警句は忘れません (一般ヤーナム市民)
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警句は忘れません

『かねて血を恐れたまえ』

 

その言葉を失くしたことは片時もなかった。

決して、失くしたことはなかった。

 

決意を秘めた過去の誓いは、しかし終に守られることはなかったのだが。

 

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公」

 

 

やがて明ける夜の帳が降る。この日、冬木の街は寂れた古都もかくやというほどの静けさの中にあった。

過去に止まる骸を再演しようというのだ。ならば、粛々と迎えるのがこの国の習わしであろう。

 

もっとも、折節は秋風しみる11月。盆の入には早すぎる。

根源を求めてやまない魔術師たちがそのような些事に気を止めるかと聞けば、語るべくもないことだが。

 

 

「祖には我が大師ウィレーム──」

 

 

失望するだろうか、それとも許してくれるだろうか。今になってから大師などと。

かつての裏切りには大義があった。結局、成熟には至らなかったのだけれど。

 

詠唱を紡ぐ男と祖の繋がりはただ遺志を受け継いだこと、その一点。

この宣言を恩知らずと言わずしてなんと言えばよいのか。しかし、ただ継いだだけの男には当事者ほどの感傷はない。

 

ああ、忘れなかったとも。

忘れなくとも、ついには破ってしまったのだが。

 

 

「降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 

巡る、巡る。血が巡る。

まだ暖かな紅に描かれた陣に命が宿る。

霊脈から引き上げられた魔力は器へとなだれ込み、魂の御座す場所への道筋がおもむろに開き始める。

 

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」

 

 

旧い簡易祭壇に置かれたのは黒い布を被せられた板状の物体。

本物か、贋作か。そこは大して問題ではない。

少なくともこの触媒ならば、それだけを男は知っていた。

 

 

────告げる。

 

「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 

簡易祭壇には触媒の他にもう一つ、杯が置かれている。

儀式の血で満たされた、()()()()()だ。

 

他にも杯はあったが既にこの地にそれはある。なれば此方を使うのが適当だ。

いたずらに使う必要は無い。結果、己の目的すら水泡に帰すなら尚のこと。

 

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 

込められた魔力は夜を裂き、または風圧となって陣から流れ、溢れ出る。

無事に機能しているようで何より。乾いた笑みを浮かべ、男は次なる詠唱を口にする。

 

同時に左手の甲に浮かんだ逆さ吊りのルーンに似た刻印が微かな熱と光を灯した。儀式に集中する男が気が付くべくもなかったのだが。

 

 

「────されど汝は狂気を降し、その瞳を(ひら)くべし。汝、虚空より降り立つ(そら)の使者。我らの蒙を啓きたまえ」

 

 

規定の文言とは異なる一節。今や彼のみが有する追加詠唱。

ああ、彼らの歩みは断じて徒労ではなかったのだ。

たとえその遺志が今や風前の灯火であったとしても、既に草葉の陰で見守る者となったとしても。

 

────継がれる限り、遺志は絶えない。

 

幾度も破れた彼方への呼びかけは今宵、結実の時を迎えた。

 

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──!」

 

 

一層妖光が瞬く星のように煌めき、辺りを照らす。

今度こそ上手くいったと安堵の息を漏らし、男は星光からすごすごと歩み出る彼女を見やった。

 

その風貌は陰鬱で、気弱な雰囲気を感じさせた。

たかが人では逆さになっても勝てない英霊のはず、しかし彼女はふとした拍子に折れてしまいそうだった。それこそ、風に吹かれた花のように。

 

向日葵を象った巨大な絵筆をよいしょと両手に抱え、おずおずと、それでいて自信なさげに彼女は口を開く。

 

「さ、サーヴァント・フォーリナー。見ての通り、ゴッホです……。えと、その、貴方が私のマスター様でしょうか……?」

 

極めて下出にたどたどしく、ゴッホを名乗る降臨者はエヘヘ、と憂うように笑い、小首を傾げた。

 

 




続きは未定。

もう少し煮詰まったら次の話投げます。


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聖血を拝領するのだ

全てを知ったのは、全てが終わり、全てが手遅れになった後。

遺されたものを掻き集めてできたのが、今の彼だ。


悲願成就のために造られ、しかしついぞ使われることがなかった略式儀式の汎聖杯と簡易祭壇。

杯に満たされた儀式の血と黒布に包まれた絵画は果たして、ヴァン・ゴッホを名乗る少女を第四次聖杯戦争の舞台たる冬木に現界させるに足りたのだった。

 

「君が、ヴァン・ゴッホ……?」

 

引き継いだ話とは随分違う、と怪訝そうにマスターは彼女を見回す。頬が引きつる少女の周りを怪しげな儀式よろしくグルグルと公転するマスターは控えめに言って不審者だった。

草木も眠る丑三つ時が幸いし、彼が官憲に捕まることはなかったが。

 

彼女が纏う服や装備品にはゴッホを彷彿とされる意匠は確かに組み込まれている。

しかし現代まで残った()の資料が彼女をゴッホとして認識することを拒んでいた。

 

そうして10分、己のサーヴァントを余すことなく見尽くしてからマスターは気がついた。

夢中で忘れていた、あまりに礼節を欠いた行動であったと。

 

「む、すまない。不躾だった。聞いていた話と君が些か違ったのでな」

「ええまぁ、そうですよね。エヘヘ……」

 

否定するでもなくゴッホは伏し目がちに笑う。

なるほどこの反応からすると彼女は自分がこの状態で呼ばれたわけを知っているらしい。

まあ、それを探るのは後でもできるかと思案を棚上げしたマスターは簡易拝謁のジェスチャーで失礼を詫びた。

 

「名乗るのが遅れて申し訳なかった。私はルーキス、ルーキス=ブラッドボーン。以後、よろしく頼む。して、ゴッホ嬢」

「ああああそんかかしこまらなくていいですから!!!敬われるような人生……人生?なんて歩んでいないですしその……あの、むず痒いのでゴッホかゴッホちゃんでお願……いえ!別にこれは呼名を強制する意図とかではなくてですねゴッホ的我儘というか……」

 

どうやら簡易拝謁はゴッホ的にお気に召さなかったか、恐れ多いと思われたらしい。

そこまで首を横に振られては仕方ないとルーキスは立ち上がり、改めて狩人の一礼でゴッホに応えた。

 

「了解した。じゃあ……ゴッホ、ちゃん。君が聖杯にかける望みを聞かせてもらえるか?」

 

形式上、マスターである彼は確認しなければならない。

どんなに優れた主従だろうと行先の不一致は致命になりうる。

紡がれた歴史がそう語るなら、従うのが道理というものだ。

 

ゴッホはふよふよと明後日の方向に目線を泳がせてから、ルーキスに向き直る。

その顔に、付きまとっていた憂いはない。

 

「聖杯、ですか。万能の願望器と聞きますが……私が聖杯にかける願いは──ありません」

 

不安定だった精神もこの時ばかりは背筋を正した。

不自然に落ち着き払った彼女の声が暗い公園に凛と広がった。

エヘへ、怪しさ満点ですよね、とゴッホは屈託の無い、陰なき笑顔を浮かべた。

影のない国を求めた彼女に、良く似合う顔だった。

 

「……遥か昔、或いは遠い未来。継ぎ接ぎで歪な私を受け入れてくれた人々がいました」

 

街の光に負けじと瞬く星辰を見上げ、懐かしき未来を追想する。

 

不可知なる海、虹色の夢の中、星見の台での得難き体験は彼女──『ヴァン・ゴッホ』という一騎の英霊のアイデンティティ構築に多大なる寄与をもたらした。

 

この名を名乗っていい、そのままの自分でいい。

背中を押してくれた彼らとの想い出、彼女はそれをあまりに過分なものだと思ったが、しかし今のゴッホを作る確かな旅路だった。

 

「まあ、この私にとってはただの記録でしかないのですが。それでも彼らは私という空っぽの存在に意義をくれて、君が必要なんだと、この手を取ってくれた」

 

「だから、こんな異常で、おかしな、気味の悪い、どうしようもないサーヴァント()をまた欲してくれる奇特な人がいるのなら……私は喜んでその一助となりたいのです。マスター様が望むなら、末永く……」

 

エヘへ、と最後に付け足してゴッホは話を締めくくった。

常ならば万雷の喝采を持って閉幕するところだが、ここは劇場ではなく地方都市の公園である。彼女を迎えたのは感心したようなルーキスの声色だけだった。

 

「自分を求める人の役に立ちたい、と」

「端的に言うなら、そういうことなんでしょうか……お求めでしたら薄い記憶を引っ張ってお話しますが……」

 

ルーキスは首を振る。ゴッホは胸を撫で下ろした。

 

「いや、十分だ。十分だが──確証が欲しい」

「ハゥッ!い、今のゴッホにお出しできるのはそんなに多くないといいますか、さっきの話が全てといいますか……」

 

まさかそんなものを要求されるとは考えなかったゴッホ。ゴッホ混乱、ゴッホ困惑。

彼女はほとんど出し尽くしてしまったのに、まだ求めるというのか。未だ獣に成り果ててはいないが、些か彼は保身に貪欲だった。

 

ルーキスは泡を食うゴッホに対してそんな難しいことは要求しない、と言いながら一本、指を立てた。

 

「ゴッホ、ちゃんにしてもらいたいことは一つだけ。何も難しいことじゃないから安心してくれ」

 

大抵の場合、この前置きは全く安心できないことの示唆である。

しかしゴッホはもうすっかり落ち着いていた。次の瞬間ゴッホッホするのは既定路線だった。

 

 

 

「君の血を────拝領(舐め)させてもらえないだろうか?」

 

 

 




略式儀式の汎聖杯と簡易祭壇で現地聖杯に接続してサーヴァントを召喚すれば聖杯戦争という『儀式』に飛び入り参加できるという寸法。

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その血に流れるは

異端はどこにでも存在する。
例えそれが血の医療広がるヤーナムだろうと、全く例外はない。


場所は夜半の公園から新都のビル街に移る。

役目を終えた杯と祭壇をずた袋にしまってコンクリートジャングルを歩くこと30分、建造物に挟まれた光の当たらない裏路地に辿り着いた。

 

「ハゥッ!?まま、マスター様……その、()()はなんでしょうか。なんというか、同クラの雰囲気を感じますが……」

「シンパシーというやつか?だが彼女については私も満足に解答を得られていない。曰く、『世話をする』存在らしいが」

 

闇に慣れた瞳は深淵の内に一体の人形を浮かび上がらせる。

2mには届こうかという背丈、銀色の髪と端正な顔立ち、穏和と不気味さを同居させた絡繰は恭しく、静かに一礼する。

 

「お帰りなさい、ルーキス様。そしてはじめまして、ヴァン・ゴッホ様。私は人形。この先で、あなた方のお世話をするものです。では、どうぞ此方へ」

 

人形が背後の袋小路を手で示すと空間が捻れたように歪み、光が顔を覗かせる。

白み出した空間からさながらまっさらなキャンバスに絵を描くように色が湧き出し────そうして、古の工房(アトリエ)が殺風景なビルの谷間に現れたのである。

 

「固有、結界……?」

 

弩級の神秘に目を見開いたゴッホにルーキスはそういう呼び方もあるらしいと呟いて、優しく彼女の手を引き夢の中へと足を踏み入れる。

 

月光が微笑む箱庭はゆっくりと門戸を開く。

整然と並ぶ墓碑と揺れる白花、随所に現れる使者たちは呻きながら二人を歓迎した。

合言葉は必要ない。真に秘されるべきは彼方へと移されたが故に。

 

立て続けに起きたゴッホ困惑がやっと落ち着き、彼らは工房の丸テーブルを囲んだ。

よく目にする人間より初めて来訪したゴッホに興味があるのか、使者たちは足元で楽しげに蠢いている。

可愛い、と零した絵描きの呟きをきっと空耳だろうと思い直し、ルーキスは本題を切り出した。

 

「あー、すまない。色々落ち着かないかもしれないが……待ってくれ、私はどこまで話した?」

「えぇと、マスター様がゴッホの血を舐め(拝領し)たいって言ったので、私の血は飲んじゃいけない類のものですよとここに来るまで話してたと思います」

 

曰く、彼女が初めて召喚されたのは虚数空間である。

曰く、彼女の霊基は神霊に近しく外なるものどもの力を宿している。

故に、マスターが自分の血を飲むのはやめた方がいいと彼女は言った。

 

「そうだな。普通の人間がゴッホちゃんの血液を飲むなり輸血するなりしたら良くて狂うか、悪くて死ぬかだろう」

「……マスター様の御身は普通ではない?」

「YESだ。私の生い立ちはともかく、端的に説明するなら──いや。その前にゴッホちゃん、君は『起源』という概念は知っているか?」

 

 


 

【起源】

──刻まれた宿命、あるいは存在の本質。

何人たりとも逃れることはできない定められし方向。

 

多くはそれを自覚せず生涯を終えるが、稀に己の起源を知覚するものがいる。

だが、真に目覚めることは自我の崩壊を誘発する。

 

血は全てを溶かし、全てそこから生まれるように、総ては根源より出で、起源に殉じ、また還る。

 

過去、()()()()()()()()()()()()()『 』にこそ叡智を見出したのだ。

 


 

 

「一応、聞きかじったことならありますが……」

「私の起源は『血』と『継承』。血、ないしは死血を経口摂取するか輸血することで彼らの記憶と遺志を継承することができる」

「それならなおさらです!!」

 

弾かれたように立ち上がったゴッホは「あうぅすみませんすみません」とヘナヘナしながら椅子の中に縮こまる。

彼女の心配もルーキスは十分に理解している。

だがここで立ち止まるわけにはいかない。遺志を継承したが故に、手段を選んでいられない。

 

「……継承の過程で私は様々なものを視た。そこに、君の言った外なるものどものそれも含まれている」

「は──?」

「何度頭が割れそうになったかわからないが、もう慣れた。だからきっと、君の血も受け入れられると思う」

 

体育座りで懐疑の目線を向けるゴッホ、対して自分の信用を証明するため目を合わせるマスター。

しばらくして根負けしたのか、希代の画家は深くため息をついた。

 

考えてみれば彼女の手元には発狂を止められる方法は既にある。マスターがわざわざ嘘をつく理由も見当たらない。

ならばまあ、よいではないか。そうゴッホは結論づけた。

 

「……わかりました。ゴッホの血、あげます。……でも、ちょっとだけですよ?」

「十分だ。ありがとう、ゴッホちゃん」

「その代わり、約束してください」

 

おもむろに親指の側面をかじり、ゴッホはずいとルーキスに向かってそれを差し出した。

ほんの少しだけ、頬を朱に染めて。

ほんの少しだけ、目線を外して。

 

「私を知ったら、マスター様の願いも、教えてくれますか?」

「もちろんだ。では、失礼して────」

 

机に滴る芳しい神秘の匂いに惹かれるように、しかし彼女の傷を労るように。

『聖血の拝領』は神聖なる儀式の如く、極めて厳かに執り行われた。




聖血は良い。
されど、血の恐れを忘れることなかれ。
忘我の果てに辿り着きたくなければ、肝に銘じることだ。

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誓いをここに

きっと、何もかもが借り物だった。

その意志の、たった一片でさえも。


結論から言おう。ルーキスの試みはつつがなく終了した。

懸念されていた副作用──脳漿が炸裂して瀕死になることや身体から名状しがたき触手が生えたりすること──もなかった。

 

「ゴッホは……ゴッホは全てさらけ出しましたよ!さあさあさあ!マスター様も!聖杯にかける願い、聞かせて頂けるんですよね!」

 

自らの血を他者に飲ませる倒錯的行動、指に滲む痛み、余すことなく自分を知られてしまった恥辱にゴッホは幾分ハイになった。ゴッホ興奮。ゴッホ昂揚。

なんと『咲く』一歩手前である。とはいえ、顔が見えなくなるだけでさしたる害はないのだが。

 

弾む彼女にマスターは言い淀んだ。

喘ぐように口を開けて、しかし閉め、噤む。そうして申し訳なさそうに嘆息を一つ。

すべからくマスターは望みを持つが、彼のそれはおよそゴッホが納得するとは思えないものだった。

 

逡巡の末、君に嫌われるかもしれないが、そんな前置きをして恐る恐る言葉を転がした。

 

「私はね、ゴッホ。脳に瞳を得ようとしたんだ」

 

言葉が詩的すぎたのか、ゴッホは緊張で薄く笑いながら首を曲げた。

もちろん言葉通りの意味ではない。比喩の類だ。

しかしある神は、熱心に祈りを捧げる者たちへ読んで字の如く下賜したようである。

 

「瞳……では、お諦めに?」

「ああ、残念ながら。瞳は凡庸な人間では得ることが難しい。だから、私は奇跡に縋ることを選んだ」

 

また躊躇い、意を決したように言葉を吐き出した。

 

「君を創った邪神と恐らく同等の存在────上位者に伍し、その思考の座に至ることが……我等の悲願であり、私の、聖杯戦争にかける願いだ」

 

 


 

【ビルゲンワース】

ウィレーム学長が首魁を務める研究機関。その後ヤーナムにおける多くの組織の源流となった。

 

史学と考古学の学び舎は、聖体の発見を契機に神秘と思考の瞳の探求へ傾倒していく。

ビルゲンワースの一部に魔術が流入したのも同時期といわれている。

 

そうしてウィレームは古き血を恐れた。それ故、教え子たちは袂を分かった。

 

しかし、ゆめ忘れるな。

……知らぬ者よ、かねて血を恐れたまえ。

 


 

 

『記憶を見るに、君は邪神を恨んでいるだろう。そんなものやそんな思索に至りたいと願う私と共に戦えるのか、今一度考えてみて欲しい』

 

突き放すようにそう告げられ、ゴッホは一人箱庭の中をフラフラしていた。

使者も空気を読んだのか近づこうとせず、しかし遠巻きに眺めるだけにとどまった。

 

邪神を信仰するものは数あれど、自ずから邪神になりたいと願った存在をゴッホは知らなかった。

だから惑った、測れなかった。

 

邪神降臨を目的とした人間であればすぐさまゴッホはマスターとのパスを切断し、他のサーヴァントに首を差し出しに行くだろう。

『向日葵の呪い』により自死が制限されている以上、これが彼女の最適解だった。

 

しかし彼はなりたいと言った。

……いや、それだけでは語弊があるか。

正しくは、超次的思考に至る過程で上位者になる必要がある、そう判断したのだろう。

上位者になることはあくまでも手段であり、彼にとっての目的ではない。

とりあえずその点において、ゴッホはマスターを信用できた。

 

「ゴッホは、どうすれば……」

 

つまるところ、彼は『究極の知性』とでも言うべきものを欲しており、そのために上位者(邪神)になりたいのだ。

世界を支配したいとか、暴虐の限りを尽くしたいとか、決してその上に到達した結論でないのはゴッホにもわかる。

 

理解が及んでしまうから、なお辛かった。

自分の身の上が、決断を拒んだ。

 

「ずいぶん、お悩みのようですね」

「……あ、人形様。さっきはコーヒー、ありがとうございます。美味しかったです、ウフフ……」

「私はただ、『人形』で結構です。私から敬いこそすれ、敬われる立場ではありません」

「じゃあ、人形……ちゃん?」

「人形ちゃん。……ええ、この響きは実に私に似合っているような、そんな気がします」

 

心ここに在らずのゴッホが足を運んだのは工房の裏庭だった。

 

柱が乱立する不気味な雲海を眺めていた先客の人形は、訪れた時より更に顔色を悪くした絵描きを心配そうに見つめた。

 

そんな彼女の心中を知ってか知らずか、手を差し伸べるように人形は語り始めた。

 

「……ルーキス様は啜った血の、普く遺志を継承しています。継いだ遺志は力となりますが、また呪いにも変じるのです」

「呪い、ですか」

 

ゴッホは訳知り顔をしていた。

彼女からすれば呪いはありふれたものであるけれど、その質はまるで違うのだろう。

始まりに根ざすのが黄衣の王か、人の遺志かという点で。

 

「ルーキス様は囚われているのです。『上位者に伍する』『瞳を得る』。得た血に流れていたのはきっと、そのような心ばかりだったのでしょう」

 

だから、『我等の悲願』と言ったのか。

ゴッホ納得、ゴッホ了知。

 

「『今代で達成できなければ、私は起源に従い次なる者へと継承するべく動き出してしまうだろう。それだけは避けなくては』そうも仰っていました」

「マスター様は、業を引き継がせないために……?」

「恐らくは。どうでしょうか、信憑性はルーキス様に直接お尋ねくだされば保証できるかと思いますが」

 

判断の材料は揃った、ブレた決意も定まった。

ならば後は、走り出す勇気だけ。

 

少し間ギュッと目をつむって、それからゴッホは古工房へぱたぱたと駆け出した。

 

────今一度、誓いを立てるために。

 

 

 

その後ろ姿を微笑ましげに見送り、人形は宙に浮かぶ月へ目を向ける。

月は何も言わず、ただ優しく光の下の彼らを見守っていた。

 

「狩人様……これで良かったのでしょうか?」

 

今や誰も分からぬ月の香りを振りまいて、人形は独り呟いた。

 




望む、望まざるに関わらず、『起源』は彼を突き動かし、遺志は空へと掻き立てる。

囚われた意志が日の目を見る日は来るのだろうか。

月しか昇らぬこの夢ではきっと、儘ならないのだけれど。


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嵐の前に

汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に

聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら──


……今一度、ゴッホの名に懸け誓いを受けます。 

一緒に世界を塗り替えましょうね、エヘへ……。



「会議の時間だ」

「お、お〜!」

 

契りが結ばれ、主従の縁はより深くなった。

そんな余韻も束の間、気持ちを新たに一人と一騎は聖杯戦争を生き残るためのプランを机を囲んで練っていた。

気の抜けた声のゴッホだが、しかしやる気は十分のようだ。

 

人形は使者たちともにと開けた場所で落葉焚きをしている。服が焦げないようにねとルーキスは声をかけたが、一つ疑問が浮かんだ。

この異空間に季節という概念は存在するのだろうか?

 

……取り留めのない思考はひとます棚上げしておくことにした。

 

 

ゴッホとルーキスの陣営──便宜上、これ以降は『フォーリナー陣営』と呼称する──が今回保有するアドバンテージは大きく二つ。

 

 

一つ目、拠点を発見される可能性が限りなく低いこと。

人形を基点として展開される固有結界じみた異空間は設置地点に狙って魔術を撃ち込まれたりしない限りは秘匿され続ける。

また、この領域に足を踏み入れることは魔術工房への侵入と同義であり、哀れな侵入者はルーキスがヤーナムで得た冒涜的遺物や機構を真似て新たに製造した仕掛け武器の錆になるだろう。

 

 

二つ目、『ヴァン・ゴッホ』というサーヴァントそのもの。

まず、この真名は彼女の正鵠になり得ない。

彼女の身の上を考慮して名を付けるとすれば『クリュティエ=ヴァン・ゴッホ』が正確なそれだ。運良くここまで辿り着いたとしても彼女の本質を掴むことはままならない。

二騎の関連性を見出せないサーヴァントを継ぎ接ぎし、そこに二柱の邪神由来のエッセンス、最後に虚数属性を付与された彼女の正体をどう看破しろというのだろう。

 

そもそも彼女が割り振られたクラスは既存七種でない番外(エクストラ)

見破れというのは、難しい相談だ。

 

 

「拠点割れなし、真名がバレても問題はない、それが現在私たちが持つ利点だ。しかし……」

「今回召喚されるサーヴァントと私たちはともかく……他マスターの情報がないですね」

「ここ数年ヤーナム巡りに没頭していたからな……。面目無い」

 

ルーキスは魔術協会とコネクションを持つわけでもなければ、他御三家との縁もゆかりもあるわけではない。

ヤーナム生まれのヤーナム育ち、血の遺志を己が糧とする逸般的な探求者である。

 

世情に疎いルーキスが故郷ヤーナムより遠く離れた極東に辿り着くのにかなりの苦労が付きまとった。

この時点で悪戦苦闘する有様の人間、それも何一つアテにするものがない彼が他のマスターの情報を収集できるかと問われれば、否である。

自分のお守りで精一杯、そんな余裕はないのだ。

 

「情報は現地調達、もしくは他のマスターと交渉する等して入手していく他ない。最終的に全員脱落してくれれば御の字だが、そう上手くは運ばないだろう」

「ゴッホの幸運値はDですもんね……エヘへ」

「不吉なことは言わないでくれたまえ……。さて、相手側の情報を現地で掠め取るしかない以上、私たちにできることは少ない」

 

おもむろに椅子から立ち上がるとルーキスは工房の保管箱を開いた。

軋みをあげて開帳された匣の中には即座に啓蒙を得られそうな冒涜的アイテムや武器たちが目覚めを待って静かに眠っている。

 

そこから一つを手に取って、暖炉を挟んで隣の作業台にゴトンと置いた。

鈍色で霞んだ光を放つ刃は見た目からも相当に古いことがわかる。しかし魔術において神秘とは、古ければこそ宿るものなのだ。

歴史がヴィクトリア朝にまで遡る遺物であれば、十分にその要件は満たしている。

 

「さて、開幕までもう少し時間はあるはず。そのうちに得意を伸ばす準備をしておかなければな」

 

 


 

【ヤーナム】

十九世紀イギリスのヴィクトリア朝前後に隆盛した山間都市。

同時期栄華を極めたロンドンと異なり、寂れた街には病と血が染み付いていたようだ。

 

この古都では『獣の病』と呼ばれる風土病が蔓延しており、呪われた街として知られていたが、しかし古き医療の街としての側面も存在していたらしい。

 

第四次聖杯戦争の幕が落とされた二十世紀末には廃墟と化して久しく、かつて何があったのか、何が潜んでいたのか、皆忘れてしまった。

 

そこにあった全てが、まるで悪夢であったかのように。

 


 

 

戦いに挑む準備は、何も夜を徹して敢行するわけではない。磐石の体勢を整えることは重要だ。しかし根の詰め過ぎはまた新たな憂いの呼び水となる。

 

だから君、適度に休憩を取りたまえよ。

それが無理を通すよりずっと賢く、しかし早い近道となろう。

 

「うう、こんな木っ端サーヴァントのためにマスター様がここまでされていいんでしょうか……その、恐縮で、何と言うか、エヘへ、死ねばいいかな……なんて」

「ここで死んでもらうのはとても困るからその向日葵を首に当てるのはやめないか?」

「はい……ゴッホ沈黙……」

 

フォーリナー陣営は新都にあるショッピングモール、ヴェルデに訪れていた。

日用品や食料の買い出し、そしてゴッホたっての希望で現在は書店で本を物色している。

憧れ、しかし想像した日本(ヤパン)とは違うものの、活気溢れる街の景色にゴッホのテンションは上がっているようだ。

 

余談だが、ゴッホは現在『青い秘薬』により一時的にアサシンの『気配遮断』に片足をかける相当の隠密性を獲得している。

でなければこうして堂々と街を練り歩くのは難しかっただろう。

 

「えっと、これか?」

「ああ!夢にまで見た、というか実際この目で見たことはあるのですけど、こうしてまた……幾星霜時を経てからお目にかかれるとは思いませんでしたよぅ……」

 

ゴッホの性格にしては珍しく、これが欲しい!とねだったのは浮世絵──特に葛飾北斎が特集された画集だった。

生前の思い入れもあるのか、暫し感傷に浸るような顔をしてからルーキスの買い物カゴの中にそっと入れた。

 

「えっと、いいですよね……?」

「金にも置き場所にもそこまで困ってはいないからな。納得いくまで見ていくといい」

「ああ、ありがとうございます……!マスター様!」

 

それからゴッホはタガが外れたようにアレもこれもと画集や小説を買い物カゴに入れていく。

ルーキスは日本に訪れる前にヤーナム産儀式素材をたまたま知り合った魔術師にいくつか売却したので、資金に関してはそこそこ余裕があった。

 

ちなみに儀式素材を購入した魔術師は程なくして気狂いになったらしいが、それはルーキスの知るところではない。

 

ゴッホは手当り次第、というわけではなさそうだがカゴの中の本のジャンルはいよいよ混沌としていた。

偉人や画集関連の書籍が多いが空想上の神話体系についての考察論文もいつの間にか入っている。

……この現界の一時とはいえ、彼女の慰めとなるなら、まあいいではないか。

 

「葛飾北斎三十六選、海底二万里、神統記、魔女狩りのセイレム、資治通鑑、フランケンシュタインの怪物、アーサー王物語──私にはそこまで見えなかったが、これはいつかの君の記憶に関わることなのか?」

「ゴッホもそこまで覚えているわけではありませんが……」

 

そうは言うも、彼女が本を眺めるその目はどこか望郷の念を灯していた。

でも、それは私じゃない。私じゃない私の思い出だから。

だけど、懐かしむくらいならば。

 

「そうですね、きっと……あの時のゴッホには大切な記憶だったんだと思います」

「ゴッホちゃん、仰ぐなら天井じゃなくて青空にしておこうか」

「ハゥッ……エヘへ、すみません」

 

 

嵐の前の静けさとは、まさにこういった情景に対して使用するのが適切だろう。

 

間もなく、第四次聖杯戦争が幕を開ける。

 

 

汝、万能の聖杯を求めるなら──武勇を示したまえ。

それが結局は、君の目的にかなう。

 

 




「美しい娘よ、何を読んでいるのだ?」
「エヘへ……『ドグラ・マグラ』です……」

この先、応援が有効だ。


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憐れなるや

夢か現か、さしてそれは重要ではない。

既に境界は綻びを目前とした。


「八騎目のサーヴァント……?それは、確かなのですか父上」

「……ああ」

 

冬木教会の空は湿り気のある灰雲が立ち込めていた。数度ゆさぶればすぐにでも空の大皿から水が零れ落ちるだろう。

もう夜も遅い。だから、雨に濡れる心配の必要はない。

けれど、今しがた父から告げられた異変に、言峰綺礼が長年胸に抱えた形容しがたい欝然を加速させるには十分だった。

 

重苦しく首肯した第四次聖杯戦争の監督役──言峰璃正は額に手を当て長椅子に腰掛ける。璃正は以前の聖杯戦争でも監督役に在任していたが、その顔色は芳しくない。

 

未だ彼の脳裏の内で霊器盤の光が瞬いている。

耄碌したかと何度も確認したが、しかし輝く凶兆が失せることはなかった。

 

己を導くはずの光が、どうしようもなく頼りない。

御三家のお歴々から託された、大切な礼装だと言うのに。

 

「サーヴァントのクラスは?」

「『降臨者(フォーリナー)』、霊器盤はそう示した」

「……既存の七つ以外にもサーヴァントが割り当てられるクラスがあると?」

 

綺礼の予備知識には聖杯戦争におけるサーヴァントのクラスは七つしか記されていない。その中に該当なしとなれば、あずかり知らぬイレギュラーの存在を疑わざるを得なかった。

我が子の成長に少し肩の荷が下りた璃正は「ああ、相違ない」と呟き、しかし長く息を吐いた。

 

「基本七クラスに該当しないサーヴァントはエクストラクラスと称される。直近で例を挙げるなら、私が監督役を務めた第三次聖杯戦争でアインツベルンが『復讐者(アヴェンジャー)』のサーヴァントを召喚していた」

「ですが聖杯戦争におけるサーヴァントの枠は七騎のみのはず。以前の『復讐者(アヴェンジャー)』もクラスこそ番外ですが七騎の内にいたのでしょう?」

「そう、今回は異例中の異例だ。私はこの後時臣くんに連絡を入れ指示を仰ぐ。事と次第によっては一時休戦もやむを得んだろう……」

 

教会の窓に打ち付ける雨を見上げる璃正はどこか寂しげだった。

綺礼もまた父と同じく窓を見て────

 

 

「……なんだ?」

 

 

 

空が見える。

 

打ち付ける雨は止まり、雲は消え、ガラス越しの明るい夜空が綺礼の目に映る。

 

その窓をつうと、手が伝った。

幼子の手でもなければ、成人の手でもなかった。

 

 

しわがれ、細く、しかし巨大な腕が窓を覆うようにべたりと張り付いたのだ。

 

 

彼の身体は宇宙じみて輝く光帯に自由を奪われていた。黒鍵を取り出すことはおろか、身じろぎ一つさえままならない。

背後の父の安否すら、分からぬままだった。

 

 

腕の影は数を増し、落し物を探るように奇っ怪な音を立てて教会の壁をまさぐった。

 

 

 

ガチャ、ごしゃ。

 

見つかった、見つかってしまった。

 

枯れ木に毛が生えたような六本指の手は扉を壁ごと掴み、人智を超えた膂力で両者を圧縮した。

もはや、見る影もないほどに。

 

固定された入口に、赤い光をバックに浴びた何かがぶら下がった。

横に太い紡錘型、その上部でぬらぬらと動く紐状の突起。

紡錘に穿たれた深淵から黄ばんだ目玉がぎょろりと現れる。そして確かに、綺礼を視た。

 

舐め回すような視線に晒された綺礼が、ぶら下がったそれが怪腕の主の頸と理解するのにそこまで時間はかからなかった。

 

 


 

【霊器盤】

冬木の聖杯戦争、その立会人に預けられる魔術礼装。

聖杯の寄るべに従い召喚されたサーヴァントのクラス、騎数を把握できる。

 

これにより七騎のサーヴァントの現界を確認した監督役は聖杯戦争の開幕を告達する。

あくまで形式上、しかしその言には確かな意味がある。

 

いらぬ諍いを避けるには、欺瞞も方便だ。

 


 

 

「──い?──礼、綺礼!」

「……!?」

 

父の声を皮切りに先ほどまで綺礼が捕らわれていた光景は悪夢のように消え去った。

いや、本当に悪夢だっただろうか?それにしては真実味を帯びていたが、しかし教会の窓に影はなく、扉と壁は融合してはいない。雨の音も空の雲も、何一つ変わるところはない。

 

「すみません父上、私は、どこかに……」

「急に窓の方を見たから何かと思って声をかけたが……綺礼、疲れているのだろう?今日はもう床につくといい。明日からの儀式には万全を期して望まねばなるまい」

「……そうさせてもらいます」

 

父に踵を返して教会の私室に向かった神父は親の気配が遠ざかったことを確認してアサシンを呼び出した。

 

「アサシン、ここに」

「この教会の周辺をくまなく調べてくれ。何も無いなら、それでいい」

「……御意に」

 

消える暗殺者の影を見送りながら、綺礼は呟いた。

 

「──杞憂であれば、いいのだが」

 

 


 

降臨者(フォーリナー)

基本の七から外れし霊基、その内領域外より来訪した存在のクラス。

 

彼女らは異邦の神々の尖兵であり、依代であり、最も新しい英雄である。

狂気を孕み、しかし己を失わぬ者にこそ、この資格は相応しい。

 

だが、気をつけたまえ。

彼女らを覗く時、深淵もまたこちらをのぞいているのだから。

 


 

 

「うおっ」

「どうかしましたか?」

 

立てかけた無数のデッサンとクロッキー相手ににらめっこしていたゴッホはキィと椅子の背にしなだれ、立ち上がったルーキスに首を向ける。

「少し同調してくる」とだけ告げて古工房の暖炉の前で項垂れたように眠っていた彼がようやく目を覚ましたのだ。

 

彼が意識を飛ばしている間だけでかなり素描が量産されているが、どこかしっくりこないとゴッホは鉛筆を咥えていた。

 

どこかインスピレーションの湧く題材や経験はなかろうか。

例えばそう、血を血で洗う英傑たちの戦場とか、特に。

 

「つい3日前に私が外に真珠蛞蝓を放ったのは覚えてる?」

「ああ、アレですか」

 

保管箱から取り出された瓶詰めナメクジの群れを見た時は霊基再臨でぬめれるゴッホもさすがに怖気が走った。

見た目は完全に蠱毒のそれだが、純粋な生物ではなく精霊と呼ばれる存在なので共食いはしない模様である。

 

「彼らの視覚を借り受けていたんだ。アサシンが遠坂のサーヴァントに惨殺されたところが見えたよ。他はさっぱりだったがね」

 

使い魔として放ったはいいが、真珠蛞蝓はとにかく遅い。

規定の場所まで行かせたら後は監視カメラとして使う方が楽ですらある。

無理に動かそうとすると人か車に潰されるか、塩を振りまかれるかもしれない。孕む神秘の割に、脆弱な精霊たちなのだ。

 

「と、いうことは」

「ああ、合図の信号はまだないが、実質的に開戦の狼煙と受け取っていいだろう」

 

少女にとってそれはまたとない吉報だった。

彼女の継ぎ接ぎの霊基はどうしようもなく痛みを欲している。己がかくあるべきかを問いかける刺激を欲している。

もうすぐ望んだものが得られそうな予感に、エヘへ、ウフフ。引きつった笑みが溢れた。

 

「……ついにですね。ウフフ……マスター様、どういたしましょうか?お望みとあらばすぐにでも!」

「最初は様子見……と言いたいところだがここは打って出る。ついでに誰かの血を得られれば儲けものだ」

 

ゴッホの『虚数美術』を十全に使えば宝具を解放せずとも十分に戦うことはできると彼は踏んでいるが、見るだけではなく、実際に触れ、そうして考えるべきだろう。

 

「エヘへ……初戦で倒してしまっても……いいんでしょうか?」

「確実にとれると思ったなら、そうしてもいい。だが、無茶はしないでくれたまえよ」

 




おおアメンドーズ、アメンドーズ……!
憐れなる落とし子に慈悲を……!

彼らは未だ夢の中。されど、結実は近い。


そんなことより貴公、箱イベを走りたまえよ。


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一歩前を調べてみたまえ

Boxガチャを拝領したまえ。
悔いのないようにな。

そしてあなたに、聖杯の加護がありますように。



冬木教会からの着電──存在しない八騎目のサーヴァントについて──を受けた遠坂時臣はすぐに調査を開始した。

火蓋はとうに切られている。止めようものならこれまでの苦労が水泡に帰そう。

それ故、時臣は冬木の霊脈に関してのみ、取り急ぎ勘査した。

 

結果、霊脈のマナは枯渇しておらず、一騎余計にマナが吸収されていないことがわかった。

つまり大聖杯に何らかの異常があるわけではない。遠坂時臣は、そう判断した。

 

となると、大聖杯にアクセス方法を持つ魔術師が自前のマナもしくは魔力でサーヴァント召喚と令呪を獲得したことになる。

これ以前の聖杯戦争で術式──起動式の流布は時臣が把握している限りは存在しないが……。

 

いや、冬木の大聖杯が正常ならば問題はない。

今は儀式をつつがなく遂行し、八騎目とその主はこちらのアサシンに調査させればいい。

そう思うも、時臣の表情は優れないままだった。

 

「お前もそのような顔をするのだな、時臣」

 

窓辺で空を見ながら思索に耽っていた時臣の背後に金色の鎧を纏ったサーヴァントが現れる。

時臣は席を立ち、一礼を持って彼に応えた。

 

「恐れながら英雄王よ、この聖杯戦争に闖入者が現れました」

「雑種が何人増えたところで構うものか。我の財を奪い合う愚か者なら、誅するまでよ」

 

金色のアーチャーは特に目新しい反応を示さない。

すべからく、人在る限り常世は彼の庭である。一々全ての諍いに反応していては王の沽券に関わるのだ。

 

「存じております。しかし、一つだけお耳に入れておきたいことが」

 

『単独行動』で何処かへ繰り出そうとした英雄王は眉をひそめ、しかし「よい、許す」とだけ口にする。

臣下の忠言に耳を傾けるのも王の務め。その魂胆に反骨を潜めていようとも。

 

闖入者(サーヴァント)のクラスは、降臨者(フォーリナー)と呼ばれるもののようです」

「ほう、降臨者(フォーリナー)か」

「……ご存知なのですか?」

「いや──」

 

言葉を切った英雄王は紅き双眸を細めて宙を見つめる。

そうして、訳知り顔で頷いた。

 

「なに、さして障害にはなるまい。手網を引くものが余程の気狂いでもなければな」

 

異なる時空、江戸におわす遊び人はこう言った。

 

 

()()()()()()()を我が裁定する訳にもいかぬ』

 

 


 

【ギルガメッシュ】

『ギルガメシュ叙事詩』に記されし最古の英雄。

己が財を奪い合う雑種に裁きを下すべく、聖杯戦争に参戦する。

 

遍く英雄たちのルーツであり、それ故あらゆる宝具の原典を所有する。

だからだろうか、あるいは王としての矜恃だろうか、彼の全力を拝むことは稀である。

しかし、出したが最後、敗北は必定だ。

 

「慢心せずして何が王か!」

 


 

 

「どうしたのセイバー?」

「……いえ、なんでもありません」

 

セイバーのエスコートを伴って人生初の外界散策を楽しんだアイリスフィールは最後に港の近くの海浜公園にやってきていた。

 

「セイバー、あなたは海が好きかしら?」

 

アイリスフィールの質問にセイバーは困ったように首を振った。

セイバーが遥か遠き故郷にて触れた海は神秘や宇宙が秘められたり、こうして眺めを楽しめるものではない。

ブリテンを害する敵性体がひっきりなしに現れる、忌々しいまでの蒼だった。

 

「そう、そうよね……何だか申し訳ないわ。余裕一つなかったあなたに、付き合わせてしまって」

「いいのです。アイリスフィール、あなたが幸せならば。それを守り抜くことこそ、騎士として私が成すべきことでしょう」

「ふふふ、それじゃあごめんなさいじゃダメね。ありがとうセイバー、私のわがままに付き合ってくれて」

 

セイバーは慇懃に礼をしようとして──アイリスフィールの手を取って引き寄せる。

彼女の行動が何を意味するか、それがわからないアイリスフィールではない。

 

「……サーヴァント?」

「はい」

 

気配を追って西に向かった視線の先には港――貨物船から運ばれてきただろうコンテナが立ち並ぶ倉庫街がある。

 

世界は夕方を終え、夜の帳を下ろしている。冬も近いこの寒さの中、海風吹き付ける港にわざわざいこうと思う輩はいまい。

なるほど、聖杯戦争の舞台としてはふさわしい場所だった。

 

「我々を誘っているようですね。となるとクラスはランサーか、ライダーか……」

「もしキャスターの罠だったら?」

「その時は撤退しましょう。魔力放出と風王結界(インビジブル・エア)を同時に使えば貴方を守りながらの脱出も可能です」

 

なら安心ね、そうアイリスフィールは不敵に笑みを返した。

 

「じゃ、お招きに与るとしましょうか」

「望むところです。我が剣にかけて、勝利を」

 

先行して気配へ足を向けたセイバー。しかし胸中は穏やかではない。

ここは既に敵地であり、いつ奇襲されるかわからないというのもある。

が、騎士王の懸念は別の理由だった。

 

もうずっと、恐らくは冬木の街を歩き始めた辺りから、赤子の鳴き声が彼女の耳に響いている。

それは彼女の直感がなせる業か、他の要因か。

 

気のせいでないことは理解しているが、こんな世迷いごとをアイリスフィールに聞かせたところで何になろう。

そして残念ながら、セイバーはこの程度で集中を削がれるほど軟弱な精神ではない。

 

故に、彼女は口にしなかった。

要らぬ心配をかけるなら、言わぬが花。

騎士王はそう信じてやまなかった。

 

 


 

【赤子】

産まれたばかりの子どものこと。

 

往々にして愛らしい見た目をしているが、人ならぬものは例に漏れる。

我らが心奪われるには脳に瞳が必要だ。

 

上位者は赤子を失い、そして求めている。

血の通わぬ彼らとて、きっと愛おしいのだ。

 


 

 

セイバーとアイリスフィールが辿り着いた倉庫街は異様な様相を呈していた。

 

アスファルトとコンテナばかりがひしめく殺風景はどこもかしかも絵の具だらけだ。

激しい筆致で描かれたそれらに引き込まれるような感覚を、セイバーは受けた。

 

この絵の具、魔力こそ含まれているが、魔術の類は施されていない。仮に施されていてもセイバーの対魔力が遮断する。

それでもなお騎士王の目を引いたのは、この絵の具の群れが彼女の目に絵画として映り、なおかつ鑑賞者として何か感じ入るものがあったからに他ならない。

 

立体的に描かれた絵画を追っていくと、無人の大通りに佇む人影にピントが合った。

二槍の得物を携え、魔力を滾らせる彼もまた、コンテナに描かれた画を眺めていた。

 

「今日一日、この街を練り歩いて過ごしたものの、どいつもこいつも腰抜けばかり。……だが、貴様はそうではないようだな」

 

そう槍兵は低く、よく通る声で言い切ってからセイバーを一瞥する。

 

「剣士の英霊とお見受けするが、如何に?」

「その通りだ。そういうお前はランサーに相違ないな?」

 

いかにも、と鷹揚にランサーは頷いた。

 

 

そうして互いに言葉を交わす二騎のサーヴァントは彼らからほんの少し離れた場所に、自分の描いた習作を目に留めてくれた英霊がいたことに打ち震える作者がいるとは思いもしないのだった。

 




ゴッホ先生の活躍までしばし待ちたまえよ、貴公。



ヴァン・ゴッホ

【クラス】
フォーリナー


【クラス別スキル】
領域外の生命(A)
狂気(C)
道具作成(B-)
神性(B+)
向日葵の呪い(A)


【保有スキル】
虚数美術(B+)
澪標の魂(EX)
青■■■■(EX)


【宝具】
星月夜(デ・ステーレンナフト)(EX)
黄色い家(ヘット・ヒェーレ・ハイス)(A+)


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ポスト印象派倉庫街

二部六章後編で打ちのめされました。

……妖精狩りの時間だ。

そして妖精騎士ランスロットとゴッホの6周年記念描き下ろしイラストを愛でたまえよ。



ゴッホが携える向日葵型多目的兵装はほとんど彼女の身長と同じサイズである。

絵筆としても、回転ノコギリとしても、向日葵召喚触媒としてもあまりに歪んだ──彼女だけの特注品と考えれば合理的な武装──それを手足のように使いこなすのだ。

 

だが『向日葵』と『絵筆』はヴィンセント・ヴァン・ゴッホの代名詞。

これ見よがしに使うことは真名を喧伝するのと変わりない。

 

古工房で忙しなく筆を動かし続けるゴッホにルーキスは提案した。

 

「だからゴッホちゃん、代わりの武器を作りたまえよ」

「確かにゴッホは道具作成のスキルを持ってますけど……」

 

フォーリナー、ヴァン・ゴッホはヴィンセントの画才を遺憾なく発揮するため、キャスターのクラススキルである『道具作成』を保有している。

もちろん彼女のそれは霊薬や魔道具の作成に由来したものではなく、絵画の作成に重きを置いたものだ。

 

「まあ、やってみろと仰るなら……やるだけやってみましょうか。あっでも……期待はしないでください。画才以外に誇れるようなもの、ゴッホにはないので……ウフフ」

 

意外にも彼女はやる気だった。しかし今回は得意分野から大きく外れた武器に類するもの。

出自に大きく関わる水や植物系統ならばまだしも、鋼や炎タイプは専門外。

期待させておいてロクなものができなかったらテンションの振れ幅が酷いことになるとは本人の談である。

 

渋るゴッホ、モニョるゴッホ。

ルーキスは微笑んで、棚から紙束を取り出し彼女にずいと押し付けた。

表紙には達筆な文字で『仕掛け武器大全』とだけ記されている。

 

「そこは安心したまえよ、貴公。私にいい考えがある」

 

 


 

【仕掛け武器】

獣狩りのために造られた武器群の総称。

どの武器も奇怪な変形機構を備え、常人がおよそ制御しうるものではない。

実用性は皆無、しかしそこには浪漫が込められている。

 

ヤーナムに駆ける狩人たちはそれらを十全に扱い、並み居る獣を屠り、また刃に滴る血に酔ったという。

 

製造法や仕組みは世から消えて久しい。

今や血を継いだものだけがそれを知っている。

 


 

 

ほとんど目の前で繰り広げられる常軌を逸した剣と槍の攻防をゴッホは目を白黒させながら見守っていた。

 

『ひぇぇ……この中に飛び込んだらナマス切りにされそうですねぇ。まだゴッホは第一再臨なので酢醤油でいただける刺身にはなれませんが。ええ、はい』

 

不可視の剣と双槍が瞬く。両者が打ち合い鍔迫り合うだけで周囲の景観が加速度的に損なわれていく。

ゴッホが習作のキャンバスとしたのは()()()()()。この程度の被害であればさほど問題はない。

 

とはいえ、描いた作品がガラクタ同然にひしゃげていくのは中々堪える。

……そこまで含めて作戦であることはゴッホも承知の上ではあるのだが。

 

『刺身にならないために色々細工したんだろう?いやまぁ、倉庫街の全部が青空ミュージアムになるとは思わなかったが』

『ちょっと興が乗っちゃっいまして……これほんとに描いてよかったんですか?』

『……』

『ちょっと?マスター様……!?』

『監督役が隠蔽に動くから君は気にしないでいい。ランサーが挙動不審になったら貴公の出番だ。頼んだぞ、ゴッホちゃん』

 

ブツンと一方的に念話回線が切断され、再び耳は人智を超えた剣戟の嵐の音に引き戻される。

これから戦場に足を運ぶとは思えない軽薄な会話。されどゴッホの緊張を多少解きほぐすには十分に効果を発揮した。

 

程なくして()()にいるランサーの動きに微細だが変化が見える。

画家として対象を審美する肥えた視点は彼女にしっかりと受け継がれている。

見紛うはずもない。ランサーの集中を削ぐマスターの作戦は成功した。

ゴッホに看破されているならばもちろんセイバーにもその違和感は読み取れよう。

 

『エヘへ……その不覚、深く衝かせて頂きましょう!』

(はいっ、ゴッホジョーーーーーーク!!)

 

心中で発した小っ恥ずかしい裂帛の気合を慌てて取り消しながら、ゴッホは()()()()から転がるように飛び出した。

誰に聞かれているわけでもないのに律儀なことである。

 

巨大な糸杉が描かれたコンテナから現れたゴッホ。その手に抱えた得物は向日葵に非ず。

 

鉄の華めいて並んだ大きさの異なる円形の刃を高速回転させることにより獣の肉を刻み断つ、『火薬庫』の手になる異形の仕掛け武器──回転ノコギリである。

 

およそ歳若い少女が持つにはアンバランスで血なまぐさい武装だが、ゴッホが持つと妙に様になって見える。

普段の向日葵カッターのおかげだろうか。

 

ゴッホが浮上した位置はランサーと相対するセイバーの背後。

彼らが場を描き乱す闖入者を知覚するまでコンマ数秒とないが、第六感──天賦の戦闘判断でもなければ傷の一つくらいは付けられるはず、そう彼女のマスターは言っていた。

 

鋼の咆哮が唸りを上げ、その牙を剥く。

鉄火が散る音を乗せ、肉を抉り断つノコギリ刃が無防備な背中に叩き降ろされ────

 

 

 

「──ハウッ」

 

姿無き鞘、風王の威。

惜しむらくは、ルーキスが物の見事に貧乏くじを引き当て、賭けに負けてしまったことか。

 

右手一本に支えられた無形の剣が、セイバーを喰い千切らんする暴威を紙一重で抑えていた。

 

「貴様──」

 

ギリと歯を軋ませ、翡翠の双眸が苛立ちに燃える。

ボルテージが高まったことでようやく勝負に集中できたセイバーは、突如背後に現れた下手人の横槍に冷や水を浴びせかけられた。

生真面目な彼女にとって、尋常な勝負を邪魔立てされたことは何より不愉快であり、許し難い侮辱であった。

 

魔力放出と共に回転ノコギリをかち上げ、勢いのままに反転。横一閃の大凪がゴッホ目掛けて振るわれる。

 

かち上げで大きく吹き飛ばされたゴッホはたたらを踏んで何とか後方に着地。偶然距離を置けたことで上下半身の泣き別れを回避する。

彼女の筋力Eはある意味幸運だったのかもしれない。

 

二騎のサーヴァントはフォーリナーを視界におさめた。先のような奇襲はもう通用しないだろう。

双方から浴びせられる熱すぎる視線と剣呑な空気に引きつり笑いが止まらない。酷く誤解を受けている予感がするも、ゴッホの霊基に染み付いた狂気は押し止めるどころか拍車をかける。

 

しかしせっかくのチャンスをふいにした嫌悪感に飲まれている場合ではない。

切れる手札は用意してきたのだ。

 

思わず『助けてテオ!』と叫びそうになる衝動を抑え、妙に強ばった笑顔のまま、ゴッホは華奢な細腕で回転ノコギリを握りしめた。

 

 

 

 

少し時を遡り、ゴッホが飛び出すおよそ五分前。

 

ルーキスはコンテナ二つ分に相当する糸杉やアスファルトいっぱいに広がる環状の星空等、ゴッホが習作として描いた作品群を眺めながら目的地に向かっていた。

 

倉庫街にはゴッホの絵画から発せられる微弱な魔力が満ちている。それ故、魔術を行使すればマナの機微が感じ取れる。

広範囲に渡って幻影や気配遮断の魔術を敷けば、その存在が浮き彫りになるのも仕方のないことだ。

 

「お初にお目にかかる。貴公、聖杯戦争に参加するマスターとお見受けするが」

 

デリッククレーンには劣るものの、倉庫街を一望する屋根の上、膝立ちの姿勢で英霊たちの果し合いを見守る男に声をかけた。

男は身を揺らすが、ルーキスに向けた表情は平静を装っていた。

 

「驚いた。私の隠匿を看破する魔術師がこのような僻地にいるとはね」

「……ここに来るまでに絵画を見ただろう?その中で別な魔力が発生すれば何かがあることくらいは分かる。もっとも、そこにマスターがいるかは五分といったところだが」

「ほう、わざわざ種明かしまでして姿を見せるということは……」

 

男は懐から取り出した試験管の中身を足元に振りまく。

地に落ちた水銀は即座に体積を膨張させ、楕円球体の形状に固まって彼の足元で静止する。

彼が誇る最高傑作の魔術礼装、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)である。

 

「尋常なる決闘をご希望かな?この、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトと」

 

ド田舎の僻地で行われる儀式に己とサーヴァントが参加すれば勝利など秒読みだ。

そう考え、半ば戯れ同然に極東の地を踏んだケイネスは、手技を凝らした幻影や気配遮断の魔術をこうも安々と踏破する魔術師が現れるとは思ってもみなかった。

 

サーヴァントの補助あってこそと宣ったが、魔導を貶める真似をせず、あまつさえ仕掛けを語って姿を見せたのだ。

権謀術数渦巻く時計塔では得がたい尋常な決闘に臨もうとするルーキスを、ケイネスは素直に賞賛した。

 

「ああ、そうとも。でなければ私は貴公に姿を見せたりするまいよ」

 

──無論、半分ほどは虚偽である。

 

彼は名誉ある決闘など一片たりとも望んでいない。

ルーキスが欲しているのはマスターやサーヴァントの首級ではなく彼らの血である。

できるものなら痛手を負わせたいが、恐らく厳しい。

だからなるだけ多くの個体の血とサーヴァントの情報を蒐集するのが今回フォーリナー陣営が打ち出した方針だ。

 

とはいえ今回の決闘、誉れこそ欠片もないが彼は至って真面目である。

ランサーの注意を僅かでも逸らす目的もあるが……ルーキス自身、自分の実力がどの程通用するのか試してみたかったのだ。

ヤーナム生まれのヤーナム育ち。外様の魔術師に全く関わってこなかったものだから、好奇心を湧かせるのも無理はない。

彼の中で蠢く血もそうだそうだと沸き立っているようで、早まる鼓動を抑えきれずにいる。

 

後ろ腰に佩いた得物──ノコギリ鉈を手に取ったルーキスは、正しく獲物を捉えた狩人の如くケイネスを睨み据えた。

 




絵画に出入りしちゃってますが、この辺りの説明は追々。

正直ゴッホちゃんの攻撃は割と出典不明のものが多いので(第二再臨のクラゲ、クラゲを敵の近くに転送する際に使う絵筆っぽい何か、お辞儀で発生する虹色タイフーン等)、それらを踏まえてこんなことも出来そうだなと思ったら捏造します。
ご了承下さいな。


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狩人の業

空っぽの器は果たして、他人を満たすに足る。


その血が辿った人生を追体験し、文字通り()()する。それがルーキスの身体に刻みこまれた『起源』。

他人の知識や経験を余すことなく血肉とする。そう言えば聞こえは良いが、内実ろくなものではない。

 

意味することは即ち、自分が他人に置換されるということ。思想を、記憶を、遺志を、血に遺る遍く情報を身体の中に取り込むのだ。常人であれば継いだ瞬間脳漿が大地を濡らすだろう。人の一生など、人間一人が耐えきれる情報を優に超過している。

 

想像できるだろうか?

血を啜る度、意識が上塗りされていく感覚を。

遺志を継ぐ度、頭の中で何かが蠢く感覚を。

そのくせ外面だけは完璧に維持するものだから、殊更にタチが悪かった。何せ他人に異常を悟られることがほとんどないのだから。

 

何千か、何万か、数えるのも億劫なほどヤーナムの血を継ぎ続けたルーキスの脳は彼以外のもので氾濫し続けている。

それでも、『起源』()が、『起源』(継承)が、狂うことを許さない。

ああ、頭の震えが止まらない。

 

自分に『自分』と呼べるものなどないのではないか?

考えることや感情の起伏すらも全て遺志によるものではないか?

 

そんな疑問が過ぎる度にルーキスは頭を振るう。

『我思う故に我あり』と哲学者は言ったが、その『我』すら曖昧で覚束無い己は、一体何者なのだ?

どれが本当の──遺志に拠ることのない私なのだ?

聞いたところで内に宿る死人が答えを返すわけでもなく、漠然たる自己が転がるのみである。

 

そうして思い悩み、彼がふと足を止めそうになると、決まって死血は騒ぎ出す。互いに背反し合う魂が、この時ばかりは渾然一体となって彼を責め立てた。

継いだ視界に視えた景色が、こびり付いた心が、未だ内に疼く血が、走り続けろと叱咤する。

 

 

『獣を狩れ』と狩人が凄む。

 

『上位者に伍せ』と瞳の探求者が迫る。

 

『根源に至れ』と彼を育んだ異端児が願う。

 

『獣を克せ』と月の狂人が祈る。

 

 

『我等に、瞳を!』

 

 

血塗られた願いに引き摺られ、彼は聖杯戦争の地にまで足を運んでしまった。

 

「助けて」と一言口に出せたなら、負わされた重責から逃れる勇気があったなら────きっと彼は、救われたのだろうに。

いつだって世界は、我々に等しく残酷だ。

 

ああ、かねて血の乾きを恐れたまえ。

 

 

 

 

 

 

 

「アーチボルト家九代目当主ケイネス・エルメロイ。聖杯に集いし魔術師よ、命と誇りを賭して、いざ尋常に立ち合おうではないか!」

「…………ルーキス=ブラッドボーン。ケイネス卿、私も──そうだな、誇りある戦い(狩り)を約束しよう」

 

ケイネスを睥睨(へいげい)し、ノコギリ鉈を取った今も、ルーキスの意識に地を這うような呻き声が湧き続ける。

先ほど抱いた外様の魔術師への好奇心や戦いへの高揚は決して借り物でないと信じたい。生憎、彼がそれを信頼に値する材料はほとんどないのだが。

 

しかし他人だらけも案外悪いことだけではないのだ。多くの人生を周回した分、あらゆる状況に対応できる引き出しがあることは、こと戦闘において圧倒的なアドバンテージを発揮する。

 

ScaIp(斬ッ)!」

 

ケイネスの号令を合図に枝分かれした水銀が高速で襲い掛かり、一拍も置かずして目標地点に到達。銀鞭は規定された通りに形を歪め、刃を振るった。

切断されたトタンの屋根と彼のものであろう血飛沫が粉塵と共に舞い上がり、派手に音を鳴らして地上へと落ちていく。

 

「……この程度か?いや、まさか──」

 

期待外れの結果にケイネスは眉をひそめた。わざわざ出張ってくる魔術師なのだから、それ相応の決闘に臨めるものと思ったが……。

警戒をしつつ踵を返し、次の場所を見繕おうと礼装を走らせかけたところで────視界の端に()が映った。

ケイネスの身体が接近する脅威に反応する前に月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が分厚い保護膜を展開。振り下ろされるノコギリ鉈を防御せしめた。

得物にはめ込まれた血晶石が主の魔力と血に対応し鈍く光るも、ケイネスの礼装を破るに至らない。

 

「何故、生きている?……いや、深くは聞くまい。そうこなくてはな」

 

煙の中から飛来したのは血に濡れた狩装束を纏うルーキスだった。足元には赤い液体が付着した空瓶が転がっている。

確殺したと思われた相手の復活に目を見開いたケイネスだったが、彼もここで早速カード(輸血液)を切ることになるとは思いもしなかった。

 

「良い礼装だな、ケイネス卿。観察に夢中になって、つい避け損ねてしまった」

「それは光栄だね。では我が至高の魔術礼装(月霊髄液)、とくと堪能していくがいい!」

 

銀鞭がしなる。刃が飛ぶ。空気を引き裂き魔の手が迫る。

そうして確かに、今度は確かに攻撃したはずが──当たらない。

 

数を増やし、同時並行で軌道修正。

刃を、槌を、槍を。変幻自在に形を変えて嵐のような猛攻を繰り出し続ける。

されど、目の前で陽炎のように揺れ動くルーキスを捉えることができないのだ。

 

これぞ古都の狩人が誇る妙技──ヤーナムステップである。傍目から見れば一定の歩速で身体を進めるだけのごく単純な動作。だが卓越した動体視力と幾つもの死線を掻い潜った経験が、その歩法をあらゆる攻撃を透かす回避の業として成立させているのだ。先ほどは物珍しい礼装にかまけてヘマを起こしたが。

 

取り込んだ狩人のほとんどがヤーナムステップを扱えるため、その生を追体験したルーキスの習熟度は人外の域に達している。

今の彼なら至近距離での胎盤アタックも、星の小爆発も、血濡れ鴉の銃撃さえ難なく避けられるだろう。

もう何も、怖くない。

 

「……あまり効果があるとは思えないが」

 

ケイネスが業を煮やして次の一手を打つ前に、先んじてルーキスが攻勢に出た。

 

どこから、いつの間に取り出したのか。

それを銃と呼ぶには、あまりに大きすぎた。

バカげた重さにバカげた反動、そして何より、大口径がすぎた。

それは正に、鉄塊だった。つまるところ、個人が持ちうることを想定した火力ではないのだ。

 

設置型のソレをそのまま手持ちにした頭の悪い威力偏重な代物に灰をねじ込み、敵性体に躊躇いなくバレルを向ける。

 

瞬間、周囲につんざく火薬の轟音。

大砲から放たれた巨大な水銀砲弾がケイネスに殺到した。

 

 


 

月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)

 

ケイネス・アーチボルト・エルメロイの手になる魔術礼装の一つ。

 

魔力を込めた水銀が攻撃、防御、索敵を規定されたパターンに沿って遂行する。

 

彼の有する礼装としてこれ以上にない性能を誇るが、その真価は武装ではなく、演算機としての部分にある。

 

力は、溢れる知性の副産物に過ぎないのだ。

 

Fervor,(滾れ、) mei(我が) Sanguis(血潮)

 


 

 

セイバー、ランサー、フォーリナー。三騎は睨み合ったまま膠着が続く。時折降臨者が虚ろげな目で身体を揺するが、それだけだ。

 

尋常に行われた戦いはフォーリナーの登場によりバトルロイヤルへと変貌した。乱戦のセオリーをなぞれば、一対他の状態に戦況を転がすのが堅実な戦術だ。従い、もし漬け込まれるようなスキを見せてしまえば二対一、あるいはそれ以上の勝ち目の見えぬ戦に臨むことになりかねない。

いかに各々が一騎当千のサーヴァントといえど、囲まれてしまえば勝機は潰える。

 

そう、弱点を見せないのが常道のはずなのだが……この画家、あろうことか自ら劣勢に追い込まれることに頓着ないようだった。

 

「ウフフッ!」

「──ッ」

 

もちろん、彼女なりの目算あってのことである。

狂気的な笑みを張り付けフォーリナーはランサーに肉薄する。

二つ槍が頭部を狙った回転ノコギリを阻む。

魔槍と旋槌が激突し、ギャリギャリと火花を散らした。

 

「おや……どうされましたか、両の手で巧みに双槍を振るうランサー様。先ほどまでの冴え渡る槍技……今や見る影もなく、あまつさえワンテンポ遅れたご様子でしたが。もも、もしかしてですけど……ウフフ、何か心配事でもございましたり?」

()()()()()……貴様ッ!」

 

今すぐにでもケイネスの下へ馳せ参じたいランサーだが、ここで背中を見せればセイバーはともかく、前線に出張っているキャスターに不意をつかれかねない。

 

そして倉庫街全域に彼女の絵画が塗りたくられていることもランサーの行動を阻害する一因となっている。迂闊に動いて目を離した隙に絵からマスター(ケイネス)の近くへ移動をされてはたまったものではないのだ。

 

「ランサーッ!」

「ウフフ……いいんですか?無形の剣のセイバー様。そんな不用意に大切なマスター様から離れても。ここにある絵画はみんなゴ……ゴッホゴッホ!……わ、私が描いたものですよ。エヘへ……次は何が飛び出しちゃうんでしょうねぇ?」

 

思わず走り出そうとしたセイバーはランサーと切り結び、無駄に咳き込んだフォーリナーに止められる。

マスターを人質に取られかねない状況に精彩を欠いたとはいえ、ランサーも歴戦の勇士に変わりはなく、ダメージを受けているのはむしろ画家の方であるのだが。

 

痛みに恐れを抱くどころか、望んで前線に飛び込むきらいのあるフォーリナーの半ば自傷じみた攻撃はついに──薄皮一枚にも満たないが確かに──ランサーの血を回転ノコギリに付着させるに至った。

 

赤が着いたと見るや即座に後方に飛び退き、まだ破損していない近くの絵画まで彼女は逃げ帰る。

逃がすものか、そう心中意気込んだランサーは絵画の中に回転ノコギリの上半分を突っ込んでいるフォーリナーに突撃する。

 

「ゴッホッホ……それでは、連作といきましょうか」

 

ちょっと上機嫌になり地が零れてきたフォーリナーは回転ノコギリの撃鉄にも似た可変機構を素早く()()叩き、振り抜いたそれを迫るランサーに向ける。

 

否、そこに接続されたのは回転ノコギリなどではなく────

 

「ウフフ……マスター様と共同製作の()()──存分にお楽しみあれ……エヘへ!」

 

銘を、『ホクサイ』。

向日葵型のそれとは趣向が変わった幅の広い穂を備える巨大な筆が、ぬるりとその姿を現した。

 




聖杯戦争参加者はすべからくネジの外れた者が多数派を占める。ルーキスもその例には漏れない。

端的に表現するならば似て非なる精神隷属機(ゾアホリック)
彼の起源は現状、自分の意識を他人に植え付けるのではなく、他人の意識(どころか人生全て)を自分に取り込むのだ。

百貌の人格数、ゴッホの乖離性、他人の侵食に苦しむグレイの境遇を混成するとルーキスの精神が完成する。

起源のお陰で発狂を目前に延々と足踏みを続け、彼はずっと呻めいているのだ。
……可哀いと、そうは思わないかね?


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騎乗兵(ライダー)を許しはしない

見たまえ!青ざめた降臨者(フォーリナー)だ!



「他の金属ならともかく、やはりこれ(水銀弾)では相性が悪いか」

 

しゅうと硝煙を燻らせるバレルを下へ向ける。

砲身が狙いを定めていた先にはつるりとした銀球が未だ悠然と形を保っている。即ち、術者を仕留め損ねたことに他ならない。

 

ケイネスに放たれた砲撃はしかし、彼が有する月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)によって阻まれた。

砲弾の着弾を確認後、追従させるようにエヴェリンによる追加射撃も行ったが、その尽くが水銀の壁に飲み込まれていく。

弾と材質を同じくした月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)はそれを取り込み同化することで主への被害を逸らし、自らの戦力補強に繋げたのである。

 

「弾は水銀、それに血液と骨粉。正確な原理は不明瞭だが……ほお、二つの触媒の作用で飛躍的に性能を高めているのか。特に君の血、どうやら銃や砲の基本性能さえ左右しかねない何かを秘めているようだね。

しかし残念かな。その弾、月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)には無意味だよ」

 

尋常に魔術戦を挑んだこと、近代火器の類ではなく──ともすれば骨董品じみた──魔術礼装を用いたことはケイネス的には好感だった。

 

虚空から取り出した大砲やエヴェリンにはさすがのケイネスもルーキスの誇りを疑ったが、ただ弾を撃つためだけ、たったそれだけのために月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が看破できないレベルの技術を使うだろうか?己が知らぬ巨大な魔術基盤の副産物として彼の魔術礼装は製作された──そう見た方がごく自然だ。少なくとも、ケイネスにとっては。

 

実際ヤーナムの狩人たちの武装は医療教会を発途とする血の医療の流れを汲んでいるため、彼の推察もあながち的を外しているわけではない。

 

「死力を尽くしてくるといい。よもや万策尽きたわけではあるまい」

「まさか。弾が効かなくとも(パリィができなくとも)やりようはある」

「だがその鉈の付与(エンチャント)でも私の守りは貫けなかった。まだ何か、君が出せるものがあるというのかね?」

 

ああそうとも、ルーキスは頷いた。

火力は足りず、パリィができない。しかも3デブ血晶石ですら穿てぬその硬度、賞賛に値する。

 

「貴公、よい魔術師だな。洞察に優れ、智に長け、礼節を忘れない。よい魔術師だ」

「…………御託はいい。見せてみたまえ、君のやりようとやら。それが何であれ、この私が捩じ伏せてみせようじゃないか」

 

ケイネスにとってはもう聞き飽きたセリフ。しかし互いに刃を混じえた今となっては歯の浮くようなそれが妙にこそばゆかった。

研究に身を置き、久しく感じなかったこの血が沸き立つような感触、焼け付くような高揚。自然と頬が緩み、笑みが零れる。

多くの騎士が『誉れ』と呼ぶその感覚──今の自分ならば正しく理解が及ぶような、そんな気がした。

 

何処かへ大砲をしまい、ノコギリ鉈を後ろ腰に固定し、ルーキスは新たに得物を取り出した。

長刀と短刀が柄頭で接続された仕掛け武器、『落葉』である。

 

小気味のいい音と共に落葉を分離させ、逆手に持たれた双刀は────流れるような所作で主の身体を刺し穿つ。

 

「ガッ……ァ、ぐ」

 

顔は痛苦に歪み、口からは苦悶が滲む。

刃は震え、彼の身体を掻き乱す。

 

五体に走る異常を押し殺し、ルーキスは大きく息を吸い込み、獣の如き咆哮と同時に落葉を()()する。

血飛沫が周囲に撒き散らされ、トタンに触れればジュウと音を立てた。

 

「……難儀な秘策だな。死に急ぐこともなかろうに」

 

肉の鞘に身を納め、鍛え抜かれた二つの牙は果たして、血の加護を得るに至った。

穢れた血を刃とし、長刀と化した双刃落葉を手にルーキスは薄く笑う。

 

「私が血を流すだけの価値はある。どちらが先に斃れるか……試してみるかね?」

「ハッ!望むところだとも!」

 

 


 

【時計塔のマリア】

 

狩人の悪夢、その実験棟で頂に座す古狩人。

 

秘密を守る番人として、愚かな好奇を抱くものを排する役目を負う。

 

血刃を厭った彼女、しかし暴くものに抗するならば、躊躇いなく自らの血で落葉を染めるだろう。

 

戒めを破ろうと、守りたいものがあったのだ。

 


 

 

他方、槍の英霊相手に大立ち回りを演じ、その上最優のセイバー陣営にちょっかいをかける異端者が一騎。

我らがフォーリナー、ヴァン・ゴッホだ。

 

「ウッヘヘヘ!エッへヘへ!」

 

彼女風に言えば、「大盤振る舞い!」というやつである。

ゴッホが回転ノコギリを換装した筆──『ホクサイ』を振るえば彼女の血とニンフ由来の(アルケー)を混ぜた絵の具が四方八方に撒き散らされ、新たな絵画が描かれるのだ。

 

()()()絵画間の移動ができるゴッホの足を潰すには倉庫中に描かれた彼女の痕跡を破壊するしかない。しかし潰しても潰しても彼女の筆が描きを止めることはなく、イタチごっこの様相を呈していた。

 

加えて絵画の中からは得も言えぬ忌まわしさを纏う黒帯や生物味のない海月型の使い魔が飛び出し、牽制するように二陣営へ攻撃を放つ。まるで逃がしはしないとでも言いたげに。

 

ランサーの高い敏捷はゴッホを起点に放出される粘度のある絵の具で阻害される上、彼のマスターは現在とてもではないが指示を仰げる状態ではなさそうだ。それ故、宝具を開帳することができない。

流石に相手が宝具を切り、それに対して力及ばずと判断した時は宝具をもって抗する腹積もりだが、キャスターが弱みを晒していない状況で決断を下すことはできない。

 

対してセイバー陣営。

アイリスフィールを守りながらとなるが、狂喜乱舞して画筆を走らせるキャスターから目を離すわけにもいかず、彼女を視界に収めてセイバーは警戒を続けている。

 

(セイバー様かそのマスター様の血が欲しいところですが……中々どうしてランサー様の追跡を逃れるのが難しいですねぇ。やっぱり煽ったのが原因でしょうか。うぅ……ゴッホ失態!)

 

ゴッホへの魔力供給は潤沢なので泥沼化してきた状況を維持することはできる。しかし状況は好転せず、また悪化もしない。

 

(第三者が入ってくれば……いや、望み薄でしょうね。まさかわざわざゴッホのフィールドに入ってくる剛毅なタチのサーヴァントなんているわけ──ハウッ!?)

 

遠く、遠く──倉庫街から見て東南方向に位置する赤々とした大橋上空──から雷鳴が轟いた。

 

二騎はその轟音に一時動きを止め、残るフォーリナーは愕然とした様で空に広がる雷霆を目に映していた。

フォーリナーはその脅威に対して身構えるために行動を止めたのではない。

()()()()は知っている。戦車(チャリオット)が引き連れるその神威をほんの僅かだが、覚えがあってしまったのだ。

僅かなれど、ギリシャ神話に生きた者たちにとってその圧倒的な在り方を忘れ去ることなどできようはずもなく。

 

しかもその戦輪、明らかに自分に突撃を仕掛けようとしているのが彼女には目に見えてわかってしまった。

 

(ああぁぁぁっ!絶対こっち見てる!!?あの色欲不貞大神(ゼウス)の雰囲気あるサーヴァントこっち見てるぅぅぅ!!?)

 

先ほどまでの余裕綽々っぷりは既に形無しである。本気で描いた絵画をメタメタに酷評された時さながらに彼女は取り乱した。

道具作成はあるものの、陣地作成を保有していないフォーリナーが倉庫街に結界を敷いているわけもない。あの宝具に引き潰されれば確殺は免れぬ、そう理解した。

 

アレを止めようにも触手や海月程度では歯が立たない。

焦って焦って、これ以上なく慌てふためいてから、フォーリナーは一目散に足元の絵画へと飛び込んだ。

 

程なくして雷電が空を、地を染め、稲光と共に第四のサーヴァントが推参する。

全域とまではいかないが、英霊の戦場となっていた場所の絵画は余すことなく焼き払われ、場所が空いたと見るや空を駆けた戦車は速度を弛めて着陸する。

 

「武器を収めよ、王の御前である!そしてそこな絵描きのニンフ、我が下に姿を見せい!」

 

推定ライダーのサーヴァントは、戦場からかなり離れた倉庫の端で今すぐ拠点に帰りたそうな顔面蒼白のフォーリナーがすごすごと出てくるのを見届けて、言葉を続けた。

 

「我が名は征服王イスカンダル。此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した」

「何を──考えてやがりますかこの馬ッ鹿はあぁぁ!!」

 

御者台から立ち上がったライダーのマスターの金切り声が、一時静寂に戻った冬木の倉庫街に虚しさを伴って響き渡った。

 




今のケイネス卿ならランサーの思いを汲んであげることもできるかもしれない。ちょっと二世チックな片鱗も見せましたね。

そしてルーキスの出自がいよいよ混迷を極めてくる。
一体彼は何処からやってきたんだろうか。

最後、善戦していたゴッホちゃんですが、ライダーがそれを黙って見ているわけもなく。
彼女の霊基の8割方はギリシャ神話由来のニンフなので、好色神(ゼウス神)の神威に凄まれると直接的な関係性はないにせよ、途端にパニックを起こします。可愛いね。


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すれ違い

妖精國を……潰すんのす!

この邪悪な生物を生かしてはおけんのす!



肺に空気を取り込む度に身体が軋む。解れた肉は捩れ、腹は風穴から歪な呼吸を繰り返す。早鐘を鳴らす心臓は留まることを知らず、穿たれた空洞にびちゃびちゃと赤を吐き出し続ける。

 

Trans,(穿て、) mei(我が) globus(銀弾)!」

 

水銀の先端が風船のように肥大化する。そこから形成された筒らしき部位が()()()()()を吐き出した。複数の先端に球体を接続した触腕じみた部位が一斉掃射を仕掛けてきた。

 

弾速はエヴェリンより遅い。が、ノーガードで受ければ負傷は免れまい。

 

「ふっ──」

 

そのため、ルーキスはたった一人の包囲網に抗する必要があった。

血刀が縦横無尽、さながら演舞のように、来襲する銀の弾丸を叩き落とす。双刃が振るわれる度に走る剣閃は赤色の軌跡を残し、迫る弾をかき消していく。

 

「ケイネス卿、一つ忠告しておく」

「何だね。もはや死に体の君の言葉を聞くことくらい……まあ、やぶさかではないが?」

 

口を動かそうと、しかし身体は止まることなく脅威を退け続ける。

急所に向かって放たれた水銀弾を弾いて後に続く弾にぶつけたその一瞬、ルーキスは力を溜めるように身体を捻り、垂直に飛び上がった。

 

死に体と、そう見えるのも無理はない。腹に風穴が空いた人間がそうでない方が余程奇妙である。

だが、彼はどうやら──()()()()の類いらしい。

 

「狙いが正直すぎる」

「──Fervor,(沸き立て!) mei(我が) Sanguis(血潮ッ)!」

 

頂点に達した直後、大上段に構えた二刀を振り下ろしながら高速で突撃する。人間榴弾と化したルーキスは着弾と同時に広範囲に可燃性の血飛沫を撒き散らす。

中央から衝撃が伝播し、焦げ臭い匂いとけたたましい金属音と共に戦場だった倉庫は崩壊した。

 

足場を失い地に落ちたケイネス。その背後から振るわれた血刃はすんでのところで月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)が防御した。

 

銀弾掃射はもうない。元よりエヴェリンの射撃を下地に急遽設定した付け焼き刃。他機能との同時併用はリスクが伴う。

 

Fervor,(滾れ!) mei(我が) Sanguis(血潮ッ)!」

 

ケイネスの礼装は柱の如き太さの針山へと姿を変える。圧倒的な質量でもって相手を圧殺せんと鎌首をもたげる。

 

当のルーキスは再び双刃落葉を接続させ、刺突の構えで迎え撃とうとしていた。落葉が纏う血は先よりも多く、この一撃に渾身の力が集約されていた。

 

両雄、必殺を放たんと頃合を計る。

一触即発の血刃と水銀、その限界まで張りつめた空気を破ったのは────

 

「──フォーリナー!?」

 

腹を掻っ捌いて血を流そうが、銀弾掃射に晒されようが、顔を歪めなかったルーキス。しかしここで初めて焦りを表層に出す。

サーヴァントに危険が迫ったのだろうか、甲に刻まれた令呪を手袋越しに見やり、数秒の逡巡の末苦しげに顔を歪ませる。

 

「すまない、ケイネス卿」

 

小さな謝罪と同時に構えを解き、落葉に付与された血を解放する。間欠泉のように吹き出した血に攻撃性こそないが、周り全てを赤で塗り尽くす程度には十分。

 

辺り一帯に広がる血液をチャフ代わりにしつつ素早く後退。

輸血液を取り込み、懐に忍ばせた『遺物』──狩人の遺骨を握り締めた。

 

 


 

【妖精】

 

星の触覚、ガイアに属する仔。

 

羽根のある小人は大衆に共有される妖精のイメージだが、その発端はある劇作家が生んだとされている。

 

人よりも無邪気で、獣より酷薄。

それ故、基本的に相容れない存在である。

 

神の怒り(呪い)は正しい。

神の呪い(怒り)は正しい。

 

はじまりのろくにんにすくいあれ。

はじまりのろくにんにのろいあれ。

 


 

 

聖杯を己に譲るか否か。

征服王イスカンダルを名乗るライダーの不遜極まる提案に彼を挟んだ二騎のサーヴァントはそれを一蹴した。待遇は応相談だが?と重ねて申し出たがにべもなく断られる。

交渉決裂に残念だとボヤくライダーは視界の端で逃げ出そうとする絵描きの英霊を発見した。

 

「おい、そこの」

「うわっヒャイ!!?は、はひ!!ななななななんでしょうかこの木っ端サーヴァントにゼウス様神!?」

「落ち着け、取って食ったりはせん。後余はゼウスではない。征服王イスカンダルだ」

 

自分目掛けて突っ込んできた英霊のどこをどう見ればそう信じられようか。神威を一身に受けた当人は疑わずにはいられない。

 

御者台から降り立ったイスカンダルは威風堂々たる足取りでコンテナにしがみつく少女に歩み寄る。フォーリナーはガクガクと子鹿のように脚を震わせ、終いに尻もちをついてしまった。

 

逃げろ、逃げろ。身体に染み付いた残滓が警鐘を鳴らす。

しかし足が、手が、鉛のように鈍重だ。起き上がることさえままならず、自分の前に聳立する益荒男を見上げるのが精一杯。ただ仰ぎ見ることが今できる全力の抵抗だった。

 

「この倉庫に描かれたのは貴様の作品に相違ないな?」

 

ライダーはその厳つい顔をずいと眼前に近づけた。それにコクコクと、フォーリナーは引きつった顔で首を動かし肯定する。

 

「そうかそうか……なあ絵描きのニンフよ、余の画家にならんか?ん?」

「……ほへ?」

 

大袈裟に、鷹揚に頷いた後に発せられた野太い声を耳に入れ、内容を咀嚼するまでおよそ30秒。

 

(余の画家これが意味するところをざっくり考えるなら先のセイバー様ランサー様二騎と同じく聖杯をライダー様に譲ることを条件に自分の陣営に加入しないかという解釈でいいでしょうというかそれ以外にさっぱり思いつきませんし正直この聖杯戦争を根底からひっくり返すような提案は密かに寵臣度アップを付け狙う策士ゴッホ的に相容れないものであってマスター様の悲願達成のため必要である以上そこは絶対譲れませんそういえば同盟とか組む予定あったりしたんでしょうかゴッホの一存で決められる事項ではないんですがあぁそうだゼウス神の雷霆をばら撒きながらライダー様がこっちに突貫したのと正体の半分を初見看破されたせいでボディ側がすっかり屈服完了で身体の至る所が即座にヌメヌメして脈略もなくジャポネズリー土下座敗北宣言しそうなんですどうしてくれるんでしょうそんな醜態さらしたらお嫁にいけませんねエヘへこれはルーキス様に責任取ってゴッホと宙の深淵を目指すめくるめく冒涜的ハネムーンにいやストップすみませんごめんなさい出過ぎたマネでした今のナシで神を相手に随分同化(どうか)していたゴッホですハイゴッホジョークともかくまかり間違ってもこれは私の画才目当ての勧誘じゃなくここまでの戦運びを評してでしょうしつまりゴッホがここでイスカンダル様に答えるべき解答は────)

 

「申し訳ありませんが、お断りです。ライダー様に聖杯を譲る気はないですね」

 

震える身体を叱咤し立ち上がり、毅然とした態度で否と告げる。が、征服王はさも不思議そうに首を捻った。

 

「むう?何か勘違いしているようだがなニンフよ。余は画家にならんかと聞いたのだ。此度の戦いは文化に生きた奴にしては中々のものだが、それを求めてはおらん」

「え……ええと、そ……それはつまり……?」

 

冷や汗を垂らすフォーリナーに飲み込みの悪い奴よのうとライダーは嘆息した。

 

「一から十まで言わんと分からんか?貴様の筆遣い、大いに気に入った。我が軍門に下らずとも良い。余を描かんか?稀代の画家の英霊よ」

 

御者台に残されたライダーのマスターの慟哭にも似た悲鳴が聞こえてくる。

 

征服王の言葉にフォーリナーの心に天にも登る高揚と懐疑心が同居した結果、生涯日の目を見なかったゴッホ(自分)が征服王に認められるなどという甘い夢はありえない、この身果てれば夢も覚めるだろうと飛躍した思考に辿りついてしまった。

 

確かにサーヴァントとは現世に浮かび上がった泡沫の夢のようなもの、解釈としては筋は通っているが、些か突拍子が過ぎるのは彼女の狂気によるものか。

もしくは権威あるものに認められるゴッホは解釈違いなのだろうか。

 

「マスター様今までありがとうございましたもう私ダメみたいです死んでいいですか?死にますね!お疲れ様でした!!」

 

 

 

彼女と繋がったパスから『死にますね!』と威勢よく縁起でもない、ともすれば遺言とも受け取れる言葉が聞こえたものだから、ルーキスは気が気でなかった。

修復したての身体の軋みを無視して次元を跳躍する『加速』の業で目標地点へと移動する。

 

ケイネスとの決闘を放棄したのは心苦しいが、仕方のないことだ。

ゴッホの存在は悲願成就のために必要不可欠。それ以上に自分と似た境遇の彼女の危機を放置することなどできるはずもなく。

 

「フォーリナーッ!!」

 

次元を渡る、渡る。

速く、もっと速く。

 

何度目かの跳躍の先に放心状態のゴッホを発見。巌の如き巨漢の前でへたれているそれを引っ掴んで次元を跨ぎ、ひしゃげた倉庫の上で彼女を背負った。

 

「貴様、そこのニンフのマスターか?」

「……だったらどうする、貴公」

「小娘のその筆遣いを見込んで余の──征服王イスカンダルの画家にならんかと提案したのだが……ご覧の有様でな?」

 

いやまさか、そう思って背負った画家に目をやると思いっきり視線を逸らされる。

 

「──大事じゃなくて良かった」

「お、怒ってます……?」

「心配はすれど怒りはしない。貴公のことはよく知っている」

 

ライダーの後ろで蹄を鳴らす二頭の神牛とゴッホの生い立ちを辿れば分かる。

神話の中での力関係や彼女の不安定な精神、様々要因はあるがつまるところ──仕方なかった、というやつである。

 

マスターが緩衝材になってくれるならいけるか?とライダーが己のマスターの叫びをよそに冬木の聖杯戦争史上もっとも意味のない交渉のテーブルにつこうとした時、戦場一帯に幻覚で撹乱された声が響き渡った。

 

「ルーキス!どこだルーキス!!まだいるのは分かって────ほう?そうか、そうかそうか。そんなに死に急ぎたいか、ウェイバー・ベルベット君」

「あ……う……」

 

役者は揃いつつ、舞台も整いつつ。

しかし、番狂わせは舞台裏で静かに糸を引いている。

 

 

悪夢────『冬木の悪夢』の結実は、近い。

 

 




感想は後でまとめてやるんのす。

インド人を右にするための許可証を得るために色々してたら遅くなりました。難しいねMT。

2部6章を走り抜けた感想としましては……バーカ!滅びろ妖精國ぬんのす!
カルデアにいるキャストリアの衝撃の新事実とベクターみたいな立ち位置にいた■■■■に打ちのめされたぬんのす。

そしてアンケートを作成しましたぬんのす。
期限は/ZERO編終了までぬんのす。


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悪夢

結実の時だ
ここに万雷の喝采を



夜に響いたその声に、威勢のいい嘲りでもかけてやりたかった。しかし今、生まれて初めて純粋な殺意を向けられたウェイバー・ベルベットは石化の魔眼(キュベレイ)が如き重圧をその身に受けていた。

ケイネスはすぐに二の句を継がず、しばらく押し黙り、深く息を吐いた。

 

「……本来ならばすぐにでも君に特別課外授業を受講させてやりたいところだが、それより先に果たすべきことがある。そうだろうルーキス!」

 

魔術によって撹乱され出処が不明瞭な声だが、その指向性は未だゼウスの神威にビクつくゴッホが壁にしているルーキスへ向けて放たれたのは明白だった。

 

「何故、決闘を放棄した?」

 

心底残念そうに、声は問う。怒りよりも嘆きか、またはある種の憐憫を伴って。

鍔迫り合うに相応しいと、確かに見定めた者がどうしてそうしたのか、そうしなければならなかったのか。ケイネスは問わざるを得ない。

 

ライダーは倉庫の上のフォーリナー及び征服王から彼女を庇うように立つルーキスへ怪訝な顔を隠そうともしない。事と次第によってはただではおかないという意思表示か、単に返す言葉を興味津々に待っているだけなのか。

 

「一族の大願、それが風前の灯火だとすれば……貴公はどうする」

 

殊更慎重に、言葉を吟味しながらルーキスは応じた。

 

「風前の灯火……そのサーヴァントが?」

「そうだ。我等の目標のために彼女を失うわけにはいかない。いや、そうせざるを得ないというべきか……」

 

全てを語るわけにはいかず、かと言って口を閉ざすのも道義に悖る。元より決闘を放棄した手前、ルーキスに話さない選択肢はなかった。

 

「……冠位指定?」

「まさか。私の起源は遡っても19世紀前後。至上の命題を与えられ西暦以前から脈々と続くお歴々とは──あぁ全く、比べれようはないとも」

 

息を飲んだケイネスにルーキスはいやいやと頭を振った。

ヤーナムにおける魔術の歴史において、ルーキスの言葉は正しい。

魔術伝来以前より息づく名状しがたい『神秘』に関して述べるのであれば、偽である。

しかし、余人に伝えるべきことでもない。修めた果てに待つのが狂気しかない智賢など、得るべきではない。己の内に、留め置くべきだ。

 

「『血』に抗うことができぬ一点においては恐らく彼らよりも縛られているのだろうが……しかし、すまなかったケイネス卿。水を差すような真似をした」

 

言葉は、すぐには帰らない。

誰ともなく、次を待った。

 

「君の帯びた使命とその誠実さに免じて、勝負は預けておく。引くぞランサー。……貴様に相応しい舞台は用意してやる」

「────感謝する、我が主よ」

 

一瞬目を瞬かせたランサーは万感の思いを込めて震える声を絞り出した。彼は我が主にどんな心変わりがあったのかは分からない。しかしその言葉は、忠義を捧げるがために召喚に応じた彼にとってはかけがえのないものだった。

 

この状況下での撤退はここまでの経緯を辿れば仕方のないことである。

画家のサーヴァントにライダー・イスカンダル。番狂わせが何度も起こった。ランサー、そして対するセイバーも本調子とは言い難い。

戦いの果てに憔悴しきったのならばまだしも、無秩序な盤面で決闘など出来ようはずもなく。

 

言葉もなく頷いたランサーに虚をつかれたセイバーだったが、彼らの意図と思惑を感じ取り、強く首肯を返す。

彼女とてかき乱された戦場で尋常に勝負ができるとは思わない。

それを確認してからランサーは霊体化し姿を消した。

 

「──征服王」

「なんだセイバー。貴様とランサーの因縁と同じく、絵描きは余が先約だぞ?」

 

影が差した剣士の顔がゆらと巨漢と、その先にいるサーヴァントへ向けられる。対しライダーは軽く笑って彼女を制した。手出しするなら容赦はしないと、言外にセイバーへ突き付ける。

 

「……」

 

セイバーは無言で不可視の切っ先を地へ向ける。今すぐにでも駆け出したい衝動をぐっと抑えた。

勝負を邪魔立てされたことに思うところはあり、それに対して怒りも湧く。

しかし征服王の言葉の直後、彼女の直感はささやいた。今までにない、まるで天啓のような予感だった。

 

 

『その絵描きを倒してはならない』

 

 

赤子の鳴き声は高まるばかり、いい加減煩わしささえ感じている。仕方なく、自分の身から出されたであろう直感に委ねることとした。

 

「だがそうだな……燻ったまま帰らすのも悪い。余もまだ見足りないと思っていたところよ」

 

一人で勝手に納得しながらライダーは神牛が引く御者台へと戻り、声を張り上げた。

 

「のう、冬木に集った英雄豪傑どもよ!!セイバー、ランサー、そしてそこな絵描きの戦に何も感じることはなかったと抜かすか?その身に宿した真名はただの飾りか?そうではないだろう!?」

 

呵々と大口を開けて笑い、ライダーは口元を釣り上げた。そうして現れた不敵な面貌で夜に叫ぶ。

 

「これに異を唱えるならば、己が真名に誇りを持つならば、聖杯に招かれし英霊は今!ここに集うがいい。なおも姿を見せぬ臆病者は征服王イスカンダルの侮蔑を免れぬものと知れ!」

 

声はライダーの宝具の轟雷にも似て、戦場の空気を震撼させる。

その直後、金色の光が直上から倉庫を照らす。

 

「……あ」

 

フォーリナーの霊基は半ば反射的に手を伸ばしていた。

その輝きは記憶にない見覚えがあるような──

 

「……違う」

 

察される前に、勘違いして咲き始める前に、サッと持ち上がった腕を降ろした。

煌めいてはいるけれど、決して太陽ではない。

日の光にしては、その威光は夜に映え過ぎていた。

あたかも、ヒトを照らす星のように。

 

(オレ)を差し置いて『王』を称する不埒者が、一夜のうちに二匹も涌くとはな」

 

推定アーチャーのサーヴァントは不愉快を隠すこともなく、侮蔑さえ宿った視線で目下に蠢く雑種を睥睨した。

 

 


 

【冠位指定】

神代より続く魔術師の家系が受けた勅令。

 

一族の指針、彼らが成長するための(しるべ)

そして、試練である。

 

時計塔の降霊科君主のそれは『試練』に類するものだ。

 

血脈に縛られし掟は血の遺志にも似て、尽きぬ恩恵と果てぬ執念を与えた。

 

問いの答えは、未だ見えない。

 


 

 

「現れた黒鎧のバーサーカーとアーチャーが戦闘。その後アーチャーはマスターの意向で撤退と思われ、バーサーカーは標的をセイバーに移し続行。バーサーカーはセイバーの風圧の剣で吹き飛ばされて反応消失(ロスト)。これは消滅ではなく令呪による転送と思われる──そして此方に戻ってきたと」

 

時は流れること数時間、ルーキスとゴッホは無事狩人の夢へと帰還していた。

アーチャー出現からここまでに起こったあらましは人形がまとめた通りである。

 

ルーキスはぐったりしながら工房の椅子にしなだれ、ゴッホは新たに植え付けられてしまったトラウマを払拭するため勢いよくドローイングに興じていた。いや、駆られているのだろうか。

 

「お疲れのご様子ですね」

「ああ、記憶の整理もしているのもあるかもしれないが」

 

ゴッホから受け取ったランサーの血液と何故か持っている──もしくは押し付けられた──ライダーの血液を摂取し、ゴッホを含めルーキスは実に英霊三騎分の人生を追体験している。

ただの人間とはかけ離れた情報を処理し、最適化し、己の血肉とするためには『継承』といえどもかなりの時間を要するらしい。

 

「視界も挙動もブレるか。……少し寝る。一段落ついたようだったら、そっちも休むように伝えてくれるか」

「わかりました」

 

ルーキスはゴッホに視線を向け、人形はそれに了解する。

椅子から床に腰を移し、暖炉近くの壁にもたれて彼は瞼を下ろす。

程なくして、彼の意識は深い暗い深淵の底へと誘われていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

零時を回り静寂に浸るはずの山林に走る国道を、躊躇いもせずに引き裂く白き流星が一つ。

 

時速100キロを超え、免停必至のスピードでメルセデス・ベンツ300SLクーペは疾走する。

あろうことか、その機械の猛獣の手網を握るのは華奢な細腕の貴婦人──アイリスフィール・フォン・アインツベルンその人だった。

 

助手席に座るセイバーの顔は芳しくない。苦し紛れに達者な運転ですねと彼女に述べたが、カーブに差し掛かる度に嫌な汗が身体に滲むような感触を味わい続けている。

 

叶うなら一分一秒でも早くこの道行が終わって欲しい。

先ほど達者とセイバーは口にしたが、正直彼女のギアチェンジは危なっかしくて見れたものではない。赤信号は減速すれども停止せず、道路標識には目もくれず。極めつけについ先ほど走っていたのは右車線だ。

 

時刻が深夜帯でなければとうの昔に車は鉄屑になっていただろう。最優の英霊たる己がいるからにはアイリスフィールを傷つけさせはしないが……。

 

ハンドルを駆る彼女に後どれくらいかと尋ねてももう少しもう少しと返すばかり。ひょっとして寄り道をしているのではないかと問いただそうとした直後──セイバーは叫ぶ。

 

「止まって!」

「え?わっ!」

 

セイバーは助手席から身を乗り出して片手でハンドル、左足でブレーキを踏む込む。そうして己の騎乗スキルを遺憾なく発揮し、暴走車両と化したメルセデスを感じ取った存在のおよそ10メートル前にまで押しとどめることに成功した。

 

「ねぇ、セイバー……アレって」

「サーヴァント、ではないようですが」

 

白煙を巻き上げて止まった車のヘッドライトに照らされたのは──

 

「宇宙人……よね!ほら、『い〜てぃ〜』って言いながら指を合わせるアレ!」

「すみませんアイリスフィール。私は貴方の意図することが分からない……」

 

きのこのような形の、青白く発光する頭部を持つ、テカテカとした何かだった。

セイバーとアイリスフィールは言いようもない嫌悪感に襲われた。根本的にルールが違う、意味も分からないがセイバーはそう感じ取った。

 

メルセデスから降りた彼女たちに反応するでもなく、推定エイリアンは白濁した瞳と思われる部分を、ただただアスファルトへ注いでいた。

 

「貴様、何者だ?」

 

答えるはずもなければ、答えるだけの脳もない。

よしんばあったとして、およそ意味を伴った音を発声できる器官を備えていないので、結局のところ意思疎通は困難を極める。

 

どうしたものか──いやこんなものをどうすればいいかなど経験がない。

 

ただ道の真ん中でブヨブヨとしているだけなら無害な存在なのだが、彼女の直感は──更に強さを増した赤子の鳴き声にかき消されそうになっているが──そうではないと告げている。

 

「えっ……!?」

「どうしましたアイリスフィール」

「セイバー、あの、えっと──手を」

 

アイリスフィールの顔が困惑と恐怖を覗かせた。

彼女の震える指先に示された場所へ、セイバーもゆっくり目を向ける。

 

「────!?」

 

ありえない。ありえないが……実際この目は真実としてそれを捉えた。

 

エイリアンの右手に三匹の蛇が絡み合ったような紋様が刻まれていたのだ。

 

その特長、その形、御三家が一角のアイリスフィール見紛うはずもない────それは、『令呪』だった。

 

 

「ああ、よくやってくれた」

 

 

突如、知らぬ声が森に響く。

セイバーは纏っていたダークスーツの上にすぐさま魔力で編んだ鎧を顕現させ、不可視の剣を抜刀する。

 

「誰だ!どこにいる!?」

 

うるさい、うるさい、声がうるさい。

森全体に響き渡るような赤子の声が、こんな時に限って鳴り止まない。

 

(……()()()()()()()()?)

 

セイバーは()()()()()

そして騎士の疑念は、確信に変わった。

 

 

███████████████████……」

 

 

果たして、その()はいた。

暗がりに、林に隠れるようにして潜む男から、赤子の声がする。

 

彼は何事かを呟いているようだが、常人には到底聞き取れない言語体系なのか、セイバーは内容の一切を汲み取ることができない。

 

背中にアイリスフィールがいる手前、この持ち場は外せない。

どうしても後手に回ってしまうセイバーは男を見据えながらギリと歯を食いしばった。

 

 

────第二宝具、解放」

 

 

意味のある文字列として二つ目にセイバーが捉えたのは最悪を告げる魔の響き。

 

「──!」

 

その場を動くことはできないが、その動きを阻害することはできよう。

セイバーは瞬時に聖剣の風鞘を解放し、縦一線に暴威の風圧を撃ち放った。

 

風王鉄槌(ストライク・エア)ッ!」

 

 

悪夢は巡り、そして終わらないものだろう(The nightmare swirls and churns unending)

 

 

風の剣はいとも容易く、男が展開した暗き()の中へと墜ちていく。

それと同時、空間ごと抉れるようにして森の一角が()に飲み込まれ────唸るメルセデスを除き、剣の主従は姿を消した。

 

 

「アッハハハ!アッハハハハハハハ!」

 

 

男は笑う、男は嗤う。

 

()()()()()を被った狂人(キャスター)は、月夜の宙へ高らかに声を響かせた。

 




ヽ且ノ{Ooh! Majestic!)

大胆なカットは何とかの特権。許してくだされ。

ZERO終わった後のお品書き(順不同)
・ランスロットエグゾディアアルビオン
・ヤーナム魔術史
・いあ!■■■ぁ!
・悲しき獣の亡骸
・■の落とし子


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幕間︰████ァ!の手記

※少し残酷な描写があります。


5年ぶりの帰省、しかし雨生龍之介の心にこれといった感慨は浮かんでこない。崩れかけた土蔵に眠る自分の原点(オリジン)と対面しても、ああ帰ってきたんだなぁと、それだけ。

かつて姉だったものは彼にあの時のようなインスピレーションを湧かせるまでの興奮を催してはくれなかった。

 

とんだ無駄足だ。

抱いた期待以上の落胆を覚え、失意のままに土蔵を後にしようとする、ちょうどそのときのこと。手持ち無沙汰に暗がりをさ迷った龍之介の視線が、乱雑に置かれた書物にフォーカスされた。

 

引き寄せられるように一番上に置かれた古書を手に取って、かぶりにかぶった埃を払いながら、ぴらりと(ページ)を捲った。

 

見たところ木版や活版印刷の類ではなく、個人が記した覚書のようだ。イギリス英語と幕末期の日本語が混じった本文を読み解くのは困難を極めたが、龍之介はどこか確信めいてそれを読み進めた。

 

自分が求めるCOOLがここにある、そう信じて疑わなかったのだ。

 

 

『軛は絶え、悪夢は終わった。夜にありて、しかし血に酔わぬ月によって』

 

『教会の業と月の儀式、その真相を記す。願わくばこれを戒めとし、二度と眠りに落ちんことを』

 

 

奇妙な書き出しから幕を開けたのはあまりにも荒唐無稽で、しかし筋が通った異邦の物語。

 

奇病に侵されたとある英国古都の行く末と神に叡智を乞う気狂いどもの記述は大いに殺人鬼のインスピレーションを刺激した。

 

おお、こんな自分に最高のCOOLを授けて下さったのは一体どこの誰だろうか。

龍之介は心踊りながら巻末の奥付に目を通した。

 

 

『連ㅤㅤヤマム█ ███

 

 


 

【連盟】

獣狩りの夜に蠢く汚物を一掃することを目的とした同盟。

 

淀みを見出さぬものは等しく狩りの対象であり、淀みの根源たる『虫』が根絶されるまで、彼らは狩りと殺しの使命を帯びる。

 

その長を降りる直前、ヴァルトールは呟いた。

 

『……なあ、同士。きっと「虫」を、人の淀みを根絶しよう』

『全ての同士、血濡れの連盟の狩人たちのために』

 


 

 

四人家族の末っ子は、一夜の内に天涯孤独となった。

 

「ねー坊や、神様って本当にいると思うかい?」

 

切開された母親の下腹部へ丁寧に手が突っ込まれる。

既に事切れているため麻酔もなく肉を裂かれ臓器を掴まれる痛みを感じないのは不幸中の幸いだろうか。

生暖かい身体の感触をしっかりと味わいながら、龍之介は慎重に作業を進めていく。

 

一家団欒を過ごすはずの部屋は彼らの鮮血で魔法陣が描かれた。この魔法陣はヤマム某が記したものではなく、土蔵にあった他の書物に準ずるものだ。

ヤマ某の方に魔法陣の記述はないが、黒ミサ風のムードを第一とする龍之介はフィーリング重視で何の気なしにそれを挿入した。

 

「この本によると……神様ってのは()()()()に惹かれて来るんだとさ」

 

身体を縛られ猿轡を噛まされた子供は泣き腫らした目を惨殺された家族の亡骸に向けるだけだった。

父が息を引き取った時の喚きも良かったが、一周回ってものを言わなくなるのもまた趣がある。

子供に向けた首を母親の骸に戻し、ますます上機嫌になった龍之介はついに目的のものへと辿り着いた。

 

「お、いけたいけたぁ!殺さないようにやるとなると結構難しいもんだ。思ったより時間かかっちゃったし」

 

父親よりは綺麗にかっさばかれた母親の腹。そこからズルリと血塗れの紐とそれに繋がれた小さな物体が取り出される。

テーブルに置いてあった母子手帳を参考にするのであれば、もうすぐ産まれる予定だった赤子である。

 

「ほらほら、坊やの弟くんだよ〜。かわいいでしょ?」

 

ギチギチとへその緒を引っ張り、床に転がるお兄ちゃんにそれをすりすりと頬擦りさせる。

子供は、もう何も言わない。

 

「さて、鳴き声じゃないといけないんだったよな。えーと、繋がってると酸素が供給されるから……」

 

マタニティ系の雑誌を死体の傍らで捲り、弄んでいた剃刀でブチリとへその緒を断ち切った。

 

これで泣かなかったらどうしようかと気をもんでいた龍之介だったが、臨月に近かったのもあったのだろう、憐れな赤子は無事に産声を上げる。

 

「おーよしよし、よしよし。今から君は神様の捧げものになるんだぞぉ。だからさほら、もっと鳴いて──ぁ痛ッ!」

 

泣き喚く赤子を取り落としそうになるのを何とか抑える。酸でも浴びさせられたような鋭い痛みが彼の手を襲ったのだ。

 

せっかくのハイに水を差されたが、それ以上に龍之介の心は躍る。痛みが残る右手の甲に、覚えのない赤き紋様が刻まれていたからだ。三匹の蛇が絡んだタトゥーのようなそれはなかなかどうして洒落ている。

 

しかし彼の興奮も束の間、龍之介の感覚は部屋に起こる異常を感知した。

まず無風に近い部屋に旋風が生まれ、次いで死血で描かれた魔法陣が星の瞬きにも似た煌めきを放ち始める。

 

何か起こってくれればいいな、龍之介がこの儀式殺人を始めたのはその程度の思いつきからだったがさすがにここまでのオカルティックは想定外だ。

演出だけを見れば子供が喜びそうなものだが、肌を叩く風がこれは現実であると伝えてくる。

 

風は更に勢いを増し、魔法陣は光と共に火花と稲妻を吐き出した。その事象の中央でぼんやりとした形が立ち顕れる。その輪郭は人の形に近く、もぞもぞと身動ぎを繰り返していた。

 

その光景を龍之介は見つめていた。

無垢な子供のように、見守っていた。

 

魔力が臨界に達した瞬間、部屋を埋め尽くす閃光、響く雷轟、そして──硝子が割れる音。

 

「ああ、ゴース、あるいはゴスム……いや、()()聞こえぬか」

 

落ち着き、しかし落胆を孕んだ声が龍之介の鼓膜を叩く。

風が止み、光は絶え、魔法陣は色を失った。

引き換えに、龍之介の前へ声の主が突として姿を現した。

 

時代錯誤のローブのような学生服に鉄の檻を頭に被った男は舐めるように部屋の惨状を見届けた後、ゆっくり龍之介へと足を進める。

 

「エドガール、君には感謝しなければね」

 

そして男は呆然と立ちすくんだ龍之介の首筋にプスリと青白い液体を含んだ注射針を突き刺したのだ。

 

ようやく放心から引き戻された龍之介だったが、もう手遅れだった。

 

「はぁ……」

 

ただの赤子の鳴き声で呼べるわけがないのだ。

ああ……ああ!全くもって度し難い!何故そんなもので呼べると思ったのだ!

 

徐々に青白く変貌していく龍之介を男は──ミコラーシュは、冷めた瞳で見つめていた。

 




伊勢国の鍛冶師 ムラマサァ!
土の氏族 ナカムラァ!

答えは 流浪の狩人 ヤマムラァ!



【真名判明】

メンシスのキャスター

真名
ミコラーシュ



【CLASS】キャスター

【マスター】雨生龍之介(星界からの使者)

【真名】ミコラーシュ

【属性】混沌・悪

【ステータス】
筋力C 耐久B 敏捷C 魔力A 幸運C 宝具EX

【クラス別スキル】
陣地作成(EX)
道具作成(-)
狂気(B)
神性(B+)

【固有スキル】
冬木の悪夢へ侵入で開放

【宝具】
██の子』

悪夢は巡り、そして終わらないものだろう(The nightmare swirls and churns unending)

『偽・████本』


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後悔

演じるにはきっと、彼は繊細過ぎた。



ざあざあ、ざあざあ。

 

空が泣いている。

雲が泣いている。

 

彼の心も、ざあざあ、ざあざあ。

 

 

冬木市郊外の西に位置する深い森、その敷地の入口からおおよそ3時間ほど歩くと外つ国の城がにょっきりと顔を出す。

ドイツから運び込まれたアインツベルンの居城である。

 

荘厳な出で立ちの城の一室、そこで衛宮切嗣は森に打ち付けるバケツをひっくり返した土砂降りを瞳に映していた。

 

時刻は午前9時。セイバーとアイリスフィールがアインツベルンの森で消えてからおおよそ10時間が経過している。

その間切嗣は他マスターのねぐらにアタリをつけるでも、張り込みをしたりするでもなく、何一つアクションを起こさぬままに一夜を明かしてしまった。

 

聖杯戦争に身を投じた以上、彼が無駄にできる時間はない。刻一刻と移ろう戦況を精査し、非情に徹して最適解を選び抜くこと。それが魔術師殺し、衛宮切嗣のやるべきことである。

だが動かない。彼は動かない。すべきことはとうの昔に決めていたにも関わらず、意思に反抗した身体は城から外へ踏み出すことを良しとしなかった。

 

切嗣は煙草を銜え、開いた窓の外に煙をくゆらせる。ここ9年は極力吸わないように努めていたが、非情な自分に戻るためには仕方がない。

幸いなことに目に入れても痛くない彼の娘はここにいない。切り替えるには絶好のスイッチだ。

 

「──イリヤ」

 

たまらず苦悶が滲んだため息と共に煙を吐き出した。

そう簡単に切り替えられたのならここまで思い悩んではいなかった。

脳裏に焼き付いた娘の笑顔を僕は台無しにしようとしている。

過ぎる思考に蓋をできればどれほど良かったか。残念ながら神は彼の心をそこまで器用に作ろうとしなかったらしい。

 

 

恒久的世界平和の実現に必要不可欠なピースを一夜にして奪われた人間の心はいかばかりだろうか。

その答えは事が起こってから今までの行動が雄弁に語っているが、それだけではない。

 

「──衰えたな」

 

誰ともなく嘯いた呟きが紫煙と共に雨に溶ける。

きっと9年前、アインツベルンに足を踏み入れる前の衛宮切嗣なら、こんな迷いは跳ね除けられたし、喪失に憔悴することもなかった。粛々と聖杯獲得のために次善策を練るか、既に行動を開始しているだろう。

 

切嗣にとってせめてもの救いはセイバーとのパスがまだ繋がったままということだけ。まだ最優のサーヴァントは現界し続けているのだ。

希望的観測ではあるが、セイバーが無事ならアイリもまだ生きているはずだ。彼はそう思った。

 

無事を信じなければどうにかなりそうだった。

聖杯戦争がつつがなく進行すれば、その過程でアイリスフィールは役目を終えて死亡するというのに。

 

分かっていたはずだ。

魔術師殺しは、衛宮切嗣は、そんなことはとっくに分かっていたはずだ。

だと言うのに、『失ったかもしれない』事実だけで、こんなにも心が揺さぶられている。

 

己の不甲斐なさから目を背けるように視線を室内に戻すが、切嗣の停滞はそこで終了する。

彼は短く悪態を吐きながらドアを開け放ち、階段を滑るように駆け下りていく。

 

切嗣の跡を残す部屋に置かれた遠見の水晶玉は、森の入口に立つ歪な斧を担いだ狩装束の男をじっと映していた。

 

 


 

【悪夢】

睡眠中に知覚するイメージ。その内とりわけ恐ろしく、また不快な印象を与えるもの。

 

多くはショックやトラウマによって引き起こされ、悪夢に起因する後遺症は現実生活へ不利益をもたらす。

 

凶兆を覚えた者はすみやかに英気を養うべきだろう。

その不吉が、いつかの正夢となる前に。

 


 

 

最後に布団で寝たのは一体いつ頃だったか。

バキバキと恐らく背骨に分類されるだろう部位を鳴らしながらルーキスは代わり映えのしない狩人の夢の中で目を開けた。

 

自分が活動を始めるまで眠っていた棺は布団よりも価値は高いが、いかんせんあれは床が硬すぎる。

目覚める側の人間を慮っていない設計だったとボヤき、彼はなるだけ現代でも目立たなそうな服に着替えてから工房の外へ足を運ぶ。

 

「おはようございます、ルーキス様」

「おはよう。ゴッホは?」

「昨夜の一戦が堪えているのか、深く眠っています。起こしましょうか?」

 

「いや、大丈夫だ」とルーキスは首を振った。

疲れているなら眠らせておくべきと考えた彼は人形にゴッホが起きた時の伝言を頼んで夢の外へ足を向ける。

 

「いってらっしゃい、ルーキス様」

 

人形に見送られて夢を後にし、深い霧をくぐり抜ける。

不明瞭な視界が白い光と共に開けると新都ビル街の裏路地に出た。背の高いコンクリートジャングルに囲まれた袋小路にこの『夢』は展開されている。

 

ビルの隙間に差す光に従い外に出て、久々に昼間の景色を目に映したルーキス。

その瞳に何が見えたのか、彼は眉をひそめてすぐに夢の中へと踵を返した。

 

ずんずんずんと白みだした霧の中へとんぼがえり、手持ち無沙汰らしく上の空で座っていた人形の隣に腰を降ろした。

 

「お早いですね、ルーキス様。……何かございましたか?」

「……アメンドーズがいた」

 

ルーキスは人形の顔を覗き込むもこれといって反応はない。静かに「そうでしたか」と言って悪夢に寂しく浮かぶ月を眺めている。

 

「……狩りに行かれるのですか?」

「そうしたいのは山々だが神秘(秘密)は秘匿すべきものだ。一般人の蒙を啓くわけにはいかない。今日のところは下調べで止めておく」

 

知らぬが仏とはよく言ったもので、正しくその通り。

あの即身仏化した千手観音を何かの拍子に認知してしまえば──魔導をある程度修めたものならともかくとして──瞬きの間に狂ってしまうだろう。

ルーキスとしては無辜の民が──何故落とし子の彼らがここにいるかはわからないが──故郷の厄災によって終わってしまう様はできることなら見たくない。

 

「ヤーナムと私は運命の赤い血によって繋がれているらしいな。ああ全く、認めたくはないが」

 

保管箱から古ぼけたトランクを引っ張り出し、慣れた手つきでポイポイとアメン狩り用の道具を敷き詰め、バチンとロックをかける。

 

「夜には戻る。もし待ちきれなくなった客が来たら……あー、適当に対応してくれ」

 

それだけ残してルーキスは背後へ一瞥もくれずにまた夢の外へと駆け出して行った。

 

お留守番を仰せつかった人形は霧の中へ消えていくルーキスの後ろ姿を見送った後、夢に浮かぶ月に目を向ける。

 

「残された時間はあまりないようですね。()()()

 




月姫R ルート全クリに加えて教えてシエル先生コンプしてたら遅くなりました。めっちゃ楽しかったです。
全部集めるとごほうびあるので皆様奮って頑張りましょう。

志貴君欲望に忠実でいいよね……。
アルク……可愛いね……。



どうしよう。

俺は健康的で抜群のプロポーションを誇る茶道部所属でフランス出身の男心くすぐる浪漫武装を携えたここ一番で年相応の女の子と人情味を見せちゃう根が優しさに満ち満ち溢れて想い人のために背負ったものをかなぐり捨てることも厭わない実年齢が見た目と乖離しているかもしれないシスター服を纏ったメガネっ娘の一日三食カレーでも良いくらいカレーが大好物でパン屋の娘の代行者系ヒロインが好きだ。

シエル先生助けて。
俺シエル先輩沼にハマっちまう。


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シンク・ディーパー①

ゴッホちゃんの幕間、見よう!



深く、深く。

 

遠く、遠く。

 

 

 

 

沈んでいく、沈んでいく。

 

虹の海へ、夢の底へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

サーヴァントは夢を見ない。

 

例え夢が覚めた自分を失い、微睡みの内でこの世ならざる景色を見るとしても、大抵それはマスター、あるいはサーヴァントが持つ生前の記憶である。

個人の記憶を再演する都合上、相手を取り囲んだ遍く事象を理解することは叶わず、相手が覚えている──もしくは視えていた──事柄に限定される。

 

つまりサーヴァントが白昼夢を見る、そんなことは決してないはずだった。

 

「……ぁ、ぅ、う」

 

起床と同時、鈍い痛み。物理的なものではなく、精神的なものと理解はしているけれど、どうにもこうにもこれは慣れない。薄らに開いた視界に広がる、霞みがかった外を見やってゴッホはそう思った。

 

まあ、いつもの事なのだが。しかし今日は殊更に具合がよろしくない。

まとまらない思考を無理やり縛り上げ、硬い地面に寝かされた上体を起こす。

 

ごしごしと目を擦ってそろそろ見慣れてきたかも……いやいややっぱりまだ馴染まない不思議な固有結界をどうにか視界に入れようと、おっかなびっくり薄目を見開いた。

 

「……こ、ここどこですか?」

 

非常に残念だが彼女の疑問に答えられるものはいない。

余所者にはとりわけ厳しいきらいがあるここの住人たちが絵描きの質問に親切に回答してくれるかというと、それは語るべくもないことだ。

 

景観だけを拾い上げればゴッホにとって馴染み深い風景の数々である。夕闇を頼りなく照らすガス灯、もくもくと煙を立ち上げる煙突。妙にシックで、しかし影のある西洋建築の数々。

 

間違いなくここは聖杯戦争の行われている日本(ヤポン)ではない。そして現代でもない。

フィンセント・ヴァン・ゴッホが生きた19世紀のそれに極めて酷似──いや、間違いなくそのものだった。

 

「夢、なのでしょうか。多分、恐らく、きっと……エヘヘ、自分で言っててちょっと自信なくなってきちゃいます」

 

サーヴァントの見る夢は先に語った通りに過去の記憶そのもの。ゴッホに見覚えがないとすれば、必然的にこの景色はルーキスに拠るものだと断定できる。

情景が古めかしいのは血によって他人の一生を取り込んだ故なのだろうか。

とはいえ、どれほどの血と人生を取り込めばこれほどまでに仔細な風景を生み出せるのだろう?

 

「……いいですよねちょっとくらい。ゴッホも余すことなく見られましたし?きっとバチは当たりませんし?そう、事故ですこれは。だから仕方ないんですよマスター様」

 

目的こそ教えてもらった。彼が従う『起源(思考)』も知っている。

しかし聖杯戦争に至るまでの過程の具体的なところ、それをルーキスは語らなかった。あえて語らなかったのかもしれないが、そこは彼女が気にするところではない。

 

もっともらしい言い訳を口にする。だが笑っていたのでは世話がない。呟いた言葉は逃避のそれであり、やましいことをする前の自己弁護の類いである。

そんな奇行を咎める人間もおらず、ひとしきり笑ったゴッホはよいせと腰を上げた。

 

「そうですねぇ……まずはあそこの、何かを囲ってキャンプファイア?してるところにでも行ってみましょうか」

 

ゴッホの鼻は獣臭さと焼け焦げた肉の臭いを嗅ぎ取っているが当人が意識的に気がつくことはない。

かぐわしき秘密の香りが、ゴッホの思考のほとんどを埋めつくしているからである。

 

 

獣性神秘古都ヤーナム。

 

数多の記憶は詳らかに、緻密に、獣の病と宇宙の神秘が渾然する山間都市の歴史を再演する。

 

血に拠る遺志から出力された過去で待つのは甘き秘密か、腐る悪夢か。

 

青ざめた空が見守る下、クリュティエ=ヴァン・ゴッホは夢の深層へ一歩、足を踏み出した。

 

 


 

【星月夜】

 

原題:『De sterrennacht(デ・ステーレンナフト)

サン・ポール療養院より視えた風景を描いたゴッホの代表作の一つ。

 

狂気に蝕まれながらも描き上げられた貴き幻想は、しかし水の司祭によって霊基や精神を改変する忌まわしき宝具へと変貌した。

 

されど外なるもののためでなく、己がために使うなら、狂気は正しく幕引きをもたらす希望となり、彼等の闇を啓くだろう。

 

彼女に握手を送るなら、ゆめ忘れぬことだ。

 


 

 

アサシンから冬木教会周辺に不審物は見当たらなかったと報告は受けた彼は一抹の不安を抱えつつも床に着いた。

 

そうして身体を休めても脳裏にはあの幻覚がリフレインするばかりで、少しも休めた気がしない。

教会の扉を破るようにして現れた扁桃が如き異形の怪物。今にして思えばあれは何かを探し、そして求めているようだった。欲するとして……果たしてそれは何をだろう?

 

そんな精神的苦痛に耐えかねてベッドからゆっくりと身を起こした綺礼。しかしその目に映ったのは教会の一室ではない。

 

古めかしく、そして薄明で満たされた寂れた都。大きく弧を描きながら並ぶ家屋の先に、周囲の空気と明らかに対立する高楼(ビル)が軒を連ねている。

まるで街を削り取って無理やり縫い付けたような、そんな印象を鋼塔の群れは与えてきた。

 

「ああ、ゴース。やはり、我らの祈りは聞こえぬか……」

 

その声が鼓膜を叩いた瞬間、身体中の皮膚が粟立ち、気づけば綺礼は黒鍵を手にその奇妙な男へ襲いかかっていた。

アレの存在を許してはならない。一分一秒生き長らえさせてはいけない。

本能にも似た焦燥が彼を駆り立て、指に挟まれた六爪の黒鍵がその牙を突き立てる、はずだった。

 

「素晴らしい!狩人でもない君がここまでの膂力を発揮できるとは!」

 

しかし、綺礼を暖かく出迎えたのは返り血ではなく賞賛。

殺意など微塵もない、混じり気なしの祝福。

 

「けれど、けれどね。その程度の摂理では目覚めに程遠いのだ、神父よ。……歪み抱えし神父よ」

 

巨大な曲刀を携えた六本の腕。鴉のようで、しかし生気のない漆黒の翼。男の背中を突き破るようにして芽生えたそれらは凶爪を瞬く間に弾き落とした。

 

「私は今の君にとって度し難い悪であり、また倒すべき敵だ。そうだろう?」

 

荒く呼吸を繰り返す神父に対面し、自ら檻に囚われた男は御託を丁寧に並べた。ちょうど教授が蒙昧な生徒に己の講釈を垂れるように、ごく親切に告げるのだ。

 

男に悪意はない。だからこそ言峰綺礼は形容できず、得体も知れない悪寒に襲われる。

 

「しかし私を打倒する前に……君は蒙を啓くべきだ。瞳を開くべきだ」

 

男の背中から一対、また腕が生える。

空拳は宙を仰ぐように上へとかざされ、夜の帳を呼び起こした。辺り一帯を暗い紫煙が多い尽くし、ついに視界は閉ざされてしまう。

 

「ああ、心配することはない。例え神秘に出会おうと、血に溺れようと、君たちにとっては虚構であり、悪夢のようなものだとも」

 

その言葉を合図に神父の意識は泥のように溶けていく。

先ほどまで湧いていた敵愾心はどこへやら、その代わりに自分の胸の内を見透かすような男の言葉がずっとずっと、意識が落ちるまでずっと、彼の心で反芻されていた。

 




星月夜がクトゥルフ由来なのおったまげ(ゴッホ幕間参照)
ヴルトゥームは霊基担当だったのかな。



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シンク・ディーパー②

深く、深く。

遠く、遠く。



中世の魔女狩りを彷彿とさせる磔とその下にくべられた燃え盛る廃材。されど、磔刑と火刑に処されているのは人ではなく獣である。

 

かつての面影すら焼け落ちた遺骸へ蝿のようにたかるのもまた獣。まだ人の形を保っているが、壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返す者共に理性を期待できるはずもなく。

炎に炙られる獣と同じく、彼等もまた獣の病の罹患者なのだ。

 

遠方に見えるのはキャンプファイヤーだと舐めてかかったゴッホは己を呪った。

よく考えてみれば分かることだ。時計塔の魔術師を相手に正面を切って戦える人間が、()()()()()()()()()()()()()()()

 

英雄でもなんでもない人間がこの凄惨な光景を体験した事実にゴッホはひどく、ひどく顔をしかめた。

 

「こんなものの先に、マスター様の願いが……?」

 

つい口にしてしまった。

ここはマスターの精神世界、過去が眠る墓標。今ゴッホが立っているのはその開始地点の大通りである。

最も浅い層の入口でさえこの有様なのだ。深層には一体何が待つというのだろう?

 

「……進みましょうか」

 

引き返す選択肢はないし、ゴッホには夢から覚める方法が分からない。ついでに言うなら、目覚められてもこれでは寝覚めが悪すぎる。

進んで夢見たい景色ではないが、ここまで見た手前、止まるに止まれない。

 

 

毒を食らわば皿までの精神で意を決し、正気を失った群衆の中へ飛び込もうとした時だった。

 

「おねーちゃん、何してんの?」

「おねっ…………!?」

 

己の不注意を呪いながらゴッホは反転し、絵筆を構える。物思いに耽るのも良いが後ろから刺されたのでは世話がない。

しかし、振り向いた彼女の目を一番に引いたのは声の主ではなく、景色だった。

 

確かにゴッホの足は荒廃した古都を踏んでいたのだ。

だが目前に広がる街はどうだ。さっきまであったものと酷似した建物が並んでいるが陰気さの影はなく、理性を失った人もいない。むしろ活気に溢れてさえいる。

抜けるような澄んだ空が広がり、さっきまで天に蓋をしていた黄昏は欠片一つ見当たらなかった。青天白日、雲一つない空である。

 

「おねーちゃん?」

「えっ、あぁ、その……すみません。エヘへ……」

「……別に怒ってないよ?」

 

反射的に謝ったゴッホは動転していた気をようやく取り戻し、声の主の姿を見る。

140cmの自分よりずいぶんと身長の低い、病衣を着た少年だった。

 

「ここら辺じゃ見ない人だね。もしかして迷ってる?」

「迷ってる……そう、そうですね。確かにゴッホ……サーヴァント生という迷路に迷っていますが……」

「じゃあおねーちゃんのこと俺が案内してやるよ!」

 

伏し目がちに視線をさ迷わせるゴッホに少年は薄い胸板を叩いて大きく笑った。

人の役に立てるのが余程嬉しいようで、ゴッホも彼の誘いを断る気にはなれなかった。この大輪を曇らせてしまうのが、何だかとても忍びない気がして。

 

「俺、ルーキス。ルーキス=ブラッドボーン。よろしくな、ゴッホおねーちゃん!」

 

ゴッホは後に、『やっぱり、あの夢の中で一番驚いたのはあそこですねぇ』としみじみ語った。

 

全く想像もつかなかった。あのマスターの幼少期がこんな触れれば壊れてしまいそうなショタだったなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきまでいたとこは大通り。今日は少ないけどよく馬車が通るから、さっきみたいに真ん中につっ立ってると轢き潰されちゃうよ」

「エヘへ……それは怖いですね。ミンチにするのは牛肉で十分です。ゴ、ゴッホジョ〜ク……

「……?何か言った?ゴッホおねーちゃん」

「いえ!いえいえいえ!何でもありませんともええ!ゴッホの独り言は丘のそよ風か路傍の石ころみたいなものだと思ってくれれば──」

 

ペタペタとご機嫌に歩く少年の後ろに控えながらゴッホは彼の案内で街を回った。

 

ここは『ヤーナム』という山間都市で、名前は元々この辺り一帯を治めていた女王に由来すること。

 

彼が産まれる少し前に『医療教会』と呼ばれる機関が設立。そこで『血の医療』と呼ばれる高度な医術が確立され、この街に生きるものはみな活力に溢れていること。

 

血の医療の確立と同時期、『獣の病』と呼ばれる風土病が蔓延したが、教会の『狩人』たちがその病を根絶してくれていること。

 

そして少年ルーキスは医療教会の前身『ビルゲンワース』『アルケー学派』という派閥に身を寄せていることを教えてくれた。

 

「アルケー……水源という意味もありますけど……確か古代ギリシアでは『根源』という意味でも使われましたか。説によってはプネウマやアトモスとも呼ばれますが……」

「ゴッホおねーちゃん物知りだね!」

「アッ……エヘ、エヘヘへ……」

 

そう正面から褒められることはゴッホはあまり慣れていない。顔を赤くしてゴッホは視線を下に投げた。

 

程なくして火照りが冷めてから、改めてゴッホは少年の顔を視界に入れる。

よくよく見れば少年にはルーキスの面影がある。鼻の陰影、目の造り、耳の形。観察すればするほどゴッホは目の前にいる少年が幼いマスターだと確信してしまう。

 

「おねーちゃん。そ、そんなにジロジロ見られると……」

 

少年は顔をそっぽに向けた。耳はほんのりと赤色を帯びている。

恥ずかしがる素振りが存外可愛かったのでゴッホは持て余していた敏捷:Cを生かして彼の正面に回り込んだ。

 

「ぅわっ!ご、ゴッホおねーちゃんのいじわる!!見ないでよもう!カッコ悪いじゃん……」

「ウフフ……カッコ悪くなんてないですよルーキス──ちゃん……今の貴方は大変カッコよくて、とっても可愛くて……フフ、思わず食べちゃいたいくらい……エヘへ……」

 

紅潮したルーキスの頬をゴッホの華奢な両指が包み、クイと上を向かされる。

青く澄んだ深淵の目がルーキスの顔を捉えた。にんまりとした笑顔で見つめられるのが堪えたのか、少年はさらに顔を赤くしていく。

おねーちゃんと呼ばれるのが余程新鮮だったのか、ゴッホもタガが外れていたようだった。

 

「おーい、ルーキス」

「お、おじさん!」

 

突然の声に力が抜けたゴッホの腕を振り解き、これ幸いにと少年は声のした方へ駆け出して、その背中に隠れてしまった。大人の背中から覗く子どもの視線は、未練ありげに少年へと伸ばされたゴッホの手に注がれている。

 

学徒のような制服に目深くフードを被った男性にゴッホは申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ルーキス──ちゃんの保護者様、でしょうか。すみません、ゴ──私は外からやってきた者でして……彼のご好意でこの街を案内してもらっていました」

「あぁいえ、ルーキスが貴方のお役に立てたなら我々も嬉しいです。ところで……今外からやってきたと?」

「えぇ……まぁ」

「でしたら、私どもの施設でお休みになってはいかがでしょうか?こちらに来たばかりなのでしたらお宿も決まっていないとみました」

「……いいんですか?ご迷惑じゃありませんか?」

 

「ご迷惑だなんてとんでもない!もちろんですよ」と鷹揚にフードの男は頷く。

チラチラとゴッホを見続けていた少年の目も心なしかキラキラと光っている。

 

「それに、ルーキスがまだ貴方と話したがっているようなので。そうそうここだけの話、彼がヘソを曲げると少々大変で……」

「そ、そんなことないよ」

「……すぐに分かるようなウソはつくものじゃないぞ、ルーキス」

 

あぅ、と萎むような声を絞りだした少年はそれきり口を閉ざし、顔も男の背中に隠してしまった。

 

「私はラナケリア。ビルゲンワース、アルケー学派の学徒です。あなたは?」

「……えっと、ゴッホです。一応、職業は画家になるんでしょうか……。その……少しの間ですけど、よろしくお願いします」

 

 




前回後書きで他陣営を次に書くと言ったな。

あれは嘘だ。


当分はゴッホちゃんのヤーナム旅行記をお楽しみください。そしてfgoのゴッホ幕間を見ましょう。

ちなみに現在ゴッホがいるヤーナムは『旧市街焼き棄て』の前になります。まだ医療教会の狩人たちが英雄視されていた時代ですね。


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シンク・ディーパー③

モレーの股座に聳立する空想樹モレーが伐採されて彼女が『男』であった異聞帯が剪定されてしまった。

いいぞもっとやれ。


ラナケリアと幼マスターに先導されたゴッホは大きな通りを外れ、背の高い建物の間を縫って進む。

何度か左右に曲がって、時たま道を引き返す。ただの街路がいつしか巨大な迷路となって、歩く三人を飲み込んでいった。

目的地に辿り着くのに決められた手順が必要でして、と散歩するみたいな気軽さでラナケリアは順路を迷いなく進む。

 

「道すがらで恐縮ですが」前置きとともに少しペースを落として後ろ二人に振り向いた。

 

「ただ歩くだけでは退屈でしょうし、アルケー学派の歴史について触れておきましょうか」

 

「あ、是非」と食い気味に頷くゴッホに微笑んで、青空教室が始まった。

 

「ルーキスから聞いているかもしれませんが、我々は『ビルゲンワース』という古い学び舎……いえ、そこから説明を始めましょうか」

 

ビルゲンワース。ヤーナムにおける史学と考古学の学び舎。

既に形骸化し、現在は夢の跡を遺すのみとなった研究機関だが、ヤーナムにおける多くの組織はビルゲンワースの流れを汲んでいる。

 

ビルゲンワースが探掘していた地下遺跡から運び出された聖体──遺体ではなく御神体のようなもの──の発見がそれまで学び舎を支えていた方針を根底から覆してしまった。

 

「発掘当初、その時は皆一様に神秘を研究していました。元々研究畑の人間ですから、興味のそそられるものがあるとどうしてもそっちに惹かれてしまう」

 

ですが、と角を暗がりの方へ曲がって話を続けた。

 

「そこである者が言いました。『我々は視座が狭すぎる。もっと世界を見るべきだ』と。そうして何名かがヤーナムの外へ新たな神秘を追い求め、そして幸運にも発見したのです。それが──」

「魔術……ですね」

「おや、ご存知でしたか」

 

職業柄、と言い訳を口にするゴッホのなんと怪しいことか。まさか自分がその魔術の粋を集めて召喚された存在だと言えるはずもなく。

 

「ビルゲンワースから派生した組織は全て研究方針の違いから成立しています。我々の場合は探求の対象がビルゲンワースのそれと少々ズレてしまったからですね──と」

 

続きはまた今度にしましょうか。話を切り上げたラナケリアの正面は彼らの目的地のようだった。

街の喧騒も遠いドーム状の袋小路、その中央に据えられた巨大な水盆が散歩の終着点。

 

並々と注がれた水の中では魔力が滞留している。一手間加えれば何らかの魔術が発現するくらいには。

 

さも当然のように水盆に乗った二人に続き、慌ててゴッホもそこに飛び乗った。

誰も水盆からはみ出していないことを確認したラナケリアはおもむろにかがみ込み、足元の水に触れた。

 

瞬間、ストロボライトのような光がゴッホを襲った。水盆から放たれる極光が辺り一帯を漂白する。

ゴッホは思わず目をつぶり、程なくしてこわごわ目を開けた。

 

「わ」

 

空を覆う灰雲はしとしとと雨を落とす。注がれる水滴は気だるげに横たわる鈍色の湖畔が飲み下し、その水は付近の森林へ向かう川に流れて行く。

 

あいにくの空模様で申し訳ないとラナケリアは謝った。「ですがここまで来れば我々の学府まであと少しです」そう言って湖の端に立つ建物を指さした。

 

鬱蒼とした雰囲気に似合う、陰鬱な建物だった。

学府と言うだけあり手入れは行き届いているのか、屋根に蔦が這っていたり、壁の塗装が剥がれていたりするようなことはない。

しかし、ゴッホはこの奇妙な建造物に疑問を抱いた。

確かに綺麗だ。綺麗なのだが────いや、だからこそ余計にそれが目立って見えたのだろう。

 

「……何か、ツギハギですね」

 

改修、あるいは増築か。もしくは両方かもしれない。アルケー学派の本拠の見栄えはお世辞にもよろしいとは言えないものだった。

後先考えずに何度も何度も繰り返したのだろう。まるでハウルの動く城のように、いくつもの建物が寄り添い、調和性を台無しにしながら聳立している。

 

「魔術についてご存知なら御理解頂けると思いますが……『根源』を探求する方法と一口に言っても沢山あるでしょう?」

「でも……普通の魔術師はその家系家系で神秘を育むので……あ、協会みたいな例外はありますが……基本的に魔術はお一人様で研究するものです」

「よく分かっていらっしゃいますね。そうです、外の人からすれば異常でしょう。魔術におけるカテゴリや、ヤーナムにおける派閥も違うものたちが、同じ屋根の下で研究しているのですから」

 

「ですがこれも仕方ないこと」ラナケリアは諦めがちに視線を伏せた。「ヤーナムで『魔術』は認められておりませんから。マイノリティ、というやつですね」

 

ゴッホはフードに包まれた彼を見上げた。

顔は見えない。残念そうに結ばれた唇の上は黒洞々たる暗闇が広がっている。

 

結局、その貌を窺うことはついぞできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内された客室のベッドにゆっくり腰を下ろす。

窓は未だ雨が打ち付けている。中は暖かいのにそれを見ているとどうも寒々しい。ゴッホの血色の悪い肌がブルリと震えた。

どうも冷え込んだ気がしてしまうので、窓に向けた視線を天井に移す。

 

「知らない……天井です」

 

早めの夕飯ができたらまた呼びに来ますと言って彼らは去っていった。

約束をしたとはいえ出ようと思えば客室から飛び出すこともできる。しかしゴッホは何となく後ろめたさを感じ、結局籠ることにした。

 

ベッドの上に大の字で横たわったゴッホの頭はここまでの夢を追想する。

 

夢の最上層はルーキス(幼)の言葉を信用するなら荒廃したヤーナムだ。それ以前の姿が先ほどの街と推察できる。両者を別物と言うにはあまりにも類似性が多いため、ここは確実と断言できよう。

 

次にゴッホが訪れたのは最上層より過去のヤーナム、まだ栄えていた頃の山間都市だ。

きっかけはルーキス(幼)の声。聞こえて振り返ると景色が一変していた具合だ。

 

そうしてから彼の保護者を名乗るアルケー学派のラナケリアが現れ、トントン拍子にゴッホをここまで案内した次第である。

 

ようやく周りに翻弄されることなく考えをこれまでを纏められたゴッホに疑念が生じた。

 

「ここはマスター様の記憶の世界……そこに()()()()()()()()()が全面に表出した理由……てっきりその時代の血を多く継承したからと思っておりましたが……」

 

仮に、ルーキスの幼年期がこのヤーナムだとするとしよう。

ヤーナムが栄華を極めたのは19世紀、ちょうどイギリスでヴィクトリア朝が興隆した辺りだ。

そこから現在までの時間はざっくり百五十年ほど。人間の平均寿命が八十年前後と考えると、その時代の人間は二回弱は死ねるだろう。

 

もちろん、ルーキスが継承した記憶たちの主であるから、時代を無視して夢の中に現れることができるのかもしれない。

だが、彼の様子がそう考えることを否定させた。あれはどうも、馴染み過ぎている。

 

「……マスター様」

 

言い訳を口にしながら秘密を追い、いざ近づいてみると途端に胸がザワついた。

果たしてそれは暴くべきものなのかと、詳らかにするべきものなのかと。

誰にも見せないために秘匿したのではないかと。

 

ゴッホは答えのない問答は客室の扉がノックされるまで、ずっと続いていた。

 

 




モレーちゃんがシュブ=ニグラスとなると次に来るのはなんじゃろな。

アイホートとかイタクァとかの降臨者見てみたいっすね私は。



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