もぅマヂ無理……鶴折ろ…… (一億年間ソロプレイ)
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被験体と書いて尊い犠牲と読ませる施設

頭を空っぽにして読むんだ!


 太いパイプがいくつも並び、その下にある筒形の装置には培養液と人が入っている光景。

 細い通り道を忙しなく白衣を着た研究者たちが行き交い、悲鳴と血の匂いが絶えず漂っている。

 その道を通り抜けて被験室へ。

 

 ずらりと並ぶ同じ顔、番号の刻まれた首輪、得体の知れない液体の入った注射。

 丁度、隣からも同じ顔をした金髪の少年が苦しさに呻き出した。

 

「あ゛、ぇ゛っ」

 

 名前はアダム。何番目からは分からないけど生まれた時期が近く、よく隣にいたから一緒に文字遊びなどをしていた。たどたどしい発音から会話を交わせるくらいになって、たくさん話しをした。

 その言葉を出した口からは血が溢れかえった。咳き込んで、そしてすぐ傍の研究者は冷めた目をする。

 手元に持ったバインダーへ、実験失敗、死亡という意味を持ったそれを酷く軽く引かれる。

 

 ――目が合った。苦しさで生理的な涙が出ているアダムは俺へと手を伸ばした。

 よく転ぶそそっかしい奴だから、何度も手を引いて立たせてた。

 よく隣にいて、よく遊んだりもした。

 

 苦しいよな。苦しいもんな。俺も分かるよ。

 言葉に出さずとも分かった。だから、痛みを堪えてまでその伸ばされた手を握り返した。

 

 だからといって、アダムの容体が良くなる訳でもなく。咳や血生臭い匂いに混じってサッ、と軽い軽い音が響いた。

 

 

 

 

 うぇんうぇんと泣く子供の声やけらけらとした子供の笑い声が響く。背景には分かりやすい塗装された青空と天井から釣り下がったおもちゃ。机ではお絵描き、動けない子には大人の介護が付いている。床ではアルファベットを組み合わせるだけの言葉遊びのおもちゃとか、あとは追いかけっこする子供たち。

 

 などなど、ほぼ同じ顔と色素を持つ子供たちが触れ合う光景は異常だ。辛うじて目元が垂れている、少し吊り目など些細な違いはあれど、基本的には同じパーツだ。

 

 で、交通事故で死んだらそんな異様な場所にいた。転生っていう流行りのアレだ。俺はよく漫画とかゲームが好きだったからすんなりと飲み込めた。

 もう自分の名前や性別がどうだったかは忘れたが、この光景は前世でよく読んでいた『青の祓魔師』の過去編に出てくる十三號セクションに似ていた。――というか、それそのものだった。

 

 

 テッテレー! 俺は青エクの世界に転生した!

 過去に行われていた人体実験の一人として!

 

 

 最初叫び出さなかった自分に偉いと言いたい。とんでもねぇ鬱製造場に生まれてきてしまったぞぅ。

 

「ね、あそぼ」

「あそぼ、あそぼ」

 

 くい、と服を引っ張られた方向を見ると、二人の金髪の子供がいた。

 首元に3、8と付けられた名札が付いていた。この前死んだから新しく補充されたアドルフォスとアレンだ。

 

「いいよ、何してあそぶ?」

「追いかけて」「追いかけてー」

 

 頷いて二人と追いかけっこをした。無邪気さが可愛くも辛い。

 ここで製造される俺達クローンは、いつまで生きられるのか、いつまで自身でいられるのかが分からない。それがとても怖い。

 

 『青の祓魔師』は物質界(アッシャー)虚無界(ゲヘナ)の二つの世界に分けられる。この虚無界(ゲヘナ)から来る悪魔を倒すのが祓魔師(エクソシスト)だ。虚無界(ゲヘナ)の主であるサタンとの混血児である奥村燐が諸々の事情によって祓魔師(エクソシスト)を目指す、というのが大まかなあらすじだ。

 その虚無界(ゲヘナ)の主とまでいかないけど、悪魔をまとめている八候王(バール)というのがいる。

 ここで行われている人体実験とは、その八候王(バール)に適応する体を作るためだ。それと同時にエミネスクとかいう研究者がいずれ朽ちる憑依体を存命させる不老不死の妙薬(エリクサー)を開発したらどうかと発言したことによって、日々死亡者が増える惨事へと変わっていった。

 

 虚無界(ゲヘナ)にいる悪魔は物質界(アッシャー)にある物質に憑依しなければ存在できない。力が弱いものほどその憑依できる器は見つかりやすいが、八候王(バール)ともなるとその器を探すのは大変なのだ。八候王(バール)の力にある程度耐えられる肉体はなかなか見つかりにくく、憑依できたとしてもその肉体は徐々に壊死していく。

 そのためのクローン強化人間実験とエリクサー開発実験。ふざけんな。

 

 正直言うとめちゃくちゃ辛い。痛いし、叫びたくなる。同じ顔と感情が乏しい奴が多すぎて気が狂いそう。

 実は俺、転生したと思い込んだ一般被験体なのかもしれないと疑いたくもなるが、だとしたらこの世界を『青の祓魔師』なんて呼べない筈だから違うと思いたい。

 

「はい、二人とも捕まえた」

「えぇー! もう一回やってぇ!」

「はいはい」

 

 ちょこまかと動く小さい金色を二つとも捕まえた。アンコールが出たのでもう一回遊ぶことにする。

 ――この二人のように、アダムと追いかけっこをしていたことを思い出した。

 

 

『アルってば、はやいよ』

『アダムがおそいんだー』

 

 

 止まりそうになった足と動きそうになった表情。なんとか足は動かして、表情筋は止める。

 アダムは俺と同じ時期に生まれて、よく隣にいた奴だった。もういない。

 

 多分、関わると失うからあの獅郎はツンケンとした態度になったのかもしれない。ついさっきまで隣で話していた人が急に死んでしまうのは怖い。何の予兆もなくエリクサーの副作用で死んでいくのは怖い。

 

 

 ……さっきから怖いとしか言えねぇな。でも死ぬの怖いし……。

 

 

 今が原作軸から何年前なのかが分からない。とりあえず、奥村燐と奥村雪男の母親であるユリ・エギンの友人であるジェニ・カルが見当たらないので、それよりは前なのは分かる。

 ここですることは一つ。どこぞの神父兼父親役希望である検体と同じく、十三號セクションからの脱出。できればエミネスクとルシフェルに一発入れたい。

 

 脱出は一人じゃない、全員での脱出を目指してやる。

 

 このセクションで行われる実験は八候王(バール)の中でも一番の力を持つルシフェルの憑依体が出来るまで、完全に再生できるエリクサーが出来上がるまで行われる。

 俺達の命はすごく軽い。部屋の隅にある埃程度にしかない。また替えがあるから、いくらでも成功するまで開発を続けられる。

 

 俺だけじゃなくて、兄弟たちも引き連れて外の世界へ出たい。さっきのように、俺に鬼ごっこをせがんできた子供に青空の下を駆け巡らせてぇわ。前世の俺では当たり前だったことを体験させてやりたいというのは傲慢だろうか。

 

 けれども警備は万全。十三號セクションが世に知れれば騎士團の名誉は底まで落ちるからだ。

 だから少しでも内部に詳しいジェニがここに配属され、多くの祓魔師(エクソシスト)たちに告発するというチャンスを待つしかない。……それまでに、この前世の記憶を持った俺が生きられるかが問題だけど。

 

 

 

 

 当然のことながら、俺達クローンには時間が決められている。食事の時間、研究の時間、休憩の時間、睡眠の時間といった風に。

 研究のない日もあるが、生死を分ける研究の日もある。判断基準は出される食事だ。

 ない日は比較的固形物と味が薄いおかずが出てくる。米食いてぇ。

 研究のある日はサプリメントと携帯食料。ひでぇ味なんだこれが。

 

 サプリメントを飲み込んだら、不死に近い悪魔の細胞をミックスさせたエリクサーもどきを注入されて研究成果を見る。中枢神経が破壊されるか、細胞が活性化するか、それとも何も起こらないのか。

 

 幸運なことに、俺は何も起こらない確率が高かった。たまーに細胞が活性化することもある。

 でもギャンブルで大当たりが連続で出ないように、この研究だって常にそうではない。ある日ポッと死んでしまうかもしれん。

 かったい台に寝そべって腕を差し出す。エリクサー67とラベルの張られたバッグが見えた。

 チク、と痛みが走ってバッグの内容物が入ってくる。……何にも起こらなかった。

 

 ……そういや、ルシフェルがちょっとでも動けるようになったエリクサーは1151だっけ。どれだけ検証を重ねてんだ。

 

 青い夜以降、十三號セクションで行われている実験は中止になるけど、それらの実験はルシフェル率いるイルミナティに全部持って行かれる。それもこれもエミネスクの野郎のせいだ。

 あいつが死ねば実験が中止……になる筈も無い。ここには多くのクローン技術者たちが集まってるんだから、その中からまた研究の主導者を設定して終わりか。

 

 この時間は嫌という他ない。なるべく楽しいことを考えていようにも、部屋に響く悲鳴や血で中断せざるを得ない。

 ちら、と隣を見る。そこにいるのはアルフォンスと名札の付いた子供。なんか人体錬成で体全部持ってかれた弟みたいな名前だ。

 

「ああああああ、まあああ、ええええええ――――」

 

 そんなアルフォンスは、白目を剥きながら言葉にならない言葉を吐き出していた。

 いたたまれなくなってそっと目を逸らした。ああやって脳がダメになってしまうと、廃棄か浸透実験ってやつに使われる。浸透実験ってのはエリクサー漬けにされることだ。

 それから、新しいアルフォンスが作られてくるのだ。

 

 この日、俺は何も起こらない確率を引き当てた。

 

 

 

 翌日。味が薄い肉とサラダ、それと米代わりの携帯食料。あー、米食いてぇ。

 

 ……というかさぁ。転生するにしても青エクはないだろ。

 だってここ、悪魔に憑依されないために精神力が強くないと生きていけないし、運が良くないと悪魔による事故で死亡するんだぜ? 怖すぎるだろ。

 それにこれから人工虚無界門(ゲヘナゲート)とかいうもんが開かれるだろうし、不浄王は復活するだろうし、おきつね横丁は作られるだろうし、どうしたってサタンの肉体作るぞ競争は起こるだろうし……。

 転生するならどうぶ○の森くらい平和な世界が良かった。あそこ、一日中昼寝してても文句言われないんだぜ。羨ましすぎる。

 

 ダーク・ファンタジー、人体実験上等、悪魔による憑依アリの世界なんて嫌だし、そのクローン体なんてもってのほか。軒並みな言葉だけど、普通が良かった。せめて悪魔が見えるとしても醍醐院くんくらいのポジションでいいんだって。

 

 最後の一切れの肉を口に運んだ。これ、何の肉だろう。牛でもない、豚でもない、鳥っぽくもない……?

 やめよう。何も考えないようにしておく。

 

 とりあえず、青い夜直前まで生き残ってジェニの十三號セクション告発を手伝って皆で外に出るのが目標。それが失敗したら……、なんとかルシフェルから離れながら十三號セクションからの脱出を目指す。

 ジェニの告発が失敗すれば下手な動きは取れなくなるだろう。そうなると次の脱出チャンスは青い夜当日。

 

 悪魔たちのおとんであるサタンが同じ苦しみを味わわないかなんかでルシフェルがボンバーをかまして、サタンユリ獅郎の三角形を歪にしやがるのだ。

 そして脅威のルシフェル徘徊。憑依体もエリクサーも完成できず、ついに切れたルシフェルが十三號セクション内を歩き回り、当たった者の肉体を崩壊させる光線を施設中に巻き散らすぞ。ふざけるな。

 

 あの光線をモロに受けたアーサーがなんで生き残ったのかも分からない。でも、壁とかがで光を遮断出来れば回避できるか……? 実際、傍付きのエレミヤが樹木を盾にして回避していた。

 というか、ルシフェルボンバーを間近で食らうと失明する恐れがある。普通に眩しそう。

 あれは出来るだけルシフェルから離れればいいかも……? いや、やっぱ遮断できるような壁が欲しい。というか、部屋に籠るとかもいいかもしれない。それかルシフェル自身を監禁するとか?

 

 ぐるぐると考えながら、画用紙をクレヨンで全部真っ黒にしていく。今日は話しかけてきた職員がお絵描きでもどうかと勧められたので適当に塗り潰すことにした。俺に絵心なんてものはないんだ。

 引いた顔をしながら職員は「す、すごーい」と言ってくれた。ありがとう、仕事熱心だね。

 もう一枚紙を渡してくれたので同じく塗り潰していこう。

 すると、服の袖をくいくいと引っ張る感覚が。

 

「それ、どうやってやるの」

 

 どうやら隣に座っていた子供からだった。首元の番号は11。

 アーサーじゃん。でも、将来聖騎士(パラディン)になるアーサーなのかは分からない。

 

「画用紙の白いところが無くなるまで塗るだけだよ」

「……? こう?」

「そう。上手上手」

 

 ぐりぐりと画用紙の外まで豪快に動かすクレヨン捌き。傍にいる職員が慌てふためくのを見て内心にんまりとだけしておく。

 彼らも家族があるから仕方ないんだと思うんだけど、これくらいはね。じゃなきゃ悪魔にでも憑依されそうなくらいにメンタルがおかしくなる。

 

 俺もアーサーに次いで画用紙を真っ黒にする作業に入った。最初に端の方から黒くしておいて、そこの部分を折りたたんでから他の場所も塗っていくと指が黒くならずにしっかりと紙を抑えながら塗れるぞ。

 なんっっっも役に立たないけど。

 

「できた」

 

 「どれどれ」と、アーサーの画用紙を覗いた。

 アーサーの持っていたクレヨンの色は黄色だった。全面真っ黄色の画用紙が出来上がっていた。

 クレヨンを持っている手や紙を抑えていた手はぺとぺとに黄色いクレヨンが付いていた。

 

「すごいぞー」

「すごい?」

「すごいすごい」

 

 あんまり流暢に話すとどうなるか分からないから、周りと同じ様に片言で話すように心がけている。これで意味はしっかり伝わっているのかは不安だけど。

 じーっと無表情に画用紙を見つめるアーサーを見ていると、背中を指で突かれる感覚が。

 何だと思って振り向けば「これもすごい?」と聞いてきた。

 

 聞いてきたのはアラスターだ。一面真っ赤な画用紙を見せつけられた。

 ふむふむ、白い所がない。が、アーサーと同じく画用紙を持つ手にはクレヨンの赤が付いている。

 

「すごい」

「やった!」

 

 しばらく画用紙を一色で塗り潰す遊びが流行ってしまった。隣の机で座っていたサマエル群の子供たちもこぞってやり始めた。ちょっとだけ面白かった。

 

 そして俺は塗り潰した画用紙で鶴を折った。俺も結局手が汚れることになっちまったが、足の生えた鶴が折れたので満足だ。そしてそのべたついた手で職員の服や肌を汚すことにした。

 

 

 

 

 鬼ごっこ。またの名を追いかけっこ。

 鬼を決めて、鬼は他の人を追いかける。鬼じゃない人は鬼から逃げる。

 鬼に捕まった後はその人が鬼になるか、それとも鬼が増えるかとか色々と遊び方がある。子供にとっては定番の遊びである。

 

 それは十三號セクションでも同じ。

 俺は毎回休み時間になれば他の子供に鬼ごっこの鬼役をせがまれていた。職員に頼めばいいのにわざわざ俺に頼んでくるんだ。

 最初はアドルフォスとアレン。その二人とやっていたらアーサー、アラスター、アモスと増えていった。

 どれだけ人数が増えても大体鬼は俺っていうね。まぁ、楽しいからいいんだけど。

 

「アンソニー捕まえた」

「うー、何度やっても捕まるんだけど」

「後はアレンとアモスか」

 

 同じ顔がよく散らばっている中、よく追いかけっこで遊ぶ面子の顔は覚え始めた。アンソニーはちょっとふくよか、アラスターは垂れ気味の目、アドルフォスは口が大きいとか。

 

 ぐるりと見回してアレンとアモスを探す。たまたま目に入ったガラスケース越しになんだか見覚えのある顔がいた。

 メフィストフェレスだ。あの胡散臭いチョビ髭の顔はメフィストフェレスしか該当しない。

 

 ヤベ。目が合った気がする。

 そっと外してアレンとアモスを探す。いやー、心臓がバクバクしてる。

 アレン、アモスはっと……。

 

 どうやら角の方に隠れていたらしい。そちらに駆け寄ろうとして。

 

「う゛ぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 叫び声が響いた。しかも俺が向かおうと思っていた方から。

 なんだなんだと周りがざわつき始めた。それと同時に職員たちは叫び出した検体から離すようにバリケードを作り始めた。

 アレンたちを離すために俺も近寄った。バリケードの向こう側ではサマエル群の子供が声を上げながら背を丸めていた。

 

「悪魔が憑依し始めたぞ!」

 

 その言葉で足が止まった。確か、その言葉は――。

 

 叫び始めた検体の胸元辺りに妙な形をした物体が浮かび始めた。心臓だ、地の王アマイモンの。

 あ……、だったらもう青い夜までの時間が近付いてるっていうことか? 確かシェミハザがルシフェルにこのセクションを閉鎖するよう諭している時にアマイモンが受肉した筈だ。

 

 それで、近々起こるのがサタンの受肉。アサイラム攻城戦、青い稲妻作戦、青い夜――――。

 

「アレン、アモス離れるよ」

 

 二人の肩を叩いて意識をこっちに向ける。どうして、といった風に首をかしげた。

 

「あんまり見ない方が良い」

 

 目が合えば何されるか分からない奴らだ。特にアマイモンなんかは気まぐれで動くことが多かった気がする。

 手を引けば、二人はついてきてくれた。

 背後の方ではメフィストがアマイモンと喋っているのが見えた。

 

 ぞわぞわと、存在感の違いのような物をひしひしと感じる。どうしよう、俺ってばルシフェル殴れるかな……。

 

 嫌でも慣らすんだ。こんな状況にした張本人に一発かませるならかましたい。それから速攻で兄弟たちと十三號セクションを離れたい。エミネスクの野郎も一発死んどいた方が良い。

 

「良い体をありがとうございます」

 

 アマイモンの憑依体となった子供の名前は確か、アンブロシウス。

 

 クローンと言っても、俺達には僅かばかりの自我と感情があるんだ。それを一切合切乗っ取って自らの体にする。

 俺も、ルシフェルの憑依体の条件でも満たしてしまったらそんなことになるんだろうか。

 

 

(……絶対に嫌だ)

 

 

 思わず二人の手を握る力が強くなった。

 

 

 

 

 しばらく研究の日が無かったので油断していた。

 

 何日か経って、いつも遊んでいたメンバーがほぼほぼ死亡した。

 

 ジェニによって言及されていたクローンの死亡率は九割だ。

 一割を勝ち取っても心が死ぬので、無表情で無感動な人間が出来上がる。

 

 エリクサー74の被験をした際、アドルフォスがいなくなってしまった。エリクサーに身体が耐えきれなかった。

 エリクサー79の被験ではアモスとアラスターがアドルフォスと同じ様な反応を起こしていなくなった。

 エリクサー81ではアンソニーは脳が破損したらしく、浸透実験行きになった。

 

 それでも、殺風景にも思える子供部屋のような場所は変わらない。死んだら補充されるだけ。

 現に、知っているけど知らないアダムが周りを歩いている。幼いアドルフォスがいる。アモスとアラスターだって。

 

「……どうしたの、そんなとこで」

「ちょっと疲れた」

 

 アーサーの声が頭上から聞こえてきた。

 先程研究の時間が終わって、変に体が反応したから間違いではない。

 反応があったということは、後で必ず細胞を採取されるということだ。つまり研究の時間が他の子供より倍になったということ。うげぇ……。

 

「寝なかったの?」

「寝たけど疲れた」

 

 実際体重いし、頭痛いしで散々だ。ああでも弱気になったら悪魔に憑依されるのがこの世界なんだよな。

 なんか悪魔に憑依されない方法って自殺以外にないか……。

 

「――――あ」

 

 その時俺に電流走る。その名案の名を――。

 

 

 

 びっくりするほどユートピア――――!

 

 

 

 全裸になり、自らの尻を両手で叩きながら白目を剥き、「びっくりするほどユートピア!」と叫び続ける。

 これも十分もやれば完全に除霊……ではなく祓魔できるのでは!?

 悪魔にだって少なからず意思がある。なら気が狂えば悪魔側だって「うわなにこいつやめとこ……」みたいな感想になる筈だ。ちょっと懐の広そうなメフィストやルシフェルだって退ける筈だ。

 

 ――できれば、の話だけど。

 

 ここはどこだと聞かれたら、対悪魔のスペシャリストたる正十字騎士團が運営する祓魔塾アサイラムを隠れ蓑にしている十三號セクション。

 そして俺はクローン体。時間帯、体重、命すらも管理されてるYO。

 つまり、びっくりするほどユートピア作戦を行えば精神異常者として廃棄処分か浸透実験行きにされるYO。

 

 それはごめんだからYO。

 

 

 俺はハジケることにした。

 

 

 その一歩として、このくっらい気分を吹き飛ばさなければならない。陽キャパウワァで悪魔どもをねじ伏せてやるのだ。

 だから、どんなに頭痛がしても体が妙にふわふわと軽くても立ち上がるんだ俺。

 ……よし、立ち上がれたぞ。

 

「アーサー! 鬼ご……追いかけっこしよう!」

「どうしたの突然」

「疲れは吹っ飛んだ」

 

 無表情ながら僅かに眉を顰めたアーサーはのろのろとした動きで俺の隣から立ち上がった。

 ん? というか隣に座ってたのか。

 

「ルールはいつも通り、俺が追いかける方な」

「いいよ」

 

 マイルールで二十秒経った後から逃げる奴らを追いかけるようにしている。

 ふ……、なんたって俺、この子供たち全員の中で一番足が速いからな。少しは手加減をしなければ相手もつまらない。

 ここが健全な小学校だったらモテモテだったのに、ここには職員を除いて男しかいません。悲しいなぁ。

 

 二十秒も経ったのでアーサーを追いかけた。妙に体が軽かったせいか、手加減したつもりが手加減できていない感じになってしまった。

 後でぶすくれたアーサーを宥めるのに大変だった。

 

 

 

 

 ぶっちゃけいうと、セクション内は暇である。俺がハジケることを心掛けて、言葉を流暢に話すようになっても変わらなかった。

 

 色んな遊びに工夫を凝らしてきた。鬼ごっこにルールを加えたりだとか、周りの奴ら(職員も)を巻き込んで鬼ごっことか、折り紙でフェニックス折ってみたりとか、それを周りに教えたりとか。

 そのおかげで子供の中で俺の評価は鰻登りらしい。毎回部屋に来れば遊びをせがまれるくらいには。

 幸か不幸か、今でも廃人とならずにアーサーも無事に生きている。このセクション、検体が大きくなる程に心が死ぬ病気にでもかかっているからある程度感情のある大きな検体というのは珍しいらしい。

 ……病気というよりも、幼い時より考えられるようになった脳で自らの役割を察知してしまい、どうすることも出来ずに諦めてしまうというのが正しい。

 現実を受け止めきれなくなって精神が幼くなる奴もいる。幼い頃――何も知らない時――の方が良かったって判断したんだろうな。

 

 つい最近まで遊んでいた鷹郎と鷲郎も「俺らの命は無価値」なんて言うようになってしまった。他にはサマエル群のアンゼルム、アルノー、ルシフェル群のクラーク、エドワード、グレン、ヴィクターとかも。

 

 

「アル、アルは分かっているのか? 俺達は死んでも――」

「俺嫌だよ。死にたくない、死にたくないよ」

「どうせ替わりがあるから」

 

 

 大抵その言葉を発してエリクサー実験後、職員の手を借りながら生きる屍か、無邪気に遊ぶ幼児か、はたまた物言わぬ屍に早変わりだ。

 

 そう言われる度に、俺は「替わりなんていない」って返してもあまり伝わらない。

 俺たちと遊んで感じたことはまったくもって代用も替えも効かない。楽しいとか悲しいとか、ある程度の条件は同じであっても、そいつに蓄積された物はまったくもって同等にはならない。

 

 言葉って難しいなーと思いつつ、俺はルシフェル群に振り分けられた寝室で寝るのであった。

 個室ではなく大部屋に四段くらいのベッドが敷き詰めてあるだけの空間だがな。

 

 

 

 ――寝ると、そこには何もない空間に俺は立っていた。

 

 人目も無い。なら今こそびっくりするほどユートピアを披露する時! 知らない内に悪魔が憑いているのかもしれないからな。

 

 とは思ったが、ベッドが無かった。あれはベッドが計画の要を握っているのだ。全裸で飛び跳ねる計画主を下から支える縁の下の力持ちにして鍋では白滝並の存在感。あれが無くては計画を遂行できない――!

 

「んじゃ芝狩るか……」

 

 ある日芝刈に出かければ、川から桃がスライディンゴーしてくれるかもしれない。そして切った桃から現状を打開する救世主、首○パッチソードが現れてサタンやルシフェルとかを硫化アリルでなんとかしてくれる筈だ。

 

 すると手に草刈り鎌を持って地面には芝が生えていた。今日はお日柄もよく、絶好の芝刈天気だ。

 こんな日におチビ共を放牧させたいわな。

 あ、でも脱出した後どうなるんだろ。ジェニの告発に乗っかればそのまま周囲のまともそうな祓魔師(エクソシスト)たちが保護してくれるかもしれない。ある程度同情を惹くための演技でもしておくか。演技どころじゃないけど。

 

 俺達ルシフェル群は特に数が多い。それも十三號セクションがほぼルシフェルの為に作られた延命装置ってのが一番大きいからだ。

 それぞれ引き取られたり~……、はしなさそうだな……。一括まとめて保護されて施設にでもぶち込まれたら俺が頑張ろう。

 俺と同じくらいに大きいのはアーサーを筆頭としているっちゃいるけど、情緒的な面で言えば子供だし、廃人になってるし。ここは転生経験者であり経験豊富な俺が指揮を取らねば。

 資金繰りとかどうっすかなぁ……。流石に保護されたら資金くらいは出すよな? いや絶対出してもらえるようにしよう。目指せ、兄弟全員学校通い。せめて高校まで援助してくれれば大丈夫だろ。

 ちょっと同じ顔の奴らが同じ制服着てると見分けつかなくなりそうだけど、それはそれで面白いな。

 

 あ~、脱出してぇ~~。

 

 

 

「起床時間だぞ」

「んぐぇ」

 

 ものすごい揺さぶりと腹への圧迫感で起きた。さっきまでのは……夢ぇ?

 目を擦りながら横を見るとそこにはアーサーと、腹の上にはベンジャミンが乗っかっていた。

 

「きょうのごはん、たべにいこー」

「さっさと起きろよ」

「んぁ……うん」

 

 なんと今日は薄味の焼き魚が出た。でも米食いてぇ。

 

 

 

 俺の体は一つである。

 なので、絵本を読み聞かせながら折紙を折り、追いかけっこしながらお絵描きをしたり、ぬいぐるみのままごと遊びをしながら高い高ーいは出来ないんだ。

 壁面に描かれているやけに腹の立つ太陽の顔を見据えている俺の頭上ではしゃぐベンジャミン。

 おい、職員。なに微笑ましそうな目で見てんだ。元々お前たちがやるべき仕事だぞ。

 

「平和……ですね」

 

 おやぁ? 隅の方でこそこそ話し声が聞こえてきたぞ。

 

「ええ。最近はあの検体が率先して遊んでくれているので負担も……」

「でもあの検体だっていずれは……」

「あまり深入りしないように。それが貴方のためでもあるわ……」

 

 マジか。最近ここら辺で子供たちの面倒を見る検体がいるらしいぜ。

 

 

 俺じゃん。

 

 

 にしても、深入りしないように、ねぇ……。それも処世術っちゃ処世術なんだろう。

 このセクションで働くのは祓魔塾の前身、アサイラムで候補生(エクスワイア)になったはいいけど祓魔師(エクソシスト)認定試験の成績がギリギリな奴が多いらしいから。ジェニも確かその口でここに来たはずだ。

 

 ここを失えば働き口に困る。エリクサーの研究も進まない。明らかになれば長年、悪魔のスペシャリストとして築き上げてきた騎士團の地位はがた落ち。

 利権関係はメンドイなぁ……。そうだ、今日は散歩(脱出)でもするか。

 

「アル、見てみろ!」

 

 そう言ってベンジャミンをおぶっている俺に、アーサーはこの前教えた足の生えた鶴を見せてきた。

 ふっ……、まだまだ甘ちゃんだぜ。俺はもう、足の生えた鶴では満足できない体になってしまった。

 

「甘いな」

「何……?」

 

 ベンジャミンを落とさない様に腰を落とし、机の上に無造作に並べられていた折り紙の一枚を取った。

 最近は立ちながら折ることも出来る様になってきた。

 

「ほい」

 

 俺が折ったのは、腕の生えた折り鶴だ。ついでにマッスルなポージングもさせておく。

 

「う、腕が生えている……!?」

「足の生えた鶴が折れるようになったら次は腕を生やすだろ」

 

 ぐぬぬ、と悔し気なアーサーに気分を良くしながら、時間は過ぎた。

 俺は片付けを手伝う為、手始めにぬいぐるみを片付け始めた。

 

 

 

 すんなりと宿舎から出れた。ここからは物音一つ立ててはいけないザ・エスケープが始まっべ!

 宿舎から出る前に、布団のシーツをぐるぐる巻きにして膨らみは作っておいた。やべぇ、ちょっとドキドキしてきた。

 

 今回はある程度の地形の把握。脱出口があるんならまぁ、そこも調べておく程度。あんまり騒ぎにならない様にしたい。

 下準備は先の方にやっておいても大丈夫だ。ジェニが来てから下準備やるとなんか……、メッフィー辺りに「ジェニに協力して脱出の準備でも企てていましたね?」みたいなこと言われそうだし。

 

 脱出は彼女の勇気に乗っかってやるものだ。

 協力なんておこがましい。結局、俺は色々と理由を付けても、失敗した際には彼女に責任を擦り付けたいだけだ。

 だって……。――――いや、止めよう。

 

 クローン体にも、人にだって命は一つ。ここから全員で脱出する機会は一つ。そんな機会を彼女は身を張ってまで二つに増やすのだ。乗っかるしかあるまい。

 

 おっと、危ない。警備員と言う名の祓魔師(エクソシスト)たちが向かい側からやってきた。なるべく足音を立てないように移動だ。

 

 夜中のドキドキ☆十三號セクション散歩は順調だった。しかも嬉しいことに、徹夜をしている研究員はいなかった。

 カードキーの必要な場所もあったけど、それはそれ。エリクサー研究の被験体にされている時にな、エミネスクの野郎の次に偉そうな奴が近付いてきたからカードキーを盗んどいた。隠し場所は検体養成室と呼ばれる、あの子供部屋にあるぬいぐるみの中。

 

 スニーキングミッション楽しいわ。俺の足は止まらず、エリクサーの浸透実験兼製造所の部屋にやってきた。

 電気を付けてないのでうす暗い。そんな中、培養液に入っている自分と同じ顔を見るのはちょっとホラー味がある。

 ルシフェル群以外にもアザゼル群も、サマエル群も培養液で満たされたパイプ入っていた。皆うずくまるようにしてエリクサー漬けにされている。

 

(……アンソニーだ)

 

 人体ホルマリン漬けの並びに見知った顔がいた。ちょっとふくよかな顔つきで、いつも鬼ごっこでは最初に捕まえてた。

 そんなアンソニーも年月が経って俺と変わらない体躯へと育っていた。……あれから、何年経っているんだろうか。

 

 おセンチな気分になりつつ、その部屋から出た。

 俺の思っていた以上に部屋はあった。マウスの飼育部屋、動物実験室、研究員たちが使っているだろう仮眠室。

 それに、クローンの培養室。

 

 そこにはいた。俺の代わりがいた。幼児サイズの俺、小学生くらいの俺が培養されていた。

 名前はAL、Lu-La-04の補充分。

 

 でもきっと、その俺には『前世の俺』は入らないんだろう。『前世の俺』にとっても、この個体が最初で最後。死ねばきっと、俺も皆と同じ様になる。面倒見のいい、前世を覚えているALは消える。

 それは嫌じゃないけど、()はこの先の展開を知っている。その知識を生かせずに、良いようにされるのは頂けない。

 

(あー、やめやめ! 暗い気分だと悪魔にでも付け入れられる!)

 

 目的は地形の把握だ。こんな気分になる為に来た訳じゃない。

 

 

 

 部屋の探索がてら、机の上に散らかっている書類をちょくちょくと覗いた。それで分かったんだけど、今はあのサタンの宿った検体が怪しいと睨んでいるらしい。サタンが受肉し始めてるってことだ。

 つまり、そろそろ覚悟をしっかりと決めておかないといけない。頭を回して失敗した後のことも考えておかないと。

 

 色んな部屋を回ったが、入り口付近はまだ行っていない。その……、明らかに血が出ていると分かっている場所に行くのは嫌じゃないか。

 ジェニも言っていたなぁ……。高収入だからといってクローンを産むことを目指した奴もいたけど、全員顔を見ることはなかったって。

 

 でも一応、怖い物見たさで行くか……? 折角、研究員も休んでることだし……。

 

 その部屋らしい場所の前に着いた。恐る恐るとカードキーを入れた。

 難無く開いた。

 

 ――やっぱ、見るべきじゃなかったとだけ。

 

 分娩台がずらって並んで、その殆どに拭き取れなさそうな汚れが付いてる。後、すごく空気が籠ってる。

 思わずうえって顔になってしまった。あまり長居はしたくない。

 書類に載っているのもクローンを産む実験に志願した女性の戸籍とか、結果とか……。

 

 さっさと分娩室から出た。脱出に繋がるようなものはなかった。

 無駄に時間を過ごした気がする……。

 

 次は思い切って出口に行ってみようか。ちゃんとドアの確認をすることは大事だってバルディ先生が言ってた。

 

 出入口付近。僅かに人がいるみたいだ。まぁそうだよね。宿舎付近にはいなくても、出入り口には設置しておくよね……。

 という所で下準備は一旦終わり。早く寝ないと明日に響く。

 

 

 

 

 ――バリバリに響いたんじゃが?

 

 

 現在の俺、エリクサー実験で三途の川が見えてるなう。川向こうで一緒に育ったアダムや初めに鬼ごっこをしようと声を掛けてくれたアドルフォスたちが手を振っている。

 これはいかんと、川から背を向けて走った。最初は全力で地面を蹴っているのに歩く速度でしか動けなかったが、川からの距離が遠くなるといつも通りの全力スピードで走れた。

 

 普段の鬼ごっこでは加減しているが、俺は風の様に走れるのだ。歩くスピードでも普通の人が走る速さになる。歩道では規定スピードを守らなければ歩けないような体質になったのもほぼほぼエリクサーのせいだ。

 今なら私、おターフで馬に紛れて走れますことよ。おほほほ……。

 

 

 

 

 

 そのまま走り続けていると視界が真っ白に変わった。同時に身体がぎゅっと詰め込まれるような感覚が。

 耳に、ジィィィ――という音が聞こえた。

 

 咄嗟に手を天井に翳した。考えずとも自分がどこに収納されそうだったかが分かった。

 手を見せた瞬間、どよめく声がくぐもった音声で届いた。

 そっと、閉じられそうだった隙間から複数人の顔が覗いた。

 

 「まだ、生きてるんですけど」

 

 掠れた声だったけど、伝わったらしい。

 

 俺は何とか生き残れた。

 ファスナーは下ろされ、窮屈さが消えて体を起こす。後からになって冷や汗が酷い。心臓もバクバク言ってる。

 ――横目で見れば、納体袋が片付けられるところだった。

 

 ……っべーわ。夜更かししただけで死にそうになるのマジっべーわ。

 暫く散歩は控えておこう。心臓に悪すぎる。

 

 「これはもしかして……」

 「要検証だな」

 

 落ち着いて―、息を吸ってー吐いてー。吸ってー、吐いてー。

 ……ふぅ。何とか生き残れた。うん、生き残ったんだ。

 ごめんよ川向こうから迎えに来てくれた兄弟たち。俺はまだそっちに行きたくないんだわ。

 

 せめて行くにしても、ルシフェルに一発殴ってからだ。

 決意を新たに、脱出を必ず成功させようと思った。

 

 アーサーから自我が消えてもそう思ったのだ。

 

 

 




ハジケるとかいってあんまりハジケてないので自害します



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SsC:AL

続きがひねり出せたので地獄から舞い戻り投稿したで候
この話にはタグの残酷描写、そして新たに追加したタグ……
後は分かるな?


 

 痛みの中で、きっと多くの検体は思ったのだ。

 自分が死んでも替わりはいると。

 幼い頃から漠然と分かっていたことを、今の年になって完全に理解することが出来てしまったのだ。

 

 減らない子供部屋の人数。同じ顔をした、番号の振られた首輪と名札。同じ名前の人間がいつもいるのは何故か。

 痛いことが訪れた後、決まって数人いなくなって、また次の日に出会うのは何故か。

 それに気が付くと、隣にいる人物が、決まって表情を崩すのは何故か。

 

 使った遊具を片付ける時、同じ形状をしたつみきが複数あると「番号が振ってあるといいのに」と考えたことがある。

 つまりはそういうことだ。自らの存在はその程度のもの。なんでもない、特別でもないもの。

 空に輝く一等星になることなんて無理だったのだ。

 

「アーサー?」

 

 記号を呼ぶ隣人は、いつものよう飄々とした態度を取っていなかった。ただ、アーサーと呼ばれた検体を不安げに見つめ、その肩を揺すぶった。

 揺すぶられる本人はただ、その隣人の顔を見つめるのみだった。

 

「どうしたんだよ」

 

 認めたくない、信じたくない。声色からもそれがにじみ出ていた。

 その様子を見つめる職員――セクションで働く女性は痛まし気に眉を顰めた。最近ここに配属された新人だ。

 

『ここで長く生きられる実験体は一割。ほとんど九割の子は……死んでしまうわ』

 

 妙齢の女性職員から教わった言葉は重くのしかかった。どうしてここに来てしまったのかと、後悔した。

 成績が良くなかったからといって、高収入高キャリアに目を眩ませて、こんな職場に就いてしまって、誰にも相談することはできない状況になるなんて。

 

 その女性職員だけではない、かの実験体が生まれた時から様子を見てきた職員たちはこぞって顔を伏せた。

 今まで生まれてきた実験体の中、明確な自我を持って長く生存してきた一体。一割の確率……それよりも下回る確率を勝ち取ってきた者は一体だけだった。

 新人女性職員以外は今まで成長を見てきたと言ってもいい。突然突飛な行動に走り出す癖はあるが、多くの実験体たちの遊び相手となり、薄暗い職場の雰囲気を明るくしていた。

 

「だれ?」

 

 前日までは感情に溢れていたものが、無の響きを持った。

 アーサーの肩を強く握りしめ――だが怪我をしない程度に優しい力加減である――、顔を伏せる実験体は声を絞り出した。細く細く、職員の耳に入る前までは消え入り、アーサーからは僅かに聞こえる声量だった。

 

 

「替わりなんていないんだ。お前はお前なんだ。俺と一緒にいて、折り鶴を自慢してきて悔しがるアーサーはお前だけだったんだ」

 

 

 

 

 ケッ、やってらんね。エミネスクの野郎、ほんとさぁ~~?

 なぁ~に何時間も検査させるんだ。血液半分くらい抜かれたし、変な薬ばっか注入されて何度も三途の川マラソンするしよぉ! お前の頭いつかネギに寄生させるからな!?

 

 なんてこと思いながら懐かしき子供部屋に戻ったら、アーサーの自我は消えていた。

 精神退行? 廃人? ともかく、職員の手無しでは動けない、言われなければ自発的に動かない。そんな奴になってしまった。

 

 俺とアーサーの関係を言えば、年の近い兄弟みたいなものだったのか。アダムは面倒を見なきゃいけない子供って意識が強かったが、こっちは気の知れた兄弟だった。

 悔しいやら、悲しいやら。なんて言えばいいんだ。ぐらぐらしている、視界が。

 

 ――人と縁を繋ぎ直すのは難しい。しかも、片っぽが一方的に切って、片っぽが切れ端を持っているのなら。

 切れ端を持っている奴の精神力が強くない限り、また結び直そうとは思えない。

 ……俺はどっちなんだろうな。結び直したい気持ちは俺にはある。だが、片っぽ(アーサー)からは結び直したいと思われていない。

 原作の知識からさ、アーサーは少なからず廃人か精神退行すると分かってた。ジェニに介護されてるシーンみたいなのあったもんな。

 でも、結構関わってた。これだけ関わってれば、少しでも結果は変わるかなって。

 

 でも変わらなかった。エリクサー実験、幼児の頃より成長した脳。皆、成長した検体は悟るって言ってたのは俺じゃないか。

 

 馬鹿だなぁ……俺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上に行くほど小さな鶴が乗っかっていく鶴の隊列、円陣を組む鶴。横や縦に規則正しく並んだ鶴。

 連鶴と呼ばれる、一枚の繋がった紙から出来る折り鶴の製法だ。

 これは何故か前世の俺が極めていたらしく、折り方を覚えていた。最初は手が追い付かずたどたどしく折っていたが、今やプロフェッショナルレベルの速さと正確さで折ることが出来る。

 

 折り鶴とはいっても連鶴はすごく子供たちに人気だ。一瞬で出来るのが面白いらしく、出来上がったものを欲しがられることもある。

 いくらでも持って行っていいぞ。しばらくはずっと生産してるからな……。

 

 無心で鶴を折っている時が一番落ち着く。鬼ごっこも当分はしたくないな。三途の川マラソンで疲れたんだ……。

 しばらく何も考えたくない。と言っても、考えなければ死んでしまうのがこのセクションである。

 なんたって青い夜発生地点にしてボンバーマンルシフェルがいる場所だ。最悪、アサイラム攻城戦前の悪魔に呑まれて死ぬか、青い夜で発生した火災で死ぬかもしれない。

 火事の際は押さない、走らない、喋らないのおはしが大事だっけ。この前散歩した時に脱出経路は考えてあるから、火災や道の崩壊などで塞がれてないことを祈るだけ。

 

 ……なんか、それとなくジェニの告発が失敗する前提で考えてるな。本来はその時に終わるよう努力すればいいのに、――駄目だ。失敗するビジョンしか見えない。だっていくら俺が動いたって変わらないんだろ。

 

 人の口に戸は立てられぬ、を体現するようにジェニの告発もサタンとユリの逃走は一人のリークによって失敗するのだ。

 その原作でリークした人らしいおっちゃん職員はいるが、別にそいつだけがリークするっていう保証はまっっったくないのだ。リークしたおっちゃんの隣の職員がするかもしれないし、その前の隣の隣の隣の職員がするかもしれない。

 

 仮にリークされつつ逃走を目指すとしてどうすればいい。死角からの銃弾を避ける術は? 警備を潜り抜けるにはどうすれば?

 演技は無理。エミネスクの野郎はそんなものでは引っ掛からない。

 武力行使も無理だろ。俺、そんな武術に詳しい訳でもないし。身体能力がエリクサーの影響で凄いだけって奴だし。ジェニもそんな動ける風には思えない。見習い祓魔師(エクソシスト)的な立ち位置にいる候補生(エクスワイア)だったけど成績悪くて十三號セクションに従事っていう奴ですし。

 

 なら、ジェニにリークされてる旨を伝える……? 他の脱出口に行くとかか?

 十三號セクションの出入り口は一つだけだ。結局はそこに行かなければいけない。大人数を率いているなら裏道なんてものは使える確率が低い。

 

 詰んだわコレェ~。はい、そんな時には百連鶴折り。

 

「ねぇねぇ! これ持って行っていい?」

「千切れやすいから持ち運びはそっとな」

「ありがとう!」

 

 と言ってる間にぷちりと端の方の鶴が折れた。あーあー、言った側から……。

 持っていこうとしたアザゼル群の奴が大きな体を揺らしながら泣くので、俺はその目の前で鶴を折る。

 早業で泣き止んだ奴にその鶴を渡せばはい、泣き止み終了。俺も大声上げて泣きてぇなぁ。泣けねぇけど。

 

 

 

 

 アーサーとの関係/Zeroになっても研究は続く。エリクサーの試用回数が三桁に増えてきて、段々と青い夜に近くなってきていることに怯えつつも穏やかに日々を生死に晒されながら生きていただけなのに。

 なんで目の前にメッフィーがいるんですかねぇ……。

 

「すいませんが、彼をお借りしても?」

「えぇ、はい」

 

 女性職員がそう答えて俺は連れて行かれたのだった。

 頭の上にくるんとした触覚が見えている。歩く度に揺れるそれを見ながらそっと聞くことにした。

 

「あの、どこへ? というか、どなたですか?」

「検体番号La-04、君には今からある検体と遊んでもらいます。ああ、私の名前はメフィスト・フェレスです。以後お見知りおきを」

 

 いやまぁ、知ってるけど言っとかないと怪しまれるしな。……というか。

 

「ある検体と……遊ぶ……?」

 

 あのう、自分子供部屋に帰っていいすかね?

 わざわざ隔離されてる検体とか一人しか覚えがないんですけど。

 

「ええ。名前は齩郎くんといいます。ちょっと問題がありますがァ……、職員の中でも子供の扱いに長けていると噂されている君なら大丈夫かと思いまして」

 

 アアアアアア!!! 帰りたい! ヤメテェ! シニタクナイ、シニタクナーイ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼にあの部屋は狭すぎます。もう少し誰かと接触させないと、情緒的な面は育ちません」

 

 そんな発言から始まった。そこで連れて行く人員は本来、いざという時に対処が出来る藤本獅郎が選ばれたが、そこに待ったをかけたのはメフィストフェレスだった。

 

「大人よりも同年代の子供と触れ合わせる方がよろしいのでは?」

 

 同年代の子供を指すのは勿論、クローン体のことである。クローン体ならいくらでも作れ、補充も効くので仮投入するにはいいのではないか――。

 相手候補として挙げられたクローン体からすればとんでもない話である。どんな動作で爆発するか分からないものに予備知識なしで触れ合えと言うようなものだ。

 

 齩郎こと虚無界(ゲヘナ)の主たるサタンに唯一懐かれているユリ・エギンは難色を示した。メフィストの言うことは一理ある。しかし、齩郎はちょっとしたことで癇癪を起しては人を簡単に殺せる力を持っている。そのことはこの場にいる誰もが知っていることであるが、ユリは再び伝えた。

 「だからこそクローンでいいじゃないですか」とエミネスクに言われてしまい、話はクローンを連れてくることへと固まり始めていた。

 ――クローンの命の軽さを目の当たりにして、ユリは唇を嚙み締めた。

 

 という状況によって連れてこられたクローンは青年体だった。人懐っこく笑う姿が印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、何」

「初めまして齩郎くん。俺の名前はアルっていいます」

 

 齩郎に憑依しているサタンの精神は幼い子供だ。駄々をこねる幼稚園児レベルではあるが、その駄々が笑いごとにならない威力を持っている。

 癇癪を起こせば洒落にならない青い炎が飛んでくる、身体能力自体が高いので掴まれる、殴られるといった攻撃だけで人体は軽く吹き飛ぶ。

 こんな化物をよくも怖気づかず育ててきたものだ。笑っている顔を維持してはいるが、内心で向けられる眼差しの鋭さに泣きそうになるわ。

 俺、絶賛傷心中ぞ? もっと労われよ。

 

「俺、君と遊べって言われたんだけど、何かしたい遊びとかはあるかな?」

「ない。ユリがいればいい。お前は消えろ」

 

 はーい、取り付く島もなーい!

 

 多分女子の検体ならここまで鋭くならなかったかもしれん。クソチョロサタンを誑かせば……あっ無理か。

 なんたってサタンはユリのことを恋愛的に狙うからな(最終的にだけど)

 だがこの時点では誰も、サタン本人でさえもユリへの恋心に気が付いてない。そこに現れる恋敵藤本獅郎。修羅場確定や……。

 

「消えろと言われたってねー……」

 

 俺だってお前のような爆発物に接触したくねーんだわ。

 という本音は抑えた。サタンは先程からユリの腰に抱き着いて離れず、俺を見ては威嚇している。口元からちらちら見える青い炎で心臓縮みあがりそう。俺……、ルシフェル殴れずにここで死ぬのかな……?

 

「ユリさん、折り紙はありますか?」

「あ、えぇ。こっちにあるわ」

 

 サタンを引き摺りながらユリが折り紙を渡してくれた。オゥ、マイフェイバリットサンクチュアリオリガミ。

 赤青黄とオーソドックスなカラーが取り揃えられた折り紙用紙。そこから三枚取り出して折るのはそう折紙こま!

 これなら多感な小学生男児の心掴むこと間違いなし! 昭和から男は独楽で遊んできたんだから惹かれないことは無い筈だ。本来なら柄付きの奴で折るともっと楽しいんだがな……。

 よく回るコマを作っていると、急に作業をし始めた俺に恐る恐るユリから離れて近付いてくるサタン。俺も怖いから半径十メートル以上は離れていて欲しい。

 

 サタンの為に用意された幼児用の低いテーブルの上に駒を置くと、サタンも近付く。これは本人に見てもらわなきゃならないので、サタンによく見える様に立ち位置を変える。

 彼自身の視力は十分良いと思うが、目の前でやることによってインパクトを出させたい。マジックや手品も遠目からじゃなくて目の前でやられると「おぉ!」ってなるだろ? それを狙いたい。

 サタンの視線が俺の作ったコマに注目して、距離も俺から向かい側にいることを確認して、コマのつまみ部分を掴んでくるりと勢いよく回す。

 

 ぐるぐると青色、水色、緑色で折られたコマが残像を残しながら回った。

 

「……! なんだこれ!」

 

 意外と手品や折り鶴には興味を示してくれたようだった。でも、コマくんはサタンくんが握り潰したので以前の様に回ることが難しくなりました。サタンくんのせいです、あーあ。

 

「凄いねアルくん!」

 

 だがしかし、ここでユリの援護射撃が。

 なんだろう。滅茶苦茶自己承認欲求がドバドバ満たされている音がしてる。

 

 そういや、心の底から褒められたことってない……ないな! 大抵「こいつも死ぬんやろなぁ……」って憐れみの表情と共に誉め言葉を言われるだけだから……。やべぇ……。麻薬じゃあ……これ……。

 他人を褒めたユリに気が付かないサタンではない。彼は若干目を輝かせながらコマを握り潰して。

 

「お前! 俺にこれおしえろ!」

「いいよ」

 

 

 

 計 画 通 り

 

 

 

 コマが作れる = ユリに褒められてもらえる、の公式が出来たのだろう。俺としてもサタンが心安らかにいるのは大歓迎だ。

 テーブルに三人座って俺はゆっくりと折り方を教える。勿論のことユリは大丈夫だったが、問題はサタンだった。

 分かっちゃいたが、不器用で堪え性が無かった。折り紙の基本である丁寧に折る、が出来ないのでサタンのなんとか作ったコマはぐちゃぐちゃで回りようもないコマだった。

 このことに苛立ったサタンは泣きながら炎を巻き散らした。

 

「なんで作れないんだあ!!」

 

 と、ぼーぼー青い炎を燃やしながら泣くサタン。俺はそこから三人で作ったコマと共にちょっと離れた所でユリがサタンを慰めている場面を見ている。もしかして、サタンガチ泣きって珍しいシーンでは?

 揶揄ってみたいけどあんな火柱の如く燃え盛るサタンに近付けねぇ……。なにより原作獅郎のように下手にサタンを怒らせたくない。

 

 なんとか宥められたサタンは目を真っ赤に腫らしながら「もっがいやる……」と言ってきた。

 俺としても燃やされないんならオッケー精神で承諾。何度もぐちゃぐちゃになるサタンに根気強く付き合って、サタンはようやくコマらしいコマを折れた。

 

「やった! 見ろユリ!」

「うん、凄いねサタン! えらいえらい」

 

 サタンはユリに撫でられてご満悦。ふぅ……何度か燃やされそうになってたが、大丈夫だった。俺の命はまだある。

 

「でも、アルくんに一言言うべき言葉があるよね?」

「はぁ?」

「このコマを折れたのは誰のおかげかな?」

「……アイツ」

「こら、人を指差すんじゃありません」

 

 渋々と言った様子で俺を指差した。こんのガキが……。いややっぱ何でもないです。サタン様スバラシー。

 

「人に何かしてもらった時とか、教えて貰った時はありがとうって言うの」

 

 頑なにお礼を言わない子供に対して根気強く言い聞かせている姿はまるで一児の母のようだった。

 

 …………。

 

「……ありがとう」

「どういたしまして」

 

 模範解答としてのどういたしましてを贈った。

 これから三人に起きるであろう難題は俺がどうにか出来るもんでもない。全部運とタイミングと種族差のせいだ。

 本来、この場には獅郎がいて、大人げなく煽り散らかしてサタンに競争心を植え付けてしまうんだ。互いに精神年齢子供だから手が付けられん。

 今回は何故か俺に白羽の矢が立ったが……、いずれ獅郎とサタンは出会う運命なんだろう。そしてユリを巡って関係が複雑になるんだ。

 

 目の前でバツが悪そうにかつ若干照れながらお礼を言ってる純粋サタンくんが万年思春期クソサタンになるなんて悲しすぎる。

 

「おい、ユリ。流石に時間が経ち過ぎてる」

 

 ……。

 

 あのさぁ! 獅郎くんさぁ!

 

 

 

 

 あの後 原 作 通 り に獅郎に過剰反応を起こしたサタンの青い炎に巻き込まれそうになったが、結果としては原作通り進んでんなぁって感じ。サタンは獅郎に異様なまでに対抗心を抱いて知識を求めて本を漁り読む。それによって自分の存在を神と断定したサタンは癇癪を起して脱走。

 あの日から一日後、施設内で大きな地響きが鳴った。恐らくサタンが十三號セクションから抜け出した音だ。

 

 俺はというものの、変わらず研究体生活。

 でも変わったことと言えば、定期的に来る獅郎と話すことが多くなったというものだ。サタンを怒らせた獅郎が俺に気が付いて、そこから話が合った。互いに生存しているクローン体同士、色々と共感できる話があった。兄弟には話せないこととか、色んなことを話した。

 その一環か、祓魔塾もといアサイラムに俺のことを推薦したいと言ってきたが、俺はそれにノーと答えた。信じられない物を見るような目をされた。

 

 獅郎からすれば同世代と比べれば頭の回る俺がこんな環境に甘んじていることが信じられないらしい。

 まぁそうだよな。俺が兄弟たちに抱く心情は、俺が平凡な人生を送った前世があるから持てるものだ。俺も前世の記憶が無かったらさっさと兄弟を見捨てて過ごしていたと思う。獅郎が言い出してくれたアサイラムへの推薦にも身を乗り出しながら乗ったかもしれない。

 

 でも、それはあったかもしれない俺なだけ。今の俺は兄弟たちを見捨てられないので、皆でなんとか脱出する方法が欲しいのだ。

 

 そこまで言うと、獅郎は「頭おかしいんじゃねぇのか?」と言ってきた。俺は膝蹴りをお見舞いしてやった。へん、お前も大切な人の死と引き換えにいずれ分かるようになるんだよ。

 本当は死なないで欲しいけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここを城とする!」

 

 俺たち――十三號セクションに所属する人間たちはルシフェルのいる特務治療室に集められた。

 ああ、もうアサイラム攻城戦だ。

 

 目標捕捉! ルシフェルとエミネスクの野郎だ! 死ね!

 

 でも殺意は然るべき時までに収めておく。じろじろと見てナンバーや特徴を覚えられても困る。お前にとって俺はただの研究体でいなくちゃならないんだ。……赤ん坊背負ってるクローン体俺しかいないけど!

 

 敵情視察、ということでルシフェルを見る。うわ、皮膚が溶けて骨が見えて腐臭も漂ってる……。きも……。若干白い皮膚が残ってるのがまた絶妙な気持ち悪さを誘う。

 あれがルシフェルかぁ……。実質目の前にすると更に恐ろしい。あれだ、ゾンビってあんな感じなんかなぁって納得しつつも怖い感じ。

 

 というか、隣にいるのはネイガウス夫婦ではないか。ネイガウス先生若っ! 奥さん美人!

 そしてあそこには死んでしまう三角さんがおるやんけ……。

 

 揃い始めた原作の登場人物勢の顔。アサイラム攻城戦。……ジェニの告発にルシフェル徘徊。

 

 おーよしよし。泣くな泣くな、新たなる兄弟アルフォンスよ。きっと生き残れるさ、……多分。

 その日はサタンが宣言して終わった。ちらっと目が合ったけど特に何も言われなかった。おぉ怖い怖い(ガチ)

 

 外はサタンが連れ立って来た悪魔を退治していて大変そうだが、俺達はいつも通りエリクサー研究漬けだ。逆にサタンがエリクサーの需要を認識した為、もっとハードになってる。

 なんなら最近はサタン製のエリクサーになってから死亡者が多くなってる。俺も何度か死にかけて三途の川マラソンを常習している。その度に兄弟たちから「ちぇー」って聞こえてくるのがほんとこあい。怖いじゃなくてこあい……。というか「おいで」以外話せるんかワレェ。今度は冷静に話し合いでなんとか逃がして貰おう。

 

 そんな環境になっても、いつも通りに鬼ごっこや職員のヅラ剥がしで集団の笑いものにしたり職員からそっとカードキーを盗んだりしていた時のこと。

 

 

 なんということでしょう、十三號セクションにユリの姿が!

 

 

 途端にざわざわしだすセクション職員。それもそうだ。セクション職員の一人が「サタンの部屋に向かうユリ・エギンの姿を見た」と言っていたから。死んでる物だと思われたのか何なのか。

 そんなユリに声を掛けたのは、アーサーを座らせていたジェニだった。しかも丁度隣。

 二人は備え付けのソファに座り、話し始めた。

 

 俺はというと、配られた折紙に「誰が聞いているのか分からないから声の音量を落とした方がいい」的な忠告を素早く書いてささっと折った。内容を機密に出来て、かつ遊び心のある形――引っ張って開けられる奴な。

 

「職員さん、開けてみてください」

「え、えぇ……」

 

 急に何話に入って来とんねんみたいな顔止めてください! これでも傷付きやすいタイプなんですよ!

 余計な話をされる前に俺はクールに(机の元へ)去るぜ……。

 大人しく開けてメッセージを見てくれたようで何より。

 ……しっかし、「何もしないで、後で後悔したくない」かぁ。台詞がかっこいいよな。

 さてメッセージが功を成してくれたか否か。怖いなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆、ちょっとついてきて」

「なんでー?」

「いいから」

 

 とうとう来たか……。

 皆が寝静まった就寝時間にジェニはやってきた。とっくに他の検体たちも起こして、最後に俺達ルシフェル群の部屋にやってきたらしい。

 職員の服を着ているジェニがそう命令したからか、それとも夜中に歩くというまったく経験したことのない状況の為か、兄弟たちはジェニの言うことを素直に聞いた。

 そしてだらだらとジェニを先頭に脱出しよう……としているのだが。

 

 ……銃弾の一発目だけは分かる。確実に殺せるように眉間を狙う。だから、一発目は伏せさえすればいい。

 でもそうなると、後ろの兄弟たちに当たる。

 結局どうすればいいのか分からないまま、この日を迎えることになった。

 でも……なんだろう、俺の聴覚が間違いじゃなければ若干セクション内で慌ただしい音が聞こえている気がする。

 

 ――あ、いや、銃口を構える音だ。

 

 咄嗟にジェニの足元を蹴って姿勢を崩させた。

 予想道理に眉間を狙った銃弾が隣を過ぎていったのを視認して、それを目掛けてぐっと手で握る。鈍い痛みが走った。

 ……やっぱり、死ぬって分かってるのに回避させることができるのに、見殺しには出来なかった。

 というか、しれっと俺の体が弾丸追えてることに握ってから気が付いた。なんでやねん……。

 

「ちょっと何……」

「外しましたか」

 

 奥の方から足音が聞こえてくる。嫌なエミネスクの野郎の声。そして護衛のエクソシストが数名。

 俺はなす術も無く捕まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、無様な姿ですねぇ」

 

 ――元はといえば、お前の発言が原因だろうが。クローン開発をルシフェルに提唱したのはサマエルことメフィストフェレスだった。

 ……八つ当たりだ。どっちにしろ、メフィストフェレスのおかげでまだ世界が壊されてないみたいなところがある。あの当時のルシフェルは一言でも気分を害せば爆発するほど追い詰められていたらしかったから。

 

「まったく、君という検体は理解し難い思考を持っている。他の検体は見捨てて自分だけ逃げれば良かったというのに、あの獅郎くんのようにねぇ?」

 

 そう言い残してメフィストが去っていった。最後まで嫌味ったらしいヤツだ。

 

 

 もう目の前はエリクサーを通して白衣の研究者が何か書き込んでる所しか見えない。

 

 

 ああもう何も考えたくないな……。もういいんじゃないか、どうせ俺の代わりはいるんだし。

 

 

 あいつらだって、そういうもんだって理解してるだろうし。

 

 

 どうせ、あの子供部屋には他の()()がいるんだろ。

 

 

 結局ジェニがどうなったかも分からない。

 

 

 でも、秘密裏に処理とかは絶対にやる。エミネスクならやる。

 

 

 じゃあ、無駄だったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――俺って、弱いな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 寝ているようで、起きているような時間を過ごした。もう青い稲妻作戦や青い夜でも始まってるのだろうか。

 研究者たちの悲鳴が怒鳴り声が聞こえてくるが、俺はまったく瞼が上がろうとしなかった。

 

 折れた。ぽっきりと。

 脱出できないと思ってしまった。どうしたって俺が考えられる範囲で脱出は無理だった。

 

 ……人を殺せば、脱出は出来るんだろ。衛兵も、研究者も殺せば皆で脱出できる。

 でも、銃を持った祓魔師(エクソシスト)を見た時、体が震えた。無理だって思った。人を殺すことは出来なかった。

 一瞬でもこの人たちにも生活があるって思ってしまった。

 

 ――俺には、貫き通せるほどの我が無かった。獅郎のような貪欲さも手段を選ばない非道さも、全部ない。

 

 前世とか言ってるけど、それが男だったか女だったか、名前はどうだったか、家族構成はどうだったか。普通はこうとか、無駄な知識くらいしか覚えてない。青エクの他に読んでた漫画とかは思い出せるのに。

 

 

 ――このままでいいんだ。

 

 

 そうやって眠っていれば、爆発音が聞こえた。先程より大きく、大勢の悲鳴が聞こえた。

 

 それから何かが燃える音。

 

 

 

 瞼が開いた。なんでだろう。どうしてだろう。

 

 俺はこのまま、ここで眠ってればいいんだろ。どうせ原作を変えることなんて出来っこないんだ。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 なのに、体が動いてる。どうにかしようとガラスを割ろうとしてる。

 逃げたいって。皆と外に出なきゃいけないって。

 

 

 

 ――青い夜を超えたら兄弟たちと何しようって考えてた?

 

 

 

 兄弟たちを引き連れて外の世界で、思いっきり鬼ごっこしてやりたいって。

 

 俺の前世じゃ当たり前に出来ていたことをやらしてやりたいって。

 

 夢はビッグに、兄弟全員学校通いしてみたいって。

 

 出来るならアーサーとも関係をやり直したい。

 アーサーが廃人になってからは俺の方から距離を取ってしまっていた。

 

 

 ――多分あのままでも、昔のアーサーであっても、きっと「エンジェルスラッシュ!」を素面で言う大人になる……筈なんだ!

 

 

 一回ガラスを叩けばやりたいことが溢れ出てきた。枯れていた筈の活力が沸いてきた。

 

 何であんなにウジウジとしていたのか。数秒前の俺死ね。チネじゃなくて死ね。

 

 悪魔にすぐ取り憑かれそうなウジウジな俺よ、死ね! 心機一転して動け!

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 さっきからドンドンガラスを叩いても水のせいでうまく体に力が入らない。いくらでも腕が傷付いたって良いのに、水で勢いが殺される。

 

 こん、って軽い音だけが響く。

 

 

 出たい、出してくれ。やっぱり俺は皆と出たいんだ。

 

 仲の良かった奴が俺を覚えてなくてもいい。ただ元気でいてくれればいい。

 

 辛い記憶があるなら忘れたっていい。俺と関わった記憶が嫌だったならそれでいい。

 

 せめてソイツを、皆をこの牢獄から出して外の世界を見せる。

 

 絵本の中でしか知らない物をたくさん知ってくれ。太陽の光、青空の下、無菌室じゃない景色の空気を知ってくれ。

 

 春の浮かれるような桜と祭り、夏のうるさい蝉の声にうだるような暑さ、秋の冷えた空気と紅葉と恵み、冬の雪と年越しイベント。

 

 俺ら以外の人と触れ合って、友達でも作ってくれれば御の字だ。

 

 

 鬼の形相でガラスを叩き続けていると、逃げている研究者の一人と目が合った。俺の様子を見てハッと目を見開いていた。

 よくよく見ると、三角さんだった。

 三角さんは慌ててコンソールの方に行って……、管内の液体が減り始めた。

 なんということだ。三角さんが液体を抜いてくれたぞ。今なら抜けられる気がする!

 体に思いっきり力を入れて……。

 

 

 

 セイッハァァ!!

 

 

 

 最後のガラスをぶち破るが如く! 俺は脱出をした!

 ああ、外の空気が美味しい……。と言っている場合ではない。一気にフルチン特有の寒さが俺に襲い掛かった。

 

「すいません、服のある場所はどこですか」

「あ、ああ。それならこっちだ」

 

 すぐにも逃げたいだろうに、俺に衣服がある場所を案内してくれた。ふくよかだけど暖かい掌。ずっとエリクサー漬けだったから、余計に暖かさを感じる。

 部屋の前まで来た。カードキーで開錠もしてもらった。なんて善人なんだ。

 

「案内はここまでで大丈夫です。どうか、貴方は逃げてください」

「き、君は……何が起きたのか、知っているのか……?」

 

 焦っているような、困った様な顔をしている。

 

「いいえ、まったく。……ですが、今まで貴方達が、俺達が抱えてきた爆弾が爆発しているのは身に感じています」

「……だ、だったら、君も逃げた方が……!」

 

 繋がれた手をぐっと引かれる。しかし、その手を振り払った。

 きっと、今の三角さんは勇気を振り絞って言ってくれた言葉なんだとは声の必死さから予想が付く。

 今まで見て見ぬフリをしてきた研究体を、一人でも救おうと。

 

「心遣い、ありがとうございます。でも、それは俺じゃなくて、これから抜け出してくれる兄弟たちに差し伸べてやってください」

 

 しっかりと目を見据えて言い切る。俺は弟たちが脱出できるのならここで死んだっていい。誰も悲しまない。

 だが、脱出させるまでは生きて背を押してやらなきゃならない。

 

 三角さんを振り払うようにして部屋に入った。大量に漂白されて洗濯された貫頭衣がサイズごとに分けられ、折りたたまれて並べられてある。その中で一番大きなものを手に取ってささっと着る。

 

 部屋を出れば、そこには三角さんの姿は無かった。良し、このまま子供部屋に直行だ。

 一部では火災が起きているので即時脱出が必要だ。酸素がいつ足りなくなるかもしれん。特に肺の小さいチビ達は優先的に逃がそう。

 

「誰かいるかー!」

 

 かろうじてドアの役割をしている扉を開き、煙で視界が霞んで見える室内にそう呼び掛けた。

 ……何も反応がない。思い切って部屋の中に入る。

 焼け焦げた臭いがするのは職員のものかと思っていたが、そうではないらしい……。

 部屋の中は黒く焦げていた。壁は黒ずみ、妙な顔のついた太陽も掠れている。足元にこん、と軽い物が当たった。

 

 ぶつかった足の先が黒くなっていた。それと同時に、足元にあった物体を見た。

 

 大人サイズの人間の炭が転がっていた。生々しく、焼けていない一部の体も見えた。

 

 ……痛ましい。埋めてやりたいけど……ごめん。今は同じ兄弟たちを優先してるんだ。

 心の中で手を合わせながら、部屋中を見る。同じく大きな炭、小さな形の炭……。それぞれ転がっていた。

 

 とりあえず、この部屋に人はいないことが分かった。

 さっさと出て、散らばっているだろう兄弟たちを探すことにした。

 

 施設内が光らない内に。

 タイムリミットは分からないのに、とても短いことだけが分かる。

 

 全っ然、体を動かしてなかったから恐らく体力は落ちてる筈だが、エリクサー効果のお陰かそれなりに速く走ってもスタミナが切れなさそうだ。

 瓦礫を強く踏まない様に気を付けつつ、探していない箇所を割り出す。

 ……やっぱり、異様な気配を感じる特務治療室の方にいるのだろうか。一回、呼吸を落ち着かせる。

 

 あそこには特大級の爆弾ルシフェルがいる。

 

 

 

 

 魔女の疑いをかけられた親友ユリ・エギンの身を心配して、リックは一般の祓魔師(エクソシスト)には閉じられていた十三號セクションの内部に入った。

 

 ずるずると足を引き摺り出口を目指す研究者たちを見かけた。声を掛けても反応はしなかった。

 情報を聞きたいのに相手は口を閉ざしたまま、絶望した表情で歩いていく。

 

 このままじゃ埒が開かないと思い、リックは異様な雰囲気を漂わせる深部へ足を進めた。先程からペタペタと裸足で走るような音が聞こえ、少しだけ身を震わせた。

 

 ――そこに現れたのは子供だった。大人たちが皆危機感を持って逃げているというのに、この子供の集団だけは伸びやかな空気を持っていた。

 

 それに、一番目を引くのはどの子供も首にナンバーが降ってあること、兄弟かと思える程顔が似ている子供が大勢いること。そして、体格の大きな子供はその年に合わない舌ったらずな声で「鳥は」と繰り返していた。

 どの子供も自分の言いたいことばかり喋っているせいか、まとまらない。リックは一般的な見識から子供を火災の起きている場所に留まらせるのは不味いと思い、彼らに避難を促すも嫌だと主張する。

 

 子供の雰囲気もあって、異様だった。

 

 どうにかして体を施設の入り口へと押し出そうとしたリックの背に強烈な光が走った。目を焼かれる程の眩しい光に一人の子供が向かおうとしていた。

 

「コラ! 何してる! そっちは危ない!!」

「きれい」

 

 リックの制止に反して暢気な声の返答だった。

 

「光って特別みたい。僕もああなりたい」

「何を……。しっかりしろ!」

 

 強く光へ向かう実験体の肩を掴むが、動きは止まらなかった。

 

「僕が死んだら補充する。()()()も死んだから補充された。だから……」

 

 "あいつ"が誰を指しているのかはリックには分からない。だが、それでも言えることがあった。

 

「お前は特別だ! お前こそ光なんだ!!」

 

「誰でも特別だ。だからそんな……」

 

 リックは天涯孤独の身だった。だからアサイラムに収容された。苛酷でありながらもそこでしか生きられなかったが、リックは苛酷な教育を乗り越え最終的に幸せを見つけた。一生を寄り添う相手を見つけ、子供も二人出来た。

 人の生死に近い祓魔師(エクソシスト)という職に就いて、リックは命の大切さを知っている。祓魔師(エクソシスト)候補生(エクスワイア)として演習に行き、不慮の事故で亡くなる子供は多かった。はたまた無事に祓魔師(エクソシスト)となっても攻撃の余波で死亡したり、悪魔に抵抗できず憑依されて死んでいった者もいる。

 補充されるという意味を知りはしないが、だからといって命を捨てていい訳では無い。生きていれば、きっと良い出来事が起こるものだから。

 

 思わず熱の入る説教をするリックに、ガラゴロガラゴロと猛スピードで何かが突進してくる音が聞こえてきた。思わずリックもアーサーも、その周辺にいた子供たちが全てその音源を振り向いた。

 

 ――そこにいたのは顔に合わないサイズのサングラスを掛け、台車を二台狭い廊下ギリギリに走らせる奇行種の姿だった。片方の台車には大量の瓦礫が乗せられ、片方の台車には何も乗せられていなかった。

 このままじゃぶつかる! とリックは子供たちの前に出た。しかし、台車がリック達に当たることは無く、数センチの距離で急停止した。

 

「ヨシ! 合格! そこのお前! この台車で運べるのはチビ三体分だぜ!」

「は?」

「いいから台車にチビ共乗せて入り口に連れてけっつってんだよ。耳垢詰まってんのか?」

「詰まってないぞ!? 毎日嫁に掃除してもらってんだからな!?」

「ならさっさと入り口にこいつら――兄弟たちを連れてってくんな」

「兄弟……?」

 

 そう言って突撃してきた奇行種はサングラスを外した。なるほど……確かに周囲にいる金髪の子供を成長させたらこうなるかという感じに顔がそっくりだった。

 その顔を見て、僅かにアーサーの顔が驚いたような表情を浮かべた。

 

「なら君も逃げるんだ」

「いいや、俺は逃げない。もう、地獄のボンバーマン対決ゲームには二度とな……」

「いやここは逃げる選択をしろよ!」

 

 リックのツッコミは台車に小さな子供――大きい子供も乗せている人物には届かなかった。

 

「よーし、今からこのおじさんがお前たちを運ぶ。そして俺が二十秒経ったら追いかける。ネオ追いかけっこの開始だ」

「は? ネオ追いかけっこ?」

「はやく押してよおじさん」「そーだそーだ」

 

 しかし子供たちはもうネオ追いかけっこという響きに夢中だった。

 いつもと違った状況に、いつもと一味違った追いかけっこが始まるのだ。これでワクテカしない、危機意識の乏しい子供はいない。

 一人だけは光る方と奇行種を交互に見つめていたが、大人しく台車でぎゅうぎゅう詰めにされることにした。

 リックは意地でもサングラスを掛けた人物を連れ戻そうとしたが、自分よりも細い腕のどこに力が入っているのか強制的に入口の方へと体を向けさせられた。

 相手には逃げる意思がない。それを強く感じたリックは台車の持ち手を握った。

 

「ネオ追いかけっこ、開始ィィィ!!!」

 

 その掛け声と

 青い夜、どこでも鬱屈とした空気が漂う十三號セクションに高らかな声が響き渡った。

 

 それと同時に、施設内を満たす目を焼く程の光を放つ元凶が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 構えるべきは台車、望むべきは一瞬。

 

 そう正に、今角を曲がろうとふらふらと歩いている茶褐色のゾンビが司る、光の如き速さ。

 

 

 

 視認される前に殺る。

 

 

 

 研究者の身ぐるみを引っぺがしてサングラスを手に入れた。死体を運ぶための台車があることは知っていたからそこから二台拝借してきた。そして一つの台車には脱出ルートに邪魔な瓦礫を乗せに乗せた。

 この場においてルシフェルはほぼ無敵だ。痛覚が無くなったのだから、いくら殴ったって、こちらが力を込めて吹っ飛ばそうがアイツには伝わらない。

 

 ――それは嫌だ。アイツには渾身の一撃で苦しんで死んでもらわなければならない。

 

 ユリの掲げた悪魔と人との共存? 馬鹿め、そんな夢物語はルシフェルには当てはまらない。

 多くのクローンを作り踏みにじってきた奴と共に笑うなんて御免だ。

 

 奴は殺す。エミネスクも殺す。

 

 だかしかし、今は時が足りない。準備が足りない。

 此方が準備を整える時間は、相手にとっても好都合で、エリクサー研究を進めるものともなるが、それはそれで良い。

 相手が絶好調の時に叩き潰してやるなんて最高すぎて口からウニが出そうだ。

 

 

 

 青い夜、それは全ての世界の常識を破壊する時。

 

 

 

 ならばこんなこともあって良いだろう。

 

 光の王、ルシフェルの腐り切った肉体を引き潰すクローン体がいても。

 

 

 

 アルは足を強く踏みしめた。台車の持ち手がへこむ程に強く握りしめた。

 

 一歩一歩、体験したことのない速さで自らが空気を切り裂いていくのが分かる。

 

 体は軽く、足は力強く地を踏みしめて、腕は瓦礫の積もった台車を突き出して。

 

 

 

 ――そうして、ルシフェルの体は正体不明の物体によって壁際へと押し付けられた。

 辺りに一時の轟音と、腐った血液の臭いが蔓延した。

 

 

 

 ルシフェルは視認することが出来なかった。辛うじて見えたのは何らかの物体が()()ということだけ。

 ぶつかったと思えば、自分は壁を汚す穢れた茶色い花を咲かせていた。

 

 唐突なことに思わず発光を止め、ぶつかってきた不敬な者を見つめた。背後からは軽い音が聞こえた。

 隣の傍付きは何が起こっているのか分からず、ただ口を開けていた。

 

 

 

「よぉ。初めまして」

 

 ゆっくりとソイツは顔を上げた。

 

「俺は検体番号La-04、識別名称はアル」

 

 それは自らが健康であるならば、一回り幼ければ、その顔であった。

 

「今の気分はどうだ?」

 

 

 

「最悪だ」

 

 

 

 ルシフェルが一睨みして、あろうことか自らに反逆をしたクローン体の片腕を消し飛ばした。

 

 

 

「それはよかった」

 

 

 

 腕を消し飛ばせば痛みがある筈だ。それなのにクローン体は笑っていた。

 ――気味が悪いと一瞬でも思った。この感情は一体、何だ。

 

「貴様、私のクローンであるならば痛みが分かるだろう。――痛い、辛い、体を損なうことは苦痛だ」

 

 それなのに貴様は何故。

 

「ああ痛いな。苦しいな。もう俺は片腕での生活をするしかねぇのかもな。病でずっと床に伏せるのも、こうやって苦痛があるのも、どっちにしろ辛いよな」

 

 

 

「だがそれがどうした? お前に一撃くれてやっただけの釣りが片腕なら構わない。

 ()()()()()()()。これでもう一回お前は殴れる、潰せる、轢ける、絞める、何時でもどのようにでもお前を殺すことにだって使える。

 足もあるな。これでお前を蹴って轢いて殴って潰して燃やして潰して絞めて斬ってやることが出来る。()()()()()()()()()?」

 

 

「お前を叩き潰せるのなら何度でも死んだって構わねぇ

 

 

 

 理解の及ばない生命体がそこで嗤っていた。

 

 

 

 自分の体から作られたクローンだ。

 

 自らの細胞を複製して作られた器だ。

 

 それなのに。

 

 どうして自分はこんなにも震えている――――?

 

 正体不明の感情を追い去る様に、ルシフェルは更に光り輝く。その胸の前には黒い球体が浮かび上がっていた。

 

 

時よ(エル)止まれ(ストフヴェン)

 

 

 

 体を失うことの恐怖にも近い何かを覚えたルシフェルに、時を弄ぶ悪魔の声と命を巡らせる悪魔の足音が響いた。

 

 

 

 

 大勝利ィィィィ!!!!

 

 

 ルシフェル、獲ったどォォォォォォォ!!!!!

 

 祭じゃああああああああ!!!!!

 

 エレミヤ? エミネスク? んなもん後で良いんだよぉ! どうせ裏で色々と動くんじゃろ? 証拠はいくらでも上がるな! ヨシ!!

 

「驚きましたねぇ。数日前までは死んだような目をしていたというのに今ではこの通り」

「ッシャオラァ! ザマ見やがれクソ悪魔ァ! あ、いっけね。残りの兄弟たち探さねーと」

「それならご心配いらないかと。貴方が避難させた者たちが唯一の生き残りですよ」

「ヤター! ありがとうメッフィー! ありがとう知らないおばあさん!」

「メッフィー……ですって……」

「お、おばあさん……」

 

 あ、失言してしまった。

 でもすまんかったと思っている。だってルシフェル粉になったんだよ? マジ笑えるわ。

 テンション爆上がり~! これで後は俺のことぽっかーんって見てるエレミヤが余計なことをしなければいいんだけど、それは無理でしょう(諦め)

 大人しくルシフェル復活させてくんなまし! くんなましったらくんなまし!

 今は無理だがいずれはエミネスクの野郎共々ぶっ殺してやらぁ!

 

「私は……貴方にお礼を言われる様なことはしていませんよ。全て、何もかもが遅すぎました。不都合の帳尻を合わせる為に泥沼にはまってしまった。――これは我々三賢者(グリゴリ)の失態とも言えるでしょう」

「へー……」

「ですが、創造皇シェミハザの結晶は有限です。使うタイミングを見極める為には仕方のないことでは?」

 

 やっぱりシェミハザ……しえみの婆さんはすごく落ち込んでいるようだった。まぁ、原作と違って? 実験体が目の前にいれば良心の呵責という物が強くはなるだろう。

 十三號セクションを体験した俺としても、決して十三號セクションの隠匿に関わった人物を許すことは無いだろう。

 

「……はい。これで応急処置は終わりました」

「おおー。ありがとうおばあさん」

 

 ルシフェルによって爆破された腕を手当してもらっていると、俺が突っ込んだ方角から人がわいわいとやってきた。何やら豪勢な箱……というか棺を持ってきている。それから掃除機。

 

「賢聖! よくぞご無事で……」

「聖櫃は持ってきましたか?」

「は」

「早くこちらへ」

 

 それから、シェミハザが粉にしたルシフェルを入れる作業が始まった。

 その始まりと共にメフィストが去っていった。恐らく事務室だ。獅郎がした約束の内容を告げられる重要なシーンでもあるが……。

 

 俺もここにはもう用事がないので入り口に行くことにした。

 決して話しかけてくるシェミハザのお付きの者たちが面倒になったとか、なんか見てくるエレミヤに寒気がしたとか、ソンナンジャナイヨ。

 定番の「お手洗いに行ってきます」で俺はクールに去るぜ……。このまま入口の方に戻ってチビたちの様子を見るのもありっちゃありだけど……。

 

「なぁ~んかさぁ……。もう一人の俺いなかった?」

 

 台車に乗せた兄弟たち。その一人は首元に割り振られた4の番号があり、ネームプレートにはALの表記があったのだ。

 

(これは……えぇ~~~~~~~~??????)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鶴折りたーい。でも片腕じゃ複雑なのは無理だな。

 実際片腕だけでサインするのは難しかった。なんかあるべき筈の左側の重みが消えて体幹も取りづらいっていうかぁ~……。

 あの後普通に入口の方に戻ったら、兄弟たち含めて実験体らは別室に集められてモリナスの契約を書かされた。幼いもう一人のアルくんも頑張って書いてました。へぇ~、偉いですねぇ。よしよし……じゃねーんだよ!?

 しかも書き終わったら俺だけ別室。はー、つっかえ……。

 特にすることも無いのでベリアルさんが淹れてくれた紅茶でも飲むぜ。

 すーはー……。香りの違いとか分かんね~。ていうか、あのお菓子が並んでおいてある段上の奴って食べていいのか……?

 チラチラとベリアルさんの方を見ればグッと親指を立てられた。

 

 い、いただきます!

 

 あ、アァ……。小麦の味がする……。味の濃い卵、ハム、レタスの瑞々しいシャキシャキ感……。

 

 た、たまんねぇ……! うめぇ……! 手が止まらねぇ!

 

「な、泣く程とは……」

「美゛味゛じい゛! 角生えた奴来てからはずっとサプリメントだったんだよ! 糞が!」

「あぁなるほど。でしたらベリアルが大量に作ってくるそうなので大量に食べなさいな。あ、ケーキは私の物ですからね!」

「うるせぇ! ケーキも俺の物だ!」

「強欲っ!」

 

 なんかフルーツがたっぷり乗ってるケーキを取り皿に乗せておいてと。

 

「で、俺だけ別室の理由は? 大方実験体(兄弟)の扱いに関してだろうけど」

「話が早いですね。こちらとしてもありがたいですが……」

 

 いつの間にか目の前にメフィストが座っていた。その手には――俺が先程取り寄せておいたケーキが!? この悪魔め。

 

「あんとうひょくひゅうに言いまひょう。るふぃふぇるに復讐ひたいですか」

「なんて?」

 

 ケーキを一口で食いやがったがすぐに喉に詰まった様子。だが紅茶で無理矢理流し込んだ。勿体ない……。

 

「んんっ……。ルシフェルに復讐する気はありますか?」

「それは……。うーん……。あのさ、相手を殺したいって気持ちは復讐に入るか?」

「は?」

「いやなんかさぁ……。復讐? 相手に恨みを持ってるか、って言われると微妙な気持ちになる」

「はい??」

「こう。眠いとか、お腹空くとか……。自然な感じでルシフェルって単語を聞いたり見たりしたら潰さないとっていう感覚になるというか……」

 

 最早脊髄反射の域とでも言うべきか。そう仰々しく復讐とか言われても……ねぇ?

 ほら、復讐ばっかりにかまけてるといざ達成し終えた時に「こんな時、どんな顔をすればいいのか分からない」状態になるんじゃろ? 知ってる知ってる。

 

「ふ、ふふはははははは! 潰さないとですか! あのルシフェルを!」

「もう作業みたいなもんよ」

「作業wwwww」

「何わろとんねん。あ、ベリアルさんありがとうございます」

 

 大量のサンドウィッチのお代わりがやってきた。具材もバリエーション豊かだ。流石メフィストに仕える悪魔で執事だ。

 

「で、ルシフェルを叩き潰すことと扱いに何の関係が? 早くサンドウィッチに集中させてくれよ」

「ひー……。現在、会議ではアナタを筆頭に実験体たちをどう扱おうか迷っていましてね。これから新設する修道院にまとめて収容するか、はたまた全員口封じに殺すか」

「へぇ。軽いな俺達の命」

「ええそれはもう風船のごとく」

 

 ――生き延びたらはたらで、こういう結果か。

 そうだよな。モリナスの契約を結んでいるとはいえ、関係者からは罪の象徴が歩いてるもんだ。消し飛ばしたくもなるか。納得はしないが。

 

「現状は口封じに殺すが優勢ですが……。もしアナタが私の個人的なお使いをしてくれる祓魔師(エクソシスト)になってくれるのなら巻き返して差し上げましょう」

祓魔師(エクソシスト)ってあの黒い服着てる奴等のこと?」

「はい☆」

「で……、それって脅し?」

「そうともいいますね☆」

 

「別にいいけど。――――修道院に収容後も弟たちの安全を守ること、そして俺の願いも聞くことが保障されるのなら、だけど」

 

 メフィストの悪魔特有の目をじっと見つめる。にやけた面が更ににやけている。

 どう動くのか見極められている……。

 

「ほぉ? その願いとは?」

「俺ばっかりがお前の願いを聞くのは契約としても不平等。流石に都合の良い駒になるのに対価が弟たちの()()()()()の救命措置じゃあ、そう易々と受けられんよ。

 願いの内容としては俺の手配して欲しい物品を用意することとか、休みたいと思ったら休めるとか……。後は随時更新!」

 

 こういうのってさ、あれだろ?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だって君は言わなかったでしょう?

 とか某インキュベーターみたいな揚げ足取りしてくるのが普通だろ。しかも悪魔、ここは青エクの世界やぞ? ダークな世界観が売りの現代ファンタジーぞ?

 

「くっはははは!!! いいですね!! 引き受けましょう!!!」

「よっしゃ! これからよろしく……という所で早速お願いがあるんだけどメッフィー」

「またメッフィー……。可愛いので良しとしますが…………何でしょう」

「早速だけど戸籍を用意して欲しいんだ。()()()()()

「ほぉ……?」

 

 サンドウィッチとか食べてたら段々頭がはっきりしてきた。

 俺としてはうっすらと襲撃時に考えていたプランを詰め詰めしたいのだが、それには二人分戸籍がいる。

 別に修道院に入るのが実験体ばかりじゃなくったっていいだろう。なんなら青い夜が発生して親無しの子供ってのは増えてる筈だ。痛ましい限りだがな。

 

 そこからサンドウィッチ片手に食いながら戸籍の情報を事細かく指定した。

 「マジで?」って顔をメッフィーとベリアルさんにもされたが、マジです。

 

「だって、折角変わり身がいるんなら使わない手はないだろ?」

 

 

 

 

「ここが、あの北十字修道院ね……」

 

 正十字学園町、その北側に位置する町に新しく修道院が新設された。元々スラム街が多かったが、突如として訪れた悪魔の到来や青い夜などの惨劇によって生きてる人間も少数で、土地は荒れに荒れていた。

 そこで正十字学園の学園長が筆頭となって町の整備が行われ、今ではスラム街の見る影も無くなった。

 人の活気に溢れた一つの町として、惨劇の痕は覆い隠された。そう考えることが出来るのは極少数だろう。

 

 ()()で大きなスーツケースを転がしながら、その人物はスカートの裾をひらめかして歩く。

 ストロベリーブロンドの長い髪が日光を反射して輝いた。黄緑色の瞳は意思の強さをはっきりと感じさせる。

 カツカツとヒールの音を鳴らして歩く――中学生ほどの女子

 

「前山エミリー! 出陣でしてよ!」

 

 そう、これは元十三號セクションの被験体による逃亡劇の結果。

 彼――アルの存在は新しい"アル"に任せ、自らは別の人物になることを決めた。

 

 その名も前山エミリー。青い夜にて両親が焼き殺されてここ、北十字修道院に預けられる予定になったハーフのお嬢様系少女。そういう設定だ。

 

 

 

「これからの生活が楽しみですわ~! オーホッホッホッ!」

 

 

 




S … シークレット
s … サバイバー
C … クロニクル

(ネーミングセンスが)あ ほ く さ

[裏話その1] 名前の理由
「バッカオメー!関連した名前だとバレちまうじゃねーか!」
「はぁあ? 私のネーミングセンスを舐めておいでで?」
「ここはこう、なんかゴッテゴテの名前でいいんだよ。偽名か? って疑われるぐらいのな」
「アナタどうしてそんな知識があるんですか?」
「……(やっべ)。獅郎に教えてもらった!」
「ああなるほど」
(納得するのか……)

[裏話その2] お嬢様キャラの理由
「それにしても女性になるなんて正気ですか?」
「男の人物が女になっている……。これなら余計な探りとかに掠りもしないだろうって獅郎が言ってました」
「はぁ。そうするならそうするでいいんですが……」
「問題はキャラ付けよな」
「清楚系は却下で。丁寧口調も止めてください」
「ならばお嬢様系はどうでしょう」
「「ベリアル/さん!?」」


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夏の日の肝試し

なんとか休載明ける前には投稿できました
五月に発売されるSQでようやく青エクが休載から復活します!
みんなも、買って、読もう!


 

 

 中学生。

 

 まだまだ人生の半分すら生きていない人間の卵たちは、初めて外国人系美少女の破壊力を実感していた。

 正十字騎士團が経営している町では珍しくもないことだが、他の町よりも外国人が多い。

 しかしながら、己たちの同年代の――しかも美少女という属性を持った少女を相手するのは、彼らの関心と興味を買い、そして畏怖をもたらした。

 

「初めまして。中学三年生からという微妙な時期ではありますが、少ない時間でも皆さんと共に学業へと励み、思い出を作りたいと思っていますわ! どうぞこれからよろしくお願いしますわ!」

 

 天然の発色であるストロベリーブロンドの髪と、若干発色が強い黄緑の目。

 活発としながら、清らかな声がほんのりと桜色の唇から発せられている。

 佇まいや発言から、少しいい所のお嬢様感がある転入生。

 黒板に書かれた白字は「前山エミリー」。苗字は至ってどこにでもあるようなものだが、後ろにエミリーと外国人名が付くだけで何か不思議な響きを感じさせる。

 

「見ての通り、前山さんは外国の方です。こっちに来て日が浅いようだから、皆さん仲良くしてくださいね」

 

 生徒から評判のいい女性教師、夏川がそう言い、教室は興奮としながらも静かに前山エミリーに視線が集まっていた。

 

 これが四月のことだった。

 

 最初、クラスメイトたちはおずおずとしながらも彼女に話しかけ……、それから彼女はクラスメイトとして馴染んでいった。他のクラスから噂の転入生を見にこようとするぐらい、彼女は人当たりも評判も良かった。

 淑やかに微笑む姿に何人の男子が心臓を撃ち抜かれたことか。

 立ち振る舞いはお嬢様さながらの気品を感じさせ、同性からの評判もいい。

 休み時間は常に人に囲まれ、笑顔と会話の絶えないクラスがそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――こんな超絶可憐な美少女誰かって?

 

 俺だよ俺。元実験体のアルです。

 俺がメッフィーに戸籍をお願いし、『前山エミリー』となってからの生活は実に順調だった。

 

 いやぁ、入る前までに女らしい仕草の勉強とか、仮にもお嬢様系キャラならマナーを身に着けろとか、ついでに教養もつけろとか。若干容姿プレゼンツにメッフィーの趣味が入ってる気がしないでもないが、まぁ女性らしく見えるならいい。

 色々とすし詰めの日々で大変だったけれど、無事クラスの美少女外国人枠として馴染めたようで嬉しい。なんかけん玉とか、懐かしき折り鶴とか、色々教えてくれる人がいて退屈しないぜ。

 

 まぁ、社会教育以外にもメッフィーの元で他にも色々とやって、中学はここ北十字区にある公立学校の三年生に編入、高校からは正十字学園に通ってアサイラムからリニューアルして後ろ暗いことが何も無くなった(普通にあるだろ)祓魔塾に通う――という将来設計になった。

 メッフィーとの契約でもあるしね。しゃーなし、しゃーなし。

 それから、左腕の肘下からの義手を早々に手配してもらえたのは良かった。義手が故障したら制作者である三角さんにアポ取らなきゃなんないのが面倒だけど。たまに痛むのも辛いがそこは気合で乗り切るとも。

 

 あの青い夜の事件後、被験体は俺を含めて十三人だけが生き残った。

 原作で生き残りがアーサーだけだったのを考えれば良い結果なんだとは思うけど、それでも消えた命はたくさんある。

 生き残りの内、アーサー、アルジャーノン、そしてノット俺なアルくんがウザイ家に引き取られたと聞いた。ウザイ家というのはエレミヤの家のことで……、やっぱ偽造しておいて正解だったじゃないか!

 すまんなアルくん、エレミヤの相手は任せるぜ。身に覚えが無いことばかり言われるだろうけど頑張って。

 大丈夫だって、なんでか兄弟たちは俺を除いて十三號セクションの記憶がないから、なんとかなる(多分)。

 

 とまぁ、その三人以外は北・東・西の各修道院に三名ずつ(俺は含めない)預けられることになった。

 俺のいる北の修道院ではルシフェル群のクリス、アザゼル群の鷲郎と鹿郎。

 東の修道院にはルシフェル群のヴィクターとアラスター、サマエル群のフランク。

 西の修道院にはサマエル群のアルノーとディートリヒとフェリクス。

 といった感じに分散。南の方は万が一を兼ねて配置しなかったらしい。なんたって現パラディンがサタンの子を育ててるもんな! ガハハ!

 

 とはいえ修道院というか児童養護施設の大方の決まりとして、高校卒業以降は出て行かなきゃならない。それは元検体である兄弟たちも例外ではない。

 兄弟たちは……しかもある程度育った奴には特に頑張ってほしい。学習レベルや生活態度とかは本人がどうにかしないといけないけど、そこら辺のサポートも積極的に修道院に配備された十三號スタッゲフンゲフン……神父・シスターたちがやってくれるようだ。

 

 ――だが、兄弟たちは普通に頭が良かった。ちなみに社交性もあった。今や小学校に友達がいて毎日門限ギリギリまで帰ってこないレベル。

 弟たちのコミュ力高すぎ問題。今じゃ情動みたいなのも育って立派なクソガキ族に育ったヤツもいる。ちょっぴり涙が出たのは内緒だ。

 

 青い夜のあった12月27日からもう半年が経つ。

 湿気でじめっとした空気だが、あの部屋ではまったく吸えなかった空気なのだ。時折四季を感じてしんみりとした気分になってしまう。

 俺はもうアルではないから、その時得意だった折り鶴も一般人並のレベルに抑えないといけないし、万が一アルの頃の知り合いに会ったとしても、知らない振りをして接しなければならない。

 まるでアルという俺だけが取り残されたようで―――――なんて考えるか。

 

 思考を切る。それ以上余計なことは考えないようにする。暗い感情を持てば持つ程、空気を漂う魍魎(コールタール)が群がり、暗闇の中に潜んでいる悪魔たちに目を付けられる。

 十三號セクションに悪魔(一部除く)は来なかったのは、それこそ悪魔の候王たちがあの施設の重要性を知らせて襲撃させないようにしていたから、というのをメッフィーから聞いた。

 何が言いたいかっていうと、俺も……兄弟たちも、悪魔からちょっかいを掛けられる可能性が高いってこと。

 

 俺はいいんだ。いつも聖水とか、投げる為の十字架とか持ってるから。問題は兄弟たち。

 いくらメッフィーに安全を約束させたとして、彼らの四六時中を監視している悪魔某がいるという訳ではない。だからこそ、高速で突っ込んでくる車の様に悪魔と出会ってしまったら危ない。かーなーり、危ない。

 検体こと兄弟たちは、ルシフェルやらサマエルやらの因子を断片的に持っている。それ即ち、悪魔にとって上質な憑依体となる適性が高いということ。候王レベルは無理でも、それより下位の悪魔の体としてならいい獲物になる。

 ――攻撃してくるんならまだしも、憑依してくるような奴等が一番危険。

 

 なので、俺は常に聖書を持ちあるいて致死節を覚えようとしているが、今の所一ページ目で終わっている。

 無理。こんなん覚えられへん。

 大量の致死節とか覚えてる(ぼん)ヤバイですって、と某ピンクスパイダーの言葉を実感した。

 詠唱騎士(アリア)向いてないかもしれん、と俺の低能ぶりはいいんだけど、ちょっと反応に困ることが。

 

 この修道院、霧隠シュラとジェニがいるんだよね。

 

 修道院で働く神父・シスターというのが、十三號セクションで兄弟たちの面倒を見ていたスタッフたちが混ざっている。十三號セクションで起きた青い夜によって死亡者はそこそこいるが、生き残りたちは修道院で働くことになったらしい。勿論モリナスの契約書を書かされてだ。

 結構な人数がいる中、ピンポイントでジェニがいる修道院に配属されたのは明らかにメッフィーの作為を感じて腹が立った。あいつ絶対知っててここに配属させたでしょ。

 原作から性格は全然よろしくないことは分かっていたが、実際この性格の悪さを目の当たりにするとまた違う。分かっていても不快感というのは拭えないものなんだなぁ……と。

 でもFカップおっぱ……こと、シュラさんは多分偶然……なんだろうか? なんとなくこれも作為ではないか? メッフィーにはループしてる説が出てるからなぁ……。

 そうだな、拠点が同じってことは必然的に顔を合わせることも多い。意味を汲み取るのならば、ある程度仲が良くなってほしいってことなのか?

 

 ……ふぅむ。シュラさんと仲良くなることに何ら異議は無い。もしかしてだけど、メッフィーが青森編で俺のことも参戦してくれるかもしんないしな。そこでシュラさんの過去と因縁深い八郎太郎大神を……どうしたいんだろうな。あそこで回収しなきゃ二重スパイのシッマくんの功績にならんしなぁ。

 でも、俺個人としてはあのまま碌でもない薬の糧にされるくらいならこっちで保護したい気持ちはある。だってさぁ……、あれを受ける被験体もだけど、材料にされる悪魔だって嫌だろ。

 やっぱイルミナティは悪、早く潰さないと(使命感)

 

 駄菓子菓子、まだその時ではないというのは分かる。

 

 ――だから、イルミナティ関連で起きる悲劇を見過ごさないといけない。

 

 そういう契約だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 孤児院でも前山エミリーは人気者だぞ。

 なにせよく子供の相手をする、割り振られた当番ではなくても手伝いをする、シスターたちへの挨拶を忘れない。

 もうそれだけで株はウハウハよ。もう上がりまくってる。困った時のエミリーなんて言われるしな。

 

 修道院での生活というのは共同生活だ。エブリデイで合宿しているようなものと言えば分かりやすいだろうか。厨房に立って料理を作る係や清掃係などに分かれて、各々割り振られた仕事をするのだが、シュラさんは頻繁に仕事をサボりやがりましてよ。その埋め合わせに俺がよく入る。まぁまぁ手際が良いし、文句言わずに手伝う優等生だからな。

 

「おかえりエミリー!」

「ただいまですわ~!」

 

 シスターたちや子供たちからの挨拶を返す。

 今日は雨が降っているので、家に帰ってインドアの遊びをしている子の方が多かったようだ。

 いやー、雨だとウィッグが蒸れますねぇ。一旦外して換気させないとお手伝いいけないぐらい不快感ある。

 毎日コスプレして過ごしてるようなもんよ俺。レイヤーたちの苦労が今なら分かるわ。

 

 今週の俺の当番は……お休みだぁ!

 基本的に手伝いはするが、お休みの週はちょーっと部屋に籠らせてもらっている。

 何故かって?

 

 受験対策だよ。

 

 

 

『君が正十字学園に受験失敗した場合、――君の兄弟たちの扱いはナシにしましょう☆』

 

 

 

 クソピエロめ。たったの数か月で中三までの学校教育詰め込んだ上に、受験特有の激ムズ試験問題を解かなければならない応用力を求められるとか。おかげで毎日、休みの合間に正十字学園の赤本漬けなんだよチクショウ。

 

 え? 前世の知識で受験勉強ヨユーだろって?

 ……それ、名門の正十字学園でも同じこと言える?

 

 正直あんな受験問題出す方がおかしいだろって学園長に殴り込みかけたくなるくらいに引っ掛け問題とイヤらしい問題ばっかりだ。理事長の性根の悪さが目に浮かぶな! ガハハ!

 

 

 

 

 六月、所に寄りけりではあるが、そろそろ――水泳教育の始まる時期だ。

 普通の学生諸君にとっては一大イベントであろう。水に濡れた――後の女子が見られるからな。共に泳げるのは小学生までだが、塩素の香りに満ちた教室、濡れた髪の男子女子という、非常に夏の日常らしい景色を体感できる素晴らしいイベントである。

 俺は勿論見学ですがなにか? 女子とも共同で着替えずトイレでしているとも。

 

 こんなことが許されているのは、義手の件があるからだ。

 俺はフリじゃなくとも、極力義手であることは知られたくないので常に手袋を着けて長袖を着用している。

 このことから学校側が俺に配慮してくれて水泳教育の免除と、夏でも制服・体操服などの長袖着用を認めてもらっている。これは正十字学園……、メッフィーのお膝元に行っても通用してもらうことだ。

 

 色々と蒸れるし、暑い+熱い(義手が)しで、最悪ではあるがそこは最大限色々と対策をしている。一応制汗剤とか持ってきていいことになってるしね。暑さ対策もしっかりしないと熱中症になっちゃうし。学校側の対策不備で熱中症者が激増! なんて報道されたらたまんないしね。

 と、余計なことはそこそこに。俺はもう校舎から出てプールに続く扉まで来ていた。

 

 ――さぁいざ行かん! 女子が集まるプールへと!

 

 意気揚々と扉を開けてプールへ向かったが、人は少ない。まだ休み時間が始まって三分程度なので致し方無い。先生もまだ来てない。

 さーて、早々に来ているのは同じクラスの佐川さん、榎さん。あの二人は二人グループで、成績が共に良いっていう感じだ。頭も良いけど社交性もある、うーんカースト上位。

 他にも残っている見慣れない顔の子が二人いる。一年三組との合同授業なので一年の子……。

 

 いやめっちゃ見覚えある人いるわ。

 

 鮮やかな赤い髪と教師を恐れぬ不遜な態度から不良として恐れられる。

 だがしかし、男子諸君の目は不良であっても、ふくよかな部位に視線がいく。

 Dカップ、と本人が言っていたことを思い出す。これが将来的にFカップになるのだ。ヤバイな。

 ていうかその、契約紋入れたまま入れるの? 凄いなプール……。

 

 ここまでもったいぶったが、プールの片隅ではダルそーにしながら巨乳美少女霧隠シュラちゃんがいたのであった。びっくり。

 

「霧隠さん、貴方三組でしたのね……」

「ん? おー、エミリーじゃん。アンタこそ合同クラスだったなんてシュラちゃんびっくりだにゃぁ」

 

 一応知らない仲では無いので挨拶代わりに話しかけた。飄々な態度はこの頃からだったらしい。

 

「いつも学校を休みがちとは聞いていたのですが……」

「んなもんプールになったら別よ別ぅ。無料で遊べて涼めるんだぜぇ? 入らなきゃ損ってもんでしょ」

「まぁ! 水難事故に遭った場合の防衛術としての授業と聞いておりましたのに、遊べるですって?」

「そーそー。一応泳ぎ方の型とか教えるけど、終わったら遊んで過ごしてるにゃぁ」

「はわー……、また一つお勉強になりましたわ……」

 

 ――無論、演技である。

 だが一応、『外国で両親が不慮の事故で亡くなり、親戚筋を頼って日本に来て間もない外国人美少女』という設定は守っておかないといけない。二、三年……、高校辺りからは俗っぽいことに精通してても『慣れてきたんだな』で済ませられるか?

 

「ま、それから学校でアタシに話しかけない方がいいんじゃにゃい? 折角出来たお友達が怖がっちゃってるよ?」

 

 くい、とシュラさんが目線で指した先には心配そうにこちらを見ているクラスメイトたちだった。

 シュラさん不良ってことで知られてるからなぁ。同性からしてみれば良い気はしないよね。

 ここでシュラさんを放ってクラスメイトの元に戻る方が印象としては良くなる。清楚系外国人美少女として築き上げた俺の立ち位置は確固たるものになるだろう。

 

 ――だが断る。

 

 アルとしても、前山エミリーとしても、シュラさんと話せる絶好のチャンスを逃す訳にはいかんのだ。

 だってこの子、いっつも修道院にいないんだもの……。話しかけるチャンスが見当たらなさ過ぎた時に、このチャンス! 生かさなきゃそれこそ損だ。

 

「ふふ、クラスメイトたちも大事ですが、私は同じ修道院のよしみとして、貴方にも興味があってよ。だから今は少しだけお付き合いくださいな」

 

 クラスメイトとは教室でいつでも話せる。でも、シュラさんと話せる機会は少ない。

 恋愛ゲーム*1をでもそうだ。出会う機会の少ない攻略対象には積極的に話しかけて好感度を蓄積させるものだ――。

 

「……妙なヤツ」

「妙ではありませんわ。人と仲良くなりたいだけですもの」

 

 俺渾身のスマイルを貴方にお届け。なんつって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっづぅ……」

「プールが恋しい。戻りたいよ~」

「エミリー暑くない? いつも長袖だよね」

「ご心配なさらずとも大丈夫ですわ!」

 

 めっちゃ暑い(熱い)。早くエアコン導入してくれよ。

 プールが終わった後、生徒のテンションはだだ下がり。カースト関係なく冷たい水にいた頃を恋しく思うのだ。

 なにせ、今エアコンは調節中だということで使えない。窓を開けっぱにしても雨上がり独特の少し湿った空気が入ってくるだけだ。でも閉めると更に蒸暑い。二重苦か、ここは……。

 涼しかったプールの空気が一気に恋しくなる。いやぁ、無邪気に遊んでる女子の姿はいいね。目の保養と活力になる。それから動作とかも勉強になる。ありがとう女子生徒たち。ありがとうシュラパ……、シュラさん。

 

「えー、で、ここの文は……」

 

 ちなみに今は六限。そして古典。古典の先生は睡眠魔法の持ち主なので、プールで疲れた学生たちは抗えずに大体寝る。おぉ勇者よ、寝てしまうとは情けない。

 授業はつつがなく終わる。チャイムが鳴る頃には皆自然と起きるから不思議だよな。

 

「はー、暑い。なんかもっと涼みたいんだけど……」

「あっ、だったら時期的には早めだけど肝試ししてみない?」

「いいねー。肝試し! ……でもどこですんの?」

「最近噂になってる場所があって、雰囲気も凄い怖かったって!」

 

 ――肝試し。

 これが前世であれば普通に聞き流したけど、ここは青エク世界。

 普通に悪魔がいて、二千年前から世界を脅かしている。

 ……こういう話、意外と馬鹿には出来ないのだ。

 取り出した教材を整えながら、以前メッフィーと話したことを思い出す。

 

 

 

『死体を食べる男……ですか?』

『えぇ。最近北十字区の方で()()()になっているものでして』

『確か、都市伝説も、そういった話も馬鹿には出来ないってことでしたわね』

『ご名答☆ メッフィーは教育の成果が見えて嬉しいです……ヨヨヨ……。ですので、あまり危険な場所には――』

『行けってことですわね!』

『……んまぁ、そうですけど……。どーにもやりづらいですねぇ……。えぇはい、いずれは行ってください……』

 

 

 

 メッフィーが危険避けろとか言う訳www。

 だって将来手駒になれって目を掛けてる奴を甘やかす訳ないじゃん。

 

「きもだめし……。あまり聞き慣れませんわね?」

 

 さりげなーく話の聞こえた集団に話しかける。

 

「あっ、エミリー! エミリーも肝試し行く?」

「具体的には何をするのですか?」

「うーん、何をするっていうと難しいけど、なんか怖い所に行ってひやってするのを楽しむ、みたいな?」

「なるほど……?」

「まぁやってみようよ!」

「えぇ、お誘いいだいているのなら遠慮なく参加させてもらいますわ!」

 

 よし、約束を取り付けられたぞ。十中八九、その肝試しスポットってメッフィーが行けって言った場所だろうし。

 

「エミリーも行く……だと……?」

「じゃあ俺も行くわ。その場所知ってるし」

「はー? 男子入ってこないでよー」

 

 ということで、女子同士……とはいかず、結構な大人数で肝試しスポットに行くことになった!

 

 

 

 

 決行は土曜日の夜、ちょっと心配されながらも肝試しに行ってくると元十三號スタッフシスターに伝えたので万が一、帰りが遅れれば彼女が祓魔師を連れて対応してくれることだろう。

 俺もいつものセット(聖水+十字架+聖書)に懐中電灯を二つ加えてレッツゴー。

 

 場所は集合住宅から離れた場所にある……ちょっと奥まった場所に屋敷がある森。その屋敷こそ、現在肝試しスポットとして有名かつメッフィーが行ってこい( ´艸`)と言った場所に違いない。

 

「クラスの半分いるんじゃね?」

 

 そうして、森の前に集まった人数は結構多い。我が三年一組の人数は計三十六人、その半数なので十八人。多いわ。

 内訳として、女子十三人(俺含む)、男子は五人。はー、こんな人数守れるか?

 

「ひぃふぅ……、全部で十八人いるならペアになって行く?」

「いいね! じゃあジャンケンして勝った人から好きにペア決めよっか

 

 ――この一言が、男子を奮わせたのに違いない。

 健全な男子中学生たちには、気になる女子の二人や三人くらいいる。

 これは二人っきりになれるかつ、男らしさを見せる絶好の機会。発案者である根島さんは現にニヨニヨしている。悪い笑顔だ……。

 

ジャンケンッポイッ!

ジャンケンッポイッ! アイコでショッ! アイコでショッ!

 

イェーイ!

 

「「ヴワアアアァァ……!」」

 

「まったくもう、男子ってば必死になっちゃって……」

「ごめーん、エミリー負けちゃった~……」

「また別の所で御一緒しましょうね……」

 

 俺は早々に負けたので白熱しているジャンケンを見ていた。中々俺に好意的な態度を示してくれている伊東さんが泣きながら抱き着いてきたので右腕でよしよしと背を撫でる。微妙に左腕は引っ込ませている。

 

 ジャンケン勝負の結果、俺は誇らしげにパーを夜空に掲げる小川に指名された。

 ちなみに順番もジャンケンで決めたが、結果は四番目。出来るなら最初が良かったけれど、致し方ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初のペアである根島さん、根島さんと仲のいい鈴木さんが行った。

 遅れて、伊東さん戸嶋さんの女子ペア。男子の寺田とおっとり系女子田中さんが行った後、俺達も入っていった。

 小川は残りの男子に羨ましそうな視線を向けられながらも煽り返していた。

 

「な、なかなか雰囲気ある屋敷だな……」

「それに広そうですわ。確か、一階、二階、三階と回って来れば良い……ですのよね?」

 

 小川が頷く。緊張してるな……。俺としても君を守れるかが心配で仕方ないよ。

 

「では回っていきましょう、小川さん」

「お、おうよ!」

 

 屋敷、というか洋館と言った方がいい。西洋基準から見ればoh馬小屋? みたいな小ささだが、日本では結構な大きさを誇る。よくもこんな、森の奥に肝試しスポット洋館とかいう某青鬼みたいなシチュエーションを揃えれたな。

 室内は掃除もされていないので埃が溜まっているし、隅には蜘蛛の巣が張っている。使われている床材もぎしぎしと不安な音を立てる。大広間、キッチン、お手洗い、と回ってみたが、最初の威勢はどこにいったのか小川はすごく顔を青ざめさせていた。

 

「……なぁ、エミリー。俺達、先に帰らないか? さ、三階を回ったってことにして……」

 

 小川鋭いな。この屋敷、どっかから異臭がするんだよ。それも日常では滅多に嗅がないような……、そう、非日常でならよく嗅ぐような臭い。

 

「? まだ一階しか見てませんわ! このまま二階も行きましょう小川さん!」

 

 ちょっぴり引け腰になっている小川を連れて行くのは気が引けるが、だからといって洋館の外で一人待たせておいても本人も気が晴れないし、不安だろう。俺としては荷物が減って万々歳なのだが、そうはいかない。

 俺は小川の手を右手で握って、階段を上がった。若干青くなった顔が赤くなったのを見逃さなかったぞ俺は。流石美少女フェイス。人の怯えも和らげさせる威力。

 

 二階は……、家族が住んでいた部屋という感じだ。夫妻の部屋、少女らしい趣味で固められた部屋二つ。間取りも広いが、特に気になる物は無かった。

 小川? あぁ、俺の隣でぷるぷる震えてるよ。

 

 三階は……書斎と、執務室って感じだ。これも特に、めぼしいものはない。

 全部見終わったことで小川が急速的に帰りたがったので、降りようとはしたが……。

 

 一階の方、なにか引き摺るような音が聞こえてる。決して、人の足音ではない。

 

「おい、どうしたエミリー。なんか忘れ物……」

「……そう、ですわね。二階に携帯を落としてしまったみたいですわ」

「マジかよっ!」

 

 おい大声出すな小川ァ!

 

 俺は半ば無理矢理引っ張って二階の、夫婦の部屋に入った。ああほら、足音がすごい近い。気付かれてる。

 

「……足音? もうペアの奴等が来たのか?」

「……」

 

 足音は人よりも、()()()()()()らしい。……駄目だ、足音だけじゃ分からない。

 ……でも、死体を喰らう、ってメッフィー言ってなかったか?

 だとすると、嫌な悪魔の予想が沸いたんだが。おい、本当に止めろよ……。なんで野放しに……って、あぁ試験会場かよクソったれ。

 

 足音は、俺たちのいる部屋の前で止まった。

 

 その頃には小川も何かを感じ取ったのか、顔は最初に来た時よりも青く、手から心臓の鼓動が伝わってきた。

 

「小川さん、大丈夫です。目を閉じていてくれれば、すぐに終わります」

「目を閉じれば……? い、いや何言ってんだえ、エミリー……」

 

 

 ドン!

 

 ドンドンッ!

 

 

 ひっ、と小川は声を上げた。

 扉が激しく叩かれる。もう相手はこちらにいることを知っている。

 ざっと室内の中で隠れられそうな場所といえば、ダブルベッドの下、クローゼット……。いや、それよりも外へ逃がした方がいいかもしれない。

 

「小川さん、あの窓から外へ降りられまして?」

「はっ? いや、出来る訳……」

「……できませんの?」

 

 きゅるっと上目遣いで相手の目を見つめ、右手で彼の手を優しく握る。

 かぁっと顔が赤くなった。……忙しい奴だな小川ァ!

 

「で、できます!」

 

 チョッロ。

 

「では、先に逃げて他の皆さんに逃げて、……そうですわね、祓魔師(エクソシスト)の方を呼ぶようにと、お願いしますわ」

「でもエミリーは……」

「ご安心くださいな。私、微弱ながら悪魔との対応は心得ておりますの」

 

 服の下に隠した十字架のネックレスを見せつければ、小川は暫く悩んだ末に、窓へ向かった。

 この屋敷、窓に立派な装飾と屋根の付いた雨戸がある。小川は身体能力も高いからなんとかそこを駆使して降りてくれる筈だ。それに二階だし、なんとかなる。

 

 そうこうしている間、脆いのによくここまで頑張ったのかと思う程、扉は壊れかけながらも完全には破壊されていなかった。その扉の割れた隙間から偶蹄類の様な足と、人の頭髪のようなものが見えた。顔らしき場所は下顎が異様に発達していた。

 みっちりとメッフィーたちに教わった悪魔の特徴の中でぴったり当てはまるものがある。

 

食屍鬼(ネクロファージャー)ッ……!」

 

 人間の死体を好んで食べ、更には生きた人間すらも襲う悪魔。

 ……レベルは確か下級か中級。どちらにしろ、肝試しでやってきた一般人が襲われて対応できる悪魔ではない。

 

 俺の声に反応するようにして目の前の食屍鬼(ネクロファージャー)は暴れ始める。そんな悪魔に俺は迷わず聖水を吹っ掛けた。

 うめき声を上げながら、もうすっかり穴ぼこだらけの扉から二歩三歩離れ、後ろにあった階段に転んで落ちていった。これはチャンス……!

 持ってきたバッグから聖書を急いで取り出す。一応、どの悪魔の致死節があるのかは付箋を付けて分かりやすくしてある。

 この致死節を詠唱するには、しっかりと大きな声、はっきりとした滑舌でなければ効果を発揮しない。

 女らしい声を出しながら詠唱させる、という訓練も行ったがキツかった。

 

 でも、キツくてもやるしかない。なんたって、悪魔はすぐ目の前にいるのだから。

 片手に聖書を持って、片手の懐中電灯で聖書の文面を照らす。そうして現れた文字を目に入れた。

 

……主はいわれたっ

 

主の定めたる掟に従うのならば全ての作物の豊作を与え、安らかに生きる平和を与え、脅かす敵を打ち倒す力を与え、我らが種の繁栄を約束し、加護を与えるとぉっ!

 

 食屍鬼(ネクロファージャー)は階段を駆け上がり、その勢いのまま扉をタックルしてきた。その様子を確認した俺は飛び込んでくる食屍鬼(ネクロファージャー)へと渾身の蹴りを繰り出した。

 蹴りはなんとか人間の上体部分と偶蹄類の下半身の合間に入った。苦しそうに声を上げる。

 

しかし、主の定めたる掟に逆らうのならば、与える全てを取り返すだろう。作物は枯れ、平和は去り、敵に侵略され、繁栄すること能わず、加護を我らから奪うと

 

 食屍鬼(ネクロファージャー)は起き上がると息を荒くして突っ込んでくる。

 読みながら位置を確認ってのは辛いもんがあるなっ……!

 一応戦闘訓練みたいなのも受けているから、それなりに動けるがそれだけ。だから、今は動きを避けつつ、致死節を唱えることが重要だ。

 

汝、主の定めたる掟に逆らいしものっ、どもよ……!

 

 食屍鬼(ネクロファージャー)の攻撃を難無く躱せていたが、俺の動きを学習したらしい食屍鬼(ネクロファージャー)は俺に向かってきて、疲れ始めて動きが遅れた足を掴んでいた。乾いた血が付いた手と尋常じゃない握力が伝わった。

 苦悶の表情を浮かべながらも、やっと獲物を捕まえたとにったりと笑っている。

 

 ――ヤバい。

 

 でも、でもだ。次の一節を言えば終わりだ。

 

 ……だから口、動けよ。なんで止まってんだよ。

 動けって。なに、怖がってんだよ。言わなきゃ食われるんだぞ。食われる。足が食われる。

 動かない方が危険なんだよっ!

 焦る気持ちとは裏腹に、体が動かない。目が食屍鬼(ネクロファージャー)の手から離れない。いつの間にか手から聖書や懐中電灯が落ちていて、取り戻すのは難しい場所へと転がっていた。

 

 ――こんなんで兄弟を守れるのか?

 ――こんな、八候王(バール)以下の雑魚相手に怖気ているようで……?

 

 タイツ越しからでも、近付く食屍鬼(ネクロファージャー)の生暖かい息を感じ取ってしまって、もう駄目だった。

 なんで怖いのか分からない。どうしてだ。ソイツよりも恐ろしいヤツなんているのに、一体?

 

 

 

「なにやってんだっ!」

 

 

 

 食屍鬼(ネクロファージャー)の手が斬り落とされていた。

 妙に特徴的な、刀身に蛇の目のような穴のある刀によって。

 

 自然と斬った相手を見る。

 暗い室内からでも分かる、鮮やかな赤髪をポニーテールにした影が。

 

「ああもうんでこんなとこにいるんだか……!」

 

 動けない俺の前で刀を構え、食屍鬼(ネクロファージャー)を見据える女子。

 霧隠シュラだった。

 

「さっさと逃げな! コレはアタシが相手しとくから! お仲間も先に帰ってんぜ!」

 

 体はもう、動けるようになっていた。

 なんだかもう、助かって嬉しいとか、かっこいいとか、そう感じたけれど。

 

 一番強く感じたのは、情けなさと悔しさ。

 

 ……そうだな。俺より年下の、女の子に庇われて、逃げろとか言われてたら――兄失格、だもんな。

 怯えた俺にぶちかます為、俺は一回自分の頬を叩いた。

 

「おい、逃げろって!」

 

 目先では食屍鬼(ネクロファージャー)と狭い室内で戦っているシュラさんがいる。

 俺は、震えて落としてしまった聖書を持って、食屍鬼(ネクロファージャー)に向かって放つ。

 一回消えてしまった、確実に食屍鬼を殺す意思を再度持ち直す。

 詠唱に必要なのは致死節、そして相手を明確に殺すイメージ……、即ち殺意!

 

――主の恵みを思い起こせよ!

 

 瞬間、俺の脳裏にルシフェルと共に爆発四散する食屍鬼(ネクロファージャー)の姿が浮かぶ!

 

「ッギャァアアアァアッ!」

 

 その通りとはいかないが、食屍鬼は絶叫を上げながら黒い煙となって消えていった。

 

 

 

 

「……みっともない姿をお見せしましたわ!」

 

 今更だけどウィッグとか乱れてない? って思って確認したら大丈夫だった。髪を振り乱した美少女には見えるだろうけど。

 ぬーん、と刀を体の紋に入れているシュラさんが「いいって」と返してきた。

 

「というか、エミリーは悪魔見えるんだな」

「えぇ。悪魔によって私の両親は殺されましてよ」

「ふーん」

 

 興味なさげの反応である。まぁそれはそうだな。

 

「……所で、どうしてシュ……霧隠さんはここへ?」

「散歩だよ散歩。そしたら大勢で屋敷に入っていくアンタらを見かけたら……ってな感じだ」

「皆さんもう帰られたと聞きましたが、本当ですか?」

「そうだよ? このつよーいシュラちゃんに恐れをなして帰っていったぜ」

 

 にっひひ、と笑うシュラさんは可愛いが、いまいち本当かは分からんな。

 

「ふぅ、ともかくはお礼を申しますわ霧隠さん! 貴方がいなければ、私あのまま食べられていてよ!」

「ふっふーん、じゃあ一つ貸しにしといてやるよ」

 

 にやぁ、と悪そうな笑顔を浮かべた。……貸し、だと? しまった、シュラさんは貸しを盾に奢らされ――……。

 

「貸し……ですか?」

「そ、今回助けたから、その分アタシを助けてってことかにゃぁ~」

「なるほどですわ」

「てな訳で、明日近くのパン屋にあるシェフスペシャル日替わりパンを五つ買ってきてくれよぉ~?」

 

 近付いてきたシュラさんが俺の肩を組む。……地味にヤバいな。硬いとか言われたら肩パッド入れてるからとでもいっとこ……。

 

「パン屋というと……三崎某が経営されている、ミサキベーカリーのことでしょうか」

「そうそこ! 分かってんじゃん」

 

 恐らくあそこら辺で知らない人はいないぐらいに有名だ。だってミサキベーカリー印のパン美味いもん。

 で、そこの――……パン屋の主人の息子さんがどっかのレストランでシェフやってて、その息子がチョイスした具材を使ったパン……ってのが、あの店の売りだ。傍目から見ても親子仲良い感じ。

 

 そんなシェフスペシャル日替わりパンは有名かつ目玉商品 = 人気商品 = 早朝に無くなる

 

 はい、早く起きて行けってことかな? 鬼畜だにゃぁ……。

 

「……分かりましたわ。命の代わりがパンに変わるとは思えませんが、きっちりかっちり五つ! お届けいたしますわ~!」

「おう! よろしく!」

 

 バンバンと背を叩いてシュラさんは窓から出ていった。……窓ェ。

 

 そうして帰ってきた俺はお叱りを受けた。要約すると、一人で悪魔に立ち向かうなんて無謀なことを! でもあの様子だとシュラさんも頻繁に出かけて悪魔退治してるのでは? という疑問は、シスターたちの「う゛っうん……。まぁ、あの子は……」と濁された。行動範囲とか制御できないんですね、把握。

 一通りお叱りされた後、シスターたちは騎士團に連絡してその屋敷の調査を行わせるという話になっていた。一応、先行していた同級生六名も地下室で発見されたとあるけど……。魔障を受けていないといいなぁ、とだけ。

 

 色々終わった後、俺は入浴後、すぐに寝て明日に備えたのだった……。

 一応貸しは貸しだかんな……。前山エミリーは約束を違えることはないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、買いはしたものの、シュラさんはどこにいらっしゃるのかしら」

 

 学校にもそんな行ってないという話だが、どうやって受け渡せばいいのか。

 そんな疑問に答える様に、背後から気配がっ!

 

「ここだにゃぁ~」

「おっと危ないですわ」

 

 一歩前に飛ぶと、背後からスカッという音がした。

 赤い髪がプリチーできょ……な女子中学生シュラさんだ。肩を組もうとしたが見事失敗に終わったようだ。

 あっぶね。嫌いじゃないけど、ボディタッチをされるのは困るんだ。

 万が一、万が一! 俺が女装をした男だなんて看破してくるヤツを出さないためにもだな!

 特に某ライトニング! アイツ、危険、マジで!

 

「あら何時からいましたの? いたのなら一緒に店へ入ってくださればいいのに……」

「エミリーがちゃーんとお使い出来てるのか確認してたんだよ」

「まぁ、使いくらいいくらでも出来ますわよ私」

 

 じっとシュラさんがパンを入れた袋を見ていると、いきなりガサゴソと漁り始めた。

 

「あっいけません! パンは出しますから、一言言ってくださいな!」

「おっ、卵パンもあんじゃん! これもらっとこ」

「それは皆さん用の物ですわシュラさん! お待ちなさいシュラさん!」

 

 パンをかっさらっていったシュラさんが逃げた。即座に追いかける。

 シスターたちやちびっこたちにも買っておいたパンも取られているんだ。

 くやしいのうくやしいのう……!

 

「追いつけるか……」

「かけっこでしたら負けなくってよ!」

 

 シュラさんが追い付いた俺を見てギョッと目を見開かせた。

 ははは、セクション内でのかけっこでも負け無しの俺の力はここでも通用するぞ。

 

「はっ……!?」

祓魔師(エクソシスト)になるには基礎体力も必要でしてよ!」

 

 祓魔師(エクソシスト)、という言葉を聞いてシュラさんが止まる。

 なんか変なこと言ったか? と思いつつ俺も止まって近付く。

 

「……エミリーは祓魔師(エクソシスト)になんのが夢なのか?」

「そうですわ。その為には正十字学園にある祓魔塾に通う必要がありますの。日本(ここ)では、それこそが祓魔師(エクソシスト)への近道でしょう?」

 

 クソピエ……メッフィーに課せられた試験もあることだし。俺も早く悪魔と対峙出来る祓魔師(エクソシスト)になっといて、兄弟たちに忍び寄る魔の手あの手この手を撃ち落とし滅ぼさなければならない。

 ……敵は悪魔だけじゃなくて、イルミナティも入るからな。検体が生きていることは伏せられているが、当然のことながらイルミナティのスパイ(暫定)であるエレミヤは知っているだろうし、だからこそアーサーたちを引き取ったものだと思われる。

 正直、聖座庁(グレゴルセデス)までは手が伸びるかは分からんが……、また人体実験をされていないことを祈ろう。

 

「んじゃ、将来的に仕事場で会うことになるのか?」

「……その口ぶりですとシュラさんも?」

「まーいずれはなー」

 

 シュラさんは軽く笑ったが、なんだか寂しそうな笑顔だった。

 

 ……。

 

「隙ありですわ」

「にゃっ」

 

 奪われたちびっこたちの分のパンを取り返した。

 数を数えて……、ぴったり戻せた。シュラさんの方には、元々の注文であるシェフスペシャル日替わりパンが五つ残った。

 

「ちぇーっ、少しくらいいいじゃん」

「駄目ですわ。それ以上欲しいのなら、ご自分でお店に行って買ってきてくださいな」

エミリーのけち

「けち……? 流石にけち、という言葉は知っていましてよシュラさん……?」

「やっべ」

 

 逃げろ逃げろ~、と揶揄ってくる頃にはその寂しい笑顔は消えていた。

 

 

 

 

 泡風呂に入って入浴を楽しんでいたメフィストは、ベリアルから報告を受けた。

 

「無事に試験は合格、といったところか」

「はい、ですが恐らく……」

「困ったものだな。騎士團に入るまでには矯正してもらいたくはあるが……」

 

 メフィストは北十字区を整備する際、わざと残した場所と悪魔がある。

 スラム街が蔓延っていた時より有名である森の洋館と、そこに住む主……の体に憑依した悪魔を。

 そこは元々、子供や人を攫っていくという噂で有名で、屋敷の主にも悪評が絶えなかった。

 彼に宿った悪魔が食屍鬼(ネクロファージャー)ということである程度察しはつくだろうが、屋敷の主人は人肉を好んで食べる嗜好があった。このことから祖国にはいられなくなり、急遽逃亡先として島国の日本へ移住した。

 主人の人肉嗜好は彼の家族も容認しており、何より二人いる娘の内、長姉は父に倣って人肉を好んだとか。

 だが、悪魔に憑依された父によって家族は食い尽くされた。その事件が起きた際、メフィストは少々手放せない用事があったので屋敷の地下に封じるように指令を出していた。

 ――青い夜以降まではスッカリとどうでもいいので忘れていたが、手に入れた手駒候補の試験に向いてるなと引き出してきたのだった。

 

「此方からは何も言うまい。ベリアルも口を滑らすなよ」

「はっ」

 

 自室への出入りも許可した手駒など例外にも程がある。ベリアルに指導を任せ、ある程度は己も口出しをしてまでも――この手駒を制御しなければと感じた。

 ――将来、確実に必要となる駒。望む未来への決め手。

 一目見ただけでメフィストには分かった。己が辿ろうとする結末には、コイツが不可欠であると。

 

 ベリアルが浴室から退場した後、メフィストは自らの手に泡を乗せてふーっと息を吐く。

 浴室の天井へと小さな泡が舞い上がっていく。

 

「さぁて、早く使い物になって私を嗤い転げさせてくださいよ? クローン体のアルくん☆」

 

 

*1
メッフィーとプレイさせられた




ちなみに致死節はオリジナルで作りました。どこにも食屍鬼(ネクロファージャー)の致死節なかったからね……、お恥ずかしい……。


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これも四葉のクローバーの賜物だな……

お待たせしましたわ~~~~!!!!
前話でベリアルさんとサマエルを間違えておりましたわ~!
誤字修正いつもありがとうございますの~~~!!!!


 

 朝食が終わった後、小学生たちは一目散に学校へ登校していく。

 

「おいクリスー! 学校行こうぜー!」

「オッケー!」

 

 クリス。十三號セクションでいた頃とは段違いに情動が育ち、今ではクソガキとなった兄弟である。

 「やんちゃな男子と一緒に悪だくみとかしてるけど、顔がかっこいいからそんな悪戯も許せちゃうの」って、クリスと同い年の女子が言っていた。順調にモテモテ小学生道を歩んでいるようで何より。

 あ、クリスと目が合った。奴は一瞬わるぅい顔をした後、俺の隣を走り――スカートを捲ろうとした癖の悪い手を止めた。

 

「なぬっ」

「もう、女性のスカートを捲ろうだなんてはしたなくってよ」

「今日も無理か、ちぇっ!」

「明日も無理ですわ~」

 

 盛大な舌打ちをしやがったクリスは颯爽と修道院を出ていった。

 まぁ、俺ものんびりしてる場合じゃなくて早く行かないとな。残っていたコップのコーヒーを飲んだらウィッグやら身だしなみやらを確認して中学校へゴー。

 

 

 

 

 

 純粋な恒星たる太陽の見える青空、コンクリートで舗装された道。家の庭木に柿が生っているのを見て、ああもう秋なんだ……と、絶望やら嬉しいやらの気持ちが溢れてくる。

 一応学校で行われた学力を測るテストでは上位にいて、学校で行われた模試の結果も返ってきたが問題なしの判定A。孤児院のシスター交えた三者面談でも特に苦言を呈されることなく、俺は正十字学園への道を歩んでいる。

 むしろそうでなくては困る。じゃないと兄弟たちがあばばばば……。

 

「おはようございます、皆さん!」

「「おはよ~!」」「「「おっはー!」」」

 

 もう教室に来ていたので元気に挨拶挨拶。しかし、やたらとこちらを睨んでくるのが一名。

 確か、めちゃくちゃ秀才な平方(ひらかた)さんだ。いつも授業中でも休み時間中でもお昼時間でも赤本を開いて勉強してる。クラス内に一人入るガリ勉ってイメージ。

 

 もうこの時期になると、夏頃みたいに遊ぼうという空気は消えていた。

 皆が皆、将来が懸かっているのだからそりゃ真剣にもなる。

 幸いにも、あの肝試しで俺達より先行していた組は食屍鬼(ネクロファージャー)が潜伏していた地下で気絶していただけで、魔障は受けていないという。

 

 良かった良かった。こんな時期、教室に魍魎(コールタール)が漂う景色なんて見たら嫌だよ普通。

 ……あ、しかも魍魎(コールタール)がたかっているの、平方さんだ。これは危険の合図。

 魍魎(コールタール)が集まっている人物、というのは悪魔にとってオイシー負の気配を宿らせているということ。なにもしなければその内、なんかの悪魔が宿るっていう目印みたいなものだ。

 

 まぁ、そのストレス源って恐らく受験なんだろうけど……。どうやっても取り除けないなコレ。中学生にとって必須イベントみたいなものだし……。ストレスが溜まるのが普通っていうか、俺ですらストレス溜まるもん。おかげでメッフィーに誘われてやってるPVP系のゲームでいつもメッフィーを優先してキルするぐらいにはストレス溜まってるよ。クソザコめ。

 俺のストレス発散法は置いといて。このまま見ないフリをするのもなぁ? どうするべきか考えつつも隣の席の子と会話をして時間を潰した。

 

 そのまま語ることなく授業も終わって修道院へ帰っている時だ。向かい側の道からシュラさんとばったり出くわした。

 

「あら、シュラさん。今から登校ですか?」

「ちげーよ! 彼氏と出かけんの!」

「まぁ! 殿方とのお付き合い! ……ですが、その下着姿にコートを羽織るだけ、という恰好は寒いのでは?」

「これはもうアタシのアイデンティティみたいなもんだしぃ?」

 

 この頃冷え込んできて風も冷たい。というのに、シュラさんはいつでもコートの下にあのビキニスタイルなんだ……。本人でも寒いって言ってるのにそのスタイルを貫く。まぁ、八郎太郎大神との契約紋? 的な意味合いもあるんだろうけど。

 シュラさんがそそそと近付いてきて、ちらっと俺の後ろを見た。

 

「……んで、一つ聞いていい? 後ろで見てんの誰?」

「同じクラスの方ですわ」

 

 電柱から隠れて(ない)俺を見ているのは平方さんだ。さっきから尾けていることは知っていたけど、何がしたいのか分からない。

 

「うっわ、しかも魍魎(コールタール)もいるじゃん。なんか因縁でも持たれてるんじゃにゃい?」

「そう……なのでしょうか? あまりお話したことはないのですが……」

「面倒だから聞けば? アタシそろそろ待ち合わせ場所行かないといけないから、んじゃ」

 

 シュラさんは言うだけ言って彼氏との待ち合わせ場所へ走っていった。奔放だなぁ。

 でも、言うことには一理ある。もし彼女に魍魎(コールタール)を集めさせているのが俺であればどうにかできるかもしれない。

 じゃあ話しかけに行くか。くるっと回って、さっと平方さんが隠れた電柱に向かう。

 

「平方さん、何か私に御用がありまして?」

「っ!?」

 

 声を掛けたが、平方さんは「あ、わ」と声にならない声を出して後ずさりした。

 

「な、なんでもないっ!」

 

 あらら。そのまま去って行ってしまった。本当に何だったんだろうな?

 追いかける気も起きない。ははは、受験がすぐそこにってなると胃が痛くなって……。きゅっとしてくるんだ。きゅっ、てな。

 

 

 

 

 外国のなんだかすごい名所いいとこどりしたような建築物。正十字町の中心、――正十字学園に俺はいる。

 何故かって?

 

 文化祭を楽しむために!

 

 すまんなガキたち。俺はお前たちが勉強で悩んでいる間に正十字学園の方に行って面接の為の話題を掴みに行く。

 それに、例年ハイレベルな文化祭が開催されることでも有名だ。そりゃ行けば楽しいってもんよ。

 

 は~~~めっちゃ楽しいですわ~~~!

 

 ジャンボフランクフルト食いながら出店を回るのだけでも楽しい。心が若返るよう。

 三年生が企画していたお化け屋敷はガチめで力入ってる感あった。ガチの悪魔がいてビックリしたけど、特に人に危害を加えるようなタイプではなく、お化け屋敷に乗じてモノホン見せつけて胆冷やさせようっていう粋な(ゴースト)だった。

 「えっ、これって本物なんじゃ……」で青褪めるクラスを見てから成仏する予定らしい。良い趣味してんねぇ。

 教室を巡りつつ、出店に行ってはモグリシャスしていると、ぽん、と軽やかな音と共に目の前に見慣れてしまった髭面――メッフィーが現れた。思わず食べていた焼きそばを飲み込んでしまった。喉詰まりそうだった。

 

「び、びっくりしましたわ……」

「それは失礼。これはこれは美しいお嬢さん(フロイライン)。我が学園の文化祭は楽しんでおられるかな?」

「えぇ。ご学友からお話は聞いておりましたが、とても楽しいですわね!」

 

 やや芝居がかった流し目でこちらを見て話す髭面クソザコメッフィー。いい度胸してんねぇ。

 お嬢様演技としてにっこり微笑んで返してやる。後でお前着地狩りしてやるからな……。

 

「それは良かった。では、引き続き学園祭をお楽しみくださいね☆彡」

 

 舌ペロして去っていく良い大人(悪魔)ってどこに需要があるんだろうな。俺は心の中でその理由を探る為、アマゾンの奥地へと向かった……。

 ……分かりやすく圧掛けてきたんだよな。ははーん、今年の正十字学園の試験って過去最高に難易度高くするつもりだな? お前の魂胆は分かっているんだよメッフィー。やる機会があったらだが、本格的に()()()()()必要があるようだな。

 ひとしきり楽しんで歩いていると、なにやら建物の影で話し声が聞こえてくる。

 

「――……だ、……ら。ちゃんと頑張りなさいよ」

「……分かってるよ」

 

 およ、平方さんと……隣にいるのは誰だ。顔は……似てないな。ご兄弟ではなさそうだ。

 

「ねぇ、瑞穂。私たち、()()だもんね」

「うん……」

 

 ほうほうお友達。にしては湿度高そうなんだけど、どうなんですかね。ちょっとボクオトコノコだからオンナノコドウシの友情とか分かんない。

 

「どう思われますか? シュラさん」

「ふにゃっ!?」

 

 ――そう、ステルスで近寄ってきていたシュラさんに投げかけた。

 

「な、なにが、かにゃ~……?」

「私、実を言いますと友人関係というものに疎いのです。日本ここへ来てからは実に様々な友人という形を見ましたが、アレは――――友人なのでしょうか?」

「……まっ、本人たちがそれでいいならいいんじゃないの。私たちにゃ関係ない話っしょ」

 

 「友人だよね」で魍魎(コールタール)が増える友人関係って友人? 俺もっかい辞書で友人の意味引き直してくるわ。

 とはいえ、シュラさんの言うことも正しい。他人の関係に逐一言葉を出せるほど、俺と平方さんは親しくないし、彼女の友人とも親しくない。「外野が口出すなァ!」で事態が悪化しても困る。

 

「ところで何故シュラさんはこちらに?」

「学園祭楽しんでんの。彼氏といたんだけど分かれちった……」

「まぁ大変。良ければ一緒にお探ししましょうか?」

「別にいいよ。アンタの近く来たのはたまたま。驚かせてやろうとか考えてにゃいにゃい」

「考えていましたのね……」

 

 しらーっと半目になって視線を逸らすシュラさん。あの肝試しの一件から距離が近くなった気はする。少しでも心を許しているという証拠なのだろうか。そうだったら、嬉しいなぁ。「自分は三十路で死ぬんだから」で他人とは一定の距離を置いて接している様子がある。……いつか、彼女の教え子ともなる魔神の双子たちでその枷が無くなるといいな。いや、八郎太郎には申し訳ないんだけどね!?

 

「お、いたいたシュラ! こんなところにいたのか」

 

 もう平方さんたちはどこかへ行ったようだった。これから移動しようと思った矢先、こちらを見て声を上げて駆け寄る男性の姿が見える。

 

「ごっめ~んダーリン。許してにゃ~」

「HAHAHA! なんてカワイイ子猫なんだ…………」

 

 なんと、彼氏。逞しいマッチョの化身と言わんばかりの筋肉を持った彼は、抱き着いたシュラさんを軽く抱きしめた後、――何故かこちらを見て言葉を無くしている。

 

「ん? どしたのダーリン」

「……どいてくれ」

「……?」

 

 その男性はシュラさんを押しのけ――、あろうことか俺の元へやってきた。焼きそばを持っていない右手に、勝手に触り、口元に寄せた。

 

「こんにちはお嬢さん。よろしければ私と付き合いませんか」

 

 

 ピキッ

 

 

 そんな音がした。俺からも、シュラさんの方からもだ。

 というか、えぇ……。えぇ……? 確かに、学校の男子に何人か告白はされたよ。そしてちっぽけな勇気を振り絞って出してくれた告白を断ったけども……これはそれとはやや内訳が違うんだよな。

 男に触られている手をゆっくりと離す。名残惜し気に見つめられる。

 

「……すみません。私、付き合っている方と誠実にお話合いもせず一方的に別れを告げ、あまつさえその目の前で告白をするような殿方とはお付き合いできません」

「なっ……! それなら、ちゃんと彼女とも話を通す、だから……!」

「いいえ。差し出がましいようですが、貴方には人間にあるべき誠実さが見受けられません。何度言われようがお付き合いも、ご友人として関わりも持ちたくありませんわ」

 

 なおも縋ろうとする男の手を避けて、俺はシュラさんの近くへ寄って、呆然と投げ出された手を取る。

 

「行きましょうシュラさん。まだまだ学園祭は始まったばかりでしてよ」

「……ちょっとっ」

 

 抵抗されている気がするが、俺は気にせず腕を引いて走るぜ!

 

 

 

 

 

「ちょっといつまで手ぇつないでんのさ」

「あら、すみません」

 

 もう男を振り切った所でシュラさんからばっ、と手を離された。しょぼん。

 

「……別に、ああいうことたくさんあるから気にしないで良かったのに」

「いいえ、まだ殿方とお付き合いする予定はありませんし……。なによりお互い、誠実ではありませんわ」

「ふ~ん、エミリーってまだまだ経験無いワケ? 勿体ないにゃ~」

「話を逸らすのは貴方の悪い癖ですわね」

「……チェッ、流されなかったか」

 

 いや流すには無理があるでしょ。どんだけ俺のことウブなご令嬢だと……思って……。

 くっ、俺の演技力が素晴らし過ぎたか……。

 

「ふむ……。そうですわねぇ……、私、先程シュラさんに友人関係とは、と聞きましたでしょう?」

「あぁ聞かれたね」

「今明確に分かったことが一つだけありますわ。――少なくとも、傷付いているのを見捨てる関係ではありませんね」

 

 ――シュラさんの目は、しっかり見ないと分からないレベルではあるが、潤んでいた。

 それは少なくとも、彼女が先程の振られ方にダメージを受けていない訳ではないということの証。

 それはそうだ。まだまだ中学一年生の美少女。原作の二十七歳シュラさんのように大人な気風も無い子供時代だ。どれだけ荒んだ生活を送っていたとしても。

 

「さぁさぁシュラさん。一年生の射的がとても豪華な景品を使っているとのことです。当てに行きましょう!」

「は? あー……、もう、はいはい! 行きますよっと!」

 

 ――シュラさんと学園祭を楽しんだ。めっちゃ楽しかった。

 

 

 

 

 恙なく勉強を済ませ、日々変装がバレないように生活を続けて――。

 孤児院の皆と盛大なクリスマスパーティーをして、年を越して。

 

 とうとうやってきてしまった。出願の日。

 書類の不備はシスターたちにも確認してもらったが無かったから万全。正十字学園までの行き方も実演込みでばっちり予習済み。

 

 そして後は出して学園側に受理してもらうだけなのだが……。

 

 出勤時間帯を過ぎた人の少ない電車の中で、俺は平方さんの隣に座っていた。

 ……どうやら平方さんも正十字学園へ入試を受けるようだ。そして、凄まじい敵視の視線を横から受けている。

 

「あ、あのー……、平方さん。何か御用でも……?」

「ここは電車の中よ。会話は控えてくれるかしら」

「はい……」

 

 理不尽ッ……! あまりの理不尽さに泣きそう。

 早く電車よ着いてくれ、頼むぅ……! 流石にここまで敵視を向ける相手に寛容にはなれんのよ、俺も、前山エミリーもぉ……!

 

「ふん、()()()()()()に引き取られた没落令嬢のくせに……」

「――今、なんとおっしゃられましたか」

 

 ぶわりと沸き上がった怒りを一瞬、押し込める。ここで、ここで怒るのは……前山エミリーじゃない。

 でもなんつったこの魍魎(コールタール)塗れのガキが……。

 昂る怒りをなんとか抑え、横目で平方さんを見る。頼むから違うと言ってくれ。

 

「いいえ、なにも言ってないわ。もうその年で幻聴が聞こえるのね」

 

 あぁ~↑ 余計な一言ォ!

 言ってないわ、だけで済ませておけばいいものをぉ! お前なぁ!

 クール、ソークールになるんだ俺。

 いやこのクソガキに分からせてやらねば気が済まねぇな……おい……。

 

「そうですか。私、もしかしたら平方さんほどのお綺麗な方から聞くに堪えない言葉が出たかと思いましたわ」

「あらそう。お目出度いお花畑の頭をしているのね、髪の色そっくり」

「ふふふ。そういう平方さんも、なんだかいつもよりお喋りですね。貴方のことを知れたようで嬉しいですわね」

「たった短い言葉で人柄が分かるのね。流石ね、エミリーさん。私にはそんな考え無しの行動は出来ないわぁ」

 

 ――無。無。無。無。無。無。メッフィー滅。

 

 あぁ~……。腹、立つ。すごく、腹立つ。

 何が小汚い孤児院だァ……テメェ……。悪魔の生餌(いきえ)にするぞ……?

 

『――次は正十字学園前、正十字学園前です』

 

 アナウンスが入り、互いに入っていた視線が電光掲示板に向く。行き先を知らせるそこに、油を注ぐかのように腹立つメッフィーの顔があった。こんなとこにまで金入れてんのかオメー。

 一瞬怒りの矛先がズレたせいか、先程よりは感情がマトモになってきた。

 改めて平方さんを見る。……魍魎(コールタール)の数は、乗車前より増えていた。

 

「……さて、行きましょう」

 

 残念だったな、お前の出願届は俺が握っている。俺の一存でお前の出願届に不備を生じさせてそもそも入試資格すら剥奪してもいいけど……やらないよ流石に。

 そんな大人げないことしないよ~。エミリーは正面から叩き潰すのが得意なんだもん。正々堂々、試験を受けてどちらが入学できるかで矛は納めるよ~。

 

 

 

 

 さてさて、出願届を出してから一週間もせずに受験票が送られてきた。

 ――もう、受験の時期なのだ。

 

 一応、滑り止めとして正十字学園以外の学校を受験――してません

 

 再三教師の方にも確認されたけど、受験できなかったら俺は死を選びます。兄弟殺して俺だけ生き残る訳にはいかんでしょ。責任取って自害致します。

 なのですぐ自殺したとか不名誉な噂が学校に入らないよう……、その為の配慮なのだ。

 

 中学校のセーラー服。寒くなってきたのでマフラーやコートを着用してから部屋を出ると、リビングではシュラさんを除いたチビたちが、全員集まっていた。

 

「あら、皆さんおはようございます……。ですが、ややお早いのでは?」

「そうねぇ。この子たち、今日は早起きさんなのよ」

 

 にこにこと笑うシスタージェニに首を傾げると、集まっていたチビたちの中から、――クリスが出てきた。

 その手の中にはやや歪な四葉のクローバーの形をしたネックレスがある。きらり、と窓から差す陽光を反射して緑色が鮮やかに輝いている。

 

「は、はい、これ……。エミリーに……」

「え、いいんですの……?」

 

 もじもじとするクリスに「言えよー」「お前が最初だろー」「恥ずかしがっちゃってー」という言葉が掛けられる。それに対して「うっさい!」と嚙みつくも、俺の方を見ると顔を赤らめてもじもじ態勢に戻る。

 

 

 

 ??????

 

 

 

「あのね、エミリー。この子たちってば、貴方が大事な受験だからって、手作りでそのネックレスを作ったのよ」

「手作り……ですか?」

 

 事態を静観していたジェニは更に微笑みながら近寄り、クリスの背を叩いた。

 

「そう。クリスが『作りたい』って言って、皆が『いいね』って協力したの。毎月のお小遣いをちょこちょこやり繰りしてて、お金なら出すわよって言ったんだけど『自分たちでエミリーお姉ちゃんにネックレスをあげたい』って言って、もう……」

 

 ジェニは溢れた涙を取り出した白いハンカチで拭う。

 

「……なんで、ネックレスを?」

「……だってよう、エミリー姉ちゃ……、エミリーは元々キゾクのムスメだったけど、家が取り壊しになっちゃって日本に来たんだろ? シュラねーちゃんが言ってた」

「元々お姫様なのに、エミリーってば休日にお買い物してもアクセサリーも付けずに出かけるでしょ?」

「今時私たちだってアクセサリーつけるのにねー!」

「だ、だからよう、俺たちでエミリー用に作ろうって……話になったんだ……」

 

 「嫌だった?」と見上げてくる無数の視線。

 

「そりゃ、レジンっつう、本物の宝石じゃないけどよぉ……」

 

 俺は即座に振り向いた。クリスから渡されたネックレスを持ったまま。握りしめる力が増えすぎないよう抑えるのも、……涙を堪えるのも辛い。

 側にあるテーブルにそっと、ネックレスを置いて――俺はすぐさまクリスを抱きしめた。

 

「嫌な筈ありませんわ……。ただ、泣いてしまう顔を見せたくなかったの」

「ほ、本当か?」

「嘘じゃありませんわ。皆さま、ありがとう。私の為に……」

 

 ――この日ほど、俺は義手であったことを恨む日は無いだろう。

 

 咄嗟にクリスを抱きしめてしまったが。……これ以上、したらしたで()()()()()()()()()()の件について、聡い子供は感づいてしまうだろうから。

 名残惜しい温かさを離し、頭を右手で撫でる。クリスはされるがままになっている。

 ――まあるいおでこに口づけを落とした。俺なりに身につけた、西洋スキンシップだ。

 

「わっ、あ……!?」

「本当にありがとう。おかげで、身が引き締まりましたわ。このまま登校したい所ですが、――皆さんのおでこをお貸しくださいな」

 

 くらえ、俺のおでこキッス爆撃。範囲は全員だ。シスタージェニ、そして隠れて様子を見ている他のシスター神父、そしてシュラさん。

 なんとか全員引き摺り出してキッスの刑に処した。一部の男子は顔を赤らめさせてしまったがまぁ……頑張れ。きっと、エミリーより良い女が君の将来に現れるさ。

 

「それでは皆様、行ってまいります。……ふふ、受験なのでアクセサリーを付けて臨めないのが惜しいですわね」

「それで失格になったら困るしね……。でも持っていくんだにゃ~?」

「えぇ。バレなければ良いんでしょう?」

 

 やれやれといったシュラさんに含み笑いを返し、爽やかな気持ちで孤児院を出た。

 今の俺はスーパーハイパーサイキョーにムテキ。どんなクソ問題が出てきてもムキムキのエミリー()が叩き潰せる。

 移動中の電車でこっそり、鞄の中でネックレスを見てはむふふと笑いが零れてしまう。

 

 ――失敗して、自害し詫びるのではない。

 ――無事に合格し、彼らの未来を繋げる。

 

 目指せ百点満点。メッフィーのその尖った鼻、ぶち壊してやんよ。

 

 

 

 

 

(この公式、習いはしましたけど難しすぎて先生に聞きに行ったものですわね……)

(このテスト、楽勝! ですわ!)

(どうして数学で一気にハイレベルにするんですのー!? ですが私は対応出来ましてよ!)

 

「はい、前山エミリーさんですね。こんにちは」

「はい!こんにちはでございます!」

「(こんにちはでございます?)正十字学園にはどの交通手段で――」

 

 

 

 

 

 ――そうして迎えた試験発表当日。

 

「合格! でしてよ!」

 

 届けられた合格届け、それと同時に指定の日時に学校へ来てほしいという連絡も。

 ()()()()()への答辞願いだ。

 

 もう、完璧だな! 最高ッ!

 高校になったら、俺、ネックレスを毎日着けて登校するんだ……。

 急ぎ足で孤児院から出て正十字学園へ向かう。守衛さんには紙を見せて「責任者呼んできますね」と待たされた後――理事長室へ向かわされた。

 

 さてはて、正十字学園の理事長とは誰だろうか。

 それはモチロン、ヨハン・ファウスト5世こと、メフィストフェレスを名乗る悪魔であり、時の王サマエルである。

 

「合格おめでとうございまっす☆彡 前山エミリーさん(フロイライン)

「ありがとうございます」

 

 ベリアルさん仕込みの見事なカテーシーをお送りする。おっと、ここで今、素は出せないな。

 事務机に置かれた本の隙間に……。

 確認したと同時に、メッフィーは指パッチンをして現れた――盗聴器を捻りつぶした。

 

「ふむふむ。残しておいた盗聴器も確認できているようですね、もう素で大丈夫ですよ」

「白々しいお祝いアリガトウゴザイマスヨハン・ファウスト5世様」

「こwwのwww差wwwwwww」

「なにわろてんねん」

 

 宣言したということなら、()()()()()()()()()()()()ということだ。

 一気にお嬢様エミリーのガワが剥がれた俺に対して笑い転げるメッフィー。いい加減にしろ、義手パンチ食らわすぞコラ。

 笑っているメッフィーを眺めていると、どこからともなくこの場にいなかったベリアルさんが現れた。

 

「この度は合格おめでとうございます、アル様」

「これはご丁寧にありがとうございますベリアルさん。貴方の教えが生きましたよ」

「それは良かった」

 

 ニコー! と細い目を更に細くして笑うベリアルさん。

 

「あるぇー、私と対応が違いませんかねぇ~」

「そんなことありませんですことよオホホホ」

 

 だって合格しなきゃ弟全員殺すって圧掛けてくる悪魔より、まだ親切な悪魔の方がいいじゃん。

 

「ベリアル、茶の用意を」

「はっ」

 

 それに……、執事って、カッコよくない?

 いつもスマートに主人を助け、かといって功績をおごらず……。ヒュ~!

 

「まぁ歓談は後にしましょう。今は合格処理です。いやはや、まったく主席合格とは驚きました。しかも満点での合格……。何か良いことでもありましたかねぇ」

「いんや、身を引き締めただけ。合格出来なかったら死ぬつもりでいたんだけど……、合格出来なかったじゃなくて、必ず合格するって切り替えただけよ」

「末恐ろしい覚悟です。十分十分、……ですが戸籍を用意した時点でアナタに自由に死ねる権利があるとお思いで?」

「だろうなー。どうせ死ぬ間際で時止められるくらいは覚悟してるよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「大アリですよ!? はー、やれやれ。ガチャでSSR引いたと思ったら性能がクソ尖ったキャラだったみたいな感じがしています。メッフィーは頭が痛くなりました」

「どうぞご存分に頭を痛めてくれ」

 

 俺が汎用的に強い訳無いだろ。ただ俺は守るべきものがハッキリしているから物事の優劣に順序を付けられ、判断が早いだけなんだよ。

 兄弟>孤児院>友人>>>(超えられない壁)>>>他人、の順だ。メッフィーはギリ友人枠(内容は共犯者)に入っている。ベリアルさんは問題なくランクインしている。

 

「お茶をお持ちいたしました」

 

 カラカラとティーセットや軽食を乗せたセットを乗せたワゴンを押してベリアルさんが戻ってきた。

 一応気を抜いていいとはいえ、こういうちょっとしたところでの作法はエミリー通りにしている。だって完璧に変装してるのに、こんな所でバレたら俺の苦労が水の泡だ。

 とぽぽぽ、と入れられた紅茶からは良い香りがしてくる。うーん、えっと、確か……。

 

「ニルギリでしたか? この香り」

「ベリアルの教育が行き届いているようで何より。――喜べベリアル。給料をボーナスでアップだ」

「ありがたき幸せ」

 

 良かった。俺の行為一つでベリアルさんの給料が上がった。

 (悪魔)助けはいいな。心が清くなるようだ。

 そう思ったのは一瞬。俺の意識はすぐ、現れたケーキスタンドに向かう。

 

「下段()()()()、中段()()()、上段()()()()でございます」

「ケーキスタンドでポテチ乗せてくる奴初めて見たわ」

「ん~、これがまたオツなんですよ☆ 高級な紅茶を飲み、お茶請けはポテチ。贅沢の極みじゃありませんか」

「嫌な金の使い方だ……」

 

 仕方なくうすしおを食べてみる。これはコ〇ケヤのうすしお、中段はカル〇ーののり塩、下段はヤ〇ザキ……。

 

「会社も違うじゃん」

「旦那様のご意向でして」

 

 パリポリとポテチを貪っていると、唐突に目の前にファイルを渡された。

 

「ふふまひゅくひゅうひゅくほほけ?」

「そう! 念願の祓魔塾の入塾届です。しっかり不備なく記入するように」

「祓魔塾って、アサイラムから名前だけ変えたやつだったけ」

「失礼な。名前以外にもカリキュラムを変更しましたよ。おかげで死亡数も減りましたし☆」

「見直すまで死者が多かったって、非効率的にも程が無くない?」

「ソコを突かれると痛いですネ」

 

 人道的うんぬんを抜きにして、悪魔を祓う祓魔師の卵がポロポロ死んでいくってことは、これから祓魔師業を任せる後任の数が減るっていうことで。組織的に考えても人材ロスは減らすべき場所だったのに、どうしてすぐ死ぬようなカリキュラム組んでたんですかねぇ……。騎士團って二百年も歴史あるのに、対悪魔のノウハウが無いとは言わせんよ。

 

 ……というか、ポテチと紅茶あんまり合わんな? 紅茶だけ飲むか、ポテチだけを食うかで迷ってきた。

 

「祓魔塾に入って塾内の動向を報告する諜報もしなくちゃならんのだろ?」

「これから祓魔師になった際にも続けてもらいますよ。塾での活動は予行演習のようなものです」

 

 俺、ピンクスパイダーこと二重スパイシッマみたいなことしないといけないとは聞いているけども、気はいまいち乗らない。もう女装してる時点で人を騙してるようなものだけど、更に嘘の上塗りするって作業が普通に苦痛だ。

 でもメッフィーの操り人形になっておけば兄弟の安全は保障されるし、俺自身()()()()()()()()()()()だと思わせることが出来れば、少しでも()の生存率が上がるかもしれない。

 なんたってここはダークファンタジー世界。前世の観点抜きにしろ、悪魔という存在によって簡単に人の命が消える世界なのだ。

 

「取り合えず話はこれで終わり……でして?」

「えぇ。また入浴時に会うんですから、細かいことはその時伝えましょう。――今はただ喜ぶといい」

「そうですね。貴方は約束を違えない()()だと信じておりますわ」

「それは光栄ですネ☆」

 

 またもやメッフィーが指パッチンをすると、一瞬でティーセットが片付けられた。身だしなみをようく確認してから、メッフィーへ見事なカテーシーを披露し、部屋を出た。

 学園を出て電車に乗る頃には、しみじみと難関を乗り越えた達成感が再び湧き上がってきていた。

 

 

 

 

 誰かが夢を掴むのなら、また違う誰かはその夢を掴めない。

 誰かが学年主席を取るのなら、――私は学年主席を取れない。

 

 五教科百点満点の試験中、四百九十八点。かつてないほど勉強をして、叩き出せた最高点数。

 でも、私は学年主席では無かった。

 

 一点、あるいは二点の差。

 たかが一、二点の差が、どうしようもなく高い壁だった。

 

 今まで学年主席だったのは私だ。あんな馬鹿たちの上に立っていたのは私だ。

 私は違う。他の奴らみたいに遊んでなんかいない。暇があったら勉強して、努力して、いつだって成績を上げてきた。

 先生からの覚えも良かった。雑事を優先的に引き受ければ内申点も貰えた。

 

 でも、でも、でも!

 

 そんな私を笑うように、()()()はいつも!

 私の居場所を奪うみたいにやって来た。あんな馬鹿どもの中で笑いながら、アホみたいな話をして、――なんで私に届くのよ。

 どうして、私は合格出来なかったの。

 

『大丈夫。瑞穂の努力は、私が一番よく知ってる』

「せいら、せいら、せいら……っ!」

『だから私に任せて。あの女を消せばいいんでしょう』

 

 うっとりと見惚れる笑顔で笑うせいらは、ゆっくりと消えていった。

 

 

 

 

 

 もう受験も終わって演技が崩れない程度に気を抜いている。学校も卒業式を待っているだけみたいなものだが、まだ公立の受験を控えている子たちに勉強を教えつつ過ごしている。それから、俺と同じく私立高の受験が終わった友達とカラオケ行ったりとかね。嬉しいプレゼントをしてくれたおチビたちとも遊んだり、充実した日々だ。

 

 ――目の前にいる不気味な平方さんを抜きにすれば、「今日はとっても楽しかったね。明日は、もっと楽しくなるよね、メフィ太郎?」「めふぃっ!」で終わったんだけどな。

 ふらふらと足取りの危ない平方さんを追ったらこのザマだよ。余計なことに首ツッコまなきゃよかった。

 かくくく、と首をゆっくり動かした平方さんと目が合う。目は尋常ではないぐらいに充血している。

 

「貴女が、前山エミリーね」

「……そうですわ。クラスメイトですのに、顔を覚えられていなかったとは……悲しいですわ」

 

 えっ、あんなに睨んでおいて再確認は無いよな? もうボケでも始まったのか。

 ……茶化すのは止めておこう。……もう平方さんには魍魎(コールタール)がいない。

 ――代わりに、嗅ぎ慣れた悪魔の臭いがぷんぷんとしてくる。

 身体的特徴は以前の平方さんとは変わりない。……ふむ、取り合えずこの前みたく食屍鬼(ネクロファージャー)ではなさそうだ。角がある訳でもない……、呪物(フェティシュ)にでも触って、宿っている悪霊(イビルゴースト)にでも乗っ取られたか?

 

「細かいことは抜きにするわ。――死んで、瑞穂の為に」

 

 平方さん(?)は学生鞄からカッターを取り出してすぐに刃を取り出してこちらに振りかぶる。

 

 ――おっそ!?

 

 ベリアルさん直々に護身術やら体術やらを仕込まれた俺にとって、襲い掛かる平方さん(?)の動きはすごく遅かった。スローモーションだ。

 彼女が俺の肌に傷をつける前に、――俺が鞄から聖水を取り出してぶっかけた方が早かった。

 

「へぶっ」

 

 怯んで目を瞑っている隙にカッターを持つ手に衝撃を与えれば簡単に手放した。そして、想定よりも相手の体が鍛えられてない――至って普通の女子中学生なので、力を弱め、平方さんの腕を掴んで背後に回り、腕を拘束しながら地面へ押し付けた。足を動かせない様に体重をかけておくのも忘れない。

 

「……呆気ないですわね」

「は、離してっ! イヤッ! 助けてせいら、せいらっ!」

 

 平方さんは暴れるが、足も腕も動かせない状態なのでミノムシのように暴れ回っている。

 

「せいら……? はて、何方のお名前ですか?」

「せいら、せいら、せいら、せいらせいら、せいらせいらせいら……」

 

 暴れることが無駄だと分かった途端、ぐずぐずと泣いてしまった。

 ううん……、そのう……、もしかしてだけど……。

 

 悪魔案件ではない……?

 

 

 

 

 

「せいらは私が生まれた時からいた」

「でも皆には見えないお友達で、勉強で辛い私をいつだって励ましてくれた」

「なんであなたばっかり良い点を取って合格してるの……」

「どうしてどうしてどうしてどうして」

「あんな馬鹿たちよりいっぱい努力してるのに」

 

 以上が、支離滅裂だった平方さんの発言をまとめた内容だ。

 

 なんとか彼女を宥めて人気のない公園のベンチで座り、話を聞いていたけど……。聞けば聞く程、悪魔から近いようで離れている問題だった。

 彼女のご家庭は成績に厳しいらしく、主席を取れなかったことでガミガミ言われたことも相まって精神的に追い詰められ……、追い打ちをかけるように正十字学園への受験も失敗。

 泣きながら話された受験生の悲哀が、彼女にたっぷりと詰まっていた。

 

「あまり、私から詳しくは言えませんけれども……。そうですね、まずは貴方の意識から変えるところから始めた方がいいですわ」

「意識、から?」

「そう。貴方は皆さんのことを馬鹿だ馬鹿だと申しますが、果たして本当にそうでしょうか」

「……あんな馬鹿みたいに話してる奴らのことを馬鹿だって言って何が悪いの」

「でしたら、貴方は馬鹿みたいな方々と接している私に負けた時点で、お馬鹿さんに入りますわ」

「ぐっ……」

 

 目を赤く腫らした平方さんが恨めし気に見つめてくる。……魍魎(コールタール)は特にない。

 よくたかっていると思いきや、聖水投げただけで散るんだから……、なんだろうな。

 魍魎(コールタール)がたかる程に負の感情が集まるけど、悪魔が憑依する程では無かったっていうこと?

 

「そういえば、イマジナリーフレンドのせいらさんはいずこへ?」

「は? いる訳無いじゃん。私が辛い時に出て慰めてくれるだけの存在がアンタに見える訳無いじゃん」

 

 めっちゃ言われる……。それにイマジナリーフレンド持ちなのに思考がリアリストだ……。

 

「私は割り切ってるの。せいらが出る時は一番辛い時……、アンタがいたせいで、夏から今の時期までせいらがいた。私も錯乱することがあった。それでアンタに迷惑をかけただけ、それだけよ」

「そうですか……」

「だから、アンタに心配される筋合いはないの」

「それは無理な話でしてよ。現に、私は平方さんに襲われそうになったところを護身術で防衛しているのですけど……」

「うぐぐ……」

 

 潔過ぎて逆に不安になってきた。

 いやぁ……、まさかの悪魔外案件とは……。まだまだ精進不足だな。

 それにしても、このまま終わらせていいのだろうか。平方さんは“せいら”というイマジナリーフレンドを付けたまま、このまま勉強だけの秀才ちゃんで大丈夫なのだろうか。そして喋っている言葉は汚く、到底人に好かれる性格ではない。

 一旦落ち着こう。こんな時、前山エミリーならどうするか。

 

 ――ま、もう答えは決まっていたようなものか。

 

「平方さん、今時間がございまして?」

「ん? ……まぁ、あるっちゃあるけど」

「でしたら、今日は一日私と遊びましょう」

 

 幸いにして午後三時。学校から帰宅してすぐの時間だ。

 え? 平方さんにはこの後公立高校の試験が待っている?

 そうだね。――だからどうした。

 

 逆に、今の精神状況のままだと()()()()ことを知ったまま、放置する前山エミリーではなくってよ。

 

「ちなみに拒否権はございません! 襲ったことを警察に報告されたくなければ大人しく従うのですわー!」

「はぁぁぁぁっ!?」

 

 無理にでも平方さんの手を引っ張って駅へゴー。最寄りの遊園地に行って息抜きですわ!

 途中入園前の金属探知機に引っ掛かりましたけど義手のことを証明したら入れた。危なかった。

 

 

 

「さぁジェットコースター乗りますわよ」「うっわ高……きゃあぁぁぁぁぁ」

「次はぐるぐる回りますわ~!」「目、目が回るぅ……」

「ウェーブスインガーに乗りますわよ!」「…………」「あら、気絶してしまいましたわね」

 

 

 

「お次は観覧車に乗りますわ。体を休めつつ絶景を楽しめましてよ」

 

 グロッキーになった平方さんは向かい側でぐったりとしている。

 おかしいな……。なんだか俺が遊園地を使って拷問しているように見えてきた。メッフィーに毒され過ぎたか?

 一応ひっきりなしに動いていた俺の口も休めさせる為、観覧車内は自然と静かになった。ここからでもあの正十字学園が見えてくる。どれだけ高度が高い建物なんだか。

 

「……なんで、アンタは正十字学園を志望したの」

「ハイレベルな教育を受けることが出来て、入る予定の寮の設備もよく整っていたからです」

 

 ――でも、俺が入る寮って、あんなホームページに載ってるようなお綺麗な所じゃないんだよね……。

 燐・雪男らがいたような旧男子寮ではなく、旧女子寮をあてがわれるらしい……。萎える~。

 

「そういう、平方さんは?」

「……私は、親がそう望んでたから。お嬢様学校出の娘が欲しかったんだとさ」

「あら」

 

 確かに正十字学園は私立高校の中でも偏差値高いことはあって、お嬢様・ご令息学校とよく言われる。普通に入れば馬鹿高い入学金を支払うことになるが、試験成績上位になれば奨学金制度が使えるようになる。私はこの制度を使っての入学となる。

 にしても、平方さんの家はとことん子供をトロフィー扱いする家なのか。凄まじいな、これでは平方さんがこんなにも荒むのも納得がいってしまう。

 ぐったりとしていた平方さんはやや体力が回復したらしく、態勢を整えて景色を見つめていた。

 

「……本当なら勉強しなくちゃいけないのに、結局日暮れまで遊んじゃったなぁ」

 

 ぽつり呟かれた言葉はやけに湿っていた。

 

「ですが、楽しめたでしょう?」

「…………まあね。こんなに楽しかったんだね、遊園地って」

「えぇ。皆さんがこぞって休日を使って遊びに行くのも分かります」

「分かりたくないけど、分かっちゃうなぁ……」

 

 ゆっくりと目を伏せる。平方さんの目下にはやや隈があった。連日寝ずに勉強でもしているのだろうか。

 効率悪いよと言ったって、受験前はどうしたって不安になる。これまでの勉強で良いのか、この一心で頭にぎゅっぎゅっと知識を詰めてようやく安心できる。俺もそういう節が無かった訳ではない。

 

「あのさ、……ごめん。孤児院育ちの癖にとか、頭がお花畑とか、他にも僻んでストーカーしたり、襲ったり……」

「改めて述べられますとかなりの事をやっておられますね、エミリーびっくりですわ」

「うぐぅ……」

「……そうですわね。私への罵倒は許して差し上げますが、――いくら寛大な私でも、孤児院の皆さまを貶したことは許しませんわ。皆さま、好きで孤児になった訳ではありませんもの」

「……そっか。うん、別に許さなくていいよ。自分でも酷いこと言った自覚はあるから」

 

 ゆらゆらと潤んでいく平方さんの目には、今までのような色は見えない。どっちかといえば、今の平方さんはふら~っと消えていきそうな雰囲気がある。

 そう、孤児院への罵倒を許しはしない。だからといって、許す機会を与えないのもアレだ。

 俺は囁くように言ってやる。

 

「ですが、一つだけ道はあります」

「え?」

 

 聞き返した平方さんの目を離さないよう、綺麗な微笑みを作った。メッフィーから男女平等即落ちスマイルと評されたほどの完成度だ。

 

「――私と、お友達になりましょう」

 

「それが条件ですわ」

 

 

 

 

 アイツを襲った日からもうすぐに過ぎて、公立高校の試験日がやって来た。

 

「絶対合格しなさいよ」

 

 そんな言葉一つで送り出した母親にうんざりとした。いつだってこの人は()()()()()のだ。

 もういない姉の功績を私に求めるぐらいに、精神科病院で出された薬に頼るくらいに。

 

「言われなくたって合格するよ」

 

 公立で選んだ高校はどこも寮制度のある高校で、母が望むレベルの偏差値がある。

 正十字学園以外で受けた私立高校には寮制度が無く、自宅から通う予定になる。

 この試験に勝たなければ、私はもうこの家から出る手段を失うのだ。

 

 私は家を出たい。

 ……出る為にこれまで頑張ってきたのに、今は――あの時ほど、自分の気持ちの勢いがない。

 中学校に入る前から必死に予習をして、復習をして、成績を上げていった。全て受験の為だ。あの時はがむしゃらに「あんな馬鹿たちには負けない」「私のほうが頭いい」「私はあいつらのように適当に生きたりなんかしない」。この気持ちを燃やしながら勉強してきた日々だった。

 連日続く勉強漬けで心が疲弊する時がある。そんな時、――もういない姉の名を持つイマジナリーフレンドが出てくる。そうして私に囁くのだ、「あなたのことは私がよく知っている」と。私に都合の良いことばかり言って、消えるだけの存在が。

 

 ……最近、アレが出ることも無くなってきた。精神が落ち着いているという証だ。

 その要因は、恐らく、桜色の金髪をした一人の同級生。前山エミリーという外国人の少女。

 

 ――あの日、私は前山エミリーと友達になった。

 教室内でよく話しかけられるようになった。……それを皮切りに、クラスメイトとも話すようになった。

 私が、馬鹿だ馬鹿だと言ってきた奴らと話していた。流れで勉強も教えたりもして、感謝されることもあった。

 彼らとの話が、なんらかの変化をもたらしているのは明白だった。

 

 クラスメイトとする話は他愛のないものから、受験に関するものまで。

 最近流行りの音楽が、アイドルが、メイクが、新作が……とか。点Pが分からないとか、産業貿易の年代が分からないとか……。

 私が見下していた彼らは、私が全く知らないことを知っていた。私や母親が「あれは馬鹿の見るもの」として切り捨てていたことを一つ一つ拾って、手渡してくれた。……受験が終わったら一緒にライブに行こう、なんて誘ってくれる子もいた。私は彼女の好きなアイドルのことを全く知らないのに。

 

『きっかけはなんだっていいんです。平方さん、皆さんと話してみましょう』

『彼女たちは気の良い子です。なにか遊びのお誘いをしてくれたらお受けしてみましょう』

『きっと、()のままより世界が広く見える筈です』

 

 今まで生きてきた()は、『あんな勉強量じゃ合格できない』と言うのに対して、今いる()は、『大丈夫』と返している。

 

 ――それが正しかったのかは、今手元にある合格通知書が証明している。

 

 きっとアイツは言いたかったんだろうな。今の私には余裕が無いと。それでは、今のままでは潰れてしまうと。

 もし、合格せずに私立へ行っていればどうなっていたんだろうか。あまり考えたくはないけど……、ひとまず、誘ってくれた子の為にも待ち合わせ場所に行かなければならない。

 合格通知書はしっかりファイルにいれて保存し、手に持った鞄に忘れ物が無いかを確認する。

 

「…………行ってきます」

 

 すやすやと寝ている母がいる家を出た。

 

 

 

 

「前山エミリーです。よろしくお願いいたしますわ」

 

 特徴的なカワイイリボンにピンクのセーラー服とスカートに身を包み、愛らしく微笑めばクラスの大方を掌握する。

 そんな美少女いないだろって? いるんだよ。

 

 俺だよ。

 

 無事に平方さんを短期間でクラスメイトに馴染ませて問題は一旦解決。アレ、俺は単に平方さんは話しやすい人という印象を付けさせただけで、こう、それ以降表立って関与はしていない。平方さんはアイドルが好きになった模様で、そのきっかけとなった女子生徒とよく話しているのを見かける。なんとその子も同じ学校を受験して進学する予定だってね。よかったよかった。

 

 こうして中学での憂いも断って、俺はようやく正十字学園の門をくぐった。

 別にクラスメイトの掌握はいいんだ。問題はこっからでもある。

 

 心の弱いところを悪魔は突く。

 その為、祓魔師となる人物はユニークな人物が多い。原作での祓魔塾生たちだって魅力的かつユニークなキャラクターたちだ。全員が全員、雪男みたいな几帳面な性格のヤツはいないだろうと見込んでいる。

 

 ――すなわち、祓魔塾とは個性の坩堝。

 

 俺がそんな中でもエセお嬢様系キャラを維持できるのか、他のヤツらの個性に押し潰されてしまうのか……。

 今運命を決める祓魔塾として指定されている教室の扉を開いた。

 

 

 

 中にいるのは七人。

 

 

 

 一人は、ゲーム機を持ってピコピコやっている男子生徒。

 一人は、小動物のような愛らしさを持った女子生徒。

 一人は、目をあっと惹くような男子生徒。

 一人は、背の高いぽちゃりめでゆる可愛い女子生徒。

 一人は、机に長い足を乗っけてふんぞり返る男子生徒。

 一人は、その男子生徒の傍で執事の様に控える男子――いや女子生徒。

 一人は、教室の隅からぬぼーっと見つめてくる男子生徒。

 

 

 

 キャラ濃いわ!!!!!

 

 

 しかしここで挫ける訳にはいかない。祓魔塾内人気投票一位は俺の物だ(断定)。

 

「皆さまお初にお目にかかります。私の名を前山エミリーと言いますわ!」

 

「どうぞこれからよろしくお願いしますわ~!!!」

 

 ――なので、俺も負けずに挨拶をした。

 




平方瑞穂
秀才ちゃん。リアリストだけどイマジナリーフレンド持ちで冷静に自分の状態を分析して「まずいな」って思いながらそのままにしてた(対処法を知らない)。
エミリーを襲撃したことをきっかけに短い間ながらもクラスメイトたちと交流を深める。
勉強ばっかしてたので体力はクソザコ。

平方せいら
死んじゃった姉。幼くして亡くなった為、()()()()()()()の姉妹であることを知らない。ので、瑞穂のことを姉妹とは認識せず、自分を見て話してくれる()()だと思ってる。
なお、これまでのせいらの動向は瑞穂が分析した『せいらだったらこうするだろう』というデータに基づいている。全部ひとり芝居だって、はっきり分かんだね。

クラスメイト
聖人の集まり。いじめとかない。

前山エミリー(アル)
自分の事は気にしてないけど孤児院のこと貶すと怒る一般女装お兄ちゃん。
高校デビューしたからいつも四葉のクローバーのネックレスつけて登校する。


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まだまだ訓練生(ペイジ)ですのよ


☆祝・出雲ちゃん編アニメ化☆

来年一月から放送するので、見よう!
当作品はイルミナティ撲滅を心から応援しております。

提供は

正 十 字 騎 士 團
謎 の ブ ラ ザ ー

でお送りいたしました。

★前回(約一年近く前の話)のあらすじ★
十三號セクション出身アルくんは前山エミリー(女装)となって正十字学園に入学し、祓魔塾に入塾したよ!
(アクが)強そうなヤツばっかでオラワクワクすっぞ!
おっし、ここはいっちょ元気な挨拶でもすっか! したぜ!←イマココ

※過去話を含めての誤字報告ありがとうございます!



 

 どこからどう見ても聞いても元気かつ完璧な挨拶をした。それから周囲の反応を窺う。

 まず好意的な反応――手を振ったり、挨拶し返してくれる人数と、無反応・呆気、悪意的な反応とで判断。教卓前の列に座る女子二人はおおむね好印象、手を振り返したり、軽く頭を下げたりしてくれている。

 よく分からないのが教室隅にいる前髪で目元が隠れている男子生徒と、視線を一瞬寄越すだけで終わった男子生徒の二人。驚いてるのは目元隠れ男子生徒の前に座る、ゲームをしている男子生徒。

 ――そしてあからさまに表情を歪めたのが、女子生徒二人より後方の座席に座る男女組。女子生徒の方は男子の制服を着ているが、あれは女だな、うん。この俺の目は誤魔化せんぞ。

 

「まったく、静かに挨拶することも出来ない奴がいるとはね。正十字学園も質が落ちたな」

「元気な挨拶をすることで何かご不満になりましたか? それとも声の大きさでしょうか……」

 

「失礼しましたわ~!」

 

「「!?」」

 

 俺は悪びれることなく大声を出してやる。発声練習は淑女の務めでしてよ。

 会話もほどほどに、――俺は女子二人が座る席の近くに移動した。集団の中で違和感なく馴染むには同性と交流を深めてから、他の異性・同性と輪を広めていくに限る。

 ま、普通に考えて女子より先に男子に話しかける女子をどう思うかだよな。十中八九良い顔はされないので、スタンダードにいくべきだ。

 

「先程はお騒がせしましたが、どうぞよろしくお願いいたしますわ」

 

 手を差し伸べる先は、女子の内、中々にガタイの良い女子。

 「よろしく~」と握手を返してもらった。忘れずその隣、身長の低い女子にも握手をプレゼンツすると無事に受け取って貰えた。「あの、よろしくです!」だって、あら可愛い。

 ほんわかしていると教室の中に見覚えのある水玉ピンクスカーフをつけたスコティッシュ・テリアが入ってきた。続いて黒のロングコート、胸元に赤と青の――祓魔師(エクソシスト)の証を身につけた男性がやってきて、教卓へ持っていた段ボールを置いた。

 

「あー、人数は揃ってるみたいだね……。はい、初めまして。僕は湯ノ川ススムといいます。これから君達の担任なんで、よろしく」

 

 もっさり頭に顔を覆うぐらい大きなカラーサングラス。背景にいながら存在感を主張するあの――スーパーモブの湯ノ川ススムさんじゃないか!

 

「まずは……、皆自己紹介してもらっていいかな。例年いくらか脱落するとはいえ、これから共に学ぶクラスメイトだからね」

 

 じゃ、そっちの列からと告げるとススム先生は早速教卓の椅子に座った。

 私から見て左側、滅茶苦茶に顔面宝具系男子が立ち上がる。自然な発色の銀髪にあの透き通った紫色の目! モデルでもやってらっしゃる?

 

「ルスラン・エフィモヴィチ・ジェルガーチェフ。よろしくお願いします」

 

 俺にも劣らぬほど美しい九十度のお辞儀をして座った。そっけない態度だが拍手をしておこう。

 名前からしなくてもロシア系だろうか。あっちはあっち……、というか各国に祓魔塾っぽい施設があるのに何故日本にいるのだろうか。

 俺の疑問を他所に彼の後方の椅子に座っているぬぼーっと系男子が立つ。……うーむ、違和感。

 

佐々原(ささはら)龍人(りゅうと)でーす……。よろしくお願いしゃーす」

 

 あからさまにやる気のない自己紹介で終わった……。拍手を忘れない。前山エミリー、イイコダモノ。

 左側の列が終わったので、今度は俺たちの座る真ん中の列。目の前で小柄な少女が立ち上がった。身長は140ぐらいか、黒髪でふわっとしたセミロングなこともあって小動物的な可愛さがある。

 

「私は剣崎(けんざき)晴海(はるみ)って言います! 趣味はお茶や手芸で、この塾に来たのは少しでも悪魔で悩む人たちの助けになりたいと思ったからです! どうぞよろしくお願いします!」

 

 ん~、百点満点。可愛い(確信) 意気込み含めて可愛い。

 知ってる? 俺さっきあの子と握手したんだぜ……? いつもより激しい拍手を送っておこう。

 あそこのキモテリアも「ちゃんわぃ~♡」って言いながら悶えてるようだし。うわキモ……。まだテリアの姿だから見られたな。

 ちょっと照れながら座るところも可愛い。あれもう可愛いしか言ってなくない? カムバック俺の語彙力。

 

「あたしは千頭(ちかみ)万里(まり)。よろしく~」

 

 こっちはゆるふわっとした感じだが、かなり高身長な女子。シュラさんに負けず劣らずのバスト……、ふむ……。あのテリア、座った時に見えた胸の揺れを見て頷いたぞ。ふむ……。

 おっと感想も拍手もそこまでにしておいて、次は俺だ。俺が立ち上がると数名が身構えた。

 

 ふっ……。

 

「先程紹介させていただきましたが、改めて。前山エミリーと申します。私の信念はルシフェル(悪魔)を滅すること! よろしくお願いしますわ」

 

 前二人からの拍手を受けて座る。おい誰だ今「あのクソデカ音声は一体」とか言ったゲームやってる系男子くん。……特定しちゃった。

 なんとなくそっち――、右側を見ているとひぃっと悲鳴を上げられた。陰キャか?

 俺が暫定陰キャくんで遊んでいる内に背後から立つ音が。今度はあの偉そうな男子だ。

 

久見矩度(ひさみくど)草太朗(そうたろう)だ。慣れ合う気はない。精々僕の足を引っ張らないようにしてくれ」

 

 なんでそう初手で見た印象のままのマルフォイムーブをかませるんだ。逆にそこまで王道のマルフォイムーブが出来るのって逸材じゃないか?

 まぁでも拍手はするよ。前山エミリー、イイコダモノ。

 というか久見矩度って確かぁ……、結構な財閥じゃありませんこと? 流石お金持ち学園。

 

五葉(ごよう)(さく)と申します。草太朗様の召使でございます。以後、お見知りおきを」

 

 ふぅ~~~~~~ん?

 おいおい、男子にしちゃぁ喉仏も無くて体付きも華奢じゃあ無いか……。そういう男子もいるっちゃいるが、声帯は確実に女だ。

 この女装男装勝負、俺の勝ちだな。

 

 真ん中の列が終われば右隣の列。そこにはもう先程のゲーム男子しか座っていない。明らかに小柄なゲーム系男子くんは嫌々そうに立ち上がった。

 

「………………九井(ここのい)(けい)です。よろしく……」

 

 声ちっさ。

 目にも隈あるし不健康なことこの上無い。大丈夫? 毎日の食事カロリーメイ○とか十秒○ャージとかで済ませてない?

 

「はい、皆ありがとう。それじゃまず、この中で魔障(ましょう)を受けていない人はいるかな。……あ、魔障っていうのは悪魔に付けられた傷の総称のことね」

 

 基本、素質の無い一般人でも魔障を受ければ見えるようになる。壁一枚隔てた場所で悪魔が存在している、ということがよく分かる世界観だ。

 この中で手を上げたのは二人。前の晴海ちゃんに九井だ。

 

「二人か。魔障の儀式を行うから前に出てきてね」

 

 持ってきた段ボールから取り出されたのは、瓶に入れられた小鬼(ゴブリン)。体の小さい個体でいわゆる雑魚というやつ。だが、外に出たそうにカリカリと瓶を引っ掻いていた。

 ススム先生は蓋を開けると器用に片手で小鬼(ゴブリン)の四肢を纏めて持って、右手だけ自由な形にした。すると、教卓前に出てきた二人へと差し出した。

 

「ちょっとだけ痛いけど大丈夫大丈夫。さ、腕出して」

 

 ちょっと怖気ながら先に出したのは晴海ちゃんだ。おい九井、なに晴海ちゃんに先にやらせてんだオラァン?

 

「っ、ちょっと痛いですね……」

 

 ああ、綺麗な肌に引っ掻き傷が……。これは手痛い損失ですよ、軟膏あったっけ……、と思っている間に九井への儀式を済ませ、湯ノ花先生が二人の手当てを済ませていた。なんてスマートな動きなんだ、オレじゃなくても見逃さないね。

 

「はい、これで儀式は終了です」

 

 言っている間に小鬼(ゴブリン)を瓶の中に戻した。原作のように小鬼(ゴブリン)の暴走なんてこともなく平和に終わった。やっぱ原作主人公たる燐がいないと平和なんだなぁ……。しみじみと思いつつ、湯ノ花先生の言葉の続きを待っていると教卓前から軽やかな音と共に白い煙が!

 

「グーテン……」

 

 そんなメッフィーの眼前に拳が!?

 

 あまりにも早い初速の拳の持ち主はルスランだった。

 しかし、難無くひらりと避けられて目を見開いて体の動きが止まった。

 

「モルゲン☆ んもう、せっかちさんですね。()()()()()()()()()()()()()()?」

「ッ」

 

 なんかそんなことを言われてルスランが身を引いた。お母様の御意向でそんな殺人拳が……?

 俺の疑問を他所に、ルスランは殺気はそのままにして身構えだけは解いたが、次の瞬間には白い煙に包まれて椅子に座らされていた。体が可愛らしいピンクのリボンで縛られていることから、誰がやったのか言わずとも分かるだろう。

 いやぁ……、すっご……。相手が時を操るチートキャラじゃなきゃ潰せてたぞ……。

 俺もあんな初速が欲しい……、だってあれ、メッフィーだから止められただけであって、ルシフェルなら知覚される前にぶん殴れただろ?

 実験施設でルシフェルにぶちかました時のはなんか、火事場の馬鹿力的なもんだったからさ……。

 

「よ、ヨハン・ファウスト五世……!」

「正十字学園の理事長がなんでここに……」

 

 ルシフェル討伐に足りないのはスピード・パワー。

 やはりスピードとパワーこそが正義。その名の元には堕天使なんぞ一刀両断……、あいて。どこからともなく現れた包装されたキャンディーが額に当たった。これも誰がやったのか(以下略)

 

「痛いですわ」

「大丈夫ですか?」

「えぇ、小突かれた程度ですわ」

 

 晴海ちゃんが振り返って心配してくれた。可愛い。

 しょんもりとした顔を作りつつ、包み紙を開いていく。茶色い飴が見えて口に放り投げた。うーん、コーラ味。

 

「食べるんだ……」

「食べた……」

「食べやがった……」

 

 ちょっと小腹が空いてたから! 小腹が空いてただけだから!

 そこのピエロから生み出された物だとしても飴自体に罪は無いんだから!

 

「んんっ! 少し遅れましたが――。皆さん入塾おめでとうございまっす☆ これから一人として欠けることなく学び、楽しみ、そして成長するよう願っていますよ☆彡」

 

 アウフヴィダーゼーエン! なんてドイツ語のサヨナラを残してメッフィーは退場。残されたのは可愛らしくラッピングされたルスランと、面倒臭げにぽりぽりと頬を搔いている湯ノ花先生。

 

「はい。以上がありがたい学園長からのお話でした。それじゃ……」

 

 何事も無かったように諸々の連絡事項を言い渡されて、本日は終わりらしかった。

 渡されたプリントと言えば年間を通しての祓魔塾のスケジュール。ここから一ヶ月半後に合宿がある。燐の時代じゃ合宿は候補生(エクスワイア)認定試験を兼ねていたが、気を引き締めて臨んだ方がいいか。候補生(エクスワイア)になればより祓魔師(エクソシスト)の道に近付く。

 でも学業と並行してやらなきゃいけないんだが……、明らかに中学の時より忙しないと分かる。

 

「ねーえー、一緒に帰らない?」

「ほわぁ。えっと、分かりましたわ!」

 

 プリントの前にまろやかフェイスの……万里さんがいた。急ぎながら優雅さを忘れない仕草でプリントをしまうとエレガントに離席。万里さんと晴海ちゃんと一緒に教室を出ていった。よーし、順調なリア充生活だぁ。

 

「皆さま女子寮にお住まいですか?」

「そーだよー」

「前山さんは違うのですか?」

「実は私、ある事情から旧女子寮の方に宿を借りておりますの。……それから、前山さんではなく、気軽にエミリーと呼んでくださいまし。折角、志を同じくする同期ですもの。仲良くいたしましょう?」

 

 最早常備品ともなったお嬢様スマイルに二人もつられて笑ってくれた。

 

「うん! それじゃあ、よろしくお願いしますね。エミリー!」

「あたしも万里でいいよ~」

「わ、私も……!」

 

 お喋りしながら二人を綺麗に掃除された女子寮へ送り、渋々俺はそこからかなり離れた場所にある旧女子寮に戻った。

 ここはさぁ……、内部はメッフィーによって掃除業者が入って掃除されて完璧に使えないって訳じゃないけど最新設備の整ったあそこに比べれば……ねぇ?

 自室とした部屋に入って二段ベッドの内、下のベッドへ鞄を放り投げた。体の上半身だけそこへ倒すと溜息が出た。

 

「とうとう入塾かぁ……」

 

 祓魔師(エクソシスト)への一歩。感慨深く思うが、同時に不安もある。このままがむしゃらに力をつけたとしてもルシフェルに適うのかとか、もし全てが終わる前に俺が死んでしまったらとか。

 ……アーサー、今どうしてるだろうかとか。あの胡散臭いスパイ男に洗脳でもされてないか、アルジャーノンとか俺じゃないアルくんがちゃんと人らしく生活を送れているのかとか。

 孤児院にいる兄弟たちは人並みに送れているとして、アーサーたちに関しては本当に情報が分からない。言ってもメッフィーはニヤニヤとして教えてくんないし、俺には聖座庁(グレゴルセデス)のツテとかないし……。いや、あったわ。

 

「頑張るしかない。頑張るしか……!」

 

 まずは近い目標でも立てるか。祓魔師(エクソシスト)認定試験の合格は当たり前として。

 そうだな……、あのルスランの初撃。

 あの目で追うのもやっとなスピードを一年の内に身に付けることを目標にしよう!

 

 

 

 

 午前、授業。お昼、クラスメイツとおランチ。午後、正十字学園の授業が終われば祓魔塾のカリキュラム。

 四月はこのルーティンに慣れる為に早く過ぎていった。五月になるとちょっと慣れが出てきて、あることを思い出した。

 メッフィーの私室へと繋がる鍵の他に、“入学祝”と称されてもらった鍵がある。

 ――祓魔用品店の『祓魔屋』に繋がる鍵だ。

 

 外国の名所いいとこ取りスペシャルな正十字学園から一本細く伸びる橋の先にあるのが『祓魔屋』だが、結界か何かでも張られているのか鍵を使えなければ辿り着くことは無い。この結界の張りようと正十字学園に近いこともあって、メッフィーにとってもかなり重視している場所なのが分かる。

 

 ま、その正体は三賢者(グリゴリ)の一角、シェミハザ一家の経営するお店なんですがね。そもそもメッフィーが青い夜以降にここへ誘致したって話らしいし……。

 

 俺はその鍵を貰ったことを何の予定も無い日曜日に思い出したので、早速使うことにした。シリンダー錠の鍵穴へまったく違う形の鍵を入れるとすんなりと入り、ノブを回して扉を開ける。

 すると、そこに在るのはいつもの女子寮の廊下ではなく、生い茂った緑に埋もれるようにある石段だった。その先にある黒い鉄柵に囲われた広大な農園と、その先にある自然に包まれた家。

 俺の目的はそんな家の前の農園でせっせと土いじりをしている、髪を上に団子状へまとめ上げた着物のおばあさんだ。近付くヒールの音に気が付いたのか、ふらりと顔を上げる。

 目線が合う。誰だ、という目から――俺が誰だか気付いたように瞳の縁が震えた。

 

「久しぶり、()()()()()

「まぁ、随分可愛らしい姿になって」

「でしょう?」

 

 土いじりの手を止めたおばあさんは手に付いた汚れを拭くと藤棚の下にあるベンチを指差した。丁度咲き頃らしく淡い紫色の藤を咲かせていた。

 

「まさかあんな仰々しいおばあさんがこんなちんまりしているとは思いませんでしたわ!」

「そうね……。例え、力があっても私たちの半分は人だもの。今は普通にしてもいいのよ。貴方以外にお客さんはいませんから」

「……それじゃ、お言葉に甘えますか」

 

 ということでお嬢様言葉は一時封印。あの青い夜の日、ルシフェルへ特攻を仕掛けた結果失った俺の左腕の応急処置をしたおばあさん――三賢者(グリゴリ)の一人、シェミハザは俺の左腕を見ていた。

 

「あ、気になる? これ義手。三角さんたちが合同で作ってくれたんだよ」

「そうなの。動きに支障とかは無いのかしら」

「全然ない! だから快適! ネックなのは夏になるとアツアツになること!」

 

 がははとお嬢様らしからぬ笑いを飛ばせばおばあさんもふふっと上品に微笑んだ。今度上品な微笑みをする時に参考にさせてもらうぜ!

 

「俺さぁ、アンタには色々と聞きたいことがあるんだけど……、答えてくれる?」

「内容に依ります」

「じゃあ早速。ウザイ家に引き取られたアーサー・アルジャーノン・アルの三人について」

 

 『アル』と言葉にしておばあさんはちらりと俺を見た。

 

「貴方は、自分がもう一人いるということには何かしら思わないのですか」

「……何も思わない訳じゃない。でもさぁ……、俺がアルであった頃に一番親交の深かった奴はアル俺に関する記憶が消えてるからさ。だからこそなんとか紙一重で、悪い方向に思わないでいられているだけ」

 

 俺の言葉におばあさんはやや息を詰まらせた。俺もビックリだよ、結構アーサーのことを気にしているんだってね。

 なんだろう、多分なんだけど……、原作キャラとかそういうのを抜きにして、かなり俺の深い位置にアーサーのことを据えて考えている、と思う。

 

「で、どうなの? まさか極秘裏に人体実験の素体とかにしてないよね?」

「貴方が気にする三人はウザイ家で家庭教師を雇って教養やマナーを習っている最中です。人体実験なんてさせませんよ」

「……ならいいけど」

 

 しえみちゃんの記憶操作してたっぽいとことかあるしなぁ~。ほら、エレミヤとかいうスパイ男って上っ面だけは上手に取り繕えるエリートクソボンボンみたいな雰囲気あるから。そもそもルシフェル信仰する人間なんて信用ならないから。

 

「これで最後かな。俺にこの鍵を渡すように言ったのはアンタ?」

 

 ポケットから取り出して指先で回したのはここへ来るのに使った鍵。俺の問いに、おばあさんは頷いた。

 

「えぇ。私がメフィストに渡すよう言いました。私自身、貴方とは個人的に話がしたいと思っていたので」

「へぇ~……。三賢者(グリゴリ)の一人にそう言われるだなんて光栄光栄」

「こうして話してみて、意外に思いました。貴方が私に向ける敵意があまりにも少ないので」

 

 俺のかっるい誉め言葉をスルーして告げられた言葉に、今度は俺が黙った。

 敵意、敵意なぁ?

 じとーっとおばあさんを見つめ、それから家の方を見つめた。

 

「無い訳じゃないよ」

「実験の責任者として向ける視線にしては、という意味です」

「そうだなぁ……。確かにアンタらはあの実験を継続させた。早めに切り上げれば失われる命は少なかった、俺たち()()()()()()()()()()ではな。もし止めていれば、青い夜以上の死人が出たかもしれない」

 

 心を痛める様におばあさんは目を閉じた。

 俯瞰的に見れば、エリクサー実験を続行させなければルシフェルはきっと健常な人間たちに向けてボンバーしていた。

 そうなればどれだけの人間が命を落としただろう。あの光は、サタンが器を求めて結果的に焼いた青い夜よりも――もっと無差別に人の命を殺していっただろう。

 サタンは自分を受け入れられる器を狙っての話だが、ルシフェルはもうあの実験以前から人間に並々ならぬ怒りを抱いていた。

 理性的な様でそういうところが幼稚なルシフェルだからな。

 

三賢者(グリゴリ)とか十三號セクションに従事していた人間よりも、あの悪魔を殺したいと思った」

 

 醜い死骸を延命させて、例え同じ遺伝子を持とうが自分ではない他人の命を食いのさばるあの化物。

 自分たちにのみ都合の良い理想論を吐いて、今もなお多くの人間を誑かして滅びへと向かう手伝いをさせる。

 

 多くの兄弟たちの死骸を喰って踏み躙った、あの悪魔を。

 『生かしてはおけない』と思った。

 

「いや、アイツは()()。例え不死身だろうと何度でも殺す。器に乗り移る前に殺す。そうして、兄弟たちがアイツの手に掛かることなく人生を生きられたのなら……」

 

 そこまで口にして、思わず手で口元を隠した。

 

「……ごめん、ちょっと熱くなった」

「いいえ、……それが貴方の願いなのですね」

「まぁ、そんな感じ」

 

 誤魔化すようにへらっと笑う。これはお嬢様感の無い笑顔だ。

 それに対し、おばあさんは光が眩しくて目を細めている、そんな笑顔を見せていた。

 

「おばあさんは俺が『アル』っていうことを知ってるから口が緩くなってんのかね。意外な弱点を発見しちゃったわ」

「本当の自分を隠したまま生活を送るというのは、きっと貴方が思っている以上に精神をすり減らしているのでしょう。知人にも隠したままの生活だなんて……、それは単なる婆にも口が軽くなるわ」

「えぇ? アンタが単なる婆さん? 冗談は止めてくれよ」

 

 とんだ三賢者(グリゴリ)ジョークだ。ははははと笑っていると、確かに内側に積もっていた物が軽くなっていった。

 前山エミリーがアルだと知っているのは、メッフィーとベリアルさんにシェミハザ、三角さんとネイガウス先生(まだ先生じゃない)。そのたった五人(内三人は悪魔)なのだ。

 

「今日はありがとう。また寄らせてもらうよ」

 

 ベンチから立っておばあさんに手を振って別れを告げた。穏やかな顔でおばあさんが手を振り返していた。

 あの石段が見えた地点に立つと鍵を取り出して宙で回す。それだけで空間が切り取られたように開き、俺の自室を見せていた。

 

 

 

 

 祓魔塾の講義は色々とベリアルさんから教わっている範囲に被っていたが、復習だと思いながら受けていた。周囲より余裕なせいか、授業中に同期になるメンバーの観察を行ってみた。

 

 まず、友人にもなった晴海ちゃんと万里さん。晴海ちゃんは比較的真面目だが、万里さんは聖書の暗唱などでよく寝ている。きっと詠唱士(アリア)称号(マイスター)をハナから取るつもりがないのだろう。

 かなり真面目に受けているのは晴海ちゃんを含め、ルスラン、あの坊ちゃんとその召使。

 起きているがいつでもぬぼーっとしているのは佐々原とかいうやつ。アイツは俺の視線に気付くのかよく目が合い、そして俺は照れ隠しにウィンクをする。てへぺろ。

 やる気があるようでないようなのがあのゲーム男子の九井。一応授業中にゲームはしないが、寝不足からか居眠りしている場面を多々見受ける。

 比較的この塾生はやる気のあるメンバーだと思われる。いやぁ、身が引き締まるね。

 

 四月中は一通りの知識の詰め込みだったが、五月に入るとより実演的な物が入ってきた。

 そう、今週は『体育・実技』と『魔法円・印章術』の実演があるのだ。

 

 体育館というよりは地下に作られた闘技場といった雰囲気のある第四体育館。ここの中央には橋があり、体育館の中央では蝦蟇リーパーを入れた檻が四つ、円形に並べられている。

 教官は知らない人でした。まーそりゃそうよね。原作軸からまだ十五、六年開きがあるんだから。

 蝦蟇(リーパー)は基本大人しいけど心を読んで動揺したら襲ってくるよ~、なんて説明を受けて蝦蟇(リーパー)を使った体力育成訓練が始まった。

 檻の中から放出された蝦蟇(リーパー)から逃げ回るだけの簡単な訓練だ。

 

「はぁっ、はぁっ……。つ、疲れるね……」

「カヒューッ……」

 

 初っ端から指名された晴海ちゃん・九井コンビはぜぇぜぇと息を切らしていた。九井くん大丈夫?

 思わず気道を確認した。続いて脈を確認。

 不安げな顔をした万里さんが近寄って来た。

 

「先生、彼の容態はどうなんですか」

 

 俺は無言で頭を振った。

 

「――ご臨終です」

ごろずなぁ……!

「すみません。ですが、毎日散歩するぐらいの外出はして、ある程度の体力の確保をした方がよろしいですわ」

「うぐっ」

 

 生ける屍九井を地面にゆっくり倒すと、それをつんつくと万里さんが突いていた。

 眼下ではお次のペア、久見矩度の坊ちゃんと佐々原。先程のペアよりかは蝦蟇(リーパー)との距離を稼げているが、それでも息が上がっている。でも坊ちゃんの方は早々に落ちると思ったけど、意外と体を鍛えているのかもしれない。努力系マルフォイか……。

 追い回しが一区切りついて二人が上がってきた。汗を流す坊ちゃんにはすかさず五葉ちゃんがタオルとスポーツドリンクを。おうおう、充実したサポート受けてんなコラ。

 

「次! ジェルガーチェフ、前山!」

「呼ばれましたわ」

「エミリー頑張って!」「がんば~」

「頑張りますわ~」

 

 晴海ちゃんたちに見送られて下へと降りる。そんな俺の隣にはかの初速スピード抜群の男、ルスラン。現在俺が目標とする男だ。

 

「ルスランさん。よろしくお願いしますわ」

「……」

 

 あぁ~ガン無視の音ォ~!

 

 俺のコミュニケーション術、握手にすら一瞥もくれないまま教官の「はじめ!」という声が響いた。

 すると先程坊ちゃんペアを追い回した蝦蟇(リーパー)とは別の蝦蟇(リーパー)が出てきて、どっすんどっすん飛び上がって俺たち目掛けてやってきた。

 

「意外と蝦蟇(リーパー)って大きいのですわね~!?」

 

 俺が対峙してきた悪魔、基本人間形態なことを思い出した。ルシフェル、メフィスト、食屍鬼(ネクロファージャー)……。

 こんなビッグな蛙に追いかけ回されるのはなんか新鮮。浮き上がった気持ちのまま、蝦蟇(リーパー)との距離を一定に保つよう調整しながら逃げ回る。

 俺の斜め前を走るのはルスラン。――その走りのフォームは、正に理想的な形をしていた。走りだけではない、捲った袖から見える腕の筋肉からも分かる通り、こいつはとんでもない肉体美を持っていた。

 

「――!」

 

 たまらず俺は速度を上げた。ルスランの横に並んでじっくり観察。……なんだぁこいつ、一体どんな鍛え方をすればこんな風になる!?

 

「あのルスランさん! お話いいですか!」

 

 ちらりと一瞥。そして視線を戻した。

 へーん、いいもん。勝手に喋るから。この後喋るまで追いかけ回してやるからいいもん。

 

「入塾した際、理事長様へ一瞬で距離を詰めたあのスピード……。どうやったら出せますの!!!」

「!?」

 

 今度はルスランが驚いたように俺を見た。心なしか観客の方からも見られている気がする。

 気、じゃない。確実に見られてますわな!

 

「あのスピード、拳の繰り出し方! それから身構えを解いてからのスムーズな切り替え! 惚れ惚れいたしました! 是非師匠になってくださいまし!」

「はぁっ!?」

 

 え? ベリアルさんがいるだろって?

 確かにベリアルさん講義は今でも続いているよ。人間じゃ知り得ない知識の蓄えとかもたっぷりある。

 でも、でもだぞ……!

 

 青春……、したいじゃん!

 

 折角同期になったんだからさぁ!

 ああやって強くて斜めに構えてる奴を師匠役にしてコミュニケーションしてぇよなぁ!?

 ゆくゆくは同期、果ては後輩や先輩共を鍛えて――最終決戦に備えてぇよなぁ!?

 

「……大腿直筋と上腕三頭筋を鍛えろ」

「なぜでしょうか!」

「そこは速筋といって、素早さと力を引き出す筋肉の割合が身体の中でも一番多い部分だ」

「速筋! 勉強になりますわ!」

「スクワットが基本だが、慣れが出たのならバウンディング等に手を出すのもいいだろう」

「バウンディングって、あの飛び回るスポーツのことですか」

「あぁ」

 

 すっげー喋ってくれるんだけど。

 さっとポケットから取り出したメモに言ってくれたことを書き連ねていきながら質問を重ねると、「しゅ、終了!」と声が出た。

 蝦蟇(リーパー)が檻の中へ戻され、上へ登る為の階段前で彼は俺を振り返った。

 

「……それから、師匠にはなれない」

 

 それを言ってさっさと登っていった。それから一人でクールダウンを取っている。ほとんどルスランは話さないことが多い、というかあんな長文喋ったのさっきのが初めてだぞ。

 ……なるほどね。トレーニング関係の話題だと口が軽くなるのかもしれない。

 

「え、エミリーすごいね……。息苦しくない?」

「えぇ……。まさか喋ってくださるとは思いませんでした」

「そっち!?」

「あたしもビックリ。んじゃ行ってきます」

「あ、いってらっしゃい!」「頑張ってくださいまし~!」

「体力には自信あるんだよね~」

 

 いつもより明るい笑顔で万里さんが降りていった。どうやら彼女は座学よりも実技で目が光るタイプらしい。

 中々に実りの多い時間だった……。

 

 

 

 

「本日から始まる魔法円・印章術は私、藤堂三郎太が担任させていただくよ」

 

 三十代のおじさんの風貌をした裏切り系祓魔師(エクソシスト)は人の良い笑みを浮かべていた。

 とんだ出オチかな?

 チェンジで。

 

 ネイガウス先生どこ……、ここ……?

 いや、まだ講師にはなってないんだっけか……。「俺はまだ忙しい」とかいって過去を切り取った十三號セクションもとい工房に籠ってましたわ。

 

 この藤堂三郎太、青エクファンなら印象に深い人物だと思われる。明陀衆(みょうだしゅう)の秘匿してきた迦楼羅(かるら)を食らい、再生能力を身に宿して雪男くんを付け狙う――悪魔堕ちおじさんだ。急に悪魔食ってパワーアップすんだもん……、こわ……。

 しかも祓魔師(エクソシスト)のエリート家系生まれでも兄弟に虐げられて育ち、そのせいでルシフェルとかいうクソボンバーの囁きが効いたのかイルミナティ堕ち。

 挙句の果てに選ばれし者(セイバー)なんてものになって最期はエリクサーの素材。

 

 あー敵ですわ敵ですわ。殺さないと(使命感)

 でも落ち着くのよエミリー、いやアル。ここで手を出せば全て終わりですわ。無難にやり過ごすのですわ!(ヤケクソ)

 

祓魔師(エクソシスト)の中には称号(マイスター)があるのはもう知っていると思う。この授業ではその中の一つ、手騎士(テイマー)に関して知識を深めていくものだよ。手騎士(テイマー)は悪魔を召喚して戦うスタイルなんだけど、悪魔を召喚するのには強靭な精神力と天性の才能が必要だからね。今日は皆にその才能があるのかをテストするよ」

 

 わざわざ一人一人の前にやってきて手渡されたのは針と地面に書かれた魔法円を簡略化したもの。

 

「召喚には自分の血と呼び掛けが必要となります。この呼び掛けは自然と頭に浮かんできた言葉を口に出すので、明確な形はありません。まずは先生がやってみますね」

 

 藤堂が魔法円の中に血を垂らす。

 

我が呼び声に答え、地の底より現れよ

 

 魔法円の中から赤み帯びた鱗の爬虫類がズズズと出てきた。火蜥蜴(サラマンダー)だ。

 サラマンダー より はやーい!

 ……手騎士(テイマー)って希少らしいけど、その希少の一部にこのおじさん入ってるんだよな。

 ――気を引き締めよう、隙は見せない様に。

 いや、返ってそっちのが怪しいか? 自然体か、警戒をするか。迷いどころだ……。

 

「さ、皆さんもやってみましょう」

 

 その言葉で各々が指先に針を刺して紙につけていた。

 

「ダメですね、何も手応えがありません……」

「ちっ、分かってたけど才能無いのか。はぁ……、マジクソゲー」

「……」

 

 五葉ちゃん、九井、ルスランは無かったようでひらひらと紙を動かしていた。

 

毘沙門の力宿りし霊山。つづら折りの道から吹き返る風よ、その姿を現せ

 

 坊ちゃんの声と共に奴の持つ紙から何かが出てきそうな雰囲気を感じた。

 ぽっと目の前に現れたのは、山伏衣装に身を包んだ烏天狗。背中から生える黒い鴉羽と、赤茶色の毛並みを持つ――二足歩行の狐の顔をした悪魔だった。

 

「おぉ、烏天狗(カラステング)ですか! 凄まじい力を感じますね、中級クラスは間違いありません!」

 

 藤堂と召使の五葉ちゃんの拍手に気分を良くしたのか、坊ちゃんは得意げな顔を晒している。

 いっけね、俺もやってみよう。ここで才能があったら戦略の幅が広がっていい感じなんだけどな~……。

 指先を針で指し、出来た血の玉を紙に押し付けた。

 そうして、頭に浮かんだ言葉を言うらしいが……。流石に信者の前で「ルシフェル死ね!」は駄目だろうな。アンチかテメー、で警戒される。

 

「隠れてないで出て来い~」

 

 俺が苦悩している間に、隣にいた万里さんが召喚を成功させていた。

 その姿は、巨岩のようだった。万里さんより遥かに頭上に葉っぱを乗せた頭がある程の巨体。短い手足に太ましい尾。

 ――それは、とてつもなく大きな『狸』だった……。

 

「こ、これは……(ゴブリン)の一種でしょうか……」

「なんかかわい~。ラッキ~」

 

 早速万里さんが狸に抱き着くと、狸も嬉しそうにキュッキュッと鳴き声を出した。これが(ゴブリン)って本当?

 

「か、可愛い……」

 

 隣にいた晴海ちゃんも狸の毛深さにノックアウトされている。いいな俺も埋もれてみた……ハッ!

 万里さんの狸の毛深さに見惚れるのもいいが、なにか召喚する為の言葉を出さなければ。まずそれすらしてなければ適性の有無が分からない。

 

 言葉、言葉、言葉……!

 

 俺は手騎士(テイマー)の才能があるなら欲しい。手数が単純に増えるのは嬉しいからな。だから、だから……!

 

急募! 私の左腕!

 

 

 

 カッ!

 

 

 

「うぉっ!眩し!」「富○フラッシュ!?」「ぐ!」

 

 俺の持っていた紙から白い光が放たれた。あまりの眩しさに目を閉じた――、何故か頭の上が生暖かい。

 

「え、エミリー! 頭の上に子犬がいるよ!」

「子犬ですって?」

 

 紙を折り畳んで胸ポケットに入れ、頭の上を確認する。取り合えず持てる場所を持って下ろしてみると――子犬だった。

 体毛は純黒で夏場はかなり暑そうな……、子犬。だらしなく舌を出している可愛い子犬だった……。

 光で何事かと近寄って来た藤堂は呆然と呟いた。

 

黒妖犬(ブラックドッグ)の、幼体ですね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、今年は三人も適性があるなんて良い傾向ですね」

 

 左から烏天狗(カラステング)(ゴブリン)黒妖犬(ブラックドッグ)の幼体。

 この中じゃ一番中二心くすぐられるネーミングなのに、俺のが一番ちんちくりんである。

 

「ですが気をつけてください。悪魔は自信の無い召喚主には従いません。弱りでもすればその隙を狙って……ガブリ、なんてこともあります。襲われそうになった時は召喚した魔法円を崩すと良いです。貴方達の場合は紙を破れば悪魔を強制的に返還することが出来ますが、大変気をつける様に」

「はい」「は~い」「分かりましたわ!」

 

 それで『魔法円・印章術』の講義は終わった。

 あまりのデカさなので早々に万里さんは紙を破っていた。中々サッパリしている。のっそり歩きながらその目は俺が抱いている子犬を見つめていた。

 

「ねー、抱っこしてもいいかな」

「ふむ……。先程からずっと大人しく抱かれていますから、多分大丈夫ですわ。黒妖犬(ブラックドッグ)さん、決して万里さんたちを噛んではなりませんからね」

「私も触ってみていいかな……?」

 

 俺が腕に抱いていた黒妖犬(ブラックドッグ)を万里さんに渡すと、万里さんと晴海ちゃんは黒妖犬(ブラックドッグ)を撫でまわした。……こ、この野郎、万里さんの胸にダイレクトに当たってやがる。うらやま……けしからん!

 

「名前どーするの? あたしはたーちゃんにしといたけど」

「狸だから“たーちゃん”なのでしょうか?」

「あったり~」

 

 なんとも雑なネーミングセンスなんだ……。ゆるゆると黒妖犬(ブラックドッグ)を撫でまわす万里さん、接すれば接していく内にその緩さの限りが無い。

 思わず感心していると俺に近付いてくる坊ちゃんの気配があった。側には褒められた烏天狗カラステングを引き連れて。

 

「声の大きさの割にはその使い魔は小さいな」

「私もそれが不思議でして……。声量で出てくる悪魔の大きさが変わる訳ではないようですね!」

「……ッ、なんなんだお前」

 

 思ったより反応が得られなかったのが癪なのか、ばつが悪そうな顔をして坊ちゃんが紙を破り捨てて出ていった。五葉ちゃんが小さく頭を下げ、その背に合流をして部屋を出ていく。

 そして、そんな彼らに手を振って見送る俺、なんて出来た淑女なんだ……(自画自賛)。

 

「さて、私たちも帰りましょうか」

「きゃん!」

「あ、今返事したのかな?」「かわいい~」

 

 ――黒妖犬(ブラックドッグ)の幼体、大人気!

 

 

 

 

 拝啓お元気ですか、から始まる手紙をしたためて紙を折り畳む。これを清楚カワイイ便箋に入れてポストに投函したいところだが、それは明日にする。今は夜中だからね。

 実は、孤児院を出てからというもののガキ共の手紙が送られて来るようになった。完璧で無敵な才女エミリーは毎月丁寧に人数分書いて送ってるってワケ。中にはシュラさんのも……入ってないんだなコレが!

 まぁそう筆まめな性格じゃないのは分かりきっているので割り切りました。悲しくなんてない。

 

 手紙を書き終えたことを察したのか、俺の使い魔となった黒妖犬(ブラックドッグ)の幼体“ラック”(安直な命名)は体を起こしてすり寄ってきた。か、可愛い……。

 未だにオスメスは分からないが、可愛いのでオッケーです。

 

「風呂入ってくるから好きにしてるんだぞ」

 

 抱き上げたラックを地面に下ろす。この旧女子寮は俺以外に使う人間もいないので好き放題に走り回っても飽きないスペースがあるというのに、ラックは俺の後ろをついてくる。可愛い。

 そのまま風呂場までやってきたところでラックはまだついてきている。濡れた瞳が俺を爛々と見上げている。

 俺はそんな目線にダメージを受けながら風呂場の扉を閉めた。止めてくれ、奥から「くぅーん」だなんて切ない声を上げないでくれ。

 少しばかり引っ掻いた後、扉から離れていくのが聞こえた。切ない足音を背にしながらも、俺はウィッグを脱いだ。

 

「あっぢ……」

 

 ストロベリーブロンドの鬘が取れてもまだまだブロンドに緑目の美人。

 そこからコンタクトを外します。化粧を落とします。

 はい、金髪碧眼の男が現れました。憎らしいことにどことなくルシフェルの面影がある。

 遺伝子元だから仕方ないっちゃないが、嫌いな奴が三親等内にいて嫌な顔するキャラクターの気持ちがよく分かったよ。鏡見る度に殺意出てきそうになる。

 

 ビークール。落ち着くんだ俺。ここにいるのは将来美青年になる(予定)の俺の顔だ。

 シャワーで済ませたいところだが、エミリー的観点が「湯船につかって体のマッサージ云々をしなければ美容に悪いですわ!」と言ってきた。たまにはブッチしたいところだが、人間の身体も仕事の失敗も一度起これば確実に人目につくのだ。

 

 エミリーの顔にニキビ一つつけてはいけないし、仕事――俺の変装がバレてもいけないのだ。大人しく俺は毎日顔パック族になることにした。

 洗顔の仕方のあれこれ、髪の洗い方もどれこれと、日々行っている女性たちを称えたくなる程面倒で細かい作業を終わってからようやく湯舟に浸かることが出来る。

 「あ゛ぁ~……」なんて情けない男の地声が出る。今日もお疲れ様、俺の声帯。

 

「……合宿どうすっかな」

 

 刻一刻と迫るのは俺たち訓練生(ペイジ)の強化合宿。原作じゃ候補生(エクスワイア)認定試験も兼ねられていたソレ……、というか合宿関係のイベントをどうこなすか……だ。

 

 無論その手段はメッフィーに与えられているのだ。――口八丁使ってメッフィーにゲーム勝負を取り付け、見事に勝利した俺は契約履行の対価としてメッフィーの私室の鍵を手に入れている。というか孤児院時代も専らそっちで風呂をなんとかしていたから今更なんですけどね。

 

 ほら、あるだろ……。女体同士のあはんうふんなイベントが。

 放映版アニメでは都合の良い湯気が隠し、ディスク版になって全てが取り払われるあの光景だよ。

 あれを目の前にして我慢できるか……?

 男が誰だって心にロマン砲を抱き、それを持っていれば動かざるを……いや動くしかないんだ。

 

「いややっぱ無理だわ」

 

 覗いて得られる一時の快感より、もし俺が男だとバレた時の社会的立ち位置の低下というリスクで立ち止まる。

 俺は目先のロマンより遠くの危険を考えて動くことが出来る男だ。

 さようなら、俺のマロンとロマン砲。キミの 存在は 忘れない……。

 

 

 

 

「二百二十三、二百二十四、二百二十五、二百二十六……!」

 

 初めて素振りを始めた時より重みを増やした――木刀ではなく、鉄で出来た刀を振るう。汗は流れっぱなしで、俺が鉄刀を振る度に数滴は散る。

 剣を持つ際のフォームはもう自然に取れるが、その頃にはもう素振りは毎朝の日課になっていた。

 ちなみに、ラックが辺りの茂みに隠れて素振りが終わる時を待っている。これも日常となった光景だ。

 

「二百三十九、二百四十、二百四十一、二百四十二、二百四十三、二百四十四……!」

 

 ちらりと腕時計の針を見た。汗を流す時間と朝食やらメイクやらの時間に加え、余裕を持って登校することを考えればここらで止めた方が良い。

 

「二百四十五、二百四十六、二百四十七、二百四十八、二百四十九、二百五十! ……はぁっ」

 

 動きを止める。大きく息を吸って呼吸を整え、近寄ってくる人物を見返した。

 近寄る様足取りは正に強者そのものの力強さと自信に満ち溢れ、同じくこちらを見据える紫の目には少しだけ好奇が混ざっている。

 

 その人物とは、片手に竹刀袋を持ったラフなTシャツの恰好をしたルスラン・エフィモヴィチ・ジェルガーチェフ。

 

「なにか御用でして? ルスランさん」

「お前が鍛錬をしているのが見えた」

「すると……、旧男子寮の方で時折見かける人影は貴方でしたの」

「あぁ。突然だが、手合わせを願いたい」

「本当にいきなりですわね……」

 

 返事を聞かずにルスランは竹刀袋から木刀を取り出し、竹刀袋を地面に落とした。まだ形を残したままの竹刀袋からはなにか甲高い音が立っていた。

 

「勝負だ」

「……ちょっと待ってくださいまし。木刀を取りに戻りますわ」

「分かった。ここで待っている」

「ごめんあそばせ」

 

 俺が速攻で戻って私室から木刀を取り出した。無い訳じゃない。

 ――というか本当に俺の返事関係なくやる流れになっている。俺もベリアルさん以外での手合わせはしたかったところだからいいけど、返事くらいする余裕くらいは与えて欲しかったな~!

 

 俺が木刀を取りに戻り、少し休んだところで空気が変わる。

 お互い、やるとなったら周囲に流れる空気が張り詰めていく。俺も、そしてルスランも集中をしている。

 じりじりと適正な距離を測って離れつつ、構えを取る。

 

 ――俺たちは同時に踏み込んでいた。

 

 相手の力量を知る為の一薙ぎ。下から切り上げる俺の攻撃に対し、ルスランが受け止めた。その時の感触はなんて言えばいいんだ?

 木刀なのに鉄を殴っている。硬い、いや、凄まじく力が込められている。しかも、木刀が壊れないよう、効率的で理想的な――そんな力の入れ方と衝撃の躱し方。

 

 思わず眉を顰めて距離を取る俺に対し、ルスランが追撃をしてきた。恐らく奴にとっては軽い一薙ぎ。だが、受け止める俺からすればかなり重たい。というかこれ本気でやられている気がする。

 

 腹を狙った突きを横に振って逸らす。剣筋は少し逸れたのだが軌道修正とばかりに、勢いを殺さず突きから斜め下からの袈裟斬りの形に。

 

 動きは追える。後は体が追いついてくれるか。――一か八か。木刀を逆手に持ってもう一度その攻撃を防いで鍔迫り合う。

 ぐっ、と硬く重い。そして効率的。戦闘に置いてすぐに最適解を導き出せるのは強みだ。

 

「なかなか、やるな……」

「結構、私にも慢心があったようですね」

 

 ベリアル塾生としては少しばかり胸の痛い問題だ。あ、でも問題点の発覚は俺の弱点を克服できる機会でもある。

 まだまだ同級生程度で苦戦するようじゃルシフェルを殺すには遠い。いや、手合わせと殺し合いじゃ心構えもやれる最適解も違うんだけど。

 とにかく反省している俺の前で、常に無表情だったルスランの口元が少し緩んでいた気がする。

 ……もしかして戦闘狂か?

 

「お相手したいところですが……、そろそろ時間ですわ」

「む、ならば仕方ないか……」

 

 お互い力が抜けて離れる。ふーっと、体の力を抜くように息を吐いた。

 それから自然と、俺たちは頭を下げた。手合わせの相手に対する礼だ。

 

「今度はもう少し早く来る。その時はまた手合わせを願う」

「えぇ、分かりました! それではルスランさん、また祓魔塾で」

 

 そうして別れた俺だったが……、かなり時間が経っていた。

ルスランの野郎めぇ……!

 急ぎかつ丁寧に身支度を整えて登校し、教室に着いた瞬間にチャイムが鳴った。

 

「ま、間に合いましたわ……」

「あら、どうなされたのですか前山さん」

「少し目覚まし時計のセッティングを間違えていたようで……。起きる時間が遅くなってしまいました」

「それは大変でしたね……」

 

 エセな俺とは違ってガチなお嬢様系の生徒たちとお話しつつ、俺はお行儀よく淑女として授業を受けるのだった。

 ……ちなみに、ラックが足元にいたりする。どうすんのコイツ。いつまでも帰る気配がないんだけど。

 あー困りますイッヌ。膝の上は重たい……、ハッ、これも……鍛錬ッてコト……?

 もしかしてラック、俺に協力してくれているのか。ルスランとの手合わせ見てたもんな……。よし、分かったぞ……。

 

 

 

 俺は、これからお前を膝に乗せて空気椅子で授業を受ける……ッ!

 

 

 

 ――三十分後、濡れた瞳で見てくるラックを見ないようにし、空気椅子を止めて普通に椅子に座る俺がいた。

 えぐいわ、これ。足が小鹿みたいにプルプルすっぞ。

 




ちなみに原作に烏天狗なんて悪魔はいません。オリジナル設定ってヤツです!
(今までこの話を投稿していた気になっていたなんて言えない……。これは墓場まで持っていこう……)


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