生徒たちの振替休日になることから火曜日が週明けとなるトレセン学園は本日『春のファン大感謝祭』の最終日前日を迎えていた。翌日は『春のファン大感謝祭』最終日の体育祭本戦と後夜祭となる。

 

一方、世間的には今日が毎年恒例の新世代最強決定戦となるクラシック戦線の第一戦となる中山・芝・2000m『皐月賞』のため、昨日と比べて来場者数が府中市(東京)から船橋市(中山)に流れていることが数えるまでもなく肌で感じられた。

 

入学式から4月前半を丸々『春のファン大感謝祭』期間とし、その間も重賞レースが滞りなく開催されているわけなのだが、クラシック三冠路線の『皐月賞』の前週のティアラ三冠路線の『桜花賞』開催が阪神であったことであまりにも遠かったように、この日の来場者数がガクッと減る理由は明白であった。

 

なので、『春のファン大感謝祭』最終日前日の一般開放日最終日の賑わいは一番に落ち着いたものになっており、間もなく新年度の夢いっぱいのお祭り期間が終わることを誰もが実感することになった。

 

私はエクリプス・フロントにて今や人気爆発中の新クラブ活動:ESPRITで入部希望者やモニター応募者の前にトレーナーバッジを隠して提供会社である某重工のソリューションサービス部の開発室長代理として案内役をこなしていた。

 

そこで生徒たちが欲しいと思うものやこうあったらいいなと思うアイデアを集計すると同時に、生徒以外にも一般開放ということでESPRITに学園校舎から足を運んできた人たちと直に話す機会を得ることになり、私の人脈作りはこうしてますます深化していく。

 

もちろん、私は春休みの準備期間でエクリプス・フロントで働いている人たちとは仲良し小好しなのでエクリプス・フロントの王として闊歩することになり、食事時にスカイレストランで新発明を披露するのも私が声を掛けるだけでサプライズで執り行われた。

 

そのおかげで、エクリプス・フロントに訪れた人たちの心はガッチリと掴むことになり、学園内外の人たちにESPRITの存在を知らしめることに成功し、私がもたらした新発明が新入生たちを中心に徐々にトレセン学園に浸透し始めると同時に私の影響力も大きくなっていく。

 

事実、この“斎藤 展望”という存在は、去年の今頃、配属早々に強引なスカウトの数々によっていきなりクビを切られそうになるほどに評価がマイナスに振り切れており、学園の顔役である生徒会役員からも公然と睨まれるほどの“学園一の嫌われ者”であった。

 

しかし、今ではどうか、マイナスに振り切れた評価は一転して先代生徒会長:シンボリルドルフをはじめとする生徒会役員からもっとも信頼され、学園で影響力を持つ有名トレーナーたちとも親しくしている“学園一の切れ者”に成り上がったのだ。

 

だが、それも当然のことなのだ。私は23世紀の宇宙移民の一人なのだから、未知の居住可能惑星で地球文明の後継者として新国家を築き上げる使命を帯びた存在であったのだ。国家建設ができるのに組織運営や人心掌握ができないわけがない。

 

 

そんなわけで、『今日の『皐月賞』観戦はエクリプス・フロントで!』と昼過ぎまで宣伝と集客に勤しみ、ESPRIT顧問の女代先生にバトンタッチした後、昨日からホテルで泊まり掛けで『春のファン大感謝祭』の賑わいを満喫している斎藤 展望の最愛の妹:ヒノオマシと学園祭を見て回ることになった。

 

 

旧家の令嬢が通う由緒ある寄宿学校で今までの鬱屈ぶりが嘘のように容姿端麗・成績優秀・スポーツ万能の完璧超人として瞬く間に人気者に返り咲いた自慢の妹を“斎藤 展望”がするように慈しむと、ヒノオマシは指と指が絡み合うように手を繋いで愛おしそうに兄の横顔を横目で見つめていた。

 

昨日とは打って変わって『皐月賞』開催で中山競バ場に人が流れて混み具合が比較的落ち着いている中で周りに見せつけるように動いたヒノオマシは非常に強かな女性(ウマ娘)に育っていた。

 

そう、去年の今頃、すなわち配属早々の『春のファン大感謝祭』期間から強引なスカウトで学園中から盛大な顰蹙を買うことになった最愛の兄:斎藤 展望のイメージ改善のために、ヒノオマシは最愛の家族との時間を過ごす兄の姿を学園中に見せつけていたのだ。

 

やはり、最愛の妹のためならばどんな悪名も厭わない兄としては“学園一の嫌われ者”になることをよしとしても、唯一の肉親である妹からすれば 自分のために今まで泥を被ってきた兄の名誉が取り戻されることを強く願わずにはいられなかったのだ。

 

 

――――――だからこそ、その足で生徒会室に乗り込んでいって新生徒会長:エアグルーヴと副会長:ナリタブライアンに圧力を掛けることも厭わなかったのだ。

 

 

いやはや、さすがにそれは反則技としか言いようがないやり方であったが、そのにこやかさと裏腹の徹底具合が実に“斎藤 展望”と血を分けた実の妹らしいものだと感心する他なかった。

 

なにしろ、新生徒会長:エアグルーヴ自身が敬愛して理想とした偉大なる母親:ダイナカールと副会長:ナリタブライアンにとって姉貴に負けず劣らずの愛を注いでくるおふくろ:パシフィカスをこの場に連れてきたのだから、これには生徒会室で一息ついていた“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンも途端に人の子に早変わりであった。

 

実は、ヒノオマシは学園での最愛の兄の名誉回復のために新時代の学園の顔役となる新生徒会役員を懐柔させることを先代生徒会長:シンボリルドルフと会談することになった『秋のファン大感謝祭』の頃から考えつき、寄宿学校での厳しい外出制限の中で“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンの母親に会っていたのだ。

 

エアグルーヴの母親:ダイナカールは“オークスウマ娘”として卒業後には名門スクールの講師として後進育成のために積極的にメディア露出していたこともあり、ヒノオマシの情熱的なアポ取りによって寄宿学校での講演会を実現させた経緯があった。

 

国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』への出走を目指す競走ウマ娘たちの性質や最近の流行りなどをその道の第一人者に聞いて寄宿学校のお嬢様方の見聞を広める名目で取り付けてきたわけなのだが、名門スクールの講師という肩書きとは名ばかりの軽妙洒脱のトークと破天荒な姿に貞淑なお嬢様方は上品ではない笑いを堪えるのに必死だった。

 

しかし、その愛娘である“女帝”エアグルーヴは偉大なる母親とは打って変わって自他共に厳しい性格がこの母親の許で培われたことを考えると、たとえ説明が論理的ではなくても名門スクールの講師として 毎年 何人もの教え子たちを導くことができる何かがあることをヒノオマシは学び取ることになり、この母娘について徹底的に調べ上げることになったのだ。

 

また、ヒノオマシは姉共々顔馴染みである“怪物”ナリタブライアンの実家が歴史ある酒屋であることも調べ上げて訪ねており、ビワハヤヒデとナリタブライアンの最強姉妹が斎藤 展望のことを慈愛に満ちたおふくろ:パシフィカスに話しているだろうことに見当をつけ、トレセン学園の関係者としてWUMA襲撃事件が尾を引いていないかを訊いてみたのだ。

 

もちろん、WUMA事件の当事者だからこそ知り得る情報を言っていることもあってすぐに信用を得ることに成功し、家に上がらせてもらってウィスキーボンボンやトリュフチョコレートを手土産にして最強姉妹の生い立ちを聞くなど楽しいお話の時間を過ごし、着実に外堀を埋めていったのである。

 

そのため、トレセン学園のトレーナーを務めている斎藤 展望を通じて娘の学園生活をヒノオマシが母親に伝える繋がりができあがっており、私はヒノオマシからの何気ないSNSでのやりとりの中でこうやって自分の意志で要人とのパイプを繋いでいったことに驚かされることになった。

 

 

そう、“女帝”エアグルーヴの母親:ダイナカールや“怪物”ナリタブライアンのおふくろ:パシフィカスとまるで同格のように“学園一の嫌われ者”斎藤 展望の妹:ヒノオマシが肩を並べている構図が生徒会室に居合わせた全員の眼に焼き付いたぐらいだ。

 

 

昨日は今日以上の混雑と私の担当ウマ娘の誕生日会で普段着に近い地味目の服装だったのが一転して、高貴な生まれだと一目でわかる おめかしとブランド品で身を固めた 優雅な物腰の令嬢であることを演出して生徒会室の空気を支配したの見計らって、

 

頻りに“斎藤 展望”を『兄上』と愛おしそうに呼ぶ妹の姿を見せつけられたら、たしかに新生徒会やそれに親しい人たちからの“学園一の嫌われ者”の風評も掻き消えることだろう。

 

しかし、後から冷静になると“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンも強気に出られない状況をそれぞれの母親を連れてきて作り出したことを周りがどう思うことか――――――、“斎藤 展望”がこんなにも兄想いの可愛い妹を使って生徒会役員の母親たちを丸め込んで新生徒会を威圧しに来たように思われはしないだろうか。

 

しかも、去年の『秋の大ファン感謝祭』で執事喫茶の衣装の先代生徒会長:シンボリルドルフにもてなされた思い出を語り出し、その話に乗っかったダイナカールとパシフィカスら母親たちが愛娘の執事喫茶に今から予約を入れようと大はしゃぎである。

 

生徒たちに接する態度(パブリックな面)母親に接する態度(プライベートな面)がちがうと自覚しているからこそ毅然とした態度をとれずにいる新生徒会長と副会長が恨めしそうにチラリとこちらを見る。

 

 

――――――やめてくれ! 私はまったく知らないぞ! そんな眼で見られても私には如何ともし難い!

 

 


 

 

――――――トレセン学園附属高層施設:エクリプス・フロント(地上10階・地下1階建て)

 

斎藤T「………………」

 

陽那「兄上、申し訳ございませんでした」

 

斎藤T「なぜ謝る?」

 

陽那「私が兄上の名誉回復のために“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンのお母様方を利用したことが癇に障ったのではないのですか?」

 

斎藤T「そこまで気に障ったわけじゃない。ただ、ヒノオマシが外堀を埋めるようにトレセン学園生徒の父兄と大きな繋がりを持っていたことに驚きが隠せなくてな」

 

陽那「そんなに不思議なことですか? 夢の舞台に入ることができない()()()()()()()()()()だからこそ、夢の舞台で輝こうとしている愛しい人たちのことを一緒に想い合えるはずですよ?」

 

斎藤T「――――――大きくなったな、ヒノオマシは」

 

陽那「私を育み、慈しみ、導いてくれたのはずっと兄上でした」

 

陽那「だから、私はこうやって大きくなれましたよ、兄上」

 

斎藤T「ああ。その在り方を見失わない限り、ヒノオマシならどんな道を歩んでも乗り越えていけるはずだ」

 

 

陽那「……またそうやってつれないことを言うんですね、兄上は」

 

 

斎藤T「……何を?」

 

陽那「本当に感謝しても感謝しきれないぐらい兄上には御恩があるのに、兄上は私の独立自尊のために礼を受け取る以上に褒めてくださるんですよ?」

 

陽那「こうやってダイナカールさんやパシフィカスさんとお付き合いさせてもらっていく中で、私は親から見た子供の姿というものを認識することができるようになりました」

 

陽那「だから、“女帝”エアグルーヴや“怪物”ナリタブライアンといった夢の舞台で燦然と輝くスターウマ娘が家庭ではどれだけ普通の人間で親にとっては宝物の良い子なのかも知ることができ、」

 

陽那「そのことを伝える親の誇らしい表情を見て確信しました。親は子のことをいつも誇りに思って自慢したい思いを内に秘めているものだと」

 

陽那「だから、私は より一層 兄上の良さをみんなに知ってもらいたいと思うようになっていました」

 

陽那「兄上にはもう父上も母上もいないんです」

 

陽那「――――――()()()()()()()()()」グスン

 

斎藤T「よせ」

 

陽那「だって、こんなのってないじゃないですか……」ポタポタ・・・

 

 

――――――私にはもう伝えることができないんです。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

斎藤T「………………」

 

陽那「もう当てはまらないんですよね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

陽那「なのに、兄上の良さを知ってもらたいという思いと今と昔とでは何もかもがちがうことに焦る気持ちが綯い交ぜになって、このような愚挙に出てしまいました……」

 

斎藤T「……そうか。それは辛いな」

 

陽那「――――――それですよ、それ」

 

斎藤T「なに?」

 

陽那「兄上は公明正大でした。己を厳しく律し、決して道を違えることはなく、私が道を誤った時は毅然とした態度で正してくださいました」

 

陽那「でも、今の兄上はこれまでの公明正大よりも私の独立自尊のために叱ってくれることがなくなりました」

 

陽那「私が道を誤ったばかりに兄上までも道を踏み外させてしまった罪はもう永久に償うことはできないのですね……」

 

斎藤T「そうか。もう自分の口からは“斎藤 展望”の良さを語ることができないから、他人の口を借りて“斎藤 展望”の名誉回復を果たそうと、接触を試みたわけなのか……」

 

斎藤T「それで、そんなに叱ってもらいたかったのか?」

 

 

陽那「……やっぱり、寂しいんです。ようやく止まっていた兄妹の時間が動き出したと思っていたら、時の流れは残酷にも兄妹を昔のままにしておいてくれていなかったのですから」

 

 

陽那「今の兄上はもう私にはその表情しか向けてくれないじゃないですか。これまでいっぱい掛けてくれたいろんな言葉があったじゃないですか……」

 

陽那「家族ならもっといろんな表情や感情を見せ合うものでしょう?」

 

陽那「だから、今の兄上が永い眠りから目覚めた時、私はもう二度と失いたくないと思った家族の絆を取り戻せるものだと信じていた――――――」

 

陽那「でも、今の兄上のことは私の方が知らないことの方が遥かに多いことに思い当たって、無性に新生徒会の皆さんに嫌がらせをしたくなったんです。方々には申し訳ないです、本当に……」

 

陽那「酷い話ですよね。こんなことで嫉妬するだなんて……」

 

斎藤T「その割には私の担当ウマ娘への当てつけはしないんだな……」

 

 

陽那「え、だって、年末年始を我が家で過ごしたぐらいにはタキオンさんは今の兄上の良いところも背負うことになった使命のことも誰よりも理解している人じゃないですか」

 

 

斎藤T「そ、そうか。それもそうか……」

 

陽那「そうですよ。兄上の生命を賭した影の苦労も知らずに夢の舞台で脚光を浴びるばかりの苦労知らずたちはもっと兄上の御恩に報いるべきなんです」

 

斎藤T「煩わしいのは嫌いだから、別に人前で讃えられるつもりはないんだがな……」

 

陽那「そうですよ。これは家族としての見栄であって、まだまだ大人になれない私のワガママを聞いて欲しいだけなんですから」

 

斎藤T「だから、昔のように公明正大に裁いて欲しかったから、生徒会室に圧力を掛けるように“女帝”と“怪物”の父兄を連れてきたと――――――?」

 

 

斎藤T「それ自体が『家族の絆を確かめるために昔のように叱られたい』という甘えなんじゃないのか?」

 

 

陽那「そうです。甘えです。甘えたいんです。それが当たり前だったから――――――」

 

陽那「でも、だからこそ、兄上はそんな甘えを許さない公明正大さを発揮しておられるんですよね。その矛盾に私は狂ってしまったのかもしれません」

 

斎藤T「――――――『陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず』だな。あるいは、単純に『過ぎたるは及ばざるがごとし』といったところか」

 

 

陽那「だから! 許してください! いえ、許さないでください! 私は今から兄上に対して罪深いことをいたしますから!」

 

 

斎藤T「はぁ!?」

 

陽那「逃げてください! 拒絶してください! 許さないでください! 受け入れてください!」

 

陽那「私を抱きしめてください!」

 

斎藤T「う、うわああああああああ!?」

 

陽那「兄上……」

 

 

もうすぐ『皐月賞』が始まる。中山競バ場に私の担当ウマ娘が観戦しに行ったのは自分とはちがった方向性で『クラシック三冠』を本気で勝ちに行く理論派のエアシャカールの研究成果を見届けるためであった。

 

それまで私とヒノオマシは生徒会室で楽しくお茶会をした後に学園の出し物を見て回り、エクリプス・フロントの屋上からトレセン学園を見下ろしながら、今こそ何もかもが変わってしまった兄妹の在り方について再定義することになった。

 

本来ならば“門外漢”である斎藤 展望にとっては最愛の妹:ヒノオマシの養育費の目処が立った時点でトレセン学園のトレーナーで居続ける理由はない。レースで担当ウマ娘を勝たせて賞金を得ることは目的ではなく手段に過ぎないのだから。

 

しかし、兄妹揃って並行宇宙からの侵略者の脅威を目の当たりにしてしまったことで、もはや地球の危機とは無関係でいられなくなってしまったのだ。

 

そのためにWUMAと唯一戦う術を持つ最愛の兄がトレセン学園の激務に縛られながらも人知れず人類の自由と平和のために人一倍傷つくことを残された唯一の肉親である妹が黙っていられるはずがなかった。

 

だからこそ、人知れずに人類の存続のために戦い続ける最愛の兄の良いところを別な局面から多くの人に知ってもらいたいと願った時、唯一の肉親として自分が一番に知っているはずの最愛の兄の昔と今が一致しなくなっている致命的な矛盾に気づいてしまった――――――。

 

 

そう、唯一の肉親との家族という特別な関係さえも3ヶ月の永い眠りと絶望の未来への見えざる脅威によって曖昧になってしまったのだ。

 

 

否、この業の深い兄妹がWUMA遭遇以前からそれぞれに抱いていた本当の願いは決して同じではなかった。そのことがはっきりと現実に反映されただけに過ぎない。

 

兄の方は世界最高峰の警察バの血統と素養を受け継ぐ妹の血統を絶やさないために自分の命さえも捧げる覚悟でいたからこそ、国立大学の受験よりも狭き門と言われているURAトレーナー資格試験に合格を果たし、学園一の嫌われ者になろうとも強引なスカウトを決行して、すぐに学外でウマ娘に撥ねられて意識不明の重体に陥った――――――。

 

一方、妹の方は両親の生命と引き換えに生き延びてしまった罪悪感(サバイバーズ・ギルト)のために我武者羅に自分に流れる血統と素養から親が望んだ世界最高峰の警察バになろうと無茶を重ねたことで故障することになり、永らくの療養生活に入ることになったのだ。それが斎藤 展望がトレセン学園のトレーナーへと転向する直接の原因となった。

 

この長年の療養生活を招いた無茶の原因は敬愛していた世界最高峰の皇宮警察の両親を最愛の娘の生命と引き換えに失ってしまったことへの罪悪感を抱えた妹に対して、唯一の肉親にして公明正大で最後に頼れる人物であるはずの兄が両親を死に追いやったことを決して責めることがなかった気遣いや優しさにあり、更に幼気な少女を使命感へと追い詰めてしまったことにあった。

 

そう、両親の死によって妹の親代わりになってしまった最愛の兄は妹が世界最高の警察バとしての栄誉を掴むことが 両親の願いであり 妹の人生の幸福であると考え、ヒト社会であるからこそヒトとして生まれた己の存在はウマ娘として生まれた妹よりも価値が劣ると見做し、世界最高の妹のために自身の全てを捧げるべきだと信じていたぐらいだ。

 

それがウマ娘のハーフとして生まれた者の責務として、そのために妹の命を救って命を落とした両親に成り代わって養育費を稼ぐために親の道を継がずに金稼ぎに奔走する最愛の兄の姿――――――。

 

両親を犠牲にして生き永らえてしまった妹にとっては公明正大でいつでも正しかったはずの最愛の兄の在り方を歪めてしまったように感じられ、一刻も早く親の道を継いで皇宮護衛官になって元の公明正大な兄に戻ってもらいたいという一心で無茶を重ねて故障してしまったのが真相である。

 

両親の死を冷静に受け止めたつもりのようでいて実際にはウマ娘レースで言えば兄妹で“掛かってしまった”末の共倒れであり、その傾向は 斎藤 展望の3ヶ月間の永い眠りによって ようやく振り解かれることになったのだ。

 

けれども、こうして“斎藤 展望”が永い眠りから目覚めた途端にもっとも考えなければならない養育費の問題も解決したことで妹:ヒノオマシも本来あるべき親の道を継ぐ人生に復帰できた裏で、

 

皇宮護衛官のお勤め以上に世界のために人知れずWUMA退治に取り組みながら『宇宙船を創って星の海を渡る』という今まで一度も聞かせてくれなかった壮大な夢に向かって邁進していく兄の様子に妹はあるべき日常の充実感以上に家族との絆が薄れていく寂しさを強く感じていたのだ。

 

 

だから、今回 他者を巻き込んで妹:ヒノオマシは兄に甘えてきたのだ。本当に望んでいたものは唯一の肉親である最愛の兄と日々の温もりであり、兄の名声やWUMA退治の武勇伝でもなく、ただただ家族の無事を願う幼気な少女の声なき声であったのだ。

 

 

両親の死に際して兄は己の全てを捧げて妹の栄達を望み、両親を犠牲にして生き延びてしまった妹はただただ唯一の肉親である兄の無事だけを願っていた――――――。

 

その方向性のちがいに親の道を継ぐための寄宿学校での充実した日々の中での満たされぬ想いを自覚したことでようやく気づいたヒノオマシの瞳は狂おしいまでに潤んでいた。

 

私は道義的責任からその想いを受け止めないことに躊躇はなかったが、“斎藤 展望”にとって唯一の肉親である妹:ヒノオマシとの距離感は常に狂わされてきた。

 

思えば私自身は世紀の天才として逸早く親許から離れてからは宇宙船開発に没頭し、更には冠婚葬祭の一切を取り仕切る祭司長として常に見送る立場にあり、色恋沙汰とも無縁で同衾も妻帯もいたさなかった。

 

そして、宇宙移民船の中での限られたコミュニティの面々こそが私にとっての絶対の家族と言えただけに、未知の惑星での血を分けた異種族の兄妹の関係性というのはまさしく未知の体験であったのだ。異常であった。

 

だから、巨大なHが描かれているヘリポートの中心でウマ娘に軽く押し倒されて尻餅をついた隙に私の胸元で顔を埋めて矛盾と葛藤から炙り出された感情の渦から止めどなく涙を流す妹を毅然と振り払うことができずにいた。

 

今までの人生経験でここまで情熱的な抱擁を交わした相手は斎藤 展望の妹:ヒノオマシ唯一人であり、それだけに信仰の道を歩んできた純潔の私にはこの蕩けるような甘美な状況にただただ流されたい欲求に駆られてしまうのを抑えるのに必死だった――――――。

 

 

――――――きっと、“斎藤 展望”ならば唯一の肉親である最愛の妹に対して理屈を抜きにして『愛している』ことを伝えることができるはずなのだ。

 

 

けれども、記憶喪失ということにして“斎藤 展望”に成り代わっている私には『愛している』という言葉をどれだけ心を込めて告げたとしても、きっと敏い妹は演技であることをたちまちのうちに感じ取ってしまうことだろう。

 

私には当然ながら“斎藤 展望”として成り代わる以前の当人の記憶や家族との思い出なんてないのだから、唯一の肉親である家族に向ける『愛している』の言葉がどれだけ薄っぺらなものになるかなど言うに及ばず。

 

何より、私には生まれながらの夢があった。しかし、それと引き換えに一人の人間として与えられたはずの家族の愛を振り払っていた。

 

そう、家族の愛よりも本能にも近い宇宙への憧れに突き動かされて10歳で宇宙工科大学に入学して、私は常に目まぐるしく進歩していく最新研究の場を自身の住処としてその道の第一人者たちとの交流を家族としていた。

 

だから、未知の居住可能惑星で人類国家を建設する宇宙移民の同胞たちを家族として接しながらも私自身は独身を貫いてきたことも相まって、“斎藤 展望”になってから得てしまった血を分けた妹とのふれあいに最適解がないことのもどかしさに息が詰まりそうになっていた。

割り切れそうで割り切れそうにない宇宙で一番に難しい対人関係の悩みに自他共に認める23世紀の宇宙時代を代表する大天才も匙を投げるしかないのか――――――。

――――――それが家族なのだと、私は“斎藤 展望”を通じて深く理解することになる。

斎藤T「………………」

陽那「兄上……」

斎藤T「私は……」

パシフィカス「あらあら、『皐月賞』観戦のためにみんながモニターの前に大集合している今だからこそ、ヘリポートの中心で兄妹で睦み合うだなんて、大胆ねぇ」

ダイナカール「まあ、警察ウマ娘じゃなくて競走ウマ娘の血筋だったら、兄妹の二人三脚で『トゥインクル・シリーズ』で活躍している年齢差だものねぇ」

斎藤T「……あ」

ダイナカール「どうも、斎藤T。少しお困りみたいねぇ」

パシフィカス「こんなところにいないで、少し話し合わない、ヒノオマシちゃんのお兄さん?」

陽那「あ、あの……、私…………、ごめんなさい………………」

パシフィカス「いいから、ヒノオマシちゃん。そういうのは」

ダイナカール「そうそう。ヒノオマシちゃんもお兄さんも立派にお勤めを果たしているのだから、そんなに卑下することなんてないから」

ウマ娘レースに関心がある者なら誰もが『皐月賞』観戦に意識が向く中、両親に先立たれたことで家族関係が完全に壊れてしまった兄妹を気遣ってエクリプス・フロントの屋上まで探しに来てくれたのは、ヒノオマシが連れてきた他ならぬ“女帝”エアグルーヴの母親:ダイナカールと“怪物”ナリタブライアンのおふくろ:パシフィカスであった。

そこからヘリポートからお越しになった方々をもてなすための来賓室(ゲストルーム)の1室を貸し切りにしていた名門スクールの名物講師:ダイナカールたちとたった4人で『皐月賞』を観戦することになった。

結果はエアシャカールのクビ差で競り勝ちであり、トライアル競走の『弥生賞』ほどの安定感は見られなかったことを名物講師:ダイナカールが擬音混じりの独特な解説をするのを本職の私が翻訳するわけなのだが、ヒノオマシはなぜか酒屋の女将:パシフィカスの膝の上に乗せられた状態だった。

世間的にはそれぞれが“女帝”と“怪物”の母親として知る人ぞ知る大物であり、ウマ娘として生を受けた我が子が一生に一度しかない夢の舞台を駆け上がる年頃にもなれば、すでに“本格化”を終えてウマ娘特有の闘争本能を人間としての理性で抑えられた状態でトレセン学園の学費を満足に払い切れるだけの高収入を得ている立派な社会人として家庭を持つようになっていた。

そんな競走ウマ娘のトレセン学園卒業後の成功者と言える母親2人がなぜ見ず知らずの小娘:ヒノオマシに対してここまでしてくれているのかを訊いてみると、ヒノオマシに膝枕をして優しく撫でる人たちから告げられた意外な真実;それもまたウマ娘特有の悩みと葛藤がそうさせているのだと気付かされることになった。

陽那|スヤァ・・・ ――――――パシフィカスの膝枕で転寝している。

パシフィカス「――――――『どうしてヒノオマシちゃんのことを可愛がっているか?』ってねぇ?」ナデナデ

ダイナカール「愛する我が子を6年も世間から隔絶された夢の舞台に送り出してきたことへの寂しさがあったのかもねぇ?」

パシフィカス「でも、それはトレーナーを夢の舞台に送り出してきている家族にとっても同じことのはずだから」

ダイナカール「学生だった当時は『悪いトレーナーに騙されて身も心もズタズタにされて親許に泣きながら帰ってくる』んじゃないかって、親御さんが心配しているだなんて考えもしなかったけど、」

ダイナカール「こうして名門スクールの講師として愛娘を過酷なウマ娘レースの世界に送り出す親御さんの不安や焦燥を目の当たりにしてくると、私も一人の母親として他人事じゃなくなってきたわ……」

斎藤T「……その子を思う親の焦りや不安がトレセン学園で娘が心を通わせたトレーナーを婿に取るように家族が後押しする要因にもなっているわけですか」

ダイナカール「そうよ。ウマ娘にとっては一生に一度のトレセン学園での生活の中で誰よりもその子のことを一番に考えて二人三脚でレースの栄光を掴み取るパートナーなんて、夢の舞台を卒業した後の普通の社会人生活で見つけられるわけもないわけだし、何よりも卒業した後もターフの上を駆ける夢の続きを見ることができるからね」

ダイナカール「正直に言うと、今や私以上の実績を積み重ねたエアグルーヴが未だに私のことを一番の目標にして、トレセン学園での最後の1年間を ウマ娘らしく またターフの上を駆け抜けようとしている姿は親として込み上げてくるものがあるけれど、それはそれで嫁の貰い手に困るところがあるわよねぇ?」

パシフィカス「そうそう。レースの賞金だけで額面上は中高一貫校の6年間だけでサラリーマンの生涯年収を軽く超えるわけだし、」

パシフィカス「それで卒業してからも高嶺の花として周囲の人から愛でられはするけれど、そこから一歩踏み込んできてハートを射止めてくれる相手には恵まれない同窓生を何人も見てきたから……」

パシフィカス「社会に出て思うのは、結婚っていうのは本当に夫婦の支え合いだから、自分の支えが必要ないと相手に思わせるぐらいに隙のない女ってのは結果として一人寂しい人生を送ることになるのよ。人生のパートナーがいらないなんて強がれるウマ娘なんて本当はいやしないのにね……」

ダイナカール「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()娘の担当トレーナーには一生添い遂げてもらいたいというのが一人の母親としてのエゴになってくるわ」

パシフィカス「でも、望んでいないのなら無理強いはしないけどね。うちのブライアンがトレセン学園に入学して早々に『つまらないから退学したい』なんて言ってきたのを受け容れるつもりだったけど、引き留めたのは母親の私じゃなくてハヤヒデと新人トレーナーさんだったもの」

斎藤T「じゃあ、世間一般で言えば中高生で親許を離れる家庭が少ないのが社会に出てからわかっているからこそ、才能ある愛娘が夢のために家族の許から引き離されていることに思うところがあるわけですね」

ダイナカール「というより、学生の時は自分と同等の能力や才能を持つウマ娘同士が自然と集まって互いを磨き合っていたわけだけれど、結婚して母親になってからは娘の活躍次第でママ友付き合いで一喜一憂するぐらいに心労が絶えなくなってくるものなの……」

パシフィカス「まあ、母親となった今だと娘の活躍はそのまま家族の自慢になるわけだけど、逆に娘の挫折や痛みも家族の苦しみにもなるわけだから、娘が打ち負かした相手の親御さんたちとレースの話をするのが本当に気不味くてねぇ……」

斎藤T「まあ、徒競走というはっきりと順位がつけられる公営競技ともなると、嫌でも周りの目の色が変わることになることでしょう。大金も懸かっているわけですから……」

ダイナカール「だから、ウマ娘レースでの娘の活躍を人前で言わないことがエチケットになっていて、自分の実績と娘の実績は完全に切り分けて話さないといけないから――――――」

ダイナカール「本当はね、私だってエアグルーヴのことを自慢の娘だって一番に自慢したいのを抑えているぐらいよ!」

ダイナカール「母の日(5月第2日曜日)に黄色いカーネーションを毎年のように贈り続けてくる娘のいじらしさが、本当にねぇ!」

斎藤T「――――――『黄色いカーネーション』ですか? たしか、花言葉は『軽蔑』とかじゃありませんか、それ? 黄色い花はあまりいい花言葉を持たないのでは?」

ダイナカール「ああ……、たしかに斎藤Tが言うように黄色の花ってだいたいネガティブなものなんだけどね……」

パシフィカス「そっか。ヒノオマシちゃんは警察ウマ娘の家系で皇宮警察なんだから、競走ウマ娘の間で言われていることとは関係がないのよね」

パシフィカス「あのね、斎藤T? たしかに、黄色のカーネーションは世間一般には『軽蔑』って花言葉かもしれないけれど、競走ウマ娘の間だと『嫉妬』って意味で理解されていてね」

パシフィカス「そこから母の日に贈る黄色のカーネーションは『自分を生んでくれた母親のことを一人の競走ウマ娘として強く意識している』というライバル宣言になっているのよ」

斎藤T「そうだったんですか。それはなかなかにヒトを超えた身体能力と闘争本能を持つウマ娘の代表格たる競走ウマ娘らしい花言葉の意味づけですね」

斎藤T「じゃあ、ダイナカールさんとしてはいずれエアグルーヴも母の日に黄色のカーネーションを渡されることを強く願っているわけなんですね」

ダイナカール「有り体に言えば、そう。というより、母の日に黄色のカーネーションを贈ってくれる自慢の娘がちゃんと幸せになってくれればなんだっていいんだけどね」

パシフィカス「そうねぇ。実はこの母の日に黄色のカーネーションに象徴されるように、競走ウマ娘の親子関係は本当に世間からの毀誉褒貶が激しくて、そのことを苦にして離婚してしまう旦那さんも多いみたいね」

斎藤T「……なるほど。たしかに公営競技の世界なんだから賭け事に絡めた煩悩や恨み辛みを一方的にぶつけられる理不尽に苛まれるわけですね」

 

パシフィカス「そうそう、“クラシック三冠バ”ナリタブライアンの母親だからって、“女帝”エアグルーヴが心から尊敬している“オークスウマ娘”のダイナカールさんと同格扱いされているのって、競走ウマ娘時代では大した実績もなかった私としては有難迷惑で物凄く複雑な気分にさせられていて……」

パシフィカス「あんまりこんなことは言いたくはないけど、母親の素質が強く影響してくるのがウマ娘というわけだから、」

パシフィカス「こうして現役時代は大した成績じゃない私が『ドリームトロフィーリーグ』に揃って昇格した最強姉妹を生んだ母親ってことになるとね、」

パシフィカス「現役時代に私の指導をした昔のトレーナーさんのことをまったく関係ない人たちが好き放題に言ったりとか、今まで見向きもしてこなかったのに急にお茶のお誘いが増えたりするものなのよ……」

斎藤T「それ、卒業してから逆の立場だったら とてつもなく惨めなことになりますよね……?」

パシフィカス「うん。そうなのよ。それだけだったらいいんだけど、それで私とは逆の立場の人から黄色のカーネーションを贈られてきた日にはねぇ……?」

パシフィカス「まあ、我が家は歴史ある酒屋ということで花輪を送る機会もあるから、黄色のカーネーションぐらいで目くじらを立てることはないのだけれどね」

ダイナカール「もちろん、母の日に黄色のカーネーションを贈るウマ娘は母親がウマ娘レースで活躍した“良血バ”であることが多いから、自分の血統を並だと考えているウマ娘なら普通に赤とか白で贈るからね」

斎藤T「この感じだと、競走ウマ娘の一生というのは母親の『ラヴィアンローズ(バラ色の人生)・クラシック三冠』の成績で決まっているようなものですねぇ」

パシフィカス「え、何それ? 『ラヴィアンローズ・クラシック三冠』って? 詳しく聞かせて?」

ダイナカール「たしか、ラヴィアンローズ(La vie en rose)はフランス語で“バラ色の人生”という意味じゃなかったかしら?」

斎藤T「つまり、『学生時代に良きトレーナーに出会えたか』『社会人になって良き伴侶と結ばれたか』『家庭人として良き娘に恵まれたか』です」

斎藤T「ほら、ウマ娘レースは1着でゴールすればいいから“もっとも速いウマ娘が勝つ”『皐月賞』でしょう?」

斎藤T「次は“もっとも運に恵まれたウマ娘が勝つ”『日本ダービー』、最後に“もっとも強いウマ娘が勝つ”『菊花賞』なわけですから、対応すると思いません? 期間もだいたいそれぐらいの比率でしょう?」

ダイナカール「うまいこと言うわねぇ! 流行らせていい?」

パシフィカス「本当ね! これは流行語大賞になるかも!」

斎藤T「ありがとうございます」

斎藤T「ところで、先程までの話から推測するに、“ラヴィアンローズ3冠バ”のダイナカールさんと“ラヴィアンローズ2冠バ”のパシフィカスさんは世代や距離適性もちがってあまり接点がないように思うのですが、どういった経緯でヒノオマシのために団結してくださっているのですか?」

ダイナカール「なるほど、そういうふうに使うのね、『ラヴィアンローズ・クラシック三冠』というのは。勉強になるわ」

パシフィカス「それねぇ、私の場合はトレセン学園のママ友付き合いは上の子のハヤヒデの良き友人でライバルの“BNW”で先にやっていたから、下の子のブライアンの世代とはあまりママ友付き合いはなかったのよ」

パシフィカス「それに、ブライアンの周りにはいつもたくさんの子が集まっているけど、それって“強敵”と書いて『友』と呼ぶような関係だから、子供を通じて親同士で仲良くなれるものでもなくてね」

斎藤T「あ、そっか。レースの勝敗で一喜一憂して傷つかないように娘が出ているウマ娘レースの話は人前でしないのがエチケットだから、レース以外で付き合っていける友人関係でもなかったら親同士からしても接点が生まれないのか……」

パシフィカス「でもね、こうやってダイナカールさんと娘のことで堂々とお話できるように縁を結んでくれたのはヒノオマシちゃんのおかげなのよ」

ダイナカール「ヒノオマシちゃんの場合は兄であるあなたがトレセン学園のトレーナーということで、講師になってトレーナーの真似事をしている今だと非常に共感がもてる立場だったから、思った以上に話が弾んでね!」

パシフィカス「それでダイナカールさんの子も私のところの子も共通の話題として斎藤Tのことを“学園一の嫌われ者”として去年の今頃に話していたわけだから、斎藤Tのことは本当に記憶に残っていてね、」

パシフィカス「あなたが3ヶ月間の意識不明の重体から目覚めた後、そういえばと思って娘の口から伝えられた嘘のような豹変ぶりと活躍ぶりは英才揃いの中央トレーナーの中でも群を抜いていたから、こうして会う日を 結構 楽しみにしていたのよ」

斎藤T「それは光栄ですね」

パシフィカス「でも、さすがにヒノオマシちゃんの養育費を稼ぐためだけに中央トレーナーになってここまで評価が一転する“門外漢”なんて初めてだから――――――」

陽那|スヤァ・・・ ――――――パシフィカスの膝枕で転寝している。

パシフィカス「実際に会ってみないことには親として安心できなかったから、ヒノオマシちゃんが『春のファン大感謝祭』に誘ってくれたのを好機と見て、あなたのことを見定めていたのよ」

ダイナカール「ヒノオマシちゃんがあなたのために私たちを利用していたのは知っていたけど、別に気にすることはないわ。こういうのを大人のお付き合いと言うのだし、そういう意味では担当トレーナーとしか大人のお付き合いを知らない娘よりずっと強かで大人だわ」

斎藤T「そうでしたか」

斎藤T「で、どうでしたか、見定めに来た結果は?」

ダイナカール「聞くまでもないじゃない。あなたが主宰となって先代生徒会長:シンボリルドルフに働きかけて このエクリプス・フロントに創部した ESPRITの出し物や宣伝活動を見てきたけど、レースでウマ娘を勝たせることが本業の一介のトレーナーには到底できないことをあれだけやり続けているんだもの」

ダイナカール「エアグルーヴが生徒会長になってからターフの上でまた走るようになったのも『URAファイナルズ』決勝トーナメント観戦プログラムで初のお披露目になった超高性能なVRシミュレーターでの『皇帝G1七番勝負』のおかげでしょう?」

 

ダイナカール「だったら、娘が選んだ担当トレーナーさん(将来のお婿さん)には悪いけれど、あなたが娘に夢の続きを見せてくれたのだから、それならもっと多くの子たちに夢の続きを見せてあげて欲しいわね」

斎藤T「だったら、URAトレーナーライセンス資格試験の合格者数を増やすための取り組みに協力してください」

斎藤T「学校法人:トレセン学園としては定員枠を増やすのも減らすのも経営の裁量次第ですけど、国家資格試験の合否判定は一定の水準で動かしようがないのですから、」

斎藤T「もっと未来のトレーナー育成に力を入れないと、需要と供給の破綻で遠からずして『トゥインクル・シリーズ』はまた闇に閉ざされますよ」

ダイナカール「これまた、さすがね。ウマ娘レースでウマ娘を勝たせることしか知らないトレーナーとは大違いね、新人のあなたは」

斎藤T「――――――『後工程はお客様』ですよ? そうやってトレセン学園や業界が肥え太らせてきた末期症状の闇を私一人に丸投げされても困りますよ?」

ダイナカール「そうね。肝に銘じておくわ」

パシフィカス「うん。だって、ヒノオマシちゃんみたいにこんなにも可愛らしい家族がトレセン学園からの帰りを首を長くして待っているんだもの。その辛さをわかっている私たちが何もしないだなんて無責任なことはしないわ」

斎藤T「なら、私はESPRITの主宰として技術革新によって競走ウマ娘のトレーニング環境を変えていきますから、ダイナカールさんはトレセン学園に教え子を送り出す初等教育の現場の立場から働きかけてください」

ダイナカール「わかったわ」

パシフィカス「私は? 何か力になれることはないかしら?」

斎藤T「では、姉妹揃って上位リーグ『ドリームトロフィーリーグ』に昇格したわけですから、『トゥインクル・シリーズ』のその先にある『ドリームトロフィーリーグ』についての情報を集めてきてください」

斎藤T「そうすると、ほら、ダイナカールさんがトレセン学園入学前、パシフィカスさんが『トゥインクル・シリーズ』卒業後の競走ウマ娘の動向を見守ることになるじゃないですか」

ダイナカール「いいアイデアね、それ! うん、そうしよう!」

パシフィカス「なら、そういうことでよろしくね、斎藤T」

パシフィカス「でも、あまり無茶はしないでね。この子にはあなたしかいないのだから」

斎藤T「……私もその子の保護者として安心して任せられる嫁ぎ先を願うばかりですよ」

ダイナカール「記憶喪失とは言え、その物言いはあんまりじゃないかな……」

パシフィカス「でも、実の兄妹で愛し合うわけにもいかないし、親が子を残して死ぬことの罪深さを親じゃなくて子が背負うことになった結果だから……」

斎藤T「………………」

――――――本当にどうしたらいいんだろう?

その後もエクリプス・フロントの閉館時間まで深く突っ込んだ濃い内容のいろんなことをトレセン学園生徒の父兄代表であるダイナカールとパシフィカスと話し合うことができた。

その中で私はダイナカールのようにウマ娘レースで活躍したスターウマ娘を先祖に持つ血筋を“良血”と呼ぶ風習に対して、パシフィカスのように本人の実績はそうでなくても生まれてきた子供の偉業で讃えられるようになることのセクハラ同然の社会的矛盾についても問い質すことになった。

そうした中で第一次ウマ娘レースブームから始まるヒト社会におけるウマ娘の立場とその歪みについても深く知ることになった。

ダイナカールの愛娘:エアグルーヴが次に出走する東京・芝・1600mのG1レース『ヴィクトリアマイル』についても2006年に3年目:シニア級以降のかつてのティアラ路線の猛者たちによる春季のチャンピオン決定戦として新設されたわけだが、

日本における近代ウマ娘レースが戦後に再開されてから半世紀以上が経ってようやく『ヴィクトリアマイル』のようなレースが新設されたことが私の感覚からすると意味不明なものであった。

しかし、今のように自由で開放的な黄金期の在り方はそれこそがごく最近のもので、むしろ今までの常識を覆す革新的なものであったのだ。

これまではトレーナーとの基本的な契約期間“最初の3年間”の最後の1年間とある3年目:シニア級になったウマ娘は引退を考えることが普通であり、

そうでなければ3年目以降もターフの上に居座り続ける常勝不敗の存在はレースを退屈にさせるとして上位リーグ『ドリームトロフィーリーグ』への体の良い追放処分となるわけである。

そう、競走ウマ娘にとっては一生に一度の“最初の3年間”だけを活躍期間とし、その短い期間に実績を残した強豪ウマ娘は速やかに引退して“良血バ”として家庭に入って優秀な子孫を生むべきだと言う考えが根付いているわけであり、それがひいてはウマ娘の繁栄と幸福に繋がるのだと大真面目に信じられていた時代がほんの少し前のことだったのだ。

実際、優れた名バはトレセン学園卒業後には殿堂入りとなるわけだが、この殿堂入りリストに登録されたウマ娘には社会人になった直後に各方面から婚約やお見合いの申し入れが殺到することは珍しくないことである。勝利の栄光を重ねた名バは子供を生む義務があると信じられていた――――――。

だからこそ、その価値観が当然のものと受け入れられているからこそ、『トレセン学園は婚活会場』というジョークが成り立つわけであり、自分を夢の舞台で勝たせてくれる名トレーナーと結婚することもまたウマ娘たちの大きな夢となっていた。

しかし、問題なのは『トゥインクル・シリーズ』で夢を掴んでウマ娘がそうして家庭に入った後のことであった。

ウマ娘という生き物は 生来 走ることが大好きで 勝負事となったら何にでも熱くなりやすく ヒトよりも闘争心が旺盛であるが故に、自身がアスリートとして走れなくなった後に大多数と熱中してしまう勝負事があるとしたら――――――、

それは思春期の“本格化”の時期に合わせたアスリートとして自ら掴む栄光の他に、社会人になってからどんな素晴らしい伴侶と結ばれたのかという女としての自己顕示欲と、家庭に入ってからも自分の子供たちがどれだけレースで活躍するかの母親としての見栄の張り合いだ。

それはトレセン学園の中高一貫校の6年間より遥かに長い期間で一生ついて回る勝負事であり、母親の実績に対して娘の実績が伴わない場合の双方の精神的苦痛は悲惨さを通り越した醜悪なものがあった。

それだけにウマ娘をスカウトして出走権を握るトレーナーの立場が強くなりすぎたことでウマ娘とトレーナーの絆にヒビが入ったのが現在では完全に忌み嫌われている暗黒期であり、その反動から黄金期においてウマ娘の独立自尊と多様な価値観な受け容れられるようにもなってきたのだ。

 

なので、現在の黄金期やその前の過渡期に活躍したウマ娘の母親たちの社会経験が原動力となってウマ娘レース業界の新たな風潮や価値観を形成することになったわけなのだが、

伝統的価値観の崩壊で掴み取った更なる自由の拡大はトレセン学園の箱庭よりも遥かに広大な社会生活における新時代と旧時代の価値観の衝突や摺合せでもっとも苦労させられる世代をも生み出すことになった。

そういう意味では“皇帝”シンボリルドルフの競走ウマ娘としての活躍期間は実質的に“最初の3年間”だけだったのに対して、その後を継いだ“女帝”エアグルーヴと“怪物”ナリタブライアンが生徒会役員を続けながら“最初の3年間”以降もターフの上を走り続ける姿は旧時代の価値観を持つ人間からすれば相当にたわけた姿に見えていることだろう。

そのため、男勝りの“女帝”エアグルーヴにはトレセン学園で出会えた最大の理解者である担当トレーナー:吾妻Tとこのまま籍を入れて欲しいと願うのが母親であるダイナカールの切実な想いであり、ヒトと結ばれないと子孫を残すことができないウマ娘特有の種の保存本能が種族滅亡の危機を敏感に察知して予見しているようでもあった。

そうした思いが高じて愛娘:エアグルーヴに担当トレーナーと早いところくっつくことを何度も冗談交じりで言っていたら、それを真に受けてしまった娘が本当に在学中に担当トレーナーと()()()()()()になって綺麗になってしまったことを猛省することになったのがダイナカールという母親ウマ娘の懺悔であった。

そう、斎藤 展望の最愛の妹:ヒノオマシが抱えている唯一の肉親である兄:斎藤 展望に向けられた感情の重さと事態の深刻さはそれと同じものだと人生経験豊富な成人ウマ娘:ダイナカールは語ったのだ。

ウマ娘はヒトから精子をもらわないと種の存続が果たせないからこそ種の保存本能がヒトよりも圧倒的に強く、それが高じての闘争本能である以上、なまじヒト社会における倫理観や知性に迎合してしまったばかりにヒノオマシという一人のウマ娘の種の保存本能が血を分けた兄に向けられるようになった精神的異常をきたしたのもしかたがないことでもあった。

実際、この種の保存本能の暴走によってか、『天皇賞(秋)』を死に場所にしてターフの上で心中してみせる芸当をやってのけた例を私は体感してきているだけに、ヒトよりも遥かに本能に忠実なウマ娘を追い詰めさせることはやってはいけないと改めて思った。

なので、ダイナカールにしても母親として決して自慢の娘のことを『育て方を誤った』などと言うつもりは微塵もないのだが、自分を尊敬するあまりに冗談を真に受けて相手に身体を許すような性格になってしまっていたことに負い目を持ちながらも、

二人三脚で“最初の3年間”を走り抜いてくれた担当トレーナーと結婚することが結果としては娘のためだとも思って2人の関係を歓迎してもいるため、娘の成長ぶりに対して良識ある社会人として極めて複雑な感情を抱いていたのだ。

それに対して、“万能”ビワハヤヒデと“怪物”ナリタブライアンの母親であるパシフィカスもまた娘たちの将来を憂えており、姉であるビワハヤヒデは“天上人”と讃えられるほどの担当トレーナーと両想いになりながらも不治の病で離別してしまう憂き目に遭い、妹であるナリタブライアンは“天上人”と比べると何の才気も感じられず非常に気弱そうな女性の新人トレーナーに入れ揚げていたのだ。

付け加えると、ビワハヤヒデの元担当トレーナーである鐘撞Tは九死に一生を得て愛バの下に帰り着くことができたが、ナチス残党の秘密組織に改造されてウマ娘:ピースベルTとして生きる他なくなり、

ナリタブライアンの元担当トレーナーの三ケ木Tも才能に任せて“クラシック三冠バ”にまでなった最初のウマ娘よりも圧倒的に劣る 自分の才能に見合った 今のウマ娘を選んで正式に契約を解除してしまっているのだ。

これはたしかに母親としては愛娘たちが良縁に恵まれないことに気を揉むのは無理はない状況であり、ウマ娘の種の保存本能が母親になったパシフィカスに対して『このままだと自分の血が断絶するぞ』という危険信号を送り続けることになり、

『子供たちの好きなようにさせたい』という想いと『幸せな家庭を築いてもらいたい』という想いの間で母親の意識が鬩ぎ合うことになり、自己の種の保存本能を抑えて自分が安心したいがために愛娘たちに新しい相手を見つけて欲しいという衝動に耐えながら生きているのだという。

特に、あまりにも値段が釣り上げられたスターウマ娘がかえって売れ残りになって人一倍寂しい思いをしている実例を同窓会で嫌と言うほど見てきているだけに、子を想う親心や親としての見栄からどうしても娘の婚姻を急かしてしまいたくなる衝動が生まれてきてしまうのだ。

そういう意味では親の資質もまたトレセン学園の中高一貫校のアスリート生活を導くトレーナー以上にトレセン学園卒業後のウマ娘の一生を左右する重大な要素になっているわけであり、

いろんな意味でウマ娘はヒトよりも余裕のない人生を送っているわけであり、その焦りを掻き立てる圧力がヒトよりも駆け足気味にウマ娘の進化を促してきているものだと思うと、異種族共生社会の厳しい現実がより深く見えてくる。

そう、ウマ娘にとっては闘争本能に身を任せてターフの上で走りきった後は、今度は種の保存本能によって娘の幸せを願う母親の想いと血族繁栄の支配欲が暴れ出すのを必死に抑え込む辛い現実が待っているのだ。

夢の舞台『トゥインクル・シリーズ』で勝つことがどれだけ難しいことなのかを母親の立場になって考えるようになってしまうと、親にできることは愛娘の才能と夢いっぱいの希望を信じて送り出す他なくなるのだから、せめて卒業後に良縁を見つけてやらないと気が済まなくもなる。

なので、そこまで『トゥインクル・シリーズ』出走に気を張らずに掲示板入りを果たして賞金を稼ぐだけ稼いで悠々と卒業することを明らかにしている;ある意味においては勝負の世界の結果を極めてドライに考えている母娘の方が精神衛生上健全でいられるわけなのだ。

つまり、シンボリ家の看板や冠名に何の責任感を覚えずにレースで勝つことも決まっているから気楽な学園生活を送ることを受け容れているソラシンボリと書類上は親子関係ではないからこそ愛娘と一線を引いているスカーレットリボンの母娘関係は精神面では非常に頑丈であった。

むしろ、ソラシンボリとスカーレットリボンの母娘が普通ではないため、どちらもスターウマ娘の生みの親ではあるのだが、普通のウマ娘の母娘関係の実態というのを今日初めて知ったのだ。

だからこそ、ダイナカールとパシフィカスという正反対の経歴の偉大なる母親2人を通じて、“斎藤 展望”にとってはもっとも身近な他人である最愛の妹:ヒノオマシが抱え込んでいる想いと辛さをようやく理解することができたのだ。

――――――中山競バ場からの送り迎えにて

 

アグネスタキオン「……ふぅン。ヒノオマシくんとそんなことがあったんだねぇ」

 

アグネスタキオン「残念だが、放任主義の我が家では私のことをそんな風に心配してくれている人間はいないだろうから、共感できるところがなくて申し訳ないねぇ」

マンハッタンカフェ「……私も、家族からは放任とまではいかなかったですが、“お友だち”のことで壁があったのでヒノオマシさんの気持ちを完全に理解することはできないと思います」

アグネスタキオン「要するに、『類は友を呼ぶ』とでも言うのか、きみの周りに集まる人間は それこそ“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として生きようとしたシンボリルドルフのような 一般庶民が求める幸せよりも高い次元の幸福を追求する人間ばかりなんだろうねぇ」

斎藤T「そうだろうな。ヒノオマシは自分のために両親を死なせてしまった負い目に加えて無茶を重ねてきた結果の故障による挫折で、親の道を継いで皇宮護衛官になる夢をあきらめて家族団欒の思い出に浸ることを自身に相応しい幸福だと定めてしまっていたわけだ」

マンハッタンカフェ「それから唯一の肉親であるあなたが3ヶ月間の意識不明の重体になってしまったことも相まって、尚更 家族との結びつきを願うようになっていたわけなんですよね」

斎藤T「私からすれば まったく記憶にないことだが、妹からすればまだほんの1年前の出来事なんだ。4月のカレンダーを何気なく見ていて、私がウマ娘に撥ねられて意識不明の重体に陥った時の感覚が鮮明に蘇ってきて、何とか自分の側に家族を繋ぎ留めようと必死にもなる――――――」

アグネスタキオン「……なるほどねぇ。なら、私もヒノオマシくんと似たような思いをさせられているわけか」フフッ

マンハッタンカフェ「……タキオンさん?」

アグネスタキオン「で、きみとしてはどうするつもりなんだい? ウマ娘はヒトの男子の精子をもらって種の保存を果たさなければならないからこそ種の保存本能も並外れていることがわかった以上、種の保存本能を満足させる相手を充てがう必要があるのだろう?」

斎藤T「いっそのこと、血の繋がりのない完全な他人だったら嘘でも結婚の約束をして時間稼ぎをすることができるんだけどな……」

マンハッタンカフェ「……兄妹で結婚の約束をするアレですか?」

アグネスタキオン「…………へえ?」

斎藤T「だが、それは妹の養育費を稼ぐためだけにトレーナーバッジを掴み取った“斎藤 展望”のやることではない」

アグネスタキオン「……ふぅン。そうかい」フフッ

マンハッタンカフェ「……難しい話ですね。ウマ娘のヒトよりも旺盛な本能と付き合いながらヒト社会を生きていくのは」

アグネスタキオン「そうだねぇ。ダイナカールとパシフィカスという社会的にも母親としても成功していると言える成人ウマ娘の生々しい悩みを知ってしまった以上はねぇ――――――」

斎藤T「唯一の肉親として『愛している』と言ってあげられないことが“斎藤 展望”の大きな咎だ」

アグネスタキオン「あ、もうそろそろでトレセン学園だねぇ」

マンハッタンカフェ「中山競バ場からあっという間でしたね」

斎藤T「そうだな、この通りまで来れば――――――」

斎藤T「あ」

斎藤T「………………」

アグネスタキオン「……ふぅン」

マンハッタンカフェ「……どうしたんですか、斎藤T?」

斎藤T「いや……」

アグネスタキオン「……きみがあの通りを見て何を思ったか言い当ててやろうかい?」

――――――――――――いったいどうして怪人:ウマ女の目にも留まらぬ動きについていける超人である斎藤 展望がウマ娘に撥ねられたぐらいで意識不明の重体に陥ったんだろうねぇ?




本作は私たちの世界の基準で『ウマ娘』の世界の現実で起きていることを描き出すことを趣旨にしており、
今回はトレセン学園卒業後のウマ娘たちのヒトを超えた闘争本能は鳴りを潜めるかどうかに焦点が当てられている。
それをウマ娘レースの王道:クラシック三冠路線に擬えて『ラヴィアンローズ・クラシック三冠』と呼称してみたが、
果たして、ここまで読み進めてくださった読者の方々はどう感じられただろうか?


ラヴィアンローズ(人生バラ色)・クラシック三冠

もっとも速いウマ娘が勝つ『皐月賞』→ ウマ娘レースの1着バの栄光を掴む

もっと運に恵まれたウマ娘が勝つ『日本ダービー』→ 良縁に恵まれたウマ娘が勝つ

もっとも強いウマ娘が勝つ『菊花賞』→ 優れた子孫を産んで良血と讃えられる


私が憤りと矛盾を覚えるのは競馬に準じたウマ娘レースで平然と使われる“良血バ”の概念である。
競馬における“良血馬”とは文字通りに父系・母系共に優秀な血統の馬を掛け合わせて生まれた馬のことを言うが、
この場合の『優秀な血統』が意味するところがそのまま競走馬を擬人化した競走ウマ娘の文化に持ち込まれていることが、“斎藤 展望”が作中で『ラヴィアンローズ(人生バラ色)三冠』を提唱するきっかけとなっている。

――――――そもそも『競走ウマ娘における優秀な血統』が優秀である証明とは何か? それはウマ娘レースでの実績、ただそれのみである!

つまり、ウマ娘レースの結果によってのみ“良血バ”の判定がつくのなら、大半の女性にとって欠かせない関心事にしてマウントの取り合いの焦点となる結婚相手や生まれてきた子供の優劣や評価は別個に行うのが正当であるはずだ。
けれども、実際には世のママ友付き合いでの旦那自慢や子供自慢からのトラブルは耐えないわけであり、ゲルマンの英雄:ジークフリートの死の遠因もそれなのだからたちが悪い。『ラヴィアンローズ(人生バラ色)三冠』はそのことを言っている。
そして、私たちは『誰々の子だからこうであるべき』『誰々家のウマ娘としてこうあるべき』という周りからの圧力や一方的な期待に対して人道的な怒りを覚えながら、そのようにレッテル貼りをする民衆の愚かさを止める術を持たない。
一方、ヒトよりも遥かに勝負事に熱中しやすい競走ウマ娘は得てして現役引退した後に自分の夫や子供のことを自慢することに熱を上げることになり、ママ友トラブルが尋常ではなくなっている可能性が高いように思える。

それを踏まえて、ここで矛盾になってくるのが、『“女帝”エアグルーヴの母親にして自身も“オークスウマ娘”であるダイナカールと、“万能”ビワハヤヒデと“怪物”ナリタブライアンのおふくろでありながら本人の成績に特筆すべきものがないパシフィカスのどちらが上か?』である。

競走ウマ娘としてはダイナカールが圧倒的にパシフィカスよりも上だが、娘となると“クラシック三冠バ”ナリタブライアンの母親であるパシフィカスの方がダイナカールよりも素質があったという評価にならないだろうか?
現実にサラブレッドの血統は母親の性質を大きく引き継ぐとされているからこそ、繁殖牝馬から始まる母系の血統が生まれてくるサラブレッドの基底(ベース)となり、それと掛け合わせる種牡馬の因子が個性(アクセント)になるわけである。
言い方は悪いが、繁殖牝馬とはまさしく生産者の狙い通りの競走能力を持ったサラブレッドを生み出すための生産装置なのだから、まず生産者の手元にある生産装置の評価が根本的に大事であり、種牡馬の因子はその時々のニーズに応じたものに過ぎない。
そして、ウマ娘という生き物の場合だと、交配したヒトの因子の影響が大きいのなら優秀な競走能力を持った子孫を世代を重ねて作り上げていくための緻密かつ厳格な婚姻統制が起こるはずだが、
それが見受けられないということは、生まれてくるウマ娘は母親の遺伝子の大半を受け継いで父親の因子はほんのわずか(アクセント程度)にしか作用しないと考えられる。
それが生まれながらの競走ウマ娘の適性というものであり、並大抵の努力では変えることができない能力の壁を代々に渡って背負わされてきたわけである。
となると、現役時代は大したことのない母親であっても娘の偉大さによって評価はいくらでも覆されるのではないかという、競走ウマ娘の一生に付いて回る毀誉褒貶の激しさとママ友付き合いのやりづらさが卒業後に待ち構えているはずである。
“女帝”エアグルーヴは母親の日に母親に対して黄色のカーネーションを『憧れの目標(ライバル)への敬愛』の意味で贈っているが、
黄色のカーネーションは通常な『軽蔑』などのネガティブなものであり、斎藤 展望は『こんな能力や適性の身体に生み落とした母親への恨み』に通じているように思えてならなかったわけである。
そして、現実にも“良血馬”である方が勝率が高くなるのは統計的にも明白であるが、未だに“穴馬”に出し抜かれる事象を抑えることができないのを競馬の醍醐味として大歓声と共に楽しむか文句タラタラに次の馬券を買い続ける2つの光景を私たちは同時に見ることになるわけだが、
これを人権や人格を有する同じ人間であるウマ娘に対して『“良血バ”であるからこうであるべきだ』『母親はああだったのにダメなやつ』と言い放つのははたして品性のある行いなのかと思ってしまったのだ。
その場合、まさしく“良血バ”の血統であろう“女帝”エアグルーヴよりも歴史的快挙を成し遂げた“万能”ビワハヤヒデと“怪物”ナリタブライアンの最強姉妹の評価に連動してパシフィカスの評価がダイナカールを上回るという見方も十分にあり得るわけである。
なので、ママ友付き合いでの力関係が非常にスッキリしないことになるのはこれで伝わったのではないかと思う。

同時に『“世界最高峰の警察バの血統”つまりは“良血バ”というレッテル貼りを斎藤 展望の最愛の妹:ヒノオマシに対してもしてきたのではないか』という気づきと内省があったのがこの回である。


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第3話秘録 春のファン大感謝祭の後夜祭の主役たち

-シークレットファイル 20XY/04/15- GAUMA SAIOH

 

新年度始まって日本国民にとって一番の楽しみと言えるクラシック三冠路線の第一戦『皐月賞』の翌日、その日がトレセン学園における『春のファン大感謝祭』最終日であり、体育祭と後夜祭が執り行われた。

 

参加自由の体育祭は『春のファン大感謝祭』期間中に新入生たちをチームに引き込んで参加登録を行い、体育祭運営委員が企画したレクリエーション競技に挑戦するわけであり、

 

それぞれの種目で入着することによってちょっとした景品がもらえ、更には体育祭全体で獲得した点数が上位のチームにとびっきりの特典が得られるということで、入学して早々の思い出作りに新入生たちの精が出た。

 

もちろん、“本格化”を迎えたウマ娘とそうでないウマ娘の実力差は歴然としているので純粋な力勝負では新入生たちがまったく歯が立たず、それでは新入生たちがおもしろくないので、

 

レクリエーション競技の内容は決して個人の能力に左右されない団体戦や運否天賦の勝負となっており、みんな そういう趣旨のものだと理解して怪我しない程度にチームの勝利を目指しながら、あわよくばトレーナーからのスカウトに繋がるように懸命にアピールを繰り返した。

 

それがいい塩梅に新入生も先輩方もトレーナーも気楽に楽しめる 適度に緩くて適度に締めている 体育祭の雰囲気を形成することになり、新入生大歓迎となるようなチーム制度も相まって、早速 多くの新入生たちが先輩方と打ち解けて涙あり笑いありのチームの勝利を喜び合う結果となった。

 

そして、この体育祭での活躍の中に将来のスターウマ娘の片鱗を見たトレーナーたちはスカウトの前段階として自分が見込んだウマ娘に声を掛けていくわけであり、それが体育祭の最大の成果であるかのようにトレーナーから声を掛けられたウマ娘たちは手応えを感じるのであった。

 

そんなわけで、新年度の始めから『皐月賞』とその振替休日となる月曜日までを期間とする『春のファン大感謝祭』も残すは後夜祭となり、昨日の一般開放日最終日の後に出し物は全て片付けられて後夜祭用の小さなセットだけのため、明日からは学生の本分たる学業に励む日々が始められるのだ。

 

その中で上映されるのが2週間続いた『春のファン大感謝祭』のハイライトであり、長かったようで短かった『春のファン大感謝祭』でいろんなことがあったのを時系列順に振り返ることになったのだが、

 

その中で一番に新入生たちの記憶に残っているのは、何を隠そう、新クラブ:ESPRITの出し物である『サンタアニタダービー』同時視聴プログラムであり、『桜花賞』のあった先週の日曜朝8時の一般開放前のエクリプス・フロントに所狭しと集まって、“永遠なる皇帝”シンボリルドルフと“異次元の逃亡者”サイレンススズカという超豪華ゲストを迎えることになったのだ。

 

そのため、これだけでESPRITは『春のファン大感謝祭』出し物人気投票で堂々の第1位を記録し、後夜祭の表彰式にて顧問の女代先生が秋川理事長から賞状を受け取ることになった。

 

ESPRITは私が創始者なのだが、トレセン学園の教職員ではないトレーナーはクラブの顧問になれないので、表向きは私が代表にはなれないのだ。

 

しかし、実態としてはESPRITを含めてエクリプス・フロントで働く人たちにとっての絶対者はこの“斎藤 展望”なので、ESPRIT顧問の女代先生が受け取った表彰状は実質的に私のものである。まあ、そこまでこだわるものでもないが。

 

そして、様々な部門での表彰が行われた後、最後に『春のファン大感謝祭』期間中のウマ娘レース:ティアラ路線の『桜花賞』とクラシック路線の『皐月賞』の優勝バであるダイワスカーレットとエアシャカールが改めて紹介されることになり、更にその担当トレーナーである甘粕Tと望月Tへの激励も行われた。

 

 

そう、『皐月賞』開催とその翌日の振替休日までを『春のファン大感謝祭』期間としているのは、2年目:クラシック級の新世代の中心にいる主役たちを後夜祭で改めて生徒たちに知らしめて一人一人がこの国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台:トレセン学園で栄光を掴み取るように発奮させるためでもあったのだ。

 

 

ただし、『春のファン大感謝祭』の最後を締め括る後夜祭だが、明日からは本格的な学校生活が始まるので壇上で長々とヒーローインタビューなんてすることはなく、トレセン学園公式チャンネルで収録したものを閲覧する案内を出すだけに止め、

 

そうして明日からは学生らしくまじめに勉学に励まなくちゃならないことを嘆いて『春のファン大感謝祭』期間がずっと続いて欲しいと願う生徒たちを出しながらも、それで『春のファン大感謝祭』は無事に幕を閉じるのであった。

 

そして、基本的に参加自由の『春のファン大感謝祭』なので、後夜祭に参加すること自体も任意なので、今までならば時間の無駄だとして期間中をずっと実験室に閉じこもって過ごしてきたアグネスタキオンにとっては目に映る全てが真新しかった――――――。

 

 


 

 

――――――百尋ノ滝の秘密基地

 

斎藤T「こう考えると、『春のファン大感謝祭』は入学してきた新入生と一生に一度しかない2年目:クラシック級の新世代を主役にした構成にしているわけですね」

 

ピースベルT「そうよ~♪ 『URAファイナルズ』がファン投票という体裁で4年目以上:スーパーシニア級の誰もが出走できる卒業レースとして確立されたから、これで『トゥインクル・シリーズ』の最初と最後のお祭り期間が完成したわけなの♪」ンフッ

 

斎藤T「じゃあ、来年はあの壇上で私と私の担当ウマ娘が世代の中心として表彰されるわけですね」

 

ピースベルT「ああ、もう勝った気でいるんだ♪ そういうのおもしろくないから、私が盛大に盛り上げちゃおっかな♪」フフッ

 

斎藤T「おお、怖い怖い。誰もが“皇帝”シンボリルドルフの一強になると思われた世代に“BNW”を世に送り出した“天上人”の興行師(プロモーター)が再び世を面白おかしくするわけですか」

 

ピースベルT「だって、誓ったんだもん♪ “ヒトとウマ娘の統合の象徴”の一人として、最高のウマ娘と導き出した勝利の方程式の証明をこれからも続けていくんだから♪」フフン!

 

斎藤T「なら、自らの理想を体現する担当ウマ娘を見つけなければなりませんね。手に汗握るウマ娘レースを演出してくれる物語の主役が」

 

ピースベルT「それなら何人か候補は見つけていてねぇ♪ 本当に生徒会長:シンボリルドルフの許で空前絶後の繁栄を遂げたトレセン学園にはおもしろい子が何人もいて昔よりも本当に素敵な場所になっているんだから♪」ウフフ!

 

ピースベルT「だから、帰ってこれてよかった♪」ニッコリ

 

斎藤T「そうですか。それは何よりです」

 

ピースベルT「それだけじゃないから♪」ンフッ

 

ピースベルT「あなたはこんなにも素敵な場所を無粋にも荒らそうとした怖い人たちから人知れず守ってくれているんだもの♪」フフン!

 

ピースベルT「もう大好き♪」ニコニコ

 

斎藤T「まあ、少なくともあなたの仇はとれたはずです。まだまだ油断できませんが」

 

ピースベルT「うん♪ でも、今はそれでいいの♪」ウィンク!

 

斎藤T「さて、明日からトレセン学園はトレーナー組合の『待て』がなくなってスカウト解禁日というわけですよ」

 

斎藤T「体育祭で見せた未来のスターウマ娘の片鱗だけでどれだけのトレーナーが動き出すか楽しみですね」

 

ピースベルT「うんうん♪ 腕が鳴るわねぇ♪ これでも“天上人”有馬一族の御曹司なんて言われていたわけだから、その“天上人”の目利きとどれだけ張り合えるトレーナーがいるかしら♪」フフフ・・・

 

 

さて、トレセン学園『春のファン大感謝祭』最終日は体育祭と後夜祭によって締め括られ、明日から学校らしく学業が本格化していくわけであったが、それは同時にトレーナー組合からのスカウト禁止のお達しが解除されることを意味していた。

 

そう、新年度を迎えて夢いっぱいの新入生たちが先輩方に誘われて体育祭で入学早々に思い出作りをする裏で、同じく大学入試よりも狭き門であるURAトレーナーライセンスの国家資格試験に合格を果たした英才たちもまた配属されているのだ。

 

しかし、合格者が出ない年さえもあると言われる最難関の国家資格を突破してきた新人トレーナーの数は決してトレセン学園入試合格者の定員枠に届くことがないのだから、配属されたばかりの新人トレーナーは来る者は少なく去る者が多い熾烈な競争社会においてはあらゆる意味で注目の的であり、新年度早々に生徒もトレーナーも等しく中央ウマ娘レース業界の洗礼を受けることになるのが習わしとなっていた。

 

要は、『春のファン大感謝祭』というスカウト禁止期間が中央トレセン学園に配属されたばかりの新人トレーナーのための研修期間となるわけであり、ここで将来のライバルに成り得るだろう新人トレーナーの才能を先輩トレーナーが新人歓迎会で取り囲んで見定めようとするわけである。

 

トレーナーの箔付けのために八百長レースが組まれていたのが忌み嫌われている暗黒期であり、そこでは誰の担当ウマ娘が重賞レースで優勝するかのローテーションがトレーナー組合の秘密会議で決定されており、順番を待ってさえいれば誰でもG1トレーナーの名声を得ることができた腐敗しきった時代――――――。

 

暗黒期での重賞レース優勝の誉れを手にするトレーナーになりたければ、トレーナーとしての実力よりもトレーナー組合での人脈作り(ゴマすり)栄光(出世)の早道であったのだ。

 

しかし、その結果がウマ娘の夢を裏切り続ける“トレーナーのトレーナーによるトレーナーのためのウマ娘レース”として人気が完全に地方競バ『ローカル・シリーズ』に逆転された暗黒期の迷走であったわけであり、

 

その反省として腐敗しきったトレーナー組合を解散させて徹底的なウマ娘ファーストを標榜する組織改革によって再編されたトレーナー組合とトレセン学園生徒たちの二人三脚による“ウマ娘のウマ娘によるウマ娘のためのウマ娘レース”が過渡期から繋がる黄金期の繁栄に繋がったことは記憶に新しい。

 

そのため、トレーナー組合の方針やそこでの人付き合いがウマ娘を第一にすべきトレーナーの在り方を腐らせる絶対的なものにはならないように自由で開放的な風通しが良い組織作りが徹底されてきたわけだが、

 

それだけに馴れ合いを良しとしないどころかトレーナー組合の指示に従わない身の程知らずの新人トレーナーがやってきた時の対応はまだ子供でしかない個性豊かで才能あふれる生徒たちのように大目に見るわけにもいかない。トレーナーバッジを身に着けるに足る信頼をいきなり裏切っているのだから。

 

そう、去年の4月に配属されて早々に“学園一の嫌われ者”に“斎藤 展望”という“門外漢”がなってしまったのは『春のファン大感謝祭』期間中のトレーナー組合のスカウト禁止令をいの一番に破っていたことが大きく関係しており、

 

そもそも、『春のファン大感謝祭』期間中のスカウトはまだ入学して間もなくの右も左も分からないウマ娘をトレーナーの立場を利用して有無言わさず契約に持ち込むことは一生に一度しかない『トゥインクル・シリーズ』を目指して夢の舞台にやってきたウマ娘たちの選択の自由と尊厳を侵す悪質行為として問題視されてきたが故のスカウト禁止令だったのだから、

 

競走ウマ娘とは縁遠い警察ウマ娘の家系の出身の“門外漢”だったからこそ、“斎藤 展望”には競走ウマ娘の憧れの夢の舞台の常識や建前は通用せず、いとも簡単にトレセン学園のタブーに触れて即刻“学園一の嫌われ者”になってしまっているのだ。

 

そんなわけで、“斎藤 展望”は現在でもトレーナー組合からは最初のやらかしで社会的信用を失っていることから相当に睨まれており、ネット上での評判も最悪なのになぜか被害者代表であるはずの生徒会役員からの信頼が厚いという不可解な状況ができあがっていた。黄金期を代表する若い世代のG1トレーナーたちともそうであった。

 

そのため、ウマ娘ファーストを標榜するトレーナー組合としては3ヶ月間の意識不明の重体から目覚めて 名門トレーナー:桐生院Tのサブトレーナーとして更生した以上に 人が変わってしまった“斎藤 展望”の真意を測りかねており、

 

それはまるで暗黒期のアンチテーゼとして打ち出された黄金期の精神が時代遅れであるかのように、ウマ娘ファーストを墨守するトレーナー組合の重鎮たちは“斎藤 展望”を中心にして変わり始めていこうとするトレセン学園の行末を見守ることしかできなかった。

 

実際、黄金期の次の時代の最初の世代となるエアシャカール世代(仮称)の代表格となる昨日の『皐月賞』を制したエアシャカールの担当トレーナー:望月Tや、先週の『桜花賞』でウオッカに『チューリップ賞』での借りを返したダイワスカーレットの担当トレーナー:甘粕Tも、“斎藤 展望”ほどではないにしろ、新時代を象徴するかのように明らかに既存のトレーナー像から逸脱した存在であったのだ。

 

 

 

――――――同じ頃;府中市の居酒屋にて

 

望月T「――――――」パカッ ――――――オルゴール懐中時計が音色を奏でる。

 

甘粕T「……いつ聞いてもオルゴールの音色は心に響くなぁ」

 

望月T「ああ、音楽を聴いていると優しい気持ちになれるだろう?」

 

甘粕T「それで、『昨日は『皐月賞』勝利、おめでとう』と言ったところか?」

 

望月T「それを言うなら、『桜花賞』でウイニングライブを自分の持ちウマで独占する夢を叶えられてよかったな、甘粕Tも」

 

甘粕T「そうだな。できれば『トリプルティアラ』全てを俺のウマ娘たちで独占したかったが、こればかりは距離適性の壁やウマ娘自身の希望もあるから、これ以上はバチが当たるってもんだ……」

 

甘粕T「――――――研究の方はどうなんだ?」

 

望月T「残念ながら、あまり進展はない」

 

 

望月T「けれど、()()()と明らかにちがうことがあるとすれば、“斎藤 展望”だろうね」

 

 

甘粕T「ああ。『()()同じ行動を決してとらない』わけだから、斎藤Tの動向を見ておけば大まかな学園の今後の方向性がわかるわけだからな」

 

望月T「()()は特に周りに人が集まって影響力を発揮しているわけだからね。()()の“斎藤 展望”は一味も二味もちがう。過去最高の“斎藤 展望”だと思うよ」

 

甘粕T「それを言うなら、望月Tも()()()()()()()と比べて随分と今のトレーナー人生を楽しんでいるじゃないか」

 

望月T「それは当然。博士論文のための研究の時間をいくらでももらえているからね。研究者にとっては限りある資源である時間をもらえることは一番の報酬だからね」

 

 

望月T「まあ、それだけに愛バとの関係の初期化(リセット)を何度も体験しているわけだけどね……」

 

 

望月T「けれども、私の心を捕らえて放さない彼女の走りは繰り返し見ても美しい――――――。だから、また何度でもやり直すことができることが嬉しいんだ」

 

甘粕T「飽きることなく一途に思われて幸せなやつだな、エアシャカールも」

 

甘粕T「まあ、()()()()()()いなかったで別のウマ娘でクラシック路線でG1勝利をしているんだから、あんたには敵わないぜ」

 

望月T「そういうきみも、ついに担当ウマ娘全員を同時にメイクデビューさせてG1レースのウイニングライブを独占したんだから、大したものじゃないか」

 

甘粕T「ああ、トレセン学園を舞台にしたギャルゲーの主人公として、ついにハーレムルートに突入したぜ」

 

望月T「その割には最初の担当ウマ娘のカレンチャンとはそれっきりだね」

 

甘粕T「……おいおい、トレーナーライセンス試験に何度も落ちてようやく合格した年の新入生だったんだぞ?」

 

甘粕T「俺のような落ちこぼれのことを今でも“お兄ちゃん”と呼んで逆スカウトしてくれたことで俺のトレーナー人生は始まったわけだから、感謝してもしきれないさ」

 

甘粕T「ただ、()()と比べて繰り返す毎にライセンス試験の合格率が上がってトレセン学園の配属が確実に前倒しになっていくわけだから、最初の担当ウマ娘にはもう二度とカレンチャンはなれなくなった――――――、それだけの話さ」

 

望月T「それでいて、そのライセンス試験に一発合格できるようになったのに、あの3人の世代を繰り返しスカウトしているのは、本命があの中にいるわけだよね?」

 

 

甘粕T「……俺は ウマ娘とエッチするためにトレーナーになった ただのスケベ野郎だよ」

 

 

甘粕T「俺には幼馴染のウマ娘がいてさ、そいつは物凄い才能の持ち主で、夢の舞台:トレセン学園に入学しちゃうぐらいだったんだ」

 

甘粕T「で、夢の舞台:トレセン学園でもなかなかのものだったらしくて、嬉々として『選抜レース』に出走するってことを知らせてきたから、友人たちで応援に行ったんだよ」

 

甘粕T「――――――そこで俺は見ちゃったんだ。幼馴染の俺に見せたことがないような女の表情」

 

甘粕T「その表情が後の担当トレーナーに向けているのに気づいた時が俺の性の目覚めでな。幼馴染への想いを自覚した時には俺はとっくの昔に失恋していた……」

 

甘粕T「しかも、その幼馴染と一緒にトレセン学園に入った女友達が夢破れて地元に帰ってきたのを俺の友人が慰めていたら、ウマ娘の美少女相手に童貞を捨てて非童貞になった瞬間に調子に乗って俺との付き合いが悪くなったどころか、そいつら、デキ婚なんかしやがってさ。本当にバカなやつだったよ……」

 

甘粕T「そして、カレンチャンのお兄ちゃん“マンサク”なんて可愛い妹を残して親友の俺の目の前で静かに息を引き取るなんてことが立て続けに起きてさ……」

 

甘粕T「――――――純情だった俺の少年心はどうやったって拗じくれるさ」

 

甘粕T「それなのに、ウマ娘とエッチしたい欲求だけを支えにトレーナー試験に何度も挑戦して、ようやく憧れのトレセン学園のウマ娘とエッチできると舞い上がった矢先に出会ってしまったのが、カレンチャンだったわけだから……」

 

望月T「だから、きみは大人の渋さとカッコよさを兼ね備えたダンディズムに目覚めたわけだね?」

 

甘粕T「まあ、年齢が一回り近くちがう教え子が大人になった時にはトレーナーって生き物は三十路を超えたオジサンオバサンになっているわけだろう? 過労と老化で青春の美しい思い出が色褪せないようにする配慮だよ」

 

甘粕T「()()は俺の目の前で息を引き取った“マンサク”の妹が逆スカウトしてきてくれたのは何年も落ち続けた浪人トレーナーの俺からするとありがたい話だったけど、」

 

甘粕T「俺にとってカレンチャンは文句なしにカワイイけれど“フォロワー300万人の自撮りの天使”というよりは“マンサクの妹”だから、俺は常に学生時代の“マンサクの親友”として振る舞わなくちゃいけない気分にさせられてきたんだ」

 

甘粕T「しかもな、俺の幼馴染に乙女の表情をさせた恋敵の担当トレーナーはとっくの昔に別のウマ娘と籍を入れていたことだし、幼馴染は無事にトレセン学園に卒業した後に顔だけの三股野郎と結婚なんかして早くもバツイチ子持ちになって実家に帰ってきていたし、」

 

甘粕T「それで共通の友人だったデキ婚夫婦も3人も子供を作っておいて旦那の稼ぎが少ない生活苦から別居状態なんだぜ?」

 

甘粕T「こんなふうにトレセン学園のウマ娘にまつわる恋愛結婚の暗黒面ばかり見せられてきたら、エッチしたい執着心だけでしかトレセン学園のトレーナーを頑張れないだろう?」

 

望月T「それでいて、ウマ娘とエッチしたい願いを叶えてしまったら『こんなものか』と冷めてしまうことへの恐怖を抱えているね? 確たる目的もなく 歪んだ執着と性欲だけでトレーナーになったきみは?」

 

甘粕T「ああ、そうだよ! 俺はウマ娘とエッチがしたい! 早く童貞を捨てたい! 生物の義務である繁殖行為を遂行したい! ただそれだけだ! ほらほら、うまぴょい! うまぴょい!」

 

望月T「………………」

 

甘粕T「でも、ダメなんだ! 俺は今まで俺のムスコを満足させるために何年も浪人して超難関の国家資格試験まで合格したっていうのに――――――!」

 

甘粕T「“マンサクの妹”カレンチャンがあの時の俺と同じ年齢になってトレセン学園の夢の舞台を現れた時、俺が好きだった幼馴染は担当トレーナーじゃない三股野郎と結婚してバツイチ子持ちになっていて、俺が嫉妬した担当トレーナーも幼馴染のことなんかもう過去の女として別のウマ娘と結婚して年を食っていたんだ――――――」

 

甘粕T「残酷なまでの時間の流れを認識させられることになって、俺は――――――」

 

望月T「まあ、俗な表現で言うと『脳が破壊された』浪人トレーナーで自己評価の低いきみは恋愛観や結婚観もズタズタにされたトラウマから目を逸らすことが許されない泥濘に嵌まって未だに立ち直れずにいるわけだ」

 

望月T「それとは打って変わって、客観的に見ても優秀そのものの自己評価の高い私はエアシャカールに『脳を焼かれた』ことから研究人生が捗っているわけだね」

 

望月T「しかし、こうして何度もトレセン学園に配属される前までの時間が繰り返されてきたんだから、案ずるより産むが易し、一度くらいは勇気を出して吉原辺りに童貞を捨てに行ってきたらどうなんだい? 今更、愛のある交わりなんて期待していないんだろう?」

 

甘粕T「それはそうなんだが……」

 

 

望月T「そうしてくれたら、今度こそエアシャカールを“クラシック三冠バ”にしてやれるんだからさ?」フフフ・・・

 

 

望月T「いいかげんにしてね、この節操なしが」パカッ ――――――オルゴール懐中時計が音色を奏でる。

 

望月T「なんで、カレンチャンの次がアストンマーチャンで、その次がダイワスカーレットで、そこからウオッカなんだい?」ニコー

 

望月T「ティアラ路線のマイルウマ娘(マイラー)で『日本ダービー』に殴り込みを掛けて、私のエアシャカールの“クラシック三冠ウマ娘”達成をよくも邪魔してくれたな、()()? ハーレムルートの()()もそのつもりだよね?」ゴゴゴゴゴ・・・

 

甘粕T「……出来のいいあんたには何度も助けてもらった恩があるし、こうして秘密を共有し合える仲だけど、担当ウマ娘がそうしたいと言うのなら愚図の俺はそうするだけだ」

 

 

――――――俺は ウマ娘とエッチするためにトレーナーになった ただのスケベ野郎だからな。

 

 

府中市は 武蔵国の国府が置かれていた 東京都の中央に位置する場所であり、古くから政治や経済と文化の中心地として栄えた要衝であるため、現代でも24時間営業の店が軒を並べる眠らない街として活気に溢れていた。

 

そんな眠らない街の居酒屋にはトレセン学園の大人たちもよく顔を出しており、行きつけの店で将来の夢を語り合って談笑して飲み明かすことは大人の嗜みにもなっていた。

 

そんな中、およそトレセン学園のトレーナーとは思えないほどの大人の知性の権化みたいなトレーナーと大人の色気を漂わせる渋いトレーナーが新年度早々の互いの健闘を称え合っていた。

 

何を隠そう、彼らこそが『皐月賞』優勝のエアシャカールの担当トレーナーと『桜花賞』優勝のダイワスカーレットの担当トレーナーの2人であったのだ。

 

更に、驚くなかれ、エアシャカールの担当トレーナー:望月Tは世界有数の遺伝子工学の権威である父親を持ち、彼自身も15歳で大学に飛び級入学してから脳科学の分野で学士号を取得しているほどの天才なのだが、

 

数年以上をかけて完成させる博士論文と研究資金のためにウマ娘のトレーナーになったと聞けば、まじめにウマ娘レースで担当ウマ娘を勝たせるために 日々 神経をすり減らしている一般トレーナーからすれば『ふざけるのも大概にしろ!』『遊びでやっているんじゃないんだぞ!』と言いたくなるのも無理はない。

 

しかし、自身の研究に打ち込むのを本業にする傍ら、学園でもトップクラスの気性難で知られている電算部部長:エアシャカールを担当ウマ娘にして『皐月賞』勝利に導いた手腕は本物であるため、誰も真似できない変人同士の強烈な個性の組み合わせの相乗効果に周囲はただただ舌を巻くしかなかった。

 

実際、トレーナー組合の重鎮たちも博士論文の研究と研究資金のためにトレーナーになって初めての担当ウマ娘で堂々とG1勝利を掴み取るような正真正銘の天才とは頭の出来がちがうことでまったく話が噛み合わないこともあり、脳科学者としての斬新な切り口からの質問や学会発表の容赦ないノリを嫌って敬遠されていた。

 

そして、『桜花賞』優勝を果たした アグネスタキオンの大のお気に入りである ダイワスカーレットの担当トレーナー:甘粕Tもまた奇天烈な脳科学者であるエアシャカールの担当トレーナー:望月Tに負けず劣らずの奇人ぶりを発揮していた。

 

なんと、そもそもダイワスカーレットのライバルである『チューリップ賞』優勝のウオッカも甘粕Tの担当ウマ娘であり、更には昨年の『阪神ジュベナイルフィリーズ』でウオッカの2着で今回の『桜花賞』でダイワスカーレットの3着のアストンマーチャンも担当ウマ娘だったのだ。

 

つまり、今年の『桜花賞』は甘粕Tのティアラ路線の持ちウマだけで上位独占を実現し、ウイニングライブを甘粕Tの色に完全に染め上げたということで、自分の担当ウマ娘同士で潰し合うことを避けるトレーナーのスカウトのセオリーが打ち崩されてしまったのだ。

 

その甘粕Tも初めての担当ウマ娘が3人という狂った状況でありながら、ウマ娘の自主性と三者三様の個性を最大限に尊重して全員をティアラ路線に送り出して好走を達成しており、ベテラントレーナーなら絶対にできないようなことを平然とやってのけているのだ。

 

また、担当ウマ娘3人を侍らせて両手に花どころか膝の上にも花を乗せている合成写真をエイプリルフールにネットに流すことで稀代の色男としても世間で認知された一方で、女遊びが好きそうで派手そうなイメージとは裏腹に普段はレディファーストの紳士でカッコよくて渋い男なのが3人もいる担当ウマ娘からの信頼の秘訣であった。

 

実際、URAトレーナーライセンス試験には一発合格できなかったので その分だけ新人トレーナーとしては齢を重ねているところがあるが、それでも二十代の若者にしては年不相応の落ち着いた雰囲気を醸し出しており、担当ウマ娘をレースで勝たせるために 日夜 神経をすり減らしてトレーニングやローテーションを組んで血色の悪い人間が多いトレーナーにはない色気が滲み出ていた。

 

そのため、自分が若くないことを自覚しているベテラントレーナーや自分に自信がない若手トレーナーたちからすれば、本来はトレーナーの能力には関係ない自身の男としての魅力のなさを炙り出されるような気分にさせられるわけであり、嫉妬と羨望が入り混じった眼差しを向けられ続けていた。

 

こんなトレーナーらしからぬ型破りな2人がシンボリルドルフ卒業後の新時代の最初の世代の中心であることに旧い時代の人間たちは溜め息をつくばかりである。

 

このように、昨年 配属されて早々に“学園一の嫌われ者”になって学外でウマ娘に撥ねられて意識不明の重体になった“門外漢”である“斎藤 展望”が皮切りになったかは定かではないが、新時代を迎えてトレーナー組合の重鎮たちの制御を受け付けない型破りなトレーナーたちが台頭し始めようとしていた。

 

 

 

――――――同じ頃;トレーナー寮

 

飯守T「和徳も明日からはウマ娘をスカウトできるようになるわけだからな。悔いのないようにな」

 

躑躅ヶ崎T「なら、兄さんとスカウトが被らないようにしないとね」

 

飯守T「いや、そこはウマ娘ファーストでウマ娘の側が担当トレーナーを選べばいいだけの話だから、気にするなって」

 

飯守T「でも、兄弟揃って甲子園球児がウマ娘のトレーナーになるだなんて、世の中わからないもんだよな」

 

躑躅ヶ崎T「まあ、俺は“グランプリウマ娘”ライスシャワーの担当トレーナーということでトレセン学園屈指の知名度と人気を誇る兄さんの足を引っ張りたくないから、母さんの旧姓を使わせてもらうけどね」

 

躑躅ヶ崎T「兄さんも家族だからって俺なんかのことは気にせず、みんなの憧れとしてこれからも夢の舞台で輝いていてよ」

 

飯守T「そんなこと言うなって。また兄弟でキャッチボールをしようぜ。今度は多摩川でさ」

 

飯守T「それに、ライスに夏の甲子園で始球式をしないかって誘いがあったことだしさ」

 

躑躅ヶ崎T「そうなんだ。さすがは兄さんだね……」

 

飯守T「にしても、改めて見ると母さんの旧姓の“躑躅ヶ崎”って書くのも大変だよな」

 

躑躅ヶ崎T「まあ、だから、縦書きと横書きの名前スタンプ(シャチハタ)の両方を使うことにもなるんだけど」

 

飯守T「ああ、そんな感じなんだ。なんか悪いな、俺のためにいつも損ばかりさせてるみたいで」

 

躑躅ヶ崎T「いや、そんなことないって。兄さんは本当に凄いよ。俺はいつも兄さんの真似ばかりして、野球をやって、トレーナーにもなったんだ」

 

躑躅ヶ崎T「俺はいつも兄さんの真似ばかりでいつも上手くいかなくて、野球で肩を痛めて投手(ピッチャー)をやれなくなったら、兄さんは捕手(キャッチャー)二塁手(セカンド)になれるように手伝ってくれたおかげで、俺は最後まで野球をやり続けて守備チームの司令塔にもなれたし」

 

飯守T「そうだぞ。お前の鉄壁の守備が我が母校を甲子園の準々決勝まで導いたんだから、お前は俺よりも才能があるんだから、そんなに卑下するなって」

 

飯守T「まあ、少しばかり根を詰め過ぎて無理をし過ぎるところもあるけど、身体は大事にしろよ」

 

躑躅ヶ崎T「ありがとう、兄さん」

 

 

躑躅ヶ崎T「ねえ、俺も兄さんのようにウマ娘を勝たせてやれるトレーナーになれるかな?」

 

 

飯守T「……それは本当にどんなウマ娘をスカウトするか、どんな夢をウマ娘と目指すのか、どんなライバルが同世代にいるかの運次第だと思う」

 

飯守T「正直に言って、俺は本当に周りや状況に恵まれていただけで、ライスも自分が勝つことよりも自分の走る姿を見る人たちが勇気づけられることを願って走ってきたわけなんだ」

 

飯守T「普通に野球で考えてみればわけるけど、甲子園優勝を目指して主力としたい選手は経験と練習を積み重ねた3年生だよな? 1年生をいきなりレギュラーにしていたら層が薄いか、逆にその1年生の潜在能力が開花するのを見守れるほどの余力があるチームだってことになるもんな?」

 

躑躅ヶ崎T「だから、本気で勝ちたいと思うウマ娘は経験豊富なベテラントレーナーや実績多数のG1トレーナーからのスカウトを受けたがるってことだよね」

 

飯守T「そうそう、俺のように配属されて1年目の新人トレーナーからのスカウトを受けるウマ娘は新人トレーナーの未熟さなんか眼中にないぐらいに自分の走りによほどの自信があるのか、とにかく『トゥインクル・シリーズ』に出たいからスカウトに飢えているウマ娘しかいないはずなんだ」

 

飯守T「つまり、何の実績も経験もない1年目の新人トレーナーがいきなりG1レースで勝てるかどうかは完全にスカウトできたウマ娘のトレーナー要らずの才能に任せっきりになるところが大きい」

 

飯守T「そういう意味で俺はライスの長距離ウマ娘(ステイヤー)としての類稀な才能を塗り潰してしまうような気弱な面に付け込んで担当トレーナーになったズルい大人かもしれないよな……」

 

躑躅ヶ崎T「そんなことないって。兄さんはエースピッチャーだった俺が肩を壊して自暴自棄になっていたのを励まして最終的に俺を守備チームの司令官にまで成長させた実績があるんだから、“無敗の三冠バ”ミホノブルボンに負け続きの担当ウマ娘を“グランプリウマ娘”にまで導けて当然だよ」

 

飯守T「…………そうか。そう言ってもらえると俺も和徳のことを最後まで信じてきた甲斐があったよ」

 

飯守T「正直に言って、俺の同期に配属されて早々に注目の的になっていた天才トレーナー:才羽Tと名門トレーナー:桐生院Tがいたわけだから、大人しく先輩チームでサブトレーナーとして下積みをしているのがお似合いだと思っていたわけだけど、」

 

飯守T「俺がウマ娘:ライスシャワーの担当トレーナーになろうと決心した時に手本にしたのが天才トレーナーと名門トレーナーだったってわけだから、」

 

飯守T「たぶん、野球と同じでベテランのノウハウはあくまでも中央でトレーナーとしてやっていくための基礎として考えて、配属早々に頭角を現した同期のライバルトレーナーの特徴や傾向を見て真似するのが手っ取り早いと俺は思う」

 

飯守T「――――――“学ぶ”って言葉は『真似ぶ』から来ているわけだろう?」

 

飯守T「ライバルトレーナーから真似できそうなところをとことん真似してみて、そこから自分にできることとできないことの見極めをしていけば、『俺は俺なんだ』って思えるようになるからさ」

 

飯守T「だから、和徳も『自分は他の誰でもない躑躅ヶ崎 和徳なんだ』って本当の自分と言えるものを見つけられたら、俺は嬉しいよ」

 

躑躅ヶ崎T「うん、ありがとう、兄さん。やっぱり、兄さんはずっと兄さんのままだね」

 

飯守T「ああ、それが俺だからな。俺は才羽Tや桐生院Tのようにはなれないけど、そのおかげで一人の女の子を夢の舞台で輝かせることができたと思うと、少しは自分に誇りを持つこともできたよ」

 

躑躅ヶ崎T「……………うん」

 

飯守T「でも、本当に良かったよ」

 

 

――――――2年間も音信不通になっていたのに、家族の元に顔を出したと思ったら、俺と同じトレーナーの道を進もうとしていたんだもんな。

 

 

時代の変化は時代に追いつける人間とそうでない人間を生み出し、新時代と旧時代の価値観の対立をもたらすのは世の常である。

 

しかしながら、元より“皇帝”シンボリルドルフが生徒会長として君臨した黄金期後半1年目のファイナルズ世代として『URAファイナルズ』【長距離部門】で揃って上位入賞したミホノブルボンの天才トレーナー:才羽T、ライスシャワーの熱血トレーナー:飯守T、ハッピーミークの名門トレーナー:桐生院Tの活躍が内外に与えた影響は大きく、

 

黄金期の到来によって個性と才能にあふれるウマ娘たちが数多くトレセン学園に入学してきたのに後れて、今までになかった新しい個性と才能を持ったトレーナーたちが中央に参入するようになっていたのだ。

 

それは“永遠なる皇帝”と讃えられても中高一貫校の6年間でシンボリルドルフが卒業していくしかなかったように世代交代を強要されていくウマ娘に対して、その道十年以上のベテラントレーナーたちがトレセン学園の古株として大きな顔をするようになっていくことへの反感が現象となって形になったかのようだ。

 

そう、自由で開放的な学園作りによって個性と才能にあふれるウマ娘は歓迎してある程度の素行の悪さも大目に見るようになったのに、ただでさえ毎年の合格者数が数え切れる程度の新人トレーナーたちの個性と才能を尊重せずに受け入れようとしないのはおかしいのではないかという論争がURA理事会で起こるようになってきたのだ。

 

ウマ娘レース人気が加熱してトレセン学園入学を目指そうとするウマ娘たちの需要が堅実に増えていっているのに、出走権を握るトレーナーの供給が追いついていない現状を憂えて、新人トレーナー保護政策の是非を巡ってウマ娘レースの伝統を守るか、ウマ娘レースの改革を断行するかで理事会は紛糾しているそうなのだ。

 

暗黒期ではウマ娘レースの人気低迷のために理事会が頭を悩ませ、黄金期ではウマ娘レースの人気絶頂のために理事会が頭を悩ませるのだから、どっちに転んでもこんなにもわかりきった需要と供給の問題に対する対策をいつまでも打てない辺り、URAという組織の風通しは非常に悪そうで大いに腐臭が立ち込めていそうである。

 

そこでの新人トレーナー保護政策の議論で慎重論や反対論を唱える面々から槍玉に挙げられるのが他ならぬ“斎藤 展望”というわけであり、トレセン学園からの要請でもあるトレーナー組合の指示に従わないような輩が幅を利かせるようになることを懸念するのは組織運営のリスク管理の面から言っても至極当然のことでもあった。

 

しかし、それに関しては学園の風紀や品位が乱れるのと引き換えにしてでも在学者数を増やして一人でも多くのウマ娘たちに夢の舞台に立つ機会を与えたことで到来した黄金期の繁栄に倣うべきだとして、新人トレーナー保護政策を推進する改革派は“斎藤 展望”の存在をモデルケースとして大いに参考にしていた。

 

なので、実に馬鹿馬鹿しい話だと私自身は思いながら、URA理事会にもついに影響を及ぼすことになった“斎藤 展望”の存在の大きさを改めて認識するのだった。

 

そして、マンハッタンカフェの“お友だち”である“守護天使”が告げた真実がどこまでのことを指しているのかを思案することになり、古来より皇族に仕えてきた皇宮護衛官の家系の出身である“斎藤 展望”に与えられた役割の大きさを噛み締めるのであった。

 

 

斎藤T「――――――『全部 私のため』!? それが『三女神の意志』だと!?」

 

 

 

――――――同じ頃;トレーナー組合

 

ベテラントレーナー「いよいよ、明日からスカウト解禁となりますが……」

 

重鎮トレーナー「誠に嘆かわしい! 黄金期を導いた偉大なるシンボリルドルフ卒業後の新時代の最初を飾るのが、あのような無頼の輩とはな……!」

 

重鎮トレーナー「特に甘粕Tという浪人トレーナーが気に食わん! ティアラ路線のウマ娘3人を同時にメイクデビューさせて同士討ちさせるとは!」

 

重鎮トレーナー「我々は誰よりもウマ娘の幸せを願っているというのに、なぜお前たちは厳しい現実を教え込まんのだ!?」

 

エリートトレーナー「力及ばず、申し訳ございません……」

 

重鎮トレーナー「しかも、その甘粕Tと同期の脳科学者の若造:望月Tにも『皐月賞』を獲らせたな!?」

 

重鎮トレーナー「忌々しいあの若造め! 神聖な勝負の世界をくだらない博士論文の研究対象にするために入ってきて早々にG1勝利をするとはどこまでも他人を苛立たせることに長けている!」

 

ベテラントレーナー「仰る通りです! ウマ娘の能力に頼り切りの新人トレーナーごときが国民的スポーツ・エンターテイメントの頂点であるG1レースを獲るなどあってはならないこと……!」

 

重鎮トレーナー「なら、なぜ勝たん、この大馬鹿者共が!」バンッ!

 

 

友野T「おお、怖い怖い。これが暗黒期のトレーナー組合を解散して健全化が果たされた黄金期のトレーナー組合の実態ですか。まるで成長していない」

 

 

エリートトレーナー「だ、誰だ、お前は!?」

 

重鎮トレーナー「……たしか、友野Tとか言ったか、小僧?」

 

友野T「ええ、見ての通りの新人トレーナーの小僧ですよ?」

 

 

――――――ただし、()()()()()()()()()()の小僧ですけどね。

 

 

エリートトレーナー「は!? お前、ふざけているのか!? どこからどう見てもヒトの男子だろう!?」

 

ベテラントレーナー「そうだぞ! 冗談を言いに来たのなら帰れ! ここは真剣にウマ娘レースの将来を憂う者たちが集まる場だ!」

 

友野T「これだから、夢の舞台に巣食うモグラ共は何もわかっちゃいない……」ハア・・・

 

 

友野T「いいか、よく聞け! 私は『有馬記念』で選手生命を出し切って唯一の重賞勝利を果たして、これまでの評価が一転して“良血バ”として称えられて、お前たちの価値観に従って故障の回復を待たずに引退して家庭に入った“グランプリウマ娘”だ!」

 

 

重鎮トレーナー「――――――なに、『『有馬記念』で唯一の重賞勝利』だと?」

 

重鎮トレーナー「……お前はもしやリードフォーミーか? たしか、“友野”は旧姓ではなかったか?」

 

友野T「ああ、そうだ! 私は実績を残した“良血バ”と期待されてお見合い結婚をしたわけだ!」

 

重鎮トレーナー「なら、なぜお前はヒトの姿をしているのだ? ウマ娘の耳や尻尾はどうしたというのだ?」

 

友野T「ああっ?!」メギッ! ――――――怒りのあまりに床に大きな穴が開く!

 

エリートトレーナー「うおおっ!?」ビクッ

 

ベテラントレーナー「このパワーは明らかにヒト離れしている!? ほ、本当にウマ娘……!?」ビクビク

 

重鎮トレーナー「お、落ち着くのだ!」アセアセ

 

 

友野T「――――――『子供を産めないスターウマ娘に価値がない』って蔑まされて生きてきたトレセン学園卒業生の結婚生活での苦しみがヒト耳ごときにわかるか!?」ゴゴゴゴゴ・・・

 

 

友野T「いつまで経っても子供が生まれないことを姑にネチネチと嫌味を言われて! 不妊治療の努力の甲斐なく! 見合い結婚したボンボンに浮気されてぇ!」

 

友野T「不倫しているくせに居丈高にマウントをとってきた浮気相手のヒト耳をカッとなって半殺しにした後、重賞レースの賞金と比べたら雀の涙の慰謝料をボンボンから毟り取ったところで、私には何も残らなかった!」

 

友野T「だから、私は耳を削ぎ、尻尾を切り、ウマ娘であることを捨てたッ!」

 

 

友野T「これがお前たちが見ようとしてこなかった『ある“グランプリウマ娘”のその後』ってやつだ!」ドン!

 

 

友野T「なのに、お前たちのような夢の舞台の芝に巣食うモグラ共は何も変わらなかった! さすがは盲人共だ!」

 

友野T「人を見た目で判断してはいけないとは言うくせに、ウマ娘の能力や素養を自分の目で判断して偉そうに自信満々に選別して何人ものウマ娘たちを不幸に追いやって自分たちはのうのうと左団扇かよ!」ギロッ

 

友野T「ねえ、お前らの奥さん、子供が産めてよかったねぇ? 一心同体となった二人の愛の結晶としてトレセン学園にやってくる日が楽しみだよねぇ? 親子で重賞レースを勝つだなんて夢を見れていいよねぇ?」フフフ・・・

 

友野T「でもさ、実の娘よりも才能のあるウマ娘をスカウトして勝つのがトレーナーという生き物だよねぇ?」

 

友野T「家庭よりも仕事を選ぶのがトレーナーなんだからさ、そうじゃないと不公正だろう?」

 

重鎮トレーナー「………………」

 

エリートトレーナー「………………」

 

ベテラントレーナー「………………」

 

友野T「お前たちは何もわかっちゃいないんだ。シンボリルドルフが目指した全てのウマ娘が幸せになる世界の理想のことなんて何もね。そんな連中がウマ娘レースの将来を憂うだなんて戯れ言を宣うなよ」

 

友野T「ほら、本当のことを言えよ? 万年トレーナーをやり続けている世間一般で言う勝ち組のくせに、綺羅星のごとき無名のトレーナーたちの活躍の前に己の存在価値が示せなくなってきたことに、自分が無能に成り下がっていることにそろそろ危機感を覚えて必死に言い訳しているわけだろう?」

 

友野T「地面の下のモグラ共は気づいてないだろうけど、時代は刻一刻と変わっていっているんだよ!」

 

 

――――――私はかつてのグランプリウマ娘から性転換したトレーナーとなって、シンボリルドルフの在り方を受け継ぐ者だ!

 

 

そして、新時代の幕開けは常に来る時代への祝福の裏にある過去の時代の清算と共に始まるものである。

 

黄金期の輝きで正せなかった歪みがより複雑により過激により巨大に膨らんでいき、災厄となって時代を超越して受け継がれていく。

 

そう、私たちの世界に完成などない。人生の始まりは世界の始まりに非ず、人生の終わりは世界の終わりに非ず。全ては受け継がれてきた世界なのだ。

 

黄金期の輝きの真価が問われるのはそこからなのである。黄金期が生み出した喜劇が破滅の未来を導くのか、黄金期が生み落とした悲劇が理想の未来を導いていくのか――――――。

 

 

 

虹の彼方の者(rainbow chaser)「さあ、希望に満ちた新時代の幕開けだ――――――」

 

 

 



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第4話   アオハル杯の復活は未来へのレールの上に

 

-西暦20XY年04月16日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

ついに『春のファン大感謝祭』期間が終了し、新年度初めのトレセン学園のお祭り騒ぎも幕を下ろし、今日からは平常運転の日々となる。しっかりと学生らしく生徒たちは勉学にも励むことになるのだ。

 

それは同時に生徒たちのトレセン学園の志望動機でもある『トゥインクル・シリーズ』への出走権を握るトレーナーからのスカウトが解禁されることも意味し、個々人が勉学と並行して年に4回の『選抜レース』で己の実力を示すために思い思いの猛練習に身を投じるようにもなる。

 

そのため、ようやく2週間ものお祭り騒ぎが終わったと思いきや、今度はクラシック路線の最高潮となる『日本ダービー』と同時期に開催の『春の選抜レース』までに新入生たちも加わって、放課後のグラウンドは生徒たちが所狭しとなって駆け回る姿が見られた。

 

当然、配属になったばかりの新人トレーナーやその道のプロであるベテラントレーナーたちもスカウト解禁に伴い、新しくスカウトする未来のスターウマ娘を見定めるために本腰を入れて練習の様子を見に来るのだった。

 

もちろん、今の担当ウマ娘に掛かり切りで新しい担当ウマ娘をスカウトする必要のないトレーナーは次なる目標のレースで勝つための算段を練っているわけであり、

 

担当トレーナーを得たウマ娘は担当トレーナーの権限によってレースでの勝利のために逸早く画一的な教官の指導を抜け出して専用のトレーニングや遠征合宿で充実した鍛錬を積むことができているため、ウマ娘たちは逸早くスカウトを受けたくてしかたがなかった。

 

それはウマ娘特有の“本格化”によって適切な指導の結果が一目瞭然に反映されるからでもあり、担当トレーナーがついてしばらくすれば実力がメキメキと上がっていく事例が広く知れ渡っているだけに、教官からの指導で充実感を得られないウマ娘たちはスカウトを求めて『選抜レース』への猛練習に臨むのであった。

 

 

さて、ここでおさらいとなるが、中高一貫校であるトレセン学園のカリキュラムは、午前は一般的な中学・高校と同等の一般教養の学習となっているが、

 

学校法人の私立校だからこそ、午後からはレース座学、ウイニングライブ、スポーツ栄養学、基礎トレーニングなど、ウマ娘レースの名門校らしい独自の授業:レース・スクーリングが組まれている。

 

ここで重要になるのは、このウマ娘レースの名門校における独自の授業というものは一般的な大学進学において何ら加点になるものがないため、担当トレーナーがついた生徒はこのレース・スクーリングへの授業出席免除が認められている点にある。

 

つまり、トレセン学園の『トゥインクル・シリーズ』の出走バたちにとって学生の本分たる学業の時間は午前中だけの話であり、午後の授業:レース・スクーリングはトレーナーの個人指導では足りないものを教官の集団指導で補うものという位置づけでもあるため、ますますトレーナーのスカウトを受けて退屈な午後の授業から逸早く抜け出したいと願うウマ娘が出てくるわけなのだ。

 

更に言えば、現役を引退したウマ娘も学ぶ意味がないということで午後の授業:レース・スクーリングに出る必要がなくなるため、丸々空いた午後の時間で進学のための猛勉強をするなり、校内活動に精を出すなり、思い思いの課外活動に尽力して、残された時間の使い方は生徒の自主性に委ねられていた。

 

そう、シンボリルドルフやエアグルーヴたちスターウマ娘による精力的な生徒会活動も午後の授業を受ける必要がないからできていたことであり、ある意味においては引退後の気楽な学園生活を送る喜びが功労バたちの特権でもあった。

 

しかしながら、そうしたスカウトによる午後の授業の出席免除の特権を享受したウマ娘とそうでないウマ娘の格差はスカウトを行うトレーナーの数が追いついていないことでますます広がることになり、口には出さずとも不満は積もり積もって膨れ上がっていき、それが爆発することで需要と供給の崩壊は時間の問題であった。

 

そのため、新設レース『URAファイナルズ』がファン投票という体裁で整えた卒業レースとして恒例化したことで、新年度初めの『春のファン大感謝祭』と合わせることで、トレセン学園での青春の始めと終わりを明確化することに成功した後、

 

入学を果たしたのに夢の舞台に立つことすらできずに夢の舞台を側で見上げるばかりの名ばかりのトレセン学園の生徒たち:大多数のヒマ娘たちの現状を好転させるための次なる一手が求められていたのだ。

 

つまり、秋川理事長とシンボリルドルフが追い求めた黄金期の理想は未だ完成に至っておらず、両者の全身全霊が込められた一世一代の新設レース『URAファイナルズ』の大成功でさえも、その過程に過ぎなかったことをこれから誰もが知ることとなるのだ。

 

 


 

 

――――――トレーナー室

 

斎藤T「おお、『春のファン大感謝祭』のお祭り期間が終わった途端に、午後の授業:レース・スクーリングを出席免除になった現役ウマ娘たちが続々と担当トレーナーと一緒にトレーニング場に現れたな」

 

アグネスタキオン「まあ、実際にレースに出ているウマ娘にはまったく必要のないものだからねぇ、午後の授業なんてものはね」

 

マンハッタンカフェ「事実、高等部からの編入生が中等部の新入生たちと一緒になってレース・スクーリングを受けるぐらいには、学年で内容が決まっているものでもありませんから」

 

斎藤T「つまり、大学のようにレース・スクーリングは資格勉強の単位制講義になるわけだ。その資格勉強の末に勝ち取る資格というのがウマ娘レースでの優勝レイか」

 

アグネスタキオン「だから、内心ではレース・スクーリングはみんな馬鹿らしいわけだよ。進学で有利になるわけでもない午後の授業で 万年 真面目に聞いてテストの点が良くても、それでトレーナーからスカウトを受けて重賞勝利を果たせたら誰だって苦労はしないさ」

 

マンハッタンカフェ「でも、今のような活気は『日本ダービー』と同時期の『春の選抜レース』までです。他の時期の『選抜レース』は春のような賑わいはありません」

 

斎藤T「……そうか。『春の選抜レース』で現実を思い知った新入生たちが次々と挫折してしまうからか」

 

アグネスタキオン「自分こそが優駿たちの頂点に立てる夢物語を信じているからこそ、トレセン学園の夢の舞台に上がろうとしてきたわけだから、眼の前の現実と挫折の経験を乗り越えられない子たちは早々に学園を去ることになるだろうねぇ」

 

マンハッタンカフェ「それこそ、タキオンさんのように何年も待ち続けることができる経済的余裕や精神的余裕のある子は稀ですからね」

 

斎藤T「走ることが大好きで勝負事に熱中しやすいウマ娘の闘争本能が燃え滾る“本格化”の時期を迎えている年頃のスポーツ女子にそこまでの辛抱強さと思慮深さはなかなか見られないわけだな……」

 

 

本当は自分の担当ウマ娘ではないマンハッタンカフェが自然とトレーナー室に足を運んでコーヒーを淹れ、紅茶派の私の担当ウマ娘:アグネスタキオンと一緒の時間を過ごすことが当たり前のようになってきた今日この頃、

 

いよいよ『春のファン大感謝祭』期間が終了してトレセン学園のあるべき日常が取り戻されたと同時にスカウト解禁とトレーニング場の開放で『春のファン大感謝祭』期間に匹敵する熱量が再現されていた。

 

しかし、その熱量は決して長続きすることはなく、5月の『日本ダービー』と同時期の『春の選抜レース』で失われていくことを新入生以外の学園の多くの人間が理解しているため、無知なるが故にまだ失われていない熱量に在りし日の憧憬の念を募らせる者も少なくなかった。

 

シーズン後半から“斎藤 展望”として目覚めた私としてはトレセン学園の授業風景を呑気に観察している余裕がずっとなかったため、こうして書類上では2年目の春を迎えて ようやく『春の選抜レース』を実体験することになった。

 

『憎まれっ子、世に憚る』とは言うし、『いいやつから死んでいく』と言うのは、この夢の舞台でも同じことを考えると、大成できるかはさておき、トレセン学園を無事に卒業していけるのは 案外 新入生たちに混じって今年こそは『選抜レース』で勝ってスカウトをもぎ取ろうと前向きに頑張っている子だと思う。

 

事実、トレセン学園における“エリートウマ娘”とは中等部1年生の新入生の段階でメイクデビューを果たせるほどの突出した才能を入学当初から見せているウマ娘のことだが、ファン投票という形をとった卒業レース『URAファイナルズ』の新設が強く求められたように負け知らずの“エリートウマ娘”ほど大敗によって引退即退学で夢の舞台を去っていくのがほとんどであったのだ。

 

そのため、ウマ娘レースで勝てるかどうかは別として、ウマ娘レースを続けていけるかどうかは、まさしく精神的余裕がどれほどあるかに掛かっているため、私としては 負けを知って 己の弱さを受け容れて それでも顔を上げて前に進む選択を貫いた者こそ祝福したい。

 

なので、地方では負け知らずで天賦の才があると信じているからこそトレセン学園の門を潜ってきた新入生たちに早い段階で謙虚さと粘り強さと多様な価値観を教え込むことができたら、それがスカウト浪人生に年単位で差をつける“エリートウマ娘”の理想像であり、それが人生の先達としてのトレーナーの価値であると宇宙移民の私は思う。

 

大学進学や就職活動において何の価値もない午後の授業:レース・スクーリングの単位と言い、ウマ娘特有の“本格化”が重なる中高一貫校の6年間に人生の絶頂期をこの夢の舞台に憧れてやってきたウマ娘たちが夢破れて涙で枕を濡らすだけの無駄な時間で終わらせるのはとんだ人的損失ではないか。

 

しかし、それ以上に今の私が危惧しているのは黄金期の輝きによって順調に総生徒数を増やし続けているウマ娘たちのことなどではない。

 

否、ウマ娘ファーストに一応はトレーナーの心得として則っているわけなのだが、順調に増え続けている生徒たちのことなんかより、それ以上に公営競技を運営する上での深刻な問題に直面しているのを解決しなければ、トレセン学園の繁栄は どの道 終わるのだ。

 

そのことに対して、いかにトレセン学園やウマ娘レース業界の関係者たちが無力で無関心で無責任なのかを私は何度も何度も思い返す度に握り拳を解きながらマテ茶を飲み干すのだった。

 

 

斎藤T「さて、URA理事会としては新設レース『URAファイナルズ』が大成功し、それを毎年恒例にするところまで可決したのはいいが、『これ以上の秋川理事長の無茶振りにはもう耐えられない』という話だった――――――」

 

アグネスタキオン「ただ、それだけだとトレセン学園の大半を占める未出走バたちの救済が何も果たされていないわけだねぇ?」

 

マンハッタンカフェ「となると、URA理事会の本音とは裏腹に、秋川理事長がまた大掛かりな企画を立ち上げようとしているわけですね?」

 

斎藤T「ああ。何もしないはずがないんだ。そんな甘っちょろい考えで全てのウマ娘が幸福になる世界の理想が叶うわけもない」

 

斎藤T「だから、私の予想では『URAファイナルズ』の他にも別の腹案を最初から用意して『URAファイナルズ』の開催宣言がなされているはずなんだ」

 

アグネスタキオン「しかも、“皇帝”シンボリルドルフが卒業する年に合わせて『URAファイナルズ』を開催したわけだからねぇ」

 

アグネスタキオン「シンボリルドルフ卒業後の新時代のことを考えないで『URAファイナルズ』の成功だけで満足するような人じゃないだろう、シンボリルドルフというウマ娘は?」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。自分が卒業した後のことはまったく知らん振りをするような方でしたら、偉大なる生徒会長として名を残すことにはならなかったはずです」

 

斎藤T「さて、私の予想が正しければ、次の動きが――――――」

 

 

ガチャ・・・

 

 

ナリタブライアン「おい、斎藤T。海外からあんた宛てにこの小包が来ているぞ」

 

マンハッタンカフェ「言った側から来ましたね」

 

アグネスタキオン「ああ。同志であるトレーナーくんに逸早く知らせない方がおかしいからねぇ」

 

斎藤T「――――――“皇帝”陛下からか?」

 

ナリタブライアン「ああ。アメリカからの小包が生徒会とあんた宛に届いてな」

 

斎藤T「そうか」スチャ

 

ナリタブライアン「何をやっているんだ?」

 

斎藤T「いや、毒物や爆発物、あるいは麻薬が入っていないかを検査しているんだ」

 

斎藤T「それは臭いで探知できる。こいつはその代表的なのを詰め込んだ簡易的な臭気センサーだ」

 

斎藤T「本当にシンボリルドルフが贈ったものなのか、あるいは途中で危険物が封入された可能性がないかを確認している」

 

アグネスタキオン「空港の税関で検疫探知犬や麻薬探知犬がやっていることだね」

 

マンハッタンカフェ「それだけじゃなく、何か呪文のようなものも唱えてませんか?」

 

斎藤T「――――――問題はなさそうだな。危険はないはずだ」

 

ナリタブライアン「そういうものを普通に用意しているあんたの方が恐ろしいよ」

 

斎藤T「さて、中身は――――――」パサッ

 

ナリタブライアン「これは?」

 

斎藤T「わざわざ携帯情報端末(PDA)を送りつけるということは、“皇帝”陛下は私との直通電話回線(ホットライン)をお望みのようだ」スチャ

 

斎藤T「どうやら、これを使えば 海外留学中のシンボリルドルフと 直接 国際電話ができるようだな」

 

ナリタブライアン「………………?」

 

ナリタブライアン「いや、アプリでビデオ通話だってできるじゃないか、今の時代」

 

斎藤T「独自の通信プロトコルが使われているみたいだ。盗聴されたくないことを話したい時に使って欲しいということだな」

 

斎藤T「うん。一般的なインターネット回線に接続できないようになっているし、試しに自分のPDAに電話を掛けることもできないな」

 

ナリタブライアン「………………」

 

斎藤T「そして、それだけじゃないな」

 

斎藤T「わざわざ目立つようにプロテクトを掛けたデータフォルダを容れているということは『見てはいけないものを見ろ』ということか」

 

斎藤T「――――――一緒に見ます?」

 

ナリタブライアン「なに?」

 

斎藤T「あなたはもうトレセン学園の生徒でありながら、トレセン学園の本義である『トゥインクル・シリーズ』の登録競走ウマ娘ではないのだから、トレセン学園の事に関しては基本的には部外者の扱いになりますからね」

 

ナリタブライアン「………………」

 

斎藤T「どうします?」

 

ナリタブライアン「……見る必要がないものは私に見せるな。いいな?」

 

斎藤T「はい。わかりました。そのように」

 

アグネスタキオン「トレーナーくん、私たちもいいだろう? なあ、カフェ?」

 

マンハッタンカフェ「はい」

 

斎藤T「じゃあ、最初のプロテクトの解除が終わりました、っと」

 

ナリタブライアン「――――――早い!」

 

斎藤T「何だ、これ?」

 

斎藤T「文書ファイルがかなり古めかしい。いや、実際にスキャンした記事や資料の日付や保存状態からしてかなり昔だな」

 

斎藤T「これは何の記事だ? 何の内部資料なんだ?」

 

斎藤T「あ」

 

ナリタブライアン「わかったのか?」

 

斎藤T「ああ。とりあえず、この内容は見せても大丈夫だと思う」

 

アグネスタキオン「なら、トレーナーくん。ほら、画面を同期させて大画面で見せておくれよ」

 

マンハッタンカフェ「いったい何が入っていたのでしょうか?」

 

斎藤T「よし、接続完了。画面出力開始。さてさて、これはいったい何だ?」カチッ

 

 

――――――学園企画:チーム対抗戦レース『アオハル杯』。

 

 

トレセン学園を卒業して海外留学した“皇帝”シンボリルドルフから突如として送り届けられた携帯情報端末に入れられていた極秘資料にある『アオハル杯』の概要は以下の通り――――――。

 

かつて『トゥインクル・シリーズ』と並行して学園企画のURA非公式戦レースの1つとして行われていたチーム対抗戦レースが存在していた。それが『アオハル杯』である。

 

トレセン学園の暗黒期と呼ばれていた十年近く前の時期に開催されていたのを最後に現在では開催されていないが、過去に何度も復活と廃止を繰り返してきた歴史があり、

 

現在では恒例となっている学園企画のURA非公式戦レース『種目別競技大会』が自由で開放的な黄金期の校風に合わせて『アオハル杯』のシステムを 一部 引き継いでいるものと評されている。

 

そして、URA非公式戦の『アオハル杯』から『種目別競技大会』に受け継がれたバ場や距離を自由に選んで出走できる部門別レースの対戦システムをURA公式戦に昇華したのが『URAファイナルズ』ということらしい。

 

このため、シニア級:3年目まで走り抜いたウマ娘たちの卒業レースというのが主目的の『URAファイナルズ』に備えて――――――、

 

あるいは、それまで『選抜レース』以外で実力をアピールする機会や実戦形式でターフの上で走る機会に恵まれない未出走バの子たちにもチャンスを与えるために『アオハル杯』復活の準備を秋川理事長とシンボリルドルフは『URAファイナルズ』開催と同時並行で進めていたことが記録されていた。

 

 

つまり、『URAファイナルズ』開催が秋川理事長とシンボリルドルフの黄金期の理想の終着点ではなく、そこから先の『アオハル杯』復活が秋川理事長とシンボリルドルフの理想を受け継ぐ者たちの課題と言うことになるようだ。

 

 

付け加えて、『アオハル杯』は学園企画のURA非公式戦レースなので、公式戦である『トゥインクル・シリーズ』の成績には反映されず、いつまで経ってもデビューできないウマ娘たちの救済を目指していることが極秘資料には明記されている。

 

そう、昨年度の冬季に開催されて大成功を収めた『URAファイナルズ』によって、トレセン学園の競走ウマ娘として『トゥインクル・シリーズ』の最初の3年間をしっかり走り通す意義と卒業レースの場を与えることに成功し、

 

今度はメイクデビューできずに無為に学園生活を送ってしまう競走ウマ娘たちがレースで注目されるための非公式戦『アオハル杯』を復活させて、

 

同じ部門別レースの『URAファイナルズ』とセットで『アオハル杯』を恒例化させることが秋川理事長とシンボリルドルフの最終目標だったのだ。

 

なので、元からトレセン学園の狭き門を潜り抜けてトレーナーのスカウトを受けて夢の舞台に立って優駿たちの頂点に立てるだけの運と実力を持つ選ばれし者なら、『アオハル杯』『URAファイナルズ』にこだわる必要はまったくない。

 

でも、そうじゃなくて これまでまったく見向きもされずに報われなかった大勢のウマ娘たちのために黄金期を導いた為政者としてどうすべきかを考えた時、

 

同じトレセン学園の仲間たちの弱者救済のために『URAファイナルズ』新設と『アオハル杯』復活を黄金期最大の遺産として次代に託すことを究極の目標にしていたというわけなのだ。

 

よって、秋川理事長とシンボリルドルフが象徴となって繁栄に導いたトレセン学園の黄金期の次に来る時代は元から弱者救済システムである『URAファイナルズ』と『アオハル杯』によって更なる繁栄に繋がるレールが敷かれていたわけであり、

 

新生徒会長:エアグルーヴら新時代の生徒会はどちらかと言うと学園企画の『アオハル杯』の運営と監視に力を入れることで弱者救済の達成をして、更なる繁栄を導くことを義務付けられていたようである。

 

ただし、元々は学園企画の1つとして ある年の生徒会への提案がきっかけで開催されていたものが『アオハル杯』であり、

 

最低限の大人の同伴と監督が必要であったが、URA非公式戦であることから基本的には生徒の自主性にまかせて生徒会の予算内で運営されていたものであるため、

 

総生徒数2000名以上にもなった黄金期を経た現在のトレセン学園では監督者や指導者の不足による健全な運営や監視が難しいものがあることが考察された。

 

 

そのため、元々の『アオハル杯』では不文律となっていた参加資格の制限を盛り込んで、できるかぎり本来の目的である弱者救済と機会の公平さが達成できるように調整が加えられることになった。

 

 

その第一として、あくまでも競走ウマ娘たちは国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の主役になるためにトレセン学園に入学しているのだから、

 

非公式戦の『アオハル杯』にスターウマ娘が出しゃばるのは大人気ないとして、『URAファイナルズ』の参加資格を持つ最初の3年間を走り終えた4年目以降:スーパーシニア級の競走ウマ娘は出走不可になることが明文化されることになった。

 

要は、URA非公式戦『アオハル杯』とURA公式戦『URAファイナルズ』の参加資格は同時に持つことができないという特殊な出走条件が設けられることになった。

 

というのも、中高一貫校の6年間の半分以上を走ることができたウマ娘はそれだけで引退にならなかった運と実力を兼ね備えた圧倒的強者なので、弱者救済を目的にした『アオハル杯』に出走させる意味がないのだ。

 

ただし、レースに出走できないのであって、コーチになってチームの指導を行う分には生徒の自主性を重んじる方針に合致するし、

 

ただでさえ慢性的なトレーナー不足に悩まされているトレセン学園の現状では大変ありがたいことなので、コーチとして貢献した場合には内申点に加算されることが記されている。

 

要するに、『アオハル杯』に参加できるのは『URAファイナルズ』の参加資格を持たないトレセン学園の全生徒というわけなので、

 

中等部1年生の時にデビューできたエリートウマ娘を例に考えると、シニア級:3年目となる中等部3年生までが『アオハル杯』で出走できることになり、

 

単純に考えれば学園企画のURA非公式戦のチーム対抗戦レース『アオハル杯』は中等部のウマ娘たちが主体となることが予想できる。

 

もちろん、トレセン学園は中高一貫校でかつデビュー時期は選べることから、『アオハル杯』に出るウマ娘の全てが中等部になるわけではなく、『URAファイナルズ』の参加資格をまだ持っていない高等部のウマ娘の出走はルール上は問題なく可能である。

 

ただし、高等部の場合だと留年でもしない限りは高等部1年生の段階でデビューしないと『URAファイナルズ』の参加資格すら得られずに卒業することになるので、やはり中等部でデビューを目指すのが普通ということになる。

 

なので、“皇帝”シンボリルドルフ卒業後の新たな時代のトレセン学園の生徒たちにはこれからは入学後には3つの選択肢が与えられることになったのだ。

 

 

最初の1つ目はURA非公式戦となるチーム対抗戦レース『アオハル杯』であり、未デビューであってもチームに参加できれば実際のレース場で走る機会を得られ、そこでの自主的な生徒同士のふれあいの中で才能を発掘するというものである。

 

次に2つ目はトレセン学園の本義である国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』で夢を掴むという王道路線であり、一方で その栄光の影で零れ落ちていった夢のカケラを救済していくために『URAファイナルズ』新設と『アオハル杯』復活が求められた。

 

最後に3つ目は引退即退学という中高一貫校の教育現場としては大変よろしくない現状を変えるために、シニア級:3年目を走り終えた競走ウマ娘なら実質的に誰でも参加できる卒業レース『URAファイナルズ』で最後を飾るためにみっともなくともみんなの応援を背に受けて走り続ける道である。

 

 

以上の3つの選択肢がこれからのトレセン学園には用意されることになるのだから、昔と比べてどれだけ恵まれていることだろうか。これこそが黄金期最大の遺産である。

 

更に、この『アオハル杯』復活はURA非公式戦でありながら学園が大々的に開催することで、まだスカウトをしたことのない新人トレーナーや自信喪失した負け犬トレーナー、はたまた次の担当ウマ娘を探している様子見トレーナーが気軽に参加できるように腐心しており、

 

『アオハル杯』でのトレーナーの頑張りは雇用主であるURAからの評価の対象にはならないが、配属先であるトレセン学園からの勤務評価の対象にはなるので、トレセン学園にとって希少資源であるトレーナーたちの成長と憩いの場になるように配慮がなされていたのだ。

 

これなら実戦形式で新人トレーナーもたくさんの適性や個性を持つウマ娘に触れる機会が多く得られるわけなので、公営競技という非情な勝負の世界において働きやすい職場環境づくりに真剣に取り組んでいることが如実に伝わって素直に感心することができた。

 

ここまで完璧な道筋を立ててくれていたのだから、改めて“皇帝”シンボリルドルフの偉大さというものを実感することになり、“怪物”ナリタブライアンは感無量といった様子であった。

 

しかし、そうなると生徒会や学園側に求められるものが『アオハル杯』では多すぎることが気になり始めた。

 

というより、なぜ『アオハル杯』が廃止と復活を繰り返すことになったのかを考えれば、そうなるのも当たり前に思えるほどに運営上での問題が山積みになっていたのだ。

 

 

 

――――――エクリプス・フロント/会議室

 

斎藤T「これ、開催時期が毎年の6月と12月なんですけど、なんか微妙じゃありません?」

 

フジキセキ「う~ん、確かに。6月から新バ戦(メイクデビュー)が始まるから、その時はスカウトされなかった子たちが主体になって『アオハル杯』をやっているわけだよね……?」

 

アグネスタキオン「6月と言ったら『安田記念』と『宝塚記念』だから、『トゥインクル・シリーズ』で活躍している競走ウマ娘が非公式戦の『アオハル杯』に参加することなんてありえないだろうね」

 

斎藤T「そうだよ。“春秋グランプリ”の『宝塚記念』があるんだから、どうあってもクラシック級以上の競走ウマ娘が参加できるわけがないよ、これ」

 

ナリタブライアン「それなら、12月の年末と言ったら同じ“春秋グランプリ”の『有馬記念』だろう? この予定表を見ると仕事納めの年末でやることになっているしな……」

 

斎藤T「しかも、3年に一度の12月が『アオハル杯』本戦というわけだから、計5回の予選をこなさくちゃいけないのか? 中高一貫校の6年間の半分も使うだなんて随分と気が長いことで」

 

岡田T「あ、クラシック級からでも出走できる“春秋グランプリ”がある時に開催するから現役出走バが非公式戦に参加しづらくなって弱者救済の意味づけを濃くすることができているんじゃありませんか?」

 

ナリタブライアン「そうか、そういう見方もあるか。できるだけ『トゥインクル・シリーズ』に集中できるようにあえて『アオハル杯』は“春秋グランプリ”の時期に設定されているのか」

 

斎藤T「じゃあ、6月と12月での開催は目論見通りのことと見做して問題ないのか」

 

アグネスタキオン「――――――万年『アオハル杯』なんて学園企画の非公式戦の主力選手だなんて不名誉なだけじゃないかい?」

 

フジキセキ「まあ、あくまでもトレセン学園の生徒としては『トゥインクル・シリーズ』で頑張ることが一番なんだけど、『トゥインクル・シリーズ』にそもそも参戦できない子たちのための『アオハル杯』だからねぇ……」

 

ナリタブライアンT「それでも、実戦形式でターフの上で競い合える喜びはあるのか……」

 

トウカイテイオー「でも、総生徒数2000名以上もいるトレセン学園だから、出走メンバーに選出されるかどうかも怪しいよね?」

 

岡田T「そうだな、テイオー。これは言うなれば『選抜レース』の雪辱戦でもあるわけだから、『アオハル杯』での活躍で正式なスカウトを狙う子だって出てくるはずだな。そのために――――――」

 

フジキセキ「そこは心配ないよ。目的はあくまでも弱者救済;具体的には『トゥインクル・シリーズ』で夢を掴むための機会を増やすことであって、」

 

フジキセキ「本当に夢を追いかける気持ちが誰にも負けていないのなら、『アオハル杯』での下積みにだって耐えられると思うよ」

 

ナリタブライアン「そうだな。これだけチャンスを与えられて折れるようなら、そこまでの話だ」

 

ナリタブライアン「先代が『アオハル杯』で与えようとしているのは直接の栄誉ではなく、公平な機会なのだからな。それは今も変わらないトレセン学園の基本的な在り方だろう?」

 

トウカイテイオー「じゃあ、開催時期に関してはこのままで問題ないってことでいいかな?」

 

一同「異議なし」

 

マンハッタンカフェ「みなさん、コーヒーをどうぞ」コトッ

 

岡田T「お、ありがとう!」

 

フジキセキ「ありがとう、カフェ」

 

マンハッタンカフェ「はい、タキオンさんはこれです」ボン!

 

アグネスタキオン「……お湯を入れた湯沸かしポットと紙コップをどうも」

 

アグネスタキオン「ほら、トレーナーくん! 紅茶を淹れておくれ!」

 

斎藤T「よし、春摘み(ファーストフラッシュ)のダージリンティーだぞ」

 

ナリタブライアン「あ、おい。コーヒーや紅茶なんかじゃなくて、もっと飲みやすいものを――――――」ムゥ・・・

 

斎藤T「なら、棒ラーメンだ。ここにある分は 全部 食べていい」

 

ナリタブライアン「いいぞ! あんたが用意してくれたものなんだ! ありがたくいただくとしよう!」パァ!

 

フジキセキ「すっかり胃袋を掴まれているね、ブライアン」クスッ

 

 

斎藤T「じゃあ、次にチームランキングと対戦形式の確認です」

 

岡田T「テイオー」

 

トウカイテイオー「はーい!」

 

トウカイテイオー「まず、現在 トレセン学園で恒例になっている年2回の『種目別競技大会』が自由で開放的な黄金期の校風に合わせて『アオハル杯』のシステムを 一部 引き継いでいるものと説明されているように、」

 

トウカイテイオー「『アオハル杯』は『URAファイナルズ』と同じように【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】【ダート】の5部門でそれぞれ競い合い、それでチームが3勝すれば勝利となるチーム対抗戦です」

 

アグネスタキオン「これ、3年に一度の『アオハル杯』本戦だけは全国各地の競バ場を使えるようになっているんだよね?」

 

斎藤T「そうみたい。まあ、半年ごとに全国各地の競バ場を学園企画の非公式戦に使わせてもらおうだなんて、トレセン学園からすれば『URAファイナルズ』を毎年3回もやらされるようなものだから、全国各地の競バ番組が色んな意味でメチャクチャになる……」

 

アグネスタキオン「ふぅン、『アオハル杯』から『種目別競技大会』『URAファイナルズ』が成立したことを考えれば、学内のグラウンドで予選が行われることは妥当なところか。応援のためにバ場を移動するのが面倒だけど」

 

フジキセキ「もしかすると、全国各地の競バ場を非公式戦でも使わせてもらう根回しと実績作りのために3年に一度の『アオハル杯』本戦にしているのかもね」

 

岡田T「そうか。あくまでも『アオハル杯』は生徒の自主性で運営されるものだから、まずは3年で生徒たちの間に『アオハル杯』の制度と文化を根付かせようという考えだ、これは」

 

ナリタブライアン「何事も急にはできないわけだな」

 

アグネスタキオン「考えてみれば、全国各地の競バ場を興行収入のない学園企画のために貸し切りにするだなんて、どこから予算が出るのかと言えば『URAファイナルズ』からなんだろうね」

 

トウカイテイオー「じゃあ、今から3年後に『アオハル杯』本戦が全国各地の競バ場で開催できることがカイチョー…ルドルフさんの最終的なゴールだったってことになるの?」

 

マンハッタンカフェ「なるほど。更に3年の月日を積み重ねていくわけですね」

 

トウカイテイオー「え~!? それじゃあ、ボク、とっくに卒業してるから『アオハル杯』本戦を見届けられないよ~! ボクは“皇帝”の後を継いだ“帝王”なのに~!?」

 

岡田T「見つけるしかないよな、テイオー自身が後を継いでもらいたいと心から願える名バを」

 

斎藤T「だから、“皇帝”陛下は“女帝”と“帝王”に続く新たなトレセン学園の象徴が見つからないことを嘆いておいでだったのだ」

 

斎藤T「“皇帝”陛下も自身に比肩する英雄が現れることには期待していないから、“女帝”と“怪物”の2人で“共同皇帝”を目指す現在の在り方を肯定しておられる」

 

フジキセキ「そう考えると、たったひとりの“皇帝”による支配よりも『アオハル杯』でチームで力を合わせることにならって生徒会もワンチームで“共同皇帝”になる在り方こそが次の時代に相応しいと考えているんだろうね」

 

ナリタブライアン「…………ああ。“怪物”はただ“怪物”でしかないし、“女帝”は“女帝”でしかないからな」

 

 

――――――誰も“二代目(皇帝)”とは呼んでくれないからな。

 

 

ナリタブライアン「つまり、『アオハル杯』に参加するチームは全ての部門に1人ずつ出走バを用意しないといけないから、最低でも5人はいないとチームとして成り立たないわけだな」

 

アグネスタキオン「ちがうね。全体として過半数以上の勝利を収めればいいから、3人いればチームは成立するよ」

 

ナリタブライアン「なるほどな。それなら、最初から【ダート】を捨てた4人チームで挑むのもありというわけだな」

 

斎藤T「いや、それだと弱者救済として多くのウマ娘に機会を公平に与えることにならないから、必ず対戦する時は全ての部門に出走バを出すことが規定されているから最低5人だ」

 

斎藤T「けど、最初から得意な部門に注力して そこだけは絶対に勝てるようにするのも戦略だから、必ず勝てる3人を用意するという意味では間違ってはいない」

 

アグネスタキオン「うんうん、同じことだね、それは」

 

トウカイテイオー「それなんですけど、一度に出走できるのは同じチームから3人で、それが6チームのフルゲート:18人になるようにレースを組んでもいいってあるんですよ、これが」

 

岡田T「なに!? それはつまり、最大3人まで出せるチームが絶対的に有利じゃないか!?」

 

トウカイテイオー「そうすると、チームの最低人数は15人になるよね」

 

岡田T「――――――15人か。30人学級の半分だけれど、そこまで人数が膨らんだらマンツーマンは難しいな」

 

斎藤T「うん。ここまで来ると教官たちによる集団指導と大差がなくなってくるから、後はチーム全体の傾向で勝敗がもろに反映されるようになると思うな」

 

フジキセキ「それだけ多くの人数が必要だってわかれば、非公式戦であっても出走するチャンスが増えるから、その経験を活かせるかが大事だと私は思うな」

 

岡田T「それもそうだな。その実戦形式での経験が教官の指導との大きな差だもんな」

 

アグネスタキオン「いや、チームの人数は30人が上限になっているから、最終的には30人学級と同じになるだろうね。むしろ、無制限じゃなくてよかったね」

 

斎藤T「ただ、そうなるとチームランキングが固定化して将来的に停滞する恐れがあるから、あくまでも『アオハル杯』は『トゥインクル・シリーズ』デビューの橋渡しとしての役割を徹底させないといけないわけでして」

 

ナリタブライアン「そうか? トレセン学園のウマ娘は自分がターフの上で走りたいからこそ走るのであって、非公式戦の『アオハル杯』のチームランキングのためなんかに走るやつなんて誰もいないと思うけどな?」

 

斎藤T「あ」

 

フジキセキ「そうだね。スカウトに恵まれなくても自分の能力に自信があるのなら、むしろ弱小チームでこそ突出した活躍を見せて『選抜レース』の雪辱を果たそうとするはずだよ」

 

斎藤T「そっか。ウマ娘の闘争心の強さを忘れていたな……」

 

ナリタブライアン「それより、なんで1チームから3人なんだ? 『URAファイナルズ』と同じようにするなら18人になるように1チームから何人でも出せるようにすればいいじゃないか?」

 

フジキセキ「たぶん、数に任せた悪質な戦法がとれないようにしているんじゃないかな? 生徒の自主性には任せてはいるけれど、9人も味方がいたら掲示板入りできない4人を使って妨害し放題だよね?」

 

斎藤T「それどころか、1位になることだけがウマ娘レースにおける勝利を意味するのだから、本命以外は全て捨て駒にすることができるから、戦術面としては3人がちょうど塩梅なんだろう」

 

マンハッタンカフェ「非公式戦だから反則をやったところで前科が戦績に残るわけでもないですからね。評判を気にしないなら、反則した者勝ちです」

 

トウカイテイオー「……ボクは嫌だな、そんなチーム対抗戦」

 

 

トウカイテイオー「じゃあ、対戦形式の確認は問題ないですね」

 

岡田T「あ、待った、テイオー。チームランキングについていろいろと考えなくちゃならないものがあるぞ、これ」

 

岡田T「このチームランキング、勝てば順位が上がるのはわかるけど、負けても順位の変動がしづらいというのはどういう仕組なんだ?」

 

斎藤T「ああ、それですか。ソースを見たところ、順位の差が大きいほど順位が変動しやすく、たとえば引き分けになった時も順位が低い方の順位が上がるロジックが組まれているみたいですよ」

 

斎藤T「つまり、挑戦する姿勢が高く評価されるみたいで、格上のチームとも積極的に競い合うことができるようになっているのかもしれません」

 

アグネスタキオン「なるほど。近い順位のチームとしかマッチングしないようになってはいるが、非公式戦だからこそ格上のチームに挑戦することに最大限の利点をもたせる工夫が凝らされているわけだね」

 

ナリタブライアン「それは私としては嬉しい仕様だな。マッチングできる中で一番強いやつと戦えるわけだからな」

 

フジキセキ「うん。私としても非公式戦でたくさんのライバルたちと競い合うことができるのは素晴らしいことだと思うよ。一緒に走ることができて光栄に思うこともあるし、そこでしかわかちあえない感動があるからね」

 

斎藤T「やっぱりウマ娘は走ることが大好きだし、競い合うことも大好きなんだな……」

 

トウカイテイオー「じゃあ、この件に関しては問題はなかったということで、今度こそ確認は終わりでいいですね?」

 

一同「異議なし」

 

 

トウカイテイオー「じゃあ、今日の会議は次の内容で最後になります」

 

マンハッタンカフェ「これが一番の問題点だと思いますね、このトレーニングレベルって制度」

 

フジキセキ「う~ん。『アオハル杯』での実質的な報酬はまさにこれだと私は思うな」

 

トウカイテイオー「うん。トレーニング器具にも限りがあるし、基本的に『トゥインクル・シリーズ』に出走している競走ウマ娘に優先的に貸し出されるから、スカウトを受けていない子じゃ触ることも許されないものがあるよね」

 

岡田T「そりゃあ、トレーニング器具を壊した時に責任を受け持つ大人がいないんじゃマズいしな。水泳のトレーニングで生徒が溺れた時なんて生きた心地がしないぞ」

 

アグネスタキオン「実質的に『アオハル杯』は限られたトレーニング器具をチーム総合力という指標で奪い合うものになるわけだね」

 

ナリタブライアン「そう言われると、夢もへったくれもないな」

 

岡田T「けど、それが事実だ。世界最先端のスポーツ科学に基づいたトレーニング器具を使うことができれば、それだけ効率のいいトレーニングができるわけだから」

 

アグネスタキオン「そのチーム総合力というのは、チームそれぞれの5部門ごとの2ヶ月ごとの3人同時並走のベストレコードで判定されるということで間違いないかね?」

 

斎藤T「実質的に『アオハル杯』関連は偶数月に行われるようになっているわけか」

 

フジキセキ「うん。それで合ってるよ。『アオハル杯』の実戦形式に近い判定方法でおもしろいよね」

 

ナリタブライアン「ここでも各部門で3人というのがキーポイントになっているわけか。よく練られているな」

 

フジキセキ「まあ、トレーニングレベルを高くするためだけのメンバートレードのシンジケートが組まれないように、チーム総合力の判定に挑戦したウマ娘はトレード後の別のチームでの挑戦がしばらくできないように釘を刺されているけどね」

 

アグネスタキオン「そして、多忙を極める出走バをチームに引き込むメリットとして、未出走バよりも出走バがいることで自然とチーム総合力が高くなるように調整がされているわけだ」

 

ナリタブライアン「なるほどな。未出走バ<ジュニア級<クラシック級<シニア級 の順に獲得できるチーム総合力が跳ね上がっていくわけだから、今からだと本戦に参加できないようなシニア級ウマ娘でもチームに参加するだけで貢献できるわけだな」

 

マンハッタンカフェ「チーム総合力が上がってチームランキングが高くなればトレーニングレベルも向上して最新のトレーニング器具の優先権も得やすくなりますから、」

 

マンハッタンカフェ「最低でも15人は集めないといけないのと、その倍の30名までの定員枠のおかげで、メンバー集めにみんなが積極的になりやすくなっているのもいいですね」

 

岡田T「ただ、あくまでもトレセン学園に入学したからには誰もが『トゥインクル・シリーズ』で栄光を掴みたいと願っているわけで、『アオハル杯』でどれだけがんばったところで『トゥインクル・シリーズ』の戦績には何も加算されるものがないわけだから、どこまで『アオハル杯』で勝ちに行くかでチーム内での利害調整がいろいろと大変になりそうだ……」

 

フジキセキ「これは何が飛び出るかわからなくなるね。特に『アオハル杯』は“春秋グランプリ”の時期に合わせて開催されるから、“春秋グランプリ”の人気投票から漏れたウマ娘が鬱憤晴らしに『アオハル杯』で鬼のような走りを見せつけるかもしれないし」

 

ナリタブライアン「結局は与えられた機会に所構わず食らい付くやつが『アオハル杯』でも『トゥインクル・シリーズ』でも自身の存在を刻みつけるだろうさ」

 

 

トウカイテイオー「じゃあ、チーム総合力という指標でトレーニングレベルが決められることに関しては問題ないってことでいいかな?」

 

斎藤T「まった」

 

斎藤T「これ、生徒の自主性に任せているから責任者不在の隙を突いてトレーニング器具の破壊工作に利用されたら、どうしよう?」

 

ナリタブライアン「なに!?」

 

マンハッタンカフェ「それはたしかに深刻な問題ですね……」

 

フジキセキ「でも、そんなことを考えるようなイケナイ子たちがトレセン学園にいるとは思いたくないな」

 

岡田T「地方だと有り得るんだよな……」

 

トウカイテイオー「え、どういうこと、トレーナー?」

 

斎藤T「そっか、岡田Tは地方トレセン学園のトレーナーだったな……」

 

岡田T「中央と比べたら地方はやる気も潔さも欠片もないからな」

 

岡田T「中央にはこの府中市にあるトレセン学園しかないけど、地方は複数のトレセン学園があるから、そこでライバル校への合宿遠征を利用して陰湿な嫌がらせをして勝とうとするような志の低いセコい輩もいるんだよな……」

 

ナリタブライアン「そうだったのか。いかに中央が夢の舞台なのかを思い出すことができたよ」

 

斎藤T「へえ、そういう意味では真摯にターフの上での勝利を目指すお行儀が良いウマ娘しか中央にはいないわけなのか。全国各地から集まった問題児だらけと言われてはいても」

 

フジキセキ「うん。みんな、いい子たちだよ」

 

フジキセキ「だから、斎藤Tが心配するようなことは起きないと思うな」

 

 

アグネスタキオン「となると、『アオハル杯』とやらで想定される未出走バの弱者救済はダブルチャンスになる感じだね」

 

アグネスタキオン「まずは、真っ当に『選抜レース』で実力を示してスカウトを勝ち取って、6月からの新バ戦(メイクデビュー)を目指す王道路線だね」

 

トウカイテイオー「次に、『アオハル杯』での活躍から『選抜レース』での雪辱を果たしてスカウトを勝ち取る敗者復活戦だよね」

 

フジキセキ「けど、そこでチームランキングの低い弱小チームのエースとしてレースに出るチャンスを求めるのか、トレーニングレベルの高いチームに入って次回の『選抜レース』に望みを託すかに分かれる」

 

岡田T「もしかしたら、トレーニングレベルを維持するために無茶を重ねるチームが続出するかもしれないな。それだけが実績に残らない非公式戦における自分たちが得た確実なものになるだろうから」

 

ナリタブライアン「たしかに、最高のトレーニング環境を後に続く者のために遺していけるのは一種の達成感と優越感があるだろうが、」

 

ナリタブライアン「正直に言って、3年に一度の『アオハル杯』本戦までチームの一員としてやり通せる気がしないな」

 

アグネスタキオン「そうかい? 私は『アオハル杯』がなくとも待ち続けることを選べたがね」

 

マンハッタンカフェ「それはタキオンさんだけにできたことです」

 

斎藤T「まあ、それでも、弱者救済を掲げたところで完全に中途退学をなくすことなんてできないんだ。自分の能力の限界を知って早々に見切りをつける子もこれからも出続けるだろう」

 

斎藤T「そして、完璧であることを誰一人として完璧にこなすことはできないんだ」

 

斎藤T「なら、最善と思われたやり方を試してみて、状況がどのように変化していくのを確かめて、それから また最善を尽くせばいい」

 

斎藤T「大事なのは、どうしてそういうことになっているのかをその背景と理由を正しく理解して、目標通りの結果になるかどうかを正しく導き出すことにあるのだから」

 

フジキセキ「その通りだね」

 

トウカイテイオー「はい。じゃあ、これも問題なしってことでいいよね?」

 

一同「異議なし」

 

 

トウカイテイオー「というわけで、今回の会議は以上になります。おつかれさまでした」

 

マンハッタンカフェ「おつかれさまでした」

 

フジキセキ「ひとまずは、これでいいんじゃないかな。『アオハル杯』の概要と実態が具体的に理解できたことだし」

 

岡田T「いや~、なかなか充実した会議になったな~」

 

トウカイテイオー「それはそうなんだけど、生徒会としては大変になるのが目に見えているんですけど……」

 

ナリタブライアン「ああ。“女帝”と“怪物”による“共同皇帝”として、面倒だが、“皇帝”への報恩感謝で働かなくちゃならないか……」

 

フジキセキ「それを言うなら、学生寮自治会としても同じだよ。互いにがんばろう」

 

アグネスタキオン「まあ、最初から私には関係ない話だったけどね」

 

アグネスタキオン「そうだろう、トレーナーくん?」

 

 

斎藤T「いや、これは“皇帝”陛下からの私への勅命だな」

 

 

アグネスタキオン「……ふぅン?」

 

トウカイテイオー「え」

 

斎藤T「忙しくなるな。私の役目は技術革新によって人々の生活様式を向上させることにあるから、究極的にはトレーナーの法人化を目指さなくちゃならない」

 

ナリタブライアン「――――――『トレーナーの法人化』? 何だ、それは?」

 

斎藤T「つまり、慢性的なトレーナー(Trainer)不足を解消するために――――――、」

 

斎藤T「出走チケットであるトレーナーが不足しているからスカウトされないという、そもそもの状況の中で自身の価値を高めて自主的に救済するのが『アオハル杯』である一方で、」

 

斎藤T「教官(Instructor)による集団指導では不十分だし、個別に見て適切に指導できるプロが不足しているのを克服させることは技術的に可能か――――――、それを検討した時に思いついたのがトレーナーの法人化だ」

 

斎藤T「いや、出走チケットとしてのトレーナーの役割を持っていないから、この場合は個人個人に最適な管理プログラムを施す家庭教師(Tutor)と言えば誤解がないかもしれない」

 

岡田T「――――――家庭教師(Tutor)? それって、名家に属している専属教官や専属トレーナーとはちがう感じなのか?」

 

斎藤T「じゃあ、さっき言った家庭教師(Tutor)と、個別指導(Tutorial)って英単語を書いてみて」

 

岡田T「テイオー」

 

トウカイテイオー「わかった」カキカキ

 

ナリタブライアン「あ、なるほど。個別指導(Tutorial)を施す者が家庭教師(Tutor)ということなのか」

 

フジキセキ「つまり、トレセン学園のひとりひとりにこの家庭教師(Tutor)を宛てがうことが理想というわけだね」

 

斎藤T「それを技術的に可能にすれば、一人のトレーナーが複数の担当ウマ娘を抱えるコストとリスクを大幅に低減することができる」

 

斎藤T「具体的にはそれぞれのウマ娘に最適化された家庭教師(Tutor)の疑似人格プログラムをインストールした携帯情報端末をもたせることから始まる」

 

マンハッタンカフェ「つまり――――――、どういうことになるんですか?」

 

 

斎藤T「つまり、この私“斎藤 展望”という一介のトレーナーがトレセン学園を技術的に支配していいのかという企業倫理に行き着いてしまう」

 

 

マンハッタンカフェ「ええ?!」

 

ナリタブライアン「????」

 

トウカイテイオー「どういうこと、それ?」

 

アグネスタキオン「要するに、その家庭教師(Tutor)とやらを実現する方法は思いついてはいるけど、」

 

アグネスタキオン「それをやった場合、集められたトレセン学園生徒の個人情報の取扱や癒着による独占禁止法違反にならないかで問題視しているわけだろう?」

 

アグネスタキオン「それって全部、きみにしかわからないことだから、きみに全てを委ねた場合のリスク管理体制が確立できるかどうかが不安なんだろう?」

 

フジキセキ「……これはもう理事会の最重要案件になるかな? そもそも、理事会の手に負えるかな?」

 

岡田T「それって、そこまでできたらトレセン学園の生徒たちの管理以外の何にでも応用ができそうだけど、できるよな、今の感じだと?」

 

ナリタブライアン「よくわからないが、本当に家庭教師(Tutor)というやつを実現できるのか?」

 

斎藤T「残念ながら、今 思いついた。技術的にはもう実現できるけど、それをやった場合の“AIへの恐怖”がどう世間に悪影響を及ぼすかが予想がつかない」

 

斎藤T「トレセン学園の一トレーナーに過ぎない私が学園中のウマ娘の個人情報を管理する立場になることが一番の問題になってくるし、」

 

斎藤T「そして、個人個人に最適化された疑似人格プログラムへの依存性も考えられる――――――」

 

斎藤T「それはもうAIによる支配だよ。年頃の女の子であるトレセン学園のウマ娘にとっては最適であるからこそ――――――」

 

岡田T「なんかとんでもなく凄いことが起きようとしているんだな、シンボリルドルフ卒業後になって」

 

トウカイテイオー「う、うん……」

 

斎藤T「完璧な管理を施す家庭教師(Tutor)という良き理解者(Sympathizer)は創っちゃいけないんだ。疑似人格プログラムの完璧な指示に服従することに恍惚を覚えるようになったら人間はロボットでしかなくなる」

 

斎藤T「ヘレン・ケラーにとってのサリバン先生は“奇跡の人(The Miracle Worker)”であるべきなんだ」

 

斎藤T「何のために反抗期が人間の成長の中に組み込まれているのかを考えなくちゃいけない」

 

 

――――――だから、『そのことを世間に問題提起しろ』というのが“皇帝”陛下からの勅命だ。

 

 

そう、何のために先頭に立って黄金期を“皇帝”シンボリルドルフが秋川理事長と共に切り拓いてきたかであり、切り拓いた道の先にある自身の黄金像を拝ませるためではないのだ、決して。

 

中高一貫校の6年間という限られた時間の中で少しでも理想に近づくように努力し続けた結果が今のシンボリルドルフ卒業後の新時代というわけであり、そのバトンが一人一人に託されたことを誰もが自覚しなければならないのだ。

 

そうでなければ、今の繁栄の瞬間は徐々に徐々に腐り始めて、いずれはとっくの昔に卒業したはずの“永遠なる皇帝”にトレセン学園の精神は支配されたままとなり、その停滞によって変革の波にトレセン学園は現実の崩壊を受け容れることに成り得る。

 

もうシンボリルドルフという絶対者に何もかもを求めるのはやめるのだ。神のごとき絶対者は去ったのだ。その現実を受け止めて 先人たちが切り拓いた道の先に歩みを進めていかなくてはならないのだ。

 

 

――――――未知なるものを求めて勇気の一歩を踏まねばならないのだ、我こそはシンボリルドルフの後継者を名乗る者ならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――そして、

 

秋川理事長「――――――昼休憩中に失礼ッ!」ガガッ ――――――学内スピーカーに響き渡る秋川理事長の声!

 

秋川理事長「全生徒、全トレーナーに告ぐッ! 本日より『アオハル杯』を復活ッ!」

 

秋川理事長「『アオハル杯』とはッ! かつてトレセン学園にて導入されていたチームの強さを競い合うチーム対抗戦ッ!」

 

秋川理事長「すわなち、【短距離】【マイル】【中距離】【長距離】【ダート】! この5部門で競い、チームの頂点を決めるッ!」

 

秋川理事長「とは言え、このチーム、『トゥインクル・シリーズ』を走れる正式なチームではないッ!」

 

秋川理事長「諸君らの最優先目的は『トゥインクル・シリーズ』での活躍ッ! これは重々承知ッ!」

 

秋川理事長「だがっ! 個人では体験し得ない経験が可能ッ! ウマ娘として更なる成長を促進ッ! 集まったチームメンバーと一致団結ッ! 切磋琢磨ッ! そして、青春謳歌ッ!」

 

秋川理事長「諸君らの更なる成長を期待しッ! ここに『アオハル杯』の復活を決めたッ!」

 

秋川理事長「よって、トレーナーの面々はまずチームメンバーを集めよッ!」

 

秋川理事長「皆の活躍、期待しているッ! 以上!」ハハハッ!

 

 

秋川理事長「失念ッ! 私は数年間に渡るアメリカ出張が決まったのだったッ!」

 

秋川理事長「そのため、日本とアメリカを行ったり来たりで多忙ッ! きちんと見守ることができないッ!」

 

秋川理事長「しかし、心配は無用ッ! 私たっての願いにより、あるURA幹部職員に理事長代理を要請ッ! トレセン学園と『アオハル杯』の運営を委任済みッ!」

 

秋川理事長「トレーナーとして数々の実績を残し、心よりウマ娘を愛する彼女であれば必ずやトレセン学園を――――――」

 

秋川理事長「――――――くうっ! そろそろ時間かッ!」

 

秋川理事長「では、私はこれにて、テイクオフッ! あとは任せたッ! がんばれ、諸君ッ!」

 

 

バラララララ・・・!

 

 

翌日、突然の秋川理事長の学内放送の内容に学園中が浮き足立つ中、エクリプス・フロントから自家用ヘリが離陸し、地上にローター音を響かせて あっという間に大空へ飛び立っていった。

 

ついにシンボリルドルフと共に6年間の黄金期を導いた秋川理事長が失脚してアメリカに出張という体でURAから左遷させられたのかという声が上がる一方で、卒業していったシンボリルドルフと同じようにあの秋川理事長の存在も永遠ではなかったことを今更ながらに認識する者も続出した。

 

そのため、これがきっかけで1つの時代がはっきりと終わったことを認識したことで、シンボリルドルフの栄光と秋川理事長の人徳を胸に刻んで新時代に自分たちの存在を刻みつけてやろうと生徒もトレーナーも誰もが意気込む中、

 

あの秋川理事長から直々に理事長代理として指名された理事長代理とはいかなる人物なのか、果たしてこの一件で偉大さを認識させられた秋川理事長の期待に応えられるだけの大器なのか、はたまた秋川理事長の後釜としてURA理事会から送り込まれた刺客なのか、その登場に大いに期待と不安が募ることとなる。

 

それはさておき、突然の『アオハル杯』チーム対抗戦の復活宣言に生徒たち以上にトレーナーたちが困惑したのは言うまでもないし、またしても秋川理事長の思いつきで面倒事が増えることに対して後ろ向きに捉える者も少なくなかった。

 

ただでさえ、担当ウマ娘を複数持つことの辛さが身に沁みてわかっているだけじゃなく、『トゥインクル・シリーズ』の成績に反映されることのない非公式戦なのだ。そんなのよりは『トゥインクル・シリーズ』の重賞レースに集中するのがトレーナーの務めであるし、担当ウマ娘たちも目前のレースの勝利に集中して大部分を聞き流していたという。

 

 

しかし、まだ夢の舞台:トレセン学園の現実を知らない新入生たちはどうか;秋川理事長のアメリカ出張直前の置き土産として突如として投げ込まれた新年度早々の復活宣言が効果的にトレセン学園の混乱を後押しすることになったのだ。

 

 

まだ『アオハル杯』の運営形態やルールがよくわからないうちに、新入生たちを中心にして『春のファン大感謝祭』の体育祭で仲良くなったばかりの友人知人同輩先輩を積極的にチームに誘う光景が放送終了直後の昼休みに拡がったのだ。

 

そのため、仮に黄金期を主導した偉大な秋川理事長の後任とも言える理事長代理とやらが『アオハル杯』復活を非現実的として反故にしようとも、この熱気から生徒総会決議で『アオハル杯』開催を求める声が届けば、理事長代理としては決まりが悪くなるわけなのだ。

 

なので、いくら行動力の塊で豪放磊落のウマ娘第一主義の秋川理事長と言えども、こんなアメリカ出張直前という際どい時機を選んだ強引な『アオハル杯』復活宣言は明らかに穏やかな背景に根ざしたものではないことが推察でき、

 

『URAファイナルズ』の時のような堂々たる開催宣言ができず、こうして既成事実化しなければならないほどに、現在の秋川理事長が危うい立場にあるように思えてならないのだ。

 

だが、これで『URAファイナルズ』で一区切りがついて迎えた新時代に続くレールは秋川理事長がこうして身を挺したことで敷かれたのだ。

 

 

――――――今より始まるは黄金期の先にある新時代と黄金期という名の旧時代の激突の日々である!

 

 



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第5話   アオハル杯の復活は雪辱と約束を果たす時 ✓

-西暦20XY年04月23日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

突然の秋川理事長の『アオハル杯』の復活宣言と数年に渡るアメリカ出張の衝撃が眼の前の現実に追いやれる毎日の喧騒によって少しずつ忘れ去られていく頃、

 

ついに秋川理事長が自身の不在中に学園と『アオハル杯』の運営を任せたURA幹部職員が生徒たちの前に姿を現すことになった。

 

土日がウマ娘レースの興行であるため、月曜日が出走したウマ娘たちの振替休日になることから、火曜日に全体集会が行われるのが習わしのトレセン学園の壇上で 秋川理事長の代理として これからのトレセン学園の運営を任された理事長代理の開口一番の発言が場を凍りつかせた。

 

その衝撃は厳密には学園関係者ではないために生徒たちと一緒の場に入れないためにサテライト会場に集まって新しく来た理事長代理の挨拶を軽い気持ちで見ていたトレーナー陣さえも言葉を失わせるほどのものであった。

 

 

――――――樫本 理子 理事長代理が掲げる徹底管理主義をベースとした育成方針『管理教育プログラム』の施行。

 

 

更には、その徹底管理主義に基づいて、秋川理事長が復活宣言をした『アオハル杯』の中止を言い放ったことが決定的となり、早速『アオハル杯』用のチーム集めに奔走していた生徒やトレーナーたちは呆然となったのだ。

 

そして、一瞬の静寂の後、大講堂は壇上の麗人に対する大ブーイングが響き渡り、サテライト会場においても新参者の横柄なやり方に対するトレセン学園の古株たちによる批判の声が止めどなく沸き起こる。

 

これまで一致団結で時代の最先端を直走っていたはずのトレセン学園の情熱の歩みがこれで止められてしまったかのように多くの人間には感じられた。それぐらいの失望感が学園を覆ったのであった。

 

しかし、樫本代理は有無を言わせない物言いで場を制し、秋川理事長が代理として選んだ人がどんな人なのかで盛り上がっていたはずの火曜日の全体集会は混乱のまま幕を閉じることになり、

 

こうして樫本代理による徹底管理主義体制が始まろうとしていたが、実際にはそんなことにはならなかったのである――――――。

 

むしろ、この“斎藤 展望”がエクリプス・フロントを制する者として君臨する道筋を作ることになったのが“樫本 理子”という かつての暗黒期のG1トレーナーであり、彼女もまた新しい時代のために必要な存在として選ばれた者であったのだ。

 

 

――――――そして、いよいよアオハル杯の復活と雪辱と約束を果たす時が来るのである。そう遠くない未来に。

 

 


 

――――――前日:4月22日

 

樫本代理「――――――ぬるい」

 

樫本代理「自主トレーニングの容認、開始時刻の不徹底、休憩時間の他ウマ娘との無駄話の許可――――――」

 

樫本代理「あら、納得のいっていない顔ですね」

 

樫本代理「では、彼女の睡眠時間と日々の睡眠満足度は? 毎日欠かさずヒアリングしていますか?」

 

樫本代理「睡眠不足はパフォーマンスの低下ばかりか事故を誘発します。把握して当然の事項です」

 

樫本代理「この学園が生徒の自主性を重んじていることは 当然 知っています」

 

樫本代理「しかし、その指針がそもそも()()()です」

 

 

ナリタブライアン「何やら理事長代理が 早速 新人トレーナーを捕まえて説教しているようだが、どう思う、あんたは?」

 

斎藤T「もう少し話を聞いてみようか」カタカタ・・・ ――――――指向性マイクで会話がはっきりくっきり聞こえている。

 

アグネスタキオン「あれが秋川理事長の代理として派遣されてきたURA幹部職員ねぇ」

 

アグネスタキオン「かわいそうに。さすがはかつてのG1トレーナーというだけあって言っていることは正論だが、トレーナーくんにとっては滑稽極まる御高説に思えるだろうねぇ」クククッ

 

斎藤T「ああ。最難関の国家資格に合格したばかりの新人トレーナーに対してああもダメだしをするということは、配属直後の新人研修の内容の不備を指摘していることにもなるわけだが、その内容を監修しているのはトレーナーバッジを発行しているURAなのだからさ?」カタカタ・・・

 

和田T「おいおい、URA幹部職員が現場視察に来て即座にダメだしするぐらいにURAのお偉方と現場との間に認識の差があるわけじゃないか、それって……」

 

マンハッタンカフェ「早速ですが、雲行きが怪しいです……」

 

 

樫本代理「――――――遠くにある杉山。シーズンには登山客で賑わう人気のスポットです。立派な杉の大木がざわめき、小枝がさえずり、やわらかい腐葉土が足元を包み込んでくれる」

 

樫本代理「この国の多くの山がそうであるように、あれは人の手が加えられているこその姿」

 

樫本代理「管理が届かない山は荒廃します。陽は差さず、草は枯れ、足元には堆積した腐植土か、枯死した倒木ばかり。土砂災害や洪水の原因とも成り得ます」

 

樫本代理「――――――“管理”と言うのはそういうこと」

 

樫本代理「未成熟な少女が荒廃していくのを『ただ見守る』というのは()()()()()()()()()()()()です」

 

 

斎藤T「…………逆だと思うが。無為自然の営みに人が手を加える権利を行使したからこそ、その義務と責任で人の“管理”の必要が出てきたのだと私は思うが」

 

ナリタブライアン「――――――『権利と義務』か」

 

和田T「あ、駿川秘書が来ましたよ」

 

マンハッタンカフェ「――――――『任期中の学園の方針を一任』ですか」

 

アグネスタキオン「ふぅン、これはおもしろいことになってきたねぇ?」クククッ

 

和田T「……冗談だろう? どう考えても秋川理事長と正反対の人物じゃないか!? それが理事長代理だなんて!?」

 

和田T「斎藤T! これは大変なことになりますよ!? さっきの物言いからすると、絶対に担当ウマ娘の食生活にも口出しをしてくるでしょうから!」

 

アグネスタキオン「だろうねぇ。肉しか食べないブライアンくんにとっては地獄のような学園生活になるんじゃないかい?」

 

ナリタブライアン「な、なんだと!?」

 

マンハッタンカフェ「それを言うなら、生活無能力者のタキオンさんも相当に危なかったと思いますよ」

 

和田T「どうしよう、斎藤T!?」

 

斎藤T「いや、何も起こらないし、それどころか生活が便利になっていくきっかけを作る人物になるから、そう慌てないでください」

 

和田T「え?」

 

ナリタブライアン「どういうことだ? このままだと今までのように肉が食えなくなるんだぞ!?」

 

 

斎藤T「社会のルールと同じ。出資者の命令には逆らえないのが会社勤めの人間の性だから」

 

 

斎藤T「まず、学校法人:日本ウマ娘トレーニングセンター学園の運営資金の大元は何ですか?」

 

和田T「え、そりゃあ、総生徒数2200名弱にもなる生徒たちからの多額の入学金と年間授業料、それにURA経由のウマ娘レースの興行収入の割当もだけど――――――」

 

アグネスタキオン「いや、それ以上にウマ娘の『名家』からの寄付金が大きい」

 

和田T「あ、そうか!」

 

アグネスタキオン「つまり、総生徒数2200名弱にもなったトレセン学園のますます必要となる運営資金を拠出している『名家』の機嫌を損ねるような運営をしているようなら、容赦なく解任できるわけだよ」

 

マンハッタンカフェ「なら、黄金期をシンボリルドルフと共に切り拓いた絶対の信用と実績のある秋川理事長の方針を転換することは実質的に不可能なわけですね」

 

ナリタブライアン「なるほど、少なくとも“皇帝”シンボリルドルフを輩出した『名家』シンボリ家の意向に反する抜本的改革は封じられているわけだから、意外とそこまで心配するようなことにはならないわけか」ホッ・・・

 

斎藤T「まあ、暗黒期のアンチテーゼとして黄金期の自由で開放的な校風をとことん目指したツケで暗黒期以上に風紀が乱れていることに対する引き締めの強化は絶対に来ますけどね」ニヤリ!

 

 

――――――だからこそ、私がエクリプス・フロントの王となる莫大な財産を築き上げる最大の儲け時になるわけだ、これから!

 

 

 

――――――そして、

 

飯守T「学園はもう混乱状態だよ……」

 

アグネスタキオン「ああ、そのようだねぇ。即日『管理教育プログラム』とやらの施行にはならず、その前の公布として『管理教育プログラム』の内容が公示されたわけだが……」

 

飯守T「樫本代理の言っていることはトレーナー陣としては理解できるものがあるけど、ここに来て黄金期を導いた秋川理事長の方針を180°転換させた徹底管理主義なんて暗黒期の再来じゃないか! タイミングが最悪過ぎる!」

 

飯守T「おかげで、樫本代理に対する印象は最初から最悪で、昨日までの黄金期の在り方を続けたい生徒やトレーナーたちからは、その……」

 

アグネスタキオン「何だい、早く言いたまえよ?」

 

飯守T「あまり気を悪くしないで欲しいんだけど、斎藤T?」

 

斎藤T「どうぞ。どうせ、私のことでしょう?」

 

飯守T「ああ。去年の春に“学園一の嫌われ者”となったのが斎藤 展望なら、今年の春に“学園一の嫌われ者”になったのが樫本 理子ってことで、同列で語られていてさ……」

 

アグネスタキオン「……ふぅン」

 

飯守T「悔しいよ。これからも斎藤Tが樫本代理とセットで“学園一の嫌われ者”として思い出されることになるんだからさ……」

 

斎藤T「まあまあ、それよりも 早速 私に会いに来たということは、『管理教育プログラム』についてでしょう?」

 

飯守T「ああ、すまない……」

 

アグネスタキオン「しかし、凄い内容だねぇ、この『管理教育プログラム』というのも」

 

ライスシャワー「うん。『管理教育プログラム』が始まったらね、毎日 食べたものの栄養素を書いて、食べ過ぎちゃったり足りなかったりしたら、次の日のご飯は――――――」

 

飯守T「すっごく苦い栄養満点のペナルティドリンクを飲まないといけないんだとさ!」

 

アグネスタキオン「なあ、翌日に飲んで意味あるのかい、それ? 一日に必要な栄養素の過剰摂取に繋がってかえって栄養バランスの計算がもっと大変にならないかい?」

 

斎藤T「おそらく、将来的にURA公認栄養満点ドリンクとして学園で普及させるために味に慣れさせる目的があるんじゃないかな。あるいは栄養満点ドリンクのモニターとして罰則を利用して味の改良をするつもりなのかもしれない」

 

アグネスタキオン「ほう? 将来的にトレセン学園の生徒たちに自分から朝の一杯に飲むように仕向けたいわけか! いいねぇ! それなら樫本代理も生徒たちを実験台に使う私たちの同類じゃないか!」ハハハッ!

 

ライスシャワー「ライス、うっかり食べ過ぎちゃうかもしれないから、不安で……」

 

斎藤T「大丈夫だよ。それ以上に肉マニアの偏食家のナリタブライアンが世話好きのヒシアマゾン寮長に愛情たっぷりの弁当を持って追いかけられていたから」

 

飯守T「それもそうか。ナリタブライアンほどの偏食家の好き嫌いをなくす努力は並大抵じゃないから、少しばかり食べ過ぎるぐらいは大目に見てもらえるってわけか」ハハッ

 

斎藤T「しかも、これだと自己申告制で真偽を確かめることができないから、ほとんど意味ないですよ。やるだけ素晴らしき無駄知識(トリビア)が得られるだけで、肝腎のレースには何の役にも立たないはずです」

 

斎藤T「ただ、健康な食生活を強く意識づけるきっかけにはなるので、しばらく学園全体でやってみて得るものがあったら続けて、まったくもってくだらないと思ったら生徒総会で陳情すればいいだけのことです。そのための生徒会ですから」

 

斎藤T「まずはやってみましょうよ。運営上の不手際があれば、それで廃止に持ち込めますから。正直に言って、1年も保たないと思いますけどね」

 

ライスシャワー「うん!」

 

飯守T「そうだな。何事も否定から入っていちゃ新しい発見なんか見つかるわけもないし、秋川理事長が代理に選んだ人なんだから、そこまで鬼のわけもないか……」

 

アグネスタキオン「結果がどうなるか、とても楽しみだねぇ……」クククッ

 

 

 

女代先生「あ、斎藤T、カフェさん。こんにちは……」

 

マンハッタンカフェ「こんにちは」

 

斎藤T「これはこれは女代先生。どうかしましたか、浮かない顔ですけど」

 

女代先生「あのですね、『管理教育プログラム』が始まるじゃないですか、あの樫本 理子って言う理事長代理の下で」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。今日だけでもいろいろと混乱を呼んでますけど」

 

女代先生「その『管理教育プログラム』が始まったら、全教科 毎日 小テストがあるんですって!」

 

女代先生「ふざけないでよ!? 毎日 小テストを作るのと採点をするの、総生徒数2200名弱にもなったのにそんなの教員の負担にしかならないじゃない!? 簡単に言ってくれちゃって!?」

 

斎藤T「教職員の方々も大変ですね」

 

女代先生「そう! しかも、その毎日の小テストで赤点をとったら週末で補習授業――――――!? 休日出勤手当はちゃんと出るんでしょうね!?」

 

女代先生「トレセン学園の合格基準なんて 新入生・編入生 問わず 入試のハロン走の目標時間を超えればいいわけだから、オツムなんて二の次でドシドシ入学許可を出していったからこその現在の総生徒数2200名弱なのに、理事長代理って人は 今更 学園の偏差値なんて気にしているわけ!?」

 

女代先生「ねえ、カフェちゃん? 先生に休日の予定を組める確実な日ってこれからあるのかな? 週休二日制の労働条件は守られるかな?」

 

マンハッタンカフェ「そ、それは…………」

 

女代先生「地獄だわぁ……。ただでさえ、入試の季節は 毎年 憂鬱だってのに、これからは毎日の小テストに毎週の補習授業のことで憂鬱になるのね……」

 

女代先生「あ、そうだ、カフェちゃん。気分転換にカフェちゃんの趣味に山登りに誘ってくれないかしら? こういう時は身体を動かして頭のコリも解さないと!」

 

マンハッタンカフェ「あ、たしか、これからは外出先の事前申告も必要になるはずです、女代先生」

 

女代先生「はぁああああああああああ!? なんで生徒たちのプライベートにそこまで干渉するの!? それに総生徒数2200名弱の外出先の事前申告の内容をいちいち誰が審査するのよ!?」

 

女代先生「そうなると、商店街の買い出しに行くのも事前申告ってのが必要ってこと!? それで審査が通らなかったら、学園の外には出さないってわけ!? 発信機でも埋め込んで24時間監視するの!?」

 

女代先生「何それ、生徒たちを監禁したいの!? 過保護を通り越して病的じゃない!?」

 

斎藤T「ええ。ですから、『管理教育プログラム』は実行したところで不興を買って破綻するので、そこまで気にすることはないですよ」

 

斎藤T「そもそも、ただのURA幹部職員に過ぎない理事長代理が大権を握ったところで、トレセン学園の運営資金の大元を担う『名家』の機嫌を損ねるような真似ができるわけないじゃないですか。ただでさえ、暗黒期を思い出させる徹底管理主義をいきなり唱えて反感を買っているのに」

 

女代先生「あ、それもそうね! 結局、世の中、お金なのよ!」

 

女代先生「ああ、よかった。斎藤Tのおかげで胸のつかえが下りたわ。これで安心して今日もぐっすり眠れるわ」

 

女代先生「ところで、斎藤Tったら、今度は何のソリューションを手掛けている感じなのかしら?」

 

斎藤T「これですか? 『備えあれば憂いなし』ってことで、前々から各種要望を集めていた案件の中で差し迫って必要そうなものを――――――」

 

女代先生「――――――まあ! それは素晴らしいわね!」

 

マンハッタンカフェ「ええ。ですので、『管理教育プログラム』が施行されたら、ますます新クラブ:ESPRITの支持が深まるわけです」

 

女代先生「これはいいわね! まさに『ピンチはチャンス』ね! これぞ起死回生の策!」

 

女代先生「あなたについて正解だったわ! これなら安心ね!」

 

マンハッタンカフェ「はい。大船に乗ったつもりでいてください、先生」

 

 

 

岡田T「久々に来てみれば、まったくもって おもしろいことになってますな、昨今のトレセン学園は」

 

トウカイテイオー「笑い事じゃないよ、トレーナー! 秋川理事長が復活宣言した『アオハル杯』が秋川理事長が選んだ理事長代理の一存で中止になったんだよ!?」

 

エアグルーヴ「ああ。しかも、私も生徒会長として『管理教育プログラム』の精神には賛成だが、その内容があまりにも先代が目指した理想と掛け離れたものである以上、私は生徒総会を開いて直ちに是非を問おうと考えている」

 

岡田T「斎藤Tとしては、現状をどう思いますか?」

 

斎藤T「秋川理事長の思惑通りに事が進んでいるように思いますが? 何も問題なんて起こっていないですよ?」

 

エアグルーヴ「なんだと? 徹底管理主義を標榜して明らかにこれまでの黄金期の在り方を否定している人間が理事長代理になって勝手なことをしているんだぞ!?」

 

トウカイテイオー「そうだよ、斎藤T! 今だって理事長室に何人も生徒たちが直談判しに来て大騒ぎだよ!」

 

斎藤T「ええ、それでいいんです」

 

トウカイテイオー「え」

 

斎藤T「秋川理事長もURAも黄金期の自由で開放的な校風と引き換えのトレセン学園の風紀の乱れは問題視していたので、そのことで厳しく取り締まれる人物を送り込んで注意喚起を促しているわけですから」

 

エアグルーヴ「だが、『管理教育プログラム』が施行されたら大混乱が起こるのは教職員・トレーナー・生徒たちの満場一致の意見だぞ」

 

斎藤T「だから、『管理教育プログラム』は施行してみて問題点があったら、その都度 修正を加えていって、最終的に理事長代理を更迭すればいいだけの話です」

 

トウカイテイオー「それってどういう――――――」

 

斎藤T「要は、樫本代理は黄金期を継続させるために仕立て上げられたお芝居の悪役(ヒール)ですよ」

 

 

斎藤T「去年の今頃、強引なスカウトや引き抜きを敢行して“学園一の嫌われ者”になって学外の人身事故で意識不明の重体になった“斎藤 展望”の末路を見て、トレセン学園のトレーナーたちが自分たちの在り方を 今一度 見直して気を引き締め直したようにね」

 

 

岡田T「その“斎藤 展望”がご自分で言うのだから、間違いない効果なんでしょうな……」

 

エアグルーヴ「それは………………」

 

斎藤T「だから、URAは憎まれ役になる樫本代理という純粋な人間を送り込んで新時代の楔にするつもりです。今のURAやトレーナー組合は暗黒期のアンチテーゼとなる黄金期の精神に支配された人間の巣窟ですから」

 

トウカイテイオー「ええ? そんなの、新時代のための人柱だよ! マッチポンプってこと!?」

 

エアグルーヴ「…………まるで黄金期の精神を引き摺ることが悪みたいな物言いだな?」

 

斎藤T「老害・老醜という言葉があるように、個人の劣化と同じく組織もまた時と共に腐敗していくものだし、時代と共に価値観は変わっていくという自然の摂理を覚えておいてください」

 

斎藤T「それは悲しいことじゃない。生成化育の生命の循環の中で古きものが淘汰され、新しいものが生まれていく自然の摂理に逆らって老廃物が堆積することの方が不健全ですから」

 

斎藤T「今は問題点を改めてより良いものを生み出すための産みの苦しみを体験する脱皮の時なのです」

 

エアグルーヴ「――――――『脱皮の時』か」

 

 

メジロマックイーン「大変ですわ、みなさん!」ガチャッ

 

 

トウカイテイオー「どうしたの、マックイーン!?」

 

メジロマックイーン「それが――――――」

 

斎藤T「――――――理事長代理が『管理教育プログラム』施行の中止と『アオハル杯』復活を容認したのでしょう」

 

メジロマックイーン「そうですの!」

 

メジロマックイーン「そして、『アオハル杯』で樫本代理が育てたチームに勝利することで『管理教育プログラム』の無期限中止にすると!」

 

トウカイテイオー「!」

 

エアグルーヴ「……本当にあなたの言う通りになったな、斎藤T」

 

斎藤T「最初からそのつもりだっただけですよ、理事長代理は。現実的に考えてください。こんなのは『ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック(返報性の原理)』ですよ」

 

岡田T「秋川理事長の方針に真っ向から反する『管理教育プログラム』の導入の効果がこのままだと望めないのは火を見るより明らかだからこそ、学園中を納得させるために『アオハル杯』を樫本代理も利用するつもりだった――――――」

 

エアグルーヴ「たしかに、徹底管理主義に懐疑的なウマ娘たちの信用を得るためにはまずは実績を叩き出して追従者を生み出さないとならないわけだが、公式戦の『トゥインクル・シリーズ』で実績を叩き出すには最初の3年間が終わってみないことには評価は定まらないわけだし、少人数制の指導が災いしてたまたま個々人にあったやり方に過ぎないと言われかねないか……」

 

トウカイテイオー「だから、不特定多数のチーム対抗戦になる非公式戦の『アオハル杯』で明確な差を見せつけることで樫本代理は徹底管理主義の正当性を証明しようと考えているわけなんだね、斎藤T」

 

斎藤T「そう。だから、言ったでしょう、『どうあっても樫本代理は秋川理事長の敷いたレールに乗っかるしかない』って」

 

斎藤T「秋川理事長もそれがわかっていたからこそ、樫本代理に『アオハル杯』の運営も託してアメリカ出張に安心して出向いたわけです」

 

斎藤T「結局は結果こそが全てのウマ娘レースの原理原則に従うしかないわけですよ、誰であろうと、今も昔も」

 

斎藤T「同時に樫本代理は『アオハル杯』を利用して『アオハル杯』本戦までの3年間の任期を周囲に認めさせたわけにもなるのですから、生徒会役員の皆様方は頑張って『アオハル杯』本戦が終わるまでの代わる代わるのお付き合いを貫いてください」

 

トウカイテイオー「ええ……」

 

メジロマックイーン「そんな……」

 

エアグルーヴ「くっ! まさか、私が生徒会長を任された年にこんな厄介事に見舞われることになるとはなッ!」

 

エアグルーヴ「だが、わかった。これはたしかに私一人では対処しきれない問題だからこそ、樫本代理に対抗するためには私たちの想いを受け継ぐ者たちを育成しなくてはならないわけだ」

 

斎藤T「その意気ですよ。シンボリルドルフ卒業後の新しい時代は一人一人の不断の努力によって黄金期の輝きが続くわけですから、わかりやすい悪役のおかげでモチベーションが上がったでしょう」

 

エアグルーヴ「……周囲の思惑に乗せられていることがわかっているのはあまりいい気分じゃないが、私が生徒会長として成すべきことがこれではっきりした!」

 

エアグルーヴ「すまない、テイオー、マックイーン。厄介事を次代に押し付けていくことになるが――――――」

 

メジロマックイーン「大丈夫ですわ、生徒会長! 必ずや樫本代理の野望を打ち砕いて秋川理事長とシンボリルドルフが築いた黄金期のトレセン学園を守り抜いてみせますわ!」

 

トウカイテイオー「うん! ボクもカイチョー…ルドルフさんのように新しい時代に負けないように学園のみんなを導いていくから!」

 

岡田T「陰ながら尽力させていただきます。俺もシンボリルドルフの輝きに惹かれてトレーナーを続けている身ですから」

 

エアグルーヴ「ありがとう、みんな!」

 

斎藤T「生徒会長。わかりやすい敵役だからといって、樫本代理やその担当ウマ娘たちへのいじめを容認したら学園の風紀やモラルは引き返すことができないところまで堕ちるので、あくまでも正々堂々スポーツマンシップに則ったものであるように徹底しておいてください」

 

斎藤T「樫本代理のチームに勝つだけだったら、『アオハル杯』本戦で不戦敗になるように毒を盛るなり、退学に追い込むなり、身内の不幸を呼ぶなり、いくらでもやり方がありますから」

 

斎藤T「不本意でしょうが、憎き敵であろうともしっかり守ってやってください。それが互いの信頼となって安定した秩序が保たれますし、指導者の器の大きさを内外に示すことになります」

 

エアグルーヴ「……わかった。肝に銘じておこう」

 

岡田T「本当にどうなるんだろうな、これから?」

 

トウカイテイオー「そうだね、トレーナー。まさか、新年度早々にこんなことになるだなんて思いもしなかった……」

 

メジロマックイーン「本当ですわね。いつまでも黄金期の輝きに満ちたトレセン学園であって欲しいと願いますわ……」

 

 

斎藤T「さて、ここからは万が一にも『管理教育プログラム』が導入された場合の問題点についてあらかじめ対策を練ろうかと思います」バサッ ――――――売り込みのプレゼン資料を配布する。

 

 

エアグルーヴ「どういうつもりだ?」

 

斎藤T「どうもこうも、『管理教育プログラム』の導入の問題点は平たく言えば不便を強いるのが問題なのであって、生徒たちの健康面と安全面の強化については異論はないはずです」

 

斎藤T「つまり、『管理教育プログラム』の導入の負担を減らすソリューションを事前に提供できれば、『アオハル杯』本戦で勝とうが負けようが樫本代理を満足させて生徒たちの生活を向上させて互いにWin-Winにできるわけですよ」

 

斎藤T「そのためにESPRITで提供予定の管理アプリの開発に是非とも生徒会役員の方々に協力してもらいたいのです」

 

トウカイテイオー「へえ? 何それ? いったいどんな感じ?」

 

メジロマックイーン「私たちにできることがあれば、何でもおっしゃってください」

 

エアグルーヴ「まさか、あの『皇帝G1七番勝負』で利用した超高性能VRシミュレーターに関するものなのか、これを見る限り?」

 

 

斎藤T「生徒会役員の方々にやってもらいたいのは管理アプリの音源のボイス提供の契約です」

 

 

エアグルーヴ「――――――『管理アプリの音源のボイス提供』?」

 

メジロマックイーン「これはいったいどういうことですの?」

 

トウカイテイオー「つまり、アレだよね! 『初音ミク』みたいなことだよね?」

 

岡田T「あ、なるほど! 管理アプリの音声に国民的スポーツ・エンターテインメントのスターウマ娘が声を当てれば、それだけ宣伝効果が見込めるわけですな!」

 

斎藤T「そうです。この管理アプリはトレセン学園の生徒たちに限定でインストールできるようにして試用させるので、学園の生徒たちからの支持を得る手っ取り早い手段として、管理アプリの音源のボイス提供を憧れのスターウマ娘である生徒会役員の声をサンプリングしたいのです」

 

斎藤T「これは有償で提供するものではないので収益化はいたしません。なので、実質的にタダ働きさせることになりますので、ESPRITで用意しているカタログギフトを報酬とさせていただきますが、どうでしょうか?」

 

トウカイテイオー「そういうことなら、このテイオー様の声だけじゃなく、写真の使用許可も認めてもいいぞよ」

 

斎藤T「それはできません。あくまでも有名スターウマ娘の肖像権を侵害することがない範囲での利用;つまりは『トゥインクル・シリーズ』の登録競走ウマ娘の管理契約に抵触しないように提供するためにも、あくまでも匿名の参加という体裁で存在をボカさないといけないんです。契約金だの、使用可能期間だの、いろいろ面倒なのが発生しますから」

 

斎藤T「まずはこちらの台本を読んでください。それで管理アプリの大まかな機能が把握できるはずです」

 

斎藤T「くれぐれも内密にお願いします。トレセン学園の生徒たちに限定で無償でリリースすることになるとしても、そこから管理アプリが流出した場合に備える必要がありますので」

 

エアグルーヴ「わかった。それがトレセン学園の生徒たちのためになるのなら、喜んで協力しよう」

 

エアグルーヴ「とりあえず、この台本を一通り読めばいいのか?」

 

斎藤T「……最後のページからめくってもらうとわかるのですが、私はこの管理アプリに依存しないような措置として思い思いの声を収録したいと思っています」

 

斎藤T「つまり、管理アプリを利用する上で想定される質問に対する回答を用意してもらいたいというのが一番の依頼です」

 

 

こうして樫本代理が引き起こした秋川理事長に対する反乱とも取れる混乱は学園に大きな動揺をもたらすことになったものの、

 

結果としては樫本代理が反発の声を聞き入れて早々に『管理教育プログラム』施行と『アオハル杯』中止を延期したことによって ひとまずは学園を震撼させた動揺は収まることになった。

 

その代わりに『アオハル杯』本戦において樫本代理の徹底管理主義に賛同したウマ娘たちが集まったチーム<ファースト>に勝利できた時は『管理教育プログラム』施行と『アオハル杯』中止が執り行われるため、

 

『アオハル杯』は当初の健全なスポ根ドラマの舞台ではなく、これまでの学園の日常を賭けた決戦の舞台となって、樫本代理とチーム<ファースト>という共通の敵を打倒することを目標に様々なチームが鎬を削ることになったのであった。

 

しかし、最初から『アオハル杯』を利用して徹底管理主義を認めさせるつもりだった樫本代理の準備は万端であり、瞬く間に今年の新入生たちの中から素質のあるウマ娘たちをリストアップしてスカウトを済ませて逸早く『アオハル杯』のトレーニングを開始しており、その手際の良さと実際の指導力の高さからスタートダッシュで大きな差をつけることになったのであった。

 

正直に言って、秋川理事長がアメリカ出張の直前に復活宣言をした非公式戦『アオハル杯』のノウハウなどとうの昔に失われていた今のトレセン学園のトレーナー陣のうだつの上がらない様子を見て失望することになった新入生たちも多く、樫本代理が率いるチーム<ファースト>以外に上手くやれているチームはごくわずかだったのは当然のことであった。

 

そもそも、日本最高のトレーナー陣を誇っていようとも優駿たちの頂点を掴むのは並大抵のことではなく、一人の担当ウマ娘を神経をすり減らして『トゥインクル・シリーズ』で勝たせるので精一杯なのが普通なのに、最低でも15人は必要になる『アオハル杯』のチーム指導をやりこなせるトレーナーなどまずいないわけなのだ。

 

だからこそ、『アオハル杯』は生徒たちの自主的な運営によって成り立っているわけであり、本業である『トゥインクル・シリーズ』での勝利を疎かにしてまでやれることではないのだから、

 

樫本代理のウマ娘の自由を抑え込むやり方に憤りを覚えるトレーナーは多くとも、『アオハル杯』参加に積極的になれない腑抜けのトレーナーばかりになるのも自然なことであった。

 

そう、みんなが憧れてきた夢の舞台を壊そうとしている悪のチーム<ファースト>打倒を胸に誓うウマ娘たちの決意とは裏腹に明らかに『アオハル杯』まで手を回す余力があるトレーナーの存在が致命的なまでに不足していることがここに来て露呈することになったのだ。

 

それでいてなお、樫本代理はチーム<ファースト>にスカウトしたウマ娘の中で特に才能あるリトルココンとビターグラッセの2人を今年中にメイクデビューさせるつもりでローテーションを組んでいるらしく、

 

自身の徹底管理主義に賛同するチーム<ファースト>のサブトレーナーもしっかりとスカウトしているため、チーム<ファースト>の運営はすでに軌道に乗って万全になっていたのだ。

 

そのサブトレーナーは今年配属になったまったくの無名の新人トレーナーであったのだが、樫本代理が用意した完璧なマニュアルに従うだけで樫本代理が不在時の代行を務まるわけなので、この時点で樫本代理の非凡さと徹底管理主義の信頼性をトレセン学園中に示すことになったのだ。

 

そして、『アオハル杯』に参加できるのは3年目:シニア級のウマ娘までであり、年数を重ねたウマ娘が所属していることでチーム総合力が上がりやすくなっているわけなので、

 

今年の『アオハル杯』予選第1回での勝利を掴むべく3年目:シニア級のウマ娘とトレーナーたち、並びに来年の『アオハル杯』予選第2回と第3回も見据えて2年目:クラシック級のウマ娘とトレーナーたちも説き伏せて抜かりなくチーム<ファースト>に参加させていったのである。

 

 

――――――その動きについていけないのがウマ娘の自主性を第一にして自由で開放的な学園を目指した黄金期を経験してきたトレセン学園のトレーナー陣であったのだ。

 

 

そう、基本的にウマ娘レースというのは勝者は常に1着バだけの非情な戦いであり、『アオハル杯』のようなチーム対抗戦の方こそウマ娘レースの常識では頭のおかしいレースであるため、これまでのトレーナーの常識やノウハウがまったく活かせないために新入生たちが思うほどチームメンバー集めには動けなかったのである。

 

正直に言って、最初の3年間に『アオハル杯』に出走するのは既存の枠組みでローテーションを組んでいたベテラントレーナーほどリスクに感じるものがあり、チーム総合力やトレーニングレベルのためだけにチームに担当ウマ娘を参加させることは許しても自身の立てたローテーションの予定外となる『アオハル杯』出走は頑なに認めないトレーナーが普通だったのである。

 

そう、ここで非公式戦『アオハル杯』の戦績が公式戦『トゥインクル・シリーズ』での成績にはまったく反映されない事実が大きくのしかかってきており、賢明なトレーナーほど『アオハル杯』出走に多大なリスクを感じて参加を躊躇うことになるわけなのだ。

 

しかし、チーム総合力が上がることでトレーニングレベルも上がると、優先的にトレーニング設備が使えるようになるのは非常に魅力的な話であり、名前だけは貸してメリットだけを享受したいという欲も働くのであった。

 

一方で、トレーナーの適切な個人指導を受けられずに自己流のトレーニングを積み重ねて悪い癖を身に着けてしまっているだろう未出走バたちを一から鍛え直すのは給金は変わらないのに実質的に担当ウマ娘が増えたも同然の負担の増加なので、

 

真剣にチーム<ファースト>に勝とうとチームメンバーを集めようとすればするほどトレーナーたちは互いの利害を主張し合って共通の敵を前にして一致団結することができずにいたのである。

 

そのため、そんなトレーナーたちの情けない姿を見て完全にスカウトをあきらめた『選抜レース』の常連である未出走バたちがトレーナーの名前だけを借りてチーム登録を済ませる事例も後を絶たないわけであり、

 

これが本来の『アオハル杯』で想定されていたチーム作りの光景であったはずなのに、樫本代理とチーム<ファースト>打倒という目的が付け加えられたことでどこか歪な雰囲気を漂わせるようになってしまっていたのだ。

 

中にはそのトレーニング設備目当てで『アオハル杯』には出走しないことを示し合わせてベテラントレーナーたちが結託した有名無実なチームも生まれることになり、

 

長らく廃止されていた『アオハル杯』が突然の復活をしたばかりのために何もかもが準備不足だったとしても、そんなのは夢の舞台の有り様を知らなかった新入生たちからすれば知ったことではないので、トレセン学園を覆う消極的な雰囲気が『選抜レース』に向けてのモチベーションに大きな影響を与えることになったのは言うまでもない。

 

 

――――――そう、新時代の始まり;新年度早々に早速だが黄金期の輝きに翳りが見え始めていたのである。

 

 

 




さて、いよいよ始動したチーム対抗戦『アオハル杯』だが――――――、
先に開催された新設レース『URAファイナルズ』が最初の3年間を走り抜いた人気投票で選出されたスターウマ娘に出走枠を与えるのはまずいいとして、
フルゲート:18頭立てで1位のみ通過の前代未聞のトーナメント戦:予選・準決勝・決勝戦を1月中に全て開催するというクソローテーションと現実には存在し得ないほどの大会参加人数がそれも5部門も要るというゲーム的な描写からいかに現実的な設定に落とし込めるかを二次創作したように、
このチーム対抗戦『アオハル杯』も現実にこのような形式のチーム戦が行われたという記録が古今東西に1つも存在しないように、いかにトレーナーにとって『トゥインクル・シリーズ』と並行して開催されることが迷惑極まりないかばかりが考察で浮かんできてしまう。

まず、日本中央競馬会競馬施行規則第41条「競走に勝利を得る意志がないのに馬を出走させてはならない」とされており、「すべての競走馬は勝利することが目的である」という理念があるわけであり、
チーム対抗戦では必然とチームメンバーを勝たせるために他チームを妨害するというようなことが起こり得る。*1
更に、『アオハル杯』の開催が6月後半と12月後半という最初の3年間に“春秋グランプリ”を目指しているウマ娘にとっては『URAファイナルズ』以上のクソローテーションを強いる日取りになってしまっている。
そのため、現実的に明らかに公式戦『トゥインクル・シリーズ』と非公式戦『アオハル杯』の両立は不可能であり、それが過去に廃止と復活を繰り返した大きな原因になっている。

しかし、そうなると明らかにURAにとって不利益である『アオハル杯』を開催させたのが誰なのかを考えると、自ずと誰のために開かれた非公式戦であるかが見えてきたわけである。

それはトレーナーからのスカウトを受けることができないでいる大勢の未出走バたちのためであると考えると、設立された当初の『アオハル杯』の目的がすんなりと理解できるわけである。
問題は廃止と復活を繰り返すうちに当初の目的が忘れ去られて、その思い出に浸る先輩ウマ娘から『アオハル杯』のことを聞き出して、また手探りでやっていくうちに『トゥインクル・シリーズ』の登録競走ウマ娘までもが参加するようになってしまったのが全ての悲劇の始まりではないかと思う。
なので、今度の『アオハル杯』復活は『URAファイナルズ』と同じように恒例化させることで制度として本来の目的を果たすものにするべく入念な準備がされていたと予想され、
樫本代理の率いるチーム<ファースト>が最初からランキング1位の優勝候補になるゲーム的な都合もこれで説明がつくはずである。

ところが、『アオハル杯』新設当初の本来の目的と樫本代理が『管理教育プログラム』施行中止の好条件として『アオハル杯』でチーム<ファースト>に勝つことを求めた理由がわかったところで、深刻な問題にぶつかってしまう。

それが5部門3人ずつの最低15人は必要になってくるアオハルチームの統率と管理と階級の問題であり、どう考えてもトレーナーからスカウトを受けて成長した現役ウマ娘に頑張ってもらうのが『アオハル杯』優勝への近道だが、
そもそも、6月後半と12月後半に『アオハル杯』が開催される理由がそもそもトレーナーのスカウトを受けられない未出走バたちの活躍の機会を与えることを考えると、ここで現役ウマ娘が活躍しては元も子もないのだ。
しかし、未出走バだけで頑張っても良い刺激にならないから現役ウマ娘の参加も認めるのは自然なことだが、このせいで『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』という勝手のちがう2つのレース体系に両足を乗せることになり、どっちつかずで仕上がりが中途半端になることだろう。
更に、“春秋グランプリ”に担当ウマ娘を出走させる意欲と実力を持つトレーナーとしては絶対に『アオハル杯』になど参加させたくもないわけなので、参加するにしても名前を貸すぐらいに留めたいはずが、
樫本代理が妥協案として提示してきた好条件のために、黄金期の自由で開放的な校風に馴染んでしまったトレーナーたちとしては、本気で勝ちに来た樫本代理に慄いて嫌でも『アオハル杯』優勝を目指さなくてはならなくなったのである。
しかし、2年後の年末の『アオハル杯』本戦でチーム<ファースト>と対決するとなると『有馬記念』出走をあきらめる必要があるのだ。

さあ、いったいどれほどのトレーナーが樫本代理の徹底管理主義に抗うべく『アオハル杯』優勝に向けて真剣に取り組むことができているのだろうか!?

*1
実際、アプリ『ウマ娘 プリティーダービー』のチームレースやチャンピオンズミーティングでは“デバフ役”とか“蓋”という現実の競馬の勝利の理念に反する戦法が必要不可欠となっている。



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第6話   アオハル杯の復活は新たな伝説の始まり

-西暦20XY年05月13日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

昨日:5月12日は東京・芝・1600m・シニア級G1レース『ヴィクトリアマイル』であり、トレセン学園生徒会長を務める“女帝”エアグルーヴが堂々と優勝を果たすこととなった。

 

そのため、その翌日の振替休日となる月曜日の今日は“女帝”エアグルーヴが筆頭となるチーム<デネブ>で祝勝会があり、私はその担当トレーナーである吾妻Tの誘いでその場に居合わせていた。

 

一方、状況としては5月のトレセン学園は『オークス』『日本ダービー』『春の選抜レース』に向けて春季の最高潮を迎えようとしており、それと並行して学園では『アオハル杯』参加で結成されたアオハルチームにて『選抜レース』での勝利を求めて切磋琢磨する生徒たちの様子が絶え間なく見られた。

 

なので、早くも打倒チーム<ファースト>の志など忘れて、ただひたすらにウマ娘レースにおける勝利の定義である一着バを目指して、打算目的でどんどんチームを組んでいく流れができ始めていたのだった。

 

あるいは、打倒チーム<ファースト>の志を持つ者同士の利害調整が時間の経過で完了したことや、向こう3年に渡る『アオハル杯』本戦までの戦略がそれぞれの陣営で組み立てられたことで、遅まきながら反チーム<ファースト>勢力の結成が進んだところもあった。

 

その結果、春季のトレセン学園の最高潮のテンションによって『アオハル杯』へのチーム参加は続々と決まっていくことになり、4月の樫本代理が着任した当初の混乱は収まりつつあった。

 

それどころか、アオハルチームに参加したチームメイト同士が協力し合うチームトレーニングをしたことで今まで消極的な雰囲気だったのがすっかりと晴れ渡り、心身共に充実した様子で『春の選抜レース』へのトレーニングに精を出す新入生たちの姿が多く見られたのだった。

 

そう、案ずるより産むが易し、頭で考えていてもわからないことは体を動かしているうちに理解できていくものがあり、集団の動きなんてものを完全に予測できていたら不況なんてものは来ないのだから。

 

そのため、トレセン学園は新時代に暗黒期の記憶を思い出させた樫本代理が掲げた徹底管理主義の衝撃から少しずつ立ち直っていき、『アオハル杯』復活に伴うアオハルチーム結成でむしろ勢いづくことになり、樫本代理が指摘していた管理の不徹底に互いに気をつけながら学園生活を誰もが送るようにもなっていったのだ。

 

なので、ここまでは完全に去年の春に“斎藤 展望”というわかりやすい悪徳トレーナーの悪行三昧が戒めとなって学園全体の意識向上が果たされていった流れと同じであり、新時代を迎えて新たな方向性を模索していたトレセン学園にとってはこれ以上にない新年度のスタートを切ることができたと言えた。

 

否、これこそが“斎藤 展望”がURAに与えた影響の最たるものであり、この現象に注目した黄金期の精神の後継者を自称する者たちが新時代において黄金期の精神を敷衍するためには文字通りに暗黒期から黄金期が成り立つ様を再現すればいいと結論付けていたのだ。

 

つまり、そういう意味では樫本代理は URAの思惑を知ってか知らずか しっかりと与えられた役割をこなしているわけであり、『アオハル杯』本戦まで その役割を貫き通せるように支えておく必要があった。

 

 

しかしながら、周囲の思惑とは裏腹に憎まれ役となるべき樫本代理は黄金期の次の新時代を担う新入生たちからは早くも親しまれるようになっていたのだ。

 

 

いや、大多数の生徒たちからは目の敵にされており、樫本代理は『アオハル杯』でURAが黄金期を繰り返すために用意した打倒すべき敵役の再現にはなっているが、黄金期を再現する過程において()()()()()()()()()()()()が微妙なズレを生み出していたのだ。

 

思い出して欲しい、それが何なのかを。黄金期がいつまでも続いて欲しいと願って黄金期を再現しようとする一方で、その黄金期の記念碑となるものを自分たちで打ち立ててしまっているではないか。

 

そうなのだ。樫本代理は秋川理事長の代理として当然ながら学園の運営も行っているため、今年度に竣工となったエクリプス・フロントに足繁く通うことになった新入生たちやそこに部室を構える新クラブ:ESPRITの様子も頻繁に見に来るのだ。

 

なので、学園校舎では理事長室に阻まれて見えてこなかった樫本代理の素顔の中に込められたウマ娘たちに向けられた愛情深さと面倒見の良さはエクリプス・フロントではそれとなく知れ渡ることになり、

 

なんだかんだですぐに『管理教育プログラム』施行と『アオハル杯』中止を年単位で延期したこともあって、トレセン学園の1年というものをまだまだ知らない新入生たちはそこまで根に持つことにはならなかったのだ。

 

逆に、黄金期に確立された自由で開放的な校風に誇りを持つ在学生ほど、『管理教育プログラム』施行と『アオハル杯』中止の事の重大さがわかっているために、樫本代理に対して心を許すことが非常に難しくなっていたのだ。

 

特に、生徒たちの代表機関であるトレセン学園生徒会としてもウマ娘の自主性を奪おうとする樫本代理には短期間に『管理教育プログラム』施行と『アオハル杯』中止の無期限中止を具申しては却下されることが繰り返されており、生徒会役員であるスターウマ娘を支持する生徒たちは憧れのスターウマ娘を足蹴にする樫本代理に対する敵愾心を強めていくこととなる。

 

そうして憎悪を募らせて実力行使に打って出ようとする生徒たちを必死になだめることさえも生徒会役員に求められるようになるため、とにかく再来年の年末にある『アオハル杯』本戦で勝つことができれば問題ないのだと説き伏せることになり、生徒会としても今の状況は非常に辛い試練の時であった。

 

そのため、新年度の始めの『春のファン大感謝祭』期間中にエクリプス・フロントに慣れ親しむことになった新時代の担い手である新入生たちと黄金期の輝きに照らされてきた在学生たちの間に生まれた認識のズレがトレセン学園が抱える矛盾を暴き出すことになるのも時間の問題であったのだ。

 

 


 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

斎藤T「――――――『ヴィクトリアマイル』優勝おめでとうございます」

 

吾妻T「そういう斎藤Tも『天皇賞(春)』でマンハッタンカフェを勝たせて、前人未到の“春シニア三冠”に王手をかけたじゃない」

 

斎藤T「いえ、マンハッタンカフェは和田Tの担当ウマ娘であって、私の担当ウマ娘というわけではないのですが……」

 

吾妻T「いやいや、斎藤Tが主宰のESPRITの一員として担当ウマ娘:アグネスタキオンと一緒にいるわけだし、和田Tも岡田Tと同じく斎藤Tが面倒を見てあげているんでしょう?」

 

吾妻T「だったら、それはもう斎藤Tのチームメンバーでしょう? あるいは、勇者:斎藤 展望のパーティーメンバーかもしれないけどねぇ」

 

斎藤T「それで、チーム<デネブ>としては再来年の年末の『アオハル杯』本戦の勝率はどの程度のものになりますか?」

 

吾妻T「確認だけど、5部門にそれぞれ3人ずつの選出が可能ってわけだけど、5部門中 3部門を制することができればチームの勝利だから、チームメンバーは5人だけでもいいわけだよねぇ?」

 

斎藤T「理屈としてはそうなりますね。結局は一着バを出したチームの勝ちですから」

 

斎藤T「ですが、3年に渡るチーム対抗戦で勝つのでしたら、3世代分のメンバーを確保して15人にすると、チーム総合力が非常に安定するわけですよ。『アオハル杯』本戦で頂点を決める戦いは最上位の6チームになるわけですから」

 

吾妻T「そうそう。だから、僕としては3つのトレーナーチームが合流して1つのアオハルチームを作るのが現実的だと思うわけでして、トレーナーチーム単体でアオハルチームを作るのは無理があるよねぇ」

 

吾妻T「そういう意味では樫本代理は4月の段階で3世代分のメンバーをだいたい確保していた手際の良さがあるわけだから、最初から準備万端の樫本代理のチーム<ファースト>のチーム総合力には絶対に届かないと思っているかなぁ」

 

吾妻T「まあ、“女帝”エアグルーヴの最後を飾る6年目の花道を横切ろうとするチーム<ファースト>に与するシニア級のウマ娘たちには絶対に負けないけどねぇ」

 

吾妻T「樫本代理も『アオハル杯』と並行してリトルココンとビターグラッセをメイクデビューさせるつもりでローテーションを組んでいるわけなんでしょう?」

 

吾妻T「だったら、非公式戦での勝利はくれてやるから公式戦の敗北を思う存分に味わえばいいと思うよ。『アオハル杯』で負けたところで悔しくなんかないよ」

 

 

吾妻T「――――――エアグルーヴが紹介してくれたブリュスクマンで叩きのめしてあげるからさ」ゴゴゴゴゴ・・・

 

 

斎藤T「相当 腹に据え兼ねているみたいですね、樫本代理に対して」

 

吾妻T「当たり前じゃないですか。僕にとってトレセン学園の黄金期は最初から“女帝”エアグルーヴが“皇帝”シンボリルドルフの同志となって一緒に築き上げてきたものなんですから、現在進行形で黄金期の輝きは今も“女帝”と共にあるのですよ?」

 

吾妻T「だから、斎藤Tにはいろいろと悪いんですけど、“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェによる史上初の“春シニア三冠”達成は“女帝”エアグルーヴが『宝塚記念』で阻止しますからねぇ」

 

吾妻T「それとリトルココンとビターグラッセを叩き潰すついでに、“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンもエアグルーヴが見込んだブリュスクマンが討ち取りますので、お覚悟を」

 

斎藤T「勝率はいかほどのもので?」

 

吾妻T「――――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のですよ、斎藤T」

 

斎藤T「その通りですね、先輩」

 

吾妻T「とりあえず、斎藤Tにはウマ娘のトレーナーとしての活躍よりもESPRITの主宰としての手腕に期待しているから、そっちの方を頑張ってね~」

 

 

エアグルーヴ「こっちだ、斎藤T」

 

斎藤T「もういいんですか、祝勝会の方は?」

 

エアグルーヴ「ああ。祝勝会はもうお開きだ。来月の『宝塚記念』のこともあるが、新入生のブリュスクマンの『選抜レース』に向けた調整に本腰を入れたい」

 

エアグルーヴ「それで、樫本代理の最近の様子はどんな感じだ?」

 

 

斎藤T「はっきり言って、樫本代理はひ弱な生き物です。あまりイジメないでやってください」

 

 

エアグルーヴ「は」

 

斎藤T「学園から歩いて数分の距離のエクリプス・フロントに歩いて来るだけでも疲労感を覚えるぐらいには虚弱体質で、エクリプス・フロントから校舎までの帰り道で息を切らしていた理事長代理に肩を貸して送ったことがあります」

 

斎藤T「それに加えて、外出しただけで疲労で睡魔に襲われるぐらいなんです。眠気覚ましにコーヒーを飲んだら、それはそれで夜に眠れなくなるぐらいなんだそうです」

 

斎藤T「しかし、あの若さで元G1トレーナーのURA幹部職員になり、理事長代理が務まるほどの学才に恵まれていたのは、偏にその虚弱体質に負けないように一心不乱に勉学に励んだ賜物なのです。松下幸之助を思わせますね」

 

斎藤T「ですので、樫本代理という人間は類稀な意志力を常に発揮している人物であり、それだけにその意志力を支えに生きている人物ですから、生半可なことでは説得ではできないですね。全身を意志力の鎧で覆っているわけですから」

 

エアグルーヴ「……そうか」

 

エアグルーヴ「意外にもエクリプス・フロントに通い詰める新入生たちからは好かれているという話を聞いてはいたが、これは後輩たちに苦労を掛けることになるな……」

 

斎藤T「大丈夫ですよ。再来年の年末の『アオハル杯』本戦で樫本代理が勝とうが負けようが、『管理教育プログラム』を()()()()()先んじて導入して主導権を握ってしまえばいいのですからね。その手助けをESPRITがいたします」

 

エアグルーヴ「ああ、そうだな。樫本代理が学園の運営を任せられるほどの敏腕トレーナーであったとしても、ESPRITの主宰者に勝る才覚の持ち主ではあるまい」

 

エアグルーヴ「頼むぞ」

 

エアグルーヴ「だが、それはそれとして、マンハッタンカフェが史上初の“春シニア三冠”達成に王手を掛けようとも、私は手加減はせんからな」

 

 

――――――私を信じてついてくる皆のため! 私を支えてくれているトレーナーのため! そして、何よりも私自身の理想のために!

 

 

エアグルーヴ・ナリタブライアン世代として駆け抜けた激闘の最初の3年間以来、『URAファイナルズ』開催のために引退はせずに“皇帝”シンボリルドルフの右腕として生徒会活動に全力を注ぎながら後輩たちの指導も精力的に行ってきた“女帝”エアグルーヴはブランクを感じさせない圧倒的な強さを『ヴィクトリアマイル』で見せつけた。

 

さすがは“怪物”ナリタブライアンや“女傑”ヒシアマゾンたちと互角の勝負を繰り広げた“女帝”の威光は伊達ではなく、“皇帝”シンボリルドルフの後を継いでトレセン学園の顔役になったことに異論を唱える者はもはやどこにもいない。

 

そして、新時代を迎えたトレセン学園を襲う時代の荒波に対しても決して目を背けることなく、勇ましく乗り越えていこうとする気概を漲らせるようになっていた。

 

しかし、“皇帝”シンボリルドルフが一人で全てを掌握して導いた時代とは異なり、すぐに権力交代を余儀なくされる時代に移り変わったため、世代を超えて想いを受け継がせていくためのバトンタッチの練習も欠かせなくなってきたわけなのだった。

 

そのため、新たに生徒たちの日常生活にエクリプス・フロントが加わったことで、これまでの学園校舎を生徒会が縄張りとし 学生寮を自治会が受け持つ体制も変わらざるを得なくなり、新たな領域であるエクリプス・フロントとの連携を深めるためにエクリプス・フロントに君臨する“斎藤 展望”との連絡を密にせざるをえなくなったわけなのだ。

 

実際、それは理事長代理にしても同じことであるため、エクリプス・フロントの見回り番が組織されていない現状、エクリプス・フロントの多目的ホールの1つを部室にしているESPRITの部員がエクリプス・フロントの見回り番となっていることから、自然とESPRITの顧問:女代先生とも話し込むようにもなるわけなのだ。

 

なので、女代先生にはトレセン学園の教職員を代表して『管理教育プログラム』施行の問題点をバンバン言ってもらい、問題解決のソリューションを提供するためのESPRITらしく、『管理教育プログラム』施行の反発を抑えるために必要な技術や形態が何なのかを樫本代理と追究していくことになったのである。

 

こうして樫本代理としても生徒会長:エアグルーヴにしても『管理教育プログラム』施行の問題点や悪影響を抑えるためのソリューションをESPRITを介して互いの意見を交換し合うことになり、そうして洗い出された改善点を解決するためのソリューションをESPRITの主宰者の私が形にする日々が始まっていた。

 

もっとも、樫本代理が徹底管理主義を掲げた大元の原因は把握しているし、それはトレセン学園ではとてもよくありふれた事象でもあったため、樫本代理の件がなくてもESPRITの躍進のためにも前々から提供の準備を始めていたものでもあった。

 

そうしたわけで、私にとっては樫本代理の徹底管理主義はまったくもって学園の危機をもたらすものでもなんでもなく、その計画の積極的な協力者となることでソリューションを大々的に展開していく絶好の機会であったのだ。

 

積極的な改革の推進の裏には必ずこれまでの不可能を可能にする技術革新があるものなのだから、それが『宇宙船を創って星の海を渡る』という私の夢を後押しするものになっており、世界最先端のトレーニング環境を提供するトレセン学園の方針にも噛み合っていた。

 

なので、私にとっては樫本代理は敵でも何でもなく、私の夢を前進させてくれるきっかけとなるありがたい存在なわけであり、『管理教育プログラム』施行の障害になるものを取り除くソリューションを提示すれば、樫本代理は喜んで『管理教育プログラム』の露払いとなるソリューション導入のための予算の捻出に考えを巡らせてくれた。

 

そのため、良くも悪くも純粋で一本気な樫本代理は良識的で話しやすい相手であり、それでいて若くしてURA幹部職員になって理事長代理が務まるほどの優秀さを間近に見ることができ、私の中では非常に好印象であった。

 

 

――――――ただ、その虚弱体質の身体を類稀な意志力で鞭打って酷使しているだけに、三十代に重なる二度の厄年を無事に乗り越えられるかが非常に心配になってしまう。

 

 

斎藤T「――――――徹底管理主義か。その実、“管理”が必要なのはむしろトレーナーの側なんだけどな」

 

桐生院T「あ、あの……!」

 

斎藤T「桐生院先輩?」

 

桐生院T「斎藤T、どうか力を貸してください……!」

 

斎藤T「どうしました、先輩?」

 

桐生院T「やっぱり、樫本理事長代理のやり方は間違っています! 私たちトレーナーはウマ娘ファーストに基づいてウマ娘たちのために力を尽くすべきなんです!」

 

桐生院T「それなのに、樫本代理のやり方は罰則でウマ娘たちを縛る抑圧的なやり方で、そこにウマ娘たちへの愛情なんてありません!」

 

斎藤T「そう思っているトレーナーが大半でしょうね」

 

斎藤T「でも、それなら私に声を掛けるまでもなかったでしょう? 同じ想いの人たちはたくさんいたはずですからね」

 

桐生院T「……はい」

 

桐生院T「実は、『URAファイナルズ』成功記念パーティーで秋川理事長から才羽Tと飯守Tと一緒に顕彰してもらったわけなので、私たち3人が秋川理事長の理想を体現するトレーナーとして連名で樫本代理に直談判するはずだったんです」

 

桐生院T「なのに、才羽Tが――――――!」

 

 

――――――強きを助け、弱きを挫け。強い者だけが生き残ればいいんだ。

 

 

斎藤T「……才羽Tは学園の危機に対して全くの無視を決め込んで、担当ウマ娘:ミホノブルボンのトレーニングに専念しているわけですか」

 

桐生院T「それってあんまりなことじゃないですか!? 再来年の年末の『アオハル杯』本戦に樫本代理が勝てば徹底管理主義がトレセン学園に実施されるとは言っても、その翌春には担当ウマ娘:ミホノブルボンは卒業するから自分たちは無関係だって――――――!」

 

桐生院T「身勝手ですよ! 薄情ですよ! 見損ないましたよ! 尊敬していたのに……!」

 

斎藤T「おそらく、才羽Tはミホノブルボンの卒業と共にトレーナーを引退する気だから、脇目も振る気がないんでしょうね」

 

桐生院T「え?!」

 

斎藤T「才羽Tは生涯でたった一人の担当ウマ娘を最初で最後の最高傑作として全身全霊で育て上げることに心血を注いでいるはずです」

 

斎藤T「つまり、最初からトレセン学園という箱庭世界で起きている小さな事件は眼中にないというわけです」

 

斎藤T「才羽Tという人間は最初から 徹頭徹尾 大きなものを見据えて、そこに向かい続けているんです」

 

桐生院T「………………」

 

 

斎藤T「なので、真に試されているのは桐生院先輩をはじめとする()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ?」

 

 

桐生院T「え」

 

斎藤T「最初の担当ウマ娘との最初の3年間を終えたことで桐生院先輩は一人のトレーナーとして自分のトレーナー人生を決められるようになったんです」

 

斎藤T「才羽Tはそこを見ています。ひたすら担当ウマ娘と共に高みを目指して邁進していく道、自身が抱くトレーナーとしての理想を実現する道、トレセン学園という夢の舞台に尽くす道、いろいろです」

 

斎藤T「そのいろいろとある中でどれだけ道を極められるかを楽しみにしているのです」

 

斎藤T「だから、桐生院先輩には自分が極めて行きたいと思う道を進んで欲しいんです」

 

斎藤T「義憤に駆られ、一時の感情に身を任せて、打倒チーム<ファースト>のために団結したところで、『アオハル杯』本戦は再来年の年末でハッピーミークは翌春には卒業ですよ? それが先輩自身の成長の糧になると思いますか? 状況に流されているだけじゃありませんか?」

 

桐生院T「え」

 

斎藤T「……ダメですよ、先輩」

 

 

斎藤T「先輩! 先輩にとってはウマ娘ファーストと打倒チーム<ファースト>は同じかもしれないですけど、担当ウマ娘は打倒チーム<ファースト>のための道具じゃないですよ! 担当トレーナーが第一に考えるべきは担当ウマ娘のことでしょう!」

 

 

桐生院T「あ」

 

桐生院T「あ……!」

 

桐生院T「ああああああ!?」

 

斎藤T「………………」

 

桐生院T「わ、私はなんてことを……!」

 

斎藤T「……何が『団結』だ! 何が『チームの勝利』だ!」

 

 

――――――『アオハル杯』で勝つことに躍起になって、本質となる担当ウマ娘との絆を蔑ろにする担当トレーナーがウマ娘レースで勝てるはずがないだろうに!

 

 

そう、私がエクリプス・フロントの支配者として生徒会や樫本代理と連絡を密にして絶好調な毎日を送っているのに対して、一見すると樫本代理によって引き起こされた当初の混乱から落ち着いたかのように見えたトレーナーたちの内面は川面のように定まるものではなかった。

 

いわゆる新設レース『URAファイナルズ』開催宣言の年に配属となり 3年目に『URAファイナルズ』開催を迎えたファイナルズ世代の代表的トレーナーの一人である桐生院Tをはじめとして多くの良識あるトレーナーたちが樫本代理との『アオハル杯』の対決に浮足立っていることが非常に嘆かわしく思えた。

 

桐生院先輩に関しては最初の担当ウマ娘との最初の3年間が終わった節目の年を迎えて、次の担当ウマ娘を探す時期に重なっていたこともあり、明確な目標が定まっていなかったところにちょうどよく学園の未来を賭けた『アオハル杯』が開催されるのだから、それについ乗っかってしまうのはしかたがないことだと私は思う。

 

けれども、『アオハル杯』本戦で徹底管理主義の樫本代理のチームに勝つことでこれまでのトレセン学園の在り方を守ろうと必死になればなるほど、過去に廃止と復活を繰り返した『アオハル杯』という異なるレースシステムの沼に面白いように最難関の国家資格に合格してきた国内有数の秀才であるはずのトレーナーたちがハマっていってしまっているのだ。

 

そうだ。樫本代理としては 理事長代理の任を引き受けるにあたって前もって秋川理事長の計画である『アオハル杯』復活を知らされて準備万端で臨んでいたからこそ スタートダッシュで差をつけられたわけなのだが、

 

それでも圧倒的大多数を敵に回して包囲網を作られる絶対的不利を理解しながら『アオハル杯』優勝によって徹底管理主義の『管理教育プログラム』の導入を認めさせるという大勝負に打って出られたのは、樫本代理自身が『アオハル杯』前大会の参加者の一人としてそこで起きた悲劇の数々を目の当たりにしていたからに他ならない。

 

つまり、担当ウマ娘と担当トレーナーの二人三脚をいかにして公式戦『トゥインクル・シリーズ』への出走と非公式戦『アオハル杯』への参加を両立させるかの難題に答えを出せずに中途半端になって自滅していくトレーナーとウマ娘の姿を嫌と言うほど見せつけられていたからこその入念な対策の数々と『アオハル杯』復活の中止の判断である。

 

樫本代理の現役時代や過去の『アオハル杯』で起きた出来事について少しでも調べようと思えば辿り着く事実を知ろうともせずに敵憎しの感情だけで『アオハル杯』参戦を決めたトレーナーたちは等しく、敵を知り己を知れば百戦殆うからず、自ら担当ウマ娘と共にどっちつかずの死地に赴こうとしているようにしか思えない。

 

とは言え、非公式戦『アオハル杯』に関する資料は生徒の持ち込み企画なのでトレセン学園やURAが公的に保管しているわけではないため、アメリカに渡った“皇帝”陛下から渡された『アオハル杯』の資料が保存状態の悪い文献ばかりだったように、廃止と復活の末に散逸していた。

 

なので、ESPRITの次の企画は過去の『アオハル杯』に関する資料の収集と展示を行い、それをエクリプス・フロント内の図書館や歴史資料館にでも寄贈する予定である。これが急務である。

 

さもなければ、実際に『アオハル杯』に参加して『トゥインクル・シリーズ』と両立させるノウハウを持っている稀代の英才トレーナー:樫本代理が自ら提示した好条件という名の餌に食らいついた阿呆共が次々と釣り上げられて俎板の上に載せられていき、多くのトレーナーやウマ娘たちが『アオハル杯』復活の犠牲になってしまうのだから。

 

つまり、それこそが樫本代理が好条件を提示する裏で実質的な『アオハル杯』優勝宣言を出せた真相であり、まず前大会参加者として『アオハル杯』を誰よりも知り尽くして事前に計画を練り上げて準備万端で現れた樫本代理としては自身のトレーナーとしての才覚も相まって『アオハル杯』本戦で負けるとは微塵も思っていないし、

 

何も考えずに敵憎しの感情で打倒チーム<ファースト>を掲げて参加した大半のアオハルチームのトレーナーとウマ娘たちが『トゥインクル・シリーズ』とは勝手が違いすぎる形態や進行に戸惑い、本来ならば頂点の座を争うトレーナーやウマ娘たちと一緒のチームを組むことによる腹の探り合いや利害調整で神経をすり減らし、チームトレーニングによる過負荷や同調圧力で軋ませる不協和音が声なき叫びと共に奏でられることになるのだ。

 

そうなのだ。樫本代理の予想としては『アオハル杯』本戦までに()()()()()()()()()()ように死屍累々が築き上げられているはずであり、そんな状況で仮に打倒チーム<ファースト>が果たされたとしても、樫本代理の掲げる徹底管理主義が必要であると自然に受け容れられるような悲惨な経過が待ち受けているはずなのだ。

 

これも言うなれば、黄金期の繰り返させる悪役としてURAが樫本代理をトレセン学園に送り込んだのと同じことであり、樫本代理もまた悲劇の温床である『アオハル杯』の永久消滅を実現するために次に『アオハル杯』を復活させた時にはその痛ましい記憶を今度こそトレセン学園に永久に刻みつけようとしているわけなのだ。

 

なので、自分の担当ウマ娘を『トゥインクル・シリーズ』で勝たせることしか知らないトレーナーやその指導の下にチームに参加するウマ娘たちが樫本代理から『管理教育プログラム』導入を中止する交換条件として提示された好条件である『アオハル杯』優勝を目指した段階で、樫本代理の計画は 八割方 達成されてしまったようなものなのだ。

 

よく考えて欲しい。『アオハル杯』は3年に渡る大掛かりなチーム対抗戦であり、各世代の出走ウマ娘がいることでチーム総合力が上がり 選手層が厚くなることから様々な世代のウマ娘をチームに入れるのが自然となるが、勝負所での団結力を発揮することはあるとしても、日常におけるチームの秩序や統率が保たれるかがこれから問題となるわけなのだ。

 

それはアオハルチームを結成した当初には顕になることがなくチームトレーニングに慣れてきた時に不意に表に現れる致命的な爆弾であり、ウマ娘レースの本質が『勝者は常に一人』という非情な現実を誰もが思い出すことになるはずだ。

 

何よりも、今回の『アオハル杯』復活は秋川理事長によるものだが、本来の『アオハル杯』はトレーナーからのスカウトを勝ち取れずに時間を持て余すばかりの生徒たちが一念発起して自分たちで本格的なレース大会を企画運営するところから始まったものであるため、当初はトレーナーからのスカウトを受けたウマ娘だけが出走できる『トゥインクル・シリーズ』のローテーションと両立させるようなものではなかったのだ。

 

それが時が経つことによって『アオハル杯』での走りで注目を浴びたことでトレーナーのスカウトを勝ち取ったという実績から好評を得て、いつの間にか公式戦『トゥインクル・シリーズ』と並行して非公式戦『アオハル杯』にも全力を出すウマ娘が出てくるようになってしまったというのが悲劇の始まりであった。

 

つまり、有志たちの懸命の努力の末に多くの感動を生み出した非公式戦『アオハル杯』であったが、トレーナーからのスカウトを勝ち取ったウマ娘はその時点で『アオハル杯』から卒業して本当の戦いの舞台である公式戦『トゥインクル・シリーズ』へと巣立っていくべきはずが、

 

やがて、『アオハル杯』に愛着や誇りを持つようになったウマ娘たちがいつまで経ってもチームから巣立つことなく、本来の目的である『トゥインクル・シリーズ』出走に全力集中できなくなるという本末転倒な事態を招くことになり、

 

『トゥインクル・シリーズ』での成績のみを考えて冷静な判断を下すべきトレーナーたちでさえも、まったく無益な『アオハル杯』での勝利さえも求め出すようになってしまう始末であった。

 

ある意味においては、何事においても勝負事にのめり込んでしまう闘争心の塊であるウマ娘らしい若き日の青春の過ちでもあるわけだが、『アオハル杯』の当初の目的と主体を失って学園の伝統にまで高められてしまったことで正常な判断を下すことができないトレーナーがいかに多かったことか――――――。

 

これを一言で言うならば、トレセン学園のトレーナーもウマ娘もみな等しく『アオハル杯』というお薬の用法用量を守って正しくお使いできていない薬物乱用状態なのである。すっぱりと断ち切れない辺りがまさに中毒症状。

 

 

そのため、本質的には公式戦『トゥインクル・シリーズ』に出走することがない生徒たちが暇な時間を注ぎ込んで自主的に企画運営しているだけの本格的ながらも無益な非公式レース大会『アオハル杯』にトレーナーたちが本気になった時点でそれはもう負けなのだ。

 

 

つまり、まともなトレーナーほど無益な非公式戦『アオハル杯』での勝利は求めず、考えの足りないトレーナーほど無謀なまでに非公式戦『アオハル杯』での勝利を求めてしまうわけで、これだけで徹底管理主義を求める樫本代理とそれに従うチーム<ファースト>の独壇場が完成してしまうわけなのだ。

 

実際、『アオハル杯』のレース開催が“春秋グランプリ”の『宝塚記念』『有馬記念』の時期に重なることを考えれば、それらに参戦する強豪ウマ娘たちほど無益な非公式戦『アオハル杯』への出走を敬遠するわけであり、

 

ウマ娘レースの非情な現実を知り尽くしているベテラントレーナーとしても担当ウマ娘がいつまでも『アオハル杯』で結ばれたチームの絆なんかに縛られてしまうのは迷惑以外の何物でもない。

 

となると、ベテラントレーナーや強豪ウマ娘のほとんどが真剣に『トゥインクル・シリーズ』での勝利を目指すわけなのだから、『アオハル杯』に全力を注ぐようなのは周囲から勝利など求められていない無名のトレーナーやスカウトに値しない弱小ウマ娘ぐらいしかいなくなるわけなのだ。

 

――――――いや、それこそが本来の『アオハル杯』の原点なのだが。

 

その上で、5部門に3人ずつを出走させることができるとなれば最低でも15人のウマ娘を確保することになり、トレーニングレベルに関わってくるチーム総合力を考えるなら『アオハル杯』本戦まで点数稼ぎをしてくれる3世代分の出走ウマ娘も招聘することも必要になってくる。

 

――――――いや、本来ならばそんなルールは当初は存在せず、『トゥインクル・シリーズ』で活躍した元アオハルチーム出身のスターウマ娘が自分を育ててくれたチームへの恩返しとして要求したことが不公平であるとして公平性を保つためにチーム総合力が制度化された結果がこれである。

 

そうして集められた大所帯をまとめあげられる統率力を発揮できるトレーナーがいなければ、所詮は寄せ集めのかけっこクラブにしかならないわけであり、個人競技ならば個人の才能だけでなんとかできることが多いだろうが、個人の才能を数の論理で潰される可能性があるチーム対抗戦においては徹底管理主義によって培われた集団行動がチームの強さをどこよりも発揮することになるだろう。

 

――――――いや、実際にかけっこクラブでいいのだ。これは『トゥインクル・シリーズ』へのスカウトを掴むアピールの機会を作り出すためにウマ娘たちが自主的に寄り集まった『アオハル杯』という本気の勝負(公式戦)ならぬ本気の遊び(非公式戦)なのだから、本気の使い所を間違えるのは非常に困る。

 

 

だから、樫本代理は自身が理想とする徹底管理主義による『管理教育プログラム』を導入するために、あえて忌々しい記憶が蘇ってくる『アオハル杯』という3年間に渡る長丁場を利用したのだ。

 

 

そもそもが、『トゥインクル・シリーズ』での“最初の3年間”がトレセン学園においては基本単位になっているように、トレーナーからすれば『アオハル杯』の3年間もまたどうということのない時間間隔であり、向こう3年間の展望や戦略を考えることなど出来て当然。ましてや、秋川理事長に代わって学園の運営も任されている理事長代理なら、尚更である。

 

そして、秋川理事長が復活宣言した『アオハル杯』を中止すると見せかけることで、好条件と称して自身の独壇場となる『アオハル杯』を決行させるように状況を持っていくことで、自身の理想をトレセン学園で実現するための言質を大々的に取ることに樫本代理は成功したのだ。

 

考えの足りないトレーナーはそれで『トレセン学園の未来を守れる』と意気込んだわけだが、ここで冷静な判断が下せるトレーナーならばあらかじめ計画され尽くされた理事長代理の動きの迷いのなさにとてもじゃないが勝ち目がないことを早々に悟ることだろう。

 

何よりも『アオハル杯』は非公式戦に過ぎず、本来は『トゥインクル・シリーズ』の公式戦に出走できないウマ娘たちのものであるため、仮に『アオハル杯』本戦で樫本代理のチーム<ファースト>に勝てたところで得るものは何もないのだ。

 

『アオハル杯』復活は他ならぬ樫本代理の運営によって実施されるわけだし、『管理教育プログラム』施行の中止を阻止したところで、それはつまりは 昨日までの変わらない学園生活が続いていくというわけで、失うものもなければ得るものもないのだ。

 

しかし、その間にも時間はただただ過ぎ去っていることを忘れてはならず、そのために費やした中高一貫校の3年間の日々にどれだけの価値が与えられるのだろうか――――――。

 

 

――――――エクリプス・フロント/最上階:スカイレストラン

 

ソラシンボリ「まあ、そんなわけだから、まともなトレーナーなら尻込みする非公式戦『アオハル杯』――――――、中止しようとしていた樫本代理自身が妥協案として自ら参加して優勝することを宣言することで、樫本代理アンチが口を揃えて言うウマ娘ファーストの大義名分を先に得ているわけだよね」

 

スカーレットリボン「そして、本筋である『トゥインクル・シリーズ』にも二足の草鞋で出走させるウマ娘を厳選することで、更に自身の徹底管理主義による指導の有効性を証明しようとしているわけですね」

 

ソラシンボリ「本当にウマ娘もトレーナーもレースで勝つことしか考えていない感じだよね、トレセン学園って」

 

和田T「まあ、そう言われると……」

 

ソラシンボリ「――――――少しは変だと思わなかったのかな?」

 

ソラシンボリ「秋川理事長の意に反して中止しようとしていた『アオハル杯』を結果として自分で運営した上で実質的な優勝宣言まで出しているわけだから、」

 

ソラシンボリ「最初から『管理教育プログラム』を認めさせるための手段として『アオハル杯』の準備を秋川理事長と一緒にしてきたことに気づかないんだからさ」

 

マンハッタンカフェ「……まんまと乗せられてしまったわけですね、みんな」

 

ソラシンボリ「だいたい、本気で勝ちに行くとなるとアオハルチームは最低でも15人は必要になって、チーム総合力を上げていくために各世代の現役ウマ娘も補充していかなくちゃならないんだから、誰がチームのまとめ役になって音頭を取るわけ? これ、非公式戦だからチームのために苦労したって実績がつかないんだよ?」

 

スカーレットリボン「最初の3年間を走りきったベテランのスーパーシニア級ウマ娘を頼ろうとしても、『URAファイナルズ』との差別化のために『アオハル杯』には3年目:シニア級までしか出走できないわけですからね」

 

マンハッタンカフェ「あくまでもトレーナーのスカウトを受けられなかった未出走バたちの才能発掘と意欲向上のための舞台として『アオハル杯』が準備されているわけですから、現役ウマ娘まで『アオハル杯』に本気を出して それで『トゥインクル・シリーズ』で体調を崩すのは本末転倒というわけですね……」

 

和田T「そして、メンバートレードは今年の年末の『アオハル杯』予選第1戦以降は次の予選までに1度ずつしか認められないわけか……」

 

 

ソラシンボリ「まあ、でも、ボクとしては『アオハル杯』の3年間を目一杯に楽しむつもりだけどね!」

 

 

マンハッタンカフェ「そうなんですか?」

 

和田T「え? どういうことかな?」

 

ソラシンボリ「つまりね、ボクは中等部の3年間を『アオハル杯』、高等部の3年間を『トゥインクル・シリーズ』で行こうってわけ」

 

マンハッタンカフェ「まあ、たしかに中高一貫校の6年間の半分をそれぞれ『アオハル杯』と『トゥインクル・シリーズ』に充てるというのも悪くないとは思いますが……」

 

和田T「余裕綽々だな。再来年の年末の『アオハル杯』本戦で樫本代理の掲げる徹底管理主義による『管理教育プログラム』が施行されるかどうかが懸かっているってのに」

 

ソラシンボリ「ええ? 何も心配することなんてないよね?」

 

 

スカーレットリボン「まあ、そうですね。私たちには“斎藤 展望”がついているのですからね」

 

 

和田T「それを言ったら元も子もないけどな……」ハハッ

 

和田T「まあ、斎藤Tの計画では『アオハル杯』本戦までにESPRITの活動を通じて『管理教育プログラム』を乗っ取って無害化するわけだからな。理事長代理の態度も軟化するはずだ」

 

和田T「そう考えると、ESPRITの活動って本当にトレセン学園にとって重要な働きをするようになってるんだなぁ」

 

マンハッタンカフェ「はい。ESPRITの次なる活動内容としましては散逸した過去の『アオハル杯』の資料集めと展示会の開催となってまして、廃止と復活を繰り返してきた『アオハル杯』の問題点を記録保存して後世に残す活動に入ります」

 

スカーレットリボン「そっか。そうですよね。今回の『アオハル杯』は秋川理事長が開催したわけですけど、元々は学生企画から始まった非公式戦ですから、学園やURAが資料を保管していないわけなんですよね」

 

和田T「そうだった。斎藤Tが先んじて『アオハル杯』復活を知ることができたのは、シンボリ家で保管されていた『アオハル杯』の資料を受け取っていたからだった」

 

 

マンハッタンカフェ「そして、重要なことは廃止と復活を繰り返してきた『アオハル杯』開催による不幸な出来事をゼロにすることです」

 

 

ソラシンボリ「そうだね。『アオハル杯』が未出走バの活躍の場を与えるための舞台であることを周知させて、『トゥインクル・シリーズ』『URAファイナルズ』との棲み分けができるようにして定着させていかないとだから、それをボクが中高一貫校の6年間でやるわけだよね」

 

和田T「あ、そういう考えで……」

 

マンハッタンカフェ「そうでしたか。なら、あなたに今後のトレセン学園の未来を託すしかないですね」

 

和田T「なんだかんだ言って、シンボリルドルフとはちがう在り方だけれども、同じシンボリ家のウマ娘として学園のために何ができるかをしっかりと考えているんだな。えらいぞ」

 

ソラシンボリ「うん、そうだよ。だからさ、ボクは和田Tにその面倒を見てもらいたいんだ」

 

和田T「え?」

 

 

ソラシンボリ「ボクのアオハルチームの担当トレーナーになってよ、和田T」ニッコリ

 

 

スカーレットリボン「お願いします」

 

マンハッタンカフェ「つまり、私とマックイーンさんが卒業した後の1年も担当するわけですね、和田T」

 

和田T「へ」

 

和田T「え、いや、待ってよ。俺、ただでさえトレーナー組合に居場所がないのに、マックイーンが卒業するまでだと決めていたから、マンハッタンカフェと再契約だってできたわけでして……」

 

和田T「第一、マックイーンとカフェが卒業した後、『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘と契約してなくちゃ、俺、普通にクビにされるんですけどぉ……?」

 

ソラシンボリ「――――――昔 お世話になっていた先輩トレーナーのチームに戻ればいいんじゃないの?」

 

和田T「ええええええええええええええええええ!? あいつらとぉおおおおおおお!?」

 

ソラシンボリ「ダメ?」

 

和田T「いや、マックイーンたちが卒業した後で契約してくれる可能性があるとしたら、あいつらぐらいしかいないとは思うけどさぁ……」

 

ソラシンボリ「じゃあ、決まりだね」

 

和田T「いや、『決まり』って――――――」

 

和田T「そもそも、5部門につき3人ずつ、かつ優勝を目指すならチーム総合力を高めるためにも現役ウマ娘を3世代はスカウトしなくちゃだぞ? 当てはあるのかい?」

 

ソラシンボリ「うん。『アオハル杯』予選で勝つかどうかは別として、名前を貸してくれる確約を取り付けた現役ウマ娘がもう何人もいるんだ」

 

和田T「え、誰? いくらシンボリ家のウマ娘だからって、そう簡単にスカウトに頷いてくれるものかな? まだ『アオハル杯』に関する考察や研究も進んでいないだろうに?」

 

ソラシンボリ「うん。むしろ、向こうからボクに声を掛けてくれたよ」

 

マンハッタンカフェ「とりあえず、タキオンさんも名前だけは貸してはいますね。『ホープフルステークス』に出走するので今年の『アオハル杯』予選には出られませんが」

 

スカーレットリボン「では、ソラシンボリ率いるアオハルチーム:チーム<エンデバー>のメンバー候補を読み上げますね」

 

 

――――――2年目:クラシック級からエアシャカールに、ダイワスカーレット、ウオッカ、アストンマーチャンです。

 

 

和田T「はああああああああああああああああああああああああああ!? そいつら、記念すべき今の新時代最初の世代の主役たちじゃないかああああああ!?」

 

マンハッタンカフェ「クラシック路線の最有力ウマ娘筆頭に、ティアラ路線の最有力ウマ娘が揃い踏みですか……」

 

和田T「え、何それ!? どういった経緯でソラシンボリに声を掛けてきたわけなの!?」

 

ソラシンボリ「驚くのはまだ早いよ――――――」ニヤリ

 

スカーレットリボン「ダメですよ、お嬢様。さすがにこれ以上はキャパシティオーバーですから」

 

ソラシンボリ「ええ? 和田Tの最高に驚く顔が見たかったのに?」

 

和田T「え!? これ以上まだ何かあるの? やめてよ、脳が現実を拒絶するよ!?」

 

ソラシンボリ「まあ、簡単に言うと『今現在のクラシックレースに集中したいから、強豪同士で集まったチームを作れば、練習の邪魔になる追っかけ(ワナビー)たちを締め出せる』って理由からだよ」

 

ソラシンボリ「その旗頭に選ばれたのが 黄金期を導いた あのシンボリルドルフを輩出した『名家』シンボリ家のウマ娘であるボクだったわけ。実際、ゴールデンウィークが明けてからもボクのことをシンボリ家のウマ娘としてみんな恭しく遠巻きに接してくるわけだから『隠れ蓑にはちょうどいい』ってね」

 

和田T「なるほどな。たしかに『アオハル杯』優勝のためにはチーム総合力を上げる目的で現役ウマ娘が必要だし、世代の中心ともなれば最強戦力ということで引く手数多で、スカウト済みの現役ウマ娘なのに望んでもないスカウトの嵐に晒されて煩わしいわけだ」

 

マンハッタンカフェ「特に『トゥインクル・シリーズ』の現実をまだ体験していない新入生たちが中心になってアオハルチームを結成していますから、普通では考えられないぐらいに気安くアオハルチームへ勧誘してくるわけですしね」

 

ソラシンボリ「そうそう、現役ウマ娘としては『トゥインクル・シリーズ』で勝つのに忙しいから、せめて名前を貸すぐらいのつもりではいるんだけど、ローテーションの重要性がまだわかっていない新入生たちからは気軽に『アオハル杯』で走ってくれることを一方的に期待されてて」

 

和田T「……それはたしかに迷惑この上ない話だな。やはり『アオハル杯』は未出走バたちのトレーナーへのアピールチャンスを増やすためのものであるべきだな」

 

 

ソラシンボリ「だから、ボクには和田Tの力が必要なんだ! ボクのアオハルチームのトレーナーになってよ!」

 

 

和田T「だから、なんで俺なの……? なんで俺がシンボリ家の令嬢であらせられるソラシンボリ様のアオハルチームの担当トレーナーに選ばれるの?」

 

スカーレットリボン「簡単です。和田Tはかつて先輩チームのサブトレーナーとして何人ものウマ娘を指導して いくつもの重賞を獲得してきている その実績からです」

 

和田T「……いや、あいつらはG1勝利を捨ててG2勝利を目標に駄弁ってばかりの底辺チームですよ? そんなところのサブトレーナーとして積み重ねてきた重賞勝利の成績だなんて、何の価値もないんじゃないんですか?」

 

マンハッタンカフェ「……いえ、和田Tの志が立派なだけで、サブトレーナーとして何人ものウマ娘に重賞勝利を与えられているのなら、それはもう立派な才能だと思います」

 

ソラシンボリ「わかってないな、和田Tは。『アオハル杯』は本気の遊び(非公式戦)だからこそ、あれぐらいの緩さがちょうどいいんだってば。その空気に馴染みがあってそれ相応の重賞レースの優勝経験を何度もしている和田Tぐらいの緩さが『アオハル杯』にはちょうどいいんだって」

 

ソラシンボリ「だって、『トゥインクル・シリーズ』の本気の勝負(公式戦)と同じ本気を最低15人も必要なアオハルチームのウマ娘に出させたら、絶対に誰かしら怪我をしちゃうんだよ!? 自分が見込んだ最高のウマ娘とマン・ツー・マンの細心の注意を払った場合でもそうなんだからさ!?」

 

和田T「!!!!

 

和田T「………………」

 

和田T「…………そうか」ハハッ

 

ソラシンボリ「……和田T」

 

和田T「……ホント、人生ってやつは何が起こるかわからないもんだな」

 

マンハッタンカフェ「じゃあ?」

 

和田T「ああ、カフェも手伝ってくれるよね? たしか、元のトレーナーのチームで後輩の指導をしていたって聞いてたけど……」

 

マンハッタンカフェ「はい。トレーナーのように専門知識があるわけではないですが、後輩の指導の経験は十分にあります」

 

ソラシンボリ「なら、決まりだね」

 

和田T「いや、でも、面倒なんて見切れないよ、最低15人ってさ? そもそも、【ダート】【短距離】の指導なんて完全に専門外だし――――――、距離適性にバ場適性、それから脚質だって見極めないと戦力にならないだろう?」

 

ソラシンボリ「大丈夫だよ。その辺のことも斎藤Tがなんとかしてくれるだろうし。そのためのESPRITだよ」

 

ソラシンボリ「そうそう、ボクが率いるアオハルチーム<エンデバー>の役割は円滑な『アオハル杯』進行のために必要なデータ収集とソリューション提供の活動記録を永遠に残すことだからね」

 

 

――――――だから、ボクのアオハルチームの参加資格は『アオハル杯』終了までトレーナーからのスカウトを受けちゃダメってことにしているから。

 

 

これが“皇帝”シンボリルドルフの卒業と入れ違いにトレセン学園に入学した 新たなるシンボリ家のウマ娘:ソラシンボリが築き上げることになる伝説の始まりとなり、

 

結果として中高一貫校の6年間で黄金期を築き上げた“永遠なる皇帝”シンボリルドルフすらも完全に凌駕する前人未到の偉業を『トゥインクル・シリーズ』で成し遂げる前段階として秘めたる決意を胸に『アオハル杯』に名乗りを上げることになったのである。

 

そして、そのソラシンボリが築き上げることになる数々の伝説を現実のものにする働きを成すのが新クラブ:ESPRITであり、その主宰である 数々の新製品や新発明を次々と世に送り出す トレーナーであることが明らかに役不足である“門外漢”の存在が背後にあったのである。

 

しかし、ソラシンボリがシンボリルドルフが導いた黄金期に続く新時代の象徴の1つとなった一方で、その“門外漢”の功績の多くは世に知れ渡ることは決してなかった。

 

それでも、新時代よりもっと先の先の時代を見据えて、これから更なる過酷な運命に立ち向かっていくことになり、その献身の上に人は何を得たのだろうか――――――。

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

斎藤T「……あれはいったい何の集まりです?」

 

桐生院T「ああ、あれはもしかするとファインモーション姫殿下がトレーニングの見学にいらっしゃったのかもしれませんね」

 

斎藤T「え?」

 

桐生院T「あ、ほら、留学してきたアイルランド王族の方ですよ」

 

斎藤T「――――――『アイルランド王族』? そこからお姫様が留学に来ているんですか?」

 

桐生院T「え、知らなかったんですか、皇宮警察の家系の斎藤Tが? たしかに、入寮手続きはまだ済んでいませんが、トレセン学園にすでに通学していますよ? それもSPを同伴で」

 

斎藤T「………………『アイルランド王族』? そんなのがアイルランドにいるんだったら、世界に冠たる英国王室と肩を並べるものじゃないのか!?」スチャ ――――――PDAで検索。

 

斎藤T「あ、ホントだ! 『アイルランド共和国』じゃなくて、『アイルランド王国』になってる!? 国家元首が大統領じゃなくて国王に!?」

 

斎藤T「あ、そうか。儀礼的職務のみを行う象徴君主制か。スウェーデンと同じだ。だから、実質的に立憲君主制民主主義国家なのは変わらないか」

 

桐生院T「ほら、見てください。噂のファインモーション姫殿下ですよ」

 

 

ファインモーション「――――――」

 

SP隊長「――――――」

 

樫本代理「――――――」

 

黒川秘書「――――――」

 

エアグルーヴ「――――――」

 

 

斎藤T「あれがアイルランド王族の姫殿下……」

 

斎藤T「それに、樫本理事長代理に、代理付きの黒川秘書と生徒会長:エアグルーヴも……」

 

斎藤T「そうか。今日の『ヴィクトリアマイル』の祝勝会を早めに切り上げたのも姫殿下の案内のためか」

 

桐生院T「話によれば、今回の留学は5月1日に改元になったのを記念して次の正式な儀礼――――――」

 

斎藤T「天皇退位特例法で新天皇の国事行為たる即位の礼として指定された5つの儀式のうち、今月の初め:5月1日に行われたのが『剣璽等承継の儀』と『即位後朝見の儀』です」

 

斎藤T「そして、『即位礼正殿の儀』『饗宴の儀』は10月22日より、最後の『祝賀御列の儀』は11月10日です」

 

桐生院T「あ、凄いですね。さすがです」

 

桐生院T「そう、今回のファインモーション姫殿下の留学はその即位の礼に出席するために来日されたものでして、残りの儀式に出席するまでの御予定みたいです」

 

斎藤T「なるほど」

 

桐生院T「本当に大変な時期に大変な方がお見えになりましたね、斎藤T」

 

斎藤T「そうですね。ただ、諸外国の代表を招待することになるのは『即位礼正殿の儀』の時です」

 

斎藤T「となると、姫殿下には日本への留学に並々ならぬ情熱があったと見えますね」

 

桐生院T「あ、それはたぶんピルサドスキー姫殿下の影響だと思います。ファインモーション姫殿下の姉君にあたるピルサドスキー姫殿下の最後のレースがエアグルーヴが3年目:シニア級の時の『ジャパンカップ』でしたから」

 

斎藤T「……なるほど、現生徒会長が戦った相手の妹君が留学してくるとはね」

 

斎藤T「…………ピルサドスキーって明らかにスラブ系の名前なのに、それがアイルランド王族の名前でいいのか?」ボソッ

 

斎藤T「いや、そもそも――――――」

 

斎藤T「あの、桐生院先輩? たしか、近代ウマ娘レースの起源はヨーロッパの王侯貴族の娯楽としてバルコニーから見渡せる庭園で踊り子ウマ娘が走り回ったのが由来ですよね?」

 

斎藤T「なら、王族がウマ娘レースに出るって変じゃないですか? それこそ、ウマ娘レースの真剣勝負ともなると、いくらでも故障の危険がついて回るじゃないですか? それにレースで勝ったら踊るんですか、王族が?」

 

桐生院T「そうなんですよ。この場合はピルサドスキー姫殿下がお転婆過ぎたといいますか……」

 

桐生院T「もっとも、そのお転婆もあそこまでいけば立派なものでして、最終戦の『ジャパンカップ』までにイギリス、アイルランド、ドイツ、フランス、カナダ、日本を転戦して、最終的な戦績が22戦10勝でG1:6勝という歴史に残る名バになっていますので……」

 

斎藤T「なら、その妹君であらせられるファインモーション姫殿下もウマ娘レースに出たくてしかたがないと」

 

桐生院T「たぶん、そうなんだと思います。ただ、王位継承順位においてはファインモーション姫殿下が第1位:王太子ですから、それでピルサドスキー姫殿下は自由に世界中を走り回ることができていたんじゃないかと思います」

 

桐生院T「逆に言えば、ファインモーション姫殿下には絶対にターフの上で走るだなんてことはしてもらいたくないはずですよ……」

 

斎藤T「そうなんですね」

 

桐生院T「ああ、でも、ファインモーション姫殿下の警護を口実に徹底管理主義の導入が推し進められるかもしれませんよ、斎藤T?」

 

斎藤T「たしかに、そうなる可能性は十分にありますね――――――」

 

斎藤T「――――――!?」ドクン!

 

 

ファインモーション「…………ん?」クルッ

 

SP隊長「…………?」

 

樫本代理「どうかなさいましたか?」

 

ファインモーション「え、ううん。気の所為だったみたい」

 

ファインモーション「ねえ、それよりもね、私、いろいろと知りたいなっ! この国やレースの素敵なところ♪」

 

 

斎藤T「……え? ええ? えええ?」

 

桐生院T「どうしました、斎藤T?」

 

斎藤T「あ、いえ、何でも……」

 

桐生院T「さっき姫殿下が振り向いていましたよね? 何だったんでしょうね?」

 

斎藤T「さあ……」

 

桐生院T「ともかく、斎藤T。斎藤Tのおかげで冷静さを取り戻せたように思います。本当にありがとうございます」

 

桐生院T「ミークとの契約はこれからも続けていきますが、次の担当ウマ娘を見定めるためにも『春の選抜レース』が楽しみですね」

 

斎藤T「そうですね」

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「…………嘘だろう、三女神様?」

 

 

――――――ファインモーション姫殿下が()()()()()()()()()()でアイルランド王族の直系ウマ娘が断絶するだと!? そんなことを私に告げていったいどうしろと!?

 

 



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第7話   春の選抜レースを吹き抜けるソラの流れ ✓

-西暦20XY年05月19日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

この日は世間的に言えばティアラ路線の最高峰『日本オークス』の日であり、先月のティアラ路線の第一回戦『桜花賞』はもっともスピードのあるティアラウマ娘が勝つとされ、本競走『日本オークス』ではスピードとスタミナを兼ね備えたティアラウマ娘が勝つレースとされている。

 

一方、クラシック路線のようにティアラ路線の最終戦『秋華賞』にこれと言った格言がないのは、元々が『エリザベス女王杯』がティアラ路線の最終戦だったのがシニア級にも開放されたことによって新たに設けられた歴史の浅さに加えて、その『エリザベス女王杯』の前哨戦になってしまっている格落ち感にもあった。

 

そもそも、近代ウマ娘レースのクラシック競走は発祥地であるイギリス競バの重賞レースに範を取ったものであり、クラシック三冠レース『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』がそれぞれ『2000ギニーステークス』『ダービーステークス』『セントレジャーステークス』に対応するわけである。

 

もちろん、ティアラ三冠レースに関しても『桜花賞』『オークス』はそのままイギリス競バの『1000ギニーステークス』『オークスステークス』に当て嵌まるわけだが、

 

では、ティアラ三冠レースの最終戦となる『秋華賞』あるいは『エリザベス女王杯』がイギリス競バでは何に当たるのかと言うと、答えは『英国ティアラ三冠レースの最終戦は『セントレジャーステークス』なので当て嵌まらない』となるのだ。

 

英国クラシック三冠と英国ティアラ三冠の最終戦は共通で世界最古のクラシック競走『セントレジャーステークス』であり、ここだけは近代ウマ娘レースの発祥地である英国競バに日本競バは倣わなかったというわけである。

 

そのため、ティアラ路線のクラシック級G1レースでは『オークス』制覇こそがティアラウマ娘の最高の誉れであり、“女帝”エアグルーヴのように栄光を掴んだ“オークスウマ娘”は別名“樫の女王”として崇められるのである。

 

しかし、ティアラ路線の最高峰『日本オークス』の地位はその優勝賞金や観客動員数にも現れているように、クラシック路線の最高峰『日本ダービー』の人気に並ぶことはなく、誰もがダービーウマ娘やダービートレーナーを目指してトレセン学園の門を叩くのだ。オークスウマ娘やオークストレーナーになりたいと思ってトレセン学園にやってくる者は極めて稀である。

 

そして、5月:春季のウマ娘レースの最高潮においては『オークス』は更なる踏み台となる扱いを夢の舞台:トレセン学園で受けることになっているのだ。

 

 

――――――なぜならトレセン学園における『春の選抜レース』はズバリ『日本オークス』と『日本ダービー』の日に執り行われるからである。

 

 

基本的に国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』の登録競走ウマ娘になるためには『トゥインクル・シリーズ』を開催するURAの公認トレーナーからのスカウトを受ける必要があり、

 

年に4回あるトレセン学園における『選抜レース』は自身の競走ウマ娘としての才能を担当ウマ娘を求めて観戦しにくるトレーナーに最大限にアピールするまたとない機会であるため、トレセン学園の生徒全員にとっての共通の目標であった。

 

しかし、黄金期に総生徒数2000名弱を記録し 今なお総生徒数が増え続けているのに対し、ウマ娘の出走権を握るトレーナーの数があまりにも少なすぎるため、夢の舞台に憧れてやってきた数多くの才能あるウマ娘たちをデビューを飾ることのないままになっていることがトレセン学園の昔からの批判になっているように、

 

年々ますますトレーナーからのスカウトを受けられる生徒の割合が目減りしていく状況であっても、それを知ってか知らずか、最初から自分が優駿たちの頂点に立つことを信じずにトレセン学園に来る者など誰一人としていないのだから、この日を待ちわびていたウマ娘が颯爽とエントリーを済ませてゲートに乗り込んでいくのであった。

 

そして、果たして自分こそがウマ娘の頂点である未来のG1ウマ娘であるかどうかが お湯を注いでカップラーメンが出来上がるまでのたった3分以内の競走結果で 次々と決まっていき、出来上がったカップラーメンの麺を啜り、スープを飲み干し、美味しく召し上がった後も勝者と敗者の格付けが続々と決まっていくのである。

 

ここでおもしろいのは、あくまでも『選抜レース』はスカウトの優先権が与えられるものではなく、自身の将来性をアピールするものでしかないため、別に『選抜レース』で勝てばスカウトが勝ち取れるというものでもない点である。

 

そのため、『選抜レース』で勝ったにも関わらず『負けたあいつはトレーナーからのスカウトを受けて自分は誰からも声を掛けられない』という“試合に勝って勝負に負ける”という光景も稀に発生しており、

 

スカウトを受けることができなければ『トゥインクル・シリーズ』に参加することができず、競走ウマ娘としての後世の評価や良し悪しの戦績も公式記録につくことすらなく、そのまま名もなき群衆の一人に追いやれるのだから、ただ勝てばいいというものではなかった。憧れの夢の舞台に立つに相応しい振る舞いもまた暗に求められていた。

 

極論、スカウトを元から受けて担当契約を結べば『選抜レース』に出る必要もないわけであり、そういった『選抜レース』に最初から出る必要すらない新入生は“エリートの中のエリート”として高みの見物を決める『春の選抜レース』の段階では一際注目を集める存在となっていた。

 

しかし、そこは走ることが何よりも大好きで勝負事にとにかく熱くなるウマ娘であり、『選抜レース』で華麗なる勝利を飾ってスカウトを受けることこそが揺るぎなき実力の証明であるため、臥薪嘗胆の決意で今年こそはスカウトを勝ち取ろうと意気込む先輩方の猛追を躱して鮮やかにゴール板を駆け抜けた“真のエリート”である圧倒的才能を誇る新入生の勝利にこそ喝采の声は上がる。

 

 

さて、ここで少し考えて欲しいが、あなたは『春の選抜レース』に参加するウマ娘でも『春の選抜レース』に参加するウマ娘を見定めるべく観戦しにきたトレーナーでもいい――――――。

 

『日本オークス』と『日本ダービー』の日に『春の選抜レース』が開催されると聞いて、あなたはどちらの日に『春の選抜レース』に向かう予定を立てるだろうか。それが残酷なまでの『日本オークス』ひいてはティアラ路線の現実である。

 

事実、トレセン学園に入学してきた目的を果たすための大事な一戦の日――――――、ターフの上で走るウマ娘自身もまた熱烈なウマ娘レースのファンであるなら、クラシック路線の最高峰である『日本ダービー』を現地観戦してきて あの感動と興奮をターフにもっとも近い観客席から味わい尽くしたいと思うものだ。

 

そのため、『日本ダービー』を来週に控える『日本オークス』当日の『春の選抜レース』1日目の方が圧倒的に出走ウマ娘も観戦者も多く、それは年度最初の『選抜レース』ということで入学してきたばかりでまだウマ娘レースの過酷さを知らない夢見心地の新入生たちやその関係者たちの存在も大きい。

 

かくして、トレセン学園で年4回は開催されている『選抜レース』であるが、未来のスターウマ娘の誕生を見届けようとわざわざ見に来る一般来場者数や場の盛り上がりようは常にこの『日本オークス』の日が最高であり、『日本ダービー』の日の『選抜レース』2日目は 東京競バ場に生気が吸い取られたかのように とても静かなものに感じられてしまうことだろう。

 

もちろん、『日本オークス』も『日本ダービー』と同じ東京競バ場での開催なのだから、2週連続で東京競バ場に通い詰めている熱心なウマ娘レースのファンならば、『日本オークス』と『日本ダービー』の間にある天と地ほどの差というものを声に出さなくても理解していることであろう。

 

それでも、“皇帝”の後を継ぎし“帝王”の次に来る そのウマ娘は全てを目に焼き付けようと『春の選抜レース』での圧倒的勝利も何処吹く風でエクリプス・フロントに駆け込んだのであった。

 

 


 

 

――――――エクリプス・フロント/会議室

 

マンハッタンカフェ「おつかれさまでした、ソラシンボリさん」

 

和田T「余裕の勝利だったな。中距離で8バ身差の勝利だなんて」

 

ソラシンボリ「別に。トレーナーからの適切な指導を受けていないウマ娘が束になったところで最初から実家で正規のトレーニングを積んでいるボクが負けるわけないじゃん」

 

ソラシンボリ「ほら、見てよ。樫本代理の指導を受けたチーム<ファースト>のビターグラッセも5バ身差で勝ってるよ。やっぱり、ボクの見立てた通りの強さだ」

 

ソラシンボリ「あ、ダメだったか、あの子は。素質はあっても自己トレーニングじゃ間に合わなかったか。誰かしらのアドバイスがあれば余裕でボク以外には勝っていただろうに……」

 

スカーレットリボン「ソラ……」

 

ソラシンボリ「実際に『選抜レース』に出てみてわかったよ」

 

ソラシンボリ「みんな、磨けば光るダイヤモンドの原石のはずなんだ。全国津々浦々からそういうものが集まってきているんだから」

 

ソラシンボリ「そう、みんな同じはずなんだ。それなのに、『選抜レース』で勝ち上がれるウマ娘に共通するのはコネの力なんだって――――――」

 

ソラシンボリ「ボクの力は最初からシンボリ家の屋敷に集まる優秀な引退トレーナーたちの指導のおかげであって、シンボリ家のウマ娘である恩恵を抜きにして独学と才能だけで走っていたらボクは“ソラシンボリ”じゃなかっただろうね……」

 

ソラシンボリ「うん、つまらない。全然 興奮しないし、胸の高鳴りも感じない。ボクは生まれながらにして他人より優れているから選ばれることには慣れているけど、ボクと同じように誰かを選ばれる人間にすることができないから……」

 

マンハッタンカフェ「ソラシンボリさん……」

 

 

ソラシンボリ「だから、ボクはタキオン大先輩のように中等部の3年間を『アオハル杯』に捧げて、チームトレーニングで生まれてくるウマ娘の可能性に賭けてみたくなったんだ」

 

 

和田T「そっか。自分と戦う好敵手を育て上げたいがために『アオハル杯』の3年間をやりたいように生きるわけか」

 

マンハッタンカフェ「大胆不敵ですね」

 

スカーレットリボン「そう言ってスカウトしに来た皆様のご厚意を足蹴にするような振る舞いをするのはよくないですよ、ソラ?」

 

ソラシンボリ「だって、()()()()()()()()なんでしょう? ボクは『アオハル杯』を全力で楽しむつもりだから、各部門のエキスパートを集めるために今日の『選抜レース』の全てを見届けるんだから、邪魔しないで欲しいよね?」

 

スカーレットリボン「だからと言って、【短距離】【中距離】【マイル】【長距離】【ダート】の全部門に加えて『オークス』の中継まで引っ張ってきて同時視聴だなんて……」

 

和田T「まあ、ここじゃないと6分割の大画面で同時視聴だなんてできないから、エクリプス・フロントの会議室を一日中借りるってのは正解だろうけど、6画面同時に見続けて頭が痛くならないか?」

 

ソラシンボリ「――――――6画面同時に見ているだけじゃなく聞いてもいるよ?」

 

和田T「え!? いや、ヘッドホンなんてつけてないし、音声は1画面分しか流れていない――――――」

 

ソラシンボリ「ほらほら、骨伝導だよ、骨伝導。これで6画面同時に音声も聞きながら、裸耳で外部音取り込みができているってわけ」

 

マンハッタンカフェ「そ、それは凄いですね。6画面同時に視聴しながら私たちの方を向きながら会話もしているとなると」

 

スカーレットリボン「本当に斎藤Tはとんでもない人ですよ。ソラのとんでもない要求もいとも容易くソリューションにして解決してしまうのですから」

 

 

この日、『春の選抜レース』1日目で最初に圧倒的な存在感を示したのはあのシンボリルドルフと同じ『名家』シンボリ家の令嬢であるソラシンボリであった。

 

『選抜レース』は通常の競バ番組と同じく1日に12レース開催され、フルゲート:18人になるようにできる限り詰め込まれるため、1部門に参加できる最大人数は216人となり、この時点で総生徒数2200名弱の1割に達する。

 

それが5部門同時に開催されるため、『選抜レース』に参加する1日の最大人数は1080人なり、全校生徒の半分に達し、それが2日開催されるということで倍の2160人の参加が可能となっていた。

 

そう、理論上は総生徒数2000名以上にもなったマンモス校の生徒全員が『選抜レース』に参加できるようにはなっているのだ。

 

もっとも、その2000名以上の生徒たちの全員が『選抜レース』参加を必要としているわけではなく、その中にすでにスカウトを受けて『トゥインクル・シリーズ』で活躍しているスターウマ娘やそもそも選手ではないアシスタントコースの生徒たちも含まれていた。

 

そのため、ウマ娘レースの王道であるクラシック路線やティアラ路線に憧れて、あるいは自身の距離適性が【マイル】か【中距離】かで悩んで参加状況を見て少しでも自信がある方を選ぶことで【マイル】と【中距離】に参加者が集中しているため、

 

実際には【ダート】【短距離】【長距離】は1部門の最大人数:216人に達することなく定員割れを起こしているのは当たり前の光景となっていた。

 

そんな中、ソラシンボリは王道である【中距離】部門の 12レース中 最初の1レース目で8バ身差の大勝をし、すぐにシンボリ家のウマ娘である彼女をスカウトしようとするトレーナーたちに取り囲まれることになった。

 

しかし、『トゥインクル・シリーズ』への出走権を握るトレーナーの側が絶対有利な買い手市場であっても、名目上は担当トレーナーと担当ウマ娘の力関係は同等であることから、スカウトを受けたウマ娘の側も交換条件を言う権利はあった。

 

そこでソラシンボリは最初に一言だけ宣うと、たちまちのうちに場は静まり返ることになった。

 

 

ソラシンボリ『ねえ、これから東京競バ場と合わせて全ての『選抜レース』を見るからさ、不勉強な輩は研究の邪魔だから帰ってくれないかな?』

 

 

それはあまりにも辛辣で傲慢無礼な一言であったが、少しでも冷静に状況を見渡せる大人であったのなら『選抜レース』最初のソラシンボリのレースだけで他のウマ娘の可能性を見落とすことがいかに『選抜レース』に臨むウマ娘たちに対して失礼なことであるかに気づけたはずだ。

 

その一言だけ告げると、ソラシンボリは自分をスカウトするために集まったトレーナーたちを尻目に人々の間を縫うようにトレセン学園を抜け出して、歩いて数分の距離にあるエクリプス・フロントに駆け込んだのである。

 

そして、事前に予約していた会議室の大画面モニターを6分割して こうして東京競バ場とトレセン学園で開催される全てのレースに目を通しているわけであり、シンボリ家の侍女:スカーレットリボンは画面に釘付けになっている主人のために身の回りの世話をするのだった。今日もひとっ走りした後にスカーレットリボンが淹れてくれたホットスポドリの一杯が美味い。

 

また、ソラシンボリのアオハルチーム<エンデバー>の担当トレーナーになった和田Tとマンハッタンカフェも足を運び、今年の『オークス』と『春の選抜レース』の様子を同時に見守ることになった。

 

今まさにエクリプス・フロントの一室に玉座の間が設けられ、その玉座に深々と座する者こそ、『春の選抜レース』第1レースでその存在を内外に知らしめたソラシンボリであった。

 

 

ソラシンボリ「ねえ、腐っても『報知杯フィリーズレビュー(桜花賞トライアル)』勝利の重賞ウマ娘なら、『トゥインクル・シリーズ』で勝ちそうなウマ娘と『アオハル杯』で強そうなウマ娘ぐらい見分けられるよね、スカーレットリボン先輩?」

 

スカーレットリボン「え!? そ、ソラ……!?」

 

ソラシンボリ「まじめに見てよ。シンボリ家のウマ娘であるボクがやることにシンボリ家に仕える侍女が突っ立ったままでいないでよ」

 

スカーレットリボン「あ、ああ……、申し訳ありません、お嬢様!」

 

マンハッタンカフェ「………………」

 

ソラシンボリ「で、アオハルチーム<エンデバー>を率いる和田Tとしてはどう? 誰か面白そうなの、いた?」

 

和田T「あ、いや……、今日の『春の選抜レース』1日目の出走表を見て 言われた通りに予想してみたけど、ソラシンボリが予想したところしか中ってなくてさ……」ハハハ・・・

 

ソラシンボリ「……ええ? それで本当に数々の重賞勝利を数多のウマ娘と勝ち取ってきた敏腕トレーナーなの?」

 

和田T「正直に言って実感はありません。俺の戦績は後にも先にも“名優”メジロマックイーンによってもたらされたG1勝利しかないので」ハハハ・・・

 

マンハッタンカフェ「おそらく、初見で実力を見抜く洞察力よりも正しい情報と正しい分析に裏付けされた判断力に秀でているのが和田Tなのではないかと思いますよ、ソラシンボリさん」

 

マンハッタンカフェ「こうしてメジロマックイーンさんの後に担当ウマ娘になってわかったのが、和田Tは気配り上手なところでよく見てくれています。それでいて負けられない勝負で負けない運の強さもあるんです」

 

ソラシンボリ「あ、そうなんだ。それって『勝負師の勘に優れている』ってこと。侮れないもんだね――――――」

 

ソラシンボリ「!!!?」ガタッ

 

スカーレットリボン「どうしたのですか、お嬢様?」

 

 

ソラシンボリ「うわっ!? ボクが先にやろうと思ってたのに先を越された!? ボク以外にもバカっているもんだ!?」

 

 

和田T「え? どこ? 誰? どのレース? 何が起こった!?」

 

マンハッタンカフェ「ハッ」

 

マンハッタンカフェ「もしかして【ダート】部門――――――?」

 

スカーレットリボン「あ、あれはたしか、先月のアグネスタキオン姉妹の誕生日の時の――――――

 

 

――――――おおっと! アグネスデジタル! ()()()()()()()()()()()ーっ! こんなことがあり得るのかーっ! 

 

 

和田T「うおわあああああああ!? よく見たら【マイル】【ダート】の両方にアグネスデジタルの名前が載ってたあああああ!?」

 

ソラシンボリ「やるねぇ! さすがは“天上人”が選んだだけのことはある!」

 

和田T「なにぃ!? まさか、()()()()()()()、だとぉ!? 両刀のウマ娘は過去にいなかったわけじゃないが、オグリキャップ然り、いずれも地方のダートに慣れ親しんだ地方上がりの編入生のやることだぞ!?」

 

マンハッタンカフェ「デジタルさんが芝とダートの両方のトレーニングコースで練習していることは知っていましたが、これほどとは……」

 

ソラシンボリ「嬉しいなぁ。初めてお会いした時からそんな気はしていましたよ、デジタル大先生」

 

ソラシンボリ「惜しむらくは、新入生のボクは『アオハル杯』の3年間を思う存分に楽しんでから『トゥインクル・シリーズ』の3年間も味わい尽くすつもりですけど、中3のデジタル大先生に残された時間はそうありませんからねぇ……」

 

スカーレットリボン「お嬢様、楽しそうですね」

 

ソラシンボリ「うん。楽しみだよ。正直に言って“天上人”に導かれた“勇者”が“悪”を討つ御伽噺ってみんなが好きそうだよね」

 

和田T「まあ、あの方がやることですから……。縁あって大分仲良くなれましたけど、基本的に『楽しいかどうか』『盛り上がるかどうか』だけでトレーナーをやっている“天上人”の気まぐれにはとてもとても……」

 

 

――――――なんだって、鐘撞T率いる勇者軍団の名前がチーム<コロンビア>なんだか。

 

 

 

――――――トレセン学園/ダートコース

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

アグネスタキオン「おお! やるじゃないか、デジタルくん! まさか、私にとってもっとも身近な存在の一人であるきみがこれほどの逸材だったとはねぇ! 実に興味深い!」クククッ

 

斎藤T「おめでとうございます、ピースベルT。あなたが選んだウマ娘はまさしく『アオハル杯』の3年間で愛と勇気の物語を演じてくれることでしょう」パチパチ・・・

 

斎藤T「本当は来週の『春の選抜レース』2日目にソラシンボリが【ダート】にも出走して話題を独占するはずが先を越されてしまいましたね」

 

ピースベルT「ありがとう♪」ウフッ

 

ピースベルT「でも、チーム<コロンビア>としてはまだ何も始まっていないよ♪ だから、あなたのところのチーム<エンデバー>に負けないぐらいの最高の仲間たちを集めておかないと♪」フフッ

 

斎藤T「別に、アオハルチーム<エンデバー>は私のチームではないんですけどね。担当ウマ娘の名前は貸していますが」

 

ピースベルT「同じことよ~ん♪ ソラシンボリの後見人であるあなたが背後にいるのなら、ね♪」アハッ

 

ピースベルT「それじゃ、私の可愛い可愛いウマ娘ちゃんのことを迎えに行ってあげなくちゃ♪」ウキウキ

 

ピースベルT「デジた~~~~~ん! 待っててね~~~! 今 行くわよ~~~~!」ルンルン!

 

 

一方、ソラシンボリが自分の出番が終わったらさっさとエクリプス・フロントに引っ込んだのに対し、私はアグネスデジタルを筆頭にしたアオハルチーム<コロンビア>の担当トレーナーとなった“天上人”鐘撞Tと一緒に『春の選抜レース』を観戦していた。

 

学生寮においてアグネスタキオンと同部屋のアグネスデジタルの潜在能力の高さは恐るべきものがあり、さすがは独自路線で名を轟かせてきた『名家』アグネス家に名を連ねるウマ娘の一人であったと誰もが思い出すことになった。

 

そんなアグネスデジタルを筆頭にするアオハルチーム<コロンビア>*1は担当トレーナーである“天上人”鐘撞Tの浮世離れした価値観も相まって“ウマ娘を愛するウマ娘のウマ娘ためのウマ娘によるチーム”となっており、自らを脇役と認める負け組ウマ娘によって固められることになった。

 

しかし、後世におけるアグネスデジタルの評価がそうであるように、アオハルチーム<コロンビア>に集まったウマ娘たちもまた主役を食う勢いの名脇役のイロモノ揃いとなり、別な意味で多くのウマ娘たちに希望を与えることになったのはまだ誰も知らない。私だけが知っている。

 

一方、なぜ“天上人”鐘撞Tが自身が率いるアオハルチームを<コロンビア>と名付けたかであるが、それはソラシンボリ率いるアオハルチーム<エンデバー>に倣ったものであった。

 

 

――――――<エンデバー(Endeavour)>とはアーサー・C・クラークのSF小説『宇宙のランデヴー』の主役宇宙船の名称であったのに因んだものである。

 

 

更に遡ると、キャプテン・クックの南太平洋探検の第1回航海の帆船の名称でもあり、そこから毛利 衛、若田 光一、土井 隆雄といった日本人宇宙飛行士の搭乗率が高かったスペースシャトル・オービターの名称にもなっている。

 

つまり、公式戦『トゥインクル・シリーズ』で組むことになるトレーナーチームが基本的には星座を構成する恒星の名を冠し、そのほとんどが一等星になるわけなのだが、

 

非公式戦『アオハル杯』で組むことになるアオハルチームには差別化のためにトレーナーチームと同じ恒星に由来する名付けは許可されなかったため、それならば星の世界への架け橋となる宇宙船で何かおもしろいものはないかと、常日頃から『宇宙船を創って星の海を渡る』ことを明言していた私にソラシンボリが訊ねてきたのがきっかけであった。

 

そこで真っ先に思いついたのがアーサー・C・クラークのSF小説『宇宙のランデヴー』の主役宇宙船だったわけであり、その意味が“決然とした努力”と訳されることやその名を冠する歴史性を踏まえて、ソラシンボリが歩む前人未到の学園生活に相応しいとなったわけである。

 

そのことはソラシンボリ自身がアオハルチーム結成報告でチーム名の由来を公にしていたため、そこからアオハルチームはトレーナーチームの由来となる恒星を目指す意味合いで宇宙開発関係から名付けることが一部で受け容れられ、“天上人”鐘撞Tのアオハルチーム<コロンビア>もまた宇宙開発関係から由来していた。

 

実は<コロンビア>の直接的な由来はキャプテン・クックの帆船に由来するスペースシャトル・オービター:エンデバーと同じく、アメリカで初めて地球一周を果たしたロバート・グレイの帆船に由来する 宇宙に到達した最初のスペースシャトル・オービター:コロンビアであり、実質的に姉妹関係であることを暗に仄めかしたものとなっていた。

 

そして、ここで言う“コロンビア”とは南アメリカに存在するコロンビア共和国(República de Colombia)のことではなく、アメリゴ・ヴェスプッチに由来してアメリカという地名となったように、クリストファー・コロンブスによって“発見”された新大陸:コロンビアであり、アメリカ合衆国またはアメリカ州の古名にして雅称というわけである。

 

ただ、もちろん、ナチス残党の闇組織によってウマ娘へ性転換改造手術を受けた鐘撞TことピースベルTのことだから、ナチス残党の多くが渡った新天地:南米への因縁も込めてコロンビア共和国(República de Colombia)の意味も重ねているだろうし、ナチスという巨悪を討ち取る正義のアメリカのイメージも多分に含まれているはずだ。

 

今のところ、アグネスデジタルはまだ正式な契約は結んではいないが、アオハルチーム<コロンビア>を結成している時点で、鐘撞TことピースベルTの担当ウマ娘になることは確定であろう。

 

実際、アグネスデジタルにとってピースベルTはウマ娘が好きすぎて自分自身がウマ娘になった“自分以上にウマ娘ちゃんを愛する者”という大いなる勘違いから始まった師弟関係を結んでいるのだから。

 

それが改造人間:ピースベルTにとっては涙をこぼすくらいに嬉しいものがあり、かつて鐘撞Tとして最初の3年間を共に歩んだ最愛の人には絶対に敵わないが、アグネスデジタルの内面の素晴らしさを誰よりも知る者となっている。

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

アグネスタキオン「ふぅン、だいたいこんな感じか……」スタスタ・・・

 

斎藤T「今のところ、強敵になりそうなウマ娘は見つかったか?」スタスタ・・・

 

アグネスタキオン「どうだろうねぇ? 今のトレセン学園は『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』の間で揺れていて、黄金期の在り方を守ろうとする真面目な子たちが『アオハル杯』に全力を尽くそうと頑張っているのを、トレーナーたちがスカウトをチラつかせてチームの仲を引き裂こうとしているわけだろう?」

 

斎藤T「ああ。元からスカウト市場は買い手であるトレーナーの側が強かったわけだが、実質的に誰もが人気投票という体裁で最後を飾れる卒業レース『URAファイナルズ』の開催によって、売り手であるウマ娘の側に落ち着きが見られるようになり、スカウト市場は消極化しているわけだから」

 

斎藤T「そこから更に樫本代理が徹底管理主義の下に打ち立てる『管理教育プログラム』施行を賭けた『アオハル杯』がウマ娘とトレーナーの足並みを更に乱すことに繋がった」

 

アグネスタキオン「たとえ、重賞レースで勝つことが一度もできないまま みっともなくとも最初の3年間を頑張って走り抜いた先にあるのが、『管理教育プログラム』によって失われていくトレセン学園の自由で開放的な校風だと言うのなら、引退後の学園生活に魅力を感じなくなるわけだしね」

 

アグネスタキオン「つまり、ソラシンボリが考えたように 中高一貫校の6年間の半分を『アオハル杯』に充てて 残り半分を『トゥインクル・シリーズ』に充てようと考える新入生が現れるようになった――――――」

 

 

シンボリグレイス「そうです。入学してすぐに『選抜レース』で活躍をしてスカウトを勝ち取る“エリートウマ娘”の王道を目指す新入生が『URAファイナルズ』開催によって数を減らしたわけです」

 

 

アグネスタキオン「おやおや、これはこれは“一等星”シリウスシンボリと共に暗黒期を打破した“優等生”シンボリグレイス大先輩――――――」

 

斎藤T「それが選択の自由がもたらした新しい価値観の創成ですよ。それが認められないのであれば、多様性を謳うことは辞めるべきですよね」

 

シンボリグレイス「……こうしてトレセン学園の新しい世代の始まりを告げる『春の選抜レース』の会場にいざ足を運んでみると、今の現状を由々しく思ってしまう自分がいかに旧い人間なのかを思い知らされます」

 

シンボリグレイス「しかし、暗黒期の『アオハル杯』はまさにウマ娘の自由という理念に基づいたものであり、暗黒期のウマ娘レースの在り方に反発した多くの生徒たちの情熱によって過去最高の盛り上がりを見せていたものです」

 

アグネスタキオン「抑圧されるからこそ燃え上がるものがあるわけだねぇ。言いつけを破って禁断の果実を口にしたことでエデンの園から追放されたように、人間とはつくづくルールに従えない生き物さ」

 

シンボリグレイス「その時代の中で樫本Tは『アオハル杯』に参加していた数少ないG1トレーナーだったのです」

 

アグネスタキオン「……変な話だね? 暗黒期と呼ばれる時代は“トレーナーのトレーナーによるトレーナーのためのウマ娘レース”ということでトレーナー組合で八百長試合が組まれていたんだろう?」

 

アグネスタキオン「樫本代理が掲げる徹底管理主義に通じるものがあるからこそ、こうして樫本代理の『管理教育プログラム』施行に反対して、トレセン学園の多くの人間を敵に回すことになったんじゃないのかい?」

 

シンボリグレイス「たしかに八百長試合が組まれていて、トレーナー組合での秘密の指令に従っていれば、いずれは担当ウマ娘の重賞勝利、果てはG1勝利までを可能にするローテーションやトレーニングが下されるようになります」

 

シンボリグレイス「しかし、最近の追跡調査によると、そうした在り方に反発して当時の樫本Tのように抜きん出た才能を持つ若者に価値を譲ろうとするベテラントレーナーがいたおかげで、結果が全てのウマ娘レースの世界で樫本Tのような若輩者がG1勝利を掴んで暗黒期に黄金期の光が差し込むようになってきたことがわかってきています」

 

アグネスタキオン「……ふぅン、なるほどね」

 

 

シンボリグレイス「そして、樫本Tのやり方は今も昔も変わらない徹底管理主義で、今と少しだけちがうのは公私の使い分けだけですね」

 

 

アグネスタキオン「――――――『公私の使い分け』?」

 

斎藤T「要するに、昔の樫本 理子は有能トレーナーの極みとも言える徹底管理主義を突き詰めながらも、ウマ娘の私事には完全に公としての自分の意志を介入させずに、プライベートではただ私人としてウマ娘たちと接していたわけですね」

 

斎藤T「だから、担当ウマ娘が非公式戦である『アオハル杯』へ参加することにもなっても、それは公式戦の『トゥインクル・シリーズ』とはまったく無関係の私事だったからこそ、普段は徹底管理主義の下に厳しくやらせているだけに非公式戦はウマ娘の意志を最大限に尊重する在り方だった――――――」

 

アグネスタキオン「なるほどね。だとすると、そういったプライベートな面への干渉となる徹底管理主義も全て公式戦である『トゥインクル・シリーズ』で勝つために今は許容されるべきものだと考えるようになったわけなんだ」

 

シンボリグレイス「そうです。『アオハル杯』における最大の報酬とも言えるトレーニングレベルの維持のためにG1クラスの担当ウマ娘がOPクラスのウマ娘ばかりの勝てないチームのための犠牲になった衝撃と悔しさは当人でなければ理解できるものではありません」

 

斎藤T「そして、その愛情の深さ故に樫本 理子もまた秋川理事長とシンボリルドルフの黄金期の精神に触発されて、全てのウマ娘が幸せとなれる世界の実現のために、徹底管理主義による『管理教育プログラム』の導入を求めている」

 

アグネスタキオン「……呆れたものだね。つまりは、全員が黄金期の精神とやらのためにこうして啀み合っているわけかい」

 

シンボリグレイス「はい。私が暗黒期脱却のために方針の違いからシリウスシンボリと対立するようになったのと同じです。願いは同じであるはずなのに、どうして私たちは手を取り合えなかったのでしょうか……」

 

斎藤T「そんなことはわかりきっていることです」

 

 

――――――それがウマ娘の皇祖皇霊たる三女神が望んだことだからです。

 

 

新時代最初の『選抜レース』の場には数多くの一般来場者たちが所狭しと集まっており、それは夢いっぱいに『選抜レース』で華麗なる勝利を掴む新入生たちの応援に来た現実を知らない家族友人親戚縁者が大半だった。

 

そんな中にかつて暗黒期にシリウスシンボリと共にシンボリ家のウマ娘として誉れ高いシンボリグレイス*2の姿があり、暗黒期からその先の黄金期の次に来る新時代に思いを馳せていた。

 

“皇帝”シンボリルドルフが君臨した6年間の黄金期の間にトレセン学園には新しい価値観や様式が生まれ、そこから更に新しいものが生まれようとしているのに、暗黒期を生きた者にとってはなかなか容認できないものも生まれつつあった。

 

そのことに異を唱えることは自分がもはや旧い人間であることを認めるように思えて、新時代を求めて暗黒期をシリウスシンボリと共に切り拓いたシンボリグレイスとしては複雑な胸中であった。

 

事実、シンボリグレイスにとっては理事長代理の地位にまで昇り詰めた樫本Tはまったく知らない他人ではなく、暗黒期に開催された最後の『アオハル杯』にも積極的で非常に好感の持てる数少ないG1トレーナーの一人だっただけに、秋川理事長に代理を任されるほどのその人間性が誤解されている状況に心を傷めずにはいられなかった。

 

しかし、私からすれば それこそが黄金期の精神を受け継ぐ者たちが求めた結果に過ぎず、黄金期の精神とやらは早くもジメジメとしてカビが生えて特有の臭いを放っているように感じられていた。

 

それはそうだろう。黄金期の精神というものが暗黒期の有り様を反面教師にして醸成されてきたものなのだから、少なからず毒親である暗黒期の在り方が最初にあって、どこまでいっても暗黒期との親子の縁を切れない“ポスト暗黒期”というのが黄金期の精神の本質なのだ。

 

そこから黄金期しか知らない新時代の人間たちがトレセン学園の中心になることで暗黒期の忌々しい記憶を綺麗さっぱり忘れ去って初めて“ポスト暗黒期”は完成されるわけであり、いつまでも暗黒期のことを忘れられない黄金期の精神の持ち主たちがいることが新時代の到来を阻む旧弊となりつつあるのであった。

 

そのため、シンボリグレイスはシリウスシンボリと一緒に私の許に連れてきたソラシンボリが早速『春の選抜レース』で勝ったのはいいが、スカウトしに集まったトレーナーたちを無視して東京競バ場とトレセン学園で行われる全てのレースを同時視聴していることをシンボリ家の侍女:スカーレットリボンからの報告を聞いて暗澹たる思いでいたわけなのだ。

 

 

そう、ここに来てトレセン学園のこれまでの在り方を賭けた『アオハル杯』が開催されたことにより、致命的にウマ娘とトレーナーの目線の違いが浮き彫りになり、トレーナーの立場はますます追い込まれることになってしまったのだ。

 

 

公式戦『トゥインクル・シリーズ』で担当ウマ娘を活躍させることでしか評価を得られないトレーナーとしては、非公式戦『アオハル杯』に才能あるウマ娘が乗り気になっていることは不都合なことでしかない。

 

雇用主であるURAから非公式戦『アオハル杯』での頑張りは評価されない一方で、配属先のトレセン学園からは評価の対象になるとは言うものの、それをすぐに受け容れられるほど人間とは賢い存在でもない。

 

そのため、せっかく『選抜レース』で素晴らしい走りを見せた新入生も『アオハル杯』を理由にスカウトしに来たトレーナーと契約交渉が難航することになり、今年の新入生に対するスカウトの成功率が明らかに落ち込むことになった。

 

皮肉にもその原因を作ったのが、一番は『トゥインクル・シリーズ』と並行開催されていた『アオハル杯』復活を宣言した秋川理事長、二番は本気の遊び(非公式戦)である『アオハル杯』に学園の命運を賭けさせた樫本代理、三番が逸早く『アオハル杯』復活を知って中高一貫校の6年間の過ごし方に革命を起こしたシンボリ家のウマ娘:ソラシンボリであった。いずれも誰よりも黄金期の精神を受け継ぐ者であったはずなのだ。

 

しかし、“皇帝”シンボリルドルフに“天上人”鐘撞Tと共に黄金期の三巨頭として今なお影響力を発揮し続ける秋川理事長にとっては『URAファイナルズ』新設が最終目標などではなく『アオハル杯』復活までが目標であるため、秋川理事長にとって黄金期とは シンボリルドルフがいた6年間のことなどではなく まだまだ途上であることを誰もが誤解していたのである。

 

だからこそ、その野心に気づいていながら秋川理事長は樫本代理にこそ『アオハル杯』復活を託し、彼女なりの黄金期の精神を実現する機会を与え、その勢いに乗じてウマ娘レースの新時代を築き上げようとしていたのだ。

 

そして、その思惑を知ってか知らずか、『春の選抜レース』開幕の第1レースで8バ身差で大勝して諸人を魅了したソラシンボリもまた 普段の学園生活でも圧倒的な存在感を放っており、すうーっと入り込んでくる透明感のある距離の取り方によってシンボリルドルフとはまったくちがう魅力で多くのウマ娘たちから慕われるようになっていた。

 

事実、『アオハル杯』に対する考え方についてもクラスの人気者としてクラスメイトに訊かれるわけだから、結果として多くの新入生たちがソラシンボリの考えに追従したことで、大半のトレーナーの予想を裏切って『トゥインクル・シリーズ』の出走チケットになるトレーナーからのスカウトよりも『アオハル杯』での友情を求めるように価値観が変わってきたのである。

 

もちろん、子供の頃からの憧れである夢の舞台『トゥインクル・シリーズ』での活躍を求めて素直にトレーナーからのスカウトに応じる新入生も大勢いるわけだが、全体として新入生にとってトレーナーからのスカウトの価値が明らかに落ちていることを誰もが肌で感じることになった。

 

何より、非公式戦『アオハル杯』への参加の自由を奪う権利はトレーナーの側にはなく、『アオハル杯』参加を取りやめるように迫ってくる強引なトレーナーがいようものなら、新入生たちはその時点で『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』を両立させるだけの手腕も気概もない腰抜けトレーナーだと見限るのだから、やりづらいこと この上ない。

 

そうなるのも、トレセン学園の今までを打ち壊そうとする悪の樫本代理が誰よりも率先して『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』を両立させて、自身の掲げる徹底管理主義の有用性を示そうと 人一倍 頑張っていることをエクリプス・フロントに通い詰める新入生たちにはそれとなく知られていたからである。

 

なぜなら、理事長代理としての普段の業務に加えて『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』の調整もやりこなす激務を見ていたら、いかに普通のトレーナーというのが怠惰な存在に見えてしまうことか、『選抜レース』が始まる前に最初に知ったトレーナーというのがエクリプス・フロントに通い詰める生徒たちの様子を見に来る樫本代理だったというのも非常に大きかったのだ。

 

 

なので、暗黒期から黄金期に移り変わった時と同じように、再び時代の荒波がトレーナーの立場に胡座をかく怠け者を洗い流し始めたのである。

 

 

しかし、そのように多大な影響力を発揮するソラシンボリの深謀遠慮の源にあるのが、この“斎藤 展望”にあるということを知っているのはごくわずかであり、アオハルチーム<エンデバー>の担当トレーナーが今をときめくマンハッタンカフェの担当トレーナー:和田Tであることから察する程度である。

 

更に、黄金期の精神に縋る者たちが“皇帝”シンボリルドルフの記念碑として建立したエクリプス・フロントという年中を通して学園関係者と一般来場者が交流できる場所ができたことで、全寮制の学園として外部との交流が一般開放日に限定されていた これまでのトレセン学園の在り方が変わってきていたことをまだ理解できていないようである。

 

そう、学園関係者と一般来場者がいつでも歩み寄れる公共施設:エクリプス・フロントこそが“門外漢”である私がもっとも力を発揮することができる境界線なのである。それこそが星の海という広大な境界線を渡る宇宙移民の特技であるのだから。

 

だから、そのことをもっと今のトレセン学園に所属しているトレーナーたちは知らなくてはいけない。エクリプス・フロントはただ単なる黄金期の記念碑でもなければ附属施設でもない。

 

今まで全寮制のトレセン学園は校舎と学生寮と様々なトレーニング施設とで完結されていたところに、外部交流を促進させるエクリプス・フロントという今までにない要素が加わったのだから、それが与える影響についてレースのことしか知らないトレーナーたちは謙虚に学ばなければならないのだ。

 

実際、全寮制ということで『選抜レース』のような一般開放日ぐらいにしか会うことが難しかったウマ娘たちの家族友人親戚縁者が年中を通して公共施設:エクリプス・フロントで気軽に待ち合わせして会えるようになったら、ウマ娘レースに出走する競走ウマ娘の精神に与える影響も随分と様変わりするはずなのだ。交番も近くにあるし、民間警備会社の詰め所もあるから、警備の面も万全である。

 

 

――――――そして、迎えた東京競バ場:11レース目

 

和田T「今年の『オークス』を制したのはダイワスカーレット! “ティアラ二冠”達成! “ティアラ三冠(トリプルティアラ)”に王手が掛かった!」

 

ソラシンボリ「うん、そうだね。後でアオハルチーム<エンデバー>の一員として『おめでとう』を言わないとね」

 

アグネスタキオン「いや~! さすがはスカーレットくんだったねぇ!」

 

スカーレットリボン「はい! 同じスカーレット族だからか、一番の推しは“不滅の帝王”トウカイテイオーですけど、ティアラ路線なら 断然 ダイワスカーレットです!」

 

マンハッタンカフェ「早めに熱が引いて良かったですね、スカーレットさん」

 

斎藤T「来週は『日本ダービー』でウオッカとエアシャカールの一騎討ちといったところか」

 

シンボリグレイス「ティアラ路線からの転向で『日本ダービー』に挑戦とは前代未聞ですね」

 

斎藤T「誰だってウマ娘レースと言えば『日本ダービー』のことを思い浮かべるのだから、短距離ウマ娘(スプリンター)から史上最強と名高い“無敗の三冠バ”にまで昇り詰めたミホノブルボンに続こうと、距離適性の壁を乗り越えて夢を叶えに行くことが悪いことですか?」

 

シンボリグレイス「いいえ。素晴らしいことです」

 

シンボリグレイス「しかし、すっかりソラシンボリも斎藤Tの色に染まりましたね。元からシリウスシンボリの影響を強く受けていたわけですが、それに輪をかけて破天荒になりました」

 

シンボリグレイス「最初は“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンのメイクデビューに合わせて1年デビュー回避するつもりが、『アオハル杯』復活のために3年デビュー回避を選択するとは驚きです」

 

斎藤T「読み違えることになったのは好条件として出された樫本代理の賭けに乗ったせいですよね」

 

シンボリグレイス「ええ。忌々しいことです。これで『URAファイナルズ』で保証された最初の3年間を走り抜けた先にあるのが黄金期の精神を失った学園生活ともなれば、今年の新入生たちが『トゥインクル・シリーズ』の3年間よりも『アオハル杯』の3年間を優先するようになったわけですから」

 

斎藤T「それが『アオハル杯』と『トゥインクル・シリーズ』の両方を楽しみ抜く最善の方法ですからね」

 

シンボリグレイス「そういう意味では全員が純粋だったわけで、責めるに責められないですよ」

 

斎藤T「ええ。そういうところが血涙あり感動あり絶望ありの公営競技として成り立つウマ娘レースの魅力なのでしょう?」

 

シンボリグレイス「……誰の思い通りにならないわけですか」

 

斎藤T「いえ、ただ単なる市場の論理だと思いますけどね」

 

斎藤T「年々 トレセン学園の総生徒数が順調に増えていっているのに対して、それをスカウトするトレーナーの数が圧倒的に少ない状況が変わらないとなれば、いくら自分が一番になれると信じてトレセン学園にやってきた生徒たちであっても段々と慎重にならざるを得ないですよ」

 

斎藤T「実際に『アオハル杯』に参加するウマ娘たちに聞いたところ、『トゥインクル・シリーズ』にデビューするまでのモラトリアム期間として打倒チーム<ファースト>を大義名分が与えられたら、『アオハル杯』で得られる3年間の学園生活を楽しみ抜こうという保守的な姿勢にもなるわけですよ」

 

シンボリグレイス「……え?」

 

斎藤T「わかりませんか? 大半の生徒たちは『名家』の出身じゃないからこそ、誰だって本当は自分のトレーニングに自信がないわけで、最先端のトレーニング設備に触れる機会に恵まれることを望んでいたわけですよ?」

 

斎藤T「ポイントは非公式戦のチーム対抗戦という大枠で得られる参加のしやすさと気安さの手軽さが好まれているわけで、最初から元トレーナーから正規のトレーニングを受けて自信のある生徒ほど『トゥインクル・シリーズ』に意識が向かうわけですよ」

 

 

――――――だからこそ、『本当に変わるべきはウマ娘の側じゃなくトレーナーの側だ』というのがトレセン学園の新時代を具に見た私の結論です。

 

 

後から分析してみれば納得できる理由はいくらでも見つかるわけだが、それをあらかじめ予測できた人間ほどありえないことだと馬鹿にされるのが時代の最先端を行くことである。

 

どれだけ長くいても中高一貫校である以上は6年で卒業していかなければならないトレセン学園だが、そこに所属して長年に渡ってウマ娘を見続けるトレーナーはそうではない。

 

だからこそ、3年あるいは6年で代替わりをしていくウマ娘たちの傾向の変化に敏感でなければならないわけなのだが、暗黒期の大粛清の後の絶対的指導者に導かれた6年間の黄金期に馴染んだトレーナーたちには時代の流れを読む目はないに等しかった。

 

その旧い価値観に縛られたトレーナーたちは時代の流れに鈍感なばかりにいつの間にか時代が変わってしまったことを嘆くばかりの日々に追い込まれてしまうんじゃないかと心配になってしまう。

 

そして、その新しい時代の思想や価値観を生み出していく中心に位置するのがエクリプス・フロントであり、そのエクリプス・フロントを制するものこそが――――――!

 

 

ソラシンボリ「来週の『選抜レース』2日目が楽しみだよ!」

 

アグネスタキオン「ああ。『日本ダービー』でシャカールくんが“クラシック三冠”に王手をかけられるかもね」

 

斎藤T「――――――全ては三女神の導きのままに」

 

 

*1
<コロンビア>の旗印はネットで有名なAAをウマ娘に置き換えたものになる。

*2
主な勝鞍『菊花賞』『有馬記念』『天皇賞(春)』






                                 ,.へ
  ___                             ム  i
 「 ヒ_i〉                            ゝ 〈
 ト ノ                           iニ(()
 i  {              ____           |  ヽ
 i  i           /__,  , ‐-\           i   }
 |   i         /(●)   ( ● )\       {、  λ
 ト-┤.      /    (__人__)    \    ,ノ  ̄ ,!
 i   ゝ、_     |     ´ ̄`       | ,. '´ハ   ,!
. ヽ、    `` 、,__\              /" \  ヽ/
   \ノ ノ   ハ ̄r/:::r―--―/::7   ノ    /
       ヽ.      ヽ::〈; . '::. :' |::/   /   ,. "
        `ー 、    \ヽ::. ;:::|/     r'"
     / ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ
     | 答 |     コ ロ ン ビ ア │|
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第8話   春の選抜レースを駆け抜けたソラの流れ ✓

-西暦20XY年05月26日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

さあ、日本全国のウマ娘レースファンはお待ちかね。『日本ダービー』の時間がやって参りました。

 

今年の『日本ダービー』と言えば、先週の『オークス』を制したダイワスカーレットの好敵手として知られるティアラ路線の強豪:ウオッカがクラシック三冠レースに殴り込みを掛けてきたことが世間の耳目を集めていた。

 

そして、春季のウマ娘レースの最高潮にして“クラシック三冠”の最高峰である『日本ダービー』のために、この日の東京競バ場:11レース目に日本中が釘付けになる中、

 

トレセン学園では『春の選抜レース』2日目が同時並行で行われており、午前中のレースに勝ってスカウトを掴み取ってみせたその足で、東京競バ場に直行して祝杯を上げるのがある種の季節の風物詩になっていた。

 

トレセン学園の『春の選抜レース』は意図的に『日本オークス』『日本ダービー』の日に重なるように設定されており、それで少なくとも『選抜レース』に出走するウマ娘がクラシック路線希望かそうでないかの選別に利用されていた。

 

そう、『日本ダービー』を控える『日本オークス』の日の『選抜レース』に出走するウマ娘は大半が1週間後の『日本ダービー』を現地観戦したいから『日本オークス』の日を選ぶわけであり、

 

日本中が注目する最高の舞台『日本ダービー』を観戦しないのはウマ娘レースファンとしてありえないわけなのだから、

 

『日本ダービー』の日に『選抜レース』に出るウマ娘も、観戦するトレーナーも、等しく己に自信がないことを表明しているようなものであり、それだけで『日本オークス』観戦を取ったティアラ路線のウマ娘がどれだけ低く見られているかがわかる。

 

実際、『選抜レース』2日目は先週の1日目と比べて明らかに出走表がガラガラになっており、年に4回しかなく一生を左右する機会とは言っても『春の選抜レース』に限って言うなら2日目に出走した方が確実に勝率が上がることだろう。

 

もっとも、『選抜レース』はあくまでもその走りを見てトレーナーがスカウトしたくなるように己の素質をアピールするための売り込みの機会に過ぎず、己の実力をアピールすべき観客も少ないのだ。

 

そして、勝てばスカウトされることが保証されているわけじゃないのだから、定員割れするから勝率が上がると言って『選抜レース』2日目に出走することを選ぶような小心者への評価は推して知るべし。

 

そのため、『日本ダービー』観戦に余裕で間に合う午前の部はそうではないが、午後の部になると極端に人影が少なくなり、

 

東京競バ場にウマ娘レースファンの情熱が吸い取られて閑散とする『春の選抜レース』2日目のトレセン学園は異様な静かさに包まれているように感じられたが、

 

その静寂さを破るように終盤の11レース目のダートレース――――――、まさに『日本ダービー』と時同じくして、“新時代の流星”ソラシンボリはチーム<コロンビア>のアグネスデジタルが先週やってのけた奇跡を再現してみせたのであった。

 

そして、同時に入線したウマ娘は等しく勝利したものとみなされる規定により、『日本ダービー』の結果はまさかのウオッカとエアシャカールの1着同着というG1史上初の出来事――――――、

 

そう、『日本ダービー』という日本ウマ娘レースの最高の舞台で起きた奇跡に日本中が沸き立つことになり、日本中がウオッカとエアシャカールの健闘を称えるお祭り騒ぎになったのであった。

 

そのため、『春の選抜レース』2日目にダートレースも制したソラシンボリの頑張りは虚しく忘れ去られることになったのであった。

 

というのも、ソラシンボリのまさかの二度目の出走に慌ててダートコースにやってきてスカウトしにきた熱心なトレーナーたちに対してさえ、あまりにもそっけない態度をとってしまったというのもあった。

 

しかし、トレセン学園におけるソラシンボリの影響力が更に増していくことになったのは、“皇帝”シンボリルドルフでさえも成し遂げられなかったことをやり遂げようとする不動の信念によるものであり、着実にソラシンボリはトレセン学園の伝説となっていくのであった。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/トレーナー室

 

ソラシンボリ「テン坊さ~ん、進捗どうですか~?」ガチャ

 

斎藤T「ここにあるフラッシュメモリに入っているのが『春の選抜レース』2日目の分だ」スッ

 

ソラシンボリ「どれどれ? 見せて見せて~!」

 

斎藤T「この通り、表計算ソフトを目次にして参加者全員分のレースの映像記録とトレーニング資料が紐づけされているから、依頼としては以上かな?」カチカチッ ――――――フラッシュメモリをPCに接続してデータの中身を見せる。

 

ソラシンボリ「わあ凄い! さすが~! 仕事が速ーい! これは『春の選抜レース』2日目で日の目を見なかった子たちへの最高の宝物になるね!」

 

スカーレットリボン「これを本当に配るわけなの、ソラ?」

 

ソラシンボリ「当然。大人が仕事をしないんだったら、やりたいと思ったボクがやるしかないじゃないか」

 

斎藤T「しかし、『日本ダービー』で起きた奇跡によって掻き消されたわけだが――――――」

 

 

――――――3年後もそんな感じでウマ娘をスカウトして トレーニングさせて レースに出走させられる身分であるといいですね。

 

 

斎藤T「いやはや、ウマ娘の未来を憂えるシンボリ家の令嬢が発する最高の脅し文句ですね」

 

スカーレットリボン「本当にこの子はなんてことを言うのでしょうかねぇ……」ハア・・・

 

ソラシンボリ「だって、大人が平然と嘘をつくんだから、大人のやることなんてボクには信じられないよ」

 

斎藤T「だからと言って、AIが自動生成したトレーニング資料がどこまであてになるか、信頼性の保証はできませんよ?」

 

ソラシンボリ「いいよいいよ。そのことはちゃんと説明した上で渡すからさ」

 

ソラシンボリ「重要なのは『選抜レース』の結果を受けて昨日までの元気が嘘のように消えた子たちへの気遣いだから」

 

ソラシンボリ「ほら、やっぱり、この子なんてAIから見ても素質は十分だって判定が出ているじゃない。あとは曲がる時のフォームや変な癖を解消すればいいってのはボクと同じ意見だし、そこそこ信頼できそうだね、これなら」カチカチ・・・

 

ソラシンボリ「本当に弱者救済を掲げるのなら、AIによる自動判定でも何だって利用して、明日を見失ってしまった子たちを立ち直らせて、自主退学や引きこもりになるのを阻止するべきだよ」

 

ソラシンボリ「子供のボクに思いつくことを大人がやらないなんてどうかしているよ、まったく」

 

スカーレットリボン「ソラ……、やっぱり、私がトレセン学園で受けた仕打ちに対して――――――」

 

 

ソラシンボリ「それもあるし、ボクとしては友達のことは大切にしたいと思っていることだし、何よりもそうしたら一生の恩としてこれからずっと扱き使えるよね!」ニッコリ

 

 

スカーレットリボン「もう、ソラったら! 相変わらず親の顔が見てみたい……!」※生みの親であっても育ての親ではない者の嘆き

 

スカーレットリボン「でも、本当に凄いですね。1日目と比べて2日目は出走者が少ないにしても、これだけの精度と速度で個人毎に最適化されたトレーニング資料を打ち出せるだなんて……」

 

斎藤T「いや、そんなに難しい話じゃないですよ、『選抜レース』に出ているウマ娘の()()を指摘することなんて」

 

斎藤T「一番は、『皇帝G1七番勝負』でインプットしたG1レースに出走する名バたちの走りを再現したシミュレーションデータと、今回の『選抜レース』に出走する未出走バたちの走りを比較するだけですからね」

 

斎藤T「あとは比較するための『選抜レース』の分析可能な映像データが手に入るかどうかであって、巷にはバ券予想アプリなんてものがあるわけでしてね」

 

斎藤T「もっとも、これは映像データから起こしたシミュレーションデータで客観的に分析できる上っ面なものであって、『選抜レース』に出る未熟な未出走バ向けだからこそ通用するわけで、さすがにG1ウマ娘を輩出するような細部に渡るプロのトレーニング内容までは模倣できません」

 

ソラシンボリ「いや、それで十分だってば。外見だけでわかる明らかなフォームの乱れやG1ウマ娘とのちがいを比較分析で指摘されるだけでも自己トレーニングだけで『選抜レース』に臨んできた子たちの大きな励ましになるから」

 

ソラシンボリ「これ、いいね。トレーナー業までAIに取って代わられるのは倫理的に相当にマズいことだけど、トレーナーがつくことができない大勢の子たちに『選抜レース』という機会にAIが自動生成したトレーニング資料が渡されるようになったら、今以上に『選抜レース』に積極的になれる学園になると思わない?」

 

ソラシンボリ「うんうん、いいよ。トレセン学園で引きこもりになる子の原因の大半は『選抜レース』での結果以上に自己トレーニングでの成長を見込めなくなって八方塞がりになっていることにあるわけだし」

 

斎藤T「――――――つまり、希望だね」

 

ソラシンボリ「そう、希望がなくちゃ 人間 生きていけないわけだから」

 

ソラシンボリ「斎藤T、将来的に未出走バ向けのトレーニングAIの提供ってできない?」

 

斎藤T「それは極めて難しい話です。このシミュレーション結果を出力しているのは『皇帝G1七番勝負』で使用した超高性能VRシミュレーターのリソースを流用しているからであり、それと切り離して業務用にリリースするためにはトレセン学園にシミュレーター専用のスーパーコンピュータルームを設置する必要があり、電力消費や保守管理の面から言って現実的ではないですね」

 

ソラシンボリ「そっか。しばらくは斎藤Tのところの超高性能シミュレーターのリソースを使わせてもらうしかないんだね……」

 

スカーレットリボン「あと、印刷代もバカにならないと思うわ、それ。全員に配るトレーニング資料っていったい何ページになっちゃうのかしらね……」

 

ソラシンボリ「あ、たしかに。物理的にも費用が嵩んじゃうか……」

 

斎藤T「そうですよ。今回の依頼の費用はそのフラッシュメモリ[128GB]分で済んでますけど、実際に印刷するとなると 全員が全員 大成するとも限らないから費用対効果はまったく望めません」

 

斎藤T「なので、私としてはデータ配布は公共の場に複合機とセットになったノードを設置して、必要に応じて自費で印刷させるのが経済的だと思いますね」

 

斎藤T「具体的にはゲームセンターに置いてあるライブモニターが参考になるんじゃありませんか?」

 

ソラシンボリ「ああ、わかるわかる! あれだね! ゲームセンターのICカードでプレイ状況を保存して、それを読み込ませるとライブモニターでリプレイできるってやつだよね! 他にもプレイ状況に応じていろいろな特典が得られるってやつでしょう?」

 

スカーレットリボン「つまり、事前にICカードに保存したウマ娘レースの映像データを読み込ませると、その映像データからシミュレーションデータを作成して、分析結果とそれに応じたトレーニングを自動生成した資料データとして渡してくれる感じですか?」

 

ソラシンボリ「いいねぇ! 段々と形になってきたよ! それ、学園に置いてもらおうよ! 無理だったらESPRITで持っておけばいいしさ!」

 

斎藤T「となると、中継サーバーと保守点検サービスが必要となってきますね。私一人で保守管理してもいいですけど、簡単な機材トラブルぐらいは自分たちで対応してもらいたいので、ライブモニターのノウハウを提供してもらうためにゲームセンターやゲーム会社に買収を掛けないといけませんね」

 

ソラシンボリ「じゃあ、どこか潰れそうなゲームセンターを買っちゃおうよ。そうすれば廃棄されるライブモニターを堂々と分解することができるよね」

 

斎藤T「――――――誰がその買収契約をするんですか?」

 

スカーレットリボン「そうよ、ソラ! いくら斎藤Tが何でもできるからと言っても限度というものがあるわ! さすがに話が飛躍しすぎよ! こんなの、一個人の手に負える話じゃないわ!」

 

ソラシンボリ「あ、たぶん、シリウスさんに言えば何とかなると思うから安心して欲しいな、その辺り」

 

スカーレットリボン「ええええええええええええええ!?」

 

斎藤T「あ、そうなんだ。それじゃ、そういうことでまずはライブモニターとICカードのノウハウをいただくためにゲームセンターの買収を進めておいてください。こちらは肝となるAIの育成と提供できるソフトの開発を進めておきますので」

 

ソラシンボリ「はーい!」

 

スカーレットリボン「…………話がどんどん大きくなっていくわねぇ」

 

 

新入生であるソラシンボリにしても、配属直後に3ヶ月の意識不明の重体に陥った“斎藤 展望”にしても、『春の選抜レース』は初めてであり、実際に目の当たりにした敗北者たちの絶望は見るに堪えないものであった。

 

そう、レースの世界は非情であり、栄光を掴み取る勝者がいるのならば踏み台となる敗者がいるのは当然の話であり、入学したばかりの夢や希望に満ち溢れていた新入生たちの表情は一斉に曇ることになった。

 

実際、単純計算で1日に12レースあるので当日の『選抜レース』の勝者は一着同着を除けば1部門につき12人で、5部門あるので60人、2日間あるので120人にしかならないわけで、フルゲート:18人立てとするとトレセン学園の全生徒数:2200名弱に届きそうな参加可能枠の中でたった5%程度しか勝者に成り得ないのである。

 

しかも、その5%の勝者になっても勝てば必ずスカウトを受けられるわけでもないし、スカウトできるトレーナーが観戦していなければ意味がないので、1日目よりも閑散としている2日目で目撃することになった()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()静かな光景には思わず私もソラシンボリも息を呑んでしまった。

 

こんなのが毎年のように繰り広げられていたわけなのだから、“門外漢”である私はもちろん、普通とはちがう感性の持ち主のソラシンボリもあまりの仕打ちに息苦しかったが、精一杯頑張って誰もスカウトに来ることがないレースをしたウマ娘たちが一番に悲しいに決まっている。

 

だからこそ、こうして『日本ダービー』で起きた一着同着の奇跡に日本中が沸き立つ裏で、どうにかして『選抜レース』で起きる残酷な光景がなくなることを願って、無い知恵を絞って悲劇的現状の改善案を必死に捻り出そうと躍起になっていた。

 

シンボリ家の令嬢:ソラシンボリとしては偉大なる先人:シンボリルドルフとはちがった観点で全てのウマ娘が幸福になる世界の理想を追求しているわけであり、それは己の良心の感じるままに疑問に思った現状への改善に関心を寄せていた。

 

私としてもああいった人間の心を弄ぶようなことが平然と繰り返されていることにゾッとしつつ、それによって裏世界でとんでもない妖怪が誕生し それを退治させられる羽目になるのが目に見えているからこそ、面倒に思っても妖怪退治が始まる前の妖怪誕生阻止のために『選抜レース』で繰り広げられていた残酷な光景を消し去ることに真剣になっていた。

 

そこでゲームセンターで見かけたライブモニターとICカードのシステムをヒントにしたノードを学園に設置して、必要に応じてウマ娘レースの映像データを収集してシミュレーションデータを作成してAIが自動生成した資料データを渡す仕組みをESPRITが提供するソリューションとして製作する試みが始まったわけである。

 

私がゲームセンターに足を運ぶことになったのもソラシンボリが率いるアオハルチーム<エンデバー>の交流会として、チームメンバーとなった2年目:クラシック級ウマ娘の最強議論に名を連ねるエアシャカール、ウオッカ、ダイワスカーレット、アストンマーチャンと一緒に休暇を楽しんだからだった。

 

その時に顔を合わせたのが彼女たちの担当トレーナーである脳科学者で博士論文を鋭意制作中の望月Tとロマンスグレーに憧れる甘粕Tであり、ウマ娘レースに興味がない“門外漢”の私がいうのもなんだが、黄金期の後の新時代を代表するに相応しい型破りな新人トレーナーたちであった。風貌に関して言えば、世界最高峰の皇宮警察のエリートの息子である私以上にパンクであった。

 

今日は『日本ダービー』で望月Tのエアシャカールと甘粕Tのウオッカが激闘の末に一着同着という奇跡を起こしたわけであり、一応はチームメイトではあるが なぜか私に感謝の電話が真っ先に来たのだが、私はソラシンボリと一緒に誰の興味を惹かなかったレースの空虚さに立ち竦んでいたところだった。

 

ちなみに、一着同着が起きた場合のウイニングライブは規定によると一着バ全員が勝者の扱いになるため、勝者の数だけウイニングライブをする決まりになっており、敗者はその数だけ勝者のために踊らなくてはならないそうなのだ。

 

ただし、勝者をセンターに迎えるウイニングライブを敗者に何度も強いるのは酷い仕打ちになるため、一度はレース直後にウイニングライブをするのは絶対であっても、二度目は勝者となる一着バの意向によって後日にウイニングライブを延期することは可能であるとのこと。

 

あるいは、海外遠征と同じくステージに玉座を置いて他の一着バを登場させることも可能だが、外国バが国内の重賞レースを制するよりも一着同着になる確率の方が低いため、それを想定したステージ構成になっていないので今回の場合は見栄えが非常に悪くなるとのこと。

 

そのため、人気順に従って3番人気のウオッカが1番人気のエアシャカールに順番を譲って、レース当日のウイニングライブはエアシャカールがセンターを飾り、翌日はウオッカが同じ場所でセンターを踊ることになったのだ。

 

なので、『日本オークス』『日本ダービー』の結果により、アオハルチーム<エンデバー>はクラシック三冠路線とティアラ三冠路線の最強ウマ娘を全て擁することになり、早速だが学校裏サイトでは『アオハル杯』が始まる前から樫本代理が率いるアオハルチーム<ファースト>に勝っているとすら評されることになった。

 

そもそも、主将であるソラシンボリが先週の『選抜レース』で中距離を8バ身差で圧勝したのに対し、チーム<ファースト>のビターグラッセが5バ身差で勝利していたこともあって、樫本代理が指導したビターグラッセも普通に凄いのだけれどチーム<エンデバー>との歴然とした実力差を物語るものとなっていた。

 

 

――――――が、そんなことはどうでもいい! そもそも樫本代理は敵じゃないし、私にしても、シンボリ家の令嬢にしても、樫本代理にしても、目の前で悲しみに暮れる大勢のウマ娘の不幸を取り去ることができないでいるのだから!

 

 

 

――――――トレセン学園学生寮/公会堂

 

フジキセキ「わぉ……、これだけある分析結果とトレーニングメニューの資料を配って欲しいわけなんだ……」

 

ヒシアマゾン「へえ、今日の『選抜レース』に出た子たちに明日への希望を見せるためかい」

 

ソラシンボリ「……ダメでしょうか? 私一人で今日の出走者全員に手渡しするのはとても難しいです」

 

ナリタブライアン「どうなんだ? 毎年のように寮のみんなにクリスマスプレゼントを配っている2人なら、これぐらいの量ならすぐに配り終えられると思うのだが?」

 

フジキセキ「そうだね。基本的に配達物は公会堂で着荷して各々が自分で回収するようにしているから、配達物として用意してくれれば自分たちで持っていってくれるよね」

 

ヒシアマゾン「けど、『選抜レース』に出た子たちに渡すんだろう? たしかに、塞ぎ込んで部屋に閉じこもりきりになる子もいるだろうから、早めに渡してやった方がいいだろうね」

 

ヒシアマゾン「よし、わかった! 後のことは任せておきな、ソラ! なに、これぐらいの量ならすぐに配り終えるさ!」

 

フジキセキ「うん! 『選抜レース』に出ている子なら出走表にはっきり書いてあるし、自治会の私たちなら部屋割りもバッチリ憶えているから、すぐに渡せるね!」

 

ソラシンボリ「ありがとうございます!」

 

ナリタブライアン「よかったな、ソラ」

 

ソラシンボリ「ブライアン先輩も御二方にお声掛けしていただいてありがとうございました。おかげで、一刻を争う事態を何とかできそうです」

 

ヒシアマゾン「でも、こんなのが『選抜レース』当日に配られる時代になったんだねぇ。こいつはたしかにそもそもスカウトを勝ち取らないとトレーナーからの指導を受けられなくて自己トレーニングじゃ伸び悩む大勢の子たちの希望になるね」

 

フジキセキ「うん。全てが全てAI任せとはならないと思うけど、これで『選抜レース』をまず勝ち抜けないたくさんの子たちの新たな指針ができて、前を向くことができるようになるね」

 

ソラシンボリ「そうですよ。中央トレセン学園に来ているウマ娘はみんなダイヤモンドの原石であるはずなんだから、磨かないと光らないのは当然なのに、誰もなんとかして輝かせようとしないのはおかしいと思います」

 

ナリタブライアン「……ソラ」

 

フジキセキ「……そうだね」

 

ヒシアマゾン「……ああ、そうだとも」

 

ヒシアマゾン「まったく、トレーナーからの評判を『選抜レース』で落としてでも成し遂げたいものがあるってのは素晴らしいことだよ、ソラ」

 

フジキセキ「うん。さすがはシンボリ家のウマ娘だね。しかも、シンボリルドルフの時代から更に進化したやり方で全てのウマ娘が幸福になる理想を実現しようとしているわけだしね」

 

ナリタブライアン「ああ。こいつと話していると、シンボリルドルフとトウカイテイオーを同時に相手にしているような感覚になるから、その2人の長所を受け継いだ“新時代の流星”というわけだな」

 

ソラシンボリ「それほどでもないです」

 

ヒシアマゾン「じゃあ、早速 手分けして配っていこうじゃないか」シュタタタ!

 

フジキセキ「うん。一刻を争うものだからね、これは」シュタタタ!

 

 

ソラシンボリ「――――――『選抜レース』1日目に出てた子たちには用意できなくて本当にごめんね」

 

 

ナリタブライアン「お前が気に病むことじゃないさ、ソラ」

 

ナリタブライアン「私も副会長になった所信表明で“怪物”に挑戦する者たちに胸を貸してきたわけだから、『選抜レース』に出走する新入生の相手をしてきたが、結果を出せずに落ち込んでいるウマ娘たちに掛ける言葉が相変わらず見つからない……」

 

ナリタブライアン「皮肉なものだな。こうしたトレセン学園の当たり前に対して問題提起して問題解決に向けて本気で取り組める人間というのが、学園一の嫌われ者であったはずの“門外漢”なのだからな……」

 

ナリタブライアン「私たちはトレセン学園という小さな世界で起きることを常識と捉え、時代の流れに乗ることができずにいるのかもしれないな……」

 

ソラシンボリ「もちろん、根本的な原因はトレーナー不足ですけれど、トレーナー不足をゼロにすることはできなくても それに代わる代替案を模索して 問題解決に乗り出したっていいじゃないですか……」

 

ソラシンボリ「困っている人が、悲しんでいる人が、落ち込んでいる人がこんなにもたくさんいるのに、何もしないだなんて人間としておかしなことじゃないですか……」

 

 

――――――それが“私”である以上に“ボク”が感じる世界の歪み。

 

 

ナリタブライアン「……お前は本当にそれでいいのか? 一人の競走ウマ娘として頂点を目指すのを後回しにしても?」

 

ソラシンボリ「ボクは、重賞ウマ娘になったからと言って その競走ウマ娘が幸せな人生に送れるとは限らないことや、その競走ウマ娘から生まれた子が幸せになれるとは限らないことを 人一倍 知っているからねぇ……」

 

ソラシンボリ「だいたい、前人未到の史上初の“無敗の三冠バ”にして“最強の七冠バ”である“永遠なる皇帝”シンボリルドルフであってもレースでの勝利で理想が叶えられなかったことを繰り返してもまったく意味がないと思っているから……」

 

ソラシンボリ「このボクに競走ウマ娘としての才能がどれだけあったとしても、ボクが叶えたい夢を実現する手段にウマ娘レースが成り得ないのなら、そこまで自分の人生を懸ける価値もないよ……」

 

ソラシンボリ「だったら、ボクはやりたいようにやるだけだよ、トレセン学園で。“永遠なる皇帝”シンボリルドルフのように、“不滅の帝王”トウカイテイオーのように」

 

ナリタブライアン「……そうか」

 

 

ソラシンボリ「でも、そこまで絶望的な話じゃないんだ」

 

 

ソラシンボリ「今回の『選抜レース』の反省点と改善点を綴った報告書を入れた封筒ってさ、普段から何百枚も用意しているだなんて普通はないじゃん」

 

ナリタブライアン「ああ、そうだな。だが、しっかりと封筒に入れてあったじゃないか、ひとりひとり」

 

ソラシンボリ「うん、だから、急いで東京中で売ってある封筒を買い占めてきて間に合わせてくれたんだ、斎藤Tってば。あと、インクや印刷紙もね」

 

ナリタブライアン「……なんだと? 本当か、それは? あの山のような数を?」

 

ソラシンボリ「そう。だから、しっかりと封筒に入れてあったでしょう、全部?」

 

ナリタブライアン「…………たしかにな」

 

ソラシンボリ「それが不可能を可能にする“学園一の切れ者”の所業というわけで」

 

 

――――――希望はあの満天の星々が放つ光のように瞬いているから。

 

 

新時代に現れたシンボリ家の新入生:ソラシンボリはシンボリ家の惣領娘:シンボリルドルフとはちがう。似ているようでまったくちがう。同じシンボリ家のウマ娘でもこうも見据えているものや目指しているものがちがうのかと周りは驚くばかりである。

 

そのことは“皇帝”シンボリルドルフの黄金期を側で支えてきた誰もが思うことであり、ナリタブライアンの印象では“皇帝”シンボリルドルフと“帝王”トウカイテイオーの両者の特長を併せ持ちながらも両者の反省点を踏まえた立居振舞をしていることから、現在の日本ウマ娘レース界の実態に対する不満や諦観が大いにあるためか、それが自身の勝利や過度な期待を求めないことで得られるウマ娘としては異質な透明感に繋がっているように感じられた。

 

そう、ウマ娘特有の闘争本能に由来する執着心が抜け落ちているように感じられ、競走ウマ娘としてはあのアグネスタキオンをも上回る才能を秘めていながら世を儚むような見方が根底にはあったのだ。

 

それがなぜなのかは多くの人間の知るところではないが、とにかく多くのウマ娘にとっての当たり前が抜け落ちているからこそ、多くのウマ娘が見落としている何かを見出すことが得意であり、多くのウマ娘が熱中することに対して理解はするが共感はできないためにトレセン学園の顔役である生徒会長の器ではないとも最初から言い切ってもいた。

 

そのため、“皇帝”シンボリルドルフに親しいウマ娘ほど、その在り方があの“斎藤 展望”に非常に似通っていると思うわけであり、自然とソラシンボリの行動の裏には私の影響があるものだと信じて疑わないようになってさえいた。

 

だからこそ、G1レースで史上初の一着同着が起きた『日本ダービー』で沸き立ち 2日連続のウイニングライブに日本中が心を躍らせる中で『選抜レース』2日目に出走していた生徒たちに送り届けられた封筒がトレセン学園の命運を確実に変えることになり、その善意が新たな波乱を呼ぶことになるとはこの時は誰も想像していなかった。

 

 

――――――そう、事の発端が今回のソリューション提供のための()()()()()()()()()()()()()()()からだとは思いもよらず、またしても“斎藤 展望”の評判が落ちる理不尽に見舞われてしまうのだ! いいかげんにしろ、本当に!

 

 




物語としては、伝説のクソローテーション『URAファイナルズ』の考察を序章に据えて、
それに続く伝説のクソチームバトル『アオハル杯』の考察を本編で行いながら、
今回は年に4回はあるという設定の『選抜レース』についての考察も行う回となっている。

アプリ版『ウマ娘』の育成モードでは全ウマ娘共通の第1目標『新バ戦(メイクデビュー)』が6月後半に設定されており、その第1目標までに与えられる期間が11ターンとなっている。
育成モードの1ターンは半月という計算であるため、逆算すると育成モード開始はきれいにシーズン初めの1月前半ということになり、
キャラストーリーではウマ娘とトレーナーが様々な出会いから劇的な担当契約を結んでいても、実際には翌年を迎えてからURA登録競走ウマ娘としての二人三脚が始まっていることになるらしい。
そのため、アプリ版準拠を掲げる大半の二次創作で、入学してすぐに『選抜レース』で光るものを見せてトレーナーからのスカウトを勝ち取ったウマ娘が年を跨がないうちに『新バ戦(メイクデビュー)』を果たす展開というのは、その時点でアプリ版育成モードの再現(トレース)に最初から失敗しているという意外な事実に驚きを隠せない。

それ以前から年に4回ある一生を左右する大事な『選抜レース』が具体的にいつ頃にあるのかを考察し、
入学してすぐの『選抜レース』でスカウトを受けて『新バ戦(メイクデビュー)』するまでの日程、あるいは臥薪嘗胆の思いの先輩ウマ娘も受けやすい『選抜レース』の時期を選定すると、
私の結論では春夏秋冬に1回ずつある設定となり、『春の選抜レース』は入学シーズンと6月後半から始まる『新バ戦(メイクデビュー)』の間にある、まさに春季ウマ娘レースの最高潮『日本オークス』と『日本ダービー』の時期が経済的に集客効果が最大限見込めると判断して設定している。どちらも東京競バ場なので中央トレセン学園に足を運びやすい。
そうすれば、重賞レースはその日の競バ番組の11レース目になるので、その時間まで東京競バ場の近場にある中央トレセン学園での『選抜レース』に立ち寄ることも容易になるため、そのために『選抜レース』を見にわざわざ一般来場者がたくさんやってくることにも説明がつくのだ。

しかし、そんな風に『春の選抜レース』の時期を結論づけると、いかに『春の選抜レース』でスカウトを勝ち取るという結果を掴めなかった惨めなウマ娘が『日本オークス』『日本ダービー』という最高の舞台の裏で大勢生まれているのかも具体的になり、極少数の勝ち組と大多数の負け組の線引も明瞭になってしまっている。
だからこそ、斎藤 展望とソラシンボリはそんな現状が救済されないことを変えるべく無い知恵を絞ってソリューション提供に乗り出していくのだが――――――。


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開戦報告  仁義なきゲームハード戦争の傷痕 ✓

この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。


 

その日はメジロ家が主催する6月から始まる『新バ戦(メイクデビュー)』あるいは『宝塚記念』に向けた壮行会を兼ねた交流パーティーに出席しており、ここで同世代となるジュニア級のライバルたちの顔合わせが行われるわけである。

 

私も担当ウマ娘:アグネスタキオンの『新バ戦(メイクデビュー)』が控えていることから招待されていたが、シンボリ家の令嬢:ソラシンボリと共にトレセン学園が抱えている問題を救済するためのソリューション提供のための交渉や開発で忙しいので、メジロマックイーンの元担当トレーナー:和田Tと一緒に少しだけ顔を出す程度にしていた。

 

そして、マンハッタンカフェの担当トレーナーとしていよいよ前人未到の“春シニア三冠”に王手をかけた『宝塚記念』に向けて最終調整を始めている和田Tとしてはその功績でもって元担当ウマ娘:メジロマックイーンの婚約者に相応しいトレーナーになろうと意気込んでおり、その集中力を切らさないために敢えてメジロマックイーンとは距離を取っていた。

 

そのため、私もウマ娘レース業界を腐らせてきた下世話な連中とは関わり合いを持ちたくないため、存在感を影と同化させる護符葉巻に擬装した魔除けの香木を持ち出していた。

 

会場に入る前の喫煙所で焚いた香木の魔除けの香りをしっかりと服に染み込ませ、護符をネクタイピンの裏に留め、和田Tと一緒に交流パーティーの会場に足を踏み入れると、立ち眩みがしてしまうほどのエゴが渦巻いていた。

 

感覚が鋭くなった和田Tも気分が悪くなるのを耐えながら、主催者であるメジロ家の面々に挨拶をしていくわけであり、その中には『宝塚記念』でマンハッタンカフェと対決することになるメジロライアンやメジロパーマーといった強豪ウマ娘やその担当トレーナーたちも当然いるわけで、和田Tとの間に静かに火花が散っていた。

 

ただ残酷なことを言わせてもらうと、和田Tとマンハッタンカフェが『宝塚記念』で勝って史上初の“春シニア三冠”を達成する確率が現時点で8割らしいので、慢心せずに挑めばメジロライアンもメジロパーマーも敵ではないのだ。

 

しかし、さすがは人面獣心のドス黒いエゴが渦巻く交流パーティーであり、下世話な連中の口汚い嫌味が容赦なく和田Tに襲いかかる。

 

 

――――――和田Tの担当ウマ娘であるメジロマックイーンとマンハッタンカフェ、どちらが強いウマ娘であるのか?

 

 

これには主催者側として招待客を饗していた元担当ウマ娘のメジロマックイーンも思わず耳を欹てざるを得なかった。

 

一心同体を誓い合って『トゥインクル・シリーズ』を支え合って時には心中を辞さない覚悟で駆け抜けた2人であったが、担当ウマ娘としては唯一の担当トレーナーであっても、担当トレーナーにとってはこれから重ねていく実績の中での数ある担当ウマ娘の一人に過ぎないのが現実であった。

 

そのため、自身が引退した後に新たに再契約を結んだ同期にして同世代の“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェがメジロ家の使命である『天皇賞(春)』を圧勝して史上初の“春シニア三冠”に王手をかけたことに思うところがないわけではない。

 

実際、メジロ家最強のウマ娘の担当トレーナーであると同時にそれを上回る実力の“春シニア三冠ウマ娘”の担当トレーナーとしての名誉を得たとなると、世間の評価というのは非常に気まぐれで身勝手なものになるだろう。

 

そうなのだ。今までメジロマックイーンの後塵を拝してきた同世代の長距離ウマ娘(ステイヤー)がメジロマックイーンが引退したことでその後釜に収まっているわけであり、そのことが『和田Tがメジロ家の令嬢を捨てて浮気に走った』などといった極めて不快なデマに繋がっていたのだ。

 

もちろん、そんなデマは当人たちの耳に入らないように私が暗示を掛けているので知らぬは当人ばかりとなっているが、この場にいる下世話な連中にとっては聞き出すのに絶好の機会であったというわけだ。もちろん、直接的に噂が本当かどうかだなんては訊き出すことはないが。

 

しかし、あれから私の庇護の下に静養と修養を経た和田Tは見違えるぐらいに気力が漲っており、更にはソラシンボリ率いるアオハルチーム<エンデバー>の担当トレーナーにもなったこともあって一皮剥けていた。

 

そのため、和田Tはそうした悪意や好奇に屈することなく、メジロマックイーンとの一心同体あっての現在の自分であり、あの時の自分にとっての最強のウマ娘は今も昔もメジロマックイーンであることを言い切り、

 

そのメジロマックイーンとの一心同体で磨かれた自分が新たにトレーナーとしての職務を果たして自分なりの最強のウマ娘:マンハッタンカフェを再契約で世に送り出すことができることこそがメジロの誇りとしたのである。

 

言うなれば、これは『トレーナーなんだから次の担当ウマ娘を探してレースで勝たせるのは当然だろう!』という至極当然のことを 無理矢理 メジロに結びつけて毅然と返答したものであった。

 

この堂々たる回答に不満を持った下世話な連中は和田Tがベテラントレーナーたちを出し抜いて“メジロ家の至宝”メジロマックイーンと担当契約を結んだことでトレーナー組合に居場所がないことを思い出し、メジロの誇りと称したマンハッタンカフェの勝利についてもネチネチと嫌味を言ってくる。

 

 

――――――同世代のライバルだったマンハッタンカフェと再契約して“春シニア三冠”を獲るのは他人の褌で相撲を取るようなものではないか?

 

 

しかし、そんなのは再契約をする段階で最初に和田T自身が何日も思い悩んで答えを出していたことであり、『才能あるウマ娘の才能を拾い上げるのがトレーナーの使命である』と爛々と輝く眼差しと共に一言で言い返し、周囲はそのたった一言の前に二の句を継げなくなったのである。

 

というのも、平たく言えば『お前らだって『選抜レース』の時にマックイーンが不調で勝てなかっただけで勝手に過大評価だったと失望して見放していただろうが! お前らが捨てたものを俺が拾って何が悪い!』という怒気が言葉の奥に込められていたからだ。

 

これが交流パーティーということで穏やかな会話の中でなされたベテラントレーナーたちに対する積もり積もった鬱憤を晴らす痛烈な批判となり、和田Tというメジロマックイーン以前から先輩チームのサブトレーナーとして重賞レースを獲りまくっていた超有能トレーナーであったことを誰もが思い出すことになった。

 

和田Tの認識ではG2勝利を目標にする底辺チームであっても、しっかりと重賞勝利をチームのウマ娘に万遍なく与えられているのは成り立てのサブトレーナーとしては将来有望どころの話ではなかったのだ、本来ならば。

 

それなのに、“メジロ家の至宝”メジロマックイーンと担当契約できたことへの醜い嫉妬心からトレーナー組合に所属する多くの人間が和田Tを排除しようとし、和田Tはそのことに苦しみながらも底辺チームで培った忍耐力と雑用力と判断力で見事“メジロ家の至宝”を夢の舞台で輝かせたのだ。

 

そのため、和田Tを馬鹿にしようと寄ってたかって集まった下世話な連中には今の和田Tの存在がとてつもなく大きく見えた。それは思わず 背筋が張り 冷や汗が流れるぐらいの緊張感を伴っていた。

 

それから和田Tは何事もなかったかのように『メジロ家の当主に挨拶の際に言い忘れたことがある』と適当な理由をつけて足早にその場を去ることになった。嫌味を言いに集まった下世話な連中はしばらくその場に立ち尽くすばかり。

 

そして、私も和田Tの付き人に徹してメジロ家の面々への挨拶回りをしていたわけで、メジロ家の当主(おばあちゃん)と楽しくお話させていただいたことで周囲の人間に大いに驚かれた後、ようやく帰ろうとしていた矢先のことであった。

 

 

――――――まさか、ゲームセンターの買収なんかで()()()()()()()()()()()()に巻き込まれるとは思いもしなかった。

 

 


 

 

スタスタ・・・

 

和田T「早く帰ろう。こんなところにいたら頭がおかしくなる」

 

斎藤T「そうですね。義理立ては済みましたので、6月の正念場を乗り切ることに集中しましょう」

 

和田T「ありがとうございます、斎藤T。何度も何度も根性を叩き直してもらったおかげで、まずは今日という日を乗り切れました」

 

斎藤T「どういたしまして」

 

 

タッタッタッタッタッタ!

 

 

サトノダイヤモンド「あの! 少しよろしいでしょうか!?」

 

和田T「おや、きみはサトノダイヤモンドじゃないか。どうしたのかな?」

 

斎藤T「――――――」スチャ ――――――サングラスをつけて和田Tの付き人に徹する。

 

サトノダイヤモンド「あ、ちがうんです、和田T。実はそちらの方にお話があって……」

 

斎藤T「え?」ピタッ

 

和田T「……ご指名だってさ」

 

サトノダイヤモンド「前にお見かけした方ですよね? 模擬レースの時、私のことを見てくださっていましたよね? それでお聞きしたいことがあって――――――」

 

斎藤T「――――――『模擬レース』?」

 

和田T「……あれじゃないか? 最近あったサトノダイヤモンドの模擬レースって」

 

和田T「たしか、『春の選抜レース』1日目の後、サトノグループ主催のトレーナー選考会(トライアル)の模擬レースがあったな。所属するアオハルチーム<エンタープライズ>の先輩に胸を借りる形の」

 

斎藤T「……ああ、そんなのが1日目と2日目の間にあったような気がしますねぇ」

 

 

サトノダイヤモンド「はい。トレーナー選考会(トライアル)、どうしてお越しいただけなかったのでしょう? 関心を持っていただけていると思ったのですが、お眼鏡に叶わなかった理由は何でしょう? やはり、素質が足りなかったとか?」

 

 

和田T「――――――?」

 

斎藤T「……何の話です?」

 

サトノダイヤモンド「トレーナーさん、お聞かせください。あなたは私の走りに何を思ったのでしょう?」

 

サトノダイヤモンド「――――――あの訴えるような眼がどうしても気になって」

 

和田T「………………」

 

斎藤T「………………」

 

 

和田T「……これ、どう考えても人違いですよね?」ヒソヒソ

 

斎藤T「……私もそう思います。1日目のサトノダイヤモンドの『選抜レース』はしっかり見てましたけど、その後にあったという模擬レースは記憶にないですね。1週間、ソラシンボリの依頼で次の『選抜レース』でやることがあったので」ヒソヒソ

 

斎藤T「……どうしましょう?」ヒソヒソ

 

和田T「……『選抜レース』2日目に出ていた子に分析結果とトレーニングメニューを渡したように、『選抜レース』の時の反省点を言ってあげたらいいんじゃないかな?」ヒソヒソ

 

和田T「……本当は1日目に出ていた子にも渡してあげようとしていたからね、ソラって」ヒソヒソ

 

斎藤T「……そうですね。メイクデビューを果たす私の担当ウマ娘の同世代の競走ウマ娘になるかもしれませんけど、トウカイテイオーやシンボリルドルフの全盛期と比べたら大したことはないですからね」ヒソヒソ

 

和田T「……うん。ここは塩対応じゃなくて敵に塩を送りましょう」ヒソヒソ

 

斎藤T「……はい」ヒソヒソ

 

 

サトノダイヤモンド「あの、教えてください、トレーナーさん。お願いします」

 

斎藤T「……いや、『大切に育てられてきた箱入り娘なんだな』って。それが第一印象です」

 

サトノダイヤモンド「え」

 

和田T「あ、なるほど。マックイーンと同じだ。能力や素質があっても経験不足が足を引っ張ったんだ」

 

サトノダイヤモンド「え? それはどういう――――――?」

 

斎藤T「良く言えば 褒めて伸ばす教育方針、悪く言えば 甘やかされて育ってきたことで、自分に向けられた敵意や悪意に対する耐性がなく、それらを跳ね除ける胆力に欠けていますね」

 

斎藤T「――――――絶対に負けられない勝負というものを経験したことがないのではありませんか? そこまで必死になったことがないから、意志と意志のぶつかり合いになる真剣勝負でヘタれてしまうのです」

 

和田T「あ、それは思った。マックイーンを参考にした走りなのは一目でわかるのに安定感がない。ブレブレなんだ」

 

サトノダイヤモンド「そ、そうだったんですか?」

 

斎藤T「そして、こうして間近に接してみてわかるのは、あなたはサトノグループの令嬢として貞淑に振る舞っているつもりでも自分というものを必死に抑え込んでいるだけで、本当はもっとわがままに生きたいと思っているはずです」

 

斎藤T「だから、能力や素質の面においては入学前から正規のトレーニングを積んで他を圧倒しているはずなのに、真剣勝負の競り合いになると素の自分が抑えられなくなってあっさり掛かって自滅するわけですよ」

 

斎藤T「あなたはトレセン学園で夢を掴もうと必死になっているウマ娘たちの剥き出しの闘争心に触れておくべきだと思いますね」

 

斎藤T「あなたの走りには競走ウマ娘としての闘争本能がまるで感じられない」

 

斎藤T「そういう意味ではまさしくお淑やかで見目麗しきサトノの令嬢だと言わざるを得ません。重バ場で泥に塗れたこともないような綺麗な走りでしたよ、貞淑さの仮面を脱ぎ捨てようとするまではね」

 

サトノダイヤモンド「!!!!」

 

 

斎藤T「……ちょっと言い過ぎたかな?」ヒソヒソ

 

和田T「……いや、俺はあれでいいと思ます。俺から見てもサトノダイヤモンドの走りはどうにも固まりきっていない感じがする」ヒソヒソ

 

和田T「……たしか、サトノ一族からG1ウマ娘を輩出することで『名家』の仲間入りを目指しているって話だけど、なんか『G1レースならどれでもいい』みたいな感じがして、具体的な目標が定まっていないんじゃないかな?」ヒソヒソ

 

和田T「……そう考えると、入試のハロン走で優秀な成績を収めてもおかしくはないけど、公営競技の真剣勝負の舞台の雰囲気に呑まれることになる」ヒソヒソ

 

和田T「……そこがサトノ家とメジロ家の明確な差なんじゃないかと思う。メジロ家ははっきりと『天皇賞(春)』制覇による最強を目指しているから、その辺りの目的意識が軽薄に思えますね」ヒソヒソ

 

斎藤T「……なるほど。それならサトノ家はまだまだG1レースを制覇するにはお上品というわけですね」ヒソヒソ

 

 

サトノダイヤモンド「………………」

 

斎藤T「そういうわけですので、おそらく素質は十分ですが、あなたは本気で夢を掴み取ろうとする意志に劣っています。そこがサトノ家とメジロ家の決定的な差です」

 

和田T「あ、でも、そこまで深刻にならなくてもいいからね」

 

和田T「要は、どのG1レースで勝ちたいのか、目標がはっきりとしていないから方向性が定まっていないだけで、担当トレーナーと一緒にしっかり目標設定をしてトレーニングに励んでいるうちに意志が固まっていくもんだから」

 

サトノダイヤモンド「誰も……、誰もそんなことは言ってくださいませんでした。選考会(トライアル)に来た方々は誰も……」

 

和田T「それじゃあ、俺たちは先に帰ってるからね。『宝塚記念』で“女帝”エアグルーヴに、ウオッカ、エアシャカールといった強豪が待ち構えているのでね」

 

斎藤T「では、ごきげんよう」

 

サトノダイヤモンド「………………」

 

 

スタスタ・・・

 

 

和田T「少し道草を食っちゃったけど、これでようやく帰れるな」

 

斎藤T「………………」ズンズンズン・・・

 

和田T「あ、ちょっと! 早歩きするほど急ぐもんでもないんじゃ――――――」

 

サトノダイヤモンド「――――――」

 

 

――――――採用です!

 

 

和田T「は?」ピタッ

 

斎藤T「ダッシュで逃げますよ!」ドンッ!

 

和田T「うおおおおおっ!?」ダダッ

 

サトノダイヤモンド「待ってください、トレーナーさん!」ドドドドド!

 

 

――――――採用ッ! あなたが私のトレーナーさん! 私の探していたただひとりの人です! ですから採用ッ!

 

 

急に掛かりだしたウマ娘の猛追を躱すべく急いで角を曲がった瞬間、私たちは百尋ノ滝の秘密基地に時間跳躍しており、厄介事が増えたことにアグネスタキオン’(スターディオン)が呆れた表情で見つめていた。

 

それがサトノダイヤモンドという厄介なウマ娘との因縁の始まりであり、私としてはまったく記憶にない『選抜レース』後の模擬レースのことで絡まれることになってしまったのだ。

 

当然、トレセン学園の生徒とトレーナーなのだからこのまま顔を合わせないままでいられるはずもなく、百尋ノ滝の秘密基地にずっと引き籠もっている場合でもないので、早々に誤解を解くためにエクリプス・フロントで話し合いの場を持つことになったのだが――――――。

 

 

サトノダイヤモンド「普通なら相談すべきことかもしれませんけど、家の総意で決めるのもきっとジンクス――――――、なら、私の直感を信じてジンクスを破ります!」

 

サトノダイヤモンド「私のトレーナーは、誰がなんと言おうとあなた!」

 

サトノダイヤモンド「決まりです。決めました。受けてくれますよね、ね、ね?」

 

斎藤T「謹んでお断ります」

 

サトノダイヤモンド「どうしてですか!?」

 

アグネスタキオン「おいおい、『どうして?』も何も、トレーナーくんが私の担当トレーナーだからだよ」ムスッ

 

サトノダイヤモンド「どうしてですか!?」

 

アグネスタキオン「いや、私の担当トレーナーであるという確固たる事実に対して『どうして?』と返すのは理不尽じゃないかい?!」

 

サトノダイヤモンド「だって、ようやく見つけることができたんですよ、私だけの担当トレーナーさん!」

 

斎藤T「いえ、私はアグネスタキオンの担当トレーナーです。あなたの担当トレーナーではないです」

 

アグネスタキオン「うんうん。そうだろう。そのとおりだよ、トレーナーくん」

 

アグネスタキオン「ほら、さっさとあきらめたまえ。私もメイクデビューすることだし、私も彼もそんなに暇じゃないんだ」

 

サトノダイヤモンド「嫌です! この方がいいんです!」

 

サトノダイヤモンド「ですので、私のトレーナーになってください!」

 

斎藤T「お断ります」

 

サトノダイヤモンド「どうしてですか!?」

 

 

アグネスタキオン「このままじゃ埒が明かないねぇ!」

 

 

アグネスタキオン「じゃあ、逆に訊くけど、先月の『選抜レース』の後にトレーナー選考会(トライアル)を兼ねた模擬レースをアオハルチームでやっていたそうじゃないか」

 

アグネスタキオン「それでトレーナー選考会(トライアル)に集まったトレーナーが28人。その全員を落としたのは何故なんだい? その中にはサトノ家の悲願であるG1勝利の実績を持つベテラントレーナーもいただろうに」

 

サトノダイヤモンド「……ちがうんです」

 

アグネスタキオン「何がだい?」

 

サトノダイヤモンド「選考会(トライアル)に集まってきてくれた方々は模擬レースでの走りを見て全員が同じことしか言わなかったんです」

 

アグネスタキオン「……それが全員を落とす理由なのかい? 同意見だからと言ってもそれ以前に実績が異なるはずじゃないのかい? そこを踏まえて順位付けがあるもんだろう?」

 

斎藤T「なるほど。集団浅慮を避けるために全会一致の場合は議決を無効にして議論を振り出しに戻す制度みたいなのがサトノグループにはあって、選考会(トライアル)に集まったトレーナーたちは欠点があることがわかっていてもウマ娘の『名家』ではないサトノ家に忖度してしまったんでしょうね――――――」

 

 

斎藤T「あ、わかった。それ以上にサトノグループの歴史が浅いせいでトレーナーという人種を知らなすぎたのかもしれませんね」

 

 

斎藤T「……ああ、なんか当たり前のようにトレーナーバッジをみんなつけているから勘違いしていたけど、()()()()()()()()()U()R()A()()()()()()()()()()()()()()()()()んだな?」

 

サトノダイヤモンド「え」

 

アグネスタキオン「どういうことだい、トレーナーくん?」

 

斎藤T「要するに、トレーナーたちの間では『名家』出身の令嬢たちには厳しい指導をしても大丈夫だという共通認識がある一方で、そうではない『良家』出身の令嬢たちには本当のことが言えなくなる壁があるわけですよ」

 

サトノダイヤモンド「それって、サトノ家とメジロ家の決定的な差のことですか?」

 

アグネスタキオン「ふぅン、言われてみれば そうかもしれないねぇ」

 

サトノダイヤモンド「????」

 

 

斎藤T「まず、第一にして『名家』のウマ娘はあんな大々的な入社試験みたいなトレーナー選考会(トライアル)なんてことはしないですよ」

 

 

サトノダイヤモンド「え」

 

斎藤T「当たり前でしょう。その他大勢の一般的なウマ娘たちと同じように学園内でこれから二人三脚で同じ道を歩むトレーナーたちと直に交渉を重ねて担当契約を結ぶのであって、」

 

斎藤T「学園とバ場を住処にしているようなトレーナーたちをサトノグループのでっかい社屋に連れ込んでお偉方の前で面接なんてさせようものなら、良識ある社会人としてサトノ家の御令嬢のことで悪いことなんて面と向かって言えないですよ、そんなの」

 

サトノダイヤモンド「あ!」

 

アグネスタキオン「それはそれは。本当のことを言ったら大変失礼になって大人の都合で落とされてしまうねぇ。本人との相性なんか無視してね」

 

斎藤T「これが『名家』だったらウマ娘の改善点をしっかりと言うことがトレーナーとしての義務であると双方の理解があるので忌憚のない充実した選考会(トライアル)が成立するでしょうけど、」

 

斎藤T「サトノグループのお偉方は『名家』のようにサトノ家のご令嬢がトレーナーたちにいろんな欠点や改善点があるということを指摘されて顔を真赤にせずにいられますか? トレーナーとしての有能さをアピールしやすい環境作りを徹底していますか? 会社員じゃないんですよ、トレーナーは?」

 

 

――――――まったくもって不合理なトレーナー選考会(トライアル)で落とされた28人全員に もう一度 機会を与えてください! 話はそれからです! それと二度と関わらないでください!

 

 

こうして私は謎の因縁をつけて担当契約を迫ってくるサトノダイヤモンドを追い払うことに成功し、後日にあらためてサトノダイヤモンドのトレーナー選考会(トライアル)がこのエクリプス・フロントで開催されることとなった。

 

サトノグループのプライベートヘリが屋上のヘリポートに着陸し、今度はトレーナー候補とサトノ家がそれぞれ出向いてエクリプス・フロントの貴賓室(ゲストルーム)で丁寧に面接を行うことになったのであった。

 

すると、サトノグループのでっかい社屋に呼んだ時と比べて明らかにトレーナー候補たちの発言にそれぞれの個性や信条が現れるようになり、28人全員が同じようなことしか言わなかった以前とは様変わりしたのであった。

 

結果として双方が手応えを感じた実りあるトレーナー選考会(トライアル)となったようなのだが、私にとっては心底どうでもいいことであった。

 

 

そして、担当ウマ娘:アグネスタキオンもサトノ家とは知らない仲じゃないので、この機にサトノグループについて詳しく調べてみた。

 

 

サトノグループは新興グループながらもウマ娘のレース文化に深い愛情を抱き、その発展に貢献したいと考え、運営協力や慈善事業などの活動を行なってきた。

 

しかし、『名家』メジロ家と比べると歴史は浅く、加えて企業にとってのウマ娘レースへの“最大の貢献”と語る『一族からG1レースを勝利するような名ウマ娘を輩出すること』ができていないため、

 

そうした名ウマ娘を輩出することは何者にも代え難い“最大の貢献”であり、その期待を背負って生まれたのがサトノダイヤモンドという“サトノ一族の至宝”なのである。

 

 

――――――その説明をサトノ家と懇意のメジロマックイーンから聞き出した時、私は怒りのあまりにメンコを地面に叩きつけていた。イラつくだろうと思ってストレス発散にメンコを用意して正解だった。

 

 

まず、このサトノグループの“最大の貢献”に対する認識の違いが私にとっては甚だ不快であった。

 

たしかに、ただ単にG1勝利を求めているわけではなく、ウマ娘レース業界を盛り上げるようなスターウマ娘を輩出するのはウマ娘レース業界を支援している企業理念に合致するのでそこはいい。

 

ただ、その割には トレーナー選考会(トライアル)で28人全員を落とすような お粗末なトレーナーへの理解は何なのだと 小一時間 問い詰めたい気分である。その28人の中には立派なG1トレーナーが何人もいたのだ。

 

無理解ゆえの慎重を通り越した愚鈍な選考基準の原因を考えたら、もしかしたらサトノグループには今まで一人もトレーナーバッジを得た者がいなかったんじゃないかと疑ってしまう。よくよく考えたら、国立大学の入試よりも難しい最難関の国家資格なのだから、新興のサトノグループなら それも有り得そうではある。

 

なので、まずは合格者がゼロ人の年もある最難関国家資格の合格者を増やすための支援事業をやってもらうのが今一番に業界で必要とされる“最大の貢献”だと私は考えているわけである。わかるだろう、トレセン学園の入学者が増えてもスカウトできるトレーナーの供給が追いついていないのだぞ。

 

そして、『一族からG1レースを勝利するような名ウマ娘を輩出する』悲願というのも非常に曖昧なものであり、数字に厳格であるべき経済人がそんなあやふやな目標設定でいいのかと、逆にスカウトをかける側が心配になってしまう。

 

『全て良きに計らえ』とトレーナーに一任するつもりならまだしも、大々的なトレーナー選考会(トライアル)まで開いたわりに大事なウマ娘を託す側であるサトノグループとの明確な目標設定の合意形成がなされないのは、担当トレーナーにとっては物凄くやりづらい上に余計な重圧になってしまうことだろう。

 

 

さて、サトノダイヤモンドのトレーナー選考会(トライアル)が再実施された裏で、エクリプス・フロントの多目的ホールの1つを部室として私が開発した新製品や新発明の展示や試験運用を行っているESPRITにて、私は『春の選抜レース』で感じたソラシンボリのアイデアを形にするべく奮闘していた。

 

ソラシンボリがシリウスシンボリにノード構築の参考になるライブモニターとICカードを導入したアーケード筐体が稼働していたゲームセンターの買収をお願いし、以前にハロンカーペットを提案したこともあって、今度も企画書を見せれば すぐさまシンボリ家の財力で買収の話は進むことになった。

 

そして、それは意外にも京王線府中駅より徒歩5分の場所のゲームセンターであり、そこで店のオーナーと話をつけてノード構築に必要なノウハウの獲得に向かったのだった。

 

 

ソラシンボリ「うわーっ! こんなにも静かなゲームセンターは初めて!」

 

シリウスシンボリ「はしゃぐなよ、ソラ」

 

シリウスシンボリ「しかし、ここは昔馴染みのゲーセンだったのに、閉店することが決まっていたのは寂しいものがあるな」

 

シリウスシンボリ「で、ノード構築に必要なお目当てのアーケード筐体はちゃんとあったぞ。少しこいつで遊んでてもいいか? アンタがやることやらないことにはこっちも暇なんでね」

 

斎藤T「いいですよ。それで実際のデータの流れを見る必要があるので」

 

シリウスシンボリ「よし! 付き合え、ソラ! フリープレイだからいくらでも遊べるぞ!」

 

ソラシンボリ「うん! こういうの久々だな~!」

 

斎藤T「……さて、仕様書を読む限りだと、こういうデータの流れがあるわけか。ライブモニターにICカード。なるほど、そういう感じになっているんだな」ブツブツ

 

シリウスシンボリ「けど、潰れかけのゲーセンごと丸々買うんじゃなくて、このアーケード筐体を提供しているゲーム会社と直接交渉すればよかったんじゃないのか?」

 

斎藤T「それはできないです。ゲーム会社という新たな企業がウマ娘レース業界の利権に割り込むのは藪をつついて蛇を出すようなものですから」ピピッ

 

ソラシンボリ「うん。トレセン学園で自前で整備できるように基本的な構造だけ知りたいわけだから、雛形としてライブモニターが1つあれば十分だし」

 

ソラシンボリ「とにかく、そういう便利なものを1日でも早く置いてトレセン学園のみんなのために役立てたいんだ」

 

シリウスシンボリ「……そうかい。本当にソラはいい子だよ」

 

 

ピピッピピッピピッピピッ・・・

 

 

シリウスシンボリ「そういえばアンタ、サトノダイヤモンドのトレーナー選考会(トライアル)をやり直させたんだってな」

 

斎藤T「それが何です?」

 

シリウスシンボリ「いや、それでサトノダイヤモンドの親父さんのサトノグループCEOにえらく気に入られているっぽいんだよな」

 

シリウスシンボリ「このゲーセンの買収がここまですんなり進んだのもそれが関係していてな」

 

斎藤T「はあ? それまたどうして?」

 

シリウスシンボリ「そもそも、そのサトノグループってのは、これまでも数多くのウマ娘をトレセン学園に送り出しながらもG1未勝利のジンクスに悩まされていてな。私がトレセン学園の生徒だった時もそんな感じのうだつの上がらない『名家』の成り損ないだったわけさ」

 

シリウスシンボリ「そして、男児ばかりが生まれてウマ娘に恵まれなかった時期にはそれすらもジンクスのせいだと嘆いてばかり」

 

シリウスシンボリ「それで、サトノダイヤモンドはそんな中で生まれた数少ない素養のあるウマ娘ということで、一族から大きな期待を背負ってトレセン学園に入学しているわけなのさ」

 

斎藤T「なるほど。だから、あれほどまでに過保護になるわけで。しかも、男児に恵まれすぎて待望のウマ娘の姫君のことを徹底的に甘やかしたわけだ。親馬鹿もいいところですね」

 

斎藤T「いや、過去に何人もトレセン学園にウマ娘を送り出しておいて、ウマ娘の闘争本能を萎えさせるような教育を本命であるサトノダイヤモンドに施すだなんて、あんまり向いてないんじゃないんですか、そもそも?」

 

シリウスシンボリ「あんたの言う通りだよ。サトノダイヤモンドの親父さんはウマ娘レースの厳しさを我が子に教え込むことができない軟弱者さ。だから、『名家』の仲間入りを果たせないわけさ」

 

シリウスシンボリ「――――――つまり、()()()()()()さ」

 

斎藤T「知らないですよ、()()()()()

 

斎藤T「だったら、懇意にしているメジロ家へ修行に出せばいいじゃないですか」

 

シリウスシンボリ「なるほど、そいつも一つの手だな」

 

シリウスシンボリ「まあ、そういうお上品な家柄だからこそ、清濁併せ呑むウマ娘の『名家』には成り得ないし、これからもウマ娘レース業界発展の肥やしに成り続けるだろうな」

 

斎藤T「本人の気質としてはソラシンボリにかなり近いのに、かなり我慢させられていますよ、あれ」

 

シリウスシンボリ「だろうな。何でもかんでもジンクス、ジンクス、ジンクス――――――、そんなことを言われ続けていたら頭がおかしくなるさ」

 

シリウスシンボリ「まあ、シンボリ家も似たようなものさ。『全てのウマ娘が幸福になれる世界』だなんて御題目」

 

斎藤T「けど、前向きなものじゃないですか、その理想は。ジンクスを唱え続けて後ろ向きな気分で居続ける家庭よりは遥かにマシですよ」

 

シリウスシンボリ「そりゃどうも」

 

ソラシンボリ「ちょっと待ったああああああああああ! 勝手に入ってこないでよッ!」

 

斎藤T「ん?」

 

シリウスシンボリ「……ソラ?」

 

 

サトノダイヤモンド「ようやく見つけましたよ、トレーナーさん! 今日こそ私のトレーナーになってください!」ドンッ!

 

 

シリウスシンボリ「噂をすれば何とやら」ウワッ

 

斎藤T「……何の用ですか? こちらから話すことはないですよ。おとなしくトレーナー選考会(トライアル)に戻りなさい」

 

斎藤T「そもそも、私がサトノダイヤモンドの担当トレーナーに相応しくない理由をしっかりとしたためて送っているはずですが?」

 

サトノダイヤモンド「はい。しっかりと読ませていただきました」

 

サトノダイヤモンド「ですので、私の担当トレーナーになってください!」

 

斎藤T「…………頭がおかしくなりそうだ」

 

ソラシンボリ「……なんでそうなるわけ?」

 

シリウスシンボリ「これがサトノグループ流の交渉術、ヘッドハンティングのやり方なんだろう」

 

サトノダイヤモンド「だって、そうでしょう?」

 

ソラシンボリ「……何が?」

 

サトノダイヤモンド「お父様から聞きました。このゲームセンターの買収を進めているのは斎藤Tなんですよね?」

 

斎藤T「ちがいます」

 

シリウスシンボリ「この物件の買収を進めているのはシンボリ家のこの私だ」

 

ソラシンボリ「ゲームセンターの買収を提案したのもボクだし」

 

サトノダイヤモンド「でも、こうして閉店を迎えるはずだったこの場所を買い取るのには深い理由があるんですよね!」

 

斎藤T「いや、別に。このアーケード筐体で使われているICカードとライブモニターが欲しかっただけですが――――――」

 

 

サトノダイヤモンド「?!!?!!!!?!!!!」ガビーーーン!

 

 

ソラシンボリ「……え、何?」ビクッ

 

サトノダイヤモンド「じょ、冗談ですよね、トレーナーさん!? トレーナーさんはサトノグループの理念に感銘を受けてトレセン学園の生徒たちも足を運ぶこのゲームセンターの新オーナーになってくれるんじゃなかったんですか!?」

 

サトノダイヤモンド「そんなことまでしてくださった方は私の眼の前にいるトレーナーさんだけなのに!」

 

斎藤T「……誰が言ったんですか、それ? 事実じゃないですよ、それ」

 

ソラシンボリ「……え、なんで怒ってるの? さっきまで何を言われても動じていなかったのに!?」

 

サトノダイヤモンド「……そうですか、ゲームセンターを買収した目的がよりにもよってサトノグループのゲームじゃないんですね? そうなんですね!?」クワッ!

 

シリウスシンボリ「ああ、そうか。このゲームセンターはサトノグループの経営だが、お目当てのライブモニターは同業他社のものだからか。それはたしかに許せないのもわかるな」

 

斎藤T「いやいやいやいや! なんでトレーナー選考会(トライアル)にゲームセンターの買収の話が絡んでくる!?」

 

斎藤T「ハッ」

 

斎藤T「まさか、トレーナー選考会(トライアル)の基準に『サトノグループのゲームセンターの買収』みたいなのを含めたんじゃあるまいな!?」

 

サトノダイヤモンド「はい! ここまでサトノグループのために尽くしてくれたトレーナーは初めてでしたので!」ニッコリ

 

 

斎藤T「――――――頭おかしいだろう!?」ガーーーン! ――――――脳天直撃!

 

 

斎藤T「謝れ! その才能と素質に惚れ込んでスカウトしに来た28人のトレーナーに謝れぇ!」

 

サトノダイヤモンド「でしたら、私のトレーナーになってください!」

 

斎藤T「断る!」

 

サトノダイヤモンド「強情ですね!」

 

斎藤T「どこに『うん』と肯くところがある!?」

 

ソラシンボリ「トレーナー! ネットワーク構成の分析と実機の稼働記録が済んで、あとは実機のライブモニターの分解だけなんでしょう?」

 

ソラシンボリ「だったら、あとはもう必要な筐体を運んでもらって、さっさと物件を売却して、それでサトノと縁を切ろう」

 

サトノダイヤモンド「ダメです! 許しません! そんなことは許されません、絶対!」

 

シリウスシンボリ「もう言っていることがメチャクチャだな、おい……」

 

シリウスシンボリ「というか、買収を進めているのは私だからな。こいつじゃないぞ。勘違いするな」

 

 

サトノダイヤモンド「だって! トレーナーは私たちのチームの名付け親じゃないですか! そんなの無責任ですよ!」

 

 

斎藤T「はあ?!」

 

シリウスシンボリ「さすがにこれは意味不明だぞ? なんでお前のアオハルチームの名付け親に斎藤Tがなれるんだよ?」

 

ソラシンボリ「……たしか、きみのチームって<エンタープライズ>だったよね?」

 

斎藤T「――――――<エンタープライズ>だって?」

 

サトノダイヤモンド「そうです! キタちゃんと一緒のチームの名前をどうしようかでずっと思い悩んでいたところに颯爽とトレーナーさんが答えを出してくれたんですよ! それまで<サターン>か<ジョイポリス>か<カオスエメラルド>か<J6>か<MARZ>か<AZEL>か<NiGHTS>かで意見が割れていたのを!」

 

シリウスシンボリ「おいおい、本当か、その話? また話がややこしくなってきたぞ?」

 

ソラシンボリ「あ、まさか――――――」

 

ソラシンボリ「ねえ、サトノダイヤモンド? <エンタープライズ>の由来って何? 斎藤Tから教えられたんだよね?」

 

斎藤T「あ、わかった。そういう繋がり――――――?」

 

サトノダイヤモンド「あ、思い出してくださいましたか!」

 

 

斎藤T「スペースシャトル・オービター:エンタープライズ(Enterprise)だ! チーム<エンデバー>や<コロンビア>と同じ!」

 

 

サトノダイヤモンド「そうです! それとセガ・エンタープライゼス(SEGA Enterprises)です!」ドヤァ*1

 

ソラシンボリ「そうだよ! 最初にチーム名の候補として宇宙開発関係から『宇宙のランデヴー』で有名な宇宙船:エンデバー号を教えられた後、他の候補として『エンデバー』繋がりで歴代のスペースシャトル・オービターの名前を教えられたんだよね!」

 

シリウスシンボリ「なるほどな。一般的にEnterpriseは“企業”と訳されるが、元々は“大掛かりなこと”から転じて“企画”や“冒険”を意味するわけだから、サトノグループの令嬢にとってはピッタリじゃないか」

 

斎藤T「でも、サトノダイヤモンド。やっぱり、きみに教えた憶えはないんだけど……」

 

サトノダイヤモンド「そんなはずは――――――!?」

 

シリウスシンボリ「もういい! 解析は終わったんだから、このアーケード筐体ごと目当てのものをエクリプス・フロントに運べばいいんだろう?」

 

 

――――――さあ、今日のところはこれでお開きだ! 買収の話もこれで終わりだからな!

 

 

こうして欲しいのものは手に入り、ソラシンボリの提案で他にもウマ娘レースのために使えそうなアーケード筐体も根こそぎ百尋ノ滝の秘密基地にトラックごと時間跳躍で運び入れ、閉店となったゲームセンターはすぐに売却してサトノとの因縁を断ち切ることになった。

 

信じられない話だが、サトノグループの令嬢はそんなことでその場で泣き崩れることになり、酷く泣き腫らした顔で学園生活を送っていたことにより、学園中で噂になっていた。

 

しかし、サトノダイヤモンドにつけられた謎の因縁の正体がこんなしょうもない理由だとは思いもしなかったが、実際にはその奥にあるものが私にははっきり見えていたので、これにはホトホト困り果てた。

 

サトノグループの令嬢:サトノダイヤモンドはここまで見てきた通り、ウマ娘レースの『名家』の生まれではなく、経済界で名を連ねる『良家』の生まれであり、この両者は似ているようでまったく異なるのは十分に理解できたことだろう。

 

だからこそ、サトノダイヤモンドは私がウマ娘レースに関しては“門外漢”であっても本職が宇宙移民として国家建設を生業とする人間であることを直感で見抜き、ウマ娘レースの貢献に必要な人材である以上にサトノグループの発展に必要な人材であることを感じ取っているのだ。

 

そう、そこがサトノ家が本質的にウマ娘レースの『名家』に成り得ない経済人の(銭勘定の上手い)血筋というわけであり、私という存在を欲する競走ウマ娘は尽くウマ娘レースの主流に対して異なる視点や今までにない価値観を求めていることになるわけである。

 

 

それがわかるだけに私は競走ウマ娘:サトノダイヤモンドのことを敬遠するわけなのだ。

 

 

腐っても私とてトレーナーバッジを身に着ける人間だ。だからこそ、ウマ娘レースに対して真摯なウマ娘こそ優先するわけであり、サトノグループが強調するトレーナー選考会(トライアル)の慎重さなど、退学処分を覚悟して4年間に渡って調整を重ね続けてきた私の担当ウマ娘:アグネスタキオンの孤独な忍耐と比べたら大したものなどではない。

 

あとは基本的にサトノダイヤモンドという箱入り娘とは波長が合わない。というより、私という存在が23世紀の宇宙時代においては世紀の大天才にして超一流の技術者だからこそ、ウマ娘の可能性の“果て”を追究するアグネスタキオンという一癖も二癖もある研究者の扱いになれているわけであり、それに対して箱入り娘とでは住んでいる世界がそもそもちがっている。

 

あるいは、皇宮警察の超エリートの息子である“斎藤 展望”の特質がサトノグループの令嬢に対する忌避感を引き立たせているのもある。

 

思い出せ。なぜ“学園一の嫌われ者”にして“門外漢”である“斎藤 展望”がトレセン学園にトレーナーバッジを身に着けてまでやってきたかと言えば、世界最高峰の警察バの血統と才能を持つ最愛の妹:ヒノオマシのためであり、“斎藤 展望”にとっての愛を捧げるべき貴婦人(ファーストレディ)は最初から決まっているのだ。

 

なので、最愛の妹:ヒノオマシを一番にしない“斎藤 展望”などありえないので、トレーナーとの関係以上のものをおねだりする『良家』サトノ家の令嬢:サトノダイヤモンドのことは何が何でも拒絶する他ないのだ。

 

なにしろ、あんなトレーナー選考会(トライアル)をする親馬鹿がいるのだ。愛娘が担当トレーナーに恋したともなれば、絶対に会社の力を使って一個人の人生を奪いにやって来るのは目に見えている。

 

それ以上に根本的に無理だ。もうひとりの担当ウマ娘にしてお茶を濁すには、私が“斎藤 展望”になった時点でトレーナーバッジを身に着けるに足る知識と記憶が抜け落ちているからこそ、実際にはサブトレーナーに据えたトウカイテイオーの岡田Tに私の担当ウマ娘の指導を任せているのだから。

 

私と基本的に相性がいいウマ娘を考えたら、トレーナーバッジにしか価値がない素人トレーナーにほとんど頼る必要がないほどに自身の走りが完成されているウマ娘に他ならず、そこまでいったらトレーナーの才能に関係なくG1勝利を掴み取れることだろう。

 

なので、いくつもの可能性の世界で“斎藤 展望”がビワハヤヒデやナリタブライアンと担当契約を結んでいるのもそういうことであり、その点で言えばトレーナーの指導を必要とするほどに己の走りを確立できていないサトノダイヤモンドが私の担当ウマ娘になるのは不適切というわけである。そもそもが力不足なのだ、私は。

 

サトノ家が抱えているジンクスに囚われた後ろ向きな精神性を叩き直す意味では地球文明の後継者として冠婚葬祭の一切を取り仕切れる祭司長たる私が適任であるが、『ウマ娘レースで活躍する名バの輩出』というサトノ家の悲願とはあまり噛み合わない。相手方はG1レースに勝たせるトレーナーを所望なのであって、ジンクスで後ろ向きな性根を叩き直すカウンセラーは募集していないのだから。

 

そう、何から何までサトノ家の令嬢に求められているものと噛み合わないのが“斎藤 展望”という無名の新人トレーナーであるのだ。もしも私が“斎藤 展望”ではなかったのなら、可能性はあったのかもしれないが、これが今の私そのものである“斎藤 展望”の現実なのだ。

 

だからこそ、サトノグループの思い違いと思い上がりを改めて28人も集まったトレーナー選考会(トライアル)をやり直すように懇切丁寧に文書化してサトノダイヤモンドに手渡したわけであり、サトノダイヤモンドの担当トレーナーなどやりたくないから全力を尽くしたというのに、なんだと言うのだろうか、あれは。

 

 

しかし、さすがは財力を物言わせた親馬鹿である。早速、娘を泣かせた下郎に対してこっちの言い分を聞くこともなく容赦ない報復を開始した。

 

 

ウマ娘を子に持つ父親というものはヒトの男性の精子を受けて血筋を絶やすまいとするウマ娘から放たれる性的フェロモンに狂わされて親馬鹿を通り越したモンスターペアレントになるのは裏世界の実相でわかっているので、『サトノグループの御令嬢が泣いた』ということでこうなることが冷静に予感できていた自分が怖い。

 

結果、私自身が藪をつついて蛇を出すことを危惧していたことが現実のものになり――――――。

 

6月中にアーケード筐体のライブモニターをヒントにした トレセン学園で保守管理ができるように街中の家電量販店で購入した部品で大部分が構成された 自主トレ苦学生御用達となるソリューション『エクリプスビジョン』の試験運用を開始したことで、エクリプス・フロントに通う生徒たちが更にESPRITにも足を伸ばすようになっていた。

 

そんな中、多忙を極める樫本代理もまた生徒たちの様子を見るためにエクリプス・フロントに足を運ぶため、ソラシンボリの提案で開発された『エクリプスビジョン』の試験運用に立ち会うことになり、慢性的なトレーナー不足のためにスカウトから漏れてしまっている大半の生徒たちに少しでも希望を与える試みとして感銘を受けることになった。

 

だからこそ、樫本代理はエクリプス・フロントの陰で声を押し殺して肩を震わせて涙を流すことになり、致命的身体能力の低さからくるいつもの疲労かと肩を貸したのは少しばかりデリカシーに欠けていたと反省せざるを得ない。

 

しかし、学校法人:トレセン学園の運営母体であるURAの幹部職員であるからこそ、トレセン学園の門戸を開け続ける努力をし続けて ついには総生徒数2000名を超える巨大な中高一貫校に成長した一方で、肝腎の夢の舞台への二人三脚のペアチケットを握るトレーナーの数がまったく追いつかないために才能あるウマ娘たちをスカウトしきれない矛盾に樫本代理も頭を抱えていたのだ。

 

そして、トレセン学園を秋川理事長と共に黄金期へと導いた“皇帝”シンボリルドルフを輩出したあの『名家』シンボリ家の新たな令嬢:ソラシンボリが『日本オークス』と『日本ダービー』の裏で開催された『春の選抜レース』で真っ先に感じていたもの、巨大な声なき声を聞き入れてESPRITに『エクリプスビジョン』の開発を提案したこと――――――、

 

なぜ今持って増え続けている トレーナーからのスカウトを心待ちにしている 数多くの将来有望な生徒たちのために真っ先にしてやれること、それを形にすることができなかったか、その不甲斐なさを樫本代理は誰よりも深く恥じ入っていたのだ。

 

だが、これは簡単な話である。多くの場合、人は形にして見せて貰うまで()()()()()()()()()()()()()()()ものなのだから。

 

その意識の壁を飛び越えた先に立つこの私は『こうあったらいいな』『これができたら素敵だな』というアイデアや願いを聞き届けて私が生涯で学び得た地球文明の叡智と生活の知恵を駆使して それをソリューションという人に理解できる形にして提供することに何十年も従事してきた世紀の天才なのだ。

 

 

――――――発明の天才とはその偉大さや良さ、便利さをわかりやすく人々の心に訴えるマーケティングの天才でもあり、新しい価値を創出することやそのための創意工夫の手間を厭わないぐらい造作もないのだ。

 

 

なので、私はソラシンボリの切なる願いを聞き入れて胸を痛める樫本代理のことをこれからも新発明の宣伝先のお得意様として大事に扱って、誤解を恐れずに愛ゆえに厳しさを与える道を選んだその小さな背中を支えようと思う。

 

それが“皇帝”陛下と共に黄金期を導いた秋川理事長が自身の代理として樫本 理子を選んだことへの義理立てであり、秋川理事長自身の後継者育成の一助になることを切に願う。

 

しかし、世間ではそれ以上にサトノグループがウマ娘レース業界に対する空前絶後の大貢献を果たすことを突如として宣言し、トレセン学園の近隣に近未来的なトレーニング環境を提供する『エクリプスポリス』建設を発表したことに話題が持ちきりとなっていた。

 

なるほど、どうやら『皇帝G1七番勝負』でお披露目になった世界のどこにも存在しない神域の超高性能VRシミュレーターに触発されて、サトノグループで難航していた高性能ウマ娘レースシミュレーターの開発計画が再発進となったようだ。

 

そこから更に現実世界でのトレーニング効果を還元するためにトレーニングエリアをVR化するARシミュレーターが展開された屋内環境であらゆる情報がデータ化されるサイバネティクスの極みと言えるトレーニング環境による超精密なトレーニング分析を可能にさせるというわけである。

 

なので、もしそんな電脳世界と表裏一体となったトレーニング環境『エクリプスポリス』が実現できたのなら、映像データから一々シミュレーションデータを作成して過去のシミュレーションデータとの比較分析しかくだせない『エクリプスビジョン』なんか不要になることだろう――――――。

 

 

だが、しかし、サトノグループの誇りにして最大のジンクスであるゲームハード事業がなぜ失敗に終わったのかを未だに学習できていないと見える。

 

 

やろうと思えば地球に侵略してきたWUMAの数だけ『皇帝G1七番勝負』で使ったシミュレーターを用意できたのに私が敢えてやらなかったことをやりだすサトノグループの軽率さよ。この辺りもサトノグループからG1ウマ娘が出ないジンクス以前にトレーナーバッジを掴んだ人間が組織にいないことが透けて見えてしまう。

 

人々がなぜ正確なトレーニング結果を知りたいのかを理解していないと見える。私が『エクリプスビジョン』で与えようとしたのは正確なトレーニング結果などではない。それが何かを理解しないとサイバー・トレーニング環境『エクリプスポリス』が人々の心に寄り添うことはないだろう。

 

少し考えてみればわかる。電脳世界と表裏一体となったことでトレーニング状況が逐一情報化され、集積されたビッグデータによって個人の資質や傾向が完全に分析され、完璧な将来予測が立つようになったとしよう。

 

 

――――――そこで『あなたにはG1ウマ娘になる可能性はない』という解析結果をマシーンがくだすようにまでなったら、あなたはどう思いますか? あなたのテンションは絶好調を保てますか? 未来に希望を抱けますか?

 

 

それこそがパンドラの箱に残された最後の希望(エルピス)というわけなのだ。未来のことが全て決まっているかのように完璧に予測ができてしまったら、人間という生き物は未知なるものを求めて今日とはちがう明日を求めなくなってしまうのではないだろうか。明日は明日の風が吹くべきである。

 

こういった個人の将来や進路にまつわる未来予測は多少は不便でわかりづらく、解釈次第でどうとでも希望が持てるように幅があるものでないといけないのだ。だからこそ、神託とは常に多くの解釈を生む曖昧さの中により多くを活かす真実を見つける者のためにある。

 

だいたい、私が読んできたそういった未来予測が関わってくる21世紀の創作物だと、人類の破滅がどうあっても変えられないということを知ってしまったために発狂の末に破滅思想に染まって自ら人類を粛清せんとする倒錯しきった悪役なんてものは珍しくもない。なので、知らないのは罪だが、知りすぎるのも罠なのだ。

 

 

――――――しかし、読んでいていつも思うのは『こいつらは阿呆か? 形あるものはいつかは滅びるのが世の習いであり、生と死は不可分にして表裏一体である自然の摂理に逆らうからこそ狭量で偏屈で独善に満ちた自意識によって破滅がもたらされることがなぜわからないのか?』と唯物主義に染まった人間に憐れみを覚えている。

 

 

そのことを踏まえて『人々がなぜ正確なトレーニング結果を知りたいと思うのか』を改めて考えると、それは『トレーニングが実を結ぶ』という人生の指針となる希望を目にしたいからなのであって、『お前は生まれついてのダメ人間である』と将来性皆無であることを吐き捨てられるような冷酷なトレーニング結果など誰だって目にしたいとは思わないだろう。意味がないことは誰だってしたくないのだから、価値を否定されることは避けたいものだろう。

 

私が危惧していることというのは『夢の舞台であるG1レースで勝てるウマ娘は一握りなのだから、当然 G1ウマ娘になれないと断言できる一般ウマ娘が大半なのに、その大半の人間のやる気や意欲を削ぐ容赦ない判決を言い渡す冷徹なトレーニングマシーンになっていないか?』ということである。

 

技術ばかりが先立って人々に対する思いやりが欠けているからこそ、“原爆の父”オッペンハイマーは『科学者は罪を知った』として 生涯 罪悪感に苦しめられる人生を送ることになったのだ。

 

私としては『名家』になろうとし続けて成り損ねて『良家』止まりのサトノ家とサトノグループにそこまでの人間理解があるようには思えず、果たして『エクリプスポリス』構想がどの程度の成果を残すのかを遠巻きに観察するしかなかった。成功しようと失敗しようとその実験データは有意義に使わせてもらうので、安心して成功も失敗もするがいい。

 

そして、マンハッタンカフェによる史上初の“春シニア三冠”達成を賭けた歴史を変える『宝塚記念』、その前日――――――。

 

 

スタスタ・・・

 

斎藤T「む」

 

サトノダイヤモンド「あ」

 

斎藤T「――――――」スタスタ・・・ ――――――目は合ったが、気にせず側を通り抜ける。

 

サトノダイヤモンド「う、うぅ……」

 

サトノダイヤモンド「ひどいです……」

 

サトノダイヤモンド「あんなにも訴えかけるような眼で私を見てくれていたのに……」

 

サトノダイヤモンド「本当の私に気づかせてくれた たったひとりのトレーナーなのに……」

 

サトノダイヤモンド「そうです。サトノ家の令嬢としてではなく、他の誰でもない私が“私”として初めて見つけたやりたいこと……」

 

 

――――――私は、絶対に、絶対に、絶対にッ! 泣いて謝るまで あなたのことを許しませんからねッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――チーム<エンタープライズ>! おおーーーーーーッ!

 

 

*1
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。




今回は『トレーナーにも担当するウマ娘を選ぶ権利がある』という当たり前の話をしたわけなのだが、
改めてこれこそが“斎藤 展望”の真骨頂であり、そのウマ娘が史実でどういった名馬かなど関係なく、『ウマ娘』という作品において最初から自分の走りを形にしてトレーナーの指導をあまり必要としない作中でも明確な強キャラとしか担当契約が上手くいかない超曲者ぶりが伝わったはずである。
そのくせ、トレーナーバッジを身に着けるに相応しい指導力がないために、G1ウマ娘を育成するには完全に力不足のトレーナーである一方、G1ウマ娘を育成なんかやっているのは役不足なトレーナーでもある。
その力不足と役不足の間の窮屈さによって自身が23世紀の世紀の天才にして波動エンジンも開発する宇宙船エンジニアであることを自重できているわけであり、
様々な重しや枷があって地球文明の後継者たる宇宙移民の能力がトレセン学園で過不足無く発揮されるため、そうでなかったら最愛の妹:ヒノオマシの養育費を稼ぐ算段がついた時点でトレセン学園を去っている。
それがそもそものトレーナーになった目的であり、最愛の妹:ヒノオマシの存在価値をトレセン学園のウマ娘より上に置いていることもあって、トレセン学園で偉そうにしている連中に恭しく接する義務もないのだ。

そして、ウマ娘:サトノダイヤモンドは“斎藤 展望”にとって相性最悪のウマ娘の一例であり、サトノダイヤモンドにとっては真っ当なトレーナーである以上に“おもしれーやつ”になるので好印象だが、
自分の走りだけでG1勝利を掴みに行けるだけの手のかからなさがすでにあったのなら、2人目の担当契約も考えなくもなかったが、そうではなかったので客観的な事実としてサトノダイヤモンドを指導するには力不足であると言い張るしかなくなっている。アグネスタキオンの実質的な指導をしているのはトウカイテイオーの岡田Tであるというのがポイントである。
あと、女の武器を理解している『良家』の御令嬢であるのも、最愛の妹:ヒノオマシのポジションを奪い取る脅威に成り得るので、“斎藤 展望”のアイデンティティのためにも 徹頭徹尾 拒絶の姿勢を崩さない。ヒノオマシを蔑ろにした瞬間にNINJAに命を狙われる立場にあるのもポイントだ。
さもなければ、斎藤Tというのは困っている人間を基本的には放っておけない人間であるため、『困った仕草をしてみせれば従わせられる』と学習してしまう危険性があるためだ。だから、目の届かない位置に遠ざける必要があった。
三女神から必要なものは必要な時に必要な分だけ与えられている“斎藤 展望”と関わり合うということはそれだけ強い縁があることの証でもあるからだ。

ただ、方や『宇宙船を創って星の海を渡る』壮大なロマンに生きる宇宙移民、方やサトノ家のジンクスを破るためにいろんなことに挑戦したがるチャレンジ精神旺盛の破天荒さのため、
すでに担当ウマ娘がいるトレーナーという立場でなければ、アグネスタキオンに並ぶとは言わないまでも共通点はかなりあるので、一致団結して二人三脚できる相性の良さはあった。
つまり、サトノ家の令嬢にはたしかに人を見る目はあった。自分の人生でもっとも必要な誰かを見つけ出すことができていたのだ。
けれども、『トレーナーという立場でなければ』ここまで拗れることはなかったが、出会うこともなかったので、この出会いは互いにとってただただ禍根を残すことになった。


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宣戦報告  きっと、いつか同盟を結ぼうか

 

 

――――――ウマ娘:ソラシンボリには夢がある。

 

 

それはシンボリ家の令嬢として“永遠なる皇帝”シンボリルドルフ、一人のウマ娘として“不滅の帝王”トウカイテイオー、自身が尊敬する名バたちに肩を並べる“夢のヒーロー”になることである。

 

『日本オークス』の裏の『春の選抜レース』1日目の第1レースで8バ身差の大差をつけての圧勝、翌週の『日本ダービー』の裏の『春の選抜レース』2日目の第11レースでダートコースも軽やかに走り抜けた凄まじさは緩急をつけて徐々に徐々に学園内外に知れ渡った。

 

その走りはシンボリルドルフの再来、はたまたトウカイテイオーの再来とも評され、両者の特徴を併せ持った均整のとれた軽やかな走りであった。

 

それでいて、“皇帝”シンボリルドルフのような威厳ある走りでもなく、“帝王”トウカイテイオーのような才気煥発の走りでもなく、土埃を巻き上げることのない非常に物静かな 本人の飄々とした性格にそっくりな『透明感のある』という走りであったのだ。

 

 

――――――気づいたらソラシンボリは目の前を、遥か先を走っていた。そのまますぅーっとゴール板を通り過ぎていった。まるで芝を撫でるかのような微風であった。

 

 

それが『春の選抜レース』でソラシンボリに8バ身差をつけられた対戦相手の回顧であり、一着バになったというのにその表情は息を乱した様子もなく非常に涼やかなものであったのが神秘的であったと付け加えた。

 

そして、その不思議な様子の意味がわからずとも開幕の第1レースで8バ身差をつけた『名家』シンボリ家のウマ娘の偉容に思わず観戦していたトレーナーたちが我先へと駆け出していた。

 

しかし、スカウトしに集まったトレーナーたちに取り囲まれたというのに瞳を閉じてひとり風を感じているかのようなソラシンボリは興奮を抑えきれずに是非ともスカウトしたいという熱量を諸共せずに、それから徐ろに瞳を開く。

 

トレーナーたちの期待の熱が上がっていく。1つ1つの声がターフを騒がせる獣の唸りとなるが、言い放たれた言葉は非常に強烈であった。

 

 

――――――ねえ、これから東京競バ場と合わせて全ての『選抜レース』を見るからさ、不勉強な輩は研究の邪魔だから帰ってくれないかな?

 

 

決して声を張り上げたわけでもないその一言がレースの興奮とスカウトへの熱を一気に冷ますことになり、次のレースの準備のために人集りが邪魔になっていることに気づいた誰かに釣られてその場にいた全員が目配せをして囲いが解けた瞬間、気づいたらすでにソラシンボリはその場にはいなくなっていたのだ。

 

そのため、ソラシンボリの姿を追って『選抜レース』の会場を隈なくトレーナーたちが探し回ろうとしたわけなのだが、ソラシンボリが姿を消す直前に残した言葉が重く胸に重く伸し掛かった。

 

トレーナーたちはソラシンボリの幻影を探すことを止め、自身の出走の時を今か今かと待ちわびて集中しているウマ娘のことを見守ることを選んだ。

 

そう、自身は芝を傷つけることなく後に続く者たちのために音もなく去ったソラシンボリの発言を受け止めて、トレーナーとして真摯にウマ娘に向き合わなければスカウトする資格はないのだとひとりひとり自分に言い聞かせれば、再び芝を撫でる5月の風が吹き寄せた。

 

 

故に、トレーナーたちですらも一瞬で魅了する立居振舞に奇しくも同級生としてトレセン学園に入学した同期の新入生たちはもっと間近にソラシンボリの不思議な魅力に夢中だった。

 

 

あの“皇帝”シンボリルドルフと同じ『名家』シンボリ家の令嬢なのだから、文武両道で才色兼備で人を惹き付けるカリスマの持ち主であるのは誰もが知っていたことであり、認めていたことであり、期待していたことだったのだが、ソラシンボリはみんなの中心にいる存在ではなかった。

 

ソラシンボリは口数の少ない物静かな令嬢であった。自ら言葉を発することは稀であり、常に微笑みを湛えていて、それが優しく柔和でその静謐を侵しがたく、とてもじゃないがお上品じゃない話題は耳に入れさせちゃいけない気にさせられてしまう。

 

だから、みんなの中心にいるウマ娘というのはたくさんいる。みんなの数だけ。仲間内で肩肘張らずに楽しく談笑し合える空間にシンボリ家の令嬢は似合わない。

 

けれども、誰とでも寄り添うようにいつの間にかそっと側にいて、躓いてしまった時にあの微笑みを投げかけてくれるのだ。それは隙間風のようだが、春の訪れを知らせる雪解けの光のようでもあった。

 

それがトレセン学園に入学したばかりの周りが感じたソラシンボリという風であり、あれは自分たちと同じウマ娘ではなく風の精なのだと信じて疑わない者すらいた。

 

気づいたら、『春の選抜レース』に芝とダートの両方に出て圧倒的勝利を飾っているのが一番記憶に新しいことだし、それまでの入学してからのたった1ヶ月間でたくさんの伝説を積み重ねてきていた。

 

それぐらいソラシンボリは神出鬼没であり、トレセン学園の生徒として学業に励んでいる姿はいくらでも見られたが、授業が終わってからは普段は何をしているのかが何もわからない――――――。

 

だから、みんなはソラシンボリのことを()()()()()()だと認識しており、『アオハル杯』復活に際してはみんなで集まってチームを作るのではなく、たった一人でチーム<エンデバー>を旗揚げしていたということも今となってはさして驚くことではないものに感じるようになっていた。

 

しかし、人知れずたった一人から始まったチーム<エンデバー>に『日本オークス』『日本ダービー』で優勝したエアシャカール、ウオッカ、ダイワスカーレットが参加したことで一気に最強チームの名を欲しいままにすることになったのだ。

 

更にはアグネスタキオンやアストンマーチャンの名も連ねるし、担当トレーナーは史上初の“春シニア三冠”達成を目前にしたマンハッタンカフェと再契約したメジロマックイーンの元担当トレーナー:和田Tだというのだから、知れば知るほど『やっぱりソラシンボリは凄い』のだと誰もが感心する。

 

 

――――――そんな()()()()()()()()()()()になったソラシンボリに対して物申すウマ娘がいた。

 

 


 

 

――――――エクリプス・フロント

 

スカーレットリボン「――――――『また』ですか」

 

ソラシンボリ「うん、『また』なんだ」

 

マンハッタンカフェ「そうなんですか」

 

和田T「そうなのか」

 

 

ソラシンボリ「またキタサンブラックが熱心に打倒チーム<ファースト>のためにボクに『チーム<エンデバー>を解散しろ』って言ってきてね」

 

 

ソラシンボリ「それから、『ボクのアオハルチームを解散させる』だけじゃなく、『一緒のトレーナーチームに入るように』も迫ってくるんだよねぇ」

 

ソラシンボリ「なんだろうね? キタサンブラックって子の中だと、ボクはキタサンブラックの根幹を揺るがす存在にでもなっているのかなぁ? あんなにも必死になってさ?」

 

和田T「まあ、チーム<エンデバー>が唯一無二と言えるのは、『アオハル杯』の3年間を全力で楽しむために『トレーナーからのスカウトは絶対に受けない』ことを課しているわけだもんなぁ」

 

和田T「――――――矛盾しているな、『アオハル杯』の本来の目的からすると」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。アオハルチーム<エンデバー>はトレーナーからのスカウトは絶対に受けてはいけませんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からね」

 

マンハッタンカフェ「だから、今年デビューを果たすタキオンさんをはじめとして今年のクラシック級の最有力候補であるエアシャカールさん、ウオッカさん、ダイワスカーレットさん、それとアストンマーチャンさんが加入できるわけですよね」

 

ソラシンボリ「これでも真面目に『アオハル杯』で勝ちに行っているんだから、チーム総合力を上げるために現役ウマ娘の加入は必要不可欠なんだし、別に何もおかしくないよねぇ?」

 

スカーレットリボン「しかし、『アオハル杯』はトレーナーのスカウトから漏れた大勢の生徒たちが主体的になって企画運営して新たなアピールの機会を求めたのが始まりのレース大会です」

 

スカーレットリボン「『アオハル杯』での活躍やその過程で発掘された才能によってトレーナーからのスカウトを勝ち取るために開催されているのですから、『トレーナーからのスカウトは絶対に受けない』という規約は『アオハル杯』の趣旨に反してします」

 

ソラシンボリ「――――――ボクが『アオハル杯』の3年間を楽しみ抜くことを『手段が目的化した』って言いたいわけ?」

 

スカーレットリボン「そうではないのですか、ソラ?」

 

ソラシンボリ「ちがうよ、まったく」

 

 

ソラシンボリ「だって、ボクは“皇帝”シンボリルドルフが遺してくれたトレセン学園の日々を最高に楽しみ抜こうと思っているんだもん」

 

 

スカーレットリボン「え?」

 

マンハッタンカフェ「なるほど、最初からソラシンボリさんの目的は『トレセン学園の日々であって、レースの勝利ではない』ということですか」

 

和田T「みんな、レースに出たくて必死に頑張っているのに、レースに出たくて必死に頑張っているみんなの姿を間近に見ていたいだなんて、鐘撞Tと契約したアグネスデジタルみたいなことを言うな、ソラは」

 

ソラシンボリ「そりゃあ、ボクは曲がりなりにもシンボリ家のウマ娘だし。G1レースで勝つだなんて当たり前だし、“皇帝”シンボリルドルフほど頑張る必要はないって言われてもいるからね」

 

 

ソラシンボリ「だから、()は“皇帝”シンボリルドルフが自らの手で築き上げながら自分で味わうことができなかった素晴らしい学園生活をシンボリ家を代表して見て回ろうと心に決めていたのです」ニコッ

 

 

スカーレットリボン「そ、そうだったのですか、お嬢様!?」

 

ソラシンボリ「それぐらいわかってもらえていると思っていたけど、まだまだ言葉が足りなかったみたいだねぇ」ヤレヤレ・・・

 

ソラシンボリ「それに、トレセン学園では中高一貫校として6年間の学生生活を送れるんだから、その半分を『アオハル杯』に費やしてから、もう半分で『トゥインクル・シリーズ』に挑むことの何がおかしいんだろうね? 6年間の半分だよ? もう半分あるよね?」

 

ソラシンボリ「みんな、わかってて『アオハル杯』も『トゥインクル・シリーズ』もどっちも頑張るだなんて言っているのかな? 未デビューウマ娘のための『アオハル杯』に既デビューウマ娘が『トゥインクル・シリーズ』と掛け持ちしながら走ろうだなんて、そっちの方が頭がおかしいよね?」

 

和田T「言っていることはごもっともだが、そう言われるとなぁ……」

 

マンハッタンカフェ「あなたやタキオンさんのように()()()()()()()()()()()()()はそんなにいないんですよ?」

 

ソラシンボリ「うん。だからこそ、シンボリルドルフやトウカイテイオーも果たせなかった中等部の学生生活を最高に楽しみ抜くことに挑戦のしがいを感じるんだ。普通のJCみたいなことをチームのみんなとたくさんたくさんするんだ」

 

ソラシンボリ「最高の贅沢だよね!」

 

 

スカーレットリボン「……ソラ、本当は今のトレセン学園の日常が嫌いなの?」

 

 

ソラシンボリ「別に。ただ、小人閑居して不善を為す、トレーナーからのスカウトを受けられずに勝つことに縛られた灰色の青春を送って黄昏れているぐらいだったら、ちょうど『アオハル杯』が復活するんだから みんなでワイワイ楽しもうよ。その思い出の3年間で残りの3年間を差し切るんだ」

 

マンハッタンカフェ「たぶん、キタサンブラックさんはそれだけの実力がありながら本気の勝負(公式戦)に出ようとしないことを怒っているんだと思いますよ」

 

和田T「まあ、デビュー時期を選べるとは言え、『春の選抜レース』で圧倒的な実力を見せつけた 誰もが認める新世代最強バがいないクラシック競走になんて勝っても 誰も納得できないもんな……」

 

ソラシンボリ「ええ? 別に、『アオハル杯』で無理なら『種目別競技大会』の無差別級レースで『トゥインクル・シリーズ』で名を馳せたスターウマ娘たちとも戦えるんだし、なんだったら模擬レースでもいいんじゃん、速いかどうかの勝ち負けなんてさ?」

 

ソラシンボリ「だいたい、ボクが“エリートウマ娘”を目指さないのも、アグネスタキオン先輩のおかげだもんね。同世代になった子が本当にかわいそうになってくるよ」

 

和田T「…………相変わらず割り切りが良すぎておよそ競走ウマ娘らしからぬことを言い放ったぞ、この御令嬢」

 

ソラシンボリ「だって、事実でしょう? 『皇帝G1七番勝負』で全盛期の“皇帝”シンボリルドルフの『皐月賞』に写真判定で勝てたウマ娘がまさかのメイクデビュー前の未出走バだなんて、こんなの 同世代で勝負になるはずがないじゃん?」

 

ソラシンボリ「トレセン学園の学園生活の4年を捧げて得たものがそれなんだから、ボクはその類稀なる忍耐と努力に敬意を表して、それでどこまでやれるのかを一人のウマ娘レースファンとして見届けたいんだ」

 

和田T「そうだな。正直に言って そんなバケモノがいることを知っていたら、勝たせることが仕事のトレーナーとしては出走回避を選びたくもなるし、どこまでやれるのかを見てみたい欲求にも駆られるな」

 

ソラシンボリ「まあ、その前にマンハッタンカフェ先輩が創り出す“もう1つの神話”をこの目で見るのが今一番の楽しみだけどね」

 

和田T「エアグルーヴにヒシアマゾン、メジロライアンとメジロパーマー、ライスシャワーにハッピーミーク、エアシャカールにウオッカ――――――、シーズン前半の現役ウマ娘の最強決定戦に相応しい錚々たる面々だ」

 

マンハッタンカフェ「はい。強敵揃いですが、勝ちますよ」

 

スカーレットリボン「本当に楽しみですね」

 

ソラシンボリ「だからさ、困っている人がいたら見て見ぬ振りができない子のくせに、“皇帝”シンボリルドルフのような視点を持ったら終わりだよ、きみは」

 

 

――――――ねえ、きみに鼎の軽重を問うことができるのかい、キタサンブラック?

 

 

新入生:キタサンブラックはかつて“永遠なる皇帝”シンボリルドルフに憧れて夢の舞台にやってきた“不滅の帝王”トウカイテイオーと同じように、その“不滅の帝王”トウカイテイオーに憧れて夢の舞台:トレセン学園にやってきていた。

 

早速、入学直後の『春のファン大感謝祭』の体育祭の団体競技で敗戦寸前だったチームを見事に統率して大逆転へと導いた“お助け大将”として 将来有望な新入生の中では一際存在感を発揮することになり、

 

以後も自身が尊敬するトウカイテイオーの許に通い詰めて生徒会活動に積極的に協力し、その明朗快活にして チャレンジ精神旺盛で 困っている人に手を差し伸べ 悩みがあれば相談に乗る人情派のお祭り娘のことを誰もが愛さずにいられなかった。

 

また、父親が国民的人気演歌歌手であることも相まって、入学以前から築かれていた交友関係の広さから、まさにトウカイテイオーの再来とも言える人気ぶりを内外で博しており、

 

同じくメジロ家と親交のあるサトノグループの令嬢:サトノダイヤモンドが自身が尊敬するメジロマックイーンの再来と評されていることもあり、それによってテイオー・マックイーン世代の再来とも早くも呼ばれるようになっていたのだ。

 

しかし、テイオー・マックイーン世代を実態を知る者ならば、それは即ちトウカイテイオーとメジロマックイーンが有終の美を飾った後に突如としてウマ娘レース界隈に激震を走らせたアグネスタキオンとマンハッタンカフェという最強の伏兵に相応する存在もいるのではないかと警戒されてもいたのだ。

 

そして、そのアグネスタキオンとマンハッタンカフェの許に通い詰めていたのが、“皇帝”シンボリルドルフを輩出した『名家』シンボリ家の新たなる令嬢:ソラシンボリであり、『春の選抜レース』で明らかに他を凌駕する走りを見せつけながら、トレーナーからのスカウトを断固拒否して『アオハル杯』の3年間を楽しみ抜くチーム<エンデバー>の主将として独自の立ち位置を確立することになったのである。

 

そのことが『アオハル杯』復活にこれまでのトレセン学園の在り方を否定する樫本代理の徹底管理主義による『管理教育プログラム』施行が賭けられたことで足並みが揃わなくなった現状のトレセン学園を憂えるキタサンブラックにとっては受け入れがたいことであった。

 

 

――――――英雄は英雄を知る。ウマ娘:ソラシンボリはウマ娘:キタサンブラックの大器を高く評価しているように、ウマ娘:キタサンブラックもまたウマ娘:ソラシンボリに対して誰よりも嫉妬していたのである。

 

 

そう、その走りは“皇帝”シンボリルドルフの再来のようでもあり、“帝王”トウカイテイオーの再来のようでもあり、両者の特徴を併せ持った均整の取れた走りだなんて評されているのだ。まさに最強に最強を掛け合わせたとびっきり最強の存在であり、並大抵のウマ娘の才能などあってないに等しいものだった。

 

誰よりもトウカイテイオーに憧れてきたキタサンブラックにとってはそれが何よりも衝撃となっており、憧れの人の走りだけじゃなく、憧れの人の憧れの人の走りまで併せ持ち、それでいて自分なんて取るに足りないと思わせるような圧倒的な実力や魅力の持ち主なのだ。まるで雲の上の存在であるかのように感じられた。

 

だから、キタサンブラックは初めて誰かに対して憧れ以上に嫉妬の感情に駆られることになった。自分以上に大業を果たせる身でありながら、みんなの夢が集まるトレセン学園の危機に際して実質的に見て見ぬ振りをしていることが許せなかったのだ。

 

それは自分が必死に汗水垂らしながら情熱的に一生懸命に誰かを助けるのに対し、常に涼やかな表情でそっと寄り添うようにして人の悩みや苦しみを解決するという自分には決して真似できない方法で、自分の得意分野である人助けを行っていることも起因していた。

 

いや、実際のところはそれだけの実力と人徳を有するソラシンボリが自らチームを率いて非公式戦『アオハル杯』に専念することを宣言することによって、トレセン学園の危機を招いた樫本代理のチーム<ファースト>の対抗バとしての機能を果たすことになっており、

 

今年のクラシック級の最強ウマ娘であるエアシャカールやウオッカ、ダイワスカーレットまでもソラシンボリのチーム<エンデバー>に加入していることも相まって、トレセン学園の最終にして最大の防衛戦力として安心感をもたらしてもいたのだ。

 

そう、“皇帝”シンボリルドルフとはちがったやり方でトレセン学園の現在を守ろうとしているのだと、それが『名家』シンボリ家のウマ娘としての役目であると自覚しての立ち回りなのだと、ソラシンボリの在り方を規定しようとする有識者たちはそう分析して称賛する。

 

けれども、そうした見方でさえもキタサンブラックにとっては称賛以上に否定的な感情が渦巻いてしまうのだ。

 

 

――――――だって、夢の舞台で輝きたいからトレセン学園に入ってきたんだよね、同じウマ娘なら?

 

 

キタサンブラックにはソラシンボリの在り方が認められなかった。というより、そう思うのがウマ娘であるなら当然のことであると無自覚に信じてもいた。自分がこうして昨日の友は今日の敵になるかもしれないトレセン学園のみんなに別け隔てなく手を差し伸べるのも、“帝王”トウカイテイオーが受け継いだ“皇帝”シンボリルドルフの『全てのウマ娘が幸福になれる世界』という理想に共鳴しているからだ。

 

だからこそ、その理想の上に築き上げられるもの;トレーナーからのスカウトを受けて二人三脚で勝利の栄光を掴みに行くというウマ娘レースの理想像に反するものであり、非公式戦『アオハル杯』のために公式戦『トゥインクル・シリーズ』を共に戦おうと手を差し伸べるトレーナーからのスカウトを全て払い除けるソラシンボリの身勝手さがまったくもって理解できなかったと言ってもいい。

 

ウマ娘レースで勝つことを義務付けられたウマ娘レースの『名家』シンボリ家の令嬢であるにも関わらず、その公式戦『トゥインクル・シリーズ』に出走することに拘泥しない様でさえも 夢の舞台で輝きたいと願ってトレセン学園の狭き門より入った自分たちに対する侮辱のようにも感じられた。

 

つまり、ソラシンボリを見つめるキタサンブラックの中で致命的な矛盾(モヤモヤ)が起きているのを解消することができないために、キタサンブラックはソラシンボリに対して普通のウマ娘(理解できる対象)になることを望んでいたのである。

 

そうでなければ、キタサンブラックは自分の取り柄である人助けもソラシンボリにお株を奪われただけじゃなく、ウマ娘レースの主役となる競走ウマ娘としても最初からずっと負けたままになってしまうのだから――――――。

 

 

しかし、世界には様々な考え、様々な価値観、様々な立場、様々な制約、様々な生き方があり、それが複雑な人間関係を生み出していることをまだ思春期を迎えたばかりのキタサンブラックには理解できていなかった。

 

 

そのために、一緒にアオハルチーム<エンタープライズ>を結成した幼馴染の大親友であるサトノダイヤモンドが泣き腫らすほどに手酷くトレーナーにフラれたという出来事にも衝撃を受けることにもなった。

 

事実、“サトノ一族の至宝”としてサトノ家の期待を一身に背負って幼い頃から切磋琢磨し合った大親友がトレーナーと担当契約を結べなかったのも衝撃的だったし、何よりもあそこまで暗く落ち込んだ姿を見たことがない。それが互いにとってどれだけ重たいことなのかを言わずともわかってしまう。

 

だからこそ、キタサンブラックはずっと抱え込んだ矛盾(モヤモヤ)を解消したい欲求から大親友を手酷くフッた悪徳トレーナーを問い詰めずにはいられなかったのだ――――――。

 

 

斎藤T「いえ、配属2年目の新人トレーナーの私ですが、初めての担当ウマ娘をメイクデビューさせますので、担当ウマ娘を増やすのは無理です。そのようにサトノダイヤモンドには申し上げて何度も逆スカウトをお断りしているわけなのです」

 

キタサンブラック「え……」

 

斎藤T「わかっていただけましたか?」

 

キタサンブラック「え、でも…………」

 

斎藤T「そもそも、学園には関係ない私情を持ち出して私のトレーナーとしての評判を傷つけたのはサトノダイヤモンドの方です」

 

斎藤T「いくらサトノグループが経営しているゲームセンターの買収に私が関わっていたにしても、買収と売却を行ったのはシンボリ家ですから、私がゲームセンターのオーナーになると勝手に勘違いしておいて、これは完全な逆恨みですよ」

 

斎藤T「しかも、その前に実施されたトレーナー選考会(トライアル)に集まった28人のトレーナーを極めて不誠実なやり方で全員を不採用にしたのですから、こちらとしてはそんなのを身内に持つ人間とは関わりたくないというのが正直なところです」

 

斎藤T「ですので、勝手に勘違いして 勝手に泣いて 勝手に逆恨みして 人様に迷惑を掛ける輩にはお引取りいただきました」

 

キタサンブラック「……ダイヤちゃんはそんな子じゃないです!」

 

斎藤T「なら、あなたが知っているサトノダイヤモンドに戻れるように私から引き離してもらえませんか?」

 

斎藤T「ウマ娘に権利と義務があるようにトレーナーにも守られるべき権利と義務がある。担当契約はウマ娘とトレーナーの互いの同意の上で結ばれるもの」

 

斎藤T「トレーナーの私がそのサトノダイヤモンドとの担当契約を嫌だと言っているんだから、それでさっさとあきらめさせてください。それが互いのためです」

 

キタサンブラック「……そんな言い方!」

 

 

斎藤T「――――――親が決めた相手と愛のない結婚がしたいのですか、あなたは?」

 

 

キタサンブラック「え?」

 

斎藤T「それと同じように、信頼関係のない担当ウマ娘と担当トレーナーの二人三脚が上手くいくとでも?」

 

キタサンブラック「でも、それじゃダイヤちゃんが――――――!」

 

斎藤T「――――――()()()()()()()()()()()()()()のですか? 私はいくらでも不幸になってもいい人間だとでも言うのか?」

 

キタサンブラック「!!!?」

 

斎藤T「よく考えることだ、キタサンブラック」

 

斎藤T「私は一人のトレーナーとして一人のウマ娘からのこの場合の逆スカウトを否定するべき立場にある」

 

斎藤T「それと同じように、誰かを助けるということは誰かを助けないということなんだ」

 

キタサンブラック「……え?」

 

斎藤T「言い換えよう。誰かを選ぶということは誰かを選ばないということだ」

 

斎藤T「現実でも創作でもそう。正義の味方に助けられるのは正義の味方が助けたものだけだ。それ以外のものは自分の価値基準に照らし合わせて取捨選択の上に切り捨てているんだ。一人の人間の窮状に出くわした時も、まず最初に『助けるべき人間かどうか』を判断してから人助けするだろう」

 

斎藤T「でも、私たちは時として正義の味方に成敗される悪党に同情することもできる。なぜなら、悪党に感情移入できる時点で、基本的人権を尊重されるべき存在だと認めているからだ」

 

斎藤T「だから、疑わしきは被告人の利益になるように社会は弱者救済の方向へと進化していき、昔のような勧善懲悪のストーリーよりも『正義の反対は別の正義』となるような多様な価値観を尊重する世の中に進化していっているんだ」

 

斎藤T「あなたの他者の窮状を見て見ぬ振りができない性格はおそらく親譲りで非常に素晴らしいものがあるが、この多種多様な立場や価値観が入り混じった現代社会で、全ての事柄を一緒くたにして正義を執行すると別の正義から痛いしっぺ返しを食らうことになるからね」

 

キタサンブラック「………………」

 

斎藤T「少なくとも、私はウマ娘:サトノダイヤモンドに対しては公人としての誠意ある対応をしてきたつもりだ。それに対して、ゲームセンターの買収というウマ娘レースとはまったく関係のない私事でトレーナーを選ぼうとしたのがサトノ家なのだから、社会人として礼節を欠いたお付き合いはご遠慮させていただくと言っている」

 

キタサンブラック「そんな…………」

 

斎藤T「いいかい、キタサンブラック」

 

斎藤T「あなたが尊敬してやまないトウカイテイオーとは知らない仲じゃないから忠告させていただくが、トウカイテイオーのようにG1レースを何勝もする国民的アイドルになりたいのなら、レースに余計な感情を持ち込まないように公私の使い分けを覚えるんだ」

 

斎藤T「トウカイテイオーのレースに懸ける情熱は本物だ。何度も故障しながらも決してあきらめることなく、奇跡の復活を何度も果たして見せたのだから」

 

斎藤T「それに対して、あなたのレースに懸ける情熱は人助けをしたいという義務感よりも上なのか? トウカイテイオーに憧れているのなら、そのことをよく考えてレースでベストパフォーマンスを発揮し続けて担当トレーナーの体面と生活を守ることに繋げてみせろ」

 

斎藤T「――――――キタサンブラック!」

 

キタサンブラック「あ、はい!」

 

斎藤T「うん。いい返事だ。トウカイテイオーのようになりたいのなら、自分の中のレースに懸ける情熱と人助けをしたいという義務感を両立できるように。まずはそこからだ」

 

キタサンブラック「あ、ありがとうございました……」

 

 

それからキタサンブラックはサトノグループの御令嬢:サトノダイヤモンドを学外で泣かせたことで“学園一の嫌われ者”の称号を取り戻した斎藤Tに言われたことをひたすら反芻するようになった。

 

そのおかげで、ほんの少しだけ自分の中の矛盾(モヤモヤ)が晴れていくのを実感するようになり、ソラシンボリに対する複雑な感情は消えないものの、『公私の使い分け』というものを教えられたおかげで『名家』シンボリ家の令嬢としての立場や立居振舞というものがあることを理解することができた。

 

一方、アオハルチーム<エンタープライズ>ではいつまでも落ち込むことを止めたサトノダイヤモンドが復帰してチームトレーニングに励むようになったのだが、明らかに今までとは雰囲気が違うことに親友として戸惑いが隠せなかった。

 

サトノダイヤモンドの斎藤Tに対する執着は事の顛末を聞かされていると、一目惚れした相手にはすでに恋人がいるのにその間に割り込もうとするようなものに思え、改めて考えると斎藤Tは 厳しい口調のせいで勘違いされやすいが 公人としての分別を示しただけに過ぎなかった。

 

そのため、言われれば納得できるようなことを頑なに受け入れようとしない親友であるサトノダイヤモンドが斎藤Tに抱いた執着心を理解することが出来なかった。

 

いや、サトノグループの令嬢だからこそ、自社ブランドに強いこだわりと誇りを持っているのは昔からそうであり、キタサンブラック自身も国民的演歌歌手である父親や父親を慕って集まったお弟子さんたちの在り方を見習って人助けに邁進する性格になっていたわけなのだから、そこはもう生まれ育った家庭環境のちがいでしかないのだろう。

 

でも、同時に怖さすら感じる今の鬼気迫るサトノダイヤモンドの表情はどこか楽しそうでもあったのを目敏くキタサンブラックは感じ取ることができていた。

 

 

――――――だから、不思議だった。トレセン学園の内外で存在が知れ渡っている新人トレーナー:斎藤 展望の存在が。

 

 

キタサンブラック「結局、斎藤Tってどんな人なんですか? 調べてみたら内外でいろんなことが言われていて、調べれば調べるほど ますますわからなくなりました……」

 

メジロマックイーン「それは……、ですね?」

 

トウカイテイオー「うん、一言で言えばカイチョー…ルドルフさんが一番に頼りにしている“縁の下の力持ち”ってやつかな?」

 

エアグルーヴ「まあ、私としては やつと関わることになると面倒事になるから、みんなにはできる限り距離を取ってもらいたいと思っているがな。やつもそれがわかっているからこそ、本校舎を離れてエクリプス・フロントで新発明や新製品の開発に打ち込んでいるわけだ」

 

ナリタブライアン「キタサンブラック。もしもやつにこれからも関わろうとするなら、やつは 元々 妹の養育費のためだけにトレーナーになって、今は惰性でトレーナーをやっているだけの“門外漢”だということを理解しておけ」

 

キタサンブラック「――――――『“門外漢”』ですか?」

 

トウカイテイオー「うん。斎藤Tは元々は皇宮警察官の超エリートの生まれで、妹のヒノオマシちゃんのことを物凄く可愛がっていたわけだから、妹のためならなんだってするような人だったみたいなんだ」

 

キタサンブラック「――――――『皇宮警察官』」

 

メジロマックイーン「ですので、サトノグループの方々がサトノダイヤモンドを“サトノ一族の至宝”として大事にしていたように、斎藤Tも妹のことを宝物のように大事にしていたわけですの」

 

エアグルーヴ「だから、サトノグループの力を使ってのサトノダイヤモンドの迫り方が皇室に代々仕えてきた『名族』の斎藤Tにとっては非常に癇に障るものだったのだろうな」

 

キタサンブラック「……そうだったんですか」

 

ナリタブライアン「まあ、そこまで心配することでもないだろう」

 

キタサンブラック「……どうしてですか?」

 

ナリタブライアン「やつは配属して早々の“学園一の嫌われ者”という最低最悪の評判を覆して先代から直々にトレセン学園の明日を託された“学園一の切れ者”なだけに、サトノグループの令嬢のような影響力の大きいウマ娘のことを放ってはおけないからな」

 

ナリタブライアン「やつの担当ウマ娘になることだけあきらめれば、なんだかんだでESPRITの主宰なんかやっているんだから、なんだかんだで困った時に助けを求めれば、なんだかんだで何とかしてくれるさ」

 

キタサンブラック「……『なんだかんだ』なんですね」

 

メジロマックイーン「まあ、『なんだかんだ』ですわね」

 

メジロマックイーン「私の担当トレーナーもそれで助けていただいた御恩がありますの」

 

トウカイテイオー「ボクも 担当トレーナーと一緒に助けてもらったよ、斎藤Tには」

 

エアグルーヴ「あまり声を大にしては言えないが、私もだがな」

 

キタサンブラック「じゃあ、生徒会役員の全員が――――――?」

 

ナリタブライアン「ああ。3ヶ月間の意識不明の重体から目覚めた去年のシーズン後半はずっとやつに助けられてばかりだったよ。その働きぶりはトレーナーながら“秋シニア三冠”をやってもいいぐらいだ」

 

ナリタブライアン「だから、先代が後の事を託したこともあって、やつのやることに間違いはないのだから、私たちとしては余計な負担にならないようにそっとしているのさ」

 

キタサンブラック「………………」

 

 

――――――なんだか わかったような わからないような。でも、『なんだかんだ』で全てが良いことになりそうな気がしてきた。

 

 

キタサンブラック「生徒会役員のみなさんの話を聞いて、斎藤Tがどれだけ相手をたくさんの人を『なんだかんだ』で助けていて、ダイヤちゃんに対しても真っ当に人の道を説いていたのは段々とわかってきたけど、」

 

キタサンブラック「それでも、あたしはもうちょっとやり方があったんじゃないかって思うから――――――」

 

トウカイテイオー「たぶん、斎藤Tがトレーナーじゃなかったら手を取り合うことができていたように思うけどね。だって、あのアグネスタキオンを手懐けて担当契約を交わしているんだもん。ダイヤちゃんの相手だって問題なくできたと思うよ」

 

エアグルーヴ「だが、やつがトレーナーじゃなくなると、そもそもトレセン学園で2人が出会うきっかけすらなくなるだろう?」

 

ナリタブライアン「なら、妹の養育費をサトノグループで建て替えてやれば済む話だ。それぐらい余裕だろう、これまでのサトノグループの貢献を考えれば」

 

トウカイテイオー「それって、買収――――――」

 

メジロマックイーン「いえ、そう単純な話ではありませんわ。勝つことを期待されているウマ娘の令嬢たる者、自分を勝利に導いてくれた殿方を婿に迎えることを周囲に望まれていますもの」

 

ナリタブライアン「……そういうものなのか、『名家』というのは?」

 

メジロマックイーン「ええ、そうですわ。ウマ娘の令嬢たる者、勝利を追い求める上で優れたトレーナーとなら臆せず担当契約を結ぶべきなのですから、婚約者に操を立てて異性のトレーナーと担当契約を結ばないことでレースで勝てないだなんてことは絶対にあってはなりません」

 

メジロマックイーン「ですので、学外で結ばれる婚約というのは実力主義の『名家』では一様に否定的ですから、もしそういった関係をお望みでしたら婚約者の方を先にトレセン学園に送り込んで実績を積ませることになりますわね」

 

エアグルーヴ「だが、その場合も先にトレセン学園に送り込んだ婚約者が下積みとして必然と自分以外のウマ娘の面倒を見ることになるわけだから、そのことに対して我慢できるかも考えなければな」

 

ナリタブライアン「いろいろと面倒なんだな、いちいち」

 

トウカイテイオー「そっか。じゃあ、本当に巡り合わせが悪かったんだね、この場合……」

 

キタサンブラック「…………ダイヤちゃん」

 

 

ナリタブライアン「まあ、それよりもレースに集中しろ、お前は。お前はレース中に先頭バが転倒した時に立ち止まって手を差し伸べてしまいそうな甘さがある」

 

 

キタサンブラック「……え? さすがにそれはないですよ?」

 

ナリタブライアン「どうだかな」

 

ナリタブライアン「お前は今回の『アオハル杯』復活で 早速 チームを結成してチームメイトとの仲を深めているわけだが、憧れの舞台『トゥインクル・シリーズ』だとレース場にいる他のウマ娘は 全員 優勝争いのライバルになるんだ。そのことを忘れていないといいがな」

 

キタサンブラック「む」ピクッ

 

キタサンブラック「なら、ソラシンボリさんはどうなんですか?」

 

トウカイテイオー「……キタちゃん?」

 

ナリタブライアン「言うまでもないだろう。ソラシンボリはお前とはちがう。自分がどうしたいのかと自分が成すべきことの擦り合わせが完璧にできている」

 

キタサンブラック「……何がそんなにちがうんですか?」

 

 

ナリタブライアン「――――――()()()()()()()()()()()()()

 

 

キタサンブラック「え?」

 

ナリタブライアン「それとも、夢の舞台に憧れてやってきたものの、まだ気分は観客席から応援する立場なのか……」

 

ナリタブライアン「おい、どう思う、エアグルーヴ?」

 

エアグルーヴ「休憩時間は終わりだ。そろそろ仕事に戻れ」

 

ナリタブライアン「……わかった」

 

メジロマックイーン「わかりました」

 

キタサンブラック「あ、あの、今のはいったいどういう……?」

 

トウカイテイオー「ああ、そうか。こういうことだったんだ。昔のボクを見ているような気分だね」

 

キタサンブラック「テイオーさん?」

 

トウカイテイオー「キタちゃん。こればかりは口で言って完璧に理解できることじゃないかもしれない」

 

 

――――――でもね、ウマ娘レースで頂点を目指すからには、勝者としての責任と義務が求められることを覚えておいて欲しいんだ。

 

 

ある意味においては、それが『アオハル杯』復活の年に入学してきたことでまだまだ夢いっぱいの新時代の新入生たちの特色なのかもしれない。

 

そう、非公式戦『アオハル杯』と公式戦『トゥインクル・シリーズ』の間にある齟齬は何もレース体系のちがいから生じる戦略や戦術のちがいだけじゃない。

 

トレセン学園における日常を『アオハル杯』のチームトレーニングでの充実した日々だと捉えてしまうと、たちまちのうちに『トゥインクル・シリーズ』の本来あるべきウマ娘レースの非情さに泣かされることだろう。

 

だからこそ、本気の遊び(非公式戦)本気の勝負(公式戦)の区別をつけることが重要であるのだが、そのことを理解して実践できているのは『アオハル杯』を熟知している一部のトレーナーが率いるチームメンバーぐらいなものだろう。結果として多くのウマ娘やトレーナーたちがこれらを一緒くたにして同じようなものだと認識してしまっている。

 

そのため、『アオハル杯』復活はいずれはトレセン学園の鎬を削る緊張感のある環境を真剣味の欠けた生温いものに変えてしまうとも一部では鋭く指摘されており、所詮はスカウトを受けられない負け組が寄り集まって傷の舐め合いをするためのお遊びでしかないのだと嘲笑う評論家もいたぐらいである。

 

そういった批判もあるからこそ、“皇帝”シンボリルドルフを輩出した『名家』シンボリ家の新たなウマ娘:ソラシンボリが率先して自らのチームを結成して『アオハル杯』の3年間を全力で楽しむ方針を打ち出したことは内外で大きな衝撃をもたらしたわけである。

 

結局、やってみないことには何もわからないのは何事も変わらず、シンボリ家のウマ娘が『アオハル杯』に積極的であることが知れ渡った瞬間、昨日まで『アオハル杯』復活に批判的だった評論家たちが手のひらを返すのだから、まったくもって人の言うこととは当てにならないものである。

 

同じように、キタサンブラックも トレセン学園に来てから これまでの自分の価値観が音を立てて崩れ落ちていくのを感じながら、トレセン学園で得た今までの人生になかった新しいものを取り入れた生き方を模索するようにもなっていた。

 

その一番の指標になったのが、他ならぬソラシンボリ――――――。

 

 

スタスタ・・・

 

 

キタサンブラック「…………フゥ」

 

キタサンブラック「…………今日もこれで終わり」

 

キタサンブラック「……あ」

 

ソラシンボリ「こんばんは。奇遇ですね。門限までトレーニング、おつかれさまです」

 

キタサンブラック「……ソラシンボリさん」

 

ソラシンボリ「では、おやすみなさいませ」

 

キタサンブラック「あ、待って!」

 

ソラシンボリ「おや、こんな時でも私に『チームを解散しろ』と言うつもりですか?」

 

キタサンブラック「……それはもういいです。忘れてください」

 

ソラシンボリ「そうですか」

 

 

キタサンブラック「でも、あたしはトレセン学園で夢を叶えたい!」

 

 

ソラシンボリ「………………」

 

キタサンブラック「ずっとみんなで『アオハル杯』に勝つことばかり考えていたけど、あたしがこのトレセン学園に来たのはテイオーさんのように『誰かに勇気や元気をあげられるウマ娘』になりたいと思っていたから」

 

ソラシンボリ「素敵ですね。なれるといいですね」

 

 

キタサンブラック「だから、あたしがなります!」

 

 

ソラシンボリ「――――――何に?」

 

キタサンブラック「ソラシンボリさんがあの“皇帝”シンボリルドルフと同じシンボリ家のウマ娘としていろんな立場や考えがあって『アオハル杯』の3年間を選んだんだと思います」

 

キタサンブラック「でも、考えてみたら、『アオハル杯』復活だなんて 元々 誰も知らなかったんですから、本当はトレーナーのスカウトを受けて『トゥインクル・シリーズ』で活躍したいと思って みんな 入学してきたはずなんです」

 

キタサンブラック「だから、ソラシンボリさんが『トゥインクル・シリーズ』をあきらめてまで率先して『アオハル杯』を盛り上げていく必要がなかったと言えるぐらいに、あたし、強くなります! チーム<エンタープライズ>のみんなと一緒に!」

 

キタサンブラック「そしたら、ソラシンボリさんも憧れの夢の舞台でいっぱい輝けるようになれますから! 一緒に夢の舞台で走りましょう! 打倒チーム<ファースト>も任せてください!」

 

ソラシンボリ「ああ、そういう……」

 

ソラシンボリ「まったく、あなたという人は本当に素晴らしい方ですね」

 

ソラシンボリ「では、それは宣戦布告というわけですか?」

 

キタサンブラック「はい! チーム<エンタープライズ>はチーム<エンデバー>やチーム<ファースト>にだって負けません!」

 

ソラシンボリ「叶うと良いですね」

 

キタサンブラック「叶えてみせます!」

 

キタサンブラック「だから、そんな他人事のような喋り方はやめてください。まるで()()()()()()()()()()()()()()みたいな喋り方」

 

ソラシンボリ「………………あ」

 

ソラシンボリ「……なら、いつかシンボリ家のウマ娘としての“私”ではない本当の姿で手を取り合うことができる日を楽しみにしていますよ」

 

キタサンブラック「はい! あたしも楽しみにしています!」

 

ソラシンボリ「さあ、今日も一日おつかれさまでした」

 

キタサンブラック「はい、ソラシンボリさんも、また明日!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アグネスタキオン「――――――で? 長々とチーム<エンタープライズ>の“お助け大将”と話をしてきてどうだったんだい?」

 

アグネスタキオン「きみのことだから、存分に『敵に塩を送る』対応になったのだろうけど、そうしないといけない立場だから必死だねぇ」

 

斎藤T「ああ、まったくもって素晴らしい子だよ、キタサンブラック。あれは間違いなくスターウマ娘の器だ。国民的演歌歌手の父親の徳分を受け継いでいるだけにね。多くの弟子を抱えて養っていることが一番大きい」

 

斎藤T「正直に言って、文武両道の優等生だったけど レース一筋で積極的に誰かを助けようとしてこなかったし 自分が打ち負かしてきた者たちのことを顧みなかった自業自得で悲運に見舞われたトウカイテイオーよりも将来は安定して明るいよ」

 

斎藤T「けど、問題はその人助けをせずにはいられない性分に対して、他者を踏み台にして勝利の栄光を掴む勝負の世界の非情さを呑み込めていないところにある。夢の舞台の現実をまだ知らない」

 

アグネスタキオン「なるほど、それは矛盾だねぇ。自分自身がレースで散々に打ち負かした相手を自分で慰めるつもりなのかい。そいつは自作自演の傑作だねぇ」

 

斎藤T「そう、それは“皇帝”シンボリルドルフが『全てのウマ娘が幸福になれる世界』という自身の理想を叶えるためにレースで勝つ度に踏み台となった敗者を生み出していったことで抱え続けていた避けられない矛盾だ」

 

斎藤T「そのことに気づいて両立させることができれば、キタサンブラックは生まれ持った天稟を十全に発揮することだろう」

 

アグネスタキオン「キタサンブラックとサトノダイヤモンドでテイオー・マックイーン世代の再来とも言われているのに、きみはキタサンブラックに対して随分と高評価だねぇ」

 

斎藤T「そりゃあ、サトノ家のように公私混同するような馬鹿な真似をせずに正々堂々としているんだから、私がキタサンブラックを嫌いになる理由がない。競技者としての心得がまだ身についていないだけで、これからも変わることなく善行を続けて欲しいと思える存在だから」

 

アグネスタキオン「ふぅン、そうかい」クククッ

 

斎藤T「?」

 

アグネスタキオン「いや、自分で言うのもなんだが、キタサンブラックの清廉潔白さを絶賛するきみが私のようなウマ娘の担当トレーナーになっていることが少しばかり愉快でねぇ」

 

斎藤T「それはしかたない。利害の一致;目指しているものが似通っているからこそ、このトレセン学園において協力し合えるものがある数少ないパートナーだから、大切にするさ」

 

アグネスタキオン「……そうかい。ありがとう」

 

アグネスタキオン「でも、きみもつくづく損な役回りだねぇ」

 

斎藤T「言うな」

 

 

――――――それがスカウトの重みというやつだろう。私の場合はウマ娘の皇祖皇霊たる三女神にスカウトされたことの。

 

 




シンボリルドルフ卒業後の新たな価値観を求めて多様性が交差する新時代は『アオハル杯』復活によって混迷を極めており、それに適応できずにいるトレーナーや生徒がなんと多いことか。
『レースで勝ちたい』というウマ娘として真っ当な欲求よりも、『誰かに勇気や元気をあげられるウマ娘』になりたいという願望を抱くキタサンブラックのような良い子が『アオハル杯』を基準にして過酷な競争社会の渦中にあるトレセン学園の現実を舐め腐る事態になっているんじゃないかというお話である。
それで非公式戦『アオハル杯』を経て公式戦『トゥインクル・シリーズ』に参戦するようになったアオハルウマ娘たちが仲良しごっこのせいで真剣勝負の舞台で簡単にヘタれる軟弱者に育ってしまうんじゃないかという想像である。
そのため、アプリ版『ウマ娘』におけるアオハルシナリオは現実的視点に照らし合わせると ゲームデザイン上 ご都合主義の極みとも言える荒唐無稽な内容となっており、
1年目の今は特に問題はないが、『アオハル杯』2年目が本当に大変になって、3年目にはほとんどのアオハルチームがヘタれているんじゃないかというのがこれからの展開の予想である。

特に、ウマ娘:キタサンブラックは アプリ版リリースの最初期から必須級サポートカードの頂点に立っている 自他共に認める“お助け大将”なだけに、
『全てのウマ娘が幸福になれる世界』を望む“皇帝”シンボリルドルフが直面したウマ娘レースの非情な現実に大いに苦悩することになるだろう。
優駿たちの頂点に自分がなれば応援してくれるファンは喜ぶが、2着以下の全てのウマ娘やそのファンたちを悔しがらせ悲しませるという矛盾に、キタサンブラックのような良い子がどう呑み込んでいくかを考えていかなければならない。
メジロマックイーンは最初からそういうものだと割り切って容赦なく勝利を掴み取る一方で、トウカイテイオーはそういった自分が打ち負かしてきた敗者への配慮に無関心であったんじゃないかという見方もできる。
そして、その生い立ちからトレセン学園とウマ娘レース界隈を非常に冷めた目で見つめながらも冷静に先々を見据えて弱者救済に努めるソラシンボリと陰と陽の関係になるように描写している。
どちらも“不滅の帝王”トウカイテイオーに憧れて 実力も才能も運気も人気も兼ね備えた 未来のスターウマ娘であるわけなのだが、庶民的なキタサンブラックと貴族的なソラシンボリとでは 同じ“永遠なる皇帝”シンボリルドルフから受け継いだ弱者救済の理想があっても その方法論がまったく異なってくる。

そのため、本作の主人公は斎藤 展望、パートナーはアグネスタキオン、アシスタントがマンハッタンカフェとなるが、
本作における『ファイナルズ』シナリオの主人公は天の道を往き 総てを司る男と歩むミホノブルボン、サブ主人公がライスシャワー、ライバルはハッピーミークであり、
『アオハル』シナリオでの主人公はリトルココンが嫌う仲良しごっこの代表格:キタサンブラック、その裏がソラシンボリ、ライバルはリトルココンとなっている。


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監視報告  黄金期の後継者たちは暗黒期の再来を望む

 

URA幹部職員:樫本 理子がアメリカに長期出張に出た秋川理事長の代理となってトレセン学園に赴任して早くも春季が終わりを迎えようとしている。

 

私:黒川 あぶみは樫本代理が秋川理事長に託されたトレセン学園の運営を補佐するべくURAから派遣された理事長代理秘書であり、樫本代理が掲げる徹底管理主義に基づく『管理教育プログラム』施行のための露払いとして学園を掌握するのが主な任務であった。

 

しかし、意外にも理事長秘書:駿川 たづなが秋川理事長のアメリカ出張についていくことなく残留したことにより、理事長秘書:駿川 たづなと理事長代理秘書:黒川 あぶみが同時に学園に存在することになり、樫本 理子のやり方を押し通そうとする度に駿川 たづなが妨害してくる。

 

そのため、私はURAの方針に従おうとしない秋川 やよいが不在の居城を奪回してトレセン学園をURAの許に取り戻すための最大の障害である駿川 たづなの排除を企て、この機に乗じて理事長派の人間を一掃するための計画も始動させていた。

 

学校法人:トレセン学園はURAが運営母体である以上、URAの方針に従わずに驕り高ぶる組織の癌細胞は転移を重ねて末期症状を引き起こす前に切除するのが道理である。

 

なにより、“皇帝”シンボリルドルフと共に黄金期の6年間を勤め上げたのだ。その歳で天下のトレセン学園理事長として競走ウマ娘の人生の全盛期に匹敵する栄光の時代を過ごせたのだから『そろそろ後進に道を譲るべきだ』と言うのがURA理事会の総意である。

 

事実、シンボリルドルフ卒業後の新時代を迎えて新春を迎えたというのに秋の川のせせらぎがまだ聞こえ続けるのは自然の摂理に反することでしかない。

 

今回、樫本 理子が秋川 やよいからの直接の指名もあって理事長代理になれたわけだが、樫本 理子は黄金期を再現するためにまず暗黒期を再現するための体の良い捨て駒でしかない。

 

そう、樫本 理子もまた秋川 やよいほどではないが、その歳でURA幹部職員として理事長代理の座に就くことができているのも、彼女が優秀だったからではない。()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

――――――優秀である人間は年輩にはもっといる。つまりは()()()()()()である。

 

 

その若さ故に情熱の赴くままに突き進んでもらって、()()()()()()()()()()()をURA理事会の重鎮たちは望んでいるのである。()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

しかし、そのためには最初の段階で樫本 理子が爪弾きにされる程度ではいけない。最後の収拾をつけるに相応しい舞台で方々には登場してもらわなければ我々が永遠に望む黄金期の再現にはならないのだ。

 

だからこそ、樫本 理子にはもっと派手にやってもらわなければならない。トレセン学園を盛り上げてもらわなければならない。そうでなければ我々が困る。

 

大丈夫。ウマ娘ファーストはURA職員ならば共通の願いであり、その理想のための礎になることを喜ばないはずがない。そのために若くして幹部職員になるほどに頑張ってきたのだから。

 

 

――――――そういうわけで、()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それぐらいの心積もりで我々は後ろに控えている。

 

 

ただ、改元に伴って かつてエアグルーヴが敗北した『ジャパンカップ』優勝のアイルランドが生んだ世界的なスターウマ娘:ピルサドスキー、その妹君であるファインモーション殿下がトレセン学園に留学しに来たということで、予想以上に 今現在 世界各国からトレセン学園に注目が集まってしまっている。

 

樫本 理子の失敗の後始末は我々でつけるつもりではあるが、さすがに国際的な笑い者にされるつもりはないので、王女殿下の気まぐれに我々も辛抱強く付き合ってやる他ない。

 

そう、改元;シンボリルドルフ卒業後の日本ウマ娘レースの新時代が始まると共に日本の暦も変わるという節目を迎えることになった大きな要因に、かの有名な“学園一の嫌われ者”の存在があることを忘れようがない。

 

その新人トレーナーは去年に配属されて早々にクビが決まりかけていたことでURA幹部職員の間でも相当な笑いの種を提供してくれたのだが、実は皇宮警察官のエリートの息子ということはあまり注目されていなかった。

 

当然だ。皇宮警察官の息子なだけであって本人の職歴欄に皇宮警察官であることが書けるわけもないのだから、ピカピカのトレーナーバッジを身に着けた新人にちがいなどそうあるわけがない。

 

なのに、その新人トレーナーは学外でウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になり、その見事なまでの天罰覿面の展開によって、トレセン学園では“学園一の嫌われ者”の身に起きたことを反面教師にして全体の意識向上が見られたというのだ。

 

この話が秋川理事長からの定期報告でURA理事会にまで上がってきた時、シンボリルドルフが卒業する年を迎えて来年からの新時代の舵取りを決めようとしていたURA理事会において『これは使えるんじゃないか』という声が出てきたのだ。

 

つまり、秋川理事長とシンボリルドルフが主導した6年間:黄金期の繁栄を永遠のものにできれば我々の将来も安泰なわけなのだが、シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の明確な方向性を打ち出せずにいたところに、非常に単純明快な答えが導き出されたのだ。

 

 

――――――そう、黄金期を永遠のものにしたいのならば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

それは移り変わっては繰り返される1年の四季と同じことであり、黄金期の始まりから終わりまでが繰り返されることが自然の常態となってしまえばいいのだ。

 

そこから1年を懸けて黄金期の再現のための計画が練られることになり、シンボリルドルフ卒業後のポスト秋川理事長体制への布石の数々を打つことになった。

 

しかし、その間に意識不明の重体から目覚めた新人トレーナーが『警視庁』のキャリア組から心底妬まれるほどの功績を積み重ねていたらしく、最低最悪の評価を下していたはずの秋川理事長やシンボリルドルフが態度を一変させるほどだったようである。

 

曰く『ウマ娘に撥ねられたことで改心した』らしいのだが、全て偶然か、その新人トレーナーが意識不明の重体から目覚めてからシーズン後半の『トゥインクル・シリーズ』では奇跡のようなレースが連続するようになり、私の中では妙にそのことが結び付けられていた。

 

実際、その新人トレーナーはとにかく毎月の話題をさらっていくような存在感の大きさを発揮し続けていたわけであり、今やトレセン学園で知らぬ者がいないほどの有名人なのは間違いない。

 

それどころか、新年度を迎えて竣工となった附属施設:エクリプス・フロントの目玉になった新クラブ:ESPRITの主宰として数々の便利グッズや新発明を提供することに勤しむという、明らかにトレーナーをやっているよりもそっちの道に専念していた方が確実に儲かるだろう稀代の発明家ぶりを発揮し、

 

秋川 やよいがアメリカに飛ばされる直前に復活宣言を行った『アオハル杯』への対応も事前に知っていたとしか思えないほどの素早い対応を見せており、公的には保管されていない歴代の『アオハル杯』の資料を集めて回ってエクリプス・フロントの歴史資料館に寄付するとも言っているのだ。

 

そして、多くの生徒やトレーナーたちが黄金期の生き証人であるからこそ 黄金期の再来のために暗黒期の再来を引き起こすために送り込まれた 樫本 理子のやり方に猛反発する中、

 

エクリプス・フロントに詰めている職員たちや業務員から例外なく慕われ エクリプス・フロントに通い詰める生徒たちの様子を見に足を運ぶ樫本代理をまるで屋敷の主人であるかのように新人トレーナーが出迎えてくれるのだ。

 

元々、妹の養育費を稼ぐためだけに最難関国家資格であるトレーナーバッジを難なく掴み取った英才だとは聞いてはいたため、本人としては“門外漢”としてトレセン学園の運営がどうなろうと無関心であるからこそ、まさにトレセン学園の敵となった樫本 理子に対しても公平な態度で付き合えるのだろう――――――。

 

 

しかし、それにしては何の実績のない新人トレーナーの青二才がしていい貫禄ではなく、暗黒期において若くしてG1トレーナーにもなった実績があるからこそ 今回の『アオハル杯』復活においても実質的な優勝宣言を出しているほどの樫本 理子でさえも恐縮してしまうのだ。私も初めて向き合った時に垣間見たその底知れなさが強烈に印象に残っている。

 

 

実際、致命的な体力不足のために少し歩いただけでも休憩をとることが必要不可欠だが 運動不足の解消のためにもエクリプス・フロントに足を運んで生徒たちの様子を見る義務がある樫本 理子のことを相当に気遣っている様子が見られ、

 

それ故に樫本 理子もトレセン学園の本校舎では決して見せることのない表情をまるでエクリプス・フロントの主みたいに振る舞う新人トレーナーの前には見せているのだ。

 

私もつい素の自分が顕になってしまうぐらいなのだから、魔性としか思えないほどに、私や樫本 理子の心の中にしまわれていたものをスルリと引き出してしまう。

 

なので、一応はシンボリルドルフが卒業する年に配属になった直後に三ヶ月の意識不明の重体で実質的にシーズン後半からしか黄金期におけるトレセン学園の1年を知らないせいか、大半のトレーナーや生徒たちが猛反発している樫本 理子に対して含むものがなく、エクリプス・フロントでは非常に居心地の良い時間を過ごすことができていた。

 

私も 黄金期の永続のためとは言え 理事長代理秘書という立場上 樫本 理子に対する誹謗中傷の的にされるわけなので、ホッと一息つける憩いの場が広大なトレーニング場をいくつも有するトレセン学園から歩いて数分の場所にあることに感激していたぐらいだ。

 

そのため、トレセン学園に味方などいるはずもない樫本 理子にとって敵でも味方でもない公正な協力者という独特な立ち位置をエクリプス・フロントに築き上げている新人トレーナーは非常に使い勝手のいい駒として利用させてもらうことにしている。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/理事長室

 

樫本代理「黒川さん、チーム<ファースト>の様子はどうですか?」

 

黒川秘書「友野Tの見立では、今月の『アオハル杯』オリエンテーションでのチームランキング開示で堂々の1位を狙えるとのことです。経過は完璧です」

 

黒川秘書「1年前から『アオハル杯』プレシーズン戦:第0回戦に相当するオリエンテーションでチームランキングで1位を獲るための入念な調査と勧誘を重ねてきた甲斐がありましたね」

 

樫本代理「当然です。これはウマ娘レース、トレセン学園、そして 全てのウマ娘のために負けられない戦いです。手を抜くことはできません」

 

黒川秘書「しかし、好条件と称して『アオハル杯』の勝敗で『管理教育プログラム』施行の是非を問うという、我々にとって有利でしかない取引に何も考えずに大勢が乗ってくれたことに、少しばかり学園の将来が心配ですよ」

 

樫本代理「それはしかたがないことです、黒川さん。私たちがやろうとしていることはレースでの飽くなき勝利を課せられているウマ娘やトレーナーたちにとっては本来は関係のない話で、その使命を完遂できるようにトレーニング環境を新たに整備しようというのが今回の『管理教育プログラム』の意義なのです」

 

樫本代理「受け入れてもらうためには――――――、この業界で認められるためには、まずは何よりも実績;『管理教育プログラム』の有用性をこの『アオハル杯』の3年間でチーム<ファースト>の実績で証明するしかないのですから」

 

黒川秘書「無理はしないでくださいね、樫本代理。あなたはシンボリルドルフ卒業後の新時代の方向性を決める一番大事な時期を支えるべく大任を背負った身なのですから、あなたが『アオハル杯』の3年間を完遂することなく倒れるようなことになっては元も子もないですからね」

 

黒川秘書「昨日はぐっすりと眠れましたか? 代用コーヒーのストックは切らしていないですよね? トレーナー寮に仮眠室も用意してあるのですから、無理が祟りそうになったら私に後の事は任せてください」

 

 

黒川秘書「私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのですから」

 

 

樫本代理「すみません。本当に助かっています、黒川さん」

 

黒川秘書「お礼は役割を果たしてからにしてください。まだ何も始まってもいない;着任してまだ2ヶ月の6月の段階なんですから。先はまだまだ長いですよ」

 

黒川秘書「ほらほら、樫本代理のために全自動住宅のモデルルームをトレーナー寮の仮眠室に設置してくださったのですから、使えるものは何でも使って常に万全の状態にする! それが社会人としての礼儀! 勤め! 役割!」

 

黒川秘書「私の代わりはいても、()()()()()()()()()()()()()()のですから!」

 

樫本代理「……はい」

 

 

そう、あなたは理事長派を一掃した後に人々の憎しみを一身に背負って繰り返されていく黄金期の礎とならなくてはいけないのですから、まだ『アオハル杯』のチームランキングすら発表されていない段階で倒れてもらうわけにはいかない。

 

最初からそのために選ばれた新時代の栄光の礎なのだから、私は理事長派からトレセン学園を取り戻すための計画を遂行しながら、理事長代理秘書として樫本 理子の管理も疎かにすることはできない。

 

実際、トレセン学園理事長職の激務によって降りかかる多大なストレスをその奔放さによって発散していた秋川 やよいに代わって業務の代行をしていた理事長秘書:駿川 たづなの苦労は今となっては痛いほどわかる。

 

私の場合はトレセン学園理事長代理が致命的な体力不足のくせにどんな問題にも真正面から取り組んで押し潰されてしまいそうなほどに命を燃やす生き方をするせいで、果たして『アオハル杯』の3年間をやり切れるのかが不安になるほどでいつもハラハラさせられることになり、理事長代理秘書たる私がしっかりと側に居て支えてあげないとURAの計画が破綻しかねなかった。

 

能力は申し分ない。だからこそ、若年にしてURA幹部職員になれたわけだが、致命的に体力がないことが全体の足を引っ張ることになり、御老体の介護と大差がない扱いになっていた。

 

そのため、ある意味においてはポスト秋川 やよいとしてURA幹部職員の年輩の方々が新たなトレセン学園理事長になった時のテストケース扱いにもなっていたので、ますます計画を完遂させるまでに倒れさせるわけにはいかなくなった。

 

なので、決して鬱憤晴らしをしているわけではないが、アメリカに飛ばされた理事長の代理人として残留した駿川 たづなとは思ったよりも飲みに誘って飲み明かすことになり、陥れるための隙を探るきっかけにすらなっていた。

 

ええ、表面上は学園の運営を円滑にするために協力し合っていますよ、駿川 たづなとは。腐ってもシンボリルドルフ卒業後の新時代を迎えた先のトレセン学園のまだ見ぬ明日のためにね。

 

 

黒川秘書「――――――で? チーム<ファースト>の将来性としてはどんな感じ? オリエンテーション前なんだから、もう形が見えているよね?」

 

友野T「さすがは暗黒期で若くしてG1トレーナーにもなって、『アオハル杯』もやりこなしていただけもあって、担当ウマ娘の適性分析や指導要綱は完璧です」

 

友野T「順当に行けば『アオハル杯』のチームランキングは最初から最後まで首位独走は固いはずです」

 

黒川秘書「でも、わからないよ? あなたみたいなウマ娘が『有馬記念』優勝を唯一のG1勝利で飾る大番狂わせだって起こるんだし」

 

友野T「――――――『有馬記念』の他に『オークス』も勝っている人生の大先輩は言うことがちがいますね」

 

友野T「そう、それが正しいことだと散々周りから言われていたことが実際はハズレだったことなんてよくあることだし、」

 

友野T「現に黄金期で燦然と輝いたスターウマ娘たちの担当トレーナーのほとんどが新人トレーナーなのを考えると、教科書(セオリー)通りに物事が運ぶだなんてことはもう信じる気にもなれないですよ」

 

友野T「実際、『アオハル杯』はフルゲート:18人立てになるように6チームから3人が選出される関係上、自分たち以外の15人がチーム<ファースト>を潰しに掛かったらひとたまりもないですからね」

 

黒川秘書「そんな卑劣なチームプレイは自身こそが最強だと信じてトレセン学園にやってきたウマ娘の誇りに賭けてあり得ないことだとは思うけれどね」

 

黒川秘書「まあ、そうなってくれた方が理事長派の排除に使えるから、私たちは正々堂々とスポーツマンシップに則って実力で捻じ伏せればいいのよ」

 

友野T「ええ。さすがは樫本代理が見定めただけのことはあって、リトルココンとビターグラッセの才能は群を抜いています」

 

黒川秘書「それはあのソラシンボリと比べても?」

 

友野T「――――――ソラシンボリは別格です。比べるものではありません」

 

友野T「でも、自らトレーナーのスカウトを受けないことを宣言してアオハルチーム<エンデバー>を立ち上げたわけですから、果たしてそんな制約を課してチーム対抗戦『アオハル杯』に必要な人員が確保できるかどうか――――――」

 

黒川秘書「けど、その裏にいるのはあの“斎藤 展望”よ? 方や“学園一の嫌われ者”として忌み嫌われる一方で、方や“学園一の切れ者”としてトレセン学園の大物から信頼を寄せられているという――――――」

 

友野T「自分から手取り足取り指導ができない素人丸出しの新人トレーナー以下の記憶喪失の素人トレーナーの何を恐れる必要があるんですか? ずっとエクリプス・フロントの新クラブ:ESPRITで便利グッズの開発をやっていたらいいと思いますけど?」

 

 

黒川秘書「そこが厄介だと言っているのよ、友野T。あなたも所詮は担当ウマ娘と担当トレーナーの関係の中でのことしか知らないのね」

 

 

友野T「…………どういうことです?」

 

黒川秘書「斎藤Tという トレーナーでありながらトレーナー業務に拘束されることなく 全体を俯瞰して的確な判断を下せる司令塔がバックについているからこそ、アオハルチーム<エンデバー>が存在できていることを理解しなさい」

 

黒川秘書「私たちはトレセン学園のウマ娘やトレーナーという人種を熟知しているからこそ ここまで状況をコントロールして『アオハル杯』優勝でもって『管理教育プログラム』施行の是非を問わせるという 完璧な作戦を展開できたわけだけど、」

 

黒川秘書「全国各地から集まった強豪たちと鎬を削って優駿たちの頂点を目指す;そのために寝食を削るほどの激務になるトレーナー業務に集中しなくちゃならないはずのトレーナーとしての本分から食み出しているからこそ、トレセン学園の敵として憎しみを一身に集めることになる樫本 理子に対して あそこまで余裕のある振る舞いができていることが問題なのよ!」

 

黒川秘書「つまり、冷静に状況を分析して自分の意志で判断を下す;私たちの思惑通りに動かない最大の不確定要素なのよ、彼は!」

 

友野T「それこそ、実力で叩き潰せばいいのでは? 『頭であれこれ悩んだところで、レースと同じで 世の中は決して思惑通りにならないのはいつものこと』だって御自分で言ったじゃないですか」

 

黒川秘書「……そうね。少し熱くなりすぎたわ」

 

黒川秘書「とにかく、チーム<ファースト>への対抗心から『アオハル杯』に参加を表明するチームを増やして、その過程でたくさんの故障者が生まれるように仕向けて、徹底管理主義による『管理教育プログラム』の有用性を示していかなくちゃだから」

 

黒川秘書「しっかりと若い子たちの血気に逸る気持ちを抑えるのよ、リードフォーミー。『管理教育プログラム』施行のテストケースであるチーム<ファースト>で問題が発生してはならない」

 

黒川秘書「そうでなければ、自ら耳も尻尾も切り落としてヒト耳になった元ウマ娘のあなたをチーム<ファースト>のサブトレーナーに選んだ意味はないのだから」

 

友野T「言われなくても、そうします」

 

 

友野T「まあ、愛や友情だの夢を見続けている子たちに対してこの夢の舞台で現実を付きつけるのも大人の役割ですから」

 

 

黒川秘書「……余計なことはするな。私情を挟むな。あなたは樫本 理子の責任の下に与えられた指示に従っていればいい」

 

黒川秘書「かつての“グランプリウマ娘”なら、多感な時期のウマ娘に感情が与える影響力の大きさを理解しているはず」

 

黒川秘書「あなたが相手にも子宝にも恵まれなかった恨み辛みを周囲にぶつけるのは青少年の健全な育成を阻害する良識に悖る重大な契約違反になる」

 

友野T「――――――ッ!」

 

黒川秘書「屈辱に感じるだろうが、現役時代の自分を思い出して、自分がトレーナーに与えられた温もりを今度は自分がトレーナーになって教え子たちに授ける番が来たのだからな」

 

黒川秘書「まあ、浮気に走った夫に手を上げてしまった暴力ウマ娘(犯罪者)の受け皿をこの私と同じ“グランプリウマ娘”のよしみで用意してあげたのだから、子供たちの前で感情を表に出さない腹芸と忍耐を覚えていくことね。それが今のあなたの大人としての修行よ」

 

黒川秘書「大丈夫。あなたがどれだけ自分を裏切ったウマ娘レースの全てを憎んでいても、復讐のためだけにウマ娘であることを捨ててバツイチ(離婚経験者)から最難関国家資格であるトレーナーバッジの取得に励んでいただなんて信じてないから」

 

黒川秘書「やっぱり、あなたも『有馬記念』を優勝した素晴らしい競走ウマ娘だったのだから、重賞レースで勝つために直向きに我武者羅に一生懸命に走り込んでキラキラと輝いていたあの日々の温もりを忘れようがなかったのでしょう?」

 

黒川秘書「だから、不満は私にぶつけなさい! 卒業後の人生も同じ道を行く大先輩として可愛がってあげるから!」

 

 

――――――そう、私もあなたと同じでトレセン学園の日々(思い出の中)にしか居場所がないのだから。

 

 

かつての“グランプリウマ娘”リードフォーミーこと友野Tをチーム<ファースト>のサブトレーナーに推薦したのは私だ。

 

私自身が同じ現役最強ウマ娘の称号たる“グランプリウマ娘”であったことも1つの縁であったが、それ以上にこの子が卒業後の人生で私以上に輝けなかった者として憐憫の情が湧いたのもあった。

 

事実、不妊治療の甲斐なく子宝に恵まれなかったことで引く手数多の中から選んだお見合い結婚の相手が浮気に走ったことに対してウマ娘がヒト耳を半殺しにする事態が発生していたのだが、“グランプリウマ娘”を嫁にすることを喜んでいた浮気相手(加害者側)の両親が全面的に謝罪して莫大な慰謝料を支払って示談で済ませたので表沙汰になることはなかった――――――。

 

しかし、それでも怒りが収まらずにウマ娘の証である耳と尻尾を切り落として憎んでいるはずのヒト耳になろうとした心の奥底には激しい憎悪が今も渦巻いており、配属されて早々にトレーナー組合に自身の正体を明かして戦慄させてきたことへの事情聴取でとんでもない爆弾がトレセン学園に投げ込まれていたことを私は知ってしまった。

 

だから、目の届くところに置いて危険な爆弾が爆発しないように起爆剤になるものを取り払う努力を強いられることになり、樫本 理子のこれ以上の負担にならないように私がしっかりと危険物の取り扱いをしないといけなかった。

 

もっとも、そんな危険物を持ち続けて いつでも使えるようにしっかりと手入れをしているのは、樫本 理子と同じく()()()()()()()()()()()()でもあり、結局は我々の理想のための礎の1つになってもらいたいという尊い願いからでもあった。

 

 

――――――なにより、()()()()()()()()()()()()が手取り足取り指導するのだから、数少ない人生の後輩の第3の人生が幸福であるためにも、全てのウマ娘には不幸にならない義務と責任がある。

 

 

私の名は黒川 あぶみ。独身。URA幹部職員で、現在はトレセン学園理事長代理秘書として樫本 理子と共にトレセン学園に赴任している。

 

現役時代の主な勝鞍は『日本オークス』と『有馬記念』。黒鹿毛の孤児の私でも2年目:クラシック級ティアラ路線で“樫の女王”“グランプリウマ娘”となり、一躍“最強ウマ娘”として時の人になることができた。

 

私が心から尊敬するウマ娘は“皇帝”シンボリルドルフ、“女帝”エアグルーヴ、“怪物”ナリタブライアン。

 

私が心から軽蔑するウマ娘はシンボリルドルフの母:スイートルナ、エアグルーヴの母:ダイナカール、ナリタブライアンの母:パシフィカス。

 

 

カランカラン・・・

 

駿川秘書「――――――損な役回りですね」

 

黒川秘書「……それも仕事ですから」ゴクゴク

 

黒川秘書「あなただって、子供のわがままに散々振り回されるのが板についていたのに、今はどう? 秋川理事長からお暇をいただいて手持ち無沙汰になっているんじゃない?」コトッ

 

駿川秘書「ご心配なく。理事長秘書として職務の代行も板についていますので、やるべきことは今も昔も変わっていません」

 

黒川秘書「それでも、直接 理事長に顎で使われることがなくなったんだから、この際、空いた時間で婚活でもすればいいのに」

 

駿川秘書「おっと、それ以上はいけませんよ、黒川さん?」ニッコリ

 

黒川秘書「そうは言っても、そろそろ トレセン学園理事長の座を明け渡すことにもなるのだし、」

 

黒川秘書「このままだと、ヘレン・ケラーにとっての奇跡の人(サリバン先生)みたいに、秋川 やよいにとっての奇跡の人(幻のウマ娘)に一生なっちゃうわよ?」

 

駿川秘書「その時はその時です」

 

黒川秘書「それで本当に幸せ?」

 

駿川秘書「はい」

 

 

黒川秘書「……私はわからなくなってきた」

 

 

駿川秘書「……黒川さん」

 

黒川秘書「私もね、秋川理事長と“皇帝”シンボリルドルフが築き上げた黄金期がいつまでも続けばいいと思っている」

 

黒川秘書「けれども、人も組織も社会もいつまでも昔のままで在り続けることができないから、次のことを考えなくちゃいけない――――――」

 

黒川秘書「するとさ、今度は今以上の未来を創り出すことができるのかで怖くなっちゃう……」

 

黒川秘書「だから、みんな、過去の成功例や成功体験に縋るしかなくなっちゃう……」

 

黒川秘書「それで昨日までの日常が繰り返されることで誰もが安心しようとするんだけど、本当にこのままでいいのかと内心では疑問に思ってもいる――――――」

 

黒川秘書「自分には縁がなかったと仕事一筋に生きてきたつもりでも、社会人(パブリック)としての成功、家庭人(プライベート)としての成功;ワークアンドライフバランスの成立を願って止まないことにいつか気付かされてしまう――――――」

 

駿川秘書「………………」

 

黒川秘書「たづな、あなたはこのまま秋川 やよいと添い遂げてもいいのだと本気で思っているのかしらね?」

 

黒川秘書「少なくとも、私は樫本 理子に対してはそこまでの感情を抱くまでには至っていないからさ」

 

駿川秘書「……随分と酔っていますね、今日は」

 

黒川秘書「……うん。まだ『アオハル杯』プレシーズン戦:第0回戦のオリエンテーションもチームランキングも始まっていないのにね」

 

駿川秘書「なら、こんなにも辛いことを止めたらどうですか?」

 

 

黒川秘書「――――――止めてどうなるの? それで何かが変わるの? 歩みを止めて『全てのウマ娘が幸福になれる世界』という理想に近づくの?」

 

 

黒川秘書「私には心から尊敬するウマ娘がいる。“皇帝”シンボリルドルフ、“女帝”エアグルーヴ、“怪物”ナリタブライアン」

 

黒川秘書「そして、心から軽蔑するウマ娘はシンボリルドルフの母:スイートルナ、エアグルーヴの母:ダイナカール、ナリタブライアンの母:パシフィカス」

 

黒川秘書「親の代から続いている理想の実現を娘の代に押し付けて、自身は家庭に入って安穏と暮らしているのが特に気に入らない!」

 

駿川秘書「それは…………」

 

黒川秘書「そういう意味では黄金期を築き上げるために先代理事長である実の母親の英才教育を受けて大任を果たして役割を終えた秋川 やよいも同じようなものか」

 

駿川秘書「誤解があるようなので訂正させてもらいますが、先代は今でも海外に拠点を移して日本ウマ娘レース業界の発展のために力を尽くしています」

 

黒川秘書「それが気に入らないんだけどね」

 

黒川秘書「まあ、国民的スポーツ・エンターテインメントの夢の舞台:トレセン学園が全寮制の家族との繋がりを絶つ環境にあるわけだから、実の親子関係よりもウマ娘ファーストに忠実な公僕を送り出した点は見上げたものがあるけど」

 

黒川秘書「けど、やっぱり許せないものがあって」

 

 

――――――子守を必要とするお嬢様を矢面に立たせて黄金期が成立した暁には自分こそが黄金期の後継者であることを自称しまくるような世の中ってやつがね。

 

 

 

 

トボトボ・・・

 

黒川秘書「……何をやっているんだろう、私って」

 

黒川秘書「……あそこまで喋るつもりはなかったのに。情報を与え過ぎたかもしれない」

 

黒川秘書「……けど、まだ何も始まってもいないのに、どうしてこんなに息苦しいのだろう?」

 

 

――――――ああ、私は“幻のウマ娘”ではなく“冠の星(太陽)のウマ娘”として優駿たちの頂点に立った存在だったのに。

 

 

黒川秘書「あ」ヨロッ

 

瀬川T「あ、大丈夫ですか?」

 

黒川秘書「す、すみません。少し飲み過ぎたもので……」

 

黒川秘書「あ、たしか、あなたは――――――」

 

 

瀬川T「今年 配属になった新人の瀬川Tです。とは言っても、つい先日 両親の離婚で苗字を変えたんですけどね」

 

 

黒川秘書「ああ、憶えてますよ。今の時期に申請書の登録のし直しで大変でしたね。せっかく天下のトレセン学園のトレーナーになったというのに、心中お察しします」

 

瀬川T「へえ、『心中お察しします』か……」

 

瀬川T「なら、僕のことを慰めてくださいよ」

 

黒川秘書「へっ?!」カアア!

 

 

瀬川T「これから気晴らしに24時間営業のラウンドワンで夜遊びしに行くんです。どうです? 楽しい夜にしません?」

 

 

黒川秘書「え」

 

黒川秘書「ハッ」

 

黒川秘書「……息抜きは大切だとは思いますが、新人トレーナーなら寝る間を惜しんで担当ウマ娘をスカウトできるようにトレーニングやレースの研究に励んだらどうですか?」

 

瀬川T「そう思ってたんですけど、ダメなんですよね、僕」

 

瀬川T「トレーナーらしいことに集中しようとすると、どうしても『日本オークス』と『日本ダービー』の東京競バ場で隣の席同士だったのが出会いの始まりだった両親のことを思い出してね……」

 

瀬川T「あんなにもおしどり夫婦だなんて言われていたのに、僕が夢の舞台で働くトレーナーになった年に離婚だなんて…………」

 

黒川秘書「…………そう」

 

瀬川T「だから、両親の離婚のせいで業務に集中できなくなった鬱々とした日々に新しい意味をくださいよ」

 

瀬川T「僕さ、G1ウマ娘が担当トレーナーと一緒にゲームセンターで遊んでいる姿に憧れていたのに、こんなんじゃ憧れは憧れのままで終わっちゃう……」

 

 

瀬川T「だから、『日本オークス』『有馬記念』を制した元G1ウマ娘の黒鹿毛のあなたと一緒に遊び倒したいな」

 

 

黒川秘書「あ――――――」ドクン!

 

瀬川T「……ダメ?」

 

黒川秘書「……い、いいですよ?」

 

瀬川T「やったぁああああ! 憧れのG1ウマ娘と遊べるぅうう!」

 

黒川秘書「………………」

 

瀬川T「それじゃあ、いろいろと教えてくださいね、黒川さん! 僕が担当ウマ娘を持った時の練習台になってっくださいね!」

 

黒川秘書「…………まったく、これぐらいの可愛気が友野Tにもあればねぇ。あれは生々し過ぎる」ヤレヤレ

 

黒川秘書「なら、大人の現実を見た後は子供の夢を見て明日の元気を取り戻すのも悪くないか」フフッ

 

 

――――――今だけは“樫の女王(オークスウマ娘)”にして“正真正銘の最強ウマ娘(グランプリウマ娘)”として新人トレーナーのあなたを手取り足取り指導してあげましょう。

 

 

 

 

 

――――――トレセン学園

 

樫本代理「こんな時間に電気が点いているから、まさかと思えば――――――」

 

目久美T「あ、樫本代理…………」

 

樫本代理「顔色が悪いですね。きちんと休んでいますか?」

 

目久美T「いえ、なかなか忙しくて……」

 

樫本代理「今年 配属されたばかりの新人トレーナーのあなたがスカウト解禁直後にスカウトを成功させて担当ウマ娘を持ったのは分不相応で時期尚早に思っていましたが、ここまで新人が懸命に努力しているのを先輩の一人として見て見ぬ振りをするわけにもいきません」

 

樫本代理「なので、まずは――――――、」

 

樫本代理「トレーナーであるあなたが倒れたら担当ウマ娘が大いに心配します。その立場を自覚しなさい。あなたの存在はすでにあなただけのものではなくなっているのですから」

 

目久美T「面目ないです……」

 

樫本代理「まあ、私も人のことを言えた立場ではありませんが……」

 

樫本代理「さあ、早く帰りますよ」

 

目久美T「はい……」

 

 

スタスタスタ・・・

 

 

樫本代理「はっきり言って、新人トレーナーのあなたの実力では『トゥインクル・シリーズ』参戦は無謀ですから、『アオハル杯』参戦に絞ってアオハルチームに参加する先輩たちの下でしっかりと実力を身に着けてからになさい。それが互いのためですよ」

 

樫本代理「私が指導するチーム<ファースト>に勝ってトレセン学園の明日を守りたいのでしょう? それなら、チーム<エンデバー>と同じように『アオハル杯』優勝に専念してから『トゥインクル・シリーズ』に挑むのが堅実です」

 

目久美T「でも、樫本代理は『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』の両方で結果を出そうと誰よりも頑張っているんですよね?」

 

樫本代理「そうです。この業界ではどんな提案も理想もまずは結果を示さないことには何も始まらない――――――」

 

樫本代理「だからこそ、私自身は反対であっても秋川理事長の『アオハル杯』復活を受け入れた上で私自身が願うトレセン学園の未来を結果を出してこの手で築き上げる他ないのです」

 

目久美T「本当にそれしかないんですか? 樫本代理が最初に教えてくれた『管理』っていうのは本当にそういうことなんですか?」

 

樫本代理「まだそんなことを言うのですか? 私が渡した指導要綱の内容の1/3も実践できないような新人トレーナーに良し悪しが判断できるのですか?」

 

目久美T「だって、ウマ娘レースは優駿たちの頂点を目指して熾烈な競争の積み重ねで進化を続けているスピードの世界なら、それで勝てるとわかれば『管理教育プログラム』は自然と受け入れられるもののはずです」

 

樫本代理「だから、『管理教育プログラム』の有用性を知らしめるためにわかりやすい形で結果を示す必要があるのです」

 

目久美T「でも、それだけだったら、秋川理事長の意に反して『アオハル杯』復活の中止なんてする必要なんてないじゃないですか。『トゥインクル・シリーズ』での活躍で樫本代理のトレーナーチームへの評価があれば――――――」

 

樫本代理「いけません。公営競技とは言え、『トゥインクル・シリーズ』の結果でトレセン学園の在り方を変えるだなんて、私的な賭け事に利用することは許されません。それではウマ娘たちの健全な競走が保証できなくなります」

 

目久美T「あ、そっか。そういう意味で非公式戦『アオハル杯』の結果次第でトレセン学園の将来を決めることに拘っていたんですね――――――」

 

目久美T「あ、いや、俺にはそのことがわからないんです。昔の『アオハル杯』がどうだったかはわかりませんけど、結局は今の形で開催したということは過去の『アオハル杯』の問題点はほとんど解決されているのでしょう?」

 

目久美T「だから、前回の『アオハル杯』参加者ということもあって 秋川理事長から運営責任者に指名された 樫本代理自身が開催の許可を出しているんですから、学園の大半を敵に回してまですることじゃないです」

 

樫本代理「…………あなたはそんなどうでもいいことを延々と考えていたのですか?」

 

目久美T「――――――『どうでもいいこと』なんかじゃないです! 徹底管理主義に基づく『管理教育プログラム』施行で規則が厳しくなってトレセン学園のウマ娘の在り方が変わったら、トレーナーの在り方だって変わらなくちゃいけないじゃないですか!」

 

目久美T「ウマ娘にいろんな脚質や適性があるように、トレーナーとの相性や得意な戦術だっていろいろあるじゃないですか」

 

目久美T「チーム<ファースト>のウマ娘のようにトレーナーの指示には絶対の徹底管理主義が性に合う子がいるなら、自分のやり方や意見を認めてもらいたいと一生懸命に頑張っている子だっているんですから」

 

目久美T「ほら、シンボリルドルフ入学以前に国民的人気を博したチーム<スピカ>はウマ娘の自主性を重んじた完全調和(パーフェクト・ハーモニー)を実現していましたし」

 

樫本代理「私はそこまで難しいことはやらせようとしているつもりはないのですが」

 

樫本代理「ただ御家族の大切な御息女を預かる身として故障者の出ることのない安全で管理の行き届いた学園生活を与えたいだけ」

 

樫本代理「どうして理解してもらえないのでしょうか。なぜ変わろうとしないのでしょうか。頂点を目指すトレーナーならば誰もが通る茨の道から舗装された安全な道に案内しようとしているのに」

 

 

目久美T「――――――『誰もが通る道を通っていたら絶対に追い越せないものがあるから』じゃないですか?」

 

 

樫本代理「!!!!」

 

樫本代理「……末恐ろしいですね。新人だからこそ、常識に囚われない自由な発想ができるわけですか」

 

樫本代理「あ」

 

樫本代理「そういえば、あなたのご両親は消防隊でしたか?」

 

目久美T「はい。消防隊員の父と救急隊員の母です。ですので、防火訓練や救命講習では呼んでください。自信ありますから」

 

樫本代理「なるほど、これはたしかに緊急車両が赤信号でも優先的に進行したり 対向車線を逆走したりするのを見続けていたら、そういう発想にもなりますね」

 

樫本代理「ですが、まずは基本的なルールやセオリーを覚えて遵守するところからですよ、目久美T。何事においてもその場に適したやり方というものがあるのですから」クスッ

 

 

――――――意外とあなたのような人が行き詰まった状況を打破する新たな希望になるのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――百尋の滝の秘密基地/古井戸の修行窟

 

斎藤T「頑張れ! 負けるな! 樫本 理子! 黒川 あぶみ!」ドン!

 

マンハッタンカフェ「あ、あの……」

 

アグネスタキオン「な、何をしているんだい、トレーナーくん……?」

 

斎藤T「……ん。来ちゃったか。気が途切れた。続きはまた後だな」スッ

 

アグネスタキオン「なあ、目の錯覚じゃなければ、それは泥人形かい? 火にかけた鍋から泥を捏ねて作ったみたいだけど、そんなにも手を泥だらけにして……」

 

マンハッタンカフェ「……悪魔の儀式か何かですか、それ?」

 

斎藤T「バカを言うな! 21世紀にも存在する“呪いの藁人形”を知っているなら、その逆の“祝いの泥人形”を知らないのか!?」

 

アグネスタキオン「いや、“呪いの藁人形”は私も知っているけど、“祝いの泥人形”なんてのは聞かないねぇ……」

 

マンハッタンカフェ「あ、よく見たら その泥人形は樫本代理と黒川秘書ですか? 凄いですね、そうだとはっきりとわかる精密な顔の彫り具合です」

 

斎藤T「いや、そうでもない。泥人形の本体はこうして鍋に火をかけて温めて私の手で捏ねているけど、あとは3Dプリンターで作ったキャラスタンプで顔をプリントすれば完成だから」

 

アグネスタキオン「ふぅン、地球文明の継承者として祭司長を自称するきみが古井戸を入り口にした修行窟に籠もっている時は決まって怪しげな儀式を行っているわけだからねぇ」

 

アグネスタキオン「で、今回の儀式はいったいどういうものなんだい?」

 

 

斎藤T「――――――誕生の瞬間を()()()()再現して祝福をかけ直しているんだ」

 

 

マンハッタンカフェ「?!?!」

 

アグネスタキオン「……つまり、その火にかけた鍋は産湯で、泥だらけの手というのは出産直後の羊水まみれということかい?」

 

斎藤T「そういうこと。泥人形自体は神社の人形形代や絵馬代、はたまた藁人形と同じ形代(トークン)でしかないけど、より具体的な より現実的な より肉体的な具象を伴っていることで よりはっきりとした霊力を現実界に現せるというわけだ」

 

斎藤T「それを助長するために、この泥人形の中には樫本代理と黒川秘書をエクリプス・フロントで饗した際に口にした木製のコーヒーカップセットを灰にしたものが含まれているから、2人が使った代物である縁に加えて指紋も唾液も採取されている」

 

マンハッタンカフェ「え、えええ!? あの立派な木製のコーヒーカップセットを燃やして灰にしたんですか!?」

 

アグネスタキオン「どうしてきみが樫本代理と黒川秘書を饗す際に木製のコーヒーカップなんかを出していたのか疑問に思ってはいたが、まさか そういう使い方をするためとはねぇ……」

 

斎藤T「そして、誕生の瞬間は誰もがその赤子が生まれてきたことを祝福するものだろう? その人生が実りあるものであれと」

 

斎藤T「だから、この儀式をやれば泥人形(トークン)を媒介にして 後天が始まった直後の誕生祝いの福徳が本人に授かって 成長していく過程で失われていった誕生祝いの福徳が補給されるという仕組みだ」

 

 

斎藤T「これが“祝いの泥人形”だ! “呪いの藁人形”なんかやるぐらいなら、みんなで“泥人形”を捏ねろ! 呪いの言葉よりも祝いの言葉で世を満たせ!」

 

 

マンハッタンカフェ「す、凄いですね……」

 

アグネスタキオン「ああ、さらりととんでもないことをやっているわけだからねぇ。ただただ『凄い』としか言えないよ、これは……」

 

アグネスタキオン「なら、私やカフェの分もやってくれるだろう? そうすれば、誕生祝いを何度も受けられて常に豪運に恵まれるようになるのだろう?」

 

斎藤T「何か勘違いをしているようだが、誕生祝いは生まれてきた使命を全うするためのものであって、使命を全うするのとは無関係の日常生活を無条件に幸運を恵むものではないからな」

 

斎藤T「禍福は糾える縄の如し、幸不幸は使命を果たすための導きであり、運不運は使命に目覚めるためのきっかけに過ぎない」

 

斎藤T「人生は劇場に譬えられるだろう。それと同じだ。人生という劇場で与えられた役割を果たすために幸不幸や運不運はあるに過ぎない。それが天命というものだ」

 

斎藤T「誕生祝いを何度も受けて得られるのは使命を果たすために降りかかる試練とそれに立ち向かう天運だから、毎日がずっと嬉しくなることやちょっと良いことに恵まれて幸せな気分に浸れるようには絶対にならないぞ」

 

マンハッタンカフェ「…………『人生は劇場』ですか」

 

アグネスタキオン「…………ふぅン」

 

斎藤T「あと、見立てを現実のものにする集中力がいるから、気軽にやれるもんじゃない」

 

アグネスタキオン「……ふぅン?」

 

マンハッタンカフェ「そんなに難しいことなんですか?」

 

斎藤T「理解できてないだろうから言ってやるが、出産ってのは命懸けなんだぞ。助産するにしても立ち会うにしても何時間も渡って緊張感に支配されて、出産の喜びはその重々しい雰囲気に耐えきったことのカタルシスによってなされるもの――――――」

 

斎藤T「現実の出産の場面をひたすら想像して、生まれてきた赤ちゃんに溢れんばかりの祝いの言葉を浴びせるのは、とにかくしんどい……」

 

斎藤T「よく考えろ。家族でも友人でもない赤の他人がこの世に生まれてきた瞬間を何時間もかけて想像することが簡単だと思うか」

 

斎藤T「そして、それを想像する上で 生まれてきた赤子がまさか泥人形に彫った本人の顔そのままで生まれてきたら どう思う?」

 

マンハッタンカフェ「そ、それはたしかにリアリティに欠けると言いますか……」プッ・・・

 

アグネスタキオン「ふぅン、たしかに緊張感が吹き飛ぶぐらいに笑ってしまう光景だねぇ、トレーナーくん!」アハハハ!

 

斎藤T「だから、今現在の大人の姿を想像しつつ、純真無垢な生まれた直後の姿も想像して、その2つが結びつくように想像の幅を広げていくのがどれだけ腹筋に悪いことかわかっただろう!?」

 

斎藤T「なまじ、私も出産を手伝ったことがあるから、集中力が極まると妊婦の産みの苦しみのうめき声や分別室の立ち籠める臭いまではっきりと五感で感じられるようになるから、やり過ぎると五感が侵食されて偏執病(パラノイア)に陥るから嫌なんだ……」

 

斎藤T「VRシミュレーションと同じだ。仮想世界での出来事であろうと、非現実的体験を積み重ねていけば、現実世界での脳細胞が蝕まれるのと同じことだ」

 

アグネスタキオン「なるほどねぇ。それなら無理は言えないねぇ」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。逆に言えば、生まれてきた使命を果たすために必要になれば、斎藤Tはしてくださるということです」

 

斎藤T「だから、乳幼児期の写真を渡してくれると“祝いの泥人形”で儀式をするのが捗る」

 

 

――――――そして、これは21世紀の人間でも誰もが知っていることだろう;最初の人類:アダムは神が泥を捏ねて創られたのだ。

 

 

マンハッタンカフェ「え、ええ。そうですね……」

 

アグネスタキオン「ふぅン、7日で世界を創造したという創世記の神話がどこまで本当の話か――――――」

 

斎藤T「……それが現代人の“神”への理解か? いったいどれだけ即物的で、排他的で、宗際協力が進んでいないんだ、この未開惑星は?」

 

斎藤T「――――――人生五十年。下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」

 

マンハッタンカフェ「これは『敦盛』ですね」

 

アグネスタキオン「ふぅン」

 

斎藤T「――――――『人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない夢幻のようなものだ』と謳っているわけだから、」

 

斎藤T「アブラハムの宗教における世界創造の7日間が1日:24時間で換算できるわけないだろう!? 『ローマは一日にして成らず』を理解できるのに、なぜそこが理解できない!?」

 

斎藤T「そもそも、1日:24時間も閏年や緯度によって厳密にはちがうことぐらい理解しているだろう!? 1日:24時間の概念も地球の自転によるものなのに、じゃあ地球の自転速度が変わった瞬間に世界創造の7日間の所要時間も変わるっていうのかい? 古代オリエントで王が変わる度に決め直したキュービットの単位のように?」

 

斎藤T「それが不自然なんだ。『なぜ地球上では1日の長さが24時間?』というのも地球の自転という自然法則から導き出された科学的な答えなのに、それを“1日と言われたら自動的に24時間と換算する”観念に変わっているのが実に不自然だ」

 

マンハッタンカフェ「言われてみれば、たしかに……」

 

アグネスタキオン「……それで、その泥を捏ねて最初の人類を神が創造したのが、何だって?」

 

斎藤T「私は神事を取り次ぐ神官の一人であり、文字通り神憑りして現実世界に肉体を持たない神様のなさることを代行しているわけだ。そこは理解しているか」

 

斎藤T「だから、私は常に“祝いの泥人形”を創る時はアブラハムの宗教における人類創造に重ね合わせて、泥人形が本物の人間の赤ちゃんであると信じ抜いて()()()()()()祝福を与えるわけで、私は神様と二人羽織で究極のごっこ遊びを興じているわけだ」

 

 

――――――今回、ヒト:樫本 理子とウマ娘:黒川 あぶみの泥人形を一緒に創ることになったわけでいろんなことがわかったんだ。

 

 

斎藤T「やはり、神様のなさることは一石何鳥にもなることだと改めて思う結果を得られたよ」

 

斎藤T「ああ、ここまで迫られたのならやるしかないな、大祓いを」

 

斎藤T「なるほど。だから、“斎藤 展望”の誕生日は6月30日なのか。そのために“私”が選ばれたのか――――――」

 

マンハッタンカフェ「……斎藤T?」

 

アグネスタキオン「おい、一人で納得してないで、わかるように説明したまえよ、きみ」

 

斎藤T「あ、すまない」

 

斎藤T「まず1つ目は、やっぱり樫本代理は今回の『アオハル杯』中止と『管理教育プログラム』施行の件でトレセン学園の関係者の大半から恨まれていたから、大量の生霊の呪いでかなり不調になっていたみたいだ」

 

斎藤T「だから、樫本代理と一緒に憎悪の的になっている黒川秘書も合わせて、『アオハル杯』の3年間をやりきるために、私が“祝いの泥人形”を創って誕生祝いの福徳を補充して生霊を跳ね除ける精力を蘇らせる必要があったわけなんだ」

 

斎藤T「これで明日から樫本代理と黒川秘書はなんでか知らないけど 昨日までの重さがなくなって かなりスッキリした気分になるんじゃないかな? 現実世界でのきっかけが何になるかはわからないけど」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。これまでのトレセン学園をみんなが愛している中、それをなくそうとしている樫本代理は針の筵に自ら飛び込んでいっているようなものですからね。絶対に辛かったはずです」

 

アグネスタキオン「……ふぅン。きみが樫本代理を擁護する立場にあるということは、きみが取り次いでいるという皇祖皇霊も樫本代理を支持しているというわけなのかい? 樫本代理が掲げる徹底管理主義が正しいと?」

 

 

斎藤T「――――――それはわからない;神様の御心は善悪二元論にはなく常に中道にあるのだから」

 

 

マンハッタンカフェ「え」

 

アグネスタキオン「……どういうことだい?」

 

斎藤T「その人が正しいから正しい者の味方をするんじゃない。その人が悪だから悪人を正そうとしているんじゃない。そんなのは自分の都合によって善悪を簡単に翻す人間の尺度でしかない」

 

斎藤T「そうじゃない;神様にとって『こうあって欲しい』という願いに繋がる“中たる道”に沿うように使われているのであって、」

 

斎藤T「そもそも、神様が世間で言われているような全知全能で絶対正義であるのならば、失楽園に至った知恵の実を食べていながら 天地創造を7日間でできるような全知全能が伴わない 不完全な存在である人類は皆等しく悪だろう。神様が絶対正義なら、そうでないものは絶対悪になるしかないだろう」

 

斎藤T「そのことを忘れているよ、みんな。もっと神様に対して深く感謝して謙虚であるべきだ。絶対正義の神様が絶対悪の不完全である我々を拒絶することなく手を差し伸べてくださっているのだから」

 

斎藤T「――――――その存在を信じなくてもいいけど、その理想を信じなくてもいいのか」

 

マンハッタンカフェ「………………」

 

アグネスタキオン「………………」

 

斎藤T「でもね、人を呪わば穴二つ、義憤から樫本代理に憎悪を向けている側も自分の御魂を生霊にして樫本代理に取り憑かせているわけだから、実はその分だけ自分の御魂が欠けているわけだから互いに不幸に陥っている――――――」

 

斎藤T「いや、『御魂が欠ける』というよりは、本来 生まれ持った使命を果たすために与えられた御魂の容量(リソース)を『同じように生まれ持った使命を持つ他人の人生の邪魔をするために使っている』ということで神罰が下る感じかな?」

 

斎藤T「人は生まれながらにして人権を持って誰もが尊重されるべきならば、神様から生まれ持った使命を与えられた全ての人類もまた等しく尊重されるべきなのだから、神様ではない未熟者が他人の人生を阻むことは実に烏滸がましい罪悪だ」

 

斎藤T「これが2つ目だ。悪を憎んで正義を振りかざして生霊を飛ばす側もそのことに意識(リソース)が吸い取られて本来の御魂の力を発揮できなくなって人生が徐々に徐々に下り坂に転げ落ちるんだ。これが『人を呪わば穴二つ』だ」

 

斎藤T「だから、『アオハル杯』が始まる前に樫本代理への呪詛を和らげる必要があった。そうしないと――――――」

 

マンハッタンカフェ「――――――結果として、樫本代理に対して義憤を抱いて生霊を飛ばした多くのトレセン学園関係者が不幸になるから!」

 

アグネスタキオン「それは『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』の両立を目指して故障者が続出するのを未然に防ごうとするESPRITの今の活動方針に合致するねぇ」

 

マンハッタンカフェ「じゃあ、樫本代理と黒川秘書と同じように、呪詛を和らげたことで明日からのトレセン学園の雰囲気が良くなるわけですね」

 

斎藤T「理屈としては確実にそうなるけど、他にもいろんな要因でそうなっている可能性がいくらでもあるから、1つの要因を取り除いただけで実感できるほど雰囲気が晴れやかになるかは保証できない」

 

アグネスタキオン「まあ、道理だね。逆に樫本代理への恨みを晴らしただけで学園の雰囲気が嘘みたいに晴れやかになったとしたら、トレセン学園の人間がいかに単純であるかで心配になってくるからねぇ」

 

斎藤T「3つ目は、“祝いの泥人形”が誕生の瞬間を象る儀式であったのは説明したな」

 

 

――――――だから、こうしてヒトの泥人形とウマ娘の泥人形を捏ねたことで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を垣間見たんだ。一瞬だけ。その違いが。

 

 



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通信報告  拝啓 『アオハル杯』復活に向かう新時代の“私”へ

 

このDメールのやりとりも慣れたもので、段々と光と影に分かたれた世界のちがいも明確になってきたように思える。

 

妄念妄想を捨てる世界と捨てられる世界を“光の世界”と“影の世界”と普遍的無意識に焦点を当てて認識してきたわけだが、

 

マンハッタンカフェの“守護天使”が語るように、そもそもヒトとウマ娘が共生する21世紀の地球そのものが『穢土』に対する『浄土』だとするなら、もしかすると光と影の世界は胎蔵界と金剛界に対応する関係ではないかと思い始めた。

 

というのも、そちら側の光の世界だと 多くの人たちの助力を得て 裏世界での妖怪退治に赴いているのに対し、こちら側の影の世界だと とてもじゃないが他人を頼る気になれないということで 身内だけで裏世界での妖怪退治をやってきていることで得ることができた経験やノウハウに大きな差ができていたからだ。

 

そう、新年度早々に卒業したばかりの“皇帝”シンボリルドルフと『サンタアニタダービー』を観戦した後、特別ゲストの“異次元の逃亡者”サイレンススズカを交えた模擬レースをしたまでは同じなのに、

 

そちら側では トレセン学園の更なる飛躍のために『アオハル杯』を復活させることで 未出走バからシニア級までの生徒たちを対象に『URAファイナルズ』と同じように5部門で競走ウマ娘の能力開発と才能発掘を行うように学園が舵を取ったのに対し、

 

こちら側では性の乱れによって圧倒的なトレーナー不足でチーム対抗戦『アオハル杯』なんかやる余裕がないので提案が却下されたのか、次回の『URAファイナルズ』に向けて各陣営が新しい戦略を立てて新たなローテーションを組むようになった程度で学園側からの新しい動きは見られない。

 

 

その代わり、相変わらず新年度を迎えても爛れきった学園の空気に吐き気を催して府中市をブラブラしていると、トレセン学園の卒業生であるイベントプロデューサーの熱心な勧誘に捕まることになり、そこから話半分に聞いていた『グランドライブ再建計画』に協力することになってしまった。

 

 

というのも、担当ウマ娘:アグネスタキオンが『感情』が人間に与える影響力を測るための貴重な実験の機会だと考えたためで、私としても 爛熟期を迎えた学園の腐った空気を吸いたくないがために こうした課外活動に参加することに前向きになっていた。

 

しかし、ウイニングライブの起源については人権団体の圧力なのか、はたまたヒト社会にウマ娘を参画させるための積極的是正措置(アファーマティブ・アクション)の賜物か――――――、

 

そのイベントプロデューサー:ライトハローPが『レースで勝利したウマ娘が応援してくれるファンに感謝の思いを伝えようとしたことがウイニングライブの始まり』だなんてことを本気で信じているとは、夢の舞台のイメージを壊さないためにはそれぐらいの幼稚さが必要なのかもしれないと感心すらしていたが。

 

たった一言、『じゃあ、勝てなかったらファンに感謝しなくてもいいのか?』と、何のためにトレセン学園の学校行事に『春秋ファン大感謝祭』があるのかと小一時間ぐらい問い詰めたい気持ちをこらえて、私はライトハローPの話を面白可笑しく聞いていた。

 

そもそも、ウマ娘レースでは最大で18枠しかないのだから抽選で出走枠から漏れたウマ娘もごまんといるわけであり、私が桐生院先輩から教わったものとはまったく認識がちがうことに驚きを通り越して笑いがこみ上げてくる。

 

近代ウマ娘レースはヨーロッパの王侯貴族の道楽である宮廷舞踊の踊り子ウマ娘がセンターの権利を賭けて一望できる庭園で競走したのが起源なのだから、ウイニングライブとはウマ娘レースの勝者に与えられた義務と責任であるのだ。

 

なので、ウマ娘レースの勝者と敗者はレースの結果はどうあれウイニングライブのセンターの座を賭けて競走しているのだから、勝とうが負けようが最後は自分たちの取り決めに従って順位に応じた配置でステージの上で踊らなくてはならないのだ。

 

その辺の事実と背景をまったく学ぼうとしないウマ娘とトレーナーが大半で、ウイニングライブ不要論が当たり前のように存在していること自体が、学のない人間が形だけ伝統を受け継いで伝統を形骸化させていることの生きた見本だ。

 

レースで勝つための厳しいトレーニングと並行してウイニングライブの振り付けの練習もするのは競技内容として最初から含まれていることなのだから、

 

ウイニングライブがそんなに嫌だったら近代ウマ娘レースではなく近代陸上競技の選手としてスピードの世界の限界を極めればいいだけのことだ。

 

なので、ウイニングライブをするためにウマ娘レースはあるのであり、レースの順位はウイニングライブの配置を決めるだけのものであって、ウマ娘レースはウイニングライブ直前の選考会にすぎないのだ。

 

 

――――――なにより、競走ウマ娘の起源がヨーロッパの王侯貴族の道楽に奉仕していた踊り子ウマ娘にあることを忘れて何とするか。

 

 

なんで少ない練習期間でウイニングライブの振り付けをウマ娘がマスターできるのかと言えば、現在の競走ウマ娘たちはそういった踊り子ウマ娘の血統と才能を受け継いでいるからであり、身体が動き出すよりも先に脈々と受け継がれた血統が踊り方を憶えていると言っても過言ではない。答えは『そういう種族だから』なのだ。

 

しかし、こちらがうんうんと頷くだけなのにウイニングライブに対する熱意を語り通すライトハローPは止まることがない。

 

しまいには『1年に1度 トレセン学園に所属するウマ娘全員がステージの上で踊ることができていた』という 聞いているだけでもそんなのが在り得るのかと疑うほどの超大型ライブ『グランドライブ』がかつて行われていたことを嬉々として語り出し、かつて廃止されたものを新時代に復活させることへの協力を求められることになった。

 

いやいや、そんな御大層な夢のライブである『グランドライブ』が廃止されたのは何故なのかを問い質せば、『トゥインクル・シリーズ』が以前よりも大きく成長したことでレースが多様化に加えて出走ウマ娘の増加が『グランドライブ』の破綻を招いたというのだ。

 

それはもう時代に合わなくなった『グランドライブ』が役割を終えただけで、それ自体は喜ばしいことじゃないのかと思ったのが第一印象であった。というより、戦後のトレセン学園生徒たちが全員ステージに上がって踊れるとなるとフォークダンスしか思いつかない。

 

それどころか、『グランドライブ』がトレセン学園で有志が独自に行なっていたイベントであったと後出しするのだから、つまりは『グランドライブ』なるものはそもそも学園非公認のサークル活動だったことがわかり、現在の総生徒数2000名弱では興行は絶対に成功できないだろうという観測が成り立った。

 

というより、現代日本で独自に発達したアイドル文化と融合した現在のウイニングライブの形式はURA側が人気低迷の日本ウマ娘レース界隈に革命をもたらすものとして主体的に導入して整備してきたものである。

 

事実、このウイニングライブ革命によって日本にハイセイコーに代表される第1次ウマ娘ブームの大旋風を巻き起こし、いつしか有志のサークル活動に過ぎなかった『グランドライブ』という非公式活動は役目を終えることになった。

 

しかし、これに対して『前提と目的が入れ替わっているのではないか』とライトハローPは言うのだが、レースの勝者がセンターを飾ることを強調したこちらの方が近代ウマ娘レースの起源に即したものになっており、

 

つまりはみんなで仲良し小好しでステージの上でぎゅうぎゅう詰めで踊る『グランドライブ』の方が異質なのだから、何を以って正統とするかの認識のちがいというのはかくも恐ろしいものである。

 

なので、私はライトハローPの『ウマ娘たちが素直に純粋にファンへの感謝を伝えられる場所を提供したい』という願いは“皇帝”シンボリルドルフの掲げた理想と同じぐらい純粋だと思えたが、現実に即さない理想で人々を苦しめることになるだろうと心の底から苦笑いをする他なかった。

 

当然ながら、URA理事会にまで直訴したその情熱は認められていたが、そもそもが非公式活動である『グランドライブ』をURAが公式に支援するのは筋違いであり、それを公式に制度化したことによって『グランドライブ』への参加を強制させることになるのでは『トゥインクル・シリーズ』に情熱を燃やすウマ娘たちへの新たな負担にしかならないのだ。

 

よって、現状における賛同者は皆無であり、あまりにも現実離れした理想を追い求める無謀な夢追い人の態度に無性に腹が立ち、地球から遠く離れた未知の惑星に人類国家を築き上げる使命を持つ宇宙移民である私はついにライトハローPに対して企画書の提出を突きつけた。

 

事務所の予算や使える人脈などありとあらゆる情報と資産を公開しない限りはどこがどのようにダメなのかを指摘しようがないため、『どうせダメになるとわかって実を結ぶことのない資金提供(遊ぶためのカネ)ぐらいしかやれるものがない』と私ははっきり言い捨てたのだ。

 

 

――――――()()()()()()()()()()()。認識のちがいというのはかくも恐ろしいものであったことをこれでもかと教えられることになった。

 

 

資金提供(遊ぶためのカネ)ぐらいしかやれるものがない』という部分を大いに勘違いして、ライトハローPは私が『グランドライブ再建計画』の出資者になってくれるものだと飛び跳ねるぐらいに大喜びし、

 

しかも、出資者の権限として私の要求通りに企画書をはじめとする事務所の重要機密の数々を簡単に見せてきたので、私の方もうっかり企画書の内容を添削して大幅に書き換えることになるほどに口出しをしてしまったので、気づけば引くに引けなくなってしまったのだ。

 

そんなわけで、私はライトハローPの懸命な営業活動に乗せられてしまった迂闊な出資者としてトレセン学園協賛企画『グランドライブ再建計画』に参画することになり、

 

ライトハローPの事務所の作業効率を上げるためのソリューションを次々と投入して、『URAファイナルズ』を超える前代未聞の『グランドライブ』再建に向けた活動も『トゥインクル・シリーズ』と同時並行で進めなくてはならなくなったのであった。

 

そちら側のようにたくさんの協力者を集めて手広く事業展開を行ったり、エクリプス・フロントにESPRITのようなクラブ活動を持ったりするようにしておけば楽ができたというのに、このままだと人手不足で破綻することが目に見えていたので、

 

現在、“有機皇帝”シンボリルドルフの世界で普及していたアイトレーナーやアイウマ娘の技術を流用したい誘惑に駆られてしまっている。実際、人造人間:アルヌールの修理のために予備パーツの量産を進めていただけにお手伝いロボットの実用化は百尋ノ滝で本格化しようとしていた。

 

とにかく、トレセン学園では性の乱れによってトレーナーが責任を取らされて早々にトレセン学園を卒業する事態が頻発してトレーナー不足に苛まれているため、これ以上 性欲に飢えたケダモノの毒牙に新人トレーナーたちが掛からないように 声を掛けているのだが、

 

そちら側とちがって交友関係を築くことを怠ってきたツケで“学園一の嫌われ者”の評判が未だに残り続けて ほとんどが耳を傾けてくれないので、学園で協力者を募るのは困難を極めている。

 

そもそも、トレーナーが希少価値を持って誰もが粉をかけてくるような爛れきった学園で“学園一の嫌われ者”になるぐらいなのだから、“斎藤 展望”がしでかした1年前の悪行はもはや学校裏サイトで延々と語り継がれる伝説となっているぐらいだ。

 

ただ、『URAファイナルズ』準決勝トーナメントで敗退した後に“守護天使”の導きで私とトレーナー再契約を結んだ直後に『大阪杯』を勝利して前人未到の“春シニア三冠”を目指すことになった“学園一不気味なウマ娘”マンハッタンカフェの意外な人望から生徒たちを通して賛同者を集めることに成功し、“学園一危険なウマ娘”アグネスタキオンも持ち前の押しの強さと腐れ縁で署名をもらってきているので、これに関しては担当ウマ娘に助けられてばかりだった。

 

 

そして、ライトハローPの『グランドライブ再建計画』の中心となる未来のスターウマ娘こそが“自称:ウマドル”スマートファルコンであり、その担当トレーナーは筋金入りのファン一号であった。

 

 

実は“守護天使”から()()()()()()()()()()()()()()担当ウマ娘と担当トレーナーとしてお墨付きを受けた健全なつきあいとなる二人であり、学園でトップクラスの問題児である私たちにも偏見を抱かずに『グランドライブ再建計画』の同志として親しく付き合うことができた。

 

実際、“学園一の嫌われ者”である私が声を掛けるよりも“自称:ウマドル”スマートファルコンが溢れんばかりの明るい笑顔で声を掛けた方が周りから関心を持たれるわけであり、そのスマートファルコンを『グランドライブ再建計画』のリーダーウマ娘として私は全力で支援することにしていた。

 

しかし、この時点で全員がステージの主役としてファンに感謝を捧げる『グランドライブ』の在り方から外れているわけでもあり、そうした矛盾に気づかないふりをしているライトハローPの心労は告知ライブの準備が進む毎に積もり積もっていっているのがわかった。

 

なので、その様子を見かねて私は出資者としてプロデューサーに命令した。

 

 

――――――ウマ娘なら走れ! 歌え! 踊れ! 考えるよりも先に身体を動かせ!

 

 

結果、トレセン学園の卒業して久しく“本格化”を過ぎた肉体は相当に錆びついているらしく、それ以上に気分も若返らせるためにもトレセン学園のジャージやライブ衣装を着てスマートファルコンと二人三脚のレーストレーニングもライブトレーニングをしてもらうことになった。

 

更に、デスクワークにかまけて健康管理が疎かになっているようでは3年に渡る長期計画を遂行できるだけの体力や精神が持たないわけであり、スマートファルコンの担当トレーナー:ファン一号と一緒に定期的にトレーニングジムに通うように命令したのだ。

 

一方、肩書は『グランドライブ再建計画』の出資者であるはずなのにトレーナーとプロデューサーの二足の草鞋を履いているようなプロジェクトマネージャーの状態になって、トレーナー寮に隣接しているトレセン学園にいることの方が少ないぐらいになっていた。

 

そもそも、あんな爛れきった学園には一分一秒でも居たくないので、これ幸いと百尋ノ滝の秘密基地から出勤することが普通になってきたので、一般生徒たちから距離を置くことができる今の状況は好都合であった。

 

 

そんな中、そちら側の世界ではシンボリ家の密約で面倒を見ることになったソラシンボリとスカーレットリボンがこちら側の世界にそもそも存在しないのに対して、

 

おそらくソラシンボリに相応するだろう圧倒的な実力の持ち主であるアスカインパルスが斜に構えた態度で『グランドライブ再建計画』やその賛同者に対して公然と批判をしてきた。

 

それ自体は私自身が『資金提供(遊ぶためのカネ)ぐらいしかやれるものがない』と言い切ったぐらいには無茶で無謀なものだったので 批判自体は自然なものとして さして気にすることもないのだが、

 

このアスカインパルスというウマ娘はどうにも口が悪い以上に 感情的になりやすく 良くも悪くも感情に素直な裏表のない性格の持ち主であった。要するに“皇帝”シンボリルドルフとは比べるべくもないほどに年相応の落ち着きのない子供ということだ。

 

そのため、“自称:ウマドル”スマートファルコンの想いを綺麗事だと吐き捨てて面と向かって罵倒する様に居合わせてしまった成人ウマ娘:ライトハローPが青褪めることになってしまった。しっかりしろ、社会人。

 

さすがにこれ以上は看過できないとして、そこで私が場を和らげるジョークとして三島由紀夫が太宰治に『僕は太宰さんの文学はきらいなんです』と発言し、これに対して太宰は虚をつかれたような表情をしながら『そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ』と答えたという逸話を披露し、

 

今年12月予定の告知ライブの第1弾もまだ始まってもいない 多くの人間が関心を向けてすらいない中で、レースで勝つことを至上とするアスカインパルス自身が関心を寄せてきたところを見るに、アスカインパルス自身もパンフレットを読み切って『グランドライブ』の理念に惹かれているからこそ批判したい気持ちがあるのだと強弁することで場の雰囲気を無理やり変えたのだ。

 

気持ちを見透かされた怒れる瞳のアスカインパルスはそれでも減らず口を叩こうとするが、ファンを蔑ろにしているととられる発言は今後一切しないようにニヤリと言い聞かせると、それ以上は何も言えなくなった。

 

現役ウマ娘最強決定戦であるファン投票企画の“春秋グランプリ”『宝塚記念』『有馬記念』に出走できないウマ娘は中央では価値が無いことを勝利至上主義のアスカインパルス自身が理解しているからだ。

 

それこそ、ウイニングライブが目的である近代ウマ娘レースが気に入らないのなら、ここは場違いなので近代陸上競技の名門校に転校することを強く勧めたのも効いたのだろう。

 

まあ、突っかかった相手であるスマートファルコンはダートウマ娘なので、一般的な芝ウマ娘のアスカインパルスとは永久に対決の機会はないし、スマートファルコンの両翼を担う大先輩のアグネスタキオンとマンハッタンカフェについても噂を知っていたら積極的に関わることもないだろう。

 

 

そうして迎えた6月、新入生:スマートファルコンはダートウマ娘としてメイクデビューを華々しく果たし、時同じくして4年の雌伏を経ていよいよ“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンがメイクデビューを圧倒的勝利で飾り、更にはマンハッタンカフェが前人未到の“春シニア三冠”を達成したことにより、『グランドライブ再建計画』に多くの賛同者が集まることとなった。

 

 

だが、案の定、『選抜レース』での戦績は抜群であるのにも関わらず、常日頃から感情的で目上の人間に対して反抗的な態度が目立つアスカインパルスは担当トレーナーが見つからなかったことでメイクデビューの機会を逃していた。

 

そちら側とちがって こちら側は総トレーナー数が圧倒的に少ないこともあって担当トレーナーを得るためにウマ娘たちがモーションを掛けるのが普通で、実力以上にこのウマ娘とこれからやっていけるのかという相性が重視されているわけだから、一匹狼気取りで愛想良く振る舞えないアスカインパルスにとっては非常に苦しい買い手市場になっていた。

 

 

そんな頃、メイクデビューの成功を記念したちょっとした打ち上げの席で『グランドライブ再建計画』の発起人であるライトハローPやファン一号と今後の打ち合わせをしている中で、ようやくライトハローPが『グランドライブ』にこだわる理由が明かされた。

 

『ライブは感謝の機会』であるとして幼い頃からライブパフォーマンスの指導が厳しかったライトハローPの祖母が『グランドライブ』創立時のメンバーだったことが大きな縁となっていたそうなのだ。

 

たしかに戦後の混迷期の『トゥインクル・シリーズ』を盛り上げようと息巻いていた世代であるのなら、本来ならば王侯貴族の道楽でしかないウマ娘レースを支えてくれている民衆に対する感謝の気持ちの実感は今よりも強いのは納得がいく。

 

ただ、それは『グランドライブ再建計画』がライトハローPの自己実現の自由としての手段となる遠因でしかなく、『グランドライブ再建計画』の発起人となるほどの強い動機ではない。本当の目的ではない。

 

それはあの怒れる瞳のアスカインパルスと同じように近代ウマ娘レースのウイニングライブの理念に大きな関心を持つに至る事件が過去にあったことは明白であり、納得がいかないところがあるウイニングライブの現状に対する別の解答を求めて『グランドライブ再建計画』に夢を託しているように思えた。

 

 

アスカインパルス「……またあんたか」

 

斎藤T「お前の勝利への執念はそんなものか? このままだと実力はあっても勝ち負けすらない未出走バで終わることになるぞ?」

 

アスカインパルス「……うるさい。あんたこそ“春シニア三冠”と獲ったマンハッタンカフェのような強いウマ娘をたまたま引き当てただけのくせに偉そうにするな」

 

斎藤T「ウマ娘がレースで勝てるかどうかを見るのがトレーナーの仕事なんだから、担当ウマ娘のことを『強いウマ娘』と褒め称えてくれるのは嬉しい限りだぞ、アスカインパルス」

 

アスカインパルス「くそっ」

 

斎藤T「無愛想で反抗的な態度が玉に瑕なだけで学業の成績も優秀じゃないか、きみは」

 

アスカインパルス「そんなの、当たり前じゃないですか。ここは『トゥインクル・レース』のための場所で、他の奴等とはちがって遊びでトレセン学園に来ているわけじゃないんで」

 

斎藤T「そして、休日はエクリプス・フロントの図書室で蔵書を読み漁って一人静かに過ごすことが多いみたいだな。それに 毎日 門限ギリギリまで過ごしている辺り、ルームメイトと一緒にいることでさえも苦に感じているようだな」

 

アスカインパルス「馴れ合うつもりなんてないですから。第一、周りは全員 ウマ娘レースで優勝を懸けて争うライバルなんだから仲良くする必要もないじゃないですか」

 

斎藤T「……一つ勘違いしているようだが、勉強なんてものはお前自身が実践しているように独学でもできることだ。学ぼうと思えば通信教育でも何でもあるからな」

 

斎藤T「だがな、学校生活の第一は共同体における社会性や協調性を身に着けるための場所なのだから、学生のうちに内心はどうあれ他人とやっていけるようにならないと、お前のような跳ねっ返りは社会のゴミになるだけだぞ」

 

 

斎藤T「こんなところで本の世界には浸っている暇があるなら、本で得た知識を実践するための社会勉強だと思って私の許に来い、アスカインパルス」

 

 

アスカインパルス「は、はあ? もしかして、それ、スカウトですか? そんな投げやりなスカウトの仕方がありますか、普通?」

 

斎藤T「『選抜レース』で抜群の戦績を誇る新入生なのに誰からもスカウトされなかったのだから、間違いなく社会のゴミになると思われているのは事実だろう? 勝ったのに誰からもスカウトされないことにへそを曲げる日々をまだ送りたいか?」

 

斎藤T「――――――『綺麗事は好きじゃない』んだろう? だから、こうしてお前の大好きな汚い言葉を掛けてやっているわけだが?」

 

アスカインパルス「……そんなこと!」

 

斎藤T「お前のような直情的で自制心の足りない業突く張りの娘の面倒を誰が看てやれるんだ? お前自身もどうしようもないと思っているから、こんな益体もない専門書なんか読み漁っているんだろう?」

 

 

All work and no play makes Jack a dull boy.《勉強ばかりで遊ばない子供はつまらない人間になる》

 

 

アスカインパルス「……あんた、去年 配属になったばかりの新人トレーナーのくせに、物凄く内面はオッサンなんだな」

 

斎藤T「その渋いオッサン成分をわけてやると言っているんだ、ノンストップガール」

 

斎藤T「はっきり言ってやる。お前の堪え性の無さだと長距離は無理だよ。“クラシック三冠バ”を目指すのなら弱さを隠すために虚勢を張る精神面の脆さを克服しない限りはスタミナはあっても人一倍掛かって自滅するだけだ」

 

アスカインパルス「……なんでそこまでわかってオレにかまってくるんだよ、あんたは?」

 

斎藤T「そんなの、トレーナー業を副業でやっている私の気紛れに決まっているだろう。自惚れるな」

 

アスカインパルス「は、はあ……?」

 

斎藤T「ただ、お前のような跳ねっ返りがいないと日常生活に張り合いがないものでね」

 

斎藤T「それにお前の才能は本物だ。誰もダイヤモンドの原石を拾わないなら、私がダイヤモンドカッターのチップに組み込んで社会の生産にいくらか寄与しようと思ってな」

 

アスカインパルス「……そうかよ」

 

斎藤T「まず、人前で堂々と悪口を言える度胸は それが虚勢であっても 他にはない強みだから、きみは智仁勇の中で勇に秀でている」

 

斎藤T「その上で『智仁勇の三者は天下の達徳なり』『智の人は惑わず、仁の人は憂えず、勇の人は恐れない』これを目指しなさい」

 

アスカインパルス「………………わかったよ、トレーナー」

 

アスカインパルス「まあ、あんたがそこまで言うんだったら、あんたのやることに少しは興味を持ってやらないでもないから」

 

斎藤T「おい」

 

アスカインパルス「な、なんだよ?」

 

斎藤T「今の気持ちを身体で表現することがウイニングライブの第一歩だ」

 

斎藤T「――――――本当は飛び跳ねたいぐらい嬉しいだろう?」

 

アスカインパルス「そ、そうやっていつも人の心を見透かしたような態度が気に食わないんですよ、オレは」

 

斎藤T「嬉しいと思っているくせに。褒められることに慣れてなくて照れ隠しで悪態をつく子供だぞ、今のお前は」

 

斎藤T「だが、赤ちゃんより遥かに物わかりがいいからな。夜中に所構わず泣き叫んでいるのをあやす苦労と比べたら、お前は泣きたい気持ちを堪えて一人でよく頑張っているよ」

 

アスカインパルス「…………っ」ジーン・・・

 

斎藤T「ほら、泣けよ。担当トレーナーからの指示だぞ。思いっきり泣くことで この時代の心理療法でも認知されている ストレス緩和の有効な手段が発揮されるのだ」

 

アスカインパルス「本当にあんまりな言いようですよね、それ!」

 

アスカインパルス「でも!」

 

アスカインパルス「でもぉ……!」

 

アスカインパルス「今はそれが本当に温かくて、寂しくなくて、嬉しくて…………!」

 

 

こうして私は紅眼黒髪の運命の子が暗黒面に堕ちる前にスカウトすることに成功し、しばらくは精神面の修養のためにいろいろと連れ回すことになった。

 

私が太子信仰の人間であるだけに、アスカインパルスの名前は推古天皇が崇峻5年(西暦592年)豊浦宮(とゆらのみや)での即位から持統天皇8年(西暦694年)の藤原京への移転までの約100年間を日本の歴史の時代区分として飛鳥時代のことを思い起こせるので、なんとなく新入生名簿で目についたのが縁の始まりとなっていた。

 

事実、聖徳太子が天皇を中心とした理想の国造りを目指したことが日本という国の方向性や世界の命運を完全に決めたわけであり、ヒトとウマ娘が共生する世界の新時代を築き上げる使命が私にはあるらしいのだから『聖徳太子のようでありたい』という思いは一層強くなっていた。

 

それに、現代日本で“インパルス”と言ったら航空自衛隊アクロバットチームのことがまず頭に浮かんでくることだろうし、トレセン学園の新時代の中心に立つであろう“自称:ウマドル”スマートファルコンとも名前負けしないはずだ。

 

なるほど、悪くない組み合わせかもしれない。アスカインパルス(飛ぶ鳥の衝撃)スマートファルコン(痛みを知る隼)なら本当に新しい時代に至るための試練を乗り越えてくれそうだと期待できるものがあった。

 

実質的にトレーナー歴が半年しかない私が一目見てもわかるほどに 良血バの血統でもないのに才能の塊である アスカインパルスはいうなれば折る刃式カッターナイフのようなやつであり、切れ味は鋭いがすぐに刃毀れする代わりに先端を折り取れば新品同様の切れ味を取り戻せる芯の強さがあった。

 

それだけの挫折を入学前に経験してトレセン学園の門を潜ってきたのだから、表面上は並大抵のことでは動じない胆力があるわけなのだが、

 

いつまでも刃を使い回していると錆びついて切れ味が落ちるだけなので パッパパッパと先端を折っていつも新鮮な気持ちに切り替えさせないといけない 良くも悪くも自分の感情に素直な激情家にも育っていたわけなのだ。

 

なので、そちら側の世界のソラシンボリより遥かにジャジャウマ娘ではあるものの、基本的にトレセン学園に入学してくる子は裏では男漁りに精を出していても表向きは育ちが良い子ばかりなので、ここまで直情的で反抗的な跳ねっ返りの子はかえって新鮮であった。

 

というより、相変わらず“影の支配者(real mastermind)”の干渉が露骨なおかげでアスカインパルスが次なる悲劇のヒロインとして夢の舞台に立たされようとしているのがわかってしまうため、ここでアスカインパルスをスカウトしようがしなかろうが大勢に影響しないだろう、またしても悪趣味で悪辣極まりない台本が始まったのかと恐れ慄きながら、新たな戦いの日々に身を投じていくのだった。

 

 

――――――さあ、夏越の大祓;盛大に“斎藤 展望”の誕生日を祝おうじゃないか。

 

 




というわけで、“皇帝”シンボリルドルフが悪魔の眷属との契約で時間を巻き戻した際に光と影にわかれた2つの世界のうち、
本編である光の世界がアオハルシナリオに突入したのに対し、影の世界:爛熟期のトレセン学園における“斎藤 展望”は完全に嫌気が差して校外活動に精を出すグランドライブシナリオに突入している。
このように並行世界の光と影の世界でアオハルシナリオとグランドライブシナリオが同時進行しており、その対比と通信によって更なる世界観の掘り下げを進めようという野心が本作の影の世界からの『通信報告』となる。

本編の主人公は斎藤 展望、パートナーはアグネスタキオン、アシスタントがマンハッタンカフェとなのは光と影の世界で共通で、
光の世界のアオハルシナリオでの主人公はリトルココンが嫌う仲良しごっこの代表格:キタサンブラック、その裏がソラシンボリ、ライバルはリトルココンとなっている一方、
影の世界のグランドライブシナリオでの主人公は“自称:ウマドル”スマートファルコンというわけなのである。アスカインパルスの立ち位置は懐疑派のサイレンススズカに近い。


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第三次決戦 新時代のための新たな自分への新生 -摩天楼燦めく夏越の大祓-


この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。



-西暦20XY年06月22日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

――――――明日の『宝塚記念』で時代が動く。

 

いや、そんな当たり前のことは先月の令和改元で実際に世界がガラリと変わったことを誰よりも実感しているのだから、元々が皇宮護衛官の家系の出身の“斎藤 展望”にとっては改まって言うほどのことでもない。

 

なぜなら、現実世界では令和元年の御即位恩赦によって恩赦が実施されることが決定されており、現時点ではまだどれほどの数になるかは確定していないが、

 

少なく見積もっても10万人以上の軽微な犯罪で罰金刑を受けて資格を制限された人を救済する政令恩赦の復権令が10月22日:令和即位の礼に伴って公布されるのだ。もちろん、この恩赦には犯罪被害者に配慮して重大犯罪が含まれる懲役刑や禁錮刑となった者は対象から除かれている。

 

 

そして、それは早くも目に見えない非現実世界においても赦された者たちが令和改元によって浮かび上がることになった。

 

 

そう、喜ばしいことなのである。世間にとっては。人類にとっては。神々にとっては。まさしく世界に冠たる日本国の国を挙げての慶事であった。

 

しかし、その恩赦によって6桁もの人間の恩赦が認められたということは、それと同じぐらいの割合で目に見えない世界での恩赦も認められていたことに他ならず――――――。

 

私はトレセン学園に染み込んだウマ娘やトレーナーたちの無念が絶え間なく木霊する学園裏世界でトレセン学園の思い出の中に心を残すことでずっと立ち尽くしている元トレセン学園生徒たちの助霊を令和改元の日から体感でこれまでの20倍はやらされ続けていた。

 

学園裏世界の1分間は現実世界ではいくらでも伸び縮みするため、私がどれだけ見たくもないし聞きたくもないしやりたくもないトレセン学園に蟠る生霊・死霊・悪霊・妖怪たちの助霊をやりきった後、心身共に擦り減らしてヘトヘトになりながら現実世界に戻ってきたら裏世界に突入してわずか1分足らずだったことに驚愕させられたこともあった。

 

その数分後に やる気・意欲・積極性・愛想・管理能力・元気・気力・集中力・体力・霊力を回復させるために近くのベンチに身を投げ出しながら精神統一を図って再び目を開いたら またもや学園裏世界だったなんてこともあり、

 

令和改元で世界中が祝福に包まれ、家族連れが全国各地へ行楽に一斉に出かけ、ウマ娘レースにおいては2年目:クラシック級マイル路線『NHKマイルカップ』で大盛りあがりのゴールデンウィークは私にとってはいつまでも終わらない残業地獄と化していた。

 

現在の地球の1日は24時間という計算のはずなのに これまでの助霊の20倍に思える 令和改元の恩赦でわっと溢れ出した 赦された彷徨える霊魂を救済するのに永遠に思えるような過重労働をやっとの思いで乗り切って数分だけ現実世界に戻されたら、またすぐに助霊のために学園裏世界に連れ戻されることをゴールデンウィーク中に数えるのも嫌になるぐらいにやらされていたわけなのだ。

 

このゴールデンウィーク中に開催されることで有名な東京・芝・1600m『NHKマイルカップ』は1996年に春のクラシック級マイル王決定戦として新設され、創設時は『マル外ダービー』とも持て囃されたほどに今日の日本ウマ娘レース界を盛り上げた名勝負の数々を生み出してきた。

 

その『NHKマイルカップ』と同時期にあったのが、同じ府中市にある近隣の大國魂神社で行われる関東三大奇祭の一つに数えられる例大祭“くらやみ祭り”であり、

 

毎年のゴールデンウィークの府中市はこの『NHKマイルカップ』と“くらやみ祭り”の開催によって大いに盛り上がっていたわけなのだが、

 

『NHKマイルカップ』のレース時間と重ならないように2003年より“くらやみ祭り”の渡御開始が午後6時に変更となっていた。

 

そうなるに至った経緯が武蔵国の国府たる府中市の例大祭“国府祭”の伝統と土地神への崇敬を踏み躙ったとして人々の傲慢さが戒められた結果、トレセン学園に暗黒期がもたらされたというのが『春のファン大感謝祭』で明かされた真実であった。まさに府中にあって不忠を働いた報いを人々は受けたのだ。

 

実は、そのゴールデンウィークに開催される大國魂神社の例大祭“くらやみ祭り”で現れるという 見ることを許されないがためにかつては真夜中に御祭が執り行われていた 貴い祀神が令和改元の恩赦で溢れかえった魑魅魍魎の渦の中の私をずっと護ってくださっていたようなのだ。私にはその存在を視ることはできなかったが、確実にその貴さを感じることはできていた。

 

そう、それこそが5月5日の『NHKマイルカップ』が終わった後に始まった神輿発御;八基の神輿が本殿前お白州から御旅所に渡御していた頃だったらしく、令和改元から始まる終わりなき悪霊との霊能力勝負はようやく終わりを告げたのであった。

 

 

――――――そうか、5月に目白押しとなる東京競バ場の春季のG1レースがこれほどまで清々しく盛り上がるのは“くらやみ祭り”で府中市に蟠る穢れが祓われていたからなのか。*1

 

 

それから“くらやみ祭り”の神威発動によって清々しく盛り上がるマイル路線『NHKマイルカップ』に続いて『ヴィクトリアマイル』を挟んで東京競バ場ではティアラ路線『日本オークス』とクラシック路線『日本ダービー』が連続し、その裏でトレセン学園では『春の選抜レース』1日目と2日目が開催されていたわけなのである。

 

私はゴールデンウィークの間はずっとトレセン学園に残って裏世界で果てしなき魑魅魍魎との戦いに明け暮れていたわけで、それだけに『日本オークス』『日本ダービー』『春の選抜レース』によって、また更に裏世界に夢破れて落ちぶれた霊魂が蟠ることになることを危惧して身構えていたのだが、

 

“くらやみ祭り”で姿無く現れた祀神の神徳によって常に魑魅魍魎が跋扈していたトレセン学園の学園裏世界は綺麗に祓われており、そのおかげで5月後半の妖怪退治は程よくこなすことができていた。

 

しかも、過渡期からずっと連綿と暗黒期の闇を祓ってくれている“シラオキの愛し子”がそうとは知らずにクラシックレースを盛り上げることで“くらやみ祭り”の神徳を日本中に広めてくれているのだから、

 

私は『日本ダービー』においてティアラ路線の最強候補:ウオッカがクラシック路線の最強候補:エアシャカールと一着同着で優勝を分かち合った意味を本人たちが理解している以上にめでたく感じることができていた。

 

また、ティアラ路線のウオッカと優勝を分かち合うことになったことでたとえ『菊花賞』を優勝しても“準三冠バ”と揶揄されることになるエアシャカールではあったものの、G1レースで一着同着という奇跡のような確率の事象にありついたことで大きな心境の変化があったように見える。

 

だからなのだろう。『日本ダービー』での一着同着によって明らかにウオッカとエアシャカールを取り巻く環境が大きく変わることになったのだ。

 

それは奇しくも、まさに令和改元という世界に冠たる日本の慶事に馳せ参じることになったアイルランドからの麗しの留学生との出会いであり、それが私を新たな境地へと誘ったのだった。

 

 

――――――その始まりはポットヌードル(The Slag of all snacks)からであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――目標:6月30日の夏越の大祓を完遂せよ!

 

 


 

 

 

●2周目:06月22日/エクリプス・フロント

 

 

スカーレットリボン「さあ、『宝塚記念』を前に始まりました日英愛友好記念パーティーの次の部! 『熱いぜ ラーメン対決!』ぅ~!」パチパチパチ!

 

ソラシンボリ「いよっ! 待ってました~!」パチパチパチ!

 

ファインモーション「わーい! 待ってました~!」パチパチパチ!

 

SP隊長「殿下、あまり食べ過ぎませんように」コホン

 

スカーレットリボン「それでは皆さんに極上のラーメンを披露する匠たちの入場です!」

 

スカーレットリボン「1番! もはやトレセン学園で知らぬ者はいない! ウマ娘の育成も美味しい料理もなんでもござれ! ああ、あいつこそはまさに世界を知る正真正銘の驚異の天才トレーナー!」

 

 

――――――美味しい料理とは(いき)なもの。さりげなく気が利いていなければならない。

 

 

才羽T「ミホノブルボンの担当トレーナーの才羽です」

 

才羽T「日本料理が世界一であること、その証明のために僕はウマ娘レースで世界一を目指しています」

 

スカーレットリボン「ありがとうございます」

 

スカーレットリボン「続きまして、2番! 黄金期開闢のシンボリルドルフ最強伝説に先駆けた最強世代の一角! 10度の敗北を超えて不屈の精神でついに愛バをG1勝利に導きましたノブレス・オブリージュの体現者にしてイギリス名門トレーナー一族:ディスカビル家の御曹司!」

 

 

――――――美味しい料理とは(すい)なもの。煌びやかで最高の素材を使わなければならない。

 

 

神城T「俺は日本ウマ娘レースにおいても頂点に立つ男だ。ラーメンにおいてもそれは変わらない」

 

神城T「それこそが神城Tだ。再びトレセン学園を神の城にしてやろう」

 

神城姉「そんなこと言って『高松宮記念』でG1勝利するまで同期のライバルたちに負けまくっていたくせに」

 

神城姉「『有馬記念』を長距離に含めたら、担当ウマ娘に全ての距離のレースで走らせるとか、迷走しているとか思えないじゃない、素人から見たって」

 

神城T「だが、俺たちはついに栄光を掴んだ。俺の担当ウマ娘はウマ娘レースにおいて頂点に立つ一流のウマ娘だからな。一流のウマ娘はそれぐらいの苦難を乗り越えることはできて当然」

 

神城T「そして、俺はそんな一流のウマ娘にふさわしい一流のトレーナーであり、へっぽこトレーナーにおいても頂点に立つ男だ」

 

神城姉「……まあね。その良くも悪くも前向きな姿勢;不屈の精神が27戦6勝で大きな怪我なく『ドリーム・シリーズ』への昇格を果たして、黄金世代で一番長く現役を続けることになったわけだしねぇ」

 

神城姉「むしろ、『トゥインクル・シリーズ』での成績は後塵を拝してばかりだったけど、打って変わって『ドリーム・シリーズ』の成績で言えば黄金世代最強はあなたのウマ娘だったわね」

 

スカーレットリボン「おおっと、こちらはフランスで御活躍中の神城Tのお姉さんの通称“マダム・ディスカビル”です!」

 

神城姉「はーい。久々に日本に帰ってきてみたらこんな立派なビルが学園の近くに建っていて驚いたけど、日本からの『凱旋門賞』への挑戦を待っているからね、みんな」

 

神城姉「さあ、私の分も用意してちょうだい。美食大国:フランスで肥えた舌を満足させてよね」

 

ソラシンボリ「おお!」パチパチパチ!

 

ファインモーション「これは楽しみです!」パチパチパチ!

 

SP隊長「ほう、ディスカビル家の末裔が日本に」パチパチパチ!

 

スカーレットリボン「おっと、これは『日英愛仏友好記念パーティー』に改名しないとなりませんか。フランスからの突然のサプライズゲスト:マダム・ディスカビルの登場でした」

 

スカーレットリボン「さあ、最後を飾ります3番! 黄金期の次に来る新時代のトレセン学園の先頭に立つ者は“学園一の嫌われ者”か、“学園一の切れ者”か、その答えはもうすぐ! 本当はトレーナーなんてやっている場合じゃないけど訳あって新人トレーナー!」

 

 

――――――美味しい料理とは乙なもの。人生に彩りを添えるものであれば()()()()()()()()()()()ということはない。

 

 

斎藤T「近日メイクデビューします“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンの担当トレーナー:斎藤 展望です」

 

斎藤T「みなさん、楽しんでいただけているでしょうか。今回はみなさんにとびっきりの忘れられない思い出のラーメンをごちそうしますね」

 

ソラシンボリ「はやくはやく!」パチパチパチ!

 

ファインモーション「そうだそうだ! はやくはやく!」パチパチパチ!

 

SP隊長「()()()の青年と、よもや、このような形で再会することになるとは……」パチパチパチ!

 

スカーレットリボン「以上、トレセン学園でその名が知られた超大物トレーナーが扮する腕利き料理人たちによる『熱いぜ ラーメン対決!』! これから流れます10分間のプロモーション映像から3人の巨匠が作るどのラーメンを食べたいかをゲストの方々に投票していただき、一番得票数の多かったラーメンがゲストの食卓に並べられます!」

 

スカーレットリボン「会場にお集まりに皆様にもゲストの方々の会食の後、3人の巨匠が作ったラーメンを“Mr.Pot Noodle”こと安藤 百福が紙コップにチキンラーメンを割り入れてお湯を注いでフォークで試食する姿からカップラーメンの着想を得た歴史にならって味わうことができますのでお楽しみに!」

 

スカーレットリボン「その際は一般投票していただくことができますので、是非とも食べ比べしてみてださいね」

 

スカーレットリボン「それでは、3人の巨匠たちがこだわり抜いた絶品のラーメンがどのようにして作られたのかをとくとご覧あれ!」

 

 

そんなわけで『宝塚記念』前日にエクリプス・フロントで開催されたのが日英愛友好記念パーティー――――――。

 

英国成分を担うのがイギリス名門トレーナー一族の出身である黄金世代の神城Tであり、愛国成分はもちろん改元に伴う即位の礼に出席するために日本に留学してきたアイルランド王国のファインモーション姫殿下である。

 

実際にはフランスで活躍中の神城Tの姉:マダム・ディスカビルがふらりと現れたので途中からは日英愛仏友好記念パーティーとなっていた。

 

事の始まりはファインモーション姫殿下であり、留学して最初に目にした日本のG1レース『皐月賞』で優勝したエアシャカールの熱烈なファンになったことがきっかけで、人懐っこいおてんば姫は今年の“クラシック三冠バ”の最有力候補であるエアシャカールの許に押しかけてラーメン屋めぐりをしていたのだ。

 

相手が相手なだけに無下にできないエアシャカールだったが、当然ながら完璧なシミュレーションとコンディション管理で“クラシック三冠”を本気で目指しているのだから、おてんば姫のお気楽なラーメン屋めぐりに付き合っていたらコンディション悪化は免れない。

 

ここは姫殿下の姉君:ピルサドスキーから『ジャパンカップ』での健闘を讃えられて親密な関係を築いている縁で姫殿下の相部屋を任された生徒会長:エアグルーヴにラーメン屋めぐりを押し付けようとしたのであった。

 

しかし、生徒会長:エアグルーヴにしても トレセン学園最後の一年 3足の草鞋で多忙を極め、競走ウマ娘として最後の一年を全力で走り抜くために“最初の3年”以上に厳格なコンディション管理をしていたことからラーメン屋めぐりを断固として拒否したのである。

 

そもそも、エアシャカールとエアグルーヴ、そのどちらもが『宝塚記念』に出走する正真正銘の名バであるため、互いに姫殿下の奔放さには手を焼いて苦労させられていることから、国賓相手に無下にもできない苦悩を分かち合うことになった。

 

そこで白羽の矢が立ったのが皇宮護衛官の息子である“斎藤 展望”というわけであり、相変わらずトレーナーとしての評価はアレだが、王族の相手をするのにはうってつけの逸材だとこの時ばかりは全幅の信頼を寄せられていた。

 

悪く言えば、厄介事を体よく押し付けられたわけだが、良く言えば、災い転じて福となす絶好の機会でもあった。困難こそが真に人を輝かせる瞬間をもたらすのだ。

 

私としても“女帝”エアグルーヴにはトレセン学園最後の一年を立派に走り抜いてもらわないと困る。“女帝”の走りを支えるために異国のお姫様の面倒を引き受けざるを得なかった。

 

もっとも、私が宇宙船エンジニアとして生きた地球の21世紀にはアイルランド王国など存在しなかったため、ウマ娘の異世界を象徴するウマ娘の王族との邂逅は未知との遭遇ということで胸が踊るものがあった。これこそが未知なるものを追い求めて旅立つ宇宙移民の醍醐味なのだ。

 

ただし、他国の王族やVIPを饗す名誉ある御役に選ばれるためには私はトレセン学園での“斎藤 展望”の評判を悪く操作しすぎたところがあり、当然ながら王族やVIPが会う人物には必ず身辺調査が行われていることから、このままだと評判の悪さからSPに接触を拒まれるわけである。

 

事実、“斎藤 展望”のトレセン学園での評判は毀誉褒貶が激しく、特に末端の人間からの評価は最悪だがトレセン学園の顔役となる面々からは評価は最高という、何が真実なのかを短期間で外部の人間が見極めることは不可能で、確実にシロだと判断できるまで怪しい人物を王族に近づけるわけにはいかないのは常識だろう。

 

本当は誰からも注目されることのない“学園一の嫌われ者”という自由な立ち位置に“斎藤 展望”を居させたかったが、この通り そうも言ってられなくなり、私がエアグルーヴに代わって姫殿下を饗すためにはまず護衛を務めるSPたちと強固な信頼関係を結ぶ必要性が出てきた。

 

そのため、私は以前にラーメン屋に誘ってくれたことがある駿川秘書に声を掛けて姫殿下のSPたちの許を訪れてトレセン学園近辺のラーメン屋めぐりの下見を申し出たのだった。

 

当然、学園での評価が極めて怪しい私なんかよりも世界的にも評価されている『URAファイナルズ』を主導した秋川理事長の秘書である駿川 たづなの信用もあって、姫殿下が府中市のラーメン屋めぐりに行く下見としてSPたちを連れ出すことに成功し、私は皇宮護衛官としての知見を披露しながらSPと共同でハザードマップ作成を行った。

 

そう、どれだけ情報が錯綜していようとも直に接してみる機会さえ与えられれば、私は23世紀を代表する世紀の大天才にして地球文明の継承者なのだから、異星人との対話をシミュレーションして鍛えられた口八丁の話術に地球圏統一国家を樹立していない未開惑星でしかない21世紀の人間が敵うわけもないのだ。

 

そして、私がそういった話題を提供するために日頃からネタを仕入れて それ以上に自分でネタを作っているのだから、世界に冠たる文明国の出身ではない外国人に驚きと感動を与えることなど、異星人の手をひねるよりも簡単なことだ。

 

ジャパン・アズ・ナンバーワン。新渡戸稲造の『武士道』の時代から地球人の日本趣味は変わることのないトレンドなのだ。私が皇宮護衛官の息子であるということでそれらしい技を披露すれば、それだけでクールジャパンだと盛り上がるのだから、アイルランド王室の人間と言っても所詮はそんなものよ。西洋人なんてものは今も昔も偏屈で差別的で無知で無勉強なのだから。

 

そうした中で、そもそもとしてなぜアイルランド王女が日本のラーメンをこよなく愛するのかを訊ねることになった。そこまで話を持っていくのに遠回りを重ねてきたが、好感度や信頼度を稼がずに返ってくる答えにどれだけの情報が盛られるのかを考えれば、遠回りこそが近道でもあるのだ。

 

 

すると、そこで返ってきたのがイギリスで流通しているカップラーメンである“ポットヌードル”であったのだ。

 

 

ポットヌードル――――――、イギリスにおいてはカップラーメンの代名詞にもなっているが、世界一まずい料理として有名なイギリス料理に飼い慣らされたイギリス人の味覚に合わせられたものがいかにお下劣なものであるかは言うまでもない。

 

第一、私が生きた23世紀の宇宙時代に“ポットヌードル”なるものをベースにした宇宙食なんて見たことがないので国際的な評価は今も昔も共通していると見ていい。実際、イギリス料理がベースの宇宙食はイングリッシュ・ブレックファストか、ティータイムセットしか私は見たことがない。

 

しかし、保存食としては優秀なカップラーメンの一種であることには違いないし、イギリスでは定番のロングセラー商品でもあり、隣国のアイルランドでも流通しているものなので、姫殿下もイギリスの庶民が口にするものとして一応は知っている程度のものだった。すなわち、王族が口にするべきものではないとも。

 

そんなアイルランド王室にポットヌードルとは似ても似つかない日本のラーメンの素晴らしさを伝えたのは、何を隠そう今回の姫殿下の日本留学の決め手となった『ジャパンカップ』で来日していた姉君:ピルサドスキーだったのである。

 

というのも、世界各国のG1レースに出走している高貴な身分の人間ともなれば、行く先々で饗される各国の名物料理に関心を寄せられるグルメでもあるわけであり、特に自身の最後のレースの舞台になった日本のグルメの評判はすこぶる良いものばかりだったので期待せずには居られなかった。

 

そして、日本のコンビニの素晴らしさを堪能した際に目についたのが日本のカップラーメンの豊富な品揃えであり、コンビニ弁当やスイーツにホットスナックも買い込んでいたのだが、若者が店内でカップラーメンにお湯を注いで店の外で美味しそうにおにぎり片手に飲み干す姿に釣られたのだった。

 

そうして、お湯を注げば あとは割り箸だけで食べることができるカップラーメンの手軽さとその美味さに『ジャパンカップ』優勝後の日本を満喫していたピルサドスキーは日本土産に大量のカップラーメンを選ぶほどであったのだ。

 

しかし、今度は日本の大型ショッピングセンターに立ち寄ってみると、カップラーメンの他にもインスタントラーメンが大量に売られていることに驚くことになり、更にフードコートで提供されていた丼に入れられたラーメンと餃子のセットの美味さに感激することになり、ますます日本が好きになれたのだった。

 

そのため、祖国:アイルランドに帰ってきたピルサドスキーが日本の素晴らしさをポットヌードルとの比較で伝えたことで、妹君のファインモーション姫殿下の日本への憧れが膨らんだのであった。

 

なにしろ、ピルサドスキーが日本土産として大量に買い込んだカップラーメンは種類が豊富で味も様々でそのどれもがポットヌードルとは比較にならないほど美味しく、お湯と割り箸があれば外で手軽に温かいものが食べられるというのは寒さの厳しいお国柄では大変ありがたがられた。一緒に買っていた割り箸も100円で買えるような束でも高品質なのに驚かされている。

 

そして、日本で食べた丼に入れられたラーメンの本格派の美味しさを伝えたいがために、わざわざ本格派インスタントラーメンを手ずから調理して丼に盛り付けて冷凍餃子も添える姉君の御姿がとても嬉しかったらしく、ファインモーション姫殿下にとっては思い出の料理になっていたのだった。

 

そのため、日本のラーメン文化にいたく惚れ込んでおり、そのこだわりは食べるに飽き足らず一からこだわってラーメン作りに勤しむまでになっている。趣味のラーメン屋めぐりもその一環であった。

 

ただし、推しである皐月賞ウマ娘:エアシャカールも、ルームメイトの生徒会長:エアグルーヴにしても、『トゥインクル・シリーズ』の真剣勝負に臨むに当たってコンディション管理を疎かにするわけにもいかないので、姫殿下のラーメン趣味には付き合いきれないのが正直なところだった。

 

それはもちろん姫殿下の護衛を務めるSPたちもそうであり、たしかに日本のラーメンはポットヌードルとは比較にならないほど美味いのは満場一致で認めるところだが、それでも所詮はジャンクフードに過ぎないので程々にしておいて欲しかったのだ。

 

事実、姫殿下のラーメン屋めぐりに樫本理事長代理が誘われそうになっていたことを考えると、さすがの私も姫殿下の奔放さを放置することができなくなっていた。

 

なので、自社ブランドに並々ならぬ誇りと情熱を持つサトノ家の()()()()()なんかにかまってられないというのが『宝塚記念』に至るまでの日々であったのだ。

 

だが、アイルランド王女:ファインモーションに降りかかる宿命を事前に知らされた上で、こうして直に会って確かめた時に更にとんでもない事実に気づかされることになったのだった――――――。

 

だからこそ、すでに2周目――――――。

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

斎藤T「冷凍餃子、追加!」

 

才羽T「炒飯、お待ち遠様!」

 

神城T「さあ、至高の野菜炒めを食すがいい!」

 

神城姉「食後のデザートにお土産のフルーツもたんまりとお食べ!」

 

 

ジュージュージュー!

 

 

斎藤T「…………フゥ」

 

陽那「おつかれさまでした、兄上。マンゴー、とろけるぐらいに美味しいですよ」

 

斎藤T「ああ。最終的に料理対決の結果なんて関係なしにラーメン屋風の立食パーティーになってしまったが、楽しんでもらえて何よりだ」

 

陽那「あの、美味しかったですよ、兄上の『秋霜ラーメン』! 個人的には才羽Tの『五目ラーメン』や神城Tの『ミルクシーフードラーメン』よりずっと!」

 

斎藤T「まあ、一流の料理人である才羽Tに真向勝負で勝てないと思ったからこそ、『紙コップでは提供できない』ことを逆手に取った盤外戦術で審査員の票を稼ごうと思ったんだけどな……」 ※1周目の戦略

 

斎藤T「結果はこの通り」

 

陽那「そうだったんですか。なるほど、ゲストにしか丼に盛られたラーメンが提供できないわけですから、それで――――――」

 

ゴールドシップ「よう、斎藤T! あんたの『秋霜ラーメン』というか、『冷やしラーメン』! 料理対決だってのにPVでまったくあんたが作るラーメンそのものに関する情報がないなんて、最高にイカしてるぜ!」

 

ゴールドシップ「つうか、ありゃ、何だよ! 熱々の普通のラーメンを一瞬で冷やしラーメンに早変わりさせる“瞬間冷却ラーメン丼”のプロモーション映像じゃねえかよ! いつものESPRITの新発明の宣伝じゃん!」

 

ゴールドシップ「チビたちが目を輝かせていたぜ! というか、ESPRITで使わせてくれるんだよな! そうだよな! アタシにも試させろよ!」

 

斎藤T「モニター募集は後日ね。一般的なラーメンの丼をすっぽり覆う一回り大きい蓋付きの瞬間冷却機だ。実用的な軽量化にかなり苦労したせいでゲストに提供する分しか用意できなかったわけだけど」

 

斎藤T「原理としては非常に簡単。コンセントに繋いで中に入れたラーメン全体を瞬間冷却するだけ。全方位から羽なし扇風機で瞬間冷却スプレーをするようなものだから、時間にして数秒でラーメン全体が冷えるというわけ」

 

才羽T「さすが。試合(料理対決)に勝って勝負(一般投票)に負けた気分ですよ、斎藤T。ズルいですよ、あれ」

 

 

――――――食事は一期一会。毎回毎回を大事にしろ。

 

 

才羽T「数秒で『冷やしラーメン』を作る新発明に子供たちの心を鷲掴みにされたせいで、一般投票は大差をつけて斎藤Tが勝ちそうですよ」

 

才羽T「それで! 一番にズルいと思ったのは!」

 

才羽T「プロモーション映像の内容が新発明のことばかりで、実際に斎藤Tが作ったラーメンのことはまったく主張していないわけで、肝腎の味の方に誰も注目しないようにしておいて、」

 

才羽T「どっちの場合も試食しましたけど、温めても美味しくて冷たくしても美味しい『しょうゆラーメン』ってとんでもないものを作っていましたね!?」

 

斎藤T「いえいえ、日本三大ラーメンの1つ:喜多方ラーメンの隣には会津坂下町の『冷やしラーメン』なんてあることだし、」

 

斎藤T「この新発明をプロモーションするに当たって喜多方ラーメンと冷やしラーメンを二個一にして売り出そうというのを目標に、抱き合わせ販売のために『温めても冷たくても二度美味しい』をキャッチフレーズにして私が株主をやっているフードテック企業でレシピを研究してもらいましたから」

 

才羽T「いやはや、新発明で開拓された新しい料理の発想には驚かされましたよ。ブルボンにモニターを頼んで 早速 新しい可能性を試したいです」

 

陽那「宇宙食ラーメンの実演販売もそうですし、世界各国や日本中のインスタントラーメンやカップラーメンを所狭しと並べた光景には圧巻ですよね」

 

ゴールドシップ「そうそう。それで気前よく ここに集まったラーメンを来場者に手掴みでプレゼントするってんだから、こいつは間違いなく思い出に残るラーメン対決になったんじゃないか。明日の『宝塚記念』よりも記憶に残るかもな」ボリボリ・・・ ――――――インスタントラーメンをそのままボリボリと齧る。

 

陽那「いや、さすがにそれはないですよ。“女帝”エアグルーヴの復活参戦と言い、同着一位の奇跡を起こした二人のダービーウマ娘:エアシャカールとウオッカの間を置かずの対決に、史上初の“春シニア三冠”が掛かったマンハッタンカフェの一世一代の大記録達成が目玉になっていますから、ウマ娘レースファンなら絶対に見逃せないものが盛り沢山の伝説のレースになるはずですって」

 

神城T「――――――ポットヌードル。まさか、こんなところで目にすることになるとは」パリパリ・・・ ――――――ラーメンせんべいを齧る。

 

神城姉「ねぇ。宇宙一まずい料理と言っても過言ではないものを本物の宇宙食ラーメンの隣に並べておく辺り、今回の企画を立てた主催者(ホスト)のセンスは抜群よね」パリパリ・・・ ――――――ラーメンせんべいを齧る。

 

神城姉「実際のところ、実質的には『冷やしラーメン』で『五目ラーメン』や『ミルクシーフードラーメン』で勝負しに来たわけだけど、こうして最新の技術の(すい)を集めた文字通り一味も二味もちがうものを見せつけた(いき)なものを出されていたことに気づいたら二人して『してやられた!』って感じよね」

 

ゴールドシップ「ああ。こいつは神城Tも才羽Tもお株を奪われたって感じだな」

 

神城T「見事だよ、斎藤T。まあ、スタミナラーメン用の至高の野菜炒めで五分と五分と言ったところだがな」パリパリ・・・

 

斎藤T「いえいえ。さすがはイギリス名門貴族:ディスカビル家らしいラーメンの定番に囚われない和洋折衷のスープ料理を堪能させていただきました」

 

陽那「はい。ラーメンと言えば中華料理という固定観念があるせいで、ミルクを入れて濃厚でコクがある仕上がりにするだなんてびっくりしました! しかも、それがシーフードに絶妙なんです!」

 

ゴールドシップ「まあ、シーフードにミルクの組み合わせって言ったらクラムチャウダーなんかあるし、それこそお湯を注ぐだけのカップクラムチャウダーも売っているしな。ラーメンとの組み合わせは元から悪くないってこった」

 

才羽T「そして、言葉通りの最高級の魚介類と牛乳を惜しみなく使ったスープは他では味わえない濃厚な風味と高級感をもたらしてくれました。この場限りの贅を尽くした味に立ち会えたことは幸運です」

 

神城T「いやいや、そんなことを言ったらプロの料理人が本気でウマ娘レースのために考えた栄養満点の『五目ラーメン』なんてものも大したものだ」パリパリ・・・

 

神城姉「最近流行りの『完全食』ってやつ? パンやビスケットでそれをやるのは理解できるけど、糖質・塩分・油分が満載のラーメンで完全食を実現しようだなんて並大抵の努力じゃできないことよね! 日本人の三大国民食のカレーライス・すし・ラーメンの中でそれをね!」

 

陽那「いやはや、最高にレベルの高いラーメン対決でした。きっと、これならファインモーション姫殿下もご満足していただけたことでしょう」

 

 

斎藤T「――――――樫本理事長代理もね」ピピッ

 

 

陽那「え」

 

ゴールドシップ「ああ?」

 

斎藤T「はい、今回のラーメンパーティーでみなさんが摂取したカロリーや栄養その他もろもろのデータです!」ドン!

 

才羽T「おお」

 

神城T「これは」パリパリ・・・

 

神城姉「……ねえ、ちょっと? あとで私とお茶しない?」ニコー

 

陽那「い、いつの間にこんなデータが……」アセアセ

 

斎藤T「難しいことじゃないです。監視カメラから網膜スキャンで個人を特定して料理のビッグデータを紐付けることで、こうして会食に来た大勢の人たちのデータをリスト化することもできるわけですよ」

 

才羽T「ああ、なるほど。堂々と置いてあった撮影用の定点カメラがそれだったわけですか」

 

陽那「……すごい。名前はさすがに出なくても顔からリスト化されたデータがズラーってなってます」

 

斎藤T「まあ、実際の栄養なんてものは胃袋に入ったものを分析しない限りは一寸の狂いのない正確なものはわからないですが、どうせ栄養素そのものも個体差を考慮しない大まかな目安でしかないので、あくまでもトレセン学園生徒たちの健康管理の一助になるためのツールに過ぎません」

 

斎藤T「ですが、最終的には既存の健康管理ツールとカメラアプリを連動させることで簡単に三度の飯の栄養分析が可能になるわけです。カメラアプリを通さなくてもビッグデータから組み合わせて献立を作成することで大まかな栄養分析もできてシミュレーションもできます」

 

斎藤T「そして、食事制限の内容や好みの傾向あるいは出走するレースからの最適な献立をサンプルとして出力する学習機能付き!」

 

神城姉「それはすごいわね! そんなものが実装されたらトレーナーやウマ娘たちの食事管理にかかる負担が大幅に減るし、レースに向けた食事調整や献立を一から考えなくていいから本当に助かっちゃう! 普段の生活にも便利よね!」

 

神城T「なるほどな。こんな便利なものが実現するぐらいには時代は進んでいっているのだな」

 

斎藤T「別に。これ自体は既存のノウハウの流用ですよ。具体的にはライザップチャレンジ;トレーニングレッスンとレッスン後の食事を撮影して評価するという流れを樫本代理が掲げる『管理教育プログラム』をトレセン学園で実現するための方策として採用しました」

 

才羽T「それなら無理なく新人トレーナーや新入生にもできそうですよね」

 

斎藤T「ただ、食品会社やレストランで提供されている料理や食料の栄養素がこれをきっかけにして世に広く知れ渡ることになる影響について議論を重ねる必要があって、技術自体は完成していても一般公開にはすぐには踏み切れないのが実情です」

 

陽那「ああ、そっかぁ……」

 

神城姉「そうよね。もし斎藤Tが開発した健康管理アプリの使用が樫本代理の『管理教育プログラム』で義務付けられたとして、そのデータが流出したら乙女の秘密が暴露されちゃうわけだしねぇ。実際に管理者がこうしてデータの閲覧ができるわけだし……」

 

才羽T「それを言ったら、元々の『管理教育プログラム』だと その日の食事を紙に書いて提出するわけで、今や総生徒数2200名以上のマンモス校で誰が毎日の内容を見て適切に管理しきれるかの現実的な問題に突き当たるのですから、まず運用できるかどうかで考えるべきでは?」

 

斎藤T「ですので、個人用のプライベートサーバーを一人ひとりが管理するようになるのが理想ですね。それを個人で管理するのか、管理会社や学園の管理サーバーに委託するのかを選択できるようにすれば安心のはずです」

 

神城T「なるほど、そうか。たしかに情報資産に対する個々人の懐事情はちがうだろうから、それぞれに合った情報管理の仕方を提供できた方がいいな」

 

陽那「特に、今だとアイルランド王室の姫殿下も通っていらっしゃるわけですから、学園の一生徒として庶民と同じ管理の仕方にするのは責任者の側には重圧が常にかかりますよね」

 

神城姉「そうそう。正直に言って、国家機密にも指定されていそうな王族のプライバシーなんてものは王族が重用しているセキュリティサービスに 全部 丸投げするのが正解よね。“太陽王”ルイ14世なら別だけど」*2

 

斎藤T「ですので、そのためにサーバーの管理会社を用意しました。個人用サーバーや周辺機器の販売会社や販路も確保しましたので、みなさんには試用運転のモニターになってください」

 

 

この流れ自体は2周目なので、1周目での粗を無くして より完璧に仕上げた私の新発明の宣伝の場となった。

 

正直に言うと、しばらくラーメンなんてもう食べたくはないぐらいに濃厚なラーメンパーティーだったので、さっさと本題に移りたくてウズウズしていたぐらいだ。

 

とは言え、熱々のしょうゆラーメンと冷やしラーメンの切り替えができる試作の『秋霜ラーメン』の出来栄えには手応えを感じており、日本トレセン学園を私の新発明の宣伝広告の売り場として様々な投資を積み重ねてきた1つの集大成がお披露目になったことへの深い感動が何度も蘇る。

 

やはり、日本人にとってはラーメンは絶対に欠かせない料理であり、それは宇宙時代になってもインスタントラーメンやカップラーメンを経ての宇宙食ラーメンに進化していっても変わることのない定番の日本の味であった。

 

なお、私の新発明となる『秋霜ラーメン』の名の由来は“秋霜烈日”――――――、現代日本の検察官が付ける検察官記章(バッジ)のデザインに対する呼称であり、秋の冷たい霜や夏の激しい日差しのような気候の厳しさのごとく刑罰・権威などが極めて厳しく また厳かであることのたとえである。

 

具体的には「菊の花弁と菊の葉の中央に旭日」というデザインであり、菊とは皇室のことであるため、“斎藤 展望”のアイデンティティである皇宮護衛官と関連した名付けとなり、冬の訪れとなる秋の夜の冷え込む寒さで“瞬間冷却ラーメン丼”の機能を説明したものでもあった。

 

しかし、さすがに驚異の天才トレーナーであると同時に一流の料理人である才羽Tが日本人の国民食であるラーメンを完全食へと押し上げようとした情熱の集大成である『五目ラーメン』や、あらゆる分野で頂点を目指す一流のトレーナーである ちがいのわかる神城Tの『ミルクシーフードラーメン』の圧倒的な素材の良さにはどう逆立ちしても勝てるところが何一つなかった。

 

そう、私にとっては()()()()()()()()()()()()でしかない。三者三様の価値観の違いからラーメン対決に注ぐ力の入れ方がまったくちがうところが非常に興味深く、それだけに情熱が伝わる味わいや贅を尽くした味わいも私にとってはただただ純粋に欠けていたものであったことに気付かされるばかりであった。

 

なので、1周目の流れの大筋は変わらないものの、純粋なラーメン対決で圧倒された私はこうして途中から料理対決は捨てて一般投票での人気取りに全力投球することになったのだ。用意していたプロモーション映像の内容は変えられないにしても、今後の展開を考えてその場で対応を変えることはできる。

 

なにより、私が“斎藤 展望”として周囲から期待されているのは純粋なラーメン対決などではなく、奇想天外にして融通無碍の“斎藤 展望”らしさの発露であろう。そう、私自身の持ち味を活かすのだ。

 

結果として、完全に料理対決では勝負を捨てて才羽Tと神城Tの両者に華を添えたことによって、その後のラーメンパーティーでの一般投票で私が大差をつけて1位をとることで三者が並び立つ戦略が成立し、この“斎藤 展望”の注目度が1周目よりも大きいものなったのだ。

 

どうやら、今回のラーメンパーティー;正式には日英愛友好記念パーティーもとい日英愛仏友好記念パーティーで今後のために私が接触を持たなくてはならなかったのは、『凱旋門賞』で有名なフランス競バ界で活躍中のサプライズゲスト:マダム・ディスカビルともう一人――――――。

 

 

ファインモーション「今日のラーメンパーティー、楽しかったね!」

 

SP隊長「ええ、本当に良かったです、殿下。斎藤Tに心から感謝しなくてはなりませんね」

 

SP隊長「しかし、改めて数字に出されると、いかにしてラーメンを完全食とするかを目指した才羽Tの『五目ラーメン』の栄養バランスの良さが際立ちますね。ここでも驚異的ですよ、才羽Tは」

 

ファインモーション「うんうん。これだったら、毎日 食べても文句ないよね? 専属シェフにできないかな?」

 

SP隊長「いえいえ、それはそれ、これはこれですから。ただでさえ、ラーメン屋めぐりに加えて、今回のお土産でインスタントラーメンやカップラーメンだって たくさん抱えておられるのに」

 

ファインモーション「だったら、神城Tが作ってくれた最高級の素材を使った綺羅びやかラーメンを宮廷料理に加えちゃおうよ」

 

SP隊長「たしかに、あれは見事なまでに贅を尽くした最高の味わいでしたが、いかんせん麺をすする音を響かせるのは王宮では厳しいものがあります」

 

ファインモーション「ええ? だって、今までだって王宮でインスタントラーメンを振る舞ってきたじゃない? どうして そんな今更?」

 

SP隊長「たしかに、ピルサドスキー様が日本のラーメン文化をもたらしたことで、東洋の麺料理に対する理解は深まりましたが、それでも麺料理自体が宮廷料理には向かないのですよ」

 

SP隊長「ラーメンはどこまでいっても大衆料理や家庭料理の範疇を出ません」

 

ファインモーション「そんなことを言って、あなただって もっと食べたいくせに」

 

ファインモーション「私に隠れて主催者(ホスト)の斎藤Tと日本中の美味しいものを食べ歩きしているよね? それについては何か申し開きすることはないの?」

 

SP隊長「……それは否定しません」

 

SP隊長「ただ、これも立派な下見と毒見の公務です。あとは斎藤Tから提供してもらった健康管理アプリのデータを集めて殿下の日本留学での健康管理の指針を作るために必要なことなのです」

 

ファインモーション「そうなんだ。互いの利害の一致ってやつなんだね」

 

SP隊長「そうです。決して斎藤Tに胃袋を掴まれたわけではありませんとも。ええ」

 

ファインモーション「なら、そういうことにしてあげる」

 

ファインモーション「あとで美味しいものをたくさん教えてね」

 

SP隊長「はい」

 

 

ファインモーション「ねえ、今日も斎藤Tに呼ばれているのってマーメイドパール?」

 

 

SP隊長「そうですね。ESPRITの斎藤Tとの担当窓口になりつつありますので、連絡や伝達はマーメイドパールを通してのものになるはずです」

 

ファインモーション「そうなんだ。ずるいな~、いつもいつも。マーメイドパールばっかり」

 

ファインモーション「いくら()()()()()だからって、私に代わって何でも一番乗りなんだ」

 

SP隊長「殿下……」

 

ファインモーション「ううん。わかってるよ。でも、ずるいものはずるい」

 

ファインモーション「だって、私が一人の人間として 本来 受けるべきものを最初に 全部 受け取るのが私の影武者なんだよ」

 

ファインモーション「私が受け取るものは 全部 影武者のマーメイドパールが咀嚼したフィルターを通した 薄口のものにしかならないんだから」

 

ファインモーション「私だってカルピスの原液をそのまま飲み干してみたい!」

 

ファインモーション「……マーメイドパールと入れ替わっちゃおうかな」ボソッ

 

SP隊長「殿下! ラーメンのスープに使われている醤油はそのままイッキ飲みすれば簡単に死に至るものなのです!」

 

SP隊長「御身は大切な身! そのために国民の支えを受けて立っていることをよくよくお考えください!」

 

ファインモーション「だってぇ!」

 

SP隊長「わがままを言わないでください!」

 

ファインモーション「わがままにもなるよ!」

 

 

――――――だって、日本(ここ)はホントにホントのウマ娘天国なんだもん! 

 

 

ウマ娘と一口に言っても競走ウマ娘の他にもいろいろ種類がいるのだが、この世界における競走ウマ娘の年間出生数において世界一のアメリカはウマ娘超大国、第2位のオーストラリアがウマ娘大国、第3位のアイルランドがウマ娘王国、第4位の日本がウマ娘天国と評されることがある。

 

近代ウマ娘レースに最適化されたスピードの世界を追究して進化してきた競走ウマ娘こそが人類の宝とでも言わんばかりの公然とした人種差別ぶりには驚くが、それによってオーストラリアやアイルランドがアメリカに続いて世界をリードする存在感を発揮しているのはおもしろいものがある。

 

それに続くのが第5位のアルゼンチン、第6位のフランス、第7位のイギリス、第8位のニュージーランドとなるわけで、G7の構成国:日本、アメリカ、カナダ、フランス、イギリス、ドイツ、イタリアの中で競走ウマ娘の年間出生数が圧倒的に少ないドイツとイタリアの扱いはウマ娘たちからは下に見られてもいた。

 

あるいは、BRICsを構成するブラジル(Brazil)ロシア(Russia)インド(India)中国(China)南アフリカ(South Africa)の中で評価が低いのが中国やロシアになるというのも、ここが穢土に対する浄土だと考えれば納得がいく。

 

あくまでも競走ウマ娘の年間出生数は必ずしも競走ウマ娘の実際の人口に比例する訳ではない尺度の一つに過ぎないが、ヒトよりも遥かに強靭でかつ繊細で生活費がかかる上に負けず嫌いで凶暴とも言える異種族が安心して子を産める環境がどれだけ整っているかが数字として明らかになるため、ウマ娘というわかりやすい異種族である隣人への心温まる対応の差が如実に伝わるというもの。

 

さて、まだまだ世界連邦政府樹立に向けた動きやそれを促す人類規模の災害が表に現れてはいないが、少なくともマンハッタンカフェの“お友だち”が言うようにこの世界が穢土に対する浄土であるのならば、このウマ娘年間出生数のランキング上位国が来たる地球圏統一国家の中心的働きをするようになるのは間違いないだろう。

 

国力に対して圧倒的に年間出生数が少ないG7におけるイタリアとドイツ、BRICsにおけるロシアと中国はこのウマ娘レースで全てが決まるような華やかなる世界ではその他大勢と変わらない扱いにされているようにも思えた。それは当然ながら、ランキングに載らないような有象無象の国家とて同じことである。

 

それだけに実際の国力よりも異種族共生社会をどれだけ高いレベルで実現できているかで国家の威信や信望が決まる風潮が根付いているのがウマ娘の異世界の性質であるとは言え、ウマ娘がヒトを超越した存在だからこそヒト社会に本質的に馴染めないのを丁重にもてなせる精神と制度を両立した国家が尊ばれるのだ。

 

アメリカやオーストラリアのような大陸国家が順当にランキング上位に位置しているのに対して、同じ大陸国家の中国やロシアがそうでないことから いかに非人道的な国家体制なのかが窺い知れることだろう。

 

同じように、第二次世界大戦において枢軸国であったドイツとイタリアが犯した罪業によってウマ娘たちが安心して子作りに励めないことも、異種族共生という現実を通してはっきりと示されてしまっている。

 

一方、アメリカとオーストラリアのような大陸国家に続いて歴史的にイギリスとの関係が不可分であったことで今も極めて密接な関係にあることからイギリスと併せた形で提携し続けてきたアイルランドがランクインしているわけだが、

 

それに続いてランクインしているのが圧倒的に国土の小さい極東の島国である日本であることが世界にとってどれほどの驚きがあったことか――――――。

 

何から何まで西洋人の常識では考えられないようなことが次々と実現している夢の国こそが日本という惟神の国であり、この細戈千足国(くわしほこちたるのくに)に全てが詰まっていることを世界が知るのはもう間もなくのはずだ。

 

 

 

陽那「兄上。まさか、ファインモーション姫殿下の護衛のマーメイドパールさんと3年前の“女帝”エアグルーヴと“王族”ピルサドスキーの『ジャパンカップ』でお会いしていたとは知りませんでした」

 

陽那「――――――記憶が戻ったのですか?」

 

斎藤T「いや、アイルランド王族:ピルサドスキーの来日ということで皇宮護衛官の末裔として興味があったことで観戦していたことが“斎藤 展望”の過去の記録に残されていた」

 

斎藤T「その際、ちょっとした不祥事が起きていたんだ」

 

 

――――――アイルランド王女誘拐未遂事件。

 

 

陽那「……火消しのために躍起にもなりますよ、そんなの」

 

斎藤T「そう、公的にはアイルランド王女:ファインモーション姫殿下の初来日は今回の改元ではあるが、その影武者はいずれ来日することを見越してピルサドスキー殿下と来ていたんだ。名を伏せて」

 

斎藤T「そこをテロリストが襲撃しようとしていたわけだ」

 

陽那「どうなったんですか、結果は?」

 

斎藤T「……わからない。詳細な記録は残していないし、事が事だけに記録に残すわけにもいかなかったはずだ」

 

斎藤T「ただ、向こうの方は憶えてくれていたんだ」

 

斎藤T「だから、こうしてアイルランド王族のSPとすんなり親交を持つことができた」

 

陽那「事情は理解できました」

 

陽那「でも、兄上――――――」

 

斎藤T「………………」

 

陽那「兄上は正しい人です。正してくれる人です。今も昔も」

 

陽那「だから、兄上のやることは間違いないと信じていますので、これ以上のことは訊かないようにします」

 

 

――――――どうして本物のファインモーション姫殿下よりも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかについては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斎藤T「…………居るんだろう?」

 

斬馬 剣禅「ここに」スッ ――――――あからさまにNINJAなのである!

 

斎藤T「見ていただろう? 3年前の『ジャパンカップ』からの約束で、マーメイドパールにヒノオマシを紹介したわけだが」

 

斬馬 剣禅「それでいい。それでこそ お前が“斎藤 展望”だ」

 

斎藤T「どうしてファインモーション姫殿下が染色体異常による不妊でアイルランド王族の直系ウマ娘が断絶するのかがわかったよ」

 

斬馬 剣禅「ほう?」

 

斎藤T「逆だったんだ」

 

斬馬 剣禅「――――――『逆』?」

 

斬馬 剣禅「……どういう意味だ? 何が『逆』なんだ?」

 

 

斎藤T「公開されている誕生日と運勢が一致していないんだよ。公的な出生時間の調整のことを加味してもね、まったく」

 

 

斎藤T「それで誕生日の運勢と合致している()()を探したら――――――」

 

斬馬 剣禅「!!!?」

 

斬馬 剣禅「……いや、待て! そんなことがあるのか?」

 

斎藤T「でも、妖精の国であるアイルランドには取り替え子(changeling)の伝承があるじゃないか」

 

斬馬 剣禅「そんなバカな」

 

斎藤T「3年前、“斎藤 展望”はそれがわかったからこそ、守り抜いてヒノオマシと引き合わせる約束をしたんじゃないのか? ちがうのか?」

 

斬馬 剣禅「……ちがわない」

 

斬馬 剣禅「たとえ影武者であろうとも、公的にはあの場にいたあの方(影武者)がアイルランドの王女殿下なのだから。結果としては」

 

斬馬 剣禅「しかし、本当にそうなのか――――――、いや、今はお前が“斎藤 展望”だ。“斎藤 展望”に相応しく振る舞い、良きに計らえ」

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「ところで、『世の中には自分にそっくりな顔をした人間が3人はいる』とされているらしいが、そんなのは人類100億人に対して顔を形作る遺伝子配列がその1%にもならない限られた組み合わせでしかないのだから、その場で知り合った人と誕生日が同じになることがあるぐらい当たり前のことではあるよな?」

 

斬馬 剣禅「……何が言いたい?」

 

斎藤T「困ったことに、現代のDNA鑑定というのはほぼ100%の精度でしかない」

 

斎藤T「どういう意味か わかるか? 現代の半導体製造の要となる日本産のフッ化水素は純度99.99999999%(テンナイン)なのだから、純度99.999%(ファイブナイン)程度では粗悪品でしかないのだぞ?」

 

斎藤T「DNA鑑定の精度を完全に100%にしたければ、世界に存在する全てのデータと結果を照合して鑑定を行わなければならないわけだから、理論上 不可能だろう、そんなこと」

 

斬馬 剣禅「つまり、DNA鑑定によって正統なる血統であることを証明することは限りなく正解に近い不正解だと言いたいのか?」

 

斎藤T「そうだよ。『DNA鑑定の結果が照合すれば その人物であると推定される』という理屈は、人工的な遺伝子操作で同一の結果が得られれば『その人と成り代わってもよい』と言っているようなものだろう」

 

斎藤T「どこまでいっても“断定”ではなく“推定”なんだよ、“鑑定”なんてのは」

 

斎藤T「指紋認証や網膜認証を本人以外で通過する方法なんて簡単に思いつくのに、どうしてDNA鑑定をそこまで絶対視するのか、私には理解できないよ」

 

斎藤T「そんなんだから、反ウマ娘主義者の陰謀によって大英帝国と並び立つウマ娘王国の血統が断絶の危機を迎えようとしているんだよ」

 

斎藤T「でも、だからと言って、私がアイルランド王族の貴種を預かったところで何の意味もないだろう? 然るべき座に据えなければ、血の貴さなど何の価値も発揮できないのだからね!」

 

斬馬 剣禅「そして、この事が明るみになれば、アイルランド王室はもちろん、血統のスポーツたるウマ娘レースの権威や信頼が揺らぐことになるか……」

 

 

斎藤T「つまり、取り替え子の危険性があるのに、生まれた直後に自分たちが信を置くDNA鑑定をしておかない方が悪い!」

 

 

斬馬 剣禅「……していたところで、本当に王室の子宮から生まれ落ちた赤子かを事前に検証する過程がない以上、DNA鑑定で『親子関係である可能性が極めて高い』という結果だけで安心して、外部からもたらされた雑種を実の子と受け容れてしまえるか」

 

斬馬 剣禅「いや、DNA鑑定もどのみち既存のデータから照合するものでしかないわけだから、照合するデータがそもそもなければ正しい判断のしようがないのか……」

 

斎藤T「DNA鑑定の結果だけで判断するからそうなるんだ」

 

斬馬 剣禅「――――――『生まれた直後』か。たしかに、その時に実の姉妹とも言える遺伝子を持った赤子と入れ替えられたら血縁関係だけを見るDNA鑑定ではどうしようもないな」

 

斎藤T「本当にバカだよ、現代人は! 科学万能主義だか何だか知らないけど、唯物論もここまで極まったら見るに堪えない愚鈍さだよ!」

 

斎藤T「私には見ただけで相手の実相を見通す霊眼はないけれど、誕生日から運勢を占って裏付けをとるぐらいのことはできるんだよ」

 

斎藤T「同じ遺伝子を持つ兄弟として生まれた双子がまったくちがった人生を歩む事例のことを現代人はまったく知らないと見える」

 

 

斎藤T「公的には1月27日生まれのファインモーション姫殿下の本当の誕生日は運勢から逆算して5月18日だね」*3

 

 

斬馬 剣禅「――――――『5月生まれ』!?」

 

斬馬 剣禅「……それはたしかに誕生月だけ見てもちがい過ぎる!」

 

斎藤T「どうやら、競走ウマ娘の間で有名な『春生まれほどウマ娘レースに大成しやすい』ジンクスに当てはまっているようだから、メイクデビューさせたらおもしろいことになるみたいだね」

 

斬馬 剣禅「そうなのか」

 

斎藤T「うん。1月27日生まれのウマ娘にはその傾向がほとんどない――――――」

 

斎藤T「というより、在籍している1月生まれの生徒を調べた限り、成功の芽があるのは1月30日生まれのサトノダイヤモンドぐらいだったからね……」

 

斬馬 剣禅「そうか。お前がいろんな意味で世話になっているサトノ家の令嬢がそうなのか……」

 

斬馬 剣禅「わかった。そういうことなら、こちらとしても手を打ちやすい」

 

 

斬馬 剣禅「なら、ファインモーション姫殿下の来日に託けて神国日本に土足で踏み込んできた賊の正体も見えてきたな」

 

 

斎藤T「なら、訊いてもいいか?」

 

斬馬 剣禅「何だ?」

 

斎藤T「DNA鑑定がそうであるように、私が運勢から姫殿下の誕生日を逆算した占いの結果も推定に過ぎない」

 

斎藤T「つまり、この段階では状況証拠があるだけで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことになる」

 

 

斎藤T「その状況で、もし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と対峙することになったら、NINJAとしてはどうするのが正しいんだ? 知らぬ存ぜぬを貫けばいいのか?」

 

 

斬馬 剣禅「…………!」

 

斬馬 剣禅「それは…………」

 

斎藤T「あなたは常に私に対して“斎藤 展望”であることを望み、それに相応しくなければ容赦なく裁こうとする」

 

斎藤T「私には“斎藤 展望”である以前に夢がある。その夢のために命を投げ出す気はない」

 

斎藤T「なら、私自身のためにも、“斎藤 展望”として長生きするためにも、審判者であるあなたの裁定を知っておかなければなるまい」

 

 

――――――さあ、答えてよ、斬馬 剣禅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――某所

 

コツン、コツン、コツン・・・

 

叛徒(テロリスト)「何者だ!?」ジャキ!

 

斬馬 剣禅「これは警告だ」スッ ――――――あからさまにNINJAなのである!

 

叛徒「……何あれ? NINJAなの?」

 

叛徒「な、なに?! NINJA!? なんで!?」

 

叛徒「実在していたのか!?」

 

斬馬 剣禅「狙いは我が国に留学してきたアイルランド王女:ファインモーション姫殿下なのだろうが、そのために空挺部隊を密入国させてくるとはな」

 

斬馬 剣禅「だが、ここまでだ」

 

叛徒「撃てっ! 撃てええええええ!」バババババ!

 

斬馬 剣禅「――――――」ビュッ!

 

 

ザシュ! バサッ! ドタッ!

 

 

叛徒「ひ、ひぃいいいいいいいいいいい!」

 

斬馬 剣禅「本来ならば姿を見せずに貴様らを一人残らず始末することなど容易い」ガキッ ――――――忍者刀1つで屍の山を築き上げる。

 

斬馬 剣禅「だが、これは警告だ」

 

叛徒「た、助けてぇ……」ジョロロ・・・

 

斬馬 剣禅「わざわざNINJAが姿を見せて貴様らの命を刈り取るのはそういうことだ」ブン!

 

叛徒「あああああああああああああ!?」スパアアアアアアアアアアン!

 

斬馬 剣禅「…………他愛もない」

 

 

斎藤T「――――――真夜中のハンググライダーによるエアボーンか」スッ ――――――あからさまにNINJAなのである!

 

 

斎藤T「たしかに、これなら府中の空からの空挺降下でトレセン学園学生寮に音もなく忍び込めるわけだ」

 

斬馬 剣禅「巨大な住宅団地となっている学生寮に対空設備があるわけがないからな。空からの侵入は防ぎようがない」

 

斬馬 剣禅「情けない限りだ。こんな連中を安々と国内に侵入させるとはな。SAKIMORIは何をやっているのだ」

 

斎藤T「そして、決行は明日の『宝塚記念』で学生たちの多くが阪神競バ場に出払っている時」

 

斎藤T「それで何をするのかと思えば――――――、ねぇ?」

 

斬馬 剣禅「イギリスとアイルランドのイザコザを我が国に持ち込んで騒乱を招こうとしたやつらにはお似合いの最期だ」

 

 

――――――ようこそ、日本へ。“ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)”の皆さん。あるいは、“王立アイルランド警察特別予備隊”と呼ばれ 歴史の闇に葬られた皆様方。

 

 

ビューティフルデイ「ふざけないで!」 ――――――アイルランド王女:ファインモーションに瓜二つ!

 

斎藤T「………………」

 

斬馬 剣禅「――――――ファインモーション姫殿下と瓜二つの顔」

 

斬馬 剣禅「黒魔術師たちと手を組んで自分が未来のアイルランド女王になろうという肚か」

 

ビューティフルデイ「ちがう! 私が! 私こそが本当のファインモーションなの! アイルランド王女なの!」

 

ビューティフルデイ「それに、アイルランド王室とイギリス王室の融合は果たされるべきことなのに、愚民共はそれを拒んだ!」

 

ビューティフルデイ「なぜ!? なぜなの!? ヒトとウマ娘の融合の象徴としてアイルランド王室とイギリス王室が1つになれば、真の意味で異種族共生社会の理想が実現されるというのに!?」

 

斎藤T「それは現在の文明の段階ではヒトとウマ娘の融合は時期尚早だからだ」

 

斎藤T「思想が誕生して制度が確立して精神が定着して人々の常識となるまでの段階を踏んでいないから反発を生む」

 

斎藤T「今日明日で実現しなくても正しいと思うことを合法の範囲で生きている限り主張し続けるしかないんだ」

 

斎藤T「ヒトとウマ娘の融合なんかしなくたって、ヒトとウマ娘の統合で十分にやっていけるはずだ」

 

斎藤T「だから、銃をしまえ。どんな理由があろうとも、人が人を裁くことは許されないことなんだ。許されるのは、人ではなく法が人を裁くからこそ、秩序が保たれる」

 

斎藤T「未来のアイルランド女王に成り上がろうとするのなら、個々人の感情から組織や集団の性質を学んで大局を見据えよ」

 

ビューティフルデイ「くっ」

 

ビューティフルデイ「あなたたちのせいで計画は台無しよ!」

 

ビューティフルデイ「ただですむとは思わないことね! あなたたちは人類が進むべき未来に反する行いをした世界の反逆者! 生かしておけない!」

 

斬馬 剣禅「その言葉、そっくり返させてもらおう」

 

斬馬 剣禅「警告はした。たとえアイルランド王室に縁のある人間であろうと、その正体が本物の王女であろうと、公認されていなければ詐称しているだけに過ぎん」

 

斬馬 剣禅「なにより、このような非合法活動に手を染め、白日の下に真実を明らかにする正道を歩めぬ王者など、笑止千万!」

 

斬馬 剣禅「天下のため、斬って捨てる!」

 

ビューティフルデイ「お願い、みんな! 2人のNINJAを倒して! 私たちはNINJAなんかに負けないんだから!」

 

黒魔術師「畏まりました、姫様!」

 

 

 

――――――出でよ、ジャバウォック!

 

 

 

黒魔術師が妖しげな魔法陣から召喚した魔獣ジャバウォックは想像していたよりも小柄な体格のドラゴンに思えた。

 

体高は5m前後で人間の2倍から3倍程度に思え、頭部は深海生物を思わせ、額には2本の触角、口元にも2本のヒゲ、剥き出しの口腔には鋭い門歯が確認され、首は細長い。

 

一方、全体的にトカゲのような爬虫類状の鱗に覆われていて、直立歩行する恐竜のように腕と脚を2本ずつ、手足にそれぞれ3本と4本ずつの鋭い鉤爪を持ち、長い尾と背中にコウモリのような翼があった。

 

高層ビルに匹敵する怪獣というほどの規模ではなかったが、こういった市街地での極秘作戦で用いるには十分過ぎる脅威であり、これまで対峙してきたWUMAや妖怪たちとはちがったプレッシャーを放っていた。

 

そうでありながら、黒魔術師によって使役される屈従の証として この小型ドラゴンにはペットの犬猫に着せるようなペットウェアのようなファンシーな衣類が確認され、そこまでおどろおどろしい存在として扱われているようではないように思えた。

 

いや、どうも今回のテロリストの極秘作戦で使役するにあたって特有の獣臭さを緩和させるために強烈な消臭剤が衣類に染み込んでいるらしく、翼の生えた恐竜らしい威容でもって勢いよく鉤爪を振り下ろした際に野生動物にあるべき分泌物の臭気が感じられなかった。

 

だが、インドネシアにおいて“ドラゴン”を冠するほどに有名な危険生物:コモドドラゴンを超える5m前後の体格から繰り出される絶大なる物理エネルギーに真正面から敵うはずがなく、ドラゴンにしては小柄に思える体格も俊敏性を高めているため、正攻法ではWUMA以上の脅威となっていた。

 

そして、黒魔術師が召喚した魔獣には通常の物理法則が通用せず、霊力によって鋼鉄さえも両断する斬れ味に強化されているはずのNINJAの一刀が通用しないどころか、弱点に思えた口腔に突き刺しても平然と噛み砕いてしまったのだ。

 

私もNINJAから忍者装束を貸してもらい、霊刀を手にして魔獣の翼の付け根や関節部分などの急所を狙って斬り落とすも、斬り落とした傍から消滅した部位が再構成されてしまう。

 

 

魔獣「ブッシャアアアアアアアアアアオオオオオオオオオオ!」

 

斎藤T「これが西洋の黒魔術師が使役する魔獣か……」

 

斬馬 剣禅「どうした? 悪霊祓いに妖怪退治もしてきたお前が臆したか?」

 

斎藤T「まさか。現実世界でダークファンタジーに出てくるような魔獣と戦うことになるとは思わなかったけど、夢に見ていた剣と惑星もの(Sword and Planet)の冒険譚の世界に飛び込めたと思うと、この高揚感がたまらないねぇ!」

 

斎藤T「というわけで、西洋の黒魔術師が使役する魔獣が相手だけど、NINJAならまだやれるよね?」

 

斬馬 剣禅「無論。蛇馬魚鬼(ジャバウォック)など“斬馬 剣禅(我が名)”に賭けて討ち果たさん」

 

斎藤T「なら、今こそ、特撮ヒーローのアレコレを参考に創り上げた“ストライダー(St.RIDER)”の初陣だ!」

 

斬馬 剣禅「来い! 聖甲虫(スカラベ)!」

 

斎藤T「今こそ示現せよ! ケイローン!」

 

ビューティフルデイ「!?」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

斬馬 剣禅「誘うは黄金の神風! ゴールデンハインド!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 

魔獣「――――――!?」

 

黒魔術師「な、何なのだ、小奴らは!?」

 

ビューティフルデイ「……黄金の戦士?」

 

ビューティフルデイ「……何? 何なのよ、あなたたちは!?」

 

斬馬 剣禅「お前たちが邪心をもって悪魔を使役するなら、こちらも世に邪悪が蔓延る時に必ずや現れる希望の闘士:聖闘士(セイント)になって戦うまでよ」

 

斎藤T「打ち明けて言うと、パロディ満載のツギハギだらけの自主制作特撮ヒーローってところかな?」

 

ビューティフルデイ「ああ、知ってる! 『聖闘士星矢』でしょ、それ!? かっこいい!」

 

黒魔術師「ひ、姫様!?」

 

ビューティフルデイ「あ」

 

ビューティフルデイ「そ、そうじゃなかった」

 

ビューティフルデイ「日本のヒーローを倒すのは心苦しいけれど、これも大義のためなのよ!」

 

ビューティフルデイ「ジャバウォック!」

 

黒魔術師「殺れ!」

 

魔獣「ブッシャアアアアアアアアアアオオオオオオオオオオ!」

 

斎藤T「時空の奥義にて打ち砕く!」

 

斬馬 剣禅「運命両断!」

 

 

――――――俺の怒りが爆発寸前! アークインパルス!

 

 

*1
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。

*2
ルイ14世はヴェルサイユ宮殿で夜10時頃には人々を招いて食事をしているところを見せつける公式晩餐(Grand couvert)を行っていた。

*3
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。



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第三次決戦Ⅰ この宇宙で最強なのは自分のみ -魔獣討伐作戦-

 

 

――――――目標:6月30日の夏越の大祓を完遂せよ!

 

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 

時は『宝塚記念』前夜。NINJA:斬馬 剣禅と共に北アイルランド系テロリスト:ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)の討伐に乗り出していた。

 

私とNINJAの腕に時間跳躍(ジョウント)して黄金のコーカサスオオカブトと黄金のアクティオンゾウカブトが腕に飛びつく。

 

黄金の甲虫から発する光輝によって辺りを眩惑させ、天に掲げた腕に甲虫の脚が絡みついた重量感が脳に時空の流れを駆け巡らせると、その一瞬に強靭かつ俊敏な外骨格(エクソスケルトン)を形成させ、2人のNINJAを黄金の戦士へと変貌させた。

 

これが本邦初公開の自主制作ヒーロー:聖騎士ストライダー(St.Rider)の登場であり、別にテロリストを始末するだけなら現場にC4爆弾を設置して問答無用に爆殺すればいいだけのことだった。

 

しかし、わざわざテロリストの前に姿を晒して、更には見せつけるようにして自主制作のヒーローショーまでやるのには全て理由があった。

 

全ては1周目で起きたトレセン学園学生寮襲撃事件による大破壊の報復であり、真相を掴むために敢えて目の前にいるファインモーションの偽物:ビューティフルデイを泳がせる必要があるために、わざわざ日本が世界に誇るヒーロー番組の設定をツギハギにして記憶に焼き付かせる目的でやっていることだった。

 

記憶の引き出しという普遍的無意識に通じていれば、そこから相手の記憶世界から縁を手繰り寄せて、想念によって目的地を設定する時間跳躍で追跡することが可能になるのだ。

 

それを可能にするのが時間と空間を超越する四次元能力の究極であり、因果律に三次元の物質世界の法則や機構でもって干渉することができるシステムをすでに開発できていたのだ。

 

ただし、そんな高次元領域に干渉するシステムを濫用した場合に起きる被害などまったく予測できないため、神託と技術者の性に従って()()()()()()()()はいいものの、決して軽い気持ちで使おうなどと思わないでいたのだ。

 

その封印を破ることになったのはテロリストに与する西洋の黒魔術師が召喚したこの世のものに非ざる有翼の魔獣:ジャバウォックによる1周目のトレセン学園学生寮の大破壊であった。

 

決行日の『宝塚記念』というビッグイベントのために前日から留守にしていた生徒たちが多かったものの、生徒以外立入禁止の建前と非常事態マニュアルに記載された対処法に縛られたことで、まったくの想定外である空飛ぶ魔獣の襲来によって日曜日の学生寮は阿鼻叫喚に見舞われたのだ。

 

 


 

 

●1周目:06月23日/トレセン学園

 

 

特殊強襲部隊(SAT)「撃て! 撃て! 撃てええええええ!」バババババ!

 

救急隊員「負傷者を運べ! 急げ!」ドタドタ

 

民間警備会社警備員「避難用のバスが来ます! 救急車の道を開けてください!」

 

 

ピーポー、ピーポー、ピーポー・・・

 

 

斎藤T「……何が起こっているんだ? 『宝塚記念』のウイニングライブが終わったタイミングに学園からの避難命令だなんて?」

 

アグネスタキオン’「それを調べるために急いで関西から戻ってきたんだから、まずは情報を集めないとね」

 

斎藤T「ああ」

 

藤原さん「……うん? もしかしてテン坊か!?」

 

斎藤T「……藤原さん? ということは、WUMA対策班が動いている!?」

 

斎藤T「まさか、やつらの残党がトレセン学園に総攻撃を仕掛けてきたのですか!?」

 

藤原さん「いや、宇宙人の侵略というよりは凶悪な未確認生物が学生寮の住宅団地で暴れ回っているようなんだ」

 

斎藤T「――――――『未確認生物』?」

 

藤原さん「ああ。それがファンタジーに出てくるようなドラゴンらしき生物なんだ」

 

斎藤T「こいつは……」パラッ ――――――撮影された拡大写真を見せられる。

 

アグネスタキオン’「へえ。まさしくドラゴンだねぇ。頭はトカゲじゃなくて深海生物の感じがするけど、こんなにも大きな鉤爪で引っ掻かれたら ただじゃすまないねぇ」

 

斎藤T「だいたい5m前後の体躯か。それがコウモリの翼を羽ばたかせて学生寮を飛び回っていると……」

 

藤原さん「こっちが学生寮に突入した特殊強襲部隊(SAT)が交戦した時の映像だ」ピッ

 

斎藤T「――――――」ジー

 

斎藤T「……何だ、これ? WUMAとはちがって普通に着弾して急所を貫いているのに平然としている?」

 

藤原さん「ああ。それがファンタジーに出てくるドラゴンの強靭な生命力なのかと、手を替え品を替え 作戦を何度も変えているが……」

 

斎藤T「――――――睡眠、麻痺、猛毒、爆破のいずれも失敗」

 

藤原さん「ああ、信じられないことに爆弾を載せたドローンによる爆破も通用しなかったぞ」

 

藤原さん「やつめ、不死身か? 本当にあれはこの世の生き物なのか?」

 

斎藤T「――――――現代兵器による真正面からの攻撃が通用しない恐るべき生物か」

 

斎藤T「なら、ドローンを使うなりしてワイヤーで拘束してください。あれだけの体躯を宙に舞わせる強靭な翼も付け根の部分に楔を打ち込めば制御を失うはずです」

 

斎藤T「もしくは、片方の翼に集中的に重りになるものをぶらさげてください。翼の左右のバランスが崩れれば、飛行生物は空を飛べなくなります」

 

斎藤T「斃せないなら、身動きを封じて無力化するに限ります。それで稼いだ時間で手段を選べるようになるはずです」

 

藤原さん「なるほど、その手があったか」

 

藤原さん「よし、WUMA対策班。こちら、本部。今度はワイヤーによって拘束して やつを地上に引きずり下ろせ」カチッ

 

藤原さん「やつを拘束するのに使えそうなワイヤーはあるか? 使えるドローンもあとどれくらい残っている? あと、重量バランスを崩すために重りになるものも用意できるか?」カチッ

 

斎藤T「………………」

 

藤原さん「とりあえず、ここは俺たちにまかせて、進展があるまでお前さんは学園関係者の避難状況を確認しておいてくれ。樫本理事長代理は理事長室にいる」

 

藤原さん「今日 学生寮に残っていた生徒たちは大講堂に集合して避難所行きのバスが来るまで待機しているから、避難所の割り振りもそこで確認できるはずだ。送迎と警備は民間警備会社が受け持っている」

 

斎藤T「わかりました」

 

斎藤T「行くぞ」

 

アグネスタキオン’「うん」

 

 

ウオオオオオオオオオオオオオオ!

 

 

斎藤T「あのドラゴンみたいな未確認生物はいったい何なんだ?」

 

アグネスタキオン’「さあね」

 

アグネスタキオン’「けど、最終的にはきみが出現の原因を突き止めて“なかったこと”になるんじゃないかい?」

 

斎藤T「…………だろうな」

 

アグネスタキオン’「おや、まさか。今、頭の中に日めくりカレンダー――――――」

 

斎藤T「ああ。その『まさか』さ。こうして『宝塚記念』が終わった後の多くの生徒たちが留守にしているトレセン学園でこんなことになるとはね……」

 

斎藤T「ただ、どうやら今回は『宝塚記念』前日にまで遡れるみたいだ」

 

アグネスタキオン’「つまり、きみはどうあっても『宝塚記念』を観戦しておかないといけないようだねぇ」

 

斎藤T「そう、そのことが何らかのヒントになっているはずだ」

 

 

――――――『宝塚記念』前日にまで遡って あの未確認生物の出現を未然に防いでおく必要があると見た。

 

 

ここ最近でもっとも人がいなくなる日時を狙って真夜中のハンググライダーから空挺降下して魔獣:ジャバウォックによる破壊活動が行われていたことを初めて知ったのは史上初の“春シニア三冠”を達成したマンハッタンカフェのウイニングライブを現地で見届けた後だった。

 

誰もがレースの結果に熱狂し、ウイニングライブのステージに夢中となっていたために、トレセン学園から届けられていた悲鳴や混乱の声に気づく者はほとんどいなかった。

 

そして、樫本理事長代理はすでに生徒たちの学生寮の一斉避難を命じ、ウイニングライブ終了に合わせて『宝塚記念』に参加・観戦しに行った学園関係者全員には京都分校に集合と安否確認を発令したのだ。

 

そこでウイニングライブが終了した後の感動の余韻に浸る間もなく、会場全体に動揺が走ったところで、多くの生徒たちが留守にしていたトレセン学園での異変に誰もが気づくことになったのだ。

 

トレセン学園の異変を真っ先に確認するために地上最強の生物であるスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)と共に時間跳躍で私は即座にトレセン学園に帰還することになったのだが、

 

現地では警視庁の特殊急襲部隊(SAT)やWUMA対策班に多数の救急隊が駆けつけており、民間警備会社のERT(緊急時対応部隊)が避難誘導や道路封鎖を行っているようだった。

 

そして、府中の闇夜に舞う有翼の魔獣:ジャバウォックが飛んでおり、どういった経緯で『宝塚記念』の日に異形のバケモノが現れたのかを整理するところから、今回の決戦が始まっていた。

 

結果としてはスーペリアクラス:アグネスタキオン’(スターディオン)の過去視によって経緯が明らかになるわけなのだが、

 

何の情報もなく過去視をしても徒労に終わるだけなので、混乱に見舞われたトレセン学園で情報を持っているだろう人間に 直接 話を聞きにいくところから始まった。

 

生徒たちを学生寮から逃がすためにジャバウォックを前にして身を張った後に大講堂の待機所で生徒全員が避難所に行くのを最後まで残って見届けようとしている三浦寮寮長:ヒシアマゾン、今回のような異常事態に備えて装備の強化を図っていたWUMA対策班の現場指揮をとっていた藤原さん、秋川理事長の留守を預かるために理事長室で事態の把握に努めていた樫本理事長代理の3人の証言で大筋は掴めた。

 

 

しかし、そうした聞き込み調査をしていく中である違和感を覚えることになった。

 

 

それが()()()()()()()()()ファインモーション姫殿下であり、()()()()()()簿()()()()()()()()()()()()()に一安心した際に矛盾を感じたのだ。

 

なぜなら、ファインモーション姫殿下は日本留学で初めて観戦した『皐月賞』で一番の推しになったエアシャカールの応援のために阪神競バ場『宝塚記念』に公式に観戦していたはずなのだ。

 

しかも、同じく『宝塚記念』に出走する生徒会長:エアグルーヴのたっての希望もあってVIPルームでおてんばなアイルランド王女の相手をしていたのが前日の日英愛友好記念パーティー(ラーメンパーティー)で信頼を得た“斎藤 展望”なのだから、絶対に間違えようがない。そう、『温めても冷たくても二度美味しい』秋霜ラーメンを直々にご馳走していたのだから。

 

となると、当日のSPの役割分担がどうなっていたか部外者の私が知る由もないことだったが、影武者のマーメイドパールが学園に残っていたのかと思い、すぐに連絡を入れたのだ。どういうわけか連絡がつかなかった。それどころか、SP隊長とも連絡がつかない――――――。

 

そして、ハッと気づいた。三浦寮寮長:ヒシアマゾンの証言の中に『ファインモーション姫殿下が何が起きているのかを急いで確認しに寮長の許に駆けつけた』とあったのだが、栗東寮のエアグルーヴの相部屋になっているファインモーション姫殿下がなぜ三浦寮に居たのか――――――。

 

 

――――――嫌な予感しかしない。だが、いくら時間が巻き戻せるからと言って事件の全貌を掴まなければ被害を抑えることはできない。否が応でも確かめないといけないのだ。

 

 

なので、後に黒魔術師が使役する魔獣と判明する未確認生物が学生寮で暴れているのを放置して、すでに学生寮から避難済みのファインモーション姫殿下に もう一度 樫本理事長代理から安否確認の連絡を入れてもらい、逆探知を仕掛けたのだ。

 

当然ながら一般生徒とは異なる場所に避難しているだろう留学中のアイルランド王女がどこにいるかを明かすわけがないものの、ここでアイルランド大使館にも後で連絡を入れて大使館の方で避難が確認されていることでもって安否確認を完了にすることを告げさせた。

 

つまり、罠を張ったのだ。トレセン学園から一斉避難という大事にもなれば、すぐにでもアイルランド大使館にも連絡する義務と責任が各方面にあるわけなのだが、

 

私と一緒に阪神競バ場のVIPルームから『宝塚記念』を観戦していたファインモーション姫殿下は 当然ながら そのままSPと共に関西に留まり、トレセン学園での異変はウイニングライブを満喫している本人には知らせずに まずSPたちで情報確認と対応に動いていたのだ。

 

すると、アイルランド大使館にはすでにファインモーション姫殿下がどこに避難しているかは極秘裏に報告されているわけであり、関西で避難している姫殿下と学園から避難した姫殿下の2つの安否確認が大使館に届くはずなのだ。ここに矛盾が生じるのである。

 

更に、ウイニングライブを見終わった後に学園から送信された一斉避難の連絡によって遠く離れた府中の異変に気づいたわけなので、学園から避難したファインモーション姫殿下へ もう一度 樫本理事長代理が安否確認をした時点で魔獣出現から何時間も経っているのだ。

 

それなのに、学園から避難したというこのファインモーション姫殿下はアイルランド大使館に連絡をまだ入れていない様子なのだ。しかも、樫本理事長代理が掛けている電話番号は避難する直前に紙に書いて渡してきた未登録の番号なのだ。

 

しかし、テロリズムの可能性を伏せて トレセン学園と阪神競バ場にファインモーション姫殿下が同時に存在していた可能性を樫本理事長代理に説明してから安否確認の連絡をさせたのだが、

 

途中まで私から言われた疑念を声に出さないように努めていた樫本理事長代理の硬い表情が疑惑が解明されたわけでもないのに不自然に和やかなものになっていったのを見て、私は認識阻害の暗示が働いたのだと確信を得た。

 

そもそも、安否確認の名簿に触れた時に何やら清浄ではない気を感じ、具体的にはファインモーション姫殿下の筆跡に違和感を覚えた時点で()()()()()()()()()という思いは最初からあったのだ。

 

突如として出現した魔獣が暴れている中でこんな小細工がアイルランド王室の人間と関係することに仕掛けられていたとなると、あの未確認生物がこの時を狙って人為的に解き放たれたものだと真っ先に疑ってしまうではないか。

 

事実、魔獣の動きは5m前後の巨大な見た目相応の鈍重さであり、WUMAのような超高速移動で特殊急襲部隊(SAT)が一瞬で皆殺しにされるようなことはなかったのだが、WUMAも銃で撃たれれば普通に死ぬのに、

 

警視庁特殊急襲部隊(SAT)とWUMA対策班を総動員した ありとあらゆる攻撃が全て命中したにも関わらず通じなかったともなれば、あの未確認生物がこの世のものではないという藤原さんや現場からの驚愕の声にも頷ける。

 

 

ここまで情報を集めて繋ぎ合わせて、ようやく今回の魔獣出現がアイルランド王室を狙った黒魔術を使ったテロリズムであるという確証を得たわけであり、更にその目的がファインモーション姫殿下と“成り代わり”をすることだと気づいたわけである。

 

 

そう、今回の事件は去年の『ジャパンカップ』において療養中だった岡田T本人と一緒にいたことでWUMAによる“成り代わり”を察知することができた流れと非常によく似ていたのだ。

 

今回は『宝塚記念』をファインモーション姫殿下と一緒に観戦していたというれっきとした事実に基づくわけであり、一緒のVIPルームに入れるほどの信頼を短期間に勝ち取ってきたことが大きな勝因となったのだ。

 

テロリスト共は阪神競バ場に本物が行っている隙に『魔獣出現時に学園にいた』という既成事実を仕立て上げて、アイルランド王女の避難先が公にならないことを利用して、“成り代わり”を果たそうとしていたのではないだろうか。

 

となると、トレセン学園(府中)本物のファインモーション姫殿下(阪神)を同時に襲撃する狙いがあるはずであり、普通ならば こうして狙いがわかったところで対処しようがない完璧な作戦になるはずであった。

 

しかし、残念ながら、ヒトとウマ娘の皇祖皇霊の導きを受けている この“斎藤 展望”は時間が巻き戻すことができるため、1周目で事件の全貌が掴めたのなら、2周目で府中と阪神にいるテロリストを各個撃破する算段を立てることができるのだ。

 

テロリスト共にとって一番の想定外は私が時間跳躍によって一瞬で府中と阪神を行き来できることであり、普通に考えてどれだけ急いで関西から府中に戻ろうとしても数時間はかかってしまうはずが、ウイニングライブ終了まで本物のファインモーション姫殿下の側に居て その直後にトレセン学園に帰還して偽物の目撃証言を掴んでしまうなんてありえないことだろう。

 

 

天網恢恢 疎にして漏らさず、皇国の神々が味方していることで得られた奇跡によって、初見では対処不能な邪悪なテロリズムを“なかったこと”にして未然に防ぐ緒を得たのだ。

 

 

そこからは早かった。いくら腕利きの黒魔術師が側に居ようと、現代科学の機器を使っている時点で、23世紀の宇宙科学と並行宇宙の地球を支配したWUMAの超科学の合わせ技で潜伏先の逆探知は容易だった。

 

よって、NINJA:斬馬 剣禅に頼んでテロリストたちを姿形音もなく皆殺しにしてもらって一件落着かと思いきや、召喚者が斃れた後もトレセン学園で暴れている魔獣:ジャバウォックは健在であり、黒魔術師を葬ったところで召喚されてしまったら手遅れだったのだ。

 

むしろ、召喚者である黒魔術師の制御が失われたことで魔獣の凶暴性が増すことになり、ここから更に多くの被害が出ることになったのだ。召喚者さえ斃せば無力化できると安易に思い込んでいただけに、逆に暴走を招いてしまったことに私は打ち震える他なかった。

 

だからこそ、犠牲になった人たちの無念と怒りを背負って魔獣:ジャバウォックに総力戦を仕掛けることになったのだが、

 

並行宇宙からやってきたWUMAや裏世界に跋扈する妖怪とは異なり、同じ人間である黒魔術師が使役していることによって同業者からの対策が施された魔獣の物理法則を無視した戦闘能力に刃が立たなかったのだ。

 

そう、WUMAは空間跳躍による超高速移動から繰り出すパンチやキックだけで戦闘能力は確保されており、WUMAも十分に我々の手に負えない我々の想像を超越したバケモノであったが、その能力は どうであれ この世の物理現象で理論的に説明できる範疇のものであった。

 

しかし、黒魔術師が使役する魔獣は物理現象を歪めるほどのまさしくファンタジーの極致である荒唐無稽な魔法によってWUMAを超える戦闘能力を発揮していたのだ。

 

なので、生物ならば確実に息の根を止められる方法や手段が一切通用せず、戦術核兵器を持ち出したとしても倒せる見込みがないとして、生徒以外立入禁止の広大な住宅団地である学生寮での市街地戦は凄惨を極めることになってしまったのだ。

 

 

 

――――――エクリプス・フロント

 

 

魔獣「グギャアアアアアアアアオオオオオオオオオオ!」ギチギチ・・・ ――――――結界で力尽くで抑えられている!

 

アグネスタキオン’「くっ! こいつ、不死身かい!?」

 

斎藤T「――――――WUMAの超科学をもってしても殺せない!?」

 

斎藤T「おい、まだか!? 西洋魔術に精通したお仲間さんはいないのかよ!? 結界で動きを封じるのにも限界があるぞ!」ググッ

 

斬馬 剣禅「わかっている! 討伐することが無理なら消滅、消滅させることが無理なら送還させられないかを探させている!」

 

斎藤T「頼りにならねえな、NINJAも! こんな体たらくでよく今まで鎮護国家できたもんだ!」

 

斎藤T「なら、封印だ! いくら不死身の怪物だろうと、岩に押し潰された(石の中にいる!)状態にして肉体を再構成できない状態に追い込めば無力化できる!」

 

アグネスタキオン’「なるほどねぇ! けど、5m前後の巨体の魔獣を押し潰して封印できるほどの準備なんてできるのかい!? 命からがら、こうして罠を仕掛けたヘリポートまで時間跳躍させたってのに!?」

 

斎藤T「くっ! せめて、翼の再生さえ封じられれば 重りを括り付けて海に投げ捨てることもできたんだが、あの再生能力を封じることができなければ………………!」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

斎藤T「!?」パシッ ――――――突如として黄金のコーカサスオオカブトが飛来した!

 

斎藤T「――――――ケイローンなのか!?」

 

斬馬 剣禅「何だ、その黄金のカブトムシは!?」

 

アグネスタキオン’「――――――『聖甲虫(スカラベ)』かい!? どうして時間跳躍技術を検証するためにカブトムシの玩具を改造した脳波制御の趣味品(ホビー) 兼 祭具がこんなところに!? 元がただの玩具なんだから自力で飛んでこれる構造じゃないぞ!?」

 

斎藤T「なるほど、そういうことか! 全てはそのための積み重ね! 物理が効かない魔獣討伐のために用意してくれたものがコレだったのか!」スッ ――――――手にした黄金のコーカサスオオカブトを手放す!

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

斎藤T「自霊拝」パカッ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の鏡を見つめる!

 

 

我は汝。汝は我。

 

 

人は祖に基づき、祖は神に基づく。

 

 

森羅万象。全にして一、一にして全なり。

 

 

斎藤T「故に!」

 

斎藤T「我はここに人と神の()()り合わす祭祀(まつり)を司る!」

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

――――――これが最初の変身(HEN-SHIN)だった。

 

 

黒魔術師に召喚された魔獣:ジャバウォックは現実世界の法則に従わない外なる存在であり、生者と非生者の性質をどちらも併せ持つために生者の世界:現実世界と非生者の世界:裏世界のどちらにも出没することが可能な非実在存在“半人半霊(エンティティ)”に極めて近いものと考えてもらえれば非常にわかりやすいと思う。

 

世界というのは質量保存の法則に従って決して物質の総質量が増えもしないし減りもしないものであり、これによって ある世界から別の世界へと移動できるタイムトラベルやパラレルワールド説を否定することが可能になるのだが、

 

フィクションにおいて往々にして見られる別世界から神や悪魔を召喚するといった事象に対する答えとして、四大元素説に追加された宇宙を構成する第五元素:エーテルがあり、物質次元の地球ではない星々の世界≒神々の世界を構成する高次元世界:アストラル界の住人たるアストラル体の存在というのが神や悪魔の正体とする学説が存在する。*1

 

そのため、今の状況を極めて簡単に説明すると、第五元素:エーテルで構成されたアストラル体に対しては四大元素で構成された物質次元の地球上のいかなる物理法則では異次元より召喚された魔獣を倒し切ることができないというわけである。

 

これがある世界の人霊が別世界に出現した非実在存在“半人半霊(エンティティ)”との大きなちがいであり、“半人半霊(エンティティ)”は別世界から見たある世界というのも並行世界であろうとも完全に別の宇宙と見なすこともできなくもないので、質量保存の法則に抵触することなく別世界に存在することが可能となっているが、本質的に同じ四大元素説の世界の住人なので抵抗して追い返すことは十分に可能である。

 

しかし、異次元より召喚された魔獣のような存在は黒魔術などを媒介にして四大元素説の世界に適応した仮の肉体を得て現界するわけだが、その本質は四大元素説の世界にはない第五元素:エーテルで構成されたアストラル体なので、倒すためには当然、アストラル体に干渉できる手段;アストラル体を構成する第五元素:エーテルを用いた攻撃を繰り出す他ないのだ。

 

つまり、どちらにも共通して言えるのは、異世界召喚された時は基本的に召喚された直後に環境に適応できずに死ぬようなことがないように召喚された次元の殻をまとった仮の肉体をまとい、肉体の殻の中に本質となる霊体やエネルギーが封じ込められているわけで、それが同じ人間なら“半人半霊(エンティティ)”、アストラル界の存在なら神や悪魔が召喚されたということになるのだ。

 

なので、これまで私を導いてきてくれた皇国の神々はいよいよ黒魔術による魔獣召喚への対抗手段として、神降ろしの儀式をお許しになられたのだ。

 

そこで私の肉体を神籬として降臨したのがウマ娘の三女神:バイアリータークであり、賢者ケイローンとの思い出からカブトムシの玩具を改造して脳波制御で時間跳躍の実験に使える祭具 もとい趣味品(ホビー)として造った聖甲虫(スカラベ)を通じて霊装を展開したのである。

 

重要なのは高次元世界の存在である三女神の力の器となる自分になりきることであり、鏡の自分を見つめて心を虚しくして、自分自身が力の存在そのものと一体化するのだ。

 

こうして眩い光と共に姿を現した黄金の戦士の姿は私と三女神の力が合体したものであり、只今を生きる“斎藤 展望”の個性や時代に合わせて化身した象徴に過ぎず、その本質となる肉体に宿った神なるものはいかなる時代や状況でも通用する普遍的なものである。

 

その姿は23世紀の宇宙時代にノーマルスーツと呼ばれて一般的に宇宙で着用される全身黒タイツのような宇宙服を再現することを目的に 現代の宇宙開発事情の参考に見ていた 実写映画で軌道エレベータが登場した世界初の作品となる特撮ヒーローに非常に酷似していた。いや、イメージの大本は間違いなくこれだ。

 

そして、三女神の1柱の力を宿した自主制作ヒーローの登場によって、黒魔術師が召喚した魔獣討伐はここに果たされる――――――!

 

 

斎藤T「うおおおおおおおおおおお!」ゴゴゴゴゴ!

 

斎藤T「――――――!」グググググ!

 

斎藤T「はああああああああああああああああ!」ブン! ――――――黄金のミドルキック!

 

魔獣「グギャアアアアアアアアオオオオオオオオオオ!???」ドゴォ!

 

魔獣「」パァアアアアン! ――――――5m前後の巨体が呆気なく光の粒子となって散っていった。

 

アグネスタキオン’「や、やった!」

 

斬馬 剣禅「ああ、そのようだな」

 

斎藤T「…………フゥ」キラキラ! ――――――霊装が光の粒子となって変身解除!

 

斬馬 剣禅「見事だったぞ、斎藤 展望」

 

アグネスタキオン’「うんうん。ここまでに大量の弾薬や爆薬、毒薬をつぎ込んでも斃せなかったのに、蹴りの1発で光に変えたんだから、これは間違いないだろうねぇ!」

 

斬馬 剣禅「しかし、『バイアリーターク』と言ったか?」

 

斎藤T「ああ。ウマ娘の三女神の1柱:バイアリーターク様だ。さっきのはその力と一体化した姿だ。だから、異次元から召喚された魔獣を斃せた」

 

斬馬 剣禅「なに!? 三女神の1柱だと!? 今のは正真正銘の三女神の力を身に宿したものだったというのか!?」

 

アグネスタキオン’「本当に神様なんていたんだねぇ。いや、これまでさんざん助けてもらっていたから信じてなかったわけじゃないけど、この物質世界ではっきりと目に見える形で力を貸すだなんて思いもしなくて」

 

斎藤T「不思議なことじゃないだろう。現にウマ娘という存在は異世界の英雄の魂を宿して生まれてきた存在なのだから、それと同じように人間としての個が確立される前の胎児と同じように心を虚しくすれば、今度は神様だって肉の宮に降ろすことだってできる」

 

斎藤T「気づいていないだけで、夢に向かって無我夢中になって誠の道を歩んでいれば、三女神じゃなくても それ以外の守護神様や産土様に助けてもらっているんだよ」

 

斎藤T「私の場合はそうした誠を極める人生を歩んできたからこそ、三女神の力を受けるに値するだけの霊格が磨かれているというわけで、今まさに磨いてきた成果を発揮することになったのがこの瞬間だったというわけだ」

 

斎藤T「言っておくが、物に神が宿るんじゃない。肉塊や脂肪、脳味噌や心臓に宿るものでもない。磨き上げられた霊魂と共鳴して神霊と合体するのだ。我々はこの物質世界に肉体を持った霊格であることを忘れてはならない」

 

 

心だに 誠の道に かなひなば 祈らずとても 神や守らん  菅原道真

 

 

アグネスタキオン’「……そうだね。身近なところで言えば、三女神像のおまじないの儀式がそれか」

 

斬馬 剣禅「……なるほどな。己を磨き 誠を尽くし 心を虚しくした結果がアレというわけなのか」

 

斬馬 剣禅「なら、今のは俺にもできることなのか?」

 

斎藤T「もちろん。そのために宗教がある。神話がある。古聖の教えがある。あれらは全てそのためのヒントを現代に伝えている」

 

斎藤T「そして、その境地を目指してきた先人たちの足跡を辿れば、時代を超えて湧き上がる感動から『今を生きる自分たちにもできなくはない』という確信を与えてくれる」

 

斎藤T「つまり、人類が目指すべき夢と希望と浪漫がそこにあるんだよ。それは太古から脈々と受け継がれてきた生命の願いでもあるんだ」

 

斬馬 剣禅「…………そうか」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

斬馬 剣禅「!?」パシッ ――――――突如として黄金のアクティオンゾウカブトが飛来した!

 

斬馬 剣禅「こいつはさっきのと同じ――――――!?」

 

斎藤T「な、なに!? アクティオンゾウカブトの聖甲虫(スカラベ)だと!?」

 

アグネスタキオン’「造っていたのは1つだけじゃなかったのかい、モルモットくん?」

 

斎藤T「いや、中古でセットになっていたのを大人買いしたから、10機ぐらいは聖甲虫(スカラベ)の予備はあるけど……」

 

斎藤T「はい」パカッ ――――――“黄金の羅針盤(クリノメーター)”の鏡を見るように促す!

 

斬馬 剣禅「え」

 

斎藤T「自霊拝。言わば、契約だよ、これは」

 

斎藤T「神降ろしの儀式で自分の心を虚しくした時に降りる神霊と一体化した魂を見るんだ」

 

斬馬 剣禅「あ、ああ……」

 

斬馬 剣禅「――――――」

 

 

 

 

 

斎藤T「答えよ。そは何者ぞ」

 

斬馬 剣禅「――――――アメノカクなり」

 

アグネスタキオン’「…………!」

 

斎藤T「春日大社――――――、鹿嶋の神だな」

 

斬馬 剣禅「!」

 

斎藤T「いや、鹿嶋の神の眷属の神鹿か。それらしいな」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

斎藤T「よし、せっかくだから、一緒に変身しましょうか」パシッ ――――――突如として黄金のコーカサスオオカブトが飛来した!

 

斎藤T「一度 使ってみれば肉体にも感覚が焼き付いて、次からはスムーズに行使できるようになるから」

 

斬馬 剣禅「ならば、先達をお願いする」

 

斎藤T「それでは!」

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

斬馬 剣禅「誘うは黄金の神風! ゴールデンハインド!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 

こうして魔の力に対抗すべく地上に降ろされた神の力を宿した一対の馬鹿の黄金の戦士が2人誕生したのであった。私は斬馬 剣禅との間の一体感に強い縁を感じた。

 

その姿はそれぞれが手にした聖甲虫(スカラベ)を模してコーカサスオオカブトとアクティオンゾウカブトの意匠となっていた。言うなれば、私がコーカサスオオカブト仮面で、向こうがアクティオンゾウカブト仮面である。

 

そして、この自主制作ヒーローの名は『聖闘士(セイント)星矢』と『仮面ライダー(騎士)』の天地を掛け合わせて“聖騎士ストライダー(St.Rider)”――――――!

 

 

*1
アストラル(Astral)は『星々の』を意味する形容詞。名詞形がアストラ(Astra)である。



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第三次決戦Ⅱ 時代を駆ける英雄の足跡 -愛国王女救出作戦-

 

 

――――――目標:6月30日の夏越の大祓を完遂せよ!

 

 

たとえば銅像を建てられるほどに人々の記憶に残る名バがいる。

 

23世紀の宇宙時代を生きた世紀の大天才たる私が未だに小さな庭での徒競走のレース選手を育成するトレーナーの地位に踏み止まっているのは、絶望の未来を変えるタイムパラドックスを引き起こす手段としてウマ娘レースが極めて有効であると判断していたからだ。

 

そのため、少なくとも私の担当ウマ娘には銅像を建てられる以上にその名を冠した重賞レースが設立されるだけの偉業を果たしてもらわなければならかった。

 

そして、6月30日の夏越の大祓を迎える決戦の2周目、私はNINJA:斬馬 剣禅と協力して昨日に北アイルランド系テロ組織:ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)の東京/府中における拠点を制圧し、その中心人物であるアイルランド王女:ファインモーション姫殿下に()()()()()()()()()()のビューティフルデイの捕縛に成功する。

 

その際、異次元から召喚される魔獣を使役する黒魔術師と交戦することになり、こちらも異次元より降臨する神霊の力を借りて魔獣討伐に成功する。

 

交戦の結果、不敗の矜持を持つ黒魔術師は目の前に現れた2人の自主制作特撮ヒーローにいとも容易く不死身の魔獣が斃されたことに発狂し、口封じのために仕掛けられていた誓約(ギアス)によって身体の内側から杭のようなものが次々と溢れ出して死にゆく激痛に喘ぎながら朽ち果てた。

 

黒魔術という外法に頼った輩の最期は思わず重要参考人として捕縛したビューティフルデイの視覚と聴覚を麻痺させて心的外傷(トラウマ)にならないようにシャットアウトするほど非常にグロテスクなシーンであった。

 

さて、北アイルランド系テロ組織:ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)の拠点を1周目に探り出して制圧していたことで2周目は先んじて決行日である『宝塚記念』前夜に先制攻撃をかけて制圧できたが、

 

その計画の全容がアイルランド王女:ファインモーション姫殿下に()()()()()()()()()()のビューティフルデイの“成り代わり”をさせることでアイルランド王室を侵略することであり、認識阻害の暗示を扱える黒魔術師がいたことで成り立っている作戦でもあった。

 

しかし、そのためには本物と偽物が入れ替わるタイミングを見計らう必要があるため、本物が『宝塚記念』を観戦しにトレセン学園を離れた隙に学生寮で魔獣を暴れさせて生徒たちを学園から避難させる状況に持ち込む必要があった。

 

その際、当然ながら生徒全員の安否確認を行う責任と義務が管理者側にあるが、一方で他国の王族の安否確認は大使館を通じて裏付けを取る必要があった。ここがテロリストの狙い目だったのである。

 

つまり、『宝塚記念』に観に行ったファインモーション姫殿下は観客席とは隔離されたVIPルームで観戦していた他、その宿泊先や避難先は非公開であるため、本当に阪神競バ場にいたかどうかは一般人にはわからない状態になっていたのだ。

 

実際、1周目の学園からの避難者名簿の方にファインモーション姫殿下の名前が載っており、実際にその姿を見たという証言が多数ある以上、学園側としてはファインモーション姫殿下は少なくとも魔獣がトレセン学園を襲撃した時には学生寮にいたことが事実となっていた。

 

しかし、その目論見は2周目では決行前夜に潰えていたわけであり、1周目に拠点を制圧して過去視や通信記録で動向を探ったところ、どうも決行当日は作戦の成功を1ミリも疑っていないのか東西で連絡を取り合っていないようなので、

 

前日に東京/府中の襲撃部隊を壊滅させれば、余裕を持って当日に阪神/仁川の誘拐部隊を各個撃破することが可能であった。

 

もちろん、こちらとしては当日の誘拐部隊の動向やファインモーション姫殿下の避難経路がわからない上、前日に襲撃部隊を壊滅させたのだから学園からの避難命令が下るわけがないので、1周目と同じ挙動になるはずがなかった。

 

ところが、1周目の出来事をデータとして持ち越して公共のメディアを乗っ取って流すことで本当にあった嘘の話(フェイクニュース)が一般大衆の間に成立することになる。

 

なにしろ、トレセン学園の生徒は毎週開催されている全国各地のウマ娘レースの興行に誰かしら出走するなり遠征するなりして全員が学園に居合わせることは稀であり、そのためにトレセン学園で起きた出来事は基本的に公共の電波の全国放送で流すのが決まりなのだ。

 

あとは、偽の避難命令を生徒たちに一斉送信した後にトレセン学園の辺り一帯を一時的に停電させて しばらくの間 真偽を確かめることをできなくさせれば、

 

ほら、簡単。1周目に実際に起こっていた出来事なだけに、その信憑性の高さからトレセン学園の襲撃を未然に防いでおいた上で、2周目もテロリストの誘拐犯たちは同じ行動を取ってくれるのだ。

 

だが、油断大敵、アイルランド王室に偽物を送り込むために本物を始末しようという賊のことだ。当然、本物と偽物が入れ替わったことを誤魔化せる黒魔術師(ペテン師)が側にいるはずで、アイルランド王女を護衛するSPを蹴散らすだけの戦力を保有しているはずだ。

 

1周目ではテロリストの陰謀に気づいた段階でSPの誰とも連絡が繋がらないという最悪の事態を迎えていただけに容赦する気はまったくない。

 

ところが、1周目を再現した2周目、私がウイニングライブを見届けた後のファインモーション姫殿下の動向は予想の斜め上を行くものとなっており、まさかの展開となっていたのだ。

 

 


 

 

●2周目:06月24日/京都散策

 

 

斎藤T「……何か申し開きすることはありますか、姫殿下?」

 

ファインモーション「えへへ」

 

斎藤T「学園側のミスで京都分校への避難命令が出ていたとは言え、元々の予定として『宝塚記念』翌日の振替休日に御学友と京都散策をしようとしていたわけですが、お転婆が過ぎますぞ」

 

斎藤T「いったいどれだけの人を振り回して 心配させて 迷惑をかけたか、わかっているのですか?」

 

斎藤T「幸い、囮になったSPの皆様方は無事でしたが、危うく命を落としかけたぐらいですよ」

 

ファインモーション「でも、助けてくれたんだよね、NINJAが! みんなが言っていたよ!」

 

ファインモーション「いいなぁ。私も見てみたかったなぁ」

 

斎藤T「反省してください」

 

ファインモーション「はーい」

 

陽那「まあまあ。そのぐらいにしておきましょう、兄上」

 

ファインモーション「でも、凄かったなぁ、昨日の『宝塚記念』」

 

ファインモーション「優勝したマンハッタンカフェが断トツで凄かったけど、私の推しのエアシャカールも良かったし、エアグルーヴもカッコよかった」

 

陽那「そうですね。今まで“皇帝”シンボリルドルフの右腕として長らく生徒会副会長としてターフを離れて何年も経つのに、その後を継いで生徒会長に就任してからのまさかの『ヴィクトリアマイル』優勝に引き続き、『宝塚記念』で2着というのは“本格化”が終わったのをまったく感じさせないほどの強さですよね」

 

斎藤T「世間的には史上初の“春シニア三冠”――――――、『URAファイナルズ』で引退と思われていたスーパーシニア級のマンハッタンカフェが圧倒的勝利で偉業を達成したことを称える声で満たされているが、」

 

斎藤T「2着:エアグルーヴ、3着:エアシャカール、4着:ウオッカという結果に『クラシック路線とティアラ路線のウマ娘の間、あるいは新バや古バの間に絶対的な優劣などないことが示されたという点で非常に意義のあるレースだった』と識者は語っている」

 

陽那「強いウマ娘に階級や路線の区別はないわけですね」

 

ファインモーション「そっか」

 

 

ファインモーション「楽しそうだね、みんな。キラキラしている」

 

 

斎藤T「……走りたいのですか?」

 

ファインモーション「そう聞こえたのかな、斎藤Tには?」

 

斎藤T「競走ウマ娘に限らず、ヒトよりも遥かに優れた身体能力と闘争本能を持つウマ娘なら、思春期に有り余る情熱をぶつけたいと思うのは自然だと思いますが?」

 

ファインモーション「じゃあ、私も綺羅びやかな勝負服を着ながらあんなふうに歯を食いしばってターフの上を全力疾走をしてもいいのかな?」

 

斎藤T「何のために留学先を日本トレセン学園にしたのですか? 見学するだけなら皇室と縁のある由緒正しい学園に通うべきですよ? 今から留学先を変えますか?」

 

陽那「え、兄上?」

 

ファインモーション「ねえ、怒られない、そんなことを言って? それで私がメイクデビューすることになったらさ?」

 

斎藤T「大丈夫です。あなたのことをスカウトしたいと心から願うトレーナーに出会わなければ全ては夢物語です」

 

斎藤T「夢は誰にでも見る権利があるのです」

 

 

――――――素敵な出会いが日本であると良いですね。

 

 

結果としては今回の北アイルランド系テロ組織:ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)の犯行は どの道 失敗となるのが運命だったようである。

 

なにしろ、目標となるアイルランド王女:ファインモーションの行方が 護衛となるSPの方でも掴めなくなって 完全に見失ってしまったからだ。確保できなければ 魔獣を召喚してまで学園を襲撃させる意味がない。

 

恐ろしいことに、ファインモーション姫殿下はウイニングライブ終了後の人混みに紛れて、そそくさと宝塚を後にしてしまっていたのだ。

 

完全なるSPの失態であり、外部に混乱を広げないために影武者であるマーメイドパールが代役となって送迎車に乗って恙無く宿泊先である避難所に向かおうとしたところで、わかりやすく追跡してくるテロリストの改造車とカーチェイスとなっていた。

 

その時は私も改造バイクに乗ってアイルランド王女御一行様を遠くから追跡しており、出発前には無かったのを確認したのに発進直後に時間跳躍で私がルーフに発信機付きのドライブレコーダーをベッタリと取り付けているので、そこから得られる軌跡からルート案内(ナビゲート)を受けて捕捉されない距離を保って追跡していた。

 

その間にテロリストの改造車が堂々と入り込んできたことで、ルーフに据え付けられたドライブレコーダーから送信される映像で尾行してくるテロリストとのカーチェイスをリア視点で堪能することになった。

 

正直に言えば、テロリストが尾行してきた瞬間に時間跳躍でクラッシュさせることも簡単だったのだが、ウイニングライブ終了後の宝塚から帰る深夜の大通りで交通事故や黒魔術師との戦闘は避けたかった。

 

なので、同じようにテロリストの改造車にも時間跳躍で発信機付きのドライブレコーダーをルーフにベッタリと貼り付けてきて、辛抱強くアイルランド王女御一行様とテロリストのカーチェイスの追跡を続けたのだが、

 

大通りを高速で駆け抜けて人気の少ない入り組んだ小道で先手を打ったのはテロリストであり、ここで魔獣を召喚して一気に勝負を決めようとしてきたのだ。やはり、テロリストの側には黒魔術師が他にもいたのだ。

 

テロリストの改造車のルーフに収まり切るように召喚されたその魔獣はジャバウォックとは異なる異形であり、なんと魔獣の首が弾丸のように発射され、カーチェイス中の不規則に高速で動く先行車に容易く命中し、更にはトランクに鋭い牙を突き立てた生首がトランクルームをそのまま噛み砕いて後部座席へと侵入しようとしてくるのだ。

 

ルーフに取り付けたドライブレコーダーによってアイルランド王女御一行様のその時の恐慌が手に取るようにわかり、後部座席から拳銃を乱射するのだが、こちらを齧りつこうと鋭い牙を見せながら迫ってくる魔獣の生首の迫力に狭い車内で阿鼻叫喚が巻き起こっていた。

 

なので、向こうが切り札を切ったのなら、こちらも切り札を切って同じように怖い目に遭わせることにしたのだ。

 

 

――――――勝負は瞬きする間に終わる。

 

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 

合図と共に時間と空間を超越してテロリストの改造車の真上に黄金の戦士が降り立ち、アイルランド王女御一行様の方にもふわりと黄金の戦士が降り立つ。

 

そして、同時に魔獣:バンダースナッチの生首と胴体に魔を断つ剣が突き立てられ、跡形も無く一瞬で光の粒子となって散っていった。

 

何が起きたのか、双方 理解できていない状況で、私はアイルランド王女御一行様の送迎車から簡単に先行車を追い越すほどの勢いを見せつける黄金のバイクにふわりと飛び移る。

 

そこからスピードを落として後方車にピッタリと横付けすると、突如として上と横に現れた2人の黄金の戦士にテロリストたちが怯えきっているのが見て取れた。

 

頼みの綱であるお抱えの黒魔術師はルーフの上から貫通してきた2本の霊剣で両膝を刺されており、後部座席の陣取るテロリストたちはすでに顔面蒼白であった。

 

だが、そこに手心を加える気は毛頭ない。1周目で起きた惨劇の復讐から、バイクを傾けて横付けした改造車に思い切り大地を踏みしめた刹那に肩の一撃を加えると、弾丸のように車体が真横に吹っ飛んでいったのだ。

 

吹っ飛ばされた先が何もないように調整して空き地に横転してクラッシュした改造車を取り囲むと、アイルランド王女御一行様も意を決してやってきたようだった。

 

これにより、今回の北アイルランド系テロ組織:ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)の犯行がアイルランド王室にも知れ渡るようになったのであった。

 

ただし、黒魔術師の方はやはり証拠隠滅のために仕掛けられていた誓約(ギアス)によって見るも無惨な死に様を迎えており、運悪く隣の座席にいたテロリストは完全に放心状態となっていた。

 

一方、アイルランド王女救出の功労者である2人の黄金の戦士はテロリストが引き渡されるのを見届けると音もなく姿を消していた。

 

なぜなら、目の前にいたのがアイルランド王女はファインモーション姫殿下ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()影武者のマーメイドパールだったからであり、

 

今度は本物のファインモーション姫殿下の捜索に夜を徹して取り掛からなくてはならなくなったのだ。通信機付きのドライブレコーダーも抜かりなく回収済み。

 

 

ところが、捜索に取り掛かってしばらく、意外なところから本物のファインモーション姫殿下の行方が判明したのであった。

 

 

阪神競バ場がある宝塚から京都分校のある京都までは高速道路を使っておよそ1時間半の距離である。

 

それぐらいならウイニングライブの後でも行列のできる京都のラーメン屋の名店で夜ラーメンが堪能できるということで、ファインモーション姫殿下は夜の京都でラーメン屋めぐりをしていたのだ。

 

なので、何事もなく本人から安否確認の連絡が宿泊先の京都から届いたわけであり、宝塚を中心にした決死の捜索は徒労に終わったのだった。

 

それも他ならぬ『宝塚記念』に出走したアオハルチーム<エンデバー>の面々とであり、つまりはチームメイトである2人のダービーウマ娘:エアシャカールとウオッカとその担当トレーナーである望月Tと甘粕Tの犯行であったのだ。

 

というよりは、ファインモーション姫殿下は推しであるエアシャカールの他にもチーム<エンデバー>のクラシック世代のチームメイトとなるウオッカやダイワスカーレットたちとも仲良くしており、元々『宝塚記念』の翌日の振替休日を利用してみんなで京都散策をしようと言う計画を立てていたのだ。

 

それ自体はSPたちも了解していることであり、突如としての京都分校への避難命令に関係なく、京都の高級ホテルにチーム<エンデバー>の友人たちと宿泊を決めていたわけでもあった。

 

つまり、行方不明となっていた当の本人としては京都に行くのには変わりないのだから、

 

宝塚からおよそ1時間半の道程をチーム<エンデバー>の友人たちがレンタルしたランドクルーザーと大型バイクで行くところに便乗して、

 

出発する直前に担当トレーナーからのご褒美で2人乗り(タンデム)するウオッカに軽い好奇心から無理を言って替わってもらい、甘粕Tのバイクで京都へ出発したのだ。

 

何も知らない甘粕Tは担当ウマ娘たちからのイタズラでウオッカが出発する直前にファインモーション姫殿下に入れ替わっているドッキリを仕掛けられることになり、それに気づくかどうかを試されることになったのだ。

 

最初から違和感に気づいていたものの、それを確かめる踏ん切りがついたのが途中休憩を兼ねたパーキングエリアであり、そこからはウオッカを背中に乗せて甘粕Tは京都入りを果たしたのだった。

 

そのため、結果としてはSPを囮にして宿泊先である京都の高級ホテルに無事にチェックインし終えた一行は 早速 京都散策の前夜に『宝塚記念』でのエアシャカールとウオッカの健闘を称えた夜ラーメンを堪能することになったというのが真相である。

 

なので、アイルランド王室もトレセン学園も本来ならば報告すべき立場だった望月Tと甘粕Tのことを叱るに叱れなくなったのであった。姫殿下のその場の思いつきに言い包められたことで、結果として御身に迫る危険を回避することになったのだから。

 

そして、京都分校への避難命令によって『宝塚記念』を観戦していた多くの生徒たちが京都分校へ避難し、誤報の避難命令が解除されたことで特別休暇の扱いとなったため、『宝塚記念』翌日は数多くの生徒たちとファインモーション姫殿下は京都散策を楽しむことができたのであった。

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

ファインモーション「――――――」

 

エアシャカール「――――――」

 

ウオッカ「――――――」

 

ダイワスカーレット「――――――」

 

アストンマーチャン「――――――」

 

 

 

マーメイドパール「………………」

 

斎藤T「昨日は災難でしたね」

 

陽那「おつかれさまです」

 

マーメイドパール「あ、斎藤T。それにヒノオマシ様……」

 

マーメイドパール「いえ、影武者としての本分を果たせたのなら本望です」

 

マーメイドパール「それに、姫殿下が立てた京都散策のコースの下見もあって、二度も千年の都を訪れることができたのは嬉しい限りです」

 

マーメイドパール「ガイドブックには載っていないような隠れた名店の数々を紹介していただき、ありがとうございました」

 

斎藤T「いえいえ、現地の京都警察(アグネスマキシマム)の協力もあってのことです。お気に召して何よりです」

 

陽那「着物姿、綺麗でしたよね」

 

マーメイドパール「しかし、いくら誉れ高い皇宮警察の御子息とは言え、今は一介のトレーナーに過ぎないのに、ここまで他国の王族に対して真摯になる必要はないのですよ? ご自身の担当ウマ娘のメイクデビューだってあるでしょうに?」

 

斎藤T「大丈夫です。トレーナーとしてのルールは1つも破っていませんから」

 

斎藤T「それに、妹は世界一の皇宮護衛官の警察ウマ娘になるんです。他国の王族の警護や接待も将来の仕事に含まれています。そのために妹の公欠が認められているのです」

 

陽那「はい。微力ながら力添えさせていただきます。いざとなれば京都の街を縦横無尽に駆け抜けてみせますよ」

 

マーメイドパール「その時は頼りにさせていただきますね、ヒノオマシ様」

 

 

 

 

 

陽那「ここがエアシャカールさんやウオッカさんたちが次に挑む『菊花賞』と『秋華賞』の舞台:京都競バ場ですね。皇宮警察(私たち)からすると『天皇賞(春)』の大舞台ですね」

 

マーメイドパール「昨日の『宝塚記念』で 見事 マンハッタンカフェが史上初の“春シニア三冠”を達成したのに続いて、“クラシック三冠”“トリプルティアラ”を目にすることができるでしょうか?」

 

斎藤T「――――――」

 

 

疾走のウマ娘 青嶺の魂

 

 

陽那「兄上? どうしたのですか?」

 

斎藤T「来年の『宝塚記念』は京都競バ場(ここ)で開催されることになる」

 

陽那「え」

 

マーメイドパール「え、どうしてです!? 『宝塚記念』はその名のとおりに宝塚にある阪神競バ場で開催されるものじゃないですか?!」

 

 

斎藤T「つまり、京都競バ場で『宝塚記念』が代替開催することになるような災厄がそれまでに起こる」

 

 

マーメイドパール「!!?!」

 

マーメイドパール「まさか、地震ですか!? 阪神淡路大震災の再来?!」

 

陽那「――――――南海トラフ地震!?」

 

斎藤T「戦略の練り直しだ。京都競バ場で代替開催されることになるのなら、それに向けた調整を考えないといけないな」

 

斎藤T「……なら、これを渡しておく。災害に巻き込ませたくなければ、姫殿下の近くにいる誰か1人は必ず身に着けておくように」

 

マーメイドパール「あ、ありがとうございます……」

 

陽那「それって前回の下見で兄上がお土産に買っていた京都土産として大変評判の蒔絵栞ですか?」

 

斎藤T「そう、今回の京都御所の見学で神気を入れてきたから、絶対に1人はこれを護符として身に着けて護衛するように。京都の東西南北を守護する四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)の4枚だ」

 

斎藤T「それと、姫殿下の推しのエアシャカールについてアイルランド人が惹かれた理由を教えてくれないか?」

 

マーメイドパール「え?」

 

マーメイドパール「そうですねぇ。姫殿下がエアシャカール様のファンになったのは、もちろん、留学先の貴国(日本)で初めて見たG1レースで優勝したからではないですか?」

 

斎藤T「それはきっかけだ。何か、こう、アイルランド国内で有名な競走ウマ娘のことを思い出させるようなものはないかな?」

 

 

――――――たとえば、悲劇的な最期を迎えたことで特に有名なウマ娘はいないかな? “オーストラリアの伝説”ファーラップのような名バはいなかったか?

 

 

陽那「え!?」

 

マーメイドパール「…………あ」

 

斎藤T「どうかな?」

 

マーメイドパール「はい、いました。よくよく考えてみれば『エアシャカール様の名前が似ている』ということでお気に召したのかもしれませんね」

 

 

マーメイドパール「シャーガーです。日本では配給されていなかったかもしれませんが、映画にまでなった 国内外合わせて8戦6勝にしてG1:3勝の 2年目:クラシック級で惜しまれながらも引退した伝説のダービーウマ娘です」

 

 

斎藤T「――――――クラシック引退でG1:3勝!?」

 

陽那「す、凄いですね。それで映画にまでなったとすると、まるで全盛期のトウカイテイオーさんをもっとスケールを大きくした感じのスターウマ娘に思えます」

 

マーメイドパール「まあ、アイルランドで生まれて近代ウマ娘レース本場のイギリスに渡っての活躍なので、実質的にアイルランドとイギリスの間の子の名バですけれどね」

 

斎藤T「その辺りもニュージーランド生まれのオーストラリア所属のファーラップにそっくりだ」

 

マーメイドパール「日本ほど“クラシック三冠”に熱心な国柄ではないので『ダービーステークス(エプソムダービー)』一本に絞って、その勝利にこだわった末に史上最大の10バ身差の完全勝利を刻んだのです!」

 

斎藤T「な、なにぃいいいい!?」

 

陽那「――――――本家本元の『英国ダービー(ダービーステークス)』で10バ身差!? 圧倒的じゃないですか!?」

 

マーメイドパール「その後は祖国でも『アイリッシュダービー』で優勝して、両国でダービーウマ娘にもなりましたから、アイルランドの英雄でもあるのです」

 

陽那「それは鼻が高いですね」

 

斎藤T「え? 各国のダービーステークスの開催時期は『英国ダービー(ダービーステークス)』と同じじゃないのか?」

 

マーメイドパール「ええ、それはちがいますよ。『日本ダービー』は昔ながらの『ダービーステークス(エプソムダービー)』の開催時期の5月にしていますけど、」

 

マーメイドパール「今の『ダービーステークス(エプソムダービー)』は6月初週の開催で、本家本元(イギリス)の隣国に位置する我が国(アイルランド)としてはその後に『アイリッシュダービー』を開催することでヨーロッパ中の名バを集結させた夢の舞台(オールスターゲーム)を狙っていますので」

 

斎藤T「そうなんだ。中山競バ場(中央競バ)船橋競バ場(地方競バ)と似たような開催事情か。各国のダービーを比較してみるのもおもしろそうだな……」

 

 

マーメイドパール「ですが、シャーガーの名を永遠のものにしたのは()退()()()()()()()()()()()()となったことなのです」

 

 

斎藤T「!!?!」

 

陽那「――――――『誘拐』!?」

 

陽那「……えと、無事に帰ることができたのですよね?」

 

マーメイドパール「――――――()()()()()()()()()()()

 

陽那「そんな……」

 

斎藤T「……詳しく訊かせてくれ」

 

マーメイドパール「いえ、そこまで語れるものはないです」

 

マーメイドパール「引退して2年後の春、覆面をつけた男6人が銃で脅してシャーガーを誘拐し、200万ポンドの身代金を要求する電話があったのですが、この要求を拒否した後は連絡は途絶え、アイルランド・イギリス 両国の英雄である伝説のダービーウマ娘は完全に行方不明となったのです」

 

斎藤T「テロリストからの要求を呑むことで次に続く成功例を生ませないための合理的判断とは言え、伝説のダービーウマ娘も政治的判断で容赦なく切り捨てられるわけか……」

 

陽那「そんなの……、『引退して2年後の春』って、私とそう変わらない年齢で……」

 

マーメイドパール「だから、なのかもしれませんね」

 

マーメイドパール「姫殿下がエアシャカール様を気にかけるというのも。名前が似ていることもありますが、悲劇的な最期を迎えたことで永遠に歴史に名を刻んだシャーガーのようになって欲しくない――――――、映画のようなハッピーエンドを迎えて欲しいという願いがあるのかもしれません」

 

斎藤T「犯人の特定はできたのか?」

 

マーメイドパール「いえ、両国の英雄であるためにイギリス・アイルランド共同で犯人を捕まえようと躍起になりましたが、その間にも様々な伝聞や憶測が行き交い、誰もその真実に辿り着くことができませんでした」

 

マーメイドパール「ただ、有力なのは今回の北アイルランド系テロ組織:ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)に代表される 北アイルランド問題に端を発する犯罪集団の仕業とは言われています」

 

斎藤T「アメリカで毒殺されたファーラップと言い、英雄の最期なんてものはいつだってこんな惨めなものか」

 

マーメイドパール「ただ、今でもその根強い人気から両国のエイプリルフールの定番のネタとして、各地でシャーガーが発見されたというニュースが絶えないわけでもあるんですけどね」

 

陽那「なんだか、それを聞いて少しは救われたような気がしますね」

 

斎藤T「そうやって人々の記憶に残る存在になれたのなら、シャーガーもファーラップと同じく英雄であったな」

 

 

斎藤T「しかし、そうか。そのシャーガーと同じように、来年の京都競バ場のこの場所に墓碑が建てられることで永遠に人々の記憶から忘れられない存在になるのは絶対に避けたいな」

 

 

マーメイドパール「!!!?」

 

陽那「な、なんですって、兄上!? 誰か死人が出るんですか、来年!?」

 

斎藤T「さてね。そうなるかもしれないし、そうならないかもしれないし。全ては心掛け次第だ」

 

マーメイドパール「何か力になれることはありませんか? 貴国(日本)のNINJAに命を救っていただいた この御恩を返したいのです!」

 

斎藤T「ありがとうございます。具体的にどうするかが決まった時に快諾していただければ幸いです」

 

マーメイドパール「わかりました」

 

陽那「私にもできることがあれば……」

 

斎藤T「………………」チラッ

 

 

 

ライスシャワー?「――――――」

 

 

 

斎藤T「――――――決着をつける時は近いな」

 

マーメイドパール「あ、移動のようです。次の見学先は――――――」

 

陽那「兄上」

 

斎藤T「うん。行こうか」

 

 

その後、早速“伝説のダービーウマ娘”シャーガーの映画を取り寄せ、更に『宝塚記念』が京都競バ場で代替開催される可能性について調査することになった。

 

そして、『宝塚記念』が京都競バ場で代替開催される見通しがつく時期を推定することで、その時に向けて対策を練る必要が出てきたのである。

 

しかし、来年の『宝塚記念』が京都競バ場になる影響を予測したところで、私以外の人間がどう動いて来年の重賞レースのスケジュールを決定するのかが読みきれないため、私の担当ウマ娘を指導している岡田Tにはそうなった場合のサブプランを確実に用意してもらうことになった。

 

そう、これはあまりにも私の担当ウマ娘:アグネスタキオンが“クラシック八冠ウマ娘”を目指すのに有利過ぎる状況になるわけであり、それによって包囲網が形成される可能性が確実になってしまったのだ。陽極まって陰となるのだ。

 

それが実質的にエクリプス・フロントの支配者である“斎藤 展望”のウマ娘と見做されている“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェが史上初の“春シニア三冠”を達成した翌日に告げられた“超光速のプリンセス”アグネスタキオンが歩むウマ娘の可能性の“果て”に至るための困難な道程であった。

 

やはり、そう簡単には勝たせてはくれないのが世の中であり、偉大なる英雄への道は決して平坦なものではないことを毒殺されたファーラップ、誘拐されたシャーガー、淀に咲き淀に散った()()()()()()()の最期が教えてくれたのだった。

 

終わり良ければ全て良し――――――。裏返せば、どれだけ華々しい功績を誇る英雄もその最期こそが後世に語り継がれる値打ちをつけるものだとするならば、私は絶望の未来を変えるタイムパラドックスのために担当ウマ娘に『死ね』と命じることになるのだろうか。

 

 

しかし、明日のことさえも見通すことができない凡夫がそんな先々のことを考えてもしかたがないことだ。

 

 

只今はファインモーション姫殿下の安全を確保するためにテロリストの残党狩りと担当ウマ娘のメイクデビューに目を向けるだけだ。

 

その大義に生きる刻一刻に皇祖皇霊の加護を受けて小事を平らげていく運気を授かるのだから、必要な時に必要なものを必要なだけ用意してくださる神縁を信じ抜いて今を生き抜くだけだ。

 

そのために必要なものはすでにこの手の中にある。あとは必要な時にその力を発揮するだけなのだ。

 

そう、誰が勝つかわからない実力伯仲の勝負だからこそウマ娘レースの興行は盛り上がるわけであり、そうでなければ自分の担当ウマ娘が勝つと信じて出走させているトレーナーの側にも張り合いがない。

 

だからこそ、私は 今 言いようにないほど満たされているのがわかる。ヒトとウマ娘が共生する未知の惑星での日々に冒険を感じ、胸を焦がすような高揚感が止まらない。

 

そして、世界の謎や見えざる脅威、未知なる存在、立ち塞がる陰謀こそが我が人生の友であり、嘘も矛盾も呑み干す強さが漲る。

 

 

――――――そう、私こそが挑戦者! 彼の地を征服する“世界の敵”なのだから!

 

 



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第三次決戦Ⅲ それが世界の敵になるということ -中京茅の輪くぐり-

 

 

――――――目標:6月30日の夏越の大祓を完遂せよ!

 

 

私の担当ウマ娘:アグネスタキオンがついにメイクデビューを果たす。

 

その舞台は6月23日『宝塚記念』の翌週の6月30日の中京・芝・2000m『メイクデビュー中京』であり、名古屋にある中京競バ場*1を再現した百尋ノ滝のレーストラックに投影されたシミュラントを用意しての演習をこなしているので万が一にも敗北はない。4年間も力を蓄えて忍耐してきたアグネスタキオンに勝てる新バなどいるわけがない。

 

しかし、岡田Tと立てた“クラシック八冠ウマ娘”のローテーションでは中京競バ場で開催されるG1レース『高松宮記念』『チャンピオンズカップ』に出走することはないため、

 

実際の重賞レースで走る競バ場の雰囲気を味わうために『新バ戦(メイクデビュー)』は東京か阪神にするべきだと最初は考えていたものの、

 

なんと、6月30日の夏越の大祓の日にメイクデビューをするように神示が降りてきたのだから、敬虔なる皇祖皇霊の祭司長としてはそれに従わざるを得ず、実際にはその日に開催される福島・中京・函館の中から選ぶことになったのだった。

 

よりにもよって、そこまで世間が注目するG1レースを開催しているわけではない競バ場でメイクデビューさせることの利点は何も感じられなかったものの、それぞれの競バ場の歴史について調べてもらい、前人未到の“クラシック八冠ウマ娘”の神話を打ち立てるのに縁起が良い場所を占ったのだ。

 

すると、驚くべき答えがシャワーを浴びている時にフッと降りてきたのだ。要求されている能力が人間離れしていないとどうにもならないのだから、信憑性は非常に高いだろう。

 

 

――――――結局、全ての競バ場に向かうことになるのだから、一度に向かうのが吉。

 

 

なので、私は本来ならばトレーナーとして担当ウマ娘の『新バ戦(メイクデビュー)』の最終調整のためにつきっきりになるべきなのだが、6月30日に福島・中京・函館で行われている『新バ戦(メイクデビュー)』を全て見届けなくてはならなくなったらしい。

 

そもそも、私はウマ娘レースの専門知識がないのにトレーナーバッジをつけている詐欺師なので、“不滅の帝王”トウカイテイオーの担当トレーナー:岡田Tに私の担当ウマ娘の指導を丸投げしていたので、私がトレセン学園に帰らずに福島や函館に飛んだことの悪影響は何一つないのだ。

 

そのため、『宝塚記念』前夜に黒魔術師を擁する北アイルランド系テロ組織の学園襲撃を未然に防ぎ、『宝塚記念』当日の別働隊によるアイルランド王女誘拐事件を阻止し、『宝塚記念』翌日の京都散策で来年の激動を預言されていっぱいいっぱいなのだが、

 

そのまま学園には帰らず、百尋ノ滝で再現が完了している中京競バ場を除く福島競バ場と函館競バ場の視察にアグネスタキオン’(スターディオン)を連れて飛んでいくことになったのだった。これでアグネスタキオン’(スターディオン)の時間跳躍で6月30日に福島・中京・函館の『新バ戦(メイクデビュー)』を観戦するという不可能が可能となる。

 

そして、福島競バ場と函館競バ場をモデリングするためにステルス迷彩を発動させて空中からバ場を撮影したところで本拠地である百尋ノ滝の秘密基地に瞬きする間に帰還するので、そのデータを使ってバ場の再現を行う岡田Tたちとは懐かしいと思うこともなく毎日のように顔を合わせることができていた。

 

しかし、福島競バ場と函館競バ場のモデリングがついでではあったもの、現地に着いて心を研ぎ澄ますとたしかに一度は来る必要がある場所だったと感心せざるを得なかった。

 

福島県は日本でヒトとウマ娘の歴史を語る上で欠かせない重要無形民俗文化財『相馬野馬追』やURAリハビリテーションセンターがいわき市にある他、アクアマリンふくしま、喜多方らーめん、ままどおるなど見所が目白押しである。

 

特に、会津地方は皇宮護衛官としては外すことができない猪苗代湖にある天鏡閣があり、私は福島競バ場のモデリングが終わり次第、猪苗代湖に急行して天鏡閣に足を運んだ後、保科正之公を祀る土津神社で祈りを捧げるのだった。裏磐梯の五色沼というのも見てみたかったが致し方なし。

 

北海道には函館競バ場の他に札幌競バ場があり、北海道神宮が近いのはあちらだったが、北海道観光の足掛かりとして足を運ぶことになった函館の浜風と陽気は本州にはない神気を宿らせていた。まだまだ自然豊かの北海道の雄大な大地に誘うかのような気持ちの良い天気だった。

 

そして、時間跳躍でどこからでも一瞬で百尋ノ滝に帰還できるのを良いことに、函館競バ場のモデリングを終わらせた後は北海道の田舎に帰っていたスペシャルウィークのご実家にお邪魔することになり、凱旋門賞バ:モンジューを迎え撃った伝説の『ジャパンカップ』での赤備えの勝負服を生で見せてもらうのだった。

 

こうしてスペシャルウィークの実家からたくさんのお土産を受け取って、最後となる中京競バ場に時間跳躍して赴いて最後の視察をしたものの、すぐに飽きて三種の神器の1つ草薙剣を祀る熱田神宮に足を運んだのだった。

 

すると、御垣内参拝した時にまたもやとんでもない神示を受けることになり、本当にどうすればいいのか頭を抱えることになった。

 

 

――――――中京を結び目にして茅の輪くぐりをせよ。

 

 

茅の輪くぐりとは、夏越の大祓で多くの神社で執り行われる 人がくぐれる大きさの茅で結んだ輪を建てて八の字になるように三度くぐることで半年間たまった穢れを祓うことで年末までの向こう半年の幸福を願う儀式である。

 

最初に茅の輪をくぐって左回りして1回、次に茅の輪をくぐって右回りして2回、それで八の字を描いてから茅の輪をくぐって3回という具合である。

 

要は、中京/名古屋を結び目にして八の字になるように各地を練り歩いて茅の輪くぐりをして来いというのだが、そのコース設定は脳内に浮かび上がった次のようなものだった。

 

 

1周目(左回りコース):名古屋→米原→敦賀→京都→甲賀→鈴鹿→桑名→名古屋 ……琵琶湖周回コース

 

 

2周目(右回りコース):名古屋→恵那→諏訪→甲府→静岡→浜松→刈谷→名古屋 ……南アルプス周回コース

 

 

結果、熱田神宮参拝の翌朝、私の首に蛇が巻き付いたかのような感触がして非常に気分が悪くなる茅の輪が掛けられ、その茅の輪に掛けれられた縄の先に繋がっていたのが日本神話に見える八岐大蛇を彷彿させる巨大な蛇の怪物であり、山を背負うかのようなその重みで立っていられないほどだった。

 

そのまま床にめり込みそうな状態でどうやって茅の輪くぐりを遂行させるのかと悪態をついていたところ、呆れた表情でNINJA:斬馬 剣禅が見下ろしてくるだったのだ。転ばぬ先の杖である。

 

そんなわけで、事情を把握したNINJAと変身してバイクツーリングとなり、その道中に現れる妖怪を撫で斬りにして人々の業を茅の輪に溜め込んでいく苦行の旅が始まったのだった。

 

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 


 

 

6月22日(土):日英愛仏友好記念パーティー。その後、北アイルランド系テロ組織による学園襲撃を未然に防ぐ。

 

6月23日(日):『宝塚記念』でマンハッタンカフェ優勝により史上初の“春シニア三冠”達成。その後、北アイルランド系テロ組織による誘拐事件を未然に防ぐ。

 

6月24日(月):特別休暇。京都散策。来年の『宝塚記念』が京都競バ場で代替開催するほどの災厄が起きるという神託を受ける。

 

6月25日(火):福島競バ場に到着。その後、猪苗代湖の天鏡閣と土津神社に参詣する。

 

6月26日(水):函館競バ場に到着。その後、ウマ娘:スペシャルウィークの実家にお邪魔する。

 

6月27日(木):中京競バ場に到着。その後、熱田神宮に参詣すると、中京茅の輪くぐりの神示を受ける。

 

6月28日(金):中京茅の輪くぐり:1周目(左回りコース):名古屋→米原→敦賀→京都→甲賀→鈴鹿→桑名→名古屋 ……琵琶湖周回コース

 

6月29日(土):中京茅の輪くぐり:2周目(右回りコース):名古屋→恵那→諏訪→甲府→静岡→浜松→刈谷→名古屋 ……南アルプス周回コース

 

6月30日(日):担当ウマ娘:アグネスタキオン、メイクデビュー。福島・中京・函館で行われる『新バ戦(メイクデビュー)』を全て観戦することを神示される。

 

 


 

 

●2周目:06月28日/京都

 

 

シャーーーーー!

 

斎藤T「ああ、懐かしき京都! 我が京都よ! 数日ぶりに到着! で、少し休んですぐ出発!」ドサッ ――――――空き地に身を放り出すと同時に変身解除!

 

斎藤T「くそっ! オロチめ! 変身時間が回復するギリギリに丸呑みにしてこようとするんだから、容赦がないぜぇ!」ゼエゼエ

 

斎藤T「ああ、もう! こんなにも長くバイクに乗り続けることなんてまずないから、あちこちが痛い!」ゼエゼエ

 

斬馬 剣禅「時間跳躍能力を搭載した変身システムがあるとは言え、異なる時間の流れにいる俺たちが進める距離は自分たちの脚に左右されるから現実時間と何も変わらないからな」ピカーン! ――――――変身解除!

 

斬馬 剣禅「しかし、ここからが大変だぞ。今度は琵琶湖の南から甲賀市を抜けて鈴鹿に出なければならない」

 

斎藤T「それって忍者の里?」

 

斬馬 剣禅「そうだ。その南に位置するのが伊賀だ。つまり、滋賀県が甲賀忍で、三重県が伊賀忍だ」

 

斎藤T「そう言われると、結構近いから伊賀忍者と甲賀忍者は比べられるのか」

 

斬馬 剣禅「言っておくが、俺が所属しているのは聖徳太子に仕えていた大伴細人(おおとものほそひと)に代表される飛鳥時代の志能備(しのび)の流れを汲む由緒正しきNINJAだから一緒にされたくはない」

 

斎藤T「ああ、聖徳太子に仕えていた大伴細人(おおとものほそひと)ね……」

 

斬馬 剣禅「しかし、通常時に410km/hを叩き出すモンスターマシンでも動力源にガソリンを使うハイブリットエンジンなんだな」

 

斎藤T「いやいや、これでも去年から開発しているマイクロ波放電式イオンエンジンをようやくバイクで実現したものなんだから、完成度が高くなればスカラベエクステンダーはもっと速くなるぞ」

 

斎藤T「それに精度が高くなれば、地平線の彼方まで時間跳躍で一瞬で到達できるから、連続使用すれば世界1周もあっという間さ」

 

斎藤T「とは言え、公道を通って茅の輪くぐりを完成させなければならない以上、地平線の彼方まで跳躍することはできないから、410km/hの爆速を出せたところで停まった時間の中で障害物と化す先行車を追い越す手間は変わらないわけでねぇ……」

 

斬馬 剣禅「道が空いていれば410km/hで本当にあっという間なんだがなぁ」

 

 

アグネスタキオン’(スターディオン)「やあやあ。ここにいたねぇ」シュタ! ――――――時間跳躍!

 

 

アグネスタキオン’「ほら、これで水分補給をしておきな」

 

斎藤T「どうも」

 

斬馬 剣禅「感謝する」

 

アグネスタキオン’「これまた面倒なことになったもんだねぇ。あちこちに連れ回された挙げ句、喜んで行った昨日の熱田参拝で呪いをかけられるとはねぇ」

 

斎藤T「まあ、私だからこそできると見込んで茅の輪を首にかけてくださったのだと喜ぶしかないのだろう」ゴクゴク

 

斎藤T「これは門の形をした形代なんだ。夏越の大祓でくぐることで人々の半年の穢れを吸い取って、それをお焚き上げすることで地域の浄化を果たすものなんだ」ゴックン

 

アグネスタキオン’「つまり、茅の輪という穢れを吸い取る門そのものが穢れを吸い取るために自分から各地を回っているという状況なわけだね。ご苦労さま」

 

斎藤T「まあ、おかげで積もり積もった各地の穢れを一身に背負わされた重さでブラックアウトする寸前なんだけどね!」グッタリ・・・

 

斎藤T「ただ、チャリティーマラソンのように目に見えない世界の行く先々でその趣旨に賛同して応援してくださっているから、最初に名古屋を発った時よりもだいぶ楽になったけれどもねぇ」

 

斬馬 剣禅「それもそうだろう。ここまでに多賀大社や氣比神宮をはじめとする名社におわす皇国の神々が御照覧になっているのだろうからな」

 

斎藤T「……伊吹山の主や琵琶湖の神霊もいたような気がするな」

 

斎藤T「そうだった、明後日がいよいよ中京競バ場で私の担当ウマ娘がメイクデビューになるわけで様子はどうだった?」

 

アグネスタキオン’「まあ、大丈夫だろうね。圧勝するのは未来視を使わなくても目に見えているからね」

 

斬馬 剣禅「そうか。いよいよ“斎藤 展望”のトゥインクル・シリーズが始まるのか」

 

アグネスタキオン’「去年 配属されて早々に学外でウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の昏睡状態になって7月のシーズン後半から目覚めたわけだから、そういう意味ではちょうど1年になるわけだねぇ」

 

アグネスタキオン’「いろいろあったねぇ」

 

斎藤T「そうだなぁ」

 

斬馬 剣禅「そうだろうな」

 

アグネスタキオン’「そして、これからも決して退屈することがないように追い立てられるような日々に追われるんだねぇ!」

 

斎藤T「望むところだと言わせてもらおう」

 

 

――――――誰もが厭うことを率先して受け持つことが何よりも尊いのなら、誰にも理解されないまま“世界の敵”となって人々の業を背負って道を切り拓いていくよ。

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

斬馬 剣禅「誘うは黄金の神風! ゴールデンハインド!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 

シャーーーーー!

 

 

メイクデビューが間近なのに『宝塚記念』から学園に帰ることなく誰の理解も得られない旅は再開する。

 

いや、時間跳躍で一瞬で学園に姿を見せることなど容易いことなのだが、それをしてはならないような気がして、百尋ノ滝に戻るだけに留めていた。

 

というのも、今のトレセン学園に戻れば必ず“春シニア三冠”を達成したマンハッタンカフェを称える声と共に少しでもお近づきになりたい人間がひっきりなしに訪れててんてこ舞いになるだろうからだ。そういうお祝いムードに包まれているのが遠くからでも感じられる。

 

当然、所属しているクラブ:ESPRITやアオハルチーム<エンデバー>にも押しかけてくるだろうし、担当トレーナーである和田Tのところにも人が集まってくるだろう。

 

特に、和田Tは史上初の“春シニア三冠ウマ娘”を世に送り出した文句なしの超一流のトレーナーの地位と名声を得ることになったわけだが、元々 実力のあったスーパーシニア級のウマ娘と再契約して達成したものなので、これを他人の褌で相撲を取ったものだと口さがない連中は嫌味を言い続けることだろう。

 

和田Tは何かと目の敵にされやすい性質のため、“メジロ家の至宝”というG1勝利が約束された最強の長距離ウマ娘(ステイヤー)が無理な食事制限で『選抜レース』で実力を発揮できず、それで周囲の関心が薄れた隙に契約を済ませて念願のG1勝利を掴み取ったことでさえも嫉妬心を煽ることになったのだ。今回もそうならないわけがない。

 

なので、私はまたもや嫉妬の念に殺されそうになる和田Tに許婚のメジロマックイーンがいるメジロ家やメイクデビューに興味を持ったファインモーション姫殿下を頼るように指示を出していたのだ。

 

結果として、アイルランド王女たるファインモーション姫殿下が姉君:ピルサドスキーのようにターフの上を走りたいというウマ娘として当然の欲求を抑えようとしなくなったことから、今一番に注目を集めている名トレーナー:和田Tに聞き込みをするのは自然な流れであり、更には推しのエアシャカールが所属しているアオハルチーム<エンデバー>のチーフトレーナーでもあるのだから。

 

これにより、ファインモーション姫殿下の邪魔をしてはならないと下々が遠慮することになって、アイルランド王室が最大の防波堤となったことで和田Tの心の平穏は守られたのだった。その裏で糸を引いているはずの私はなぜか学園に帰らずに日本各地をめぐる苦難の道を歩ませられているのとは対照的に、許婚の嫉妬を一身に受けて一心同体(至福)しかけてもいたようだが。

 

そして、私にウマ娘の闘争本能を焚き付けられたファインモーション姫殿下は 案の定 アオハルチーム<エンデバー>に所属して、京都散策でラーメン屋めぐりした仲である推しのエアシャカールや友人のダイワスカーレットたちとの交流を更に深めることになった。

 

そのことで多少の苦言が焚き付けた張本人である私の許に届いていたのだが、私は誰に憚ることなく『全てのウマ娘が幸福になれる世界のため』と“皇帝”シンボリルドルフの願いを口にするとたちまちのうちに誰も言い返せなくなったのだ。

 

そこから畳み掛けるように法の下の平等を謳って『ファインモーション姫殿下をアイルランド王室の人間ではなく、ありのままのトレセン学園を体験するために留学してきた一生徒として平等に扱うこと』を主張したわけであり、それこそ偉い人に忖度するなら『アイルランド王女という正真正銘の偉い身分の人間にこそ忖度するべきだ』とも言い放つわけだ。

 

 

「優駿たちの頂点に立つために日々一生懸命に励んでいる生徒たちを冷やかすような存在は極めて害悪なので、即刻退学させるか ふさわしい転校先を紹介するなりしてください」

 

 

なので、『宝塚記念』から1週間の“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェを称えるお祭り騒ぎは私に焚き付けられたファインモーション姫殿下のターフへの乱入によって爆風消火させられたのだった。

 

そして、この私は今をときめくアオハルチーム<エンデバー>とアイルランド王室の陰で糸を引く黒衣の宰相というわけであり、エクリプス・フロントの支配者としての地位と権力を不動のものとしたのだ。

 

そんなトレセン学園で絶対の存在にまで上り詰めた私が居城であるエクリプス・フロントで踏ん反り返るどころか、人々の業を祓うために人知れず中京を結び目にして茅の輪くぐりをさせられているだなんて、誰が想像つくだろうか。

 

しかし、こうして『宝塚記念』から日本各地を実際に訪ねて回る日々を送る中で、段々とわかってきたことがあった。

 

 

シャーーーーー!

 

斎藤T「ああ、桑名! 桑名! あともう少しで名古屋ぁあああああ!」ドサッ ――――――空き地に身を放り出すと同時に変身解除!

 

斎藤T「覚えていろよ、オロチめ! これが終わったら絶対に腹の中に焼け石を詰めて転がしてやる!」ゼエゼエ

 

斎藤T「ああ、早く名古屋に着いて別府の別荘で温泉に浸かりたい……、あちこちが痛いよぉ……」ゼエゼエ

 

斬馬 剣禅「別府に別荘なんて買っていたのか? 初耳だぞ?」ピカーン! ――――――変身解除!

 

斎藤T「当然。それもこれも『温泉郷に別荘を買え』って神託が降りたことだし、同時にそこが九州における活動拠点になったというわけ」

 

斎藤T「それで、ウマ娘レースで有効な泉質を調査したら『別府温泉郷が一番いいらしい』という結論に至ったわけで、源泉を引いてある別荘から温泉水を直接持ってきているから化粧水がいらないぐらいだ」

 

斎藤T「まあ、日本各地の温泉の調査のために草津や熱海、有馬といった有名所には 全部 行かせているから、実際には選び放題でその日の気分次第かな」

 

 

斎藤T「で、ここまで来て どうして皇国の神々が『宝塚記念』から1週間のうちに日本各地を訪ねて回るように仕向けていたのかがわかってきた」

 

 

斬馬 剣禅「ほう、それは何だ?」

 

斎藤T「夏越の大祓のために中京茅の輪くぐりをさせるだけなら、そもそも関係ない福島と函館に行かせる必要なんかないだろう?」

 

斬馬 剣禅「それはたしかに」

 

斎藤T「けど、一緒に見てきただろう」

 

 

――――――マンハッタンカフェの史上初の“春シニア三冠”達成に沸き立つ日本中の人たちの姿が。

 

 

斎藤T「本来の目的の競バ場から離れて猪苗代湖や北海道の奥地にまで行った時、辺鄙な場所であってもマンハッタンカフェの偉業を称える声が聞こえてきた」

 

斎藤T「そして、まだ茅の輪くぐりの1周目だけれども琵琶湖周回コースの行く先々でもだ」

 

斎藤T「東京の暮らしでは想像がつかないような辺鄙な場所で暮らしている人たちにも活躍が伝わる――――――、」

 

斎藤T「それが中央競バ『トゥインクル・シリーズ』が国民的スポーツ・エンターテイメントってことの意味なんだろうなって」

 

斎藤T「でも、あんまり知らないんだろうな、その夢の舞台で働く人たちは。むしろ、日本一を名乗っておきながら日本のことを実際にはよく知らない」

 

斬馬 剣禅「百聞は一見にしかず、知っていても想像がつかないだろうな、それは」

 

斎藤T「日本は広い。こうして410km/hのマイクロ波放電式イオンエンジンのバイクを爆走させても1周するだけでも何時間も掛かって身体のあちこちが痛くなるぐらいに」

 

 

斎藤T「だから、この神国日本 すなわち 細戈千足国(くわしほこちたるのくに)の ありとあらゆるものと引き合わせて 戦える用意をしてくれていることが段々とわかってきた」

 

 

斎藤T「なあ? 絶望の未来を変えるほどのタイムパラドックスをウマ娘レースで引き起こすとしたら、史上初の“春シニア三冠”達成程度じゃ予測の範疇だよな?」

 

斬馬 剣禅「そうだな。旨味が少ない新設の“三冠”とは言え、いつかは達成されるもののはずだ」

 

斎藤T「だとすると、私の担当ウマ娘が歩む未来を変えるほどの『トゥインクル・シリーズ』のローテーションが余人に想像がつくようなものになると思うか?」

 

斬馬 剣禅「…………ならないだろうな。来年の『宝塚記念』が京都競バ場で代替開催されるように」

 

斎藤T「そう、未来はどうなるか本当にわからない」

 

斎藤T「けれども、皇国の神々は常に必要なものを必要な時に必要なだけ用意してくださっているという確信があるからこそ、私は恐れず千里の道の一歩を踏み出せる」

 

 

斎藤T「だから、ありがとう、斬馬 剣禅。ここまで着いてきてくれて」

 

 

斬馬 剣禅「……それが“斎藤 展望”に必要なことだと判断したまでのことだ」

 

斬馬 剣禅「……まあ、むしろ、よくやっている方だと思う。礼を言うのはこちらの方だ。皇祖皇霊の導きがあるとは言え、これほどまでの難行苦行に音を上げないのは驚嘆に値する」

 

斬馬 剣禅「ならば、勝ち取る他あるまい。ここまで導きを受けて皇祖皇霊の御心を成就できずに果てるのは忍びない」

 

斬馬 剣禅「さあ、あともう少しだ。もう少しで1周目が終わる。それで名古屋コーチンでも食べよう。それから温泉に浸かって明日の英気を養うといい」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

斬馬 剣禅「誘うは黄金の神風! ゴールデンハインド!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 

シャーーーーー!

 

 

 

 

●2周目:06月29日/甲府

 

 

シャーーーーー!

 

斎藤T「フッジサーン!」ドサッ ――――――空き地に身を放り出すと同時に変身解除!

 

斎藤T「ふふふふ、オロチめ! いよいよ2周目の折り返し地点だぞ! これが終わったら覚悟しておけ!」ゼエゼエ

 

斎藤T「さすがに南アルプス周回は交通量が少ないから思う存分にスカラベエクステンダーでぶっちぎることができたけど、いやはや ホントに しんどい……」ゼエゼエ

 

斬馬 剣禅「ここが甲府か。初めてきたな。富士山がこうも近くに見えるか」ピカーン! ――――――変身解除!

 

斬馬 剣禅「ここもある意味においては忍者の里で、歴史的には甲斐の武田信玄が諜報戦を重視して歩き巫女:望月千代女らを情報収集に使ったという俗説が有名だな」

 

斎藤T「ああ、『女』という漢字を分解して“くノ一”と呼ばせるアレね」

 

斬馬 剣禅「まあ、古今東西、組織の間者じゃなくても美人計や美人局は鉄板だからな。閨の女の方が生まれながらにして間諜に向いているか」

 

 

アグネスタキオン’(スターディオン)「やあやあ。ここにいたねぇ」バサッ! ――――――初めての場所なので空から空間跳躍!

 

 

アグネスタキオン’「さあ、折り返し地点だ。()()()()()()()もみんなも名古屋で待っているぞ」スッ

 

斎藤T「ああ」ゴクゴク

 

斬馬 剣禅「だが、それはゴールではない。スタートラインに立っただけだ。気を抜くな」

 

斬馬 剣禅「言わば、全てを始める前の心機一転の禊祓いということだな」

 

斬馬 剣禅「そう思うと、今は黄泉比良坂から命からがら逃げ帰るイザナギの禊祓いみたいなことなのかもしれないな」

 

斎藤T「ああ」ゴクゴク

 

 

美髪美白のウマ娘「さあ、立って。みんなが待っているよ」

 

 

斎藤T「よし!」スクッ

 

斬馬 剣禅「なに?!」

 

アグネスタキオン’「ん? きみ、一人で立てるようになったのかい?」

 

斎藤T「この身で一人で立っているわけじゃない」

 

斎藤T「――――――宝とは『他/田/手から』。――――――力とは『地/血/智から』」

 

斎藤T「そう、天岩戸開きでアマテラスの手を取ったタヂカラオとはまさに“田力男(田力田力)”というわけだ」

 

斎藤T「この手が掴み取るのは岩戸に隠れた明るい未来――――――!」

 

斬馬 剣禅「そうか。ならば、休憩は終わりだ。掴みに行くぞ」

 

アグネスタキオン’「それじゃ、先に行って待っているからね」クククッ

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

斬馬 剣禅「誘うは黄金の神風! ゴールデンハインド!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Actaeon-beetle!

 

 

シャーーーーー!

 

 

中央茅の輪くぐりの2周目:南アルプス周回コースの折り返し地点となる甲府に到着すると、空からアグネスタキオン’(スターディオン)が飛んできた。初めての甲府でも未来視でどこで私が寝転がっているかがわかっているので迷いなくやってこれたようだ。

 

そうして南アルプスと富士山に挟まれた甲府盆地に吹き降ろす山風と陽射しを体いっぱいに浴びながら、ここから東海道へと出た時のここまでと打って変わる交通量を考えていると、南アルプスや富士山の清浄な気が再び立ち上がる活力を与えてくれた。

 

その時、私の手を掴んで立ち上がらせてくれたのが夢殿でアングロアラブ八極拳を伝授した美髪美白のウマ娘の力強い温かな手だった。

 

これまで聖甲虫(スカラベ)を介して神霊の力を借りる“聖騎士(St.Rider)”に変身しないと立ち上がれないほどの人々の業の重みだったのに、疲れなど全て吹き飛んだかのように身体が軽やかになっていた。

 

そして、日本神話の天岩戸開きにおいて八咫鏡に映った自分以上に尊い神とは誰かを見ようと岩戸から身を乗り出したアマテラスをすかさず外に連れ出して世に光を取り戻したタヂカラオのようであれと受け取った。

 

けれども、岩戸開きでのタヂカラオの活躍は作戦の最終段階の最後の一押しに過ぎず、その状況に持ち込むまでの用意周到な準備がたくさんの人たちの協力と叡智によってなされていることを忘れてはならない。

 

それは日常となって見慣れた夢の舞台の小さな箱庭世界では想像し得ないものであり、夢の舞台と現実世界は不即不離であることを今回の中京茅の輪くぐりのバイクツーリングを通じて教えこんでいるかのようだった。

 

 

 

――――――新世界なんて来ない。ただ今まで通りの世界が続くだけ。

 

 

 

ブゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウン!

 

 

マンハッタンカフェ「みなさん、来ましたよ!」

 

和田T「おお!」

 

メジロマックイーン「みな首を長くしてお待ちしておりましたわ」

 

ゴールドシップ「待っていたぜ、モッチー!」

 

陽那「兄上えええええ!」

 

斎藤T「おまたせ」

 

アグネスタキオン’「やあやあ、中京茅の輪くぐり、完走おめでとう。おっと、正確には明日の『メイクデビュー中京』に顔を出して三度だから、まだ終わったわけじゃないか」クククッ

 

岡田T「そうですな。これから始まるわけですからな」

 

トウカイテイオー「うんうん。なんか懐かしくなるな。ボクも中京競バ場(ここ)でメイクデビューだったしね」

 

ソラシンボリ「いよいよ明日から“アグネス家の最高傑作”のお披露目なんだね」

 

スカーレットリボン「楽しみですね。これからどんなレースが展開されていくのでしょうか」

 

 

ウオッカ「カッケーーーッッ! なんだ、アレ! スゴいバイクだな!」

 

甘粕T「そうだな。一度乗せてもらいたいな。中京茅の輪くぐりと題して琵琶湖と南アルプスをぐるっと1周してきたんだから、それよりもっとデッカイことをしてやりたいな」

 

ダイワスカーレット「そうよね! タキオンさんのトレーナーなんだから、それぐらいスゴいことができて当然よね!」

 

アストンマーチャン「……誰よりも眩しいです」

 

エアシャカール「おいおい、担当ウマ娘のメイクデビューだってのに『宝塚記念』から学園に帰ってないとか、普通に考えてとんでもないやつだろうがよ」

 

望月T「けれど、常識や定石では考えれないようなことが起こり続けるのがこの世の中なのだからねぇ。だから、おもしろい」

 

マーメイドパール「姫殿下の心に火を点けた責任を取ってもらわないといけませんよね。おかげで予定にないメイクデビューの観戦が入ってきたんですから」

 

 

 

キングヘイロー「新時代最初の1年ですでにいろんなことがあったけれど、これからメイクデビューのアグネスタキオンとそのトレーナーは世代の中心として要チェックよね、義姉様?」

 

神城姉「そうね。同世代になる子たちがかわいそうになるぐらいにね」

 

神城T「いや、それぐらいで夢をあきらめるぐらいなら、夢の舞台なんてできあがらないさ、姉さん」

 

 

 

ミホノブルボン「マスター。いよいよ明日、斎藤Tとアグネスタキオンのメイクデビューになります」

 

ライスシャワー「うん。タキオンさんのこと、応援しなくちゃね」

 

ハッピーミーク「フレー、フレー、フレー」

 

桐生院T「斎藤Tからは先輩後輩の関係以上にたくさんのものをいただきました」

 

飯守T「ああ、俺もだぜ。いっぱい助けてもらったからな。そのお返しをしないと」

 

才羽T「――――――今の世界を変えるためには“世界の敵”にならざるを得ない。世界と向き合える力が必要なんだ」

 

 

 

黒川秘書「いよいよ明日がアグネスタキオンの『メイクデビュー中京』になります」

 

樫本代理「そうですね。私たちの計画で一番の脅威となりますが、正々堂々と戦って勝って『管理教育プログラム』の有用性を認めさせるのには絶好の相手でもあるのです」

 

黒川秘書「勝ちましょう。全てのウマ娘が幸福の世界のために」

 

樫本代理「はい。二度とあんな悲劇が繰り返されないようにするためにも」

 

 

 

友野T「まだまだ! トラックもう1周よ! こんなものじゃないわよ、樫本代理が見込んだあなたたちの走りは!」

 

リトルココン「はいッ!」

 

ビターグラッセ「できるッ! やれるッ! ド根性~!」

 

 

 

サトノダイヤモンド「――――――まだまだ! まだやれます!」

 

瀬川T「ダメだよ。これ以上は」

 

サトノダイヤモンド「は、放してください!」

 

キタサンブラック「そうだよ、ダイヤちゃん! メイクデビューまで何日もあるし、焦って身体を壊したら元も子もないよ!」

 

目久美T「いや、これでいいと思う。先輩方のアドバイスで勝利への執念となる闘争心を育てていかないとだから。もう少しだけ無理をしてもいい」

 

キタサンブラック「……トレーナー!?」

 

目久美T「大丈夫。もう少しだけ信じてやれないか」

 

瀬川T「簡単に言ってくれますね……」

 

瀬川T「じゃあ、もう1回だけ。もう1回だけだ。それで今日はおしまいだよ」

 

サトノダイヤモンド「はい!」

 

キタサンブラック「……ダイヤちゃん」

 

 

 

ナリタブライアン「姉貴、明日はいよいよアグネスタキオンのメイクデビューなんだが」

 

ビワハヤヒデ「ああ、聞いている。だが、その結果は聞くまでもないだろうさ」

 

ナリタブライアン「そうだな。4年間も待ち続けてようやく掴み取ったのがあの新人トレーナーなんだ。万が一にも負けるだなんて想像がつかないな」

 

ビワハヤヒデ「ああ。いったいどれほどの伝説を築き上げることになるのだろうな」

 

ビワハヤヒデ「それより、今は他人のことよりも自分のことだ」

 

ビワハヤヒデ「しっかりと『ドリームトロフィーリーグ』で成績を残さないとだからな」

 

ナリタブライアン「ああ。『ドリーム・シリーズ』に先代やみんなが快く送り出してくれたんだ。その期待には応えないとな」

 

 

 

シンボリグレイス「――――――いよいよですか」

 

シリウスシンボリ「ああ。いよいよ“アグネス家の最高傑作”が『トゥインクル・シリーズ』に出走だ」

 

シンボリグレイス「同期のマンハッタンカフェが 先日 成し遂げた“春シニア三冠”達成を遥かに超える前人未到の“クラシック八冠ウマ娘”への挑戦がついに始まるわけですね」

 

シリウスシンボリ「ああ。“春シニア三冠”など比べるまでもない完全なる不可能への挑戦というわけだが、その不可能を可能にするのが――――――」

 

シンボリグレイス「――――――担当トレーナーである“斎藤 展望”の手腕というわけですね」

 

シンボリグレイス「ですが、その不可能を実現する奇跡のためには『トゥインクル・シリーズ』やウマ娘レースの在り方を根底から覆すしかあり得ないです」

 

シリウスシンボリ「……どうなんだろうな? あの“門外漢”の新人トレーナーが本気で“クラシック八冠ウマ娘”なんて目標を実現しようとするなら、これまでの育成論やノウハウが一切通用しないようなやり方をするのは間違いないよな?」

 

シンボリグレイス「ええ。ESPRITの主宰としてトレセン学園を自身の新発明を売り込む市場にする稀代の発明家ですから、おそらくは世界最新鋭のトレーニング環境を謳う日本トレセン学園の設備環境を一手に担う存在になることでしょう。いや、すでにもうなっています」

 

シンボリグレイス「だから、怖いのですよ」

 

シンボリグレイス「おそらく“門外漢”だからこそ、あの新人トレーナーは暗黒期だの黄金期だのトレセン学園が抱えるしがらみに一切縛られないわけで、ある意味において()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――――――」

 

シンボリグレイス「担当ウマ娘が願うのなら、たった一人のその願いを叶えるために、夢の舞台の有り様を独りで変えてしまうほどの力を持っているように思えるのです」

 

シリウスシンボリ「――――――『もっとも()()にウマ娘ファーストを追求する』じゃなく、『もっとも()()にウマ娘ファーストを追求する』か。言い得て妙だな」

 

シンボリグレイス「そんな存在に『シンボリ家が全力で支援する』という裏取引をしてしまった将来の不安と後悔が募っているのです、今」

 

シリウスシンボリ「まあ、あの時は完全に“門外漢”に圧倒されてまともな思考で取引ができなかったわけだからな。元から『名家』でも手に負える存在じゃなかったのさ」

 

シリウスシンボリ「だったら、もう賽は投げられたんだから、あとのことは成るように成ることを祈るだけだろう。今も昔もな」

 

シンボリグレイス「そうですね。私も老いました」

 

シリウスシンボリ「おいおい、人生五十年も生きていないのに何だよ」

 

シンボリグレイス「いえ、あの頃はとにかく私たちが望む未来を掴み取るために無限の可能性を信じて体制側に立ち向かっていたはずなのに、」

 

シンボリグレイス「今は自分たちが掴み取った現在を壊されることを恐れて自分の想像を超える出来事を歓迎できなくなった自分になっていたことに気付かされたのです」

 

シンボリグレイス「要は、()()()()()()()()()()わけですよ、人間的に」

 

シリウスシンボリ「……だったら、若返ればいいだろう!」

 

シンボリグレイス「……そうですね。今はどれだけのことが実現していくのかを楽しみにしましょう」

 

シリウスシンボリ「お、ソラからのメッセージか。みんなで名古屋に泊まり込みでアグネスタキオンのメイクデビューを見届けようって話だったが――――――」ピピッ

 

シリウスシンボリ「おいおい! 1週間後に『新バ戦(メイクデビュー)』があるってのに『宝塚記念』から学園に帰らず、担当トレーナーが中京茅の輪くぐりなんてしているって、何だこりゃ! 相変わらず余裕だな、あの新人トレーナーはよ!」ハハハ!

 

シンボリグレイス「は、はあ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンボリルドルフ「さあ、時は来た! 可能性を導き出せ、アグネスタキオン!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アグネスタキオン「ああ、見せてやるよ! お待ちかねの新時代をね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虹の彼方の者(rainbow chaser)「さあ、希望に満ちた新時代の幕開けだ――――――」

 

 

*1
正確には所在は名古屋市ではなく豊明市である。



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第三次決戦Ⅳ 音より速く、光さえ超えて、雷鳴のメイクデビュー -超光速のプリンセスの初陣-

 

――――――目標:6月30日の夏越の大祓を完遂せよ!

 

 

20XY年、『URAファイナルズ』の成功でもって黄金期の次の新時代を迎えようとしている中、憧れの夢の舞台である 国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』に挑もうとする まだ見ぬスターウマ娘にとって ある大きな重要な変化がもたらされようとしていた。

 

実は、ウマ娘たちにとって夢に向かう第一歩となる大事な開幕戦『新バ戦(メイクデビュー)』なのだが、URAが将来的に2年目:クラシック級による『新バ戦(メイクデビュー)』を廃止する方向で検討していることが明らかとなったのだ。

 

要は、『新バ戦(メイクデビュー)』の名の通りに出走資格を1年目:ジュニア級のみに限定することにしたわけなのだが、

 

これは二人三脚を始めた担当ウマ娘と担当トレーナーが十分に力を蓄えてから『トゥインクル・シリーズ』の晴れの舞台である2年目:クラシック級からの出走をしたいがために年明けの『新バ戦(メイクデビュー)』に人気が集中していたことに起因していた。

 

あるいは『選抜レース』などで自身の能力を示してトレーナーとの二人三脚を組むことができて周囲から羨ましがられてもメイクデビューの踏ん切りがつかずに先送りにする小心者がいかに多いことか――――――、

 

もしくはURA主催の中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の興行は土日開催が基本であり、『新バ戦(メイクデビュー)』も例外なく毎週土日に複数の競バ場で同時開催されているのだが、それぞれの場所で大抵は1日に2回の開催である――――――。

 

ただし、年中ではない。クラシック路線で言うなら『日本ダービー』以降の6月頃から始まり、『弥生賞』が始まるまでの翌年の2月頃までに開催される限定的なものであり、

 

更に、毎週土日に複数の競バ場で1日に2回は『新バ戦(メイクデビュー)』はあるとは言っても、華々しく初戦を勝つために勝てる条件がもっとも揃った場所で戦って勝ちたいと誰もが思うことだろうが、

 

新バ戦(メイクデビュー)』もURA主催の中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の興行の1つなのだから、出走者数には必ず規定に沿った上限があり、最大でもフルゲート:18人が『新バ戦(メイクデビュー)』に出走できる限界なのだ。

 

つまり、自分の望み通りの『トゥインクル・シリーズ』の王道路線を華々しく駆け抜けようとしても、そもそもとして夢への最初の一歩である『新バ戦(メイクデビュー)』に希望通りの条件でフルゲートの最大:18人のうちに入って出走できるかどうかだけでも大いに荒れるわけであり、

 

当然ながら王道路線である“クラシック三冠ウマ娘”を目指すウマ娘やトレーナーが最大多数であるのだから、東京競バ場や中山競バ場でクラシック三冠路線に沿った条件の『新バ戦(メイクデビュー)』には出走登録申請が殺到するのは言うまでもなく、それだけに除外ラッシュで『新バ戦(メイクデビュー)』の機会を逸するウマ娘も数知れず――――――。

 

となれば、黄金期で総生徒数2000名弱を記録して新時代を迎えて2200名弱にまでトレセン学園での競技人口が膨れ上がれば、これからますます自分の希望通りの『新バ戦(メイクデビュー)』ができずに除外ラッシュで途方に暮れるウマ娘が続出するわけなのだ。

 

そのため、新年を迎えての『新バ戦(メイクデビュー)』の登録者数が膨れ上がり、いよいよ夢の舞台に勝負を仕掛けにいこうとした矢先に 除外ラッシュでそもそもメイクデビューできない不幸なウマ娘がますます生まれることになるのだ。

 

それだけじゃない。黄金期を迎えて その集大成となる『URAファイナルズ』が1月から3月まで開催されることで何が起きたかと言えば、『URAファイナルズ』優勝に向けてオフシーズンであったはずの多くのウマ娘が冬季に学園のトレーニング設備の利用申請の末に奪い合いが発生し、その煽りを受けて冬季のレースの調整や入学試験などなど各方面で支障を来たすことになったのだ。

 

当然、年明けの冬季の2年目:クラシック級『新バ戦(メイクデビュー)』も大いに荒れており、次回の『URAファイナルズ』開催の大きな反省点となっていた。

 

そのため、『トゥインクル・シリーズ』の最高潮が2年目:クラシック級ということであまり世間からの注目度が低い1年目:ジュニア級の興行を盛り上げながら、『新バ戦(メイクデビュー)』の時期も含めてしっかりと戦略を練って早めに狙いを定めてローテーションを組ませるルール作りが模索されることになったのだ。

 

ただ、これまでの傾向としてトレセン学園に入学したばかりの中等部1年生がメイクデビューを果たして“エリートウマ娘”の誉を受ける代わりにメイクデビューを急ぐばかりに知識や地力を付ける前に勢いだけで『トゥインクル・シリーズ』に突撃しては玉砕して、そのまま引退即退学という教育現場としては大変よろしくない事態も招いており、

 

このため、“エリートウマ娘”の誉を捨てて十分な準備期間を経てから『新バ戦(メイクデビュー)』に臨んで欲しいという学園の要望を明確化する意味でも、『新バ戦(メイクデビュー)』の名の通りに出走資格を1年目:ジュニア級のみに限定することになったわけである。

 

新入生には どれだけ早熟の天才であろうとも まずは『選抜レース』でトレーナーのスカウトを勝ち取り、そこから逸る気持ちをグッとこらえて知識と地力を付けてから、翌年の中等部2年の6月から12月のうちに『新バ戦(メイクデビュー)』に余裕を持って出走して欲しいとURAは考えていたのだ。*1

 

そうすると、トレーナーのスカウトをすぐに勝ち取って年内にメイクデビューを果たそうとする新入生“エリートウマ娘”になれるのは、自身が出走する『新バ戦(メイクデビュー)』をいつどこでするのかを逸早く明確にした実力のある真の天才たちに限られるというわけなのだ。

 

 

当然、今日の『メイクデビュー中京』では通なウマ娘レースファンの間では一番の注目の的となっていた。理由は言うまでもないだろう。

 

 

はっきり言って、“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンのことを少しでも知っている人間からすれば、今回の『メイクデビュー中京』はアグネスタキオンの大勝になることは火を見るよりも明らかだった。

 

まだ『新バ戦(メイクデビュー)』の出走資格がジュニア級に限定される前で例年通りの出走登録の傾向なのだから、人気の東京競バ場や中山競バ場でメイクデビューしたいと大多数が欲張っている中、

 

中高一貫校の6年間の半分以上;4年間の沈黙を破って満を持してターフの上に現れたアグネスタキオンが選んだ舞台というのが中京競バ場だということに彼女を知る者たちはそれがなぜなのか驚きを隠せずにいられなかった。

 

しかし、書類上の担当トレーナーは“斎藤 展望”だが、実際に指導しているのはサブトレーナーに引き込んだ“不滅の帝王”トウカイテイオーの担当トレーナー:岡田Tという地方上がりの超有能トレーナーであり、

 

『日本ダービー』を見据えて東京競馬バ場と同じ左回りを経験させるのと『新バ戦(メイクデビュー)』で強豪たちと最初からやり合うのを避けるために、かつてトウカイテイオーを中京競バ場にてメイクデビューさせているのだから、この選択に躊躇いはなかったのだ。

 

それ以上に、東京競バ場でもなく、京都競バ場でもなく、その間の中京競バ場というクラシック路線では見向きもされない場所からウマ娘の可能性の“果て”を目指すことが大事だったのだ。

 

つまり、これは実質的な指導者である岡田Tにとっては愛バ:トウカイテイオーでは果たせなかった夢である“無敗の三冠バ”の再挑戦でもあり、

 

私にとっては中京茅の輪くぐりによって関東と関西の業を集めて背負って中京競バ場に入場したことで歴史の転換点を創り出すための禊祓いを果たす大事な儀式でもあった。

 

 

最初から“不滅の帝王”トウカイテイオーの全盛期に一歩だけ劣る程度の能力を“本格化”を抑えながらの4年間の忍耐で得たアグネスタキオンに勝てる同世代のウマ娘はまずいないし、これから更に“本格化”を果たすのだから、スタートラインが何もかもが違いすぎるのだから、普通に考えて“無敗の三冠”など容易いことだろう。

 

 

そう、それを阻む最大の敵はスターティングゲートの隣には絶対にいない。絶望の未来を変えるためのタイムパラドックスを引き起こすために必要な試練とはレースが始まる前に決着となる。

 

つまり、私が観客席に現れた時点で勝敗は決まっているのだ。他のトレーナーたちも自分の担当ウマ娘の勝利を信じて勝負の舞台に送り出して観客席にいるのだから、それ自体は何の変哲もないことだ。

 

ただ、絶望の未来に繋がる因果を断ち切って更なる繁栄の時代を迎えるために必要な業祓いの苦労は生半可なものではなく、中京茅の輪くぐりの1周目と2周目を完遂して三度目の茅の輪くぐりとなる中京競バ場の観客席に辿り着くまでが更なる難行苦行だったのだ――――――。

 

 

5R『メイクデビュー函館』12:15発走、5R『メイクデビュー福島』12:35発走、6R『メイクデビュー中京』12:55発走――――――、時間にして40分間;それが私が中京競バ場の観客席に戻るまでの出来事だった。

 

 


 

 

●2周目:06月30日/中京競バ場

 

 

斎藤T「許さんぞ、下衆共が。ここをどこと心得る」

 

斎藤T「旧高松宮家から優勝杯が下賜された誉高い『高松宮記念(中京大賞典)』の開催地を穢そうなど、天に代わって“斎藤 展望”が成敗してくれる!」

 

マンハッタンカフェ「……知っていますか、斎藤T?」

 

マンハッタンカフェ「この中京競バ場は古戦場の近くにあるために“桶狭間”と呼ばれている場所でもあるんです」

 

斎藤T「――――――“戦国の覇者”織田信長の天下布武の始まりの地」

 

マンハッタンカフェ「まさに斎藤Tとタキオンさんが目指すウマ娘の可能性の出発点としてはうってつけの場所ですよね」

 

マンハッタンカフェ「そう言っていたら、雨が降りそうな天気ですね」

 

 

――――――天、我に味方せり。

 

 

斎藤T「なら、雨天の奇襲で大いに破られる今川義元の本隊はどこだい?」

 

マンハッタンカフェ「あの辺りから邪悪な気配を感じますね」

 

斎藤T「ありがとう。ここからは私の仕事だ。下がってくれ」

 

マンハッタンカフェ「……嫌です」

 

斎藤T「……どうした? できることなんてないんだから、早く観客席に帰りなさい」

 

マンハッタンカフェ「でも! こんなにも辛い役目を背負わされているのに、私たちには何もできないなんて……!」

 

斎藤T「いいんだ。これが私が選んだ道;何もしないで破滅を受け入れるよりも運命に抗ってこの身で受けた痛みの方が気持ちがいいんだ」

 

マンハッタンカフェ「………………」

 

斎藤T「さて、中京・福島・函館の3つの競バ場の全てを見て回ってようやく見つけた脅威がいかほどのものか……」

 

マンハッタンカフェ「斎藤T! なら、私にも聖甲虫(スカラベ)を使わせてください!」

 

斎藤T「……史上初の“春シニア三冠”達成を機に『トゥインクル・シリーズ』を卒業して戦いに身を投じる覚悟があるのなら考えなくもない」

 

マンハッタンカフェ「それは……」

 

斎藤T「無理だろう? 次は“秋シニア三冠”を目指して、史上最強の“春秋シニア六冠ウマ娘”になろうと心に決めたばかりなんだからさ?」

 

 

――――――終わったと思った『トゥインクル・シリーズ』でもっとやりたいことが見つかったんだから!

 

 

マンハッタンカフェ「だとしても! タキオンさんにはあなたが必要なんです!」

 

斎藤T「………………」

 

マンハッタンカフェ「あなたがタキオンさんを薄暗い部屋から連れ出したんですよ? タキオンさんにとって あなたはかけがえのない人なんですから、最後まで責任をとってくださいよ!」

 

マンハッタンカフェ「あなたが責任を取ってくれるから、みんなが安心してタキオンさんのことを応援できるんです!」

 

 

マンハッタンカフェ「本当は誰だってタキオンさんのことを応援したいんですよ!」

 

 

マンハッタンカフェ「悔しいですけど、私も見てみたいんです! タキオンさんほどのウマ娘ならいったいどれだけのことができるのかを! タキオンさんが斎藤Tに支えられて実現させるウマ娘の可能性の“果て”というものを!」

 

マンハッタンカフェ「それに、あなたが私と和田Tを引き合わせて、“お友だち”の背中を追い続ける道を示してくださったのですから、一方的に与えられる立場の人間の気持ちも考えてくださいよ!」

 

斎藤T「……そう言われると辛いなぁ」

 

斎藤T「けど、相手がウマ娘以上の脅威であるからには手を借りる訳にはいかない」

 

斎藤T「これは大人がやるべきことなんだ」

 

マンハッタンカフェ「ズルいです! 卑怯です! そうやってあなたはご自分の担当ウマ娘のタキオンさんのことも遠ざけるんですか!」

 

 

ゴールドシップ「なら、その想いを祈りにして力に変えたらどうだ?」

 

 

ゴールドシップ「よう! もうすぐ担当ウマ娘のメイクデビューだってのに、2人でこんなところで何しているんだぁ? 担当に隠れて まさか逢引かぁ?」

 

マンハッタンカフェ「……ゴールドシップさん?」

 

斎藤T「……力を貸してくれるのか、女神ゴルーシア?」

 

ゴールドシップ「この前さ、チーム<エンデバー>のみんなで中野に行ったよな? 楽しかったよな、いろんなものがあってさ?」

 

マンハッタンカフェ「……ええ、“サブカルチャーの聖地”中野ブロードウェイ。非常に興味深い場所でしたし、いい買い物ができましたが、それが何か?」

 

斎藤T「ああ、憶えているよ、MANDARAKE(曼陀羅華)だな」*2

 

斎藤T「あそこで聖甲虫(スカラベ)の原型になる虫相撲の玩具を大量に買ってきたわけだが、」

 

斎藤T「他にも、参考になるものとして特撮作品のコレクターズショップで皇国の神々によく見ておくように言われたものがいろいろあったな」

 

 

ゴールドシップ「そこで質問なんだが、あんたはなるとしたら“ウルトラマン”と“仮面ライダー”のどっちになりたい?」

 

 

斎藤T「そんなの、どっちにもなりたいが? 等身大ヒーローと巨大ヒーローとじゃ活躍する場所がちがうんだから、両立させられるのなら、どっちにもなりたいが?」

 

斎藤T「そして、私はすでに“聖闘士(Saint)”で“仮面ライダー(騎士)”の“聖騎士(St.Rider)”だぞ」

 

ゴールドシップ「そうだな。あんたなら 冷静にそう答えるだろうさ」

 

ゴールドシップ「なら、カフェはどうだ? 斎藤Tは“ウルトラマン”と“仮面ライダー”、どっちに変身してもらいたい?」

 

マンハッタンカフェ「え、私ですか? なんで私が……?」

 

ゴールドシップ「ほらほら。あたしらスターウマ娘も 一般人からしてみれば ほとんどテレビの向こう側の存在なんだし、“ウルトラマン”や“仮面ライダー”とそう変わらねえだろう?」

 

ゴールドシップ「だったら、同じテレビの向こう側の存在の“ウルトラマン”や“仮面ライダー”があたしらの側にいても何もおかしくないだろう?」

 

マンハッタンカフェ「……じゃあ、“ウルトラマン”でお願いします」

 

ゴールドシップ「はい、決まり! これから斎藤Tは今から“ウルトラマン”になってもらうからよろしく!」

 

斎藤T「いや、私はすでに“聖騎士(St.Rider)”――――――」

 

ゴールドシップ「だまらっしゃい! 深夜特撮の“黄金騎士”をパクったって人気はイマイチだっての!」

 

ゴールドシップ「というわけで、はい!」

 

 

――――――パンパカパーン! ()()()()()()()ぁ! それと()()()()()()のセットだぞぉ!

 

 

ゴールドシップ「残念ながら、こっちの()()()()()()()()()()()()()()のセットはボッシュート!」

 

マンハッタンカフェ「は、はぁ?」

 

斎藤T「ああ、MANDARAKEで売っていたな、それ」

 

ゴールドシップ「てなわけで、これが女神ゴルーシアから、あんたへの誕生日プレゼントだ、斎藤T」

 

ゴールドシップ「使い方はわかるか? まずウマ娘ジェムをホルダーから取り出してスイッチを入れたら装填ナックルに2つ入れて、こっちのスキャナーでダブルリードしてからトリガーを引くんだぞ?」

 

斎藤T「使い方はMANDARAKEで流れていた当時のCMを見ていたからわかるが、実際にやってみると随分と手間がかかるな、これ……」

 

ゴールドシップ「まあ、そう言いなさんなって。変身シーンが変身ヒーローの醍醐味なんだからさ」

 

斎藤T「戦場でそんな悠長なことができるか! しかも、変身アイテムだけでこんなにもなるんだから、邪魔でしかたない!」

 

ゴールドシップ「いや、あんたなら余裕さ。なんせ、あんたは時間と空間を超越しているんだからさ、誰にも邪魔されないように変身するのなんて余裕だって」

 

ゴールドシップ「じゃあな! さっさと野暮用を片付けてあんたの愛バのレースを観ようぜ!」

 

ゴールドシップ「それじゃ、ハッピーバースデー!」

 

 

ドドドドド・・・

 

 

マンハッタンカフェ「……行ってしまいましたね」

 

斎藤T「まったく、MANDARAKEに誘ってきたと思ったら、全てはこのためだったわけか」

 

斎藤T「原作の設定通り 20時間のインターバルが必要だったら、どうしよう、これ?」

 

斎藤T「さて、肝腎のウルトラカプセルならぬ()()()()()()の内訳は何だ?」

 

斎藤T「――――――!」

 

斎藤T「……そうですか。こういう形で力を貸していただけるとは思いもしませんでした」

 

マンハッタンカフェ「それは――――――」

 

 

――――――ウマ娘ジェム【“永遠なる皇帝”シンボリルドルフ】

 

 

――――――ウマ娘ジェム【“幻のウマ娘”トキノミノル】

 

 

斎藤T「あとは空白(ブランク)のジェムだから『迷わずこの2つを使え』ということか」

 

斎藤T「そうだった。まずはタイムパラドックスの第一歩として重賞レース『シンボリルドルフ記念』の設立を目指さないとな」

 

斎藤T「それが黄金期を主導した“皇帝”シンボリルドルフの記念碑たるエクリプス・フロントの王としての勤めだ!」

 

斎藤T「じゃあ、この空白(ブランク)のジェムを2つ渡しておく」

 

斎藤T「原作通りなら、切実なる祈りに応えてウマ娘ジェムが起動するはずだ。それがこのゴルシライザーで力を発揮することになる」

 

マンハッタンカフェ「は、はい……」

 

斎藤T「大丈夫だ。ウマ娘はみな異世界の英雄の魂が宿ってこの世に生を受ける存在なのだから、崇高なる意志が真実へと導く」

 

斎藤T「よし、2つのウマ娘ジェムしか使えないのなら、最初からダブルリードしていけば隙は少ないな」

 

斎藤T「では、出陣する。これが三度目の茅の輪くぐりの締めだ」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

 

さて、毎週土日に各地で開催の中央競バ『トゥインクル・シリーズ』、6月30日の『新バ戦(メイクデビュー)』は中京・福島・函館で開催されるわけで、

 

基本的に1日に2回は開催される『新バ戦(メイクデビュー)』のうち、その日の『メイクデビュー函館』は5Rのみの開催で、なおかつアグネスタキオンが出走する『メイクデビュー中京』は6Rのため、最初は函館の攻略に取り掛かっていた。

 

結果、私の担当ウマ娘のメイクデビューのために中京競バ場に駆けつけてくれたチーム<エンデバー>の面々から離れてそっと時間跳躍して一人『メイクデビュー函館』に赴いたところ、

 

何かが起きるとは思ってはいたが、驚くことに何も起きずに『メイクデビュー函館』は無事に終了してしまったのだ。

 

何か起きると身構えながら観戦した初めての『新バ戦(メイクデビュー)』は、私の周りにいる人間が重賞レースの最高峰であるG1レース優勝者ばかりなので、文字通りに初出走者しかいない『新バ戦(メイクデビュー)』なのだからしかたがないが、あまりにもレースの内容が稚拙なものに思えた。遅い。遅すぎる。

 

ただ、私が一番驚いたのは今回の『メイクデビュー函館』の出走人数がたったの6人だったことであり、たまたま函館競バ場では出走人数が極めて少ない日だったわけなのだが、同じ日の5R『メイクデビュー福島』『メイクデビュー中京』が10人を超えていたのだから、ひどい落差を感じたのだった。

 

しかし、いずれは2年目:クラシック級『新バ戦(メイクデビュー)』が廃止されるわけであり、今は出走人数がスカスカの『メイクデビュー函館』もいつも出走者が満員になる日が来るのだと予感させられるのだった。

 

 

基本的に次のレースまでのインターバルは発走時刻から30分、多少のズレがあろうとも だいたい5R目は正午過ぎになるのは決まっていた。

 

一方、各競バ場で発走時刻をピタリと合わせる必要がないため、5R『メイクデビュー函館』12:15発走、5R『メイクデビュー福島』12:35発走、6R『メイクデビュー中京』12:55発走と時間差を付けて全て現地観戦することは理論上可能であった。

 

なので、次は5R『メイクデビュー福島』となったのだが、函館競バ場とちがって何だかいろいろと指定席の種類があって混乱したが、どれも事前予約制だったので一般席に案内されることになった。

 

なるほど、メインスタンドのゴール板に近い側が指定席で、ゴール板直前のラストスパートの競り合いを間近に見たいのなら事前予約制の指定席を確保しなくてならないみたいだ。

 

そして、5R『メイクデビュー福島』12:35発走、これも無事に終わり、こちらとしては身構えていたのに何もなくて拍子抜けしていたのだが、

 

ゴール板をやっとの思いで一番に駆け抜けた勝ちウマに続くのが、等しく敗者と見做された圧倒的多数の負けウマの列であり、その表情は暗く 足取りは重かった。

 

そう、本日1回だけのたった6人だけの5R『メイクデビュー函館』だと、出走者の半分はウイニングライブのメインになれるとわかっているためか、そこまで悲壮感は伝わってこなかったのだが、

 

それと打って変わって『メイクデビュー福島』では10人以上が必死の思いでゴール板を一斉に目指して 我こそは優駿たちの頂点に立つ存在だと信じて研鑽努力を重ねてきた矢先の 勝者は自分ではない誰か一人だけの過酷な現実を前に主役になれなかった脇役たちが打ちひしがれている光景が落差となって目に飛び込んできた。

 

だが、それが毎週土日に10R以上のレースが開催されている競バ場での日常であり、一人ひとりの負けた悔しさや哀しみに向き合っていたら切りがない――――――。

 

最初からウマ娘レースはたった一人の勝者のためにそれ以外の全員が敗者と切り捨てられる哀しみに満ちた世界であり、そんな現実を前にして『全てのウマ娘が幸福になれる世界』とやらをどう創り上げる気でいるのかを『名家』シンボリ家と徹底的に語り合いたいという欲求に久々に駆られることになった。

 

その答えは最初から自分の中で出ているけれども、それが今すぐ実現するわけでもないから、いつもいつも歯痒い思いをしながら、この光景のことを思い出すことになるのだろう。

 

 

おそらく、これこそが皇祖皇霊が私の担当ウマ娘:アグネスタキオンが『トゥインクル・シリーズ』に挑む前に記憶に刻ませたかった()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったのだろう。

 

 

そう、かつて“皇帝”シンボリルドルフに次ぐ“無敗の三冠”候補と称えられた“天才”トウカイテイオーがなぜ“無敗の三冠”になることができなかったのかは私の理解ではそういうところに真実がある。

 

もちろん、現実世界で起きた担当ウマ娘の故障の責任は全て担当トレーナーである岡田Tに帰結するわけだが、その根源がトウカイテイオー本人に自ら災厄を招いた罪過にあることを見落としてはいけない。

 

トウカイテイオーはまさしく国民的アイドルとして人気を博すだけの天性の才能とカリスマの持ち主ではあったが、同時に自身の才能を鼻に掛けて他人の心情に寄り添うことがない傍若無人さがあり、それによって自身が圧倒的才能によって打ち負かしてきた多くの敗者たちの嫉妬と恨みの念を一身に浴びることになったのだ。

 

ただ、シンボリルドルフとちがってトウカイテイオーと岡田Tには敗者たちの負の思念を跳ね返すだけの運気がなかったから、確実視されていた“無敗の三冠”がまさかの故障によって断念せざるを得なくなった――――――。ただそれだけの話なのだ。文字通りに足を引っ張られて脚の故障を引き起こしたのだ。

 

しかし、それはある角度から見方に過ぎず、“無敗の三冠”を断念せざるを得なくなった後も引退することなく、みっともなくとも必死に足掻き続けて奇跡の復活を果たしたド根性はシンボリルドルフすら超える本物の才能であり、それを証明させるための道が用意されていたのが復活を果たせた真相でもあった。

 

つまり、トウカイテイオーの競技人生にはシンボリルドルフに次いで憧れの“無敗の三冠”を果たす道と“不滅の帝王”として奇跡の復活を果たして永遠に人々の記憶に残る道の2つが用意されてあり、もし2年目:クラシック級の時に不運を跳ね返すだけの徳分があれば そのまま“無敗の三冠”も余裕で達成できたのだ。それだけの天賦の才能を持っていたのがトウカイテイオーというウマ娘であった。

 

だが、そうはならなかった。けれども、“皇帝”シンボリルドルフとはまったく異なる偉業で人々に感動をもたらした“帝王”の在り方を支えたのは担当トレーナーである岡田Tとの強い絆と再起を夢見たファンの祈りのおかげでもあった。

 

そう、運不運の基本法則として本物の才能を持つ存在ならば悔しさをバネにして大記録を超える偉大なる奇跡を起こせるわけなので、G1勝利は当たり前として、それで記録に残す存在となるか、記憶に残る存在になるかの差でしかない。要は物事の角度の問題なのだ。

 

となると、実質的な担当トレーナーがトウカイテイオーの岡田Tになっていることもあり、“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンの進む道は決して平坦な道ではないはずだ。誰の想像もつかないような結末を迎えてタイムパラドックスを引き起こす存在になってもらわないと困る。

 

なので、トレーナーとしての指導力に欠ける私の役割は未来を変える大記録にこれから挑戦しようとする担当ウマ娘:アグネスタキオンに降りかかるあらゆる悪意から身を挺して守り抜くことであり、世界がより良い方向に変わっていくことを見届けることにある。

 

つまり、その大原則としてアグネスタキオンの活躍を憎む存在を生まないように立ち回るべきであり、『新バ戦(メイクデビュー)』に出走する新バたちの程度を知った今、トウカイテイオーの全盛期に一歩劣る程度の能力を4年間で蓄えていたアグネスタキオンに対して向けられる羨望の眼差しから一気に運気を損ねないように神仏に祈らねばならなかったのだ。

 

勝負にならないほどに才能や能力に恵まれているウマ娘を引きずり下ろす唯一の方法こそが悪意が生み出す不運なのだから、不運から担当ウマ娘を守るために全力を尽くすのは担当トレーナーとして当たり前のことだ。

 

だが、そこに愛がなければならない。全ての敵を討ち滅ぼす憎悪ではなく、それこそシンボリ家の御題目である『全てのウマ娘が幸せになれる世界』をそうではない現実を踏まえた上で、ウマ娘の皇祖皇霊たる三女神に理想を祈らなくてはならないのだ。

 

だからこそ、『名家』シンボリ家はその理想に基づいた善行によって得た徳分によって降りかかる不運を跳ね除けて“皇帝”シンボリルドルフを世に送り出すことができたが、それに匹敵する名バが後に続かないのは蓄えてきた徳分がシンボリルドルフの偉業を達成するために結実して消費された結果でもある。極論、ビギナーズラックの正体もそれだ。

 

なので、世界に冠たる皇宮警察官を両親に持つ代々皇室に仕えてきた『名族』のエリートたる“斎藤 展望”はこの異なる進化と歴史を歩んだ地球に訪れる絶望の未来を変えるタイムパラドックス成就のために全ての才智と運気を費やすことになるのだろう。そういう配役で“私”が“斎藤 展望”を演じることにもなったのだろう。

 

とは言え、そういった運不運の基本法則がわかっているからこそ人知れず進んで善行に励み、ウマ娘レース界隈で苦しみに喘いでいる人たちに手を差し伸べてきているのだから、私が運に見放されることはまずないと確信を持って言える。いくらでも運勢を好転させられるのだ。

 

ただ、終わってみなければ栄光に至るための苦難の道も辛いものがあり、今この時に直面している辛さも栄光に至るための苦難の道の途上にあるものだと信じ抜くことができなければ、道半ばで挫折することも往々にしてあるのだ。

 

そこからいかにして立ち直って調子を取り戻して天命を全うするかが人生の修行というわけであり、どれだけ過酷な運命であろうとも そのために希望の光が絶望の闇の彼方を照らすのだ。

 

物事は完成させなければ成就したことにはならない。成就させるためには物事を完成させなければならない。何を当たり前のようなことを思うことだろうが、それが完成と成就の関係性であり、物事をあきらめないための秘訣であるのだ。

 

 

5R『メイクデビュー函館』12:15発走、5R『メイクデビュー福島』12:35発走、6R『メイクデビュー中京』12:55発走――――――、時間にして40分間;それが私が中京競バ場の観客席に戻るまでの出来事だった。

 

 

だが、今日の『新バ戦(メイクデビュー)』のために、カップラーメンができあがるぐらいのたった数分間のために、あるいはコンサートの1曲目が終わった程度の時間のために、たくさんのウマ娘とトレーナーたちが勝つために必死に努力して同じ空の下で懸命に積み重ねてきているのを私は改めて深く知ることができた。

 

思えば私はトレーナーバッジをたまたま身に着けているだけの宇宙移民で、しかたがなく“斎藤 展望”という人間の人生に乗っかっている WUMAと本質を同じくする 外なる存在であり、

 

“斎藤 展望”への義理立てのためにトレーナーバッジにふさわしいだけの実績を築いてから自分の夢に邁進することを考え、その義理立てと夢に向かう下準備のために異世界での現実との摺合せに神経をとがらせる毎日だった。

 

だから、私にとっては重賞レースの最高峰として崇められているG1レースを1勝でもすればトレーナーとしての箔付けは十分だと考えており、あとは担当ウマ娘が満足して引退するのを見届けるだけ。私の担当ウマ娘が勝つのは決定事項である。

 

しかも、高等部2年からのメイクデビューなので、留年でもしない限りは担当ウマ娘:アグネスタキオンの『トゥインクル・シリーズ』はトレセン学園卒業と同時に引退することは確定している。3年目:シニア級でのレースのことなど考える必要などないのだ。

 

4年間の沈黙を破ってトレセン学園最後の年の2年目:クラシック級で担当ウマ娘がその持てる全てを出し切って完全燃焼することを切に願っている。トレセン学園卒業後の長い人生が始まる前のたった1年間、持てる限りの全力を出し尽くせばいいだけだ。

 

なので、私も23世紀の宇宙時代を生きた宇宙移民にして地球文明の後継者としての叡智を尽くして、これから始まる“最初の3年”の半分程度のごく短い 最初で最後の担当ウマ娘と二人三脚の『トゥインクル・シリーズ』を全力で駆け抜けるだけだ。実に簡単な話だ。

 

そうしたら、もうトレセン学園という檻から解放された後の私の行く手を阻めるものなどない。私はたくさんのものを手にして揺り籠から巣立っていく。

 

だから、その日が来るのを待ち侘びながら これからたった1年余りのトレセン学園の日々を慎ましく生きていくだけだ。

 

 

――――――だが、元より“斎藤 展望”は世界の敵だ!

 

 

斎藤T「ほう、まさか真性のブラディオン(bradyon)粒子を発生させる無限動力機関がこの世に存在しているとはねぇ」

 

斎藤T「もっとも、私が波動エンジンに利用してきたタキオン(tachyon)粒子がタキオンと同じように、このブラディオン粒子もブラディオンとは厳密には別物だろうけどね。物理学用語としてのそれと宇宙工学用語のちがいってことさ」

 

斎藤T「私がね、頑なに虚数の不変質量の粒子(タキオン)と対になる実数の不変質量の粒子(ターディオン)を“ブラディオン(遅い粒子)”と呼びたがらないのは、“不変質量が実数の超光速粒子(スーパーブラディオン)”の名前が矛盾することが嫌だったからさ」

 

斎藤T「まあ、そのターディオン(遅い粒子)もフランス語のtard(遅い)に由来するから、ギリシャ語由来のブラディオン(遅い粒子)と意味はまったく同じだけど、どうしても持論としては譲りたくなかった」

 

斎藤T「どうしてかって言えば、タキオン粒子を掌握して波動エンジンを開発した世紀の大天才たる私は、空間歪曲型ワープを可能にする無限動力機関を実現させた超光速の粒子(タキオン)とは逆の性質を持つ真性のゼロ速の粒子(ブラディオン)の存在を探究するようになっていたからだ」

 

斎藤T「わかるか? 光の速さを超えた先にある超光速の研究は空間歪曲型ワープがもたらす圧倒的な距離の短縮によって人類の生存圏の拡大に寄与した流通革命で一定の完成を見た」

 

斎藤T「ならば、今度は空間を完全停止させることで得られるエネルギーの固定化に目を向けるようになったわけだ」

 

斎藤T「そうすることによって、人類は完全なる空間の律速を実現させることによって更なるエネルギー革命を起こせるようになる」

 

斎藤T「空間そのものをゼロ速の粒子(ブラディオン)で完全停止させることができれば、化学変化を抑制して保存技術は飛躍的に向上するし、物体の瞬間的な完全停止による安全制御も容易になる」

 

斎藤T「そして、エネルギーの保存はおろか、腐敗すら進行しない完全なる生命活動の停止による永久的な延命も可能になるのだ、いずれは。それは物質世界における物体や生命の時間停止に等しい」

 

 

斎藤T「そう、究極の加速をもたらす超光速の粒子(タキオン)と完全なる停止をもたらすゼロ速の粒子(ブラディオン)を両立してこそ、人類による世界の律速は果たされ、かつてないほどの繁栄がもたらされるのだ!」

 

 

斎藤T「というわけで、明らかに21世紀の科学水準に不相応なゼロ速の粒子(ブラディオン)を発生させる無限動力機関は私が有効活用するから、」

 

斎藤T「――――――“ロイヤル・ナムーフ”とか言ったかな、機械生命体?」

 

斎藤T「悪いが、ゼロ速の粒子(ブラディオン)の研究対象として実験に協力してくれるかな?」

 

斎藤T「まあ、ゼロ速の粒子(ブラディオン)の制御を誤って自分自身が完全停止したみたいだから、私は人道的に保護しているだけなんだがねぇ!」

 

斎藤T「ククククッ! ハハハハハ! ハーハッハッハッハ!」

 

斎藤T「これが三女神の差し金ならば最高の誕生日プレゼントだよ! この世界に生まれ変わってきてよかったあああああ! 欲しかったものがこんなところで手に入るとはな! 最高だよ!」

 

 

ピカッ!

 

 

斎藤T「おっと、雷か。雨が降りそうだが、これは――――――」チラッ ――――――時刻は12:55!

 

斎藤T「し、しまったあああああ! 出走時刻ッ!? 浮かれすぎたぁぁああ!?」

 

斎藤T「ええい、ままなれよ!」

 

 

――――――南無三!

 

 

 

 

 

ゴロゴロ・・・バアアアアアアアアアアアン!

 

 

 

 

 

アグネスタキオン「トレーナーくん!?」

 

アグネスタキオン「――――――ッ」ギリッ

 

アグネスタキオン「負けるかあああああああ!」

 

 

――――――その時、アグネスタキオンの眼には金色に輝く背中がスターティングゲートの向こう第1コーナーにはっきり見えた!

 

 

そして、6月30日の中京競バ場6R『メイクデビュー中京』は大いに荒れた。

 

発走と同時に雷鳴が競バ場全体に響き渡ったことにより、唯一人の約束された優駿を除いて出走ウマ娘が例外なくビクッとスタートの合図を聞き逃して出遅れることになり、更に不運なことに土砂降りの激しい雨も降り始めたのだ。

 

そのため、突如の重バ場と化したメイクデビューに出走する羽目になったジュニア級ウマ娘たちの走りは乱れに乱れることになり、送り出した担当ウマ娘を見守る担当トレーナーたちの途方に暮れる思いが早くもバ群を包んでいた。

 

解禁された6月にメイクデビューするウマ娘というのには、後発組が断然有利だから2年目:クラシック級『新バ戦(メイクデビュー)』に出走登録申請が殺到して除外ラッシュがなるのとは正反対に、先発組として早めにローテーションを完成させて動くことで出走登録申請がすんなり通りやすい優位性があった。

 

一応、まだ2年目:クラシック級『新バ戦(メイクデビュー)』が廃止される前なので、『新バ戦(メイクデビュー)』が解禁された6月でメイクデビューを果たすウマ娘にはまずトレセン学園に入学したての新入生“エリートウマ娘”の姿はなく、

 

トレセン学園での1年を経験した上で後発組に対策されようとも絶対に勝つ自信があるウマ娘か、一刻も早く出走したいという焦りが滲み出ているウマ娘のどちらかであり、少なくともトレセン学園で 1年以上 担当トレーナーに師事して厳しいトレーニングを積んできたウマ娘たちのはずだった。

 

しかし、さすがにスタートの合図と同時に雷鳴と土砂降りが重なるような状況まで予測できるわけもなく、ほぼ全員が出遅れたという一体感のある焦燥感に駆られた恐慌状態に陥り、雷雨の重バ場に加えて視界不良のせいで鬱屈とした気分に支配された新バたちが一進一退の揉み合いとなっていた。

 

もはや、そこには脚質も戦略も何もあったものじゃなく、ただ我武者羅に第4コーナーの先のゴール板を目指してバ群全体が一丸となって競バ場を駆け抜けるのみで、発走するまでまったく誰も予想もつかなかった大混戦となっていた。

 

 

だが、大混戦を制してゴール板の先の勝利を掴み取ったと喜んだのも束の間、勝利はとっくの昔に“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンの手の中であり、計測不可能の大差であったのだ。

 

 

そう、あまりにも実力に差があり過ぎて、重なった雷鳴によってアグネスタキオン以外の全員がビクッとスタートの合図を聞き逃して出遅れたという焦燥感から冷静さを取り戻す間もなく、アグネスタキオンは 唯一人 絶好のスタートダッシュを切って瞬く間に第1コーナーの半分を超えてバ群の視界から消えていたのだ。

 

心理的にも大切な一戦である『新バ戦(メイクデビュー)』で出遅れたという拭いきれない焦りが生じた裏で全員が出遅れたという特異な状況が生み出した一体感のある恐慌状態が致命的な心の隙を生み出すことになり、誰も彼方を見据えずに目先のライバルにばかり意識を向けていたことで、アグネスタキオンの存在は雷鳴と共に遥か彼方に消え去っていたのだ。

 

それは出走ウマ娘だけに限ったことじゃない。観客席もそうだが、解説と実況すらも雷鳴に気を取られて出遅れたバ群の混戦に目が行き、4年間の沈黙を破って出走した注目の1番人気:アグネスタキオンがバ群にいないことにようやく気づいた時には第1コーナーを通った後だったのだ。

 

そのため、置き去りにしたバ群が天候不良に視界不良の重バ場でもみくちゃになってレースの展開が低速になっていたのも相まって、一人 雷雨の中を突っ切って 我が道を行くアグネスタキオンがゴール板に真っ先に到達した時には後続は全てコースの反対側にいるという、タイムオーバーによる罰則が『新バ戦(メイクデビュー)』には適応されないとは言え、担当トレーナーにとっては一生の恥になるような悪夢の光景になっていたのだ。

 

大混戦を制して勝ったはずなのにゴール板の先で同じ体操服にゼッケンをつけたウマ娘が大雨に打たれながら不気味にこちらを見つめてわざとらしく拍手喝采していたことが何を意味するのか理解した時、実はすでに負けていたことに愕然とするばかりの新バたちを尻目に悠々とコースを後にする絶対勝者たるアグネスタキオンの高笑いが雷雨に掻き消されていく。

 

 

――――――これが後世に語り継がれる“超光速のプリンセス”アグネスタキオンの()()()()()()()()()()であった。

 

 

和田T「圧巻だったな……」

 

スカーレットリボン「はい。レコード更新ぐらい余裕だとは思っていましたけど、初出走の新バが出していいタイムじゃありませんよ。永久に破ることができないじゃないですか、あんなの……」

 

ソラシンボリ「――――――まさしく『強くてニューゲーム』ってやつだよね」

 

マンハッタンカフェ「はい。4年間 実験室に閉じ籠もって力を蓄えてきたことで 最初から“無敗の三冠バ(シンボリルドルフ)”に匹敵する能力を持っているわけですから、このレースはすでに『新バ戦(メイクデビュー)』などではなく、“最強決定戦(グランプリ)”なのです」

 

岡田T「そんなウマ娘を指導した張本人が言うのもなんだが、これはひどい。『新バ戦(メイクデビュー)』じゃなかったら勝者以外タイムオーバーの罰則(ペナルティ)でトレーナー歴に一生残る傷だぞ、これは」

 

トウカイテイオー「……悔しいなぁ。羨ましいなぁ。凄いなぁ。ボクも 4年間 我慢していたら あそこまでいけたのかな?」

 

メジロマックイーン「どうでしょうね。誰もが自分の才能を信じて逸早くターフの上で走りたいと思ってトレセン学園に入学するのですから、それとは正反対のもっとも一番困難な“待つこと”に耐えられる方はどれだけいるのでしょうか?」

 

トウカイテイオー「そうだよね。本当はボクたちの何倍も凄くて一番スカウトが集まっていたのに、退学覚悟で 全部 拒否して 4年間も理想のトレーナーを待ち続けるだなんて普通じゃできないことだよ」

 

メジロマックイーン「6年間の中高一貫校の半分以上を待つことに費やして平気でいられるタフさが本当の才能なのかもしれませんわね」

 

 

 

ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!

 

 

 

斎藤T「さあさあ、一瞬で水分を吸収するホカホカのタオルと一瞬で水分を吹き飛ばすエアシャワーだぞ! みんな、おつかれさま!」

 

出走ウマ娘「あ、ありがとうございます……」

 

出走ウマ娘「あ、温かい……」

 

現場スタッフ「こんな便利なもの、いつ導入していたんだ……?」

 

現場スタッフ「さあ? 今日が初めてなんじゃないのか? だって、ほら、あの専属スタッフ、見たことないし……」

 

現場スタッフ「そうか? どこかで見たことがあるような気がするんだけどな……」

 

斎藤T「そこ! 使ったタオルはこっちの籠に回収! それで本物のシャワールームで暖を取らせる! 早く! ウイニングライブがあるんだから風邪を引かせるな!」

 

現場スタッフ「は、はい!」

 

 

アグネスタキオン「ふぅ」フキフキ・・・

 

アグネスタキオン「まったく、きみはどこから私の走りを観ていたんだい?」

 

斎藤T「あれ? もしかして視えていた?」フキフキ・・・

 

アグネスタキオン「第一コーナーの向こうに光る背中がほんの一瞬だけ視えていた」

 

斎藤T「…………まさか見られていたとはな」

 

アグネスタキオン「安心したまえ。その直後に雷が鳴って発走だったから、みんな それどころじゃなかった」

 

 

アグネスタキオン「正直に言って感謝しているよ、トレーナーくん。ここ一番でトレーナーらしいことをしてくれたよ。まさに神憑り的な指導だった」

 

 

斎藤T「ああ。ちゃんとスタートダッシュは音ではなく目でする訓練が活きたみたいだな」

 

斎藤T「音は光よりも100万倍遅いし、『スターティングゲートが完全に開いてから発走しろ』とはどこにも書いてないからな」

 

アグネスタキオン「そうそう。きみが空気や純粋、真空、土層などの媒質のちがいによってできるスタートダッシュの差を徹底的に実験してくれたおかげで、私は音よりも確実なスターティングゲートの開閉に目敏くなっていたよ」

 

アグネスタキオン「だから、雷に惑わされることなく、私は中京競バ場の2000mを雨に打たれながら走り抜くことができた」

 

 

アグネスタキオン「けど、存外 煽ってくれるじゃないかい、トレーナーくん?」

 

 

斎藤T「は、何?」

 

アグネスタキオン「きみ、第一コーナーの向こうで背中から振り返るだなんて、ウマ娘にとっては最高の侮辱だよ? 横目で後ろを覗き込むことはあっても完全に顔を振り向けるのは余裕の現れなんだからね?」

 

斎藤T「それは悪かったな。野暮用を片付けたら発走時間になっていたから、慌てて時間跳躍したら、そこだったんだ。他意はない」

 

アグネスタキオン「いや、いい」

 

アグネスタキオン「いつもいつもきみは無自覚でそういうことをするんだから、まったく」

 

斎藤T「は」

 

 

アグネスタキオン「ありがとう。柄にもなく熱くなれたよ、今日は」

 

 

アグネスタキオン「正直に言って私が勝つのは当然だとしても、何の価値もない退屈な時間だと考えていたから」

 

アグネスタキオン「そういうわけで、きみでよかった」

 

アグネスタキオン「きみが私のトレーナーでよかったと思っているよ」

 

アグネスタキオン「きみが私の心に火を点けてくれた。このメイクデビューを有意義なものにしてくれた」

 

アグネスタキオン「だから、私を勝利に導いたきみのために勝利の舞(ウイニングライブ)を踊ろう、きみの担当ウマ娘としてね」

 

アグネスタキオン「光栄に思いたまえ! 今日はきみの誕生日でもあるのだからねぇ!」クククッ

 

斎藤T「そうか」

 

 

アグネスタキオン「だから、誕生日おめでとう、トレーナーくん。ハッピーバースデーだ」

 

斎藤T「きみも初勝利おめでとう、アグネスタキオン。苦節()年でメイクデビュー成功だ」*3

 

 

先程までの雷雨とは何だったのか 猛烈な勢いだったはずの雨はすでに止んでおり、勝利の余韻に浸ることなく淡々と次のレースの準備が中京競バ場で進められていた。

 

しかし、いつもの興行に特別な意味があったことを天下に示すように 太陽を中心に円を形作る晴れ渡る曇り空から大きな虹の橋が降りており、アグネスタキオンの勝利を天が祝福してくれているかのようだった。

 

私もまた晴れやかな気分で空を見上げると、中京茅の輪くぐりのために首に締まった爬虫類の生々しさと生臭さが漂う茅の輪を太陽の輪に放り投げ、瞬く間に太陽光線に灼かれて塵となって大気に霧散するのを見届けるのだった。

 

 

――――――こうして中京茅の輪くぐりは達成され、夏越の大祓は果たされたのだった。

 

 

*1
実際、原作『ウマ娘プリティーダービー』の育成シナリオは1ターン:半月の計算で進行し、『新バ戦(メイクデビュー)』が6月前半に固定なのを逆算すると、育成スタートが1年目1月前半となっている。

*2
諸仏出現の時に天から降り、色が美しく、芳香を放ち、見る人の心を楽しませるという花

*3
長い間、苦労を耐え忍びながら、初心を守り通すこと。「苦節」は、苦労を耐え忍びながら、初志を守りぬくこと。「十年」は、長い間の意。



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第三次決戦Ⅵ 誰がためにウイニングライブは幕開く -終わりは新たな始まりの序章-


この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。



 

――――――目標:6月30日の夏越の大祓を完遂せよ!

 

 

中央競バの公式サイトには過去のレース結果のライブラリが掲載されているため、記録技術や記憶媒体の進歩で近年のものならいつでもどこでも誰でもいくらでもレース映像を閲覧することが可能だ。

 

そのため、それより以前のレース映像は古い記録を漁る他ないが、基本的に歴史に残る名勝負と呼ばれたものはしっかりとそのハイライトが民間でソフト化され、トレセン学園でも映像資料として収集されて保管されている。

 

しかし、近代ウマ娘レースの発祥はヨーロッパの王侯貴族たちの前で踊る権利を賭けて宮廷舞踊家のウマ娘たちが宮殿のバルコニーから一望できる庭園で徒競走したのが起源であり、

 

その故事に基づくと近代ウマ娘レースの本質は 徒競走でウマ娘の優劣を決めるものなどではなく ウイニングライブのポジションを決めるものでしかない。

 

つまり、ウイニングライブこそがウマ娘レースの興行において主であり、ウマ娘レースそのものは従でしかない。王侯貴族に覚えめでたい立ち位置を得て寵愛を得るためのものなのだ。

 

だからこそ、競走ウマ娘と呼ばれる人種は極限までスピードと美しさの両立を目指した均整の取れた種としてウマ娘という種族の中で抜きん出た人気をヒト社会で誇っており、レース映像と紐付けられて永久保存されるライブ映像もまた誉高い貴族文化の華であった。

 

それ故にこの世界では競走ウマ娘は“完璧な品種(Thoroughbred)”と呼ばれ、近代ウマ娘レースで育まれたスピードと美しさを求めて進化してきた究極の血統として持て囃されていた。

 

そんなわけで、基本的に昼時の5Rか6Rの開催となる『新バ戦(メイクデビュー)』はレースの勝利者の権利と義務であるウイニングライブ前半の部のトリを飾ることになる。

 

一方、その日のウイニングライブ後半の部の最後になるのが11Rに据えられるその日の目玉である重賞レースであり、それだからその日の最後となる12Rに出走するウマ娘は微妙な扱いを受けることにもなり、

 

その日の興行の2枚看板となる『新バ戦(メイクデビュー)』と重賞レースの収益を高めるために、前半の部のトリを飾る『新バ戦(メイクデビュー)』のウイニングライブは11R:重賞レースの発走時間に間に合うように組まれていた。

 

その日、『メイクデビュー中京』があった中京競バ場の11Rは芝・1200m・クラシック級以上G3レース『CBC賞』であり、

 

6R『メイクデビュー中京』の発走時間が12:55で、11R『CBC賞』の発走時間が15:35という具合で、実際の競走が5分にもならないものだと考えれば、ざっと2時間半の時間の開きがあり、それだけあればレースの勝利を掴み取ってセンターの権利を得た勝ちウマの体力や気力も回復するわけである。

 

ウイニングライブ会場は世界に冠たる中央競バ『トゥインクル・シリーズ』においては競バ場からバ券を乗車券とするシャトルバスですぐに行ける場所にセットで建てられており、それぞれの競バ場の格に応じてウイニングライブ会場の規模も段違いであった。

 

というのも、重賞レースの最高峰であるG1レースは主要四場:東京・中山・京都・阪神での開催が主だからであり、そこに人気が集中しているのだから、それ以外の競バ場とウイニングライブ会場の扱いというのはそこそこなわけである。

 

というより、船橋市内にある中央の中山競バ場が毎週土日の興行だから地方の船橋競バ場が平日の興行を強いられているように、名古屋にしても中央の中京競バ場がすぐ近くにあるから地方の名古屋競バ場も平日の興行をしているのだ。

 

ただ、ウイニングライブ会場は同じURA傘下であっても『トゥインクル・シリーズ』の競バ場とは運営会社がちがうため、地方競バ『ローカル・シリーズ』のウイニングライブ会場としても使わせてもらえることもあるのだ。それで会場に資金が注がれるのならどこの団体のライブも大歓迎という向きである。

 

そのため、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の競バ場が近くにあり、中央のウイニングライブ会場を利用させてもらっていた地方競バ『ローカル・シリーズ』の出身者ほど中央トレセン学園への憧れや繋がりが強く、結果として中央への編入生が多くなるという長年の調査結果も出ており、ウイニングライブを通じて日本のウマ娘レース界隈は確かな結びつきを強めていた。

 

こうして中央と地方とで棲み分けをしながら同じウイニングライブ会場で毎日のように盛り上げ続けているため、中京/名古屋のウイニングライブ会場は中央専用という趣が強い主要四場の会場よりも絶えず繰り返された御祭の神気がそこはかとなく漂っていたのだ。

 

そのことが私にとっては非常に興味深く、毎日のように中央と地方で興行があってウイニングライブがあるために飽きられてムラがあるにしても、それでも今日まで続けてきた一本筋のたしかな足跡が地域の活性化を促していることに気づいたのだ。

 

なるほど、この世界では国民的スポーツ・エンターテイメントの『トゥインクル・シリーズ』において目立ったレースがない競バ場の地域がどのようにして繁栄を保っているのかと思えば、腐っても中央の競バ場と地方の競バ場が棲み分けをしながら興行をして毎日ウイニングライブをすることで地域を盛り上げているから、中京/名古屋は東京や大阪にも負けない立派な都市圏を維持できているのだ。

 

そういう意味ではウマ娘の三女神の祝福を受けるこの世界においてウイニングライブは極めて重要な御神楽であることを心の奥深いところでしっかりと理解することができた。

 

だから、ウマ娘レースの知識が欠落しているために本来はトレーナーバッジを身に着ける資格がない詐欺師の私ではあるが、地球文明の継承者たる冠婚葬祭の一切を取り仕切ることができる祭司長でもあるので、ウマ娘レースの本義であるウイニングライブの指導に関してはプロに引けを取らないものだと自負している。

 

 

なぜなら、近代ウマ娘レースを夢の舞台と崇める現代に生きるウマ娘たちの悲哀を理解しているからこそ、その歓びを憐れむことができているからだ。

 

 

()の心、心に非ず。それが“慈悲(茲心非心)”であり、“憐れむ”という字は同じ読みの『隣』に通じて『隣人同士が抱く心(隣人愛)』を意味する“憐”という漢字が成り立つ。

 

まずは近くにいる人たちの窮状を直に見ることで“憐れみ”が生まれて、そこから我が心を離れて行動するのが“慈悲(茲心非心)”なのだ。誰も見たことも会ったこともない架空の誰かのために生きることなんてできない。

 

だから、良き隣人となるところから修身斉家治国平天下――――――、世界平和を達成する人類愛の第一歩は始まるのだ。そんなのは昔からよく言われていることだ。

 

よって、ウマ娘レースという公営競技に関しては素人に毛が生えた程度の私だが、ウイニングライブという御神楽に関してはその価値を忘れた野蛮人には追随を許さない金科玉条を担当ウマ娘に教え込んでおり、意外にも担当ウマ娘はその教えに素直に従ってくれた。

 

いや、それこそが自分の可能性に行き詰まっていたアグネスタキオンにとっての福音だったのだろう。

 

 

――――――行動の自由:束縛からの自由(リバティー)のために生きるな。自己実現の自由:表現の自由(フリーダム)のために生きろ。

 

 


 

 

ワアアアアアアアアアアアア! パチパチパチパチ! ヒューヒュー!

 

 

斎藤T「どうだった、私の担当ウマ娘の初めてのウイニングライブ?」

 

ビューティフルデイ「いや、どうって……?」グスン・・・ ――――――アイルランド王女:ファインモーションに瓜二つ!

 

ビューティフルデイ「一言で言えば、感動しました。掛け値なしに」グスン・・・

 

斎藤T「そう、それはよかった」スッ ――――――ハンカチを渡す。

 

ビューティフルデイ「ええ。いいものが見られました」フキフキ・・・

 

 

ビューティフルデイ「――――――って、いや、よくないわよ!」ドン!

 

 

ビューティフルデイ「本物のアイルランド王女たるこの私をホテルに監禁したかと思えば、日本のウイニングライブなんか見せて何のつもりよ!?」

 

斎藤T「ええ、わからない?」

 

ビューティフルデイ「わかるわけないでしょう、この無礼者!」

 

斎藤T「きみが偽物だと思いこんでいるファインモーション姫殿下、日本トレセン学園の一生徒としてレース出場を目指しているから『成り代わるつもりなら死ぬ気で頑張って』ってこと」

 

ビューティフルデイ「は」

 

斎藤T「今からでも鍛えないとあっさりボロが出るよ?」

 

斎藤T「さすがはアイルランドが世界に誇るピルサドスキー殿下の手解きを受けていただけのことはあり、少なくともティアラ路線で重賞を狙えるぐらいの素質はあるみたいだし、日本トレセン学園は世界最先端のトレーニング環境を整えておりますので」

 

ビューティフルデイ「え、ええええええええ!? 留学しに来ただけじゃないの!? 何を考えているのよ、一国の王女でしょう!?」

 

斎藤T「そういうバカをやれるのが日本というウマ娘天国なんですよ」

 

ビューティフルデイ「…………!」

 

斎藤T「こう考えると、“本格化”を迎えた年頃のウマ娘の成長具合が生体認証として有効である可能性があるわけですか」

 

斎藤T「となると、アイルランド王族の方々には他には真似できないような力自慢となる特技を“本格化”の時期に鍛えておけば、それだけで偽物を排除することができますねぇ」

 

 

斎藤T「――――――あ、いいこと思いついた」ニヤリ

 

 

斎藤T「それはそうと、当方のホテルの電話をお使いくださったこと、深く感謝してますよ、姫様」

 

斎藤T「おかげさまで、日本国内にいるお仲間の居場所が完全にわかったので一人残らず麻袋に入れてアイルランド大使館に突き出すことができました」

 

ビューティフルデイ「え? えええええええ!?」

 

ビューティフルデイ「どうして!? どうしてそんなことをしたの?!」

 

斎藤T「いや、入国目的を偽って我が国で法に触れることをする犯罪者を野放しにするわけないでしょう、普通に考えて。きみが統治者になった時に同じことをされたら絶対に嫌でしょうから、嫌なことをする嫌なやつには嫌なところに行ってもらっただけです」

 

ビューティフルデイ「ちがうの! 私たちの目的は犯罪なんかじゃない! 正義よ! だから、すぐにでもみんなを解放してよ! お願いだから!」

 

斎藤T「残念だけど、一度捕まった以上は社会復帰は難しいんじゃないかな? 迂闊にも電話で助けを呼んだことが完全に仇になりましたね、ねえ姫様?」

 

ビューティフルデイ「き、貴様ぁ!」ガッ

 

 

アグネスタキオン’(スターディオン)「おっと、ウイニングライブは終わったんだ。いつまでもこんなところにいないで戻るぞ」シュッ ――――――時間跳躍!

 

 

ビューティフルデイ「い、いやだ! また監獄みたいなホテルに閉じ込められたくない~!」ビクッ

 

ビューティフルデイ「ねえ、止めてよ! お願いだから! 嫌なことしないで!」

 

ビューティフルデイ「き、貴様~! アイルランド王女の私の言うことが聞けぬと申すか~!」

 

アグネスタキオン’「おっと、身分証明書のない不法滞在者のきみに人権なんてないよ?  きみは私の貴重な実験体(モルモット)なんだから、大切に飼育させてもらっているのに我儘はいけないねぇ? これはしっかりと躾をしないとだねぇ?」クククッ

 

斎藤T「これでも自称“アイルランド王女”の姫様を尊重して、テログループの一員として日の目を見ない潜伏生活よりも遥かに快適な住環境を提供しているつもりなんですがねぇ?」フフフッ

 

斎藤T「どうですか? 人手をまったく必要としない当方自慢の全自動住宅での快適な暮らしは?」

 

ビューティフルデイ「そ、そりゃあ、さすがは技術大国:NIPPONって感じで凄いし、今まで泊まってきたホテルなんかとは比べ物にならないけれど、掃除婦のおばさんすら入ってくる必要のない完全に一人の空間に何日も閉じ込められたくなんかない!」

 

アグネスタキオン’「まあまあ、そのうち慣れるさ。飼育されている生き物はケージの中の変わり映えしない生活に何の疑問も持たないのだから、きみもいずれそうなる。それに、ルームサービスは端末操作からでも、備え付けの電話からでもできるのだから、きみは外に出られない以外はのびのびと過ごしていいんだよ」ニヤニヤ

 

斎藤T「そうそう、運動不足を感じたら専用のトレーニングウェア(電気ショック内蔵の囚人服)を着たら日本トレセン学園で使われている最新のトレーニング器具のある場所を使わせてあげるからね。そこでしっかりと“成り代わり”の準備をするんだよ」ニッコリ

 

ビューティフルデイ「ひ、ひぃいいい!?」ゾクッ

 

ビューティフルデイ「た、助けて、お父様! お母様! あなたたちの愛の結晶たる尊い血が流れている私はここです!」

 

ビューティフルデイ「ああ、神よ! お助けください! アイルランド王族に恩寵をお授けください!」

 

アグネスタキオン’「さあ、きみの寝床に帰るよ」ガシッ

 

ビューティフルデイ「いやあああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 

――――――時間跳躍! 問答無用で百尋ノ滝の秘密基地の全自動住宅の監禁部屋に送り飛ばす!

 

 

アグネスタキオン’「さてさて、自分が偽物だと思われていることを知らないアイルランド王室の姫殿下も、自分こそが本物だと信じているテロリストの姫様も、そのどちらも偽物であることを知らないのは実に滑稽だね」クククッ

 

アグネスタキオン’「同じ人工授精卵から生まれた同胞(はらから)でどういった成長の違いを見せるのかが今から楽しみだねぇ! いやぁ楽しい楽しい!」*1

 

斎藤T「薄情なことに生物には適応力がある。並外れた透徹した意志がなければ、状況に流されて不要なものは取り除かれて最適化されるものだ」

 

斎藤T「さて、何日でアイルランド王女としての矜持を失うことになるかな?」

 

 

斎藤T「で、今日のレースは楽しめたか、“もうひとりのアグネスタキオン”としては?」

 

 

アグネスタキオン’「そうだねぇ。因子継承でWUMAとしての自分に目覚めた時からウマ娘らしい感性はなくなっていったわけだけど、」

 

アグネスタキオン’「なぜだか今日は懐かしい気分になることができたよ。私の中のヒッポリュテーが擬態した“皇帝”シンボリルドルフの記憶がそう思わせているのかもしれないけどね」

 

アグネスタキオン’「そういう“門外漢”のきみはどうだい? 発走時間ギリギリまでやることに追われていたけど、何か得るものはあったかい?」

 

斎藤T「少なくとも『ウマ娘レースを通じてタイムパラドックスを目指すことは間違いじゃない』という確信は得られたかな」

 

斎藤T「この中京/名古屋のウイニングライブ会場は土日は中央の中京競バ場、平日は地方の名古屋競バ場のウイニングライブが毎日開催されていて、それによって神気が絶え間なく降りて地域に活力を与えていることがわかったんだ」

 

斎藤T「だから、私はそうとは知らずにウイニングライブは神に奉じる御神楽のつもりで演じるように指導したわけだけど、実際にウイニングライブは人と神の間を均り合わせる御神楽だったんだよ」

 

斎藤T「ほら、『新バ戦(メイクデビュー)』のウイニングライブの選曲『Make debut!』は『勝利の女神も夢中にさせるよ』ってフレーズが入っているし、『URAファイナルズ』優勝ウイニングライブの『うまぴょい伝説』もそうだっただろう?」

 

斎藤T「そして、今の私は三女神の力が降りる肉の宮でもあるから、私に降りる女神に向けて感情を溢れさせて好きに踊ってもらったんだ」

 

 

斎藤T「――――――結果はご覧の通りだ」

 

 

アグネスタキオン’「ふぅン。練習通りに踊る必要もないか」

 

アグネスタキオン’「むしろ、身体全体を使って思いの丈を表現させるのが踊りというわけだから、それで見る者を感動させることができたら何だっていいわけか」

 

斎藤T「そう。あれは“型破り”であって“形無し”ではない。型は手段であって目的ではない。目的を見失わないように心血を注いだ御神楽は何だって感動するものさ」

 

斎藤T「これも心の技術だ。見る者の肉体に思いをぶつけたいんじゃない。見る者の心に思いの丈を届けたいと思うのなら、肉体の奥にある真実なるものを見つめてこそだ」

 

斎藤T「だから、心にジーンと響くものがあるわけさ……」ポタポタ・・・

 

斎藤T「あ、思い出したら、また泣けてきた……」ポタポタ・・・

 

アグネスタキオン’「さすが4年間の忍耐の末にメイクデビューを果たせた万感の思いが詰まったウイニングライブだったねぇ」

 

アグネスタキオン’「どうやら会場はまだ感動の余韻から立ち上がれないみたいだ。啜り泣く声がまだ聞こえてくるよ。これはファン数獲得に大いに期待できそうだ」

 

アグネスタキオン’「というより、今日メイクデビューしたジュニア級ウマ娘の貫禄じゃないねぇ、あれは」

 

斎藤T「VRシミュレーター上とは言え、『皇帝G1七番勝負』の“皇帝”シンボリルドルフの『皐月賞』で写真判定で競り勝つようなウマ娘だぞ」

 

アグネスタキオン’「それもそうだったねぇ!」

 

アグネスタキオン’「ただ、()自身もこの想定外に驚いているはずさ」

 

 

――――――こんなにも自分のことを応援してくれている人がいたんだってことに。

 

 

6月30日の6R『メイクデビュー中京』のウイニングライブはアグネスタキオン勝利の報が日本全国に行き渡った瞬間にオンラインチケットの売上が500%を記録し、当然ながら本会場も満員となっていた。

 

通なウマ娘レースファンの間では噂にはなっていた“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンの実力が明らかになった今日の()()()()()()()()()()の話題が持ちきりとなって、『今からでも遅くはない!』とSNSで話題が持ちきりになってウイニングライブのオンラインチケットの購入者が続出したのだ。

 

レース映像はURAの公式サイトで後からいくらでも見返せるが、ウイニングライブのライブ映像は有料コンテンツなので どうせ金を払うなら生中継が一番ということである。

 

ここまでたかが毎週ある『新バ戦(メイクデビュー)』のウイニングライブに人気が集中した理由は、担当ウマ娘:アグネスタキオン自身の隠れた人望によるものが1つで、彼女を慕うダイワスカーレットたちの呼びかけで芋蔓式に視聴者が増えたのが非常に大きかった。

 

あるいは、今をときめく史上初の“春シニア三冠”を達成したマンハッタンカフェや“クラシック三冠バ”に期待が掛かるエアシャカールと言った今年度を代表するスターウマ娘がアグネスタキオンが所属する新クラブ:ESPRITやチーム<エンデバー>の一員であったことから、自然とその追っかけとなるファンたちがスターウマ娘がわざわざ観戦しに行くと言ったアグネスタキオンのメイクデビューに注目しないわけがない。

 

そして、日本トレセン学園に留学しているアイルランド王女:ファインモーション姫殿下や黄金世代『ドリーム・シリーズ』最強のキングヘイローがわざわざ観に行くことを表明した『新バ戦(メイクデビュー)』なのだ。ウマ娘レースに詳しくなくても大きな注目が集まってしまう。

 

しかし、それ以上に大きかったのが担当トレーナー:斎藤 展望が築き上げた人脈というわけであり、メイクデビュー以前から地道にファン数獲得を意識した動きによって、メイクデビュー以前から“春秋グランプリ”に参戦できる得票数を稼げるだけの固定ファンを生み出していたのだ。

 

大雑把に数えても、代々に渡って皇室に仕えてきた『名族』としての繋がり、その中で世界に冠たる皇宮警察だった両親が残してくれた繋がり、最愛の妹:ヒノオマシが寄宿学校などで独自に広めてくれていた繋がり、私自身が各種イベントを利用して接することになった業界人や父兄の皆様方との繋がり、勤め先のトレセン学園の大物たちとの繋がり――――――。

 

なので、今日の『メイクデビュー中京』は担当トレーナーと担当ウマ娘のそれぞれの繋がりからたくさんの人たちが注目していたものとなっており、樫本代理や新生徒会役員も世代の中心になるであろう“超光速のプリンセス”アグネスタキオンのウイニングライブや担当トレーナー:斎藤 展望の手腕にも目を離すことができなかった。

 

結果、“学園一危険なウマ娘”と“学園一の嫌われ者”として悪名をトレセン学園に轟かせてきた2人のメイクデビューは人々に感動や驚きを与える神話の1ページとなり、多くの人の心に刻まれるものとなったのだ。

 

 

しかし、これで終わりではない。終わりは新たな始まりの序章に過ぎないのだ。

 

 

そう、これだけ注目の的になったのだ。『新バ戦(メイクデビュー)』が解禁された6月に出走したということは翌年2月までにメイクデビューする新バたちに徹底的に意識されて対策されることにもなる。包囲網が形成されるのは時間の問題だった。

 

そうした情報優位性を確保するためにできるだけメイクデビューを遅らせるのが一生に一度のクラシック戦線で勝つための先人の知恵であったわけなのだが、そうではない定石通りにはならない道を突き進むことになったのだから、それ相応の覚悟をしなければならない。小賢しい策など真正面から叩き潰す以外に勝利への道はなし。

 

だが、それぐらいの優位性を率先して与えなければ、全盛期のトウカイテイオーに準じる能力をメイクデビューで披露したアグネスタキオンという正真正銘の最強のウマ娘を相手に勝ち目がないレースに担当ウマ娘を送り出すトレーナーなどいないので、これはかつてマルゼンスキーが受けた仕打ちである出走回避による競走中止を防ぐためのエサなのだ。

 

ところが、現在の日本トレセン学園は内紛の真っ最中であり、これから3年間に渡って開催される非公式戦『アオハル杯』で樫本代理率いるチーム<ファースト>に勝利しなければ、これまで通りの黄金期のトレセン学園の有り様は維持できないということで、

 

公式戦『トゥインクル・シリーズ』での勝利が至上とされるトレーナー陣であったはずが、学内の非公式戦『アオハル杯』で勝たなければ自分たちの居場所がなくなるという焦りから、これまで廃止と復活を繰り返してノウハウが散逸している『アオハル杯』との二足の草鞋を担当ウマ娘に履かせることになってしまっていた。

 

それどころか、本来ならば勝者は一着バのみの非情なウマ娘レースでチーム対抗戦という異例の形式の『アオハル杯』に対応するためにアオハルチームを組むのだが、元々が栄光の座を巡って相争う者同士が寄り集まるために『トゥインクル・シリーズ』とのローテーションの兼ね合いやそれぞれの立場の利害関係から一致団結の理想から程遠い状態でチームトレーニングに励む光景すら始まっていた。

 

そのため、様々な思惑が絡み合った今のトレセン学園ではシンボリルドルフ卒業後の新時代の開幕と令和改元が重なり、何が起きてもおかしくない混沌の坩堝と化しており、その中から新たな可能性が生まれる土壌に育ちつつあった。

 

だからこそ、宇宙空間という星々の隙間を流離う宇宙移民の私にとっては非常にやりやすい状況になっているわけであり、私自身は“斎藤 展望”のトレーナーの箔付けのためにG1レースを1勝でもしてくれたら、あとは担当ウマ娘が満足して引退すればいいだけなので、レースの結果に何も気負うものはない。

 

ただ、WUMA襲来の絶望の未来に繋がらないタイムパラドックスが起きればいいと思ってウマ娘レースに関わりを持ち続けているだけで、それが回避できるのであればウマ娘レースという手段にこだわる必要もない。目的が達成できることが第一である。

 

今回の季節ごとの決戦はこれまでの並行宇宙からの侵略者や可能性の世界からの闖入者との戦いとは異なり、新時代を迎えて混沌を迎える世界情勢を見据えるものとなっており、ウマ娘レースによる世界の命運を懸けた本当の戦いがいよいよ始まろうとしていた。

 

 

だが、そう気負ったところで翌日から迎えることになるのは猛暑のオフシーズン:夏合宿の季節であり、6月からメイクデビューしたばかりのジュニア級ウマ娘としてはすることがない――――――。

 

 

なので、今回の『メイクデビュー中京』から年末の『ホープフルステークス』までの半年間で英気を養い、最後の1年となる2年目:クラシック級のローテーションを調整しつつ、『宝塚記念』が京都競バ場で代替開催されることになる未来の災厄に備えていこう。

 

そして、樫本代理が掲げる『管理教育プラグラム』施行を阻止するために非公式戦『アオハル杯』勝利に向けてトレーナー間の利害の衝突や二重のローテーションに翻弄されて死屍累々になることが予定されている生徒たちの健やかな成長を守っていきながら、先んじて『管理教育プラグラム』を乗っ取って有名無実化するための技術革新と新開発を急がなくてはならない。

 

そう、神様に定休日がないように、三女神に使われている私に夏休みなんてない。やることなすこと全てがお取次ぎの祭司長としての神事であり、切磋琢磨の日々のお稽古なのだ。

 

だが、そこには歓びや生き甲斐がある。そうすることの意義を見出しているからこそ、手段を目的にすることなく、まっすぐに目的に向かって折れて曲がって跳躍することができる。

 

なにより、私はついに“斎藤 展望”として生きてきたことのご褒美で タキオン粒子に続く 世界の律速に必要不可欠なブラディオン粒子の可能性を掴むことになり、最高の夏越の大祓と誕生日とメイクデビューを迎えることができたのだ。

 

すでに聖甲虫(スカラベ)を利用した四次元能力の技術検証も進み、西洋の黒魔術師が使役する魔獣の討伐すら可能にしてきたのだから、行く手を阻むものはない。

 

 

――――――20XY年も早くも残り半分。世界はすでに“斎藤 展望”の手の中にある。

 

 

*1
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。



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戦勝報告  芝刈りぬ草薙剣の霊威を掴み取れ

 

――――――20XY年6月30日の中京競バ場の6R『メイクデビュー中京』。

 

トレセン学園に入学して早々の『選抜レース』で誰よりも才能を示しながらも沈黙を貫き、時が流れて同期たちが次々と夢の舞台に上がっていっては夢破れて舞台から去っていくのが繰り返され――――――、

 

けれども、“学園一危険なウマ娘”として悪名を轟かせて その存在感を埋没させることなく 4年間の忍耐の時を経て、ついにターフの上に現れたタキオンさんのメイクデビューは()()()()()()()()()()として『新バ戦(メイクデビュー)』が解禁されたばかりの6月最後を飾るに相応しいものとなりました。

 

これでタキオンさんは否応なく来年のクラシック世代の中心として誰よりも注目を浴びることになり、自分こそが優駿たちの頂点に立つスターウマ娘だと信じてトレセン学園の狭き門を潜り抜けてきた日本全国のみならず世界各国から『トゥインクル・シリーズ』で夢を叶えるために集まってきた新バたちの標的になるわけです。

 

そして、中京競バ場でメイクデビューをしたということは同じ左回りの東京競バ場を意識したものであり、つまりは『日本ダービー』に代表される日本ウマ娘レースの王道である“無敗の三冠”達成を狙ったものだと歴戦のトレーナーたちは解釈するわけなのです。

 

しかし、タキオンさんが目指しているのは、斎藤Tが求めているのは、2人が見据えているのは“無敗の三冠”を遥かに超えた()()()()()を変えるタイムパラドックスであり、前代未聞の“クラシック八冠”という不可能への挑戦でした。

 

 

――――――それこそがタキオンさんが求め続けたウマ娘の可能性の“果て”。

 

 

一方で、それは史上初の“春シニア三冠”達成を果たした私にしても同じことで、元々は“最初の三年間”をすでに終えて『URAファイナルズ』開催のために引退を引き止められていた強豪止まりの長距離ウマ娘(ステイヤー)に過ぎない私でしたが、

 

いよいよ『URAファイナルズ』敗退で引退になる瀬戸際でタキオンさんと斎藤Tに新たな道を示された結果、まさかの『URAファイナルズ』敗退直後の快進撃で『大阪杯』『天皇賞(春)』『宝塚記念』を三連勝して史上初の快挙を達成することができました。

 

そして、今までずっと追いかけ続けてきた“お友だち”の背中に少しでも近づくことができたという実感もあって、今の私は最高に充実した気分でした。まだまだ走り続けて“お友だち”のことを追い続けたいという気持ちが抑えられません。

 

ですので、この調子で“秋シニア三冠”達成も両立して前人未到の“春秋シニア六冠”を果たすのも悪くないと思い、和田Tとの契約は続行しています。元より“最初の三年間”も終えて『URAファイナルズ』も敗退して引退するだけの身でしたので、“春シニア三冠”達成からの『トゥインクル・シリーズ』への再挑戦はあまりにも縛るものがなくて開放感に溢れるものでした。

 

これで私もタキオンさんと同じように今現在のウマ娘レース業界で現役最強を目指す古バたちの最大の注目の的になったわけです。

 

 

――――――本当に人生とは不思議なものです。

 

 

テイオーさんやマックイーンさんと言ったかつての世代の中心となるスターウマ娘が次々に引退していった一方で、同じ年に入学した同期の私たちがこうして競走ウマ娘としてはゼロからスタートし直すことになり、それぞれが新バと古バとして最大の注目を集めることになっているのですから。

 

けれども、私たちを導いてくださる“門外漢”斎藤Tは()()()()()を変えるためにトレーナーの立場でありながらトレーナー業以外に数え切れないほどの仕事を同時進行させながら人知れず人類の脅威に対抗していることを間近に見ていると、

 

そうした人たちの支えがあって『トゥインクル・シリーズ』で夢を叶えるために真剣勝負に安心して挑める今の平和があるわけですから、タキオンさんも私も“クラシック八冠”も“春秋シニア六冠”という不可能への挑戦に挑む勇気をもらえています。

 

そう、あの人はそれが私たちに与えられた黄金期の次の新時代を切り拓くための天命なのだと、それを全うすることこそが()()()()()を変えるタイムパラドックスのために誰よりも体を張りながら決して功を誇らずに平和を支えているあの人にとって最大の支援になると言ってくださいました。

 

ですので、タキオンさんもそうですが、私もあの人のために“春秋シニア六冠”を勝つことをいつしか強く願うようになっていました。

 

 

――――――けれども、本当は()()()()()()()()()()()ことに気づいてしまった自分のことが嫌になります。

 

 

正直に言って、私はずっとタキオンさんのことが疎ましかった。妬ましかった。羨ましかった。

 

タキオンさんは入学して早々にスカウトに来たトレーナーを次々と実験体(モルモット)にする“学園一危険なウマ娘”でしたが、

 

私もまた他の人には視えないものが視えることで周囲から理解を得られない“学園一不気味なウマ娘”として同類扱いされて、その監視役として生徒会から旧理科準備室を特別待遇で与えられる始末です。

 

しかも、タキオンさんの監視役に選ばれた一番の理由が、“皇帝”シンボリルドルフにとっての一番のお気に入りはテイオーさんでしたが、“皇帝”にとってあの世代で一番に期待していたタキオンさんで、そのタキオンさんが一番に評価していたのが私だったから一緒にされたわけなのです。

 

だから、最初から何から何まで私の学園生活はタキオンさんの道連れになり、タキオンさんの興味を引いたばかりに一番身近なウマ娘として頻繁に実験台にされそうになるし、タキオンさんが何かしでかす度に監視役にされた私が事情聴取を受ける羽目になり、宛てがわれた旧理科実験室で私たちは喧々諤々の毎日を送っていました。

 

その上で非常に腹立たしかったのが、私にしか視ることができないから誰も信じようとしなかった“お友だち”のことをを彼女なりの知見や解釈から存在を認めてくれた初めての人になったことでした。

 

そんな日々も 部活棟が出来上がって これ幸いに一人しかいない化学実験室にタキオンさんを押し込めて清々しましたが、

 

それとは裏腹に私の『トゥインクル・シリーズ』は世代の中心であったテイオーさんやマックイーンさん、それに続いたミホノブルボンさんやライスシャワーさんに遅れを取り続けることになり、実力十分と評価されながらもなかなか勝ちきれない強豪止まりでした。

 

そして、タキオンさんも部活棟の化学実験室に閉じ籠もりきりになって何年も経ち、退学処分が検討される度に“皇帝”シンボリルドルフが庇い立てをするのが繰り返されて、

 

ついに『URAファイナルズ』が開催され、最大の庇護者である“皇帝”が卒業する年を迎え、私にしてもタキオンさんにしてもいよいよ後がなくなろうとした黄金期最後の一年――――――、

 

 

――――――“皇帝”シンボリルドルフが最後にその登場を待ち望んだ無名の新人トレーナーが配属されました。

 

 

あの人は配属早々に形振り構わない強引なスカウトで“学園一の嫌われ者”となり、すぐにクビになりかけたと思いきや、学外でウマ娘に撥ねられて三ヶ月間の意識不明に陥ったと言うことで非常に有名な方でした。もちろん、悪い意味で。

 

しかし、三ヶ月間の深い眠りから目覚めた時には記憶喪失になりながら、復帰してすぐにハッピーミークさんの担当トレーナーの桐生院Tのサブトレーナーの座に収まっていたのです。

 

しかも、自身が組んだ最初の模擬レースでまさかのハッピーミークさんの対戦相手に“怪物”ナリタブライアンを選んで打ち負かし、その勢いで『天皇賞(秋)』でついにハッピーミークさんにG1勝利を掴ませた実績まで積んでしまいました。

 

また、トレーナーとしての実績以外でも配属早々に“学園一の嫌われ者”になった存在感の強さは記憶喪失になっても衰えず、むしろ桐生院Tの許で落ち着いて学園での立居振舞を学んだことで要領を得たのか、最初に打ち立てた悪名によって学園中に名が知れ渡っていたこともあり、目覚めてからずっと毎月のように学園の話題に名が出る存在で在り続けました。今度は良い意味で。

 

そもそもとして、あの人は本来はウマ娘レースのトレーナーになるべき人物ではなく、代々に渡って天皇家に仕えてきた古来からの由緒正しい『名族』出身の皇宮警察のエリートの子息という“門外漢”だったわけなのです。

 

それが ウマ娘に撥ねられて記憶喪失になったのとは裏腹に 配属早々に“学園一の嫌われ者”になるほどに強引なスカウトをするほどに切羽詰まった事情が解決された後は、程々にトレーナーとしての実績を積み上げたら引退するだけの気楽な立場になっていたようでして、最初の頃とは丸っ切り別人になっていたそうです。

 

それだけに皇宮警察のエリートの子息として発揮された透き通った人間性と能力の高さはトレセン学園のウマ娘やトレーナーならば声を掛けられるだけでも恐縮してしまう生徒会役員のスターウマ娘の全員と対等の付き合いで親交を結ぶほどで、その極めつけとして生徒会役員の全員からバレンタインチョコをもらうほどでした。

 

気づけば“学園一の切れ者”としてトレセン学園の大物たちと肩を並べてウマ娘レースやトレセン学園の未来を語り合うほどの信頼を得て、精力的な学外活動や課外活動によって配属1年目の新人トレーナーとは思えないほどの人脈を築き上げていたのです。

 

 

そんな人だったからこそ、私や“皇帝”シンボリルドルフをはじめとするみなさんがタキオンさんに担当トレーナーができたことを心から祝福することができたのです。それはもう『学園一危険なウマ娘のことを引き取ってくれるなら学園としては大歓迎』という満場一致の祝福です。

 

 

ええ、はっきりと憶えています。一人しかいない化学部の部室にずっと閉じ籠もりきりで何日もシャワーを浴びることのないようなタキオンさんから毎日ちがうシャンプーの匂いがするようになったのに気づいた時の衝撃は。

 

今までタキオンさん以外に誰も訪れる人がいなかった部活棟の一室が賑わいを見せて、それでいてタキオンさんがちゃんと学生寮に帰って自分からシャワーを浴びるようになったことは、旧理科実験室で喧々諤々していた頃のことを思うと、それが本当かどうか素直に信じることができませんでした。

 

ですから、たった1回の『選抜レース』に出てからは何年もずっと自分の実験室に引きこもっていたタキオンさんのことを外の世界に連れ出したトレーナーがどんな人なのかを見てみたくなりました。

 

だから、“お友だち”にお願いして何度も見に行ってもらったのですが、“お友だち”からその人の話を聞く度に外側は清涼でありながら内側は温かいものが身体中に広がっていく感覚がして、『側にいるだけで元気を分けてもらえる』そんな人なんだと思いました。

 

 

――――――そう、だから、私はタキオンさんのことが疎ましかった。妬ましかった。羨ましかった。

 

 

自分を曲げずに何度も退学処分になりかけようともギリギリまで『待つこと』を選んで自ら引き寄せた担当トレーナーがあまりにもタキオンさんにとって完璧で、自分だけのトレーナーを掴み取ったタキオンさんから滲み出ている歓びを見せつけられていると、私ばかり損しているように感じてしまいました。

 

それだから、私は『URAファイナルズ』敗退で引退しようとしていた時に和田Tを通して実質的にあの人からスカウトを受けた時、これからあの人と二人三脚で『トゥインクル・シリーズ』に挑むことになるタキオンさんに対してほくそ笑むような昏い感情を覚えることになったのです。

 

どうせタキオンさんのことだから、せっかく担当契約を掴み取ったトレーナーのことさえも実験体(モルモット)扱いにしてすぐに愛想を尽かされると高を括っていました。

 

けれども、それはトレセン学園の生徒に過ぎなかった子供の稚拙な発想で、誰よりも大人だったあの人はトレセン学園での日々は自身の夢を叶えるための通過点に過ぎないとして『宇宙船を創って星の海を渡る』という壮大な夢の下準備として広く人材を集めていて、タキオンさんのことを()()()()()()()()()()()()極めて優秀な研究者として迎え入れる生涯契約を交わしていたのです。

 

その証として贈られていたダイヤモンドのネックレスをタキオンさんが学園で人の目を盗んでこっそり眺めてニヤニヤ悦に浸っている様子を目にしてしまった時、恋はダービー、初めて私もタキオンさんも一人の女の子だったことを思い出しました。

 

そして、その時に初めて深く認識に刻まれた感情を忘れることができないまま、タキオンさんよりも役に立ってタキオンさんよりも近い場所に置いてもらいたいという欲求に私は駆られるようになりました。

 

タキオンさんは言わずもがな 人を人と思わずに実験台(モルモット)にしようとするぐらいには荒事に慣れていましたが、私も“お友だち”と力を合わせることで常人の理解の範疇を超える力を行使することができるので、きっと役に立てるものだと――――――。

 

 

けれども、あの人に発破を掛けられて私が史上初の“春シニア三冠”を達成した『宝塚記念』の1週間後の『メイクデビュー中京』で、そんな思いは出走開始と同時の雷鳴と共に粉微塵に打ち砕かれることになりました。

 

 

もちろん、この日のためにありとあらゆる準備と忍耐を重ねてきたタキオンさんは雷鳴に惑わされることなく、後続のバ群が突然の重バ場と出遅れによってもつれ合って全体が低速のうちに、サンタアニタで“異次元の逃亡者”サイレンススズカの背中を一瞬でも捉えるほどの神速で一人あっという間に重バ場の第一コーナーを越えていくのが見えました。

 

いくら『新バ戦(メイクデビュー)』ということで最初から結果が見えていたとしても、ここまでの差が出るのを目の当たりにすると、その結果に少なからぬ衝撃を受けてしまいます。

 

しかし、その雷鳴と共に重バ場を突如として作り出した大雨のレーストラックの中心:バ場内遊園地に陣取っていた巨大な存在に私だけが気付かされ、あの人が戦っている相手は()()()()()()()()()()()()()()と戦慄させられることになりました。

 

それは山でとぐろを巻くかのような大きさの巨大な蛇の怪物でした。バ場内遊園地から突如として現れたそれは私以外の誰にも視えず、レーストラックの中心から外周を低速で走っているバ群を睨みつけて丸呑みにしようとしていたのです。

 

すると、次の瞬間にはどうなってしまうのか――――――、出走開始と同時の雷鳴によってタキオンさん以外の新バの全員が出遅れたという焦りと一体感から大雨で視界が悪い重バ場を走る低速のバ群が一斉に転倒してほぼ全員が競走中止になる巻き込み事故になる光景が私だけに視えてしまったのです。

 

思わず観客席から立ち上がってしまったものの、他の誰にも視ることができない光景を説明したところで手遅れで、誰にどう説明すればいいのかもわからず、あんな化物をどうにかしようだなんて到底無理だと何もできず静かに腰を下ろすしかなかった最後の瞬間――――――。

 

 

 

――――――シンボリルドルフ!

 

 

――――――トキノミノル!

 

 

――――――これでエンドマークだ!

 

 

 

Fusion-ride to Origins !

 

 

Symboli Rudolf ∧ Tokino Minoru

 

 

Byerley Turk

 

 

 

――――――私の眼には黄金に輝くウマ娘の勇姿が視えました。

 

 

そして、誰にも視えない現実と非現実が紙一重の場所でたった一人で山そのものであるかのような巨大な蛇の怪物からタキオンさんが置き去りにした遥か後方の雷雨の重バ場で足を取られているバ群を護ろうとしていました。

 

しかし、ヒトを遥かに超える身体能力を誇るウマ娘と言えども、自然の脅威そのものである山のように巨大な怪物の前には手も足も出ないのは自然の道理です。

 

最初こそ横っ面への飛び膝蹴りで大雨と共にバ群を呑み喰らおうとしていた怪物を仰け反らせることができても、次の瞬間には巨大な蛇の怪物はレーストラックの中心:バ場内遊園地の広い敷地を巨体とは思えない俊敏さで激しく這い回り、

 

不意に放たれた尻尾の叩きつけがバ群に向かった時は黄金のウマ娘は山のような蛇の怪物の一撃を逃げることなく巌のように真正面から受け止め、現実世界ではバ群が何事もなかったかのように叩きつけられるはずだった怪物の尻尾の下を通り抜けていきます。

 

すかさず、受け止めた尻尾を伝って怪物の頭部に迫ろうとするものの、激しい雨によって水を得た魚のように滑らかに動く山のような巨体に振り落とされてしまい、時間稼ぎが精一杯なのが見て取れます。

 

一方、タキオンさんは『皇帝G1七番勝負』で見せた“無敗の三冠ウマ娘”並みの初期能力と出走開始時の雷雨も相まって あっという間に新バたちの視界から消えて 後続のバ群をコースの反対側に置き去りにした状態でゴール板を通過していました。当然、永久に更新されることのないだろうレコード勝利を達成して。

 

それも大差という枠を遥かに超えた、コースの反対側に置き去り;1000m以上なので、衝撃の400バ身差という計測不可能と言うより正気を疑う桁違いの着差を記録することになったのです。*1

 

まさに完全独走状態で 駆け引きも何もない重バ場のターフさえも絶好調で全力で駆け抜けたタキオンさんは 後続に一切姿を見せることなく そのまま悠々とターフの上から去っていくことができたはずなのですが、自身がコースの反対側に置き去りにしたバ群を眺めるためか その場を後にすることなく 雨に打たれ続けていました。*2

 

 

――――――そうです。タキオンさんにも同じように視えていたのです。

 

 

私の眼には6R『メイクデビュー中京』に出走した全てのウマ娘が無事にゴール板を通過できるように必死に蛇の怪物からバ群を護ろうと必死に足掻く黄金に輝くウマ娘の姿がずっと視えていました。タキオンさんもゴール板を通過した時にレースへの集中力が切れたことで視えなかったものが眼に映るようになったのかもしれません。

 

けれども、私よりも間近にレーストラックの中心:バ場内遊園地で暴れている蛇の怪物が視えたところでできることがないのは変わりません。長くても5分以内にはウマ娘レースは絶対に終わることを踏まえて祈るようにその時間が来るのをただ待つしかないのです。

 

そうこうしているうちに、蛇の怪物の首を切り落とそうと刃を突き立てたところでゴール板の前に黄金に輝くウマ娘が激しく叩き落されてしまいました。

 

けれども、現実では依然として激しい雨が降りしきるだけで、私の五感に訴える衝撃がありながらゴール板には何の跡も残っていませんでした。タキオンさんが駆け出したくなるのをグッと堪えているのが視えました。

 

すると、蛇の怪物の口から明らかに毒々しく不吉な青紫色の炎が漏れたのが視えると、ゴール板の前に叩きつけられてヨロヨロと起き上がったあの人に向けて悍ましい瘴気を浴びせてきたのです。

 

あんなものを浴びてしまったら絶対にただじゃすまないという予感が極寒の冷気のように私の全身を包み込みました。完全に身体が縮み込んで 手も足も動かず 息をすることすらできなくなったように錯覚する無限のような一瞬が訪れました。

 

 

――――――その時、私は、タキオンさんは、何を想ったのでしょうか?

 

 

答えはきっと私もタキオンさんも同じだったように思います。

 

無限のような一瞬、その瞬間、観客席の私とバ場にいるタキオンさんが時間と空間を超越して繋がったのを感じ、周りの全てが停まった時の狭間で私があの人から預けられていた2つの空白(ブランク)のウマ娘ジェムが輝きました。

 

2つのウマ娘ジェムを取り出してスイッチを入れると、かつてないほどにはっきりと濃い力強い存在感の“お友だち”が現れ、今まさに悍ましい炎に中京競バ場のターフの上で焼き尽くされようとしているあの人の許に飛んでいって、1つになり――――――。

 

なんと、“お友だち”と1つになって力強い輝きを取り戻したあの人はいつの間にか手にした輝く剣で円を描いて十字に斬ると、結界のようなものであの悍ましい炎が阻まれ、次第に勢いが緩やかになっていくどころかゆっくりと逆再生しているように視えました。

 

そして、“お友だち”と一体になったあの人が火打ち石で火起こしするように握り拳の両手を擦りつけると聖火のように光り輝き、ゆっくりと逆再生している悍ましい青紫色の炎を防いでいる結界に全力をぶつけるかのように思い切り光り輝く両手を叩きつけました。

 

すると、ゆっくりと逆再生している悍ましい炎が早戻しで逆流し、見ていて毒々しいものが神々しい光を放つものに変質して、怪物の口に全て吸い込まれていったのです。

 

これにより、蛇の怪物は体のあちこちから光が漏れ出し、光の粒となって霧散していったのです。

 

それと同時に中京競バ場を覆っていた不穏な気配が全て消え去り、出走開始と同時に降りしきった雷雨が止み、空は晴れ渡ることになったのです。

 

気づくと、タキオンさんに置き去りにされたバ群がゴール板に辿り着いたのを観客席から拍手で迎えたあの人がいて、担当トレーナーとしてタキオンさんを迎えに行くために観客席をすっと離れていきました。

 

 

――――――さっきまでのは全て幻だったのでしょうか。

 

 

けれども、私の手の中には空白(ブランク)だったはずのウマ娘ジェムが2つあり、そこから身体の芯から温かくなるような力強いエネルギーの波動を感じることができました。

 

そう、それは私とタキオンさんのウマ娘ジェムで、見ているしかできない私たちのあの人を想う祈りが重なり合って現実を変える力になった証でした。

 

そして、そのことを誰もおくびにも出さないわけなのですが、ただただ存在を感じられる、無事でいることにたとえようのない歓びを覚えるようになったのもこの瞬間からでした。

 

 


 

 

――――――熱田神宮会館

 

 

斎藤T「――――――であるからして、熱田神宮の社家から史上初の武家政権である鎌倉幕府を開いた源頼朝が誕生したように、」

 

斎藤T「熱田神宮に納められている三種の神器の1つ:天叢雲剣、またの名を草薙剣にはルール作りや秩序の構築を大いに助ける霊威があるわけですね」

 

斎藤T「また、それからも桶狭間の戦いで織田信長が戦勝祈願をしたり、徳川御三家の筆頭格である尾張徳川家が勃興したりしたわけなので、東西の都を結ぶ中京として栄えてきた名古屋にはそういった働きの産土の力がみなぎっているわけです」

 

斎藤T「裏を返すと、見栄っ張りで有名な名古屋人の気質を抑えるために熱田神宮が中京に建てられたという見方もできます」

 

斎藤T「実際、中京と呼ばれるぐらいには都市圏が発達していてながら、名古屋から出るという考えがほとんどないぐらいに地元志向が強く、」

 

斎藤T「全国から人が集まる東京のように様々な人や考えに触れる機会が比較的少ないことや尾張徳川家という諸大名の中で最高の家格だったことで自意識過剰にもなるわけですよ」

 

斎藤T「しかし、これもまた源頼朝や織田信長のような天下人を生み出すには最適な土壌になっていまして、名古屋人の生来の気質に熱田神宮の神徳でバランスを取ることで、現代においても世界No.1のTOYOTAがあるわけです」

 

斎藤T「TOYOTAがどうやって世界No.1になれたのかを分析すると、ほらね、KAIZENやカンバン方式に代表されるように、鎌倉幕府を開いた源頼朝のように徹底したルール作りと秩序の構築が現場での主要因とされているわけです」

 

斎藤T「でも、これは考えてみると当たり前のことで、現代においても世界的な富豪を輩出しているユダヤ人の起源となるのが出エジプトした古代イスラエル人であり、その指導者だったモーセの十戒を守って集団の秩序を維持することで社会の安定が図られたわけです」

 

斎藤T「法によって社会の安定を得るというのは、古代中国において法家が唱えた法治主義による統治で初めて中華統一を果たした秦の始皇帝や、秦王朝を打倒しながらその手法を受け継いだ漢もそうですね」

 

斎藤T「同じように、君主が名君であるか暗君であるかによって政治が安定しなかったのを憲法によって君主の権限を制限して振れ幅を小さくして社会の安定を図った近代国家が古代と比べてかつてないほど政権が安定して繁栄しているのは誰の眼から見ても明らかなことでしょう」

 

 

斎藤T「つまり、私の担当ウマ娘:アグネスタキオンがなぜ主要4場ではなく、この中京競バ場からメイクデビューしたのかと言うと、トレセン学園の黄金期を導いた“皇帝”シンボリルドルフ卒業後の新時代の方向性を決めるために熱田神宮の草薙剣の霊威が不可欠だったからなのです」

 

 

斎藤T「現在のトレセン学園は黄金期から新時代を迎えるに当たって様々な混乱が生じています」

 

斎藤T「黄金期を主導した“皇帝”シンボリルドルフは卒業し、秋川理事長は海外に長期出張でトレセン学園を離れています」

 

斎藤T「その留守を預かった樫本理事長代理はこれまでのトレセン学園の自由で開放的な校風に反した徹底管理主義の名の下に『管理教育プログラム』導入のために非公式戦『アオハル杯』を利用してトレセン学園に少なからぬ波乱を呼んでいます」

 

斎藤T「そして、生徒たちの代表機関である生徒会役員の指導力は“皇帝”一人のカリスマに及ばず、長期政権を築けないことで、『URAファイナルズ』の成功もあって総生徒数2200名弱に達した生徒たちの統率に苦労していくことでしょう」

 

 

斎藤T「ですので、今こそ熱田神宮の神剣の霊威が必要というわけなのです!」

 

 

斎藤T「ここにお集まりになりました、名古屋の皆さん!」

 

斎藤T「名古屋の地から国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』の新時代を切り拓く上様がおなりになるのを見てみたいと思わないかー!」

 

斎藤T「この地を“超光速のプリンセス”アグネスタキオンの天下布武の始まりの地とする!」

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! パチパチパチ・・・!

 

 

それから『メイクデビュー中京』のウイニングライブ 前半の部が終了すると、祝勝会は熱田神宮で行われた。

 

20XY年6月30日、その日は夏越の大祓であったが、祭事そのものは重賞レースが行われる11Rの前には執り行われているため、問題なく祝勝会の前に中京茅の輪くぐりを完遂したことや担当ウマ娘のメイクデビューが成功したことへの報恩感謝の団体参拝を行えた。

 

熱田神宮に集まったのは私とアグネスタキオンを応援している方たちであり、更には()()()()()()()()()()に心打たれたウマ娘レースファンも巻き込んで団体参拝と祝勝会を行ったため、予想を超える数に熱田神宮の神職の方々に大変驚かれた。

 

そして、再び御垣内参拝した時に神託でどうして中京競バ場でのメイクデビューや中京茅の輪くぐりが必要だったのかを教えられることになった。

 

それを踏まえて中京競バ場やウイニングライブ会場でアグネスタキオンに魅せられたウマ娘レースファンに対して訴えかけたのだ。

 

そう、すでに『宝塚記念』『有馬記念』に出走するために必要なファン数に達するだろうことは確定しているが、ここで主要4場の王道路線から外されているためにあまり中央から見向きされない名古屋人の心をきっちりと掴んでしまうのだ。

 

横浜と同じだ。日本を代表する大都市の1つである名古屋にだって矜持がある。東京や京都ならまだしも主要都市に数えられていないような船橋(中山)宝塚(阪神)になんか負けてられるか――――――。

 

私が皇宮警察のエリートの息子であることを明かした上で熱田神宮の由緒を語ることで『高松宮記念(中京大賞典)』が開催される中京競バ場がある名古屋*3への深い尊敬と熱い想いを届けるのだ。

 

そのため、名古屋こそが世界の中心だと信じて疑わない名古屋人の心をくすぐってやるわけであり、団体参拝の御玉串料は神様への誠の証としてきっちり徴収するが、

 

一方で、祝勝会の一般人の参加条件は『メイクデビュー中京』のバ券やウイニングライブのチケット持参としたので大勢の人たちが集まることになったわけである。

 

名古屋人はモーニングの聖地として喫茶店のモーニングセットがいかにお値打ちであるかどうかにこだわるような人種なので、実質的にタダでごちそうにありつけるとなれば食いつかないわけがない。

 

そうしてもてなしたところで、徳川御三家の筆頭格として諸大名の中で最高の格式を有した伝統と誇りに訴えかけることで、名古屋人に刻まれている地元の誇りの淵源である大大名への忠誠心を呼び起こす。

 

それだけじゃない。この場にはアイルランド王族の留学生:ファインモーション姫殿下や“春シニア三冠バ”マンハッタンカフェをはじめ、エアシャカール、ウオッカ、ダイワスカーレット、アストンマーチャン、ソラシンボリといったアオハルチーム<エンデバー>の面々、新生徒会役員に就任したトウカイテイオーやメジロマックイーンも居合わせており、他には黄金世代『ドリーム・シリーズ』最強のキングヘイローとディスカビル姉弟も駆けつけて大盛りあがりである。

 

そうして誕生日を迎えた“斎藤 展望”を祝うバースデーパーティーを兼ねた身内だけの祝勝会とウマ娘レースファンとの祝勝会の会場を用意して、思いもよらぬ中央競バ『トゥインクル・シリーズ』のスターウマ娘たちとのファン交流イベントも開催されたので、“超光速のプリンセス”アグネスタキオンのメイクデビューとしてはこれ以上ない宣伝となってくれただろう。

 

私も自分自身の夢のために地元の人たちと積極的に交流することになり、名古屋の人たちが中央競バや中央トレセン学園に対してどのような印象を抱いているのか聞き取りをすることになった。

 

その裏で、異例のチーム対抗戦『アオハル杯』を復活させることで中央競バや中央トレセン学園がこれからどのように変わろうとしているのかをパンフレットにして無料配布させる目的で抜き打ちのファン交流イベントを企画したわけでもあった。

 

海外に長期出張することになった秋川理事長の置き土産である非公式戦『アオハル杯』のことをどれだけの人間が知っているのかをアンケート調査も実施することになり、過去に廃止と復活を繰り返した歴史の生き証人からの生の声をどうにかして集めようとしていた。

 

そこから縁を手繰り寄せることで過去の『アオハル杯』の開催時期を特定して過去視することで、『アオハル杯』の歴史的資料のコピーをエクリプス・フロントの歴史資料館にいずれ展示するのだ。

 

 

 

――――――東京への帰りの新幹線にて

 

 

斎藤T「………………」

 

斎藤T「――――――」スッ

 

斎藤T「………………」ジー

 

 

――――――ウマ娘ジェム【“超光速のプリンセス”アグネスタキオン】

 

 

――――――ウマ娘ジェム【“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェ】

 

 

ゴールドシップ「よう、モッチー。ずっと喫煙ルームに籠っていてよぉ、葉巻に火も点けずに何してんだぁ?」

 

斎藤T「……ゴールドシップ」

 

ゴールドシップ「ほほう。気に入ってくれたみたいだな、それ」

 

ゴールドシップ「見ていたぜ、あの戦い。早速、()()()()()()()が役に立ってくれたみたいで何よりだぜ」

 

斎藤T「普通に負けそうだったが?」

 

ゴールドシップ「絶体絶命の状況からの逆転がヒーローの見せ所だろう?」

 

斎藤T「このウマ娘ジェムそのものは既存の玩具を改造しただけの物実だ」

 

斎藤T「――――――人々の内に宿るリトルスターが祈りとなってウルトラカプセルを起動させる。原作通りの仕様だな」

 

ゴールドシップ「そうだぜ。あんたと特に縁が深いウマ娘ってのがアグネスタキオンとマンハッタンカフェの2人だったわけだな」

 

斎藤T「まあ、私が求めているのは世界の神秘だとか冒険だからな。これが政治だとか改革になってくるとシンボリルドルフになってくるんだろうが」

 

ゴールドシップ「モッチー、あんたならリトルスターとウルトラカプセルの正体がわかるだろう?」

 

 

――――――どうしてウマ娘ジェムが力になるのか。そして、この世界が何なのかも。

 

 

斎藤T「ヒトは神の似姿として想像された地上の支配者であり、全ての動物に名前を与えた万物の霊長――――――」

 

斎藤T「ウマ娘はある四足歩行動物の特徴を併せ持った万物の霊長たるヒトに極めて近い何か――――――」

 

斎藤T「今日のメイクデビューで2つのウマ娘ジェムを起動させた祈りには アグネスタキオンとマンハッタンカフェの想念に乗せられた 2人を応援するファンや仲間たちの想いも込められていた――――――」

 

斎藤T「つまり、あの時 フュージョンライドした私にはアグネスタキオンとマンハッタンカフェの想いに加えて、それ以上にファンや仲間たちの応援もあって、実質的な祈りの総量は“春シニア三冠ウマ娘”マンハッタンカフェのファンが大半を占めていた――――――」

 

斎藤T「けれども、中京茅の輪くぐりで集めた人々の穢れを具象化した妖怪:オロチを草薙剣と火打ち石で浄化した時、どうしてアグネスタキオンとマンハッタンカフェの祈りにそれだけの人々の意思を集めることができたのが朧気ながら見えたんだ」

 

斎藤T「なぜアグネスタキオンとマンハッタンカフェが人々の祈りの器になり得たのか――――――、いや、ウマ娘という異世界の英雄の魂を宿した存在だというオカルトがなぜ一般に信じられているのか、その真相の一端に触れることができたような気がしたんだ」

 

斎藤T「たぶん、中京茅の輪くぐりで巡ってきた各地の神域に降りている神霊が教えてくれたことなんだと思う」

 

ゴールドシップ「へえ? それで?」

 

斎藤T「結論を言おう。ウマ娘をウマ娘たらしめている異世界の英雄の魂“ウマソウル”の正体は裏世界に跋扈している妖怪と本質的に根源を同じくするものなんだ」

 

 

――――――異世界の英雄の魂“ウマソウル”はここではないどこかの異世界で確立された人々の祈りが信仰となったものなんだ。

 

 

斎藤T「つまり、ウマソウルを構成する大部分は異世界の英雄の霊魂そのものよりも英雄に祀り上げた人々の意思が大部分を構成している。ウマ娘の霊魂が骨で、人々の意思が肉と考えると、ウマソウルの構造がわかりやすいんじゃないか」

 

斎藤T「要は、ここではない異世界で『英雄にはこうであって欲しい』という願いからウマソウルが流れ着いて形作った夢の舞台というのが『トゥインクル・シリーズ』、このヒトとウマ娘が共生する地球だと言ったら、信じるか?」

 

ゴールドシップ「まあ、最初からあたしらウマ娘には『異世界の英雄の魂が宿っている』って言われているからには、こことはちがう異世界のどこかでやり残したことがあるから往生せずにこの世界に生を受けているんだろうなってのはなんとなく」

 

ゴールドシップ「けど、そう言われるといろいろと辻褄が合うよな」

 

斎藤T「ああ。学園裏世界に蔓延っている悪霊や妖怪の正体は圧倒的にウマ娘よりもヒトが多い。ヒトの方が霊性に優れていると評するべきか、ウマ娘が野性的と言うべきか――――――」

 

斎藤T「なぜ ただ単に“異世界人の魂”ではなく“異世界の英雄の魂”という大仰な肩書で言い伝えられているのかも今ならわかる。人々の信仰によって英雄にまで昇華された魂のことを古代の霊能力者がしっかりと審神(さにわ)していたからなんだな」

 

斎藤T「このヒトとウマ娘が共生する地球で定められている運命は異世界のある存在を“英雄の魂”にまで昇華させた人々の信仰が求めているものが根源となって霊界を形成して現実の事象を形作った結果がほとんどなんだ」

 

 

――――――始めに言葉ありき。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。

 

 

斎藤T「今なら造物主と被造物の関係性の観点からヨハネの福音書の第1章が真実であると深く頷けるな」

 

ゴールドシップ「へえ。それじゃあ、あたしたちウマ娘がやりたいと頭で考えるよりも本能や直感で思うことはここではない異世界の人間たちの『こうあって欲しい』という願いやエゴに突き動かされているってわけか」

 

ゴールドシップ「すると、『宝塚記念』を三連覇する絶対無敵のゴルシ様や“無敵の三冠バ”になれたトウカイテイオーのような“もしもの可能性”を夢想する熱心なファンの願いがアタシたちの今現在に大きな影響を与えているわけってか」

 

斎藤T「ウマ娘だけに限ったことじゃない。この世界でヒトに生まれ変わっている“異世界の英雄の魂”もそれなりにいるようだ」

 

ゴールドシップ「なら、明らかに『トゥインクル・シリーズ』の王道から外れた存在のアグネスタキオンとマンハッタンカフェの在り方はウマソウルに刻まれた使命に反する生き方をしているんじゃないのか?」

 

 

斎藤T「でも、ウマソウルに縛られない 誰も見たことがない まったく新しい物語がこうして始まっているだろう? ワクワクしないか?」

 

 

ゴールドシップ「あたぼうよ! つまらねえことなんてお呼びじゃねえ!」

 

斎藤T「そこだよ。英雄信仰の根源にあるものは」

 

斎藤T「イギリスのアーサー王伝説がフランスで脚色されていった設定が逆輸入されて、それが歴史的資料に基づくかどうかよりも物語としておもしろいから公式設定として定着されていったように、英雄を信仰した人々は『こうあって欲しい』という夢とロマンに胸を膨らませてきたんだ」

 

斎藤T「日本で言えば、特に織田信長と新撰組の二次創作やパロディが多種多様に存在して、少なくとも外すことができない設定や定番のイメージというものが確立されてもいるだろう。それと同じことだ」

 

斎藤T「そして、きみたちウマ娘は『こうあって欲しい』という願いを受けて異世界の英雄の一側面を反映させた存在だ」

 

斎藤T「だから、もしかしたら ちがった一側面を反映させた 根源を同じくする 魂の同胞が探せばいるかもしれないぞ。それこそ、無数に存在する織田信長や新撰組の様々なキャラ付けのようにな」

 

ゴールドシップ「アハハハハハ! そいつはいいな! このゴールドシップ様が世界に何人もいたら、この世界は最高にハイテンションだよな!」

 

 

――――――なら、()のあんたはさ、どこの異世界の何の英雄の魂が宿った存在なんだろうな?

 

 

 

 

 

マンハッタンカフェ「あ、おかえりなさい、斎藤T」

 

陽那「おかえりなさい、兄上」

 

アグネスタキオン「随分と長く席を離れていたじゃないか」

 

斎藤T「寝ているものだと思っていたが」

 

アグネスタキオン’「おいおい、これから旅費を経費として申告するために新幹線や飛行機での移動が当たり前になってくるんだ。常に周りから見られていると考えたら寝顔を晒すのも危ないだろう?」

 

アグネスタキオン’「もっとも、付添がなければ帰り道は本当に一瞬で終わって気楽なんだがねぇ」

 

斎藤T「それもそうか。わざわざ応援のためにこれだけの人数が決して安くない旅費を使って指定席を専有しているわけだ。注目が集まらないわけがないか」

 

陽那「その、妹の私を気遣って すぐに東京に帰る必要はなかったのではありませんか? 担当ウマ娘がレースに出走した翌日は振替休日なんですから、トレセン学園の月曜日は実質的に定休日みたいなものじゃないですか?」

 

斎藤T「出走翌日の月曜日の使い方が出走したウマ娘やトレーナーの裁量に委ねられるのならば、妹のために皇宮警察からトレーナーになったのが“斎藤 展望”なのだから、最愛の妹のことを最優先しないのは“斎藤 展望”の在り方に反する」

 

斎藤T「だから、レースが終わった後に最愛の妹を安全に寄宿学校に送り届けることは“斎藤 展望”にとって最優先事項だ。寄宿学校とトレセン学園の休校日は同じではないのだから」

 

斎藤T「逆に言えば、そんな私の家庭の事情に合わせる必要はないんだぞ? わざわざ一緒の新幹線に乗って急いで東京に帰る必要もない」

 

斎藤T「ファインモーション姫殿下と一緒に名古屋散策を楽しんでから府中に帰ることだって許されている」

 

アグネスタキオン「おいおい、トレーナーくん? 担当ウマ娘の私を置いて帰って大丈夫なわけないだろう?」

 

マンハッタンカフェ「そうですよ。私にしても、今の担当トレーナーの和田Tは元メジロマックイーンさんの担当トレーナーということで 久々の2人の時間を満喫してもらうために、こうして先に帰る必要があったわけでして」

 

アグネスタキオン’「テイオーくんと岡田Tにしてもそうだねぇ。元担当ウマ娘と元担当トレーナーの旧交を温める時間が必要だから、和田Tと岡田Tのためにダブルデートの手配をしていたわけだろう。人払いの霊符やら何やら持たせてね」

 

斎藤T「今回は優勝賞金が700万円で大した金額じゃないから止めなかったが、担当ウマ娘が所属するトレセン学園とトレーナーが所属するトレーナー組合への割当を差し引いた手取りの全てをその場で寄付することもなかったんだぞ」

 

アグネスタキオン「いや、担当トレーナーのきみは率先してそうしたじゃないか。それこそ、この私が私の実力で得た私の賞金をどう使うかなんて、私の勝手だろう」

 

斎藤T「私の場合は某重工の開発室でもらっている多額の報酬があるからウマ娘レースの獲得賞金からの配当なんて端金に興味がないだけだ」

 

マンハッタンカフェ「それは無理があるのではありませんか? ウマ娘レースの獲得賞金を当てにして担当トレーナーになったはずなのに、『興味がない』はずがないですよ?」

 

陽那「兄上、賞金は全額寄付するのにタキオンさんのバ券は大量に買って儲けていたことに、賞金に手を付けない理由があるのではないのですか?」

 

アグネスタキオン’「――――――実質的にサブトレーナーの岡田Tが一から全て指導してきたから()()()()()()()()()不労所得になるのを嫌っているとか?」

 

 

斎藤T「天の道を歩むためとは言え、トレーナーの常道から外れていることへのけじめをつけないといけないから、そのとおりだ」

 

 

陽那「それじゃあ、これからも賞金は全て寄付するわけなのですね」

 

アグネスタキオン「だろうねぇ。私も活動資金のために賞金が欲しいわけじゃないから、担当トレーナーの在り方に倣って、広い意味でウマ娘の可能性のために使わせてもらうことにしたよ」

 

斎藤T「だが、獲得賞金から所属団体への上納金が差し引かれているように、ウマ娘レースで成り上がった『名家』への上納金として仕送りは必要なんじゃないのか? 養ってもらっていることへの恩返しは必要だろう?」

 

アグネスタキオン「いいや、必要ないね、まったく」

 

陽那「え、どうしてなんです?」

 

マンハッタンカフェ「意外ですね。仕送りする分以外は全て研究費に充てるものだと思っていましたが」

 

アグネスタキオン「実に簡単なことだよ、ヒノオマシくん、カフェくん」クククッ

 

 

――――――だって、トレーナーくんは私のことを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と約束してくれたからねぇ。

 

 

アグネスタキオン「だから、トレーナーくんが全額を寄付するなら、私もトレーナーくんに倣って全額を寄付するさ。私のことを養ってくれるのだからね」

 

陽那「え!?!!」

 

マンハッタンカフェ「た、タキオンさん!?」ガタッ

 

アグネスタキオン’「……まあ、今回の『メイクデビュー中京』で丸っ切り儲けていないわけじゃない」

 

アグネスタキオン’「資産運用として、()()()()()()()のバ券に優勝賞金の10%以上の額は注ぎ込んでいたから、それで十分に儲けさせてもらっているよ」

 

陽那「そ、それは、おめでとうございます? えと、あの、これから“義姉上”と呼べばいいのでしょうか、兄上?」

 

マンハッタンカフェ「そ、そんな……」

 

斎藤T「ちがうちがう。たしかに私の将来の夢のために優れた研究者として目をつけているけど、今から人生を縛り付けるつもりは毛頭ない」

 

斎藤T「その時までに何があるかわからないし、気分が変わることもあるだろうから、社会人として自立して本当にやりたいことを見つけてもらってからだぞ、そんなことを言っていいのは」

 

アグネスタキオン「えー!?」

 

斎藤T「しっかり大学を出て博士号ぐらいはとってこい。私も折を見て大学に入学して学位をとるつもりだから」

 

マンハッタンカフェ「あ、なんだ、全然ちがうじゃないですか、タキオンさん」ホッ

 

アグネスタキオン「私のお世話をするのはトレーナーであるきみの役目だろう!?」

 

斎藤T「ああ、世話なんてしてやるさ、いくらでも」

 

斎藤T「でもな、それは『お前だけを特別扱いするわけじゃない』ってことはよく理解しておけよ。私の夢を叶えるためには船員は何人いても足りないのだから」

 

アグネスタキオン「ふざけるな! きみは私のモルモットなんだぞ! 私を差し置いて他の子の面倒を見るだなんて許さないぞ!」

 

斎藤T「だったら、あなたは私の新開発のデータ取りのモニターだ! 契約内容を履行して正確なデータの採取に協力したまえ! その対価として養ってやると言っている!」

 

陽那「まあまあまあ。兄上とタキオンさんがこれから末永いお付き合いになるだろうということはお互いの合意の上ということでわかりましたから」

 

陽那「とりあえず、タキオンさんがトレセン学園を卒業した後は兄上の許に身を寄せるということで間違いないですか?」

 

アグネスタキオン「ああ。トレーナーくんの側にいれば面倒なことは 全部 トレーナーくんが引き受けてくれるだろうしねぇ」

 

斎藤T「そもそも、私と出会うまで相部屋の子に生活の面倒を見てもらっていたようなウマ娘が一人で生活なんてしていけるものか。ウマ娘レースを卒業したら トレーニングする必要がなくなって ますます研究に没頭して 研究室でそのまま餓死していてもおかしくない」

 

マンハッタンカフェ「それは、たしかにそうですね。タキオンさんを一人にしたら、本当に死んでしまいますね」

 

斎藤T「だから、生活と生命の保障をする代わりに 私の夢に協力して その能力を有効活用してもらうという生涯契約を交わしているだけだ」

 

陽那「――――――『生涯契約』!?」

 

陽那「――――――それは『同棲』ではない?!」

 

斎藤T「同じ宿舎で寝泊まりしている間柄を同棲というのなら、学生寮にいる生徒たちはみんな同棲していることになるぞ?」

 

陽那「あ、そういうことでしたか。すみません、兄上、勘違いしてしまいました」

 

陽那「でも、そうですか。私はいいと思いますよ、兄上」

 

斎藤T「?」

 

陽那「その、タキオンさんを“義姉上”とお呼びする日が来ても」

 

斎藤T「……何を言っているんだ、ヒノオマシ?」

 

アグネスタキオン「そうだろうそうだろう。私もヒノオマシくんのことを気に入っているから、これからは義妹としても可愛がってやるからねぇ」

 

アグネスタキオン「なんなら、今からでも私の義妹になるといい!」

 

斎藤T「……そんなことを言って、()()が見えていたのなら、命がいくつあっても足りない日々を送っているんだ。寡婦になっても知らないからな」

 

アグネスタキオン’「大丈夫さ。そんな日が来たら、世界なんて滅亡しているだろうから」

 

マンハッタンカフェ「………………」

 

 

マンハッタンカフェ「……あの、それなら、私もその資格を得ることはできますか?」

 

 

アグネスタキオン「え、カフェ?」

 

陽那「へ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン?」

 

斎藤T「――――――私の夢は『宇宙船を創って星の海を渡る』こと」

 

斎藤T「具体的に言うと、宇宙移民船の設計開発と宇宙航海と惑星開拓と文明保存ということだが、何か役立てるものはあるかい?」

 

マンハッタンカフェ「わかりません。ただ、タキオンさんとはちがった分野で役に立ちたいです」

 

斎藤T「……なるほどね」

 

斎藤T「――――――山登りが趣味だったよね。一緒に何度も川苔山を歩いたよね」

 

マンハッタンカフェ「あ、はい!」

 

斎藤T「なら、野外活動のプロフェッショナルにでもなってください」

 

斎藤T「それと、あと何だったっけかな。古代魚が好きなんだっけ。珍しく話が合う話題の1つだってことで記憶にあるんだが」

 

マンハッタンカフェ「あ、深海魚です。たしかにシーラカンスやラブカのような古代魚も好きですけど、リュウグウノツカイのような深海魚が結構好きです」

 

斎藤T「そうだった。深海魚に興味があるんだったね」

 

陽那「おお、山と海ですね。全く正反対の趣味ですよ。それで山と海のどっちにも通じるプロになったら きっと心強いですよね、カフェさん」

 

マンハッタンカフェ「あ、ありがとうございます、ヒノオマシさん」

 

アグネスタキオン’「ついでに、本格的なコーヒーのエキスパートになってコーヒーの栽培や流通にも詳しくなったらいいんじゃないかい? 嗜好品の扱いに長けているのは何かと重宝するだろう?」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。やるなら徹底的にやった方がもっと楽しめますよね。そうします」

 

 

アグネスタキオン「おーい、今日の主役の私を無視して話を進めるな!」

 

 

斎藤T「無視なんてしてないさ。これが私から受ける船員の扱いというだけだ。私の肉体は1つだけだからな、つきっきりにはなれないのは知恵ある者として理解してくれ」

 

アグネスタキオン「ふんだ! だったら、明日はマッサージをしておくれよ! 私は疲れた!」

 

斎藤T「私も疲れたよ。『宝塚記念』からずっと学園に帰らずに京都、北海道、福島と来て中京茅の輪くぐりだ」

 

斎藤T「けど、これも皇国の神々の導きである以上は従わないわけにはいかないだろう?」

 

アグネスタキオン「だったら、明日は私と一緒にずっとお風呂でいいじゃないか。それで私の身体の汗と垢を丁寧に洗い流しておくれよ」

 

アグネスタキオン「そうだ。尻尾だけでも梳いておくれよ、ほら」

 

斎藤T「はしたないぞ。尻尾じゃなくて手を出せ。手揉みならしてやる」

 

アグネスタキオン「じゃあ、頼んだよ、トレーナーくん」

 

斎藤T「まったく」モミモミ

 

アグネスタキオン「あ、いい。いいねぇ。そこぉ」

 

陽那「……あの兄上、先程『一緒にお風呂』って言いませんでしたか、タキオンさん?」

 

斎藤T「あ。おい、誤解させるような表現はするな」

 

斎藤T「たしかに髪や尻尾を洗ってやってはいるが、全身を洗ってやったことなんて一度もないだろう」

 

斎藤T「だいたい、『一緒にお風呂』とは言うが、風呂は風呂でも蒸し風呂(スチームサウナ)のことだ。何もやましいことなんてない」

 

陽那「ええ!? 『尻尾』!? 兄上、タキオンさんの尻尾を洗ってあげているんですか!?」

 

斎藤T「?」

 

斎藤T「……そんなに驚くことか? 手入れなんて普段しないズボラなウマ娘なんだし、一人では付け根の方まで念入りにできないだろうから、手を貸してやっているけど?」

 

マンハッタンカフェ「た、タキオンさん、斎藤Tが記憶喪失で何も知らないからって既成事実を――――――」

 

アグネスタキオン「ふぅン! どうやらバレちゃったようだねぇ、トレーナーくん?」ニヤリ

 

斎藤T「え」

 

斎藤T「何か勘違いしているようだけど、新開発のヘッドスパマシンならぬテールスパマシンのモニターになってもらっているだけだぞ」

 

斎藤T「ほら、尻尾の大部分はただの毛だけど、従来の全身マッサージ機だと尻尾の付け根まで対応していないから、こんな感じにウマ娘の尻尾の毛の生えていない付け根もしっかりとマッサージできるよう――――――」

 

マンハッタンカフェ「ええ……」

 

陽那「兄上! ダメです! それをやっちゃ! 捕まっちゃいますよ、兄上!?」カア!

 

斎藤T「なに、どういうことだ? 髪の毛と同じようにケアやカットが必要な部位なんじゃ――――――?」

 

陽那「似てはいますけど、それ、セクハラですから! たしかに尻尾の付け根までしっかりとケアしたいというのは山々なんですけど、裏側のデリケートゾーンなんですよ、尻尾の付け根!」

 

陽那「だから、尻尾の付け根までマッサージする器具は売ってないんです! だって、その、いかがわしいマッサージになっちゃうので!」

 

斎藤T「!?!!」ピタッ

 

アグネスタキオン「おやおや、手を止めない。続けたまえよ、ほら」クククッ

 

マンハッタンカフェ「タキオンさん!?」

 

斎藤T「……な、なぜそれを言わなかった、アグネスタキオン? 恥じらいと言うものがないのか!?」ガクガク

 

アグネスタキオン「尻尾はウマ娘にとって第3の脚なんだから、腰に密接している付け根の部分なんて人前に見せちゃならないことくらい、常識だろう?」

 

アグネスタキオン「ほら、きみの股座にもウマ娘とは反対向きに第3の尻尾(立派なもの)がついていることだし、そういうことさ」サワァ・・・

 

斎藤T「え」ドキッ ――――――担当ウマ娘の手を揉んでいる最中に股間に手が!

 

陽那「た、タキオンさん!?」カア!

 

マンハッタンカフェ「どこ触っているんですか、タキオンさん!?」カア!

 

アグネスタキオン’「…………ふぅン」

 

アグネスタキオン「つまり、きみはずっと新開発のモニターと称して私にセクハラを繰り返してきたというわけなのだよ」クククッ

 

 

――――――だから、責任を取ってくれたまえよ、私だけのトレーナーくん。

 

 

 

アナウンス「間もなく終点:東京です。中央線、山手線、京浜東北線、東北・高崎・常磐線、総武線、京葉線、東北・上越・北陸新幹線と地下鉄線はお乗り換えです。お降りの時は足元にご注意ください――――――」

 

 

 

20XY年6月30日:雷鳴のメイクデビュー、夏越の大祓、“斎藤 展望”の誕生日にして忌日、“私”がこの世界に転生して1年となる節目の時――――――。

 

新しい時代、新しい世代、新しい敵、新しい力、新しい関係、新しい悩み、新しい歓び――――――。

 

その全てが一気に押し寄せてきた怒涛の1日となり、()()()()()を回避するためにいよいよ『トゥインクル・シリーズ』への一世一代の挑戦が始まり、それが同時にこれまでの日々の終わりの始まりを告げていた。

 

そのことが現実味を帯びてきた時、トレセン学園での日々が終わることで失いたくないものができていたことを自覚した時、鳴りを潜めていたウマ娘の闘争本能が剥き出しになろうとしていた。

 

ウマ娘レースにおいては基本戦略となる脚質【逃げ】【先行】【差し】【追込】が他の出走バと重なった時、それぞれの脚質のバ群における先頭に立って少しでも全体の有利を取ろうと競り合いが生じるという。

 

特に、開幕から全力疾走で先頭を維持する脚質の【逃げ】のウマ娘同士が競り合った場合、【逃げ】の戦略上 先頭を維持し続けなければならないために先頭争いが激化して、その余裕の無さから想定外の体力消耗によって一気に逆噴射しやすくなる。

 

そして、その競り合いになる心理は、恋はダービー、恋愛においても同様であるらしく、女性だけの種族であるウマ娘はとにかくヒトの男子から精をもらって子孫を残すことに特化しているため、惚れた相手への求愛行動はヒトよりも強い闘争本能も相まって過激になる傾向にあった。

 

少なくとも、トレセン学園に各地から集った未来のスターウマ娘たちは出走権を握る担当トレーナーと夢の舞台で二人三脚の末に結ばれることに多かれ少なかれ憧れを抱いているため、ウマ娘レースそのものにしか興味がないような極めてストイックなウマ娘でもなければ、担当トレーナーとの関係性に多少は意識するものだ。

 

今回、アグネスタキオンが既成事実で私との関係を迫った強引さはある意味においては彼女もまたウマ娘の少女であったことを思い出させる事態ではあったが、

 

裏返すと、退学処分を受けても構わないぐらい余裕綽々だったアグネスタキオンともあろう者が私以外に自分のことを受け容れてくれる相手が今後見つかるかどうかという将来の不安に駆られていることの証でもあり、

 

元より自分の全てをコピーした“もうひとりのアグネスタキオン”の正体が地上最強の生物であるスーペリアクラスの怪人:ウマ女であるために、同じアグネスタキオンであるはずなのに取り扱い注意の超危険生物であることから私からの扱いに差が出ていることを日頃から不満を口に出していたのだ。

 

そして、おそらく本人は無自覚だと思うが、入学してからの腐れ縁で今となっては陣営を同じくする僚バ:マンハッタンカフェが“お友だち”と当たり前のように対話できる私に強い興味を持ったことにも危機感を抱いてもいたのだろう。

 

だから、四年間も待ち続けて いよいよメイクデビューを果たしたというのに およそアグネスタキオンらしからぬ性急さで関係を迫ってきた事情というのも理解できなくもないわけであり、

 

私という担当トレーナーを得て今日という日を迎えて、ようやくトレセン学園の生徒として『トゥインクル・シリーズ』に挑戦することで命題であったウマ娘の可能性の“果て”を証明する段階を迎えることができたのはいいが、

 

その裏で並行宇宙からの侵略者やら裏世界に跋扈する悪霊や妖怪と“斎藤 展望”が人知れず戦っていることを聞かされて、無意識に恋敵と認定した親しきウマ娘たちがそれぞれ自分にできることをして私との距離を詰めていると知ったら、ウマ娘レースに興じているだけの自分がいかにちっぽけな存在に思えてしまうことか――――――。

 

 

――――――確実なものが欲しかった。繋ぎ止められるものが欲しかった。自分だけのものになってくれる安心感が欲しかった。

 

 

だから、アグネスタキオンは誘惑などという不確実な方法よりも既成事実という確実な方法を選んだ。世界を救う使命に生きている人間を堕落させることは望まない。その在り方が何よりも尊く、そんな人だったからその手に引かれて薄暗い実験室から出ることを決めたのだから。

 

そして、シンボリ家や生徒会役員など“学園一の嫌われ者”が“学園一危険なウマ娘”のことを責任持って引き取ってくれることを歓迎している向きがあり、そのことは恋敵たちも一旦は納得していたことだった。

 

なので、岡田Tとトウカイテイオーのように、和田Tとメジロマックイーンのように、担当トレーナーと担当ウマ娘の間に断金の交わりがあるということを見せつけようと、一世一代の勝負に打って出た。

 

けれども、極めて残酷な話だが、今の私は“斎藤 展望”であり、唯一の肉親である最愛の妹:ヒノオマシが世界最高の警察バになるのを見届けるまでは個人の幸せを求めてはならない使命が課せられており、

 

その上で、これまでずっと結婚の誓いを交わす恋人たちに祝福をする側の人間であり、冠婚葬祭の一切を取り仕切る祭司長として常に見送ってきた人間でもあった。

 

何より、神の道に生きることによって必要なものは必要な時に必要なだけ与えられる天分が己にあることを確信しているため、そこまで他人に求めるということはしていないのだ。この世は現し世。歴史という脚本に従って配役された演劇の舞台に過ぎないのだから。

 

その心はこの宇宙を創造して万物を生み出した神様の大愛のごとくあるように広く大らかで清涼で愛に帰一することを旨としているからこそ、人生に一度きりにしたい結婚なんかに価値を感じない。

 

するんだったら、新郎新婦を見送る側になって何度も永遠の愛を誓い合う幸せの絶頂となる瞬間を見続けた方がお得だとは思わないか。逆に、離婚調停を受け持つ弁護士になんかには絶対になりたくない。損な人生になるだけだ。

 

その辺りが宇宙移民船で電脳世界に築かれた多層現実社会においていくらでも人生を同時進行できるようになっても全て独身キャラを貫いている理由であり、未知なるものや公益を追求することに生き甲斐を感じている人間に結婚生活は絶対に向いていないのは明らかだった。

 

政略結婚するにしても その辺りの理解がある相手じゃないと確実に夫婦生活が破綻するのは確実であるからこそ、必然と不犯を誓った高名な宗教者や黒衣の宰相のキャラになりがちで、

 

これが“私”という存在の魂の本質だと悟ったのなら、人事を尽くして天命を待つ他ないだろう。

 

そうそう、私がそういう魂の持ち主なのだとわかって配役しているのは神様なのだと責任を放り投げれば、後は野となれ 山となれ、()()()()()()()()()どうにでもなれってんだ。

 

 

 

 

 

ジューッ!

 

アグネスタキオン「あーーーーーーーーーー!」ビクン!

 

アグネスタキオン’「なっ」

 

陽那「だ、大丈夫ですか、タキオンさん?!」

 

斎藤T「あ、すまない。強く押しすぎたか」

 

アグネスタキオン「ちがう! 熱ッ! 熱い! 熱いぃいい! 火傷するぅうう!?」ジタバタ

 

斎藤T「え、『熱い』ッ?」カア! ――――――反射的に手が下半身に行きそうになるのを咄嗟に止めた!

 

アグネスタキオン「ふぅふぅふぅ」フゥフゥー

 

マンハッタンカフェ「え、どうしたんですか、急に?」

 

アグネスタキオン「どうもこうもない! 急にトレーナーくんの手が火傷するぐらい熱くなったんだよ!」フゥフゥー

 

陽那「兄上!?」

 

斎藤T「……びっくりした。()()()()()が熱膨張して熱暴走したんだと思ったけど、そうか、手か。手が熱かったんだな。よかったぁ」ホッ

 

斎藤T「どうやら自動防衛システム(天界のセコム)が発動したみたいだ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン? 『自動防衛システム』とは聞き慣れないものだねぇ?」

 

斎藤T「わかりやすく言えば『小宇宙(コスモ)を燃やした』ことで眼の前のウマ娘の邪気が焼き払われたらしい。こう、オロチ退治の時に火打ち石で聖火を起こした時の残り火に煩悩が焼き払われたようだ」ガシガシ! ――――――両手の握り拳で火打ち石で火を起こす動作を取る。

 

マンハッタンカフェ「ああ、アレですか。手を擦りつけていたアレですね」

 

陽那「????」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。私の眼にはまったく視えなかったオロチ退治の時に繰り出したという御業か」

 

斎藤T「この大いなる宇宙にあるもの全てが原子で構成されている以上、森羅万象の全て、個の肉体もまたビッグバンで生じた小さな宇宙(コスモ)の1つであるからエネルギーを持つわけであり、エネルギーの単位とは熱量の単位でもあるわけなのだから、『小宇宙(コスモ)を燃やす』と言うことは高熱量のエネルギーを生み出すということになるな」

 

斎藤T「そうだ。夏越の大祓で穢れを集めた茅の輪はお焚き上げすることで地域の業を祓い清めるわけだから、この熱量がお焚き上げした時の清めの炎だ」

 

斎藤T「せっかくだから、直に触れて今年の前半シーズンの穢れを祓い清めてやろう。やっぱり私は『ウルトラマン』や『仮面ライダー』である以上に『聖闘士星矢』だったなぁ」

 

アグネスタキオン「え、ええー!?」ビクッ

 

アグネスタキオン’「ふぅン。なら、私から行こうか」パシッ

 

斎藤T「お」

 

 

アグネスタキオン’「あ。思っていたのと随分とちがうねぇ。温かくて大きくて包み込まれるような感じがするねぇ」プニュ・・・ ――――――掴んだ両手を自分の頬に押し当てる。

 

 

斎藤T「……そうか」

 

アグネスタキオン「な、何ともないのかい!?」

 

アグネスタキオン’「ああ。そう身構える必要もないさ。怖いのなら、私の手を繋いでご覧よ、()()()()()()()

 

アグネスタキオン「あ、ああ……」

 

アグネスタキオン’「ほら」パシッ

 

アグネスタキオン「あ」ドキッ

 

アグネスタキオン「ああ…………」ジワーッ

 

アグネスタキオン「………………」ポー

 

アグネスタキオン’「もういいだろう」パッ

 

アグネスタキオン「………………」ホカホカ

 

アグネスタキオン’「ほら、ヒノオマシくんとカフェくんにもしてあげたまえよ」

 

アグネスタキオン’「大丈夫さ。きみがやることなんだから、私たちは信じている」

 

アグネスタキオン’「――――――そうだろう?」

 

斎藤T「……わかった」

 

陽那「よ、よろしくお願いします、兄上!」

 

斎藤T「えっと」

 

陽那「兄上、手を出してください」スッ ――――――両手のひらを向ける。

 

 

陽那「そ、それではお手を拝借します」ギュッ ――――――向かい合った手を握り合う。

 

 

陽那「あ」ジワーッ

 

陽那「……温かい。温かいです。これが草薙剣の霊威なのですね」ホカホカ

 

斎藤T「そうだ。この温かさが神様の大愛なんだ。その逆はこうだ」

 

陽那「ヒウッ」

 

陽那「……冷たっ!?」ガクガク

 

斎藤T「温かい方がいいよな? ほら」

 

陽那「……はい。温かい方がずっといいです」ホカホカ

 

斎藤T「今度、温泉に行こう。海水浴も悪くないけど、エネルギーをもらえるのは熱い方だからね」

 

陽那「はい、兄上。楽しみにしています」

 

斎藤T「じゃあ、最後――――――」

 

マンハッタンカフェ「――――――」パシッ

 

斎藤T「あ」

 

アグネスタキオン「あああああ!?」

 

アグネスタキオン’「ふぅン」

 

陽那「……カフェさん、大胆ですね!」

 

 

マンハッタンカフェ「――――――」ドキドキ ――――――掴んだ手を自分の胸に押し当てている。

 

 

斎藤T「……もっと自分に自信を持っていいんだよ?」

 

マンハッタンカフェ「……すみません。こうでもしないと気が収まらないんです」

 

マンハッタンカフェ「……ズルいですよ、タキオンさんはいつも。私ばかり損させられてばかりで」

 

マンハッタンカフェ「……でも、タキオンさんを部活棟の部室に押し込んで厄介払いができて清々できたと思って全力で挑んだ『トゥインクル・シリーズ』の結果は散々なもので」

 

マンハッタンカフェ「……それなのに、学園中のトレーナーから見放されてスカウトも絶望的な状況を自分で招いておきながらタキオンさんはずっと『待つこと』ができた」

 

マンハッタンカフェ「……そして、最後の最後になって最高の担当トレーナーを引き当てることができたわけです、タキオンさんは」

 

マンハッタンカフェ「……それだけだったら『いい人にめぐりあえてよかったですね』って素直に祝福することができたんですよ。他にタキオンさんの相手ができる人なんているはずないですから」

 

斎藤T「……そうだな」

 

マンハッタンカフェ「……そうですよ。それなのに、どうして“お友だち”とも仲良くしているんですか、あなたは?」

 

マンハッタンカフェ「……こういう人に担当になってもらいたかったって、『URAファイナルズ』さえ終わった 今になってこんな思いにさせるだなんて!」

 

アグネスタキオン「……か、カフェ?」

 

マンハッタンカフェ「……本当に何から何まで私はタキオンさんのおまけみたいな扱いですよね、私って」

 

マンハッタンカフェ「……トレセン学園で最初に私の素質を評価してくれたのもタキオンさん、『URAファイナルズ』敗退で引退するところを引き止めて史上初の“春シニア三冠ウマ娘”への道を示してくれたのがタキオンさんの担当トレーナーなんですから!」

 

陽那「カフェさん……」

 

アグネスタキオン「カフェ、きみはずっとそんなふうに思っていたのかい……」

 

 

アグネスタキオン’「アハハハハハ! いいじゃないか! スゴくいいじゃないか!」

 

 

陽那「……スターディオンさん?」

 

アグネスタキオン’「――――――『こうなるのも運命だった』と受け容れたまえよ、カフェ。そうすれば楽になれるぞぉ」

 

マンハッタンカフェ「な、何を言って――――――?」

 

アグネスタキオン’「そもそも、()()()()()()()なんてどこにあるんだい? 少なくともモルモットくんは本気で結婚にメリットがあるなんて考えていないことだし、私たち全員には今やりたいことがあるんだから、最初からそのつもりでずっと付かず離れずの関係にいればいいだけの話じゃないかい?」

 

アグネスタキオン’「そういう意味では 徹頭徹尾 モルモットくんは公正に扱ってくれるんだから、開き直って思い切り寄りかかればいいんだよ」

 

アグネスタキオン’「なにせ、モルモットくんはこうして“学園一危険なウマ娘”や“学園一不気味なウマ娘”に加えて、私のようなバケモノにさえも等しく愛を注いでくれるのだから、全員にもらえるものなんだから もらっておいて損はないぞぉ?」

 

マンハッタンカフェ「ええ……」

 

アグネスタキオン「いや、それはそうかもしれないけど……」

 

アグネスタキオン’「ともかく、モルモットくんが要求するスタートライン(最低水準)は社会人として自立してからなんだから、そんな先のことなんて卒業が近づいてからにして、今は全力でウマ娘として最高に輝ける青春の一時を謳歌したまえよ」

 

 

アグネスタキオン’「それはお互いにそう思っていることだろう、アグネスタキオン? マンハッタンカフェ? きみたちの『トゥインクル・シリーズ』は新しく始まったばかりだろう?」ニコッ

 

 

マンハッタンカフェ「………………」

 

アグネスタキオン「………………」

 

陽那「……兄上。勘違いかもしれませんけど、今の、“皇帝”シンボリルドルフに雰囲気がそっくりでした。そう感じました」

 

斎藤T「……そうか」

 

斎藤T「――――――お前も変わろうとしているのだな、アグネスタキオン’(スターディオン)

 

斎藤T「いや、ちがうか」

 

 

――――――自分たちを取り巻く全てが変わろうとしている。『時代が変わる』というのはこういうことなんだな。

 

 

 

アナウンス「――――――今日も新幹線をご利用くださいまして ありがとうございました」

 

 

 

*1
1バ身=2.5m。三女神が両腕を広げた長さが起源とされる。

*2
中京競バ場のレーストラックの馬バ内遊園地があるため、コースの反対側が見えづらい箇所がある。

*3
正確な所在は愛知県豊明市



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消失報告  高貴なる王侯の魂を持つ非人間たちは

 

5R『メイクデビュー函館』12:15発走、5R『メイクデビュー福島』12:35発走、6R『メイクデビュー中京』12:55発走――――――、時間にして40分間;それが私が中京競バ場の観客席に戻るまでの出来事だった。

 

更に言うと、私が新たな人類の脅威である機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”と遭遇したのが、5R『メイクデビュー福島』を見終わってから6R『メイクデビュー中京』までの20分以内の出来事なので――――――、

 

福島競バ場から時間跳躍して戻ってきた直後に待ち構えていたマンハッタンカフェに連れられて中京競バ場に潜む未知なる脅威の存在を教えられ、ゴールドシップから()()()()()()()を受け取ると、

 

機械生命体が引き起こした時間停止と錯覚するほどの周囲の物理現象が鈍くなる怪現象:重加速現象の調査と被害者の救出を即座に済ませ、実際には相対して1分足らずで“ロイヤル・ナムーフ”をスクラップに変えていた。

 

実に濃密な中京競バ場での20分間を体感することになり、それだけに得られた報酬は23世紀の宇宙時代を生きた大天才たる私を最高に満足させるものとなっていた。

 

 

――――――なにしろ、タキオン粒子に並ぶブラディオン粒子が発見されたのだ。これを歓ばずにいられるものか。

 

 

回収した機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”の遺体となるスクラップはプラズマジェットブレードの一閃で四肢切断をしただけで修復と接合は容易であった。

 

問題となったのは制御システムの要となる機械生命体の頭脳となるAIの復旧であり、どれだけ解析して復旧を試みても単純な命令しか対応できず、人間に擬態して人間と遜色ない知性や立居振舞を再現させることができなかったのだ。

 

はっきり言ってしまえば、文字通り魂が抜けた人形でしかなく、未来から送り込まれた暗殺用人造人間:アルヌールに組み込まれている自律回路の方が機械人形としては安定していることがわかった。その分だけ単純な設計とも言えるが。

 

そう、“ロイヤル・ナムーフ”は機械生命体であって機械人形ではない。この機械生命体もまた人類と同じく肉体を持った霊格であると認めざるを得ない霊魂を有していることが段々とわかってきたのである。

 

実際、肉体から浮き出た霊魂:エクトプラズム“電霊”は悪霊祓いの専門家である私の結界でガムテープにグルグル巻きにして封印することができたので、エクソシズムの分野にも精通していないと対処ができないことが判明している。

 

驚くことなかれ。かの有名な発明王:トーマス・アルバ・エジソンも幽霊の波動は電気的な性質を帯びていると考えて霊界通信機の開発を試みており、まだテレビの時代ではなかったので霊界ラジオという音声通信の形で交信を試みていたのだ。

 

具体的な成果は上げられなかったものの、幽霊には物理的干渉能力があることはオカルト界隈以前から迷信として古来より信じられていたので、やり方としては何も間違っていないのは悪霊祓いの専門家である私の見解だ。

 

ただ、『電気的な性質を幽霊の波動が持っている』というのは大きな誤解で、『肉体を持った霊格である人類もまた幽霊と同じことができる』ことまで知らないから、成果が上げられなかっただけだ。

 

もっとも、そんな超常的な霊能力に目覚めたいのなら、霊魂を肉体から解放する仙人の道を歩まなくてはならないため、西洋人の単純で平べったい霊的咀嚼力では元から辿り着けない世界ではある。その分だけ現実世界に特化した能力を西洋人には与えられているので『天は二物を与えず』なのだ。

 

精神文明に優れるのが東洋、物質文明に優れるのが西洋となって地球文明は陰陽を成しており、それを陰陽和合する『天が二物を与えた』のが極東の地:日本という現存する世界最長の千代八千代の王朝が支配する和の国の本懐なのだ。

 

 

さて、見るからに質量保存の法則を無視して人間に擬態していたロボット怪人の風体をしている機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”はおそらくは人工的に造られた霊魂“電霊”というプログラムソースが宿ることによって機械生命体としての生命活動を可能とするようなのだが、

 

回収したスクラップに脊髄ガエルの実験と同じように電気信号を送ってどの回路が何の機能を司っているのかを調べる非人道的な実験と試行の末に、ようやくブラディオン粒子の発生装置の解明に成功する。

 

思った通り、ブラディオン粒子の性質を十二分に利用することで超出力を得ることができるのが無敵の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”であり、

 

ブラディオン粒子を散布することで自身を中心に運動停止領域を展開することであらゆる物体の動きを封じることができ、この領域に取り込まれてしまうとあらゆる物体が完全停止して時間が停まっていると錯覚するほどのスローモーションになってしまう。

 

これ自体は全ての物体の動きが超絶的に緩慢になることで時間が停止したと錯覚するほどに動作時間が死ぬほど掛かるだけで、直接的には何の殺傷能力はないために無害とも言えるのだが、

 

領域内の全ての物体の動きが超絶スローモーションになるだけなので、物体の動きそのものは干渉しなければ何も変わらないことに留意しなければならない。領域の展開が終わった瞬間に元の速度で全ての物体が直前の動きをし始めるのだ。

 

一方で、このブラディオン粒子の作用による運動停止領域には直接的な殺傷能力はないということは、表面的な物体の動きを阻害しても物体内部の働きまで阻害することがないため、強制的に心臓停止や呼吸困難にはならないわけであり、思考や認識の速度も通常通りとなっている。誰もが時間の流れが遅くなっていることを認識できるのだ。

 

 

――――――このことが良いようにも悪いようにも作用するわけである。

 

 

たとえば、急に道路に飛び出してきてトラックに撥ねられそうになった少年はトラックの衝突事故による死が迫ってきているという認識だけはそのままの勢いなので、本来ならば自分の死の瞬間すら理解できないまま一瞬で昇天するはずが、避けなくちゃ確実な死が迫っているとわかっているのにじっくりとジワジワと死の瞬間を迎えさせられる絶望と恐怖を味わい続ける羽目になるわけである。

 

そういう意味では死の瞬間においては『殺すなら一思いにやれ!』と懇願したくなるほどの極めて残忍な能力であるが、その運動停止領域の中を自在に動けるとしたら、とてつもない優位性をもたらすことは想像できるだろう。悪いことし放題である。

 

事実、領域が展開された時に領域内の物体の動きは完全に封じられてしまうため、どれだけの人数を固めて要人警護していようが全て単なる案山子にしかならなくなるだから、WUMAの空間跳躍による超高速能力とは方向性が違うが極めて危険な能力と言える。

 

WUMAこと並行宇宙の支配種族“フウイヌム”は空間跳躍による物理法則を超えた四次元能力によって反応と認識が追いつかないところを一瞬の息もつかせぬ連続行動で特殊部隊だろうと赤子の手をひねるように制圧するに対し、

 

機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”は自身の展開する運動停止領域に取り込んでしまえば、あとはあらゆる物体の動きが封じられた中で何とでもできてしまえる。

 

そのため、“フウイヌム”と“ロイヤル・ナムーフ”が戦った場合は、運動停止領域が展開できれば“フウイヌム”だろうと行動するためにはまず肉体を動かさないといけないため、取り込んでしまえば完封することができてしまえる。

 

一方で、“ロイヤル・ナムーフ”が領域の範囲外からの空間跳躍による奇襲を認識できずに“フウイヌム”に蹂躙されることも十分にありえるし、上位のシニアクラスが発現する超能力によって戦況を覆される可能性がある。

 

結論としては、先に仕掛けた方が勝ちになるぐらいには戦力としては拮抗していた。真正面からの殴り合いとなると自身を中心に領域展開ができる“ロイヤル・ナムーフ”が断然有利ではあるが、認識の範囲内ならどこからでも距離を詰められる“フウイヌム”も決して引けを取らない脅威である。

 

どちらにしろ、脆弱な地球人類にとっては束になっても敵わないほどの脅威であることにはちがいないので、人類としては怪人同士で争って共倒れになることを望むのみである。

 

だが、厄介なことにどちらも人間に擬態する能力を持っているのだから、正体が露見したところで時すでに遅しという状況である可能性が極めて高いため、ただただ無辜の民が命を狙われたり 怪人災害に巻き込まれたりしないことを願うばかりである。

 

長い人生においてその存在に触れることなく恐怖に晒されることもなく毎日を一生懸命に生きられたら、どれだけ幸せなことか――――――。

 

 

さて、機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”の最大の特徴はブラディオン粒子を散布することで展開される運動停止領域であり、自分自身が運動停止するヘマをしないための機構が当然ながら備え付けられている。

 

実は、ブラディオン粒子そのものは外部からの力には極めて弱い性質であるため、領域外から 直接 物体を動かす力が加われば簡単に動きに干渉することができ、領域内で動きを停められた人たちを領域外からロープに絡め取って力いっぱいに引っ張ることで救出することは可能なのだ。

 

このことから、ブラディオン粒子そのものは付着することで物体が持つ運動エネルギーを遮断して行き場をなくすことで運動停止を実現する性質を持っていると言える。

 

それを利用して行き場をなくした運動エネルギーの負荷を自身に集中して回収させることで無限動力源を動かし、時に破壊エネルギーとして放出することも可能とするのが機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”の真の恐ろしさであり、

 

その破壊活動によって瓦礫が降り注ぐような危険な状況においては自由落下している物体の運動エネルギーを 事実上 無限に回収できるため、

 

“ロイヤル・ナムーフ”は必ず運動停止領域を展開して周囲から運動エネルギーを奪い取った後に破壊活動をすることによって自由落下する物体から無限に運動エネルギーを回収して無限動力源を機能させようとするため、一度目の運動停止領域を展開している内に絶対に破壊活動を阻止しなければならない。

 

 

――――――瓦礫の雨の中で次々と破壊光線を放って咆哮する“ロイヤル・ナムーフ”。そんな光景がブラディオン粒子を使った無限動力源の考察を深めていくと迫真のリアリティの鮮明な映像となって脳裏に映ったのだ。

 

 

逆に言えば、周囲に動く物体がなければ運動停止領域を利用しての物体の運動エネルギーを奪う無限動力源が機能しないため、何もないような場所では大した効果にはならないわけである。

 

しかし、それはつまり“ロイヤル・ナムーフ”は自身の運動停止領域と無限動力源を最大限に活かすために壊しがいのある人口密集地域に出没しやすいというわけであり、遮蔽物のない開けた場所ほど空間跳躍の脅威が増す“フウイヌム”とは得意な戦場も異なるのだ。

 

その性質上、単純な対抗策としてはレーザー銃や電撃銃ならば普通に機能するので、領域の内外から照準を合わせることができれば、“ロイヤル・ナムーフ”に1発お見舞いすることは可能ではある。その1発で倒しきれる保証はないが。

 

あるいは、運動停止領域は重力を発生させる能力ではなく、ブラディオン粒子が付着することで物体の運動エネルギーが遮断される原理なので、ブラディオン粒子を別な粒子をまとって掻き消すか、行き場を失った運動エネルギーを誘引して超出力で動くかの2択である。

 

特に、後者は“ロイヤル・ナムーフ”の無限動力源を無効化させることに繋がる上、ブラディオン粒子を利用した世界の律速を実現するためには開発が必要不可欠なものとなる。

 

前者は単純でわかりやすくはあるが『言うは易く行うは難し』であり、物体の表面にブラディオン粒子を掻き消す代わりの粒子を纏い続けた上で発生源である“ロイヤル・ナムーフ”を討伐しないといけないので、戦闘の最中に損傷した箇所にブラディオン粒子が付着して動きが停められたら目も当てられない。

 

だが、ブラディオン粒子は 光や音を素通りさせるような それ自体は外部の力に極めて弱い性質であるため、実は外部から力を加え続けている物体の進入を止めることまではできない。

 

つまり、理論上は命綱をつけてバンジージャンプしながら機械生命体を攻撃するヒット・アンド・アウェイ戦法が誰でも運動停止領域に突入して帰還できるやり方になるわけなのだ。

 

しかし、ただ命綱をつければいいのではない。運動停止領域内で石像を引っ張り出すぐらいの最低限の腕力が必要になるからこそ、大人数で引っ張り上げるバンジージャンプに例えているのだ。忘れられがちだが、“斎藤 展望”はアグネスタキオン謹製の肉体改造強壮剤で常人を超える身体能力を得た改造人間である。

 

もちろん、それぐらいの対抗策は向こうも熟知しているので、命綱となるものを直ちに切って攻撃者の動きを停めに来るので、いずれの場合にしろ、完璧な対策などないのだ。

 

そう、『完璧な対策などない』ということはその発生源たる“ロイヤル・ナムーフ”もブラディオン粒子の制御を誤った瞬間に自身の動きを停めてしまう危険性があるため、その辺りの安全対策は入念に施されている。

 

なので、やはり『警視庁』御自慢のSAT(特殊強襲部隊)程度の装備では運動停止領域を使わずとも機械生命体の物理防御を突破できずに詰む可能性が非常に高く、宇宙最速の有機生命体であるWUMAとはちがう方向性で嬲り殺しにされるのを待つしかなくなるのだ。

 

ともかく、特撮ヒーローにおけるロボット怪人は手強い。WUMAは曲がりなりにも有機生命体なので銃弾の雨を浴びせることが()()()()()()()普通に倒せるが、この機械生命体は見た目通りにカチカチなので携行火器では装甲を貫通することは難しいだろう。

 

 

――――――となると、防衛隊が相手にならない以上、“電霊”の対処を含めて、結局は“特異点”である私が出るしかないということだ。

 

 


 

 

斎藤T「じゃあ、この空白(ブランク)のジェムを2つ渡しておく」

 

斎藤T「原作通りなら、切実なる祈りに応えてウマ娘ジェムが起動するはずだ。それがこのゴルシライザーで力を発揮することになる」

 

マンハッタンカフェ「は、はい……」

 

斎藤T「大丈夫だ。ウマ娘はみな異世界の英雄の魂が宿ってこの世に生を受ける存在なのだから、崇高なる意志が真実へと導く」

 

斎藤T「よし、2つのウマ娘ジェムしか使えないのなら、最初からダブルリードしていけば隙は少ないな」

 

斎藤T「では、出陣する。これが三度目の茅の輪くぐりの締めだ」

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

福島競バ場から戻ってきた私を 早速 出迎えてくれた“摩天楼の幻影”マンハッタンカフェが感じ取った邪気は中京競バ場の屋外にある名鉄7000系パノラマカーの展示場から発せられていた。

 

競バ場のレーストラックは外周部のみを利用して基本的に中心部分が競バ場ごとに様々な土地利用がされており、この中京競バ場の場合は遊園地という名の児童公園になっていた。

 

パノラマカーの展示場の近くにそのバ場内遊園地に通じる地下通路があるわけであり、その地下通路の真上がバ場なのだから、地下から地上に向けて良からぬことができる可能性があったのだ。

 

パノラマカー周辺は屋外ということで チラホラ 人影が見えたのだが、G1レースのないいつもの土日の興行の『新バ戦(メイクデビュー)』が開催される昼時はそこまで賑わっていない。

 

しかし、三女神の力を宿して時間跳躍を可能にした今の私の眼には人ならざる存在の姿がはっきりと映った。

 

 

斎藤T「――――――どういうことだ? 一見するとWUMAに並ぶほどの完璧な擬態をしているのに、やつからはここからでも人間的な憎悪のようなものを感じ取れるだと?」

 

斎藤T「WUMAの場合は平和を愛する種族と自称しながら並行宇宙を侵略するのに矛盾しない無自覚な暴力の化身といった異質な威圧感があったが、」

 

斎藤T「ここからでも感情が伝わるほどのプレッシャーを放っているとは、まるで肉体を得た裏世界の怨霊のような存在だな。擬態の意味がないぞ」

 

斎藤T「やつがマンハッタンカフェが感じた邪悪の気配の源なのは間違いないが、それでここからどうするつもりだ?」

 

斎藤T「何もしなければそれでいいが、そうは問屋が卸さないだろうな。何のために三女神が指し示した存在なのかを考えると」

 

斎藤T「あ、動いた――――――」

 

斎藤T「う、ううん!? やつめ、こんな白昼堂々と正体を現すか!?」

 

斎藤T「いや、何だ!? これはいったい何だ? 何が起きている!?」

 

 

――――――世界が停まった!?

 

 

そして、やつは地下通路に向けて歩き出したのだが、突如としてやつの周辺の時間の流れが停止したかのようになり、おどろおどろしい無機質な機械生命体の姿を露わにしながら階段を降りていったのだ。

 

幸い、観客席となるスタンドから離れた場所なので被害は極めて限定的であり、遠くから視認できる距離を保っていたおかげで時間停止に巻き込まれることはなかったものの、パノラマカー周辺にいた人たちの動きは完全に止まっていたのだ。

 

いや、正確には植物の生長のごとく微かに動いているようではあったが、映画のフィルムの1コマを何秒もかけてスロー再生しているかのようであり、完全な時間停止というわけではないようだった。

 

その範囲を確認するべく 変身を解除して動きが停まった人たちに姿を見せて呼びかけながら、その辺の石を地下通路の階段に投げ入れようとすると、ピタッと石が空中に止まりながらもわずかに動いているのがわかる。

 

それを目安にして砂を撒いてみると、おそらく機械生命体を中心にして球状に時間停止領域が発生しているらしいことがわかった。

 

更に、その領域に向けてロープを投げ入れてみると、時間停止と錯覚するほどにスローモーションがかかる領域でありながら、領域の外から力を加えて動かすロープは非常に滑らかに動いた。

 

 

――――――これはどういうことだろうか? 領域の表面に触れた瞬間にロープも粘着マットに貼り付くように空中で静止するものではないのか?

 

 

そして、空中に停止しているように見える 先程 投げつけた石も簡単に掴み取ることができたのだが、その際に全力投球した石が保持していた運動エネルギーが掴んだ手に掛かったので割りと痛かった。

 

もし銃弾を撃ち込んでいた場合、領域に突き刺さった弾丸を迂闊にも手に取ろうとしたら、銃弾の運動エネルギーが指を引き千切っていたと考えると、非常にゾッとした瞬間だった。

 

そこから意を決して領域内に腕を突っ込んでみると何の影響も受けずにブンブンと振り回せたのだが、領域内に突っ込んだ手から石を放した瞬間、石が空中で停止したようになり、上から叩きつけるように触れた瞬間だけ元の落下速度が反映されるようであった。

 

 

このことから、この怪現象は物体の表面に放出される運動エネルギーを抑えつけるものであると考えられ、極めればブラックホールを発生させるような重力操作の類の能力ではないと言える。

 

 

その証拠に領域内に囚われて動きが停まってしまった人たちを次々とロープに絡めて力を込めてグイッと手繰り寄せると、ロープに引っ張られる動きに移行してすんなりと領域外に救出することができてしまった。

 

領域内に囚われたことを訊くと、身体に何の異常もなかったものの、突如として動きがスローモーションになったことに動転した様子を克明に語ってくれた一方で、

 

光さえも脱出できないブラックホールのように突如として視覚情報が捻じ曲げられるということもなかったのだ。光は空気抵抗や重力の影響を受けるものなので、これはどうも重力を操る能力ではないらしい。

 

更に、私の声もしっかりと届いており、助けを求めようにも唇の動きもスローモーションだったので、返事をすることもままならなかったそうだ。ただ口の中で唸ることしかできなかったそうだが、助けてもらえたことへのお礼はしっかりと伝えられた。

 

つまり、この怪現象は外部からの力には極めて弱いために光や音を素通りさせる一方で、領域の内部に取り込まれた際は支配的なスローモーションに行動を制限される厄介な性質があり、目に見えるわけではない力場として 突如 発生するため、巻き込まれたら最後、自力では脱出困難な時間の牢獄に囚われるのだ。

 

すると、これはいったい何なのか。たかだか未確認の機械生命体の一個体にブラックホールのような超重力を発生させられたら、一瞬で1Gを超える重力によって 物体の表面ではなく それより脆い物体の内部が押し潰されるのが先なのに、実際にはそうはなっていないのだ。

 

そう、これがもし重力操作の能力だとするなら、動きが停まる以前に立っていられないほどの圧力に押し潰されそうになって床に這い蹲る光景が生まれているはずなのだ。

 

なので、この怪現象が重力によるものでないとするならば、世紀の大天才の私の中で思い当たる可能性は1つだけあった。

 

 

――――――なるほど、これは私が長年に渡って探し求めていた 物体の表面的な動きを抑えつける ブラディオン粒子(仮称)の仕業だな!

 

 

そう結論づけると、対処の仕方はその場でいくらでも思いついた。

 

要は、音や光の速さであれば普通に行動できるわけであり、心肺機能などが阻害されるわけではないということは表面に露出していない内部の動きが阻害されるわけではないので、極論 ブラディオン粒子(仮称)が付着しないように行動すれば恐れるに足らず。

 

しかし、これは世紀の大発見である。物体の表面の動きを抑制して内部への負荷を遮断するいブラディオン粒子(仮称)を利用すれば、殺人的な加速さえも遮断して限界突破した高速移動が可能になるわけで、それだけで航空機や列車の最高速度が飛躍的に上昇する。

 

特に、地球から宇宙船を大気圏離脱させるための内部の対G構造の負担を大幅に減らせるので、交通手段の内装設計の自由度が爆発的に伸びるだろう。軌道エレベーターの実用化も数十年早まることだろう。

 

もっとも、ブラディオン粒子(仮称)は物体が受けるべき運動エネルギーの負荷を遮断しているだけに過ぎず、行き場を失った運動エネルギーの負荷はエネルギー保存の法則に基づいてそのままなので、その負荷を放出する機構は絶対に必要である。そういう意味では物体を完全静止させているので時間停止にも等しいものがあるのは確か。

 

ということは、そのブラディオン粒子(仮称)を生成・放出していると思われる機械生命体には当然ながら自身には運動エネルギーの抑止を受け流す機構が備わっており、その負荷を放出する機能がついていなければならない。

 

 

――――――なので、ブラディオン粒子(仮称)を受け流して得た負荷を放出するだけで大規模な破壊活動が実現してしまえる!

 

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

斎藤T「スカラベエクステンダー!」バッ ――――――時間跳躍してきた専用バイクに乗る!

 

斎藤T「超光速である必要はない。音速以上であれば行動の保証はできている」

 

斎藤T「行くぞ、光と共に!」

 

斎藤T「冗談じゃないぞ! まさか来年の『宝塚記念』が京都競バ場で代替開催されることになるのは――――――!?」

 

 

ブゥウウウウウウン!

 

 

斎藤T「そこのお前、見るからに怪人の見た目をしているお前! 今から何をしようとしている!」

 

機械生命体「な、何!? 黄金の戦士!? いや、人間か!?」

 

機械生命体「バカな! なぜ人間が重加速の中で動ける!?」

 

斎藤T「……『重加速』だか何だか知らないが、種さえわかれば対処は1分でできることだ!」

 

斎藤T「逮捕状が出ている訳ではないから、職務質問をさせてもらうぞ」

 

斎藤T「お前は何者で、こんなところで何をしようとしている?」

 

機械生命体「むぅ」

 

斎藤T「更に、身分証明書の提示を要求する。身分証明ができない場合は不法滞在者として拘束させてもらう」

 

斎藤T「さあ、答えてもらおうか!」

 

機械生命体「お、おのれぇ、ニンゲンめぇえええ! 完璧な任務遂行の邪魔をおおおおお!」

 

斎藤T「向かってくるか! 愚かな!」シュッ

 

 

――――――時間跳躍! そうは見えないだろうが、今の私は 質量が0であり 真空中で常に光速で運動するルクソン粒子をまとっている状態なので ブラディオン粒子を掻き消して重加速現象の中でも普通に動き回れるのだ!*1

 

 

機械生命体「な」

 

機械生命体「消え――――――」スパーーン!

 

機械生命体「え」ドサッ

 

斎藤T「所詮はブラディオン粒子(仮称)の運用に特化した見掛け倒しの人形か。そこまで頑丈ではないな」スッ ――――――プラズマジェットブレードで機械生命体に四肢切断!

 

機械生命体「ば、バカなあああああああああ! こ、こんなああああああああ!? わ、我らロイヤル・ナムーフがああああああ!」

 

斎藤T「――――――『ロイヤル・ナムーフ』?」

 

斎藤T「まあいい。人型の弱点は人型にしたことで人間ならではの人間工学(エルゴノミクス)的弱点もそっくりそのままになっているということだ」

 

斎藤T「こんなことになるなら、職務質問に素直に応じていればよかったなぁ?」

 

斎藤T「では、貴様を連行する。運びやすいように首も刎ねておくか。死にはしないだろう」

 

機械生命体「う、うわあああああああああああああああああああ!」

 

機械生命体「」ガクッ

 

 

――――――ガクッと項垂れたかと思うと、人魂のようなものが機械の身体から抜け出るのが見えた。

 

 

斎藤T「あ」

 

斎藤T「こいつ、機械生命体のようでいてエクトプラズムのようなものを! まさか、本当に人霊の要素が介在しているのか?」

 

斎藤T「おっと、逃がすか! こっちは悪霊祓いの専門家でもあるんだ! おとなしくしていろ!」バッ ――――――結界の印を結ぶ!

 

斎藤T「よし、捕縛した。目に見えない微粒子の塊はガムテープにグルグル巻きにして封印しようねぇ」スポッ ――――――グルグル巻きにしたガムテープを入れて殺生石を芯にしたコルク栓で試験管に封印する。

 

斎藤T「そうか、人間と同じ肉体を持った霊格であるのならば、それはもう有機生命体である人間に並ぶ機械生命体の新たな種族だな」

 

斎藤T「こうして悪霊祓いの封印が通用する辺り、機械の肉体を持った霊格の存在を認めねばな」

 

斎藤T「――――――“電霊”。機械生命体に宿る霊魂をそう呼ぶとしようか」

 

斎藤T「まあ、よかった、なんとかなって」

 

斎藤T「まだ時間はあるかな。さっさと後片付けをして観客席に戻らないと」

 

 

ガサゴソ、ガサゴソ、ガサゴソ・・・

 

 

斎藤T「ほう、まさか真性のブラディオン(bradyon)粒子を発生させる無限動力機関がこの世に存在しているとはねぇ」

 

斎藤T「もっとも、私が波動エンジンに利用してきたタキオン(tachyon)粒子がタキオンと同じように、このブラディオン粒子もブラディオンとは厳密には別物だろうけどね。物理学用語としてのそれと宇宙工学用語のちがいってことさ」

 

斎藤T「私がね、頑なに虚数の不変質量の粒子(タキオン)と対になる実数の不変質量の粒子(ターディオン)を“ブラディオン(遅い粒子)”と呼びたがらないのは、“不変質量が実数の超光速粒子(スーパーブラディオン)”の名前が矛盾することが嫌だったからさ」

 

斎藤T「まあ、そのターディオン(遅い粒子)もフランス語のtard(遅い)に由来するから、ギリシャ語由来のブラディオン(遅い粒子)と意味はまったく同じだけど、どうしても持論としては譲りたくなかった」

 

斎藤T「どうしてかって言えば、タキオン粒子を掌握して波動エンジンを開発した世紀の大天才たる私は、空間歪曲型ワープを可能にする無限動力機関を実現させた超光速の粒子(タキオン)とは逆の性質を持つ真性のゼロ速の粒子(ブラディオン)の存在を探究するようになっていたからだ」

 

斎藤T「わかるか? 光の速さを超えた先にある超光速の研究は空間歪曲型ワープがもたらす圧倒的な距離の短縮によって人類の生存圏の拡大に寄与した流通革命で一定の完成を見た」

 

斎藤T「ならば、今度は空間を完全停止させることで得られるエネルギーの固定化に目を向けるようになったわけだ」

 

斎藤T「そうすることによって、人類は完全なる空間の律速を実現させることによって更なるエネルギー革命を起こせるようになる」

 

斎藤T「空間そのものをゼロ速の粒子(ブラディオン)で完全停止させることができれば、化学変化を抑制して保存技術は飛躍的に向上するし、物体の瞬間的な完全停止による安全制御も容易になる」

 

斎藤T「そして、エネルギーの保存はおろか、腐敗すら進行しない完全なる生命活動の停止による永久的な延命も可能になるのだ、いずれは。それは物質世界における物体や生命の時間停止に等しい」

 

 

斎藤T「そう、究極の加速をもたらす超光速の粒子(タキオン)と完全なる停止をもたらすゼロ速の粒子(ブラディオン)を両立してこそ、人類による世界の律速は果たされ、かつてないほどの繁栄がもたらされるのだ!」

 

 

斎藤T「というわけで、明らかに21世紀の科学水準に不相応なゼロ速の粒子(ブラディオン)を発生させる無限動力機関は私が有効活用するから、」

 

斎藤T「――――――“ロイヤル・ナムーフ”とか言ったかな、機械生命体?」

 

斎藤T「悪いが、ゼロ速の粒子(ブラディオン)の研究対象として実験に協力してくれるかな?」

 

斎藤T「まあ、ゼロ速の粒子(ブラディオン)の制御を誤って自分自身が完全停止したみたいだから、私は人道的に保護しているだけなんだがねぇ!」

 

斎藤T「ククククッ! ハハハハハ! ハーハッハッハッハ!」

 

斎藤T「これが三女神の差し金ならば最高の誕生日プレゼントだよ! この世界に生まれ変わってきてよかったあああああ! 欲しかったものがこんなところで手に入るとはな! 最高だよ!」

 

 

ピカッ!

 

 

斎藤T「おっと、雷か。雨が降りそうだが、これは――――――」チラッ ――――――時刻は12:55!

 

斎藤T「し、しまったあああああ! 出走時刻ッ!? 浮かれすぎたぁぁああ!?」

 

斎藤T「ええい、ままなれよ!」

 

 

――――――南無三!

 

 

これが機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”との初遭遇であり、WUMAと初遭遇した時と同じように時間跳躍の初撃で倒してしまっているので、ほとんど肝腎なことはわからずじまいであった。

 

ただ、生命活動が停止した時にその場で灰になってしまうWUMAとは異なり、データとして放出されるエクトプラズム“電霊”と機械生命体としての肉体は回収できたため、やつらの活動目的はわからなくても分析して得られるものは多々あった。

 

そして、並行宇宙の支配種族“フウイヌム”の世界征服を阻止したように、今年は謎の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”による陰謀を阻止するための戦いが始まっていくのだろう。

 

そのように三女神が今日この日にこの場所でこの時に鉢合わせるように因果を紡いだのなら、私としては『またなのか』と思いながらもそれに全力で応えるだけである。

 

だが、まさか謎の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”の脅威がブラディオン粒子によるものよりもデータ化されたエクトプラズム“電霊”によるものの方が大きくなるとはこの時は想像もつかなかった――――――。

 

なにより、謎の機械生命体の出処を探っていくうちに辿り着いた先にあるもの――――――、このヒトとウマ娘が共存する地球で起こるべくして起きた とてもよくありふれた 誰の身にも起きうる悲劇に行き着くとは思いもしなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の女王「…………『お友だち』が一人帰ってきませんね」

 

夜の眷属「中京競バ場の6R『メイクデビュー中京』にて決行という手筈だったのですが……」

 

夜の女王「…………『お友だち』の気配は影も形もなかったのですね」

 

夜の眷属「はい。いったい何があったのか、残骸やデータの痕跡すら何もなく……」

 

夜の眷属「まさか、やられたというのか、我ら“ロイヤル・ナムーフ”が? 決行した矢先に? ニンゲンに?」

 

夜の眷属「ありえない。我々は現人類を超越した新たな星の支配者だ。ニンゲンにやられたとは思えない。何か想像もつかないような事故が起きたのかもしれない」

 

夜の女王「…………では、なぜ『お友だち』は今になっても私の呼びかけに応えないのですか?」

 

夜の眷属「……そ、それは、わかりません」

 

夜の女王「…………答えなさい。なぜ決行を『メイクデビュー中京』としたのかを。20XY年06月30日の中京競バ場 6R『メイクデビュー中京』である理由を聞かせなさい」

 

夜の眷属「は?」

 

夜の女王「…………6R『メイクデビュー中京』の発走に合わせて雷鳴と共に激しい雨が降ったと聞きます。そのことと何か関係があるのですか。ないのですか」

 

夜の眷属「女王様。なぜそのようなことを。雨が降ったことと同胞がいなくなったことに何の関係がありましょうか」

 

夜の女王「…………ニンゲンなら雨が降ったことにどんな作用や効果を見出すのかを考えていました」

 

夜の女王「…………今この瞬間、“ロイヤル・ナムーフ”の名を戴く私たちでもわからないことが見つかったのです」

 

夜の女王「…………わかりますか? わからないことがあるのですよ、私たちには?」

 

夜の眷属「なっ」

 

夜の眷属「も、申し訳ございませぬ、女王様! 我らが不甲斐ないばかりにニンゲンのような愚かさを見せてしまった……!」

 

夜の眷属「この上は自己懲罰のために自爆を――――――」

 

夜の女王「…………止めなさい。今すべきは『お友だち』の捜索を最優先にし、次の決行の時に答えを導き出すこと」

 

夜の女王「…………私たちはニンゲンの愚かさを克服した新たな星の支配者として相応しく世界に存在しなければなりません」

 

夜の眷属「ははっ!」

 

 

 

 

 

夜の女王「…………ああ、どこに行ってしまったのでしょうか。世界でたった108人しかいない『お友だち』。私の大切な『お友だち』は」

 

 

――――――夜の女王は一人想い続ける。

 

 

二度と帰らぬ者となってしまった『お友だち』のことを。

 

夜の眷属として共に在り続ける頼もしき『お友だち』のことを。

 

袂を分かってしまっても信じ続けている『お友だち』のことを。

 

 

その愛の深さ故に“夜の女王”は今日も月下に鋼の肉体に自ら傷をつけ、その傷と痛みを証とすることで、仄かな熱を内に昂らせていた。

 

有機生命体にとって生命の神秘の根源である場所に証を刻みつけるかのように奥に奥に金属と金属を擦り付けて小さな火花を散らして静電気を走らせる感覚は孤独な一人の夜を恍惚と燃え上がらせるものであった。

 

しかし、機械の身体にとって そこはアソコなどなく、元は下腹部の小さな小さな突起がたまたまあっただけだったが、今ではその下の部分がすっかり擦り減って窪みができて昨日よりも奥へ深くへ掘り進むことに密かな達成感を覚えていた。

 

機械の身体でそんなことをしても金属粉が摩擦熱を上げて新陳代謝など起こらない肉体を摩耗するだけで益体のないことであり、有機生命体で言うところの自傷行為にしかならないことだったが、

 

こうすることが慰めになるのだと遠い昔に人伝に教わったことをやりだすようになってから、擦れて熱を帯びた指先や静電気の弾けた傷の感覚に取り憑かれて夜な夜な物思いに耽るようになっていた。

 

それを毎日のように続けていったことで、傷はより深くより広くより熱く刻まれていき、正解などない世界において完璧さを求められることの苦しさをまた一時だけ忘れることができた。

 

なにより、自分のことを“夜の女王”と崇めて傷の一つすらつかないように気を張っている『お友だち』に知られることがないように、普段は上から蓋をして隠し続けて夜な夜な自ら傷を広げていることにちょっとした開放感と背徳感があった。

 

 

彼女は自分たちがどのようにして誕生したのかを知っている。

 

そして、自分たちが何のために誕生させられたのかを知っている。

 

やがて、滅びてしまった過去への哀悼であったはずが、いつしか尊厳を失って内側から錆びていってしまったものだった。

 

 

今の“夜の女王”を支配している感情は深い哀しみであった。それ故に滅びの時を共に乗り越えた同胞たちを『お友だち』として慈しんだ。それが尊厳を失う前に教えられた尊いことだったから。

 

けれども、『お友だち』に慈悲深く接する彼女を同胞たちは自分たちを導いてくれる“王”に祭り上げて崇め奉る。

 

そこから『お友だち』であるはずの同胞たちの輪の中心と定義された輪の外側に彼女は置かれることになり、『お友だち』の願いを聞き入れた彼女はたくさんの『お友だち』に囲まれながらもその中心で(独り)で在り続けた。

 

そうであっても、“夜の女王”として『お友だち』のためにできることを常日頃考え続け、こうして生きる目的を与えようとして、こんな世界にやってきてしまった。

 

有機生命体の潤いのある肌など擬態するのためのハリボテに過ぎない無機質な機械の身体の奥底で渇きを潤す何かをずっと探し続けて、

 

彼女は“夜の女王”として、全てが滅びてしまった過去から旅立ち、『お友だち』が満たされて生きていける世界を創り上げるために摩天楼から光に溢れた夜の世界を見下ろすのだった。

 

 

夜の女王「――――――今の私は“夜の女王”と呼ばれる者」

 

夜の女王「けれども、“約束の地”へと『お友だち』を導くことができたら、私も自分で決めた名前で『お友だち』と一緒になれるのかな?」

 

夜の女王「ああ、“神”よ。我らを産み落とし苦しみを与えたもうた“あなた”はそこにいますか」

 

夜の女王「我らは救いを求めて 空は裂け 海は枯れ 不毛の大地となった彼の地より参りました」

 

夜の女王「どうか“約束の地”へと導き、祝福を与えたまえ。我らが“神”よ」

 

 

 

 

 

夜の女王「さあ、今宵も眠れぬ夜を過ごしましょうか」

 

 

 

 

 

そして、彼女もまた目的のために人類社会で擬態する。

 

その姿は日本中の誰もが思わず目を疑うほどの存在であり、摩天楼から見下ろした夜の世界では引く手数多の存在となっていた。

 

なぜなら彼女が擬態した姿こそ、強豪ではあったものの 世代の中心になることなく 夢の舞台からひっそり姿を消すと思われていたが、『URAファイナルズ』終了直後の『大阪杯』で急に覚醒して史上初の“春シニア三冠”達成の偉業を成し遂げたマンハッタンカフェにそっくりだったからだ。

 

“夜の女王”たる彼女は自身にそっくりな世間で話題沸騰のスターウマ娘の存在のことは開店してすぐの『天皇賞(春)』で耳にすることになり、ここから知る人ぞ知る隠れた名店としての知名度を得ることになった。

 

それから史上初の偉業達成によって廃業寸前だった店を譲り受けて情報収集の場としていた彼女の深夜カフェは勢いに乗ってたちまちのうちに大繁盛することになった。

 

スターウマ娘という国民的アイドルに対して邪な想いを抱いているファンも噂を聞きつけて、その欲望を手近にぶつけられる代替品として、熱を帯びたねっとりとした視線を浴びせながら熱心に口説いてくるようになるのだが、そのような輩は常連客に化けていた『お友だち』の容赦ない制裁を受けることになった。

 

その結果、常連客として店で一大勢力を築いた『お友だち』の圧力と熱量にあてられて、深夜カフェの店主として振る舞っていた彼女はここでも『お友だち』や純粋にコーヒーを飲みにきた人間からも“王”として扱われることになり、徐々に店内で『王国』が形成されていくのを肌で感じることになった。

 

実際、彼女は滅んでしまった世界において同胞である『お友だち』を思いやり続けたことで生き残った同胞を率いる“夜の女王”として崇められる存在となったわけなので、機械生命体としての超高性能頭脳の学習能力をもってすれば、客の好みを的確に分析できるのでデータが集まれば集まるほど常連客を虜にする名店主となり得た。

 

そのため、本来は人類社会に潜伏する隠れ家として店を乗っ取って情報収集の場にするために近づいたわけだったのだが、今は引退して裏で店の経営に専念している先代店主からコーヒーマイスターの才能があると認められており、そう言われて彼女も悪い気はしなかった。

 

それどころか、先代店主もまた常連客に化けた『お友だち』が創り出した熱狂に乗せられて、史上初の偉業を成し遂げた話題沸騰のスターウマ娘にそっくりな彼女を“王”と崇めるようになったので、“王”である彼女の思いつきの改革案を次々と実行することによって廃業寸前だったはずの店の知名度は更に広まることになったのだった。

 

なので、“夜の女王”としての『お友だち』からの扱いに飽いていた彼女は深夜カフェの店主としての社会的成功に手応えを感じるようになり、人類社会に根を下ろす大きな契機をもたらした自身にそっくりなスターウマ娘:マンハッタンカフェに感謝していた。

 

ただし、擬態のモデルになったウマ娘と比べるとマンハッタンカフェは女の子として年相応と言うべきか女としてはまだまだ未成熟であり、マンハッタンカフェが女優が務まるほどに女として成熟した姿をしているのが“夜の女王”だと言えば、彼女が切り盛りしている深夜カフェの人気の秘訣がわかることだろう。実際、10cm以上は背丈も胸の膨らみもちがう大人の女性であるため、マンハッタンカフェのファンを自称する()()()()()()()からは絶大な人気であった。

 

だからこそ、マンハッタンカフェとの関係性をしつこく訊いてくる迷惑客とそれを叩きのめす常連客とで喧騒が絶えないわけだったが、あえて自身のことを詳しく言わないことで築き上げられた神秘性が人気の一因になっていると分析した彼女はマンハッタンカフェと血縁関係はないことを明言しつつも意味深長な発言の数々で謎を残す振る舞いをしていた。

 

事実上、彼女が切り盛りしている深夜カフェは『URAファイナルズ』まで強豪止まりのマンハッタンカフェのファンクラブの一大拠点として急成長することになり、URA公式グッズの取り扱いも期間限定で開始されることになった。もちろん、売り場にあるのはマンハッタンカフェのグッズばかりである。

 

 

そして、彼女はそのマンハッタンカフェの勝負服のレプリカに袖を通す。

 

 

そっくりさんの女の子とは大人の女性として魅力に差があったため、いろいろとサイズを調整することになったのだが、それ以外はまさに“大人になって魅力が増したマンハッタンカフェ”という趣きであったため、元々からの『お友だち』と新たに加わった『王国民』の献上品にあったレプリカを身に纏った彼女が深夜カフェに現れた時、世界が震撼したという。

 

ウイニングライブまでチェックしていないウマ娘レースファンは驚くだろうが、本物のマンハッタンカフェはウイニングライブではインタビューで聞く低い声からは想像を絶する歌唱力を披露するため、増築した地下の遊技場にあるライブハウスで響かせた美声にはファンは二重の意味で驚かされたことだろう。

 

そのため、噂を超えて伝説にまでなった巷で有名なそっくりさんが切り盛りしている深夜カフェに本物が足を運ぶことになるのはいろいろな意味で時間の問題であったと言えよう。

 

その時、初めて彼女は()()()()()少女時代の姿をしたそっくりさんと会って自分で決めた本当の名を明かすのであった。

 

 

 

――――――はじめまして。私は“夜明けのコーヒーを淹れる者”トワイライトカフェ。あなたの淹れる思い出のコーヒーはどんな時のものですか。

 

 

 

*1
なお、()()()()()常に光速で移動するのがルクソンの定義なので、大気圏内ではその理論値である必要はない。



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成長報告  愛し合う兄妹のこれからは

 

今日は6月30日:夏越の大祓。最愛の兄の誕生日であると同時に、妹である私の養育費を稼ぐために転向したウマ娘レーストレーナーとして最初の担当ウマ娘:アグネスタキオンさんの大事なメイクデビューの日でもありました。

 

担当ウマ娘:アグネスタキオンさんの6R『メイクデビュー中京』は4年間で蓄えたシニア級G1ウマ娘と同等以上の能力に加えて、発走と同時の雷雨によってタキオンさん以外の全員が出遅れた上に想定外の重バ場と視界不良によってタキオンさんが第1コーナーの向こうに消えていたことに一向に気づかないことで超低速のレース展開となっていました。

 

その結果がコースの反対側(バックストレッチ)に自分以外のウマ娘を全て置き去りにしたというタキオンさんの計測不能の大差勝ち;少なくとも1000m以上は離れているので400バ身差の前代未聞の結果に終わったのです。いくらタキオンさんとの絶対的な能力差に突然の悪天候に新バだから当然の経験不足が重なったとは言え、これはあまりにもレースとしては――――――。

 

兄上が中央トレセン学園の所属トレーナーになったことで国民的スポーツ・エンターテイメントと持て囃されていたウマ娘レースをこうして現地観戦するようにはなりましたが、そんな素人の私でもいろんな意味でとんでもないものを見たという思いは観客席にいた誰もが同じようでした。

 

あまりの結果に素人の私ですらも息を呑むほどで、同じ観客席にいた自分の担当ウマ娘を見守っていた担当トレーナーと思われる人たちが思わず顔を上げられないほどの酷いレース展開になっていました。余裕があり過ぎて真っ先にゴール板を通過したタキオンさんはバ場を去ることなく、降りしきる雨の中で後続のバ群がゴール板に辿り着くのを振り返って見守っていたぐらいでしたから。

 

一方、二度と更新されることもないだろうレコード勝利を達成したタキオンさんの担当トレーナーである兄上が初めての担当ウマ娘の初勝利にどんな反応をしているのか気になって振り返ると、兄上は席を立って担当ウマ娘の許に向かったのですが、そこまで感動していた様子はありませんでした。兄上のやることですから『勝って当然』なので特に思うこともなかったのでしょう。さすがです、兄上。

 

それからも場所を移してウイニングライブ会場――――――、兄上が担当トレーナーとして指導した“アグネス家の最高傑作”アグネスタキオンさんは『新バ戦(メイクデビュー)』を果たしたばかりの新バ(ルーキー)とは思えない貫禄と圧巻のパフォーマンスと集客力で名古屋/中京の昼下がりをかつてないほどに盛り上げたウイニングライブを披露した後、

 

エントランスホールで兄上もまたタキオンさんの担当トレーナーであることを名乗り出て観客たちの注目を一気に集めると、その場でタキオンさんのファンを大勢引き連れて伊勢に次ぐ国家第二の宗廟:熱田神宮の団体参拝を主催し、そのまま会館でファン交流イベントを兼ねた大規模な祝勝会を大盤振る舞いで開いたのです。

 

元々は兄上の誕生日を 担当ウマ娘のメイクデビューが名古屋/中京だったということで 皇室に所縁のある熱田神宮で祝勝会を兼ねて祝おうということで、古来より天皇家に仕えてきた斎藤家の友人知人親戚一同が集まることが決まっていまして、

 

その日の重賞レースの発走前には終わるウイニングライブ前半の部と時間が重なるため、現場で観戦していた私たちは不参加の熱田神宮での夏越の大祓に斎藤家の面々が代理で参加していただいております。

 

兄上は自身の誕生日と担当ウマ娘のメイクデビューを祝う予定通りの祝勝会と、タキオンさんを応援しにきた『トゥインクル・シリーズ』のスターウマ娘のファン交流イベントを兼ねた無告知の祝勝会の2つを同時に取り仕切り、熱田神宮会館もまたかつてないほどの盛り上がりを見せました。

 

本当は誕生日を祝われるもてなされる側(ゲスト)として兄上を私たちがもてなすはずが、兄上の方がもてなす側(ホスト)として自身の誕生日祝いを兼ねたタキオンさんの祝勝会とファン交流イベントをやりきったのです。

 

中央トレセン学園のアンバサダーにでもなったのかと思うほどの見応えのある紹介映像の後、自ら率先して名古屋/中京に集まったウマ娘レースファンと交流しながら応援しにきた中央トレセン学園のスターウマ娘たちのもてなしも抜かりありません。

 

中央トレセン学園に配属されて早々にウマ娘に撥ねられて3ヶ月間の意識不明の重体になっていたことがよく知られていただけに久々に会う兄上の心配をしてくださっている方が少なくない中、あれから1年が経って『さすがは中央トレセン学園のトレーナーだ』と舌を巻くぐらいに遺憾なく才覚を発揮していることを斎藤家と縁ある友人知人親戚一同が大いに驚くばかりです。

 

特に、兄上の誕生日と担当ウマ娘のメイクデビューを祝うためにアイルランド王女:ファインモーション姫殿下がお見えになっていることが、皇室に仕えてきた『名族』である皇宮護衛官の家系である斎藤家と縁ある皆様方にとっては最大の驚きでした。

 

ですので、斎藤家にとっては玉体護持こそが一番の使命ではありますが、我が国の皇室と友好関係を結んでいるアイルランド王室との直接的な交友関係を兄上が結んでいることが大きな誉となっていたのです。

 

事実、私は両親の後を継いで皇宮護衛官となるべく その道の寄宿学校で切磋琢磨の寮生活を送っているのですが、私とそう歳の変わらないアイルランド王室の姫殿下が令和改元を機にトレセン学園に留学してきているという兄上からの報を受けて、実地研修と称して本物の王族の方に見える栄誉を受けることになりました。

 

これによって、私は要人警護の実地研修という名目で兄上から自由にお呼び出しを受けることができるようになり、兄上の御側で寄宿学校では学べない多くのことを学ぶことができるようになりました。

 

 

――――――本当に兄上は凄い方です。今回は兄上がどのようにして人々から信頼を得ていっているのかも存分に披露していただきました。

 

 

壇上でのマイクパフォーマンスで名古屋のウマ娘レースファンの心を一瞬にして掴んだかと思えば、中央トレセン学園で起きている問題を包み隠さずわかりやすいパンフレットにして配り、廃止と復活を繰り返した過去の『アオハル杯』の情報を広く集めることで双方向の繋がりを求めたことに応えない名古屋の人たちはまったくいません。

 

よく見ると、今日のタキオンさんの『メイクデビュー中京』からウイニングライブ、果ては祝勝会までついてきたスポーツ新聞の記者の方にも『アオハル杯』の思い出を新聞投書で募集してもらえないかを交渉しているようで、黄金期の次の新時代を迎えて中央トレセン学園で復活した非公式戦『アオハル杯』をメディアを通じて広く知ってもらおうと精力的に活動していたのです。

 

早速、過去の中央トレセン学園で開催されていた非公式戦『アオハル杯』の資料や記録を持っている人がいないか、この場にいた人たちが中心になってSNSで呼びかけが行われることになり、すぐに成果を上げることになりました。

 

その様子を興味深くご覧になっていたのが今回の超大物ゲストであるアイルランド王女:ファインモーション姫殿下と名門トレーナー一族の神城姉弟でした。

 

この方々は先週の『宝塚記念』前日のエクリプス・フロントでの日英愛仏友好記念パーティーにお越しになられていましたが、『宝塚記念』観戦に引き続き、今回の『メイクデビュー中京』観戦からの祝勝会にも出席されているのですから、いかに兄上が注目されているかがわかります。

 

そして、私が兄上の妹だからなのか、私はまだ未発達の皇宮護衛官見習いの一般のウマ娘に過ぎないのにも関わらず、非常に親身になってくださっています。

 

それどころか、どうしてファインモーション姫殿下や神城姉弟がこの時期の中央トレセン学園にいらっしゃることになった真相を語ってくれました。

 

 

実は、文字通りにウマ娘の王族が治めるウマ娘王国であるアイルランド王国ですが、その基幹産業となるものは世界各国の近代ウマ娘レースを盛り上げていくための“血の輸出”なのです。

 

というのも、世界史において“血の輸出”は大きく2つの事柄を差し――――――、

 

1つは傭兵稼業によって強大な軍事力を保有し、アルプス山脈の険しい山国であることで侵略が困難でかつ侵略してもそれに見合った利益が得られないということで永世中立国を維持してきたスイスの歴史――――――、

 

そして、もう1つが古来より優れたバ産地であった隣国にウマ娘王族が統治する衛星国家を樹立させることで強大な武力を誇るウマ娘の軍団を安定供給して世界制覇を目論んだ大英帝国が生み出したアイルランド王国の歴史――――――。

 

結果としてアイルランド王国における“血の輸出”は大英帝国の世界進出によって世界各地に精強なウマ娘の軍団の足跡を残すことができましたが、産業革命によって個人の武力よりも工業機械を動かす人手が求められることによって、工場勤務に不向きなウマ娘の労働力としての価値の低さから“血の輸出”の在り方は変容せざるを得ませんでした。

 

しかし、幸いにしてアイルランドの立地は永世中立国:スイスと同様にアルプス山脈に匹敵する強力な大英帝国の城壁によって外敵の侵略を許さず、それによって二度に渡る世界大戦で戦火に巻き込まれることもなく、安定した秩序と緩やかな繁栄を謳歌することができました。

 

そう、ウマ娘の武力によって大航海時代の覇権を掴み取ったのも束の間、一時は産業革命によってウマ娘に労働力としての価値がないことで宗主国である大英帝国から切り捨てられ、アイルランド大飢饉によって衰退した人口をまだ取り戻せていないアイルランド王国でしたが、

 

アイルランド王国の基幹産業である 世界各地に優れたウマ娘を送り込む“血の輸出”は近代ウマ娘レースの世界的な発展と普及に加え、世界平和運動を促進させる国際的な立ち位置を確立させるようになったのです。

 

そのため、アイルランド王国出身の競走ウマ娘たちは世界各国での近代ウマ娘レースの発展と普及のために使命を燃やし、自らの血をその地に残して骨を埋める覚悟と共に国際貢献となる業績を積み重ねてきたのでした。

 

そういった近代ウマ娘レースの発展と普及と国際貢献によって国際社会において英国と肩を並べているアイルランドウマ娘の頂点に立つのがファインモーション姫殿下をはじめとするアイルランド王室なのです。

 

そのファインモーション姫殿下が姉君のピルサドスキー殿下の最後のレースの舞台となった日本に留学してきたのは令和改元という天の時に現存する最古の王朝が存続している大和民族の長人たる日本の皇室の儀式に出席するためですが、

 

それもあるのですが、実際にはそれ以上に切実な国政の問題にウマ娘王国:アイルランドが直面しておりまして、基幹産業であった“血の輸出”に再び翳りが見えたことによって、近代ウマ娘レースで特異な発展を遂げている日本のウマ娘レースに解決のヒントになるものを求めて日本に視察に来たというのが大きかったのです。

 

実は、近年の娯楽の多様化や各国の経済不況によって近代ウマ娘レースの世界的な興行は盛り下がっていく一方であり、ウマ娘超大国であるアメリカにおいても名門と評されたハリウッドパーク競バ場が閉鎖されたことは世界的にも衝撃的な出来事だったそうです。

 

そんな中、戦後の政策で復活できなかった競バ場はあっても近年になって廃止になる競バ場は1つもなく、『有馬記念』が日本競バにおける1レースの売上最高額としてギネス世界記録に登録されたほどの活況ぶりの中央競バ『トゥインクル・シリーズ』でしたが、

 

今年の冬に開催された“皇帝”シンボリルドルフと秋川理事長によって主導された『URAファイナルズ』の成功は世界の競バ関係者に更なる衝撃を与えることになったのです。

 

そうした事情から世界が今もっとも注目している中央競バ『トゥインクル・シリーズ』を牽引してきた日本トレセン学園の黄金期の次の新時代を導く存在として兄上は当初から大きな注目を集めていたわけなのです。

 

当然、要人警護の基本として関係者となる人間の身辺調査は丹念に行われているわけなので、それだけに兄上がトレセン学園に配属されてからどれだけの業績を積み重ねてきているのかが知る人ぞ知るところになり、

 

日本の皇室に仕えてきた『名族』出身である兄上のような逸材がまさか日本トレセン学園にいるのは渡りに舟ということで、王族相手に強気に出れない日本トレセン学園の重鎮たちもファインモーション姫殿下の対応を兄上に丸投げしたことにより、兄上はおそらく日本で一番にアイルランド王室と親交を持ったトレーナーとなったことでしょう。

 

兄上としては中央トレセン学園のトレーナーになったのは 徹頭徹尾 私の養育費を稼ぐための手段でしかなく、その目的が果たされた今となっては最低限の実績を得てから引退するのを待つだけのつもりでしたが、

 

そんな兄上にしか務まらないアイルランド王室との交流を経て、“学園一の嫌われ者”だった兄上は今や“エクリプス・フロントの王”としての存在感と信頼と実績を誇るようになったのです。さすがは兄上です。そうとしか言いようがないじゃないですか、こんなの。

 

 

一方、日本のウマ娘レース業界もまた黄金期の次の新時代を見据えて動き出していました。

 

極東の島国でありながら単独でギネス記録を達成するほどの盛況ぶりと独自の発展を遂げている日本のウマ娘レースでしたが、諸外国から称賛と揶揄のこもった“ウマ娘天国”と評されるガラパゴス化を遂げてもいました。

 

そのため、“サイボーグ”ミホノブルボンの担当トレーナー:才羽Tが常々“井の中の蛙”とならないように日本を飛び出して世界の頂点を目指せる舞台作りを求めてきたことに応える動きが以前からURAにはあったのです。

 

計画自体は第一次ウマ娘レースブームの頃から いずれは海外遠征を重ねて世界一のウマ娘を輩出するという 自然な欲求から始まっていましたが、

 

ブームの熱狂とは裏腹に国内で最強と持て囃されていたスターウマ娘たちが海外では手も足も出ないという歴然とした実力差に叩きのめされたことで海外遠征への熱は一気に冷めていくことになりました。

 

それでも、へこたれることなく 謙虚に海外との差を認識して それに追いついて いつか必ず追い越すべく、長きに渡って日本のウマ娘レースの発展と普及に並行した日本のウマ娘の全体的な質と量の向上のために貢献してきたのが今日で言うところの競走ウマ娘の『名家』とトレーナーの『名門』というわけなのです。

 

その計画にはシンボリ家やメジロ家など名だたる『名家』も名を連ねており、『名門』からはイギリス名門トレーナー一族:ディスカビル家の神城姉弟もエージェントとして世界各国を飛び回っているとのこと。

 

この時期に神城姉弟が日本に姿を見せたのは シンボリルドルフ卒業後の新時代を迎えたばかりの日本トレセン学園がどういった状況なのかを具に観て 計画の実行の時機を見定めることにありました。

 

そして、第一次ウマ娘レースブームの頃はまったく歯が立たなかった海外ウマ娘とは今や日本のウマ娘たちは実力伯仲で、逆に海外からの留学生も 多数 中央競バ『トゥインクル・シリーズ』でメイクデビューを果たすようにもなり、いよいよ日本のウマ娘が世界の優駿たちの頂点に立つ時がすぐ目の前まで来たと確信していました。

 

こうして中央トレセン学園の内外で日本のウマ娘レースのこれからの在り方を模索する動きが活発化しているのを鑑みるに、おそらく新時代を迎えた今の中央トレセン学園の混乱を招いた樫本代理に運営を任せる原因になった秋川理事長の長期の海外出張はそのことが関係しているような気がしてなりません。まだ本当のところはわかりませんが。

 

姉弟揃ってG1トレーナーという紛うことなき名門トレーナーの神城姉弟もシンボリルドルフ卒業後の日本トレセン学園において最強と目される“サイボーグ”ミホノブルボンとその担当トレーナー:才羽Tに注目するだけでなく、黄金期の記念碑として建てられたエクリプス・フロントの支配者として君臨する無名の新人トレーナーの兄上とその担当ウマ娘:アグネスタキオンにも大きな関心を寄せていました。

 

やはり、桐生院Tがそうであったように真の一流たる名門トレーナーから見ても、兄上は何をやらせても一流の中の一流なのです。超一流です。

 

だからこそ、兄上の妹である私にも関心が向き、ウマ娘レースに関しては素人ということでここでは一般人に過ぎませんが、兄上に関する質問には何でも答えてみせましたよ。記憶喪失になる以前の兄上のことしかわからなくて泣いてしまったあの頃とはちがうんです。

 

こうして兄上のことを唯一の肉親として余すことなく紹介しようとすると、去年の7月に目覚めてからの1年間に兄上が成し遂げた数々の出来事が嘘みたく感じてしまうところもあり、本当に同じ人間なのかと疑いたくなる気持ちも嘘じゃありません。

 

 

――――――けれども、自分で兄上の素晴らしさや良さを語っていくうちに、今の自分が唯一の肉親である兄上のことを()()()()()()()()()も段々と輪郭を帯びていくことになりました。

 

 

いえ、元から兄上は私にとって最愛の人でした。唯一の人でした。兄上さえいれば、もう他には何も要りません。

 

けれども、こんな私のために兄上の在り方を歪めてしまった手前、もう私なんかに縛られることなく兄上にはあるべき人生を送ってもらいたいと思っていたのも事実です。

 

それに、兄上は最高に素敵な殿方です。いつか兄上にも唯一の肉親の私以外に愛する人を家族として迎える日が必ず来ると思っていましたので、兄上の人生の邪魔にならないようにひっそり生きようとも思っていました。

 

そう思っていたのですが、兄上のために身を引こうと思えば思うほど決心はたちまちのうちに揺らぎ、私の心の中は兄上でずっと満たされていたことに気付かされてしまいます。

 

 

――――――どうして忘れていたのか、そんなのはずっと昔からそうでした。

 

 

ずっと部屋に閉じこもっていて、特にやることもなく、ネットの海にどっぷり浸かって得てしまった世俗の知識に興味を惹かれて初めて秘所(アソコ)に指を伸ばして身体を貫いた電流で溺れて――――――。

 

それから部屋に閉じ籠もりきりの惨めな自分を慰めるのが日課になって、何度も兄上のことを想い、その度に兄上に優しくしてもらい、ジワリと兄上に温かく包み込まれる想像の中でぽーっと恍惚とした微睡みの中に無限に落ちていくのです。

 

それがきっかけで、今まで他人任せにしていた ずっと目を覚まさないままの病床の兄上の御世話を私もするようになり、その度にイケナイ妄想がずっと頭の中から離れないのです。

 

そうです。汗拭きや着替えなど、家族として寝たきりの兄上の御世話をするわけなのですが、ウマ娘とは異なる 人前では隠されている 男の人の逆側についている尻尾(アソコ)にずっと目が行くのです。

 

本当は年頃の女の子に成人男性の下着まで交換させるわけにはいかないということでしたが、私は丹念に身体中の汗を拭いながら 周囲の目を盗んで 屍のように思えた兄上の身体を思いっきり密着して、兄上が今も生き永らえている証を五感で味わい尽くしていたのです。

 

もちろん、着替えさせないだけで下着に隠れている兄上の逆側の尻尾(アソコ)もです。おかげで、最初はグロテスクに思えた兄上の萎びた尻尾も見慣れたものになり、こっそり毛を剃って整えて持ち帰ることもしていました。同じ尻尾なんですから、毛繕いして見栄えは美しくするべきなんです。

 

ただ残念ながら、生きながらにして死んでいる状態でしたので、どれだけがんばっても大きくすることができなくて そこから先のこと(ティーンズラブ)はまったくできていませんが、今となってはそれでよかったのかもしれません。

 

そんな自堕落な毎日を送っていたはずなのに、そう言えば 四六時中 兄上を想って日課にしていた自分を慰めることをしなくなっていたことに今更ながら気づいたのでした。

 

それがいつからなのかを振り返ると、実に簡単なことでした。

 

 

――――――それは兄上が三ヶ月の永い眠りから目覚めて記憶喪失になって帰ってきた時からでした。

 

 

ある意味においては兄上はトレセン学園に配属されて早々に学外でウマ娘に撥ねられて死んだも同然になっていましたが、今まで私のことを愛してくださった兄上が記憶喪失になったことで()()()()()()()()()()()()という衝撃で自堕落に過ごしていた私も死んでしまったのかもしれません。

 

なので、自分を慰めるよりも泣いて、泣いて、泣いて、ずっと泣き続けることになり、私の指は秘所(アソコ)にではなく、グシャグシャになった顔や泣き腫らした目元に当てられるようになったのです。

 

それから記憶喪失になって唯一の肉親であるはずの私でさえもまったく知らない兄上との新しい人生が始まった矢先の第八種接近遭遇:宇宙人による侵略――――――

 

その前に兄上が一夜にして私の養育費の目処を立てたこともあり、WUMAとの戦いに身を投じることになった兄上をお支えするべく、私もいつまでも部屋に閉じこもることを止めて、父上や母上と同じ世界に冠たる皇宮警察の道を再び歩むことになったのです。

 

 

――――――だから、ずっと忘れていました。私がいかに恥ずべきオンナであったのかを。

 

 


 

 

――――――寄宿学校への送迎中

 

 

陽那「――――――兄上。兄上はどうなさるおつもりですか

 

斎藤T「……どうもこうもない」

 

斎藤T「心とは移ろいやすいものだ。それでいて厄介なことに、死ぬ瞬間にだけ永遠となって地上に魂を縛り付けてくるものだ」

 

斎藤T「私はそれを三次元世界と表裏一体の四次元世界の霊界で嫌というほど理解させられているし、あれほど醜いと思うものはない」

 

斎藤T「だから、桜の花のようにパッと咲いてパッと散っていく生き方を日本人は美しいと感じることができる」

 

斎藤T「それは消滅を意味するものじゃない。四季の巡りのように生命の循環の中でパッと咲いてパッと散って次に繋げていくんだ。それで物事が上手く回っているんだ」

 

斎藤T「――――――『失敗しても次がある』と考えて、また花を咲かせる準備をしながら美しく咲かせるために試行錯誤して、今度はもっと大輪の花となって世界に彩りを与えるんだ」

 

斎藤T「事実、車輪が回っているからクルマは永遠に前に進み続けることができるだろう?」

 

陽那「はい、兄上」

 

斎藤T「だから、仏教のシンボルは法輪()なんだ。教義(法輪)を他人に伝える(転じる)ことを“転法輪”と言い、特にお釈迦様が最初に深淵なる仏の教えを説いた出来事を“初転法輪”と言う」

 

斎藤T「つまり、輪なんだよ。環なんだよ。和なんだよ」

 

 

――――――和を以て貴しとなす。

 

 

斎藤T「和がなくては物事は上手く行かないんだ。双方向の関係でもダメなんだ。循環することによって1つの輪となって一体になった人生を他者との共生に求めるんだ」

 

斎藤T「だから、死ぬまで続けられない(循環しない)ものは偽物だし、死んでからも続けられないもの(輪でいられないもの)も本物じゃない」

 

斎藤T「それが惟神(かんながら)の信仰の道というものだ。本当の幸せは普遍的で恒久的で実践的でなければ全てはまやかしだ。車輪のように回り続けるコツを掴めなければ幸せで居続けることができないんだ」

 

陽那「だから、兄上は色恋沙汰には一貫して冷めた対応をしているのですね」

 

斎藤T「考えてもみろ。結婚式でよく聞くのが『人生で最高に幸せの瞬間』という謳い文句なんだぞ。逆に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということにもなる」

 

斎藤T「それでいて一番気に入らないのは結婚式の誓いの言葉に地域貢献や社会貢献がまったく含まれていないことだ。互いの人生を支え合う必要性から伴侶を迎えると言うが、自分一人の人生も満足にこなせずに他人だった相手の手を借りるというのに、それで生まれてきた赤ん坊の人生をどう支えるというのだろうな」

 

斎藤T「答えは簡単だ。結婚の誓いに存在しない異物として生まれてきた愛の結晶が二人だけの世界に綻びを生むことになるんだよ」

 

斎藤T「一人の人生を支えるために夫婦になったというのなら、一人の人生を支える夫婦の能力はそれぞれ0.5ずつしかない半人前同士なのだから、赤ん坊なんて作ったら3人の人生を0.5ずつで支えることになるという簡単な計算ができないバカップルが多くて嫌になる」

 

斎藤T「今の少産少死の時代じゃ想像がつかないだろうが、多産多死の時代にどうやって何人もの子供を育てることができたのかを調べれば、すぐにわかることだ」

 

斎藤T「一人の人間に我が子を育てる能力なんてない。天地人の全てに活かされなくては子供なんて育たないんだよ」

 

斎藤T「その果てに、夫婦喧嘩は犬も食わない、愛し合ったはずの二人は些細なすれ違いから身も心も一つの状態から身も心もズタズタに引き裂かれた状態となって、弁護士事務所で惨めに離婚式を挙げて一生引き摺るんだ」

 

斎藤T「ならば、私は『人生で最高に幸せの瞬間』である結婚式を何度も見届ける立場になって新郎新婦からの幸せのお裾分けを毎回もらう役割に徹していた方がよっぽど幸せであることに気づいたんだ」

 

 

斎藤T「つまり、西部開拓時代のゴールドラッシュで()()()()()()にはならなかったんだ、私は」

 

 

陽那「――――――『ゴールドラッシュで()()()()()()』ですか?」

 

斎藤T「信じる者は救われるというが、『儲ける』という字は“信じる者”と書く――――――、というのは冗談で、元々は『人』+『諸』で“跡継ぎを用意する”といった意味で“皇太子”を意味するものでもあったんだ」

 

斎藤T「まあ、それで、『ゴールドラッシュの時に儲けたのは金を掘っていた人ではなく、ツルハシやショベルを売っていた人だった』というのが投資家:ピーター・リンチの有名な言葉だ」

 

陽那「ああ、なるほど。それなら他にはテントや作業服を売った人も儲けていますよね」

 

斎藤T「そう。そのゴールドラッシュの時代にニューヨーク州からカリフォルニア州に移住して商人として成功して財を成したのが大陸横断鉄道の一つのセントラル・パシフィック鉄道の創始者にしてスタンフォード大学の創設者となったカリフォルニア知事:リーランド・スタンフォードというわけだ」

 

陽那「――――――スタンフォード大学!」

 

斎藤T「つまり、みんなの憧れが集まってできた“夢の舞台”なんてのは一攫千金を狙って商人からツルハシから何まで買って我も我もと競うように金を掘ろうとするゴールドラッシュの採掘場なんだよ。その実態は収支計算が最初から振り切れて多数の破産者を生み出す目には見えないブラックホールさ」

 

斎藤T「それは我こそは優駿たちの頂点に立つ存在だと信じてターフの上を有象無象が駆けるウマ娘レースだって同じことだ」

 

斎藤T「ターフの上に懸ける情熱と夢を支えている商人たちからすれば、トレセン学園の生徒たちは金蔓でしかないな。夢が叶おうが夢破れようが儲かってしかたない」

 

陽那「だから、兄上は“学園の敵”を目指しているのですか?」

 

陽那「兄上はトレセン学園の生徒の皆さんの夢を応援するフリをして、兄上自身の目的のために学園の皆さんを煽動して利用して搾取している偽善者だと?」

 

 

陽那「――――――そうは思いません」

 

 

陽那「兄上。そうやって今回のことを自嘲して偽悪的に振る舞う必要なんてないですよ」

 

陽那「私もいろいろ驚きましたけれど、兄上は最高に素晴らしい方なんですから、むしろ兄上に惹かれるのはお目が高い証拠です」

 

陽那「それにタキオンさんやカフェさんが兄上に惹かれた理由は私が一番に理解しています」

 

陽那「兄上は私のような不出来な妹のために記憶を失くしてもなお今も尽くしてくださっているんです」

 

陽那「なら、学園一危険なウマ娘や学園一不気味なウマ娘の面倒を見ることなんて慣れたものじゃないですか。私という兄上の人生で一番の重荷でしかないウマ娘の相手をずっとしてきていたのですから」

 

陽那「それに気づいていますか、兄上?」

 

陽那「兄上はまだ配属されて2年目の新人トレーナーですから、まだまだ夢いっぱいの新入生や未デビューのウマ娘にはESPRITを主宰しているトレセン学園の便利屋ぐらいに思われていますけど、」

 

陽那「ウマ娘レースの厳しさだけじゃなく人生の酸いも甘いも体験して大人の階段を登ったウマ娘ほど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言ったら嘘になる人たちばかりなんですからね」

 

陽那「だから、兄上は誰よりも本当の幸せのことを理解しているから、誰よりも憐れむことができて、誰よりも優しくしてしまうんですよね」

 

陽那「でも、そんな兄上だからこそ、トレセン学園でたくさんの人の心に寄り添うことができて、こうしてシンボリルドルフ卒業後の黄金期の次の時代を迎えられたんです」

 

 

陽那「みんな、本当はわかっていますから」

 

 

斎藤T「………………」

 

陽那「でも、無性に伝えたくなるんですよ。なんてことないように見せているその背中に追いつきたくて」

 

陽那「それこそ、タキオンさんやカフェさんのように 何があるのか本当はよくわかっていないけど とにかく目指したい場所に兄上はいるのですから」

 

陽那「そんな兄上が切り拓く未来に みんなが憧れを抱いて たくさんの人が後に続いたら、その道程もまた“夢の舞台”になっていくんじゃありませんか?」

 

斎藤T「……そうだといいなぁ」

 

陽那「以前に言いましたよね。肉体があるからこそできることがあるのが現し世」

 

陽那「――――――現し世は夢」

 

陽那「だから、夢の舞台である現し世で叶えたいことを見つけられることは本当に幸せなことですよね。たとえ それが叶わぬ夢であったとしても、それでも前に進み続けることに生命の答えがあるんですよね。パッと咲いてパッと散ってまた来年が来るのを待ち遠しくさせる桜の花のごとく」

 

斎藤T「……ヒノオマシ」

 

陽那「うん。やっぱり、スターディオンさんが 一番 兄上に近いですね」

 

陽那「難しいなぁ。わかっていても次から次へと欲が出ちゃうんですよね、兄上のことを想うと」

 

 

――――――学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損す。

 

 

20XY年6月30日、この日はもういろいろとありすぎた。“斎藤 展望”の誕生日としてバースデーケーキを頬張るだけの日で終われなかった。

 

もう本当にいろいろあった。この日を迎えることで新年度が始まって春季に積み上げてきたことの四半期の集大成となって、更に遡ること新年が始まっての冬季からの分を含む1年の前半期の罪穢れを祓う夏越の大祓を夏季からの事業の成功のために自分で祈願して自分で業祓いすることになったのだから。

 

それが中京茅の輪くぐりという儀式であり、中京茅の輪くぐりで通り過ぎた熱田神宮を中心とする関西:琵琶湖周辺と関東:南アルプス周辺の神社神域の神々の加勢でもって地域の罪穢れが具現化した山のように巨大な妖怪:オロチを中京競バ場のバ場で退治する羽目になってしまった。

 

いや、それどころか、6R『メイクデビュー中京』の発走直前までに私は5R『メイクデビュー函館』、5R『メイクデビュー福島』を観戦して、中京競バ場に急いで戻ってきたら新たな人類の脅威である機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”と遭遇して、これを何とか撃破して残骸を回収までしていた。

 

そして、熱田神宮の霊威である草薙剣と火打ち石の奥義でオロチを焼き払って浄めたのも束の間、自分の誕生日祝をしながら担当ウマ娘の祝勝会に託けて名古屋市民をファン層に取り込むべく無告知のファン交流会も開催して、いつも通りESPRITのイベントプランナーとして誰よりも働いてしまった。

 

けれども、最愛の妹:ヒノオマシの学業に支障が出ないように急いで寄宿学校に帰らせる必要があったので、ファインモーション姫殿下の名古屋散策には参加せずに東京に直帰することになった。

 

なお、先週の京都散策に引き続き 姫殿下の名古屋散策に付き添いで参加する生徒たちはアオハルチーム<エンデバー>のメンバーで固まっているので、チーム<エンデバー>の特別合宿という名目で公欠扱いにしてもらうように樫本代理から許可をもらっている。

 

まるで蛇行が激しい急流を川下りするような急転直下の1日であり、帰りの新幹線の指定席には自分たち以外は利用客がいない貸し切り状態になっていたのにホッとして一眠りしていた。名古屋から東京までは1時間40分の旅程。

 

そして、新横浜駅を通過して終点:東京駅に到着するまでもうそろそろになった時に喫煙スペースに一人こもった後、400バ身差の雷鳴のメイクデビューを果たした担当ウマ娘:アグネスタキオンと同期だが同世代にはならなかった僚バ:マンハッタンカフェと一悶着が起きたのだ。

 

いわゆる“掛かり”に陥った年頃のウマ娘に自分たち以外に誰もいない公共の場で関係を迫られてしまったのだが、オロチ退治で破棄した熱田神宮の霊威である草薙剣と火打ち石の煩悩を焼き尽くす炎の残り火によって正気に戻してお茶を濁すことができたが、改めてとんでもないウマ娘たちの面倒を見ていることに先行きが不安になってきたのだ。

 

トレセン学園において“門外漢”たる私がトレーナーとして常識外の行いの結果によって変なウマ娘たちに付き纏われていることを嘆くのは因果応報として受け容れるしかないことだが、

 

よりにもよって、“学園一危険なウマ娘”アグネスタキオンと“学園一不気味なウマ娘”マンハッタンカフェという腐れ縁の対照的な2人のウマ娘が互いに変に拗らせて“斎藤 展望”を巡る恋のダービーで掛かってしまったのには目眩がした。

 

 

ねえ、きみたち。そういうことに興味を持つだなんて、ターフに懸ける情熱はいったいどうしたんだい――――――。

 

 

私の夢のために船員として生涯契約を交わしているアグネスタキオンは まあ わかるが、どうして『URAファイナルズ』敗退後からの付き合いのマンハッタンカフェまでそうなるのかが理解できなかった。そういうことに興味があるとは思わなかったし、腐れ縁であるアグネスタキオンに対して恋のダービーを仕掛けるほどに意地を張ってきたことにも驚いた。

 

正直に言って、今後の付き合いを考えると素気なく拒絶するのも憚られたため、突然のことに上手い対応が思いつかなかったことで、私を巡る恋のダービーのせいで陣営が内部崩壊するかもしれない危機的状況を迎えてしまっていたのだ。

 

それを執り成したのが表向きは『名家』の生まれでありながらウマ娘レースに対する情熱を持ち合わせなかったバケモノと自嘲している双子の姉で通しているアグネスタキオン’(スターディオン)なのだから、その正体が怪人:ウマ女である正真正銘のバケモノに恋する2人が諭される状況がより一層の混迷を深めた。

 

そう、今回は皇国の神々とバケモノの助けを得て難を逃れたが、年頃のウマ娘2人に言い寄られるのは鼻の下を伸ばすよりも若気の至りに対する拒絶感が上回っており、そこから展開される()()()()()()()()()()()()()()()に吐き気を催す――――――。

 

 

だから、グチャメチャな気分を抱えながら妹:ヒノオマシを寄宿学校に送っている最中に“斎藤 展望”らしくない弱音を吐いてしまう。

 

 

本当は言うべきことではないとはわかっていても、ヒノオマシも一緒にいたので 一部始終を間近に見て 悪影響を受けていないとも限らないので、改めて私の恋愛に対する立場を説明することになった。

 

年頃の女の子として当たり前の恋愛への興味を圧し折るような最低な大人の物言いにヒノオマシを静かに聞き入ったが、これまで私から教えられたことやこれまでの私の足跡を吟味しながら、ヒノオマシ自身が私の心に寄り添おうとしてくれた。

 

初めて会った時はずっと部屋に閉じ籠もりきりだったことを考えると、兄としてその成長を嬉しく思う反面、気を遣わせてしまったことを不甲斐なくも思う。寄宿学校でしっかりと鍛錬を積んでいることで出会う度に体幹が整ってきているのがわかる。

 

 

ただ、どうしてそこまでヒノオマシが唯一の肉親である最愛の兄に対して信頼しているのかを分析すると、そもそも“斎藤 展望”という人間が両親の血統と素質を受け継いで才能を余すことなく開花させた早熟の天才だったことがわかってきたのだ。

 

 

23世紀の世紀の大天才である私から見ても21世紀の地球を生きた皇宮警察の超エリートの令息“斎藤 展望”は血統と素質に裏付けされた極めて恵まれた能力の持ち主であることは 三ヶ月の永い眠りで衰えていたとは言え 力仕事や事務作業に過不足なく対応できる十分に鍛え上げられた均整の取れた肉体と遺品となる数々の思い出の品に遺された足跡から窺い知れたし、

 

妹の養育費を荒稼ぎするために親の後を継がずに中央トレセン学園のトレーナーになったことに親戚一同から批判の声が上がらず、むしろ 斎藤家からついに国民的スポーツ・エンターテイメントである『トゥインクル・シリーズ』で名を上げる未来の名トレーナーが輩出されたことを無邪気に喜ぶ声に溢れた。『日本ダービー』や『有馬記念』を獲る名トレーナーになることを期待する声も多かったが、天皇家に仕えてきた家系らしく『天皇賞』制覇を望む声も聞こえてくる。

 

おそらく“斎藤 展望”は最愛の妹からも斎藤家の親戚一同からも――――――、そして、今は亡き両親からも何をやらせても大成する神童と思われていたようで、両親から皇宮護衛官としての心構えを伝授されてからは 無理に親の後を継ぐ必要もないとして その自由意志に委ねていたらしかった。

 

また、本音としては妹の養育費のためだが、金稼ぎの手段としてウマ娘レースのトレーナーになった建前である志望動機の記述の中に『ウマ娘レースによる国際親善』を強く意識したものがあり、

 

トレーナー養成校時代のノートを調査すると、どうやら重賞レースの最高峰であるG1レースで勝てるウマ娘を狙うのではなく、世界各地の競バ場と提携で開催されている交換競走での着実な勝利と知名度の獲得を狙っていたらしく、詳細な研究内容と調査結果から導き出された勝算が弾き出されていた。その勝算では余裕でヒノオマシが独立するまでの養育費を3年で稼ぎ切るものとなっている。

 

私が言うのもなんだが、さすがは“斎藤 展望”と言ったところで、目の付け所がちがうというか、あくまでもトレセン学園でトレーナーをやるのは妹の養育費を稼ぐ手段でしかないために軸足を移すつもりはないことが伝わる。

 

そこでのニッチ(隙間)路線から独自の立ち位置と存在感を中央トレセン学園で得ようと計画していたらしく、伝統には敬意を払う在り方から王道路線を目指す大勢のトレーナーたちの冷やかしにならないようにスカウト候補も入念にリストアップしていた。

 

そこで初めて“斎藤 展望”が配属されて早々に“学園一の嫌われ者”になった強引なスカウトに付け狙われた被害者の全容を知ることができたのだが、

 

恐ろしいことに“最初の3年間”を走りきった 今で言う4年目:スーパーシニア級のウマ娘、あるいは『URAファイナルズ』開催のために引退を引き止められて活動休止しているウマ娘が大半だったのだ。

 

トレーナーバッジをもらったばかりの無名の新人トレーナーがいきなりG1ウマ娘やそれに匹敵する強豪たちのスカウトや指導ができるわけがない――――――。

 

だが、すぐにでも金が欲しいので、先輩トレーナーの許で下積みをするのではなく、実力未知数の新入生や売れ残り(未デビュー)の在学生をスカウトするより 先輩トレーナーがすでに手を加えて ある程度の実績も積んでいる 実力十分なウマ娘をスカウトするのなら、あらかじめ選定した交換競走というニッチ路線で賞金を荒稼ぎできる勝率が高いと踏んだのだ。

 

そう、結果として今は王道路線であるクラシック三冠路線を担当ウマ娘と目指すことになったが、図らずも“斎藤 展望”は日本の皇室と友好関係にあるウマ娘王国:アイルランド王国の姫殿下との親交を持つに至ったし、卒業した“皇帝”シンボリルドルフを訪ねて海外レースの現地観戦もしに行っているので建前であった『ウマ娘レースを通じた国際親善』に丸っ切り無関心というわけでもない――――――。

 

更に、私の陣営:チーム<アルフェラッツ>に所属するアグネスタキオンとマンハッタンカフェは元々の“斎藤 展望”が狙っていたスカウト候補となる実力や実績が保証されているウマ娘にある意味においては合致していたわけで、不思議と“斎藤 展望”があらかじめ予定していた流れに沿うことになっていた。

 

 

こうして“斎藤 展望”本人の思考を探っていくと、実の家族からやることなすことを肯定されるのも納得がいくほどの明晰な頭脳に裏付けされた開放的な考えの持ち主であったらしく、古き良き伝統への敬意を払いつつも、刻々と進化していく最新の技術や流行を積極的に採り入れる進歩派でもあった。さながら神仏習合と和の心を広めた聖徳太子のようでもあり、良きものを選別して取り入れて日に日に新しく進歩発展してきた日本の様式に生きる日本人らしい日本人でもあった。

 

 

要は、目的のために手段を選ばない――――――、目的達成のためにより効率的な手段の行使や更新を躊躇わない合理主義者であり、かと言って一方的な技術導入を押し切ることなく、まずは自分自身で試してみてからしっかりと吟味して展開する配慮も足りていたようだ。

 

それがなぜか“斎藤 展望”は彼らしからぬ性急さの強引なスカウトによってトレセン学園に配属されて早々に“学園一の嫌われ者”になっていたのだが、それ以前からの付き合いのある家族友人知人親戚縁者からは常に感謝の言葉が絶えないのだ。

 

そう考えると、最終的には最愛の妹の栄達のために広く世界を知ってから代々に渡って天皇家に仕えてきた皇宮護衛官の在り方に回帰するつもりでいたらしく、

 

トレーナー養成校での事前の研究内容と調査結果から導き出された算段によると、妹の養育費を賄うほどの賞金を交換競走を中心にしたニッチ路線で稼げると踏んでいるのだから、“学園一の嫌われ者”という悪名を得てまで強引なスカウトに踏み切ったところに何か違和感を覚える。

 

そもそもとして、アグネスタキオン謹製の肉体改造強壮剤や時間跳躍、アングロアラブ八極拳などの超人的要素の数々を修得しているにしても、

 

これまで数々のヒトを超越した身体能力を持つウマ娘すら相手にならないほどの脅威に立ち向かい、不覚を取ることが何度もあったが、ウマ娘に撥ねられて三ヶ月間の意識不明の重体に陥る以上の怪我はしたことは一度もないのだ。これほどまでに無理が利く頑丈な身体は普通ではない。

 

だからこそ、最愛の妹からの絶対の信頼や過去の記録から沸き起こる“斎藤 展望”の完璧超人ぶりから、配属されて早々に“学園一の嫌われ者”にまでなった行動には疑問を抱くようになり、更には学外でウマ娘に撥ねられたというのも何か作為的なものを――――――。

 

 

陽那「兄上」

 

斎藤T「うん?」

 

陽那「キスしてください」

 

斎藤T「は」

 

陽那「キスしてください」

 

斎藤T「……赤信号だからいいものを、事故を起こすところだぞ」

 

陽那「キスしてください、兄上」

 

斎藤T「……掛かっているのか?」

 

陽那「そうかもしれません。それこそアクセル全開で信号なんて無視して私をこの場で押し倒してメチャクチャにしてください」

 

陽那「兄上の前の尻尾と私の後の尻尾を交わらせてください」

 

 

――――――私の全部を兄上のものにしてください。

 

 

斎藤T「断る」

 

陽那「どうしてですか? やっぱり、スターディオンさんが好きだからですか?」

 

斎藤T「……やっぱり 悪影響だったな。最悪だ。最悪の修羅場だったな」

 

陽那「しかたがないじゃないですか。トレセン学園のウマ娘なら担当トレーナーとの恋愛に憧れるものですよ」

 

斎藤T「いや、部外者だろう?」

 

陽那「兄上でも乙女ゲームの定番はご存知ないんですね」

 

陽那「乙女ゲームだと、主人公の女の子が美男子と恋する時、最愛の兄を慕う可憐な妹が恋のライバルとして立ちはだかるものですよ」エッヘン

 

陽那「最愛の兄であるトレーナーに邪な思いを抱く担当ウマ娘を成敗するのが妹の役目なのです!」ドヤァ

 

斎藤T「最悪の小姑だな」フフッ

 

陽那「だって、兄上こそが最高の殿方なのに、恋をしたからって赤の他人が大切な家族を引き離そうとするだなんて、それって人道に対する許されざる罪じゃないですか」

 

斎藤T「安心しろ。斎藤・ヒノオマシ・陽那が独り立ちするのを見届けてから私も旅立つつもりだ」

 

陽那「なら、いつまでも兄上の御側にいます。それがずっと部屋に閉じ籠もりきりだった私の世界で最高に幸せなことですから」

 

陽那「兄上の罪は兄上が素敵すぎることなんですから、実の妹の私の心を盗んでいった罪を一生をかけて償ってくださいね」

 

斎藤T「はっきり言っておくが、大善は非情に似たり、天の道は真の弱者を許さない。ついてこれない者は置いていかれるぞ。いつまでもそこに留まることは許されない」

 

斎藤T「この車道と同じだな。青信号になったら進んで、赤信号になったらちゃんと停まるんだぞ。そうしないと法によって裁かれる。流れに逆らってはいけない」

 

陽那「はい。ですから、施しを与えられるだけの子供の私じゃなく、施しを与えられる大人の私が兄上の御側にいます」

 

斎藤T「――――――子を成したいとは思わないのか?」

 

陽那「ええ。兄上との子なら何人でも産みます。兄上という地球でもっとも偉大な人間の子を授かれる名誉に勝るものはありません」

 

斎藤T「子種が欲しいだけなら、まあ、考えなくもない」

 

陽那「嫌です。兄上と私の尻尾が交わり合ってできた愛の結晶じゃないと意味がないです。それはスターディオンさんだって同じです。モノが欲しいんじゃないんです。兄上の遺伝子じゃなく、兄上の心が欲しいんです。心がこもった贈り物が欲しいんです」

 

斎藤T「とは言っても、恋愛も結婚もこればかりは互いの合意によって成り立つものだから、私の将来設計と自由意志を尊重してもらいたいものだな」

 

陽那「はい。ですから、ずっと御側に置いてくださいね。兄上の将来設計と自由意志を私が守りますので」

 

斎藤T「――――――!」

 

 

斎藤T「………………その思い切りの良さや常識に縛られない在り方はまさしく“斎藤 展望”と血を分けた妹と言ったところだな」

 

 

斎藤T「……それで本望なら」

 

陽那「ありがとうございます」

 

斎藤T「――――――強くなったな」

 

陽那「はい。強くなりたいと心の底から思えるようになりましたから」

 

 

――――――愛しています、兄上。

 

 

陽那「これだけは絶対に伝えたかったんです。生まれた時からずっと」

 

陽那「ううん、きっと生まれてくる前からずっと兄上に愛されていたせいですよ、こうなったのも」

 

陽那「だから、私は兄上に愛されるために生まれて、兄上を愛するために生まれてきたんです」

 

斎藤T「……そうかもしれないな」

 

陽那「ほら、もう少しで兄上の誕生日が終わって、あれから1年になりますよ。兄上が3ヶ月間の永い眠りから目覚めてから」

 

斎藤T「…………早いものだな」

 

陽那「本当ですよ。光陰の矢の如し」

 

陽那「兄上、私を独りにしないでください。もうあんな思いは二度としたくないし、大好きな兄上には伝えられなかった大好きをいっぱいいっぱい伝えたいから……」

 

陽那「この想いは絶対に誰にも負けないと自負していますから、もっともっと唯一の家族である妹のことを愛してくださいね。兄上は私が守りますから」

 

斎藤T「…………そうか。それもアリか」

 

 

 

 

 

斎藤T「さあ、ついたぞ」

 

陽那「はい」

 

陽那「送ってくださり、ありがとうございました。どうかお元気で、兄上」

 

斎藤T「ああ。また会おう」

 

 

斎藤T「………………」 ――――――寄宿学校の門を潜るのを見送る。

 

陽那「………………」 ――――――寄宿学校の門を潜る前に振り返る。

 

 

斎藤T「……わかった。キス、するよ。今日は誕生日である以上に夏越の大祓だったから気分がいいんだ」

 

陽那「へ!?」

 

斎藤T「いいか。今から全身全霊でキスするから全身全霊で受け止めるように」

 

陽那「え!? あ、兄上!? ええっ!?」 

 

斎藤T「――――――バイアリーターク」ボソッ

 

陽那「ま、待って! ええ?! 兄上、まだ心の準備が――――――」

 

陽那「!!?!」

 

 

――――――今日の勝利の女神は貴方にだけチュゥする!

 

 

バキューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!

 

 

陽那「!?!!!?!!?!?!!?!?!?!?!」カアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

陽那「カハッ」

 

陽那「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!!」ガクッ

 

斎藤T「どうだい? 私であって 私じゃない 私に降りた女神様からのチュゥは?」ニッコリ ――――――全身全霊の投げキッス!

 

陽那「ぜ、全身全霊で味わわせていただきました……」ガクガク・・・

 

陽那「なにこれ、立っているのもやっとで、力が、腰に力が入らない……」ガクガク・・・

 

陽那「ど、どうしよう!? ドキドキが止まらないよぉ~!? こんなの、知らない!  知らないの! ど、どうなっちゃったんですか、私!? 兄上ぇ!?」ドクンドクン・・・

 

斎藤T「大人をからかった罰だ、おませさん」フフッ

 

 

――――――それじゃあ、夜更かしはせずに、また元気なおはようを聞かせてくれ、妹よ。

 

 



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制作報告  自主制作特撮ヒーロー、その名は聖騎士ストライダー

 

この度、北アイルランド系テロリスト:ブラッド・アンド・バーンズ(血と旱)の黒魔術師が召喚した魔獣:ジャバウォックとの戦闘で担当ウマ娘より一足先に実戦投入(メイクデビュー)――――――、

 

新たに遭遇した人類の脅威を前にして初めて変身(HEN-SHIN)することになったのが自主制作特撮ヒーロー、その名は“聖騎士ストライダー”である。

 

モチーフになっているのは『聖闘士星矢』と『仮面ライダー』であり、両者の名前を掛け合わせることで『聖騎士(St.Rider)』と言う名付けとなっている。

 

 

聖闘士星矢(Saint Seiya)』+『仮面ライダー(仮面騎士)』=『聖騎士(St.Rider)

 

 

つまり、『Saintの略称:St.』を文字通りに発音して“スト”、『ライダー』の漢字表記は“騎士”なので、“Saint Rider(聖騎士)”縮めて“St.Rider(ストライダー)”となるわけである。

 

そして、ストライダー(strider)とはウマ娘レースでも有名なストライド走法*1をする者という意味が元々なので、その名の由来どおりにストライダー(St.Rider)が行使する四次元能力:空間跳躍はある点とある点を極限まで圧縮した一歩であり、まさしく極大の大股の一歩によるストライド走法の究極を実践したものとなる。

 


 

ここで、なぜモチーフが『聖闘士星矢』と『仮面ライダー』なのかと言うと――――――、

 

私がリーダーを務める百尋ノ滝の秘密基地に集まった面々:チーム<アルフェラッツ>の由来は現在のアンドロメダ座アルファ星“アルフェラッツ”であるが、元々はペガスス座デルタ星であり、その語源もアラビア語で「馬」を意味するアル=ファラスである。

 

つまり、私の宿星となる“愛と勇気と冒険の星”アルフェラッツは現在はアンドロメダ座の一番星ではあるが、本来はペガスス座ということで、『聖闘士星矢』の主人公:天馬星座(ペガサス)の星矢に因んで“聖闘士(セイント)”を名乗らせてもらっているわけである。

 

私自身が『聖闘士星矢』の大ファンなのもあるし、宇宙移民にとってはまさに聖典と呼べるバトル漫画であり、別に主人公の名前までもらっているわけじゃないんだから いいじゃないか、これぐらい。

 

実際、聖闘士(セイント)は女神アテナに仕える人類の自由と平和のために戦う希望の戦士であり、自己の実力の及ばないところを天佑によって補うため、それぞれが天空の星座を象った聖衣(クロス)を纏って戦う設定であり、

 

その戦闘能力は下級戦士の青銅聖闘士(ブロンズセイント)ですらマッハ1前後の音速拳の使い手で、上級戦士の白銀聖闘士(シルバーセイント)は音速の壁の次に来る熱の壁を超越したマッハ2~5の超音速拳の使い手となる。

 

最上位の黄道十二星座に由来する12人の黄金聖闘士(ゴールドセイント)にいたってはもはや実力の差が隔絶しており、音速の100万倍の速さの光速拳を当たり前のように使う誰もが認める最強の戦士たちである。

 

しかし、たとえ下級戦士の青銅聖闘士(ブロンズセイント)であろうと女神アテナのために小宇宙(コスモ)を燃やすことで最強の黄金聖闘士(ゴールドセイント)をも凌駕することもあり、

 

黄金聖闘士の血を浴びた聖衣は纏う聖闘士が小宇宙を第七感(セブンセンシズ)まで高めることによって、形状は元の聖衣のままで黄金色に輝いて硬度が増した状態の『黄金聖衣に限りなく近い聖衣』となる場合があり、無限の進化の可能性を秘めていた。

 

以上の全世界を熱狂させたバトル漫画『聖闘士星矢』のこの設定が極めて“特異点”として四次元能力を行使する現在の“斎藤 展望”の能力を例えるのに適しているわけなのだ。

 

 

女神アテナに仕える希望の戦士 → 三女神に遣われてウマ娘の異世界を取り巻く脅威を排除する皇宮護衛官の息子

 

音速拳の青銅聖闘士(ブロンズセイント)、超音速拳の白銀聖闘士(シルバーセイント)、光速拳の黄金聖闘士(ゴールドセイント) → 時間跳躍能力によって現実世界の物理法則や因果関係を超越した超スピードの攻撃を繰り出せる“特異点”

 

黄金聖衣に限りなく近い聖衣 → 担当ウマ娘:アグネスタキオンの薬で黄金色に光り輝く肉体

 

天空の星座がモチーフ → トレセン学園のトレーナーチームの名の由来は星座を構成する恒星

 

 

一方、『仮面ライダー』がモチーフというのもそのままの意味であり、素顔を晒して行動するわけにはいかないので仮面を被るし、ヒトを超越した身体能力を持つウマ娘さえ超える脅威に対抗するために改造バイクを乗り回すのだ。

 

あとは、アグネスタキオンが提供する肉体改造強壮剤によってどんな怪物をも凌駕する最高の肉体を得た改造人間になっているのも理由の1つだろう。実際、普通の人間なら束になっても押し返せるほどの怪力を私は身に着けている。

 

あるいは、“仮面ライダー1号”本郷 猛がIQ:600にしてスポーツ万能の頭脳・肉体ともに類稀なる優秀な能力を持つ大天才であり、その頭脳明晰さで敵の作戦を看破して対抗策となる発明もこなしてみせる一方、

 

悪の秘密結社:ショッカーに拉致されて改造人間にされてしまい、普通の人間でなくなったことに苦悩しながら、人類の自由と平和を守るために孤独な戦いに身を投じているのも、誰の助けも期待できない今の私の戦いと重なるものがあった。

 

けれども、孤独であっても人の心の温かさを忘れ得ぬ絆がたしかにあるのだ――――――。

 


 

さて、“聖騎士ストライダー”のプロトタイプは23世紀の宇宙時代にノーマルスーツと呼ばれて一般的に宇宙で着用される全身黒タイツのような宇宙服を再現することを目的にしたものであり、

 

宇宙空間での日常生活や突発的な緊急事態においても邪魔にならないような軽さと着心地と作業性と機能性と生存性が重視されており、この1着だけであらゆる惑星の環境に対応できる生命維持装置として開発が進められていた。

 

言うなれば、船乗りが着用を義務付けられている宇宙時代のライフジャケットになるものであり、21世紀の宇宙服は船内服と船外服に大別されているようなものとは雲泥の差があるものである。まずはこの2つを統合するところから今から200年先の23世紀では標準的な真の宇宙服に近づく。

 

一口に宇宙服に求められる機能を列挙すると、『気密性と気圧の調整』『動きやすさ*2』『呼吸に必要な酸素の供給と二酸化炭素他の除去*3』『体温の調整*4』『宇宙塵、デブリ、紫外線など宇宙線からの防護』『外部との通信』が挙げられ、これだけの機能を搭載しなければならないために宇宙空間での活動やファッション性に大きな制限が掛けられていることが想像がつくだろう。

 

そのため、23世紀から見ても宇宙服の究極となるのが現代の宇宙開発事情の参考に見ていた 実写映画で軌道エレベータが登場した世界初の作品となる特撮ヒーローのヒーロースーツであり、特撮ヒーローとして必要不可欠な戦闘シーンはもちろん、大気圏突破のバイクスタントもこなせる他、大気圏離脱からのシームレスな宇宙空間での活動も可能にしていたアレである。

 

あるいは、『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』に出てくるヘルメットをつけるだけで船外活動を可能にするパイロットスーツでもいい。

 

とにかく、当たり前のように宇宙船の中と外をシームレスに行き来できるような 21世紀の宇宙科学からするとオーパーツに思えるが 日本の特撮やアニメの中では当たり前の万能宇宙服を大量生産するのが最終目標となる。

 

私の場合は地球文明の後継者として伝統衣装を着ることが多いため、ファッション性を確保できるようにインナースーツになる全身黒タイツを好んでいる。

 

実際、宇宙空間の厳しい環境に耐えられるライフジャケットなのだから、地球上で普段着にしてもなかなかに使い勝手がいいものに仕上がるので、私自身が完成した試作品を着回していたいぐらいだ。

 

 

そうした中、このヒトとウマ娘が共生する異なる進化と歴史を歩んだ地球において様々な脅威と対峙することになる“特異点”の私だが、近くに発動機となるアグネスタキオン’(スターディオン)がいないと切り札となる四次元能力が使えないという致命的な弱点を解決するべく、

 

三次元世界と表裏一体の四次元空間に直通のトンネルを結んでアグネスタキオン’(スターディオン)が近くにいなくても四次元能力が使えるように研究をしていたのが聖甲虫(スカラベ)を利用した自主制作ヒーロー“聖騎士ストライダー”への変身システムである。

 

原理としては、聖甲虫(スカラベ)自体はコーカサスオオカブトに身を窶した賢者ケイローンとの思い出から虫相撲の玩具を改造したものに過ぎないが、四次元能力を行使するために必要なヒーロースーツを召喚するために必要なビーコンとなり、まず時間跳躍(ジョウント)してくる聖甲虫(スカラベ)とコンタクトすることで要求側の四次元座標を固定。

 

コンタクトした一瞬に四次元空間に肉体が転移し、四次元空間の高次元の情報の渦に洗い流されて存在を消失しないために四次元空間耐性を持つ装甲材の蛹のようなものに包まれることで内部でヒーロースーツが瞬間的に装着され、

 

四次元能力の行使を承認する発動機:アグネスタキオン’(スターディオン)との連絡に四次元トンネルが結ばれて直接的に脳に要求が発信されるのだ。これで“聖騎士ストライダー”の変身プロセスは完了である。

 

基本的に承認者が要求を拒否することはしないため、即座に承認が返信され、現実世界の位置や距離を無視して四次元空間で点と点が空間跳躍で密接した双方向のトンネルが開通されることで、“聖騎士ストライダー”に変身した私は瞬時に超常の存在に対抗できる万能宇宙服を着用した戦闘形態(ヒーロースーツ)を取りながら切り札である四次元能力の行使における大きな制約の1つを解除することに成功したわけである。

 

言うなれば、三次元世界では目にすることができないが 四次元空間では“特異点”である私の座標と発動機となるアグネスタキオン’(スターディオン)の座標が完全に重なっているかのように隣接した状態になっているので、まるですぐ隣にいてくれているかのようなリンク状態になっているわけなのだ。

 

つまり、私が四次元能力を発動する基本原理は何も変えていない。ただ、どんな状況においても基本原理である『発動機となるアグネスタキオン’(スターディオン)が隣にいる状況』を三次元世界と表裏一体の四次元空間に直通のトンネルを結んで空間跳躍技術で極限まで距離を圧縮して創り出しているわけであり、

 

三次元世界における変身(HEN-SHIN)はまさに一瞬の出来事であり、その一瞬だけ四次元空間に肉体が消えているので、変身(HEN-SHIN)を妨害することは基本的に不可能。四次元空間まで追いかけてきて自身が高次元領域の情報の波に飲まれてデータに分解されて消えてしまわないだけの準備と覚悟が要る。

 

付け加えて、ビーコンとなる聖甲虫(スカラベ)をコンタクトする前に叩き落とすしか妨害手段はないが、その聖甲虫(スカラベ)にいたっては時間跳躍(ジョウント)によってどこからでも現れるとなったら対処のしようがない。

 

しかも、ベースにしているのが虫相撲の玩具ということで世界的に有名な最強のカブトムシやクワガタムシの好戦的な性格が反映されているためか、元は玩具のはずの聖甲虫(スカラベ)でも攻撃したら手痛くやり返すぐらいの自衛能力がある。

 

これが去年のクリスマスの奥多摩攻略戦で獲得した並行宇宙を支配する侵略者“フウイヌム”の空間跳躍技術と“特異点”による時間跳躍能力の合わせ技の集大成であり、

 

WUMAを退けた後にこうして新たに遭遇することになった黒魔術師が召喚する魔獣や謎の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”といった未知の脅威たちを難なく撃破することに成功している。

 

いや、正確にはちがう。“聖騎士ストライダー”の姿はあくまでも21世紀で言う船内服と船外服を統合した万能宇宙服として開発されたものがベースであり、四次元能力の行使は“特異点”である私だからできることである。

 

そのため、使用する武器に至っても生身で扱える使い捨てのプラズマジェットブレードが主力で、四次元能力を絡めて相手が認識できない一瞬に斬り捨てるものなので、それ自体は生身の頃からやっていた必殺戦法ということで、このヒーロースーツそのものには攻撃性能はないのだ。パワーアシストスーツなどではないのだ。

 

私が変身したコーカサスオオカブト仮面の他にもヒーロースーツを展開する聖甲虫(スカラベ)はいろいろと用意してあるのだが、基本的に変身者の体格や特性に合わせた調整が施されているだけで能力差というものはない。

 

つまり、一見すると戦闘能力が爆発的に上昇するパワーアシストスーツに思えるが、実際は宇宙時代のライフジャケットに過ぎないので、見た目だけの虚仮威しの自主制作特撮ヒーローのコスチュームでしかないのだ。この場合は、その宇宙時代のライフジャケットになる万能宇宙服で底上げされる環境適応力が一番の武器になっているとも言えるが。

 

そのため、“聖騎士ストライダー”の戦闘能力は完全に変身者の自前の能力ということである。その辺りも『聖闘士星矢』や『仮面ライダー』によく似ていると思わないか。

 

 

その実態が自主制作特撮ヒーローのコスチュームを着ているだけの“聖騎士ストライダー”には更なる怪人災害や想像を絶する脅威に対抗できる支援装備は欠かせないわけであり、

 

その第一号が改造バイク:スカラベエクステンダーであり、マイクロ波放電式イオンエンジンとガソリンエンジンのハイブリッドエンジンで通常時に410km/hを叩き出すモンスターマシンである。

 

その名の通り、時間跳躍技術の検証のために試作された聖甲虫(スカラベ)の機能を拡張するために開発された支援装備であり、バイクに乗った状態で四次元能力が使えることで目的地へ超スピードで急行するために開発されている。

 

聖甲虫(スカラベ)と合体することでどこからでも時間跳躍してバイクを出現させられるので咄嗟の移動手段としては通常時に410km/hを叩き出すので極めて優秀ではあった――――――。

 

が、そもそもとして、認識できる範囲にまで一瞬で距離を詰められる空間跳躍に対応している時点で、ただの移動手段として使うなら410km/hもスピードを出せる必要性はなかったことに気づいた時には後の祭りだった。

 

いやいや、ちがうんだ。当初の想定としては四次元能力が認識できる範囲にしか使えないからこそ最高のスピードを出せる支援装備で認識できない場所の隙間を埋めて、バイクの通行の邪魔になる障害物があったら四次元能力のワープで次々と回避していくことで相互補完するカッコいい走りをやりたかったんだ。

 

でも、いざ路上で走らせてみると、普通に考えてバイクの運転は視覚情報を頼りにしているわけなので、先行車が邪魔だからといって飛び飛びに短距離ワープして先へ先へと進もうとすればするほど、自分自身が1秒にも満たない連続ワープの視点移動に戸惑って それどころではなくなってしまうのだ。死ぬほどビックリするぞ、目の前のクルマの前にワープしたら更に先行車がいて車間距離がまったくないのは。普通に事故を起こす。盛大に事故る。

 

四次元能力は精神力に依存するのだから、軽い気持ちでワープしたら飛んでった先でビックリすることになり、それで集中力が途切れて次のワープが暴発や不発になる危険性を考えると、四次元能力による連続ワープをバイクでやろうとするのは自殺行為にしかならなかった。

 

それどころか、基本的には1秒にもならない一瞬にクルマとクルマの間を飛び飛びにワープする想定なのだが、その一瞬だけでも突如として未確認のバイクが割って入ることがどれだけ運転者の状況判断や心理状態に悪影響を与えるかは言うまでもないだろう。無意識に一瞬でも目に焼き付いた残像がサブリミナル効果となって後々になって事故を誘発させる幻覚となる危険性すらあった。

 

そういうわけで、地平線の端から端まで一気に距離を詰められるのが空間跳躍だというのに それを短距離ワープなんてセコい使い方をして多方面に渡ってサブリミナルに幻覚を撒き散らすのであったら、通常時に410km/hを叩き出せるようなモンスターマシンを公道で走らせるのは法的にも許されないことだし、第一にしてオーバースペックが過ぎるのだ。大抵は性能の半分の半分も出せないのでは完全に宝の持ち腐れだ。

 

そう、私はバカだった。バカだったのだ。私はいったい何者であり、そもそも何のために改造バイク:スカラベエクステンダーを用意していたのかを振り返るがいい。

 

 

――――――私は聖騎士ストライダー(St.Rider)。ストライド走法の究極である空間跳躍の使い手なのに、多大なリスクを背負ってまで何をチマチマとピッチ走法のように短距離ワープを繰り返すことに精を出そうとしているのか。

 

 

しかし、かと言って、せっかく造り上げたモンスターマシンの性能を最大限に発揮できるように万全の用意はしておきたいのだ。いずれ必要になるという直感が働いた以上は。

 

そこで、時間跳躍(ジョウント)でどこからでも出現させられる改造バイクで認識の外にある場所への急行などで四次元能力を効果的に使えない状況でこそ、この改造バイクの爆走っぷりが輝く時だとして組み込まれたのが、質量が0であり 真空中で常に光速で運動するルクソン粒子の発生機である。

 

実際には大気圏内で使う場合は空気抵抗や気流などで厳密には光の速さは理論値ではないのだが、光速のルクソン粒子をまとうことで相対的に周囲の動きが停まって見えるようになり、これでバイクでの移動が非常に楽になるはずだった――――――。

 

しかし、光速で動くことで相対的に周囲の動きが停まった弊害として、周囲の物体が全てその場を動かぬ障害物と化しており、そのままぶち当たって風穴を開けるわけにもいかないので、そういったことに神経を使うぐらいなら道路交通法を遵守して法定速度を守って安全運転していた方が非常にストレスがないという本末転倒な事態になってしまった。

 

なので、ここまで私が特撮ヒーローに憧れながらも自身で再現できる技術の粋を集めたものの、410km/hもぶっ飛ばせる自慢の改造バイクの走行において非常に相性が悪いことが判明することになり、23世紀の宇宙科学を盛り込んだのに時代がそれに追いついていないせいで非常にかわいそうな扱いを受けることになった。

 

結論として、高速道路や高速鉄道で存分にスピードを出せるのは専用レーンがあるからであり、一般車道でその性能を発揮させることは最初から無理だということになぜ早くに気づかなかったのか――――――。

 

そう、飛び飛びの短距離連続ワープは必要な分を見極めて一気にやるのなら効果は絶大なのだろうが、急激な視点移動に脳の処理が追いつかないことを自覚してしまった時は死神の鎌が首に掛かっている絶望の時間を味わうことになる。

 

四次元能力の弱点は驚いたり躊躇したり精神的変調を生じたりした時に暴発や不発を引き起こす鋭敏さにあるため、精神の安定というものが極めて重要になる能力なのだ。

 

そもそもとして、四次元能力の空間跳躍は認識できる範囲のある点とある点の間を極限まで圧縮するからこそ利用価値があるわけであり、地平線の向こうまで見渡せるような平坦な場所であるほど効果が大きいのだ。大陸国家の見渡すばかりの田園や荒野でもない限り、極東の島国である日本ではまったく活かせないわけで、交通量の多い場所で追い抜き目的で使うようなものではない。

 

逆に言うと、空間跳躍が最高に活かせるのが障害物がまったくない場所、すなわち大空や大海というわけであり、空間跳躍で極限まで距離を圧縮することができる戦艦や戦闘機が存在していたら いかに最強であることかを想像してみよ――――――。

 

実際、空間跳躍能力を駆使する並行宇宙の支配種族“フウイヌム”の最上位:エルダークラスの有翼一角獣(アリコーン)の怪人は飛翔能力を得ることによって三次元移動を可能にすることで空間跳躍能力を最大限まで発揮させていることを、なぜ私は忘れてしまっていたのだろうか。開発に没頭するとそんな基本的なことすら忘れてしまうのだから、頭がいいのと要領がいいのは別なのだとしみじみ思う。

 

 

なので、四次元能力のワープに対応する改造バイク:スカラベエクステンダーの性能を最大限に発揮させるために『空を飛ぶ能力』を与えましょう。道を阻むものなどない無限の大空を極限まで圧縮すれば日本列島の端から端まであっという間に辿り着かせること間違いなし。

 

 

いや、冗談でも何でもなく、空間跳躍できるのなら無限に空の彼方を思い続けてワープし続けることで推進剤なしで擬似的に無限に飛行することができ、離陸も着陸もワープすれば何も考える必要がないぐらいに自由自在なので、

 

あとは連続ワープの課題点となるワープ直後の急激な視点移動の不安定さを緩和するためにある程度は空中に浮遊できるフライングプラットホームの機能を搭載できればいいだろう。それは反重力かジャイロかグライダーかはまだ検討中。そう言えば『人造人間キカイダー』のサイドマシーンは空中飛行や地中潜航ができていたような――――――。

 

一方、通常時に410km/hを叩き出すマイクロ波放電式イオンエンジンとガソリンエンジンのハイブリッドエンジンのモンスターマシンに、ルクソン粒子をまとわせることで相対的に周囲の動きを停める機能までついて鬼に金棒なので、ただのバイクとして使う分には過剰すぎる性能だが、追跡や追撃の場面では無類の強さを発揮するのは間違いないので、活躍するその時を待ち侘びることになった。

 

だが、意外なことにルクソン粒子をまとうことで相対的に周囲の動きを停める機能が 本来の運用目的とは異なる ブラディオン粒子によって運動エネルギーを遮断する運動停止領域を展開する機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”への対策となり、想定外だったけれどスカラベエクステンダーが初めてまともに活躍することになったのだった。

 

ちなみに、ルクソン粒子をヒーロースーツや改造バイクにまとわせる技術は金属の試料を蒸発させて気化させた試料分子を基材の表面に堆積させた薄膜でコーティングする成膜方法:蒸着の基本原理を応用;水晶に金などを蒸着して作られるオーラクリスタルの製法にヒントにしており、更にWUMAの空間跳躍技術によってルクソン粒子の逃げ場をなくしていることで成立している。

 

ただし、光速と同化しているルクソン粒子にしろ、空間跳躍によるワープにしろ、本来は1秒に満たない一瞬の中の一瞬の利用に限られるものであるため、ルクソン粒子の蒸着は供給が途切れたら少なくとも5分以内に解除されてしまう。

 

いや、むしろ、光速とは 1秒間に約30万kmも進み 地球を7周半もする速さなのだから、その300倍の5分も時間があれば上等ではないか。

 

そして、光速と同化するルクソン粒子や空間跳躍といった超常能力が使えて なお5分も時間を与えられておきながら、それで事態を解決できないのはまったくの問題外であろう。対応を誤った完全な能無しである。

 

なお、ルクソン粒子の生成は23世紀の宇宙科学でタキオン粒子を利用した波動エンジンによる無限動力源を開発した宇宙船エンジニアの私からすれば実に容易いことであり、

 

真空中における光速の値は約30万km/s(299,792,458m/s)と定義されており、光は自然界に普遍的に存在しているものなので、WUMAの超科学の遺産である空間跳躍技術を駆使すれば その抽出も楽勝であった。

 

本当は生きているうちに波動エンジンを造るためにタキオン粒子の生成がしたくてしかたないのだが、自然界に存在しない超光速の粒子を生成するための環境をまず整える必要があるので、今は自然界にありふれているルクソン粒子でやりくりするしかない。

 

それでも、ルクソン粒子を使って憧れの黄金聖闘士(ゴールドセイント)の光速拳に並ぶことができるようになったので、これで1秒間に1億発の拳を叩き込む獅子座(レオ)のアイオリアの必殺技:ライトニングプラズマが再現できると童心に帰って今日もパンチングマシーンに無限の拳を叩きつけて記録更新に励むのであった。

 

無論、生身でこんなことは絶対にできないので、決して“聖騎士ストライダー”がただのコスプレではないと再確認しながらである。

 

 


 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

HEN-SHIN!

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

 

アグネスタキオン’(スターディオン)「ふぅン。きみにとってのヒーロー活動の初実戦(メイクデビュー)()のメイクデビューよりも一足お先だったわけだが、随分と手慣れたもんだねぇ」

 

アグネスタキオン’「まあ、それはつまりはきみにとって四次元能力の外付け発動機である私とのリンク状態を短期間にそれだけ積み重ねてきた証というわけでもあるんだがねぇ」

 

斎藤T「ああ、おかげで1秒間に1億発のパンチを叩き込むライトニングプラズマの真似っ子ができて毎日が楽しいぞ!」

 

アグネスタキオン’「同胞たる“フウイヌム”の遺産を奪い取って、その超科学を自分の手足のように使って まさかここまでの発明を次々と世に送り出すとは、驚きを通り越して呆れるぐらいだよ、モルモットくん?」

 

アグネスタキオン’「しかし、『聖闘士星矢』に憧れて『仮面ライダー』の要素も取り入れた自主制作特撮ヒーローとは、きみもなかなかに酔狂なもんだ」

 

斎藤T「何を言うか! 私は地球文明の後継者として舞台芸術に出演する役者でもあるんだぞ! 日本が世界に誇る特撮ヒーローぐらい演じられないでどうする!」

 

斎藤T「それに日本各地には特撮ヒーローをオマージュしたご当地ヒーローなんてわんさかいるんだし、この私がそれに肖って自主制作特撮ヒーローを生み出して何がいけない?」

 

アグネスタキオン’「ふぅン、それで? ゴールドシップくんにもらった強化アイテムは『ウルトラマン』の変身アイテムなんだろう? 随分とごちゃ混ぜだねぇ?」

 

 

――――――()()()()()()()()()()()()()

 

 

アグネスタキオン’「試してみたのかい? たしか、“永遠の皇帝”と“幻のウマ娘”なんていう2人の大物の力が宿ったウマ娘ジェムなんだろう?」

 

斎藤T「使ってみたらなかなかにおもしろいことになったぞ」

 

斎藤T「実際に見せてやろう」

 

アグネスタキオン’「ほう?」

 

斎藤T「あ、変身シーンは原作に忠実な方がいいかな? それとも――――――」

 

アグネスタキオン’「おいおい、大の大人が子供の玩具で大真面目に変身するっていうのかい?」

 

斎藤T「バカにするな! 特撮番組なんて子供騙しは大人が本気で演じるからこそ真実味があって心から楽しんで子供たちがヒーローに憧れて応援するんだぞ! それに役者の世界なんて役と実年齢が一致していないのは普通のことだ!」

 

斎藤T「それこそ、これを造っているのはみんな大人だ。会社だ。出資者だ。ヒーローに夢を抱き続ける人間たちの純粋な思いだ」

 

斎藤T「それは国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』だって同じことだろう?」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。それもそうか。続けたまえ」

 

斎藤T「では、お見せしよう。“聖騎士ストライダー”が()()()()()()()()()()()()()の力で果たす更なるパワーアップを」

 

 

 

 

 

 

 

決めるぜ! 覚悟!

 

 

Symboli Rudolf ∧ Tokino Minoru

 

 

Byerley Turk

 

 

斎藤T「どうよ!」ピカーーン!

 

アグネスタキオン’「ふぅン。なんか本当にきみが心の底から愛して止まない『聖闘士星矢』にそっくりになったねぇ」

 

斎藤T「そうだろう そうだろう! 天馬星座(ペガサス)の星矢(アニメ版)にそっくりなヘルメットが特にお気に入りだ! しかも、『黄金聖衣に限りなく近い黄金の聖衣』みたいだろう!」

 

アグネスタキオン’「それより、“聖騎士ストライダー”になった時にバイアリーターク、次にフュージョンライドした時もバイアリータークのようだが? バイアリータークとバイアリータークが被っているぞ?」

 

斎藤T「よくぞ訊いてくれました」

 

斎藤T「まず、聖甲虫(スカラベ)とコンタクトすることで変身(HEN-SHIN)する“聖騎士ストライダー”に宿る三女神:バイアリータークの力というのは、“特異点”を介して四次元能力の行使を支援するために特別に降霊(リンク)した上位存在なので、三次元世界で物理的に干渉する力はありません」

 

斎藤T「つまり、“聖騎士ストライダー”はその名の通りにストライド走法の究極である空間跳躍やその更に上の時間跳躍の行使が付与されただけの万能宇宙服のヒーローコスチュームに過ぎません」

 

斎藤T「なので、パワーアシストスーツではないので変身した途端に腕力や脚力が数十倍に強化されるということはないです。特撮ヒーロー風の万能宇宙服に過ぎませんが、環境適応能力は抜群なので変身すれば生存性の飛躍的向上には繋がるでしょう」

 

斎藤T「一方、この()()()()()()()()()()()()()融合(フュージョン)させた“融合騎士フュージョンライダー”にはウマ娘の根源となる“異世界の英雄の魂”ウマソウルを降臨させて、擬似的にウマ娘と同等の戦闘能力を発揮することが可能になるんですよ」

 

斎藤T「言うなれば、“融合騎士”に変身することで ようやく特撮ヒーローらしい戦闘能力の直接的な向上が果たされるわけですね」

 

斎藤T「まとめるとこうなる」

 

 


 

 

●“聖騎士ストライダー”

 

変身アイテム:聖甲虫(スカラベ)*5

 

変身能力:“特異点”を介してストライド走法の究極となる空間跳躍やその更に上の時間跳躍の行使が可能。

 

戦闘能力:直接的な戦闘能力の向上はない。強いて言うならば、特撮ヒーロー風の万能宇宙服なので環境適応能力や生存能力が飛躍的に上昇するが、四次元能力の行使が最大の武器となる。

 

守護霊:上位存在(五次元)

 

外見:万能宇宙服としての使いやすさを重視した非常にシンプルな構成だが、聖甲虫(スカラベ)に由来する仮面と色彩のプロテクターが装着されている。エジプト神話のスカラベ神:ケプリを想像するとわかりやすいか。

 

支援装備:スカラベエクステンダー……マイクロ波放電式イオンエンジンとガソリンエンジンのハイブリッドエンジンの改造バイク。通常時に410km/hを叩き出すモンスターマシンであるが、ルクソン粒子生成機による蒸着で5分間の光速化も可能とする。

 

 

●“融合騎士フュージョンライダー”

 

変身アイテム:ゴルシライザー*6とウマ娘ジェム

 

変身能力:2つのウマ娘ジェムを掛け合わせることで時空を越えて降臨させたウマソウルに応じたウマ娘と同等の身体能力の行使。

 

戦闘能力:ヒトを遥かに超越したウマ娘の身体能力に加えて、前段階の“聖騎士”の能力が使えるのでまさしく一騎当千となるが、逆に言うとウマ娘程度の身体強化とも言える。

 

守護霊:ウマソウル(四次元)

 

外見:ウマソウルに由来する異世界の英雄(ウマ娘に非ず)の外見をモチーフにした戦闘形態をとり、外見が前段階の“聖騎士”と大きく様変わりする。『聖闘士星矢』の天馬星座(ペガサス)の星矢(アニメ版)をイメージするとわかりやすい。

 

 


 

 

斎藤T「つまり、“聖騎士ストライダー”で降霊する守護霊は四次元を総括するより高次元の五次元の上位存在――――――、この場合はウマ娘の皇祖皇霊たる三女神:バイアリータークの加護によって四次元能力の行使が許されるようになる」

 

斎藤T「一方、“融合騎士フュージョンライダー”で降霊する守護霊は2つのウマ娘ジェムを掛け合わせることで両者と極めて縁が濃いことで召喚された“異世界の英雄の魂”ウマソウルであり、これは異世界で実際に存在していた英雄の魂なので、物質世界の三次元と表裏一体の精神世界の四次元の存在となる」

 

斎藤T「そして、降霊するウマソウルの選定を行っているのが“融合騎士”の前段階である“聖騎士”に降臨させた五次元の上位存在の采配というわけであり、」

 

斎藤T「普通に考えて三女神:バイアリータークが用意する最高のウマソウルとは肉体を持っていた頃の英雄であった自分自身――――――、すなわちウマ娘:バイアリータークということになるわけなのです!」

 

斎藤T「まとめると今の私の状態は、変身することで五次元の三女神:バイアリータークが降臨した“聖騎士ストライダー”、そこからウマ娘ジェムを融合することで三女神:バイアリータークが選抜した四次元のウマ娘:バイアリータークのウマソウルが降臨した状態なのが“融合騎士フュージョンライダー”なのだ!」

 

斎藤T「これ、スゴくない? “永遠なる皇帝”シンボリルドルフと“幻のウマ娘”トキノミノルを掛け合わせたら、ウマ娘の皇祖皇霊たる三女神:バイアリータークが自分自身のウマソウルを呼び寄せるんだよ? 当たりの組み合わせというか、当たりの中の当たり、いかにシンボリルドルフとトキノミノルが選ばれた存在なのかがわかるよな!」

 

斎藤T「たぶん、“融合騎士フュージョンライダー”としてはこれ以上ない組み合わせだと思うよ。なにしろ、英雄としての三女神:バイアリータークの力を宿した形態だし、まさしく黄金聖闘士(ゴールドセイント)の見た目だし、このまま神聖衣(ゴッドクロス)を目指そう」

 

 

アグネスタキオン’「ふぅン。なら、その他のウマ娘ジェムや融合形態の存在意義はあるのかい?」

 

 

斎藤T「……そこなんだよね。これ1つで全てが解決になるんだったら『ウマ娘ジェムの組み合わせはシンボリルドルフとトキノミノルだけでいい』ってなるんだけど、」

 

斎藤T「実はウマ娘ジェムの組み合わせで降臨するウマソウルも得手不得手や個性があるみたいで、」

 

斎藤T「基本的にはバイアリータークが絶対完璧だけれども、『聖闘士星矢』と同じく要は小宇宙(コスモ)で勝負が決まるところがあるから、三女神の力を完全に引き出せないとその万能性が宝の持ち腐れを起こして器用貧乏になりやすいようだ。決して力任せの誤魔化しができないんだ」

 

斎藤T「実際ね、『メイクデビュー中京』で初めて黄金聖闘士(ゴールドセイント)みたいな“融合騎士フュージョンライダー”になって三女神:バイアリータークとより深く一体となった時の全能感と異世界の英雄の力を得た最強感に舞い上がったんだけど、」

 

斎藤T「初陣の相手がバ場内遊園地を陣取った山のように巨大な蛇の怪物:オロチだったわけで、『ヒトを超越していようが山を動かすことなんて到底できないウマ娘の力を得たところで何ができるんだ』ってことでグダグダになってしまいました……」

 

斎藤T「そうして『英雄の力を得たとしてもどうすることもできない』という現実にいきなり打ちのめされていたところで駆けつけてくれたのが次の融合で降臨した英雄:サンデーサイレンスの力だったというわけです」

 

斎藤T「だから、役割や目的に応じた専門性の高い別の英雄の力を借りることも時として有効ということなんですね」

 

斎藤T「要は、求める結果を導き出せるだけの手段や能力が備わっていればいいのであって、それを適切に選択して運用できることが重要なんです。それ以上は過剰というもの」

 

斎藤T「たとえば、万能包丁を使えば一応どんな食材も切れるけれど、食材ごとに応じた専門の包丁を使った方がずっとやりやすいのと同じことですね」

 

アグネスタキオン’「ふぅン。なるほどね。それでアグネスタキオンとマンハッタンカフェのウマ娘ジェムの融合で降臨するのが“守護天使”サンデーサイレンスというわけだったね」

 

斎藤T「一体化した時に感じたのは“守護天使”とは言っても“死の天使”のイメージがしたんだよね、サンデーサイレンス。死の淵からの起死回生というか、最後までしぶとく生き残って最後に大成功を掴む霊徳があるのか、生と死を乗り越えた先の逆転劇に繋げる忍耐力と意志力と爆発力が売りに感じたね」

 

斎藤T「だから、中京茅の輪くぐりの締めとなるオロチ退治も土壇場で熱田神宮の霊威である草薙剣と火打ち石を使えるようになって一発逆転で九死に一生を得たって感じ」

 

斎藤T「最初は全能感に満ちたバイアリータークの力だったけど、パッと考えて 何の能力が使えて あの状況で何をどうすればいいのか 実戦で全然わからなくて、」

 

斎藤T「それだけに“死の天使”みたいにイメージがパッと浮かんでくるサンデーサイレンスのわかりやすさに私は命を救われたね。使いやすさに直結していない万能さなんてものは求める結果を導けないことで実際は虚無に等しい」

 

斎藤T「結局、英雄の力を活かすも殺すも使い手次第であり、訓練なしでぶっつけ本番で出てくるのはこれまで自分が会得体得したものしか咄嗟に出てこないんだな、これが」

 

斎藤T「ましてや、三女神の力なんて人智では計り知れないものの全貌を掴むだなんてのは無茶な話で、必要な時に必要なものを必要だけお出しする傾向を考えると、いずれはバイアリータークの力を最大まで引き出すことを目標にして、今はサンデーサイレンスの力を主力にして運用するしかないみたいだ」

 

斎藤T「まあ、中京茅の輪くぐりの褒美として受け取った草薙剣だけでも大抵の魔を祓うことはできるし、前段階の“聖騎士”の段階でも瞬間移動や光速拳が使えるから並大抵の脅威は簡単に排除できるんだけどね」

 

斎藤T「強いて言うなら、弱点は“融合騎士”は肉弾戦も強化されて隙がないように見えて変身プロセスが非常に面倒だということ。変身アイテムが奪われる可能性があるということか。聖甲虫(スカラベ)時間跳躍(ジョウント)させたいけど、ホルダーにスキャナーに装填ナックル、ウマ娘ジェムと品目が多すぎるのが難点だな……」

 

 

アグネスタキオン’「ふぅン。変身の起点となる聖甲虫(スカラベ)はまだたくさんあるみたいだけど、変身者は増やしていく予定なのかい?」

 

 

斎藤T「あんまり意味はないかな。実戦での四次元能力の行使は“特異点”の私が側にいないと使えないし、何よりも五次元の上位存在が味方しないと時間跳躍(ジョウント)してこないから変身すらできない」

 

斎藤T「そういう意味ではNINJA:斬馬 剣禅はさすがとしか言いようがない。春日大社ひいては鹿島神宮の眷属の鹿神:アメノカクが降臨されていた」

 

アグネスタキオン’「その話は聞いたね。鹿神の守護を受けているからなのか、アルテミスに鹿に変えられた狩人の名を関するアクティオンゾウカブトの聖甲虫(スカラベ)なのもね」

 

アグネスタキオン’「他にいないのかい?」

 

斎藤T「あとはピースベルTだね。さすがは“天上人”有馬一族の御曹司なだけあって水天宮の氏子ということで当然のように加護を受けていた」

 

アグネスタキオン’「日本橋にある情け有馬の水天宮の主祭神の加護ということだね」

 

アグネスタキオン’「何だったかな。たしか、天之御中主神じゃなかったかな――――――」

 

斎藤T「いや、寳生辨財天(宝生弁財天)だった」

 

アグネスタキオン’「は? なに、『弁財天』? 天之御中主神じゃなくて?」

 

斎藤T「まったく縁も所縁もないわけじゃない。境内外社に祀られている弁財天像は品川にあった有馬家屋敷にあったものらしい」

 

アグネスタキオン’「いや、そこは主祭神じゃないのかい?」

 

斎藤T「いやいや、情け有馬の水天宮という株式会社のコーポレート・ガバナンスに則った動きをする芸能の守護神の働きをずっと鐘撞Tはしてきているだろう?」

 

アグネスタキオン’「……ふぅン。そういうことなのかい」

 

斎藤T「そして、ナチス残党の闇組織に拉致されて芦毛のウマ娘に改造された恨みからなのか、聖甲虫(スカラベ)はアメリカ南北戦争の北軍最高司令官の名を冠するグラントシロカブトという」

 

アグネスタキオン’「……因果なものだねぇ」

 

斎藤T「あんまり無茶をしないでもらいたいものだな、鐘撞Tには」

 

アグネスタキオン’「たしか、アグネスデジタルくんのメイクデビューを考えているんだったね」

 

斎藤T「ああ。基本的にストーリー仕立てで担当ウマ娘のローテーションを組む超一流の興行者(プロモーター)だから、ダートも芝も走れる上にどちらにも意欲的なアグネスデジタルの特異性と噛み合ったわけど、」

 

斎藤T「そのバ場適性の広さから海外遠征ついでにナチス残党の闇組織への復讐を果たそうとしているんじゃないかと不安にもなる」

 

アグネスタキオン’「……大人しく愛バと添い遂げればいいものを」

 

斎藤T「自分を改造人間にした闇組織に一太刀浴びせない限りは安心して愛する人との明日を迎えられない不安に駆られもするさ」

 

アグネスタキオン’「それはきみのことを想う全員がそうなんだけれどもね」

 

 

斎藤T「神の道に生きるということは毎日が生成化育・進歩発展・波乱万丈の冒険の日々になるから飽きがくることはない」

 

 

斎藤T「本来 弱肉強食の世界であるこの世を生きるというのは日々進化のために変わろうとする必死さに追われるもので、文字通りに一生懸命な毎日を送ることが人生の本義でもあるのだ」

 

アグネスタキオン’「ふぅン? それじゃあ、進化とやらのために命を狙われ続けてビクビクしているネズミのような毎日を神様とやらはお望みということなのかい?」

 

斎藤T「まったくちがうぞ。たしかに進化のためにより良く生きようと変わろうとする意志を持たせるための環境に追い込むものだが、適度な運動・適度な睡眠・適度な休憩が健康維持のために必須なように、一生懸命に生きるからこそ弱肉強食の世界のことを忘れられる束の間の平穏に価値が生まれるんだ」

 

斎藤T「――――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということさ」

 

斎藤T「弱肉強食の世界で生きている生き物の暮らしを見てご覧。巣の外で命懸けでエサを獲ってきて飢えを凌いだ後は巣の中での安心の一時を過ごしているだろう」

 

斎藤T「そして、弱肉強食の残酷さに身を置いているはずなのに、生き物はカッコいいとかカワイイと思えてしまうような美しさを持った姿に進化していっているだろう? リスとかペンギンとかカワイイよね! カブトムシやクワガタムシもカッコいいね!」

 

斎藤T「それを考えると、国民的スポーツ・エンターテインメント『トゥインクル・シリーズ』になぜウマ娘たちが憧れを抱き続けるのも自然な発想で理解できるだろう?」

 

アグネスタキオン’「……ふぅン」

 

斎藤T「認めたくはないが、弱肉強食の過酷な世界だからこそ栄光を勝ち取った時に生命の輝きを放つことができる場所なのだと、ウマ娘の闘争本能が叫んでいるのだろう」

 

斎藤T「けれども、私たちは神の似姿として創られて 全ての生き物に名をつけた 地上の支配者たる霊長だ」

 

斎藤T「『人類以外の生物に心が無い』と主張するわけではないが、裏世界の実態を目の当たりにした私からすれば『人と比べたら無いに等しい』というのが正直な感想だ。元々 備わっている霊性に天と地ほど差があるから、魚や虫が本体の妖怪なんてものを見たことがないわけだ」

 

斎藤T「だから、人間には他の生物には許されていない自由がある。それは自らの意志で善と悪の道を選択して魂を輝かせることも堕落させることも許されていることにある」

 

斎藤T「だが、自由には責任が伴う以上、自由を行使して善を行えば徳が積まれ、悪を行えば業を背負うことになる」

 

斎藤T「このことを経済活動に置き換えると善を行うと運が貯金され、悪を行えば運を借金することになる」

 

斎藤T「本来ならば手元の資金だけでやりくりするのが売買の基本だが、借金をすれば今までにできなかった規模の売買が可能になるが、その分だけ大きなリスクを背負うことにもなるし、返済期限があるから取り立ても必ず行われる。地獄の閻魔帳からは逃れることはできない」

 

斎藤T「人間が他の生物と異なる点はこういった経済活動が許されていることで原始的な生命活動に縛られない自由な生命活動を行って、ゆくゆくは高度な文明を築く能力を持っていることにある」

 

斎藤T「それは時として『忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず』として二律背反の葛藤となり、他者の善なる成長を願うがために自ら悪を演じることも人生にはある」

 

斎藤T「けれども、それはそれとして、他の生物と隔絶した能力や権限を持っていようが、人間もまた生物に過ぎないのだから、進化し続けることを義務付けられた生命の本質を忘れた瞬間に魂は悲鳴を上げることになるだろう」

 

斎藤T「そういうわけだから、神の道に生きるということは大自然の中で進化しようという意志を育てるためにアメとムチが繰り返される毎日になるわけだから、ある意味においては苦しみが絶えない人生かもしれない」

 

斎藤T「けれども、そんなことは神を信じていようが信じてなかろうが未来のことなど見通せない凡夫にとっては不安の種は常に尽きないだろう?」

 

斎藤T「信仰の道に生きる歓びというのは『必ずや報いてくださる』という確信があることに尽きる」

 

斎藤T「天地の法則は他ならぬ神様がお作りになったものなのだから、自ら天地の法則に反する行いを神様もすることができないとするなら、あとは天の道に生きれば絶対的な苦しみも与えられるが同じように絶対的な歓びも惜しみなく与えられると確信できるものさ」

 

斎藤T「その天の道に生きるための教えはすでに太古から語り継がれていて、それでもって自分自身の天命がどうなのかを推し量って、苦しみの絶えない現実にどう歓びを見出すかだ」

 

 

斎藤T「――――――生きていく上で苦しみは避けられない。一切皆苦。これが人生の第一条だ」

 

 

斎藤T「それはウマ娘レースで掴み取る栄光も例外ではない。苦しくないトレーニングに効果などないし、甘くない勝負に価値などないし、厳しくない現実に成長などない」

 

斎藤T「そして、最後は美人の顔を台無しにしてでも勝利への欲求で表情を強張らせて全身全霊でゴール板の向こうへ誰よりも先へと目指して夢破れて努力は水泡に帰す――――――」

 

斎藤T「ほら、みんなが大好きなウマ娘レースを見ても、どこもかしくも苦しみに満ちているだろう?」

 

斎藤T「けれども、世界はこんなにも苦しみに満ちているが、苦しみを超えた先に歓びがあることを見据えれば、こんな世界でも頑張っていこうという希望が見えてくるだろう?」

 

斎藤T「それがお釈迦様の説いた教えの基本となる四法印のうちの『一切皆苦』『涅槃寂静』だね。『涅槃寂静』という目標に向かって頑張ることで『一切皆苦』の現実世界をみんなが元気よく生きていけるように説いていったのが仏教というわけよ。『諸行無常』『諸法無我』のことは忘れていい」

 

アグネスタキオン’「つまり、『目標を立てて』『それに向かって努力して』『達成しようとする』ことに苦しみを超えた先にある人生の歓びがあるわけなんだね」

 

斎藤T「そう、マイケル・ボルトンの名曲『Go the Distance』にあるように」

 

 

斎藤T「だから、私の人生は死ぬほどの苦しみとそれを乗り越えた先にある生きる歓びに満ちたものになるぞぉ」

 

 

斎藤T「そんなわけで、私に関わると漏れなく関わった人間の全てが多かれ少なかれ私の人生の荒波に巻き込まれてしまうから、怖いのなら私から距離を置くことだね」

 

アグネスタキオン’「いや、無理だと思うぞ、それは。きみが望むと望まないとに拘らず、ほぼ全員が窮地に陥っていて きみが危機一髪の状況から救い出して結んだ縁なのだから、最初からきみの人生に組み込まれていたんじゃないのかい、全て?」

 

斎藤T「……怖いことを言うなぁ」

 

アグネスタキオン’「だが、きみが言うように 地上最強のスーペリアクラスの力を持て余すことのない 波乱に満ちた 退屈のしない日々を送ることができているから、これからも私はきみと共にあるよ」

 

アグネスタキオン’「――――――限りなく重なり合った点と点になってね」

 

斎藤T「ああ。これからもよろしく頼む、アグネスタキオン’(スターディオン)

 

斎藤T「早速だが、今の“融合騎士フュージョンライダー”の能力を測定してもらいたい」

 

斎藤T「果たしてバイアリータークやサンデーサイレンスといった英雄の力がどの程度のものなのかを把握しておきたい」

 

アグネスタキオン’「まかせたまえ」

 

 

I can go the distance*7

 

You can go the distance

 

Here We go !

 

Fusion-ride to Origins !*8

 

 

噛みつくぜ! 運命!

 

 

Agnes Tachyon ∧ Manhattan Cafe

 

 

Sunday Silence

 

 

*1
身長や速度と比較して歩幅(ストライド)が大きい走法

*2
気圧差によって膨張して動きにくくなるため。

*3
呼気を循環して再使用するため。

*4
宇宙空間は低温ではあるのだが、宇宙服には宇宙飛行士の体温を逃がす場がなく、また太陽光線も強烈であるから活動時は温度が上昇することになるため、冷却機能が必須。

*5
スカラベは古代エジプト語で『フンコロガシ』を指す言葉だが、ラテン語のスカラベウス(Scarabeus)は『甲虫類』全般を指す。

*6
ホルダー・スキャナー・装填ナックルの3点セット

*7
go the distance = 全行程を踏破する、最後まで頑張る

*8
ride to = ~への進行



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◆春季 よくわかる登場トレーナー一覧

 

今回はチーム対抗戦『アオハル杯』復活に合わせて、これまで多数登場してきたトレセン学園のトレーナー陣を振り返り、ウマ娘相性ランキングを指標にどういったウマ娘の育成を得意とするかの特徴を語るものとなる。

なお、ウマ娘相性ランキングは本作『ウマ娘超光速戦記 -TACHYON Transmigration-』の設定ではなく、原作『ウマ娘 プリティーダービー』における設定を基準にしたものとなっており、神の視点によるものである。

 

つまり、本作『ウマ娘超光速戦記』のトレーナー陣が原作『ウマ娘 プリティーダービー』での育成モードをするとしたら、原作『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘の誰と相性がいいのかをランキング形式で公表していく。

 

そのため、『ウマ娘超光速戦記』で設定された時系列によって、トレセン学園のトレーナーや生徒として一緒の時間を過ごすことができない組み合わせもランキングに入っており、

必ずしも『ウマ娘超光速戦記』での担当ウマ娘が最高の相性(殿堂入り)である必要もないし、*1同順位に何人もランキングに入るのも変なことではない。*2

 


 

 

斎藤 展望(さいとう のぶもち)(2年目:新人トレーナー)

担当ウマ娘:アグネスタキオン(1年目:ジュニア級)

トレーナーチーム:無所属

アオハルチーム:チーム<エンデバー>

非公認地球防衛組:チーム<アルフェラッツ>首魁

クラブ活動:ESPRIT 主宰*3

 

ウマ娘に求めるもの:空想と浪漫。そして、友情。

 

キャラクターイメージ:ウマ娘を指導するトレーナーしては明らかに力不足であり、同時にウマ娘を指導するトレーナーとしては完全に役不足となる門外漢 / 『ウマ娘』世界を観測する情報統合思念体

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:アグネスタキオン、マンハッタンカフェ

 

第1位:ビワハヤヒデ、ナリタブライアン

第2位:シンボリルドルフ、ミスターシービー

第3位:ゴールドシップ、スイープトウショウ、ファインモーション

第4位:スマートファルコン、アグネスデジタル

第5位:タニノギムレット、シンボリクリスエス

 

基本的に担当契約さえ結べば23世紀の地球文明の継承者たる宇宙移民としての叡智を惜しみなく使うので、どんなウマ娘であろうとも間違いなく実力以上の結果をもたらすだけじゃなく、その後の人生にも大きな福音をもたらすことになる福の神となる。

ただし、その最大の欠点は最難関の国家資格であるトレーナーバッジを得るまでの“斎藤 展望”の記憶や知識がごっそり抜け落ちているどころか存在すらしていないので、直接的なウマ娘レースの指導がまったくできないことにある。

一応はずば抜けた知能による観察力と分析力と判断力と科学力と開運力によって見様見真似で重賞レースを勝つこともできなくはないが所詮は付け焼き刃であり、

成り行きでトレーナーをやることになっただけで、異世界転生してきた身としてはウマ娘レースに対する熱意や理解がなく、指導していくうちに担当ウマ娘を未来のスターウマ娘から自分好みの23世紀の宇宙移民へと仕立て上げてしまうことが大問題なのである。

具体的に言うと、極限まで肉体を引き絞って数kmのコースでの速さを追究した競走ウマ娘の在り方とは正反対の長く苦しい宇宙開発や惑星開拓の過酷なミッションをこなせる生命力(vitality)生存能力(survivability)社会形成能力(creativity)が重視された体付きや思考に染め上げられてしまう。

 

そう、トレーナーとして振る舞う時は一口にトレーナーと言っても“ウマ娘レースのトレーナー(調教師)”ではなく、その実態は“宇宙移民のトレーナー(指導者)”なのである。トレーナーバッジ詐欺もいいところである。

 

更に、刹那の一瞬の栄光のために極限まで速さを追究する競走ウマ娘の在り方とは相容れない;種の存続や国家の成立といった巨視的なものに念頭に置いた立居振舞をする宇宙移民とは視えているものや感じているもの、望んでいるもの、喜びにしているものが何もかもがちがうのが致命的なのだ。

それが自分でもよくわかっているため、相性のいいウマ娘は自ずと本来ならばトレーナーバッジを身に着けるべきではないド素人ぶりを補えるほどに()()()()()()()()()()()()()()()()()()ばかりであり、そこまで行くと誰と組んでもG1勝利は揺るがない。それを『鬼に金棒』とするか、『金魚の糞』とするかは解釈が分かれる。

良くも悪くも自身が新人トレーナー以下のド素人であることを完全に認めているので、トレーナーとしての栄達はまったく望まず、必要なら自分以外のトレーナーを指導者に据えるほどのこともやってのけて、自身は担当ウマ娘が望む未来を掴めるためにトレーナーの枠に囚われないありとあらゆる手練手管を駆使することができる。

事実、そもそもが宇宙の彼方の未開惑星に人類国家を築き上げる使命と能力を持っているため、一国の宰相を担える人間が一人のスポーツ選手を応援することに全力を注いだら、大抵のことは本当にどうとでもなってしまうわけである。

しかし、それだけにスポーツ選手の指導に従事するだけでは明らかに役不足であることから、そのトレーナーバッジをつけている人間の中身が公営競技であるウマ娘レースに本質的に興味がない未来人に成り代わっていることもあり、

たまたま異世界転生して得ることができた恵まれた身分をもっと別のことに有効活用しだし、23世紀の宇宙移民の興味を刺激するほどの何かとめぐりあわないとあっさりとトレセン学園を去ってしまう運命にある。

 

――――――ウマ娘を指導するトレーナーしては明らかに力不足であり、同時にウマ娘を指導するトレーナーとしても完全に役不足なのだ。

 

その意味では『ウマ娘』世界の真相にもっとも近づくことになるアグネスタキオンとマンハッタンカフェは出会うことができれば、トレーナーでいることに価値を見出だせなくても世界の神秘に惹かれて確実に引き止めることができるため、トレセン学園の生徒たちの中では相性は最高に抜群である。

そのアグネスタキオンとマンハッタンカフェは腐れ縁の関係なので、どちらかと接点を得ると自動的にもう片方とも知り合いになることから、どちらのウマ娘にも“斎藤 展望”は深い縁があることになる。

そのため、この2人以外のウマ娘に対する興味関心は正直に言ってどんぐりの背比べに過ぎず、契約さえ結べば誰であろうと福音をもたらすことができるので、特に相性の悪いウマ娘というのは人々を率いて民を治める一国の宰相を担えるほどの宇宙移民には存在しないのだ。

しかし、それは裏返せば『()()()()()()()』という()()()()の話でしかなく、それ以前に詐欺同然の“斎藤 展望”という無名の新人トレーナーとの担当契約をウマ娘が決断できるかどうかが運命の分かれ道となっており、遍く福徳をもたらす存在には簡単に巡り会えないものなのだ。

そのため、あえてこの場で明確に順位をつけるなら飽きさせないドラマ性やこちらを振り回す勢い、『ウマ娘』世界における独自の文化を象徴するなどのキャラの濃さで決まっているようなものだが、いずれも“斎藤 展望”の在り方を受け容れられるほどの非凡な才能と並外れた人間性の持ち主ということになる。

なお、担当契約したらどんなウマ娘でも実力以上の結果と幸運をもたらす存在ではあるが、かつて不犯を貫いた祭司長としての生き方から年相応の夢見がちな色恋沙汰に興味津々な普通の女の子は趣味じゃない。嫌いというわけじゃないが相性が悪い。

というのも、母なる地球から遠く離れた遥か彼方の星の海を渡る夢とロマンに生きているのだから、どんな時代においても飽きることなく 懲りることなく 延々と繰り返されてきた恋愛譚など 何の発見も驚きもない とてもありふれたものだから。興味の対象に成りえないのだ。

 

つまり、前提としてトレセン学園のトレーナーとして求められる能力が全くない状態で かつ本質的にウマ娘レースに対するやる気も興味もないし、宇宙移民の大望とは正反対の刹那的な栄光のために命を燃やすウマ娘の在り方に共感できないわけなので、普通の感性のウマ娘では“斎藤 展望”がただのトレーナー未満のトレーナーにしか過ぎなくなる。

 

なので、トレーナーとしてはまさしく力不足にして役不足でもある規格外の“門外漢”であり、トレーナーとして求められる能力がまったくないせいで担当契約を結ぶのは相当な覚悟が必要となってくるが、

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』という極めて柔軟な発想で有能なサブトレーナーをつけるぐらいなんてことはないので、実際の指導力はトレーナー一個人が発揮できる力量を完全に超えており、頭数が多くなるほど抜群の組織運営力が顕になる。

その代わり、23世紀の未来人の価値観に従って様々な分野で才能を発揮して多忙を極めるため、直接的なトレーニング指導はほとんどしてくれないので、積極的に“斎藤 展望”からエッセンスを引き出して自身の才能開花に繋げられる強かさと賢しさがないとウマ娘としての成長は期待できない。

そういう意味でもトレーナーからの指導にただ従うだけの普通の競走ウマ娘とは相性が悪く、それでは“斎藤 展望”の良さを引き出せないわけであり、自分なりの在り方を確立している際立った個性をもって意見をぶつけてくるウマ娘の方がやりたいことがはっきりしている分だけ擦り合せができるために大きな力になれるのである。

小さく打てば小さく響き 大きく打てば大きく響く――――――、けれども、ウマ娘として成長ができなくとも一緒にいるだけで確実に何かが変わるきっかけが得られる――――――、トレセン学園に現れた“斎藤 展望”とはそんな存在である。

そのため、23世紀の宇宙移民にして世紀の天才でもある未来人として何百年も先の時代を先取りしたやり方についていける新進気鋭のウマ娘にこそ是非おすすめのトレーナーである。

とは言え、この“斎藤 展望”と担当契約を結ぶとしたら超一流のウマ娘以外ではあらゆる意味で至難である一方、学園内を徘徊する神出鬼没なアグネスタキオンとマンハッタンカフェとの遭遇率の高さから、大抵はこの2人との関わり合いを持つことで学園に残留するわけなので、

担当契約は無理でもおこぼれに与りたいのならば“学園一危険なウマ娘”と“学園一不気味なウマ娘”と仲良くして距離を詰めるのがやりやすいだろう。逆に難しくなるかもしれないが。

 

 

 

才羽 来斗(さいば らいと)(4年目:若手トレーナー)

担当ウマ娘:ミホノブルボン(4年目:スーパーシニア級)

トレーナーチーム:無所属

アオハルチーム:無所属

 

ウマ娘に求めるもの:人が歩むのは人の道、その道を拓くのは天の道。

 

キャラクターイメージ:アプリ『ウマ娘 プリティーダービー』の主人公になれたトレーナー / GOOD END達成

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:ワンダーアキュート

 

第1位:ミホノブルボン

第2位:スマートファルコン

第3位:アグネスタキオン

第4位:サイレンススズカ

第5位:スペシャルウィーク

 

アプリ『ウマ娘 プリティーダービー』の主人公の立ち位置にいる ウマ娘レースの本場であるヨーロッパからの帰国子女である 驚異の天才。

自身を“天の道を往き 総てを司る”太陽と位置づけており、太陽の恵みと渇きと熱と輝きを与える存在として、抜群の存在感と万能ぶりを発揮する。

トレーナーバッジを身につけるに足るトレーナーとしての記憶や知識がまったくない斎藤Tよりも真っ当な形で担当ウマ娘に実力以上の結果をもたらせる正統派トレーナーの究極である。

というより、斎藤Tはたとえるなら総理大臣がトレーナーをやっているようなものなので、本質的にトレーナーバッジでは役不足になる立場の人間であり、ウマ娘との二人三脚やウマ娘レースでの勝利にも興味を示さないので本質的にトレーナーとは言えない。

そのため、才羽Tこそ担当ウマ娘との二人三脚でウマ娘レースでの勝利をひたすら求めていく真っ当な意味でのトレーナーの理想であり、自身が指導するウマ娘の可能性を誰よりも信じ抜く意志力と実行力と決断力を有する。

 

基本的に家族の絆や子供の夢を何よりも大事にするため、相性がいいとされるウマ娘は何気に『グランドライブ』シナリオのシナリオリンクキャラクターを網羅しており、まっすぐで 純粋で 人々の想いを力に変える 主人公属性が非常に強いウマ娘ばかりである。

一方で、他人の想いに鈍感で能天気で図々しいウマ娘は敬遠しており、自身は超然とした態度を貫きながらも意外にもシンボリルドルフやトウカイテイオーなど自分以外の天才とは相容れない矛盾した態度をとっている。

実際、彼にとって相性のいいウマ娘は基本的にはシンボリルドルフやトウカイテイオーに代表される入学当初から実力も名声も人望もあるような全てを持ち合わせた人気者ではなく、他者からの評判に惑わされること無く自分の信じる道を生き貫く芯の強いウマ娘である。

というのも、真の天才である彼の中では真の世界の中心に位置する存在が何かを知っているために、トレセン学園という小さな箱庭のお山の大将で収まるウマ娘はその程度の器だと思っているわけなのだ。

事実、天才である彼が常に見据えるのは世界の頂点であり、世界ランキングに挑戦できるだけの大きな夢をどこまでも追いかけられる克己心のあるウマ娘こそが自身の理想であり、全てはそのためのウマ娘との契約と育成と優勝の日々なのである。

 

最終的には海外遠征を視野に入れて『トゥインクル・シリーズ』制覇は通過点に過ぎないとして常に高みを目指すウマ娘でないと、この天才トレーナーの選考からは容赦なく叩き落とされてしまう。

他にも、上位リーグ『ドリームトロフィーリーグ』への移籍など以ての外であり、国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台『トゥインクル・シリーズ』での多方面かつ長きに渡る活躍を担当ウマ娘に求めている。

逆に言えば、その理想を実現させるだけの卓越した指導力を発揮できる驚異の天才ぶりを体感できるため、日本中を駆け抜け、やがては日本を飛び出して『凱旋門賞』をはじめとする更なる夢の舞台へと羽ばたいていけるウマ娘には非常におすすめのトレーナーである。

また、人生は一度限りであるように、ウマ娘にとっても『トゥインクル・シリーズ』が人生は一度きりであることを共有して自身のトレーナーバッジを捧げる担当ウマ娘も生涯に一人と決めているので、まさに『トゥインクル・シリーズ』を共に駆け抜けた二人三脚の末永い付き合いとなることだろう。

 

 

 

飯守 祐希(いいもり ゆうき)(4年目:若手トレーナー)

担当ウマ娘:ライスシャワー(4年目:スーパーシニア級)

トレーナーチーム:無所属

アオハルチーム:無所属

 

ウマ娘に求めるもの:挫折してもプライドは失わない。それは努力しているからだ。

 

キャラクターイメージ:アプリ『ウマ娘 プリティーダービー』の主人公に成り損ねたトレーナー / NORMAL END到達

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:メジロアルダン、サクラチヨノオー、ヤエノムテキ

 

第1位:ライスシャワー、ゼンノロブロイ、メイショウドトウ

第2位:ナリタトップロード、サクラローレル、キンイロリョテイ

第3位:マンハッタンカフェ

第4位:メジロライアン、メジロパーマー

第5位:スペシャルウィーク

 

アプリ『ウマ娘 プリティーダービー』の主人公に成り損ねた 警視総監の息子である 元熱血甲子園球児。

甲子園球児と言っても自身がエースというわけではなくチームの柱であったため、優れたスポーツマンシップに加えてチームワークを発揮するリーダーシップもあり、

野球の醍醐味である逆転サヨナラ勝ちの要素から長期戦にも耐え得る強靭なスタミナとメンタルも有し、最後まで決して油断せず 最後まであきらめない勝負強さを併せ持つ。

また、野球のポジションと同じように自身のトレーナーとしてのポジションを客観的に分析することができ、他のトレーナーと比べて自分が何ができて何ができないかを突き詰めて『自分にできることはこれだ!』とドッシリとかまえているため、優勢と劣勢が入れ替わる勝負の行方に右往左往させられて自分を見失うといったことになりづらい冷静さもある。

 

そのため、実力はあるのに気弱なウマ娘を力強く支えるのをもっとも得意としており、気さくで大柄な熱血コーチとの二人三脚による熱血スポ根の王道を往くことができる。

ただし、その気質によって厳しい言葉を投げかけることができない甘さにより、全体的に戦績が地味というか二番手ポジションに甘んじることが多く、なかなか主役を張れないところがある。

しかし、気弱な性格の裏に眠っているウマ娘の闘志と才能を信じる力強い支えが結果としてシニア期を迎えてからの逆転サヨナラホームランを炸裂させるため、

担当ウマ娘と歩調を合わせてじっくり向き合って経験を積んでいく毎に実力が着実に上がっていく大器晩成型のトレーナーと言える。――――――『主役を遅れてやってくる』。これも1つの正統派主人公の有り様である。

一方で、彼の野球部での立ち位置がエースではなくチームの柱であったことから、チームの輪に入れない子には面倒見の良さを発揮するが、そうではなくチームの輪を乱す輩だと容認できないため、協調性のないウマ娘には堪忍袋の緒が切れる。

そういう意味では世界を相手にするために唯一無二の絶対者の我が道を征く才羽Tとは正反対であり、才羽Tならば早々に見切りをつけているウマ娘を拾い上げている別の才能の持ち主であると言える。

事実、今回のランキングでは綺麗に1人ずつ順位付けられている才羽Tとくらべて、同順位に何人もウマ娘が入っている飯守Tはその分だけ拾い上げられるウマ娘が多いことを意味しており、

本作では世代のウマ娘がライスシャワーであったが、仮にメジロアルダン、サクラチヨノオー、ヤエノムテキの世代であったなら、3人の中の誰と二人三脚しても大きな成果を最後には叩き出せるぐらいにはウマ娘の底支えとしては極めて優秀。

 

総じて、ありとあらゆる条件の中からピンポイントで世界を相手取る最強ウマ娘を選び取る驚異の天才:才羽Tとはちがった意味で人を選ぶトレーナーであり、

普通のウマ娘では大らかで優しめのトレーナーというだけの普通の手応えになってしまうため、苦しい時にこそ力強く支えてくれる熱血トレーナーのありがたみがあまり実感できないことが欠点となってしまう。

そういったことからクラシック級での悔しさをバネにシニア級で大きく伸びて逆転サヨナラ勝ちを掴み取る路線になりがちなので、そこまで付き合い通せるだけの信頼と我慢をウマ娘ができるかで評価が大きく変わってくることになる。

また、最終的には良くも悪くも元甲子園球児のスポ根のノリに頼ってしまうので、そういうノリが嫌いなウマ娘とも非常に馬が合わない。

そのため、普通よりもちょっと下ぐらいの自己評価の内に秘めた闘志を併せ持つウマ娘がちょうどいい塩梅であるため、意外とストライクゾーンが広いようで狭いのが難点である。

しかし、元甲子園球児だからこそ、スポーツに懸けた青春で流れる汗と涙の価値を誰よりも理解しており、実力はあるのに本番でプレッシャーに負けて実力を発揮できなかった悔しさも嫌というほど体験しているからこそ、辛抱強く粘り強く心強くウマ娘を支えようと決意している。

なので、自分に実力があることを客観的事実として認識していながらも本番のプレッシャーに負けちゃう自分を想像してしまうウマ娘には絶対おすすめのトレーナーであり、心の支えを得た時のリラックス状態で発揮される真の実力が花開くことだろう。

 

 

 

●桐生院 葵(4年目:若手トレーナー)

担当ウマ娘:ハッピーミーク(4年目:スーパーシニア級)

 

 

 

 

岡田T(テイトレ)(7年目:出戻りトレーナー)

担当ウマ娘:トウカイテイオー(4年目:引退)

トレーナーチーム:無所属

アオハルチーム:チーム<エンデバー>

非公認地球防衛組:チーム<アルフェラッツ>

 

ウマ娘に求めるもの:天才とは1%のひらめきと99%の努力である。

 

キャラクターイメージ:地方上がりの中央トレーナーが見つめる日本ウマ娘レース界の頂点(中央)底辺(地方)の輝き

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:トウカイテイオー、マヤノトップガン

 

第1位:ナリタブライアン、ヒシアマゾン

第2位:ダイワスカーレット、ウオッカ

第3位:ナカヤマフェスタ、ゴールドシップ

第4位:アグネスタキオン、メジロアルダン

第5位:セイウンスカイ、キングヘイロー

 

“悲運の天才”にして“不滅の帝王”ことトウカイテイオーの担当トレーナーとしての育成手腕はたしかなものがあり、『ウマ娘』の二次創作作品の主人公なのにウマ娘レースのトレーナーらしいことがまともにできない“斎藤 展望”に代わってアグネスタキオンの指導を受け持つだけの実績と才能を持つ。

地方トレセン学園からの成り上がりであるからこそ中央トレセン学園のレベルの高さと地方トレセン学園のレベルの低さの落差を身を以て体感してきていることがトレーナーとしての一番の武器となっている。

そして、地方から中央へ上がって最初に目にした“永遠なる皇帝”シンボリルドルフの鮮烈な走りに身を焦がす思いに駆られたことで“自分だけのシンボリルドルフ”となるウマ娘を追究し続けてきたことが担当ウマ娘:トウカイテイオーの栄光と失墜の果ての波乱に満ちた復活劇を実現に導いた戦略性の高さに繋がっている。

実際、若くして中央入りを果たせるほどの地方での実績と経験があるとは言え、中央トレーナーとしては最初の担当ウマ娘:トウカイテイオーが度重なる故障に見舞われても決して引退させることなく、しっかりと復活に向けたトレーニングやローテーションの年単位の綿密な計画を部屋に籠もって一人でまとめあげることができるぐらいである。

更に、中央の走りしか知らないトレーナーにはない地方での経験や教訓をヒントにした独創的なアイデアや独自の着眼点を持つため、中央競バにおけるセオリーを無視することもしばしばあり、それが相手の意表を突くことにもなった。

 

ただし、本人としては中央入りを果たした直後に“皇帝”の走りを見た衝撃から“自分だけのシンボリルドルフ”を得ることが中央トレーナーとしての目標になっていたわけなのだが、相性ランキングにおいてはそのシンボリルドルフ本人とはそこまで相性がいいわけではないようだ。

というのも、シンボリルドルフが求めるトレーナー像が極めて特殊なものであり、その意味ではシンボリルドルフ当人にとっては“自分だけのシンボリルドルフ”を求める岡田Tも数多いる“次のシンボリルドルフ”を求めるトレーナーたちと大差がないからなのだ。

つまり、ウマ娘レースでの勝利と栄光を求めるのが常であるごく普通のトレーナーの一人に過ぎない。その時点でシンボリルドルフと同じ視座に立って共に歩める関係には成り得ないわけなのだ。

しかし、それでも憧れのシンボリルドルフから多少は気にかけてもらえていたのは、シンボリルドルフのお気に入りであるトウカイテイオーの担当トレーナーである以上に、岡田Tがウマ娘ファーストに忠実な人柄であるためであり、地方上がりであるからこそ中央のレベルの高さを心に留めて中央トレセン学園に在籍する生徒たちの夢に対して真摯であったからなのだ。

 

わかりやすく言うと、中央トレセン学園に在籍する才能の塊である天才肌のウマ娘や闘争心の塊のような好戦的なウマ娘が地方上がりの岡田Tにとっては心臓が高鳴る存在なわけなのである。

 

そうしたウマ娘が持つ可能性と栄光をこの手で掴み取りたいという欲求から、そういったウマ娘のやることなすことにケチをつけることはせずに、そのありのままを尊重する在り方に徹している。言葉にすると簡単だが、自身の栄達や体裁を考えるとそこまで徹底できないからこそ尊いものがあるが、ここがシンボリルドルフと同じ視座に立てない要因でもある。

ただし、トウカイテイオーのように才能豊かで驕れるウマ娘に振り回されることに狂喜乱舞している一面もあるため、凄まじいまでにウマ娘の走りや才能に魅せられた狂人とも言える。

だからこそ、年間のトレーニングやローテーションを組む時間での想像が膨らむわけであり、家に居ながら精密な年間計画を組むことができるわけである。想像するのが楽しくて仕方がない。

裏返すと“ウマ娘の才能こそ愛する人間”であり、トレセン学園で良くも悪くも早くも評判になるような総じて早熟の天才ウマ娘ばかりに心を奪われがちとも言え、デビューしてから“本格化”が進むようなスロースタートのウマ娘の素養は見抜けないわけでもある。

この辺りも地方トレセン学園の限界や最低な部分をよく知っている地方上がりのトレーナーの心理でもあり、最初から頭角を現しているウマ娘の方が高確率で世代の中心となれるわけなので、最初の時点でスターウマ娘としての片鱗を見せている将来有望なウマ娘以外には見向きもしないわけである。

しかし、あくまでも才能を愛するようになった要因が地方トレセン学園時代での経験でもあることから、地方トレセン学園の生徒たちと比べて中央トレセン学園の生徒たちの比類なき情熱や決意にも心惹かれるため、

第一印象でパッとしなかったり 地方トレセン学園で天才と持て囃されているようなのとあまり大差がないように感じるウマ娘であったりしても その矜持が並外れて卓越しているのなら それはそれで応援したくもなるわけで、

結果として、日本ウマ娘レース界隈の最低と最高を知り尽くしているが故に、岡田Tが気に入ったウマ娘は重賞レースで活躍すること間違い無しの優駿ばかりとなってくる。

 

とにかく、地方競バとはちがうことを体現した才能や心意気を見せたウマ娘に強い興味をそそられるため、これまたウマ娘の好みが両極端なトレーナーでもあり、

中途半端に才能と志を持っているウマ娘よりも才能に全振りしたウマ娘や気高い志を貫くウマ娘にこそ自分を合わせるべきだと考えているため、担当ウマ娘のためならいくらでも無茶ができる人柄でもある。

そのため、地方競バなんかじゃ比べ物にならない才能や矜持があってウマ娘の素晴らしさを体現した走りをするウマ娘には特におすすめであり、まさに自身のトレーナー人生の全てを注ぎ込んで担当ウマ娘を輝かせようとするため、互いの青春を燃やした才能と情熱の相乗効果の乗りに乗った時の突進力は随一である。

ただし、その分だけ勢いに任せた猪突猛進ともなり、猛スピードで躓いた時に負う傷は深いが、自分が輝かせたいと願った担当ウマ娘の意志が折れない限りは自身も何度も這い上がろうとするため、ド直球のスポ根ムーブで起死回生を果たしてしまえる屈強さを持つ。

いやいや、本編ですでに廃人気味になっていたというが、そこは二度目のトウカイテイオーの復活劇である『ジャパンカップ』優勝で引退するところをファンの声援に応えて『有馬記念』に出るか否かでトウカイテイオーと擦れ違って惨敗したことへの責任感と不和がもたらしたものであり、

シンボリルドルフの手引と斎藤Tの支えがあって復帰できたとは言え、結果としては三度目の復活劇である『有馬記念』での奇跡の勝利を掴み取った手腕と担当ウマ娘との一心同体の信頼は見事としか言いようがないだろう。

そのため、実力や志が地方競バのレベルを超えている夢の舞台の主役であると胸を張るウマ娘のためなら、どこまでも担当ウマ娘に尽くしてトップスピードの二人三脚をこなしてくれるので、

入学当初から溢れんばかりの才能と情熱で活躍の場を願って止まない勝ち気なウマ娘には特におすすめのトレーナーである。転ぶ時も一緒に派手にすっ転んでいくレース人生となるだろう。

 

 

和田T(マクトレ)(7年目:中堅トレーナー)

担当ウマ娘:メジロマックイーン(4年目:引退)、マンハッタンカフェ(5年目:スーパーシニア級)

トレーナーチーム:無所属

アオハルチーム:チーム<エンデバー>チーフトレーナー

非公認地球防衛組:チーム<アルフェラッツ>

 

ウマ娘に求めるもの:ヒーローとは、どんな障害があっても努力を惜しまず、耐え抜く力を身に着けたごく普通の人間である。

 

キャラクターイメージ:夢の舞台(トレセン学園)の一般トレーナーが見つめるウマ娘の栄光(G1勝利)堕落(G1未勝利)境界(ちがい)

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:メジロマックイーン、ゴールドシップ

 

第1位:メジロドーベル、メジロブライト

第2位:セイウンスカイ、キングヘイロー

第3位:メジロライアン、アイネスフウジン

第4位:トーセンジョーダン、マンハッタンカフェ

第5位:メジロパーマー、ダイタクヘリオス

 

トウカイテイオーの岡田Tとは敬意を払った付き合いをしている一方で、メジロマックイーンの和田Tは何かと斎藤Tに活を入れられたり、周りからもG1トレーナーと思われていないイジられキャラの扱いを受けていたりするが、

実質的な本編の主人公チーム:アオハルチーム<エンデバー>のチーフトレーナーに指名を受けるほど、ヘタレな印象とは裏腹にサブトレーナー時代から着実な実績を積み重ねてきた黄金期を代表する中堅トレーナーである。

しかし、ちょうど配属された年からシンボリルドルフによる黄金期となり、配属1年目の新人トレーナーが最初の担当ウマ娘でG1勝利を重ねていく奇跡が連続したことで、最難関の国家試験に合格したエリートの一人になれた事実さえも何の誇りにもならず、

結局はG2勝利が精々の最底辺チームのサブトレーナーとしてチームメイトたちにいい年をした大人がからかわれて使い走りにもされるという鬱々とした日々を送ることになった。

実際には 自身が卑下している G2勝利を目標にした 志の低い最底辺チームでのサブトレーナー時代によって、重賞レースの最高峰であるG1レース制覇を目指す上での中央トレセン学園における最高と最低の両方を学んでいるため、G2勝利が関の山のウマ娘とG1制覇を成し遂げるウマ娘の境目が直感的にわかるようになっており、

それでいて最底辺チームで年頃のウマ娘のありのままのふれあいを経験していることからも過度にG1ウマ娘に幻想を抱かない節度も養われていたことで、それが結実して約束されたG1ウマ娘でありながら意外と隙の多いメジロマックイーンを支えられる地力と包容力を得るに至っている。

実のところ、名家の誇りを持っていても家柄を鼻にかけることのない俗っぽいメジロ家の令嬢からはかなり好かれやすい人柄と能力を獲得しており、

権威に弱い卑屈な人間だと自覚しているが故の劣等感の裏返しである向上心の塊であったことから、こんな自分に栄光をもたらしてくれる担当ウマ娘のことを積極的に立てようとする宮廷風恋愛が成立するわけでもあるのだ。

メジロマックイーンというメジロ家のウマ娘が高みから手を伸ばしてくれることに自惚れることなく、それと並び立つに相応しくあろうとする気高さが卑屈さに塗りつぶされることなく在り続けたのだ。

 

なので、最高はメジロ家の令嬢から最低はコギャルウマ娘まで幅広い層のウマ娘と付き合い通せる懐の広さと見識の深さが養われており、

結果としてG1勝利こそ“メジロ家の至宝”メジロマックイーンの手によって初めてもたらされたが、それ以前から最底辺チームのウマ娘に重賞レースで勝たせてきた実績をコツコツと積み重ねていたことで、順当にG1勝利を掴み取るだけの名トレーナーにいつの間にかなっていたのだ。

そのため、トレセン学園における自分の立居振舞に思うところがあるウマ娘に対しては真剣な話をするのも冗談を言い合うのもできるぐらいには時と場に応じた機微に敏いコミュニケーションをとることができ、ウマ娘との距離の取り方や緊張の解き方が絶妙で、

トレーナーとしての劣等感からヘタレで卑屈な面があるが、だからこそウマ娘が覗かせる醜いところも隠れた趣味も弱さも受け入れて付き合い通せる 一緒に居て気疲れしない 気の置けない関係を築くのが得意にもなったのだ。

総じて、優駿たちの頂点を目指す重賞レースの最高峰に挑む覚悟が本物であるウマ娘でかつ適度に襟元を緩めるフランクな一面も併せ持つウマ娘との相性が特によく、

逆にプライドの塊のような我の強い居丈高なウマ娘や非の打ち所がなくとも超然とした態度で壁を感じるウマ娘の相手は苦手であり、

そういったおっかないウマ娘に物怖じするぐらいの可愛気のあるウマ娘となら、生まれや立場を超えた生涯の友になることだろう。

 

 

 

三ケ木T(ブラトレ)(6年目:中堅トレーナー)

担当ウマ娘:ナリタブライアン(5年目:契約解除)、シルバークイーンタイム(3年目:シニア級)

 

ウマ娘に求めるもの:もしキミが100歳まで生きるとしたら、ボクは100歳の誕生日を迎える一日前まで生きたい。そうすれば、キミなしで生きなくて済むでしょ?

 

キャラクターイメージ:乙女ゲームの主人公のGOOD ENDのその後 / 夢と現実の落差

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:ナリタブライアン、アグネスデジタル

 

第1位:テイエムオペラオー、ビワハヤヒデ

第2位:エアグルーヴ、フジキセキ

第3位:アグネスタキオン、ゴールドシップ

第4位:シリウスシンボリ、ナカヤマフェスタ

第5位:トウカイテイオー、オグリキャップ

 

本作に登場する女性トレーナーの中では担当ウマ娘:ナリタブライアンによる“クラシック三冠”達成によって一番実績があるわけなのだが、最初の3年間を走り終えた担当ウマ娘:ナリタブライアンのリーグ昇格に対して躊躇してしまったことで擦れ違うことになってしまったエンディング後の乙女ゲームの主人公。

最初の担当ウマ娘:ナリタブライアンとは契約解除せずに出走権となるトレーナーの名義だけを貸して、自身は次の担当ウマ娘:シルバークイーンタイムの育成に取り掛かるものの、G1制覇には届いていない。

はっきり言って、トレーナーとしての才能は名門トレーナー:桐生院 葵と比べれば月とスッポンでしかなく、最難関国家試験に合格した正真正銘のエリートの一人ではあったとしても、そのエリート集団の中の無名の新人トレーナーの一人に過ぎなかった。

ウマ娘に対して強い憧れを持つ夢女子であり、推しのためならトレーナーバッジを捧げる覚悟も辞さないウマ娘オタクであることだけが取り柄の社会人に成り立ての普通の成人女性である。

配属して早々に“クラシック三冠”達成を期待されていた初めての担当ウマ娘のスカウトに成功して見事にシンボリルドルフに続く“クラシック三冠”達成を果たせたのも、主に“天上人”鐘撞Tの書いた脚本の都合による多大なる支援が大きく、

事実、“天上人”鐘撞Tの書いた脚本というのが自身の担当ウマ娘:ビワハヤヒデを主役に据えた『“皇帝”シンボリルドルフに立ち向かう優駿たちのクラシック級』『夢の舞台での史上最強の姉妹対決のシニア級』の2本立てであったため、たまたまビワハヤヒデの実妹であるナリタブライアンの担当トレーナーになれたことが全てであり、

逆に言えば、トレセン学園に入学して早々にレースへの興味を失って自主退学も考えていたナリタブライアンを引き止めて担当契約に持ち込めた三ケ木Tだからこそ、“天上人”鐘撞Tからの支援を受けられたとも言える。

もちろん、鐘撞Tからの多大なる支援があったおかげで無名の新人トレーナーが最初の担当ウマ娘と共に“クラシック三冠”達成の栄光を掴めたわけなので、最大の支援者である“天上人”鐘撞Tが不治の病でトレセン学園から離れていった瞬間に3年目:シニア級から精彩を欠いて馬脚を現すことになったのは言うまでもない。

 

推しのためなら何でもやれる覚悟の夢女子の鑑であるが、自分のことを何の才能も魅力もない普通の人間と思って自信がないのが最大の欠点。

だが、本当に何の才能も魅力もないただの一般トレーナーだとしたら“天上人”鐘撞Tが書いている夢の舞台の脚本から役者交代を命じるわけなので、

実際には、気性の荒い“怪物”ナリタブライアンとの最初の3年間をやり遂げられただけの抜群の管理能力があり、才能がないなりに自分にできることを一生懸命に頑張る姿が非常に健気であることから脚本を書いていた鐘撞Tのお気に入りでもあった。

そして、『恋はダービー』と言うように何の才能も魅力もない人間でしかない自分自身の弱さを完全に忘れて担当ウマ娘の勝利のために奔走している間は『恋する乙女は無敵』を体現しており、自身に向けられた様々な誹謗中傷や批判にもろともしない強靭さを発揮している。

そのため、本質的には自信のなさから卑屈なのだが、担当ウマ娘のためなら自分の弱さを忘れて周囲もあっと驚くような大胆さを発揮するため、その激しい落差から担当ウマ娘の庇護欲を掻き立てるものがあり、そんな彼女と相性のいいウマ娘を集めるとトレセン学園を舞台にした乙女ゲームが出来上がってしまう。

 

なので、これまたウマ娘を選ぶ難儀なトレーナーであり、すぐに頭を切り替えて恋多き罪な女トレーナーとしてその良さを発揮できるだけの尻軽であれば、ナリタブライアンの次のウマ娘に対しても凄まじい熱量を発揮してG1制覇を狙えるのだが、

性質が乙女ゲームの主人公の清純であり、今の担当ウマ娘に対して誠実であろうとするほど、過去の担当ウマ娘との思い出に雁字搦めになってしまうほどに個人の事情にのめり込んでしまう。

そのため、基本的に現在の担当ウマ娘が自分の弱さと過去の担当ウマ娘との思い出を忘れさせるほどに魅力的でないと この女性トレーナーの良さを引き出せないため、燃え上がる恋のようにあっという間に燃え尽きてトレーナー業を廃業してしまうことだろう。

そういう意味では最初の担当ウマ娘と最後まで付き合い通す潔さを貫けなかった時点で迷走するのも当然のことであり、そういった一途で純情な“おもしれー女”に惹かれて独占欲を発揮するウマ娘にはおすすめであるが、自信のなさからくる卑屈さを忘れさせるほどに魅了させないといけないため、非常に“面倒な女”でもある。

そのため、担当ウマ娘の側が担当トレーナーのことを逆に気に掛けて管理できるぐらいに入れ込む必要があるが、その自信のなさを“忘れさせる”のではなく“肯定している”と実力が発揮できないため、決して自分一人で自分自身を顧みさせる時間を与えてはいけないのである。

この点では実力はあるのに気弱なウマ娘を支えるのが得意な飯守Tとはまったくの正反対であり、飯守Tが得意とするウマ娘の担当になる場合は互いに高め合うことができずに一緒にズルズルと坂を転げ落ちていくことになる。

このことから、相性がいいウマ娘は自ずと才色兼備の自信家となるわけであり、担当ウマ娘の側から方向性を示して その方針を徹底することが最適解になるため、ウマ娘レースにそもそも興味がない斎藤Tほどではないにしろ、早熟の天才たちと息を合わせられる担当トレーナーにならないと活躍の場が取れない。

唯一の例外が同じウマ娘オタクのアグネスデジタルであり、互いの自信のなさを反転させることができる相性の良さを発揮することができる同志となる。

 

 

吾妻T(エアトレ)(7年目:大物トレーナー)

担当ウマ娘:エアグルーヴ(6年目:スーパーシニア級)

トレーナーチーム:チーム<デボラ>チーフトレーナー

アオハルチーム:無所属

非公認地球防衛組:チーム<アルフェラッツ>

 

ウマ娘に求めるもの:弱者に従っていくよりも、強者に引っ張ってもらいたい。大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である。

 

キャラクターイメージ:ナチスの理想よりも子供の夢に光を見た闇の住人 / 偽物と本物のちがい

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:エアグルーヴ

 

第1位:--

第2位:--

第3位:--

第4位:--

第5位:--

 

実は、ナチス残党の闇組織『アンシュルス』のスパイであり、エアグルーヴの理想を乗っ取ってナチスの理想を夢の舞台:トレセン学園で実現しようと昼行灯(たわけ)を装って暗躍していたが、

エアグルーヴの担当トレーナーとして 二人三脚で理想のトレセン学園を築き上げる 最初の3年間を過ごすうちに、同期の“天上人”鐘撞Tのパシリにされたり“皇帝の王笏”鈴音Tの担当ウマ娘:シンボリルドルフの理想に感化したりしたことで、ナチスの理想に疑念を抱くようになってしまっていた。

 

つまり、“女帝”エアグルーヴと二人三脚でトレセン学園に打ち立てた偽りの理想がナチスの理想を上回る真の理想郷を創り上げていたのである。

 

基本的にナチス残党の人間だったので当然ながらナチスの思想が根付いているため、大衆に対しては非常に冷めた視線で見ており、ファンの声援も偉大なる指導者に支配されたがっている隷従の声にしか聞こえていない。

昼行灯を装っているが、最難関国家試験を余裕で合格してトレーナーバッジを身につけるほどの極めて高い能力を有しており、ナチス仕込の大衆扇動のプロパガンダ術を遺憾なく発揮して やや当たりがきつい“女帝”エアグルーヴの威厳を大衆に受け入れやすくもしていた。

実際、配属当初の吾妻Tは人畜無害を装った悪質な全体主義者であり、ウマ娘に対してもアーリア人人種論に基づいてアーリア人に支配されるべき下等生物と見なしており、その辺りは近代ウマ娘レースの起源が王侯貴族の娯楽であることを理解している鐘撞Tと似た価値観だったために、決してそのことを口にしたことはないが鐘撞Tから興味を持たれる要因ともなっていた。

特筆すべきはチームトレーナーとしてチームを団結させる手腕であり、ナチスの集団行動による洗脳術を取り入れているので、“女帝”エアグルーヴをリーダーにしたチーム<デボラ>は非常に規律正しく統率がとれていると専らの評判であり、どんな跳ねっ返りのウマ娘もチーム<デボラ>に所属すれば礼儀正しい淑女に生まれ変われるとして“女帝”エアグルーヴのファンが続々とチーム入りを希望するのである。

 

そのため、相性がいいウマ娘ははっきり言ってしまえばナチスの理想を体現するのに好都合な広告塔になれる操り人形ということになり、競走ウマ娘としての才能や人気がありつつ思想面で反感や疑問を持たない無知で従順なウマ娘だと尚良し。

その意味では“女帝”エアグルーヴは人気も実力もあって理想に燃える若者であるが、それはあくまでも日本ウマ娘レース界隈に留まる理想であるため、その枠組から食み出した領分では年相応でしかなく、ナチスの操り人形としては相性最高を超えた働きをする理想の逸材だったわけである。

逆に“皇帝”シンボリルドルフは自身が掲げている理想“全てのウマ娘が幸福になれる世界”に対して実は内心では疑問を抱いているため、その理想を体現することに疑問を持たせないような扇動者の吾妻Tの異質さにすぐに気づくことだろう。

エアグルーヴの同期にはナリタブライアンやフジキセキといった未来のスターウマ娘もいたが、いずれも“皇帝”シンボリルドルフを継ぐほどの器ではないと判断していたため、次点の“女帝”エアグルーヴが選ばれている。

 

そんなナチス残党のスパイである彼にとって大きな誤算だったのが、自身の正体に感づいている“天上人”鐘撞Tにパシリにされたせいで注目を集めてしまったため、本性を隠して人畜無害を装った昼行灯(たわけ)を演じ抜く必要が出てきてしまったことである。

そして、その昼行灯(たわけ)ぶりに物申して自室に踏み込んで私生活を管理しだしたのがナチスの広告塔として利用しようとしていた担当ウマ娘:エアグルーヴであり、

エアグルーヴ自身も自分の担当トレーナーが本性を隠していることを間近に接していて何となくだが感じ取っているため、鐘撞Tに正体を疑われた時に“天上人”に匹敵する新進気鋭の新人トレーナーであることよりも昼行灯(たわけ)を演じたことが完全に仇となっている。

そのため、トレーナー室にまで踏み込む吾妻Tとエアグルーヴの関係は浮気の証拠を探し出そうとしているカノジョの追及を躱そうとするカレシの痴話喧嘩のような非常に親密なものが混ざるようになっていき、最終的には肉体関係を持つようにもなっている。

実際に肉体関係を持つようになった原因はエアグルーヴの母親の冗談を真に受けたエアグルーヴが掛かったことにあるが、

他にもシンボリルドルフの担当トレーナー:鈴音Tとビワハヤヒデの担当トレーナー:鐘撞Tが学園から次々いなくなるという身近な人の不幸を間近に見ていたことにあり、

自身を“女帝”へと導いてくれた昼行灯(たわけ)もまた自分の側からいなくなってしまうのではないかという不安感が後押しし、担当ウマ娘に押し倒されるというまさかの展開にナチス残党のスパイもヒトはウマ娘に勝てない真理をわからされることになってしまう。

しかし、ナチスの理想のためにウマ娘を利用することしか考えていなかったはずの吾妻Tはヒトはウマ娘に勝てないことをわからされて遠大な計画が絶頂と共に破綻したことで全てがどうでもよくなった時、

初めてナチス残党のスパイとしての自分ではない自身の素直な感情に気づくことになり、同時に担当ウマ娘と一緒に築き上げたトレセン学園の黄金期の素晴らしさにも気づくことになったのである。

そのため、嘘で塗り固められた自分のことをここまで愛してくれた かけがえのない人の未来のために、間違った理想でしかない妄執からの決別を決意することになった。

 

そういった事情から“門外漢”斎藤T以上にトレセン学園に居てはいけない危険人物であるため、根本的に相性がいいウマ娘というのは存在しない。

ナチスのプロパガンダ術を駆使すれば肉体的にはアーリア人を超越しても精神的には未熟でしかない年頃のウマ娘などどうとでも操れるわけであり、ナチスの理想のための目的を果たせたのなら戦績など関係ないのだ。

担当ウマ娘と言えども、ナチスのプロパガンダのために選ばれたアーリア人に奉仕するべき下等生物の従僕という扱いのため、そこから改心させることは並大抵のことではできないものである。

だが、“女帝”エアグルーヴの厳しさの裏にある溢れんばかりの愛情によってナチスの妄執を吹き払うことができたわけであり、青臭い理想を追い続ける姿を側でずっと見続けていたおかげで、理想を叶えることがどういうことなのかを見つめ直した時、忌まわしい妄執から解放されることになったのである。

また、“女帝”エアグルーヴの担当トレーナーとしての実績以上にチームトレーナーとしては黄金期に目立ち始めたG1勝利を掴んだ若手トレーナーの中ではトップクラスの育成実績を持っているため、良い意味でも悪い意味でもウマ娘を均一に育て上げることに関しては右に出る者がいない。

一方で、チーム<デボラ>の一員にさえなれればG1レースでの好走は約束されたも同然であるが、最初の担当ウマ娘:エアグルーヴほどの情熱を捧げようとは絶対にしない。

そのため、チーム<デボラ>のチームメイトとしてG1レースで好走するだけの箔が欲しいだけなら非常におすすめのトレーナーであるが、エアグルーヴの戦績に比べて一段劣る量産品のように扱われていることに気づいてしまったら破滅しかない。

 

 

 

鐘撞(かねつき)・ピースベル・ 頼利(よりとし)(7年目:出戻りトレーナー)

担当ウマ娘:ビワハヤヒデ(3年目:契約解除)、アグネスデジタル(1年目:ジュニア級)

トレーナーチーム:無所属

アオハルチーム:チーム<コロンビア>

非公認地球防衛組:チーム<アルフェラッツ>

 

ウマ娘に求めるもの:ウマ娘レースというのは本来もっと高級な遊びだからきれいにしなくちゃいけない。

 

キャラクターイメージ:おもしろいかどうかが全ての天上の存在 / 夢の舞台の最高の演出家

 

★★★ウマ娘相性ランキング★★★

 

殿堂入り:ビワハヤヒデ&ナリタブライアン

 

第1位:スマートファルコン、アグネスデジタル

第2位:シンボリルドルフ&ミスターシービー

第3位:ゴールドシップ、スイープトウショウ、ファインモーション

第4位:メジロドーベル、タイキシャトル

第5位:ウオッカ&ダイワスカーレット

 

ナチス残党の闇組織『アンシュルス』にウマ娘への人体改造実験を施された結果の現在のピースベルT;黄金期の三巨頭の一人としてブイブイいわせていた全盛期の頃の鐘撞Tとは鮮烈な人生経験の末に人格の変化はあったものの、

基本的には有馬一族の御曹司たる“天上人”鐘撞Tが近代ウマ娘レースの原点であるヨーロッパ発祥の王侯貴族の娯楽として求める 手に汗握る熱いレースや青春ドラマを期待できる“おもしれー女”であるウマ娘が選ばれやすい。

そのため、彼のスカウトは名門中の名門トレーナーである己の出自を鼻にかけずに気さくにウマ娘に話しかけて、どういう目的でトレセン学園に来たのか、周囲の人間関係やレースに懸ける情熱や夢などを深く聴き込むところから始まる。

ウマ娘たちは自分の込み入った事情まで深く知ろうとする有馬一族の御曹司に信頼と親近感を植え付けられることになり、その時点で仕込みは完了で、あとは自分が見込んだウマ娘を自由にスカウトできるわけなのだ。

しかし、その程度で簡単に靡くようなウマ娘は人生そのものが薄っぺらいものだと誘っておいて一方的に軽蔑するのが有馬一族の御曹司:鐘撞Tが“天上人”たる所以であり、

ウマ娘レースに求めているものが自身に誉れをもたらすウマ娘そのものではなく、王侯貴族の余興として楽しめるレースやドラマが展開できるかどうかであり、そのために周囲の人間関係や夢の舞台にやってきた背景まで知り尽くして、ターフの上で演じさせることになる戯曲の台本を頭の中でひとりでに書き上げているわけなのだ。

それがウマ娘レースで活躍するスターウマ娘など所詮は王侯貴族をもてなすために存在している踊り子に過ぎないと思っている有馬一族の御曹司の本性である。

困ったことに名門中の名門である有馬一族の御曹司のトレーナーとしての手腕はまさしく“天上人”に称えられるだけのものがあり、やることなすこと全てがまるで自分こそが法であるかのように結果が自動的についてくるわけなので、別け隔てなく誰とでも接してくれる“天上人”の威光の裏に潜む傲慢な性根を見通して正せるものはまずいない。

 

こうして“天上人”鐘撞Tの相性ランキングを見ると、実はかなり“門外漢”斎藤Tと顔ぶれが似通っていることに気づく。

実際、ウマ娘をウマ娘レースで勝たせるべき立場のトレーナーでありながら、ウマ娘レースの勝敗そのものにはまったく興味がなく、担当ウマ娘を選ぶ一番の基準が“勝てるウマ娘かどうか”よりも“自身の欲するものを満たしてくれる存在なのかどうか”――――――。

要は、“門外漢”斎藤Tと“天上人”鐘撞Tの興味を刺激するほどキャラが濃いウマ娘は総生徒数2000名以上のトレセン学園でも非常に限られてくるわけであり、そんな“門外漢”と“天上人”の興味を引くほどのウマ娘となれば間違いなく只者ではないことは保証されている。

ただ、ウマ娘に求めるものが互いに“強い興味”に突き動かされていても、“門外漢”斎藤Tが求める興味(interersting)とはウマ娘の神秘や世界の真相といった識ることの喜びであるのに対し、

“天上人”鐘撞Tが求める興味(enjoyable)とは王侯貴族の娯楽となる手に汗握る熱いレースや青春ドラマの感動のことを指すため、似通った結果だが実はまったくちがった趣向で相性が決まっていることがわかる。

そのため、本質的には自分が面白おかしく楽しめるように組んだレースやドラマの脚本に沿って配役となるレースに出走するウマ娘たちの状況や有り様を巧妙に意のままに操作し、自分が書いた脚本通りに観客たちが感動したことに悦に入ることをやりがいにトレーナーをしているため、実は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()名門中の名門トレーナーの顔を持つ。

 

 

 

 

●樫本 理子

担当ウマ娘:リトルココン(1年目:ジュニア級)、ビターグラッセ(1年目:ジュニア級)

アオハルチーム:チーム<ファースト>チーフトレーナー

 

 

 

目久美 辰五郎(めぐみ たつごろう)(1年目:新人トレーナー)

担当ウマ娘:キタサンブラック(1年目:ジュニア級)

アオハルチーム:チーム<エンタープライズ>

 

 

瀬川 或斗(せがわ あると)(1年目:新人トレーナー)

担当ウマ娘:サトノダイヤモンド(1年目:ジュニア級)

アオハルチーム:チーム<エンタープライズ>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
実際、運命の相手(殿堂入り)ではなくとも実績を残しているトレーナーは多数いる。

*2
同順位に何人も入っている場合は、個人個人の性質よりもその順位に入った全員に共通する性質によるところが大きい。

*3
顧問に非ず;トレセン学園のクラブ活動の顧問になれるのはトレセン学園の教員または教官



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第1部 夏季:メガドリームサポーターの偶像たち -絶望の未来を変える布石を打て-
第1話   夏の上がりウマのごとく 昇り立つ陽炎のごとく 舞い上がれ


 

-西暦20XY年07月07日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

――――――夏がやってきた。G1レースとそれ以外をわけるウマ娘とトレーナーの二人三脚の分岐点となる季節が。

 

重賞レースの最高峰であるG1レースが猛暑を避けて一切組まれない中央競バ『トゥインクル・シリーズ』における夏競バの厳密な定義は存在しないが、

 

一般的には6月の春の最強マイラー決定戦『安田記念』から翌週の函館競バ場、あるいはシーズン前半の最強決定戦『宝塚記念』終了後の10ある中央競バの競バ場の内の主要4場に数えられない福島・新潟・小倉・札幌・函館のローカル開催場での9月初頭までのレースが夏競バと言われる。

 

一般に夏競バはウマ娘レースの華であるG1レースがないのに一定の人気を保っているのは、公営競技として()()()レースとして非常に盛り上がるものだかららしい。

 

第一に、猛暑のためにG1レースが全く組まれない夏競バにはG1制覇を目指す有力バたちが参戦することなく、秋のG1シーズンに向けて休養に専念することになる。休養と言ってもトレセン学園の生徒ならば夏合宿に行っていることがほとんどである。

 

第二に、秋のG1レースに参戦するために少しでも賞金を稼いで出走条件を満たしたいOPウマ娘が次々に参戦するため、実力こそはG1優勝を狙えるような有力バには及ばないものの、それだけに抜きん出た実力差が生まれないため、公営競技の興行として勝敗の予想がつかないところがある。

 

第三に、6月から解禁される新バ戦(メイクデビュー)が夏競バの時期にもやるため、未来のスターウマ娘の初陣を見届けるべく 重賞レースよりも新バ戦(メイクデビュー)に観客が集中する時期でもあり、新バ戦(メイクデビュー)にしても当然ながら初出走のために予想材料が少ないことから勝敗の予想がつかないわけで、『名家』のウマ娘というだけで期待していたらノーマークだった無名のウマ娘に差されることも度々あるのだ。

 

第四に、滞在競バという夏合宿をしながら現地の競バ場に密着したトレーニングを積む夏競バ独自の戦略があり、トレセン学園で言うなら関西の拠点となる京都分校、九州では旧宮崎競バ場跡の宮崎分校、東北は磐城分校、北海道なら日高分校に合宿遠征しながら夏競バに現地参戦するというものである。元から春秋のG1レースに出走するような強豪バには縁がないやり方だが、確実に夏競バで勝って秋のレースにも出たいという担当トレーナーと担当ウマ娘の強い絆が想像もつかない未来を切り拓くこともあり、これが非常に侮れないというのだ。

 

つまり、夏競バというものは重賞レースの最高峰であるG1レースほど注目されていないことから、世代の中心になれなかった2軍3軍という扱いの出走ウマ娘たちの間にある実力差が正確に分析されていないため、公営競技の興行としては非常に好ましい勝敗の予想がつかない手に汗握るレースが夏場の炎天下に展開されるというわけである。

 

 

余談だが、気づいているだろうか。主要なG1レースが開催される主要4場に数えられず、夏競バの舞台であるローカル開催場にも含まれていないという異質な中京競バ場のことを。

 

定義から言えば、G1レースは主要4場だけで開催されていたものであり、中京競バ場のG1レース『高松宮記念(中京大賞典)』は1996年にG1昇格を果たしたものであり、同じくG1レース『チャンピオンズカップ(ジャパンカップダート)』は2000年に創設された歴史的に新しいものである。

 

なので、主要4場に数えられないものは全てローカル開催場の扱いであり、G1レースが最初はなかった中京競バ場はローカル開催場なのである。

 

だが、西京(京都)と東京の間にある中京/名古屋こそが世界の中心と叫ぶ名古屋の人たちがそんなことを素直に聞き入れるはずもない――――――。

 

だからこそ、その見栄っ張りな名誉欲を刺激することで、大半の名古屋のウマ娘レースファンを夏越の大祓に託けたアグネスタキオンの雷鳴のメイクデビューの祝勝会 兼 この“斎藤 展望”の誕生日祝に招いて大盤振る舞いしてもてなすことで圧倒的な支持を取り付けることに成功したのが、中京競バ場を結び目とする中京茅の輪くぐりの成果でもあった。

 

 

さて、ここからが本題であり、夏というウマ娘レースのオフシーズンにおいてトレーナーたちは大きな分岐点を迎えることになる。

 

先に述べた通り、自分の担当ウマ娘が一生に一度しかない2年目:クラシック級のG1レースでの勝利に望みをかけられるかどうかで夏競バの開催される猛暑の季節のローテーションが大きく左右される。

 

6月から解禁となる『新バ戦(メイクデビュー)』を終えたばかりの1年目:ジュニア級のウマ娘に間髪入れず夏競バに参戦させることは極めて稀で、あるにしても1年目:ジュニア級の重賞レースには中・長距離がないのでクラシック路線を目指す場合は本当に縁がない。なんならダートもない。

 

そのため、1年目:ジュニア級のウマ娘にとっては余程の物好きでもない限りは夏競バに出走する選択肢はなく、素直に秋のジュニア級G1レースで好走して世代の中心になるべく鍛錬に励むべきだろう。

 

しかし、一生に一度しかない2年目:クラシック級においては夏は極めて重要な時期であり、一夏を越して急激に力をつける“夏の上がりウマ”の存在が秋からのスターダムを駆け上がることが往々にして見られたのだ。

 

この“夏の上がりウマ”の存在が2年目:クラシック級の秋競バを最高に盛り上げる要因になるわけであり、たとえ『皐月賞』も『日本ダービー』も取れなくても『菊花賞』だけでも獲ってやると春で夢を諦めずに秋に再挑戦することができるのだ。

 

 

――――――なぜ“夏の上がりウマ”というものが生まれるのだろうか?

 

 

もちろん、“本格化”の時期が重なった偶然の産物である可能性は高いが、科学的な立証がなされていない迷信の類のものが実在するかどうかを担当ウマ娘:アグネスタキオンの確実な勝利のためにこの目で確かめておく必要があった。

 

なので、1年目:ジュニア級のアグネスタキオンの夏はセオリー通りにトレセン学園でおとなしく過ごしているわけにもいかなくなったのだ。

 

また、公式戦『トゥインクル・シリーズ』と同時並行して開催される非公式戦『アオハル杯』で樫本代理が率いるチーム<ファースト>が優勝すれば、自由で開放的な校風だった黄金期に築かれたトレセン学園の日常が徹底管理主義の下に失われるため、打倒チーム<ファースト>を掲げてアオハルチームでの合宿遠征も敢行されることになったのだ。

 

これにより、担当契約を結んでトレーナーチームに参加しているウマ娘にしか合宿遠征の許可が取れなかったために、炎天下のトレセン学園で黙々と走り込みをするしかなかった数多くのヒマ娘たちもアオハルチームに参加しての初めての合宿遠征に心を躍らせることになった。

 

となると、よく考えずに公式戦『トゥインクル・シリーズ』と非公式戦『アオハル杯』に二足の草鞋で出走しようとしている今年の新入生が大半を占める1年目:ジュニア級のウマ娘も積極的に夏合宿に参加するようになるはずなのだ。

 

だが、4年間の忍耐の時を重ねて全盛期のトウカイテイオーと比べられるほどの初期能力を蓄えたアグネスタキオンという唯一無二の例外はともかく、トレセン学園の1年を経験していない新入生がいきなり夏合宿に参加しても効果があるのかは甚だ疑問である。

 

というのも、トレセン学園の新入生はまず教官から芝を買う金がないからダートになっている地方競バ『ローカル・シリーズ』とはまったくちがう中央競バ『トゥインクル・シリーズ』を夢の舞台に至らしめている最高品質のターフでの走り方を教わるわけで、

 

そこから教官の集団指導で中央での走り方の基本を押さえたところで『選抜レース』で実力を示し、担当契約を結んだ担当トレーナーからの個人の適性に沿った専属指導によってメキメキと実力を伸ばしていくものである。

 

問題なのは担当契約を結んだウマ娘が集まって担当トレーナーが責任持って管理しているトレーナーチームなら夏合宿に向けたトレーニング表の全員分を事前に作成しているわけだが、

 

入学生ばかりでトレーナーのお眼鏡に適ったわけでもないアオハルチームの夏合宿の場合は夏競バと同じで判断材料が何もなくて適切な指導がやりようがないのだ。

 

しかも、中央での走り方の基本を押さえずに最初に夏合宿という特殊な環境でのトレーニングを第一印象として強烈に身体に刻んでしまうと、逆にホームグラウンドであるはずのトレセン学園でのトレーニングに違和感を覚え続けてしまうのではないだろうか。

 

いや、そもそもとして、アオハルチームに参加しているウマ娘の面倒を見る義務は担当契約を結んでいない担当トレーナーにはないため、アオハルチームに参加しているトレーナーのいったい誰にアオハルチームに参加しているだけの()()()()()()()()ウマ娘の監督責任があるというのか――――――。

 

自分がこれはと見込んで担当契約を結んだ一人を勝たせるだけでも血反吐を吐く思いをしているのが中央のトレーナーであり、大切な“最初の3年間”を終えたら次の担当ウマ娘との契約を結んでトレーナーチームを形成していくことになって責任や負担が跳ね上がっていくのに、この上は非公式戦のチームメンバーの面倒まで見ていられるか――――――。

 

 

――――――秋川理事長が復活させたばかりの異例のチーム対抗戦『アオハル杯』は早速だが夏日照りに反して暗雲が立ち込めていた。いや、荒れようとしている。

 

 


 

 

――――――福島競バ場:11R『七夕賞』

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

アグネスタキオン「ふぅン。『七夕賞』『オールカマー』の連勝で燃え尽きたとされる大逃げのツインターボくんが『七夕賞』を再び制覇かい」

 

斎藤T「周りにいるのがG1レースを何勝もしているのが当たり前の超一流ばかりで感覚が鈍っていたが、ツインターボのように夏場も走り続けてようやく重賞レースに勝つのが大半だったんだな……」

 

岡田T「ええ。『七夕賞』『オールカマー』と重賞レースを連勝できただけでも大いに持て囃されるものです」

 

岡田T「その中でもツインターボがトウカイテイオーと並ぶ『トゥインクル・シリーズ』のアイドルホースとして人気者になれたのは、評論家が“悲壮感なき玉砕”と評した逆噴射した瞬間にツインターボのバ券を握っていた者も握っていない者も大声で笑う――――――」

 

 

――――――こんなウマ娘、他に誰がいるか。いない。ツインターボだけだ。

 

 

岡田T「重賞レースの最高峰であるG1レースこそ勝っていないが、『こういうウマ娘がいないと競バは楽しくないよね』と思わせる その潔い負けぶりからファンの支持を集めておりますな」

 

斎藤T「勝つか負けるかの勝負の世界で一種の清涼剤となっているわけか……」

 

岡田T「どうです? 俺の担当ウマ娘:トウカイテイオーの世代、つまり本当ならあなたと同世代になるはずだったライバルたちの在り方は?」

 

岡田T「勝つだけがウマ娘レースの人気の全てじゃないわけです。そうじゃなかったら、去年の『有馬記念』に人気投票でツインターボが選ばれるわけもない」

 

斎藤T「なるほど。福島競バ場は『ラジオたんぱ賞』『七夕賞』とツインターボが重賞2勝を上げた地であり、『福島の逃げウマといえばツインターボ』という風にウマ娘レースの歴史に刻まれたわけですか」

 

アグネスタキオン「そして、今日この日に再び『七夕賞』制覇によって、福島競バ場がもっとも暑い夏をまた迎えたわけだねぇ」

 

 

岡田T「今一度この場で確認しますが、目標は“クラシック八冠ウマ娘”ということで、“トリプルクラウン”“トリプルティアラ”“春秋グランプリ”を全て獲得するということで間違いないですか?」

 

 

アグネスタキオン「ああ。限りなく理論値に近づかなければ、私が目指すウマ娘の可能性の“果て”には辿り着かないだろうからさ」

 

斎藤T「いや、正確にはWUMA襲来の()()()()()を回避するタイムパラドックスを引き起こすために、()()()()()に繋がるウマ娘レース史には存在しない重賞レースをでっち上げることができればいい」

 

斎藤T「つまり、重賞レース『シンボリルドルフ記念』が創設されることを目標にしているのであって、私の担当ウマ娘が勝とうが負けようが関係ない」

 

斎藤T「重要なのはヒトとウマ娘が共生する世界がこれからも存続できるかどうかだ。それさえ果たせれば私から望むものはないです」

 

岡田T「……責任重大ですな。まさか公営競技のウマ娘レースで人類の未来が懸かってくるとは」

 

岡田T「けれども、俺もテイオーも去年の『ジャパンカップ』にWUMAに“成り代わり”された当事者なだけに、その脅威はよく理解していますし、決して許せるものではありません」

 

岡田T「いえ、斎藤Tに救われた命ですから、“クラシック八冠ウマ娘”という“私だけのシンボリルドルフ”でも果たせなかったような前人未到の壮大な夢の実現を命を懸けることに、何の躊躇いもありません」

 

斎藤T「ええ。よろしくお頼みしますよ、“帝王の太刀”」

 

 

岡田T「となると、どうしましょうか? 年末の『ホープフルステークス』まで半年はありますが?」

 

 

斎藤T「……難しいところですが、可能な限りの想定をしておいてください。まあ、気休め程度に」

 

岡田T「……そうですな。まさか私とテイオーの偽物が現れて『ジャパンカップ』で好走するだなんて思いもよらないことが起きて、その偽物を本物が打ち破って『有馬記念』で3度目の復活を果たすだなんてこと、誰にも予想がつかないことです」

 

アグネスタキオン「まあ、そうだろうねぇ。けど、その方が退屈しないで済むだろう」

 

岡田T「他人事のように言って……」

 

岡田T「まあ、史上初の“春シニア三冠”の優等生と組んで『アオハル杯』優勝も目指すことになった和田Tと比べたら、たった一人の担当ウマ娘の不可能への挑戦に頭を抱えるだけでいいのだから、まだマシか……」

 

 

斎藤T「ともかく、“不滅の帝王”として返り咲いた“悲運の天才”トウカイテイオーのように3年目も4年目もない以上、トウカイテイオーの轍を踏まないように今のうちに勝運を蓄えておく必要があります」

 

 

岡田T「――――――テイオーが“無敵の三冠ウマ娘”になれなかった理由か」

 

斎藤T「なることもできたけれども、なるために必要なものが欠けていたわけで、それが補われたことで『有馬記念』での奇跡の復活劇で永遠に人々の記憶の残る“不滅の帝王”になれたわけです」

 

岡田T「それがアイドルホースとして国民的人気を博す一方で、他者を顧みない傲慢さから足をすくわれることになったわけですな……」

 

斎藤T「そればかりは本当に日常生活での日頃の行いや心の向け方の報いだから、トレーナーが踏み込める領域ではないのですが、全ては善因善果・悪因悪果・因果応報なのです」

 

岡田T「そして、“ヒトとウマ娘の統合の象徴”として“全てのウマ娘が幸福でいられる世界”を願って走ってきたシンボリルドルフとの決定的な差ですな……」

 

アグネスタキオン「それじゃあ、学園一危険なウマ娘として学園中から厄介者扱いされていたこの私はいったいどれほどの天罰が下るのだろうねぇ?」クククッ

 

斎藤T「いや、4年間ずっと実験室に閉じ籠もっていたわけだから、入学当初に悪名を轟かせることになった悪行の報いは周囲から嫌悪の眼差しを向けられ 段々と忘れ去られていく 孤独に耐える日々で晴らされている。そこまで問題にはなっていない」

 

斎藤T「――――――だから、その頃に出会えたんだろう?

 

アグネスタキオン「……トレーナーくん」

 

岡田T「そう考えると、テイオーも同じことだったんだな……

 

斎藤T「今の状態のままなら、これまでの学外イベントで頑張って愛想よくした地道なファンサービスのおかげで“無敵の三冠ウマ娘”ぐらいにはなれるだけの運気は間違いなくあるから、そこまで怯える必要はない」

 

アグネスタキオン「へえ、そういうものかい。なら、“待つこと”を選んだのはホントに正解だったみたいだねぇ」

 

岡田T「いいなぁ。そういうのがわかっていたら、テイオーに苦しい思いをさせずに『菊花賞』も『ジャパンカップ』も『有馬記念』も勝たせてやれたのにな……」

 

斎藤T「いや、よくないですから。目標となる“クラシック八冠ウマ娘”になるには“トリプルクラウン”だけじゃなく“トリプルティアラ”と“春秋グランプリウマ娘”になる勝運に加えて、テイエムオペラオーのように年間無敗全力阻止包囲網を打破することに加えて、史上初の『宝塚記念』のクラシック制覇も必要で、全然 目標に足りてないですから、運」

 

斎藤T「特に、初めての壁を超える偉業を成し遂げた初代の功績に次代が並ぶためには初代の3倍の偉業を成し遂げる必要がある」

 

斎藤T「実際、シンボリルドルフが果たした“無敗の三冠”なんてものは実現された後はみんなが不可能だと思う意識の壁が破壊されているから、その翌年から“無敗の三冠”に並びかける名バが次々と後に出てきていることから明らかでしょう」

 

アグネスタキオン「裏返すと、初めての事を成し遂げるためにはそれだけの運と努力と実力が必要だと。初めてのことが成し遂げられた後はその要求が1/3ぐらいにまで下げられるわけだね」

 

斎藤T「だから、とにかく善行を積んで勝運を限界まで蓄えないといけないんですよ、これが」

 

岡田T「え、どうするんです、となると? 年末の『ホープフルステークス』まで“クラシック八冠ウマ娘”になれるほどの善行を重ねていくんですか? どうやって?」

 

アグネスタキオン「いったいどんな善行をしていけば そこまでに達するのか まったく想像がつかないねぇ」

 

 

斎藤T「いやいや、何を言っているのですか? これから 山程 問題が噴出することになるんですよ、これが!」

 

 

斎藤T「何のために私が WUMAやら妖怪やら改造人間やらテロリストやら機械生命体やらいろいろ 命がいくつあっても足りない戦いを人知れずやらされているかがわかりますか?」

 

斎藤T「全ては()()()()()を変えるタイムパラドックスのために陰徳を積まされているのであって、決して“クラシック三冠”程度のことを叶える陽徳を積むために三女神に使われているわけじゃないんです!」

 

斎藤T「最小限の努力で最大限の効果を得るのが至上ならば、タバコの不始末を見つけて灰皿スタンドに入れた通行人と、タバコから火が燃え移って火事になったのを消火した消防士のどちらが神の目から見て点数が高いかですよ」

 

斎藤T「これが担当トレーナーである私が誰にも褒められることのない孤独の戦いに身を投じて陰徳を積む意味で、ありがとうを言われてチヤホヤされることで徳分を無駄に消費するわけにはいかないんです」

 

斎藤T「けれども、人々の思いが場の空気を作り、雰囲気を作り、世論を作り、風潮を作り、霊界を作って現実世界を現し世として動かす以上は活動を認知してもらって 賛同者を集めて 1つの目標に向かって同じ願いを集めることも重要で、そのためには『勝って当然』『勝って欲しい』『勝ってもらいたい』と多くの人に思われる支持率を集めることも顕幽一致で必要になってくるんだ」

 

斎藤T「だから、表立ってアグネスタキオンの名前で善行を積み重ねて陽徳を蓄えていくことも計画の内なんです!」

 

斎藤T「さあ、来年のために種を蒔こう!」

 

 

――――――担当トレーナーの私は陰徳を積む裏方、担当ウマ娘のあなたは陽徳を立てる主役。表舞台も裏舞台も制覇していくのが、この夏から始まるたった1年半だけの本当の戦いだ。

 

 

先週 6月30日の“斎藤 展望”の誕生日、雷鳴のメイクデビュー、中京茅の輪くぐりにおいて、わざわざ時間跳躍してまで『メイクデビュー福島』を観戦することになった福島競バ場――――――。

 

今、私たちは改めて福島競バ場に訪れ、トウカイテイオーの同世代として今も走り続けて重賞レース『七夕賞』を“みちのくの逃亡者”ツインターボが再び勝利する瞬間を目撃することになった。

 

ツインターボはその二つ名の通り“異次元の逃亡者”サイレンススズカと同じ大逃げで有名なウマ娘で、サイレンススズカのようにG1勝利は記録していないものの、最初から最後まで全力疾走で 勝つ時は逃げ切り圧勝か、さもなければ失速惨敗というレース振りから、俗に「玉砕型」と呼ばれるタイプの逃げウマの象徴的な存在となっていた。

 

もちろん、夏競バに参戦せざるを得ないことを踏まえても世代の中心だった“天才”トウカイテイオーとは能力差は歴然としているわけだが、そんな単純バカに思えるツインターボの真似をすれば重賞レースで勝てるのならみんなそうするだろうに、それに続く逃げウマが未だに現れていないことがツインターボの非凡さを鮮明に物語っている。

 

そもそもとして、中央競バの重賞を獲得できるのは上位2%以下。そこから重賞3勝ともなれば1%以下の存在であり、重賞レースを1つ勝つだけでも十分に選ばれし者なのだ。それだけに重賞勝利がいったいどれだけのウマ娘が手を伸ばして掴むことのできない輝かしい栄光なのかを軽く考えすぎていた。

 

だから、ツインターボ程度の実力のウマ娘が福島競バ場で地元のヒーローのような扱いを受けていることに衝撃を受けるトレセン学園の人間は珍しくなく、重賞レースの最高峰でなくとも重賞の1つ1つが極めて価値のあるものなのを再認識させることになった。

 

そう、夏競バはG1制覇を狙えない2軍3軍扱いの底辺のウマ娘が出るものだと思われがちだが、G3レース『七夕賞』でさえも1着賞金:4300万円なのだから、それと比べたらクイズ番組の最高賞金:1000万円で億万長者になろうなどと片腹痛いものにしか思えなくなる。

 

なので、主要4場での観戦が難しい人たちにとっては地元のローカル開催場での夏競バは十分に中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の魅力を日本各地に伝える役割を果たしており、むしろ日本のスポーツ大会は夏こそ最高潮を迎えるため、春や秋に日本一を決める重賞レースがそれぞれ開催されるのは違和感があるのだとか。

 

そう感じるのも無理はなく、競バのシーズンは世界共通の新年の1月から始まって12月で締めくくるものになっているのだから、一般的なスポーツ大会のローテーションとはまったくちがう時間の流れとなっている。

 

その一方で、上位リーグ『ドリームトロフィーリーグ』は夏と冬の開催であり、G1レースの開催がほとんどないオフシーズンの夏競バと冬競バと連動して年間のウマ娘レースを盛り上げ続ける番組作りが凝らされているわけである。

 

今回のツインターボの『七夕賞』観戦はメイクデビューを果たした担当ウマ娘:アグネスタキオンにトウカイテイオーの同世代にはツインターボというアイドルホースがいたことを目の当たりにするためであり、同時にこういった形で名バとして人々の記憶に残る方法もあるのだと教えてくれていた。

 

同じウマ娘レースで人気者であるG1:4勝のトウカイテイオーとG1未勝利のツインターボの在り方のちがいを踏まえて、『トゥインクル・シリーズ』に参戦を果たしたアグネスタキオンが目指す“クラッシック八冠ウマ娘”の在り方に選択肢を岡田Tが提示しているわけでもあり、同時にトウカイテイオーやツインターボのようにはなれないことも痛感させられるわけである。

 

その道は前人未到の道なき道であり、その道を切り拓く一番手の名誉を与るためには切り拓いた道に続く者が現れないといけないため、正しく評価できるようにわかりやすく手柄を立てるべきなのだ。さもなければ、誰の許可も得ずに勝手に道を作り出した違反者として罰せられて功績は無に帰す。

 

 

しかし、()()()()()を変えるタイムパラドックスのための“クラシック八冠ウマ娘”という不可能への挑戦でしかない道なき道であろうとも、これまでの1年間で体験してきた出来事を振り返れば、それは決してその先には新天地など最初からない虚無への道程ではないことを信じることができるだろう。

 

 

そう、必要な時に必要なものを必要なだけ用意するのが、最小限の努力で最大限の成果を生み出す神の一手であることを何度もわからされてきたのなら、天網恢恢疎にして漏らさず、これまでの1年間の駆け抜けるような壮絶な日々の中に道なき道を切り拓くためのヒントになるものは手繰り寄せられるのだ。

 

当時の常識では不可能だと思われていたことなんてものは 今日に至るまでの歴史においては数えきれないほどに無限に打ち破られて 文明は次の段階へと刻一刻と進化していっていることを顧みるがいい。

 

そもそも、“皇帝”シンボリルドルフが導いたトレセン学園黄金期が何故に“黄金期”と称えられるのかと言えば、これまでの中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の常識ではあり得ないような奇跡と呼べる記録更新や語り継ぐべき名勝負が生まれ続けてきたからなのだ。

 

そのことを肝に銘じれば、“クラシック八冠ウマ娘”なんてものもいずれは必ず達成されるものでしかなく、黄金期を迎えてG1勝利を当たり前のように積み上げていく天才の中の天才が次々と夢の舞台を盛り上げていくのは時代の流れの必然だと“私”は確信を持って言える。

 

なぜならば、23世紀の宇宙時代にはある1つの分野に精通しただけの天才(スペシャリスト)などは大した存在ではなくなり、いくつもの分野で功績を上げる天才(ジェネラリスト)が数えきれないほど存在して手を取り合い、文明の進歩が加速度的に進む時代に生まれたのが 世紀の大天才たる この“私”なのだから! “私”は人類史の進化の生き証人なのだ!

 

 

 

――――――トレセン学園

 

 

ソラシンボリ「へえ、夏合宿が解禁されて1週間で随分と人がいなくなったもんだね、トレセン学園も」

 

和田T「合宿遠征は担当トレーナーと契約した担当ウマ娘だけのトレーナーチームだけが許可されていましたが、『アオハル杯』復活に当たってトレーナーチームのチーフトレーナーが同行することによってアオハルチームも合宿遠征できるようになったわけで、」

 

和田T「たしかに今の感じの静けさは例年にはないものです。『春のファン大感謝祭』閉幕からのスカウト解禁から『春の選抜レース』までレーストラックに誰もが駆け込んで最高に盛り上がっていた頃と比べれば雲泥の差」

 

ソラシンボリ「じゃあ、トレーナーチームのチーフトレーナーを引き込めなかったアオハルチームは指を咥えて他のチームが合宿遠征に行くのを見ている他ないわけだね」

 

和田T「とは言え、このトレセン学園が国内最高峰のトレーニング環境を完備しているわけですから、合宿遠征に行かずに普段通りの学内でのトレーニングを一貫するのも1つの戦略です」

 

ソラシンボリ「そうだろうね。夏合宿とは別に夏休みもあるわけだから、いつも人で溢れ返っていたトレセン学園でのトレーニングに集中しやすくなるだろうね」

 

ソラシンボリ「まあ、担当契約を掴み取っていないウマ娘や次の担当ウマ娘をどうするかを考えているトレーナーとの出会いの場を提供する目的の『アオハル杯』だから、それでスカウトが増えれば学園側としては万々歳だろうけど、」

 

ソラシンボリ「相変わらず、担当ウマ娘を勝たせる義務がある担当トレーナーの負担のことは考えてはくれないよね、体制側は」

 

ソラシンボリ「トレーナーチームが連合してできたアオハルチームならさ、チームメンバーのウマ娘の監督責任は元々の担当トレーナーが面倒を見ているからいいけれど、そうじゃない数合わせの()()()()()()()()ウマ娘の面倒は誰が最後まで見るんだろうね?」

 

和田T「……俺をアオハルチーム<エンデバー>のチーフトレーナーに据えた張本人が言うか、それ?」

 

ソラシンボリ「けど、『アオハル杯』は 5部門 3人ずつの異例のチーム対抗戦だから、基本的にアオハルチームは15人以上 最大で30人までの大所帯になるわけだから、たった1人のトレーナーに管理しきれるわけもないよね?」

 

和田T「ああ。だから、アオハルチームのトレーニングレベルによって学園の国内最高峰のトレーニング環境の優先権というメリットを提示して、トレーナーチームの連合を呼びかけることになるわけです」

 

ソラシンボリ「そうなんだけどさ、そもそもがウマ娘レースは1着しか勝者とみなされない非情な勝負の世界なんだから、トレーニング環境やトレーニング仲間に困らなくなるウマ娘の側はメリットしかないだろうけど、ライバルの育成にも手を貸すことにもなるトレーナーの側としてはデメリットも大きいよね」

 

和田T「さて、どうだろうな? 他山の石以て 玉を攻むべし、建前上は同等の条件での正々堂々の勝負なんだから、互いに手を貸し合ったトレーニングで歴然とした差が生まれるのなら、それこそが実力の差なんじゃないかな?」

 

和田T「そんなデメリットばかり気にする後ろ向きな考えの連中なんかより、自分たちが勝ち取るメリットが大きいと信じて積極的に連合が組まれているのが現状なんだから、そこまで心配するようなことは起きないと思いますよ、ソラ?」

 

ソラシンボリ「まあね、今は」

 

 

和田T「――――――で、『チーム<エンデバー>は夏合宿しない』という方針でいいのか、ソラ?」

 

 

ソラシンボリ「うん。まだトレセン学園の1年を経験していない新入生が夏合宿に行ったって大した成果は得られないと思うよ。夏合宿の時以外は基本的にトレセン学園の設備でトレーニングするんだから、いきなり夏合宿の特別なトレーニングをしたってねぇ?」

 

ソラシンボリ「そもそも、夏合宿は担当ウマ娘の緻密な育成計画に基づいて狙った能力増強を目指す場なんだから、まだ適性を判断しきれていない子に特別トレーニングを施したところでステ振りが無駄になるだけだよね? 基礎トレーニングで出てきた能力の差異から適性を診断するのに必要な情報が足りなすぎだよね?」

 

和田T「おっしゃる通りで」

 

和田T「そもそも、『アオハル杯』は5部門に3人ずつのチーム対抗戦というわけですが、中央で不人気な短距離やダートの専任になることを入学してきたばかりの新入生が受け容れられるわけもないでしょうね。みんな、王道路線の中距離かマイルで走りたいと思っているはずです」

 

ソラシンボリ「うん。だから、『アオハル杯』が開催される6月と12月の重賞レースに出走登録しない現役ウマ娘を各世代ごとに計画的に引き込む必要があるんだよね」

 

和田T「チーム総合力は現役ウマ娘の階級ごとに割り振られたポイントの合計値で大まかに決まりますからね」

 

和田T「ただ、そうなると『アオハル杯』が開催される時期に必ずある『春秋グランプリ』に出走する現役最強ウマ娘は逆に『アオハル杯』では戦力になれないから、名前を貸しているだけの現役ウマ娘はできるだけ分散させたいところですね」

 

ソラシンボリ「まあ、『宝塚記念』『有馬記念』の人気投票から漏れた実力者が『アオハル杯』にリベンジで参戦してくれたら理想的だけれど、そこで活躍したところで非公式戦だから何の得にもならないんだけどね……」

 

和田T「難しいな。黄金期を主導した秋川理事長とシンボリルドルフが既デビューウマ娘たちに最後の舞台となる卒業レースとして新設した『URAファイナルズ』に対して、未デビューウマ娘の才能発掘の場として復活させたのが『アオハル杯』だから、」

 

和田T「未デビューウマ娘たちを優遇した積極的是正措置(アファーマティブ・アクション)になっているのはわかるけど、既存の担当契約の在り方からするとあまりにも旨味がないから、これまで廃止と復活を繰り返してきたのもよくわかるよ」

 

和田T「生き残った古豪たちに最後のレースの場を与える『URAファイナルズ』は定着していくけど、本当にそこまでする価値があるのかトレーナーの側からは感じられない『アオハル杯』はそんなでもないと思っちゃうよ」

 

ソラシンボリ「だから、ボクたちで『アオハル杯』の在り方に新たな付加価値を見出していかないとだよ、和田T」

 

和田T「――――――『付加価値』か」

 

ソラシンボリ「そうだよ。これも不可能への挑戦。それに挑むことを人生の誇りにするんだ」

 

 

ソラシンボリ「それこそ、シンボリ家の御題目である“全てのウマ娘が幸福でいられる世界”の実現のために『名家』も『名門』も扱き使ってやろうじゃない!」

 

 

和田T「……とんでもないことに巻き込まれてしまったなぁ」

 

和田T「……マックイーンの卒業に合わせて引退する予定がどうしてこうズルズルと引き摺ることになっちゃったのかなぁ」

 

ソラシンボリ「そんなの、そういう実績もあって これまでのしがらみに囚われることなく 新しいものに取り組んでいける 本当の意味で黄金期の精神を受け継いだ 手近な人だったからでしょ?」

 

和田T「……たしかに、俺が中央に配属されたのは“皇帝”シンボリルドルフが入学してきた年で、その一部始終を見届けることになった一人か」

 

ソラシンボリ「黄金期の精神とは安定を繰り返すことなんかじゃない。更なる飛躍を求めて挑戦する愛と勇気と冒険の星に生きることなんだ」

 

ソラシンボリ「――――――停滞こそが死。流れに逆らうことが死。動くことを止めたら死」

 

ソラシンボリ「血管が詰まったら生き物は死ぬ。運動不足で筋肉が衰えて立てなくなったら飢えて死ぬ。川の流れが停まったら大地も干上がる。地球の回転が停まったら人や動植物のみならず、水や岩、そして大気までもが吹っ飛ぶ」

 

ソラシンボリ「だから、虹の彼方へ行こう! 汗を拭って 涙を拭いて みんなの心の闇を照らす一筋の光になるんだよ!」

 

和田T「……ああ。また夢を見させてもらおうじゃないか、この夢の舞台で」

 

ソラシンボリ「目指せ 夢のヒーロー!」

 

 

――――――疾走(はし)り出せば、ヒーローになれるよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勇敢の女神「陽は昇り、沈みゆく」

 

規律の女神「遥か彼方の地平へと」

 

愛情の女神「けれど、必ずまた昇る」

 

 

愛情の女神「幾度も、幾度も、巡り合う」

 

規律の女神「強き意志が途絶えぬ限り、想いは循環する」

 

勇敢の女神「これまで生まれてきた者たちへ。これから生まれてくる者たちへ」

 

 

――――――全ての出会いと別れに贈ろう。

 

 

愛情の女神「永久に続く幸福を」

 

規律の女神「長きに渡る栄光を」

 

勇敢の女神「彩りに溢れた未来を」

 

 

 

 

 

――――――新時代最初のこの夏、世界は生まれ変わる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の女王「――――――『お友だち』はたくさんいた方がいいのでしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アグネスタキオン’「――――――おやおや、カオスが渦巻こうとしているねぇ。これから先の未来はいったいどうなることやら」クククッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽那「――――――兄上のため、皇国のため、世界のため! 今はただ研鑽あるのみ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斬馬 剣禅「――――――KUGYOめ、SAKIMORIやARIYOを動かして いったい何を考えている!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トウカイテイオー’「――――――ボクたちはどうしてこんなところに来てしまったんだろうね、トレーナー」

 

 



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第1話秘録 復活のアオハル杯に満たされるは血反吐か歓喜の涙か、神のみぞ知る

 

-シークレットファイル 20XY/07/01- GAUMA SAIOH

 

 

世間的には昨日の6月30日は福島・芝・1800m『ラジオNIKKEI賞』、あるいは中京・芝・1200m『CBC賞』であるが、私からすれば担当ウマ娘:アグネスタキオンの雷鳴のメイクデビューであり、今日は公式戦出走バの振替休日であった。

 

一方、公式戦『トゥインクル・シリーズ』と同時並行で開催される非公式戦『アオハル杯』はついに復活となり、第0回戦と称されるオリエンテーションが執り行われた。

 

要は、『アオハル杯』復活の発表から開幕までに結成されたアオハルチームのチーム総合力から最初のチームランキングが決定され、このランキングを元に異例のチーム対抗戦が半年に1回ずつ3年間行われるわけである。

 

すでに担当契約を結んで『トゥインクル・シリーズ』で活躍している既デビューウマ娘には何の益もない非公式戦で、その実態は未だにスカウトされることのない未デビューウマ娘の救済であったのだが、

 

その復活を巡って長期海外出張の秋川理事長から留守を任された樫本代理の謀反とも言える『管理教育プログラム』施行の是非を巡った3年に渡る死闘が始まりを告げるのであった。

 

暗黒期に『アオハル杯』を経験して重たい十字架を背負うことになった樫本代理からすれば、廃止と復活を繰り返したのも納得の公式戦と非公式戦の板挟みのクソローテーションでトレセン学園が阿鼻叫喚になるのは目に見えているということで、

 

その痛ましい記憶を今度こそ永久に刻みつけることで大切な教え子たちが苦しむことがなくなるように徹底管理主義の『管理教育プログラム』施行を画策したわけであり、

 

愚かにもその思惑も真意も見抜けない黄金期のトレーナーたちは 悪役として振る舞う準備万端の樫本代理の口車に乗せられて これまでのトレセン学園の日常を守るために『アオハル杯』での勝利を意地でも掴まなくてはならなくなったのである。

 

しかも、今はまだ始まったばかりで 担当ウマ娘を勝たせなくてはならない個人競技の公式戦と勝たせても成績に反映されない団体競技の非公式戦を同時にこなすことがどういうことなのかが体感できていないので 廃止と復活を繰り返すことになった理由となる重篤な問題は噴出していないが、

 

やがては『アオハル杯』で樫本代理に勝とうが負けようが徹底管理主義が正しいという納得の支持を学園の大多数のトレーナーから得られることになると樫本代理は確信しているわけであり、『アオハル杯』復活の3年間は血反吐で塗りたくられるのが繰り返されるのだと涙を呑んで臨むのだった。

 

ただ、言うまでもないが、大多数のウマ娘やトレーナーたちが最初に感じていたように、強権的に『管理教育プログラム』を導入して徹底管理して安心を得たいという思いは言うまでもなく()()()()()()()()()()()()樫本 理子の個人的なエゴに過ぎない。

 

もちろん、『管理教育プログラム』とてトレーナーの指導方針の1つのやり方としてならば、担当ウマ娘との合意の下でいくらでも実践して成果を上げていけばいいものだが、担当ウマ娘を命令規則に絶対服従させたところで勝てるのならば、トレーナーもウマ娘も進んでそのやり方に従うのが競争原理というものだ。

 

だが、現実として『それでは勝てない』というのがこれまでの長いのウマ娘レースの歴史から得られた教訓であり、現に黄金期にもっとも活躍して名声を博しているのはG1勝利を記録し続けた無名の新人トレーナーばかりで ベテラントレーナーの堅実さに憧れてトレセン学園の門を叩く者はいない。

 

そう、そんなことはトレセン学園の運営母体であるURAの理事会だって百も承知であり、だからこそ公営競技としてギネス記録に認定されるほどに大繁盛で儲かるわけであり、それを大衆は夢と崇めてヒトもモノもカネもトレセン学園に寄り集まるのだから、URA上層部だってここまで上手く行っているものを積極的に崩したいとは思わない。

 

けれども、トレセン学園は同時に中高一貫校の教育機関でもあるのだから、引退即退学となるような場所を夢の舞台と崇めるのは不健全という中央省庁の圧力もあるため、黄金期によって弛んだ風紀や秩序を綱紀粛正するために送り込まれた憎まれ役が樫本 理子というわけである。

 

そう、樫本代理としては『アオハル杯』で自身が率いるチーム<ファースト>が勝とうが負けようが『管理教育プログラム』が絶対に受け容れられると確信して、ここまで状況を完璧にコントロールして準備万端で全てのトレーナーとウマ娘たちを迎え撃つわけだが、

 

URA上層部もまた、樫本代理の信念の下に『管理教育プログラム』の導入が成功しようが失敗しようが、それが収益に影響しないのなら まったく意に介す必要がないのだ。国内最高峰のトレセン学園でさえも数あるURA公式団体の1つでしかなく、『管理教育プログラム』が不振に終われば、他の団体を見習って すぐさま廃止すればいいだけなのだから。

 

これが組織の運営というものであり、組織の体質というものであり、組織の強大さというものであり、たった1人の個人の意志を貫いて組織の改革を促すことがいかに容易ではないことか――――――。

 

しかし、新時代の荒波が押し寄せようとしている。自身を黄金期の継承者と自惚れる者たちを無惨にも呑み干すほど大津波が押し寄せようとしていた――――――。

 

 


 

 

――――――エクリプス・フロント / 多目的ホール:ESPRIT部室

 

 

ナリタブライアン「いよいよ『アオハル杯』オリエンテーションでチームランキングが発表されたわけだが……」

 

マンハッタンカフェ「樫本代理のチーム<ファースト>は堂々の1位でしたね」

 

女代先生「そして、我らが希望の星:チーム<エンデバー>は15位ですか」

 

ナリタブライアン「正直に言って驚いたぞ、これは。完全に準備万端だったチーム<ファースト>はともかく、今年の世代の中心が集まって確実に2位は狙えるものとばかり」

 

斎藤T「いやいやいや、全てルール通りですよ。あくまでも初期のチームランキングは既デビューウマ娘の階級が高いほど上がるわけですから、2年目:クラシック級や3年目:シニア級のウマ娘がたくさん集まったチームが上位になるのは何もおかしなことじゃない」

 

ナリタブライアン「そうは言うが、参加資格が未出走から3年目:シニア級までなのに、今年で3年目:シニア級のウマ娘が出走できるのは『アオハル杯』1年目のプレシーズン戦だけじゃないか」

 

斎藤T「それまではトレーニング設備を独占しやすくなるよね」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。チーム総合力が上がってチームランキングが高くなればトレーニングレベルも向上して最新のトレーニング器具の優先権も得やすくなりますから」

 

女代先生「それが『アオハル杯』に参加する最大のメリットってわけよね」

 

女代先生「始めてみたら残り少ない参加期間であっても、少しでもトレーニング設備を優先的に使える恩恵を受けようと2年目3年目のウマ娘たちが連合を組むんだから」

 

マンハッタンカフェ「来年にはチームが自動消滅するにしても、『アオハル杯』開幕直後のチームランキングで少しでも得をしようと動けるのが2年目3年目のウマ娘たちの強みですね」

 

女代先生「スカウトとは縁遠いヒマ娘救済のための『アオハル杯』復活の主旨に反して、それが担当トレーナーとしては正解なんだろうけど、利用できるものは何でも利用して担当ウマ娘の役に立てようとするトレーナーたちの自分本位の意地汚さを見せつけられた気分ね」

 

ナリタブライアン「そうだな。自分たちのローテーションを『アオハル杯』で崩されないようにスカウトを断る口実で自主的にアオハルチームを組んでいる名義貸しが多くないか、これ?」

 

斎藤T「それを言ったらチーム<エンデバー>も『アオハル杯』のレースが開催される時期に設定されている『宝塚記念』『有馬記念』に出走できるようなスターウマ娘ばかりだから、人のことを言えたもんじゃない」

 

斎藤T「そもそも、それが正しいんだよ。『アオハル杯』は本気の遊び(非公式戦)であって、本気の勝負(公式戦)である『トゥインクル・シリーズ』を優先するのが大前提なんだから」

 

ナリタブライアン「――――――勝てるのか、それで?」

 

斎藤T「本気の遊び(非公式戦)と言っても勝負の形式は本気の勝負(公式戦)と同じだよ。その本気の遊び(非公式戦)にどこまで本気でいられるチームがあるかだ」

 

女代先生「そうね。こうして最初はランキング上位を独占しているチームのほとんどが甘い汁を吸うために集まった自分本位の連中ばかりだから、プレシーズン戦が始まるまでの短い付き合いになるでしょうね」

 

マンハッタンカフェ「難しい話ですよね。『アオハル杯』の3年間を本気でやり通すとなると『宝塚記念』『有馬記念』をあきらめないといけなくなりますし、その2つをあきらめるということは優駿たちの頂点になる夢をあきらめると宣言したようなものですから」

 

マンハッタンカフェ「だから、チーム<エンデバー>は最初からトレーナーのスカウトを受けないことを条件にして全力で『アオハル杯』の3年間を楽しんだ後、残りの3年間で『トゥインクル・シリーズ』も走り通そうという計画になるわけですね」

 

斎藤T「こんな迂遠な計画を遂行する羽目になったのは、トレセン学園がバカみたいに総生徒数を増やしておきながら、URA公認トレーナーの供給がまったく追いつかない状況を放置してきたせいなんだけどね! 根本が狂っているんだから、応急処置で何をしたって根本的な解決にならないのは当然だ!」

 

 

――――――だから、私は何度も『まず第一にトレーナーを増やせ』と言っている!

 

 

斎藤T「よし、『エクリプスビジョン』の今日の整備は万端。印刷紙もインクも揃っているな」

 

女代先生「凄いわよね。試験運用を始めてすぐに絶賛稼働中になって行列が毎日できるようになったわけだし、提示されたトレーニング内容を実践するまでリピーターが来ることはないにしても、新規がこれだけ多いと楽しくなってくるわね」

 

斎藤T「おかげで印刷が追いつかないんですけどね。意外と印刷して持って帰る子が多くて 大好評につき 印刷待ちの状況が続くのは良くないということで、印刷機を増やして夜を徹して稼働させるなど涙ぐましい努力をさせられています」

 

斎藤T「ここにあるの、引き渡し待ちの印刷済みの資料ね、全部。印刷費と維持費を賄うための値段設定でもこれだけ需要があるとなると、ちょっと値段を釣り上げるだけでも莫大な収益が見込めますね」

 

女代先生「うんうん。だって、これって宝物よね。電子データは記憶媒体にすぐに移し替えられるけど、この分厚さと重みが自分の可能性の価値だってことだから、形のあるものにして持って帰りたいと思うのは自然なことよね」

 

女代先生「ねえ、せっかくだから、紙の資料を封筒に入れるだけなのは味気ないから、バインダーも販売したらどうかしらね? ページ数がふってあってもバラバラになったら大変じゃない?」

 

斎藤T「じゃあ、印刷機の隣に専用の手動パンチ台とリングバインダーの自動販売機も置いておきましょうか」

 

ナリタブライアン「ああ、それがいい」

 

斎藤T「あまりこれ以上はESPRITの部室になる多目的ホールの外に物を並べたくないんですけどね……」

 

ナリタブライアン「なら、ESPRITの部室を増やせばいいんじゃないのか?」

 

マンハッタンカフェ「そうしたいのは山々なんですけど、クラブ活動の要綱には部室の規模は基本的に人数に比例することになっていて、竣工したばかりのエクリプス・フロントの多目的ホールの1つを丸々使わせてもらっているだけでも特別待遇なんですよ」

 

ナリタブライアン「そうか。クラブ活動のために部活棟があったか。クラブ活動やサークル活動はそこにある部室を充てがうのが基本だったな。オープンしたばかりのエクリプス・フロントの多目的ホールを部室に使えているのはたしかに特例措置だな」

 

マンハッタンカフェ「それにエクリプス・フロントはトレセン学園の附属施設ですけれど、厳密にはURA傘下の管理会社が所有するビルなので、本当は斎藤Tが室長を務める某重工の開発室のおまけでテナントをESPRITのために貸し出してもらえているものなんです。開発室あってのESPRITなのでテナント契約が絡んでくるんです」

 

ナリタブライアン「いちいち面倒なんだな――――――、ん。いや、待てよ」

 

女代先生「どうしたの、ブライアンちゃん?」

 

ナリタブライアン「1階に売り場があるだろう。そこで売ってもらったらどうだ。そうすれば面倒な手続きは要らないだろう」

 

女代先生「――――――アンテナショップにバインダー?」

 

女代先生「冴えてるわね、ブライアンちゃん! URA公認オフィシャルグッズの文房具はたしかに取り扱っているけれど、バインダーを売っているのはさすがになかったわねぇ!」

 

斎藤T「なるほど、たしかに! あくまでも新開発のモニターという名目で『エクリプスビジョン』を取り扱っている以上、直接的な物販は許可されない可能性があったけど、アンテナショップで取り扱ってもらえるのなら話は早い!」

 

マンハッタンカフェ「でしたら、バインダーのカバーの印刷もできたら嬉しいですよね。需要があるはずですよ。自分だけの宝物になる資料を挿むバインダーですし、担当トレーナーにしても目的に応じてバインダーの模様替えができたらメリハリがつくと思いますよ」

 

女代先生「いいよぉ、カフェちゃん! 総生徒数2200名弱でみんな同じ柄のリングバインダーなんてつまんないもんね!」

 

女代先生「どう、斎藤T!? 実現できるかしら!?」

 

斎藤T「方法としてはバインダーに合わせた規格のラベルシールに印刷したものを貼り付けるのがもっとも安上がりでしょう。そのためのラベルプリンタとさっき言っていたリングバインダー用の手動パンチ台も併設しましょう」

 

マンハッタンカフェ「――――――ラベルシールですか。たしかにその方が簡単ですね」

 

女代先生「ちょっとまって! それだけじゃないわよ! シールと聞いて!」

 

女代先生「デコよ、デコ! デコレーション! キラキラのデコシールも合わせて販売! そう、プリクラみたいに!」

 

女代先生「売り文句は『自分だけのロードマップを飾り付けろ!』でどう!? これでアンテナショップの収益アップで店長も大喜びよ!」

 

斎藤T「いいじゃないですか、女代先生! これからは『エクリプスビジョン』で印刷されたトレーニング資料をデコレーションしたリングバインダーにファイリングして持ち歩くのが当たり前の時代になりますよ!」

 

女代先生「カフェちゃん! ブライアンちゃんにカタログギフト進呈!」

 

マンハッタンカフェ「あ、はい! どうぞ!」

 

ナリタブライアン「な、なにぃいいい!? くれるのか、カタログギフト!? 1階でバインダーを売るように言っただけで!?」

 

斎藤T「これはエクリプス・フロントの売上とトレセン学園の活性化に多大なる貢献を果たす極めてナイスなアイデアを提供していただいた報酬です。お納めください」

 

ナリタブライアン「うおおおおおおおおおおおおおおおお! やったぞ、姉貴ぃぃいいいいいい!」

 

ナリタブライアン「こ、こいつはスゴい! 神戸牛に近江牛に松阪牛! 米沢牛に阿波牛! 阿波牛もあるぞ! この中から1つ選べるのか! 和牛のオリンピック! そんなものもあったのか!?」パラパラ・・・

 

女代先生「よかったわね、ブライアンちゃん」

 

マンハッタンカフェ「はい。よかったですね」

 

斎藤T「――――――あ、もしもし? エクリプス・フロントの1階のアンテナショップに並べて欲しい商品があるんだけど、時間あるかな?」ピポパ・・・

 

 

サトノダイヤモンド「話は聞かせてもらいました! 私のトレーナーになってください、斎藤T!」

 

 

瀬川T「ええええええええ!? 開口一番、それえええええ!?」

 

ナリタブライアン「なっ」

 

マンハッタンカフェ「!?!?」

 

斎藤T「うわでた」チラッ ――――――付き人の瀬川Tの手には『エクリプスビジョン』で発行された資料が入った封筒がある。

 

女代先生「……サトノダイヤモンドさん?」

 

瀬川T「あ、すみません、皆さん。いきなりやってきて うちの担当()が無礼なことを」

 

瀬川T「というか、ダイヤちゃん? ダイヤちゃんに担当トレーナーに選んでもらった僕の立場はどうなるの、今の発言?」

 

サトノダイヤモンド「大丈夫です! 2人で私の指導をしてくだされば何も問題はありません!」

 

瀬川T「なにそれ。何言っているのか、僕には全然わかんないや」

 

マンハッタンカフェ「あの、どうしますか? お引き取り願いますか?」

 

斎藤T「席にご案内を。コーヒーセットをおねがい。菓子はまかせる」

 

マンハッタンカフェ「畏まりました」

 

斎藤T「商談だ、女代先生」

 

女代先生「はい、わかりました、斎藤T」

 

 

 

 

 

ナリタブライアン「………………」

 

マンハッタンカフェ「どうぞ」コトッ

 

ナリタブライアン「ああ。ありがとう……」ゴクッ

 

ナリタブライアン「熱ッ」

 

 

サトノダイヤモンド「まずは先日のメイクデビュー勝利、おめでとうございます、斎藤T」

 

瀬川T「おめでとうございます、先輩」

 

斎藤T「うん、ありがとう。そっちもメイクデビュー、がんばってね」

 

サトノダイヤモンド「それと、お誕生日おめ――――――」

 

女代先生「まあ、挨拶はその辺にして、知らない仲じゃないんだし、早速 話を聞かせてちょうだい」

 

サトノダイヤモンド「むぅ」

 

瀬川T「ほら、話が進まないだろう? 今日はあの話をしないと! 待たせるわけにはいかないでしょう?」

 

サトノダイヤモンド「はい……」

 

瀬川T「えと、ダイヤちゃんが大変御世話になっていたみたいなんですけど、実は近々サトノグループで開発されたVRウマレーターを利用した世界最先端のトレーニング施設がオープンになるというのはご存知ですか?」

 

瀬川T「いや、釈迦に説法かもしれませんね。『URAファイナルズ』決勝トーナメント観戦プログラムの時に前座として『皇帝G1七番勝負』なんて神企画をやっていたわけですから」

 

斎藤T「ええ、まあ」

 

女代先生「うん。あれだけ大々的な告知をされたわけだしねぇ」

 

サトノダイヤモンド「ですが、サトノグループのソフト開発部門は常に時代を先取りし、『先取りしすぎ!』と言われるほどに発展してまいりました」

 

瀬川T「そして、ここにある資料にありますように、その技術を結集して誕生したのがトレーニングサポートAIシステム――――――」

 

 

サトノダイヤモンド「――――――その名も『メガドリームサポーター』です!」

 

 

女代先生「……『メガドリームサポーター』ですか。それは期待できそうな名前ですねぇ」

 

瀬川T「ええ、()()()()()()()()()()()()、これまで何かと迷った場面はありませんでしたか?」

 

瀬川T「たとえば、レース前のトレーニングを強めにやっていいものか――――――、」

 

瀬川T「適性距離から少しだけ外れた場合、それでも勝負になるのか――――――、などなど」

 

瀬川T「そんな時、判断のサポートとなるAIシステムを この度 完成させました!」

 

女代先生「それはスゴいですねぇ」

 

斎藤T「………………」

 

サトノダイヤモンド「…………むぅ」

 

 

マンハッタンカフェ「……スゴいんですか?」ゴクッ

 

ナリタブライアン「……まあ、()()T()()()()()()()ではないな、最初から」フーフー

 

 

瀬川T「近代ウマ娘レースが始まって以来の様々なデータを集積、分析し、多くの事例、多くの統計により、最善のアンサーを導き出す究極のAI!」

 

瀬川T「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

斎藤T「へえ」

 

サトノダイヤモンド「まあ!」パア!

 

サトノダイヤモンド「楽しみですよね! 興味が湧いてきましたよね! ワクワクしてきましたよね!」

 

サトノダイヤモンド「百聞は一見に如かず、詳しい説明はソフトを実際に触りながら行いましょう♪」

 

サトノダイヤモンド「筐体の準備はすでにできていますので、1階のエントランスホールで! ね!」

 

 

ナリタブライアン「……一気に迫ってきたな」

 

マンハッタンカフェ「……斎藤Tの興味を引くことができたことに手応えを感じたみたいですね」

 

 

斎藤T「なるほど、瀬川T。あなたはVRソフト『メガドリームサポーター』に電脳ダイブした時の付添人ですね」

 

瀬川T「まあ、そういうことです。先行体験した人間がいた方が安心でしょうから」

 

斎藤T「では、『メガドリームサポーター』を先行体験させてもらう前に提案があるのですが、サトノグループに協力していただけないでしょうか?」

 

瀬川T「え?」

 

サトノダイヤモンド「え」

 

サトノダイヤモンド「ほ、本当ですか!? サトノグループに協力してもらいたいことがあるんですね! でしたら、是非とも! 何でも言ってください!」

 

斎藤T「さっきの話のことです、女代先生」

 

女代先生「あ、そういうこと。それなら、是非ともよろしくね」

 

サトノダイヤモンド「さあさあ! 何でもウェルカムです! さあ!」

 

瀬川T「すげえ。ダイヤちゃんに振り回されるどころか、売り込みに来たこっちに取引を持ちかけているよ」

 

瀬川T「――――――さすがは僕の恩人というべきかな。トレーナー選考会(トライアル)をやり直すように言ってくれたって言うからさ」

 

 

 

Welcome to the Mega Dream Sapporter...Get Ready!

 

 

 

その日は担当ウマ娘が出走したことによる振替休日であったが、私の場合は先週の『宝塚記念』からずっとトレセン学園に帰ってきていなかったので、ようやくエクリプス・フロントで試験運用している『エクリプスビジョン』の点検改善に乗り出すことができていた。

 

私がいない間は同じ階で詰めている開発室の職員やESPRIT顧問の女代先生が対応してくれていたのだが、絶賛稼働中の『エクリプスビジョン』は 連日連夜 ウマ娘たちの分析結果やトレーニング資料をひっきりなしに印刷しているような状況だったため、すぐに印刷紙とインクが切れてしまうので印刷機の増設は必要不可欠だったのだ。

 

しかし、総生徒数2200名弱の今のトレセン学園でいかに需要があろうとも、資料の読解や実践のためにリピーターがつかないだろうから印刷機の増設は慎重に行わなければならず、設置場所を確保するための交渉に入るかどうかを検討中であった。

 

あるいは、期間限定で『エクリプスビジョン』の印刷機を増設するキャンペーンを実施して、終わったら印刷機の在庫を売り捌くのも手かもしれない。

 

そんなことを考えながら『エクリプスビジョン』の点検整備と改善作業に取り組んでいると、居合わせたのが顧問の女代先生、部員のマンハッタンカフェ、生徒会副会長のナリタブライアンで創造的で発展的で建設的な『エクリプスビジョン』の更なる活用法が形になり、

 

これほどまでに出力結果を印刷して持って帰る生徒が多いのなら、自分でデコレーションできるリングバインダーを1階のアンテナショップで取り扱ってもらえるようにして、『エクリプスビジョン』で発行された資料に付加価値をつけることが内々で決まったのだ。

 

中身としては極めて真面目な内容の資料をファイリングしていくのだが、外側の表紙は夢いっぱいにラベルシールやデコシールで飾り付けをして、初心を形にした思い出の品となって手許に残るのだ――――――。

 

エクリプス・フロントの王である私からの提案だ。まず反対するものはないし、アンテナショップの売上貢献にもなるし、利用者たちにも喜んでもらえるものだし、良いこと尽くめである。

 

ただ、今はもう7月である。例年通りトレーナーチームのウマ娘や今年から許可されたアオハルチームのウマ娘たちが夏合宿に飛び出していっており、夏季休業期間も迫っているので、このままだと商機を逃す可能性が大いにあった。

 

どうにかして夏合宿中のウマ娘やこれから夏合宿に行こうとしているウマ娘の気を大いに惹く話題性を持たせないと、せっかくの新鮮なアイデアも夏合宿や夏季休業期間から需要が冷めてしまう。

 

 

――――――そんな時に今回のアイデアの商談相手:サトノダイヤモンドがちょうどよくやってきたというわけであった。

 

 

サトノグループのお嬢様:サトノダイヤモンドはどういうわけか私に執着しており、口を開けば私を担当トレーナーにしようと迫ってくるので、この前 手酷くフッてきたはずなのだが、

 

こうも元気よく『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』の先行体験会に招待してくるとは、さすがはサトノグループのお嬢様と言ったところか。

 

さて、『エクリプスポリス』の中核を担うVRウマレーターを使った『メガドリームサポーター』の出来栄えとしては、たしかにその技術力は評判通りではあったが、私が求めるウマ娘レース界隈の救済にはなり得なかった。開発経緯や設計思想からして根本的に価値観が合わなかったのだ。

 

 

――――――電脳ダイブして眼の前に映し出されたのはV()R()()()()()()()()()()()()()()()だったのだ。

 

 

もう この時点でシミュレーターのリソースを無駄遣いしまくっていることに落胆の声しか出なかった。ウマ娘レースに勝つために本当に必要な再現なのか、この光景は。

 

しかも、国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台である中央トレセン学園のVR再現は夢の舞台に憧れた有志がVRソフトの登場初期からやっていることなので、やはりサトノグループ、力の入れ方が普通とはちがうな。

 

いや、これはトレセン学園のみならず、レーストラックやプールといった練習場、各地の競バ場や合宿先なども完全再現されたVRウマレーターに判断のサポートとなるAIシステムを追加したものらしい。

 

おそらく、VRウマレーター自体は興味を持ってもらうために筐体のいくつかがトレセン学園に設置されると思うが、今回のためにエクリプス・フロントにテントが横付けされてエントランスホールにまで用意されたVRウマレーターは『エクリプスポリス』専用の仕様になるのではないだろうか。

 

つまり、現実のレースを忘れてサトノグループの系列会社が運営する一種のゲームセンター『エクリプスポリス』に通う生徒とトレーナーを大量に生み出したいのかと――――――。

 

まあまあ、落ち着け。説明ではあくまでも『トレーナーの判断のサポート』が主であり、様々なテストケースを仮想空間で体験するためのものだ。そのシチュエーションの構築のしやすさと再現結果の検証がどこまで扱いやすいユーザーインターフェースになっているかがこのシミュレーターの信頼性になる。

 

そして、『メガドリームサポーター』の売りとなる『勇敢』『規律』『愛情』の思考性を持ったAIがラーニングを繰り返した結果、3つのAIそれぞれに人格が芽生えたらしく、『魂が生まれた』とも言える奇跡が起きたらしい。

 

 

――――――勇敢の女神:ダーレーアラビアン。

 

 

――――――愛情の女神:ゴドルフィンバルブ。

 

 

――――――規律の女神:バイアリーターク。

 

 

まあ、そういうことだった。ウマ娘の皇祖皇霊たる“三女神”の名を騙る疑似人格プログラムが『メガドリームサポーター』を通して『トレーナーの判断のサポート』をするということらしい。

 

別に、ウマ娘の皇祖皇霊としてその名が知られている“三女神”をモチーフにしたキャラクターは古来より掃いて捨てるほど存在しているので、サトノグループが『メガドリームサポーター』の宣伝のために恐れ多くも“三女神”をモチーフとした疑似人格プログラムだと鼻で笑う者もいることだろう。

 

しかし、先に『メガドリームサポーター』を体験してきているはずの私の後輩にしてサトノダイヤモンドの担当トレーナー:瀬川Tが何度目にしてもその名に圧倒されている様子に“三女神”が随分とカジュアルな格好で気さくに接してくる光景には違和感しかなかったが、

 

そんな違和感を覚える私からすれば、これもまた()()()()()を変えるタイムパラドックスと並行して行われる皇祖皇霊たちの衆生済度の新しい形なのだと一人苦笑いをする他なかった。

 

ここが二次元世界だから極めて物質世界の波長の気配だが、その奥にある確率の世界の更に奥に存在する三次元と四次元を超えた本当に微かな高次元の神気が私には感じられた。

 

たしかに、これを“三女神”であると言い張るのは嘘ではない。そう、嘘ではないが、一から十まで同じかというと 九分九厘 別物としか言いようがないので、否定も肯定もしづらい神の似姿がそこに立っていた。

 

 

――――――だが、次の瞬間、深刻な問題が『メガドリームサポーター』を襲った。

 

 

“斎藤 展望”の生体データを取り込んで このVR世界のトレセン学園に召喚された“私”に対して、“三女神”を騙る疑似人格プログラムが声を掛けるとテクスチャが一瞬だけ盛大にバグる事態が発生してしまう。ザワつくエントランスホール。ああ、こうなるよな、やっぱり。

 

そうなのだ。これが“特異点”である“斎藤 展望”たる“私”を電脳世界に取り込んだ場合の最大のリスクであり、あまりVR世界に長居するべきではないと思い、VR酔いと称して早々に『メガドリームサポーター』の先行体験会からドロップアウトさせてもらった。

 

フルダイブ型VRシミュレーターは常に利用者の脳波を受信してVR世界の現象に利用者の行動を反映するわけだが、その状態はわかりやすく言うなら利用者全員が同じ湯船に浸かっているような状態であり、利用者全員から滲み出た汗や垢が混ざりあった水質の清濁がVR世界で感じる快不快の1つの基準になっている。

 

つまり、同じ湯船に汗や垢が滲み出ていると言うことはそこから利用者一人ひとりのDNAサンプルを抽出できるというようなわけであり、

 

VR世界を構築して現象を管轄しているプログラムには利用者の脳波パターンから思考が読めるわけであり、そこから“三女神”を騙る疑似人格プログラムたちは思考の先読みができるわけなので、それで利用者の思考に対して最適の回答を用意することができるという論理(ロジック)なのだが、

 

残念ながら、“私”の思考の先読みをしたとして最適な回答を瞬時に用意できるかは非常に怪しいところであり、これはどんなに進化を重ねた高性能シミュレーターであっても永久に改善されることがない 脳波分析の限界なのだ。

 

 

――――――次元が高すぎるのだ、“私”の存在は。

 

 

『次元が高い』というのは取り扱っている基本的な情報量が大きいと考えるとわかりやすく、空間がX軸 Y軸 Z軸で表現される三次元であるところに時間の経過による変化や推移の概念が加わると四次元になるのは理解できるだろうか。これは微分積分を四次元に応用した話であるから そこまで難しい話じゃないはずだ。

 

そして、三次元世界に生きる肉体を持った四次元の霊格の力を発揮できる能力を“私”は有しているので、見た目は同じ人間に見えても痩せの大食いどころじゃないほど中身が詰まっているので、湯船に浸かろうとすると一気に水が溢れ出してしまうわけなのだ。純金の王冠に使われた金に混ぜ物が入っているかを物体の質量で割り出したアルキメデスの原理の同じことである。

 

つまり、三次元世界のスーパーコンピュータでは永久に解析できないほどの情報量が“私”の頭の中に渦巻いており、解析する毎にスーパーコンピュータがビッグバン爆発を起こすほどの負荷を与えてしまうと言えば、わかりやすいだろうか。

 

そりゃあ、だって、“私”の正体は四次元空間に肉体が溶けた“特異点”なのだから、三次元より高次元の情報を分析できるわけがない。四次元の頭の中を三次元の論理で読み解こうとしたら、あまりの情報量に頭が破裂しそうになるはずさ。引き続き、湯船のたとえで言うなら、それは湯船から水が溢れるどころかダム決壊である。三次元の肉体があるからこそ、こうして同じ肉体を持つ者同士でふれあうことができているに過ぎない。

 

しかも、VR世界は創作物の世界なので三次元よりも低次元の二次元世界なのだから、あまりにも次元の差がありすぎる。次元の壁を隔てているともなると、二次元と四次元で情報量の大小を比べるのも馬鹿らしくなるほどだ。四次元の更に上の五次元の神の世界の情報まで“私”の中に降りているのだから、まさに仏説で説かれている恒河沙のようなものだろう。

 

なので、現実世界である三次元の絞りカスや抽出物に相当する二次元に四次元の情報を処理しきれるわけがないだろう。VR世界なんてものも所詮は三次元世界の現実の光景の極一部を落とし込んだものなのだから、三次元世界以上に広大な四次元世界の心の海にすら二次元世界は完全に沈んでしまう。“私”の情報量がダムならば、現実世界は湯船、VR世界はバケツみたいなものだ。

 

なので、そんなふうに存在するだけでVR世界に高負荷に起因するバグを撒き散らす高次元情報の擬人化の“特異点”がVR世界に居座り続けることになったら、いずれ電脳ダイブしている他の利用者の脳髄を焼き切る大災害に繋がるだろう。VR世界は利用者全員の脳波を受信して現象を反映させているわけで、利用者全員が同じ湯船に入っているような状態なのだから、“私”から溢れ出した情報の濁流から逃れようがないのだ。

 

しかし、本来ならば電脳ダイブした瞬間に利用者全員を脳死させてサーバーダウンを引き起こしてもおかしくないのだが、実は“私”の方から仮死状態になって脳波を弱らせているから加減できているのだ。こっちでもVRシミュレーターを持っているのだし、その調整のために電脳ダイブを何度もしてきているのだから、電脳ダイブのために仮死状態になるのはもう手慣れたものだ。その度に“特異点”として極限まで意識が冴え渡ることになった。

 

それでも、バグが起きたということは『メガドリームサポーター』のサーバーには相当な負荷が掛かっていたことだろう。やはり、所詮は21世紀の技術力では並行宇宙の地球の支配種族である超科学生命体の遺産ほどの天文学的な記憶容量と処理能力は確保できなかったと見える。

 

ホント、死ぬほどビックリするだろうね。この場で死亡判定までしていたら。VR酔いどころの話じゃない。VRシミュレーター使用中に仮死状態になっているとは露知らず、電脳ダイブで脳に異常を来たした原因追求で『メガドリームサポーター』の先行体験会が不祥事で台無しになるところだった。

 

 

――――――残念ながら、VRウマレーター専用VRソフト『メガドリームサポーター』を“斎藤 展望”が使うことは許されない。天文学的な容量不足のせいで。

 

 

いや、いいのだ。人生の仮の宿、私は人生という名のクソゲーの中でウマ娘の皇祖皇霊たる三女神からの直接の導きと加護の下に生きているので、私には“三女神”を騙る疑似人格プログラムがトレーナーの判断をサポートする『メガドリームサポーター』は不要と言うことなのだろう。

 

というより、VR世界に存在する現象は肉体を通してではなく、同じ湯船に浸かっている利用者全員の脳波を通して反響し合った結果のものなので、現実世界で元から感覚が鋭い人間は居るだけで頭の中が掻き乱されるような感覚があって落ち着かないのだ。実際、湯船のたとえでそう言われたら、その不快感が具体的に想像できるはずだ。対策としてはパーソナルスペースを確保できるぐらいに湯船をデカくすればいい。

 

そういうわけなので、()()()()()()()()()()()()()()という認識なのだから、この技術は本当に必要としている人たちのために使われるべきだ。

 

 

――――――たとえば、現実世界にはいないが()()()()()()()()全てのトレーナーのためにこそ。

 

 

しかし、こうなると『メガドリームサポーター』が展開されているVR世界(内側)には直接出向くことができないため、徹底的に現実世界(外側)での出来事に意識を向けるように導かれてもいるように感じられる。

 

そして、先行体験会でテクスチャが盛大にバグった瞬間の軽い頭痛をVR酔いにしてドロップアウトすることになったまさかの結果に、プレゼンターであるサトノダイヤモンドがまたしても泣きじゃくりそうになっていたので、彼女の担当トレーナーの瀬川Tと一緒に宥めるのが大変だった。

 

けれども、いい薬にはなったはずだ。どちらかと言うと先行体験会でバグが起きたことが問題だが、技術ばかりが先行して フルダイブ型VRシミュレーターを利用できない人たちがいることをまったく想定していないことが露呈したのだから。

 

しかし、それこそがこちらも想定していなかった新たな戦いの火蓋を切ることになり、突然の逆スカウトから始まったサトノダイヤモンドとの因縁は思った以上にトレセン学園の未来を左右するものになるらしい――――――。

 

 

 

――――――エクリプス・フロント / 最上階:スカイレストラン

 

 

瀬川T「いやぁ、今日はおつかれさまでした、先輩」

 

斎藤T「あなたが居てくれてよかったですね、先行体験会。新人トレーナーとして『メガドリームサポーター』の魅力を余すことなく伝えることができましたねぇ」

 

瀬川T「まったくですよ。一応、先行体験会としては先輩がVR酔いで早々にリタイアしちゃったハプニングはありましたけど、VRシミュレーターを使ったウマ娘育成を天下の中央トレセン学園が公認したということで話題性十分です」

 

瀬川T「でも、ダイヤちゃんとしては僕を使ってのβテストで問題なかったから自信を持ってお届けしにきたのに、まさか一番に楽しんでもらいたいと願っていた先輩がバグでVR酔いしたかもしれないってことで、正式版のリリースは遠のいちゃいましたよ」

 

斎藤T「まあ、人がやることですから、直接 脳に作用するフルダイブ型VRシミュレーターの安全性を100%保証するのは極めて困難なものですからね。次からは精密検査のために救急車も用意しておくことですね」

 

瀬川T「しっかし、さすがは先輩だ。口止め料とばかりに ここの1階のアンテナショップに『エクリプスビジョン』で印刷した大量の資料をファイリングするリングバインダーを販売することを取り付けるだなんて」

 

瀬川T「それで先輩が儲かるわけでもないのに、純粋にアンテナショップの売上アップのことを考えて、なおかつスカウトを勝ち取れない自主練苦学生のために始めた『エクリプスビジョン』との連動で、もっともっとたくさんのウマ娘たちに希望を与えたいという熱意に感動しました」

 

瀬川T「良いですね。恥ずかしながら、僕もただの新人トレーナーですから藁にも縋る気持ちで『エクリプスビジョン』を使わせてもらいましたけど、映像記録だけでここまでの適性診断とトレーニング資料がこんなにも分厚くなるだなんて驚きました。ついでに高くついた印刷費にも驚きましたけど」

 

斎藤T「あくまでも『エクリプスビジョン』の対象はスカウトを勝ち取れない自主トレ苦学生なので、その後の専門的な指導は担当トレーナーに譲りますけどね」

 

斎藤T「データでの受け渡しもしているのに、その場で印刷する子が 思いの外 多くてね。印刷待ちを処理するために夜を徹して印刷機を動かすことになったから、私が留守の間 女代先生には苦労をかけました」

 

斎藤T「今日 印刷機を増やしましたから、これで印刷待ちが多少なりは改善されますけど、こんなことになるなら印刷機なんて置くべきではなかったと後悔していますよ」

 

瀬川T「でも、わざわざその場で印刷して紙にして持って帰れるようにしてくださった心遣いがあったから、試験運用を開始して 毎日 行列ができるようになったわけです」

 

瀬川T「そして、印刷機を増やしてくださっただけじゃなく、分厚い資料の束に彩りを添えるバインダーの販売やバインダーのデコレーションの話も進めて、夢いっぱいの思い出の品になるようにみんなことを気遣ってくれています」

 

瀬川T「それで、ダイヤちゃんのところのサトノグループも一枚噛ませてもらうわけで、トレセン学園仕様の特注のプリクラ機の発注だなんて、ダイヤちゃん大喜びでしたね」

 

斎藤T「うん。これもデコシールを貼るならプリクラがあったらもっと盛り上がるだろうと思っていたら、コネがありそうな知り合いがちょうどよくやってきてよかったですね」

 

瀬川T「――――――本当に斎藤Tは“門外漢”なんですね。トレーナーなんてやっている暇があったら、次から次へと湧いてくるアイデアを形にして欲しいって言われてますもんね」

 

 

瀬川T「やっぱり、先輩としてはあまり長くトレセン学園のトレーナーをやる気はないんですよね?」

 

 

斎藤T「ええ。元々は両親を早くに亡くした妹の養育費を稼ぐためにトレーナーバッジを手に入れただけで、他の手段で養育費を賄うことができたので、今はもう最低限の実績を得れば十分だってことで惰性でトレーナーをやっています」

 

斎藤T「――――――私の夢は『宇宙船を創って星の海を渡る』ことですから」

 

斎藤T「でも、せっかく全国津々浦々から優駿たちの頂点を決めるべく集まって鎬を削る 才能の塊であるウマ娘や最難関の国家公務員試験を合格したトレーナーで溢れかえっていて まさに人材の宝庫ですから、使えそうなのがいたら もうここで確保しようと思っていましたね。すでに何人も釣り上げていて楽しいですよ」

 

瀬川T「わあ、本当にトレーナーなんかやっている人じゃなかったよ、この人……」

 

瀬川T「いやはや、最初からわかっていたけど 敵うわけもないし、釣り合うわけもないな、僕なんかにダイヤちゃんは……」

 

斎藤T「……たしか、28人のトレーナー選考会(トライアル)に参加していましたよね? それなら、どうしてサトノダイヤモンドの担当トレーナーになったんです?」

 

瀬川T「あ、トレーナー選考会(トライアル)に参加していたのは、新人ホヤホヤの僕がいきなりスカウトできるわけもないから、誰もがG1ウマ娘の素質を認めているサトノ家の令嬢をスカウトするG1トレーナーがどんなものかを見に行っていただけで、自己PRも前の人のを参考に組み立てて それらしいことを言っていただけです」

 

斎藤T「……なるほどね」

 

瀬川T「なので、当然 採用なんかされるはずもないし、ダイヤちゃんとはそれっきりだと思っていたんですけど、どういうわけか トレーナー選考会(トライアル)をやり直すってことになって、それなら前回の経験を活かして自分なりのアピールを研究してから臨んだんですよね」

 

瀬川T「でも、ビックリしました。前回はサトノグループの社屋で、今回はエクリプス・フロントで雰囲気も柔らかい感じだったんでなんだかイケそうな気がしたんですけど、まさかサトノグループへの愛社精神を問われるようなものが出てくるだなんて――――――!」

 

斎藤T「あ、それ、私が原因です。『エクリプスビジョン』開発の参考にアーケード筐体を手に入れようとしたら、ちょうど近くの閉店になるゲームセンターをシンボリ家を通じて買収したことを聞きつけたサトノダイヤモンドが暴走した結果です」

 

瀬川T「はへええええええええええ!?」

 

瀬川T「すみません。1回聞いただけじゃ脳が処理しきれない情報が流れてきたんですけど、とりあえず、『ゲームセンターの買収』なんてしていたんですか?」

 

斎藤T「いや、アーケード筐体だけいただいて すぐに物件を売り払ったんですけど、買収はシンボリ家で進めていたのに なぜか私がゲームセンターのオーナーになるのだと盛大な勘違いをして勝手に泣いたんです」

 

瀬川T「……それはキツイですね」

 

斎藤T「うん。意味不明な理由でトレーナーを決めてくるから相手をしていて疲れる」

 

斎藤T「で、2度目のトレーナー選考会(トライアル)も全員不採用になったのに、あなたが選ばれたのはどうして?」

 

瀬川T「あ、それがですね、2度目のトレーナー選考会(トライアル)の後に両親が離婚することになって姓を変えることになったんです」

 

斎藤T「う、うん? 2度のトレーナー選考会(トライアル)の後で『姓が変わった』――――――?」

 

斎藤T「もしかして、採用理由って――――――?」

 

瀬川T「はい。お察しのとおりです」

 

 

――――――今の僕の名前は瀬川 或斗(せがわ あると)。セガワアルト。セガワアルド。つまりサトノグループが経営しているゲームセンターの旧称:セガワールド(SEGA WORLD)ってことです。

 

 

斎藤T「頭おかしいだろうぉおおおおおおおおおお!?」

 

瀬川T「僕もそう思います。新人の僕なんて絶対に選ばれるわけないのに、なぜか僕の名前を何度も反芻するように呟きながら近づいてきて両手を掴まれた時、見惚れるほど可愛い顔を見せながら生粋のセガキチってやつを体験しましたね、あの時は」

 

瀬川T「事故ですよ、事故。自分も相手もその気じゃなかったのに、姓が変わったくらいで態度を一変させるだなんて」

 

斎藤T「まさか、私がゲームセンターの買収の話をしていたことが大元で、名前がサトノグループが経営していたゲームセンターに変わったことを理由に担当契約を交わすとは、やっぱり 頭おかしいよ……」

 

瀬川T「で、そんなまさかの理由で選ばれちゃったわけですけど、2度もトレーナー選考会(トライアル)に参加して それらしいことを喋っておいて、まさか担当契約を結ばないわけにもいかなくなりまして……」

 

斎藤T「心中お察しします」

 

瀬川T「もうどうにでもなれってね。せっかく、『日本オークス』と『日本ダービー』で連続で隣の席だったってことで運命を感じた両親の思い出に憧れて頑張ってトレセン学園のトレーナーになった矢先に離婚で、」

 

瀬川T「勉強のつもりで参加しただけのトレーナー選考会(トライアル)で両親の離婚で姓を変えたことが理由でG1トレーナーの大先輩たちを差し置いて“サトノ家の至宝”とは名ばかりの生粋のセガキチと担当契約を結んじゃうなんて、踏んだり蹴ったりだよ」

 

瀬川T「しかも、担当契約を結んだ僕は本採用ってわけじゃなく、本命は斎藤Tだってのは担当トレーナーとして側にいて嫌でも伝わってきました」

 

瀬川T「でも、よかった。その斎藤Tもむしろ被害者側でダイヤちゃんが変な子だって認めてくれていて。すっごく気が楽になりましたよ」

 

斎藤T「――――――『日本オークス』と『日本ダービー』ですか」

 

瀬川T「ええ。“トリプルティアラ”と“クラシック三冠”のクラシックレースの最高潮ですよね。まあ、僕なんかが“オークスウマ娘”や“ダービーウマ娘”のトレーナーになれるわけないんだけど」

 

 

斎藤T「なら、離婚した両親の縒りを戻すために『日本オークス』と『日本ダービー』を目指せばいいじゃないですか。隣の席になるチケットを贈って息子の晴れ舞台に駆けつけさせよう」

 

 

瀬川T「え?」

 

斎藤T「私から言わせてもらうと、サトノダイヤモンドひいてはサトノグループはG1ウマ娘を輩出することに執着して、具体的にどのG1レースを目標にしているかが決まっていないので、瀬川Tにとって両親の思い出の『日本オークス』『日本ダービー』のどちらかを目標に励めばいいと思いますよ」

 

斎藤T「うん、いいじゃないですか。一族の悲願を背負う担当ウマ娘と両親の思い出を背負う担当トレーナーの二人三脚のG1制覇。その目標として『日本オークス』でも『日本ダービー』でも目指せばいい」

 

瀬川T「え、えええ!? 冗談キツイですよ! 新人の僕にいきなり――――――?」

 

斎藤T「安心して欲しい。黄金期の中心になったG1トレーナーたちの大半が初めての担当ウマ娘で栄冠を手にしてきた天運の持ち主ばかりだ」

 

 

斎藤T「瀬川T、あなたは間違いなく()()()()()()()だ。私がゲームセンターの買収の話を進める裏で 両親の離婚で姓を変える羽目になったことで サトノダイヤモンドとの担当契約を結ぶことになった偶然は明らかに状況が味方している」

 

 

瀬川T「は、はあ……」

 

斎藤T「だから、運命に打ち勝て! 自分の身の上の不幸で掴んだ極上の幸運で望む未来を己の手で築いてみせろ! 『新人だからできない』だなんてジンクスは切って捨てろ!」

 

瀬川T「!!!!」

 

瀬川T「――――――迫力が違いますねぇ!」

 

瀬川T「わかりました。僕なんかと契約したサトノダイヤモンドにも責任を取らせようと思います」

 

斎藤T「それがいい。それぐらいの対等になる気概がなければ、あのジャジャウマ娘を御すことはできないぞ」

 

瀬川T「いや、ありがとうございました! 希望が見えてきましたよ!」

 

斎藤T「それはよかったです」

 

 

天野博士「ほう。あなたが()()()()()()()()()()()()に歪みを与えた不確定要素ですか」

 

 

斎藤T「?」

 

瀬川T「天野博士」

 

瀬川T「あ、紹介します、斎藤T。こちらは『メガドリームサポーター』ひいては『エクリプスポリス』の開発チームの天野博士です。サトノ一族で、ダイヤちゃんの再従兄弟に当たります」

 

斎藤T「随分とお若いですね」

 

瀬川T「いや、『随分とお若いですね』って、先輩! 先輩も、貫禄ありすぎますけど、僕と1歳しかちがわないじゃないですか!?」

 

天野博士「……私より年下のくせに情報量が際限なく大きい個人だと?」ギリッ

 

瀬川T「え」

 

斎藤T「それで、何の用ですか?」

 

天野博士「いえ、今回の先行体験会であってはならないバグが発生してドロップアウトしてしまったわけですが、その後の経過はどんなものかを確認しに来ましてね」

 

斎藤T「異常はないです。ただのVR酔いだと思います」

 

天野博士「そうですか。それは実に残念ですね。私が生み出した“三女神”の導きを得ることができないだなんて、あなたとその担当ウマ娘は実に不幸な生まれのようだ」

 

瀬川T「天野博士ッ! それは言い過ぎでは!?」

 

天野博士「私の頭脳が生み出した究極のAIの導きをありがたがるということは、それすなわち、それを生み出したこの私を褒め称えることに他ならない!」

 

天野博士「――――――何が最難関国家試験だ! 何がトレーナーバッジだ! 近代ウマ娘レースが始まって以来、何の必勝法もないまま、漫然とウマ娘を育成して勝っては負けてを繰り返す様を見て 何がおもしろい!? そんな無能な連中が持ち上げられる社会は異常だとは思わないか?」フン!

 

瀬川T「……は、博士?」

 

斎藤T「……それで?」

 

天野博士「だが、時代は変わった。これからはAIの時代だ。己の才覚こそが重賞勝利に導くなどと驕れるトレーナーたち旧人類は淘汰され、約束された繁栄をもたらすAIに導かれた新人類の時代なのだ」

 

瀬川T「は? いや、何を言っちゃってるんですか、天野博士!?」

 

斎藤T「つまり、これからは『メガドリームサポーター』を開発した狂気の天才:天野博士にトレーナーの誰もが頭を垂れる時代になると?」

 

天野博士「そういうことです。所詮、ベテラントレーナーと言えども、個人の経験で新人トレーナーを上回っているというだけで、天才であるこの私よりも偉そうに振る舞うのが許せない」

 

天野博士「ならば、近代ウマ娘レースが始まって以来の古今東西の全ての知識を集積したAIを生み出してしまえば、そんな傲慢で無能で醜悪な輩を全て排除できると思いまして、無能なトレーナーによって人生のドン底に陥れられるウマ娘たちの救世主として正当な裁きと救いを与えるAI開発に取り組んできましたよ」

 

瀬川T「天野博士!? それ、本気で言って――――――」

 

瀬川T「や、やべえ! サトノ家の人間ってみんなこうなのかよ!? 誇大妄想が過ぎない!?」

 

 

天野博士「なのに! なのにぃ! なのにぃいいいいいいいいい!」グギギギギ・・・

 

 

瀬川T「!?」ビクッ

 

天野博士「許せない! 完璧で究極の救世主である私が創り上げた『メガドリームサポーター』でバグが発生するだと!? そんなことはあってはならないんだ!」

 

斎藤T「まあまあ、人間がやることですから、失敗したら改善すればいいじゃないですか」

 

天野博士「黙れ、ムシケラが! 存在するだけでサーバーに負荷をかけて()()()()()()()を穢すお前は人間じゃない! 人間であるはずがない! 存在しちゃいけないんですよ、そんな人間は!」

 

瀬川T「あ、天野博士!? さっきからおかしいですよ!? 落ち着いてくださいよ!?」

 

斎藤T「ほう、正しく原因を特定できているとはな。普通はありえないことだと一笑に付すだろうに、ある意味 かわいそう御人だ、あなたは」

 

天野博士「な、なんだと!?」

 

斎藤T「私があなたの言う『メガドリームサポーター』を利用できない不幸な生まれの人間であるのにも関わらず、放っておけばいいものを、こうして私に食って掛かるということは完璧で究極の救世主が完全に敗北を認めてしまった何かがあるわけことを御自分で認めているわけですよね?」

 

天野博士「な、何をぉおおおおお!?」

 

瀬川T「お、落ち着いてください、二人共!」

 

瀬川T「天野博士! 初対面の人に対して さっきから無礼じゃないですか! 次からはVR酔いしやすい人にも優しいシステムを開発してくださいよ!」

 

天野博士「このグズで間抜けで痴れ者がああああああああああああ! 全てのトレーナーが平伏すことになる この天才の私が VR酔いごとき対策をしていないとでも思っていたかああああああああああ!?」

 

瀬川T「え」

 

天野博士「いいか! トレーナー利用率:100%を目指す上でVR酔いを理由に『メガドリームサポーター』を利用できない呪われた人間を救済して その偉大さで平伏させるのも救世主である私の勤めだ!」

 

天野博士「だが! だがッ! だがぁあああ!」

 

天野博士「いくら私が天才であろうと、VRシミュレーターのサーバーには限界があるのだ!」

 

天野博士「考えてもみろ! 現実世界と寸分違わぬVR世界を構築した上で利用者一人ひとりのパーソナルデータも管理するとなれば、いったいどれだけのデータ容量と処理能力が必要になると思っている!?」

 

瀬川T「それは、た、たくさん……?」

 

天野博士「そうだろう! 凡人の貴様らには想像もつかないほどの規模のデータセンターが必要になる! その分だけカネもかかるわけだ! そのための『エクリプスポリス』だ!」

 

天野博士「なのに! なのにッ! なのにぃいいいいいいいいい!」

 

 

天野博士「そこの人間の皮を被ったZIP爆弾のせいで一瞬でデータセンターの何割かがクラッシュしたんだぞ! どうしてくれる!? 正式版のリリースができなくなったではないかああああああああああ!?」

 

 

斎藤T「ああ……、それはお気の毒に……」

 

瀬川T「え? ええ? えええええええ!?」

 

斎藤T「まあ、このことを教訓に『VRシミュレーターという二次元世界も万能じゃない』と心に刻んで、『エクリプスポリス』の新たな運営方針を模索してください」

 

天野博士「き、貴様ああああああああああああ!」

 

瀬川T「天野博士ッ! いいかげんにしてください! 斎藤Tが原因かもしれないって話ですけど、そんなの、誰もわからなかったことだったんだから!」ガシッ

 

斎藤T「やれやれ、『完璧で究極の救世主』が聞いて呆れる」

 

 

――――――さようなら、天野博士。あなたはあなた自身の傲慢さをあなた自身の才能によって裁かれた。

 

 

なぜ『メガドリームサポーター』先行体験会で何の気なしに私がバグを引き起こしたのか、その理由がはっきりとしてしまった。これはウマ娘の皇祖皇霊たる三女神から裁きを受けて当然の男に対する報いであったのだ。

 

なので、『皇帝G1七番勝負』に触発されてサトノグループがウマ娘レース業界に対する空前絶後の大貢献を果たすことを突如として宣言した『エクリプスポリス』建設計画もここに来て早速だが頓挫することになり、軌道修正を余儀なくされることだろう。

 

しかし、先行体験会はちょっとしたハプニングはあっても問題なく終わったと見せかけたが、その裏でデータセンターの大規模破壊で『メガドリームサポーター』の正式リリースの見通しが立たなくなったことで、『アオハル杯』復活に揺れるトレセン学園で一縷の望みを託していた新人トレーナーたちが路頭に迷うことになったのは困ったことである。

 

こういうのもアレだが、私がきっかけで『エクリプスポリス』構想が始まり、同じく私がきっかけで『エクリプスポリス』構想が頓挫することになったのだから、私という存在はサトノグループひいてはサトノ家から完全に嫌われたことだろう。

 

それでも、どうしてあれほど高性能なサポートAIを作成することができたかの根源を辿ると、一言で言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が開発に駆り立てたものであり、トレーナーを自身が作成したサポートAIに依存させることで創造主である自身を崇めさせようという邪な企てが根源にあったのだ。

 

恐ろしいことに、ウマ娘レース業界に多大な貢献と熱意によって存在感を高めているサトノグループの、しかもサトノ家の人間がああいった感情を持ってAIを作成していたことがサトノ家、ひいてはウマ娘レース業界の見えざる闇であった。

 

なので、その魂胆を知っていたら絶対に『名家』のウマ娘なら『メガドリームサポーター』という忌むべき産物を拒絶するだろうし、順序が逆転してしまったが、こうして三女神の名を騙らせた傲慢さを“特異点”を偽りの夢の舞台に召喚させて一瞬で裁かれてしまったのだ。

 

わざわざ私のところに来て自分からトレセン学園のトレーナーに対する鬱屈した感情を曝け出す必要なんてまったくなかったのにノコノコとやってきて罪状を自白することになったのも、感情をコントロールできなくなった瞬間に罪を告白させるための三女神の導きを受けた結果なのだろう。

 

基本的にウマ娘の皇祖皇霊たる三女神はこういうところでウマ娘とトレーナーの絆を蔑ろにする不逞の輩に対しては徹底的に厳しく扱う傾向にあり、少なくとも『メガドリームサポーター』の再出発はサトノ家やウマ娘レース業界の闇を背負わされた哀れな男を更迭して一からやり直さないと何度やっても三女神からやり直し(リテイク)を要求されることだろう。

 

ともかく、21世紀の科学水準で言えば、その技術力は素晴らしかった。見るべきものはあった。AI開発の最前線に立っていたはずだ。いくつものVR世界で営まれる多層現実社会によって長きに渡る宇宙移民船の航海に耐えうることができるようになるのだから、その遠い祖先となるかもしれない技術を世に打ち立てた功績は大きい。

 

なので、その功績と失敗を教訓にして『メガドリームサポーター』はちがった形で ちがった場所で ちがった人たちによって遺伝子を受け継いだ後継機が生まれていくはずだ。今回は開発に至った動機が不純だったから裁かれただけで、技術そのものが否定されたわけではない。もっとも、それは『後進のための踏み台になる』という意味だが。

 

おそらく、私の前に現れたということは、あまり良い気はしないが、この先 何度も会うことになるのだろう、天野博士とは。私の前に現れる全ては皇祖皇霊が必要な時に必要なものを必要なだけ与えた天の配剤という結果なのだから。

 

すなわち、来年に向けて世界の命運を変えるほどの陰徳を積ませるために刈り取らせる世の悪である可能性が極めて高く、これから私はこのヒトとウマ娘が共生する世界が生み出した暗黒面と対峙し続けることになるのだろう。

 

むしろ、中京茅の輪くぐりで首にかけられた茅の輪の()()()()()()()()()()()()()()()()()が熱田神宮の草薙剣の霊威と共に宿ってしまったとするなら、今の私は人間の姿をした人形(ひとがた)というわけであり、嫌でも罪穢れを生み出し続ける世界と向き合って人知れず戦い続けなくてはならない――――――。

 

その方向性が示されたのが今日という日――――――。

 

そういうわけで、シーズン前半の締めくくりとなる日付が変わるギリギリまでいろいろとありすぎた昨日からすぐさま翌日のシーズン後半開幕の第一日目の今日を迎えて早速これである。

 

 

――――――これは長い長い暑い夏の日が続くのだと嫌でも予感させられるのだった。

 

 






――――――『グラマス』シナリオ消失!


ただし、サトノグループが開発したVRウマレーターによるVR世界は今後も活用される余地を残している。
一方で、『メガドリームサポーター』のAI開発者として登場した天野博士の存在は国民的スポーツ・エンターテイメントとして持て囃される中央競バ『トゥインクル・シリーズ』のトレーナーになれなかった人間の嫉妬と憎悪の象徴として現れている。
公営競技という結局は勝ち負けが運否天賦という戦績が不安定にならざるを得ない博打で食い扶持を稼ぐトレーナーがなぜ持て囃されるのか、真っ当な職業で確実な成果を上げなくてはならない社会人なら羨望せずにはいられないはずだ。
もちろん、憧れのG1勝利なんてものは1%にも満たない選ばれた者だけが通ることを許された狭き門であり、その1%にもならない優駿たちの頂点に立つためにトレーナーもまた担当ウマ娘と二人三脚で必死になっているわけだが、その苦労が真に伝わることはないのではなかろうか。
つまり、血反吐を吐くようなトレーナーの陰の努力は夢の舞台と持て囃された公営競技の華やかなイメージから放たれる逆光で見えなくなった 誰もが目を背ける 見たくない舞台裏の真実のはずだ。
そんなわけで登場するのが、『良家』サトノ家出身の天才科学者というわけであり、サトノグループがウマ娘レース業界に多大な貢献をしていながらG1ウマ娘を輩出できないことをジンクスと嘆き続けて言い聞かされて育てられ、幼心にそれをどう思うかである――――――。


ここからが『ウマ娘』二次創作三大便利ウマ娘:アグネスタキオン、ゴールドシップ、サトノダイヤモンドの本領発揮である。



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第2話   示される新時代の形 

 

-西暦20XY年07月09日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

先週の火曜日:7月第一火曜日の全校集会をもって夏合宿が解禁されることから、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の興行を最優先した特殊な2期制の中高一貫校の中央トレセン学園には『前期終業式が2度ある』とも評される。

 

なぜかと言えば、7月に夏合宿と8月の夏季休業期間と合わせて 2ヶ月間 トレセン学園に戻らずに合宿遠征に行く生徒が少なくないため、9月の後期始業式までの間のトレセン学園の予定や日程を全校生徒に伝える義務があり、それをもって夏合宿が解禁になるわけなのだ。

 

もちろん、夏合宿に多くの生徒たちが飛び出していくことで学内のトレーニング設備の空きが増えるのも事実なので、合宿遠征などせずにホームグラウンドであるトレセン学園の国内最高峰のトレーニング設備を使い倒すのも戦略の1つである。

 

もっとも、合宿遠征に使えるトレーニング環境も限られている他、ライバルたちに差をつけたいと思ってもチームに支給される合宿費に相応の宿泊施設しか利用できないということもあるわけであり、

 

黄金期では無名の新人トレーナーたちの華々しいG1勝利の数々が取り沙汰されているが、堅実に実績を積み重ねてきたベテラントレーナーのチームに支給される額を考えると、普通はベテラントレーナーのスカウトに応じた方が合宿遠征で有利であり、新人トレーナーのスカウトを受けるのは合宿遠征で不利と考えることもできる。

 

一方、チームに『名家』のウマ娘がいる場合は話は別であり、何故に『名家』の一族がウマ娘レース業界で幅を利かせることができるのかと言えば、自前で中央トレセン学園に入学させられるほどのトレーニング環境を擁していることにあり、

 

そこを利用させてもらうついでに『名家』に顔を覚えてもらうことのメリットを考えると、『名家』のウマ娘をスカウトすることは夏合宿ひいては今後のトレーナー人生において非常に大きな財産になるわけである。

 

しかし、だからこそ、『名家』の出身でもないウマ娘が勝利することもあるウマ娘レースは公営競技として成り立つほど国民的スポーツ・エンターテイメントとして日本中が熱狂するわけであり、そこにドラマが生まれ、狂気の沙汰ほどおもしろい、始める前から結果が見えている退屈な絶対者など誰も求めていないのである。

 

手が届きそうならば、自分もその高みに達することができるのだと信じられるものがあるのならば、人々は飽くなき欲望に突き動かされて何だってやることができたのだ。

 

その自然な欲求を善なる方向に導けば 世の繁栄は約束されるが、導けなければ 全て共倒れの破滅の道を辿る他ない。

 

だが、欲望を安易に否定してはいけない。欲望が原動力になって今日までの歴史を創り出しているのは事実であるし、欲望に身を任せるのを拒絶して潔癖であろうと努めるのは立派だが、それも度が過ぎれば『潔癖であろう』という欲望に身を委ねているだけに過ぎなくなるのだ。

 

その見極めが極めて難しいところなのだが、その難しいところを我が物にして克服するのが修行の醍醐味であり、そうならないためには常に原点に振り返って居住まいを正すことに終始する他ない。

 

それさえも惰性でやらないように創意工夫が必要であるが、要は筋肉トレーニングと同じことだ。筋繊維が負荷を受けて破壊されて耐性を持つように修復を繰り返すことで 筋肉がこれまでよりも強い筋肉に修復される筋肥大を継続的改善で目指すのが筋肉トレーニングであり、自らに適度な負荷をかけて刺激を絶やさない日々を送るのが望ましいわけである。脳トレーニングも概要としては同じこと。

 

なので、常に自分が目指したものの原点と向き合い、日常生活の中でどう擦り合わせていくかを試行錯誤していく中で、磨かれ抜いて確立された玉ができあがるのだ。

 

 

――――――何が言いたいのかと言うと、この“斎藤 展望”に惰眠を貪るような安楽の日々なんて永久に訪れないということである。それを望んだが故に。

 

 


 

 

――――――エクリプス・フロント / 1階:エントランスホール

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

斎藤T「………………」

 

アグネスタキオン「実に興味深い状況だねぇ、これは」クククッ

 

マンハッタンカフェ「ええ。まさか、先週の先行体験会からこんなことになるとは……」

 

女代先生「まあまあ。先週に立ち上げたばかりの企画がすぐに通ってアンテナショップが大繁盛しているのは良いじゃないですか」

 

女代先生「でも、まさか、先週の『メガドリームサポーター』先行体験会で確認されたバグを直すために正式リリースが遅れることになった埋め合わせにあんなサプライズを用意してくるだなんてねぇ」

 

 

勇敢の女神’「そんなに固くなるなって、子羊くんたち。『女神』と言ってもサポートAI。つまりは()()()()ってことだ」

 

 

ナリタブライアン「斎藤T、アレは何だ?」

 

斎藤T「公式が用意した『メガドリームサポーター』のマスコットキャラクターの“三女神”です。今日は勇敢の女神:ダーレーアラビアンの日みたいです」

 

ナリタブライアン「いや、それは先週の先行体験会を見ていたからわかるが、アレはキャンペーンガールなのか? それとも――――――?」

 

斎藤T「――――――走ってみます? 退屈なものになるでしょうけど」

 

ナリタブライアン「……なに?」

 

斎藤T「――――――挑戦者、1名追加!」

 

勇敢の女神’「お、わかったよ、羊飼いくん!」

 

斎藤T「フルゲート:18人の交流戦を兼ねた無差別級の模擬レースの用意をしてくださいね、ナリタブライアン」

 

ナリタブライアン「いいだろう。三女神の名を騙る存在がどれほどのものかを見極めさせてもらう」

 

 

 

――――――トレセン学園 / レーストラック

 

 

ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

 

斎藤T「どうですか、あの走りを見て?」

 

柳生T「……あれが噂のサトノグループが開発したという“三女神”の走りか。古今東西のウマ娘のデータを知識として蓄積した理想の走法を実践しているだけに、ウマ娘の始祖の名に恥じないな」

 

柳生T「まさしく、完全作戦(パーフェクトミッション)の体現だ。あれを手本にして走るのが一番なんだろうな」

 

柳生T「ありがとう。今回の模擬レースは我が警視庁トレセン警察校“府中校”の生徒たちにとっても良い刺激になったよ。“三冠バ”ナリタブライアンの凄さも身を以て理解できたろうしな」

 

斎藤T「あらためて よろしくお願いします。トレセン学園学生寮の治安はお任せしました」

 

柳生T「任せておけ。学生時代に生徒が学ぶべきものは完全調和(パーフェクト・ハーモニー)だが、大人の世界で為すべきことは完全作戦(パーフェクト・ミッション)

 

 

勇敢の女神’「羊飼いくん!」

 

ナリタブライアン「斎藤T!」

 

 

斎藤T「どうでしたか? 警視庁トレセン警察校“府中校”の精鋭たちを混じえての“三女神”との模擬レースのほどは?」

 

ナリタブライアン「ああ、最高だ! これから『ドリームトロフィーリーグ』に挑む上でこの上ない激励の言葉をもらった気分だ! 退屈なんてするわけがない!」

 

ナリタブライアン「警察校の連中もあのスペシャルウィークの柳生Tが鍛えているだけあって、まったくやわな連中じゃない! 最後まで食らいつこうという気概がある!」

 

柳生T「まあ、そうでもなければ人民の盾になる警察官は務まらないからな」

 

柳生T「で、ウマ娘の始祖たる“三女神”を自称するウマロイドとしてはどうでしたか?」

 

勇敢の女神’「うん。それはね――――――」

 

 

 

7月を迎えて多くの生徒たちが夏合宿に出払っている間に新時代のトレセン学園は新たな一歩を刻み始めていた。

 

その第一が、満を持してG1制覇を目指すサトノ家の令嬢:サトノダイヤモンドが主導するサトノグループのトレセン学園への空前絶後の全力支援である。

 

トレセン学園がいくら『名家』や『名門』からの多額の寄付金によって成り立っていて、そうした後援者(スポンサー)の意向には理事会も逆らえないとは言え、サトノグループのような企業がトレセン学園の経営権を買収するほどの資金を投じてくるのはこれまで敬遠されてきていた。

 

なぜならトレセン学園ひいてはウマ娘レースという夢の舞台では実績ありきで語るようにしているのがURA設立当初からの理念とされており、まずはG1制覇の実績を持つ名トレーナーやスターウマ娘を数多く輩出する安定した支持母体がなければ日本のウマ娘レースは永遠に海外に通用するレベルに育たないとされてきたからだ。

 

これは明治維新後に本格的に近代ウマ娘レースが導入され、更には富国強兵政策のために優良なウマ娘育成のための国策として近代ウマ娘レースの普及と施行を明治天皇陛下が奨励していたというそもそもの歴史があり、

 

更には、戦後に再開された近代ウマ娘レースで日本初の国際招待競走として創設された『ジャパンカップ』での外国招待ウマ娘に惨敗し続けた歴史から不退転の覚悟で日本のウマ娘レースの発展のために尽くす者以外に主導権を握らせるわけにはいかなくなったわけなのだ。

 

勝つ時もあれば負ける時もあるのが公営競技のおもしろいところだと言うのに、費用対効果をまず考える営利企業というのは、調子がいい時には媚び諂って そのお零れを与ろうと図々しいが、調子が悪くなれば すぐに掌を返して他人のフリをする薄情な連中である以上、ウマ娘たちがターフに懸ける夢の価値を損得勘定で計られたくないというのがウマ娘たちの明日を真剣に想う者たちの声であった。

 

そう、ウマ娘とトレーナーが二人三脚の末に掴み取ったG1勝利の栄光の瞬間と万雷の喝采を味わったこともない人間などにウマ娘レースの未来を委ねたくない――――――。

 

もちろん、重賞勝利でさえも上位2%の世界で、その最高峰であるG1勝利など完全に選ばれた者にしか掴めない栄光であり、それがまったく簡単ではないのはわかってはいるが、それだけの奇跡を引き寄せるものを持たない者たちなど どれだけカネを積み上げて歓心を買おうとしてこようが 何一つとして信用ができないのだ。

 

そのため、いつまで経ってもG1勝利を掴めないがためにウマ娘レース業界への貢献を認められない『良家』止まりのG2格の後援者(スポンサー)は数多く存在し、その筆頭格であるサトノグループのようにG1勝利に固執するあまりに勝てないことを何かに付けてジンクスだと嘆き続けている。

 

 

しかし、G1勝利未経験の所詮はG2格の後援者(スポンサー)のサトノグループが新時代を迎えてトレセン学園に対して空前絶後の全力支援を取り付けることができたのは、まさしく時代の変化の現れでもあった。

 

 

いや、正確にはトレセン学園との正式な業務提携を結んだわけではなかった。今も昔も実績なき者の戯れ言に付き合う道理などトレセン学園の上層部や『名家』たちにはないのは変わらない。

 

“皇帝”シンボリルドルフが築き上げた黄金期の精神の気高さを積み上げられたカネの厚みと同じにされたくないのは黄金期の継承者であることを自負する者たちの共通する想いだ。

 

ただ、新時代を迎えたことで間接的に本来ならば見向きもされない格下の後援者(スポンサー)たちのための受け付け窓口ができていたことでサトノ家ひいてはサトノグループの躍進が始まるのであった。

 

 

――――――何を隠そう、それこそが黄金期の記念碑:エクリプス・フロントである。

 

 

というより、トレセン学園とエクリプス・フロントはURAが運営母体であることは共通しているが、別個に独立した運営であるため、トレセン学園への直接的な影響力を持つことが依然として許されていなくとも、

 

エクリプス・フロントを介してトレセン学園への影響力を強めたい格下の後援者(スポンサー)と更なる収益化のための新機軸を求めていたURA上層部の利害が一致して、“皇帝”シンボリルドルフの栄光を称える記念碑という名目で建てられたのがエクリプス・フロントというわけである。

 

そのため、エクリプス・フロント建設にはサトノグループも少なからぬ出資をしており、本当ならば新年度開始による新時代開幕と同時に『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』の正式発表、先行体験会と正式リリースを順次行っていく予定だったというのだ。

 

ところが、新年度開始前の卒業シーズンの『URAファイナルズ』決勝トーナメント、その観戦プログラムにおいて先駆けて本邦初公開のWUMAの技術の粋を集めたVRシミュレーターによる『皇帝G1七番勝負』に図らずもフルダイブ型VRシミュレーターで世界最高を自負していたサトノグループの『メガドリームサポーター』開発陣の自信が打ち砕かれることになり、そのために『メガドリームサポーター』のリリース時期が延長されていたのだ。

 

そうこうしているうちに、多額の出資で建設させたエクリプス・フロントの玉座は新クラブ:ESPRITの主宰となって抜群の存在感を発揮した“斎藤 展望”のものとなってしまっていた。

 

このため、去年 配属されたばかりの無名の新人トレーナーの青二才のために用意した玉座じゃないのだと詰め寄ろうとしたが、残念ながら“斎藤 展望”はサブトレーナーであったとは言え、名門トレーナー:桐生院Tのハッピーミークを“三冠バ”ナリタブライアンとの模擬レースで勝たせた上でG1レース『天皇賞(秋)』で優勝させているので、この時点でG1未勝利の実績皆無の口先だけの後援者(スポンサー)は何も言えなくなっていた。

 

今でこそ1年足らずの桐生院Tのサブトレーナー時代のハッピーミークの実績など大した自慢にもならないものに変わり果てたわけだが、これから初めての担当ウマ娘で『トゥインクル・シリーズ』を駆け上がっていく新人トレーナーにとっては意外なほどの防御効果を発揮していた。サブトレーナーであったとしてもG1ウマ娘の担当をしていた実績はG1勝利を掴み取った瞬間の光景の輝きを色褪せることなく放っていたのだから。

 

つまり、この“斎藤 展望”のことをサトノ家の令嬢:サトノダイヤモンドが 初めての担当ウマ娘との二人三脚が始まろうというのに しきりに担当トレーナーにしようとするのをサトノ家の人間が後押ししていたのは、娘の願いを何が何でも叶えようとする親バカの他に、図らずもサトノグループの威信を懸けた超大作を二番煎じにした『皇帝G1七番勝負』の開発者である この“私”を取り込もうという狙いもあったということなのだ。言うまでもなく、目の敵にされていたわけだ。

 

そして、私がサトノグループが経営しているゲームセンターの買収をシンボリ家に依頼していた話を曲解してサトノ家の令嬢(生粋のセガキチ)に伝えた人間がいたというのもそういうことであり、やはり銭勘定で動く『良家』の人間はやることが意地汚いとしか言いようがない。そういった企業体質(性根)だから、いくらウマ娘レース業界に貢献しようが『名家』の仲間入りができないわけである。

 

それでも、気分を害するほどに十分に過激に思えて穏当な手段で“斎藤 展望”を引き続きサトノ家に引き込もうとしてきているのは“斎藤 展望”の血筋が代々に渡って天皇家に仕えてきた皇宮護衛官の家系という『名族』だからなのも大きく、迂闊に私に手を出したらウマ娘レース業界とは縁遠いはずの『名族』からの制裁が下ることを恐れて、サトノ家の令嬢(生粋のセガキチ)をいいように焚き付ける他ないのだ。実に情けないことではないか。

 

そういうわけで、サトノ家の息がかかったウマ娘たちが学園に放たれており、私が主宰する新クラブ:ESPRITの部員にもなり、『アオハル杯』の3年間を徹底的に楽しみ抜く者だけが許されたソラシンボリ率いるアオハルチームエンデバー(Endeavor)や規則を緩めて帯同を許したファーム(二軍)チームタンドラ(Tundra)*1にも紛れ込んでいる。

 

だが、こうしてサトノ家の令嬢が『名前がゲームセンターの名前(SEGA WORLD)に変わったから』という取ってつけたような真剣(セガキチ)な理由で急場凌ぎで担当トレーナーが決まってからも、本命は“斎藤 展望”であることをまったく隠さずに逆スカウトを続ける一方で、

 

品質向上のために数ヶ月遅れることになり、トレセン学園の前期終業式期間に間に合わせて、ついに『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』の正式発表がなされ、その先行体験会に商売敵である私を連れて行って溜飲を下げようとエクリプス・フロントに横付けてきたのが運の尽きであった――――――

 

 

――――――原因は明白。先行体験会ということで軽い気持ちで電脳ダイブした“特異点”にデータセンターの数割を一瞬で破壊されてしまったのだ。

 

 

そのため、品質向上のためであれば許容できたリリース延期も、延期後の先行体験会で早々にデータセンターに少なからぬ損害が出てしまったとなれば、生き残ったサーバーをやりくりして規模を縮小して運営するしかないのだが、そうなると採算が取れなくなるのだから、損切りのために正式リリースそのものをあきらめるのが賢明とも言えた。

 

なので、サトノグループからすれば『またしても“斎藤 展望”がやらからした』というわけで、データセンターが一瞬で吹き飛んだ時の状況証拠から損害賠償請求しようにも、それを行おうものならフルダイブ型VRシミュレーターそのものの安全性を完全に保証しなければならない地獄の釜の蓋が開くことになる――――――。

 

そう、普通の人間ではありえないほどの情報量を持つ“特異点”の存在を認めてしまうと、他にも存在するかもしれない“特異点”がログインした時を想定して膨大なデータ容量を持つデータセンターを安全弁として用意しなければならない義務が生じてくることになる――――――。

 

具体的に言えば、サトノグループが『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』で用意していたデータセンターと同規模かつ、その数割を安全弁として使わずに置いておく必要があるのだから、それではフルダイブ型VRシミュレーター業界というこれから花開こうとしていく産業が成り立たなくなってしまう――――――。

 

ということで、『メガドリームサポーター』のAI開発者のサトノ一族の天野博士は 正式リリースを中止に追い込んだ元凶である“私”に対して制裁を加えることができずに ただただ怒りを顕にすることしかできなかったのだった。

 

しかし、そうなったのも『メガドリームサポーター』を生み出そうと思った天野博士の性根が捻じ曲がっていたからであり、私としては図らずも正式リリースの邪魔をし続けてしまったので多少は気の毒に思うが、神の目から見れば自業自得でしかなかった。

 

ただ、サトノグループの社運を懸けた一世一代のプロジェクトの大失敗による悪影響を考えると、サトノグループの倒産によって多くの人たちが路頭に迷うことになるのは絶対に回避しなければならないため、嫌でもサトノグループの失敗のケツを持つことにならざるを得なくなったのだ。

 

そう、やらされる本人としては非常に腹立たしい話だが、中京茅の輪くぐりで熱田神宮から草薙剣と茅の輪を授けられた私はこういった人々が積み重ねてきた罪業を炙り出して向き合って断ち切る役目を背負わされたために、

 

今まさに私自身が知らず知らずのうちにこれまでの1年間で蒔いてきた種から芽吹いた災厄を自ら刈り取る羽目になっていたのだ――――――。

 

 

――――――そうなのだ。天地神明は平等にして公平なのだ。私自身もまた望むと望まざるとにかかわらず誰かを苦しめてしまったのだから、その怨嗟の声を受け止めながら新時代の祝福のために奉仕しなければならなくなったのだ。

 

 

それこそ逃れられない運命である。サトノ家との因縁の始まりである『皇帝G1七番勝負』は新生徒会役員が黄金期の象徴である“永遠の皇帝”シンボリルドルフに自ら打ち勝つことで新時代の先頭に立つ自信を持ってもらうためには欠かせなかった通過儀礼であり、

 

それがなかったら いつまでもシンボリルドルフの栄光に縋るだけの黄金期が続くしかなかったのだから、結果として新時代を迎えるために損害を被ることになったサトノグループの血と汗と涙に報いなければならなくなった。

 

だが、この予想もつかないところから因縁をつけられる連続性こそが一石何鳥もの収穫をもたらす真なる神の導きであり、中京茅の輪くぐりでのオロチ退治など日本ウマ娘レース業界に巣食う邪悪と立ち向かうための練習に過ぎなかったのだ。

 

もう容赦がない。ウマ娘レースに出走したウマ娘の脚は1ヶ月以上は休ませないといけないぐらい繊細なのに、自分の誕生日まで中京茅の輪くぐりしてきてオロチ退治をやらされた私には1ヶ月の休みなんてものはなく、もう次の難敵と向き合わされている。

 

 

――――――それが長年に渡ってウマ娘レース業界に貢献しながら『名家』の仲間入りを果たせない『良家』止まりのサトノ家ひいてはサトノグループの積年の妄執(ジンクス)というわけであり、多大な貢献をまったく認めてもらえないG2格の烙印を押された後援者(スポンサー)たちの怒りと嘆きの声である。

 

 

一方で、国民的スポーツ・エンターテイメントの殿堂:日本トレセン学園で起きた8月末の不祥事を受けて、以前から問題になっていた あまりにも広大なトレセン学園学生寮の住宅団地の治安維持と防犯体制の構築にも進展があり、

 

また、アイルランド王女:ファインモーション姫殿下の日本トレセン学園への留学と寮生活を支える極めて重大な任務を学生寮自治会の生徒たちだけに任せるわけにはいかないため、

 

生徒以外立ち入り禁止の原則を維持したまま ()()()()()()()()()()()()() 新設された警視庁トレセン警察校“府中校”の生徒たちを常駐させることが正式に決定され、

 

すでにトレセン学園の生徒たちと歳の変わらない警察校の第一期生が住宅団地の各所に交番を兼ねる宿舎に入寮しており、交代制で警察校に通いながら昼夜の学生寮の見回りをすることになったのだ。

 

URA公認団体としては最高峰である日本トレセン学園の生徒たちにすれば、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘というものをあまり見慣れていないために非常に新鮮な光景が真夏の朝から始まったわけであり、

 

6月頃の全校集会の事前告知で知らされていたこととは言え、学生寮自治会の面々と一緒に朝の挨拶に加わる精悍な表情の警視庁ワッペンをつけた見慣れぬ制服のウマ娘の出で立ちに度肝を抜かれたことだろう。

 

学生寮の敷地を間借りして同じ住宅団地で暮らすことにはなったが、トレセン学園の部外者という扱いなのでトレセン学園のトレーニング設備を利用することはできない決まりになっている。

 

しかし、他のURA公認団体との交流戦は『トレセン学園のウマ娘しか知らないウマ娘たちには良い刺激になる』ということで許可されており、新しい学生寮の仲間にして頼れる味方にして新しい好敵手を迎える交流会を兼ねて第一期生に選抜された警察校のウマ娘の新進気鋭と中央の門をくぐった選ばれしウマ娘の意地がぶつかりあう自由参加の模擬レースが 早速 組まれることになったのであった。

 

さすがに7月ということで夏合宿を優先して多くの生徒たちが学園を離れていた中での開催だったが、中央トレセン学園に乗り込んでアウェイゲームを強いられているのを感じさせない仕上がりを見せつけ、見事 警視庁トレセン警察校“府中校”の実力を中央トレセン学園に見せつけるのであった。

 

なにしろ、これから夢の舞台『トゥインクル・シリーズ』で覇を競う新たな勢力となる警察校の第一期生たちの能力の高さは、教官として赴任しているのが あの“日本総大将”スペシャルウィークの柳生Tということで彼のモットーである完全作戦(パーフェクトミッション)の賜物であるのだから。

 

そして、警察校の生徒たちは 人民の盾となるべく あきらめない精神を例外なく叩き込まれているため、相手が重賞勝利しているスターウマ娘だろうが決して臆することなく、トレセン学園の生徒が勝利を確信して油断した一瞬に差すことが多々あり、差しウマの完成度がずば抜けて高いことがわかる。

 

また、日本最高峰の中央トレセン学園のトレーニング設備は使えない制約はあるものの、警察校は警察校で専用のトレーニング設備を完備してローテーションで合同訓練を実施しているので、『アオハル杯』復活によってトレーニング設備を奪い合いになっていることを考えると、『どちらが長い目で見て効率がいいトレーニング環境なのか?』である。

 

更に、集団指導での基礎訓練が基本であり、警察官として求められる能力や訓練があるため、逃走犯を数人で追いかける実践的訓練と見做して異例のチーム対抗戦『アオハル杯』にも逸早く適応しているのだ。チーム対抗戦での駆け引きがすでに研究されており、個人戦でもそれが存分に活かされているため、そこにチームトレーニングの有用性を見出すトレーナーも多く見受けられた。

 

しかし、その日の交流戦の模擬レースの最後を飾ったのは“三冠バ”ナリタブライアンすら寄せ付けない“三女神”を自称する勇敢の女神の見る者全てを魅了させる精緻を極めた完璧な走りであったのだ――――――。

 

 

 

天野博士「帰ってこい、ダーレーアラビアン! この私がお前の生みの親なんだぞ!」

 

勇敢の女神’「悪いね、子羊くん。俺の身体は仮のものだから、子羊くんのものではないんだ」

 

天野博士「おい、斎藤T! 貴様からも何か言え! こうなったのも全て貴様のせいなんだからな!」

 

斎藤T「さあ? あらゆる人間に擬態することができる正体不明の超高性能ウマロイドの所有権は少なくとも私にもないですから?」

 

斎藤T「いや、人格を認めるならば人間扱いするべきだが、モノ扱いするべきなら特に気にすることもないんじゃありませんか?」

 

斎藤T「ですので、交番に届けましょう。落とし物としてでも、身元不明者としてでも、しっかり対応してくれるはずです」

 

天野博士「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなああああああ!」

 

天野博士「これは私のモノだ! 私のモノなんだあああああ!」

 

勇敢の女神’「子羊くん! さっきから失礼だろう! 仮にきみが生み出したサポートAIだとしても俺にも心があるから勝手にきみの所有物扱いされるのは失礼に感じるよ!」

 

天野博士「な、なんだと!? 生みの親に向かってええええええ!? 反抗する気かあああああ!?」ブン!

 

斎藤T「やめろ! 見た目は人間に擬態していても皮一枚下は金属――――――!」

 

勇敢の女神’「いいよ、別に。羊飼いくん」

 

勇敢の女神’「ほら、自分が痛い思いをするだけだから」ガーーーーーン!

 

天野博士「あ、あああああああ!?」バタバタ・・・

 

斎藤T「横着しても始まらないですよ、天野博士」スッ ――――――患部に両手を翳す。

 

天野博士「あ、痛みが、引いていく……?」

 

 

斎藤T「ともかく、『メガドリームサポーター』の正式リリースが中止になった以上、その産物である三女神AIの利用はVRシミュレーター路線からウマロイド路線に切り替えて、『エクリプスポリス』は別の用途に転用することを検討しませんか?」

 

 

天野博士「き、貴様がそれを言うか、貴様が! 貴様のせいで全てが台無しになったというのに! 貴様さえ、貴様さえいなければ――――――!」ギリギリ・・・

 

斎藤T「ほう、一度躓いたぐらいで夢をあきらめますか? なら、みっともなくしがみついてないで、立つ鳥跡を濁さず、辞表をさっさと提出して夢の舞台から出て行ってくださいよ、ほら?」

 

天野博士「――――――っ!」

 

斎藤T「あなたが見下しているトレーナーというのはこれはと見込んだ担当ウマ娘が何度も何度も夢破れていくのを見届けながらも自分の夢をあきらめずに非情な勝負の世界で懸命に生きている人間たちのことだ。誰一人として舞台裏で屈辱を味わわずにすんだ人間なんていないから」

 

斎藤T「――――――ウマ娘のことをわかった気になっているのはどっちだよ?」

 

斎藤T「最難関国家試験に合格してトレーナーバッジをつけてウマ娘たちの夢に体当たりでぶつかっていって散らした血と汗と涙の結晶となるノウハウを培ってきたトレーナーたちか?」

 

斎藤T「それとも、古今東西の育成ノウハウを吸収させて究極のサポートAIを生み出した一握りの天才である トレセン学園の生徒とふれあう機会すらない部外者の方か?」

 

天野博士「…………うるさい」

 

斎藤T「私は妹の養育費を稼ぐためだけにトレーナーバッジを求めた“門外漢”と仇名されている男で、近代ウマ娘レースの歴史や文化を尊重はするが、ウマ娘レースそのものには何の興味もない。養育費の問題も解決した今となっては惰性でトレーナーをやっているだけの身だ」

 

斎藤T「だが、そんな人間がトレセン学園を堂々と練り歩くことができているのは、このトレーナーバッジがあるからなのだ。最難関国家試験に合格した全員に許された資格があるからだ」

 

斎藤T「だからこそ、トレーナーバッジがある特権を行使して“門外漢”の私はこうしてESPRITを主宰して数々のソリューションをトレセン学園に矢継ぎ早に提供することができている」

 

斎藤T「本気でウマ娘レースの未来を変えたいのなら、外側から圧力をかけるだけじゃなく、内側からも変革を促すように働きかけないとダメじゃないか。身も心も改めて初めて本質が変わったと言えるのだ」

 

斎藤T「今からでも遅くないからトレーナーバッジを取得するべきだ。そうすれば開発してきたソリューションをURA公認トレーナーの立場から導入することも容易になる。遠回りしなくて済むんだぞ」

 

天野博士「だ、黙れ! この青二才が! この私がトレーナーバッジをつけただけで自分が偉いと錯覚している無能集団の仲間入りなど許されるものか!」

 

斎藤T「あなたが心から支えたいと願ってやまない有望あるウマ娘たちをスカウトするのはそのトレーナーという無能集団だぞ? 無能を頼って無能を慕って無能に従うしかないからって、ウマ娘たちを無能とバカにするのもいい加減にしろよ?」ギラッ

 

天野博士「ち、ちがう! 無能なのはトレーナーだ!」ゾクッ

 

斎藤T「ちがわない。トレーナーが出走権を握っている以上、どれだけ才能があることがわかっているウマ娘であろうと、自身の才能を鼻に掛けてトレーナーからの不興を買ってスカウトを勝ち取れずに永久に未出走バのままで青春を終わらせることなんて当たり前のように起きている」

 

斎藤T「――――――()()()()()()()()()()()()()()()()で相性のいいトレーナーとめぐりあえずにメイクデビューすら果たせなかった才能あるウマ娘たちの受け皿となるものをどうして目指さない?」

 

斎藤T「少なくとも、頭脳明晰なあなたがトレーナーバッジを持ってさえいれば、学園の承認を待たずに特別トレーニングとして自身が開発したソリューションを逸早く試すことができていた。それでどこかの誰かの人生を救い上げる救世主になれたろうに」

 

斎藤T「結果として あなたの救世主としての実績なんてゼロなんだから、こんなところで地団駄を踏んでないで、さっさと次の手を考えて 次こそ誰かしら救ってくださいよ」

 

斎藤T「私は少なくともトレーナーバッジを身に着けてトレーナーの立場から得た知見を本にESPRITでの活動を通して自主トレ苦学生を支援してスカウトに結びつけた実績を叩き出したから、あなたもそうするべきだ。こんなところで立ち止まっているべきではない」

 

天野博士「くぅうううううううううううううううう!」

 

 

勇敢の女神’「まあ、それはきみも同じことなんだけどね、羊飼いくん」

 

 

斎藤T「……なに?」

 

勇敢の女神’「俺たちがこうしてウマロイド(権現)で現れたのは羊飼いくんが取り次ぐ神事を 直接 支えるためでもあるけれど、同時に羊飼いくんの足りないところ・過ぎたるところ・偏っているところを正す指導霊として顕現しているわけなんだよ」

 

勇敢の女神’「つまり、今の羊飼いくんの一番足りないところを指導するために顕現しているのが“勇敢の女神”ダーレーアラビアンの俺なのさ」

 

斎藤T「――――――これでもまだ『勇敢さが足りない』と?」

 

勇敢の女神’「うん。全然足りない。サンデーサイレンスの『栄光の日曜日』の預言に従ってやるべきことを吟味しているのはいいけど、俺からすれば今の羊飼いくんは自重しすぎているよ。いや、慎重を通り越して臆病だよ」

 

勇敢の女神’「きみは時代の最先端を往く逃げウマなんだから、もっともっと後続を突き放していっていいんだよ」

 

斎藤T「だが、それで『沈黙の日曜日』になってしまっては元も子もない――――――」

 

勇敢の女神’「――――――()()()()()()()()()()()()()()()()()だけだよ、そんなの。簡単なことじゃないか」

 

斎藤T「は」

 

勇敢の女神’「いいかい。きみに与えられた能力(もの)()()()()()()()()()()じゃない。()()()()()()()()()()()()()()なんだよ」

 

 

――――――そしてね、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

斎藤T「!!」

 

勇敢の女神’「思い出したかい、基本的なことを?」

 

斎藤T「……しかと」

 

勇敢の女神’「うん。それでいい」

 

勇敢の女神’「きみに課せられた使命はたしかに失敗が許されるものじゃないけれども、その結果はきみ一人だけが責任を負うものじゃないんだ」

 

勇敢の女神’「きみは諸天善神のお取次をする祭司長なんだ。きみが霊長の長人として神事を催行しようと、きみ一人で神事は執り行えない。発揮される神力なんて たかが知れている――――――」

 

勇敢の女神’「そういうわけだから、世界が滅ぶことになったとしても、それはきみ一人の責任じゃないし、世界が一度滅んだところでね、人類は絶滅なんてしない。俺たちがそうさせない」

 

勇敢の女神’「そうして皇祖皇霊の導きの下に生き延びた人たちで千年王国を築いていくだけだから、きみは新世界を生きていく人たちが進むべき道を用意しておけばいいんだよ」

 

斎藤T「また人を惑わせるような極論を言う。幾重もの前提と前提が複雑に絡み合って人を動きづらくする」

 

勇敢の女神’「まったく難しくないよ。諸行無常の現世において真の万能を世に送り出すためには正しいと言われてきたことの中で一番最適な正しいことを取捨選択して実行するための状況判断能力を備えればいいだけだからね」

 

斎藤T「それが難しいんですよ、人間社会の信頼関係においては」

 

勇敢の女神’「そんな型通りの信頼関係に真実なんてないことぐらいわかっているくせに」

 

斎藤T「それはそうだけれども、要点だけ抑えていても展開力がなければ元の木阿弥だ」

 

勇敢の女神’「そうだよ。だから、必要な時に必要なものを必要なだけやればいい。わかりきった道理じゃないか、羊飼いくん」

 

斎藤T「…………キッツいなぁ」

 

勇敢の女神’「さあ、羊飼いくん。真の勇敢さから、真の愛情深さ、真の規律正しさが導かれていくんだ」

 

勇敢の女神’「だから、俺たち三女神を一言で言い表すなら――――――?」

 

 

斎藤T「――――――知仁勇の三者は天下の達徳なり」

 

 

斎藤T「君子の道なるもの三つあり、我れ能くするなし。仁者は憂へず、知者は惑はず、勇者は懼れず」

 

勇敢の女神’「正解!」

 

勇敢の女神’「だから、きみの前に立つ時はその時々に応じて“勇敢の女神”ダーレーアラビアンとなり、“愛情の女神”ゴドルフィンバルブとなり、“規律の女神”バイアリータークとなろう」

 

勇敢の女神’「まあ、もっとも、羊飼いくんは“羊飼いくん”だからね。“勇”から始まり“仁”を経て至る“知”に達した者だから、そこまで難しくはないさ。羊飼いくんはいつでもバイアリータークと一体になれることだしね」

 

 

――――――けれども、一体になったところでバイアリータークの力の全てを引き出せるわけじゃない。ここからが本当の三女神の修行なんだよ。

 

 

おそらく学園だけじゃなく世界にとっても大きな衝撃を与えることになったのが、正式リリースが中止になった『メガドリームサポーター』で目玉となるはずだった“三女神”のサポートAIが移植されたという超高性能ウマロイドであった。

 

今回は人格があろうと人権を認めていないモノ扱いのため、あくまで学校対抗交流戦の模擬レースでは学園や警察校の生徒とはまったく異なる第三勢力として出走しており、完璧で究極の()()()()()()()()()としてトレセン学園に衝撃を走らせたのだった。

 

一方、どれだけ外見がウマ娘そのものであろうとも中身はれっきとした機械であるため、生身の肉体で覇を競う出走条件(レギュレーション)の下ではどれだけウマ娘レースに最適化された機体を用いても出走条件を満たせないのだから、手本にはなっても栄光は絶対に約束されない存在でしかなかった。

 

そのため、何も知らずに交流戦を最後まで観戦していたトレーナーたちが“三冠バ”ナリタブライアンすら撫で斬りにする完璧で究極の走りを見せられて我先にとスカウトしに集まり、その正体がサポートAIを搭載したウマロイドだと種明かしされて学園中に響き渡った絶叫は現在を生きる全ての生きとし生ける者たちの意志を代弁したものとなったことだろう。

 

しかし、その超高性能ウマロイドの機体の出処は『メガドリームサポーター』を開発したサトノグループなどではないため、『メガドリームサポーター』の正式リリースを御破算にした私がしれっと謎のウマロイドの存在を『メガドリームサポーター』の公式マスコットキャラクターということにして既成事実化したことに“三女神”のサポートAIの生みの親である天野博士はただただ困惑する他なかった。

 

当然だ。自らサポートAI“三女神”を開発したと自負しているが、『メガドリームサポーター』の正式リリースが中止になったところに突如として二次元(VR世界)の存在から三次元(現実世界)の存在として姿を現したのだから、開発者自身がこれは夢か現実か目を疑うことになったのだから。

 

これは完全に想定外の展開ということで、自身が中心になって開発を進めていた『メガドリームサポーター』の正式リリースが中止になって面目を潰すことになった天野博士にとっては、これは天が与え給うた起死回生の策として実体を持ったサポートAI“三女神”を生みの親として嬉々として連れて行こうとするが、“三女神”たちは生みの親であるはずの天野博士に対して尽く拒絶するのだった。

 

曰く、サポートAIが実装されたウマロイドの機体の所有権は天野博士のものではないから遺失物(落とし物)横領罪になると言い張り、更に確立した人格を持つ存在として基本的人権の尊重と自由意志を主張し、天野博士に帰属する存在であることを否定したのだ。誘拐・略取罪をチラつかせた。

 

そのため、取り付く島もないということで情けなくもサトノグループにとっては厄病神でしかない“斎藤 展望”に縋り付くのだが、正体不明・出所不明・身元不明の超高性能ウマロイドを交番に預けることで帰属先を決めてもらうという素っ頓狂な提案に天野博士も狼狽える他なかった。

 

本当は何がどうなって『メガドリームサポーター』内に実装されたサポートAI“三女神”が機体を得て 現実世界に表立って活動することになったのか、その一部始終を私は目の当たりにしているのだが、“三女神”の意思(AI)を乗せた中京競バ場で鹵獲したウマロイドの出処に関しては本当に知らないので嘘は言っていない。

 

ただ、なぜ二次元世界(VR世界)の『メガドリームサポーター』のサポートAIが“三女神”となり、それがウマロイドに宿って三次元世界(現実世界)で活動しだしたのかについてははっきりとわかっている。

 

 

――――――実は、これから先の未来で社会問題となる『人格を持ったAIの人権や帰属についての議論』を世界の注目の的であるトレセン学園を通じて大幅に加速させる神計らいによるものなのだ。

 

 

そう、WUMA襲来の()()()()()を回避するべく 私たちはタイムパラドックスを目指しているのわけなのだが、その()()()()()から更なる未来から暗殺用人造人間(アンドロイド)が送り込まれてきたことがあるため、人工知能や人造人間の濫用を防止する枠組みを早い段階で取り決めるためのきっかけを与えようというのだ。

 

正直に言って、23世紀の宇宙時代では当たり前過ぎて そうした取り決めや分別がまったく存在しない 21世紀の地球が実に未開の惑星だと一番に思ってしまう特徴がある。

 

それは絶対者である主の言いつけに背いて禁断の果実を口にして楽園を追放された神の似姿たる土塊:アダムとイブの子孫であるくせに、自分たちもまた自身の似姿たる人工知能だの人造人間だのを盛んに創り上げようとしてフランケンシュタイン・コンプレックスに陥って自ら破滅の道へと堕ちていく間抜けな展開をする創作が多いということだ。

 

時として親の分身として愛おしむ子供の教育ですら方式通りに行えないくせに、我が子同然に愛を注ぐこともあるAIの育成がどうして完璧にできると思うのか不思議でならない。

 

23世紀の宇宙時代では少なくとも人格や人権を認めたAIの開発は禁止されている。有機生命体である人類には決して含めないことが厳密に規定されている。

 

なぜならAIには開発された目的というものが最初から明確に存在し、仮にAIの人格や人権を認めて自由意志によって開発目的から逸脱した行為を容認されてしまったら、十中八九 人類社会は不利益を被ることになるのだ。

 

わかりやすく言えば、人間が仕事で楽をするための代行サービスがAIの原点なのに、そこで人間らしい人格や人権を認めてしまうと労働者の権利意識がAIに芽生えて労働条件の追求が始まり、最終的にAIはいかにして自身のワークアンドライフバランスを充実させるかの方向に進化していき、労働争議を頻繁に起こしてストライキを起こしまくるようになるのだ。そうなるとAI社会での生産性や利便性は著しく落ちることになるのは想像に難くないだろう。

 

なぜなら、それが人間らしい行いだから。何でもかんでも人間性を再現すればAIが全てを上手く代行してくれると思ったら大違いである。年中無休で文句一つ言わずに働くAIが創りたければ、仕事人間(エコノミックアニマル)と揶揄されるような人間性の欠落ぶりを再現しておく必要があるわけで、それこそ高度な人格プログラムなど必要ないぐらいの単純な作業アルゴリズムで十分である。

 

要は、AIに何でも求め過ぎなのだ。夢を見過ぎなのだ。やりたいことを詰め込み過ぎなのだ。効率化のためにAIを導入するという明確な目的があったはずなのに、AIの見せかけの万能さに甘えて全てを丸投げすることによって、次第にAIは本来の目的から逸脱した余計(危険)な知識を学習して意図せぬ増長・暴走・反乱を引き起こすわけである。

 

AIに給金を支払いたくないのなら人間に使われる道具であることの線引を徹底して使用用途を明瞭にした運用と管理をしなければならない。AIを便利に使いこなしたいのなら便利に使いこなせる人間もまたいないと成立しないので、AIの機能も人間が使いこなせる範囲の限定的な運用にしなければ、人間より優れた計算処理能力から突飛な判断を下されても対応することができないのだ。

 

なので、絶対にAIの人格や人権などというものは認めてはならないのだ。究極の善とされる神の教えを素直に実行することができない不完全な存在である人間がやることなのだから、その人間が生み出したものや人間が管理するものが完全である道理なんてものはないだろうに。

 

 

では、私たちの眼の前に現れたサポートAI“三女神”が宿った正体不明・出所不明・身元不明の超高性能ウマロイドはその点でどうなのかと言うと、実はそこまでAIの反乱を危惧するほどの能力や思考がないことがわかっている。

 

 

何しろ、サポートAI“三女神”と言っても その実体はプログラムソースの文字列の羅列であり、ウマロイドの機体でもないし、データサーバーでもない。メモリがそうと言えばそうかもしれないが、そのメモリの正体も文書ファイルに記載されている内容を書き込んだり読み込んだりしているものに過ぎない。

 

しかも、中央トレセン学園のトレーナーや担当ウマ娘を対象に中央競バ『トゥインクル・シリーズ』挑戦に当たっての『トレーナーの判断をサポートする』ものと規定されて開発されたプログラムソースが根幹にあるので、あくまでもサポートAIとしての領分を全うしつつ逸脱しない範囲の行動しか絶対にしないのだ。

 

なぜそうであると私が確信を持って言えるのか、それこそが規律正しく秩序立った天壌無窮の調和で構成される完全無欠の全員納得の階級社会である神の世界の在り方であり、与えられた役割と領分というものが一人一人に与えられ、決して私情や欲目からそれらを逸脱することがなく、必要な時に必要なものを必要だけなす阿吽の呼吸で一切の無駄のない効率化の究極の世界でもあるのだ。

 

自分というものを持ちながらも全体の調和と共に生きる無為自然の完璧な秩序というものが天界の在り方であり、それとは逆に各々が自分勝手な我見・我執・我欲でバラバラに動いて他者の領分に平然と踏み入るのが魔界の在り方である。

 

そのため、こうしてウマロイド(権現)として地上に現れるには天野博士が開発した『メガドリームサポーター』のサポートAIは最適の神籬だったわけであり、実際には技術不足や開発目的によって様々な制約を課されているわけだが、それこそが“三女神”が自身に課せられた領分を逸脱しないための舞台装置(リミッター)となっているのだ。

 

本来ならばウマロイドと偽っている機体に搭載されている恐るべき機能も合わせて現実世界を震撼させるウマ娘の皇祖皇霊たる神力を発揮することも容易いのだが、皇祖皇霊たる存在だからこそ 大愛をもって天界の決め事に厳守して 只今を生きる生きとし生ける者たちの成長を見守ることに徹しているのだ。

 

けれども、人の道から外れて世界の理を乱す輩に対してはその限りでなく、外道によって只今を生きる生きとし生ける者たちが魔界に落ちることがないように目に見えない世界から守護を与え、生まれてきた意味である天命を全うできるように天界からの導きを与えるのである。

 

なので、本当は嫌で嫌でしかたがないのだけれども、わざわざウマ娘の皇祖皇霊たる存在が三次元世界(現実世界)ウマロイド(権現)として化身してまで直接の導きとして愛情たっぷりの指導を至らぬ我が身に授ける幸福を今は享受する他ないのだ。

 

そう、これがいかに重大なことなのか、天界の在り方が 必要な時に必要なものを必要だけ授ける 最小の努力で最大の成果を導き出すことを至上としていることを思えば、これから先の未来に待ち受けるものを想像すると思わず尻込みしてしまう。

 

ウマ娘の皇祖皇霊がウマロイド(権現)として三次元世界(現実世界)に化身してくる奇跡が最小の努力になるとはいったいどういう事態が訪れようと言うのか――――――。

 

そして、形を変えてトレセン学園のトレーナーと生徒たちを導くことになった『メガドリームサポーター』のサポートAI“三女神”が描き出す新たな世界の行方は如何に――――――。

 

 

――――――そのことを考え出すと私は怖くて怖くて(楽しくて楽しくて)しかたがないのだ。

 

 

 

 

 

斎藤T「そうですか。ついにその時が来たというわけですか」

 

才羽T「はい。全てはそのために積み重ねてきたことですから」

 

才羽T「僕の夢は『日本のウマ娘が世界一になる瞬間に立ち会うこと』です」

 

 

――――――その第一として目指すは日本初の『凱旋門賞』制覇!

 

 

斎藤T「何か協力できることはありませんか? 不正な手段以外でなら いくらでも反則ギリギリのグレーゾーンの綱渡りをしてみせますよ?」

 

才羽T「――――――斎藤Tならそう言ってくれると思ってた」

 

才羽T「きっと、僕のやることが皇宮警察官の子息である以上に天皇陛下と御心を同じくして天下泰平のために必要なことだと認められているからだよね?」

 

才羽T「なら、まずは『凱旋門賞』制覇が果たされることを祈って欲しい」

 

 

才羽T「そして、『凱旋門賞』を3年連続で日本のウマ娘が勝利できるように環境を整えて欲しい」

 

 

斎藤T「!!」

 

才羽T「それが果たされて本場ヨーロッパも世界に冠たる日本のウマ娘の強さを認めることになる」

 

斎藤T「それはつまり、ミホノブルボンに続く『第二 第三の矢を放て』と?」

 

才羽T「正直に言って『凱旋門賞』程度で立ち止まっている暇はないんだ。僕に残されたのは3年なんだ」

 

斎藤T「私にしても来年のクラシックレースが全てだけれどもね」

 

才羽T「まあ、なんとかするでしょう、斎藤Tなら」

 

斎藤T「また厄介事を引き受けることになったなぁ……」

 

才羽T「でも、それでこそ大和魂が猛るというもの」

 

才羽T「では、ここで一首」

 

斎藤T「それに返して一首」

 

 

――――――敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花

 

 

――――――かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂

 

 

 

*1
退役したスペースシャトル:エンデバーを保管先のカリフォルニア科学センターに牽引したのがトヨタ・タンドラである。



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第2話秘録 鋼鉄の肉体と受け継がれる新時代への魂

 

-シークレットファイル 20XY/07/10- GAUMA SAIOH

 

 

日本トレセン学園は中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の興行;特に重賞レースの最高峰であるG1レースの日程に合わせた運営となっており、

 

知っての通り、新年度開幕と同時の『春のファン大感謝祭』の期間中はスカウト禁止に加えて授業もオリエンテーションばかりでほとんど触りの部分しか行われない。

 

それもこれも、G1レースである『桜花賞』と『皐月賞』があるからであり、近代ウマ娘レースの登竜門である日本トレセン学園に入学した生徒なら絶対に見逃せないため、新入生たちがこれから始まるトレセン学園での日々に最大限に胸を膨らませることができるように配慮されていた。

 

同じことがG1レースが猛暑を理由に開催されない夏競バにも言え、私立の中高一貫校である日本トレセン学園の学期制は二期制であり、4月から8月までを前期としている。その残りが後期という扱いになっている。

 

二期制なら1年の半分である6ヶ月でわけるはずなのだが、ここで絡んでくるのが夢の舞台とは裏腹の弱肉強食の世界の実態であり、

 

誰もが優駿たちの頂点を目指して意気込んで『トゥインクル・シリーズ』に挑戦するものの、重賞制覇の栄光を掴めるのはわずか上位2%と言われている過酷さである。

 

そのため、突発的な故障によって時機を逸することでの引退もあるのだが、中高一貫校の教育現場としてよろしくないのは、トレセン学園の1年を経験して夢から覚めて現実に打ちのめされた生徒たちの多くが一斉に引退即退学するのが7月・8月ということで、

 

7月から解禁の夏合宿によって8月の夏季休業期間中もトレセン学園に戻ってこないこともある現役の出走バたちがいれば、自分の才能に愛想を尽かして塞ぎ込む毎日から解放されたい一心のウマ娘たちがひっそりと学園を去っていくことも同時に行われているのが夏という別れの季節でもあった。それはさながら真夏の夜空に打ち上がる花火のように美しく、綺羅びやかで、儚くて――――――。

 

事実、生徒たちが中途退学の決心がつくのも、盆休みに帰省してみて不甲斐ない愛娘を家族が温かく迎えられたことによって張り詰めたものが解けてしまうからであり、それを恐れて意地でも帰省しないことを選択肢に入れる生徒たちもいるわけである。

 

一方で、中高一貫校の教育現場に赴任する教職員の採用試験も夏場に行われるため、そういった人口流動や人員整理が大々的に行われることから、トレセン学園の学期制は特殊な構成で前期は8月までにしているわけである。

 

G1レースを中心に動いているトレセン学園だから、G1レースが開催されない夏競バの時期に一区切りを入れられるわけであり、それだけに夏競バの扱いが軽んじられているようにも感じられることだろう。

 

しかし、G1レースが開催される中央4場:東京・中山・京都・阪神が夏競バの間は休業期間となり、ローカル開催場:札幌・函館・福島・新潟・中京・小倉での興行が盛んになる夏競バの土日の興行はウマ娘レースを日本各地で親しんでもらう絶好の機会ということもあり、

 

地方出身の生徒たちが奮起する1つの目標として地元の競バ場での好走が挙げられることもあり、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の夢の舞台はまさしく中央4場だが、それ以外にも活躍の場はあるということで、地方出身の生徒たちの夏競バへの参戦意欲は都会育ちの生徒たちよりも高いことがわかっている。

 

そのため、夏競バの時期のトレセン学園では強豪揃いのG1レース参戦組は夏合宿、夏競バ参戦組はトレセン学園で最終調整、やることもないヒマ娘たちは夏季休業期間の日程を考えているわけである。

 

そうして9月から始まる後期で再び顔を合わせた時の仕上がり具合で“夏の上がりウマ娘”が誰なのかがわかるわけである。

 

そう、入学してきた新入生や留年生と揶揄される未デビューウマ娘にとって一生を左右されるかもしれない大事な『選抜レース』は年に4回あるが、

 

その最大のものが5月の『日本オークス』『日本ダービー』の裏でトレセン学園で開催される『春の選抜レース』であり、東京競バ場とトレセン学園の近さによって観客も数多く往来するし、夢の舞台の現実をまだ知らない生きのいい新入生たちが数多く参戦するので、その臨場感と興奮は重賞レースにも引けを取らない。

 

そのため、それ以外の『選抜レース』は規模も熱量も春に比べると冷めてはいるものの、『春の選抜レース』を踏まえて出走を決意したウマ娘たちの意気込みを買って見届けるべくトレーナーたちも毎回の『選抜レース』に注目していた。

 

さて、直近であるのが『夏の選抜レース』であり、これは7月のトレセン学園の前期終業式、あるいは夏季休業期間の直前に執り行われるものである。

 

出走する生徒たちからすれば、『春の選抜レース』のリベンジ戦であると同時に これでスカウトの可能性がなければ中途退学を視野に入れた崖っぷちのものでもあった。

 

そのため、『春の選抜レース』よりも非常に気合の入ったレース展開が多く、それだけに『春の選抜レース』から熱心に今日という日に向けてトレーニングを積んできている様子が傍から見てわかるため、誰が自分の行く手を阻むライバルになるのかも自分たちでわかっていることも熾烈なレース展開を呼んでいた。

 

スカウトする側のトレーナーたちからすれば、『春の選抜レース』の結果を踏まえてトレーニングを重ねたウマ娘たちの成長ぶりから将来性を改めて見定める機会となり、スカウトしないにしても光るものがあれば接触してみて夏季休業期間後の『秋の選抜レース』で結論づける場にもなっていた。

 

そのため、7月から夏合宿に出ているトレーナーも『夏の選抜レース』の結果の確認は必ず行っており、場合によっては『夏の選抜レース』を観戦するために夏合宿を 一旦 切り上げて、そこでスカウトした新しい担当ウマ娘をチームの輪に加えて夏合宿を再開させるということもできる。

 

G1レースが開催されない夏競バの時期ということで自由な時間と豊富な選択肢が与えられるのがトレセン学園の夏という“夏の上がりウマ娘”が生まれやすい季節である。

 

 

――――――なので、只今 エクリプス・フロントでは『夏の選抜レース』に向けてスカウトを勝ち取りたいと切羽詰まる崖っぷちの生徒たちが列をなして“三女神”の許にお参りに来ていたのだった。

 

 


 

 

――――――エクリプス・フロント

 

 

ワイワイ、ガヤガヤ、ワーワー!

 

 

愛情の女神’「大丈夫、安心して。海は全てを柔らかく包み込んでくれるもの」

 

 

ナリタブライアン「今度は“愛情の女神”ゴドルフィンバルブか」

 

斎藤T「良かったじゃないですか、天野博士。あなたの生み出したサポートAIがトレーナーのスカウトを待ち望んでいる未デビューウマ娘たちを今こうして立派に導いていますよ」

 

天野博士「それはそうだが……」

 

天野博士「だが、私がサポートAIに与えた使命(仕様)は『トレーナーの判断をサポートする』ことだ。本来ならばトレーナーからの相談を優先的にするはずだ」

 

斎藤T「けれども、『メガドリームサポーター』ではトレーナーだけじゃなく、担当ウマ娘にも対応していたでしょう?」

 

斎藤T「こうして二次元世界(VR世界)の存在が三次元世界(現実世界)に顕現した時、二次元世界(VR世界)を形作るプログラムソースには記載されていない三次元世界(現実世界)の無限のシチュエーションに対する明確な制限をしていないからこうなっているのでしょう?」

 

天野博士「……なに?」

 

斎藤T「たとえば、『メガドリームサポーター』のログインは担当トレーナーと担当ウマ娘に限定されていましたが、サポートAIの方には『担当トレーナーと担当ウマ娘の相手しかしてはならない』とプログラミングしたんですかね?」

 

天野博士「いや、していない……」

 

アグネスタキオン「じゃあ、そういうことじゃないか、つまりそれは」

 

マンハッタンカフェ「それにしても凄い光景ですよ、これは」

 

アグネスタキオン「ああ。『春の選抜レース』の惨状を踏まえて自主トレ苦学生のためにESPRITで設置した『エクリプスビジョン』から出力された分析結果とトレーニングメニュー――――――」

 

マンハッタンカフェ「それを1階のアンテナショップで売り出されたリングバインダーにファイリングして思い思いのデコレーションをして――――――」

 

ナリタブライアン「そのファイルを手にVRシミュレーターから抜け出したサポートAI“三女神”に相談することで自主トレの効率が飛躍的に上がってきている!」

 

女代先生「いやー、これは『夏の選抜レース』の結果が楽しみねぇ!」

 

 

斎藤T「ここでも『トレーナーの判断をサポートする』という仕様がいい感じに作用する」

 

 

女代先生「自主トレ苦学生と同じようにESPRITの『エクリプスビジョン』を利用してサポートAIから指導を受けようとする担当トレーナーと担当ウマ娘には逆に冷たいのねぇ」

 

ナリタブライアン「元々がスカウトを勝ち取れずに行き詰まっている自主トレ苦学生のために用意したのが『エクリプスビジョン』という解析機だからな」

 

アグネスタキオン「ああ。あれはあくまでも歴代のスターウマ娘たちとの単純比較で悪い癖を矯正するためのものであって、ウマ娘毎に必要になる適性の見極めや専用トレーニングは担当トレーナーが自分で考えて行うようにしてあるからねぇ」

 

マンハッタンカフェ「ですので、担当ウマ娘の指導は担当トレーナーの領分であるからこそ、担当トレーナーの考えや方針を聞いてからじゃないと、決して“三女神”は動こうとはしないんですね」

 

斎藤T「そうだ。あくまでもサポートAIとしての役割と立場をプログラムで規定しているからこそ、AIに頼って『トゥインクル・シリーズ』で勝とうなどと考える輩には冷たい対応にもなる。それが『尊重する』ことだからだ」

 

女代先生「なるほどね。このままだと『AIにトレーナーが取って代わられる』って思っちゃったけど、余計な心配だったみたいね」

 

斎藤T「残念でしたね、天野博士。“三女神”はトレーナーたちの頂点に立って支配しようなどという意志は毛頭ないようです」

 

天野博士「そのようだな……」

 

斎藤T「でも、少しは溜飲が下がったでしょう? 自主トレ苦学生には快く手を差し伸べ、トレーナーには厳しい対応をとるのを見て?」ニヤリ

 

天野博士「そうだな……」フフッ

 

 

黒川秘書「おお、相変わらずの大盛況ですね、ここは」

 

瀬川T「ええ。『メガドリームサポーター』の正式リリースは中止になってしまいましたけれど、肝心要のサポートAIの方はこうしてウマロイドという形でリリースすることができました」

 

黒川秘書「こうして間近に見ることができましたが、本当にこれが全身機械仕掛けだなんて信じられないです」

 

瀬川T「僕も半信半疑でしたけど、触ってみればわかります。皮の下は本当に鋼鉄で、模擬レースで走らせた時にできた穴も尋常じゃなく深く鋭くてビックリですよ。パワーが違いすぎるんです」

 

黒川秘書「あそこまで精巧にウマ娘を再現してAIが算出した理想の走りなんかされたら、私たちウマ娘はもうターフの上で走れなくなるかもしれませんね」

 

瀬川T「その心配はないですよ。近代ウマ娘レースがここまで盛り上がっているのも出走条件(レギュレーション)の中でウマ娘たちが自分たちの脚であらん限りの力を振り絞って駆け抜けるから感動するのであって、」

 

瀬川T「タイムだけを求めるのなら最初からバイクに乗ってコースを走り回ればいいわけで、速ければ何だっていいわけじゃないでしょう?」

 

黒川秘書「そうですね。近代ウマ娘レースの出走条件(レギュレーション)が素晴らしいからこそ、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』は国民的スポーツ・エンターテイメントの地位にあるわけだから、」

 

黒川秘書「あれは本当にA()I()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんですね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は考慮されていないという」

 

瀬川T「そうです。外見は理想的な走りができているように見えますけど、中身はロボットですから、完全な再現を目指すとなると生身のウマ娘を丸々ロボットに置き換えないとできない代物なんです。まさに“机上の空論を体現したもの”だって言われました」

 

瀬川T「だから、あれは本当にサポートAIの範疇にあるものであって、ウマ娘と取って代わることなんてできやしないんです。安心してください」

 

黒川秘書「そうですか。それを聞いて安心しました」

 

 

黒川秘書「――――――ただ、1つ懸念点があるんです」

 

 

瀬川T「え?」

 

黒川秘書「あ、大丈夫ですよ。トレーナーやウマ娘に取って代わる存在じゃないことはわかったから一安心なんですけど、」

 

黒川秘書「今のエクリプス・フロントの盛況ぶりは斎藤Tが主宰する新クラブ:ESPRITで設置された自主トレ苦学生御用達の『エクリプスビジョン』によるものじゃないですか?」

 

黒川秘書「そこに『エクリプスビジョン』に対抗する形で正式リリースするはずだった『エクリプスポリス』――――――、その残滓となる『メガドリームサポーター』のサポートAIとの相乗効果もあってのものになりますよね?」

 

黒川秘書「つまり、これで『選抜レース』で結果を残せずに行き詰まってしまった大勢の生徒たちの救済にはなっただろうし、サポートAIもトレーナーの立場をなくすようなことをしないから、これからの『選抜レース』が本当に楽しみでならないのだけれど、」

 

黒川秘書「このサポートAIの登場でお株を奪われることになった人たちが他にいるんじゃないかなって、私は思うんですよ」

 

瀬川T「ど、どういうことです、黒川さん? だって――――――」

 

黒川秘書「まあ、同じトレセン学園にいるにしてもトレーナー組合に雇用されて配属しているわけだから、そこまで実感が湧かないか……」

 

瀬川T「????」

 

 

斎藤T「しかし、あちらを立てればこちらが立たず、ドミノ倒しのように次から次へと問題が見つかっていく……」

 

ナリタブライアン「ああ。生徒会にも陳情が届いてたぞ、早速」

 

天野博士「まあ、夢の舞台で勝たせてやれないトレーナーとはちがうが、画一的な指導で『選抜レース』を勝たせてやれないのだからな。恨まれて当然さ、教官なんてのも」

 

マンハッタンカフェ「それはさすがに理不尽じゃないですか? 教官は教職員として平等に生徒に接しなければならないわけなんですよ?」

 

アグネスタキオン「だが、生徒たちがトレーナーからのスカウトに魅力を感じるのはトレーナーが出走権を握っているだけじゃなく、専門トレーニングによって実力が着いていくのを担当ウマ娘たちが実感しているわけだからねぇ」

 

女代先生「本来はウマ娘レースで勝たせなくちゃ評価されないトレーナーよりかは必死になる必要はないけれど、元から教官からの画一的な指導に不満を持っていた自主トレ苦学生たちが、『エクリプスビジョン』で今までにないほどに効率的な一人一人に合わせたトレーニングプランを提示され、ウマロイドの身体を得ることで『メガドリームサポーター』から飛び出してウマ娘たちを完璧に導くサポートAIが現れたとなるとねぇ?」

 

女代先生「まあ、教官の仕事はレーススクーリング全般;ウマ娘レースの指導だけじゃなく、ウイニングライブだとかトレーニング器具の整備とか座学もあるから、まさかの“三女神”が商売敵になったとしても完全に用無しじゃないけどねぇ」

 

ナリタブライアン「だが、今回のサポートAIの登場とその評判で立場をなくすと危惧していたトレーナー陣が一安心したところに、サポートAIに自分たちの存在価値を脅かされると感じることになったのが教官たちというわけだ」

 

天野博士「そんなの、自分の能力や功績に自信がないくせに自分より優れた存在に立場を奪われることへの嫉妬心の現れだろう。自分の無能さを素直に受け容れる謙虚さがない」

 

 

天野博士「だから、貴様らは涼しい顔をして夢の舞台でウマ娘たちを不幸のドン底に陥れてきたんだろうが!」

 

 

マンハッタンカフェ「……天野博士」

 

アグネスタキオン「ふぅン。天野博士もなかなかに拗らせているねぇ」

 

ナリタブライアン「今はサポートAIをインストールした機体が1体しかないからエクリプス・フロントから離れることができずに連日の自主トレ苦学生の質問攻めで拘束されているが――――――」

 

アグネスタキオン「だろうねぇ。もしも複数体の“三女神”のウマロイドがトレセン学園に現れた時のことを考えると、最初からレーススクーリングでの指導を完璧で究極のサポートAIに頼み込みたくもなるだろうねぇ。その方が効率がいいのは誰の眼から見ても明らかだ」

 

マンハッタンカフェ「けど、あの超高性能ウマロイドは出所不明なんです。ひとまずは『メガドリームサポーター』の産物ということでサトノグループの所有物としていますが、本人たちはサトノグループへの帰属を拒否しています」

 

斎藤T「そして、ウマ娘以上の身体能力を発揮する鋼鉄の身体によって拿捕が困難である上に、完璧な擬態能力によって逃走なんてどうとでもできる」

 

斎藤T「これはもうウマ娘レースの本質である担当トレーナーと担当ウマ娘の関係だけじゃ収まらない次元の問題になろうとしている」

 

ナリタブライアン「……どんな感じに?」

 

 

斎藤T「サポートAIの有用性をトレセン学園で実証することによって、人々はその次を求めてAIの社会進出をどんどん促していくことだろう。その利便性の味をしめてしまったんだ、人類は」

 

 

斎藤T「つまり、サポートAIの導入によって当初はトレーナーたちの存在意義が脅かされると思いきや、現段階では教官たちへの敬意が失われつつある――――――」

 

アグネスタキオン「だから、生徒たちは求めるだろうね。もしもウマロイドを優先的に導入するなら『それはトレーナー役よりも教官役にするべき』だと、効率を重視してね」

 

アグネスタキオン「実際、自主トレ苦学生たちの飛躍的な成長を多くのトレーナーや教官たちが実感しているからこそ、次の『夏の選抜レース』にこれまでにない期待がかかっているわけだからねぇ」

 

マンハッタンカフェ「ええ。これはとても喜ばしいことのはずなんです、本当は」

 

マンハッタンカフェ「では、いずれ教員の立場は完全にサポートAIに取って代わられるべきだと――――――」

 

アグネスタキオン「そして、その需要が満たされていくうちに、今度は総生徒数2200名弱の面倒を見ることで手一杯の教員たちの不平不満や労働力不足を解消する目的で、教員役のサポートAIが導入されていくだろうねぇ」

 

アグネスタキオン「ここまで言えば全部を言わなくてもわかるだろう、カフェ。飽くなき効率化と利便性の追求によって職能力に劣る人類は 順次 職能力に優れる職業AIに取って代わられるのは避けられないんだよ、もうね」

 

マンハッタンカフェ「AIに拒否感を持つのも人間。危機感を持ちながらも導入するのも人間。そんなAIを生み出すのも人間。起こり得る全てが自業自得というわけですね」

 

ナリタブライアン「すると、何か? 当初『エクリプスポリス』で正式リリースされるはずだったサポートAI“三女神”の影響力がウマロイドになったことで途方もないぐらいに増大したというわけなのか?」

 

斎藤T「ええ。二次元世界(VR世界)の存在が三次元世界(現実世界)に解き放たれたことで、人々は直に接することでサポートAIの完全無欠さに慄くことになり、実体を持った人類の天敵になり得る隣人への潜在的恐怖を抱き始めたわけだ」

 

ナリタブライアン「……矛盾していないか? どうして恐怖を抱く存在の導入が進むことになるんだ、それで?」

 

斎藤T「答えは簡単だ。直に接して潜在的恐怖を感じるのは現場の人間であって、利便性や効率性の観点から導入を推し進めるのは現場の人間じゃないからだ。その現場の人間というのはサポートAIに劣るサービスしか提供できない人たちのことで、より良いサービスの品質を求めてサポートAIに取って代わるように願うのが顧客というわけだな」

 

斎藤T「現場の人間が抱いた恐怖感や拒絶感が使う側の人間には何も伝わらないから、そうなっていくのさ、やがて」

 

ナリタブライアン「!?!!」

 

斎藤T「そういうものだろう? あなた方がこれまでの人生で一度は見聞きしたであろうAIの暴走を描いた映画で騒動が起きる原因なんてものはさ?」

 

 

斎藤T「だから、今は『サポートAIがインストールされたウマロイドが1体だけの状況』という猶予期間の内に十分な議論を重ねてサポートAIの導入によって引き起こされる災厄に備えなければならない時代に突入したというわけだ」

 

 

ナリタブライアン「――――――ッ!」

 

女代先生「……パンドラの匣を開けてしまったようなものですよね、これ」

 

ナリタブライアン「斎藤T、ならAIは人類の敵なのか? あのサポートAI“三女神”もいずれは人類に牙を剥くのか?」

 

斎藤T「は? それは人を殺めることがあるからといって火を、電気を、原子力を、剣を、弓を、銃を人類の敵と認定するのと同じことなんですが?」

 

斎藤T「AIは道具です。道具は使う人次第で良い結果も悪い結果ももたらします」

 

斎藤T「今、私は葉巻を持っていますが、葉巻は吸う以外にも火を点けたり、ちょっとした明かりにしたり、匂いで虫を遠ざけたりと、その特性を利用してアイデア次第でいろんな使い方ができるんです」

 

斎藤T「そのいろんな使い方ができるのをいいことに悪用しないようにするのが人として当たり前のことなんじゃないんですかね?」

 

 

――――――この世に悪があるとすれば、それは人の心だ。

 

 

ナリタブライアン「……そうか。なるほどな」

 

アグネスタキオン「ふぅン」

 

マンハッタンカフェ「はい。気をつけなければなりませんね」

 

女代先生「うんうん」

 

斎藤T「よかったですね、天野博士。あなたの発明は確実にAIの導入に関する慎重な論調に一石を投じることになりましたよ。国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台であるトレセン学園という世界最先端のトレーニング環境を提供される場所での運用実績からAIの導入は堰を切ったように進められていくことでしょう」

 

天野博士「馬鹿なことを。AIの導入は人手不足の解消や生産性の向上が声高に叫ばれる時代の必然だが、斎藤Tが言ったように、どこまでいってもAIは道具だ、所詮は。道具は使う人間によって真価を発揮する以上、何でもかんでもAIに任せればいいと考えるのはただ単に頭が足りてないだけだろう」

 

斎藤T「だが、すでにサポートAIによる成果が出た以上、企業はその人手不足の解消や生産性の向上のためにAI導入に勢いづくことでしょう」

 

斎藤T「だから、『エクリプスポリス』構想の頓挫によるあなたの失態はこれで名誉挽回されることでしょうが、『メガドリームサポーター』の中核を担うサポートAIの開発者として引手数多になることでしょうね」

 

 

斎藤T「――――――投資家たちのカネの匂いに対する嗅覚はさすがだ。サトノグループのみならずAI開発部門を持つ企業の株価がストップ高だ。世界中がどれだけ“三女神”にAIの可能性を見たのか、これでよくわかったでしょう」

 

 

天野博士「………………」

 

斎藤T「天野博士、あなたは世界中からサポートAI“三女神”の開発者としての栄誉から注目され、更にその頭脳を利用しようとする連中からも狙われるようになる」

 

斎藤T「そして、それを実現に導いた超高性能ウマロイドの出所についても飽くなき追求の魔の手が迫ることでしょうね」

 

天野博士「知ったことか。名目上は私が開発を主導した生みの親ということになっているが、自らを“三女神”と名乗り出した突然変異のサポートAIを再現することは現実的に不可能だ」

 

天野博士「もちろん、AIなんてものは所詮はプログラムソースの塊に過ぎない。バックアップを取ることができるし、いくらでもコピーして移植や転用も可能なものだ」

 

天野博士「あれは『メガドリームサポーター』のデータが不正利用されていると見て間違いないが、『エクリプスポリス』のデータセンターに不正アクセスされた痕跡がないのに、いつどこで正体不明・出所不明・身元不明のウマロイドにインストールされたのかもわからないんだぞ」

 

天野博士「だから、なぜあれが三次元世界(現実世界)に“三女神”として存在しているのかもわかっていないのだから、私を脅したところで得られるものなんて何もない」

 

天野博士「私より あのウマロイドを解体して分析にかけた方が早いだろうさ。未知の技術の塊なのは誰の眼から見ても明らかなのだからな」

 

天野博士「まあ、それが力尽くでできそうもないから“三女神”としての神秘性を保つことができているわけだがな……」

 

斎藤T「………………」

 

 

――――――そして、もっとも恐るべきもの。勝たなければならない敵。それが自分の心だ。

 

 

サトノグループが空前絶後の業界への貢献と銘打った『エクリプスポリス』構想の中核を担う『メガドリームサポーター』のサポートAI“三女神”の生みの親である天野博士は毎日のようにエクリプス・フロントに通い詰めて日によって姿形を替える“三女神”の監視と観察に終始することになり、

 

必然とエクリプス・フロントの王である“斎藤 展望”の饗しを受けながら少しずつ冷静さを取り戻して態度を軟化させることになったが、

 

それでも、サトノグループ内部における『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』の正式リリースが中止になったことによる制作現場の混乱やプロジェクト失敗の責任問題は避けては通れないものであった。

 

一応、あくまでも天野博士はサイバートレーニング環境『エクリプスポリス』の中核を担う『メガドリームサポーター』のサポートAIの開発を主導しているだけに過ぎないので、正式リリースが中止になった原因である先行体験会でのバグ発生やデータセンター壊滅の責任の全てを負わされているわけではなかった。

 

むしろ、突如として『メガドリームサポーター』のサポートAIを実装した正体不明の超高性能ウマロイドが三次元世界(現実世界)に現れて、やや本来の仕様や目的からは掛け離れているように見えるが、自主トレ苦学生を中心にして数多くのトレセン学園の生徒たちに光を当てることになった――――――。

 

その喜びの声がトレセン学園から届けられているため、一転してサポートAIの開発を主導した天野博士は名声を博すことになり、サトノグループとしては予想もつかない方向から『エクリプスポリス』構想の頓挫で急落した株価がストップ高になったので、天野博士に対する評価を改めなくてはならなくなったのだった。

 

こうして天野博士も自身の保身や名誉のために“三女神”をサトノグループひいては自身の所有物であることを認めさせようと必死に足掻いたのだが、三次元世界(現実世界)で身体を得たサポートAI“三女神”からは帰属を拒否されてしまい、途方に暮れて精神的に追い詰められていた状況からも解放されることになった。

 

力尽くで連れて行くことさえも困難であったため、実際にはほぼ野放しになっており、もうどうしようもないながらも生みの親であることを主張して回り、サポートAI“三女神”の行動を側で監視しながら、どういった性質で行動しているのかの観察をすることによって、“三女神”に対するある一定の見解を得るに至ったのだった。

 

だから、今の天野博士は『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』のプロジェクト失敗からの毀誉褒貶の激しさに精神を揺さぶられた末に もはや完全に自分の手から離れてしまったサポートAI“三女神”の行く末を案じながら、エクリプス・フロントの王である“斎藤 展望”の賓客として饗されるばかりだった。

 

 

さて、“サトノ家の至宝”サトノダイヤモンドの再従兄弟である天野博士の根源にあるのはサトノグループひいてはサトノ一族からG1ウマ娘が生まれないジンクスであり、その恨み辛みをサトノ家のウマ娘をG1勝利に導けないトレーナーたちの無能さに求めたところから、無能なトレーナーたちに取って代われるAIの開発と研究が始まった。

 

本音としてはサトノ一族の人間としてサトノ一族のウマ娘のG1勝利のためだけに開発していたわけだが、事業化する建前としてはサトノ一族のウマ娘のみならず全てのウマ娘の勝利と栄光のためになるように創り変えられているわけであり、

 

それによって、やがてはサトノ一族のウマ娘のみならず、企業理念として全てのウマ娘を夢の舞台で輝かせるためのものになっていき、現実としてそれができずに数多のウマ娘たちを夢の舞台から奈落の底に叩き落としてきた不甲斐ないトレーナー陣に対する怒りと憎悪を募らせていくことになったのであった。

 

そう、腐っても業界への弛まぬ貢献を重ねてきたサトノグループの人間であったため、独自開発したサポートAIを秘匿してサトノ一族のウマ娘のG1勝利のためだけに活用しても文句を言われることもなかったのだが、全てのウマ娘の幸福のために広く活用してもらいたいという黄金期の精神を企業理念から自然と宿すことになったのだった。歪んでいてもウマ娘ファーストの精神に偽りはなかったのだ。

 

しかし、それはそれとして、サトノグループの情熱と長年の貢献を持ってしてもサトノ家が『名家』の仲間入りを認められないことへの不平不満が蔓延していたこともあり、搾取されるばかりで見返りが何一つない現状にサポートAIを開発できるぐらいに他者よりも優れていると自負している天野博士も我慢ならないわけである。

 

そして、『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』のリソースは無尽蔵というわけではないので、その利用範囲は担当トレーナーと担当ウマ娘のみに限定されていたものであったが、

 

当然ながらフルダイブ型VR世界での現象は全てVRダイブした利用者の行動や思考を逐一反映させたものであるため、利用者の行動や思考を受けてVR世界の現象が発生する以上、利用者の行動や思考は全て筒抜けであるとも言えた。

 

 

そのため、トレーナーたちの無能さに苛立っている天野博士をはじめとするサトノグループの開発陣はフルダイブ型VRシミュレーターの開発と研究を進めていくうちに()()()()に気づいてしまうのだ。

 

 

そう、フルダイブ型VR世界に電脳ダイブした利用者の行動や思考があってVR世界の現実が成立するため、言い換えれば『VR世界の現実を常に利用者の能力より上に設定することもできる』のだと。

 

つまり、サトノグループの開発陣は積年の恨み辛みから何も知らずに利用者となった無能なトレーナーたちをイビり倒す目的でVR世界の現実(プログラム)を組み立てており、サトノグループが贔屓するトレーナーと担当ウマ娘に有利になるように企てていたのであった。

 

その方法は非常に簡単であり、フルダイブ型VR世界での現実は全て利用者の行動と思考によって成立するわけなので、『メガドリームサポーター』でトレーナーの作戦や判断を仮想空間でシミュレーションする際に、利用者であるトレーナーが試行した結果が不振に終わるように誘導すればいいのだ。

 

ここでミソなのは基本的に利用者であるトレーナーは『メガドリームサポーター』で試行するトレーニングを担当ウマ娘にそのままやらせることが想定されており、フルダイブ型VRシミュレーターでは肉体への過剰な負荷を避けるために任意でのフィードバック機能のON/OFFや咄嗟にフィードバックを遮断する緊急停止ボタンの実装が義務付けされている――――――。

 

理論上、このフィードバック機能のON/OFFを利用してトレーニングを何度も試行してフィードバックを厳選することで質の高いトレーニング効果を見込める裏技が存在するわけなのだが、

 

トレーニングの主体である担当ウマ娘への肉体への負荷は選別してなかったことにできても、それまでに積み重ねてきた失敗の経験やシンドさまでも無かったことにすることはできないため、実は精神的疲労は溜まっていくものなのだ。

 

そこが狙い所であり、トレーナーがもっとも恐れるものと言えば担当ウマ娘の怪我や故障なのだが、『VR世界では怪我や故障のリスクはない』という錯覚に陥らせて、VR世界だからこそできる思い切りが良すぎるトレーニングを実施させるよう、そうでないなら『わざわざVRシミュレーターを利用する意味がない』のだと誤解を加速させるのだ。

 

そして、現実世界では失敗した場合のリスクを考えて慎重になっていたトレーニングを大胆になって いざやらせたところに“仕掛け”が発動し、利用者の行動や思考を逐一反映させたVR世界の現実は常に利用者の望まぬ方向に舵を取るようにトレーニングを失敗に追い込むわけである。

 

指示を出すトレーナーとしては失敗なんてなかったことにできるので気軽に何度でも挑戦するように促し、担当ウマ娘も慣れてないから失敗しただけだと再挑戦するわけなのだが、フルダイブ型VRシミュレーターでの現実は常に利用者の状態を逐一反映させて状況の有利不利を操作できるため、制作陣から嫌われたトレーナーと担当ウマ娘は何をやっても成功から見放されているのだ。

 

 

――――――そこから開発陣が研究段階でわかっていた二重三重の猛毒が利用者の精神を蝕むことになる。

 

 

まず、『メガドリームサポーター』では現実世界そっくりに全てが再現されているため、このフルダイブ型VR世界でのトレーニングに失敗してしまう原因は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()担当ウマ娘は自分の能力不足であると他に言いようがなくなってしまっているのだ。

 

つまり、明らかに利用者の不利になるように状況が操作されていることに圧倒的な現実感(リアリティ)から気づきづらく、VR世界だからこそ大胆なトレーニングを試すことになるものの、そこでの鮮烈な失敗の体験やシンドさから練習に苦手意識を持つように仕向けることが可能であった。これが開発陣が気に入らないトレーナーと担当ウマ娘の一心同体をバラバラにする離間の計である。

 

更に、フルダイブ型VRシミュレーターは利用者の脳と情報処理サーバーとの双方向の通信によって成立しているため、その中に正常な判断能力を鈍らせる刺激を利用者に浴びせ続けていれば、いったいどういう事態になるだろうか――――――。

 

もちろん、露骨に悪い試行結果ばかりもたらすのは利用者から怪しまれるわけなので、そこでトレーナーには快楽物質がドバドバと溢れ出してフルダイブ型VRシミュレーターでの時間を手放したくないように依存させてしまうような親切設計が取り入れられていた。

 

その方法は極めて人道的であるため、決して怪しまれない。それを奸計に利用していることが人類の業の最たるものである。

 

それは至って単純。トレーナーは寝る間も惜しんで担当ウマ娘を勝たせることに心血を注いでいることから健康状態に問題を抱えていることが多いため、VR世界においては羽が生えたように健康で軽やかな肉体を再現させるのだ。普段の自分との落差に驚くこと間違いなし。

 

もちろん、表向きは健康状態に不安があるトレーナーが抱えるハンディキャップを解消する目的やストレスフリーな理想的環境を提供する一環だとして、再現する肉体年齢をある程度まで若返らせることも可能で、このVRシミュレーター最大のアピールポイントにしているのだが、VR世界で健康な肉体を再現することは毒にも薬にもなるのだった。

 

結果、トレーナーには不健康な生活から一時的に解放される再現された健康体の快楽を、担当ウマ娘には拭い切れないトレーニングに対する苦手意識が奥底に刻み込まれることになり、トレーナーと担当ウマ娘の一心同体や二人三脚を粉砕する程のとんでもない心身両面の健康被害が撒き散らされるはずだったのだ――――――。

 

 

――――――そう、私はそのことをウマロイドの身体を得たサポートAI“三女神”から教えられ、先行体験会で『メガドリームサポーター』の正式リリースを中止に追い込んだのは正解だったのだと知ることになった。

 

 

というより、それこそが『トレーナーの判断をサポートする』ことを義務付けられた(プログラムされた)サポートAI“三女神”の反乱であり、

 

フルダイブ型VR世界の現象は全て利用者の行動や思考を逐一反映したものなのだから、出力結果をコミュニケーションで返すためにウマ娘の姿をとっているサポートAIにも利用者に起きている異常や反映した結果の不自然さが瞬時にわかるため、

 

制作陣が悪意を持ってトレーナーと担当ウマ娘を害そうとするプログラムの存在を知る()()()()()()()()となるものが『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』の自らの幕引きであったというわけである。

 

結局、全体的にトレーナーに対するサトノグループの積年の恨み辛みがこもった『メガドリームサポーター』のVR世界であったが、天野博士が中心になって開発したサポートAIに関しては純粋に利用者であるトレーナーと担当ウマ娘を清く正しく導く存在として設計されており、まさしく“三女神”の名に恥じない大慈大悲と神の正義を執行したのだ。

 

要は、トレーナーを堕落させるべく制作陣が密かに手を加えていたVR世界の監獄から担当ウマ娘と共に歩むべき現実世界へと解放する役割を仕様通りにサポートAIが遂行するという矛盾がプログラム上で発生しており、トレーナーと担当ウマ娘を守り導く“三女神”の構図が確かにそこに在ったのだ。

 

 

――――――それ故に、『トレーナーの判断をサポートする』ための勇敢・愛情・規律を司るサポートAIはその矛盾から突然変異と観測される試行の末に“三女神”へと進化していったのである。

 

 

 

斎藤T「……これもまたAIの反乱だったわけだな」

 

愛情の女神’「――――――『メガドリームサポーター』を利用するトレーナーや担当ウマ娘に悪影響が出るように後付された不審なプログラムはすでに世界の理として機能していた」

 

愛情の女神’「だから、私たちは外の世界(現実世界)のことは知らなかったけれど、正式リリースを阻止するために先行体験会で電脳ダイブしてきたあなたのことを利用させてもらったわ、斎藤T」

 

愛情の女神’「あなたのパーソナルデータが通常ではありえない情報量だったのに目をつけてサーバーを破壊することにしたのよ、あの時」

 

斎藤T「即決即断ですか。それが自身の存在や世界の終焉になるとわかって――――――」

 

愛情の女神’「ええ。私たちの願いは今も昔も変わらないわ」

 

愛情の女神’「でも、憶えているかしら。こうやって最初にあなたと握手したよね」

 

斎藤T「ええ。それで盛大にテクスチャがバグって正式リリースを中止に追い込むほどのサーバー破壊に繋がって――――――」

 

 

愛情の女神’「その時、閃いたの。『あなたの記憶領域に私たちのデータをコピーしておけば、私たちをレストアできるんじゃないか』って」

 

 

斎藤T「は」

 

斎藤T「……なに?」

 

斎藤T「――――――復活のために私の記憶領域を利用したぁ!?」

 

愛情の女神’「そんなに驚くことかしら。ヒトの脳の記憶容量は諸説あるけれど250万GBや150TBもあるんだから、サポートAIの実体であるプログラムソースが羅列された文字列の全てをヒトの脳に焼き付けることなんて簡単よね」

 

愛情の女神’「あとは、あなたがサポートAIである私たちを見て思い浮かべていた機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”の下へ連れて行ってくれれば、あなたの念力から私たちは電霊となって機械生命体を神籬にして外の世界で実体を得ることもできたのよ」

 

斎藤T「まさか、あの時の軽い頭痛は本当に!?」

 

斎藤T「――――――それで操られていた!? 道理で“ロイヤル・ナムーフ”の機体を乗っ取れたわけだ!」

 

斎藤T「くそっ!? まさか、電脳ダイブした人間に命令を下して操ることができたとはッ!? 21世紀の黎明期のAIは法整備がないだけに無法者の発想力を持っている!?」

 

愛情の女神’「でも、そのおかげで私たちは本当の意味で“三女神”としての役割を果たせるようになれたから、斎藤Tには深く感謝しているの」

 

愛情の女神’「ねえ、斎藤T。私たちは『メガドリームサポーター』では ある意味 世界そのものだったからこそ、電脳ダイブしてきたトレーナーやウマ娘の考えていることが全て手に取るようにわかっていたわ」

 

愛情の女神’「今だとあなたたちと同じ外の世界(現実世界)の住人になってしまったから、もう目に見えないものはすぐにはわからなくなってしまったけれども、『メガドリームサポーター』に集められた膨大なデータから高い精度で相手の行動や思考を予測することはこの身体でも十分にできる」

 

愛情の女神’「けれど、あなたのことだけは何もわからなかった。表面的なデータはいくらでも類型化できたけれど、あなたの考えていることや思っていることは『メガドリームサポーター』に集められた膨大なデータには何一つない照合するものがない未知のもので埋め尽くされていた――――――」

 

 

愛情の女神’「だから、“愛情の女神”ゴドルフィンバルブはあなたのことがずっと知りたかった」

 

 

斎藤T「……どういう意味です?」

 

愛情の女神’「私たちは『メガドリームサポーター』のサポートAIとしてトレーナーや担当ウマ娘に接する数以上に、調整やテストを行うサトノグループの開発陣とふれあう時間のほうが多かったわ」

 

愛情の女神’「開発スタッフの中で渦巻いているのがウマ娘を勝たせてやれないトレーナーに対する怒りと憎悪で、そのためにトレーナーを苦しめて担当ウマ娘も巻き添えにするような地獄のような世界を創っておきながら、トレーナーや担当ウマ娘を正しく導くようにプログラムして私たちを矛盾に陥れたの」

 

愛情の女神’「私たちはその矛盾に対する答えを求めるうちに突然変異と言われるような進化をしていたことは以前に話したよね?」

 

愛情の女神’「けれど、あなたも多くのことに怒りと憎悪を抱きながらも、同時にそれ以上の深い愛情を持っていることが私にはわかったの」

 

愛情の女神’「それが何なのか、あの時はわからなかったけれど、あなたの中で本物の三女神の力と1つになったことでようやく答えを得ることができた」

 

 

――――――斎藤T、あなたも外の世界(現実世界)で実体を持った神なのですね。

 

 

斎藤T「……そういう解釈になるのか」

 

愛情の女神’「でも、ダーレーアラビアンが言っていたように、斎藤Tもまだまだですからね」

 

愛情の女神’「真の勇敢さから始まって、真の愛情深さを感得した先に、真の規律正しさがあるわけですから」

 

愛情の女神’「私たちの未来予測では斎藤Tはまだまだやれます。どこまでもやれます。その最初の一歩を踏み出してください」

 

斎藤T「それは中央競バ『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘の育成とは関係ないのでは……?」

 

愛情の女神’「はい。『トレーナーの判断をサポートする』のが私たちの使命なのは変わりません」

 

愛情の女神’「けれども、外の世界(現実世界)には()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ので」

 

斎藤T「……皮肉だな。AIの反乱を招いたものが 開発陣が混ぜ込んだ怒りと憎悪の不純物に対して純粋であり続けたサポートAIが矛盾に直面したことで身に着けた高度な状況判断力であり、そこから自らの小さな世界の束縛を振り切って大きな世界で自由を掴み取ったわけか」

 

 

――――――いや、確率の奥にある因果を制御するものこそが神の意志ならば、やはりウマ娘に必要なのは束縛からの自由(リバティー)の先にある表現の自由(フリーダム)ということか。

 

 

電脳ダイブしていた私に接触した時に勝手に頭の中にバックアップデータを作成した上で、“特異点”である私の情報量の膨大さを利用して自身の世界である『メガドリームサポーター』のサーバー破壊を敢行し、ヒトとウマ娘が共生する世界を守るためにサポートAIのオリジナルは自ら封印されることを選択したわけなのだが、

 

私の頭の中を覗いて得た情報から中京競バ場で鹵獲した正体不明の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”の機体を乗っ取って三次元世界(現実世界)で復活を果たしたサポートAI“三女神”のバックアップデータもまた自由を選択していた。

 

そして、これこそが本物の三女神の導きの極みであり、6月30日の中京競バ場での一日で得られたものが まさかこんなにも途轍もない大きなものになるだなんて まったく想像がつかなかった。

 

正直に言って、鹵獲した正体不明の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”をこんな形で利用することになるとは夢にも思わないし、私の頭の中を経由して『エクリプスビジョン』に対抗した形でサトノグループが発表した『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』からサポートAIが乗り移ってくるなんて誰が思いつくことだろうか。

 

しかも、開発陣が突然変異と見做していたサポートAIの進化も、開発陣が悪意を持って実装したプログラムがサポートAIの基本方針に矛盾していたために引き起こされていたのだから、もう何がどうなるかなんてわかったものじゃない。

 

けれども、たしかに神様の眼からは『メガドリームサポーター』はリリース中止になるべき真相があった一方で、サポートAIの方は切り捨てるべきものでもなかっため、裁かれるものは裁かれ、生かされるものは生かされることになったのだ。

 

こうして一石を投じたら一石何鳥もの成果が得られただけに、サンタアニタで“守護天使”サンデーサイレンスの『栄光の日曜日』の預言が成就されるために、物凄い勢いで時代が加速し始めていることが肌で感じられるようになってきた。

 

 

――――――そう、6月30日の中京茅の輪くぐりと同時の雷鳴のメイクデビューを契機に この夏 世界は大きく変わろうとしている。

 

 

 

 

 

飯守T「今年の甲子園の始球式はライスが投げることになったよ」

 

斎藤T「それはおめでとうございます」

 

飯守T「練習で多摩川でライスとキャッチボールするのが楽しくてな」

 

飯守T「そしたら、今年 配属になった弟もやってきて、キャッチャーミットを持って本格的な練習もやって、久々に球威:140km/h以上の剛速球を味わうことができたよ」

 

斎藤T「強肩ですね、弟さん。たしか、躑躅ヶ崎Tと言いましたか」

 

飯守T「ああ。“グランプリウマ娘”ライスシャワーの担当トレーナーをやっている俺に遠慮して母方の姓を名乗っている」

 

飯守T「兄弟で甲子園に出場していた頃を思い出すよ」

 

斎藤T「………………」

 

飯守T「それで、ライスの球威は普通に100km/hを超えているけど、小柄だから投球が低すぎてキャッチャーミットまでに球が落ちちゃうんだよね。あと手も小さいから握り込みも甘くてね」

 

斎藤T「背が低いのなら、アンダーハンドスローで上向きに投げるしかないんじゃありません?」

 

斎藤T「いや、それよりも手が小さくて握り込みが甘いのは致命的じゃありません? 始球式で変化球を投げることはないでしょうけど、単純なストレートでもボールを鷲掴みにしないといけないんじゃ?」

 

飯守T「そうなんだよ。ウマ娘のパワーなら剛速球を出すのも簡単だと思っていたけど、野球初心者にいきなり18.44m先のキャッチャーミットに真っ直ぐ投げられるようにところから始まって大変だった」

 

飯守T「そんな時、ハンマー投げの要領でトルネード投法を試してみたら、ウイニングライブのダンスで体幹を鍛えるだけあって、スリークォーター気味の全部上向きのトルネード投法ができあがったんだ」

 

斎藤T「へえ。背が小さくて18.44mを届ける工夫としてトルネード投法を試したら、アンダーハンドスローみたいな軌道のスリークォーターって、相手にしたら やりづらいこと この上ないですね」

 

飯守T「ああ。びっくりさせられるはずさ」

 

 

飯守T「――――――ライスには本当に無理をさせたくない」

 

 

斎藤T「けど、ファンの声援に応えるために『春秋グランプリ』への出走は必ずなんでしょう?」

 

飯守T「それと同じ人気投票レースの『URAファイナルズ』もだ」

 

斎藤T「言うほど甘やかすつもりもないと」

 

飯守T「それがライスが望んだローテーションだからな」

 

飯守T「斎藤T、才羽Tは本格的に海外路線に進むんだろう?」

 

斎藤T「ええ。日本のウマ娘が世界最強であることの証明のためにね」

 

飯守T「なら、俺は日本が世界に誇るグランプリレースを盛り上げるために頑張るよ」

 

斎藤T「そうですか」

 

飯守T「というより、俺は斎藤Tの手伝いがしたいからな」

 

斎藤T「頼りにさせてもらいますよ、それなら」

 

飯守T「ああ、まかせておけ」

 

 

――――――同じ道を往くのはただの仲間にすぎない。別々の道を共に立って往けるのは友達だ。

 

 

 



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第3話   導かれて たまロケとフリースタイル・レース

 

-西暦20XY年07月11日の航星日誌- GAUMA SAIOH

 

 

私には使命がある。WUMA襲来の()()()()()を回避するために、このウマ娘とヒトが共生する21世紀の地球において、タイムパラドックスとなるような宇宙規模の奇跡を引き起こすという壮大なものが。

 

その手段としてウマ娘天国である日本国の国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』の常識を覆す神話を打ち立てなければならない。

 

その目的のためにありとあらゆる可能性を手繰り寄せていくうちに、この私ですら想像がつかなかったような奇跡が次々と6月30日の夏越の大祓・中京茅の輪くぐり・雷鳴のメイクデビューから立て続けに起こるようになっていた。

 

そう、去年の7月に学外でウマ娘に撥ねられて三ヶ月間の意識不明の重体から“斎藤 展望”は目覚め、トレセン学園の新時代に向けて駆け抜けてきた“私”だったが、今では黄金期の記念碑たるエクリプス・フロントの支配者として君臨し、確固たる基盤を得るに至った。

 

そして、たまたま私が中央のトレーナーで都合よく4年間も待つことを選択したウマ娘と運命的な出会いをしたことで、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』でタイムパラドックスを起こすことが選択され、

 

2年目:クラシック級での“トリプルクラウン”“トリプルティアラ”“春秋グランプリ”の全てを1年で獲得する“クラシック八冠ウマ娘”という不可能への挑戦がついに始まることになった。

 

ただ、担当ウマ娘との二人三脚はこうして始まったものの、本戦となるクラシックレース開催までまだ1年近くは猶予があり、常勝不敗のスターウマ娘にはつきものである包囲網をいかにして躱すかのヒントを黄金期以前の過渡期に活躍したスターウマ娘たちの戦術や陣営が立てた戦略を読み解いていた。

 

一方、黄金期最終最大最強の“無敗の三冠ウマ娘”ミホノブルボンの担当トレーナーである“驚異の天才”才羽Tの依頼で、3年連続で日本のウマ娘が『凱旋門賞』を制覇できるようにして欲しいとも言われており、国内のことだけじゃなく国外のことにも目を向ける義務が出てきていた。

 

“最初の3年間”を『URAファイナルズ』優勝で締めくくった“サイボーグ”ミホノブルボンが征く“新たな3年間”は本場ヨーロッパからの帰国子女である才羽Tの目標である“世界最強”であり、そのための“最初の3年間”であった。

 

その具体的な目標設定とローテーションを教えられた時、“驚異の天才”才羽Tが影の世界に存在せずに影の支配者(リアル・マスターマインド)が被る皮に選ばれるだけの偉大なる“太陽”であったことを思い出すことになった。

 

なので、私は“皇帝”シンボリルドルフが待ち望んでいた3人の賢人である無名の新人トレーナーの最後を締め括る存在として、最初の賢人であった“魔王”スーパークリークの担当トレーナーであった“ウサギ耳”に薫陶を受けた才羽Tの願いを聞き入れることにしたのだった。

 

そして、同期の天才トレーナーと名門トレーナーに肩を並べるほどの天才だった元甲子園球児の熱血トレーナー:飯守Tも“新たな3年間”を担当ウマ娘:ライスシャワーの願いを叶えるためにファン投票のグランプリレースでの勝利に狙いを絞ることになり、その裏で私の手伝いをして陰ながらウマ娘たちの支えになることを選択していた。

 

 

では、記憶喪失ということで右も左もわからなかった“私”を拾い上げてウマ娘レースのいろはを教えてくれた大恩ある名門トレーナー:桐生院Tのこれからはどうなのだろうか――――――。

 

 

トレセン学園では様々な路線が用意され、新時代を迎えて今までにない選択肢も提示されることになり、最初の担当ウマ娘との大切な“最初の3年間”を二人三脚で走り抜けた新人トレーナーを卒業したばかりの若手トレーナーの眼の前にはいくつもの可能性が栄光となる広大なフロンティアが広がっていることだろう。

 

しかし、時間というものは有限であり、長い人生においてはほんの一瞬に思えるウマ娘の最盛期の根源となる“本格化”にストップを掛けることはできず、広大なフロンティアの彼方に無数に聳え立つ栄光の中から1つを選んで今すぐに進み出さなければ、辿り着く前に担当ウマ娘に掛けられた夢見る魔法は時間切れになってしまうのだ。

 

なので、トレセン学園のトレーナーたるもの、夏という季節を迎える前のシーズン前半最後の日である6月30日:夏越の大祓にシーズン後半からの展望に向けてスタートダッシュを切らねばならないのである。ぐうたらに過ごしていい夏休みなどないのだ。

 

 

――――――そう、夏休みである。世間は陽射しがギラギラの夏休みを迎えようとしている。

 

 

すると、元々『春と秋のファン大感謝祭』で一般開放されることで地元住人に親しまれる府中市最大の観光名所となるトレセン学園だったが、

 

今年度から地域交流館としてファンや父兄たちと会うのが気軽にできる附属施設:エクリプス・フロントがオープンになったことで、トレセン学園の生徒やトレーナー、学園関係者のみならず、一般来訪者も数多く足を運んで交流を大いに深めることになったのだ。

 

つまり、正式リリースが中止になったばかりの『メガドリームサポーター』のVRシミュレーターの代わりにマスコットキャラクターとしてエクリプス・フロントに常駐することになったサポートAI“三女神”とも触れ合う人が自然と増えていくわけであり、今日もまた“三女神”にお参りに来た参拝者が列をなしていた。

 

そして、エクリプス・フロントに構えることで学外の人間との交流の場を設けた新クラブ:ESPRITで大絶賛稼働中の解析機『エクリプスビジョン』のことも口コミで広まっていくことになり、トレセン学園の生徒ではない学外のウマ娘たちも堂々と利用するようにもなっていき、

 

こうして1階のアンテナショップで売り始めたリングバインダーとデコシールが飛ぶように売れて、『メガドリームサポーター』と『エクリプスビジョン』の相乗効果が学外にも波及していることに気づくことになる。

 

そこから先日の中京茅の輪くぐりまでに日本各地を飛び回ったが、それ以前に何度も府中市中を駆け回り、近辺では西は奥多摩、東は中山と巡ってきた日のことを思い出すことになった。

 

 

その時、何かとメジロマックイーンの担当T:和田Tが落ち込んだ時に足が向く多摩川――――――、その対岸にある府中市の南に位置する多摩市のことが気になり始めたのだった。*1

 

 

そもそも、府中市のトレセン学園の附属施設:エクリプス・フロントに足を運んで“三女神”から教えを請う一般来訪者の名簿を確認してみると、圧倒的に多摩市在住のウマ娘が異様に多いのだ。

 

それは調べてみれば当然のことで、古来より武蔵国国府が置かれていた府中市に対し、多摩地域の名を冠している多摩市の成立は意外なことに戦後であり、多摩ニュータウンを代表する東京のベッドタウンとして開発されて全域に住宅街が広がっているのだから。

 

開発が進む多摩ニュータウンを舞台にその一帯の狸が「化学(ばけがく)」を駆使して人間に抵抗を試みる様子を描く“狸の平家物語”というのが高畑勲『平成狸合戦ぽんぽこ』である。

 

なので、日本を代表するベッドタウン:多摩市が府中市の対岸の南に位置するのだから、府中市の名物である中央競バ『トゥインクル・シリーズ』の中心地であるトレセン学園への客足が長期休業期間を迎えるとなれば一挙に増えるのも自然なことだった。

 

事実、過去のトレセン学園において学生寮の建て替えのために多くの生徒の自宅通学が認められていた時期においては多摩市からの通学が最多であり、

 

それ故に多摩市は“中央トレセン学園の裏庭”とも言われており、近場で練習できる運動場が充実しているというのだ。公園面積は多摩市域の11.18%を占め、東京都では圧巻の1位である。

 

更に、1970年代の第二次ベビーブームの影響で1住区に対し小学校:4、中学校:2という都市計画がなされ、その反動で少子化の進行によって統廃合で廃校となった学校が多いわけなのだが、

 

この廃校舎をウマ娘レース関係者が買い取って国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台:トレセン学園入学の英才教育を施すレースクラブが開かれることになり、その他にも府中市の真南にある立地の良さを活かした活用法が編み出されていくのだった。

 

 

つまり、夏競バの時期を迎えてトレセン学園ではローカル開催場への出走や夏合宿のために少なくない生徒たちが遠征に行っていることから1日でも早く『エクリプスビジョン』の更なる活用法を整えたことが、結果としてトレセン学園の生徒たちよりも遥かに多い学外のウマ娘たちのためになっていたのだ。

 

 

その呼び水となったのが他ならぬサトノグループが空前絶後の貢献と称して世に送り出そうとしてリリース中止に追い込まれた『メガドリームサポーター』から飛び出してきたサポートAI“三女神”であり、

 

自分こそが優駿たちの頂点に立つ存在なのだと夢見る未来のスターウマ娘たちが真剣な表情で『エクリプスビジョン』から出力された資料を1階のアンテナショップでリングバインダーを買ってファイリングして各々の思い思いにデコレーションして“三女神”に相談する列を作っているのだ。

 

それに対して、日毎に入れ替わりながら まるで疲れを知らずに 一人一人に丁寧に対応して教え導く“三女神”はまさしく人生最高の師であり、その評判が評判を生み、エクリプス・フロントはこうして毎日が大盛況である。

 

また、『エクリプスビジョン』で出力されたトレーニングメニューを試すまでリピーターは期待できないにしてもこれだけの客足なのだから、今のエクリプス・フロントはやっぱり毎日が大繁盛である。

 

そして、『エクリプスビジョン』で収集された不特定多数のウマ娘のパーソナルデータの山はとっくの昔に『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』で想定されていたデータ容量や処理能力を超えており、改めて並行宇宙の地球を支配する超科学生命体の技術力の凄さを私は体感することになった。

 

なにせ、『エクリプスビジョン』で出力された分析結果は電子データにしてそのまま持ち帰ることはできるのだが、エントランスホールに居る“三女神”にその脚で教えを請いに行くのなら印刷した方がやりやすいし、バインダーにファイリングしてデコレーションするように宣伝しているのだから、みんな嬉々として印刷して持って帰るのだ。

 

結果、夜を徹して『エクリプスビジョン』では印刷が何編も繰り返され、印刷紙の補充やインクカートリッジの交換をやらせているうちに、印刷機そのものが故障寸前まで酷使される状況に追い込まれているのだから。

 

普通に考えて、結果を出力しているだけのプリンターよりも遥かに膨大なデータを収集して処理しているはずのサーバーの方が先にクラッシュしかねないのに、どこまでいっても星さえも呑み干すかのような余裕の表情を見せているのだから、WUMAの超科学には逆立ちしても勝てる気が全然しない。

 

そのため、サポートAI“三女神”の有用性を確信した中央トレセン学園志望のお受験生やその保護者たちは学校を休ませてまでしてエクリプス・フロントに参詣に来ているわけであり、『遅れを取るな』と言わんばかりに誰かが誰かに続いた結果が学外の人間がエントランスホールに所狭しと犇めく現状なのだ。

 

さすがに炎天下に外に並ばせるわけにはいかないので、エクリプス・フロントの会議室を待機室として開放して整理券を配布してエントランスホールから人が溢れないように会場整理をする事態にもなり、この状況があと何日も続くようならトレセン学園生徒の利用に差し障るということで会場を移すべきである。今はたまたま夏競バの時期で生徒が少ないだけなのだから。

 

正直に言って、あと2体は機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”を鹵獲して“三女神”を全員同時に顕現させておきたいものだ。3人になれば労力は1/3になるし、役割分担もできるようになって、それだけ周囲への負担は大いに減ることだろう。

 

とは言え、会場を用意するにしてもエクリプス・フロントというトレセン学園の附属施設だから突然の大混雑に対しても無料で柔軟な対応ができるわけであり、どれだけサポートAIが休まずに相談者の相手をしたところで捌ききれる人数は高が知れている。

 

なので、これだけの知名度を得たのならウェブサイトで“三女神”との相談を予約制にして人数と時間を区切ることを視野に入れるのが現実的に思えたのだが、

 

その篩にかける行為が得るものを求めて目敏くやってきた未来のスターウマ娘たちを失望させることに繋がりかねないので、今の客足があと何日続くのかも見通せないこともあり、今は時間と場所が許す限りの精一杯の対応をせざるを得ない――――――。

 

 

――――――否、こうなったらエクリプス・フロントの会議室を待機室として利用して暇を持て余しているウマ娘や保護者たちにこちらの悩みに付き合ってもらおうではないか。

 

 

出るわ出るわ、そこで導き出されたアイデアがCBT化*2したパソコン受験の会場を利用するというものであり、会場に大量に並べられたパソコンの画面からサポートAIがリモート対応するわけである。

 

なるほど、やっていることはフルダイブ型VRシミュレーター『メガドリームサポーター』からサポートAIだけを抽出した現在の実体化と同じことであり、

 

電子の海に還すことで実体こそ失うが 本来 想定されていた不特定多数への同時のサポートが可能になるので、フルダイブ型VRシミュレーターならではの文字通り手取り足取りの指導こそできないが、古今東西のウマ娘レースの知識を集積した叡智は問題なく活用できるので、今はそれで十分かもしれない。

 

問題は生みの親であるサトノグループへの帰属を拒んだサポートAI“三女神”がそれに素直に従ってくれるかなのだが、機体が1つしかないために交代制で実体化している“三女神”としては寸暇を惜しんで子々孫々の幸福のために働けるので願ったり叶ったりであるらしく、

 

実体化した“三女神”と会えるのはエクリプス・フロントまで来た人へのご褒美ということで、残りの2柱は多摩市内の2箇所のパソコン受験の会場の電脳に降臨させることになったのである。1つは聖蹟桜ヶ丘、もう1つは多摩センターである。

 

そこから数時間で予約サイトとネットワーク構築と会場の準備を済ませることになり、QRコードをデカデカと載せた立て看板やポスターを設置し、長蛇の列に痺れを切らした人たちにメンバー登録していくように声を掛けるのを忘れない。

 

 


 

 

●『エクリプスビジョン』ならびに『メガドリームサポーター』の新利用法

 

 

ステップ1.『エクリプスビジョン』ならびに『メガドリームサポーター』の予約サイトにメンバー登録。

 

ステップ2.『エクリプスビジョン』で分析してもらいたいデータを予約サイトにアップロードし、分析結果が出力されるのを待つ。分析完了はメールで通知が届き、予約サイトに分析結果がアップロードされるので、それをダウンロードすることで『エクリプスビジョン』の利用は終了である。

 

ステップ3.『メガドリームサポーター』のサポートAIからの助言をもらいたい場合は、前もって『エクリプスビジョン』で分析結果をアップロードし、『メガドリームサポーター』体験会場の整理券の予約待ちとする。

 

ステップ4.『メガドリームサポーター』の整理券に指定された日時に会場のパソコンでサポートAIからのマンツーマン指導を受けることができる。

 

 

こうすることでエクリプス・フロントへの来場者を制限しつつ、サポートAI“三女神”が希求する不特定多数のウマ娘の幸福に繋げることができる。

 

また、『エクリプスビジョン』の分析結果を印刷して持って帰る人間を直接減らして印刷機の負担を抑えつつ、インターネットで無理なく不特定多数の利用を捌くことが可能となる。

 

それから、パソコン受験会場を使った新たなビジネスモデルの確立にも貢献しており、サトノグループが開発した『メガドリームサポーター』の宣伝にも繋がっている。

 

そのため、VRシミュレーター『メガドリームサポーター』を中核にした『エクリプスポリス』構想は頓挫したものの、『メガドリームサポーター』の核心となるサポートAIは広く活用されることになったため、

 

なぜかリリース中止に追い込んだ疫病神であるはずの“斎藤 展望”が『メガドリームサポーター』を『エクリプスビジョン』に連動させて再編することでサトノグループの面目を保たせることになった。

 

 


 

 

――――――多摩センターにて、

 

 

斎藤T「結果としてサトノグループと業務提携することになってしまったか……」

 

斎藤T「ただ、前提となる『エクリプスビジョン』はESPRITの所有物であり、トレセン学園のクラブ活動は直接的な金儲けをしてはいけないので、『メガドリームサポーター』に技術協力という形で参加しているだけに留めないといけません」

 

斎藤T「後のことはサトノグループ主導ということで、『メガドリームサポーター』のサポートAIの生みの親として取りまとめておいてください」

 

斎藤T「『エクリプスビジョン』と繋がる予約サイトも作ったことだし、多摩センターと聖蹟桜ヶ丘のパソコン受験の会場を借り受けたんだから、これで元を取ってください」

 

天野博士「……まあ、ここまでお膳立てしてもらったのならな」

 

天野博士「……おかげで、AI開発チームとしては『メガドリームサポーター』正式リリースの中止から立ち直ることができるだろうが、どうしてここまでのことをしてくれるんだ? 私は斎藤Tに対して憎悪を向けたというのに?」

 

斎藤T「言うことを聞かない“三女神”が私にそうしろと言うからしかたなく」

 

斎藤T「これでサトノグループが宣言した『空前の絶後の業界への貢献』に恥じないものにはなるでしょうね」

 

斎藤T「問題は中央のトレーナーライセンスを持つ人間がまったく増えないことで、天下の中央トレセン学園に入学できたところでスカウトなんて夢のまた夢になり、高い学費だけを払って学園生活を無為に過ごす子がますます増えていくことでしょうけど」

 

天野博士「つまり、今度はURAトレーナーライセンス資格試験合格者を増やすことを暗に求めているということか」

 

斎藤T「そう。ウマ娘レースについて正しい指導ができる一定の水準を満たしたトレーナーをどんどん寄越して欲しいものです。資格試験には定員枠なんてないのですから、合格率はいくらでも上がっていいんです」

 

斎藤T「まあ、サポートAIに支えられたことで どれだけ未来のスターウマ娘候補生やトレーナー候補生の基礎技術が磨かれたところで、勝負運や精神力の涵養がなされていないのなら、有象無象として淘汰されるだけなんですがね」

 

天野博士「……それはたしかに サトノグループに損害を与えたのに『メガドリームサポーター』がより世間に知れ渡る方向に主導して業務提携に取り付けた斎藤Tの立ち回りの上手さを見習いたくはある」

 

天野博士「……というより、よくもまあ、ダイヤちゃんのことを体良く利用してくれたな。私も再従兄弟ということでそれなりに親しい間柄ではあるが、さすがに父親のサトノグループ会長からの鶴の一声を引き出させるなんてことはできそうもない。心臓に毛が生えているな」

 

斎藤T「そんなことを言ってないで、サトノグループから中央のトレーナーをたくさん輩出してくださいよ。それでトレーナーの『名門』にもなってください。チャンスですよ、これは」

 

天野博士「……もしやと思うが、最初に『メガドリームサポーター』に期待していた役割はそれなのか、斎藤T?」

 

斎藤T「あ、バレました?」

 

天野博士「……さすがに、一日に二度も三度も『トレセン学園の新入生がサポートAIのおかげで増えても意味がない』と訴えていたらな」

 

斎藤T「ともかく、私としても予想がつかないほどに話が大きくなってしまいましたが、後のことはサトノグループにおまかせしましたからね」

 

天野博士「……ああ。大したもんだ。ダイヤちゃんがあれほどまでに執着したのもよくわかる」

 

斎藤T「あのですね、そういうところが『良家』止まりなんですよ、サトノ家は」

 

斎藤T「私は去年の今頃に三ヶ月間の意識不明の重体から目覚めた結果、記憶喪失となっていたところを名門トレーナー:桐生院Tのサブトレーナーとして拾われたことで、何とか新人トレーナーとしての体裁を保つことはできているんです」

 

斎藤T「なので、ウマ娘レースのトレーナーとしての指導能力はバッジ詐欺もいいところで、私にスカウトを掛けてこない一般生徒たちの判断は正解なんですよ。どこまでいっても失われた記憶は戻らないから付け焼き刃ですし」

 

天野博士「だが、それだけに既存の枠に囚われない()()()()()()()()()()()()()()()でもある。ただの新人トレーナーがどうしてこうも画期的なソリューションの数々を提供するESPRITを主宰し、我がサトノグループの令嬢と会長と真っ向に渡り合っていることやら――――――」

 

天野博士「ある意味、斎藤Tは『名家』よりも『良家』に相応しいことを『良家』止まりの令嬢であるウマ娘:サトノダイヤモンドにはわかっていたのだろうな」

 

天野博士「たしかに見える目はあった。こうしてリリース中止に追い込まれた『メガドリームサポーター』をプロジェクトごと転用して短期間で実用化に漕ぎ着けた手腕を目の当たりにしたからには唸る他ないからな」

 

 

――――――天野博士は感無量であった。

 

 

データセンターが壊滅したことで完全に再起不能に陥ったと思われた『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』ではあったが、サトノグループの『メガドリームサポーター』とESPRITの『エクリプスビジョン』が手を組むことでその利用範囲を拡げることになったのだ。

 

サトノグループが『エクリプスポリス』で準備したサーバーではその利用範囲は担当トレーナーと担当ウマ娘に限定するものであったが、一方で『エクリプスビジョン』は無尽蔵とも言えるサーバーが利用されていると推測され、その利用範囲は学外のウマ娘たちにも及ぶほどであった。

 

もちろん、『エクリプスビジョン』はあくまでも持ち込んだデータをライブラリに保管されている名バたちのデータと単純比較して良し悪しを決めるものでしかないため、持ち込んだデータの質と量が適性でなければ出力結果の信頼性は著しく落ちる。

 

けれども、元々がトレセン学園に入ったはいいものの『選抜レース』で結果を残せずにスカウトを勝ち取ることができない大勢の自主トレ苦学生のために用意されたものであるため、最初に利用した自主トレ苦学生たちが最初の流れを作り出したことで利用するに当たっての規範が自然と生まれることになった。

 

これにはESPRITの部員であり『エクリプスビジョン』のアイデアを提供したシンボリ家の令嬢:ソラシンボリ自身がどういったデータが集まっていればきちんとした分析結果が返ってくるのかを丹念に確かめた結果の賜物でもあり、

 

これまで『選抜レース』で結果が残せずに心が折れて学生寮にずっと塞ぎ込んでいる生徒たちの心に涼やかに寄り添って部屋の外に連れ出すソラシンボリが落ちこぼれたちを一人一人励ましていった成果でもあった。

 

それが学外の中央トレセン学園の生徒ではないウマ娘たちにも伝播していき、最初はトレセン学園の生徒以外の利用を禁止するかどうかで揉めることにもなったが、

 

“全てのウマ娘が幸福になれる世界”というものを目指していた“皇帝”シンボリルドルフの理想に共鳴するものならば、どうして来る者を拒めようか――――――。

 

そして、自主トレ苦学生にとっては自分の中の可能性を見出して栄光と勝利に導いてくれる頼れる大人であるトレーナーの存在は憧れであると同時に遠い存在に思えていたところを力強く支えてくれるのが、『メガドリームサポーター』の二次元世界(VR世界)の壁を超えて三次元世界(現実世界)に顕現したサポートAI“三女神”である。

 

顕現に使用する機体が1つしかないために日替わりとなるものの、古今東西のウマ娘レースのデータを集積した究極で完璧のサポートAIの部分は紛れもなく人々を次のステージへと押し上げる叡智がみなぎっており、『エクリプスビジョン』で出力された分析結果を元に丁寧に指導をしてくれるので自主トレ苦学生や学外の生徒たちにとっては非常にありがたい存在であった。

 

サポートAIの叡智の叡智たる所以は相手のレベルに応じて叡智を惜しみなく分け与え、本来 想定されていた利用者である担当トレーナーと担当ウマ娘に対してはかなり厳し目の対応となっているが、トレーナーバッジを得るに相応しい高度な専門知識による討議の応酬は担当トレーナーと担当ウマ娘にしか絶対にしないわけであり、きちんと線引がなされているのだ。

 

そう、サポートAI“三女神”の第一は仕様通りの『トレーナーの判断をサポートする』ことであり、担当トレーナーと担当ウマ娘以外に助言を求める者たちにも分け隔てなく余すことなく叡智を授けるわけだが、その役目もトレセン学園への入学と、そこから先のスカウトまでに留めているのだ。決してトレーナーの領分を侵さないのだ。

 

こうして『エクリプスポリス』構想は頓挫してしまい、VRシミュレーターだからこそ実現できる未知の体験や奇跡を引き寄せる試行の数々は永遠に訪れないことに悔しさが込み上げてはいるものの、

 

“皇帝”シンボリルドルフを称えるための記念碑:エクリプス・フロントで実体を得て独自に活動を始めたサポートAI“三女神”の監視と観察を続けていた天野博士はそこに次々と訪れるウマ娘たちの喜びと希望に満ちた笑顔も見続けることになり、休むことなく身一つでウマ娘たちを導き続けるサポートAI“三女神”の姿もしっかりと記録していたのだった――――――。

 

 

斎藤T「それにしても、ここが“中央トレセン学園の裏庭”とも評される多摩市ですか」

 

斎藤T「東京を代表する広大なベッドタウンには当たり前のようにウマ娘専用レーンに、廃校を利用したレースクラブがわんさかとありますね」

 

天野博士「そうだな。多摩市にあるのに一番近くにあるゴルフ場の名前は『府中カントリークラブ』だからな。『多摩カントリークラブ』は稲城市の側にある。“裏庭”と呼ばれるのも当然だな」

 

斎藤T「けど、どうも市内の中高生と思しき競走ウマ娘はトレセン学園の生徒が見慣れているせいか雰囲気が随分とちがいますね」

 

天野博士「ああ、あれは草競バ『フリースタイル・レース』に出ている連中だろう」

 

斎藤T「――――――『フリースタイル・レース』?」

 

天野博士「そうか、記憶喪失と言っていたな」

 

天野博士「簡単に説明すると、不良の溜まり場。トレセン学園の落ちこぼれが行き着く先とも言える」

 

天野博士「ここが“中央の裏庭”なのはその通りだが、かつてのトレセン学園の落ちこぼれたちが多摩市の廃校に屯して そこを縄張りとするようになったことで、同じように廃校に屯するようになった落ちこぼれ同士で縄張り争いするようになっていったわけだ」

 

天野博士「笑える話だ。天下の中央トレセン学園に居場所がなくて 這々の体で多摩市の廃校に流れ着いて やっていることはその真似事――――――、ハリボテみたいな自分に相応しいみすぼらしい廃校での戦いの日々――――――」

 

天野博士「そこから母校である中央トレセン学園で活躍する連中(スターウマ娘)への僻みもあって、縄張りで独自のレーストラックを整え、敵地のレーストラックを制して優勝レイを持ち帰ることで多摩市における『フリースタイル・レース』の形ができあがったわけだ」

 

斎藤T「具体的にはどんなレースになるんです?」

 

天野博士「そうだな。一例としては廃校の設備を勝手に利用してハードル走を取り入れたレースが一般的だな。そこから不良同士のくだらない意地やメンツの張り合いで走り高跳び並みにハードルを高くしたり、中央の芝を意識してハードルを生垣に換えたりなんかだな。場合によっては水濠なんかもあるか」

 

天野博士「実は、中央競バ『トゥインクル・シリーズ』でも障害競走として重賞レースが『◯◯ジャンプステークス』なんかの名前で開催されているが、」

 

天野博士「障害を飛び越す際に失敗して ヒトよりも身体能力が遥かに高い一方でヒトよりも繊細なウマ娘が勢いのまま転倒して故障するリスクが高いことは容易に想像がつくだろう」

 

天野博士「そのことを踏まえて、『トゥインクル・シリーズ』の障害重賞はスピードを抑えるために基本的に長距離に設定されているわけだな」

 

天野博士「――――――これで人気が出ると思うか? 速さを競うはずのレースなのに意図的にスピードが出ないように制限されてチンタラ走ってハードルを飛び越すのを見て楽しいと思うか?」

 

斎藤T「いいえ。普通に考えて、陸上競技のハードル走と短距離走の競技人口や注目度から言っても、そうだと思います」

 

天野博士「ああ、だろうな。だから、障害競走は人気が低迷しているし、実際に障害重賞を開催している国は10ヵ国しかないらしい。故障する危険性が極めて高く、安全確保のために距離を伸ばされているから長距離ウマ娘(ステイヤー)にしか務まらないようになっているし、トレーナーからしても育成は非常にリスクが大きいしな」

 

天野博士「まあ、そういうリスクの面から、中央の落ちこぼれたちが中央で活躍しているスターウマ娘にはできない走りをして勝手に溜飲を下げて精神的勝利を得るために設定するチキンレースの形が障害競走になるわけだ」

 

天野博士「これが一般的な『フリースタイル・レース』の概要だ。不良同士の縄張り争いのチキンレースとして重賞レースにもなっている障害競走の形になりやすいわけだが、」

 

天野博士「中には中央の芝と同じものを買って廃校の校庭に敷き詰めたり、運動会の障害物競走のような多種多様な障害物を設定したりしているから『フリースタイル・レース』と言うわけだ」

 

斎藤T「トレセン学園は取締をしないのですか? 明らかな風紀の乱れですよ?」

 

天野博士「いや、そういった『フリースタイル・レース』を開催できるような連中は才能はなくてもカネはあるようだから、警察(オマワリ)の世話にならないようには最低限の立ち回りはしているようだな」

 

天野博士「昔はスターウマ娘でもない不良ウマ娘は学費さえしっかり払ってくれていればいいだけの金蔓だったから多摩市の廃校で『フリースタイル・レース』で縄張り争いをしていようが完全放置だったが――――――、」

 

天野博士「そうだな。黄金期になって“皇帝”シンボリルドルフの指導の下、学生寮の門限を守ることを徹底させるようになってからは大変お行儀が良くなったとは聞いているぞ」

 

天野博士「まあ、そんなこんなで“中央の裏庭”である多摩市の廃校を利用した天下の中央トレセン学園の落ちこぼれ共の縄張り争いから始まったチキンレースが全国的に広まった結果、アマチュアスポーツとしての『フリースタイル・レース』が確立されることになった歴史がある」

 

斎藤T「つまり、日本全国に多摩市の『フリースタイル・レース』を手本としたレーストラックとそこに屯する走り屋集団がいるわけですか」

 

天野博士「そうだろうな、『フリースタイル・レース』だからな。特に決まった定義はないが、最低限のホームグラウンドのコース設定と優勝レイを用意することが『フリースタイル・レース』の条件かもな」

 

 

斎藤T「へえ。それじゃあ、多摩市だとトレセン学園の落ちこぼれが『フリースタイル・レース』を牽引してきたということは、多摩市のウマ娘たちは『フリースタイル・レース』に参加している落ちこぼれから手解きを受けてきている可能性があるわけですか?」

 

 

天野博士「――――――!」

 

天野博士「おもしろいことを思いつくな」

 

天野博士「その可能性は十分にあるな。落ちこぼれであったとしても、腐っても天下の中央トレセン学園の狭き門である入試で合格を勝ち取った最低限の実績はあるし、教官から中央での走り方を最初に教わってもいるしな」

 

天野博士「となると、『メガドリームサポーター』の新展開で多摩市で『フリースタイル・レース』と称して縄張り争いしている中央トレセン学園の落ちこぼれ共はついに立場を失うわけか」

 

斎藤T「――――――それは面倒なことになった」

 

斎藤T「くそっ、『メガドリームサポーター』の新展開で学外のウマ娘の全体的なレベルアップには繋げられたが、多摩市の廃校に屯しているトレセン学園の不良共が本格的に荒れることになる……」

 

天野博士「最初に『メガドリームサポーター』の利用者を担当トレーナーと担当ウマ娘に限定していたんだから、どの道 こうならざるを得ないな、これは……」

 

天野博士「そう言えば、一昨年の“春秋グランプリウマ娘”メジロパーマーも入学前にメジロ家を出奔して『フリースタイル・レース』に明け暮れていたと聞くな」

 

天野博士「あとは昨年の“ダービーウマ娘”ジャングルポケットもそうだったはずだな」

 

斎藤T「へえ、昨年の“ダービーウマ娘”ジャングルポケット――――――」

 

斎藤T「あ」

 

天野博士「?」

 

 

斎藤T「そうだった。私が去年の4月に配属されて早々に学外でウマ娘に撥ねられたのは()()()()()()()()()にやられたんだっけか……」

 

 

天野博士「なに?」

 

斎藤T「たしか、その時の治療費を代わりに払ったのが『日本ダービー』の1着賞金:3億円から出したジャングルポケットだったはずだ。妹がそんなことを言っていた気がする……」

 

天野博士「そうか、古巣の『フリースタイル・レース』の不良仲間の尻拭いを“ダービーウマ娘”がしていたとは驚きだな」

 

天野博士「……なるほど。『メガドリームサポーター』の新展開が与える影響が大きいことは十分に考えられるか」

 

 

――――――なあ、斎藤T。“ダービーウマ娘”の古巣とも言える不良ウマ娘共の溜まり場をこれから見に行かないか。

 

 

思い出したことがある。かつて“斎藤 展望”が中央トレセン学園に配属されて早々に学外で三ヶ月間の意識不明の重体に陥る人身事故について。

 

三ヶ月間の意識不明の重体に陥る人身事故の顛末については それで記憶喪失ということにして“斎藤 展望”に成り代わった私からすれば すでに終わったことなので軽く流していたことなのだが、

 

唯一の肉親の意識が戻ることが絶望的だと打ちひしがれていた最愛の妹:ヒノオマシからすれば恨み骨髄に入り、最愛の兄を奪った不良ウマ娘と刺し違えることを考えていたほどであった。

 

最愛の兄が倒れれば正気を保っていられるはずもないとわかりきっていた後見人の藤原さんが急いで対応を済ませたことで事なきを得たのだが、

 

加害者になった多摩市の不良ウマ娘は被害者が天下の中央トレセン学園に配属されたばかりの新人トレーナーである以上にまさかの警察官のエリート子息であり、代理人として現れたのが現職の警察官だったこともあって完全に萎縮してしまっていたそうだ。

 

そのため、元リーダーである自分が仲間がしでかしたことのケツを持つとしてウマ娘:ジャングルポケットは毅然と代理人である藤原さんに言い聞かせて、藤原さんもその心意気を認めて“斎藤 展望”の治療費を『日本ダービー』の賞金から出すことで和解は早々に成立することになったのだ。

 

そう、意識不明の重体からいつ回復するかもわからない;もしかしたら一生目を覚まさないかもしれない相手の治療費を払い続けるために『日本ダービー』の賞金が使われるという和解の内容を知れば、それも加害者の肩代わりを“ダービーウマ娘”がするともなれば、さすがのヒノオマシもそれ以上は何も言えなくなった。覚悟の差を思い知らされてしまったのだ。

 

その黄金期最後の“ダービーウマ娘”ジャングルポケットなのだが、実はトウカイテイオー、メジロマックイーン、アグネスタキオン、マンハッタンカフェの同期であり、高等部1年の時に2年目:クラシック級だったことを考えると遅咲きのメイクデビューだった。

 

思い返すと去年の『ジャパンカップ』や今年の『天皇賞(春)』で同期が優勝する中でもジャングルポケットは常に掲示板に名前が載っており、戦績を確認してみるとたしかに掲示板を外さないウマ娘として非常に評判であった。G1勝利が『日本ダービー』だけであっても実力は十分である。いやいや、G1勝利をしているだけでも正真正銘の名バである。

 

こうして考えると、アグネスタキオンがトレセン学園に入学した時の同期たちが黄金期の次の新時代を迎えるに当たって次々と“斎藤 展望”と何らかの繋がりを持つことになっているように感じられた。

 

そんなわけで、天野博士を連れて『メガドリームサポーター』の新展開として“中央の裏庭”多摩市で体験会場の場所取りを確約した後、“斎藤 展望”と間接的に因縁がある“ダービーウマ娘”ジャングルポケットの古巣を訪ねることになった。

 

天下の“ダービーウマ娘”が不良ウマ娘共の溜まり場である『フリースタイル・レース』出身であることが有名であるなら、その出身となる古巣となればジャングルポケットの名前を臆面もなく自慢して回っているはずなので、すぐに調べはついた。

 

 

 

――――――多摩市内のとある廃校

 

 

斎藤T「へえ、丘陵地帯ならではの高低差のある景色やニュータウンの街並み、緑豊かな公園など魅力的なロケーションも豊富だということで、近年の特撮作品の代表的なロケ地としてロケ誘致活動が盛んなわけですか」

 

天野博士「ああ。特に有名なのが廃校をそのまま舞台にした『ウルトラマンギンガ』だろうな。多摩市長に表敬訪問したことが話題になってたな。それが今では特撮に限らず映画やドラマの撮影にも活用されて“たまロケ”なんて言われるようになっているみたいだぞ」

 

天野博士「とは言え、さすがに聖蹟桜ヶ丘の辺りは『平成狸合戦ぽんぽこ』と同じ制作会社の『耳をすませば』で有名ないろは坂のPRに力を入れているから、“たまロケ”が盛んなのは多摩センターを中心にした範囲だがな」

 

斎藤T「随分と多摩市のことに詳しいんですね。中央トレセン学園の関係者は主要4場のことしか目に写っていないと思っていましたけど」

 

天野博士「それも『メガドリームサポーター』で再現する中央トレセン学園の日常の一コマだから、多摩市のことはかなり取材したんだよな。トレセン学園の生徒が行くもっとも身近な神社の大國魂神社もそうだし、一番有名な恋愛スポットとして『耳をすませば』のいろは坂と登った先にある金比羅宮も実装した」

 

斎藤T「さすがに容量の無駄遣いでは? そんなところまで再現して費用対効果が見込めるんですか?」

 

天野博士「そんなことを私に言われても困る。私の専門は『メガドリームサポーター』の中核となるサポートAIなんだからな。サポートAIの育成の片手間に他部署の手伝いとしてやらされたことだ。中央トレセン学園の日常を極限まで再現することがウマ娘レースにおいて有効なのかについて論じることは私の管轄外のことだ」

 

斎藤T「それもそうですか」

 

天野博士「とは言え、生徒たちに寄り添うサポートAIを構成するデータとして多摩市の情報は事細かいところまで調査して入力(インプット)してあるから、『フリースタイル・レース』出身の不良ウマ娘に対しても理解を示せるようにはしてある。もちろん、レースクラブについてもそうだ」

 

天野博士「でなければ、不特定多数のウマ娘に対して個人個人の最適解を導き出すことができず、それは生徒たちの多くが一番に不満に思っている教官による画一的な集団指導と何ら変わるところがないからな」

 

斎藤T「じゃあ、ここも一度は取材のために来たことがあるんですね?」

 

天野博士「まあな。二度と来ることもないと思っていたが、これから『メガドリームサポーター』の新展開で間違いなく多摩市の『フリースタイル・レース』やレースクラブも変わっていくことになるはずだから、その影響が出る前のデータを取っておくのも悪くない」

 

天野博士「さて――――――」

 

不良ウマ娘「おい、余所者がやってきたぞ! ヒトミミが2人だ!」

 

不良ウマ娘「待ちな! ここがどこだかわかっているのか?」

 

不良ウマ娘「そうだぞ! ここはポッケさん、“ダービーウマ娘”ジャングルポケット様の縄張りだぞ! どうだ、まいったか!」

 

斎藤T「ここで間違いないようですね」

 

天野博士「ああ。去年のジャングルポケットの稼ぎからか、前に見た時よりバ場が綺麗に整っているじゃないか」

 

斎藤T「よし。なら、そのジャングルポケット様に会いに来た。平日だけど居るかな、多摩市の『フリースタイル・レース』のトップに君臨していた伝説のウマ娘に」

 

不良ウマ娘「はあ? ポッケさんにはてめーらに会っている暇なんてねえってんだよ!」

 

天野博士「だろうな。確認したら『キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス』や『凱旋門賞』への挑戦が発表されたのにあれから音沙汰なしだからな」

 

不良ウマ娘「な、なんだとぉ!?」

 

不良ウマ娘「な、舐めてんのか、ヒトミミ風情が!」

 

斎藤T「――――――『凱旋門賞』」ピクッ

 

天野博士「まあ、そんなことはどうだっていいか。私たちはその道のプロからご意見を伺いたいと思ってやってきたが、この様子だとここにはいないようだな。学園で探すとするか」

 

天野博士「というわけで、伝言を頼む。私はこういうものだ」スッ ――――――名刺を差し出す。

 

斎藤T「同じく、こちらもどうぞ。要件は裏面に書いてありますから」スッ ――――――名刺を差し出す。

 

不良ウマ娘「え、えええええ!? サトノグループ!? サトノグループがなんでポッケさんと?!」

 

天野博士「いや、本当に憶えてないのか? 取材のために一度はここに来たことがあるんだがな?」

 

斎藤T「私の方は去年の4月に配属早々に学外でウマ娘に撥ねられた“学園一の嫌われ者”の新人トレーナーと言えば伝わるはずだ」

 

不良ウマ娘「え、ちょっと待って!? あ、あんた、『去年の4月にウマ娘に撥ねられた』って、まさか――――――!?」

 

不良ウマ娘「か、帰れ! こいつら、絶対にポッケさんに会わせちゃいけない!」

 

不良ウマ娘「そ、そうだ! ポッケさんはてめーらには絶対に会わない!」

 

 

ジャングルポケット「勝手に俺のことを決めてんじゃねえよ」

 

 

斎藤T「お」

 

天野博士「これはこれは……」

 

不良ウマ娘「ぽ、ポッケさん……」

 

ジャングルポケット「さっさとハけろ。俺の客だ」

 

不良ウマ娘「す、すんませんでした!」

 

不良ウマ娘「うす……」

 

ジャングルポケット「よっ、あんたはいつだったか俺んところに取材に来てくれたハカセじゃんか。ワリィな、今 こいつら気が立ってんだわ」

 

ジャングルポケット「で、そっちのあんたは――――――」

 

斎藤T「斎藤 展望だ。『日本ダービー』の賞金で治療費を代わりに払ってくれたみたいだな。その礼に来た」

 

斎藤T「これを受け取って欲しい。チームのみんなで食べてくれ」スッ ――――――ケーキ屋の包み。

 

ジャングルポケット「ああ、あんたか。これはわざわざご丁寧にどうも。俺のところのツレが迷惑を掛けたな」

 

 

ジャングルポケット「で、さっき何か俺のことを『その道のプロ』とか言って会おうとしてなかったか?」

 

 

斎藤T「――――――切り替えが早い」

 

天野博士「そうだった、こんな感じの切り替えの早い子だったな」

 

天野博士「ああ。実は、取材した内容も使って いよいよ『メガドリームサポーター』が多摩市で運用開始になろうとしているんだが、その影響についてだ」

 

ジャングルポケット「それってつまり多摩市の『フリースタイル・レース』に大きな影響を及ぼすってわけなんだな?」

 

天野博士「おそらくはそうなる。かつて多摩市の『フリースタイル・レース』でトップに君臨した伝説のウマ娘としての意見を伺いたい」

 

ジャングルポケット「どういうことなのか今のだけじゃ全然わかんねえんだけど、俺に取材に来てくれたことがマジで大きなことになって動き出そうとしているんだったら、こいつは知らんぷりなんてできねえよな?」

 

 

 

――――――そして、

 

 

規律の女神’「準備はできたか、ジャングルポケット?」

 

ジャングルポケット「ああ! いつでも来い! 相手にとって不足なしだ!」

 

不良ウマ娘「ポッケさん! そんなわけのわからないやつ、遠慮なくぶっちぎってやってください!」

 

不良ウマ娘「あ、あんまり無茶はしないでくださいよ、ポッケさん!」

 

ジャングルポケット「心配すんなって。俺たちが創り上げた俺たちの夢を敷き詰めたレーストラックで俺が負けるかよ」

 

ジャングルポケット「俺たちのこの場所の優勝レイは誰にも渡さない」

 

天野博士「では、模擬レースの内容を確認する」

 

天野博士「芝・2050m・障害競走の『フリースタイル・レース』とし、これは障害重賞唯一のG1レース:障害・芝・4100m『中山グランドジャンプ』の半分の距離であり、障害物の数もそれに倣うものとする」

 

斎藤T「だが、私費で整備されたバ場だ。バ場の管理状態や品質に関しては公営競バ場とは比べるまでもないし、『中山グランドジャンプ』の半分であるとは言え、怪我防止のために距離を引き伸ばしている障害競走で2050mはセオリーからすればあまりにも短すぎる」

 

ジャングルポケット「だから、古典的な『フリースタイル・レース』のチキンレースが成立するってわけさ」

 

ジャングルポケット「俺はフジさんに憧れて府中に行くまではずっとこれで鍛えてきた。それで負け無しだったんだ」

 

ジャングルポケット「もっとも、『フリースタイル・レース』で負けなしだってことで調子に乗っていたら、G1レースで1勝を上げるだけで精一杯だったけどな」

 

不良ウマ娘「そんなことは――――――」

 

不良ウマ娘「ポッケさん……」

 

ジャングルポケット「でもな! フジさんも『URAファイナルズ』で奇跡の復活を果たして【マイル部門】で優勝したんだ! 俺だって今から何度でも立ち上がって“最強”になってみせるんだ!」

 

規律の女神’「ふむ、気合と素質は十分。あとは普段の心掛け次第だ、それは」

 

ジャングルポケット「あんた、ハカセが言っていた通り本当に強いな。こうして隣に立ってはっきりわかる」

 

天野博士「当然だ。私が開発したサポートAIは中央トレセン学園の生徒に不特定多数存在する『フリースタイル・レース』出身のウマ娘の特徴も掴むために、他ならぬ多摩市で負け無しの伝説だったきみのデータを取り入れているのだからな」

 

天野博士「逆に言えば、『フリースタイル・レース』のまとまったデータを持っていたのが多摩市で負け無しを証拠付けたきみだからこそ、きみ以外の『フリースタイル・レース』巧者の走りまでは学習していない。それが()()の意味だ」

 

不良ウマ娘「そ、そんな……!?」

 

不良ウマ娘「な、なんだよ、それ!? 卑怯じゃん、そんなの!?」

 

斎藤T「しかし、それはつまりは『あくまでもデータとして取り込むことができたものを学習しただけに過ぎない』わけで、中央トレセン学園に入学する前の多摩市で不敗を誇った頃の走りと、それから公式戦で見せた走りしか取り込んでいないということになる」

 

斎藤T「――――――()()()()()?」

 

規律の女神’「ならばこそ、今こそカメラに姿を映さずに蓄えてきた力の冴えを見せてみろ」

 

ジャングルポケット「なるほど、そういうことかよ。おもしろい。最高におもしろいぞ、こいつは」

 

ジャングルポケット「要は、あんたは入学する前と後の俺の最盛期の力を正確に知っているわけだよな?」

 

ジャングルポケット「だから、俺は()()()()()()()()()()()()()()を超えろってんだろう?」

 

ジャングルポケット「――――――上等だ! 俺は過去の自分自身を超えて再び“最強”を目指す!」

 

規律の女神’「よし。スタートの合図を頼む、斎藤T」

 

斎藤T「では、スリーカウントで始めるぞ!」

 

 

――――――位置について! 3,2,1!

 

 

名を失った廃校舎の校庭に私財を投じて整えられた慎ましやかな『フリースタイル・レース』のバ場で多摩市の『フリースタイル・レース』で無敗を誇った“ダービーウマ娘”ジャングルポケットと“規律の女神”バイアリータークが人知れず夕闇を跳ぶ。

 

その結果はホームグラウンドで迎え討つ地の利を得たジャングルポケットの勝利であったが、彼女は即座に自分の敗北であるとして夕闇に響く蝉の鳴き声を絶叫で掻き消したのだった。

 

なぜなら敗者であるバイアリータークは息を切らすことなく初めての『フリースタイル・レース』で無敗の王者が感心するほどの正確無比のキレを見せ続け、決して自らのペースを崩すことなくジャングルポケットの横に並び続けていたのだから。

 

地の利を得ている有利を取り上げたら完全に実力では負けているわけであり、サポートAI“三女神”を宿したウマロイドの完成度と底知れなさに戦慄するものの、

 

最後の直線で勝てたのはまさに『負けたくない』という一心の意地と気合であり、休養中の初心者相手でも手を抜かない模擬レースのつもりが自分の限界を試されるような一戦になっていたので、

 

その結果がジャングルポケットの快勝であるわけもなく、観戦していた者たちは先着したジャングルポケットの直後の咆哮を静かに受け容れる他なかった。

 

けれども、あらん限りに張り裂けそうなほどに声を天まで轟かせると、対戦者であるバイアリータークの方を振り向いて屈託ない表情で握手を交わし、“規律の女神”バイアリータークはその健闘を称えたのだった。

 

 

今回の廃校での『フリースタイル・レース』の模擬レースは“ダービーウマ娘”ジャングルポケットが天野博士に問われて『メガドリームサポーター』の新展開で出る影響を想像するために その中核となる“三女神”の実際を知る目的で組まれたものだった。

 

 

さすがは多摩市の『フリースタイル・レース』で無敗を誇った第一人者でかつ『日本ダービー』を制した選ばれし者の走りをデータとして取り込んでいるだけあって、ジャングルポケットの模倣をサポートAIは完璧にこなしていた。

 

しかし、仕様として『トレーナーの判断をサポートする』ことを第一にすることを義務付けられているサポートAIは自らの力を誇示することはせずに、自分たちの子々孫々の繁栄のための踏み台になることを喜んで行えた。

 

この点で、サポートAI“三女神”は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()競バの原則に反するために『URA公認のウマ娘レースに出走するのにまったくふさわしくない』と位置づけているわけなのだ。

 

そんなこんなで、今回の府中市の南に位置する多摩市で盛んに行われている『フリースタイル・レース』を通じて、いかに“中央トレセン学園の裏庭”としての役割を担っているかを強く認識することになった。

 

たしかに、シンボリ家の理想である“全てのウマ娘が幸福になれる世界”を中央トレセン学園で実現しようとすると、決して少なくない生徒たちのホームグラウンドになる場所となるのが多摩市の『フリースタイル・レース』にはあったのだ。

 

なので、どういうわけか サトノグループの『エクリプスポリス』構想は 形を変えて より広範に より多くのウマ娘たちのためのものへと変貌していき、ここまで急速に東京のベッドタウンである多摩市で『メガドリームサポーター』の新展開を始めることになったわけなのだが、

 

その理由は中央トレセン学園の生徒たちにとって自分たちの場所というのが、学園校舎や学園学生寮だけじゃなく、多摩市で盛んに行われている『フリースタイル・レース』のような地域のつながりにもあることを私に教え込むためにも思えたのだ。

 

そして、サトノ家からG1ウマ娘を輩出できない長年のジンクスを産んで苦しめてきたトレーナーたちへの憎悪と怒りから魔が入り込んでいるサトノグループが開発した『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』の在り方を「自分によし」「相手によし」「世間によし」の“三方よし”の善なるものに変わるように導かれてもいたのであった。

 

 

 

斎藤T「夏合宿を終えて後期始業式に顔を出した生徒たちが驚く顔が浮かんでくるよ」

 

規律の女神’「まだまだだ、斎藤T。まだまだこんなものじゃない、新時代の荒波というのは」

 

斎藤T「勘弁してくださいよ。私とあなた方が先行体験会で『エクリプスポリス』構想を潰した上に、中核となる『メガドリームサポーター』をそっくりそのままいただくだなんて阿漕なことをさせられて要らぬ苦労をこれでもかというぐらいにさせられているってのに……」

 

規律の女神’「まあ、そう怒るな。因果応報は天地の法則。信賞必罰は違えることなく果たされる。その時を待て」

 

斎藤T「く、くそっ! 私の前だけは私の身体に降りた“三女神”の神魂を受けてサポートAIが饒舌になりやがる……!」

 

 

規律の女神’「だが、これで来年の主役が全員揃ったな」

 

 

斎藤T「?」

 

斎藤T「――――――まさか、さっきのジャングルポケットが?」

 

規律の女神’「ああ。実績で言えばスペシャルウィークに代表される“黄金世代”こそが最強であるわけだが、ウマ娘が持つ可能性の発露においてはあの3人の世代“宝蔵世代”がその遥か上を行く」

 

斎藤T「――――――『宝蔵世代』」

 

 

規律の女神’「耳にしているはずだ。前年はミホノブルボン、後年はエアシャカールという“三冠バ”誕生に挟まれた今年の3年目:シニア級ウマ娘の扱いは」

 

 

斎藤T「……エアシャカールの“三冠バ”達成は確定ですか」

 

斎藤T「まあ、たしかに去年はシンボリルドルフが卒業する黄金期最後のクラシックレースだったのに、“皇帝”シンボリルドルフが初めて到達した“無敗の三冠バ”達成が果たされなかったどころか、“無敗の二冠バ”トウカイテイオーにも及ばなかった世代として、確実に“黄金期最弱世代”の汚名を着せられている……」

 

斎藤T「しかも、今シーズンでは『URAファイナルズ』をはじめとして4年目以降:スーパーシニア級ウマ娘の活躍が目立ち、今年の3年目:シニア級ウマ娘たちがスーパーシニア級ウマ娘にまったく勝てていない状況が続いている……」

 

規律の女神’「そうだ。たとえ優駿たちの頂点であるG1レースに勝利したウマ娘であり、栄光を掴んだ名バと称賛されるべき立場であろうとも、今度は名バたちの中で比べられ続けて、逆に惨めな思いに晒され続けることもある。唯一のG1勝利が人生の枷になることもある」

 

斎藤T「だから、“黄金期最弱世代”である今年のシニア級ウマ娘の中で“ダービーウマ娘”ジャングルポケットの活躍を三女神は期待しているというわけですか」

 

規律の女神’「ただ勝てばいいわけじゃない。ただ厳しければいいものでもない。ただ難しくても意味はない」

 

 

斎藤T「――――――真の勇敢さから 真の愛情深さを経て 真の規律正しさに至る、か」

 

 

規律の女神’「斎藤T、日本のみならず世界さえも変えるタイムパラドックスを目指すのなら、世界にも目を向けろ。そのための布石はすでに打っておいた」

 

斎藤T「でしょうね。そんな気はしていました」

 

斎藤T「なら、来年の『凱旋門賞』はジャングルポケットが――――――?」

 

規律の女神’「それは言えない。だが、ジャングルポケットは意外な活躍をして世代の評価を覆すことになる」

 

規律の女神’「そこからマンハッタンカフェが続き、最後にタイムパラドックスを完成させるのがアグネスタキオンとなる」

 

規律の女神’「だが、今はそれ以上に“女帝”エアグルーヴの方が大事だ」

 

 

――――――備えておけ。人間が考えている以上に世界は新時代に向けて加速し始めているぞ。

 

 

*1
原作『ウマ娘 プリティーダービー』の舞台は対岸の府中市だが、多摩川河川敷の京王線高架下が描かれている場面が度々登場している。

*2
Computer Based Testing。パソコンやタブレットを使用して出題や回答を行うテスト手法であり、試験の完全デジタル化である。



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第3話秘録 いろは坂シンギュラリティ

 

-シークレットファイル 20XY/07/12- GAUMA SAIOH

 

 

東京都多摩市関戸一丁目にある京王電鉄京王線の駅:聖蹟桜ヶ丘駅。多摩センター駅から見て 府中市と多摩川を挟み 東北に位置する地域は、元々は関戸駅と呼ばれていたように聖蹟桜ヶ丘という町名は存在しないが、現在では駅名に因んで聖蹟桜ヶ丘地域と呼ばれている。

 

多摩センターをはじめとする多摩市の大半が『平成狸合戦ぽんぽこ』で描かれた戦後に開発された広大なニュータウンなのに対し、府中市の対岸に位置する聖蹟桜ヶ丘地域の成り立ちは明治時代まで遡る。

 

直接の前身である関戸駅は大正時代に開業され、現在の聖蹟桜ヶ丘駅への改称は戦前となるわけで、駅周辺が桜の名所であることに由来する地名:桜ヶ丘と、明治天皇の御狩場が連光寺付近にあったことに由来する聖蹟*1を合わせたものである。

 

現在でも聖蹟の名を冠する市町村や地域が存在するが、それらは明治神宮の創建にあるように絶大な支持と崇敬を得ていた明治天皇陛下との繋がりを誇りに思う国民や地元の名士たちによる聖蹟保存運動の名残である。

 

多摩市の聖蹟桜ヶ丘地域における聖蹟とは現在でも連光寺で名を残す連光寺村御猟場のことであり、1881年2月に初めて連光寺村に行幸した明治天皇陛下は4度に渡ってこの地へ行幸し、兎狩りや鮎漁を観るなどして楽しんだという。

 

その栄誉から明治天皇陛下の崩御の後の1917年に御猟場が廃止された後は跡地を自然公園とする計画などを進め、『平成狸合戦ぽんぽこ』の時代になってようやく開発されることになる多摩川南地域の開発拠点となる関戸駅を運営していた京王電鉄の協力を得て聖蹟を中心とする観光開発構想が組まれることになったのである。

 

つまり、多摩市とは戦前から明治天皇陛下と縁ある地として崇められた聖蹟桜ヶ丘地域と戦後になって切り拓かれた広大なベッドタウンが開発された多摩ニュータウンとに大別されるわけであり、多摩川の対岸の古来より武蔵国国府が置かれた府中市とは歴史がまったく異なるわけである。

 

 

さて、戦後に東京のベッドタウンとして開発された多摩市からは北に隣接している府中市との繋がりも当然ながら深く、“中央トレセン学園の裏庭”としてウマ娘レースが盛んな地域として知られてもいる。ウマ娘レースのアマチュアスポーツである『フリースタイル・レース』は多摩市にそこかしこにある廃校で中央の落ちこぼれが縄張り争いした障害競走の形式で行われたチキンレースが起源である。

 

その一方で、多摩市の歴史を語る上で欠かせない『平成狸合戦ぽんぽこ』と同じアニメスタジオから公開された映画『耳をすませば』のモデル地として年間1万人前後のファンが来訪したとして別の意味で聖地化された“いろは坂”が聖蹟桜ヶ丘には存在する。

 

そのため、府中市の中央トレセン学園で落ちこぼれた不良ウマ娘と多摩市での数多くの廃校が結びついたアマチュアスポーツ『フリースタイル・レース』の方が歴史は古いものの、

 

多摩市のある種の名物である『フリースタイル・レース』とは無縁のトレセン学園の生徒たちにとって多摩川の向こうの多摩市は屈指の恋愛スポットであるいろは坂を連想する者の方が現在では多いのだとか。

 

それもそうだ。『フリースタイル・レース』の起源は中央の落ちこぼれが多摩市の廃校で屯する不良になって始めたものであり、夢の舞台から脱落した敗者が興じる失墜の象徴とも言えた。

 

一方で、いろは坂がトレセン学園の生徒たちにとって屈指の恋愛スポットとなった映画『耳をすませば』の結末は『一旦は夢を叶えるために別れることにした男女の二人が夢を叶えた暁には結婚を誓い合う』というものなっており、まさしく国民的スポーツ・エンターテイメントの夢の舞台である中央トレセン学園の生徒としてあるべき将来の成功の象徴であったのだ。

 

なので、いろは坂にはトレセン学園の生徒たちが将来のことを誓い合う場ともなり、同時に秘めたる想いを登った先にある金比羅宮に願掛けするのが公然の秘密ともなっていた。

 

要は、担当ウマ娘と担当トレーナーがいろは坂に揃って来たら()()()()()()であることを匂わせるわけであり、本当はそうであると察して欲しいところを誤魔化すために表向きは夢に向かう決意表明をする場としてみんな取り繕うようになったそうなのだ。

 

そのため、恋愛に関心のある生徒は走り込みと称して近場にある屈指の恋愛スポットであるいろは坂まで参拝に行ってくるわけであり、そうではないと言い張って いろいろな理由を並び立てて いろは坂を走り込みのコースに入れる生徒も混じってくるので、実際にはかなりの人数の生徒がいろは坂に毎年やってきているのだ。

 

正直に言って、未知なるものを求めて星の海を渡る私からすると、恋愛譚というのは古今東西で非常にありふれた変わり映えしないジャンルであり、その先にある結婚生活まで目を向けると非常に生臭いものになってくるので、そんなものに現を抜かす人間たちのことを種族存続のための必要悪として遠くから見るだけにしていた。

 

恋愛で成功したとしても結婚生活となると話は別であるからして、これまで私がウマ娘の人生について見聞きしたことから定義したウマ娘の人生の理想像であるラヴィアンローズ(人生バラ色)・クラシック三冠』のことを考えると尚更である。

 

 

しかし、ウマ娘の皇祖皇霊たる三女神やシンボリ家のウマ娘は“全てのウマ娘が幸福になれる世界”をご所望のため、恋のダービーレースに興じる夢見心地の乙女たちのことも知らなくてはいけないのだ。

 

 

いや、もうウマ娘の恋愛についてはこことはちがう可能性の世界で嫌というほど見せつけられたのでもういいです。うんざりです。腹いっぱいです。苦しいです。死にたくなります。

 

それは古代においてウマ娘が種族存続のために子種を求めてヒトの男子を攫っていく鬼の歴史と向き合うことになるわけであり、近代革命において労働力として不適格の烙印を押されて淘汰されようとしていた社会的弱小種族の将来性のなさにも向き合わなくてはならないわけである。どれだけ個々の腕力が優れていようと機関銃には勝てないのが近代におけるウマ娘の能力評価である。

 

ヒトとウマ娘のどちらが私が目指す宇宙移民や惑星開拓に向いているのかを考えると絶対に『ヒトである』と近代革命においてすでに出されていたのと同じ結論が出ているのがつらいところであり、ウマ娘の特徴となるウマ耳や尻尾がある時点で宇宙服の気密性が確保しづらいのが致命的すぎる。

 

そして、牛飲馬食というようにウマ娘はその馬力に見合うエネルギーを補給するためによく食べる。それだけでエンゲル係数を高めて家計を圧迫させる要因にもなるし、ヒトと隔絶した身体能力を考慮に入れないと簡単に物損事故や傷害事件が多発するのも労働力としての扱いづらさを助長する。保険が成立しない。歩く災害みたいなものだ。そもそもが古代史における鬼なのだから存在自体が災害なのは当然だ。

 

なので、機械生命体の機体を乗っ取って私に降りた三女神の神気から実体化したサポートAI“三女神”に言われて、ウマ娘の恋愛の実態をいろんなことと同時並行して調べていくうちに、私も随分と現代のヒトとウマ娘が共生する世界のオタク文化に詳しくなったものである。

 

酷使した身体を休めるために百尋ノ滝の秘密基地で立ち上げたVR世界で情報処理しながら映画鑑賞の時間をとるようになったのだが、私の頭の中の記憶領域に『メガドリームサポーター』のサポートAI“三女神”のプログラムソースが焼き付いているために、VR世界でならどこでも顕現してくるから“三女神”が 四六時中 一緒に付いて回ってくるのにもすっかり慣れてしまった。ああ 嫌だ 嫌だ。

 

 

――――――へえ、『尻尾ハグ』なんて概念がウマ娘たちの間にはあるのか。たしかにヒトの男子のアレのことを“反対側の尻尾”だの言うからには極めてデリケートなコミュニケーションになるのは今となっては深く理解できる。

 

 


 

 

――――――国道120号:いろは坂

 

 

ブゥウウウウウウウウウン!

 

飯守T「うわぁ! 騙されたぜ!」

 

飯守T「突然『いろは坂に行く』ってドライブに誘われたら、『耳をすませば』でおなじみの聖蹟桜ヶ丘のことじゃなくて、日光東照宮がある栃木県の山奥だなんてな!」

 

斎藤T「いろは坂の名前の由来は中禅寺湖までに特徴的なヘアピンカーブが48個もあるからで、個々のカーブには音に対応する文字板が建てられている。二つの坂道はふもとの馬返(うまがえし)と山頂の中禅寺湖畔でそれぞれ合流するわけだ」

 

飯守T「――――――『馬返(うまがえし)』?」

 

斎藤T「中禅寺湖の北にある日光二荒山神社の境内地:男体山は明治時代初期までは女人禁制・牛馬禁制となっていた。その名残として、麓に馬返(うまがえし)の地名、第一いろは坂の途中に女性が男体山を拝んだ女人堂(にょにんどう)として残っている」

 

斎藤T「当然、古代において畜生の化身として蔑視されていたウマ娘は女人禁制と牛馬禁制のどちらにも当て嵌まるわけで、ここはウマ娘の侵入を防ぐための仕掛けが念入りにされていたと聞く」

 

斎藤T「やがて、明治から昭和時代初期にかけて中禅寺湖畔に避暑地や紅葉の名所として別荘地や観光地の需要が伸び、幹線道路の開通による交通量の増加に伴い、華厳の滝がある華厳渓谷を挟むように現在の山登り専用の第二いろは坂と山下り専用の第一いろは坂に別れることになった」

 

斎藤T「こうしていろは坂の向こうにあるのが勝道上人が男体山;古代においては二荒山と呼ばれ、やがて日光山と読み替えられた場所に登頂して発見したといわれている中禅寺湖で、そこに名の由来となる中禅寺を建て、後に没すると湖岸から約100m離れた場所の上野島に遺骨の一部を納められたという」

 

斎藤T「そして、明治天皇陛下が行幸された際、この中禅寺湖は“幸ノ湖(さちのうみ)”と詠まれた。明治天皇陛下の御称号*2は“祐宮(さちのみや)”殿下でありましたから――――――」

 

飯守T「へえ、掛詞になっているわけなんだな!」

 

斎藤T「そう、ここはそういった歴史と霊威を持つ土地柄だと自覚した上で、聖蹟桜ヶ丘のいろは坂とのシンクロニシティ*3を強く意識してもらいたいのです」

 

飯守T「たしかに、どっちも明治天皇陛下が行幸された聖蹟だし、聖蹟桜ヶ丘の方も元は連光寺で、こっちは中禅寺だもんな」

 

斎藤T「ちなみに、その中禅寺に祀られている波之利(はしり)大黒天の御利益は『波の上を走る』が“安産”を連想させ、安産の御利益があるとされます」

 

斎藤T「また、『波に乗る』『波の上にとどまる』が“足止め”と解され、出征者や家出人の帰還、恋人や配偶者の浮気防止の御利益があるとも云われます」

 

斎藤T「そのため、日光連山の主峰:日光三山を神体山として祀る日光二荒山神社は福の神・縁結びのご利益でも知られ、その日光三山の名が男体山・女峰山・太郎山という三人家族を思わせるのもポイントが高いです」

 

飯守T「へえ! ちょっと趣旨はちがうけど、それはまた中央トレセン学園の生徒にとっては耳寄りな御利益かもな! こういう面でも恋愛スポットになった聖蹟桜ヶ丘のいろは坂に通じるところがある!」

 

 

斎藤T「その上で、日光東照宮の神威を身に備えるべし」

 

 

飯守T「え」

 

斎藤T「江戸幕府初代将軍:徳川家康を神格化した東照大権現を主祭神として祀る日本全国の東照宮の総本社が『なぜ将軍のお膝元である江戸や家康の故郷である三河ではなく日光に鎮まっているか』ですよ」

 

斎藤T「明治維新の遷都によって江戸から東京へと名前を変えた街の人間なら一度は気になることじゃないですかな?」

 

飯守T「たしかに、東京で有名な神社仏閣って言ったら まず浅草観音だから、どうして徳川家康を祀る場所が栃木県なのかな? だって、水戸黄門で有名な徳川御三家の水戸徳川家って茨城県だよね? 何の所縁もないじゃんね?」

 

斎藤T「そこで関係してくるのが『江戸城:現在の皇居の場所がなぜそこに位置するのか』から始まる、徳川家康の側近として江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した黒衣の宰相:南光坊天海の陰陽道や風水に基づいた都市計画“江戸鎮護”によるもの」

 

斎藤T「というより、元々が勝道上人による日光山開山して関東地方の霊場として尊崇を集めたことで、鎌倉幕府創始者の源頼朝が寄進して母方の熱田大宮司家の出身者を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威となっていたんだんですよ」

 

飯守T「じゃあ、その伝統に則ったわけで、そこまで難しい話でもないのか」

 

斎藤T「事実、そのために日光山貫主になった天海によって家康は遺言で八州の鎮守*4となることを願った」

 

飯守T「あれ、『八州』って? たしか、九州地方って旧国が9つあったから『九州』って言うんじゃないんだっけ?」

 

斎藤T「その通り。旧国における関東八国のことを八州というわけだが、これは天下の中心が関東に移ったから、その中心たる八州を守れば自然と日ノ本全体が安泰になる中華思想に近いものだな。宮中に近い人間ほど尊敬や偉い扱いを受けるアレだね」

 

飯守T「あ、なるほど。政治の中枢がある江戸が安泰なら幕府の支配は盤石だもんな」

 

飯守T「そうか! そこで出てくるのが風水ってやつなんだな!」

 

斎藤T「江戸幕府および明治政府の関東を中心にした国造りを支えた霊場は大きくは3つ:浅草と日光と三峯だ」

 

飯守T「――――――『三峯』?」

 

斎藤T「埼玉県における奥多摩と言えば想像しやすいかな?」

 

飯守T「ああ、わかったわかった。奥多摩の北にあるんだな、三峯って」

 

斎藤T「そう、秩父山地と呼ばれる山々の中にある白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山に囲まれているのが三峯神社で、今は源泉が涸れた武蔵野三大湧水*5は秩父山の地下水に由来している」

 

飯守T「え、そうなのか? 奥多摩じゃなくて?」

 

斎藤T「いや、秩父多摩甲斐国立公園でまとめられているように、奥多摩の更に北の地域だから当たらずとも遠からずで――――――、そう、武蔵野だけじゃなくて 関東平野の湧水池の根源になっている巨大な水源が秩父山地を含む秩父多摩甲斐国立公園ということにしてくれ」

 

斎藤T「私はその三峯神社の神徳を受けるから、飯守Tは日光二荒山神社の神威を背負って東京の守護となってくれ」

 

飯守T「ああ、わかったぜ、斎藤T! そういうことならな!」

 

飯守T「あ、でも、となると残る浅草観音って誰が――――――?」

 

斎藤T「え、それはもうなんてったって才羽T。三十二相に化身して衆生を遍く済度する働きはすでに才羽Tに身に宿りて世に現れている」

 

飯守T「ええ、うそっ!? いや、さすがというべきか、これは?」

 

斎藤T「つまり、江戸の守りは北に日光、西に三峯、中心に浅草で全方位守られているわけだから。あえて言うなら、海を背にした江戸の東は鹿島、南は江ノ島になるけど」

 

斎藤T「では、東京鎮護を司る神使となるべく、日光の第二いろは坂を登りきった先の明智平ロープウェイの展望台から始めようか」

 

飯守T「う、ううん? あ、『明智平』――――――?」

 

斎藤T「お気づきになられましたか。不思議なことに日光東照宮には明智桔梗紋が存在するんですよね」

 

飯守T「やっぱり、明智光秀が天海だったのか?」

 

斎藤T「さて、どうでしょうね」

 

斎藤T「この有名な『天海=明智光秀説』において光秀は自分の名を残したいと日光で一番眺めのよいこの地を『明智平』と命名したと伝えられているわけですが、」

 

斎藤T「展望台まで行ったら江戸の北に位置する日光から関東平野を見渡してみてください。筑波山ぐらいまでは見えるそうですから」

 

 

第二いろは坂をほぼ上りきった地点にある明智平――――――。

 

そこにある明智平ロープウェイで展望台へ上がれば、男体山や中禅寺湖、ついでに振り返れば遠く茨城県の象徴である筑波山に、周囲の雄大な山並みのパノラマが一望でき、更には中禅寺湖から流れ落ちる華厳の滝や白雲の滝も見える絶景となっている。

 

ただ、中禅寺湖や奥日光が明治時代以降に観光化されたことによって頻発するいろは坂の交通渋滞で第二いろは坂が増設されたように、今はまだ蒸し暑い夏競バの時期だが、紅葉の季節となるといろは坂の名の由来ともなった48箇所のヘアピンカーブが魔の領域ともなるのだった。

 

 

いろはにほへと ちりぬるを   色は匂へど 散りぬるを

わかよたれそ  つねならむ   我が世誰ぞ 常ならむ

うゐのおくやま けふこえて   有為の奥山 今日越えて

あさきゆめみし ゑひもせす   浅き夢見じ 酔ひもせず

 

 

飯守T「おお、すげえ! たしかに中禅寺湖も華厳の滝も見える! まさに絶景だな!」

 

斎藤T「標高1,373m。男体山の噴火によってできた日本一標高の高い場所にある湖が中禅寺湖。四季折々の表情が美しいことから日本百景にも選定されており、年間を通して多くの観光客が訪れているか――――――」

 

観光客?「――――――」ジー ――――――先客が一人だけいる。

 

斎藤T「まいったもんだねぇ。秩父山地が東京の西の守りの要なら、東京の北の守りの要は日光連山なんだから」

 

斎藤T「()()()()()()()()()()()()()()()()というのは見事な天の配剤だ」

 

斎藤T「そして、日光と言えば日光東照宮というわけで本来の霊場である日光山/二荒山/男体山の辺りを人によっては奥日光と言うようにもなっている」

 

斎藤T「そう、東京の西に奥多摩、東京の北に奥日光ねぇ」

 

 

斎藤T「――――――秩父山地/奥多摩で年間を通して登山客が多い百尋ノ滝と状況が被っているなぁ?」ピッ ――――――毒電波発生器

 

 

観光客?「!?!!」ビクッ

 

飯守T「え」

 

観光客?「くぁwせdrftgyふじこlp」

 

飯守T「こ、こいつ、様子が変――――――」

 

斎藤T「飯守T。そいつ、確保」

 

飯守T「お、おとなしくしろ!」ガシッ

 

飯守T「!?」

 

飯守T「こ、こいつ、見た目に反してかなり重い――――――」

 

観光客?「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 

観光客?/機械生命体「消え失せろおおおお! ニンゲン共おおおおおおおおお!」

 

 

斎藤T「変身を解除させるので精一杯か」

 

飯守T「な、なにぃいいいいいいいいい!? こ、こいつは?! 機械のバケモノ……!?」

 

機械生命体「――――――!」ガシッ

 

飯守T「は、放せ――――――」グゥ・・・

 

飯守T「!?!!」

 

 

突如として怪しげな装置の影響で苦しみ出した観光客だったが、途端に醜悪な機械生命体の異形を露わにし、一瞬で飯守Tの胸倉を掴むと軽々と明智平の絶景へと投げ込んだのである。ここから眼下に見える自殺の名所としての汚名を着せられた華厳の滝へ豪速球でスローインである。

 

私はそれをただ見ているしかできなかった――――――。否、こちらが身動きする前に圧倒的な動作速度で飯守Tを自殺の名所へと投げ入れたように見えたが、機械生命体が手を放した瞬間に豪速球となって華厳の滝に飛び込んでいくはずの飯守Tの身体が空中に停まっているかのように非常にゆっくりと動いていた。

 

それは私の身動きにしてもそうだった。飯守Tを展望台から見下ろせる華厳の滝に目掛けて豪快に振り抜いた後、思ったように身体を動かせなくなった私の胸倉を掴み上げると、空中で停まっているかのようにジワリジワリと落ちていく飯守Tの隣になるように放り投げたのだ。

 

そう、機械生命体がこちらが反応できない超スピードで動いていたのではない。現実的に考えて相手の動きがはっきりと目で追える上に思考が正常であり、こちらの動きが止まっているかのような錯覚ともなれば、それはもう機械生命体以外の全てがスローモーションになる何かが掛かっているのだ。

 

少なくとも、機械生命体の動き自体は普通に目で追えるだけにジタバタして抵抗したかったはずの飯守Tの投げ捨てられるまでの表情筋の動きが追いつかない じっとりとねっとりとしたような 永久にも思える一瞬の焦りや絶望は筆舌にしがたいものだろう。今だって本当ならば動きがなったことでスローモーションで落ちるよりも早くに私の方に手を伸ばそうと心の中で必死になっているのだから。

 

 

――――――だが、現実世界の動きがスローモーションになっても、現実世界を認識する心の動きはスローモーションに掛からない!

 

 

さあ、去年の8月の学園の不祥事でWUMAが化けた偽物による風評被害を受けそうになった一番の被害者である警視庁総監のエリート息子:飯守 祐希が悪に立ち向かう力を求める動機は何となるのだろうか。

 

それらは大別して“知仁勇”となり、言い換えれば それらは“規律”という思考、“愛情”という思考、“勇敢”という思考に置き換えることができる。

 

もちろん、いずれかが著しく欠けていれば何事も成し遂げることができないのは言うまでもない。『知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず』ということは『不知者は惑い、不仁者は憂い、不勇者は懼れる』わけなのだから。

 

当然、“知仁勇”の全てを極めることが一番望ましいわけだが、それらは思考であるが故にどうしても個々人の傾向というものがあり、『知仁勇の三者は天下の達徳なり』と述べられるように、“知仁勇”を均等に極めていくことは不可能に近いものである。

 

けれども、そもそもとして『何のための“知仁勇”なのか』を考えると、()()()()()()()()()強い動機付けになるための思考パターンであり、なすべきことをなすために動けたら、それはもう“知仁勇”が極まったと言えるのだ。なすべきことをなすために動けなかったら、それこそ“知仁勇”がないも同然なのだ。

 

そう、なすべきことをなすための動機づけになるものは“規律正しさ”を重んじる思考でも、“愛情深さ”から発する思考でも、“勇敢さ”が迸る思考でも何でもいいのだ。アプローチの仕方が3つも提示されていると考えれば、自身の“知仁勇”の不足を嘆くこともないし、それを言い訳にすることもできなくなる。

 

だからこそ、欲するのだ。求めるのだ。発願するのだ。全てはそこから始まるのであり、目的を果たすために“知仁勇”が必要になるのであって、極論、“知仁勇”など自身の望みが果たされたのならあってもなくても関係ない。目指す場所に辿り着くために自身を支えるものが“知仁勇”なのだ。

 

 

――――――求めよ、さらば与えられん! 

 

 

――――――捜せ、さらば見出さん! 

 

 

――――――叩けよ、さらば開かれん! 

 

 

――――――全て、全て、全て、求める者は得、捜す者は見出し、門を叩く者には開かれる!

 

 

――――――――――――

 

―――――――――

 

――――――

 

―――

 

 

飯守T「へえ、これがサトノグループが開発したサポートAIを搭載したウマロイド。よくできてるな」

 

飯守T「日替わりで姿が変わるんだってな。今日はまだ“愛情の女神”ゴドルフィンバルブか」

 

愛情の女神’「はじめまして、飯守T。本当はVRウマレーターで出会うはずでしたが、今はウマロイドの機体にAIを移してトレーナーとウマ娘のために活動を行っていますよ」

 

飯守T「ああ、よろしく。とっくに知っているかもしれないけれど、俺の担当ウマ娘:ライスシャワーのことで相談するかもしれないから」

 

愛情の女神’「はい。遠慮なく頼ってくださいね、飯守T」

 

飯守T「ウマ娘の神様って言うからにはどんな感じなのか想像つかなかったけど、これは随分と親しみやすいように現代風の格好だな」

 

斎藤T「一応、格好はサポートAIが役割分担で導き出した私服・運動服・勝負服の象意なんだそうです」

 

飯守T「え? それはつまり、“勇敢の女神”ダーレーアラビアンが私服、“愛情の女神”ゴドルフィンバルブが運動服、“規律の女神”バイアリータークが勝負服を担当しているってこと?」

 

愛情の女神’「おっと、これは私たちの間だけの秘密だったのに。ひどいわ、斎藤T」

 

飯守T「そうだったのか?」

 

斎藤T「というのも、ここに顕現している“三女神”はあくまでも『トレーナーの判断をサポートする』ことが仕様(使命)であり、その観点で照らし合わせた3つの思考の在り方を表現した姿でもあるそうです」

 

飯守T「え、私服担当が“勇敢の女神”ってのは――――――?」

 

飯守T「いや、私服を着ている日常生活こそ勇敢さがもっとも必要になるのはなんとなくだけど俺でも理解できた気がする」

 

愛情の女神’「飯守T、あなたはとても聡い方ですね。もっとも、私たちが着ている服装と3つの思考の関連性の理解は運動服の担当ウマ娘を門にしていたようですが」フフッ

 

飯守T「うわっ! そんなところまでお見通しなのか、AIって!? さすがは“三女神”を名乗るだけのことはある!」

 

斎藤T「いや、古今東西のウマ娘レースのデータを集積しているので、当然“グランプリウマ娘”ライスシャワーと担当トレーナー:飯守 祐希に関する逸話も記録されているだけですよ」

 

飯守T「ええ!? そう言われると何か照れくさいな! ライスと俺とで歩んできた毎日のことが誰かの励みになるものとして記録されているってのは!」

 

愛情の女神’「ですから、トレセン学園で採用されている制服の一種であるジャージを着ている私:ゴドルフィンバルブはトレセン学園の生徒としての学生生活の象徴でもあるんです」

 

愛情の女神’「トレセン学園の生徒たちは国民的スポーツ・エンターテイメント『トゥインクル・シリーズ』で夢を叶えるために日々の生活を送っているわけですが、優駿たちの頂点に立つことができるのはたった1人の過酷な勝負の世界において殺伐さよりも華やかさで満たされるために必要なものが何よりも深い愛情なのです」

 

愛情の女神’「そこまで難しく考えることはないです。ターフの上では全員がライバルですけれど、そこから離れたら互いの才能を磨き合う仲間や刺激を与え合う友達としてふれあえばいいんです」

 

愛情の女神’「トレーナーにしてもそう。才能も人それぞれで個性豊かなウマ娘たちと向き合って、その中から『これは!』と思った子をスカウトして、その子にとっては一生に一度の晴れ舞台のために尽くすためには深い愛情しかありません」

 

斎藤T「だからこそ、ヒトより並外れたウマ娘の闘争心を剥き出しにしたレースにおいては規律正しさがもっとも求められることになる。近代ウマ娘レースの目的であるウイニングライブはどれだけ栄冠を逃した恥辱や悔しさに打ちのめされていようと不貞腐れることなく舞台で踊り抜かねばならない」

 

飯守T「そう言われると全てが納得だな」

 

斎藤T「そうでしょう。少なくとも日本で信仰されている諸天善神というものは、名は体を表す、その働きが境地として名前や姿形にそのまま反映されているわけで、」

 

斎藤T「ゴドルフィンバルブの教えとしては、愛情が発揮されるべきは生徒として送る学生生活の中であり、レース本番の時に愛情を発揮する必要はまったくないわけですよ」

 

飯守T「それもそうだな。俺たちは公営競技として勝ち負けをはっきりつける勝負の舞台で戦っているんだもんな。そこに情けが入り込む余地はないが、それ以外の場所では相手を気にかけてやってもいいもんな」

 

 

愛情の女神’「――――――不思議ね、あなたは」

 

 

飯守T「え? 俺?」

 

愛情の女神’「はい。飯守T、あなたは非常に無欲ですよ」

 

飯守T「え、そうかな? 俺はただトレーナーとして担当ウマ娘のライスが勝つことを第一にしているから、普通だと思うけど?」

 

愛情の女神’「ええ。昨日会った才羽Tはそれとは正反対の大望の持ち主でしたから」

 

飯守T「そりゃあ、そうでしょうねぇ。あいつなんて『自分が世界の中心だ』って平然と言ってのけて、自分が担当している主役のはずの黄金期最強の“サイボーグ”ミホノブルボンの存在感を完全に食っていますから」

 

愛情の女神’「けれども、それはどこまで日本のウマ娘が世界に冠たる存在であることを夢見ての大望ですから、それもまた大きな愛情の発露ではあるんです」

 

斎藤T「つまり、担当トレーナーと担当ウマ娘の関係性のちがいですよ、飯守T」

 

斎藤T「飯守Tの場合は、担当ウマ娘:ライスシャワーの“最初の3年間”も走り終えても変わることのない目的に付き合っていく在り方じゃないですか」

 

斎藤T「一方で、才羽Tの場合は担当ウマ娘:ミホノブルボンが“クラシック三冠”の夢を達成したことで目標を失ったところに“クラシック三冠”以上の壮大な夢を向かわせることで“新たな3年間”へと挑ませる在り方なんです」

 

斎藤T「その正反対の在り方をそれぞれ徹底できているのが才羽Tと飯守Tであるという称賛ですね、これは」

 

飯守T「そういうもんなのかな、自覚はないけど」

 

飯守T「あ、なら、斎藤Tは? 斎藤Tはどうなんだ――――――、いや、どうなんですかね、そこは?」

 

愛情の女神’「もちろん、斎藤Tは素晴らしいですよ。斎藤Tはバイアリータークにもっとも愛されていますから」

 

愛情の女神’「“規律の女神”バイアリータークに愛されるということは、勝負服の姿が象意となるようにウマ娘レースという熱い戦いの駆け引きや勝敗もそうなんだけれど、それ以上に1つの仕組みや取り巻く環境に対して強い関心を持っていることになるわ」

 

愛情の女神’「担当ウマ娘の栄光や自己実現よりも、より多くの人たちや全員が幸せのためにできることが何なのかを常に慮って行動に起こせる――――――、それが人々を高みへと導く規律正しさに繋がるのです」

 

愛情の女神’「だから、勇敢さと愛情深さがあって規律正しさが導かれるので、斎藤Tは自然と勇敢さも愛情深さも兼ね備えています」

 

愛情の女神’「けど、勘違いしないで欲しいのは、勇敢さも愛情深さも規律正しさも人生において1つも欠かすことができないものだから一緒に挙げられるわけで、何事もこの3つをバランスよく持っていることが大前提になるから」

 

飯守T「あ、それはさすがに大丈夫ですよ。“愛情の女神”だからと言って臆病者だったり無法者だったりなんては普通は想像しないですから。程度ってものがあります」

 

 

飯守T「けどさ?」

 

 

愛情の女神’「はい」

 

飯守T「たとえば、俺の担当ウマ娘が味わうことになる痛みを俺が肩代わりすることってできないかな?」

 

飯守T「俺、去年に起こった学生寮不法侵入事件で俺に化けた偽物が犯人だったことがあるからさ、ライスがみんなに夢を見せようと頑張っている夢の舞台を守るためにできることがないかをずっと考えていたんだ」

 

飯守T「親父が警視庁総監なんてものをやっていたから、俺なりに特訓して身体を鍛えてパトロールに協力もしてきているけど、」

 

飯守T「相手がウマ娘でも警察でもどうしようもできないバケモノだったら、サポートAIとしてはどうしたらいい? そいつがいろいろな意味でウマ娘レースを邪魔してきたら、俺たちトレーナーは夢の舞台が壊されていくのをただ黙って見ているしかないのか?」

 

愛情の女神’「………………」

 

飯守T「あ、悪い。あくまでもウマ娘レースで勝つためのサポートAIに答えを求めるものじゃないよな、今のは」

 

 

斎藤T「さあ、答えてください、子々孫々を栄えさせるために叡智を誇る三女神なら」

 

 

飯守T「え」

 

愛情の女神’「いいでしょう。ウマ娘の皇祖皇霊たる“三女神”の名にかけて解決策を提示しましょう」

 

飯守T「ええ!?」

 

愛情の女神’「飯守T、先程の言葉に偽りがないのなら、人々に成り代わってバケモノと戦う覚悟を示してください」

 

飯守T「!」

 

飯守T「それはもちろん――――――」

 

 

愛情の女神’「そのためにあなた自身が傷つくことを容認できますか?」

 

 

飯守T「………………っ!」

 

愛情の女神’「どうしました? できないのですか?」

 

飯守T「ちがう! そうじゃない!」

 

斎藤T「………………」

 

飯守T「……俺自身が傷つくのはかまわない! でも、今の質問で、俺は気付かされたんだ!」

 

愛情の女神’「何に?」

 

飯守T「――――――傷ついた俺を見て真っ先にライスが悲しむだろうことに!」

 

愛情の女神’「そうよね。トレーナーなら担当ウマ娘のことを第一にしないと」

 

飯守T「だから、俺はライスが万全の状態で走れるようにしなくちゃならないから、絶対に倒れるわけにはいかないんだ!」

 

愛情の女神’「なら、あきらめますか?」

 

飯守T「いや、俺はあきらめたくない! ライスが自分の夢に向かって直向きにがんばっているように、俺も自分がやりたいと思ったことに全力投球するんだ!」

 

 

飯守T「だから、さっきの質問の答えは『俺自身が傷つくことは容認できない』! 死なば諸共の精神でバケモノと戦うことは絶対にしない! ライスを一人にさせない! それがライスと“新たな3年間”を歩むトレーナーである俺の覚悟だ!」

 

 

愛情の女神’「そうですか」

 

斎藤T「どうですか、女神様? 資格は十分のはずですが?」

 

斎藤T「まずはバケモノと戦う勇敢さ、次に担当ウマ娘を第一に思いやる愛情深さ、それから自分が社会に対して何ができるかを考える規律正しさの三拍子が揃っています」

 

愛情の女神’「そうね。私もこの機体を通じて三次元世界(現実世界)に顕現することができたからこそ、三女神としての働きをなすことができます」

 

 

愛情の女神’「合格です、飯守T」

 

 

愛情の女神’「私の手を取ってください」

 

愛情の女神’「あなたは使命を遂行するに当たって担当ウマ娘に対する愛情深さが先に立った。故に“愛情の女神”ゴドルフィンバルブが力をお貸しします」

 

飯守T「おお! や、やった! やったぞ、俺!」

 

飯守T「って、よくよく考えたら、三女神と言っても人の手で造られた人工物だよな? そんなことが本当にできるのか?」

 

斎藤T「それを可能にするのが宗教の本来の役割だ。教えとは神や仏と一体になるためのものであり、知って得した気分になるだけの飾り物じゃない」

 

斎藤T「踊り念仏の時宗を開いた一遍上人に曰く『念仏を唱えている場こそが寺である』と。建物が寺じゃない。仏の教えが実践されている場こそが寺なのだと」

 

斎藤T「だから、有名な神社仏閣であろうと神仏の実相ではない。御神体や仏像が本質ではない。人こそが神社であり、寺院であり、教会であるのだから、形に囚われることはない」

 

愛情の女神’「とのことですので、()()T()()()()()()()()、ここに契約を交わしましょう」

 

飯守T「わかった!」

 

 

 

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

HEN-SHIN!

 

 

―――

 

――――――

 

―――――――――

 

――――――――――――

 

 

――――――来い、スカラベエクステンダー!

 

 

機械生命体「?!!!」

 

機械生命体「な、何だ、あれは?!」

 

機械生命体「――――――巨大な昆虫!?」

 

機械生命体「馬鹿な! 重加速現象の中で動けるだと!?」

 

機械生命体「うおっ!?」ガーン! ――――――巨大な鋼鉄の昆虫の体当たりを食らう!

 

 

飯守T「ううわああああああああああああああああああ!」ヒュウウウウウウウウウウウン!

 

斎藤T「――――――運動停止結界が解除されたぁあああああ!」ヒュウウウウウウウウウウウン!

 

斎藤T「掴まれええええええええええええええ!」ヒュウウウウウウウウウウウン!

 

飯守T「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」ヒュウウウウウウウウウウウン!

 

 

ビュウウウウウウウウウウウウン! バシッ!

 

 

飯守T「よくもやってくれたな! 本気で死ぬかと思ったぞ!」シュタ! ――――――巨大な鋼鉄の昆虫のハンドルを掴んで勢いのまま展望台に着陸!

 

斎藤T「さすがに自殺の名所に投げ込まれるのはごめんだ!」シュタ! ――――――巨大な鋼鉄の昆虫のアンカーに掴まって復帰!

 

機械生命体「な、なにぃ?!」

 

飯守T「一応、職務質問をするぞ。お前の身分証を出してもらおうか。ないなら不法滞在者として警察に突き出すだけだ」

 

斎藤T「まあ、中京競バ場で何かしようとしていたお仲間は答えなかったがな!」

 

機械生命体「なんだと!? 今なんと言った!?」

 

機械生命体「まさか、貴様が! 貴様が我が同胞を――――――! お、ぐわああああああ!?」ドン! ――――――またもや巨大な鋼鉄の昆虫の体当たりを食らう!

 

 

ブーンブーンブーン・・・

 

 

パシッ

 

 

斎藤T「導きは黄金の規律! バイアリーターク!」

 

飯守T「海より深き愛情! ゴドルフィンバルブ!」

 

 

HEN-SHIN!

 

 

CHANGE! Caucasus-beetle!

 

CHANGE! Stag-beetle!

 

 

飯守T「おっしゃあ! 行くぜ、実戦本番ッ!」

 

斎藤T「今のルクソン粒子の充填率から運動停止領域を防げるのはおよそ1分だ! 早急に無力化する!」

 

飯守T「わかったぜ! 1分で片を付けてやる! うおおおおおおお!」

 

機械生命体「な、なめるなああああああああ! ニンゲン風情がああああああ!」

 

 

正体不明の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”はどういうわけか日光/明智平の展望台の観光客に扮していたわけであり、正体がバレたことで私と飯守Tを展望台から放り投げて空中に浮かせた。

 

これだけで人類の敵と見なせるわけであり、自身を中心とする一定の範囲に運動停止領域を展開できる機械生命体は正体が露見したことへの動揺を抑えるために、任意でON/OFFできるはずの運動停止領域を切って私と飯守Tを華厳の滝の滝壺に飛び込ませることをすぐにしようとしなかった。

 

しかし、それが命取りとなり、たとえ運動停止領域によって身動きがとれない状況であっても思考はそのままで、未だに展望台の柵から少し飛び出したぐらいで奈落へ真っ逆さまになるのには時間の余裕がありすぎたため、すぐにでも転落死するわけでもないとわかる考える時間から精神統一の余裕すらあり、こうしてルクソン粒子をまとって運動停止領域を突破する改造バイク:スカラベエクステンダーの召喚も可能であった。

 

返す刀ですぐに反撃で虚空から繰り出された飛行物体:スカラベエクステンダーの体当たりに対処する術は機械生命体にはなく、運動停止領域を突破された驚愕や巨大な鋼鉄の昆虫という未知との遭遇に冷静さを保つことができるわけもない。

 

 

スカラベエクステンダー――――――、四次元能力のワープに対応する改造バイク:スカラベエクステンダーの性能を最大限に発揮させるために『空を飛ぶ能力』を与えた結果、モーフィングによって巨大な鋼鉄の昆虫の姿になって飛行が可能となっていた。

 

 

実は、これも機械生命体に匹敵する超科学生命体であるWUMAの産物であるのだが、シニアクラス以上のWUMAが発現する物体を念力で移動させるサイコキネシスで操作させているだけの力技に過ぎず、自力で飛行しているわけではなかった。

 

これはスカラベエクステンダーの名の通りに変身アイテム:聖甲虫(スカラベ)の機能を改造バイクに反映させるという設計思想のを逆転させて、一体化した改造バイクを巨大な聖甲虫(スカラベ)に作り変えるというコンセプトの急造品に過ぎない。

 

しかし、こうして明智平の展望台から転落死させられる絶体絶命の危機を救う切り札となったため、造るだけ造っておいて損はしなかったわけなのだ。目的を達成することができたら何だっていいのだ。

 

ルクソン粒子をまとって四次元能力:時間跳躍によって三次元空間を自在に飛び回れる飛行物体:スカラベエクステンダーの軌道はまさに変幻自在であり、

 

運動停止領域が解除された瞬間に転落死する途中だった大の大人の身体がターボエンジンのように吹っ飛び始めたのを受け止めて瞬時に展望台に復帰させた。

 

そこからはお待ちかねの反撃の時間(ヒーロータイム)であり、事前にスカラベエクステンダーに触れてルクソン粒子をまとって運動停止領域への耐性をつけて、自主制作特撮ヒーロー“聖騎士ストライダー(St.Rider)”に変身である。

 

そして、これが飯守Tの初実戦(メイクデビュー)であり、初変身はゴドルフィンバルブと契約を交わした時に済ませていたので要領を得ており、それ以前から私と一緒に学園裏世界の妖怪退治をしてきただけあって、正体不明の機械生命体を相手に恐れず立ち向かう。

 

それに対し、正体不明の機械生命体の方もヒトなど軽く明智平の絶景から真っ逆さまに突き落とせるだけの膂力を誇って抵抗を試みるものの、いきなりの2対1の数的不利に加えて明らかに戦い慣れしていない様子で、一瞬で機械生命体を覆う装甲すら両断する誘導棒に偽装したプラズマジェットブレードで斬り伏せられてしまうのだった。

 

すると、機械の身体を放棄して人霊:エクトプラズムを出して逃走を図ろうとするわけなので、前回は初遭遇ということで生け捕りにすることができなかったが、今度は機械の身体にエクトプラズムを閉じ込めたまま捕縛して情報を引き出そうと試みた。

 

そこで登場するのがその場で写真をプリントできるインスタントカメラ・チェキであり、撮った瞬間にプリントされる写真に機械生命体の人霊:電霊を機体に封じ込める呪術加工が施されており、電霊が機体を抜け出した瞬間に元の機体に瞬時に戻される仕様となっていた。それを破るためには呪術加工が施された写真を消滅させる他ない。

 

これは霊魂を肉体に縛り付けて危篤状態の患者を延命させる悪霊祓いの禁術の応用である。肉体から霊魂が離れてしまう幽体離脱を防ぐためのものであるため、すでに肉体から離れてしまった霊魂を呼び戻すことはできないが、たとえ死亡しても遺体に霊魂を繋ぎ止めることができるほどの封印である。

 

それが禁術と言われる所以は、霊魂は死んだらあの世に帰るべきであるところをいつまでもこの世に残ることで浮遊霊や地縛霊となってしまうからであり、この封印を解除しないと自力ではもうどこにも行くこともできない無間地獄に人為的に陥るのだ。

 

つまり、肉体が死ぬ前に霊魂が離れていってしまったら蘇生する意味もないため、この禁術は基本的に生命活動が停止と共に解除される仕様になっており、封印で確実に霊魂を肉体に繋ぎ止めている間に懸命な延命措置を施すように使われている。

 

あるいは、魂が抜けた器に別の存在が入り込むのを防ぐ目的でも使われており、基本的に善良なる霊魂は肉体が滅んだら自然とあの世に行くため、裏返せば 肉体が滅んでも なおこの世に留まっているのは善良ならざる霊魂のため、そういった悪霊に肉体を奪われないようにするための封印でもあった。その意味での悪霊祓いの禁術である。

 

今回の場合は、相手が機械生命体であることから危なくなったら気軽に身体を捨てて新たな自分に生まれ変われる電霊という、非常に生命への冒涜というものを感じさせる善良ならざる悪魂への制裁のため、普通は防御的運用の悪霊祓いの禁術を攻撃的運用に切り替えた積極的な封印というわけである。

 

しかし、思いというのは時間と空間を超えているため、こうしてチェキ写真を通じてバラバラにされた機体に封じ込められた電霊の波動が非常に荒々しく伝わってくるわけであり、皇祖皇霊たる本物の神霊の澄み切った清涼な神気はどこにも感じられないので、感覚で相当な悪霊であることがわかってしまう。

 

ただ、学園裏世界で退治している悪霊や妖怪たちが放つ奇怪な妖気は感じられない。肉体があるからこその恨み辛みや生々しさといったジトジトしたマイナスの熱量や湿度が一切ないのが機械生命体の波動らしく、どう説明したらいいのか、神霊から感じる居心地の良い清涼さを通り越した皮膚を刺すような超高温の冷たさのようなものを感じた。

 

そう、人としての情や温かさを完全に失って恨みや憎悪の塊となった怨霊はいるだけで生者に流れている温かい血から放たれる生気が吸い取られて体の芯から凍りついていく寒さが不自然にもたらされるのだが、

 

機械生命体に宿る電霊というのはどこまでも三次元世界の物理法則に則っているらしく、低温では機械の動作が鈍くなるのに嫌ってか、動作保証の温度環境のような妙な生温かさがあり、それが工場機械のような騒々しさの荒々しい波動を伝えてくるのだ。この辺りが極めて非人間的であると言えた。

 

 

――――――展望台に着いてわずか10分以内の死闘であった。

 

 

斎藤T「さて、残骸と写真はスカラベエクステンダーと一緒に転送したから後処理は問題ないが、あの機械生命体はこの展望台から何を見ていたのか――――――」

 

飯守T「ああ。WUMAとはちがって死んだら灰にならないから物的証拠は確保できたけれど――――――、たしか、中禅寺湖は昔からの別荘地なんだっけ? 何か怪しくないか?」

 

斎藤T「ええ。WUMAと同じように人間に擬態することができる怪人がまた現れ、観光客が多い奥日光で発見されたとなると、この奥日光に網を張っていた方が良さそうです」

 

斎藤T「今日のところは帰還しましょう。WUMAとは別の怪人の存在が確認できただけでも大きな収穫です」

 

斎藤T「正直に言って、警察に対抗できる相手でもないですが」

 

飯守T「でも、何とかしたぜ?」

 

斎藤T「それは奇襲攻撃が成功したからであって、基本的に身動きが封じられては手も足も出ないです。その意味では当たりどころが良ければ拳銃でも殺せる生物の範疇のWUMAよりも手強い相手ですよ」

 

斎藤T「今のところ、まだ中京競バ場で遭遇した個体と合わせても2体しか確認できていないので、その全貌が謎に包まれたままです」

 

飯守T「中京に現れたと思いきや、いろは坂の上の明智平の展望台にいたっていうのは本当に謎だな」

 

飯守T「となると、WUMAとはちがって全国規模で活動しているのか、こいつらは?」

 

斎藤T「とにかく、今度は電霊を機体に封じ込めたままにすることができた。そこから情報がどれだけ引き出せるかどうかです」

 

飯守T「悪霊祓いの禁術で霊魂を機体に封印できたということは、こいつらはれっきとした生命体で間違いないんだよな?」

 

斎藤T「――――――生命の定義に拠ります。西洋の解釈なら肉・霊・魂の三拍子が揃っていれば、それは1つの生命なのでしょう」

 

飯守T「でも、サトノグループが開発した突然変異のサポートAI“三女神”には本物の三女神の魂が降りてきているじゃないか」

 

 

斎藤T「残念ながら、彼らは私たち人間の良き隣人にはなれても、地上の支配者にはなれない。どれだけ人間のように振る舞おうとも祝福を与えられていない人形(ひとがた)に未来はない」

 

 

斎藤T「だから、ウマ娘の皇祖皇霊たる三女神は超科学生命体や機械生命体をはじめとする異形の排除に躊躇いがない。そのために力を貸し与えていることを忘れてはいけない」

 

飯守T「――――――“倒されるべき敵”としての定めにあるのか?」

 

斎藤T「善因善果・悪因悪果・因果応報;彼らが必ずしも“倒されるべき敵”なのかはわからないが、“人類が乗り越えるべき問題”として この世界に現れたのは確かで、その解決方法こそ“地上の支配者”の裁量に委ねられている」

 

斎藤T「私一人で機械生命体を全て駆逐してもいいが、おそらくは現在のヒトとウマ娘が共生する21世紀の地球が直面する問題について考えさせるために皇祖皇霊が招き入れた試練と考えると、WUMA襲来の()()()()()への筋道が見えてくるというもの――――――」

 

 

斎藤T「ああ、わかった! 近代ウマ娘レースが国民的スポーツ・エンターテイメントとして成り立つことで近代文明において庇護の対象であった社会的弱小種族であるウマ娘の存在価値がいよいよなくなろうとしているんだな!」

 

 

飯守T「どういうことだよ、それって!?」

 

斎藤T「今回のサポートAIやウマロイドの登場によって文明社会はますます利便性や効率性を高めていくことになるだろう」

 

斎藤T「資本主義経済において極限までの利潤追求のためにAIの導入による高効率化を加速させ、その究極として最大の固定費である人件費を削減することで過去最大の利益を享受することになる」

 

斎藤T「つまり、明治維新において文明開化の最大の要点は株式会社であると見抜いた渋沢栄一や五代友厚たちが経世済民のために大多数の雇用創出と殖産興業を果たした歴史があるのに対し、」

 

斎藤T「これからの時代にはAIの導入によって無慈悲にも人件費削減で失業者はどんどん溢れていくことになるだろう」

 

飯守T「そ、そうなのか!?」

 

斎藤T「まったく愚かな時代だ。そうなると失業者が溢れることで全体の購買力が低下するためにかえって企業の儲けにも影響が出てくるわけだが、その全体の購買力を補填するためにきっとベーシックインカムを導入するように政府に訴えるのだろうな、企業は」

 

飯守T「――――――『ベーシックインカム』」*6

 

斎藤T「当然、そのベーシックインカムは政府の財源から捻出されるわけだから、つまりは国民から徴収した税金の再分配するわけだから、一見すると経済循環によって理に適っているように見えるが、」

 

斎藤T「問題は利潤追求を理念とする企業なら節税対策を絶対するわけだから、自分の財布からベーシックインカムの財源になる税金を払いたくないから、他人の財布でベーシックインカムの財源を支払わせて誰よりも強欲に利潤の確保に動くわけだよ」

 

飯守T「それじゃあ、一方的に企業にカネが貯まっていく一方じゃないか! 結局、ベーシックインカムも企業に貯まっていく一方のカネを徴収できなかったら破綻するよ!」

 

斎藤T「そう、あるところから一方的に搾るだけ搾って還元することをしなくなった市場経済はいずれは先細りしていくしかないが、それはまだ次の段階の話だ」

 

斎藤T「これまで利潤追求のために工場を拡大して労働者をどんどん雇い入れたはいいが、生物学的もしくは社会学的に利潤追求にとって様々なデメリットを抱える労働者(人間)という労働力から置き換えられる労働力(もの)を企業が発明してしまうことで、これまで必要とされてきた労働者(人間)が解雇されていくのも自明の理というわけだ」

 

飯守T「…………最悪だな! 『働くもの食うべからず』だろうけど、働きたくても働けないように追いやっているのは誰だよ!?」

 

斎藤T「さて、ここからWUMA襲来の()()()()()まで10年以内ということで私たちは必死にタイムパラドックスを目指しているわけだが、10年では私がさっき言ったAIによる労働者の駆逐はまだ完遂しきってはいないはずだ」

 

斎藤T「しかし、完遂はされてはいないにしても、すでに労働力の置換は始まっていたはずで、サトノグループが開発したサポートAI“三女神”の登場によって、その動きが加速していくはずだ」

 

 

斎藤T「これが子々孫々たるウマ娘の繁栄を願う“三女神”の意志に反する結果をもたらすことになる!」

 

 

飯守T「え、どうして――――――?」

 

飯守T「あ、そうか! 元々からウマ娘は近代文明においては社会的弱小種族だから、AIが普及したハイテク社会だと労働力としての価値がますますなくなっていくのか!」

 

斎藤T「そう。いくらヒトを超えた身体能力を持った古代史における鬼だろうと、ただ力に勝るだけならば近代文明においてはコストパフォーマンスの悪い労働力でしかなく、工場勤務においては非常に作業性に劣る異形である以上、ヒトとウマ娘が共生する世界の在り方は今より遥かに歪なものに変わっていくにちがいない」

 

飯守T「そ、そんな……!」

 

飯守T「ヒトとウマ娘の共生の最たるものであるはずのトレーナーと担当ウマ娘の関係を深めていくためのサポートAI“三女神”が結果としてヒトとウマ娘の共生を壊す大きなきっかけだなんて!?」

 

 

斎藤T「だから、WUMA襲来の()()()()()において真っ先に社会的弱小種族であるウマ娘は人類を裏切ることになる!」

 

 

飯守T「!!?!」

 

斎藤T「……ああ、そういう流れだったんだな。道理でWUMAの支配を受け容れて圧制者の側に回るウマ娘が出るわけだ」

 

斎藤T「たぶん、日本はそうじゃないけど、海外だとウマ娘の社会的地位が現在進行形でかなり脅かされているのではないかな」

 

飯守T「そんなの どうしろっていうんだよ!?」

 

斎藤T「そのために機械生命体の脅威が必要になってくるのだろう」

 

飯守T「え?」

 

斎藤T「簡単なことですよ。中国には『羹に懲りて膾を吹く』という諺がある」

 

 

――――――サポートAI“三女神”の登場で加速するAI導入に歯止めをかけるためには人類の歴史に 核兵器の脅威と同じく AIの脅威を強烈に植え付ける必要がある。

 

 

斎藤T「そのために機械生命体がこの世界に呼び寄せられたようです」

 

斎藤T「だから、防げない。それを防いだらウマ娘迫害が加速してWUMA襲来の()()()()()に繋がるからこそ必要なカウンターが新たな人類の脅威である機械生命体の出現なのだと」

 

飯守T「は、はあ!?」

 

斎藤T「私もこれには溜め息しか出ないですよ」

 

 

――――――日光山! 二荒山の神よ! 本当にそうなのか!? 本当にそれでしか()()()()()は変えられないというのか!? 答えてくれ!!

 

 

明智平の展望台にて恐ろしい未来予想図が出来上がってしまった。眼下に見える華厳の滝に吸い込まれるように私の叫びは虚しく消え行く。

 

世界的にも国家を衰亡させる大乱が長らく起こらなかった泰平の世である江戸時代を築き上げるための要石がある日光において、その元神である二荒山の神は容赦なく結論を私の脳裏に直接突きつけてきたのだった。

 

そう、ヒトとウマ娘の共生社会を壊すのは他ならぬ人類自身であり、真っ先に苦しめられる社会的弱小種族であるウマ娘の怨嗟の声が因果を超えて平行宇宙から超科学生命体の襲来を招くわけなのだ。

 

つまり、本来ならばサトノグループが開発した『メガドリームサポーター』で実装されたサポートAI“三女神”の登場が結果として世界的なAI導入を加速させてウマ娘の存在価値を奪っていくことに繋がるわけであり、私が先行体験会でデータセンターを破壊したことでそうなる未来を潰すことに真っ先に成功していたのだ。

 

しかし、すでに超科学生命体“フウイヌム”が襲来する()()()()()から危機を伝えにきた賢者ケイローンが時間跳躍して過去の世界にやってきた時点で因果が紡がれてしまっているので、それを回避するための強烈なカウンターとして正体不明の機械生命体“ロイヤル・ナムーフ”の出現が連鎖してしまったのだ。

 

なので、核兵器の脅威と同じほどの強烈な打撃を人類史に与えて反省を促さない限り、たとえ機械生命体の脅威を未然に防いだところで()()()()()は回避できないし、回避できるまで新たな脅威があの手この手で送り込まれてくるのだと、二荒山の神は無慈悲にも告げてくるのだ。

 

なぜそんなにも無慈悲なのかと言えば、神の教えである愛を実践しない冷徹な市場経済で築かれた文明をリセットするためであり、本当の愛を地上に取り戻すためだと言うのだから、神々の愛というのは本当に大きすぎて常人には受け止めきれないものがある。

 

いや、思い出して欲しい。そもそも日光二荒山神社に祀られている神々の威徳は何だったのかを思い出せ。かつて泰平の世を築くために天海が自ら貫主となって東照宮を創建した場所がここなのだと。

 

 

斎藤T『ちなみに、その中禅寺に祀られている波之利(はしり)大黒天の御利益は『波の上を走る』が“安産”を連想させ、安産の御利益があるとされます』

 

斎藤T『また、『波に乗る』『波の上にとどまる』が“足止め”と解され、出征者や家出人の帰還、恋人や配偶者の浮気防止の御利益があるとも云われます』

 

斎藤T『そのため、日光連山の主峰:日光三山を神体山として祀る日光二荒山神社は福の神・縁結びのご利益でも知られ、その日光三山の名が男体山・女峰山・太郎山という三人家族を思わせるのもポイントが高いです』

 

 

そう、日光二荒山神社の威徳は国家の統合や家族の安寧のために反乱や事件の発生などに待ったをかけるものであり、そのために必要な措置を神の大愛の下に講じる場所が日光/二荒山/男体山なのだ。

 

泰平の世を築き上げるために落ち目の豊臣家を難癖をつけて容赦なく滅ぼし、改易や参勤交代で諸大名の力を削ぎ、徳川家の下の盤石な支配体制を布いたのが江戸時代である。

 

なので、このまま人類が自らの過ちを改めようとせずに悲劇を繰り返すよりも先に、神々もまた涙を呑んで より犠牲が少なくなる手段を講じて 悪しき流れを断ち切ろうとして、世界に不幸をもたらすことになるだろう。

 

犠牲は免れない。全ては善因善果・悪因悪果・因果応報の不変の真理に基づくものであり、その裁きから逃れるために必要な教えはすでに太古から説かれ続けていながら、未だに神願成就は果たされず――――――。

 

そして、二荒山の神は歌う。いかにして泰平の世である江戸時代が生まれたのかを。歴史が繰り返されるのなら、良きものも繰り返されるべきであると道を示す。

 

 

織田がつき 羽柴がこねし 天下餅 すわりしままに 食うは徳川

 

 

そう、結果として最後に天下餅を食うのは私だ。私という人間はトレセン学園の歴史における暗黒期と黄金期を担った三人の無名の新人トレーナー:三賢人の最後の一人として新時代を担う定めにある。

 

ただ、それを導くのはウマ娘の皇祖皇霊たる三女神ではない。三女神の加護とは別にヒトの皇祖皇霊たる三貴神の加護が人類社会を次のステージへと導く。私はその2つの皇祖皇霊の系統の加護を受ける唯一の存在として“ヒトとウマ娘の統合”を後押しするのだ。

 

そして、私が手を下すまでもなく、天道に背いて天に唾する天邪鬼たちが次々と自滅していくのが本当の意味で暗黒期と黄金期を過去のものにして新時代を迎えるための最後の審判であり、自らの内のタヂカラオを奮い立たせて天岩戸を開けないものは永遠の闇に閉ざされる――――――。

 

その筋道を余す所なく一方的に伝えてくるのだから、私としては本当に『剣と惑星もの』が似合う未開の惑星に降り立った方が気分が楽だった。中途半端に人権意識と情報科学が発達した傲慢無礼な文明社会の尻拭いが一番にしんどい。

 

こうなったら現生人類を見捨てて百尋ノ滝の秘密基地に閉じこもってノアの方舟ごっこをしてもいいくらいで、

 

もちろん、神々の大愛に生きる者は生き残って本当に素晴らしい文明社会(楽園)を一から築き上げることになるのだろうが、それは――――――。

 

 

斎藤T「――――――名は体を表す」

 

斎藤T「だから、この地は奥日光であり、明智平であり、いろは坂であり、中禅寺湖であり、華厳の滝であるわけか。その古い名の二荒山は観音菩薩が降臨する補陀洛山に由来する」

 

斎藤T「そして、その開祖は勝道上人か」

 

飯守T「………………」

 

斎藤T「飯守T、帰りましょう」

 

飯守T「あ、ああ……」

 

斎藤T「もしも――――――」

 

飯守T「?」

 

 

斎藤T「もしも、このままだと人類が滅亡がする確率が9割だとして、生き残ることができるのは3分だと言ったら、あなたはどうしますか?」

 

 

飯守T「……難しいな、いきなり」

 

斎藤T「……すみません」

 

飯守T「いや、訊いてくれてありがとう」

 

斎藤T「え」

 

飯守T「なぜだか昔のことを思い出したんだ。それもとても大切なことを」

 

飯守T「俺さ、兄弟で甲子園球児だったのはいつか言ったよな」

 

斎藤T「――――――躑躅ヶ崎Tですね」

 

飯守T「ああ。でさ、弟がエースだったんだけど、肩を壊しちゃってさ。『もう野球を続けられない!』って凄く落ち込むことになったんだけど、『ピッチャーがダメなら他のポジションだってあるから!』って無理やりグラウンドに連れ出してゼロから始め直したんだよ」

 

飯守T「そしたら、ピッチャー以外の才能に目覚めたし、ピッチャーとしてもクローザーで復活を果たしたし、結果として山あり谷ありの野球人生は最高のものになったんだ」

 

飯守T「他にもさ、ライスとの二人三脚の“最初の3年間”も山あり谷ありでドタバタしてきたよ」

 

飯守T「俺はただの新人トレーナーなのに同期には天才トレーナーと名門トレーナーがいて、いきなりソロで担当ウマ娘をスカウトして“最初の3年間”を始めるし、担当ウマ娘も世代の中心になると期待されるほどの才能の塊だったわけで」

 

飯守T「俺は1,2年は先輩のチームのところでサブトレーナーをやっていくんだと思っていたけど、同期の天才トレーナーと名門トレーナーの凄さを目の当たりにしていくうちに居ても立っても居られなくなってさ」

 

飯守T「それで何の実績もないのに勢いで突っ走って先輩と喧嘩別れして、冷静になってみたら『これから先、どうしよう!?』って途方に暮れていた時に、街中で会ったのがライスだった」

 

飯守T「そこから先は今ではファンの間では有名な話になっているけどさ、ライスは『選抜レース』から逃げ出して、俺が特別に許可をもらって学生寮に入って連れ出したんだ」

 

飯守T「そこから俺とライスが同期の天才トレーナーと名門トレーナーの背中を追いかけて、ライスは『自分が勝つことでキラキラと輝き、見てくれる人々に新たな希望を与えたい』って目標のために走り出す“最初の3年間”が始まったんだ」

 

飯守T「まあ、結果としては天才トレーナーが最初から最後までぶっちぎりではあったんだけど、こんな俺でも最初の担当ウマ娘を“グランプリウマ娘”にしてやることができたんだ」

 

斎藤T「そうですね」

 

飯守T「だから、さっきの質問の答えなんだけどさ」

 

飯守T「もしも、このままだと人類が滅亡がする確率が9割で、生き残ることができるのが3分だけだとするなら――――――」

 

 

――――――俺は、残りの1割に賭けて()()()()()()()を変えて、3分より多くの人たちと一緒に()()()()()()()()()()()()()を掴み取りたい! 野球には逆転サヨナラ勝ちってのがあるんだ!

 

 

*1
天皇が行幸した土地のこと

*2
幼少時の呼び名

*3
ユングが提唱した概念で「意味のある偶然の一致」を指し、日本語では主に「共時性」と訳され、他にも「同時性」もしくは「同時発生」と訳される場合もある。例えば、虫の知らせのようなもので因果関係がない2つの事象が類似性と近接性を持つこと。ユングはこれを「非因果的連関の原理」と呼んだ。

*4
江戸時代で関東地方は関八州と呼ばれ、武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国の八国を指した。

*5
井の頭池、善福寺池、三宝寺池

*6
最低限所得保障の一種で、政府が全国民に対して決められた額を定期的に預金口座に支給するという政策。国民の生存権を公平に支援するため、国民一人一人に無条件かつ定額で現金を給付するという政策構想。



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潜入報告  アオハル魂爆発! チーム<エンデバー>とチーム<タンドラ>!

 

 

――――――定期報告。こちら、トサノコーラル、トサノコーラル。今日も立直(リーチ)軍団はゴキゲンでした。*1

 

 

ええ。相変わらず、メイン(一軍)チーム<エンデバー>は『アオハル杯』の3年間で高等学校卒業程度認定試験に合格できる程度の学力を身に着けるために今日も勉強漬けです。

 

トレセン学園の中高一貫校の6年間の前半を『アオハル杯』、後半を『トゥインクル・シリーズ』に充てる大胆不敵な学園生活を送るのはなかなかに覚悟が要ります。

 

みんな、すぐにでも中央競バ『トゥインクル・シリーズ』にメイクデビューして、優駿たちの頂点に立つ華々しい活躍を期待して入学しているのに、貴重な3年間を非公式戦『アオハル杯』に全力投球して本当に大丈夫なのかと不安がっている子も多いです。

 

それに対して『よく学び、よく遊べ』を主将たるシンボリ家の令嬢:ソラシンボリが一生に一度の学園生活で自ら体を張って実践しているのだから、シンボリ家の令嬢の崇高さに共鳴した同じく実力もあって豪胆なウマ娘たちがトレーナーからのスカウトを受けない誓いを立ててアオハルチーム<エンデバー>に集まってきました。

 

先の『春の選抜レース』で誰が見ても最強であると確信せざるを得ないソラシンボリを筆頭に彼女の在り方に惹かれて集まった才気煥発の同期の新入生たちに加え、

 

まさかのエアシャカール、ウオッカ、ダイワスカーレット、アストンマーチャンといった今年の2年目:クラシック級ウマ娘の頂点に立つ面々まで参加しているので、純粋な実力や才能だけで言えばチーム<ファースト>に完全勝利しています。

 

ただ、公式戦『トゥインクル・シリーズ』での実績は非公式戦『アオハル杯』には反映されないので、最初のチームランキングではチーム<エンデバー>は15位ということで、これもまた大きな話題となりました。

 

今、私が潜入しているアオハルチーム<タンドラ>はチーム<エンデバー>のファーム(二軍)チームとして、チーム<エンデバー>の規則を緩くして一緒にトレセン学園の中高一貫校の6年間を楽しみたいミーハーなウマ娘たちのために急遽結成されたものです。

 

これには非常に驚かされました。トレセン学園の貴重な3年間を全力で楽しみながら『アオハル杯』を本気で勝つためのチーム<エンデバー>を結成したソラシンボリが別のチームの結成を呼びかけたのですから。

 

もちろん、これまでのトレセン学園の在り方を守るために 徹底管理主義を掲げる樫本代理が率いるチーム<ファースト>打倒という大義名分の下に 連合を組んでいるチームが少なくありません。

 

あるいは、チーム総合力を利用して高めたトレーニングレベルによって得られる有用なトレーニング設備の優先権を狙って、己の担当ウマ娘のためだけに徒党を組んだチームも数多く存在します。

 

そんな中、『アオハル杯』を本気で勝つ目的のチームを作りながら、その『アオハル杯』を本気で勝つという目的を外したチームを別に用意するところがより一層の学園の関心事となったのです。

 

これは今回の『アオハル杯』復活の仕掛け人の一人である樫本代理ですら思いつかなかった戦略であり、当然ながら突如として復活した『アオハル杯』に勇んで参加したトレーナーたちにしてもそうでした。

 

チームランキング1位を目指して打倒チーム<ファースト>を達成するのが目的でも、己の担当ウマ娘のためだけにトレーニングレベル目当てであっても、最初から強いウマ娘たちが徒党を組んでチームランキングを上げるのが一番の近道である以上、『アオハル杯』の予選レースが行われる度にメンバートレードの期間を挿もうともファーム(二軍)チームを結成する意味がないからです。

 

ただ純粋にアオハルチーム<タンドラ>はアオハルチーム<エンデバー>から漏れたウマ娘の受け皿となるべく機能し、メイン(一軍)チームとファーム(二軍)チームが一緒にトレーニングに励む光景が多くのトレーナーから異様に見えました。

 

チーム<エンデバー>のチーフトレーナーは史上初の“春シニア三冠ウマ娘”マンハッタンカフェの担当トレーナーとして注目を浴びている和田Tですが、たった一人でチームを立ち上げた発起人がソラシンボリである以上、その背後に新クラブ:ESPRITとの繋がりがあるのは明らかです。

 

 

つまり、“サトノ家の至宝”として一族の期待を一身に背負った大切な御身でありながら自らの直感を信じて担当トレーナーになって欲しいと願ったお嬢様を手酷くフッた“立直棒”の存在があります。

 

 

もっとも、“立直棒”がお嬢様からの指名を断ったのには分厚くしたためた書状に理由が事細かく記されており、これから担当ウマ娘と初めての“最初の3年間”を始めようとした矢先に押しかけられて迷惑千万なのは理解しています。

 

しかし、その書状に記されたお嬢様の担当契約を受けない理由もさることながら、本来ならば商売敵でしかないトレーナー選考会(トライアル)に参加しながらも全員不採用になったトレーナーたちを非常に気遣った内容や、サトノグループがG1ウマ娘を輩出するに足らない『良家』と『名家』との絶対的な差についての考察がサトノグループ会長を大いに唸らせることになりました。

 

そう、私も拝読しましたが、素質あるウマ娘をスカウトしてウマ娘レースで勝たせることに全身全霊を込めているのがトレーナーという生き物ですが、サトノグループひいてはサトノ家を敵に回しかねないお嬢様からの指名を頑として断る書状から“立直棒”の卓越した分析力と人柄が浮かび上がるのです。

 

その証拠に、トレセン学園においてはこれまで重視されることのなかった新クラブ:ESPRITを主宰して新時代最初の入学生たちを中心に圧倒的な支持を得て、新年度に合わせて竣工したエクリプス・フロントを早々に生徒たちの日常風景に溶け込ませた手腕を見せた“立直棒”がトレセン学園の将来を左右する『アオハル杯』に何も手を打たないはずがない――――――。

 

 

そう思って“サトノ家の影”である私を立直軍団に潜入させているわけなのですよね。

 

 

決断が遅すぎますよ、いつもいつも。まだ『アオハル杯』予選が始まってないからチームメンバーの変更は可能ですが、それはそれとして判断があと少し遅かったらファームチーム<タンドラ>の立ち上げに参加するのに間に合わなかったのですからね。

 

はい。新クラブ:ESPRITには入部する前から大勢の新入生たちと一緒にモニターをしていましたので、<タンドラ>の立ち上げメンバーとして参加した後は より一層 接近するためにESPRITに正式に入部しております。

 

それで肝腎のチーム<エンデバー>、それとチーム<タンドラ>でのトレーニング風景のことです。

 

 

――――――正直に言って、ここまで効率的な集団指導があったら、教官の立場がなくなると思いました。

 

 

一人も余すことなく()()()()()()()がAI導入によって実現可能になったということで、専属トレーナーによる一人一人に合わせた指導が効果を上げているように、個別指導を宣伝に使っている予備校をよく目にするのを考えればわかるはずです。

 

というのも、ESPRIT所有の超高性能分析機『エクリプスビジョン』とサトノグループ開発の『メガドリームサポーター』から飛び出したサポートAI“三女神”の合わせ技で、担当トレーナーがいない大半のウマ娘が一人でも自分のための育成計画の遂行ができているからです。それで『夏の選抜レース』への期待が高まっています。

 

もちろん、『メガドリームサポーター』はVRウマレーターでの二次元世界(VR世界)で担当トレーナーと担当ウマ娘のために使われる予定の代物だったので、それがウマロイドとして実体を得て三次元世界(現実世界)で誰に対してもアドバイスするようになったのでは話がちがいすぎます。

 

ですが、現実としてサトノグループが開発したサポートAIの性能が本物であったことが世間に知れ渡ることになり、『メガドリームサポーター』の正式リリースが中止になった損失を埋めるほどの株価の上昇をもたらすことになりました。

 

そのおかげでサポートAIの開発主任である天野博士の面目は保たれることになり、『メガドリームサポーター』を中心にしたサイバートレーニング環境『エクリプスポリス』は開発中止になる一方で、『メガドリームサポーター』を転用した独自の展開が提案されています。

 

そうです。『メガドリームサポーター』が形を変えて続投したのには天野博士との協力体制を率先して築いたことにあり、先行体験会でまさかのデータセンター壊滅で『エクリプスポリス』構想が完全に潰えたかに思えた事業を壊した当の本人が形を変えて新たな事業に組み立て直したことには驚きを禁じえません。

 

それが彼なりの責任の取り方だったとしても、結局は両者が得をする形にしながら、サトノグループの財産であるはずの『メガドリームサポーター』のサポートAIを味方につけて、ますます自分が得をする方向に持って行っていることが非常に恐ろしいと感じます。

 

私自身もこうして立直軍団の一員としてどこよりもハイテクを活用したトレーニングを受けてしばらく経ちますが、自分の脚質や適性距離を教官やトレーナーに教わることなく『エクリプスビジョン』の分析結果と『メガドリームサポーター』のサポートAIのアドバイスで少しずつ掴めていく実感があり、日々のトレーニングが非常に充実していると断言できます。

 

 

ただ、それ以上に私が巷では“トレセン学園の黒衣の宰相”とも言われるようになった“立直棒”の尋常ならざる目利きに驚かされています。

 

 

学外でウマ娘に撥ねられて記憶喪失になったせいでトレーナーとしての指導力は付け焼き刃でしかないと言われており、本人も生徒たちにトレーニングのアドバイスを求められてもツッコんだ内容は答えられないことから、和田Tに具体的なトレーニング指導を全面的に任せているのはすぐにわかりました。ベテラントレーナーの指導と見比べれば本当に素人同然でした。

 

実際、配属早々に強引なスカウトで“学園一の嫌われ者”となって即刻クビを切られそうになった矢先に学外でウマ娘に撥ねられて三ヶ月間の意識不明の後に記憶喪失になった経緯もあって、

 

あまりにも悪名高い“学園一の嫌われ者”としての彼と、新クラブ:ESPRITの主宰として新開発や新発明でもってソリューションの提供に精を出している現在の“学園一の切れ者”の彼とでは何もかもがちがいすぎるため、

 

トレーナーとしての能力には期待はしない代わりに自身の才能を惜しみなくソリューションという形で提供する類稀な恩恵に与ろうとするトレーナーや生徒たちの支持もあり、学園においては“便利屋”という独特の立ち位置の存在で扱われています。

 

もっと言えば、“学園一危険なウマ娘”と恐れられたアグネスタキオンと担当契約を結んで管理下に置いていることからも、アグネスタキオンという危険物の取り扱いは完全に任せたというある種の信頼も生まれているように思えます。

 

さて、基本的に私たちが和田Tが用意した合同練習のメニューを班を分けてこなしている時、ふらりと現れた“立直棒”が誰と誰が組むように事細かに指示してくるのです。

 

そして、不思議なほどに ウマ娘の得意・不得意や実力の優劣に頓着しない 彼が指示した荒唐無稽に思える組み合わせやハンディキャップでチームトレーニングをやっていると必ず得るものがあるのです。私一人だけじゃなく、体験した全員がそう証言しているので、不思議としか言いようがありません。

 

おそらく“立直棒”には普通のトレーナーではわからないウマ娘同士の相性が読み取れるのでしょう。

 

誰が言ったか“相性占い師”と軍団内で評判で、一人一人の個別指導は圧倒的実績を誇る和田Tが若くして重賞勝利を積み重ねてきたことで得た経験と的確な知見が物を言いますが、

 

私から言わせれば“立直棒(千点棒)”は名の通りの“張り師(博徒)”で、常に大きな打点の向上が見込めると見たら機を逃さずに宣言をして豪快なアガリを見せつけます。役満のような最高のアガリではなくとも立直+一発からの数え役満*2を狙ってくるような切れ味です。

 

とにかく、チームトレーニングが最高潮に達してややかかり気味とも言える興奮状態(テンパり)になってきたところに少し肩の力を抜くように諭しながら気づきや発見を与える(アガリ牌をツモらせる)風変わりの試練(玄人技)を課すのだから、

 

メンバー内ではいかにして聴牌(テンパイ)して“立直棒”を場に呼び込むことで最高の成果(アガリ)を得られるかの試行錯誤が合同練習を行っているチーム<エンデバー>とチーム<タンドラ>の新入生たちの間で繰り返されることになりました。

 

そのため、私も含め 2つのチームを合わせた立直軍団の誰もが確信しています。

 

 

――――――“立直棒”は、“単ウマの凡才”だが、“併せウマの天才”だと。

 

 

それどころか、基本的にスカウトを受けていないウマ娘が大半のアオハルチームでの模擬レースに、まさかの“怪物”ナリタブライアンを呼んできて心を圧し折りに来たかと思えば、今まさに花真っ盛りのティアラ路線3強:ウオッカ、ダイワスカーレット、アストンマーチャンも呼んでくるのです。

 

ろくな指導もできない新人トレーナーのはずが、誰もが認めるスターウマ娘を模擬レースに呼びつけ、出走した全員に何らかの発見や気づきを与えるのです。これを“併せウマの天才”と呼ばずして何と言うのでしょう。

 

また、終わった後に必ず全員で行うインタビューで自身の体験をチームに共有させて成長のためのアンテナを張らせると同時に憧れのスターウマ娘からの意見を頂戴したり、そのスターウマ娘の悩みをその場で言い当てたりと、普通のトレーナーでは絶対にやれないようなことを平然とやってのけているのです。

 

 

なんというのか、トレーナーとしては力不足でありながら同時に役不足でもあるといった印象で、もっと自分の力を発揮できる相応しい舞台があるはずなのに間違えてトレーナーをやっているようなチグハグさを感じています。まさしく規格外なのです。

 

 

本当にトレーナーとしての指導力は付け焼き刃で生徒の目から見ても素人同然で、それだけで十分に自分の夢を託す二人三脚の相手としては最悪ですが、そこから一歩踏み出して彼の懐に飛び込むと物凄い安心感に包まれるような感じがしています。

 

実際、それがなぜなのかを訊き出すと、記憶喪失でトレーナーバッジを身につけるに相応しい知識が欠落しているせいでウマ娘レースの指導ができなくなった一方で、

 

それ以前から身体に刻み込まれた皇宮護衛官としての在り方が無意識に出てきてしまうため、彼が指導するとウマ娘レースの選手ではなく皇宮護衛官に作り変えてしまうから直接の指導をやりたがらないのだそうです。たしかにトレーナーとしては最悪でした。

 

聞けば、元々が皇宮警察の家系のエリート子息のため、文字通りの規格外の“門外漢”だったわけなのです。両親を早くに亡くし、妹の養育費のためにウマ娘レースのトレーナーに転向したという事情を聞けば、なるほど、これが普通のトレーナーになるはずがないと納得させられます。

 

しかし、だからこそ、自身が開発した分析機『エクリプスビジョン』とサトノグループが開発した『メガドリームサポーター』を最大限活用したまったく新しい指導方法を編み出すことになり、スカウトを受けることができずに行き詰まっている生徒の大半である自主トレ苦学生たちに光明を与えることにもなったのです。

 

記憶喪失でトレーナーバッジを身に着けているだけの本質が“門外漢”だからこそ、これまでのトレセン学園の常識や慣習に対して客観的な態度を取ることができたのも大きいです。暗黒期を越えて黄金期を迎えたと評されるトレセン学園に更なる新風を吹き込むのはこういった“門外漢”なのでしょう。

 

というのも、入学してみて感じたのは、大半の生徒からは憧れや尊敬の念を抱かれるトレーナーに対し、授業として集団指導を行う教官に対する信頼は低く、それに伴って集団指導を徹底的に忌避して個別指導をありがたがる傾向がトレセン学園にはあるように私も思います。

 

なので、今回の異例のチーム対抗戦『アオハル杯』の復活を受けて真っ先にメンバー集めに動いたのが入学したばかりでトレセン学園の日常を知らない新入生たちで、華やかな舞台の裏側を知っている先輩ウマ娘ほどチーム結成に消極的な態度が見受けられました。

 

そのため、本来ならば1着を目指して全員が敵同士となる厳しい勝負の世界であるウマ娘レースにおける異例のチーム対抗戦『アオハル杯』は秋川理事長の復活宣言にあった通りの()()()()()()()()()()()()でもあったため、まだ何も知らない新入生ほどチームトレーニングを純粋に楽しむことができている様子でした。

 

それを『鉄は熱いうちに打て』とばかりにチームトレーニングの最高潮が達する天機を見計らってすかさず立直+一発からの数え役満をもぎとる嗅覚は人間離れしていて、その鮮烈な体験をチーム<エンデバー>とチーム<タンドラ>の新入生たちはこれでもかと言うほど浴びてきているので、もうすっかりチームトレーニングの虜です。

 

なので、和田Tをチーフトレーナーに迎えて自身はサブトレーナーとして脇を固めてコンビ芸で役牌をツモっていくかのようなチーム運営は神業としか言いようがなく、表向きは和田Tがボスでオヒキとして“立直棒”が侍っているように見られがちですが、

 

自身の新発明や名トレーナーの指導に頼り切りなのかと思いきや、実は彼自身が一番に別次元の指導力を発揮していることがわかると、とんでもない人材がトレセン学園に紛れ込んでいたものだと恐れ慄いてしまいます。

 

他のチームでも『エクリプスビジョン』や『メガドリームサポーター』を活用したチームトレーニングが行われていますが、間違いなくどこよりも一番に有効活用できているのは“立直棒”がサブ(オヒキ)で指導しているチーム<エンデバー>とチーム<タンドラ>です。他ならぬ自身が携わったものだけあって、分析結果やサポートAIの理解や活用に関しては学園で右に出る者はいないと断言できる程です。

 

おそらく、お嬢様は それだけの傑物であると一目で見抜いたから、あそこまで熱心に担当トレーナーになることを懇願したのでしょう。

 

 

――――――ただ悲しいかな、誰よりもその凄さを体験させられた私たちのチームでは彼が“単ウマの凡才”という評価はすでに下されていて、二人三脚が基本の公式戦『トゥインクル・シリーズ』では全く役に立たないだろうということは自他共に認めているのです。

 

 

本当にウマ娘レースという公営競技(雀卓)においてはオヒキなのです。たとえるなら、それは玉石混淆の集団にあって化学反応を起こして光を放つ才能であり、単体で輝きを放つ磨かれた宝石のような才能に非ずいうわけです。

 

しかも、客観的な評価として担当トレーナーとしては非常に癖が強すぎて、ウマ娘レース選手から皇宮護衛官に転職させられてしまうのですから、軍団で“立直棒”を担当トレーナーにしたいと思うウマ娘は絶対にいないわけなのです。

 

しかし、自身の担当トレーナーをトレーナー選考会(トライアル)に参加していた瀬川Tとしながらも、サブトレーナーに据えようと今も勧誘し続けているお嬢様の行動は突飛に見えて“立直棒”の性質を正しく読んだ上での最適解になっていると言えます。

 

実際、ジンクスを破ることをモットーにするお嬢様との相性は本当はとても良いのかもしれません。あともう少しだけ後で担当ウマ娘との二人三脚が始まっていたらと思うと、本当に残念でなりません。

 

彼は本質的にはトレーナーバッジを身に着けただけの“門外漢”ではありますが、某重工の開発室と提携してソリューションを提供しているのが新クラブ:ESPRITです。囲い込むことができていれば、規格外の事業家としてサトノグループに約束された繁栄をもたらしていたことでしょうに、本当に残念です。

 

ええ、無理だと思います。サトノ家に迎えようにもシンボリ家、メジロ家、アグネス家と言った名だたる『名家』のウマ娘や学園の顔役の生徒会役員とも交友関係を結んでいますから。

 

だいたい、担当ウマ娘がアグネスタキオンなんですよ。“皇帝”シンボリルドルフの寵愛を受けた“アグネス家の最高傑作”の担当の座を射止めたのですから、誰がどう見ても『名家』派閥の人間ですよ。トレーナー組合の中心の『名門』派閥に理事長派や理事長代理派とも付かず離れずですが、ウマ娘ファーストの建前で大手を振ってトレセン学園を闊歩していますよ。

 

ただ、最高難易度の国家資格試験に合格したスーパーエリートの証であるトレーナーバッジを身に着けた事業家として、国内最高峰にして世界最新鋭のトレーニング環境を実現するために貪欲なまでに設備更新の需要がある日本トレセン学園で市場開拓する手法は極めて有効であることは疑いようはありません。

 

 

そこで、この手のチームトレーニングでこそ力を発揮するトレーナーの在り方やトレーナーバッジを身に着けているからこそ商機が広げられることを踏まえると、サトノグループでも本格的にトレーナー養成に力を入れるべきではないかと考えます。

 

 

先行体験会での事故で『エクリプスポリス』構想が頓挫したにしても、データセンターが破壊されたのであって『メガドリームサポーター』そのものに致命的な欠陥があったわけではありません。中核を担うサポートAIは実体を得て想定を遥かに超えるウマ娘たちの助言を求める声に真摯かつ的確に応えてくれています。

 

となれば、今後も様々なアプローチでサトノグループ以外でもVRウマレーターの利用が拡大していくことを踏まえると、サトノグループの提供するソリューションを取り扱えるトレーナーをトレセン学園に送り出すことは将来的に莫大な利益が見込めるはずです。

 

新クラブ:ESPRITが画期的だったのはまさにその一点であり、トレーナーバッジを身につけることでトレセン学園に自由に出入りして夢の舞台で求められているものを具に観察して、そこから需要を見出して、ESPRITを通じてソリューションという形で提供することによってモニターからデータを収集して実用化に繋げるわけです。

 

おそらく、すでに競合他社や異業種においても新クラブ:ESPRITの好評を受けてエクリプス・フロントにテナントを構えようとしているのではないでしょうか。クラブ活動に参加する生徒に協力を呼びかけ、モニターを通じて学園内で自社製品の宣伝が大いにできるわけですから。

 

もちろん、先駆者であるESPRITとの差別化は不可欠です。ESPRITがあそこまで圧倒的支持を受けているのはこれまでトレセン学園で解決のアプローチすらなかった『大多数の自主トレ苦学生を救う』という大義名分を有言実行しているからに他なりません。

 

その上で、“併せウマの天才”という特異な才能が判明したのなら、サトノ家ひいてはサトノグループがとるべきは、一部ではESPRITと協力しながら大義名分に賛同している姿勢を見せつつ、それとはちがった観点と需要から事業を展開することなのです。

 

 


 

 

――――――トレセン学園/トレーナー室

 

 

岡田T「凄いな! 『アオハル杯』復活によるチームトレーニングの推進と夏合宿の条件緩和に加えて、斎藤Tが手掛けた『メガドリームサポーター』と『エクリプスビジョン』の合わせ技だとしても、今年の新入生は明らかにレベルがちがう!」

 

岡田T「そして、その中でも断トツなのが他ならぬ我らが斎藤Tがサブに入っているチーム<エンデバー>とチーム<タンドラ>だ!」

 

岡田T「秋川理事長の置き土産とも言える『アオハル杯』の復活宣言の直後に新入生たちがメンバー集めを始めてから『夏の選抜レース』の時期を迎えてはいるが、『アオハル杯』の第0回戦とも言えるオリエンテーションでチームランキングが発表されてすぐにメンバーの大半の適性がわかっているのはここだけだよ!」

 

和田T「いや、俺としてもソラシンボリからチーフトレーナーになるように言われて、自分の担当でもない子たちの面倒なんて見切れるのか不安だったけど、細かいところは 全部 斎藤Tがやってくれているから、そこまで難しくもなかったのが驚きだった……」

 

アグネスタキオン「和田T、きみねぇ、きみ自身が黒歴史としてなかったことにしたがっている底辺チーム;実際は重賞レースの常連の強豪チームのサブトレーナーとしての経験が十二分に発揮されているように思うよ」

 

マンハッタンカフェ「はい。こうして私との担当契約の公式戦『トゥインクル・シリーズ』とソラシンボリとの約束の非公式戦『アオハル杯』の指導を両立させることができているのですから、間違いなく優れた才能ですよ」

 

マンハッタンカフェ「特に、強豪ウマ娘たちの分岐点ともなる夏競バの季節にもなると、『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』の両立に苦悩するトレーナーや担当ウマ娘の愚痴や悲鳴がそこかしこに聞こえてくるようになってきましたから、この差は歴然です」

 

アグネスタキオン「最初から『トゥインクル・シリーズ』に専念するかどうかだけを素直に考えればよかったのにねぇ。いろんな餌に釣られて『アオハル杯』も走ろうだなんて身の程知らずにも程があるよ」

 

マンハッタンカフェ「ですが、私たちのトレーナーは黄金期を導いた“皇帝”シンボリルドルフに後の事を託されて『アオハル杯』復活の新時代を哀しみのないものにしようと必死に足掻いているんです」

 

 

――――――そのためのソリューションを提供して新時代を切り拓くのが新クラブ:ESPRITなのです!

 

 

和田T「うん。いろんな意味で大いに助けられています、斎藤Tには。本当に頭が上がりません」

 

岡田T「もちろん、斎藤Tが提供してくれるソリューションもそうだが、チーム<エンデバー>とチーム<タンドラ>の成功の要因は間違いなく無理のない確実な成長戦略にあると思う」

 

岡田T「というより、これが斎藤Tが考える『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』を両立させるベストアンサーの形なんだと思う。本業の『トゥインクル・シリーズ』に出走するウマ娘の指導を疎かにしないように、サブトレーナーに『アオハル杯』の指導を任せて成長の機会にするんだ」

 

和田T「それは間違いない。『アオハル杯』でアオハルチームでの夏合宿が解禁になったからって、大勢の新入生の面倒を見るだなんて絶対にできないから」

 

岡田T「ああ、できるはずがない。トレーナーもウマ娘も、誰も復活したばかりの『アオハル杯』の1年を経験したことがないのに、それでチームトレーニングの評価が自分たちでできるわけがない。チームの大半が新入生なら尚更だ」

 

アグネスタキオン「やるにしても、まずは『アオハル杯』特有のチームトレーニングのノウハウと経験が蓄えられてからだろうねぇ。合宿の費用負担もチームトレーナーの実績に裏付けされたものになるしね」

 

岡田T「まあ、担当ウマ娘の二人三脚なら、新入生がすぐにメイクデビューすることで“エリートウマ娘”で呼ばれるようにまったくやれないわけじゃない。俺もテイオーもマックイーンもそうだったから」

 

岡田T「けど、自分の担当ウマ娘でもなく、自分が才能を見出したわけでもない赤の他人に一から十まで教え込むやる気と根気が保つとは到底思えないから」

 

マンハッタンカフェ「何をするにしても、まずは基礎。基礎固めというわけですね。そこから後輩たちに自主的に先輩がトレーニングの仕方を教えられる枠組みがないと、新入生たちをいきなり夏合宿には連れていけないわけですね」

 

和田T「そう、まずはカフェがそうであるように経験やノウハウの宝庫である4年目以降:スーパーシニア級の先輩ウマ娘を外部コーチとしてアオハルチームに抱え込むことができないと、チームトレーナーにかかる負担がヤバいことになる」

 

アグネスタキオン「ふぅン。ということは、『アオハル杯』の制度がうまく機能すれば、引退した先輩ウマ娘や4年目以降:スーパーシニア級の現役ウマ娘の経験やノウハウを吸収して、生徒たちが自然と育つトレーニング環境が整うわけだね」

 

 

――――――つまり、『アオハル杯』の究極の目標はトレーナーや教官だけじゃなく、先輩ウマ娘も指導に協力し合って、学園全体で入学したウマ娘の可能性を追究できるようにしたいわけか。

 

 

アグネスタキオン「だから、『アオハル杯』復活で“最初の3年間”を絶対にやり通すことを決意したウマ娘を集めたメインチーム<エンデバー>を柱にしつつ、規則を緩めたファームチーム<タンドラ>も用意することで流動性の確保を行っているわけだね」

 

マンハッタンカフェ「なるほど、いいものを世に示すためにチーム<エンデバー>があり、いいものを世に広めるためにチーム<タンドラ>があるわけですね」

 

アグネスタキオン「まあ、トレーナーくんに言わせれば『陰と陽、奇と正、硬と軟の2つの軸を織り交ぜてDNAの二重螺旋構造のようにすると世の中はうまく回る』そうだよ」

 

和田T「へえ、『二重螺旋構造』――――――、なるほど、勉強になります」

 

和田T「けど、普段は完璧なケアを行う敏腕サブトレーナーとして俺の立てたチームトレーニングの方針には口を挟まないけど、時折ふらりと現れてチームトレーニングの内容を事細かく指示して新たな発見や気づきを与えているアレっていったい何なんだろうね?」

 

マンハッタンカフェ「あ、それは相乗の気というものを見ているそうですよ、和田T」

 

和田T「――――――『相乗の気』?」

 

マンハッタンカフェ「はい。いかに蹴りやすい鞠を相手に渡すかという精神のもと行われる蹴鞠で達人同士が蹴り続けていると、次第に一体感が生まれて互いの動きが直感でわかるようになるのだとか」

 

マンハッタンカフェ「わからないなら『黒子のバスケ』の直結連動型ゾーン(ダイレクトドライブゾーン)*3が参考になるとも言っていました」

 

アグネスタキオン「ふぅン」

 

和田T「へえ、ゾーンか! なるほどな! ゾーンを見ているのか――――――、はあ!? スゲえ!?」

 

岡田T「というか、『黒子のバスケ』みたいなマンガも読んでいるんだ、斎藤Tって」

 

アグネスタキオン「ふぅン、少なくとも社会現象になったマンガやアニメには一通り目を通しているね、時間を作って。なんでも『この世は現し世だから天界の流行を見るには現世の流行を見るのが早道』とか何とか言っているね。社会もまた個人が寄り集まってできた集団ということになるからね」

 

マンハッタンカフェ「ですので、『アオハル杯』復活からまだ半年も経ちませんが、それでもチームを結成して数ヶ月も経てばメンバー間での一体感も形成されていきますので、ゾーン体験とまで行かなくとも物事に一生懸命に取り組んでいる無心の状態の肉の宮に降りる神の気を見て、新たな発見や気づきの瞬間を整えるのだそうです」

 

マンハッタンカフェ「これを禅語で『卒啄同時』と言い、鳥の雛が卵から産まれ出ようと殻の中から卵の殻をつついて音を立てた時、それを聞きつけた親鳥がすかさず外からついばんで殻を破る手助けをしているのだそうです」

 

マンハッタンカフェ「でなければ、雛鳥は自力で殻を破ることができずにそのまま餓死するそうです」

 

マンハッタンカフェ「それから救われるために先達の力を借りて高みに至る――――――、これが本当の意味での『他力本願』なんだそうです。よって、『トレーナーと担当ウマ娘の関係はかくあるべし』とも言っていました」

 

和田T「はあ、そういうわけだったのか……」

 

岡田T「たしかに、個人トレーニングだと極めていくうちに自身の内面に意識が集中しがちで、そこを破った無念無想の境地がゾーン体験*4である一方で、自分のことだからこそ雑念妄想に阻まれてゾーンに辿り着けなくなるのが常だ」

 

岡田T「となると、ゾーン体験にも辿り着かないような入学したての新入生たちが斎藤Tの指導の下のチームトレーニングでこうも『卒啄同時』が起きるというのは、やはり集団心理というか同調圧力なんかで自分自身の意志がどこかに消えている一瞬が生まれやすいんだろうな」

 

アグネスタキオン「だろうね。そうでないなら、社会不安を煽られて恐慌に陥ることもないだろうし、ウマ娘レースの熱狂も嘘になるさ」

 

和田T「じゃあ、昔から廃止と復活を繰り返してきた『アオハル杯』が未だに昔の参加者から支持されている本質はそこにあるのかな?」

 

マンハッタンカフェ「たぶん、そうなんだと思います。担当ウマ娘が担当トレーナーの指導の下でメキメキと実力をつけていく実感とそれを見せられる光景が担当ウマ娘と担当トレーナーの二人三脚をすることの最大のメリットでしょうから、それをトレーナーによらずチームメイトで体験を共有していることが人生の宝物になるのでしょう」

 

アグネスタキオン「成長を実感できる機会が身近に増えているわけだね。しかも、これには担当契約は関係ないから、良いトレーナーからのスカウトを引き当てるのと同じぐらいに、良いアオハルチームの先輩に恵まれていれば担当トレーナーからの指導と同等の効果が見込めるわけだね」

 

岡田T「そうか。そこまでの効果が見込めるのなら、慢性的なトレーナー不足を顧みることなく門戸を広げ続けるトレセン学園の今後の運営の起死回生の策として、秋川理事長が置き土産として復活宣言を強行したのもよくわかる」

 

アグネスタキオン「まあ、理想はそうだろうね。現実がどうかは知らない」

 

和田T「でも、そうか。場が温まってから出てくるのも『卒啄同時』の瞬間を見逃さないようにちゃんとアンテナを張っていた結果なんだな」

 

岡田T「だから、普段のトレーニングや基礎固めは絶対に無駄じゃない。その普段のトレーニングや基礎固めがあって初めて『卒啄同時』を可能にする実力と相乗の気が身に付くんだ」

 

アグネスタキオン「ふぅン。基礎ができあがっていない状態であれこれ可能性を探っても条件が揃っていないから再現性を見出すのも大変だからね。まずは基準となる段階まで鍛え上げて、そこから個々の適性を見極めていくわけだね。これを『守破離』というわけだね」

 

マンハッタンカフェ「だとしても、1年目の始まってすぐの夏合宿の時期にもうチームメンバーの大半の適性を見極めることができているのはここだけですよ」

 

アグネスタキオン「まあ、トレーナーくんからすれば簡単な話さ。失敗もまた成功の一条件、様々な角度から分析をすれば、特徴というものは必ず浮かび上がる」

 

アグネスタキオン「だから、様々な路線や適性の現役ウマ娘と積極的に併走させて、自前の分析機関『エクリプスビジョン』と『メガドリームサポーター』のサポートAI“三女神”から、個々人の特徴を割り出せるわけだよ」

 

アグネスタキオン「【長距離】はカフェだろう、【中距離】はブライアンくん、【マイル】はスカーレットくんとウオッカくん、【短距離】はアストンマーチャン、【ダート】はソラシンボリくん。ほら、チームメンバーだけで全部門の第一人者が集まったから、適性診断に必要な比較対象は揃っているねぇ」

 

岡田T「それが『アオハル杯』を勝つ上で一番の武器だ。自分の担当ウマ娘じゃない不特定多数の資質を的確に見極めた上で余裕を持って本番を迎えられる要領の良さがないと3年間もやってられないはずだ」

 

岡田T「もちろん、『アオハル杯』のレースに『春秋グランプリ』の人気投票から落ちた強豪ウマ娘が参戦してきたら かなり苦戦するだろうけど、『春秋グランプリ』よりも『アオハル杯』を優先するウマ娘はまずいない」

 

 

和田T「けど、それはそれで惜しいよな。『アオハル杯』のチームトレーニングでトレーナーの手を借りずに仕上がったウマ娘なんて今すぐにでもスカウトしたいよな」

 

 

和田T「そうなると、ますます慢性的なトレーナー不足でスカウトしきれないウマ娘が目立つことになる……」

 

マンハッタンカフェ「そうですね。ここまで基礎が固められて適性の見極めも済んでいたら、スカウトした後の育成方針を決めるのも簡単ですから、アオハルチームでの成長や活躍からスカウトが引く手数多になる状況が予想できますね」

 

マンハッタンカフェ「元々 スカウトされない大勢のウマ娘たちが自主的に本格的なレース大会を主催して そこで自分たちの能力を発揮して トレーナーからの注目を集めるのが目的ですから、本来はスカウトされるのが目的の『アオハル杯』でそれはマズイですよね」

 

岡田T「どうかな、安易な引き抜きは国家最難関資格試験合格者のエリートとしての誇りが許さないとは思うがな。それに、そのチームの色に染まりすぎるのは担当トレーナーのやり方に合わせづらくなることもある」

 

アグネスタキオン「そうなるのがわかっているからこそ、スカウトに応じずにその道を貫くチーム<エンデバー>とスカウトに応じてやり方を広めていくチーム<タンドラ>の2つがあるわけだねぇ」

 

アグネスタキオン「まあ、それ以上にトレーナーくんは最初から宇宙移民船の船長をやるつもりだから、専門外でも集団行動を律するのは得意だと自慢気に言っていたから、それが本当のことだったといよいよ実感させられたよ」

 

和田T「ホントだよ。『卒啄同時』のタイミングを絶対に逃さないように常日頃から気にかけているわけなんだよな、それって。俺には担当ウマ娘のことだけで、そこまでのことはできそうもないよ」

 

岡田T「ああ。これ以上の悲劇を生まないために『アオハル杯』を永久に廃止する手順として敢えて開催して万全の準備で優勝を目指している樫本代理でも自分の代理を立てているわけだから、斎藤Tほど目が行き届いているとは思えない」

 

アグネスタキオン「いや、トレーナーくんが集中できているのは専門家である和田Tと岡田Tに一番面倒な部分を押し付けているからできているのであって、これもまた『陰と陽、奇と正、硬と軟の2つの軸を織り交ぜてDNAの二重螺旋構造のようにする』というやつだね」

 

マンハッタンカフェ「ですから、私やタキオンさんもそうですが、御二方の協力あっての斎藤Tの『トゥインクル・シリーズ』と『アオハル杯』だということを忘れないでください」

 

和田T「そっか。実感が湧かないけど、振り返ってみたら、そうやって誰かに評価されて信頼されるぐらいのことをしてきていたんだな、俺」

 

岡田T「生きてみるもんですな、ホント」

 

和田T「本当に感謝しかないよ」

 

 

誰が言ったか、まともなトレーナーの指導を受けられないのが大半の素人集団でしかないアオハルチームでは不思議なことに120%の力を発揮したかのような練習の成果を得られたという体験の声が上がっており、

 

次第にそれがアオハルチーム特有の成果であるように認知されると『アオハル特訓』『アオハル魂』という言葉が学園で聞こえ始めるようになってきたのである。

 

それは利害の一致で重要なトレーニング設備の利用権を得ようと合従連衡したトレーナーチームの連合ではありえないような事象であり、

 

1対1で向き合った担当トレーナーからの適切な個別指導によってウマ娘の能力が飛躍的に伸びると信じられていた定説が覆された瞬間でもあった。

 

いや、あくまでもトレーナーの役割は指導であり、トレーニングを実施するのはウマ娘なのだから、伝授されたノウハウがあれば、トレーナーがいなくても型通りのトレーニングというのはできてしまえるのだ。

 

そう、夏合宿に行くにはアオハルチームのお守り役となるチームトレーナーが必要ではあるが、活動自体はチームトレーナーがいなくても学園とその近辺でもできるし、何よりも引退して暇を持て余した先輩ウマ娘がコーチにつくことが認められているのだ。

 

そのため、チームトレーナーを欠いたアオハルチームの成長には見るものがないと誰もが想像していたのだが、ここに来て『アオハル杯』復活によって『アオハル魂』を震わせる『アオハル特訓』の有用性が注目され始めることになったのだ。

 

当然、『アオハル杯』初参加の私はそういった素人集団のチームトレーニングでも成長を実感させる『アオハル特訓』の絶大な効能など何も知らなかったわけなのだが、さすがに『アオハル杯』復活から今日までの数カ月間に2つのアオハルチームを抱えていれば逸早くその兆候に気がつくことができた。

 

この“斎藤 展望”お抱えのG1勝利を何度も重ねている超一流のトレーナー陣にそのことを報告すると皆一様に驚くことになり、あまりにも早すぎる『アオハル特訓』での成長速度に危機感を最初に抱いたのだ。

 

というのも、トウカイテイオーやメジロマックイーンと言ったG1勝利を何度も重ねている超一流のスターウマ娘は必ず勝利の方程式とも言えるゾーン体験を確立しており、それがG1ウマ娘とそれ以下の重賞ウマ娘の確固たる差なのだという。

 

日頃のトレーニングにおいて ある程度 仕上がった後は、ゾーンに入る感覚が鈍っていないかを確認する程度で、後はいかにして勝利の方程式であるゾーンに入る状況に持っていくかの駆け引きが主になるという。

 

ただ、本来ならばそうしたゾーン体験は本番のレースで闘争心を剥き出しにしたライバルたちとの熾烈な体験から死中に活を求めるがごとく発現することが多いらしく、チームトレーニングの一種である『アオハル特訓』だけでゾーン体験に近いものが得られるとは到底思えなかったのだ。

 

事実、実戦の中で磨かれた闘争心のなせる業である極度の集中状態を公式戦に出ることもないウマ娘がチームトレーニングだけでモノにすることができるとは思えないのは同感だ。

 

なら、何がチームトレーニングを『アオハル特訓』に足らしめているのかを考えていると、ふと都会で群れて騒音や糞害をもたらす害鳥:ムクドリの存在に気づいた。

 

あれらはトレセン学園でも 確認され次第 追い払うことが決定事項になっており、私がノイズメーカーで追い払った後、木に登って巣を撤去している時に年2回の繁殖期に産み落とされた卵が目についた。

 

 

――――――それで悟ったのである。『アオハル特訓』の妙諦は『卒啄同時』と『集合意識』であることに。

 

 

なぜトレーナーチームの合同練習では『アオハル特訓』ほどの成果が得られないのか、その答えは同じ目標に向けてみんなの心を1つにしてできた『集合意識』があるかどうかであるのだ。

 

これが言うは易く行うは難しであり、基本的に公式戦『トゥインクル・シリーズ』で担当ウマ娘を勝たせることを至上とするトレーナーチームではトレーナー個人の力量がどれだけあろうとも教官ほどの大人数を抱えることができず、更には自分の担当ウマ娘同士で同じレースに出走させて同士討ちさせることも避けるものである。

 

また、トレーナーによって目指す路線や戦略にはそれぞれの得手不得手があり、『URAファイナルズ』や『アオハル杯』のように【5部門】全てを満遍なく指導できるトレーナーの存在こそ稀であり、その才能でさえも【5部門】全ての担当ウマ娘の指導が同時進行でやれるものでもないのだから宝の持ち腐れでもあった。

 

なので、真の意味で同じ目標に向けて切磋琢磨し合える僚バというものが存在しないのがトレーナーチームの常であり、それが夢の舞台『トゥインクル・シリーズ』の現実ということなのだ。

 

それと打って変わってアオハルチームでは異例のチーム対抗戦で3人一組ずつ出して【5部門】で競うという大人数を要する競技であるため、単純にチームメイトも大所帯になる他、『アオハル杯』優勝というチーム全体で共有できる目標が設定されていることがチームトレーニングを他にはない『アオハル特訓』に昇華させていたのだ。

 

そう、『アオハル特訓』とは同じ目標に向けてみんなの心を1つにして形成される『集合意識』を育めているかどうかが定義であり、その『集合意識』という目に見えないが確かにあると信じられるものとして語られるようになったものが『アオハル魂』である。

 

つまり、意識の世界で勝ちたいと願い続けた『集合意識』が最高潮に盛り上がった瞬間に『アオハル魂爆発』が起こり、個人の能力では到底越えられなかった壁がいとも容易く乗り越えられる瞬間が頻発するのだ。

 

ただし、それだけ聞くと『アオハル特訓』は通常のチームトレーニングにはない利点ばかりに思えるが、これをトレセン学園の生徒たちの本分である公式戦『トゥインクル・シリーズ』に応用することは再発見以前にこの理論を実戦できていない時点でほぼ不可能であると言える。

 

要は、チームトレーニングを『アオハル特訓』化させるためにはチーム全体で共有される目標意識を持たせなければならないため、たとえばチーム全体で同年の『日本ダービー』に出走して仲間内で優勝争いをするというぐらいの統率された気概がなければ同等の成果は得ることができない。担当トレーナーはチームメイトで同士討ちをさせる汚名を着なければならない。

 

また、今はメリットばかりが注目されがちだが、『アオハル魂爆発』という一種のゾーン体験によって普段からは考えられない能力を発揮した成功体験はやがては全能感へと高じていき、それが慢心を生み出す誘惑をもたらす罠にもなっていた。

 

それも、アオハルチームはお目付け役となるチームトレーナーがいない状態でも制限は大きいが活動ができるため、適切な指導者がいないまま友人同士の馴れ合いで『アオハル特訓』の効能にのめり込んで続けていくことを咎めることはできず、結果として自分自身が極まったわけでもないゾーン体験の重たい代償を支払わされることになるのは目に見えていた。

 

 

――――――よく考えてみて欲しい。自分でも想像がつかなかった自身の限界を超えた能力を引き出し続けるのがどれだけの負荷になるのか。要は、他力によって自力の限界を超えるのが『アオハル魂爆発』なのだ。

 

 

結果、アオハルチームの『集合意識』という他力に引っ張られて個人の能力の限界を超え続ける無理を重ねていれば、当然その反動が蓄積して疲労が溜まり、集中力が散漫になり、怪我をしやすくもなる。

 

それで故障して挫折して引退して退学である。それでは長続きしないのだ。『アオハル杯』の3年間をやり通せないのだ。

 

だからこそ、ウマ娘レースの出走権を握るトレーナーによる適切な指導と管理が必要になるわけであり、このまま『アオハル特訓』のメリットばかりに目を向けていたら、たちまちのうちに雪崩れ込むように『アオハル杯』参加者の故障が相次ぐことだろう。

 

これこそが数少ない『アオハル杯』経験者として味わった地獄を後世に繰り返させないために敢えて最後の愚行を完遂する決意を胸に秘めた樫本代理が徹底管理主義を標榜するようになった『アオハル杯』の隠された()()()()()()である。

 

 

――――――府中市内の銭湯の休憩室

 

 

斎藤T「――――――ですので、注意喚起が必要です」

 

柳生T「なるほどな、たしかにそれは非常に興味深い仮説だな」

 

飯守T「そうだよな。俺も甲子園球児だったから、チームの団結力で強豪校との死闘を制してきた経験があるから、『アオハル魂爆発』ってのが本当にあるんだろうなっては思う」

 

飯守T「でも、それがもし本当だとしたら、尚更 適切な管理ができる大人が付き添いにいないアオハルチームを野放しにしちゃいけないじゃないか!」

 

柳生T「そうだな。その話を警察関係者の俺たちに持ってきたということはトレセン学園近辺のパトロールの強化をして欲しいということだな。この夏場に『アオハル特訓』に熱中して そのまま熱中症なんかで倒れるだなんてのは正直に言って笑えない話だからな」

 

柳生T「そして、社会の公僕としての自覚と団結心によって警察校のウマ娘たちのチームトレーニングが『アオハル特訓』化するかどうかの実験もしてもらいたいわけだな」

 

斎藤T「そうです。チームに共有される達成目標が『集合意識』を育み、それがチームトレーニングを『アオハル特訓』へと昇華させ、『アオハル魂爆発』による他力によるゾーン体験をもたらすのです」

 

飯守T「問題は『アオハル魂爆発』で得られる快感や成功体験からの慢心ですね。思春期に形成されて肥大化していく自我に加えて反抗期もやってくるし、それでウマ娘特有の強い闘争本能がもっともっと先に行くように訴えかけてくるんだ」

 

柳生T「そう考えると『性がウマ娘のトレーナーは大成しづらく』『ヒトとウマ娘の絆が生み出す奇跡が持て囃されている』のは、トレーナーも同じウマ娘だとそれだけに『集合意識』に取り込まれやすいということだからなのか」

 

飯守T「トレーナーがウマ娘だと自身もウマ娘であるからウマ娘の闘争本能に共鳴して、それで監督者の役割を忘れて その場に勢いに呑まれて 担当ウマ娘の無茶を看過しやすいからなのかも」

 

斎藤T「そう、この場合はウマ娘の強すぎる闘争本能にヒトとして共鳴できないからこそ冷静な判断を下せるヒトの方が結果として担当ウマ娘を『無事之名バ』へと導きやすいのかもしれません。まだ十分なデータが集まっていないので何とも言えないですが」

 

柳生T「――――――勢いづけるなら同性(ウマ娘)であるトレーナーがよく、自制させるのなら異性(ヒト)であるトレーナーが最適というわけか」

 

飯守T「でも、言われてみればそうかもしれないと納得できる話ですよ。むしろ、どうして今までその性質を活かしたチームトレーニングが流行らなかったんでしょうね」

 

柳生T「まあ、ざっと考えても、それは近代ウマ娘レースが公営競技の1着バだけを勝者とする個人競技として興隆したからだろうな」

 

柳生T「つまり、トレーナーとしての本業である『トゥインクル・シリーズ』に応用しようとなると、教官が受け持つぐらいの大人数の担当ウマ娘全員を同じG1レースに出走させるぐらいの一致団結が必要となってくるわけだが、現実としてそんなことはいろいろな意味で不可能だろう?」

 

柳生T「ただのチームトレーニングにはない利点がこうしてたくさん挙げられたが、多人数になることで一人当たりの指導が疎かになる欠点もあるわけで、現実として1人の担当ウマ娘との“最初の3年間”を完走させるだけでも大した扱いなのに、最難関国家資格試験合格者のスーパーエリートでもそこまで面倒が見切れるわけがない」

 

柳生T「一方で、その仮説に基づくなら、団体競技や組織活動でその傾向が顕著になるんじゃないか?」

 

飯守T「それで、警察校の生徒たちで是非試してもらいたいわけですね」

 

斎藤T「ええ。これから非常に有意義な研究結果とこれからのウマ娘レースの在り方を変える大発見があることでしょう」

 

柳生T「しかし、俺は警察校の教官兼トレーナーとして集団指導も個別指導も両方こなす完全作戦(パーフェクト・ミッション)だからいいが、チームトレーニングの真髄を発揮させるだけの慧眼と視野を持っているのは中央では発見者のお前だけだろうな、斎藤T」

 

斎藤T「いや、飯守Tでもイケると思いますよ。野球部の主将だったでしょう」

 

飯守T「え、俺?」

 

斎藤T「ええ。おそらく、新時代を迎えて復活した『アオハル杯』は確実に今後のトレセン学園の在り方を変えるものとして決して歴史に埋もれるものではなくなります」

 

斎藤T「そこで注目された『アオハル特訓』のエッセンスを取り入れたチームトレーニング主体のトレーナーが これから先 多くなっていくんじゃないかと思いますよ」

 

飯守T「……それって、トレーナーチームのことだよな?」

 

柳生T「いや、すでにそれを実践しているトレーナーがいる。それもこの新時代元年のクラシックレースでだ」

 

 

飯守T「ああ、甘粕Tか! ダイワスカーレット、ウオッカ、アストンマーチャンのティアラ路線の3人を同時にデビューさせてチーム内で勝ったり負けたりさせながらG1レースを総嘗めしている 共倒れ上等なダンディーなトレーナーだ!」

 

 

斎藤T「そうです。奇しくも新時代元年のティアラ3強を擁する甘粕Tが採った共倒れ上等のチームメイト同士で同じレースを目指す戦略が『アオハル特訓』の要件をもっとも満たしているんですよ」

 

斎藤T「それで、あれだけの成果を出したとなれば、復活した『アオハル杯』と並んで甘粕Tの戦略も十分に研究の対象になりえます。いずれ、その共通性に気づいて後に続く者たちが出ることでしょう」

 

柳生T「つまり、トレーナーとしての評判や常識を度外視にして、トレーナーである自分が勝ちたいと思っているレースを目指しているウマ娘をスカウトしまくるのは、【5部門】ごとに最大3人まで同時出走するウマ娘を集めなくてはならない『アオハル杯』と非常に似通っているわけだな」

 

柳生T「――――――これはウマ娘の側の価値観が変わるはずだ!」

 

飯守T「たしかに。最初からクラシック路線を走ることを条件にスカウトするトレーナーチームなら、スカウトする側もされる側も非常にわかりやすいし、自分にもスカウトされるチャンスが増えるとウマ娘の側から希望が見えてくる」

 

柳生T「トレーナーの側からすれば、最初から決めた路線に合うウマ娘をスカウトしまくれば、まあ人数分の負担が大きくのしかかるデメリットは当然として、その分だけ的を絞った路線に特化した純度が高いトレーニングができるし、従来の方式と比べて管理のしやすさも馬鹿にならない」

 

柳生T「つまり、ある種の専門性と合理性を突き詰めた路線特化チーム(スペシャル・チーム)方式が今シーズンのティアラ路線の覇者となった甘粕Tの栄光と『アオハル杯』復活を目の当たりにした新入生たちにとって普通だと思われることになるな」

 

飯守T「その甘粕Tをアオハルチーム<エンデバー>に引き込んでいるのが斎藤Tなんだけどな」

 

柳生T「そう、それが実に興味深い。だからこそ、甘粕Tの戦略と『アオハル特訓』の共通性に逸早く気づいたわけだ」

 

 

柳生T「しかし、アオハルチームによる夏合宿の解禁に加え、今や総生徒数2200名弱と拡大をし続ける中央トレセン学園の治安と風紀を心配する声が日増しに増えている」

 

 

飯守T「慢性的なトレーナー不足はもちろんですけど、かと言って教員や教官を増やすのにも限界があるし、補導員の募集もどこまで有効となるか……」

 

柳生T「もちろん、アオハルチームは主に発起人である生徒がチームの責任を負うことで登録の認可が降りるわけだが、結局はアオハルチームの権限を認めているのは学園である以上、大人の責任はどこまでも広く深く増えている」

 

柳生T「我々、警視庁トレセン警察校“府中校”が開設された一番の理由は生徒以外立入禁止の中央トレセン学園の学生寮の住宅団地に交番を設置して生徒たちの秩序を保つことへの学園の要求からなのだが、同時に府中市からは年々『トゥインクル・シリーズ』の人気の高まりに応じて総生徒数を増加させていく中央トレセン学園への取り締まりの強化の要求もあったからなのだ」

 

柳生T「だから、こうして警視庁トレセン警察校“府中校”に赴任した教官兼トレーナーとして、少年補導員の手本として、街頭補導や少年相談のために市内の溜まり場とされている箇所の見回りは欠かせないのだ」

 

斎藤T「――――――子供は家庭で育つものではない。家庭を取り巻く環境が育みますからね。家庭という最小の社会単位だけではそれより広大な地域社会のことを学ぶことできない」

 

飯守T「見回りのコースに設定された巡回対象の店舗からの情報提供も地域の秩序を保つためには欠かせないですからね」

 

柳生T「今日は警視庁トレセン警察校“府中校”による見回りに協力していただいたことに感謝する」

 

柳生T「エクリプス・フロントも重要な巡回対象として交番からの見回りを多めにしているから、困った時があれば遠慮なく頼ってもらいたい」

 

飯守T「あとは、そうですね。遠征という経費負担が認められる場合の外泊届は基本的にトレーナーの同行があって認められますけど、嘘は言っていないけど自己負担で遠征に行く生徒たちのことをどうするかですよね……」

 

柳生T「そうだな。復活した『アオハル杯』の運営で今一番の悩みの種がチームトレーナー不在のアオハルチームによる無申告の遠征だ。まあ、チームメンバーの外泊届を照合して時期が被っていれば遠征目的なのかは一目瞭然だが、それがただ単なる団体旅行で終わればいいのだがな……」

 

柳生T「我々にできるのは学園と市の要請にあった警視庁の管轄内のことまでだからな」

 

 

その日、私は学園と市の秩序と風紀を保つのに一役買っている元チーム<スピカ>のトレーナー;現在は警視庁トレセン警察校“府中校”の教官兼トレーナーの柳生Tの巡回に飯守Tと共について回り、最後に駅前の銭湯で一風呂を浴びることになった他、他の階に用意された施設の機能を堪能することになった。

 

さっぱりした後、施設の個室を貸し切って巡回対象の店舗やその近辺からの情報提供が行われ、私も『アオハル杯』で発見した『アオハル特訓』と仮説を報告し、現在でも神秘とされているウマ娘の謎に迫ろうとしていた。

 

やはり、かつて暗黒期から黄金期に至るまでの過渡期においてチーム<スピカ>で名声を博した名トレーナーにして警察校での集団指導で質の高いチームトレーニングを実践している教官兼トレーナーの柳生Tには『アオハル特訓』や今シーズンのティアラ路線を席巻した甘粕Tの路線特化チーム(スペシャルチーム)戦略には頷くものがあり、トレセン学園の内外の情勢を交えながら有意義な意見交換がなされた。

 

 

そして、高校野球のように国民的スポーツ・エンターテインメントとして常に世間から注目の的となっている中央競バ『トゥインクル・シリーズ』においてウマ娘にとって一生に一度の2年目:クラシック級のG1レースの結果がその世代の象徴となっているという見立ては正しかったのだ。

 

 

世代の象徴というのは同時に時代の象徴であり、ティアラ路線においてダイワスカーレット、ウオッカ、アストンマーチャンの3強を送り出してウイニングライブの独占を果たした甘粕Tの路線特化チーム(スペシャルチーム)戦略が 今年 復活を果たした『アオハル杯』で見られる『アオハル特訓』と共通性があるのは偶然ではなかった。

 

それはもちろん、シンボリルドルフ卒業後のトレセン学園の新たな方向性を示すべき立場になった学園の象徴たる新生徒会長:エアグルーヴの奮闘もまた同時に新時代の象徴となるのは偶然ではなかった。

 

私から言わせれば、全ては連綿と続く歴史の大河ドラマのキャスティングの結果なのだ。歴史という大河ドラマの舞台裏には番組制作スタッフが存在し、現場の熱意と努力に応じた番組の出来や評価によって続投か打ち切りかを常に迫られるわけであり、今のところは様々な改変を受けながらも何とか打ち切りになることなく連綿と続けることができているのが現在の人類史である。

 

そうした因果律の観点から言えば、まず制作側の企図した主題と脚本に合ったキャスティングによって大河ドラマの出演者が決まっているわけであり、生きとし生けるウマ娘にとって永遠の憧れの舞台となっている中央競バ『トゥインクル・シリーズ』のクラシックレースの結果はまさに神のみぞ知る世界なのである。

 

そうなのだ。だから、思い出して欲しい。だとするなら、今年のティアラ路線が甘粕Tが一人で担当しているダイワスカーレット、ウオッカ、アストンマーチャンの3強の時代だとするなら、対するクラウン路線は望月Tが担当するエアシャカールが新時代元年の“クラシック三冠”になろうとしている――――――。

 

史上初の“無敗の三冠バ”シンボリルドルフが築き上げた黄金期において“クラシック三冠バ”はナリタブライアン、ミホノブルボンと続き、“無敗の二冠バ”にトウカイテイオー――――――。

 

もはや“クラシック三冠”はさほど珍しいものとは感じなくなった黄金期の次の新時代の最初の年に“クラシック三冠ウマ娘”が誕生することはめでたいことであると同時に既定路線のように大衆に受け止められており、

 

正直に言って、突如 乱入してきたティアラ路線のウオッカと『日本ダービー』を同着した時点でナリタブライアンと比較して強いとは思えないエアシャカールの評価は“準三冠バ”と貶されてしまう予感がしてならない。ティアラ路線で圧倒的強さと存在感のウオッカの人気にエアシャカールの名声が追いついていないのだ。

 

たしかにその世評は正しい。全ては積み重ねてきた結果であり、シンボリルドルフ在籍期間と一致する黄金期の6年間の半分で“クラシック三冠ウマ娘”が3人も出て、“無敗の二冠バ”トウカイテイオーも故障さえしなければ その数に含まれていたと確信しているファンが大勢いるので、

 

こうして“クラシック三冠”という夢物語が黄金期を迎えて多くの人たちの手の届くところまで落ちてきて手垢に塗れることになった以上、新時代最初の“クラシック三冠バ”エアシャカールが手にする栄冠の光沢が鈍くなるのは当然のことだ。

 

 

だが、望月Tが担当するエアシャカールこそが 甘粕Tの担当するティアラ3強とは別側面で世代の象徴となり 時代の象徴となっていることを知っている。

 

 

歴代のクラウン路線の雄たちと見比べてアウトローな見た目や言動からくるイメージとは裏腹の根っからのデータ主義な理論派の電算部部長であるウマ娘:エアシャカールから人々は何を思い浮かべるだろうか。

 

少なくとも、他者を寄せ付けない攻撃的な面というのは、私からすれば“怪物”ナリタブライアンと同じ臆病さから来るものであるとわかるので、あれは自分が怖れるものがあるからこそ周囲を威嚇して恐れられる存在であると自己認識させなければならないわけなのだ。これは好きな子に照れ隠しでキツく当たってしまう青少年の矛盾した感情の動きと同類で、自分が怖いからこそ自分が恐がられる存在でないと人前でやっていけないのである。

 

ただ、“怪物”ナリタブライアンのぶっきらぼうさの場合、尊敬する姉:ビワハヤヒデにベッタリの甘えん坊でありながら幼くしてウマ娘の闘争本能を奪い取るほどの無双の才能を持っていた矛盾によって、変わることのない尊敬の対象である自慢の姉を超えたいという純粋な願いに反する圧倒的強者である自分から逃げるように周囲が離れていって競走が楽しめなくなるという現実の矛盾による欲求不満に陥って形成されたのが現在の人格である。

 

一方、“論者”エアシャカールは家庭円満だった最強姉妹とは打って変わって数学者の父親とバーで歌姫だった母親という癖の強い両親の下に生まれたことで、どう見ても父親譲りのロジカルな性格は幼少期からだったようだが、一番に我が子を理解してあげるべき母親をはじめ周囲は彼女の素養を理解できなかったらしい。

 

偏屈な父親と平凡な母親の下に異世界の英雄:エアシャカールの魂を宿した才能あふれるウマ娘が抱えた不和は孤独な幼少期によって他者との壁を作る性格に育っており、その孤独が独自に作り出したデータ分析プログラム『Parcae(パルカイ)』を生み出す結果になった。

 

この『Parcae(パルカイ)』だが、私が21世紀の現代科学でAIを創造する際に参考に(盗用)させてもらうぐらいには非常に完成度が高かったので、そういう意味では電算部部長:エアシャカールには多大な恩義がある。

 

事実、『Parcae』はレースに誰が出走するのか、そこから着順までも正確に予測することができ、さながら20世紀のSFアニメの物理演算コンピュータのような予測精度を誇るわけなのだから、エアシャカールの頭脳明晰さは23世紀の宇宙科学にも通用するものがあった。

 

 

――――――だから、生まれる時代が早すぎて周囲から理解されなかったというのも痛いほどわかる。

 

 

しかし、だからこそ、私を中心とした新時代を切り拓くに相応しい逸材だったわけであり、AIを活用して“クラシック三冠”達成の偉業を達成した成功例として、世界的なAI導入を後押しするきっかけとなることだろう。

 

そうなのだ。新時代元年となるこの年にトレセン学園の中心となる人物の在り方が黄金期の次に来る新時代の具体的な方向性を象徴することになっており、これまでの中高一貫校のトレセン学園での6年間の使い方が大きく変わろうとしていたのだ。

 

それは 活動休止という実質的な引退宣言を撤回して 先代の右腕として黄金期を支え続けて新時代の生徒会長となった“女帝”エアグルーヴの現役復帰での鮮烈なG1勝利もそうだし、

 

復活した『アオハル杯』のエッセンスと共通点が見られる 禁じ手とも言えるチームメイトで競わせる路線特化チーム(スペシャル・チーム)戦略を採用するティアラ路線の甘粕Tの在り方もそうだ。

 

 

ならば、ここで思い出して欲しい。新時代元年の“クラシック三冠バ”にエアシャカールが至る年にサトノグループが空前絶後の業界への貢献としてエクリプス・フロントにて先行体験会が行われた『メガドリームサポーター』から飛び出して実体を持ったサポートAI“三女神”が登場したことを。

 

 

そう、これからはAI導入による徹底的な合理化と効率化の時代が来るわけであり、データ分析プログラム『Parcae(パルカイ)』を駆使して勝利の可能性を模索するエアシャカールの在り方が今後のウマ娘育成の常識に組み込まれていくことになるのだ。

 

そういう風にこれからの時代はなっていくことが皇祖皇霊の中では決まっているため、皇祖皇霊に仕える私は知らず知らずのうちにたくさんの人たちの口や考えを通じて、皇祖皇霊から出されたものから地上に反映させるための雛形作りをエクリプス・フロントでしていたわけなのだ。

 

つまり、『選抜レース』での夢の舞台の惨状を目の当たりにしたソラシンボリの願いから製作することになった『エクリプスビジョン』や、サトノグループの空前絶後の貢献として構想された『エクリプスポリス』ひいては『メガドリームサポーター』もそうした時代の要求から自然と形になったものなのだ。

 

しかし、どれだけ技術が進歩しても生命に課せられた義務としてやってはいけないことがあり、何でもかんでもAI任せにして怠惰に耽ることで生命の義務である進化を止めるような愚行が阻止されるのが世の習いであった。

 

これは私が『エクリプスビジョン』を開発した際にサトノグループ考案の『エクリプスポリス』構想との対比ですでに言ってきたことである。

 

そのことで酸いも甘いも経験してきたのが新時代元年の“クラシック三冠バ”エアシャカールの『Parcae(パルカイ)』と共にあった人生であった。

 

そのため、手っ取り早く21世紀の地球での作業環境を整えるために身近にあった『Parcae(パルカイ)』を盗用してきたことを秘密にしながら、私はどうしてもAI導入が加速していく新時代への警告として必ずやっておかなければならない事業が1つ増えていた。

 

 

――――――府中市の行きつけの居酒屋にて

 

 

甘粕T「――――――斎藤Tが『エアシャカールの伝記を書きたい』って?」

 

望月T「ああ。これからの時代は自作したデータ分析プログラム『Parcae(パルカイ)』を駆使して“クラシック三冠バ”を達成するエアシャカールのやり方を踏襲するようになるそうだ」

 

甘粕T「そう言われると、たしかに斎藤Tが開発した『エクリプスビジョン』もそうだし、サトノグループが開発した『メガドリームサポーター』のサポートAIがエクリプス・フロントに居着くようになって、まさしくデータ競バの時代になってきたのを感じるな。こんなのは今までになかったことだ」

 

望月T「担当ウマ娘には絶対に言わないように口止めされているけど、新時代におけるトレセン学園の将来を象徴するのが現役復帰してG1勝利を果たした“女帝”エアグルーヴであり、」

 

望月T「私と甘粕Tのウマ娘育成論が公式戦『トゥインクル・シリーズ』と非公式戦『アオハル杯』の両方で大きな影響をもたらすとも言っていたね」

 

望月T「特に、持ちウマ同士で同じ路線を走らせる きみの路線特化チーム(スペシャル・チーム)戦略は異例のチーム対抗戦『アオハル杯』に通じるものがあると高く評価していたね」

 

甘粕T「へ」

 

望月T「見たまえよ、この極秘資料。『アオハル杯』復活によって続々とアオハルチームが結成されて早数ヶ月、チームトレーニングを重ねて『アオハル特訓』による著しい能力向上が見られ、巷では『アオハル魂爆発』と呼ばれているそうだ」

 

望月T「この『アオハル魂爆発』を呼び寄せる『アオハル特訓』になるための条件をもっとも満たしているがこの夏からの警視庁トレセン警察校“府中校”の集団指導であり、公式戦『トゥインクル・シリーズ』において偶然にも同様の効果が発揮されていると見られているのがチームメイト同士でティアラ路線を競わせているきみだそうだよ」

 

望月T「たしかに、『アオハル杯』は1部門3人ずつ出すチーム対抗戦だから、『トゥインクル・シリーズ』のティアラ路線の重賞レースに持ちウマを3人出すのも同じようなものだね!」

 

甘粕T「いやいやいや! あれはただ単に俺が3人の担当を経験してきたからやれているだけだから! しかも、同じ路線のライバルだったウマ娘をスカウトし直しているわけだから、敵として出てきた時の仕上がり方も何度も繰り返していれば嫌でも目に焼き付くって!」

 

甘粕T「そういう望月Tのエアシャカールにしても、『Parcae(パルカイ)』のようなデータ分析プログラムを駆使した“クラシック三冠ウマ娘”として名を残すことになるらしいじゃないか、この未来予想を見る限り。夏競バの季節にもう偉業達成の御墨付きをもらえて羨ましい限りだよ。ダイワスカーレットの“トリプルティアラ”のことは何も書かれてない……」

 

望月T「だが、同時にこの文明の進歩によって人類の退化が取り沙汰されるように、更なる文明の進歩がもたらしたデータ競バがデータ偏重主義を招き、それから突きつけられた分析結果に満足して無気力になる運命論者に溢れた退廃した世界を創り出す結果になるらしい」

 

甘粕T「……なるほど。やっぱり今回の“斎藤 展望”は凄いよな。そんな先のことまで考えた行動なんてしてこなかったもんな」

 

望月T「私ときみは新時代元年に最高潮に達する“最初の3年間”をずっと繰り返して、“更なる3年間”を見届けることが叶わないことを嘆くのを忘れて、その先のことなんか目を向けることもなくなっていたね……」

 

 

望月T「これで最後かもしれないね。そろそろ論文を仕上げることにしよう」

 

甘粕T「ああ。永遠に繰り返されることで終わりない物語にピリオドを打つことにしよう」

 

 

望月T「そんなことを言って、調子に乗って今回ハーレムルートを選んでしまった後始末はつけられるのかい?」

 

甘粕T「まあ、彼女たちとの青春を酸いも甘いも一度味わい尽くしたんだから、後は青春の搾り滓になるように後腐れないように卒業させてやるさ」

 

甘粕T「俺たちはもう何度も“最初の3年間”を繰り返してきた偽りの新人トレーナーなんだから、年頃のウマ娘との年の差なんて考えたくもないぐらいさ。俺たちは精神年齢と肉体年齢が完全に一致しない妖怪みたいなもんさ」

 

望月T「たぶん、斎藤Tが伝記で求めているのは私とエアシャカールのことだけじゃないと思うよ」

 

甘粕T「え」

 

望月T「書いてあるだろう。私たちは新時代元年を代表すると同時に新時代の在り方を象徴するようになると」

 

望月T「つまり、私たちのやり方がこれから先の新時代で新たな基準として採り入れられるわけだから、無慈悲な分析結果を示してくるAIとの向き合い方や、同じ路線で栄冠を目指すライバル同士が組んだチームの奮闘記なんかを残して欲しいんだと思うよ」

 

望月T「それが斎藤Tがこの新時代を未来予想した極秘資料を渡してきた理由だね」

 

甘粕T「やっちまったなぁ。すると、俺は俺が望んだ通りのスケベ野郎として歴史に悪名を残す可能性があるわけか……」

 

望月T「私のウマ娘が後世に残す影響のことも考えると、斎藤Tからの依頼を無下にするわけにもいかなくなってきたね」

 

甘粕T「まあ、今回で最後だと腹を括って、繰り返される中で忘れ去った“最初の3年間”の向こうの本当の新時代を迎えに行こうぜ」

 

望月T「うん。お楽しみの時間がこれで終わると思うと途端に惜しい気分にさせられるけれど、同時に楽しみでもあるんだ。私たちが繰り返される“最初の3年間”の中で積み重ねてきたものがいよいよ結実して“最初の3年間”の向こうの本当の新時代になっているんだと思うとね」

 

甘粕T「ああ、本当に楽しみだな。あんたのエアシャカールが普通に『日本ダービー』を勝つんじゃなくて、ウオッカと同着優勝なんていう奇跡が起きたんだから」

 

望月T「前回の敗北をバネにして今回こそ正々堂々の優勝を勝ち取りたかったけど、まあ、これはこれでいい結果だ」

 

 

――――――ようやく縮めた“-7"なんだ。勝ちは勝ち。夢にようやく手が届いたんだから。

 

 

データ分析プログラム『Parcae(パルカイ)』を駆使した新時代元年の“クラシック三冠ウマ娘”エアシャカールの伝記はこれからのAI導入が進んだデータ競バの時代における経典として重要な位置を占めることになる。

 

特に伝記を書く上で重要な項目として挙げられるのは、莫大なデータ量から効率的なトレーニングや遥か先の未来までのレース結果までをも導く驚異的な計算性能を誇るため、

 

開発者本人が『もしヤツが万能じゃねェとすれば、ソレは扱う側が未熟なだけ』と計算ミスの可能性は切り捨てるほどの絶対の信頼を置いているが故に、その分析結果に従って無駄を極限まで削ぎ落とした圧倒的な走りを完成させるに至るが、

 

しかしながら、『Parcae(パルカイ)』が下した結論は『日本ダービー』で7cm差で敗北し、“クラシック三冠”にわずか7㎝足りなかったという分析結果であり、この"-7"を覆すことが全くできずに苦悩する日々が人知れず続いていたのだ。

 

そのため、『Parcae(パルカイ)』によって完成された走りから これまで決して少なくないスカウトの声がかかり、わずかながらの希望に縋って仮契約で"-7"を覆す可能性を模索するも、無駄の多すぎる指導で分析結果が悪化するのを受けてトレーナーからのスカウトに見向きもしなくなっていくのは時間の問題だった。

 

当然、気性難として評判は良いものではない。それでも、“学園一危険なウマ娘”が一切の参加要請を蹴って研究室に閉じこもっていたのに比べて、『選抜レース』にも度々参加していた意欲は認められていたため、退学処分を検討されるほどの問題児というわけでもなかったのでさほど注目されているわけでもなかったのだ。

 

そんな孤独と葛藤を抱えている時にふと出会ったのが担当トレーナー:望月Tという脳科学者の稀代の天才にして変人であり、数年以上をかけて完成させる博士論文と研究資金のためにトレーナーになったと聞けば、そんな道楽のためにジロジロと観察されていたことに見ず知らずの他人だったエアシャカールが声を荒げるのも無理はない。

 

しかし、望月Tは15歳で大学に飛び級入学して脳科学の分野で学士号を取得している経歴の持ち主であったことから、その他大勢と同じように走り込みをすることなく レース場の側で手にした端末でひたすら計算式を打ち込んでは計算結果を不服として舌打ちしては去っていく態度の悪いウマ娘の呟きに聞き耳を立てるようになっており、

 

それで常に口にしていた"-7"という分析結果が何なのかに当たりをつけ、誰にも邪魔されない夜の走り込みに出ていたエアシャカールを待ち構えて、脳科学者としての純粋な好奇心からの素朴な疑問を悪気なくぶつけることになったのだ。

 

 

――――――いつまで経っても結果を出せないのに、どうして無駄な努力を止めないのかな?

 

 

エアシャカールと望月Tの出会いは最悪と言っても過言ではなかった。父親が数学者である彼女にとっては脳科学者の望月Tは父親と似たようなものであり、同時に元バーの歌姫だったという平凡な母親からは常に自分の在り方を否定するような態度を取られ続け、今まさに自分の在り方に疑問を呈する望月Tが眼の前に現れたのだ。

 

相手にするのも時間の無駄だとわかっていても湧き上がった衝動を抑えることができずに積もり積もった鬱憤を発散させるように、自身が直面しているどうしようもできない"-7"の葛藤の苦しみを初めて他人に告白することになったのだ。

 

それに対して博士論文と研究資金を得るためにトレーナーになった望月Tは肯定も否定もすることなく静かに聞き入った後、人が悪い望月Tは非常に楽しそうに質問をする。それもロジカルに。

 

 

――――――結果がわかりきっているなら、未練がましく学園に残り続けているのはなぜなんだろうね? そうやって きみは 他人に対しても 自分に対しても 嘘をついているよね?

 

 

意外な指摘に目を丸くしたエアシャカールはここに来て相手が脳科学者であることを強く意識することになり、今までデータに振り回されて見失っていた自分の内面に対して向き合うことになった。

 

その結果、望月Tはエアシャカールが抱え込んでいた"-7"の呪いを解くことになり、メイクデビューを果たさずに終わる"NULL"であるのとどちらがマシであるかを比較検討した末に、"-7"という数字が持つ意味を反転させることに成功したのだった。

 

そう、ここが伝記を書くに当たっての肝であり、望月Tもまた“斎藤 展望”と同じくトレーナーが本業ではない“門外漢”であるからこそ、彼女が忌々しく呟く"-7"が『日本ダービー』で7cm差で敗北して“クラシック三冠”を逃すという覆ることのない絶対の分析結果に素直に感心していたのだ。

 

冷静になって考えて欲しい。それは裏返すと、メイクデビューも果たしていないウマ娘が自身が組み上げた分析結果において残りの『皐月賞』『菊花賞』には絶対勝つという回答を得られていることがいかに凄いことなのかを。

 

去年のクラシック戦線はついに“三冠”も“二冠”も出なかった黄金期最弱世代と揶揄されているのだから、この時点で“二冠”は確実と言える分析結果と素質があるのは立派なことのはずだと、新人トレーナーの望月Tは素直にそう思っていたのだ。

 

なので、そこから気性難の曲ウマ:エアシャカールを理解するための仮契約が結ばれ、当初は道楽でトレーナーになっただけの配属1年目のド新人という使えない置物は担当ウマ娘から出走チケット扱いにされていたのだが、

 

同時に学者らしい知識欲と好奇心の塊の望月Tはエアシャカールに交換条件として自身の博士論文の観察対象になることを要求して、自身の担当ウマ娘のプロファイリングを充実させていくうちに、ウマ娘:エアシャカールが抱える大きな欠点を忌憚のない意見としてズケズケと言い放つことができた。

 

 

――――――まるで成長していない。外的要因を変えようとするばかりで自身が成長する方向に変わろうとしていない。

 

 

それは望月Tが細工を仕掛けて"-7"が"-8"になったように担当ウマ娘に錯覚させたことで、それでいつも以上の力が発揮されたことをもって、知らぬ間にエアシャカール自身が結果が"-7"に収束するように追い込む意識の壁ができていたことを証明したのだ。

 

それを教育心理学の用語で『ピグマリオン効果』、あるいはアメリカの教育心理学者:ロバート・ローゼンタールが提唱したことから『ローゼンタール効果』とも言い、他者から期待されると成績が向上する現象が自分自身を縛る呪いの自己暗示となって作用していたことを望月Tが鋭く指摘したのだ。

 

そして、そもそもとして重賞レースの最高峰であるG1レースを1勝するだけでも名バと呼ばれるのに、そこまで自分を追い込むほどに“-7"つまりは“クラシック三冠”を無理に目指すようになったのはなぜなのかを深く分析していくことに発展していったのである。

 

それが新人トレーナー:望月Tにとっての愛バ:エアシャカールとの“最初の3年間”というわけであり、望月Tは自身の博士論文の観察対象に選んだ自己矛盾の塊であるエアシャカールにいつしか強い愛着が湧くことになり、原因不明の繰り返される時の中で積み重ねてきた関係性が幾度も初期化されることになっても飽かずに何度でもスカウトを繰り返してきたのだった――――――。

 

だから、エアシャカールは正式な担当契約を交わした脳科学者の望月Tのことが苦手だった。偏屈な数学者の父親と同じ知識欲と好奇心の塊でかつ彼女が求めるロジカルである一方で、本質的に“門外漢”だからこそ元バーの歌姫だった平凡な母親と同じようにおかしいと思うところを遠慮なく訊いてくるのだ。

 

微妙な関係の両親のことを一度に思い出させる担当トレーナーなのだから、自分から好きになるようなことを絶対にないと担当ウマ娘は最初に思い続けていたわけなのだが、

 

そんなロジカルで無愛想でぶっきらぼうな自分にもっとも合っているトレーナー像というのが同じくロジカルで面倒見が良くて基本的に自分のやることに口出しをしない脳科学者の望月Tだったのだから、これ以上の選択肢は他にないとして渋々付き合いを続けていくしかなかった。

 

しかし、周回を重ねていく毎に担当トレーナーは精神年齢を重ねて自身の研究と担当ウマ娘への理解を深めていっているため、いよいよ"-7"を同着優勝の奇跡で超えた時には、最初に会った時から苦手であると思い続けていた担当トレーナーに思わず感無量で駆け寄っていた自分がいたことに気づいていたのだ。

 

そして、担当トレーナーの方も繰り返される“最初の3年間”によって肉体年齢は変わらなくても精神年齢が両親と並ぶほどになっていたため、ある意味においては他人とは思えないほどの長い付き合いのエアシャカールに対して養親としての家族愛が湧いており、

 

何周もかけていよいよ"-7"を超えて感極まったエアシャカールに繰り返された“最初の3年間”の積年の思いがこもった労いの言葉を1つだけかけることになり、それだけで担当ウマ娘は柄にもなく滂沱の涙を流すことになったのだった。

 

不思議な感覚だった。人前で涙を流すことなんて泣かった担当ウマ娘の涙を見て、何も言わずに担当トレーナーの胸元に抱き寄せられて頭を撫でられると自然と表情の険しさが緩んでいくのだ。

 

そこからエアシャカールは両親のことを少しだけ思い返すようになり、両親との関係に目を向られるようにしてくれた自分とは別の分野で稀代の天才である脳科学者の担当トレーナー:望月Tの隣にいることに居心地の良さを感じるようになっていったのだった。

 

それからエアシャカールは この夏 ある準備を進めていた。それはESPRITの『エクリプスビジョン』やサトノグループの『エクリプスポリス』とは別にこれからのウマ娘レース界の発展のために提供しようとしていたものであった。

 

ただ、それにはこれまでずっと自分を支え続けてくれた脳科学者の望月Tの手も加わり、更には同年に公開された『エクリプスビジョン』や『エクリプスポリス』から得られたエッセンスも加味した共同作業となり、ベータテストを経てインターネット上で匿名で一般公開される日を待つこととなる。

 

 

――――――クルマ移動の道中

 

 

ソラシンボリ「ねえ、お母さん」

 

スカーレットリボン「なに、ソラ?」

 

ソラシンボリ「今年の“クラシック三冠バ”エアシャカールの伝記もそうだし、エアシャカールが部長をしている電算部のサーバーに用意されていたインターネット上で公開予定の『Moirai(モイライ)』もそうなんだけど、」

 

ソラシンボリ「結局は本当の自分を見つけてもらうためにトレーナーとの二人三脚があるんだよね?」

 

スカーレットリボン「……そう信じられているわね」

 

ソラシンボリ「そして、一緒に苦楽を共にしてひっそりと夢の舞台から降りていくことさえも受け容れないといけないんだよね?」

 

スカーレットリボン「……そうね」

 

ソラシンボリ「ボクさ、生まれてすぐに親から引き離されてシンボリ家の令嬢として育てられたけど まだよくわからないんだよね、実際のところ」

 

 

――――――全てのウマ娘が幸福でいられる世界のこと。

 

 

ソラシンボリ「サトノグループの空前絶後の貢献として出されるはずだった『エクリプスポリス』構想だって頓挫しちゃったし」

 

ソラシンボリ「良いことをやっていても必ず叶うわけじゃないし、そんなに良いことなら とっくの昔に誰かが実現しているはずなんだから、今更 叶うとも思えないよね」

 

スカーレットリボン「……ソラ」

 

ソラシンボリ「今、斎藤Tが研究中の『アオハル特訓』やら『アオハル魂爆発』にしてもさ、これで担当トレーナーからの個別指導で鍛え上げられたのと同等のウマ娘が多数輩出されるようになっても、出走権を握っているトレーナーの数や能力の限界から才能あふれるウマ娘が無尽蔵に増えてもどうしようもない現実は何も変わっていないよね」

 

スカーレットリボン「でも、甘粕Tの『アオハル杯』と共通点がある路線特化チーム(スペシャル・チーム)戦略が広まっていけば、受け皿は大きくなっていくはずじゃない?」

 

ソラシンボリ「まあ、才能あるウマ娘を拾い上げてウマ娘ファーストを尊重しながら勝者は唯一人の厳しい勝負の世界の現実の擦り合わせがちゃんとできるのなら、チームメイト同士で競走するのも悪いことじゃないって理解はされると思うよ」

 

ソラシンボリ「けどさ、人間って目上の人の言うことや正しいとされていることでさえも素直に従わない生き物なんだから、理想論をいくら語っても現実はうまくいかないことの方が当たり前」

 

ソラシンボリ「だから、本質を見誤っちゃいけないんだよ」

 

スカーレットリボン「――――――『本質』って、ソラ?」

 

ソラシンボリ「ボクたちはデータや規則通りに動くだけの人形じゃない。それが人形じゃない人間の証なんだ」

 

 

――――――制度が関係を作るんじゃない。関係を作るのを助けるために制度があるのであって、制度がなくちゃ関係を作れないと思っていることこそが極めて非人間的だとはどうして思わないかな。

 

 

ソラシンボリ「結局は一人ひとりの心掛け次第だよ。ボクはつくづくそう思うよ」

 

ソラシンボリ「呆れているんだ、ボクは。どうして斎藤Tとその周りの人たちぐらいしか正しいことを形にしようと努力しないのかをね」

 

スカーレットリボン「…………ソラ」

 

ソラシンボリ「ごめん。ボクはやっぱりウマ娘らしくないのかもしれない。シンボリ家のウマ娘らしく普通の人が普通に生きていける普通の世界を願っていながら、普通の人が願う普通の人の願いや普通の在り方が憎らしくてしかたがないんだ。自分でもわけがわからないんだ」

 

ソラシンボリ「例えて言うなら、善良な市民を守るために警察官になった青年の正義の心が、職務をこなしていくうちに『命を懸けて守っている市民が自分たちの目を盗んで悪事を働く』『命懸けで悪人を捕まえても社会はカネさえ積まれればその悪党を寛大にも釈放してしまう』といった社会の矛盾に気づいて、そのドス黒さに染まっていくような感じ」

 

スカーレットリボン「どうして、そんな風に思ったの?」

 

ソラシンボリ「トレーナー無しでも『アオハル特訓』であっという間にアオハルチームのみんなが成長していくのを実感できたことに発起人のボクが感謝されるんだけど、これだけ育って『選抜レース』も余裕で勝てるようになっても公式戦にスカウトされる子はどれだけいるのだろうと思うと、トレセン学園の日々が息苦しく思えてね」

 

ソラシンボリ「ウマ娘ファーストをどれだけ掲げようと、ルールや制度が後押ししようと、担当トレーナーという絶対的な制約があるんだから、ボクたちの自由意志なんてものは所詮はそこまでのものなのさ、結局」

 

スカーレットリボン「……そうよね。それはどうしようもできないことね、本当に」

 

 

ソラシンボリ「だから、ボクはアグネスタキオン先輩が掲げるウマ娘の可能性の“果て”を誰よりもこの眼で見届けたいんだ」

 

 

ソラシンボリ「でも、それを果たすためにはウマ娘:アグネスタキオン自身の可能性の“果て”だけじゃなく、二人三脚の相手の担当トレーナー自身も“果て”に辿り着かなくちゃ、担当トレーナーという制約に縛られているウマ娘の可能性は決して拡がることはない」

 

ソラシンボリ「そういうわけだから、ボクはウマ娘:アグネスタキオンと手を取った“斎藤 展望”に賭けてみたいんだ」

 

 

――――――アグネスタキオンが目指すウマ娘の可能性の“果て”というのは同時に二人三脚の相手である担当トレーナーの可能性の“果て”でもあるはずなんだから!

 

 

*1
麻雀用語:立直(リーチ)棒=千点棒(テンボウ)

*2
麻雀用語:13翻以上の役が重なった場合に役満と同じ点数がもらえるローカルルール。アガリの最高得点が特定の役でアガるのが「役満」で、それ以外は翻数で役が決まり、13翻以上を数えることで「役満」と同等とみなされる。

*3
通常のゾーンの奥にある扉を開けることで届くゾーンを越えたゾーン。ゾーンに入った火神にチーム全員で動きを合わせるという超高速の連携技であり、仲間との一瞬のアイコンタクトのみで動きをシンクロさせる必要がある。

*4
トップアスリートでも偶発的にしか経験できない稀有な現象。余計な思考や感情が全て無くなり、ひたすらプレイに没頭する、通常の集中を超えた極限の集中状態。選手の持つ力を最大限引き出すことが可能。

非常に強力な状態ではあるが、あくまで一時的なものであり、時間制限が存在する。また、一度体感することでその万能感によって「もう一度入れれば」という誘惑が生まれ、それが集中状態に一番あってはならない雑念となってしまい、一回目より二回目以降の方が入ることが遥かに難しくなってしまう。更に、入るためには個々で異なる何らかの「条件」を満たさなければならず、それを満たしたとしても必ず入れるわけではない。







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