7s Sprinter (マシロタケ)
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光を求めて
消えぬ黒星


照りつける太陽が、これほどまでに鬱陶しいと思ったことはあったんだろうか。

皮膚は焼けて、目を十分に開きたいのに、日光にそれすらも阻まれて、冷たくて新鮮な空気が欲しいのに、口に入ってくるのは、淀んだ生ぬるい流体だけだった。

 

それでも足を止めることは出来ない。

ここで止まれば、私はまた…。

 

でも、もう..苦しくて、苦しくて、前をみるだけでも精一杯。

あきらめちゃだめだ。私は、きっと。お母さんの背中に追いつくんだ…。

 

でも、私の目に映るのは、ほかの娘たちの背中ばかり。

また私を追い越して、私に背中を見せつける。

そしてみんな、背中で私にこういうんだ。

 

「このノロマ。」

 

って。

 

ああ。さっき私を追い越した娘の背中がもうあんなに小さくなっている。

追いつきたい。勝負をかけたい。でも、私の肺は、もう悲鳴を上げている。

 

ああ、これで何度目なんだろう。

 

―――――――――――

 

『最終コーナー回って、各ウマ娘。おっとここで5番オークストリーム抜け出した!勝負を仕掛ける!!それに追走!9番テクノイニシャル!!残り200!!テクノイニシャル届くか!?』

 

会場内に興奮の声が上がる。現在絶賛売り出し中の注目のウマ娘2人の白熱した競り合いに、それに薪をくべるように観客を煽る実況。

今日はただの一般開催だというのに、それなりの盛り上がりを見せる。

 

『オークストリーム!!早い!!テクノイニシャル!ジリジリと距離が広がるか!?オークストリーム逃げ切ってゴール!!見事人気に応えました!!!2着はテクノイニシャル!あと一歩及ばず!!』

『非常に白熱したレース展開でした。今後の彼女らに期待がかかりますね。』

 

そんな先頭集団に数秒の遅れをとって、ぞろぞろと敗北したウマ娘たちがゴールを通過する。

最早、入賞を逃したこのレースは、彼女らにとっての価値はないらしく。どこか気の抜けたゴールインを決める者も珍しくはなかった。

 

そんな中にたった一人だけ、必死に歯を食いしばってゴールを通過するウマ娘もいた。

 

―――――――――――

 

「…っはぁ!!…はぁ!!…げホッ!!ゴホッ…!」

両膝をターフに付き、全身で息をする彼女の姿は、その場だけ切り取れば熾烈な1着争いをした直後と見えなくもないだろう。だが現実は。

 

強く閉じていた目をやっと開き、着順掲示板に目をやる。

…当然だが、その確定に自分の数字が入ることはなかった。

 

隣のモニターに目を移す。

「…6…7…8…9。…あった。9着レッドマーシャル…。やった…10着以内に入れた…。」

 

なんだか、一桁の着順を見るのも久しい気がするのは気のせいなのだろうか。

「がんばった…よね?…この間は…びり…だったんだもん…。」

いまだに回復しないスタミナを、最低歩ける程度にまで回復させようと、彼女は大きく息を吸った。

 

 

 

 



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カラの才能

「みなさん!お疲れ様でした!!」

 

「「「「お疲れ様でしたー!!かんぱーい!!」」」」

 

お世辞にも広いとは言えない部室に、詰められたウマ娘たち。彼女らの中央には人参を中心に彩られた料理がこれでもかと並ぶ。

 

「っぷっは~!!!これよこれ!一着とったあとのニンジンジュース!!!」

「まったく。ドライブはいつものんでるだろそれ?」

「え!?なんで知ってるの!?」

 

そんな彼女らを中心に笑いが起こる。

今日のレースは一般開催といえど、このチームからは4人の走者が出た。

まだデビューして日の浅い新人たちが大健闘を果たしたのだ。彼女らへの労いと激励をも含めた打ち上げだった。

 

「やぁ!今日はほんっとによく頑張ってくれましたね!みなさん!!ベテルギウスに大きな貢献をありがとうございます!!」

そこに結果紙をニコニコしながら眺めるトレーナーがやってくる。

 

彼女らの活躍がよっぽどうれしかったのか、料理そっちのけでデータを眺める。

「いやぁ、スーパードライブさん。今日の逃げは見事でしたね!よく決まってました!」

「トーゼンですよ!逃げなら先輩にだって負けませんよ!!」

「何を!こいつ!」

と生意気な後輩を締め上げる。

 

「ははは。それに、ローズロードさんの差し。トリハダものでしたよ!」

「そうそう!!もう途中ハラハラしちゃったんだけど、最後の最後で決めちゃうんだもん!かっこよすぎだって!」

「別にー。このくらい普通じゃないですか。それと、あたしもうちょい距離長くていいと思うんだけど。」

「そうですね、検討しましょう!」

 

「それと、ジェットスパートさんはすこし惜しかったですね。でも、2着で大健闘でした。」

「ううう…絶対取れたと思ったのにいい。」

「ローズとは真逆で差されちゃうなんてね。ワキが甘い証拠よ。」

「え!?私の脇甘いんですか!?」

「こら!バカ!脱ぐな!」

 

「そして…えっと…その…」

トレーナーが明らかに言葉を詰まらせる。

その理由がなぜか。その場の誰もが知ってはいるのだがそれをはっきりと言える者はいなかった。

 

「…ごめんなさい。」

そのウマ娘はそう言うしかなかった。

「ま..まぁ。前回に比べれば、ほら、9着ぅ、ですし。ね?12人出走で。」

言葉選びに難儀する。

この話題に先ほどまで明るかったチームベテルギウスに沈黙が訪れた。

 

「まぁ、ほら、レッドマーシャルさんが頑張ったことはみんな知ってますから。ほら!次はわかりませんよ?一度基礎を見直して…。」

「トレーナー。前と同じこと言ってるよ。」

「え、ああ。」

そう指摘を投げたのは、第4レースを差しで制したウマ娘ローズだった。

 

「てか、今日のレースって下級生と混走だったんでしょ?それでも下からって、ヤバくないですかぁ?まーしゃーるせんぱーい。」

後輩からの侮辱にも、唇をかみしめるしかなかった。

 

 

「ローズちゃん。駄目よ!マーシャルちゃんだって頑張ってるんだから!」

「頑張ってるのは私もですよ。グッドレコード先輩。」

 

―――――――――――

 

軽い反省会が終わったあと各自が好きなように飲み食いを始める、今日の反省を重ねる者や、他愛のないじゃれあいをするもの、食事に集中するもの、楽しみ方はいろいろだったが、マーシャルにとってそこは居心地がいい場所ではなかった。

 

部室の隅で、独りボソボソと食事をとる。

時折後輩たちがこちらに目をやってクスクス笑っている。自分たちはバレてないと思っているんだろうが、こちらからはまるわかりだ。

 

でも、自分は敗者だ。後輩たちにすでに結果で差をつけられた。今度ローズとドライブは重賞レースへの参加を打診されているらしい。

それに比べて自分はどうだ?

 

未だに初級者が走るようなレースに出て、挙句下級生との混走レースでも惨敗を喫した。

 

もう、私なんて…。

そう思った私に声をかけてくれる人もいた。

 

「マーシャルちゃん!大丈夫?」

先ほど彼女を庇ってくれたグッドレコード。

高学年生であり、G1クラスの常連。桜花賞にオークス賞を1着で通過。秋華賞では3着となりトリプルティアラを逃したものの、その実力は十二分と言って差し支えない。

 

そんな彼女がマーシャルの横に腰を据える。

「まぁ、なんていうのかな。こういうのって成長期、だと思うの。」

「成長..期?」

「そ、成長痛って知ってるでしょ?背が伸びるときにちょっと足が痛くなっちゃったりする。」

「...はい。」

「今は苦しいと思うけど、それも、マーシャルちゃんが成長していっているサインってこと!あんまり気にしすぎちゃだめよ!」

「そう..ですか?」

 

レコード先輩と話していると、いつも心がすぅっと軽くなる。

決して自分を否定しない。そんな彼女に半ば依存してしまいそうだった。

 

 

「私だってね。最初はなかなか勝てなかったんだ。でもね…。」

彼女の甘い言葉がマーシャルの心の患部を優しく癒した。

「…はい。ありがとう、ございます!」

マーシャルの顔には幾分かの生気が戻った。

 

「また、一緒に練習したいのなら声かけてね!応援してるから!」

 

――――――――――――

レコードの優しい言葉になんとか気を取り戻したマーシャルは、後輩たちが帰った後の部室であと片付けをしていた。

こんなの、後輩の仕事のはずだが、なぜ彼女がするかは言うまでもない。

 

「マーシャル先輩、これ、すてといてくださーい。」

と、後輩から投げつけられたペットボトルのラベルをはがして、中身を洗う。

 

ゴミ分別し、袋に入れて、指定の場所に捨てに行った帰り、部室のドアに手をかけようとしたとき。

だれかの話声が聞こえる。

 

そっと耳を澄ます。

 

「レコード。お前いくら何でもマーシャルを甘やかしすぎだ。」

「でも」

「…はぁ。お前、今まで何度あいつを慰めた?両手の指で足りるか?」

「そんなこと言ったって、スピちゃん。」

 

レコード先輩が話しているのは、おそらくフロイドスピリット先輩だ。

レコード先輩に並ぶチームエースで…ダービー覇者。

 

「…お前、正直どう思ってる。マーシャルのこと。」

「え!?」

マーシャルもぎょっとする。

「それは…」

レコードは沈黙した。

「俺は正直、あいつには才能がないと思ってるよ。それも駆け引きとかレース勘とかじゃなく、そもそも身体的な。」

「…。」

 

「どうなんだ?レコード?お前はあいつに何か才能や取柄を感じるか?」

「…ない。」

「なんだって?」

「感じない。」

 

この言葉にマーシャルの呼吸は一瞬止まる。

心臓が破裂しそうなほどに音を立てる。

呼吸の間隔が早まった。

 

「今日のレースを見ても、つくづく思った。ええ。スピちゃんのいう通り。明らかに身体的なものが欠落してる。」

「だろ?」

「でも!私は知ってる。あの娘が懸命に努力してること。いつも日が暮れるまで、ターフで…。」

そこでレコードはハッとする。

 

「おいおい。自分で答え出すか?」

「えっと…。」

「なら俺が代わりに言ってやる。そこまでの努力をして、その程度の実力しか出せないというのなら。そもそもあいつは、レースに向いてない。」

「!!!」

 

「この一年間我慢してあいつのこと見てきたが、この間デビューした後輩にまで見事に負けた。」

「ねぇ、もういいでしょ?こんな話続けたって。」

「こっからが大事なんだ。」

「え?」

 

「俺は、このチームのリーダーとして、マーシャルのことを考えた。だが、どう頑張ってもあいつはチームに貢献はできない。それどころか、敗走を続けて心まで壊しかねない。」

「ちょ…ちょっとまって!それじゃあ、まるで。」

「そうだ、俺はあいつに脱退勧告をしようと思う。」

「そんな…!」

 

だ、脱退…!?

もうマーシャルの頭では処理が追い付かない。

 

「あしたトレーナーに掛け合ってな。」

「…」

「そんな顔するな。俺も考えたなりの結果だ。それに、あいつにはレースをあきらめてもらって、トレセンスタッフや裏方に回ってもらったほうが、あいつなりに幸せになれるんじゃないかと考えている。」

 

――――――――ー

 

マーシャルは部室に戻れなかった。

今まで心の頼りにしていた先輩の本音。そして自身をクビにしようと働きかけるリーダー。

 

「はは…ははは…。」

 

どうしてなんだろう、なんで私だけ、かてないの?

ウマ娘なのに。チームのみんなはどんどん成果をだしてるのに。

私のお母さんは…元G1ウマ娘なのに…。

 

こんなことになるなら…ベテルギウスなんてチームに入るんじゃなかった。

こんなに苦しむんなら…トレセンに来るんじゃなかった。

こんなに辛い思いをするくらいなら…生まれてこなきゃよかった。

 

そんな抉られた心の傷を埋める場所を求めて、マーシャルはさ迷った。

 



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砕けた夢

トレセン中庭にて、マーシャルは一人膝を抱え、うずくまっていた。

 

底の見えない切り株に向かって、何かを叫ぼうとも考えたが、何を叫ぶべきかすらもわからなかった。

 

よく考えてみれば、至極当然の結果だ。一般レースですらも一度も白星を挙げたこともなく、後輩に背中を見せるどころか、さっそうと抜かれ、自分が後輩の背中を追う始末。

 

実況からも、名前を呼んでもらえることはほぼなく、パドックに上がっても、自分を期待の目で見る観客はほぼいない。

 

そんな自分が、ベテルギウスに居残ろうだなんて、希望をもって励まし続けてもらえるだなんて思うこと自体がおこがましかった。

 

わかってる。わかってるんだ。ずっと前から、自分はチームの、いや、トレセンのお荷物だってことくらい。

 

…本当はもっと頑張りたい。先頭の景色をずっと眺めていたい。ライバルを追い抜いてみたい。表彰台に登ってみたい。ヒーローインタビューを受けてみたい。ウイニングライブのセンターを飾ってみたい。後輩に背中を見せて、尊敬されたい。

 

でも、でも、息が続かないんだ。

ほかの娘が涼しい顔をしてこなす程度のランニングでさえも、息が上がってしまう。

 

昔、お医者さんからはっきり言われたことがある。

「この娘は肺の機能が他の娘よりも著しく劣っています。…もしかしたら、アスリートとして活躍をしていくのは…厳しいかもしれません」

って。

 

お母さんは、私のことを泣きながら抱きしめた。

「強い娘に産んであげられなくてごめんね」

って。

 

でもね。私はお母さんに言ったんだ。

「たとえ、息が苦しくっても、私は立派な、お母さんのようなウマ娘になる!きっと私もお母さんと同じトロフィーをもって帰ってくるんだ!」

そう息巻いて出てきたんだけど、現実はあまりにも厳しすぎた。

 

…もう、ここまでなのかな。

 

 

 

お母さん、ごめんなさい。

私は立派なウマ娘にはなれませんでした。

G1どころか、オープン戦にすらもでれませんでした。

G1トロフィーどころか、賞状一つすらももらえませんでした。

 

 

私は…私は…ダメなウマ娘でした。

 

 

ごめんなさい…ごめんなさい……。

 

 

「…んなさい…ごめんなさい。」

無意識のうちにそれは言葉になっていた。

 

 

「私は…うっ…おっ…おかあざんのような…うま…ウマ娘に…なれ…ま…せん…でじだ…う…うう……うわあああああああああああああああああああああ!!!」

 

彼女の感情のダムが一気に決壊した。

いままで溜まりに溜まったものが、これでもかというほど。

もう顔が涙と鼻水だらけになろうとも、それは止まらなかった。

 

きっと金メダルやトロフィーをお母さんにみせてあげれば、お母さんは罪の意識からきっと解放される。きっと私に微笑んでくれる。

きっと肺が弱くっても、努力をすれば、きっと。

 

少女の儚い夢は、初夏の夜に砕け散っていった。

 

 

 

 

 

 

 



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教官とウマ娘

『とどくか!?とどくか!?差した!!!差し切った!!レッドクラウン!!先頭を差し切って今!1着でゴールイン!!見事、見事に秋の天皇賞を獲得しました!!!』

 

このテープを何度みたんだろう。私のお母さんが秋の天皇賞を制したビデオ。何度も何度も、テープが擦り切れるまで見返しては、その母の姿に胸を躍らせた。

 

私もいつかはきっとこんな風に、みんなを感動させられるウマ娘に。

レッドという名はお母さんからもらったんだ。不屈の赤と言われていたお母さんの名前を。

だからきっと、私、お母さんみたいに。

 

―――――――――

 

「…はぁ。…はぁ。」

息が続かないというのは、泣くのにも一苦労だ。

 

浮かない顔をしても、何も変わらない。

泣いても、何も変わらない。

 

本当にいっそのこと、トレセンのスタッフ研修生になったほうが、私は幸せなのかな。もう、こんなつらい思いをしなくて済むのかな。

 

「…気が済んだか?」

 

そこに聞きなれない、低い男の人の声がかかった。

 

「!!」

 

急いで声のする方を振り向くと、私の真横に男の人が座っていた。

空を見上げながら、火のついていない煙草を咥えていた。

 

「だ…誰!?」

「おいおい、誰はねぇだろ?」

 

月明りでその人の姿がだんだんとはっきりしていく。

黒いシャツに、ワインレッドカラーのジャケット、胸元には金のチェーンネックレスに腕には年季の入った高級腕時計。

 

そして少し老いの見える顔に、オールバックのスタイル。ちょっとした伊達男というよりはちょい悪オヤジというのがいい表現だろうか。

 

「…大城先生。」

「そ。皆大好き大城 白秋(おおしろ はくしゅう)先生だ。っていっても、お前のクラス担当したことねぇけどな。」

 

大城教官。ウマ娘たちに座学を教えている教官ということは知ってはいるが、あまり面識はない。

 

「な…なんの用ですか?」

「なんの用って。あんなデカイ声でピーピー泣かれちゃ、気にしねぇワケにはいかねぇだろ?」

大城は咥えていた煙草を、箱に戻す。

 

「俺はこれでも教官だ。お前らが健全に過ごすことを保護するのが仕事だ。てなわけだ。悩みがあるなら話してみろ?ほら?どうした?」

そのあまりにもフランクすぎる対応に、マーシャルはいくらかの嫌悪感を覚える。

 

「…ほっといてください!」

マーシャルは立ち上がって、彼のいない方へ歩いて行こうとするが。

「お前、肺が弱いんだろ?」

その言葉に足を止めた。

 

「ハナっからぶっとばして、そんでバテてうしろからどんどん追い抜かされる。地方の900ならまだ通用するかもしれんが、中央の1800じゃあ子供だましにもならん。」

「…見てたんですか?」

「しかもお前の息の上がり方、ただのスタミナ不足どころじゃねぇよな。軽く酸欠おこしてるだろ?」

 

この人は一体、どこまで自分のことを知っているんだろう。いくら学園の教官といえど、ここには2000を超えるウマ娘たちがいるというのに。

 

「まぁ、いくら肺が弱かろうと、下級生相手のレースでそんなんだと、はっきり言ってザマねぇよな。」

その言葉にマーシャルは強く歯ぎしりをする。

「失礼します!!」

そういって、再び彼の元を離れようとする。

 

「おいおい、待てって。話はまだ「もういいです!!!」

自分でも、まだこんな声が出るのかと驚くほどの、声量で叫んだ。

 

「もう…もう…いやだ!!みんな揃って私をバカにする!先生も!私のことをバカにして楽しいですか!?」

枯れたはずの涙が再びあふれ出す。

 

「バカにはしてねぇよ。…ただ、やり方を考えろって言いに来たのサ。」

「…やり方?」

「お前はそもそも中距離やマイルには向いてない。自分でもわかってるだろ?なのになんで1800に出たんだ?」

「…なんです。」

「あ?」

「夢…なんです。昔、私のお母さんが秋の天皇賞、東京芝2000で勝ったんです。だから私も、そのくらい走れるようになりたくて。」

 

胡坐をかいていた大城も立ち上がる。

「なるほどな。でも、それは無理だ。」

「…」

「ウマ娘にはそいつの適性ってもんがある。」

「わかってます」

「わかってねぇから、それに出たんだろ?」

「…だって!ほかのレースに出ても…勝てないんだもん!!1400も1200だって!」

「だからやり方を考えろって言いに来たんだ!」

 

すこし強く声を張る大城にマーシャルはビクっと反応する。

「やり方って、どんなことやっても勝てなかったのに!今更何を!」

「お前、出だしのスタートダッシュ。いいモン持ってただろ?」

「え?」

 

スタートダッシュ。

それはスタミナの少ない私に残された唯一の取り柄。これをもって先頭に立つことだけが、私がたった一つできる戦い方。

 

「でも、すぐに抜かされちゃうし。」

「そのスタートダッシュ。かける位置を変えたらなんという?」

「え?…えっと。」

「スパートだよ。」

「スパート…。」

 

スパートなんて、レース終盤に体力が残らない私には無縁のものだとずっと思っていた。

現に、今までのレースでも、スパートを残せた試しなんてない。

 

「俺はお前の、そのスタートダッシュで見せた瞬発力。それは絶対的な武器になると睨んでる。」

大城のその言葉は、追い詰められたマーシャルにとって一筋の光に見えた。

 

「なぁ、マーシャル。俺のとこ来ないか?」

「へ!?」

「俺がお前を磨いてやるって言ってんだ。そして、お前を表彰台に立たせてやる。」

「で、でも!大城先生は、教官じゃ。」

「これでも元トレーナーだ。昔はG1級のウマ娘を育て上げた経験もある。…三冠は取れなかったがな」

 

この話が嘘か本当か。でも、彼女に与えられた選択肢はほかになかった。

「本当に…本当に、私は勝てますか?」

「ああ。この命を賭して、お前を育て上げよう。」

「…お願いします!!」

マーシャルのその瞳に迷いは消えていた。

 

「ヨシ。じゃあお前、明日から、そうだな。この間解散になったベガの部室に来い。あと、お前んとこのトレーナーとは俺が話をつけておく。」

「はい!」

 

その時、大城は脇腹をさするしぐさをした。

そしてそっぽを向くと、懐から小瓶を取り出し、錠剤のようなものを口に含んだ。

 

「…それは?」

「ん?…ああ。ブドウ糖だ。お前も食うか?一粒200円だけど」

「…いりませんよ」

マーシャルに少しやわらかい表情が戻った。

 

 

 

 



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決別

「…ということです。宮崎トレーナー。我々の意見、如何なものでしょう。」

「ええ。私も概ね同意ですよ。…ふぅ。これも彼女を思うため。仕方のないことです。」

「…では、彼女には、私から。」

「お願いしてもいいですか。」

「これがチームリーダーとしての務めですから。」

「…立派です。フロイドスピリットさん。」

「…レコード。そんなうだつの上がらない顔はやめろ。」

「だって...こんなのあんまりじゃないですか。成果が出せないならクビなんですか!?」

「落ち着いてください!グッドレコードさん!...私は何も、成果が出せないから…などという理由でこのような処置は断じて行いません。…彼女の…身体が心配なんですよ。彼女の肺が弱いことは常々存じてました。しかし彼女は頑張りすぎています。このままレースを続けたらと思うと…。」

「…。」

「御理解…いただけますね…?」

「…はい。」

 

―――――――――――

 

「では、失礼します。」

そういって二人のウマ娘がトレーナー室の戸を閉める。

 

ベテルギウストレーナーの宮崎は、応対用のソファーを離れPCの前の椅子に掛ける。

彼女には、悪いことをした。でも、これもチームのため…。

そのPCを見るわけでもないその目は、何かに苛まれるような、後ろめたいものがあるような、はっきりとしたものではなかった。

 

「これで…これで、いいんです。」

 

背もたれに背を思い切り預ける。

そして自身の手で目を覆った。

 

そこに

 

「よォ、邪魔するぜ。」

と何者かがノックも無しに戸を勢いよく開けた。

「!!」

無防備な姿勢だったからか、急いで状態を起こす。

「…大城さん。」

 

―――――ー――ー

 

「レッドマーシャルさんを!?」

「ああ、そうだ、俺にくれよ」

応対用のソファーをわが物のようにして座るその男の言葉に、宮崎は驚嘆した。

「…なぜなんです?」

「ウチの娘に似てるからさ…なんてな。」

 

そんな大城の冗談に対応する気もない宮崎は続ける。

「レッドマーシャルさんでしたら…どうぞ。もう、彼女は、私たちのチームメンバーではありませんから。」

「クビにしたってのか?成果が出ないお荷物だからか?」

その棘を隠す気もない言葉に宮崎は少しムッとする。

 

「違います!私は彼女の身体を鑑みて…」

「先週の1800、なぜあいつを出した?」

「…え?」

「あいつはただでさえ、肺が弱い。そんな奴がまともに1800を逃げで走れると思ってんのか?」

「…」

「ははは…お前も大層喰えねぇ野郎だよなぁ?」

「…何を。」

宮崎の顔に明らかな動揺が走る。

 

「適正でもないレースに、負けの要素が強いレースに、あえて出走させる理由なんかねぇ。」

「彼女が望んだんです。中距離を走りたいと。」

「それでも止めるのがフツウのトレーナーってもんだ。それでもお前は止めなかった。それはなぜだ。」

 

大城はソファーから立ち上がる。

「”負けさせる為”だ。敗走を続けさせて、あいつの心が折れるのを待った。チームメンバーが業を煮やすを待った。そして、さっきの二人がお前のシナリオ通りに動いた。…違うか?」

「盗み聞きをなされていたと?」

「俺の地獄耳を舐めるな」

 

宮崎の額に汗が走る。

いつも見せる穏やかで朗らかな優しい顔つきは影を潜め始めた。

「たとえ1800でなくとも、彼女は勝てません。地方ならわかりませんが、ここは中央です。怪物級のスプリンターも少なくない。」

「だからあいつを諦めたのか。あんなに必死に、健気に走ってるってのに。ひっでぇモンだな。」

「あなたに何がわかる!!」

宮崎が取り乱す。学園内で必死に守ってきた面が、初めて剥がれた。

 

「チームは、ベテルギウスは…ようやく軌道に乗ったんです!!G1ウマ娘を2人も輩出した!…今年の新入部員だって、一流クラスですよ。ローズさんはG3ドライブさんはオープンへの出場権も得た!ようやく…ようやく…チームリギルやスピカが射程圏内に入ってきたんです!!」

「だからマーシャルが余計に邪魔になった。か?」

「…これ以上、私のチームに余計な黒星は…いりませんから。」

「…いいツラしてんなお前。薄気味悪いニヤケ面より、そっちのほうが似合ってるよ。」

 

宮崎は肩で息をする。

「ま、いらねぇってんならありがたく貰ってくぜ。」

「彼女で何をしようというのです?手を尽くしても…ダメだった彼女を?」

「手を尽くした…ねぇ。だからお前は二流なんだよ。」

「…随分と自信がおありのようだ。…炭を磨いても、ダイアモンドにはならない。」

「プラチナになるかもな?」

 

大城は錠剤を口に運ぶ。

「…大城さん。あなたは、ここを退職なされるはずだったのではないのですか?それに、トレーナー業も辞して、今は教官のはずでしょう。そして、よりによってレッドマーシャルさんを…あなたの行動が、まるで読めない。」

「心変わりってヤツさ。俺の気分はイギリスの天気みてぇにコロコロ変わるからな。」

 

大城は出入口へ向かった。

「お前らが捨てたそれが、特大万舟券だったとしても、恨むなよ?」

「…断じてありえない。」

「じゃあもし、あいつがG1獲ったら、ココ、俺の喫煙所にするからな。」

そういって大城はその場を後にした。

 

 

――――――――――ー

 

「お世話に…なりました。」

少し震える手で、マーシャルは封書をフロイドスピリットに手渡した。

「…」

スピリットは黙ってそれを受け取る。

その封書には大きく『退部届』の文字が記されていた。

 

 

スピリットは焦った。まさか先日の話を聞かれていたのではないかと。

本来ならば、彼女の身体を気遣う体で、彼女に退部勧告をする手はずが大きく狂った。

 

「あ…ああ。新しい、トレーナーがいるんだっけ。ああ。頑張って…くれよ。」

そう必死に言葉をひりだす。

「ごめんね、マーシャルちゃん…力になってあげられなくて。きっと応援してるから…。」

そういってレコードは優しくマーシャルを抱きしめた。

 

そうしてマーシャルが去った後の部室では、何とも言えない微妙な空気がその場を支配した。

 

「結果オーライ…かな。」

「そう…ね。」

なんとも歯切りの悪い結末に終わったが、これでよかったのだ。

 

「あーあ。掃除係がいなくなっちゃった。ドライブ、今日からアンタやってよ。」

「ええ!なんで!」

「よく散らかしてるのあんたじゃん。」

「ええ~ローズだって!」

マーシャルのことをまるで居ないもの扱いしてきた後輩たちにとって、それはどうでもいいことだったらしい。

 

「しっかしまぁ、あんなハズレ玉好んで引くようなトレーナーもいるんだって。驚き。」

「なにすんだろうね?」

「さぁ、おもちゃにして遊ぶんじゃない?それか…キャバウマに育成ってね。」

そんな内輪話で爆笑する後輩たちを、レコードは冷ややかな目で見ていた。

 

 

 

 



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トレーニング開始!

「…はぁ、はぁ。もう少し…。」

まだ日の強い午後、マーシャルは一人でターフを駆けていた。

ほかのチームが練習しているところに混ざりこんで、ひっそりとランニングを続ける。

 

(やっぱり、ほかのチームの人たちも…早いなぁ。)

ただのランニングのはずなのに一人、また一人と追い抜かされていく。

そうしてやっとゴールラインの前に戻ってくる。

 

ほかの娘たちがかかる時間よりも遥かにオーバーしてることくらい、ストップウォッチを使わずともわかる。

 

ターフに四つん這いになって、全身で空気を吸う。

たった2周ランニングだけでこのザマだ。

 

いくら走り込みをしても、スタミナが増える様子がまるでない。

(本当に…私…勝てるのかな。)

そういえば、大城の様子が見えない。

 

今日16時にターフにてという話だったのに、時刻はすでに16:50。

遅刻も遅刻、大遅刻だ。

(…勝手な人。)

自身のスタミナの無さも不安だが、そんな自身を背負ってくれるトレーナーにも、いささかな不安を感じる。

 

「よオ!なに一人で勝手にバテてんだ?」

相変わらずな陽気な声を出す人物を見る。

「…大城先生…遅いですよ。」

「先生じゃねぇ、今日から俺はトレーナーだ。」

遅刻の理由も言わずにそう喋る大城に、マーシャルは半ば呆れ気味だった。

 

「んで、なんで走り込みなんてしてんだ?」

「だって、先生…来ないじゃないですか…。」

大きな呼吸のリズムに、言葉が踊らされる。

「ばーかヤロー。今までと同じことやって勝てるようになりゃ世話ねーよ」

と言いながら大城はスポーツドリンクをマーシャルに差し出す。それを受け取ったマーシャルはそれを一気に体に流し込む。

 

「今日からお前は瞬発力を重点的に鍛えていく。」

「瞬発…力。」

「言っただろ?お前の出だしの瞬発力、それをお前の武器に、取り柄に変えていく。」

「それで…勝てるんですか…?」

「まぁ、2000とかは無理だろうだがな。ま、せいぜい1200に勝てる体を作っていくワケだ。」

「じゃあ…私は…。」

「そうだ、お前は今日から…スプリンターだ。」

その瞬間、マーシャルの目の色が変わった。

 

「…不満か?オフクロとは違う土俵で走るのは。」

「いいえ。それが私にできる戦いなら…どんなことでも。」

「いいネェ。じゃ、まずこれ、俺からのプレゼントだ。」

と大城は小包を両手で抱えて差し出す。

 

「えっと、開けていいんですか…?」

「さっさと開けろよ」

誰かにプレゼントをもらうだなんていつぶりなんだろう。でもその小包、やけに重い。

 

箱を開けると、そこからは猛々しく銀色に輝く蹄鉄が出てきた。

「蹄…鉄…ですか?」

「なにか気になることは?」

「めちゃくちゃ…重いです。」

「だろ?特注品だ。市場に出回ってるヤツで一番重いタイプの1.6倍はある。」

「これをつけて…トレーニングを?」

「ばーか。トレーニングだけじゃねぇ。」

「え?」

「今日からそれ履いて生活すんだよ」

「ええ!?」

 

こんなに重い蹄鉄を、普段から!?

「ま、毎日ですか!?」

「おうよ、学校があってる時も、飯食ってる時も、便所行くときも。寝るときと風呂入るとき以外全部だ。おっと、ちゃんと室内用蹄鉄付きシューズ(底部シリコンカバー仕様)も用意してある。寮の中でも忘れんなよ。」

 

実際に装着し、履いてみると、まるで足が上がらない。

「ふ…ぐうう!!」

「はっはっは!いいなぁ!面白いぜお前!」

必死に歩を進めようとするマーシャルを、大城は他人事のように手をたたいて笑う。

 

「わらわ…ないでください…!」

「ま、慣れるまでの辛抱さ。じゃあ、トレーニング行くぞ!瞬発力を鍛えるなら筋力・無酸素運動だ!」

「筋力…じゃあ、ジムですか?」

「はぁ?んなバカエリートと同じようなことして間に合うかよ。」

「じゃあ、何をするんですか?」

「バイトだ。」

「バイ…と…?」

 

――――――――――――

 

「オラァ!!新入り!!遅せぇぞ!!!」

「す…すみま…せん!」

私は、きっとお母さんのような立派なウマ娘になるためにトレセンの門を叩いた。

何度も心を折っては、立ちなおすを繰り返して、そしてようやく心が疲れ始めたときに、一つの希望を見出した。その希望のためならどんなトレーニングだって惜しまない。そう誓ったはずなのに…なんで私は…引っ越しのバイトをしてるんだろう?

 

「さっさと運べ!!時間ねぇぞ!!」

「は、はい!!」

「嬢ちゃん!その冷蔵庫一人で持ってきてくれ!!ウマ娘ならできんだろ!?」

「え…ええ!?」

「ゲンさん!!この大型家具、エレベーター乗りませんよ!」

「クッソ!しゃあねぇ!階段で行くぞ!おい、嬢ちゃん!ぼさっとすんな!!」

「ひ…ひえぇ…」

 

いままでこんな辛いトレーニングあったんだろうか。

体の隅々まで酷使するそれは、まさに地獄の特訓。

 

「オイ...ハクぅ。お前が人員しかもウマ娘連れてくるっていうんだから、こっちも人員見積り甘く見てたんだけどよぉ、ありゃなんだ?ウチの若いやつのほうがまだ使えるぞ?」

「まぁ、トレーニングの一環さ。ギプス付きだからよ、大目に見てやってくれよ。」

 

そこに若手の声が飛んでくる。

「ゲンさん!またマーシャルちゃんがノびちまいました!!」

「…はぁ、あれで本当にウマ娘か?いくら何でも体力がなさすぎるだろ。」

「まぁ、期待してろよ。サイン手に入れるなら今が安いぞ?」

そういって大城は酸素吸入器をもってマーシャルの下へ向かった。

 

 

 

 

 




シュー
「おら、がんばれよ。お前の蹄鉄代、安くねぇんだからな?」
(…勝手な人)


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勝手な人

あれから、引っ越しのアルバイトは週3回で続けている。

そのほかのトレーニングも、瞬発力強化の為、筋力系を中心とした無酸素運動がメインだった。

それに、四六時中履いているこの超重量級の蹄鉄付きシューズにも、少しづつ慣れてきて、やっとほかの娘たちと同じくらいの歩幅で歩けるようになっていった。

 

気が付けば、私の体は以前に比べて結構筋肉質になっていた。

自分の引き締まった体を鏡で見るのは、少々気分がいい。

 

そのせいもあってか、私の体には最近異変が生じている。

それは…最近やたらにご飯がおいしい。

 

―――――――――

 

トレセン、昼休みの食堂にマーシャルの姿はあった。

彼女の目の前のテーブルには、これでもかというほどの空の丼が重ねてあった。

 

ハフハフ、モグモグ…。

依然彼女の食事をする手は止まらない。

 

その様子を親友のモモミルクとトップギアは唖然と見ていた。

 

「マーシャルちゃん…最近よく食べるねぇ…。」

「ああ、こいつこんなに食うヤツだっけ?」

彼女たちの話し声も、マーシャルには届いていなかった。

 

「おいマーシャル!…あんまり食ってるとハラ壊すぞ?」

「!!」

トップギアの声にようやく気が付いたマーシャルは手を止めた。

 

「…ぷは、ごめんね、最近ずっとお腹すいてて。」

「まぁ、よく食べることはいいことだよ。」

モモミルクは優しく微笑む。

「まるでスペシャルウィークだな。新しいトレーナーのシゴキはそんなにハラすかせんのか?」

「ん…まぁ、そうだね。」

「ねぇねぇ、今どんなトレーニングしてるの?」

「えっと…引っ越し…かな?」

「「は?」」

 

二人はポカンと口を開ける。

「え…えっとね!その、トレーナーさんの知り合いさんのところの引っ越し屋さんでアルバイトしてて…その、それがトレーニングだって…。」

「...はぁ、なんか最近引っ越し屋で若いウマ娘がバイトしてるってウワサだったけど...お前のことだったのか。」

ギアは呆れるように言う。

 

「でも、大丈夫なの?うちのトレセン、アルバイトOKなんだっけ?」

「さ、さぁ?私だって好きでやってるわけじゃないよ!トレーナーさんが無理やり…。」

「まったくワカラン人だなぁ、大城先生って。」

 

―――――――――――

 

「…ふぅ。」

人通りの少ない廊下で、大城は壁に背を預け、懐をさすりながら溜息をつく。

そしていつもの錠剤を口に含み、一息ついてから先に向かおうとしたとき。

 

「大城さん!」

その声の方向に振り向く。

そこには、片方だけ剃り込みが入った特徴的な髪形をし、口に飴の棒を引っさげたチームスピカのトレーナー、沖野トレーナーの姿が。

 

「よォ、沖野。ナンだ、今日は飲みいかねーぞ?」

「いいえ!俺も素寒貧なモンで...。」

二人の付き合いは長い。大城は沖野が新人だったころの直属の先輩でもあった為、その親交は深い。

 

「聞いたぜ?お前のトコの若いの、有獲ったんだって?…お前も大したもんだな。」

「いいえ、俺じゃなくて、テイオーの信念と努力の賜物です。…俺は何も。」

「…はっ、変わらんなぁお前は。」

「大城さん、どうしてまた急にトレーナーを?」

「俺がトレーナーやってちゃ何か問題か?」

 

ジョーク半ばに飛ばす。

「いいえ、ここを退職されるとは聞いていたので…何かあったのかと。」

「上玉を見つけて血が騒いだ…っていやぁ納得できるか?」

「…いつもわからない人ですね、あなたは。」

「悪いが、お前だけには言われたくねぇぞ?」

「な!!」

「じゃあな!若造!」

 

そういうと大城はそのまま廊下の奥へと消えていく。

沖野はそんな彼の背中をどこか不安そうに見ていた。

 

―――――――ー

 

「ちょっと…食べ過ぎちゃったかなぁ。」

ずいぶんと肥大化したその腹をさすりながら、マーシャルは次の授業のため教室へと向かう。

その向かい側から、自身のトレーナー、大城の姿が見えた。

 

「トレーナーさん!」

「おう、マーシャル!ちょうどよかった今お前に…。」

その言葉の最中、大城の目線はマーシャルの腹に移る。

「…どうした?オトコに引っ掛けられたか?」

「ち…ちがいますうう!!!」

 

レッドよろしく顔を真っ赤にしながらマーシャルは憤る。

「…で、どうかしたんですか?」

「ちょっと付き合え、お前に行かせたいところがある。」

「行かせたいところ?…でも私、次の授業が。」

「ああ、行かなくていいぞ」

「え?」

「お前の早退届さっき出してきたところだ。」

「ええ!?」

 

マーシャルは持っていた教科書を落とした。

「じゃ、準備でき次第駐車場に来い。以上」

そういって大城は颯爽とどこかへ行ってしまった。

「ほんとに…勝手な人…。」

 



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センニン

駐車場にて、マーシャルはあたりをきょろきょろ見渡しながら大城を探す。

駐車場にはトレーナーや教官たちの車がぞろぞろと並ぶ。

 

あの目立つ赤いスーパーカーは確か…。

そこに特徴的な低いサウンドをとどろかせる一台の白い車が彼女の前に現れた。

それは…車に詳しくない人でも一目でわかるようなフォルム…。

ポルシェだった。

 

「よぉ、待たせたな!早く乗れ!」

「トレーナーさん!!」

 

フロントウインドウからは、大城が現れた。

 

――――――――――

 

「ポルシェっていやぁ。ガキの頃よく憧れたもんだった。RR特有の鋭い加速に空冷ボクサー特有のエグゾースト、シャープでピーキーだが、レーシングの名に恥じない操舵性に、NAだろうと文句なしのバリキ...ってきいてんのか?」

車の話を延々と続ける大城を他所に、マーシャルは参考書を読んでいた。

「聞いてませんよ。...まったく、今度の数学のテストも近いのに、勝手なんですから。」

「まぁ、そう怒るな、折角のドライブデートだ。ちったぁ嬉しそうにしろよ。」

そんな大城の冗談にも幾分慣れてきている自分がいると自覚するマーシャルだった。

 

「で、どこに行くんですか?」

「ああ、歌舞伎町の…ホテル街。」

その瞬間、マーシャルの息が止まる。

 

「え…は…?」

じょ、ジョーク?でも、こんな昼間に学校抜け出してまで..まさか本気なわけ…でも、もしからたら、本当に連れ込まれる…!?

「の近くの雑居ビルにあるヨガ教室だ。」

大城は嫌らしく笑う。

 

ホテル街で言葉を切ったのは絶対わざとだ。

「なんだ?何か期待したか?」

「いいえ!」

前言撤回、この人の冗談には、まだまだ慣れない。

 

「な、なんでヨガ?」

「そこにな、センニンって呼ばれてるヨガ師いるんだ。そいつは呼吸の神様と呼ばれている。」

「呼吸の神様?」

「そ、お前は肺が弱い、だから、その呼吸法から見直す必要がある、そう思ってな」

先ほどまでとは一変、そこには真剣な表情の大城がいた。

 

――――――

 

歌舞伎町。そこには幾人もの怪しい人たちが行き交っていた。

スーツにサングラスをかけた黒服。

勝負服と見紛うほどの煌びやかな服を纏ったおじさん。

路上で当然のように眠っているホームレス。

コンビニを我が物顔で占領するチーマー。

 

そんなマーシャルにとって未知の世界を、大城は臆することもなく進んでいく。

というか、大城のこの赤いジャケットが、この街にいる怪しい人たちの印象に溶け込んでいた。

ずっとここにいる人、そんな印象すらも受ける。

 

「ね…トレーナーさん…。」

「おお、ここだ、ひっさしぶり変わってねぇな。」

そこはこの街のさらに裏路地の雑居ビルと呼べるかも怪しい建物だった。

薄暗い鉄骨階段を上り、一室へとたどり着く。

 

大城はチャイムを連続で3回鳴らした。

そうすると…ドアはゆっくり開かれた。

 

「…ヨクキタ、ハイレ」

「よぉ、センニン。まだ生きてたか。」

 

まるでビワハヤヒデ先輩のように流々と生やされた白いひげに、それとは対をなすほどに黒い肌。頭は抜け落ちたのかスキンヘッドなのか、時折見せる歯はほとんど抜け落ちているよう。

 

「ひっ!!」

その怪しさ満点の見た目にマーシャルはおじけづく。

「おう、こいつだよ」

「フン…ウマムスメ…カ」

 

招かれた部屋の中はお世辞にも綺麗とは言えない。

時折目を覆いたくなるあのGが部屋の中を駆け回っていた。

 

そして部屋の奥へと通される、そこだけはほかの部屋とは違い、一面畳張りだった。

「…スワレ。」

センニンのいう通りに座る、だが一つ気になることがある。ここにはマーシャル以外の生徒もいるようだが、どうも様子がおかしい。

 

「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!宇宙!!うちゅうう!!!!!」

「ありがとうございます!!ありがとうございます!!!!!すべては、オオイチガウエン様のためにあらず!!!」

 

こんな様子だ。

「と、トレーナー…さん…?」

「大丈夫だ…多分な?」

 

そんなこんなでセンニンの修業が始まる。

「マズハ…シセイヲノバセ。ソウ、ソシテユックリ、メヲトジテ…。」

センニンの不思議な揺らぎを持った声に、マーシャルはふわふわとした気分になる。

 

「ココハ…ウチュウ。オマエモ…ウチュウ。スベテハ…ウチュウニ…キゾクスル。オマエモ…ソノコドモ…ワガニクタイトサンソヲ…ユウゴウサセル…。」

「は、はい…。」

「スエ…スゥット。ハケ…スベテ…ナニモノコサズ…。」

マーシャルは一回一回の呼吸に意識を集中させる。

 

「チガウ…ソウジャナイ。スッタクウキ、ハククウキ、ベツモノ。オマエハウチュウ…ソノサンソ、オマエノウチュウニトカシコム…。スミズミマデ…。」

「え…?」

「つまり、吸った空気を全身に巡らせるイメージをしろってことだ。」

そう大城が助言を出す。

 

「ハク!!シャベルナ!!」

「わりぃわりぃ」

「モウイッカイ」

いわれの通り、マーシャルは全身を使って息を吸う、そして取り込んだ酸素を体全体へといきわたらせるイメージをする。そして、吐くときは、全身から絞り出すように古い酸素を捨てるように、すべてを吐き出す。

 

そうすると、体がすうっと軽くなるような感覚に包まれる。

「!!!」

その感覚に驚いたマーシャルはふと目を開けた。

 

なぜか今までよりも深く息が吸えているような気がする。

「…ウム、スジガイイ。ワタシノオシエ、スミズミマデ。」

「いいや、要点だけ頼むよセンニン」

「ナニ!コノテイド、ワガヨガシンワノイッタンニスギン!ホンスジハココカラ!!」

「別にヨガ習いに来たわけじゃねぇのよ俺ら」

「ムゥ、シカタアルマイ」

 

そういうとセンニンは不織布タイプのマスクをマーシャルに差し出す。

「コレヲツケテ…オナジコトヲ…。」

「なるほどね、呼吸しにくい状態でやるわけだ。」

 

マーシャルも理解したようで、マスクを着けて再び「呼吸」を始める。

(さっきよりも息がしにくい。でも、私は宇宙…弱い肺に代わって隅々まで…酸素を…)

「なぁセンニン」

「ナンダ」

「あのマスク新品か?」

「シンピンデハナイガ…ワタシガイッシュウカンツカッタダケ、シンピンドウゼンダ」

 

その言葉を聞いたマーシャルはマスクを床にたたきつけた。

 

―――――――――――

「やぁ!なかなか為になったな!なぁマーシャル!」

ヨガが終わっても、マーシャルは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。

 

「…。」

「そう拗ねるなよ、今回学んだことはデカかったはずだ。その呼吸、常に意識してやってみろ。」

「蹄鉄の次は...呼吸ですか?」

マーシャルは足を上げて蹄鉄をのぞき込む。

 

「どれもこれも、きっとお前を成長させるさ。ま、だまされたと思って。」

「…。」

それでもマーシャルは不満げな顔をする。

 

「…はぁ、分かったよ、機嫌直せって、…何が食いたい?」

「…中華。」

 

 




高級中華料理店にて
「二人で八万だと!?ボッタクリかこの店?」
「い、いえ!正規のお値段です…お連れ様の空の丼の数見ていただけるとお分かりかと…。」
(…満腹)


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試練

それからも、健気でいたいけな私と、自由気ままで勝手なトレーナーさんの滅茶苦茶なトレーニングは続きました。

 

トレーナーさんの用意するトレーニングはいつも突拍子もないもので、この間なんてタイヤ引きの代わりに10tトラック引きをさせられました。

 

その前はトレーナーさんのポルシェと0-400をさせられました。

普通に負けました。

 

その前は引っ越しのバイトのシフトを勝手に増やされました。

 

もう毎日クタクタだけど、本当に私は早く、強くなってるのかなぁ。

わからないけど、でも、私に残された道はこれしかないもの。

 

私はもう少し、あの人を信じて頑張ってみようと思います。

だけど、あまり無茶なのは少し勘弁してほしいです。

 

――――――――――

 

『うー!!うまぴょい!うまぴょい!!』

 

夜中の栗東寮。皆が寝静まったころに一つのスマホが鳴り響く。

 

「ん…んんぅ…マーシャル…ちゃんの?」

「え、私…?うわ…ほんと…ごめんねモモちゃん…。」

 

時刻は午前3時、明け方とも呼べないその時間に、彼女のスマホは鳴り響いた。

 

「…だれだろう?」

寝ぼけたまま、着信の相手も確認せずに電話を取る。

 

「…はぁい?」

「よぉ!マーシャル!!俺だ!!」

「…トレーナーさん!?」

その相手は、いつもの調子の大城だった。

こんな真夜中だというのに、どうしてこう元気なのだろうか。

 

「トレーナーさん…いま何時だと…。」

「お前今何してる?」

「何って…そりゃあ寝てましたけど。」

「俺は今お前の寮の真ん前にいる。言いたいことわかるか?」

「え?」

 

マーシャルはそっとカーテンを開ける。

寮の門に目をやると..そこにはあの白いポルシェ…。

 

「え…ええ!?どういうことですか!?」

「決まってんだろ?トレーニングだ!今すぐ準備して出てこい!」

 

そういうと大城は一方的に電話を切った。

 

「な…なんなのお!?」

 

――――――――――

 

車内にて、マーシャルは淀んだ顔をしてふらふらとしていた。

「どうした?寝不足か?夜更かしでもしたか?」

「あの…今何時ですか?」

「3時20分だな。釣りに行くより早いな」

そう大城は笑った。

 

「…もういいです。まったく…いつもめちゃくちゃなんですから。」

「それでも付いてきてくれるお前が、俺は好きだぜ。」

その言葉にマーシャルの目はカッと開いた。

 

「なっ…!」

「ほら、朝飯だ。今のうち食っとけ。」

そういって大城はコンビニのおにぎりを差し出す。

「…一体、どこへ行くんですか?」

おにぎりを貪りながらマーシャルは聞く。

 

「ああ、箱根だ。」

「へぇ..箱根…箱根!?」

「今日は嫌というほど走らせてやる。」

 

―――――――――

 

「こ…ここって…。」

「箱根ターンパイク…最強のヒルクライムコースだ。」

 

まるで高速道路のように料金所が置かれたその上り坂は、十分すぎる道幅に途方もなく見える勾配。

 

その大きな坂は、先行きが全く見えない。

 

「あの…これ…。」

「早朝だけ貸し切ったんだ。車は来ねぇよ。」

「の…上るんですか…?」

「一見キツそうに見えるが、実際の勾配はそうでもない。カーブも緩やかだが、ま、エゲつねぇことには変わりねぇよな?」

 

そういうと大城は車から、タオルと簡易水筒をマーシャルに投げる。

「ざっと14kmってトコだ。2時間で登ってこい。」

「に…2時間…。」

「時間になったら迎えに来る。もう無理だと思ったら端で休んでろ。じゃあな!」

 

そういうと大城は車にのって一足先にそのコースを登った。

 

―――――――――

 

「ヒィ…ヒィ…ひいいい!!」

登っても登っても登っても、まったくと言っていいほどに先が見えない。

本当にここのゴールなんてあるんだろうか。一生ここを走る地獄かなにかなのだろうか。

 

そのあまりにも希望の見えないコースに、マーシャルの心は折れそうになる。

そのときに、ふと、あの日々がよみがえった。

 

レースで何度も敗走したこと。頼りにしていた先輩からも見放されていたこと。後輩から幾度となく受けてきた侮辱。そして、大好きな母へ恩返しができなかったこと。

 

マーシャルはふと気づく。このコースは、まるで今の自分そのものだと。

今の自分は先の見えない道をもがき続けている。

でも、ゴールはきっとあるんだ。上り詰めた先に、きっと答えがあるんだ。

このコースのように。

 

(あき…らめる…もんか…。)

 

――――――――――

 

「…ふぅ。」

今日この短時間で何本タバコを吸ったのかもうわからないが、それでも大城は新しい一本に火をつけた。

 

コース頂上の見晴らしのいい駐車場にて、大城はひたすらにマーシャルを待った。

時間はすでに1時間55分を経過していた。

 

(まぁ、さすがに厳しかったか。このコース。上に行けば行くほど酸素は薄くなる。途中でブっ倒れてなきゃいいが)

念のため、車の中には酸素吸入器を用意してある。

 

このトレーニング、マーシャルに課す課題は二つ。

一つは疲労感に見舞われる先行きの見えないコースでの、根性を鍛えるもの。

そしてもう一つは、酸素への克服。酸素の薄い高山を走らせることで、いつもよりも器用に酸素の供給を行わせる為のトレーニング。

 

どれも今の彼女に必要なものだった。

しかし、彼女が登り切れないことは、あらかじめ予想はしていた。

彼にとっては半分以上登りきれば上出来だという目論見だ。

 

(ボチボチ、時間か…。)

大城は靴底でたばこの火を消すと、そのまま車に乗り込もうとエンジンをかける。

その時。

 

「…ん?」

コースの下から、よたよたと何かの影が迫ってくる。

その姿は、もはや気力だけで走っているといっても過言ではないほどにフラフラだった。

 

「…おいおいおい、…マジかよ。」

大城は酸素吸入器を持つと、勢いよくマーシャルに向かって駆け出した。

 

「と…とれーなー…さ。」

バタっと倒れこむマーシャルを間一髪大城は抱きかかえた。

 

「はっはっは!!スゲェなお前!マジで!!」

マーシャルの口に酸素吸入器を当てながら大城は上機嫌に笑った。

 

「わたし…やりましたよ…。」

「ああ…まったく…見上げたクソ根性だな!恐れ入ったぜ!」

「わ…私の…」

「あ?」

「私の…レッド…は…不屈の…赤…ですから」

 

マーシャルは絞り出すように言う。

「不屈の赤…ねぇ。そういや昔似たようなコトいわれてるヤツが居たな…。ん?」

大城はマーシャルと視線を合わせる。

「おい…お前のオフクロ…名前は?」

「え?レッド…レッドクラウン…。」

「レッドクラウン...っく!っはっはっは!!!」

その名を聞いた瞬間大城はおもむろに笑い出す。

 

「どうしたんですか?」

「いいや!なんでもねぇ!!帰るぞ!!」

「ま…まってぇ…。」

大城は上機嫌のまま車へと戻った。

 

 

 




「お前昨日のメジャーリーグ見たか?延長に次ぐ延長でよ!やっぱああいう拮抗した試合ってのが一番燃えるよな?俺も家出る直前まで見ててよ…」
(この人…いつ寝てるんだろう?…Zzzz)


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スパート

たっぷり走ったあとの睡眠はとても心地がいい。

いつもよりも深く…ゆっくりと眠れる。

 

この疲労感と温かい日差しが、それにより拍車をかける。

 

…ん?

暖かい…日差し…?

 

――――――――――

 

「え!?」

マーシャルはベッドから飛び起きた。

彼女に差し込む光は、時計を見ずともすでに正午であることを伝えている。

 

しかし、状況を整理できない彼女は時計に目をやる。

「12時…19分…。」

こんな大遅刻をしたのは生まれて初めてだ。

 

(そ、そうだ、たしか朝早くにトレーニングして、そのまま寝ちゃったんだ…。)

彼女は急いで学校の支度をしようとする。

(い…急がなきゃ、午後の授業なら…まだ)

 

そう焦る彼女は、一通の手紙が机の上に乗っていることに気が付いた。

「…ん?」

 

その封を開ける。

 

『おはよう、ポニーちゃん。

ゆっくり休めたかい?君のトレーナーさんからの伝言で、今日は学校を休んでゆっくりしろってさ。そしてまた16時に練習場で待ってるとも言ってたよ。頑張ってるのはいいけど、あまり無茶をしすぎないようにね。 

                               フジキセキ』

 

「お…お休み?」

 

急に休みだといわれても、それはそれで調子が狂う。

「…ま、おなかもすいてるし。」

そういって彼女は制服へ着替えた。

 

――――――――

 

練習場で準備運動をする。

体の節々を入念に。ゆっくり寝れたおかげか早朝の疲れはある程度吹き飛んでいた。

 

「よーォ。」

いつもは遅れてくる大城が、今日は珍しく時間どおりに来た。

「お疲れ様です、トレーナーさん。今日は時間通りですね。」

「遅れるとお前がうるせえだろ?」

「えへへ、時間は大事ですから!」

「つーかお前、今日午後からの授業出たらしいじゃねーか。ったくクソ真面目だなぁホント。休めって言われたら休めよ。」

「ごめんなさい。でも、せめて勉強では、みんなに遅れたくないから…。」

 

 

大城は錠剤を飲みながら、続ける。

「ま、とにかく今日は、普通に走ってみろ。」

「普通…に?」

「そ、こいつで、ターフ一周。50%くらいで流してみろ。」

そういって大城は新品のランニングシューズを差し出す。

 

「こ…これ、」

「ターフエンペラー。一流ブランドもんだぞ?」

それは誰もが知る、ウマ娘専用のブランドもののシューズ。

国内外問わず、トップウマ娘が愛用していることで広く知られる。

「い、いいんですか…?」

「お前が勝つことに比べれば安い買い物だ。さ、さっさと履け。」

「あ…ありがとうございます!!」

 

早速履いてみる。

「うわぁ…すっごい…。」

洗礼されたデザインと、徹底された軽量化。ウマ娘工学に基づいて細部まで作りこまれたそれは、履くだけでもその違いを体感できた。

 

「これ…すっごく軽い。」

「というか、いままで履いてたやつが重すぎただけだ。」

「…そうですよね。」

 

その蹄鉄を脱いで初めてわかる、今までの異常な生活。

でも、今の足はまるで、翼が生えたように軽かった。

 

「ターフ一周50%、そして4コーナー抜けて直線で、一気に全力で走れ。」

「…はい!」

 

――――――――

 

すごい…すごい…!いつもならもうバテてるのかもしれないけど、まだ動く、

息ができる。

センニンさんに教えてもらった呼吸が役に立ってるのか。はたまたバイトで鍛えた体が支えてくれているのか。

 

思い切って走ってみたくはなるけど、トレーナーさんの言いつけ通り50%を維持する。

そして、4コーナー。

 

例え50%でも、いつもなら、もう走るのをあきらめてしまうほど、息が上がってたけど…。

「もしかして...走れ...る?」

 

マーシャルは4コーナーを抜けた瞬間、一気に地面を蹴って、前へ飛んだ。

その刹那、まるで車から身を乗り出したかのような、今までに感じることのなかった風の抵抗が、彼女を包み込んだ。

 

すごい…私…今…早いっぽい…。

目の前に流れるのは、今までに見たことないほどのスピードで流れていく景色たち。

 

足が次々に前に出る。

スタートダッシュで培ってきたノウハウと、鍛え抜かれた筋力が、彼女のスパートを全力で支援した。

 

「っは!やっぱりな…。お前はそーゆーヤツなんだよ!マーシャル!!」

 

―――――――

 

「はぁ…はぁ…トレーナーさん!!」

「おう、ご苦労。」

大城はマーシャルにドリンクを投げる。

 

「私…私…!」

「ばーかやろー。お前は並のヤツの3分の1の体力から、3分の2に上がっただけだ。まだ先は長い。」

「それでも…!」

 

マーシャルは興奮を隠せなかった。

 

「ま、そのくらいできりゃあ、まだ伸び代はありそうだわな。」

大城も内心興奮しているが、悟られないように平然を装う。

 

「だが、お前は根本が弱いことを忘れるな。そのスパート。やりようによってはお前を食うぞ?諸刃の剣として扱え。」

「…はい!」

 

大城は荷物を持つ。

 

「じゃ、今日はこれで終わりだ。」

「え!?もうですか?私、もう少し走りこんでみたいんですけど…。」

「殊勝なこったな。でもダメだ。明日に備えて今日は休め。」

「明日…?何かあるんですか?」

 

マーシャルはポカンと口を開ける。

 

「何ってレースに決まってんだろ?」

「レースって..誰の?」

「お前のに決まってんだろ。」

「……………………………………え?」

 

マーシャルは完全にフリーズする。

「…あの、初耳なんですけど。」

「そら、今言ったからな。」

「…もう少し、早く言おうとか、ないんですか!?」

「忘れてたんだよ。俺も1時間前くらいに思い出した。」

 

大城はマーシャルに背中を向ける。

「じゃ、明日中央に8時現地集合な。」

そういって颯爽と消えていった。

 

マーシャルはぽつんとターフに残される。

「…もう…好きにして…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Let's Rock!

…ああ、ここは何度来ても慣れないなぁ。

 

パドック前。マーシャルは強張る身体を小刻みに震わせながら、一歩前に踏み出した。

 

パドック壇上、彼女は肩にかかるマントを一気に引きはがす。そして自身に振り当てられたゼッケン8番を観客にさらけ出す…しかし、その様子を期待して見るものは誰もいない。

 

「ええっと、え?誰この娘?」

「レッド…マーシャル?だってよ。聞いたこともねぇな。」

「あーはいはい。もういいから、さっさと一番人気だせよ。」

 

…わかっていた。

いつもこれなんだ。私が出てきても、みんな新聞読んで、スマホいじって。私にがんばれと言ってくれるのは、ごく一部の小さい子供くらいなんだ。

 

でも、今日は、少し違った。

客席から目立つ声援が一つだけ、彼女の元に飛んできた。

 

「おーい!!そこの8番!!辛気臭ぇツラしてんじゃねぇぞ!!気合入れろ気合!!」

その声の主は、言わずもがな聞きなれた存在だった。

 

(…トレーナーさん。)

彼の声援に、マーシャルはぐっと歯を食いしばった。

 

『10番人気はこの娘、レッドマーシャル。』

『担当トレーナーが変わったという情報が入っています。新しい彼女に期待です。』

 

――――――――

 

(がんばれ…がんばれ私…。ま...負けちゃダメ!)

本場前の地下道にて、マーシャルは自分に何度も念を唱えた。

そんな気弱な態度を見せるマーシャルに痺れを切らせた、大城は。

 

スパァン!!!!

 

とマーシャルの尻をひっぱたいた。

 

「いったああああ!!!何するんですか!?なんでお尻叩くんですか!?このヘンタイ!!」

「バッカヤロー。お前レース前から気持ちで負けててどうすんだよ。」

「…だって。」

 

まだ勝負も始まっていないというのに、すでにベソをかきそうな顔をする。

レースの度に苦い思いをさせられた。そしてそれは彼女の意識下に強く根付いている。

 

「…はぁ。ったくよぉ!いくらカラダ作っても、気持ちが乗らねぇなら意味ねぇんだよ!」

「でも…でも…」

「じゃあコレだ。」

 

といって大城はマーシャルにあるハンドサインを見せる。

掌の中指と薬指だけを折りたたんだハンドサイン。

所謂ロックサイン。

 

「え…えっと?」

「えっとじゃねぇだろ?ロックだよ、迷ったらロックに行け。」

「ろ…ロック?」

「はぁ!?お前ロック知らねぇのか!?ツェッペリンにパープル、クイーンにKISS、ユーライア・ヒープにバッドカンパニー!あのロックだよ!!」

「?????」

 

あまりの情報量にマーシャルの頭はパンク寸前になる。

 

「…っつっても、もう、時代じゃねぇのか…。俺が若い頃は流行ったもんだったんだがなぁ。」

勝手に落胆する大城をよそ眼に、マーシャルはハンドサインの真似をする。

 

「…お、いいな。そうだ、ロックだ。いつでも気持ちはロックでいろ。」

「よくわかんないけど…このハンドサイン…昔お母さんがしてた気がする。」

「気持ちが折れそうになった時、いつも俺を助けてくれたのはロックだ。迷ったらこう叫ぶんだよ『Let's Rock!』ってな。」

 

大城はハンドサインを掲げた。

 

「レッツ…ロック…!」

「もっと景気よく言うんだよ!」

「レッツ…!ロック…!」

「ま、及第点だな。そんでよ、マーシャル。今日のお前のレースだが。」

 

ようやく本題に入る。

「お前、今日勝たなくていいぞ。」

「…え?」

この人の唐突が過ぎる言葉には、いつも意表を突かされる。

「今日のお前は、今までとは違う走り方で走ってもらう。」

「…というと?」

 

「今までのお前は、序盤で一気に前に躍り出る、いわゆる逃げや先行で戦ってきたわけだ。そんでずっと負けてきたわけだ。」

「…」

「でも今のお前は違う。お前には一つの武器が形成されつつある。それをモノにするためのレースだ。」

大城は腕を組む。

 

「ものにするためのレースって。それじゃあ、これもトレーニングの一つってことですか?」

「早い話がそうだな。だから今日は勝たなくていい。今日の目的はほかにあるからな。ま、わざわざ負けろとは言わんが。」

「でも…どうするんですか?」

 

「レースにおいてスパートをかけるために必要な要素はなんだ?」

「えっと…体力と、位置取り…ですか。」

「そしてかけるタイミングだ。」

 

大城は壁に背を預ける。

「今日の課題はどうすれば、最適なスパートをかけられるようになるかをお前が知ることだ。」

「…。」

マーシャルは少しぽかんとする。

「ま、今日は俺が全部指示するがな。」

 

大城は先に行われているレースを指さす。

「まずはスタート。お前は先に飛び出さず、中団から後方にかけての位置で構えろ。」

「中団位置…。」

「そして、まずはお前の前にいるやつをよく見てみろ。そうすりゃ、どこかにお前と似たようなリズムで走るやつがいるはずだ。」

「うーん?」

マーシャルは何となくなイメージを立てる。

 

「まずはそいつに引っ張ってもらえ。」

「引っ張ってもらう?」

「ああ、体を動かす時ってのは、自分と似たような動きをする奴に体を合わせると、幾分ラクになるのさ。ま、これは実際にやってみればわかる。」

「は…はぁ?」

 

「次だ、お前、スリップストリームって知ってるか?」

「ええっと、前の人の背後に回り込んで…空気抵抗を…ってやつですよね?」

「ああ、調子がついてきたら、一番具合がよさそうな奴の背後に回り込め。それでかなりの体力温存につながる。」

 

「そして、最終コーナーを出た最後の直線。ここでスパートだ。」

そのセリフにマーシャルは息をのむ。

「ま、レースでは走るやつがいる分、スパートのかけ方もそいつらで違う。だけど今日のお前はコーナー出ての直線だ。周りがスパートに入ってもあせらず、ぐっとこらえろ。」

「…はい。」

「そんで、スパートに入っちまったら…。もう後先考えるな。バカになって絞れるだけ絞り出しちまえ。」

 

マーシャルは言われたことを頭で復唱する。

「ま、お前のスパートが実践でどこまで通用するか、俺もワカランからな。俺にとってのデータ取りの役目もあるわけだ。気負わずに走ってこい!」

「…わかりました!!」

 

『シュンブンブライト!!今一着でゴールイン!!勝ったのはシュンブンブライト!!』

「お、前のレースは終わったか。次だな。」

「…。」

マーシャルの顔にまた緊張が迸る。

 

「…なんだ?またケツをぶっ叩かれてぇか?」

「ひっ!!いやです!!」

「んじゃあ、とっとと行ってこい!ロックになってこい!」

大城はハンドサインをマーシャルに向けて、通路の奥へと消えていった。

 

 

―――――――――

 

「…っぐぅ!!…がはぁ!!!…ううぅ…。」

マーシャルと別れた直後の大城は、突如懐を抑えて、体勢を崩した。

 

「クッソ…。」

大城はなんとか壁に背を預けて顔を上に向ける。

「…あ…あの!…大丈夫ですか?」

その現場を見たひとりのウマ娘が心配そうに声をかけ、駆け寄ろうとする。

 

しかし、大城は掌を向けて、それを制止した。

「ああ…大丈夫だ…ほら、レース始まんだろ…?早く行けよ…。」

「は…はい。」

 

そのウマ娘が去ったあと、大城は錠剤を口に運んだ。

「…クソッタレ。」

なんとか自力で立ち上がれるようになれた大城は、懐をさすりながら再び歩き出した。

 



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番外編:校内禁煙!

これは、大城とレッドマーシャルがまだ出会う前のお話。


※べつに読まなくてもいいやつです。


「あー..チクショウ…」

授業と授業の相中の休み時間、大城は教科書を持って廊下を歩いていた。

しかし、彼はとてもイライラしていた。

 

別にこの仕事によるストレスというわけではないらしい。

 

「あ、おーい!ハクせんせー!」

「…」

「あれ?どうしたんだろ?」

 

いつもは気さくに返す生徒への挨拶も、無視してしまうほど、大城は苛ついていた。

 

彼のフラストレーションの理由…それは、単なるニコチン切れだった。

 

というのも、アスリートを目指すウマ娘たちにとって、呼吸器官は命。

それを副流煙によって損ないかねないリスクがあるとして、トレセン内は数年前から全館完全禁煙になっていた。

 

以前ならば教官室でコッソリ吸う分には黙認されていたものの、それすらも厳格に取り締まられるようになってしまい、ヘビースモーカーである大城にとっては死活問題だった。

 

一度は沖野や黒沼と共に抗議することも考えたが、そもそも彼らは煙草を吸わないし、それに生徒であるウマ娘たちのことを考えると、それも妥当だと言わざるをえなかった。

 

そのため、昼休みなどに学園を抜け出し、最寄りの公園やコンビニなどでニコチン補給を行うのだが、今日という日はそんな暇すらもなかった。

先日教科書の記載事項の一部が突如変更された為、大城はその指導案作成等に追われていた。

 

だが、そんな彼もいよいよ限界を迎え始める。

(クッソ…あそこなら…一本だけ…!)

 

トレセン校舎裏の物置近く、大城はそこに駆け込んだ。

ここはめったにウマ娘たちは来ない場所だった。

 

大城は素早く煙草を取り出し、即座に火をつける。

(…くぅ!五臓六腑に染み渡る…!!)

n時間ぶりの煙草は彼にとって至福のひと時に…なるはずだった。

 

「ええと…スズカさんのハンカチ…たしかこの辺で無くしたって…あ!大城せんせ…い」

大城がその声に気が付いたときは既に遅かった。

「す…スペシャル…ウィーク」

 

「せ…先生…それって…イケナイやつじゃあ…!」

スペシャルウイークは大城のその手に持つ白いものを見て、驚愕する。

「ま…待て!スぺ!これはだな…。」

「わ…私…。」

 

(クソ!仕方ねぇ!)

「おい、スペ!これ、なんだと思う...?」

大城は懐から、一つの個包装された菓子を取り出す。

「そ…それは…!!」

「そうだ…駅前キャロットハウスの限定キャロットクッキー。数量限定なのはお前もしってるよなぁ?」

「で…でも…。」

「うめぇぞお…これ逃したら…二度と食う機会はないかもなぁ?」

大城はそれを優しく振った。

 

「う…あああ…。」

そしてスペシャルウイークはそれに引き寄せられるように、菓子に靡く。

「よぉし、スペ、お前は何も見なかった…復唱。」

「はい…私は…なにも見な「何をしている!!」

 

二人が慌てて振り向いた先に居るのは、峻厳で知られるこの学園の副会長。

「エア…グルーヴ…。」

「ほぅ、校内で異臭がすると通報があって来てみれば、校内喫煙に加えて生徒の買収とは、これはどういうことか説明していただこうじゃないか...大城先生?」

にじり寄るエアグルーヴに、大城はジリジリと後ずさる。

 

「エアグルーヴ…後生だ…勘弁してくれ。」

「それを決めるのは…私ではない。さぁ、生徒会室へ来ていただこうか?」

「待て!エアグルーヴ!…これ、なんだと「いらん!!このたわけ!!!!」

 

エアグルーヴの怒号が校内に響き渡った。

 

 




大城先生のひみつ①
実は初犯じゃないらしい。


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ゼッケン8番

『各ウマ娘、ゲートに入りました』

 

ゲートに入ってから開くまでの時間、ほんの数秒の時間ではあるものの、その中で時を待つ者たちにとっては永遠と呼べるほどに長い。

 

ゲートが開く前から、すでに駆け引きは始まっている。

開いた途端に、勝利を確信する者、敗北を覚悟する者さえもいるほど。

 

そんな殺伐とした中に身を置くことは、いつも息苦しく感じる。

でも、今日こそは、何かが変わるかもしれない。

 

――――――――

 

「さぁ、お前を見せてみろ…。」

大城も、観客席の策に腕を置いてその時を待った。

 

そして、運命の時は始まりを告げる。

『スタートしました!』

ゲートから一斉にウマ娘たちが飛び出る。

『各ウマ娘揃って綺麗なスタートを切りました。』

 

―――――――――

 

マーシャルは一瞬、いつもの癖とも呼べる条件反射で、ゲートが開いた途端、前に出ようとした。

だが、大城の作戦をふと思い出し、その出足を緩め、中段位置に落ち着く。

 

(…あぶない…いきなり失敗するところだった。)

 

『先頭から6番、4番、9番の並び、そこから少し離れて3番12番5番、中段位置8番はここに構えます』

 

まず、一つ目の作戦…自分と似た人を探す…だって。

そんな人、どこに?

 

マーシャルは落ち着いて周りを見渡す。

そして、なんとなく、本当になんとなく自分とリズムがあっているような、いないようなウマ娘を見つける。

 

(この娘…かな?)

マーシャルはレースに集中しながらも、意識的にその前を走るウマ娘の動きを自分にトレースしていく。

ターフに足を付くピッチの間隔、速度、腕の振り方。

自分と相手とのちょうど中間あたりを狙って、それらを微調整していく。

 

そしてそれらが体に馴染んできたときに、マーシャルは大城の言葉を理解していく。

(…ほんとだ。なんでだろう…自分で走ってるのに…引っ張ってもらってる感じ。まるで、体を動かしてもらってるみたい…。少し楽かも…?)

無意識的に体が引っ張られていくその感覚に、マーシャルは驚く。

 

(ま、今は補助輪みてーなモンだ。いずれそんなモンに頼らねぇで走れるようになりゃ、上出来だ。…にしても)

 

他ウマ娘のトレースが齎す恩恵はリズムだった。

いつも先行に躍り出て、ろくにリズムも作れずにバテていくマーシャルは、走りのリズムを安定化させるという概念に乏しかった。

 

そのため誰かをリズムメーカーにさせることで、中段位置での走り方を知らないマーシャルでも、安定して走ることができる。

そしてそのリズムに乗り、引っ張られることで、精神的に楽に走ることが可能となった。

 

無論相手のリズムに頼りすぎてしまえば、自分のリズムを失い無駄な体力消費ににも繋がりかねない。しかしマーシャルはそれを知ってか知らずか、自分のリズムと相手のリズムの中間の塩梅を見出して、無理のない範囲で自分に取り込んでいた。

 

こればかりは、彼女の、自身も知らないセンスが光ったという他はないかもしれない。

 

(…意外なところ、器用なんだなあいつ)

大城は静かに感心した。

 

そしてマーシャルの体と心に調子が宿ってきたとき。

(…よし!この人!このまま後ろについちゃおう!)

それはマーシャルがトレースした相手だった。

リズムが似た上に、背丈も自分とそう大差ない。ならばこの相手に、第二の作戦、スリップストリームを決行した。

 

(見よう見まねだけど…いけるかな…。)

その相手と綺麗に縦一直線に並ぶ。

だが、風の抵抗は依然変わらない。

 

(な、なんでぇ…。)

自身のスタミナに少しづつ陰りが見え始める。

(こ…このまんまじゃあ、また同じことに…。)

スリップストリームに入れない理由。マーシャルは頭で必死に考えた。

 

「…ハマらねぇか?よく考えろよ?…答えは単純だ。こっから見てもわかるぜ?」

 

 

(思い出して!授業で習ったんだ…!)

ただでさえレースでは勝てなかった彼女。ならばせめて勉強だけでもと必死になった。その記憶を巡らせていく。

そして一つの解にたどり着く。

 

(…距離?)

よく考えてみると、前の娘との差は軽く見積もっても1バ身以上はある。

それだけの距離が離れていれば、スリップストリームの恩恵は薄いのでは?と彼女は推測を立てる。

 

(これ、もし間違ってたら…でも、やるしか!)

思い切って彼女は、少しだけスピードを載せて前の娘に近づく。

追いかける背中が大きくなってきたその時。

 

彼女の周りから、流体の流れが断ち切られた。

(う…うそ。…これが…スリップストリーム。)

 

自動車レースでさえも一番の課題とされる空気抵抗。

人やモノは普段、空気に馴染んで生活をするが、ひとたび高速での移動を行えば、それらに対して猛烈な牙をむく。

 

しかし、それを克服してしまえば、それは何よりも強い武器になる。

 

マーシャルはまるで前を走るウマ娘に吸い込まれるように、その背中に追従する。

(すごい…!すごい!こんなスピードで走ってても…あんまりきつくない!)

 

だが、それは長くは続かない。

このコースのコーナーに差し掛かる。

 

今までの直線と比較し、各ウマ娘たちに横の動きが加わる。

このままでは、安定したスリップストリームを行うのは難しい。

(うっ…!!)

 

「さ、こっからが勝負だぞ。おまえのクソ根性、見せてやれ。」

 

(うう…!離されないように…。)

 

『さぁ、最終コーナーに差し掛かる...。ああっとここで6番トージョーイシン抜け出す!それに追従!各ウマ娘一斉に仕掛ける!!』

(え!?そんな!?)

 

マーシャルは動揺する。

自分が追っていた前の娘、自分の後ろにいた娘、横に居た娘が一斉にスパートに入った。

 

(あ…ああ…)

次々自分を追い抜いていくその背中に、彼女は焦りを隠せない。

(わ…私も…!)

と思ったが、そこで大城の言葉を思い出す。

 

『今日のお前はコーナー出ての直線だ。周りがスパートに入ってもあせらず、ぐっとこらえろ』

(…!!)

マーシャルは歯をぐっと食いしばる。

 

確かに周りの娘たちの背中を黙ってみるのは悔しい。でも、今日こそはその流れを…断ち切るんだ!

 

そしてコーナー出口

 

マーシャルのスタミナ、足、共に残っていた。

 

(いける..!仕掛けられる..!)

今までではありえなかった、最終コーナー抜けての余力。

その感覚は、マーシャルの高揚感すらも搔き立てる。

 

そしてマーシャルは…ターフを蹴った。

 

―――――――――

(クソっ!前の連中には届かないか…。だけど、このままいけば入賞は堅い。せめて…ん?なん…だ?だれか…来てるのか?)

 

『さぁ中山の直線は短いぞ!一番手は変わらずトージョーイシン!それを追いかけるハーネスブラック、おっと後ろの方では誰かがバ群を抜けた…これは…8番レッドマーシャル!!強い追い上げを見せます!!!』

『驚異の瞬発力です!』

 

「は…ははは…あっはっはっは!!…お前、なんだそりゃあ!!」

 

大城は咥えていた煙草を落としたことにすら気が付かなかった。

 

 

マーシャルはライバルの背中を一人、また一人と追い抜く。

(嘘だ…これ、本当に私…?)

そのスピードに、心が追い付いてこない。

 

『レッドマーシャル!驚異的な追い込みを見せるが!果たして先頭集団をとらえられるか!?』

 

レッドマーシャルのその追い上げに、観客たちからもどよめきが走る。

「だ…だれあの娘?」

「あんな娘いたのか?」

「い…いや!おれパドックで見た時から違うって思ってたんだ!」

「嘘言うな、お前一番人気出せとか言ってたろ。ま、確かにすごいが、先頭には届かんだろうなぁ。」

 

 

(う、うう…くる…しい…。)

スパートをかけるということは、全力を使い果たすこと。

そのリソースに乏しいマーシャルには、それを長時間扱うことは困難だった。

しかし、ゴールは見えている。

 

(前には追いつけない...…でもゴールは切れるっ…!!)

マーシャルはスパートの速度をわずかに落としながらも、もう一度前を向いた。

(い…けぇ…!!)

 

『今ゴールしました!一着トージョーイシン!見事逃げ切りました!二着は惜しくもハーネスブラック!三着にオオエドカエヅ、そして四着に…』

 

――――――――

 

(…はぁ…はぁ…はぁ…)

マーシャルはターフにうつ伏せで倒れていた。

今度はあの重い蹄鉄を全身につけているかのように、体中が重かった。

 

センニンから習った呼吸を…と思っても、それだけじゃあ間に合わない。

なんとか自分の着順だけでもと無理やり顔をモニターへ向ける。

 

(今日は…ちょっと…早かった…よね?)

そして自分の名前とゼッケン番号を適当に探した。

 

(えっと…6.7.8.9.10.11.12…ない?)

そんな馬鹿なはずはない。

自分はいつもこの辺にいるのだから。

 

(えっと、一着が6番二着が4番三着が9番…四着が……8…番…?)

8番…えっと8番って…私?

 

マーシャルはガクガク震える手で自分のゼッケンを引っ張る。

そこには大きく

 

『8』

 

と記されていた。

 

 

――――――――

 

「とれーなーさぁん…私…わだじいぃぃ!!」

「わかったからもう泣くな!ったく4着でうれし泣きするやつがあるか!」

 

選手控室。そこではボロボロと涙をこぼすマーシャルと、呆れながらも笑みがこぼれる大城の姿があった。

 

はた目から見れば、一着が取れなかった悔し泣きと解釈するのが正しいのだろうが…。

 

「だってぇえええ…。」

彼女にしてみれば、トレセン入学以来初めての入着だった。

「でもま、よくやった。お前のソレ、どうも通用するっぽいな。だが、もっとブラッシュアップさせる必要もある。…次は表彰台だぜ?」

「…グスっ…はい!!!」

 

大城はその時、初めてマーシャルの笑顔を見た。

 

――――――――――

 

「マーシャルちゃん..もう電気けすよぉ?」

「あ、うん!ごめんね!」

 

マーシャルは寮に戻って以降、ずっと4着の賞状を眺めていた。

 

「えへへ…モモちゃん。私…初めて賞状貰ったんだよ。」

「うん…おめでとう!」

マーシャルのその嬉しそうな表情に、モモミルクも微笑んだ。

 

電気を消した後も、マーシャルは月明りを頼りに賞状を眺めた。

「…よっぽど…うれしかったんだねぇ。」

 

モモミルクは優しい顔で、マーシャルのその横顔を見ながら目を閉じる。

程なくして、マーシャルも、その賞状を抱いたまま、深い眠りに就いた。

 

 

 

 

 




競技場売店にて
「あら!ハクちゃん!久しぶりじゃない!煙草..いつもの16番かい?」
「ああ…いや…今日は8番で頼む。」


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7秒だけの武器
7秒


「お疲れ様です!!!もう!15分遅刻ですよ!」

 

練習場に着いた大城を出迎えたのは、キリっとした表情に、希望を持っていますと言わんばかりの瞳を、自身のトレーナーに突き刺さんとするウマ娘だった。

 

耳をピコピコ、尻尾をブンブンと、やる気十分というのは本人に聞くまでもない。

 

「………」

そんなマーシャルの姿を見た大城は、そっぽを向いて頭を掻く。

 

「…今日、練習やめるか?」

「なんでですかあぁ!!」

 

マーシャルは両手で拳を作って憤る。

 

「...なーんか、お前がそんな調子だと、今度は俺が狂っちまうんだよなぁ。」

「どういう意味ですか。」

「なんつーか…お前はちょっとしょぼくれてるくらいがちょーどイイんだよ。」

「なんですかそれ!?この間は元気出せとか言って、お尻ひっぱたいた癖に!!」

「あれは試合だからだ。」

 

そういうと大城は10インチほどのタブレットを取り出す。

「ま、今日の課題は引き続いてお前のスパートについてだ。これ見てみろ」

マーシャルはタブレットをのぞき込む。

 

「これ、この間のレース…。」

「そ、お前のレースだ。」

 

『おっと後ろの方では誰かがバ群を抜けた…これは…8番レッドマーシャル!!強い追い上げを見せます!!!』

画面に映るのは、あの時..全てを出し切った自分。

バ群を飛びぬけて、果敢に前へと駆け抜けてゆく様は、我ながら…というもの。

 

あの時の、この画面に映る人物が自分自身だとは、今でも少し信じがたい。

 

「てめぇに見惚れてんじゃねぇぞ?見るのはこっからだ。」

 

それはゴール終盤、酷く息が上がり、徐々に失速していくマーシャルだった。

「中山の直線は他と比較してみりゃ短いほうだ、ざっと300って言ったところか。それに坂も手伝ってお前は失速した。」

 

マーシャルはこの映像を見返して初めて知った。ゴール直前、後続のウマ娘たちが自分のすぐ背後に迫っていたことを。

 

「気づかなかったかも知らんが、お前と五着のヤツとの差は1/2バ身程度だ。お前がスパートで稼げなかったら…ズドンだったな。」

「…」

 

マーシャルはぐっと険しい顔をした。

自分は十分に戦える力を持ったと有頂天になっていた。だがしかし、たった四着の着順でさえ、紙一重であった真実を知った。

 

「お、いい感じにしょぼくれてきやがったな。じゃ、トレーニングすんぞ?」

「…はい!」

 

――――――――――――

 

「おらどうした!?もっといけんだろ?」

 

今日のトレーニングの内容は…ひたすらスパートをかけまくること。

今回は4コーナー立ち上がりのみならず、あらゆるところでスパートをかけた。

3コーナー上がり、4コーナー入口、出だしから。いろいろ

「OK!いいぞ!…いい感じだ。」

 

大城は数台のストップウォッチを抱え、細かくマーシャルのデータを取る。

 

「はぁ………はぁ………ゲッホ!…ああ!!」

ターフに大の字で倒れるマーシャルに大城は、ドリンクを投げ渡す。

 

「OK、大体わかった。」

「はぁ…はぁ…どうですか?…私、少し早くなりました…?タイムは…?」

「さぁ?早くなったかは知らん。」

「へぇ!?」

 

大城はマーシャルの横で胡坐をかく。

「お前のスパートが早いことくらい百も承知だ。先にスパートをかけた連中を4人もゴボー抜きにしやがった。問題は配分だ。」

「配分?」

「そ、スパートに入ったはいいが、結局スタミナ切れでゴール手前でまた抜き返されりゃあツマランだろ。ましてやゴールまで走り切れなかったら目もあてらんねぇ。」

 

大城はタブレットを睨む。

「だから、今日はお前のそのスパートが、どこまで、どれくらいに抑えれば、全体を走り切れるかのデータが欲しかったわけだ。」

「…つまり?」

「お前のスパート、7秒だ。一回のレース。そのスパートを7秒間に抑えろ。」

 

マーシャルは、すぐには理解できなかった。

普通スパートと言えば、最後まで走りきる、末脚勝負のはずなのに。

 

「…たったの、7秒?」

「そうだ、それ以上は…駄目だ。お前のスタミナ、ひいては肺が負けるだろう。」

「で、でも!それでゴールまで届かなかったら…どうするんですか?」

「どうするって、決まってんだろ?走るんだよ。手ぇ振って、泥臭く。前向いて。」

 

マーシャルは開いた口を閉じることも忘れていた。

「不満に感じるか?だがそれは、この7秒の価値をおまえ自身がわかってないからだ。」

「…え?」

「この7秒を徹底的に磨き上げる。そうすれば、その瞬間だけは、お前だけのものにできる。」

「7秒を…磨く?」

「スパートだけじゃねぇ。それを上手く、有意義に引き出すための試合運び、どこに着くか、どこでスパートをかけ、どう終え、残りをどう対処するか。課題は山積みだぞ?」

 

大城は立ち上がる。

「それら全てを高次元でバランスできれば…お前はなれる…スプリンター界の…バケモンに。」

「私…が?」

「どうだ。肺の弱い最弱のウマ娘がG1なんか獲ってみろ?…伝説になるぞ。」

 

大城の目はどこか血走っているようにも見えた。

マーシャルはグッと息をのむ。

 

「…もう少し、俺についてきてみるか?」

「…もちろんです!」

「OK、じゃ、いっちょブチかましに行くぞ!」

 

 

 

 

 

 

 




(トレーナーさん…タブレットの履歴…消しときましょうよ///)


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7秒トレーニング

…あの瞬発力を見たとき…流石にぶったまげたよ。

 

自分で言うのもナンだが、俺はこの仕事、結構キャリアは長いほうだとは思っててな、所謂古株ってヤツさ。

 

現役だった頃は、規格外のバカみてぇな末脚を持ったバケモノの面倒を見たこともあったし、モチロンGⅠクラスのスプリンターを育て上げた経験もある。

 

超ド級の強さを持つ連中なんて腐るほど見てきた。

 

…でもあいつは根本的に何かが違う。

 

…まるで生まれながらにして、このスパートの為だけに、他の全てを犠牲にしているのかと疑うほどだ。

 

もしかしたらこいつは、俺が思う以上のヤツなのかもしれない。

 

ああ…こいつが最終的にどんなバケモノになるのか..想像もつかねぇ。

 

見てみたい…こいつの行く末を。だからよ…カミサマ。アンタがもし、本当にいるんなら

 

 

もう少しだけ俺に時間をくれないか…?

 

 

―――――――――――――

 

(…4.5.6…7)

 

「…っはぁ!!!」

7秒のスパートを抜けたマーシャルはグデっと失速する。

 

「オイオイ!スパートを抜けた後が重要だって言ってんだろ!?」

「は、はい…!」

 

日の暮れかかる練習場、マーシャルは彼女専用に作られたトレーニングを行う。

彼女の7秒スパートを如何に自分自身へ染み込ませられるかが、今の彼女の課題だった。

 

彼女はそのスパートを扱うことにとても難儀していた。

スパートを抜けてもレースは続いている。だけど、スパートを抜けた途端、体が途方もない程に疲労を感じ、一気に体は重くなる。

 

それに加え、スパート中にはあまり感じないスタミナの消耗も、まるで帳尻を合わせるかのように彼女を襲う。

 

だが、一度にかけるスパートの時間をあらかじめ7秒を設定したことにより、スパート自体の精度は向上していた。

 

以前よりもより集中的に、より力強く、より俊敏に。

 

(…だが、そっからの繋ぎに難ありってトコか。)

 

彼女の7秒に対する要求は大きい。

通常走行から、一気にスパートへ、そしてまた通常走行へと戻させるそれは並大抵なアクションではない。

 

「さぁて、どうしたもんかな。」

今まで色々なウマ娘の担当を務めた大城でさえ、ここまでクセの強いウマ娘の育成には幾分手を焼いていた。

 

「………はぁ……はぁ」

今日だけで何本スパートをかけたのだろう。

一回一回の間に大きなインターバルが開くとはいえ、その疲労は隠せなくなる。

もともと肺が強くない彼女にとっては、かなり過酷なトレーニングには違いない。

 

マーシャルはヘタっと座り込む。

 

「よぉし、今日はこんなところか。」

「お……お疲れ様……です………。」

「お疲れなのはお前だろ?」

 

そういって大城は、ドリンクと酸素吸入器を差し出す。

酸素と水分を一気に補給するマーシャルの隣に、大城は胡坐をかく。

 

「お前のスパート、だいぶ精度が上がってきてるな。トップスピードだけで言えば、そうだな...サイレンススズカにも引けを取らない…かもな?」

「す、スズカさん…に?」

「あいつに興味あるか?」

「…ええ…私の憧れの…一人ですから。」

 

マーシャルはもともと逃げの選択をとっていたウマ娘、そこには少なからずサイレンススズカの影響があったのかもしれない。

 

「だが、そのあとがどうも続かん。スパートを抜けた後、ここが一番の課題だな。」

スパートを抜ける。その概念自体、他のウマ娘には本来無い物。

それを習得しろというのは、簡単な要求ではないことくらい、大城でも理解してはいる。

 

しかし、彼女のスタミナを鑑みるとゴールまで…と望むことはできない。

 

「…一体、どうすれば…?」

「お前の走りを見るに、スパートを抜けた後でも、全ての体力が尽きているワケじゃあねえと思うんだよな。スパートの時の感覚、そして通常に戻った時の感覚、この二つのギャップがお前の体を戸惑わせるんだろ。」

「………」

「ヨシ、なら今日から7秒トレーニングと題して…面白いコトでもやろうか…?」

「…また、めちゃくちゃなことですか?」

 

マーシャルは怪訝な目をする。

 

「イイヤ、結構単純なこった。これからお前の日常に7秒を加えるのさ。」

「…どういう?」

「お前のスパートを、日常の中でも使ってみろってことだ。何も走ることだけがスパートじゃねぇ。通常とスパートのギャップを、お前の体に染み込ませるんだよ。」

「…?」

 

――――――――――――

 

それから、彼女の「7秒トレーニング」は始まった。

 

日常に潜むあらゆることに7秒間全力で挑むという、これまた蹄鉄や呼吸に並ぶ彼女のギプスとなった。

 

(7秒…集中…この問題を解く!)

「え~っと問3番の答えは…」

(…間違ってた…。)

 

(集中…7秒で…移動教室!)

「こら!廊下をはしるな!!」

 

(7秒で…ごはん!)

「ゲホっ...ゴホッ!!」

「おい!バカ!そんな慌てて食うなよ!!」

「だ…大丈夫!?マーシャルちゃん!」

 

(これで…ほんとうに合ってるのかな…?)

 

―――――――――

 

そして数日後、バイトにて

「おーい!そのタンスお前らでもってこい!!」

引っ越し業者のチーフ、源蔵がアパートの二階から、若手たちに向かって声をかける。

 

「ひーこら、ゲンさんってば簡単に言ってくれらぁ。じゃ、マーシャルちゃん、二人で」

「いいえ。」

「?」

 

マーシャルは二階を向く。

「私、一人で…7秒で持っていきます!」

「はぁ!?」

 

その場にいる全員がざわめく。

「ま...マーシャルちゃん、無理はダメだって!なんかあったら、大城さんにシバかれんの俺たちなんだぜ?」

若手がそう制止するも、マーシャルは聞き入れなかった。

 

「大丈夫です…。任せて…。」

マーシャルは腕をまくる。

 

「ほぉ、こりゃ面白れぇ。」

ゲンは両手を柵について、その様子を眺める。

 

「ゲンさん!これ!」

若手はそう言って源蔵に酸素吸入器を投げ渡す。

 

(…集中…7秒…。)

真剣な表情でマーシャルはタンスに手を添える。

その様子に、その場の者たちは息をのむ。

 

そして、カッと目を見開く。

マーシャルは一気にタンスを持ち抱え、全力ダッシュで階段を駆け上がった。

その一連のスピードに、誰もが目を丸くする。

(…3..4..5)

源蔵の元まで、あと8メートル。

 

(もう…すこし…)

 

そして、

(…….7)

ドスン!と敷かれた毛布の上に、マーシャルはタンスを置く。

「………はぁ!!……はぁ……!!」

「…よぉ、やるじゃねぇか。」

「はい…っう!!」

ぐわっとマーシャルの体がブレたように見えた。

 

誰もが、彼女が倒れると思った…しかし。

 

彼女は足を出して、態勢を維持した。

「…大丈夫か?」

「…はい!まだ…いけます!!」

 

マーシャルの目に、炎が宿った。

源蔵にはそう映った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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閑話:母とトレーナー

『やっぱり、あなただったんですね。大城さん』

「俺もたまげたよ、まさかお前の娘だったとはな」

 

大城の教官室改めトレーナー室。

 

椅子にふんぞり返って、スマホを耳に当てる。

 

『あら、あの子ったら私似なんですもの、すぐに分かったでしょ?』

「イイヤ、あんま似てねぇよ…せいぜい、バカげたクソ根性くらいだわな。」

『ま、ご挨拶だこと。私はあなたのこと、すぐにわかっちゃいましたよ。娘が手紙に書いてくれていたトレーナーさんの特徴、あなたしか居ませんもの。』

「ナンだ、イケメン高身長でダンディーなオジサマとでも書いてあったか?」

『いいえ…自由気ままで勝手な人…とだけ。』

「…かぁ。母娘揃って、ロクでもねぇ目をしてやがる。」

『そうですか?私はよく的を射ていると思いますけど?』

 

大城は鼻で笑う。

 

「…そうか、お前が卒業しちまって、そんなに経ってたのか。…俺もオヤジになるわけだ。ほかの連中、ヨロシクやってんのかね。」

『ええ…あの時が少し懐かしいですね。あなたの無茶なトレーニングには、いつも驚かされました。』

「でも、その甲斐はあったろ?」

『ええ…秋の天皇賞がとれたのも…きっとあの日々があったから。』

 

電話の相手は言葉を切る。

 

『ねぇ…大城さん?』

「なんだ?」

『娘は…マーシャルは本当に…強くなれますか?』

「誰に向かって言ってやがる。レッドクラウンというバケモンを育てあげたのは誰だ?」

『…ええ、そうでしたね。私…娘をトレセンに入学させるか…最後まで悩んだんです。あの娘、肺が弱いから。体を、心を、壊してしまわないか…心配で…心配で。』

 

電話の相手は、過去に栄光を勝ち取ったウマ娘。しかし、今そこから聞こえてくるのは、娘を心配する一人の母だった。

 

「たとえ体が弱くとも、勝ち筋が無いわけじゃねぇ。…それに、一番大事なことは…最後まで信じぬくことだと、俺に教えたのはお前だろ?」

『....大城さん』

「安心しろ。マーシャルは…お前の血を受け継いだウマ娘だ。体力はともかく、根性は筋金入りだ。きっと俺が成るとこまで連れてってやるさ。」

『娘を…お願いします。』

 

電話越しに、涙の落ちる声が微かに聞こえた。

 

『…そうだ、それはそうと…大城さん?』

「なんだ?」

『あなた…

 

 

 

 

 

娘のお尻をひっぱたいたというのは本当ですか?

 

 

 

 

 

 

大城はすぐさま電話を切り、スマホを投げ捨てた。

「…相変わらずおっかねぇ…ダンナが気の毒だ。」

 

そういって大城は背もたれに踏ん反りかえり、煙草に火をつけた。

 




30分後、

生徒会室の真ん前で
『私は校内で煙草を吸いました(4回目)』
というプラカードを持って立たされている大城の姿があったとかなかったとか。

「…ジロジロみてんじゃねぇ」


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失敗

トレース…スリップストリーム…これらを駆使して、マーシャルは中段位置で静かにその時を待った。

 

大丈夫…ついていけてる。

 

足も、息も、前よりも残せている自覚がある。

 

きっといける…イメージも十分…仕掛けるポイントは…あの時と同じ!最終コーナー出口!

 

だけど、どうしてもぬぐい切れない懸念がある。

 

『大逃げ!!大逃げ!!独走状態だオオシンハリヤー!!このまま逃げ切れるのか!?』

 

先頭集団からでさえ、抜き出て独走を決め込むウマ娘。

マーシャルとのその差は、いったい何バ身程あるのだろうか。

ターフに立つものの主観から見れば、それは途方のないもののようにすら見える。

 

(…大丈夫…大逃げは…最後に…落ちてくる…はず…。)

 

そうポジティブな考えを自分に埋め込もうとするが、心の奥底では,,,どうしても消しきれない不安が静かに囁く。

 

(…本当に届くの…?こんなに…離れてるのに?)

だけど、自分に残された道はない。

 

…やるしかない!

今日こそは…今日こそは…1位をとるんだ!!

 

「…焦るなよ。」

大城は難しい顔でつぶやく。

大逃げの相手には、大逃げする相手なりの戦い方がある。

だが、マーシャルはそれをまだ知らない。

 

きっと今は焦燥しているに違いはない…だけど。

「お前で見つけてみろ…突破口を。」

 

そしてマーシャルは

(…集中…7秒!!)

ターフをける。

 

『レッドマーシャル!!ここで仕掛ける!!前回のレースでの追い込み!ここでもみられるか!!』

 

スパートに入ったその時は、少しだけ周りの音が聞こえにくくなる。

そしてほんの気持ちだけ、周りの時間がゆっくりになるような気がする。

 

そして、一人…また一人…とオーバーテイクを決めていく。

「むうりいい!!!」

マーシャルに抜かれたウマ娘がそう叫ぶ。

 

無理だなんて…私も…なのに!!

 

『レッドマーシャル追い上げていきます!!オオシンハリヤー!!捉えられるか?』

『彼女の走り、洗練されているように見えますね。』

『だがこれは厳しいか?この差は詰められないか?』

 

(…5…6)

その時マーシャルは悟った。

7秒フルに使い切っても、彼女を捉えられないことに。

 

不安が現実になる。

 

(…い…いやだ…せっかくここまで…これた…のに)

 

その不安は、彼女をより焦らせた。

(もう少し…もう少しなの…に)

 

「…ま、無理だわな。…今回はあきらめろ。」

大城も息をついた。

 

そして...時間を迎えた。

(…7)

 

もう背中は見えているのに…あと…ほんの少し…な…の…に。

 

マーシャルは目を見開いた。

そして…禁忌を冒した。

 

7秒を経過しても…彼女はスパートをやめなかった。

 

マーシャルがタイムオーバーで走ったことに、大城はすぐに気が付いた。

「バ鹿野郎!!やめろ!!」

大城の叫びもむなしく、それがマーシャルに届くことはなかった。

 

見えた…いける…少し…オーバーしちゃったけど…このま…!!!!!!!!

 

『レッドマーシャル!!ついに先頭を捉え…どうした?レッドマーシャル?急に

フラフラと…故障か!?』

『非常に危険なように見えます!』

 

やっと先頭の背中が見えた…やっと…初めての1位が見えた…そう思ったのは…一瞬の束の間だった。

 

マーシャルの呼吸が止まった。

 

必死に息を吸おうとしても、それを体に取り込んでくれない。体が…肺が…いうことを聞かない。

彼女は…一切の酸素供給を行えなくなった。

 

(あっ……が……ああ…。)

『このスパート…やりようによっては…お前を喰うぞ?』

『7秒だ…それ以上は駄目だ…お前の…肺が負けるだろう…。』

 

大城のその言葉を思い出す。

だが…時は既に遅かった。

 

マーシャルは…ターフで溺れた。

 

―――――――――

 

「……あ……ああ」

あれからのことは何も覚えてない。

もしかしたら、私は死んでしまったのかもしれない。

 

じゃあここは天国なんだろうか。

 

「よぉ、起きたか。随分早かったな…あと3時間は起きねえと思ったが。」

あの人の声がずいぶんと懐かしく聞こえる。

 

「…あれ?…天…国…?」

「お前が天国に行くには…まだちっと修業が足らんな」

 

そして、マーシャルは少しづつ意識を取り戻していく。

自分が病床に伏していると気が付いたのは、5分後のことだった。

 

「あ…私…」

大城の顔がはっきりと見えたころに、自分が何をしでかしたのかを...ゆっくりと思い出した。

 

「ま、死ななくてよかったじゃねぇか。親よりも先に逝っちまう程の親不孝だなんて、他にねぇからな。」

「…」

「ま、今回の相手...強かったな。いい脚してたよなぁ?大逃げだってんのに..最後まで足色は衰えなかった。…かぁ!スプリントってのは怖えなぁ!!それとよぉ今日の本場…ゲスト誰が来てたと思う…?これまたくっだらねぇ芸人でヨォ!…」

 

青ざめるマーシャルをよそに、大城はいつもの陽気な態度で振舞った。

もしかしたら、彼なりのマーシャルを励ますためのおどけなのかもしれない。

 

だが一向に、マーシャルは大城と目を合わせようとしなかった。

ふぅ、と大城は息をつくと、静かに口を開いた。

 

「…7秒だ。…7秒は守れ。…全体を走りきるためでもあるし、なにより…お前自身を守るためだ。…いいな?約束しろ。」

「…なさい」

「あ?」

「ごめん…なさい…。」

 

マーシャルの瞳からは、大きな涙が、雨のように降りしきった。

 

「私…私…トレーナーさんが…折角…うっ…ううええ!!!!」

顔を押さえて、グズグズになるまでマーシャルは泣いた。

自分のバカな行動のせいで、トレーナーが立ててくれた作戦を台無しにした。

あんなに自分に付きっ切りで指導した彼を....自分は裏切った。

 

その罪悪感に苛まれた。

 

そんなマーシャルの頭を大城は優しくなでた。

「俺に謝ったってしょうがねぇだろ?…一番苦しいのは…お前だろ?」

「…でも…でも!」

「一回失敗したなら、もう繰り返さなきゃいい。単純なことだ。」

「…」

 

顔を赤くして、ショボショボになってしまった目から、マーシャルはゆっくりと手を下した。

 

「俺も今までの人生、掃いて捨てるほど失敗してきた。一時期バカみたいな借金負って、女房にも逃げられてな。それにくらべりゃあ、ちょっと息が切れてぶっ倒れたくらい、ナンてことねぇだろ?」

大城は派手なジェスチャーを加える。

 

「でもよ、失敗したその度に死ぬほど落ち込んで…そして少しづつ立ち直って…ほんと少しづつ。強くなっていった。…失敗しない奴なんていねぇ。大事なことは、そっからどう強くなれるかさ。」

「…トレーナーさん…トレーナーさんでも、落ち込むこと…あるんですか?」

「んだと!俺をナンだと思ってやがる!当然だろ!!昔競輪で20万スったときゃあ、こらもう血の気が引いてな!フラフラ歩いて帰ってたら3回も職質されてサ。今までの人生アレを超えるモンはなかなかねぇぞ?」

「…ふふふ、なんですか、それ。」

マーシャルに少し暖かい表情が戻った。

 

「…ちったぁ調子が出てきたか?」

「…はい。…トレーナーさん。…私…強くなります…。」

そう誓うマーシャルの目に、曇りはなかった。

 

「おう、その意気だ。ロックに行けよ?」

大城はハンドサインを見せた。

そしてマーシャルもそれを返した。

 

――――――――――

 

『えー、会場にお越しの皆様へご連絡です。第4レースを出走いたしました3番レッドマーシャル選手ですが、搬送先の病院にて意識が回復したとの情報が入りました。皆様のご心配ならびに…』

 

会場からは安堵の声が流れる。

「よ…かったぁ…あーマジでビビった。せっかくいい感じになってきたように見えたのに..なんかあったらどうしようって。」

「田原..お前すっかりマーシャルの虜だな。」

「うっせぇ!ファンだよファン!!」

 

男性二人組が会話をしている脇を、やたらに怪しい老人がすり抜けていった。

「…マーシャル…ナラン…オマエハ…マダウチュウデハナイ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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センニン再び

「ちょ…ちょっと!入らないでください!もぉ!ケーサツ呼びますよ!?」

「ハク!ドコニイル!!マーシャル!ダセ!」

 

日中、日の一番高く上る時間、トレセンの正門にて、駿川たづなを始めとした職員たちは、不審者の対応に追われていた。

 

白いトガのような大きい布を身に纏う、肌の黒い老人は彼女らの制止を振り切って学園内へと歩を進めようとする。

 

「やめてくださいってば!怒りますよ!!」

職員はさすまたを用意して、その不審者へと向ける。

 

「ワタシハフシンシャデハナイ!!ハクヲダセ!!」

「どうみても不審者じゃないですか!!もぉ!警察を…」

 

駿川が痺れを切らした、そのとき。

「よォ、あんたから来るとは珍しいじゃねぇの、センニン。」

 

駿川や職員たちの肩をポンと叩いて現れたのは、大城だった。

 

「ハク!!オソイ!!」

「来るんなら電話くらいしろよ。弟子に携帯習ったんじゃないのか?」

「アンナモノニタヨルカラ、ヒトハスタレル。」

「ちったぁ、文明の利器の有難みくらい知れよ。」

 

憤る不審者に、交友関係のだだっぴろい大城の奇妙な会話を、駿川たちは呆気にとられたように見る。

 

「あ…あのぉ、大城先生…?」

「ああ、こいつ、俺の知り合いなのヨ。ま、見た目クソ怪しいが悪い奴じゃあねぇ…多分な。」

 

そう説明されても、駿川のセンニンを見る怪訝な顔は、綻びを知らない。

 

「俺に免じて通してやってくれよ。」

「…どちらにしても、ちゃんと入校許可は取ってください!!」

 

――――――――――――――

 

「えーっと、まずは式を変形させてdx/dy=a・y(b-y)/bとなって…これを」

カツカツと小気味のいい板書の音を立て、若い女性が式を書いてゆく。

昼下がりの午後授業、数学の授業が心地のいい子守歌となり生徒たちを襲う。

 

そんなほわほわとした生徒たちに、数学科女性教官の三鷹は激を飛ばす。

「こら!!そこ!寝ない!…ヘイシンモーゼルさん!!授業中の携帯禁止!」

ビシビシと生徒を強く指していく、要はいつもの光景ではある。

 

「…レッドマーシャルさん。ちゃんとついてきてますか?」

その眼差しはマーシャルにまで飛び火した。

「…え?あ、はい!」

少しだけ気の抜けていたマーシャルも、はっとする。

先日から倒れて以降、大城の前では気丈に振舞ったものの、時間とともに不安がまた彼女を襲っていた。

 

そのおかげか、最近は授業に身が入らないことが若干増えていた。

「…無理をしないことは大切ですが、やるところはしっかりやる。これがトレセンの教えです。…いいですか皆さん。文武両道が大切にできないウマ娘は、レースでも。」

「よォ!!邪魔するぜ!!」

 

三鷹の説教中、何者かが急に教室の戸を開ける。

 

「な!?...大城先生!?」

あまりにも急な彼の登場に、生徒始め三鷹も困惑する。

 

「…トレーナーさん?」

それはマーシャルも例外ではない。

「よぉ、タカ。」

「先生!今授業中ですよ!?」

「みりゃあわかるさ。んでよ、ちょっくらマーシャルもらってくぜ?」

「はぁ!?」

 

三鷹は大城の勝手な発言に、眉を顰める。

 

「マーシャル!今すぐ準備して部室に来い!」

「え…ちょっと…?」

 

彼の勝手な発言に踊らされるのは、マーシャルもだった。

 

「ちょっと!そんな勝手な!今は授業中です!トレーニングなら放課後に行ってください!!」

「…タカよぉ、そんなツレネーこと言うなよ…」

 

大城は彼女を自らの狭い空間に閉じ込めるように、黒板へ手をつく。

「…ちょっとだけだ…いいだろ?」

「っ!!…ふ、ふざけないでください!」

 

いわゆる壁ドンに、ウマ娘たちは顔を赤くしてその様子を静かに見守る。

 

「いいじゃねぇか、俺とお前の仲だろ?..また付き合ってやるからさ..?」

「…!!せ…生徒の前でそんな話!!」

「ああ…こいつら知らねぇのか。本当のタカのすげぇサマを。」

三鷹は大城から視線をずらす。

 

「..さぁ、どうする?あの時の動画もあるんだし、やっちゃあイケナイことしてるお前の本当の姿…こいつらに見てもらうか?」

「….卑怯者。」

耳元で誑かすように、大城はささやいた。

 

―――――――――――

 

「…まったく、授業中にまで来るだなんて。」

「は!いいだろ。授業すっぽかしたりした程度、死にゃあせん!」

「…まったく、お気楽なんですから。」

「お前が真面目過ぎるだけだ。俺がお前ん頃ぐらいなんざ、授業に出るかどうかダチとの麻雀で決めてたんだぞ。」

「…トレーナーさんと一緒にしないでください。」

 

そうして授業を抜け出したマーシャルと連れ出した大城は、部室へ向かう。

 

「それで..一体今日は何するんですか?」

「スペシャルゲストがお前を待ってるのさ。」

 

二人は部室の前に立つ。

そして、マーシャルがノブに手をかけて、戸を引いた瞬間。

 

「マーシャル!!!」

 

と耳を劈く声量が彼女を迎える。

 

「ひやぁああ!!!」

突然の大声に耳をペタッと寝かせて、両手で塞ぐ。

 

「マーシャル!!オマエハ!!ナラン!!ウチュウヲ!!ワスレタカ!!!」

その老人の捲し立てに、ただただ耳を抑えてたじろぐ。

 

「センニン、ちょっと落ち着け。」

「オマエモダ!!ハク!!オマエガツイテイナガラコノテイタラク!!ワガ、モンカセイトシテハジトオモエ!!!」

「俺、アンタの弟子になった覚えねぇんだけど?」

 

「せ…センニンさん…。」

マーシャルの前には再びあの怪しい老人。

 

「マーシャル…センジツノレース、ミテオッタ。…オマエニハ、オオイチガウエンノタマシイガナイ…スナワチ…ウチュウニナリキレテナイ…。ワガコキュウ、イカセテイナイ。」

「ご…ごめんなさい。」

「…ムゥ、タダ、オマエノハイノヨワサモゲンインノヒトツ…ナラバ、イッシソウデンノコキュウ..オマエニオシエネバナラン。」

「い…一子相伝の呼吸…?」

 

センニンは立ち上がって、いくつかのヨガの型をゆっくりと作る。

 

「よかったな、一子相伝だってよ。最弟子に選ばれたってワケだな。」

「え…ええ!?」

「…マーシャルヨ、オマエノスジハ、ワタシモタカクカッテイル。」

「そ…そうですか。」

「ホンライナラ..シュギョウニ50ネンハヨウスル、オースペアイラルノコキュウ。1シュウカンデ、オマエニタタキコム!」

「な…なんの呼吸?」

 

そうして、マーシャルの新たな修行が始まった。

 

 

 

 

 




「…トレーナーさんと、三鷹先生、どういう仲なんですか。」
「…聞きたいか?」
大城はニヤつく。
「…やっぱり…イイです。」
マーシャルは少し顔を赤らめて、そっぽを向く。

「ベツに、お前が考えてるようなモンじゃねぇよ。あいつも俺と同じポルシェ乗りでな。…あいつAライ持っててめちゃくちゃ早えんだよ。サーキットでたまにランデヴーに付き合ったりしてな。」
「イケナイ動画ってのは...?」
「ノリで峠攻めさせたんだよ。道交法違反だからとか言って嫌がってた割にはノリノリで攻めててさ。終いにゃ地元の走り屋ぶっちぎっちまったりしてな。そんときの動画だ。あとで見せてやるよ。」



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スプリントターボ

「…ムゥ、ヤハリ、ヌルイ。」

センニンの監督の下、トレーニングが始まった。

結局その日は教室へ戻ることはできなかった。

 

「…はぁ…はぁ…ダメ…ですか…?」

「…ヌルイ。デキテナイコトハナイ…ダガ…スパート…キカナイ。」

センニンはマーシャルの走りを見て、顎を抱える。

 

確かにセンニンから以前習った呼吸法で、彼女の走りは変わった。

より強く酸素を取り込むことで、通常走行であればスタミナ切れも比較的起こしにくくはなっていた。

 

だが、スパートともなれば話は違った。

 

あれだけ荒れ狂うように、全身全霊をかけすべてを吐き出すその瞬間は、悠長に呼吸を意識することは難しい。

 

 

「ロングランとスパートじゃあ、使う筋肉も違えば、呼吸も違う。ロングランってのは酸素を使ってエネルギーを出す、対してスパートすなわち瞬発力ってのは酸素を使わずにエネルギーを絞り出す。…スパート中の呼吸を鍛えるなんざ、俺にはあんまり意味があるように思えんがな。」

 

センニンの傍らで大城は言う。

 

「…ワカッテオラン…コキュウニ…フカノウハ…ナイ…サンソハスベテニオンケイヲアタエル。...スパートニサンソガフヒツヨウ…マチガイダ。」

「…じゃあ、呼吸を鍛えりゃあ、あいつのスパートは格段に良くなると?」

「…ミテオレ。」

 

そういってセンニンはターフのスタートラインへと着く。

 

「…なにすんだ?」

彼の行動は大城の予測の範囲すら超えていた。

 

「……ムンッ!!!!!!」

センニンが一気に呼吸を行う。

その瞬間、全身の血管が表面にハッキリとわかるほど浮き出て、筋肉がパンパンに腫れ上がるように肥大化を起こした。

 

「…ンだそれ…?」

「せ…センニン…さん?」

 

「…コレガ…コキュウノ…シンズイ…。」

そういうとセンニンは一気に駆け出す。

突風の如く、風を切る…3ハロン4ハロン…まるで老人とは思えないほどの走りを…二人に見せつける。

 

「あっれ~?あれだれだろ?すっごい速いけど...あの白いモサモサは..ハヤヒデかなぁ?」

「...私がどうかしたか?チケット。」

「あれ!?ハヤヒデ!?…じゃあ…あれ…だれ?」

 

そうして…風神のような速さを維持したまま、センニンはゴールラインを切る。

「…ドウダ…ヒトハ…コキュウニイキル…コキュウトシタシクナレバ…ツヨイチカラ…エラレル…。タトエ…スパートダロウト…。」

「…あんた、トレセン入学したほうがいいんじゃないか..?」

「…す…すごい…。」

そのタイムはマーシャルの全力すらも上回るラップタイム。

というより、人間が出していいタイムではない。

 

「…コキュウダ、…コキュウヲキワメロ。」

「…なるほど、全集中ってワケね。」

「………」

 

呆気にとられるマーシャルのお腹を、センニンは掌で強く押す。

「コキュウ!!ワスレルナ!!」

「ひゃあああ!!ちょ..ちょっと!!」

 

「…でもよぉ、確かに50年かけりゃあ、あんたみたいなポパイになれるかもしらんが、1週間でこいつにそれが習得できるのか?」

「…ナニモヒダイカスルコトハナイ…ヒツヨウナノハ…コキュウニヨッテシンノチカラヲエルコト…ソノプロセス。…ゲンテイテキニスレバ…モットハヤク…エトクデキル…マーシャルナラ。」

 

大城は錠剤を含みながら続ける。

「…限定的ってのは?」

「…ワタシノバアイ…コノコキュウヲエイエンニツヅケラレル…シカシ…ソノキョウチニハ…ジカンガカカル…ナラバ..コノコキュウヲ…スパートノチョクゼンニ…。」

「ど…どいういう意味ですか?」

 

相変わらずこの老人の言葉はマーシャルを置き去りにする。

「…なるほど。呼吸によってエネルギーではなく、真の力を引き出す…ねぇ、アンタが呼吸のカミサマって言われる所以がやっとわかったよ。」

「…マーシャル…ウチュウニナルゾ!」

「え…ええ…。」

 

完全に話に乗れないマーシャルの、呼吸トレーニングが始まった。

 

――――――――――――――

 

「チガウ!!ソウジャナイ!!ウチュウ!!オモイダセ!!」

1日の半分を呼吸の修行に費やしている。

 

時には水の中で

「…カギラレタサンソヲ…カラダノスミニマデイキワタラセロ…ユビサキ…カミノマッタンマデ…」

(…ゴッゴボ!!…ガボボッ!!!)

「…ツライノハイマダケ….サンソト…トモダチニナレ…」

「…なぁ、あいつ溺れてんじゃねぇの?」

 

時にはめちゃくちゃ標高の高い高山で

「…ワカイトキハワタシモココデシュギョウヲシタ…ココデ…オマエノコキュウト7ビョウ…キタエル。」

「…ライターに…火がつかん…。しかも寒ぃ、あんたよくそんな薄着で耐えられんな。」

「…ふぅ……ふぅ……う」バタッ

マーシャルはまた倒れた。

「…酸素吸入器…もうあんまりねぇぞ。」シュー

 

時にはまたあの汚いヨガ教室で

「コノマスクヲ…」

「いいです!今日は自前があります!!!」

 

―――――――――

 

一週間後、マーシャルはターフへと帰ってきた。

この一週間限られた場所で、限られた酸素だけを、体に取り込む修行を行ったマーシャルにとって、この練習場の酸素はとても穏やかに感じた。

 

目を閉じて…スゥ…と息を吸う。

その瞬間、マーシャルは思わず口を塞いだ。

 

濃い…酸素が…濃すぎる。

 

「…ほぉ、あんなめちゃくちゃなやり方でも、効果があるもんなんだな。」

自分のことを戸棚の最上段に上げる大城がいう。

 

「…マーシャル…コキュウヲ…スパートノチョクゼン…サイダイゲンニスエ。」

「直前..ですか。」

「ソノサンソガ…オマエノスパート…サラニツヨクスル…。」

「…はぁ。」

 

マーシャルはまだよくイメージがわかないといった顔をする。

 

「…なぁ、マーシャル。お前車のターボチャージャーって知ってるか?」

「え?…ええっと。聞いたことくらいなら。」

「どんな奴かしってるか?」

大城は電子タバコを咥える。

「ええっと...車を..パワーアップさせるんですよね..?」

「どうやってさせる?」

「…知りませんけど。」

 

「酸素なんだ。車のエンジンってのはガソリンと酸素で動く。その酸素をターボは圧縮させるんだ。そして本来入るはずのない空気を一気に燃焼室へと流し込む。そうすりゃあ、…ドカンよ。並みの車が瞬く間にハイパワーモンスターへと化ける。」

「....」

「それをイメージしてみろ。上手くいけば、正真正銘の…スプリントターボだ。」

 

そうしてマーシャルは、スタートラインへ着く。

まずは軽いランニングを経て..2コーナー..バックストレッチ…3コーナー…ここまでは、正直いままでと変わらないというのが本音だった。

 

そして4コーナー..マーシャルは一気に酸素を吸い込む。

その瞬間、全身が何かで包まれるような錯覚を起こす。

 

心臓の心拍数は、レッドゾーンへと踏み込むかのように上がり、全身の血が、激流のように流れる。瞳孔は開いて、体温は劇的に上昇する。

「…嘘」

このまま前へ踏み出したらどうなるんだろう..自分が壊れてしまうのではないかという、わずかな不安と、これからの自分のスピードが容易に想像できてしまうその高揚感を足に乗せて…マーシャルは、走った。

 

ズドン!!と大城には確かに聞こえた。

それは風を切る音か…はたまた…彼女の何かが覚醒した音なのか。

 

「…ソレデコソ…ウチュウダ!」

 

 

 

 





「はぁ!?電子タバコもダメなのか!?」
「当然だろう!!没収だ!!このたわけ!!」


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リベンジ

「…くくっ…ったはあ!!」

大城は顔を掌で押さえて、肩を震わせて爆笑していた。

 

その傍らで、体操服を着たマーシャルは、どこか不満そうに、その爆笑する自身のトレーナーに冷ややかな目線を突き刺していた。

 

「…トレーナーさん。」

「…いや…悪い…でも…よ…お前が走るレース…個人協賛でよ…『まじかる☆らぶりん きらきらもーど!杯』ってよ…お前本当ツいてるよな…ああダメだ。」

そういってまた爆笑モードに入る。

 

「もぉ!レース名はなんだっていいじゃないですか!集中したいんですよ!私!」

「わりぃわりぃ…ま、今日こそは…テッペン取りにいこうぜ?」

マーシャルは険しい顔をする。

 

「にしても…内枠に…オオシンハリヤー…ねぇ。因縁の相手だ。今日も大逃げで来るだろうな。」

オオシンハリヤー…前回マーシャルがフルで7秒使い切っても、勝てなかった相手。

 

「…どうする?何かアドバイスは欲しいか?」

「…教えてくれるんですか?」

「ああ...ケツをキュッと閉めろ。以上だ。」

「…期待した私がバ鹿でした。」

「そう不貞腐れんな。..わざわざ教えてやる必要もないってことだ。ナマイキな大逃げ野郎の鼻っ柱、根本から折ってこい!」

 

――――――――――――

 

『さぁ、始まりました。まじかる☆らぶりん きらきらもーど!杯。各ウマ娘ゲートに入ります。』

 

大城は淡々と読み上げるアナウンスに、再び爆笑する。

 

目のいいマーシャルはそんなトレーナーの緊張感のない姿をみて、呆れながらゲートに入った。

 

そして、ガコン!と音を立てて、ウマ娘が一斉に飛び出す。

 

『さぁ、各ウマ娘、綺麗に並んで出走しました!』

横並び一直線から、隊列を成すかのように、ウマ娘たちが散っていく。

 

『さぁ先頭はオオシンハリヤー!!出だしから抜け出した!!今日も大逃げのスタイルを見せつける!!..少し離れて先頭集団。ジョジョセンホーロー、マックオンリー、レッドマーシャル‼』

『レッドマーシャル、今日はやや前位置で構えています。』

 

常に射程圏内へと構える必要はない。だけど、この手の相手だと、終盤のスパートで稼げない可能性も大きい。

ならば、今日は少し前に構える。

 

「…OK、それでいい。」

コーナーに差し掛かるまでの間、スリップストリームにて体力の温存に入る。

 

(…でも、さすが先頭組…ペース早いなぁ…。)

マーシャルは自分の前にいる、マックオンリーというウマ娘のリズムを吸収し始める。

 

(…集中…呼吸を…忘れない…!)

一つ一つパズルのピースを埋めていくように、ロジックを作り上げるように、チェスの定石を打つように。マーシャルは堅実にレースの組み立てを行う。…すべては…7秒の為に。

 

そしてコーナーを回る。

(…よし!見えてる!)

彼女の視界には、ハリヤーの背中が見えていた。

 

 

 

オオシンハリヤーさん。

 

…確かに…私は…総合的に見れば…あなたには敵わないかもしれない…

 

だってあなたは…マイルとか…中距離だって走れるんでしょう。

 

一着だっていっぱいとってるって聞いたよ。

 

…それに比べたら…私なんて…1200か1400を走るのが精いっぱい。

 

…一着なんて..生まれて一度もとったことはないんだ。

 

…でもね。…ほんのちょっとの間だけなら…私、自信があるんだよ。

 

…7秒の間だけなら。

 

 

マーシャルは大きく息を吸う。

そして…目の色を変えた。

 

ドオン!!と地響きが起きそうなほどの勢いで、地面をける。

ちょっとターフが抉れたかもしれない。

…でも…おかまい…ない。

 

『レッドマーシャル!!!ここで抜け出した!!4コーナー手前!!少し早くないか!?』

「…ほぉ…お前の考え…見せてみろよ。」

 

まるで弾かれた弾丸のように、マーシャルはかっとんだ。前の二人がスパートに入るよりも前に、スパートに入ったため、意表を突かれた二人は、とっさに外側に体をよけてしまった。こればかりは、レース経験の浅さが目立ったか。

 

あけられた花道を、マーシャルは突き抜けてゆく。

あわてて、ジョジョセンホーローがスパートに入るが...いくら踏ん張っても...追いつけない。

 

(何!?あの娘!?…やばすぎ…飛ばしすぎ!…こんなの速度違反でしょ!!)

 

 

ジョジョセンホーローにはとある幻覚が見えた。

自分を猛スピードで追い越したウマ娘に…赤いオーラが纏わっている…。

 

(あれ…?これ…かてない…?)

 

その背中は段々と小さくなっていく。

 

一方マーシャルは..射程圏内へとオオシンハリヤーをとらえていた。

だが彼女が目指したのは、オオシンハリヤーを抜き去るために、彼女の横へ…ではなく、彼女の真後ろを目指した。

 

マーシャルの狙いは、7秒間で抜き去ることではなく、7秒で抜き去る準備をすることだった。

 

(…6…7!)

7秒と同時に、マーシャルはスパートを切る。

それと同時に、オオシンハリヤーの背中に飛び込んだ。

 

『レッドマーシャル!ここで失速か?』

『意図的にスパートを中断したように見えました!』

 

(うまく…いった!!)

マーシャルの目論見は成功した。…7秒をフルに使って。オオシンハリヤーにスリップストリームをかけた。

 

スパートを抜けての調子も、上手く繋げた!!

息も…まだ…続く…!!

 

風の抵抗をすべてオオシンハリヤーに預け、自分は静かに..その時を待った。

 

そして…徐々に…オオシンハリヤーのトップスピードが落ちてくる。

 

(ゴールまで…あと…50!…ここで!!)

そこでマーシャルはオオシンハリヤーの横に出た。

風が一気に彼女を襲うが…もう気にしていられない!!

 

『レッドマーシャル!!オオシハリヤーに並んだ!!並んだ!!』

 

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

あとはもう…我武者羅に走ってみるしかなかった。

 

あと自分にできることは..なんだろう。

 

…お尻をキュッと閉めてみる…とか?

 

 

それ以上マーシャルのスピードは上がらないが、対照的にオオシンハリヤーはスピードが下がってくる。

 

そして…ふたりの影が縺れたまま…ゴールラインは彼女らを迎え入れた。

 

『レッドマーシャル!!オオシンハリヤー!!!今二人並んで!!ゴールを切りました!!!』

 

――――――――――

 

(………やばい…からだ…動かない…。)

体のすべての酸素を使い切ったのだろうか?

 

(呼吸…呼吸…すって…はいて…ええっと…宇宙に…なって…)

うつ伏せのまま、何度も呼吸を繰り替えす。

 

「…大丈夫?」

そう彼女に声がかかる。

 

かけてくれた相手は…自分が最後まで争った相手。

「オオシン…ハリヤー…さん。」

「ハリヤーでいいよ。…君、すごかったね。」

「そう…ですか…?」

「でも、いっぱいいっぱいだね。いっつもそんな風にバテるの?」

 

そうハリヤーは微笑んだ。

 

「あーあ。面白い名前のレースだったから、私が一着もらっちゃおうと思ったんだけどなぁ。まさか横取りされちゃうとはね。」

「…え?」

「…ん?どうしたの?」

「誰に…取られたん…ですか?」

「ははは…!君は嫌味を言うやつかい?…君だよ…レッドマーシャル!」

 

『レッドマーシャル!!見事!一着を勝ち取りました!!』

「…へぇ?」

 

モニターに目を向ける。

 

そこには写真判定で、わずかに、マーシャルがオオシンハリヤーの前に出ていた。

 

「あーあ。あたしもまだ、根性が足りないな。じゃね、マーシャル。次は負けないから。」

そういってハリヤーはニコリと笑い、後ろ手にマーシャルに手を振った。

 

それとは入れ替わりで、観客席の柵から、誰かが入ってくる。

それは、笑みを隠し切れない…大城の姿だった。

 

大城はゆっくりとマーシャルに近づく。

それを見たマーシャルはゆっくりと起き上がって、大城のもとに駆けていった。

 

大城は手を空中に出す。

ハイタッチのサイン…だったが。

 

「トレーナーさああん!!!!!!」

マーシャルはそれを無視して大城に抱き着いた。

 

「オイオイ!俺がこうしたらハイタッチだろうがよぉ!」

「やった…やったよぉ…私…やっちゃった…!!」

「…当然の結果だ!…上出来だ!バ鹿野郎!!」

そういって大城はマーシャルの頭をワシワシと撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「おらぁ!!まじかる☆らぶりん きらきらもーど杯を勝ち取ったレッドマーシャル様のお通りだ!道を開けやがれ!!」
「やめてください!恥ずかしいですから!!」


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チームスピカ

「…ぐぅ!!…あっ!……が…っはぁ!!」

 

男性用トイレにて、大城は洗面台に顔を突っ伏していた。

「…がっ!!…ゲホッ!!!…ゴホッ!!!」

口元を押さえて何度も何度もせき込む。

 

「…はぁ…はぁ…!」

その手にベットリとついた血を見て、大城は苦い顔をする。

 

「…クソっ!…クッソォ…!!」

その手を必死に水で洗い流した。

 

そんな時に、彼の下に一人の男が影を現した。

 

「…沖野か。」

「…大城さん。」

 

その血を彼に見せまいと、必死に洗った。

 

「…。」

「ははっ、いやぁ、参ったもんだ。年甲斐もなく飲んだくれちまってよォ。…あいつが初めて勝って、浮かれちまったんだ。…若くねぇってのによぉ。二日酔いってのもタマランよなぁ。」

「あの…」

「…そういや!あいつ、勝ったんだよ!..まだまだヒラレースだが、ありゃあ磨けばもっとデカくなる!..そうなりゃあ重賞レース…G1だって夢じゃあ…。」

「大城さん!」

彼の発言を切り落とすかのように、沖野は叫んだ。

 

「…大城さん…あなた、癌って話は…本当なんですか?」

「.....」

沖野の詰まった顔に、大城は沈黙する。

 

「…たづなちゃんに聞いたのか?」

「じゃあ…やっぱり…。」

 

大城は錠剤を口に含んだ。

 

「…最近はクスリの効きも悪ぃのよ。…痛みも、日に日に増していく。」

「…どうして、黙ってたんですか…。」

「…言いふらしたら、皆俺に優しくなんだろ?」

クスっと大城は笑った。

 

「…担当の娘は、知ってるんですか…?」

「知らねぇだろうな。」

「そんな…無責任な…。」

「…それが俺なのよ。」

 

大城は鏡で自分の顔のシワをなぞる。

 

「…今までの人生、好き勝手生かせてもらった。…まぁ、潮時ってもんだろ。」

「それでいいんですか?…マーシャルのことは…?」

「…心配すんな。…3年、猶予はあるらしい。…医者の言うことをアテにすりゃあな。」

「…………。」

 

沖野は俯く。

 

「…お前がしょぼくれてどうすんだよ。…ああそうさ。俺には時間がない。だからよ、沖野、ちょいと頼みがある。」

「…なんです?」

 

―――――――――――

 

「れ…れっど…レッドマーシャル…で…です…。きょ、今日は..よろしく…お、お願いします!!」

ブンとマーシャルは頭を下げる。

 

そしておそるおそる..頭を上げる。

 

彼女の目の前には、最強のステイヤーと呼ばれた…メジロマックイーン。

奇跡の復活から、有馬を獲得を果たした…トウカイテイオー。

この界隈知らぬものはいない…狂気のウマ娘、ゴールドシップ。

一度は憧れすらも抱いた。異次元の逃走者…サイレンススズカ。

あのブロワイエすらも下した日本の総大将…スペシャルウイーク。

自分よりも年下なのに...そんな彼女らにも引けを取らない戦績を誇る…ウォッカにダイワスカーレット。

 

正真正銘の超一流たちが、マーシャルの前に並んだ。

 

「…………」

その圧倒的なオーラに、足が思わず竦みそうになる。

 

「お?…なんだこのチビ?」

「ちょっと!ゴールドシップさん!初対面の方に失礼ですわよ!」

「なになにー?もしかして、新しいメンバー?僕テイオーっていうんだ!!君学年は?はちみつ好き?」

「ちょっとぉ!新しいメンバーだなんて聞いてないわよ!」

「別にいいだろ?ちょっとしたことでいつもギャーギャーうるせぇんだよお前は。」

「なによ!」「なんだよ!」

 

勝手に沸騰し始めるスピカを前に..マーシャルは立ち尽くしていた。

「…あ…あわ」

 

そこに沖野が現れる。

「悪いが、そいつは新入部員じゃあない。…別のチームから、合同練習として参加することになった。」

「別のチーム?」

 

スぺシャルウイークがぽかんとする。

 

「俺んトコだよ。」

彼女らの背後から大城が現れる。

 

「…!大城先生!」

「よぉ、久しぶりだなお前ら。」

「はぁ?お前!先生辞めたんじゃねぇのか小島!?」

「教官は辞めた、そんでトレーナーを始めたワケだ。シルバーウイング。」

「ああ!?んだとテメ!ゴルちゃんの名前を間違えるたぁ、許せねぇ!!」

 

そんなこんなをしながら、大城はマーシャルのもとへ向かう。

 

「もぉ!遅刻ですよトレーナーさん!!」

「文句なら、俺の腕時計にいうんだな。気の利いた挨拶は済ませたか?」

「ええ、まぁ」

「なんて言った?」

「よろしくお願いしますって..。」

「んだそれ?それのどこが気の利いた挨拶だ?」

「…え?」

 

そういって大城はスピカメンバーの前に立つ。

 

「よォ!!有象無象のマヌケ面ども!この方を誰と心得る?…あのまじかる☆らぶりん きらきらもーど!杯の一着を勝ち取ったレッドマーシャル様だバ鹿野郎共!…テメェらが対等なクチ利いていい相手じゃねぇんだよ。…頭がたけぇぞ…?」

 

そう切った大城に。マーシャルは目を極限まで開いて、口をわなわなと淀らせる。

「な…なな…何言ってるんですか!?…ちょっと!やめてくださいよ!!」

「オラァ!テメェらなんざ目じゃねぇ!かかってこい便所蠅共…だってよ!!」

 

「やめてってぇ!!」

バシバシと大城を叩く。

「ははは!なにボサっとしてんだ!お前も中指の一本くらい立てろ!」

「黙ってください!!」

 

その時、猛烈な殺気を感じたマーシャルは、そっと彼女らを向く。

 

「ほぉ…随分と威勢のいい方…ですこと…遠慮はしませんで..よろしくってよ?」

「…へぇ…そこまで言われちゃうと..ボクも熱が入っちゃうなぁ…。ねぇ…まずボクと走ろうよ…。」

「このゴールドシップ様に楯突いたこと…後悔させてやんよ…。」

「…なぁ、どっちが先にこいつブっ潰せるか…勝負すっか?」

「上等じゃない…私が勝つにきまってるけど…。」

 

ジリジリと時には指を鳴らして…彼女らが近づいてくる。

 

「ちょ…ちょっとぉ!!どうするんですかぁ!?」

「…ま、今日という日は諦めろ…たっぷり虐められてこい!」

 

そういうと、大城はマーシャルの背中を彼女らに向かって突き飛ばした。

 

どさっと、ターフに手をついたマーシャルは静かに顔を上げる。

 

そこには…般若のような形相で、マーシャルを待ち受ける鬼の姿があった。

 

「よ…よろしく…おねがいします…ぅう。」

 

 

 




「なぁ、お前んとこのチーム..なんて名前なんだ?」
「あー…メビウス、かな。」
大城はタバコの箱を見ながら言った。


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仲間

「ああ…?なんだこいつ…?」

「はっきり申しまして…お相手になりませんわ…。」

「なーんか…ガッカリだなぁ。ちょっと期待したんだけど。」

「あの、もうあまり無理をしすぎないほうが…。」

 

結果など..知るまでもない。

中距離から長距離を得意とするウマ娘たちが揃うこのスピカでマーシャルが相手になれるはずもなかった。

 

ちょっと頑張ってみても、すぐに突き放され…追い抜かれ…なんなら周回遅れにも。

 

「ご…ごめんな…さい…。」

いまにもベソをかいてしまいそうなマーシャルは、ぐっと歯を食いしばる。

 

これがGⅠ常連たちの実力…。

まるで食らいつけない。

 

「トーゼンだろうが…お前とあいつらじゃあ、まるで適性が違う。…勝とうなんざ思ってんじゃねぇぞ?」

「…どういう魂胆なんです?」

マーシャルのヘトヘトになった様子を見て燻る大城に、沖野は尋ねる。

 

「ま、一流の味ってのを、味わわせてやりたかったのさ。舌が肥えることに越したこたねぇ。」

「…それが目的ですか。」

「ホンネを言えば..もう一つある...ちょっとあいつの胸..貸してくれよ。」

 

ターフにあおむけになるマーシャルは、スピカたちの介抱あって、どうにか起き上がる。

 

そこに大城が、ドリンクをもって寄ってくる。

 

「ヨォ、なにコテンパンにされてんだお前。あんな大見栄切っといてそらねぇだろ?」

「大見栄切ったのは…だれですか…!」

 

マーシャルのその目はちょっと怒ってるようにも見えた。

当然だ、あのスピカと友好的に交流ができると今日は望んだはずなのに。こんな恐ろしい目にあわされるとは想像もしなかった。

 

「っくっくく!…まぁ、これが一流どもの走りってこった!得られるもんあったろ?」

大城は無理やりマーシャルの口にドリンクを突っ込む。

 

「…んぐ!!」

 

「しっかり息整えとけよ…このあと、今日の一番のイベントなんだからヨ。」

「…え?」

 

大城は立ち上がって、サイレンススズカの方を見る。

 

「よォ!スズカ!…こいつと一騎打ち、やってくんねぇか?」

「…一騎打ち?」

「俺のカワイイ担当が、こうもボコボコにされちゃあ俺の腹の虫もよくねぇからな…こいつの本気(マジ)ちょっと見せてやるよ。」

 

スズカは少し目を丸くする。対照的に大城は口端を上げる。

 

「何言ってんだお前!?こんな野郎、スズカの相手になるわけねぇだろ?私らの半分もついてこれねぇやつだぞ!?」

「でも、半分はついてきたんだろ?その半分、もっと凝縮させると…すげぇぞ?」

「…何言ってんだ?」

ゴールドシップは眉間に皺を寄せる。

 

大城は再びマーシャルのもとへ向かう。

「てなわけだ。15分後に始める。」

「一騎打ちって…なんですかぁ?」

「お前の7秒で...あのサイレンススズカをぶちのめしてこい!」

「むりです!!!」

「っはっはっは!!バッカヤロー、無理ですじゃねぇんだよ!やるんだよ!!ロックに行け!…てのは冗談だ。」

 

大城は空になったマーシャルのドリンクのボトルを取り上げる。

 

「…へぇ?」

あいも変わらず彼の振り回す発言は先が読めない。

「あいつの走り…お前の7秒で全部盗んでこい。自分と何が違うのか、その体に叩き込むのさ…!」

「…ぬ…盗む?」

「異次元の逃走者…そのスタイル、お前の武器になるぜ?」

 

――――――――――

 

「よぉし!コースは1200、飛ばさなくていい。まずは軽くながせ!そんで、ラストコーナー立ち上がりから、二人ともフルスロットルだ。…先にスズカ、お前が仕掛けろ。マーシャルはそれに追従..いいな?」

「「はい!」」

 

その練習場は二人の貸し切りになる。

まるで模擬レースが始まるときのような、緊張感に包まれる。

 

「まったく読めませんわ。大城先生のお考え…。あのスズカさんに…今のマーシャルさんがついていけるとは、とても思えませんわ。」

「自分の担当、虐めて楽しんでるんじゃないの…?」

「大城先生だけに、それはねぇと思うけどなぁ。」

「大城先生、またキャロットクッキーもってないかな…?」

「よし!ならスズカか勝つ方に人参2本だ!!さぁ張った張った!」

「ちょっとゴルシ!レースを賭け事の対象にするなって、この間会長に怒られたばっかりでしょ!?」

 

ターフの上に立つふたりを、沸き立つメンバーは固唾をのんで見物する。

 

「よ…よろしく…お願い…します。」

「ええ…こちらこそ。」

マーシャルは気弱に手を差し出す。ある時は雑誌で、またある時はテレビで。何度も彼女の姿をみた。

 

何物にもとらわれない。その逃げを追求する孤高のスタイルは、すごくかっこよかった。

そんな人と手合わせできるなんて…。

 

スズカは少し戸惑いながら、マーシャルの差し出す手に応えようとする。

 

先ほどの練習で、スズカは既に見抜いていた。この娘、圧倒的に肺が弱い。

自分が本気で走ることは容易い。だけど、この娘が本当に自分についてくるつもりなのかと懐疑的だった。

 

彼女が何かを得るための練習として、今日はセッティングされたに違いない。…ならば、不本意だけど彼女の為に、少し手心を加えるべきか?

 

スズカの内なる優しさがそうささやいた。

 

だが、マーシャルの手を握った瞬間に、その考えは吹き飛ぶ。

 

マーシャルに触れてようやく見えた。この娘の…闘争心(オーラ)

 

赤く繊細なそれは、覇気こそは弱いものの、確かに毒を含んでいる。そうスズカは感じた。

 

そして握手を交わした二人は..スタートラインについた。

 

――――――――――

 

これが…かるく流す…?

 

マーシャルはスズカの背中を見て、驚嘆する。

 

指示では50%ほどと聞いていた。

ならばこのスピードが彼女にとっての50%?

 

マーシャルはジリジリと離され始める。

 

「おいおい、まだだろうが。」

大城は鼻で笑った。

 

「やっぱ無理だろ。」

沈黙の中、先に言葉を切ったのはゴールドシップだった。

「ゴールドシップさん…。」

「ほら、だってもう離され始めてんぜ?50%だろ?」

「…まぁ、たとえ、残念だったとしても、頑張ったとは言ってあげようよ。」

テイオーは静かに呟く。

 

「…お前たち、レッドマーシャルの適性って知ってるか?」

そこに沖野が混ざる。

「知らないけど…ていうか今日まで知らなかった人だし。」

「あいつの適性は、スプリントなんだ。」

「スプリントっても…これでスズカに離されるようじゃあなぁ。」

ゴルシは手でひさしを作って、眺める。

 

「この間あいつが出たレース…さっき大城さんが言ったやつだ。」

「ああ、あのまじかる…なんとかってやつだろ?」

「あのレースには…オオシンハリヤーっていうウマ娘も出ていた。」

「オオシンハリヤー…聞いたことある。」

スペシャルウイークが顎に指を添えて、宙を向く。

 

「期待のスーパールーキー。…だよね。最近雑誌でも見かけるよ…どんなコースでも走れるウマ娘だって。スズカとにたような逃げのスタイルで。」

そういったのはトウカイテイオー。

「ああ。GⅠも約束されてる奴だった。でも、マーシャルはそいつに勝ってるんだ…。」

「…ウッソだろ。」

 

 

そしていよいよ…運命の最終コーナー。

 

(遠慮は…いらないわね…!)

そういってスズカは一気に駆け出す。

 

(…来た!)

マーシャルも負けじと…大きく…息を吸う。

そして…ズドンと音を上げる。

 

その光景をみて、スピカメンバーは唖然とする。

 

自分たちの半分もついてこれなかったヤツが…あのスズカの本気のスプリントに食らいついてる!?

 

「…いいぜぇ…もっとだ!」

大城の燻りは止まらない。

 

(食らいつけ!!…よく見て!)

憧れの背中を追いながら..マーシャルは必死に彼女を観察する。

 

時間がない!私と何が違う?

 

腕の振り?ストライドの幅?リズム?姿勢?

わからない…!わからないなら、全部トレースする!

 

マーシャルは少しづつ..スズカの走りを体へ吸収する。

その時、マーシャルの体に大きな負荷がかかるが…気にしてもいられない。

 

そして4.6秒後、マーシャルの走りが変わった。

 

よりストライドを広げ、より前傾姿勢になり、より腕を振った。

それまでとは本当に微妙な変化だが…大城は確かに気付いた。

 

「…いいぜぇ!!いい感じだ!!」

 

(…やはり、ついてきてる!!)

自分が感じたあのオーラは..嘘ではなかった。

 

スパートに入った瞬間だけ..彼女の気配が全くの別人になったようにも感じた。

 

それにこの娘…自分の動きを模している。

…驚異的なコピー..トレース技術。

 

そしてマーシャルは今までよりも、さらにトップスピードを上げ、スズカに並びかける。

 

「嘘だろぉ!?」

「スズカさん!!」

「な..なんなのそれ…めちゃくちゃじゃん…!」

「スパートだけマジって…すっげぇかっけぇ…!」

「なんて…方なの…?」

スピカサイドも驚愕する。

 

 

お母さん。私ね、あのスズカさんと走ったんだよ。

 

やっぱりすごく速かった。でもね、私、ちょっとだけ頑張ったんだ。

 

もうすこしで、スズカさんに並んで、もうちょっと踏ん張れば追い抜けちゃったかもしれない。

 

でも、私は7秒だけだから…。

 

その瞬間、マーシャルは失速する。

ついに7秒を迎えたのだ。

 

ゴールまでは、あとすこし届かなかった。

 

スズカがゴールを切り、一刻の差を置いてマーシャルはゴールした。

 

その瞬間、スピカチームが一斉にマーシャルに押し掛ける。

 

「すげぇ!!すげぇよお前!!!感動した!!ゴルちゃんお前に宇宙を感じちまった!!」

「正直…見誤ってましたわ!その追い上げ…是非私の参考に!」

「…や…やるじゃない…でも!中距離なら…私だからね…!」

「なぁ…その走り!俺にも教えてくれ!!あ、そういえば先輩か。お願いしゃっす!」

「すごいよ!マーシャルちゃん!!」

 

そう持て囃される。…が。

 

マーシャルの顔色は喜ぶどころではなかった。

 

あまりにも顔色が悪すぎる。

 

「あの…マーシャル…さん?」

マーシャルは彼女らから避けようとふらふらと歩くが。高負荷を与えられた体が…とうとう限界を迎えた。

 

「う゛…うう…」

マーシャルはとっさに腹と口を押える。

 

そして

 

「う゛…う゛ええぇえ!!」

口から..吐瀉物が、流れ出た。

ビチャビチャと音を立てて..溜まりを形成する。

 

「ちょ!っちょっと!!」

「だ、大丈夫ですの!?」

「おい…!今朝の人参が流れでてっぞ!!」

「言ってる場合ですか!?早く!医療スタッフを!!」

 

「…あーあ。やっちまったか。」

そこに大城も駆けつける。

「お前ら、悪いが保健室まで頼む。」

 

――――――――――――

 

「本当にびっくりしたよ…大丈夫?」

テイオーが顔を覗き込む。

 

「はい…ごめんなさい…。」

マーシャルは掛布団を覆って、顔を隠した。

 

「あなたが無事なら…良かった。」

スズカはやさしく微笑む。

 

「ごめんなさい…スズカさん…。」

「どうして?…あなたは何も悪くないわ…。」

「でも…。」

 

今にも泣きだしそうな顔を..マーシャルは必死に隠した。

 

「でも、お前…本当にすごかったぜ!」

「うん!あのスズカのスプリントについていくなんて..ボクでも厳しいのに!」

「で、さっきの続きスけど、今度俺も短距離出てみようと思ってて!!」

「…あの…これ…体調不良に効く薬だって。タキオンさんが。」

「お腹すいてませんか?これ私のおかあちゃんが大量に送ってくれた人参で..少し食べませんか?」

 

そんな彼女にもスピカは優しかった。

 

マーシャルはいつ振りかに感じた。仲間の存在を…。

 

「みなさん…ありがとう…。」

 

マーシャルはすこし顔を綻ばせた。

 

そしてゴールドシップが手を差し出す。

 

「よぉし!お前なら大歓迎だ!!ようこそ!!チームスピカへ!!」

「…いえ、スピカには..入りませんけど。」

「はぁ!?なんでだよ!?」

 

保健室が少し、賑わった。

 

―――――――――――

 

「ふーう。」

日が暮れたターフで、大城は柵を背に、月を眺めた。そのとき、またあの発作が彼を襲う。

「…っふ、ぐふっ!」

またか…と、大城は患部を抑え、錠剤を含んだ。

 

そこに沖野がやってくる。

 

 

「…大丈夫なんですか。」

「ああ、アレならターフに埋めた。…ゲロだって有機物だ。どうにかなんだろ。」

「いえ、そうではなくて。」

「じゃあ、マーシャルか?別に、練習でゲロかますなんざ、珍しいハナシでもないだろ。…あいつは新しい自分になろうとしてんだ。痛みが伴わないワケがない。」

「…あなたのことですよ。」

 

大城は沈黙する。

 

「かぁ、お前もしつこいねぇ。」

「…入院でも、なされたほうがいいんじゃないですか?」

「やだね。俺はURAのお偉方と病院が大嫌いなのさ。」

「しかし!」

「別にいいさ。病床の上で退屈するよりも…俺は今のほうが楽しい。あいつを育て上げるほうが。」

 

大城は火のつかないタバコを咥える。

 

「どうせ入院しても、くたばることにゃ変わりねぇんだ。だったら俺は…最後まであいつと走りたい…俺の最後の希望なのよ。あいつは。」

「だったら!だったらせめて伝えるべきだ!あなたの…体のことを。」

「お前、いつから先輩に説教できる身になったんだ?」

「関係ない!一人のトレーナーとして…知らない別れを待たせるなんて、あまりにも残酷だ。」

 

大城はタバコを落とした。拾うことなく、その場で踏みつぶす。

 

「いずれは…いうさ。…ただ、俺にもちょいと、心の準備ってもんがある。」

そういって大城は、沖野の横を過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 




「俺も若い頃はバカみてぇにしこたまよく飲んで、毎日吐いてたなぁ。」
「だからトレーナーさんと一緒にしないでください!」


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番外編:大城先生の長い一日

教官現役時代の大城先生。
もちろんマーシャルと会うのはまだ先。



※読まなくていいやつです。


「...あのなぁ、もう少しオヤジにも分かるように言えってんだよ。」

「はぁ!?だからパマちんがバイブステンアゲでゴーな大逃げで、独走ふぉーえばーありよりのありでマジパーマしか勝たんって話じゃん!」

「せめて日本語で話せ。」

「まじありえねーし!大城っちマジ昭和!」

「うるせぇ!まだ48だってんだよ!」

「なーにー?ヘリオス?また大城先生に絡んでんの?」

「おお、ちょうどいいトコに来たなパーマ。こいつに、日本の共通言語ってモンを教えてやってくれ。」

「うえーい!!よろぴっち!!....って!!大城っち!!」

 

そんなこんなから大城は抜け出す。

「..たくよぉ...マルゼンスキーが言ってることのほうがまだ分かる..。」

教科書を持って次の教室へ向かう道中。

 

「う゛わ゛わ゛わ゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!」

と、耳を劈く鳴き声が大城のすぐ近くに、落雷のように落ちる。

 

「...なんだ?..どうした?」

そこには、泣き上戸でよく知られる..ウイニングチケットの姿が。

 

「お゛お゛し゛ろ゛せ゛ん゛せ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛」

「なんだチケゾー。..まーたありんこ踏んづけちまったとかワケのわかんねーこといってんなよ?」

「赤゛点゛と゛っ゛ち゛ゃ゛っ゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

「..わりとヤベーやつか。..なに落としたんだ?」

「数゛学゛と゛世゛界゛史゛い゛い゛」

「..わかったからこれで少し静かにしろ。..俺の耳が持たん。」

 

そういって大城はチケットに菓子を手渡す。

 

「うわぁー!お菓子だあぁ!!」

「..ま、数学はともかく、世界史ならどうにかしてやる。..後で俺んトコ来い。」

「先゛生゛あ゛り゛が゛と゛お゛お゛お゛お゛!゛!゛!゛゛」

 

片耳を塞ぎながら、大城はその場を離れる。

「..並みのライヴハウスくれーの音量出てんじゃねぇかあいつ..?」

 

「あ!大城先生!!」

そこに桜色の活力あふれるウマ娘が、彼の元へと飛んでくる。

「よォ、ウララ。お前この間重賞出たんだって?」

「うん!!すごいんだよ!!6着だったんだ!!!」

「ほぉ、そりゃ凄い。じゃ、これは俺からの特別賞だ。」

そういって、チケットに渡したものと同じ菓子を渡す。

 

「ありがとう!!先生!!ウララもっと頑張るね!!」

「ああ..そうしてくれ。」

 

皮肉屋な大城ではあるものの、彼女の前では..どこか甘い。

 

そんなこんなでまた教室を目指す。...寄り道が多すぎた。

遅刻しそうだ。

 

廊下の門に差し掛かったとき、一人のウマ娘と出合い頭にぶつかる。

大城は一足先にその存在に気付いて、足を止めるが、そのウマ娘はそのまま大城の懐へダイブ..。

 

「ひゃあああ!ごめんなさい!」

「..おう、前はよく見とけよ。ケガは?」

「だ...大丈夫です..!」

 

そこに仲間からの声がかかる。

 

「マーシャル!!いくよー!」

「あ!うん!...あのほんと、すみませんでした!」

「ああ..俺のことはいいから、早く行け。」

 

そういってそのウマ娘は仲間の下へ向かう。

大城は何となく、その背中を眺めていた。

 

―――――――――――――

キーンコーンカーンコーン....

 

始業ベルが鳴り響いて数秒後...

その戸は一気に開く。

 

「...セーフ!!」

「アウトだよ先生!!」

 

その様に教室で笑いの渦が起きる。

 

「うるせぇ!俺がセーフっつたらセーフなんだよ!!バ鹿野郎!」

「えー、でも遅刻は遅刻じゃん!センセーが遅刻していーのー?」

「うっせぇ!これやっからおとなしくしろ!」

 

そういって突っ込んでくる生徒に向かって菓子を投げる。

 

「やーりぃ!!」

「えー!私はの分は!?」

「ずるーい!!」

 

ガヤガヤと教室が賑わう。

 

「あーうっせうっせ!!..あのなぁ..教官ってのも忙しいんだぞ?わかるかお前ら?」

「センセーずっと暇そうだけど?」

「バッ..かやろー!!...チキショウ最近のガキどもときやがったら..!」

「そういえば先生、この間またエアグルーヴ先輩に怒られてたでしょ?」

「あ....いや...それはだな....。」

 

大城は教卓に突っ伏す。

 

「...またタバコがバレた。」

その瞬間再び教室が爆笑の渦に飲まれる。

 

「畜生..エアグルーヴの野郎...まだ買って一本しか吸ってないタバコ..ライターごと没収しやがって...。」

「懲りないねぇ..先生も。」

「....あー!癪だ!テストやるぞテスト!!」

「え!?なにそれ聞いてない!!」

「抜き打ちってのはそういうモンだ!!ほら、ノートでも教科書でもなんでも見ていいから、さっさとやれ!」

 

――――――――――

 

時刻は既に20時を回る。...チケットのマンツーマンも終わり..溜まりに溜まった仕事にもひと段落がつく。

 

「あーあ...残業代..ちゃんと出るんだろーな..?」

そういって大城は帰宅の準備をして、教官室の電気を消す。

 

コツコツと自分だけの足音が響くトレセン..。この雰囲気はどこか嫌いではない。

 

そこに、自分のものでないもう一つの足音が..懐中電灯の光と共にやってくる。

 

「...よォ、張さん。もう見回りの時間だっけか?」

「ああ、ハク先生..お疲れ様です。」

「どうせ俺が最後だろ?」

「いやぁ..そうだと思ってたんだけど..あそこ..まだついてるんだよね。」

 

そういって警備員はガラス越しに、一つの部屋を指さす。

 

「...生徒会室か...。わかった俺が見に行くよ。」

「まかせていいかい?ハク先生?」

 

そうして、大城はその部屋を目指す。

少しだけ戸の開いた生徒会室からは...一筋の光が漏れていた。

 

「....ふぅ。...こんなところだろうか。」

「..よォ、会長サマは残業かい?」

「大城先生?」

「..ったくご苦労なこったな。」

 

そういって、自動販売機で買ったコンパクトサイズの人参ジュースをシンボリルドルフに渡す。

 

「..ありがとう...いつも何か貰ってしまっているな。」

「...気にすんな、生徒の餌付けが趣味なのさ。」

そういってケラケラと笑った。

 

「なんだお前、そんなに今忙しいのか..?はんはん..始末書..ねぇ..どうせゴールドシップだろ..?」

そういって紙の束をペラリペラリと捲る..と

 

『大城 白秋(48)世界史・現代社会教官。..校内による喫煙..処分内容..。』

 

そこまで見たところで紙をそっと伏せる。

 

「...まったく、最近不届き者が多くてね...困ったものだよ..。」

「..同情するぜ..」

そういってルドルフから目をそらす。

 

「あ」

そういうときに限って不幸は訪れる。

スマホを懐から取り出そうとした拍子に、タバコの箱とライターが彼女の前にポトリ。

 

「...ほう。...これは?」

「いや...待てよ..今日は...吸ってないんだ..。」

「今日...『は』?」

 

ルドルフはそれを拾ってジリジリと近づいてくる。

それに合わせるかのように..大城は後ずさる。

 

「...後生だ...。まだ未開封なんだよそれ..。」

「.....。まぁ、今日はエアグルーヴも不在だ。それに、現行犯を見たわけではないからな..。赦免しよう..。」

「...恩に着るぜ...ルナちゃん!」

「な!?...なぜ私の幼名を!?」

 

大城は煙草を取り戻すと、大切そうに懐にしまった。

 

「さて、張さんが来る前に..帰っちまおうぜ?」

「ああ..そうしよう。」

「駐車場に来い、寮まで送ってく。」

 

――――――――――――

 

夜の国道を、一台のポルシェが特徴的なサウンドを奏で、帰路を目指す。

 

「これは貴方の車だったんだな..。」

「こーゆークルマは初めてかい?お嬢様?」

「マルゼンのスーパーカーに乗せてもらったことがあるくらいだ。もう彼女の横に乗りたいとは思わないが..。」

「...あいつはマジでやべぇ..。」

 

カーオディオからは、大城の趣味であろう、日本では認知度の低い海外ロックバンドの荒々しいサウンドが流れる。

 

「..意外にも、車の中は煙草の臭いがしないんだな。」

「まぁな。...車の中じゃ吸わねぇと決めてんのさ。...お前らを乗せることもあるからな。」

「...っふふ。...意外に紳士的なところがあるんだな。」

「意外は余計だ。」

 

「..それにしても、他人の嗜好品に口を出すつもりはないが..よく煙草なんて吸うな。...百害あって一利なし。...その言葉に尽きると..私は思うよ。」

「...そうだな。もうかれこれ30年は吸ってるからな..。もはや水を飲むことと一緒だ。」

「..止めようと思ったことは?」

「...両手の指じゃ足りん。」

 

赤信号で車は止まる。

 

「...ホントはこんなモンに頼らねぇで生きていけるんなら、それに越したことはねぇ。」

「...だったら、なぜ?」

「.....なんでだろうな...自分が...自分で思ってたよりも、強くないって...わかっちまったから...なのかもな。」

 

「興味深い考察だね。」

「...ガキの頃は、ロックと仲間さえあれば、俺の人生は充実していた。...でも、それはいつしか、俺の掌から消えていた。...なくした何かを手繰り寄せようと..もがけばもがくほど..より..虚空を感じるようになった。...煙草はその心のスキマを..一瞬だけ埋めてくれるのさ..。」

「...私には..よくわからないな。」

「わからなくていい。...こんなものに頼らずに生きていけることが...本当の幸せだ。」

 

大城は月に目を向ける。

 

「今日は十六夜..か。昨日は曇ってたが..今日はよく映えてる。」

「確かにな..美しい..。」

「ルドルフ、少し..寄り道してもいいか?」

「...かまわないよ。」

 

そうして、車は道路の脇道に停車し、二人は車を降りる。

 

「どこへ行くんだい?」

「すぐそこだ。」

 

そこは、道路脇から少し離れたところにある..河川敷だった。

しかしそこは..あまりにも街頭の少ない場所。

 

そこには...夜空の星たちが、プラネタリウムのように、空を覆いつくしていた。

 

「...おお。」

「...イかすだろ..?」

 

その空中に浮かぶ宝石たちに、二人の視線は釘付けになる。

 

「...こんなにまじまじと星を見るのは...随分と久しい..。」

「...俺もだ。」

 

大城はその場に寝そべる。

ルドルフはその傍らに座った。

 

「..昔、なんでチームの名前を星に因んだ名前にしたのかと..先代の理事長に訊ねたことがあった。」

「...先代の?」

「....そしたらなんて言ったと思う?...ここに通うウマ娘たちが..あの星たちのように...光輝いてほしいからだと言った。...なんの捻りもねぇ、クソ詰まらねぇ答えだと思ったよ。...だけど、こうして改めて星を見ると...その思いってのも..バカにはできねぇよな..。」

「...そうだな。」

 

大城は煙草を取り出す。

そしてビニールをはがすと、一本加えた。

 

「一本だけ..いいか?」

「...一本だけ..だぞ?」

 

大城は懐を探る...ライターが見当たらない。

 

「..これかい?」

ルドルフの右手には...ライターが握られている。

 

「ちょっと拝借。」

と大城が手を伸ばそうとしたとき、ルドルフはライターの火をつけた。

風で消えないように..手で壁を作り..大城へ手向ける。

 

「...では、甘んじて。」

そういって大城はその灯に...煙草を近づけた。




「....駐禁て...まじかよ...」
「...なんだか...すまないな....。」


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景気づけ

1....2....3....4....5....6..........7

 

リミットを迎えたマーシャルは、スパートを抜ける。

その瞬間に、もう一度息を吸って、自らの体に通常走行を受け入れさせる準備をする。

 

シームレスに..ゆっくりクラッチを繋ぐように..。

 

そして最後は..ひたすら前を向いて..腕を振って..泥臭く..ひたむきに走る..!

 

『レッドマーシャル!!先頭へ踊り出ました!!他のウマ娘たち、彼女に追いすがる!!だが!!届かない!!届かない!!レッドマーシャル!!今!先頭を維持したまま...!!!』

 

最近少し自慢できることが増えた。

...レースが終わっても..倒れなくなった。ちゃんと目を開いて..自分の着順を見ることができるようになった。

 

『レッドマーシャル!!第12R見事..勝ち取りました..!スプリント界に彗星の如く現れた異端児!その独特なスタイルを..!見事に魅せてくれました!!』

 

汗まみれで、体全体で呼吸をすることは未だ変わらないけど...。

...私はほんの少し...強くなった。

 

 

マーシャルは..観客席にて変わらずに口端を上げる大城に、ロックサインを送る。

無論..大城もそれを返す。

 

『彼女のスタイル..本当に独特ですね..。わずか数秒の間だけスパートをかけるという...今までに見たことがありません。』

『おそらく、体力..ひいてはスタミナの少なさを、限られた中でフォローするのでしょう..彼女だけができる戦い方なのかもしれません..!』

 

「うおおおお!!!」

「田原、ちょっと落ち着け!!」

その青年も、ロックサインをマーシャルへ投げていた。

 

―――――――――――

 

「どうだった?楽勝だったろ?」

「冗談じゃないですよ!今日もいっぱいいっぱいでしたよ!!」

 

タオルとドリンクを持ったまま、マーシャルは大城と共に地下バ動を歩く。

 

「お前のスパートも、段々サマになってきたな。」

「..そうですか?」

「スズカのスタイル。今のお前によくハマってる。加速の伸びも今までの比じゃねぇ。」

 

大城の表情は上機嫌だった。それはマーシャルが勝ったからなのか、それともこの先になにか楽しみなことでもあるからなのだろうか?

 

「....。」

マーシャルは黙りこくる。

 

「..どうした?」

「..いえ。..憧れの人の..スタイルを受け継ぐなんて..ちょっと..カッコいいな..なんて。」

「..お前がそんなナルシストだとは知らなかった。」

「い..いや、別にそんなんじゃ!!!」

 

急に顔を赤らめてそういう。..レースに勝った余韻が、彼女の気分を良くしたのか。

 

「..ま、別に恥じることでもない。カッコいいことは正義だ。..俺も、カッコよさを求めて奔走してた時期はある。」

「...カッコよさを求めて?」

「バンドやって、見た目を奇抜にして、良いバイク、良いクルマ、いい女、いいアクセサリー。いろんなものを身に着けてみた。..だが、俺はそうはなれなかった。..それに比べれば、今のお前は..確かにカッコいい。」

「え...。」

 

そう改めて言われると...少し....照れくさい。

 

「レースの間だけな...普段のお前は、ただのマヌケだ。」

「はぁ!?なんですかそれ!?」

大城は大笑いしながら歩いていく。

 

そして地下バ道を抜けた瞬間。

複数のフラッシュが彼女たちを襲う。

 

「うわぁ!?」

「..ナンだ。」

 

そこにはカメラを構えた、数人の記者の姿。

 

「レッドマーシャルさんですね!?..私、大日新聞の者なんですが..少しお話を..!」

「え..記者..?」

 

インタビュー?..この私が..?なにか..人違いなのでは..?

..でも、これ..記事になったら..お母さんが..読んでくれるのかな..?

 

「...パスだ!んな気分じゃねぇ!!ほら!どいたどいた!」

そんな記者たちを大城は押しのけて進もうとする。

 

「え!?ちょ、ちょっとトレーナーさん!受けないんですか!?」

「..俺は新聞記者が警察の次に嫌いなんだよ。」

「そんなめちゃくちゃな!..受けましょうよ!」

 

折角のチャンス!トレーナーの勝手でふいにしたくない!

大城のジャケットの裾を引っ張って彼を止める。

 

「..クソ、バ鹿力め。」

そういってしぶしぶ大城はマーシャルの傍らに立つ。

 

「ええと、では、マーシャルさん。今日のレースの感想ですが..。」

「あ..はい..ええと..。」

しかし、インタビューなんて受けなれていないものだから、どう答えていいやら。

 

「ラクショーだったってよ。」

「ちょ!トレーナーさん!..いや、違うんです!そんなことなくて..ほんと今日の人たちも..皆強くて..その..。」

「...でも私のほうが強い!..ってか?」

「ちょっと黙っててください!」

 

そんな二人のやり取りに、記者も少し苦笑い。

 

「ええと、じゃ、話題を変えましょう。...マーシャルさんは来週にGⅢを控えてらっしゃるということですが...その意気込みを..。」

「......はい?」

 

マーシャルは目をぱちくりさせてキョトンとする。

 

「え?..ああ、いえ、ですから..来週GⅢ..出られるんですよね..?」

「....そうなんですか?」

「...え?」

記者も困惑する。確かに手元の資料には..来週のGⅢにレッドマーシャルが出走するという情報があるのだが..。

 

「...ご存じ..ないのですか?」

「..............................................トレーナーさん?」

そっと目を横に向けると。

 

顔を反対側に向け、肩をプルプル震わせ、声を殺して大笑いする大城の姿があった。

 

「....トレーナーさん!!!!!!!」

マイクを使わずとも、会場内にマーシャルの声が轟いた。

 

―――――――――――

 

「もうホント!信じられません!!なんで黙ってるんですか!!」

「お楽しみはとっておいたほうがいいだろ?」

「モノによります!!レースは前もって言ってください!!」

 

大城のレース告知はいつも急。

今日のレースだって一昨日知ったことだし。その前のレースなんて、当日朝に電話で起こされて知った。

 

「ブーブーいってんな。別に一年前に知ろうと、一週間前に知ろうと大して変わらん。」

「変わります!!準備があるでしょ!!」

「お前はいつでも万全だ。..俺はそう思ってる。」

「何を根拠に..!」

「..お前が、俺の担当だからだ..!。」

 

マーシャルと目を合わせると、大城はづかづかと控室に向かう。

 

「ま、初の重賞、決まったからには景気づけだ!」

「景気づけって...なにするんですか?」

 

そういって大城は、控室のドアを開けると..そこには..巨大なケーキが。

 

「.....アストラ..ボンゴレ..。」

アストラボンゴレ..洋菓子界の最高峰...。庶民が手を出せる代物ではない。

その猛々しいケーキの様に..マーシャルは唖然とする。

 

「ケーキづけ..てな?」

「...ちょっと詰まらないですよ...。」

「そうか...ルドルフにはウケたんだけどな。」

「...食べて..いいんですか..?..レース前なのに..。」

「勝つんなら食っていいぞ。ただし..。」

 

大城は一枚の紙きれを出す。..領収書だ。

そこには目が飛び出るほどの..数字が。

 

「...負けたら..自腹な?」

「......上等です!!」

 

 

 

 

 

 

 




「トレーナーさん、食べないんですか?」
「...俺甘いモン嫌いなんだよ。」
「..ずっとお菓子持ってるくせに。」
「あれは餌付け用だからな。」
「....餌付け?」


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気に入らないヤツ

...ああ、気に入らない。なんで今日はよく晴れてるんだろう。..私は曇っているほうが好きなのに。

 

..ああ気に入らない。..なんでGⅢなんだ。..もう私の実力ならGⅠでいいじゃん。..大丈夫だよ、どうせ私なら勝てるんだし。

 

..ああ、気に入らない。..なんで1400なの?..私、中距離派だって言ってるじゃん。..私をマイラーか何かと勘違いしてるんじゃないの。

 

..ああ、すっごく気に入らない。かなり気に入らない....なんで....マーシャル(こいつ)と一緒のレースなんだ..?

 

―――――――――――

 

..初の重賞レース。

いくらGⅢといえども、その緊張感はいつものレースのそれとは比べ物にならない。

 

ターフに立つだけで、思わず足が竦みそうになる。...周りの娘たちの気迫も...強い。みんな目がギラついている。

 

..でも、ここは..私の憧れに登る為の登竜門。...逃げちゃだめ..負けちゃダメ...そうだ、ロックだ。困ったら...ロックに行かなくちゃ..!

 

マーシャルはハンドサインを自分に向ける。

 

そこに

 

「..マーシャル先輩。」

..かつて聞き覚えのある、気怠さを感じさせる声。

それに反応して、マーシャルはふっと振り向く。

 

そこにいたのは..かつての後輩。ローズロード。

 

「ろ...ローズ..さん。」

「お久ぶりでーす。」

 

こちらを見下して、嘲笑うかのような表情は、かつて彼女がベテルギウスに居たころのままだった。

 

「..どうしちゃったんですかぁ?..チームやめたと思ったら..急に頑張りだして。..そんなにチームの意心地悪かったんですかぁ?」

「いや....そんなこと...。」

 

彼女の顔を見るだけで思い出す。

過去に、彼女らに..されてきた扱いを。

 

..最初こそは、ちゃんと先輩として接してくれていたことも、確かにはあった。

だけど、自分の実力のほうが上だと判るやいなや、彼女の態度は急変した。

 

「先輩いなくなって..ちょっと退屈なんですよ..いいんですよぉ?いつでも戻ってきてくれて。...ちょうど、部室のゴミも溜まってきた頃だし。先輩お掃除大好きですもんね?」

そういってクスクスと嗤う。

 

「.....」

苦い表情を..マーシャルはローズに突き刺す。

 

「...何ですかその目?..それが可愛い後輩に対する仕打ちなんですかぁ?こわあい...」

 

..落ち着け..乱されるな。

マーシャルはそう自分に言い聞かせる。

 

そうすると今度、ローズはおもむろに手を差し伸べてくる。

 

「..ま、ジョーダンですよ。..久しぶり..先輩と走れてちょっと嬉しいんですよ。..ヨロシクお願いします。」

マーシャルは..その手に応えるように、ローズの手を握った..その瞬間。

 

ローズはマーシャルの手を思い切り握りつぶす。

 

「..あ!.....あああ!!...うう...!!」

その痛みに思わずマーシャルは、顔を歪めて、少し蹲る。

 

「.....マーシャル先輩、今日...あんまり頑張んなくて..いいですよ...先輩は..一番後ろで..ひっそりしてるほうが..お似合いですから..。...私の視界に入ってくんなよ?」

そういって、マーシャルの手を投げ捨てる。

 

そんな二人の姿を..ベテルギウスの同期たちは、笑いながら見ている。

「やめなってぇ!ローズ!反則になっちゃうって!!」

「あーあ、先輩かわいそう!」

「マーシャルせんぱーい!がんばれー!!ビリにならないようにねぇ!!」

 

大城は..そんな様子も、黙ってみていた。

 

―――――――――――

 

少し前..地下バ道。

光が差し込むレース場への足取りが、少し重い。

 

ちょっと億劫にでもなっているのか。

それとも、恐怖なのか...それとも。

 

「しっかりしろよ。..どうした?..ビビってんのか?」

「...そうかも...知れないです。」

「バーカ、そうですじゃねぇだろ。..気持ちで負けんな。..いつもそういってる。」

 

大城は壁に背を預けて、不安に駆られるマーシャルを見た。

 

「...だって、重賞なんですよ...ずっと私の手の届かなかった..。」

「..今は届いた。」

そういってマーシャルの言葉を切る。

 

「....」

「..なんだ。また尻を叩かれねぇとダメか?」

「い..いや!」

大城が手を上げる。

それに反射するように、マーシャルは自分の尻を隠す。

 

「俺は..お前のこと、あんまり不安に思ってないんだけどな。」

「...そうですか。」

「..ああ、てかお前...今日勝つよ。」

「...へ?」

 

その言葉にキョトンとする。

 

「...今日のお前のコンディション、ターフの条件、レース相手...てんでお前が負ける理由が見当たらん。」

「...そんなこと。」

「...ああ、一人いるな..面倒な奴が。...お前の後輩だな。」

 

マーシャルの顔はさらに緊張に包まれる。

 

「ローズロード..確かにいいアシを持ってるとは聞く。..だが、お前が勝てねぇ相手じゃねぇだろ?」

「....」

大城の言葉はマーシャルに届いてなかった。

マーシャルは頭の中で、過去の記憶に踊らされていた。

 

「おい」

パチンとマーシャルの額を弾く。

 

「いた!」

「なんだお前、まさかテメェの後輩にビビッてんのか?」

「...だって、ローズさんは..」

「クソ生意気な後輩だろ?お前のことをずっとバカにしていた。」

「...はい。..でも確かに私よりも強かったから。」

「でも今は違う。」

 

大城は煙草を咥える、もちろん火をつけずに。

 

「...クソ生意気な後輩に、思い知らせてやれ。お前が誰かを...後輩に上下関係ってモンを叩き込んでやるのも、先輩の務めだ。..それともなんだ?..お前は..あんなヤロウの..奴隷か?」

「...いえ」

「じゃあ何だ?」

「..先輩です!」

「...OK!勝ってこい!」

 

大城はドスっと膝でマーシャルの背中を押した。

 

 

 

 

 

 



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『さぁ、始まりました!..ウマ娘一斉にゲートから飛び出します。..おっと、内枠5番イイセンケリー少し出遅れか?』

 

ゲート開放から、10秒。横一列だったウマ娘たちは次第に縦へと形を変える。

 

マーシャルは予定通り、中段位置へと構える。

今はもう、トレースの必要はない。...自分のリズムを..大切に。

 

だけど、スリップストリームは健在。最近はコツも分かってきた。

そうして静かに、その時に向けて準備を重ねる。

 

重賞といえども、やることはいつもと変わらない。

いや、変えてはいけない。

それがマーシャルの答えだった。

 

その背後に..ローズは構える。

 

(あーあ..視界に入んなっていったのに。...まぁいいや。..どうせ、途中でバテて勝手にいなくなるんだし。...どうせなら、私の差しで完膚なきまでに叩くってのもアリ。...まぁ、頑張って逃げてみなよ..先輩?)

 

―――――――――――――

 

予定通りともいえる彼女の動きに、大城は黙って頷く。

その表情に不安の文字はない。

 

観客席の柵に両手をついて、食い入るように、その様子を見守る。

そこに一つの影が忍び寄る。

 

「...どんな手をなさったんですか?..大城先生。」

それはチームベテルギウスのトレーナー。宮崎の姿だった。

大城とは違い、いつも律儀にネクタイを締め、無駄な装飾品を一切嫌う。

 

「どんな手ってのは、どういうこった?」

「...正直驚いています。彼女、マーシャルさんが..この重賞まで這い上がってくるとは。」

大城は宮崎と顔を合わせることなく、背中で会話をする。

 

「...ま、そういう素質があったってことだ。それがワカンネーから、お前は二流だって言ったんだよ。」

「....。確かに私の誤算があったということは認めましょう。ですが、それと同時にせいぜいここまでだろう..とも思っています。...確かにスプリントに限定をして重点的に鍛えれば..或いは彼女のように『ある程度』まで通用するのかもしれません。..ですが私は知っています。彼女の..身体的に欠けた..どうしようもないピースを。」

 

大城は顔を下げて小さく笑った。

 

(...へぇ、まだ持つんだ。..前ならもうこの辺で沈んでたくせに。)

マーシャルの背後でローズは面白くなさそうに心でつぶやく。

それと..なんだろう、この人から今まで感じなかった何かを..妙に感じてしまう。..バ鹿な。相手はあのマーシャルだ。..きっと気のせいだ。

ローズは軽く舌打ちをする。

 

「...なぁ。お前、もし、このレースに金賭けられるとしたら、テメェの担当にいくら賭ける?」

「..なんです?藪から棒に。ウマ娘のレースは賭け事の対象ではない。」

「相変わらずクソ詰まんねぇ野郎だなお前は。もしも、の話さ。」

「...あなたならいくら賭けるというんです?」

 

大城はスラックスのポケットから、カギを取り出す。

ディンプルとキーレスリモコンが一体となった鍵。ポルシェの鍵だ。

 

「..財布の中全部と..こいつかな。」

「...マーシャルさんのことを随分と高く買っておられるようだ。..名トレーナーとまで呼ばれたあなたの目が、そこまで耄碌しているとは。..何を根拠に?」

「俺の担当だからだ。」

「....退職間際、自分の担当に夢を見られるのは大いに結構です。..ですが、現実を見られたほうがいい。ローズさんは、今までに数回にわたって重賞を飾っている。このレースの次は、GⅠも予定しています。..それに比べ、マーシャルさんに何が残っているというのです?..目に見えるデータは何もない。」

「目に見えないところに財宝は眠る。..いいだろ?今俺が考えたフレーズだ。」

 

ローズのフラストレーションはジリジリと募っていく。

..なぜだ。..なぜ消えない?..なんでまだ..自分の前を走っている?

確かにあの頃に比べれば、体の動かし方は良くなってはいる。..重賞に来るだけの理由はあるんだろう。..だけど、こうもこいつの背中を見続けるというのは...癪だ!

 

「..もうあなたとは、会話すらもできなくなりましたか。最後に言っておきます。このレース。ローズさんが負ける理由がない。」

「..クク。まぁ聞けよ。..俺も、そんなクソみてぇな根拠でモノを語るほど落ちぶれちゃいねぇよ。」

「..ほう?」

「..あいつ、最近なんかオカシイんだよな。」

「..おかしい?」

宮崎は怪訝な顔をする。

 

(ああ..!!イライラする!なんで落ちないんだ!....もういい。少し早いけど、ここでもうブチ抜く!...あんたの居場所は後ろなんだよ!)

ローズのフラストレーションは、わずかな焦燥に変わりつつある。

 

「..最近、ほかの連中と並走させることがよくあってな。..その時、あいつと走った連中が口揃えて言うんだよ。マーシャルがスパートに入った瞬間。..姿が一瞬消えるってな。」

「...何を?」

「俺も最初は意味わかんなかったけど...でも最近は俺にも見えるようになってきた。..あいつの、ゾーンってやつが。」

 

ローズはマーシャルの横に並びかける。

マーシャルはしっかりイン側を閉めてはいるものの、ローズはそこに無理やり体を捩じ込みに入る。

(..さ、これでオシマイ。あとはせいぜい.....?)

ローズはある異変を感じる。

先ほどまでなかった...赤い気配を...しかもそれは..どこか毒々しい。

 

その時、マーシャルが..急加速を突然始めた。

(...な!?)

ローズは意表を突かれた。並びかけたと思ったら、彼女がその先を行った。

ローズの視界には、再びマーシャルの背中が現れる。

 

(ふざけ...!)

ローズはその背中を見て呆気にとられる。

自分の先を行ったマーシャル。その背中が...フッと蜃気楼のように一瞬消えた。

(..は?)

 

気を確かにして、もう一度彼女を見る。..姿など..消えていない。

だけど、その瞬間、もう一度...煙のように...。

(..何?...どうなってんの?)

 

『レッドマーシャル!!ここで仕掛ける!!』

『さぁ、重賞でも見られるか!?...彼女の...限定スパートは!!』

 

「...!?」

その様を見た宮崎は..自分の目を疑う。

「...これよ。....これが...レッドマーシャルの走りだ..!」

「....バ鹿な。....ありえない!」

 

正気に戻ったローズの魂に..ようやく火が灯る。

気が付けば..マーシャルとの差が..ぐんぐんと。

 

(....ふ..っざけんな....!!!...そんなこと...あっていいわけ....ないだろ!!!)

ローズもその場からスパートに入る。

だが、マーシャルとの距離は縮まることを知らない。

 

それよりか...それでもまだ..離される。

 

「..ちょっと..どうしちゃったの?ローズ?」

「あれ..マーシャル先輩...?..別人じゃないの..?」

ベテルギウスの席でも..動揺が騒めく。

「...マーシャル...ちゃん?」

「あれが..マーシャルだと..?」

無論、彼女の先輩にあたる二人にも。

 

(...5...6....7!)

リミットを迎えたマーシャルは..一気にスパートを解除する。

その瞬間だって気は抜けない。

 

『さぁ!レッドマーシャル!!一気に先頭へ踊り出た!!さぁ!その彼女を捉えるウマ娘!!誰か?...おっとここで、注目の1番人気ローズロード!!その人気を譲る気はないか!!レッドマーシャルに追いすがる!追いすがる!!残りは200!間に合うのか!?』

 

ローズは瞬間的に理解した。...マーシャルが失速したことに。

このチャンス...!不意にはしない!!

 

(ふざけろ!!!お前が...お前なんかが私に勝っていいわけなんかないだろ!!!差す!!差す差す差す差す!!!絶対に差す!!!!)

 

ローズはマーシャルに急接近する。

マーシャルがゴールに飛び込むのが先か...ローズがマーシャルを捉えるほうが先か。

 

『ローズロード!!驚異的な末脚を見せます!!さぁこれはわからないぞ!!』

 

「..わからないだってよ..。実況席の窓は曇ってんのか?..決まってんだよ..もう。」

「...ローズ..さん。」

「...なぁ?確かにこの世にゴマンと居るウマ娘、どいつもこいつも才能あるやつばっかじゃねぇ。..確かに才能のないやつだっている。..でもよ、そんな野郎が..才能マシマシの連中が集う重賞に飛び込んでよ..そんで勝っちまったら...。」

大城はゴールラインに背中を向ける。

 

『ローズロード間に合わない!!レッドマーシャル!!今先頭を維持したまま...!!』

 

「...最高にロックだと思わねぇか?」

 

『レッドマーシャル!!!一着!!!レッドマーシャル!!!そのスパートは!!重賞でも通用した!!!!』

 

会場から津波のような歓声が雪崩こむ。

 

「......ああ........そんな....そんなこと...って。」

宮崎は膝をつく。

 

「...お前らが捨てた...炭....ちったぁ光ったぞ?」

そういって大城は宮崎の横を過ぎていった。

 

 



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二流

「...ははは、なんだそりゃ。..バッテバテじゃねぇの。」

本場の喫煙所にて、大城はモニターに目を向けている。

 

そこには、自身の担当ウマ娘レッドマーシャルがセンターを飾るウイニングライブが行われていた。

しかし、大城の言葉通り体力を使い切っているマーシャルの動きは、どうもキレがない。

 

だけど、その表情に..一切の曇りはなかった。

 

「..ったくよぉ、なるようになるもんなんだな。」

大城は満足そうに煙草の火を消して、次の一本に手をかける。

 

そこで、彼の貸し切り状態だった喫煙所に邪魔が入る。

 

その男は大城の傍らに立ち、同じくモニターを見た。

 

「...私にも..一本いただけますか?」

大城はその男に...黙って煙草の箱を差し出す。..男が煙草を咥えると...そのまま火を貸した。

 

男は..深くそれを吸うと...溜息の如く吐き出した。

 

「...お前が吸うヤツだったとは知らなかったよ。宮崎。」

 

太陽のような表情で踊るマーシャルとは対照的に、宮崎の表情は曇っていた。

 

「...ずっと、止めていたんです。..自分の為..ひいては...彼女たちのために。」

「..ふぅん」

大城は興味なさそうにモニターを見続ける。

 

「..私もかつては..マーシャルさんに夢を見たことはありました。..圧倒的なハンデを背負いながら..それでもこの娘が輝いたら..と。」

もう一度宮崎は煙草を口にする。

 

「..でもそれも..結局自分の夢の為でしかなかった。彼女がどんな努力をしても..成果が出ないと..わかってしまった私は..非情だった。」

「トレーナーってのはエゴイストさ。...誰だってそうだ..俺だって。」

「...この煙草の味でようやく思い出しました。...かつて、どんなに成果がでない娘でも..絶対に見捨てない..そう信念を抱いていたことを。」

 

宮崎の煙草の灰が伸びる。

 

「..でも私は..いつしか彼女たちでなく..数字を見るようになっていた。...今の私は、彼女たちがどう頑張って..どう苦境を乗り越えて...どう成長したか..説明しろといわれても..できる気がしない。」

何かに苛まれる宮崎..だが大城は黙って煙草を吸い続けた。

 

「...あなたが言った通り..私は二流だった。」

「バーカヤロー。テメェで二流だって認めてどうすんだよ。」

 

宮崎は顔を上げる。

 

「..貴方が言ったことじゃないか。」

「..ああ、確かに俺はお前を二流だと思ってるさ。まだまだケツの青いガキだ。..だが、それは俺の評価だ。..お前の自己評価まで..二流にしてどうすんだって言ってんだよ。」

「....。」

「..俺は、トレーナー1年目のころから自分のことを一流だと思ってやってきた。実際は..テメェの担当をボロッカスにやられちまったが。..それでも俺は自分を一流だと信じた。..信じなきゃいけないと思った。..そいつの人生を..俺は預かったんだから..。」

 

再び煙草を咥える。

 

「ま、それでもお前が二流だと名乗るんならそりゃ結構だが。」

「...教えてください。あなたがマーシャルさんを初めて見たとき。..ここまでくると..確信していましたか?」

「...トーゼンだろ。...ま、ちょいと期待以上に膨れ上がっちまったがな。」

「...何を感じたんですか?..彼女に。」

「...感じた..か。..それより思った..だな。..未だに..こんな泥臭くてひたむきなヤツがいるのか..ってな。」

 

既に吸う場所がなくなりつつある、シケモクのような煙草を、宮崎は離さなかった。

 

「..私も、貴方のように..なれるのかな。」

「..やめとけ。..マジで碌なモンじゃねぇぞ。それよりも..お前はもっと自分の担当のことを信じろ。先輩として言ってやれるのは..そのくらいだ。」

 

そういうと大城は煙草の火を消し、喫煙所を後にした。

 

――――――――――

 

「あー!!トレーナーさん!!」

待合室で大城を見つけたマーシャルはプンスカと擬音を立てながら彼のもとへ駆け寄る。

 

「どうしてウイニングライブ見に来てくれなかったんですか....あ!タバコのにおい!!...トレーナーさん!!」

「ちゃんと見てたさ。..モニターでな。..お前動きのキレが悪すぎだ。」

「だってぇ...って!そうじゃなくて!ちゃんと生で見てくださいよ!!最前列でサイリウム振って!」

「冷静に考えろ。50手前のいいオヤジが、若いウマ娘相手に、コールなんてかましてたら..ヤベェだろ?」

「別にいいじゃないですか。そういう人いっぱいいますよ?」

 

呆れた大城はマーシャルの背中をポンとたたく。

帰るぞという合図だが、それでもマーシャルは文句を止めない。

 

そうして、会場を出た瞬間....彼女らを..待ち受けていたのは。

 

「あ!レッドマーシャルさん!!お疲れ様です!!」

「マーシャルさん!!サインください!!」

「お姉ちゃんすっごくかっこよかったよ!!」

「貴女..肺が弱いんですって..?うちの子もそうなの..だからあなたは..娘の励みなの!」

「かっこよかったぞー!!!」

「あの!俺..田原ってモンだけど..その..マーシャルちゃんが初めて、そう4着とったあの日からずっと応援してて!!」

 

それは..彼女を心待ちにしていた...出待ちだった。

 

「え..あの..。」

突然の人の波にマーシャルは困惑する。

 

「トレーナーさん..?」

「なんだよ..お前のファンだろ?」

「ファン..?」

 

「見てください!売店でマーシャルちゃんのグッズ買っちゃったんです!」

「あ!俺!一緒に写真いいですか!?」

 

こんな自分に..ファン..。

実感がわかなかった。...スポットライトを浴びる日が...こんなにも急に来るなんて。

 

「ほら!なにボサっとしてんだ!ファンサくれーやってやれ!!」

そういうとファンの海原に、マーシャルは突き飛ばされた。

 

 

 




(...こいつ、ひっそりサインの練習してやがったな..妙に上手い。)


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閑話:Xmas

今は夏だけど。


最近肌寒い季節になったなぁと思っていたら、いつの間にか本格的な冬になって。そして今日は...クリスマスイヴの日だった。

 

..もう年の瀬かぁ、とマーシャルは駅前の時計台の下で、少し身なりを粧して、とある人を待ち続ける。

時刻は既に...。待ち合わせ時間を20分も過ぎている。

 

もう、いつものことだからと。期待もせずに、彼のことを待ち続けた。

そこにようやく表れる。..その顔を見た瞬間..ちょっと怒ってやりたくもなる。

 

「よぉ、お前も今来たところだろ?」

「トレーナーさん!!遅刻です!!私はちゃんと時間通りに来てました!!」

「あん?...おっと、時計が反抗期だったみたいだ。」

 

そういって秒針の動いていない腕時計を見せる。

しかしその顔に驚きの様子はない。..どうせわかってて遅刻しているんだ。

 

「だったらちゃんと修理してくださいよ!..まったく。どこで何してたんですか?」

「そりゃあお前..アレだよ。....自分磨き的な..?」

「..どうせパチンコ屋さんでしょ?」

「...お前時々エスパーになるよな。」

「もぉ!!女の子を待たせておいて!最低です!!」

「でもお前は待っててくれる..だろ?」

「...トレーナーさんが奥さんに逃げられた理由..ちょっとわかった気がしました。」

「はっはっは!それだけが理由ならまだいいんだがな!」

 

そういって二人は街へ歩いていく。

今日は..マーシャルのGⅢ獲得記念を含め..お祝いにと、クリスマスマーケットへ来ていた。

なんでも今日は..大城の奢りでなんでも好きなものを..とのことらしい。

 

イルミネーションに彩られ、ドイツ風のセットが温かい雰囲気を演出するそこには、見渡す限り家族連れやカップル。

 

「...お。ドイツビールか。悪くねぇな。」

「ダメですよ!今日は車でしょ?」

「...くぅ。」

「あ!トレーナーさん!あれ!」

 

マーシャルが指す先には...。大きなクリスマスケーキが。

「...お前、この間あれだけ食っといて..まだケーキ食うつもりか?」

「ケーキならいくらでも大丈夫ですもん!!あ!あとあれと、それと...」

 

...30後には。

4人掛け用の簡易テーブル席が料理で埋め尽くされる。

ドイツウインナーや..ターキー。ケーキに..ピザ。ラザニアに..ドリア。

 

「トレーナーさん、食べないんですか?」

「...見てるだけで..胃がもたれる。」

呆れる大城をよそ眼に。それをマーシャルはパクパクパク...。

 

(..こいつのちっこい体のどこにこのメシたちは消えて行ってんだ?)

そう疑問に思いながら大城はノンアルコールのビールを煽った。

 

――――――――――――

「トレーナーさん!頑張って!!」

大城は白いラインの手前に佇む。そしてダーツのバレルに指を絡め...得意のスナップでダーツを投げる。

 

それは軽い放物線を描いて...中央(ブル)にドン。

 

「ハラショー!!チャレンジャー大城!!ナイスハットトリック!!」

 

ガランガランと鳴るベルの音と共に、周りのギャラリーたちからの拍手が彼を称える。

 

「...2本はアウトブルか...少し鈍ったな。」

「凄いですよトレーナーさん!!やりましたね!」

マーシャルが駆け寄ってくる。

 

「昔のほうがまだ冴えてた。」

「でもいいじゃないですか!!ほら!5000円分の商品券ですよ!」

 

そこにマイクを持った小太りのダーツイベントオーナーがやってくる。

「いやぁ!実に素晴らしい!!ダーツご経験が?」

「若いころの溜まり場がダーツバーだったのさ。」

「なるほどぉ!ミスター大城!...なんと暫定二位でございます!」

「...一位じゃねぇのか!?」

「ええ..スリーインザブラックを出された方が午前中にいらして...。」

 

大城は目を瞑って空を仰ぐ。

「...くぅ...血が騒ぐ..!」

「ですが!お一人様一回ですので!!...景品獲得の方々には記念撮影を行っております!!娘さんと一緒にいかがでしょう?」

「娘ぇ?」

 

視線の先には...マーシャル..。

 

「ちょ!娘じゃありません!!」

耳をピコピコさせて否定する。

 

「そ、娘じゃねぇのよ..こいつは俺の...オンナだ。」

「..ほぅ...随分と年の差がおありのようで...。」

「違いますうううう!!!担当です!!!」

 

沸いたヤカンのようにマーシャルはピーっと鳴らした。

 

―――――――――

もらった写真は..二人がロックサインを掲げて写っていた。

 

「...やっぱりこういうのって..ピースとかじゃないんですか?」

「そんなヌルいことやってられっかよ!」

「そういえば、商品券!どうしたんですか?」

「ほらよ。」

大城はそれをマーシャルに投げる。

 

「これ。」

「やる。なんでも好きなもん買え。」

「...はい!」

 

そこからは、アーケードで少しの間別行動。

マーシャルは雑貨屋やアパレル屋を転々と。

 

対する大城は釣具屋や楽器屋..時折未成年が立ち寄れない所をふらりふらり。

 

そして1時間後に二人は再会する。

「あ!..トレーナーさん!!はいこれ!!」

マーシャルは大城に紙袋を差し出す。

 

「..あ?なんだこれ?」

「さっきの商品券で買ったんです!」

中からは...綺麗な白いマフラー。

 

「なんでまた...。」

「だって、トレーナーさん。前に新しいマフラーが欲しいって言ってたじゃないですか!私が選んであげました!」

値札を見ると、良いモノを選んだのだろう...5000円から少し足が出ている。..その分は身銭を切ったのか。

 

「...ああ..サンキュ。」

...今更ポルシェの排気管(マフラー)のことだとは言えない大城は、黙ってそれを受け取った。

 

―――――――――――

 

「..お前、昼あんだけ食っといて..まだ食えるのか?」

「はい!というかもうお腹すいてますから!」

「..バケモンめ。...半人前のくせして30人前は食いやがる。」

「何かいいました!?」

「なーんにも!」

 

そのやり取りの最中、エレベーターの扉が開く。

 

「いらっしゃいませ。大城様、お待ちしておりました。」

「ヨ、頼むぜ。」

 

エレベーターの出先から、すでにボーイが客人を導くべく、構えている。

 

その並々ならない敷居の高さに..マーシャルはレース前の如く怖気づく。

 

「あの...。」

「ま、ここじゃバカ食いはできねぇわな。」

 

タワービル最上階のレストラン。...マーシャルには縁のなかった場所。

 

マーシャルは大城の裾を握って、彼についていく。

二人は外の景色がよく見える席へ案内される。

 

すっかり日が落ちて..街の明かりが..大きなイルミネーションの如く街を覆いつくす。

それは地上に落ちた星空と言ってもいいのかもしれない。

 

「...わぁ。」

その光景に目を奪われる。

「...100万ドルの夜景ってヤツか?」

「100万ドル....。」

そうか..これが100万ドルの価値がある光景...。またはそれを宝石に見立てて..と思っていると。

 

「電気代のことなんだってな。」

大城は笑いながら言う。

「もぉ!ロマンがないじゃないですか!」

「何がロマンだ。ませやがって。」

 

その瞬間、パチっと会場の電気が消える。

 

そこに...パっとスポットライトが..とあるカップルをライトアップする。

 

『...優香さん。今日は貴女へ伝えたい思いがあります!』

弱弱しくも、芯の通った男性の声が、会場に響く。

 

『...ずっと、貴女と一緒に..この人生を過ごしたい!...僕と..結婚してください!」

そういうと...男は膝をついて指輪を差し出す。

 

『....はい!』

女は目に大量の雫を浮かべて..その思いに寄り添った。

 

その瞬間、一つの明かりが灯ったケーキと..花束が..ロマンあふれるオルゴールと共に、二人のカップルの下へ。

 

電気が再びついた瞬間。

会場は拍手で包まれる。ここに新しい夫婦が誕生したことを..ここにいる全ての人々が祝った。

 

「....なんでお前が泣いてんだよ。」

「..だってぇ...こんなロマンあふれること...ないじゃないですかぁ!」

「..満足いただけたようで何よりだ。」

その二人も、拍手を手向けた。

 

「..トレーナーさんも、ああいう告白..したんですか?」

「..まさか。..そんなキザにはなれねぇよ。..ほら。」

そういうと、大城はマーシャルのグラスに人参ジュースを注いだ。

 

―――――――――――

「さっさと乗れ!..門限過ぎてフジに怒られんの俺なんだぜ?」

「わかってますよぉ!」

そういってマーシャルは車の助手席に乗り込もうと...すると..そこに一つの包みがあった。

 

「...これは?」

「大城サンタからのクリスマスプレゼントさ。」

 

車に乗り込んだマーシャルはその包みをまじまじと見る。

 

「..開けて..いいんですか?」

「ああ」

 

そこから..でてきたのは....。

 

「....ダンベル。」

グリップ部に"Marshall"の名前入り。

「はっはっは!!...いいだろ!それ!知り合いの旋盤屋に特注で作らせたんだ!世界に一個だけだ!」

「あ...ありがとう..ございます。」

 

どうして肝心なところでロマンがないのだろうか。..とマーシャルは箱を閉じる。

 

――――――――――

 

「今日は楽しかったです!..ちゃんとマフラー使ってくださいね!」

「ああ...お前も..ダンベル使えよ?」

「はあい!」

 

そういって大城は寮の前から去っていった。

「急がなきゃ!」

 

そしてギリギリの時間で寮に滑り込む。

 

自室で..今日の荷物を下ろす。

..新しい服も買った。..写真ももらった...ダンベルももらった..。

 

マーシャルはそのダンベルの入った箱に違和感を覚える。

外から見た感じ、そこが深いのに、箱を開けると..底が浅い。

 

箱の底を探ると...それはパカっと外れた。

そこから出てきたのは...厳格な雰囲気に包まれた..まるでジュエリーボックスのような箱。

その箱には.."Scar Tiara"の文字。

 

それを開けると...中からは...あの時見た指輪のように白銀に輝く...ウマ娘用ピアス。

 

箱にはもう一つ...手紙が。

それを開封する。

 

 『俺はお前を信じている。

 

     ロックに生きろ。

 

        お前の超絶イケメントレーナー大城より。』

 

 

それを見たマーシャルの目に...一粒の..雫が..。

 

「もう....直接言ってくださいよ...。」

 

 

――――――――――――

 

「よおし、じゃあ空けるぞ?」

「...うん、...痛くしないでね..?」

「大丈夫だって!あんまり痛くねぇよ!」

 

マーシャルとモモミルクの部屋に..トップギアが道具を持って来ていた。

 

そっとピアスニードルをマーシャルの耳に近づける。

「あ!..ちょっと!」

「なんだよ..大丈夫だって!」

すでに4つもピアスを開けているトップギアは、手慣れた様子で施術にかかろうとするが、以前マーシャルは怖気づく。

 

「にしても、マーシャルちゃん凄いの貰っちゃったね。スカーティアラだって!」

モモミルクは興奮気味にその箱を見る。

 

「それ..すごいの?」

「なんだお前?スカーティアラ知らねぇのか?..スカーティアラってのはな、そうだな..店舗ではたしか..会員しか買い物できないところ..なんだよな。」

「か..会員制..。」

「しかもドレスコード。ちゃんとしてないと入れないんだよね。」

モモミルクも言う。

 

「じゃ..じゃあこのピアス...すっごい高い...の?」

「..まぁ..このトレセンの一年分の学費くらいあるんじゃねぇの?」

「い...いちねん...。やっぱ..つけるの..やめようかな..。」

 

マーシャルは目をぱちくりさせる。

 

「それはもったいねぇって!..多分先生は..マーシャルにそれだけの価値があるって..言いたいんじゃないのかな?」

「.....。」

「つけてあげなよ。..そのほうが先生も喜ぶって!」

「...うん!」

 

マーシャルは再び気合を入れる。

 

「..よぉし!行くぞ!」

プスっと違和感が耳を襲う。

 

「ひゃ!」

「痛かったか?」

「..ううん。びっくりしただけ...。」

「じゃ、こいつをこうして...。ほら...どうだ?」

 

マーシャルの左耳に..銀色に光る...新しい...飾り..。

 

「...わぁ。」

その光景に..思わず見惚れてしまう..。

 

「なくすなよ?」

そういってトップギアは部屋を出て行った。

 

 

―――――――――――

 

「おはようございます!!」

マーシャルのその日の挨拶は..一段と張っていた。

 

「よぉ..。」

白いマフラーをラフにかけた大城はすぐに気が付く。マーシャルの左耳に輝くそれに。

 

「....猿に烏帽子に...なんなよ。」

大城はニヤリと笑う。

「..はい!」

マーシャルの瞳には...ピアスに劣らない輝きが宿った。

 




「大城様..ピアスの包は..」
「いい感じに頼む。..おっと、時間ねぇから急いでくれるか?待たせると..叱られちまうんだよ。」
「承知いたしました。..喜んでいただけると..いいですね。」
「ああ..。」


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夢と憧れ
強敵..現る


「.....はぁ....はぁ...ああ....。」

地下バ道...。本場から引きあげて帰路に進むマーシャルの顔は暗かった。

 

「あーあ..リベンジかまされちまうとはな...。」

大城も飄々とはしつつも、どこか締まりのない声を上げる。

 

「オオシンハリヤーさん..また速くなってる...。」

「だろうな..まだ伸びそうな気配もある。それに...二度も同じ手は食わんって言ったところか。」

 

今日のレース..マーシャルは三着という結果となった。

今日の相手には..マーシャルのライバル、オオシンハリヤーがいた。彼女の走りは、例のレースの時よりも、さらに洗練され、より力を増していた。

 

マーシャルは前と同じ手で、彼女に挑んだ..だが、その手の内を知ったオオシンハリヤーは、マーシャルのスリップストリームを引きはがして、ゴールへ飛び込んだ。

 

「...ま、GⅡでの三着ってのは..大した健闘だろ。あいつが強くなるんだったら、お前だって強くなれる。..だろ?」

「そうかも...知れないですけど...。」

「...本当の相手は..その先か..?」

 

実はマーシャルが落胆しているのは、オオシンハリヤーに負けたから...だけではない。

 

このレース、マーシャルは三着..オオシンハリヤーは二着。

 

つまり..この二人をまとめて下した存在がいた。

 

「...ま、流石はスプリント界のバケモンと称されるだけのことはある...サクラバクシンオー。」

「...........。」

マーシャルは苦しい表情をする。

 

彼女の走りは圧巻だった。

ゲートが開いた瞬間から、いきなりスパートを決め込むかのような、圧倒的なスタート展開。

その後も一切の隙を許さない。..マーシャルが7秒のスパートを始めたころには..既に手遅れと呼べるほどの差を開けられていた。

 

「はーん....スプリントに限れば、トータル的な戦力差(ヒラキ)がそこまであるとも思えねぇんだけどなぁ....。」

「でも...負けました..。」

「...は!..なら次は勝てばいい。」

「..どうやってですか。..7秒をいっぱいに使っても...勝てなかったのに..。」

「どうやったら勝てるかは...俺も金を払ってでも知りたい。...そうか..なら本人に訊けばいいのか。」

大城はマーシャルの顔を見る。

「...え?」

 

―――――――――――――

 

「...てなワケで、どうやったらお前をブちのめせるかってのを、こいつと話してたトコだ。」

「..............。」

マーシャルはこの上なく気まずかった。

「ほーう!!なるほど!!この優等生である私のことを研究したいと!!そう仰るのですね!!」

放課後の教室、委員長としての活動のためそこに残っていたバクシンオーに、大城とマーシャルはアポなし押しかけをしていた。

 

「あの..トレーナーさん...もう少し言葉を..選んで...。」

「お前のことをブっ潰さないと気が治まんねぇんだと。」

「..ですから!!」

「ちょわー!!なんと!研究ではなく挑戦でしたか!!...いいでしょう!!この優等生である私が!マーシャルさんのその挑戦!受けて立って見せましょう!!」

 

バクシンオーは椅子から立ち上がる。

 

「おお!話が早くて助かるぜ!」

「なんたって!私は学級委員長ですから!!はっはっは!!」

 

――――――――――――――

 

「バックシーン!!!」

ターフの上を...その大声がこだまする。

 

「..は..はや..!」

先日のレースと同様..マーシャルはとあるポイントでバクシンオーとの差をジリジリ広げられる。

だけど、この前と同じ展開は踏まない。マーシャル少しペースを上げ気味にして、バクシンオーを射程圏内へと維持する。

 

(...ここ!)

マーシャルは深く息を吸った。

そして、マーシャルの伝家の宝刀、7秒がスタートする。

その時だけのトップスピードは..バクシンオーすらも凌駕する。

 

「..な!..なんと!!この差を縮めてくるおつもりですか!!!..なるほど!油断なりません!!」

その赤い気配の勢いにバクシンオーも思わず息をのむ。

 

3.22....

2.95....

2.23....

1.89....

 

刻一刻と迫るリミット..。

しかし、バクシンオーは未だにマーシャルの前。

 

(...っく!!.....あああ!!)

声にならない声をマーシャルは上げる...も....。

 

(む...り.....!)

マーシャルはバクシンオーをとらえることができなかった。

 

――――――――――――

 

「......はぁ........ふぅ........ひぃ........。」

最近は倒れなくなったと自負したものの、これだけ詰めた走りをすれば...いまだにターフは彼女のベッド。

 

「いやぁ!!マーシャルさん!!お疲れ様です!!いやぁ!!あの追い上げ!実にお見事!!あと200あれば私もどうなってたことか..!!」

「バクシンオーさん....。」

 

また..勝てなかった..。

 

過去に感じていた、ぶ厚い壁が...再びマーシャルの前に姿を現した。

「...いいや、あと200あったら、余計にお前には勝てねぇよ。」

そういったのは大城。二人分のドリンクを用意して、それぞれに投げる。

 

「ほう!興味深いお言葉!!」

「こいつの全力は7秒だけだ。..それだけで戦ってきている。」

「7..秒..?」

「こいつは絶望的に肺が弱い...。だから..スタミナ勝負はお前たちに対して圧倒的に分が悪い。そんなお前らに抗うたった一つの方法..それが7秒だ。」

「...ほう!....なるほど!...ですが...その7秒...私も感じました!」

「ああ....その瞬間だけなら..こいつは敵なしだ..!...って、もう少しカッコつくようなサマになんねぇのかお前?」

 

そこには...死んだセミのように仰向けになって白目を向きかけてる、7秒選手の姿があった。

おまけに体操服がめくれて臍を晒す始末。

 

「ほーら起きろ!」

「...とれーなー...ひゃん....。」

「しっかりしろ!ただでさえマヌケな面に拍車がかかってんぞ!」

「...まぬけじゃ....ないもん...」

 

頭に酸素が周ってないのか..はたまた..ショックで打ちひしがれてるのか。

 

「...だが、ようやくわかった。..お前とバクシンオーとの..違いが。」

「...コーナー..ですよね?」

「なんだ、お前も気づいてたのか..。」

「...バクシンオーさん..コーナーでも..まったくスピードが落ちませんでした..。」

「対するお前は?」

「....追いかけようとして..ちょっと縺れちゃいました...。」

「..なら追試だな。」

 

大城は立ち上がる。

 

「サンキュー、バクシンオー。...新しい課題は見つかった。」

「お役に立てたのなら何より!!!」

「それと...一つ...。」

「なんでしょう!」

「次は...マーシャル(こいつ)が勝つ..!」

「...いいでしょう!!...私は何度でも..受けて立ちます!!優等生ですから!!」

 

大城はマーシャルを引き起こす。

「よし、お前の課題..コーナーワークだ。...てなわけで..行くぞ?」

「行くって...どこに..?」

「栃木だ。」

「とちぎぃ....?...どおして。」

「今度は嫌というほど...コーナーを走らせてやる...!」

大城の無茶なトレーニングがまた始まったと、マーシャルは悟った。

 

 

 

 

 




「成績も...バクシンだといいんだけどな..。」
「ちょ!ちょわっ!?それは言わない約束ですー!!」


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48ヘアピンコーナー

「...なん...ですか...ここ...?」

マーシャルは、助手席にて目の前に広がる光景に唖然とする。

 

確かに峠というのは..曲がり角がたくさんあるのが普通だろう。

でも、その峠は限度というものを知らない。

 

一つカーブがあったと思ったら、すぐに次のカーブ。

まるでシャトルランを峠でしているのかと疑うほどの光景に、マーシャルの早朝の眠気は吹き飛ぶ。

 

「また、カーブ...これでいくつめ..?」

「まーだあるぞ。」

コーナーに差し掛かった大城は、深くポルシェのステアリングを切り込む。

 

あと20年若ければサイドブレーキに手をかけていたかもしれないなと、燻りながらも、わざとコーナー出口で後輪を軽く滑らせ、カウンターステアを浅く当てながらマーシャルの反応を楽しむ。

 

「ちょっと!ドリフトはだめです!」

「ドリフトじゃねぇ。パワースライドってんだよこういうのは。」

「同じです!」

 

その会話が終わる前に、また次のコーナー。

 

「まだ..あるんですか...?」

「トウゼンだ。...日光いろは坂...全48ヘアピンコーナー...。今日はここを走ってもらう。」

「よ...48!?」

 

そうして下りきった先から、再び上り専用道路を伝って、二人は下りへ向かう一般道へと戻る。

 

レトロな街並みが印象的な場所だと、少しワクワクしたマーシャルだったが、その街並みの先にこんな狂ったような峠があるとは想像もしなかった。

 

下りに入る前の道にて、大城は車を止めて、降りる。

まだまだ朝は冷え込むが..夜明けの時間は幾分早くなりつつある。

 

「よぉし、降りろ!ああ、いい朝だ!」

「いい朝って..まだ5時...。」

「道路は見えるだろ?なら十分だ。」

「お昼じゃダメなんですか?」

 

マーシャルは重量蹄鉄付きのシューズを履きながらぼやく。

 

「昼は一般車両が多すぎる。...チャリのほうが早いくらい渋滞すんだよ。」

「じゃあ..夜とかは..?」

「ここ、あんまり街灯ねぇし、それに夜中は免許を持ったサルが沸く...。」

 

大城は早速一本目の煙草に火をつける。

 

「今日もこのシューズですか..。」

「大事にしてくれてるようで何よりだ。ま、今日は箱根の時とは逆の下り(ダウンヒル)さ。ラクに走れるぞ?」

「...そうは思えませんでしたけど...。」」

「しっかりしろよ。バクシンオーに勝つんだろ?」

「...はい!」

 

―――――――――――

 

ペースは半分...確かに下りのおかげか...ずいぶんと楽には走れるし..スピードもつく!

 

これだけのコーナー..すべてこなせば..私はきっと!バクシンオーさんに..!

重量シューズがこの下りの勢い拍車をかける!この重さが良いと思ったことなんて!

 

そうして最初のカーブ!!

 

よし...レースをイメージ...コーナーが近くに来る..!

これは..中山の最終コーナー!..逃げるバクシンオーさんの背中を...

 

しかしコーナーが近づくにつれ..一つの疑問が。

 

...あれ?そういえば....ここのカーブ...競技場と比にならないくらい...深くなかった...?

 

ようやくコーナーの全貌がはっきりとする。

この勢いじゃ、どうにも曲がれそうにないくらいに...深くRのかかったコーナー...。

 

まって!この勢いじゃ..!

 

そう思った時には遅かった。

 

「ちょ..!とまって..!!とまれえええ!!!...なああいいい!!!」

重量シューズを履いた足に...この下り勾配...。自分のブレーキが利かない..!

 

そうして...。

 

「...ヘブっ!!!」

マーシャルは...ガードレールとお友達になった。

 

―――――――――――

 

大城は車のボンネットに軽く腰を据え、カーオーディオからはサマータイムブルースを流し...加熱式煙草を口にする。

 

「んだこれ...やっぱ紙がいい..。」

こんなものが若い世代に流行ってるというらしいので、試しにと手を出したのだが、どうやらそれはハズレらしい。

 

「..俺も流行りに乗れん時代遅れな人間になったか...。」

そんな中身のない愚痴をこぼしたときに...やっと自分の担当が姿を現す。

 

「おう、思ったより早か......。」

マーシャルは...ガードレールの粉を体いっぱいに...何度も転けたのだろう擦り傷が...体のあちこちに。

 

「いくつ曲れた..?」

「...4こ」

「...赤点だな。」

 

勢いをつければ足が負ける。逆にうまく曲がろうとすれば..大きくスピードを犠牲にしてしまう。

 

 

グスっと涙を拭うマーシャル..コーナーの壁が..こんなにも厚かっただなんて..。

だけど、これを乗り越えなければ...私は...。

 

ドアを大きく開けた車の席に、外向きに座ったマーシャルは、大城の簡易的な治療を受ける。

あとで本物の医者を連れてくると笑いながら彼が言うそれは、きっとジョークなのだろう。

 

「...んで。今日はどうする。...もうやめとくか?」

「...いいえ。...まだ...走ります..!」

ここで折れちゃいけない..。私の赤は...不屈の赤なんだから..。

 

そうして、再びマーシャルは峠の頂上へと戻った。

 

―――――――――――――

「...っく!」

やはりコーナーが迫るにつれ、マーシャルは恐怖で速度をおとしてしまう。

 

まけちゃいけない..!

そう思って勢いをつけると...すうっとガードレールに体を吸い寄せられるか...滑ってゴロン。

 

「..ふぅ..ふぅ..。」

せっかく治療を受けたのに..また体は擦り傷だらけ。

 

それでもマーシャルは前を向いた。

 

その時..一台の車がマーシャルの背後に迫る。

見慣れないエンブレムを付けた...なんだか高級そうな車。

 

マーシャルはとっさに体をよけて道を譲ろうとするが...その車は依然...マーシャルを抜かなかった。

 

むしろ先に行けと言われているような。

その挙動に気味の悪さを感じたマーシャルだが..抜いてくれないのなら..走るしかない。

 

でも...相変わらずコーナーでは壁にぶつかるか、大幅にスピードを殺すか..転ぶか..よたよたと抜けていくかのいずれかだった..。

 

こんな姿を..知らない誰かに見られるのは..とても恥ずかしい..。

くっと歯を食いしばったマーシャルだが、車は急に加速をすると、そのままマーシャルを抜き去って消えていった。

 

―――――――――――

 

「...ハク!...7年は経ったか?」

「よぉ!タケ!...マジで来るとは思わなかったぜ。」

 

先ほどマーシャルを追い抜いた車は..峠の麓に停まるポルシェの後ろにビタ付けで止まる。

 

そこから降りてきたのは...大城とさほど年は変わらない、細身で長めの黒髪を後ろで束ねているのが特徴の男。

 

その車を見た大城は嫌味に笑う。

 

「はっ!アルファロメオねぇ...。なんだご自慢のRX-7(セブン)は辞めたのか?」

「そういうお前は?四駆(ランサー)はどうした?ポルシェなんて..お前の一番嫌いな車だったろ..?」

「年だからさ...ラクなのが欲しくなってな..。」

 

岳隆二は、ポルシェのキャラクターラインを指でなぞりながら、大城の下へ向かう。

 

「トレセンのトレーナーってのは..そんなに儲かるのか?」

「親の病院を、七光りで受け継いだドラ息子ほどじゃねぇよ。」

「は!言いやがる!...悪いが病院は儲かってるぞ?このアルファロメオは..その辺の家庭の原付みたいなもんさ。お前みたいに背伸びして買うポルシェとはワケが違う。」

「ほう...お前の下で働く医者たちの給料からくすねた金か?...医者たちが不憫だ。」

「ああ..お前のそのクチを今すぐ縫合して、死亡診断書書いてやりたいよ。」

 

昔のノリを、数年越しに味わう二人に、そっとあの頃の風が吹く。

 

「...さっきの走ってた娘だろ?..お前の担当って。」

「まぁな...元スポーツ医学を専攻してたお前から見ての感想は?」

「なるほど....そのために呼んだワケか。悪いが、スポーツ医学とスポーツ工学は別物だぞ。だが、安心しろ。俺はスポーツ工学にも精通している..。でも...ウマ娘工学となると...流石に話が変わるかもな..。」

「似たようなモンだ。モノになりゃそれでいい。」

「相変わらずテキトーだな、お前って。」

 

紙たばこを靴の裏に押し当てて火を消したときに、やっとマーシャルはかえってくる。

 

「うわぁ..こりゃひどい。」

ボロボロのマーシャルを見て、岳はふぅと溜息をする。

 

「どなた...ですか...?」

その見慣れない男に..マーシャルは自分の傷を忘れてきょとんとする。

 

「ヤブ医者だ。患者を騙して金を巻き上げる悪徳病院のドラ息子さ。」

大城は笑いながら言う。

「君がウワサのマーシャルちゃんか?..まったく。こんなガラの悪いチンケなチンピラヤクザに苛められて..かわいそうに。」

そう大城に視線を刺し、ニヤッと笑いながら岳も返す。

 

二人の罵り合いに挟まれたマーシャルはしどろもどろ。

 

「ま、ヤブ..ではなく..超エリートの医者さ。..俺は岳。さっき君の走りを見てたけど...まだカラダの軸がぶれてるようだね。直線には強いみたいだけど、コーナーに差し掛かったとたん、軸がぶれる。重心移動が伴っていない。それが、コーナーをうまく対処できない理由だ。」

「軸...ですか..?」

「結構な筋トレを積んではいるんだろう..体幹自体は悪くないように見える..だけど..それが走りに十分生かし切れている感じがしない。走っているときの軸は重要だ。それでどれだけコーナーに対しバンクをつけるか..どれだけスピードを制御するか...そうか..軸足についても言っておいたほうがいいか..。」

 

もはやアドバイスというより、ぶつくさと独り言のように自分の世界に入っていく岳。

たったあれだけの時間で自分のことをここまで分析したのかと..マーシャルは素直に驚いていた。

 

「は..こういうヤツなんだよ。」

大城が呆れたようにつぶやいたその時。

 

一台の乗用車が彼らの横を通過する。

その車に乗った高齢者の男性は端に停めてある車を見て、邪魔だと言わんばかりの不満を顔に表す。

それを皮切りに、峠にも車たちが次第に下ってくる。

 

「...タイムリミットか。なら..続きは明日だな。」

「一回東京に帰って、また明日くるんですか?」

「冗談じゃねぇ。..ここに泊まるさ。」

「やったぁ!じゃ!じゃあ観光しましょうよ!!来る途中に気になってたお店があったんですよ!!」

 

傷だらけでも急に元気になるマーシャル。尻尾と耳が電池を入れ替えたように活発化する。

 

「...まずは治療が先だよ。」

そう岳はあきれるようにつぶやいた。

 

 

 

 

 




「こんな峠..どうして知ってるんですか?」
「昔そういうマンガが流行ったのさ..。」


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コーナーワーク

「もぉ....食べられないよぉ....。」

栃木の某所にある、岳総合病院と看板が掲げられた、中規模の病院。

そこは大学病院ほどの規模ではないものの、屋上には大きくHの文字が刻まれており、ドクターヘリが離着陸できる態勢が整っている。

 

そこの職員用仮眠室にて、治療を受けたマーシャルは、昨晩の睡眠負債を完済すべく、深い眠りについていた。

 

売店で食料を買ってもらい、それをすべて平らげた筈なのだが、それでもまだ夢の世界で何かを食しているよう。

 

「....おかあ...さん...。」

寝言の最後に、か細い声でそう呟く。...そんな担当の姿をひとしきり見た大城は、静かに仮眠室の戸を閉め、外に出た。

 

「...ハク。....結果、出たぞ。」

そこに、岳がある封書をもって、大城のもとへ小走り気味で、その束ねた髪を揺らしながら駆け寄る。

 

大城はその封書を、まるで自分の嫌いな違反切符を突き付けられたときのように、渋く受け取った。

「..なんでお前まで知ってるんだよ。」

「東京中央病院とうちとはある程度の繋がりがある。特に癌患者に関しては、情報共有を行うことも。お前の名前を見たときは..目を疑った。」

「..患者のプライバシーってのはないのか。」

「すまないとは思う。...だけど」

「..いい。」

 

大城は空中で手を振った。

そうして静かに封書を開ける。

そこからは、触っただけでも公的書類と理解できるほどの重厚感を持った皴一つない紙が、絶望を連れて出てくる。

簡潔に言えば、それはカルテだった。そこに大城の現在の体の情報が記載されている。

 

「.....。」

「..転移...してるんだ。...膵臓だけじゃない...お前の体の..あちこちに..。」

「どおりで最近..ダルいと思ってたワケだ。」

「...入院しろ...ウチで面倒は見る..!」

「悪いが御免だ。..足折ってでも病院抜けだす俺だぞ?それに...入院したからって..俺は助かるのか..?」

「...それは。」

 

岳は曇った表情で、大城から視線をずらす。

 

「3年はあるっては聞いてる...まだもう少し..。」

「アテにしないほうがいい...お前の場合..進行が速い。」

「..1年か?」

「あるいは...もっと早いかもしれない。」

 

大城はだらっと壁に背を預け、封書を持った手を下に垂らす。

「..そうか。」

「...お前の担当の娘..当然知ってるんだろうな?」

「........。」

 

大城は沈黙する。その儚い視線は、窓の外の枯れかけた木に映る。

 

「..早く言っておいたほうがいい。お前の場合、デカい爆弾を抱えてるのと一緒だ。もう少し..進行すれば..次の朝を迎えられないってのも、ジョークじゃなくなる。」

「..なぁ、タケ。お前って確か、嫁と息子いたよな?」

「..それが?」

 

一度ふいに岳を見た視線は、再び枯れた木に戻される。

 

「お前は言えるか..?面と向かって..俺はお前たちを残して死ぬかもしれないって..。」

岳は..少しの間をおいて口を開く。

「..言う。..時間は必要かもしれない..。だけど、絶対に。..ここでいろんな人たちの別れを見てきた。..別れの準備には..膨大な時間がかかる。..何も知らないまま、急に別れを告げられるのが..一番サイアクだ。」

 

岳は大城の、老けた横顔を見る。拘りのポマードでセットされたオールバックの中に、ぽつぽつと白髪が目立ち始めていることが、なんとなく気になった。

 

「お前も..うちの後輩と同じことを言うか..。」

「誰だってそういう。..怖いんだろう?..あの子に、別れを告げることが..。」

「........医者ってのはヤダねぇ。...なんでもお見通しってか。」

大城は静かに、溜息ともにそう吐いた。

 

「お前のような患者は...山ほど見てきたからな。」

岳の視線も、大城と同じ木に移る。

 

「あいつは大きなレースを控えてるから...今は踏ん張りどころの時期だから..だからまだ、今言うべきじゃない...そう自分に言い訳を聞かせて..ズルズル..ってな。」

「...俺が、その娘だったら..それでも知っておきたいと思う。..俺、トレーナーのことはよくわからないけど、担当とトレーナーってのは..一蓮托生だろ?隠し事..特に..今後の人生に大きく関わるようなことは...隠すべきではない。例え残酷な現実であっても..知っておかなきゃいけないし..お前は言わなきゃいけない。」

「.........。」

 

そこで、ギいっと仮眠室のドアが開く。

「...あれ?トレーナーさん?..おはよーございます...。」

寝惚け目をこすりながら、マーシャルは出てきた。

「おお...ちゃんと眠れたか?」

「うん....ふあああ。」

大あくびをさらす。

 

「どう..いつ言うかは..お前が決めることだ。...辛くなったら..いつでもウチに来てくれ。」

そう言って岳は、マーシャルの傷を軽くチェックした後に..廊下の奥へと姿を眩ませた。

 

「...風呂入りにでもいくか?」

「いきまーす...。」

 

――――――――――――

日中の日光で食事、温泉、観光を楽しんだマーシャルは、夜明けになるまでそっと時を待つ。

そうして...いよいよ始まる。

 

「もっと軸足を意識して!..違う!もっと体を倒していい!そう!ラインに沿わせるように..!」

マーシャルが走る後ろを..岳はビアンキ製のロードバイクで追走しながら、リアルタイムで彼女に助言を与えてく。

 

日中、岳にしてもらったレクチャーと、軸の意識。また彼女の走りが変わる。マーシャルは少しづつだが、ある程度のスピードを維持したまま、コーナーを抜けられるようになってきている。

 

コーナーのRの中心に棒を立てて、それからコンパスのようにぐっと膨らまないようなラインを意識する。

そのラインを抜けるために、足のコントロールが重要になる。

十分なスピードが乗っていても、すぐに適正なスピードまで落とし、アプローチをかけていく。

その時に特に重要になるのが軸...。これがブレないように..皿回しをするかのように、慎重に体を整えていく。

 

そうして、4コーナー..5コーナー..すべて完璧とはいかないけど。でも、幸いなことに..コーナーは山ほどある。そして少しづつだが..マーシャルはそのコーナーを克服しつつある。

 

「..いいぞ!...マーシャルちゃん!!次のコーナー!全力で回ってみろ!!」

岳がそういった、その先に広がるコーナー。

 

下り急勾配からの、例に漏れずキツイRがかかっている。文字通りのヘアピン。

 

マーシャルはぐっと息を吸い込む。そうして...。

 

(...!?..なんだ..?)

岳は、その瞬間、マーシャルの何かが変わったことに気が付く。

 

マーシャルは..全力スパートで..コーナーに向かっていく。

(嘘だろ...!このスピード...!クソ!..ビアンキで追いつけない..!?..というか、それ..明らかなオーバースピード..!)

 

「おい!」

そう岳は叫ぶが...その声は彼女に届かない。

 

マーシャルには何も聞こえない。...目の前のコーナーに120%の意識を向ける。

 

少しスピードを落として...軸を意識...体はバンクをつけて..前を走る人でも、前だけでもない..見るのは..コーナー出口...。

少しスピードが乗りすぎている..?なら...ステップを入れて..重心を無理やり変える..!

 

マーシャルは思い切りの踏ん張りで、自分自身に急ブレーキをかけて、体の向きを変える。

 

そうして体をコーナー出口に向けて...そのまますぐにトップスピードへと体を放り込む。

 

「....ああ....なるほど...ハク..お前が...痛みを超えてまで..見たい景色ってのは...これなのか..。」

その赤い火の玉は..下手するとバイクや車よりも素早い勢いで..コーナーを抜けていった。

 

――――――――――――

 

「..蹄鉄が割れるってなぁ..どういうこった?」

「踏ん張りすぎちゃいました...。」

 

大城は割れた蹄鉄をポンポンと投げて、手でキャッチする。

 

そこにようやく...チェレステカラーのロードバイクが下ってくる。

 

「よぉ、下りにいつまで時間かけてんだよぉ。XR4が泣くぞ?」

「..はっきり言って..異常だよその娘。..もう俺が教えることなんて..ないかもしれない。」

「よかったな..留年しなくて済みそうだぞ。」

 

マーシャルは、ふらふらと歩きながら..岳の下へ。

「あの...岳先生...ありがとうございました..!」

「ああ...頑張ってくれ...期待してるよ...マーシャルちゃん。」

 

よぉし、帰るぞ!という大城の声に反応したマーシャルは、すぐに助手席に乗り込む。

 

大城も運転席に乗り込もうとした拍子、岳が小さい声で語り掛ける。

 

「..あまり無理するなよ。...電話ならいつでもくれ。」

「ああ...お前が女ならそうするさ。...ありがとな。」

 

そういって車に乗り込む。

ポルシェのテールランプは..栃木の山に吸い込まれるように消えていった。

 

――‐―――――――――

 

高速道路で、うつらうつらとするマーシャルに..大城は語り掛ける。

「...起きてるか?」

「...なんとか。」

「バクシンオーとの再戦...決まったぞ。....GⅠだ。」

「じー...わん....?.......GⅠ!?」

眠気が一気に吹き飛ぶ。

 

「ああ!スプリンターズステークス..!ぶちかましに行こうぜ..!」

「...G...Ⅰ.....よし..!!」

 

ぐっと拳を握る。

レースの最高峰...GⅠ...自分は..ここまで来た。

その高鳴りを、胸の内に..。

 

そんなマーシャルを横目で見ながら..大城は思う。

 

いつまでこいつと...走り続けられるのか...と。

 

 

 



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前者

回想:前編


「...癌...ですか...。」

エチルアルコールや薬品の臭いが立ち込める、診察室。

この臭いはいつまでたっても慣れない。と、いつもは心の中でボやいて、この後の予定を適当に考えながら医者の話を聞き流す筈ではあったのだが、その医者の一言に全ての意識を奪われる。

 

「ええ....かなり進行も...はっきり言って..末期と呼んでいいかも..しれません。」

「...そう...ですか...。」

 

しかし、大城のその表情はどこか飄々としている。まるで自分事でないかのように、どこかの興味のない誰かの話を聞いているかのように。

 

「...手術しても、手遅れってヤツですか?」

「ええ...。」

医者は重い表情で、そう告げた。まさしく死刑宣告にも等しいそれは、医者を長年務めている彼にとっても、慣れるものではない。

死の現実を突きつける..。これで、どれだけ自らを一時的に壊す人々を見てきたことか。

 

「...なるほど。」

それでも大城は取り乱さなかった。

この次に、すでにそのことを知っていたと言い出すのではないか、と医師が懐疑的になるほど。しかし、やはりその目には幾分かの哀愁が漂う。

 

「..失礼ですが...あまり驚かれないのですね。」

確かに癌の宣告を受けても、気丈に振る舞う患者もいることはいる。しかし、大城の反応は、そのどれにも属さないものに見えた。

 

「ま..なんていうか...そんな気はしてましたからね..。」

大城は俯いてそう言う。

「..俺の親父も、爺さんも癌で死んだ。...なら俺もきっと..死ぬときは癌だろうって...思ったより早かったなとは思ってますがね。」

「...左様ですか。」

 

医師は、重い腕を起こして、カルテにメモを記入する。

 

「末期癌だからって..直ぐに死ぬわけじゃあないんでしょう?」

「それは..まぁ...。」

「どれくらい?」

医者は口を淀ませながら...か細く言う。

 

「..大城さんの患っている癌の場合..長くて三年というのが...私の経験則です。」

「..ほう。因みに..余命宣告を受けた患者ってのは..それからどうするモンなんです?」

大城のその質問は半ばヤケクソのようなものにも思えた。

 

「..二極化しますね。仕事を辞めて..残りの人生を自由に生きられる方。..最後まで..仕事を貫かれる方..。」

「...きっと俺は..前者だ。」

 

――――――――――――

 

トレセンの校内..大城のいつものステップはなりを潜める。

踵から歩くその癖が、いつもカツカツと小気味のいい音を立て、彼と親しい生徒ならば、それだけで彼だと解るほど。

しかし、今日の彼の足音も..まるで火が消えたかのよう。

 

先生!と声をかけてくれる生徒に対しても、軽く手を振って、その場から立ち去ってしまう。

そうして、彼はある部屋の前に立つ。

 

ノックを三回...。中から許可!という張りのいい声が、ドアを突き破って飛んでくる。

 

「...失礼...どうも..理事長..。」

「おお!ハクではないか!」

いつ見ても、この初等部生のウマ娘たちと背丈が変わらないような、幼さが残る少女..もとい女性が理事長だとは..。といつもながらに大城は思う。

 

「大城先生..お疲れ様です!」

その傍らには、駿川たづなの姿も、少し疲れ気味の顔は、きっと理事長の無理難題をまた聞かされていたからなのだろうと、大城は言葉もなく理解する。

 

「ああ...たづなちゃん..。」

「それで?ハクよ..用件とは?」

 

大城の視線はそっとたづなに向けられる。

 

「...悪ぃ、たづなちゃん、ちょっと外してくれるか?」

「...はい。」

 

彼から何か感じることがあったのだろう、たづなは何かを察して、小走り気味でその場を後にする。

そして、ばたんとドアが閉められ..少しの間をおいて..大城は語りだす。

 

「...やっぱり..癌でした..。余命のオマケ付きで..。」

「...そうか。」

秋川は両腕を理事長室の机につける。

特別な取り乱しはないものの、やはりいつも明るい表情に..雲がかかる。

 

大城は先日、校内で倒れた。

救急車で搬送を、とトレセン側は手配しようとしたが、騒ぎになることを嫌った大城は、無理にそれを止めて、自分の足で医療機関へかかった。

その後落ち着きを取り戻した大城だったが、それから妙な発作がみられるようになった。

 

彼の体を案じた秋川が無理やり大城に検査を受けさせた。その結果が...それということだ。

 

「もう少し...早ければ...と思っておるか?」

「...いえ、人の死は..この世に生を受ける前から決まっているようなものです。きっとどんな道をたどっても..俺は同じ年で死ぬでしょう。」

「...無理に気丈になろうとするでない...。死の恐怖には..誰も勝てまい..。」

 

溜息と共に、秋川はそう言った。

見た目こそ幼いものの、その落ち着きと、いざ見せる貫禄は、理事長の名に恥じぬものと..彼女を知るものは皆認めている。

 

「..質問。これからハクは..どうしたい?」

「...さあて、まぁ、海の見える街で..ひっそりと隠居生活ってのも..悪くはないかもしれませんね。」

「成程...こう言っては失礼にあたると覚悟のうえで申そう。..らしくない発言だな..ハク。」

「..そりゃあまぁ、貴女と初めて会ったときのような若造だったらいざ知らず。..もう大概..いいトシですからね...俺はカラスで居たいんです。..森のなかで、誰にも知られず..ひっそりと逝きたい。」

 

大城は壁にかかった写真たちに目を向ける。

その中の一つに..かつて若かりし頃の自分が、昔の担当と共に、成果を上げた時の写真が一枚。

 

「寂しくなるな..かつて名トレーナーとまで言われたハクが..。ハクのことは先代も高くかっておった。」

「..所詮は過去の話です..。知っているでしょう、俺の最後の担当...ロクな所に連れて行ってやれなかった...。年寄りの時代は終わったんです。..今は..沖野や、東条のような..若い連中が..時代を作っていく。」

 

その写真たちの中には..シンボリルドルフの三冠達成時の写真や..トウカイテイオーの奇跡の復活劇を祝した写真たちも..。

 

「...理解。ハクがそう決めたことならば..私も認めざるを得ん。...残りの時間..ハクがハクらしく過ごせるよう..こちらも最大限の手助けを致そう。」

「恩に着ます。..理事長には..先代から世話になりました..。」

そういって大城は会釈の要領で秋川に、思いつめた表情で頭を下げる。

 

「それと..提案。」

「提案..?」

「もし..もう一度..ハクがここへ戻りたいというのならば...そう申してくれ。..いつでも席は用意する。」

「...ふっ。余命宣告を受けたヤツにまで..まだ働かせるつもりですか?」

「私の勘だ。..きっとハクはここへ戻ってくると...そう思っておる。...私はハクから..あの頃の情熱が消えているようには...どうしても思えぬ。」

「..ま...期待するのは自由でしょう..。では..。」

 

大城は理事長室のドアを開ける。

そのすぐ傍らに..たづながいたことに気が付く。

 

「聞き耳...立ててたか?」

「....。」

たづなの顔は赤い..目も若干の充血を起こしている。

 

「大城....先生...」

「ほかの連中には..内緒だ..。」

「でも...!」

「頼む。..理事長の我儘よりは..ラクなもんだろ?」

「...いいえ。」

 

廊下に風が吹き込む。

それはどこか..夏の匂いを引き連れているような気がした。

 



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後者

回想:後編


「はぁ....あ...最後のレースってのが..重賞でもなんでもない、ただのヒラレースとはな...俺の運も尽きるとこまで..尽きたか。」

 

おそらく生涯で一番足を運んだのであろう中山競技場...大城はその屋内観戦席で、実力もそこそこのウマ娘たちのレースを、締まりのない目でだらけたように見ていた。

 

見ているというより、目に映しているだけというのが正しい表現なのかもしれない。彼はその視覚情報を脳でキチンと処理しているわけではなさそうだった。

 

このレースたちが、トレセン人生で最後の見納めになるというのに...。

なぜこんなに身が入らないのか..。

 

大城はターフに目を向けながらも、頭では別のことを考えていた。

 

..今までの自分の人生...どうだったのかと。

 

(...何クヨクヨしてんだろうな..いいじゃねぇか。..俺は..ちゃんとGⅠウマ娘だって育て上げた..。悔いなんて...ねぇだろ..。十分やったろ?...ちゃんと自分に区切りはつけたろ?..トレーナーの肩書を捨てて..教官になったのは何のためだ。..俺自身に諦めをつけたから...そうだろ?)

 

次第に..目線はターフから..自分の手に移る。

 

(...何が不満なんだ。..今更くたばることにビビってんのか?..もう..いいじゃねぇか..十分..好きなように生きたろ..?)

 

その手がカタカタと妙に震える..。

 

『おおっと!ここで!!5番ハウンドレガシー!!一気に抜け出した!!これは強い!!しかし3番ハナサクラ!ハウンドレガシーを逃がす気はない!!待ったをかける!!』

 

会場から、どよめきが走る。

二人の切迫した展開に...会場中が見入る。

 

「な..ななななな。あんちゃんさ..どっちがイケると思うさ?」

ワンカップを片手にした高齢の男性が、気の抜けた大城に絡んでくる。

 

「..さぁてね。」

「なんだよぉ...あんちゃんシロート?俺はな..ハウンドレガシー!!こいつだと思うんだよ!!見ろよあの足!!関節も柔らかいし、しっかりバネにできてらぁ!!これは来るだろ!?」

「...あんた、ここ酒OKだっけか?」

「こまけぇこた気にすんな!!!おっと!!ほらもうあと200!!」

 

大城もそのレースに目を向ける。

 

「...差されるな..あれ。」

「...あ?...あんちゃんジョーク下手だなぁ..ありゃもう..。」

『おおっと!!ハナサクラ!!急接近!!これはわからない!!!ハウンドレガシー!!やや苦しいか!?』

「...あ?」

 

会場から再びどよめきが...レースが..動いた瞬間だった。

 

『差した!!差し切った!!ハナサクラ!!見事差し切ってゴールしました!!』

「おい....おいおいおいおい....おい!」

能のようにテンポよく刻んだ老人は...再び大城を向く。

 

「...あんちゃん...もしかして...予想屋かい?」

「...ただのシロートさ。」

 

――――――――――――

 

老人がワンカップを置いて消えた後も、大城はそこに居残り続けた。

この場を離れてしまったら...本当にすべてが終わってしまう。

 

その妙な喪失感が、彼の足をすくませた。

 

(...俺がこんなに..優柔不断っつーか..沈んでるっつーか。)

そんな自分に幾分かの嫌悪感を覚える。

いつもイケイケだった自分はどこへ行ったのだろう。..迷いなんてなかったあの時代の自分は..死んだんだろうか..。

 

気が付けば..すでにレースは9R目に。

 

そこで大城はやっと席を立つ。

いつまでもウジウジしている自分に..いい加減しびれを切らせた。

 

(..未練がましい。..俺は何を期待してんだ..。..さっさと、仕事辞めて..好きに生きて..くたばる。...それで充分だろ。)

その時、若い二人の男から、声がかかる。

 

「あれ、オジサン。次のレース見ないの?」

「...あ?」

「ああ..いえ..。」

「おい!田原!絡んでんじゃねぇよ..ああ、スミマセンね。」

 

大城の妙に殺気立った雰囲気に、若い男たちは押された。

 

「ま..その..次、このレースの目玉出るし..ここで帰るのもったいないんじゃないかって。」

男はしどろもどろながらもそういった。

 

「面白れぇのか?..次のレース。」

「ええ!なんといってもあのオークストリームが出るんですよ!!今一番人気のウマ娘!!そしてそれに対抗する差しの女王!テクノイニシャル!!この一騎打ち!今日が目玉なんですよ!!」

 

若い男は急に眼の色を変えて雑誌を開き、大城に見せつける。

 

「お...おお..。」

「田原!..ああ..すんません..こういうヤツなんすよ..。」

 

そんな若い力に押された大城は、再び席に腰を落とす。

 

『さぁ各ウマ娘..ゲートに並びます..。スタートしました!!』

 

その瞬間...いきなり先頭へ...まるで後ろから蹴っ飛ばされたかのように..一人のウマ娘が飛び出た。

 

「....。」

それに大城は妙なものを感じた。

そのスタートダッシュに..そのウマ娘の全てが詰まっていた..そう..感じた。

 

一瞬目を惹かれたものの..大城はすぐにその固まった視線を振りほどく。

 

(....ありゃダメだ。..続かねぇよ..。)

 

「おっと!あの娘元気いいな!..レッドマーシャル..だとか..。」

「あーでもあれ、どうだろうなぁ...」

若い男の意見と、大城の意見は概ね合致していた。

 

そして、その先頭に躍り出たウマ娘は..次第にペースを落としていく。

そして一人..また一人と...追い抜かれていく。

 

(ほらな...お前..逃げができるようなヤツじゃねぇだろ...担当は何考えてやがる..。それにしても..妙な息の上がり方だ...。肺が..弱いのか..?)

 

視線を振りほどいたはずなのに..大城の視線はなぜか再びそのウマ娘に戻っていた。

 

そのウマ娘は体をふらふらと揺らし..胸を大きく上下させ..口をいっぱいに開きながらも..なんとか酸素をとりこまんと..躍起になりながら..走っていた。

 

(...キツイだろ...苦しいだろ...。もういいだろ...お前、もうそこから巻き返すのは無理だ..あきらめろよ...なぁ..。棄権したっていいんだぜ..?)

 

しかし..そのウマ娘は..それでも腕を振ることをやめなかった。

前を向くことをやめなかった。

走ることを..やめなかった。

 

(.....なんで...なんだ...?)

大城の顔は次第に渋くなる。

 

(もういいじゃねぇか..表彰台どころか..もう入賞すらも無理だ...。なのに...なんで...そんなに前が向けるんだ?..なんでそんなにひたむきになれる..なんでそんなに..泥臭くなれる...?...勝ち目なんて...ねぇんだぞ..?)

 

 

「ほら!おじさん!!きたよ!!きたきたきたぁ!!」

若い男が叫ぶと同時に、実況も重なる。

 

『最終コーナー回って、各ウマ娘。おっとここで5番オークストリーム抜け出した!勝負を仕掛ける!!それに追走!9番テクノイニシャル!!残り200!!テクノイニシャル届くか!?』

 

しかし..大城の視線の先に一番人気のウマ娘はいなかった。

 

「...めろよ」

「え?」

大城がポツンとつぶやいた。

 

(...もう、やめろ....そんなにされちまったら...なんか...自分に諦めをつけた俺がバ鹿みてぇじゃねぇか..。..何が隠居生活だ..何が未練がないだ..何が区切りをつけただ..。)

 

大城には、そのウマ娘と自分が何か重なるところがあると感じたのだろうか。

どうしようもできない状況..見える道は...諦めの一方通行のみ。

 

しかし、彼女と大城では決定的に違うところがあった。

気持ちの陰りに支配され、後ろを向いた大城に対して..そのウマ娘は、意地でも前を向き続けていた。

 

諦めを知らないそのの走りと、その真っ直ぐな瞳は..大城の今の心境そのものを..真向から否定した。

 

 

(..俺はいつから..そんな日和ったヤツになった...?...今の俺って...ロックか?...違う...ただのくたびれた..年相応の..オヤジだ..。)

 

『オークストリーム!!早い!!テクノイニシャル!ジリジリと距離が広がるか!?オークストリーム逃げ切ってゴール!!見事人気に応えました!!!2着はテクノイニシャル!あと一歩及ばず!!』

 

「うわああああ!!!」

「うるせぇぞ田原!!」

 

若い男はその白熱したレース結果に、狂喜乱舞した。

 

会場からも..まるで重賞レースのときのような歓声があふれる。

 

「いやぁ!!マジですごかった!!ね?オジサン..?」

大城はいまだにターフから目を背けなかった。

 

大城が見ていたウマ娘は、全身のすべてを吐き出しながら..9着という結果でゴールラインを切った。

 

彼女は確かに走りきった。

その苦しみを乗り越えて…

 

「....やりやがった。」

大城は、そうぽつんと呟いた。

 

「あの..オジサン?」

「...なぁ、ニーサンら。あの娘のこと..詳しいか?」

「え?ああ、どっち?オークストリーム?..それともテクノイニシャル?」

「いや..あの9着のヤツだ..。」

 

若い男たちは...目を丸くして..その娘を見る。

 

「レッドマーシャル..だっけ?」

「ああ..あの出だしドッカーンのやつだろ?..見せかけだけだったな。」

「うーん...特に雑誌にも出てないし..ごめんなさい..よくわかんないや。」

 

大城の目線には..まだ彼女がいた。

 

「..ああ..わかったよ...ありがとな。」

「..どうして..あの娘?」

「....このレース...あいつ一番...ロックだったろ?」

「..へぇ?」

 

そういって大城は、席を離れた。

会場内を歩きながら、自分の手を見る..そしてそれをゆっくりと..握る。

 

(...なぁ。お前は..俺に答えを出してくれるのか?..俺のこの不甲斐ない気持ちに..ケリをつけてくれるのか?もし..お前を..表彰台に立たせてやれたら..俺は.....)

 

 

自分に満足して..死ねるのか...?

 

 

―――――――――――

 

(...どの..クラスだ..?)

大城は自分の資料を探す。彼女は、きっとトレセンのウマ娘だ。あの宮崎がいたチームの中にいた。

 

(..ない..か。..やっぱり..俺が請け負ったクラスには..いなかったか。)

椅子に深く掛けて、チラリと外を見る。

 

彼の教官室からは、中庭の切り株がよく見える。

そこは..ウマ娘たちが..己の負を一気に吐き出す場所。その様子がよく見えるここを、教官室やトレーナー室として使いたがる者はあまりいない。

 

しかし、大城は好んでこの部屋を使い続けていた。

彼女らの負に向かい合ってこそ..見えるものがあると。

 

そこに..一人のウマ娘が、よたよたと、そこへ寄ってくる。

大城はすぐに気が付いた。それが...昼間に見た..あのウマ娘だということに。

 

その教官室から声をかけようと思った。

だが..その瞬間。

 

そのウマ娘の...負が...夜空に響き渡った。

 

大城は..ぐっと、何かをこらえる。

そうして..彼女のいるところへ...歩いた。

 

彼女の泣き叫ぶ声が次第に大きくなる。

大城は気づかれないように、彼女のそばに..そっと座った。

 

(俺だって...お前と同じさ...。どうしようもできない...どうにもならない...答えはわからない..なら...二人で..探さねぇか?)

 

そうして、少女が..ようやく一息ついたところで..大城は..そっと口を開く。

 

「....気が済んだか?」

 

―――――――――――――

 

ノックを三回....中から許可!という張りのいい声が、ドアを突き破って飛んでくる。

 

大城は..そっとドアを開ける。

 

「おお..!ハク..!」

「どうも..理事長...。」

 

秋川は..大城の目を見て...すぐに理解した。

 

「...まっておった。きっと..ハクは戻ってくる..と」

「..貴女の勘の良さは..先代譲りらしい...。」

「...どの娘だ?」

「...レッドマーシャル...という娘を...。」

「疑問!..彼女の戦績は現段階あまり芳しいとは言えん..理由は?」

「俺の最後の...希望だから...じゃあ、不満ですか?」

大城の目は..あの日の色を取り戻していた。

「...承認!」

 

死角になって気が付かなかったところから...駿川たづなが姿を現す。

 

「大城...先生...!...先生!!!」

たづなは...涙を隠す暇もなく..大城に飛びつく。

 

「..もう少しの間だけ..世話になります。理事長..!」

「..健闘を!」

 

――――――――――――

 

(...先生よ...やはり俺は...後者だったらしい...!)

 

そう意思を固め..大城は..ベテルギウストレーナー..宮崎の下へ向かった。

 

 

 



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勝負服

ざばっと水しぶきが上がる音が、孤独な男の部屋に響き渡る。

その虚空にあふれた空間。独り身の彼には、あまりにも広すぎる。

 

男は濡れた顔を、拭かずにそのまま鏡に向ける。

彼の老いが隠し切れなくなった顔に、ふたをせんばかりと、だらんと暖簾のように濡れた髪が彼の視界を覆い隠そうとする。

 

彼はそれをそっと両手でかき上げる。

髪が濡れきっているその瞬間だけは、整髪料をつけずとも、いつものオールバックスタイルを作ることができる。

 

そして、洗面台の脇に、両手を置き、もう一度鏡と向き合う。

 

「....もう一息...いけるだろ..?」

 

彼は懐をさすりながら、いつ破裂してもおかしくない、それを宥める。

 

そうして、例の錠剤..もとい薬を乱暴に口へと運ぶ。

 

「...Let's....Rock!」

 

それをかみつぶして...小さくそう叫んだ。

 

 

―――――――――――――

「き...来ちゃった....。」

「来ちゃった..ってよぉ、いつもの中山だろうが。」

 

右...左...前...後ろ...。

360度どこを見渡しても人..人..人...。

 

まるでお祭り状態。

昔ならば..彼女も..そちら側のギャラリーだったはず...でも。

 

「私...本当に...走るんですよね..?」

「は!..棄権するか?」

「い...いえ!」

 

その重厚な圧を感じる会場に..マーシャルはまだ入場すらもしていないというのに..カチカチになりつつあった。

 

そこに、少し心休まる声が彼女の下へ。

 

「おーい!マーシャル!!」

彼女たちが振り向くと、そこには..親友たちの姿が。

 

「ギアちゃん!モモちゃん!!来てくれたの!?」

マーシャルの緊張に包まれた顔は、瞬く間にぱぁっと明るくなる。

 

「えへへ!もちろん!頑張ってね!マーシャルちゃん!」

「ったくよぉ!!お前がGⅠランナーにほんとになっちまうなんて...。ちょっとまだ信じらんねぇ。...先越されちまったな。」

 

トップギアの目には、仲間の健闘を祈りつつも、少し滾るものがあるようにも感じられた。

 

「うん...ありがとう!..私、きっと勝って見せるから!」

「ああ!...負けたら承知しねぇからな!!」

「ふふ!..そういえば、マーシャルちゃんの勝負服..楽しみだな!なんたってGⅠなんだもん!」

 

モモミルクがそう言ったとき、マーシャルははっとする。

 

「勝負服...?..そういえば..まだ私...もらってないかも..?」

「「え?」」

二人が並んで驚愕する。

 

マーシャルはそっと横を見る。

 

「...トレーナーさん?」

大城はそっぽを向いて..指で頬を書く。

 

「...車に置いてきちまった。..先行ってろ。」

 

そういって大城はとぼとぼと..近くはない駐車場へと歩いて行った。

 

「..苦労してんだな。お前も..。」

「...うん。」

 

―――――――――――――――

 

「大丈夫...私は...レッドマーシャル...。スプリントなら..勝負できる..。」

選手控室。マーシャルは鏡に向かって何度も何度もそうつぶやく。

 

鏡に映る自分が、どこか頼りない。

...気持ちで負けてはいけない...わかっているのに。

 

そこに、ノックもそこそこに、扉が開かれる。

 

「よぉ!待たせたな!」

「遅いですよ!!もうパドック始まっちゃう!!」

「そう焦んな。ほらよ。」

 

そういって大城は大きな紙袋を渡す。

 

「.....。」

紙袋の中にある、綺麗に畳まれたそれを、マーシャルは少し震える手で抱え上げる。

 

「早く着替えろよ。」

「...なら...出てってくださいよ...。」

少し顔を赤らめながらそう言った。

 

―――――――――――――――

 

「開けるぞ?」

「...はい!」

 

..それは、赤を主軸としたブレザーチックな勝負服。

赤のチェックがスカートと、ネクタイを始めとした服のいたるところにちりばめられ、彼女らしい赤を演出する。

 

その赤を目立たせるための白地のシャツなども憎い。

そしてブレザーの前裾のボタンを、飾緒にも似た金色に光る紐で、互いに括り。その勝負服は完全なものとなる。

 

...その赤に漲る様は、..彼女の母、レッドクラウンをも彷彿とさせる。

 

それにアクセントを加えるように、左耳のピアスがキラリ。

 

「ほぅ...ちったぁ、見栄えが良くなるもんだな。」

「これが...私....?」

勝負服一つで、ここまで自分の印象が変わる。

 

その印象が...自分の気持ちまで変えてくるよう。

 

その時マーシャルはふと気づく。

 

彼女の勝負服の左肩には...『Ⅶ』の刺繍が。

 

「...これ。」

「お守り代わりさ。..わざわざURAに乗り込んで入れさせたんだ。..アラビア数字はゼッケンの都合とか言って渋られたが..ソレならってよ。...イカすだろ?」

 

マーシャルはその刺繍を手で触りながら。顔を綻ばせた。

 

「...最高です!」

 

―――――――――――――――

 

『さぁ、次のウマ娘です!..今レース、サクラバクシンオーに肩を並べるほどの注目度を誇ります!3番人気レッドマーシャル!!』

『さぁ!果たして異色のスプリンターは..このスプリント界の頂点に輝くことができるのか!?要注目です!!』

 

壇上でマーシャルは一気にマントを引きはがす。

 

その瞬間、観客たちの圧が彼女を飲み込む勢いで、流れ込んでくる。

 

マーシャルはその圧に一瞬たじろぎそうになるが..ぐっと足をこらえた。

そして、しっかりと目を開いて..観客たちへ自分の姿をしっかりと見せつける。

 

「がんばれよ!!マーシャル!!!」

「こっち向いて!!手ふってぇ!!」

「まーしゃーおねーちゃん!!がんばれー!!」

 

人混みを嫌った大城は観客たちの隅に逃れて、マーシャルのその様を見る。

 

あの時の自分の自身のなさに打ちひしがれていた彼女の姿とは..まるで見違えるようだった。

 

勝負服のおかげなのか...それとも彼女の積み重ねが、後ろ盾となっているのか。

「..マジでかっこいいぜ..お前..。」

 

誰にも届かない呟きが、中山レース場に消えていった。

 

―――――――――――――――――

 

「緊張してるか?」

「...それなりに。」

「..そうか。」

 

地下バ道。

出口に差し込む光が、今日は一段と強く光って見える。

 

「..だからってオシリ叩かないでくださいね。」

「今日は無理だな。」

「無理?」

「..俺も緊張してるからさ。」

 

彼の、らしくもない発言に思わずマーシャルは顔を覗き込む。

 

「トレーナーさんが..緊張?」

「あのなぁ..俺だって人間だ。..アガるときはアガるもんさ。..7年ぶりのGⅠだ。..何も感じねぇわけがねぇ。..なんなら二人でケツを叩き合ってみるか?」

「..真面目なんだか..不真面目なんだか..。」

 

その様にマーシャルはクスッと笑う。

 

「ま、ここでクヨクヨしたって仕方ねぇ。..勝った時のことでも考えてみるか?」

「勝った時のこと?」

「そ..お前はブッチぎりで余裕の勝利をかます。」

「..そんな無茶苦茶な。」

「それでだ..勝ったお前の下に..俺が颯爽と現れる。..そんでハイタッチだ。」

 

大城は手をひらひらとさせる。

 

「ハイタッチ..。」

「お前がこの間無視したソレだ。」

「いや..それは...ちょっと嬉しくなりすぎちゃって..。」

 

マーシャルはそっぽを向く。

 

「そんでそのハイタッチのサマをメディアがバカみてぇに取り上げる。そんで..あしたの朝刊は俺らの最高にイカした瞬間が..三面記事さ。」

ふっふっふと大城は燻るように笑う。

 

「もぉ...トレーナーさんて、どこかちょっと子供じみてるんですから。」

「いいじゃねぇか。童心を忘れないってヤツさ。..そんじゃ..勝ってこい..。」

 

そういって大城はマーシャルの肩をぽんと叩いた。

 

「..行ってきます!!」

そういってマーシャルは強く一歩を踏み出し..その光が差す場所へと向かった。

 

そんな彼女の後姿を見て..大城はぽつんとつぶやく。

 

「...頼んだぜ。...マーシャル..。」

 



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スパートの分配

『さぁ!今年もやって参りました!スプリント界の祭典、スプリンターズステークス!!』

『今年はどんなドラマが期待できるのでしょう!!』

『やはりここは前回覇者のサクラバクシンオーに大きな期待がかかるか!はたまた彼女に待ったをかける新たなスターがここに生まれるのか!?』

 

――――――――――――

 

ついに...来てしまった。

 

いつもの中山競技場が..まるで違うものに見える。

 

GⅠの世界..そんなの、外野からや、中継や..ドラマや..夢でしか見たことない..。

 

そのターフに..自分は今立っている。

 

..ほんの少し前の自分がこのことを知ったら..どんな顔をするのだろう。

 

お父さんやお母さんは..今頃驚いてるのかな..。

 

不安は大きい。..でも、不思議と怖くはない。

 

だって...私には...7秒の時間と...私だけのトレーナーさんがいるんだもの。

 

...負けない!!

 

――――――――――――

 

『さぁ!!ゲート解放しました!!』

 

18戸のゲートが一気に開く。その音が共鳴しあい、観客席にまで轟き、見るものたちの体の芯を震わす。

 

「バクシーン!!!」

ゲート開放の瞬間、一人のウマ娘が勢いよく先頭を押さえる。

初動から出し切るだけの力を惜しみなく発揮するそれは、まるでレースの0-400(ゼロヨン)

 

そのあまりにも躍動感のある清々しいほどのスタート展開は、見るものたちに非常に大きな刺激を与える。

彼女に感化されて、必要以上の力で追従を試みてしまうウマ娘たちも少なくはない。

 

良く言えば、スタートからいきなり大きな展開がある、非常に面白味のあるレースではあるが、逆を言えば、コース全体へのペース配慮に少し欠けるものという見方もできる。

 

しかし、その後先を考えない、力任せで豪快なレースこそが彼女の最大の魅力でもあるのだから何とも言いきれない。ましてや、それで結果を残しているのだからなおのこと。

 

『サクラバクシンオー!!今回も派手なスタート展開を見せます!!他の追随を許さないその孤高の走りは、今日も彼女を頂点へと導くのか!?....おっと!誰かが彼女に追いすがる...これは...!』

 

「...賭けになるぞ....気ぃ..張れよ...。」

 

サクラバクシンオーに..大きな赤い影が迫る。

 

『レッドマーシャル!!!サクラバクシンオーにここで勝負を挑むのか!?』

『彼女の勝負所にしては早すぎます!!作戦なのでしょうか!?』

 

マーシャルは開始早々から..スパートをかけていた。

 

――――――――――――――

 

レース一週間前...

 

「...はぁ.....はぁああああ...!!」

マーシャルはいつものよう、練習場のターフにぺたりと張り付く。

 

「...ほんとに使えんのか..それ?」

「だ...大丈夫です....私のからだ..私がわかってますから...!」

「確かに..お前のスパートを7秒に設定したのは俺だ。だがそれは、一回に掛けられる最大の出力維持を、分かりやすいように時間に表しただけだ。時間はあくまで指標だ。7秒なら何やってもいいとかいう、屁理屈が通用するワケじゃねぇぞ?」

 

今日の訓練、その練習内容はマーシャルが自ら考案したものだった。

 

「でも...少しづつわかってきました...合計7秒なら...持ちます...!」

「...お前も大層..滅茶苦茶になってきたな..!」

クスッと大城は笑う。

「誰かに似たんじゃないですか..?」

 

マーシャルが考案した対サクラバクシンオーとの作戦..それは。

7秒スパートの分配だった。

 

サクラバクシンオーのゲート解放からの初動と初速。それは他のウマ娘を軽く凌駕してしまうもの。

 

慎重に自分のペース配慮を気にしながら、加速を載せていては、既に手遅れになってしまう。

以前のマーシャルも、それでバクシンオーに敗れたようなもの。

 

ならば、その7秒スパートを分配し、最初のゲート解放時に一気に加速へ使用する。

そして、バクシンオーとの距離を維持できたところで、中断。そして勝負所で残りをすべて出し切る。

 

そういう作戦だった。

 

「お前自身が一番よくわかってるとは思うが、スパートと通常走行の切り替えには、大きな負担がかかる。それを二回続けるってことは...いつも以上にお前を消耗するぞ?それでも..やるんだな?」

「それが...私の勝ち方ですから...!」

「...OK!なら気づいたところを今から言う。...もう少しブラッシュアップしていこうぜ?」

「...はい!!」

 

――――――――――――

 

....1.....2!

 

マーシャルが初動に使ったスパートはわずか2秒。

それでも、バクシンオーを射程圏内へと維持するための時間としては十分だった。

 

『レッドマーシャル!ここで減速!?後続のウマ娘たちが忍び寄ります!!これは...』

『何かの作戦のような気がします!!目が離せません!!』

 

先頭集団の中で、息を潜めるマーシャル...。

スパートを打ち切った瞬間、一人のウマ娘に抜かれるが、それも計算。

その抜いてくれたウマ娘の背後に回り込み、スリップストリーム。

 

そこに迫るコーナー...いつもなら、ここで外側に膨らんで余計なロスが生まれた。

 

しかし、今の彼女にとって、コーナーは不安材料ではない。

 

体の軸を意識し、Rの中心を意識。自分行のくべきところを見て...最小の力で..体を流す。

 

マーシャルのコーナーへのアプローチは最適解だった。

ターフとダートを仕切る柵へ、体をほぼ密着状態にさせ、まるで柵を舐めるかのように、インベタで最小距離を抜けていく。

 

レースの最中、良いポジションをとれたことも幸いした。

 

コーナーのどこを回るか。それだけで、合計で走るべき距離は大きく変わる。

スタミナに不利なマーシャルにとっては、少しでも短く走ることは、何より重要。

 

そして、いつしか苦手だったコーナーは、アドバンテージとして、彼女の背中を押す。

 

(離されない...!それどころか...!少しだけど...詰めれてる...!)

 

あんなに遠かったサクラバクシンオーの背中が..はっきりと見える。

 

この感覚..初めてオオシンハリヤーに勝った時の状況にデジャヴする。とマーシャルは感じた。

 

ただ、今回は初動で2秒のスパートを使った..つまり、最後サクラバクシンオーと勝負できるのは..たったの5秒。

 

(...やっぱり...一回中断を挟むと...幾分苦しい...!)

 

そのマーシャルの陰りは、外からでも分かった。

 

「...頼む...行ってくれ...!お前は...俺の....!」

 

大城は強く柵を掴み、歯を食いしばる。

 

『さぁ!最終コーナー抜けて神の時間!!ここで一斉にウマ娘たち勝負に入る!!』

 

ラストコーナーを抜けて...ようやく巡ってきた勝負の時間。

 

レース運びは..90点と言ったところだろうか。

つまり、残りを攻めきれるかは..彼女次第となる。

 

 

(...ここ...で....!)

 

マーシャルは..大きく..大きく...いつも以上に体に酸素を取り込む。

 

これが終わったら...また気絶してるかもしれない、吐いちゃうかもしれない...でも...知らない!!

 

(サクラバクシンオーさん!!.....勝負!!!)

 

じわりじわりと、彼女の周りを、棘のある薔薇のような赤いオーラが、勝負服を着た彼女をさらに彩るかの如く、包み込む。

そして、彼女のターフを抉るほどの脚力は、彼女を前へと導くための推進力へと形を変える。

 

 

―5.000―

 

マーシャルのスパートが...始まった!

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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母の名に誓って

『とどくか!?とどくか!?差した!!!差し切った!!レッドクラウン!!先頭を差し切って今!1着でゴールイン!!見事、見事に秋の天皇賞を獲得しました!!!』

 

会場中から、ターフを飲み込んでしまうほどの大歓声が上がる。

その声々が、はっきりと振動になり、空気を大きく震わせているのが目に見えてよくわかるほど。

 

絶対人気の宿敵を抑え..彼女は見事にその勝負を勝ち取った。

 

彼女は観客らに手を振りながらも、とある人物の下へと急ぐ。

 

「...上出来だよ...まったく大したクソ根性野郎だな..クラウン!」

「あなたのおかげですよ!...あなたを信じて..よかった。..大城さん!」

「..ははは!..いい加減トレーナーって呼べよ。」

「うーん..大城さんは..やっぱり大城さん..かな?」

「...勝手にしろ。」

 

二人の顔は、とても晴れやかだった。それもそのはずだろう。

 

秋の天皇賞..ごく限られた..一握りのウマ娘だけが、その冠を手にすることが許される賞なのだから。

 

「...ダンナに、いいカッコ見せられたな?」

「..まだ結婚してませんよ!」

 

彼女はムスっとした顔をトレーナーに向けるも、観客席にいる一人の男性に晴れやかな笑顔で手を振った。

その相手の、少しさえない眼鏡姿の男は、顔中を涙で覆いつくしながらクラウンへと手を振る。

 

「..長い道のりだったな..まったく..ここまで這い上がってきた根性..恐れ入るよ。」

「当然ですよ!..私のレッドは..」

「クソ根性の赤だっけか?」

「不屈の赤です!!...私のレッドっていう名前は..先祖代々から受け継がれてるんです。..私のお母さんも..おばあちゃんも..。いつか私に娘が生まれたら..きっとその娘にも..その赤の称号を..ってね。」

 

クラウンは未来を見つめるかのように、遠い視線を空へ向けた。

 

「..お前の娘..ねぇ..あーやだやだ。とんでもねぇのが来そうだ。担当は御免だな。」

「もう!またそういうことを言う!」

 

―――――――――――

 

その瞬間..ターフが異様な空気に包まれる。

 

何かがこのレース場に舞い降りた。そう錯覚を働かせるほど。

 

-4.889-

吸った酸素を全身に巡らせる。

血が濁流のように流れ..心拍数はオーバーレブさせてしまうほど。

体の熱もオーバーヒート気味。

 

そして、低く構える..足いっぱいに力を入れ..キックダウンさせるように..一気に駆け出す!!

 

-4.659-

 

彼女の耳にはもう何も届かない..実況の音も..周りのウマ娘たちが音を上げる声すらも。

目指すところは..サクラバクシンオー!!ただ一人!!

 

『レッドマーシャル!!ここで勝負か!!強い剛脚!!なんだその加速は!?』

『ここまでの強い加速...他のウマ娘でも..なかなか見られるものではありません!!』

 

赤い光が..ターフを駆け抜けていく。

 

-3.879-

ようやく..あの背中が..!!

 

彼女の前を走るサクラバクシンオーにも、その気配は十分すぎるほどに伝わった。

(..なんと!!この追い上げ!!あの時よりも..さらに増しています!!...いいでしょう!!優等生に二言はありません!!レッドマーシャルさん!!その勝負..受けて立ちましょう!!)

 

バクシンオーも、さらに姿勢を低く..勝負の姿勢をとる。

そして己のギアを更にオーバートップへと放り込み..最後の加速を畳みかける。

 

-3.112-

(見えた..!!もう..逃がさない!!)

 

リミットは刻一刻..だが..今度こそは..!!

 

(バクシンオーさん!!...あなたはとてもすごい人だって..私よく知ってる。だって..去年のスプリンターズステークス..私見てたもん...。すっごく..かっこよかった!!あなたみたいに..カッコよくなりたいって..そのとき本当に思った...!!だから私!..あなたに勝って..!あなたみたいに...カッコよくなりたい!!だから..!!だから!!!)

 

さらにマーシャルは加速を重ねる。

 

「マーシャル!!!もう少しだ!!!いけええええ!!!!」

「マーシャルちゃん!!!頑張って!!!」

応援に駆け付けた二人も、まるで自分のレースかのように奮い立ち..惜しみのない声援を親友へと投げる。

 

「...そうだ...お前は...あいつの娘なんだろ?...見せてやれ..いや...俺に...見せてくれ..そのイカれたクソ根性を!!マーシャル!!!」

大城にも、いつも以上の熱が入る。

ここまで熱くなっている自分が..珍しいというか..懐かしいというか。

 

-2.545-

 

(...ぐっ!!!さすが...ですね...!!マーシャルさん!!)

バクシンオーを追うその影は..次第に肥大化していく。すぐ背後に迫っていることが..目視せずにもわかるほど。

 

(..ですが!!私とて!!譲るわけにはいかないんです!!!)

バクシンオーはそのいっぱいに振る腕を、軌道から一瞬ずらして、懐に手を当てる。

そこには..大切な人からもらった..彼女の御守り..硬くて..小さいけど..彼女は何度もそれに救われてきた。

 

(..この香車が..駒が...私自身なのです!!..前だけを見て!!..決して..絶対に振り返らない!!)

..彼女も、この世界に立つまでに..いくつもの厳しい現実を向き合ってきた。キツイ練習に..思うように出ない結果..それが彼女を苦しめた日々もある。

 

そんな彼女に差し出されたお守りが...香車だった。

 

今でも忘れない...その人がいった言葉を。

 

『..香車っていうのはね..前に進むことしかできないんだ。..でもね。一度道を決めたら..絶対に振り返らない駒でもあるんだ。..それでね。進めるところまで進んだら、そこで本当の力を手に入れられる。..今のバクシンオーは..その道を進んでる最中なんだ。きっと行き着いた先に..本当の君が待っている。だから..決してくじけちゃ..振り返っちゃだめだ!..君は..香車だ!』

 

(私は..わたしはあああ!!!!)

「バックシーーンンン!!!!」

 

『サクラバクシンオー!!!ここで大きな粘りを見せる!!!』

 

-1.200-

 

(もう少しだ!!!もうすこ..し...なのに...!!!)

ここで..オオシンハリヤー戦で仕掛けたように..スリップストリームをと考えたマーシャルだが..ギリギリ届かない。

 

ここにきて..サクラバクシンオーの想定外の粘り..。あの時のように..甘くはない!!

 

(だめだ..!!考えちゃあ!!)

 

「...そうだ、考えるな。感覚派の相手にクレバーな手は通用しねぇ。お前も...意地で行ってやれ!!」

まるで大博打を張るかのようなギャンブリーな展開。全身の血が沸騰するような感覚を大城は覚えた。

 

そこに、ちょっと酔い気味の老人が..よたよたと大城の下へ。

「な..ななな..あんちゃんさ。これどうだと思うさ?..やっぱここはバクシンオーだろ?な?」

「あ゛あ゛?レッドマーシャルに決まってんだろ!!!」

 

大城は吐き捨てるように、老人にそういった。

 

「お...おう..おう...。」

大城にそう凄まれた老人はそそくさと消えていった。

 

-0.566-

 

(もう..ゴールも近い...なら!!..いっけえええ!!!)

マーシャルは最後の余力をすべて出し切り..バクシンオーの隣へ無理やり体を放り込む。

 

そして...

 

-0.000-

 

マーシャルはリミットを迎える。

 

一気に体の力を切り替える。..通常走行へ。

二回体の切り替えを行ったマーシャルの体の負担は..相当なもののはずだ。

 

だが、マーシャルはそれでも走り続けた。

もはや..気力と..根性のみで。

 

(苦しい...!..くる...し...い!!)

だが、苦しいのは...マーシャルだけではない。

 

「バク...し....ー..ん!!!」

スタミナ切れを起こしているのはバクシンオーも同じだった。

 

ゴールまでは..あと100。

ここからは..正真正銘の...根性勝負。

 

『さあ!!レッドマーシャル!!!バクシンオーに並んだ!!並んだ!!!これはわからない!!どちらが!!勝利の女神はどちらに微笑むのか!!!』

会場のすべての者たちがそのレースにくぎ付けになった。

まるで..嵐が来る直前のようなざわめきが..会場を支配する。

 

レッドマーシャルとサクラバクシンオー二つの影が..サイドバイサイドで..短距離の..神が敷いた100Mを駆け抜けていく。

 

(...まけ..ない....!!根性なら...絶対に....!私の赤は...!!不屈の...赤なんだ....お母さんからもらった...赤なんだ...私は...)

「レッドマーシャルだああああ!!!」

 

(私は優等生!!..みんなの模範!そして...香車!!...振り返りません!!絶対に!!その名に懸けて!!)

「バクシイイインンンンン!!!!!」

 

そうして..赤色と桜色の二つの炎が並んで...ゴールラインを切った。

 

 

 

 



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写真判定

会場は確かに大盛況に包まれた。

だがしかし、それは直ぐに不安と心配に満ちたざわめきに変わる。

 

『えー..サクラバクシンオー、レッドマーシャル..共に起き上がることができません。大丈夫なのでしょうか..救護班が駆け付けます。』

 

実況者は淡々と目の前で起こっている状況を伝えていた。

 

互いに全力を出し尽くし、限界を超えた二人はゴール後、地べたに這い蹲ってぴくりとも動かなかった。

 

二人とも大丈夫なのか。..まさか..と思わせるような張り詰めた緊張が、空気となって会場中に漂う。

それはレース中の緊迫感とはまた違ったもの。

 

そしてようやく、サクラバクシンオーが救護班の肩を借りてゆっくりと起き上がる。

そして観客たちに己の無事を伝えるように手を振った。

このあたりのファンに対する配慮を忘れないところは、流石歴戦のGⅠランナーと言ったところだろうか。

 

その様に観客たちは口々に、彼女を労い、称える声を投げかける。

 

バクシンオーはファンに対し一礼をすると、すぐさま『彼女』のもとへよたよたと、千鳥足になりながらも救護班の手を借りずに向かった。

 

「だ...大丈夫...ですか...はぁ...レッドマーシャル..さん?」

「...ふぁい。」

 

マーシャルは酸素吸入器を口に当てられ、薄く目を開ける。

傍目から見れば、かなり重篤に見えなくもないが、彼女にとっては日常茶飯事。もちろん慣れることではないが。

 

「ふ...ふふ!わ...私が先に立ちました..よ!!」

バクシンオーはマーシャルの前で腰に手を当てて、仁王立ちになる。

 

それは、マーシャルに起き上がって来いと言うサインなのだろうか。

だが依然、彼女はクラクラ..。

 

それを見たマーシャルも、救護班の手を借りずにそっと立ち上がる。

一瞬グラっと膝が折れて、その場に倒れそうになる。しかしそれをバクシンオーがマーシャルの肩をとって阻止した。

 

「ありがとう...ございます....。」

「お礼には及びません..!!なんたって私は..!」

「優等生..ですよね..?」

「...はい!」

どんなに疲れていても..その笑顔をバクシンオーは絶やさなかった。

 

その二人の様に、惜しみのない声援が飛び交う。

「私は..100%を..いや..120%を尽くしました。..どちらが勝っても..恨みっこナシですよ!」

「..うん!」

 

マーシャルは笑顔を作って..バクシンオーへ手向ける。

 

『双方..意識があるようですね。』

『いやぁよかった!一時はどうなることかと..!』

 

..そして、運命の瞬間がようやくスクリーンに。

 

『さぁ!写真判定出ました!...スーパースローでご確認いただきましょう!』

 

「...頼む!」

大城は両手を結んだ。

 

「マーシャルちゃん..。」

「大丈夫だ!...きっと...あいつなら..!」

親友二人も身を寄せ合った。

 

そうして、わずか1秒にも満たない世界が、スクリーンに映し出される。

 

そこに、マーシャルとバクシンオーが並んでゴールラインへ飛び込む瞬間が、一コマ一コマ映し出される。

 

『さぁ...これは...』

 

パッと画面が切り替わる度に、彼女らがゴールラインへと近づいてくる。

 

そして、決定打になる一枚が..ようやく。

 

うおおおおお

と観客席から大シケのような、たまった何かが解放されたかのような、声が上がる。

 

『ハナ!..ハナの差!!ほんとに極僅か!!決まりました!!スプリンターステークス!!優勝を飾ったのは...!』

 

バクシンオー、マーシャルもその画面に引き込まれる。

 

マーシャルは..その画面の中の世界が信じられなかった。

 

 

『レッドマーシャル!!!!!見事!!見事にスプリンター界の頂点に輝きました!!!!』

 

実況の叫びが火種となり、観客たちの燃料に一気に火が飛ぶ。

 

 

マーシャル!!!信じてたぞ!!!!

流石!!!!

よく頑張った!!!すごいぞ!!!

 

マーシャル!マーシャル!!マーシャル!!

そう、彼女を称えるコールが飛ぶ。

 

その圧倒的な情景に..言葉が出てこなかった。

マーシャルはただ茫然と..その様子を見ていた。

 

これは..夢ではなかろうか..そうだ、いっつもこんな夢を見ていた。

私がGⅠで勝って..皆が自分を祝福してくれる..そう..目の前に広がるような光景を..いつも枕の上で見ていたんだ。

 

..でも、今日は...この夢から覚めることはない..だって..これが..本当に..自分で勝ち取った、

 

現実なんだから。

 

ボロボロとマーシャルの顔に..崩壊したダムのような涙があふれ出てくる。

この時ようやく彼女は自覚した。..彼女が正真正銘のGⅠランナーになったことを...

 

 

彼女が本物のスプリンターとして、覚醒したことを。

 

 

「あ..あああ。」

言葉を発しようにも..うまくひっかかって出てこない。

 

「..おめでとうございます!!!マーシャルさん!!」

そんな彼女の背中を押すように、バクシンオーは言った。

 

その顔には一切の曇りなどない。すっきりとしたものだった。

「...わ...私...?」

「そうですよ!...あなたが...一着です!」

「夢じゃ..夢じゃないよね?」

「もちろん!!これが現実でしょう!!はっはっは!!」

 

ひとしきり笑ったあとに、バクシンオーは先ほどまでと打って変わって、涼しい顔をした。

 

「今日はマーシャルさん、貴女の日でした。..ですが..今後は譲りません!私は学級委員長なのですから!!」

「..次だって..負けません!」

そうして二人はその場で強く手を結びあった。

 

その時、柵を乗り越えて一人の男が、彼女のもとへ。

 

「...トレーナーさん!」

大城の姿を見たマーシャルはふと彼の言葉を思い出す。

 

そうか、勝ったら..ハイタッチだったんだ。

 

その言葉を元に、マーシャルは空中へ手を出す..が。

 

今度、そのハイタッチを無視したのは大城のほうだった。

 

マーシャルの差し出した手を、すり抜けて..彼女を..強く抱きしめた。

 

「...トレーナーさん?」

「...よっしゃああああああああああああ!!!!!!お前マジで最高だぜ!!!!!..ほんとに..よく頑張った...!!!お前を信じて..よかった!!」

「..トレーナーさん...!」

マーシャルもその言葉に感情が激しく揺れ動く。

 

「...ハイタッチじゃ...なかったんですか?」

顔をグズグズにしながらも、マーシャルはそういった。

 

「...そうだったな!」

 

そして二人は..ハイタッチを交わした

 

その音は..会場のどんな音よりも..高らかに突き抜けた。

 

 




推奨ED:『夢のチカラ'06』


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新たな挑戦

「...また、ここに立てる日が来るとはな。」

大城はポケットに手を入れたまま、その会場の袖口から感慨深くそれを見る。

 

URAのロゴが一面に入ったインタビューバックボード..そして今レースの主役を待ち構える大量の記者たち。

..基本記者嫌いな大城ではあるものの、この時ばかりは、満更でもなさそう。

 

そして...大城(トレーナー)と共に、皆が待望する主役が..姿を現す..。

 

それはGⅠを手中に納め..スプリンターの頂点に輝いたウマ娘...その姿は貫禄ある威風堂々とした...ものとはお世辞にも言えなかった。

 

「カッチカチだなお前...。」

「だ..だって...未だに実感わかなくて..。」

 

まるでゼンマイの切れた機械人形のように、どこかぎこちない動きで、マーシャルはヒーローインタビューの壇上へと一歩踏み出そうとする..が。

 

それを踏み外して..そのまま前のめり。

間一髪大城はマーシャルの襟を引き上げ、なんとか醜態を晒さずに済む。

 

「..しっかりしろ。」

大城は呆れながらも、優しくそういった。

 

しかし記者たちは、その光景もしっかりパシャリ。

..きっと明日の新聞にこの様は載るんだろうな..とマーシャルは顔を赤くした。

 

―――――――――――

『それでは..マーシャルさん!スプリンター界の頂点..スプリンターズステークス優勝おめでとうございます!!..今の率直なご感想を..!』

「え...ええと!あ..ありがとうございます!..その、私..いまだにその...。」

 

なんとも彼女の歯切れの悪い受け答えに、大城はいつもの(余計な)助け舟でも出そうかと企むが..彼女の慌てながらも..明るいその表情にふっとその気は失せる。

 

(ま..今日の主役はこいつだしな..。)

 

そういって大城はそっぽを向く。

 

『はい!ありがとうございます!』

そういって一人の記者が壇上から立ち去る。

 

「わ..私..ちゃんと言えてました?..ヘンなこと言ってないですよね?」

「そりゃあ..明日の記事でも読んでみろよ。」

クスクスと大城は笑う。

「もう!」

 

そして次の記者が壇上へ。

『レッドマーシャルさん!お疲れ様でした!..今回のレース実に感動いたしました!レッドマーシャルさんはスプリント限定の走者だとお聞きしてますが..』

それからは、彼女の今までの軌跡や限定スパートの秘密..あらゆるネタになりそうな内容を、記者たちはこれでもかと聞き出す。

 

内容がどんどん進むにつれ..マーシャルの口は少しづつ軽やかになってくる。

大城はただただ黙って..その様子を見続けていた。

 

(...ああ。どうだ。..お前は見つかったか?..お前の..お前らしく居られる居場所を。..俺は..どうだろうな..。これで死んでも..悔いはねぇと思えるかもしれねぇ。..でも..もっとお前と走り続けていたい..そんな気もする。..ままならねぇよな..。)

そう心で呟いた。

 

「...さん!..トレーナーさん!」

そのマーシャルの言葉に大城は引き戻される。

 

「あ?」

「トレーナーさんのコメントですって!」

「俺の?」

 

目を前に向けると..そこにはまた別の記者が。

 

「いやあ!二人のドラマ..実に心を揺さぶられました!..ターフでのあの抱きしめあったシーンは、とても印象的でした!」

「..ああ、そうかい。」

今振り返ると..ちょっとハデにやりすぎたかと思う大城だった。

 

「それですが、担当ウマ娘とトレーナーの絆..信頼関係についてすこしお話を..。」

「ああ!?やなこった!マーシャル!帰るぞ!」

 

そういって壇上を降りようとする。

 

「ちょ!ちょっと!トレーナーさん!?」

マーシャルは大城の裾を思い切り引っ張って彼を引き留める。

 

マーシャルは慌てふためくが..記者たちは動じるどころか、その様に笑いが飛ぶ。

過去に大城の現役時代を知っている記者たちなら、なおのこと。これこそが大城節なのだ。

 

クスクスと笑いながら、記者は再び大城にマイクを向ける。

『では、担当のレッドマーシャルさんについて..どうお思いですか?』

「どうって...ま、あんたらから見たまんまだろ。..規格外のスパート..並外れたド根性..こんなヤツ..他に誰がいる?...ま、合格点だわな。」

そういって横目で彼女を見る。

 

その言葉にマーシャルは嬉しそうに、耳と尻尾をなびかせる。

 

『そうですか!...では、普段のマーシャルさんについては?』

「普段..か。」

その言葉にマーシャルはギクリとする。

..なんか..ヤな予感。

 

「なんだろうな。こいつすぐ泣くし..燃費は悪いし..文句は多いし..マヌケだし」

「ちょ!トレーナーさん!」

彼の服を引っ張ってそれ以上の言葉を止めようとする。

 

「聞けよ!こいつこの間なんてな!」

「わあああ!!その話はダメです!!!」

「ナンだよいいじゃねぇか!」

「だめです!絶対にダメ!!」

全国ネットで秘密をバラされそうになったマーシャルは大声で制止する。

 

結局は壇上でもいつも通りの二人を、記者たちは暖かく見守る。

 

『では、マーシャルさんに、担当の大城トレーナーについてどうお思いですか?』

「えっと..その..。」

マーシャルはやり返してやろうかと企む。

 

「トレーナーさんは..いっつもいい加減だし!自分勝手で、タバコばっかり吸ってて、スケベで意地悪で..その..それでも..私のことをいつも一番に考えてくれてて..いざって時に..頼りになって..信頼できる人で...って..あれ?」

彼に仕返しをするつもりが..心の本音が..ついうっかり。

 

記者たちはいい笑顔でうんうんと頷く。

 

「そら..どーも。」

大城はどこか嬉しそうに..そういった。

マーシャルはそれ以上なにも言えず..赤くなって黙り込んだ。

 

『..では、最後に、今後についてお二人はこの先をどうお考えですか?』

 

「今後..?」

「この先...?」

 

大城とマーシャルは何か呆気にとられたような顔で、互いの顔を見合った。

 

...二人の目標は..このGⅠで勝利を飾ること..宿敵サクラバクシンオーを破ること。

...逆を言えば、その目標に力を入れすぎていたため、それ以上のことはあまり考えていなかった。

 

「この先って..私どうなるんですか.?」

「..さぁな..知らん。」

 

『え..ええと?』

まさかの回答に..記者も困惑する。

 

「ま、良いように答えろ。..今日の主役はお前だ。」

「え..ええ?」

そういってマーシャルは背中を押される。

 

「え..ええと今後について..なんですけど...」

ど...どうしよう..なんていえば..。

スプリントの世界は重賞の中では比較的狭い。

 

次に狙うべきところが..わからない。

 

『じゃ、じゃあ、例えばこんな大会に出たいとか..そういったものとかありません?』

記者が助け舟を出す。

記者のその言葉...マーシャルの脳裏にあるものが浮かぶ。

..彼女の母の姿だった。

そうだ..自分の憧れ..ルーツは..いつもそこにあった。

 

彼女はほぼ無意識的に口を開く。

 

「あの..私..一つの夢..というか..目標があって。」

記者たちはその言葉に耳を傾ける。

 

「私の..お母さん..レッドクラウンっていうんですけど..私、初めてレースに出たいって思ったキッカケが..その..お母さんのレースだったんです。G1をとった時の..あの姿に憧れて..。だから私も..あんな風になりたいって、ずっと思ってるんです。..だから。」

今後もいろんなレースでも活躍していきたい。あの日の母みたいに輝けるように。そう無難に締めようと思ったマーシャルだったが、その発言は思いもよらない方向へと飛んだ。

 

 

..レッドクラウン?

それってあれだろ?昔秋の天皇賞とった。

え..じゃあ、これって天皇賞への挑戦ってことか?

..おいおいまじかよ!..スプリンター界の申し子が..天皇賞に挑戦って!

 

ざわざわと沸き立つ記者たちの先走りは..次第に伝染していく。

 

「あれ?..あの...皆さん..?」

いい感じに締められると思ったのに..この騒ぎはなんなのだろう?

 

「あーあ。..これだから記者は嫌いなのヨ。」

大城はふぅとため息をついた。

 

『れ..レッドマーシャルさん!!そのお言葉は、秋の天皇賞への挑戦ということでしょうか!?』

「え...ええ!?」

自分の発言がどう派生したらそうなるのか。..マーシャルは流石に戸惑った。

 

あわてふためくマーシャルは大城のほうを向く。

「ど...どうしよう..トレーナーさん..。」

「どうしようもこうしようもねぇだろ。...お前が決めろ。」

「決めろって...。」

「行くも退くも自由だ。お前が行くってんなら..俺も行く。」

「トレーナーさん..!」

 

大城はまっすぐな瞳をマーシャルへ向けた。

今度は彼が...マーシャルの迷いを断ち切らせた。

 

..あんなに憧れた母の背中..それがやっと見えた。

芝2000m..自分じゃ太刀打ちできないかもしれない。

それでも...挑戦してみたい!

 

ぐっと顔を引き締めたマーシャルは..再び記者たちに顔を向ける。

「...はい!..私...秋の天皇賞に..挑戦します!!」

 

―――――――――――

「ああ....どうしよう....とんでもないこと言っちゃった。」

熱に絆されて、天皇賞への挑戦を誓ってしまったマーシャルは..打ちひしがれていた。

 

「どうしようってヨォ。..お前がヤルっつったんだろォ?」

「そうですけどぉ...。」

熱が冷めて..正気を取り戻した彼女はしどろもどろ。

 

「ちったぁ胸張れよ。..お前は紛いもないGⅠランナーだろうがよ!...ああ、張るほどのムネもないってか?」

大城はマーシャルの..フラットな胸部に目を向ける。

 

「ちょ!それセクハラですよ!?このヘンタイ!スケベオヤジ!」

「はっはっは!お前も大分口が達者になったな!」

 

大城はひとしきり笑った後..急に真剣な表情を作る。

 

「ま..こっから真面目なハナシだ。..芝2000。2000mだ。お前にとっちゃあ、これ以上ないほどの過酷な挑戦になるぞ。..無理強いはしない。..本当にやるか、やらないか。お前が決めろ。」

「....。」

マーシャルは俯く。

 

無理かもしれない。..だって1400でさえも終わったら倒れるような自分だもの。

..それでも。あの時の気持ちは..ただただ熱に絆されただけのもの..というわけではなかった。

 

「...やります!...勝てないかもしれないけど...やってみたい!」

「..OK!..俺らは一蓮托生だ。..地獄の果てまで..行こうぜ!」

 

二人の顔に..再び熱が帯びた。

 




「..高松宮記念ってのもあったんだけどな。」
「....なんでそれ...先に言わないんですか...。」


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閑話:帰郷

「それじゃあ、行ってきます!!」

「おう、乗り遅れんなよ。..じゃ、両親によろしく伝えといてくれ。」

「はい!..トレーナーさんも、お父さんに会いに行くんですよね?」

「..まぁ、そうだな。」

「お土産、たくさん買ってきてあげますから、楽しみにしといてくださいね!」

「..ああ。..じゃ、気をつけろよ?」

「トレーナーさんも!」

 

大城はふっと笑うとマーシャルを空港で降ろして、車を出す。

マーシャルは、そのポルシェが見えなくなるまでその場に残って彼を見送った。

 

彼の車が見えなくなった後でも、既に聞きなれたエンジンサウンドがこだまする音はしばらくその場に残っていた。

 

「さ、いそがなくちゃ!」

そういってマーシャルはターミナルへと向かった。

 

――――――――――――

「...わぁ...かえってきた...んだ..。」

フライトからおよそ2時間ほど。

飛行機を降りたマーシャルは、その懐かしい故郷の海の香りに..心を浮かせた。

 

まだまだ実家までは遠いというのに、もう..帰り着いた実感がわき始める。

「..ずっと、海..見なかったもんなぁ..。」

彼女は海に向かってすうっと息を吸う。

 

磯の香りが..体に染み入る。

 

「..はぁ。....あ!バスの時間!いそがなきゃ!」

 

そういってマーシャルはバスの待合所へ..。

そこから40分ほどバスに揺られると、とても見慣れた街が姿を現す。

 

その様に..彼女の心の高鳴りは増した。

もうすぐ..大好きな両親に会えるんだ。

そう思うと..浮足立った。

 

バスを降りると..そこの近くには懐かしの移動販売式のアイスクリーム屋。

買い食いは良くないなと思いつつも、懐かしさも相まって彼女はそこへふらり。

冷たくて、優しい甘さのその氷菓は、彼女の体を冷やす。

 

特徴的な石橋がよく見えるスポットに腰を据え、マーシャルはそれを食べる。

そして一息ついたときに、ようやく腰を浮かす。

 

「さ、いかなくちゃ!」

そこからは路面電車に乗って民家の近くまで。

 

そして坂を、階段を上って住宅街を目指す。

 

相変わらず坂が多いこの町では、自転車に乗る人が少ない。

彼女の脚力はこの坂で鍛えられたといってもいいのかもしれない。

 

そして彼女がとても慣れ親しんだ、外壁と屋根が..ようやく。

庭で作業をしている男性がいる。

 

それは眼鏡姿で少し冴えないけど、誰よりも優しい人。

 

「お父さん!!」

マーシャルは外からそう叫んだ。そして手を振った。

 

父はその声にハッとして周りをきょろきょろ。

そして..愛しの娘をようやく見つける。

 

「ま...マーシャル?あ...ああ!!」

父は草苅ガマをその場において、彼女のもとへ。

「ああ!よかった!ちゃんと帰ってこれたんだな!..まったく。電話をくれれば迎えに行ったのに。」

「自分でかえって来たかったの!」

 

マーシャルは父に明るい笑顔を向ける。

父もその娘の笑顔に..顔が綻ぶ。

 

「お母さんは?」

「今、戸棚の整理をしてるとこだよ。..お母さん!マーシャルだ!かえってきたよ!」

玄関先まで来た二人。

父は玄関を開けて、妻を呼んだ。

 

奥からトタトタと小走りで..母はやってきた。

「....おかえりなさい!」

娘の顔を見たクラウンは..安堵の息をついた。

 

「ただいま!..お母さん!」

マーシャルは靴を脱いで上がると、そのまま母へギュッと抱き着いた。

母もそっと優しく、娘を抱きしめた。

 

「よかった..元気そうで。」

「うん...私ね..頑張ったんだよ..!」

「知ってる..いっぱいお話を聞かせてもらわなきゃね。」

 

そんな母娘愛を目の当たりにした父の目には..熱い涙が..。

 

「くうぅう..!!」

「もう!お父さんったら!ほーら!娘の前で泣かないの!」

 

そのちょっとした騒ぎを、話好きな隣人のおばさんが嗅ぎ付ける。

「こんにちわぁ~..あら!クラウンさんとこ!マーシャちゃん帰ってきたの!!」

「おばさん、お久しぶりです!」

「あっら~こんなに立派に可愛くなっちゃってぇ!」

 

そのおばさんをはじめ、近所の人たちがぞくぞくと姿を現し始める。

 

「おろ!!マーシャルちゃんでねいかい!!かえっとったんか!」

「芹沢のおじさん!こんにちわ!」

近所の農家のおじさん、マーシャルの為にといつも野菜を分けてくれていたおじさん。

 

「え!マーシャルちゃん!帰ってきたの!」

「あ!奥野お姉ちゃん!久しぶり!!」

近所の大学生。昔よく遊んでもらって、勉強も教えてもらってた。

 

「うわーほんとだ。マーシャル姉ちゃんマジでかえってきてらぁ!」

「なによぉ!帰ってきちゃ悪いの!」

お隣のおばさんの息子たち。

彼らとも昔よく遊んだ。

 

そのほかにも、近所の人たちがぞろぞろと。

 

「ほうら!あたしのいった通りじゃないか!マーシャルちゃんはきっとGⅠウマ娘になるって!」

話好きなおばさんはまるで自分が賞を取ったかのように得意になる。

 

「んでねぇ!オラの野菜で強くなったんだ!な?」

「そうかも!」

マーシャルは笑顔でそう返す。

 

「ねぇねぇ、東京ってやっぱりビルばっかり?怖い人いない?」

「場所によるのかなぁ?トレセンの周りは結構静かなんだけど..。怖い人はたまにね..。」

奥野はいつか東京に出ることを夢見ているらしい。マーシャルからの情報収集も抜かりない。

 

「マーシャル姉ちゃん、昔俺らにもかけっこで勝てなかったくせにな!」

近所のガキどもにからかわれる。

「なによ!なんなら今から勝負する?」

「い..いや..GⅠウマ娘に勝てるワケねぇだろ...。」

そういって彼らは後ずさった。

 

――――――――――――

 

近所の人たちとの交流をひとしきり終えたマーシャルは、自宅で荷物を下ろす。

 

そして、まずはご先祖への挨拶。

チーンと鈴を鳴らして手を合わせる。

 

そしてリビングへ..キッチンでは母がすでに晩御飯の準備をしている。

マーシャルはサイドボードへ目を向ける。

そのキャビネットの上には..レッドクラウンが秋の天皇賞を飾った時の写真と..重厚な盾。

 

マーシャルはその盾のとなりに..そっとスプリンターズステークスにて勝ち取った自分のトロフィーを置く。

..兼ねての夢だった。母の盾の横に..自分のトロフィーを並べることが。

 

それを置いた後に、マーシャルはその光景を忽然と眺めていた。

そこにそっとクラウンが寄り添う。

 

「..頑張ったね..マーシャル..。」

「..うん!..私ね..もっと頑張りたい。..お母さんみたいに..なりたい!」

「..きっとなれるよ..マーシャルなら..。」

 

―――――――――――

 

夕食を済ませ..お風呂にも入って..家族団欒の時間。

マーシャルは両親に、ありったけのことを話した。

 

その話には、ちょくちょく大城の名前が出てくる。

 

「それでね!トレーナーさんったらね!」

その娘の語りを母は優しく見守る。

 

「ふふ..マーシャルったら、よっぽど大城さんのことが好きなのね。」

「え..いや!そんなんじゃないよ!私は...あれ?お母さん、トレーナーさんのこと知ってるの?」

「..あら?あの人言わなかったのかしら?」

 

そういうと..クラウンはタブレットを用意する。

それで一つの動画ファイルを開く。

 

それは..昔の秋の天皇賞。そう、クラウンがあの賞を飾った日の映像。

 

「お父さんがね..テープじゃ擦り切れちゃうからって、こっちに移してくれたの!」

その動画は幾度となく見た。

実況のセリフを一言一句覚えるほど。

 

でも、改めて見返しても..その母の姿はかっこよかった。

また、あの頃の熱が灯りそうな..そんな感情をマーシャルは覚える。

 

「ここ..みてごらん。」

それはクラウンがゴールラインを切った後、祝福に包まれながら彼女は観客に手を振る..そしてとある人のところへ向かっていった。

 

その人物は...今とは少し見た目は違う。

若くて..髪の色は今のような黒じゃなく少し染めていて..アクセサリーも今より派手なのをつけている。..でもはっきりとわかる。

 

その人物は..今のマーシャルのトレーナー..大城だと。

 

「え!?..トレーナー..さん?」

「ふふ...そういうこと。..運命を感じるわね。」

マーシャルは目を丸くしていた。

 

「..大城さんも、もう結構な年齢だろう?僕よりも年上だし。」

「..まぁ、あの人って生涯現役ってタイプだし。若いもんには譲らないってヤツじゃない?」

「..あの人らしいや。」

 

父はそう言って眼鏡を拭いた。

 

―――――――――――

 

「お母さん、もう電気消すよ?」

「うん、スタンドがあるから大丈夫。」

電気を消して父は自分のベッドに入る。

 

クラウンは寝る前に、小さなスタンドの明かりを頼り読書をしていた。

そこに..誰かの影が。

 

「...お母さん。」

「あら?どうしたの?マーシャル。」

「うん..ええとね..。」

 

マーシャルの手には..自分の枕。

 

「今日だけ..一緒に寝ていいかな..?」

マーシャルはちょっと恥じらいながらも、そういった。

その娘の様子にくすっと笑った母は、掛布団をめくる。

 

「いらっしゃい。」

マーシャルは顔をぱあっと明るくして、母の懐へ..。

 

「おやすみ..!」

「ええ..おやすみ。マーシャル。」

 

母は娘を..そっと抱き寄せた。

 

そこにもう一人..別の影が。

 

「...あの..お父さんも一緒に..ってのは..?」

「..お父さんのベッドはそっちでしょ?」

「...はい。」

父には優しくないクラウンだった。

 

―――――――――――――

線香の臭いに..見渡す限り一面の墓石。

 

大城はガラにもなく、花束を持ってそこにいた。

そして、一つの墓石の前に佇み、その花束と..彼の父のお気に入りだった銘柄の煙草をそっと置いて、手を合わせた。

 

「...久しぶりだな..親父。..去年は色々あってこれなかったけど..今年はちゃんと来たぞ?」

 

大城はそこにしゃがむ。

一呼吸置いた後に、そっと口を開いた。

 

「..なぁ、親父、あのさ..俺も..ぼちぼち、そっちに行かなきゃいけないみたいでさ。..なんてんだろうな..きっと親父のことだから、まず俺の顔見たら一発ぶん殴るだろうなってな。」

 

そういって一度言葉を切る。

 

「..さっきお袋にも会ってきたんだ。..例の施設でな。..認知症が大分進んじまったみたいで..俺のことはもうすかっり忘れてたよ。..100回は叩いた息子に対して..あんた誰?..だってさ。..兄貴も見知らぬ女と蒸発して20年。..ははは、マジで大城家終わっちまうんじゃねぇか?」

 

大城は哀しい目で『大城 彩雲』と刻まれた墓石を目にした。

 

「..俺さ。今担当してるウマ娘がいてさ..そいつ..すげぇ頑張ってんだよ。なんでもっと..こいつと早く会えなかったのかって思っちまうほどのヤツなんだ。..でもさ。俺..自分の先が長くないこと..まだ言えてねぇんだよ。..はは、あんときの親父と..同じだよなぁ。」

 

大城も父の死の間際まで、彼の父が重い癌に罹患していることを知らなかった。

..息子に迷惑を..心配をかけたくないという理由で、わざと言わなかったらしい。

知っていたのは母親だけだった。

 

「俺はあんとき..マジで親父のこと、クソ野郎だって思った。..でも、今度はそのクソ野郎に..俺がなろうとしてる..。なぁ..親父もそうだったのか?..今の俺と..同じ気持ちだったのか?」

 

大城は立ち上がる。

 

「...きっと親父のことだ、訊いて教えてくれるようなヤツじゃあないよな。..じゃあ。俺行くわ。..また来るさ。」

 

そういって大城は..その場を後にしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 




マーシャル宅にて、夕食時。
「マーシャル..よく食べるなぁ..。」
「...ご飯..もっと炊いとくべきだったかしら?」
「..おかわり!」


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騒動
友情トレーニング


「もう少しペースを落とせ!..温存を意識しろ!」

 

その練習場..いつもよりも熱が籠っていた。

 

マーシャルはいつも以上に..ペース配分に気を配りながら、慎重に..自分のスタミナと対話をする。

だが、スプリントに集中し鍛え上げたその体を..中距離に対応させることは..至難の業だった。

 

「あ!...はぁ..!!..うっ!!」

マーシャルの足が止まる。

 

ペースを落とし、ゆっくりとギアをつなげていっても、1600m以上の壁が厚い。

 

「はん...まだキビシイか。」

大城は頭をかく。

 

「はぁ...はぁ....ごめんなさい。」

「謝るヒマがあんなら次だ。..息を整えろ。」

「..はい。」

 

彼女が2000mを唯一走りきる方法はある。

それは..彼女が培って、ようやく手に入れたたった一つの武器、7秒のスパート..それを捨てることだった。

 

だが..それは彼らにとって首を縦に振れるような選択ではなかった。

 

そもそも、スパートを使わずに走れば、そのタイムは凡走に等しい。

天皇賞で勝利を納めるなど、戯言に等しいものだった。

 

..なんとか、スパートを使いつつも2000mを走破しきれる体を作る。

「..無理難題もいいトコだな。」

今回ばかりは、突拍子もないトレーニングをさせてどうにかなるものとは考えにくい。

スタミナは...地道につけていくしか方法はない。

 

「中距離クラスともなると、瞬発力だけでのゴマカシは効かん。モロにスタミナが要求される..そこに肺活量のハンデ、こりゃあ..キビしいわな。」

大城も行き詰った顔をする。

 

「..私..やっぱり..ダメなんですか..ね?」

「..じゃあ、あきらめるか?」

「....。」

大城の言葉にマーシャルは黙り込む。

 

「そこで諦めるようなお前じゃない..俺はそう思ってる。..初等部生にすら勝てなかったお前が..現にここまで這い上がってきたんだ。自分に自信を持て。」

「...はい!」

 

マーシャルはぐっと歯を食いしばった。

 

ひたすら夢を追い続けた自分は..ようやく一つの夢をつかんだ。

でも..それはまだ、始まったばかりなんだ。

ここで終わっちゃ..いけない。

 

「もう一回..行くぞ?」

「はい...あれ?」

 

そこに..よく知る二人のウマ娘たちの姿が。

 

「よ!マーシャル!..俺らも付き合ってやっぜ!」

「お待たせ!マーシャルちゃん!」

 

それはマーシャルの親友二人トップギアとモモミルクだった。

彼女らもジャージを着て..走る準備は万全といった様子。

「二人とも..どうして?」

 

大城が口を開く。

 

「ヨォ、悪いなお前ら。」

「いいんすよ!俺らも久々にマーシャルと走りたかったし!」

「トレーナーさんが呼んだんですか?」

「まぁな。..そのほうがちったぁ、やる気も出るだろ?」

「...はい!」

 

―――――――――――

「おっせーぞ!マーシャル!!この程度でヘバってんじゃねぇ!」

「頑張って!もうちょっとだから!」

 

マーシャルにとっても、二人と走ることは久しく、うれしかった。

その高揚感が、体力にプラスアルファとなって彼女の背中を押す。

 

大城が練習パートナーに二人を選んだのは、彼女らがマーシャルの親友であることと、彼女らの適性が理由だった。

 

トップギアは長距離を得意とするステイヤー。モモミルクはマイルから中距離を得意とするランナー。

今までスプリントの相手とばかり戦ってきた彼女、なので自分と全く違う適性を持つウマ娘たちと走る機会は少ない。

 

新しいステージに進むために、その得意分野で戦うウマ娘たちの技術を、マーシャル得意のトレースで吸収させることが目論見だった。

もう一度スピカへ放り込んでもよかったのだが..まだそこまで戦える段階ではないだろう。結果は目に見えている。

 

それと彼女らはマーシャルの親友である。

古来より伝わるトレーナー白書なるものに、友情の深い者たちと共に鍛錬を積むことで、より強靭な恩恵を享受することができるという記載がある。

 

正直オカルト話にあまり興味を示さない大城だが、できることはなんでも試す。

たとえ眉唾ものでも、微かな可能性があるのなら。

 

「はっは!!なんだマーシャル!!それでGⅠウマ娘なのかよ!..ちょっとしょっぺぇんじゃねーの!」

トップギアは上機嫌だった。

 

彼女は今、マーシャルの前を走っている。GⅠを獲った彼女の前を。

未だにGⅠ未経験な彼女にとってはそれに愉悦を感じるのだろうか。

冗談半分にマーシャルを煽った。

 

「もぉ!ギアちゃん!そんなこと言っちゃあよくないよ!」

ギアの横でモモミルクが注意する。

 

マーシャルは横目でちらっと大城のほうを向く。

..大城は、顎をくいッと前に出すジェスチャーをする。

 

つまり...やっちまえという合図だった。

 

マーシャルは..深く息を吸って..ターフを蹴る。

 

「へっへんだ!ま、スプリンターじゃ敵なしでも、このトップギア様にはまだまだ...?」

トップギアの背後に..恐ろしいほどの気配が忍び寄る。

 

「..は?..マーシャル?」

気づいたときにはもう遅かった。

 

マーシャルは大外から..トップギアとモモミルクを二人まとめてオーバーテイク。

そのまま時間の許す限り..加速を重ねて前へカッとんでいった。

 

「あ...うそ....だろ...?」

これが..GⅠを制したウマ娘の本気の走り..トップギアは呆気にとられた。

 

―――――――――

マーシャルは言わずもがな、いつも通りターフに寝そべる。

 

「..なんなんだよそりゃあ..マーシャルよぉ..。」

トップギアは耳をシュンとさせて..肩を落とした。

 

「すごーい!マーシャルちゃんさすが!」

「え..えへへ..そうかな..?」

 

そこに大城が来る。

 

「おーし...2000..走り切ったな。」

「え...?私...走ったんですか..?」

「自覚ないのかお前?」

「...うん。」

 

マーシャルは..ただただ夢中で二人の背中を追いかけていただけ。

2000mなんて意識などしていなかった。

 

大城は心の中で一驚していた。

さっきまで..半端にしか走れなかったこいつが..急にスパート込みで2000mを走り切った。

 

これが...友情の..?

その白書に記載されていたそれは..眉唾というワケではないのだろうか。

 

...だが。

 

「...まだこれじゃ、天皇賞に太刀打ちできるモンじゃねぇよな。..もっと..もっとだ。」

「...もっと?」

「..マーシャル。..俺はな..思い出レースってのは嫌なんだよ。..勝てなくてもいいなんて、そんな半端。」

 

大城の表情はいつになく真剣だった。

 

「天皇賞..芝2000。..たしかにお前にとっては過酷なものだ..だが...やるんなら..勝ちにいくぞ..いいな?」

「..はい!」

 

そういって大城は彼女らに背を向ける。

 

「よっしゃ!一発ロックに行こうぜ!...お前ら..今日は焼肉だ!好きなだけ食え!」

 

その言葉に..三人の顔は..太陽のように輝く。

 

「よっしゃ!!さすがセンセー!!太っ腹!!」

 

そういって4人は練習場を後にした。

 

...

 

この時..まだ大城とマーシャルは知らなかった。

これから起きる出来事を。

 

それは..今後の彼女のレース人生を左右しかねないほどの..大事件。

 

魔の手が..そっとマーシャルに忍び寄った。

 

 

 

 

 

 

 




焼肉屋にて
「でしたらお会計が...16万と..」
「..領収書..トレセンで切ってくれ..降りるかどうかわからんが...。」
「センセ!二件目いこーよ!」


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逆襲

...ああ...ああ気に入らない。

 

..なんで...あいつが...!

 

ふざけるな..!お前なんて...つい最近まで..下っ端だったじゃんか!

 

このあたしを..出し抜こうだなんて...。

 

調子に乗るな..いい気になるなよ..。

 

――――――――――――

 

「マーシャルさん!あの..私にサインいただけませんか?」

「私も!」

「ねぇ!よかったら今度の練習、私たちに付き合ってくれない?私たちも今度スプリントに挑戦するんだ!」

「私!一緒に写真いいですか?SNSに上げたいんです!」

 

昼時のトレセンの食堂。

マーシャルの周りには..人だかりが。

 

それもそのはず。

全くの無名から、スプリントの上位ランカーにまで這い上がった彼女。そのシンデレラストーリーに関心を抱かないものはいない。

 

マーシャルはちょっとした、学園の注目者にいつの間にかなっていた。

 

最初こそは戸惑いを見せることもあったが、それも次第に慣れ、どう受け答えをするべきかや、サインを早く書く方法などを身に着けていっていた。

それでも、マーシャルに押し寄せる人波には天手古舞。

 

昼食時や放課後の彼女は引く手数多。

やれサインだの、やれ一緒に練習だの。やれ個人インタビューだの。

おちおち練習や食事もできない。

 

でも、それでも嬉しかった。

 

「おーおー、人気者はツライねぇ。」

とトップギアは冷やかすように言う。

「すごいなーマーシャルちゃん。私もサインもらっちゃおうかな?」

とモモミルクもいう。

 

「えへへ..ちょっと恥ずかしいけど..やっぱり嬉しいな。皆に興味を持ってもらえるって。」

「...ちぇ!俺より先に雑誌デビューするなんて、ナマイキだぞ!」

「あれ?ギアちゃんも前に雑誌載ったって言ってなかった?」

「...それは..読者投稿の..コメントが載ったんだよ。」

ギアはそっぽを向いてそういった。

 

少し恥ずかしそうに言うギアに..マーシャルとモモミルクは思わず笑ってしまう。

「わ...わらってんじゃねぇ!」

 

またそこに..

「マーシャルさーん!」

と初等部生たちの姿が...。

 

そんなちやほやされ続ける彼女を..面白くないと思う人物もいる。

 

――――――――――

 

彼女は肘をついて、マーシャルを目の敵のように見続ける。

貧乏ゆすりが酷い。..それに..眉間には皺が寄る。

 

そして時折舌打ちをする。

 

「...ローズ..どうしちゃったの?..ちょっと怖いよ?」

傍らにいたスーパードライブが、ローズをなだめる。

 

「あんた...あれでいいと思ってんの?..あいつ...調子に乗ってる!」

こつんとテーブルの脚を蹴った。

 

「ローズってば..。」

「ああ!気に入らない!!..なんであいつが...!」

ローズの怒りは最高潮に達していた。

 

ローズは..ここのところの成績が芳しくなかった。

やっとの思いで出走したGⅠは...11着という惨敗に終わった。

 

それからも..GⅠどころか..GⅡ..GⅢ..オープン戦ですら入賞を逃すことが目立った。

 

あの日からだ...あの日..あいつに負けてから...すべてが狂っていった..。

一番ノれていた..絶対に勝てたと思っていた。だってあいつは格下だったんだ!

 

それなのに...そのそれなのに...!

 

その日を思い出す度に..ローズのイライラには余分な燃料が投下されるようだった。

 

ただでさえ..プライドが高く..人一倍負けず嫌いなローズ。

それが..いつも見下していた格下の相手に負かされたとあっては..感情が治まるわけがなかった。

 

「クッソ!..あんなやつ..!..あんなやつ!」

ローズの貧乏ゆすりは一層大きくなる。

 

「ローズってば...。」

ドライブは..どう収拾つけるべきかわからなかった。

 

「...なんか..ちょっと痛い目にでも合えばいいのに..。...あ..そうだ。」

急にパッと明るい顔をした、しかし..その目は狂気に満ちている。

 

「ねぇ、ドライブ。..アンタってさ。動画編集とか..昔してたよね?」

「え..うん?まぁ..お父さんに習ったんだけど。」

「..ちょっとさ..いいコト思いついちゃった。..あんたも協力しなさいよ?」

「どういう..?」

 

ローズはドライブに耳打ちをする。

 

「..え!..それ..さすがにまずいんじゃ..。」

「ちょっとしたジョークよ!..ふふ..。」

 

ローズは燻っていた。

..これであいつを..黙らせられる..。

 

―――――――――――

 

ベテルギウスの部室..そこに二人はいた。

ドライブが持ってきたタブレットで..ローズはそれを確認する。

 

「..くく!!上出来!..さ..さっそく..!」

「ねぇ!さすがにまずいんじゃ...」

「作っといて何言ってんのよ!..大丈夫..匿名でやれば..バレないから..。」

 

そこに、部室の戸が開く。

 

「何してるんだ?二人とも?」

それは、チームのリーダー、フロイドスピリットだった。

「お疲れです..別に..ただ動画見てただけですよ。」

「..そうか..なぁ、ちょっといいか?二人とも。」

 

そういってスピリットは椅子に掛ける。

 

「実は..マーシャルのことなんだが...」

そのセリフにローズの眉が反応した。

 

「ほら..あいつ..その..お別れ会とか..やらなかったろ?..GⅠも無事に獲れたみたいだし..ちょっと、また皆で集まって..食事会とかどうかなって..。レコードも賛成してくれてるんだが..。」

 

スピリットは歯切れ悪くそういった。

..要は..今まで彼女に対しての態度を..少し改めたいという場を作りたかったのだろう。

 

スピリット自身も、マーシャルのことを軽視して、雑な扱いをしたことは確かにあったし、後輩の侮辱行為に対しても..見て見ぬふりをした。

 

自分勝手であることは自覚しているが..彼女の本当の秘めた力をあの時知ってしまったスピリットは..何かしらの罪滅ぼしをしたいと考えていた。

無論、こんなもので免罪されるとは思ってもいないが..何もしないというのも..彼女自身の後ろめたさが自分に指をさした。

 

機会があれば..一度彼女に謝りたい..。そんな思いもあった。

 

だが、そんな弱ったリーダーを..ローズは一蹴した。

「しなくていいんじゃないですか?...別に、マーシャル先輩はもうこのチームじゃないし..。」

「そういわずに..。」

「やるのは勝手ですけど..私は行きません。」

ローズはそうキッパリ言い切った。

 

「あんたもでしょ?ドライブ。」

「..う..うん。」

ドライブは..ローズの威圧に逆らえなかった。

 

「..そうか。..わかった。」

 

―――――――――――――

 

「どいつもこいつも..口を開けばマーシャル..マーシャル..。」

「ねぇ..私できないよ..こんなこと..」

ドライブの気の弱さにしびれを切らせたローズは..タブレットを取り上げる。

 

「ああ!もういい!私がやる!」

そういって..ローズは..投稿のボタンを押した。

 

「..やった..これで..。」

ローズは少し間をおいて、食堂へ。

 

そこに憎き彼女はいた。

 

その周りには..また人だかり。

 

ローズはそれを押しのける。

 

そして、マーシャルの前へ。

 

「マーシャル先輩..。」

「ろ..ローズさん?」

ローズの姿に..マーシャルは少し固まる。

 

「先輩..すごかったですね..まさかGⅠ獲っちゃうなんて。」

「う..うん..ありがとう..。」

「でも..ちょっとヘンじゃないですか?」

「へ..変?」

 

ローズはにやりと笑う。

 

「だって..あんな走れなかった先輩が..こんなに急に走れちゃうなんておかしいと思うんですよ。..なんか..ヘンなことしてないのかなって。」

その言葉に、ギアが憤った。

 

「お前!なんのつもりだ!!..なんだよ、マーシャルに負けたからって腹いせにでもきたってのか?」

「ぎ..ギアちゃん..。」

喧嘩腰のギアをマーシャルはなだめる。

 

「まさか..私は..ちょっとウワサを確かめにきたんですよ。」

「..噂?」

「...マーシャル先輩..」

 

 

 

「ドーピングしてるって..マジですか..?」

 

 

そういってローズは..スマホの..SNSの画面を見せる。

そこには..目を疑う投稿があった。

 

「..なに..これ..?」

「おい...これ..。」

 

ひょいと画面をひっこめたローズは言う。

 

「私は..先輩のこと..信じてるんですよぉ?..まさか..こんなことしてないだろうって。..でも..噂は怖いですよぉ..?」

 

そういって..ローズは姿を消した。

 

マーシャルの全身から..一気に血の気が引いた。

 

 

 

 



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疑惑と騒動

「あっはっはっは!!見た?あいつの顔!もう、ほんとケッサク!」

 

寮に帰り着くまでの帰路、ローズは上機嫌だった。

 

「なに...これ...だってさ!!..ああ、ほんといい気味!」

ローズはその昂ぶりを抑えきれなかった。

一杯食わせてやった。..彼女の気分は、何時振りか晴れやかだった。

 

「..ねぇ、ほんとに大丈夫..なんだよね?」

ドライブは、その動画が気がかりで仕方なかった。

「..はぁ?まだ気にしてんの?..もう消したんでしょ?..大体限定機能付きの捨てアカウントだし、拡散もせいぜい小規模。..気にすることなんてなんもない。..ま、それでもアイツは..しばらく大きいカオできないだろうけど!」

「そ..それなら..いいんだけど。」

 

ドライブはしきりにアカウントを確認する。

..消した。...ちゃんと消した。

..大丈夫..ばれない..バレない。

 

そうだ..ちょっとした悪戯なんだ。

こんなの..よくあるじゃないか..。

 

そう自分に言い聞かせて..ドライブはタブレットを閉じた。

 

だが..二人は甘く見すぎていた。

..ネット社会の..恐ろしさを。

 

 

―――――――――

 

ねぇ!見た!?

 

..うん!..これ....ほんとうなの?

 

..やばいよね..うわ!めっちゃ拡散されてる!

 

そんな...マーシャルさん..信じてたのに..。

 

..私!こんなの信じない!!

 

..でも..さ。..ぶっちゃけ...ありえそうじゃない?

 

 

「...由々しき事態..だな。」

「..会長。」

「エアグルーヴ..君は..この騒動..どう見る?」

 

生徒会室...そこに生徒会のメンバーは集結する。

そして、彼女らはタブレットで..騒動の原因となっている動画に目を落とす。

 

それは...マーシャルが部室に制服のまま来たところから始まる。

カメラのレンズは、彼女の死角になるところで、彼女を捉えているアングルだ。

バッグを置いて、練習着に着替えようとしたそのとき、誰かから彼女は呼ばれる。

 

バッグをその場にしたまま、彼女は姿を消す。

そうすると、カメラは急に動き出し、彼女のバッグをカメラ片手のまま、探る..そうすると..彼女のバッグの中から..怪しい小瓶が。

 

白い錠剤が大量に入ったそれを..正面に向ける..ラベルには..ドーピング剤を臭わすような英文が。

 

カメラは、急に慌てだす。

彼女が戻ってきた。

 

急いで、最初にいたポジションに身を潜めて..というところで動画は終わっている。

 

投稿のコメントには。

「最強のスプリンター、レッドマーシャルの疑惑」とだけ書かれていた。

 

そして厄介なことに..その動画は数万件の拡散を経て..世界中に流れて行っていた。

 

エアグルーヴは口を開く。

「この動画..信憑性に欠ける、と言うのが率直な感想です。..不可解な点が多すぎます。..何もかもが都合よく動いてる。誰かが仕組んだ可能性が高い事案..かと。」

「私も、概ね同意見だよ。」

 

シンボリルドルフは沈着な表情を一切崩さない。

 

「..ドーピング程度でこの世界の頂点に立てるんなら..今頃全員がダービー覇者だろうな。」

ナリタブライアンも腕を組んで、呆れたようにそう言った。

 

「..だが、事は大きくなりすぎている。..彼女を疑うわけではないが、話を聞く必要はありそうだ。..エアグルーヴ、ブライアン。レッドマーシャルと..彼女のトレーナー..大城白秋を..招いてくれ。」

二人は、静かに頷いた。

 

――――――――――――

 

「トレーナーざん!!わだじ...こんなごと..やっでない..!!」

大城の教官室。

マーシャルは、ソファに掛ける大城の懐に身を埋めて、嗚咽を漏らしていた。

 

「わかってる!!...ちきしょう...誰が...こんなナメたマネを...!」

大城は強く歯を食いしばっていた。

 

「クッソ!!」

ガンっ!と対面ソファの間にある、低いテーブルの脚を蹴っ飛ばした。

 

「どうしよう..もう....私....。」

「心配すんな。...俺がどうにかする。」

そういって大城はマーシャルの頭を優しく撫でた。

 

「...とりあえずは..身の潔白を証明することが最優先だ。..お前には悪いが..尿検..血液検査..一通り受けてもらう。..無実を証明するんだ。」

「......はい。」

 

いくらGⅠ覇者とはいえ..精神面では、未だ思春期なマーシャル。

身の潔白の証明とはいえ、そんなことをしなければならないのは..苦痛だった。

 

そこに、ノック数回。

トレーナー室の戸が開く。

 

「..失礼する。..会長がお呼びだ。..先生。」

「ああ..俺も今から行くところだった。」

 

―――――――――――――

 

「私...!私....!」

「無理に喋らなくていい。..大丈夫。」

 

シンボリルドルフを前に..上手く言葉を出すことができないマーシャルに対し、ルドルフはそっと彼女を介抱するかのような声色で..優しく説いた。

 

「この動画...おそらくだが..フェイクだろう?我々も..この動画に対して拭い切れないものが多すぎると感じている。ラベルに記される英文も..まるで直訳でもしたかのような半端なものだ。」

「ハナシが早くて助かる。」

生徒会室のソファに我が物顔で掛ける大城は言った。

 

「..この動画..この日..何か妙な心あたりは..?」

「ええと..ええと..。」

狼狽していて..記憶がすぐにスッと出てこない。

 

マーシャルはスマホを開く..その日のスケジュールを確認するために..その時

 

「ひっ!!」

そういってマーシャルはスマホを落とした。

 

その妙な彼女の動きに、誰もが気を取られる。

 

「..どうしたんだい?」

ルドルフは..彼女の落としたスマホを拾った...その画面には..SNS「ウマッター」の溜まりに溜まった彼女への通知が数十..数百..。

 

そこにピックアップされたメッセージ文には...。

 

 

ドーピングウマ娘、とっととレースから降りろ。

 

バクシンオーにドーピングで勝ったのか?恥ずかしくないのか?今すぐトロフィー返納して一生ターフに出てくるな!

 

 

やっぱそうだったんだww前からアヤシーとは思ってたケドww

 

 

こいつの母親もドーピングやってたんじゃね?

 

 

...彼女に対する..山のような誹謗中傷。

そのあまりにも心無い投稿に..ルドルフの顔は思わず歪む。

 

マーシャルは..胸を押さえて..その場に蹲った。

「大丈夫だ..私たちは、君の味方だ。」

ルドルフは..そっと彼女を抱擁した。

 

「...このクソ野郎共め。..マーシャル..お前しばらくネットを見るな。」

大城は、ルドルフからマーシャルのスマホを受け取る。

誹謗中傷の中には..大城に対するものもちらほらと。

 

「言いてぇことがあんなら..直接言いに来やがれってんだ。」

そういって大城はマーシャルのスマホの電源を切った。

 

 

――――――――――

 

「その日は確か..呼ばれたんです。」

「誰にだい?」

 

しばらくして、落ち着きを取り戻したマーシャルは..思い出せる限りのことをシンボリルドルフへ打ち明けた。

 

「スーパードライブさん...私がまだ、ベテルギウスにいたころの後輩..です。」

「どういった用件で?」

「..ベテルギウスで..食事会を計画してるっていうお話があったんだそうで..私もどうか..って。」

「ベテルギウス..か。...ブライアン!事実確認を!」

「おうよ。」

 

そういうと、ブライアンはひょいと腰を上げて、生徒会室を後にする。

 

「もう少し詳しい話を聞かせてほしい。理事長が、本日不在でな、戻ってこられる前に、できる限りの状況整理を..辛いだろうが..頼めるかい?」

「..はい。」

 

――――――――――

 

なんだか今日は妙に校内が騒がしい。

どうやら、あの動画が話題になっているようだ。

 

..思ったよりも知れ渡ってしまっているな。と彼女は感じた。

ドライブが動画を消すタイミングが遅かったのだろうか。

 

「ねぇ!ねぇ!ローズ!この動画知ってる?」

「キョーミない。」

 

そういってクラスメイトを跳ねのけて、ローズは寮に向かう。

 

今日の練習は気が乗らないからサボリだ。

 

そして、校舎を出た瞬間。

「ローズ!!」

誰かが彼女を呼び止める。

 

「..ドライブ?..どうし...」

ドライブはローズの腕を引っ張って、物陰へ。

 

「や...やばいよ...ローズ。」

息が上がりきって、口をガクガク震わせながら、彼女はそう言った。

 

「やばいって..あの動画のこと?..あれって消したんじゃ。」

「拡散されてる....転載されたんだ....!」

 

そういって、ドライブはタブレットを見せる。

そこには..消したはずのあの動画が..10万を超える拡散付きで..。

 

コメント欄では..論争に次ぐ論争。

 

要は...大炎上していた。

 

「は..?..はぁ?...なにこれ...。え?..消したんでしょ?...なんでこんなこと...。」

ローズは状況が理解できず、目を丸くする。

 

「わからないよ!!...どうしよう...私たち..これバレたら...終わりだよ!」

 

ローズは一瞬の沈黙の後..頭をくしゃくしゃにかきむしった。

 

「なん..で...。..し...しらない!!...わたし...知らない!!」

そういってローズは逃げるように去っていった。

 

 

 

 

 

 

 



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専門家

「..ああ、間違いない。確かに..俺らは食事会を計画していたし、マーシャルも誘おうとは思ってた。..それが?」

「..例のマーシャルの事件、アンタらも把握はしているだろ?」

「..勿論だ。..それと、食事会..何か関係が?」

 

ベテルギウスの部室にて、ブライアンはフロイドスピリットと向かい合う。

生徒会が乗り込んできた。その異様な空気に、部員たちはざわめく。

 

「あの動画、マーシャルが一度荷物から離れる場面があった。それは、ベテルギウス、あんたらの部員から呼びつけられたからだと彼女は証言した。」

「..うちの?..誰だ?」

「スーパードライブというヤツだ。..今日は?」

「今日は不在だ。..ここ数日、体調が優れないとかで。..ドライブが、マーシャルに食事会の話を持ち掛けたというのか?」

「そうだ。」

 

ブライアンは毅然とした態度で話を進める。話の最中にも、その眼光を光らせ、この部室、部員になにかしらの異変がないかをチェックする。

 

「..そうだったのか。..妙だな。」

スピリットは顎に手を添える。

 

「妙?」

「..あいつ、食事会にマーシャルを誘うことに否定的な立場だったはずなんだが..気が変わったのか?」

スピリットは部員たちを見る。

 

その中の一人を指名する。

 

「ローズ!..確か、お前もだったよな?」

ローズは腕を組んで、俯き加減だった。

 

「..そう..ですね。」

「ドライブは何か言っていたのか?..ほんとはマーシャルと..」

「知りません!」

 

ローズはそう突っぱねた。

 

「..すまん。あいつ、ここのところ成績が良く無くてな。..最近ずっとあんな感じなんだ。」

スピリットはため息をつく。

 

ブライアンは黙って腕を組み、そのローズのほうを見た。

..このローズとかいうウマ娘の態度、成績低下による焦りやストレスなどからくるものとは少し違うような気がすると感じた。

まるで..何かから怯え..何かから逃れようとしているような焦燥を感じさせる。

 

極め付きに、こちらと一切目を合わせようとしない。

ブライアンがここにいる間。ずっと何かをやり過ごそうと..身を潜めている雰囲気があった。

 

ブライアンは直感的に察する。

..このウマ娘、何かしら事件にかかわっている可能性があるのでは?..と。

 

無理やりしょっ引いて、口を開かせるのも手かもしれない。

..だが。ここは一度冷静に。あくまでそれは推測でしかない。

七たび訪ねて人を疑え。..ルドルフの言葉を心で復唱する。

 

「..わかった、すまん。邪魔したな。」

「なぁ、教えてくれ。マーシャルは..無実..だよな?」

「..調査中としか言えん。」

 

ブライアンはベテルギウスの部室を後にする。

 

(ローズロード..気に留めておいたほうがよさそうだ。)

 

――――――――――――

 

そのウマ娘はふらふらと、少し体を揺らすように歩いていた。

..彼女からはいつも、妙な薬品の香りがする。

 

噂によると、彼女の勝負服の裏側には、危険な薬品が収められているなんて噂があるほど。

 

時には彼女の薬品で人が光ったなんて噂もある。

 

「..さぁて、今日はなんと言われるのだろうねぇ。」

彼女は生徒会室の戸を開いた。

 

「邪魔をするよ。」

その戸を開けた瞬間。彼女は気づく。

そこに、今話題の渦の中心に飲み込まれているウマ娘がいることに。

「ああ..足労をかけたな..アグネスタキオン。」

「..たまには君たちから出向いてくれてもいいんじゃないかい?」

 

そういって後ろ手で戸を閉める。

「..そうか、なるほど。..概ね筋は読めたよ。..私に、例のドーピングの見解を聞きたいというんだろう?」

「お前もハナシが早くて助かるぜ。」

と大城はいう。

 

「やぁ、大城君、君もいたのかい。君を見るのは久しいね。」

タキオンは手をひらひらと振る。

 

「それで、タキオン。..どうだい。..飲むだけで、彼女のように飛躍的に身体能力を向上させることができるドーピング剤。..そんなものが、存在しうるか。」

 

ルドルフのその言葉を聞いた瞬間、タキオンは大笑いする。

 

「あっはっはっはっは!!..いいねぇ!そんなものが本当にあるのなら、ぜひ一度お目にかかりたいものだよ!..私なら、検査すらも潜り抜けられるようにさらに改良するだろうねぇ。」

「..安心したよ。」

ルドルフはふっと息をつく。

 

「そもそも、そんなクスリが本当にあったとしよう。..そうだね。飲むだけでまるでアメコミのヒーローにでもなれるような薬がね。..そんなものを、下地の基礎も不十分な娘が飲めばどうなるか。」

 

タキオンは先ほどまでブライアンが座っていたソファのポジションに座る。

 

「例えばだ。大城君。君は車が好きだったね。..その辺を走る乗用車..マーチなんかに急に800バリキの大出力を誇るエンジンを載せたら..どうなると思う?」

「空中分解だな。..まず、足回りが完全に負ける。程度によっちゃあ、ペラシャ、ドラシャも捻じ切れて、ボディもパワーを受け止められずに歪むだろうな。」

「その通り。それと同じことが、今度はカラダで起こってしまう。肉体の基礎は一晩でどうにかなるものじゃあないからね。..つまり。」

「そんな薬を服用すれば..オシャカサマってわけだ。」

「あはは!そこにいるレッドマーシャル君がゾンビなら、成り立つ話かもしれないねぇ。」

 

タキオンはスマホを開き、例の動画を見る。

 

「..まったく。たった一文の文章と、たった数秒の動画だけで、よくもまぁこれだけの人々が踊らされるものだ。..電話帳ほどの厚さのある論文を隅から隅まで読み通しても、その内容が信用に値するかを見極めるのは難儀するというのに。人というのはあまり利口ではないのだろうか?」

そう呆れ果てる。

 

「..タキオン。君に折り入って頼みたい。その薬が..理論上不可能であることの証明を..できるかい?」

「会長様の言いつけともあれば、断れないだろうねぇ。..その代わり。今私が独自に進めている研究..目を瞑っていただけないかい?」

「..やりすぎるなよ。」

「はは!!善処しよう!..なら..1週間、時間をおくれ。」

 

そういってタキオンはその場を後にする。

 

「..1週間..耐えられるか?」

その大城の言葉に、マーシャルはこくりと頷いた。

 

――――――――――――

 

二人はとある施設の前で車を降りる。

そこは、URA管轄のウマ娘支援センター。

 

そこで、ウマ娘たちは様々な支援を受けることができる。

ケガの治療や、メンタル疾患への支援。カウンセリングに、必要ともあれば勉強なども見てくれるらしい。

 

無論..疑わしきものを晴らすための検査も..。

 

「トレーナーさん..」

「さぁ、いって来い。」

「トレーナーさんは..来てくれないんですか?」

「俺は..行くところがあるんだ。..心配するな。ここの連中には話を通してある。ついてくれる担当医師も女だ。..椿っていう、俺の昔のよしみなんだけどな。男には厳しいが、ウマ娘には優しいヤツさ。」

 

マーシャルは依然..暗い顔をする。

 

「..こんな下らねぇコト..さっさと終わらせちまおう。俺達には..次があるんだ。天皇賞..目指すんだろ?」

「..はい。」

 

二人の下へ..コツコツと足音を鳴らしながら、とある人物が姿を現す。

 

「..お久しぶり、大城トレーナー。..今は教官だったかしら?」

「トレーナーであってるさ。..久しぶりだな、ツバキ。」

「..その娘?..ずいぶんと酷い目に合ってるようね。」

 

大城はマーシャルの背中をとんと押す。

「..頼んだ。」

「ええ..預かるわ。」

 

そうして、医師とマーシャルは施設へ。

大城は再び車に乗り込む。

 

ケホケホと咳をしながら、セルを回す。

例の錠剤を飲み込む。

 

「..こんなとこで終われるか!」

そういいながら、クラッチを蹴り、ギアを1速へと叩き込む。

 

――――――――――――

 

..まったく気持ちが乗らない。

今日は生徒会が部室に乗り込んできた。

 

..ドライブ、いずれあんたのとこに奴らが来る。

 

もし、あいつが口を滑らせれば、割れば、何もかも終わりだ。

 

もう..いつものあの日には..絶対に戻れない。

..むしろ、それだけで済めばまだ幸いなのかもしれない。

 

「...ローズさん?」

トレーナーの言葉に、彼女ははっとする。

「なに?」

「..随分と気分が沈まれていると思いましてね。..コンディションがよろしくないように見受けられます。..それが走りにも表れている。」

 

宮崎は、手元からいつも愛用していたタブレットを手放し、昔トレーナーになったばかりの頃やっていたような紙とストップウォッチを用いて彼女らの指導に当たっていた。

 

「..何か悩み事でもありますか?..確かに今のあなたは振るっていない。焦る気持ちも理解できます。..ですが、私はあなたのトレーナーだ。あなたの悩みは、私の悩みです。..ぜひ、私を頼ってほしい。」

そう、宮崎はまっすぐな視線をローズへ向ける。

 

「..いい!」

その宮崎の視線に嫌気を感じたローズは、彼のもとを離れていった。

 

ふぅ、と宮崎はため息をつく。

あの日以来..宮崎は自身のトレーナーとしての在り方を見つめなおしていた。

 

「...やはり、あなたのように、うまくはいかない..か。」

ずっと数字と実績ばかりを注視していた宮崎にとって、改めて彼女らと向き合うことはそう簡単な話ではなかった。

 

宮崎は手帳を取り出す。

そこには担当ウマ娘たちのこと、現在おかれている状況、今の課題、留意すべき点、そして目標、事細かく記してある。

 

ローズのページをそっと開く。

そのページの隅に、小さなメモ。

 

『担当のことを信じろ』

 

それを目にした彼は、目を閉じる。

 

「..ええ。私が、彼女を一番信じてあげなければならない。わかってる。」

一流までの道は、まだ遠いのかもしれない。

 

..でも、もう一度一歩踏み出さなければ、自分がここにいる資格はない。

 

「宮崎トレーナー。」

その声にふと振り向く。

そこにいたのは、チームリーダーのフロイドスピリットと、グッドレコード。

 

「..ああ。すみません。いかがなさいました?」

「いえ、ローズのやつ、大丈夫かと思って。」

チームリーダーの彼女としても、最近のローズの様子はどうも気がかりだった。

 

「..今は踏ん張りどころなのでしょう。時間はかかるかもしれない。ですが、もう少し、彼女のことを信じてみましょう。」

「..宮崎さん。..なんだか、少し変わりましたね。」

そうグッドレコードは言った。

「そうでしょうか..。そういえば今日、生徒会の方が来られたそうですね?一体何が?」

「ああ..それについてですが。」

 

スピリットは経緯と話した内容を共有する。

 

「..なるほど、ドライブさんが。..事件に関わっていないといいんですがね。」

「トレーナーはどう、思われますか?..マーシャルの薬物疑惑について。」

「..一切を否定します。あの豪脚は、とても薬でどうにかできるものとは考えにくい。..それに、大城さんがそれを指示するなど..。」

 

宮崎は俯く。

 

「..俺たちも、同じ意見です。..トレーナー。俺たちはマーシャルに対して、何もしてやれなかった。だから、こういう時だからこそ、何か力になってやれないかと..そう思うんです。」

そのスピリットの言葉に宮崎は頷く。

 

「ええ。できることは限られることかもしれませんが、チームベテルギウス、全面的に彼女を支援しましょう!」

宮崎は前を向く。

 

もう一度..マーシャルと向き合えるチャンスは、ここしかないかもしれない。

宮崎はそう思った。

 

 



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裏路地の世界

『大城さん..。』

「クラウンか..。知っての通り、ちょっと面倒なコトになってる。」

『..一体何が?』

「詳しくはまだワカランが、ハメられた..ってとこだな。」

『..そんな。』

「お前のとこは大丈夫か?」

『ええ..ご近所さんも、あんな動画信じないって言ってくれてる。』

「そうか...だが、用心しておけ。そのうち妙な連中が来る可能性もある。..何かあったら、迷わずに警察へ連絡を入れろ。」

『..わかりました。..大城さん..マーシャルは..。』

「大丈夫だ。俺が..絶対に守る。..信じろ。」

『ええ..信じてる。』

「ダンナにもよろしく伝えておいてくれ。..じゃあな。」

『..気を付けて。』

 

そういって車のハンズフリー通話を切る。

そして、ようやく目的地が姿を現す。

 

―――――――――――

 

華やかな都会が輝いて見えるのは、いつも眩い光がさすからなのだろう。そのハイカラさに人は夢を抱き、希望を見出す。

 

しかし、光があるということは、そのどこかで帳尻を合わせるように影が存在するということでもある。

 

そんな影の世界へ、大城は踏み入れていた。

大通りの賑やかな雰囲気とは対をなすほどに、陰湿で不安を形にしたような裏路地。

 

軒並み連なる鉄筋コンクリート製の建物たちが日を拒み、身なりを整えた街行く人々の代わりに、野良ネズミや、完全に目がイってしまっている浮浪者がその場に。

 

そんな場所を大城は臆することなく、迷路のような路地を進んでいく。

 

しばらく進むと、その奥からなにやら人の気配が。

そこへ足を進めようとしたときに、何者かが立ちふさがる。

 

やたらにガタイのいい、褐色肌の男と、少し肥えた体にサングラスとスーツ姿の男。

共に、日本人のようには見えない。

 

大城は二人に言う。

"Mayroon ka bang Taiji?"

(タイジは居るか?)

 

男たちは顔を見合わせる。

"Kilala mo siya?"

(ヤツを知っているのか?)

 

大城はふっと笑いながら。蛇の刻印の入ったメダルを男たちへ弾いて投げる。

"Pinahiram ko siya ng pera"

(金を返してもらいに来たのさ)

 

男たちはクイっと首をふって、彼を招き入れる。

 

―――――――――――――

その路地は、アジア系の人々が住み入る場所だった。

この日本の中で、彼らの一つの小さな集落を作っている。そこには子供たちやアジア系ウマ娘の姿も。

 

ここに集う理由は様々だが、そこが彼らにとっての憩いの場となっている。

大城は彼らに適当な挨拶をしながら、奥の建物へと向かう。

 

"Hakushu! Maglaro tayo!"

(ハクシュー!遊ぼうよ!)

 

と小さな影が彼のもとへ、

"Magkita tayo sa susunod"

(また今度な)

 

と子供ウマ娘の頭をなでながらそう言った。

 

そして、一番奥の建物の、一番奥の部屋の戸を開ける。

その部屋は、薄暗くいろいろな物が乱雑に置かれている。

 

床をコードの類が埋め尽くし、足の踏み場を探す必要がある。

そして部屋の半分を、ラック組みされたPCやモニターを始めとしたハード機器がジャンクショップのように並ぶ。

 

その陰にひっそりと、PCの光を浴びながら息をひそめる男に、大城は声をかける。

 

「..よォ、泰司ィ。」

「...ハク。」

 

そこには年齢こそ若いが、ぼさぼさの髪の毛に手入れを怠っている無精ひげや、ファッションセンスを疑う悪趣味なシャツを着ているせいか、若々しさは殆ど感じない男がそこに。

 

「..まて、必ず金は返す。」

「当たり前のこと言ってんじゃねぇ。」

そういって大城はその変にある大型のハード機器に腰を据える。

 

「門番変わったのか?」

「ああ..新入りだよ。例のメダル見せた奴だけ通すように指示してる。」

「んなくっだらねぇ慣習辞めたらどうだ?」

「..そういうわけには。」

 

そういって飯島泰司はエナジードリンクをグッと飲み込む。

 

「..それで。..まぁ、あと2か月は待ってもらいたい。その、前リリースしたソフトが思ったよりも振るわなくて。..それで、次こそはって。」

「そんな文言、50回は聞いた気がすんな。だが、今日はそうじゃねぇ。今回は..元ハッカーとしてのお前に話をしに来た。」

「..やめてくれよ。もうアシは洗った。」

「でもお前はやる..そうだろ?」

 

大城の目線に耐え切れない泰司はふぅとため息をつく。

 

「例の..あの動画の件だろ?」

「そうだな。..お前に頼みたいことは二つ。まずは犯人の特定..それと。」

「火消し活動?..まぁ、ちょっと時間は欲しいな。」

 

泰司は大きなモニターで例の動画を開く。

 

「まぁ、フェイクってのは一目瞭然だ。..編集もあまりにお粗末だ。例えばここ。撮影者がバッグに手を伸ばす瞬間。ここでわずかにアングルにズレが出てる。おそらくここで一度動画を切ってるんだ。ここで瓶を仕込んで、動画をつなげたんだろう。素人ならともかく、俺らみたいな連中の目はごまかせん。..俺ならもっと上手くやる。」

「..特定もできるか?」

「炎上元の動画も転載ものだろ?..オリジナルのアカウントを辿るなら、一度サーバーへ忍び込んでみるしかない。それはちょっと時間がかかる。」

 

大城は腰を浮かす。

 

「100%の仕事をしろ。..出来高次第じゃ..お前に貸した金..チャラでもいい。」

「..本当か!?」

泰司は目を見開く。

 

「..新車のGT-Rが来る値段だぞ?」

「できるか?」

「..上等よ。」

 

―――――――――――

 

『大城君?..マーシャルちゃんの検査、終わったわ。』

「ああ..どうだった?」

『聞く必要ある?..もちろんシロよ。』

「だろうな。」

『..この娘、今晩ここに泊めるわ。..カウンセリングをしてあげたい。』

「頼むぜ..ツバキ。」

 

そういって、通話を終えた大城はトレセンの駐車場へ車を泊めて降りる。

 

一度理事長のもとへ..そう思った矢先、正面口が何やら騒がしい。

 

「マーシャル選手のドーピングについて!!」

「トレセン側は事実を認識してるんですか?」

「ぜひお話を!!理事長はどこでしょうか!?」

 

その押し寄せる人並。

..記者やマスコミだった。

 

たづなをはじめとした職員や警備員はその対応に。

 

「現在は調査中としかお話できません!!会見の場は改めますので、お引き取りください!」

そうたづなが声を上げるが..獲物を前にした記者たちには届かない。

 

「お話できないということは認めるということですか!?トレセン側はドーピングを黙認していると!?」

あまりにも滅茶苦茶な解釈といいたい放題の暴言に、たづなはとうとう怒る。

 

「いい加減にしてください!!由緒正しきトレセン学園に、そのような競技を侮辱するような行為は断じてあり得ません!」

「では!なぜ今詳しい話ができないんですか?当のマーシャル選手は?口だけ否定ならなんとでも言えますよ!」

 

失礼な記者は笑いながら言う。揺さぶれば揺さぶるほど、記事は面白く仕上がることを知っているからだ。

 

そこに..彼が現れる。

それは..いつもの気さくな大城とは、まったくの別人のようだった。

 

「お!..あなたは!..マーシャル選手のトレーナー!大城トレーナーですよね!!!」

ターゲットを見つけた失礼な記者は、たづなを押しのけて大城のもとへ。

 

「.....。」

「お話をお聞かせください!!あなたが..マーシャル選手にドーピングを指示したんですか?それはなぜですか?」

マーシャルはドーピングをしている。そう決めてかかる記者の胸倉を..大城は掴み上げた。

 

「あがっ..!」

胸倉をつかんだ大城は、その男を自分の顔の前へと引き寄せる。

男のかかとがわずかに浮く。

 

「好き勝手言ってんじゃねぇぞクソども..俺はな、ここの生徒以外の連中に..アイソ良くねぇぞ?」

「あ..ぼ..暴力行為ですよ!..いいんですか!?明日の記事になっても!」

「そうか..。」

そういって大城は男を突き飛ばす。

 

「なら書けよ..上等だ。後悔すんのはどっちか..徹底的にやり合おうぜ?」

そういって男ににじり寄る。

「どうした..やれよ..。」

大城の並々ならない殺気に、記者は思わず竦む。

「うっ....。」

 

記者の男は、ほかの記者たちを押しのけて..消えていった。

 

「ほかの連中はどうなんだ?...用がねぇなら消えろ。」

大城はほかの記者たちにも、その殺気を向ける。先ほどの失礼な記者のおこぼれをネタにしようと企んでいた他の記者たちはすごすごと引き上げた。

 

「..大城先生。」

「今はなんて言ってもムダだ。..コトを治めるには、それなりのやり方ってもんがある。」

 

そういって、大城は学園の奥へと消えていった。

 

 



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後悔

「..そうか、なら君は、本当はマーシャルのことを誘いたかった。だが、ローズの威圧に押されて言えなかった。そういうんだね?」

「はい..。あの..私って」

「まぁ、そうだな。状況を俯瞰し、客観的に見たことを鑑みると、そういう目を向けざるを得ないことは確かだ。..だが、私たちも広い視野で捜査は進めるつもりだよ。」

「......。」

 

いつもは落ち着けるはずの美浦寮の自室。

だが、今日だけは異様な雰囲気に包まれる。

 

ここ数日、体調不良として自室に伏すドライブのもとへ、生徒会が出向いていた。

その傍らには、フロイドスピリットの姿も。

 

本来ならば彼女の回復を待って、聴取すべきではあるはずだが、事は緊急を要している。そのため、ルドルフたちは自らの足で彼女の部屋へと赴いた。

 

「..なぁ、会長さんよ。もうその辺にしてやってくれよ。..こいつ、具合が悪いんだよ。そんなところで、お前も容疑者だって言われるのは..ちょっとツライんじゃないか?」

「承知の上だ。だが..一人のウマ娘の人生がかかっている。申し訳ないとは思うが、協力は要請したい。」

 

そういってルドルフは立ち上がる。

 

「また今度、詳しい話を聞かせてもらおう。失礼する。」

そういって彼女らはその場を後にする。

 

残された部屋には、スピリットとドライブ。

 

「..なぁ。ドライブ。俺は..お前を信じてる。..信じてるんだ!..でも..聞いておきたい。..お前、本当に..何も知らないんだよな..?」

「....はい。」

その言葉に、スピリットはふうと息をつく。

 

「..わかった。具合がよくなるまで練習は休んでいい。」

 

そういってスピリットも部屋を後にした。

 

スピリットの胸がざわめく。

本当はもっと聞きたいことがあった。

 

なぜお前は..俺に黙ってマーシャルを誘いに行った?

 

俺は..具体的な日にちも何もまだ言っていない。..圧倒的に情報が足りないはずなのに、なぜ彼女を誘いに行った?

 

そして、なぜマーシャルを誘ったことを俺に秘密にしていた?

 

考えれば考えるほど...その彼女の整合性の取れない行動に疑念が孕む。

だが、聞けない。..聞いてしまえば..最後に来る言葉は何なのか..。

怖くて聞けなかった。

 

――――――――――――

 

ばたんとドアが閉まる。

こつこつ..と足音が遠ざかっていく。

 

「...はぁあ!!」

ドライブは急に腹を抑えてベッドに倒れこむ。

「うう..うぅ..。」

胃が...ねじれるように痛む。

 

生まれて今まで感じたことのないほどのハイストレス。

彼女は大汗をかきながら、悶えた。

 

(...今日は..生き延びた。...もういやだ...こんなの...いつまで..。)

 

生徒会が来ることはローズから事前に連絡があった。

口を滑らせればすべてが終わる..でも、隠し通しても、いつそれが明るみに出るか..まるで死刑執行を待つような日々..。

 

どっちに転んでも..救いはない。

 

(ごめんなさい..神様..もうこんな..悪いこと..しませんから...お願い..許して...ゆる..して)

そういってドライブはそっと瞳を閉じた。

 

―――――――――――

 

「..会長よ、ヤツ..相当臭うぞ。」

「私も同意見です..受け答えや、説明に筋が通っているように感じませんでした。..何か知っている。そう見るのが妥当かと。」

 

ルドルフは足を止める。

 

「ブライアン、エアグルーヴ。私たち生徒会というのは、どういう存在でなくてはならない?」

「..どういうって。」

 

ブライアンは、また始まったといわんばかりに腕を組む。

 

「..中立的立場でしょうか?」

そういったのはエアグルーヴ。

 

「その通り..確かにスーパードライブ..彼女の不審な点はいくつか考えられる。だがそれは、彼女がクロだと決める証拠には何もなり得ない。..仮に彼女を引っ張ったとしよう。..もしそれが誤認だったら?..私たちは自らの手で、無実のウマ娘を叩き潰すことになる..。どう間違っても、それだけは避けなければならない。軽挙妄動は..悲劇しか生まない。慎重さを失念すれば..私たちは終わりだ。」

「じゃあ、物的証拠がありゃいいワケだな?言い逃れができないほどの。」

「..そうだな。」

 

――――――――――――

 

『あ!来た来た!!』

マーシャルが寮を出てすぐだった。

 

マイクとカメラを持った大人たちが、獲物を捉える。

 

『レッドマーシャルさんですよね!?ぜひお話を!』

マスコミたちのその目はギラついている。

 

この娘の発言一つ一つが金になる。

なんてことない言葉一つでも、料理さえすれば、大衆が喜ぶ刺激のあるものとなる。

 

「あの...話せることなんて」

『お!ということは、ドーピングは本当ってことかな!?』

「ち..ちが!」

彼女がそう言い終える前に、フラッシュがこれでもかと彼女を襲う。

 

「や..やめ..て..」

彼女はその場に沈みそうになる..そこへ。

 

「おい!やめろ!なにやってんだお前ら!!」

彼女の親友たちの姿が。

 

「こんのバ鹿どもめ!!あんなデマ信じてんじゃねぇよ!大人だろ!?」

「..皆さんもうやめて!マーシャルちゃんはそんなことする娘じゃ..絶対にないですから!」

トップギアとモモミルクは身を挺して彼女を守った。

 

..だが、金の成る木を前にした大人たちは、想像以上に汚かった。

 

『じゃあ君たちに聞いてみようか!ぶっちゃけ..マーシャル選手のドーピング..見たんじゃないの?』

「お..お前ら..本気で聞いてんのかよ..。」

 

その狂気にトップギアは目を丸くする。

 

『じゃあそっちの君はどうかな?..本当は君も..やっちゃあいけないモノとか..やってたりしない..?』

「そんな...そんなわけ..!」

 

二人しても、この大人たちの妙な圧に顔を歪めた。

 

『ま。こんなGⅠも出たことない連中に聞いても仕方ないか。ほら、どいたどいた僕たちはマーシャル選手に用があるんだよ!』

記者は二人を押しのけて、マーシャルを引きずりだそうとする。

 

「やめろ!!」

その手に、必死に抵抗する。

 

その時..。

「おい...んなトコ屯われてちゃあ..ゴルシちゃん号が通れねぇじゃねぇかよ。なんだ?..レッドカーペットにでもなりてぇのか?」

「まったく..精査もせず..やすやすと情報を鵜呑みにして..恥ずかしくありませんこと?」

「君たちさ..ほどほどにしておかないと..カイチョーが黙ってないんじゃないかな..?」

「おうおう...マーシャル先輩のことそれ以上コケにすんのなら..俺らが相手になってやってもいいんだぜ?」

「まったく...アンタたちホントバ鹿?..あの走りが薬でどうにかなるわけないことくらい..ちょっと考えればわかるでしょ?」

 

そこに現れる..マスコミや記者すらも凌駕するほどの狂気さを兼ね備えたチーム..スピカ。

 

「..マーシャルさん、立てる?」

「だ、ダイジョブですよ!私たちが守ってあげますから!」

「..スズカさん..スペさん..。」

 

マーシャルはスズカの肩を借りてようやく態勢を立て直す。

それを護衛するかのように、スペシャルウイークは人参を構えて記者たちへ向く。

 

『お、おい!...マジかよ...ゴルシだ..。』

『ゴルシかよ...。』

『おい!カメラ隠せ!!ぶっ壊されるぞ!!』

『ちくしょう!..ゴルシめ!』

 

そのスピカの覇気を感じた記者たちは、慌てふためくように去っていった。

 

 

「..助かったぜ。サンキュー、スピカ。」

「何もしてませんが。」

 

トップギアはふうと汗を拭う。

 

「..それにしも、大変なことになってるね。」

テイオーはスマホを開く。

 

「まったく..誰かを陥れる行為など..卑劣極まりませんわ!」

マックイーンはそう憤った。

 

「しっかしよぉ、んなスッゲェ薬がマジであったらどうなんだろーなー。」

自慢のゴルシ号の上でゴールドシップはつぶやく。

 

「おふふひはんへはふへも!ひんひんはへはへば(お薬なんてなくても、ニンジンさえあれば!)」

スペシャルウイークは構えていた人参をほおばりながらそう言った。

 

「...なぁ、マーシャル、俺、思うんだけどさ。」

そう口を開いたのはトップギア。

 

「やっぱ、アイツ、ローズってやつが俺怪しいと思うんだよ。..あいつなら動機もあるし、なんたって一番最初に動画見せつけてきたのもあいつだろ?それまで誰も知らなかったような動画を!」

「落ち着いて..ギアちゃん。」

モモミルクは彼女を宥める。

 

「なぁ!ぶん殴ってでも白状させようぜ!」

「お!いいな!アタシもやるぜ!」

そういってゴルシは腕をまくる。

 

「ゴールドシップさん!おやめなさい!..あなたもですよ、トップギアさん。あなたの言ったことは全て憶測です。証拠もなく、自分の信じたいように解釈を起こして行動すれば、あなたもこの動画に踊らされる人々と同じですわ。」

 

マックイーンは冷静にそういった。

 

「....。」

トップギアは何も言い返せず、口をつぐむ。

 

「..ですが、このような愚行を犯したものには..必ず報いがあります。個人を..ひいてはレースに携わる全てのウマ娘たちを侮辱したその罪は..決して軽くはありませんことよ..?」

 

マックイーンのその怒りは..誰よりも深く..熱かった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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インフルエンサー

「このサクラバクシンオー!学級委員長の威信にかけて、マーシャルさんへの疑惑を真っ向から否定いたします!!」

 

中庭から密度の高い、ハリの効いた声が高らかに突き抜ける。

そこには、学級委員長のタスキをかけ、木箱を踏み台にし、メガフォンを用いて何かを訴えかけるサクラバクシンオーがいた。

 

傍目から見ればそれは、学級委員の座をかけた選挙活動の催しと見れなくもないだろう。

だが、その内容は今のマーシャルに向けられた疑惑に対して反抗を示すものだった。

 

マーシャルと共に全力を尽くして走った間柄である彼女。その力が、足が、偽りのものでないことを、彼女はよく知っていた。

 

バクシンオーの周りに人だかりができる。

あのスプリンター界、知らぬもの無しな上、実際にマーシャルと走った彼女が言うこと。それは人々の関心を大きく集める。

 

バクシンオーだけでない。

 

マーシャルを支持するウマ娘たちは他に少なくはない。

彼女らも、SNSや呼びかけを使い、必死にマーシャルを擁護する活動を行っていた。

 

『ゴルシちゃんの!ぱかちゅーぶ!!..なぁ!!みんな聞いてくれよ!!とんでもねぇ話があるんだ!』

 

ウマ娘だけではない。この世界のどん底から這い上がった彼女をよく知っているファンたちも、それを後押ししていた。

 

そんな彼女らの働きかけがあってか、世論はほんの少しづつだが..マーシャルサイドへ寄ってきている。

 

――――――――――――

 

「..サンキュ、バクシンオー。」

大城は窓からその様子を見ると、その場を離れ、学園奥のまるで隔離でもされたかのような一室に足を踏み入れる。

 

「やぁ、待ってたよ。..例のモノさ。ちゃんと学会の承認入りだよ。」

その部屋にいたアグネスタキオンは、紙の束を大城へ手渡す。

 

ぺらりぺらりと中身を確認する..が、そのあまりにも難解な論文は、大城の読む気を一気にそぎ落とす。

 

その資料の内容は要約すれば、一般的なウマ娘が、現在のマーシャルのような力を手にするためには、どのような薬品が必要で、なおかつそれが実在したとして、服用した場合どのような反応が予測できるかを示したものだ。

 

国内外を問わず、様々な文献を引用し、彼女独自のシミュレーションすらも用いたそれは、本職の研究者すらも唸らせる内容であるに違いないだろう。

 

結論としては、現在の科学・医療の技術において、己の力をここまでに増幅させるような薬は存在しないことを証明した上、仮に服用をさせた場合には、もれなく死が待っているという結果を出し、マーシャルのドーピング行為は理論上不可能であるという結論をたたきだした。

 

「..ああ、確かに。ありがとな。」

大城は資料を閉じる。

 

「..いやぁ、調べれば調べるほど、面白い娘だよ。マーシャルという娘は。薬でも成し遂げられない力を、手にしている。..ぜひ一度彼女を研究してみたいものだねぇ。」

と言って、砂糖をドロドロに溶かした紅茶をひとすすり。

 

「..恩に着るぜ。...生徒会にはいい報告をしておく。」

「お願いするよ。私の学園生命がかかっているからねぇ。」

「それとだ。タキオン。」

 

大城は切り出す。..それはどこか、少し言いにくそうだ。

 

「なんだい?」

「..癌が一瞬で消える薬ってのも、ねぇよな?」

 

その場に、一瞬と永遠、どちらつかずの間が空く。

 

「..まさか。そんなものを私が持っていたら、今頃こんな学園にはいないだろうねぇ。」

「だろうな。」

「..君の入用かい?」

 

大城はタキオンから目をそらした。

 

「いいや..知り合いの..さ。」

「ふぅん..。」

 

その大城のはっきりとしない顔から、タキオンは何かを感じ取る。

 

「..じゃあ、その知り合い君に伝えてあげてくれ。力になってあげられなくて申し訳ないが..決して、希望は捨ててはいけないよ..とね。」

「..ああ。伝えとくさ。」

 

そういって大城はその場を後にする。

 

―――――――――――

 

マーシャルの薬物検査の結果証明書。そしてアグネスタキオンが作成したドーピングの存在を否定する論文。

 

この二点がURAに提出された。

 

これを受け、潔白を証明できるエビデンスを手にしたURAとトレセン学園は、公式にレッドマーシャルの薬物使用を否定する声明を公表した。

 

『否定!わがトレセン学園が抱える生徒達に、そのような行為を働くものなど一切おらん!』

『では、あの動画はどう説明を?』

『愚問!あのような動画!創作に決まっておる!』

 

記者側とトレセン側、互いに一歩も引かない会見が、昼のワイドショーで大大と報じられる。

己の生徒を守るため、理事長のその目は本気だった。

 

「..頼みますよ。」

大城はカーオーディオでその様子を耳にする。

 

そして..例の裏路地へ。

 

―――――――――――

 

「よぉ、ハク。」

「泰司、どうだ?」

「もう少し待ってくれ。..俺が離れていた間にファイアウォールも進歩してる。サーバーへのアクセスもラクじゃない。」

「早えトコ頼むぜ。」

 

そういうと大城は煙草を取り出す。

 

「..タバコはNGだ。ハードに良くない。」

「禁煙は俺に良くない。」

 

そういって火をつける。

 

「火消はどうなってる?」

大城は聞いた。

「SNSには、SNS..知り合いのインフルエンサーに協力してもらって、世論をなんとか動かせないかを模索してるところだ。」

「..それで?」

 

泰司は背もたれに身を預ける。

 

「効果がないとは言わないけど、今一つってトコだな。やはり、一度信じた大衆の意見を覆すのは、そうラクじゃない。」

「..そうか。トレセン(うち)でも情報発信はしているんだが、それでも追いつかんか。」

 

大城は煙草の煙を吐く。

一応、ハードに直接かからないように配慮はするらしい。

 

「..インフルエンサーを用いての火消しをするのなら、最低2条件はいるだろうな。」

泰司はいう。

 

「2条件?」

「そう、いくらトレセンやURAという大きな組織が声を上げても、結局彼らはマーシャル側の存在だ。グルで庇ってるだけ、そういう見方をする輩も少なくはない。だから一つには、トレセン関係以外のインフルエンサーに声を上げてもらうこと。」

「ほぉ。もう一つってのは?」

「インフルエンサーの規模だ。..そんじょそこらの1万2万フォロワー程度じゃない。そいつが声を上げれば、だれもが振り向くような存在であること..。その言葉に、絶対的な力を持っていること。」

 

泰司は頭を抱える。

 

「それが難しい。俺の知り合いのヤツでも、そこまでの奴はいない。」

「なるほどなぁ。」

「..その二つを満たす知り合い..いるか?」

 

はぁとため息をつく。

大城は煙草の火を消す。

 

「いなくは..ない。」

そういってスマホを取り出す。

 

「..よぉ、俺だけど。」

 

 

――――――――――

 

とある一室、椅子や照明、ベッドにテーブル。すべてのものが華美に彩られるその空間。

浴室から、一人のウマ娘がバスロープを纏い、出てくる。

 

そして、どかっとソファに身を投げる。

 

その時ふと、あの日がよみがえる。日本での敗北を覚えたあの日を。

..自分にもまだ、悔しさを覚える感情が残っていたのか、と思いながら自分の手を見つめる。

 

そこへ。部屋の主を訪ねるノックが数回。

 

"M. Browier, nous répondons à votre appel."

(ブロワイエ様、お電話が。)

"répondra plus tard”

(後にしておくれ)

 

彼女はそう不服そうに申し立てた。

 

"Si vous le dites, on vous demande de répondre rapidement au téléphone."

(もし、貴女様がそう仰られたなら、「つべこべ言ってねぇでとっとと出ろ」と言うように、とのことです)

 

彼女は驚いた顔をする。

 

"Pas possible, c'est lui ?"

(まさか..彼かい?)

 

 

大城は相手が電話に出るのを、足をパタパタさせながら待った。

保留音がどうも好みじゃないらしい。

 

そしてようやく。

 

"Moi."

(私だ。)

 

「よぉ、久しぶりだな。」

 

"C'est toi... Savez-vous quelle heure il est ?"

(..やはり君か。今何時だと思ってるんだい?)

 

「まだ午前中だろ?」

 

"Au Japon, je suppose."

(日本ならそうだろうけど..。)

 

「それより、お前に折り入って頼みがある...。」

 

――――――――――

 

「じゃ、頼むぜ。」

そういって大城電話を切った。

 

「..お前どういうことなんだ?..あのブロワイエと..知り合いなのか?」

泰司は目をまん丸に開いて、口を閉じることさえ忘れていた。

 

「ま、トレセン関係以外で、この界隈の最強のインフルエンサーっつったらこいつしかいねぇだろうからな。」

泰司は頭を再び抱える。

 

「..ハク、あんた全部日本語で話してたろ?..通じてんのか?」

「多分な。」

「..めちゃくちゃだ。」

 

その時、泰司のPCがピコンとアラームを鳴らす。

それに二人は飛びつく。

 

「..よし!アクセスできた!サーバーの履歴から..削除済みの動画とアカウントを..あった!こいつだ!」

そこに映し出された。ひとつの削除されたアカウント。

 

『XXX』という捨てアカウント。投稿はあの動画の一つだけ。

 

「..はん。これだけじゃあ、身元まではわからんだろ?」

「古いな、ハク。このアカウントのアクセス端末を探るのさ..そうすれば..同一端末からアクセスされてるSNSアカウントが..ほうら。」

 

そして、そこに映し出されたのは..トレセンの生徒のアカウント。

 

「あーあ。顔も実名もはっきりと載せちゃって。そういう不用心だと、こういう悪い大人に食い物にされんのさ。..スーパードライブちゃん。」

「..やっぱりこいつか。単独犯じゃねぇだろうな。」

「どうする?報復措置として、この画像紐付けて世界中にバラまいてやってもいいんだぜ?いまのホットな状態、すぐに燃え盛るさ。」

 

だが..大城は険しい顔を崩さなかった。

 

「それは..いい。あくまで裁くのは俺たちじゃない。..データだけくれ。」

 

―――――――――――

 

「邪魔するぜ。」

生徒会室、今日は..ルドルフだけしかいなかった。

 

「やぁ..先生。」

ルドルフはタブレットを見て、少し驚いたような表情をしていた。

 

「どうした?」

「..いや、沈静化活動についてなんだが、ブロワイエがこの騒動に関心を寄せている。」

「ほぉ。」

「心慌意乱..というべきかもしれない。まさか..彼女が首を突っ込んでくるとは。...そのせいもあってか、世論はかなり大きく動いている。」

「運がよかったんだな。」

 

そういって、大城はとある紙を彼女に差し出す。

それは..あの動画を投稿したオリジナルアカウントと、この学園の在校生、スーパードライブを結びつける決定的な証拠だった。

 

それを見たルドルフは..さほどの驚きは見せなかった。

言葉にださずとも、やはりか。と聞こえてきそうだ。

 

「..さぁ、キツネ狩りにでも行こうぜ?」

「..ああ。」

 

二人は生徒会室を後にした。

 

 

 

 




「ハク..あんたブロワイエとどこで知り合ったんだ?」
「..場末の飲み屋だ。」
「嘘言ってんじゃねぇ!」


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..何が起きてるのかはわからない。

だけど、事態は思いもよらない方向へ向かっている。

 

あのブロワイエがこの騒動に関心を寄せて、なおかつそれを否定的な目線で見るツイートがかなり話題を生んでいる。

 

それが要因となって、世論はがらりとマーシャル先輩寄りになってきている。

 

つまり..収束しかけている。

 

..やった。このまま丸く収まって..みんなこのことを忘れて..風化してしまえば..私たちは助かるのかもしれない。

 

もちろんすぐに..とは言えないだろうけど。

 

そうだ、これからは普段通りふるまおう。変にビクビクしてたほうがきっと怪しまれる。

 

明日からはきっと練習にも参加して..。何事もなかったように。

 

これは..きっと神様が与えてくれたチャンスなんだ。

もう一度..やり直せるって。

 

もう一回、改めてマーシャル先輩の食事会..今度は本心で誘ってみようかな。

いままで、先輩に酷いことしてきたこと..ちゃんと謝ろう。

 

そんな胸の騒めきを抱えながら、ドライブは校内シューズから、普段の靴へ履き替える。

そして、昇降口を出て正面の門へ向かう。

 

もう..何事もなく..このまますべてが過ぎ去ってほしい。

心で念仏のようにそう唱える。

 

しかし、正門に差し掛かった時だった。

 

彼女はすぐに異変に気付く。

正門の両脇に、二人の人物の影が、まるで何かを待っているかのように、佇んでいる。

 

ドライブに悪寒が走る。

その二人というのが..あの大城と、生徒会長だというのだから。

 

二人が醸し出す雰囲気は、殺伐としたものだった。

それは殺気すらも感じさせるほどのもの。

 

二人の間を潜り抜けて帰路に着く生徒たちは、自分が何かしたのだろうかと、思わずなにか心当たりを探ってしまう。

 

ドライブは顔を下に向けて..一歩正門へ踏み出す..が。

 

急激に彼女を恐怖が包み込む。

..二人の視線が、明らかに自分に向いていることが、見らずとも理解できたからだ。

 

思わず足が止まる。

 

(だ..だめだ。落ち着いて、ふだんどおり..怪しまれないように..。)

と思っても..まるで足が動かない。

自分の本能が、その二人へ近づく方向へ向かうことを、拒否している。

 

その場たち尽くすドライブを見かねた大城が、門に預けていた背中を起こして、彼女にそっと近づいていく。

 

コツ..コツ..

彼の足音が徐々に近くなる。

 

そして、足音が止まった。

ドライブの息は..だんだんと荒くなる。

 

大城はそっと口を開いた。

 

「..よぉ、お前に話がある。」

「は..はな...はなし..?」

「例の動画の件だ。」

「お...お話なら..この間..会長さんに.。」

「無論その件を踏まえた上で..の話だ。」

 

ルドルフは、大城の横に立つ。

 

二人の..強い威圧が、すべてを物語った。

ドライブは..理解した。

 

ああ...そうか...全部...ばれたんだ..。

 

悟ったドライブは..二人と目を合わせることも忘れ、硬直した。

 

「..どうしたんだい?..なにか、よくない心あたりでも..あるのかい?」

ルドルフの、こちらを睨みつける鋭利な刃物のような視線に、ドライブが耐えられるはずもなかった。

 

ドライブは..どさっと荷物を落とし..その場に膝をついた

 

「ご...ごめんな....さい.......。」

 

おわった...なにもかも...。

 

―――――――――――――――

 

ローズは..生徒会室の前にいた。

自分名指しの呼び出し。..悪い予感がよぎる。

 

戸が..重い..。

彼女はそれを..無理やり開ける。

 

その瞬間、彼女を何かかが包み込む。

それは..生徒会室から放たれる..怒りが、熱を帯びたようなものだった。

 

「あ...あの....。」

その、もはや威圧と呼ぶには生ぬるいほどの異空間が..彼女を迎え入れる。

 

「待っていたよ..ローズロード。」

「な..何の用..ですか。」

「ほう...呼び出される心当たりも無いというのかい?」

 

正面の会長席に重く構えるルドルフ、その両脇をエアグルーヴとナリタブライアンが腕を組んで固める。

応対用ソファには..大城とマーシャルの姿。

 

その時ローズははっと気づく。

 

この生徒会室の隅で..蹲って..咽び泣くドライブが..そこにいた。

 

ローズの全身から一気に血の気が引く。

 

「..全て、彼女が話してくれたよ。ローズ、君が..主犯かい?」

「ちょ..ちょっと待ってよ!...そんな...アンタ!」

「もう無理だよ!!!!もう全部..バレてるんだよ..!!」

 

ドライブは蹲ったまま、そう叫んだ。

 

「そんな...ちが...私は....ち...が.....」

体が凍えるようにガタガタと震える。

 

視線がまるで定まらない..目が泳ぎ続ける。

 

動揺という文字を体現した彼女は..必死に取り繕いの言葉を模索する。

「わ...わたしは...そんな...ち..ちがう...。」

息を浅く何度も繰り返す。

 

そこに..彼女の声が..ローズの息の根を止めた。

 

 

 

 

 

 

私の目を見て話せ

 

 

 

 

「あ.......。」

その声の前に、成す術がなかった。

一瞬呼吸のやり方さえも忘れてしまうほどの、その声に...彼女は沈んだ。

 

「..こんな...こんなことになるなんて...思わなかった...。」

瞬きすることさえ忘れ、息を吸うことさえ忘れ、顔中に絶望の文字を刻んだ彼女は、その場にヘタっと座り込み、そういった。

 

「それは..私の問に対して相違がないと..認めるんだね?」

頷くことさえできなかった。

「なぜ..そんなことをした。」

大城やマーシャルは取り乱すことなく、ルドルフの尋問を聞き続けた。

 

「..わからないでしょ。...勝ち続けられる...あんたたちに....!」

ローズの顔が..瞬く間に歪んでいく。

 

「逆上か..。」

ブライアンは腕を組みなおす。

 

「憎かった..もう何もかも...私が..私のほうが..強かったはずなのに..!なのに....それなのに!!!」

顔中に皺が走る。涙をはじめとした体液で、ローズの顔がグシャグシャに..。

 

「もうレースでも勝てなくなって..もう...なにもかも嫌になって..嫌になって..だからより一層..先輩のことが憎くなった..どうしようもないくらい..!」

肩で懸命に息をし、それでも顔を伏せなかった。

 

「..本当は..ちょっと..驚かせてやれば..それでよかった。..でも、本当に..本当にこんなことになるなんて...思わなかった!!!」

 

そこでようやく..ドライブと同じように顔を押さえて..彼女は埋まった。

自分のしたことが..自分の手に負えないほどにまで大きな事件に発展してしまった。

 

彼女もドライブ同様..このような日が来ることに..怯え続けていた。

 

「この...大たわけ者が...!」

「外道め...同情の余地もない。」

 

ルドルフの傍らに立つ二人は、そう言い放った。

 

「ローズ..君がやったことは..紛れもない犯罪行為だよ。無実のウマ娘を陥れるような行為、卑怯千万、暗箭傷人。..極めて卑劣だ。」

ルドルフはそっと立ち上がる。

 

「これに類似した事件を私は知っている。..その被害者は、数えきれないほどの誹謗中傷に耐えかねて..自ら命を絶ったそうだよ。..君も一歩間違えば..人殺しだったんだ。」

 

大城は立ち上がった..そうして蹲るローズとドライブの横をすり抜けて..生徒会室を出た。

後ろ手で..バアン!!と音がなる勢いをつけて戸を閉めた。

 

そして、スマホを取り出し耳に当てる。

「..ヨォ、宮崎か。...今からスゲェこと言うぞ?」

 

マーシャルは依然..沈黙を貫いていた。

哀れんだ目で..かつての後輩たちを見ながら。

 

「私はすべてのウマ娘の幸せを願っている。皆が毎日を不安なく、健やかに過ごせる世界の実現が..私の夢だ。君たちも例には漏れない。..だからこんなことは、本当は言いたくない。..だが、あえて言葉を選ばずに言わせてもらう。ローズ..ドライブ...君たちは...本当に..」

 

 

 

「最低だ。」

 

 

 

蹲ったままの二人は、その言葉に悶え苦しんだ。

 

 

「理事長はじきに戻られる。君たちがしたこと..理事長の前で..自分たちの口から、喋ってもらうぞ。..君たちの今後の処遇については..十分な検討をさせてもらう。場合によっては..最悪の結末も..覚悟してもらうことになる。」

そういってルドルフは彼女らに背を向けた。

 

その時..マーシャルはそっと立ち上がった。

そして、ゆっくり..うずくまるローズの前に来ると、ひざまづいた。

 

「ローズ..さん...。」

「...せん...ぱい.....」

顔中を赤く腫らして..ボロボロになり果てたローズは、必死に言葉を絞り出した。

 

ルドルフはその光景を見なかった。

それは..もしマーシャルが一発ローズへ平手打ちをしたとしても..黙認するといったメッセージの裏返しだった。

 

だが..彼女のとった行動は..生徒会一同の想像を..超えたものだった。

 

 

 

 

 

 

 



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先生

レッドマーシャルのドーピング疑惑ってあれなんだったの?

 

ただのデマ。

 

あれまだ信じてるヤツいるの?

 

ブロワイエが云々だから~とか言ってるやつ結構いるみたいだけど、普通にデマってわかるだろこれ。

 

俺のマーシャルちゃんを汚しやがったクズの特定はよ。

 

いやいやドーピングっしょあんなんw

 

論文も読めないガキはネット使うのやめたほうがいいよ。

 

動画の編集で捏造って相当悪質だよな。マーシャルちゃん、恨まれる娘には見えないんだけどなぁ…。

 

トレセン内のヤツの犯行ってマ?

 

面白可笑しく記事にしてたマスゴミども、どうなるかなぁ。URAに楯突いた代償は重いだろうなw

 

あの動画って編集だったの?

 

どこをどう編集してるかって解説してるサイトあるからオススメ。結論から言うと粗だらけの素人編集。

 

――――――――――――――

 

「いい傾向だ。」

そのネット掲示板を泰司は満足そうに見る。

 

「そうか?」

大城は一つのスレッドタイトルを指さす。

そこには『レッドマーシャルのドーピング隠蔽!!URAとトレセンの闇が深すぎる…』

といったものが。

 

「まぁ、こればかりはどうしようもない。7~8割。その程度の人たちの信用を勝ち取ればいい。あとは、まだそんな噂を信じてる奴は異端だという風潮が出来上がればこっちのもんだ。」

「はん、気に入らんな。」

大城は未だに残るマーシャルへの中傷めいた文言に不満を垂らす。

 

「あとは放っておいて問題ない。水が有害だというヤツだっているんだ。やりあうだけ無駄さ。マイケルジャクソンにだってアンチはいる。あとはどう上手くやっていくかさ。」

「そうか…」

 

大城は靴底でタバコの火を消すと、携帯灰皿へしまった。

 

「…で、犯人はちゃんと白状したのか?」

「まあな。救えねぇクズだったよ。」

「そうか…なら、ネットの大海原へ出航させて、皆からのお仕置きを受けさせるか?」

泰司は例のデータをモニターへ映す。

 

「それは…やめろ。」

「なんでだよ?」

泰司少し意外そうに言った。

 

「やられたらやり返す、こいつらはそのくらいのことをした。ならば相応の報いがあってもいいだろ。」

「そこでンなことやったら、俺らも同じ穴の貉だ。」

大城は冷静にそういった。

 

「それに」

大城はハードに腰を据えた。

 

「どんなに救いようのないクズでも…どんなに腐れ外道だろうと、あいつらは俺の教え子だ。道を踏み外したんなら、キチンと導いてやらねぇといけねぇ。まだ右も左もわからねぇガキを見捨てて、突き放すのは簡単だ。だが、あいつらはここで死ぬワケじゃない。罪を犯したのなら、これからどうその罪と向きあって生きていくか、何をすべきなのかを…教えてやらなきゃいけねぇのよ。」

「…ハク、あんた先生みたいなコトいうんだな。」

「バーカ、俺は先生なんだよ。」

 

大城は背を向けた。

 

「どうしてそこまでするんだ。あんた…トレーナーなんだろ?教官は降りたんじゃあ。」

「俺も、高校退学になりかけた身なのよ。ここまで陰湿じゃないが、相当なコトはやった。だが、そんな俺を見捨てない先生(バカ)がいた。だから俺はいまここにいる。」

「見捨てない…か。やっぱあんた、冬時(トウジ)さんの弟だよ。」

「兄貴の話はやめろ。兄貴がフィリピンにいるってんだから向こうまで出向いたってんのに、未だに見つからねぇ。無駄足もいいトコだった。」

「でも、俺やアシュリーに出会えた…だろ?」

 

二人は窓越しに一人の褐色肌のウマ娘を見る。

まだ幼いが、その元気さだけなら現役の誰にも負けていない。

 

「アシュリーも大きくなったらトレセンに入学したいってさ。そしてハク、あんたにトレーナーをしてほしいんだと。」

「…まずは日本語を覚えさせろ。タガログ語を理解できるやつはほとんどいねぇぞ。」

 

大城は戸に手をかける。

「そうだ。お前…カネはチャラでいいや。」

「本気かよ。」

泰司は目を大きく見開く。

 

「まぁ、よく仕事はした。それに、いまさら金返してもらっても、使い道がねぇのよ。」

そういって大城は出ていこうとする。

 

「待ってくれ!」

泰司は引き出しを探る。そこからは少しの厚みを持った封筒が。

 

「まぁ、少し貯めてた分はあるんだ。せめてこれだけでも…返すさ。」

「はっ、んなんじゃGT-Rどころか新車の軽も買えねぇよ。」

大城は鼻で笑った。

 

「マジでいい。そのカネ、アシュリーに使ってやれ。」

そういって大城は裏路地のアジア街を後にした。

 

車まで向かう道中、大城は思った。

道を踏み外した二人を導くというのは、あの二人に手を差し伸べることと同義であると。

それを被害者であるマーシャルが納得するのかどうか。

 

あくまで今の大城はマーシャルのトレーナーである。

だが、教官としてのプライドも捨てられずにいた。

 

トレーナーとしてか、教官としてか。

その葛藤が彼の中で渦巻いた。

 

―――――――――――――

「なに…してるの…」

 

大城が去った後の生徒会室に、驚嘆の文字が浮かぶ。

ローズの前にひざまづいたマーシャルは、あろうことかそのままローズを抱きしめていた。

何も言わず、ただ黙って、哀れみの目を綻ばせず。ただ…ただ…。

 

「せん…ぱい…なんのつもりなんですか…。」

ローズのその問にマーシャルは一切答えなかった。

 

エアグルーヴやブライアンも思わず組んでいた腕を崩した。

「どういうことなんだ?」

「まるで…わからん。」

 

ルドルフは肩越しに横目でその光景を見た。

「それが…君の答えだというのかい。マーシャル。」

 

「やめてよ…どこまで私を…惨めにすれば…気が済むの…!」

ローズの瞳から、再び大きなしずくがあふれ出す。

 

「やめて…やめてよぉ…」

そしてローズは再び咽び泣いた。

まるで小さな子供のように。

 

まるで分からない。

私はあなたを陥れようとしたんだ。

この世界から殺そうとしたんだ。

 

取り返しのつかないことをしたんだ。

会長が言ったように、一歩間違ってたら、あなたはもうここにすらいなかったんだ。

 

私はあなたから殺されても文句が言えないほどのことをした。

なのにどうして、なんで。

 

あなたはそんなにも、私を慈しむの。

 

 

私はどこで…間違えたんだろう。

 

 

 

 




『大城トレーナーはヅラだった!?脱税疑惑や担当との淫行行為も!?』
「…ケッサクだな。」
「…マジでぶっ殺すぞ」


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番外編:カッコイイとは?

ちょっと重い回が続いてるので。



※もちろん読まなくていいやつです。


「…」

例に倣って、校舎裏物置そばの人影の少ないスポットに、大城はいた。

なぜ彼がそこにいるかは言うまでもない。生徒たちに教えを説く教官でありながらも、とても褒められたことではない行為をここでひっそりと働いているからだ。

 

禁忌を冒してまで吸う一服というのは、背徳感も相まってより一層うまみを引き立てる。(らしい)

 

だが、大城の顔は渋かった。

彼の傍らには、一人のウマ娘。

…また、見られた。前回はスペシャルウイークにそして今度は、ウオッカに。

 

生徒会の連中でないことは幸いなのだろう。

あの時のように菓子か何かで釣れば…きっと丸く収まってくれるはず。

 

だが、ウオッカはそういうワケにはいかなかった。…むしろ、彼女は生徒会より厄介かもしれない。

 

「…ッケェ!」

目を光らせながら、両手で拳を作って前に。鼻息を荒くしながら少し前のめり。

 

「…なんだ?」

「いや、その…今センセーが、壁にもたれながら煙草吸ってるその恰好、めちゃくちゃ渋くてカッケェって思っちゃって!」

 

大城の顔は一層渋くなる。

このトレセン、通う生徒はウマ娘たちばかり。身体能力こそ人間の比にならない連中だが、中身はいたってその辺の少女たちなのだ。

ここが荒れ果てた男子校で、相手が野郎共ならまだしも、この少女たちが煙草に興味を抱いてしまうのは…非常にまずい。大城はそう感じた。

 

「なんていうか…そう!映画で見たんすよ!夕暮れの丘でバイクを降りたライダーが一本火をつけて、夕日を見ながら煙を吐くっていうのがほんとにすっげぇ決まってて!」

「ああ…わかったわかった。」

大城は吸いかけの煙草を無理やり踏みつぶして火を消す。

 

「俺もいつか、煙草すってみようかなぁ、なんかワルっぽそうでそれもイかすっていうか!」

「ダメだ。」

 

大城はウオッカの言葉を斬った。

 

「あのなぁ…お前らはアスリートなんだろ?こんなモン、お前の弊害にしかならん。お前たちに有毒だからって校内でも完全禁煙規制が張られたんだぞ?」

「アレ?じゃあ、なんで先生吸ってんすか?」

「…まぁ、そりゃあ、アレだよ。」

 

大城はそっぽを向いて、ウオッカと視線をずらした。

 

「とにかくだ。タバコは有害でしかない。服とか髪にも臭いが残るし、歯にとれねぇヤニもつく。そんで極めつけに…体に悪い。肺がんの元になるとも言うし、癌にならなくとも、肺が汚れてしまうんだよ。そうなっちまったら、ウマ娘はオシマイだろ?」

「うーん…。」

 

ウオッカは腕をくむ。

 

「一ついいこと教えといてやる。カッコいいのはタバコじゃあない。…俺自身だ。」

大城は顎に手を添えてそういった。

「…はぁ?」

「なんだその目。いいか?タバコがかっこいいってのは錯覚だ。カッコいい奴がタバコを吸ってるからかっこよく見えるだけだ。本当にカッコイイやつってのは…タバコが無くてもカッコいいんだよ。」

「え?」

「タバコなんてもんはただのアクセサリーさ。タバコがなきゃカッコよくなれないってのは…本物のカッコよさか?」

「あ…なるほど!そっかあ!」

 

ウオッカは何かを感じたように、その場で奮う。

 

無事にタバコの興味をずらせた大城はほっと息をつく。

自分がどうなろうが知った話じゃないが、彼女たちはせめてこの有害物から守らなくては。

大城の教官としての使命がそうささやいた。

 

「お前にはお前だけのカッコよさってもんがある。まずはそれを目指せ。」

「ういっす!」

そういったとき…バラバラバラ!!と張り裂けるようなエグゾーストが轟いてくる。

 

校外を走るバイクの音が、二人の耳を刺激した。

 

ウオッカはすぐさま反応する。

「うおっ!!Z2(ゼッツー)かよ!スゲー渋い!マジすげぇ!!」

「RSか懐かしいな…まだ乗ってるヤツがいるんだな。」

「え!?先生Z2乗ってたんすか!?」

 

大城は得意に腕を組む。

 

「まぁな、スグ手放しちまったがな。」

「スッゲェ!!」

 

ウオッカの瞳が再び灯る。

尻尾と耳も全開エンジンのように震える。

 

「ほかにも何か乗ってたんすか!?」

「そうだな…CBの750F(ナナハン)とゼファーにRZってのも乗ったなぁ。GPZも知り合いのを借りたり、そうだ。知り合いのツテでアプリリアに乗ってた時期もあったな。2stの」

「すっげぇ名車ばっかり…」

「そんでよ、夜中にオフクロにばれないようにこっそり家を飛び出してな。夜の峠で朝まで過ごしてたな。」

「バトルとかしたんすか?」

「ああ。ナントカ連合とかチームがそのころゴロゴロいてな。勝ったり負けたり、警察が乗り込んでくるまで走ったもんだ。」

 

大城は遠い目で昔を懐かしんだ。

 

「いいなぁ…!すっげぇ、時代のロマン!俺もきっと!」

「ウオッカ、お前もう免許取れるトシなのか?」

「いや!…まだなんすよ。もうちょっと我慢しないと。でも免許とったら、父ちゃんのバイク譲ってもらって俺も夜の峠で!」

 

そう息巻いて奮い立つウオッカを見て、大城はまた少し、不安を顔にする。

 

「ああ…バイクはいいもんだ。車じゃねぇ、実際に風を浴びて初めて見える景色ってもんは確かにある。俺も随分それに絆されたもんだ。」

ウオッカは強く頷く。

 

「でもよ、それと同時にキケンな乗り物だってことは忘れるなよ。」

「?」

「確かに楽しい、最高な乗り物だ。だが、一歩間違えば行先はあの世だ。…昔、ツルんで走ってたよしみがいたんだがな。そいつ、バイクで死んだんだよ。コーナーで曲がり切れなかったんだと。」

「え…!」

「かくいう俺も、昔入れ込みすぎたことがあってな。限界超えてやりすぎちまったせいで、ガードレールすり抜けて崖から落ちたことがある。もう少しで左足を無くすところだった。」

 

そういって足をポンポンと叩く。

すこし残酷な話を聞いてしまったウオッカの耳は少しシュンとしてしまう。

 

「ま、タバコとは違って乗るなとは言わん。むしろ、若い連中にこそバイクは楽しんでほしい。ただ…いつも周りの連中がお前に言ってる『気を付けて』って言葉…免許を持った日に、意味が変わるぞ。それだけは覚えておけ。…死んじまったら、カッコいいもクソもねぇだろ?」

「…うす!」

 

身を引き締めたウオッカは、キリっとした表情でそういった。

それを見た大城は満足そうに頷く。

 

「そうだ、俺の昔使ってたライジャケとかいるか?グローブとかも少し傷んでるがまだまだ使える。」

「え!いいんすか!ほしいっす!」

 

その時、キンコン…と校内の鐘が鳴り響く。

 

「おっと時間か。戻るぞ。」

「ハイ!」

 

そういって二人が校舎へ向かって歩き出そうとしたとき。

 

「雑談は終わったか?」

そこに腕を組んで二人の前に立ちはだかる…生徒会。

 

「ブ…ブライアン先輩!」

「なにしてんだ…お前。」

 

「何してる…それはこっちのセリフだ。その足元に落ちてるのはなんだ?大城。」

それは大城が踏みつぶした吸いかけの煙草の残骸だった。

 

「あ…!」

証拠隠滅もせずにウオッカと話し込んでしまっていたことが災いした。

 

「あ…ブライアン先輩!先生はその…。」

ウオッカは自分に大切なことを説いてくれた大城をなんとか庇おうとした。

だが、大城はその申し出を断った。

 

「いい…負けは潔く認める。これが大人ってもんだ。」

「そもそもルールを犯さないことが大人だ。」

ブライアンが間髪入れずにそういった。

 

返す言葉もない大城は黙って両手を前に。

 

「じゃあ、来てもらうぞ。」

そういってブライアンは、大城の襟をつかむと引き摺るように彼を連行した。

 

「おい…!そこかよ…!」

 

離れ際、ウオッカに対しロックサインを見せつける。

 

「じゃあな!ウオッカ!カッコよく…生きろよ!」

そういって大城の影は消えていった。

 

「先生…今めちゃくちゃダセェっすよ…。」

 

 

 




「なぁブライアン…これなんだと、「いらん!!」


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崩壊と再生

「どのツラ引っ提げて顔出しに来やがった…!」

チームベテルギウスの部室の戸を開けた瞬間、彼女らを迎え入れたのは、あの生徒会室に引けを取らないほどの憎悪と怒りを形にした、業だった。

 

ローズとドライブ、二人の正式な処罰が決まるまで、彼女らは帰郷を命じられた。要は自宅謹慎だ。

そのため二人は、自分のロッカーにしまっていた荷物を引き取りに来ていた。

 

だが、出入り口から自分たちのロッカーまでの道は、はるかに遠く感じた。

 

二人の前立ちはだかるチームリーダフロイドスピリッツ。その表情は鬼の面でもつけたかのよう。

 

「貴様ら…!よくも…よくもやってくれがったなぁ!!」

「スピちゃんダメッ!!」

思い切り拳を振り上げたスピリットを、レコードは必至で止めた。

 

「ふざけたことしてんじゃねぇぞ!!この野郎!!」

「やめて…スピちゃん!お願い!」

暴れるスピリットはレコードを振り払おうとする、だがレコードはそれに必死に抗った。

 

あれだけ冷静さを売りにしていたフロイドスピリットが、ここまで荒れ狂う様を見せたのは初めてだった。

 

「なんてことしたんだ…なんで…こんなこと…!」

その言葉とともに、スピリットは急にバッテリーが切れたかのように止まった。

二人はまるで言葉が出てこなかった。

 

「…お前らがやってくれたおかげでなぁ、ベテルギウスは…無期限の活動停止だぞ。ジェットスパートが控えていたエプソムカップも、レコードが控えていた宝塚記念杯も、全部出走停止になったんだぞ!…レコードに至っては、引退試合になるはずだったのに…。」

「いいの!スピちゃん…私は…大丈夫だから。」

その言葉が二人に重くのしかかった。

 

「すみま…せん…でした。」

必死に考えても、出せる言葉はそれしかなかった。

 

「すみませんで済むかバ鹿野郎!!あのな…今度このチームに関して内部調査と審議が行われることになったんだ…。トレーナーも、連日URAを始めとした関係機関に呼び出されて…。下手したらなぁ、このチーム…終わるかもしれねぇんだぞ。」

 

スピリットはガっとローズの肩をつかんだ。

 

「そうなったらどうするんだ!?お前らは責任とれるのか!?…返せよ。俺たちのチームを…返せよ!!」

スピリットはその場に膝をついた。

 

「返してくれよぉ…。」

そこに少しづつ、涙の声が混ざってくる。

 

スピリットは部室の壁に貼られたチームスローガンに目を向ける。

『一致団結、切磋琢磨』と記されたそれを。

 

「…どこが、一致団結なんだ…バラバラじゃないか…。」

そういって彼女は沈んでいった。

 

彼女が必死に造り上げ、守り抜いてきたそれを、自分たちは一瞬で崩し去った。

その現実が、二人にはあまりにも重すぎた。

 

―――――――――――――――

 

「…本気で言っているのかい?」

「…はい。」

 

マーシャルの言葉を聞いたルドルフはじめ生徒会のメンバーは、意表を突かれたように目を丸くしていた。

 

「差し支えなければ、理由を聞きたいな。…まさか、まだ何か弱みを握られているとか、脅しをかけられているとか、そういうことじゃないんだね?」

マーシャルは強く頷いた。

 

「…横からすまん。なぁ、お前は自分が何をされたかわかってるのか?今回こそはコトが上手く収まったからお前は生き延びれたようなものだ。そうならなったら、お前はもうここに居られなかったのかも知れないんだぞ。」

そう割って入ったのはブライアンだった。

 

「…わかってます。でも、私は生き残れました。…だから。」

 

―――――――――――――――

「失礼します。」

そういってマーシャルは丁寧に生徒会室の戸を閉めた。

そこから出てすぐの壁際に、大城はいた。

 

「終わったか?」

「…はい。」

「まったく、ワカランな。なんたってあんな連中に慈悲をかける。」

大城は腕を組んだままそういった。

 

「…トレーナーさんなら、こういう時って、どうするんですか。」

「問答無用でブン殴りに行くだろうな。」

「やっぱり…そうですよね。」

マーシャルはうつむいたままそういった。

 

「…なぁ、お前に一つ教えてやるよ。…許すってコトだけが、絶対的な正義じゃない。許せない相手がいたっていい。憎む相手がいたっていい。…俺だってそうだ。死んでも許せない野郎ってのはいるし、絶対に俺を許さないヤツだっている。大人の世界は綺麗事だけじゃすまされない。」

「そうかも…しれませんけど。」

 

マーシャルは伏せていた顔を大城に向けた。

 

「私、許すってのとは少し違うかもしれませんけど。…でもやっぱり、あの娘たちにはやり直してほしいとは思うんです。」

「なぜだ?お前は殺されかけたんだぞ。」

「でも、死にませんでした。」

 

マーシャルが間髪入れずに返した言葉に、大城は少し驚いた。

まるで自分のいつもの問答が、彼女に乗り移ったのかと錯覚する。

 

「理由は?」

少しの間を置いた後に大城はそういった。

 

「…トレーナーさんは、前に私に言いました。上下関係を教えてやることが先輩としての務めだって。…私、ベテルギウスにいたころ、上下関係どころか、何も大切なことをあの娘たちに教えてあげられなかった。ナメらめっぱなしで、先輩らしいことだなんて何もできなかった。…本当は、私がいろいろ教えてあげなきゃいけなかった。たとえ弱くっても、何がダメで、何が正しいのか。この世界でのルールを。」

大城は黙ってマーシャルの言葉に耳を貸し続けた。

 

「でもそれはできませんでした。…だったら、後輩たちが間違えたときに、今度こそ正してあげなきゃいけない。大事なことをしっかり教えて、もう一度手を差し伸べてあげなきゃいけないと思うんです。…私は、あの娘たちの…先輩だから。導いてあげないといけない立場だから。」

マーシャルの目に迷いがなかった。

 

「それに…レースで勝てなくて不安に、焦ってしまう気持ちはよくわかるんです。周りが見えなくなって、追い詰められて、私もそうでしたから。でも…そんな私だって、やり直せたんです。どん底の底から。だからきっと、あの娘たちだって…やり直せるはずだと…思ってます。」

「…懐が深いのは大いに結構だ。だが、誰かの為にとテメェを差し出すようなマネをしてちゃ、カラダがいくつあっても足んねぇぞ。」

「会長さんにも、同じことを言われました。」

 

大城は壁から背を離す。

 

「本当にいいんだな?…後悔のない選択をしろ。」

マーシャルは頷いた。

「きっとこのまま…あの娘たちを放っておくことのほうが、後悔しそうな気がするんです。…トレーナーさん。私ってやっぱり、バカですか…?」

大城はマーシャルの目の前に立った。

 

「ああ…大バ鹿野郎だよ。…さすが俺の担当だと言ってやれるくれぇのな。」

そういってマーシャルの頭をクシャクシャと撫でた。

 

「今日から練習再開すっか?」

「…はい!今日は、チコクしないでくださいね。」

 

そういうと、マーシャルは大城の横を過ぎて、廊下の奥へと消えていった。

 

「…なんだあいつ。いつの間にか…強くなりやがって。俺の出番なんて…なかったか。」

彼女の背中を目で追いながら、大城はそうつぶやいた。

臆病で小心者だった彼女の背中は、いつの間にか大きくなっていた。

 

「先輩として…か。」

 

その時、真後ろから何者かの気配を感じ取る。

のそっと振り向いた先にいたのは、エアグルーヴだった。

 

「よォ、これはこれは女帝サマ。ご機嫌麗しゅう。」

「麗しくは…ないな。会長がお呼びだ。」

「おいおい…今日は持ってすらいねぇよ?」

 

そういって大城は手のひらをひらひらさせる。

 

「…貴様の教官室を捜索すれば、山のようにそれが出てくるんだろうな?…まぁ、今回は別件だ。」

 

―――――――――――――――

 

「やぁ、先生。」

「よぉ、世話焼かせたな。ルドルフ。」

そういって大城はソファにドカッと腰を据える。

 

「…まさか、意外だったよ。彼女が、あの二人のことを赦免してほしいと願い出るだなんて。温柔敦厚、寛仁大度もいいところだろう。」

「俺に似たんかねぇ。」

「貴方が何かを働きかけたわけでもないんだね?」

「…。まぁ、最悪の結果になった場合、連中に対しては何かしら手を打とうとは考えていた。だが、こればっかりは完全にあいつの意思だ。」

 

大城は足を組みなおす。

「ここまでの仕打ちをした相手にも…再生の機会を恵む、か。…私もそこまで温情になりきれるかは、わからないね。」

「…あいつら、いまのとこどうなってる?」

「自宅謹慎を命じている。正式な処罰については…今後検討。といったところだね。」

「退学の方針か?」

「それも視野には入れている。…だが、可能ならばそれは避けたい。」

 

トレセン学園の生徒の首を切る行為、それは、ルドルフの理念を否定することと同意義である。

彼女にとっても、退学という処罰は気軽に頷けるものではなかった。

 

「まぁ、最も最終的な判断を下すのは理事長だ。私たちができるのは、あくまで稟議さ。」

「だろうな。」

「貴方はどう思ってる?先生。」

「…腐っても、俺の生徒だ。」

 

大城はそれ以上は語らなかった。

 

「マーシャルの願い入れの件もある。議論は慎重に行うよ。だがもちろん無罪放免とはいかないよ。罪には罰が必ず設けられる。でなければ、他の生徒たちへの示しもつかないからね。」

「頼んだ。」

 

そういって大城は腰を浮かした。

 

「…待ってくれ。先生。貴方を呼んだことには、もう一つ別の理由がある。」

大城はすぐに察した。

 

「…この学園には、随分とクチが軽い輩がいるんだな。」

「ではやはり、本当なんだね。貴方が患っている(それ)は。」

「まぁな。あーあ。お先も長くねぇってのに、下らねぇコトに時間割いちまったよ。」

大城は頭をかくしぐさをしながらそう言った。

 

「…そうか。それでも貴方は、トレーナーを続けるという選択をとったんだね。」

「死に際にくらい、いい花火を見たいだろ?…あんまり言いふらすなよ。マーシャルだってまだ知らねぇんだ。」

「なぜ、黙っているんだい?」

「…自分でも知らなかったが、俺って結構臆病なんだよ。」

 

そういって大城は生徒会室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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トレーナーとしての価値

「…痩せたなぁ、お前。」

大城のトレーナー室。

 

彼のデスクの前に佇む男は、疲れ切った顔で、しきりにため息を吐きながら、淀んだ目で大城と向き合っていた。

 

「ええ…7キロは体重が減りました。」

「ちゃんと食ってんのか?」

「…昨日、栄養食を少し。」

 

大城はデスクの引き出しにしまってある、生徒たちへの餌付け用と称した菓子を宮崎に投げた。

 

「しんどい時こそ、食え。食わなきゃ何も始まらん。」

「…ありがとうございます。」

 

宮崎は個包装の菓子を剥くと、そのまま口へ運んだ。

「どうよ?生徒たち(あいつら)からの評判が結構いい菓子なんだけどよ。」

「あまり…味がわかりません。」

「そうか。」

 

ふっと鼻で笑うと大城は立ち上がった。

 

「ま、座れよ。」

そういって応対用のソファを指す。

「いえ…このままで。」

「あっそ。」

そういって大城は上座へ座る。

 

「ンで。最近お前学園内で見なかったな。」

「ええ、例の件で…URAや支援機関、二次団体、さまざまなところから呼び出しがありまして。今日はURAの5度目の聴取を終えたところでした。」

「コテンパンにされてきたワケだ。」

大城は宮崎に渡したものと同じ菓子を口へ運んだ。

 

「それと…マーシャルさんの親御さんのもとへ、二人の保護者とともに。」

「マジか。あいつの実家、九州だろ?」

「ええ…。」

クラウン(あいつ)おっかなかったろ?」

 

宮崎は大城のほうを向く。

 

「沈着な方でした。『娘が与えたチャンスを、ふいにしないでほしい』と。…言葉の裏にいろんな思いがあったかと存じます。」

「ケツ蹴っ飛ばされなかっただけ、幸運だったな。」

「…」

 

既にもぬけの殻のようになった宮崎を見かねた大城は、立ち上がって彼を下座のソファに突き飛ばした。

「やっぱ座れ。んな棒立ちされてちゃあ、気味が悪い。」

「大城さん…、私は。」

「謝罪の言葉ならもういい、大概聞き飽きた。」

 

そういって再び大城はソファに掛けて足を組む。

宮崎は再び大きなため息をついた。

 

「苦労してんなお前。苦労は美徳だとかいうが、お前の場合そうは見えんな。」

「…いままでのツケが返ってきたとしか言いようがありません。…真摯に彼女たちと向き合ってこなかった。そのツケが。」

「URAはなんて言ってる?」

「今までのベテルギウスの体制を洗いざらい調べられました。無論、マーシャルさんを足切りにしようとした事実も。その結果、私のトレーナーとしての適性に疑問があると、諮問委員長並びに重役員たちからの指摘がありました。トレーナー資格の剥奪も覚悟する必要があると。」

 

宮崎は手を組んだ。

大城は冷えていないブラックの缶コーヒーを段ボール箱から取り出すと、宮崎に一本投げ、もう一本を自分用に開けた。

 

「じゃあ、クビ濃厚ってワケね。」

「それが…違うんです。」

「違うってな、どういうこった?」

「今日の委員会審査で…数か月間の業務停止と減給処分を経た上で、私の続投が決定したと告げられました。」

 

宮崎の顔は綻ぶことなく、寧ろ困惑しているようだった。

 

「ほぉ、あの諮問委員長にしちゃ、随分と大甘裁定じゃねぇの。トシ喰ってカドが丸まったんかねぇ。」

大城は特に驚くこともなく、飄々とした態度でそういった。

 

「…URAに嘆願書が宛てられたそうなんです。内容は、私の続投を強く願うといった内容だったんだそうで。それを受けて今回の裁定が下ったと。」

「はっはっは、お前のファンがいるんだな。」

 

宮崎は缶コーヒーを開けることなく、両手で握ってただただラベルを見つめた。

 

「わからない…なぜ、こんな私に。一体誰が。」

「世の中は広い、そんなモノ好きの一人や二人くらいいるもんさ。」

「…ですが、やはり私は、ここを退職しようかと考えてます。」

「はぁ?なんでだよ。」

 

缶コーヒーを机に置くと、再び下を向いた。

 

「説明する必要…ありますか?私は、やはりトレーナーとしての器はなかった。二流どころか、失格ですよ。この騒動…すべての責任は私にあります。あなた方ひいてはURAやトレセンに泥を塗った。それでも…まだおこがましくトレーナーを続けるだなんて…。」

「…まぁ、俺はお前の母ちゃんじゃねぇからな、無理に続けろ辞めろなんてこた言わねぇけどさ。お前を支持したどっかの物好きの意見はどうなるんだ。」

 

「そんなこと…。」

「物好きだけじゃねぇ。あの二人、退学は免れたんだろ?だが、あいつらは今後テメェの犯した罪を償いながらここで生きていくんだ。周りから後ろ指をさされながら。それをそばで支えてやれるのは…お前じゃないのか?お前が抱えてるチームだってそうだろ?再建のやり方も知らずに腐ったまま、そんでお前まで居なくなったら、いよいよだぞ。」

宮崎の息が、少しづつ荒くなる。

肩がわずかに震えて、スンスンと聞こえる鼻息は、彼の男泣きなのだろうか。決して顔は上げなかった。

 

「貴方は…どうなんですか?こんな私が、トレーナーを続けることに、価値があると?」

「その価値があるかどうかはお前自身が決めろ。」

「いいんですか…私は…やり直しても。」

 

「お前ってさ、昔っから諦めの悪い奴だったろ。先輩のいうことにも逆らって、テメェの信じたことを貫こうとして、失敗して、周りから嘲笑われて、でもそれでも前向こうとしてさ。確かに今のお前はただのクソ野郎さ。だが、その実績は本物だ。正直お前のことはいけ好かん。リクツ並べて気取りやがるお前は。ケドあの時もそう、自分自身に気が付いて、それでまた必死に前向こうとするお前は…割と嫌いじゃないんだぜ。」

 

大城は缶コーヒーを飲みほした。

 

「いつまでも悲観的になってんじゃねぇ。進むべき道見つけたんなら、とっとと前に行けってんだ。」

その言葉を聞いて、宮崎はやっと顔を上げた。

 

そして立ち上がり、大城に頭を下げた。そのまま、トレーナー室の戸に手をかけようとしたとき、立ち止まった。

「私も…貴方のことは苦手です。自由奔放な態度や、歯に衣着せぬ物言いには眉を顰めることもあります。…ですが、誰かと真摯に向き合って信じ抜くことのできるその気丈で気高い精神には…トレーナーとして、いえ、一人の男として、心から尊敬します。」

そういってもう一度、大城へ頭を下げた。

 

それを見た大城は、宮崎へあるものを投げた。

「…やるよ。たまには何かに寄りかかれ。自分って存在は、思ってるほど強くねぇからさ。ほどほどに頑張れよ。」

それは、彼がいつも愛煙している煙草だった。ラベルも剝がされておらず、新品のまま。

 

「…はい!」

 

――――――――――――

 

「いやぁ、一時はどうなるかと思ったが、丸く収まってなによりだ。」

生徒会室の壁に背を預け、大城はそういった。

今の空間、そこにいるのは大城とルドルフのみだった。

 

「丸く…というのは誇張だな。」

「いいじゃねぇの、丸くってコトで。」

大城はクスっと笑いながらそう言った。

 

「それにしてもまぁ、よくあの二人のクビを守り抜いたもんだ。感服するよ。」

「それは…マーシャルの意思が大きかったんだ。それに、彼女らにも再建の見立てがあると。それを踏まえた上での理事長の英断さ。」

「流石だな。」

 

「ただ、退学にならなかったとはいえ、今後暫くレースへの出走は認められない。それに…この騒動について、彼女たちのしたことは学園中の生徒におそらく知れ渡っているだろう。その中で自分の犯した罪を背負って、向き合って生きていくということは、並大抵ではない。私は決して、甘い裁定ではないと思ってるよ。」

「同感だな。」

 

ルドルフは手を組んで、机に肘を付けた。

 

「それだけに少し心配な面もある。その現実に耐えかねて、彼女らが更なる間違いを犯さないかというね。」

「それは大丈夫さ。」

「なぜそう言い切れるんだい?」

 

「あいつらを信じて、寄り添ってくれる奴がいるからさ。あいつがいるんなら、今度こそはきっと大丈夫だ。俺はそう信じてる。」

「信じる…か。」

 

「ベテルギウスはどうなった?」

「連帯責任ということで、活動停止処分にはしたが、そのうち解放する予定だ。だが、今後しばらくは厳しい監視をつけることを条件にした。内容成果や日報の提出も義務付けた。まぁ、様子見ということだね。」

「ナルホドねぇ…。まぁ、チームのほうも大丈夫だろ。あいつなら。」

 

「…宮崎トレーナーの件、手を回したのは貴方だろう?」

「さぁ…なんのコトかな。」

そういって大城は生徒会室を後にした。

 

 

 

 



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もう一度ここから

…見て、あれベテルギウスよ。

 

うわほんと、あーあ、勢いのあったチームだと思ってたのに、惨めったらないわね。

 

…なんであいつらまだ学園にいるわけ?フツー退学でしょ?

 

トレセンがやらないんなら、私が呟いちゃおうかな。騒動の真犯人はローズとドライブだって。

 

やめときなって、そんなことしたら、あたしらまで草むしりよ。

 

確かにそれはヤかも。

 

―――――――――――

 

「…大方、片付きましたね。場所を移しましょうか。」

「はい。」

 

トレセン学園の中庭の隅に、ベテルギウスたちはいた。

全員がジャージを着て、草刈り鎌を片手に奉仕活動に励んでいた。

 

現在のベテルギウスは、最早小規模のチームとなっていた。

かつてのメンバーたちはごっそりと退部し、残っていたのはチームリーダーのスピリットとグッドレコード。ローズとドライブ。そして他チームから受け入れを見送られ、なくなく在籍している数名の部員。活動人数としては最低限だった。

 

「皆さん、お疲れのようですがもう少し頑張りましょう…終わったら、皆でアイスでも食べにいきましょうか?」

宮崎はいつもと変わらぬ優しい口調でそう言った。

しかし彼の言葉もむなしく、彼女たちに光が差し込む様子はなかった。

 

「ありがとうございます。宮崎トレーナー。…お前たちも返事くらい、したらどうだ?」

スピリットはか細くメンバーたちにそういった。

 

「いいんですよ。スピリットさん…。そうだ、駅前の新しくオープンした所へ行きましょう。とても評判がいいそうですよ。」

宮崎が無理にそう明るくいっても、聞こえてくるのは沈黙だけだった。

 

その沈黙に、宮崎は思わずため息をつきそうになるが、ぐっとこらえた。

まだ、始まったばかりなんだ。もう一度、彼女らに光を与えるのは、自分なのだと。自らに喝を入れる。

 

そこへ、軽薄で陽気な声が彼らのもとへ。

「…お前のオゴリだってんなら、行くぜ?」

 

その場にいた全員がはっと振り向く。

そこには、あの大城と、マーシャルがいた。

 

その手には草刈鎌が握られており、大城までもが似つかわしくないジャージを着ていた。

 

「お…大城さん?マーシャルさんまで…?一体、なにを?」

宮崎は驚きを隠せなかった。

 

「みりゃあわかんだろ?トレーニングさ。草刈りってのは、いい足腰のトレーニングになるんだと。…知らねぇケドな。」

大城はヘラヘラとそういった。

 

「…ナンだよ、もうあんまりねぇじゃねぇの。ツマんねぇな。」

そういって彼女らがすでに刈ってしまった跡地を見て大城はそう漏らした。

「まだ、少しそこに残ってますよ。」

マーシャルはその場所を指す。そしてそこへ行き、身を屈めた。

 

そして器用にサクサクと草を軽快に刈っていった。

「ほぉ、ウマイもんだな。」

「お父さんに習ったんです。私のお父さん、草刈り上手なんですよ。」

「どーせクラウンにさせられてるってオチだろ?ダンナは今でも尻の下か?」

「もぉ!ダベってないでトレーナーさんもやってくださいよ!」

 

その二人の様子をベテルギウスたちは茫然と見ていた。

 

「おい、お前らもとっととヤレよ。駅前のアイス屋、18時には閉まるぞ!」

大城は固まってる彼女らにそういった。

 

その瞬間、その集団の中から、誰かが動いた。

…ローズだった。彼女は早歩きでマーシャルのもとへ行き、足を止めた。

ローズを前にしたマーシャルは、ゆっくりと立ち上がった。

 

「おい!ローズ!」

一触即発の危機を感じたスピリットは走って彼女らに駆け寄ろうとするが、その瞬間大城が手を挙げた。…つまりは二人に干渉するなという合図だった。

スピリットは不安を顔に残したまま、ゆっくりと引き下がった。

 

向き合った二人の間に途方もない時間だけが流れていくようだった。

それを断ち切るかのように、最初に口を開いたのはローズだった。

 

「なんで…私たちを、助けるようなマネをしたんですか…?私たちが…何したか…わかってるんですか?先輩…バカ…なんですか?」

ギリギリと強く食いしばった歯から、音がなるようだった。

 

「…そうかも。」

「そうかもじゃないですよ…!一歩間違えば…先輩は!」

「わかってる…それでも…私はそれを望んだの。」

「…なん…で、なんで…。」

 

マーシャルは、レースさながらのように、大きく息を吸い込んだ。

 

「ローズさん、あなたは…間違ったことをした。だからそれは、ちゃんと反省してほしい。ちゃんと反省して、もう一度やり直してほしい。こんな所で終わっちゃうのは勿体ないよ。あなたは強い…ウマ娘なんだから。」

「は…はぁ?なんで?どうしてそんなことするの?なんでそんなこと言うの?ワケわかんない。どうしてそんな。なんの義理があって…」

「私は…あなたの先輩だから。」

 

再び感情が激しく揺れ動くローズに、マーシャルはそう諭すように言った。

 

「私は確かに、あなたよりもずっと弱かった。先輩らしいこと何もできなかったし、見せてあげることもできなかった。本当は、そんなことじゃいけなかったのに。…でもね、今は違う。私は、もう弱くない。もう、あの日の自分とは違う。だからもう一度、今度こそは私は胸を張って、あなたの先輩だって言えるように、やり直したい。今度こそ、あなたたちを導いてあげられる存在になりたい。」

 

マーシャルの瞳と言葉に、ローズは再び膝をついた。

 

「う…ああ…あ、せん…ぱい…すみません…でした…。あ…あああああああああ!!!」

激しく咽び泣くローズを、マーシャルは優しく抱擁した。

 

―――――――――――――

 

「お召し上がりにならないんですか?大城さん。」

「俺、甘いモンダメなのよ。」

 

そういって、大城は移動式アイスクリーム屋から、ほんの少し離れた場所に設置された公共の灰皿付近で懐を探った。

そして、煙草を取り出すが、生憎それは空箱だった。

 

「…はん、ツいてねぇ。」

それを見た宮崎は、大城へと持ってきたアイスのカップを石段の上に置くと、懐から、煙草を取り出した。

ピーっとラベルをはがし、取り出しやすいようにトントンと箱をたたいて大城へ差し出した。

 

「…なんだ、持ってたのかお前。」

「生憎ライターは持ち合わせていませんが。」

大城は煙草を一本取り出すと、それを咥えて火をつけた。

そして再びその箱をたたいて、また一本出すと宮崎へ差し出した。

 

「火ぃなら貸すぜ。」

「では…お言葉に甘えて。」

そういうと、大城は宮崎の咥えたタバコへ火をつけた。

 

「どうだ?これからやっていけそうか?」

大城はアイスクリーム屋の前に設置された簡易テーブルに着く彼女たちを見る。

その雰囲気は明るい…とまでは言えないが、でも確かに少しだけ綻んでいるようにも見えた。

 

「ええ…時間はかかるかもしれませんが、少しづつ、一歩づつ、歩いていきますよ。」

ふぅと煙を吐く宮崎の顔は、長い梅雨を経て、いつ振りかに晴れているようだった。

 

「そうか…ならいい。」

「もう一度三流から始めます。そしていつかきっと、貴方と並ぶ…いえ、超える一流になる。」

「ナマ言ってんな。道のりは長ぇぞ?」

「…上等ですよ。」

宮崎はクスっと笑った。

 

「…いいツラしてんな。お前。」

大城はボソっとそういった。

 

「アイス…溶けちゃいましたね。」

「イッキでもすっか?」

「そうですね。」

二人はアイスのカップを、まるでビールを煽るかのように傾けた。

 

「おいしかったですね。ここのアイス。」

マーシャルは満足げにそういった。

「ああ、そうだな。…なぁ、マーシャル。」

スピリットはマーシャルに向き合った。

 

「あんなことがあった手前…ちょっと言いづらいけど、俺たち、また、食事会の計画を立てようと思ってるんだ。その…よかったらお前も、来ないか…?」

「…はい!ご一緒させていただきます!」

スピリットは安堵の息をついた。

「そうか…なら、楽しみにしといてくれ!」

 

「皆さん。そろそろ引き上げましょう。」

宮崎が彼女らに向かってそういった。

彼女らは次々に腰を浮かす。

 

マーシャルも自分の空になったカップをもって立ち上がろうとしたときだった。

「あ…先輩…私、捨ててきますよ。」

と、ローズはマーシャルに言った。

 

「…うん。ありがとう。」

マーシャルは優しく微笑んだ。

 

――――――――――――――

 

『さあやってまいりました!!京王杯スプリングC今日のレースいかが見られますか?』

『そうですね!名だたるスプリント界の強豪たちが集いしレース、どの娘も注目と称したいところではありますが…やはりここは彼女でしょう!。』

『帰ってきた伝説のスプリンター!不幸に見舞われた疑念を自ら跳ね返し、再びその勇士を露わにしてくれました!レッドマーシャル!!』

 

彼女のその姿に、観客たちは歓喜の声を上げた。

 

…ただ、その中にも、少数ではあるが、その騒動を未だに面白がる輩もいることも事実。

 

「おーい!!今日もドーピングで勝つのか?クスリやってんなら勝って当然だよな!」

「おいバカやめろって」

身なりをチャラつかせた剃り込み金髪姿の男二人組が、笑いながらスターティングゲートに構えるマーシャルにそういった。

 

「今日はどんなクスリキめてきたんだ?ちゃんと尿検やってんのか!」

「だーからやめろって。」

場所もわきまえずにそう嗤う男たちだったが、すぐに周りの異変に気付く。

 

「…ん?…え?」

老若男女問わない周りの観客たちの鋭い視線が、二人の男に突き刺さっていた。

それからはまるで、今にもこちらに嚙みついてこんとせん、気迫が感じられた。

 

「な…なんなんだよ。」

二人の男はそれに不気味さを感じる。

 

「…なぁ、君たちはそれ本気でいってるのか?」

一人の若い青年が、二人の男の前に立った。

「お…おい、田原、やめとけって!」

青年の友人が止めに入るが、田原は止まらなかった。

 

「俺は、ずっとあの娘を見続けてきたんだ。彼女がここまで来た努力と実力は本物だ!それをバ鹿にするのなら…ゆるさない…!」

「あ…ああ!なんだよ!あいつドーピングやってたって雑誌にも載ってたじゃねえか!…ったく、こういうオタク、信者とかいうんだろ!」

そういって二人の男が田原をドンと突き飛ばして、その場を去ろうとした時だった。

 

何者かが二人の男の間に割って入り、両腕を二人の肩にかけた。

「よォ!…さっきナンっつってた?よく聞こえなかったからさ、もう一度俺の前で言ってみろよ?」

その人物は…二人の男たちですら知っている人物だった。

 

大城白秋…レッドマーシャルの専属トレーナー。

 

「な!…あ!」

まさかの大城の登場に、二人の男は動揺した。

 

「最近耳が遠いのよ。…で?なんっつってた?内容次第じゃあ、テメェら丸裸にひん剥いてパドックに吊るし上げるぞこの野郎。」

大城が生み出すその空気は、その文言が冗談じゃなく聞こえるほどだった。

 

「あ…いえ、マーシャルが、その、カッコイイな…って。」

「ほぉ、わかってんじゃねぇか。」

 

『さぁ!最終コーナー差し掛かった!!ウマ娘たちに動きがみられる!』

 

大城は男たちから腕を外した。

 

「…お前らの目で確かめてみろよ。アイツの足が、ニセモンかどうかよ。」

 

『さぁここで!レッドマーシャル!勝負に入った!!』

 

自分の体とよく対話して、しっかり前を見据えて、深く息を吸う。

やることなんていつも変わらない。

100パーセント勝てるわけじゃないけど、でもこれが私の武器なんだ。

 

私は…自信をもって言える。

この、私の足は…

 

 

本物だって!

 

 

 

『なんてことだ!レッドマーシャル!!先頭とのその差がまるでブラックホールに引き寄せられるかのようにグングンと近づいていく!!』

 

「あ…。」

その圧巻のパワーに、二人の男は飲み込まれた。

 

『今!先頭のオオシンハリヤーを抜き去って!ゴールイン!!レッドマーシャル!!その復活を!見事に飾ってくれました!!』

会場の空気が震える。

そのマーシャルの姿に、涙を見せるものさえいた。

 

『見事に圧巻の走りでした!実況と解説である我々が保証しましょう!彼女の足が、本物であることを!』

 

金髪の男二人組は、口を閉じることさえ、忘れていた。

 

大城はそんな男二人を後目に、去っていった。

 

 

 

 




「アイス代、折半してやるよ。」
「正直…助かります。」


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2000mの世界
海へ


「マーシャルさんったら、少し甘いのではないんですこと?」

ガタガタと路面の影響を受ける、荷物を大量に積んだバンの後部座席で、メジロマックイーンは腕を組んで不満を垂らしていた。

 

「まぁ、本人がそれでいいってんならもういいじゃん。それに、そんなにプリプリしてると~?」

トウカイテイオーがニヤっと笑う。

 

「このゴルシちゃんが黙ってないぜ!」

そういってゴールドシップがマックイーンの膨れた頬をプニっとつついた。

 

「ちょ!ちょっとお二人とも!」

不意を突かれたマックイーンはムキっと赤くなる。

 

「お前ら、あぶねぇから大人しくしてろ!」

ルームミラーにてその様子を見かねた沖野はため息交じりにそういった。

 

「でも、確かに私も甘いと思うわ。自分の名誉をあれだけ汚されたのに、私なら絶対黙ってない。それを許しちゃうだなんて…。」

スカーレットは窓枠に肘をついて、外を眺めながらそういった。

 

「俺は最高にカッケェと思うけどな。自分の敵に手を差し伸べられるなんて、俺にはマネできねぇや。」

ウオッカはスカーレットの真横で、彼女とは反対の方向を向きながらそう言った。

 

「でも何はともあれ、マーシャルちゃんが無事に復帰できてよかったです!」

スペシャルウイークは遠足ばりに用意した菓子を食しながら言う。

「そうね。あれだけの強い精神…私も見習わなくちゃ。」

とサイレンススズカは前を走るものが何もいない、フロントウインドウを眺めながら満足そうにそういった。

 

「で?そのマーシャルセンパイは?」

とウオッカが訊く。

 

「現地で合流だ。俺たちのほうが先に着く。ちょっと遅れてくるそうだから、待ちになるな。」

そういったときだった。

 

彼らのバンの背後からウオンウオンと唸るようなサウンドが忍びよってくる。

沖野はバックミラーでその音の元を視認する。

彼にはその音の正体がすぐに分かった。

 

「…ウソだろ。俺たちのほうがずっと早く出てるハズなのに。」

そのサウンドは益々音を重ね、もはやバックミラーを見ずとも、すぐ背後にいることが感じ取れるほどに迫った。

 

「…?なに?」

スカーレットが窓枠を覗き込む…その瞬間。

 

一台の白いポルシェが、爆音と共に圧倒的なスピードで、そのバンをまるで止まっているカメのように抜き去っていった。

 

バンのフロントガラスには、そのポルシェの背中が。

唸るエキゾーストサウンドはドップラー効果でまた違ったサウンドを演出する。

そしてそのマフラーからは、後ろを走るバンに合図をするかのように、ボッと一瞬火を噴いた。

 

「トバしすぎだろ…大城さん。」

沖野は唖然とした。

 

「ちょ…ちょっとなんなのあれ?」

スカーレットも一瞬の光景に目を丸くした。

「911…GT3ってマジかよ!やっべぇ!スッゲェ!!」

ウオッカは食い入るようにその車の背中を目で追った。

「それってすごいの?」

「知らねぇのかよ!ポルシェの新型だぞ!510バリキを誇るバケモンだよ!100km/hまで3秒…それでしかもターボなしっていうんだからさ!」

「さ…3秒!?」

 

その加速力は、彼女らの世界では途方もない。

次元が違うとはまさにこのことか。

 

全員が唖然としている中、それをよしとしない者もいた。

「おい!何やってんだよ!抜かれちまってんじゃねぇか!!それでもアタシらのトレーナーか!?」

そういってゴールドシップが自分の席を抜けて、運転する沖野に背後からつかみかかった。

 

「ゴールドシップさんの言う通りですわ!レースに生きる者、ただで抜かされて黙っていられませんわ!」

急にスイッチの入ったマックイーンも言った。

「先頭の景色が…。トレーナーさん…。」

スズカも縋るように言う。

 

「バカいうなお前ら!!あんな車とじゃあ比べもんになるか!!」

 

――――――――――――

 

「飛ばしすぎですよトレーナーさん!」

「はっはっは!何が悲しくてあいつらのケツ追っかけてなきゃいけねぇんだよ!」

そういって大城はエンジンブレーキを使って静かに減速する。

 

バックミラーからはすでに、スピカたちが乗ったバンは消えていた。

 

「まったく!またお巡りさんに怒られても知りませんよ!」

「心配御無用、警察にも知り合いは沢山いるのヨ。」

 

二人がそういった時だった。

 

車の窓の外から民家や鉄道などが一気に消え失せ、一面光り輝く海が広がった。

 

「うわぁ…海だぁ…。」

その光景に、マーシャルの目は光り輝き、尻尾は無意識に揺れる。

「海だぁって、お前海育ちだろ?」

「海育ちはそうですけど、堤防とかばっかりでビーチはあんまりないんですよ。だからちょっと楽しみなんです!」

「ほぉ、そりゃ結構。今回は嫌というほど泳いで走ってもらうぞ。」

「はい!」

 

――――――――――――

 

「よォ!遅かったな!アクセルペダルでも折れたか?帰りは牽引してやったほうがいいか?」

海岸の駐車場で、ポルシェを背に煙草を咥えた大城は、やっとたどり着いた沖野達に向かってそういった。

 

「こんにゃろお!小島ぁ!!」

ゴールドシップが大城にガンを飛ばす。

 

「勘弁してくださいよ大城さん…。マーシャルは?」

「先に準備してるさ。お前らもとっとと行ってこい。」

そういって大城は煙草の火を消した。

 

――――――――――――

 

「…沖野よぉ、お前どれがいい?」

「そうですね…お、あそこの長髪黒髪美人なんて悪くないっすねぇ。」

「ああいう清楚っぽいの、お前好きだよな。だが、ああいうのは稀に地雷だぞ。」

「大城さんはどうだっていうんですか?」

「そりゃあまぁ、出るトコでてて、ちょっと遊び慣れてるカンジってのがオヤジの心を擽るもんなのよ。」

 

その時、白くしなやかな体のラインに、豊満なそれ(・・)を引っ提げた、大人の余裕香る女性が、アロハシャツにサングラスをはめてビーチベッドに寝そべる二人の前を横切る。

 

二人はその女性の背中を目で追う。

「…悪くねぇ。」

「…ですね。」

 

そういって二人が視線を前に戻したとき、そこに水着姿のウマ娘たちがズラッと腕を組んで並んでいた。

 

「何…してるんですの…お二人とも?」

マックイーンが静かに言った。

 

「そりゃま、目の保養よ。海に美人は付きモンだろ?」

「ほぉ…私たちが事前準備に励んでいるというのに、当の指導者であるあなた方は…鼻の下を伸ばして、いいご身分ですこと。」

 

「いや、ま、マックイーン!落ち着けって!」

沖野はマックイーンの殺気を感じた。

 

「大体!美人なら目の前にいるではありませんこと!」

マックイーンの声と同時に、スピカメンバー+マーシャルはふんとドヤ顔を決める。

 

「…なぁ、沖野あそこのブロンドギャルなんてどうだ?」

「マジすか。あれ子連れでしょ?」

と大城と沖野の目線は海のギャルたちに戻る。

 

「…いい加減に…なさい!!!」

そういってトレーナー二人は、担当ウマ娘たちに蹴り上げられ、海へダイブしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「…お前褐色美人と白肌美人ならどっち派だ?」
「…白肌ですかねぇ。」
二人は海にプカプカ浮きながらそう言った。


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夏合宿トレーニング!

私はどうやら、砂場というものを甘く見ていたらしい。走りにくいなんて生易しいものじゃない。

ターフのような路面からの反発を得られずに、思うように前に進めない。

地面を蹴っ飛ばそうにも、柔らかく深い砂に力が吸収されてしまう。

 

それに、足場が全く安定しない。

少しでも気を抜こうものなら、砂に足を持っていかれて、強制スライディング。

 

ダートすらも走ったことのない私にとっては、未知の感覚だ。

でも…上等!

 

不利な条件こそが、私を強くしたんだ。

重い蹄鉄だって、不慣れな呼吸法だって、7秒だって!

 

――――――――――――

 

「マーシャルさん!もう少しですわ!」

ゴールでは、マックイーンがドリンクとタオルを持って手を振っていた。

 

「ほらほら!がんばれ~!急がないと…ゴルシが追い付いちゃうぞ!」

と、マーシャルと並走をするテイオーがいう。

 

マーシャルはちらっと横目で後ろを見る…そこには。

 

「はーっはっはっは!!!待ちやがれってんだ!!お前のレッドをパープルかバイオレットにしてやる!!」

といいながら、まるで砂の上を走っているとは思えないほどの地響きを立てて、ゴールドシップが迫ってきている。

 

「ひ…ひえええ!!」

後ろを向いたことを後悔したマーシャルは、その場から全力スプリントモードへ入る。

 

その際、思いっきり蹴り上げた砂が…ゴルシの目へゴールイン。

 

「めがあああああああああああ!!」

 

そのままゴールを切ったマーシャルだが、そのゴルシの断末魔を聞くやいなや、マックイーンからのドリンクも受け取らずに彼女のもとへ。

 

「ご、ごめんなさい!!ゴルシさん!大丈夫!?」

「大丈夫ですわマーシャルさん。この方の目は鋼鉄でできておりますから。」

 

そういってマックイーンはポンとマーシャルの肩をたたいた。

 

――――――――――――

 

「…ふぅ。」

一通り走り込みを終えた一行はペタリと日陰に身を寄せ合う。

 

「もうちょっとあっち行けよ、暑いだろうが!」

「何よ!あんたがそっちに行きなさいよ!」

「ゴールドシップさん、もう少し離れていただけると…。」

「いやぁ、マックイーンの二の腕冷たくて気持ちいいんだよぉ。」

「え!ほんと?じゃあボクも!」

「ちょっとお二人とも!」

「マーシャルちゃん、お水大丈夫?」

「うん…ありがとう。スペちゃんの分は?」

「えへへ、もう全部飲んじゃった!」

 

そこへ、沖野の姿が。

「よぉし、お前ら十分にクールダウンしておけよ!この次は水中トレーニングだ!」

「よっしゃあ!涼しくなるぜぇ!」

ウオッカが雄たけびを上げる。

「バカね。水中こそ熱中症の危険があるのよ。ノンキでいいわね。」

「うっせぇんだよお前はグチグチ!」

「…お前らが一番熱いぞ。」

 

そんな彼女らのやり取りをよそ眼に、マーシャルは周りをキョロキョロ。

「沖野さん…私のトレーナーさんは?」

「え?大城さん?…さっきまでその辺にいたんだけどなぁ、煙草か?」

「もしかして…あれじゃあ。」

 

そういってスズカがそっと指をさす。その先に大城はいた。

若い女に囲まれて。

 

「はぁ?女子大生だと!?サバ読んでんじゃねぇだろうなお前ら。」

「ホントだって!そういうオジサンはどうなの?」

「俺か?…まだアラフォーよ。」

「絶対嘘!」

 

そういって若い女たちに相手に満更でもなさそうな大城に、ウオッカとスカーレットが動いた。

「…やるぞ。」

「…ええ。」

そういって腕を鳴らして。

 

「「うおおおらあああ!!」」

と、ダブルラリアット。

 

「ぐわああっ!!」

どさっとその場に沈んだ大城を見た女子大生たちは、悲鳴を上げながら一目散に去っていった。

 

「…なにしやがんでぇお前ら。…もっとオヤジをいたわれってのよ。」

「何してるってのはセンセのほうだろ!?マーシャル先輩が頑張ってるってのによ!」

「ダイジョウブだよ。あいつは…ほっといても頑張んのよ。」

そう首をさすりながら大城はいう。

 

その大城を冷ややかな目で見ながら、マーシャルは言った。

「トレーナーさん。…真面目にやってくれないと、椿さんにいいつけちゃいますよ!」

「あ…そりゃマジ勘弁。」

 

――――――――――――――

「…トレーナーさん。どうして私だけ、競泳トレーニングに浮袋付きなんですか?」

「なんでってそりゃあ、お前途中でスタミナ尽きて溺れ死なれちゃたまらんだろ?」

「そうだとしても…。」

その浮袋は、ピンク色のちょっと可愛らしいデザインの入ったものだった。

 

「もう少し、シンプルなのなかったんですか?」

「いや、自前用意するハズだったんだが、忘れちまってな。そこの海の家で売ってたヤツなのよ。…小学生用の。」

「しょ…小学生用…。」

その言葉に唖然とする。

 

「まぁちょうどいいみてぇだし、いいじゃねぇの。死ぬよりかは。」

「私のこと、いくつだと思ってます…?」

「いいから行ってこい!」

そういってトンとマーシャルの背中を押した。

 

(私…こんなものなくったって!)

そう憤るマーシャルだったが。

 

「…大丈夫?」

「お、生きてら。」

「浮袋…ちゃんと空気は入ってますね。」

数分後に、マーシャルは海岸であおむけ。

 

「…お前って、スタミナ不足以前に、カナヅチだったのか…。」

大城は呆れたようにそう言った。

 

 




「その浮袋、記念にやるよ。」
「…ほしくないです。」


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3番勝負

それからも、私とスピカチームとの合同合宿練習は続きました。

並走してくれるスピカの皆は、私のことを気遣ってくれながら、練習に励んでいました。

 

スピカの皆はすごいです。こんな砂の中、海の中でさえ、どんどん前へ前へ行ってしまうんだもの。

去年なんて、あそこの向いにある島まで泳いでトライアスロンをしたんだって。

 

でも、私はここの砂浜トレーニングでさえ、とても過酷なトレーニングなんです。

 

海の抵抗に、砂の低反発、熱い空気に包まれたなかのトレーニングはいつもの練習場との比にならないくらい、私を消耗させます。

 

でも、気づくことだって多い。

海の抵抗に押されるなら、どうやって抵抗を受け流していけばいいのか。

砂に足の力を吸収されるのなら、どうやってそれでも前に進んでいけばいいのか。

熱い空気と戯れながらでも、深く息を吸うにはどうしたらいいのか。

 

限られた私の体力の中で、それを余すことなく前へ進むためのチカラに変えていく。その為の糧に、この合宿での練習はなっているんだと思います。

 

…きっとこれを乗り越えたら、私は

 

 

 

秋の天皇賞に、太刀打ちできるのかな。

 

 

―――――――――――――――

 

「よぉ、勝負しようぜ?」

大城は一通りのトレーニングを終えて、日が傾き始めたビーチに、倒れこむメンバーたちをよそ眼に、沖野に向かってそういった。

 

「勝負?」

「ああ…こいつ、前にスズカに負けたろ?…リベンジよ。」

大城はふっふっふと肩を震わせながら、口端を上げる。

 

「…何をなさるっていうんです?」

「そりゃあ、ビーチに来たからにゃ、ビーチフラッグ一択だろうがよ。」

そういって大城はどこから持ってきたのか、一本の赤色フラッグを取り出す。

 

そして、砂浜をベッドにするスピカとマーシャルに対して

「お前らさっさと立て!また、一騎討ちしよーぜ?」

といった。

 

―――――――――――――――

 

「エンリョはいらねーぞ。こいつら纒めてブチのめしてやれ!」

大城は上機嫌にそういった。

100mビーチフラッグ戦…スピカメンバーが誰か一人でもマーシャルに勝てば、大城の奢りで高級ホテルのスイーツ食べ放題なんだそう。

 

その条件に、やる気十分な闘志を練習後だというのに漲らせるスピカたち…だが、そんな大判振る舞い、その条件が甘くないことくらい誰もが理解している。

 

要約すれば、これは超短距離。超スプリント。

そして、マーシャルはそのスプリント界の冠を手にした、本物のスプリンター。

 

無論、距離が長くなれば長くなるほど、マーシャルに勝ち目はないが、短くなればなるほど、その逆。

 

全員が砂浜に伏した状態でも、意識はマーシャルに向く。

 

たった100m、7秒もいらないかもしれない。

だけど、気は抜かない。

マーシャルは全身に酸素を行きわたらせるかのよう、息を深く吸った。

 

「…サイフんなか、ちゃんとはいってんだろーな?」

大城はニヤリと笑いながら沖野に言う。

勝てば大城の奢りということは負ければ…なのだ。

 

「まぁ、まだ決まったワケじゃないでしょう?」

「っは!強気なのはケッコー!」

 

そして大城は声をかける。

 

「行くぞお前ら!仕切り直しはナシだぜ!…3.2.1」

 

 

 

GO!

 

 

全員が一斉に砂浜から体を引き上げて、全力スプリントモード!

無論マーシャルも。

 

姿勢を低く、息を深く吸って、前を見据える!!

 

-7.000-

 

たとえ砂浜だろうと、…7秒は裏切らない!…はずだった。

 

 

勝負のスパートモードに入り込みすぎてしまったマーシャルは、あることを忘れてしまっていた。

彼女のスパートの始まりは、ターフを抉り取ってしまうほどの驚異的な脚力で地面をけり上げることから始まる。

 

だが、ここは砂浜…そんなターフと同じ要領でいけば…

 

(あ…あれ!?)

 

-ERROR-

 

「…あ?」

大城は咥えていた煙草をポロリと落とす。

 

地面を殺すほどの勢いで蹴られた砂浜は、その入力に対して適切に反発するどこか、そのままマーシャルの足を包み込んでガッチリホールドしてしまった。

 

…次の足が前に出ない!

自分の足が砂浜に埋まってしまったことを察したマーシャルだが、既に勢いのついた慣性をどうにもすることはできず…そのまま前のめりで砂浜にビタンと倒れた。

 

「よっしゃあ!!俺がイチバンだ!」

フラッグを獲ったのはウオッカだった。獲ったそれをメンバーたちにこれ見よがしに見せつける。

 

「…お前、スタックしてんじゃねぇよ。」

「ご…ごめんなひゃい。」

顔中砂まみれにしながらマーシャルは言った。

 

「あーあ、肝心なトコでカッコつかねぇよなお前って。」

「トレーナーさんに似たんですよ。」

「いいやがらぁ。」

そう笑いながら大城は埋まったマーシャルを引き上げた。

 

「…ま、今日は運がなかったってコトで。」

後ろから沖野が上機嫌そうに言う。

「ああ?…チッ。もうひと勝負いこうぜ?」

「ええ!?」

 

―――――――――――――――――

 

「「おかわり!!」」

二番目の勝負は、スペシャルウイークVSレッドマーシャルの旅館特製スペシャル丼の大食い対決だった。

 

二人が並んで空の丼をツインタワーのように積み上げていく。

 

二人のその異様な完食スピードに、厨房は天手古舞。

 

「大食いなら、うちのスペをなめてもらっちゃあ困りますよ!」

「はっ!ほざけ。うちのマーシャルの燃費の悪さ、お前しらねーな?その辺のアメ車より悪ぃんだぜ?」

 

「「おかわり!!」」

二人がまた空の丼をだした時だった。

 

 

「すみません!!もう食材が…。」

と、女将に打ち切られた。

 

丼の数は…ほぼ互角。

「ふぅ…逃げ切りぃ。」

そういって沖野は汗を拭う。

 

「逃がすワケねーだろ?」

大城は沖野の首根をつかんでそういった。

 

「ま…まだやるんですか?もうこれ以上、担当たちを競わせるのは…。」

「担当がダメなら、俺たち(トレーナー)がいるじゃねぇの?」

「…へぇ?」

 

――――――――――――――

 

「トレーナーさん!頑張って!」

「負けたら承知しないわよ!」

「私たちのトレーナーさんなんですもの、勝って当然ですわよね!?」

「よっしゃあ!!いけいけぇ!」

 

担当たちの声援を背に、いい年した大人の男二人が向き合っていたのは、旅館のゲームコーナーの、アーケード型ドライビングゲーム機だった。

 

市街地を模したコースを、大城はゴツゴツしたハイパワーなアメリカンをイメージした車を、対する沖野は一昔前に流行ったような日本製のスポーツカーをモデルにした車で駆け抜けていく。

 

先行する沖野は、慣れない操作やコースに戸惑いながらも、右に左にハンドルを切っていく。

 

大城はそれを後ろから見物する。

まだ、何もしかける様子はない。

 

「トレーナーさん!もうゴール近いですよ!」

マーシャルが大城の肩に手を置きながらそう彼をせかす。

 

「まぁ、落ち着けよ。お前らのレースだってそうだ。仕掛けるポイントってのは決まってるもんだろ?」

そして、ゴール付近のシケインを抜けたS字カーブ。

 

「よおし!このまま!」

沖野はスローインファストアウトを守るつもりで、他のコーナーと変わらない減速をするが、そこで大城が仕掛けた。

 

沖野よりもかなりタイミングを遅らせたレイトブレーキングで沖野のアウト側に車体を放り込む。

ゲームだというのに、シフトダウン時にブレーキを踏みながら踵でアクセルを煽る動作をする。

 

「ぐっ!!」

一気に走行ラインを絞られた沖野は苦い顔をする。

そして二台がコーナーへ飛び込む。大城はわずかに車体を滑らせアウト側から沖野のフロントを牽制する形をとり、わずかに車体を前に。

 

そして、S字コーナー…1つ目のコーナーを抜けたところで、インとアウトが入れ替わる。

 

そのまま大城は沖野の車をパスして、ゴールラインへ一直線。

 

「やったあ!!さすがですトレーナーさん!」

「ま、こんなモンだろ?」

マーシャルはゲーム機を降りた大城に飛びついた。

 

「なにやってんだよ!!お前!」

「信じられませんわ!あんな差され方!」

「トレーナー、ゲーム下手だね!ボクのほうが上手いんじゃないかな?」

とスピカチームは沖野に対して言いたい放題。

 

「…これで、1勝1敗1分けですね。」

「ああ…。なぁ沖野。」

「なんです?」

「…ちょっと疲れた。」

「…俺もです。」

 

かくしてリベンジ戦は、引き分けという形に終わった。

 

――――――――――――――

 

「あいつら、もう寝たのか?」

「おそらく、ずいぶん部屋が静かになってましたからね。」

「流石に一部屋に8人はせまそーだな。」

「でもまぁ、楽しんでるみたいでしたよ。うちの連中も、メンバーが増えたみたいだって。」

そういって沖野はビーチ手前の階段に座り込んで、夜の海を眺める大城にビールを手渡した。

 

「なんだ、気前がいいじゃねぇの。臨時ボーナスでも入ったか?」

「ビール奢るくらいの余裕ならありますよ!」

二人は笑った。

 

「…マーシャル、大変だったみたいですね。例の動画の件。」

「まぁ、なるようにはなったさ。…そういえば、お前らんとこの連中、マーシャルのこと庇ってくれたんだってな。…ありがとな。」

「それは…本人たちに言ってあげてくださいよ。」

「やだね。つけあがるに決まってらぁ。」

 

二人は缶ビールを開けると、コツンと缶をぶつけ合った。

 

「ま、合宿っていう名目だけどよ。本当はあいつの気分のリフレッシュさせることが目的なのよ。」

「その割には、大分ハードなトレーニングでしたけどね。」

「それでいいのよ。あいつ、練習のムシだからな。」

 

大城は再び海を眺める。

 

「…ここに来るのも7年ぶりか。…教官になって一回も来なかったからな。」

「どうです?久々の海は。」

「いい女が増えた。」

 

そういって再び二人は笑った。

 

「…大城さん。マーシャルを、天皇賞へ挑戦させるってのは、本気ですか?」

一呼吸置いた沖野がそういった。

 

「ああ…。無謀かもしれんが、それでもいい。あいつが走り切れるとこまで、俺はついていきたい。あいつの夢を、俺も追いかけてみたい。」

「…やっぱり大城さん。楽しそうですね。彼女のトレーナーやってること。」

「ああ、楽しいヨ。これ以上ないってくらいにな。…どっかのオヤジが言ってた。人生ってのは仕事辞めてからが本番だってな。…んなワケねぇ。今だよ、今が一番最高なのよ。これだからトレーナーなんて辞めらんねぇ。」

 

大城は立ち上がる。

「お前だって見たいだろ?自分の担当の果てってヤツを。」

「…ええ。」

 

沖野も立ち上がる。

「…大城さん、彼女には…。」

そう言いかけたとき、大城は手を沖野へ向けた。

 

「ああ…ちゃんとわかってるさ。」

そういったまま、空になった缶を握りつぶして、大城は旅館のほうへ戻っていった。

 

 

 

 

 




「…おまえら、あんだけ飯食っといて、スイーツまで食うのか?」
「「もちろんです!!」」


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Restrict 7s

…3…4…5

 

祝日のトレセン練習場、最近手入れが入ったのか路面状況が以前より綺麗に整っていた。

時刻はだ昼前。まだ日が高い位置から若人たちを見守る。その下で一人のウマ娘が楕円に広がるコースを駆け抜けていく。

 

砂浜トレーニングを経た彼女の走りは、それまでとはまた少し変わった。

以前よりも効率よく路面を蹴り、無駄な力の分散を防ぐ。より体を脇を締めて風の抵抗をできるだけ最小限に。呼吸により意識を置き、体中に不足することなくエネルギーの源である酸素を供給する。

 

全ての動作に意味を持たせ、その全てを余すことなく前へ進むための推進力へと変えてゆく。

 

すべては2000mの頂点を勝ち取るために。

 

しかし、元々彼女の体は1200~1400の短距離で勝負するためにチューニングされた体である。

いくら走り方を変えたとしても、いきなりでその世界ましてやその頂点へ太刀打ちするのは容易な話ではない。

 

短距離で使い果たしていた体力のリソースを、2000m全てを走りきる為に調整しなくてはならない。

…その大きな犠牲となったのは7秒スパートだった。

 

彼女のスパートは、誰も触れることのできない絶対的な力を宿しつつある。

だが、逆を言えば一回のレースの中で一番体力を、スタミナを消費する部分でもある。

 

今まで通りにそのスパートを100%使い続ければ、レース全体のペース配分は無理が生じるものになる。

 

だからと言ってそれを止めさせるというのも得策ではない。…それだけが、彼女のたった一つの武器だから。

 

彼女に課せられた次の課題は、スパートの抑制だった。

7割、一度のスパートでかけられる力をその程度に抑える。無論7秒の制約は変わらない。

 

「トバしすぎだ!その先が続いてることわすれんなよ!」

一度スパートに入ってしまえば、後先を考えない全力集中モードに入るのだが、そこでくっと心にブレーキをかける。

 

あと少しいけそうだけど、というところで抑える。

 

「ひぃ…ひぃ…」

「もうちょいか。…ムツかしいもんだな。」

大城は親指で眉間を掻いてそういった。

 

あと100m残したところでマーシャルは失速した。

十分にペース配慮をしたつもりだったのに。

 

「だが、悪くない。見込みで言えばこの間あいつらと走った時よりもタイムは良くなってるハズだ。…きいてんのか?」

「…へ?…へぇ?」

「またいるかアレ?」

そういって大城はカバンから酸素吸入器をとりだしてマーシャルに投げる。

 

「さぁて、ただでさえ強豪が挙って集う天皇賞、出るだけでも一苦労だ。エゲつねぇ倍率をくぐり抜けることになる。そんで、スプリントから来たお前は中距離の実績もない。そこで出場するためにゃ、しっかり段取りを踏んでいく必要がある。」

「段取り…?」

「優先出場権を取りに行くのさ。まずはオールカマー。2200mだ。」

 

2200m。彼女の目標値、2000mの+200m

その200mがあまりに大きすぎることを、二人は理解している。

 

 

「…ほんとは新潟記念とか紫苑Sとか肩慣らしを踏ませたかったが、生憎面倒ごとに引っ張られたからな。ほぼぶっつけに近いが…いけるか?」

「…ふぁい。」

「しっかりしろよ、クラウンの背中に追いつくんだろ?」

「お母さん…。はい!」

母の名を聞いたマーシャルの目に、光が宿る。

 

そして立ち上がる。

「…トレーナーさん。私のお母さんは、天皇賞で勝つためにどんなことしてたんですか?」

「アイツねぇ…まぁ、断崖絶壁の崖上らせたり、リッターバイク背負わせて坂道走らせたりああ、特急電車の4駅区間を並走させるってのもしたな。…半ば冗談半分でさせたモンもあったが、マジで全部やりきりやがったから、逆にこっちが焦った。」

はっはっはと笑いながら大城はとんでもないことをいう。

 

「…私のお母さん、そんなことしてたんですか?」

マーシャルは唖然とする。

 

「お前もやりたいか?」

「お母さんが、乗り越えた壁なら…!」

「ジョーダンだ。やらなくていい。あれはアイツだからできたことだ。お前にはさせられん。…それにクラウンを目指すことはいいが、なにもクラウンがやってきたことを踏襲する必要はない。…お前にはお前だけのやりかたがある。…そうだろ?」

 

「私だけの…やり方。」

「お前にはアイツみてぇな並外れた体力はない。だが、7秒がある。それで戦え。もっとお前の7秒(スパート)を手懐けろ。」

「…私、もうすこし走ってもいいですか?」

「…OK。行ってこい。」

 

そういって再びマーシャルはターフへと駆け出して行った。

 

その背中を見送った時だった。

「…うっ!!…はうっ!!…がッ…ああ。」

再び発作が彼を襲った。

 

「…クッソッ…ざけんじゃねぇ…。」

大城は体を引きずるようにして陰に隠れる。

 

彼は直感で感じていた。

…自分自身のリミットがもうそこまで近づいてきていることを。

鎌を構えた死神が、すぐ自分の背後にいることを。

 

…マーシャルに見られなかったのだけが、幸いだった。

 

 



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閑話:洗車日和

「はん…。」

「どうしたんですか?」

 

とある地方競技場の駐車場。

この日マーシャルは大城のツテで、ここの競技場のウマ娘たちと合同練習に励んだ。

あまりレベルの高い娘たちとは言えないが、今のマーシャルが中距離に挑むにあたっての練習相手としては最適だった。

 

それに、地方は地方でレースに関する考え方や走りのアプローチ、その場所での慣習などが中央とは少し違う。

その知見を広げる経験としても、今回の練習はマーシャルの大きな糧となった。

 

十分に得られるものがあったと満足したマーシャルだったが、その帰り際、大城が自分の愛車の前で腕を組んで佇んでいた。

どうも面白くないという心の声が顔に出ているよう。

 

そして大城はポルシェのフロントリッドを指でなぞりながら、不満を垂らす。

 

「…汚ねぇな。」

本来ならば、白孔雀のように眩いほどの高級車らしいホワイトカラーを演出するはずのポルシェだが、そこに停まっているクルマはやたらにくたびれていた。

意匠面には雨と埃の跡、ホイールアーチ周りには泥の跡、ホイールにはディスクパッドのブレーキダストがこびりついている。

 

「確かに…ちょっと泥んこですね。」

「最近洗車サボってたかんなぁ…。」

ポリポリと首筋を搔きながらそういう。

 

「洗車してあげたらいいじゃないですか。今って自動でやってくれるんでしょ?」

「門型はヤなんだよ。スポイラー周りとか洗わねぇし、洗い残しは多いし、何よりあのブラシ、小傷が入るんだよ。」

ふぅと大城はため息をつく。

 

「…しゃあね、ちょっと付き合えよ。」

「へ?」

そういって大城はとある場所へと車を走らせた。

 

――――――――――――――――

 

「なーんか…ちょっと怖いところですね。」

そこは、町から少し外れた生活道路沿いにあるガレージショップ。

砂利が敷き詰められた敷地の奥に、年季の入ったトタン張りのガレージ。

その中の二柱リフトにはガワが完全に外されたセダン型の車の姿。

 

出入口付近には、右に左にボロボロなスポーツカーがずらりと並べられ、その一角には廃タイヤが山のように積んである。

そのタイヤ付近で、煙草を咥えながら談笑する顔中ピアスまみれなツンツン頭やスキンヘッドの男たちが数人。

 

その男たちは、彼のポルシェを見るや否や急にこちらへ歩き出す。

「ひっ!トレーナーさん!あの人たち大丈夫なんですか!?」

まるで映画で見たような悪者に絡まれるシーンを彷彿とさせるそれに、マーシャルは大城の袖をくっと握った。

 

そして男たちが運転席のほうへ。

「…ご無沙汰っす!ハクさん!どしたんすか?ポルシェにGTウイングでもつけに来ました?」

と色黒のガタイのいい男が満面の笑みでいう。

 

「いや、ハクさんのこったからターボだろ?HKSのイイヤツ入ってるんっすよ。さすがにいくらGT3でも、NAには飽きたっしょ?」

と、線の細い色白の男が言う。

 

「バーカ、んなことすっかよ。松本はどうした?」

「ここにいるよ~。」

とガレージから無精ひげをひっさげたドレットヘアーの男が。

 

「お、どうしたんだ?ポルシェ用のローダウンキットならこないだ得意の客に履かせちまったよ?」

「いらねぇよ。ホースと洗車キット貸してくれ。」

「ウチは洗車屋じゃねぇんだぞ。」

「いーだろ、俺も得意の客だろ?」

「あの喧しい下品なランエボ乗ってた頃はだろ?」

 

その強面の面々と普通に会話する大城を、ぽかんとマーシャルは見ていた。

 

「おお!こりゃこんなトコにG1 ウマ娘がのってんじゃねぇの!」

松本は助手席に乗るマーシャルを見つけるや、興奮気味にそういった。

 

「え!?マジ!?…あ!ホントだ、マーシャルちゃんじゃん!!」

色白の男も大城の陰にいたその存在に気付く。

「マーシャル…?」

色黒の男はピンと来ていない。

 

「カサハラ!お前知らねぇのかよ!スプリンターズSのアタマ獲ったレッドマーシャルだよ!」

「俺…あんまレースとかみねぇからなぁ。」

「ああ!?笠原!テメェウチで働いててレースに興味ねぇたぁ!どういうこった!」

「逃げろ!松本さんレンチ投げてくんぞ!」

 

「…いーからさっさとホース貸せよ。」

大城はあきれ気味にそういった。

 

―――――――――――――――――

 

なんとか場所と道具一式を借りた大城は、ジャケットを脱ぎ、黒シャツの腕をまくってホースでポルシェにルーフから流すように水をかける。

 

「松本ぉ、ジンはどうしたんだ?」

「あ?今幼稚園に娘たち迎えに行ってんだよ。ボチボチ戻ると思うケド。」

 

その時、ドコドコと低音が心地よく鳴り響くエンジンに、それを助長するかのよう、その存在感を知らしめるマフラーからのサウンドを鳴らしたインプレッサが敷地の中へ。そのサイドパネルには SPEED CREATE GARAGE -JIN-のロゴが。

 

「…お前んとこのデモカーって180sx(ワンエイティ)じゃなかったのか?」

「時代はヨンクよ。」

そこから、一人の短髪葦毛のウマ娘が運転席から降りて、後部座席にいる娘たちを抱え下した。

 

「よぉし、フィズ、ライム。帰ったらまず何をするんだった?」

「「おててをあらう!」」

「その通り!さぁ一着はだれだ?」

そのウマ娘の言葉に、二人のちびウマ娘たちはたぁっとガレージ奥の自宅へと走っていった。

 

「…よぉ、ジン。久しぶりだな。」

そのウマ娘はその声の主にはっと振り向く。

 

「…うぉっ!!トレーナー!!なんでいるんだよ!」

「何って、見てのとーり洗車だよ。」

「うちは洗車屋じゃねぇんだぞ!」

松本(ダンナ)と同じこと言ってんじゃねぇ。」

「…後で水道代、ちゃんと払ってもらうからな!」

 

その様子を、大城の陰からマーシャルは覗き込むように見た。

このウマ娘…なんかどこかで見たような。

 

ジンと呼ばれたウマ娘も、マーシャルの存在に気付く。

「お!…そっか。今お前が担当してるって言ってたもんな。」

そういってジンはマーシャルのもとへ。

「俺のこと覚えてっか?」

にこりと笑いながらそういう。

 

「え?…ええっと?」

「ははは!覚えてるワケねぇもんな!最後に会ったのはお前がまだ赤ん坊の時だったからな!」

その葦毛のウマ娘は短い鬣ごと揺らしながら笑った。

 

「クラウン、元気にしてっか?」

「え?お母さん?」

そこに大城が割って入る。

 

「そ、こいつ俺の昔の担当なのヨ。…そんで、クラウンとも同期だ。」

「お母さんの同期?…あ!ジントニックさん!」

マーシャルは思い出した。母の昔のアルバムに載っていたヒトだと。

 

「マーシャル。お前結構頑張ってるらしいじゃんか。流石アイツの娘だよ。」

「こいつ、短距離ならお前よりはえーぞ?」

「…へぇ、シビれさせること言ってくれんじゃねぇの。」

ジンの目は現役さながらの煌めきが灯る。

 

「きょ、今日はもう走れませんよ!」

またとんでもないことになりそうな予感を察したマーシャルは先に断りを入れた。

 

「ははは!まぁ、そのカッコじゃ濡れるだろうから、部屋に来な。俺の昔の水着貸してやるよ!」

そういってマーシャルとジンは家の中へ。

 

「…アイツも立派な母ちゃんやってんだなぁ。」

大城はその背中を見てそうつぶやく。

 

「いい嫁だろ?…キレさせるととんでもねぇことになるけどな。」

「想像に難くねぇ。」

 

 

―――――――――――――――

 

車体を十分に濡らして、表面についたチリや砂を落とす。

そして、バケツ2/3の水にホワイトメタリック用の洗車液剤を混ぜて十分に泡立たせる。

そして業務用の洗車スポンジにそれをよくしみこませて優しくボディーについた汚れを落としていく。

 

「水はしっかりしみこませろよ。そんで乾く前に流せ。日に焼けると液剤跡がのこるからなぁ。」

「…あの、トレーナーさんやらないんですか?」

ジンの水着とラッシュガードとサンダルを借りたマーシャルは、顔に泡をつけながらスポンジを握る。

そして、ベンチで満足そうに煙草を吸いながらこちらを見る大城にそう不満を垂らした。

 

「お前の手際がいいからナ。」

「トレーナーさんの車でしょ!」

「へーへー。」

そういって大城は思い腰を上げる。

 

「でもまぁ、手際がいいってのはホントだ。ヘタクソがやるとセンが残るからな。」

「えへへ…お父さんの車の洗車、よく手伝ってましたから!」

「ほぉ。ダンナって今なに乗ってんだ?」

「えっと…たしかお母さんと同じ名前の車なんですよ。」

「ああ…ナルホドね。」

 

きっとその車のカラーは赤なんだろうなと大城は納得する。

 

そしてホイール用のブラシをもってホイール洗浄にあたった。

 

汚れていたボディーが、ひとたび磨くと見違えるほどにピカピカになる。

その様を見るのは気持ちがいい。一部分だけ磨いてビフォーアフターを並べると思わずクスっと笑みがこぼれそうだ。

と、マーシャルは満更でもなさそうに車を洗っていく。

 

その車のフロントフェンダー部を洗いながらふと思った。

この子はいつも自分たちを乗せて遠くへ走ってくれてるんだったな。と。

箱根へ行ったときも、栃木に行った時も、今日みたいに遠征に行くときはずっとだ。

 

自分じゃとても走り切れないような距離を、二人も乗せて走ってくれている頑張り屋さんだと思うと、急にこの車に対する愛着がわく。

 

(そういえば、トレーナーさんが言ってたなぁ。この子、すごく速いけどすごく燃費が悪いバカ食いだって。)

それに加えてお前と一緒だなとも言っていた。

 

…似たもの同士か。とマーシャルのその車に対する愛着は増していく。

「…いつもありがとう。」

そうつぶやいた。

 

その時、ポルシェが急にキュイッ!キュイッ!と音を鳴らす。

「わあ!鳴いた!!」

マーシャルは慌てて立ち上がって後ずさった。

「ははは、喜んでるのさ。」

と大城は車を挟んで反対側からそういう。

 

「え!?そんなことあるんですか!?」

「…ただのセキュリティアラームだろ。あんまりからかってやるなよ。」

そうジンが二人に飲み物をもってやってきた。

 

「ほら、熱中症にゃ気をつけろよ。特にトレーナー。お前も結構なオヤジなんだからさ。うちの旦那もこないだダウンしたんだぞ。」

「アイツみてぇな軟弱モンと一緒にすんなよ。…サンキュ。」

「ありがとうございます!」

 

「熱中症ねぇ、んなときゃ水かぶればなんとかなるだろ。」

そういって大城はホースから水を出して、マーシャルの頭から水をかけた。

 

「ひゃっ!!!なにするんですか!!」

「はっはっは!涼しいだろ?」

「もぉ!!」

しかし、夏の風の中でずぶ濡れになるのも悪くはない。焼けた砂利から水が熱せられて蒸発する香りは、どことなく昔の記憶を引き連れてくるようだった。

 

そこにジンが

「ほら!マーシャル!チビどもの水鉄砲だ!仕返ししてやれ!」

と大型の水鉄砲を手渡す。

「はい!」

マーシャルはそれをすぐに構えて大城へ。

「おい!俺は水着じゃねぇんだぞ!」

といいつつも、大城は特に水を避けることもなく、マーシャルとの水合戦に挑んだ。

 

――――――――――――――

 

「パンツまで濡れちまったよ。」

と、マーシャルに負けず劣らずずぶ濡れの大城は、仕上げの水をポルシェにかけながらそういう。

「トレーナーさんも、次は水着ですね!」

「うえ、マジかよ。」

 

そして一通りの拭き上げを終えた後に、大城は松本に向かっていう。

 

「オイ、リフトのチェイサー下せよ。こいつの下回りみてぇんだけど。」

「無茶いうなよ。こいつ自走できねぇんだぞ?」

「じゃあ押せよ。」

「じゃあ手伝え。」

そういってリフトに載っていたもはや原型がわからない車を二人は手押しで外へ出す。

 

そしてポルシェを載せてリフトアップ。

 

「ナンだ。ベルト弱ってるか?」

「いいや、前ブーツが痛んでたからよ、…クソやっぱり割れてやがる。在庫あるかぁ?」

 

そういって車の下からペンライトをかざして二人の男は車の点検をする。

 

もはや自分じゃよくわからない領域に入っていった二人を、残されたマーシャルはぽつん。…と思ったとき。

きゅっと誰かが彼女の尻尾を引っ張る。

 

「わぁ!!」

「おねーちゃ!!あそんで!!」

そこには小さな子供ウマ娘が二人。母親似で二人とも葦毛だった。

 

「わ、分かったから!尻尾を引っ張らないでぇ!」

マーシャルは尻尾をさっと背後に隠す。

 

「おっかけっこしよ!」

そういって二人はマーシャルに背中を向ける。

このG1ウマ娘相手に追いかけっこなど。とマーシャルは余裕を見せようとするが。

 

ふたりはちょこまかと敷地を右に左に。時に木に登ったり。

 

レースでの追いかけっことはまるで違う。

「ひぃ…ひぇ。」

やっと二人を捕まえた時には、もうバテバテだった。

 

そこへジンが

「おーい。チビたちー。お、お姉ちゃんと遊んでもらってたか。よかったな!」

そういってニコリと笑う。

 

「マーシャルも、汗だくになったろ?お風呂沸いたから、チビたちと一緒に入ってきな。」

「はあい!」

 

―――――――――――――

 

「やぁん!もぉ!ライムちゃん!尻尾はひっぱっちゃダメだって!!あ!ちょっと!フィズちゃん!お風呂ではしゃいじゃ危ないよ!」

マーシャルは風呂でも天手古舞。二人の元気のよさには風呂のひと時でも気が抜けない。

 

でも、いずれ自分も結婚なんてしたら、こんな風に子供をお風呂にいれてあげたりするのかななんてふと思う。

 

と、油断したスキにまた尻尾は狙われる。

「もう!」

 

―――――――――――

 

「…ふぅ。」

風呂上がりのマーシャルはジンからもらったラムネをひと含み。

大城もその傍らで同じものを飲んでいた。

 

「…ドーセならコロナビールがよかった。」

「車だからダメですよ!」

 

「よぉ、二人とも、晩飯食ってくだろ?」

背後から似合わぬエプロンを付けたジンが声をかける。

 

「…似合わねぇなお前。」

「ウルセェ!」

「こいつめっちゃ食うぞ?」

「ジョートーだよ。うちの連中、みんなバカ食いなんだよ。」

 

そこに若い従業員の男たちが。

「お、トニック姐さん、もう晩飯?」

「もうちょいだよ。さっさと仕事終わらせてきな!」

「へぇい。」

そういってすごすごと引き帰していく。

 

――――――――――――

 

「そんでよ!このアホトレーナー、その試合に負けてまんまと土下座する羽目になってんだよ!」

「おまえらがやらせたんだろうが!覚えてんだぞ俺!」

「うわー!ハクさんの土下座めっちゃみてぇ!」

「俺、こいつの土下座みたことあるぞ。ほら昔ギンザでさ。」

「あーそのハナシはマジでナシだ。」

 

その食卓は賑わいに包まれる。

こんな温かみのあふれる食卓…実家の家族のことを思い出してしまいそうになる。

 

「マーシャル、お代わりいるか?」

「あ、はい!」

そういって器を差し出す。

 

「あ!トニック姐さん俺も!」

「アンタは自分で注ぐ!」

 

はいよ、とマーシャルは山盛りご飯の器をうけとったときにふと疑問に思う。

「ありがとうございます!…そういえば、フィズちゃんとライムちゃんは?」

「ああ、二人とも風呂から上がったらすぐコテンよ。よっぽど疲れたんだろうな。」

「今いくつくらいだ?」

と大城が聞く。

 

「この間年長組になったばっかだからなぁ。ま、まだまだチビよ。…でも、いずれはトレセンよぉ。」

「トレセンの門は狭いぞ。」

「誰の娘だと思ってんだよ!…でさ。大城、あんたがまたトレーナーやってるってんなら、チビたちアンタに預けようかな…なんてな!」

と、ジンは笑った。

 

「…ああ、そうだな。」

対照的に大城は、そっとすぼんだ声で返した。

 

――――――――――――――

 

「じゃあな、また来いよ。マーシャル連れてさ。」

「ああ…世話になった。」

そういって大城とマーシャルはそのガレージを後にする。

 

「…いい人達でしたね。ちょっと最初は怖かったですけど。」

眩い光を取り戻したポルシェのナビシートでマーシャルはそういう。

 

「見た目だけのオタクみてぇな連中よ。」

と大城は笑った。

 

「今日は…ふぁ…たのひかったれふ…。」

日が落ちた周りの世界に溶け込むように、まどろみがマーシャルを襲う。

 

「寝てていいぞ。…ま、いつものことか。」

大城はカーオーディオを切る。

 

車の揺れがまるで揺り籠のよう。

マーシャルは深い眠りに落ちていく。

 

ああ…この感覚も懐かしい。

両親の運転する車の中。幼い日の自分はいつも家までこらえきれずに眠っていたっけ。

それらはふと思い出すたびに、優しい思い出となって束の間の心をいやす。

 

…きっと今日の出来事だってそうだ。

いつの日か、優しい思い出になって私の心に残り続けるんだろうなぁ。

と、思いながら、マーシャルの電源は切れた。

 

 

 

 

 

 












































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説教

「何かと7に縁があるよな、お前って。」

地下バ道を光のさす方角へ歩きながら、大城はマーシャルにそういった。

 

7…その数字、今日のマーシャルの人気順だ。

スプリンターズステークスという冠を手にした彼女。その実力は誰もが認めるものではあるのだが、それはあくまでスプリントに限った話。

 

いくら短距離の世界で名を馳せたとはいえ、そんな彼女が中距離の世界へ踏み入れるということは、当然イロモノを見る目で見られること同然だった。

 

その中でも7番人気。

今の彼女にとってそれは妥当な番数なのだろうか。

 

「…なんだか今日のパドック、みんなの見る目が少し違ったように見えました。なんていうか、期待を寄せられてるっていうよりも、軽んじられてるというか。」

マーシャルはいつもとは違う違和感を、大城に打ち明ける。

 

「だろうな、お前はスプリント界で名前を知らしめたスプリンターだ。それが急に中距離のドダイに踏み込んでくるってコト、当然面白くねぇと思うやつだっている。…少なくとも、歓迎はされねぇぞ。」

「そうですよね…。」

「ナンだ、怖気づいたか?」

「いいえ…それでこそ、ロックっていうものなんじゃないですか?」

「…お前も、分かってきたみてぇだな!」

 

そういってマーシャルの背中をパンと叩く。

 

「軽んじられてるのなら思い知らせてやれ、俺たちはいつもそうやってきただろ?恐れるこたねぇ、お前という存在をわからせてやれ。」

「…はい!」

「よぉし、いっちょじゃあ景気よ…く…」

大城がとたんに言葉を詰まらせる。

 

「?…トレーナーさん?」

「…悪い…先行ってろ」

 

そういうと大城はマーシャルに背中を向けて、ふらふらと走りだす。

 

今まで見たことのないような彼の姿に、マーシャルは微かな不安を覚えた。

 

――――――――――――

 

「あ…がっ…ゲホッ!…ゴホッ!」

患部と口を押さえながら、大城は何度もせき込んだ。

男性用の手洗い場に駆け込もうと走った大城だったが、発作は待ったをかけてくれなかった。

 

…以前よりもかなり発作の頻度が高まってる。

 

道中の通路で大城は膝をつく、なんとか壁伝いに体を引き起こそうとするが、痛みがそれを阻害する。

 

「大丈夫ですか!?…ちょっと!誰か救急車!」

彼の異変に気付き駆け付けた会場の職員がそう叫ぶ。

「いや…いい…いつものコトなんだ。」

「でも!」

「大丈夫だ…時間が経てば…。」

大城は何度も何度も深い呼吸を繰り返す。

 

その呼吸に声が混ざってしまうほど。

…少なくとも健常者のするような呼吸とは思えない。

 

「…ダメです!救急車呼びます!」

「…やめろ。」

「誰かあなたの様子を見てくれる方がいらっしゃるんですか!?少なくとも今の様子…絶対に普通じゃない!今…。」

職員の周りにも人だかりができ始める。

 

その職員はスマホを取り出して、救急連絡を始めようとした。

 

「やめてくれ!…今から俺の担当が走るんだ!」

かすれるような声を絞り出してそう訴える。

 

その時だった。

 

「…彼の様子なら私が見よう。」

そう声を上げる者がいた。

 

その姿に、その場にいた者たちすべてが身を引いて、彼女のために道を開ける。

「…少なくとも、私は彼の容態を把握している。この発作のことも。私が責任をもって彼のことを看よう。無論必要があると判断すれば、問答無用で医療機関にも掛からせる。…だから、この場は一旦私に預けてくれないか?」

 

優しく説くようなその声色に、その職員の手も止まった。

「…恩に着るぜ…ルドルフ。」

 

ルドルフはそっと大城の肩をとった。

 

――――――――――――――

 

『さぁ!第二コーナー回ってバックストレッチへ!各ウマ娘それぞれのポジションに構えます!注目のスプリント界からの刺客レッドマーシャル!中団やや後方の位置に構える!』

『中距離初挑戦の彼女、いったいどう魅せてくれるのでしょう!期待がかかります!』

 

…すべてを予定通りに運ぶ、今まで積み重ねてきたこと、学んできたこと、得てきたこと、感じてきたこと。

それらを惜しみなく力に変え、それは足に伝わり、蹄鉄を経て、路面への出力に変わり、彼女を前へ前へと押し出す。

 

パドックにいたときに聞こえたかすかな観客の声。

 

『…無理だろ。あいつ。スプリントなら敵なしなのかもしれないケド、中距離の世界を甘く見すぎだって。』

『…そーそー。今まで短距離から転向して沈んだヤツが何人もいること知らねぇのかな。』

 

 

…冗談じゃない!

甘く見てなんかない!無謀なことなんて百も承知だ!…それでも、私には追いかけなきゃいけない夢があるんだ!

 

私を育ててくれた、大事な両親のために。

私を見捨てずに、信じて寄り添ってくれたトレーナーさんのために。

私の背中を押してくれた、仲間たちのために。

そして…自分自身の為に!

 

私は…意地で走るんだ!!

 

根性だけなら…誰にだって!!!

 

 

『さぁ!!ここが勝負所!ウマ娘たちに動きがみられる…!ここで来たか!レッドマーシャル!!さぁ!!スプリントの武器はここ2200mの世界でも通用するのか!?」

 

-7.000-

 

息を深く吸う。

思い切り地面をけり上げる。

 

…やりすぎるな。ここは1400じゃない。

 

ペース配分をスパートに入っても忘れるな。

 

マーシャルは孤独な自分の世界へと没入していく。

そこで、自分自身との対話を繰り広げていく。

 

ブレて暴れようとする7秒をなんとか抑え込む。

暴走したら終わりだ。

あの時のように、また自分はターフで溺れることになるだろう。

 

少しづつ慎重に、自分のアクセル開度を数段階に分けて開いていく。

 

『レッドマーシャル!スプリントほどの勢いこそは見られないが、着実に順位を上げていく!』

『しなやかな走りです!これはひょっとするとがあるかもしれません!』

『しかし!その背後から待ったをかけるか…来た!来たぁ!!』

 

 

 

『あがってきたぁ!!!スペシャルウイーク!!!』

 

 

 

 

 

-3.226-

 

まだ余力を残しているとは言え、ここから先もレースは続いていく。

スパートはもう間もない。ここで稼がなければ…。

 

その時、彼女の没入しきった世界に、わずか一瞬実況の声が入った。

 

…スペシャルウイークが、上がってきたと。

 

(スペ…ちゃん…私…あなたに通用するの…かな?)

残されたわずかなスパートに彼女はすべてを注いだ。

 

―――――――――――――

 

「悪いな…。助かった。」

「助かった…か。貴方の為を思うのなら、本当は救急車を呼ぶべきだろうと、私も思うよ。」

「機転と融通の利く会長様は実にユウシュウだ。」

 

大城は屋内観戦場のベンチに腰を据える。

もうマーシャルのレースは始まっていた。

 

「やっぱ、手強そうだな…スペは。無理はしても、無茶はすんなよ…マーシャル。」

「…担当の心配よりも、自分の心配をしたらどうなんだい?」

「今更なことだ。」

大城は鼻で笑う。

 

「随分と症状が重くなってるように見受けられる。…担当に無茶をするなといいながら、自分はかなりの無茶を働いているんじゃないのかい。」

「どーだろうな。」

「実は貴方の担当医とも連絡を取った…最早満身創痍の域すらも超えていると…。」

「医者からは…明日の朝死んでるかもしれねぇよとは言われてる。毎日寝るのがスリリングさ。」

 

大城は錠剤を口に含んで水で一気に流し込む。

 

「もう一度訊く。なぜマーシャルにそのことを黙っている。」

「そりゃあ、んなこと今のアイツが知ったら…。」

「沈黙が彼女の為だと謳うのなら、それは大きな間違いだ!」

 

大城の言葉をルドルフは両断した。

その強く張った声色に、近くにいた観客らがはっと彼女を一瞬見た。

 

「…」

大城は沈黙した。何も繕う言葉が出てこなかった。

 

「本当は、自分でもわかっているんだろう?彼女に、一日でも早く伝えなければならないことを。…ただ貴方一人だけが苦しめばそれでいいという考えならば、私は全面否認する。トレーナーと担当は一蓮托生の存在だ。例えそれが釜中之魚の事実だとしても、担当はそのことを知る義務がある。…隠し通して、それが彼女の為だと、これ以上言うのなら、貴方は…トレーナーとして失格だ。」

 

大城はレースから目を背けて、そっと自分の手を見た。

そして、ふぅとため息をつく。

「…やっぱ俺って、誰かに叱られねぇとダメみてぇだな。…昔っから変わんねぇや。」

 

大城は髪を手でかきあげる。

 

「本当はわかんねぇんだ。…どうやって、あいつに伝えたらいいのか。」

そして再び、ターフの上で懸命に地面をけり続けるマーシャルを見る。

 

「俺ってさ。…まともに誰かと別れの挨拶をしたことなんてねぇのよ。親父は気が付いたら死んでて、兄貴は気が付いたら蒸発して、またいつか会えるだろうと思ってたダチとも、疎遠になったり、風のウワサで死んだことを知ったり。…嫁とだってそうだ。最後は、机の上に置かれた指輪と、離婚届だけだ。」

「…」

「気が付いたときには、もう大事なものは無くなって、消え失せて、後になって後悔して…そんなことをずっと繰り返してきた。」

「それと同じ思いを…彼女にもさせるつもりかい?」

「…俺は、怖いんだ。死ぬことよりも、またあいつを、一人にしてしまうことが。」

 

大城は立ち上がって、屋外へ向かって歩いた。

 

「あいつは屠所之羊になって、ヤケになった俺に生きる意義を教えてくれた。だから俺はなんとしてでも、あいつを輝ける場所へと連れていってやりたかった。」

 

彼女たちの走る音が室内と比べて格段に大きくなる。

観客たちの歓声や、実況の音もそれに比例して。

 

「見ろよ、初等部生にすら勝てなかったあいつが、GⅡのしかも2200mだぞ。あいつは俺の期待以上に輝いた。日を追えば追うほど、努力すればするほど、輝きは増した。…あいつが輝けば輝くほど、俺は一層怖くなった。」

 

仕切りの柵に手を置く。

 

「本当は信じてやらなくちゃいけないってのによ、俺なんかいなくても、あいつは大丈夫だって。」

「辛労辛苦することは…よく解るよ。」

「なぁ、ルドルフ…もう少し、俺のこと叱ってくれねぇか。」

「…長くなるよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 




「大体煙草の量が多すぎる。患いものがあるというのなら、せめてそれなりに控えるべきだろう。それに酒の量も多いと聞く。いくら百薬の長とはいえ限度というものがある。貴方にはもっと自愛の…。」
「…その辺はいいだろ。」


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ヒーロー

-0.000-

 

やれるだけのことはやった。

あと…600m、逃げろ。逃げ切れ!

 

『レッドマーシャル!トップに躍り出た!さぁここからが勝負所!』

『スペシャルウイーク!先頭のレッドマーシャルを捉えたか!その差がジリジリと迫っていく!』

 

スパートに割ける時間と体力は失った。

あとはもう今の慣性を、スピードを殺さずに前へ進み続けるしかない。

 

あと550m

 

その距離は遠い…遠すぎる。

 

短距離ならもう終わってる距離なのに。中距離はそれをよしとしない。

 

でも、諦めたら終わりだ。それを覚悟のうえで自分はここに来たんだ。

あきらめる…な…

 

…!

 

彼女の背後に忍び寄る、撫子色に燃える情熱。

それは皆の期待を、夢を背負い、見るものすべてに希望を与え続ける存在。

 

彼女の前では、あのマーシャルでさえ悪役(ヴィラン)と見られるのかもしれない。

英雄(ヒーロー)はいつも裏切らない。

 

『スペシャルウイーク!レッドマーシャルに勝負を掛けた!!』

横に彼女が並ぶ。その圧倒的な存在感、その姿を直接見らずとも、彼女がそこにいるとはっきりとわかる。

 

これが…日本の総大将。

これが…本物。

 

『レッドマーシャル逃げ切れない!!スペシャルウイーク、レッドマーシャルをかわした!!』

 

なんて美しくて、力強い背中なんだろう。

もはや体力を失いつつあるマーシャルは、その背中を恍惚と見入ることしかできなかった。

 

私は100%で走った。

でも、あなたには届かなかった。

 

マーシャルを包んだ赤いオーラは、支燃性の燃料を失ったように消沈していく。

 

スペシャルウイークだけではない。

一人、もう一人とオーバーテイクを許してしまい、そしてやっとゴールを果たした。

 

『スペシャルウイーク!!見事に期待に応えてくれました!!』

見事に勝利を飾ったスペシャルウイークは、皆の希望にふさわしい笑顔で観客たちに大手を振った。

 

『…レッドマーシャル、4着という結果となりました。』

『やはり適性の差というものは隠せないのでしょうか。しかし今後の彼女、どうなっていくかは期待です。』

 

両膝をついて何度も何度も呼吸を繰り返す。

レースが終わってやっと気が付いた。自分の肺が悲鳴を上げていたことに。

 

最早苦しいを超えて、肺が痛む。

これが中距離の世界…これが適性の違い…これが

 

 

現実

 

 

「…大丈夫?マーシャルちゃん。」

そういって立ち上がれないマーシャルに、スペシャルウイークはそっと肩を貸した。

 

「あ…ありがとうスぺちゃん。…やっぱりスぺちゃん、すごいね…。」

「えへへ、ありがとう!でも、マーシャルちゃんだって凄かったよ!前見たときよりも、あのスパート凄く…その…ゾクっとしちゃった!」

彼女の表情はレースの時の勝負師の顔から、いつもの柔らかい優しいものに変わった。

 

…対する自分は、どんな顔をしているのだろう。

 

中距離の世界…2000m…秋の天皇賞…その壁は、自分が思い描くよりも遥かに分厚く、高く、重い壁だった。

 

―――――――――――

 

「あーあ、やっぱ…甘くはねぇか。」

そういって大城は柵から手を外し、ゴールラインに背を向ける。

 

「…あいつんとこ行ってくるわ。」

と、ルドルフに背中でそういった。

 

「…あとは、貴方次第だよ。」

「ああ…また、叱ってくれよ。」

 

大城は人込みに消えていった。

 

――――――――――――

 

「ウイニングライブはお預けになったか。」

ぽつぽつと歩いてくるマーシャルに、大城はいつもの崩した態度でそういった。

 

「トレーナー…さん。」

「どうだった?日本の総大将との手合わせは。」

「…スペちゃんは、ヒーローでした。私なんて、相手にならないくらいの。」

 

どんどん彼女の顔がしぼんでいく。

 

「私…勝てなかった。」

「…いきなりで勝とうなんざ、ゼータクもいいとこだぜ。負けを貪れ。このレースをお前のガソリンにしろ。」

 

大城はマーシャルの頭を抱えて、そっと引き寄せる。

 

「俺のヒーローはお前だ。ちょっとやられたくれぇで弱音はいちまうヒーローなんて、俺は見たくねぇよ。」

「とれーなーさ…うっ…うええええ!!!」

マーシャルは大城の懐で涙を流した。

 

「ったく、スグ泣くなお前は…。まだ始まったばっかりだ。本気で泣くにはまだ早ぇぞ。」

そういいながらマーシャルの頭を優しく撫でた。

 

―――――――――――――

 

「なぁ先生、もっと効きの強い痛み止めってないもんですかね?」

マーシャルを寮まで送り届けた後、大城は中央病院へと訪れていた。

日中の発作の件も含めて、担当医との相談だった。

 

「大城さん…今貴方に処方しているものも、かなり強いものです。これ以上のものは…。」

「そうですか…だったらモルヒネとか…。」

「…。」

 

医師は渋い顔をする。

 

「大城さん…こう懸命に今を生きられていらっしゃる貴方に、こう申し上げるのも心苦しいのですが…もう、いいではありませんか。」

「…病院の先生が、随分なコトをいうもんですね。こういう時ってのはもっと前向いて生きろとか、そういうこというもんじゃないんですか?」

大城はクスッと笑いながらそう言った。

 

「…今の貴方の体、癌の巣窟なんですよ。…今こうして貴方と話しができること自体が不思議なくらいなんです。…既に亡くなっていてもおかしくない体なんです。貴方は想像を絶する程の、よほどな痛みに耐えながら仕事をなされている筈だ。…何が貴方を、そうさせるんですか?」

「…俺は、知ってしまったんです。この世には、たとえ周りの現実に打ちのめされそうになっても、それでも前に進もうとするヤツがいるってことを。」

 

大城は患者用の回転椅子をクルクル回しながら、続ける。

 

「何度涙を流そうが、嘲笑われ軽視されようが、ゲロ吐いてでも、それでも前を向くやつがいるんですヨ。そいつがそんなに自分の生み出す痛みに耐えながら生きてるってのに、俺がここで立ち止まるワケにはいかないんですよ。」

「…左様ですか。」

 

医者はカルテにメモを記入する。

 

「わかりました。そこまでのご覚悟があるのなら…ただし、その日(・・・)はいつ来るかわかりませんよ。一ヵ月後かもしれませんし、明日かもしれない。」

「…ええ、わかってますよ。それでもいい。」

「…薬を処方します。適量は絶対に守ってください。…下手をしたら貴方の心臓をも止めかねないほどの痛み止めです。」

「…感謝します。先生。」

 

 

 

 



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ワガママ

『…隠し通して、それが彼女の為だと、これ以上言うのなら、貴方は…トレーナーとして失格だ。』

その日(・・・)はいつ来るかわかりませんよ。一ヵ月後かもしれませんし、明日かもしれない。』

『…何も知らないまま、急に別れを告げられるのが、一番サイアクだ。』

『…一人のトレーナーとして..知らない別れを待たせるなんて…あまりにも残酷だ。』

 

練習場の柵に、背中を預けた大城は天を仰ぎながら、ブローオフするかのような溜息を吐く。

 

「皆して言いたい放題いってくれらぁ…」

だが、それを伝えなければならないことも、また彼に課せられた使命の一つだった。

 

「トレーナーさん、お待たせしました。」

そこにマーシャルがやってくる。

 

ちょっと浮かない表情は先日のことを引きずっているのか。

 

「おう…。なんだ?まだしょぼくれてんのかよお前。」

「い…いえ!大丈夫です!」

大城の一言に彼女の身は引き締まる。

 

そしてエンジンがかかったかのように、目が光る。

今の彼女は、スプリンターを制した王者ではなく、中距離の世界に挑むチャレンジャー。

今までのように、困難な壁があれば立ち向かう。

 

何度くじけたっていい。それでこそなのだから。

その気丈な気持ちでマーシャルは自分を奮い立たせた。

 

「…。」

そんなマーシャルの顔を見た大城は、少し沈潜した。

 

彼女は何度も何度も分厚い壁に当たっては、それを何とか乗り越えようと立ち向かっている。

それに比べて自分はどうなんだろうか。

 

彼女に真実を告げなければならない。そのことから、ただただずっと逃げ続けている。

 

もしこのまま言えず終いで、その時を迎えてしまったらどうするのだろうか。

自分は…もう誰にも顔向けできない。

 

本当のクソ野郎だ。

 

今日だ。…今日。決めろ。

 

大城は自分に誓った。

 

「…?どうしたんですか?トレーナさん。」

大城の妙な沈黙に疑問を抱いたマーシャルはそっと尋ねた。

 

「マーシャル…俺…な」

「はい?」

目をぱちくりさせてきょとんとするマーシャルに、大城は目を合わせずに口を開こうとした。

 

だが、ふと視界に彼女の表情が入った途端に、うまく次の言葉が出てこなくなる。

 

「あ…いや。」

「トレーナーさん…今日ちょっとヘンですよ。」

 

なぜだろう。今まで女を誑かす時でさえも、嫌いな上司や権威ある者たちへ牙を向けた時でさえ、こんなに言葉を詰まらせることなんてなかった。

 

だた一言…もうじき俺は死ぬ。とその一言がどうしても言えない。

 

そのあとのことが、どうしても想像できない。

 

大城はふぅとため息をまたつく。

 

「なぁマーシャル…。」

「はい?今日のトレーニングはどうしますか?」

「そうだな…今日は…」

 

 

「今日は遊びに行こうぜ。」

 

 

「…へぇ?」

 

 

――――――――――――――

 

「いいんですか?私、まだまだなのに…遊んじゃって。」

「いーんだよ。ガス抜きってもんだ。たまにはこうして遊ぶこともトレーニングの一環さ。」

「本当ですかぁ?」

 

大城を怪訝な目で見るマーシャル。

彼の突発的な発言に、せっかく着替えた練習着から、ちょっと粧した今どきな少女らしい服装へ着替える。

 

そして街へ。

考えてみれば今日は日曜日だ。

どこもかしこも賑わっている。

 

「さ、なんでもいいぞ。たまにはワガママになってみろよ。」

フンと笑いながら大城は言った。

 

「言いましたね!…じゃあ…あれ!」

とマーシャルが指したのは…。

 

 

二人はモダンなウッドデッキテラスに設置された、ローズウッドのテーブル席へ通される。

そして彼らの前に出されたものは…メイプルソースとホイップと鮮やかな色どりあるフルーツの載った大きなパンケーキ。

 

「…いきなりコレかよ。」

その甘ったるそうなパンケーキに、甘いものが苦手な大城は少しどんより顔。

「トレーナーさんがいいって言ったんですよ!さあ!いただきましょうよ!」

そういってマーシャルは手を合わせる。

 

周りを見渡す限り、若い女性客やカップルばかり。

大城ほどの年齢の客は今のところ見当たらない。

 

こんな若いウマ娘とパンケーキ屋にいるなど、傍目から見れば娘のワガママに付き合ってる父親か、所謂パパ活の一部始終といったところだろうか。

 

そんなミスマッチな雰囲気の中に身を置いた大城はパンケーキになかなか手を付けない。

対照的にマーシャルは笑顔でそれを頬張る。

 

「…トレーナーさん?食べないんですか?」

「ああ…こういうのはちょっとな…。」

「だめです!ちゃんと食べてください!」

「お前一人でも食いきれるだろこんくらい?」

「そういうことじゃないんです!」

 

そうするとマーシャルは、一口サイズに切ったパンケーキをフォークにさして大城へ。

 

「はい。あーんしてください。」

「勘弁しろよ。俺大概いいオヤジなんだぞ。」

「今日の私はワガママなんですよ!さ!トレーナーさん!」

大城は自分の言ったことに少し後悔しながらも、観念して口を開く。

 

マーシャルはそれを口へ押し込む。

 

「…んぐっ!」

「どうですか?」

「…ほぉ、案外悪くない。」

「でしょ!さ!もっと食べてくださいよ!」

 

大城は内心驚く。

今まで敬遠していたものが、意外とそうでもないことに。

一度ラインを踏んでしまえば、それ以降は…。

 

この癌の告白でさえも、そうなってくれるものだろうか。

と心の片隅でぼやいた大城は再びパンケーキを口へ運んだ。

 

――――――――――――――

 

「案外ハラに溜まるんだなこれ。」

「そうですか?私まだまだいけますけど?」

「お前と一緒にすんなよ。」

 

とケラケラ笑いながら二人は、街を歩く。

 

「おい、これいいじゃねぇか。行ってみようぜ?」

と大城はあるものを見つける。…それは。

 

「お…お化け屋敷ですか?」

「ナンだ…ビビってんのか?」

「い…いえ!行きますよ!怖くないんですから!こんなの!」

と、息巻くマーシャルだが。

 

「ひぃやぁあああああ!!!!」

と、ちょっと脅かされたマーシャルはすぐに大城の背中へ。

「と、トレーナーさん!!や、やっつけてくださいよあんなの!!」

「やっつけるもどーもねぇだろお前。」

チープなお化け人形にビビりあがるマーシャルを満足そうに眺めた大城は、そのまま彼女を置いて歩く。

 

「ま…まってくださいよぉ!」

暗がりに彼の背中が消えていく。

「…?」

マーシャルはその一瞬の光景に、妙な不安を覚えた。

まるで…。

 

とその時にまたドンッ!とお化け人形が脅かしに来る。

 

「ぎゃああああああ!!」

 

―――――――――――――――

 

「情けねーな。G1ウマ娘あろうもんが。」

「だってぇ…。」

マーシャルは大城の袖を離さなかった。

 

「んじゃ、気分直しにゲーセンでもいくか?」

「…あ!この間のレースゲーム!私もやってみたいです!」

 

二人は大きなゲームセンターへ。

そこには大型のプライズゲームや、アーケード機、リズムゲームなど盛りだくさん。

 

「あーん…故障中ですって。」

マーシャルはその目当てのゲームの前で耳をペタンと倒す。

 

「はん…ツイてねーなー。…お、代わりにゾンビホラーガンシューティングとかあるぞ?」

「もうヤです!…あ!トレーナーさん!あれ!」

とマーシャルが指をさす。

 

その先にあったのはプリントシール機…いわゆるプリクラ。

 

「…お前なぁ。」

大城はパンケーキに続いて呆れた声を出す。

彼女には自分があと30年くらい若く見えているのだろうか。

 

「撮りましょ!ね!」

そういって彼の袖を引っ張る。

 

「平成初期に流行ったのは知ってたが…まだあるんだなぁ。」

 

大城はされるがまま、カーテンの中へ。

 

「メンキョ取るときの証明写真思い出すな。」

その殺風景なカーテンの内側で大城はぽつんとつぶやく。

 

「トレーナーさん!ここで背景選べますよ!…この天国背景とかどうですか?」

「…エンギでもねぇ。…お。こりゃサーキット場か?」

「レースクイーン風な写真が撮れるみたいですね!トレーナーさん好きですもんね。これにしましょうか!」

 

『では、好きなポーズをとってね!』

と音声案内がいう。

 

「どうしますか?」

「そりゃあ…いつものアレだろうが。」

「はい!」

 

そういって二人はロックサインをレンズに向かって掲げた。

 

「できましたよ!」

そこに出てきたプリントシール。

 

「ははは…これ俺かよぉ」

大城はそこに映る美化された自分を見て笑った。

 

『〇月◎日 トレーナーさんと♡』

と記載された文言に大城はニヤッと笑う。

 

「ハートマークたぁ、お前もとうとう色気づきやがったな?」

「い…いや!違いますよ!これはその…この写真撮るときの文化っていうか!」

無意識につけたそのマークの指摘にマーシャルはしどろもどろ。

 

「はっはっは!まぁ、有難く頂いとくさ。」

 

―――――――――――――――

 

そんなこんなをしながら、日が傾いてきた頃。

駅ビルのレストランで食事を済ませた二人は、最後そこの景色を眺めようと屋上へ。

そこに。

 

「あ!トレーナーさん!観覧車ありますよ!あっちのほうがもっと綺麗に景色見えますよ!乗りましょうよ!」

と指をさす。

 

…だが。

「あ…ありゃあいいんじゃねぇか?」

大城はそっぽを向く。

その表情はどうも乗り気じゃないといった様子。

 

「え?どうしてですか?」

「どうしてって…ガキじゃあるめぇしよぉ。」

「今更なんですか!…ほーら!行きましょうよ!」

 

大城は彼女に引っ張られて観覧車へ。

 

「…うわぁ、綺麗。前のレストランのとこもよかったですけど、ここもいいですよね!」

「…そうだな。」

「?…どうしたんですか?」

 

顔をガラスにへばりつけて外を眺めるマーシャルとは対照的に、大城は腕を組んだまま下をずっと向いていた。

 

「…大丈夫ですか?気分とか…悪くなっちゃいました?」

マーシャルは立ち上がって大城のところへ行こうとする。

その時大城が慌てて彼女を静止する。

 

「ま!待て!立つな!!…ってか、揺らすな。」

その大城の妙な挙動にマーシャルはピンとくる。

 

「もしかしてトレーナーさん…観覧車怖いんですか?」

「…。」

大城は沈黙した。

 

「いや怖いとか…何つーか。苦手なんだよな。…ケツがふわふわ浮くみてぇで、安定感ないっていうか。」

大城は下をむいたままそういった。

 

意外な彼の一面に驚きつつもマーシャルは、そっと観覧車を揺らさないように大城の隣へ座る。

「意外ですね…トレーナーさんにも怖いものがあるなんて。」

「…ウルセェ。」

 

マーシャルは大城の手をそっと取った。

「…大丈夫ですよ。…私がそばにいますから!」

そういって大城に笑顔を向ける。

 

「…ああ、頼もしいよ。」

 

それからは、観覧車が下死点にくるまで、二人は身を寄せ合った。

 

――――――――――――

 

「わぁ!もう真っ暗!」

時刻は…もういくら急いでも門限に間に合わなさそう。

 

「どうしよう…寮長さんに叱られちゃう…。」

マーシャルは不安を顔に出す。

 

「ああ…もうそんな時間だったのか。」

大城は腕時計を確認する。

 

…結局言えず終い。

これだけ一緒の時間を作れば、どこかできっといえるだろうとタカをくくっていたが、そう甘くはなかった。

 

今日決める。そう誓ったはずなのに。また先延ばしにするのか。

そうなれば…あまりにも不甲斐ない。時間もないというのに。

 

(いいや…決めたコトなんだ。今日…だ。)

 

「トレーナーさん!早く戻らないと!」

そう焦るマーシャルに大城は言った。

 

「なぁマーシャル。」

「…はい?」

「お前…今晩俺ん家にこねぇか?」

 

 

 

「…え?」

 

 

 

 



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二人だけのロックコンサート

「よぉ…フジ、俺だけど。」

『やぁ、先生。そうだ。君の担当のマーシャルのことなんだけど。まだ寮に戻ってないみたいでね。』

「俺もそのコトで電話したんだ…今晩、あいつウチに泊めるわ。」

『君の家に?…ふぅん。…あまり、苛めすぎちゃいけないよ?』

「はっ!安心しろ。…ウブの扱いにゃ、慣れてんのさ。」

 

――――――――――――――

 

「お…お邪魔…します。」

…来てしまった。

私は悪いウマ娘だ。いくら自分の担当トレーナーといえど…男の人の家について来てしまうだなんて。

い…いや、トレーナーさんが悪いんだ!こんな遅くまで私を連れまわして…どっちかというと連れまわしたのは私のほうか。

 

それに…このまま寮に戻ってフジキセキ先輩に叱られるのと、俺の家に来て今晩おとなしくしておくのはどっちがいいなんて迫ってくるんだ。

このまま寮に戻れば…閉め出されて今晩は野宿かもな。なんていうんだもの!

 

…どうしよう。今日の出来事はきっと傍目から見ればデートと同じようなものだ。

それで…最後に相手の男の人の家に来るってことは…ドラマとかちょっと大人な小説だと…そういうこと(・・・・・・)になるのがお決まりなんだ。

 

ああ…いまさら心臓が高鳴りを覚える。

 

こういうことなんて何もわからないし、知らないし。

やさしくして…なんて言わなきゃダメ?

 

っていうかありえない!

だって…トレーナーさんは私のお父さんより年上で…オジサンで。

でも…。

 

「おい。」

「ひっ!!」

 

背後から声をかけられたマーシャルはビクっと体を震わせる。

 

「玄関でぼーっとされてちゃ邪魔だろうがよ」

と笑いながら大城はマーシャルの背中を小突く。

 

「ご…ごめんなさい。」

そうして靴を揃えて彼のマンションの一室へ。

 

トレセンからおおよそ15kmほど離れた、大きなマンションの一室が彼の家だった。

トレーナー寮に入ることを嫌がったことと、結婚したことをきっかけにここに移り住んだんだそう。

 

元々3人家族で暮らしていた部屋だけあって、単身の彼が住むにはあまりにも広すぎるのではないか。というのが第一印象だった。

 

意外にも部屋は片付いている。

こんなガサツな男なのだから、自身のトレーナー室の机の上のように、モノが乱雑に置かれているものだとばかり思っていただけに。

 

リビングには、大型のモニターや、かなり上質なステレオスピーカー。

その付近に組まれたラックには、現役で使っているのだろうレコードプレーヤーに、ラックの底面がたわんでしまうほどに積まれた海外ロックバンドのCD。これでたったの一部だという。

 

壁一面には、彼の趣味であろう腕時計や高級車、ロックバンドのポスターがずらりと飾られていいる。

その隅には大きな額縁が。

そこに入っているのは絵画ではなく、一枚のTシャツ。伝説のロックバンドがたった一度だけリリースしたというバンドTシャツ。世界にたった数枚しか出回っていない超貴重なものらしい。

 

隣の小部屋には、彼のベッド…見なかったことにしておこう。

 

もう一つの部屋には、エレキギターがずらりと壁にかけてコレクションしてある。

一本30万円前後するものばかりで、一番奥の見た目がボロボロなギターはその辺の車が買えてしまうほどの価値があるものらしい。

 

ギターなんてどれも同じじゃないですか?と私が言うと、彼は木材の違いやボディの渇きによる鳴りの具合、ピックアップ?とかいうギターのマイクの種類や質とかによってモノが全く違うと力説してくる。

元バンドマンだと言ってただけあって、音楽に対する熱の入りようはすごかった。

 

最後に、リビングから一番遠いところにある部屋。

そこは彼の仕事の部屋だった。

 

ここだけは、あのトレーナー室のような乱雑さが目立っていた。

そこには山のような仕事の書類や仕事をする上での啓発本、辞書に参考書、教官としての学習指導要領書やトレーナーとしてのアスリート啓発本やトレーニング科学書や論文など。

 

あんな不真面目そうな彼でも…裏ではかなり勤勉なのだろうか。と見渡していると…その隅っこにはとても仕事で使うものではないだろう、裸の女性の写真が全面に押し出された成人向けの雑誌が。

ぷいっとそれに対してそっぽを向く。

 

その時、その部屋の壁に飾られた写真たちに出会う。

そこにはかつて彼が担当したウマ娘たちの姿が。大きな賞や成果を果たした時の記念に撮られたものたちなのだろう。

 

「…いた。」

マーシャルは見つける…19××/〇/△ 天皇賞(秋) 一着 レッドクラウン。

そこに…ジンを始めとしたかつての仲間たちと…若き日のトレーナーが写っている。

 

「トレーナーさん…若いなぁ…。」

そうつぶやいたとき、その隣にそれはあった。

 

20××/〇/□ スプリンターズステークス 一着 レッドマーシャル。

 

「あ…。」

つい最近の自分と…トレーナー。

上手く決めたポーズなんかじゃない。優勝が決まった瞬間、彼が自分を抱きしめた、あの瞬間の写真だった。

 

本当は、ちゃんと撮影用に残した写真もあるはずなのに、そこに飾られている写真はそれだった。

 

――――――――――――――――

 

「気はすんだか?」

大城はベランダにて、一服決め込んでいた。

 

「はい…。」

そういってマーシャルが戸に手をかけようとした際、大城は言う。

「出てこなくいい。煙吸うぞ。」

そういって急いで煙草の火を消すと、そのまま部屋にあがってくる。

 

そうしてドカッとリビング中央のソファにかけた。

 

マーシャルは、どこかぎこちなく大城の隣に座る。

「…何キンチョーしてんだお前?」

「な…何って…。だってこれって…いわゆるその…。」

直接的な表現なんて自分にはできない。

 

「…連れ込みだっていいてぇのか?」

そんなマーシャルに大城は臆せずいう。

マーシャルはシュンと顔を俯けてしまう。

 

大城はマーシャルの肩に手を回すと、グイっと自分のほうに引き寄せる。

「…ちょっ!」

「安心しろ…俺、自分の担当にだけは手ぇ出したことないのがジマンなのよ。」

「…どんな自慢ですかそれ。」

「それに、お前に何かあったら…クラウンに殺されちまうだろ?」

と大城は笑った。

 

「そう…ですよね。」

マーシャルも、その大城のいつもの調子に幾分の緊張が抜ける。

 

その時、リビングの隅っこのサイドボードの上にひっそりと佇む一つの写真入れに目が留まる。

そこには…大城と、知らない女性と幼い少女の三人が睦まじく肩を並べた写真だった。

 

マーシャルはそれをぼうっと眺める。

 

「可愛いだろ?俺の娘。」

「トレーナーさんの?」

「ああ…もう高校高学年か、大学生くらいなのかな…。」

「ずっと会ってないんですか?」

「ああ…最後に見たのは…ちょうど今のお前くらい…かな。」

「…どうして、奥さんと別れちゃったんですか?」

 

マーシャルはそう聞いた。ちょっと失礼なことを聞いてしまったと内心思ってしまう。

 

「ま、イロイロあんのよ。…お前が知るにはまだ早いな。」

「そうですか…。」

「それよりな…マーシャル。俺…」

大城は声色を変える。しいて言えば濁った藍色のよう淀んだ色だろうか。

「はい?」

 

大城は歯を食いしばる。

 

「お前に言わなきゃいけないことがあるんだ。」

「言わなきゃ…いけないこと?」

「ああ…。俺な…実はもうす…。」

 

…まただ。また、言葉が詰まる。

怯えている。自分が。その一寸先の未来に。

 

「実は…なんですか?」

マーシャルは大城の顔を覗き込む。

「いや…」

 

いや…じゃないだろう。

また逃げるのか?と大城は自分へ問いかける。

 

ラインをなかなか超えられない。

そんな自分がもどかしい。

 

「トレーナーさん…どうしちゃったんですか?」

さすがに大城の様子に違和感を覚えたマーシャルは再び尋ねる。

 

「マーシャル…俺な…その…ちょっと怯えてることがあってな…。」

「怯えてる?…トレーナーさんが?」

「ああ…。」

「…お話なら、聞きます。」

 

そういって二人に沈黙が訪れる。

大城は次の一声が出なかった。

 

「…大丈夫ですよ。トレーナーさん。…私がそばに、いますから。」

そういって観覧車に乗った時のように、マーシャルは大城の手を握った。

 

「トレーナーさん…ロック…ですよね?」

その一言に大城はハッとする。

 

「困ったとき。迷ったときはいつもロックに行けって。…ロックですよ。トレーナーさん。」

マーシャルは弱る大城に笑顔でそういった。

 

「ロック…」

そうだ。…ロックに行けといったのは俺だ。

その自分が…教えられてどうする。

 

 

ロック。

 

 

いつも

 

 

俺を助けたのは

 

 

ロックだ。

 

 

大城は急に立ち上がる。

そして、ギターが貯蔵された部屋に駆け込んだ。

 

「トレーナーさん?」

大城はリビングに戻ってきた。

大きなギターアンプと、エレキギターを持って。

 

『Marshall』のゴールドパネルが刻まれたそのアンプに電源と、シールドケーブルを刺す。

そしてヘッドに『Fender STRATCASTAR』と刻まれたサンバーストカラーのギターにストラップをつけて肩にかける。

 

アンプチャンネルをLEADへ。

 

そしてギターを弾きならす。

ギャイーンッ!!とエッジの聞いたディストーションサウンドがその部屋にこだました。

 

「と…トレーナーさん!?なにして…。」

「よぉ!マーシャル!!踊ろうぜ!!」

そうして彼はマーシャルの知らない曲を弾きだす。

 

決して複雑ではない、イントロフレーズはブリティッシュロックの香りを醸しだす。

 

そして単調なスリーコードをこれでもかという勢いをつけて、かき鳴らした。

「トレーナーさん!ご近所迷惑ですよぉ!!」

「知ったことか!!ほら、お前も踊れ!!」

「知りませんよその曲!」

「フンイキでいい…いいから…踊ろうぜ…。」

 

"I don’t know what it is that makes me feel alive

I don’t know how to wake the things that sleep inside

I only wanna see the light that shines behind your eyes"

 

ロックと仲間さえあれば、すべてが充実していたあの日々が彼の脳裏によみがえっていく。

 

俺は幸せだった。

 

かなり悲惨な目にもあってきた。

それでも…よかった。

 

最後に…人生をあきらめかけた時に…お前に出会えた。

 

マーシャル…お前には本当に感謝している。

俺の人生、終わってなんかなかった。

 

生きているとがこれほどまでに楽しいだなんて…この年で思えるなんて。

 

もっと俺は見たい、お前の行く果てを。

 

"Because we need each other

We believe in one another

And I know we’re going to uncover

What’s sleepin’ in our soul

Because we need each other

We believe in one another

I know we’re going to uncover

What’s sleepin’ in our soul"

 

俺は臆病だった。

他人からはいつも傍若無人だとか、自分勝手だとか、天邪鬼だとか怖いもの知らずだとか言われてきたけど。

 

いつも自分から見えない何かに怯えながらずっと生きていた。

 

俺はお前が思い描くほど強い大人なんかじゃない。

 

本当はお前よりもずっと小心者で…寂しがり屋なんだ。

 

ずっと自分を強く、大きく見せようと躍起になってただけなんだ。

 

でもお前は…そんな俺とは違う。

 

お前は本当に強い。…立派なんだよ。俺なんかよりもずっと。

 

誇っていい。…お前は日本…いや、世界一のウマ娘だって。

 

なぁ…マーシャル…俺がいなくなっても…

 

 

 

 

強く

 

 

 

強く

 

 

 

 

生きてくれ

 

 

 

 

ただ…それだけでいい。

 

 

 

 

 

 

"we believe…"

 

 

 

 

 

 

 

二人だけのロックコンサートは果て無き夜に、突き抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 




Acquiesce-oasis


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真実の朝

「…んぅ…ん?」

僅かに差し込む光の筋が、眠る少女の瞼に包まれた目を苛める。

結局はそれに負けて、彼女は意識を覚醒させる。

 

「…えっと…あれ?」

気が付いたらそこはベッドの上だった。

そのベッドというのは…無論彼のだ。

 

だってここは、彼の自宅なのだから。

 

マーシャルは自分のおかれた状況を少しづつ整理する。

そして、ハッと急に慌てた。

 

ここは彼の家…気が付いたら彼のベッド。

…と焦るのも杞憂だった。

 

衣服には一切の乱れもなく、それに昨晩の出来事だってちゃんと覚えている。

あの後、その日の疲れが一気に出たマーシャルは、ソファで寝てしまっていた。

それを彼が自分のベッドまで運んでくれたのだろう。

 

…よくよく思えば、男の人の家で無防備に眠ってしまうのもどうだろうかとも思うが…でも、あの人なら大丈夫だという安心感もあった。

 

彼の香りが宿るベッドから身を起こし、マーシャルはリビングへと歩く。

そこには誰もいない。ただ、昨日騒いだ後のギターとアンプがそのままそこに鎮座しているだけだった。

 

そこに、少し肌寒い風が、タバコの香りを連れてやってくる。

それはベランダからの隙間風だった。

 

ベランダに目を向けると、そこに彼はいた。

目が合うと、よく眠れたかと聞いてくる。

 

「おはようございます…トレーナーさんは眠れたんですか?」

思えばこの人が寝ているところなんて見たことない気がする。

自分は何度も見せてしまっているというのに。

 

「眠れるかよぉ、昨日のドンチャン騒ぎでさっきまで管理人からしこたま叱られてたんだからヨ。次やったら出てってもらうとまで言われた。」

と笑いながら言う。

叱られたはずなのに、いつも…というかいつも以上に上機嫌に見えるのはなぜだろうか。

 

そこには何か吹っ切れたものがあるようにも感じ取れる。

 

笑いごとですか。とマーシャルがいうが、叱られていることには慣れていると大城は笑い飛ばした。

 

「…おなかすいちゃいました。」

「朝飯、なんかあったっけな。」

大城はキッチンへ目を向ける。

 

「台所貸してもらえたら、私準備しますよ!」

とマーシャルはいう。

「じゃあ…たのむヨ。」

大城はマーシャルの背中を見送った。そして、決心を固める。

(…リハなんていらねーよな。)

そうボヤいて、リビングへ上がった…時だった。

 

――――――――――――――

 

「すっごい…いろいろある…。」

マーシャルはキッチンに積まれた見たこともない調味料の山に目を丸くする。

海外製のシナモンだとかココナッツパウダーだとかバルサミコだとかパームシュガーだとか。エスニック料理でも彼は作るのだろうか。

 

「…なんて読むんだろう」

もはや英語ですらない言語で書かれたそのおどろおどろしい見た目をした調味料には、本当に食品なのかと疑いを持つほど。

 

振り向くと今度はワインテラーを始めとした洋酒の山。

ウイスキーにバーボンにウオッカ、ジンにラム酒にブランデー、ワインは赤も白もゴールドラベルで。

 

それはまるでバーのようにラベルの向きまでそろえてある。

…そのあまりにも瀟洒な空間にマーシャルは幾分かの気後れを感じる。

 

「なんか作るとはいっちゃったけど…どうしようかなぁ。」

そういって顎を抱える。

 

ここでいつも大城は料理をしているのか。とふとそこに彼が料理をしているイメージを立てる。

キッチンに立つ彼。…ちょっと似合わないなとは思いながらも、どんな料理を作るんだろうかとも興味がわく。

 

…そういえば、結局昨日、彼が言おうとしていたことは何だったのだろうか。

昨日の騒ぎのせいで、結局有耶無耶になったのだが。

 

と思った拍子だった。

 

ドサっとリビングから鈍い音が響いてくる。

それは何か物が倒れたような音。

 

その鈍さというのが…なんだか生生しいものに聞こえた。

 

「…?」

あの空間、そんな鈍い音を出すものなんてあったのだろうか。

 

「…トレーナーさん?」

マーシャルはそろりそろりとその音の方角へ向かって歩く。

彼に問いかける声に、レスポンスはなかった。

 

「…がっ…あ…ああ…ガハッ!」

なにか音が聞こえる。

 

「…トレーナー…さん?」

その音を辿った先にいたのは彼だった。

床に倒れこんで、悶え苦しみ…その口元には、血の跡があった。

 

「トレーナーさん!?」

今まで見たこともないような彼の急な容態に、マーシャルは驚愕し、すぐに彼に駆け寄る。だけど、駆け寄るだけで何をしたらいいのか全く分からない。

 

「ガハッ!!ゲホォっ!!!…あぁ…ま…しゃる」

激しく何度も咳き込む彼は、掠れるような声で言う。

 

「そ…そんな…どうしちゃったんですか!?えっと…きゅ、救急車!!」

「いい…それより…く…クスリを…。」

「え?」

「俺のジャケット…の…内ポケット…。」

そういって大城はハンガーにかかったいつものストライプが入ったワインレッドのジャケットを指す。

 

マーシャルはすぐにそれをとって、内ポケットを調べると…そこから小瓶が出てくる。

よくわからない表記がついたそれを、大城に渡す。

 

「トレーナーさん!これですか!?」

「あ…ああ…。」

大城は錠剤を手に出すと、そのまま乱暴に口へと放り込む。

 

「トレーナーさん!!一体どうしちゃったんですか!?救急車呼んだほうが!」

そう取り乱すマーシャルに、大城はいう。

「大丈夫だ…。時間が経てば…。」

「どこが大丈夫なんですか!?」

彼が吐いた後の血を見て、マーシャルは血相を変えてそういう。

 

「…すまん…ちょっと…休ませてくれ…。」

といって、大城は目を閉じた。

…自分の口からいうつもりが…こんな醜態をさらすハメになるとは。

大城は自分の不甲斐なさを呪った。

 

 

―――――――――――――

 

それから彼の意識が覚醒したのは20分後のことだった。

彼はソファの上で頭を肘置きにし、あおむけに。

 

痛みは幾分引いていた。

あの痛み止めのおかげだろう。意識もはっきりとしている。

 

…だが。サイアクなところを、一番見られたくない相手に見られてしまった。

 

「…」

マーシャルは、ソファの空いた部分にその小瓶とスマホをもって沈黙していた。

 

「…すまん。…騒がせた。」

そういうしかなかった。

ほかになんて言えばいい。

 

そういって身を起こす。

二人の間に静かな時間が過ぎていく。

 

さっき彼が倒れていた部分。血は拭き取られていた。

おそらくマーシャルが掃除したのだろう。

 

「…やたらに、他人の血なんて触るもんじゃねぇぞ。」

「トレーナーさん…。このクスリ。」

マーシャルは大城へ彼が服用した小瓶を見せつける。

 

「…私には、ずっとブドウ糖だって言ってた。でも…これ、癌の痛み止めの薬なんですよね…?」

「…調べたのか。」

「そんなに…ひどいんですか…?今すぐ、病院に行かなきゃ…ダメなんじゃないんですか!?」

再びそう取り乱しかねない彼女に大城はいう。

 

「もう…病院なんてイミねぇ場所なんだよ。」

「…それって。」

「…そういうコトなんだ。所謂…末期ってヤツさ。」

「そんな…。」

 

 

 

ああ…ようやく言えた。

最悪なタイミングで。最悪な形で。

 

 

 

「…どうして。…どうして…いままで…黙ってたんですか。」

それは絶対に言われるであろうと予測された問だった。

だけど、それに対する解なんて用意していなかった。

 

マーシャルの声が少しづつ震えていく。

「…すまん。」

いままで生きてて何度その言葉を言ったのだろうか。

すまないで済んだ試しなんてあったんだろうか。

 

「そんなの…そんなことって…ありませんよ。」

いきなり突きつけられた現実に、マーシャルはどうしようもできなかった。

 

「なん…で。…ひっ…ぐッ。」

その声がだんだんとひきつってくる。

グスグスとマーシャルは嗚咽を漏らし始める。

 

「トレーナーざんは…いっつも…ぞうなんでずッ。…いっつも…いっつも大事なことを言わない!…でも、そのことくらいは…知っておきたかった。」

マーシャルは下を向いたまま、顔を腫らしてそういった。

 

先ほど見た彼の発作。

医学に詳しくない彼女であってもその容体の深刻さは一目瞭然だ。

彼は、自分の見えないところで…そんな苦痛と戦ってきていた事実を今更知った。

 

その事実は彼女をこれでもかと苦しめた。

 

そんなマーシャルに大城は手を伸ばし、彼女を自身へ引き寄せた。

「すまん…本当のことを言うと。これは、お前と出会う前から患っていたものなんだ。お前と会った時には…その運命は全部決まっていた。…お前が責任を感じることなんて何もない。全部…決まっていたことを知りながら、俺はお前のトレーナーになると決めたんだ。」

「…どうして。」

「お前が俺の生きる希望になってくれると、信じたからだ。…とんでもねぇよな。自分のザマを誰かに託そうだなんてな。…ズルい大人だよ。俺は。」

「ズルくなんて…ない。トレーナーさんは…私を信じてここまで連れてきてくれた。何にもなかった私に…取柄をくれた。」

「それは違う…俺がやったんじゃない。そのチカラは…お前自身が自分で勝ち取ったものだ。」

 

マーシャルは大城の懐で涙を流し続けた。

 

「もっと誇っていい。お前は実力者だって。俺なんていなくてもやっていけるようなヤツだって。」

大城はマーシャルの頭を撫で続けてそういった。

「…嫌だ。…いやだ…いやだ。…そんなの…いや。」

 

その涙に、大城は苛まれる。

やはり…自分は残酷なことをしたと。自覚する。

 

だけど、もう決められた道なんだ。

精一杯今を生きて…彼女を支え続けなければならない。

 

「マーシャル。そうだ。俺はもう長くない。医者からはいつそうなってもおかしくないとまで言われてる。…ごめんな。すまなかった。俺は弱かった。でも。お前にはここで立ち止まってほしくはない。俺は…お前の行く末を見たいんだ。」

 

大城は天を仰ぐ、そこには天井しかないのだが。

 

「自分の歴代の担当が…それも母娘揃って天皇賞を飾るなんて、そんな経験誰ができる?なぁ。最後に俺に見せてくれよ。お前のチカラを、勇姿を。…俺の為に走れなんてこたいわねぇけどさ。でも俺は見たいんだ。…きっと、最後まで見届けたい。」

「う…うぅっ…とれー…な…さん。」

 

 

「天皇賞…絶対に勝ち取ろう…な?」

マーシャルは、大城の懐でこくりと頷いた。

 

 



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その涙

「ま…マーシャルお前…朝帰りしたってマジかよぉ!?」

食堂でトップギアの声がこだまする。

 

「…まぁ…うん。」

マーシャルは力なくそう答えた。

その顔はどんより暗く、いつも斜め下の目線で、目の前にいる二人でなく、テーブルを見ているようだった。

 

「そっか…夕べいなかったって思ってたら、トレーナーさんのところでねぇ…。」

モモミルクはお茶を啜りながらそういう。

 

「…ごちそうさま。」

「え?お前もう食わねぇの?」

 

マーシャルは席から立ちあがる。

いつもは何度か往復しないと片付かない量の空ドンブリをこさえる彼女だが、今日はたったの一杯だけ。

 

しきりに何度もため息をついて、いつも明るく振る舞う笑顔も、今日はなかった。

 

「ごめんね…私、先に行ってる。」

「あ…おう…。」

 

そしてマーシャルは食堂から去っていった。

 

「やっぱ、様子もヘンだよな?あいつ。」

「そうだねぇ。」

「…まさかって思うけど、その…何もなかったんだよな?あいつ?」

ソワソワとした態度をギアは隠せなかった。

 

「うーん、どうだろうねぇ…。大城先生って言っても男の人の家にお泊りだからねぇ…。」

「いや…そんな…あんな生真面目なアイツがそんな大それたこと!」

「でも、案外真面目な娘に限って早い(・・)っても言うみたいだからねぇ。」

「そ…そんなぁ!!G1どころか!そっち(・・・)まで先を越されたっていうのか俺は!?」

「声が大きいよ、ギアちゃん。」

 

――――――――――――――

 

「…そうですか。では、ちゃんと言えたってコトですね。」

「ちゃんと言えた…ってのはアヤシイ表現だな。」

「彼女…なんて?」

「…なんでもっと早く言ってくれなかったのかって…泣かれちまったよ。」

 

暮れの街角の行きつけのバーに沖野と大城はいた。

彼のお気に入りのウイスキーを、二人はロックで。つまみは暗い話で。

 

「二度と女を泣かせることはないって、誓ったハズなんだけどな。…やっぱそう上手くはいかんもんだ。」

「…でも、よかった。ちゃんと伝えられたのなら。」

 

そういって沖野はクイっとロックを煽った。

 

「何にもよくねぇよ。例え伝えられたとしても、その事実は変わんねぇんだ。…俺はクズだよ。嫁に捨てられたあの日からなんも変わってねぇ。自分のエゴの為に、誰かに業を背負わせて…。」

「そういわないでくださいよ…。貴方がいたから、彼女は。」

 

二人にシンと沈黙が訪れる。

 

「…なんで、癌なんだろうな。」

「大城さん…。」

「俺はやっと手に入れたんだ…自分が生きてる実感を。証を。やっと面白くなってきたってのに。やっとその先が見えてきたってのに…。ああ…」

 

 

 

「…死にたくねぇな」

 

 

 

彼がボソっと呟いたときだった。

 

 

「…ッ!大城さん!」

沖野がそう驚嘆しながらいう。

 

「…え?」

 

大城の頬に、温かい雫が伝っていった。

彼は直ぐにそれを拭う。そして、その雫の正体に気づき、下を向いて笑った。

 

「ははは…。あーあ。俺もトシ食っちまって涙脆くなっちまったか。」

「…。」

沖野は何も言えなかった。付き合いの長い彼でも、その涙をたったの一度たりとも見たことなどなかった。それなのに。

 

「こーんな気取ったジャズなんか流してっから辛気臭くなんだよ!マスター!SUM41でも流してくれよ。グリーンデイでもいい。ハデなのを頼むよ。」

「…残念ですが、当店の店内BGMはジャズ専門なんですよ。」

「あっそ…ならコルトレーンでも頼む。」

「ご承知…。」

 

店内にサックスの色が濃いジャズが流れ始める。

 

「ロックを流せないのは残念ですが…代わりにこれを。」

と言ってマスターは大城によく磨かれた灰皿を差し出す。

 

…だが、大城はその灰皿をフンと鼻で笑って、人差し指でツンとつついてマスターへ返した。

 

「大城さん?」

「…タバコは止めたのよ。」

「え!?あなたが!?」

沖野は思わず目を丸くする。

 

学園内一のヘビースモーカーである大城。煙草自体が彼のトレードマークであるというほど。そんな彼が煙草を手放すなど…夏に雪が降るようなもの。

 

「タバコはもうダメです…だってよ。」

それはマーシャルが言った言葉だった。

 

「酒も今日で卒業だ。」

ウイスキーグラスに入った氷を大城は指で突いてそういった。

 

「…大城さん。」

一つ一つ彼が変わってゆく。その変化は…哀しい変化に沖野は感じた。

 

「…そうだ沖野」

「なんです?」

「お前さ。左ハンドルのMT転がせられるか?」

「え?」

 

そういうと大城は、スラックスのポケットから。あの鍵を取り出す。

 

「…お前にやるよ。」

「え!?…これって!?」

「俺の愛車…大事にしろよ…なんてな。」

それはポルシェのキーレスだった。

 

「この間、車動かそうとした瞬間、発作起こしちまってよ。ガンより先に、事故って死んじゃ笑い話にもならねぇだろ?」

沖野はそのカギをとってまじまじと見つめる。その重厚なエンブレムマークが彼には重く感じた。

 

「今はトレセンの駐車場に停めてあっから、好きな時にもってけ。乗り潰してもいいし、売ってカネにしてもいい。あぁ、名変は自分でやってくれ。」

「…あれだけ、大事になされていたのに。」

「だからお前にやるんだよ。…っていうとカッコつけすぎか?まぁ、気負わなくていい。お前の好きなように、思うようにやってくれ。」

 

彼のその言動は、まるで死に際に自分の整理をつける人のそれだった。

 

「まぁ、その代わりっていっちゃなんだけどさ。」

「…何か。」

「沖野…俺に、もしものことがあったら…マーシャルのこと、お前のトコで面倒見てやってくれねぇか?」

「彼女を?」

「ああ…お前のとこなら…あいつも馴染めるだろ。それに、お前んとこ今スプリンター居ないだろ?」

「それはそうですけど…。」

 

沖野は少しの沈黙の後に口を開いた。

 

「…やっぱり、そんな約束できませんよ。…あなたにはもっと、生きてもらわないと!…彼女を、見届けてあげてくださいよ。彼女のトレーナーは大城さん、貴方しかいませんよ!」

「…できるんなら、そうしてぇさ。」

大城は残ったウイスキーをクイっと傾けた。

 

「ダメだ…今日は全く酔えねぇ。」

「俺もですよ…。」

 

二人の心情を表すかのように、ジャズは静かに終わりを迎えた。

 

 

 

 




「ポルシェ…ローンとか残ってないですよね。」
「あと1000万くらい…か?」
「え!?」
「ジョーダンだよ、一括で買ってんだから。」
「貴方の懐って…どうなってるんです?」


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イカサマ

「失礼します…。」

「よぉ、ここんとこ連日だなお前。」

そういって大城はマーシャルをトレーナー室へと招いた。

 

マーシャルはあの日以来、ほんの少しの時間を見つけては大城のトレーナー室へ足繁く通った。

 

たった一分一秒でも、彼のそばに居たかった。

 

「…ごめんなさい。」

「ははっ、謝ることじゃねぇだろ。…ほらよ。」

そういって大城はマーシャルへ菓子を投げた。

「ありがとう…ございます。」

 

しかし、大好きな菓子を前にしても、彼女の耳が立ち上がることはなかった。

 

「…なぁ、頼むから辛気臭ぇのだけは勘弁してくれよ。せめてお前と居るときくらいさ…楽しくいたいんだよ。」

「…ごめんなさい。」

 

だめだこりゃ。と大城は頭をかく。

まぁ、無理もないといえばそうだろう。

 

ただ、こんなコンディションが続けば当然彼女の走りにも影響を及ぼすことは必至だった。

 

何か気分転換でも…。と大城は頭の中で模索する。

そういえば…。と大城は引き出しを探る。

 

「マーシャル、ちょっと遊ぼうぜ?」

「はい?」

 

大城が取り出したのは、普通のトランプだった。

 

―――――――――――――

 

「ポーカーのやり方知ってるか?」

「なんとなくなら。」

「ほら、早見表だ。上になればなるほど強いワケだ。単純だろ?カードの交換は2回ルールだ。」

 

そういって大城とマーシャルは応対用のソファーに向き合って座る。

シュッシュッと大城が慣れた手つきで器用にトランプを切っていく。

 

そして自身とマーシャル交互に一枚一枚、カードを配っていく。

計五枚がそろったところで、大城は自分の手札を覗く。

 

「さて…三本勝負でいこう。何賭ける?」

「か…賭ける?」

「トーゼンだろ。トランプゲームには、博打が付き物なのヨ。」

「そんな、お金持ってませんよ!」

「金じゃなくていーよ」

大城は笑いながらそういう。

 

「でも…賭けるって言ったって。」

そうしどろもどろなマーシャルに大城はいう。

 

「そうか…なら。俺が勝ったらお前…俺にキスしろ。」

「え…き…キス!?」

マーシャルは大きく目を見開いた。

 

「そーだ。ここんとこに愛情込めてな。」

と大城は自分の頬を指す。

「そ…そんなぁ…。」

とマーシャルは顔を赤らめながらそう言った。

 

「ま、勝てばいいのよ。」

「わ、私が勝ったらどうするんですか?」

「そうだな…俺がキスしてやるよ。」

「え…えぇ…。」

 

どちらに転んでもキスじゃないか。

 

「はっはっは!冗談だよ。お前が勝てば…まぁ何でも言うこと聞いてやるよ。それでどうだ?」

「なんでも…?」

「ああ、アイス10コだろーと、新しい服だろうと、欲しいんならベンツでも買ってやるし…そうだな。なんなら『うまぴょい伝説』踊ってやってもいーぜ?」

「と、トレーナーさんが…うまぴょい伝説…?」

「こう見えてケッコー上手いんだぜ?俺。」

 

大城の踊るうまぴょい伝説…それを想像したマーシャルは、思わずぷっと噴き出した。

 

「ほ…ほんとに、踊れるんですか?」

マーシャルは肩をカタカタ震わせて言った。

「ああ、最近やらなくなったが、昔トレーナーとかの歓送迎会の余興の定番でな。沖野を道連れにしてさ。」

 

「それは…見てみたいですよ!」

その時マーシャルの耳がようやくピンと立った。

 

「よぉし、ファーストゲームだ!行こうぜ!」

そうして一対一(サシ)のポーカーが始まった。

 

―――――――――――――

 

…手札はワンペア。だけどキング。

これは勝負すべき?

 

そっと前を見る。

大城は自分の手札にご満悦な様子。

 

「どうした?自分のカードに不満か?」

「い、いえ!」

 

マーシャルは動揺を悟られないようにする。

 

「じゃあ勝負だな…おっと、そういや3本勝負ってことは、レイズの機能がないワケだな…。よぉし、ルール追加だ。レイズに乗ったらキスの回数増やしてもらうぞ。」

「ええ!?」

「さぁ、どうする?俺は賭けるぜ?」

大城は自信満々にいう。

 

「お、おります!おりますぅ!!」

そういってマーシャルは手札を仰向けにさらした。

 

「…っく!あっっはっはっは!!」

大城が急に笑い出す。

 

「ありがとよ!マーシャル!」

そういって大城は自分の手札を晒す。それは何の役の成立もない。

 

「こ…これって。」

「ブタだな。儲けた。」

「そ、そんなぁ!」

 

マーシャルは大城のポーカーフェイスにまんまと騙された。

 

―――――――――――――――

 

そんなこんなで、マーシャルはもう一度大城に騙されることになるが、それでも強い役で一度取返し、状況は1対2。

もうそろそろ、昼休みが終わってしまう。ぼちぼち勝負か。

 

「トレーナーさん!勝負ですよ!」

マーシャルは強気に出る。

自分の状態がすぐに顔に出てしまう彼女には、ポーカーフェイスは無縁だ。

だからまっすぐ行く。これだけの強気。手札も相当なのだろう。

 

「オーケー。これで終わりかな。」

大城はフンと鼻を鳴らす。

 

「いいえ、ここは私のモノです!」

と言って手札を晒す。

 

クイーン三枚に7が二枚。フルハウス。

なかなかの手札だ。彼女が強気に出るのも頷ける。

 

「ほぉ…。」

だが大城は余裕を見せる。

 

「だが、残念だったな。俺は勝利の女神とダチなのよ。」

そういって手札を晒す。

それは8・9・10・J・Q

しかもすべてダイヤ。

 

ストレートフラッシュ。

 

「そ…そんなぁ!!」

マーシャルは口元を抑える…が。すぐにその手札の違和感に気づく。

 

「はっはっは!さぁて、キスの準備は…。」

「トレーナーさん。…これ。」

マーシャルは大城の手札を取り出す。

 

9の手札。それをスライドさせると。

あら不思議と5のクローバーが顔をのぞかせた。

 

「ああ…オマケ付きだ。よかったな。」

「よくありません!イカサマですよ!」

 

まるで見つけてくださいと言わんばかりのお粗末なイカサマに、マーシャルの耳はピンピンと動いた。

 

そしてポーカー早見表の注意書きに指をさす。

 

「イカサマは、どんな理由があっても負けです!」

「おいおい…マジかよ。」

と大城はソファに背を大きく預けた。

 

だが、その表情はどこか安堵したもののようだ。

ちゃんとイカサマに気づいてくれた。とでも言いたげなように。

 

「じゃあ、私の勝ちですね!」

「しょーがねーな。ほら、なんでも言ってみろ。」

 

その時、カタンと何かが落ちる。

二人の視線はそこに。

 

「あーあ、またかよ。」

「なんですか?」

「カレンダーさ。ピンが弱ってんだよ。」

 

そういって大城はカレンダーをかけなおす。

そしてそれに目をやると。天皇賞の日が迫ってきていることが分かった。

 

そしてそれに出るための優先出場権を賭けたレース。毎日王冠はもう2週間ないほど。

 

「だいぶ近いな。次の毎日王冠。距離は1800。十分お前にも勝ち目がある。いけるだろ?」

「はい。」

 

そういって大城はマーカーを取り出すと、その日にちに色濃く〇を描いた。

 

「こいつをツブして、天皇賞だ。マーシャル。絶対に獲りに行くぞ?」

「はい…あの、トレーナーさん。さっきのゲームのお願いなんですけど。」

「ああ、決まったか?いいぜ、なんでもこい。」

「…生きてください。」

 

澄んだ瞳でマーシャルはそういった。

 

「私が天皇賞を獲って…私が、ちゃんと立派になれるその日まで…生きてください。それが…私のお願いです。」

「…ヨクがねーな。お前って。…ああ。わかった。約束しよう。」

 

その時、キンコンと昼休みが終わるチャイムが鳴り響く。

 

「あ!いけない!次の授業!」

「いーじゃねーか。サボっちまえよ。もう少し遊ぼうぜ。」

「だめです!じゃ、また放課後!」

 

そういってマーシャルは飛び出していった。

 

彼女が居なくなった後のトレーナー室で、大城はポツンと一人。

またカードを切り出す。

 

(約束…か。)

 

そういえば、今まで何度も約束を守れなかったことはあった、

それは待ち合わせの時間などの些細な約束から、人生を変えてしまうほどの大きな約束事まで。

 

せめて最期くらい…この約束は守りたい。

何に変えても。

 

そう胸に誓って大城は誰もいない対面に、カードを配った。

 

 

 

 

 

 

 




(…そういや、南坂とか北原も道連れにしたことあったっけな)


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シミュレーション

1日の流れというのは、流れてほしくないと思えば思うほど早く流れる。

 

待ち遠しいことがあるとき、早く明日にならないかと待望するその時間は途方もなく長く感じるというのに。

時間と気持ちというのはどうしてこう反比例するのだろう。

 

もっと時間が欲しかった。

…でも、どうあがいても毎日王冠杯は明日なのだ。

 

絶対に落とせないレース。

これを乗り越えなければ…その先はない。

 

――――――――――――――

 

「よォし、いい感じだぜお前。」

「はい!」

「次、本気で行ってみろ。」

 

そういって、大城はマーシャルにドリンクとタオルを投げる。

 

いよいよ明日に控えた毎日王冠。

精神面にて、少し不安な要素がある彼女だが、この調子でいけば…きっと。

 

マーシャルは大城のアドバイスを聞くために彼のそばに寄る。

その時ふと気づく。

彼から一切の煙草の臭いが消えていることに。

 

…あんなに大好きだった煙草も、お酒も、車も止めてまで彼はマーシャルに打ち込んでいる。

彼はそこまでに真剣だった。

 

マーシャルは自分に問う。彼がここまでして本気になっているというのに、自分はちゃんと真剣になれているのかと。

いつも暗い想像ばかりして、悪いほう悪いほうへと引きずられている。

 

(…こんなんじゃ、いけない。私もトレーナーさんの期待に応えなくちゃ。)

そう自分を奮い立たせる。

 

「よぉし、ラスト行こうぜ。」

 

そういってマーシャルはスタートラインへ立つ。

 

目の前に広がる広大なターフ。

目を閉じれば、瞼の裏に浮かぶのはレースでのライバルたちや、自分たちを見守ってくれるファンたち。

 

マーシャルは本番さながらの緊張感を自分に叩き込む。

 

「OK…いくぞ。」

 

3

 

2

 

1

 

「GO!」

大城の掛け声とともに、彼はストップウォッチを押す。

 

彼の掛け声と、ゲートの開く音が頭の中で重なった。

マーシャルは一気に前へ出る。

 

浮かぶ、目の前にライバルたちがいる。

 

その中に自分を忍ばせる。自分のポジションを探す。

(…あった、ここだ。)

 

周りに誰もいないはずなのに、彼女にはライバルたちの動きがはっきりと見えていた。

いままでレースで培ってきた経験が、彼女の中で高度なシミュレーションを生み出していた。

 

第一コーナー、第二コーナー、体の軸を忘れるな。Rの中心に軸を立てて、見るのはコーナー出口。

 

 

 

バックストレッチ、早い娘ではもうここから動き始める娘もいる。

でも焦るな。自分の勝負所はここじゃない。

スリップストリームをかけられる娘はいないか?自分と似たリズムの娘はいないか?常に周りを意識して。

 

第三コーナー…三分三厘。ここで、勝負だ!

 

マーシャルは大きく息を吸う。

そして、思い切りターフを蹴った。

 

-7.000-

いきなり駆け出すんじゃない。まず体を安定させる。

視線が定まってから、前へ行く。

 

-6.299-

10m先を走っている娘に追いついた。

でも、自分の存在に気付いた彼女は私の行く道を阻害する。

じゃあ、開けてくれたそっちの道をもらおう。

大丈夫、走行ラインを変えても私が縺れることはない。足の強さなら自身があるんだ。

 

-4.125-

二人、三人とパスをする。

でも、相手だって重賞ウマ娘。やすやすと抜かされて黙ってるワケなんてない。

 

みんなが自分を、その先をめがけて迫ってくる。

 

でも譲れない、譲っちゃいけない。

やっと先頭が見えてきた。

 

-3.579-

…。

 

彼女にははっきりと映った。

撫子色に萌える。英雄が。

 

-2.590-

きっとスぺちゃんは、ラインつぶしみたいな妨害は踏んでこない。

だって、誰よりもまっすぐで、誰よりも自分自身に忠実だから。

 

マーシャルはスペシャルウイークの横に並ぶ。

たとえ並んだとしても、スペシャルウイークは横を見向きもしない。

いつ、どんな時だって、彼女は自分の走りを貫くから。

 

-0.000-

さぁ、スパートが終わった。

現状なら、スぺちゃんは私の後ろだ。

 

ここでバテれば、また二の舞だ。

抜けろ、逃げろ、根性勝負だ!

 

 

「…ほんの少し前のお前はドコに行ったんだよ。マジでやべぇ怪物だよお前は。マーシャル。」

大城はその担当の様を恍惚と見入っていた。

 

「ああ、それでいい。魅せろ。もっと魅せろ。そうだ。ロックに行けよ。マジで天皇賞…獲っちまおうぜ。…う…っぐ!」

 

大城は急に懐を抑えてよろける。

 

「こんなときに…。」

 

 

あの日同様、スペシャルウイークが背後から迫る。

もうゴールは近い。自分は前とは違う。スパートのかけ方も、全体のペース配分もあれから何度も見直した。調子だっていい。

前もはっきり見える!…このまま逃げ…。

 

そうして前を見据えたマーシャルの視界に飛び込んできたのは…。倒れた大城だった。

周りのスタッフたちが急いで彼に駆け寄る。

 

それを見たマーシャルは、激しい動揺を覚えた。

思わず、このターフを抜け出して彼の下へ行くべきかと自分に問う。

 

彼女の炎は、また鎮火しようとした。

彼女の足が緩む。

 

だが、大城は地面に伏しながらも、マーシャルのその様を見た。

そして、出せるだけの声を絞り出す。

 

「止まんじゃねぇ!!!」

その大城の言葉にマーシャルはハッとする。

 

「終わってねぇんだよ!レースは!!走れ!!!お前は勝つんだろ!?俺の為を思うんなら…走れ!!走ってくれ!!」

 

その言葉にマーシャルは激しい動揺を殺して、また前を向いた。

スペシャルウイークとのその差1/2バ身くらいだろうか。

 

ごめんねスぺちゃん…譲らないよ…!

 

そうしてマーシャルはゴールラインへ飛び込んだ。

大城はストップウォッチを切る。

 

「…読んでくれ、何秒だ?」

ストップウォッチを受け取ったトレセンスタッフはその数字を読み上げる。

 

…レッドマーシャル。芝2000m 自己ベスト更新。

 

「ああ…上出来だ。」

大城は安堵の息をついて、痛み止めの錠剤を含んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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また明日

「…大丈夫ですか?」

「ああ…大丈夫だ。って言っても、信用しねぇだろ。」

何とか体を起こして、観客席のベンチに座る大城に、マーシャルは大きく肩で息をしながら問いかけた。

 

「トレーナーさん…。」

「ヨケーな心配すんな。大丈夫だ。ちゃんと約束したんだからさ。」

「…。」

「今は一旦忘れろ。お前が本当に心配すんのは…明日だろ?」

「はい…。」

 

それでもマーシャルは不安な顔を隠せない。

せっかく自己ベストを叩き出せたというのに、またバッドコンディションに陥られては元も子もない。

 

「お前がクヨクヨしたってしょうがねぇだろ?今は勝つことだけを考えろ。お前がそんなんだと…俺が安心できねぇよ。」

その言葉に、マーシャルはようやく顔を上げる。

 

「…わかりました!」

キリっとした表情でそう答える。

その姿に大城は頷いた。

 

「さて、今日はここまでだ。景気づけに晩飯でも食いいくか?」

「はい!」

食事の話になり、ようやくマーシャルの顔にも綻びが。

 

「何が食いてぇ?なんでもいーぞ。景気づけだからな。スシだろうと、ステーキだろうと、満漢全席だろうとフルコースだろうと。」

「そうですね…。」

いままで彼とした食事。それはどれもこれも一流のレストランだとかで高級な食事に舌鼓をさせてもらった。しかし、彼女には一つの疑問が。

 

彼は美味しいものをたくさん知っている。

そんな彼が、本当に美味しいと思うものは何だろうと。そんなことを考えた。

 

「…トレーナーさんが、本当においしいって思うものを、食べてみたいです。」

「俺が一番ウマイと思うもの…?」

そのマーシャルの答えを、大城は予測していなかったよう。顎を抱えてふんと天を眺める。

 

「はん…なんだろーな。嫌いなモンは結構あんだけどよ。」

そのときふと思い出したような顔を、マーシャルに向ける。

「ああ…あそこかな…。」

 

―――――――――――――――

 

二人はトレセンから歩いて駅の近く、薄暗いガード下付近に構える古びた古民家のような木造の食堂に足を運んだ。

 

「ここが…トレーナーさんの?」

「ああ…カネのねぇ学生だった頃よく来たもんだ。キンメダイの煮つけがスゲェ旨いんだよ。…ちょっと期待ハズレだったか?」

「いいえ!トレーナーさんのオススメ、期待してます!」

 

そうしてガラガラと戸を開ける。

そこから、ジャッジャと炒め物の油がハネる音、昆布とカツオだしの食欲中枢を刺激する香り、年を召した者たちの談笑に盃のぶつかる音。

 

「よぉ、ミネさん。まだ潰れてねぇみたいで安心したよ。」

と、大城は厨房に立つ割烹着姿の、ふくよかな高齢女性に声をかけた。

 

「あら!ハクちゃんやんね!」

ミネの言葉に、周りの客が一斉に彼のほうを向く。

 

「はえー!白秋!あんたえんらいひさびさごて!」

「嫁はんににげられたちほんとね?」

「イツの話してんだよ。テキトーに座るぜ?」

 

そういって二人はカウンター席へ。

 

「ほんっに久々ねぇ、ハクちゃん。…いいオトナになって。あたしがあと30年若かったらホレてるわよ。」

「俺はあと30年若くてもアンタにゃホレねぇな。」

「ま!ナマイキなのは変わらんとやけ!」

 

ミネの視線は隣にちょこんと座るマーシャルへ。

 

「あんら~えらい可愛かウマ娘ちゃん連れてきてから~。」

「こいつバカみてぇに食うからな。今のうちに米の追加炊いといたほうがいいぜ。」

 

マーシャルは少し恥ずかしそうにペコリと頭を下げる。

 

「まかせんしゃい!この道40年のプロだよあたしゃ!」

そういって厨房の奥へ消えて行った。

 

―――――――――――――――

 

「どーだ?うめぇか?」

「はい!おいひいれふ!!」

 

大城は口いっぱいにキンメダイの煮つけとご飯を頬張るマーシャルにそう言う。

彼女は満面の笑みで返す。

 

「あんたあんまり食わんとね。」

ミネは大城に対してそういった。彼が注文したのはキンメダイの煮つけ単品だけだった。

 

「…最近食が細くてな。」

「あんたもオジサンになったもんねぇ。若か頃はあげんツンツンやったくせしてから。」

「トレーナーさんツンツンだったんですか?」

マーシャルが聞く。

 

「聞かんね!イガグリみたいなヘンなアタマしてから!宇宙人みたいに染めて、ヤクザでもあげんか恰好せんよ!」

とミネは厨房奥のポスターを指す。

 

そこにはとあるロックバンドの古いポスター。

三人の奇抜な男たちに、バンド名であろう『SEX MUGNUMS』の文字が刻まれていた。

 

そのセンターに立ちこちらに中指を突き立てる、色濃い男は…見覚えある面影が。

 

「え…あれ…トレーナーさんですか…?」

そのあまりにも奇抜すぎて、もはや滑稽さすらも覚える見た目に、マーシャルは苦笑いした。

 

「…なんでまだあんだよ。…捨てとけよ。」

「永久保存版だから。」

 

大城はバツが悪そうにそっぽを向く。

 

「そういえばトレーナーさん。バンドマンだって言ってましたね。」

クスっと笑ってマーシャルはそういう。

 

「…ま、所詮ピストルズは超えられなかったのさ。」

そういって、また大城はキンメダイの煮つけを食した。

 

――――――――――――

 

『キミの愛バが‼』

 

マーシャルはその小さな食堂にポツンと設置されたカラオケのマイクを手に取って、歌って踊った。

その小さな会場での小さなウイニングライブ。

酒が回ったオジサンたちは、若いウマ娘のダンスにご満悦な様子。

コールや合いの手がこれでもかと飛ぶ、

 

大城はその片隅で、そっとマーシャルのウイニングライブを見続けた。

「白秋、お前良いウマ娘拾ったなぁ…。」

ベロンベロンなオヤジが大城に絡む。

 

「まぁな。」

「お前の娘だとかいうオチじゃねぇよなぁ?」

「それはねーな。」

 

そうして視線をまたマーシャルへ。

 

…そういえば、彼女の踊りを生でみるのは初めてかもしれない。

もっと見ておくべきだったかな。と大城はため息をつく。

 

「…にしても、あの娘なーんかどっかでみたことあんだよなぁ?」

「そうか?」

「ああ…あ、あれだ!あの…前にG1 獲ったレッドなんとかとかいう娘…よく似てらぁ。」

「…よく言われるみたいだぜ。」

 

――――――――――――――

 

「ご馳走様でした!」

「じゃあな。」

「はいはい!また来んね!そん娘連れてきて!」

 

そういって二人は食堂を後にする。

日は暮れたが、まだ門限を気にする時間じゃなさそうだ。

 

月が顔をのぞかせる。

ぼちぼち秋も近いのだろうか。

 

「ご馳走様でした。トレーナーさん。」

「ああ…。足りたか?」

「はい…わぁ。」

 

マーシャルはとあるものを見つける。

それは、空に浮かぶ星の海原。

 

「ほぉ…今日はよく見える。」

「あの星…すっごく綺麗…。」

「アルタイルだな…忌まわしい名前だ。」

「え?どうしてですか?」

「さぁて…どーしてだろうな。」

と大城は笑った。その名前によくない記憶でもあるのだろうか。

 

「その近くのデネブとベガを結べば、夏の大三角ってヤツだな。」

「詳しいんですね。」

「初めて買ってもらった望遠鏡でよく星見てたんだよ。」

「望遠鏡ですか。」

「ああ…兄貴が買ってくれたんだ。少ねぇバイト代でさ。ありゃ嬉しかったなぁ…。」

そういって恍惚と空を見上げる。その先には、遠い過去が見えているのだろうか。

 

「あれ、なんですか?ジグザグの星。」

「カシオペアだよ。聞いたことくらいあんだろ?」

「へぇ!じゃ!あれは?」

「ペルセウスだな。」

 

二人は身を寄せ合いながら、夜空のスクリーンに映る、終わりのない映画を見続けた。

 

「あ!あれ知ってます!北斗七星ですよね!」

「ああ…北斗神拳!ってな」

と大城は笑う。

 

「…?その隣にある星、なんですか?」

北斗七星の脇にぽつんと輝くそれをマーシャルは指す。

 

「?そんなんあるか?」

大城は目でそれを追うが、依然何も見当たらない。

 

「ありますよ!ほら!あれ!」

だが、大城の目には何も映らない。

 

「ああ…わかった。死兆星だな。」

「え…ええ!?それって…見えると死んじゃうっていう…ほんとにあるんですか!?」

「…マーシャル残念だったな…。俺より先に逝っちまうなんて。」

「そ…そんなぁ!!」

 

と茶番を演じたところで大城は笑った。

 

「ジョーダンだよ。そりゃ、アルコルっていう星だ。目がよくねぇと見えないのよ。」

「じょ…冗談。」

ふぅとマーシャルは安堵の息をつく。

 

「アルコルってのはな、逆なんだよ。」

「逆?」

「そ、見えなくなった時が、死期の近づきだっていうんだよ。死兆星ってのも、あながち嘘でもない。」

「トレーナーさん…。」

 

その時

 

「うっ!!!」

大城が急に懐を押さえてよろけた。

「え!?トレーナーさん!?」

マーシャルは血相を変えて彼に駆け寄る。…また…発作が!

 

「どうしよう!!トレーナーさん!お薬は?救急車呼びますか!?」

そう慌てふためくマーシャルに…。

 

「…なーんてな。」

と大城はケロっとした姿に戻る。

 

それを見たマーシャルは…。

 

「…バカ!!」

といって大城に抱き着いた。

彼の懐で、スンスンと音を立てる。

 

ちょっとからかいすぎたと、大城はマーシャルの頭をなでて、スマンといった。

 

「…でもよ。マーシャル。それが本当になる日がそのうち来ちまうんだよ。」

「そんなこと…いわないでください…。」

そういって大城の懐で涙を流し続けた。

「…なぁ、マーシャル。俺と一つ約束しないか?」

「はい…?」

 

大城は、マーシャルと目を合わせた。

 

 

 

 

「俺が死んでも…泣くな。」

 

 

 

「…え?」

 

 

 

その言葉の意味が理解できなかった。

「どう…して?」

「どうしてって…。お前ってさ、ほら、スグ泣いちまうだろ。…やっぱりさ。心配になるんだよ。お前が泣いてると…。もう、駆けつけてやれねぇんだよ。…俺が死んでも、俺のこと、キレイサッパリ忘れて、前向いて生きて行けよ。」

「そんなこと…できませんよ…。」

「できなくても、やってくれ。俺の、最後の願いだ。」

 

歯をぐっと嚙み締めたマーシャルは、涙で充血させた目を大城に向ける。

 

「トレーナーさんも…私との約束…守ってくださいね。」

「…ああ。もちろんだ。」

 

――――――――――――――

 

「明日、マジ気合入れていくぞ!」

「はい!」

「そのためにも、十分今日は休め。明日に備えろ。」

「わかりました!トレーナーさんも、チコクしちゃダメですよ!」

「トーゼンだろ。よし最後に景気よく行くか」

「はい!」

 

 

二人はロックサインを天に掲げる。

 

 

「「Let's Rock!!」」

 

その声が夜の空に木霊する。

 

そして、顔を見合わせた二人の表情はすこし穏やかになった。

 

 

「じゃあ、トレーナーさん。また明日。」

 

「ああ…また明日…な。」

 

 

そうしてマーシャルは大城に背を向けて、寮へと戻っていく。

大城はマーシャルの背中を見送って、トレセンへと戻るべく歩を進めた。

 

 

また明日。確かに二人は明日の再会を誓い、その場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、その誓いが果たされることはなかった

 

 

 

 

 

 



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喪失
その日


すっかり日も落ちて、先ほどの星々たちがより自らの主張を激しく増す。

大城は自らのトレーナー室で、再びその星を目に焼き付けていた。

 

「…アルキオネってのは、今の季節じゃなかったっけなぁ。」

 

そういいながら、スラックスのポケットに手を入れる。

いつもそこには、愛車のキーレスが入ってるはずなのだが、今となってはもう何も入っていない。それが少し寂しく感じた。

 

ふと視線を下にずらす。

そこには、トレセン名物の中庭の洞がひっそりと佇む。

この洞に向かって負の感情を抱えたウマ娘たちは、それを一気に吐き出す。

ここのトレーナー室には、その負の一部がよく飛び込んでくる。

 

…勿論、彼女の負も一度はここへ飛び込んできた。

 

大城はあの日の出来事を鮮明に思い返す。

何も太刀打ちができず、ふさぎ込んで泣くことしかできなかったマーシャルが、明日は天皇賞への挑戦を賭けた大一番の舞台で戦う。

 

「初等部生相手に1800で勝てなかったアイツが、2000mの頂点を賭けたレースか。…まったく、人生ってのはホントにどう転がるかワカランもんだな。」

 

彼女には何もなかった。

才能もなければ、恵まれものもない。取り柄もなければ、武器もない。

しかし彼女は這い上がってきた。自らの信念と夢と根性だけを頼りに。

 

「…本当にいいドラマを見させてもらったよ。」

すべてをやり切れた暁には、主演女優賞を贈るべきだろうかと冗談交じりに考える。

 

大城はドスっと椅子に座って、電源の入っていないモニターに目を向ける。

その脇には、小さな写真立て。冬の商店街で大城がダーツイベント入賞した際の記念撮影写真。

その写真立ての隅には、先日マーシャルと取ったプリクラも。

 

『〇月◎日 トレーナーさんと♡』と記入されたそれを手に取って、大城はクスっと笑う。

 

そして、それをまたモニターの横に戻して、ふぅと天井を見上げる。

 

…彼はふと思った。

もし、あの日あの場所で、彼女と出会わなかったら、今の自分はどこで何をしているのだろう。

 

宣言通りに海の見える街で隠居生活を営んでいるとしたら。…それはロックのロの字もない。

自分の選択に自分自身を無理やり納得させて、一日一日を自己満足で生きる日々だったのだろう。

 

そして死に際にこう思うんだ。俺の人生は間違ってなかったと。

 

何が間違ってなかっただ。大間違いだバカ野郎。本当は未練たらたら残して、やりきれなかったことに目を背けて、自分に都合のいいように過去を清算して。そして悦に浸ってるだけだ。

 

ああ、いまそのパラレルワールドに生きている自分にこう言ってやりたい。

 

こっちの俺は、幸せだと。胸を張って大いに言えると。

 

「本当に幸せだよ。俺は。」

つい口からそう漏れた。

 

「…」

ふと心地のいい微睡が彼を襲う。

どこか絆されたかのような、温かさが彼を包んだ。

 

「…ん。ああ、いけね。」

時計に目を向けると、もう21時を過ぎようとしている。

明日は遅刻も許されない。自身も早く帰って休まなければ。

 

そう立ち上がった時だった。

 

「…っう。…っぐ!…また…かよ…。」

何度感じても、決して慣れることのない痛みが彼を襲う。

 

大城は急いで懐の薬に手を伸ばし、それを引っ張りだした。時だった。

 

「…ゲッホ!!ガホッ!!…うァ…ガハァ!!!」

彼の口から、一気に大量の血液が流れた。

 

「…え?」

大きく肩で息をしながら、彼は目を丸くした。

確かに今までにも、吐血をすることはあった。

 

…だが、たった今吐き出した血の量。今までの比にならない。

 

その血を見た瞬間、彼の体が何かを自覚したかのように、蠢き出す。

「うぅ…クッソ…。」

大城は急いで錠剤を口に放り込むが、また激しい咳き込みが、その錠剤を拒絶する。

 

ガタっと、彼は机に腕を乗せたまま膝をついた。

びゅうびゅうと風を切るような息を吐きだしながら、なんとか嵐が治まるのを待った。だが、依然痛みは引くどころが、その勢力を増した。

 

「あ…ああ゛!!…ぐううッツ!!!!」

それはもはや痛みというよりも、体の中で黒い何かが渦巻いているような感じだった。

 

(これ…マジでマズイ…。)

今までの発作とは根本的に何かが違う。どうにかしなければ…本当に…。

 

「だ…だれ…かぁ…」

救急車を呼んでくれと言いたい。だけど、声が出ない。

 

「だれ…か…ゲホッ!!!グアッ!!」

再び口を押えてせき込む。彼の手のひらは、ペンキに手を入れたのかと見紛うほどに赤黒く染められた。

 

(ふざけるな…こんなとこで終われるか…!約束したんだ…!俺は…!)

大城は最後の力を振り絞って、なんとか机にかけた腕に力を入れ、体を引き起こす。

 

ただ、体を引き起こした途端に急に視界が泥酔でもしたかのように、ぐにゃぐにゃと歪み始める。

時折視界のピントすらも合わなくなる。

 

(また…約束を破るのか俺は?最後の約束だろ?何に変えても守るって…誓ったじゃねぇか…)

ふらふらと揺れる体を支えようと、近くにあった物に手をかけるが、不幸にもそれはモニターだった。

 

机などに十分な固定をされていないそれが、大城の体重を支え切れるはずもなく、彼はモニターとともに床に倒れこんだ。

 

ガシャン!!とモニターやその周辺のものが落ちて壊れる音が響く。

彼女との思い出の写真立ても一緒に。

 

完全に地面に伏してしまった大城は、体に力を入れることができず、身動きが取れなくなった。

体の中で蠢いていたそれは、ブラックホールのように肥大化し、彼の体を、残されたわずかな生命を蝕んでいった。

 

(たの…む…あ…した…だけで…いい…んだ。たのむ…あと一日…生かせてくれ…)

体が凍てつくように熱く、焼け付くように寒い。末端がわずかに痙攣をおこし始める。

呼吸器官がまともに働かなくなってきている。まるで喉に蓋をされたかのよう。息を吸うことも、吐くことも困難になってきている。

 

大城はそっと手を伸ばす。

掴んだのは、あの写真立てだった。

 

『〇月◎日 トレーナーさんと♡』

 

その写真立てには、さっきの衝撃でひびが入り、そして二人のロックサインを掲げた写真は、彼の血で染められていった。

 

(ごめんな…まー…しゃ…る)

大城の頬に、最後の涙が伝った。

 

その時、ガラッと彼のトレーナー室の戸が開く。

 

「大城先生!!」

その声の主は駿川だった。先ほどのモニターが割れる異音を聞きつけて、彼の部屋に駆け付けた。

 

「せ…先生、そんな!」

彼女は血の海に伏した大城を見て動揺を隠せなかった。

 

「誰か!!!誰か!!!!」

 

そう、廊下に向かって大声で助けを呼ぶ。

 

「たづなさん?…どうしたの?」

それを一番に聞きつけたのは、たまたま学園に残っていた沖野だった。

 

「沖野さん!大城先生が!先生が!!」

そう取り乱す駿川の背後に、倒れた大城がいることに沖野はすぐ気が付いた。

それを見るや否や、血相を変えて沖野は大城のもとへ駆け寄り、彼を抱えた。

 

「大城さん!!しっかりしてください!!大城さん!!!」

沖野は大城の血が手や服に付着しようと構わずに大城の名を呼び続けた。

大城は目こそ開けてはいるが、その視線は全く定まっておらず、沖野の問いかけにすら答えられなかった。口を開き、犬のように細く浅い呼吸だけを繰り返していた。

 

「たづなさん!救急車を!早く!!」

「はい!」

 

救急車が到着するまでの間、沖野は大城の名を呼び続けた。

だが、大城の耳には彼の声は全く届いてないかった。

 

大城は微かな意識の中で最期の光景を見た。

目の前の男が、何か自分に語り掛けてくる。何を言っているのかは全くわからない。

というか…この男は誰だったか。見覚えはあるが…。

 

…?

 

そういえば…

 

俺は誰なんだっけ…。

 

わからない…。何も…。

 

でも、なぜだろう…。

 

一つだけ、覚えのある言葉がある。

 

マーシャルって言葉…。なんでだろうな。

 

すごく…懐かしい気がする。

 

 

 

そうして彼は、深く明るい闇の中へ、まるで重力に引かれるかのように

 

 

 

 

 

堕ちていった。

 



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男の夢

「昏睡状態です…。恐らくこのまま…逝かれるでしょう。」

「…そうですか。」

 

東京中央病院の廊下で、沖野は大城の担当医からそう告げられた。

 

「ご本人にもお伝えしてたことですが、いつこうなっても不思議ではありませんでした。寧ろ、よくここまで生きられたものだと。…彼の、大城さんの信念が、今日この日まで彼を生き永らえさせたのでしょう。」

「…もう、手の打ちようはないんですか?」

 

沖野は結果がわかりきっている問いを、雲を掴むような思いで医師に問いかけた。

その答えは当然のもの。医師は俯いて弱く首を横に振った。

 

「…本来ならば、最期の時、ご家族をお呼びするのですが。彼は…。」

「ええ…独り身ですからね。…俺がそばにいます。」

「お願いします…。」

 

そういって医師は沖野に背を向けた。

 

―――――――――――――――――

 

沖野は病室の戸を閉める。

そして、彼が横たわるベッドの横に面会用の簡易椅子を置いて、そこに座った。

懐から棒のついた飴をとりだして、口にくわえる。

 

大城はほんの薄くだけ目を開き、呼吸にもならない呼吸を、酸素吸入器の補助を借りて細く浅く繰り返していた。

 

その病室には、一定の周期で彼がまだ生存していることを知らせる電子音だけが、鳴り続いていた。

 

「…大城さん。起きてくださいよ。…今日は、遅刻できないんでしょう?この間だって、遅刻して叱られたって言ってたじゃないですか。」

沖野は細くいった。既に日付などとうの前に変わっていた。

 

しかし、彼は何も答えない。

 

「これからじゃ…なかったんですか。」

沖野の顔が、次第に渋くなっていく。

 

「やっとここまで来たんでしょう。…もう少しってところまで。」

沖野は飴を咥えなおす。

「俺は信じてますよ。貴方はこんなところで終わる(ヒト)じゃないって。」

 

夜中に比べて、夜が少しづつ明るみを増していく。

夜明けが近い。

それと同時に…出走の時間も。

 

カタンと、何かが倒れる音がする。

それは、患者用のデスクに置かれた、割れた写真立て。

大城とマーシャルが揃ってロックサインのポーズを掲げたその写真。それを、倒れた彼は最後まで離さなかった。

 

血はある程度拭き取られたが、そこには生々しい跡がぽつぽつと残った。

 

沖野はそれを見て悩んだ。

…この、現状をマーシャルにも報告すべきかと。

 

連絡をすれば間違いなく彼女は飛んでくるだろう。

…だが、彼女がその現状を知ったうえで、今日の毎日王冠杯へ十分な態勢で臨めるのだろうか。

答えは否だろう。

 

今日まで積み上げてきたものをすべてを…無に帰すことになる。

 

だが、言わなくては。…彼の最期に、彼女は会えない。

 

そこから沖野は30分ほど長考した上で、ようやく自分のスマホを取り出した。

電話帳からマーシャルの連絡先をたどる。

 

そして、発信と書かれた文字をタップしようとしたところで、彼の手が止まった。

いや、止められた。何者かに。

 

沖野はふと顔を上げるが、そこには誰もいない。

横たわった大城以外には。

 

その時、沖野は理解した。

自分を止めたのは、大城だと。彼の何かだと。

『やめてくれ。彼女を走らせてくれ。』

そう聞こえた気がした。

 

「…」

沖野はスマホの電源を切って、だらんと項垂れた。

 

「…いいんですね。…本当に。」

少しづつ、病室に日が差し込み始める。

 

「…わかりました。最後の貴方の無茶ぶり…聞き入れますよ。」

 

――――――――――――――――

 

初めて貴方と会った日のことを、まだよく覚えてますよ。

 

貴方はその時まだ新人だった俺を見るや否や、急に小指を突き立ててきて

 

『コレ探しに来たんなら諦めとけよ。ホネがいくつあってもたんねーぞ。』

と笑いながら言った。

 

最初こそは、その見た目と軽薄さに幾何の嫌悪感を覚えることもありましたけど、でも、貴方の信念を初めて知った日に、俺のトレーナー人生は大きく変わりました。

 

『担当の負けは、トレーナーの負けだ。…いいか。どうにもならなかった。不確定要素が多かった。コンディションが悪かった。適性の差が出た。外枠だった。そんなものは全部言い訳だ。そんなものをまかり通すようならば、トレーナーを名乗る資格なんてない。沖野、忘れるなよ。俺たちは、ウマ娘(こいつら)の人生を、その生涯でたった一度しかないレース人生を預かったんだ。俺たちは、負けた。どうしようもなかったで済まされるかもしれん。だが、当の本人たちは、それだけじゃ済まされねぇんだよ。お前に…こいつらの人生を背負う覚悟はあるか?…腹の底から、こいつらを信用できると、ムネ張って言えるか?』

 

担当がレースに負けて、腐ってた俺に、そう言ってくれた。

その言葉があったから…俺は、スペのことも、スズカのことも、テイオーやマックイーンのことだって、支えてやることができたんです。

 

迷える俺を、貴方は何度も導いてくれた。

 

『理解される必要なんてねーよ。お前がそれでイケるって思ったんならやってみればいい。ツイスターだろうとトライアスロンだろうと。お前を嘲笑う連中は、お前以上のコトができんのか?…迷えるならやってみろよ。やって後悔が俺のモットーだ。…安心しろ、始末書の書き方なら教えてやるからさ。』

 

何度も何度も、大事なことを教えてもらった。

 

『沖野ォ、お前の夢ってなんだ?』

『夢?ですか…?』

『そ、オコトなら夢の一つや二つくらいあんだろ?』

『夢…か。』

『バァカヤロー、んなこたパット答えんだよ。』

『大城さんは…貴方の夢は?』

『俺?…そりゃあお前…ハリウッド女優と寝ることさ。…なんてな。ほんとは、俺も自分の夢がよくわかってねぇんだ。』

『え?』

『ガキの頃から夢はたくさんあった。…でも大人になったら、案外夢ってもんは一つ一つ叶っていっちまうもんでな。いざ叶ってみると、その先にあるものが急に見えなくなっちまう。いままで生きてて、何度かそれを体験した。その時ふと思うんだ。俺の人生の軸になってる夢ってなんだってな。』

『…』

『お前もわからないなら、探し続けろ。夢は男の生きる原動力さ。夢のチカラって…スゲェぞ。』

 

俺は見つかりました…自分の夢が。自分の担当たちと見続けたい、終わらない夢が。

大城さん…貴方はちゃんと…見つけられましたか?

 

…本当は、まだ貴方に教わりたいことが沢山あった。

まだまだ、俺にはわからないことが山ほどあるんです。

 

もう一度だけでいい…貴方と話がしたい…。

 

もう一度くだらないジョークで俺を笑わせてくださいよ。

もう一度、しがない俺を、叱ってくださいよ。

 

沖野の頬に温かい雫が伝う。

それはたったの一滴でなく…ボロボロと。

思わず咥えてた飴を外して、それを拭った。

 

 

 

 

 

 



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あなたの担当

「遅いなぁ…」

選手控室で、マーシャルは時計をちらりと見る。

 

ここ数日、不安定な天気に流される日々が多かった東京でも、今日は幸いなことに天候に恵まれた。晴れた日というのはマーシャルにとっても好コンディションの要因の一つとなる。

 

だが、そんな彼女に一つ拭いきれないものがあった。

 

彼女の担当トレーナー大城が、いつまで経っても姿を現さない。

遅刻をしないようにとあれだけ釘を刺したというのに。と彼女は憤りながらも、いつものことかなと気持ちをレースに集中させた。

 

…はずだったが。

遅刻にしてはあまりにも遅すぎる。

 

いつもなら、どれだけ遅刻してもレースの30分前に彼はいてくれた。

だけど、もうレースまで残り15分を切った。

なのに、大城は一向に姿を現さなかった。

 

送ったメッセージにも、まったく既読すらもつかない。

 

(まさか…そんなわけ。)

ふらっと彼女に悪寒が走る。

 

そんなハズはない。きっと待っていればいつものように、来てくれるんだ。

売店で買ってきた缶コーヒーを片手に雑誌を脇に挟んで、よォ待ったか?と悪びれもなくそう言ってくるんだ。

 

…でも、もう時間は10分を切りそう。

今日は、すっごく叱ってあげなくちゃ。

 

マーシャルは担当トレーナー不在の中、そっと選手控室の扉を開け、廊下に出る。

その時、何やら騒がしい声が。

 

「はぁ!?アイツまだ来てねぇのか!?」

「はい…メッセージも送ったんですけど、それでも。」

眉間にしわを寄せるゴールドシップに、困り顔でスマホ画面とにらめっこをするスペシャルウイーク。

 

そしてそれを心配そうに見守るスピカのメンバーたち。

「何考えてんだよ…アイツ、スカーレットのこと放っておくつもりか!?」

「おちついてくださいまし!ゴールドシップさん!」

「まさか…どっかで事故ってたりしてないよね…。」

とテイオーが言う。

 

「事故?…そんな。」

その言葉にスズカが不安な顔を寄せる。

「ま…まぁ!そうと決まったワケじゃありませんよ!ほら、寝坊しちゃったとか!」

「そんな、スぺちゃんじゃないんだから…。」

とテイオーが言う。

 

そんな中、一番不安を隠せないでいたのは今日出走予定のダイワスカーレットだった。

「…なにやってんのよ…アイツ。」

「まぁ、こねぇもんは仕方ねぇだろ?今はレースに集中しろよ。」

「…わかってる。」

ウオッカの言葉にスカーレットはか細く返した。

 

そのスピカたちの動揺を見たマーシャルに、更なる不安が募る。

 

「お!おい!チビ助!」

そこに呆然と立ち尽くすマーシャルに気づいたゴールドシップが彼女に声をかける。

 

「あ!マーシャルちゃん!」

「センパイ!ちょうどよかったっス!俺らのトレーナー見てないスか?」

スピカたちはマーシャルを見つけるや囲い尋ねた。

 

「う…ううん。見てない。」

マーシャルはふるふると首を振る。

「そっか…。」

スピカたちは解りやすく落胆した。

 

「…沖野さんも来てないんですか?」

「…も?…まさか、小島も来てねぇのか?」

マーシャルのその言葉に引っ掛かりを感じたゴルシがそう返す。

 

彼女は黙って頷いた。

 

「まさか…二人そろって二日酔いってオチじゃねぇだろうな?」

「なんかありえそー。」

ゴルシの言葉にテイオーが頷く。

 

「そ…そんなこと!ありえません!トレーナーさん、もうお酒は止めた筈ですし!」

マーシャルがそういった。その言葉にはどこか焦燥が含まれているようだった。

 

そんなときに。

「…あ!トレーナーさんですか?」

スペシャルウイークがピンと耳を立てる。

彼女のスマホが、ようやく沖野と繋がったらしい。

 

「貸せ!」

と言ってゴールドシップはスペシャルウイークのスマホを取り上げる。

 

「お前!どこで何してんだよ!?今日はスカーレットが走んだぞ!いまスグ…。」

『…スマン、今日は…行けそうにないんだ。』

低音がバッサリと切り落とされたスマホのスピーカーから、沖野の声が弱弱しく出る。

 

「はぁ!?お前何言って…。」

『スカーレットには頑張ってくれと伝えてくれ…。それと…マーシャルにも。』

「あ、おい!」

 

そういって沖野は一方的に通話を切った。

 

 

―――――――――――――――

 

「スカーレットには頑張ってくれと伝えてくれ…。それと…マーシャルにも。」

『あ、おい!』

ゴールドシップの声を残したスマホの通話を、沖野は一方的に切った。

 

そうして、再び簡易椅子に腰を掛ける。

 

「ははは…やっちまいましたよ。これで俺もクソ野郎です。こんな選択をとっただなんて貴方に知られたら、きっとケツを蹴っ飛ばされるでしょう。」

沖野は無理に口端を吊り上げようとするが、その目は一切笑っていなかった。

 

「今日の毎日王冠杯…スピカ(うち)からはスカーレットが走るんですよ。あいつ、最近随分調子よくて、スぺにも劣らないくらいの走りができてるハズです。…こんな状況で言うのもなんですが、担当の勝ちは譲りませんよ。」

そう言い切っても、帰ってくるのは擦れた呼吸と、心電図の電子音だけだった。

 

きっといつもなら、『バカ野郎ネゴト言ってんな、勝つのはマーシャルさ。』とニヤリと歯を見せつけながらそう言ってくるだろう。

…今日も、そう言ってほしかった。

 

―――――――――――――――

 

『さぁやって参りました東京芝1800m毎日王冠杯。ウマ娘たち各ゲートに…。』

 

マーシャルとスカーレットはゲートに入る。

マーシャルは幸いにも、内枠を勝ち取れていた。

 

それでも、彼女の中で疑念がフラッシュバックする。

『それと…マーシャルにも。』

沖野は確かにそういった。ということは彼は、大城がこの会場に来ていないことを知っているということなのだろうか。

 

だとしたら…なぜ?

 

(…いけない、今は集中しなくちゃ!)

マーシャルは観客席をあえて見なかった。

 

でも、きっとレースが終われば、いつものようにゴールライン近くのギャラリーに彼はいるはずなんだ。

そう自分に言い聞かせる。

 

とにかく今は、目の前のレースに集中しなくては。

ぐっと目を前に向けた彼女と同じくして、ゲートは開かれた。

 

―――――――――――――

 

『さぁゲート解放!各ウマ娘一斉に綺麗なスタートを切りました!今回の注目3番人気ダイワスカーレット、やや中段位置でけん制する狙いか、そのすぐ後方6番人気バイパーウオッシャー、その陰につく4番人気レッドマーシャル、概ね予定通りの展開となりました…』

 

「始まりましたよ…。」

沖野はスマホの中継画面を映し、大城に見えるように構えた。

 

「…ほら、見てくださいよ。スカーレットの走り。テイオーの指導のお陰で前よりもしなやかに体を使えるようになってるんですよ。膝のバネも上手くできてる。…マーシャルは、また走りが変わりましたね。より動きにムダが少なくなってる。」

 

沖野は実況に加えて、レースの展開や様子、そして担当ウマ娘の自慢を大城に話していく。

 

「バックストレッチ。うちのスカーレットはまだ仕掛けませんよ。マーシャルだってそうでしょ?そのすぐ後ろの娘は勝負に入るつもりみたいですが、まだ早い。逃げの体制をとってる娘も、逃げなれていないようだ。…こりゃきっと、スカーレットとマーシャルの一騎打ちになるんじゃないですかね…。」

 

沖野がそういったときだった。

 

ピッピッピッと一定の間隔でなり続いた電子音が早まっている気がした。

沖野はすぐ顔を上げて心電図を見る。

今まで安定していた、大城の鼓動が急に異常な動きを始めた。

 

それと同じくして、静かだった彼の呼吸もガラガラと擦れる音を鳴らし始めた。

「大城さん!」

沖野は急いでナースコールを押す。

 

「もう少し!…ほら!見てください!もう、勝負所だ!ほら…貴方の担当が…ここの大一番で戦ってるんですよ!!」

沖野は椅子から立ち上がって、大城にスマホの画面を見せ語りかけ続けた。

 

『レッドマーシャル!!ここで勝負に入る!それに追走ダイワスカーレット!この二人の一騎打ちの展開となった!!』

 

そして、その画面いっぱいに映し出される。

彼女の唯一の武器…7秒が。

 

「大城さん…あなたはとんでもない人だ。全くの無名から、スプリントの重賞の世界に踏み込んできたと思ったら、今度は中距離の世界で俺たちを脅かすとんでもないバケモノを育て上げた。そんなのアリですか?…やっと見えてきたと思った貴方の背中が、また霞んでいく。」

 

『レッドマーシャル!!後方を引き離しにかかった!だがダイワスカーレット追いすがる!追いすがる!残り100…!決まった!!レッドマーシャル!!見事な走りでした!短距離の世界から中距離をも狙うチャレンジャー!天皇賞への片道切符を今…。』

 

「大城さん…マーシャルが勝ちましたよ…。ほら。…でも、スカーレットだって負けてませんでした。」

そして、ナースコールを聞きつけた医師と看護師が入ってくる。

 

看護師が先行して大城の名前を優しく呼び続けた。

 

その時…彼の瞳がわずかに動いた。

その視線の先には…沖野がいた。

 

沖野はすぐにそれが分かった。

そしてすぐさま大城に駆け寄り、手を握った。

 

「大城さん!わかりますか?…あなたの担当が勝ったんです!…天皇賞、叶いましたよ。」

沖野の握った手を、大城はそっと握り返した気がした。

 

「…!」

その時、沖野にははっきりと聞こえた。

それは気のせいなのかもしれない。だが、彼だけがその言葉を聞き取ることができた。

 

 

 

『マーシャルを…頼む』

 

 

 

 

そして、断続的な電子音がアラームのように連続した音に、無情にも切り替わった。

 

 

 

 

医師は彼の眼を開いて、ライトを当てる。

 

「…15時52分。大城さんの死亡を確認しました。ご臨終です。」

最後の役目を終えた医師は、弱くそう言った。

「ええ…ありがとうございました。」

 

そして沖野はもう一度、大城の手を握りなおす。

 

「お疲れ様でした…。大城さん…。」

 

その時、ガラッと病室の戸が勢いをつけて開く。

そこには、背丈の低い女性があわただしく、焦った様子で。

傍らには、緑の制服に身を包んだ秘書の姿も。

 

「失敬!たった今海外出張から戻ったところだ!」

「理事長…。」

「沖野トレーナー…ハクは?」

「たった今…逝かれました。」

「遅かったか…。」

「大城…先生…」

秋川は俯いて悔み、駿川はその場で顔を押さえた。

 

秋川は大城のわきに回り、そっと彼の頬に手を添えた。

「ご苦労だった…ハク。ゆっくり休んでくれ…。」

「大城先生…ありがとう…ございました。」

駿川もそっと大城の手を取った。

 

そして沖野は自分の荷物を取り、二人に背を向けた。

「沖野…どこへ。」

秋川が問う。

 

「…大城さんの担当、レッドマーシャルのレースが終わりました。…彼女を迎えに。」

「…わかった。」

 

そういって、沖野は病室を後にした。

 

 

 

 

 

 



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彼は何処?

『レッドマーシャル見事な勝利でした!スプリント界からの刺客、天皇賞でどんな走りを見せてくれるのでしょう、期待が掛かります!』

『そうですね!注目すべき娘がまた一人増えました…』

 

流れ出る汗が留まることを知らない。

一体、切れきった息はいつ正常に戻るのだろう。

足はもうパンパンだ。

視界がまだ少し定まらない。

 

…でも。

それらと引き換えに私は手に入れたんだ。

 

天皇賞への挑戦権を。

 

(…や、やった。…これで。)

ふらふらとしながらも、彼女は体をなんとか引き起こす。

まだ、柵にしがみつかないと体を安定させることすら難しい。1800というのはそれだけの負荷を彼女に与える。

 

胸を激しく上下に動かしながらも、彼女は柵についた手とは逆の手で、自身を労ってくれるファンたちに手を振った。

 

そして、彼がいるはずのゴールライン前のギャラリーに視線を向ける。

 

(トレーナーさん!私!勝ちまし…)

 

でも、そこに彼は居なかった。

 

(…え?)

あたりをぐるぐる見回す。

あ!と思ってもそれは似たようなジャケットを羽織った別の人。

 

彼女は何度も何度もギャラリーの中で彼を探す。

 

(…どうして?)

それでも彼はいなかった。

 

確かに遅刻をすることは何度もあった彼だが、担当のレースをすっぽかすなど、今の今まで、たったの一度すらもなかった。それなのに。

 

 

他のウマ娘たちがぞろぞろと引き上げていく中でも、マーシャルはその場から動けずにいた。

それはきっと、呼吸が整なわないという理由だけではないのだろう。

 

――――――――――――――

 

『それでは、毎日王冠杯を見事に制しましたレッドマーシャルさんにお話を伺いたいと思います!マーシャルさんお疲れさまでした!今日のレースの感想をまず頂けますか?』

「…あ、えっと。」

 

インタビューバックボードの前で、マーシャルはファンたちに見守られながらインタビューを受けていた。

だが、マーシャルはそのインタビューに全く集中できなかった。

 

普通インタビューというのはその傍らに担当トレーナーがいるハズなのだが、そこに彼女の担当トレーナーは居なかった。

 

『あ…はい…ありがとうございました。』

マーシャルのなんとも歯切れの悪い受け答えに、記者は少し戸惑った様子を見せながらも引き下がった。

 

マーシャルはそれでも気にしていられなかった。一つのインタビューが終わる度に、周りを見渡した。

そんなハズはない。きっといるんだ。またどこかでサボって煙草でも吸ってるんじゃないか。と必死に自分に言い聞かせながら。

 

だが次第にそれは不安から焦りに変わっていく。

 

『えっと…マーシャルさん。本日、マーシャルさんの担当トレーナーは不在なのですか?』

そう小太り気味の男性記者が尋ねる。

それは、だれしもが気にしていたが聞けずにいたことだった。

 

「えっと…その…私にもわからなくて。」

マーシャルのその表情は、とても今レースを制した者とは思えない顔つきだった。

『わからない?…連絡もつかないと?』

「…はい。」

 

 

…なんだ?

担当放ってサボりか?

あー、なんか大城トレーナーならありえそうだもんなそういうの。

きっと自分の担当が勝つからってタカくくって、どっかで遊んでんじゃねぇの?

 

そのどこからともなく聞こえてくる声に、マーシャルの耳がピンと動いた。

 

「トレーナーさんはそんな人じゃありません!…たしかに、ちょっといい加減なところはあるけど…でも!そんなことをするような人じゃ、絶対にないですから!」

そう必死に訴えた。

 

―――――――――――――

 

「お疲れさん、スカーレット。お前もなかなかいい走り出来てたぜ。」

「…うん。」

そう肩を落とすスカーレットに、ウオッカは優しく声をかけた。

 

「ったく、マジであのチビやりやがってんなぁ。」

「毎日王冠杯にて、勝利を納めるということは…すなわち秋の天皇賞への優先出場権を得るということ…。つまり、スペシャルウイークさんとの再戦ということになりますわね。」

「…マーシャルちゃん。」

「ふふ…またライバルが増えちゃったわね、スぺちゃん。」

 

とスピカ陣営は、遠くからマーシャルのインタビューを眺めながら話した。

 

「んで、結局トレーナー、最後まで来なかったね。」

テイオーが頭の後ろで手を組む、

「あんにゃろ…ゼッテーしばく。」

とゴールドシップは怒りをあらわにする。

 

「こっちもそうだけど、マーシャルさんのほうもよね。」

スズカはその瞳で、焦燥と狼狽が消えないマーシャルを見た。

 

「ほんとにどうしちゃったんだろうね。」

テイオーが言った時だった。

 

「…スマン。お前ら。」

噂をすればなんとやら。

いつものように棒付きの飴を口からひっさげた、そり込み入りの男が、彼女らの前へ。

「…トレーナーさん!」

 

スペシャルウイークのその言葉に全員がはっと振り向く。

「トレーナー!テメェ!!」

そういって彼に掴みかかろうとするゴールドシップに、沖野は目も合わせずに言った。

「マーシャルはどこだ?」

「はぁ?お前それよりも!」

「いいから!マーシャルはどこなんだ!!」

 

その沖野の強い剣幕に、スピカたちは一瞬言葉をなくす。

沖野のその目は、今までに見たこともないような張り詰めた真剣な眼差しだった。

 

「マーシャルちゃんなら…あそこに。」

普段とは違う沖野の様子にスペシャルウイークは少しおどおどしながらも、そっとインタビューを受けているマーシャルを指した。

 

「…わかった。」

沖野はそういうと、そのまま彼女に向って歩き出す。

スズカはその時にハッと気が付いた。沖野のいつもの黄色いシャツにわずかな血痕が付着していることに。

 

「トレーナーさん…?」

スズカのその声は、沖野に届かなかった。

 

―――――――――――――――

 

「えっと…その…それで。」

ウイニングインタビューにしてはあまりにも弱弱しすぎるそのマーシャルの受け答えに、記者たちは難儀していた。

欲しい言葉が引き出せない。こんなのじゃいい記事にできないじゃないかと不満を顔にする者も居た。

 

そんないたたまれない彼女の様子を見かねた沖野は、覚悟を決めて壇上に向かった。

「すみません、通してください!…ちょっと、どいて!」

 

そこに集う記者たちを押しのけながら、沖野はマーシャルの下へ向かった。

「な…なんなんですか貴方は!」

そう記者が苦情を漏らすが、沖野は気にも留めなかった。

 

そしてマーシャルも、沖野の存在に気付いた。

「…沖野さん!」

マーシャルに少しだけ生気が戻った気がした。そうだ、彼なら大城の居場所を知っているハズなのだ。

 

そして、沖野は壇上へ立ち上がってマーシャルと向かいあった。

 

「沖野さん!私のトレーナーさんは今ど…」「マーシャル。」

 

マーシャルの食い入るような前のめりな言葉を沖野は遮った。

そして一呼吸置く。

 

「沖野さん?」

沖野はその時ふっと思った。

 

 

(ああ…大城さん。やっと俺にもわかりました。…こんな気持ちなんですね。辛い現実を、誰かに突きつける瞬間ってのは。)

 

彼は一度目を閉じて、そして覚悟を決めて開いた。

 

「マーシャル…よく…聞いてくれ。」

「…はい?」

「大城さんが…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「亡くなった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………え?」

 



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残された者たち

「大城さんが…亡くなった」

 

 

「…え?」

 

 

その言葉の意味が全く理解できなかった。

亡くなった…?沖野の言った言葉をまるで消化できない。

その言葉が意味するものとは何なのだろう。

自分が知らないだけで、そういった同音異義語があるのではないのだろうか。

 

頭の中で一瞬のスパークを張り巡らせたマーシャルは、もうそれ以上何も考えることができなかった。

 

 

呼吸を忘れた、瞬きすらも忘れた。ここがどこかすらも忘れた。目の前にいる人が誰なのかも、周りにいる大人たちが誰なのかも…自分が誰なのかも。

 

彼女は完全に固まった。まるで飾られたマネキンのように、ピクリとも動けなかった。

 

「表に車を留めてある…来てくれ。」

そういうと、沖野はマーシャルの腕をつかんで記者たちに背を向ける。

 

「すみません!取材はここまでで!…ウイニングライブも中止させてください!」

沖野はそう叫んで道を開けさせた。

 

ウイニングライブの中止。

その全くの異例の事態に、会場中が騒然となった。

 

「おい!どういうこったよ!…今の話マジか!?」

沖野の背中を追いかけるゴールドシップがそう声をかける。

 

スピカたちはただどうすればいいのかも理解できず、沖野の後につくことしかできなかった。

 

―――――――――――――――

 

「…ここだ。」

スーっとスライド式の大きな病室の戸を開ける。新しい病院なだけに建付けは良好のよう、扉の開け閉めには一切の抵抗が感じられなかった。

 

だけどその扉は少し重かった。そう感じるのは自分自身が生み出す抵抗のせいなのだろうか。

 

「…沖野、ご苦労。」

秋川はそう沖野に言う。沖野は黙って会釈をした。

 

「URAには私から断りを入れておいた。事が事だ。仕方あるまい。」

「ええ…ありがとうございます。」

 

そして沖野の背後から、マーシャルは姿を現した。

 

自身のレース中にトレーナーが絶命。そのあまりにもむごすぎる現実を突きつけられたウマ娘の顔を、秋川は直視できなかった。

扇子で顔を隠し、目線をそらす。

 

「…トレーナーさん?」

そこでマーシャルは久しく声を出した。

 

そして、そこに深い眠りに横たわる自身のトレーナーの下へ、ゆっくり、一歩づつ。

 

…たしかに大城だ。

間違いない。間違えようがない。

あれだけ時間を共にしてきた存在なのだから、辛い時も、苦しい時も、楽しい時も、嬉しかった時も。

 

いつも、余裕のある軽い笑みで自分を元気づけようと、励まそうとしてくれた彼の表情がふっと脳裏によみがえる。

…でも、今自分の目の前に居たのは、すっかり血の気が引いてしまい、呼吸や瞬きすらも活動を完全に止めてしまった彼だった。

 

「…嘘だ。」

マーシャルは表情を変えずにポツンとつぶやいた。

 

「マーシャル…。」

沖野が声をかける。

「だって…。約束した…んですもん…わ…わたし…しと。だ…だっだっだってま…またあ…明日って!」

ガタガタとマーシャルの声が壊れた機械のように揺れて震える。

 

そんな彼女を見るのが、周りの大人たちには辛かった。

 

「先生…そんな…。」

「流石に…ウソ…だよな…小島。」

「…死んじまったら…カッコイイもクソもないんじゃなかったんスか…センセ。」

大城の死に動揺を隠せなかったのは、スピカたちも同様だった。

 

「ね…ねぇ…トレーナーさん。ほ、ほんとは起きてるんでしょ?だ、ダメですよ…そんなまた私をからかおうだなんて…わた…」

そういって大城の頬に触れた瞬間だった。

 

彼の肉体が異常な程に冷たかった。

生きているものにとっては、絶対にありえないほどに。

 

その時マーシャルはようやく理解した。

沖野の言った亡くなったの意味が。

 

大城が死んだ。そのことだったのだと。

 

『ああ…また明日…な。』

彼の言葉がマーシャルの脳内に流れ込んだ。

それが終わりなくリピートされ続ける。

 

その瞬間、マーシャルの呼吸が異常な程に早まった。

全力疾走後のそれとも違う呼吸は、浅く早く繰り返され、自分のかすれた声すらも交じってしまうその呼吸をマーシャルは胸を押さえて必死に吐き出しそして…その場に倒れこんだ。

 

「マーシャル!!」

「センパイ!」

周りの大人たちが駆け寄る。

マーシャルは目を見開いたまま、手足を痙攣させて、変わらず異常な呼吸を繰り返していた。

 

近くにいた医師が彼女の容態を診る。

「いかん!過呼吸症だ!ナース!」

 

マーシャルは駆け付けた看護師や医師たちに連れられて病室を後にする。

その中でも薄れていく意識の中で叫び続けた。

 

 

嘘つき…嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき!

 

嘘…ばっかり…ずっと…あなたはずっと…そうなんだ。

 

私は…これから

 

 

 

 

どうすればいいんですか…?

 

 

 

――――――――――――――――――

 

『…百孔千瘡の身でありながらも、最期の刻まで刻苦精進し、我がトレセン学園引いては我々ウマ娘たちの為に尽力を賜った大城白秋教官へ、我々が持てる最大限の感恩報謝と敬意の念を以て…黙祷。』

 

その日、いつも賑やかで明るいトレセン学園は静寂に包まれた。

この学園でも一際目立つ存在であり、生徒からの人気も厚かった大城教官。その訃報が学園内を震撼させた。

 

彼と親しかった生徒も数多い。

そんな彼が、たった一夜にしてこの世を去った。

そのショックは生徒たちにとって計り知れないものとなった。

 

…ウソだよ…先生。

…だって!この間まで、あんなに元気だったじゃん!

…やっぱり、あの噂って本当だったのかな…。

…噂?

…先生、重い癌に罹ってたんだって…だから教官も辞めたって。

…どうして。

 

 

「お゛お゛し゛ろ゛せ゛ん゛せ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!゛!゛!゛!゛そ゛ん゛な゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛!゛や゛だ゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛」

「しっかりしろ!チケット…」

そういってビワハヤヒデは座り込んで立ち上がることのできないウイニングチケットの腕を、自身も目尻を赤く染めながら優しくとった。

ナリタタイシンも、沈黙を貫いたままチケットの手を握った。

 

「ありえねーし…マジ…ありえねーし!!ありえないよ…大城っち…大城っぢ!」

「大丈夫だよヘリオス…大丈夫だからね…きっと、ヘリオスには笑ってくれたほうが…先生もきっと喜ぶよ…。」

メジロパーマーはダイタクヘリオスを優しく抱きしめながら、止まらない涙を押し殺して彼女に語り続けた。

 

「先生に…きっと私の一番トロフィー見せてあげるって…約束したのに…うっ…せんせぇ…うえええぇぇ!!」

「ウララさん…気を確かに。大丈夫…きっと先生も、天国からウララさんのことを応援してくださってる筈よ…。」

 

 

『牽衣頓足…。私たちは敬愛すべき存在を亡くした。彼が私たちに掛けたその想いを、時間を、愛を、思い出を、私たちは無下にすることはできない。残された者として、私たちができることは、今日という日を慈しみ、今という時間を噛み締めて生きることだ。それが何よりの弔いになる。彼を…心から送り出してあげよう。』

 

…そして、シンボリルドルフは校内放送を切った。

その瞬間にらしくもない大きなため息をつく。

 

「会長、お疲れ様でした。」

「ああ、エアグルーヴ。ありがとう。…まさか、こんな放送をしなくてはならない日が来るとはね。」

「しかし、会長は立派に全うされました…。」

「立派に…か。エアグルーヴ、立派とはなんなのだろうね。」

「え?」

「…。いや、忘れてくれ。新しい冗談さ。」

 

そういってルドルフはエアグルーヴを通り過ぎて放送室を後にした。

 

――――――――――――

 

その日のトレセン学園には、涙の落ちる音ばかりが共鳴しあうように鳴り響いていた。

 

ただ、そんな中。

 

たったの一粒すらも涙を落とさないウマ娘もいた。

 

「…なぁ、マーシャル。…ごめん、こんな時、お前になんてったらいいかわかんねぇけど…大丈夫か?」

トップギアがマーシャルに声をかける、その言葉選びはいつもより慎重になる。

 

「…うん。大丈夫。」

 

そんなギアの問いにマーシャルは淀みのない声で答えた。

その表情は、哀愁の瞳を持ちながらも、全く崩れない無表情だった。

 

…どんなに苦しくても、辛くても、仲間への笑顔は絶対に忘れなかったマーシャル。

 

 

だがその日から、マーシャルに一切の笑顔が消えた。

 

 

 

―――――――――――――――

 

トレセン校舎裏の物置近く。

そこにエアグルーヴは居た。

 

ここの校舎壁際に背を預け、校内喫煙を行っていた大城を何度取り締まったことだろうか。

だが、もうここにその常習犯はいなかった。

 

エアグルーヴは彼と同じポジションへ、壁に背を預け、腕を組む。

 

「…たわけ者め。私たちを置いて…勝手に。」

 

そう誰にも届かない声で呟いた時。

 

「何をしている?」

はっと顔を上げて振り向く。そこにいたのはナリタブライアンだった。

 

エアグルーヴは預けていた背を離す。

 

「…別に、何も。…そういう貴様は?ここで何を?」

「…別に…何も。」

 

そういってブライアンはエアグルーヴに背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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昔話

コツコツ…と一人のウマ娘が花束を持って、廊下を静かに歩んでいく。

 

目的地である彼のトレーナー室はお世辞にもアクセス良好な場所にあるとは言えない。

トレーナー室が並ぶ廊下の突き当りだもの。

だけど、その距離というのがなぜか今は妙に心地よかった。

 

早く目的地に着くよりも、こうして床を踏みしめ続けて、彼との記憶を、軌跡を辿るように。

 

だが、もう気が付けば目的の場所は目の前だった。

以前ならば何の気兼ねもなく開けられたというのに、なぜか今は幾分の気後れを感じてしまう。

 

…らしくないな。と自分自身に言葉をかける。

彼を心から送り出してあげようと言ったのは自分じゃないか。

 

こんなところで自分が立ち止まってどうする。

彼の為にも、彼を喪い悲しみに暮れる者たちの為にも、私が歩みを止めてはいけない。

 

と彼女は戸を開けた。

 

…どうやら先客がいたようだ。

その対面式のソファーの下座に鎮座し、相手のいない上座をただただぼうっと見つめている。

 

「…やぁ、やはり君はここにいたんだね。マーシャル。」

その言葉は彼女に届いているはずだろうが、それでも彼女は振り向かなかった。

 

そうして数秒立って、首だけをこちらにそっと浅く傾けて、その相手が誰なのかを確認する。

 

「…会長さん。」

「私は邪魔だったかな。」

「いえ…。私ももうすぐ出ていきますから。」

「そうかい…。」

 

そうしてルドルフは持ってきた花束を両手に携え、菊やカーネーションを始めとした色とりどりの花々たちを愛でた。

 

「…エアグルーヴが生けてくれたんだ。夜更かしまでしてね。」その花束には『親愛なる大城教官へ、生徒会一同より』と書かれた小さなメッセージカードが、花の群衆の隅にこっそり隠れるように。

 

彼のメインデスクに目を向ける。

机上からはPCやモニターなどが一切なくなり、代わりに彼へ手向けられた花束たちが覆いつくしていた。

よく見てみると、花束だけではない。彼が生徒たちに餌付けと称して分け与えてた菓子を今度は彼に向けて。

その他にも、『大城先生へ』と書かれた沢山の手紙や寄せ書き、彼の同僚の教官やトレーナーたちが置いていったのであろう、彼のお気に入りの銘柄の煙草が積み上げられていた。

 

その賑やかな机の上に、ルドルフはそっと花束を崩れないように置き、目を瞑って10秒間ほどの黙祷を捧げた。

 

「…先生。」

と静かに。背後にいるマーシャルにすら届かない声でつぶやく。

 

そして顔を上げてふとマーシャルがいるソファへ目を向けた。

 

そこにいた彼女は、瞳から輝きが完全に消えてしまい、その焦点がどこに合っているのか、何を見ようとしているのか、ルドルフにもわからなかった。

 

そんな彼女に、ルドルフは花束から一本だけリンドウの花を取り、彼女の目の前に置いた。

 

「愛別離苦…。彼との別れは身を割かれる程の思いだろう。会者定離というように、出会いには必ず別れがある。…と、こんなことを言っても、君の慰めにはならないだろうけど。…私も同じ思いだよ。」

そういいながら、ルドルフはマーシャルの対面、上座に座った。

 

「最期まで…困った人だったね。急に教官職を辞すると言い出したかと思えば、トレーナーに返り咲き、君という逸材を育て上げたかと思えば…。別れもなく去っていった。いくら私でも、彼という存在は本当に読めないよ。」

クスっとルドルフはマーシャルに笑みを見せた。…だが、彼女の表情は相変わらずだった。

 

「一つだけ、昔話をいいかい?」

ルドルフは言う。その言葉にようやくマーシャルが少し顔を上げた。

 

「君はあの中庭の洞に向かって叫んだことはあるかい?」

ルドルフは肩越しに中庭への窓を見る。

 

「え?」

「私はあるんだ。たった一度だけ。」

 

―――――――――――――――

 

当時の私は皐月賞に日本ダービーを制し、菊花賞を残してクラシック三冠へ手をかけていた。

 

日本史上初無敗の三冠。その時私にかけられていた期待と圧は重厚だった。

連日のように記者たち追われ、周りの者たちからは並々ならない期待を寄せられ続けた。

 

私は皆の期待に応えようと、皆を失望させまいと、どんな時も気丈に振る舞い続けた。私は強くあらなければならない。私は絶対でなくてはならないと。自分に鞭を入れ続けた。

 

だがそれは長く続かなかった。自分を強く見せようとすればするほど、自分の中の何かが解れるような浮つくような妙な感覚が襲った。

 

それでも私は、その微かに見え隠れするような不安を押し殺し続けて、振る舞い続けた。

 

でも、彼はそんな私を見透かしていた。

 

『貴方に私の何がわかる…!』

その時の私はまだ幼かった。自分の内なる弱さを認めることを恥だと思っていた。

だから、私は彼に強く反発した。

 

『ジブンのことをわかりきってねー奴が、この世界のアタマ張って生きていけるほど甘くはねぇ。テメェの本音に目を背けるな。』

『…私は、皆の期待に応えなければならない!今まで支えてくれたトレーナーや仲間たちやファンの為にも、私にはその責務がある。内なる弱さなど…単なる私の甘えだ…!』

『期待に応える為に…ねぇ。お前はいつからそんな退嬰的なヤツになった?』

『退嬰的…?聞き捨てならない言葉だね。』

『お前が今並べた耳障りのいい言葉たちは、お前自身を前に導いてんのかって聞いてんだよ。俺はその期待に応えるっつーのがワカンネーんだ。お前は誰の為に走るんだ?お仲間サン達の為か?東条の為か?』

『…。』

『期待されてる。だから走る。なんてこた、ただ日和った野郎の言い訳にしか聞こえねぇのよ。お前はチャレンジャーだろ?期待されてんじゃねぇ。試されてんだよ。お前が本当に無敗の三冠ウマ娘として、その名を語る覚悟があるのかってな。』

 

誰かの為じゃない。自分の為だ。

そんな簡単な理屈を、私は見失っていた。

 

『保守的になるな。いつまでもチャレンジャーであり続けろ。貪欲に、恐れを知らず。無敗なんてのは…ただのオマケみてぇなもんさ。お前の本当に目指すところは…その先にあるはずさ。』

『…貴方は痛いことを言う。どうしてくれるんだい。折角、纏まりかけていた私の気持ちが、また四分五裂する。』

『ならもう一度組み立てればいい。使えるモノなんでも使って。』

『使える物?』

『ついてこい』

 

その時彼に連れられてきたのが、あの洞だった。

 

『使ったことは?』

『…ないね。』

そうすると彼は、その洞の両端をつかんで。

 

『チキショウ!!エボのエンジンがブローしやがった!!この間軽量フライホイール組んだってのによぉおお!!!』

と叫んだ。

 

『…何を。』

『お前も叫んでみろよ…使い方わかんねぇか?』

『私は…』

『いいじゃねぇか。お前の本音に、ちょっと会ってこいよ。誰にも聞かれねえなら今のうちだぜ?』

 

私はふらふらと何かに導かれるように、体が勝手にその洞に向かった。

そして私は…何かを叫んだ。何を叫んだのかは覚えていない。

でも確かに、その日、その時に、私は本当の私を知ることができた。

 

そして菊花賞。不安なんてもうなかった。

私は私の為に、私であり続けよう。この賞は、私の誓いのレースになった。

 

 

―――――――――――――――

 

「陳腐な表現かもしれないが、彼の言葉は、私の中で生き続けている。君の中にもきっとあるはずだ。彼の言霊が。…。共に乗り越えよう。不安なら、私が手を取る。」

マーシャルはルドルフのその凛々しい表所を見た。だがその視線をまたゆっくり下げていく。

 

「ありがとう…ございます。でも、私は一人で歩きたい。私は一人で…大丈夫だって、トレーナーさんに…見せてあげないと。」

そういってマーシャルはふらっと立ち上がる。

 

「…焦ることはないよ。傷を癒す為には時間が掛かる。」

「それ…でも…ッ!」

マーシャルは胸で大きく息をした。

 

「…天皇賞、トレーナー不在の中でも、君は出るのかい?」

「トウゼンですよ…私たちはそれの為に…走ってきたんですから。トレーナーさんはその為に…命を削って私を育ててくれたんですから…。」

手で強く拳を作り、顔をゆがめる程に歯を食いしばってそう言った。

 

その黒い何かがベールのように纏う彼女に、あの優しい面影はもうなかった。

 

「私は…勝ちます。自分と…トレーナーさんの為に。…この命を捨ててでも。」

マーシャルの非常にらしくもない発言に、ルドルフは思わず顔を歪めた。

 

「…君からそんな言葉は聞きたくなかったよ。命を捨てるなど、軽々しくいうものじゃない。その辛さを一番理解しているのは君だろう。」

「…はい。…ごめんなさい。」

 

そういってマーシャルは大城のトレーナー室を去っていった。

 

カツカツカツ…マーシャルはそう足音を立てながら、何かを急くように歩いた。

そして急に

「…っふ。…ひひ…ふ…ふ。」

と淀んだ表情のまま、細く笑い出した。

 

そして顔を両手で塞いだ。

 

「ああ…ダメだ…なんか私…おかしくなっちゃってるかも…。」

 

それでも、その笑いは止まらなかった。

 

 

―――――――――――――――――――

 

一人トレーナー室に残ったルドルフは、マーシャルに手向けたリンドウを回収し、それをもって大城のデスクの椅子に座った。

 

「…先生。私の最後の願いだ。…彼女を護ってあげてくれ。貴方にしかできないよ。」

 

そんな彼女に、そっと秋の風が吹き込んだ。

 

 

 

 



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エゴイズム

「マーシャル?」

「ああ、どこにいるか知ってるか?」

 

トレセン学園の園内、少し怪しい雲が空全体を支配する。

まもなく大雨が降りそうだ。それは天気予報を見るまでもないほどに明瞭だ。

 

ある一角の教室。

沖野はそこでマーシャルの親友であるトップギアとモモミルクにマーシャルの所在を尋ねる。

 

最近の彼女、時間が空くたびに行方を眩ます。

練習場にも現れず、大城のトレーナー室にも現れず、寮にいるのかと思えばそこにもいない。むしろ最近は門限スレスレに戻ることが多いのだそう。

 

そしてほぼ誰とも口を利かずに、授業が終わればまるで幽霊が姿を消すかのように、学園から居なくなってしまう。

 

そんなマーシャルの状態を危惧した沖野は彼女との接触を試みようと考えたが、

行方が分からないのでは打つ手はない。

 

「マーシャルか…俺たちもわかんねぇんだよ。」

ギアは視線を下げてそういう。

 

「そうか…。」

沖野もそう俯いた。

 

「なぁ、スピカのトレーナー。あいつ、どうにかしてやれねぇのかな。」

「え?」

「最近のあいつ、もう完全にヘンなんだよ。俺たちとも話さなくなって、ガッコー終わったらすぐに消えちまって、寮に戻ってきたと思ったら…ケンカでもしてきたのかってくらいボロボロになって。」

「そうだったのか…。」

 

「心配なんだ…。このままアイツ天皇賞出たら、本当に壊れちまうんじゃないかって。」

「やめてよ…!ギアちゃん。」

 

そういってモモはギアの肩を掴む。

 

「…わかった。俺が様子を見てくる。場所はなんとか探すよ。」

「俺も行く!」

「いや…お前たちはここで。ここからは大人の仕事だ。」

 

そういって沖野は彼女らに背を向けた。

 

――――――――――――――――――

 

…ううん。知らない。

…うーん。わからないなぁ。

…さぁ?練習場にいないの?

…学園にいないんなら、外とかじゃない?

…そういえば、その娘前にほら、ライスちゃんと話してなかった?

 

「本当か?」

「え、うん。何話してたかまでは知らないけど…あ!おーい!ライスちゃーん!」

そういってそのウマ娘は沖野の背後の存在に向かって手を振る。

 

「ふぇ?な、なんですか?」

そこにいたのは、妙におどおどした態度を隠せない、気弱そうに見えるウマ娘。

だが沖野は侮らない。そのマスクの下に秘められた本当の顔を彼は知っているから。

 

マックイーンもそれにやられた。その記憶は未だに新しい。

 

「え?あれ?あ…スピカのトレーナー…さん。」

そういってライスシャワーは後ずさる。

「ま…また…私を誘拐して…縛りにきたんですか?」

「あ!ち!違うって!」

そう沖野はライスを宥める。

 

「なら…いいんですけど。」

あいつらにはもっとやり方を考えさせねばと沖野は頭を掻く。

 

「それで何の御用ですか?」

「ああ、お前この間レッドマーシャルっていう娘と話をしたか?」

「え?レッドマーシャル…?」

「ほら、この間訪ねてきた中等部生の娘だよ!」

と、クラスメイトが補助を入れる。

 

「ああ…あの娘。確かにちょっとお話しましたけど。」

「なんの話を?」

「えっと、確か、一人でトレーニングできる場所を紹介してほしいって。」

「一人で?」

「はい。私、大きな賞の前に集中してトレーニングしたい時によく使う場所があるんですけど、そのことを風の噂か何かで知ったみたいで、教えてほしいって。」

「それは…どこに?」

 

―――――――――――――――――

 

古びた廃校の昇降口前に広がる小規模なグラウンド。

それはトレセンの練習場の比にならないほど狭く、手入れをされていない路面コンディションは最悪だった。

 

だが、そこにいた。

 

マーシャルは。

 

 

ぽつぽつと雨が落ちてくる。

沖野は事前に用意した傘を手にはしているものの、それを開けずにいた。

 

雨が落ちてきていることはきっと彼女もわかっているだろう。

それでも彼女は走る足を止めなかった。

 

必死に腕を振り続け、足を上げ続け、はち切れそうな肺を何とか押さえつけながら、前に前に進み続けた。

 

コロン…。

沖野の足元に何かが当たる。それはスプレー缶。

 

酸素吸入器だ。よく見てみると、一本だけではない。

何本も何本も。大人数を抱えるチームでも、これだけの酸素吸入器は使用しない。

 

「マーシャル…。」

その時、マーシャルがバタっと倒れた。

 

「!」

沖野はすぐに彼女に駆け寄ろうとしたが、彼女は地面に這い蹲ったまま、まるで獰猛な猛獣のように荒々しい息を何度か吐き出すと、立ち上がってまた走りだした。

 

倒れたのは、きっとさっきのそれが初めてではないのだろう。

彼女の体は既にボロボロだった。顔も、体操着も、手足も。

 

それは最早トレーニングという名の自傷行為に等しく見えた。

 

「マーシャル!」

あまりの彼女の姿を見かねた沖野はマーシャルを呼び止めた。

 

「…沖野さん。」

激しく体を揺らしながら呼吸をする彼女は、ようやく足を止めて沖野の方を向いた。

 

「こんなトレーニング…あまりにも無茶だ。」

「無茶をしなきゃ…私はダメなんです。」

 

そういってまたマーシャルは走り出そうとする。

 

「止せ!こんなこと続けてたら、体を壊すぞ!」

「…いいですよ。壊れたって。それで勝利が手に入るのなら。」

「そんなこと…大城さんは望まない。」

「私のワガママなんです。沖野さんは気にしないで。」

いつもの丸く優しい瞳は影を潜めていた。その代わりにエッジの利いた鋭い目つきが今の彼女にはあった。

 

「そんなわけに行くか。…俺は、大城さんに託されたんだ。君のことを。」

「…。」

「トレーナー不在の中の、一人でのトレーニングは非常に危険だ。俺や…いや、俺じゃなくったっていい。正しいトレーニングを積むためには…誰かに付いてもらう必要がある。」

そう諭すように言った。

 

「…。ごめんなさい。でもダメなんです。私のトレーナーは…大城白秋トレーナーなんです。この天皇賞が終わるまでは…あの人の担当でいなきゃダメなんです!」

ぽつぽつとふった雨が大粒の勢いのある大雨に豹変した。

 

「沖野さんは…スぺちゃんのトレーナーさんでしょ?ダメですよ、私に構ってちゃ…スペちゃんだって、本気で来るはずだから!」

そういってマーシャルはまた、土砂降りの路面を駆け出した。

 

バアンッ!!と近くで雷が落ちる音がした。

それでもマーシャルは意にも介さなかった。

 

―――――――――――――――――

 

「それで、止められなかったワケね。」

「ああ…俺はどうしたらいいんだ。おハナさん。」

東条は肘をついたまま、ウイスキーグラスを傾ける。

 

「…。ねぇ。このままあの娘を止めてあげることって、正しい事なのかしら?」

「え?それってどういう。」

「私もわからないから訊いてるの。…今まで色んな娘を見てきた。走る意義も理由も価値も様々で、その一瞬の為なら全てを捨てる覚悟をしてる娘なんてザラよ。…いくらトレーナーといっても、所詮私たちは外野から見てる大人。その娘の本当の信条やそのレースに掛けている重さなんて到底理解できっこない。止めてあげることは簡単。でも、それで100%で挑めなかったとき、その悔やみを処理するのも、またその娘なのよ。」

「…じゃあ、止めないほうがいいってコト?」

「だからわからないって言ってるでしょ。…止めるのも止めないのも、所詮は大人のエゴ。…エゴイズムを汲まない指導を。それが私のトレーナーとしての理想像。だけど、恐ろしく難しいのよ。」

 

そういって東条は立ち上がる。

「ご馳走様、今日は奢ってあげる。だから少しは背筋伸ばしなさい。」

それでも沖野は項垂れていた。

 

「…でもそれで、マーシャルにもしものことがあったら、俺は大城さんに顔向けできねぇよ。」

そう呟いたとき。

 

パシンッ!と東条は沖野の背中を叩いた。

「いっつ!」

 

「オトコがクヨクヨしてんじゃねぇ。そんな情けねぇサマ、テメェの担当に見せるつもりか?…ってあの人ならきっとそういうわよ。じゃあね。」

 

カランカランとドアのベルと共に、東条は去っていった。

 




(…妙に似てたな)


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闘争心

「…はぁ…はぁ」

びゅうびゅうと息が擦れた音が、肺から鳴るようだ。何度も何度も息を吸っては吐いてを激しく繰り返し、少しでも兆しが見えればまた自らの体と肺に鞭を入れて走り出す。

 

「…っうぷ」

そうしようとした瞬間、彼女は思わず口元を抑えて蹲る。

「う…うっ…っはぁ…はぁ。」

…今日は何とか吐かずに済んだ。

 

そのまま地面へと倒れて、大の字に。

仰向けになったその視線のずっと向こうには、彼女がすでに喪った光たちが、まるで彼女に見せつけんと輝いていた。

 

その星々にマーシャルは手を伸ばす。

もちろん掴めるはずもない。

 

故人のことを星になったと比喩する言葉を聞いたことがある。

ならば、あの人の星は一体どれなんだろう。

 

彼女はその終わりなきスクリーンを一人で見続けた。

 

『そんなこと…大城さんは望まない。』

 

沖野の言葉がふと彼女に蘇る。

 

…それはそうだろう。こんなバカげたことをやってるだなんて彼が知ったら、すごく叱られるに違いない。

いや…むしろ叱ってほしかった。こんな人気のないところでこんなバカなことをやっていれば、彼がすっ飛んできて叱ってくれるとでも、自分は思っているのだろうか。

 

「はは…ははは。」

 

何が面白いのかもわからない笑いを彼女は唄い、そして星空に向かって呟き始める。

 

「アルタイル…デネブ…ベガ。三つを結べば、夏の大三角。あのジグザグの星が、カシオペア…その近くの明るい星がペルセウス。そしてあれが…北斗七星。」

その時、彼女はあることにふと気が付く。

 

「あれ…?」

それは、あの日ちゃんと見えていたハズのそれが、今の彼女の瞳に映らなかった。

 

「…どうしよう。トレーナーさん。…私もアルコル、見えなくなっちゃった。」

 

 

――――――――――――――――――

 

 

そして、ようやくその日は迎えられた。

 

 

…やぁ!やっとだよ!めっちゃ待ったぁ!

…すっげぇ人だかり。はぐれるなよ。

…あ、私売店寄ってくるから席さがしといて!

…ねぇ、屋内観戦上でいいんじゃない?

…ばか!せっかく本場来たなら屋外に決まってんだろ!

…もぉ!人多すぎ!どこか空いてるとこないの?

…お前さ、今日は誰が勝つと思う?

…そりゃスペシャルウイークに決まってんじゃねぇの?

…ええ!俺ちょっとレッドマーシャルに期待してんだけどなぁ。

…ありえねーな。だってあいつ、9番人気だしな。

…マジかよ。

…まぁ、十分な適正でない上に、レース直前でトレーナーが死んだとあっちゃあ、コンディションも最悪だろうしな。順当っちゃ順当なんじゃねぇの?

…俺は頑張ってほしいと思っちまうけどなぁ。

 

 

その日の東京競技場。

まるで会場がはちきれんと言うほどの人だかりが。

見渡す限り人で埋め尽くされ、歩く場所を探すだけでも一苦労。

 

駐車場だって臨時駐車場を何件も手配してやっと2時間待ちだとかいう。

 

一体どこからこんなに人が湧き出てくるのだろうか。

そんな人込みの中を、一組の成人ウマ娘と男性がまるで敷かれたカーペットの上を歩くかのよう、まっすぐと進んでいた。

 

「お父さん。ほらこっち。」

「ああ…ねぇお母さん。…本当に、マーシャルに会ってこなくてよかったの?」

「…うん。あの娘だって集中したいはずだしそれに…。」

そういった後にレッドマーシャルの母、レッドクラウンはターフに目を向けた。

 

「何年振りかしら。東京芝2000。ほら私のゲートはあそこ。」

そういってやや外枠のゲートを指す。

 

「今でもよく覚えてるよ。僕はあの日、奇跡を目の当たりにしたんだ。」

「あら、20年経った今でもお世辞は下手なのね。」

そうクスッと笑った。

 

「お世辞じゃないさ。心からそう思ってる。…まるで夢のようだ。君の娘が過去に君が走ったレースを走る。それを僕は目の当たりにしてる。これも奇跡だよ。」

「変わらない人ね、あなたって。」

 

そういってもう一度ターフに目を向ける。

そこでは着々と大一番の目玉レースの準備が行われていた。

 

「そんな奇跡がすべて叶ったのも、あの人のおかげ…。」

クラウンはそう呟いた。

「…若すぎるよ、大城さん。」

「あの人とはもう一度どこかで会えるものだって思ってた。…電話越しじゃなくて、直接。そしてまた余計なことを言ったりして、私とマーシャルに叱られて…。」

 

クラウンはいつの間にか充血した目を、誰にも気づかれないように擦った。

「本っ当に勝手…いつも、いっつも、勝手なんだから…。」

「…大城さんに代わって見届けよう。マーシャルはきっと、頑張ってくれるよ。」

「ええ…。」

マーシャルの父、清水淳は静かに妻の肩を抱き寄せた。

 

 

―――――――――――――――――――――

 

華やかなゲートへ向かうための地下バ道。その遠く先に輝く光の世界へ足を踏み入れる為に、各ウマ娘たちが夫々の思いを抱えて歩いていく。

 

細く薄暗く、少し肌寒い風がその空間に流れ込む。

 

ある程度の娘たちが出払ってしまった少し後だろうか。

ようやく彼女は姿を現した。

 

赤く漲る勝負服に、太陽の光すらも跳ね返すほどに眩く光るピアス。

そして、左肩に携えられた『Ⅶ』の刺繍。

 

ここを歩くときは、いつもあの人が一緒だった。

気持ちで負けてるときは背中を叩いてくれて、やる気十分な時は冷静なアドバイスをくれて、負けた時はおどけた態度で優しく慰めてくれて、勝ったときは大きく肩を組んで一緒に笑ってくれた。

 

でももう…いないんだ。

 

わかってる。私は一人で歩いて行かなきゃ。

 

私は一人で戦わなきゃ。

 

あの人との…誓いのためにも。

 

あの人と、私の夢のためにも。

 

彼女はそっと左肩の刺繍を右手で摩った。それは彼が勝負服に込めてくれたたった一つのお守り。

 

マーシャルはそっと振り返る。

そして光の明暗差で奥の見えない地下バ道の奥に向かってそっと言った。

「行ってきます。…トレーナーさん。」

 

そして光のほうへ向いた時だった。

「…マーシャルちゃん。」

そこにいたのはスペシャルウイークだった。

 

白を基調としながらも、その撫子色のラインがとても彼女を強く印象付ける。

まさしく、皆のヒーローとしてその名に恥じない存在だった。

 

「スペちゃん…。」

スペシャルウイークの目に映ったマーシャルは、あまりにもな姿だった。

 

顔は酷くやつれ、その目には生気がなく、歩いているのすらもやっとといった印象。

これからレースに出るなど、冗談に等しく思えるほどだった。

むしろ、いくつかのレースを終えた後といった表現のほうがしっくりくる。

 

そんな姿だった。

 

「…マーシャルちゃん。マーシャルちゃんが辛いのは、私もよくわかるよ。大城先生がいなくなっちゃたこと…私もすごく悲しい。」

スぺは俯いた。

そして、もう一度言葉を吐き出す。

 

「私もね…ちっちゃい頃にお母ちゃんがいなくなっちゃって。すごく悲しかった。でもね、お母ちゃんはきっと天国から私のことを見守ってくれてる。…会えないだけで、お母ちゃんは私のことをちゃんと見てくれてる。…きっと大城先生だってそうだよ。マーシャルちゃんのことを、天国からずっと応援してくれてるはず。…先生の為にも頑張ろう。」

そういってスぺは手を差し出した。

 

それは友として、ライバルとしての言葉だった。

 

「…ありがとう。スぺちゃん。」

マーシャルの顔がいつ振りかに綻んだ。

 

そして、スペシャルウイークの手を握った。

 

 

 

だが、彼女が手を握った瞬間、スぺはその手を差し出したことを後悔した。

 

 

「…えっ?」

彼女の手を取ってようやく見えた。

 

彼女に纏う、覇気が。

 

赤黒く染まったおどろおどろしい、粘性の高いようなドロドロとしたオーラだった。

それは闘争心と呼ぶにはあまりにも暴力的で、目を背けたくなるほどに毒々しい。

彼女を体現する燃え盛る赤い炎とは、似ても似つかない。まるで…血の色のようだった。

 

それが地下バ道をスペシャルウイークごと飲み込んでしまうかの如く、渦巻いていた。

 

「マーシャル…ちゃん?」

「スぺちゃん…頑張ろうね。」

 

そういってマーシャルは光を拒む程のベールを纏ったまま、スぺの横をそのまま過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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光と影

『さぁ、晴れ晴れとした青空がこの瞬間を見守ります。今年もこの時がやって参りました。天皇賞(秋)。たった2000mという短い世界で、幾千ものドラマが繰り広げられてきました。今日という日は一体どんなドラマが我々を待ち受けているのでしょう。各ウマ娘たち、ぞろぞろと地下バ道から姿を現します。』

 

そこから一人一人とウマ娘が出てくるたびに、歓声が上がる。

彼女らにかけられる期待が、秋の風が吹くこのレース場に、夏の熱気を蘇らせるようだ。

 

『さぁ三番人気アーセンデルタ、仕上がりは良いように見受けられます。若き天才四番人気オークストリームこの人気は不満か?』

『ですが、注目のウマ娘に代わりありません!』

『七番人気のニジイロマイン、観客に大手を振ります…』

 

そして中継のカメラは一人のウマ娘へ。

 

『…九番人気レッドマーシャル。スプリント界からの注目すべき刺客、毎日王冠杯では大健闘を果たし期待を寄せたいところではありますが…。』

実況が少し言葉を濁らせる。

 

『えー、このレース場にお越しのファンの皆様もご周知の事実、彼女の専属トレーナー、大城白秋氏は先日癌の為に他界しております。このレースに掛ける思いは並々ならないものがあると胸中を察し、健闘を祈りたい娘であります。』

その瞬間だけ、会場の歓声が少し静まった。

 

 

…大丈夫なのか?あの娘。

…なんかヤバそうな空気出てるよ。

…あんな様で走るつもりか?

…ひっでぇな。コンディションもクソもなさそうだ。見ろよ、廃人みてぇな顔してる。

…気の毒っちゃ気の毒だけど、ま、無理しないようにしてもらいたいもんだ。

…なんつーか、悉く不憫っていうか。哀れと言うべきか。あんなひでぇデマを流されたと思ったら、今度はトレーナーが死んで。…カミサマとやらは、あの娘になんか恨みでもあんのかな。

 

彼女への同情の声が投げかけられる。

 

「う…っ…ううっ…マーシャルちゃん…。」

「田原ぁ、お前が目ぇ伏せてどうすんだよ。見てやんなきゃ、信じてやんなきゃいけねぇんだろ?」

「ああ…わかってるよ。」

 

「マーシャル…。」

娘のその成れの果てのような姿を目の当たりにした両親は言葉を失った。

「…もう、僕はあの娘になんて言ってあげたらいいのかわからないよ。…ねぇ、お母さん。結果にかかわらず、このレースが終わったらあの娘をしばらく家で休ませてあげないか?」

「…私も同じこと考えてた。」

「立派だよ。あの娘は、このスターディングゲートに立っただけでも、十分に…立派だ。」

清水は思わず眼鏡を外して、涙を拭った。

 

「コンディションがない?九番人気?…ここん連中、何見てそういうとるんや。…あいつヤッバイ空気ビンビン出とるで、なんかやらかす気ちゃうんか?」

「…タマにはそう見えるのか?」

「なんやオグリン、あんたにゃそう見えへんいうんか?」

「いや…なんだろう。哀しい。ただひたすら…哀しい。…私がカサマツを離れることを決心したあの時の自分と…どこか似てる気もする。」

「故郷離れるのと、トレーナー亡くすんはちょっとちゃうんやないんか?…ていうても、自分の大事にしとったもん失くすんいうんは、それだけのコトっちゅうことか。」

「タマは勝つと思うか?あの娘。」

「…どうやろうな、そりゃあ勝ってほしい思うけど、こんまま本当に勝ってしもうたら、そんまま取り返しのつかんコトにもなりそうな気もするんよ。あのヤバイ空気の正体は…それかもしれへん。」

「…私も同じだ。」

 

 

「…すっごい闘争心(オーラ)。こんなに離れてても犇々と伝わってくる。最早覚醒の領域に入ってる。…三冠を掛けたあの日の貴方に引けを取らない、いいえ、それ以上かもしれないわよ。…ルドルフ?」

「ああ…。」

ルドルフはマーシャルをはっきり見ようとしなかった。

「らしくないのね、生徒会長。」

「…マルゼン。私は正しかったんだろうか。」

「らしくないその2」

「私は無理にでも彼女を止めるべきだったんだろうか。」

「あのスターティングゲートに立ったのは、あの娘の意思じゃなくって?」

「…私も同じ境地に立たされた時、迷わずゲートに立つ選択をするだろう。…だがその後。これを走り抜いた彼女に何が待っているんだろう。…明るい未来が、どうしても見えない。」

「らしくないその3。…少しお節介を焼きすぎなんじゃない?その後がどうなるか、それを自分の目で確かめることも、担当である彼女の責務だと思うわ。」

「それが最悪の結末であってもかい?」

「ええ、そうよ。世の中がすべてハッピーエンドなら、誰だって苦労しない。大事なのは真実を知ること。有耶無耶にしてしまうことのほうが、残酷よ。」

「…」

「そんなに心配なら、祈りましょう。神様ホトケ様…シラオキ様とかね。」

 

 

―――――――――――――――――

 

ヒーローはいっつも遅れてやってくる。

皆の夢と期待を背負って。

 

今日の抜けるような秋晴れ。遮る雲が一切ないその日差しは、彼女の為に用意されたピンスポットライトだ。

 

ようやく…姿を現す。

 

 

『さぁ出てきました!!一番人気スペシャルウイーク!!!』

その姿に、会場中が沸く。

 

心待ちにしていた皆のヒーローがようやく現れた。

 

だが、スぺの表情は差し込む日光の明るさに負けていた。

(…マーシャルちゃん。)

 

今のスペシャルウイークが光なら、今のレッドマーシャルは影だ。

 

皆の英雄(スペシャルウイーク)と闇に堕ちた悪役(レッドマーシャル)。その構図はわかりやすい。

 

「…ねぇ、トレーナー。ボクたちって、どっちを応援すればいいのかな。」

とテイオーがはっきりしない表情で沖野に問う。

「確かにスぺちゃんはスピカのチームだけど、マーシャルだってボクたちの仲間なんだよ!」

「そうだよな…スペ先輩にはもちろん勝ってほしいけど、マーシャル先輩だって…今の気持ち考えると、そう思っちまうよな。」

「…どっちも、なんて半端なことはできませんものね。」

「…」

 

その時、沖野は言った。

 

「スペだ。俺たちはスペを応援する。」

そう言い切った。

「…」

全員が沈黙をする。

 

「マーシャルの担当は…俺じゃない。大城さんなんだ。半端な応援なんかしてみろ。ぶっ飛ばされちまうよ。」

そして沖野の視線はスぺに向けられる。

 

「よぉし!んじゃ決まったこった!お前ら!スぺに波動砲送るぞ!」

「ちょっと!それでいいんですの!?ゴールドシップさん!」

「そうだよ!」

マックイーンにテイオーが続く。

 

「…お前らさ。あのチビのこと信用してねぇのか?応援しねぇと、あいつはスペの相手にならねぇと思ってんのか?」

「え…っと?」

「アタシはあのチビのこと信用してんだ。あいつのクソバカげた根性…誰もマネできねぇくらいの。…だからスペを応援する。チームスピカはスぺだ。」

 

ゴールドシップの覚悟に時間差を置いて、ようやく全員が頷いた。

マーシャルを信用する…だからこそ応援はしない。それがスピカの答えだった。

 

「スペ!」

沖野はスペシャルウイークを呼び寄せる。

「はい!トレーナーさん!」

「いいか…今はお前自身に集中しろ。…マーシャルのことも、気持ちはわかる。だからこそ。あいつの為を思うのなら、お前は全力であいつに挑め。」

「…わかりました。」

スぺもまた、覚悟を決めてゲートへ向かっていく。

 

 

そして…運命の扉は開かれた。

 




「大城先生…あのお菓子は、美味しかったよ。」
「自分めっちゃもらっとったもんなぁ、前に()うた時、菓子の消費の半分はオグリンやってボヤいとったもんなぁ。」
オグリキャップは懐から一つの菓子を取り出す。
「…なんや、また食うんか?」
「いや…これは彼に捧げる分だ。」
「自分にも、そういう概念あるんやなぁ。」


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暴走

18戸のゲートが、各々のウマ娘たちに対して道を切り開く。

阻むものが無くなったその世界へ、18人のウマ娘たちは一斉に狂気渦巻く勝負の世界へと流れ込んでいく。

 

その世界に絶対はない。この場所で幾千もの最強と呼ばれた猛者たちが散り、誰も見向きすらもしなかった娘が一瞬にしてスターに成り上がった。

 

マーシャルもその中の一人だったハズだ。

勝負の世界に身を投じ、栄光を確かに掴んだハズだった。

 

そして新たなるステージで、新たなる自分への挑戦をする彼女は、美しく、勇ましく、逞しい姿であるはず。…そうであるはずなのだ。

 

だが、そこにいた彼女に…そんな言葉たちは似つかわしくなかった。

 

幾度となく夢にまで見た天皇賞。

何度も倒れながらようやく辿り着いた母の背中。

そんな光の世界に、夢の世界に、希望の世界に、彼女は立っている筈なのに。

 

何故彼女は、ここまでにも哀しいのだろう。

何故ここまでにも、光を拒むのだろう。

何故ここまでにも…悍ましいのだろう。

 

18人、それぞれに絶対勝ちたい理由はある。

その価値はそれぞれだ。自分の夢の為。大切な人のため。仲間の為。名声の為。

 

彼女の想いは一体どれに属するのだろう。

 

稀に変わった理由を持つ娘もいる。

それは滅多に目にすることはないが…一目見れば大抵わかる。

 

 

…絶望を払拭するため。

 

 

 

――――――――――――――――

 

『さぁゲート解放!各ウマ娘…おおっと!』

実況が思わず声を上げる。

 

観客たちからも、どよめきが。

 

 

『レッドマーシャル!わずかに出遅れ!これは痛い展開です!』

『やはり大きく掛かっているようです…厳しさがやや目立ちます。』

『さぁこれは苦しい展開だ、先頭はスパンアーク!後方につくオークストリームを牽制しています!陰から狙うかテクノイニシャル!彼女の差しは光るか?…少し離れて中団スペシャルウイーク堅実な走りでポジションを固めていきます』

『ポジションセンス、光ってますね!』

 

 

…終わったな。マーシャル。

…最後まで悲惨だったな、ちょっと同情しちまう。

…マーシャルが出遅れたの、初めて見たぞ。

…スパートもそうだけど、スタートダッシュのセンスもウリだっただけになぁ。

…まだわかんねぇだろ!?2000mだぜ!?

…だけどまぁ、あの出遅れで巻き返しは相当キツいぞ…それこそ、体力ジマンのあるやつでもなきゃな。

 

「マーシャル…ちゃん…」

「肩落とすなよ…田原。勝負って…現実ってそういうもんなんだ。悲しい思いをしたやつが勝つなんてことは、映画の中だけだ。それよりもちゃんとあの娘が走り切れることを願うべきじゃないのか?」

「…ああ。」

 

 

「もう…いいんだ。マーシャル…頼むから、無事に走り切ってくれ。」

「お父さん…」

 

 

「出遅れたぞ、タマ。」

「ホンマやな…」

それでもタマモクロスの表情は変わらない。

オグリキャップの問いかけに対しても、まるで当たり前のことを聞かされているかのように。

「…不思議だ。これで終わった気がしない。」

「気ぃせんちゃうわ。…まだ終わっとらん…いや、始まってもおらん。それだけや。」

 

 

「ッ…」

スピカたちはマーシャルのその出遅れに対して、思わず目を背けた。

当然だ。こんな精神状態でまともな勝負ができるハズなんてない。

マーシャルのことを信じているでも…信じるだけじゃどうにもならないことだってある。

 

「お前ら…どこ見てんだよ。ほら、スぺが頑張ってんぞ。」

ゴールドシップの目線にはスペシャルウイークしかいなかった。

 

「ねぇ…ゴルシ。」

「ウジウジ言うな。これは勝負なんだ。どんな結果が待ってようとも。あの着順表に映ることが全てだ。お前らがイチバンよくわかってんだろ…おらー!スペー!ペース意識しろよ!」

「…スペちゃん!がんばれ!!」

「スペシャルウイークさん!その意気ですわ!」

スピカにようやく灯がともる。どんなに非情であろうとも…今のスピカの主役はスペシャルウイークなのだ。マーシャルは…敵なんだ。

 

――――――――――――――――――

 

『さぁ第2コーナー抜けてバックストレッチに入る。先頭は依然スパンアークが牽制その背後少し乱れたかオークストリーム、先頭集団に紛れ込んできたハイゲインスタック!三つ巴の展開!…と?』

 

実況がいつも淀みなく俯瞰した事実を観客に伝えられるのは、長い経験とある程度の予測展開が見えるからなのだろう。2秒先の未来を予測しながら言葉を流す。その声に安定と自信があるのは、その予測が破錠しないという確信があるから。

 

マーシャルは確かに出遅れた。だが、注目の娘が出遅れてしまうことは長い歴史のなかでもさして珍しい話ではない。実況もその光景は幾度となく目にしているからこそ、彼女の出遅れに触れながらも、いつも通りの実況をこなす。

 

では仮に、その長い経験の中でも目にすることのなかったことが起きたら?

それが予測の範疇を大きく超える出来事だとしたら。

 

…思わずおっと感の詩を詠うかもしれない。

 

 

 

 

 

 

-7.000-

 

 

 

 

 

会場がざわめく。

 

 

これは一波乱…あるのかと。

 

 

 

「…始まったで、オグリン。」

「だな。」

 

 

 

『レ…レッドマーシャル!後方から走りが変わった!…ッ!なんてことだ!中団に

向かってその差をグイグイと!』

『これぞ彼女のスパートの神髄!これはひょっとすると…?』

『だが早すぎます!…彼女の所在はまだバックストレッチ!…あまりにも早すぎるスパート!!彼女のスパートは限定的!これは…持つのか!?』

 

遥か後方から中段に群れる集団へ、大きな影が忍び寄る。

 

 

何かが来た。誰かがじゃない…何か、が。

 

-4.226-

 

『出遅れのハンデを埋めるのか!?シンイライザーを抜いて…スペシャルウイークに迫る!』

 

(マーシャルちゃん…!)

 

スペシャルウイークにも、その大きな影が迫った。

 

…初めて彼女に会った日を未だに覚えてる。

ちょっとおどおどしてて、みんなの圧とか、大城先生に振り回されて。

 

それでも、一生懸命に頑張ろうとする姿とか、諦めないでいっつも前を向くその強い心に…私も頑張らなきゃって思わされた。

お話してみると…とっても優しい娘で、思いやりがあって、私に負けないくらいいっぱい食べて

 

すごく…太陽みたいに明るい娘だった。

 

でも…私の横に今並んだこの娘は…果たして同じ娘なんだろうか?

私の知ってるマーシャルちゃんは…こんなのじゃない。

 

これじゃあ…まるで。

 

 

『レッドマーシャル!スペシャルウイークを抜いた!さらに加速を続けるか!?』

『今までのスパートと…何か違うように感じます…ッ!』

 

マーシャルのそのスパートは…確かに7秒の制約の下行われていた。

 

だが、その中身は大きく異なる。

 

大城と共に調整した2000m用にチューニングされた限界領域にギリギリ踏み込まないスパート…などではない。

 

スプリント…否、それをも超える程の120%状態の、文字通り全身全霊のスパートだった。

 

スペシャルウイークは抜かれざまにその背中を見た。

かつてブロワイエと対峙した彼女は、その時の印象を未だに強く覚えている。

 

まるで光を従えるほどに神々しい背中…。今思い出しても、それは明瞭だった。

簡単に言えば、今のマーシャルの背中はその真逆だった。

 

その背中はあまりにも暴力的で、儚く、哀しく、まるで猛毒を打たれた龍が身を捩って最期の大暴れをするかのように。

 

もっと簡単に言おう。

 

 

今のマーシャルは

 

 

暴走状態だった。

 

 

 

「…唯一抜きんでて並ぶ者なし。彼女のスパートは、唯一それを体現している。」

「まったくね…でも、大丈夫?あの娘の走り、何も裏付けがあるように感じないわ。まるで自暴自棄、7秒限定なんですって?…ならそれなりの運びがなきゃいそれを生かすことはできない。スパートを使いきってもまだ中団…結局それは彼に捧げた最後の花火。どかんと綺麗に光って…後は儚く散っていくだけ。」

マルゼンスキーはそっと手を伸ばす。

 

「でも本当に綺麗…7秒の制約なんてなければ、もっともっと光輝けたのでしょうに。」

「いいや…7秒だからこそ意味がある。私はそう思うよ。」

「ふぅん…お姉さんにはわからないなぁ。」

 

 

―――――――――――――――

 

-1.223-

 

ああ…終わっちゃう。

 

-0.957-

 

どうしよう。

 

-0.569-

 

まだ…前の娘に届かないのに

 

-0.296-

 

終わっちゃう

 

 

-0.155-

 

終わりたくない

 

 

0.058-

 

だったら…7秒を破ってでも…

 

-0.025-

 

『7秒だ。…7秒は守れ。全体を走りきるためでもあるし、なによりお前自身を守るためだ。』

 

…トレーナーさん。それじゃあ私…勝てないよ。

 

やだ…そんなの…いやだ。

 

私は…どうしたら…

 

 

彼女に纏った禍々しい炎は…弱っていった。

 

 

こんなとこで…終わりたくないよ…。

 

 

-0.000-

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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あなたの為に

-0.000-

 

スパートから一気に通常走行へとカラダを切り替える。

その繋ぎも滅茶苦茶だ。彼女の体に無茶を重ねた7秒スパートの代償が重く圧し掛かる。

 

彼女と大城が2000m用にスパートを調整した理由、それはスプリントと同じ要領でスパートをかけてしまえば、スタミナに乏しいマーシャルに絶対的に不利に働くから。

ただでさえ2000m用のスパートを以てしても、その距離を全うするのはギリギリ紙一重。

 

そんな計算された中のスパートを無視し、120%状態の7秒をかければどうなるか。

結果など見るまでもない。1着どころか、2000m走り切れるかすらも危ぶまれる。

 

確かに彼女は後続集団から、スペシャルウイークの位置する中団やや前方向へまで、ニトロジェットを積んだ暴走車の勢いで順位を上げた。

ただそれは、彼女の不安定な心が犯した自暴自棄(ヤケクソ)に等しい行為だった。

 

彼女の炎が消えてゆく。自分自身すらも焼き尽くす程の闇に染まった炎が…死んでゆく。

 

『レッドマーシャル、ここでペースダウン!やはりここでの勝負は厳しかったか!』

 

彼女の背中に、大きな集団が押し寄せる。

最早あの覇気を、7秒を失った彼女に恐れる理由などない。

 

『さぁ!第三コーナー!三分三厘!ここで各ウマ娘たちに動きがみられる!』

『注目の勝負どころ!』

 

実況の言葉に惹かれるように、ウマ娘たちが低い姿勢を取り、足の動きを明らかに変える。

 

『さぁレクティホーセン!その飛距離を伸ばしていく!先頭集団!オークストリーム先頭をとって逃げの姿勢に入るか?…そして、きたぁ!スペシャルウイーク!!圧倒的なパワーで着実に順位を!…』

 

…ここは勝負の場なんだ。

自分以外はみんな敵なんだ。

どんな理由があっても、譲っちゃいけない。

私にだって勝ちたい、いや、勝たなきゃいけない理由があるから。

 

スぺの視界に、マーシャルの背中がはっきりと映し出される。

その差はぐんぐんと寄せられ、最早1バ身もない。

このまま彼女を抜き去ることなど、造作もない。

 

しかしスぺの心に、ふらっと黒い影がかかる。

 

…彼女の昔話を聞いたことがある。

かつてどんなに努力しても勝てなかったマーシャルは、いじめに等しい扱いを受けていたんだそう。

やっと勝てるようになったら、今度はネット社会で心をズタズタに引き裂かれる程の誹謗中傷を受けて、それもやっと乗り越えたと思ったら…トレーナーが死んだ。

 

残酷だ…余りにも残酷だ。

そんな途方もない、想像を絶する程の痛みを抱えてマーシャルはここにいる。…きっと勝ちたいだろう。

勝って…天国にいるトレーナーにその勝利を捧げたいのだろう。

今までの呪いともいえる出来事をこの勝利で払拭したいだろう。

 

自分もこのレースに出ていなければ、きっと彼女を応援していただろう。

話を聞いてるだけでも、涙が滲んでしまう程の苦痛を携えた彼女の背中を押してあげたい。

頑張ってと心から叫びたい。

 

…でも。敵なんだ。

 

 

私は自分の手で

 

 

この娘を殺さなければならない。

 

 

勝負とは…非情なんだ。

 

 

(…ごめんね。マーシャルちゃん…。)

 

 

一筋の涙と共に…スペシャルウイークはレッドマーシャルを抜いた。

 

 

 

―――――――――――――――――

 

続かない息。

 

折れそうな心。

 

濁って眩む視界。

 

自分を抜き去り、先へ先へと行ってしまうライバルたち。

 

苦しい…苦しいよ。

 

また少しづつ視界がかすんでいく。

 

スぺちゃんの背中が、もうあんなに遠く。

 

こんな状況がなぜか妙に懐かしく感じる。

 

そうだ。初等部生たちにすら勝てなかったあの日々たちだ。

 

すっかり遠い過去の話になってたんだと思ってた。

 

でも…どうなんだろう。

 

あの時とよく似た状況に私は居る。

 

…どうやって、あんな日々を、こんな思いを抜け出したんだっけ。

 

だってあれから私は沢山トレーニングを積んだ。

いっぱい失敗しながらも、私は一つづつだけど勝てるようになれたんだ。

 

1800mでも、ちゃんと勝てた。

 

じゃあ…2000mは無理だった?

 

そんなバカな。

 

あの日にちゃんと、本番でも通用するほどの自己ベストを叩き出せたんだ。

 

じゃあ何が違うの。

 

あの日と

 

あの日々と

 

何が違うんだ。

 

基礎体力は落ちてない。

 

筋力だってついてる。

 

7秒スパートだってちゃんと使える筈なのに。

 

…ああ。

 

やっぱりそうなのか。

 

いないんだ。

 

あの人が。

 

『レッドマーシャル…順位を落としていきます…最早これまでか。』

 

はは…。

 

私…強くなったのかなぁ。

 

本当に?

 

本当に強くなったの?私は。

 

じゃあ今のこれは何?

 

…強くなんてなれてない。

 

所詮私は…

 

あの人がいないと何にもできないんだ。

 

ごめんなさいトレーナーさん…。やっぱり私は…ダメなウマ娘でした。

 

 

…。

 

 

『気が済んだか?』

 

 

…!

 

ふと脳内に彼の声がフラシュバックする。

あの日…あの場所で彼と初めて会った、あの日の声だ。

 

『俺はお前の、そのスタートダッシュで見せた瞬発力。それは絶対的な武器になると睨んでる。』

 

そうだ…それが始まりだったんだ。

私が悪夢から抜け出すための。

 

『ああ。この命を賭して、お前を育て上げよう。』

 

随分と大げさなことをいう人だと思った。

でもそれは…貴方が覚悟を決めた言葉だったんだ。

 

『俺に謝ったってしょうがねぇだろ?…一番苦しいのは…お前だろ?』

勝手なことばっかり言って

 

本当に苦しかったのは…貴方だったんじゃないんですか?

 

こんな私の為に…身悶える程の苦しみを抱えながら、私にそんな表情を一切見せることなく…耐えてきたんでしょう?

 

『お前にはここで立ち止まってほしくはない。俺は…お前の行く末を見たいんだ。』

どうして…私だったんですか?

 

素質のある魅力的な娘なら、私以外にもいっぱいいた。

でもなんで…私だったんですか?

 

『お前が俺の生きる希望になってくれると、信じたからだ。』

…私は本当になれたんですか?

貴方の生きる希望に。

 

『俺がやったんじゃない。そのチカラは…お前自身が自分で勝ち取ったものだ。』

やっぱり違いますよ。

この力は…貴方がいてくれたから、手に入ったんです。

貴方がいなければ…私は。

 

この世界にすら踏み入れられなかったんだ。

 

……………。

 

トレーナーさん…。

 

やっぱり私…勝ちたいよ。

 

自分のため…もそうですけど。

 

…貴方のために。

 

貴方が苦しみ抜いて私に掛けてくれたその時間が、思い出が。

 

決して無駄じゃなかったことを証明するために。

 

『本当にいいんだな?…後悔のない選択をしろ。』

 

…後悔なんてありませんよ。

 

貴方の生きた証を

 

この場で証明できるのなら。

 

 

 

 

 

私は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうなったって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かまわない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-7.000-

 

 

 

 

 



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Crimson Spart

-WARNING-

What you do now can take significant risks.
Do you still want to continue?

--AGREE

..Roger that. Don't regret




Let's Rock




『このスパート、やりようによってはお前を喰うぞ?諸刃の剣として扱え。』

『7秒だ…それ以上はダメだ。お前のスタミナ、ひいては肺が負けるだろう…。』

 

…ごめんなさい、トレーナーさん。

 

私は悪いウマ娘です。私はダメなウマ娘です。

 

今まで貴方と大切に守ってきた約束。

 

『7秒だ。…7秒は守れ。お前自身を守るためだ。』

 

一つだけ…

 

 

 

破ります。

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

『さぁ!最終コーナー抜けて残す直線!スペシャルウイーク快調に飛ばしていく!オークストリームそれに待ったをかけるのか!スパンアークまだ諦めていない!アーセンデルタ!やや消耗がみられるか?後続集団からライクバッファー追い上げに入る…!』

 

たった2000m。時間にしても約2分程度の非常に狭い世界。

だけどその狭小な世界で、無数の応酬が繰り広げられていた。

通ぶった観客が、それら全てを見抜いたかのように鼻を高くして語る様をよく目にするが、結局それも無数の中にある駆け引きのほんの一端に過ぎない。

 

その瞬間、わずか0.1秒にすら満たない駆け引きは、当事者同士にしかわからない。

 

そんな刹那の中に彼女たちは生きる。

そして戦う

そして

 

 

散って行く。

 

 

 

余談だが

 

 

花は散っていく瞬間が一番美しい。

 

 

桜の花などはその最たるものだ。

自らの生命を燃やし、散ってゆくその瞬間に私たちは浪漫を情を青春を感動を見出す。

 

そしてこの東京競技場で…また一つの花が散ってゆく。

哀れみを、悲しみを背負い、その幻想を追い求めてゆくように。

 

 

 

―――――――――――――――――

 

-7.000-

 

息を十分に吸うことはできない。

 

地面を力いっぱい蹴り飛ばすこともままならない。

 

だけど…もう後には引けない。

 

これが終わったらどうなっているんだろう。

7秒先の未来が全く見えない。

 

倒れて、吐いて、気を失って…そんな程度じゃ済まないのかもしれない。

 

それでもいい。

 

…覚悟なんて、ずっと前からしている。

 

 

彼女の周りに…再び黒い闘気(ドレス)が姿を現す。

赤い彼女のシンボルと相反するそれは、喪服のようにも見えた。

 

 

 

-6.559-

 

 

『さぁスペシャルウイーク!一気に先頭を捉え…!っと!…これは!』

注目のラスト。実況や観客たちの注目からはすっかり消えたはずだったその存在が…再び灯った。

 

「…ッ!」

 

17人全員がその存在に一瞬の気を取られた。

 

消えたハズだ。終ったハズだ。

この娘のことはちゃんと研究したはずだ。一度にかけられるスパートは7秒…それさえ抑え込めば、彼女に勝機はないはずなんだ。

 

なら…この瘴気をどう説明する?

確かに一度は消えた…だけど再び灯った。

 

ということは…つまり

 

 

 

…来るッ!

 

 

 

彼女の除く全員に雷鳴が響く。

ビリビリと肌を焼くほどのその覇気。

 

 

7秒の悪夢が…彼女たちを飲み込み始めた。

 

『レッドマーシャル!!再び追い上げを見せます!…大外!!大外から!一気に先をめがけて…!』

 

 

 

…ウソだろ!

…来てる!見ろよ!マーシャルが!

…ありえねぇ

…大丈夫なのか!?だってあのスパートって!

…マーシャルちゃん!!それは無茶だ!!やめてくれ!!!

…でもあのスパート、一回目よりもヤベェぞ…これ、マジであるんじゃねぇか!?

 

 

 

「…やるんなら気ぃつけぇや、嬢ちゃん。」

「タマ…あの娘」

「言うてやるな。もうウチらには触れられん世界なんや…アンタにもあるやろ、そういう境地が。」

「…」

 

 

 

「…ふふ、これはどういうことなのかしら?ルドルフ?」

「彼の為に…不惜身命するつもりなのかい。マーシャル。」

「彼女の7秒、肺の弱さをカバーするための術なのよね?なら…相当ヤバいことしてるんじゃない?彼女。」

「だがもう…止める術はないよ。」

 

 

―――――――――――――――――

 

-5.981-

 

くる…しい…

 

 

うまく…息ができないよ…

 

 

体中が痛い…肺がもう…悲鳴どころか断末魔を挙げている。

吸う息、吐く息にガラガラ、ゴロゴロと肺を引っ掻く音がする。

 

無理をしているなんて生易しい言葉じゃもう、表現なんてできない。

 

アドレナリンが溢れに溢れて自分を酩酊させる程なのに…自分の体がもうこれ以上はいけないと警告を出している。

 

これ以上やれば命の保証はないと叫んでいる。

 

当然だ…昔も同じことをして、私はターフで溺れたんだ。

 

怖い…怖いよ、痛いよ!苦しいよ!!

でも…止められない

 

-5.874-

 

だって…私は一人で行かなきゃいけないんだから!

 

あの人がいなくったって!!大丈夫だって見せなきゃいけないから!

 

『…やっぱりさ。心配になるんだよ。お前が泣いてると…。』

 

私はもう泣かない!あなたと交わしたもう一つの約束は…絶対に守るんだ…ッ!

 

トレーナーさん!貴方がいなくったって、私は一人で走れるんだ!

 

 

-陦後°縺ェ繧、縺ァ-

 

 

もうあなたに泣きついたりなんてしない!

 

もうあなたに甘えたりなんてしない!

 

私はもう一度あなたに逢えた時に、立派になったって言ってもらえるように…なるんだ…!

 

だから…だから心配しないで…。

 

私は絶対に勝ちます…私はあなたの担当だから。

 

 

-莨壹>縺溘>繝ィ-

 

 

――――――――――――――――――

 

-4.295-

 

彼女と走った者は皆口を揃えて言う。

 

彼女がスパートに入った瞬間、蜃気楼のように姿が一瞬消えると。

 

残像さえも置き去りにして、その場から消えてしまうと。

 

「!」

 

だが今日の彼女はそれだけではない。

 

そのまま本当に、存在が消えてしまう気がした。

 

『レッドマーシャル!!先頭集団を大外から!!大外から!!有り得ぬ二度目のスパート!!燃えている!!彼女の炎が!業火の如く!!』

実況すらもツバを飛ばすかの勢いで唸り始める。

 

その光景とその轟に火をつけられた観客たちも…一斉に。

 

 

『レッドマーシャル!スペシャルウイークに接近!!毎日王冠杯の配役入れ替えの展開!!あの時を踏襲できるのか!?』

 

背後に伸びる赤く黒い影。

それは優しい少女の、優しすぎるが故に壊れた亡骸。

 

(マーシャル…ちゃん…)

感じる…。

 

泣いてる。泣き叫んでる。

 

その影が。幻影が。

 

どこにももう拠り所のないその孤独な影が、暴れている。

 

…どうしたらいいんだろう。

私は…私は。

 

スペシャルウイークはほんの一瞬、自分の世界へと埋まった。

 

おかあちゃん…私…どうしてあげたらいいんだろう。

大事な友達が…このままじゃ…壊れていっちゃう。

 

そうして、あろうことかスペシャルウイークはレース中に一瞬だが、顔を下げた。

 

そんな時だった。

 

彼女を温かく…優しい何かが包み込んだ。

それはとても懐かしく…柔らかい…母の香りがした。

 

今の母ではない…彼女を生んだ、本当の母。

 

『スペシャルウイーク…いい名前でしょ?この娘はとっても特別。きっとこの娘は日本一のウマ娘になって、きっと皆の希望になってくれる娘。私はそう信じてる。』

 

…。

 

遠く幼い記憶の中に残る、わずかな母の声。

 

皆の希望に…。

 

そうだ…私は日本一のウマ娘になるんだ。

ただ勝てば日本一になれる訳じゃない。

 

勝って、皆の希望に、皆を救える存在こそが…日本一のウマ娘なんだ。

 

ターフに秋の風が舞い込む。

 

それを支燃性の燃料に、撫子色の闘争心がふわっと広がった。

まるでそれは、マーシャルの覇気を打ち消すかのように清く、優しい。そんなオーラだった。

 

(マーシャルちゃん…私にだって譲れない理由があるの。私はマーシャルちゃんに勝つ。…勝って、あなたを救う!)

 

スペシャルウイークはもう一段、強く地面をけり上げる。

 

そして最後の直線…最早100mすらも残さない敷居の上で、二つの狂気舞うオーラが激しくぶつかりあった。

 

『これはもう…わからない!勝利の女神は…どちらに!?』

 

―――――――――――――――――――

 

彼女らの勇姿は、全国で配信された。

 

例えどこにいても彼らは皆彼女らの激闘を見届けることができる。

 

ある者は、病院の院長室で。

 

「…岳院長、回診の時間が。」

「すまない、予定を遅らせてくれ。」

「ですが」

「頼む!俺は見届けなきゃいけないんだ!…アイツの…アイツに代わって俺がッ…!」

 

あるものは引っ越し現場の作業を中断して

 

「いけえええ!!マーシャル!!!俺のイチバン弟子だろ!?」

「ゲンさん!一番弟子はオレっすよ!?」

「ウルセェ!」

 

あるものは、ヨガ教室に置かれた古びたブラウン管を頼りに。

「マーシャル…オマエコソウチュウダ…。オオイチガイエンガ…オマエノセナカヲオシテイル。」

「うおおおお!!!マーシャル!!マーシャル!!!」

 

あるものは人の寄り付かない、裏路地で。

"Tingnan mo, Ashley. Iyon ang anak na pinalaki ni Hakushu."

(見てごらん、アシュリー。あれが白秋が育てたウマ娘さ。)

"..Taiji. Nasaan si Hakushu?"

(タイジ…ハクシューは何処?)

”Pumunta ako upang manalangin sa diyos ng langit.Pumunta siya upang ipagdasal ang kaligayahan mo at ng anak na iyon"

(…彼は天国の神様にお祈りしに行ったのさ。君と、あの娘の幸せを願いにね)

 

あるものは…フランスの地で。

"Tu m'as dérangé.Au moins me fascine Diable Rouge"

(…私の手を煩わせてくれたんだ。ならばせめて魅せておくれよ…赤い悪魔)

 

あるものたちは、街外れのガレージで。

「…アホトレーナー。お前が見届けてやんねぇでどうすんだよ。見ろよ…こんなにもがきながら走ってんだぞ。…ほら、父ちゃん目ぇ伏せんなよ。」

「う゛ッ!う゛うぅ!だってよぉ…白秋…こんなのって、ねぇだろうがよぉ!」

そこに、小さなウマ娘たちが。

 

「おとーさん?どうしたの?またおかーさんに叱られたの?」

「…フィズ、ライムぅ…」

そうして二人の娘をギュッと抱きしめる。

「俺は!父ちゃんはお前たちを残して死んだりしねぇからな!」

 

「…ねぇフィズ。おとーさんがヘンになっちゃった。」

「元からだろ。」

 

 

そしてあるものは…本場で。

 

「マーシャル…ああ!マーシャル!!」

「お願い大城さん!…娘を!…娘を護って!」

 

―――――――――――――――――

 

-2.021-

 

もう…息を吸えなくなった。

吐くこともできなくなった。

 

呼吸器官が完全に狂った。

 

-1.985-

意識が朦朧とし始める。

目の前の視界がはっきりしない。

 

壊れていく

 

 

自分自身が…壊れてゆく。

 

 

それでも足は止めなかった。

それでも腕を振ることはやめなかった。

それでも前を向き続けた。

 

最早体力などとうの昔に尽き果てている彼女を動かしていたのは、気力と根性と

 

思い出だった。

 

彼と過ごした何気のない時間たち。

もう二度と戻ってくることのない時間を。

 

燃やして、自らの燃料にした。

 

大事なものをすべて捨てた。

だけど…その甲斐はどうもあったらしい。

 

『レッドマーシャル!!!スペシャルウイークをわずかに!わずかにリード!!』

 

天皇賞。

 

始まりは憧れだった。

 

でもそれは星を手でつかむようなものだった。

 

何度も挫折した。

 

何度も泣いた。

 

それでも、私は夢に向かった。

 

正直もう無理だと何度も思った。

 

でも、夢はあきらめなきゃ叶うって教えてくれた人がいたんだ。

 

その人は酷い嘘つきだったけど、その言葉は本当だった。

 

そんな勝手で嘘つきで約束やぶりなその人のためにも

 

 

私は。

 

 

勝つんだ。

 

 

 

 

 

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛!゛」

 

 

 

 

 

 

『レッドマーシャル!!先頭を抑えた!!レッドマーシャル!!レッドマーシャル!!!今!先頭を維持したまま!亡きトレーナーの想いを胸に今!!!』

 

 

そこにいた17人のライバル、実況と解説、観客たち。

全ての者たちが実感した。

 

奇跡が…存在すると。

 

 

-0.000-

 

 

――――――――――――――――――

 

マーシャルは確かに先頭をとったままゴールラインを迎えた。

 

だが、彼女を迎え入れたのは大きな歓声などではなかった。

 

静寂。

 

なんの音もない世界だった。

 

確かにこの場所は東京競技場だ。

 

だけど、彼女の周りにには何もなかった。

ライバルたちも。実況も。はちきれるほどの観客たちも。

 

何もいなかった。

 

彼女の周りからすべてが消えた。

 

…でも、彼女はそれを不思議に思わなかった。

 

なぜだろう。むしろずっと前からこの場所を知っている気がする。それこそ、生まれる前から。

 

体がすごく軽い。さっきまで苦しかったのがウソのようだ。

だけど、少し動かしにくい気もする。

 

そんな彼女だけの世界を、彼女は走った。

 

そうして、4ハロンくらい進んだころだろうか。

 

彼女の一キロ先に…とある人物の姿が現れた。

 

 

それは…ずっと探し続けていた。追い求めていた存在。

 

それを見た彼女は安堵に包まれた。

 

 

…ああ。よかった。そこにいたんですね。トレーナーさん。探したんですよ。

 

そういって彼女はその影に向かって走り出す。

 

…トレーナーさん!私ね!頑張ったんですよ!ちゃんと…あなたがいなくても勝てたんですよ!

 

…だから、だからね…たくさん褒めて!たくさん抱きしめて!たくさん頭をなでて!

 

だから…だから…

 

 

まってて…

 

 

 

私も今

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっちに行きますから。

 

 

 



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果たせなかった約束

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Roger that.....

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user - Hakushu


待ってて…私も今…そっちに行きますから。

 

少女は駆け出した。

その優しい影に向かって。

 

ずっとあなたに会えることを望んでいた。

 

あなたに会えるのなら、どんな苦痛にも耐えられた。

 

あなたに…会えるのなら。

 

私は戸惑わず…そっちの世界へでも。

 

 

『…だめ!』

 

 

…え?

 

誰かが彼女の腕を掴む。

なぜ?…ここには誰もいないはずなのに。

 

…離して!私!行かなきゃいけないの!…あの人が…待ってるの!

だから!…だから!

 

それでもその腕は離してくれなかった。

 

『ダメ!…行っちゃダメ!!』

 

その声が随分と懐かしく、心に響く。

最近までこの声を聞いていた気がするというのに、一体誰の声なんだろう。

 

……

 

 

ああ、そっか。

 

スペちゃん

 

 

やっぱりあなたは…ヒーローだったんだね。

 

 

…トレーナーさん…私は。

 

彼女はその影に向かってもう一度つぶやいた。

その時、また優しく懐かしい声が彼女の心に聞こえてきた。

 

『お前がこっちに来るには…まだちっと修行がたんねーな。』

…また、イジワルですか?

『さーナ。…ほら、お前を待ってるヤツらが山ほどいんぞ。こんなオヤジのとこに来るのは、最後でイイ。』

でも…私はあなたに会いたい。

『マーシャル…俺たちの合言葉はなんだ?』

 

 

合…言葉?

 

 

…あれ?

 

 

私たちの…

 

 

合言葉は…

 

 

......................

 

.................

 

............

 

........

 

.....

 

...

 

..

 

.

 

 

 

 

 

「…ゲッッホ!!!あッツ!…ゲホッ!!ガァッ…!…はぁ…はぁ…?あれ…?」

「…マーシャル…ちゃん?」

「スペ…ちゃん?」

 

天を仰ぐように大の字に倒れていた彼女の視界に、ある少女の顔が映し出される。

それは…大事な友達で、絶対的なライバル。

 

でもなぜか、さっきまでずっと一緒に走ってたハズなのに、随分と久しく会った気もする。

 

「よか…った…よかった…」

そういうと彼女は顔をくしゃくしゃにしながら、マーシャルを抱擁した。

 

遅れて救護班の姿が見え始める

まだ頭がクラクラとふわふわとする。体の末端が上手く動かない。

それでも彼女は…生きていた。

 

『レッドマーシャル!ええ…中継の様子ですと、わずかに受け答えをしている模様…ああ!意識があるようです!レッドマーシャル、ゴールイン直後に倒れ意識不明の状態、現場に居合わせた関係者の話によると呼吸が止まっていたとの情報もありましたが…えー今救護班の担架によりレース場から担ぎ出されます。えー今入った情報によりますと意識はある模様。しかし精密検査を要する必要があるとのことです。』

 

実況から女性のアナウンスに切り替わる。

 

『会場のお越しの皆様にご連絡を申し上げます。天皇賞(秋)を出走しました1着9番レッドマーシャル選手ですが、重篤な身体不良の為予定されていたウイニングライブの中止が決定となりました。皆様へのご迷惑並びに…。』

 

 

――――――――――――――――

 

…。あれから私は丸2日ほど眠っていたらしい。

ひどくお腹がすいている。

 

未だにアタマの整理が追い付いていない。

話によると…私は秋の天皇賞…ちゃんと勝ったらしい。

 

でもその実感は全くない。

というかそもそも…あの日自分が何をしていたのか、記憶が曖昧だ。

 

気が付いたら病院にいた。

両親と病院の先生にはひどく叱られた。

お母さんは『あなたまで居なくなったら…私…』と私を抱きしめながら泣いていた。

 

私が強くなれば、お母さんは喜んでくれるはずだと思ってたのに、なのにまた悲しませてしまった。

 

それからしばらくして、スピカの皆やギアちゃん、モモちゃんがお見舞いに来てくれた。

沖野さんは、私に『無事でよかった…すまなかった』と言った。

どうして沖野さんが謝るのか、私には理解できなかった。

 

そしてゴールドシップさんを始めとしたスピカのみんなが私を元気づけようと色々な催しをしてくれた。

 

メジロマックイーンさんとよく似たウマ娘の神様がやってきて、未来の私が活躍していることを予言してくれた。なんでもフランスのパリジェンヌ杯というレースで私が走っているらしい。そんな賞…あったんだっけ。

 

そしてギアちゃんとウオッカさんの即興コントとか、テイオーさんのテイオーステップ講座だとか。

 

私を励まそうといろいろしてくれた。

そのあとにも、バクシンオーさんや会長さん。オオシンハリヤーさんやジンさんの家族が来てくれて。

ベテルギウスの人たちも来てくれた。

 

うれしかった。

 

こんな自分自身を投げ出してしまって、皆を心配させた私を、皆は優しく受け止めてくれた。

 

本当にうれしかった。

 

でも。

 

…。

 

私は確かに栄光を掴んだはずだ。

何度も夢に描いた天皇賞。出走だけでなく、その勝利を私は手中に納めたはずだ。

 

そして、周りにはそんな私を祝してくれる仲間たちもいる。

幸せだ。

 

こんな情景を…喉から手が出るほどに欲したはずだった。

それは叶った。

 

これ以上ないくらいの幸せが、私の手に入った。

 

確かに夢は叶った。

でも…なぜなんだろう。

 

 

どうして?

 

 

こんなにも満たされないのだろう。

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

「失敬!」

と病室の戸がゴーッと音を立てて勢いよく開く。

 

そこから現れた小さな少女、もとい学園内最高峰の権威ある女性。秋川理事長。

その傍らには、何かを抱えているたづなの姿もあった。

 

彼女らは、座ることもせず、扇子を靡かせながらマーシャルに言う。

「暫く様子を見にこれずすまなかった。…調子はどうだ?レッドマーシャル。」

「はい…私は大丈夫です。」

「そうか、退院の日も近いと聞いておる。…天皇賞、見事な健闘だった。」

「ありがとうございます。」

「しかし…」

そういったところで秋川は言葉を切った。

 

数秒何かを考えこんだのちにもう一度口を開く。

 

「…レースをするものたちに対し、無茶をするなという文言は適切でないのかもしれん。皆が掛ける思いは強い。そのことを言ってやる方が無理なのかもしれん。…だが、自分自身は大切にしたまえ。彼の為にも。」

「はい…すみませんでした。」

「うむッ!ならば、説教はここで終わりだ!…たづな、例のものを!」

「はい!」

 

そういってたづなは大事に抱えていたその箱を、マーシャルへ。

それは厳重に固められた、厳格な空気を醸し出す。一切のシワやヨレすらも許さないその箱には。URA文言と共に『天皇賞(秋)』と記されていた。

 

「本当は退院を待つべきかとも思ったが、日が空かんうちがよかろう。」

 

そしてマーシャルはそっとその箱を開ける。

その中からは。

 

…天皇賞(秋)の盾。

 

もう今更いうことなんてない。

小さいころから、何度もこの盾を見て育ったんだもの。

 

だけど、その時と決定的に違うのは。

この盾が…自分のものということだ。

 

それを手にしたときに、彼女は言葉をなくした。

 

その盾が彼女にはあまりにも重く感じた。

 

実家にあった盾ももちろん重かった。

でも、その重さとは全く違う重さに感じた。

 

だってこの盾は…彼女と大城の命の結晶なのだから。

 

盾に触れた時に、彼女はようやく自覚した。

自分が、天皇賞の覇者となったことを。

 

彼の屍を超えて、勝利を掴んだことを。

 

ようやく自分が…ゴールを果たしたことを。

 

 

その刹那に、彼女の心に閉ざされた記憶が解錠され一気に流れ出た。

今まで彼と一歩づつ歩んできたその記憶たちが。

 

彼と初めて会った日。彼に振り回されながら、無謀ともいえるトレーニングに挑んだ日。

彼と初めて勝負に挑んだ日。初めて入着した日、失敗した日。初めて勝利した日。

彼とお出かけをした日。彼を叱った日。彼に叱られた日。初めて…重賞を掴んだ日。

そして…最期の日。

 

 

「…あれ?…あれ?」

彼女の瞳から、温かい雫がぽつりぽつりと落ちてきた。

 

「マーシャル…?」

秋川が顔を覗き込む。

 

マーシャルは顔を隠して、その雫を振り払おうと顔を擦る。

 

「や…っだ!わだ…し…ながないっで!…やぐぞくッ!したのに…!!」

マーシャルはその涙を何度も何度も拭った。

 

どんなに食いしばっても、どんなに自分を制御しようとしても涙は止まってくれなかった。

「トレーナーさん…トレーナー…さん。」

彼との優しい思い出たちが…彼女の胸をこの上なく締め付けた。

 

「う゛っ…!!う゛う゛ううぅ!!…っひ!!」

何度も何度も感情を殺そうとした。

 

そんな彼女に…秋川はマーシャルの肩に手を置いた。

 

「…泣いていい。泣くことは認めることだ。彼の喪失を。だが認めなければ君は前に進むことはできない。泣いていい。泣いて…泣いて。前に進むんだ!」

秋川もその顔に大きな涙の跡があった。

 

「う…うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

今までに溜めに溜め込んでいた、彼女の負が一気に放出された。

 

大きく口を開けて、手の付けられなくなった感情の赴くままに、泣き続けた。

 

その様子に耐えられなくなったたづなも、顔を隠して嗚咽を漏らした。

 

その病室の外で、沖野は腕を組んで壁に背を預け、飴を咥え俯きながら、マーシャルの彼に手向ける最後のレクイエムを聞き続けていた。

 

――――――――――――――――――

 

ああ…わたしってば情けない。

 

私は勝ったのに。応援してくれた人たちのためにも、笑顔を見せなきゃいけないはずなのに。

 

…ああ、せっかく綺麗な盾なのに、涙で汚れていく。

 

…トレーナーさん。ごめんなさい。

 

私も…結局約束を守れませんでした。

 

私も嘘つきの約束破りでした。

 

 

トレーナーさん

 

 

私たちの合言葉って

 

 

…なんでしたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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最終章:光の先へ
白い秋


冬の香りがツンと鼻をつつき、吐く息がまるで煙草の煙のように白く彩られる。

ようやくこのトレセン学園にも冬の知らせが届き始めているようだ。

 

この時期ともなれば、薄着自慢の娘たちだろうとようやく観念して冬用の長袖制服を着用する。

寒がりな娘はそれに上着を重ねる。

 

朝方の挨拶をする娘たちは鼻を赤くしながら、寒くなったと口々に語り、年の瀬が近いことを嘆く。

今日は一段と寒い。

 

今年初めて霜が降りたのだそう。周りの木々に生る葉や主人を待つ車たちには白い化粧が施される。

まだ暦上では秋に分類される筈なのに。

 

その白い秋に若人たちは一年の終わりを感じ取る。

 

今年も数えきれない程に色々なことがあった。

希望の一年になった娘もいれば、散々な厄年だった娘もいただろう。

 

しかし年が明ければ全てはゼロに帰す。

その新しい世界をどう生きていくかは、その娘たち次第なのだ。

 

―――――――――――――――――

 

「おーっす、マーシャル。」

「あ、おはようギアちゃん…って、またギアちゃんったらそんな薄着で。今日かなりの冷え込みなんだよ?」

「いちおー長袖だろ?ま、11月までならヘーキだよ。それに霜が降りれば暖かくなるともいうし…ってモモは?」

「しっかり着こまなきゃってまだ部屋で入念に準備してるみたい。」

「ははっ。またトレセン名物寒がりモモミルクの着込みダルマが見られるのか!」

 

と上機嫌にギアは笑い、マーシャルと共に寮を出て通学路に着く。

 

「もう、二人とも両極端なんだから。」

とマーシャルはふぅと息をつく。

 

「そういうお前だって、マフラーの一つだけだろ?」

「私はちゃんとインナー着てるもの。」

そのマーシャルの首元には、白いマフラーが巻かれていた。

 

「…そのマフラーってさ。センセにあげたものだったんだっけ。」

少し声のトーンを落としてギアが言う。

 

「うん…本当は火葬の時に一緒に天国へ持っていってもらう筈だったんだけど、何かの手違いで燃やされなかったらしくて。それで私にって。」

「自分のプレゼントが形見…かぁ。」

「ちょっとタバコの臭いがついちゃってるけど。」

 

そういってマーシャルはマフラーを巻きなおす。

 

「…なぁ。お前これからどうするんだ。まだ、新しいチームも決めてないんだろ?」

「うん…色々声は掛かってるんだけど。」

マーシャルは自分の足元を見る。重りの蹄鉄を履いていた頃と比べると、随分足が軽くなったとふと思う。

 

「なんならさ、俺んトコのチームとかどうだ?トレーナーとリーダーには話通しとくし、モモだっている。そりゃあ、リギルとかスピカにくらべちゃそんなハデなチームじゃねぇけど…。でもさ、お前ならみんなきっと歓迎してくれるよ。」

「うん…ありがとう。ギアちゃん。…でもね。私、もうちょっとだけ休みたいな…。」

「…そっか。そうだよな。…俺も無理は言わねぇよ。」

「ごめんね。」

 

マーシャルはギアから視線をずらした。

 

そこに

「二人とも…待ってぇ~」

とブクブクに着太りした影が二人の背後にのっそのっそと。

 

制服のスカートの下に赤いジャージを履き、制服の襟からは極暖のインナーが顔を覗かせ、その上から大きめのとっくりセーターを。さらにその上からベンチコートを羽織り、マフラーを二重に巻いて厚手の手袋に厚手のメンコ。肌の露出を極限まで抑えたモモミルクの姿があった。マフラーのせいで顔の半分が隠れている。

 

「…ひゃあ。こりゃ今年は一段と。」

その姿にギアは目をまん丸にする。

「す…すごいね。モモちゃん。」

マーシャルも目をパチクリと。

 

「ああ!寒いッ!もぉ、早くカイロ温まってくれないかなぁ。」

とモモは身を窄めた。

 

「もぉ、二人ともそんな薄着だと風邪ひいちゃうよ!」

そして厚着らしい厚着を施していない二人に、実家の母のように言う。

 

「お前はやりすぎだって…お前まるで、ミシュ〇ンマンみたいになってんぜ?」

ギアのその突っ込みに、マーシャルは思わずプッと噴き出す。

 

「もぉ!二人ともなんなのよぉ~!」

とモモは地団駄を踏んだ。

 

 

 

秋の天皇賞から数週間後、マーシャルは病院を退院し、トレセン学園に復帰していた。

 

両親からは一度実家へ戻ることも提案されたが、彼女はそれを受け入れず学園で過ごしていた。

今の彼女は、あの壊れた日々に比べると、随分と顔色も穏やかになり時折あの笑顔も見せられるようになっていた。

 

…だが、以前と決定的に違うことが一つだけ。

 

彼女はあの日以来、レース場に姿を見せなくなった。

あんなに大好きだったターフにも、練習場にも。

 

特に大きな故障や後遺症が残ったというわけではないならしい。

そのことに関しては医師も驚嘆していた。

あれだけの時間、長いこと酸素供給が絶たれていたというのなら、脳や末梢神経に重大なダメージが入っても何ら不思議ではない。

 

彼女の両親も、その今後については覚悟を決めていた。

 

だが彼女に大きな障害は残らなかった。それは単なる幸運という言葉で括っていいものではない。

そのことを医師は、何か彼女に大きな加護があったのだろうと感嘆していた。

 

つまり、走ろうと思えば彼女は走れる状態ではあった。

…だが頑なに、彼女は走ろうとしなかった。

 

 

 

 

 

 




トレセン正門にて。
「はい皆さんおはようございます!」
「お早うございます、たづなさん。」
「はい!トップギアさんにマーシャルさんおはようございます!…と、そちらの方は?」
「…モモミルクでーす。」


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フラッシュバック

「はい次!位置について…」

そしてピーッ!と笛の甲高い音が冬の風舞い込むターフに響き渡る。

そこを駆けてゆくウマ娘たちの熱気は、その寒気すらも阻害してしまうほど。

 

「OK!いい調子だよギア!…マイセンはもうちょっとペース配分を意識したほうが…。」

どうやら熱いのはウマ娘だけではないらしい。首に笛を提げるトレーナーもまた、ジャージのみの薄着で彼女らの指導に当たる。

 

指導者の言葉にウマ娘たちは目の色を変えて、時に頷き時に自らの意見をぶつける。

 

この瞬間というのが彼女らだけの世界というものなのだろうか。

互いの信頼関係こそが成しえる、誰も邪魔のできない空間。

 

…その世界は空間は、彼女にもあったはずだ。

 

「…」

マーシャルは一人、練習場の場外でただただその光景を眺めていた。

その目はその場の空気を羨むものでもなければ、憎むものでもない。

 

何かのヒントを得ようとしているわけでもなければ、新しいチームを探しているわけでもない。

 

ただなんとなく、徒然なるままのように、その光景を見ていた。

 

スプリント、中距離共に名誉ある勝利を手にした彼女であったはずなのだが…今となっては場内と場外を仕切る柵を超える力を失っていた。

最早ターフに立つことができなくなったウマ娘が意味するものとは何なのだろうか。

 

そして彼女は、ターフに背を向けてその場を後にした。

 

 

―――――――――――――――――

 

そしてトレセンを抜けて帰路に着こうと、校舎横を通って正門に向かおうとした時だった。

 

彼女は足を止めた。

 

(…まただ。)

 

彼女の目の前に広がる光景、それは少し朽ちた洞が堂々と構えるトレセン校舎の中庭だった。

 

…ここは、マーシャルと大城が初めて出会った場所。

行く先も、光もなくただただ泣き叫ぶことしかできなかった彼女に、彼が手を差し伸べてくれた場所。

 

マーシャルはここ最近、帰路に着こうとする度に無意識的にここを通っていた。

もっと他に近道や抜け道があるというのに、わざわざ遠回りになる道を選んで、何かに導かれるようにいつもここへ。

 

それは彼女の心の奥底に眠った心理が、無意識下の中で彼女を誘導しているのだろうか。

 

そしてその度に、彼女は自己嫌悪に陥る。

 

…もう一度ここへ来れば、ここで泣いていれば彼が駆けつけてくれるとでも思っているのだろうか。

自分は…どこまであの人に心配をかければ気が済むんだ。と。

 

大きなため息をついて、彼女は座った。

あの日、あの時と同じ場所に。

 

嗚呼…何をしているんだろうか。

もうどれだけ泣き叫んだって、落ち込んでたって大好きなあの人は帰ってきてくれないというのに。

 

「とれーなー…さん。」

冬を知らせる冷たい風が、彼女を包み込む。

 

揺れる髪をも凍らせるほどの冷気は、彼女に残った最後の小さな炎すらも消し去るほどだった。

 

『気が済んだか?』

 

ふっと彼の声がまた頭を過る。

 

…それと、同じタイミングだった。

 

「…風邪ひくぞ。そんな所で。」

マーシャルは、はっと顔を上げその声の方に顔を向けた。

 

「沖野…さん。」

そこにいたのは、大城に比べればまだ若さ際立ち、煙草ではなく飴をいつも口に咥えたチームスピカのトレーナー、沖野だった。

 

「隣、ちょっと邪魔するぞ。」

と沖野はマーシャルの横に座った。

 

「どうしたんですか?」

「どうしたって…そりゃあまぁ、お前のことがやっぱり気がかりでな。」

沖野は膝を立てる。

 

「もうあれ以来、レースに出てないんだってな。チームも未所属で…もう、走らないつもりなのか?」

マーシャルは弱く首をふった。

 

「いいえ…また走りたいとは思ってます。…ただ、今はもう少し休んでいたいだけ。…疲れちゃったんです、少し。」

「そうか…なぁ、聞いていいか?」

「はい?」

 

沖野は息を整えた後に続けた。

 

「本当にそれだけなのか?」

「え?」

「お前…本当は走ることを辞めようとしてるんじゃないのか?」

「…」

 

マーシャルは何も答えられなかった。

 

そして、膝に顔を埋めて静かにつぶやくように言った。

「…わからない。」

 

「…マーシャル。」

沖野もそこそこ歴のある中堅トレーナー。このような事態に陥ったウマ娘が考えること、おおよその見当はついていた。

その見当は外れることもあるが…嫌な見当に限ってはよく当たる。

 

「わからない…んです。走ろうと思えば…私は走れる…筈なんです、でも…でも。」

その言葉をマーシャルは何度か詰まらせる。

 

「わからなくなったんです…自分の走り方が…。スパートも…もう上手く出せないんです…。」

沖野は渋い顔をする。

 

マーシャルは体こそはなんの障害もなくトレセンに復帰できた。

だがしかし、心は壊れたままだった。

 

仲間の前であれば、気丈に振る舞うことは幾分できるが、一たび踏み込めば、数々のエラーファイルが彼女の心を埋め尽くしていた。

 

「落ち着いていけばいい…誰だってすぐには無理だ。ゆっくり、一歩づつ。」

沖野は優しくそういった。

 

「…ごめんなさい沖野さん。私はもう…走れない。」

「マーシャル…。違う、そんなことはない。お前は!」

「もう…ダメなんです!」

 

彼女の胸にまた大きな何かが蠢きだす。

 

そしてマーシャルは沖野に背を向けて、小走りで遠く光る夕日の中へ消えていった。

 

 

――――――――――――――――

 

言葉に出してようやく自覚した。

 

今の自分を。

 

もう、ターフが怖くて走れない。

 

大きく息を吸おうとするたびに、彼の面影が大きくフラッシュバックする。

それが、今の彼女の大きな抵抗になっていた。

 

「はぁ…はぁ…」

白い息を何度か吐きながら、彼女は俯き正門へ向かって歩いた。

 

コツ…コツ…コツと一人だけの足音を立てて、歩いていく。

少しだけ体が震えるのは、寒さだけのせいなのか。

 

…しっかりと前を見らずに歩いた彼女、ポヨンと顔が柔らかい何かにぶつかる。

 

「あ…ごめんなさ。」

 

そういって顔を上げた時だった。

 

彼女の目の前には…背の大きな葦毛のウマ娘が、マスクとサングラスをはめて仁王立ちで彼女の前に立ちふさがっていた。

 

「え…っと?」

どこか見覚えのあるそのウマ娘は、背後にいる数人の部下たちに言う。

 

「スカーレット!ウオッカ!テイオー!スペ!マックイーン!…やっておしまい!」

 

「あの…ゴルシさん…ですよね。」

 

そう言い終わる前に、マーシャルはボロイ麻布を被せられ、その謎の集団(チームスピカ)に拉致され、どこかへ担ぎ連れていかれた。

 

 

 

 

 

 

 




(…何故わたくしまでこんなことをやらされてますの?)
「おら!マックイーン!ちゃんと掛け声出して運べ!」


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心の枷

「お…っまえらなぁ…。」

 

沖野がスピカの部室に戻ると、そこに先ほどまで話していたウマ娘が椅子に括り付けられ、身動きができない体勢でそこにいた。

 

「この間…やり方をもっと考えろって言ったばっかだろ…」

と沖野は頭を抱える。

 

メンタル面で深い傷を負ったマーシャル。そのケアを施すためには十分な時間と綱渡りをするかのような繊細さが求められる。

なので沖野はどれだけ時間を要しようとも、慎重に彼女と接しようとカウンセラーとの相談や心理学やメンタルケアの専門書を用意し、これからのことを考えようとしたその矢先だった。

 

ただでさえフラジャイルな状態のマーシャル、そんな彼女と接していくためにはこちらもナーバスに成らざるを得ない。

 

…拉致して椅子に括り付けるなど、以ての外。

 

「ご…ゴールドシップさん?…あの、これってまさか貴女の独断ですの?」

と、沖野の見せる様子に、自らが地雷を踏んだことを察したマックイーンが訊く。

 

「お?トーゼンだろ?こういうのはスピード勝負だって相場が決まってんだよ。鮮度が高いうちにな。」

「あ…貴女というウマ娘は。」

 

そういって恐る恐るマーシャルのほうを見る。

 

椅子に括りつけられた少女は、特に抵抗することもなくされるがままといった状態だった。その瞳もうつろなままで。

 

「まぁ…そうなっちまったモンは仕方ねぇ。…悪かった。ウチの連中、ちょっと手荒だったな。」

「いえ…。」

「…さっきの話の続き、もう少しできるか?」

沖野は腹を括ってそういった。

その問いに対しマーシャルは静かに頷いた。

 

「その…なんだ。今のお前の気持ちは十分に察する。直ぐに復帰しろだなんて俺もいうつもりはない。だけど、お前には走り続けて欲しいんだ。直ぐじゃなくていい。時間はかかってもいい。だから…。」

沖野は慎重に言葉を選ぶ、少しでも踏み外せば事態は更に悪化する。

 

ゴールドシップたちが行ったこの所業を、好機に転ぜられるかは自分次第なのだと喝を入れる。

 

「どうして…?」

そう口を開いたのはマーシャルだった。

「え?」

「どうして…沖野さんがそんなに私のことを気に掛けるんですか…?私は…スピカでもなんでもないのに。」

マーシャルは沖野と目を合わせようとしなかった。

 

「俺は…大城さんに託されたんだ。マーシャルお前のことを。でも、託されたからっていう理由だけじゃない。俺もお前に夢を見てるんだ。」

「夢…?」

「正直失礼な話だけど、俺は大城さんから話を聞くまでお前のことを知らなかった。後から気になって少し調べたんだよ。お前のことを。はっきり言って最初はわからなかった。大城さんがお前を選んだ理由が。…でも、大城さんはお前の何かを絶対的に信じていた。そしてお前は…スプリンターSだけじゃない、うちのスカーレットやスペまでも破ってその冠をに手にした。」

シンと沖野だけの声が部室に響く。

 

「大城さんが最後にお前に掛けた、見た夢を俺も見たいんだ。天皇賞で終わりだなんて無いハズだ。二人が見た夢は…そこがゴールで、そこで終わり果てる夢なんかじゃ…ない筈だろ?」

 

沖野はマーシャルの目の前に椅子を置いて座り、彼女と目線を合わせた。

 

「…大城さんは、俺が初めてトレーナーになった時の直属の先輩だった。今も昔も…最期まで変わらない人だったけど、本当に…俺の兄貴みたいな人だった。俺が躓いたとき、迷ったときに何度も腕を引いて起こしてくれた。今の俺があるのも…。そんな彼が残したお前という存在。やっぱりこんなところで終わってほしくないんだ。お前がもう一度立ち上がるというのなら、俺は全身全霊でお前をサポートする!だから…ッ!」

 

自らのその言葉に思わず感情が揺れそうになる。

スピカのメンバーたちの中には、瞳を赤く充血させそれを悟られないように、顔を隠す者もいた。

 

しかし。

 

「…ありがとう、沖野さん。…でも、私。」

彼女の言葉は変わらなかった。

 

「マーシャル…。」

「私…あの人と大事な約束をしていたんです…私を、自分を守るための大切な約束を。でも私は守れなかった。絶対に守らなくちゃいけなかった約束だったのに。勝つことよりも、大切なことがあった筈なのに。…だから、私にはもう走る資格なんてないんです。」

 

マーシャルは大きく俯いた。

 

 

「…バ鹿野郎!」

 

沖野のその言葉に、マーシャルを始めとした全員がハっとした。

 

「大城さんなら…きっとそう言うんじゃないかな。マーシャル。お前は確かに危険なことをした。でもそれは、お前がどうしても大城さんの為に勝ちたかったから。そうじゃないのか?…そんなお前なら、大城さんが今のお前にどうして欲しいのか、これからのお前に何を望むのか…わかるんじゃないのか?」

それは沖野の賭けの言葉だった。

 

大城がマーシャルにかける想い。そして今の彼女に何を望むのか。

 

「私…は。私は…。」

彼女の声が震える。

 

彼女にとって走るということは…彼との思い出に向き合うこと。

心を抉られるほどの悲しい記憶たちと対峙すること。

 

彼女はそのことに怯え、立ち向かうことができなかった。

 

その記憶たちと向き合えば、また自分が傷を負うことになるかもしれない。

その恐怖こそが心の枷の正体だった。

 

 

またシンとスピカの部室に似つかわしくない静寂が訪れる。

時計の針の音だけがチクタクと耳障りな程に鳴っていた。

 

「…おい、チビ助。お前はそれで満足できんのか?」

そう斬ったのはゴールドシップだった。

 

「お前が走ることをやめるのも、お前の自由だ。でもそれでお前自身は満足できんのか?小島はお前に言ったんじゃねぇのか…後悔のない生き方をしろって。…テイオーだってそうだった。一度本気で引退を考えたアイツだったけど、本当はやり残した後悔が山のようにあった。だからあいつは戻ってきた。自分自身の為に。…アタシはお前のコトに惚れてんだよ。どんなドン底に居ようとも、必死に光を目指して這い上がっていくお前を。アタシだけじゃねぇ、ここにいる全員がそうだ。…小島だって、そんなお前に惚れたんじゃねぇのか?…今のお前は、自分から光に背を向けている。そういう風にしか見えねぇよ。」

 

ゴールドシップは彼女の前に立ちふさがる。

 

「そんなお前は、お前じゃねぇ。…小島が命張って育てたお前は、レッドマーシャルは、そこで終わるヤツだったのか?」

 

ゴールドシップの視線は固い鉄のように、まっすぐマーシャルへ向けられていた。

 

「トレーナー…さん。」

彼女の中の何かが、また大きく揺れ動く。

 

そしてゴールドシップはその場にいる全員に言った。

 

「お前ら、今から全員着替えてターフに出ろ!チビ助…お前もだ。」

「…え?」

「え?じゃねぇ。仮にお前がよかったとしても、アタシは納得しねぇんだよ。ここでお前が終わることを。…なぁ、いいよな?トレーナー。」

ゴールドシップの視線は沖野へ。

 

沖野は…黙って頷いた。

 

 

 

 



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合言葉

 

「…はぁ。ったくよぉ!いくらカラダ作っても、気持ちが乗らねぇなら意味ねぇんだよ!」
「でも…でも…」
「じゃあコレだ。」

「え…えっと?」
「えっとじゃねぇだろ?#%"&&"!だよ、迷ったら"%#$%"$に行け。」
「ろ…&%#$%&"?」

「気持ちが折れそうになった時、いつも俺を助けてくれたのは&#%$&#%"だ。迷ったらこう叫ぶんだよ『#'!!"??#&$'"#&$'"』ってな。」


「ねぇ、ゴルシ…本当に大丈夫なの?」

と、体操着に着替えターフにてシューズのセットをするテイオーが神妙そうな面持ちでゴールドシップに尋ねる。

 

「ああ…アイツならきっとまた起き上がってこれるハズだ。…あの小島が信じたヤツだぞ。」

「でも、もし…上手くいかなかったら?」

「アタシがこのクビを差し出してやるさ。…きたぞ。」

 

クイっとゴールドシップが顎でその方角を指す。

 

「…」

そこに彼女はいた。学園内の地下バ道から練習場のターフへの境目。

マーシャルはその一歩手前で佇んでいた。

 

天皇賞以来、一度も踏んでいなかったターフ。

その緑に茂る絨毯に足を踏み入れることに、彼女は躊躇いを感じていた。

 

この芝を見るだけで、また彼女の何かがフラッシュバックするようだった。

あんなに慣れ親しんだ場所だったのに。…だからこそなのかもしれない。

 

「マーシャルちゃん…。」

そこにスペシャルウイークの姿が。硬い表情で芝を見つめるマーシャルに対しそっと手を差し伸べた。

 

「スぺちゃん…。」

そういうとマーシャルはスペの手をそっと握って、エスコートされるようにゆっくりと足を上げ、そして芝を踏んだ。

芝は意外にも柔らかく感じた。あの日以来芝を踏まなかった彼女、自分の記憶とギャップが出来るほどに期間が空いてしまったのだろうか。

 

そのまま彼女はトンと背中を押されるように、残された足も芝につく。

その瞬間少しバランスを崩して前のめりになりそうになるが、スペがそれを受け止めた。

 

「大丈夫?」

マーシャルはスぺの胸で肩を動かすほどの大きい呼吸を何度か。

「うん…大丈夫。」

そういった後にマーシャルはスぺの補助を解いて一人でターフへ立ち上がった。

 

練習場の芝はこんなに広かったのだろうか。

練習場を見渡す彼女が最初に思ったのがそれだった。…いやというほどに走りこんだ場所だというのに。

 

「どうだ?マーシャル。」

そこに沖野が、彼女に声をかける。

 

「大丈夫そうか?…どうしてもというのなら、無理はしなくていい。」

沖野の顔にも緊張が走る。

 

「大丈夫…です。」

マーシャルは首を横に振った。

 

そしてゴールドシップの待つスタートラインへ歩き、マーシャルはゴルシの前に立った。

 

それを見たゴルシは黙って頷く。

 

「柔軟体操は?」

「一応…。」

「OK、距離は1200m一本勝負。チビ、お前の独壇場だ。最後に訊く…走れるか?」

「ゴルシさん…私は走っていいんですか…?」

マーシャルのその瞳は迷いに満ちていた。

「その答えは自分で見つけろ。それがスピカの掟だ。…全員位置につけ。」

 

そういってスピカとマーシャルが横一列でスタートラインへ着く。

 

 

「いいか…おまえら?」

沖野のその言葉に全員が頷く。

 

「3…2…1…GO!」

 

その合図と共に、8人のウマ娘たちが一斉に駆け出した。

 

――――――――――――――――

 

…。一度走りだしてしまえば、ある程度は体が覚えててくれている。

手続き記憶…とでも言うんだったんだろうか。

 

だけどある程度までだ、大事なことは自分で処理しないといけない。

 

例えば、勝負に持っていくまでに、どこでどう構えるべきか。

 

どこのポジションを押さえればその後が有利に働くのか。

 

…勝負に入ってからは、どうするべきなのか。

 

今の彼女にはその大事な部分が欠落していた。

 

確かに走ることはできている。

八人のウマ娘、前方にサイレンススズカ、中団位置にスペシャルウイークとウオッカ、テイオーにスカーレット、その少し後ろにゴールドシップとメジロマックイーン。マーシャルはそれよりも後ろにいる。

 

マーシャルは大きく掛かり、乱れていた。

今までできていた整った呼吸が今もできているのかすらも怪しい。

 

(…やっぱり…私)

これじゃあまるで、あの時の、初等部生にすら負かされていた、チームでも最弱扱いされていたあの頃と同じだ。

 

しかし、一歩一歩踏み出すたびに、彼と歩んできた思い出が、壊れたビデオテープのように一瞬一瞬、ブツブツと切れたりノイズを引き連れながら、断片的に彼女の脳内へ映し出される。

 

それが抵抗となって、それ以上を彼女は踏み出せないでいた。

 

(そんな…こんなんじゃ…ダメ…なのに)

スピカたちの背中が遠のいていく。

 

先頭を逃げるスズカなんて、もう輪郭がぼやけてくるほど。

 

…あれだけ、付きっ切りで彼に教えてもらった走りが全くできない。

それどころか、どんどん息が上がってくる。

 

(やっぱりもう…ダメなんだ…私。)

情けないよ…彼がいなくったって一人で歩いて行けるって言ったじゃない。

 

わかってるよ。彼を安心させなきゃいけないのに。それなのに。

 

お母さんからもらった不屈の心はどこへ行ったの?あなたのレッドのその名は飾りなの?

 

そんなこと言ったって…だって私にはもう走る価値なんて、ないもの。

大事な人からもらった戦い方を…亡くしてしまったんだもの。

 

本当に亡くしたの?

試してもないくせに。

 

何を…?

 

本当は自分が傷つくのを怖がってるだけ。もうこれ以上見たくないものを見ないようにしているだけ。

 

それは…いけないことなの?

 

ううん、何も悪くない。

でもね…本当にあなたが見たい景色はね。

 

 

見たくないものの中にあったりするんだよ。

 

 

…わかってるよ。そんなことくらい。

 

 

なら話が早いね。じゃあ見ておいでよ。

 

簡単に言ってくれる。

 

簡単だよ。一歩踏み出してみればいい。

 

…怖いよ。

 

大丈夫だよ。あなた(わたし)だもの。何も怖くない。

 

さぁ、もう一度目を開いて。

深く息を吸って。

 

あなた(わたし)ならできるよ。彼と過ごした日々は…偽りじゃないんだもの。

 

 

――――――――――――――――――

 

距離も残すところ…数百m。だが依然マーシャルは勝負を仕掛けてこない。

 

(マーシャルッ!)

沖野は祈った、それが彼に残された唯一の手札だから。

 

本当に彼女の7秒は消えてしまったのか。

 

そう思った瞬間だった。

「!!?」

 

沖野は目を見開いて、慌てて振り返った。

でも、そこには誰もいなかった。

 

しかし…今確かに感じた。

 

 

居た。

 

 

もう居ないハズの…気配が。

 

 

それと同時に少しだけ暖かい突風が吹いた。

 

 

――――――――――――――――――

 

マーシャルはもう一度だけ、前を向いた。

彼女が7秒の武器を手に入れる前から持っていた、たった一つの悪あがき。

 

それが、前を向いてみることだった。

 

しかしそれで事態が好転した試しなんてほとんどなかったが、やらないよりかは…マシかもしれない。

 

(…)

マーシャルは大きく息を吸ってみる。

 

足に力を入れてみる。

 

-$#&"-

 

やはりできない…もう一度

 

 

-7%#%"~~-

 

(やっぱり…だめだ…)

スパートに入った瞬間の血が沸騰するような、脳がハイになるような、体が浮くようなあの感覚が呼び戻せない。

 

でも、見えた。

 

自分が恐れているラインが。

 

ここを超えてしまえば、その後どうなるかわからないというゾーンへ踏み込むための、境目が。

 

その先に待っているのは天国かもしれないし、恐れていた地獄かもしれない。

 

(…怖い。)

また彼女の心にブレーキがかかる。

 

 

『お前にはここで立ち止まってほしくはない。俺は…お前の行く末を見たいんだ。』

また、彼の言葉がフラッシュバックする。

 

(ごめんなさい…トレーナーさん、やっぱり私にはもう)

 

 

走る価値も

 

 

資格も

 

 

ありませんでした。

 

 

マーシャルの足が少しづつ、緩み始めた。

 

その時だった。

「!!!」

 

彼女に何かが纏った。

目には見えない何かが。

 

だけどその見えない何かからは、確かに香った。

 

タバコと香水の入り混じった…どうも懐かしい香り。

 

この秋の終わりを示す冷たい風と、芝の香りが立ち込める練習場に、そんな香りを誘発させることなど不可能だ。

 

だから本当にそれは気のせいなのかもしれない。

でも、確かに感じる。

 

マーシャルは気が付いた。

 

(…いるんだ。)

 

目には見えないけど。

 

 

(すぐそこに…来てるんだ…。トレーナーさん。)

 

 

信じられないけど、姿なんて見えないけど。

 

 

確かにそこに彼はいるんだ。

 

 

 

 

トレーナーさん。

 

 

ああ…ごめんなさい。

 

 

またあなたに心配かけてしまった。

 

『お前がそんなんだと…俺が安心できねぇよ。』

 

そうですよね。

 

でも、私にはもう。

 

『気持ちで負けんな。いつもそう言ってる。』

 

…だけど。

 

『なんだ。また尻を叩かれねぇとダメか?』

 

そうかもしれません。

 

『じゃあこれだ。』

 

これ?

 

『はぁ!?お前知らねぇのか!?ツェッペリンにパープル、クイーンにKISS、ユーライア・ヒープにバッドカンパニー!あの…!!』

 

あの…。

 

あの…。

 

あの…。

 

 

ああ…そうか。

 

 

そうでした。

 

 

それは、私たちが幾度なく口にしてきた合言葉。

忘れるはずなんて…ない。

 

 

 

 

 

 

思い出せた?

 

うん。

 

まだ怖い?

 

…なんでだろう。そうでもないかも。

 

あなたは誰?

 

レッドマーシャル。不屈の赤を持つウマ娘。

 

合言葉は?

 

Let's Rock

 

…合格。いってらっしゃい。

 

 

―――――――――――――――――

 

『気持ちが折れそうになった時、いつも俺を助けてくれたのはロックだ。迷ったらこう叫ぶんだよ。』

 

大丈夫、もう…忘れない。

 

『「Let's Rock!」』

 

 

そうマーシャルは口に出した。誰にも届かない声で。

だが確かにその瞬間から、彼女の心がすぅっと軽くなっていく。

 

私ってば贅沢だ。だけど罰当たりだ。

こんなに誰かに愛されて生きているというのに、それに気が付かなかった。目を背けた。

 

マーシャルの視界に、はっきりとスピカたちが映し出される。

 

自暴自棄になって…でも、それじゃあいけないよね。

こんな私を本気で心配してくれて、本気で叱ってくれて、本気で愛してくれる人たちが、こんなにも近くにいてくれたのに。

 

…でももう、大丈夫。

心配はいらないよ。

 

私は今度こそ、一人で立ち上がれる。

 

お父さん、お母さん。

 

ギアちゃん、モモちゃん。

 

会長さん。

 

沖野さん。

 

ゴールドシップさん。テイオーさん。マックイーンさん。スズカさん。ウオッカさん。スカーレットさん。スぺちゃん。

 

そして…トレーナーさん。

 

みんな

 

 

本当に

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

-7.000-

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

「「「「「「「!!」」」」」」」

 

ターフを駆ける7人が確かに感じた。

 

この寒い冷気を焼き尽くすほどの炎が、自分たちの後ろで急に灯ったことを。

 

-6.598-

吸った息を全身に巡らせる。

 

血が沸騰する。

 

心臓が高鳴りを覚える。

 

視界は前方を中心に狭くなる。

 

耳は聞こえにくくなる。

 

そして、弾かれた弾丸のように前にかっ飛んでいく。

 

前方にはゴールドシップとマックイーン。

どうやらイン側を譲ってくれる気はないらしい。

 

だったら、外側に回ればいい。

 

もつれないよ。それが私の7秒だから。

 

-6.250-

 

「な!?大外から!?」

「来やがったな!チビ助!」

 

その影を二人はすぐに察する。

 

「このアタシに大外から仕掛けてくるたぁ!いい度胸だ!マックイーン!ヘバってんじゃねぇ!行くぞ!」

「そんなこと仰ったって!」

 

二人がそんな掛け合いをしている一瞬の間に。

 

その大きい影はスピカのステイヤー組をまとめてオーバーテイク。

 

「なんて瞬発力!初めてお会いしたあの日と…比べ物になりませんわ。」

「…どこがチビなんだよ、んなデッケェ覇気構えやがってよぉ!!」

 

そんな彼女らの声も置き去りにして、マーシャルは前へ前へ。

 

-4.598-

 

(…くぅ、やっぱスプリントじゃ全力出し切れねぇ…)

ウオッカがそう心でボヤいたとき。

 

「ちょっと!ウオッカ!!」

とスカーレットの声が彼女の耳に。

 

「あ?なん…」

そう言いかけた時に、コトは終わっていた。

 

「…だよ。」

ウオッカの目前に赤い闘気(ドレス)を纏ったマーシャルの姿があった。

 

「マーシャルセンパイ…そりゃあヤバすぎんだろ。」

 

ウオッカは目を丸くする。

 

-3.123-

 

そして…赤い炎は、スペシャルウイークの背後へ。

(マーシャルちゃん…!)

 

彼女の背後で赤く燃える情熱。

 

あの時のおどろおどろしい、ドロドロした覇気などではなかった。

 

不純物のない、鮮明な赤色。

そう、彼女の色だ。

 

(それでこそ…マーシャルちゃんだよ!)

スペは慣れないスプリントでも、少し粘ってみた。

 

でも、水を得た魚状態のマーシャルをとてもカバーなどできなかった。

 

 

-1.988-

 

そして狙うは、得意の大逃げサイレンススズカ。

 

1200といえど、その逃げスタイルは伊達じゃない。

 

しかし今回は、どうもそう簡単に逃がしてくれそうにはないようだ。

 

(あの距離から、たった7秒で追い上げてくるなんて。)

どこまで末恐ろしい存在なのだ。とスズカは驚嘆する。

 

(迷いが…消えてる。すごくはっきりしてる)

スズカはマーシャルにそう感じた。

 

まるで霧が晴れたかのような、そんな気概を。

 

(でもまだちゃんと…毒はあるようね。)

 

そして…マーシャルは憧れの背中すらも

 

 

その足で貫いた。

 

 

「…大城さん。やっぱアンタすげぇよ…マーシャルっていう存在は…本当にとんでもない…。」

マーシャルが感じた大城の香り…それは沖野も感じ取っていた。

 

「俺も…まだまだ…ですよね。」

そう顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、そういった。

 

 

 

レッドマーシャル

 

トレセン学園

 

芝1200

 

チームスピカをフルオーバーテイク。

 

 

そうして、マーシャルはゴールラインを迎えた。

 

その瞬間、さっきまで感じていた香りが、天に吸い込まれていくように消えていった。

 

 

マーシャルは空を見上げる。

 

 

そして。

 

 

ロックサインを天高らかに突き上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

















縺倥c縺ゅリ縲ょソ倥l繧九↑繝ィ


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先輩として

トレセン学園の駐車場。

そこには多くの教官やトレーナーたちが在籍する故に多くの車が停められている。

 

その車たちは様々だ。

自分の用途に合った合理性を形にした車もあれば、趣味全開といった車もあり、よく見る国産車からあまり見ない外車まで。彼らはそこで主人の帰りを待ち続けている。

あるところには、よく目立つ赤いスーパーカーもある。それはこの学園の生徒の所有物だという噂なのだが一体誰のだろうか。

 

そして、その駐車場の奥の一角。

日照時間中はちょうど木の陰になるような場所に停められてある白い車が。

その車の持ち主は、車のルーフが日に焼けることを嫌いわざわざ奥まったこの場所に好んで停めていたんだそう。

 

ただ、今は枯れ葉舞い散る季節。その車には水気をなくし老いた葉たちが、その車をベッドにするかのように。

 

本来なら、その厚かましい枯れ葉たちを取り除いてくれる主人がいずれは来てくれるはずだ。

だが、その車に積もった枯れ葉はいつまで経っても取り除かれなかった。

 

折角見た目の立派な高級車だというのに。その枯れ葉たちのせいで随分とみすぼらしく見える。

それでも、その車は不満の一つも漏らさずに

 

二度と戻ることのない主人をひたすら待ち続けていた。

 

そんな取り残された車の前に一人の男が佇む。

その男は、車の持ち主とは違いいつも律儀にネクタイを締め、乱さぬ言葉遣いと表情をいつも身に纏う、そんな男だった。

 

男は彼が残していった車の盾型のエンブレムにそっと触れる。

そしてそれに背を向けて、とある場所へと向かった。

 

―――――――――――――――――

 

コツコツコツと自分だけの足音が廊下に響き渡る。

合理性を好むその男のトレーナー室は、昇降口からでもかなりアクセスのいい位置にある。しかし今その男が向かう先は、お世辞にもアクセスのいいところとは言えない場所。

 

トレーナー室が並ぶ廊下の突き当り。すでに主のいなくなったその部屋に向かっていた。

 

ガラガラと少し建付けの悪くなった戸を開ける。

…そこには既に先客がいたようだ。

 

「沖野君…?」

「ん?ああ…宮崎か。」

 

対面ソファの下座に座る沖野は足を組み、何かに浸るように誰もいない上座を見つめていた。

 

「…私が一番乗りだと思ったんですがね。」

「はっ、お前には譲れねぇよ。」

そういって下座の空いている隅に宮崎もかけた。

 

「マーシャルさん、スピカに入部されたんだそうですね。如何です、彼女。」

「如何もどうかもあったもんか。またバケモンが一人増えちまったよ。」

クスっと沖野は笑った。

 

「お前んとこの問題児たちはどうした?」

「ええ…一歩づつですが、堅実に踏み出しています。…無論まだ謹慎が解ける見込みはありませんが。」

「大丈夫そうなのか。」

「…彼女らは自分の犯した罪に真っ直ぐに向き合っています。当然弊害も0ではありませんが、きっともう一度やり直せる。競争ウマ娘として再起は不能かもしれませんが、一人の生きる少女としては…。」

「そっか…ならいい。」

 

宮崎は沖野に菓子を差し出す。

「飴ばかり食べてないで、こういうのもいかがです?」

「…これ、大城さんが前に生徒に配ってたヤツだろ。なんでも生徒からの評判がいい菓子だとか言って。」

「ええ…私も好きなんです。」

そういうと宮崎はそれを口に運ぶ。沖野も飴を外し同じように。

 

「そういえば駐車場のポルシェ、手つかずのままのようでしたが…沖野君、キーは貴方が受け取ったのでは?」

「ああ…そうなんだけどサ…やっぱどうも荷が重いっつーか、俺の身の丈にあってねぇ。」

「売ってもいいと仰ってたのでは?」

「それもなぁ…お前は?宮崎。」

そういって沖野はそのキーレスを宮崎に見せる。

 

「…結構。私は今の車(アルテッツァ)で十分ですよ。」

「あっそ…。」

そういって再びキーレスをしまう。

 

「…この部屋もようやく撤去ですか。寂しくなりますね。次は決まっているんですか?」

「ああ…新人のトレーナーが入るんだとさ。」

「新人君ですか…その子は幸運だ。…名乗りがなければ私が頂きたかった程なのに。」

「合理主義者のお前がか?」

「ええ…非合理性の中に合理性を見出した方が使ってた部屋です。十分に価値がある。」

「非合理性の中に合理性をねじ込んだって言ったほうがあの人らしいんじゃねぇか?」

「…それもそうかも」

 

と二人は笑う。

 

「…未だに実感がわきませんね。そう簡単にいなくなる人だとは思ってませんでしたが。…彼からはもっと教わらなければならないことが…沢山あったというのに。」

「んなコトいってっと、またバカ野郎って言われちまうぞ。…ま、俺も本音はそうなんだけど。」

そう二人が顔を下げたとき。

 

再びその部屋の戸が開き、同僚のトレーナーや教官らがぞろぞろ

 

…お疲れっす!

あれ?二人だけ?

これからまだ来るんだって。

どれから手ぇつけんの?

終わったら大城さんへの弔いの飲み会ってマジ?

お前が飲みてぇだけだろ?

 

「お疲れ様です。沖野さん、宮崎さん。」

「ああ南坂君。お疲れ様です。」

「南坂ぁ…おハナさんは?」

そうきょろきょろ沖野はあたりを見渡す。

 

「少し遅れてこられるそうですよ。ゲストを連れてくるんだとか。」

そういったとき。

 

「ごめんなさい。ちょっと遅れちゃった。…ってまだ始まってないようね。」

「ああ!おハナさん!」

「スペシャルゲストよ!さ、こちらへ。」

と招かれて出てきたのは。

 

「みんなご無沙汰。…元気してた?」

「あ!…椿さん!」

と部屋がザワザワ…

 

「聞いたわよ沖野君、あなたのチーム、すごく張り切ってるんですって?」

「ええ…まぁ」

そう後ろ髪をなでるしぐさを。

 

「流石…彼の直属ってトコロかしら…東条さん、油断したらダメよ。例えトレーナーを引退した身だとしても、あの男に後れを取ることは、私のプライドが許さないんだから!」

「ええ…わかってますよ。椿先輩。これからもトップを担い続けるのは、アルタイルの意思を受け継いだリギルなんですもの!」

 

と二人の闘志がまるでレース直前のように滾る。

 

「…つまりどういうこと?」

と北原が南坂にそっと耳打ち。

 

「ああ…北原さんはご存じないかもしれませんね。椿香織さん、元々トレセンのトレーナーでアルタイルという当時学内最強を誇っていたチームの担い手だった方です。そして東条さんはその椿さんの直属の後輩にあたる方でして。」

「ああ…なんとなく読めた。てことは沖野さんが大城さんの直属の後輩だって言ってたから…インネンの関係ってヤツだ。」

「大城さんが過去に率いたアルキオネというチームも、アルタイルと1.2を争う強豪だったと聞いています。それが今は、スピカとリギル。」

「わかりやすくてイイ。」

 

と賑わう大城のトレーナー室。

誰かが制止しなければ、ただの宴会と化してしまう。

 

「はーい!おしゃべりはそこまでにして、さっさとやっちゃいましょう!」

そうパンパンと手を叩いたのは三鷹だった。

 

――――――――――――――――――

 

「オイオイオイオイ!フツーこんなんトレーナー室に置いとくかぁ!?」

と彼の遺品整理が始まったトレーナー室が再びざわめきだす。

 

棚から引き出しからでるわでるわ、いかがわしい雑誌に趣味の雑誌。いつ使うのかわからない小物たち。綺麗に並べられた車や飛行機の模型。なぜかある調味料。彼のコレクションのシルバー・ゴールドアクセサリー。そして隠しておいた大量の煙草。

 

…一丁のモデルガン。

 

「…これ、ホンモンなわけねぇよな?」

「本物だったとしても、大城さんが持ってたってんなら驚かない自分がいる…。」

「なんかわかる…。」

しかしそれはちゃんとニセモノだった。

 

「まったく!ホントにガサツな男なんだから!」

女性陣は引き出しに雑に仕舞われた書類に憤る。

大事な書類だろうとファイリングもせずに裸のまま、引き出しに入れるものだからそれらの紙はシワシワのよれよれ。

 

「ほんとですねぇ。あれ?これ…。」

桐生院がとある手紙を見つける。それには大城先生へと書かれてあり、封のシールにはハート。

そろりと中を開ける。

 

『大城先生へ、どうしても抑えきれない自分の気持ちを手紙にします…。私、先生のことが…』

 

「すき…です?まさか、ら…ラブレター!?」

「お、懐かしいモン出てきたな!」

男性陣が割り込んでくる。

 

「大城さん、昔生徒からガチ告白されたことあったからなぁ。」

「ほ…ホントですか!?」

桐生院は顔を赤らめてそういう。

 

「ナニソレ、私聞いてないわよ。」

と椿は腕を組む。

「いやぁ、そんときゃ流石の大城さんも参ってたみたいで。『いいか?女ってのは最初の恋愛でその後の価値観が決まってくるんだ。相手はいくらガキでも女だ…ぞんざいに扱うワケにはいかねぇ。』っていつになく真剣だったなぁ。」

「そのあとってどうなったんだっけ。」

「時間かけて丁寧にフったそうだよ…流石そういうのは手慣れてんだから。」

 

そんなこんなでその奥からもう一枚何かが出てくる。

 

「これは…ああ懐かしい。ほら桐生院さんたちの新歓の時の。」

それは集合写真。大城が写真の隅で南坂に絡みついている。

 

「大城さん、この時珍しく酔ってたよね。皆が呆れるくらいに。」

「ソーソー、それで唯一南坂が介抱しててさ、そん時お前なんて言われたんだっけ。」

「えっと…確か…『南ぃ…ヤサシーのはお前だけだよぉ、お前俺の新しい女房になんねーかぁ?』って。」

 

そうしてまた部屋が笑い声に包まれる。

 

彼の部屋から出てくるもの一つ一つが、まるで彼と対話をしているかのようだった。

 

「なんだかんだ、物持ちはいいのね…ん?これ…って。」

「どうしたの?」

三鷹の拾い上げた紙に東条が視線をやる。

 

「これ…。」

二人は言葉をなくす。

 

「ほーらお二人さん!さぼってちゃ!」

「沖野君!ちょっと!」

「何?今俺も手ぇ空いてないってのに…」

そういって沖野は彼女らのもとへ…そしてその紙に目を落とす。

 

「…これ。」

「そういうコト…よね?」

 

沖野はその紙を手にしたまま、振り返る。

 

「…宮崎!」

沖野の張ったその声に、急にその場がシンとする。

 

「…私ですか?」

「おまえ…これ。」

そういって沖野は宮崎にその紙を差し出す。

 

その紙には大きく書かれていた。

 

『嘆願書』と。

 

 

『嘆願書。

URA諮問委員長殿。

嘆願者:大城白秋。

 

嘆願趣旨

日本ウマ娘トレーニングセンター学園(以下トレセン)指導者、宮崎宗一朗の今後の処遇について。

上に記す者、現在の指導力や功績を考慮し、また個別に行った面談等を介した結果、彼の再建には大きな見立てがあることと判断。今騒動における責任の追及への処罰として、指導者資格の剥奪及びトレセン学園の解雇を判断することは尚早であると主張し、宮崎宗一朗の続投を強く要望するものとする。』

 

 

「これ…は…。」

その書類は宮崎は大きく目を見開く。

 

「嘆願書の写しだ…大城さんだったんだよ。お前の続投を願うために、URAへ嘆願書を宛てたのは。」

「そんな…。」

 

――――――――――――――――――

 

「もう二度とあなたと会う機会はないと思っていたというのに。大城白秋。」

「俺もですヨ、諮問委員長。」

URAの中でも最高機関、虫の息すらも戒められるほどの緊迫した空間に大城はいた。

むろんいつもの調子は崩さないで。

 

「それで、何この書類は?」

「ああ『たんがんしょ』って読むんですヨ。初めて見たワケじゃないでしょう?」

「私にそんな冗談が通用すると?」

その委員長の視線に大城は耐えられなくなり、そっぽをむいて頭をかく。

 

「まったく…わからないわね。あなたは自分の担当が何をされたか理解しているのかしら?捉え方次第じゃ、これは大きな裏切り行為よ。」

「また捉え方次第じゃ、俺は慈悲の女神ナイチンゲールでしょう。」

「…真面目な話ができないのなら帰りなさい。」

「いいや、俺は大真面目ですよ。」

 

クスっと笑って再び委員長の前に立つ。

 

「確かに、俺が勝手な理由をつけてそんな舐めた書類を出せば、担当への大きな裏切りだ。ですが…俺じゃないんですヨ。あいつの、いや、あいつらの再起を願うバカがどうも近くにいたんです。だから俺は一緒にバカになってその手伝いをしたまでですよ。」

「それがあなたの担当だって言いたいわけ?…あなた自身はどう思ってるの?」

「俺は…そうですね。…宮崎宗一朗、キザでスカした野郎でお高く留まってるいけすかねぇ奴ではあります…ケド、やっぱりなんだかんだ言って俺のカワイイ後輩なんですよ。」

「後輩ならなんでも許すとでも?」

「俺はあいつの先輩です。…先輩として、後輩が間違ったときに、大事なことをしっかり教えて、もう一度手を差し伸べてやる。それが先輩としての務めだって、俺にナマイキ叩いた奴がいましてね。」

「そんな生意気をたたく娘に、絆されたってわけね。」

「否定はしません。」

 

そこに一瞬の静寂が流れる。

 

「これだけの全国騒然とさせる出来事、当然URAとしても無視できない事案よ。その発端の責任者を処分もせずに手元に置いておけだなんて、どれだけリスクのある要求をしているのか、自覚はあるのかしら?」

「デカイリスクにはハイリターンがつきものです。」

「彼がハイリターンを生み出すと?」

「ええ…俺はそう信じてる。」

 

諮問委員長は立ち上がる。

 

「信じるのは勝手よ。でも、世の中はすべて100%の確率では回らない。彼に再建の見立てがないと、大勢の主張があった場合あなたはどう責任をとるの?」

「俺のクビを差し出しますヨ。それでどうです?」

大城は間髪入れずに委員長へそう返した。

 

そのあまりの迷いのなさに、一瞬委員長は口を閉じた。

 

「どこまでも勝手な男。そうやすやすとクビを差し出すだなんて、万が一のことがあればあなたの担当は置き去りになるのよ。」

「そうはなりませんヨ。だから心配はない。」

「何を根拠に。」

「だから言ってるでしょう。俺はあいつを信じてる。あいつには信じる価値がある。…それだけです。」

 

トンと委員長は再び椅子に掛けた。

 

「あなた…先も長くない体なんでしょう?」

「よくご存じで。」

「どうしてそこまでできるの。あなたの長くない人生を台無しにするかもしれなかった彼らを。」

「俺はトレセン学園の退職を踏みとどまりました。それはやり残したことがあったからです。やり残したもんってのは…担当を勝たせたいってだけじゃあないんですよ。宮崎という存在は、そのやり残したことの一つだったってワケです。」

 

大城は足を開き、両ひざに手をついて、委員長に頭を下げた。

 

「こんな先の長くないオヤジの我儘、最後に聞き入れてもらえませんか。…頼みます。」

「…だからあなたは嫌いなのよ、白秋。」

 

――――――――――――――――――――――

 

ポツ…ポツ…と嘆願書の写しに雨が降る。

宮崎という雲から。

 

「どう…して?」

「宮崎…。」

 

その写しに皺が寄るほどに、宮崎はその書類を強く握った。

 

「なんで…どうしてぇ?」

そのまま宮崎は膝をつく。

 

「どうして…どおして!!」

その雨は、豪雨に変わる。

 

「私は…私はあなたに、恨まれなければならないはずなんだ!…なのになんで…」

 

 

 

あなたはそんなにも…優しいんだ。

 

 

 

 

「大城さん…そりゃあ、カッコよすぎじゃないですか…?」

沖野は最後に残った大城の写真に向かってそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 



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マーシャルの悪戯

「っしゃーい!らっしゃーい!!ゴルシっちゃんの特製焼きそばァ!!三つお買い上げの方にはもう一個オマケでプレゼント!!」

 

晴れ晴れとした中山競技場にメガホンもなしに響き渡る、商売根性のみなぎる声。

 

「い…いらっしゃいませぇ~」

「オイ!チビ助!声が小せぇぞ!もっとハラから声出せよ!」

「そんなぁ…今日はスペちゃんの応援にきたんじゃ…。」

「…っまえなぁ!焼きそばを制すものは、有馬記念を制すんだよ!んなこと原付の講習で習っただろ!?」

「そんなこと言ったってぇ…。」

 

とそこにお客からお呼びがかかる。

 

「マーシャルちゃん!こっちにも焼きそばもらえる?」

「あ、はい!すぐ伺います!」

やはり生真面目な彼女、渋々とは言っても仕事に入ると全力を出してしまうタイプ。

 

「ありがとう!じゃあ二つ分の代金ね。」

「ちょうどですね!ありがとうございま…。」

 

その瞬間、マーシャルはその男性客の顔をまじまじと。

 

「ん?どうかしたの?」

「あの、確か…田原さんですよね?」

男性客は思わずぎくり。

 

「え!?…俺のこと知ってるの!?」

「だって…ずっと私のレース見に来てくれてたじゃないですか。名前まで名乗って、私のファンだって言ってくれて…。」

「あ…あ…」

顔をヤカンのように火照らせた青年は言葉を急に詰まらせる。

 

「これからも、私頑張っていきますから、応援お願いします!」

マーシャルは青年の手をぎゅっと握って笑顔を見せた。

「おーい!チビ助!サボってんじゃねぇ!次のエリアに行くぞ!!」

「あ、はーい!…ごめんなさい!じゃあまた!」

 

そういってマーシャルはゴールドシップの待つ場所へと戻っていった。

青年はその駆けていく背中を恍惚と見入っていた。

 

「マーシャルちゃんが…俺のこと…。」

「よかったなぁお前、今年の最後に運使い果たせて。…焼きそばいらねぇんならもらうぞ。」

「たっ…食べるよ!」

 

―――――――――――――――――

 

『さぁ今年を締めくくる大一番、有馬記念。やはり人気は熱いスペシャルウイーク!漲る闘志を見せてくれます!』

 

スピカたちはゲートに一番近い観客席につく。

「スペちゃん!頑張って!!」

マーシャルが両手でメガホンをつくり、スぺへ健闘の祈りを手向ける。

 

スぺもそれに応えるように、大手を振る。

 

「よぉし!いっちょやるかお前ら!」

そういうとゴールドシップが妙な構えに入る。

 

「よぉし…スペェ…勝てェ…勝てぇ…」

「え…な、なにしてるんですか?」

ゴルシだけでない…スピカのメンツたちは一人残らず奇妙な念をスペに送り続ける。

 

「あはは!マーシャルは初めてなんだっけ?これやると勝率が1.6倍になる(ゴルシ調べ)んだって!だから…かてぇ…。」

とテイオーが念を唱えながらいう。

「ほ…ほんとですか?」

「ほら!チビ助!お前もやるんだよ!」

「は、はい!…スぺちゃん…かてぇ…。」

 

とマーシャルはどんどんスピカ色へと染められていく。

そんな様子を沖野は呆れながらも、安堵の眼差しで見ていた。

 

『さぁ注目の勝負所…やはり仕掛けてきたスペシャルウイーク!速い速い!!他の追随を許さぬ走り!最早独走ムード!この英雄を止められる者は…いなかったぁ!!スペシャルウイーク堂々の一着!』

『素晴らしい走りでした!彼女のスパート、磨きがかかってますね!ウワサによると…『彼女』の影響があるんだとか…』

 

「いいいやったぁああああ!!!上出来だスぺ!!」

ゴルシの咆哮を皮切りに、会場から大しけのような歓声が一気に上がる。

 

スピカたちはそんなエースの勝利を抱き合って喜んだ。

 

 

――――――――――――――――――――

 

「それじゃあ、スぺの完封とマーシャルの入部を祝して!」

『カンパーイ!!!』

とジュースの入った(コップ)がぶつかりあう音がスピカの部室に響く。

 

彼女らの前にはイセエビや高級な肉を主軸とした、僥倖ともとれる食材たちが並ぶ。

 

(はぁあ…これでまた今月も赤字かぁ…)

とそれらの食材に落胆する沖野だったが、彼女らの明るい笑みを見れば

(ま…いっか。)

と気持ちを切り替える。

 

「はい、スぺちゃん。お肉の一番美味しいとこ、スぺちゃんにあげる!」

「私のも、どうぞ。」

とマーシャルとスズカがスぺの取り皿に肉を。

 

「ええ!?い…いいの!?」

「もちろん!今日のスペちゃん、すっごく頑張ってたもん!とってもカッコよかった!」

「そうね、私もまだまだ負けてられないって気持ちになっちゃったな。」

「ひゅ…ひゅじゅかひゃん…まーひゃうひゃん…。」

とスぺは口いっぱいに肉を頬張りながら、歓喜の涙を流す。

 

「あの…スズカさん、またよかったら私と並走トレーニングしてもらえませんか?」

そっとマーシャルはスズカに訊く。

「ええ、もちろん。私もあなたからいっぱい技術を盗まないと。」

「えへへ…私もいっぱいスズカさんのスキルを!」

といったとこで。

 

「えー二人だけずるい!ボクもボクも!」

とテイオーが話を聞きつけて。

「オレもいっすか!」

「なら…私だって!」

「皆さんがそうおっしゃるのであれば、私もご一緒させていただきましょうかしら?」

「おーし!今度こそゴルシ様の本領ってもんを見せてやる!」

 

とぞろぞろと参加者が増える。

 

「それじゃあまた、チーム内の一斉レースじゃねぇか…」

はははと笑いながら沖野はあきれる。

 

「よし!次は3200で勝負な!」

「3600でもよろしいのでは?」

「はぁ!?勝手に決めないでよ!次は1600でしょ?」

「2000でいいじゃんかよ!」

「ボク2400がいいよ!ダービーと一緒じゃん!」

 

と勝手にワイワイと湧き上がるスピカのプロパーたち。

そんな光景はマーシャルが入部して、今までの短期間に幾度となく見た。

 

そんな光景に慣れ始めている自分がいる。

 

その光景を見ていると、ふとあの日々のことが頭の脳裏を駆け巡る。

ベテルギウスに居た、あの日々を。

今…彼女たちはどうしているのだろう。そんなふわっとした思いが彼女の中に留まった。

 

 

―――――――――――――――――――

 

一通り宴会を終えた後、マーシャルは部室でせっせとゴミの仕分けをしていた。

プラスチック系はこっち、ペットボトルはあっち、燃えるゴミは、燃えないゴミは。

 

慣れた手つきで迷いなく仕訳けていく。

 

「あ!いいっすよ!センパイ!そんなの俺らがやりますから!」

とウオッカがマーシャルに駆け寄る。

 

「ううん、いいんです!今ここじゃ、私が一番下っ端だから!」

「でも…」

「ダメだぜチビ助、こういう困難はみんなで分け合うもんだ。それがスピカの掟だ!よおしお前ら全員でかかれ!」

 

ゴルシの号令とともに、スピカは全員で後片付けに。

 

「もう!アンタもうちょっと丁寧にできないの!?」

「うるせぇんだよ!これでも十分だろ!」

「あの…ゴールドシップさん、そのお魚の形した醤油入れも捨てるんですのよね?」

「嫌だい嫌だい!ジョリーナーとミッチーはアタシのもんだ!!家に連れて帰るんだぁ!!」

「スペちゃん…まだ食べるの…?」

「だって!残しちゃったらもったいないじゃないですか!」

 

…人手は増えたはずなのに、仕事はなぜか遅くなる。

それがスピカの七不思議のひとつらしい。

 

そうしてようやく纏まったごみを、マーシャルは持ってゴミ置き場へ。

「ふぅ…。これでっと。」

その背後に、誰かの影か。

 

マーシャルはふと振り向く。

「あ…マーシャル先輩。」

「…ローズさん?」

バッタリ会ってしまった二人に、わずかな沈黙が訪れる。

 

「先輩…これってどのゴミで分ければいいんですっけ。」

「うん、ええっとね…あ、これはダメ。これは燃えないからこっちで…」

ローズが持ってきた分別が十分になされていないゴミの分別を、マーシャルは手伝った。

 

「ありがとうございました、先輩。」

「うん…ねぇ、ローズさん。今ってチーム…どうしてるの?」

「…。私とドライブ以外はみんなレースに出ています。レコード先輩も、別のレースでちゃんと引退試合できました。」

「そっか…ねぇ、ちょっとだけお話しない?」

「え?」

 

――――――――――――――――――――

 

マーシャルとローズは中庭のちょっとしたベンチに並んで掛けた。

 

「先輩…天皇賞のあと、大変だったみたいですね。」

かつてのローズの小生意気な影は、今はすっかり消えていた。

 

「うん…心配かけちゃって、ごめんね。」

「先輩って、ほんと強いんですね。あんなことがあっても、未だに前を向いて走り続けられるなんて。」

「それは…私を支えてくれる人がいてくれたから。ローズさんにだっているじゃない。宮崎さんが。」

 

ローズは沈黙する。

 

「トレーナーには、合わせる顔もないですよ。」

「それでも、今のローズさんに寄り添ってくれてるんでしょ?」

「…先輩もトレーナーも、優しすぎますよ。私はもっとボロクソに言われたって…おかしくないことをしたのに。」

「もう、その話はおしまい。今はあなたにできることをやっていくべきだと、私は思うな。」

 

ひゅうっと冷たい風が二人を包む。

しかし、二人はあまり寒さを感じていなかった。

 

「いっつも目が覚める度に思うんです。今までの私がやったことは夢だったんじゃないかって。でも、現実。一生消えない傷を、自分自身でつけてしまった。…正直、もう死んでしまいたいと何度も思いました。でも、トレーナーはそれを許さなかった。」

ローズはしきりに鼻をすする。それは寒さだけが原因でもないようだ。

 

「ダメ。…死んじゃうのは絶対にダメ。あなたを大事に思っている人が絶対にいるから。」

「いませんよ…そんな人。」

「ううん…絶対にいる。例えば私とか。」

「…からかってるんですか?」

 

マーシャルはそっとローズを抱きしめた。

 

「そう思う?」

「…やっぱり先輩って、ちょっとバカですよ。」

「私もそう思う。でも、それでいいじゃない。」

ローズはマーシャルの胸に顔を埋めた。

 

「私もね、自暴自棄になっちゃったことはあるんだ。大事なものを全部捨てようとして、死んでもいいって思いかけてしまった。でもね、やっぱりそれじゃあダメだって気づかされたの。自分っていう存在は…自分だけのものじゃない。周りの自分を大事に思っていてくれる人のためにも、私たちには生きる価値がある。だから、死んじゃダメ。生きてさえいれば、希望はきっと見えるよ。」

「…先輩。カッコいいこと…言いますね。」

「カッコいいことは正義だから。」

 

―――――――――――――――――――――

 

ローズが去った後も、マーシャルはそのベンチに残った。

そして冬の空を恍惚を眺める。

 

夏の大三角から、冬の大三角へと形が変わる。

冬の大三角は…たしかシリウスとプロキオンそして…ベテルギウス。

 

それにリゲル・アルデバラン・カペラ・ポルックスを合わせると冬のダイヤモンドになる。

 

アルデバランの近くにボヤっと光る集団が、プレアデス星団。

その中に輝く一つの星が…アルキオネ。

 

と眺めていると。

 

 

「あー!!ここにいた!マーシャルってば探したんだよ!」

とテイオーが甲高い声を張り、プンスカと擬音を立てながらマーシャルのもとへ。

「お、ここにいたのかチビ助、もう帰るぞ?」

「あ、ごめんなさい。」

「何してたの?」

 

テイオーの疑問にマーシャルは空を指す。

 

「星を見てたんです。今日はよく見えるなって。」

「星ぃ?うわぁほんとだぁ…。」

テイオーの視線も空へ。そこにがやがやと残りのメンツもやってくる。

 

「うーん、ゴルゴル星は今は夏みてぇだな。…あっ、父ちゃんにゴルゴルの実送ってやらねぇと、そろそろ持病のリンボダンスが起きちまう頃だな…。」

「何を一人でぶつくさと言ってますの?」

「スッゲェなぁ…こんな夜空の中バイクかっ飛ばしたら最高だろうなぁ。」

「まーたバイクの話、星なんてどうでもいいんじゃないの?」

「うるせぇなぁ!お前にはまだロマンなんてわかんねぇだろ!」

「なんですって!」

「ねぇ、マーシャル!スピカの星って今見えるの?」

「スピカは春の星ですから、今はちょっと見にくいかも…。」

 

「マーシャルちゃん、星詳しいんだね。」

「うん!ちょっと最近勉強してるんだ!」

皆の視線が空高く。

 

その時…マーシャルにちょっとした悪戯心が。

 

「皆さん…あの星、知ってますか?あのななつ星。」

「えーどれ?」

「北斗七星…かな?」

スズカが答える。

 

「はい!じゃあ…その脇に光る星も…見えます?」

「わかんない!」

「どれー?」

「あ、もしかしてあれ?」

「私見つけましたよ!ほら、あそこの赤い星!」

「あーあれ!」

 

全員がマーシャルの指す星に気づく。

 

「それで?それがどうかしたの?」

テイオーが聞く。

「あの星、なんて星かご存じですか?」

「知らない。…なんていうの?」

「あれはですね…。」

 

 

 

 

 

「死兆星です。」

 

 

 

 

「しちょうせい?」

「なんか聞いたことある。」

「えーっとなんだっけ。」

「なんだ知らねえのかお前ら、死兆星っていったらアレだろ…見えたら死んじまうっていう…。」

 

 

「「「「「「「えっ!?」」」」」」」

 

 

「わ…わわわわわわあわ。ど…どうしよう…ボク見えちゃってるよ。」

「み…見えてねぇ!俺は何もみてねぇ!」

「ち…違う星よ!きっと私が見たのは違う星…」

「さ…さすがに、め…迷信ですわよね?ま…マーシャルさん?」

「えんがちょ!!!えんがちょ!お前らもやれ!」

「意味あるのそれ!?」

「知るか!」

「お…おかあちゃーん!!」

(…どの星かしら?)

 

スピカたちの慌てぶりに、マーシャルはクスっと笑ってしまう。

 

「…それ、アルコルって星だろ?」

そこに沖野がやってくる。

「沖野さんはご存じなんですね。」

「ああ…俺も、大城さんに昔騙されたことがあったからな。」

 

 

「…騙された?ってことは。」

「ま、アルコルってのはちゃんと実在する星だ。死兆星って語られるのは昔視力テストにその星が使われたことがあったからで、老いると見えなくなる星なんだ。だから見えなくなった時が死の近づきっていう…ただの昔話さ。ちゃんと見えるのが普通さ。」

 

落着きを取り戻した全員の視線が…そーっとマーシャルへ。

 

「え…えっと…皆さん?」

「「「「「「マーシャル(先輩)(さん)(ちゃん)!!!」」」」」

 

全員でマーシャルを取り囲む。

「こんにゃろおぉ!脅かしやがって!!」

「ひゃあ!!ごめんなさい!!」

そうして、マーシャルをがっちりホールドしてわき腹をこちょこちょと…。

 

 

「ひゃああ!!だめぇええ!!許してぇええ!!」

その夜空にマーシャルの悲痛な笑い声(叫び声)が轟いた。

 

 

 

 

 




(…あ、あれか。)
「スズカ!ボーっとしてねぇでお前も手伝え!」


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最終話:光を超えて

線香の香りと…見渡す限り一面の墓石たち。

冷たく固い石畳たちが、今を生きる者たちを、没して眠る者たちの場所へと導く。

 

今導かれている少女、もといウマ娘は一束の花を両手で、片手は根元に、もう片手は花弁の生る方へと、まるで赤子を抱きかかえるかのように。優しく丁寧に。

 

こういう場所に来るときというのは、大抵ご先祖の墓参りの時に。両親の傍らでよく意味も分からずに手を合わせていた幼い日々が懐かしい。

 

そうして彼女は一つの墓石の前に佇む。

死んだら遺灰は海に投げ捨ててくれ。墓なんて建てるな。としきりに彼女を始め周りの者たちにそう言っていた彼だったが、その無茶ぶりだけはどうやら聞き入れて貰えなかったようだ。

 

『大城 彩雲』と書かれた墓石の横に、それはあった。

 

 

『大城 白秋』と。

 

 

少女は大事に抱えてきた花束をそっとその前に置く。

そして両膝をついて、手を合わせ、深く深く目を閉じた。

 

彼との思い出の日々、もうそれは恐れる記憶などではない。

彼女の中に大事に輝く、美しい思い出なのだ。

 

最期まで遅刻癖の治らなかった彼だったが、最後の最後だけは、遅刻せずに彼女に寄り添ってくれた。

もう一度、彼女を立ち直らせた。

 

少女は誰にも届かない声で、ありがとうトレーナーさんと呟いた。

 

そっと目を開ける、また新しい煙草がおかれている。

誰かが頻りに新しい煙草を置いて行っているようだ。

 

天国だからって、吸いすぎはダメですよ。と彼女なりの冗談をつぶやく。

 

「…トレーナーさん。私、URAファイナルズに選出されたんですよ。もちろん、短距離走者(スプリンター)として。また、バクシンオーさんとの再戦です。バクシンオーさんだけじゃない。オオシンハリヤーさんともです。ハリヤーさん。軸を短距離に絞ったみたいなんです。私が中距離に挑んでる間に、短距離でぐんぐん力をつけてて、あの時よりももっともっと手ごわい相手になってます。その他にも、バクシンオーさんに全く引けを取らないレジェンド級の娘たちが挙って参戦するんです!…でも、怖くはありません。私には、トレーナーさんからもらった大事な武器があるから。」

マーシャルは立ち上がる。そしてその(・・)サインを胸に携える。

 

「忘れません…いつでも気持ちは。」

 

カツン。

石畳をヒールで叩く、誰かの足音が彼女の耳へ。

 

ここは多くの墓石が並ぶ墓場。自分以外の参拝者がいても何ら不思議ではない。

しかし、なぜか彼女はその足音が気になった。

 

ふっと顔を上げて、そのヒールの音がなるほうへ。

 

そこにいたのは、肩甲骨まで伸びる黒いストレート。細くて黒いフレームの眼鏡が何となく印象に残る女性。

ぱっと見で、成人していることは何となくわかるのだが、どこかまだあどけなさが残る。

 

マーシャルはその女性に妙な既視感を覚える。どこかでこの女性を見たことがあったのかと、自らの記憶をたどろうとするが。

 

「あの…レッドマーシャルさん、ですよね?」

と彼女の言葉が、マーシャルの記憶の詮索を打ち切った。

 

「え、…あ。はい。そうです。」

不意を突かれたような気がした彼女は、瞬間的に言葉を返せなかった。

落ち着いて考えても見てみれば、マーシャルは今やそれなりの知名度を誇るウマ娘、自分が知らない相手が、自分を知っていても不思議なことなどない。

 

マーシャルの返答を聞いたその女性は、何か安堵したように、彼女に向ってほほ笑む。

 

「やっぱり。テレビで見るよりも、ずっと逞しく見えるんですね。」

「そうですか…?」

「ええ。天皇賞でのあの走り、本当に素晴らしかった。…きっと天国の父も満足してると思いますよ。」

「天国の…父?」

 

マーシャルにはその言葉の意味が瞬間的にはわからなかった。

だが、すぐに察することになる。その女性の視線は…大城の墓石に向いていた。

 

「私、長永春華(おさながはるか)っていうんです。…でも、20年前は大城春華と名乗ってました。…まぁ、その時は自分で名乗れるほどの年齢でもありませんでしたが。」

と笑って付け足す。

 

「大城…。」

マーシャルの中で合点がいく。

この女性に感じた既視感…それはマーシャルが大城の家でみたあの家族写真に写っていた幼い少女…わずかだがその面影があった。

 

「マーシャルさん…あなたのトレーナー、大城白秋は…私の父です。」

春華は哀愁の瞳をマーシャルへ向ける。

 

―――――――――――――――――

 

「困った父でしたでしょう?…やることなすこといっつも突拍子がなくて、自分勝手でいい加減で。」

「いえ…。」

本当は、そのとおりと大きく頷いて答えてもいいのだが、やはりここは幾分の遠慮というものがある。

彼女は細く、そう答えた。

 

マーシャルと春華は、霊園の石段の隅に並んで掛けていた。

今日は人が少ないようだ。そこから見渡して思ったことはそれだった。

 

「父と母がなぜ別れたのか、私も詳しいことは知らされていないんです。」

春華はおもむろに語りだす。

 

父と母が離婚。仲睦まじい両親の下で育ったマーシャルにとって、それはドラマの中だけの遠くの世界に感じていただけに、少し重く感じた。

 

「でも私は父のことが好きだった。本当は父とずっと一緒に居たかった。でも母は頑なに父に会うことを嫌がってました。だから、会えるのは数年に一度だけ。最後に会えたのは、私がそうだな…今のマーシャルさん、あなたくらいの時。」

そのセリフが、あの時の彼のセリフとリンクする。

 

「私、やっと地方の大学を卒業して、東京で暮らすことになったんです。だから、父ともずっと会いやすくなって、週末とか一緒に過ごせたらな…って思ってました。でも…でも…。」

そういって春華は言葉を詰まらせる。まるで喉に何かを突っ返らせたように、何かを吐き出そうとするそれを、抑え込んでいた。

 

「大丈夫ですか?」

マーシャルが聞く。

「ええ…ごめんなさい。一番辛いのは、きっとあなたなのにね。」

春華は胸を抑えるとふぅふぅと息を整える。わざと大げさにやってみせるのは、彼女なりのおどけなのかもしれない。

 

「ごめんなさい。私の話ばっかり。そういえば、マーシャルさんはURAファイナルズ出られるんですよね。私きっと応援に行きますから!マーシャルさんは…。」

 

そういって、マーシャルの顔を見たとき。また言葉を詰まらせる。

 

一度心の奥に落とした感情が、再びこみあげてくる。

みるみるうちに、余裕を演じていた仮面がぼろを出す

 

「マーシャルさんは…マーシャルさんは…。」

そうして春華の溜まっていたものが、臨界を迎えた。

 

春華はマーシャルを深く抱きしめた。

「マーシャルさんは…。」

 

 

「私と父を繋いでくれる、たった一つの希望なんです…だから、どうか頑張ってください…!」

 

一瞬のことに驚いたマーシャルだったが、そっと春華の背中に手を回す。

 

「大丈夫ですよ、春華さん。私は負けません。あなたのお父さん…トレーナーさんに教わった大事なものがあるから。」

「大事なもの…?」

そういうと、マーシャルはあのハンドサインを見せる。

 

「ロックですよ。いつでも気持ちは…ロックでいること。」

それを見た、春華は涙顔のままではあるが、顔をほころばせた。

 

「…ふふ。父はあなたにも同じことを言っていたんですね。」

「じゃあ。」

「ええ…私にもよく言ってました。いつでも気持ちはロックでいろって。正直、なんのことだかって、いっつも思ってたけど。」

「でも、私は何度もそれに救われました。何度躓いても、倒れても。」

 

春華は、思い切り涙を拭う。化粧が崩れてしまってはいるが、そんなことはもうどうでもよかった。

 

「マーシャルさん…今のあなたを見ていると、父が言いたかったことが何となくわかる気がする。…ロック…か。」

 

春華は墓石に向かってそう呟いた。

 

 

――――――――――――――――――――

 

『俺はお前を信じている。

 

 

 

     ロックに生きろ。

 

 

 

        お前の超絶イケメントレーナー大城より。』

 

 

 

マーシャルはその一枚の手紙をそっと折りたたんで、勝負服の胸にそっとしまい込む。

 

「ええ…大丈夫。私は。」

 

そして大事な手紙が入った胸に手を当てて、深く目を閉じてそっと深呼吸をする。

 

 

 

そんな選手控室の外側では、スピカのメンバーたちがガヤガヤと。

「大丈夫かなぁ、マーシャルちゃん。」

スペシャルウイークがそっと耳を立てて、扉にペタリ。

 

パドックも済ませ、出走まで残り間もない。だがマーシャルがいる控室は変わらず無音。

そろそろ様子をと伺うスピカ達だが、レース前の精神統一中だとしたら、絶対に邪魔してはいけない。

 

そんな葛藤の前にたじろぐしかなかった。

 

「何か聞こえる?」

テイオーか重ねて耳を当てるが、変わらず無音。

 

「でも、ぼちぼち時間だし。」

そういってノブに手を伸ばそうとするが、やはりそこには迷いがある。

 

「ええい!出走は待っちゃくれねぇぞ!どけ!」

そういってゴルシが二人をはねのけて、ノブに手を伸ばした瞬間。

 

ノブがひとりでに動き、ゴルシの手をスルー。

ということは。

 

「よしっ!」

という気合の入った声と共に、ドアが内側から勢いよく開く。

そしてそのまま、真正面に立つゴルシへ…ドン。

 

 

「え!?」

まさかドアの真正面に誰かがいると思わなかったマーシャル。

「ぐあああああああ!!!」

「あ!っわあ!!ごめんなさい!ゴルシさぁん!大丈夫ですか!?」

「マーシャルさん!このお方は放っておいても問題ありませんわ!さ!出走のお時間、すぐですわよ!お急ぎになって!」

「あ…はい!」

 

そういってマックイーンの声に押されて、マーシャルはターフへ急ぐ。

 

「こんのォ!!ちび助ぇ!!負けやがったら承知しねぇからなぁ!!」

また一つ、負けられない理由が増えたとマーシャルは思った。

 

 

――――――――――――――――――――――

 

赤く漲る勝負服に、太陽の光すらも跳ね返すほどに眩く光るピアス。

そして、左肩に携えられた『Ⅶ』の刺繍。

 

ここを歩くときは、いつもあの人が一緒だった。

 

気持ちで負けてるときは背中を叩いてくれて、やる気十分な時は冷静なアドバイスをくれて、負けた時はおどけた態度で優しく慰めてくれて、勝ったときは大きく肩を組んで一緒に笑ってくれた。

 

だけど、もう彼はいない。

 

だけど不安なんてない。

 

私はずっと一人で歩いて行かなきゃいけないと思っていた。

でもそれは、半分正解で、半分間違い。

 

自分で歩くことも大切。

だけど、一人じゃなくったっていい。

 

信じられる仲間たちと、苦楽を乗り越えてたどり着く境地だってある。

今の自分にはそれがある。

 

だから怖くなんてない。

 

「行ってきます…トレーナーさん。」

 

光の明暗差で奥の見えない地下バ道の奥に向かってそっと言った。

そして、光の世界へと振り向き、一歩を踏み出した。

 

――――――――――――――――――――――

 

『さぁ、さぁ、この日を待ちわびた。そんなファンたちで会場は埋め尽くされております!URAファイナルズ!短距離部門!決勝まで駒を進めた名だたるウマ娘たち!さぁその彼女らの勇士を!』

 

会場が沸きに沸きあがる。

 

『さぁ!ここは彼女なしには始まらない!サクラバクシンオー!非常にいい仕上がりに見えます!』

『やる気も十分、コンディションもばっちりのようですね!』

『そしてチームリギルからはタイキシャトル!予選では見事な完封!非常に期待がかかります!』

『回数を重ねるごとに洗練される彼女の走り、さぁどう輝くのか!』

『そしてこの娘は外せない!ニシノフラワー!その甘いマスクの下に秘められた実力!』

『時にバクシンオーすらも凌駕するその走り!よそ見は厳禁!!』

『そしてそして闘志漲るバンブーメモリーッ!!その熱意がこちらにも伝わってきます!』

『私が個人的に注目している娘です!さぁその足は光るか?』

『そして、ここまで駒を進めた期待の若手!オオシンハリヤー!』

『その逃げ!ひょっとしたらがあり得ますよ!注目です!』

 

 

『そして』

 

 

『数々の苦難を乗り越え、再び這い上がってきた伝説のスプリンター!』

 

 

『レッドマーシャル!!』

 

 

再び白日の下に、日の光のスポットライトを受け、彼女が姿をさらす。

 

「いけええ!!チビ助!!お前らやるぞ!!」

「「「「「「押忍!!…かてぇ…かてぇ…」」」」」」

 

 

 

「マーシャル!!やってやれ!!ほら!モモ!なにしてんだ急げよ!始まるぞ!」

「ちょっと…寒いから暖かいお茶を…」

 

 

「お母さん。ほら」

「ええ、見てる。…こんなに立派になって。」

「だから言ったろ?僕たちは間違ってなんてなかった。あの娘は…中央で、こんなにも輝ける娘なんだ。」

「ええ!」

 

 

「うおおお!!!マーシャルちゃん!!ファイトだぁああ!」

「田原!ちょっとボリューム下げろ!気合入りすぎだ!」

「構うもんか!!西城!ほらお前も!」

「ええ…。んぅ…おっしゃ!ハラ括ったらぁ!!ファイトー!マーシャル!!」

 

 

「不撓不屈…やはり杞憂だったかな。さすがは彼の担当だ。」

「あなたもとって食われないように気をつけなさいよ?ルドルフ。」

「ああ、そうだね。」

 

 

「大城さん…正直そんなガラじゃないとは思いますが、これは俺のワガママです。」

そういって沖野は大城の写真を、ターフに向ける。

そして、広く晴れた青空を見上げる。

 

「よく見えるでしょう?…どうです?一番の特等席は?」

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

そして、運命の時は迎えられる。

 

18戸のゲートが一斉に解放される。

 

『さぁ!ゲート解放!!それぞれの強い思いを胸に!18人のウマ娘、綺麗に横並びでスタートを切りました!!!さぁ!一秒先すらも読めない展開!どう動くのか!!」

 

 

 

 

 

 

............

 

 

 

 

 

 

 

 

照り付ける太陽が、こんなにも頼もしいだなんて思ったことはあったんだろうか。

日は私の背中を押し、目を十分に見開く。そして冷たく新鮮な空気を体いっぱいに取り込む。

 

これからも私は、何度だって躓くだろう。

 

何度だって倒れて、何度だって弱音を吐くかもしれない。

 

でも、どんなに苦しくったって、私はあきらめない。

 

私は立ち上がる方法を知っているから。

 

どんなに大きな壁が立ちふさがろうとも、決して足を止めない。

 

ココロが折れそうになったら、何度だってこう叫んでやるんだ。

 

 

 

『Let's Rock』って!

 

 

 

 

マーシャルは大きく息を吸い込む。

 

 

 

吸った息を全身に巡らせる。

 

 

 

血が沸騰する。

 

 

 

心臓が高鳴りを覚える。

 

 

 

視界は前方を中心に狭くなる。

 

 

 

耳は聞こえにくくなる。

 

 

 

 

そして

 

 

 

『さぁ!勝負どころ!ここで…くるか!レッドマーシャル!!』

 

 

マーシャルは強く、強く、地面を蹴り上げた!!

 

 

 

 

 

 

 

 

-7s Sprinter-

 

 

 

 

 

 

 

 

 




推奨ED①『うまぴょい伝説-32人ver-』

推奨ED②『悲しみが消える時 2014ver』


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epilogue
お供え物


「…それでもう、私、無理なのかなって。」

「そんなことはありません。今は少し、時間がかかっているだけですよ。」

「でも、同期の娘たちの中じゃ私…。」

「いいではありませんか。あなたにはあなたにしかできない走りがあります。無理に焦る必要はない。」

 

少しづつ日の光が、温もりを引き連れてやってくる季節となった。

だが、暖房器具を手放すにはまだ少し早いのかもしれない。

そのトレーナー室にも、健康支援課推奨の温度に設定されたエアコンと加湿器が静かな音を立てて働いていた。

 

「私にしかできない…走り?」

「ええ、それが何なのかは、まだはっきりとは判りませんが、きっとあるはずだ。ノーベルラインさん。…それが何かを、二人で一緒に探しましょう。答えは必ずある。」

 

そして、諦めてはいけない。あなたはきっと輝けるウマ娘なのだからと宮崎は付け加えた。

 

「トレーナーさん…。」

そのウマ娘は、宮崎の言葉に強張っていた表情を少しだけ綻ばせた。

 

「ノーベルさん。私はあなたを信じています。あなたの懸命な弛まぬ努力を、私はこの目で確りと見ています。あなたのその想いを、私は無駄にしたくはない。もう少しだけ私を信じ、付いてきてみませんか?」

 

そのウマ娘は涙ぐんだ目で、首を大きく縦に振った。

それを見た宮崎もまた、無言でこくりと頷く。

 

「今日はもう、お休みになってください。また明日から一歩踏み出してみましょう。…お互いにね。」

「はい!」

 

宮崎はその生気が戻った新しい担当ウマ娘の明るい表情を見て、また柔らかい表情で頷く。

そしてその娘がトレーナー室を後にしようと立った時、彼女は一つの疑問を宮崎にぶつける。

 

「トレーナーさんって煙草吸うんですか?」

「え?」

彼女の視線の先には、ガラス製の灰皿に未開封の煙草がライターとセットでおいてあった。

 

「ああ…昔は少し吸ってた時期もありますが、今はもう吸っていません。」

「じゃあどうして?」

「それは…そうですね。お供え物ですよ。」

「?」

 

そのウマ娘は宮崎の回答に今一つピンとはきていないものの、宮崎のその引っ掛かりのない表情に、これ以上訊くのは野暮かと手を引いた。

 

 

――――――――――――――――――

 

彼女が去った後のトレーナー室。

宮崎は暖房を止めて窓を開ける。

 

まだ冷気が肌を刺激するものの、換気は欠かせない。

 

そして先ほど担当ウマ娘が指したその灰皿のもとへ、それを両手で持ち上げる。

まるでダイアモンドのように、無駄にデザインされたそれを、無駄な装飾品を嫌う彼が好むものとも思えなかったが、彼はそれを満足げに眺めていた。

 

「マーシャルさんがG1を獲ったら、私の部屋を喫煙所にするんでしたよね。…早くいらしてくださいよ。ずっと待ってるんですよ。…心配は無用です。必要があれば、私も一緒に叱られますから。」

そういってまた灰皿をもとの場所へ。

 

そこにコンコンコンとノックの音が、その部屋の主を呼びつける。

 

「どうぞ、開いてますよ。」

きっとフロイドスピリットが日報を持ってきたのだろう。承認印を押す必要があると彼は扉ではなく、その逆のデスクのほうを向く。

 

「失礼します。」

背中にかかるその声に彼は固まった。

 

その声は、フロイドスピリットの声ではない。

でも確かに、十分に聞き覚えのある声だった。

 

そっと彼は扉のほうを向く。

 

そして、目を丸くする。

 

 

その来訪者は、彼の想像しなかった人物だった。

 

 

「なぜ…あなたが?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マーシャルさん…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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拝啓 勝手なあなたへ

お元気ですか?

 

…って言うのはやっぱりちょっとヘンですよね。

 

でも、私は元気です。

 

時間の流れはあっという間で、気は付けばもうあの天皇賞の日から結構な日にちが経っていました。

 

途方もない程に長いようで、あっという間と言うほどに短かったような日々でしたが、その間にいろいろなことがあったんですよ。

 

例えば、ギアちゃんとモモちゃん。二人とも晴れてGⅠ選手としてレースに出走したんですよ!

ギアちゃんは大阪杯へ、モモちゃんはフェブラリーS!

 

気合十分なギアちゃんは、最後の追い込みで後方に2バ身差をつけて見事な一着を!

モモちゃんは…寒さで調子が出なかったらしく、5着だったみたいです。でも、暖かくなってきたこの頃はとても調子がいいらしく、今は帝王賞に向けて猛特訓中だとか!

 

そして私は、函館スプリントSと葵Sを経て今はマイルCSに向けての調整中です。

マイル戦でも、あなたと編み出した中距離用の7秒が確りと通用するんですよ!それが終われば…次は高松宮記念に向けて。

 

レース、レースの日々が続いてますけど、それでも私は楽しんで走れてます。

 

…そうだ。レースといえば。

私この間、地元の地方競技場に招かれて、エキシビジョンレースをしたんですよ。

記録に残らない、デモンストレーションのようなレース。

なんだか地元のヒーローとして呼ばれたらしくて、私もちょっといい気分になってそのレースに臨もうとしたんですけど。

 

 

私はそこで、とんでもない相手と戦うことになりました。

 

 

その相手は…。

 

 

バクシンオーさんやスペちゃんよりも、もっともっと手強い相手でした。

 

その相手が誰かは、あえて言いません。結果も。

だってきっと、あなたも見てくれていたハズなんですから。一番の特等席で、きっとお酒でも飲みながら。

 

そういえば、ちょっと話が変わるんですけど、私最近新しい友達ができたんですよ。

その方は長永春華さんっていう方で…知っての通り、あなたの娘さんです。

 

たまに一緒にお買い物に行ったり、お食事に行ったりしてるんですよ。

 

春華さん、今は東京に一人暮らしで、一般企業に勤めてるみたいなんですけど、その陰でトレセン学園のトレーナーになるために、必死に猛勉強してるんです。

…あなたの背中を追いかけたいんだって。

 

…私と同じ。

私も、始まりはお母さんの背中を追いかけたい憧れからだったから。

 

だから春華さんにはとても頑張って欲しいって思ってますし、春華さんならきっとなれるとも信じています。

だって、あなたの血を引く、強い信念の持ち主なんですから。

 

きっとあなたに負けないくらいの、一流のトレーナーになってくれると、そう思ってます。

 

彼女の率いるチームがどんなチームになるのか、すごく楽しみですね!

 

 

 

…チームといえば。

 

 

そうだ。

 

 

これは言っておかなくちゃいけないってことがあります。

 

私、あなたが居なくなってから、随分と落ち込んだ日々が続きました。

一時期は、本当にターフに立てなくなってしまうくらいにまで。

 

でも、そんな私を助けてくれたチームがあったんです。

それがチームスピカ。

 

スピカの皆は、本当に凄くて、一人一人が誰にも負けない信念を持っていて、一人が迷えば、皆が一丸となって支えてくれる。

私もそれに、大きく支えられました。

 

チームスピカに所属してからは、とても楽しい日々が続きました。

またあの海で、皆とトレーニングして、レースがあれば皆で応援して、ファン感謝祭では…焼きそばを作って売って。

 

最近、私焼きそば作るの上手になったんですよ。ゴルシさんから免許皆伝をいただきましたから!

 

…そんな楽しい日々が、夢のように。

 

私は、スピカの皆が大好きです。

自暴自棄になってた私を、見捨てないで支えてくれた、沖野さんや皆が。

 

本当に皆には感謝してもしきれないほど、感謝しています。

 

 

…でも。

 

 

 

私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スピカを脱退することに決めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベテルギウスに戻ることを決意しました。

 

 

 

 

 

 

…こんなこと、またあなたにバカって言われちゃうかもしれない。

でも、私はもう一度ゼロに戻って、原点に戻ってやり直したいって、そう思ったんです。

 

もう一度、今度こそはあの子たちの先輩として大事なことを教えられるように。

今度こそは、ちゃんとチームの一員として、チームを前へと推し進められるよう。

 

…宮崎さんだって、一度は私を信じてくれた方なんです。

だから、もう一度だけ、私は宮崎さんを信じてみたいと思ってます。

 

スピカの皆には、本当に申し訳ないと思っています。

でも、沖野さんは、自分の信じた道を行っていいって、そう私に言ってくれました。

 

チームの皆も、笑顔で私を送り出してくれました…ゴルシさんだけは大号泣してましたけど。

 

ベテルギウスとしての再出発、迷いが全くないとは言い切れません。だけど、後悔はしていません。

 

これが私の。

 

 

 

ロックに生きるということだと、思ってますから。

 

 

 

…ちょっと長くなっちゃってごめんなさい。

本当は、まだまだ手紙に書ききれないほど、あなたに伝えたいことは沢山あるんですが、この辺にしておかないときっとあなたが『まだあるのかよ、なげーぞ』って怒っちゃうかもしれないから。

 

でも最後にこれだけ。

 

 

 

本当にありがとう

 

 

 

 

 

大好きなトレーナーさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの超絶可愛い担当ウマ娘 レッドマーシャルより。



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あとがきとその他

2話分のエピローグを以て『7s Sprinter』を完全完結とさせていただきます。

 

沢山の方々のご愛読と応援のお言葉あって、無事に完走させることができたと思っております。

 

88話という決して短くはない話数にも関わらず、お付き合い頂いて下さった皆様に心から感謝申し上げます。

 

最初はウマ娘という世界に、自分の思い描くストーリーを落とし込んだらどうなるかという半ば興味半分と申しますか、実験と申しますか。そういう気軽な気持ちから投稿を始めました。

 

史実とは全く関係のないオリジナルキャラクター。トレーナーも初々しさ残る若手でなく、ベテランよりなオッサン。そして少し重めな話で。

 

正直最初はもっと煙たがれるものかと思ってましたが、意外にも暖かく受け止めて頂けて、身に余るほどの評価まで頂いて。

 

僕の正直言って癖のあるような内容に、ご理解を示していただける読者様に恵まれて本当に言葉が出てこないほどの気持ちです。

 

感慨無量という言葉が、今の僕を埋め尽くしています。

 

やはりこのような皆様に愛して頂ける作品が書けたのも、「ウマ娘」という非常に優れたプラットフォームがあったからこそだと思っております。

 

Cygames様とご協力頂いてる馬主様にもこの場を借りて御礼申し上げます。

 

最後になりますが、改めまして皆様ご多忙の中、僕の作品の為に時間を割いてお付き合い頂き

本当にありがとうございました。

 

いつの日か、数年後などに、こんなss書きが、こんな二次創作があったなとふと思い出して頂けるととても幸いです。

 

またどこかでお会いしましょう。

 

 

マシロタケ。

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――

少しだけですが、オリ登場人物の設定資料をここで展開します。

オマケ程度の内容なので、関心のある方向けです。

 

 

・レッドマーシャル。

最初に思いついたのが、仮面ライダー555のアクセルフォームや日の丸相撲の辻桐仁のように、『制約付きではあるがその間だけは絶対』という設定をウマ娘に落とし込んだら?というところでした。やはりレースという舞台においては相性が良かったのか、時間というわかりやすい指標があっただけに、7秒カウンターの表現などが小説という文字だけの世界に対して効果的だったのかなと思います。

因みにマーシャルという名前はロックギターアンプ『Marshall』からとったものです。ロックという言葉を合言葉に選んだ理由もここにあったりします。

あと本編とは関係ないですが、実は両利きという裏設定があったりします。

 

 

・大城白秋

僕の理想のオッサン像です。

基本フランクで誰とでも隔てなく接する、昔遊んでた系のオヤジ。歴は長い癖に態度が態度なだけに、時に若手からも叱られたりする。

だけど大事なことをちゃんと知っていて、時に迷える若手たちを導くベテラン。

MGSのスネークや、DMCのオッサンダンテ、龍が如くの秋山さんなどがイメージとしてあります。

白秋という名は詩人からです。地元の英雄です。

因みに生涯で受けた職質は40回を超えるというらしい。

 

 

・レッドクラウン

原作には母親という人物が明確には登場しなかったなというところから、あえて母親を出してみたいなというところからでした。

きっとウマ娘の世界。母娘の紡ぐ想いはどの娘も強いのでしょう。

因みに普段は図書館司書をしている。

実は密かに長編小説を執筆しているらしい。

 

完結記念に番外編解放しておきます。

Red The Crown

 

 

・清水淳(マーシャルの父)

母親出すなら父親もだろという安易な考えから。ウマ娘の旦那はみんな尻に敷かれておいてほしいという願望もあります。

マーシャルの気弱で優しい性格は父親譲り。

普段は大学の准教授をしている。

釣りが趣味だが下手の横好き、実は余りに釣れなさすぎて魚屋で魚を買って帰ったことがあるが、秒でバレた。

 

・トップギア

今回のウマ娘二次創作に関してオリジナル俺っ娘キャラが3.4人くらいいる。

オレっ娘キャラはみんな好きだからしょうがないとは思ってます。

大の暑がり。

映画好きだが大体途中で寝る。

 

・モモミルク

片方がイケイケならもう片方は緩ーく。がコンセプト。

実家が酪農家。

大の寒がり。夏場は早起きだが冬場は布団から出てこなくなる。(マーシャルからはモモつむりとよばれているとかなんとか)

 

・長永春華

大城の娘。実は当初、最終回は娘エンドと兄貴エンドと母親エンドの三種類候補がありました。

そう書くとマルチエンディングっぽく聞こえるかもですが、内容はどれも変わりません。

最終章入った時点で娘エンドはほぼ確定していました。

愛車はユーノス・ロードスター。

 

・オオシンハリヤー

マーシャルの公式ライバル。オールラウンダー系だが、逃げを生かすために最終的にはスプリント~マイルに的を絞る。

実は超猫舌。

 

 

・宮崎宗一朗

トレーナー界隈でもきってのエリートだが、時に目的の為なら手段を厭わなくなるような冷酷さを持つトレーナー。というのがテーマでした。

これでも結構マイルドに仕上がったほうかなと。

因みに剣道五段らしい。

 

 

・ローズロード

一期の登場ウマ娘に、スぺちゃんの妨害を企んだ娘がいたことから、やはり勝負の世界そういう娘もいるのかというところから生まれたのがローズですが…。

完全にやりすぎました。もうこれ以上いうことがありません。

実は彼氏がいたらしいが騒動後は音信不通。

 

・フロイドスピリット

最初こそは皆のことを思いやる姉御気質だったが、宮崎の考えに毒され今のようになってしまったというバックストーリーがある。

人前では両親のことを父さん母さんと呼んでいるが、家の中ではパパママ呼びなんだとか。

 

・グッドレコード

特に悪いことを働いたというキャラではないが、チーム員たちに振り回されることとなった不憫なキャラクター。

赤子あやしが上手らしく、スーパークリークとも仲がいい。

 

・源三

引っ越し屋のチーフ。最初は大工のつもりだった。

ちなみにマーシャルは未だにバイトを続けている。そして今の引っ越し屋のイメージキャラクターとして起用されているらしい。

 

・センニン

あまりにも謎が多い老人。少なくとも日本出身ではないらしい。

その生涯の殆どを呼吸とヨガの修行に費やしたとされている。

ウワサによるとゴールドシップと面識があるらしい。

因みにボウリングがプロ級に上手い。

 

 

・岳隆二

病院のドラ息子だが医療のウデは確か。

現在車を8台所有している。

大城の死後は自身もポルシェを納車したらしい。

 

 

・飯島泰司

繁華街の裏路地に住み着くアジア系集落の長。

本名は飯島・フロレンティーノ・泰司。

生まれは日本だが長い間フィリピンに住んでいた。元ハッカーで街を牛耳ってる成金相手にサイバー攻撃で金を奪おうと策建てたことがあったが、あえなく失敗に終わる。そのことが相手にバレて命の危険があったところを大城の兄、冬時に助けられ日本に移住したというバックストーリーがある。

この世に存在するエナジードリンクすべてを網羅しているほどのエナジードリンクジャンキー。

 

・大城冬時

大城の兄。どこかで登場させる予定だったが断念。

弟とは真逆で勤勉な性格だが、謎の女と共に失踪する。

大城とは7つ違いで親は腹違い。だがそんな兄を白秋は慕っていたらしい。

 

 

・SPEED CREATE GARAGE -JIN-  [松本自動車(株)]

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車検・新車のご相談も是非当店で!もしかしたら、チビウマ娘たちに会えるかも!?

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(※弊社は陸運局指導の下、道路運送車両法を厳守しております。違法改造等に関する相談はいかなる場合も受け付け致しません。)

 

・ジントニック

元大城の担当ウマ娘。葦毛で高身長。完全感覚派の為走りは早かったが、クレバーな駆け引きは苦手だった。

今は二人の子を持つ二児の母。

店では主に事務仕事担当だが、ガレージが手一杯になると応援に入ることもある。

因みにウオッカとは親戚関係にあたるらしい。

 

大城の死後、彼のポルシェは彼らに引き取られ新しいデモカーとして展示されている。

 

・松本久茂

ジンの旦那。元ラリードライバー。

酒好きだが下戸。酔うと双子の娘たちをしょっちゅう間違える。

因みにジンとの出会いは大城の紹介なんだとか。

最近の悩みは娘たちが一緒に風呂に入ってくれなくなったこと。

 

・フィズ&ライム

双子のウマ娘。

本名はジンフィズとジンライム。フィズが姉でライムが妹。

フィズは一匹狼気質だが、ライムは逆に人懐っこい。

 

・椿香織

元トレセントレーナーで当時最強と言われたチームアルタイルを率いていた。

現在はトレーナー職を引退し、ウマ娘支援センターのチーフとして活動している。

因みに椿は旧姓。今の本名は酒田香織。

 

・三鷹和音

トレセン学園の数学科教官。

規律に厳しいことで彼女を敬遠する生徒も少なくない。

だがそのウラの顔は、ポルシェカレラGTを振り回すAライ持ちのドライバー。

因みに学園には、ポルシェがバレないようにミニクーパーで通勤している。

 

 

・田原真人

生粋のウマ娘オタク。休みの度にレースを見に来ている。

今の推しはマーシャル。

給料の殆どをウマ娘グッズに費やしている為生活はカツカツらしい。

 

・西城秀明

田原の友人。田原とは違い別にウマ娘のファンというワケではないが、暇つぶしとしてよく田原とレース場に来ている。ウマ娘よりはヒト娘派らしいが、彼女との付き合いが一年以上続いた試しがない。

 

・オークストリーム

一番初めに(マーシャルよりも前に)思いついたオリウマの名前。

一見強かで、冷静沈着な風貌だが、実は大の悪戯好き。

 

・テクノイニシャル

わりかし考え出した中では一番好きな名前だった。

実はエアグルーヴに憧れがあり、髪形をわざと似せている。

 

 

 

 

 

 

・マシロタケ

作者。永遠の太り気味コンディション。



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繧ゅ≧縺イ縺ィ縺、縺ョ荳也阜縺ク縺ョ骰オ
消えぬ黒星


照りつける太陽が、これほどまでに鬱陶しいと思ったことはあったんだろうか。

皮膚は焼けて、目を十分に開きたいのに、日光にそれすらも阻まれて、冷たくて新鮮な空気が欲しいのに、口に入ってくるのは、淀んだ生ぬるい流体だけだった。

 

それでも足を止めることは出来ない。

ここで止まれば、私はまた…。

 

でも、もう..苦しくて、苦しくて、前をみるだけでも精一杯。

あきらめちゃだめだ。私は、きっと。お母さんの背中に追いつくんだ…。

 

でも、私の目に映るのは、ほかの娘たちの背中ばかり。

また私を追い越して、私に背中を見せつける。

そしてみんな、背中で私にこういうんだ。

 

「このノロマ。」

 

って。

 

ああ。さっき私を追い越した娘の背中がもうあんなに小さくなっている。

追いつきたい。勝負をかけたい。でも、私の肺は、もう悲鳴を上げている。

 

ああ、これで何度目なんだろう。

 

―――――――――――

 

『最終コーナー回って、各ウマ娘。おっとここで5番オークストリーム抜け出した!勝負を仕掛ける!!それに追走!9番テクノイニシャル!!残り200!!テクノイニシャル届くか!?』

 

会場内に興奮の声が上がる。現在絶賛売り出し中の注目のウマ娘2人の白熱した競り合いに、それに薪をくべるように観客を煽る実況。

今日はただの一般開催だというのに、それなりの盛り上がりを見せる。

 

『オークストリーム!!早い!!テクノイニシャル!ジリジリと距離が広がるか!?オークストリーム逃げ切ってゴール!!見事人気に応えました!!!2着はテクノイニシャル!あと一歩及ばず!!』

『非常に白熱したレース展開でした。今後の彼女らに期待がかかりますね。』

 

そんな先頭集団に数秒の遅れをとって、ぞろぞろと敗北したウマ娘たちがゴールを通過する。

最早、入賞を逃したこのレースは、彼女らにとっての価値はないらしく。どこか気の抜けたゴールインを決める者も珍しくはなかった。

 

そんな中にたった一人だけ、必死に歯を食いしばってゴールを通過するウマ娘もいた。

 

―――――――――――

 

「…っはぁ!!…はぁ!!…げホッ!!ゴホッ…!」

両膝をターフに付き、全身で息をする彼女の姿は、その場だけ切り取れば熾烈な1着争いをした直後と見えなくもないだろう。だが現実は。

 

強く閉じていた目をやっと開き、着順掲示板に目をやる。

…当然だが、その確定に自分の数字が入ることはなかった。

 

隣のモニターに目を移す。

「…6…7…8…9。…あった。9着レッドマーシャル…。やった…10着以内に入れた…。」

 

なんだか、一桁の着順を見るのも久しい気がするのは気のせいなのだろうか。

「がんばった…よね?…この間は…びり…だったんだもん…。」

いまだに回復しないスタミナを、最低歩ける程度にまで回復させようと、彼女は大きく息を吸った。

 



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Time Extension
赤いウマ娘


私のこと、まだ覚えてますか…?





「これ、全部食べていいんですか!?」

 

彼女の前にズラリと並ぶ、フルコースに満漢全席。寿司やラーメン、チキンにカレー。フレンチにイタリアン。傍目から見れば、纏まりのない様々な料理たちが、国境の壁を越え、湯気を立てながら、煌びやかに瞳を輝かせる彼女の食欲を誘った。

 

「ああ、食え食え、食っちまえよ。」

彼女の向かい側に座り、片肘をつく男が、彼女の欲に拍車を掛けるように言った。

 

「いただきます!」

一つの挨拶と時を同じくして、彼女の前に鎮座していた料理たちは瞬く間に消えてゆく。彼女のその小柄な身体のどこにこの料理たちは消えてゆくのだろう。だが、男にとってその光景は、既に見慣れたものであったらしい。

 

男は一切料理に手を付けずに、彼女の喜々とする表情を肴に、一つ酒を煽っていた。

 

ふと、そのことが気になった彼女は、男に問いかける。

 

トレーナーさん(・・・・・・・)、食べないんですか?」

 

「ん?…ああ。俺はいいさ」

 

ふと、男の顔を見た彼女、不思議なことに、何故かそこで視線が固まった。

 

「…トレーナーさん。なんか、久しぶりに会いました…っけ?」

彼女の歯切れ悪い言葉に、男はふっと噴き出して。

「何言ってんだお前。…ずっとお前のそばに居るだろ?」

「あ…そ、そうですよね…」

それでも、彼女の区切りが少し悪い。

「ナンだ。食わねぇなら俺が食っちまうぞ?」

「あ!た、食べます!」

 

彼女はまた忙しなく皿を持ち上げる。数多の料理が彼女の胃に落ちてゆく最中に、男は一つ問いかけた。

 

「なぁ…お前、今度の夜暇か?」

「え…?」

「なぁ…」

 

 

 

 

 

――ちょっと俺と遊ばねぇか?

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「…えっ?」

 

彼女が瞼を開けた先に、先ほどまでの料理は無かった。男の姿も。

その代わりにあったのは、彼女の両脇を寝言で固める友人達の姿だった。

 

「…もうたべられないよぉ…」

「おらぁ…このギアさまがぁ…お通りだぁ…」

 

左手にはモモミルク、掛布団を占領し、頭だけをひょこりと覗かせ、モモつむり状態。

右手にはトップギア、左足をマーシャルの上に置いて、王様気分らしい。

 

 

「モモちゃん…ギアちゃん…。そっか、夕べ怖い映画みちゃって…三人で一緒に寝てたんだっけ」

 

マーシャルは、傍らに眠る自分のスマホを握って電源を入れる。

 

 

今日の日付、それはあの天皇賞から半年以上の歳月が流れていた。必然、()の命日も、時に比例して既に過去の出来事であることに違いはなかった。あの日から、彼のことを忘れた日はない。だがきっと自分は、彼に支えられなくとも生きてゆくことができると、確かに誓った。

 

しかし、時折こうして夢に見てしまう。彼との楽しかった日々を。

どれだけ己を律して、気丈に生きようとも、心の底ではやはり求めてしまっているのだろう。彼の優しい面影を…。

 

それにしても――

 

「トレーナーさん…最後なんて言ったのかなぁ」

夢とは、自分の記憶に相見える一種の願望という説がある。そうであれば、きっと彼の言った言葉も、彼女の願望の一つであるのだろう。

 

 

でも、それが何かがどうしても気になった。

 

 

だが、夢の記憶を保持できる時間とはあまりにも儚い。一種の諦めを表すかのように、マーシャルは溜息をついて、日付の下の時刻に視線を落とす。

 

 

7:15

 

 

「あれ…え…」

 

端的に言えば、いつも寮を出る時間…おおよそ15分前。

 

 

「ちょ!ちょっと二人とも起きてよ!!遅刻しちゃうよ!」

マーシャルは必死に二人を揺さぶる、けども、どうも二人は夢から覚めたくないらしい。うまうまうみゃうにゃと寝言を垂らしては、枕に深く頭を預ける。

 

「起きてってばぁ!!」

 

初夏の兆しが微かに見える早朝に、全力シャウトを刻むマーシャルサウンドがフルテンで鳴り響いた。

 

 

――――――――――――――――

 

 

ねぇ、知ってる?あのユーレイの話。

 

 

ああ、もしかして『赤いウマ娘』のこと?

 

 

え、ナニソレ?

 

 

しらないの?あのね、最近このトレセン学園の練習場にさ…出る(・・)ってウワサなんだ。

 

 

で…でるって?

 

 

それが『赤いウマ娘』夜中にだけ現れて…

 

 

た…食べられちゃうとか…?

 

 

まさか!…だけど、日が暮れた後に一人で走り込みしてると…ソイツが背後から勝負を仕掛けてくるんだって。バカ速いらしいよ。

 

 

ここの生徒?

 

 

いいや。どうも違うっぽい。ソイツを見たって娘の証言だと、今まで見たことないウマ娘だって。

 

 

あとこういう噂もあるよね。そいつ…

 

 

 

 

―――短距離走者(スプリンター)ばっかり狙ってくるって話。

 

 

 

 

 

 

「そこ!」

 

教室の隅、固まって余計な話題に花を咲かせる生徒たちに、クラス担当の三鷹は鋭く人差し指を突き出す。まだHRの出席点呼の段階だというのに、その瞳は猛禽のように吊り上がり、一瞬の隙をも逃さないという気概すらも感じとれる。

 

「今はお喋りの時間ですか?」

「い…いえ…」

 

鷹の異名を持つ彼女の前には、腕力で勝るウマ娘でさえたじろがざるを得ない。彼女らの反省に一度頷いた三鷹は、続けて名前を呼ぶ。

 

 

「マーシャルさん。レッドマーシャルさん」

 

 

「――はいっ!」

 

それは教室の扉が開くと音と同時だった。三鷹の耳に飛び込んでくる彼女の声。ぜいぜいと息を切らし、汗を滲ませる顔から察するに、よほど無理をして飛ばしてきたのだろうと容易に察せる。

 

 

「…マーシャルさん」

 

じろりと睨む三鷹の瞳。そこに映されるマーシャルの焦燥。

 

「だ…だめですかやっぱり…?」

「あなたまであの人(・・・)と同じになられては困りますよ。…早く席に着きなさい」

 

三鷹は彼女から視線を外して、次の生徒の名を呼ぶ。

 

「ラッキーじゃん!マーシャル」

「ほんとに遅刻かと思っちゃった…」

「珍しいねーアンタが」

 

こそこそと席に着くマーシャルに、周りの生徒たちが彼女を歓迎の辞を投げかける。お喋りに生きる彼女たちにとって先ほどの三鷹の指摘は既に過去のものらしい。

 

そんな彼女らの生きがいをを味方するように、三鷹のスマホが鳴る。全員静かに待機すること!と言葉を残して三鷹は廊下にそそくさと出ていくが、それを律儀に守るほど生徒たちも大人ではない。

 

「それでさ!さっきの話の続き!」

「さっきの話…?」

 

会話に乗り遅れたマーシャルは、瞳を丸くして彼女らに問いかける。一体なんのことだろうか。きっとまたスイーツの話だとか、好きなトレーナーは誰かとか、そういう話に色を付けていたのだろう。だが今回の話題は、どうやらそれらとは少し違うらしい。

 

「そういえばマーシャルってスプリンターじゃん。あんたなら会えるんじゃない?」

「え…どういうこと?」

 

マーシャルはトークテーマの察せない問いかけに、思わず眉をハの字に折ってクラスメイトたちに問い返す。

 

「あんたも知らない?『赤いウマ娘』の話―――」

 

 

 

「――静かにするようにと、言っていたでしょう!」

 

 

彼女らの不意を突くように、三鷹は教室に舞い戻る。彼女の剣幕に生徒たちは口元を押さえて、息をひそめた。

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「赤いウマ娘…か」

 

それは赤の異名を持つ彼女にとって、何処か他人事のような気がしない事案だった。それもスプリンターばかりを相手取るという話では、関心を持たざるを得ない。

 

だけど相手は幽霊だという話もある。…正直な話、そのような類の話であるのなら、付け狙われることは御免被りたいというのも、また彼女の本音だった。

 

時は何時しか、授業が終わった昼下がり。マーシャルは荷物を持って、自身が所属するチーム、"ベテルギウス"の部室へと向かう。道中、彼女の背後からふっと初夏の風が吹き抜けてゆく。それは彼女の髪を制服をゆらゆらと(いたずら)に揺らし、そのまま遮る雲なき晴天へと行方を眩ませた。

 

突風でさえも、身を割くほどの寒さを引き連れなくなった事に僅かな喜びを感じる。季節の移り変わりを肌で感じたような瞬間だった。そんな安堵を覚えた彼女はふと周りを見渡す。

 

そして気づく。その場所があの(・・)洞が構える、トレセンの中庭だということに。

 

「…」

 

一体あの日からどれくらいの月日が経ったのだろう。かつて、勝利に恵まれずここで咽び泣くことしかできなかったあの日。そして彼が手を差し伸べたあの瞬間。すべては過去の出来事。だけど、あの日この場所で、彼女の全ては確かに変わった。

 

もう泣くことなどない。たまに失敗はするけれど、折れたりなどはしない。だって彼女は知っているのだもの。

 

 

――大切な合言葉を

 

 

 

 

 

―――――――――――――

 

 

「「「「お疲れ様です!マーシャル先輩!」」」」

 

「はい、お疲れ様です!」

 

彼女を迎え入れる、若い群衆の轟き。どこかあどけなさすらも残す彼女たちの瞳は、明るく熱いものだ。マーシャルはこくりと頷いて彼女らに挨拶を返すと、練習着に着替えて後輩たちの指導に移る。

 

「アイツも立派に先輩やってるモンなんだなぁ…」

そんな彼女の背中を、ベテルギウスのチームリーダであるフロイドスピリットは柵に手を置いて、どこか力の抜けたような呟きを。

 

「マーシャルちゃん。すっごく立派になった。きっと努力と信念は報われる、あの娘を見てると本当にそう思わされるわ…」

スピリットの傍らで、グッドレコードも優しい瞳と表情を作る。

 

今現在のベテルギウス。かつては最小規模のチームにまで落ち込み、廃部の危機にすら晒されていた。当然、あんな事件(・・・・・)が起こったチームだ。周りの生徒達にも避けられ、悪印象とレッテルだけがこのチームに残った。無論、生徒は離れて行く一方…。

 

そのチームの境地を救ったのがマーシャルだった。例の事件の被害者であるにも関わらず、このチームへと舞い戻り、そのネームドと戦績を以て再びこのチームに光を齎した。当然、今の新入部員たちもマーシャルに憧れを抱いて門を叩いた者が多数であると、説明は不要だろう。

 

「なーんで…そこまで出来るんだろうな…普通、嫌だろ。自分を陥れようとしたチームだぞ。…潰れちまったほうが有難いって思うだろ普通。」

「スピちゃん。その話はもうしないって、約束だったんじゃないの?」

「嘆く隙すらもくれねぇのかよ…あーあ。この俺様ともあろうモンが、惨めになっちまう」

 

そういって彼女に背を向ける。最早彼女には頭が上がらないという他がない。これほどまでに献身的な彼女を、かつての自分は切り外そうとした。それがどれほどまでに愚かなことだったのだろう。今更気づいても覆水は返らない。

 

「先輩!」

向けたはずの背から、彼女の声が響く。こんな無様な状態であろうと、まだ先輩と呼んでくれる彼女に、気後れがチクチクと心に針を刺す。

「ああ、準備終わったか?」

「はい…それと」

「…来たか」

 

 

フロイドスピリットは凭れていた柵から身を起こす。今日の練習メニューは何時もと少しだけ違う。全員が身構えて、彼女ら(・・・)を待つ。

 

 

「はっ…お出ましか―――チームスピカ」

 

 

 

今日の練習メニューは、狂気のチームとの合同練習。

 

 

要は地獄のメニューと言うわけだ。

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

練習開始からものの一時間と経たなかった。貸切られたターフには、悉くスピカに敗れ散っていったベテルギウスのチームメンバーたちが大の字になって横たわる姿。

 

「おうおう!ここにゴルシちゃんを楽しませてくれるチーズタッカルビの申し子は居ねぇのかよ!ゴルシちゃん持て余し過ぎてぇ、マリトッツォの形見になっちまいそうだ!」

「ゴールドシップさん。礼節を欠く発言は慎んでくださいまし…ですが、もう少し強い刺激というのも吝かではありませんことね」

 

チームベテルギウスの絨毯に、ゴールドシップとメジロマックイーンの二人はそう漏らす。当然あのスピカが相手だ。彼女らに太刀打ちできるメンバーなど限られている。

 

チームリーダーのフロイドスピリットか、サブリーダーのグッドレコードか…。

 

 

「んじゃあよ。次はオマエ(・・・)とだろ?チビ助」

「そうですわね。あの時の模擬レース、あれで終わりだなんて仰りませんことよね?」

 

 

二人の視線上に居る、現在最有力とまで称されるチームエース。

 

 

 

―――レッドマーシャル

 

 

 

「わ…私ですかぁ!?」

 

 

ただその自覚はあまりないらしい。

 

 

「マーシャルぅ!次の練習で僕と走ってくれるって約束したじゃんか!」

 

彼女の背後をトウカイテイオーが埋め

 

「マーシャルちゃん!今日こそは絶対勝つからね!」

 

その横にスペシャルウイークが付き

 

「センパイ!俺のスプリント!見ててくださいよ!今ならセンパイにだって負ける気しねぇんスよ!」

「負けっぱなしじゃ気が悪いですから…私の見せ場も貰いますよ!」

 

その脇をウオッカとダイワスカーレットが固め。

 

「今日は先頭の景色…貰っていくわよ」

 

最後の仕上げにと、サイレンススズカが顔を出した。

 

 

「あの…えっと…」

 

 

文字通り雁字搦めの状態。

 

 

どうも、彼女らはマーシャルに勝つまで逃してくれる気はないらしい。

 

 

―――そういうのなら、仕方がない。

 

 

 

「…わかりました」

 

 

そういうと、マーシャルは練習着に羽織っていたジャケットを脱いで、スタートラインに立ち、彼女らへ向けて一言を弄ぶ。

 

 

「誰でもいいですよ…走りましょう…!」

 

 

彼女に宿る鋭い表情、それがチームスピカの魂に確かに火をつけた――。

 

 

 

 

「随分変わったな。あいつ」

「ええ…今やこのチームを立派に率いてくれるエースです。最早今のチームに彼女は不可欠な存在だ」

あの人(・・・)も満足してんじゃねぇのか」

「どうでしょう…結構欲深い方ですからね。もっとだと唸ってるかもしれない」

「はは…あり得そうな話だ」

 

夫々の担当ウマ娘たちの奮闘を見守る男二人。黄色いシャツと側頭部の剃り込みが目立つチームスピカのトレーナー沖野に、無意味な装飾品を一切嫌い、何時もネクタイを律義に締めるチームベテルギウスのトレーナー宮崎。

 

宮崎は、軒並みスピカに敗れる新人たちの細かい情報を、何か一つでも気づくことがあれば即座にメモを取り、後でフィードバックできるようにと構えていた。

 

「ケッコー来たんだなお前んトコ」

「新人の話ですか?ええ、数には恵まれました。これで、また憂いなく活動が続けられる。これも…マーシャルさんのお陰です。そういえば沖野君のところの新人さんは?」

「ああ…ケッコー見学にきてくれちゃい居たんだが…ウチのヤツ(・・)がとんでもねぇ勧誘しちまってサ…最終的には二人(・・)よ」

「でも、その二人は…」

「どんでもねぇバケモンになるぜ…こりゃ、先輩たちもうかうかできねぇ展開になっちまうのかもな」

 

沖野は口元を大きく歪ませて、燻ぶった。あの逸材二人が今後どのように化けて行くのか、想像しただけでも身震いが容易だった。だが、彼の表情はすぐに引き戻される。何か別の関心ごとが彼を引いたのだ。

 

足元から微かに伝わった違和感。足をその場から外すと、そこには一本の潰れた煙草。

 

「これ…宮崎お前のか?」

「いえ、ターフに煙草は持ち込みません…というか原則園内は禁煙ですからね」

「じゃあこれは…」

 

もう一度その煙草を見据え、そして彼は何かに気が付く。それは普段煙草を口にしない沖野であっても気付く違和感。

 

「火がつけられてない煙草…?」

「新品のままですか。それも少し妙ですね。一体誰の…?」

「…そういや、あの人(・・・)もそういうことやってたよな…火ぃ着けなきゃセーフだっつって、火ぃつけないで煙草咥えて…」

「そういうこともありましたね…ですが、沖野君」

「わぁってるよ。あの人はもう居ねぇんだ。何時までも情けなく縋るようなマネはしねぇさ…」

 

沖野は近くの回収箱に、煙草の亡骸を投げ捨てる。だが、一体誰が持ち込んだ煙草なのだろうか。その疑問だけが、彼の中に残った。

 

 

――――――――――――――

 

「「「「お疲れ様でしたー…」」」」

 

練習終了後に轟く挨拶、練習が始まるときのフレッシュさに比べ幾何かのトーンダウンは否定できない。

 

チームベテルギウスの若手たちは、顔が疲弊にやつれ、少々猫背でふらふらとしていた。あのモンスターチームが相手の合同練習会だったのだ。無理もない。

 

対してスピカのチームのメンツは、所謂『いい汗をかいた』程度の涼しい表情だけを残し、今日の練習を振り返っていた。中にはまだまだ走り足りないと再びターフに出る約一名(サイレンススズカ)の姿もあった。

 

「そういえば、お借りしたタオル類は何処にお返ししたらいいのでしょう」

メジロマックイーンが使用済みのタオルを片手に呟き、辺りを見渡す。

 

「あっちでマネージャーっぽい娘が回収してたみたいだよ」

 

とテイオーがとある方向向かって指を出した。あら、そうですの。とマックイーンはそのタオルを持ってベテルギウスのマネージャーへと歩み寄っていく…が。

 

マックイーンは途端に足を止めた。だって。そのマネージャーというのが。

 

 

かつてマーシャルを陥れた張本人、ローズロードとドライブだというのだもの。

 

 

蠢く。心の蟲が。自身でも愚かだと、醜いと理解できる心の黒点が姿を現す。

 

 

もう、終わった話だとは理解している。だが。彼女はどうしても許せなかった。勝負師たちに対する冒涜行為それをやってのけた――この二人が。どうしても。

 

 

「…マックイーン?」

 

 

急に彼女に取り巻く空気の色が変わったことを察したテイオーが、彼女に声をかけるが、どうも届いていないらしい。

 

 

マックイーンは険しい表情を携え、一歩…一歩と彼女らの元へ。

 

 

「…?」

 

そこでタオルや備品回収をしていた二人。自分たちに向けられた只ならぬ殺気に気が付く。

 

「ねぇ…何?」

「いや…わかんないけど…」

 

ローズとドライブは、歩み寄ってくるマックイーンに身を強張らせることしか出来ない。どうも、穏やかな話をしに来ているわけでもなさそうだ…。

 

 

「あなた方!」

 

 

「――マックイーンさん!」

 

 

マックイーンが二人に食い掛かろうとした刹那。後輩二人を守るように間に割って入ったウマ娘。

 

 

「…マーシャルさん」

 

マーシャルはニコリと笑って、マックイーンの手にしていたタオルを回収すると、今日はもう遅いので帰りませんか?と問いかけた。

 

「マーシャルさん…あなたの決めたことですから、深くは言及いたしませんが、本当に宜しかったのですか?あの二人は…」

「終わった話ですから。それに二人は、ちゃんとやり直すって私と約束してくれましたから…ね?」

 

マーシャルの笑みに、マックイーンはそれ以上何も問えなかった。

 

「まーまーいーじゃんいーじゃん。マックイーンもプリプリしすぎだって」

「ホントそうだよな。焼けた餅みてぇになってんぞ」

 

とすかさずマックイーンの膨れた頬を、ゴールドシップとテイオーが突いた。

 

「お二人とも…いい加減になさい!」

 

と弄ばれるマックイーンの姿が、マーシャルにとってはまだスピカに属していた頃の思い出と重なり、郷愁の念が心に宿るようだった。

 

「どっちにしても早く帰んないとねー。日が暮れちゃうと出る(・・)らしいからねぇ…」

 

そう言いながら、テイオーは手の甲をたらんと垂らし、それをゆらゆらと揺らすジェスチャーを見せる。

 

「出るって…何がですか?」

 

そうきょとんとした表情で問いかけたのはスペシャルウイークだった。

 

「スぺちゃんしらないの!例のアレだよ!『赤いウマ娘』」

「お…お化けですか…?」

「さぁ、お化けかどうかはわかんないけどね!」

「テイオーさんたちも知ってるんですね」

 

マーシャルがそう問いかけた。どうやら、この学園全体で噂になっていることらしい。ベテルギウスのチームの中でも部員たちが何かと噂を立てていた。

 

「もっちロン!だってさ!興味ない?お化けと競争とか…僕なら絶対勝っちゃうもんニ!」

 

テイオーは後ろ手を組んで上機嫌に宣る。無敵のテイオー様に恐るる敵はいないらしい。

 

「お化けが相手か…オレは御免だな…」

「あら、お化け怖いの?」

「ちっちがわい!」

隙を見せるウオッカにスカーレットは空かさずわき腹を刺す発言を。二人のいがみ合いは、以前から変わらぬようだった。

 

 

「しかし…どんな方なんでしょう?赤いウマ娘さんって。」

スペシャルウイークが口元に指を添えて天を仰ぐ。

 

「なんか色々噂はあるんだよねー。古い洋楽をいつも歌ってるとか。赤いジャケットが勝負服だとか。煙草吸ってたりするんだとか」

 

 

…?

 

 

 

 

 

古い洋楽…?

 

 

 

 

 

赤いジャケット…?

 

 

 

 

 

煙草…?

 

 

 

 

 

まさか…。

 

 

 

 

「まさか…ね…?」

 

 

 

 

 

 

 




「おい!誰かスズカを止めろ!あいつ帰ってこねぇぞ!」


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Back In Black


「…」

夕暮れのトレーナー室。そこに佇むのは、スピカとの合同練習を終え、自室へと辿り着いた宮崎の姿だった。

彼は、トレーナー室の隅に作った『お供え物』の前で周辺を見渡す。

「煙草が無い…?」

そのお供え物は、彼が尊敬する故人へ手向けた灰皿と煙草。だが今そこに残っていたのは灰皿のみ。肝心の煙草の姿がどこにも見当たらない。

生徒が盗み出したとも考えにくいし、同僚がくすねていったにしても、この銘柄の煙草を好む同僚の顔は思い当たらない。

「一体、誰が…?」




 

優しく彩る夕闇の微睡。人々は夫々の帰るべき場所へと、安念を求めて帰路へ着く。

 

そうであるはずの時間帯。しかし学園内のターフはどうも忙しない足音が一つ。

 

まるで何かを急くようにと、何かを追いかけるようにと、その足を可能な限り回す。

 

まだだ。まだだ。これでは彼女(・・)に追いつけない。

 

三度目(・・・)の敗北など、あり得ないのだから。

 

回せ、回せ。漕げ、漕げ。肺に鞭を入れろ。全身の筋肉を総動員しろ。神経を余すことなく絞れ、残ったスタミナを潤沢に使え。

 

気にすることはない。だってこのフィールドは

 

短距離(スプリント)なんだから!

 

「――――ったぁ!!」

 

ノれてる!最高にノれてる!!

 

滾る燃える満ちる。体の底から泉のように力が湧く。このまま限界突破(オーバードライブ)してしまえるほどに。

 

その脳裏、見えるのはあの娘の姿。

 

「…次はマジでないよ。レッドマーシャル(Red Sprinter)。短距離の称号は、サクラバクシンオーでも、ニシノフラワーでも、カレンチャンでも、レッドマーシャルでもない。この、オオシンハリヤーさ!」

 

もう一段、ギアを上げる。後先など知ったことない。出せるだけ出し尽くしてしまおう。

 

 

今の彼女を止める術など、どこにもないのだから―――

 

 

刹那のことだった。

 

 

二重に絡む足音。ハリヤーのものと、もう一つ別の音。

 

 

それは途端に、ハリヤーの持つ意識に感覚に触れた。

 

 

(…後ろに付かれた。いい度胸してるじゃん。今のアタシに吹っ掛けてくるなんてサ。いいよ)

 

 

「―――遊んでやらァ!!」

 

一瞬低く構えて、ローギアへと落とし、そこから一気にキックダウン。

 

ターフが抉られ、葉と土が舞い踊る。

 

そしてハリヤーは一気に駆け出す―――!

 

(悪いね、今は譲ってやったりとか、併走に付き合ってあげたりとか、そういう気分じゃあないんだ…アタシはもう一度、あの娘に…ん?)

 

最高だ。今の自分のコンディションは。ハイになっている、ピークに達している。

 

それは間違いない。満を持してそう言える。

 

なのに。

 

なぜ。

 

 

 

後ろの娘は離れない…?

 

 

 

どころか―――

 

 

 

-7.000-

 

 

 

「―――なッ!」

 

 

一瞬の出来事。コーナー立ち上がりからの、直線勝負。そこでハリヤーが目にしたのは、先ほどまで後ろを走っていた娘の背中。

 

 

 

(冗談…ッ!どこで抜かされた!?というか、この走り(・・)…!)

 

 

裾がひらりと舞う、ストライプの入ったワインレッドカラージャケット風の勝負服。

 

 

そんな勝負服、中央では見たことも聞いたこともない。彼女は誰だ?

 

「…まっ…て!」

 

ハリヤーが思わず声を上げた、その時、その娘はちらりと一瞬彼女へと視線を送り、ひとつ呟くように言った。

 

 

"Let's Rock"

 

 

と。

 

 

その光景を最後に、そのウマ娘はオオシンハリヤーを振り切って闇夜の中へと消えていった。

 

 

ゴールラインまで戻ってきたハリヤー。辺りを見回しても、さっきのあの娘の姿はない。

 

あの娘は誰だ。彼女が生んだ幻覚なのか…?

 

だが、彼女の耳には残響が鳴り響いていた。あの娘の言葉が。

 

 

「…あれが、"赤いウマ娘"…?」

 

 

―――――――――――――――

 

 

だから見たんだってこの目でさ!

 

 

そういえば隣のクラスのあの娘も見たって言ってなかった?

 

 

ウソだぁ!アタシ結構走り込みしてっけど、一回も見たことないよ!

 

 

そりゃアンタがスプリンターじゃないからでしょ!?

 

 

バッカバカしいや。お化けなんているわけない。

 

 

 

 

 

だからさ!今度練習場におびき寄せてさ、とっつかまえちゃうの私たちで!

 

 

…上手く行くワケぇ?相手は幽霊の上にバカ速いってハナシだよぉ?

 

 

やってみないとわかんないんじゃん!私たちで捕まえてさ…いっぱいインタビューされちゃうの!雑誌トップ飾ったりしてさ!学園からも表彰されたりしてさ!

 

 

ツチノコ探してんのアンタ?

 

 

 

 

 

ハリヤー先輩でも敵わなかったって話らしいぜ…。

 

 

うげぇ、あの先輩でもかよ…なぁ、先輩って今もちゃんと生きてるよな?

 

 

どういう意味?

 

 

いやほら、お化けに負けたら魂持ってかれるとかそんなんって…

 

 

そりゃねぇだろ…けど、かなり落ち込んでるみたいだったぞ。

 

 

 

 

 

おりません!そんな幽霊など!私サクラバクシンオー!長きに渡り学級委員長としてこの学園内に目を光らせておりましたが、一度もお会いしたことなどありませんとも!!

 

 

あのバクシンオー先輩が言うなら、そうなのかな…?先輩正真正銘のスプリンターだし…

 

 

ホント、バクシンオー先輩なら狙われてもおかしくなさそうなのにね。

 

 

あの…バクシンオー先輩って、夜中に走り込みとかされないんですか?

 

 

致しません!寮の門限の厳守は学級委員長として絶対なのですから!!それと、翌日分の課題を終えるために、寮長殿から早めに帰るようにと言いつけを頂いておりますからね!!!はっはっはっはっは!!!

 

 

ああ…っそっすか…

 

 

 

―――――――――――――――――

 

「騒々しいな」

 

昼下がりのトレセン学園。四方八方に広がる噂のパンデミック。学園内が軽い混乱状態に陥っていることは明白だった。

 

始めこそは小さな噂の筈だった。それが何時しか尾鰭を、肉をつけ、あることないことの噂として広まりつつある。

 

それを良しとしない者が一人、腕を組み辺りを見渡す。

 

彼女はよく知っている。真偽不明の噂が蔓延する厄介さを。

 

「例の噂のことのようですね…まったく、不確かな噂にこうも躍らされるとは。ここの生徒たちは例の一件(・・・・)から何を学んだのでしょう」

 

生徒会長の傍ら、彼女の補佐を担う副生徒会長のエアグルーヴが、愚痴にも似た呆れを零した。

 

「どうであれ、蛙鳴蝉噪がこうも蔓延っている状況が好ましくないのは確かだ」

 

「如何致しましょう。生徒会から正式に声明を出しますか?幽霊などいるはずないと」

 

「いや、生徒たちの噂を否定するのなら、我々も相応の調査をする必要がある。それに、仮に根拠なき噂であろうとも、学園内で見知らぬウマ娘を見たという証言があるのなら、即ちそれは視点を変えれば…」

 

不審ウマ娘の学園内侵入行為(・・・・・・・・・・・・・)…ですか。確かに、それが可能性として考えられるのなら、看過できる事案ではありませんね…」

 

エアグルーヴとルドルフは、顎を抱えてあらゆる可能性を脳内で張り巡らせる。

 

「今晩、我々で調査をしよう。その"赤いウマ娘"とやらが、本当に足のない幽霊なのかどうかを」

 

「承知いたしました。ブライアンも引っ張りだしておきます」

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

「オイ、本当に出るのか?その不審ウマ娘ってのは」

 

「定かではないね。だからこうして調査を進めている次第だ」

 

日の落ち込みが、鮮やかな夜空を演出する。夏の大三角すらも遠くない初夏の夜。学園内の治安を司る生徒会一行は、何時でも動けるようにとジャージの姿で、闇夜に包まれた練習場の調査を行っていた。

 

彼女が出てくる条件というのも、まだ明らかではない。なので可能な限り暗闇を演出すべく練習場の明かりは落とし、彼女らの手には懐中電灯のみ。

 

それでも互いの位置は感覚で補い合っている。誰かに何かがあれば、直ぐに対応できる用意はいつでもあるらしい。

 

「…っち。幽霊探しだとか、やってられん。アタシは降りる」

 

「おい待て!ブライアン!」

 

「なんだ、女帝サマまでお化けを信じようってのか?」

 

「そうじゃない。学園内での目撃証言がある以上、侵入者の存在が拭えないとは説明しただろう!」

 

「そんで何か実害が出たのか?…付き合ってられん」

 

ブライアンは懐中電灯をくるくると回しながら、この調査に対する不満と士気のなさをエアグルーヴに訴えた。

 

そんな二人のいがみ合いを歯牙にもかけぬと、ルドルフはライトの明かりを一点に集中させてはターフを、埒を、客席を染み一つすらも逃さぬ気概で入念に調べ上げていた。

 

しかし、それで何か有力な情報がそこで得られたのかと問われれば、首を横に振るしかない。

 

「…ふん」

 

ルドルフは、腕を深く組んで上死点に上る月へ、愁いを視線で投げつけた。

 

「会長よ、もういいだろ。こんなことしても何にもならん。そもそもこんな仕事、警備員の仕事だろ?」

 

痺れを切らすように、ブライアンはそう言い、私は帰ると言い残し二人に背を向けた―――

 

 

 

"Back in Black"

 

 

 

――――?

 

 

その場にいた全員の動きが止まった。

 

 

聞こえた。確かに、何かが。

 

 

「…会長よ、あんた何か言ったか?」

 

「いや…私ではない」

 

その時、ルドルフの足元に向かって何かが投げつけられる。ルドルフは直ぐにそれを拾わずに、エアグルーヴとブライアンへ周囲への警戒を呼び掛けた。

 

"bl..i....ck....i..sac...."

 

 

聞こえる。

 

 

噂の証言にあった、歌。古い洋楽。

 

 

囁きにも近いが、彼女らの耳はそれを確かに捉えた。

 

 

「近くにいるのか!?おい!居るのなら姿を現せ!」

 

エアグルーヴが暗闇に向かって吠える。だが、その誰かの歌は鳴りやまない。

 

ルドルフは足元のそれをようやく手に取った。

 

 

それは小さな―――煙草の箱

 

 

その箱を手にして7秒。ようやくルドルフの中で、何かが氷解した。

 

そして、警戒態勢を続ける副生徒会長二人に向かって、撤収を呼び掛けた。

 

 

「エアグルーヴ、ブライアン。この場は引こう。我々では彼女を捕らえることは不可能だ」

 

「会長…一体何を!」

 

「はっ!ユーレイに腰が抜けたか?」

 

「いいや…我々は役者として不相応ということだ。不審ウマ娘を捕らえるというのなら、こちらも相応の狩猟者(ハンター)を召喚するしかない」

 

「それは、噂通りでいくならスプリンターってことか?」

 

「ああ…そしてそのスプリンターはどうも…御指名(・・・)らしい」

 

ルドルフは練習場の観客席の屋根(ルーフ)へと視線を向ける。そこに、はっきりとは見えない何かのシルエット。

 

どうやら、歌の震源地もそこらしい。

 

ルドルフはシルエットに向かい、視線で何かを語った。…根拠のない感覚だが、そのシルエットは少し笑った気がした。

 

生徒会一行は、撤収の為にターフへ背を向けた。その背後で彼女の歌は続いていた。

 

 

 

 

"Back in black, I hit the sack

 

I've been to long, I'm glad to be back

 

Yes I'm let loose from the noose

 

That's kept me hangin' abou"

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

「お呼び出し…か」

 

この学園に入学してはや数年は経った。だが、どうしても慣れないこともある。例えば生徒会室への呼び出しとか。

 

だって、この生徒会室を明るい表情で後にする者たちなど滅多にいないのだもの。

 

せいぜい、怒られるか注意されるか指導されるか…

 

自分はなぜ呼び出されたのだろう。怒られる心当りもない…多分。

 

そう、心で終わりなく不安を呟きながら、マーシャルは弱弱しく生徒会室の扉を開けた。

 

「し…失礼しまぁす…」

 

「ああ、わざわざすまないね。座ってくれ」

 

ルドルフはマーシャルの姿を確認するや否や、生徒会長の席から直ぐに立ちあがり、対面ソファの下座に向かって手を差し出す。そして、マーシャルへ少し砂糖多めの珈琲を差し出した。

 

「…以前よりも、随分と顔色が良くなったようだな。その後の調子はどうだい」

 

「あ…はい。まぁ、なんとか上手くやっていけてます。その…あの時(・・・)はすみませんでした。その、心配してもらってたにも関わらず、私、腐っちゃってて」

 

「いいや、謝るべきは、あの時何もできずに居た私たちのほうだ。申し訳なかった」

 

ルドルフは静かに目を瞑り、耳を折った。

 

「そんな…会長さんが謝るだなんて…」

 

マーシャルはその場で立ち上がって、身振り手振りであたふた。あの生徒会長の謝罪など受け入れる準備がないらしい。

 

「…ふふ。以前の君だな。少し安心したよ」

 

「そう…ですか?」

 

僅かに見えたルドルフの笑みに、マーシャルもまた安堵の息を吐き、再びソファへ腰を下ろした。

 

「ところで、私に何か御用だったんですか…?」

 

マーシャルはルドルフの顔を覗き込むように言った。

 

「ああ。マーシャル、君は最近学園内に蔓延っているとある噂を知っているかい?」

 

「噂…ですか?」

 

「ああ、生徒たちの話によると、この学園内に、とあるウマ娘が現れるという。彼女はスプリンターばかりを相手取り、その動機も狙いも正体も不明」

 

「"赤いウマ娘"…」

 

マーシャルの一言に、ルドルフは頷く。

 

「マーシャル、君はそいつと遭遇したことは?」

 

ありません。とマーシャルは首を横に振った。ルドルフはマーシャルの回答に、そうかと一言残し、ソファを立った。

 

「学園内でもこれだけの混乱を招いている事実は君も知っているだろう。この風紀の乱れ、生徒会としても看過できる事案ではない。私たちは一刻でも早く、この事態の収拾に努めたい。そこで、マーシャル。君にあることを頼みたいんだ」

 

「私に…ですか?」

 

生徒会室の窓際、ルドルフは日光を背に、先程とはまた違った鋭い表情で語った。

 

 

 

「マーシャル…君に"赤いウマ娘"の討伐を依頼したい」

 

 

 

「…………へぇ?」

 

 

 

生徒会長の言葉が上手く消化できなかった。

 

 

つまり…その

 

 

幽霊と戦えと、言っているのか…?

 

 

 

「わ、私が…お化けと…?」

 

「無理難題を投げかけていることは自覚しよう。だが、この討伐劇の役者は君でないと意味がない」

 

ルドルフは引き出しからとある物を手に取ると、マーシャルの前に置いた。

 

それを見た瞬間、マーシャルの目の色が一瞬にして変わった。全身から汗が少し滲んだ。

 

「これ…トレーナーさんの…」

 

煙草の箱だった。それも、彼がいつも愛煙していた銘柄。

 

ずっと彼のそばにいたマーシャルは、幾度となくそれを目にしてきた。

 

その煙草の箱には、乱暴に残された走り書きの跡。

 

 

 

 

 

 

 

"Red Sprinter"

 

 

 

 

 

 

 

「…これって」

 

「赤いウマ娘が現れた日には、必ず煙草がターフに落ちているらしい。火も着けられていない状態で」

 

少しずつ、繋がっていく。ルドルフの言わんとすること。そして、今までの噂に感じた既視感。

 

 

「じゃあ…赤いウマ娘って…」

 

 

「真偽は謎のままだ…だが、相手はどうも君を探しているらしい。…どうしても気が進まないというのなら強制はしない。だが」

 

 

「やります…!やらせてください…!」

 

 

マーシャルの瞳に、一切の雲は無かった。

 

 

 

 

―――――――――――――――――

 

 

失礼しました。と、マーシャルが生徒会室の扉を閉めた時だった。

 

扉の影に隠れ見えなかった一人の生徒の姿。

 

それは、マーシャルにとって永遠とも呼べるライバルの姿。

 

「あ、オオシンハリヤーさん!」

 

マーシャルは久方に見る彼女の姿に、顔を綻ばせた。

 

だが、マーシャルの表情とは相反するように、ハリヤーの表情は曇っていた。

 

「…マーシャル。ちょっと悪いんだけど、聞き耳立てててさ…。君、あの"赤いウマ娘"と戦うつもり?」

 

「うん…本当に、私が会えるかもわかんないけど…。ハリヤーさんは」

 

「ああ、私はそいつに会ったことがあるんだ。その…奇妙なヤツでさ…」

 

ハリヤーはどこか歯切れが悪い。何か重大なことをマーシャルに打ち明ける準備をしているような、そんな心細さを感じた。

 

そして、ハリヤーは一度息を吸いなおすと、意を決したようにマーシャルへと告げた。

 

「マーシャル。アイツと戦うなら気を付けたほうがいい。アイツ…君と同じあの限定スパートが使えるんだ!」

 

「…え?」

 

「感じたよ…あのブち抜かされる瞬間。君があのスパートに入り込んだ時と、全く同じ瘴気を…。悪い夢を見ているようだった…とにかく…気を付けて。無理は…しないで」

 

ハリヤーはマーシャルにそう言い残すと、彼女に背を向けて小走りで廊下の奥へと消えていった。

 

「限定スパートを…私以外のウマ娘が使える…?」

 

何かが見えたようなそのシルエットが、再び眩んでいくような感覚をマーシャルは覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 





「なぁ、マーシャル。ちょっといいか?」

「あ、エアグルーヴ先輩、どうかされましたか?」

「ああいや、その赤いウマ娘討伐にの件についてだが、私も存在を信用しているわけじゃないが、もしひっ捕らえられたというのなら、先に私の元にそいつを連れてきてもらいたくてな」

「先輩のところに?」

「ああ、いくら火が着いてない状態だろうと、神聖なるターフに煙草を持ち込むなど言語道断!…その根性、根本から叩き直してやらんと気が済まなくてな」

「ああ…わ、わかりました…ぁ」

「頼んだぞ!」



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センチュリー・ボーイ

『じゃあ、トレーナーさん。また明日』

『ああ、また明日……な』









『嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき! 私はこれから……どうすればいいんですか……』










『待ってて……私も今、そっちに行きますから』










『マーシャル……俺たちの合言葉はなんだ?』













『居るんだ……。すぐそこに来てるんだ……トレーナーさん』












『みんな、ほんとうに……ありがとう』



 

 

「………………んぅ?」

 

 少女の固く閉ざされた瞼を強く叩くのは、赤く染まった斜陽。優しい朝陽と比べると、それはどうも情熱的だ。

 それから逃れようと毛布へ包まれば、今度は少女の蒸し焼きが出来上がってしまう。

 

 どうやらこの光は、少女を逃してくれる気がないらしい。だったら、覚悟を決めるしかない。

 

 意識が揺蕩う微睡の中で、スマホを手に取る。親指を画面に翳せば、一枚の待ち受け画面が姿を現す。

 

 それは、齢50程の男と、中等部生程の少女が肩を並べ、ロックなハンドサインを掲げている嘗ての記憶(プリクラ)

 

 数刻程それに見とれて、画面に浮かぶ数字に意識を向ける。

 

 

 -16:58-

 

 

 ……お昼寝にしては、随分と悠長だったかもしれない。だけど、これも作戦なのだ。

 

「あ、おはよう。マーシャルちゃん。どう? 眠れた?」

 

 寝起きのマーシャルにそう声を掛けてくれたのは、同室のモモミルク。自分の机に向かって、音楽を聴きながら宿題の途中。ワイヤレス・スピーカーが近くにあるにも関わらず、ウマ娘用イヤホンを使っている理由は言うまでもない。

 

「うん……でもやっぱり、お昼に寝るのってヘンな感じ」

 

「ふぅん。私、お昼寝好きなんだけどなぁ」

 

「モモちゃんはちょっと寝すぎかも……」

 

 日中に5時間昼寝をした挙句、夜もしっかり8時間眠ることがあるモモミルクが少し羨ましいとマーシャルは思う。

 

「コーヒーとか淹れてきてあげようか?」

 

「うーん……お砂糖入れすぎないでね?」

 

「はぁい!」

 

 モモミルクは尻尾を揺らしながら自室を後にする。一応釘を刺してはおいたものの、また砂糖とミルクたっぷりの甘ったるいコーヒーが出てくるのではないかと内心穏やかではない。

 

 しかし今は、そんなことに拘ってもいられない。今日は、大事な日なのだから。

 

 マーシャルは、櫛を持って自分の机へ。荒れ放題の鬣を、その櫛で梳いていく。そして温まったヘアアイロンで彼女の栗毛のショートヘアーが仕上がっていく。

 続いて尻尾。どちらかというと厄介なのがこいつだ。鬣と違ってなかなか上手く纏まってはくれない。尻尾の癖の付きやすさは母親譲りなのだ。櫛で水でアイロンで何とか太刀打ちするも、一筋縄ではいかない。

 

 マーシャルは櫛を置いて溜息一つ。そして、すくっと椅子から立ち上がり、部屋のワイヤレス・スピーカーを起動。そしてスマホのミュージック・サブスクリプションから、とある洋楽を選択する。

 

 途端、ズドンとスピーカーから弾き出される、低音弦に軸を置いたギターリフ。Eのパワーコードに、ブリッジミュートとGのハンマリング。そしてダウンピッキングにより刻まれる'70s Rockのリズム。

 

 "Friends say it's fine, friends say it's good

 Everybody says it's just like Robin Hood"

 

 メインボーカルの高いキーに載せられたハードロック。シンプルな8ビートだからこそ、乾いた心に火を放ってくれる。

 

「よぉし!」

 

 マーシャルは再び櫛を手に取る。ロック・ギターのバッキングを奏でるように、櫛というピックで、尻尾という弦を弾く!

 

 "I move like a cat, charge like a ram

 Sting like a bee, babe I wanna be your man"

 

 ロックギタリスト・レッドマーシャルの前には、我儘な尻尾すらも適わない。誰もが彼女のフレーズに酔いしれる。今の彼女ならば、ジミー・ペイジだって、ブライアン・メイだって()じゃない!

 

 "Well it's plain to see you were meant for me, yeah

 I'm your boy, your 20th century toy"

 

 尻尾が終われば、次は着替えだ。パジャマを脱いで、綺麗に畳む。そしてクローゼットを開ける。まず、そこを開けて目に入ったのが、彼女のエレキギター。赤色のボディに、白のピックガードが映えるストラトキャスター。彼はギタースタンドにふんぞり返り、出番はまだなのかと持ち主に訴えかけるよう。

 

 ……正直、ギターの練習はあまりできていないのが実情だ。少しそれに触ると、弦が錆びているのが感触で分かった。折角お小遣いを奮発して、"Marshall"の10w小型アンプまで買ったのにだ。

 

「だってぇ、夜中に弾いたら煩いし……」

 

 なんてギターに言い訳をしてみるけれど。実際のところは、Fコードから先に進めていないだけなのだ。

 

 ちゃんと練習はするから! とギターにもうしばらくの待機を命じると、クローゼットの一番奥底に眠っている、とある服に手を伸ばす。

 

 それは、彼女の大一番をいつも支えてきた、掛替えのない相棒。

 

 

 ――彼女(レッドマーシャル)の勝負服。

 

 

 今回は、GⅠクラスのレースではないものの、それの着用を許可された。

 

 勝負服を両手で持って、ひとつの深呼吸。その時、彼女へ風が吹く。

 

「マーシャルちゃん。お待たせ……。あ、またこれ聴いてる」

 

 彼女の耳を劈き、空間を揺さぶるハードロック。

 

 

 "20th century toy, I wanna be your boy

  20th century toy, I wanna be your boy"

 

 

「もぉ、こんな曲可愛くないよぅ!」

 

 と、モモミルクは頬をぷくりと膨らませながらも、スピーカーには触らなかった。

 

「えへへ、これ聴いてると、その、やる気が出るっていうか、目が覚めるの!」

 

「マーシャルちゃんも変わってるねぇ」

 

 それはトレーナーのせいだ! と嘶きながらも、マーシャルは勝負服に袖を通す。

 赤いブレザーチックな意匠のそれ。チェック柄のスカートとネクタイが彼女らしさを演出し、夕日に照らされた金の飾緒がきらりと赤を修飾する。そして、左肩にはⅦの称号。

 

「……やっぱりかっこいいよね、その勝負服」

 

 持ってきたミルクたっぷりな珈琲を啜ってモモミルクは言う。

 そうかな、と面映げなマーシャルの表情は、どうやらまんざらでもない。姿見の前で一回転。スカートがふわりと風に乗り、再び正面で決めポーズ。ここだけのパドック。

 

「よォ! まだいるかマーシャル!」

 

 と、二人の部屋にもう一人の親友の姿。大きな荷物を引っ提げて、半ば興奮状態。

 

「あ、ギアちゃん」

 

「おう、よかった。ちょっとお前に渡したいモンが……」

 

 そうとまで言ったとき、トップギアの耳に入ってきたのは、往年のハードロック。ギアはワイヤレススピーカーを見て「またこれ聴いてんのかよ、20世紀少年(センチュリーボーイ)」といった。

 

「うん。やっぱり私はこれ(・・)だから。それで、どうしたの? そんな大荷物」

 

「お前がお化け退治するって聞いたからよ。ほら、俺のコレクション。貸してやるよ」

 

 そういって彼女が差し出したのは……なんだか如何にも映画に出てきそうな特殊ゴーグル。

 

「なにこれ……」

 

「何ってお前、エクトゴーグルに決まってんだろ。知らねぇのかゴーストバスターズ! 限定1/1プロップレプリカなんだよ。くぅ……こいつがようやく役に立つ日がくるなんてなァ」

 

 マーシャルはゴーグルのスコープを覗いてみる。しかし、所詮はただのおもちゃ。マーシャルの苦笑はギアには届かない。

 

「そしてほら、プロトンパックとゴーストトラップ!。それと……PKEメーター! これくらいありゃ大丈夫だろ!」

 

「遊びにいくんじゃないよぅ」マーシャルはあきれながら言う。

 

「違うよギアちゃん! お化け退治には掃除機なんだよ! あとこれも効くって」とモモミルクが差し出すのは部屋の小型掃除機とファブリーズ……。

 

「もぉ! 二人とも真面目にやってよ!」

 

 

 

 "20th century toy, I wanna be your boy..."

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 栗東寮の昇降口。そこでマーシャルは、レース用のシューズ〈ターフエンペラー〉をその脚に包む。

 窓の向こうに見える空は、すっかりと暗くなり、星の輝きが目立ち始めている。

 

 深呼吸をして立ち上がる。その時、背後から寮長(フジキセキ)の声。

 

「準備は万全?」と彼女はマーシャルに問いかける。

 

「はい……未だにちょっと実感湧かないんですけどね。お化けと戦うだなんて。何もないまま帰ってきちゃうかもしれないです」と、少しはにかんだ表情で言った。

 

 しかしフジキセキは首を横に振って「ううん。君はきっと戦うことになると思うよ。その幽霊とやらと」据わったような瞳でそういった。

 

「寮長さんも、お化け信じるんですか?」とマーシャルが問う。

 

「さぁ、どうだろうね。でも、彼はきっと君に逢いたがっている。その理由は、君もなんとなくわかっているんじゃないのかい」

 

 フジキセキの言葉に、マーシャルは沈黙で答えた。

 

「……さぁ、私の大切な寮生に、夜間外出を強制させるような困った不良ウマ娘だ。しっかりとお灸を据えてきてあげておくれよ! ファイト、ポニーちゃん!」

 

 フジキセキはマーシャルの背中をたたく。マーシャルは強く頷き、寮の外へと足を踏み出す……そこには、かつての仲間たち(チーム・スピカ)の姿。

 

『レッドマーシャル』の横断幕を掲げて、マーシャルの出陣を飾る。

 

「みんな……!」その光景は、マーシャルの心の琴線に触れる。

 

「あ! 出てきた!」彼女たちはマーシャルを見つけるや、周囲を取り囲むように。

 

「聞いたよマーシャル! 赤いウマ娘と戦うんだって! しかもカイチョーからの指名付きで! 本っ当ならボクがやっつけてあげる所だけど、ここは譲ってあげるよ!」とトウカイテイオーが後ろ手を組んで言う。

 

「けっぱれ~! 一番人気!」と激を飛ばすスペシャルウイークは、サイレンススズカと横断幕を広げる。

 

「マーシャルさん。よろしいこと? 例え相手がどんな存在であろうと、油断してはなりませんわ。貴女の強さは、私共が保証致します。どうか、ご武運を」とメジロマックイーンはマーシャルの手を握る。

 

「センパイ! 絶対負けちゃダメっすよ! お化けに負けたりなんてしたら……連れてかれちゃうかもしれないってウワサ……わぁ! オレには無理だ!」

 

「もぉ、ずっとあんな調子なんだから……でも、気を付けてくださいね。先輩。何があるかなんてわかりっこないんだから」とウオッカを尻目にダイワスカーレットは言った。

 

「ありがとう、みんな。また、助けられちゃってるみたい」

 

「それがスピカの掟だから!」とテイオーは高らかに笑う。

 

「よぉ、マーシャル。車、表に回してるから、準備いいなら乗ってくれ」と、彼女らの背後から沖野が姿を現す。

 

「沖野さん! はい、私はいつでも大丈夫です!……そういえば、ゴルシさんは?」

 

 そういえば、彼女の姿が無いようだと、くるりとあたりを見回す。すると、沖野よりも背後に大柄の葦毛のウマ娘は姿を現す。彼女の表情……何か険しい。

 

 ゴールドシップはマーシャルの両肩をしっかりと掴むと、瞳をじっと見つめて言った。

 

「アタシたちはお前を信じてる。ちび助。お前が負けるはずなんてないってこと」

 

「ゴルシさん……」

 

「そう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの『まじかる☆らぶりん きらきらもーど!杯』を勝ち取ったお前なら! 幽霊なんか相手じゃねぇ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の勝鞍……ほかにもあるんですけど……」

 

 

 

 

 

 

 

 






「沖野さん、この車……確か、デロリアンとかいうやつですよね……買ったんですか?」

「いいや、ゴールドシップがどっかから持ってきたんだ……」

「……多分、映画違うと思うんですけど」




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