TSっ娘ちゃんと親友くん (海里 燦)
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TSっ娘と親友のある日の放課後

「胸を触らせてくれ」

 

 ある日、親友の鹿野 伊月の部屋に入るなり、伊月から脈絡なくそう言われたオレは、かばんからスマホを取り出して電話をかけるフリをする。

 

「あのー? 朝陽さん、どちらにお電話をかけているのでしょうか?」

 

 伊月の質問をスルーしながら続ける。

 

「もしもし警察ですか? 男子高校生の家に連れ込まれて卑猥な行為をされそうになっているのですが」

「ごめんなさい、それだけは勘弁してください」 

 

 分かったならよし。

 当然冗談だと伊月に伝えてスマホを耳元から離す。

 

「あのさ、たとえオレが元男とはいえ、仮にも外見は現役女子高生の姿をしてる相手に対してそういう事を言わない方がいいぞ?」

「俺と朝陽の仲じゃなかったら言わねえよ」

 

 そう言いながら伊月が自分の椅子に座ったので、オレもこの部屋での定位置である伊月のベッドにどかっと座ろ……うとして思いとどまり、手でスカートを伸ばしながら丁寧に腰を下ろした。

 シワができてるのを母さんに知られるとうるさく言われるからね。

 

 そう、オレこと七海 朝陽は半年くらい前まで健全に男子高校生をしていたのだが、いきなり倒れて一週間くらい寝込み、次に意識を取り戻した時には女子高生へジョブチェンジを果たしていた。

 その後、当然最初はなんやかんやあったけど、伊月の助けもあって今でも元の学校でいじめられることもなく平穏に毎日をすごせていて、あまり表面には出さないが伊月にはとても感謝しているのだ。

 何回かそれとなくお礼としてのプレゼントを贈ろうとしたのに「これくらい当然だろう?」と言って受け取ろうとしないのだ。

 ……まぁ、お礼だけではなく、その他の気持ちも入っているので、何としても受け取ってほしいんだけど。

 

「で、なんでいきなり胸を触りたいだなんて言ったの?」

「それはだな……」

 

 と喋り出した内容を纏めると、伊月が仲良くしてる男子グループ内で触ったことがあるだのないだのという話題になったのが始まりで、伊月以外は彼女がいたり、それに近い関係のお相手がいて、まぁそういう事らしい。

 なんか他人行儀になってるけど、その男子グループはオレが男だった時はオレも入ってたし、今でも普通に仲はいい。

 さらに言えば、伊月は恋愛事には役に立たないので知らないと思うが、そいつらの仲を取り持ったのも実はオレである。

 集団に受け入れられた元男子の現女子というのはうまく利用されてキューピッドや架け橋になったりするのである。

 

 でだ、恋愛事に役に立たない伊月ではあるが、男子高校生というだけその辺りはしっかり興味があったようで例の発言が出たと。

 あのさ、順番がおかしいでしょうに。だから顔は悪くないのにいつまで経っても彼女が出来ないんだよ。

 ……それがオレにとっては助かっていたりもするし、周りももう分かっているから伊月を狙ってる女子もいないっぽいけど。

 

「経緯は分かったけど、いくらオレでも触らせる訳ないし、こんな大した事ないの触っても面白くないでしょ?」

「言ってみないとわからないだろ? そ、それに、あ、朝陽の……朝陽くらいのが俺の好みなんだよ」

 

 自分で大した事ないって言って悲しくなったけど、そっか、オレくらいのが好きなのか……って、あれ?

 

「お前、オレが男の時にそういう話になった時は巨乳の方が好きだって言ってなかったっけ?」

「え? いや、そ、そんな事言ってねえし! 朝陽の記憶違いじゃないのか?」

 

 誤魔化そうとしてるって事は図星か、やっぱり大きい方がいいんじゃないか。

 

「わかったわかった、オレも男だったから伊月の言いたい事は分かるよ、大きさに関わらず胸を触りたいのは男なら誰でもそうだよな」

「違うって! いや、違くないけど、そうじゃないんだって!」

「ちょっと何が言いたいのかわからないです」

 

 男なら触りたいだろうに、オレも触りたかったよ、うん。

 別の形で好きな時に触れるようにはなったけど。

 

「……すまん、あまり説明したくないので流してくれないか?」

「わかった、どうせ大した事ないんでしょ? いいっていいって」

 

 ひょっとしたら触らせてくれそうなやつが身近にいるから誘ってみたくらいの事でしょ、きっと。

 

「……で、話を戻すと、要は伊月がやった事ない事を自慢されて悔しかったってだけでしょ?」

 

 ごほんと咳払いをして、少し気まずくなったように感じる空気を破るようにオレは言う。

 

「それだけではないけど、間違ってもないな」

「素直じゃないなぁ」

「うっせ」

 

 素直じゃないのはオレも同じだけど。女子は秘密があるとより魅力的って女子が言ってたから許されるという事で。

 

「ともかく、そういう事なら話は簡単だ。あいつらがやってなさそうな事をやればいい」

「なるほど。つまり、せ」

「そっから先言ったら、今度こそマジで通報するからね?」

 

 ジト目で見ながら指摘するが、冗談だって、と伊月が軽く返す。

 冗談でも今のは越えたらいけないラインがあるのを分かってほしい……とため息をついていると、伊月が続けて言う。

 

「で、具体的に何かアイディアとかあるわけ?」

「それがまだ思い付いてないんだよね」

 

 スキンシップで胸を触られるのと同じくらいレベル、って結構難しい……って、オレが伊月にやってあげるような流れになってないか?

 まぁ、別にいいか、女になって以来、いろいろ助けてもらったお礼という事で。

 うーん、される側じゃなくてする側の方がいいよね、何かされそうになったらこっちから止められるし。

 

「そうだな、腕に抱きついてみるとかどうよ」

「それは別のやつがやってもらったと聞いたな」

「ダメかぁ」

 

 ふぅ、と息を吐いて体を後ろに倒してぽすん、とベッドに寝転がると、ふと伊月と一緒にベッドに寝転って添い寝という案が浮かんで来た。

 いや、冷静になれオレ。添い寝とか一歩間違えればそのままあんな事やこんな事に一直線だろうに。

 うーん、他に使えそうな物ないかと辺りを見回すと視界に入ってくるのは目覚まし時計、掛け布団、枕……そうか、枕か!

 

「なぁ、膝枕はどう? 柔らかさを味わうって点では似てるだろ?」

 

 ベッドから起き上がり、伊月に提案する。

 

「膝枕をされたって話を聞いた事はないし、俺はやってもらう立場だから問題ないが……朝陽はいいのか?」

「オレにとってもちょうどいい機会だし、気にしないでいいよ。あ、でも、うつ伏せになるのは禁止な!」

「膝枕をするのがちょうどいい機会ってどういう……」

 

 いっけね、口が滑った。

 

「……伊月に貸しを作っておくとか?」

「なんで疑問系なんだよ」

「ぅ~~~!!! いいから、女子がいいって言ってる時はつべこべ言わずに素直に甘えるのが男ってもんでしょ!」

「おかしいな、視覚情報だけで言えば女子から男を説かれてるんだけど」

 

 元男だしおかしくないですー、と言いながら寝転がって少し乱れたスカートを直す。

 そういえば、起き上がる時にちょっと勢い付けたけどスカートの中見えてなかったよね? などと考えていたら思考が表情に出ていたのか伊月から声をかけられる。

 

「どうした、少し顔が赤いぞ? もしかして膝枕するの恥ずかしいのか?」

 

 膝枕のことで恥ずかしがってたわけじゃないけど、改めて言われると膝枕も相当に恥ずかしい行為だと認識させられる。

 顔を上げて伊月の方を見る。なんだ、伊月も顔が少し赤くなっているじゃん。

 

「お前の方こそ顔が赤いけど、実は恥ずかしいんじゃないか? お互い様だよ、お互い様」

「確かに恥ずかしいが、そんなに恥ずかしいと思ってるなら止めたって俺は文句は言わんぞ?」 

「男に二言はない」

 

 今は女だけど。

 

「男になったり女になったり安定しないな」

「男の気持ちがわかる系女子として有名なので」

「本当にわかってるのかよ……」

 

 なんか呆れられたような気がする。気のせいだ気のせい。

 

 そっち行くぞ、と言って伊月が一人分の間隔を空けてベッドに座る。そのままこっちに倒れてきたらちょうど頭がオレの膝に乗っかりそうな位置だ。

 あぁ、本当に始めるんだ、膝枕。アイディア出したのはオレだけど。

 

「どうでもいいが、膝枕って言うけど、実際頭が乗ってるのって大体ふとももの辺りじゃないか?」

 

 ベッドに座っているオレの脚と横になる伊月の身体が垂直になるから、今のままだと伊月の頭がふとももに乗るよな。

 

「変な事言ってまた引き延ばそうとしてる?」

「そんなつもりはなかったけど」

 

 オレの疑問を軽く流しつつベッドの上に足を乗せる伊月。

 なんかすっごくドキドキしてきた。

 

「よし。じゃ……行くぞ?」

「……いいよ、来て」

 

 なんだか別の事が始まりそうな感じになっちゃったが、伊月は気にしていないようで、やっぱり膝ではなくふとももの辺りにゆっくりと頭を乗せた。

 

「ん……頭って結構重いんだな、想像よりもちょっとキツいかも。それに、お前の髪がスカートを貫通して少しチクチクするんだけど」

「キツいのか、このまま続けて大丈夫か?」

「大丈夫だけど、もうちょっと頭を乗せてくれた方が重さのバランス的に楽になるかも」

 

 了解、と言いつつ、伊月がもぞもぞと体勢を変える。

 ひぃ、動かれるといっそうと髪がチクチクする!

 

「あ、そこなら安定してて大丈夫そう」

「それなら良かったわ」

「じゃあ、そこから頭動かさないでね? 動かれると髪もチクチクするし」

「無茶言うなよ」

「してもらってる立場なのに文句があるんですかー? オレとしては伊月の頭を落とすつもりでこのまま立ち上がったっていいんですよー?」

「失礼しました、なるべく動かないようにします」

 

 うむ、分かればいいんだ、分かれば。

 そのままオレの膝枕を堪能するがいい!

 

 なんて思っていたが、1分くらい過ぎたあたりですごく恥ずかしくなってきてしまった。だって、伊月も仰向けで寝っ転がった結果、目線を横にずらしたりはしてるけど、基本的にこっちを見ている状況だし、オレも目線を下げると伊月と目が合う状況なのだ。こんなにじっと見られると、なんだかドキドキしてきてしまうじゃないか。

 もう少し胸があれば顔が見えなかったりしたのかな、なんて考えが頭に浮かぶが、無い物ねだりだから仕方ない。

 

「それで、どうだ、オレの膝枕は? 感想を教えたまえ」

「あぁ……えーっと、顔がよく見える」

 

 ……顔がよく見える?

 確かにオレからも伊月の顔がよく見える。障害物がないから。なるほどね?

 

「つまり、君は暗に胸が小さいと言ってるのか? ん? その喧嘩買うぞ?」

「ちがっ、そうじゃない! 勘違いすんな!」

「何が違うって? ええ、どうせひんにゅーですよ! ぎりぎりBカップですとも!」

 

 毎日豆乳を飲んでる成果がようやく最近出てきたんだよ!……って、やば、勢いでとんでもない事を言っちゃった。

 伊月もなんとも言えない表情をしている。

 

「……ちょっと待って今のなし、聞かなかったことにしてくれると嬉しいですのけれども」

「どうせ聞き入れないと俺の頭が落ちるんだろ?」

「実際にやって思ったけど、この状態オレが立ち上がるの無理っぽいんだよね。だからオレが横にシュッとスライドしてお前の首が急にガクッとなる方向でいきます」

「動きそうな力の入れ方とかで多分対応できるとは思うけど、できなかったら首を痛めそうだからマジで勘弁な?」

 

 一応の恐怖心を伊月に与えたところで、落ち着いて事情聴取を行う。

 

「で、さっきそうじゃないって言ってたけど、今度のそうじゃないは一体どういう事なんだ?」

「言葉通りの意味だよ。ドキドキしてるのと顔を下から見上げるのが新鮮だったのもあってそのままの感想が口から出た」

「なんだよそれ、こっちがただ自爆しただけじゃん」

 

 ちょうど顔がよく見えるとか胸の大きさの事とかって考えていたからか、思考がそっち方面に向かっちゃった。反省反省。

 

「朝陽、最近勢いに任せて発言してるように感じる時があるから気をつけろよ?」

「反省してるよ……なんていうかな、どうもたまに感情的になっちゃってよく考えないというか、思い込みしてそのまま喋っちゃうんだよね」

 

 オレのその言葉に複雑そうな表情をして黙り込む伊月。

 ……良くない雰囲気になっちゃったな、今のが伊月の何かのスイッチを押しちゃったのだろうか。せっかくの機会なんだからもっと膝枕の方を堪能してほしいんだけど。

 

「で、さ。視覚からの感想だけじゃなくて他はどう?……主に触覚とか」

 

 思考を切り替えて貰うべく伊月に話しかける。

 伊月がふぅ、と息を吐く。どうやら作戦は成功したようだ。

 

「……言わなきゃダメか?」

「そりゃあ、男子グループで変な事を言われる前に訂正できるところは訂正しておきたいよね。あとは……後学のために、みたいな?」

「後学って、他に膝枕やってあげる相手なんているのか?」

 

 伊月から逃げるように顔を上げて答える。

 

「……いるよ、やってあげたい相手。何回でもやってあげたい」

 

 そう言ってから顔を下ろして伊月を見ると、嘘だろ信じられない、というような表情をしていた。失敬な、誰にでも慈愛の心を持って接したい相手くらいいるでしょうに。

 

「なんでそんな表情してるの、まだ誰かも言ってないのに。もしかして……嫉妬してる?」

「し、嫉妬なんかしてねえし。ただ、朝陽と長年つるんでるのに知らない事もあるんだなって思っただけだよ」

「……いやいや、否定されてもさっきの表情見ちゃったら全然説得力ないって。素直になっちゃいなよ」

「ノーコメント」

 

 それはもう認めているようなものでしょ、と思ったけど、伊月のプライドを尊重して口には出さなかった。男の気持ちを尊重できるオレっていいやつだな。自画自賛。

 

 ちょっと体勢変えるぞ、と言ってからこっちの返事も聞かずに仰向けから逃げるように横向きになってベッドの外側を見る体勢になる伊月。ちょっと頭を上げてくれたので、オレのふとももはチクチクせずにすんだ。

 うーん、顔がよく見えなくなっちゃったし。からかうのはこれくらいにしますかね。

 

「いやー、うちの猫様に嫉妬するなんて、お前もかわいいところあるな」

「は? 猫?」

「そう、猫。もう毎日でも膝枕してあげたいよね。」

「そういえばお前の家で飼ってたっけか」

「女になってからもうずっと何か探ってるような様子で近付いてきてくれないんだよね、ちょーショックだよ。また猫吸いしたいにゃ~」

 

 あざとく猫の手を作って顔の横に添えてみた。

 って、また恥ずかしい事してるわオレ。でも、それだけ猫様がかわいいし、何より伊月からは見えていないはずなので、これはセーフにしておこう。

 小声で「にゃーっておい……」と聞こえた気がするけどセーフです。

 

「お前の家の猫、警戒心が強いっぽいしな。何回もお前の家に行ってる俺も触った事ないし」

「そうなんだよね、またもふもふできる日が待ち遠しいな」

 

 外見が男の時からすごい変わったから別人だと思われてるんだろうなぁ、身長とか20cmくらい下がったし。この身体になった時は歩幅とかバランスが狂って大変だったな。

 なんてしみじみと思い返していたが、猫に話が逸れて聞きたかった事が聞けていないのを思い出した。

 

「それで、膝枕の触覚的な感想はどうなんだよ?」

「覚えてたか。うまく逃げられたと思ったんだけどな」

「ちゃんと言うまで膝枕続けるからな?」

「それって罰になるのか?……なるな、家族に見られたら恥ずかしくて死にそうだ」

 

 いや、さすがにそこまで続けるつもりはないけど。

 

「じゃ、素直な感想を言うけど……怒るなよ?」

「あまりにひどい内容だったら守れないかもしれない」

「よし、せめて俺の話を全部聞いてからリアクションをしてくれ」

「それなら大丈夫だと思う」

 

 一応気持ちを落ち着けるために深呼吸をしよう。

 すー、はー、すー、はー。よし。

 

「想像していたよりは硬いと思ったけど」

 

 すぅぅっぅぅぅぅ、はぁぁぁぁぁぁぁ。

 大丈夫、マイナスな事を言われてるけど深呼吸続けてるから大丈夫。

 ここで怒っちゃいけない。それに「けど」って言ってるし、ここから上げてくるに違いない。

 

「それでも十分柔らかい。ただ柔らかいだけじゃなくて柔らかさと硬さのバランスがちょうどいいと思う」

 

 ほらそうだ、落としてから上げてくるなんてなかなかやるじゃん。頑張って口を挟まなかった甲斐があったよ。

 

「高さも俺好みで、このまま寝られるかもしれないな」

 

 すごく誉めてくれるじゃん、なんかドキドキしてきたぞ。

 

「制服越しに感じる体温も安心感がある、膝枕ってこんなにいい物だったんだな。またやってほしいくらいだよ」

「あの、ちょ、もう許してあげるのでそれくらいで止めてほしいのですが、というかなんか体温の事とか言われるとフェチ感がすごい」

「まだ膝枕して貰いながら朝陽の顔を見た時の……」

 

 やめてって言ったのに続けようとしないでくれ。

 

「もう十分なので、少し静かにしてて……! あとそのまま横向いてて、しばらくこっち見ないで……!」

「最初に言えと言ったのは朝陽なのに」

「うっさい」

 

 文句は言いつつも従ってくれるらしい。

 こっちを見てほしくないのは、今は間違いなく顔が赤いから。

 最初は渋ってたのに、聞いてるのが恥ずかしくなるほどの感想が出てくるとは思わなかった。

 また深呼吸をしよう。心を落ち着ける為というのは変わらないのに、その原因はさっきと全然違う。恥ずかしいのも大きいけど、嬉しく感じているのもまた事実でもある。

 オレの膝枕で寝られるかもしれない、だって。それだけ気持ちいいって事だよね、えへ、えへへ……。

 

 などと浮かれながらも、目を閉じてしばらくゆっくりと呼吸を続けて、ドキドキが収まってきた頃、オレ以外の呼吸音が大きく聞こえてきた。

 疑問に思って目を開けて伊月を見ると、規則正しい寝息をたてているではないか。確かに寝られるかもしれないとは言ってたけど、あっという間に寝ちゃうとは思わなかった。

 

「おーい、寝ちゃったのかー?」

 

 小声で聞いて見る。反応はなし。

 追加で「ねーぇ? 起きてるー?」と呼び掛けながら、伊月のほっぺたを指でツンツンとつついてみるが、やはり反応がない。

 無意識に伊月の腕に手が伸びたので、そのまま優しく手を置くと、こんな状態でもわかるくらいにがっちりとしている。当然だけど、女になって全体的に小さくなって丸みを帯びてしまったオレとは大違いだ。

 

 背中も大きく感じる。感じるというか、実際大きいんだけど。

 女になった頃は何かあるとすぐに助けてくれて、そのたびに伊月の背中を見てた気がする。身長が小さくなって高い位置の物が取れなかった時。一部の同級生から露骨に嫌悪感を向けられていた時。

 他にもたくさんあるけど、助けてくれた時は守られる立場になったという悔しさと、守ってくれたという嬉しさで複雑な気持ちだったっけ……最初は。

 いつの間にか嬉しさの方が大きくなって、それでいつの間にか友達としての好きから、異性としての好きになっちゃった。

 

 今はまだお前から拒否されるかもって気持ちが強くて、踏み出せないけど、いつか覚悟ができたら、その時は――

 

「オレの中のわたしを受け入れてくれたら嬉しいな」

 

その後、オレがお花を摘みに行きたくなるまで膝枕は続くのであった。

 



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TSっ娘と親友のあの日の夢

「朝陽?」

 

 一月も下旬に差し掛かりそうな頃。

 偶然出掛けたその日に限って顔を会わせたくない人に会う、なんて事は良くあると思う。

 オレは七海 朝陽(ななみ あさひ)。現在高校一年生。とある事情で外出は控えるようにしていたが、病院の帰りにどうしても欲しい物があった事を思い出して寄り道したのが良くなかった。

 

 オレの名前を呼んだのは鹿野 伊月(かの いつき)、中学生からのオレの親友だ。その目はまっすぐオレを見ていて、何かを伝えたがっているようであった。

 親友なのに会いたくなかった、というのは喧嘩をしたとかそんなレベルではない。そもそも、向こうはこっちの事が分かる筈がないのだ。絶対に。

 

 それなのに、街中で親友っぽい人を見つけてしまって気付かない振りをして通り過ぎようとしたのに。横切る瞬間にあいつがオレの顔を見て名前を呼ぶから、オレも足を止めて伊月の顔を見てしまった。

 反応してしまったからには、どうしたもんか、と悩んでいると伊月の方から声をかけてきた。

 

「あ、いや、すみません。人違いでした。最近姿を見ていない知り合いに似ていたからつい……。メッセージのやり取りはしているんですけどね」

「そうか……そうだったんですね」

 

 出てしまった男口調を訂正するように言い直す。丁寧口調なら中性的だし大丈夫だろう。

 ……親友に丁寧口調を使っているのも中性的な物言いを使っているのもなんだか身体がムズムズしてくるな。

 

「そもそもあいつは男であなたは女性なのになんで見間違えたんだろう……あっ、あなたが男っぽいとかではなくて!」

 

 伊月の言う事はある意味間違っていない。

 オレは三週間前、前触れもなく急に倒れて次に目を開けた時は女子になっていた。意識がなかったのは一週間で、起きた後は検査やリハビリ、女の身体についての説明なんかでさらに一週間入院。

 退院してからは自宅で療養兼、女として通常の生活に慣れる為の期間……となっているが、部屋で引きこもっているだけであった。学校もどうするかオレと親と学校側とで協議中で登校できないし。

 で、今日は退院して一週間の経過観察という事で病院で検査を受けてその帰りに親友と出会ってしまったわけである。

 

 入院中は面会謝絶だったし、退院してからもメッセージでのやり取りはしているけど、直接会ったり電話とかはしていない。

 だって……だって、男が女になるだなんて、現実感があまりにも無さすぎるのと、女になった自分が受け入れて貰えるのかが怖くて、つい本当の事を言うのを先延ばしにしてしまっている。

 いつかは言わないといけないと思っているけど、仲のいい親友に「男なのに女になるだなんて気持ち悪い」などと拒否される可能性があると動けなくなってしまうのだ。

 

「ねえ、い……キミ、初対面の女の子に対して失礼な事を言ってる自覚あります?」

 

 伊月の顔を見上げて微笑みながら言う。今度は知らない筈の伊月の名前を呼ぶところだった。危ない。

 伊月と同じくらいあった身長も20cm近く縮んで155センチになり、細身ではあったものの適度に引き締まって筋肉質であった全身はさらに細く、ぷにぷにとしたものに、顔は男の時のオレの面影を残しつつ、やはり年ごろの女の子と呼べる優しい印象になった。

 

「そ、そうですね、初対面の女の人に何言ってるんだろ俺は……。本当に失礼しました」

 

 いくら面影があると言ってもそもそもの性別や背格好が違うのだ。これで男の七海 朝陽と()の七海 朝陽を結び付けた伊月はオレの事を良く見ていたのだろう。

 こんな変わってしまったのに、どこかでオレだと感じた部分があるのが何だか嬉しくて、自然と笑みが浮かんでしまう。

 

「ふふ……新手のナンパだとしたら、もっと上手くやらないと誰も引っ掛かってくれませんよ?」

「ナンパではないんですけどね。あ、でもこんな変な事言ってる男と普通に会話してくれるって事は、もしかして脈ありなんじゃないですか?」

「バカな事言わないでください。呼び掛けられた時に見たキミの顔が寂しそうなのと、何か言いたそうな雰囲気でただ事じゃなかったから、ちょっと話を聞いてあげてるだけです」

 

 他人としてではあるけど、久しぶりに伊月と話しているのは凍っていた心が暖かくなっていくのを感じる。

 あれだけ逃げていたのに、いざ出会って会話を始めるともう少し、あともう少しだけ、という気持ちが湧き出てしまう。

 

「俺、そんな酷い顔してました?」

「してましたよ、迷子になった息子を見つけたような父親のような感じでした」

「うーん……心情としては間違ってないだけに何も返す言葉がないですね。遠目から見たあなたが知り合いにそっくりに見えたんですよ。それで近付いてみたら顔もなんとなく似てるなって思ったら背丈が全然違うっていうのも気にしないで、つい名前で呼んでしまいました。」

 

 そりゃあそうだ。

 今着てるコートは男の頃から使っているものでブカブカなのを無理やり着ているようなものだし、サイズ感を除けば遠目から見たら見間違えてもおかしくはない……のか? どうなんだろう。

 

「そそっかしい性格なんですね」

「普段は落ち着いているってよく言われるんですけど。でも、テストとかではケアレスミスが多いので、確かにどこか抜けているのかもしれないですね。」

 

 この前テストの答え合わせとかした時、確かにおっちょこちょいみたいなミスが多かったっけ。

 また一緒に遊んだり勉強したりできるようになるのかな。何だか目頭が熱くなった。

 

「ちゃんと見返さないと、そのうちもっと大切なものも落としちゃうかもですよ?」

「そうですね、気を付けます。……また変な事を言うんですけど、こうやってあなたと話していてもなんだかあいつと話しているような気がするんですよ、おかしいですよね」

 

 おかしい事はない。伊月の言う「あいつ」と目の前話しているオレは同一人物でなのだから。初対面の相手なのに、"オレ"を見つけてくれている事がまた嬉しく感じてしまう。

 

「……そんなにその知り合いの事が心配なんですか? メッセージだけとはいえ、連絡は取れてるんでしょう?」

 

 初対面、さらに言えば赤の他人としては踏み込み過ぎな質問だったかもしれない。でも聞かないといけないと思った。

 

「そいつね、急に倒れて最近……一週間くらい前に退院したらしいんですよ。でも、倒れた原因は言ってくれないし電話しても出ないでメッセージで用件を言ってくれって返ってくるんですよ」

「はぁ」

「何も教えてくれない、声も聞けない。それじゃ実は退院してなくて、俺に心配させないように嘘付いているんじゃないかって」

 

 そこまで考えていたのかと思わずにいられない。こっちの気持ちが整理が付かず、先延ばしにしていたのが申し訳なくなってしまった。

 

「あいつ……朝陽は大丈夫って言うから信じようとは思っているんですけど、どうしても悪い考えがよぎってしまって、朝陽の影を追っていたんだと思います。それで、あなたにも声をかけてしまって、こんな話までしてしまいました。本当にご迷惑おかけしました。」

「い、いえ、聞いたのはこちらですから。こっちこそ無理に聞いてしまってすみませんでした」

「結局話すって決めたのは俺なので。それに、あなたに話したい、聞いて貰いたいと思ったんですよ。なんででしょうね」

 

 ……なんででしょうね。

 

「お……わ、わたしが言う事ではないと思いますが、そのお相手の事をもっと信じてあげてください。あっちも何か事情があってメッセージだけのやり取りをしているのでしょうし。覚悟ができたら必ず、最初にキミに話してくれると思います」

 

 他人であるという立場をいい事に、自分の伝えたい事を伝えるという卑怯な方法を取ってしまった。それにしても、オレと言おうとしてたり、ボロを出しすぎである。

 

「ありがとうございます。あなたに聞いて貰えてスッキリしました。朝陽が話してくれるまで待ってみようと思います。」

「それはどういたしまして。そう遠くないうちに話してくれると思いますよ」

 

 オレもこれ以上伊月を、その他の人を心配させちゃいけないと思う事ができた。怖いのは変わらないけど、いつかは勇気を出して伝えないといけない。その結果がどうなろうと、伝えないまま逃げてしまうよりはいい筈だ。

 

 ……なんだかしんみりしちゃったな。空気を変えよう。

 

「それにしても、そんなに心配しちゃうなんてその"あさひ"って人とはどういう関係なんですか? ……彼女?」

「なっ! か、かかか彼女なんかじゃないですって! ただの友達だから!」

 

 だんだんと伊月の口調が崩れていつも通りになってきた。やっぱりこの方がいいな、

 

「ふーん、じゃあ、そういう事にしておきましょう。そこまで想われているなんてそのお友達さんは幸せ者ですねー」

「絶対納得してないよな、それ……? それはそうと、そっちこそ、どうして名前で呼び掛けた時に足を止めたんだよ? 普通なら自分の事じゃないと思ってそのまま通りすぎるよな?」

 

 言ってて自分が恥ずかしくなるような事を言ったら、今度はこっちの痛いところをつつかれてしまった。ここらが潮時だな。

 

「えーっと……あ、ごめんなさい。そろそろ帰らないといけない時間なので、これで失礼させてもらいますね!」

 

 と、言って急いでその場から退散するのであった。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 目覚ましのアラーム音が聞こえて目を覚ます。

 

 ……懐かしい夢を見た。あれからもう半年経つのか。

 あの後、家に帰った後、すぐに伊月にメッセージを送ったっけ。確か文面は……

 

『心配かけてごめん、いろいろあってオレ自信の気持ちに整理が付いてないんだ。ちゃんと整理して、話せるようになったら話すから、それまで信じて待っててほしい。とりあえず、身体は健康だから、そこは安心してくれ』

 

 みたいな感じだったかな。

 それに対しての伊月の反応が『了解』ってスタンプだけだったのはよく覚えている。あれだけ心配しておいてそれだけかよ!って。

 

 それからまた一週間くらい経った後に伊月には打ち明けた。赤の他人として出会って話してしまったばっかりに、どんな顔して会えばいいんだろう、最後に変な事聞いちゃったよな、と、打ち明けるまでの間は熱が出てもおかしくないほど考え込んでしまった。

 

 伊月としても、街中で少し話した、しかも悩みを聞いて貰った女の子が急に現れたんだから驚いた顔をしてたっけ。緊張してたからもう細かい会話の内容は覚えていないけど、言いたかった事はちゃんと言えたと思う。多分。

 

 言えたからオレは今ここにいて、今の、女の子になった生活も楽しむ事ができている。うん、それでいいんだ。

 

 「ふぁあ~……」

 

 あくびをしながら体を伸ばした後、立ち上がる。

 

 もう一ヶ月もしたら夏休みだ。女の子としての夏休みは初めてで服は薄くなるし、女の子として気を付けなきゃいけない事はたくさんあるしで大変そうではあるけど、それ以上に一度しかない高校二年の夏が楽しくなればいいな、と思いながら部屋を出て顔を洗いに向かった。



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