向日葵畑で、君と (イナバの書き置き)
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第1話「限りある夢、原風景にて(上)」

2部終了後と言う妄想


 ここ数年間、世界がおかしい。

 具体的にどの辺りって言われると、全体的に。

 勿論海の向こうでは紛争だの飢饉だので悲惨な事になっているし、国内だって地震雷火事台風で年がら年中てんやわんやだが、この5、6年間は輪にかけておかしかった。

 

 だって、1年間分の記憶が丸々すっぽ抜けるだなんて普通あるか?

 それも2回も。

 そう、俄に信じがたい話だが僕には2016年の記憶と2018年の記憶が全く無い。

 普通に寝て起きたら日付が1年間飛んでいたとか言う摩訶不思議な現象が2度も発生したのである。

 いや、それでも記憶喪失が僕にだけ起こったモノなら「何か面倒な奇病に罹ってしまったなぁ」で済む話なのだが。

 

 何と、僕と全く同じタイミングで全世界が記憶喪失になっていたらしいのだ。

 当然の事だけれど各国政府は面食らったし、対応に追われて連日気が狂ったみたいに会見ばかりしていた。

 コンピュータシステムのバグだとかアメリカの磁力兵器だとか、ありそうだったり無さそうだったりする事を喚き散らす輩もいた。

 けれど真実は変わらない。

 彼らが天体の位置や機械等の計測結果を綿密に分析する程、1年後に来てしまったと言う事実は補強されてしまったのだ。

 

 いやはや、不思議な事もあったモノである。

 人生に於いて理解の及ばぬ現象は沢山あるだろうけれど、これに関しては「そうはならんやろ」「なっとるやろがい」の極致だった。

 一体全体何をどうしたら世界規模で記憶喪失になれるのか、神様がいるんだったら訊いてみたいモノだ。

 

 ────等と余裕たっぷりな事を言っていられるのも、多分僕が住んでいるのがトンでもないクソ田舎だからだろう。

 何せ最寄りのコンビニまで約3km。

 最寄りの駅は寂れた無人駅。

 平均年齢上昇中で過疎化進行中、そろそろ隣の町と合併するんじゃないかなと誰もが思う程度の山間の小さな村。

 だから時間が1年間飛んだとしても影響は微々たるモノで、精々ご老人達の寿命が延びた程度の話だ。

 

 でも、何にも良い事が無かったかと言われるとそうでもない。

 幾ら1日に停車してくれる電車が両手の指で収まる程度しかないド田舎だからと言って、社会の混乱を受けない程に隔絶されている訳でもなく──2度目の記憶喪失から1年経った今年は、少しだけ夏休みが終わるのが遅くなった。

 ほんの1週間。

 されど1週間だ。

 人間1週間真面目に何かをやればきっと良いことがある。

 クーラーの効いた部屋でゲームをするも、勉強に取り組んで資格を取るも、思いっきり友達と遊ぶも自由自在。

 

 

 だから────僕は今日も画材を詰め込んだ鞄を抱えて、外に出た。

 

「あっつ……」

 

 鼓膜を揺らすのは、夏も後半だって言うのに未だにくたばる気配が見えない蝉の鳴き声。

 視界を揺らすのは、ジリジリと照り付ける太陽によって浮き上がったコンクリート上の蜃気楼。

 40度近い気温の中、ぼうぼうに生い茂った緑にズボンの裾を擦らせながら沿道を行く。

 

「いや、あっつ……何これ……?」

 

 何だろう。

 何でこんな事をしているんだろう。

 そう思った事は1度や2度ではない。

 そもそもからして、僕に絵画なんて高尚な趣味は無かった。

 田舎育ちではあるけどどうしようもない程のインドア派で、通販で買ったパソコンやらゲームやらをエンジョイする「非生産的な」輩だった筈だ。

 それは中学3年生となった今でも全く変わらない。

 変えようとも思っていない。

 

 ところが、だ。

 そうやって自分の世界を楽しんでいると、周りの連中がトンでもなく羨ましくなる時があった。

 特に、隣町の中学校──地元には人が少なすぎて通うしかなかったあの場所には、そう言うのが沢山いた。

 一生懸命勉強して良い成績を取りたいってヤツがいて、日焼けして真っ黒になる位スポーツに熱心なヤツがいる。

 親の稼業を手伝うってヤツがいて、毎日遊び呆けるって笑顔で宣言しちゃうヤツがいる。

 父がやってる農家を継ぐって言うヤツがいて、都会に出て自分の生き方を探すって言うヤツがいる。

 皆何かしらにやる気があって、実際取り組んでいた。

 学ぶ事に、遊ぶ事に、真面目な事に、ふざけた事に真剣だった。

 

 翻って──自分はどうなのか。

 中学に入学してから大体2年間と3ヶ月、一体何かしただろうか。

 何か生み出したと、何か浪費したと心の底から言えるのか。

 いや、言えない。

 何にも、本当に何にもしていなかった。

 友達も作らず、部活も入らず、勉強もそこそこに。

 平坦過ぎて逆にビックリする位だ。

 

(……折角、夏休みなんだからな)

 

 で、いよいよ夏休みを迎えるに当たり、流石にこれはヤバいんじゃないかと思った次第である。

 小学校より始まった学生生活も折り返しを過ぎて、もう本当は少しでも受験勉強をしなくちゃいけなくて。

 なのに家でうだうだゴロゴロ、寝っ転がっているだけ──?

 

「冗談じゃない」

 

 そう、冗談じゃない。

 教室の後ろででやいのやいの騒いでいるヤツらのようにいかなくとも、参考書に向かってぶつくさ言ってるヤツらのようにいかなくても、「自分らしさ」って物を見付けてみせる。

 僕だってやれば出来るんだ。

 等と(心の中で)宣い────

 

(……凄かったなぁ、アレ)

 

 ある日、油絵と出会った。

 だけど本当に、深い理由なんて何一つとして無かった。

 ただスマホを弄って「あれやりたいなー、これやりたいなー」とか中身のない事を言っている最中に、偶々()()を見掛けただけだ。

 

(名前も何も分からないけど、アレが現代のゴッホってヤツかな……)

 

 曰く、後期印象派の復活。

 曰く、真に現代の肖像画。

 つい3ヶ月くらい前、ヨーロッパのさる絵画コンテストに匿名で提出された数点の絵画は、その時代に真っ向から逆行したスタイルと強烈な色彩で以て瞬く間に世間を騒がせる事となり、誰がどれだけ探しても作者の名前すら分からなかった事も相まってインターネットを騒がせていた。

 

 それが、凄かった。

 絵画について全く無知だった当時の僕でも思わず「おおっ!?」と驚いてしまう位に繊細な描き方で、それでいて素朴さも感じられる──正真正銘、誰に見せても文句無しの名画だったんだ。

 

 けれど、それだけじゃない。

 ただ凄い絵だったら「わー、すごいなー」で終わっていただろうし、すぐに忘れ去っていた筈だ。

 僕が着目したのは、絵の良さだけじゃないんだ。

 そう、縦73.7㎝、横92.1㎝のキャンバス地に油絵具で描かれた彼の名は────

 

「藤丸、先輩なぁ……」

 

 藤丸立香。

 僕がまだ小学生だったあの頃、隣に住んでいたお兄さん。

 のほほんとしていて、ロボットアニメとか如何にも子供が好きそうなモノに目がなくて、だけど1本芯の通った兄貴分。

 結構遊んでもらっていたりしたから、親の事情で引っ越してしまって残念だと思っていたら──これだ。

 

「バレバレなんだよなぁ……」

 

 テレビでは「この肖像画のモデルは誰だ!?」とか言って特集をやってたりするけれど、昔馴染みからすれば一目瞭然。

 寧ろちょっとカッコつけた感じの表情してるのが笑える。

 しかし、だ。

 

「てかマジで絵画モデルやってんのかあの人……信じらんねぇ」

 

 まぁぶっちゃけてしまえば、滅茶苦茶ビックリした。

 流石に全世界記憶喪失に比べれば大したことはないけれど、正しく「そうはならんやろ」の権化だった。

 いや、だって普通無いだろうそんなの。

 確かに藤丸先輩はイケメンよりの顔立ちはしていたし、人当たりもかなり良かったと思う。

 公民館でもお爺ちゃんお婆ちゃん連中から人気者、社会に出ればコミュニケーション能力の高さで成功するモノだとも思っていた。

 けど、けど──よもやこんな斜め上方向にカッ飛んで行くとは、考えもしなかった。

 だって、「普通のサラリーマンになるんじゃないかなぁ」とか呑気に言ってた人が、絵画モデルだぞ?

 元々のノリの良さもあるんだろうけれど、都会の空気があの人とヤバい感じの化学反応を起こしてしまったに違いない。

 

 で、だ。

 ここからの話は極めて単純。

 一言で纏めてしまえば「藤丸先輩がこんな風に化けて出たって言うなら、僕だって何かしらに化けられるのでは?」と思った次第なのである。

 我ながら随分と思い上がったものだ。

 でもそう思っちゃったんだから仕方ない。

 そうして取り敢えず絵筆だとか絵の具だとか参考書だとかをお年玉叩いて買い漁って、毎日結構な時間睨み合って──もう後少しで夏休みが終わろうとしている今日も、絵を描きにクソ暑い田舎道をえっちらおっちら歩いていた。

 

「地球温暖化なんてしてんじゃねえよ……記憶喪失だけで十分だろうが……」

 

 なんてこの夏の暑さにうだうだ言ってられるのも、後何年間残っているのだろうか。

 中3の夏と言えば受験が迫っている頃で、受験が終われば高校生。

 高校は隣町の所に通うつもりだから良いとして、大学は都市部──東京とかに出る事になってしまうだろうから、つまりは残り3回。

 短いような、長いような。

 あまり実感は湧かないが、後3回夏を過ごしてしまえばもう子供ではいられなくなるって事らしい。

 

 ああ、嫌だ嫌だ──なんていかにもモラトリアムらしい事を考えながら歩を進めていると、急に踏み均された脇道が現れる。

 行き先は鬱蒼と茂った森の中で、入り口の横にはすっかり錆びた立て看板。

 

『この先、向日葵畑あります』

 

 躊躇う事なく足を踏み入れて、蚊柱に襲われながら黙々と歩く。

 森の中は枝葉によって日光が遮られている分気温は低いけれど、代わりに湿度が最悪だった。

 ただでさえ外は蒸しているって言うのに、それ以上に湿気ていて気色悪い。

 その上汗に濡れたシャツだが肌にベッタリと貼り付いてきて不快な事この上ない。

 けど、それでも、10分我慢して歩き続ければ────

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 1  目 〕

 

 

向日葵畑で、君と

 

 

限りある夢、原風景にて

──×──

"The Grimalkin comes into vilage."

▲▼▲▼▲

 

 

 

「────まだ、咲いてる」

 

 

 

 視界一杯に広がるは、鮮やかな黄金色の絨毯。

 東京ドーム何個分──なんて言える程広くは無いけれど、大輪の向日葵が文字通り花畑のように群生していた。

 そう、そうだ。

 夏休みの間、ずっとこれを描いていた。

 毎日のように足繁く通って花畑の全景を、気に入った1輪の向日葵を、或いは花の蜜を求めて飛んできた虫達を、僕は必死になって描いていたんだ。

 

「うん、今日もまだ綺麗だ」

 

 其処に深い理由は無い、かもしれない。

 正直に言ってしまうのなら、どういう意図があってこの花畑に執着しているのか僕自身にもよく分からないのだ。

 ただ、今分かっているのは「十何年間も田舎で生きてきた癖に、この場所に気付いたのは今年になってから」、「花畑が堪らなく綺麗で、誰にも渡したくなかった」、「けれど、この感動を誰かに伝えたい」の3つのみ。

 ただそれだけを動力にして、訳の分からない衝動に衝き動かされるままこの美しい原風景をどうにか形にして残そうとしていた。

 

 いや、どうなんだろう。

 本当は、そんな事全く考えていないのかもしれない。

 この向日葵畑が信じられない位綺麗だと思ったのは本当の事だけれど、それを誰かに伝えたいかと言われればどうなのか。

 何にも分からない。

 今日も今日とて迷走中。

 

 けど──動機が分からなくたって、絵は描けた。

 最初は落書きにすら見えないヘッタクソな前衛芸術でも、8月の半ば位には花の形を為すようになってきた。

 動物の模写だって、少しは「それらしさ」を見せるようになったと思う。

 描き上がった絵を持って帰って昨日のモノと比較すると、上達を確認出来るようで──何だか楽しくなってくる。

 そう、理由なんて関係ない。

 結局の所、「楽しいから描く」以外の何物も重要じゃなかったんだ。

 

「今日は……どうしよっかな」

 

 そうして、今日も「楽しい」を得るべく構図を考える。

 見事に咲いた花弁を正面から描いた事はある。

 花だけを描いた事も、全景を描いた事もある。

 ひらひらと飛んでいた蝶々も茎を登っていたカマキリも、画用紙だの水彩紙だのに思う存分描きまくった。

 で、あれば────

 

「────下から描くか」

 

 そう、たまには構図を変えてみるとか、正面からではなく下から見上げる構図とかも悪くない。

 良い感じの角度を求め、花畑の外れのちょっとした草むらにどっかと腰を下ろして、鞄からボードを取り出して────膝に乗っけたボードの上に、影が落ちた。

 

「────?」

 

 自分の、ではない。

 それに今日はピーカン晴れ。

 湿度は高いが雲一つない、春や秋だったら清々しく感じるような青空だ。

 と、すれば──誰かが、後ろに立っているのだろう。

 

(……どうしよ)

 

 振り向くべきか、振り向かずに立ち去るのを待つべきか。

 こんなド田舎だし、観光客なんてのもいないから不審者ではないと思う。

 ただ、無言で背中を見られていると言う感覚にぞわぞわする。

 上手く言えないけれど、気色悪い。

 なら──ビビってたとしても、振り向くしかない。

 

「────!」

 

 一呼吸。

 自分に猶予を与えて、勢い良く後ろを向く。

 

「────え」

 

 振り向いて先ず目に入ったのは、爪先立ちと変わらないんじゃないかと思う位にヒールの高い靴。

 そこから伸びるスラッとした脚と、赤いソックス。

 更に視線を上げれば、赤を基調とした中世の貴族みたいなドレス。

 そして、顔。

 あまり「そう言うの」は読んだ事が無いけれど──それは最大限美化された漫画やアニメですら到底届かないと直感で悟らせる、鋭い美貌が此方を見下ろしている。

 

「え、えと────?」

 

 正直に言って、全く言葉が出なかった。

 こんな浮世離れした、物語からそのまま飛び出してきたみたいな美少女がこの世にいるなんて、思いもしなかった。

 そうこうしている内に腰まで届く艶やかな赤髪が夏の風を孕んでたなびき、凛とした印象を与える灰の瞳が細められ────

 

 

 

「あ?何見てんだよ」

 

 

 外見のお嬢様らしさとはかけ離れたあんまりな罵倒を以て、波乱の晩夏が幕を開けた。

 

 

▼▲▼

 

 

 

「──もしもし!先輩ですか?良かった、もう日本に着いたんですね!」

 

「私も付いて行きたかったのは山々ですが……久し振りの帰省、楽しんでくだ────」

 

「え?トリスタンさんが行方不明になった!?探してみてるけど見付からないって……!」

 

「モ、モルガンさんも一緒にいたんですよね?ならどうして……」

 

「と、取り敢えず此方でも出来る限りの事はしてみます!はい、それでは!」



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第2話「限りある夢、原風景にて(中)」

感想、お気に入り登録ありがとうございます。
精一杯頑張ります。


「あっつうい……日本の夏ってのは毎年こんな感じなワケ?信じらんない……」

「残念ながら。君の格好も滅茶苦茶暑そうだけど」

 

 ミーンミンミン、と晩夏のよく分からない蝉ががなり立てている。

 種類は知らない。

 元々蝉には興味が無かったし、あったとしても今だけは全力でスルーしていたと思う。

 と言うか、画材すらマトモに見ちゃいない。

 折角取り出したボードさんには鞄に戻って頂いて、筆くんの出番は訪れる前に終了した。

 残念無念、また明日。

 確かに絵画は重要だけど、毎日そればっかやってたら煮詰まって頭が可笑しくなるので正しい選択だろう──等と考えているが。

 

 今はそれどころじゃない。

 蝉だとか絵画だとかよりもっと重要な問題が背後に転がり込んできて、しかもうっかり振り向いてしまったが為に解決を迫られている。

 取り敢えず──先ず、何をすべきか。

 そう、確認だ。

 現状を確認し客観的に分析する事で何やかんやあって解決策が導き出されるとテレビ番組か何かで言っていた。

 

 故にこそ。

 頭の中で慎重に言葉を練って、聴取から得られた情報をなるべく簡潔に噛み砕いて──意を決して、口を開く。

 

「えーっ、と」

「何よ」

 

 決意を固めた割には歯切れの悪すぎる切り出しに、隣に座った赤の少女が怪訝な顔をする。

 彼女は今、鞄に偶々入っていたレジャー用のビニールシートを(何故か僕が)敷いてその上に腰を下ろしている。

 チラリと視線を向ければ、いかにもって感じのお嬢様みたいな座り方。

 スカートから伸びるスラリとした脚とヒールが艶かしい。

 ついでに言えば、人を疑う表情でさえ画になるような美しさで──じゃなくて。

 確認すべきはこれだ。

 

「じゃあ、あれか?君はブリテン──イギリスだっけ?の良いとこ生まれのお嬢様で」

「ええ」

 

 先ず1つ、赤の少女はイギリス出身の超名門貴族のお嬢様らしい。

 まぁ見るからにそれっぽいドレスを着ているし、顔だって平たいだの何だのと揶揄される日本人とはまるで違うのだから「そう」なのだろう。

 本音で言えば貴族の所は嘘吐いてるか盛ってるんじゃないかと思っているけれど。

 

「生まれて初めての家族旅行で日本に来てて」

「そうね」

 

 2つ、彼女は家族旅行に来ていた。

 何でもずっとイギリ──ブリテン?に住んでいた上に当主である「お母様」の娘として蝶よ花よと育てられてきた赤の少女は、今まで旅行と言うモノをした事が無かったらしい。

 正直に言って、これにはちょっと同情した。

 両親が共働きで顔を見ない日すらある僕ですら家族旅行には行った事があるって言うのに、この自分と同年代かちょっと年上とおぼしき少女は今日までそれすら無かったのだ。

 冷えきった、と言う訳ではないらしいが中々にお辛い。

 どうぞどうぞ、満足するまで存分に日本をエンジョイして欲しい。

 

「初めて見る電車にはしゃいでたら親とはぐれた挙げ句に何時降りれば良いのかも分からなくてこんなクソ田舎に辿り着いたと?」

「そうよ」

 

 そして、3つ目。

 彼女はおよそ日本国民ならば当然のモノとして処理しているであろう「当たり前の」常識に対して非常に弱かった。

 どうも聞いている限りではイギリスを出る時に初めて電車の存在を知ったようで、その(赤の少女目線では)珍妙で沢山の人を乗せて動く鉄の箱に興味津々だったようだ。

 しかし保護者同伴だから降りる駅や改札の仕様については一切知らず、流されに流されてこんなクソ田舎に辿り着いてしまった──そう言う事らしい。

 

「えーっと、だな」

「何かしら」

 

 なるほど、なるほど。

 あぁ、理解した。

 完全に理解した。

 家庭事情とかはあまり深く踏み入らなかったけれど、これはつまり────

 

「バカじゃねえのお前?」

「何舐めた口利いてんだ殺すぞ」

 

 思わず口を衝いた正直な感想に返ってきたのは、これまた正直過ぎるドスの利いた罵倒だった。

 此方を覗く灰の瞳も、絶対零度と呼ぶに相応しい冷えたモノ。

 つまりとても同年代とは思えない、殺すと言ったら本気で殺されてしまいそうな「凄み」があったが──こればっかりはビビってなんていられない。

 正義は我にあり、と言うヤツだ。

 

「いや──いやだってさあ。生まれてこの方こんな間抜けな事するヤツ見たこと無いよ」

「何だとぉ……!?」

 

 少女の美貌が、羞恥の赤に染まり屈辱に歪む。

 傲岸不遜で自分に自信がありまくる類いの輩だと思っていたが、どうも思ったより打たれ弱いらしい。

 ならば──これ幸いと追撃に打って出るしかあるまい。

 

「てか、ずーっと電車に乗ってたら普通どっかでおかしいと思うだろ……何考えてんだよお前……」

「ぐっ、ぬ、ぐぎぎ……っ!」

 

 そうだろうそうだろう。

 反論したくても出来ないだろう。

 どう考えても間抜けなのはお前であって、僕は何も間違っちゃいない。

 電車の降り方もマトモに知らず、こんな田舎まで来ちゃった我が身を呪うと良い──そう思ったところでふと、ある疑問が湧いてきた。

 

「帰んないの?」

「あ?」

「電車に乗って来たんだから、電車で帰れるだろ。親御さんも心配してるだろうに……」

 

 そう、彼女は何故帰らないのか。

 幾ら東京から此処まで4時間以上かかるからと言って、帰れない程ではあるまい。

 合計8時間無駄にすれば都内に帰還は果たせるだろう。

 日本語が喋れなくて切符が買えないだとか、1円足りともお金を持っていないだとか、そんな感じでもない。

 寧ろ勉強したのか日本語は堪能、常識は無い癖に罵倒のレパートリーだけ異常に豊富なエセお嬢様だ。

 だからと言って「折角ここまで来ちゃったんだし、ちょっと観光してから帰るワ」とか言いそうなタイプでもない。

 とことん行きたい所だけ行って、やりたい事だけやる。

 窮屈な現代社会に於いて滅多に見ない感じの生き様を貫いているのは、少し話しただけでも強烈に伝わってきた。

 

 で、あれば。

 何か理由がある筈だ。

 こんな何もない田舎までやって来て、駅からもそこそこ離れた森の中をうろついている理由がある筈なのだ。

 勿論彼女が一切嘘を吐いていない、と言うのが前提になるけれども。

 そこに関しては信じられる──いや、信じてみたいと思った。

 出会いから此処に至るまで、互いの素性すらマトモに知らないけれど、この向日葵畑にいると言う事はあのボロっちい立て看板を見たと言う事で。

 態々面倒な道を進んてまで、初対面の僕をからかいに来た訳じゃない。

 そう思いたかったが──「余計な事を言った」と気付いた時にはもう遅い。

 

「あー、えぇっと、んー……」

「言いたくないなら、言わなくて良いけど」

 

 赤の少女は僕の言葉に対して思う所があるのか悩んでいる様子だった。

 スッとした顎に細くしなやかな指を当て、宙を見詰めて思索に耽る様はそれだけでも何か芸術的なモノを感じさせる。

 どんな角度からでも写真に撮ってコンテストに出せば優勝間違いなし、絵に描いて売り出せば何千万もの価値がポンと付きそうな位彼女自身が「美」に愛されていた。

 そう、絵に描いたらきっと────

 

「あぁ!」

 

 パン、と手を打ち合わせ合点がいった様子の少女に、僕も我に返る。

 いけないいけない、危うく邪念──と言うより下心に囚われる所だった。

 相手は異国の地で深刻な問題を抱えている最中だって言うのに、幾ら何でも下劣過ぎる。

 反省すべし、と頭を振って──

 

「────っ」

「私さぁ────」

 

 嗜虐の色を含んだ灰の瞳が、此方を覗き込んでいた。

 それだけではない。

 顔を──身体全体を此方に寄せて、右肩に腕を乗せて。

 問題の解決を図るのではなく寧ろ混乱させようとする意思の見える挑発的な仕草に、僕は動けない。

 ただ全身を硬直させて、じっとりと絡み付くような視線に唾を飲むだけ。

 そして、耳元に顔を近付けた赤の少女がゆっくりと口を開く。

 

「家出したのよ。ま、所謂家庭の事情ってヤツ?」

「家、出……?」

「そ、家出」

 

 家出。

 言葉の意味は分かる。

 親と喧嘩した時とかに子供が使える、最も効果的な抵抗手段の1つ。

 これをやられると、どれだけ怒っていたとしても親は子を保護しなければいけない以上一旦落ち着く事を余儀無くされ、家出に踏み切った彼らが帰ってくれば状況は完全にリセットされる。

 つまりは我が儘が通じる子供だからこそ使える、最強の仕切り直し戦法だ。

 

「こんな所に流れ着くなんざ思ってもみなかったけど……此処なら中々見付からなそうだろ?」

「あ、あぁ……」

「これだけやればお母様や『アイツ』も必死になって探してくれるんじゃないかって思ってさぁ、まだ帰りたくないの」

 

 それを、彼女はやったと言う。

 聞く限りでは如何にも厄介な問題を抱えていそうな家族関係とは言え、こんな言葉も通じるのかハッキリとしない異国の地で行く当ても決めずに家出したのだと言う。

 何と胆力のある──或いは我が儘な少女なのだろうか。

 自分を通す為なら家族や警察を困らす事を全く厭わないその姿勢は、呆れとかその他諸々を通り越して感服すらする。

 

「それで、なんだけどさぁ────」

 

 それで、何だ。

 家出した事を僕に伝えてどうするのだ。

 家族関係が大変そうなのは理解したし帰りたくないのも分かったが、それを言われたって出来る事など何も無い。

 彼女は何を期待しているんだ。

 そんな風にいよいよ混乱極まってフリーズしている僕の首に腕を回し、しなだれかかるようにして──赤の少女から、「我が儘」が放たれる。

 

 

 

「泊・ま・ら・せ・ろ♡」

 

 

 

 ────────はい?

 

「ど、何処に……?」

「え、お前ん()

 

 嘘だろ、オイ。

 なんて言いそうになった僕をどうか責めないで欲しい。

 だって、普通こうはならんだろ。

 絵を描きに出掛けて、向日葵畑で異国の女の子──しかも自分よりほんの少し背が高い、に出会って、挙げ句に家に泊まらせろって?

 運命的な出会いだとかボーイ・ミーツ・ガールだとか一瞬思ったけれど、間違いなくそれ以上の厄介事だ。

 関わったら色々面倒に巻き込まれると、全神経が警鐘を鳴らしている。

 故にこそ、咄嗟に断ろうと口を開いて。

 

「いや、ちょっと遠慮────い゛っ!?」

「あ、言っとくけどこれお願いじゃなくて命令だから」

 

 だが、長めに切り揃えられ紅いマニキュアの塗られた爪が首筋を軽く、撫でるようにしてなぞった途端、鋭い痛みが走った。

 そして、どくどく溢れ出す生暖かい感触──つまりは血だ。

 ただ彼女が爪で軽くなぞっただけで、首の皮膚を裂かれてしまったのだ。

 

「キレイに切ってやったからすぐ血も止まるけど──断ったらどうなるか、分かるよなぁ?」

「────!」

 

 ヤバい。

 殺される。

 どういう理屈なのかまるで分からないけれど、赤の少女は指先だけで僕を殺しうるだけの能力をもっている。

 成る程、道理で1人でも余裕そうな顔をしていた訳だ。

 襲われたり騙されたりしたって自力で返り討ちに出来る、そう言う類いの自信を最初から彼女は持っていた。

 そしてそんな彼女と話してしまった僕は、格好の獲物。

 互いの経緯を話す中で母が夜中にしか帰ってこなくて殆ど顔も会わせない事を知った彼女は、金を節約する為に無料の宿を手に入れようとしているのだ。

 

 ああ、何てこった。

 完全に騙された。

 如何にも良いとこ育ちっぽい格好と絶世の美少女振りに浮かれてしまったが、そんなに上手い話がある訳ないのだ。

 己のポンコツさを今更のように後悔するも、時既に遅し。

 

「さ、ドッチにする?」

「────」

 

 灰の瞳が喜悦に歪み、唇が弧を描く。

 間近に迫った少女の顔がニヤニヤと笑いながら選択を待ち、垂れ落ちた血が彼女の指を汚していく。

 その上から目線に無性にイラついて、蜘蛛の巣に引っ掛かった虫の意地を見せてやろうと思って、息を吸って────

 

 

 

「泊まって、くだ、さい……」

「ん、それで良いのよ」

 

 そっと指を首筋に添えられただけで、僕は敢えなく折れてしまった。

 普通に無理だった。

 死ぬのめっちゃ怖いし、明日も美味しいご飯が食べたい。

 悲しい位に僕は一般人なのだ。

 

「──あのさ!」

「何よ」

 

 するりと身を離して立ち上がった少女に向かって、声を張り上げる。

 飛び出した声は自分でもハッキリと分かってしまう位明らかな虚勢に震えていて、詰まらない男の意地を受けた少女も鬱陶し気に顔をしかめた。

 でも、1つだけ訊いておかねばならない事がある。

 何よりも大切で、そこそこの時間会話をしたのに1度だって話題にも上がらなかった()()は────

 

「君、名前は────?」

 

 名前。

 そう、名前を訊いていない。

 どこの誰かの内、「どこ」は知っていても「誰」は知らない。

 それは何て言うか、嫌だ。

 例え脅されていたとしても、信じられない程最低な悪女なのだとしても、彼女の名前も知らぬ内に死んでしまうなんて勿体無い。

 

「────っ」

 

 そう言う思いを籠めて、全力の問いを放てば──赤の少女は、ギョッとしたように目を見開いた。

 そして驚愕に、困惑に、或いは()()()目まぐるしく瞳の色が移り変わり────

 

 

「私、スピネル。レディ・スピネルよ。あなたは──?」

 

 

 宝石の女、レディ・スピネルは指に付着した血を舐め取った。




◯レディ・スピネル(仮)
大絶賛家出中。
持ち前の対魔力(EX)と魔術を活かしてガン逃げしてる。
家族関係の事とか嘘を言ってるには言ってるけど全く間違っているワケでもないところがアレな感じ。


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第3話「限りある夢、原風景にて(下)」

感想、評価、お気に入り登録等ありがとうございます。


 我が家は──田舎の建物、と言う割には広く新しい。

 昔から代々住んでいたと言う父方の家を5年程前にリフォームし、水道から何から新築した方が早いレベルに取り替えたのだからその「現代らしさ」は折り紙付きだ。

 と言うよりは、リフォームする前が酷すぎたのだ。

 口にするのもおぞましいレベルで広さだけが取り柄の老朽化したきったねえ屋敷が、多少コンパクトになったものの最新設備を手に入れたのだから、家事で苦労していた母共々嬉しさで跳ね回っていた記憶がある。

 

 そしてちょっと日が傾き始めた今、家族3人で夢見た理想のマイホームを指差して我らがスピネル嬢はこう言い放った。

 

「ふぅん、日本の家って思ったより小さいのね」

「何て事を言いやがるお前」

「小さいモノは小さいんだからしょうがねぇだろ」

「いやそもそもからして小さくねえって。これで小さいならどんな所住んでたんだよお前」

 

 それは、ダメだろう。

 言って良い事と悪い事ってのがこの世にあって、仮にも他所様の家を指して「小さい」発言は間違いなく悪い事に該当する筈だ。

 それだけならまだしも、(脅してる立場ではあるが)泊めてもらおうとしている家の住人を相手に堂々と罵倒出来るとは恐れ入った。

 世間知らずと言うか我が儘と言うか、此処まで来れば「外見だけかお前はぁ!」と罵りたくなってしまうレベルに色々と酷い。

 マジで性格が全部台無しにしてる、と心の中で愚痴りつつ門を開いて────

 

「私、城に住んでた事あるもの。これじゃ全っ然物足りないわ」

「さいですか……」

 

 面白くなさそうな表情のスピネルからすっ飛んで来た爆弾発言に、がっくりと肩を落とした。

 そりゃそうだろうよ。

 イギリスで城に住むようなお貴族様なら、小さめの屋敷程度じゃ満足出来ないに決まってる。

 でも此処は別荘地にもなれないクソ田舎で、単身赴任して必死にお金を稼いでいる父は何の変哲もないサラリーマンなのだ。

 貴族と一般市民を一緒にしないでくれ。

 

 てかコイツ一体何なんだ。

 よく考えたら現代では本物の貴族だって城には住まないだろうに、それをスピネルは当然のように流している。

 やっぱり貴族とか言うのは嘘で、本当はヤバい性格のコスプレイヤーなのかもしれない。

 そう考えるのが自然だ。

 ただ、一般人と言うには彼女はあまりにも浮世離れしていた。

 立ち振舞い、仕草、話し方。

 どれを取っても僕らとは根底から違うんだ、と思ってしまう事が多々あったのだ。

 そしてそれはまるで物語から出てきたような隔たりで──現状の「嘘だろ?」と言いたくなるような流れも合わせて不思議な真実味を与えてきた。

 

「……?何してんのお前。ボケッとしてないで早く鍵開けろよ」

「あーはいはい。今行くから待っててな」

 

 等と考えている内にスピネルは玄関前に辿り着いて扉をガチャガチャやっている。

 どうにも──こう言う事を考え出すと周りが見えなくなるのは悪い癖だ。

 なればこそ、疑問と困惑はさておき不思議そうな顔の彼女を追いかけながらポケットから家の鍵を取り出した。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 結論から言ってしまえば、家の案内は遅々として進まなかった。

 そもそもからして(城とかそう言うの以外では)我が家が広い事や、僕自身が自宅紹介に不慣れだった事もあるが──何より、スピネルが常識知らずかつ全然言う事を聞かない。

 

 そんな彼女の罪状を順に並べるとするならば、まず1つ目。

 

『いや、待って。靴脱いで』

『は?何それ?そんな事する意味ある?』

『床が汚れるだろ!?』

『汚れねーよ!てかブリテンだとこれが普通よ!』

『此処はブリテンじゃなくて日本だろ──いや待って待って!ホントお願いだから脱いで!』

 

 玄関から上がる際に、レディ・スピネルは靴を脱ごうとしなかった。

 しかしこれには情状酌量の余地がある。

 皆様御存じの通り欧米では自宅でも靴を脱がない文化が定着化しているし、生まれてこの方イギリスから出た事の無いスピネルが日本文化に疎いのも仕方ないと言えるだろう。

 しかしキッチリ説明をした上で何故か抵抗する彼女をあの手この手で懐柔し、不承不承ながらもやたらヒールの高い靴から脚を引っこ抜かせるまでに20分。

 

 そして、2つ目の罪。

 

『……何を、してる?』

『あー?靴漁ってんだよ。センス良いのあったら参考にしようと思ってな』

『それ、片付けんのは誰だと思ってるんだ……?』

『勿論アナタでしょ?頑張れよ豚野郎☆』

 

 火元を確認しようとちょっと目を離した隙に、レディ・スピネルは玄関のクローゼットを開け中に入っていた靴やら何やらを漁ってはそこら中に放り出していた。

 で、散らかすだけ散らかした後はお眼鏡に敵う物が無かったのか詰まらなそうに鼻を鳴らしてどっかに行く始末。

 最早許し難いとか傍若無人とかそう言う次元ではない。

 しかし僕の言葉など聞かないだろうし、溜め息を吐きながら元に戻すのに四苦八苦して30分。

 

 最後に、3つ目。

 

『あっはははは何これぇダッサぁ!ビミョーな絵を飾ってんのは良いけど熊の置物とか置いてんのはダメだろぉ、ヒヒッ……0点っ!』

『……』

『キッチンはぁ……60点!整ってるけどこれじゃ飾り気が無さすぎるわね……』

 

 何と罪人スピネル嬢は我が物顔で家中を駆け回り、家具やら小物やらに点数を付け始めているではないか。

 しかも低めに。

 あまりの暴れっ振りに「何様のつもりなんだお前」と言わなかった僕を誰か褒めて欲しい──と言うか本当に何様のつもりなんだコイツは。

 一言目からヤバい輩なんだろうな、とは思っていたけれど想像を遥かに上回るレベルで面倒臭い。 

 

『……』

『……何だよ?』

『いや何でもない』

 

 げんなりした表情を隠さずにいるとまたしても訝しげな目を向けられたが、最早言葉位しか取り繕えない。

 まだ玄関から動いてすらいないのに、すっかりヘトヘトで────

 

 

 

「つっかれた……」

 

 等と腑抜けた事を思っていたのがかれこれ6時間程前になる。

 すっかり絶望しきっていた夕方の自分には大変残念な話だが、真の面倒はその後に、しかも複数回に渡って押し寄せたのだ。

 やれ椅子が硬いだの、折角作った飯が合わないだのと暴れ回った事に比べれば玄関ではしゃいだ位全く大した事が無かった。

 いや、それはそれで慣れたらダメなんだろうけれど。

 

「頼む……なるべく長く湯船に浸かっててくれ……!」

 

 スピネルは風呂に行ったので今はこうして自室のベッドに座ってぼんやりとしていられるが、この「自由時間」も後何分続くか。

 つまりは次に部屋の扉が開いた時こそ、地獄再開の時となる訳だが──両手で掲げたスマートフォンの画面には、黒い文字で「110」。

 

「……通報、するか?」

 

 それが正しい、と僕自身思っている。

 当人の言葉を信じるならばスピネルは異国からの渡航者で、王室とまでは言わなくともかなり高貴な身分の御令嬢なのだろう。

 幾ら関係がぎくしゃくしていようともきっと彼女の親御さんは心配しているだろうし、警察に相談して捜索願が出ているかもしれない。

 だったら、普通に考えて通報すべきだ。

 それが人として、日本に生きる人間として正しい行為だ。

 

「……」

 

 でも────何故か発信マークをタップする事が僕には出来なかった。

 彼女は見掛けだけ美少女だが中身は性悪の、ぶっちゃけてしまえば最低女である事に疑いはない。

 開幕罵倒されるし殺されかかるし家はけちょんけちょんに貶されるし、1日だって側にいたら頭が可笑しくなる事も間違いなしだ。

 分かってる。

 それはよく分かってる。

 それでも、やっぱり押せない。

 どれだけ指に力を込めようとも、やはり受話器のマークに触れる事だけは出来なかったのだ。

 

「あー、クソ……っ!何なんだよ……!」

 

 苛立ち紛れにスマホを投げようとして、結局それも出来ずに枕に放る。

 心の中は得体の知れないイライラが渦巻いて正常な思考を妨げているし、やるべきと思った事は出来ないし。

 流されるままで本当に情けない。

 優柔不断と言うか、自分のこう言う所がずっと昔から嫌いだった。

 もっとこう、色々な事をバシッと決められるヤツなら良かったのにうだうだと管を巻き続けて、まるで生産性が無い。

 加えて通報してさっさと縁を切るにしろ匿って苦労を続けるにしろ、どちらかを選択してそれを貫き通すような覚悟も無い。

 暴走するスピネルに引き摺られて、ずるずると家に連れ込んで、一体何をしたいんだか。

 

「────おい!」

 

 そうやって己の不甲斐なさを嘆いていると──バァン、と下手すりゃ壊れそうな位派手な音と共にいきなり扉が開く。

 思考を中断し視線を向ければ、バスタオル1枚纏って全身からほかほかと湯気を立てるスピネルの姿。

 

「見てんじゃねえぞ豚!」

「あ、はい」

 

 水気を帯びて艶やかな赤髪とか白く肉付きの良い太腿とか、普段であれば赤面していた所なんだろうけど彼女の「アレ」っぷりを知った今では最早何も思わない。

 そうして仏のような心のまま次の言葉を促すと────

 

 

「シャンプー切れたから今すぐ足せ!」

 

 

 

 さいですか。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 実に田舎らしい鈴虫の鳴き声と、扇風機が回る単調な音が少女の耳を打つ。

 

「……」

 

 赤の少女、レディ・スピネル──否、人理継続保障機関「ノウム・カルデア」によって召喚されたサーヴァント(英霊)が一騎、妖精騎士トリスタンは屋根裏部屋の暑苦しい空気の中でぼんやりと天井を眺めていた。

 空気が出入りするのは階下で寝息を立てている少年の部屋に直通する出入口と、蒸し暑い夜闇へと繋がる滑り出し窓の2種類のみ。

 隅に置かれた古めの扇風機が首を振ってはいるものの、精々空気を掻き回す程度で気温に対して何か効果を発揮している訳ではなかった。

 

「……」

 

 そもそもからして、魔力によって肉体を構成された擬似生命体であるサーヴァントに睡眠や食事は()()ではない。

 究極的に言えば、魔力の供給さえあれば飲まず食わず寝もせずに何日でも活動を続ける事が可能であり、空腹や眠気を覚える事はあってもそれは無視出来る程度のモノだ。

 故に、トリスタンが眠る事は無い。

 それよりも今の彼女には休息よりも己への嘲笑が必要だった。

 

「何やってんだろうな、私……」

 

 切っ掛けは、本当に些細な事だ。

 トリスタンが所属するノウム・カルデアには本当に──本当に沢山の英霊がいる。

 アルトリア・ペンドラゴン(ア ー サ ー 王)に始まり、英雄王だの神霊だの鬼だの探偵だのと、それはもう歴史に名を馳せた強者達が闊歩しているのが自然状態なのだ。

 

 そんな中にあってトリスタンは──まぁ、特に何もしていなかった。

 勿論竪琴()であるフェイルノートを用いての戦闘能力は他の英霊に何ら劣らないし、自らの夢である最高の靴を作るべく工房に通い詰めてみたりもしていたが、それで自分が誰かに必要とされているかと言えば──果たして、どうなのだろうか。

 それでも、その時は自分について深く考えようとはしなかった。

 それが享楽を好む妖精としての本質であり、徹頭徹尾自分の流儀を曲げないトリスタンの生き方なのだ。

 

 だが──汎人類史最後の希望()()()「彼」の護衛として何騎かのサーヴァントと共に日本の地に降り立ったその時、トリスタンが塗り潰した筈の不安は明確な恐怖となって蘇った。

 強調しておかねばならないが、彼女が感じた恐怖は並大抵のモノではないのだ。

 その証拠に、簡素なベッドの上に踞った少女の瞳は英霊らしからぬ恐怖と困惑に揺れている。

 

「何だったのよ、アレ……」

 

 今でも両手で頭を抱えなければ全身が震えてしまう程に、「アレ」は恐ろしかった。

 希望も夢もまるで無い、ある種狂気的とも呼べる現象だった。

 そう、ズラリと並んだ人々が数分おきにやって来る鉄の箱に呑み込まれ、次々と何処かへ運び去られていくその光景を現代の日本人は────

 

 

 

「 通 勤 ラ ッ シ ュ 」

 

 

 

 と呼ぶ。

 

 何だそんな事か、と思う人もいるだろう。

 だが、我が儘で傲岸不遜で悪辣な妖精騎士トリスタンはよもや通勤ラッシュがこれ程までにおぞましい現象だとは思いもしなかったのである。

 没個性で、均一化の極みだ。

 磨かれてしかるべき宝石が、石ころの中に埋もれて見えなくなってしまうような愚かさだ。

 

「私は、違う。あんなんじゃ、ない……!クソ、落ち着け……落ち着けったら……!」

 

 そして──数多いる英霊の中で大した輝きを見せられていない、トリスタンと同じだった。

 寧ろ他の英霊は自分だけの「輝き」を見出だしているのだから尚更質が悪い。

 例えるならば、トリスタンは1等級の輝きを放つ宝石の中に紛れ込んだ似非宝石(スピネル)だ。

 暫くの間は彼等に成り済ます事が出来るだろうが、やがては正体が露見してしまう定めにある。

 そうして偽物の烙印を捺された石ころ(トリスタン)は、どうなってしまうのか。

 

 ────棄てられてしまうだろう。

 

 それに気付いた瞬間、妖精騎士トリスタン──否、寂しがりやで皆の慰め者な■■■■■・■■は、此処がどこなのか何の為に訪れたのかも忘れて駆け出していた。

 嫌だ、嫌だと譫言のように呟き、錯乱したまま恐怖を感じている筈の電車に乗って当ての無い旅へと飛び出したのだ。

 

「っ、ぅ……痛い……!頭が……痛いの……!」

 

 そして、トリスタンは名も知らぬ辺境の村に流れ着き──ある種「運命」とも呼べる遭遇を果たした。

 今日一日甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた彼の存在を、その意味をガラスが突き刺さったかのような頭痛の中で少女は何度も反芻して確かめる。

 

「私、だけじゃない……!私だけじゃないの……!1人じゃないなら……!」

 

 それは普段のトリスタンなら真っ先に見下すであろう、凡俗を体現したかのような少年だった。

 どうにも冴えない印象のポロシャツを着た、人の形をした平々凡々だった。

 ひ弱で、常識的で、「自分」を見付けられていない、謂わば同類と偶然にも彼女は出会したのである。

 

「縛、れ……違う、縛って……『私』が何処かに行ってしまわないように、崩れないように……ねぇ……」

 

 故にこそ、■■■■■・■■の執着は凄まじい。

 血走った灰の瞳に宿る狂気は最早一方的で身勝手なシンパシーと言い換えても良く、見ず知らずの全く何の縁もない少年を「自分のレベル」に引きずりおろす外道の行為が見え隠れしている。

 あぁ──これ程おぞましい事があるだろうか。

 疲労から階下で眠りこけている少年は、己を見失い曖昧な状態の■■■■■・■■が齎すワガママ、キマグレ、ザンコクに考え得る限り一番サイアクな形で巻き込まれようとしているのだ。

 

「あなたが縛ってくれないのなら────」

 

 ■■■■■・■■が、自らの愚行に気付く事はない。

 ただ「自分」を保つ為だけに、傲慢で奔放な妖精騎士トリスタンでいる為だけに少年を喰らい尽くさんと、酸素を求めて喘ぐ口腔で吸血妖精の鋭い牙が煌めく。

 そして────

 

 

 

 

 

「私があなたを、縛るから」

 

 

 

 

 

 どす黒い血の涙を流しながら、妖精バーヴァン・シーは嫋やかに微笑んだ。




◯バーヴァン・シー
誰もが笑顔の慰め者。
隠そうとしたって、無かった事にしようとしたって決して消えない忌まわしい記憶に苛まれ、ごくありふれた光景を起点としてフラッシュバックしてしまった事で「彼」の下から遁走する。
少年の正常性を食らって自分を保とうとするその様、正しく吸血妖精。


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第4話「限りある休日、我が家にて(上)」

感想、評価、お気に入りなどありがとうございます。
ボーイミーツガール杯期間中の投稿はこれが最後になると思いますが、今後も続けていきたいと思います。


「……?」

 

 目が覚めたら、超至近距離に灰色があった。

 キラキラと輝いているように見えて、どこかくすんでいるようにも見える綺麗なその灰は──少女の瞳。

 大変不本意ながら昨日より我が家の居候となったスピネル嬢が、ぐうぐうと安眠を貪っていた僕を覗き込んでいたからに他ならない。

 そうしてぼやけていた視界がハッキリしてくると──視界一杯に広がった少女の顔が、にんまりと喜悦に歪む。

 

「寝惚けてないで起きろ豚。もう7時半なのよ?」

「……二度寝良いすか」

「ぶち殺すぞ」

 

 昨日の出来事は全部夢でこれまで通り代わり映えのしない夏休みだろう──と言う幻想は一瞬で打ち壊された。

 小悪魔的な美少女、と呼ぶしかないスピネルの美貌から開口一番放たれたのはやはり辛辣な言葉だったし、昨日放り投げたっきりそのままにしてあるスマホが枕元に転がっている事からも、これが現実である事は明白だ。

 大変残念だが、やはりこの横暴の権化とは暫く付き合いを続けなければいけないらしい。

 

「おあよ……ございます……」

「……いや、もうちょっとシャキッとしなさいよ」

 

 するりと下がったスピネルの冷たい視線を受け止めつつ、毛布をはね除けベッドからずりずりと体を引き摺り落とす。

 ここは彼女の言う通り「シャキッと」すべきなのだろうが、どうも昔から朝はダメだった。

 目覚ましをかけても、声をかけられても全然ダメ。

 普段なら母の手によって窓を全開にされ太陽の光を燦々と浴びた上にタオルケットをひっぺがされて漸く目が覚めるレベルなのだから、我ながら始末に終えない。

 挙げ句起床した後も割と曖昧な事が多く、「ふと気付いたら着替えて玄関に立ってました」なんてのもザラにある。

 つまり、「朝」は僕にとって不倶戴天の敵なのだ。

 

 そう言う意味では、スピネルにただ至近距離から見詰められただけで目が覚めた今日は異例中の異例なのだろう。

 尋常ならざる事態に深く眠れなかったのか美少女に見下ろされているのに寝ている場合じゃない!と体が奮起したのかは定かではないが──何だ。

 こう言ってしまうとダメ人間みたいでアレだが、たまには早起きも悪くないじゃないか。

 

「────ねぇ」

 

 等と下らない事を考えていると、スピネルが呼び掛けてきた。

 何とも言えぬ視線を此方に向ける彼女の格好は、あのやったら赤いドレスではなく至って普通の飾り気の無いパジャマ。

 まぁ、財布1つポケットに突っ込んで飛び出してきたが故に着替えの用意すら無かった彼女に僕が貸したモノなのだが──何だろう。

 今のスピネルはちょっとサイズが合っていないパジャマなんて気にならない位真剣に見える。

 

「あの、さ」

「何だよ」

 

 それに気付いた僕が居住まいを正すと、彼女は視線を若草色のカーペットとの間で忙しなく往復させ──やがて、もう我慢できないとばかりに早口で件を話し始めた。

 

「お前のお母様、もう出てったよ」

「あぁ、うん。母さ──お袋は隣の町で図書館に勤めてるから、電車も全然来ないし早めに出ないと間に合わないんだよ」

「ええ。それで、質問は?」

「……バレてなかった?」

「もっちろん!なーんも気付かずに一人で飯食って『お仕事』行っちまったぜぇ?」

 

 誰が聞いている訳でもないのに声を潜めれば、スピネルはゲラゲラと笑いながら何度も頷いた。

 そう、僕はスピネルが居候となった事を警察はおろか同じ屋根の下に住まう母にすら伝えていないのだ。

 理由としては「絵を描きに行ったらイギリスから旅行に来たご令嬢に殺されかかって匿う事になりました」なんてどう伝えれば良いのか見当も付かないとか、只でさえ忙しい母を厄介事に巻き込みたくないとか、色々ある。

 ただ、それ以上に────昨晩、我が家の「アレ」っぷりを語った途端に黙っていた方が楽しそうとかスピネルが言い出してしまったのだから仕方ない。

 

「あんな『いかにも』って顔してんのに息子の()()()に気付きもしないとは、随分と節穴なんだなぁお前のお母様は!」

「……何も言えねぇ」

 

 職場までの物理的な距離やら飲み会をやりたがる気質やらで、毎晩帰って来るのが夜中な母。

 思春期真っ只中、反抗期ではないけれど陰気で何考えてるのか分からないように見える息子。

 唯一緩衝材足り得る父は単身赴任で季節に1回しか帰ってこないし、今夏は2週間前に帰ってしまった。

 そう言う環境に何年も置かれていたならば、僕と母の関係があまり良くないのも必然と言える。

 家庭問題から家出を敢行したらしいスピネルは、そんな我が家の様子を観察する事で自分の糧にしようとしているのだ。

 

「……気付き過ぎるってのも、考えモノだけどね」

「……そっか」

 

 だからこうして、不意に暗い表情にもなる。

 きっと──これは彼女が漏らした言葉からの想像でしかないが、我が家とスピネルの家庭事情は対極にあるのだろう。

 察せない親と、察し過ぎる親。

 人間には各々個性があるのだから、抱える問題も多岐に亘ると言う訳だ。

 そうして家庭問題の新たな形を目撃してしまった今、芽生えた不安を拭おうとしても簡単には拭えない。

 例え脅した相手だとしても話さずにはいられない。

 

「あー……」

「何だよ」

 

 とは言え、それに関して僕から出来る事は大して無い。

 スピネルの問題はスピネルが決着を付けるべきであって、この観察から何か得られたと言うならそれで良し。

 薄情に思えるかもしれないが、それが現実だ。

 故にこそ、取り敢えず今は────

 

 

 

「お腹減ったろ?作るから待っててよ」

「あら、気が利くじゃない。でも昨日みたいに変な料理出したら腕の筋肉削ぎ落とすから覚悟しとけよ?」

「カレーは変な料理じゃないし立派な家庭の味だろ!?」

「私ああいうコッテリしたのダメなのよ」

「本当に我が儘だなおい……」

 

 

 

 スピネルの舌に合う朝食を作る事から、始めるべきだろう。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 2  目 〕

 

 

向日葵畑で、君と

 

 

限りある休日、我が家にて

──×──

"The Grimalkin plays around home."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 頭の普段使わず錆び付いているような部分を必死こいて動かしどうにか作ったさっぱり目の朝食は、その甲斐あってか恙無く──いや全然恙無く終わってないわ。

 箸が使えないのは此方の配慮が足りてなかったから仕方無いとして、やれ味噌汁に入っているワカメが嫌いだの目玉焼きは半熟じゃないと嫌だのと──味覚が小学生なのだろうか。

 スピネル嬢のお母様には、彼女が戻ったら是非食育を頑張って頂きたい。

 

 とは言え、済んだ事は済んだ事。

 この手の「些細な」問題にいちいち目くじらを立てていればストレスで頭がおかしくなる事を、昨日1日で僕は学んだのだ。

 ついでに食器を洗っていたら気分も落ち着いてきたし、それはもう良い。

 真の問題は────ぐい、と腕を引っ張られてたたらを踏む。

 

「何処に、行くの?」

「外」

「嘘でしょ……!?」

 

 震える声の問いかけに一言で答えれば、少女はオーバーに感じる位愕然とした反応を返してきた。

 そう、真の問題は未だかつて無い位青ざめた表情で玄関に向かおうとした僕を引き留めるスピネルにあった。

 箪笥の底から引っ張り出した灰色のシャツとチノパンに着替えた彼女は、道行く者全員を振り向かせるような美貌と即席ではどうしようもない外国人っぽさを除けば概ね「田舎のちょっとお洒落な美少女」へと雰囲気を落とし込む事に成功している。

 ファッションに拘りはなかったけれど、我ながら悪くないセンスだ。

 

 が、しかし彼女はその格好を見せびらかすつもりはないらしい。

 寧ろ可愛らしくぷるぷると震え、必死になって僕を外へ出すまいとしている。

 そんなに暑いのが嫌か。

 

「いや──いや、おかしいだろ。こんなクソ暑い日に何の用があって外に出るのよ。正気とは思えないわ」

「え、絵を描きに」

「明日にしろ」

「明日も大して変わんないと思うよ」

「ハァ!?んな訳ないでしょ!」

 

 あるんだな、それが。

 日本に来たばかりのスピネルは知らないだろうが、我が国の夏は大体9月前半まで灼熱地獄である。

 それもただ気温が高いだけではなく、湿度も高い。

 そこには地理的な原因と地球温暖化的な原因があるが、兎に角今日家に籠ったからと言って明日涼しくなっている訳ではないのは明白なのだ。

 

 後は、あの向日葵畑も見に行っておきたい。

 今の所大輪の花達が萎れる事は無さそうだが、いつ枯れるかも分からないのでやはり行かせて欲しい──と気持ちを込めた目線を送れば、スピネルはぶんぶんと首を左右に振った。

 

「む、無理よそんな。私もお前も肌が焼けるだろ、な?」

「君はそうかもしれないけどさぁ、俺は焼いた方が良いって常々言われてるよ」

 

 確かに僕は彼女とそう変わらない位色白だけれど──まぁ正直、余計なお世話だと思う。

 されど近所のおばちゃん連中から「そんなひょろひょろの真っ白で大丈夫なのかい?」とありがたいお言葉を高頻度で貰っているのは事実であり、色白はインドア志向の僕にとって解決したい問題の1つでもあった。

 だからウォーキングを兼ねて徒歩で絵を描きに行く事にしていたのだ。

 が、しかし。

 

「そもそも君、付いてくる気だったのか」

「え?」

「てっきり留守番するつもりなんじゃないかと思ってたけど、意外だな」

 

 そう、スピネルが付いてくると言い出すなんてまるで思わなかった。

 彼女は自身が言うように家の中でゴロゴロしているものだと考え、実際そのように支度をしていたのだが──己の勘違いに気付いたスピネルの頬が、真っ赤に染まる。

 

「あ、な……!?」

「へぇ……?」

「ち、違う!違うの!これはそう言うんじゃない!」

「へぇぇ……」

「そのしたり顔を止めろ豚!」

 

 僕の煽りに耐え兼ねた彼女が拳を振るうが、その軌道は昨日の指の閃きと違ってあまりにも遅く、粗い。

 殴り合いの喧嘩をした事がない僕でも見切れてしまう程に雑で、1歩下がるだけで空を切ってしまう。

 

「ふんっ、せぇいっ!チッ、避けるんじゃないわよ!」

「いや、避けるってマジ──ぅおおっ!?」

 

 しかし、スピネルの腕力は尋常ではない。

 一見華奢に見える両腕から誰がどう見てもへにゃへにゃのフォームで繰り出される拳は、結構な風圧と共に鼻先を掠め──後退を余儀無くされる。

 いやだって、当たったら痛いだろう。

 殴られておいた方が丸く収まるのかもしれないが、兎に角痛いのは嫌だ。

 

「────!」

「これでもう逃げられないわね。覚悟しろよぉ……!」

 

 されど、玄関と言う狭い空間にあって後退はほんの数秒で打ち止めとなる。

 正面に気迫の炎を立ち上らせるスピネル、背中には閉まったままの扉。

 ああもう、終わりだ。

 これは完全に終わりだ。

 最早万が一にも制裁から逃れる術は存在しない。

 そして今、裸足でたたきに降りたスピネルが拳を振り上げ────

 

 

 

 

「今日は私と()()()だ」

 

 

 

 ガツン、と頭蓋に星が飛び散った。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

「……?」

 

 しまった、とトリスタンが思った時にはもう遅かった。

 キチンとセーブしていたとは言え、英霊の尋常ならざる腕力によって振り下ろされた拳は寸分違わず少年の頭部を打ちその意識を刈り取る事に成功していた。

 

「あ、違っ……違うの!」

 

 くたりと崩れ落ちた彼の肢体が床に叩き付けられるその直前に、間一髪の所でトリスタンは体を滑り込ませて受け止める。

 そう、まかり間違っても彼女は少年を気絶させたかった訳ではない。

 ただ月の光が好きで日光が苦手なバーヴァン・シーは、それを言葉にして伝える事も出来ずどうにか引き留めようとしただけで、殴りかかったのもほんの照れ隠しのつもりだったのだ。

 しかし、「妖精騎士トリスタン」としての本性──即ち弱い者をいたぶり、道理を理不尽で捩じ伏せる残酷さは当人の意図せぬ形で発露してしまった。

 

「ごめんな……あぁ、ごめんなさい……!」

 

 力の抜けた少年をそっと床に横たえ、胸にそっと耳を当てれば──確かな鼓動。

 トリスタンが殴ったのは頭で心臓は全く無関係なのだが、動転するあまりにそんな事にすら気付けない。

 ただ少年にすがり付き、今までの傲岸さは何だったのかと思う程に弱々しく泣き崩れる。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……!こんな、こんなつもりじゃなかったの……!」

 

 トリスタンは、弱くなった。

 肉体が──ではなく精神が、である。

 少年に見せる我が儘な一面は「普段の自分」を取り繕った物に過ぎず、その本質は自己崩壊の寸前まで陥った壊れかけの魂。

 嫌われたくない、同じ悩みを共有して欲しい、しかし「皆の慰め者」であるバーヴァン・シーの本音を晒した所で受け入れられる訳が無い、見捨てられてしまうと言う思い込みが彼女に「見捨てる側」である妖精騎士トリスタンを演じさせているのだ。

 そしてそのトリスタンが引き起こしたのが、少年への不必要な暴力。

 求めれば傷付け、離れれば孤独に苦しむ現実に少女は泣いた。

 

「あ……?」

 

 だが、ああ──バーヴァン・シーは見てしまった。

 それを、見るべきではない物を、究極の背徳への入口を少年にすがり付いていたばっかりに発見してしまった。

 それは──首筋であった。

 先程までポロシャツの襟で隠れた少年の白い頸が、偶然から露になっていたのだ。

 

「あ、ぁ────!」

 

 ふと気付いた時、バーヴァン・シーは気絶した少年の首元に顔を寄せていた。

 スコットランドの伝承に伝わる「吸血妖精」としての本性が、彼女にその伝承通りの行動を──血を啜らせようとしているのだ。

 どうにか抗おうとして、体を引き剥がそうとして、しかしどうにもならない。

 

 だって彼女は自分を見失ってしまったのだから。

 トリスタンとしての自分を主柱に据える事も、バーヴァン・シーとしての己に素直にもなれず両者をさ迷っているのであれば、本能が理性を上回るのは当然と言えよう。

 そして────

 

 

 

「嫌いに、ならないで……!」

 

 

 

 堪えきれぬ衝動に突き動かされるまま、ボロボロと涙を溢しながらバーヴァン・シーは少年の首筋に鋭い歯を突き立てた。

 自らがどうしようもない呪いをかけようとしている事に、気付かずに。




◯妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
既に精神の乖離がヤバい所まで来てるヤバい妖精。
多分メンタルケアが必要だと思うんですけど(凡推理)
今のところ6章後半がどうなるか分からないのでアレですけど取り敢えず想像で補える所は補っていきたい。


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第5話「限りある休日、我が家にて(中)」

ボーイミーツガール杯が終わりました。
どれもとても面白い作品だったと思います。

それはそれとしてまだ続きます。


「ごめんなさい」

 

 知らない──多分、顔も会わせた事の無い人だと思う。

 何故か靄のかかった視界では天井の模様すらハッキリと見えないし、声音だって恐らく聞き覚えはない。

 

「ごめんなさい」

 

 でも、誰かがいる。

 見知らぬ少女が、泣いている。

 喉を震わせて、半ば過呼吸に陥りながらも必死になって謝っているのだ。

 

「ごめんなさい」

 

 何に、だろう。

 誰に、だろう。

 全く分からない。

 手足を動かそうとしても、口を開こうとしても全然上手くいかない。

 全身タールに漬け込まれたみたいで、脳味噌がどれだけ指令を出そうとちっとも言う事を聞きやしなかった。

 あぁ──何と不甲斐ない。

 色白のひょろひょろで1ミリも頼れる要素のないもやしだったとしても、この日本に男として生まれたにも関わらず泣いている女の子1人慰められないとは一体どこまで情けないのか。

 

 畜生。

 間抜けめ。

 役立たずの意気地無しめ。

 叱咤激励、と言うよりは自分自身への罵倒を滅茶苦茶に繰り返しながら何度も起き上がろうとするけれど、結局指1本動かせない。

 肝心な時ばっかり、体が動かないんだ。

 寧ろ徐々に視界は暗くなりなる始末で、そんな最中にも謝罪はつづいていた。

 

「ごめんなさい」

 

 誰でも良いから、この声の主を許してあげて欲しい。

 彼女の事情は全く知らないけれど、ひょっとしたら彼女が何かしでかしてしまったのかもしれないけれど、真に償う意思のある者が赦されないなんて事は無い筈だ。

 それに、こんなに必死になって謝っているじゃないか。

 苦しそうに嗚咽しながら、しどろもどろになりながら、何度も何度も謝罪を繰り返しているんだからいい加減に赦してあげたって、罰は────

 

 

 

「嫌いに、ならないで」

 

 

 ────なんだって?

 

 いや、そんな。

 ちょっと待ってくれ。

 それは、それは話が違うだろう。

 顔も分からない、でも時折視界にちらつく「赤」が印象に残る彼女は何か悪い事したから謝っているんじゃないのか。

 誰にでも起こし得る失敗に、不備に罪悪感を感じているんじゃないのか。

 

 でも、もし違うのだとしたら。

 彼女が()()()()()()()()()()、己の一挙一動に罪を感じ責めているのだとしたら。

 赦す赦さないだなんて、僕はとんでもない勘違いを────

 

 

 

 

 

 

 

「────あ」

 

 得体の知れない切迫感に堪え切れなくなったその瞬間、視界が輪郭を取り戻す。

 パッと突然戻ってきた色彩は天井の白、窓枠の灰、そして射し込んでくる陽射しの黄。

 あぁ、これは自分の部屋だ、と思い出した途端に思考も再び動き出す。

 

 そう、確かいつも通りに絵を描きに行こうとしたのだ。

 晩夏の向日葵、蒸し暑い空気とそれを洗い流すような風、この田舎では然程珍しくないけれど、やはり大切な人の手が入っていない自然。

 それらを出来るだけ画用紙の中に収めて、形に残して、「何の個性も無い人間なんかじゃない」と証明しようとして──

 

「殴られたんだっけか」

 

 そこで我らがスピネル嬢の抵抗にあった。

 そもそも僕は付いてこないモノだと思っていたのだが、やれ暑すぎて死ぬだの日焼けしてしまうだのと散々ただをこねた挙げ句に、拳と言う物理的手法で沈黙させられてしまったのだ。

 こうなってしまうと彼女の格付けを「我が儘貴族令嬢」から「我が儘暴力貴族令嬢」へとランクアップせざるを得ない。

 ランクアップしたから何かある訳でもないし、ただ此方の警戒が強まるだけだが。

 

 しかし思い返してみれば、拳1発で人を気絶させられるだなんて凄まじい馬鹿力だ。

 それでいてたんこぶにもなっていなければ、痛みも全く感じない。

 ひょっとしてあれか。

 スピネル嬢はああ見えて武術──いや、指先で皮膚を裂くとかやるんだから暗殺術かもしれないけれど、そう言った類いの何かしらを修めているのだろうか。

 昨日の風呂トラブルとか今日の格好から確認した限りではかなり華奢でそんな筋肉が付いている風でもないし、恐らくはその線が濃厚だと思う。

 

 で、それを「外に出たくないから」で僕に行使した、と。

 

「いや、やべぇなアイツ……」

 

 いやホント、語彙力がまるで足りないけど間違いなくやべぇヤツだ。

 朝食の時も思ったけれど、彼女の母は一体どういう教育を施しているのだと声を大にして問い掛けたい。

 見た目からするに僕と同じか少し上位の年齢で、大して賢いとも思えない僕より精神が幼くて、されど武術と知識は桁外れ。

 少し触れただけでも分かるくらいにスピネルは歪だ。

 

「家庭環境、大変とか言ってたもんな……」

 

 昨日、向日葵畑で「家庭の事情」とか語った彼女の様子を思い起こす。

 根拠は全く無いけれど、多分その言葉に嘘はない。

 単純に僕が信じたいだけでもあるが、スピネルは脅しに使う時でも家庭環境について口に出した時は真剣そのものだったように思える。

 付け加えるならば、家族旅行は今回が初めてとも言っていた筈だ。

 

 とすると──あまり想像したくはない話だが、スピネルの親は俗にモンスターペアレントと言うヤツなのかもしれない。

 別に教育に詳しい訳ではないので何か専門家みたいな事が言えたりは全くしないが、親が良かれと思って過剰な締め付けを行った事で逆に子供の精神を歪めてしまうなんて話はテレビとかでもよく見るだろう。

 彼女もそんな環境に置かれた子供の1人で、折角初めての家族旅行に来たのにそこでも締め付けに遭って色々と嫌になってしまった──とか、いかにもありそうな感じだ。

 

 なら、どうすべきなのだろうか。

 追い出すのは酷だと思うけれど、このまま居候させてもきっとスピネルの為にはならない──ような、気がする。

 

「……いや、止めとこ」

 

 まぁでも、全部邪推だ。

 僕が勝手に想像しているだけで、ホントは好きな物を買ってもらえなかったとかその程度の可能性の方が高いに決まってる。

 まぁどんなに長くても後何日かあればきっと落ち着いて、帰る気になってくれる筈だ。

 

「よっこいしょっ……と」

 

 天井を眺めながらぼんやりと物思いに耽るのも止めだ。

 取り敢えずは(何処にいるか知らないけど)スピネルの顔を見に行こうと、上体を起こして────

 

 

 

「あ」

 

 音を立てぬようそっと扉を開こうとしていた彼女と、目が合った。

 左手には冷蔵庫から持ってきたらしい大量の保冷剤と、それらを包んだ青いタオル。

 

「────」

「────」

 

 僕もスピネルも、動けない。

 何と言えば良いのか、どうリアクションすれば良いのか。

 詰まる所、こう言う間の悪さの極致に陥った時どうすれば良いのかまるで分からないのだ。

 

 ただ。

 ただ、もしこれが自惚れでないとするならば。

 あの傲岸不遜の擬人化が僕を殴った事に何らかの罪悪感を覚えていたとするならば、ひょっとすると──

 

「手当て、してくれたの?」

「──ッ!」

 

 恐る恐ると言った風体の問いかけに、スピネルの肩が大袈裟に跳ねた。

 どうやら正解らしい。

 それに、そうだ。

 気絶した人間が一人でにベッドまで歩く訳がないし、僕を此処に運んでくれたのもきっと彼女だろう。

 

「ぁ、ありがとう」

「──ぇ」

 

 ちょっと吃りながらも率直に礼を言えば、またしても肩が跳ねた。

 それどころか今度は視線を忙しなく行ったり来たりさせ、頬を赤らめ、自由になっている右手で自らの赤髪を弄り始めたではないか。

 ヤバい、めっちゃ可愛い。

 これで殴ってこなかったら惚れてたと思う。

 

 と言うか、正直ビックリだ。

 昨日今日の付き合いでこう言う事を言うのもアレだが、スピネルがこんな可愛らしい一面を持っているだなんて思いもしなかった。

 他人を傷付ける事を何とも思わないし、自分を中心にして世界は回ってる──なんて本気で思ってそうな彼女が、よもや「うっかり気絶させてしまった相手に罪悪感を感じて萎らしくなる」だなんて、信じられるか?

 少なくとも僕は今さっきまで信じてなかったし、昨日の僕に言えば鼻で笑ってしまうような驚きの真実だ。

 

「ねぇ」

 

 ──と、そんな風に観察をしていたら不意に我に返ったらしいスピネルが、意を決したような表情で口を開いた。

 

「なに?」

「今日はもう、ね?外に出るの、止めておきなさい。殴ったのは、その……私が悪かったから、休んだ方が良い、と思うの。それに昼ももう、過ぎてしまったのだし」

「へ……?」

「な、何だよ。何か、おかしい事でも言った?」

「いや、おかしくないけど」

 

 おかしくない。

 そりゃ全然おかしくないさ。

 でも本当に、手当てしてくれただけでもビックリなのに自らの非を認めるような発言をするだなんて、一体どういう風の吹き回しなんだ。

 これまでの彼女は、非があると悟ってもそれを口に出すような事はしないと思っていたのだが。

 明らかに慣れない事をしているのは、一目で分かる。

 しどろもどろで、ちょっと喋るごとにつっかえて、灰の瞳を伏せながらボソボソと話す様子は「無理している」以外の何物でもない。

 

「明日。あ、明日なら付き合うから。絵を描きに行くのも全然悪くないと思うの」

「いや、うん。一旦落ち着こう?」

「昼御飯、作ってみたの。あなたが昨日作ってくれたカレー?とか言うのを真似してみて……」

 

 そんな事を考えている間も目をぐるぐるにしたスピネルの暴走は続くし、制止しても止まらない。

 ついでにこっちの話を聞く素振りも無い。

 何だ、本当にどうしちゃったんだ。

 そもそもからしてスピネルは色々と訳が分からないけど、今はとびきり彼女の事が分からない。

 

「────ぅ」

 

 と、不意に何か──むずむずとした痒みが湧き上がってきた。

 場所は、首。

 中心からちょっと右側、縦に2つ。

 蚊にやられたかと思って擦ってみるも、特に虫刺されとかそう言う類いのモノが指に触れる感触はない。

 

 でも、何だ?

 上手く言葉には出来ないけれど変な感じがする。

 そう、蚊に刺されたと言うよりは獣に甘噛みされたような────

 

「おい」

 

 突然頭を掴まれて、力任せにぐいと右を向かされる。

 そして視界一杯に()()()不機嫌なスピネルの美貌が飛び込み──

 

 

 

「私の作ったカレーが食えねぇってか?」

「は?」

 

 

 

 新たな危機が飛び込んでくる。

 そうだ、虫刺されの事なんか考えてる場合じゃない。

 この高慢ちきで、見るからに料理をした事の無さそうな少女は何と言ったのか。

 聞き間違えでなければ「カレー」と言ったような気がするのだが、空耳だろうか。

 いや、寧ろ空耳であってくれ。

 頼むから。

 片付け増えるだけならまだしも、台所が惨事になっているかもしれないから。

 

 

 

「ごめん何を作ったって?」

「カレーよ」

 

 

 

 大変残念な話だが、どうやら神は死んだらしい。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 まず最初に、口の中に広がったのは何故か苦味だった。

 

「ぐっ────!?」

 

 スプーンの上に載った「ソレ」を口に運んで尚悲鳴を噛み殺した少年は、きっと今世紀の誰より称賛されるべきだろう。

 何せそれは半固形で、所々黒く焦げ付いていて、滅茶苦茶にスパイスを振りかけられた料理のような何かだった。

 普通の人であれば先ず食べないと思われる、食への暴力であった。

 

 ──そしてその物体を、少女は「カレー」と呼称した。

 

「ねぇ、ねぇ。どうかしら、美味しく作れた?」

 

 しかし、「カレー(仮称)」を製作した赤髪の少女は顔を真っ青にした少年の苦境に気付く事はない。

 と言うのも、少女──妖精騎士トリスタンは魔力で肉体を構成された英霊であり、人の世とは根本的に異なる世界に生きる妖精だったからだ。

 要するに()()彼女にとって食は必要不可欠な行為ではなく、空腹を覚えれば満たせれば良いと言う考えが根差していたのだ。

 そして、彼女に染み付いた「かつて」の記憶。

 思い出すのも憚れる話だが、その日食べる物も満足に与えられなかった()()()で生きていた時バーヴァン・シーは飢えを満たせれば何でも良かった。

 

 つまり、トリスタンは料理を知らない。

 ノウム・カルデアで赤い弓兵渾身のレパートリーを並べられようと、「美味しい」と感じるだけで其処に凝らされた工夫にはまるで頓着しなかったのだ。

 その結果が今、此処にある。

 トリスタンが見よう見まねで作ったカレーは、明らかにカレーとしての要件を満たしていなかった。

 

「美味しい、よ。うん、美味しい……グリーンカレー、かな?」

「あ、何言ってんだお前。どう見たってお前が作ったのと同じモンだろ」

嘘だろ……

 

 更に質が悪いのは、余程自分の手際に自信があったのか一切味見をせずに少年の分だけ作った事である。

 トリスタンの味覚そのものは正常なのだ。

 だから味見をするか、自分の分も作って一緒に食べるかすればまだ異常性に気付けていた筈だが──それを怠ってしまったばかりに、少年は百面相をしながらカレーらしきモノとの激闘を繰り広げる羽目になっている。

 

「な……何か、やけに上機嫌なんだな」

「あら、そう見える?」

「明らかに上機嫌だろ。朝の自分を思い出してみろよ」

「あれは……外に出るとか言い出したお前が悪いだろ?」

「そうですか……」

 

 しかし──今の彼女は上機嫌なんてレベルではない。

 頬杖を突いて少年の食事を眺めるその美貌は嗜虐ではなく慈愛に満ちているように見えるし、机の下では靴下も履いてないありのままの素足を頻繁に組み換えている。

 その喜びようと言ったら、さして付き合いが長い訳でもない少年ですら上機嫌だと看破出来る程なのだから普段の彼女を知るカルデアの者達が見れば目を剥いて卒倒するだろう。

 そう、カルデアでは体験した事の無い経験だった。

 

(なんだ──誰かに施すってのも、中々悪くないじゃない)

 

 妖精騎士トリスタンは誰かに物を与えない。

 ワガママでサイテーで、徹底的に誰かから奪う事でしか喜べないのが彼女の本性だ。

 妖精バーヴァン・シーは誰かに物を与えない。

 寂しがりやで曖昧で、徹底的に誰かから与えられる事でしか喜べないのが彼女の本性だ。

 けど、そのどちらでもない「スピネル」なら与えられる──のかもしれない。

 それが一切思い遣りの無い、卑劣な自己満足だったとしても。

 

(カルデアより気持ち良い、かも?)

 

 故にこそ、彼女はこの一軒家に居心地の良さを覚えているのだ。

 妖精騎士としての自分を脱ぎ捨て、サーヴァントとしての自分を脱ぎ捨て、ただの一個人で居られる事の楽しさを少女は徐々に知りつつあった。

 

「──?なに?」

「何でも?」

 

 ニコニコと、まるで人が変わってしまったかのように微笑を湛え少女は少年を見詰め続ける。

 その異常性に、カレー擬きと戦っている少年は気付けない。

 少女自身すら気付いていない。

 

「お代わりもあるから、じゃんじゃん食え☆」

「あい……」

 

 トリスタンは──否、ただのスピネルは間違いなく上機嫌だった。

 キラキラと煌めく灰の瞳は、もう自分すら見ていないけれど。




◯少年
黒髪黒目、特に語る所のない普通の田舎少年。
特に秀でてる所もないし、察しも良くない。
察せるかが今後の鍵。

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
メンタルボロッボロ。
トリスタンもバーヴァン・シーも止めてただのスピネルになれば楽になれるのかな、とか思ってたりする。


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第6話「限りある休日、我が家にて(下)」

どんよりした話。


 蝉が鳴いている。

 奇跡的に晩夏まで生き残った最後のざわめきが、開け放たれた窓から弱々しくも無遠慮に飛び込んでくる。

 そんな雑音にも等しい喝采を受ける少女は──コルクボードに貼られた写真を摘まんで、ポツリと呟く。

 

「仲良さそうね、あなたの家族」

 

 思いの外鋭く通った言葉に苦々しい思いを抱きつつ、僕は「そうでもない」と答えた。

 スピネルは面白くなさそうに鼻を鳴らすけど、別に悪ぶっている訳でも格好付けている訳でもなく、本当に──「そうでもない」のだ。

 確かに写真に写っている僕と父と母の3人は如何にも仲良さ気に笑っていて、幼い僕と父は肩まで組んでいるけれど、今はとても出来そうにない。

 

「多分、それが一番仲が良かった時の写真だと思うよ。まぁ、今の家がどんなかは朝のお袋見てたら察しが付いちゃうだろうけど」

「ふぅん……原因は?」

「分かんない。多分、ちゃんとした理由は無いと思う」

 

 写真から此方に目線を移しつつ曖昧な言葉を糾弾するスピネルに、僕は答える。

 そうさ、原因も時期も──「その日、これが理由で」なんて言える程明確なモノは何もなかった。

 父が単身赴任していたって、母が忙しくたってあの頃は皆笑顔だった筈なのに、今では家に冷えた空気が漂うようになって「おはよう」すらマトモに言えなくなってしまった。

 

「多分多分って、ハッキリしねぇな」

「僕もそう思うよ」

 

 彼女の言う通りだ。

 何でだろう、どうしてこんな風になってしまったんだろうと考えていても、僕の平々凡々な脳味噌ではキチンとした答えは出てこなかった。

 だから曖昧な事しか言えないし、気温とは種類の異なる冷えきった空気もそのままにしていた。

 けど──問題の中心に潜むモノは、既に見えている気がする。

 

「多分、僕だよ。僕が中学に入ったからこうなったんだ」

「……?中学に入るとなんで家庭が冷えるのよ」

「中学に入るって事はさ、高校まで後3年──義務教育が終わるってこと」

 

 つまりは、高校受験が視界の隅にチラつき始めるようになると言う事。

 そこまで言い切ってから「あぁ、スピネルは外国人なんだから日本の受験事情なんて知らないよな」と気付く。

 彼女は彼女で相当大変なんだろうけど、こんな面倒で鬱屈とした問題に関わらなくて良いなら──それもまた、ある意味では幸せなのだろうか。

 等と考えている内にも、舌は勝手に回り続ける。

 

「親父もお袋もハッキリとは言わないけどさ、多分都会の学校に行って欲しいと思ってるんだよな」

「……」

「こんな何時潰れるかも分からない、消えてなくなる未来しか見えない田舎に閉じ籠ってるんじゃなくて、もっと広い世界を見て欲しいって──そう思ってる」

 

 きっと、両親の言っている事は正しい。

 僕に何の才能があるかなんて知らないけれど彼らはそれを見出だしていて、或いは純粋に息子をクソ田舎で終わらせたくなくて、東京の私立校を受けさせようとしているのだろう。

 非の打ち所なんて1つも無い、真に子供の事を考えているからこその選択だ。

 ただ────

 

「僕は嫌だった。と言うより、まだこのクソ田舎でやれる事が残ってるんじゃないかって思ってる」

「……」

「やり残した事が、やりたい事がある筈なのに、それに見て見ぬ振りをして他所に行っちまうなんて嫌なんだ」

 

 確かに此処はクソ田舎だ。

 観光資源になるモノなんて何一つとしてなければ都市として栄えるだけの何かがある訳でもない、正真正銘何もない虚無みたいな土地だ。

 現に人口は毎年減っていって最近は殆ど爺婆しか見かけないし、隣町と併合する話なんてそれこそ毎日のように出てくる。

 そう遠くない内に村としての名前は消えるだろうし、ちょっと時間が経てば廃村にだってなりかねない。

 そう言う「終わった」村なんだ。

 でも、だからって生まれ育った故郷をポイと捨てるなんて出来る訳がない。

 そりゃ何にも無いのは事実だしマトモな建物と言えば公民館位な物だが、僕を育んでくれた自然はある。

 人はいないし特に若者はいないけど、やたらフレンドリーな爺婆はいる。

 クソと言えばクソだけど、簡単に出ていく程悪くはないじゃないか。

 それに────

 

「後、絵を描くのが楽しい」

 

 ああ、そうだ。

 絵を描くのが、心底楽しいんだ。

 夏休みに何もしてないのが嫌だからって偶々ネットで見掛けた絵に触発されただけの、すぐ飽きてしまう趣味だと思っていたのに──ぶつくさ言いながら向日葵畑に行くのが習慣になった。

 何を書いているのかも分からないぐちゃぐちゃの塊が向日葵の形になって、筆の扱いとか色合いの調整が上手くいくようになって、最初は正面からしか描けなかったのが色んな角度から書けるようになった。

 この村の全部を描いてみたいって思う程没頭していたんだ、今更のように。

 

「中三の夏ってさ、受験勉強頑張んなきゃいけない時期なんだ。此処でしっかりやらなきゃ良い学校には受かれない」

「……でも、お前」

「そりゃ最低限はやってるよ。でも、東京に行けるような成績じゃない」

 

 単身赴任の都合上どちらかと言えば放任よりな父は兎も角、これで母が良い顔をする訳がない。

 けれど、どういうつもりなのかは知らないが母は何にも言ってこなかった。

 中学に上がってからは殆ど顔を合わせないけれど、たまに話す時だってよく分からない感情を孕んだ視線を向けてくるだけだ。

 これも、考えてはみたけれど理由は分からなかった。

 

「色々ぐちゃぐちゃになっちゃって……何が正しいのかもう分からん」

 

 要するに、何も分からないのだ。

 親が何を考えてるのか分からないし、自分が目指すべき最善の着地点も分からない。

 分からないから動けない。

 色々と長ったらしく語ってしまったが、結果的にただそれだけの話。

 

「……」

「……」

 

 沈黙。

 傲岸不遜が人の形を取ったようなスピネルも、これには閉口せざるを得ないらしい。

 そりゃあそうだ。

 こんなクソ詰まらなくて1ミリだって為にならないような家庭の事情を聞かされたって、何も返せる訳がない。

 じゃあそもそも話さなければ良かっただろう、と言う話にもなるが──もう喋ってしまった後なのだから仕方ない。

 覆水盆に返らず、過ぎた事は取り敢えず脇に置いておいて先ずはこの空気をどうにかすべきだ。

 

「じゃあ、はい」

「なに?」

「次、夢の話どうぞ」

 

 と言う訳で────スピネルには自分の夢を語って貰おう。

 僕1人だけが恥ずかしい思いをするなんて、幾ら何でも理不尽が過ぎるだろ?

 ついでに言えば彼女は究極的に自己本位だが、それ故にピュアな感じの夢を持っていそうで結構気になる。

 そう言う思いを籠めて話を促す事約5秒、漸く何を言いたいのか理解したらしいスピネルの顔が真っ赤に染まった。

 

「え……は?何、私も恥ずかしい思いしろっての?」

「うん」

「うんじゃねーよ!?」

「いや、だって、ほら……居たたまれないじゃん。主に僕が」

「知るか!」

 

 彼女はぎゃあぎゃあと騒いでいるが、何と言われようと逃がすつもりはない。

 自分でこう言う空気を作っといてアレだけれど、本当に居たたまれないのだ。

 挙げ句脅迫してくる居候に身の上話をしてちょっと憐れみの入った目線を向けられるなんて、無様にも程がある。

 だから、お高く止まるもりのスピネルには悪いが同じレベルまで落ちてもらうじゃないか。

 

 ただ、家庭事情とかそう言う部分に踏み込む気はない。

 そこそこ自分語りをしておいて何を今更と言う話ではあるが、どうも彼女の家庭は一筋縄では行かなそうなのだ。

 話してくれるなら人並み程度に力を貸すのも吝かではないけれど、安易に手を出して余計掻き乱してしまったら本末転倒だろう。

 故にこその、夢。

 曖昧であっても誰もが持っている筈の理想なら、お互い恥ずかしいだけで済む。

 

「だ、大体夢って何よ!?そんなもん語らせて何になるんだよ、あぁ!?」

「君も居たたまれない気持ちになる」

「クソだなお前!」

「女の子がクソとか言うんじゃないよ。高貴なんだろ?」

「ぐ、ぬ……!」

 

 適当極まりない煽りを受けたスピネル嬢は拳を握り締め、プルプルと震えているが──甘い甘い。

 昨日からの経験だが、基本的に彼女が己の主張を通す時は暴力か抑圧が伴うらしい。

 居候脅迫然り、外出妨害然りその「強さ」を用いねばスピネルは他人を従わせられないのだ。

 即ち、対等な立場での口論──いや、レスバに弱い。

 付け加えるならば、凄まじく偉いお貴族様であるからか煽り耐性も無い。

 間違いなくSNSとかをやらせたらダメなタイプだ。

 

「ほれほれ、言ってみなさいよ」

「言わねぇよ!」

「言い方がダメだったか」

「そう言う問題じゃないわよ!?」

 

 で、あるが故に気質の激しさを利用するのも簡単。

 成功すればスピネルの夢が聞けるし、失敗しても湿った空気は吹き飛ばせる。

 どう転んだって良い事しかないのだ。

 

「えーでは改めて─────」

 

 だから────

 

 

 

 

 

「君の夢って、なに?」

 

 

 

 

 

 僕にはまるで見えないモノを、君の言葉で教えて欲しい。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 開け放たれた窓の向こうで、鈴虫が鳴いている。

 ついさっきまで鬱陶しい位にミンミンとがなり立てていた蝉はどうしてしまったのだろう、と赤髪の少女──スピネルは射し込んだ月光を浴びながら現実逃避に走っていた。

 

「……」

 

 スピネルは月の光が好きだった。

 太陽の様な全てを塗り潰す輝きも、服ごと全身を溶かしてしまいそうな熱も無い。

 ただ其処にあって、ただ光を注いで、ただ此方を見下ろされれば余計な事を考えずに済む。

 詩的に述べるならば、そう言うある種の「冷たい」感じが彼女は好きだったのだ。

 

 ただ──今日は、そうもいかなかった。

 

「何やってんのよ、私……」

 

 募る鬱憤が、拳に力を込めさせる。

 行き場の無い諦念が、無意味に歯を食い縛らせる。

 どれだけ月光に身を曝そうと、どれだけ雑念を取り除こうと試みても何も変わらない。

 今夜のスピネルは──ある事情から限りなく「トリスタン」に近く、「バーヴァン・シー」にも近かった。

 何故なら────

 

「夢、夢って馬鹿みたいに……!」

 

 夢。

 そう、夢だ。

 妖精騎士トリスタンには夢がある。

 この世界のどんな優れた靴よりも優美な1足を、とびきり美しいヒールを備えた靴を作りたいと言う真摯な夢があるのだ。

 だが、それを他人に打ち明けたりするつもりはなかった。

 確かにノウム・カルデアの皆にも靴好きである事は既に知られているし、別に言ったとしても笑われたりはしないだろう。

 スタッフやマスターも含めて、彼らはそう言う誠実な集団だ。

 そして、だからこそ惨めにもなる。

 

「畜生……!」

 

 トリスタンの靴作りに対する姿勢に関して疑う余地は無い。

 傲岸不遜、傍若無人を地で行く彼女だが靴作りに勤しんでいる時だけは静かだったし、必要があればサーヴァント達に教えを請う事すらある。

 誠実そのもの、職人そのものだが──もしその根底にあるのが承認欲求だとしたら。

 ただ好きな物を褒められたくて、そして()()()()()()()()()認めて欲しいだけなのだとしたら──これ程の未熟者は、世界中の何処を探してもいるまい。

 浅ましいにも程がある。

 今の自分では夢を語る事すら烏滸がましいと、トリスタンのプライドは己を戒めていた。

 

 それが、なんだ。

 煽てられて、挑発されて?

 ムキになった挙げ句にうっかり言ってしまったと?

 

『……靴』

『靴?』

『皆に褒めて貰えるような、すごい靴を作りたいの……』

 

 あの一瞬を思い出す度に虫酸が走る。

 妖精騎士トリスタンはザンコクでサイアクでサイテーでなければいけないのに、あれではまるで純真な幼子ではないか。

 でも、でも────「普通の人(少年)」はそれを褒めてくれたのだ。

 

『え、凄いじゃん……!靴作るのって結構大変……って言うか職人技だろ!?』

『え、ぁ……?』

『何だよ、滅茶苦茶渋るから人に言えないような趣味してんのかと思ってたけど……いやマジでスゴいって!もっと自信持てよ!』

『ぁ、うん……』

 

 それは──周囲に「特別」が溢れていたカルデアでは決して得られぬ、未知の快感だった。

 逃げ出すまでは全くの無価値だと思っていた凡俗から貰った称賛が、「トリスタン」に新たな活力を与えた。

 正真正銘平々凡々な少年の言葉だからこそ、物質的な形を伴わない依存性抜群の()()()ともなる。

 

 そして、それ故に──いきなり()()()を大量摂取した彼女は、ツケを払わされるのだ。

 

「頭がい、たい。痛いの……!」

 

 カルデアにいた頃はまるで感じなかった、軋むような痛みが突然頭に走った事で堪らず妖精は悲鳴を上げる。

 トリスタンと(肯定された)バーヴァン・シーと(肯定された)スピネル(肯定された)

 3つの「自分」全てを少年の意図せぬ行為で肯定され何れに依って立つべきなのかを見失った少女は、頭を抱えて悶えるしかない。

 それだけならまだしも──追撃は止まらなかった。

 

 

 

ああ、何と滑稽なのだろう

 

哀れで惨めな■■■■■・■■

 

たった1人の没個性

 

褒められないし見向きもされない()()()()()

 

 

 

 記憶が、過る。

 自己肯定とは、過去と今の己を比較してその差を認めること。

 それ故に笑い者にされた記憶が、慰み物にされた記憶が、捨てられた記憶が、命すら弄ばれた記憶が、忌々しい過去が精神(こころ)の中を這いずり回っては嘲笑う。

 

「違う、違う違う違う違う違う……!」

 

 ずきずきと思考を蝕む頭痛に苛まれながら、妖精は何度も否定の言葉を口にし──気が付けば、少年の部屋へと繋がる木製のはしごを転がるようにして駆け下りていた。

 しかし結構な音が鳴った筈と言うのに、少年はまるで目を覚まさない。

 薄いタオルケットに包まれてすやすやと眠りこけているその面を拝んで──名前を失った妖精は、笑顔とも憤怒とも付かぬ歪んだ表情を浮かべた。

 

「おまえ……お前は……ッ!あなただけは────」

 

 絞り出すように漏れた声音も、日中の彼女からは信じられない程に濁っている。

 そう、此方の事情を知ろうともせず穏やかな寝顔を晒している様が、怒りに震える(歓喜に震える)妖精にとっては堪らなく憎らしい(愛おしい)のだ。

 バーヴァン・シーとスピネルの心は既に満たされもう後は無かった筈なのに、何て事はない少年の「凄いじゃん」に最後の砦であったトリスタンの心は救われ、同時に破壊されてしまった。

 故に────少女が口を開く。

 

 

 

「離さない」

 

 

 

 飛び出したのは、特大の呪詛。

 執着に満ちた、独占欲に満ちたおぞましい4文字を妖精は少年の耳元で何度も囁く。

 甘ったるい声、媚びるような声、戒めるような声。

 どの瞬間を切り取っても、聞いた瞬間に人を溶かしてしまいそうな言葉を呑気にも寝息を立てている少年に振りかけ、己の存在をアピールし、あなたがいなければ()()になってしまうのだと責め立てる。

 だが、これも彼が寝ているからこそ許された事。

 本性を見せれば嫌悪される事は必至だろうから、朝になったら高慢で高貴な「スピネル」に戻らねばならない。

 

「あはぁ────」

 

 その残り何時間かも分からぬ歓喜の時間を堪能する為、今一度少女は口を開く。

 ただし、今度は唾液でドロドロの口腔を見せ付けるように目一杯。

 

「────♪」

 

 妖精は得意気に鼻を鳴らしているが──あぁ、何と恐ろしい光景だろう。

 そもそもからして唾液とは食物を湿らせ咀嚼、嚥下し易くする為に分泌されるモノであり、捕食の際に最も分泌されるモノなのだ。

 つまり妖精は捕食者で、少年は獲物。

 貪り喰われる運命にありながら、彼は迫る脅威に気付きすらしていない。

 そして────

 

 

 

 

「お前に()を、刻み付けてやるよ」

 

 

 

 

 少女の牙が今一度、しかし朝の時より遥かに深く無防備な少年の首筋へと突き立てられた。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 2  目 〕

 

 

あなたの話、君を壊す呪い

 

 

限りある休日、我が家にて

──×──

"The Grimalkin plays around home."

▲▼▲▼▲




◯少年
・スピネルの事情を深く探らずただスピネルとして扱った。
・自分を殴ったバーヴァン・シーを責めなかった。
・トリスタンの夢を笑わなかったし、努力しようとする姿勢を肯定した。
スリーアウト、チェンジ。

◯妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー/スピネル
日中はトリスタンとバーヴァン・シーが良い感じに混ざったスピネルとして振る舞っているけれど、夜や少年がいる所では更に混濁したぐちゃぐちゃの状態になる。
後唾液は口内の清潔を保つ効果がメインらしいですね(無知)


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第7話「限りある才能、無駄遣いにて(上)」

後半解放による解釈違いを恐れつつ投稿です。


「────あ」

 

 何かよく分からないけど、滅茶苦茶首が痒い。

 そんな曖昧かつ意味不明な感想と共に目が覚めた。

 緩慢な動きでベッド脇の時計を見れば、無機質な液晶画面が7時半だと告げている。

 ここで一言。

 

「え……え?7時半?早くない?」

 

 そう、早い。

 これまでと比べて明らかに起床が早くなっている。

 母に何度言われても、何をされても朝の弱さが改善しなかったこの僕が誰の手を借りる事もなく8時より前に目を覚ましているのだ。

 これは最早奇跡と言っても何ら差し支えはない。

 何かしら人間的な成長を果たした訳でもないのに、不思議なモノである。

 まぁ原因として真っ先に思い付くのはスピネルだけれど、取り敢えず回りを見回しても誰もいないので今日はまだ起きていないらしい。

 

「……」

 

 と言うか──それよりもアレだ。

 マジで首が痒い。

 昨日もそうだったが、これは一体何なんだ。

 まだ鏡を見た訳でもないので何とも言い難いが触った感じでは腫れているような様子も無し、虫に刺されたのとも違う、非常に表現に困るむず痒さに目覚めた瞬間から襲われてる。

 確かにクソ田舎だから蚊やら虫にやらが跋扈してるのはそうなんだけど、痒み止めだってもう塗ったのに全然収まらないって明らかに何かおかしいだろう。

 ならダニかなぁと思ってみたりもしたが、スピネルが来た日に天井裏のヤツと合わせて布団乾燥機をかけたから違う筈だ。

 1日や2日でこんな強烈なダニが湧く訳あるか。

 

 それに、ただの虫刺されとは決定的に違う点が1つある。

 

「何か湿ってるんだよなぁ……」

 

 汗とは異なる、ぬめった感触。

 拭い取ってみても、粘ついているだけでそれが何なのかは分からない。

 しかし何か液体のようなモノが首筋にかかっている事は間違いないように思われる。

 正直に言って、不気味だ。

 凄い不気味だ。

 害は無さそうだが、このまま放置しておくべき問題ではない。

 

「……スマホで撮ってみるか?」

 

 ならば、直接確認してみるしかないだろう。

 そう、虫だろうが何だろうが画面に収めてしまえば同じ事。

 正体が分からないから怖いのであって、ゴキブリとか──はかなり嫌だけど下手人を捕捉してしまえば対策も用意だし、スピネルには悪いがこうなってしまった以上はバルサンを炊く事も躊躇わない。

 

 ただ、今この瞬間に打てる対策は全く無い。

 勝負は夜、スマホの電池が持つかは分からないが一晩中録画を敢行してから初めて話は始まるのだ。

 で、あるが故に────今は現実逃避を兼ねた行動を起こす。

 

「いや、取り敢えずスピネル起こすか」

 

 勢い良くベッドから跳ね起きて部屋のド真ん中に下ろしっぱなしの梯子に足を掛ければ、ギシリと木の軋む音が朝の澄んだ空気に響いた。

 現在、スピネルにはこれを登った先の屋根裏部屋で寝泊まりしてもらっている。

 一応扇風機はあるけれど、晩夏の蒸し暑さに太刀打ち出来ているかと言えばイマイチだろう。

 そんでもって、下から様子を窺う限りでは今もスヤスヤと寝息を立てている筈。

 

「……よし。行けるな」

 

 何をしたいのかと言えば、覗き見だ。

 勿論起こす、起こすともさ。

 ほんの数秒前に口に出した目的を忘れる程の阿呆ではない。

 だが昨日一昨日と散々な目に遭い続けているし、彼女は僕を脅して居候している訳だし、ほんの一瞬寝顔を拝む程度の仕返しはきっと許されるだろう──例えスピネル自身が許さないとしても。

 下世話だと糾弾する人もいればと愚行と嗤う人もいるだろうが、どうか止めないで欲しい。

 残念に思う──かどうかは知らないが、僕とて100人中100人が認めるであろう美少女の寝顔を見てみたいと思う位には欲望に満ちた俗物なのだ。

 

 そんな訳で物音を立てないように気を付けつつゆっくりと梯子を登り、ひょっこりと出入口から顔を出して────

 

 

 

「おはよう豚野郎☆」

 

 

 

 至近距離で思いっきり待ち構えていたスピネルの美貌に、堪らず転げ落ちた。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 3  目 〕

 

 

向日葵畑で、君と

 

 

限りある才能、無駄遣いにて

──×──

"The Grimalkin plays around home."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 完敗した。

 あぁ、完敗だ。

 もう本当に、ぐうの音も出ない程に完全なる敗北だ。

 しかもただの完敗じゃない。

 転げ落ちてひっくり返っている所を上から見下ろされ、その上ゲラゲラ笑われると言う追撃付きの史上稀に見る屈辱的な敗北を僕は味わったのだ。

 許すまじスピネル嬢。

 この恨みは100倍にして明後日位に多分返す。

 どうやって返すかはこれから考える。

 

 ──等と息巻いていたのが約40分前。

 

 結局あれからスピネルに「ざーこざーこ」とインターネット上でたまに見かけるフレーズで以て散々からかわれつつも料理を作り、洗濯機を回して、ついでに掃除機もかけて今──朝食に至った。

 何の問題も無く至った、のだが。

 砂糖を胸焼けする位まぶしたフレンチトーストやそこそこ厚みのあるベーコン、それにシリアルが並べられた机上に僕は頭を抱えた。

 

「うんうん、中々美味いじゃない。漸く私の好みが分かってきた?」

「……」

「おい、無視してんじゃねぇよ」

「いや、ダメだ……このままだと我が家の食生活が破壊される……!」

 

 スピネルは御満悦らしいが、此方としては納得し難いモノがある。

 と言うのも、我が家は──ごく一般的な日本人の朝食は、それに相応しい料理であった。

 目玉焼きをメインとして炊きたての白米に味噌汁、煮浸し等の副菜にバナナ1本を加えるバランスの取れた食事である筈なのだ。

 それが、何だ。

 スピネルのリクエストに応えてスマホを見ながら作ってみたものの、これでは和の要素が1ミリも感じられないただの洋食ではないか。

 一目見るだけでも栄養バランスと言う概念の欠如が明白で、その上歯が溶けるんじゃないかと思う位に砂糖をぶっかけられてしまえば食欲減退も已む無しである。

 

 ついでに言えば、食材消費の早さを誤魔化す為に母の目を欺く必要が出てきてしまったのも中々に面倒くさい。

 別に大して仲が良い訳でもないし欺く事自体は構わないのだが、その為にこの村唯一の商店まで出向かなければいけないのがげんなりするのだ。

 

「良いじゃない、別に。美味しいモン食って何が悪いんだよ」

「いや、まぁ、悪くはないけど……」

「そう言う事よ」

 

 ────どういう事だよ

 

 と口に出しかけたが、スピネルからすればそんなのは知ったことではないのだろう。

 その証拠に、所詮スマホ頼りの付け焼き刃とは言え慣れ親しんだ洋食が余程嬉しいのか満面の笑みでトーストを頬張っている。

 

 ……なら、朝食位は見逃しても良いのかもしれない。

 うん、きっとそうだ。

 女の子が笑ってるならそれに越した事はない。

 人情的な「正しさ」ってのは多分そういうモノだろう。

 そんな風に気取った事を考えながら、僕は漸くトーストに囓りついた。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

「……ホントに、行くのね?」

「うん」

「……ホントのホントに?」

「うん」

 

 最早分かりきっていた事ではあったが、少年を殴り倒したからと言ってスピネルの性根が正された訳ではない。

 で、あるが故に──彼女は今日も駄々を捏ねた。

 昨日と同じように玄関で、昨日と同じように腕を掴んで。

 

「いや、あの、嫌だったら付いて来なくても大丈夫だよ?」

「は?私をこのクソ詰まんねぇ家の中に置いてくってか?」

「人の家をクソ呼ばわりするなよ!」

 

 悲痛な叫びを上げる少年の言い分は尤もだ。

 嫌だと言うのなら態々同行せずにエアコンをガンガンに効かせた家に籠っていれば良いのだし、城とは比べ物にならないにしても生まれ育った家をクソ呼ばわりされる謂れはない。

 挙げ句「明日行けば良い」と当人が言ったにも関わらず1日でそれを反故にされたと言うのなら、苛立ってしまうのも当然だろう。

 

「あー、ま、何でも良いでしょ?」

「良くない!全然良くない!」

 

 が、しかしスピネルがそれを聞き入れる事は無かった。

 それどころか、少年にとっての第一印象──即ち傲岸不遜で得体の知れないイギリスのお嬢様として彼女は振る舞い続ける。

 

 何故か。

 少年から好かれる事を望んでいながら、何故敢えて嫌悪感を煽るような行動を取るのか。

 原因は、昨晩の行為にあった。

 

(見えるぜぇ……お前の苛立ちがよぉ……)

 

 そう、欲望の赴くままに吸血を行い渇きを満たしたバーヴァン・シー(スピネル)は、ついでとばかりに読心の魔術を彼に仕込んだのである。

 これによってスピネルが少年を視界に収めている限り、彼が考えている事は1から10まで筒抜けとなってしまっている。

 要するに今少年が鬱陶しさを感じている事も、今朝少し下品な欲を見せようとしていた事も、何もかも彼女に伝わっているのだ。

 

 だから、梯子を登った先でスピネルが待ち構えていたのもただの待ち伏せではなく、目覚める前から()()()()()()()()()()()と表現するのが正しい。

 あぁ、なんとおぞましいのだろう。

 歪んだ独占欲と猜疑心が発現させた、歪んだ愛情表現だが──此処まで来ると最早プライバシーの侵害等と言う領域の話ではない。

 

 更に性質の悪いのが、その()()()だ。

 スピネルが少年に仕込んだ魔術は魔術回路を持たない一般人にはまるで気付けないが、ある程度の水準に到達した魔術師ならば一目で看破出来てしまう程雑に刻まれたモノなのである。

 だが、これを発見した魔術師は従来の魔術とは異なる形態の「ソレ」に間違いなく恐れを抱くだろう。

 何せスピネルの魔術は人類が用いるモノと同一の名を関しておきながら、その根底は()()()()()()に教え込まれたモノなのだ。

 その異常性に賢い者は危険性を悟り、愚か者は手を伸ばしてスピネルに殺される──そう言うシステムが少年の預かり知らぬ内に形成されていた。

 つまり、スピネルは傲慢にも「コイツは私の物だぞ」と誇示しているのである。

 

(あなたは気にしないだろうけど、外に出れば私は────)

 

 だが、そこまでしても彼女の中から不安は拭えなかった。

 少年が誰かに見られる。

 少年が誰かに話しかけられる。

 少年が──そこから先は考えたくない。

 次々と思い付く可能性に、スピネルは耐えられない。

 

 そもそもからして美化するならば天真爛漫、ありのままで表現するならば傲岸不遜とも取れる態度を取るのは、彼女が()()()()()()()()からだ。

 虐げた時のみ褒められ、残虐性を発露させた時のみ称賛されていた彼女は、正しい愛され方を知らない。

 どうすれば他人から好かれるのか知らない。

 その果てに「ちょっかいをかけて自分に意識を向けさせる」と言う回りくどいにも程がある手法に出るしかない今がある。

 

(いや、嫌よ……嫌われたくない……!)

 

 しかし、それすらも本音の一部でしかない。

 今のスピネルは「もっと縛り付けてしまえ」と嘯く妖精騎士トリスタンと「もっと縛って貰えるようにするべき」と囁く妖精バーヴァン・シーの板挟みにされて自分も満足にコントロール出来ない、されどそんな現状を打ち明ける勇気も無い臆病で哀れな少女なのだ。

 だが────

 

「……」

 

 いっそもう一度殴ってしまおうか。

 撹拌される思考の中で、スピネルは不意にそんな事を思い付いた。

 そうだ、殴ってしまおう。

 また気絶させてしまえば外に出なくて済む。

 サウナみたいな空気に飛び込む事も、照り付ける日光に焼かれる心配も無い。

 それにベッドに運んでしまえば、また吸血だって出来る。

 

 良い事尽くめね、と心の中で呟いた少女は自分が何をしようとしているのかもハッキリしないまま、左手を拳の形にして────

 

 

 

「あーもうほら!時間無くなるから行くよ!」

「────!?」

 

 

 

 その手首を、少年の右手で掴まれた。

 掴まれて()()()()

 

「あ、ぁ────!?」

 

 スピネルの白い肌に伝わるは、少年の手のひらが放つ人の温かみ。

 フェイルノートで切り裂いた敵から噴き出す臓物の生暖かさとも、吸血の際に口腔を満たす血液の温さともまるで違う、皮膚に隔てられているからこそ感じられる生命の感触。

 

 これが────これがずっと欲しかったのだ。

 畏怖もない、嘲笑もない、ただあるがままに触れられるその実感をスピネルは渇望していたのだ。

 気紛れで殺戮を行っていたから妖精國では得られず、妖精騎士トリスタンとして振る舞っていたからカルデアでも手に入らなかった「何て事はない触れ合い」を、スピネルは手にしたのだ。

 

(やった──────!)

 

 訝しげな表情の少年を他所に、スピネルは心中で歓喜した。

 正しく狂喜乱舞と呼ぶに相応しい、感情の洪水だった。

 それなりに豊富な筈の語彙力は一瞬の内に死滅し、「やった」の一言が彼女の世界を埋め尽くして行く。

 そして、それ故に────

 

「ええ、ええ!行きましょ、何処へでも!」

「何処も何も花畑だからね?徒歩20分だからね?」

 

 花が綻ぶような笑みを浮かべたスピネルは、困惑する少年を引き摺って晩夏の屋外へと飛び出した。

 英霊である事を忘れ、見かけ相応の少女として。

 

 

▼▲▼

 

 

 

「────」

 

 それは、影法師だった。

 

「────」

 

 それは陽炎の向こうでゆらゆらと揺らめく、吹けば飛びそうな程薄っぺらい人型の「何か」だった。

 

「────」

 

 そしてそれは誰にも見咎められず、誰かを認識する事もなく消えていく筈の幻影だった。

 

「────」

 

 だが────道路脇の茂みで静止していた「何か」は、見た。

 

「ちょっ!?引っ張らないで肩抜けるってホントに!マジでどういう馬鹿力してんだよお前!」

「あはははは!サクサク歩かないお前が悪いんだよバーカ!」

 

 神秘の塊としか形容出来ない、凄まじい魔力を秘めた赤髪の少女を。

 軽やかにステップを刻む彼女に手を引かれ、ひぃひぃ言いながら走る平凡な少年を。

 

 

 

 

 

 

 

 ────そして彼に刻まれた、如何にも美味しそうな(まじない)を。




◯少年
だからアウトだっつってんだろ(憤怒)
なお、当人からしても女の子の手を掴むのはかなり踏み切った行為である模様

◯スピネル
チョロい
信じられない位超チョロい。
カルデアのマスターなら適切な言葉とか称賛とかくれそうだよねって話ではあるけどそもそもからしてぶっ飛んだヤツが多いカルデアで全員と満足にコミュニケーション出来るのは異常な才能だと思うの。
トリスタンはそういう「オンリーワン」な輩からの称賛では満足出来ない、酷い言い方をすれば贅沢な少女である。

加えて今回は自分が「トリスタン」でも「バーヴァン・シー」でもない曖昧な状態である為に気安く相手の心を無視したような行動に走りがち。


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第8話「限りある才能、無駄遣いにて(中)」

6章がさぁ
6章がさぁ!(語彙力死滅)


「ここね」

「ここだよ」

 

 何故かは知らないけれどやたら上機嫌のスピネルに引っ張られ相も変わらず炎天下の道路を往く事大体20分、ここ1ヶ月ですっかり見慣れた「この先向日葵畑あります」の看板が姿を現した。

 成る程、よく考えてみればこのボロッボロで錆び付いた汚い板切れが僕の人生を大きく転換させた訳だ。

 絵画を始めて題材を探していた時に偶々この看板を見付けたから、今がある。

 雨の日以外は毎日(昨日は休んだけれど)通い詰めて絵を描くようになったのは向日葵畑があるからだし、向日葵畑に行かなければスピネルと出会う事もなかった。

 それが良い事なのか悪い事なのかは全く分からないけれど、良い方であって欲しいな、とは思うが──

 

「いでっ」

「何ボーッとしてんのよ。早く行くわよ」

 

 横に立っていたスピネルの平手が後頭部を打つ。

 感傷に浸ろうとすると──と言うか、物を考えているとすぐコレだ。

 高圧的で、傲慢で、我が儘。

 誰がどう見たって、人が貴族と聞いて先ず思い浮かべる物語の中の彼らそのものだ。

 で、それが嫌いなのかと言われれば──正直よく分からない。

 いきなり脅して居候して迷惑だな、とは思う。

 それだけならまだしも家の中は荒らすし料理にケチは付けるし妙な我が儘で殴られるし滅茶苦茶鬱陶しいな、とも思う。

 

 ただ、それで嫌いになるかは話が別だ。

 まぁ親の顔見て「どういう教育してるんだお前」と問い質したい気持ちがあるのは純然たる事実なのだが、その上でやっぱり彼女は嫌いになれない。

 それとは対照的に家庭事情に触れた時の悲しそうな表情が、夢について語った時の一途な表情が、頬を染めて髪を弄っていた時の照れ臭そうな表情が、彼女を信じさせる理由になる。

 

 多分。

 多分の話にはなるけれど──彼女は寂しがりやなんだろう。

 誰かに愛して欲しくて、愛されたくて、試行錯誤した結果があの他人を見下す表情なのだ。

 何故そう言う結論に辿り着いたのはまるで分からないけれど、何て言うか、その────

 

(庇護欲?)

 

 そう、庇護欲を感じさせる。

 捨てられている子猫を拾って餌をやるとか、そっちの感覚に近い。

 勿論彼女は人間で、猫と同列に扱うのは失礼な訳だし──それ以上に、自分のクズ加減に辟易した。

 

「ホントに嫌なヤツだな、僕……」

「何か言った?」

「いや、なんでも」

 

 ズンズンと森の中を進む彼女に当たり障りの無い返事を返しながら、溜め息を1つ。

 我ながら本当に、何様のつもりなのだろうか。

 スピネルの世話をして、我が儘に付き合ってやって、居候させてそれで保護してやっているつもりなのだ、このクソ野郎は。

 挙げ句他人の家庭事情を勝手に邪推して、勝手に同情して?

 冗談じゃない。

 僕はスピネルなんか目じゃない位傲慢で、卑劣だ。

 寧ろ一目で分かる分まだ彼女の方が百倍マシだ。

 

「────」

 

 まぁ、要するに「将来に何のビジョンも無いけど、今必死に悩んで夢にも羽ばたこうとしている女の子養ってる俺カッコいい」とか心のどっかで思ってるんじゃないのか──という話。

 自分が最低かそうじゃないか、問い掛けているだけ。

 そして、もし本当にそうなら。

 無意識の内に彼女を見下しているんだと自分の中でハッキリしたら。

 

(────帰してあげよう。多分、こんな所で腐ってて良いようなヤツじゃない)

 

 今度は躊躇いなくスマホの発信ボタンをタップして、下らないエゴの清算をしよう。

 もう居候3日目になるけれど、きっとまだ間に合う筈だ。

 スピネルはこんなクソ田舎で停滞する日々からさっさと抜け出して、イギリスでちゃんと靴職人の夢を叶える──その方が、ずっと良い。

 

 そんな詰まらない事を考えていると──不意に、背後から視線のような何かを感じた。

 

「────?」

 

 振り向いても、何も見当たらない。

 其処にあるのはただ鬱蒼と繁った木々と、駆け抜ける風だけ。

 誰かに見られていたような気がするのだが、気のせいだろうか。

 

「……まぁ、いっか」

 

 でも、別に気にするような事じゃないだろう。

 何せ此処はクソ田舎。

 殺人犯が死体を棄てに来るのだって躊躇いそうな位都市部から離れた、山間の村なのだから。

 それに、ほら。

 こうやってノロノロしていると────

 

 

 

「あーもう、お前ほんっとうに遅いのな!ほら早く行くぞ!」

「ちょっ……痛い痛い痛い!マジで抜ける!本当に肩抜けるって!描けなくなる!」

「そう言ってさっき抜けなかっただろうがバーカ!」

 

 

 

 ほら、こうなる。

 女の子に引っ張られるってだけでもかなり情けないのにこの体たらく。

 自己研鑽を欠かさない父が見たら何と言うだろうか

 まぁでも、誰かと手を繋ぐなんて本当に久し振りで──ちょっと、嬉しかった。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 青い空、白い曇。

 そして地には向日葵畑。

 山紫水明、自然と空気の美味さだけが取り柄の村は止まったような田舎は相も変わらず夏休みの延長戦を続けている。

 とても良い事だ。

 

 正直に言ってしまえば学校に行くのは怠い。

 嫌いとかじゃなくて、めんどくさいのだ。

 必要なのは分かってるけど勉強は好きじゃないし、運動も得意ではないし、友達も別に沢山いる訳じゃないで楽しいかって言われると──まぁ、楽しくない。

 況して中3の夏と言えば高校受験の追い込みが始まる頃。

 夏休み前の時点で皆ピリピリしていて、ふわふわしていた僕にとってはかなり居心地が悪かった。

 

 だから、夏休みには感謝しているのだ。

 行動の択がクラスメートとの関わりを絶ち自宅で勉強するかゲームするか絵を描きに行くかの3つに絞られ、物事を深く考える必要も無くなって万々歳────の筈だったんだが。

 

「────」

「────」

 

 とてつもない、もう本当に冷や汗をかくレベルの圧力を右肩の後ろ辺りから感じる。

 画用紙を固定したボードに向けた顔はそのまま、視線だけをそちらに向ければ──視界の隅っこに映るは灰の瞳と赤い髪。

 言わずもがな、我が家の居候たるスピネル嬢だ。

 何故だか知らないが彼女は僕の後ろにシートを敷いて絵を描く様をじって見詰めてくるのである。

 正直やり辛い事この上ない。

 

「────」

「────」

 

 とは言え、見ないで欲しいと言った所で彼女が聞き入れるとは到底思えず重圧に耐えながら筆を動かしているのだが──やはり、どうにも上手く行かない。

 勿論、持ち運びを重視した結果水を入れたペットボトルで筆洗の代わりをしたりだとかロクに下絵も書かない内に色を塗り始めてしまったりだとか、色々と問題はある。

 ただ、それを加味した上でも見られながら何かをすると言うのがこれ程不自由なモノだとは思いもしなかった。

 

 でもやっぱり、文句は言えなくて。

 そうして筆に含ませた絵の具をベタベタと塗り付けていると──沈黙に耐えかねたのか、スピネルが口を開く。

 

「ねぇ」

「何さ」

「何かする事ないの?」

「無いよ」

 

 無い。

 完全無欠に、1ミリも無い。

 絵の具で汚れたペットボトルの水は川で流す訳にはいかないし、周囲には本当に向日葵畑と森しかない。

 それ以外に何にも無いんだから、向日葵畑と森に関する事以外何も出来る訳がないんだ。

 それについては予め説明したのに、何故かスピネルは付いてきた。

 それどころか急かすような事までしてきて──で、これ。

 情緒不安定だとはここ数日間ずっと思っていたけれど、ちょっとこれは想像以上かもしれない。

 

「つまんない」

「だから来なくて良いって言ったのに」

「……でも、1人で家にいる方がもっとつまんない」

「……そっか」

 

 当然のように呟かれたその一言は、僕をドキリとさせるには十分過ぎた。

 だってそれは、喜んで良いのか。

 友情かそれ以下にせよ、所謂「好意」があると見て間違いないのか。

 振り向けないなりに背後を窺いつつも、心臓がバクンバクンと跳ね回る。

 もう筆を握った手なんてピクリとも動かなくて、全身の筋肉が強張って──それでも勝手に舌は回り始める。

 

「家より此処の方が良いんだ」

「ええ」

「何にも無いのにね」

「向日葵畑と、それに、その……お前がいるだろ。退屈なんだよ、テレビだけ見てたって」

「────!」

 

 ああ、何てこった。

 まさか我が家より自分の方が格上だと証明されて安心するなんて、どうやら僕は自分の想像より何倍もチョロい男だったらしい。

 背後から此方を見詰めている彼女にはどう写っているのか分からないが、少なくとも心の中は有頂天。

 今にも踊り出しそうな位だ。

 それに────

 

「珍しいね、何かする事ないのって」

「ぇ、あ、ぁ────ぅん」

「何か理由とかあんの?」

 

 どうにも曖昧な返事をするスピネルに、顔を向けずに言葉を飛ばす。

 そう、彼女が自分から何かをしたいと申し出るなんて僕は思いもしなかった。

 こう言ってしまうとかなり失礼だけれど、僕は彼女を傲岸不遜な態度を全面に押し出し続け内面は極力隠そうとする──そう言う裏表のある少女だと思っていたのだ。

 なのに今こうして「何かしたい」と訊いてくるのは、やはり相応の事情があるのではないだろうか。

 

「────」

「────」

 

 そんな事を考えながら沈黙を保っていると、後ろから布が擦れるような音が聞こえてくる。

 咄嗟に何をしているのかと問おうとして──しかし耳に吹き掛けられた甘い吐息に、「ひぃっ」と思わず背筋を震わせてしまう。

 そうして一頻り此方をからかった後、彼女はポツポツと事情を語り始めた。

 

「私、ずっと『悪い子』をしてるの」

「悪い子……?」

「『良い子』だと、皆に笑われる。皆の慰み者にされる。端女だって、ドブ川の臭いがするって言われちゃう。最近はそうでもないけど、やっぱり『良い子』でいるのは怖いの……」

「……」

 

 それは、おかしいんじゃないのか。

 普通責められるは、嘲笑われるは悪い子であって「良い子」は褒められて然るべきじゃないのか。

 けれど──声は出ない。

 重要な事だけれど、これが問題の全てではない筈だと落ち着き始めた思考が囁いている。

 

「……」

 

 無言で、首の動きだけで、続きを促せばまたスピネルは話し始めた。

 

「お母様は……それで良いって言ってくれた。『悪い子』で良いって、他人に迷惑を掛けても良いって、言ってくれたわ」

「……」

「でも、『悪い子』だと今度は皆に嫌われちゃう……!違うの、私は蔑まれるような目で見て欲しくないの……ただ普通に、其処にいる事を許して欲しいだけなのに……」

「……」

「だから、ずっと何かしてたの。良い事、悪い事、いっぱいやって……皆に好かれようと思ったのに……」

「……」

「あなたの言う通り、此処には何にも無い。何にも無いから、良い事も悪い事も出来ない。あなたしか私を見てくれる人はいない」

 

 耳元でボソボソと呟かれるその言葉に、愕然とした。

 秘めていた感情に恐怖し、同時に上手く言葉に出来ない感情を抱いた。

 だってそうだろう。

 彼女は善人か──違う。

 この3日間の付き合いでもあからさまだが、彼女は100%の「良い子」ではない。人は殴るし飯にはケチ付けるし、腹が立つ場面は何度もあった。

 なら彼女は悪人か──それも違う。

 傍若無人で傲岸不遜、挙げ句に人を脅迫したりもするけれど、スピネルが「悪い子」だとは思わないし思えない。殴った後には手当をしてくれたし、飯にケチは付けても米粒1つ残さず食べきった。

 だからちょっと力が強くて言葉が悪いだけの、イギリスのお嬢様だと思っていたのに──それが、こんな。

 

「私、どうすれば良いの……?ねぇ、どうしたら愛してもらえるの……?」

 

 何か言わなければならない。

 慰めでもお世辞でも何でも良い。

 今言わなければ彼女が壊れてしまう。

 でも、でも──何も出なかった。

 僕は打ち上げられた魚みたいに口をパクパクさせるだけで、すぐ近くにいる少女に何の言葉も掛けてあげられなかった。

 

「どうし、て……?どうして何も言ってくれないの……?」

 

 声が、震えている。

 白い、シミ1つない腕が首に回されて、絡み付いてくる。

 あのスピネルが──僕が知る中で一番自分に自信がある筈のスピネルが、僕なんかにすがっているのだ。

 

 だって彼女が抱えている問題は、僕が想像していたより何倍も──それこそ僕の問題なんて塵に等しい位に重大で、深刻な話だ。

 ただ其処にいるだけで、空気を吸っているだけで蔑まれる世界なんて見た事も聞いた事も無かったんだ。

 だから有効な助言なんてしてあげられる筈がない。

 

「ねぇ、どうして……?何で私を見てくれないのよ……?おかしいじゃない、そんな……!」

 

 それは、分かってる。

 

「嫌、いや……!あなたまで……あなたまで私を見てくれないの!?やっと見付けたのに!やっと認めてくれたのに!」

 

 他人の事情に深入りし過ぎたって、こんな話するべきじゃなかったって、普段の僕なら絶対に考える。

 

「やぁだ……やだよぅ……」

 

 何なら耳を塞いで、すがり付いてくる彼女を振り払って、今すぐ交番に送り届けるのが正しい選択だって、最初から理解してる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、でもやっぱり嫌だ。

 だってさ、誰かと話す時は相手の目を見るモノだろう。

 ちゃんと向き合って、体勢を整えて、準備をするモノだろう。

 それが家庭の話なら尚更だ。

 

 なのに、だ。

 

 なのに今こうしてスピネルの話を訊いている時も、僕は顔すら彼女の方に向けていないじゃないか─────!

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 少女が従順だったのは、それしか愛される術を知らなかったから。

 少女が悪辣だったのは、それしか愛される術を知らなかったから。

 でも、「母」以外からは愛されなかった。

 従順であれば笑い者にされ、悪辣であれば恐怖と侮蔑の目線を向けられた。

 一言で言ってしまえば、妖精バーヴァン・シーは何もかも上手くいかなかったのだ。

 

 それはあのおぞましい「妖精國」での事が終わり、ノウム・カルデアに来てからも変わらない。

 残虐性を嫌う者、奔放さを避ける者、不安定さをぎこちなく気遣う者に彼女はいつの間にか囲まれ、どうしようもない位にぎこちない毎日を過ごしていた。

 それだけならまだ良かった。

 同時に召喚された「母」がいるし、靴作り仲間みたいなモノもトリスタンにしては珍しく出来たのだ。

 

 だが──カルデアは、皆凄かった。

 伊達や酔狂で2度も世界を救った訳ではなかった。

 誰もが何かしらの「強さ」を持っていて、誰もが自分の「信念」を持っていた。

 それは狂戦士(バーサーカー)等の自我が曖昧なサーヴァントに於いても例外ではなく、執着だとか憎悪だとか褒められたモノでは無いにせよ何かしらの信じるモノがあったのだ。

 

 ところが、何だ。

 妖精騎士トリスタンには、何がある。

 トリスタンより強いサーヴァントなどごまんといる。

 着名(ギフテッド)元のサーヴァントとは一長一短で優れている所もあれば劣っている所もある他の妖精騎士と違い、妖精騎士トリスタンには円卓の騎士トリスタン卿に勝っている部分など何一つとしてない。

 信念?

 そんなモノありはしない。

 執着にもなりきれなかった「愛されたい」と言う欲求だけが彼女の全てだ。

 

 価値があるから愛されるのだ。

 代替出来ないから重宝されるのだ。

 でも、空っぽの少女には何もなくて──だから逃げ出した。

 

『待て、バーヴァン────!?』

 

 そして最早何者でもない少女は、今でもハッキリと覚えている。

 数日前、彼女が人混みに紛れて逃走を始めた時の「母」の表情を。

 驚愕と、悲哀と、一瞬で全てを悟った己への嫌悪。

 あぁ、そうだ。

 少女はたった1人、自分を愛してくれた「母」すら裏切ってしまったのだ。

 だからもう帰れない。

 行く当てなんてどこにもない。

 挙げ句の果てに少年をも怯えさせて。

 

(私、は)

 

 終わりだ、と少女は心の中で呟いた。

 自分に愛される資格なんて初めからなかったのだ。

 召喚にも応じず、それこそ生まれさえしなければ────

 

 

 

 

「スピネル!」

 

 

 

 

 悲嘆に暮れるスピネルを引き戻したのは、無意識の内に彼女が絡み付いた少年の叫びだった。

 彼は今、少女の細腕に首をホールドされたままどうにか後ろを振り向こうと必死になってもがいている。

 スピネルは慌てて腕をほどこうとして──しかし、少年の挙動がおかしい事に気付く。

 

(──動かない?)

 

 首に絡めた腕が、まるで「絶対に放すな」とでも言わんばかりに他ならぬ少年自身の手でガッチリと固定されていた。

 人間と英霊では天と地ほど身体能力に差がある筈なのに、その気になれば指先1つで弾き飛ばす事だって容易い筈なのに──何故かスピネルは動けない。

 ピクリとも動けずに、されるがまま。

 

「ふ、ぬ、ぐぎぃ……っ!」

「ぇ、ぁ、え────?」

 

 そうして2分程たっぷり時間を使って、無理矢理少年が反転する。

 これによってスピネルは絡み付くのではなく抱き付くような姿勢へと変わっていたが、今はそんな事は重要ではない。

 

「ぁ────」

 

 胸元から見上げる形になった彼の瞳はヤケクソ気味で、同時に馬鹿らしい位に誠実だった。

 その輝きに──不覚にも、スピネルは()()()()()()

 深い水底の重圧に沈んでいた情動が、揺れ動く。

 そう、少女が些細な切欠から思いの丈をぶちまけてしまったと言うのならば、今の少年にだってそれ相応を叩き返す覚悟があるのだ。

 

「……恥ずかしいから、2回は言わない」

「は、へ────?」

 

 だから、少年は言葉を紡ぐ。

 もうシチュエーションが最低でも、無様でも、向日葵が描きかけでも関係ない。

 

「僕は──────」

 

 ぶつけてしまえ。

 吐き出してしまえ。

 何となく薄々察していた本音を簡潔に、されど正確に。

 

「君が──────」

 

 少女の頬が真っ赤に染まる。

 だってこれは──()()じゃないのかと、オーバーヒート寸前の脳が訴えている。

 信じられないけど。

 愛される資格なんてないと思っているけれど。

 ひょっとして、ノウム・カルデアの書庫で読んだ小説とか漫画とかにあった()()なんじゃ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あぁ、だが。

 一瞬遅かった。

 もう後5秒──いや、3秒あれば少年は自分の気持ちを誤解なく伝えられた。

 少女は何の気負いもなく、正真正銘晴れやかな表情で彼の手と手を繋ぐ事が出来た。

 

        

 

 それなのに────少年の背後で黒い影が、()()()()()()()()()が膨れ上がる。

 

「!」

 

 少女だけが咄嗟に反応した。

 何よりも先ず少年を守らねばならないと、自分がどういう立場にあるのかも忘れて行動を起こしてしまった。

 

「────テメェ……ッ!」

 

 常人の目では追えない程のスピードで真っ直ぐに伸ばされたスピネルの──否、妖精騎士トリスタンの指が銃を形作る。

 そして、炸裂。

 

「死ね」

        !?』

 

 指先から放たれた紅い魔力の弾丸は、少年を背後から襲わんとする影に回避する事も防御する事も許さず、その薄っぺらい体を木っ端微塵に吹き飛ばす。

 この間僅か2秒未満。

 一瞬でも目を離していれば気付けない程の、神速の攻防。

 

 

「ねぇ」

 

 

 けれど─────

 

 

 

 

 

 

 

 

「今のって、何?」

 

 

 

 

 

 

 

 スピネルに密着していた少年がそれに気付けぬ道理など、何処にもなかった。




◯少年
好き(友達的な意味で)
でも恋愛感情ゼロなの?って言われるとそんな事はないしなんなら一目惚れしてる。
でもトリ子の性格がね…

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
どうしてあんな酷い目に遭うんですか?どうして…
指から魔力弾は2枚目がBusterとかQuickの時にやってるアレの速射版
でもうっかりで色々とやらかしてしまう


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第9話「限りある才能、無駄遣いにて(下)」

感想、評価ありがとうございます!
そろそろ折り返しですが引き続き頑張りたいと思います。


 蝉が鳴いている。

 昨日までと同じように、此方の事情なんて聞きもせずにミンミンだの何だのと五月蝿い事この上ない。

 もう晩夏なんだから蝉爆弾にもならず速やかに死滅してくれ──等と極めてどうでもいい事を考えつつ天井を仰げば、夕暮れ時の黄色い光に照らされた壁紙とLEDの電灯が絶妙に気色悪いコントラストを演出している。

 

 そう、僕があの向日葵畑で絵を描こうとしていた時──そして得体の知れない「影」に襲われた時より既に3時間が経過していた。

 その間何をしていたのか、と言われれば勿論自宅への撤収とスピネルからの事情聴取だ。

 振り向いた一瞬しか見えなかったとは言えあんな存在が出没する所でのんびりしていられる訳がないし、兎に角現在の自分を取り巻く状況をしっかり整理したかったのだ。

 しかし、この尋問は困難を極めた。

 

 何やらスピネルの様子がおかしい。

 まあ元から現代では滅多に見ないような格好、性格、言動をしている上に今回めでたく指から光弾を発射すると言う特技を見せ付けてくれたトンでも要素の塊なのだが、それを踏まえた上でも超おかしい。

 

『取り敢えず落ち着けって、な?此処で泣いてたって何にもならないんだし一旦帰ろう?』

『帰る……?』

『帰る……かえ、る。うぅぅぅ……!』

『何でそこで泣くんだよ!?』

 

 先ず、えぐえぐと泣くばかりで会話が成立しない。

 僕を背後から襲った「影」を木っ端微塵に射殺した直後からもうそんな調子で、まるで話を訊くタイミングが無いのだ。

 けれどその場で落ち着くまで待てる余裕もなし、取り敢えず彼女の手を引いて自宅まで戻ってきた。

 戻ってきたのだが──結局帰ってきても泣き止まず、ハンカチを貸したり飲み物をあげたり背中を擦ったりしてあげる事1時間。

 ヤケクソで与えたイチゴミルク味の飴を舐め終わる頃に漸くスピネルは落ち着きを取り戻し始めた。

 

 そして、2つ目。

 

『……分かった?』

『いや、全く』

『……本当に?』

『ココで嘘吐く意味ある?』

『……ない』

 

 スピネルの説明がマジで何を言ってるのか分からない。

 いや、自分で言うのもアレだが「本当に失礼なヤツだな」と思う。

 それに彼女は説明下手なりに言葉を噛み砕いて、どうにか此方が理解出来そうな言葉を出力しようとしているのは察せるのだ。

 

 だが、まぁ──率直に言ってしまうと、酷い。

 何だよ人理継続保障機関フィニス・カルデアって。

 何だよ境界記録帯(ゴーストライナー)って。

 何だよ人理漂白って、新手の洗剤か?

 兎にも角にも専門用語が多すぎる。

 その上時系列が行ったり来たりするモノだからもう何が何だか。

 それでも何とか理解しようとして紙に書いてみたり質問形式にしてみたり頭を抱えたりする事約2時間。

 日が傾き始める頃になって漸く僕の理解は分かったような分からないような領域に到達したのである。

 

 で、それを纏めると────

 

「世界中の記憶がすっ飛んでる2年間は2回も世界滅亡しかかってて」

「うん」

「世界滅亡のピンチにカルデアとか言う組織が過去の偉人とか神様とかを召喚して対抗して」

「うん」

「君もその1人────って事で良いの?」

 

 げんなりした色が隠せていない僕の問い掛けに、先程からやけにしおらしい様子のスピネルはゆっくりと首肯した。

 これまでとは異なり此方を見下すような雰囲気が無い辺りどうも「コチラ」が彼女の素であるようだ。

 ……かなり弱っているのに申し訳ないが、ぶっちゃけ可愛い。

 貴族っぽい外見そのままと言うか、ファーストコンタクトが罵倒だったから逆に新鮮と言うか。

 不謹慎な事この上ないけれどトキメキのような何かを感じる。

 

 そして、素の状態で喋ってくれたのだから嘘は言っていない──と信じたい。

 断言出来ないのは、幾ら彼女が真剣だからと言ってもあまりに話が荒唐無稽過ぎるからだ。

 だって「実は2回も世界が滅びそうになってました」とかいきなり言われたって、はいそうですかと受け入れられる筈がない。

 その上未だに目の前で鼻を鳴らしている強気なんだか弱気なんだかよく分からない赤髪少女が、過去の歴史で活躍した偉人だとか信仰される神々だとはどうにも思えないのだ。

 

(うーん……)

 

 要するに、ファンタジーが過ぎる。

 よく練られた小説とかゲームの設定とかみたいで現実感がまるでないし、普通だったら絶対に信じない。

 って言うか今も6割位頭が拒絶している。

 ただ、まぁ──見てしまったモノは見てしまったんだから、仕方ないだろう。

 

(指からビーム……?いやビームで良いのかアレ……)

 

 だって、指から光弾だぞ。

 それも得体の知れない存在が消し飛ぶレベルの。

 大して賢くもない頭を捻ってみたりスマホで調べてみたりもしたが、何の仕掛けも無しに殺傷能力のある光の弾丸を発射する術などどれだけ指を滑らせようとも存在しなかった。

 それこそ漫画やアニメみたいな事を目の前でやられてしまったのだから、現世がファンタジーなのはもう認めるしかない。

 

 それにあの影。

 振り向いた一瞬しか見えなかった上に次の瞬間にはスピネルが木っ端微塵にした為、ハッキリと視認出来た訳ではないが──間違いなく人ではなかったし、熊とかの類いでもなかったように思える。

 何故なら、熊はあんな紙キレみたいに薄っぺらくないからだ。

 いや、熊に限った話ではない。

 あんなペラペラな生き物など見たことも聞いたこともないし、いたとして──なんでそれが襲ってくるんだ?

 

 後、もう1つ。

 

「……」

 

 意味もなく天井に向けていた顔を戻せば、俯いて表情を窺えないスピネルの様子が目に入る。

 そう、スピネルだ。

 そもそもからして、こんな田舎で家出をしたイギリスの貴族少女(暗殺術持ち)と出会すと言うのが異常性の塊だったのだ。

 サラッと家に招き入れて飯作って、一緒に絵を描きに行くって、何から何までおかしいもんな。

 だから色んな意味で不相応な出会いをした、そのツケを払わされる羽目になったのが今回の一件──なのではないだろうか。

 知らんけど。

 

「────」

「────?」

 

 などとロクでもない事を考えていると──突如、椅子を撥ね飛ばすようにしてスピネルが立ち上がる。

 すわ何事かと此方も立ち上がれば、彼女は此方を見向きもせずに玄関の方へと歩き出して────その腕を掴む。

 

「──ッ、な、何よ……!?」

「何って、そんなのこっちが言いたいよ!あんな訳の分からないヤツに襲われて日もそろそろ沈むってのに、いきなり何処に行くのさ!」

 

 びくんと震えたスピネルの正面に回り込み、泣き腫らした灰の瞳を覗き込んでふと、気付く。

 そうだ、この3日間スピネルは暴虐の限りを尽くしたが、必ずしも傲慢な訳ではない。

 寧ろそれは彼女にとっては皮のようなモノで、被っていなければやっていけない類いの精神的な防壁なのだ。

 その下に潜んでいたのは普通の女の子と変わらない──どころかその何倍も寂しがり屋なだけの少女だ。

 本気で僕を騙そうとか、考えられるヤツじゃない。

 

 つまり、今回の一件に深い責任を感じているのだろう。

 そしてあの「影」がこの世ならざる者である自分に引き寄せられたのだから、説明を済ませたらすぐにでも離れなければならない──そんな風に感じているのではないか。

 

「何でも、良いだろ……!私は出て行かなきゃいけないんだよ!」

「だからなんで!?」

 

 そうこうしている内にも、スピネルは僕を引き摺るようにして玄関へと足を進めている。

 筋力では英霊とやらである彼女に逆立ちしたって敵わない定めらしいが──あぁ、そうかい。

 そっちがその気なら、此方にだって考えがある。

 

「─────」

 

 息を吸って、吐いて、そして覚悟を決める。

 もう嫌われたって構うもんか。

 理由なんて自分でも分からないけど今の彼女を1人にしてはいけないような気がするし、放っておく事も()()()全身が拒絶している。

 なので────

 

「いい加減に、放せ……っ!」

「っと、いいのかなぁ!」

「なに……?」

 

 

 

 

是が非でも、今日は我が家に泊まってもらう

 

 

 

 

「僕このままだとまたあの変な影に襲われちゃうかもなー」

「は?」

 

 

 

 あまりにも棒読み過ぎでうざった過ぎる警鐘に、しかしスピネルの動きはピタリと止まった。

 言葉の意味を咀嚼しようと、咄嗟に硬直しているのだ。

 即ち、畳み掛けるなら今がチャンス。

 

「何、を、言って……」

「いや、だって……そうだろ?僕もスピネルも『アレ』が何なのか知らない。1体だけなのか、他にもまだいるんじゃないか──それに、本当にスピネル狙いだったのか」

「────!」

 

 思い当たる節があったのか、スピネルはその綺麗な顔を緊張に強張らせた。

 そうだ、嘘は言ってない。

 説明の時、スピネルもあの「影」の正体は知らないと言っていた。

 恐らくかつて信仰されていた妖の類いだろうと当たりは付けていたが、確証は持てないとも。

 だから「影」が1体とは限らないし、本当にスピネルを狙っていたかも分からない。

 寧ろ隙だらけのスピネルを背後からではなく正面から襲った所から考えるに、僕がターゲットである可能性も濃厚なのだ。

 それなのに今出て行ったら、ほら。

 

僕が死ぬ。

 

 単純明快、簡単な話。

 優しいスピネルは僕を見捨てられない。

 色々引っ剝がされたしまった今の彼女は他人を簡単に切り捨てられるようなヤツじゃない。

 更に付け加えるならば、この家を出たとして行く当てがある訳でもない。

 この辺りの土地勘が無い彼女では、間違いなく交番はおろか駅にだって辿り着けない。

 本音では離れたくない筈だし、離れたって意味がないと心の何処かでは理解しているだろう。

 

「────っ」

 

 その証拠に、組み合ったままのスピネルは覇気の無い瞳で此方を睨み付け──しかし戸惑ったようにすぐ伏せてしまう。

 あまりにも弱弱しい仕草に心が痛むけれど、手段は選ばないと決めたのだ。

 

「頼む、()()()()()!」

 

 続けて繰り出した懇願に、スピネルはギョッと目を見開く。

 そりゃそうだ。

 こんな情けなくて浅ましいヤツ、僕がスピネルだったら蹴り飛ばしていたかも分からない。

 でも、()()()()()

 僕を蔑め、見下せ、嘲笑え。

 それでこれまで通りの「スピネル」の皮を被りなおせ。

 緊急治療の荒療治だが、僕が嫌われる事で少しでも彼女が「普段」を取り戻せるなら本望だ。

 

 

 

 

 

 

 ……だって、そうだろう。

 スピネルは僕にとっては恩人だ。

 出会いはサイアクで、性格はザンコクで、引き起こした事件は須らくサイテーだけれど、それでも停滞した日常に風穴をぶち開けてくれた彼女は正しく救世主なんだ。

 だから、笑ってほしい。

 無理にとは言わないけれど、どうか────

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 昨晩、妖精バーヴァン・シーは少年に魔術をかけた。

 それは彼を視界に入れている限り読心が可能になると言う極めて単純なモノで、バーヴァン・シーの無茶降りに合わせて一喜一憂する心の様を楽しむ程度の効果しかない。

 要するに、少年の意識が自分に向いているかを確認する為だけに行使した魔術なのだ。

 だが、しかし────

 

「ぁ────」

 

 笑って欲しい、と絶叫する少年の心に堪らずスピネルは小さく悲鳴を上げた。

 それだけではない。

 敢えて嫌われようとする決意が、このまま行かせたら危ないと呟き続ける危惧が、自分なんかより先ずスピネルを助けなければならないと奮起する意志が、怒涛の勢いで以て彼女の脳内に流れ込んでくる。

 

(う、嘘……)

 

 その全てが、暖かかった。

 打算1つない、純粋な好意に満ち溢れていた。

「助けて欲しい」と妖精國でのトラウマを無自覚に抉り返す発言を繰り返す少年は、しかしその全てを擲って少女の短慮な行動を食い止め、同時に活力を取り戻させようとしていたのだ。

 

(信じ、られない……)

 

 そう、信じられない。

 バーヴァン・シーの母、妖精妃モルガンは彼女の為に自らが築き上げた國と数千年に亘る歴史を投げ捨てる覚悟があった。

 だがそれはモルガンがバーヴァン・シーの「母として」不器用な愛を注いでいたからであり、初めに深い関係があったからだ。

 妖精騎士トリスタンのマスター、藤丸立香は何の打算も無しに彼女と交流していた。

 だがそれは彼に類い稀なコミュニケーション能力が備わっているからであり、偏見を良しとしない清廉な精神があるからだ。

 

 少年には、それら一切合切がない。

 特別な才能も選ばれた血筋も何一つとしてない、正真正銘の凡人だ。

 況して関係性など無いに等しく、まだ出会って3日の知り合い程度に過ぎない。

 

(信じられない、けど……)

 

 それが、何故。

 何故自分の──自分()()の為に尽くすのか。

 恋を知らないバーヴァン・シーには分からない。

 恋を知らないトリスタンには分からない。

 知っているのは、「スピネル」だけ。

 少年と共に食事を摂り、同じ屋根の下で夜を過ごし、花畑に行ったスピネルだけが全ての答えを知っている。

 

 ならば、どうすべきか。

 何が正しいのか──少女は既に、選ぶべき選択肢に気付いていた。

 

「────っ!」

 

 ぐいっと目元を拭い、涙で滲みそうになっていた視界を元に戻す。

 指を鳴らして、借り物のシャツから最初に着ていた紅いドレスへと霊衣を戻す。

 続けて爪先立ちと殆ど変わらない高さのヒールで軽やかにステップを踏んで、腰にしがみついていた少年を引っ張り上げる。

 

「え────?」

 

 その時の彼の間抜け面と言ったら!

 愚鈍で、浅はかで、情けなくて──それ故に愛おしい。

 バーヴァン・シーもトリスタンも今は理解出来ないだろうが、少女はその凡庸さに恋をしたのだ。

 

「いいぜぇ?」

 

 ヒールを履いた分上から見下ろす形になったスピネルが、少年の頬を撫でながらニタリと嗤う。

 その表情、正に邪悪。

 その仕草、正に悪党。

 だが、他ならぬ少年がそれを望んだのだ。

 今更後戻りなんて出来る筈もない。

 

()()()()()守ってやるよ。カルデアは正義の味方、だもんなぁ?」

「……自分で発破かけといて言うのもアレなんだけど、切り替えが早いんだな」

「当たり前じゃない。私はサイテーで、サイアクの()()()()よ?こんな事一々気にしてらんないの」

「……ああ、そう来なくちゃ」

 

 悪魔染みた少女が差し出した手を、少年は躊躇う事なく取る。

 此れを以て、人類に害しか齎さない妖精と何の変哲もない少年の間に1つの契約が成立した。

 ただし、この契約には自己強制証明(セルフギアス・スクロール)も令呪による強制力も存在しない。

 

「じゃ、この家に結界張るから手伝えよ」

「おぉ、一気に『らしく』なってきたじゃん」

「『らしく』も何もお母様から教わった魔術よ。そんじょそこいらの雑魚魔術師とは比べ物にならないわ」

「すげーなぁ……あ、てかさ。僕も魔術使えたりしない?」

「無理ね。才能ゼロ」

「クソが」

「ま、来世に期待なさいな。きっと良い事あるわよ」

「それ死ねって事じゃん!酷くない?」

 

 ヘラヘラと軽口を叩き合う様からも分かる通り、2人は完全に対等だ。

 サーヴァントがどうとか人類がどうとか一切関係無しに、単純な1人と1人の結び付きが生まれたのだ。

 

 ……とは言え、物理的な力量に天と地ほど差があるのは依然として変わらない訳で────

 

 

 

「あっ、ちょっと吸わせろ豚野郎♡」

「は?吸うって何を──いだだだだだッ!?」

 

 改めて意気揚々と玄関へ進む2人は、傍若無人な姉とそれに振り回される弟のように見えない事もなかった。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

「……で、これは何?」

 

「カップ麺。色々あり過ぎて疲れたし1人分の食材誤魔化すのもそろそろ辛くなってきたから親の防災バッグから引っ張り出してきた」

 

「……つまり?」

 

「これを食った事がバレるとお袋に怒られる」

 

「……もう食べ始めちゃったんだけど?」

 

「うん」

 

「うんじゃねえよアホ」

 

「まぁ、共犯って事でよろしく」

 

「いやよろしくしないわよ。1人で地獄に落ちやがれ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……でも、共犯ってのは良いかも」




◯少年
大体の行動が「しかたねーだろ好きになっちゃったんだから」で説明付けられるヤツ。
でも自覚はない。
好きな子には嫌われてでも笑ってて欲しいタイプ。

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
↑の心情を全部読心で見てたのである意味ドン引きしている。
根が常識人(?)


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第10話「限りある猶予、決戦前にて(上)」

沢山の感想、評価ありがとうございます!
後前回を少し修正しました。


 眠い。

 眠くて、もうどうにも眠くて──いや、此処まで来ると最早眠いなんて生易しいモンじゃない。

 これは、寝る。

 必死になって落ちようとする意識を繋ぎ止め、勝手に閉じようとする瞼を押し留めねばならない程に朝の8時から僕は追い込まれていた。

 

 やはり無理だったのだ。

 どんなに遅くとも日付が変わるまでにはベッドに入ってスヤスヤしている健康優良中学生がいきなり徹夜する事がどれほど無謀であるかなど、よく考えずとも最初から分かっていただろうに。

 それでも眠気を打破するドリンクを冷蔵庫からちょろまかしてまで起き続けたのには、理由がある。

 単純で簡潔で、それ故に重要な理由が。

 

 先ず、1つ目。

 

「ホントに元気だねぇ、君は……」

「なーに言ってんのよ。たかが一徹でへばってるアンタが弱っちいだけでしょ?」

 

 ほんの十数分前まで母が仕事の準備を済ませて一息吐くために座っていた木製の椅子に今腰かけているのは、例にも頬杖を突きながらよってニヤニヤと嘲笑混じりの笑みを浮かべているスピネルだ。

 昨日姑息な手段で彼女を焚き付けた僕は、それが思った以上に上手く行った事に安堵して──まぁ、はしゃいだ。

 スピネルにはバレてないと思う。

 時々此方に振り返ってはこのようにニヤニヤしてくるからバレてるのかもしれないけど、もしそうなら恥では済まされないので取り敢えずバレていないと言う事にしておいて欲しい。

 

 だが、何にしたってはしゃいでいた事実は変わらないのだ。

 ドリンク類と一緒にちょろまかしたお菓子を食べながらラジオを聞くのも中々「お洒落」だったし、ハッキリ言ってしまえば──悪くない。

 健康に害が出ない程度に間隔を空けてでまたやってみたいモノだ。

 

 次に、2つ目。

 

「お前のお母様はピンピンしてるわ。帰ってくるまでに襲われたとか取り憑かれたとかも無さそうだし、心配はなさそうね」

「そっか……良かった」

 

 昨夜はお袋が──母さんがあの「影」に襲われたりしていないか、徹底的に監視する必要があった。

 何せ僕らが「影」について知っている事は殆どない。

 あれが「何」なのか、1体だけなのか、そもそもスピネルの魔力弾で倒せたのか、何1つとして明確になっていないのだ。

 よって警戒は幾らしてもし足りると言う事はなく、スピネル共々我が家の周囲をひたすら見張る羽目になっていた訳である。

 

 それに例えスピネルが結界を張ってくれたとしても、母さんは社会人だ。

 今日が木曜日である以上仕事に行かなければいけないし、その為に結界の外に出なければいけない。

 何なら1歩踏み出した瞬間に奇襲される可能性もある訳で、「影」が何を目的にしているか判別出来るまでは最大限警戒する必要があった。

 

 ……随分回りくどいと、思う人もいるだろう。

 僕自身もそう思ってる。

 でも、結局僕は「これ」を選んでしまった。

 

「にしても態々私に駅まで護衛させるなんて、お前豚野郎の癖して人使いが荒いんだな……」

「……それに関しては悪いと思ってるよ、マジで。だから朝飯にフレンチトースト作ったんじゃないか」

「私を顎で使うには全然足りないっつってんの。後で肩揉みなさい」

「あーはいはい、分かった分かった……」

 

 などと言いつつも、気持ちは中々浮いて来ない。

 

 ……最初は、スピネルの件も含めて全部母さんに打ち明ける事を検討していたのだ。

 だって、あの人は僕の親なのだから。

 例えギクシャクしていたとしても、ここ最近マトモに会話していないとしても、僕を生んでくれた人だ。

 話せば何か変わるかもしれない、信じてくれるかもしれないと期待を抱いていたが──結局、話せなかった。

 理由の中には高校入試の事に関する反発とか、反抗期特有の逆張りとか、そう言うのが含まれているが──突き詰めてしまえば、やはり最後の最後で信用出来なかったんだろう。

 その証拠に、今も頭の中で誰かが囁いている。

 

 信用される前提で考えているけれど、もし信用されなかったら?

 与太話として切り捨てられ、スピネルも通報されてしまったら?

 

 もし囁きの通りになってしまったら、多分一生母さんの事を嫌いになる。

 でも、それは嫌だ。

 別に今も好きじゃないし顔も全然合わせないから家族でないような気すらしているけれど、積極的に嫌いになりたい訳じゃないんだ。

 

 ──そしてその為に、スピネルに無茶をさせた。

 昨日に続いてクズポイントが着実に増えていく。

 

「……まぁ、いいけど」

「いいんだ?」

「いいのよ。お母様を大切に思う気持ちは……私にも、分かるから」

 

 強いて救いを挙げるなら、僕が何か言う前からスピネルが母さんの監視に積極的だった事だ。

 お互い家庭環境に妙な問題を抱えているが故かは知らないが、夜間の見張りから霊体化(?)とやらをして駅までの護衛をしてくれるモンだから本当に頭が上がらない。

 お陰で対価としてフレンチトーストを作れだの歩いて疲れたから靴脱がせろだのとワガママお嬢様の本領を発揮されて、もう大変だったが──ちょっとだけ気は楽になったし、相応の成果はあった。

 

「じゃ、作戦会議を始めようか」

「何それ、カッコつけてんの?ダサいから止めとけよ」

「……」

 

 精一杯気取った物言いを一撃で叩き潰されつつ、情報を纏めたホワイトボードをテーブルに置く。

 そう、僕だってただ無為に夜更かしをしていた訳じゃない。

 有り余る時間を活かして「影」が来ないか結界の様子を見張ったり思いついた事を片っ端から紙に書いて整理してみたりもしたのだ。

 で、その結果分かった事が幾つかある。

 

「……アイツ、()()()()()()()みたいだな」

「あぁ、まさか仕損じるなんて……クソが」

「まぁ落ち着きなよ。イライラしたってしょうがない」

「…えぇ、分かってる」

「しかし、完全に僕ら狙いだな?」

「……お前のお母様には見向きもしなかったし、そうみたいね」

 

 悔しさから爪を噛むスピネルに合わせて、僕も溜め息を吐く。

 昨日の午後10時半頃から我が家の前に出現し侵入を試みた薄っぺらいソイツは、しかし敷地内をカバーするように展開された結界に阻まれ何度も弾き飛ばされた後、母さんの帰宅と同時に退散していった。

 それは出現から消失までが大体30分位の、ぱっと見ではシュール極まりない光景だが──魔力弾の直撃を受けて木端微塵に消し飛んだと思っていたのに、あの「影」は健在だったのだ。

 異様な位真っ黒だから実際はどうなのか分からないが傷の類いは見受けられず、その上母さんには目もくれず僕らに一心不乱なのだから、もう喜ぶべきか悲しむべきかも分からない。

 

 本当、何が悲しくて「人っぽい何か」に追いかけまわされにゃならんのだ。

 どうせストーカーされるなら性根が真っ直ぐで、かつスピネルみたいに顔が良い女の子であって欲しかった。

 

「正体に心当たりは?」

「ねーよ……ってかある訳ないじゃない。この国の英霊でもないんだから地方の怪異なんて知ってる方が異常よ」

「だよなぁ……」

 

 加えて正体も見当が付かない。

 今ある人類の歴史とは違う可能性を辿ったとか言う「異聞帯」とやらの出身である彼女が日本の妖怪だとか神だとかについて知っている訳もないし、超現代っ子な僕がこの辺りの歴史について深く知っている訳もない。

 つまりは手詰まり、迷宮入り、立ち往生──そんなネガティブな言葉ばかりが浮かんでは消えていく。

 

 ただ、全く打つ手なしかと言われればそんな事もない。

 

「郷土資料館、行くか」

「あ?」

 

 そう、一見するとこの村は何にもない虚無みたいな場所に思えるが、実は郷土資料館がある。

 別に大きくもなければ新しくもないが、信じられない事にマジであるのだ。

 予算もケチられマトモな公民館すらない我が村とは到底思えない。

 まぁ、古臭くてカビ臭い上に大した資料も無いから訪れる人は殆どいないが、この辺りの歴史に触れるならあそこしかあるまい。

 

「あの……スピネルさん?」

「……」

 

 問題は──勿論スピネルだ。

 チラ、と視線を向ければもう見るからに不機嫌な表情をしている。

 分かる、分かるとも。

 朝から駅まで往復したのにまた外に行くのが嫌な事くらい、僕にだって分かる。

 と言うか僕なら全身全霊で拒否する。

 

「付いて来て下さい、お願いします……!」

「外に出るの、ヤなんだけど」

「そこを何とか……!」

「1人で行けば?」

「弱っちいから『影』に襲われたら逃げられません……!」

 

 手を合わせ、拝み倒す。

 自分の弱さをアピールし、泣き付く。

 彼女をそれなりに扱き使っている以上、そして彼女の()()──傲岸不遜に見えて実はそこそこ優しい事を知っている以上、最早これしかあるまい。

 

「……」

「スピネルさん……?」

「うっさい。黙れ」

「あ、はい……」

 

 が、しかし彼女のガードは固かった。

 そっぽまで向かれる始末で、完全に取り付く島もない。

 だが、この異常事態を早期に解決したいと思うならばどうにかして説得するしかないのだ。

 

「────」

 

 よし、分かった。

 良いだろう。

 こうなったら此方も最後の切り札を使うしかあるまい。

 そう、つまりはアレだ。

 多大な犠牲を払う代わりにどんな事でも聞かせられる、究極のアレだ。

 

「────」

 

 ゆっくりと息を吸って、吐いて、覚悟を決める。

 最低でも今日の間は玩具にされるのを承知の上で、それでも為さねばならぬ使命があるから────

 

 

 

 

 

「何でも、するよ」

 

 

 

 

 

 乾坤一擲の一言に、頑なに視線を逸らしていたスピネルの眉がピクリと反応した。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 4  目 〕

 

 

向日葵畑で、君と

 

 

限りある猶予、決戦前にて

──×──

"The Grimalkin takes a walk in the vilage."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 何と言ったのか。

 今、少年は何と言ったのか。

 スピネルは己の耳を疑った。

 だってそれは、彼女にとってあまりにも恐ろしい誘惑だったのだ。

 

「……なんて?」

「……何でも、する」

 

 恐る恐る聞き返してみるも、やはり少年の答えは変わらない。

 酷く沈痛な面持ちではあったものの、彼は間違いなく「何でもする」と言った。

 

「本当に?」

「……本当に。だから資料館に付いて来て欲しい」

 

 なるほど、なるほど。

 あまりの驚愕にスピネルは己の意識を吹き飛ばしかけていたが、漸く己の事情を把握した。

 つまりは「『影』に関する手がかりが郷土資料館にあるかもしれないから護衛がてら付いて来て欲しい」と言う事で、その替わりに()()()すると少年は提案したのだ。

 

 ああ、なんて──────軽率。

 

 その言葉を少年は安易に口にするべきではなかった。

 何しろ相手は妖精だ。

 自然の触覚にして魔術とは異なる基盤に神秘を宿す存在、或いは気紛れで、享楽的で、人間とは大きく離れた価値観に生きる「あの」妖精なのだ。

 もしこの発言をスピネル以外の妖精にしたのであれば、散々弄んだ末に手慰みで殺されたって文句は言えない。

 彼なりに悩んだのかもしれないが、殆ど自殺行為と言って差し支えない言葉を高々郷土資料館の為に発したのである。

 

(ちょっと、待って──────)

 

 そして「何でもする」に秘められた魅力に引っ掛かるのはスピネルとて例外ではなかった。

 寧ろ3日と言う短い期間ながら友好な関係を築けていた分、その効力は速やかに浸透する。

 

(待って、待って待って待って待って────!?)

 

 白い頬がカッと熱くなる。

 他者を見下す灰の瞳が、忙しなく右往左往する。

 頬杖を突いていた筈の右手はいつの間にか左手と組合わさり、もじもじと指先をぶつけ合っている。

 有り体に言ってしまえば、彼女の挙動は不審そのもの──いや、恋する乙女そのものであった。

 

「……?」

 

 だが、少年がそれに気付く事はない。

 魔術の世界についてつい昨日知ったばかりの彼が己の過ちを悟る事はあまりにも難しく、また未だ初恋の自覚すらない彼が少女の機微を読み取るなど土台無理な話だった。

 つまり、少年からは「スピネルが興奮した様子で悪巧みを始めた」ようにしか写っていないのである。

 

(え?……え?ちょっと待って僕に何させようとしてるのスピネルさん?)

 

 思っているのとは全く別方面で事の重大さを認識した少年の頬を、冷や汗が伝う。

 彼にとって「何でも」とは家の中で収まる行為であり、どれだけ酷くとも散財させられるとかその程度で済むと考えていたのだが──見よ、あの恍惚とした表情を。

 何なら「影」よりよっぽど危険な光を宿し始めた瞳を。

 

(ひょっとして、やらかした……?)

 

 口には出せない。

 口に出したら、己の致命的失敗が立証されてしまう。

 それこそ墓まで持っていかなければならないような「アレ」な事をさせられる未来が、決定してしまう。

 

(頼む……いや、お願いします……!マトモなお願いでありますように……マトモなお願いでありますように……!)

 

 最早少年に出来るのは祈る事だけだ。

 迫る嵐が見かけ倒しである事を、少女の良心を信じて彼はカルデアにも召喚されているらしい神々に祈りを捧げ始めた。

 

 が、しかしスピネルのボケ具合は少年の比ではない。

 

(これって……もしかして……!)

 

 彼女の中で膨れ上がった期待は、まるで見当外れだった。

 彼女が描いた理想は、少年のそれと1ミリ足りとも合致していなかった。

 と言うかその結論に辿り着くまでの思考回路が全く以て意味不明だった。

 そう、スピネルは────

 

 

 

(デートのお誘いってヤツ……!?)

 

 

 

 何故か「何でもする」を「デートのお誘い」と混同視していた。

 だが、それも致し方ない事なのだ。

 かつて妖精國で生きた彼女にとって、デートとは       と共に観賞する虐殺だとか靴のショッピング程度のモノであり、色恋に関して真っ当な知識が備わっているとは到底言い難い。

 流石に汎人類史を見れば以前の自分がおかしい事は分かるが、それでも今のスピネルが()()()()考えた「デート」は相手を意のままに動かして互いを満たす行為であり──やはり相手を支配する事である。

 

 そしてそんな思考の彼女に「何でもする」と言うとは、一体どういう事なのか。

 

(しっかし私にプランを任せるって事は……リードして欲しいって事よね)

 

 誘い受けとは中々手強いわね、と少年が知ったら首がもげるまで横に振りそうな事を考えながらスピネルは微笑む。

 そう、そうだ。

 トリスタンもバーヴァン・シーも知らないけれど、話で聞く限り恋とは駆け引きであるらしいのだ。

 その辺りを完全に誤解した結果、少年の戦々恐々とした心情はスピネルのプラン力を低く見積もった結果と曲解されてしまっている。

 

 故に──少女は、躊躇いなく行動に出た。

 

「おい」

「──!」

 

 昨晩と同じように──しかし昨晩とは全く異なる方向に吹っ切れようとしている少女が、椅子を撥ね飛ばすようにして立ち上がる。

 そして紡がれるは身勝手極まりない、契約。

 

「あぁ……良いぜぇ?郷土資料館でも何処でも、行こうじゃない」

「あ、ありが────」

「ただし!」

 

 思わず安堵した少年に、ビシッと指が突き付けられる。

 顔を上げた先には、赤い髪をした至極の美少女。

 ポカンと呆けた少年の前で、彼女はこの上なく邪悪な笑みを浮かべ────

 

 

 

 

 

「後でちょっと付き合えよ☆」

 

 

 

 

 

 どう考えても昭和のヤンキーそのものな誘い文句をぶっぱなした。




◯少年
自殺志願者か何か?(困惑)
徹夜はしないし夜食もそんなにしない割と健康な中学3年生。
家の中でなら最悪女装までは覚悟してる。

◯スピネル
普通に常識はありそうだけどそれはそれとして   のせいで色々と歪んでいる。
読心は完全にスッキリ見える訳ではなく「あー何かそんな感じの事考えてるんだなぁ」程度のモノ。


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第11話「限りある猶予、決戦前にて(中)」

感想、評価、お気に入り登録などありがとうございます。
更新ペース安定しないけど頑張ります。


 郷土資料館への移動は、思っていたよりずっと恙無く遂行された。

 と言うのもスピネルは霊体化(透明化的な何からしい)をしていれば済む話だし向日葵畑に行く訳でもないのだから自転車に乗る事が出来るしで、初めから特に問題になる要素が見当たらなかったのである。

 強いて言うなら例の「影」が襲ってこないか心配していた程度だが、それにしたってスピネルがいるし実際にはまるで見かけなかったから問題にならない。

 

「もう大丈夫っぽいよ」

 

 そんなこんなで資料館に辿り着き、入館料を支払いつつ受付の爺さんの居眠りを確認するまで僅か15分。

 何年か前に訪れた時と変わらずカビ臭い空間で(周囲にいる筈の)スピネルに声をかけるが、しかし────

 

「……?おーい、スピネルさーん?」

 

 まさかの、反応ナシ。

 キョロキョロと周囲を見回してみても、ウンともスンとも言いやしない。

 

 これは──アレか。

 ひょっとして、置いてきてしまったか?

 幾ら彼女が英霊とやらだとしても見た感じ筋肉とかは付いていなかったように思えるし、チャリを飛ばし過ぎたあまりに振り切ってしまった可能性が無いとは言いきれない。

 

「……」

 

 もう1つ、彼女に騙された可能性もあるが──それは考えたくない。

 いや、昨日の焚き付け方が相当酷かっただけにされたって文句は言えないだろう。

 間違いなく僕は彼女に酷い事をしたし、彼女も内心では僕を憎んでいるに違いない。

 ただ、やっぱりそれは堪える。

 自分から進んでやった事とは言え、裏切られたって仕方ないとは言え、辛いモノは辛いのだ。

 

「……止めだ止め!」

 

 そう、止めだ。

 物事を深く考えるのは止め、ネガティブに考えるのも止めて「影」の正体を探る事に集中すべきだ。

 その為にも先ずはスピネルを見付けなければ話にならないのだから、行動を声に出して思考を切り替える。

 そして、1歩踏み出して──背後からぬるりと現れたスピネルが、此方に振り向く隙も与えず絡み付いてきた。

 

「私がいなくて寂しかった?」

「……え?」

「んー?寂しかったんだよなぁ。寂しいなら『寂しいですスピネル様』ってちゃんと言えよなぁ……?」

 

 ……いや。

 いや、ちょっと待て。

 僕は何故、スピネルに抱き付かれているんだ?

 パッと見同年代位なのに明らかに巨乳に分類されるだろう「ソレ」とか、かなり肉感的な太腿とかが押し当てられているのはかなり──凄いヤバいけど、そう言う事じゃない。

 何故「スピネルを探しに行こうとしたタイミングで」「背後から」抱き付かれたのか、それが問題だ。

 偶々追い付いたにしてはタイミングが良すぎるし、驚かせる目的以外で態々後ろから出現する理由もない。

 つまり、これは────

 

「すっっっごい悪趣味なんだけど!?」

 

 霊体化して、態々逃げた振りをしてから驚かせるなんて悪趣味なんてモンじゃない。

 人をからかうにしたって、何て言うか、その……限度ってモノがあるだろうに!

 今の僕はスピネルに見捨てられたらその日の内にポックリ逝ってしまう可能性だってあるのだ。

 それを──それをさぁ、こんな風にネタにされたら堪ったもんじゃないんだが。

 

「ヒヤッとしたろ?」

「したよ!超したよ!ああもう本当にビックリさせんな!」

「ん、そんくらいの反応が出来るならまだまだ元気ね」

「お、お前なぁ……!」

 

 スピネルは悪びれた様子も無いが、此方としてはもうマジでヤバかった。

 お陰で心臓はバクバク言ってるし、冷や汗はダラダラだしでもう生きた心地がしなかったのだ。

 そして取り敢えず呼吸を落ち着けて、汗を拭って──とかやっている間にも彼女はガラスケースの中に展示された巻物や紙片を覗き込んでいる。

 

「……」

 

 これは文句を言おうとした僕も閉口せざるを得ない。

 何せ彼女がやっているのは手がかりの捜索。

 一連の流れで頭からすっぽ抜けそうになっていたが、本来此処に来た目的だ。

 本当は寂しがりやな癖に他人には洒落にならない事をする辺り本当に我が儘と言うか、自分のペースに他人を巻き込むのが得意と言うか……兎に角すんごいげんなりしたし、一瞬で帰ってしまいたくなる位疲れた。

 

 だが、それはそれ。

 これはこれ。

 やる事をやらねば「影」は退けられないのだから、サッサと手がかりの1つでも見付けてしまおう。

 文句はあるが腐ってもいられないと俯いていた顔を上げ、ガラスケースを覗き込んでいるスピネルに駆け寄って────

 

 

 

「スピネルさぁ、日本語はペラペラだけど読めんのそれ。巻物じゃん」

「いや全然?」

「……じゃあ何してたんだよ」

「何か眺めてたら分かるかもしれないじゃない。大体、こんなカビ臭い所まで連れて来といてほったからしってのがおかしいのよ。何かさせろや」

 

 

 

 あまりにもぐだぐだした雰囲気に、深い溜め息を吐いた。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 ────とか何とか言っていたのが既に40分位前の話である。

 何故40分も端折ったのかと言えば、単純にそれに見合うだけの成果が得られなかったからだ。

 

 あぁ、そうだ。

 ぶっちゃけ、特に何も分からなかった。

 そもそもブリテン(イギリスとは違うらしい)出身の属性てんこ盛り我が儘妖精と地域の歴史とかに今まで全く興味を示さなかった現代っ子がいきなり郷土資料館に行った所で、ロクな事が出来る訳ないのだ。

 

『……分かる?』

『分かんねぇ。古語読めないし説明文も適当過ぎて何も分からん』

『……ダメじゃん』

 

 終始そんな会話を繰り返すばかりで、元から大して広くもない館内を巡るのには然程時間がかからなかった、それだけの話なのである。

 とは言え、全くの無駄足かと言われればそうでもない。

 

『……ひだる神?』

『……ってプレートには書いてあるけど』

『何それ』

『知らん。ちょっとスマホで調べてみるわ』

 

 我等が最新電子機器スマホ曰く、山道を往く者に異常なまでの空腹をもたらし最終的には餓死にまで至らしめる悪霊の類い。

 前述の通り山道で憑かれる事が多いが辻道や峠、果ては火葬場でも憑依される場合もある。

 この地域ではかつて、その「ひだる神」とやらによる餓死が散見され山に入った住人や旅人を苦しめていた──と言う旨の記されたプレートが、あるガラスケースにひっそりと添えられているのをスピネルが発見したのだ。

 まぁパッと考える限り「影」と「ひだる神」に一致するような様子はないように思えるが、帰って改めて見返してみれば何か判明するかもしれない。

 

「……」

 

 取り敢えず何か1つでも収穫があるならそれで良し、何も無いよかは全然マシ、と己に言い聞かせながら自転車を押す。

 そんな僕の隣に──えげつない高さのヒールで軽やかなステップを刻む少女あり。

 スピネルと名乗る妖精は、周囲に誰もいないのを良い事に霊体化せずその全身を晒していた。

 

「このクソ熱い時に、随分上機嫌なんだな……」

「あぁ?当たり前だろ?」

 

 スピネルは普段以上に愚か者を見るような目で此方を詰ってきたが、「当たり前じゃないです」とは口が裂けても返せなかった。

 いやだって、アレだろう。

 今朝約束したばかりの「何でもする」を、これから行使しようと言うのだろう。

 分かるとも。

 何の特殊能力も持っていなくたって、それ位流石に分かる。

 だからこそ──恐れているのだ。

 

 これから一体何をさせられるんだ、僕は。

 或いはどんな目に遭わされるんだ。

 安易に「何でもする」なんて言うんじゃなかったと、今更ながら後悔が全身を駆け巡る。

 

「あっと驚くような1日にしてやるよ」

「ひぇっ」

 

 何やら星が飛びそうなウインクが向けられるが、全く以て安心出来ない。

 寧ろ滝のように汗が溢れ出す始末で、うだるような暑さも合わさって瞬く間に濡れ鼠になってしまった。

 そんな僕を見て、溜め息を吐きながらスピネルは一言。

 

「安心しろって、な?」

「いや無理、絶対無理。今日まで自分が何してたか考えてみ?何1つとして安心出来ないよ」

「言うじゃねえかオイ……!」

 

 僕の返答に彼女は眉をひくつかせるが、残念な事にこの考えを変えるつもりはない。

 スピネルが何をしようとしているのかは分からないが──十中八九ロクな事にはならないだろう。

 

 つかなんだ、アイツ本当に妖精なのか。

 言動とか振る舞いとかその他諸々全部ひっくるめて、僕の想像する妖精像とは死ぬほどかけ離れているのだが。

 もっとこう、絵本にありそうな陽気で愉快で穏和なイメージを抱いていたがどうやら現実は違うらしい。

 

「?何だよ?顔に何か付いてる?」

「何も」

「……?変なヤツ」

 

 怪訝な表情1つで、後ろで手を組む仕草1つでもう分かってしまう。

 優雅に見えて粗暴。

 傲慢に見えて卑屈。

 身も蓋もない言い方をしてしまえば「情緒不安定」こそがスピネルの性質だ。

 しかも思春期のそれとは程度が異なり、彼女の抱える「家族問題」は精神を奥底から蝕み今も絡み付いて放さない。

 誰がどう見たって一筋縄では行かない、寄生植物みたいな問題だ。

 

 まぁ、だから何だと言う話だが。

 スピネルが何を抱えていたとしても最後まできっちり関わると決めたのだ。

 後悔なんてするつもりはないし、するにしたって全部終わってからで良い。

 英霊と人間で能力の差が天と地ほどあるのは知っているけれど、カッコいい所の1つや2つ見せられなければ男が廃るって────

 

「待って」

 

 いつの間にか少し前に出ていた僕の腕が、掴まれる。

 日焼けなんて知らないと言わんばかりに白くしなやかな腕と、単なる運動不足のひょろっとした腕が繋がり──ぐい、と後ろ側に引き寄せられる。

 

「下がってろ」

「スピネル……!?」

 

 たたらを踏んだ僕の前に歩み出た少女の表情は、これ以上にない位──出会ってから1度も見た事のない、背筋を凍らせるような冷酷さが滲み出ていた。

 そんな彼女が向ける視線の先に、「黒」。

 舗装もされていない田舎道でそこだけ塗り潰したみたいな、或いは光をも曲げるブラックホールを人型に整形した「何か」が其処にはあった。

 

「影……!?」

 

 驚愕の声を上げたのは僕とスピネルの、果たしてどちらか。

 家の中なら僕だ私だと騒いでいただろうが、あまりにも異常過ぎる光景に争っている暇などない。

 だって、「影」だぞ。

 初めて襲ってきた時が昼過ぎだから24時間何処かにいるモノだとは思っていたが、よもや白昼堂々と姿を見せるとは!

 

「スピネル、逃げるよ!」

 

 兎も角、第一に避けねばならないのが「影」との交戦だ。

 幾ら四方が田んぼだからと言って此処は村の中。

 誰かと遭遇する可能性がある以上、下手に手を出して人を呼ぶのは避けておきたい。

 それに、家には結界がある。

 ヤツが何であれ結界を破る事は出来ていないのだから、サッサと逃げ込んでしまえば話は済む。

 

「────」

「スピネル……!?」

 

 なのに──スピネルは動かない。

 返事1つ寄越さずに、ゆらゆらと陽炎のように揺らめく「影」を食い入るように見詰めている。

 否、それだけでない。

 まるで意思を持っているかのように赤髪がざわめき、つい先程僕を引き寄せた右手は固く握り締められ震えている。

 そして────

 

「────ぃ」

 

 ポツリ、と漏れた呟きが嫌な予感を伴って耳朶を震わせる。

 

「──さない」

 

 たった一言。

 簡潔で、明瞭な思椎が少女の唇によって反芻され、増幅され、練り上げられる。

 のっぺらぼうの「影」を睨み付けるスピネルの瞳に宿った感情、名は────

 

 

 

「 許 さ な い 」

 

 

 

 憎悪。

 故にこそ、ノーモーションで召喚された琴のような弓──フェイルノートの弦を弾くその指には、ありったけの殺意が乗せられた。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 そもそもからして、少年の側を離れていたのは事実だった。

 少年の「何でもする」発言を逢い引きのチャンスと曲解し、すっかりその気になっていたスピネルはそれっぽいスポットを探していたのだ。

 無論少年の警戒を怠っていた訳ではなく、何かあればすぐにでも戻れるよう(無断で)魔術を仕込んでいたからこその行為だが──それにしたって軽率が過ぎる。

 しかし当人に反省した様子はない。

 軽率である事は理解しているしそれが原因で妖精國では()()()に遭った事もよく分かっているのだが、人妖問わず己の性分を変えるのは中々難しいのだ。

 

『おーい、スピネルさーん?』

 

 付け加えると──自分を探して右往左往している少年に得体の知れない興奮を覚えたのもまた事実。

 そして背筋がゾクゾクする初めての感覚に戸惑いながらも少年の背後から抱き着いたのがつい40分前の事だ。

 だが────スピネルは、今更のように己の愚行を後悔していた。

 

「許さない!許さない、許さない!許される訳……ないだろうがぁ!」

 

 誰が?

 勿論自分が。

 辛うじて人のような形をしている事が判別出来る「影」をフェイルノートから飛ばした真空の刃で切り裂きながら、少女は吠えた。

 

 そう、許される筈がない。

 これは少年にしっかりと付いていなかった己への罰なのだ、とスピネルは悲観した。

 幸せを感じられそうになった途端にコレだ。

 愛されようと、愛そうと思った途端にコレだ。

 いつもいつも、手を伸ばした瞬間に邪魔される。

 だが、スピネルが──妖精騎士トリスタンが不甲斐なかった事と「影」の襲来には一切関連はない。

 偶々2つのイベントが立て続けに発生しただけなのに、彼女は両者を結び付けていた。

 

「死ね!死ね!死ねよぅ!2度と私の前に出てくるな!」

 

 自己嫌悪の最中にも人型が2つに、4つに、8つに──指先が弦を弾く度に裂けていく。

 そこに満足はなく、歓喜もない。

 何の根拠もないにも関わらず自分の行いが「影」を呼び寄せたのだと信じて疑わない彼女には、ただの拷問でしなかい。

 

『何故お前はそうなのだ、バーヴァン・シー』

 

 歯を食い縛りながら蹂躙を行う少女の脳裏に過るのは、()()()の言葉だ。

 かつて、バーヴァン・シーは愚かな事をした時に責められる言葉として解釈していた呪いの一言だ。

 勿論、今は違うと理解している。

 自由に生きるべきだと、思うままに振る舞うべきだと、でもその為に己を傷付けるような行為は止めるべきだと諌める、正しく「母」の言葉だ。

 

 でも、でも──こびりついた呪いはそう簡単には剥がれない。

 

『何故お前はそうなのだ』

 

 分からない。

 知らない。

 愛されたいと思っているのに、誰かの役に立ちたいと思っているのに、いつだってどうしようもない。

 

『何故』

 

 言われた通りにしたら、嫌われた。

 騙されて、利用されて、都合が悪くなったら捨てられた。

 反対に残酷になったら、嫌われた。

 蔑まれて、嘲笑われて、罵倒された。

 

『何故』

 

 そう、何故。

 どうしてこうなる。

 なんでおかしくなる。

 何も持ってないからって、どうしようもないからって、何で愛されようと思った途端に邪魔をされるのか。

 まるで()()()()()()()()世界に嫌われているみたいだ、と少女は泣いた。

 

『何故』

 

 その果てに────

 

「スピネル!おいスピネル!」

「────!?」

「アイツは消えたからもうよせって!一旦落ち着けよ……!」

「え、ぁ……」

 

 真空の刃が「影」を小さな紙片のようになるまで引き裂き、見かねた少年に腕を掴まれて漸くスピネルは我に返った。

 

「……大丈夫?」

「あ、うん……」

「取り敢えず早く帰ろう。対策を考えるにしろ何にしろこんな所にはいられないよ」

「うん、うん……」

「暑いし熱中症にもなるから、な?」

「分かって、る……!」

 

 背後で努めて冷静さを保とうとしている少年の言葉を脳内に流し込みながら、スピネルは叫び続けて荒くなった呼吸を落ち着け自分自身への憎悪をゆっくりと鎮める。

 またこれだ。

 我が儘で、傲慢であるが故にカッとなりやすいと重々承知しているのに、どうにも我を忘れやすい。

 

「歩ける?」

「当たり前、だろ……私を誰だと思って……」

「ルックス最高、性格最悪のスピネル嬢」

「へへ、よく分かってる、じゃん……」

 

 でも、少年は守り抜いた。

 あの「影」に、指一本触れさせる事なく撃退する事が出来た。

 油断はしていたが、やはり戦闘能力は大した事がない。

 まだ正体も分からないが、やりようはある。

 取り敢えずは彼の言う通り対策を練る必要があるだろう。

 

(止めてくれたって、ヤツか。私も随分絆されて──)

 

 そうして心の中でコッソリ少年に感謝しつつ、彼の方を振り向いて──頬にざっくりと刻まれた裂傷が少女の目に飛び込んだ。

 

「何、それ」

「え、ああ……大した事ないよ」

「嘘」

 

 声が震える。

 呼吸が浅くなる。

 目線を逸らす少年に思わず伸ばした指先が傷口に触れ──どろりとした血液が絡み付く感触に、少女は恐怖した。

 

 誰がこんな事をした。

「影」か?

 だとしたら一体いつの間に、どんな方法で────

 

 

 

「違う」

 

 

 

 少女は己の思考を、己の呟きで以て否定した。

 そう、違う。

「影」は間違いなく少女の目の前で、少女の技によって惨殺された。

 出し抜く余地はない。

 そして、もう1つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()は何処へ飛んだ?

 

 間違いなく掴まれたその瞬間は弦を弾いていた。

 我に返るまでの一瞬で、斬撃を放っていた。

 なら、だとしたら──────

 

 

 

 

 

「傷付けたのは、私?」

 

 

 

 

 

 少年を殺しかかったのは他でもない、スピネル自身だろうに。




◯少年
スピネル大好き少年(無自覚)
いなくなったら不安になるし我を忘れて暴れてたら心配する。

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
見て!少年があたふたしているよ
かわいいね

からの誤射をかますある意味逸材。
うっかり妖精騎士トリスタン成分が表に出たのが原因だから全部自分が悪い。


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第12話「限りある猶予、決戦前にて(下)」

めっちゃ体調が変だけど取り敢えず投稿です。


「────」

 

 暑い。

 もう、本当に──死ぬんじゃないかって位に暑い。

 遠慮を知らない太陽光と山間特有の逃げ場を失った湿気が全身を滅茶苦茶にいたぶってくる。

 それに背中でぐったりとしている「彼女」の重さもずっしりとのしかかってきて、よろよろと進む僕に尚更重圧をかけていた。

 

「────」

 

 だが、それも後少しで終わる。

 苦節30分に亘る苦難の道を乗り越え、僕は遂に辿り着こうとしているのだ。

 あの田んぼを越え、爺婆共が引きこもっている家々を越え、両手が塞がった状態では開ける事も儘ならない門を越え、安息の地────即ち、我が家へと。

 

「────よい、しょっと」

 

 ずり落ちそうになった「彼女」を背負い直しながら、しっかりと前を見据える。

 眼前にあるのは、扉。

 重厚でも豪華でもない、ごく普通の扉だ。

 しかしそこに設置されたドアノブは今、信じられない程の強敵として立ち塞がっている。

 

「く、む……!」

 

 だが、開ける。

 最短最速で手を伸ばしドアノブに指を引っ掛けて、出来た隙間に足を割り込ませる。

 この間、多分3秒。

 そのまま差し込んだ足をずりずりと動かして扉を開き、体を無理矢理押し込んで──玄関に倒れ込む。

 

「スピ、ネル……帰ってきたよ……」

 

 返答は、無い。

 僕の荒い呼吸が響くだけ。

 でも、それも仕方ない事だ。

 

「聞こえてない、か。クソ……!」

 

 兎にも角にも、彼女──スピネルを自宅に連れて戻ってくるのは大変だった。

 接触してきた「影」を細切れにした直後から彼女の様子はおかしくなり始め、なんと僕の頬に付いた傷を見た途端心神喪失してしまったのである。

 呼び掛けても、顔の前で手を振っても、腕を掴んでも一切反応無し。

 ピクリとも動かずマネキンみたいにその場に突っ立って虚空を眺めているのだからもう本当にビックリした。

 

 まぁ、確かに彼女の誤射には驚いたさ。

 それに情緒不安定とは思っていたし「影」に対して並々ならぬ敵意を向けている事も薄々察していたが、よもや目撃した途端に怒り狂うとは想像もしていなかった。

 けど、誤射を誘発したのは間違いなく僕だ。

 英霊と人間の能力差を昨日散々聞かされておいて、安易に戦っている所に割り込むのが危険だと理解していた筈なのに腕を掴んでしまったのは他ならぬ僕なのだ。

 結果としてすっ飛んできた真空波(?)に頬をざっくり裂かれる事になってしまったけれど、その責任はスピネル──いや、妖精騎士トリスタンにはないし気に病む必要も全くない。

 

 そんな風に慰めと言うか説得の言葉を投げ掛けてもみたけれど、反応はまるで無し。

 妙な所で頑固──いや、思い込みが激しいのが如何にもスピネルらしい。

 それはそれとして正気に戻るまで彼女を道の真ん中でぼっ立ちさせておく訳には行かず、已むを得ず背負って自宅までえっちらおっちら帰ってきたのが此処までの流れだ。

 

「……よし、と」

 

 そして最後の力を振り絞って部屋まで運びベッドに寝かせた僕は、がっくりとその脇に崩れ落ちた。

 大の字に寝っ転がって、天井を見上げるけれど達成感とかは特にない。

 寧ろ虚無感とか後悔とか、そう言うのばっかり頭を過ってしまう。

 

「いてて……やっちまったなぁ……」

 

 軽く撫でた途端に、頬の傷口から鋭い痛みが走る。

 手を翳してみれば、べったりとこびりついた赤い液体。

 頬が裂けたとかそう言う事は無さそうだが、事と次第によっては痕が残りそうだ。

 ただ──今はどうでも良かった。

 

「不甲斐ないなぁ……」

 

 意図せず漏れた呟きは、誰に届く事もなく天井に消える。

 それにしても、何が「最後まで面倒を見る」だ。

 何が「笑っていて欲しい」だ。

 彼女の助けになるどころか、逆に追い詰めてばかりじゃないか。

 

「もっと、何かあればなぁ……」

 

 翳した手を、握って開いて。

 当たり前の話だけれど、中には何も収まっていない。

 それは同時に僕自身の本質でもある。

 空っぽ、空虚、すかんぴん。

 皆が1つは持っている「特別」を、やはり僕は持っていなかった。

 

「ま、無理か」

 

 文字通り、なーんにも無いのだ。

 他者より優れた特技も、他者に勝る情熱も、「これならば」って言えるような趣味もない。

 毎日向日葵畑に通っている絵画だって実際は「現代のゴッホ」とやらに触発されて始めたここ1ヶ月程度の付き合いであり、心証は兎も角実情は暇を持て余したガキのお遊びに過ぎないだろう。

 本気なら参考書買って読むだけじゃなくて教室とかに通う筈だ。

 

「あーあ、ホントどうしようもない……」

 

 まぁつまり、僕は「どうしようもないヤツ」って事だ。

 いや、ただどうしようもないで済まされるならばまだ悪くないのだが、今回は事が事だけに早急に対策を練る必要がある。

 魔術や怪異に何の備えもない僕1人じゃ「影」にはまるで太刀打ち出来ないのだ。

 せめてアニメか漫画キャラクターの1%でも特殊な力があれば何か変わったのかもしれないが、その辺りの才能が枯渇しているのはスピネルに太鼓判を押されている。

 

 何より、スピネルがこうなった原因は僕にある。

 ならばどうにかして彼女を元に戻すのが人として正しい行為だろう。

 それと、その────

 

「嫌われたくないなぁ……」

 

 そう、嫌われたくない。

 何を今更、と思うだろう。

 最低最悪な方法で彼女を焚き付けておいて「嫌われたくない」等と宣うとは我ながら見下げ果てたモノだ。

 でも、嫌われたくない。

 情けないと言われようが何と言われようが、嫌われたくないモノは嫌われたくないのだ。

 

 だから何が何でも彼女は元に戻す。

 責任感とか義務とかもあるけど、僕のエゴで戻してみせる。

 その為にも、取り敢えず────

 

「飯だ」

 

 料理を作ろう。

 病は気からと言うし、食べる事でストレスを軽減出来ると聞いた事がある。

 英霊は腹が空けど食事の必要性は無いらしいが、取り敢えずスピネルには何か食べさせてやらねばなるまい。

 そう、昼からなんて不健康の極みだがカレーとか作ってやろうじゃないか。

 やる事さえ決まってしまえば話は早い。

 後はこう、気合いをガッと込めてグワッと起き上がれば動ける筈だ──等と考えていたその瞬間、ぴぃんぽぉんと間の抜けたチャイムが家中に響き渡った。

 

「……あ?」

 

 誰か、来た。

 誰だろう。

 新聞の集金にはまだ早いし、通販で注文した本が届くのは早くて来週だったと思うが。

 とは言え居留守をする理由も無いし適当に大き目の絆創膏を頬にべちゃっと貼り付け、今日はもう2度と開けるまいと思っていた玄関の扉を開いて──ヌッと差し込まれた手が扉を掴む。

 

「え」

 

 押しても引いても、びくともしない。

 最初から其処にあったのだと言わんばかりに固定され、扉としての役目を放棄している。

 

 何より、手だ。

 手が凄い。

 僕なんかよりずっと大きくて、ゴツゴツしていて、それでいて傷1つ無いある種「完璧」な5本の指ががっしりと扉を掴んでいるのだ。

 これでは力比べをしたとしても、万が一にだって勝ち目は無い。

 で、そんな奇怪過ぎる光景に呆けていると──

 

 

 

「バーヴァン・シーはいるか」

「……はい?」

 

 

 

 凄いピシッとスーツを着こなす凄いナイスバディな女の人が扉の隙間から顔を出してきた。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 妖精騎士ガウェインは、高い忠誠心と高潔な精神を併せ持った文字通り「騎士」の女である。

「見た感じ」でも彼女の生き様を察する事は容易であるが、陛下──即ちかつて妖精國の女王であった妖妃モルガンの命があればある程度の非道も行うし、マスターである藤丸立香の指示があれば如何なる敵をも打ち倒す辺りからもサーヴァントとしての在り方は明白だ。

 さりとて全くの堅物なのかと言われればそうでもない。

 騎士としての鎧を脱いでいる時──即ち「素の自分」をさらけ出している時の彼女は、正しく良家のお嬢様そのものとだろう。

 立ち振舞いは優雅に、されどジョークも解する様は誰が見たって魅力的だ。

 

 まぁ、身も蓋もない言い方をしてしまうのならば妖精騎士ガウェインは──公私の切り換えがハッキリしている系高身長金髪ムキムキお嬢様女騎士なのだ。

 属性が玉突き事故とかそう言うレベルではない。

 

 さて、そんな妖精騎士ガウェインであるが、彼女は今回モルガンからある重大な命令を下されていた。

 

『バーヴァン・シーの身に危険を察知しました。早急に状態を確認し、お前の判断で連れてくるように』

 

 そう、数日前突如行方不明になった妖精騎士トリスタン──バーヴァン・シーの捜索と、彼女の状況次第では確保である。

 勿論ガウェインはそれを承諾した。

 立香の里帰りが早々に終わった以上彼女を連れ戻さねばカルデアに帰還する事も出来ないし、同じ妖精騎士として純粋にバーヴァン・シーを心配していたからだ。

 しかし同時に、ガウェインには不可解に思う事もあった。

 

『……陛下は、行かないのですか』

『私は、行かぬ』

『大体の位置を把握していながら、ですか』

『ああ』

『……』

 

 モルガンは既にバーヴァン・シーの居場所を知っているらしいのに、何故態々私を使うのか。

 こんな都内の高級ホテルなぞに泊まっている位なら直接会いに行くべきなのではないだろうか、モルガンの言葉ならバーヴァン・シーも受け入れるだろうし──と、不意に疑念が湧き出してしまったのだ。

 無礼を承知で聞き返してみても『行かぬ』の一点張りで此方に視線すら向けない始末。

 何故行かない?

 2人の間に何があった?

 考えても答えは出ず、困惑するままモルガンの示した座標にやって来た訳なのだが────成る程、漸く彼女が言っている意味がガウェインにも分かった。

 

「では、バーヴァン・シーは此処で貴様と共同生活……居候をしていると?」

「はい、所々端折ってますけど大体そう言う事です」

 

 太陽が丁度傾き始める頃、デスクを挟んで対面に座った少年の説明にガウェインは深い溜め息を吐いた。

 これは厄介になったとか、そう言う次元の話ではない。

 一般人を殺したのではないか、とか建造物を破壊したのではないか、とかそんなガウェインの心配とは丸っきり逆方向に最悪な事態になっているではないか。

 半ば脅しとは言え、他人の家に居候?

 それもそこそこに良好な関係を築いて?

 魔術等について大体話していたのもさることながら、常日頃のバーヴァン・シーからはまるで考えられない「健全な」明るさにガウェインは混乱を余儀なくされていた。

 

 そして、もう1つ。

 

「……で、貴様にフェイルノートを誤射してしまったのが原因で自身を喪失している、と」

「あれはスピネルのせいじゃありません。勝手に彼女に触れてしまった僕が馬鹿だっただけです。それと今彼女を貴女方に引き渡すつもりは毛頭ありませんので」

「ほう……」

 

 確かめるようなガウェインの問い掛けに、少年は毅然とした言葉を打ち返す。

 あまりにも無謀で、同時に蛮勇に逸った行為だ。

 何せ彼が今相対しているのは「あの」ガウェインだ。

 かのアーサー王伝説で活躍し日中では無敵とも呼ばれる程の騎士の「名」を与えられた妖精騎士に、何の強みも持たない凡人風情が抗おうとしているのである。

 これは並大抵の行為ではない。

 ガウェインが放つ圧倒的なプレッシャーは相手を委縮させ、格の違いと言うモノを無意識の内に刻み込んでしまう。

 その結果として彼女に楯突こう等と思う者は殆どいなくなる訳だが──どうやら少年は数少ない例外らしい。

 恐怖に慄き鋭い眼光に耐え切れず視線は逸らしてしまっているものの、震える言葉には何としてでもバーヴァン・シーを庇わんとする強固な意志が見え隠れしている。

 

(これは、中々……)

 

 その蛮勇に、汎人類史の英霊もさることながら、大衆の中にも中々骨のある人間がいるではないか──と。ガウェインは心の底から感心した。

 尤も、目立った部分は根性だけでそれ以外は凡庸の極みなのは惜しい点だが。

 

(──ヤバい、死ぬ)

 

 しかし、少年には感慨深げな表情をしているガウェインに気付く余裕は無い。

 少なくとも少年の目線では、今回の1件が身から出た錆であるにも関わらずガウェインにスピネルを責められているような気がしてカッとなってしまっただけの話なのだが──それがどうしてこうなってしまったのか。

 いや、勝手に逃亡した同僚を連れ戻しに来たら変なクソガキに邪魔されたのだから苛立ちを覚えるのも当然だろうと少年はある種の同情を当初ガウェインにしていたのだ。

 スピネルの具合を見る限りでは早急に預けるべきだとも。

 

(死ぬ、けど。けどさぁ……!)

 

 ただ────

 

『……そう言えば、「お母様」は来ていないんですか?』

『お母──あぁ、陛下の事か。陛下は来ていない』

『は────?』

 

 ただ、どうしても許し難かった。

 ガウェインがスピネルを責めるのは何故か腹が立つけれどまだ分かる。

「お母様」──モルガンが直接此処に来てスピネルを返して欲しいと言うなら躊躇なくそうしていた。

 でもそうはならなかった。

 モルガンは都内のホテルにいて、ガウェインに指示を出すだけだったと言う。

 状況を確認し、それ次第で連れ戻すか決めろと。

 

 

 

(ふざけるなよ)

 

 

 

 始めに湧き上がったのは、怒髪天を衝くと言う言葉に匹敵する程激しい怒りだった。

 理由が何であれ、スピネルが──子供が家出をして、追いかけもしない?

 ただ居場所だけ把握して、成長を促したいのか何なのか知らないが泣いている子供を放置して、それが親のする事か。

 人が人にする事か。

 

 そんな激情が恐怖とない交ぜになって、今も滅茶苦茶に少年の心を掻き乱している。

 呼吸は浅く、心臓は早鐘を打って、手足が強張っていく。

 

「ガウェインさん」

「何だ」

「スピネルのお母様に伝えて下さい」

 

 けれど。

 それでも、言わねばならない。

 英霊が何だ。

 モルガンが何だ。

 それ以上に先ず大切な事があるだろう。

 そう────

 

 

 

 

「何か言いたい事があるなら、自分の口で言え」

 

 

 

 

 

 家族ならば最初にちゃんと話し合え、と。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

「……何だよ、調子に乗りやがって」

 

「私の代理人にでもなったつもりかよ。馬鹿みてぇ!人間の分際で私の意見を代弁するとかマジ笑えるんだけど!」

 

「はは、あはは……」

 

「……」

 

「馬鹿、みたい」

 

「……」

 

「……自分の口で」

 

「私も、言えるようになるのかしら……」




◯少年
コイツさぁ…
モルガンの事情もロクに聞いてないのに啖呵切っちゃってるんで良いか悪いかって言われると間違いなく悪い。
後ガウェインには色んな意味で目線を合わせられない。

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
自失してたにはしてたけどガウェイン来訪でそう言う場合じゃなくなった人…人?

◯妖精騎士ガウェイン
取り敢えず命令で来ただけなので素は出さない人。


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第13話「限りあるあなた、きみの隣にて(上)」

6章が終わったので更新です。


 いやはや、全く────介護とはここまで大変なモノだったのか。

 何と言うか、昨晩はつくづく自分自身の見識の浅さを思い知らされた夜であった。

 

 自失しているとは己の一切合切を放棄していると言う事であり、全てを他人に委ねると言う事でもある。

 つまり、本当に生命活動をしているだけ。

 呼吸して、瞬きして、ちょっと汗かいたりする位で、その他の何もかもを行えなくなってしまうのだ。

 そしてスピネルがそうなった、主に自分のせいで。

 

『何か言いたい事があるなら、自分の口で言え』

 

 ガウェインさんとまだ見ぬ「お母様」にあれだけの啖呵を切ってしまった手前アレだが、やはり僕の責任は重い。

 次にガウェインさんが──或いは「お母様」が来る時は素直に謝るべきだろう。

 だって、なぁ。

 そりゃスピネルにはスピネルの事情があるんだろうが、「お母様」にも「お母様」の事情があるに決まってる。

 それをついカッとなってしまったばかりにあんまりな発言をぶっぱなした訳だ、僕は。

 こういう所は今後直していきたい。

 

 ……話が脱線してしまったが。

 兎にも角にも、僕は自分の出来る範囲で精一杯──まぁ、甲斐甲斐しいと言えなくもない位の介護擬きをスピネルにしたのである。

 カレー……ではなく飲み込みやすいお粥をスプーンで掬っては口に運んでやり、服を脱がせて風呂……に入れてやるのは普通に後で殺されそうなので肌の見えてる部分を濡れタオルで拭ってやり、眠る時も側にいる……のは母に訝しまれるので帰ってくるギリギリまで天井裏で手を握ってやった。

 どうだろう、我ながら中々のモノじゃないか。

 

 ……で。

 身勝手にも明日にはいつもの傲慢さを取り戻してくれる事を祈りつつベッドに入ったのだが────

 

 

 

 

 

「……わお、めっちゃ赤いじゃん」

 

 朝目覚めた瞬間視界に飛び込んだのは、毒々しいまでの「赤」だった。

 最早知らない天井とかそう言う次元ではないし、リフォームにしたって悪趣味過ぎる。

 まるでホラー映画の一幕のような天井の変わりっぷりに、これは夢なのだろうかと思わず頭を振って────

 

「……えぇ?」

 

 天井どころか部屋1面がペンキをぶちまけたみたいに真っ赤な事に漸く気付いて、間抜けな声を漏らしてしまった。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 5  目 〕

 

 

向日葵畑で、君と

 

 

限りあるあなた、きみの隣にて

──×──

"The Grimalkin and a boy fight in the vilage."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 先ず最初に、結論から言ってしまおう。

 真っ赤なのは僕の部屋だけじゃなかった。

 屋根裏部屋も、居間も、キッチンも、風呂場も、我が家のありとあらゆる場所が「赤」に染まっていた。

 しかもこの「赤」、何やらとてもベタベタしている。

 その上ぐっちょりとしていて、粘性があって、鉄臭い臭いがして──ああいや、ここまで喋っておいて今更何を躊躇う必要がある。

 

 ────血だろ、これ

 

 そう、血だ。

 我が家を真っ赤に染めているのは、()()が流したと思われる大量の血なのだ。

 お陰様で靴下はもうぐしょぐしょ、天井からポタポタと垂れてくるから服も髪も顔も真っ赤っか。

 1度洗面所で洗い流してこれなのだから堪ったモノではない。

 

 ────でも、それだけなら別に良かった。

 

 いや、母に叱られると言うか卒倒されるだろうから良くはないのだが、仕方ないと受け入れる事だって出来るには出来る。

 得体の知れない「影」が迫っている以上、この手のスプラッタ全開なハプニングだって想定していなかった訳じゃない。

 本題は別にある。

 

「……いない」

 

 いなかった。

 屋根裏部屋も、居間も、キッチンも、バスルームでさえ隈無く探したのに、彼女が何処にもいない。

 僕が寝るまで自失していた筈なのに、屋根裏部屋でしっかりと寝息を立てている所を確認した筈なのに、彼女がいないのだ。

 あぁ────

 

「スピネル……!」

 

 スピネル。

 いや、妖精騎士トリスタン?

 それとも妖精バーヴァン・シー?

 別にどんな名前でも構いやしないけど、今一番無防備な少女の姿が何処にも見えなかった。

 これは、マズい。

 どうマズいって、全てに於いて最大限マズい。

 

 先ず彼女の命が危ない。

 今も「影」は家の周りを徘徊している可能性があって、そんな所に自失した彼女がふらふらと出て行ってしまっては抵抗する暇もなく殺されてしまうだろう。

 

 次に、彼女の心が危ない。

 認めたくないし信じたくもないが、状況から判断するに家中にぶちまけられた血液は全てスピネルのモノだ。

 幾ら英霊で妖精と言ったって湯槽を一杯に出来そうな位血を失ってタダで済むとは思えないし、それを行ってしまった彼女の精神は破綻寸前に違いない。

 

 後ついでに僕の命も危ない──が、それは今気にする事じゃない。

 そんな些細な問題は彼女が健在ならどうにでもなる。

 兎に角、兎に角──スピネルを探さないと。

 

「……探すなら、何処、だ?」

 

 きっと、今の僕は冷静じゃない。

 探すにしたって、先ず何処を探すんだよ。

 当ては1ミリだって無いし、山に行ったのなら絶対に見付けられない。

 山の深さと広さは僕が1番良く知っている。

 それに見付けたとして、どうする?

 どう声をかけてやれば良いんだ、何をしてやれば良いんだ、どうすればスピネルは笑えるんだ。

 

 その答えを、僕は何一つとして持ち合わせていない。

 これまでの薄っぺらい人生から導き出せした言葉なんて、彼女に届く訳がない。

 けど──それでも、動く事だけは止められない。

 

「待ってろよ……!今行くから絶対に待ってろよ……!」

 

 譫言のようにブツブツと呟きながら赤く染まったシャツを脱ぎ捨て、同じく真っ赤になった箪笥から辛うじて汚れるのを免れた服をピックアップする。

 そのせいでパリッとしたオックスフォードシャツの上半身とパジャマそのものな下半身でちぐはぐな事になっているが、そんな事はどうでも良い。

 そんな始末だから──突然訳の分からない叫びが迸るのも当然だ。

 

「スピネル────っ!」

 

 三段飛ばしで階段を駆け降り、スニーカーを引っ掛けながら玄関から転がり出る。

 大きな音が鳴るのもお構い無しに門を蹴り開け、勢いのまま早朝の村をひた走る。

 

「何処だ……っ、何処にいる……!?」

 

 考えろ、考えろ。

 彼女が行くなら何処だ。

 朝っぱらから茹だるような暑さな上に湿気も限界を突破しているようなこの田舎で、何処だったら彼女は落ち着ける。

 

 

 

 

 

 

「────向日葵畑?」

 

 

 

 

 

 

 ちょっと頭を捻っただけで、あまりにもあっさりと答えは見付かった。

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

 実の所、自らをスピネルと自称()()()()その少女は妖精騎士ガウェインが家を訪れた時には既に心神喪失状態から復帰していた。

 確かに少年を誤射してしまった事には多大なショックを受けていたものの、「持ち前の」傲慢さと理性的に物事を考える余地が多少残されていた脳は「誤射した自分も悪いけれど不用意に腕を掴んだ少年も悪い」とある意味完璧な答えを算出していたのである。

 

 それでも彼女が素直に少年の前に健康な姿を見せず、あまつさえ喪失状態であるかのように見せかけていたのは──単純に、ガウェインを恐れていたからである。

 常日頃の少女であれば躊躇う事なく絡みに行った上にガウェインが抱えている重大な「衝動」を悪辣にあげつらっていただろうが、生憎今の彼女にそのような余裕は無い。

 加えて正気に返ったからと言って切り裂かれた少年の頬に思う所が無い筈もなく、何をされた訳でもないのに手の震えが止まらない始末。

 

 こんな所をガウェインに見られてしまったら、果たして何を言われるのだろうか。

 いや、そもそも「お母様」のメッセンジャーである彼女とどんな顔をして相対すれば良いのか。

 失望されてしまうのではないか。

 1度そう考えてしまったら、もう動けなかった。

 少年とガウェインが話している空間からたった扉1枚向こうに少女はいたのに、ドアノブを掴んだ手に力を入れる事が出来なかったのだ。

 

 

 

『何か言いたい事があるなら、自分の口で言え』

 

 

 

 そして少女は、この世界で最も勇ましき言葉を耳にした。

 英霊が言うならまだ分かる。

 少女はおろかガウェインすら凌ぐ程の強者がそれなりの数いるのだから、啖呵を切られる事だってあるだろう。

 なのにこの少年は──何の力も持たず備えも無しに、指一本で己を殺しうる相手に喧嘩を売ったのだ。

 

(嘘でしょ……!?)

 

 人はそれを蛮勇と呼ぶが、少女にとっては勇敢そのもの。

 特別な者が行ったのではなく凡俗が行ったからこそ煌めく「特別」を、彼は自身すら気付かぬ内に手にしていたのである。

 

 勿論、少年にとってはそこまで深い意味のある発言ではない。

 見たまんま、読んだまんま、何か言いたい事があるなら直接自分の口で言いに来いと失礼にも言い放っただけだ。

 

 ──ただ、続いて少年が漏らした一言は今度こそ少女の心を刺し貫いた。

 

『想ってるだけの思いが勝手に伝わるなんて、そんな事有り得ないでしょうに……』

『そう、か』

 

 そうだ。

 その通りだ。

 少女自身も含めて英霊には読心能力を持つ者や尋常ならざる勘を持つ者がありふれているから勘違いしがちだが、本来はただ想っているだけで口に出していない気持ちが他者に伝わる筈が無いのだ。

 

 よく思い出してみれば──スピネルは「お母様」に1度でも「愛している」と言葉で以て伝えた事があっただろうか。

 確かに「お母様」はスピネルのやる事為す事の殆どをどれだけ残虐でも許していたし、それが愛故だと言う事も知っているが、無い。

 どれだけ愛されても、寛容さを享受しても、「愛している」の一言だけは受け取った事が無い。

 

(────お母様?)

 

 何故?

 どうして?

 そんなやり場の無い不安と、むかむかしたような気分だけがドンドンせりあがってくる。

 

『僕は……僕はスピネルと「お母様」に何があったかなんてロクに知りませんよ。知ったって何か出来るとも思えない。他所様の家庭事情に口を挟んだら余計拗れるだけだ』

『……』

『でも……でも、それを承知の上で言わせて下さい。スピネルをどうにかしたい、してやりたいって「お母様」が少しでも思っているなら、直接此処に来るように説得して下さいよ』

『……それは、私の一存ではどうにもならない。陛下が判断なさる事だ』

『どうにもならないって、そんな酷い事言わないで下さいよ……!アンタは妖精騎士……スピネルの仲間なんでしょう!?彼女がボロボロでも良いって言うんですか!親から叱ってすら貰えない子供なんて、そんな惨い事は無いのに!』

 

 ドアノブを掴んだまま静止する少女の混乱をそのままそっくり移したかのように、扉の向こうも混沌を極めている。

 我を忘れて激昂しているのか少年の叫びには悲痛なモノが混じり、受け止めるガウェインの声音も沈痛そのものだ。

 それでも2人が話し合った所で何かが解決する事は断じてない。

 

(私が、私の意思で決めないとダメって事……?)

 

 何故なら、少年もガウェインも当事者ではないからだ。

 家出をした少女とその母親だけがこの問題に関する決定権を持つ以上、代理風情が何を言ったところで部外者のいがみ合いに過ぎないのである。

 そして解決は両者の内どちらかが「話したい」と口に出して、もう一方が「話そう」と返す事で初めてアプローチを試みる事が出来る以上──少女が動かねばならない。

 半ば被害妄想染みた理由で家出した癖に、あのいつも仏頂面な母と相対しなければならない。

 

(出来るの?私なんかに……)

 

 怖い。

 どうしようもない位に怖い。

 だって、少女が愛する「お母様」の口から放たれた言葉はいつも無感動で無表情だった。

 何故お前はそうなのだと、或いは好きにすれば良いと耳朶を打つ音の響きには何の色も乗っていなかった。

 愛されていると知っていても「本当は何の興味も無いのではないか」と勘繰ってしまう位なのに、その上失望されたような言葉を吐かれたら──少女は壊れてしまう。

 それ故に決定を避けようとするのは、少女の防衛本能に近い。

 

 

 

──────でも。

 

 

 

 それでも。

 

 

『あっつうい……日本の夏ってのは毎年こんな感じなワケ?信じらんない……』

『残念ながら。君の格好も滅茶苦茶暑そうだけど』

 

 少女には、ドラマティックでロマンチックな「出逢い」があった。

 

『お腹減ったろ?作るから待っててよ』

『あら、気が利くじゃない。でも昨日みたいに変な料理出したら腕の筋肉削ぎ落とすから覚悟しとけよ?』

『カレーは変な料理じゃないし立派な家庭の味だろ!?』

『私ああいうコッテリしたのダメなのよ』

『本当に我が儘だなおい……』

 

 少女には、かつて喉から手が出る程に欲しがって結局手に入らなかった「日常」があった。

 

『お望み通り守ってやるよ。カルデアは正義の味方、だもんなぁ?』

『……自分で発破かけといて言うのもアレなんだけど、切り替えが早いんだな』

『当たり前じゃない。私はサイテーで、サイアクのスピネルよ?こんな事一々気にしてらんないの』

『……ああ、そう来なくちゃ』

 

 少女には、不格好でねじ曲がった契約があった。

 

「話さなくちゃ……!私、お母様と話さなくちゃ……!」

 

 あの「お母様」に立ち向かうには信じられない位些細な事だけれど、それら全てが少女に力を与える。

 折れそうな膝に、萎んでしまいそうな心に活を入れる。

 ふと気付いた時にはもうガウェインは帰っていたけれど。

 少年に世話をされたのか屋根裏部屋のベッドに寝転がっていたけれど。

 

「私、やれるだけやってみるわ」

 

 少女は、ただ1人で己の結論を導きだしたのである。

 

 めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────それで済む筈が無い。

 

「……アンタには、随分と世話になったわね」

 

 介護擬きに疲れはてたのかこれまで以上に深い眠りに落ちているらしい少年の頬を指先でつつきながら、少女はポツリと呟いた。

 未だ夜は明けず、彼女が腰掛ける窓枠の外には無明の空間が広がっている。

 少女が何をしようとしているのか──決まっている。

 別れを告げるのだ、この脅迫から始まった居候関係に。

 

「色々してくれたアンタには悪いけど、今から私の戦いにケリを付けてくるわ。このしょぼい家ともお別れって訳。あーあ、清々した!」

 

 清々した?

 嘘だ、本当はずっと此処にいたい。

 少年とバカをやって、手作りのちょっぴり下手くそな料理を腹いっぱい食べて、屋根裏部屋で月を眺めながらゴロゴロしていたい。

 

 でも、それではダメなのだ。

 堕落を受け入れる事は部外者なりに少女と「お母様」の関係を考えていた少年の奮闘を裏切る事であり、それを見ていた彼女自身を裏切る行為に他ならない。

 

「……全部終わったらちゃんと会いに来るつもりだから、心配すんなよ」

 

 なので、行く。

 少年には不義理だが、この闘志がふとした事で萎えない内に「お母様」と話を付けてきてやるのだ。

 色々と不安があった、愛されているのか分からなくなった、特別でなくても愛してくれるのか、自分は妖精妃モルガンの娘で良いのか、それら全てを纏めて問い質す。

 

 つまり、次に帰ってくる時は勝利の凱旋だ。

 一皮剥けたんだぞ、と。

 今の私には怖いモノ無しだぞ、と。

 心の底から言えるようになって、改めて「スピネル」を名乗れるようになって少女はこのクソ田舎に戻ってくるのだ。

 

 それでも、ちょっと不安を覚えたならば。

 

「んじゃま。勇気の出るおまじないってヤツ、貰うぜ?」

 

 少女は()()()()()()()()()()少年の首筋にがぶりと食らい付く。

 こうなってしまえば最早ガウェイン(バーゲスト)を笑う事も出来まい。

 何せ彼女が今しようとしている行為は、彼の一部を取り込み自分の礎として────

 

 

 

 

 

「──────ぁ?」

 

 

 

 

 

 妖精にあるまじき異常な()()を自覚した少女の背後で、のっぺらぼうみたいな「影」がゆらゆらと揺れていた。




◯少年
寝て起きたらスゴい事になってた類いの人。
勉強が出来ない訳ではないのだが感情的と言うか他人に入れ込みやすい部分がある。
今更ですが意図して伏せてるだけで名前は今後出ます。

◯少女/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
かわいそう過ぎる。
誰か幸せにしてあげてよ…


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第14話「最低最悪のヒーロー」

かなりお久し振りです。
思ったような文章が出てこなかったり6章があのような結末なのに書く意味があるのか悩んだりしましたが取り敢えず更新です。


 走ったところで、どうにかなるとは到底思えなかった。

 何せ彼女はサーヴァントとやらで、僕は人間。

 身体能力には天と地ほど差があるのだから、ただ追いかけるだけでは距離は開くばかりだ。

 

 ただ──だからと言って、走るのを止める理由も何一つとして無かった。

 理由は幾つかあるが、それら全てが単純明快。

 態々言葉にせずとも分かる話だ。

 しかし、敢えて。

 敢えて理由を口にするならば。

 

 

 

「恩がある!」

 

 

 

 そう、僕は彼女に返すべき恩がある。

 無論彼女は恩を売ったつもりなど無いだろうし、僕がそれを「恩」だと気付いたのもつい先程だ。

 だが恩は恩、受けた施しは礼で以て返すのが人としての道理に他ならない。

 いや、それすら取り繕った言い訳でしかない。

 本当はそう難しい話じゃないのだ。

 要するに、楽しい非日常だった。

 ただそれだけ。

 

 実際そうだろう。

 出会いは最悪、女の子を家に招くと言う人生初の一大イベントも汚される、家の中を荒らし回られる、飯には文句付ける、我が儘で殴り倒される、勝手にハイテンションになったり落ち込んだりする。

 一方僕は彼女に振り回されっぱなしで、もう毎日ヘトヘトになって、それでも必死こいて献立考えて、やいのやいの言いながら遊んで寝る。

 思い返せば思い返す程ひっでえ数日だ。

 

 けど、楽しかった。

 見慣れすぎて飽き飽きしていた我が家が、何一つ思う所が無かった玄関が、この何にも無いクソ田舎がまるで違った景色になった。

 うだうだと人生を浪費してるアホ野郎が、同じ浪費でもまだ何か得るモノがある方へとちょっとだけ舵を切る事が出来た。

 こんなに素晴らしい事が他にあるか?

 

「ない!」

 

 走りながら「絶対にない」と己の意志を口に出して確認する。

 そうだ、今更何を隠す必要がある。

 この数日間、()()()()()()()()

 こんな田舎も中々悪くない、家にいるのだって辛くないと思える、そんなごく普通のエンジョイ勢になってしまったのだ。

 

 まぁ変な影に襲われるのは想定外と言うか流石にヤバいと思ったけれど、それはそれ。

 彼女はしっかり守ってくれた訳だし、何だかんだ言って解決策は()()()()()()

 だから何も問題はない。

 問題は────スピネルだけ。

 

 どうにも、僕は彼女を見誤っていたらしい。

 確かに彼女は知らない土地で家出を敢行する程の胆力を持っていて、他人を意のままに振り回す傍若無人な気質が染み付いていて、他人を思い遣る優しさを秘める「強い」モノだった。

 だがそれと彼女自身の打たれ弱さは全く別の話だ。

 スピネルは──妖精騎士トリスタン、或いはバーヴァン・シーと呼ばれるあの赤い少女は、本質的には「弱い」モノだと言える。

 英雄と呼べる程成熟した精神じゃない。

 妖精と呼べる程我が儘でも、無邪気でもない。

 況してや1人で生きていける程逞しくもない。

 

 普通だ。

 ちょっと普通の人より強くて、たまに血を飲みたくなって、他人の温もりが恋しいごく普通の少女だったのだ。

 そしてそれを僕は勘違いしていた。

 出会いのインパクトが強すぎるあまり、無意識の内に「強いヤツ」に分類してしまっていた。

 その勘違いを続けて、続け過ぎて────今に至る。

 

「クソ野郎だよ、ホントに……!」

 

 今はそんな事をしている暇はないけれど、一辺自分自身を殴り倒したい衝動に駆られる。

 必死になって発信し続けているSOSに気付かず、バカみてぇに笑ってやがって──そんな己に腹が立つ。

 死んでしまえこんなアホ野郎。

 

 ……だが、まだ手遅れではない筈だ。

 そう信じたいだけかもしれないけれど、まだ僕の言葉だって通じると思っている。

 だから今も走っている。

 気分だけならオリンピック選手にも勝てそうな位の勢いで、未だかつてない位全力で手足を振って先を急ぐのだ。

 

「あぁもう、クソっ!」

 

 遠い。

 歩いてほんの20分程度しかないあの場所への道のりが果てしなく遠く感じられる。

 勿論、そんなのはただの思い込みだ。

 地面に点々と続いている血痕が僕を焦らせ、正常な思考能力を根刮ぎ奪い取ろうとしているに過ぎない。

 

 けど──それが尚の事僕を苛立たせる。

 なんで僕はこんなに足が遅いのか。

 もっと急ぐべきなのに、もっと速くあるべきなのに、どうしてこんなトロトロ走っているのか。

 畜生、こんな事ならちゃんと運動しておくんだった、と今更意味の無い後悔をしながら先を急ぐ。

 

「────!」

 

 そして、見た。

 見つけた。

 あの錆びた立看板。

 薄れかかった「この先、向日葵畑あります」の上には真っ赤な手形が付いていて──まだ乾いて凝固していない事から、彼女が近い事を確信する。

 そう、まだ手遅れではないし行き先も判明した。

 

「向日葵畑か──」

 

 薄々察してはいたが、やはり向日葵畑だ。

 僕とスピネルが初めて出会った場所に彼女は向かったのだ。

 けど何の為に?

 そして誰の為に?

 

「関係、ない……!」

 

 一瞬考えが巡ったが、そんなモノはどうでも良かった。

 今大事な事は彼女が何処にいるかであって、何故其処に彼女が向かったのかではない。

 それに目的地がハッキリしたならば、俄然気力が漲ってくる。

 当ての無い放浪は苦痛だが、ゴールが見えているならば楽になるというモノだ。

 

「────っ」

 

 故に──立看板を掴んで、自分史上稀に見る程の全力疾走でへばりそうな体を立て直す。

 そう、ゴールはもう目の前なのだ。

 歩けば10分、走れば3分の近場にスピネルはいるのだ。

 ならば走ろう。

 走って走って──思いの丈をぶちまけよう。

 最初からそれ位しか出来る事は無いのだから。

 そうして走り出すべく渾身の力を足に籠めて──「不思議」が起こった。

 

 

『よもや、こんな事になるとは思いませんでしたが────』

 

 

 1歩、踏み出す。

 不思議と、少しだけ心が軽くなった。

 

 

『どうやら、今のバーヴァン・シーに必要なのは私ではないようだ』

 

 

 2歩、進む。

 不思議と、少しだけ足が軽くなった。

 

 

『行きなさい、汎人類史の人の子よ』

 

 

 3歩、走り出す。

 不思議と、透き通るような誰かの声が聞こえた。

 

 

 

「言われなくても!スピネルの()()()!」

 

 

 

 なので──ありったけの感謝と、少しばかりの怒りを込めて叫び返してやった。

 どうだ、参ったか。

 スピネルのお母様は威圧感で人を圧倒するのが得意と聞いていたから、よもやこんな矮小なクソガキから何か言葉が返ってくるとは思うまい。

 どうにか連れ帰ってみせるから、これに懲りたらもっとスピネルに構ってやるんだな──なんて思いながらも、瞬く間に復活した体力を根刮ぎ消費する勢いで僕は森を駆けた。

 

 

 

 

 

 

『……何か威勢の良い事を心の中で宣っているようですが、人の子。お前が考えている事は全て筒抜けですよ』

「…マジ?」

『マジです』

 

 

 

 スピネルはそんな事(遠隔読心)出来るなんて言ってなかったが?

 魔術って思ったより何でもありなんですね、()()()

 

 

 

▼▲▼

 

 

 

「──ぅ、ぁ」

 

 体が重い。

 スピネルが自身の体調を評するならば、その一言に尽きる。

 歩こうにも足はマトモに上がらず、這おうにも()()()だらんと垂れ下がるばかり。

 それでも、彼女に動かないという選択肢は無かった。

 今はただ1メートルでも、1センチでも、1ミリだって構いやしない。

 遠くへ──ひたすら遠くへ。

 

「──っぐ、く……!」

 

 そもそもからして、可笑しな話ではあったのだ。

 サーヴァントであり、かつバーゲストのように特別な捕食欲求を持っている訳でもないのに何故バーヴァン・シーは異様な程に少年から吸血する事に拘っていたのか。

 何故少年が作る特別美味な訳でもない食事をあれだけ食べられたのか。

 そして何故バーヴァン・シーの行く先に「影」は現れるのか。

 

「クソっ……まさか自分がこんな間抜けだなんて、思いもしなかったわ……!」

 

 決まっている。

 バーヴァン・シーを苛むそれは、()()()()()()()()()()()()のだ。

 逃避の最中で偶然引っ掛けてしまったのか、はたまた向日葵畑に何かいたのかは彼女が知る所ではないが、兎に角初めて少年と出逢った時には既に取り憑かれていたのは間違いない。

 だから少年から血を吸った。

 ほんのちょっとだけ、もう少しと己の衝動を抑えられぬままに「食欲」を満たそうとし続けたのだ。

 

「……結局、アイツの考えていた通り、かぁ」

 

 そう、「影」の正体とはあの郷土資料館の巻物に記されていた通りひだる神である。

 取り憑いた相手に異常なまでの空腹感を与え最終的に餓死に至らしめると言うその悪霊が、今この瞬間もスピネルに致命的な干渉を行っているのだ。

 それこそあの無駄に明るくて容易く心の中に踏み入ってくる少年を「空」にしてしまいたいとうっかり考えてしまう程に。

 

 だが、その事実に漸く気付いたスピネルが何の抵抗もしなかった訳ではない。

 結界は一時凌ぎにしかならず、例えひだる神そのものが出現せずとも空腹感には絶えず襲われるとしても、彼女はあらん限りの力を振り絞って己を抑え込もうとした。

 それは「妖精國」でお母様の娘となる以前、どれだけおぞましかろうとやれと言われた事を自身の意思に関わらず実行させられたあの頃以来の痛ましき献身。

 本質的には他者を思い遣る彼女だからこそ出来る、滅私の極致。

 

 その証拠に──スピネルの喉には、今も深々と指が食い込んでいる。

 

「──ガッ、カ……ぁ、ぐ……!」

 

 呼吸の度に、隙間から零れ落ちた血液が首筋を伝っては深紅のドレスを更に紅く染める。

 それどころか口腔内にも血は溢れだし、口角からは赤い泡が垂れ落ちる始末。

 人間だったら当の昔に死んでいるし、サーヴァントにしたってバーヴァン・シー並の生存力を以てしてどうにか己を繋ぎ止められるレベルの傷をその身に刻みながら、それでも少女はよろよろと歩み続けた。

 

 だって、そうしなければ少年を吸い殺してしまうから。

 それだけは何があっても、我慢を続けた先にどうなってしまうのだとしてもしたくなかった。

 彼の部屋を血塗れにしたのだって、ふとした拍子にかぶりつきそうな己を抑える為首を滅茶苦茶に──それこそサーヴァントとしての身体能力を全開にして掻きむしったからだ。

 

「──く、ぅ。うぅ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 されどそこまでする理由は、彼女自身にも分からない。

 確かにスピネルは少年にある程度の好意を抱いていて、スピネルにそれを言い出す勇気があったならば「所謂友達」関係を築いていた筈だが──それにしたって、命を懸ける程だっただろうか。

 あの情熱だけが取り柄の冴えない少年の為に、一切合切を諦める理由は何かあったか。

 朦朧とする意識の中で何度も自問自答して、それでもやはり答えは出なかった。

 

「……良いの、これで」

 

 それで良い、と少女は思った。

 答えを知る必要はない。

 それが例えどれだけくだらない理由だったとしても、知ってしまえばもどりたいと願ってしまうだろうから。

 

「……あ、れ?」

 

 ふと気づけば、スピネルはあの立看板の前に立っていた。

 兎に角少年から遠ざかる事だけ考えていたから、意図して花畑の方へ歩を進めていた訳でもないのだが──これも運命とやらか。

 特に何を迷うでもなく、一瞬崩れ落ちそうになった己を支えるべく反射的に立看板を掴んだスピネルはそのまま方向を変えて、何の面白みもない森の中へと緩慢な逃避を再開した。

 

「────」

 

 草木の生い茂った森の中では、スピネルの履くヒールの高い靴は非常に歩き辛いモノだ。

 1歩踏み出せば雑草が絡み付き、2歩進めば根に躓く。

 だが、今更スピネルはそんな些事を全く気にしない。

 気にしている余裕が無いとも言えるが、それ以上にある種の確信が彼女にはあった。

 

 呼んでいる。

 向日葵畑が呼んでいる。

 スピネルにとって出逢いの地、或いは運命の場所とも呼べるあの黄金色の海が何らかの力で以て彼女を呼び寄せているのだ。

 そして──少女は、辿り着いた。

 

 

 

「あぁ────」

 

 

 

 向日葵畑は、初めて迷い込んだ時から何1つとして変わらず其処に在った。

 朝露に濡れる事もなく、虫に集られる事もなく、ただ人々の営みを照らす太陽のように開いた花弁を思う存分スピネルに見せつけていた。

 その輝きの、何と眩しい事か。

 

「欲しい……欲しいのぉ……!」

 

 遂に膝から崩れ落ちたスピネルは、もんどり打って地面に倒れながらも手を伸ばす。

 輝きが、欲しい。

 物でも才覚でも体験でも何でも構わないから、誰にも負けない自分だけの輝きが。

 誰にも恥じる事なく自慢出来る、「何か」が。

 

 なのに、「それ」から遠ざからねばならない。

 すぐ目の前にあったのに、もう顔を見る事すら許されない。

 

「やだぁ……いやなの……」

 

 何が、とは続けられず、いつしか視界は止めどなく溢れ出す涙で滲んでいた。

 ドレスとヒールは土に塗れ、心はぐちゃぐちゃに引き裂かれていた。

 あまりにもみすぼらしい己の姿にこれが罰なのだろうか、と少女は悲嘆する。

 何も望んではならないのに、幸福になる資格なんて最初から持ち合わせていなかったのに勘違いしてしまったから、こんな目に遭うのか、と。

 その果てに壊れた心から飛び出すのは、やはりあの言葉。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 もう何も見たくなかった。

 考えたくなかった。

 希望を見せつけられた上で奪われる位なら、最初から何も知らず何も感じず白痴でいる方が余程マシなのだと、少女は心の底から願っていた。

 だから──────

 

 

 

 

 

 

 

 

「君が謝る必要なんて、ない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 さも当然のようにそれを否定する少年は、やはりスピネルにとっては最低最悪のヒーローと言えるだろう。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 第 14 話 〕

 

 

最低最悪のヒーロー

 

 

向日葵で、君に

──×──

"The Grimalkin and a boy ────"

▲▼▲▼▲




◯少年/最低最悪のヒーロー
正義の味方ではない。
悪と戦う力もないし頭の回転も良くないし人々も守らないし不正も正せないし察しも悪いし間違えてばかりだし怠け者だ。
けれど彼はたった1人、()()()()()()()()()()()なら躊躇いなく己の全てを擲つ事が出来るという一点のみでヒーローとして成立している。

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
最初からひだる神(?)に憑依されていた。
やたら食事に関する言及が多かったのもそのため。
前回ラストでこのまま吸血すれば少年を「空」にしてしまうと気付いた為咄嗟に己の喉を掻きむしって逃走を図った。
絶望とひだる神によって付与されどうしても抑えきれない食欲に苛まれ錯乱しているが、それでも少年から遠ざかろうとする等本来の善性(?)が隠しきれていない。

◯「お母様」
人類最後のマスターの妻を自称するスピネルの母。
とても強い(小並感)魔女なので遠隔読心位お手の物。
バーゲストから少年の伝言を受けスピネルに会いに行くつもりだったが事態を察知し見守る方に回る。
後ちょっと身体能力もブーストさせてあげるとても優しい魔女。


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第15話「限りあるあなた、きみの隣にて(中)」

またしてもお久しぶりです。
字数ノルマを課していると全然文章が浮かんできませんね。


「え…な、ぁ…!?」

 

 ゆっくりと此方を振り向いた彼女は、信じられないとばかりに驚愕の表情を露にしていた。

 喜んだ表情、悲しんだ表情とこの数日で色々と見てきた訳だが──これは中々新鮮だ。

 切羽詰まった状況下にも関わらず不謹慎だが、してやったりと思ったりもする。

 

「う、嘘……!?」

 

 それにしても──実に数時間振りの再会を遂げたスピネルは、非常にみすぼらしく見えた。

 100人中100人が美少女と評する美貌は苦痛に歪み、掻きむしったのかズタズタになった頚から溢れ出す血が紅白のドレスを真っ赤に染めている。

 控え目に言って心も体も重傷だ。

 寧ろ骨が見えそうなんじゃないかと言う位に頸の肉を削ぎ落としているにも関わらず「重傷だ」で済ませられる辺りがサーヴァントの強靭さとやらなのだろう。

 なら──先に「話」から始めても問題は無い筈だ。

 

「やっほ、来ちゃった」

「あ……アンタ、一体何で……っ!?」

「そりゃいきなりいなくなったら心配するでしょ」

「……違うっ、そんなんじゃない!」

 

 向日葵畑の前で、草むらに血で汚れた手を突いたまま彼女は吼える。

 何故来てしまったのか、どうして自分の頑張りを無駄にしてしまったのか、と悲嘆と絶望が入り雑じった瞳で此方を見上げている。

 

 確かに、スピネルからすればそれが真実なのは間違いない。

 何らかの方法で「ひだる神」に呪われ如何ともし難い食欲に襲われ、最も近くにある吸血妖精の食料──即ち僕を吸い殺してしまいそうになった彼女は、何とかしてそれを避けるべく必死に距離を取ろうとしたのだ。

 自分の頸を爪で抉りながら歩き続け、疲れ果てても互いの為にはこれしかない、と。

 

「私は……っ、アンタの為を、想って……!」

 

 それをこうして追い掛けられもしたら、怒りもするし絶望だってするだろう。

 況してや立ち上がる事すら儘ならない彼女では、息を切らしてはいるもののまだまだやる気満々な僕を振り切る事など夢のまた夢。

 スピネルの決死の策は、よりにもよって(自意識過剰でなければ)守りたいと思った相手にぶち壊されてしまったのだ。

 その点については本当に申し訳ないと思う。

 なので──ぶち壊した責任を取る。

 

「──ひぃっ!?」

 

 特に何も言わぬまま1歩踏み出せば、スピネルは大袈裟過ぎる悲鳴と共に飛び退いた。

 恐怖と言うか、化け物を見るような目線が突き刺さるが一体どうしたと言うのだろうか。

 生意気な面をしているのかもしれないが、特に怖がられるような表情とかをしたつもりはない。

 自分で言ってしまうと途端に信憑性は失せるが、寧ろ誠実なつもりだ。

 

 ────いや、違うか。

 

 よく見ればスピネルは何か言いたい訳でも無さそうなのに口元をモゴモゴとさせているし、驚愕に混じって時折物欲しげな視線が送られてくる。

 つまり彼女は未だに「ひだる神」の影響下にあると言う事だ。

 絶えず呪われ、明らかに常軌を逸した食欲を抑えられない己に恐怖すると同時に、近くの人に対しても食欲を抱いてしまった事に怯えているのだ。

 そりゃ僕を視界に入れたかないだろうし近付かれたら悲鳴も上げるだろう。

 

「なる、ほど」

 

 理解は一瞬。

 されど焦りや困惑はない。

 寧ろ()()()()()()()()()だ。

 そう、自画自賛っぽくてどうにも寒気が走るがこのクソ面倒な問題をどうにかする道筋はもう見えている。

 誰も死なず、誰も悲しまず、全てが丸く収まる最高最善の解決策は直ぐ其処にあるのだ。

 必要なのは多少の度胸と、スピネルを信じる心だけ。

 それさえあれば高々5メートル位────

 

「く、来んなっ!」

「──ぃっつ……!?」

 

 叫びと共に頬に走る、鋭い痛み。

 何事かと顔を上げれば、深紅の少女はその手に昨日見た琴を構えていた。

 そして痛みを感じた箇所にそっと手を当ててみれば、指先にべっとりと絡み付く生暖かい感触。

 

 ────攻撃された?

 

 つまり今頬を引き裂いたのは、真空の刃か。

 そう理解した時には血に濡れた彼女の指が再び弦を弾いていた。

 

「……っ、うぅ、あぁぁぁぁぁぁっ!来んな!来んなぁっ!私の傍に近寄るんじゃねぇっ!」

 

 葉が裂ける。

 土煙が舞い上がる。

 樹木に傷が刻まれる。

 取り乱したスピネルが叫ぶ度に無差別に何かが切り裂かれる。

 それは僕だって例外ではない。

 全く不可視の刃を防いだり避けたりするのなんて一般中学生風情が出来る筈も無し、瞬く間に服がズタボロになり腕や足にはみみず腫や切り傷が増えていく。

 逆に言えば()()()()でもあるが。

 

「──今から、そっち行くわ」

「な……っ、何でぇっ!?来るなって言ってんだろぉっ!?」

 

 再び1歩踏み出せば、スピネルの悲鳴は増々上擦ったモノに変わった。

 当然だ。

 彼女からすれば今僕が近付こうとするのは嫌がらせにしか感じられないだろう。

 必死に抑えようとしているのに、遠ざかろうとしているのになんで態々寄ってくるのか、と。

 

 だが、こうして僕と顔を会わせてしまっている時点で彼女の企てはご破算となってしまっているのだ。

 大して体力の無い僕が追い付けているのだからスピネルがもう1度距離を取れる訳がないし、どこまで逃げようが僕に地の果てまで追いかけ回されるのはもう確定している。

 それに、だ。

 

「お前、本気で傷付ける気無いだろ」

「────っ!?」

 

 琴を弾く指が止まる。

 動揺を隠せず視線が右往左往する。

 それだけで如何に彼女が軽く傷付けるだけに留めると言う()()()()()()をしていたかは明白だった。

 

「そーいう所で優しさ隠せてないんだよ、お前」

「──ち、違うっ!」

 

 しかし未だにスピネルは己の優しさを隠せるつもりでいるらしい。

 震える絶叫と共に再び放たれた不可視の刃が地面を滅茶苦茶に切り裂く。

 それだけ。

 全く以て、これっぽっちも痛くない。

 

「ほら、当ててこない。流石に手加減無しで当てたら死んじゃうからな」

「──違うっ!違う違う違う!」

 

 余程思い通りにならないのか、スピネルはガリガリと頭を掻きむしり始める。

 それはつまり片手が塞がっていると言う事で──琴を弾けない今が、近付くチャンス。

 だけどこそこそと足音を忍ばせて近寄るつもりはない。

 そんな事ではスピネルは救えない。

 だから──声高らかに宣言しつつ、1歩踏み出す。

 

「今から、お前の所に行く」

 

 残り4メートル。

 決意は身体を動かす動力になり、すっかりヘトヘトな上に血でベタベタな全身に活を入れて進む。

 

「そんでお前に血を飲ませる、覚悟しやがれ」

「ひぃっ────!?」

 

 残り3メートル。

 琴を抱えて踞っていたスピネルがハッと顔を上げる。

 そりゃそうだろう。

 吸血しない為に逃走した彼女からすれば、僕の発言は自殺行為以外の何物でもない。

 けど──信じてる。

 根拠なんて何一つ無いけれど、スピネルならギリギリの所で調整してくれるって、決して殺しやしないって信じてる。

 

「そんでもって、影の原因をチャチャっと解決する!」

「で、出来ないわ……貴方には、出来ないの……!」

「まぁ、僕1人じゃあ無理だわな。魔術の才能無いし」

 

 

 残り2メートル。

 怖じ気づいたのか、或いは未だに自分を信じられないのか、スピネルは尻餅をついたまま後退ろうと琴を放り出して両手をバタつかせていた。

 彼女に迫っているのは此方だが、此処まで怖がられると何だか申し訳ない気分になってくる。

 ひょっとして、今僕は凄まじい形相をしているのだろうか。

 自分からは何も分からないが──まぁ、何だって良い。

 恨まれようが殺されようが彼女を救うと言う決意に揺るぎはない。

 

「──でも、キミがいれば出来る」

 

「────!?」

 

 残り1メートル。

 それに、さっきは「根拠なんて何一つ無い」と断言したけれど影が本当にひだる神なら──或いはひだる神としての性質を持つ某かなら希望が無い訳ではなかった。

 対策も解決法もあるなら、後はどれだけ彼女を信じられるかが全てだ。

 

「君の力が──いや、キミが必要なんだ」

「あっ……あっ、ぁ……だ、ダメ……やだ……食べたくない……!私食べたくないのに……!」

 

 残り──ゼロ。

 今僕は、スピネルの眼前に立っている。

 食欲と理性に翻弄され、焦点の合わない瞳を此方に向ける彼女の前に確固たる意志を持って立っている。

 僅か5メートルとは言え、英霊の暴力を耐えきったのだ。

 ならば────

 

 

 

「その為だったら、腕1本位惜しくもない」

 

 

 

 人間離れした挙動で跳ね起きたスピネルの前に、僕は真空の刃で出血した右腕を差し出した。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 5  目 〕

 

 

向日葵畑で、君と

 

 

限りあるあなた、きみの隣にて(中)

──×──

"The Grimalkin and a boy fight in the vilage."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 何て事をするの、と最早何者かも定かでない少女は思わず叫びそうになった。

 しかし実際にそう思わざるを得ないだけの行為を眼前に立つ少年はしたのだ。

 蛮勇を超え、単なる自殺行為でしかない挺身を行ったのだ。

 そう────

 

「血、吸って」

「────っ、い、いやよ」

 

 彼はよりにもよって吸血妖精であるバーヴァン・シーに向かって、幾つもの裂傷が刻まれた()()()()()()()()()()右腕を差し伸べているのである。

 それがどれだけ恐ろしい行為なのか、少年はまるで理解していない。

 飢餓状態に陥ったライオンの檻に自ら進んで入っていくのと同義──いや、それ以上におぞましい獣が牙を剥こうとしているのにまるで「これで助かった」とでも言いたげな安堵の表情を浮かべてすらいる。

 それ故に何なんだコイツ、と少女の内で妖精騎士トリスタンが悪態を吐く。

 正気じゃない、イカれてる。

 かつて妖精國でも蔑まれた吸血を自ら望むだなんて、何かしらの気狂いとしか思えない。

 

 ──けど、ひょっとしたら信じて良いのかもしれないと思う少女がいた。

 

「止めて……止めて!貴方を殺してしまいたくないの!」

「さっき言ってるだろ、僕は死なないしキミは僕を殺したりなんてしない。何なら賭けてもいい」

 

 信じられない、と少女の内でバーヴァン・シーも呟く。

 普段ならいざ知らず、「影」によって異常なまでに食欲を肥大化させられたバーヴァン・シーが少年を()()()()()可能性は決して低くない。

 寧ろ圧倒的に吸い殺してしまう可能性の方が高いと彼女は考えており、だからこそ優しい少年に襲い掛かる事だけは避けたかった。

 

 ──けど、ひょっとしたら信じて良いのかもしれないと思う少女がいた。

 

「不器用だからこれしか言えないけど、安心させる言葉なんて思い付かないけど…信じて欲しい」

「でも…でもぉっ!」

 

 どうして理解してくれないの、とスピネルもまた呻いた。

 誰の為に逃げようとしたのか、誰の為に吸血を拒絶したのかこの阿呆は何にも理解していない。

 全部。

 全部この少年の為だ。

 妖精國で「終わり」を迎えた後に初めて出来た「友達」の為にスピネルは自己犠牲を選んだのだ。

 勿論カルデアにだってガラテアのような気の合う相手がいなかった訳ではないが、何の気兼ねも無くはしゃげるのはこの出会ったばかりで大した取柄も無い凡人の前だけだった。

 それは間違いなく彼女にとっての「運命」だ。

 何をしても笑い者な自分が()()()()()()()()()、そんな可能性に巡り会ったのだから守りたいと思うのは必然だろう。

 

 それをぶち壊すとか言う。

 身勝手にも血を吸えと言う。

 本当に、何なのだろうか。

 何を考えているのだろうか。

 曖昧な思考と飢餓に侵されたスピネルは、殆ど無意識の内に読心の魔術を発動させ──思わず、呻いた。

 

(な、何よコレ────)

 

 それは、スピネルにとって全く未知の情動──否、受け取っている筈なのにどうにも感じられない1つの感情だ。

 彼女の「お母様」が不器用ながらに捧げた感情の対であり、人類最後のマスターがそれとなく与えてくれる感情を極限まで高めたかのような、凡そ今まで感じた事のない程直接的で無遠慮な情熱だった。

 

()()()、私の事が好きだって言うの!?)

 

 好き。

 それもLIKEではなく、LOVEの方の。

 突然妙な挙動を始めた少女に少年は怪訝な顔をするも──それどころの騒ぎではなかった。

 

「────?」

「え、なに。どした」

「ちょっと黙ってろ」

「あ、はい」

 

 そんな筈はない、有り得ないと首を傾げるも変わらない。

 魔術に何かしらの問題があったのではないかと確認するも、何も異常はないと一目で分かる。

 つまりそれは、一切裏表なく本心で好かれている──恋をされている、と言う事で。

 

「────ッ!?」

 

 かつて特に理由もなく訪れた刑部姫の部屋で読み、下らないと放り投げた少女漫画さながら頬がカッと熱くなる。

 尋常じゃない空腹感などという()()は一瞬の内に心の隅っこへ押しやられ、心が少年からビシバシ伝わってくる「好き」で満たされていく。

 何とか彼の顔を直視しようとして──出来ない。

 突如として湧き上がってきた謎の熱に全身を焦がされ、少女は顔を真っ赤にしたまま俯くしかなかった。

 

 ──けど、ひょっとしたら信じて良いのかもしれないと思う少女がいた。

 

 ああ、そうだ。

 今も昔も「お母様」は不器用過ぎるあまりに回りくどい形でしか愛を捧げられなかった。

 人類最後のマスターは常識的な範囲の、ごく一般的な形の親愛で以て接していた。

 しかし此処まで直接的なら、()()()()()()()()()()()()()()心の底からそう思っているなら、もう言い逃れも見て見ぬ振りは出来ない。

 その思いを確信に変える為、少女は呟く。

 

「────そう言う、こと」

 

 好きだから、恋しているから信じられる。

 それが全て。

 少年にはそれ以上もそれ以下もないのだ。

 そして──トリスタン/バーヴァンシー/スピネルもまた、()()()()と思った。

 自分を信じられるようになりたいと、心の底から願った。

 

「……し」

「し?」

「信じて……良いの?」

 

 故に、問う。

 最後の一押し、変われるか否かを少女は彼に問い掛けた。

 言葉とは裏腹に彼を()()()

 

「そりゃ勿論────」

 

 そんな紅の少女の信頼に、少年は応える。

 学は無いけれど、妙に小難しい事を考える癖に肝心な所では考えるのを止めるけれど、これだけはハッキリと言えるのだ。

 

 

 

「大船に乗ったつもりで」

 

 

 

 あぁ、きっとそれなら大丈夫。

 精一杯気取った風に見せる少年の返答を聞くと同時に、少女は彼の腕にかぶりついた。




◯少年
当人がそれを恋だと自覚してない(ただの友達相手にここまでするのは変だなとは思ってる)だけで内心一目惚れしてたヤツ。
一応吸い殺されないと確信してるとは言え好きな子の為ならナチュラルに腕1本位OK!なやべー感性してるけど好きになっちゃったんだからしょうがねぇんだ。

ホントはこんなパーフェクトコミュニケーション野郎にする予定はなかったしもっと話は拗れる予定だったけど6章後半があんなだからトリ子救済全力でいいかな…って。

◯トリスタン/バーヴァン・シー/スピネル
やだ…私の事好き過ぎ…!?で少年を信じる事に決める。
パーフェクトコミュニケーション野郎がパーフェクトコミュニケーションするのでこの後はイチャイチャしながらひだる神周りを解決するだけになると思われる。


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第16話「限りあるあなた、きみの隣にて(下)」

文量が増えたのでちょっと遅れました。


 躊躇う事なく突き立てた牙が、血や傷に塗れているものの年相応に柔らかい腕の皮膚を紙切れのように引き裂く。

 右腕を押さえ込まれ、皮膚の内側に異物が潜り込む感覚に堪らず顔をしかめてしまうが──そんな僕を、スピネルは信じてくれた。

 己の食欲が満たされるまで持ちこたえてくれると、持ち前の無駄過ぎる根性で耐えきってくれると。

 

 そして牙の先端で軽く傷付けた血管から、「赤」が──この数日間でスピネルが何度も吸った(と思われる)血液がどくどくと溢れ出す。

 しかし、生死に関わる程激しい訳ではない。

 飽くまで食い破られた皮膚の内側には御猪口を満たす程度の──正しく()()には丁度良いだけの量の血が貯まっていた。

 

「────っ」

 

 誰かしらの、喉が鳴った。

 どうしたって消せない恐怖が、彼女を浮き足立たせた。

 実際、ほんの数分前までだったらこの状況を這ってでも逃れようとしていただろう。

 現に今この瞬間だってひだる神によって尋常ならざるレベルまで増幅させられた食欲は、スピネルの脳内で「一滴残らず吸い尽くせ」とうるさい位に騒ぎ続けているのだ。

 もし殺してしまったら、と言う可能性は頭の中にこびりついて離れようとしないのだろう。

 僕だってそうだ。

 自信はあるけど、確証はない。

 

「──っ、ぐ、くぅ」

「────!」

 

 しかし──退かない。

 かと言って、我を失って暴走したりもしない。

 だって、僕も彼女も互いを心の底から信じているのだから。

 

「ぷぁっ……ッ、大丈夫?」

「あったり前よ。私を誰だと思ってんだ、ええ?」

「自信満々で自己評価最低な()()()()スピネル嬢、だろ?」

「よぉく分かってんじゃんか」

 

 覚悟を決めているとしてもやはり痛いモノは痛い、右腕から走る鋭い痛みに汗が滲んでくる。

 しかしそれでも彼女に向けるのは心配と信頼の言葉だ。

 好きだから、頑張れる。

 好きだから、耐えられる。

 それが凡俗でしかない僕に唯一出来る献身であり、少女を想う一途な心の表れなのだ。

 そしてだからこそ──スピネルもまた、少年の想いに応えねばならない。

 

「────!」

 

 意を決したのか、スピネルの舌先が「ソレ」を軽く舐めとった。

 生暖かい液体の感触と鉄錆の苦味に、しかし彼女は頬を緩める。

 間違いなく、血だ。

 かつて妖精國で望まぬ目的(悪意のある娯楽)の為に摂取()()()()、この数日間抑えきれぬ欲求に身を任せて夜な夜な吸った命の色そのものだ。

 それを咀嚼して、飲み込んで──彼女は己の飢餓が僅かに満たされたのを自覚した。

 

「……っ、く」

 

 1度手を出してしまえば2度目は早い。

 痛痒に表情を歪める僕の呻きを聞きながら、真っ赤な舌がおずおずと差し出される。

 軽く裂かれた皮膚の中で作られた赤い水溜まりに浸されては、直ぐ様引っ込められる。

 早朝の向日葵を前にぴちゃぴちゃと水音が響く様は、見る者によってはこの上なく倒錯した行為──或いはカルト宗教か何かの儀式に見えてしまうだろう。

 

 しかし、当事者2人は知っている。

 これが命を守る為の行為である事を。

 これがひだる神を破る為の第一歩である事を。

 これが信頼のやり取りである事を。

 

「……あ、れ?」

「……どうしたの?」

「いや、その、何か……変だ」

 

 やはり、()()()()

「吸血妖精」の割にはあまりにも淑やかな血吸いの中で、恐らくスピネルは全く未経験の奇妙な感覚を抱いたのだろう。

 表情には戸惑いが生まれ、血を啜ろうとしていた舌はひっこめられる。

 

「さっきまであんなに飢えてた筈なのに……もう全然そんな事ない。どういう事だよ……」

 

 そう、あれだけ苦しんだ筈の飢餓感はまるで初めから存在しなかったかのようにいつの間にか彼女の中から綺麗サッパリ消え失せていたのだ。

 それもほんの数回血を舐め取り、嚥下しただけで。

 間違いなくこれまでの吸血より摂取した血液の量は少ないにも関わらず、これ以上にない位スピネルは満たされていたのだ──多分だけど。

 推測でしかないけど。

 

「……やっぱりな」

「え?」

 

 しかし、此方にとっては想定外の事象ではない。

 寧ろ予想通り──全てが思った通りに運んだ証拠だ。

 

「さて、と。次は────」

「な、何と……?」

 

 思わずポカン、と口を開けたまま静止するスピネルを横目にゆっくりと立ち上がる。

 見据えるのは少女に非ず。

 況して向日葵でも非ず。

 ありったけの怒りと、憐憫と、そしてそれなりの()()()()()を籠めて睨み付けたのは────

 

 

 

()()か」

 

 

 

 相も変わらずスピネルの背後でゆらゆらと揺らめく、真っ黒な「影」だった。

 

「コイツ────!」

 

 その存在を認めた瞬間、スピネルの手の中に琴が出現する。

 シンプルで、小さな彼女の両手でも抱えられる程度には小さくて──そして英霊である妖精騎士トリスタンが弦を弾けば相手を引き裂く武器となる、紅い琴。

 

 ──でも、それが必要なのは()じゃない。

 

「はいストップ」

「なん──邪魔すんなっ!」

 

 真空の刃が放たれる前に腕を掴めば、攻撃の動作を中断されたスピネルは怒りの形相をそのままに此方を睨み付けてきた。

 目付きだけでも滅茶苦茶キレてるのが分かるし、正直視線だけで殺されそう。

 

 ──それでも、必要なのは今じゃないんだ。

 

「ほら、よく見てみなよ」

「はぁ?何、を……!?」

「ね、コッチ来ないでしょ?」

 

 そう、来ない。

 黒塗りののっぺらぼうは風に煽られスピネルの背後でただ揺れるだけで、僕達の方には1ミリだって近寄ろうとしていないのだ。

 それどころか、あまりに黒すぎて遠近感が狂わせられそうになるが少しずつ遠ざかっているようにすら見える。

 

「……知ってたの?」

 

 敵意が無いなら武器を向ける意味はない。

 そんな意図を理解したスピネルは無言のまま琴を光の粒子へと戻し、直ぐ様此方へと振り向く──ただし、何とも言えぬ愛らしさ全開の膨れっ面で。

 

「いや、その……」

「……」

「走ってる最中に、アレひょっとしてって……」

「……」

 

 言い訳にしたってあまりにもお粗末な言葉をどうにかして捻り出すが、彼女はプイとそっぽを向いてしまう。

 恐らく、大体全部見通していた癖にロクな説明もしなかった僕に対して拗ねているのだろう。

 女の子の機嫌なんて全く分からないし他人の機微にも疎いが、それ位は流石に分かる。

 と言うか、スピネルが一目見て大体察せてしまう程に分かり易い。

 今となってはそれこそ読心の魔術でも使っているかのようなお手軽さで考えが読める。

 

「許して……」

「……やだ。許さない」

 

 しかし、だからこそ改めて1つ言い訳をさせて欲しい。

 あの時は兎に角余裕が無かった。

 追い付いた時にはスピネルはもう生きるか死ぬかまで自分を追い込んでいるし、此方は此方で運動不足の所に長時間の全力疾走をしたからもうヘトヘトだし、急がなければ全部が全部ダメになりそうだったのだ。

 勿論、それが分からないスピネルではない。

 寧ろ全て察したからこそ何も言わないだろうし、ただそっぽを向くだけに留めているに違いなかった。

 

「……」

「……その、さ」

 

 で、あれば。

 一先ず「影」は去ったのだし、今僕がするべき事は拗ねてしまったスピネル嬢の御機嫌取り以外ないだろう。

 そして、切り札は既に此方の手の内にあるのだ。

 そう────

 

「今日の夕飯、何が良い?」

「……!」

 

 ピクリ、と彼女の耳が反応する。

 やはりだ。

「影」に取り憑かれていた影響もあってか、やはりスピネルに食事の話題は通用する。

 それさえ確認出来れば、後は押しきるだけ。

 

「カレー、作ろうか?」

「……ぅ」

「パスタも作るし、何ならデザートにパフェも出すよ。冷蔵庫に良い感じのメロンとか葡萄とかあるのスピネルも知ってるだろ?」

「……それ、は」

 

 フルーツの誘惑にスピネルの口からは思わず声が漏れ、そんな己を恥じたのか慌てて両手で塞ぐ。

 正直滅茶苦茶可愛らしい。

 美少女が全力で美少女をしている。

 

「……ダメ?」

「……知らない」

 

 しかし、パフェでもまだ足りないか。

 作れると言ってしまった手前アレだが、料理サイトとかを見ればどうにかなるだろうと希望的な見方をしているだけで実際は何も知らないのだ。

 何か変なモノを作れと言われただけで詰む可能性は極めて高いのでそこそこの所で勘弁してもらいたい。

 

「ああもうっ!」

「えっ」

 

 正直不安だ──等と無駄な事を考えていると、不意にスピネルが胸元を掴んでくる。

 そして額と額がぶつかってしまう位に引き寄せられ──有難い御言葉。

 

 

 

「全部、私がもう嫌って言うまで作れ」

 

 

 

 ワッと一息に言い切ると、スピネルはドレスを翻して向日葵畑の方へと歩いて行ってしまった。

 何たる我が儘。

 どうやら彼女は我が家からありとあらゆる食材を消し去るつもりらしい。

 そして当然ながら、親にバレないように補填をするのは僕。

 

「お年玉の出動かなぁ……」

 

 氷河期が確定した懐事情に思わずぼやいてしまうが──しかし、悪い気はしなかった。

 そりゃあ彼女の事を全て知っている訳ではないし、笑っていたとしても必ずしも幸せとは限らないだろう。

 ただ、まぁ──やっぱりスピネルはクソ生意気な位が丁度良いと思うし、実際に我が儘を言っている所を見るとなんだかホッとする。

 そんな気が、した。

 

「ま、いっか」

 

 だから財布がすっからかんになる事くらい、諦めて受け入れよう。

 うん、それが良い。

 それにさ、漢気ってのはこう言うモンなんだろ──なぁ、偶にしか帰ってこないクソ親父。

 まだ家庭が冷えてなかった頃にアンタが言ってた事、今ならちょっとは分かる気がするよ。

 

「……よし、行くか」

 

 これ以上うだうだしていたら、スピネルも影も見失ってしまう。

 スッキリした気分で空を見上げながら、決意も新たに踏み出して────

 

「うえぇっ!?」

 

 その1歩目で、草に足を取られてすっ転んだ。

 本当にカッコ付けんのヘタクソだな、僕。

 

 

 

▼▲▼▲▼

 

 

 

「────そもそも、アレは『ひだる神』なんかじゃない」

 

 規則正しく並び立つ向日葵の間をすり抜ける少女の隣で、頭に雑草を絡ませた少年はそう切り出した。

 

「ちょっと考えてみれば直ぐに分かる話だったんだ。幾ら此処が妖精とか出そうなクソ田舎だからって、曲がりなりにも神の名を持つ輩が現れる筈がないだろ」

 

 言われてみれば、その通りである。

 神々が人類の歴史から姿を消して(決別して)およそ4600年、神性を持つ英霊や神霊の類いこそノウム・カルデアには結構な数がいるものの、それはカルデアがあまりにも異常なだけであって人々が暮らす俗世では全く認知されていないのだ。

 つまりは、信仰の中だけでの存在。

 ごく一部の限られた例外を除いて怪異すらマトモに目にする事はない。

 それなのに民間の伝承にも残っている「ひだる神」が、偶々こんな田舎に出現したりするか?

 普通はしないだろう、と魔術に関する説明を多少受けていた少年は考えたワケだ。

 

「じゃあ何だって言うのよ」

「それは────」

 

 では今、少女達の5メートル程先をゆらゆらと揺らめきながら滑るように進んでいる「影」は何者なのか。

 それに関しても少年はおおよその当たりを付けていた。

 

「多分、誰かしらの魔術だ。それも使役するとかそういう系の」

 

 そう、魔術。

 特に魔術師の分身たる使い魔の類いだろうと少年は推測する。

 

「これも、そもそもの話なんだけどさ。生まれてからずっとこのクソ田舎で生きてるのに、向日葵が此処にある事を今年になって初めて知ったんだよ。それっておかしくないか?」

「確かに、変ね」

 

 少年は決して察しの良い方ではない。

 どちらかと言えばかなりマイペースで、それ故に多忙な母親も「受験を控えた我が子がこんなのんびりしていて良いのか?」と思う程に我が道を行く中学3年生である。

 尤も当人はその事で結構苦悩しているのだが。

 しかしそんな少年でも、十数年もの間1度も「この先、向日葵畑あります」の看板に気付かないと言うのはあまりにも無茶苦茶な話だ。

 倒れていたり雑草で隠れていたりしたらまだ分からないでもないが、生憎錆に塗れたそれは普通に目に付き易い場所に立てられている。

 1度魔術の事を聞いてしまえば疑わざるを得ないだろう。

 

 そして、魔術の関与を確信する点がもう1つ。

 

「全く枯れないんだよな、向日葵が」

 

 2人の周りを埋め尽くす黄金色の絨毯。

 通常であれば2週間、種類によっては1ヶ月程度の間開花するとされている向日葵に、不思議と枯れる気配が一向に見えないのだ。

 何日通い詰めても、どれだけ雨が降っても、まるで見えないビニールハウスに覆われているかのように向日葵は大輪の花を咲かせ続けている。

 どれか1本でも萎れていたら少年もスルーしていただほうが、流石にこの異常を見逃す程少年はのほほんとしている訳ではなかった。

 

「つまり、この向日葵畑を根城している魔術師が何かしらの理由で、その……ひだる神?に近い特性を持った使い魔を私達にけしかけてるってワケ?」

「まぁ、多分」

「断言しろよ断言」

「いや、何だかんだ言って僕はド素人だからさ。これだけカッコ付けて推理したけどやっぱりガチのひだる神かもしれないじゃん。もしそうだったら恥ずかしくて恥ずかしくて……生きてられんわ」

「ダッサ!マジでそういうトコだぞお前……」

 

 少年の推理はかなり曖昧だ。

 スピネルからすれば頷きたくなるような部分はあるものの、結論から言ってしまえばどれも状況証拠であって具体的に何処の誰がどのような魔術を何の目的で行使したのかを全く示せていない。

 

(──まぁ、疑ってる訳じゃないけど)

 

 しかし、彼がそう言うのならそうなのだろうとスピネルはぼんやり考えていた。

 ドジで間抜けで気の利かない男だが──決める所は最高にカッコよく決める、と言うのが少女の少年に対する評価であり、恐らく今が「決める所」なのだ。

 それに、間違っていたってスピネルは別に構いやしなかった。

 少年が自分の為に頭を捻ってくれている。

 ただそれだけで今の彼女には充分だ。

 そうして5分も歩けば──少女達の方を見向きもせずに滑る「影」は、向日葵畑の外れにポツンと建てられた小さなログハウスへと吸い込まれるように消えていった。

 

「……ここ?」

「じゃない?何かアイツ入ってったし……」

 

 続けて「管理人さんが魔術師かな」と少年が呟く。

 有り得ない話ではなかった。

 幾ら魔術師が一般的な人間とはかけ離れた世界に生きているのだとしても、生憎余程の事がない限り社会の規範からは逃れられない。

 よって彼らの殆どは戸籍もキチンとあるし、一般人に紛れて買い物もする。

 場合によっては資産運用などで資金を得ている場合すらある。

 つまりは彼らにも「生活」がある訳で──そんな話を事前にスピネルから聞いていた少年は、この向日葵の管理人が魔術師ではないかと考えたのだ。

 

「じゃ、入ってみま──」

 

 しかし、兎にも角にも入ってみなければ始まらない。

 恐ろしさ半分、好奇心半分で少年はドアノブを掴み──その手をはたき落とされる。

 

「待てやコラ」

「えっ何すんの」

「魔術師でも何でもないお前が工房かもしれない建物に率先して突っ込もうとするとか、アホなの?」

 

 ポカン、と口を開けて呆ける少年の間抜け面にスピネルは眉を吊り上げた。

 いやいや、本当に信じられない。

 当然のように血を吸わせてくるとか、そもそもイギリスの貴族とか言う一瞬で100%嘘だと見抜けるような出任せを真に受ける辺りあまりにも危機感が足りな過ぎる。

 

「そう言うのはサーヴァントの役目だろ」

「……」

 

 そう、それは本来サーヴァントがすべき事だ。

 なのにこの少年は自分から問題に首を突っ込む所とか、本当にあの「人類最後のマスター」に似ていて────!

 

「……?え、心配してくれてんの?」

「────っ!」

 

 阿呆の極致に到達したかのような発言に、思わず自分の頬が熱くなるのをスピネルは感じた。

 だって、図星だ。

 完全無欠に、言い訳のしようもない位に図星だった。

 

「あ、あっあっ当たり前じゃない……っ!」

 

 しかし──しどろもどろになりながらも、スピネルは己の主張を貫く。

 当然だろう。

 何せ魔術師の中には人間を人間と思っていない輩がそれなりにいるというのに、其処に()()()()が自ら突っ込もうとしているのだ。

 止めない方がどうかしている。

 それも外から室内を覗けたり魔術で探査したりすればまた話は変わってくるが、このポンコツはそんな暇すら与えない。

 はたき落とすのも致し方なし、というヤツだった。

 

「と、取り敢えずこの扉は私が開けるからな!お前は離れてろよ!」

「はーい……」

 

 ちょっと不満げな表情で後ろに下がった少年を横目に捉えつつ、スピネルは真鍮のドアノブに手をかける。

 軽く捻ってみるが、罠や魔術の反応はない。

 

「────……」

 

 果たして鬼が出るか、蛇が出るか。

 はたまた鼠1匹か。

 何にしたって、自分()に害を及ぼすようなら殺害だって躊躇わないとスピネルは己に誓った。

 少年の前で「ザンコクな」殺しをするのは気が引けるし、嫌われてしまうのではないかとも思うが──絶対に、やらねばならない。

 

「開けるわ」

「頼む」

 

 小さく、宣言。

 自身の決意の確認と少年の承認を得た少女は深く息を吸うと、ゆっくりとドアノブを回し────

 

「そぉ、らッ!」

 

 押して開けるのではなく、その鹿の如きヒールで()()()

 そして間髪入れず室内に飛び込んだスピネルは手の内にフェイルノートを顕現させつつ、不審な敵影を探そうとして──思わず顔をしかめた。

 

「うっ、え……何よこの臭い!」

 

 一見すると大した広さもない、外見から想像した通りの手狭なログハウスだが──漂うのは、腐臭。

 それも溜め込んだ生ゴミとかそんな程度では済まされない、放置された()()の臭いだ。

 如何に「残酷で最低な」妖精騎士トリスタンとて、これには良い顔を作れる筈もない。

 

「……やば。ちょっと吐きそう……」

「……大丈夫?」

「無理そうだったら外に出るわ」

 

 後からそろりそろりと入ってきた少年もあまりの激臭に両手で口を覆う。

 戦闘だとか妖精國で「やっていた事」によってその手の臭いに慣れているスピネルと違って、あまり耐性は無いのだろう。

 尤もスピネルは慣れて欲しいとも思わなかったが。

 

「兎に角、出所を探して──……あ、いや、いた」

 

 そして、この腐臭の出所。

 あまりにも醜悪な「ソレ」は、スピネルと少年が特に探すまでもなく部屋の奥に鎮座していた。

 

「肉の、塊……?」

 

 少年が指差した先にあった「ソレ」は、ぺしゃんこに潰れた肉の塊──いや、正確には無数に折り重なった肉の襞と表現するべきか。

 兎に角、言葉にするのも憚られる程におぞましい「何か」がまるで呼吸でもするかのように膨らんでは萎んでを繰り返しているのだ。

 また、先程姿を消した「影」も肉塊の上で揺らめいている。

 

「何……アレ」

 

 苦しげに呟く少年の疑問も、尤もだろう。

 だって、想像していたのと違う。

 彼は人の形をして、そうでなくとも先ず会話可能な存在が待ち構えていると思っていたのだ。

 罷り間違っても、こんな奇怪な物体ではない。

 

「当たりね」

「何、が……」

 

 しかし、妖精騎士トリスタンはその正体を一目で見抜いていた。

 

「アレがお前の言っていた『魔術師』よ」

「────!?」

 

 そう、魔術師。

 少年の予想は、見事なまでに的中していたのだ。

 

「多分……病気か何かで、倒れたんだろ。自分では1歩も動けなくなって、助けも呼べずにずうっと転がって……それで死なない為に、使い魔に頼った」

 

 死に瀕した人間がただ生きる為に魔術を行使した結果辿り着いた、最早何でもない生き物。

 最初こそ使い魔にやらせていたが食事も水分も尽き痩せ細った手足は次第に縮み、拭くことすら叶わず糞尿に塗れ、泣く事も笑う事も考える事も出来なくなってしまった成れの果て。

 それがこの肉塊だった。

 

「じゃあ……あれか。スピネルに取り憑いたのは、魔力とかそう言うのを吸い取って主人に供給するため……って事か?」

「でしょうね」

 

 当然ながら、こんな事をいつまでも続けていられる筈はない。

 魔力に変換する生命力が尽きれば、あるべき死を迎えるだろう。

 だから、人から吸った。

 スピネルに限らず近隣の住人に悟られる事なく寄生しては生命力を吸い上げていたのだ。

 しかし──ただ吸うだけで、殺しはしなかった。

 必要なのは安定した供給であって、ただ大量にあれば良いと言う話でも無いのだ。

 

 正に生き汚さの極致。

 ただ何の目的もなく生に執着し続ける様は、カルデアの名だたる英傑達が見れば嘆かわしいと侮蔑を露にするだろう。

 

「……何か、可哀想だな」

 

 しかし、そんな魔術師だった肉塊を少年は憐れんだ。

 別に「彼」の姿に理解を示した訳でも、同調した訳でもないが──「普通の人」として誰に見付けられる事もなく、1人でこんな姿になってしまうのはあんまりだろうと思わずにはいられなかった。

 

「……あのさ」

「……何?」

「楽にして、やれないかな」

 

 だから少年は、少女に頭を下げて介錯を頼み込む。

 ひょっとしたら「彼」はそんな結末は望んでいないのかもしれないが、身勝手かもしれないが──死なせてやるべきだと彼は思うのだ。

 されど自分1人でそれを為す力はなく、少年は無力。

 力を持つ者に任せるしかない。

 

「……分かった」

 

 そんな彼の姿にスピネルは暫し視線をさ迷わせ逡巡したが、やがてゆっくりと頷いた。

 彼女としても、「生きるも死ぬも自分では出来ない状態」には思う処があったのだ。

 

「────」

 

 トトン、と少女が軽やかにステップを踏む。

 続けて爪弾いた琴から放たれる真空の刃が、肉塊の表皮を傷付け──溢れ出た体液を1滴、細くしなやかな指が絡め取った。

 

「もう、おしまい。これがあなたの成れの果て──」

 

 途端、それが肉塊を模した小さな人形──魔術師であった何かの()()へと変化する。

 そう、これより起こるは不可避の呪殺。

 対象の一部から作った模造品を殺す事で本体そのものをも呪い殺す、謂わば妖精騎士トリスタン版丑の刻参り。

 そして──────

 

 

 

 

 

「『痛幻の哭奏(フェッチ・フェイルノート)』」

 

 

 

 

 

 いつの間にか左手で添えていた杭を右手の槌で人形に打ち込んだその刹那、肉塊は体内から出現した無数の刃に引き裂かれ赤い華となって散華した。




◯少年
大まかに予想が当たってた絶っっっ対にカッコつけられない系凡人中学生。
スピネル(と言うか妖精騎士もバーヴァンシーも全部含めて)にベタ惚れ。
そもそも1話の時点で「今年初めて向日葵に気付いた」、「全然枯れない」は触れてたので魔術知ったらまぁ疑うよねって話。
両親とも昔は仲良かったし今でも尊敬はしてるので何だかんだリスペクトするし、料理が得意って訳ではないけれどスイーツにも挑戦するチャレンジャー。
当人はあんまり自覚ないけどスピネルに一目惚れだから仕方無いね。
後、血を吸われた所は歩いてる最中に治してもらった。

◯妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー/スピネル
食欲は収まったし何でも作るって言ってもらったし超ゴキゲンな漸く宝具披露系吸血妖精。
でも戦闘はこれで最後。
少年にベタ惚れ。
口調は相変わらずだけど対少年限定で咄嗟に庇ったり気遣うようになった。
そもそも本調子なら魔術云々も最初に気付けた筈だけど前回まで絶不調だったから仕方無いね。

◯肉塊/元魔術師
向日葵畑の管理人。
ひょっとしたら虚数属性かもしれないし何か色々事情があるかもしれないけど本筋に関係ないので全部割愛。
何で向日葵畑を隠蔽してたり向日葵が咲き続けるようにしてたかも不明で倒れたも不明。
きっと綺麗なモノを綺麗なままにして独り占めにしたかったんじゃない?(投げやり)
まぁ設定はちゃんとあるけど本筋に関係ないから別に良いのだ。


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第17話「限りある人生、同じ空の下にて(上)」

3ヶ月近く更新サボってたってマジ?
腹切ります…


 終わった。

 何か、色々と。

 朝起きた瞬間から脳ミソの許容量を超える異常事態、超常現象、怪奇生物のオンパレードではあったけれど、兎にも角にも人の形を失ってなお死ねなかった魔術師さんをスピネルが「終わらせて」くれた事によって、彼女を悩ませる怪現象は終わりを告げたのだ。

 めでたしめでたし──ではない。

 

 寧ろそこからが大変だった。

 何せ魔術師さんは魔術師であるが故に、警察に届け出る事が出来ない。

 もし彼(?)の存在を誰かに報せてしまえば管理小屋の地下にあった「如何にも」な魔術の研究所──工房を大公開してしまう事になるし、不可思議な力で木っ端微塵になった彼の亡骸もまた警察の目に晒される事となる。

 それに、そもそもどうして僕らが彼を発見したのかと言う話にもなる。

 魔術を知らない人からすれば、きっと猪や熊のような獰猛な野生生物(スピネル)に襲われズタボロになった僕が何を思ったのか道路とは反対方向に全力疾走し何故か管理小屋の扉を蹴破ったとしか思えないだろう。

 

 だから、結局僕達に出来た事と言えばバラバラになった魔術師さんの欠片を拾い集めて向日葵畑の端っこに埋めてあげるくらい。

 それが悪いとは言わないけれど、どうにもスッキリしない話だった。

 

「あ゛ー疲れたぁ……マジ疲れたぁ……」

「ぐちぐち五月蝿いわね。誰のせいでこんな事になったと思ってんだよ」

「全面的にキミでは?」

「あーあー聞こえなーい」

「つ、都合の悪い時だけ聞こえない振りしやがる……!」

 

 とは言え、隣を歩くスピネルが元気──を通り越してうざったらしいまでの傲岸不遜さを取り戻してくれたのだからボロクソになった甲斐もあったと言えよう。

 余程機嫌が良いのか時折その鹿の蹄みたいなヒールでステップを踏んでいるし、今この瞬間だって指と指を絡め合っ────絡め?

 

「ん?」

「あ?どした?」

「いや、何でもない」

 

 いや。

 いや、ちょっと待て。

 当然の様に受け入れてきたけど、よくよく考えてみると色々おかしいぞ。

 まずスピネルが、あの同調性皆無で、傍若無人の化身で、人間なんか指先1本で前衛芸術に変えられてしまうスピネルが「僕の隣を歩いている」って言うのがもうおかしいだろう。

 彼女に「歩調を合わせる」なんて協調性のある思考は出来ない、筈だ。

 

「ふふ、変なヤツ……!」

「いや、それ笑うような事か……?」

「笑う事よ、私にとっては」

 

 それに何と言うか、心なし雰囲気が柔らかくなったと言うか。

 今もこうして僕を笑っているのに、以前までは瞳の中に見え隠れしていた「刺」のようなモノが消え失せた様に感じられる。

 つまりは単純に、純粋に。

 例えるなら、休み時間に教室で友達と駄弁っている時みたいな──外見相応の笑みがあった。

 

 そして。

 そして、だ。

 

(────マジ?)

 

 手を繋いでいる。

 僕と、スピネルが、横に並んで、手を繋いでいる。

 滅茶苦茶滑らかで、それでいてしっとりとしてもいる。

 ついでに僕の語彙力も死んでる。

 

「……んん?」

 

 ヤバい、よくよく考えてみるとこれはかなりヤバイぞ。女の子の手ってこんな感じなんだ──と最高級に気色悪い感想を弾き出しているが、それはただの現実逃避に過ぎない。

 理解が追い付けなくなった脳ミソは既にフリーズ寸前まで追い込まれている。

 一体、何がどうしてこんな事態になってしまったのか。

 ちょっと血を啜らせて、遺体を一緒に埋葬しただけだぞ?

 別に貧血になるまで吸血された訳でもないし、どっちかって言うと血の掃除とかばっかりで肉片を集めたのはスピネルだ。

 何をどう考えたってこんな急接近する要素が無い。

 確かに彼女は気分屋だが、幾ら上機嫌だとしてもこれは何か違う。

 

 でも、違うとすると。

 

(……え、マジ?)

 

 これは、ひょっとして。

 ひょっとして、ひょっとしたりするのか。

 安易な思い上がりかもしれないけれど、キモい妄想なのかもしれないけれど、疲れてへとへとになった頭が馬鹿な答えを弾き出しているだけなのかもしれないけれど。

 

 ────好き、か?

 

 僕が、スピネルを。

 或いはスピネルが、僕を。

 あまりにも馬鹿げているけど、どちらも可能性はゼロじゃない。

 だって、僕はスピネルが好きだ。

 もう信じられない位情緒不安定で、我が儘で、その癖他人に嫌われやしないかとオドオドしている部分もあるけど、それらを全部ひっくるめた上で彼女が好きだ。

 でもそれは俗に言うLikeの「好き」であって、Loveの「好き」ではないと思っていたのだ────今までは。

 

 しかし、だ。

 どうやら、所謂「恋」が僕の中に芽生えている可能性があるらしい。

 でなければこの胸の高鳴りに説明が付かないし、片付け終わってから今に至るまで1度も視線を合わせられない理由が分からなくなってしまうのだ。

 つまり、僕はスピネルが好き。

 それも友情の域を超えて、明らかに恋愛として。

 

(これは、困った)

 

 軽く聞こえるだろうけど、冗談抜きで。

 だって、この恋は絶対に成就しない。

 スピネルはいつまでも此処にいる訳じゃないんだから。

 僕は別にいたって構わないと思うけれど、生憎彼女は妖精でサーヴァント。

 ナントカ継続保障機関であるカルデアとやらに帰らなければいけないし、ガウェインさん(お迎え)だってもう来ている。

 そして帰ってしまえば一般人である僕が連絡を取れる可能性など万が一にも有り得ない。

 つまり早ければ今日、遅くとも明日には今生の別れとなる訳だ。

 

(……どうしよ)

 

 困った。

 あぁ、困ったさ。

 いやだって、そうだろう。

 どんなモノにも終わりはあると知っていたけれど。

 いつ消えるか分からない夢か幻みたいな共同生活だと理解していたけれど。

 

(聞いてないよ、こんなの……!)

 

 帰りたくない。

 時間を進めたくない。

 ただ隣を歩いてるだけで良いからずっとこの時間を続けていたいと、そう思わずにはいられない。

 

(どうすんだ。これどうすんだホントに……!?)

 

 そうか、これが恋なのか。

 この痛くて、苦しくて、切なくて。

 得体の知れない衝動に突き動かされるままどうにかなってしまいそうなこの感覚が、初恋なのか。

 だとしたら──気付くのが、あまりにも遅すぎる。

 

「……何だよ、さっきからやけに力込めてきて」

「い、いや。何でもない……!」

 

 どうやら繋いだ手にも無意識に力が入っていたようだった。

 あまりにもヘタクソな誤魔化しに、怪訝な表情をしたスピネルが此方を覗き込んでくる。

 

「ふぅん……ま、いっか。それより帰ったらスイーツ一杯食べさせろよな!」

「スイーツ……?」

「約束したの忘れたのかよ!何でも好きなだけ食わせてやるって言ってたじゃんか!」

「あー、あぁ!言ってた言ってた!うん、作るよ。勿論作るとも」

「しっかりしろよなー」

 

 良かった、気付かれてない──いや、全く以て良くはないが。

 だって、怖いだろ。

 マジで怖い。

 やはりと言うべきか、フェイルノートが放つ刃には身を晒せた癖にどうにもこの好意を確かめる勇気は出てこなかった。

 返答に声の震えが表れなかったのがもう奇跡だ。

 

(……まだ午前中だったんだ)

 

 やけっぱちになって空を見上げれど、残念な事に太陽はまだ昇りきってすらいなかった。

 つまり、()()()()()()()()()()()後24時間はこの悶々とした環境に身を置かねばならないと言う事でもある。

 それが良い事なのか、悪い事なのか。

 幾ら考えれどさっぱり分からず──気付けば見慣れた我が家がほんの数十メートル先にまで迫っていた。

 

「……?」

 

 いたの、だが。

 

「……玄関に誰か、いる?」

「……!」

 

 無意識の内に頬が引き攣る。

 人並み程度の視覚しか持たない僕からはまだ見えないが、これは間違いなくガウェインさんだろう。

 人口スカスカのこの村で、何の用も無しに玄関先に屯してるヤツなんている筈もない。

 つまりは、お迎え。

 もう後数十秒も歩いたら、僕と彼女はお別れだ────そう、思っていたのだが。

 

 

 

「お母様……?」

「ヒエッ……」

 

 

 

 死んだわ、これ。

 愕然とした表情で呟くスピネルの隣で、まだ相手の顔すら見えていないのに僕は絞殺寸前みたいな悲鳴を上げるしかなかった。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 最  章 〕

 

 

向日葵畑から、君へ

 

 

限りある人生、同じ空の下にて

──×──

"The Grimalkin and a boy go ahead through own way."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 先ず結論から言ってしまえば、妖精國の女王にしてバーヴァン・シーの「母」であるモルガン・ル・フェに羽虫のようにか弱い少年をどうこうするつもりは1ミリたりともなかった。

 大体、もしその気だったなら態々新幹線やら在来線やらを乗り継いで消滅寸前の過疎地域なぞに足を運んだりはしないだろう。

 神域の魔術師である彼女の力を以てすれば、例え数百キロ離れていようが特定の対象に呪いをかける程度児戯にも等しい。

 しかしそれをせずに家の前で帰宅を待っていた時点で、敵意はないと言う証明になるのだ──あくまでも、モルガンにとっては。

 

『おい……おい!しっかりしろよおい!』

『バーヴァン・シー、彼は一体どうしたと言うのだ』

『何って、お母様にビビって気絶しちまったに決まってるだろ!』

『……そう、か』

 

 しかし少年にとってはそうではない。

 ここ数日間の間にバーヴァン・シーの口からその「凄まじさ」について耳にタコができそうな位聞かされていた彼は何とかモルガンを目視できる位置まで近付けたものの、あまりの緊張と疲労と威圧感によって対面したその瞬間に気絶してしまったのである。

 これには流石の魔女も困惑するしかなく、崩れ落ちた少年を慌てて支えるバーヴァン・シーを手助けしつつ彼の意識が戻るのを待つしかなかった。

 

 だが、真の問題は此処からだった。

 

『いや』

『こ、殺さないで……殺さないで下さい……!』

『あの』

『すっげぇ失礼な事言っちゃったのはお詫びしますからどうか命だけは……!』

『……っ、ぶふっ!くく……!マジでおもしろ……!』

 

 意識を取り戻した次の瞬間惚れ惚れする位に綺麗な土下座を繰り出す少年はまぁ仕方ない。

 しかし何故バーヴァン・シーは止めもせずに隣で腹を抱えて笑い転げているのか。

 他人が困ったり苦しんだりしている光景を見るのに愉悦を覚える彼女の趣味からすれば当然の話ではあるのだが、そんな事をされればモルガンとて極力控えていた「何故いつもお前はそうなのだバーヴァン・シー」を放つか否か検討せざるを得ないのだが。

 

 そもそもからして、モルガンは致命的なまでに言葉が足りない。

 何があっても眉1つ動かさない鉄面皮と()()完璧な統治者の振る舞いは、2000年以上に亘る妖精としての生が彼女の精神を磨耗させた結果なのだ。

 故にこそ、必要な事を必要な分しか喋らない。

 遊びもなければ遠回しな物言いも出来ない。

 そして、そんな魔女が言葉で自体を好転させられる筈もなく。

 

 

 

 

「すいませんホント……今サッと出せるのがこれ位しかなくて……」

「まぁ、これはこれで。私が事前に連絡の1つもせず押し掛けたのが原因でもありますから」

 

 午後1時を回る頃になって漸く誤解を解く事に成功したモルガンは、縁側にて少年と共に棒アイスを齧っていた。

 尤も、現世に合わせたモルガンの「田舎には絶対いないけど都心だったらギリギリいるかもしれない超絶美人OL」な出で立ちが説得の決め手となった事には流石のモルガンも驚きを隠せなかったが。

 

「……意外と、美味しい」

「まぁ、夏の風物詩ですから」

 

 口の中にじんわりと広がる葡萄の風味を楽しみながら、特に何をするでもなく魔女と少年はぼんやりと庭を眺める。

 

「スピ……バーヴァン・シーは暫く上がってきませんよ。アイツ風呂長いんで」

「あぁ……でしょうね……」

 

 究極的に言ってしまえば魔力の塊であるサーヴァントにとってシャワーや飲食は娯楽の一環でしかないが、しかしそれ故に重要な行いでもある。

 よって、誤解が解けた次の瞬間バーヴァン・シーは風呂へと直行し──取り残された2人は手持ち無沙汰になってしまったのだ。

 そこでどうにか会話を生み出そうとお互いに苦心した結果が、今の何とも言い難い微妙な空気だった。

 まぁ、此処でも相互の認識に差があった事が原因だが。

 

「あの……別に畏まらなくて良いですよ……?って言うか、敬語とか使われると逆に此方が申し訳ないです……」

「特に畏まっているつもりはありません。娘の友人に接するならば、これ位が当然です」

 

 少年にとってモルガンはとんでもない非礼を重ねまくった相手であり、モルガンにとって少年は娘が異郷の地で作った大切な友人。

 しかし幾ら殺す殺さないの誤解は解けたとは言え早々認識のズレが擦り合わされる筈もなく、ぎくしゃくとした雰囲気は拭える気配が一向に見えてこない。

 

「……」

「……」

 

 そうして結局無言に落ち着く。

 多分、それが正しい間合いなのだ。

 単純に相性の話として、どれだけ打ち解けようが両者がこれ以上歩み寄る事は出来ない。

 

「……明日の昼頃、電車で東京に戻ります」

「……そうですか」

「それまでに何があっても、()()()()()()

「……はい」

「それだけです」

 

 だから、終わりも唐突。

 突き付けられた夢の終着点に少年は重々しく頷き──意趣返しとばかりに口を開く。

 

「じゃあ()、今日は居間のソファーで寝ます」

「……」

「ちゃんと話してやって下さい、アイツと。カルデアじゃ話し辛い事も全部」

「……ありがとう、ございます」

「……これ以上アイツが泣くのを見たくないだけです」

 

 所詮は、カッコつけに過ぎないけれど。

 本当は今この瞬間も不安で押し潰されそうだけれど。

 モルガンも少年も既に覚悟は決めていた。

 そう、此処から先は玉砕上等。

 ただありったけの想いをぶつけるだけだ。

 

「好きなら好きってちゃんと言ってあげて下さいよ、()()()()?」

「貴方こそ。好機を逃すような愚は犯さないように」

 

 残された時間は既に23時間を切っている。

 しかし────この村で少年以上に諦めの悪い人間などいないし、この世界でモルガン以上に諦めの悪い妖精など存在しない。

 それが純然たる事実だった。




◯少年
モルガン陛下にクッソビビってた癖にどうしてもカッコつけるのだけは止められない一般田舎民。
モルガンとは根本的に性格が合わないけど嫌いとかではなく上手く話が出来ないだけ。
後今回で漸く恋心を自覚した。

◯バーヴァン・シー/妖精騎士トリスタン/スピネル
事が済んだので今回は終始御機嫌。
直接好きとか言わないだけでもう手を繋ぐ位は当然だと思ってる。
しかも読心は相変わらず機能してるのでクソボケ少年が何考えてるかは全部筒抜けだったり。

◯モルガン・ル・フェ
全然書き進められなかった理由の約7割を占めてる陛下。
少年とは根本的に性格が合わないけど別に嫌悪とかはない。
寧ろ「バーヴァン・シーの友達なのだから非礼の無いようにしなければ…」位は考えてる。
でも言わないから一向に誤解は解けない。






書けなかった理由の残り3割は藤丸立香やオイオイネーを登場させるか考えてたからです。
ゆるして…


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最終話「限りある人生、同じ空の下にて(下)」

 真面目な──いや、人によっては滅茶苦茶不真面目な話をすると。

 

 告白する勇気が無い。

 

 お前此処に来てヘタレるのか、と思う方もいるだろう。

 あれだけ盛大に啖呵切っておいてこれとか情けないとは思わないのか、と罵る方もいるだろう。

 全く以て仰る通りだ。

 弁解の余地等何1つとして残されてはいない。

 純然たる事実として僕はあれだけモルガンさんにイキり散らかし、初対面で気絶するとか棒アイスを出すとか無礼を働きまくった。

 挙げ句告白の許しを得ていると思われるのにそれを実行する勇気が出てこない空前絶後のチキン野郎なのである。

 あまりの情けなさに我ながら溜め息が止まらない。

 でも、1つだけ言い訳をするならば。

 

 ──いや、恋心自覚して数時間で告白は無理だろ

 

 だって、数時間だぞ。

 スピネルに恋をしてるんじゃないかと気付いてからまだ24時間も経ってない。

 しかも、初恋だ。

 残念な事に過疎の極致にあるようなこの村には「憧れのお姉さん」とかはいなかったから、正真正銘、天地神明に誓って初恋なのである。

 最早ドギマギする、とかそう言うレベルの話ではなかった。

 風呂上がりで上気した頬とか水を含んで艶やかな赤髪とか目付きの悪さとか、もう何もかもがヤバい。

 大変気色悪い感想なのだが、全部が魅力的過ぎて満足に直視する事すら叶わないのだ。

 前々から綺麗だとは思っていたが、心持ち1つでこうも変わるものなのか。

 ぶっちゃけ鼻で笑ってた色ボケ男子中学生そのものに僕はなってしまった──で、今はソファーに寝そべってぼんやりとリビングの天井を見上げている。

 

「だっさー……」

 

 そうぼやいた時刻は午前0時を回る頃、そろそろ寝ないと明日に影響が出る時間帯だ。

 でも、僕はそうしていない。

 明日の昼過ぎにはもうこの村からいなくなっているであろうバーヴァン・シー──いややっぱりスピネルで良いか、に恋をしてしまった。

 そしてモルガンさんにああも威勢の良い事を言ってしまった以上、何かしらアクションを起こさない理由はなかった。

 まぁその「何かしら」を踏み出せないからこうして毛布にくるまってうだうだしている訳なのだが。

 ヘタレ此処に極まれり。

 母さんは知らないが単身赴任中の父さんが見れば何と言うだろうか。

 

 ──分かんないな

 

 ふと考えてみたけれど、本当に分からなかった。

 元より母さんとは殆ど話さないし、父さんとも夏休みとかみたいな長期休暇にほんの数日だけ。

 家族なのにまるで家族じゃないみたいだった。

 だから、僕の恋に対してあの人達が何と言うのかまるで想像がつかない。

 応援してくれるのか、反対するのか、それともそもそもこんなトンチキ染みた状況に混乱するのか。

 どれも有り得るような気がするし、違うような気もする。

 まぁ、つまり。

 何が言いたいのかと言えば。

 

「何も知らないのな、親なのに」

 

 当たり前と言えば当たり前だ。

 幾ら親子と言えど究極的には他人な訳で、エスパーとか魔術師の類いでもないんだから考えている事なんて口に出されない限りは何も伝わりやしない。

 そんな当たり前の事に、僕は今更気付かされていた。

 

「……話してみるか」

 

 鼻で笑われるのは分かってるけど。

 きっと、話したところで何も変わらないだろうけど。

 明日──全てが終わったら、モルガンさんの魔術で寝かされている母さんに、この1週間の出来事を1つ1つ話してみるのも悪くない。

 そう、そうだ。

 母さんだって疲れているのだ。

 今すぐどうこうという事もないけれど、父さんが単身赴任してから少しだけ辛くなった家計を支える為に必死に夜遅くまで働いている。

 それで息子との距離が上手く計れなくなってしまったとして、どうして責められようか。

 寧ろ歩み寄らなければいけないのは僕の方だろう。

 

 ──影響されてる、のか?

 

 でも、きっと1週間前まではこんな考えには至りもしなかった。

 意固地になるばかりで、晩夏の一時を無為に絵を描いて過ごしていたに違いない。

 何が、とは自分自身でも上手く表現できないが、僕の中の何かが確実に変わっている。

 不思議な話だった。

 この前、特に夏休みに入るまでは考えすらしなかった行動への意欲がドンドン湧いてくる。

 自分にはまるで存在しないと思っていた、所謂「勇気」が彼女と関わりだしてから湯水の如く溢れだしてくる。

 傲岸不遜そのものな振る舞いをするスピネルに当てられてしまったお陰なのだろうか。

 

 ──まぁ、それはそれで構わないか 

 

 そう、別に構いやしないのだ。

 例え彼女が傲岸不遜で暴力的でファーストコンタクト最悪の激ヤバ妖精だったとしても、それがモルガンさんに言わせれば悪ぶっているだけで本当は泣き虫なのだとしても、そんな事は全然気にならない。

 気取った言い方をするならば、大事なのは出逢いよりそこからの積み重ね。

 僅か1週間程度にせよこのトンチキ染みた騒動で積み上げたのは単なる友情ではなく、「それ以上」だと信じたい。

 

 そしてただ、知った。

 喜悦に頬を歪ませ、不可思議な琴で敵を引き裂く加虐の妖精。

 くしゃくしゃに泣きじゃくりながら他人を傷付けまいと己を痛めつけるけど、それでもやっぱり他人を求めずにはいられない被虐の少女。

 どちらも同じスピネルなのだと。

 彼女は振り子のようにあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているだけで、ただの二面性がある妖精騎士なのだ。

 

 ──良いじゃないか、二面性

 

 それが悪い事だとは思えない。

 悩んで、間違って、後悔して──それが生きるって事だと僕は思う。

 思うように()()()

 大体、何もかもをすっぱりと割り切れる奴なんて早々見付かるようなもんじゃないだろうし。

 古今東西の英雄が集うカルデアとやらならそう言う人達が跳梁跋扈しているのかもしれないが、だからと言ってスピネルもそうでなければいけないなんて事もない筈。

 それに何より、スピネルの二面性に惹かれて僕は「勇敢な自分」を作り出せたのだから。

 

「……やるか」

 

 二面性が愛おしい。

 彼女が暴虐的でも、自虐的でも全然構わない。

 寧ろその矛盾が好きだ。

 例え明日で全部が終わりになるとしても、1週間の夢幻だとしても、それでも良い。

 残された一瞬を、絵筆ではなくスピネルと手を繋いで過ごしたい。

 恥ずかしいは恥ずかしいが、今更何を隠そうものか。

 この気持ちがハッキリした今、やる事は決まっている。

 

「────告白を」

 

 方法は単純。

 自分の部屋に行って、梯子を登って、時間帯的にまだ寝ていないであろうスピネルに想いを告げるだけ。

 ただし時間も物も無く良い感じのプレゼントだとかは用意出来ないので、結果は考えないものとする。

 元よりちょっと絵が描けそうな感じがするだけで魅力のある人間ではないのだから、スピネルに釣り合うとは思えないし。

 玉砕上等、返り討ち上等だ。

 この数日を格好付けるだけでやり抜いたのだから、今回だってやれる筈。

 そう決心した僕は勢い良くソファーから跳ね起きて────

 

「よぉ」

「えっ」

 

 背後から覗き込んでいたスピネルのニヤニヤした笑みに、思い切り出鼻を挫かれた。

 

 

 

▼▲▼▲▼

 

 

 

 1日目、バーヴァン・シーと少年のファーストコンタクトは最悪の一言だった。

 何せ彼女は凡庸から逃げてきたのだ。

 妖妃モルガンにとっての特別でなければならないバーヴァン・シーからすれば凡庸がぎっしり詰まってあちこちへ運ばれていく通勤ラッシュは悪夢でしかない。

 況してやそこに自分も詰め込まれてしまうとなれば、被害妄想の類いではあるが「凡庸にされてしまう」感覚を味わったのも事実である。

 

 そんな悪夢から逃走した先で出会ったのがまたしても凡庸な少年と来れば、誰でも己の運命を呪いたくなるだろう。

 実際バーヴァン・シーは驚きのあまり呆然としている少年に邂逅早々苛つきを覚えていたし、彼が描いている絵を見ても何とも思いはしなかった。

 ただ──深い考えもなく語った適当なカバーストーリーに対する「バカじゃねぇの」の一言は彼女の興味を惹くには十分だったと言えよう。

 

 バカ。

 成る程、バカと来たか。

 これ程簡潔で、かつフレンドリーな罵倒を叩き付けられるのはバーヴァン・シーにとっては初めての体験だ。

 そう、妖精國で受けた仕打ちの殆どは陰湿な陰口、ないしは物理的苦痛を伴うものだった。

 ノウム・カルデアに召喚されてからはそもそも罵られる機会すらなく、かくも軽妙な──まるで友達にするような軽口を初対面の人間から投げ掛けられるのは大層興味深い。

 バーヴァン・シーはボーイ・ミーツ・ガールなんてものは凡そ一切信じていなかったが、胸の内がざわつくのハッキリと感じ取っていたのだ。

 

 この興味の正体を知りたい。

 何故知りたいのかは分からないが、どうしようもない位に知りたくて堪らない。

 

 そうして自分の脚がステップを刻んでいるのに気付いたのは、偽名を名乗る直前の事であった。

 

 

──・──・──

 

 

 しかし()()()()にとって想定外だったのは、凡庸への恐怖がその日の内に少年への依存心へと変換され始めてしまった事だ。

 まぁ、なるべくしてなったとも言えるのだが。

 何せスピネルには寄る辺が無い。

 お母様の下から逃走し、まるで土地勘の無い場所へと着の身着のまま辿り着いた彼女には頼るべき知己も帰るべき我が家も存在しないのだ。

 故にこそ、唯一自分を「特別扱い」してくれる少年に縋るしか選択肢は残されておらず。

 宛がわれた屋根裏部屋のベッドで横になる頃には、如何にして自分を彼に縛り付けるしか考えられなくなっていた。

 

 何より、このちょっと広い一軒家は居心地が良かった。

 妖精騎士でもなく、サーヴァントでもなく。

 ただ単にちょっと暴力的で我が儘なだけのスピネルでいられる事は、彼女にとって何よりの爽快感であった。

 だって、2人だけなのだから。

 自分と相手しかいないなら、必然的にお互いが特別になるだろう。

 

 少年もまたそんなスピネルの様子を好ましく思っているようだった。

 何やら小難しく、ささくれた問題を抱える彼は鬱屈とした環境を一気に打ち破る「何か」を欲していて、偶然にもスピネルが()()だったのだ。

 我が儘に振り回される彼は困惑したり、怒ったり、頭を抱えたりしていたが──その我が儘さに何かしらの爽快感を覚えていたようにスピネルには思える。

 

 特に驚きだったのは、外に出たくないがために彼を気絶させてしまった後の話だ。

 目覚めた彼は怒るでもなく、失望するでもなく、ただスピネルの看護を従順に受けた。

 内心ではそれがとんでもなく稚拙で、追い打ちになりかねないと理解していながら()()()()()()()()()()()

 全く以て意味が分からない。

 

 依存の中に、新しい興味が生まれた。

 

 

──・──・──

 

 

 簡潔に述べるのならば、スピネルは己を喪失していた。

 いや、此処に至るまでの僅か数日で彼女は自分の精神をミキサーにかけたかのような心地を味わっていた訳だが、今回はその比ではなかった。

 平素の彼女であれば少なくとも表面上を取り繕うだけの余裕はあっただろう。

 得体の知れない怪異が敵であっても、取り敢えず悪ぶって加虐的な笑みを浮かべる位は可能だった筈だ。

 

 しかし事が少年に及ぶとなれば話が違う。

 影法師が彼の背後に現れた時、全身を雷で打たれたかのような衝撃が貫いた。

 フェイルノートの刃が図らずしも彼を傷付けてしまった時、物に触れる事さえ叶わぬ程の怖気が四肢を走った。

 あまつさえ彼が妖精騎士ガウェインに啖呵を切った時など、恐怖と歓喜で彼女の心は滅茶苦茶になった。

 

 そう、滅茶苦茶だ。

 スピネルの男性観は少年によって滅茶苦茶にされてしまったのだ。

 どうしようもなく凡庸で、料理の味付けが合わなくて、何かにつけて子供みたいなやり取りばかりしてしまうけれど──彼は凄まじい勇気を持っている。

 それは妖精騎士トリスタンが持っていなかったもの。

 バーヴァン・シーが持つ自己犠牲の優しさでは及ばなかったもの。

 誰かの為に()()()()()()()

 

 ──「勇気」がスピネルへの行動を支えている

 

 そうして彼に抱き締められた時、彼女の中には本気の恋が芽生えていた。

 もう好きで、好きで好きで好きで──堪らない。

 少し指先が触れ合っただけでドキッとしてしまう。

 隣を歩いているだけで自然と足取りが軽くなる。

 言葉を交わせば胸の内が熱くなってくる。

 

 その果てに、心底彼の「特別」になりたいと思ったのだ。

 特別扱いではなく、本物の特別に。

 他の何でも取って替わる事の出来ない、2人だけの唯一無二に。

 だから少女は──少年を夜の向日葵畑へと連れ出した。

 

「そ、空飛ぶなんて冗談じゃないぞマジで……飛行機乗れなくなったらどうすんだよお前……」

「あ?あの程度で音を上げるとか雑魚過ぎるだろ。大体1人乗れなくなった程度じゃ誰も困らねぇよ」

 

 飛行──ではなく単なる跳躍での移動なのだが、それにしたってサーヴァントと人間では身体能力の基礎が違うのだ。

 凄まじい高さから地上へ落下する気分を何度も味わいヘトヘトになって木に寄り掛かる少年を見下ろしながら、右手に篭を持つスピネルはニッと笑う。

 

「……で、何だよ」

「何が」

「こんな夜更けに態々こんな所に連れてきて何がしたいんだっつーの……」

 

 どうやら少年は酷く不貞腐れているようだった。

 いや、理由はスピネルとてよく分かっている。

 他ならぬ彼女自身が告白の出鼻を挫いたからだ。

 散々悩んで、漸く想いを告げようと決心をした瞬間にその当人が不意を突いてきたのだから、臍を曲げてしまうのも当然と言えば当然だろう。

 だって、スピネルもそれを狙ったのだから。

 

「告白を邪魔してやろうと思って」

「は────」

 

 訝しげな目線を向けていた少年が、そのまま凍り付く。

 

「いやぁ何か?今日辺り告白してきそうな気がしたから?初動を潰してポシャらせようと思ったワケよ」

「こ、このクソ野郎……」

「文句ある?」

「文句しかねぇよ阿呆」

 

 そう、スピネルの目的は告白の妨害だ。

 是が非でも少年の心意気を妨害しなければならない理由があった。

 何故なら──今回ばかりは自分から歩み寄りたいと少女は思ったのだから。

 

「へぇ?私が告白しようってのに文句あるのかよ」

「……え?」

 

 停止から復帰したばかりの少年の思考が再び止まる。

 それどころか挙動すら中断され、立ち上がろうとする最中の不自然な姿勢のまま彼は硬直してしまっている。

 しかし、心の中は真反対。

 

 ──何、だ?スピネルは今何を言ったんだ?いや、しかし、まさか。()()()()()

 

「好きよ」

「────!?」

 

 困惑と暖色に色付き始めた彼の心が何事か紡ぎ始める前に、少女は勝負を仕掛ける覚悟を決めた。

 そう、貪欲で強欲で傲慢な彼女は獲物の逃走を決して許さない。

 それに古今東西、妖精に魅入られた者の結末はロクでもないと決まっているのだ。

 彼にも同じ末路を辿って貰わねば、サイアクな妖精の沽券に関わるので──一気に畳み掛ける。

 

「あなたの声が好き。私はスピネルじゃないけれど、あなたがそう呼んでくれる間だけはスピネル(宝石)でいられる。あなたの心が好き。誰かの為に踏み出せる勇気があって、こんな私にも真摯に向き合ってくれた優しい心を愛してる」

 ──いや、そんな話があるのか?まさか、好きは好きでも友情の範疇ではなくて、そんな。本当に、本当に?

「誰が何と言おうと私は……私はあなたが欲しいわ。例え後1日も此処にいられないとしたって、あなたの隣にいたい。下らない軽口を叩きながら、あなたの隣で笑っていたい。あなただけのスピネル(宝石)でありたいの」

 ──自分のような何の取り柄もない人間が釣り合うとは、到底思えない。何を取ってもきらびやかなスピネルには、到底及ばない。それでも。

 

 読心の魔術で覗き見た彼の心は、混乱の極致に陥っていた。

 中腰のまま、捲し立てるように告げられた想いを呼吸も忘れて噛み砕き、必死に咀嚼しては己の脳に流し込む。

 何にしたって理解が追い付いていなかった。

 

「────」

 

 スピネルはただ待つ。

 少し前屈みになって目線を合わせ、赤いドレスを夜風に翻して。

 少年が気付くその瞬間を、黙して待ち続ける。

 そうして、何分が経っただろうか。

 

「────そ、れって。つまり」

 

 やがて──少年が口を開く。

 遂に気付いた決定的な答えを、震える唇が紡ぎ出す。

 合わせて少女も、噤んでいた口を満足気に開き──

 

 

 

『両想い』

 

 

 

 見解の一致。

 少女はしてやったりと満面の笑みを浮かべ、少年は驚きを隠せない。

 これで全てが決まりだ。

 お互いが好いていると理解出来たのなら、それ以上の確認は必要ない。

 ただやはり、乙女心と言うのは理屈で止められるモノではなく──スピネルはジロリと少年を睨む。

 

「お前はどうなんだよお前は」

「どうって……いや、そりゃ、好きだけど」

「……だよな」

 

 何とも締まらない話だ。

 格好付けて告白しようとした者はその初動を潰され、潰した者はこっ恥ずかしさから真剣な告白を最後まで完遂出来ない。

 出会いからしてもうぐだぐだで、あれやこれやと低俗だったり真面目だったりを行ったり来たりした者達故の、後先考えぬ告白。

 しかし、それで良いのだ。

 それでこそ、「私達(僕達)」。

 そして1度決まるものが決まってしまえば、後はこれまで通りの流れに戻るのが必定。

 

「でも、どうして此処で」

「正直……ロマンチストは止めたつもりでいたのよ。サイアクでザンコクな私らしくないし、それで痛い目も見たし?」

「痛い目って……」

「でもやっぱり、性なんて早々変えらんない。どうせだったら初めて出会ったこの場所で告白したくなっちゃったってワケ!」

 

 後何日もしない内に枯れちまうしな──そう言って背後の向日葵畑にスピネルは視線を向ける。

 月光の頼りない光に照らされた大輪の花々は、全てあの肉塊魔術師によって維持されていたもの。

 彼が漸く死を迎えた今、晩夏の空気に向日葵は耐えられない。

 今はまだ咲き誇っているのだとしてもほんの数日の内には枯れ尽くし、管理する者のいない向日葵は一夏の幻想として消え失せるだろう──スピネルと同じように。

 

「だから、残して欲しいの」

 

 だが、そんな事はさせない。

 例え明日にはこの地を去らねばならないのだとしても、この花畑と自分自身は彼の記憶に焼き付ける。

 何時までも何処までも、呪いのように。

 他の「誰か」に決して心が移ったりしないように。

 

「この向日葵畑の絵を描いて。どれだけかかっても構わないから」

 

 寧ろ時間がかかる方が願ったり叶ったり。

 花が綻ぶような微笑みと共に、スピネルは篭を差し出す。

 中身は勿論少年の部屋から持ち出した画材一式。

 おずおずと受け取りその場に腰を下ろす彼の隣に、少女もまた腰を下ろす。

 彼女にシートなんて持ってくるなんて発想はなかったから、瞬く間にドレスは土に塗れるが──そんな事は気にも留めない。

 彼の隣ならば、衣服が多少汚れる位何ともないとスピネルは切に思うのだ。

 

「多分めっちゃ時間かかるよ」

「出来るだけ待ってやるよ」

「別に上手くないよ、アマチュア未満だし」

「美術の見方なんて人それぞれだろ」

「キミが嫌う凡人そのものだ」

「私はそれが良いんだっつーの。でもその無駄にウジウジするのは直しとけよ、私のカレシやるんなら」

 

 乱雑に返事を投げつつこてん、と少年の肩にスピネルは頭を預け、伝わってきた熱は皮膚を通して全身へと広がっていく。

 温かい──人肌の温もりが其処にはあった。

 

「ま、今は()()で我慢してあげるわ」

「…そっか」

「次に会う時はもっと良い男になってなさいよ…私も、あなたに相応しい私になるから」

「…うん、努力する」

 

 これで良い、これで。

 寧ろこれが良い、この平凡な温もりでなければダメだ。

 そう内心で呟きながら──あまりの居心地の良さに、本来サーヴァントなら無視できる筈の眠気が襲ってくる。

 

「あー……何か眠くなってきたわ」

「寝る?」

「うん」

「分かった、朝になったら起こせば良い?」

「あぁ……お願い……」

 

 それは妖精國では想いが擦れ違った為についぞ得られなかったもの。

 悪逆に浸るのとは正反対の温さで、嫌な記憶を全て和らげてくれる小さな楽園。

 たった1人の為だけに作られた楽園に選ばれた、楽園の妖精に彼女は成ったのだ。

 そして楽園ならば、何者に侵される筈もなく。

 絵の具を弄り出した彼の動きを全身で感じながら、少女は束の間の微睡みに浸る。

 

「────あぁ、忘れてた」

 

 ただ、1つだけやり残した事があった。

 

「こっち向け」

「ん゛ッ!?」

 

 またしても、不意打ち。

 気分屋で横暴な彼女の動きを読むなど、相変わらず少年には不可能で。

 漸くボードに向かい始めた彼は、ぬるりと絡み付いたスピネルの両手によって、無理矢理彼女の方を向かせられる羽目になり。

 

 

 

 

 

「ファーストキス、くれてやるよ」

 

 

 

 

 

 満点の月夜の下、2つの影が重なり合った。

 

 

 

▲▼▲▼▲

 

 

 

 斯くして、少年少女による晩夏の騒動は終わりを迎えた。

 動き出した電車を見送れば少年は平凡極まりない田舎生活と迫り来る受験への対策に、少女は復旧したカルデアで微小特異点の修正に追われる事になる。

 2人以外誰も目にしていないあの向日葵畑は1年、2年と時が経つに連れて記憶の中から薄れていき、やがてはモノクロの思い出に変わってしまうのだろう。

 

 しかし、まぁ。

 前代未聞のトンでもない大騒ぎを引き起こしかけながらも、スピネル──いや、バーヴァン・シーがカルデアから退去処分を受けたりする事はなかった。

 勿論、新所長やダヴィンチちゃんにはこってりと絞られ、それはもう懇切丁寧に現代社会で英霊が軽率に活動する事の危険性を説明されたのだが。

 逆に言えばその程度。

 いつも通りサイテーサイアクなバーヴァン・シーは説教を聞き流していたし、説明が身に染みた様子はまるで見られなかった。

 ただ幾つか、彼女の変わった点を挙げるとするならば。

 

 先ず、バーヴァン・シーは以前にも況して熱心にガラテアの所に通うようになった。

 元より職人仲間として彼女とは懇意にしていたものの、今回はヒールではなくスニーカーだとかハンティングシューズだとか、そう言った華美ではない靴に関する助言を請うようになったのである。

 何故それらに拘るのか、知る者はいない。

 ただ、バーヴァン・シーは「新方面の開拓も悪くないだろ」と語るのみで、悪辣な方面でお喋りな彼女にしては珍しく固く口を閉ざしていた。

 

 そしてもう1つ。

 彼女は何故か日本のある地方紙を取り寄せるようになった。

 そもそもからしてカルデアは南極に位置するため新聞が届く事はない。

 読みたければ端末を使ってデータの形で閲覧するのが一般的だし、態々取り寄せようだなんて奇矯な考えの者は職員にもサーヴァントにも少ない。

 無論作家系のサーヴァントは物語を本として書き、数人の職員とサーヴァントが協力して所謂社内報的な物を刊行していたりはするが、所詮はその程度。

 最先端施設のカルデアでは紙媒体は絶滅危惧種なのだ。

 そういう中にあって、何故バーヴァン・シーが新聞を取り寄せるようになったのかは誰しもが疑問に思う所だった。

 

 しかし、これに関しては先にも増して彼女は語ろうとしなかった。

 誰が何時訊ねようと頑として口を開かず、時にはシミュレーターに逃げ込んでまで返答を避けたのである。

 とは言え、誰しも触れられたくない部分はある訳で。

 特にカルデアを危機に晒すような悪事を働いているのでもないのだし、深掘りは止めよ──その様な命令がモルガンによって下された。

 態々館内放送を使ってまで。

 その日から1週間、顔を真っ赤にしたバーヴァン・シーはありったけの食料をかき集めてシミュレーターに引きこもった。

 

 

 

 そんなこんなで変化が日常のものとして受け入れられ始め、バーヴァン・シーも誰に憚る事なく食堂で新聞を読み耽るようになったある日の夜のこと。

 蒼い鎧を纏った白髪の少女──妖精騎士ランスロットは、その端整な美貌を如何にも不満げに膨らませながら廊下をずんずんと歩いていた。

 その所作に騎士らしさはまるでなく、どちらかと言えば駄々を捏ね損なった子供の如き幼さが見え隠れしている。

 

「まったく……モルガン陛下も人遣いが荒すぎる。自分で呼びに行けば良いのに態々僕を使うだなんて……!」

 

 事の始まりはほんの5分前。

 人類最後のマスターたる藤丸立香の部屋に入り浸っていたランスロットであったが、彼女は何の前触れもなく現れたモルガンの命によってバーヴァン・シーを連れてくるように命じられていた。

 概ねバーヴァン・シーと腹を割って話し合いたいがそれをする勇気もなく、マスターを交えての三者面談方式を試みようと言う考えなのだろう。

 実に不器用で、小難しくて、妖妃らしいやり方だ。

 とは言え、それ自体に全く文句はない。

 恋人と夫婦はカテゴリが違うのだし、親子の面談は好きにすれば良い。

 

 ただ──その為に自分とマスターの時間を妨げるとは!

 

 仮にも騎士の立場を取っている以上逆らいはしないが、それはもう不満たらたらだった。

 そんな訳で不意にカルデアをぶっ飛ばしそうな程剣呑な雰囲気を醸し出す彼女は僅か数分の内にバーヴァン・シーの部屋に辿り着き──ドアが自動で開く。

 

「……おや?」

 

 どうやらロックをし忘れているらしい。

 意外に小まめで用心深いバーヴァン・シーにしては実に珍しい、無用心さを感じさせるミスだと首を傾げるランスロットは、しかし躊躇う事なく部屋の中へと足を踏み入れる。

 何故なら、彼女は強いから。

 ハッキリ言って、それはもう強い。

 妖精であり竜である妖精騎士ランスロットに敵う者など、全サーヴァントを見てもそう中々見付かるようなものではなく、並大抵の罠や待ち伏せならば真正面から捩じ伏せられる。

 が、しかし。

 するりと忍び込んだ彼女が見たものは、想像から大きくかけ離れていた。

 

「……何だ、寝ているだけか」

 

 数多の靴が飾られる中、部屋の主はすぅすぅと小さな寝息を立ててデスクに突っ伏していた。

 大方何かの作業をしている途中に寝落ちしてしまったとか、そんな所だろう。

 実に穏やかで、ごくありふれたサーヴァントの姿だ。

 されどモルガン陛下の命である以上そのまま寝かせておく訳にもいかず、ランスロットは僅かに憐憫を抱きながら彼女の肩に手を伸ばし──ふと、近くに立て掛けられたコルクボードが目が移った。

 

「……ふぅん」

 

 其処にピンで止められていたのは、新聞記事を切り抜いた何枚かの紙片。

 内容にざっと目を通してみても、これと言って目立つようなものではない。

 地方紙にありがちな地域の事情を纏めただけの、平凡そのものな記事たちだ。

 ただ、1つ。

 そんな切り抜きの中央に、取り分け目立つようにしてピン刺しされた記事がある。

 

「『限界集落の中学生画家、東京へ』……」

 

 曰く、過疎化が極まりつつある地方の村から期待の新星が現れた、と。

 まだ中学生の彼が独学で会得した技法は精緻とは言い難いが、ノスタルジックな雰囲気を醸し出す数々の作品は不思議と人々の目を引き寄せるのだ。

 そんな彼の代表作が、この度都の美術展で展示される事になった。

 縦74センチ、横92センチの内側に描かれたのは、幻想的な赤髪の少女と、その背後で大輪の花を咲かせる無数の向日葵。

 名を────

 

「"向日葵畑で、君と"、か」

 

 絵画のタイトルを読み上げる妖精騎士ランスロットは、美術品の価値に疎い。

 あまり興味がない、と表現するのが正確か。

 故に絵画に対しても正確な判断を下せるとは言い難く、精々好き嫌いで判別出来る程度だろうと彼女も自覚している。

 だがしかし、そんな彼女の目線からしても。

 

「────うん、()()()()

 

 バーヴァン・シーの穏やかな寝顔と切り抜きに載せられたその白黒の絵は不思議と「悪くない」ように思え、モルガンの命令に背いて速やかにその場から立ち去る事を選択させた。

 ただそれだけの話である。




これにて完結になります。
色々番外とか長い後書きとか書きたいような気がしますけれど野暮な気がするので止めておきます。






後最終話滅茶苦茶待たせてしまいほんっっっとうに申し訳ありませんでした!


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番外編「10年後、向日葵畑にて」

梅雨が明けて夏が始まるらしいので。


「結婚しろって?」

 

 先ず結論から述べてしまえば、クソ田舎は何年経ってもクソ田舎だった。

 特に利便性回りに於ては他の追随を許さない超究極レベルのクソ田舎と言える。

 相変わらず劣化した道路の此処彼処を突き破って雑草が生えているし、相変わらず最寄りのコンビニは3km先だし、相変わらず最寄り駅は無人駅。

 変化と言っても精々改札機がICカード対応になったのと殆ど「無」だった駅前に綺麗な公衆トイレが建った位で、住み辛さで言えば10年経ってもほぼ変わらない。

 つまりは25歳になる訳だが、何時まで経ってもこの不便さにぶつくさ文句を言い続ける未来は想像に難くない。

 等と嘯いていたのだが。

 

『そろそろ良い相手、見付からないの?』

 

 そんな時、電話を掛けてきた母から何の前触れもなく投げつけられたのがこの一言だ。

 母が単身赴任中の父と暮らすと決めたのは5年前、つまりは()が成人するのを見届けた直後の事だった。

 今では都内のマンションで2人暮らしをしており、中学時代の不仲は何だったのかと言わんばかりの仲睦まじい夫婦生活を築き上げているらしい。

 そして母が転居した事でだだ余りしたスペースは俺のアトリエになった。

 これに関しては本当に感謝している。

 後は俺の画家活動を認めてくれたのも。

 

 まぁその結果が息子の結婚催促なのだから、何寝惚けた事言ってやがるとしか返事のしようがないのだが。

 大体、今時25で結婚を催促するのが先ずどうかしているだろう。

 彼らが若かった頃ならいざ知らず、晩婚化が進むこの世の中早い内に結婚しなければならないという道理は崩壊しているのだ。

 

『そんな事言ったって……田舎じゃ出会いもないでしょ?』

「ある訳ないじゃんこんなクソ田舎で。大体俺好きな人いるし」

『そう言ってまた誤魔化す……!私知ってるんだからね、あんたホントは誰とも付き合う気すらないって』

 

 にも関わらず相当突っ慳貪な返答を叩き付ける俺にもめげず、母は食い下がってくる。

 このようなやり取りは、今回が初めてではない。

 もう何回も何回も──それこそ耳にたこが出来る位散々繰り返した話だ。

 しかしそれで時代遅れな「お見合い」を勝手にセッティングされかけた事もあるのだから全く油断はならない。

 余計な御世話と言うか子離れが出来ていないと言うか、兎にも角にも此方の話を聞きやしないのである。

 こう言う時の対策は、ただ1つ。

 

「あーハイハイ分かったから。忙しいしもう切るよ」

『えっ、いや、あんたちょっと待っ────』

 

 問答無用、スマホの電源を切ってポケットに突っ込む。

 東京から此処まで5時間はかかるのだし、説教の為だけに態々戻ってきたりはしないだろう。

 連絡を絶つのは単純だが効果的な策だ。

 とは言え、これでも大分マシになった方と言うべきか。

 中学の頃は最後の方まで会話らしい会話をしていなかったし、高校では絵画の道に進むか否かで毎日のように喧嘩をしたものだ。

 それがこうして一方的に電話を切ったりしてもまた懲りずに掛けてくれるようになったのだから、悪くない関係に至れたと考えて間違いないだろう。

 そうして喜ぶへきなのか悲しむべきなのか分からない溜め息を吐きつつ居間に戻れば──机の上に散乱する夥しい数の書類と向き合う青年がじろり、と視線だけ向けてきた。

 

「またですか()()。いい加減御母堂を安心させてあげたら如何です?」

「やなこった。大体俺には約束があんの」

「それももう何回目か分からない位聞きましたよ。その割には女性と逢い引きしてる所なんて見た事ないですけどね」

「……黙秘で」

「いやまぁ先生が良いなら良いんですけど」

 

 どうも最初から此方の意見など聞くつもりが無かったのか、言うだけ言って彼──二川(ふたがわ)青年は書類へと向き直る。

 彼は俺の秘書、みたいなモノだ。

 このご時世にしては珍しく絵一本で飯を食っていく事に成功しているのだが、残念な事に俺は文系の化身。

 数学はてんでダメだった。

 高校でも常に赤点スレスレ、期末試験が近付く度に冷や汗を流しながら徹夜をする羽目になっている身では経理がどうとか確定申告がどうとかまるで分からない。

 そんな訳で雇ったのが彼なのだが──まぁ、彼も中々に珍妙な青年だった。

 

「……てかそろそろ先生呼び止めてくんない?俺と君確かほぼ同年代だったよね?」

「え、嫌ですけど」

「なんでさ」

「そっちの方が何か格好いいじゃないですか。そう思いません?」

「思わないが」

「僕は思いました」

「…そう」

 

 なので呼び方は変えません、と言い切るが言葉に感情は籠っていないし、此方を見ようともしない。

 興味がある事柄には何処からともなく現れてしれっと乗っかったりするけれど、反面興味が無い事柄に関してはとことんまで関心を示さない。

 仕事が終わればまるで家主のようにふてぶてしくソファーでぐうたらしているし、昼食は炒飯以外決して食べない変則的偏食家。

 その癖食洗機が心底嫌いで手洗い以外は認めないとか、頑なに先生呼びを変えようとしないとか、よく分からない部分に尋常じゃない拘りを持っている。

 それが二川なる青年なのだ。

 

 ──いや、やる事はちゃんとやってくれるから文句は無いけどさ

 

 彼の仕事に不満はない。

 寧ろ社会には思ったより変な人が沢山いると知れただけ、彼には感謝している。

 そう、かつて彼女が均一化された恐ろしい人々と表現した彼らにだって、当たり前だが個性があった。

 人格が、生活が、家族が、趣味がある。

 勿論通勤ラッシュに死んだような顔で揺られる人たちだって、各々異なる悩みを抱えているのだ。

 そして特に芸術に携わる人間は妙なのが多い。

 正に千差万別。

 思ったよりこの世界は変なやつでいっぱいだぞー、なんて記憶の中の彼女に思念を送ってみたりもする。

 

「うーん……気分転換にちょっと外歩いてくるわ。留守番頼む」

「はぁい。いってらっしゃいませー」

 

 まぁ、何はともあれ態々隣町から朝イチでやって来る彼のお陰でこんなクソ田舎でも退屈せずに済んでいるのだ。

 しかも彼は大手企業を辞めてまで此方に引っ越してきたと聞く。

 あまり好みではない呼び方をされたとて、その程度で責める道理は無い。

 ただ。

 

 ──先生なんて、柄じゃないよな

 

 母との舌戦に続いて2連続で逃げの一手を打ちたくなる程、「先生」なんて大層な称号は荷が重すぎる。

 それだけの話なのだ。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 番  編 〕

 

 

向日葵畑で、君と

 

 

10年後、向日葵畑にて

──×──

"The Grimalkin and a boy reunion at a sunflower field."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 書類に向き合ったまま適当に手を振る二川青年に見送られ、家から出てはみたが──その選択を直ぐ様後悔する羽目になった。

 

「あっつー……」

 

 鼓膜を揺らすのは、夏も真っ盛りだからまるでくたばる気配が見えない蝉の鳴き声。

 視界を揺らすのは、ジリジリと照り付ける太陽によって浮き上がったコンクリート上の蜃気楼。

 外を歩いてくると言った手前戻るに戻れず、40度近い気温の中ぼうぼうに生い茂った緑にズボンの裾を擦らせ沿道を往く。

 何て事だ、絵を描く為ならば毎日のように平気で出歩いていた短パン小僧はもういないと言うのに。

 これなら冷房の効いた我が家に籠っている方がずっと良い気分だっただろう。

 

「あづいよぉ……」

 

 大して見所のない霊峰に囲まれ、冷やされた空気が入り込む隙間すら存在しないこの消滅寸前究極クソバカ田舎は、今年も相変わらずだった。

 時が止まったような、と言えば良いのか。

 どれだけ周囲の地域で開発や合併が進んでも、この辺りの山々と田園風景は変化を拒絶したまま。

 10年前と比較したって一見すると何も変わっていないように見えるだろう。

 

 しかし、変化が一切無かった訳ではない。

 その証拠に、チラリと視線を横に向ければ墓石の集団が目に入る。

 全部、この10年で亡くなった村人の墓だ。

 あの頃の時点で此処彼処に爺婆しか見当たらなかったのだから、その内の何人かが他界していたとて不思議な話ではなかった。

 

「……」

 

 無言のまま、手を合わせる。

 別に彼らの事は嫌いではなかった。

 確かに尋常じゃない位もごもごと喋っていたし、その癖うんざりする位頻繁に話し掛けてきたし、やれひょろひょろだのもやしだのと言いたい放題言ってくれたが、それでも嫌いではなかった。

 顔を合わせれば畑で収穫した野菜を分け与えてくれたし、学校の講義では絶対に習えない野山の知識を教えてくれもした。

 何時でも、何処でも、自分のペースで。

 人理焼却や人理漂白の影響で世界がてんやわんやになっている時だってそれらに流されず、在るがまま──自然体で生きてきたあの人達は、きっと「凄い爺婆」なのだ。

 だから、敬意は欠かさない。

 中学生のあの頃は持ち合わせていなかったであろう気持ちを精一杯込めて、通り掛かる度に黙祷を捧げる事にしていた。

 

 

 

 自己満足の黙祷を終え再び歩を進めていると、急に踏み均された脇道が現れる。

 かつては一人分だったけれど、今では4人が横並びになったってまだ余裕がある。

 その上杭とロープで作られた簡易ガイドのおまけ付き。

 勿論行き先は鬱蒼と茂った森の中で、入り口の横には()()()()()立て看板。

 

『この先、向日葵畑あります』

 

 ポップな文体で描かれた宣伝の横をすり抜け、躊躇う事なく足を踏み入れる。

 森の中は丁度道の真上だけ枝を切り払ったらしく、繁っている癖に陽当たりは良好だった。

 まぁ、それが良い事だとは思わないが。

 蒸し暑い上に日光まで直に浴びねばならないのだから、汗に濡れたシャツが肌にベッタリと貼り付いてきて不快な事この上ない。

 もし熱波から逃れようと訪れた人がいれば、近辺と大して変わらぬ気温に間違いなく絶望するだろう。

 けど、それでも、10分我慢して歩き続ければ────

 

「また、咲いてる」

 

 視界一杯に広がるは、鮮やかな黄金色の絨毯。

 東京ドーム何個分なんて言える程広くはないけれど、大輪の向日葵が()()()花畑のように群生していた。

 

「……これなら頑張った甲斐も、あったかな」

 

 そう、あの景色は思い出の欠片として残った。

 あの名も知れぬ魔術師が人の形を失っても維持していた土地は、1度国庫に返納された後村の地域振興プロジェクトによって再び向日葵の花園として甦ったのだ。

 何でも俺が描いた「向日葵畑で、君と」を再現しようとか村長が言い出した結果らしいが──それで地域に貢献出来るなら悪くはないだろう。

 

 ──まぁ、()()()()()()を知ってるのは俺と彼女だけだけど

 

 とは言え、10年前に枯れない向日葵畑が存在していた事を知る者は誰一人として存在しない。

 この場所が選ばれたのも正真正銘偶然だ。

 偶々、相続すらされず放置された土地があったから。

 偶々、丁度良い感じの開けた空間があったから。

 偶々、取り壊さずとも流用出来そうな小屋があったから。

 都合が良すぎる位の「偶々」が積み重なって、向日葵畑は此処にある。

 そして、あの頃とは大きく違う点が1つ。

 

「……これはちょっと、余計だよなぁ」

 

 ポツリと漏れた文句と共に視線を向ければ、無数に咲く向日葵の根元には踏み均された地面が見え隠れしている。

 所謂、観光客向けに作られた小路と言うヤツだろう。

 これが振興プロジェクトの一環である以上客を呼び込まねばならず、単に外側から覗くだけではなく内側から見て貰おうと言う訳だ。

 勿論、理解は出来る。

 しかし、俺にはどうにもこれが無粋に思えてならない。

 あの頃の俺が書きたがっていたのは手付かずの、自然のままの原風景であって、この様に人の手で整えられた花園ではない。

 

 そしてそれはきっと、あの魔術師だって同じ筈だ。

 ぶよぶよの肉塊になって尚彼が永遠にしようとしたのは恐らく()()ではない。

 両手で掻き分けねば踏み入る事すら儘ならぬ、無秩序に咲き乱れるあの美観こそ彼が望んだ「ありのまま」であって。

 下らない拘りだと自覚しているが、どうにもこの花園に侵入する勇気が出ないのである。

 

「……帰ろ」

 

 そうだ、さっさと帰ろう。

 此処には思い出の欠片があって、今年も向日葵が咲いていて、彼女はいなくて。

 それで良いじゃないか。

 止まったような田舎でも、10年の時が経てば変わるものだって変わるものは必ずある。

 俺の立場しかり、並んだ墓石しかり。

 その中に偶々花畑があったと言うだけの話であって、これにぐちぐち文句を言った所で何かが変わる訳でもない。

 寧ろこうして不満を募らせる方が余程健康やモチベーションに悪影響を与えるだろう。

 

「────」

 

 そんな鬱屈とした考えを振り払うべく、軽く頭を振って。

 纏わり付く何かを振り切るように、勢い良く振り向いて。

 其所に、赤髪の少女が立っていた。

 

 

 

 

 

「────え」

 

 

 

 

 

 先ず目に入ったのは、爪先立ちとほぼ変わらないんじゃないかと思う位にヒールの高いサンダル。

 綺麗に整った爪先から伸びるは、其処らのモデルなんて目じゃない位スラッとした脚。

 更に視線を上げれば、膝丈まで広がった純白のシフォンワンピースと小洒落た麦わら帽子が目に入る。

 

 そして、顔。

 

 あれから色々な美術やら絵画やらを見てきたけれど──()()()()()それらですら到底届かないと直感で悟らせる、鋭い美貌が此方を見詰めている。

 何も、変わっていなかった。

 10年前から、何一つとして。

 

「────」

 

 正直に言って、全く言葉が出なかった。

 こんな浮世離れした、物語からそのまま飛び出してきたみたいな彼女と()()()()()()()()また逢えるだなんて、思いもしなかった。

 そうこうしている内に腰まで届く艶やかな赤髪が夏の風を孕んでたなびき、凛とした印象を与える灰の瞳が細められ────どちらともなく、口を開く。

 

 

 

「10年振りにデートしようぜ、センセイ?」

()()()()が望むなら、喜んで」

 

 

 

 ああ、前言撤回だ。

 いっそ清々しい位の掌返しで魔術師さんには悪いけれど、小路がある花畑も全然アリじゃないか。

 だって、そう。

 

 

 

 君と並んで歩くには、丁度良いから。




◯センセイ
10年後の田舎少年。
絵画1本でやっていける位には画家として成功しているが、根が小市民な上にそんな器じゃないので先生呼びは滅茶苦茶嫌っている。
一人称は「俺」に変化したがバーヴァン・シーがいる場なら「僕」に戻る。
10年経っても相変わらずあれやこれやで悩んでいるけれどそれはそれとして格好付けるのも止められない大馬鹿野郎。

◯スピネル/妖精騎士トリスタン/バーヴァン・シー
今回はちゃんと許可を貰ってやってきたので着替えてる。
こっからイチャつくのか当初の悪友みたいなノリになるのかは知らん(無責任)

◯二川青年
下手に既存キャラ出して魔術に関われそう感出したら話が成り立たなくなるので適当に放り込んだオリキャラ。
10年前は描いた絵は自分の部屋に貼る位しかしてなかったし誰も見ない自己満足だったけど今はもっと他の人にも見て貰おうと手助けしてくれる人もいるよ!と言う象徴。
名字の由来は「アサルトリリィ BOUQUET」の二川二水ちゃん。



本来は前回のラストからそのまま今回に繋がる予定だったのですが何かエピローグっぽい文→エピローグっぽい文ってテンポ悪いな…と思ったんで分割したのですが、此を以て今度こそ本当に完結です。
最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。


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番外編「10年後、浜辺にて」

ケット・クー・ミコケル実装記念ですがミコケル要素は殆どありません


 以前から常々言っているように、僕が住むこのド田舎には何もない。

 スーパーはおろかコンビニすら隣町にしかなく、だからと言ってその不便さに見合った文化や歴史の積み重ねがある訳でもないしアクセスも最悪。

 電車は日に5、6往復しか止まらない上、遅々として進まない道路の整備状況はかの「酷道」にも全く引けを取らない惨憺たる有り様。

 強いて言うなら例の向日葵畑と昨年建て替えたばかりの小綺麗な駅舎が見所だが──これにしたって、雑草がぼうぼうに生えたコンクリートの塊に掘っ立て小屋がくっついているとしか表現しようのない単線ホームが漸くまともなカタチになった、と言うだけの話であって別に褒め称えられるようなものでもなかった。

 当たり前の話だが、これでは移住者など望める筈もない。

 360度どちらを向いても無い無い尽くしの虚無みたいな村落にして、元から少なかった人口の減少によって今正に統廃合の危機に直面している瀕死の自治体なのだ。

 

 が、しかし。

 

 何だかんだ言いつつかれこれ20年以上へばりついている僕は、このさっさと引導を渡してやった方が県も住民も楽になれそうな限界集落に新たな価値を見出だす事に成功した。

 そう、それはちょっと地図を開く発想があれば直ぐにでも思い至れる簡単で単純な事実。

 或いは都市部だとか観光の名所ばかりに向けていて羨望に曇った瞳では全く気付けなかった、新たな視点。

 即ち────

 

 

 

 ──実は電車一本で日本海を見に行ける

 

 

 

 と言うメリットである。

 

 

 

▼▲▼▲▼

〔 番  編 〕

 

 

10年後、浜辺にて

 

 

ある妖精騎士の話

──×──

"The Grimalkin takes a trip to a little beach."

▲▼▲▼▲

 

 

 

 センセイが何かを隠している、とバーヴァン・シーが気付いたのは今から大体一週間程前の事になる。

 美術ではなく労働で賃金を稼ぐ人間が多数を占める日本社会に於いて珍しく油彩画一本で生計を立てている彼は、それ故に日中はそこそこ忙しい。

 恐らく、美術家が四六時中キャンバスに熱中していられる時代は当の昔に過ぎ去ったのだろう。

 数学的な物事がてんでダメな彼に代わって財務関連を担う二川はバーヴァン・シーの目から見てもそれなりに仕事の出来る人間ではあったが、しかし個展の打ち合わせだとか雑誌のインタビューだとかそう言った部分はどうしても当人が出張らなければならず──早朝に家を出て日も暮れてから帰ってくる、と言うのも然程珍しい話ではなかった。

 しかし、だ。

 

 ──嗅ぎ慣れない匂いがする

 

 それは決して他の女を想起させるような飾ったものではなく、都市の過密が繰り出す淀んだ空気の重みでもない。

 この村でも妖精國でも一度も感じた事のない、それでいてどこかで嗅いだ覚えはある不可思議な香り。

 考えれど考えれどその正体は一向に掴めず、遂には恥を忍んで彼の手作り菓子を勝手に貪り喰らう駄竜と化したメリュジーヌに彼が何を隠しているのか訊いてもみたのだが──彼女にしてものらりくらりと答えをはぐらかすばかりで、例えどんな事情があろうと教えられないとの態度を崩さなかった。

 取り分けバーヴァン・シーを苛立たせたのは、そのあしらい方だ。

 どうも何か知っているらしいのは間違いないのにのらりくらり、知らぬ存ぜぬの一点張り。

 仕舞いには高級菓子での買収も試みたが、態々隣町まで行って買ってきたシュークリームを頬張りながらメリュジーヌは苦笑して言ったものだった。

 

『作ったものは好きに食べて良いって約束だから、悪いけどそれは言えないかな。大体、そこまで知りたいなら当人に直接訊くなりこっそり後をつけるなりすれば良いじゃないか。僕たちに口止めはするけど知られたなら仕方ないって感じだったしね』

 

 それが出来ないから訊いてんだろ、って言うか肝心な所は隠す癖に何ちゃっかりシュークリームは食べてんだよ──そんな罵倒だけ飛ばしてその日は退いたバーヴァン・シーだが、無論この程度で諦めるつもりはなかった。

 大体、メリュジーヌを当てにしたのが間違っていたのだ。

 別に告白した訳でもないのに、何ならお母様と言う存在がありながらマスター……藤丸立香の恋人を自称する色ボケ妖精騎士にマトモな返答を望んだところで返ってくる筈もない、と今度はバーゲストに尋ねてみたものの、彼女の口から出てきたのは「知りたいなら自分で訊け」というまたしてもにべもない一言。

 受け流していただけまだメリュジーヌの方がマシだと思える程取り付く島もない。

 これには「流石に根回しがしっかりし過ぎてるだろ」と舌打ちせずにはいられない──正に八方塞がりだった。

 

 とは言え、少女に彼を咎める資格はない。

 誰にだって隠しておきたい秘密の一つや二つ位あるだろうし、他ならぬバーヴァン・シー自身も未だ妖精國で己の身に起こった事象を全ては打ち明けられた訳ではないのだから。

 無論、青年が()()()()の事で失望するなどとは毛ほども思っていない。

 自分がやったことややられたこと、それら全てに表情を面白い位変えながら結局は今のバーヴァン・シーを受け入れてくれるだろう──彼はそういう人間だ。

 しかしそんな確信を抱いていても中々勇気が出せないのがバーヴァン・シーという妖精で。

 自分も秘密がある癖に青年が自分に隠れて何かコソコソやっていると不安で不安で仕方ない、という捻くれた性根を抑えられないのが彼の前では未だにスピネルを名乗る少女の性であった。

 そしてそんなバーヴァン・シーの様子を見かねたのだろう。

 何をやっても思うように気が乗らず、意味もなく地面を蹴るヒールが苛立ちのあまり穴を掘り始めそうになった頃、突然少女はモルガンから教えられた。

 

『海へ行きなさい』

 

 行けば分かる、とだけ言ってその場を立ち去った女王が何を考えていたのか、その時のバーヴァン・シーには分からなかった。

 今まで静観していたのだから間違いなくモルガンも口止めをされていた筈であり、女王として規範を敷く彼女が自ら約束を反故にする事は有り得ない。

 それなのに何故このタイミングで、何の為に。

 何の脈絡もなく降って湧いたチャンスを直ぐには信じられず、実は彼の身に何か起こっているのではないか、と彼女にしては珍しくモルガンを疑いもしたが──しかしそれならば尚の事気になって仕方がなくなり、結局沸々と湧きあがる「海へ行かなければならない」はものの数分で他の一切合切をバーヴァン・シーの内から消滅させていた。

 

 本棚から引っ張り出した地図帳をそのまま手提げバッグに投げ込んだバーヴァン・シーは、間髪入れずに昨年改装されたばかりだという最寄り駅へと足を向け──時刻表を調べずに飛び出してきてしまった為に30分程の足止めを受けた後、漸くやってきた電車に乗って日本海を目指していた。

 尤も、その段階で漸く自分の足で動いた方が速い事に気付いた訳だが。

 

「…おっそ」

 

 そうして今、購入した切符の区間を無視する事も出来ずにバーヴァン・シーは使い古された気動車のボックス席に座っているのである。

 生来の生真面目さとサイアクでザンコクを自称する()()()()()()()()()らしい突拍子の無さが組合わさった、ちぐはぐな行動だが──しかしこうして他の乗客もいない中、頬杖を突いて車窓の景色を眺めていれば見えてくる事もそれなりにあった。

 

 ──どうやらアイツは海に行っているらしい

 

 成る程、そう考えればあの慣れない匂いも想像が付く──所謂磯の香りというヤツなのだろう。

 そもそもサバフェス以来久しく海を見ていない上に、八方を山に囲まれた村が生活拠点な自分では正体に至れないのも納得だった。

 そこに気付ければ何をしているかだって直ぐに分かる。

 恐らくは、いや、基本的にインドア派な彼が態々海に行くなら十中八九絵を描く為に違いない。

 何でも描くけれど風景画が得意なアイツならそうするだろう、というある種の信頼がバーヴァン・シーにはあった。

 けれど────

 

 

 

 ──何でそれを私に隠すんだよ

 

 

 

 隠すなよ、描いてるとこ見せろよ、てか海に行くなら連れてけよ、水着(の霊基)だってちゃんと用意してんだぞ──なんて柄にもない事を心の中で叫んでしまう位に、ただそれだけが腹立たしい。

 

 

 

▼▲▼▲▼

 

 

 

 陽は既に下辺を水平線に触れさせ、大きく開かれた空と海を茜色に塗り替えている。

 晩夏の太陽に照らされながら降り立った駅の前を走る沿岸道路に沿って暫く歩けば、そこはもう「知る人ぞ知る」といった風体の小さな浜辺だった。

 そしてそんな浜辺の真ん中に置かれたイーゼルスタンドに、その絵は立てかけられていた。

 

 ──海

 

 左右に伸びて浜を小さく見せる岬も構図の中に収め、眼前に広がる夕暮れの全てを切り取ったような油彩画が其処にある。

 上部の幾らかをまだ空白が占めていることからそれがまだ未完成なのは明らかだったが、バーヴァン・シーにはそれが彼の作品であると一目で判別出来た。

 風景をそのまま描き写したような精緻に富んでいながら、細かな部分にはただもの寂しいだけではない命の力強さが宿っている──それが彼の画風だから。

 そして塗り付けられた絵具の乾き具合に青年がそう長時間離れている訳ではないのを感じたバーヴァン・シーは、纏った服が汚れるのに少々の苛立ちを覚えつつも砂浜に座って彼を待つことにした。

 しかし、じりじりと太陽を呑み込みつつある水平線を見詰める少女の灰の瞳に焦りはない。

 

 そう、何があったにせよ彼の下に帰ってきた。

 また彼が描いた絵をこの目で直に見ることが出来た。

 一先ずの心配も晴れたのだから、これ以上何を望む必要があるのだろう。

 真にそう思うからこそ、バーヴァン・シーは待てるのだ。

 況してや波の押し引きに合わせて刻一刻とその形を変え、あらゆる者を惹きつける。

 不安も、猜疑も、呪いも、何もかもを全部溶かしたってまだまだ余りある、茜色の海原があれば────

 

「げっ、もうバレたのか……」

 

 背後から来るだろうと分かっていても、思わず胸が高鳴った。

 そうして恐る恐る振り返った()()()()は、何度見ても飽きない安堵の根源が変わらずそこにあると知る。

 

「中々良いでしょ、海も」

 

 スピネルが降り立った町とは反対の方へと足を伸ばしていたのか浜辺に点々と足跡を残した「彼」は、夕陽に照らされた顔に困惑混じりの苦笑を浮かべていた。

 ありふれた、十把一絡げにしても何ら問題ない凡人そのものの出で立ち──なのに。

 

 ──あれ、コイツ()()()だったかな

 

 無地のTシャツに重ねたネルシャツが風を孕んではためけば、自然と視線が惹かれてしまう。

 砂浜を踏みしめるハンティングシューズが視界の隅に入るだけで、胸の内に熱が灯る。

 罷り間違っても美男とは言い難いが、言葉にし難い「何か」がある。

 故に──放って寄越されたジュースのペットボトルをキャッチしたスピネルが「アイスティーじゃないのかよ、気が利かねえな」などと口走っているのに気付いたのは、頭が真っ白になって言いたいことが根こそぎ吹き飛んでしまった後だった。

 

「いいだろ、別に。元々自分で飲もうとしてたんだし……それに、海を眺めながらジュースってのも結構悪くないよ」

 

 しかし、青年は悪態もまるで意に介さない──憎まれ口の裏に隠そうとしていたものなんて既に見透かされているのだろう。

 男子三日会わざれば刮目して見よとはよく言うが、10年会わないとこうもなるのかとスピネルは舌を巻くしかない。

 そうして不意に垣間見えた10年前とのギャップに呆けるスピネルに再び苦笑を向けた青年は「モルガンさんかな、バラしたの」と穏やかな声音で続ける。

 

「後ちょっとで完成するって時にスピネルが来たんなら、多分そうなんでしょ?」

「おまえ……」

「どうしても最初に見せるのはキミにしたかったんだ」

 

 やはり、何となく想像した通りだった。

 青年が態々自分に隠してまで絵を描くなら、凡そ他の理由は考えられないだろう。

 そして他人の内面にそれとなく寄り添う事は出来ても中々踏み込めないスピネルであれば直接訊いてくる可能性は低いと踏んで、周囲に予め口止めをしていた。

 改めて事の次第を理解すれば納得は出来るが、だからこそ何か腹が立つ。

 しかし「隠し事とかムカつくんだよな、センセイの癖に小癪なことしやがって」等と肩を怒らせて詰めよれば────

 

「結局向日葵畑の絵、キミにあげられなかっただろ」

「あ……」

「それに、色々貰ってばっかりだし」

 

 そう言って、青年は足元へと視線を逸らす。

 

 ──そういうことかよ

 

 成程──確かにあの絵は少女の手元にはなく、現在は東京の美術展に展示されている。

 青年の代表作にして異色作でもある「向日葵畑で、君と」は今や彼一人の自由意思で誰かに譲渡出来るものではなく、その上再会して早々スピネルが創り上げた渾身の一作──ハンティングシューズまで貰ってしまえば、青年が不平等を感じるのも当然だろう。

 スピネル自身彼から同じだけの贈り物を貰えば落ち着いていられないのは明白だったから、言わんとすることは直ぐに分かった。

 

 要は、何かしらをスピネルに返したかったのだ。

 

 はぁ、と思わず溜め息が漏れた。

 何て馬鹿なのだろう──見てくれは多少マシになっても中身があの頃から何にも変わっていない。

 愚直で、手が届く範囲なんて冗談みたいに狭い癖にその範囲でやれる事をやろうと藻掻いて、格好付けるのを止められない少年のまま。

 何かあったのではと心配したのも馬鹿らしくなってくる。

 

 

 

 ────でも

 

 

 

「じゃ、さっさと描き上げて。ここで待ってるから」

「え゛っ……!?」

 

 そんな少年だからこそスピネルは好きになって、今もずっと好きなのだ。

 

「前は途中で寝ちゃったけど、今度は最後まで見るわ」

「ま、マジか……」

「あ、日が暮れるまでに描き終わらなかったらシールにするからそのつもりで」

「シール!?何でシール!?」

「んなもん決まってるだろ?罰ゲームだよ罰ゲーム♪締め切りを決めとかないと作家ってのは何時までもうだうだサボりまくるってサバフェスで学んだからなぁ」

 

 慌てて画材道具を漁り出した青年の横に改めて腰を下ろしつつ、少女は笑う。

 そう、変わったものもあれば変わらないものもある。

 或いは少年がちょっと成熟した部分のある青年に成長したように、少女もこの10年間で相応に成長したと言い換えても良い。

 その証拠に。

 

 新生した妖精騎士トリスタンは。

 

 呪いを飲み干したバーヴァン・シーは。

 

 祭神の巫女、ケット・クー・ミコケルは。

 

 そしてザンコクで、ワガママで、サイアクな妖精少女スピネルは。

 

 

 

「ま、精々頑張れよ♪私の騎士サマ────」

 

 

 

 何でもない、何にもない。

 でも何にも替えられないこの時間が最も幸せだと、知っているのだから。




◯バーヴァン・シー/妖精騎士トリスタン/ケット・クー・ミコケル/スピネル
妖精騎士にして祭神の巫女にしてサイアクでザンコクな10年後の少女。
サバフェスでのあれこれも含めて色々成長した結果「スピネル」を名乗っている時でも少し落ち着きを得た。

◯センセイ/青年
折角描いた絵は見せられないし靴貰っちゃうしで何か返そうとこっそり新しい絵を描いていただけの、相変わらずバーヴァン・シーの前では格好付けるのが止められない青年。
最後に騎士扱いされているがこれは文化功労的な側面からのものであり、バーヴァン・シーも妖精騎士の重みを知ったので当面叙任をするつもりはない──尤もあくまで当面の話でしかなく、他ならぬバーヴァン・シーが周囲に言いふらしているので当人以外の誰もが知っているが。


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