世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった (龍流)
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勇者と記憶喪失ちゃん

 世界を救ったら、やることがなくなってしまった。

 

 婚活でもしたら? 

 

 というのが、共に激戦を潜り抜けたパーティーメンバーの談である。要するに、早く身を固めろというのだ。

 

「まあ、立場もあるだろうし、勇者くんがいろいろ悩むのはわかるけどさ。でも、そんな風に迷ってると、好きな人とちゃんと恋愛して、結婚できる機会もなくなっちゃうかもしれないよ? もちろん、あたしが心配することじゃないし、余計なお世話かもしれないけどさ」

 

 と、これはパーティー前衛担当としてがんばってくれた女騎士ちゃんの言葉だ。たしかに自由恋愛は人生の華だし、憧れるよな、と。そう言いながら頷くと、女騎士ちゃんは金髪のポニーテールを揺らして苦笑していた。そんなに笑うことだろうか。

 おれは腐っても世界を救った勇者なので、地位や名声やら土地やら、そういう類いのものは大体もらった。おれと一緒になるということは、そういった地位や名声やら土地やら権力やらを間接的に得ることに繋がるわけで、なんでも王国の上流階級に位置する貴族のみなさんは、すでにお見合い、縁談、パーティーと、あらゆる手段を用いておれと接点を作ろうと躍起になっているらしい。

 これを教えてくれたのは、パーティーの頭脳労働担当の賢者ちゃんである。

 

「勇者さんは、本当にこういうことに疎いですからね。私と……私たちから離れたら、政治闘争にでも巻き込まれてコロッと死んじゃいそうで心配です」

 

 そんなことを言われても、おれの仕事は基本的に女騎士ちゃんと一緒に前に出て敵を斬ることだったので、旅先での交渉やら物資や人員の調達やら、そういうめんどくさい仕事は途中からすべて賢者ちゃんに丸投げだった。まあ、何に巻き込まれてもそう簡単に死なない程度には鍛えているから安心してほしい、と。そう返すと、賢者ちゃんは真っ白な銀髪を横に振ってめちゃくちゃ大きなため息を吐いていた。解せぬ。

 しかし、これといってやることがないのも事実。女騎士ちゃんは元々隣国のお姫様だから、お国に戻れば公務が待っているだろうし、賢者ちゃんは持ち前の頭の良さと腹黒い暗躍ムーブで、既に王国の中枢に深く食い込んでいるとかなんとか。つくづく、俺のパーティーのみなさんは世渡りが上手いと思う。おれが人生設計へたくそなだけ? まあそうですね。

 

 パーティーで一番の常識人である死霊術師さんに至っては、魔王軍のモンスターを輸送に転用して、大規模な運送会社を一代で築き上げてしまった。

 

「やることがない、というのはまた贅沢な悩みですわねぇ。いっそのこと、わたくしのように勇者さまも何か事業を立ち上げてみるというのは如何でしょう? 生産的な趣味は人生の潤いですよ?」

 

 そうは言われても、おれには商売の心得がまるでない。それこそ、根がとてもいい子で実家も権力がある女騎士ちゃんや、驚くほどに頭が回る賢者ちゃん、人付き合いが抜群に上手い死霊術師さんならともかく、腕っぷしに任せてノリと勢いで人生を駆け抜けてきた俺が、今から何かはじめてもうまくいくとは思えない。

 

「どうすっかなー」

 

 お日さまが空の上で一番元気な真っ昼間から、特に当てもなく街の中をぶらぶらと歩く。

 夢のように大きな目標を達成した人間は燃え尽き症候群にかかるというが、今のおれはまさにそういう状態なんだろう。

 魔王も四天王も結構強かったけど、倒してしまった今となっては良い思い出である。あの頃の血湧き肉躍るバトルは、つらかったけど楽しくもあった。まあ、もう一度やれとか言われたら絶対にいやなんですけど。

 

「あ、勇者さまだ」

「勇者さまこんにちは!」

「おう。少年少女達。今日も元気がいいな」

 

 顔見知りの男の子と女の子が一人ずつ、元気よくあいさつをしてくれたので、手をあげて振り返す。かわいい。やっぱ子どもは人類の宝だよな。

 魔王を倒して無職ニート生活をはじめてからはずっとこの街で暮らしているので、街の子ども達ともすっかり顔馴染みになってしまった。世界を救った勇者、なんて大げさな肩書がついているから、最初の頃は遠巻きに見られていたけど、今ではすっかり近所でいつも散歩してる暇そうなお兄さんというポジションに落ち着いている。よかったよかった。いやほんとによかったのか? 

 

「勇者様なにしてるのー?」

「散歩だよ」

「勇者さまいつもひまそうだね!」

「ばか! 勇者様は戦いの疲れを癒やしてるんだよ」

 

 お嬢ちゃんにひまそう、と言われた俺を、少年の方が慌ててフォローしてくれる。この年頃の男の子にフォローされると逆に傷つきますね。

 

「勇者さま、暇なら森の方いこ!」

「探検ごっこしよ。探検ごっこ!」

「お前らなぁ、子どもだけで森の方行くのはダメだぞ。危ないから」

 

 魔王軍が壊滅してから、モンスターの数は減少傾向にあるし、街と街を繋ぐ街道で人が襲われるような被害も、随分と減った。でも、街の外はまだ小さな子ども達だけで遊びに行けるほど、安全でもない。

 

「うん! だからお母さんが勇者さまと一緒なら行ってもいいよ! って言ってた」

「えぇ……?」

 

 おれ、完全に引率の先生じゃん。遠回しに暇だったら遊んであげてって、お世話頼まれてるじゃん。

 しかも、この子達のお母さんには野菜とかもらっていろいろお世話になっているので、どうにも断りづらい。しかもおれはちょうどひまである。悲しいくらいに断る理由がない。

 

「じゃあいくかー」

「やったー!」

「探検探検!」

 

 

 

 

 

 

「勇者さまみて! お花みつけた!」

「かわいいな。どれどれ、勇者さんが髪飾りにしてやろう」

「やったー! ありがとう!」

「勇者さまみてみて! かっこいい棒拾った!」

「マジかよ超かっこいいじゃん。じゃあおれの勇者ソードと勝負しようぜ」

「するー!」

 

 お花を被せたり、棒を振ってチャンバラしたり。なんだかんだ、子ども達と遊ぶのはめちゃくちゃ楽しい。だから、パーティメンバーのみんなが「はやく結婚したら?」っておれに言ってくるのは、ある意味正しいんだよな。おれ、子ども大好きだし。人並みに性欲もあるし。さっさとかわいい奥さんを見つけて家庭を築いて、サッカーチーム作れるくらいの大家族で楽しく過ごすっていうのは、結構夢がある。

 

「勇者さまー、喉かわいたー」

「ん。じゃあ、水汲みに行くか。こっちに川あるし」

 

 そういえば、賢者ちゃんは首都の方で魔術の講師として教鞭をとっているというし、学校の先生とかやるのも悪くないかもしれない。でも、おれが教えられることってあんまりない気がするしな……。

 あーだこーだと考えを巡らせながら、水筒に水を汲んで飲ませてあげる。

 

「勇者さま、あっち見てきてもいい?」

「いいけど、あんまり離れるなよ。あんまり行き過ぎると、崖があるから危ないぞ」

「はーい」

 

 あるいは、おれが先生になるのはダメでも、学校の運営とかはありかもしれない。女騎士ちゃんと出会った騎士学校は悪いところではなかったけど、何かを学ぶ場所っていうよりも、強くなるための訓練場みたいな学校だったし。せっかく世界が平和になりつつあるのだから、普通の学校を建ててみるのは悪くない。

 もしくは孤児院とかね。どうせお金はじゃぶじゃぶと余っているのだから、少しでも世のため人のために使うのは、かなりありな気がする。うん。

 

「ちょっとがんばるかぁ」

「勇者さま、なにをがんばるの?」

「いや、なんか人生の目標みたいなもんがまた見えてきたからさ」

「やっと働くの?」

 

 うっせぃわい。

 と、男の子の方が声を張り上げて戻ってきた。

 

「勇者さま、こっちきて! みてみて!」

「どしたー?」

「なんかあっちからお馬さんが来るよ?」

「馬?」

 

 声を追って草をかきわけてみると、やはり少年は森から出て、崖の方まで身を乗り出していた。

 

「こら。お前、崖の方は危ないから行くなって……」

「勇者さまみてみて! お馬さんたくさん!」

「先頭のお馬さんを追ってるみたいだよ!」

 

 言われて、おれも身をのりだして目を凝らす。森の切れ目は結構な高さの崖になっており、ここからは眼下の荒野が地平線まで一望できる。

 なるほど。たしかに子ども達の言う通り、東の方から馬が走ってくる。先頭の一頭を、後ろの三頭が追いたてる形。どの馬も、鞭を入れてトップスピードで駆けている。明らかに、ただ事ではない。しかも、先頭の人影はローブを頭から被っているせいで詳しく判別はできないが、体格が小さい。おそらく、女の子だ。

 

「勇者さま」

「勇者さま」

 

 子ども達の期待の視線が、まぶしい。それはもう、とてもまぶしい。

 

 まいったなぁ……。

 

 おれは大きく息を吐いてしゃがみ、二人と目線を合わせてから、ぐりぐりと強めに頭を撫でた。

 

「ここから、絶対に動かずに待ってろよ」

 

 

 

 

 

 森に入れば、逃げ切れるかもしれない。

 少女は、そんな自分の考えが甘いものであったことを痛感していた。乗りなれない馬に、相手は複数。視界の開けた荒野で、逃げ切れるわけがない。

 体を預ける馬の息遣いが、少しずつ。けれど確実に、荒くなっていくのがわかる。

 

「ごめん、ごめんね……でも、お願い。もう少しだけ、がんばって」

 

 か細い声に、ここまで駆けてくれた雄馬は任せろと言わんばかりに鼻息を震わせたが、限界が近い事実は変わらなかった。

 スピードが落ちたところに、左右を挟まれる。三人の追手の内、一人は弓を構え、二人は剣を引き抜いた。もはや彼らに自分を捕まえようとする気は欠片もなく、ただ命を奪おうとしていることは武器を構えるその動作で明白だった。

 

 手綱を握る手が震える。

 唇が、自然に言葉を発した。

 

 

「……死にたく、ない」

 

 

 少女は、自分の命を奪おうとしている相手に、それを言ったわけではない。

 最初から、返事は期待していなかった。ただ、言わずにはいられなかった。

 

 

「わかった」

 

 

 だから、不意に降ってきた返答は、幻のようで。

 まず最初に、真後ろで弓を構えていた一人が、吹き飛んだ。

 

「は?」

 

 間抜けな声は、少女ではなく、追手のもの。

 無理もない。突然、隣を並走していた仲間が、跨っていた馬を残して消えたのだ。驚くな、という方が無理な話である。

 せめて、何か意味のある言葉を発しようとした二人目の覆面は、しかし何も言うことができなかった。口を動かす前に、その顔面に拳が叩き込まれたからだ。

 また落馬する仲間を、ぽかんと眺めて。そこでようやく、最後の一人は追う側である自分達が、何者かの襲撃を受けていることを認識した。

 

 馬の上に、人が立っている。

 

 地味な色のかざらないシャツに、動きやすそうな麻のズボン。騎士ではない。魔術士でもない。ただの村人にしか見えないその服装を見て、最後の一人は警戒心をより一層強めた。

 仲間を馬上から引きずり下ろした、異常な挙動。尋常ならざる膂力。殺さなければ、こちらの命に関わる。

 

 何者だ、と。問いかけることすらせずに、彼は剣を振り上げた。

 一撃で、確実に首を落とせるように。背後から斬撃を浴びせた。

 

 最後の一人の対応は、全て正確で正解だった。その結果、白銀の剣は真っ二つに叩き折られ、錐揉みするように回転しながら、彼は仲間と同じ末路を辿った。

 

「え……?」

 

 ようやく、少女は声を発した。

 

「大丈夫?」

 

 優しいその声に安心して、緊張で張り詰めていた意識の糸が、ぷつんと切れた。

 

 

 

 

 

 女の子を拾ってしまった。さて、どうしよう。

 

「美人さんだ〜」

「きれいな人だね」

 

 うむ。たしかにかわいい。子ども達から見たら美人のお姉さんなんだろうけど、あどけない顔立ちは美人というよりもかわいいと言ったほうがしっくりくる。

 そのわりに、胸が結構大きい。けしからんサイズ……ではなく、グッドなサイズだ。

 しかし、なによりも目を惹くのは炎のように鮮やかな色の赤髪だろう。背中まである長髪は逃避行で汚れていたが、それでも燃える炎のような気品を漂わせていた。

 

「ん……」

 

 あ、起きた。

 瞳も髪と同じ色なんだな。つくづくめずらしい。

 

「あれ、わたし……」

「お姉ちゃん、起きた!」

「おはよう! お姉ちゃん!」

「え、えっと……?」

「お姉ちゃん、勇者さまが助けてくれたんだよ!」

 

 子ども達にわちゃわちゃと絡まれて、困惑した視線がこちらに向く。本当に、綺麗な朱色の瞳である。

 

「追手はおれが倒したよ。安心して」

「じゃあ、あなたがわたしを、助けてくださったんですか……?」

「そういうことになるかな」

「あ、ありがとうございます!」

「いいよいいよ。そんなかしこまらないで。はい、お水飲んで」

「あ、はい」

「ほい、手拭いどうぞ。顔拭ける?」

「は、はい!」

 

 お水を飲んで、顔を拭いて、赤髪ちゃんはようやく落ち着いたらしい。ふう、と息を吐くと、少し頬に色が戻ってきた。

 

「気がついたばかりで悪いんだけど、あんな物騒なヤツらに追われていた事情を聞かせてもらってもいいかな? 騎士団の詰め所に連れて行くにしても、おれも事情を把握しておいた方がいいだろうし」

「それが……わたし、なにも覚えていないんです」

 

 へ? 

 

「なにも覚えていないっていうのは、つまり……?」

「はい。ここがどこなのか。今が何日の何年なのか。自分が誰なのか。そういうことを、まったく覚えていないんです」

 

 マジか、と。言いそうになったのを、ぐっと堪える。

 

「ということはもしかして、自分が追われてた理由もわからないってことかな?」

「ご、ごめんなさい。わたし、気がついたら捕まっていて……なんとか馬を奪って逃げ出してきたんです。もちろん、わたしが逃げたから、あの人たちは追ってきたんだと思うんですけど」

 

 いや、まいったな。

 どうやらおれは、想像以上になにやらわけありな女の子を拾ってしまったらしい。

 しばらく俯いていた彼女は、けれど急に何かを思い出したように、顔をあげた。

 

「あ、でも、まってください! わたし、名前だけは! 自分の名前だけは覚えてます!」

 

 ああ、うん。こまった。

 名前だけは、覚えている。

 それは……ますます最悪だ。

 

 

「わたしの名前は『    』です!」

 

 

 おれは、それを聞き取ることができない。

 

「ダメだよお姉ちゃん!」

「勇者様に名前を言ってもわからないよ!」

「え?」

 

 本当に、最悪だ。

 

 

「だって勇者様、自分の名前も人の名前も、聞こえないし、言えないもん!」

「そういう呪いにかかってるんだって!」

 

 

 子ども達に言われて、少女の顔が固まった。

 

「……名前が、聞こえない?」

「いや、なんというか、この子たちが言った通りの意味なんだけど。おれ、きみの名前を聞き取ることができないし、自分の名前も言うことができないんだよね」

 

 ええ、まぁ、はい。そういうことなんです。

 子ども達の言う通り、おれは人の名前を認識できない呪いにかかっている。魔王を倒した時に、ヤツから置き土産として浴びてしまった。

 

 それは、一緒に冒険してきた大切な仲間を……()()()()()()()()()()()ほどに強力なもので。

 

 だから今のおれは、そこそこ付き合いが長くて、仲の良いこの子ども達の名前すら口にすることができない。ついでに、自分の名前も覚えていないし、発音することすらできないのだ。

 

 少女の顔が、愕然と冷たくなる。

 

 無理もない。広い世界にたった一人で放り出されて、ただ一つ。覚えているものが自分の名前だったのに、よりにもよってそれを聞くことすらできない男に助けられたのだから。

 

「……そんなわけで、おれはきみの名前も自分の名前もわからないんだけど」

 

 極めて情けない自己申告をしながら。

 それでも、目の前で座り込んで、困りきった表情のまま俯いている女の子を放っておくことはできない。

 まず、彼女に立ち上がってもらうために、おれは手を差し伸べた。

 

「だからとりあえず、おれのことは『勇者』って呼んでほしい」

 

 自分の名前しか覚えていない、記憶喪失の少女が一人。

 魔王が遺した呪いにかかった、言語障害の勇者が一人。

 彼女が覚えているのは自分の名前だけで、それが唯一の手がかり。

 

 ……うん。

 

 これ、普通に詰んだのでは?




このお話の登場人物

・勇者くん
思っていたより世界がヤバかったので、強いヤツを片っ端から集めて世界救済RTAを敢行し、見事魔王を撃破。世界は平和になったが、魔王から人の名前に関する呪いを受けてしまい、引退ニート生活をすることになってしまったかわいそうな勇者。巨乳が好き。

・記憶喪失ちゃん
記憶喪失で、自分の名前以外覚えていない。ケツがデカい巨乳の赤髪。

・騎士ちゃん
パーティーの前衛担当。隣国の姫君で女騎士。引き締まったケツの巨乳で金髪。勇者のことが好き。

・賢者ちゃん
パーティーの後衛、頭脳担当。毒舌で腹黒。スレンダーという言葉で形容するのが憚れるくらいの貧乳で銀髪。勇者のことが好き。

・死霊術師さん
パーティーの追加メンバー。良識があり人付き合いも巧く、ついでに経営センスもある。巨乳の黒髪。勇者のことが好き。


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勇者と賢者ちゃん

 女の子ひろった。名前はあるけど、おれがくそな呪いを浴びているせいで聞けない。ついでに記憶喪失。

 

「繰り返し確認をするようで申し訳ないんだけど、本当に名前以外は何も覚えてない、と」

「はい。そうなんです」

 

 頷きながら、彼女はパンを一口かじった。この子、良いペースでよく食べるな。

 

「そうか……」

 

 うーん、だめだ。何度確認してもこまったね。すごくこまった。具体的には女騎士ちゃんと賢者ちゃんが二人揃って四天王に人質に取られた時くらいこまったね。

 赤髪の記憶喪失ちゃん、はちょっと長いので、とりあえず赤髪ちゃんとでも呼ぼうか。自分の名前しか覚えておらず、行くところがないというお話だったので、子ども達を家に返したあと、我が家にきてもらうことにした。寒そうだったので、さっさとお風呂を沸かして入ってもらい、余っていた服を着てもらって、さらにおれが作った勇者メシを食べてお腹を満たしてもらっている。パーフェクトだ。なんか流れが完全に捨て猫拾ったみたいだけど、パーフェクトなおもてなしだ。

 

「あの」

「うん?」

「失礼なことかもしれないんですけど」

「全然いいよ、なんでも聞いて」

「勇者さんは、本当に人の名前がわからないんですか?」

「あー、それね」

 

 トマトを頬張りながら、本当に困った顔の赤髪ちゃんに見詰められて、おれはたまらず頭をかいた。どう説明したもんかな。それにしてもこの子、よく食べるな。

 

「えーと、まず、おれは勇者をやって冒険してたんだけど」

「はい」

「魔王っていう、この世の諸悪の根源みたいな悪いやつがいたんだよね」

「魔王」

「で、そいつはおれが仲間とめちゃくちゃがんばって倒したんだけど」

「すごいですね」

「トドメを刺す前に、呪いを受けちゃって」

「その呪いのせいで、人の名前がわからなくなってしまった、と」

「そういうことです」

 

 ふむふむ、と会話の合間にチキンを口に放り込みながら、赤髪ちゃんはあごに手をあてて頷いた。コイツ、よく食うな……

 とはいえ、理解がはやくて助かる。記憶喪失という話だったけど、なんとなく地頭が良さそうなのが短い会話でわかった。

 

「また質問になるんですが」

「いいよいいよ。どんどん聞いて」

「名前がわからない、というのは、具体的にはどのような?」

「うーん。説明が難しいけど、人の名前は聞いても全然頭に入ってこない感じかな。話していても、そこだけ聞き取れなくなる」

 

 名前を聞く時だけ、ノイズがはしるというか、雑音がはいるというか。とにかく人名はまったく聞き取れない。

 

「じゃあ、自分の名前もわからないってことですか?」

「わからないんだよね。呪いをくらった時に、自分の名前も他の仲間の名前も、全部記憶から吹き飛んじゃった」

 

 我ながら、そこらへんのボケ老人より質が悪いと思う。あの性悪魔王も、やっかいな呪いを残してくれたものだ。

 

「なるほど」

 

 立ち上がった赤髪ちゃんは、部屋の中をきょろきょろと見回して、紙とペンを手にとった。さらさらと、ペン先が動いて滑らかに文字を紡ぐ。

 

「これはどうですか?」

「あー、ごめん。字も無理なんだ。読めん」

 

 赤髪ちゃんはおそらく自分の名前を書いた紙を見せてくれたが、おれは読むことができなかった。厳密に言うと、おれには名前が書かれている部分だけ黒く塗りつぶされているように見える。

 

「聴覚だけでなく、視覚にも作用する呪い……ということは、感覚器官だけじゃなく、魂そのものに作用するような……」

「赤髪ちゃん?」

「……あ、すいません」

「いや、べつに大丈夫だけど」

 

 この子を拾ってから、しばらく観察してて、わかったことがある。

 まず、語彙力がある。知識量は、多分成人前の村の子ども以上。食器も問題なく使えて、自分が口に運んでいるもの……例えば、パンや卵がどういうものなのかを知っている。ペンが文字を書くための道具であることも理解しているし、実際にそれを使って自分の名前も紙に書くこともできる。少なくとも、日常生活を送る上であまり支障はなさそうだ。

 

 そしてなにより、呪いが何かも理解している。

 

 助けた子を疑うようなことは、あまりしたくないけど。それでもこの子は、記憶喪失というにはあまりにも……

 

「勇者さん?」

「え? ああ、ごめん。なんだっけ?」

「いえ、その。おかわり、もらってもよろしいでしょうか?」

「ん、ああ。いいよ」

 

 お椀にスープのおかわりをたっぷりよそおうとして、気づく。昨日から作り置きしておいたおれの特製スープが、すっかり空である。

 

「赤髪ちゃん。きみ、ほんっとうによく食べるね……」

「す、すいません! その、なんと言いますか、ちょっとお腹が空いていて……」

「いや、全然いいけど。むしろじゃんじゃん食べて。追加で作るから」

 

 赤面した顔をお椀で隠している様子は、なんとも可愛らしい。それにおれは、少食な子よりもたくさん食べる子が好きだ、うん。

 この子のことは、まだよくわからないけど。

 とりあえず、ご飯をおいしそうに食べる子、っていうのはよくわかった。ひとまずは、それだけでも貴重な収穫だ。まだ残っている野菜を漁りながら、おれは言った。

 

「まあ、善は急げということで。お腹を満たしたら、うちのパーティメンバーに会いに行こうか」

「パーティメンバー……勇者さんのお仲間、ですか?」

「うん」

 

 おれにはわからないことでも、頼れるパーティのみんななら、わかるかもしれない。

 

「まずは、賢者ちゃんに会いに行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 王国の中枢には、魔術の全てを解き明かした賢者がいる。

 魔王討伐からたった半年で、そんな噂が辺境の地まで届くようになったことが、彼女の才能を何よりも雄弁に証明していた。

 

 魔術分野における、万能の天才。

 

 勇者パーティーの一員であった彼女は冒険が終わった後、宮廷魔導師として王に直接仕えることを望んだ。本来、宮廷魔導師という存在は、魔術の道を志した者が自身の一生を懸けて得ることを望む称号である。しかし、若き賢者はたった17年という時間で、魔王討伐という実績を引っ提げて、その頂きに手をかけた。

 

 天才が、それに相応しい地位と権力を得た。ならば、あとは駆け上がるだけである。

 

 これまで魔王討伐に向けられていた彼女の情熱は、魔術の関連学問の発展と後進の育成に注ぎ込まれ……その結果、魔術の歴史は彼女の存在だけで10年の発展を遂げたと言われるまでに至った。

 王城に宮廷魔導師として籍を置く彼女の名目上の役職は相談役だったが、実際は首都の学院に赴いて、教鞭を取る機会の方が圧倒的に多かった。当初はその特殊な出自も相まって、貴族や騎士達から警戒の目で見られていたものの、後進の育成に心血を注ぐ彼女の姿と実績に、それらの非難の声はすぐにかき消えた。

 

 もちろん、理由はある。

 

「まだご自分の立場が理解できていないようですね、騎士団長」

 

 若き賢者は、宮廷内の政争にも、全力で臨んでいたからだ。

 

「くっ……殺せ」

 

 人目につかない暗い部屋の中で、甲冑を纏った大の男が、這いつくばって床を舐めていた。白銀の鎧にあしらわれたぎらついた金の装飾と、きらびやかな勲章の数々が、彼が王国内で高い地位についていることを物語っている。事実、彼は王国の主力を担う長の一人、騎士団長であった。

 

「殺しませんよ。あなたを殺したところで、私に何の得があるというんです?」

 

 その頭を、踵で踏みつけにしている少女がいた。

 部屋の闇に溶け込むような黒のローブには、騎士団長と同じく金の刺繍がなされていたが、彼女が纏うそれには不思議な気品がある。フードを目深に被っているせいで、顔の大半は隠れていた。しかし、こぼれ出る銀の長髪は、ろうそくの光を受けて怪しく輝いている。

 おそろしいほどの美貌を、フードの中に隠して。少女はあやしく笑いながら、騎士団長の頭をなおも踏みつけにした。

 

「古臭い純血派の騎士団が魔術学院を目の敵にしている、というのは王国に来る前から知識として知っていましたが……しかしよくもまぁ、飽きもせずにかわいらしい嫌がらせを繰り返せたものです」

「……シャナ・グランプレ」

 

 苦々しげに、騎士団長は声を吐き出した。

 それが、賢者と呼ばれる少女の名である。

 

「何が、何が賢者だ……忌々しい、この魔女め!」

「やだ、魔女だなんて……そんなに褒めないでください。胸がむず痒くなります」

「ほざけ! 私は貴様の本性を、既に見抜いているぞ!」

「私の、本性?」

「ああ、そうだ! 言ってみろ! その腹の中に隠したどす黒い本性を! 曝け出してみろ! お前は、王国に相応しくない!」

「ふぅん? では、正直に言わせてもらいますね」

 

 賢者、シャナは開いた手のひらを口元に当て、その白い肌とはどこまでも対称的な朱色の唇で三日月を描いた。

 

 

 

 

「ざぁーこ♡」

 

 

 

 騎士団長は、絶句した。

 

「ふふっ……ねぇねぇ。王国を守護する騎士様が、貴族に唆されて、慣れない駆け引きをして、それをすぐに看破されて、年端もいかない少女に踏み躙られて……今、どんな気持ち? どんな気持ちで、その口は言葉を吐いているんですか? 一つ、若輩者な私に教えてくださいな?」

「きっ……貴様ッ……!」

「だから教えてくださいよ」

「ぐぎっ……?」

 

 みしり、と。既に指一本すら動かせない騎士団長の身体に、重圧がかかる。

 シャナは表情を変えぬまま、机の上に置いてあった紙に手を取った。

 

「まあ、証拠はいくらでもあります。というか、証拠がなければいくらわたしでも、王国に五人しかいない騎士団長さまを、こんな風に足蹴にはできませんし」

 

 彼が裏で行ってきた不正の数々。せめて、証拠を記したその紙を奪い取ろうと、騎士団長は必死で手を伸ばす。

 

「ぐっ」

「へえ。意外と根性はありますね。いや、単細胞な分、腕力だけはある、というべきでしょうか?」

 

 遂に、床に貼り付いていた右腕が動いた。意地と根性で動いたその手に免じてか、シャナは奪い取られた紙をあっさりと手放した。

 

「貴様なんぞに……貴様なんぞに、私が積み上げてきた誇りを奪われてたまるかっ!」

 

 ぐしゃり、と。紙が握り潰される音が鳴る。

 だが、シャナはやはり表情を変えなかった。むしろ、さらに嗜虐的な笑みを濃くして、手のひらを広げた。

 

「……積み上げてきたぁ? こんな感じに、ですか?」

 

 白い、紙吹雪だった。

 騎士団長は唖然として、室内に舞い散るそれを見る。自分がたった今、奪い取ったものとまったく同じ内容を記したものが、部屋の中を埋め尽くすように広がった。ローブの中に隠していたわけではない。空間転移で、手元に引き寄せたわけでもない。本当に唐突に、目の前で紙が増えたのだ。

 

「なん……っ」

「よかったですね。これだけあれば、王国内にバラ撒くのに困りませんよ」

「やめっ……やめてくれ。そ、それだけは……なんでも、なんでもするから、だから……」

 

 彼女のやろうとしていることを理解して、騎士団長は遂に自ら頭を床に擦りつけた。

 殺されるだけなら、いい。だが、曲がりなりにも王国を守護する騎士団の中で、トップの一人に位置する地位を得た彼にとって、殺されずに罪を暴かれ、全てを奪われることは何よりも屈辱だった。

 

 生きて、辱められる。

 

 その恐怖は、死よりも重い。

 

 

 

 

 

 

「おっす! 賢者ちゃん、ひさしぶり! 元気してたか!?」

 

 扉が、開いた。

 それはもう、唐突に。

 

「……」

「……」

 

 世界を救った勇者は。

 ひさしぶりに会うパーティーの頭脳担当が、大の大人の頭を踏みつけ、ニコニコと楽しそうに笑っている様子を、じっくりと眺めた。

 

「……」

「……」

「あの、勇者さん? どうかしました?」

「だめだ。まだ純粋なきみはこれを見てはいけない」

 

 背後で響いた少女の声に、毅然とした声でそう告げてから、世界を救った男は、シャナと騎士団長をさらにじっくりと観察し……ようやく納得がいった様子で、手のひらを叩いた。

 やたら生温かい目で、こちらを見詰めて。

 

「……ごめんな。そういう特殊なプレイの途中だったんだな。本当にすまん。また後で来る」

「あっ、ちょっとま……」

 

 扉が閉まる。

 沈黙と紙の束が、室内に残った。

 

 

「……ふ、ふぅぅう……」

 

 

 ぷるぷる、と小柄な体が震える。

 賢者と呼ばれた少女の目に。

 騎士を弄ぶ魔女の碧色の瞳に。

 大粒の涙が浮かび上がった。

 

 

「……勇者さんに、勘違いされた」

「え」

「……あなたのせいで」

「おい、ちょっとまて。それは冤罪……」

 

 3秒くらい遅れて、騎士団長の絶叫が響き渡った。




このお話の登場人物

・賢者ちゃん
 本名、シャナ・グランプレ。銀髪メスガキ天才賢者。貧乳。魔王討伐後、王国中枢で権力を振るうようになった宮廷魔導師。性格が歪んでいる。
 就任してから自分に反感を抱く敵対勢力を手段を選ばず黙らせてきたが、水面下でしつこく嫌がらせを続けてきた騎士団長の尻尾をようやく掴み、楽しく遊んでいたところを勇者に見られた。もうお嫁に行けない。
 自身の境遇もあってか、後進の育成にはわりと真面目に取り組んでおり、学院に通う魔術士見習いの生徒達からの人望はすこぶる篤い。

・騎士団長
 王国に五つ存在する騎士団を率いる長の一人。わりとえらくてそこそこ強いが、賢者ちゃんには敵わずSMプレイとご褒美を受けた。
 賢者ちゃんが半年で大体掌握した魔術学院以外に、王国には騎士学校と呼ばれる軍事教練校が存在する。この学校を出た生徒は『騎士』の称号を王から賜り、中央の騎士団か、地方へ配属。治安維持と国の防衛に当たる。勇者くんはここに通っている時に女騎士ちゃんと知り合い、入学早々ケンカをふっかけられ、彼女と壮絶な一騎打ちを演じた。つまるところ学園ラノベの導入である。

・勇者くん
 諸事情で自分の名前も人の名前も頭の中から吹き飛んでしまったかわいそうな勇者。パーティーメンバーの個人の趣味は尊重するタイプ。死霊術師さんの行ってきたあれやそれについては、見て見ぬ振りをして目をつぶってきた。

・純粋ちゃん
 記憶喪失。赤髪。巨乳。わりとねこの交尾とかを興味津々で見守るタイプ。


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純白の賢者

「で、あの踏んでた人どうしたの? 大丈夫? まだ生きてる?」

「……ひさしぶりに会う仲間への第一声がそれって、勇者さんは本当に、私のことをなんだと思ってるんですか?」

「こわい子」

「名前と一緒に語彙も失ったんですね。かわいそうに」

 

 ひさしぶりに会う賢者ちゃんは、案内された応接室のソファーにどかっと腰を下ろして、ほっそい足を高い位置で組み、かわいそうなものを見るようにおれを眺めていた。めちゃくちゃえらそうだなコイツ。

 なんだか取り込み中みたいだったので、また日を改めて訪ねようかとも思ったのだけれど、賢者ちゃんは予想以上に早く用事を済ませて、おれたちに会う時間を作ってくれた。決して暇な身の上でないだろうに、ありがたい話である。

 

「はぁ……殺してませんよ。どちらかといえば、彼は都合よく利用された側の人間ですし。まだまだ私にとっても利用価値がありそうだったので、解放してあげました」

「それはよかった」

「良い豚になりそうです」

「あの人、一応王国に五人しかいない騎士団長だよね?」

 

 どんだけこわいことしてるの、この子。曲がりなりにも国防のトップを担う人材を気軽に豚さんにしないでほしいんだけど。

 

「それで、そちらが勇者さんの新しい彼女さんですか?」

「い、いえ! 彼女だなんてそんな! わたしは勇者さんに助けて頂いただけで……」

「ちっ……」

 

 でかい舌打ちが漏れた。

 赤髪ちゃんが身を固くして、賢者ちゃんとの間に緊張がはしる。おれは慌てて間に入った。

 

「お行儀悪いぞ、賢者ちゃん。あと、おれはこの子を普通に助けただけだから、べつにそういうのじゃないから」

 

 賢者ちゃんの圧に押されて、赤髪ちゃんは明らかに小さくなっていて、肩身が狭そうである。

 

「は、はじめまして。わたしは」

「自己紹介はいらないです。おおよその事情はさっき勇者さんから聞きましたし。この人は私の名前も、あなたの名前も聞こえないんですから」

 

 なんかおれ、気を遣われてるなぁ。申し訳ない。

 

「あなたも、私のことは名前で呼ばずに、適当に『賢者さん』とでも呼んでください」

「は、はい。えっと……賢者さんは、勇者さんと一緒に冒険されていたんですよね? ということは、魔術士さんなんですか?」

 

 赤髪ちゃんの質問に、賢者ちゃんはむっとした表情になった。

 

「賢者っていうのは『魔術士』じゃなくて、高位の『魔導師』の別称なんだよ」

「役職名ってことですか?」

「えーと……そもそも、魔術を使う魔術士にも種類があるのはわかる?」

「いえ、全然」

 

 まあ、記憶ないもんな。

 

「魔術を使える人間は、その上手い下手に関わらず魔術使いって呼ばれるんだけど。学校に通って正式な学問として魔術を学んだ人間のことを、魔術士っていうんだ」

「ふむふむ」

「人に魔術を教えることができる人間は、魔術士とは区別して、魔導師って呼ばれる。魔を導く師、と書いて魔導師だ」

 

 賢者ちゃんは、一流の魔導師である。

 その中でも『賢者』とは、魔道を修めた者達の中でも、より高いレベルでそれらを伝え教えることができる高い位の魔導師を指す。生まれついての感覚やセンスに頼って魔術を使う者も多い中で、そのメカニズムを正確に理解し、解き明かした者。文字通りの、賢き者。それが賢者なのだ。

 付け加えて言えば、賢者ちゃんは『魔法使い』でもあるんだけど、まあ『魔導師』も『魔法使い』も、やることに関しては似たようなもんなので、そこはどうでもいい。

 

「あの、少し聞いてもいいでしょうか?」

「どうして私があなたの質問に答えなければ」

「賢者ちゃん」

「……はぁ。どうぞ」

「あの、賢者さんはどうして部屋の中でもフードを被ってらっしゃるんですか?」

「ああ。そんなことですか」

 

 ばさり、と。特に迷う様子もなく、黒いフードが捲られて落ちる。賢者ちゃんのきれいな顔がはじめて陽の光に当たった。

 というか、一年会ってないだけでまた美人になったなこの子……

 

「ご覧の通り、厳密に言えば私は人間ではありません」

 

 賢者ちゃんの顔を見て、その美しさに目を惹かれる人はとても多いと思うけど。多分、それ以上に、はじめて彼女の顔を見る者は、その耳を見てしまうはずだ。

 常人とは明らかに違う『とがった耳』を見て、赤髪ちゃんははっとした。

 

「えっと……変わったお耳ですね?」

 

 おいおい。赤髪ちゃんは、ボケの才能もあるな。

 

「ぶっとばすぞ」

「ひっ」

「どうどう」

 

 そろそろ賢者ちゃんが杖から何か撃ち出しそうだったので、手で抑える。

 まあ、多分知らないというか、覚えていないと思うので、説明しようか。

 

「賢者ちゃんは『ハーフエルフ』なんだよ」

「はーふえるふ?」

「エルフ族と人間の混血ってこと」

「そんなことも知らないなんて、ほんとに無知ですね」

「記憶喪失だって言ってんだろ。知識マウントやめろ」

 

 暴言がひどくなってきたので、手を伸ばしてぐりぐりと、きれいな銀髪の頭を押し撫でる。

 

「……むぅ」

 

 ふわふわの銀髪は、最高級の絹糸のような手触りだ。髪は女の命、というのはもちろんおれも理解しているつもりだし、あんまり雑に触ってはいけないことはわかっている。わかってはいるのだが、賢者ちゃんがまだ小さかった頃から一緒に旅をしてきたので、なんとなく癖になってしまっているのだ。

 

「…………」

 

 きゅっと唇を真一文字にして、翠色の瞳が細められる。口を開けば罵詈雑言が飛び出すが、こうしていると子犬のようだ。美貌のわりに子どもっぽい仕草に、赤髪ちゃんが目を丸くした。

 さて、説明に戻ろう。

 

「エルフ族は長命で、魔術を扱うことに長けた亜人種なんだ。半分エルフの血が入っている賢者ちゃんには、元々魔術の高い才能があったってわけ」

「我ながら天才過ぎてこわいですね」

「謙遜も美徳だぞ」

 

 この子は昔から褒めると伸びるタイプなのだが、褒めまくってたらこうなってしまった。ちょっと育て方を間違えてしまったかもしれない。

 

「エルフ族は長命、ということは、もしかして賢者さんも、見た目よりお年を……?」

「いや、賢者ちゃんは16歳だよ」

「わかっ!?」

 

 赤髪ちゃんは、賢者ちゃんのローブに包まれた細い肢体を眺めて、それから自分の身体を自分で確認して、頷いた。

 

「なるほど。見た目通りのご年齢なんですね」

「賢者ちゃん賢者ちゃん。そのままの意味だから。きっと他意はないから」

 

 賢者ちゃんの杖を押さえて止める。

 コイツ、煽りの才能もあるのか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて……」

 

 十分後。部屋の中には、おれと賢者ちゃんだけになった。赤髪ちゃんは、街に買い物に出かけている。

 さすがにおれの用立てた服では限界があるということで、賢者ちゃんの従者に頼んで赤髪ちゃんの生活に必要なものを、街で見繕ってもらうことになったのだ。首都の商店なら、おれが住んでいる片田舎の街よりもずっといい品物が揃うので、正直かなりありがたい。

 それに、賢者ちゃんと二人きりで話したいこともあった。

 

「で、どうだった?」

「特にあやしいところはありませんでしたよ。まあ、白なんじゃないんですか」

 

 すっと賢者ちゃんが指先を振ると、足元にミニサイズの魔導陣が浮かび上がった。

 これは、近くの対象を魔術的に精査して、呪いや特別な魔法を持っていないかチェックするためものだ。

 

「ていうか、最初から私に魔術精査させるつもりでここに連れてきたんですか?」

「まあ、うん」

「悪い人ですね」

「仕方ないでしょ。本人、何も覚えてないって言うんだから。調べられるところから調べないと」

「それは正論ですけど、女の子に隠し事は良くないですよ」

「うっ」

 

 相変わらず、痛いところを突いてくるなぁ。

 昔は、話してる時はもっと素直で可愛げがあったのに、一体いつからこうなったのか。今となっては、もう話術で勝てる気がしない。

 

「賢者ちゃんのことだから、この部屋だけじゃなくて、別の部屋からも魔術精査かけてたんでしょ?」

「私のことだからってなんですか。私のことなんだと思ってるんですか。まあ、両隣の部屋から彼女のことはじっくり観察して丸裸にしてましたけど」

「やってるじゃん」

「おっぱい大きかったですよ」

「マジで? 死霊術師さんとどっちがでかい?」

「なに食いついてるんですか。へんたい。カス」

「話振ったのそっちだよなぁ!?」

 

 この子は時々、マジで口が悪くなる。育った場所でいろいろあったので、仕方ないんですけどね。

 まあ、賢者ちゃんが一番胸のサイズが小さいのは明白なので、そこは揺らぎようがない。小ぶりな胸を張って、ハーフエルフの天才賢者は続けて言った。

 

「しかし、天才の私にもちんぷんかんぷんですね。記憶喪失になった原因が気になりますけど、残念ながら魔術的なものではなさそうですし。ぶっちゃけ何もわかりませんでしたよ」

 

 何もわからなかったのに、なんで胸張ってんだコイツ。元々張る胸もないくせに。

 

「魔術的に何もわからなかったということは、心の病気とか、何らかの外傷によるショックとか、そういう感じの原因ってこと?」

「そんな感じですかね。私は魔導師であって医者ではないので、心理的な病気のお話になってくるとお手上げです」

「うーん。賢者ちゃんに相談してだめ、か。困ったなぁ」

 

 おれが唸ると、賢者ちゃんはなぜか嬉しそうに「ふふっ」と笑った。なんで笑ってんだコイツ。元々かわいいくせに。笑ったらもっとかわいいだろうが。

 

「騎士さんでもなく、あのクソネクロマンサーでもなく、最初に私を頼ってきたことだけは、勇者さんにしては良い判断だったと褒めてあげます」

「はあ。褒めて頂き、ありがとうございます」

「しかし、私では手詰まりなのは間違いないので、次は騎士さんのところに行くのがいいでしょう」

 

 上機嫌なのか、わりとまともなアドバイスをくれた。

 

「おれもそうしようと思ってたんだけど、騎士ちゃんの領地まで行くの、結構時間がかかるんだよね。向かうなら、もうちょっときちんとした旅支度を整えたいな」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。数ヶ月前に、私が空間転送用の魔導陣を敷設しました」

 

 空間転送用の魔導陣、というのは人間を運ぶことができる高位の術式のことである。術式を刻んだ魔導師が対応する魔導陣を繋げることで、ある距離を無視して一瞬で移動することができる。少人数でしか使えないのが難点だが、今では各地を繋ぐポピュラーな移動手段の一つになっている。

 

「もちろん、騎士さんの領地と繋げておきました。勇者さんがここまできたように、一瞬であちらまでひとっ飛びです」

「便利な時代になったもんだ」

「騎士さんのところで、何かわかるといいですね」

「そうだなあ。今のところ、あの子に関わることって何もわかってないし。騎士ちゃんなら他の領主に働きかけて戸籍も調べられるから、それに期待かな」

 

 そういえば、と。賢者ちゃんはカップの紅茶を皿に戻して言った。

 

「あの子を追っているあやしいヤツらがいたのなら、捕まえて縛り上げるなり、拷問するなりして、情報を聞き出せばよかったのでは?」

 

 紅茶を口に含んだまま、おれは固まった。

 

「……賢者ちゃん」

「なんです?」

「やっぱり、賢者ちゃんは天才だな……全然思いつかなかった!」

「で、そいつらはどうしたんですか?」

「ごめん全員ぶっ飛ばして捕まえるの忘れてた」

「ドアホのクソバカ」

 

 

 

 

 

 

 夜。

 宿に帰る勇者を見送ってから、シャナは光が落ち始めた街の中を、一人で歩いていた。

 あの赤髪の少女に必要なものは、一通り用立てたつもりだし、魔導陣の用意も完璧だ。なにもなければ、明日の朝には出発できるだろう。

 

 そう、なにもなければ。

 

 わざと人気のない路地に入り、立ち止まる。

 

「さて、そろそろ出てきてくれませんか?」

 

 空間へ向けた問いかけに、返答があった。

 夜の闇に溶け込んだ影の中から、音もなく。シャナの二倍はあろうかという体躯が浮上する。

 狭苦しい道を全て塞いでしまいそうなサイズの、漆黒の翼。赤褐色の、鋭い爪。総じて、明らかに人ではない、人外の威容。

 

「いつから気づいていた?」

 

 牙を生やした口から発せられる、驚くほど滑らかな人の言葉。

 

「悪魔ですか。それも、上級の。ひさしぶりにみましたよ」

 

 モンスター、と呼ばれる人に害を為す存在の多くは、この世界の生態系に組み込まれた生き物だが……いくつかの例外は存在する。

 人語を理解し、巧みに人間を誘惑し、闇の中に落とす魔の眷属。これを、人は『悪魔』と呼ぶ。

 

「質問に答えてもらおう」

「もちろん、最初から気づいていましたよ。わたしを誰だと思っているんですか?」

「あの勇者と肩を並べた賢者、と聞き及んでいる」

「それだけですか。まあ、いいですけど」

 

 異形の悪魔に向けて、にこり、と。シャナは気安い笑みを向けた。

 

「じゃあ、さよなら」

 

 モンスターならば、調教してペットにできる。そもそも、偶然出会ったところで牙を剥いてこないのなら、無理に殺す必要はない。

 だが、悪魔は最初から、人の敵。害にしかならない存在だ。

 言葉とは、相手とコミュニケーションを取るためのもの。コミュニケーションを取る必要のない存在と、言葉を交わす必要はない。

 

 故に、速やかに殺す。

 

 最速、最短。悪魔の足元に展開された魔導陣は、眩い光を放ち、

 

 

 

「え」

 

 

 

 止まった。

 魔導陣が、作動しない。

 賢者は、己の影を見た。深い闇に紛れて、貼り付けられた、見たことのない紋様の呪符。

 

 

(まさか、魔封じのッ……!?)

 

 

 高いヒールが、石畳を蹴る。華奢な身体が、後ろに向かって飛び退る。

 判断の早い、回避行動。

 しかし、それはどこまでいっても、近接戦の不得手な、魔導師の動きでしかない。

 

「遅い」

 

 悪魔は、人間と契約し、闇の中にその存在を落とすために、言葉を学ぶ。

 だが、人間はそもそも悪魔の餌。格下の、塵芥のような存在だ。

 最初から殺すことを決めていたゴミと、言葉を交わす必要はない。

 

「……ぁ」

 

 原始的な爪が華奢な身体を貫き通し、そのまま二つに裂いた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 生きているだけで、この世界は地獄だった。

 人との間に生まれたというだけで、シャナはその村で迫害された。苗字はない。元より、エルフという種族には名前以外に家名を戴く文化はなかったが、人間の父親に認知されなかったシャナは、自分の苗字すら知らぬまま育った。

 名前だけではない。母親は、シャナを生んですぐに死んだ。どんな人かも知らなかった。せめて、どんな女性であったか知ることができたなら、恨みようもあったのかもしれない。しかし、顔も性格も知らない母を、恨むことはできなかった。

 シャナの耳はエルフの特徴をたしかに受け継いでいたが、それ以外は人間の身体そのものと言っていいほどに、彼女の身体はエルフ族の中で平凡だった。羽根はなく、空を飛べず、同族に馴染めない少女を、エルフの里は容赦なく排斥した。

 シャナが母親をなくした『ただのエルフ』であったなら、里の人間はその境遇に同情し、優しく教え導いただろう。

 

 しかし、シャナは特別なハーフエルフだった。

 

 自分とは違う存在に、共感はできない。同情もない。ただ、理解できない存在は気持ち悪いだけだ。

 だから、村に訪れたその少年は、シャナにとってはじめて出会う、自分に近しい存在だった。

 

「きみは、エルフじゃないのか……」

 

 面と向かって、少年は言った。

 

「この村は、好きか?」

 

 面と向かって、シャナは首を横に振った。

 

「じゃあ、一緒に行こう」

 

 それ以上は何も聞かずに、少年はシャナに手を差し伸べた。

 理由はない。事情もない。たった一つの質問と答えだけで、少年はシャナを連れ出すことを選択した。

 

「あー、でもちょっとお願いがあるんだ」

 

 少年は、少しだけ悩む素振りを見せて、シャナに言った。

 

「おれ、これから世界を救うために魔王を倒しに行くんだけど……手伝ってくれる?」

 

 シャナには、そもそも世界が何かわからなかった。

 シャナには、魔王がどれほどおそろしい存在なのか理解できなかった。

 しかし、目の前の少年が救いたいものは救いたいと思ったし、倒したいと思ったものは、倒さなければならないと確信した。

 シャナにとって、手を差し伸べてくれた少年が、はじめて知る世界の全てだった。

 

 だから、

 

「あの、私……いっこだけ、特別な魔法が使えます」

 

 気持ち悪い自分の力も、役に立てるかもしれないと思った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「魔術を封じられた魔導師ほど、脆いものはないな」

 

 目の前の死体を見て、悪魔は嘲笑う。

 これが騎士であれば、魔術を封じられても剣で立ち向かうという選択肢もあっただろう。悪魔が切り札として用意してもらった『魔術封じの呪符』は、あくまでも魔力の放出と特性を封じるもので、魔力そのものを封じるものではない。つまり、魔導師殺しに特化した代物だったのだ。

 魔力による身体強化を基本とする騎士ならば、あるいは肉弾戦で、悪魔に一矢報いることもできたかもしれない。

 とはいえ、死体を前に可能性を考えることは、ただの時間の無駄だ。

 

「なにが最強。なにが無敗のパーティーか。王国最強の賢者がこの程度の実力なら、勇者も底が知れるな」

 

 

 

 

 

「そうは言われても、魔術が封じられたら私は非力な女の子なんですよねぇ」

 

 ほとんど反射で、悪魔はその場から飛び退いた。瞬時に翼を広げ、爪を構えて、振り返る。

 

「オマエ……これは、どういうことだ」

「どうもこうも、見ての通りですが?」

 

 悪魔は、死体を確認した。ソレは、たしかに死んでいる。

 悪魔は、前方を確認した。そこには、たしかに王国最強と呼ばれる賢者がいた。

 

 シャナ・グランプレは笑顔だった。

 

 殺したはずの相手が、目の前にいる。

 その理由をいくつか考え、悪魔は口にした。

 

「バカな……幻覚か? それとも、ゴーレムか?」

「冗談はやめてください。幻覚でも身代わりでもありません。だってあなた、たしかに私の腹を貫いて、心臓を握り潰したじゃないですか。とっても刺激的に、乱暴に」

 

 己の胸を、人差し指で示して。

 

「すっごく、痛かったですよ」

 

 悪魔が口にした可能性を、賢者は否定する。

 

「よもや、死霊魔術ではあるまいな?」

「……ウチのパーティーには、たしかに最高に腕が良くて最高に趣味の悪いネクロマンサーがいますけど。蘇生されたのなら、わたしの死体がそこにあるはずがないでしょう?」

 

 くるくる、くるくる、と。その場で黒のローブが舞い踊る。

 

 

「私、()()()ことができるんです」

 

 

 それは、どこまでもシンプルな答え合わせだった。

 悪魔の背後から、三人目の声がした。

 王国最強の賢者。シャナ・グランプレが、三人いた。

 

「……魔法」

「だいせーかいっ♡」

 

 病的なほどに白い頬が、高い声と共に紅潮する。

 

 人が解き明かし、魔力を用いて運用することができる超常の力は『魔術』と呼ばれる。これは、素質がある人間なら、誰もが平等に扱うことができる力だ。

 

 しかし、人々は魔の深淵を、完全に解明したわけではなかった。

 

 魔術とは一線を画す、異能力。選ばれた者だけが生まれながらに持つ、唯一無二の力。世の理を歪める異法。

 

 それこそが『魔法』である。

 

「分身、か」

 

 悪魔は、冷静に賢者の力の正体を分析する。

 

「分身? この期に及んで、まだ寝ぼけてるんですか? あなたのお粗末な魔力探知でも、もう答えは出ていると思いますけど」

 

 悪魔が人に嗤われる、その屈辱。

 歯噛みしながら、目を見開いた。ありえない。そんなことは、ありえない。

 しかし、少女の言葉通り、悪魔の魔力探知は、一つの答えを明示していた。目の前に立ち並ぶ二人と、先ほど殺した一人。その魔力は、間違いなく全て同様のもの。

 

 つまり、

 

「ふざけるな。本当に、実体を伴って増えているとでも言う気か!?」

「だから、さっきからそう言ってるじゃないですか」

 

 新たな一人が、顔を出す。

 

「私の魔法は、ものすごく単純ですよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただ、それだけの力です」

 

 新たな二人が、魔導陣から現れる。

 

「増やしたものは、幻ではありません。現実に存在しますし、実体があります」

「食べ物を増やせば胃の中に収めることができますし、お金もやろうと思えばそっくりそのまま同じものが作れます」

 

 新たな三人が、空中から飛び降りる。

 

「理屈ではありません」

「ものを増やす。一つだったものが、二つになる」

「これはそういう力。そういう概念です」

 

 新たな四人が空中に浮かび上がり、悪魔を完全に包囲した。

 

「魔術を完全に封じる呪符。たしかに、とても厄介でした」

「私が一人だったら、完敗していたかもしれません」

「でもまぁ……そういう強いマジックアイテムを用意するのなら」

「人数分用意してくれないと、困るんですよね」

 

 最後に現れた五人が、魔力の充填を開始する。

 

「ちなみに、増やせる数は100まで。これは、明確に決まっています」

「べつに頭の出来が良くない私が、どうして「天才」だなんて呼ばれているかというと」

「これは本当に単純な話なんですけど」

「100人で学べば、効率は100倍になる」

「ただそれだけのことなんです」

 

 悪魔は、絶句する。

 

 その魔導師は、触れた全てに神秘を与えた。

 その魔導師は、存在そのものが神秘だった。

 恵まれない出自を跳ね除けて、たった数年で魔術の頂点に手を伸ばした稀代の賢者は、それでもなお満足せず、決してその歩みを止めない。

 

 それは、万物の理を捻じ曲げ、手にした全てを咲き狂わせる、欲望の純白。

 

 『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』。シャナ・グランプレ。

 この世界を救った、最高の賢者にして、魔法使いである。

 

「……」

 

 たった一人の悪魔は、それでも居並ぶ最強を見上げて、不敵に笑ってみせた。

 

「……ぺらぺらと、よく回る口だな。そんなに自分の魔法の性質を語って、大丈夫か?」

「え?」

 

 しかし、数え切れない賢者達は、誰一人として笑わなかった。

 

「だってあなた、ここで死ぬじゃないですか」

 

 

 

 

 

 魔力が人間に宿る不可視のエネルギーであるならば、きっと人を想う気持ちにもエネルギーの総量があるのだろう、というのがシャナ・グランプレの持論である。

 

「一箇所にこの人数を集めたのは」

「ひさしぶりですね」

「まあ、いいでしょう」

「とりあえず、この悪魔をバラして、出所を探るところから」

「はじめよっか」

「こういう時、死霊術師さんがいたら楽なんだけど」

「でも絶対に頼りたくないですね」

「うん。やめとこやめとこ」

 

 ぐちゃぐちゃにした悪魔の死体をかき集めながら、シャナは昔のことを思い出す。

 幼い頃は、増える自分をコントロールできなかった。

 増えたり減ったり、彼には随分と迷惑をかけた。

 それでも、彼は優しく笑って、腕を目一杯に伸ばして、二人の自分も、三人の自分も、四人の自分も、たった一人きりの自分も、頭を撫でて抱きしめてくれた。

 

 ──私がたくさんいて、迷惑じゃないの?

 

 ──迷惑じゃないよ。もしもシャナが百人いたら、百回頭を撫でればいいだけだ。

 

 シャナ、と。

 彼に名前を呼んでもらうのが、大好きだった。

 

 愛は見えない。愛は可視化できない。

 それでも、もし。人を想う気持ちに総量があるのなら、彼ほど愛を持っている人間を、シャナは知らない。

 

 だから、愛そう。あらゆるものを増やすことができるなら、それら全てで彼を愛し尽くしてみせよう。

 

 彼女は、世界を救った勇者を愛している。

 彼に好意を寄せる者が多いのは知っている。

 それでも、シャナ・グランプレは断言できる。

 

 

 ──私の愛が、最も多い。




今回の登場人物

・賢者ちゃん
 本名、シャナ・グランプレ。銀髪生意気メスガキハーフエルフ貧乳賢者。今回、悪魔の手によって魔術を封印されて『わからせ』かけられたが、本人が最強なので返り討ちにしてぶっ殺した。
 パーティー屈指の恵まれない幼少期を過ごしたので、出世欲と知識欲の塊になっているが、彼女の基本行動原理は『勇者のため』という大前提の元に成り立っている。シャナにとっては勇者が世界であり、世界が勇者。勇者さえいれば、基本的にそれでいい。小さな小屋に一口のパンとスープがあれば満足するレベル。現在、首都でいろいろやっているのも、勇者をなるべく幸せにしたいから。手を差し伸べられたあの日から、彼女の中でそれが揺らいだことはない。

・悪魔くん
 自然の生命とは異なる存在の闇の使徒。いろいろ対策してたが、最強を『わからせ』られた。

・勇者くん
 エルフの里に立ち寄った際、10歳の賢者ちゃんを村から拉致った。そのため、世界を救ってもエルフ族からの印象は最悪だったりする。ロリコン疑惑あり。

・赤髪ボケ女
 記憶喪失。自分の胸がでかいという自覚はあるらしい。



今回の登場魔法
固有魔法『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)
 魔術とは異なる、選ばれた人間の心身にのみ刻まれる異能力を魔法と呼ぶ。勇者が率いたパーティーのメンバーは、全員がそれぞれ違う固有魔法を所持していた。
 シャナの魔法の固有効果は『増殖』。自分自身と、その手で触れたものを、そっくりそのまま増やすことができる。増やした物体、対象に差異はなく、シャナが能力を解除しない限り消えることはない。触れた対象の増殖制限数は100。それ以上は絶対に増やすことができない。幼い頃のシャナは能力の制御がうまく行えず、しばしば複数人に増えていたため、魔術に通ずるエルフ族からも理解されず忌み嫌われていた。
 ダイヤが一つあれば、百個になる。伝説の聖剣を一振り手に入れれば、それを増やし百人の味方に装備させることができる。まさに一を百にする、この世の法則に唾を吐きかける魔法。


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勇者と女騎士ちゃん

 賢者ちゃんの協力で、騎士ちゃんが治めている領地にやってきたおれ達は、早速ピンチに立たされていた。

 

「ご、ごめんなさい……勇者、さん」

「大丈夫。きみが謝ることじゃない」

「でも、わたし……もう、ダメかもしれません」

「大丈夫だよ。全部吐き出せ。おれが、受け止めてあげるから」

「ゆ、勇者さん……っ」

 

 綺麗な真紅の瞳を潤ませた赤髪ちゃんは、肩を震わせながら頷いて、

 

 

 

「うぉええええええ」

 

 

 

 

「よしよし。全部げーってしなさい。げーって」

 

 はい。赤髪ちゃん、絶賛リバース中です。

 理由は単純で、どうやら転送用魔導陣の独特の浮遊感がダメだったらしく、一発で酔って気分が悪くなってしまったようだ。文明の利器、便利だけどまあそういうこともあるよね。

 背中をさすりながら、おれは奥に向かって叫んだ。

 

「おばちゃーん! やっぱバケツもう一個ちょーだい! あと水と布巾!」

「あいよ! ちょっと待ってな!」

 

 このあたりには何回か来たことがあったので、土地勘があったのが幸いだった。こうして、知り合いのおばちゃんがやっている宿屋に緊急避難して、赤髪ちゃんを介抱することができる。

 

「ほら、嬢ちゃん大丈夫かい? しっかりしな?」

「うぅ……すいません」

「いや、きみは喋らなくていいから。とにかく楽になるまで、げーってしなさい。げーって」

「やっぱ魔導陣の転送って、酔う子は酔っちまうんだねえ。王都までひとっ飛びできるのはありがたいけど、アタシはあんまり使いたくないよ」 

 

 魔術による長距離転送は、距離が長くなればなるほど酔いやすいらしい。おれの家がある町から王都まではそこまで距離がなかったので問題なかったが、ここは辺境の土地。かなりの距離を魔術に頼って移動してしまったので、無理が祟ったのだろう。

 

「おれ達が来る前に、あの転送魔導陣、誰か試したの?」

「そりゃもう、あのかわいらしい賢者ちゃんが設置したら、いのいちばんに姫様が試したよ」

「どうだった?」

「吐いてたよ」

「ダメじゃん」

「ダメだったねえ」

 

 姫様、というのは騎士ちゃんのことだ。ていうか、アイツも吐いてるんかーい。

 なんか酔い止めの魔術とかないのかな? 船用に酔い止めの薬草とかは売られてるし、それを使えば気休めくらいにはなるか? 今度、賢者ちゃんに改善案出しておくか。

 

「それにしても、やっぱ世界を救った勇者さまはモテるねえ。こんなかわいい子を」

「おろろろろ……」

「……こんなかわいい子をひっかけてくるなんて」

 

 赤髪ちゃんの見た目は文句なしに美少女だったが、リアルタイムで汚いものをリバースしている美少女を美しいと言うのは少し無理があったのか、おばちゃんは言い淀んだ。仕方ないね。

 

「いろいろと訳ありでね。この子を騎士ちゃんに紹介してあげたいんだ」

「まったく……人助けはいいことだけど、ひさびさに顔を見せたと思ったら女連れなんて。『   』様が悲しむよ」

「騎士ちゃんはそういうこと気にしないよ」

「けどねえ、『   』様はアンタのことを」

「おばちゃん」

 

 トントン、と。おれは赤髪ちゃんの背中ではなく、自分の耳を叩いてみせた。

 

「あ、ああ……ごめんよ。気をつけていたのに、つい……」

 

 おばちゃんも最初は騎士ちゃんのことを『姫様』と呼んでいたが、喋りに熱が入るうちに、無意識に彼女の名前を言ってしまっていたらしい。

 おれには、彼女の名前は聞こえない。

 

「いやあ、全然大丈夫だよ。ただ、聞こえないから気をつけてね、ってだけ。むしろ、気を遣わせちゃってごめん」

「……アンタが謝ることじゃないだろう」

 

 くしゃっと。顔を歪ませたおばちゃんは「追加の水をとってくるよ」と言って、カウンターの奥に引っ込んでしまった。

 ああいう気持ちの良い元気なおばちゃんに、あんな顔をさせてしまうのは、ちょっとつらい。

 

「うぉおおおえ……」

「はいはい。よーしよしよし」

 

 いやだめだ。やっぱこっちの方がつらそうだ。

 コイツ、よく食ってたからほんとよく吐くな……

 

 

 

 

 

「すいません。ごめんなさい。申し訳ありませんでした」

「謝罪のフルコースみたいだ」

 

 赤髪ちゃんが回復したので、宿屋のおばちゃんにお礼を言って、騎士ちゃんの屋敷に向かう。

 

「謝らなくていいよ。それより大丈夫? すっきりした?」

「はい! 全部吐いたからバッチリです!」

 

 ふんす!と赤髪ちゃんはガッツポーズする。まあ、気持ち悪いのって基本的に全部吐いてしまえばすっきりするからね。根拠は死霊術師さんと飲んでる時のおれ。あの人マジで酒強すぎておかしい。

 

「ところで勇者さん」

「はいはい」

「騎士さんは、勇者さんとは一番付き合いが長い人なんですよね?」

「そうなるな」

「最初は、どちらでお知り合いになったんですか?」

「えーと、まず騎士学校で出会って、退学になって」

「退学!? なんでですか?」

「いやほら、なんというか、おれもちょっとバカをやってた時期があってね……」

 

 そうなんだよ。おれ、高等学校中退してるんですよ。学歴があかんことになってる。今回の件が片付いたら、賢者ちゃんに魔術学校通わせてもらえないか頼んでみよっかな……

 

「まあ、とにかく。そこから一緒にパーティ組んで、冒険はじめてからは基本的にずっと一緒だったから……かれこれ六年くらいは、一緒にいた計算になるか」

「ほえー、すごい。どんな方なんですか?」

「まず、めちゃくちゃ強い」

「は、はい」

「次に、美人」

「お、おぉ」

「あと、隣国の第三王女」

「えっ!? お姫さまなんですか?」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてませんよ! そんな高貴なお家柄だったなんて……じゃあ勇者さん、お姫さまと一緒に六年以上も旅してたってことですか?」

「そうなるね」

「す、すごいなぁ」

 

 うう、となぜか赤髪ちゃんは肩を落として、体を固くした。

 

「わたし、記憶喪失なので隣のお国のこととか全然わからないんですけど」

「そうだろうね」

「でも、本物のお姫さまに会うなんて、多分はじめてですよ」

「記憶喪失になる前に会ったことあるかもしれないじゃん」

「また勇者さんはそういう屁理屈を言う!」

 

 ぽかぽか、とじゃれてくる手をいなしながら、メインの街道から外れて、脇道に入っていく。家や商店の数はめっきり減り、畑ばかりが目立ってきた。というか、ここまで来るともう畑しかない。

 

「……なんか、街の中心から外れているように感じますけど、こっちで合ってるんですか?」

「うん。合ってる合ってる。そろそろ会えると思うよ」

「うぅ……本当に緊張してきました。わたし、無礼なこととか言ってしまったらどうしましょう。勇者さん、ちゃんとフォローしてくださいね」

「だから大丈夫だって」

 

 赤髪ちゃんは記憶喪失のわりに、言葉遣いや礼儀作法がしっかりしているので、そこの心配はしていない。初対面でも、相手ときちんとコミュニケーションを取れる。賢者ちゃん? あれは精神的にまだメンタルクソガキなところあるから例外です。

 

 

「おーい! 勇者くーん! こっちこっちー!」

 

 

 畑のど真ん中から大声が響いて、赤髪ちゃんがぎょっと振り返った。

 遠目でもわかる、女性にしては高い背丈。長く艶やかな金髪は後ろで括られ、ちょうど収穫期の稲と同様に、ぴかぴかと輝いている。

 おれも、手をあげて大声で叫び返した。

 

「こっちだと思ったよ!」

「ははっ! 相変わらずいい勘してるねー! ほんとは屋敷の方で待って、ちゃんと出迎えようと思ってたんだけど。人手が足りないから、収穫に出てきちゃったよー! ごめんねー!」

「相変わらずよく働いてるな!」

「そりゃもちろん、領主ですからー!」

 

 庶民と変わらない作業着に、大きめの帽子。汚れが目立たない紺色のズボンに、首元には汗を拭うためのタオルをぶら下げている。

 

「おひめ、さま……?」

 

 うん。赤髪ちゃんの困惑はわかる。

 

「うちのパーティーの姫騎士様、めちゃくちゃ庶民派のいい子なんだよ」

 

 

 

 

 

「さあさあ、遠慮せずに食べて食べて!」

「いただきます!」

 

 田舎のメシというのは、得てして味つけが濃くて、量が多い。要するに、雑に美味い。

 じゃがいも! なんかデカい肉! トマト! 土地のパン! デカい器に並々のスープ! そんな感じのメニューだ。

 騎士ちゃんの屋敷に案内されたおれたちは、テーブルの上に所狭しと並べられたご馳走にありついていた。

 

「おいしい〜!」

 

 胃の中身がからっぽになってお腹が空いていたのか、赤髪ちゃんはもりもりと皿の上の料理を口に運んでいる。すごいなコイツ。さっきまで胃の中身吐き出していたのに……いや、胃の中身を出したからこそ、これだけ入るのだろうか。

 

「今年は野菜が全体的に良い出来でね〜。ほら、賢者ちゃんが転送用の魔導陣置いてくれたじゃない? だからアレで勇者くんのところに野菜送ろうと思ってたんだよね」

「ああ。騎士ちゃん、あれで移動して吐いたんだって?」

「うぇ!? ちょ、誰に聞いたの!?」

「宿屋のおばちゃん」

「も〜、ほんと口が軽いんだから、恥ずかしい……」

「いや、わかるよ。昔から船とか乗ると絶対酔ってたもんな。思い出したわ」

「それも言わないでよ!」

 

 短いやりとりの合間にも、喜怒哀楽がくるくると切り替わる。

 矛盾していることを承知で言うが……表情豊かな美人は、とてもかわいい。

 騎士ちゃんは、よく笑い、よく喋り、よく食べ、よく飲む。死霊術師さんほどじゃないが、実はこの子も結構酒に強い。

 

「はい、勇者くん。お姫様がお酌をしてあげよう」

「ははっ……ありがたき幸せ」

 

 それっぽく頭を下げて、土地の酒を騎士ちゃんに注いでもらう。美人にお酌してもらって申し訳ないね。

 昼間から酒なんて、冒険していた頃には考えられなかった贅沢だけど、なんだかんだ一年ぶりの再会だ。たまには豪勢にいかせてもらっても、バチは当たらないだろう。そもそもおれ、神様とか信じてないし。

 

「それにしてもやりますなあ、勇者くん。ぐだぐだ引退生活を満喫してると思ったら、こんなかわいい子を連れてくるなんて!」

「それさっき言われた」

「え、誰に言われたの!?」

「宿屋のおばちゃん」

「あたし、宿屋のおばちゃんと一心同体じゃん!?」

 

 騎士ちゃんの叫びに、ついに給仕に徹していたメイドさんが、くすっと吹き出した。

 ふと、横を見るともりもりとご飯を食べていた赤髪ちゃんが、手を止めて騎士ちゃんを見ていた。

 

「ん? どうかした? 何か足りないものがあるなら、持ってこさせるよ」

 

 その視線に気がついた騎士ちゃんが、横目でにこりと微笑む。

 そのやわらかい笑みには、ほんのりと気品が感じられた。

 

「それとも、お料理がお口に合わなかったかな?」

「そ、そんなことないです! とってもおいしいです!」

「よかったよかった。それ、あたしが作ったやつだから、うれしいよ」

 

 じゃがいも料理を指差して、騎士ちゃんが言う。赤髪ちゃんも表情が豊かな方なので、目を丸くして驚いた。

 

「お姫さまが!? お料理、されるんですか?」

「するよ? バリバリやっちゃうよ。あなたも食べるの好きなら、お料理は習っといた方がいいぞ〜。男を掴むためには、まず胃袋からって言うしね」

「な、なるほど」

「あたし、こう見えても騎士だから、聖剣を二本持ってるんだけどね。そのじゃがいもは炎が出る方で、こう、パパーっと」

「焼いたんですか?」

「焼くわけないじゃん。フライパン使うでしょ普通」

「えぇ……ゆ、勇者さん!?」

 

 おもしろいくらいに。からかわれている。

 赤髪ちゃんに助けを求められたけど、おれは視線をそらして料理を口に運んだ。じゃがいもうめぇ。

 

「酒入ったらこんなもんだよ。慣れな」

「えええ……」

「この子、かわいくておもしろいね〜」

 

 よしよし、と。騎士ちゃんは赤髪ちゃんに横から抱きついて、頬擦りする。美少女と美人が絡んでいると、大変眼福ですね。ありがとうございます。

 

「あの、す、すいません……お姫さまに対して、失礼に、あたるかもしれないのですが」

「いや、赤髪ちゃん。おれは一方的に頬擦りしてくるヤツの方が、普通に失礼だと思うぞ」

「勇者くん、うるさい。まぁたしかに、そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。で、なになに?」

「ええっと、お姫さまって……隣の国のお姫さま、なんですよね?」

 

 おそるおそる、といった様子で赤髪ちゃんが聞く。

 なんか謎掛けみたいだな。

 

「あぁ、うん。あたし、お姫様っぽくないでしょ。よく言われるよ」

「実際、お姫様やってた期間より、おれと冒険者やってた期間の方が長いまであるからな」

「それはある」

 

 横から茶々を入れると、騎士ちゃんは大仰に腕を組んで「うんうん」と頷いた。

 オンオフはしっかりしているが、騎士ちゃんは元から堅苦しいのは好きではない性分だ。

 

「だからさ。あたしは勇者くんがせっかく連れてきてくれたあなたとも仲良くなりたいなって。あたしのことは、気軽に『騎士さん』とでも呼んでよ」

「……はい! わかりました、騎士さん!」

「よしよし。それで、何か聞きたいことはあるかな?」

「そうですね、じゃあ……勇者さんの恥ずかしい思い出、とか?」

「急にぶっこんでくるのやめない?」

「いいね。長くなるよ」

 

 やめてやめて。長くしないで。

 

 

 

 

 

 

 長くなった。

 日が落ちて、もう外はすっかり真っ暗だ。おれと騎士ちゃんは、酒のグラスを持ってテラスに出た。アルコールで火照った体に、風が気持ちいい。

 

「赤髪ちゃん、寝ちゃったね」

「お腹いっぱいになって寝ちゃうのは、完全に子どもなんだよな……」

「かわいいよ、あの子」

「それは間違いない」

「記憶喪失っていうのが、いまいち実感が沸かないけど」

「普通に会話はできてるからなあ。話していても、違和感はそんなにないし」

「どこで助けたの?」

「ウチの街外れの、森と荒野の間。馬に乗って、追手から逃げてた」

「あなたのことだから、どうせ追手は全員ぶっとばしてそのままにしちゃったんでしょ?」

 

 なんでわかるんだよ。

 肩を竦めて、それらしく酒を煽ってみせる。

 

「賢者ちゃんにも怒られたよ」

「当然でしょ」

「調べられるか?」

「あのあたりの騎士団に働きかければ……あんまり当てにはしないでほしいけど、やってみる」

「助かる」

 

 なんだかんだで、騎士ちゃんは本当に頼りになる。

 

「でも、それよりもこっちだよね」

 

 言いながら、騎士ちゃんは一枚のメモを懐から取り出した。そこに記されているのは、現状唯一の手掛かり。赤髪ちゃんの名前だ。

 

「名前だけで王国の隅々まで戸籍名簿を辿るのは、さすがにちょっと厳しいけど……」

「時間がかかってもいい」

「……うん。そうだね」

 

 透けるような金髪が、風に揺れる。メモ帳に記された名前を、騎士ちゃんはじっと見詰めた。

 おれが読めない、あの子の名前。

 

「どんな名前だった?」

「え?」

「赤髪ちゃんの名前だよ。なんかこう、響きがきれいとか、そういうのあるだろ?」

「……ふぅん」

 

 今日、出会ってからずっと笑顔を見せてくれていた女の子が、はじめて表情から明るさを消した。

 

 

 

「あたしの名前は忘れたのに、あの子の名前は気になるんだ?」

 

 

 

 テンポ良く進んでいた会話が、ぴたりと止まる。

 

「いや、それは……」

「うそうそ。ごめんね。いじわる言っちゃった」

 

 表情に、笑みが戻る。けれどそこに、先ほどまでの明るさはない。蒼色の瞳に、こちらの心まで見透かされてる気がした。

 

「……なにか、つまむもの取ってくるよ」

 

 言い残して、揺れる金髪が視界から消える。

 騎士ちゃんのああいう顔を、ひさしぶりに見た。見てしまった。いや、ああいう顔に、させてしまった。

 

 

「……最悪だなぁ、おれ」

 

 

 グラスの中に残っていた液体を、一気に煽る。

 あー、くそっ。酒の味がしねぇ。

 

 

「……はぁ」

 

 

 調子に乗って飲み過ぎたから、余計なことを言ってしまったのかもしれない。なんだか、視界がぐらぐらと揺れている。

 手から力が抜けて、グラスが滑り落ちた。

 

「……あ?」

 

 グラスを、落とした。砕けて、割れた。

 音でそれを認識したのと同時に、膝から力が抜ける。

 

 

 

 

「ゆっくりおやすみ。『  』くん」

 

 

 

 

 その声を最後に、おれは意識を手放した。




今回の登場人物

・勇者くん
 一服盛られた。

・ゲロ女
 記憶喪失。同じく一服盛られた。

・宿屋のおばちゃん
 とても良い人。

・女騎士ちゃん
 一服盛った。


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女騎士ちゃんと賢者ちゃん

 アリア・リナージュ・アイアラスは、勇者が率いるパーティーに所属していた騎士である。

 彼女は隣国の王家、アイアラス家の第三王女であり、現在はこの土地を治める領主でもある。

 

「……勇者くんを、あの子と同じ部屋に運んでください。丁重に」

 

 口調が、がらりと変化する。明るく温かい、気さくな女性から、冷たく硬質な、集団の長の声に。

 

「畏まりました」

 

 どこからともなく現れた二人の従者が、勇者を抱えて姿を消す。

 同時に、アリアは着ていたブラウスのボタンに手をかけ、脱ぎ捨てた。実用性しか考えていない飾り気のない下着と、女性とは思えない鍛え上げられた裸体。そして、数え切れない傷跡が、空気に晒される。が、三人目の従者はそれを見ても眉一つ動かさなかった。むしろ当然のように、脱ぎ捨てられたブラウスを受け取って一礼し、下がる。

 アリアはそのまま屋敷の地下に続く階段を降りて、地下室の扉を開いた。

 

「姫様」

「姫様!」

「そのままで良い。優先度の高いものから、状況報告を」

 

 地下室とは思えないほど広い部屋の中央には、物見の水晶が設置され、既に数名の騎士に、魔術士と魔導師が陣取っている。その様子は、まるで砦や基地の司令室のようだった。とはいえ、それも当然である。

 魔王軍全盛の時代、各地で防衛戦を敷き、人間側の戦線維持に貢献していたのは、各地の力ある領主達だったからだ。

 

「姫様……やはり、キナ臭いですぞ」

「勇者様がお使いになられた、街の中央の転送魔導陣が遮断されました。現在、外部への転移魔法が使用不可能になったようです」

「日が落ちてから、騎士団の巡視隊からも見慣れないモンスターの目撃情報がいくつかあがっています」

 

 アリアは、先ほどまで酒を嗜んでいたとは思えないしっかりとした足取りで、物見の水晶に近付いた。彼女が椅子に腰掛けると同時、女性の騎士が後ろから歩み寄って、ロングの金髪をアップに結いはじめる。

 家に長年使えて(仕えて)きた老練の魔導師に、アリアは問いかけた。

 

「来ると思いますか?」

「ええ。十中八九、ここが狙いでしょうな。街が襲われる可能性もありますが……」

「対応はします」

「それがよろしいかと」

 

 髪をやらせているので頭を動かせないアリアは目だけで頷いて、直立不動の姿勢で待機している何人かの騎士に手を振って合図した。

 

「騎士団、自警団の詰所にわたしの名前で連絡を。すぐに厳戒態勢を敷かせなさい」

「承知いたしました」

「姫様、お召し物です」

「ありがとう」

 

 戦闘用に、魔術が編み込まれたインナーを身につける。同じく、革制の胸当てをつけて、グローブにブーツ、手袋、と。手早く装備を固めていく。

 

「……姫様! 王都が交信に出ました!」

「やっと繋がった? あのバカ賢者……」

 

 顔をあげたアリアの口調が、少し戻る。

 魔力で音声を伝える通話装置はとても高価なものだが、これだけの施設ならば、当然それに相応しい設備も備えている。

 アリアは受話器を取った。

 

「シャナ! あたしの方からずっと連絡はしていたでしょ? どうしてすぐに出ないの!?」

『私が出なかったんじゃなくて、そちらと繋がらなかったんですよ』

 

 通話の相手はもちろん、賢者である。

 生意気な声は、しかしいつもよりも早口だった。

 

『取り急ぎ『私』を何人かべつの街に派遣して、魔力のラインを繋いでますが、今もギリギリ通話できている状態です。そちらの領地全体に、大規模な魔力妨害がかかっていますね。外との連絡と転送を遮断するためでしょう』

「あなたが敷設した転送魔導陣、あっさり遮断されてるんだけど。欠陥品?」

『文句が多いですね。それはわがままが過ぎますよ、お姫様。ピンポイントで魔力妨害されれば、いくら天才の私が設置した魔導陣でも、正常に作動はしません』

「狙いはあの女の子?」

『逆に、それ以外あると思います?』

 

 それはそうだ。

 

『しかし、あちらに認知されていない転送魔導陣なら、内側からの脱出にまだ使えるはずです。あなたのお屋敷なら、あるでしょう?』

「……うん。あるよ」

 

 相変わらず、賢者と呼ばれている少女はおそろしいほどに察しがいい。アリアは、部屋の隅に隠れるように設置されている小さな転送用魔導陣に目をやった。これはいざという時、領主やその血縁の人間だけでも脱出できるように作られたものだ。シャナが敷設したタイプとは違い、転送先は指定できず運任せになるが、とりあえず少人数を避難させることはできる。

 

『それを使って、勇者さんと彼女を敵から逃してください。その場所だから、できることです』

「転送先がランダムになるの、わかってる?」

『得体のしれない敵に居所を知られたままになるよりは、はるかにマシでしょう。それに、こんなこともあろうかと、勇者さんが私の頭に触れた時に、手のひらに魔力マーカーを仕込んでおきました。これで、どこにいようとある程度の居場所は追跡できます』

「え、こわ……」

 

 ストーカーかよ。

 アリアはドン引きした。

 

『うっせぇです。それよりも、早く勇者さんを説得してください。あの人、話を聞いたらどうせ自分も残って戦うって言い出しますよ』

「あ、それは大丈夫。食事とお酒に薬を盛って、もう眠らせてあるから」

『え、こわ……』

 

 サイコパスかよ。

 シャナはドン引きした。

 

 どっちもどっちである。

 

『……ごほん。あとは、手短に重要なことだけお伝えします。昨日、私が殺した上級悪魔は、こちらの『魔法』を把握していませんでした』

「それは……つまり」

『ええ、あの悪魔は「新しい存在」だということです』

 

 アリアの表情が、一段と険しくなる。

 二人の会話を固唾を呑んで見守っていた魔術士と騎士達も、そのただならぬ空気に体を固くした。

 

 しかし、

 

「……えーと、ごめんねシャナ。あたし、そういう回りくどい言い方されてもちょっとよくわかんないっていうか、シャナは頭がいいから良いかもしれないけど、今は緊急事態で通信も切れそうだし、もうちょっとストレートに伝えてほしいっていうか」

『バカ姫』

「うるさいなぁもう!」

 

 冒険ばかりしていたせいで、自分達の主はわりと頭の出来が残念だったことを思い出して、彼らはさっさと担当の仕事に戻った。

 

『ほんっとに、察しが悪い脳筋ですね』

 

 シャナのため息が深い。

 しかし、賢者は声高に言い切った。

 

『襲撃してくる悪魔は、魔王が討伐されたあとに生まれ落ちた、ひよっこということです。存分にぶっとばしてください』

「……最初からそう言ってくれる?」

『他にも色々言いたいことあったのに、かなり噛み砕きましたからね!?』

 

 賢者の絶叫が響いた瞬間、ぶちっという音がした。

 

「あ」

「切れましたな……」

 

 切れたらしい。

 

「……ごほん」

 

 咳ばらいを一つ。それで、また切り替わった。

 

「皆、聞いてください」

 

 一糸乱れぬ動きで、その部屋の全員の人間が背筋を伸ばす。

 

「まず、ここは放棄する。地下通路を使って、街へ早急に移動。ただし、持ち出せる物資は持ち出しましょう。総員で、街の防衛に全力を尽くしなさい」

「しかしそれでは、姫様がお一人に……」

「だから、そう言っている」

 

 アリアは言い切った。

 

「敵は、わたしが迎え撃つ」

 

 その声音に、迷いはない。

 

「鎧と剣の準備を」

「はっ」

「それから、彼らの転送はすぐにはじめてください」

「承知致しました」

 

 眠ったままの勇者と少女が部屋に運び込まれ、緊急転送用魔導陣の上に乗せられる。本当に、二人を一気に転送するのがギリギリのサイズだ。

 呑気に眠りこけている勇者の顔を見て、アリアは笑う。

 

「……あーあ」

 

 膝をついて、頬に触れる。

 

「せっかくひさしぶりに会えたのに、またしばらく離れ離れだね」

 

 しかし、今はこうするしかない。

 

「絶対守るよ」

 

 短い宣言は、彼の耳には届かない。

 

 

 

 

 

 

 

「燃えろ」

 

 もう数刻で、朝がくる。

 しかし、朝日を迎える前に、その屋敷はあまりにも唐突に、あっさりと炎に包まれた。

 発火地点はない。一瞬で、全体が燃え上がった。

 常軌を逸した炎の勢いは、明らかに魔術によるもので……事実、それを仕掛けた張本人は、闇に紛れて煌々と燃え盛る建築物の様子を眺めていた。

 否、正確に言えば、人ではない。

 

「あーあ。もったいねぇ。女がいたなら、捕まえて楽しめたのによ」

「文句を垂れるな、グズが」

 

 ()()は、悪魔であった。

 口調の荒い、獣のような外見の悪魔は舌を出してせせら笑う。

 

「ここまで用意する必要があったのかねぇ。こんなに強く炙っちまったら、骨も残らねえよ」

「どれだけ準備し、用心しても、し過ぎるということはない。相手はあの勇者なのだからな」

 

 冷静な口調の双角の悪魔は「事実、一人はもう賢者に消されている」と。忌々しげに、付け加えて言い捨てた。

 

「オレは備えを怠って敗北する気はない。だからこうして念入りに、対拠点用の広域魔術を、用意もする」

「やることがなくてつまんねえな」

「勇者と少女の死体を確認したら、お前は好きにしていい。街に降りて人間と遊んでくればいいだろう」

「それはいい。きたねぇ焚火を見守る楽しみができた」

 

 獣の悪魔は、笑いながら白い息を吐いた。

 

「……あ?」

 

 吐き出す息が白くなるほどに、周囲の気温が下がっていることに、ようやく気がついた。

 

「おいおい、コイツぁ……」

「無駄口を叩くな。構えろ」

 

 双角の悪魔は、燃え盛る屋敷を睨み、言う。

 

 

 

「くるぞ」 

 

 

 そして、次の瞬間に、炎は消えた。

 

 より厳密に言うのであれば……屋敷全体が、一瞬で()()した。

 

「ハハッ……マジで凍ったぞ! オイ!」

「見ればわかる」

 

 この周囲には、木々と畑しかない。しかし、それらの葉にすら、うっすらと霜が降りている。

 あれほど賑やかに響いていた、ものが燃えて崩れ落ちていく音の一切が消失し、無音になった。

 あれほど周囲を照らしていた、燃焼による炎の光源が消え失せて、闇の色が濃くなった。

 雲の合間から漏れる月明かりが、凍りついた屋敷を照らし出す。

 

 正面玄関が、砕け散って吹き飛んだ。

 

 きらめく薄氷を踏み割って、それは姿を現す。

 ゆったりと歩を進める、音が重い。

 全身を覆う無骨な蒼銀の甲冑は、もはや華奢な女性のシルエットではなく。頭までフルフェイスの頭兜(ヘルム)に覆われ、その表情すら欠片も伺うことはできない。

 

 全身甲冑。

 

 フルプレートアーマーと呼ばれる類いの装備を、さらに機能的に突き詰めたような、特異な鎧装だった。

 

「けっ。これじゃあ、イイ女かわからねぇな」

 

 獣の悪魔は、吐き捨てる。

 少しの露出もなく、身体の全てが装甲に覆われている。男に比べればやや低い背丈と豊かな胸の膨らみだけが、辛うじてその性別を判別できる要素だった。

 

「しかも、二刀かよ」

 

 騎士は、身の丈と並ぶほどの大剣を、二振り。それぞれの手に携えていた。

 

 

「こんばんは」

 

 

 驚くほどかわいらしく、明るい声音が、頭兜(ヘルム)から漏れる。

 

「さっきの火遊びをやったのは、きみたち?」

「肯定する。そちらは、騎士殿とお見受けする」

 

 双角の悪魔は、丁寧な口調で応じた。

 

「うん。そうだよ」

「赤髪の少女と、勇者がそちらに滞在していたはずだ。居所をご存知なら、教えて頂きたい。こちらも、無用な殺生をしなくて済む」

「なるほど……取引というわけか。悪魔らしいね」

 

 彼女が軽く頷くだけで、軽い金属音が鳴った。

 頭の全てを覆い尽くす頭兜(ヘルム)のせいで、表情が見えない。やりにくいな、と。双角の悪魔は内心で舌打ちを漏らした。

 

「然り。返答を聞きたい」

「お断りするよ。逆に聞きたいんだけど、きみたちの方こそ、あたしに情報を提供する気はない?」

「代価は?」

「この場での、命の保証」

「断る」

「ひひっ……交渉決裂だなぁ」

 

 獣の悪魔は、笑みを浮かべて舌なめずりをする。

 双角の悪魔は、翼を大きく伸ばした。

 

「そうか──」

 

 声音が変わる。

 右手の大剣が、無造作に振るわれる。

 

 何かが、閃いた。

 

 たったそれだけの動作で、獣の悪魔の首が、跳ね飛ばされて地面に落ちる。

 目を見開く双角の悪魔の、足元。

 氷上に、血の花が咲いた。

 

 

「──警告はした」




今回の登場人物

・女騎士ちゃん
 本名、アリア・リナージュ・アイアラス。金髪で料理上手な庶民派姫騎士。隣国のアイアラス家第三王女。魔王討伐後、王国では一部の魔族から取り戻した領地の統合整理が進められており、現在は王国辺境の土地と民を預かる、領主の座についている。これについては、王国から隣国への政治的配慮もあったとかなんとか。
 明朗快活、英名果敢を地でいくアクティブプリンセス。現在の土地は自分自身が戦線に参加し、解放に携わった場所であるため、領民、臣下からの信頼も厚く、深く慕われている。誰にでも親しく話しかけるタイプだが、己の責務を果たす際のオンオフの切り替えは、非常にしっかりしている。勇者と同じく学校を中退しているので、頭の出来があんまりよろしくない。脳筋。騎士なので敵は正々堂々正面から倒す。
 戦闘の際は、特殊な甲冑を身に纏って戦う。二刀流。

・賢者ちゃん
 アリアが面倒見の良い性格なので、子どもの頃はよく懐いていたが、知恵をつけて賢くなってからは、舐め腐るようになった。しかし、なんだかんだ信頼しているので、勇者と赤髪ちゃんを送り出している。面倒な追手を押しつけただけともいう。

・双角の悪魔
 入念に下準備を行った有能。

・獣の悪魔
 出落ち。

・勇者くん
 スヤァ……

・食ってすぐ寝たら豚になるぞ
 記憶喪失。スヤァ……


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紅蓮の騎士

 なんだ、このバケモノは? 

 

 それは、双角の悪魔が目の前の騎士に抱いた、純粋な恐怖だった。

 悪魔の表皮は、生半可な刃なら通さない。突き立てた剣が鈍らなら、そのまま砕けてしまうことすらある。

 

 そんな同族の首が、一撃で落とされた。

 

 そもそもの話。今の斬撃は決して、剣の間合いではなかったはずだ。

 何をされたのか、わからない。

 故に、双角の悪魔が最初に選んだのは、攻撃ではなく回避行動だった。

 

「くそがっ!」

 

 翼を広げ、上空への跳躍。

 魔術士や魔導師との戦闘とは違い、騎士を相手に戦う際のセオリーは、距離を取ること。こちらに遠距離攻撃の手段があるのなら、剣の間合いの外から攻撃していれば、一方的に嬲り殺せる。

 だが、この騎士は剣の間合いの外から、斬ってくる。だから、さらに距離を取らなければ……

 

「遅い」

 

 無慈悲な宣告の通り、その思考がすでに遅い。

 騎士の持つ大剣は二振り。二刀であるということは、そのまま手数の多さを意味する。

 

「なっ……」

 

 結論から言えば、悪魔は跳躍することができなかった。

 地面に突き立てられた、左の大剣。

 そこから、地面を通じて網のように放射状に広がった氷が、その片脚を捉え、凍結させたからだ。

 

 そして、二撃目。

 

「ッ……ァァアアアアア!」

 

 再び閃いた右の斬撃が、双角の悪魔の片翼を両断した。

 騎士の多くは、魔力の多くを身体強化のみに回して戦うが、中には魔術を併用して戦う器用な人間も存在する。

 断たれた翼の根元から、血液が垂れ落ちる。しかし、双角の悪魔は、痛みを堪えて思考を止めない。

 

 この女は氷雪系の魔術を使う。魔術の相性的には、こちらが有利。

 足を凍らせて動きを止めたつもりかもしれないが……こんなものは、一瞬で溶かせる。

 

 一歩ずつ、重厚な音を響かせながら、またゆったりと近付いてくる騎士を睨めつけ、悪魔は己の牙を砕かんほどに噛み締めた。

 右の大剣が、構えられる。

 女騎士が片手剣のように振るっている大剣は、俗に『ロングバスターソード』と呼ばれるもの。両手で構えて振るうことが前提の、大きすぎる得物だ。それを片手で軽々と振るう、身体強化の魔力出力には目を見張るものがあるが……得物が大き過ぎる以上、どうしても隙は生じる。

 

「バカが」

 

 短く呟くと同時、異形の両手から、炎が噴出した。

 双角の悪魔が操る魔術の特性は、炎熱。大規模な魔導陣を用意すれば、屋敷を一瞬で焼き尽くし、たとえ魔導陣を用意せずとも、手のひらから吹き出す炎は、直撃すれば人をいとも簡単に火達磨に変える。

 足を固定していた氷が、一瞬で蕩け落ちる。

 そのまま、炎の噴射を自身の推力に変換して、悪魔は今度こそ跳んだ。正面への、捨て身の突貫。逃げるためではない。目の前の相手を、確実に殺すために。

 それは、大剣による斬撃の間合いの内側。必死の中に決死の覚悟で見出した、渾身の一手。

 

 かつん、と。

 鋭い爪が鎧に触れて、僅かに音が鳴る。

 

 思考の駆け引きに打ち勝ったのは、悪魔だった。

 

「燃えろ」

 

 頭兜の中で、息を呑む気配がして。

 そして、蒼銀の鎧は爆炎に包まれた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 勇者と出会った日のことは、今でもよく覚えている。

 

 

 パンツを見られた。

 

 

 それが、アリア・リナージュ・アイアラスと勇者が出会ったきっかけだった。今でもよく覚えているが、たしかあの日は白だったと思う。

 王国の首都にある、騎士学校の入学日。アリアは着慣れない制服に身を固め、入学式の会場に向かって一人で歩いていた。

 

「……はぁ」

 

 これから始まる、三年間の学生生活。希望に満ち溢れた門出の日に、深い溜め息を吐く。

 隣国の第三王女を、騎士学校に特待生として迎え入れる。自分の強さが認められた、と言えば聞こえは良いが、これは要するにアイアラス家が王国へと献上した人質である。アリアは同級生達と仲良くなりたかったが、向こうがアリアの身分とその強さに萎縮して、ろくな世間話すらできやしない。

 人と関わるのが好きなアリアにとって、そんな環境は気分を憂鬱にさせるには充分過ぎた。

 

「やめたやめた。入学式さぼろっと」

 

 どうせすでに一線を引かれているのだ。今さら不良のように見られたところで、関係ない。むしろ、体調不良による欠席だと後で言っておけば、いかにも『お姫様』らしくて、角も立たないだろう。

 人気のいない、簡単には見つからないような場所を、まだ慣れない学校で探す。なんとなく高い場所から景色を眺めたくて、アリアは屋上を選んだ。

 しかし、扉を開くと先客がいた。

 

「あ」

「お」

 

 短い呟きが重なる。

 アリアと同じように、制服の胸に造花をつけていたので、その少年も新入生であることは一目見てわかった。

 

「きみも入学式、サボり?」

「そちらも?」

「うん」

「度胸あるなぁ」

「堅苦しいの苦手で」

「わかるわかる」

 

 中身のない会話だった。しかし、そういう気を遣わない会話がひさしぶりで、楽しかった。

 

「隣、いい?」

「どうぞどうぞ。べつにおれの場所じゃないし。お名前をお聞きしてもいいですか、お嬢さん?」

 

 気安い少年の口調は、話していて好きなタイプだったが……名前を伝えたら、また引かれてしまうのかな、と。アリアは少し躊躇った。

 

「あたしは……」

 

 その時、風が吹いた。

 いい感じに、スカートが捲れた。

 とても自然に、少年の目が下に吸い寄せられた。

 

 それから、間があった。

 

 一拍の沈黙を置いてから、アリアは聞いた。

 

「……見た?」

「……その、なんというか、はい。正直に言うんだけど……見ました。というか、見えました」

「……」

「ごめんなさい。ごちそうさまです」

 

 あたしのパンツはごはんじゃない。

 

「……はぁ」

 

 アリアはまた溜め息を吐いた。

 ついてない日には、そういうこともあるだろう。

 

「まぁ、べつにいいけど。じゃあね」

 

 気まずくなってしまった。

 やっぱりこのスカート、式典などでの見栄えを意識しているとはいえ短すぎるな……などと思いながら、踵を返して歩き出す。

 だが、慌てたのは少年の方だった。

 

「あ、ちょ……まってまって!?」

「なにか?」

「なにかって……いや、なにか見ちゃったのはおれの方だけど。その……なんというか、びっくりしちゃってさ。てっきり、悲鳴をあげるかビンタくらいはされるものかと覚悟してたから」

「いやだって……たかがパンツだし」

 

 所詮は下着である。もちろん、裸を見られればアリアだって恥ずかしいが、布を一枚、ちらりと見られたところで、どうということはない。むしろ、同年代の少女達がパンツをみられた程度で、どうしてあんなに悲鳴をあげてきゃーきゃー騒ぐのか、アリアにはわからなかった。

 

「えぇ……見ちゃったおれが言うのも変な話だけど、自分のパンツはもっと大事にした方がいいって。きみのパンツには、きみが思っている以上の価値があると思うぞ? お姫様なんだし」

「……ふふっ。なにそれ……え?」

 

 パンツを大切にするってなんだよ、と。

 アリアはあきれて笑ったが、その後の一言の方が引っかかった。

 

「あれ? あたしのこと知ってるの?」

「うん。特待生のアイアラスさんでしょ。隣の国のお姫様って聞いてたけど、違った?」

「いや、あってるけど……」

 

 知っていて、自分と話をしていたのか。

 ぷくり。アリアの心の中に、少年への興味の芽が出た。

 

「ねえ、きみ。どうせ暇でしょ?」

「それはもう、見ての通り」

「じゃあ、あたしと模擬戦しない? パンツのお詫びってことで。色々鬱憤が溜まってて、体動かしたいんだ」

「……お、いいね」

 

 予想以上に、少年は乗り気だった。

 

「お姫様、強いんでしょ?」

「そりゃもう、あたしは強いよ」

「やったぜ」

 

 にっと少年が笑う。それは、話し始めてから、最も嬉しそうな笑顔だった。

 

「おれ、魔王を倒して世界を救いたいから、なるべく強いやつと戦いたいんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 結果。

 ヒートアップした激闘の余波で屋上が吹っ飛び、それはもう大変なことになった。

 学校中に響き渡る警報。警備の騎士達の怒声。それらを、どこか他人事のように遠くに聞き流しながら、

 

「やり過ぎたね……」

「やり過ぎたな……」

 

 アリアと少年は二人揃って、なんとか崩れずに残っている屋上の隅に、大の字に寝転がり、空を見上げていた。

 少年が勝った。アリアは負けた。

 アリア・リナージュ・アイアラスにとって、人生はじめての敗北だった。

 

「あたし、結構強いつもりだったんだけどなあ」

「強かったよ。すごく強かった」

 

 上半身を起こした少年は、ボロボロになった制服の上着を脱いで、アリアの体にかけた。同じようにボロボロになっている、アリアの制服への配慮だった。

 

「さっきも言ったけど、あたし、べつに見られても気にしないよ」

「おれが気にする」

「……そっか。ありがと」

 

 少年の上着を前に抱いて、体を起こす。

 

「きみは、どうしてそんなに強いの?」

「まだまだ弱いよ。おれはこれから、魔王を倒して世界を救わなきゃならない。お姫様一人を相手に、こんなにボロボロにされてたんじゃ、先が思い遣られる」

「え〜、なにそれ? 負けたあたしに対する嫌味?」

 

 冗談めかしてそう言ってから、アリアはふっと体の力を抜いて、また地面に寝転んだ。

 

「きみはかっこいいなぁ。強さの芯に、おっきな目標があって」

「ん?」

「あたしには、そういうものがないから。責任がある王家に生まれて、生まれた時から体に『魔法』があって。才能があるって言われたから、言われて流されるままに訓練して」

 

 でも、そんな強さはどこまでもいっても空っぽだ。

 少年のように、確固たる信念と意志を宿した強さには、どれだけ手を伸ばしても届かない。

 

「だから……羨ましいな」

「じゃあ、おれと一緒に行こうよ」

「え?」

 

 ぐっと膝に力を入れて、彼は立ち上がる。

 

「さっきも言った通り、おれはこれから世界を救いに行く。でもほら……さすがに、一人だと死にそうだから、おれのことを守ってほしいんだ」

 

 大きく背伸びをして、腰に手を当てて、空を見上げて。

 そんな何気ない背中が、なぜかアリアにはとても大きく見えた。

 

「お姫様で騎士なんだろ? それなら、ますますちょうどいい」

 

 守れるし、守ってもらえる、と。振り返って、彼は笑った。

 

「きみのことは、おれが絶対に守る。だから、時々でいい。おれの背中を守ってほしい」

 

 言ってから恥ずかしくなったのか、彼は少し目を逸した。

 

「……だめ、かな?」

 

 冷えていた心に、熱が宿る予感がした。

 

「だめじゃないよ」

 

 起き上がって、彼の横に並ぶ。

 

「わかった。あたしが、あなたの騎士になってあげる」

 

 それから、ゆっくりと跪き、戦いでやはりボロボロになった剣を掲げた。

 

「それでは、主よ。名前を教えていただけますか?」

「……やべえ。おれ、まだ名乗ってなかったっけ?」

「うん。聞いてない」

「ごめんごめん。おれの名前は」

 

 かくして、アリア・リナージュ・アイアラスは誓いを立てた。

 

 その誇り高き剣を、勇者に捧げることを。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 燃える。

 鎧に触れた、双角の悪魔の右腕が、爪の先から肩に至るまで、燃え上がる。

 

「グッ……グォオオオオアアアア!」

 

 絶叫し、痛みを堪えきれず、悪魔は膝をついた。

 

「熱そう、だね」

 

 消える。

 鉄すら溶かし尽くす、悪魔の渾身の火炎が、蒼銀の鎧から一瞬で消え失せる。

 

 なんだこれは。

 なんだこれは?

 なんだこれは! 

 

 これは、自分が撃ち出した炎ではない。目の前の騎士から放たれた炎だ。

 

 声にならない叫びが、心をかき乱す。

 完璧だった。読みを通した。勝てるはずだった。

 

 それなのに、なぜ? 

 

「なぜだっ! なぜだっ! なぜだっ! オマエの魔術は、氷雪系のはず……!」

「え、違うけど?」

 

 声の調子が戻っていた。

 かわいらしく首を傾げるその仕草に、恐怖を覚える。

 

「だってあたし、騎士だからろくな魔術も使えないし」

 

 一瞬、燃える痛みすらも忘れて。双角の悪魔の全身から、血の気が引いた。

 

「そ、そんな……そんなバカな話があるかっ! ならば、あの氷はなんだ!? この炎はなんだ!」

 

 叫びながら、悪魔は胴体に炎が移る前に自身の腕を引き千切った。怒りと痛みで、全身が痙攣するように震える。

 

 

 

「あたしの魔法は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 飛び散る血の赤を踏み締めて、騎士は宣言した。

 

「この剣、一応『聖剣』でね。右の大剣は、魔力を喰って火を放出し、操る。逆に左の大剣は、魔力を喰って水を放出し、操る。あたしはそれを変化させて、魔術の真似事をしているだけなんだよ」

 

 最初の攻撃は、一瞬だけ薄く伸ばした火炎の斬撃だった。次の攻撃は、地面に流し込んだ水流の凍結だった。

 火を炎に。

 水を氷に。

 たったそれだけの種明かしに、悪魔は慟哭する。

 

「変化させる……? 聖剣は、莫大な魔力が注ぎ込まれた遺物だぞ! その魔力性質を、触れただけで変えられるはずが……ッ」

「変えられるよ。だって、それが『魔法』だから」

 

 悪魔は、絶句する。

 

 その騎士は、触れた全てに熱を与える。

 その騎士は、触れた全ての熱を奪う。

 心に誓いを宿した騎士は、何ものにも屈しず、倒れず、迷わず、ただ前へと進み続ける。

 

 それは、燃え上がる情熱と、凍える冷徹さが一つとなって完成した、絶対零度の紅蓮。

 

 『紅氷求火(エリュテイア)』。アリア・リナージュ・アイアラス。

 この世界を救った、最高の騎士にして、魔法使いである。

 

 

 自分自身と、触れている物体の温度を自在に変化させる、ということは。

 

 彼女には、悪魔の炎は絶対に通用しない。

 

 万事休す。

 遂に、双角の悪魔は、人間に頭を垂れることを選んだ。

 

「騎士よ……どうか、どうか慈悲を」

「ん? 何か話す気になった?」

「それ、は……」

「無理だよね。だってきみたち、どうせ何も知らないだろうし」

 

 表情は見えない。ただ、頭兜(ヘルム)の奥から覗く瞳だけが、悪魔を静かに見下ろしていた。

 ようやく、双角の悪魔は理解する。

 

 怒りだ。

 

 この騎士は、最初から怒っている。鎧の内側で、最初から、滾るような怒りを燃え上がらせている。

 彼女にとって、それほど大切な存在に手を出そうとしたことが、そもそも間違いだったのか。

 二刀が交差し、首筋に当てられる。

 

「もういいよ」

 

 どこまでも冷たく、

 

「勇者を殺す、と。そう言ったな?」

 

 どこまでも熱く、

 

「もっともっと、命乞いをしなよ。悪魔くん」

 

 騎士は、剣を振り下ろす。

 

「あたしが守るべき誇りに、唾を吐きかけた罪。その命だけで償いきれるものではないと知れ」

 

 

 

 

 

 

 世界を救う直前。魔王が放った最後の攻撃は、勇者ではなくアリアに向けられたものだった。

 仲間を狙えば、彼は必ず庇って守る。幾度も交えた激戦の中で、最後の最後に魔王は、勇者の性質を看破し、悪辣にその優しさを突いた。

 

 動けなかった。

 限界だった。

 そんな言葉は、言い訳だ。

 

 勇者は、決して消えない呪いを浴びた。

 

 

 ──どうして、あたしを庇ったの?

 

 ──おれが、絶対に守るって。約束しただろ。

 

 

 ああ、そうだ。約束をした。誓いを立てた。

 その背中を見上げるのではなく、隣に立って一番近くで彼を守り抜くと。そう誓ったはずだったのに。

 

 守れなかった。

 彼の名前と、彼が好きだった人達の名前の全てを、奪われた。

 

 

 あたしのせいだ。

 

 

 アリア、と。

 彼に名前を呼んでもらうのが、大好きだった。

 

 愛には触れられない。愛の温度は測れない。

 それでも、もし。人を想い、世界を想う気持ちに熱量があるのなら、彼ほどの熱を持っている人間を、アリアは知らない。

 

 だから、愛そう。彼が自分を大切にしてくれた想いに、精一杯の献身で応えよう。

 

 最後の最後に、騎士としての自分は彼を守ることができなかった。その後悔は、片時も衰えることなく、胸の中で燃え続けている。

 

 彼女は、世界を救った勇者を愛している。

 彼に好意を寄せる者が多いのはわかっている。

 それでも、アリア・リナージュ・アイアラスは断言する。

 

 

 ──あたしの愛が、最も熱い。




今回の登場人物

・女騎士ちゃん
 本名、アリア・リナージュ・アイアラス。金髪巨乳庶民派姫騎士。今回、上級悪魔の周到な下準備によって領地を襲撃されたが、本人が最強なので返り討ちにしてぶっ殺した。
 隣国の第三王女でありながら、剣と魔法の才覚に恵まれ、交換留学という名目で16歳の時に王国の騎士学校に特別推薦枠で入学。同年に入学した勇者と知り合った。その後は様々な事情が重なり、勇者と共に騎士学校を退学、家から出奔。冒険を繰り返し、魔王討伐という実績を得て生家に帰還した。
 本人は高貴な身分にありながら、心身に刻まれた魔法と強くなりたいという目標に、病的に囚われてしまった戦乙女。出会った時に交わした勇者との約束と、魔王討伐の際に彼を守りきれなかった後悔から、彼女の行動原理は『勇者を守る』という呪いめいた感情に縛られている。単純な魔法の性質でいえば勇者パーティー中で間違いなく最弱だが、収集した聖剣や鎧、積み上げてきた鍛錬と戦闘経験で、それらの差を補っている。

・双角の悪魔
 かなりがんばったが、相手が悪かった。

・勇者くん
 屋上の件はひたすら謝って許してもらったが、その後に別件で退学になってしまった。現在の騎士学校には、入学初日に屋上で決闘すると強くなれるというジンクスがあるとかなんとか。屋上は立入禁止になった。






今回の登場魔法
固有魔法『紅氷求火(エリュテイア)
 アリア・リナージュ・アイアラスの有する固有魔法。
 その効果は、自身の身体と、その身体に接触した全ての温度を自由に『変化』させるというもの。温度変化の上下幅は、悪魔との戦闘で用いた白色炎の6500度から、絶対零度のマイナス273度まで、自由自在。燃やされるか、凍らされるか。いずれにせよ、アリアに触れたものは熱と冷気への対応策がない限り、触れた瞬間に敗北が確定する。
 相手の接触を阻む、という点だけでも強力な魔法だが、その真価は効果範囲の広さと応用性の高さにある。アリアは勇者と冒険の旅をする中で、火と水……二振りの聖剣を入手した。聖剣には常に『触れた』状態であるため、所有者の魔力を元に放出されるそれらの温度を能力で自由に変化させることで、攻撃範囲やバリエーションを大幅に引き上げている。


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勇者と赤髪ちゃん

 知らない青空だった。

 

「……あ? どこだここ?」

 

 勇者、起床。

 おれは、がばりと起き上がって周囲を見回した。ヤバいヤバいヤバい……赤髪ちゃんはどこだ?と思ったら、おれのすぐ近くで丸まってスヤァ……と寝ていた。ヨダレ垂れてる。かわいい子はヨダレ垂らしてる姿もかわいくて、お得だね。そうじゃねぇよ。

 

「まてまて……たしか……」

 

 まだ動きが鈍い脳みその中から、必死に記憶を手繰り寄せる。まず、赤髪ちゃんがお腹いっぱいになって先に寝て、それから、おれは騎士ちゃんと一緒に酒を飲んで……言葉選びを間違えて、

 

「あ〜」

 

 思い出してると、自己嫌悪で爆発しそうになってきたので、頭を振る。今は、後悔していても仕方がない。騎士ちゃんには、次に会った時に謝ればいい。というか、絶対謝る。

 頬を叩いて、気持ちを切り替える。重要なのは、なぜ騎士ちゃんがおれたちに薬を盛って、眠らせたか、だ。

 ちなみに騎士ちゃんに薬を盛られて眠らされるのは、これで四回目くらいである……いや五回目だったかもしれない。ひさしぶりだったからマジで油断した、うん。

 

「転送魔術、だよな……多分」

 

 周囲は見渡す限りの荒野で、木々が時々点在しているくらいで、集落も人影も見当たらない。そもそも、道がない。照りつける太陽の陽射しは、王都よりもかなり強く感じた。

 ざっくりと、予想を立てる。

 多分、頭の良い賢者ちゃんは、赤髪ちゃんを追う敵の襲撃を予測していた。予測した上で、おれと赤髪ちゃんを騎士ちゃんの元に送った。地方領主であり、各地に顔も利く地位にある騎士ちゃんに、赤髪ちゃんの名前を調べてもらう……っていうのがメインの目的だったけど、多分賢者ちゃんは、その先まで読んでいた。

 あんな盗賊なんかよりも、もっと危険な敵の追撃。それを振り切るために。

 

「緊急転送用の魔導陣で、おれたちを逃した、と」

 

 うわぁ、なんか世話をかけっぱなしでほんとに申し訳なくなってくるな……多分、追手の撃退もしてくれているんだろうし、あとで二人にはたくさんお礼を言わないと。

 全然知らない場所に転送させられた、っていうのが中々にめんどくさいが、致し方ない。手のひらを軽く広げて、確認する。

 おれが頭を撫でた時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、きっちり機能しているようだ。これでおれ達の居場所は追跡できるから居場所はわかるはず。ここがどこかはわからないが、あの二人なら何らかの手段を使って、数日で連絡をつけるか、もしくは直接迎えに来てくれるだろう。

 

「さて、と。おーい、赤髪ちゃん。起きろ〜」

「ぐへへ……もう食べられません」

 

 コイツほんとに肝が太いな。

 

 

 

 

「暑いですね……」

「暑いね」

 

 起きたら知らない場所でびっくり!な赤髪ちゃんにサクッと事情を説明して、とりあえず歩き出したのはよかったものの、歩けど歩けど、似たような景色が広がるばかりで、おれと赤髪ちゃんはすでにうんざりしていた。

 

「なんかここまで、賢者さんのところに行ったり、姫騎士さんのところに行ったり、いろいろな場所に行って旅してきた気がするんですけど……」

「うん」

「ほとんど転送魔術で、ぽいって感じに移動してたので、こんな風に歩いてると『旅してる』って実感が沸きますね」

「楽しい?」

「お腹空きました」

 

 はえーよ。

 

「ふーっ」

 

 赤髪ちゃんは息を吐きながら、手で扇を作ってパタパタと仰ぐ。女の子はこういう時、ロングヘアだと熱くて大変そうだなって思う。

 

「木陰を見つけたら休もうか」

「はい。ありがとうございます」

 

 思っていたより、赤髪ちゃんが疲れるのが早い。というかそもそも、赤髪ちゃんの今の格好が、あまり歩くのに向いていない。

 王都で賢者ちゃんが「はあ、記憶喪失という事情があるとはいえ、助けた女の子にこんな色気のない服を着せるなんてほんと信じられませんね。そういえば私が子どもの頃も勇者さんが用立ててくれた服はほんとにセンスなかったですもんね。私に選んでくれた服は本当にダメダメでしたから、あなたも勇者さんに服を選ばせちゃダメですよ。あんな思いをするのは私だけで充分です、ええ」などとおれのセンスのなさを連呼してバカにして、従者に選ばせてきた服は、たしかにかわいらしいものだった。

 シンプルな白のフリルブラウスに、黒のロングスカート。首元には髪よりも淡い色合いのリボン。赤髪ちゃんの服の好みがわからなかったのか、素材の良さを活かす方向で上品にまとめたようだった。騎士ちゃんが「かわいい! かわいい!」と騒ぎ立てていた気持ちも、まあわかる。

 ただ、この服装は人を訪ねたり街中をぶらつく分にはいいかもしれないが、こんな荒野のど真ん中を歩くには、絶対に向いていない。

 それに加えて、あれだ。

 ほら、白のブラウスにこの気温で、汗もかいてて日差しも強いからね。透けそうなんですよね。何がとは言わないけど。

 ふと、赤髪ちゃんがぽつりと呟く。

 

「わたし、こんなにきれいで良いお洋服を着るの、はじめてだったので……汚しちゃうのがもったいないです。用意してくださった賢者さんにも申し訳無いですね」

 

 しゅん、と。本当に残念そうに言うその横顔は、なんだか本当に、女の子そのものといった感じで。

 

「……ふーっ」

 

 おれは自分の中で悶々としていた煩悩を殴り飛ばした。消えろ、カスが。

 

「あ、勇者さん、見てください。あっちに少し、木があります」

「よし休もう。すぐに休もう。汗も拭こう」

 

 木陰に入って、リュックと剣を下ろす。おれの手荷物を転送する時に側に置いてくれたのは、騎士ちゃんらしい配慮だった。できれば赤髪ちゃんの荷物もお願いしたかったけど、仮にあっても邪魔になるだけだっただろう。

 いやでも、せめて着替えと靴はほしかったかな? 

 

「勇者さん勇者さん! 見てください!」

「ん?」

 

 手のひらに何かを乗せた赤髪ちゃんが、抱えていたそれを広げて見せる。

 チュンチュン、と。

 かわいらしい小鳥が囀った。

 

「いや、赤髪ちゃん……さすがにこのサイズの小鳥は、捕まえても焼き鳥にすらならないと思うけど」

「食べませんよっ!?」

 

 え、ちがうの? 

 

「この子、ケガをしているみたいで……全然飛ぼうとせずに、そこの木の下にいたんです」

「あー、なるほど」

 

 とても心配そうに、赤髪ちゃんが言う。この子、やっぱりやさしいんだよな。

 

「ちょっとみてみようか。簡単な治癒魔術くらいなら、おれでもなんとかなるかもしれないし」

 

 しゃがみこみ、小鳥ちゃんの状態を見てみる。が、軽い気持ちで触ってみて、おれは少し後悔した。

 

「……赤髪ちゃん。この子は」

 

 

 

 その瞬間だった。地面が、大きく揺れた。

 

「ん?」

「地震でしょうか?」

 

 小鳥ちゃんを大事そうに抱えて、赤髪ちゃんが周囲を見回す。

 しかし、地震にしては縦揺れがでかい。というか、揺れ方がおかしい。まるで、足元の地面が生き物のように動いているような……

 

「いや、動いてるわこれ」

「え?」

 

 片手に赤髪ちゃん、片手に剣を手に取って、魔力を足に集中。力を込めて、跳躍。

 

 

 そして、眼下の地面が起き上がった。

 

 

「ゴーレム!?」

 

 赤髪ちゃんが叫ぶ。

 ゴーレム。岩と大地に生命を宿す、モンスターの一種だ。その姿は、石で形作られた人形に近い。

 それにしても、バカでかいゴーレムである。

 目算でざっと、20メートルくらいはあるだろうか。足元で見上げていると、首が痛くなってくる。

 

「あ、あわわわわ……ゆ、勇者さんこれ」

「おお、でっかいなあ」

「言ってる場合ですか!?」

 

 小鳥を抱えた赤髪ちゃんを抱えて、再び地面から跳ぶ。

 おれたちが立っていた場所に岩石の拳が突き刺さり、大地を文字通り叩き割った。

 

「あ、あぶなっ」

「ん……? 赤髪ちゃん、もしかして太った?」

「だから言ってる場合ですか!?」

「小鳥ちゃん、しっかり抱えてろよ」

「え」

 

 怒られそうだったので、太ったという軽口がジョークであることを証明するために、赤髪ちゃんの身体を空中へと放り投げる。

 剣を引き抜き、ゴーレムの拳を切り裂こうとして……おれは思わず、真顔になった。

 

「うお、かた……」

 

 最後まで言い切れずに、真横にぶっ飛ばされる。

 

「勇者さ……!?」

「……やっべ」

 

 しくじった。

 油断である。ゴーレムの力を見誤って、真横にぶっ飛ばされたのは、まあいいとして、赤髪ちゃんを危険に晒してしまったのは、完全におれの油断だった。

 目測で、約50メートル。全力でダッシュしてキャッチできるかどうか……

 

 

「……いい。私がひろう」

 

 

 囁きが、俺の真横を駆け抜けた。

 

「え?」

 

 それは、どこからともなく現れた、幼女だった。

 おれの腰ほどしかない小さな体に、空色のショートヘア。シンプルな道着。賢者ちゃん以上につるぺたの胸。

 そのあまりにも小さな手足が、豊満な赤髪ちゃんの身体を空中でキャッチし、見事に衝撃を殺して地面に着地した。

 

「大丈夫?」

 

 ぴくりとも表情を変えないまま、幼女が聞く。

 

「あ、えっと。はい。ありがとうございます。ていうか、その……どちら様ですか?」

 

 赤髪ちゃんのその質問には答えずに、吸い込まれそうな黒の瞳がこちらを見た。片手を挙げて、幼女はやはり無表情のままに、言った。

 

 

「よっ」

 

 

 いやぁ……なんというか、うん。

 いろいろと、思うところはあったが。

 とりあえず、この人は相変わらずだなあ、と。そう思った。

 

「……おひさしぶりです、()()

「し、師匠!?」

 

 赤髪ちゃんが目を見開いてその幼女……もとい、師匠を見る。

 

「え、このちっちゃい方……勇者さんの、し、師匠!?」

「うん。まあ、おれが師匠って勝手に呼んでるだけだけど。あと、元パーティーメンバー」

「えええええええ!? パーティーメンバー、四人じゃなかったんですか!?」

「あれ? おれ、パーティーメンバーは四人って言ったっけ?」

「いや聞いてないですけど!?」

「勇者、ひさしぶり。元気?」

「はい。おかげさまで」

「わたしをだっこしたまま普通に会話しないでください!」

「む、ごめん」

 

 自分よりかなり大きい赤髪ちゃんを腕から下ろして、師匠は赤髪ちゃんの顔をじっと見詰めた。

 

「あなた、かわいい」

「えっ、あ、はい。重ねてありがとうございます!」

「おっぱいも大きい」

「え」

「私、小さいから羨ましい。いくつある?」

「勇者さん!」

「こういう人だから諦めてほしい」

 

 もう少し会話を楽しんでいたかったが、そんな暇もないらしい。

 

「師匠」

「ん」

 

 ゴーレムが、再び襲ってくる。師匠は何も持たないまま、ゆらりと歩を進めた。

 モンスターが蔓延り、争いも絶えないこの時代。

 魔術の存在。加えて、ある程度のコネと金を積めば手に入るマジックアイテムや武器の存在もあってか、素手での戦闘は、軽視されがちなのが現実だ。

 当然である。剣は拳よりもリーチが長く、魔術は剣よりもリーチが長い。高位の魔術士と相対する騎士は、まず距離を詰めるところから戦いを始めなければならない。おれだって、戦うための武器として、最初に自然に剣を取った。女騎士ちゃんだって、いつも元気に両手の聖剣をぶんぶん振り回している。

 

 そう。だからこそ。

 おれは彼女の戦い方に、最上の尊敬と畏怖を抱く。

 

「下がって」

 

 短く、一言。ただ指示だけを呟いて、師匠はおれたちを守るように、さらに一歩。前に出る。

 右手を、前に。左手を、後ろに。たったそれだけの構えだけで、彼女の纏う空気が変化する。

 しかし、あまりにも巨大なゴーレムは、足元のありんこが迎撃準備を整えたことに、少しも気が付かなかった。

 

「勇者さ……っ」

 

 赤髪ちゃんの悲鳴が響く前に、拳が迫る。風圧で、声がかき消える。

 彼女の小さな手のひらが、バカでかい拳に触れて。

 

「え?」

 

 赤髪ちゃんの間抜けな声と共に、岩石の塊が一瞬、停止した。刹那、軌道を逸らされた拳は何もない空気だけを殴り抜き、そしてバランスを崩したゴーレムは、足元からひっくり返る。

 重力、運動エネルギー、常識。それら全てを無視した結果が、当然のものであるように、師匠はおれに聞く。

 

「これ、コアはどこ?」

「多分、頭ですね」

「わかった」

 

 それだけ聞きたかった、と言わんばかりに、小さな体が弾丸のように跳ねる。

 

「ゆ、勇者さん! あの人!」

「大丈夫だよ。よく見てな」

 

 非常に、月並みな感想になってしまうが。

 それでもおれは、隣で大口を開けて見守る赤髪ちゃんに、言わずにはいられなかった。

 

 

「やっぱり……ありが象を倒す瞬間は、ワクワクするよな」

 

 

 踏ん張りが利かないはずの空中で。彼女はまた、構えを取る。一拍。それを打ち放つための呼吸と間合い、己の全てを調和させて。

 

 拳が、巨人の頭を突いた。

 

 小さな点の衝撃は、ゴーレムの頭部の中心から静かに広がり、震えて、波打つ。

 かくして、岩石で作られた巨人は、たった一撃で上半身の軸から、粉々に砕け散る。

 

 最強は、この世に一つだけではない。人間の数だけ、最強には種類がある。

 

 しかし、この限りなく広い世界の中で。

 拳を用いた格闘に限って言えば、天下無双という言葉は……きっと、彼女のためにある。

 

「む。意外と脆かった」

 

 着地した師匠が呟いた。

 違いますね。あなたが明らかにやり過ぎなだけですね。

 

「あ、あわわわわ」

 

 開いた口が塞がらず、もうあごが外れそうになっている赤髪ちゃんのお口を、そっと下から支えてあげる。

 

「ゆ、勇者さん……わたしもう、何が何だか……」

「ああ、ごめんごめん。説明し忘れてた。師匠は武闘家なんだ」

「説明になってないです!」

「あとめちゃくちゃ強い」

「もう勇者さんの知り合い、みんな大体強いじゃないですか!? さすがに、こんな小さな子があんな大きいゴーレムを倒すとは思いませんでしたけど……」

 

 赤髪ちゃんの感想に、師匠が不満そうに喉を鳴らした。

 

「一つ、訂正。わたし、あなたより多分年上」

「えっ、おいくつなんですか?」

 

「1023歳」

 

「……はあ?」

 

 もう驚くことはない、といった様子で、赤髪ちゃんの間抜けな声が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ……最悪ですね。かっこよく助けに入る私の出番が完璧に奪われました」

「なに言ってんの。ここからじゃ助けられないでしょ」

 

 賢者、シャナ・グランプレは物見の水晶でその光景を見ながら、盛大な舌打ちを漏らしていた。もはや、発言が賢くない。そこらへんのチンピラと同レベルである。

 

「武闘家さん、生きてたんだ。あまりにも連絡つかないから、どこかで野垂れ死んでいるものかと」

 

 隣でくつろいでいるアリア・リナージュ・アイアラスが言う。もはや、発言がまったく姫らしくない。

 この騎士、さらっとひでぇこと言うな、とシャナは思ったが、口喧嘩と近接戦闘では勝てる要素が微塵もないので口には出さなかった。

 

「あの人が死ぬわけないじゃないですか。殺しても絶対に死にませんよ」

「いや、それはそうなんだけどね? いつも増やしたそばから死んでた賢者ちゃんと違って、武闘家さんは無敵だし」

「なんですかケンカ売ってるんですか。やるなら買うぞコラ」

「あ、なんか移動するみたいだよ。ほらほら、居場所がわかったんだし、あたしたちも早く向かおう。その遠隔監視の追跡魔術、長くは保たないんでしょ?」

「ちっ……」

「もう、そんなにイライラしないで。ほら、飴食べる? 能力で増やしていいよ」

「いらねーんですよ!」

 

 この女騎士、お姫様のくせにいちいち態度がふてぶてしいので、どうにも調子が狂う。

 

「それにしても、武闘家さんまで戻ってくるなんて、なんだか本当に昔に戻ったみたいだね」

「それがいいことなのかは、甚だ疑問ですけどね」

「でも、心強いよ」

 

 アリアは、懐かしいものを見るように、目を細めた。

 

「搦手ありで勝ち負けを競うならともかく……純粋な一騎打ちなら、あの人がウチのパーティーで最強だからね」




今回の登場人物

・武闘家さん
 近接格闘特化型無表情幼女師匠。ペチャパイだが、賢者ちゃんのようにそれを気にしてはいない。20メートル級のゴーレムと正面から打ち合っても砕けない拳を持つ。身体強化系の魔力運用に特化しており、魔術は一切使えない。真正面からのガチンコ一筋だが、ガチンコに頭と技術を使う、騎士ちゃんとは似て非なるタイプの脳筋。
 勇者パーティーの一員なので、当然魔法は所有しており、その影響で体の成長が止まっている。正しく、1023歳のスーパー幼女。死霊術師さんは武闘家さんのことをめちゃくちゃ嫌っている。


・賢者ちゃん
 自分より胸が小さい武闘家さんをこっそり見下しているが、そういう浅い精神構造を武闘家さんにかわいいと思われている。

・女騎士ちゃん
 どうやって武闘家さんに勝つか、いつも考えている。

・あごがはずれそうな赤髪
 いつからパーティーメンバーが4人だと錯覚していた?

・勇者くん
 冒険2年目のこと。みんなと離れて身包みを剥がされ、地下闘技場的な場所に放り込まれた際に、デスマッチを通じて武闘家さんと知り合った。さらにいろいろあって武闘家さんに弟子入りすることになり、勝手に師匠と呼ぶことに。剣に頼らない近接格闘技術を、この頃に少しだけ身につけている。


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勇者と武闘家さん

「それで、師匠はどうしてここに?」

「このあたり、なにもない」

「はい」

「修行にぴったり」

「なるほど」

「それでいいんですかっ!?」

「だからこういう人なんだよ」

 

 こういう人だが、しかしなんだかんだ生きるのはうまいので、師匠は荒野のど真ん中に湧き水が出る場所を見つけ、拠点としていた。簡素だがテントのようなものも建てていて、三人くらいなら寛げるスペースがあった。陽射しから逃れて、水を飲んで寛げるっていうだけでも、かなりありがたい。やっぱり屋根って人間の偉大な発明だわ。

 

「でも、これでゆっくり休めるね」

 

 と、赤髪ちゃんは小鳥ちゃんに語りかけている。まるで返事をするように、小鳥ちゃんは小さく鳴いた。ただし、その声は先ほどよりもか細い。

 

「さっきは助けていただき、ありがとうございました」

「気にしなくて、いい。弟子を助けるのが、師匠の役目」

「恐縮です」

 

 師匠はやはり無表情のまま、バリバリと備蓄の品らしい乾パンを貪り食っている。ついでに、干された肉やら塩の壺やら、どこから調達してきたのかわからない野菜やらもあるので、本当にこの辺りで修行していたのだろう。マジで自由過ぎるな、この人。

 

「あの、お師匠さん」

「なに?」

「いえ、なんというか……勢いよくたくさん食べられるんですね。お体はそんなに小さいのに」

 

 お前だけはそれを言うな、とおれは思った。

 

「よく食べるの、大事。あなたの方こそ、もっと食べた方がいい。さっきから、全然進んでいない」

 

 言われてみると、たしかに。あれほど食い意地の張っている赤髪ちゃんに取り分けたパンや肉が、なぜか全然減っていない。ゴーレムに襲われる前は、お腹が空いたと早くも愚痴っていたので、腹が減っていないわけがないだろうに。

 

「お、お師匠さんは、どうしてそんなに長生きなんですか? 何かこう、秘訣みたいなものがあるんですか?」

 

 話を逸したいのか、赤髪ちゃんが支離滅裂な質問を師匠に投げる。1023歳に、長生きの秘訣もクソもあるわけがない。おかしいに決まってんだろ。明らかに生命の摂理に反してるって。

 

「よく食べて、よく動いて、よく寝る。人の健康は、それだけで保たれる」

「な、なるほど」

「師匠、適当に答えないでください」

「む。わたし、いたって真面目。これは、真理」

 

 いや、それはそうなんですけど。

 

「あ、あの勇者さん」

「はいはい。どうした?」

「この子のこと、また診ていただけませんか? さっきからパン屑をちぎってあげているんですけど、あんまり食べてくれなくて」

 

 上目遣いでおれを見て、赤髪ちゃんは小鳥ちゃんを差し出した。

 ああ……わかっている。赤髪ちゃんの元気がないのは、さっきから手のひらにのせた小鳥ちゃんに、ずっとかまっているからだ。なんとかしてあげたいところだけど、しかしおれには他にやることがある。

 ちらりと、師匠を見た。ぐびぐびと、ひょうたんに口をつけて水を飲んでいた師匠は、おれの目配せに気がついて、軽くウィンクした。

 よし。師匠なら、赤髪ちゃんと小鳥ちゃんを任せても大丈夫だろう。

 

「ごめん。赤髪ちゃん、おれ、さっきゴーレムを倒した場所に、忘れ物してきたみたいで」

「忘れ物?」

「うん。ちょっと取ってこなきゃいけないから、小鳥ちゃんは師匠にみてもらってくれるかな?」

「わ、わかりました。じゃあ、わたしも一緒に」

「いや、おれ一人だけでいいよ。ほんとごめんね」

 

 きれいな赤色の髪を、ぽんぽんと軽く叩いて、おれはテントの外に出た。

 肩を引き下げ、膝をほぐして、背を大きく伸ばして深呼吸をする。

 

「うし。いくか」

 

 さあ、()()()を取りに行こう。

 

 予感があった。

 あのゴーレムは、おそらく野生のものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 勇者が出て行ったあとの、少女の横顔を眺めていた。ここまで、ずっと彼を頼りにしてきたのだろう。勇者が出て行ってからしばらくは落ち着かない様子だったが、しばらく経って、少女はようやくこちらに視線を向けた。

 

「えっと、お師匠さん」

「ムム」

「はい?」

「ムム・ルセッタ。わたしの、名前。勇者はああいう呪いを受けているから、みんな気を遣って名前を使わない。でも、わたしと二人でいる時は、名前を呼んでいい」

「あ、ありがとうございます。ムムさん」

 

 ムム・ルセッタは、勇者パーティーに所属していた武闘家である。そして、勇者の師匠でもある。

 片手にパンを、片手に肉を持ちながら、ムムは少女に聞いた。

 

「あなたの名前は?」

「あ、はい。わたしの名前は……」

 

 その名を聞いて、ムムは頷いた。

 

「そう。いい名前」

「えへへ、ありがとうございます」

「自分の名前、好き?」

「は、はい。わたし、自分のこと、これしか覚えてないので」

「そう。わたしも、好き」

「はい! ムムさんの名前も、とってもすてきだと思います」

「ありがとう。うれしい」

 

 固いパンを咀嚼して飲み込んでから、ムムはさらに聞いた。

 

「勇者に、名前。呼んでほしい?」

 

 少女の目が、ほんのわずかに見開かれた。

 視線が下を向き、左右に揺れ動いて、それから前に戻る。

 

「そう、ですね。勇者さんは、とてもやさしい人なので、名前を呼んでもらえたら……きっとわたしは、うれしいなって思います」

「ふむ」

「でも」

「でも?」

「出会ったばかりのわたしなんかより、賢者さんや姫騎士さんや、お師匠さんの方が……ずっとずっと勇者さんに名前を呼んでほしいんだろうなって。そう思います」

「うん」

 

 ムムは、食事を開始してからはじめて、パンと肉を机の上に置いた。布巾で指を拭いて、清潔にしてから、手を伸ばす。

 

「あなた、やっぱりとてもいい子」

 

 なでなで。

 ムムは目を丸くする少女の頭を、やさしく触り続けた。

 

「えっと……」

「ん?」

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 

 ぴぃ、と。されるがままになっていた少女の手のひらの中で、小鳥が鳴く。

 

「あ! ムムさん!」

「なに?」

「この子のこと、診てあげてください!」

「診るって、なんで?」

「え、だって勇者さんが……」

「わたし、治癒魔術、使えない」

 

 少女のやわらかな表情が、険しいものに変化した。

 当然だと、ムムは思う。

 

「そんな……じゃあ」

「そもそも、この子、もう長くない。翼が、折れてる。絶対に、助からない」

「それ、は」

 

 なんとなく、この子もそれをわかっていたのだろう。驚きよりも、失望の色を表情に出して、赤髪の少女は手のひらの小鳥をじっと見詰めた。

 優しい子だと思う。勇者があれほど入れ込む理由も、うっすらとだが、理解できる。

 

「そもそも、死ぬって、そんなに悪いこと?」

 

 だからこそ、ムムは少女に向けて問いかけた。

 

「はい?」

「わたしは、ずっと生きてる。でも、自分が死ぬ時が来たなら、死んでもいいと思う」

「ムムさん……?」

 

 か弱く、ちいさなちいさな小鳥に向かって。

 無表情のまま武闘家は、その拳を向けた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 思い出話を、一つしよう。

 自分が年を取らないことに気がついたのは、10歳の頃。ただし、10歳の時に自分が10歳だったのか、少女は覚えていない。その頃にはすでに、少女の時間の感覚は狂い始めていた。

 親は知らない。山の中で、気がつけば暮らしていた。その頃は、自身の魔法のコントロールもうまくいかず、死にかけることもあった。

 水を啜り、肉を食み、今日を生きて、明日を考えずに眠る。ずっと、その繰り返しだった。

 そんなある日、男に出会った。巨大な岩のような、あるいは熊のような、ひげ面の大男だった。

 

「なんだ、お前。一人か?」

「……?」

「なぜ、答えぬ?」

「…………」

「お前、言葉がわからんのか!?」

 

 男は修行をするために山奥に来たようだったが、何故か少女にかまった。

 男は強さを求める武道家だったが、何故か学もあった。

 

「強くなることと、学ぶことは表裏一体! よく学び、よく強くなれ! 少女よ!」

 

 ある日はペンを。ある日は拳を。

 ただ生きるだけなら、少女は一人でもできた。ただ生きる以外の全てを、少女は男からもらった。

 

「名前を決めたぞ! 今日からはこの名と、わしの家名を名乗れ!」

 

 少女は、ムム・ルセッタになった。

 

「良い名前」

「おお! そうかそうか! 気に入ったか!」

「短くて、書きやすい」

「短くて書きやすい!?」

 

 男は、ムムの師父になった。

 

「師父、修行したまま、寝ないで」

「ははっ! すまんな! 疲れておったのだ!」

「せめて、体は拭いて。臭い」

「なにぃ!? わしは臭うか!?」

「うん」

「むぅ……!」

 

 師父は、本当に馬鹿な武道家だった。

 起きては拳を振るい、食べては拳を振るい、寝て起きてはまた拳を振るう。

 

「お前は本当に小さいな、ムム! もっと飯を食え!」

「昔から、食べてる」

「量が足りないのだ!」

「でも、わたし……ずっと、大きくならない」

 

 歳を取らない。

 5年ほど暮らして、ついに師父はムムの体の異常……『魔法』に気がついた。気づくのが遅すぎてあまりにも鈍いと思ったが、もしかしたら彼はわざと気づかないふりをしていたのかもしれない。

 

「ふん! ならば、わしが治してやる!」

「え?」

 

 病の一種だと、思ったのだろう。あれほど強くなることに執着していた男が、修行を投げ捨てて、医者を訪ねるようになった。武道大会に出ては賞金を得て、戦争に兵士として参加しては地位は望まず金だけを望んだ。そうして得た資産の全てをムムに注ぎ込み、治療に当てた。

 医者は匙を投げた。

 魔導師は首を振った。

 あやしげな呪詛師は絶対に治ると言いながら高額な治療代を請求してきたので、師父が殴り飛ばした。

 また10年くらい時間が過ぎて、あれだけ若々しく、精力に満ち溢れていた男の髪に、白いものが目立つようになった。

 

「すまない、ムム……わしは」

「いい。大丈夫。自分の体。自分が、一番よくわかってる」

「だが、だが……わしは、お前の嫁入り姿を、楽しみにしていたのだぞっ!」

「……は?」

 

 師父は、やはり馬鹿だった。

 

「お前が良い男に嫁ぎ、良き幸せを掴み、子どもを育み……そしてあわよくば、お前によく似たかわいい孫に我が流派を継いでもらおうと! わしはそれだけを楽しみにしていたというのに!」

「師父、そんなこと考えてたの?」

「そんなこととはなんだ!? お前はせっかくそんなにきれいな顔をしているというのに、いつまでもちんちくりんな体では、嫁の貰い手が来ないではないか!?」

「うるさい」

「脛を殴るな!?」

 

 馬鹿親父の足を、習った武術でげしげしと殴ってから、ムムは言った。

 

「いい。わたしはどこにも行かない」

「なに?」

「師父がいれば、それで良い」

「ムム……!」

 

 そうして、また20年ほどを二人だけで過ごして。

 

 師父の寿命がきた。

 ムムは、彼の布団の横に座って、硬くゴツゴツとした手を、ずっと握っていた。何日も何日も、ずっと握っていた。

 

「すまないな、ムム。先に逝くぞ」

「気にしなくていい。師父、とっても長生きだった。わたしが、へんなだけ」

 

 そう。これが普通なのだ、と。ムムは思った。

 生まれて、生きて、老いて、人は死ぬ。

 自分が、おかしいだけなのだ。

 

「変、か。己を卑下するな。お前は立派に、わしの隣で武の道に励み続けた。わしはそれが、なによりも誇らしい」

「でも、わたし。まだ師父より弱い」

 

 事実を言うと、死にかけの男は何故か嬉しそうに笑った。

 

「くくっ……ははっ! そうだな、お前はまだ、わしより弱い!」

「うん」

「だが、()()()()()()()

「うん」

「故に……ムムよ。お前は、その拳を磨き続けろ」

「師父が死んでも?」

「ああ。わしが死んでも、だ」

 

 その笑顔は、死に際の老人とはとても思えないほどに、強く温かな輝きに満ち満ちていた。

 

「お前の体は小さく、お前の体は弱い。だが、だからこそ……お前には、どこまでも許された時間がある」

 

 それはどんな武道家が望んでも叶わない、最上の願いなのだと、師父は語った。

 

「でも、師父が死んだら、わたしは、師父より強くなったかわからない」

「……」

「師父が死んだら、わたしはさびしい」

 

 死にかけの男は、最後の力を振り絞って体を起こした。左手は、ムムと手を繋いでいる。だから彼は、布団の中から右手を出して、持ち上げた。

 

「すまない」

 

 その腕を見る。

 自分は全然変わらないのに。あの頃と比べると、随分と肉が落ちて、細くなった。

 その手を見る。

 武の頂きを極めるために。あれだけ堅く握り締められていた男の拳が、やさしく花開いた。

 72年間。一緒に生きてきて、はじめて頭を撫でられた瞬間だった。

 

「ムム」

「なに?」

「愛している」

 

 師父から贈られた最期の言葉は、武道家の言葉ではなかった。

 

 ムムは、師父の手を離した。師父は、ムムから手を離した。

 

 そうして、ムムを愛してくれた男は死んだ。

 

 また一人になった。

 愛している、というその言葉の意味を、彼が生きている間に知りたかった。

 魔法の力で、涙は止まらなかった。

 泣いて、泣いて、泣き続けて。

 ただ、自分の頭を撫でてくれた彼の拳は、絶対に継がなければならないと思った。

 

 ムムの、次の100年が始まる。

 

 拳を振るう。

 研鑽を積み重ねる。

 拳を振るう。

 研鑽を積み重ねる。

 拳を振るう。

 研鑽を積み重ねる。

 

 また100年。さらに100年。続けて100年。

 

 自分の体は変わらない。絶対に年を取らず、成長しない。だから、技を磨き続けるしかない。否、技を磨き続けることを、ムムは師父に望まれた。

 あの拳に追いつくために、ただ拳を振るい続ける。

 磨いて、磨いて、ただひたすらに、磨き続けて。

 

 

 拳が磨かれれば磨かれるほど、ムム・ルセッタの心は、少しずつ擦り切れていった。

 

 

 磨くのは良い。自分の武が前に進んでいることは、疑いようもない。そこに、疑念はない。

 ただ、純粋な恐怖が在った。

 このまま拳を握り続けて、強くなって、彼が目指した武の頂きに、辿り着いたとして。

 

 一体、その先には何があるのだろう? 

 誰が、自分を認めてくれるのだろう? 

 

 違法な武闘会に参加するようになった。何でもいい。ただ、強さの証明が欲しかった。

 相手を倒せば、少しだけ心が満たされた。相手を殴り倒せば、少しだけ心が軽くなった。

 

 そうやって、戦って、戦って、戦って。

 

「すごいですね。あなたの拳」

 

 ある日。

 

「おれに、教えてくれませんか?」

 

 ムム・ルセッタは、勇者と呼ばれることになる少年に出会った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「やっぱりいたなぁ……それも、うじゃうじゃと」

 

 予想通りというべきか。本当はこういう予想は当たってほしくなかったのだが……戻る途中に、やはりかち合ってしまった。

 ゴーレムが、ざっと数えて10体。明らかにおれたちを探すように、群れで移動していた。サイズは人間より少し大きいくらいの小ぶりな感じで、師匠が倒したヤツよりも弱そうに見えるが……それぞれの魔力量は、あのバカデカいやつよりも、大きい。

 

「師匠の魔法を見極めて、小型に切り替えた……切り替えて、差し向けたヤツがいる、ってことだよな」

 

 さっきは、本当に不覚をとった。

 師匠が助けてくれなければ、赤髪ちゃんは危なかった。おれのミスだ。バカでアホな、おれの油断だ。師匠に怒られてしまう。

 

 世界を救ったのに、女の子一人を助けられないなんて、勇者失格だからだ。

 

「よし、やるか」

 

 ここまで走ってきたので、汗をかいた髪をかきあげる。何本か、髪が指にまきついた。そういえば、最近髪を切っていなかった。この面倒事が片付いたら、ぜひとも散髪に行きたいところだ。女の子の長い髪はきれいだけど、男が長くても気色悪いだけだし。

 

「そういや、髪の手入れを怠るとハゲるって、賢者ちゃんも言ってたなぁ……」

 

 おれは絶対にハゲたくない。

 指に絡みついた、赤髪ちゃんとは似ても似つかない、()()()()()()()()を地面に捨てる。

 

 拳を、握り締める。

 

 勘を取り戻すには、ちょうどいい相手だ。ひさびさに、本気でやろう。




今回の登場人物

・武闘家さん
 本名、ムム・ルセッタ。髪の色は澄んだ水色。ちなみに武闘家さんは髪も伸びない。

・師父
 武闘家さんを育てた人。髪の色は……晩年はハゲた。

・赤髪ちゃん
 髪の色はきれいな赤色。

・勇者くん
 髪の色はくすんだ赤色。赤髪ちゃんに比べると薄汚れてる感じ。ハゲたくない。


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黄金の武闘家

 ルール無用。武器の持ち込みは自由。どちらかが、倒れるまで。

 それが、血と欲に塗れた地下闘技場の絶対の掟だった。

 金が欲しかったわけではない。ただ、金払いが良い武闘会には、やはり強い人間が集まった。より強い人間と戦えば戦うほど、乾いた心が満たされる気がした。

 

 年若い少年と、決勝で当たった。

 他人の試合になど興味がなく、他人の試合を見なくても勝つことはできたので、何故そんな少年が勝ち上がってきたか、立ち合った瞬間は疑問に思った。

 立ち合いの次の瞬間から、直感の疑問は確信の警鈴に変化した。

 初手で、自分が持ち得る最大の打撃を打ち込んだ。その後も、打って打って打ち続けた。

 

 こいつは、なぜ倒れない? 

 

 どうして、わたしの拳を受けても、平然と立ち上がる? 

 

 その少年の強さは、言うなればおかしな強さだった。積み上げてきたものは感じる。積み重ねてきたものは、間違いなく在る。けれど、デタラメでめちゃくちゃで、理屈が通じない強さ。底知れない、深い闇に少しずつ飲み込まれていくような、そんな強さ。

 はじめて、だった。

 無我夢中で拳を振るった。全力を尽くした。師父から受け継いだ技を否定させないために、師父から受け継いだ強さを証明するために、勝たなければならなかった。

 しかし、ムム・ルセッタはそれまで生きてきた1000年という時間の中で、はじめて闘技場というリングの中で、背中を地面につけた。そして、もう立ち上がれなかった。

 

 負けた。完膚なきまでに。

 

 地下闘技場は、ルール無用。武器の持ち込みは自由。勝敗の決着は、どちらかが倒れるまで。

 つまり、倒れた相手をどうするかは、勝者が自由に決めていい。

 死ぬかもしれない、と思った。1000年という時間の中で、はじめて人に殺されるかもしれない、という恐怖を覚えた。

 

 リングに、剣を突き立てる音が鳴る。ブーツの音が、死神の鎌のように近づいてくる。

 そして、勝者である少年は言った。

 

「ありがとうございました。いい勝負でした」

 

 差し伸べられた手を、ムム・ルセッタは信じられない面持ちで、ただ唖然と見上げた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 殴られる。

 彼女のただならぬ雰囲気に、赤髪の少女はそう思った。

 

「む。こわかった?」

 

 だが、目を開けてみると、やはり無表情のままのムムが、少しだけ不思議そうな色を瞳に混ぜていた。

 

「?」

「こわがらせてしまったなら、もうしわけない。わたし、魔法を使う時、少し力んじゃう」

 

 ムムの小さく細い指先が、小鳥に触れていた。

 小鳥の、今にも消えそうな息遣いが、しかし今にも消えそうなまま、ゆったりと続く。鳥に表情はないが、それでも少しだけ、楽そうになったように見えた。

 まるで、出血と傷の広がりが静止したように。

 

「これって……?」

「わたしの魔法。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その体は不変。

 その心は不動。

 されど、その拳だけは不変にあらず。

 歩みを止めず、新たな強さを求めて、一日を、一秒を積み重ね、弛まぬ進化を続けてきた。

 決して変化しない体の中で、その拳だけは成長を続け、研鑽によって輝きを増し続けた。

 

 それは、全てを永らえ、長き時の中、決して色褪せることのない誇り高き黄金。

 

 『金心剣胆(クオン・ダバフ)』。ムム・ルセッタ。

 

 この世界を救った、最高の武闘家にして、魔法使いである。

 

 けれど、()()()()()()()()

 人の手は、拳を握り締めるためだけに、あるものではないと。ムムは、師父と彼に教えてもらったから。

 

「わたしは今、この子の出血を止めてる」

「それって……じゃあ、この子は助かるってことですか!?」

「ううん。助からない」

 

 抱かれた淡い期待を、しかしムムははっきりと断言の形で否定した。

 

「わたしは、この子の時間を止めているだけ。治療しているわけじゃない。仮に、この子の全てを『静止』させたとしても、ケガの状態は、変わらない」

「でも、お医者さんに見せれば……!」

「ここから治療して、治すのは不可能。勇者も、それをわかってた」

 

 あの馬鹿弟子はいつもこういう面倒なことをわたしに預ける、と。ムムは口の中だけで溜め息を吐いた。

 それは、目の前の少女に突きつける、残酷な選択だ。

 生き物は死ぬ。だから、選ばなければならない。

 

「ここからは、あなたに質問。あなたは、この子をどうしたい?」

 

 赤髪の少女が、伏せていた顔をはっと上げる。

 躊躇いながらも、指が伸びた。少女が指先で触れると、傷の広がりが止まって楽になった小鳥は、嬉しそうにくちばしを持ち上げた。

 きゅっと、形の良い唇が絞られる。

 

「……少しだけ、この子のことをお願いできますか?」

「わかった」

 

 ムムは小鳥を受け取った。少女が、テントの外に駆けていく。

 指先で小さな体温を感じている時間は、思っていたよりも長くなかった。もしかしたら戻ってこないのではないか、とムムは思っていたが、その心配は杞憂だった。赤髪の少女は十分ほどで、手の中に小鳥とは別のものを抱えて戻ってきた。

 

「お花」

「はい」

 

 それは、湧き水の出るこの場所にだけ咲いている、小鳥と同じちいさなちいさな花だった。その花を、少女は短い時間できれいに編んで、円の形にしていた。

 

「……この子に」

「わかった」

 

 テントの外に出て、軽く土を掘る。その下に編まれた花を敷いて、小鳥の体をそっと寝かせてあげた。

 拾われてから、ずっと一緒にいた少女が戻ってきたことが嬉しかったのか、ぴぃ、と。短く鳴き声が響いた。

 

「もう、大丈夫?」

「はい」

「悲しい?」

「……はい。おかしいですよね。さっき、たまたま拾って、わたしが勝手に同情して……」

「そんなことは、ない。生き物の死に、涙を流すことは、心が豊かな証拠」

 

自分よりも高い肩に、ムムはそっと寄り添った。

失われていく温かさを、少しでも埋められるように。

 

「わたしも、同じ。勝手に同情してきた男が、勝手にわたしを拾った」

 

 だからか、と。

 ムムはどうして自分が、こんなにもこの少女に入れ込んでいるのか、今さら気がついた。

 

「でも、だからわたしはここにいる。勇者に出会って、あなたにも出会えた。人生は、そういう偶然の繰り返し」

 

 命は短く、儚く、脆い。

 ほんの些細なきっかけで、命は唐突に消える。ほんの些細なきっかけがなくとも、命はいつか消える。

 

「この子は本当は、荒野で一人で死ぬところだった。でも、勇者とあなたが来た」

 

 それは運命のいたずら。様々な出来事が自然に噛み合って生まれた、偶然の出会いだった。

 

「だから、あなたに見守られて、お花の中で命を終えることができる」

 

 歌うように、ムムはそれを少女に説く。

 

「死ぬことは、悲しいこと。悲しいけど、自然なことだから……その終わりを、幸せな形にしてあげることはできる」

 

 ムムは、小鳥から手を離した。少女は小鳥に手を触れた。

 小さな体が、少しずつ冷たくなって、やがて小鳥は動かなくなった。

 懸命に生きようとした一つの命が、静かに終わった瞬間だった。

 

「お別れは、できた?」

「……はい」

「そう。よかった」

「ムムさん」

「ん?」

「ありがとう、ございました……」

 

 声は、震えていた。

 無理をしている、と思った。

 

「もう一つ。人生の大先輩から、お節介なアドバイス」

 

 小鳥を抱いていた、両手が空いた。だから、できることがある。

 背伸びをしたムムは、赤髪の少女の頭を、なるべくやさしく撫でた。

 

「泣きたい時は、泣いて良い」

 

 こういう時だけは、小さな身体が本当に不便だと、ムムは思う。泣きじゃくる子どもに胸を貸すのは、とても大変だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ムムは、忘れ物を拾いに行ったままいつまでも戻ってこない勇者を、迎えに行った。

 あまりにも遅いからまさか、と思っていたが。どうやら、心配は杞憂だったらしい。

 

「なんだ。出る幕、なし?」

「ああ、師匠」

 

 勇者は、倒した敵の残骸を積み上げて影を作り、その下で涼んでいた。

 そのゴーレムの数は、およそ10体。サイズは遜色なかったが、明らかに強い魔力の残滓を孕んでいる。大きさだけなら、自分が倒したゴーレムの方が格段に上だが、それぞれの強さはこのゴーレム達の方が上だったろうと、ムムは思う。

 

「赤髪ちゃんは?」

「泣き疲れて、寝た」

「子どもか?」

「あの子は、子ども」

「それもそうか」

 

 足元に落ちている石を適当に拾って、ムムはそれをくるくると回した。

 

「この数、よく一人で倒した。えらい」

「師匠と赤髪ちゃんの時間の、邪魔をされたくなかったので。ああいうことを教えるのは、絶対に師匠の方が上手いでしょう?」

「またそうやって、師匠を便利に使う」

「すいません」

 

 勇者は苦笑を交えて、服についた埃をはたいた。

 

「……会ったときは、腕が鈍ってるって思ったけど。勘が、戻ったみたい」

「どうでしょう。おれなんてまだまだですよ」

「懐かしい」

「え?」

「わたしに弟子入りした時も、同じことを言っていた」

「そうでしたっけ?」

「そう」

 

 あの日のことを、思い出す。

 勝者になった少年は、倒れ込んだまま動けないムムを担ぎ上げ、賞金も責任も何もかも放り捨てて、その場から全力で逃走した。このままリングの中にいたら、ムムが殺されてしまう、と思ったらしい。

 あれだけ命を賭けて戦ったくせに、金も貰わずに一目散に逃げ出したことが、あまりにも信じられなくて。ムムは少年に聞いた。おまえは、何が欲しかったのだ、と。

 

 ──あなたが欲しかったんです

 

 憎らしいほどけろっとした表情で、少年は言った。これから先も強くなるために、自分の体の使い方を見てくれる師匠が欲しかった。おれにとっての優勝賞品はあなただ。おれの師匠はあなたしかいない、と少年は熱心に語った。

 控えめに言って、あきれた。

 敗北した相手の師匠なんて、できるわけがないし意味がない。負けた自分に、教えられることは何もない。最初はそう言って断り続けたが、少年は頑なに引かず。とうとう、ムムの方が根負けした。

 修行といっても、ムムは人に拳の振り方を教えたことはなかった。仕方がないので、師父の教えを頭のなかで思い返しながら、少年に自分がやってきたものと、同じ修行をさせた。

 結果、少年は3ヶ月足らずで、ムムが割るのに一年かかった巨岩を打ち砕いた。

 はじめての弟子が、本当に嬉しそうに振り返った時。胸の中に、何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。つい先ほどまで、固く握り締めていた拳を勢い良く広げて。笑顔で、拳を開いて、少年はやはり手を伸ばした。

 

 ──ありがとうございました。師匠

 

 ムムも自然と、その手をとって強く握った。

 

 

 温かかった。

 

 

 思えば、あの時も同じだった。

 ムムがはじめて岩を砕いた日、師父は馬鹿のように喜んだ。子どものように「その小さな体でよくやった!」だの「わしの時は3年かかったぞ!」などと、本当に馬鹿のように騒いで、ひとしきり騒いだあとに、静かに岩のような手を開いて、差し出した。

 

 ──それ、なに? 

 

 ──む、そうか。お前はまだ知らなんだか。これは礼だ。

 

 ──礼? 

 

 ──うむ。出会った時、別れた時。あるいは、相手に好意を示す時、相手の健闘を称える時。人はこうして、互いの手を握り合うのだ。

 

 記憶の中の師父の笑顔と、少年の笑顔が、きれいに重なった。

 拳とは、手を握って振るうもの。その硬さを以て、敵を砕くもの。

 だが同時に、人と人が分かり合う時。その手を取り合うことを、人は『握手』と言う。

 少年と手を繋いで、900年あまりの時間をかけて、ムム・ルセッタはようやくそれを見つけた。900年と少しの時間をかけて、ムム・ルセッタはようやく二度目の涙を流した。

 師父があの日、自分に遺していったものは、ずっと変わらず、こんな近くに、

 

 

 ──ありがとう

 

 

 自分の手の中に、あったのだ。

 

 

 

 

 

 

「もう行く?」

「はい。追手の追撃もこわいので」

「わかった」

 

 また軽く、握手を交わす。

 しかし、それだけでは物足りなくなって、ムムは勇者が積み上げていたゴーレムの残骸を、適当に打ち壊した。

 

「し、師匠?」

「少し待って」

 

 もはやただの岩の塊になったそれを、また適当に積み上げて、ムムは自分が乗れる台座を作った。その上に立って、弟子を見る。なんとか、目線が彼よりも高くなった。

 

「うん。これは、良い」

 

 すごく良い。これまでぴくりとも動かなかった表情が、自然に綻ぶ。

 きっと師父も、こういう目線で自分のことを見ていたのだろう、と。ムムはそう思った。

 勇者はいつも、賢者の頭を撫でていた。さっきはあの子の頭も撫でていた。撫でていてばかりでは、不公平だ。だからたまには、こうして撫でてやるのもいいだろう。ムムは、くすんだような赤色の勇者の頭に、そっと手を置いた。

 

「道中、無理はしないように。気をつけて」

「……師匠」

「なに?」

「師匠はやっぱり、笑ってる方がかわいいですよ」

「…………生意気」

 

 なんとなく気恥ずかしくて、他の仲間がいる前では、師匠とそのまま呼ばせていた。

 二人で修行をしていた半年間。彼が岩を砕けるようになるまで、ムムは自分のことを『師匠』と呼ぶのを許さなかった。岩も砕けない馬鹿弟子はいらない、と。意地を張っていたのだ。

 

 ムムさん、と。

 彼に名前を呼んでもらうのが、好きだったのかもしれない。

 

 人の命は、いつかは尽きる。

 人の命に、限りがあるように。愛は移りゆくもの。愛は、いつか消えてしまうもの。

 それでも、もし。人を想い、世界を想う気持ちに永遠があるのなら。ムム・ルセッタは、彼とぶつけた拳ではなく、彼と交わした手のひらの中に、それを見た。

 

 だから、愛そう。彼が思い出させてくれた大切な父の気持ちと、同じ愛を彼に注ごう。

 

 彼女は、世界を救った勇者を愛している。

 彼に好意を寄せる者が多いのはわかっている。

 だからこそ、ムム・ルセッタは静かに思う。

 

 愛は比べるものではない。愛の種類は一つではない。

 久遠の時を生き続けるこの体にできるのは、彼を愛し、彼女らを愛し、彼と彼女らの行く末の、その幸せを祈ることだけだ。

 

 故に。

 

 

 ──我が愛、永遠に不変。




今回の登場人物

・武闘家さん
 近接格闘特化型無表情お節介焼き幼女師匠。自身の心身に刻まれた魔法によって、悠久の時を生きる拳聖。
 長生きでそこそこ物知りだが、俗世から離れて拳ばかり磨いてきたので、最近の文化には疎いおばあちゃん。精神的にはパーティーの中で最も成熟しており、加入したあとは勇者を見守る良き助言役として、彼と彼女らを支え続けた。しかし、俗世には疎いしどこにいるかもわからないので、勇者の思い返す婚活相談からはナチュラルにカットされていた。基本的に勇者に対して後方保護者面をしているので、多分知ったら少し泣く。
 パーティーメンバーの誰が勇者と幸せになるのか、やはり後方保護者面で見守っている。子どもができたら目一杯お祝いして、はしゃいで、騒いで、孫弟子に自身の流派を継がせようと画策している。


・師父
 親バカ。彼の愛は、彼女の中で永遠に生き続ける。

・赤髪ちゃん
 はじめて人の前で泣いた。

・ゴーレムくん
 勇者のサンドバッグ。砂だけに。

・勇者くん
 ちょっとリハビリして感覚を取り戻した。




今回の登場魔法
固有魔法『金心剣胆(クオン・ダバフ)
 魔法の研究は、魔術の黎明期から並行して進められてきたが、その性質についてわかっていることは少ない。心と体に刻まれたそれは、絶対に引き剥がせず、所有者が死なない限り、永遠に消えることはない。中でも、色の名を冠する魔法は、その特異性から権力者達の羨望の的として知られていたことが、最古の歴史書には記されている。
 金心剣胆(クオン・ダバフ)は、ムム・ルセッタの心身に刻まれた固有魔法。
 自身の身体と、その身体に接触した全てを『静止』させることができる。ムムが触れたものは、ムムが触れている間は動きが止まり続け、手を離せばまた動き出す。ムムの体が成長せず、時間が止まったままなのは、彼女の時間という概念が静止しているからである。
 同時に、触れれば止まる、というのは何者も彼女を傷つけることができないことを意味する。長い時間をかけて、ムムは触れたものに対する静止の切り替えと識別を鍛錬したが、身体を傷つけようとする攻撃には、静止の魔法はオートで作動する。ムムが己の時間に対して静止の魔法を切ることができないのは、魔法が老いることを『時間による身体への攻撃』と認識してしまっているからである。
 終わらない永遠、瞬間に焦がれる久遠。万物が頭を垂れる時の流れに唾を吐きかける魔法。


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勇者と死霊術師さん

「勇者さん! 海です!」

 

「海だねえ」

 

 師匠と別れたあと、教えてもらった道を進んで、約半日。ようやく人里に辿り着いて、さらに半日ほど馬車に揺られて辿り着いたのは、それはもうでっかい港街だった。いくつもの船が停泊し、白い砂浜、眩い太陽が燦々と輝いている。

 人がいない荒野を野垂れ死にそうな思いで進んでいたので、まさか一日ちょっとでこんなに大きなオアシスみたいな街に辿り着けるとは思わなかった。師匠は「あの街に行くのは、ちょうどいいと思う。あそこ、死霊術師の拠点の一つ。匿ってもらえば、安全」とも言っていた。偶然とはいえ、次は死霊術師さんに会いに行くつもりだったので、非常にありがたい。

 記憶を失ってからはじめて見る海に、いたく感激しているのか、赤髪ちゃんは身を乗り出してはしゃいでいる。

 

「勇者さん勇者さん! わたし、海見るのはじめてです!」

「それはよかった」

 

 なんだか懐かしいなぁ。女騎士ちゃんは良いとこのお姫様だったから、避暑地に行ったり海で泳いだ経験も当然あった。でも、村から出る機会が皆無だった賢者ちゃんは、生まれてはじめて海を見た時は、年相応にはしゃいでたっけ。

 もしも今、海に連れて行っても「潮風がうざいですね」とか言って全然はしゃいでくれないんだろうな……。娘の成長を喜ぶお父さん的な悲しみに耽る。

 

「赤髪ちゃんは純粋な心を忘れずに、どうかそのままでいてね」

「え、あ、はい!」

 

 いや、でもよくよく考えたらそのままでいたらダメだな。おれの目的、基本的にこの子の記憶を取り戻してあげることだし。

 

「それにしても、ほんとうに大きな街ですね。賑わいだけなら王都にも負けないように感じます」

「そうだなぁ」

 

 事実、そうだろうな、と思う。

 港を中心に街は貿易の品々で溢れ、様々な商店が軒を連ねている。飲食店や娯楽施設も充実し、人々の賑やかな声が絶えない。

 来たことがない街だったが、死霊術師さんが関わっているというなら納得だ。むしろ、あの人が拠点として選んだ街が、発展しないわけがない。

 そのあたりの事情を説明しておこうと思ったが、赤髪ちゃんは飽きずに海の方を眺めている。とても楽しそうでなによりだ。

 

「勇者さん! みてくださいみてください! なんか食べ物の出店もありますよ! もう匂いからしておいしそうです!」

 

 ああ、はいはい、うん。お腹もとってもペコペコなようでなによりだ。

 でも、本当によかった。小鳥ちゃんの一件で元気がなくなっているんじゃないかと心配していたけど、師匠の赤髪ちゃんへのメンタルケアは万全だったらしい。むしろ、この子の横顔は、昨日よりもどこか凛々しくなったようにすら思える。

 

「勇者さん! あの氷みたいなやつはなんですか!? 緑色のソースがかかってます!」

 

 凛々しくなったか? いや、おれの気のせいだったかもしれん。

 

「ちょっと待って、赤髪ちゃん」

「はっ……そうですよねすいません。いくらなんでも全部のお店で食べて回るというわけにはいきませんよね。ごめんなさいちょっと待ってください。三つくらいに絞ります」

「ああ、いや。それはべつにいいんだけど、」

「いいんですか!?」

「セリフまで食わないでくれる?」

 

 おれのお財布が爆発しない範囲であれば好きなだけ食べてもらって構わないが、そういうことではなくて。

 

「砂浜に下りるんだったらさ。海に入ってみない?」

「海に、ですか?」

 

 きょとん、と。赤髪ちゃんが首を傾げる。

 

「うん。せっかくだし、水着買いに行こうよ」

 

 その意味を理解した頬が、髪色よりも赤くなった。

 

 

 

 

 

 

「なーにーをーしているんでしょうねえ。ウチのバカ勇者さんはぁ」

 

 そんな二人の様子を路地裏から眺めていた賢者、シャナ・グランプレはイライラしていた。整った顔をしかめて歯軋りしている様は、まったく頭が良さそうではなかった。

 とはいえ、シャナの機嫌が悪くなるのも無理はない。転送魔導陣やら、馬車やら船やらを死ぬ気で組み合わせて活用し、なんとか追いついたと思ったら、なにやら楽しそうに海デートを楽しんでいる勇者がいたのだ。キレるなという方が無理である。

 

「まあまあ。あの何もない荒野からがんばってここまで来たんだし、二人がはしゃぐのは仕方ないって。ていうか、そんなに気になるならもう勇者くんのところに行って交ざってきたら?」

「だって……だってそれは本末転倒でしょう? 勇者さんをあのいけ好かない悪魔どもから守るために急いで飛んできたのに、勇者さんとのんきに遊んでいたら意味がないじゃないですか!」

「それはそうなんだけどね」

 

 シャナの隣でゆったりと頷く女騎士、アリア・リナージュ・アイアラスは、やはりニコニコと笑っていた。

 商店の方へ歩いて行く勇者と赤髪の少女を追いながら、空いている屋台を冷やかす余裕まで持っている。

 

「おじちゃん、何かジュースある?」

「おう、悪いなお嬢ちゃん。冷やしてる分はさっき売り切れちまって、まだ冷えてないんだ。すまねぇがべつの店で……」

「ああ、それなら大丈夫大丈夫。自分で冷やすから、お一つくださいな。あ、でもちょっとおまけしてくれるとうれしいかも?」

「自分で冷やす? まあいいや、それなら隣のちっこいお嬢ちゃんの分も持ってきな!」

「ありがと。おじちゃん」

 

 さっさと値段交渉して、さっさとお金を渡し、ジュースを二人分受け取ったアリアは「やったー」と小さく呟いて、それをシャナに見せびらかした。

 

「シャナも飲むでしょ?」

「わざわざ交渉しなくても、一つあれば私の能力で増やせましたけど?」

「わかってないなぁ、賢者さまは。こっちはオレンジジュース、こっちはリンゴジュースだよ。シャナの能力だと同じやつしか増やせないじゃん。どっちがいい?」

「……リンゴジュース飲みたい」

「ふふっ。そう言うと思った。あたしはオレンジ飲みたかったからちょうどよかったね」

 

 受け取ると、ぬるかったはずのジュースはアリアの能力で器からキンキンに冷えていた。その冷たさを喉に流し込んで、シャナはほっと息を吐く。

 

「武闘家さんとは一緒じゃないみたいですね」

「あの人は自由気ままだからね」

「あまり気が進みませんが、この街は会社の運営拠点の一つのようですし、先に死霊術師さんと会いますか。あまり気が進みませんが」

「わざわざ二回言わなくてもわかってるし、気持ちは同じだよ」

 

 苦笑しながら、アリアもオレンジジュースをストローで口に運ぶ。人混みに紛れていく背中を追いながら、

 

「シャナがさっき言った通り、あたしたちの目的はあくまでも勇者くんを守ること。そのためなら、手段なんて選んでられないよ」

 

 氷よりも濃い、深い蒼の瞳が、すっと細められる。

 この人はこういう温度差がこわいけど信頼はできるんだよな、と。シャナは口には出さず、ジュースをちゅーちゅーとすすった。

 

 しかし、

 

「それにしては、今日はまたずいぶんきれいな服で来ましたね?」

「え?」

 

 じっとりとした目で、シャナはアリアの服装を上から下まで眺める。

 つばが広い麦わら帽子に、真っ白で清楚な印象を受ける、かわいらしい丸襟のワンピース。足元の淡いブルーのサンダルが、良いアクセントになっている。対して、シャナは気候に合わせていつものローブを脱ぎ、白の半袖パーカーを引っ掛けてきただけだ。

 

「ははぁーん……ふぅーん」

「な、なに?」

「かわいいですよ、アリアさん」

「だから急になにっ!?」

「いえいえ。早く悪魔を倒して勇者さんと合流できるといいですね」

「そ、それはシャナも同じでしょう!?」

 

 冷たかった声音が、一転して裏返る。

 

「ええ、もちろん」

 

 からかう側に回ってくすくすと笑いながら、シャナは空を見上げた。高い魔力探知の能力を持つシャナだからこそわかる、濃密な魔力の気配。

 

「彼女の船が上空に入ったようです。ここまで来ればわたしの簡易転送陣で、あのいけ好かない死霊術師のところまで跳べます。行きましょう」

 

 

 

 

 

「ど、どうでしょうか?」

「うん。めちゃくちゃ似合ってる」

 

 赤髪ちゃんの選んだ水着は、意外にもビキニだった。赤をベースに、腰には同じ色のパレオを巻いている。よく食べるわりに、出るとこは出て締まるところは締まっているメリハリのある体のラインが、より一層際立っていて、とても艶めかしい。うん、繰り返しになるけど、よく似合っています。

 そのままだと少し恥ずかしそうだったし、ちょうど良さそうな薄い白のパーカーも売っていたので、そちらも追加で買って羽織ってもらう。

 俺も浮き輪とビーチサンダルをゲットして、短パンとアロハに着替え、サングラスまで装備して準備は万端だ。賢者ちゃんに見られたら殺されそうな格好だけど、まだ来てないみたいだし大丈夫だろう。多分。

 

「勇者さん。これもおいしいです」

「こういう露店のメシってなんか美味く感じるよね」

「はい! 新鮮です!」

 

 赤髪ちゃんは控えめに言って美人なので、周囲から注目されるかと思って少し身構えていたが、両手に露店の料理を大量に抱えて片っ端から口に運んでいるので、違う意味で注目されている。どちらかといえば、食いしん坊な妹にご飯を食べさせてあげているお兄ちゃん……みたいな。そういう類いの生温かい視線を感じますね、はい。

 

「でも、水着。その色でよかったの?」

「え? なんでですか?」

「だって、もうちょっと濃い色合いの赤もあったからさ。そっちの方が赤髪ちゃんの髪色に近いから、もっと似合うかなって思ったんだけど」

 

 おれがそう言うと、赤髪ちゃんは一瞬きょとんとしたあとに、続けて「ふふん」と笑った。得意気にしてるところ申し訳ないけど、口の端に青ノリついてますよ。

 

「わたしは、こっちの方がいいんです」

「そう?」

「はい。だって、勇者さんの髪の赤に近いのは、こっちの水着の色でしょう?」

 

 …………うーん。なるほど。

 

「赤髪ちゃんはさ」

「なんです?」

「多分、記憶を失う前は悪女だったと思うよ」

「あ、悪……なんですかそれ!? どういう意味ですか!?」

「言葉通りの意味ですね」

 

 赤髪ちゃんがぷんすか腹を立て始めたので、そのまま砂浜で追いかけっこをする羽目になると思ったが……ちょうど良いタイミングで『ソレ』はやってきた。

 

「ゆ、勇者さん! あれ、見てください!」

 

 上を見上げて、赤髪ちゃんが叫ぶ。

 

 

「船が空を飛んでいます!」

 

 

 ここは港街だ。海から船が来るのは、珍しくもなんともないだろう。だが、空を飛ぶ船は、他の港でも早々お目にかかれるものじゃない。

 砂浜にいる他の人間からも、赤髪ちゃんと同じ種類の歓声が上がる。が、おれは特にテンションを上げることもなく、太陽に手をかざしてそれを見上げながら言った。

 

「まあ、あれ……どっちかっていうと、飛んでるんじゃなくて、ワイヤーで船を吊り下げているだけなんだけどね」

「……それって、どういう」

 

 意味ですか、と赤髪ちゃんが言う前に、力強い咆哮が響いた。砂浜の上空をパスした船は、そのまま港近くの海面に着水し、さらにその上にいたものが、はっきりと見える。

 巨大な船を牽引していたのは、さらに巨大な怪物だった。

 視界の中に、全長をギリギリ収められるかという、その威容。灰褐色の鱗に、大空を舞う強靭な翼。しなやかで美しさすら感じる、長く鋭い尾。最強のモンスター、と聞いて誰もが思い浮かべる、神話の存在。

 

 その名は。

 

「ドラゴンっ!?」

「はい、ドラゴンです」

 

 驚きのあまり赤髪ちゃんの手からこぼれ落ちたたこ焼きをキャッチして、口に運んであげる。

 

「うちの死霊術師さんは、ああいうのを10匹ほど使役して、船や荷物を空路で輸送するビジネスをやってるんだよ。多分、めちゃくちゃ儲かってる」

「……!」

 

 たこ焼きをもぐもぐしながら、赤髪ちゃんはただただ目を丸くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ドラゴンに牽引され、着水した船は、豪華客船と言って良いほどのサイズと設備を備えていた。

 当然、その船と竜の主は、船内で最も広く、飾られた部屋の中にいる。

 

「社長、お客様です」

「ええ、どうぞ。通してください」

 

 船の中に設置された転送魔導陣で船の中まで跳んだシャナとアリアは、使用人の案内を受けて部屋の扉を開いた。

 

「……事情はお伝えしたはずですが、よくもそんな風に、のんびり構えていられますね」

「あらあら。ひさしぶりにお会いしたのに、随分ツンツンしてらっしゃいますのね。まぁ、お気持ちはわからないでもありませんが」

 

 女が、いる。

 身を預けた毛皮のソファーに、腰まで届きそうな長い黒髪が広がり、蠱惑的な印象を醸し出している。シャナが普段身につけているものとは対照的に、ローブの色はその黒髪と真逆の白に、紫のアクセントが入ったもの。彼女らしい、どこまでも品の良い口調に、しかしシャナは逆に苛立ちを募らせていた。

 

「勇者さまが、狙われている。いえ、厳密に言えば、あの赤髪の少女が狙われている、と言うべきでしょうか。由々しき事態ですわね」

「その通りです。正直、こんなところでくつろいでいるあなたの態度が信じられません。早急に敵を探しだし、対応すべきです」

「ええ、ええ。本当にまったく、その通りですわね。ですから……ならばこそ、わたくしはお二人に問いたいですわ」

 

 髪をかきあげて、死霊術師は言う。

 

 

 

「あなた方……今まで、一体なにをしていましたの?」

 

 

 

 女の背後。

 洒脱な部屋にかけられた、赤いカーテンが左右に引かれて広がった。

 

「えっ……?」

 

 アリアが、絶句する。

 

「なっ……!」

 

 シャナが、目を見開く。

 信じられない光景だった。ガラス張りになった部屋の向こうには、ズタズタに引き裂かれた上級悪魔が三体、折り重なって息絶えていた。

 

 

 

「お二人とも、(のろ)すぎます」

 

 

 

 本当にあきれた、と。

 シャナが言った言葉をそのまま返すように、死霊術師はせせら笑う。

 

「勇者さまの身近に、危険が迫っている。ならば、その脅威は先手を取り、徹底的に叩き潰し、肉片に変える。そこまでしたあとで、ようやく腰を落ち着けて今後の対応を話し合うべきでしょう」

「……まさか上級が、3体。駆逐済みなんてね」

「はい、本当に。流石と言う他ありませんね」

 

 皮肉を隠そうともせず。むしろパンにバターを塗りたくるように、言葉の表面に皮肉をたっぷりと滲ませて、シャナは言った。

 

「魔王軍、元最高幹部……

『四天王・第二位』リリアミラ・ギルデンスターン。腕は衰えていないようで、安心しました」

「ええ、ええ。もちろん、磨き上げておりますよ」

 

 にっこりと微笑んで、リリアミラは言う。

 

「だってわたくし、勇者さまを心よりお慕い申し上げておりますもの」




今回の登場人物

・死霊術師さん
 本名、リリアミラ・ギルデンスターン。元魔王軍最高幹部で、四天王の第二位だった過去を持つ。四天王には純粋な人間のメンバーが二人おり、彼女もその内の一人。自分の考えに賛同すれば人間も取り立てる、という魔王の主義は彼女ともう一人の存在によって広く知れ渡っており、それが人間側戦力の一部の離反を招いたとも言われている。
 勇者が殺し合いをしている真っ最中に口説いて仲間にした。勇者パーティー最後の追加メンバー。世界を救ったあとは『魔王に洗脳を受けていた』ということにして人間社会に復帰。あまりにもヤバすぎる前職の肩書きを帳消しにする勢いで復興と物流に貢献し、社会的な信用を得るまでに至った。もちろん魔王に洗脳を受けたことなんて一度もない。というか基本的に彼女に洗脳は効かない。
 勇者が大好きなので、危険な悪魔はすでにワンターンスリィキルゥ……した。とにかく仕事が早い有能。

・女騎士ちゃん
 昔は死霊術師さんをどうやって殺すかずっと考えていた。

・賢者ちゃん
 昔は死霊術師さんをどうやって殺すかずっと考えていた。

・赤髪ちゃん
 水着回。

・勇者さん
 視線を悟られないサングラスは便利だなぁ、と思っている。


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死霊術師さんと魔王

「ほえ〜。でっかいですねぇ」

「でっかいでしょ?」

 

 赤髪ちゃんと一緒に、停泊した船の前までやってきた。この前戦ったゴーレムも大きかったが、アレは縦にでかかったのに対して、この船は横にもでかい。豪華客船、と言っても遜色ない大きさだ。

 その近くでは、例のドラゴンが海水で水浴びをしている。ぶるぶると体を震わせる様はむしろかわいらしいくらいで、子どもたちが喜んでいる。

 

「ドラゴンさんも、大人しいですね……」

「あの竜は、完全に死霊術師さんの管理下にあるからね。万に一つも、暴れ出したり、勝手に暴走する危険はないよ」

「それって、やっぱり死霊術師さんの……」

 

 

 

「勇者さまぁあああ!!」

 

 

 

 なにか、声が聞こえた。

 右からではない。左からではない。当然、下からであるはずがない。

 つまり、上である。

 おれは落ち着いてジュースのコップを地面に置き、足を大きく開いて腰を下げて重心を落とし、さらに両手を広げて落ちてくるそれをキャッチする姿勢を作った。

 

 

「おひさしぶりですッ!」

 

 

 そして、落ちてきたそれを、受け止める。

 

「……ひさしぶり」

「ああっ! 勇者さま! 勇者さまですわ!」

 

 見ての通り勇者さまですよ。そのきれいな瞳は飾りか?

 

「お会いしとうございました! お体は大丈夫ですか? お変わりはありませんか?」

 

 抱きとめた腕の中で、パーティーの中で最も豊満な体がうねうねと動く。頼むから目に毒なのでやめてほしい。

 

「おれは大丈夫だよ。死霊術師さんも、元気そうでよかった」

「ああっ……うれしいですうれしいです。そんなにわたくしのことを、ずっと想っていてくださったんですね!」

 

 相変わらず普通に会話すると、いろいろ抜け落ちる人である。まあ、パーティー入りしてからずっとこんな感じなのだが。

 

「とりあえず、空から落ちてくるのやめない?」

「申し訳ありません。船の窓から下まで迎えに来てくださっている勇者さまが見えたので、いてもたってもいられず……ですが、わたくしは信じておりました。勇者さまなら、必ず重力に引かれて落ちる哀れなわたくしを、地面とキスする前に受け止めてくださる、と」

「自分で落ちてるよね?」

 

 本当に話を聞かねぇなこの人。

 

「仕事は終わってるの?」

「いいえ。港についたばかりですもの。むしろ、ちっとも終わっていませんわ」

「だめじゃん」

「ええ。わたくしはダメな女です。ですが、勇者さまが近くにいるのに、勇者さまに会わないという選択肢は、わたくしの中にはございません! たとえ急ぎの仕事があったとしても、です!」

「ますますだめじゃん」

「ええ、ええ。わたくしはダメな女です……さあ、勇者さま、ダメダメなわたくしを、お叱りください」

「死霊術師さんって、基本的に打つよりも打たれる方が好きそうだよね」

「もちろんですわ」

「そこはせめて照れてほしい」

 

 会話がアダルトな方向に行きそうになったので、ちらりと赤髪ちゃんの方を見る。今までのメンバーとは全く異なるノリの死霊術師さんに、赤髪ちゃんはやはり固まってしまっていた。そりゃそうだ。

 

「赤髪ちゃん、悪いけどそこらへんで何か食べるもの買ってきてくれるかな? なんでもいいから」

「あ、えっと、はい!」

「あら、すいません。ありがとうございます」

 

 死霊術師さんはおれに抱きついたまま、走り去っていく赤髪ちゃんの背を眺めていた。いつまでも抱き止めているわけにはいかないので、地面に下ろして、代わりにさっき置いたジュースを拾う。

 

「あの子ですか」

「事情は?」

「もちろん、賢者さまから聞き及んでおりますわ」

「それはなにより」

「あの子と、二人でここまでいらしたんですか?」

「うん。道中、他のみんなのところに寄ったりはしたけど……あ、そういえばひさしぶりに、武闘家さんに会ったよ」

「あら、野垂れ死んでいなかったんですの。残念ですわ。わたくし、あの方はキライなので」

「えぇ……」

 

 元は敵とはいえ、最終的には一緒に世界を救った仲になったんだから、そんなに嫌わなくても……

 なんとも言えないので、困り顔のままジュースを口に運ぶ。

 

「勇者さま」

「ん?」

「勇者さまは、あの少女のことが好きなのですか?」

 

 ジュースを口から噴き出す、なんて。そんなお約束の反応ができれば良かったのだが、おれはその質問に真顔になった。

 

「ダメかな?」

「ええ、ダメです」

 

 肩が寄せられ、手が伸びて、素肌が触れる。そのぬるま湯のような体温に、おれは目を細めた。

 

「わたくし、嫉妬してしまいます」

 

 耳元で、囁きかけられた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 愛とは、どこまで醜いものなのだろう。

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、代々魔導師を輩出することで知られる良家の一人娘として、この世に生を受けた。親の愛情をたっぷりと受けて育ち、兄達は年の離れた妹をかわいがり、リリアミラは何一つの不自由なく、健やかに成長した。

 家同士の繋がりを強固にするため。あるいは、より恵まれた才能を持つ魔導師が生まれることに期待して。リリアミラには、幼少の頃から結婚することを定められた許嫁がいた。家柄にも才能にも恵まれた彼は、しかし決してそれをひけらかすことなく、優しく穏やかで、誰よりも静かにリリアミラのことを愛した。リリアミラも、そんな彼のことが大好きだった。

 

「わたくしは、あなたのことを愛しています」

「ぼくもだよ。かわいいリリア」

 

 ある日、彼が馬車に轢かれた。

 瀕死の重傷だった。足は千切れ、血があふれ、どんな治癒魔術をかけたところで間に合わないと、それを見た誰もが確信するほどの、致命的な外傷だった。

 あるいはもし、ここで彼が死んでいれば、リリアミラは普通の少女として一生を終えていたのかもしれない。だが、少女は心から愛する許嫁の死体を見て、泣き叫びもせず、錯乱するわけでもなく、ただひたすらに彼の治療を行うことを選択した。

 

「死なせません。絶対に」

 

 そして、死ぬはずだった彼は生き返った。

 

 奇跡だ。これが愛の力だ、と。誰もがリリアミラの治癒魔術を称賛した。祝福と称賛の中で、リリアミラと彼の愛は、ますます強固なものとなった。

 ギルデンスターン家の誇る、最高の医療魔術士が誕生した。その噂は街中を駆け巡り、この事件以降、リリアミラは治癒魔術のみを専門とする、医療魔術士としての道を歩み出す。

 しかし、リリアミラの治癒魔術の適正は、何故か恵まれたものではなかった。まったく適正がないわけではないが、精々が中の下といったところ。首を傾げた指導役の魔導師は、実験用のラットを使った指導の中で、少女の中に眠る特異な才能にようやく気がついた。

 

 一度は完全に死んだはずのラットが、息を吹き返したのだ。

 

「お嬢様の才能は、魔術ではありません。あれは『魔法』でございます」

 

 どんな天才魔導師が力を尽くそうと、研鑽を積み上げようと、その心身に刻まれなければ、絶対に手が届かない存在、魔法。

 ギルデンスターン家はじまって以来の『魔法使い』の誕生に、両親は狂喜した。兄達もその才能に嫉妬するわけではなく、心からリリアミラを称えた。なによりも、その特別な力に助けられた彼が、リリアミラの秘められた魔法に惚れ込んだ。

 

「きみの魔法は、ぼくの誇りだ。リリア」

「それはわたくしも同じです。わたくしは、はじめて使った魔法で愛する人を救えたことを、生涯の誇りとして生きていきますわ」

 

 リリアミラの成人を待って、結婚式の日取りが決まった。魔法の性質の研究と鍛錬も進み、日々が充実していた。それは間違いなく、リリアミラの生涯の中で、最も幸せな時間だった。

 その矢先に、彼が倒れた。今度は外傷ではない。当時、治療の方法が一切見つかっていなかった、不治の病。その難病に、少しずつ彼の体は冒されていたのだ。誰もが彼の回復を諦める中、しかし少女だけは、目の前で病と戦う愛する命を救うことを、諦めていなかった。

 

「死なせません。絶対に」

 

 一度は息を引き取ったはずの彼は、リリアミラが触れると、蘇った。

 奇跡だ。これが愛の力だ、と。誰もがリリアミラの魔法を賛美した。あの時と同じ、惜しみない祝福と称賛の中で、リリアミラと彼の愛は、ますます強固なものとなる……

 

「……ごほっ」

「え?」

 

 そのはず、だった。

 結論から言えば、リリアミラの魔法は、彼を蘇らせることはできても、救うことができるものではなかった。たしかに彼は蘇ったが、蘇った彼の体は蘇る前と変わらず病に冒されており、リリアミラの力で根治できるものではなかったのだ。

 

「死なせません。絶対に」

 

 それでもなお、リリアミラ・ギルデンスターンという少女は、諦めを知らなかった。

 彼が死ぬ度に、触れて治す。何度でも何度でも、たとえ何度死んだとしても、蘇らせる。並行して、病の原因を必死に探った。魔術だけではない。少しでも効果が期待できそうな薬草は大金を積んで取り寄せ、自ら調合して彼に飲ませた。常にベッドの横に座り、果物を切って食べさせ、楽しそうな本を持ってきては読み聞かせた。

 

「大丈夫ですわ」

 

 リリアミラは、必死に言い聞かせた。

 

「必ず、あなたは良くなります。だってわたくしは、あなたのことを愛していますもの。わたくしがいる限り、あなたは絶対に死にません。死なせません!」

「リリア……」

 

 固く抱擁を交わしている間は、安心できた。口吻を交わしている間だけは、安堵できた。

 たとえ、その間に弱りきった彼が死んでしまったとしても、リリアミラが触れていれば、彼は蘇ることができたからだ。

 リリアミラは、意志が強い少女だった。彼の肉親が病室に近づかなくなり、彼の存在が触れてはならないタブーになりつつあることがわかっていても、リリアミラは絶対に諦めなかった。

 故に、先に限界がきたのは彼女ではなく、彼の方だった。

 

「もういい」

「え?」

「もういいよ。リリア」

「どうしたの、あなた。今日はね、東方で評判の薬草を煎じてみて……」

「触れるなぁ!」

 

 病人のものとは思えない、怒号が響いた。リリアミラは驚いて、りんごを切っていた果物ナイフを取り落した。

 16年という人生の中で、怒鳴られたのは、はじめてだった。彼に拒絶されたのも、はじめてだった。

 

「ごほっ、げほっ……」

「……だめですわ。無理をしては」

「……すまない。怒鳴ってしまって」

 

 さっきの声がまるで嘘だったかのように、彼は体を丸め込んで咳き込んだ。その背中を、そっと触れて撫でる。骨と皮しかない、病人の体。それ以上に何か大切なものが抜け落ちているような、蘇った死人の体だった。

 

「リリア。一つ、お願いがあるんだ」

「なんでしょう? なんでも仰ってください。あなたの願うことなら、わたくしは必ず叶えてみせます!」

「ありがとう」

 

 およそ数ヶ月ぶりに、彼は心から安堵したやさしい笑みを浮かべて、

 

 

「ぼくを、殺してくれ」

 

 

 およそ数ヶ月ぶりに、彼女は彼の前で笑顔を保てなくなった。

 

「なにを、言っていますの……?」

「もう無理なんだ。こわいんだ。誰よりも、ぼく自身がわかっているんだ。この体は、もう治らない。蘇っても、生きることができない」

 

 両手で顔を覆って、彼の言葉は止まらない。

 

「ぼくはもう、死にたくない。何度も何度も、何度も……死にたくないんだ」

 

 愕然として、リリアミラは両手を見詰めた。

 がんばれば、報われると思っていた。諦めなければ、実ると思っていた。自分の『魔法』は、神に愛された奇跡の力だと思っていた。

 だが結局のところ、この力は、愛する人の命すら救えない。

 

「殺してくれ、リリアミラ」

「で、できません」

「ぼくの最後の願いだ。頼む」

「できません! 絶対に、いや!」

 

 彼の体が、ベッドの上からずり落ちる。

 まるで幼子のように、リリアミラはただ首を横に振って、床に膝をついた。

 

「……仕方ないな」

 

 果物ナイフがそこに落ちていることに、気がついたのは鮮血が吹き出したあとだった。

 

「あ、あ、ああああああ……!」

 

 彼にきっと似合う、と。せめて、病床でなるべく過ごしやすいように、と。選んだ服が、鮮血に染まっていく。

 病人とは思えないほどに力強く、彼は自分の首筋にナイフをあてがっていた。

 

「待って、待ってください。今……」

「やめ、ろ。来るな」

 

 彼は、即死できなかった。

 口の端からこぼれ落ちる血に溺れそうになりながら、それでもなお、彼はリリアミラを睨みつけ、言葉を紡いだ。

 

「もう二度と、ぼくに触るな」

 

 なぜだろう?

 どうしてだろう?

 こんなにも愛しているのに。こんなにも愛しているからこそ。

 自分は彼に、指一本。触れることすらできないのだ。

 

「お前、なんか……」

 

 聞いてはいけない、と思った。

 それを聞いてしまったら、何かが壊れてしまうという直感があった。

 しかし、リリアミラは目を見開いて、流れていく彼の血を見た。耳を手で塞がずに、彼の声を聞いた。

 

 それが、愛する人の最期の言葉だったから。

 

 

「お前なんか、愛さなければよかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

「リリアミラの様子は?」

「あれはもう駄目ですな」

「食事は与えているのかね」

「どちらにせよ、もう表には出せないでしょう」

「なんということだ。死因は刃物だと聞いたぞ!」

「彼の家には、どう説明したものか……」

「一族の汚点になる! 末代までの恥だ!」

「どうせ治らなかったのだ。あちらも厄介払いができて清々しているに違いないさ」

「リリアミラが殺したのか?」

「自殺と聞いている。同情するよ」

「彼女が殺したようなものだろう」

「不幸だな。もっと早くに死んでおけば……」

「そもそも、人を蘇らせることが異常なのだ」

「あれは危険な魔法だ」

「だが、魔法であることに間違いはない」

「左様。使い道はあるだろう」

「彼女の血縁は?」

「構わん。両親と兄は殺せ」

「実験の邪魔になるからな」

「ああ。彼女は地下へ。くれぐれも、丁重に扱ってくれたまえ」

「魔法は身体から引き剥がせないのでは?」

「やってみなければわからないだろう」

「そういう意味では、彼女の身体はうってつけだよ」

 

 

 

 

 暗闇の中に囚われてから、時間を数えるのをやめた。何をされても、心は動かなくなった。

 親は死んだ。兄は死んだ。愛する人は、自分を恨んで死んだ。

 首と手足に鎖を繋がれ、様々な実験の対象になって、それでもなお、リリアミラは死ねなかった。

 

 いつしか、彼と同じ感情を抱くようになった。

 

 扉が開く。

 数ヶ月ぶりに見る光に、目が焼けそうになった。

 

「こんにちは」

 

 鈴の音を転がしたような、かわいらしい声だった。

 

「かわいそうに。こんなところに囚われて、辛かったわね。もう大丈夫よ」

 

 慈愛に満ちた、やさしい声だった。

 

「わたしが来たわ」

 

 すべてを見通すような、透明な声だった。

 

「……殺して」

「え?」

「わたくしを、殺してください」

「あら、あなた……死にたいの?」

 

 闇に慣れた目で、光の中に立つ彼女の顔を見ることはできなかったけれど、

 

「いいわよ。それならわたしが、あなたを殺してあげるわ」

 

 彼女が微笑んでいることは、不思議とわかった。




「自分は嫉妬している」と、自己申告するタイプのヤンデレが好きだという気付きを得ましたが、いやそれはヤンデレではないのではないか……?と悩んだり悩まなかったり。



今回の登場人物

・死霊術師さん
 本名、リリアミラ・ギルデンスターン。幸せで恵まれた人生を、たった一つの魔法の存在で粉々に砕かれた女。勇者が大好きだが、魔王のことも好きだった。

・勇者くん
 死霊術師さんがいつも人目を気にせず抱きついてくるので困っていたが、慣れた。

・パシリちゃん
 記憶喪失で赤髪。焼きそばかたこ焼きかお好み焼きにするかめちゃくちゃ悩んでいる。

・賢者ちゃん
 倒した悪魔を前にわりとマジメな話をしている最中に死霊術師さんが窓から飛び降りたため、ついに頭が狂ったかと思った。

・女騎士ちゃん
 倒した悪魔を前にわりとマジメな話をしている最中に死霊術師さんが窓から飛び降りたため、ついに頭が狂ったかと思った。




・魔王
 彼女の存在は、最初から人に知られているものではなかった。時間をかけて浸透し、広まり、恐怖される概念そのものに名前がついたものが、結果的に彼女であったと言われている。
 リリアミラにとっては、自分の魔法を利用しようとする人間よりも、気まぐれに手を差し伸べた彼女の方が優しかった。それだけのことである。


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紫天の死霊術師

 リリアミラを拾った少女は、王だった。

 権力を持っているわけではない。家柄が優れているわけでもない。少女は、ただ純粋な力のみで、王としてそこに在った。

 

「そう。彼はきっと、あなたに殺してほしかったのね」

 

 ただし、少女が力のみの存在であったかと言えば、それもまた違った。

 魔の王を名乗る者として、彼女は相応の知恵と器量を備えていた。相手の話を聞き、心を気遣い、自分の思うところを素直に述べる人間らしさがあった。

 リリアミラの話を聞き終わった王は、静かに頷いて、瞳から雫を落とした。

 

 涙だった。

 

「あなたの魔法は、世界を歪める力。残念ながら、今のわたしの力でも、あなたを殺してあげることはできないわ」

 

 だから、と。リリアミラが探していた答えに、少女は解答を用意した。

 

「わたしが、あなたを殺せる力を手に入れるまで。あなたは、わたしに仕えなさい。リリアミラ・ギルデンスターン」

「そうすれば……あなたは、わたくしを殺してくださるのですか?」

「ええ、殺してあげるわ」

 

 少女の華奢な手が、リリアミラの黒髪を掴んだ。

 暴力を振るわれる。殴られる。そう思って体が竦んだ。

 

 逆だった。

 

 少女は強引に、力だけで、リリアミラの唇を奪った。

 

 数秒の間を置いて、熱っぽい吐息が離れた。

 赤い瞳が、冷たく。それでいて、どこまでも美しく、リリアミラを見ていた。

 

「かわいそうなリリアミラ。わたしが、あなたを愛してあげる」

 

 この瞳の中でなら、輝けるかもしれない。そう思った。思えてしまった。

 

「……魔王様」

「なあに?」

 

 しばらく、唇に残る温かさに呆然として。

 彼を殺せなかった自分を思い返し、リリアミラは問いを投げた。

 

「殺すことは、愛なのですか?」

 

 魔王は、即答した。

 

「殺すことも愛よ」

 

 本当に、美しい微笑みだった。

 

「だって、あなたはそれを心の底から欲しているもの」

 

 そして、リリアミラ・ギルデンスターンは、世界最悪の死霊術師となった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 リリアミラが部屋に戻ると、やはりというべきか。賢者と騎士が不機嫌な顔で待っていた。

 

「遅かったですね」

「ええ。噂の少女にも会っておきたかったので」

 

 シャナの皮肉はさらりと流して、ガラス張りの扉を開く。当然のように、悪魔達の血の臭いが部屋の中に広がった。とはいえ、その程度のことで動じる女は、この場には一人もいない。

 

「うふふ。それにしても、勇者さまとお会いすると、体に活力が漲ってきますわね。やる気がぐんぐん湧いてきましたわ」

「はぁ……仲が良さそうで、なによりですよ」

「それはもう、わたくしと勇者さまの間には、切っても切れない絆がありますから」

「絆ねぇ」

 

 アリアの何か言いたげな視線はするりと流して、リリアミラは仕事の準備に入った。

 

「先ほども申し上げましたが、あまり意味はないと思いますよ?」

「承知の上です。それでも、何もしないよりはマシでしょう」

「そういうこと」

「まあ、お二人がそこまで仰るのであれば、わたくしもパーティーの一員として、力を貸すのはやぶさかではありませんが」

 

 蘇生の魔術は、複数存在する。

 例えば、ゾンビ、リビングデッドと呼ばれる動く死骸。これは、脳に魔術的な刻印を埋め込むことで、電気信号の代わりとし、術者が単純な行動を命令することができる最もポピュラーなネクロマンシーである。

 

「……では、はじめます」

 

 だが、リリアミラ・ギルデンスターンの魔法は、それらの魔術的な蘇生とは、根本から異なるものだ。

 

「ひとーつ」

 

 彼女の指が、肉片に触れる。

 

「ふたーつ」

 

 ゆっくりと。けれど確実に。物言わぬ肉塊となっていたそれに、命が戻り始める。

 

「みーっつ」

 

 バラバラになっていた体の部位が繋がり、滴り落ちるだけだった血液が全身を巡り回り、停止していた脳が活動を再開し、鼓動を止めていた心の臓が軽やかなリズムを刻みはじめる。

 

「よーっつ」

 

 最後に、肺が大きく膨らんで。

 文字通り、ソレは息を吹き返した。

 ゆっくり数えて四つ。それが、彼女の魔法が発動する合図だった。

 

「……あ?」

 

 困惑極まる、といった様子で、蘇った悪魔は周囲を見回した。

 つい先ほどまで死体だったものに触れていた指先を唇に添えて、リリアミラは微笑む。

 

「はい。おはようございます。悪魔さま」

 

 その様子を部屋の隅で眺めていたシャナとアリアは、顔を見合わせて溜め息を吐いた。

 

「いつ見ても本当にえげつない魔法ですね」

「生命の倫理に反してるよね」

「あらあら。ひどい言われ様ですわ。わたくしはお二人の指示に従って、貴重な情報源を生き返らせただけですのに」

 

 そこでようやく、自分の置かれている状況を正しく認識できたのか、悪魔はリリアミラを睨み据え、

 

「……一度は滅びたこの身、貴方様の神秘で蘇らせて頂き、誠に光栄です。リリアミラ・ギルデンスターン様」

「あら?」

 

 深々と、頭を垂れた。

 予想外の反応である。リリアミラは悪魔の全身を興味深げに眺めた。

 

「先ほどは言葉も交わさず殺してしまいましたが、わたくしのことをご存知でしたのね」

「もちろん存じ上げております。我らが王の、最も尊き四人の使徒。その第二位に、人の身でありながら座していた、稀代の魔法使いよ」

「あらあらあら! 聞きましたかお二人とも! わたくし、稀代の魔法使いですって!」

「悪魔に褒められてそんなに嬉しそうな反応するの、あなただけだと思いますよ」

「右に同意」

 

 体をくねらせて喜ぶ死霊術師を、シャナとアリアはやはり冷めた目で見ていた。

 

「しかし、だからこそわからない。一度は闇の頂にまで上り詰めておきながら、あなたは何故、あの方を裏切ったのか?」

「はい?」

 

 こてん、と。首を傾げたリリアミラの耳元で、イヤリングが揺れる。

 静と動。悪魔とリリアミラの感情の熱は、どこまでもすれ違っていた。

 

「あなた様さえ、あなた様さえ裏切ることがなければ……混迷の時代は終わることなく、人の世は魔が支配する楽園となっていたはず! あの方も、負けることなどなかった!」

 

 悪魔は人を騙す。悪魔は嘘を吐く。

 しかし、それは嘘偽りのない、悪魔の本心。彼だけではない、彼ら全体の本心の吐露だった。

 

「なるほど。あなたの葛藤はよくわかります」

 

 リリアミラは、同意した。

 跪き、悪魔の肩に静かに手を置いて、目線を合わせる。

 

「ですが……裏切った、というのは、少し違いますね」

 

 お互いの認識の相違を、改めるために。朱色の唇が、滑らかに言葉を紡いだ。

 

 

「わたくしは、惚れただけですわ」

 

 

 シャナとアリアが、黙って頭を抱えた。

 

「惚れ、た?」

「ええ」

 

 悪魔の困惑を他所に、リリアミラは胸の前で手を合わせて、思い返す。

 

「人生で、三人目でした」

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、その生涯の中で、三人の人物を愛している。

 一人目は、自分の魔法によって壊れてしまった哀れな男。

 二人目は、自分の魔法によって世界を壊そうとした、魔の王。

 

「わたくしは、一人の男に惚れたのです。価値感が根本から変わるのは、当然のことでしょう?」

 

 そして三人目が、世界を救おうとした勇者だった。

 

「惚れてしまった弱み、ですわねえ。だって、致し方ないと思いませんか? 大好きな男に影響されてしまうのは、女の本能のようなものです」

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、あの裏切りを恥だと思ったことは一度もない。何故なら、リリアミラの中で、その信念と行動の指針がブレたことは、一度たりともないからだ。

 

「昨日まで滅ぼそうとしていた世界も、救いたくなりますわ」

「き、貴様……」

 

 悪魔の翼が、尾が、肩が。まるで人間のようにぶるぶると震える。

 

「恥ずかしくないのか!? 人の身でありながら、あの方に拾ってもらった恩も忘れ、いけしゃあしゃあと生きる己を、恥じたことはないのか!?」

「ええ。これっぽちも」

 

 悪魔は叫んだ。

 

「貴様ァァァァァ!」

 

 絶叫と同時、リリアミラの首が貫かれ、切断されて、地面に落ちた。続け様に振るわれた爪がローブを引き裂き、汚れ一つないその白を血の赤に変えていく。

 

「恥知らずがっ! 恥知らずがっ! どこまでも浅ましい人間の、恥知らずめがっ!」

 

 肉を裂き、骨を割る音がひとしきり響いて、ようやく悪魔は爪を振るうのをやめた。怒りを鎮め、我に返ったように、この場に残る二人の人間に問う。

 

「……いいのか? 仲間が殺されるところを、黙って見ていて」

「べつに」

 

 腕を組み、その場から動く様子も見せないまま、アリアは言った。その反応を、悪魔は鼻で笑う。

 

「人間は、絆を重視する生き物だと思っていたが……貴様らにとってもこの女は、所詮その程度の存在でしかなかった、ということか」

「ええ、まあ。わたし、その人あんまり好きじゃないですし」

 

 フードの間から溢れる銀髪を指先でいじながら、シャナも気のない返答をする。

 

「ふん。世界を救ったパーティーの実態が、こんな有様だったとはな。ならば、次は貴様らをコイツと同じ場所に送ってやろう」

「いいんですか?」

「なに?」

 

 欠伸を噛み殺して、賢者は言葉を続けた。

 それは、悪魔に向けた、純粋な警告だった。

 

 

 

「──もう、四秒経ちましたよ」

 

 ゆっくり数えて四つ。それが、彼女の魔法が発動するまでの時間だ。

 悪魔が振り向く前に、耳に吐息がかかった。

 

「おはようございます」

 

 艶やかな黒髪が、肩に落ちる。悪魔が切り裂いた衣服はそのままであった証拠に、豊かな胸が翼に当たる気配がした。

 それは、紛れもなく生の女の感触だった。

 

「あ?」

 

 自分が蘇生された時と、まったく同じ種類の声が、牙の間から漏れる。

 

「まさか、貴様……自分自身に、ネクロマンスを?」

「前提条件が、少し違います」

 

 死霊術師は、否定する。

 

 

「わたくしの魔法は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 彼女に触れられたものは蘇る。

 彼女自身も、蘇る。

 彼女の前では、命の価値そのものが書き換わる。

 

 それは、生命を操り、魂の尊厳を意のままに弄ぶ、傲慢なる紫天。

 

 『紫魂落魄(エド・モラド)』。リリアミラ・ギルデンスターン。

 この世界を救った最悪の死霊術師にして、魔法使いである。

 

「そんな……そんな馬鹿なことがあるか! 貴様のように志のない者が、そんな力をっ!」

「ああ……やはり魔王様は、あなたのような徳の低い悪魔とは、器が違いましたわね。あの方は、わたくしを送り出す時も、いつもと変わらぬまま、言ってくださいましたよ?」

 

 お幸せに、と。少女は言った。

 その裏に秘められた真意は、おそらくこの悪魔には一生理解できないだろう。

 

「わたくしの魔法のことをわかっていないくらいですから、何も知らないとは思いますが……しかし、知っていることを絞り出すために、尋問の真似事はさせていただきますね? わたくしの心強い仲間も、ちょうど二人いることですし」

「……や、やめてくれ。殺さないでくれ。もう、死にたくない……死にたくない!」

「あら、何を言っているのでしょう? あなたは死んだのですよ?」

 

 死霊術師の左右に、賢者と騎士が、無言のまま並び立つ。

 

「一度死んだモノが、生き返ったらダメでしょう?」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 愛とは、どこまで醜いものなのだろう。

 

 それは乱戦の中の偶然だった。

 その勇者とは幾度となく殺し合ってきたが、主戦場から外れ、他の仲間からも離れ、二人きりで対面するのは、はじめてだった。

 その頃になると、勇者もリリアミラの魔法の性質を理解していたのだろう。他のモンスターを蘇生させるリリアミラを付け狙い、徹底的に潰そうとするようになっていた。

 リリアミラは基本的に、戦場において前に出ることはない。戦闘は他の四天王と、操ることができる蘇生対象に任せ、後ろに下がっていることがほとんどだった。故に、その瞬間は勇者にとって、最大の好機だったのだ。

 

 雨が、強く降っていたのを覚えている。

 

 ──覚悟しろ

 

 リリアミラは、呆気なく勇者に押し倒された。

 口の中が、砂利まみれだった。

 全身がずぶ濡れで、寒くて、今すぐシャワーを浴びたいと思った。

 激昂する勇者の表情を、リリアミラは降りしきる雨のように、どこか冷めた気持ちで見ていた。

 それが、なによりも勇者の心を逆撫でしたのだろうか。彼の中で、何かが切れた音を、リリアミラはたしかに聞いた。

 

 ──お前さえ、お前さえっ……いなければ! 

 

 自分の身体に馬乗りになって、剣を向ける勇者の体の熱が、心の熱が、肌を通してリリアミラの体に伝わってくる。

 

 温かい、と思った。

 

 ──殺してやる。殺してやる……絶対に、俺が殺してやる

 

 どす黒い感情を吐き出しながら、勇者は幾度も死霊術師の体に剣を突き立てた。

 腕を刺された。

 足を刺された。

 頭を刺された。

 心臓を貫かれた。

 それでも、リリアミラは死ぬことができない。勇者は、リリアミラを殺すことができない。

 

 やがて、勇者は剣を取り落とした。

 

 ──お前さえ、お前さえ……

 

 素手で女の細い首筋を掴み、勇者は言う。

 

 ──お前さえ、殺せれば……お前さえ、おれの味方だったら、みんなは、死なずに済んだのに……! 

 

 涙だった。

 

 リリアミラは、見た。

 殺意と憎悪と悲しみと、あらゆる感情がごちゃ混ぜになった涙の中に、世界を救うということの本質を。なによりも、自分が求めていたものを見た。

 これだけの憎しみがあれば、きっとこの人は、いつか自分のことを殺してくれる。絶対に、終わらせてくれる。

 

 だから、

 

 

 ──味方になって、差し上げましょうか? 

 

 

 その憎しみが、裏返る瞬間を見たくなった。

 首を締められながら、静かに絞り出したその一言を。聞いてしまった瞬間の勇者の顔を、リリアミラ・ギルデンスターンは生涯忘れない。

 

 だって、あんなに美しい顔を見るのは、はじめてだったから。

 

 ──条件は、何だ? 

 

 震える声で、勇者が問う。

 この瞳の中でなら、死ねるかもしれない。そう思った。思えてしまった。

 

 ──簡単ですわ。いつか、わたくしを殺してください

 

 死霊術師は答えた。

 それだけだった。たったそれだけで、二人きりの契約は完了した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 だから、殺させるわけにはいかないのだ。

 だって、彼に殺してもらうのは自分なのだから。

 

 仕事を終えて、再び勇者の元へ戻ると、彼は椅子に座ってゆったりと海を眺めていた。赤髪の少女の方は、遊び疲れたのだろう。机に突っ伏して寝ている。

 

「お隣、よろしいですか?」

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 リリアミラは静かに、彼の隣に腰掛けた。

 

「お仕事は終わった?」

「ええ。滞りなく」

「さっきのことだけど」

「さっきのこと?」

「……嫉妬がどう、ってやつ」

「ああ。お忘れください。馬鹿な女の戯言ですわ」

「忘れないよ」

 

 リリアミラは、逸していた視線を戻した。

 からん、と。彼が持つコップの中の氷が、砕けて割れた。

 

「おれはあの日から、きみとの約束を、片時も忘れたことはない」

 

 勇者は、リリアミラを横目で見た。

 その冷たい横顔を、リリアミラは知っている。その横顔は、リリアミラしか知らない。

 

「だから、安心していい」

 

 勇者は、リリアミラに言った。

 その低い声を、リリアミラは知っている。その声は、リリアミラしか知らない。

 シャナも、アリアも、ムムも、誰も知らない。他の誰にも見せたことがない、勇者の表情と声音と……その心を、リリアミラだけが知っている。

 

「……うふふ」

 

 ああ、そうだ。

 これだけは、自分のものだ。この感情だけは、自分にしか向けられないものだ。

 

 だから、絶対に誰にも渡さない。

 

「勇者さま」

「ん?」

 

 椅子から立ち上がり、背を伸ばし、腕を広げて振り返る。

 今にも溶け落ちてしまいそうな夕焼けを背に、リリアミラ・ギルデンスターンは微笑んだ。

 

「わたくし、やっぱり勇者さまのことが大好きですわ」

 

 

 

 ミラさん、と。

 彼に名前を呼んでもらうのが、少し恥ずかしかった。

 

 愛とは、優しく温かなものだけではない。冷たく、残酷で、時に人を殺すものを、愛と呼ぶこともある。もしかしたらそれは、正しい愛ではないのかもしれない。

 それでも、もし。人を憎み、世界を壊す気持ちに正しさがあるのなら、彼ほどの愚直さを持ってそれを為す人間を、リリアミラは知らない。

 

 だから、愛そう。彼がいつか、自分を終わらせてくれる日まで……あの硝子細工のような激情と同じ愛を彼に注ごう。

 

 殺してくれ、と彼は言った。

 彼女は、彼を殺すことはできなかった。

 故に、魔の道に堕ちた。

 殺してくれ、と彼女は言った。

 彼は、彼女を殺すことを誓ってくれた。

 故に、世界を救う支えとなった。

 

 嘘偽りのない、彼と彼女が交わしたたった一つの約束を、何人も否定することはできない。

 

 愛とは、どこまで醜いものなのだろう。

 そう思っていた。今は違う。

 

 彼女は、世界を救った勇者を愛している。

 彼に想い焦がれるものが多いのは知っている。

 それでも、リリアミラ・ギルデンスターンは、信じている。

 

 

 ──わたくしの愛が、最も美しい。




今回の登場人物

・死霊術師さん
 本名、リリアミラ・ギルデンスターン。黒髪巨乳死にたがり死霊術師。魔王軍の元四天王、第二位。その魔法を以てして、勇者達を苦しめた最大の要因の一つ。魔王はリリアミラの魔法を効率的に運用し、モンスターが撃破されることによる戦力の低下を防いだ。数で劣る魔王軍が、人類を苦しめ続けたのは彼女の魔法があってこそ。逆に言えば、彼女が寝返った時点で、魔王個人の討伐という根本を除いて、人間側の勝利は決定的なものになったと言える。
 魔王を討ち取った際、勇者は彼女を殺すに足るだけの力を蓄えていたが、魔王が遺した呪いによって、その力は失われてしまった。リリアミラはそれを、魔王が自分に向けた嫉妬のようなものだと思っている。勇者と魔王、二つの相反する存在を愛した、おそらく唯一人の女。

・悪魔くん
 ラッキースケベ

・賢者ちゃん
 尋問した。

・女騎士ちゃん
 尋問した。

・赤髪ちゃん
 ラブロマンスの傍らで、彼女は眠る。

・勇者くん
 死霊術師さんに対して、パーティーメンバーの中で最も複雑な感情を抱いている。




・魔王
 唇は強引に奪うタイプのカリスマ少女。リリアミラのことを愛していた。裏切られた際は、彼女に『良い人』が見つかったことを、むしろ喜んだという。結果として、勇者との最後の決戦に望む決意が固まった。




今回の登場魔法
固有魔法『紫魂落魄(エド・モラド)
 言うまでもなく、魔法はその所有者によって使い方が異なる。善であるにしろ、悪であるにしろ、時の為政者の影には、常に魔法使い達がいたと言われている。剣技を極めようと、魔術の深淵に辿り着こうと、その先に待つ最強には、常に魔法の存在があった。
 『紫魂落魄(エド・モラド)』は、リリアミラ・ギルデンスターンの心身に刻まれた固有魔法。自分自身と、触れた対象を、完全に『蘇生』する。所要時間は、ゆっくりと数えて四秒。一部でも死体が残っていれば、魔法は問題なく発動し、対象が死んでいるのであれば、腕一本からでも生き返る。生き返った対象は、死ぬ直前とまったく同じ状態で、再び息を吹き返して動き出す。死体をコントロールすることを念頭に置いた死霊魔術とは、根本からその発想が異なる魔法。故に、厳密にはリリアミラ・ギルデンスターンを死霊術師と呼ぶべきではない、と言う魔導師もいる。さらに特筆すべき魔法の特性として、いくつかの条件を満たすことで、蘇らせた死体をコントロールすることも可能だが、その場合は自我が完全に失われる。なので、情報を引き出したかった悪魔に対しては使用しなかった。
 奇跡を謳う毒。落ちた生命を掬い上げる薬。全ての人間を幸せにも不幸せにもできる、この世に生きる命の価値に、唾を吐きかける魔法。


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そして、すべてが裏返る

「勇者さん勇者さん! わたし、ドラゴンに乗るのはじめてです!」

「厳密に言えば、ドラゴンに乗るというよりも、ドラゴンが吊り下げている船に乗ってるんだけどね」

 

 海水浴をたっぷり楽しみ、お土産をたくさん買い込んだ、その翌日。

 おれと赤髪ちゃんは、空にいた。厳密に言えば、空を飛ぶ船の上にいた。今まで転送魔導陣でぽんぽんと自由に移動してきたが、あれはどこにでもあるものではない。この街から移動するには、またそれなりにお金と時間がかかる。そんなわけで、死霊術師さんの「せっかくですから、わたくしの船に乗って空の旅を楽しんでくださいな」というご好意に甘えて、そのまま船に乗り込んで移動することになった。部屋まで用意してもらって、ほんとにありがてえありがてえ。

 

「すごいですすごいです! 雲が下にあります!」

「ドラゴンの飛行能力はモンスターの中でも随一……というか、これ以上のサイズで飛行できる魔物は理論上存在しないからなぁ」

 

 死霊術師さんは魔王軍からパクったドラゴンを十匹ほどサクッと蘇生して使役して、空輸をメインに莫大な利益を得ている。が、最近は空輸だけでなく、空中運行船を使った観光業にも精を出しているとかなんとか。たしかに、普通の人は空を飛ぶ経験なんて中々できないので、これは人気が出そうだ。事実、赤髪ちゃんも窓際から離れずに、すっかり外の景色に夢中だ。

 この調子なら、しばらく一人にしても大丈夫だろう。

 

「じゃあ、おれはちょっとみんなと話してくるよ」

「あの、勇者さん」

「ん?」

「それ、わたしについてのお話、ですよね……?」

 

 やはり、というべきか。赤髪ちゃんはのほほんとしているようで、察しがいい。

 

「うん。今のところは問題ないけど、赤髪ちゃんが狙われてるのは間違いないからね。それについての相談」

 

 悪魔が云々、という話はする必要もないので伏せておく。

 

「すいません。わたし、ご迷惑ですよね。勇者さんのことも、みなさんのことも、危険に晒して……」

「はいはい。謝るの禁止」

 

 それより先を言われる前に、言葉を押し留める。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫。自分で言うのもおかしな話だけど、こう見えてもおれ、世界を救った勇者だからさ」

 

 盗賊に追われ、あちこちに転送され、ゴーレムにまた追われ……大変なことも多い旅だったが、それよりもおれは、赤髪ちゃんと一緒に過ごす時間の中で、ワクワクして、楽しいことの方がずっと多かった。

 

「女の子を一人、助けることくらい、どうってことないよ」

 

 だからちょっとくらい、かっこつけてもいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

『女の子を一人、助けることくらい、どうってことないよ』

「おーおー。勇者さん、かっこいいですねぇ」

『女の子を一人、助けることくらい、どうってことないよ』

「どうってことない、だって。これ勇者くん、めちゃくちゃかっこつけてるよね」

『女の子を一人、助けることくらい、どうってことないよ』

「はぁ〜、勇者さまはやはり素敵ですわ〜!」

 

 ダメでした。

 

「やめてくださいゆるしてくださいおねがいしますなんでもしますから」

 

 床に膝をついて、頭をこすりつける。

 会議室に来たら、おれのさっきの言葉が録音され、大音量で繰り返し再生されて、パーティーメンバーに聞かれていました。なんだよこれおかしいだろ即死呪文だろ。

 

「ていうか、なんでおれの声拾われてるの? この船の客室、もしかして安普請なの? 見掛け倒しなの?」

「あら、失礼ですわね。勇者さまたちに用立てたお部屋は、最高級のスイートルーム。防音性能にも拘っていますから、激しく夜の営みをしてもなんの問題もありませんわ」

「私が仕込んだ魔力マーカーのおかげです。これだけ近くにいれば、声くらい簡単に拾えます」

「おれのプライバシー!」

 

 絶叫して拳を床に叩きつける。が、そんなおれの慟哭を無視して、賢者ちゃんはおれに椅子をすすめた。はいはい、さっさと着席しますよ。

 

「さて、揃いましたね」

「うん、揃ったね」

「ええ、揃いましたわね」

 

 今後の方針を話し合おう、ということで。

 死霊術師さんが用意してくれた会議室には、懐かしい顔ぶれが勢揃いしていた。

 

「いや、師匠がいないんだけど」

「あの人は最初から頭数に入れてません」

「どこにいるかわからないしね〜」

「繰り返しになりますが、わたくしはあの方がキライです」

 

 師匠の、扱いが、ひどい! 

 とはいえ、あの人は本当にいつもふらふらしているので、仕方のないところはあるんだけど。

 

「それで、何かわかったことは?」

「すでに勇者さんも気づいていると思うのですが、あの子は明らかに上級悪魔に付け狙われています。まず私が、最初の一体に王都で接触。殺しました」

「で、次にうちの領地に二体が来たから、迎撃したよ」

「わたくしは三体倒しました。わたくしの勝ちですわね」

「は? 最初に倒したのは私なんですが?」

「単純に接触してから倒すまでの時間なら、あたしが一番早いと思うよ」

「お二人とも、見苦しいですわね。数に勝る実績はないでしょうに」

「競争してんの?」

 

 思わずツッコむ。

 さらっと言い争っているが、本来、上級悪魔というのはそれ単体で街に甚大な被害をもたらす災害のようなものである。討伐のために、騎士団の団長、副団長クラスが出張るレベルだ。少なくとも、倒した数やスピードを競って勝負するような敵ではない。

 

「この短期間で、上級悪魔が六体。明らかに、異常な数です」

「しかも、どの悪魔もあたし達の『魔法』の性質を知らなかった」

「だから、取るに足らない雑魚だった、とも言えるのですが」

 

 三人が口々に言った意見に、軽く頷く。

 

「ただ、いくら雑魚でも悪魔は悪魔。無視はできないよ」

「それについては、私も同意見です。あの子を連れ歩くことで、ほいほいと悪魔を引き寄せるわけにもいきません。勇者さん達が滞在した場所に迷惑がかかります」

「それもそうだ」

「あのぉ……賢者さん? うちのお屋敷、それで全壊しているんですけど?」

 

 顔は笑顔のままだが、騎士ちゃんが持っているマグカップのコーヒーが、目に見えて沸騰する。

 マジか、お屋敷全壊しちゃったのか……それは本当に悪いことしたな。騎士ちゃんに謝ることがまた増えちまった。

 

「人的被害をゼロで撃退したのは、流石という他ありませんね。私の見立て通りでした」

「素知らぬ顔でほんとよく言う……こっちに悪魔の処理を押しつけたくせに」

「おや、そんな風に皮肉を言われると残念ですね。修繕費はこちらで出すつもりだったんですが」

「うん! ちょうど建て替えたかったんだよね!」

 

 騎士ちゃん、変わり身が早すぎる。それでいいのかお姫様。

 ごほん、と賢者ちゃんが咳払いを一つ。

 

「そんなわけで、騎士さんの時のように物理的な被害を出すのを避けるために、彼女の身柄の安全を確保できる場所として、この船を選んだというわけです」

 

 たしかに、空の上なら襲撃の確率はぐっと減る。何せ、船を牽引しているのが最大級のモンスターであるドラゴンだ。そこらへんの騎士に護衛を頼むよりも、数百倍安全である。

 

「仮になんらかの手段で空中のこの船を襲撃されたとしても、死霊術師さんに被害が出るだけで済みますからね」

「あらあら、その口ぶりだとわたくしの会社に物理的な被害が出るのは構わない、と言っているように聞こえますわ」

「その通りです。しかも、死霊術師さんの魔法なら人的被害が出ても安心ですよ」

「遠回しにわたくしに死ねと仰る?」

「あなた絶対に死なないじゃないですか」

 

 剣呑な視線が、ねっとりと絡み合う。うちのパーティーは仲良し! 仲良しです! 本当です! 

 喧嘩になると面倒なのでおれが止めようかとも思ったが、それより早く騎士ちゃんが仲裁に入る。

 

「でも、死霊術師さん、よく引き受けてくれたよね。襲われるかもしれないのに」

「まあ、あの程度の悪魔なら、わたくし達が揃っていれば迎撃は可能ですし」

 

 口元に手をあてて、死霊術師さんは余裕綽々といった様子で微笑む。

 

「それに、わたくしもあの子のことは気に入っております。かわいいじゃありませんか。大事にしてあげたいでしょう?」

「そうだね。それについては同意、かな」

「べつに私はあの子がどうなろうとどうでもいいですが、勇者さんがここまで気にかけているなら、仕方ないですね」

「またまた〜、賢者さまもなんだかんだで気にしてるくせにー」

「素直じゃないですわね」

「だぁー!? 頭撫でないでください! 髪が乱れる!」

「いつもフード被ってるんだからべつにいいじゃん」

「そういう問題じゃねぇんですよ!」

 

 うん。本当に、昔に戻ったみたいでなによりだ。

 話し合いの結果、当面はこの船で赤髪ちゃんを匿いつつ、敵の出方を伺う、ということになった。立ち上がって扉を開けたところで、死霊術師さんに声をかける。

 

「死霊術師さん」

「はい?」

「申し訳ない。迷惑をかける」

「勇者さまが謝られることは何もありませんわ。あの子を助けてあげたいと、そうお思いになったのでしょう?」

「うん」

「ならば、お心のままに。成したいことをなさってくださいませ。今は一般の乗客も乗せていますが、次の寄港地で関係者以外は降ろします。危険があっては困りますので」

 

 死霊術師さんの有能さは、こういう時に際立つ。配慮が行き届いていて、もうマジで頭を下げるくらいしかおれにはできることがない。

 では、と去っていく白いローブの背中を見送っていると、後ろから服の袖を引っ張られた。

 

「あたしに、なにか言うことは?」

 

 女騎士ちゃんである。

 

「……いろいろ、ごめん」

「いろいろ、とは?」

「おれたちをあの場から逃してくれたこと、屋敷を壊しちゃったこと、自分の領地を留守にして、こんなところまで来てくれたこと」

「それから?」

「……あー」

 

 気まずいな、と思う。しかし、誤魔化すつもりはない。

 

 ──あたしの名前は忘れたのに、あの子の名前は気になるんだ?

 

 碧色のきれいな目を正面から見て、逸らさずに謝罪する。

 

「……名前のこと、ごめん」

「うむ。よろしい」

「お姫様かな?」

「お姫様ですが?」

 

 お姫様でしたね……

 特に騎士ちゃんは、人と話すのが好きなお姫様だ。言葉を交わしていると、表情も自然とやわらかくなる。

 

「うそうそ。あれは、あたしも悪かったよ。自分が助けようとしてる女の子だもん。名前が気になるのは当然だよね」

「そう言ってもらえると、助かる。ごめん」

「だから、もういいよ。それよりも、勇者くん」

 

 くるり、と。

 その場で騎士ちゃんが回る。金髪と、白のワンピースが、花びらのように舞って広がった。

 

「あたしに、何か言うことは?」

「はい。とてもよく似合っています。お姫様」

「うむうむ。よろしい」

 

 にしゃり、と。騎士ちゃんが笑う。

 向日葵みたいなその笑顔は、全然お姫様らしくはなかったけど、やっぱりこの子にはこういう顔で笑っていてほしいな、とおれは思う。小っ恥ずかしくてとても口には出せないけど。

 

「さて……」

 

 今にもステップを踏み出しそうな、軽やかな足取りのお姫様を見送る。そのまま、素知らぬ顔で横を通り過ぎようとしている小さな黒いフードを、おれは片手で引っ剥がした。

 

「わー、なにするんですかー」

「棒読みやめろ。何も言わんでもわかってるくせに」

 

 中に隠れていた銀髪がこぼれ出て、不健康なほどに白い肌が露わになる。賢者ちゃんは、乱れた髪の毛を整えながら、上目遣いにおれを見た。

 

「なんのことだか、さっぱりです。私、何か勇者さんに怒られるようなこと、しちゃいましたか?」

「魔力マーカー、もういらないでしょ。剥がして」

「ちっ……」

 

 かわいい顔で舌打ちをするな! 

 

「一応、勇者さんにはわからないように仕込んだつもりだったんですけどね、これ」

「それはおれを舐めすぎ。何年一緒に旅してたと思ってんだ」

「うぅむ……次は誰にも気づかれないように改良しておきます」

「しなくていい」

 

 おれだってプライベートは守りたいんだよ。

 

「何回も確認することになって悪いんだけど、何かわかった?」

「残念ながら何もわかってないですね。ここにいる私と並行して、かなりの人数を調査に割いているのですが……」

「襲われたりはしてない? 大丈夫?」

 

 いくら増えることができるとはいえ、おれの知らないところで賢者ちゃんが襲われているのは、なんというか心苦しい。

 そんな質問が飛んでくるとは思っていなかったのか、賢者ちゃんは何回か目をぱちくりさせて、それから「むふー」と息を吐いた。なんだコイツ。

 

「心配はご無用ですよ。私は正体不明の敵に襲われてすぐ死ぬようなヘマはしません」

「じゃあ王都の悪魔も普通に倒したの?」

「いえ、一人死にましたけど」

「一人死んでるじゃん!」

「でも、死霊術師さんもさっき、悪魔を尋問してる時に死んでましたよ?」

「あの人は厳密に言えば死んでないから死んでもいいんだよ!」

 

 いや、よくはないけど。うちのパーティーメンバーの倫理観がおかしい。

 片手で頭を抱えながら、片手を賢者ちゃんに差し出す。杖すらも使わず、指の一振りで手のひらに刻印されていた魔術マーキングは解けた。

 

「……また腕あげたなぁ」

「励んでますから」

 

 ない胸を張っているので、よしよしと頭を軽く叩いて撫でる。

 

「む。そういえば」

「何かあった?」

「私を襲った悪魔は、魔封じの呪符を使ってました。それも、結構強力なやつです」

「呪符、か」

 

 貴重な情報であることに間違いはないけど、それだけで悪魔たちの正体や狙いを推し量れるものではない。

 

「とにかく、調査は続けます」

「わかった。無理はせずに気をつけて」

「うちのパーティー、勇者さんのために無理をする人しかいませんよ?」

「ありがたいけど、困るなぁ」

 

 本当に、俺は仲間に恵まれていると思う。

 

 

 

 

 

 いかにも広い船らしい、細く長い廊下を、ぼんやりと歩く。

 やれることは、やっているつもりだ。賢者ちゃんも騎士ちゃんも、意外なことに死霊術師さんも、赤髪ちゃんのためにとてもがんばってくれている。だが、根本的な解決に繋がっているわけではない。さっきも当たり前のように流してしまったが、悪魔と戦うのは当然、命の危険を伴う行為なわけで。

 おれは、あの子を助けたいという自分のわがままで、仲間を危険に晒してしまっている。なにより、彼女達の強さに甘えてしまっている。

 

「あ、勇者さまだ!」

「勇者さま!」

 

 いつの間に下を向いていたのか。唐突にふってきた、明るく元気な二つの声に顔をあげた。

 

「おお! 少年少女じゃん!」

 

 目の前には、かわいらしい笑顔がワンセット。利発そうな男の子と、勝ち気な女の子が一人ずつ。おれが住んでいる街で仲良くしている少年少女……赤髪ちゃんを拾った時に一緒にいた、あの男の子と女の子である。

 

「なんでここに……」

 

 いるんだ、と言いかけて、死霊術師さんが言っていたことを思い出す。

 

「お父さんがねー、商店の福引きでこのお船のチケット当ててくれたんだ!」

「すごいでしょ!」

「ははっ、なるほど。そりゃたしかにすごい」

 

 そういえば、一般の乗客も乗ってるって言ってたもんな。

 死霊術師さん、本当に商魂逞しいというか、如才ないというか、実にしっかりしている。こういうラッキーな家族から空を行く船の評判が広まれば、自分も乗ってみたい、というお客さんも増えるだろう。一時期は魔王軍の資金面の管理をしていたのは伊達ではないのか、商売に関しては本当に手抜かりというものがない。

 

「勇者さまも、しばらくお家いなかったけど……」

「わたしたちと同じで、旅行してたの?」

「ああ、そんな感じ。あのお姉ちゃんも一緒だよ」

「お姉ちゃんもこのお船乗ってるの!?」

「勇者さま、もしかして新婚旅行!?」

「はっはっは。全然違うぞ」

 

 まったくこれだから最近のマセガキは。

 立っているとどうしても見下ろしてしまう形になってしまうので、おれは膝を折って二人に目線を合わせた。

 

「ほら、あのお姉ちゃん、自分のこと何も覚えてなかっただろ? だから、自分のことを思い出すお手伝いができればいいなって考えてたんだけど」

「だめだったの?」

「そうだなぁ」

 

 まったくこれだから最近の素直な子どもは。

 思ったことをはっきり言ってくれるぜ。

 

「でも、わかったこともたくさんあったよ」

 

 言い訳かもしれない、と自分でも思ったが。

 

「まず、赤髪のお姉ちゃんはとてもよく食べる。見ているこっちが楽しくなってくるくらいに、よく食べる」

「たくさん食べるのえらいって、お母さんが言ってた!」

「うんうん。そうだな」

 

 なんとなく、子どもたちの顔を見ながら、言葉を止める気にはならなかった。

 ある意味、子どもたちだからこそ、話しやすかったというのもあるかもしれない。一つずつ、赤髪ちゃんのことを思い出しながら、二人に語る。

 

「乗り物とかには、ちょっと酔いやすかったかな。苦手なのかもしれない」

 

 これから、一緒に船に乗ることなどがあったら、気をつけてあげたい。

 

「地頭は良くて、でも意外と抜けてるところがあって。わりと、人のことはよく見ていて。口調は丁寧でも、言いたいことや聞きたいことはハッキリ口に出すタイプで」

 

 でも、そういうちょっと押しが強いところは、おれは案外嫌いではなかったりする。

 

「動物が好きで、優しかった。海が好きで、空も好きだった。さっきも、窓の側から離れなかったよ」

「わたしたちと同じだー!」

「同じ〜!」

「そうだなぁ……同じかもな」

 

 師匠も言っていた。赤髪ちゃんは、まだ子どもだと。

 見た目はこの子たちよりもずっと大きいけど、赤髪ちゃんにはまだまだ知らないことがたくさんあって。だから新しいものを見る度に、あんなに目を輝かせて喜んで。

 そんなかわいい女の子のために、おれは何ができるのだろう? 

 

「勇者さまは、お姉ちゃんのこと、たすけてあげたいの?」

 

 やはり、子どもは鋭い。

 まるでおれの心の中を読んだかのように、男の子が聞く。

 

「うん。なるべく助けてあげたいって思うよ」

「勇者さまは、お姉ちゃんのこと、好きなの?」

 

 女の子が目を輝かせて、おれの手を握る。

 

「そういう聞き方をされると、照れるな」

「照れちゃダメだよ! 勇者さまはすごいよ!」

「ね! はじめて会った、全然知らないお姉ちゃんのことを助けようとするなんて、普通の人にはできないよ」

「そうかな?」

「そうだよ!」

「勇者さまは、やっぱり勇者さまなんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

「だからやっぱり、傲慢だね」

 

 その一言で。

 何かが、致命的にズレる音がした。

 

「あ?」

 

 振り払う。立ち上がる。離れる。後退る。

 それらの動作を考えず、脊髄の反射だけで行った。自然と飛び退いて、子どもたちから距離を取った。

 

「あ、よかった」

「やっと気がついた?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……お前ら、()だ?」

 

 自分でも、驚くほど低い声が漏れた。

 それを絞り出すのが、やっとだったと言った方がいいかもしれない。

 

「わたしたちは、わたしたちだよ」

「そう。ぼくたちはぼくたち」

「勇者さまと、ずーっと一緒にいたもんね」

「いつも遊んでもらってたもんね」

 

 顔を見合わせて、くすくすと笑う声が、廊下に響いて満ちる。

 おれと、子どもの形をしたソレ以外。廊下には、誰一人として他の人間はいなかった。忽然と消えていた。

 

「質問に答えろ」

「わたしたちの、正体?」

「もうなんとなく、わかっているくせに」

 

 翼が生えたわけではない。牙がぎらついているわけでもなく、肉を引き裂くための鋭い爪が見受けられるわけでもない。

 そんなわかりやすいバケモノの記号があれば、どんなに楽だろう、と思えた。

 

 悪魔の中でも、()()()()()()は、人間の姿を取る。

 

「それにしても勇者さま、助けたい、なんてよく言えるよね!」

「そうだよね。ぼくたちがいなかったら、お姉ちゃんと出会うことすらできなかったのにね!」

「あの日、勇者さまを遊びに誘ったのは、誰だったかな?」

「あの日、勇者さまにお姉ちゃんのことを教えてあげたのは、誰だったかな?」

 

 ああ、そうだ。

 そもそも、おれがあんなにも都合良く、彼女を助けられたのがおかしかった。

 おれがあの子を拾ったのは。あの子に出会って、手を差し伸べたのは……

 

 ──勇者さま、こっちきて! みてみて! 

 

 ──なんかあっちからお馬さんが来るよ? 

 

 ──勇者さま

 

 ──勇者さま

 

 

 

 

仕組まれた出会い(ボーイミーツガール)は楽しんでもらえたかな? 勇者さま」

 

 きっと最初から、運命などではなかった。



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裏切り者

 正直に言えば。

 子どもの皮を被ったその悪魔が口にした事実を聞いて、おれは動揺した。間違いなく、心が揺れ動いた。

 コイツが、黒幕なのか。コイツは、いつからおれの側にいたのか。そもそも、何の目的で、あの子をおれと近づけたのか。

 様々な疑問が、頭の中でぐるぐると、ぐるぐると渦巻いて、その結果、

 

「うるせえ」

 

 困惑よりも、怒りが勝った。

 芝居がかった目の前のバケモノのセリフが続く前に、手と足が前に出た。自然に体が動いた、と言った方がいいかもしれない。

 ソレは少なくとも、見た目は子どもの姿をしている。だが、目の前に溢れ出る異常な魔力の気配は、明らかにソレがバケモノであることを示していた。故に、先手必勝。

 的が小さい。しかし、容赦する必要はない。肩を掴み、膝を顔面に入れようとして、

 

「手が早いね」

 

 次の瞬間には、おれの体は十数メートル後ろに飛ばされていた。

 物理的に、ではなく。何らかの特別な力によって、だ。

 

「っ!?」

 

 奇妙な浮遊感から、重力が体に戻って、着地。足が触れて、台座が倒れる。そこに飾ってあったはずの花瓶が、何故か少年の手元にあった。

 空間転移の魔術、ではない。高位の魔導師であれば、短時間で自身や他者の転送も可能だが、いくら短距離とはいえ、これだけのスピードで転送魔導陣を構築できるとは考えにくい。

 

「……魔法か」

 

 正体を現してから、はじめて。得体の知れない子どもの表情に、純粋な驚きの色が浮かんだ。

 

「へえ、びっくりしたなぁ」

「今の一回でわかるなんて、すごいすごい」

 

 パチパチ、と。なんの重みもない軽い拍手の音が響く。

 剣は、部屋の中に置いてきた。拳で戦うしかない。しかし、相手は二人。殴ればなんでも壊せる師匠ならいざ知らず、鈍っているおれの腕では一撃で致命傷を与えるのは難しい。

 不幸中の幸いというべきか、ここは船内の狭苦しい廊下だ。接近はしやすい。片方を組み伏せて、関節を決めれば……

 

「いろいろ考えてるみたいだけど」

 

 視界が、暗転した。

 

「それじゃ遅いよ」

 

 目の前に、朗らかな少女の顔があった。

 咄嗟に交差させた腕に、先ほどのお返しとばかりに、拳が叩き込まれる。みしり、と骨の軋む嫌な音と共に、全身が勢いのままにふっ飛ばされた。

 突き当りの壁に、衝突。息を吐いて、膝をつく。少し遅れて、床に落ちた花瓶が割れる音が響いた。

 

「……ガキのくせに、パワーあるな」

「だって、ガキじゃないもん!」

「人を見た目で判断しちゃダメだって、習わなかった?」

 

 空間を操作する類いの魔法であることは、確かだ。しかし、タネがわからない。

 

「一発入れた程度で、調子に乗るなよ」

 

 強がりと一緒に、血が混じった唾を吐き捨てる。

 

「こわい顔して凄んでみせても、ダメだよ勇者さま」

「こっちの魔法(マジック)は、タネが割れてない。でも、そっちの魔法(マジック)は、全部タネが割れてるんだからさ」

 

 間違いない。コイツらは、おれたちの魔法を知っている。厳密に言えば、おれの魔法を把握している。

 

「ぼくたちは魔法が使える。きみは魔法が使えない」

「これじゃあ、勝負にならない。子どもでもわかることだよ」

 

 子どもの姿で、バケモノはさぞ楽しげに嘯いてみせる。

 

「生憎、こっちは世界を救った勇者なんでね。今さらちょっとばかし格の高い悪魔が出てきたところで、なんとも思わないんだわ」

「強がりもそこまでいくとおもしろいね」

「滑稽だね」

 

 間合いを取っても意味がない。あの空間操作系の魔法の正体を看破しない限り、攻撃の主導権は常にあちらにあると言って過言ではない。

 

「仲間が来てくれるの、待ってるんでしょ?」

 

 しかも、頭までよく回るときた。もう本当に、勘弁してほしい。

 

「ぼくたちとお話をして、時間を稼ぎたい気持ちはわかるけど」

「無駄だよ、仲間はこない」

 

 小さな手を繋いで、バケモノは少しずつ歩み寄ってくる。

 

「だって、きみのパーティー、裏切り者がいるもの」

 

 なんでもないことのように、悪魔は言ったが、

 

「お前ら……」

 

 言葉が、続かない。

 戯言だと。切って捨てるには、その一言はあまりにも強烈だった。

 

「勇者さま、勇者さま」

「世界を救ってから、ずーっと勇者さまのことを見ていたよ」

「魔王様の呪いは、辛かったねぇ」

「でも、もう大丈夫だよ」

「わたしたちが、勇者さまをその呪いから解放してあげるよ」

「……お前らが何を企んでいるにせよ。あの子は、渡さない」

 

 呪いから解放する、とコイツらは言った。

 基本的に、高位の呪詛の解呪は、それをかけた術者にしかできない。

 必然的に、二匹の悪魔は自分たちの目的を声高に宣言していた。

 

 魔王の復活。それが、このふざけた悪魔の狙いだ。

 

「あの子は渡さない?」

「そんなこと言って、勇者さまだって、もう気がついているんでしょう?」

「何に?」

「またまたぁ。とぼけちゃってぇ」

「残念ながら、お前らの正体に気がつけなかったくらい、鈍感なんでね。あんまり察しがいい方じゃないんだ」

「無知を誇れるのは、人間の美徳だね」

 

 少女が笑い、少年が言う。

 

「あの子、記憶喪失じゃないよ」

 

 あまりにも、あっさりと。それを言われた。

 

「……」

 

 驚きはなかった。

 わかっていなかった、と言えば嘘になる。

 

 ──ここがどこなのか。今が何日の何年なのか。自分が誰なのか。そういうことを、まったく覚えていないんです

 

 本当に記憶喪失であるのなら、まず困惑があって然るべきだった。何を覚えていて、何を忘れているのか。あんなにも落ち着いて自己申告できるわけがない。

 

 ──聴覚だけでなく、視覚にも作用する呪い……ということは、感覚器官だけじゃなく、魂そのものに作用するような……

 

 明らかに、魔術の知識があった。呪いがどういうものであるかを理解し、おれの体にかけられたそれを、冷静に分析していた。

 

 ──でも、本物のお姫さまに会うなんて、多分はじめてですよ

 ──わたし、こんなにきれいで良いお洋服を着るの、はじめてだったので

 ──勇者さん勇者さん! わたし、海見るのはじめてです

 ──勇者さん勇者さん! わたし、ドラゴンに乗るのはじめてです! 

 

 はじめて、と。繰り返し言っていた。

 最初は誤魔化していた。だけど、途中からはもう誤魔化せなくなっていた。

 あんなにも、キラキラと顔を輝かせて。自分がそれを見るのが、触れるのが、はじめてであることを、彼女自身が確信していたのは明らかだった。

 

 悪魔の言葉の根拠は、あの子と過ごした時間の中にいくらでも転がっていて。

 だから、反応が遅れた。

 

「殺しはしないよ。そういう契約だからね」

「最後に一つ、教えてあげる」

 

 気がつけば、手を触れられていた。

 

「ぼくは『双子(ジェミニ)』」

「わたしは『双子(ジェミニ)』」

 

 声が、はじめて重なって。

 

 

「「ぼくたち(わたしたち)は『第六の双子(ジェミニ・ゼクス)』だ」」

 

 

 その名を聞くことができた事実に、おれは目を見開いた。

 

「お前、名前を……なんで」

「さあ」

「どうして、でしょう?」

 

 答えを、掴む前に。

 

 

「──哀矜懲双(へメロザルド)

 

 

 告げられた魔法によって、おれの視界は闇に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうしたんですか、リリアミラさん。折り入ってお話したいことがある、なんて。珍しいですね」

「そうだね。もしかして、勇者くんがいたら話しにくいことなのかな?」

「はい」

 

 勇者と別れたあと。シャナとアリアはリリアミラに呼び出され、その私室に案内されていた。いつもうすっぺらい笑顔を絶やさずはりつけている彼女が、表情に深刻な色を滲ませている。それだけで、二人は居住まいを正した。

 

「単刀直入に申し上げます。わたくしたちの中に、裏切り者がいます」

 

 アリアは片方の眉を吊り上げたが、シャナは表情を少しも動かさなかった。

 

「根拠をお聞きしても?」

「女の勘、と格好をつけてみたいところですが……疑問が確信に変わったのは、賢者さまからお話をお聞きしたあと。わたくしが襲撃に先んじて、悪魔達を討ち取った時です」

 

 あくまでも淡々と、リリアミラは語る。

 

「勇者さまとあの少女の居場所を把握しているかのような、襲撃の手際。先読みとも言える行動の早さ。わたくしは身辺に気をつけていたので、何とか事前に察知できましたが、普通の人間なら寝首をかかれるところですわ」

「ですが、私達の魔法を知らないことはどう説明するんです? 我々を殺すにしろ、最低限足止めするにしろ、それぞれの魔法の性質については、知識として持っていなければ勝負にすらなりませんよ」

「捨て駒、だったのでしょう。もしくは、黒幕もわたくし達の魔法を知らない、新しい存在だった、と考えた方が妥当かもしれません。このあたりの分析については、賢者さまのご意見と一致すると思いますが?」

「そうですね」

 

 顎に手をあてて、シャナは頷いた。

 

「……で、あなたは裏切り者として、私達を疑っている、と」

 

 ぴり、と。いやな空気が、視線の間に満ちる。

 しかし、リリアミラはあっさりと首を振ってそれを否定した。

 

「いいえ。わたくしは、お二人を裏切り者だとは思っていません」

「まって。それって、つまり……」

「ええ。いるでしょう? この場にいない、勇者さまの危機に都合よくかけつけた、得体の知れない女が一人」

 

 視線を落とし、険しく細めて、シャナはその名を口にする。

 

「武闘家さん、ですか」

「はい。わたくしは、あの方が今回の事件の黒幕……裏で糸を引いている人物だと睨んでおります」

「なるほど。あなたの考えはよくわかりました。たしかに、頷ける点も多々あります」

「ちょっとシャナ!?」

「事実でしょう。リリアミラさんの分析は、一応筋も通っています」

「さすが、賢者さま。聡明で冷静ですわね」

「なので、私からも提案があります」

「なんでしょう?」

 

 室内でいつも目深に被っているフードで、シャナの表情は伺い知ることができない。リリアミラは身を乗り出して、賢者の解答を待った。

 

 

 

「本人に聞いてみましょう」

 

 

 

「はい?」

 

 腹に響くような轟音と共に、ドアが蹴破られた。

 

「……心外」

 

 完全に破砕されたドアの破片を踏み砕いて、その少女は部屋の中に踏み入ってくる。

 

「わたし、裏切り者呼ばわりされるようなことなんて、なにもしていない」

 

 どこまでも広がる空色のような髪に、飾り気のない道着。小柄な体に、溢れんばかりの存在感。そんな彼女を、見間違えるわけがない。

 

「ムム……ルセッタ」

「よっ」

 

 ムムは、挨拶という礼を欠かさない。入室する時に扉は壊しても、きちんと片手を上げて死霊術師に振ってみせる。

 リリアミラの頬を、いやな汗が流れて落ちた。

 

「どうして、わたくしの船に。いや、そもそもいつから……」

「勇者、心配だったから、やっぱりこっそりついていくことにした。シャナにも、こっそりついてきてほしいって言われた。船には、離陸する時に飛びついた」

「しかし、魔力探知には何も……」

「わたし、魔力をほとんど外に出さない。でも、ずっとドラゴンの脚に張り付いてたから、ほんと寒かった」

「温めよっか? ムムさん」

「ありがとう、アリア」

 

 アリアが腕を伸ばし、ムムがその手を取る。ほうっ、と息を吐いて、ムムの表情が和らいだ。

 そんな気の抜けたやりとりを、リリアミラは呆然とした表情で見ることしかできなかった。そして、そんな呆然とした表情を見て、黒いローブの肩がくつくつと震えた。

 

「くくっ……ふふふ……あっはははははは!」

 

 震えて、震えて、震えて。

 堪えるのがもう限界、と言わんばかりに。賢者、シャナ・グランプレはフードを引き上げて笑い声を部屋中に響かせた。

 

 

 

「ばぁーか♡」

 

 

 

 そして、見下す。

 賢者は、死霊術師を見下して、言う。

 

「ねぇねぇ、今どんな気持ち? 安っぽい三文芝居を仕掛けて、この場にいない人間を貶めようとして、その本人が出てきてびっくり! 心の底から驚いて失敗して、ねえ、どんな気持ち? どんな気持ちで、そんな涼しい顔を保っているんですかぁ? 私に教えて下さいな!」

「…………そうですわね。いつから、わたくしの目を盗んで武闘家さまと連絡を取り合っていたのか。それが気になりますわ」

「はっ! そんなことですか」

 

 リリアミラの反応が、期待外れだったのか。

 上がりきっていたテンションを、一段落として。シャナは自分の手のひらに刻まれた魔術を見せびらかした。

 

「魔力マーカーですよ。さっきの勇者さんとの会話、聞いてなかったんですか? 私の魔力マーカーは、近距離なら声も拾えます。さっきまでのあなたとの会話は、筒抜けでした。拾った音声はパスさえ繋がっていれば、刻印された側に伝えることも可能ですからね」

「連絡手段はわかりましたが、それでもわかりませんわね。あなたは、武闘家さまと接触する機会はなかったはず。それを一体、どうやって……」

「ああ、私はムムさんとは一度も会っていませんよ。あなたに監視されている可能性があったので、身の振り方には気をつけていました。でも、私とムムさんは接触していなくても、勇者さんとムムさんは接触しているでしょう?」

 

 ムムの手のひらに、勇者と同じ種類の光が浮かぶ。

 そう。ムムは勇者と、握手を交わしている。

 

「まさか……勇者さまの手を握った時に? 間接的に、武闘家さまにも魔力マーカーを仕込んだのですか?」

「はい。だってその人、いつもどこにいるかわからないんですもん。居場所くらいは把握しておきたいでしょう?」

「勇者と握手したら、なんかくっついた。びっくりしたけど、シャナの魔術の匂いがしたから、べつにいいかなって」

 

 子どもに水をかけられた、という調子で、ムムは言う。

 

「……術者自身は指一本触れず、遠く離れた場所から、接触しただけでマーキングをしたのですか?」

「できますよ。私、天才なので」

 

 ない胸を張って、シャナは嘲笑う。

 

「ていうか、語るに落ちてますよ、死霊術師さん。あなた、どうして勇者さんとムムさんが会って、握手をしたことなんて知っているんです? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「答えろよ。クソ女」

 

 シャナの指摘は、全て正しかった。

 困惑と驚きが満ちていた死霊術師の表情から、感情がごっそりと抜け落ちる。

 

「裏切り者がいる。それは、あたし達も考えていたよ。あんまり考えたくはなかったけど、可能性として考えられるなら仕方ないよね」

「可能性が生まれた時点で、私はもう確信していました。それにしてもまさか、こんな手で私達を仲間割れさせようとするなんて、思ってもいませんでしたけどね。そもそもの話、このパーティーに裏切り者がいるとしたら……」

 

 手元に大剣を出現させて、騎士はその切っ先を死霊術師に突きつけた。

 杖を器用に一回転させて、賢者はその照準を死霊術師に向けた。

 

 解答は、一つ。

 

 

「お前に決まってんだろ」

「アンタに決まってるでしょ」

 

 

 つまるところ、リリアミラ・ギルデンスターンは、最初から他のパーティーメンバーに疑われていたのだ。

 

「……はぁ」

 

 両手を挙げて、リリアミラはあっさりと降参の意を示した。

 

「参りましたわ。まさかわたくしが、ここまで信用されていないなんて。せっかく上級悪魔を三匹も潰して、それらしく振る舞ってみせたのに、全て無駄だったとは……悲しくなってしまいます」

「むしろどうして、何を根拠に、どんな理由で信用されていると思ってたんですか? このアバズレが」

「口が悪いよ、シャナ。もっとも、それについては完全に同意するけどね」

「二人とも、気持ちはわかるけど、リリアミラを締め上げて懲らしめるのはあとでいい。今は、目的を聞き出すことが先決」

 

 今にも怒りが沸騰しそうなシャナとアリアを、後ろで腕を組んでいるムムが、言葉で押し留める。

 リリアミラは手を挙げたまま、唯一自由な首で頷いた。

 

「武闘家さまはやっぱり違いますわねぇ。いつも理性的で素晴らしいです」

「伊達に、年は喰っていない」

「その落ち着き、他のお二方に見習ってほしいですわ」

「……リリアミラ」

 

 あくまでも一定のトーンで、ムムは会話を続ける姿勢を崩さない。

 

「わたしは、あなたが何の理由もなしに悪魔と手を組むとは思えない。あなたの目的は、なに?」

「わたくしの目的は、今も昔も変わりませんわ。勇者さまに名前を呼んで、殺してもらう。それだけです」

「イカレ女が」

 

 シャナが毒づく。

 

「なんとでも仰ってくださいな。愛のカタチは人それぞれですから」

「……質問を、変える」

 

 ムムは、組んでいた腕を解いて一歩前に出た。

 

「あの子は、誰? どうして、記憶がないの?」

「……本当にあなたは、一言で核心を突いてきますわね」

 

 それまで侮蔑と嘲りしか含まれていなかった声音に、ほんの少しだけ尊敬が混じる。

 

「お察しの通り、あの子は記憶喪失ではありません」

「記憶喪失じゃない……?」

 

 困惑の声をあげたのは、アリアだった。

 

「あらあら、騎士さまは鈍いですわね。記憶がない、と武闘家さまも仰っているでしょう?」

「でも、あの子は……」

「前提条件が、そもそも逆なのです。なぜなら──」

 

 

 

 

「──失ったわけじゃなくて、最初からわたしには、何もなかったから」

 

 その答えは、リリアミラが言ったものではなかった。死霊術師に向けられていた全員の視線が、声の主を求めて振り返る。

 

 少女が、いた。

 

 触れたものを火傷させてしまいそうな、赤い髪。瞳に写したものを燃やし尽くすかのような、赤い瞳。腰まで届く長髪を靡かせて、いつの間にか、その少女は部屋の入口に立っていた。

 まるで、全てを諦めたような表情で、そこにいた。

 

「……ごめんなさい」

 

 それしか、自分にできることはない。そんな様子で、赤髪の少女はただ、頭を下げる。

 シャナが、アリアが、ムムが。全員が呆然と少女の謝罪を受け入れる中で、唯一リリアミラだけが、彼女の言葉を拒絶した。

 

「おやめください。頭を下げる必要なんてありませんわ。あなた様は、汚れを知らぬ魂に、世界の美しさを刻んでいただけなのですから」

 

 背筋が、凍るようだった。

 リリアミラ・ギルデンスターンの、その恍惚とした視線と尊敬の声が向けられる対象を、シャナは知っている。アリアは理解している。ムムは覚えている。

 世界で、たった二人だけ。勇者と、もう一人。

 

「……説明、してください」

「は? まだわからないのですか?」

「答えろ! リリアミラ!」

「はぁ……やれやれ」

 

 一と一を足せば二になることを、幼子に教えるように。

 世界最悪の死霊術師は、その真実(こたえ)を教えた。

 

 

 

「この少女の魂は、魔王様のものです。わたくしが、悪魔と協力して蘇生させました」




今回の登場人物

・勇者くん
 いろいろ気がついていたが、赤髪ちゃんが楽しそうならそれで構わないと思っていた。根本的に、人が笑っている顔を見るのが好き。最近、パーティーメンバーがちゃんと笑うところを見ていなかったので、少し寂しかった。なので、赤髪ちゃんが笑顔でいることは、彼にとってはなによりも救いだった。

・賢者ちゃん
 シャナ・グランプレ。秘密裏に武闘家さんと連絡を取り合い、上手い具合に死霊術師さんをハメた。増殖した自分と遠く離れた場所からでも連絡、意思疎通を行うために『通信、位置関係の魔術』の開発には、特に力を注いでいる。すでにこの分野に関しては、シャナの右に出る者はいないと言われるほど。勇者くんの手に仕込み、武闘家さんにも仕掛けた触れたら移る魔力マーカーもその成果の一つ。普通にストーカー案件だが、本人の先読みも相まって死霊術師さんの企ての先を行き、嘲笑うことに成功した。

・騎士ちゃん
 アリア・リナージュ・アイアラス。冬の寒さに晒されても、彼女と手さえ繋げばそれだけで安心。まるで身体の芯から温まるような、至福の時間をお届けします。勇者くんと騎士学校に通っていた頃は、この湯たんぽみたいな魔法効果をダシにして、手を繋ぐ理由にしていたらしい。

・武闘家さん
 ムム・ルセッタ。離陸するドラゴンの脚に飛びついて、強風に晒されながらずっとスタンバってました。実は勇者が赤髪ちゃんの水着を選んだりしている時も、バレないように後方保護者面してその様子を眺め、ついでに自分の分の水着も購入して、屋台を食べ歩きしていた。魔法の性質と戦闘スタイルも相まって、魔力探知に引っかかることがほとんどなく、アサシン的なスタイルで敵地に潜り込むこともできる。扉はノリと勢いでなんとなく壊した。勇者の中では殴ればなんでも壊せる枠に入っているらしいが、なんでもは壊せないわ壊せるものだけ、という感じらしい。

・死霊術師さん
 リリアミラ・ギルデンスターン。元凶、その一。最上級悪魔と手を組み、小粒な上級悪魔をけしかけ、裏から糸を引いていた。目的は魔王の復活……というよりも、復活した魔王に、勇者の呪いを解いてもらうこと。ちなみに、リリアミラとしてはパーティーを裏切ったつもりはあまりない。

・赤髪ちゃん
 元凶、その二。魔王の魂だったもの。本来は蘇生不可能だったが、リリアミラとジェミニの魔法を組み合わせることで、強引に呼び戻した。
 最初から失う記憶がないのなら、それは喪失とは呼ばない。





・最上級悪魔くんちゃん
 ジェミニ・ゼクス。第六の双子。元凶、その三。最上級悪魔は原則として人の姿を取るが、彼と彼女が二人で一人なのは、彼ら自身の特性によるもの。上級悪魔と最上級悪魔の違いは明確であり『固有魔法を所持しているか』で決まる。勇者は人の名前を聞けない呪いを受けているが、何故か彼と彼女の名前は聞くことができた。魔王が敗れてから、ずっと勇者の側で潜伏して一緒に遊んでいた辛抱強い頑張り屋さん。



今回の登場魔法
紅氷求火(エリュテイア)
 アリアの固有魔法。湯たんぽ。

哀矜懲双(へメロザルド)
 ジェミニの固有魔法。詳細不明。


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覚醒

「ふふ」

「はは」

 

 悪魔は、乾いた笑いを漏らしながら、手元のキューブを見た。

 ジェミニが手を組んだ女に特別に用意させたその箱は、封印魔術が刻印された一種の監獄。小さな箱の中に作られた異空間に、対象を封じ込める。

 

「やったね」

「うん。やったね」

 

 自身の固有魔法によって、勇者をキューブの中に『転送』することに成功したジェミニは、勇者を完封したといっても過言ではなかった。

 魔王を倒した、あの勇者を、だ。

 

「「やったぁあぁあああああああああ!」」

 

 絶叫。

 全身で、手を取り合って、ジェミニは喜びを発露する。

 多くの悪魔にとって、世界を救った勇者とは、それほどの相手だった。

 

「……ふう」

「うれしいね」

「うん。とってもうれしいね」

 

 勇者を封じ込めたキューブを大切に抱えて、ジェミニは歩き出す。

 

「じゃあ、ぼくたちの」

「わたしたちの魔王様を、迎えに行こうか」

 

 悪魔の悲願まで、あと少し。

 

 

 

 

 

 

 

「みなさんがご存知の通り、わたくしの魔法は触れれば四秒で、触れた対象を完全に蘇生させます」

 

 リリアミラは語る。

 杖を向けられ、剣を突きつけられた状況で、自慢気にそれを語る。

 

「ですが、万能に思えるわたくしの魔法には、根本的に重大な欠陥がありました」

「……そもそも、触れることができなければ、蘇生できない」

「ええ、正解ですわ。賢者さま」

 

 自分に殺意を向けるシャナの言葉を、リリアミラはゆったりと肯定する。

 

「勇者さまが魔王様を殺したあと、騎士さまが跡形もなく魔王様の身体を焼き尽くしてしまったせいで、死体は文字通り塵も残らない有様でした」

「あなたに、万が一にも蘇生されたくなかったからね」

 

 今度は、アリアが答えた。

 リリアミラは顔を覆って、わざとらしく体を振ってみせる。

 

「これでは、蘇生することなどできない……わたくしは、愚かにもそう思い込んでおりました。ですが、諦めなければ奇跡を起こすのが、魔法です! その結果は、ご覧の通り」

 

 赤髪の少女を見て、リリアミラは誇らしげに豊かな胸を張る。

 

「結論から言えば、わたくしの魔法に不可能はありませんでした。もちろん、完全な蘇生、とはいきませんでしたが」

「……魂だけ、と言ったのはそういうことですか。あなたの自慢話を聞く気はありませんが、よく魔王の肉体の一部を見つけられましたね」

「わたくしが契約した悪魔の能力ですわ」

「……それも、魔法ですね」

 

 シャナの表情が、あからさまに歪む。

 

「はい。わたくし、悪魔に取引を持ち掛けられまして」

「取引?」

「単純な話です。魔王様を蘇らせる代わりに、勇者さまの体に刻まれた呪いを、解いてもらう。そういう契約を、最上級悪魔と交わしました」

「ということは、この船にその悪魔も……」

「ええ、ええ。乗っておりますよ。もちろん『呪いを解いてもらう』という誓約がある以上、彼らが勇者さまを殺すことはできません。そこは、安心して頂いて結構ですわ」

「いけしゃあしゃあと、よくもほざけたものですね」

「それはこちらのセリフですわ」

「はあ?」

 

 怒りと疑問をないまぜにした声が、シャナの口から出た。しかし、不遜な死霊術師はそれを一切気にする様子もなく、自分に向けられているのと同じ種類の視線で、パーティーメンバー達を見た。

 怒りと疑問が、満ち満ちた瞳で。

 

「あなた方は、わたくしの行動をありえない、と罵るでしょう。ですが、わたくしから言わせてもらえば、あなた方のほうが、ありえなくて、信じられません」

 

 言葉が、感情が、止まらない。

 いつも人を食ったような言動で煙に巻く、リリアミラらしからぬ激情の熱を。付き合いの長いパーティメンバー達は感じ取っていた。

 

「どうしてみなさまは、勇者さまに名前を忘れられてしまったことを、そんな風に受け入れられるのです?」

 

 死霊術師は、賢者を見て言う。

 

「名前を忘れたことを気にしないくらい、幸せで満ち足りた環境を作って誤魔化そうとしていたんですか?」

 

 死霊術師は、騎士を見て言う。

 

「己の行いを悔いて、今度こそ守れるようにと自己満足の努力を続けていたんですか?」

 

 死霊術師は、武闘家を見て言う。

 

「大人ぶった価値観で、都合の良い諦めの中に沈んでいたんですか?」

 

 忌々しげに、シャナは歯軋りした。

 アリアは手のひらを固く引き絞った。

 能面のような表情のまま、ムムは黙っていた。

 

 リリアミラは、言葉を紡ぐことをやめない。

 

「わたくしは、いやです」

 

 己の欲望を、ありのままに発露する。

 

 

「好きな人に、名前を呼んでもらいたい」

 

 

 それは、一人の女性としての望みだった。

 

「わたくしは言い訳を並べ立てて、自分の気持ちを諦めるつもりは毛頭ありません」

 

 この場にいる全員の心を、リリアミラは正確に突いていた。

 シャナが押し黙る。アリアが唇を引き結ぶ。赤髪の少女は、そんな彼女達の様子を黙って眺めていて。

 沈黙を破ったのは、やはりこの場で最年長の女性だった。

 

「……あなたの気持ちは、理解できる」

 

 ムムが最初に口にしたのは、リリアミラへの素直な共感。

 

「でも、その子はまだ魔王じゃない。あなたの魔法と、悪魔の魔法だけで蘇生できたなら、わたしたちと対立する前に、事を終えているはず」

 

 次に提示したのは感情論を抜きにした、単純な事実と可能性の話。

 

「なにが仰りたいのでしょう?」

「……魔王の完全な復活には、まだ何らかの手順を踏まなければならない。そのために、あなたは勇者とその子を一緒に行動させていた」

「つまり?」

「もう一度言う。その子はまだ魔王じゃない。魔王じゃないのなら、魔王にさせるわけにはいかない」

 

 最後に、対立の姿勢の明示。

 武闘家は、拳を構えて、死霊術師を見据えた。

 

「……はっ」

 

 リリアミラは、それを鼻で笑う。

 

「やっぱり、クソババアに何を言っても、無駄なようですわね」

「………………は?」

 

 瞬間。比較的、高い声色のムムの口から、これまでで最も低い声が漏れ出た。

 

「今、なんて、言った?」

「あらあらあら。やはり耳まで遠くなっているようですわね。見た目だけ若作りのクソババア、と言ったのです」

 

 シャナとアリアの顔が、わかりやすく青くなる。

 端的に言ってしまえば、それは武闘家の、最大の地雷だった。リリアミラも、わかっていて踏んでいた。

 自分で年齢を言う分には構わないが……ババア、という言葉はムム・ルセッタには禁句である。

 返事はなかった。

 ただ、地面を踏み締める音がした。

 

 

 

「黙れ、小娘」

 

 

 

 達人の足運びは、間合いという概念を超越する。

 杖を構えていたシャナと、剣を突きつけていたアリアの隙間を、小柄な体を活かし、音もなく抜けて。

 振り抜いた拳の、たった一撃で。武闘家は、死霊術師の胸に手のひらを突き刺していた。

 

「……ごっ、がっはぁ……?」

 

 それは、明らかな致命傷。

 リリアミラの口から、血が湯水のように溢れ出る。赤髪の少女も目を見開いていたが、それ以上に慌てたのは、怒りを必死に押し殺していたアリアとシャナだった。

 

「む、ムムさぁーん!?」

「なにやってるんですか!? なにやってるんですかちょっと!? コイツからなるべく情報を引き出さなきゃいけなかったのに!?」

「良い。もうコイツ、殺す」

「だからその人、殺しても死なないんだってば!」

「ダメですよ! そりゃ、手を出したくなる気持ちはわかりますけど!?」

「殺しても死なないなら、死ぬまで殺してわからせる」

「ぐっ……ぶ。む、無駄、ですわ」

 

 胸に突き刺さった腕を掴んで、リリアミラはそれでも笑ってみせる。

 

「いくら、殺した、ところで……わたくしの『紫魂落魄(エド・モラド)』なら……」

「四秒あれば、蘇生する。それは、知ってる。でも、わたしの『金心剣胆(クオン・ダバフ)』は、触れた対象を静止させる」

 

 息も絶え絶えなリリアミラの言葉を、ムムは強引に遮った。表情は変わらないままでも、押し殺した怒りが言葉を震わせている。

 

「これは、純粋な疑問。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「なっ……!」

「試して、みようか」

 

 肉の塊を、潰す音が響いた。

 

「お前がわたしを嫌う理由は、単純」

 

 リリアミラの息の根が止まる。文字通り、息の根が止まった状態で、静止する。血液の循環が停止し、肉体の活動が停止する。

 

「わたしの魔法と、お前の魔法の相性が、致命的に悪いからだ」

 

 ダメ押しとばかりに、ムムは左の拳を無造作に振るった。その裏拳を受けたリリアミラの首が、有り得ない方向にあっさりとひん曲がる。ありえない方向に曲がった状態で、ムムは左手でそのポーズを固定した。

 いや、そもそも前衛芸術の銅像のようになってしまったその姿勢を、果たして人間のポーズと呼んでいいものなのか。

 

「これで、よし」

 

 満足気に、ムムは鼻を鳴らした。

 

「うわ……」

「グロ……」

 

 シャナとアリアはドン引きした。むしろ、引かない方がおかしい。

 

「……まあでも、これで落ち着いて赤髪ちゃんと話せるか」

「それはそうですね。ムムさんのやり方は些か強引に過ぎますが、とりあえず結果オーライということにしておきましょう。ムムさん、その死霊術師を、しばらく黙らせておいてください」

「うむ。うるさい女を、黙らせたわたしに、感謝」

「感謝はしますが、あとで聞くことはたっぷりありますからね。ちゃんと逃さないように抑えておいてくださいよ」

 

 どこか弛緩した空気の中で、しかしようやく話をできる環境が整った、と言いたげに。二人は赤髪の少女に視線を向けた。

 シャナが聞いた。

 

 

「で、大丈夫ですか?」

 

 

 少女を気遣って、質問をした。

 ああ、同じだ、と。少女は少し驚いて、それから納得した。

 

 ──大丈夫? 

 

 最初に会った時、勇者も同じことを聞いてきた。

 この人達も、同じことを聞いてくるのだ、と思った。

 立ち竦む少女の態度を気にもせず、賢者と騎士はずかずかと歩み寄って、じろじろと少女のことを観察する。

 

「外見に異常はなさそうだけど……」

「魂を蘇生させた、というさっきの言い回しが気になるところです。そもそも、普通に蘇生することができたなら、さっきムムさんが言っていた通り、呪いを解いてもらって終わりですから」

「この子は、魔王を復活させるための器みたいな存在ってこと?」

「アリアさんにしては、良い線を突いてますね。繰り返しになりますが、魂だけ蘇生させた、とあの女は言っていました。つまり、肉体は異なるものだということです。実際、魔王の外見と、この子の見た目は全然違います」

「うん。あの魔王、たしかにおそろしい美人さんだったけど、あれは赤髪ちゃんとは種類の違うきれいさだったもん。髪色も違ったよね」

 

 ああだこうだと言いながら、賢者は少女の手を勝手に取って、魔導陣を展開し、体の状態をチェックする。

 

「あ、あの……」

「なんです?」

「わたしが、魔王だって聞いて……なんとも、思わないんですか?」

「は? 思うに決まってるでしょう。今もわたしの天才的な頭脳と魔術が、あなたを助けるためにフル回転していますよ」

 

 助ける、と。賢者は言った。

 

「どうして……どうして、わたしを、助けてくれるんですか?」

「勇者くんなら、そうするからだよ」

 

 事も無げに。騎士は言った。

 

「あと、あたしは赤髪ちゃんと一緒にご飯を食べてる。食事をして、話して、赤髪ちゃんが魔王じゃない普通の女の子だってことを知ってる。助ける理由は、それで十分かな」

「そういうこと。あなた、魔王と違って、いい子」

 

 心臓を握り潰して止めたまま、ムムが頷く。

 

「……先に断っておきますが、私はこの二人ほどお人好しではありません。だから、きちんと事情を聞かせてもらえますか?」

 

 フードの中から覗くシャナの瞳が、少女を見据えていた。

 

「あなたに、何があったのか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「おはようございます」

 

 目覚めた少女が最初に見たのは、流れるような黒髪と、何かに期待するような甘ったるい笑みだった。

 腕を動かす。体を起こす。周りを見回す。

 

「無事に目が覚めたようだね」

「よかったよかった」

 

 男の子と女の子が、一人ずつ。手を繋いで、こちらを見ていた。なんとなく、それが人ではないことは、すぐにわかった。

 

「わたしは……」

 

 自分が誰なのか、わからなかった。

 知識はあって、脳は働く。体は動いて、不自由はない。

 ただ、自分が誰なのか、まったくわからなかった。闇の中で微睡んでいたら、唐突に光のあたる場所に引きずり出されたかのような。呼吸をしているのに、息ができないような、そんな矛盾した感覚だけが、体中を満たしていた。

 

「混乱していらっしゃるようです。やはり、失敗だったのでは?」

「ううん、成功だよ」

「魔王様の魂は、間違いなくここにある」

「不完全な形で蘇生されることは、わかりきっていたからね」

「では、どうするのです?」

「単純な話だよ」

「借り物の器に、不完全な中身。何もかも足りないけど、何もかも足りないなら、これから満たしていけばいい」

 

 会話の内容はこれっぽっちも理解できなかったけれど、自分のことを話しているのは、なんとなくわかった。

 手を繋いだまま、少年と少女は、恭しく頭を下げる。

 

「お目覚めを、心より嬉しく思います。わたしたちの王様」

「わたしが……王さま?」

「うん。あなたは、生まれながらにして王だったんだよ!」

「あの忌々しい勇者のせいで、あなたの記憶と力はなくなっちゃったけど……」

「わたしたちの言う通りにしてくれれば、必ず取り戻せるよ!」

「わたしは……その人に、殺されたんですか?」

「そうだよ!」

「勇者が、あなたから全てを奪ったんだ!」

「憎いよね! 悔しいよね!?」

 

 わからなかった。

 何もわからない。

 

「うんうん。わかるよ」

「起きたばかりで混乱しているよね」

「何か、欲しいものはある?」

「なんでも言ってよ! あなたの欲しいものなら、なんでもすぐに用意してあげる!」

 

 なんでもいい。

 自分がここにいることに、何か存在の証明がほしかった。

 

「名前」

「え?」

 

 水。食べ物。衣服。

 多分、そんなものを想像していたのであろう悪魔は、少女の呟きに首を傾げた。

 

「名前が……ほしいです」

 

 縋るように。少女は悪魔に、それを求めた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「ダメだよ、魔王さま。そいつらは勇者の仲間なんだから、勝手に仲良くしちゃ」

 

 割って入った声と共に、少女の前にいた賢者の姿が、かき消されるように消失した。

 

「っ……シャナ!?」

 

 賢者が立っていた場所に、コップが落ちて砕ける。次の瞬間には、剣を構えようとしたアリアの姿も消えて、代わりに小さなティースプーンが落ちた。

 

「なんだよ。リリアミラ、やられてるじゃん。かっこ悪いなぁ」

「お前……!」

 

 あるいは、ムムが素の状態でそこに立っていたのならば、姿を現した悪魔に、すぐに対応できたかもしれない。だが、ムムの腕はリリアミラの胸の中に埋まっていて、それが結果的に彼女の初動と、俊敏な対応の妨げとなった。

 ムムとリリアミラがいた場所に、フォークが転げ落ちる。からん、と。無機質な音を響かせて、少女と悪魔は、その空間に二人きりになった。

 

「みなさんを……どこにやったんですか?」

 

 体の震えを堪えて、問う。

 

「外に捨てた」

 

 少年の皮を被った悪魔……ジェミニは、とてもつまらなそうに言った。

 

「ぼくたちの魔法……『哀矜懲双(へメロザルド)』は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ちなみに、ぼくのかわいい片割れは今、船首のあたりで風を浴びているよ」

 

 少女は、絶句した。

 ジェミニの魔法は、その存在が二人であることで、はじめて真価を発揮する。船の中から、いきなり船首に、それも豪風が吹き荒れる空の中に放り出されて、助かる人間などいない。

 

「そんな……」

「……やっぱりダメだなぁ。ねぇ、魔王様。ぼくたちがどうして、魔王様を勇者さまのパーティーに近づけたか、ちゃんとわかってる?」

 

 呪いとは、術者の魂が色濃く反映された『残り続けること』を前提とした魔術。名前、という概念に干渉する強大な呪いを受けた勇者の体には、今もまだ色濃く魔王の残滓が眠っている。

 リリアミラの蘇生が不完全に終わった理由の、半分がそれだ。蘇った少女が赤子のように、別人のように、なんの記憶も持たない状態だったのも……勇者の中に、魔王が己の大半を遺していったからだった。少なくともジェミニは、そう仮定している。

 

「魔王様にはね。勇者との交流の中で、彼の中に眠る自分を見つけてほしかったんだ。だからぼくはがんばって、素敵な出会いをお膳立てしてあげたんだよ? でもきみはそうやって、勇者に対する余計な感情ばっかり育てちゃってさ」

 

 手の中のキューブを玩びながら、悪魔は心底がっかりした目で、少女を見ていた。

 

「やってられないよ。きみはいつになったら、ぼくたちの魔王様になってくれるのかな?」

 

 膝をついて、少女は崩れ落ちる。

 

「やっぱり、ぼくが強引に魔王様にしてあげるしかないのかな?」

 

 小さな手が、無邪気に少女に伸びて、そして……

 

 

 

「え」

 

 

 

 何かが、割れる音がした。

 

 悪魔が手を組んだ女に特別に用意させたその箱は、封印魔術が刻印された一種の監獄。小さな箱の中に作られた異空間に、対象を封じ込める……はずだった。

 

 男が、立っていた。

 

「お、お前……うそだ、どうやって」

「どうやって?」

 

 窮屈、だったのだろう。

 固くなった身体をほぐすように。世界を救った男は、首を鳴らして言った。

 

「ひたすら殴って、壊して出てきた」

「は?」

「だから、ひたすら殴って、壊して出てきた」

 

 手の皮が剥がれ落ち、血だらけになった拳を、勇者はそれでもなお、強く握りしめる。

 

 泣いている女の子がいる。笑っている悪魔がいる。

 そういう光景を、勇者はこれまで、飽きるほど見てきた。世界を救う過程で、数え切れないほど目に焼きつけてきた。

 

「おい、悪魔。お前、さっき一発殴ったよな?」

 

 そういう絶望を、勇者はこれまで飽きるほど壊してきた。

 だから、手の皮が剥がれ落ち、血だらけになった拳を、勇者はそれでもなお、強く強く握りしめる。

 

「まずは、一発だ」

 

 これからも、壊し続けるために。

 少年の姿をしたバケモノの顔面に、拳が突き刺さった。




今回の登場人物
・勇者くん
 ピンチになってエンジンがかかった。基本的にスロースターターの主人公気質。

・賢者ちゃん
 外に放り出された。

・女騎士ちゃん
 外に放り出された。

・死霊術師さん
 死んだ状態で静止中だが、どうせ死なないだろうと悪魔に武闘家さんごと外に放り出された。

・武闘家さん
 キレるとこわい。ババアは禁句。死霊術師さんをハートキャッチ(物理)してたが、ハートキャッチ(物理)の状態のまま外に放り出された。

・赤髪ちゃん
 何もない状態で世界に放り出されたので、まず何者であるかの証明がほしかった。

・最上級悪魔くんちゃん
 勇者相手に勝ち誇ってたら、一話も保たなかった。




今回の登場魔法
固有魔法『哀矜懲双(へメロザルド)
 最上級悪魔、ジェミニ・ゼクスの固有魔法。自分自身と触れている対象を、視界の中にあるものと入れ替える。瞬間移動、テレポートのような使い方でトリッキーな運用がメインだが、最も強力なのは、ジェミニが二人で一人の悪魔であること。ジェミニAが見ているものを、離れた場所にいるジェミニBが触れているものと入れ替えることなども可能。そのため、魔法の応用性に関してはトップクラスの性能を誇る。


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そして、少女は恋をした

 あー、すっきりした。マジですっきりした。

 クソ悪魔を殴り飛ばした手を開いて、軽く振る。外に出れたらとりあえずあのニヤケ面に一発ぶち込んでやろうと考えていたので、本当に清々した気持ちだ。吹っ飛ばした悪魔は、きれいに壁をぶち抜いて、外へすっ飛んでいった。これで殺せたとは思わないが、簡単には戻ってこれないだろう。

 とはいえ、敵を殴り倒したところで、泣いてる女の子が笑顔になるわけではない。暴力は問題を解決するための手段の一つではあっても、根本的な解決策には成り得ない。おれはそこそこ長い旅の中で、それを痛いほど学んでいた。なので、まずは座り込んでいる赤髪ちゃんに手を伸ばす。

 

「大丈夫?」

 

 声をかけると、彼女は驚いた様子で顔をあげた。

 ひどい顔だ。目元は真っ赤になっていて、腫れ上がっている。流れた涙の跡が筋になっていて、頬を汚している。べっぴんさんが台無しだ。

 

「……あの時と、同じですね」

 

 その返答には、少し間があった。

 

「あの時も勇者さんは、わたしに……わたしのことを、そう言って助けてくれましたね」

 

 しゃくりあげながら話す赤髪ちゃんの言葉選びはガタガタで。言われてみればそうだったかもしれない、と。はじめて会った時のことを思い返す。

 はじめて会った時も、随分ひどい顔をしていた。一緒に過ごす時間を重ねて、一緒に交わす言葉を重ねて、ようやく少し、笑ってくれるようになった。そう思っていた。

 

「勇者さんは、やっぱり勇者さんなんですね。こんなわたしを、何度も何度も助けてくれて……」

 

 違う。おれは勇者失格だ。助けたいと思った女の子に、こんな悲しい顔をさせている時点で、おれは勇者の風上にも置けない、情けない男だ。

 呼んでもらえる名前があったら、勇者という称号を今すぐにでも返上したい。穴があったら、入りたいくらいだ。

 

「でも、もういいです」

 

 女の子は、そんな情けないおれに向かって、それでも優しく微笑んでくれた。

 自分が一番つらいはずなのに、泣きながら笑ってくれた。

 

「わたし、魔王だったらしいんです」

 

 笑顔を添えないと、彼女自身が壊れてしまいそうな、残酷な告白だった。

 

「もう気づいているかもしれないですけど……わたしを生き返らせてくれたのは、死霊術師さんです。最初から、全部仕組まれていました。勇者さんと出会うことも、一緒にいることも、全部全部、あの悪魔に仕組まれていたんです」

「うん」

 

 予感はあった。違和感もあった。

 

 ──は、はじめまして。わたしは

 

 賢者ちゃんと会った時。

 

 ──でも、本物のお姫さまに会うなんて、多分はじめてですよ

 

 騎士ちゃんと会った時。

 

 ──えええええええ!? パーティーメンバー、四人じゃなかったんですか!? 

 

 師匠と会った時。

 

 赤髪ちゃんは、はじめて出会うおれの仲間に、いろいろな反応を見せてくれたが、死霊術師さんと会った時だけは、一言たりとも言葉を交わしていなかった。予感はあった。違和感もあった。だから、本来なら問い詰めるべきだったのだ。

 でも、おれはそんなことがあるわけないって、自分に言い聞かせて誤魔化していた。魔王の死体はもう残っていない。だから、死霊術師さんが関わっているわけがない、と。彼女の願いを果たせていなかったから、彼女を殺すことができなかったから、なんとなく負い目があったのかもしれない。でも、それは自分の不甲斐なさを言い訳にして、現実から目を背けて、死霊術師さんを信じているふりをしていただけだ。

 おれの甘さが、この子を、こんな風に泣かせてしまった。

 

 

 

()()()()()()、と言われたんです。あの悪魔に」

 

 

 

 絞り出された言葉が、なによりも痛かった。

 

「わたしが、魔王だった頃の一部は、勇者さんの中にあるから……だから、勇者さんと一緒にいて、好きになって、互いに心の結びつきが強くなれば、わたしはわたしに戻れるって。あの悪魔は言いました」

 

 視線が、おれから離れる。

 

「おかしいですよね。わたしは、魔王だったわたしなんて知らないのに。戻れるって言われても、昔の自分なんてわからないのに」

 

 俯いた顔の陰から、ぽたぽたと。また大粒の雫が落ちる。

 

「おかしいですよね。わたしには大切な思い出なんて一つもなくて、自分のものだって胸を張って言えるものは名前しかなくて。その名前が、絶対に伝わらない、聞こえない人を、好きになれ……なんて」

 

 それを口にする度に、つらいのは自分のはずなのに、彼女はそれを言葉にすることをやめない。

 

「命令された相手を好きになるなんて、絶対にありえないと思っていました」

 

 下を向いて、彼女は思いを吐いて、吐いて、吐いて。堪え切れないように吐き出して、

 

「でも、好きになっちゃいました」

 

 それだけは、おれの顔をはっきり見て、言ってくれた。

 

「……」

 

 気の利いた言葉が出てこなかった。目の前で泣いているのに、声が出てこなかった。

 項垂れていたのがまるで嘘だったかのように、彼女は背筋を伸ばして立ち上がる。おれに背を向けて、歩き出す。

 

「……わたしの魂は、強引にこの器に入れられたもの。次に死ねば、元通りにはならないと、あの悪魔も言っていました」

 

 彼女の言っていることが、よくわからなかった。

 死んだら、もう元には戻れない。特殊な蘇生だからこそ、死霊術師さんの魔法を使っても、死んだら取り返しがつかない、と。

 

 だから、なんだ? 

 

「わたしは、みなさんを騙して、取り返しのつかないことをしてしまいました。これで、罪が償えるとは思っていません。でもせめて、責任くらいは負わせてください」

 

 大穴が空き、風が吹き抜ける壁だった場所の前で、彼女は足を止めた。

 くるり、と。振り返ったその表情に、おれの全ては釘付けにされる。

 

 

「ありがとう。大好きでした」

 

 

 笑顔だった。

 きれいな長髪が、風を孕んで大きく揺れる。羽のように広がった、その焼けるような赤と共に。

 止める間もなく、背中から落ちていく。彼女の体は、空の中へと消えて行った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「勇者さんがどんな人か、ですか?」

「はい。お会いする前に、知っておきたくて」

 

 少女の質問に、死霊術師は首を傾げた。

 慇懃な態度の裏に、どこか少女を馬鹿にしているような態度が滲んでいた悪魔とは違い、死霊術師の態度には裏表がなく、話しやすかった。そもそも、目覚めてから最初に会った人間が彼女だったので、小鳥の雛の刷り込みのように、親近感が湧いていたのかもしれない。

 何一つ記憶はないくせに、思考を回していると知識が自然と湧いてくる。少女は、そんな自分の頭の中が気持ち悪かった。

 

「すてきな方です」

 

 口数が多いはずの死霊術師は、しかし質問への回答を、たった一言でまとめた。

 

「あの、それだけ……ですか?」

「あら、それ以上何か必要ですか?」

 

 死霊術師は、素知らぬ顔で少女の体に手を当てて、健康状態を細かくチェックする。しばらく考えてから、朱色が引かれた唇が、また開いた。

 

「男は、女性という花を落とすために、言葉を尽くして口説くものです。ですが、女は男性のために、言葉を尽くす必要はありません。言葉にしてしまったら、無粋なものもありますから」

「じゃあ、相手に好意を伝えるためには、何を言えばいいんですか?」

「簡単ですわ」

 

 死霊術師は、すぐに答えを示してくれた。

 

「大好き、と。ただそれだけを伝えればいいのです」

 

 とてもシンプルで、わかりやすい答えだった。

 

「……でも、わたしがその人のことを好きになるとは限りません」

「まあ、それはそうですわね。あの悪魔も乙女心がわかっていないと言いますか、二人いるわりには頭が回らないと言いますか……」

「リリアミラさん、意外とあの人達のこと、悪く言いますよね……」

「あら、当然ですわ。わたくしがこの世で心からお慕い申し上げているのは、世界でたった二人。勇者さまと魔王様だけですから」

「はぁ……なるほど」

 

 明日には、この場所を出発して、勇者に会いに行く。何の事情も知らない追手が手配されて、勇者に助けてもらう。そういう出会いができるような計画になっている。

 

「……わたくしは、あなたに酷いことをしています」

 

 尊敬と友愛と。それ以外にも様々なものが入り混じった表情で、リリアミラは少女の頬に手を添えた。

 

「恨んでくれて構いません。憎んでくれて結構です。わたくしは自分自身の想いを成就させるために、あなたを蘇らせたのですから」

 

 不思議と、不快ではなかった。何故か、彼女の言葉には少しだけ嘘が混じっているのを感じた。

 なんとなく、この指の感触を、少女は知っている気がした。

 

「……よく、わかりません。あなたのことも、勇者のことも」

「そうでしょうね」

 

 率直な気持ちを述べると、やはり死霊術師は薄く微笑んだ。

 

「それでもきっと、あなたは勇者さまを好きになると思いますわ」

「……魔王も、勇者が好きだったんですか?」

「さて、それはどうでしょう?」

 

 横になった少女の体に、死霊術師は優しく毛布をかけた。

 

「その答えはわたくしではなく、あなた様の心の中にあるはずですわ」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 空に墜ちる。

 魔王になったら、きっと今の自分は消える。なら、この死に方はもしかしたらすごく幸せなのかもしれないと、少女は思った。

 結果に後悔がないと言えば嘘になる。だが、選択に悔いはなかった。

 自分が死ねば、悪魔とリリアミラの計画は失敗する。魔王は、復活できなくなる。勇者は、人々の名前を取り戻せなくなる。

 

 けれど、自分は、自分のまま死ぬことができる。

 

 それはきっと、少女にとって最初で最後の、最高のわがままだった。

 

 限られた時間の中で、彼といろいろなことをした。ご飯を食べて、かわいい服を着て街を歩いて、海にも入って、空まで飛んで。そのどれもが、最高に楽しかった。

 でも、シャナは、アリアは、ムムは、リリアミラは、自分なんかよりも、もっともっと長い時間、彼と一緒に、彼の隣で冒険していたのだ。

 

 ずるいな、と少女は思う。

 だってそんなの、勝てるわけがない。

 

 賢者は、勇者のことを愛していた。口では憎まれ口を叩いていても、彼のために尽くし、彼のために努力する。その姿に、自分とは比べ物にならないほどの、たくさんの愛を感じた。

 

 いいな、と思う。

 

 騎士は、勇者のことを愛していた。ずっと前から冒険を支え、彼のことを心から想いやり、彼の隣で屈託なく笑う。その姿に、自分とは比べ物にならないほどの、あたたかな愛を感じた。

 

 うらやましいな、と思う。

 

 武闘家は、勇者のことを愛していた。一人の弟子として勇者を導き、短い時間の中で少女にも多くのことを教えてくれた。その背中に、自分とは比べ物にならないほどの、決して変わらない愛を感じた。

 

 すごいな、と思う。

 

 死霊術師は、勇者のことを愛していた。在り方が歪んでいたとしても、彼を信じ、自分の想いを迷いなく貫き通そうとする。その姿に、自分とは比べ物にならないほどの、きれいな愛を感じた。

 

 勝てないな、と思う。

 

 そうだ。認めよう。認めなければならない。

 少女は勇者に恋をして、でも彼の隣にはもうたくさんの愛があって。

 自分は、彼女達に嫉妬していた。ほんの一月にも満たない時間、彼の隣にいただけなのに、一人前の女のように、嫉妬していたのだ。

 彼女達と話す時だけは、勇者は少女の知らない顔になっていた。

 彼らの愛は、名前が失われただけでは、絶対に揺らがない。

 だから、妬いて、妬んで、欲しがって。なんて見苦しいんだろう。なんて浅ましいんだろう。なんて愚かなんだろう、と。自分で自分が、恥ずかしくなる。

 

 でも、それが本当だった。それが本物の気持ちだった。

 

 魔王になって消えるくらいなら、自分から消えることを選んで。

 勇者の中に、自分の存在を刻みたかった。

 彼は名前が聞こえないから。せめて、思い出だけになっても、彼の中に。

 

「バカだ、わたし」

 

 漏れ出た声は、一瞬で風に溶けて消えていく。

 でも、これで最後だ。これが最後だ。だから、少しくらいのわがままは許してほしい。

 

 この気持ちが矛盾しているのはわかっている。

 それでも。

 自分以外の女の子が、彼の隣で幸せに笑う未来が、きっとあるはずだから。

 その幸せを、祈りたい。

 

 体を丸めて、目を閉じる。自分の身体を、自分で抱き締める。

 風を切る音。空気を裂く音。

 ただその音だけが満ちている、と思っていた。

 

「手を」

 

 声が聞こえた。

 

 

 

「手を伸ばせ!」

 

 

 

 大きな声が、はっきりと聞こえた。

 

「え」

 

 無意識のうちに、手が伸びた。そんなに長く伸ばしたつもりはないのに、一瞬で掴まれて、引き寄せられた。最初に会った時よりも、その力はずっとずっと強かった。

 目蓋を開くと、彼の顔があった。

 

「勇者、さん」

 

 その名を呼ぶ。その名を呼んで、はじめて理解する。

 どうして、この人が世界を救ったんだろうと、疑問に思った。どうしてこんなにやさしい人が呪いを受けて苦しまなきゃいけないんだろうと、やるせなかった。

 違うのだ。

 こんなところまで、自分を追いかけて、手を伸ばして、まだ強引に、この手を繋ごうとしてくれる。強いからじゃない。世界を救ったからじゃない。

 だから、この人は勇者と呼ばれているのだ。

 

「おれは聞いたぞ!」

 

 怒声が、吹きつける風を裂いた。

 それは、少女がはじめて見る顔だった。とても怒った顔だった。

 繋いだ手から伝わる熱が、冷めきっていたはずの心を引き戻す。

 

「覚えてるか!? 最初に会った時、きみは、なんて言った!?」

 

 ああ、覚えている。忘れるわけがない。

 

「忘れたなんて、言わせない!」

 

 その気迫に気圧されて、あの時と同じように。少女はそっと口を開いた。

 

「死にたく、ない……」

「今は!?」

「え」

「今はどうだ!?」

 

 勇者は、少女に問う。

 死にたくない、と。ただそれだけを、縋るように呟いていたあの頃から。

 

「おれと一緒に! 世界を見て! どう思った!?」

 

 何を見て、何を感じて、少女の心の、何が変わったのかを、彼は問いかける。

 

「……ご飯が、美味しかったです」

「ああ! 美味かったな!」

 

 食べることは、生きることだ。

 たとえ心がくじけても、おいしいものを食べれば、嫌なことなんて忘れられる。ものを食べる、ということにはそういう力がある。

 少女は、それを知った。

 

「また食おう! もっと食おう! もっともっと、世界中のおいしいものを食べに行こう!」

 

 馬鹿みたいな提案に、けれど彼女は全力で頷く。

 

「きれいな服を着れて……うれしかったです」

「ああ! 赤髪ちゃんは美人だけど、かわいい服を着たらもっとかわいくなる!」

 

 服を着ることは、心を飾ることだ。

 着飾ることは、偽ることではない。自分をもっと好きになるための、人間の知恵と工夫。美しさの答えだ。

 少女は、それを学んだ。

 

「いろんな服を着よう! おれだけじゃない! 騎士ちゃんや賢者ちゃんと一緒に、たくさんお洒落すればいい!」

 

 ある意味男らしい、けれど一歩引いた提案に、彼女はくすりと笑う。

 

「……動物を、飼ってみたいです。大事に、育ててみたいです」

「ああ! なんでも飼おう! でも、世話はちゃんとしないとおれが怒るからな!」

 

 命は、育むものだ。

 人間だけではない。どんな生き物も、この世界で生きて、その生を謳歌する権利がある。

 少女は、それを体験した。

 

「あと、命を大事にするなら、まず自分のことを大切にしないとな!」

「っ……はい」

 

 身を以て、彼の隣で、教えてもらった。

 掴まれた手の力は、まだ強い。もう離さない、というこの気持ちは、今だけは自分だけのものだ、と。

 そう自惚れても、良いのだろうか? 

 

「勇者さん」

「なんだ!?」

「お願いをしても、いいですか?」

「もちろん! おれにできることなら!」

「……わたしは、勇者さんと──」

 

 二人の体が、雲を抜ける。

 太陽が、眼下に広がる大地を、固く手を繋いだ青年と少女を、どこまでもどこまでも、鮮やかに照らし出す。

 

 

 

「──勇者さんと、冒険に行きたい!」

 

 

 

 まだ見ぬ空を、まだ見ぬ大地を、まだ見ぬ世界を求めるその声は、輝きに満ちていた。

 

 生きたい、と言っていた。

 

 少女の、最も強いその叫びを聞いて。

 勇者は、はじめて呆気に取られたように、目を丸くして。

 少女は、そんな彼の表情がおかしくて。

 全身で風を感じて、落ちていくまま、手を繋ぎ合ったまま、見詰め合って。

 

「……うん。一緒に行こう」

 

 最後だけは、大声ではなく。

 囁くように、勇者は約束をした。

 彼は、少女のその華奢な体を、力いっぱい抱き締める。生きることを決意した、心臓の鼓動を、全身で感じて受け止める。

 

「行こう」

「はい」

 

 大空の中で、この瞬間だけは、勇者と少女は二人きりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、これ着地どうしようか……」

「え」

 

 鼻が触れそうな距離で、少女の顔からさっと血の気が引いた。

 

「……なんにも考えてなかったんですか?」

「うん」

「こんなに、こんなにかっこよく助けに来てくれたのに?」

「必死だったからね」

「空を飛べたり、しないんですか?」

「いやほら、おれ、鳥じゃないし」

「……」

「……」

 

 また、しばらく見詰め合う。

 

 

 

「どうするんですかぁ!?」

 

 

 

 うわ、生きることを決めた声、マジで元気だな、と。抱き締めたまま、勇者は耳を塞ぎたくなった。

 

「いやだから、どうしようって相談をしているんだよ。今、現在進行系で」

「勇者さんそういうところありますよ! 前にわたしを放り投げた時もそうだったじゃないですか!?」

「あれは仕方ないでしょ。師匠いたし」

「結果論じゃないですか!? どうしてもうちょっと後先考えて行動できないんですか!?」

「はーっ!? 後先考えたら間に合わないこともあるでしょうが!? 世界を救ったり女の子を助ける時は、迷ったら負けなんだよ!」

「いやだーっ! 死にたくない! 死にたくないです!」

「さっきまで自分から死のうとしてたのに、めちゃくちゃ生きようとするじゃん!?」

「ダメですか!?」

「いや、めちゃくちゃうれしいけどね!」

 

 そんな馬鹿なやりとりをしている間に、地面がどんどん近づいてくる。

 もうだめか。腕に全魔力を集中して、潰す覚悟で衝撃を殺すしかないか、と。勇者が少女を抱きとめていた片手を解き、構えた、その瞬間、

 

 

「セーフ」

 

 

 地面と顔がキスをする、直前。二人の身体は逆さまのまま、まるで空中に浮遊しているかのように、唐突に静止した。

 

「よっ」

「師匠……助かりました」

 

 ぎりぎりのところで滑り込むようにして二人の身体を静止させた武闘家は、止まったままなのをいいことに、抱き合っている二人の体勢をじろじろと眺めて、それからとても満足したように頷いた。

 

「うむ。仲が深まったようで、なにより」

「あ、いや、これはその……」

 

 あたふたと慌てて動こうとした少女だったが、ムムの魔法の前には為す術もない。

 

「はいはいはい。そういう反応はいらねーんですよ。まったく……」

 

 足早に寄ってきたシャナがさっと杖を一振りして、二人の身体に蓄積していた運動エネルギーを逃がす。それでようやく、ムムは静止の魔法を解除した。

 

「ところで師匠。なんで右腕に死霊術師さんを突き刺したまま持ち歩いているんですか?」

「コイツが裏切った上に、わたしに、生意気な口を利いたから」

「なるほど」

「勇者くん! 赤髪ちゃん! 無事でよかった〜!」

「騎士さん! みなさんも、やっぱり生きてたんですね!」

「やっぱりとはなんですか。やっぱりとは。普通はあの高さから外に落とされたら死ぬんですよ。まあ、私達はご覧の通り最強なので、ピンピンしていますが」

 

 まだ固く手を握ったままの勇者と少女を、シャナはじっとりとした目で眺めて、深い溜め息を吐いた。

 

「大丈夫か、とは……もう聞きませんよ。その人に、随分甘やかされたようなので」

「っ……はい!」

「良いでしょう。では、さっさと立ってください」

 

 上空を睨み据えて、賢者は警告する。

 

「ヤツらが来ますよ」

 

 まるでそれが合図だったかのように、雲が割れた。

 空気を震わせる轟音と共に、翼をはためかせ、爪を突き立てて、巨大な化物が大地に降り立つ。

 

「さっすがだねぇ! 勇者さま!」

「魔王様を助けてくれて、ありがとう! 助かったよ」

 

 モンスターの王。竜の頭頂部に、跨るようにして、悪魔の双子が座っていた。

 

「あれですか、黒幕は」

「ていうか、ドラゴンとの契約、あっちに取られてない?」

「本当に、面倒。つくづくこの女、悪いことしかしない」

 

 全員が口々に文句を言っていたが、しかしようやく倒すべき敵が見えたことに、間違いはない。

 シャナは杖を、アリアは二振りの大剣を、ムムは腕に突き刺した死霊術師を構える。

 

「じゃあ、魔王様をこっちに渡してもらっていいかな?」

「断る、と言ったら?」

「もちろん、力尽くで奪い取るよ」

「大した自信だな」

「勝算があるからね」

「そうか」

 

 勇者は、一歩、前に出た。

 騎士は、その隣に並んで大剣を真横に倒した。

 賢者は、大剣にそっと触れ、聖剣であるはずのそれを一瞬で複製し、勇者に恭しく手渡す。

 武闘家は、無言のまま勇者の背を守るように立った。

 

「やる気だね」

「勝算があるからな」

「傲慢だね」

 

 勇者がオウム返しにした言葉に、悪魔もはじめて会った時と同じ皮肉で答えた。

 しかし勇者は、その皮肉こそを鼻で笑う。

 

「傲慢、大いに結構」

 

 構えた剣に、迷いはない。

 突きつけた意志に、曇りはない。

 

「世界も、女の子も、両方救う。それが勇者だ」

 

 世界を救い終わった勇者の、たった一人の少女を助けるための戦いが、今、始まる。



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そのパーティー、最強

 威勢の良い啖呵を切って、今度こそあのいけ好かない悪魔の息の根を止めるために、先陣を切ろうとしたおれは……しかし、賢者ちゃんに首根っこを掴まれて、止められた。

 

「まってください、勇者さん」

「ぐぇ」

 

 首が締まって、情けない声が出た。

 なんだなんだ。これからかっこよく戦闘開始、って時に。

 

「何か、忘れていませんか?」

「何かって……あ」

 

 さすがに、賢者ちゃんは冷静というべきか。おれも知らず知らずのうちに頭に血が上っていたのだろう。言われてから、ようやく気がついた。

 目の前には、おれたちが乗っていた船を牽引していた、巨大なドラゴンがいる。豪華客船という重荷を捨てて、身軽になった竜は、従順に悪魔に付き従っている。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()、だ。

 

「船……どこいった?」

「あ」

 

 やはり、言われて気がついた、といった様子の赤髪ちゃんが、空を見上げて体を青くする。その反応で、もう何も言わなくてもわかった。何も言わなくてもわかってしまったが、わかっていても上を見上げてしまう。

 視界が、覆われそうだった。

 雲を突き抜けて、おれたちの頭上に、死霊術師さんが己の財を投じて作らせた豪華客船が、真っ逆さまに落ちてくる。

 

「船がっ……船が、落ちてきます!?」

 

 説明ありがとう赤髪ちゃん。

 そりゃそうだ。ドラゴンが上空で牽引用ワイヤーを切り落として急降下してきたなら、そのあとにぶら下げていたものが落ちてくるに決まってる。まさか自由落下でおれたちの上に落ちてくるとは思わなかったけど。

 あの双子悪魔どもが、やけに自信満々な理由の一つがわかった気がした。

 

「ごめんね、勇者さま」

「初手から、チェックをかけさせてもらうよ」

 

 まるで船の落下が合図であったかのように、ドラゴンが口の中に炎を充填し始める。最上位のモンスターであるドラゴンが吐き出すブレスは強力無比。まともに食らえば、一発で全滅する。

 

「む……」

 

 船を止めるために、死霊術師さんを腕に刺したまま先んじて動こうとしていた師匠が、立ち止まった。その攻撃態勢を見て、迷う様子を見せる。

 無理もない。うちのパーティーで確実に、絶対に攻撃を止めることができるのは、師匠の魔法……『金心剣胆(クオン・ダバフ)』による『静止』のみ。いわば師匠の存在は、防御の要だ。

 前門の竜の火球。直上から落下する豪華客船。異なる方向から同時に襲ってくる、大規模な範囲攻撃に対応するためには、どうしても一手足りない。

 

「よく考えたな……」

「感心してる場合じゃないです! どうするんですか!?」

 

 赤髪ちゃんの言うとおり、感心してる場合ではない。

 

「賢者ちゃん」

「船の中を魔術探査しましたが、あの女が言うところの『一般客』とやらは、いませんでしたよ。自分の職員も乗せていたのは側近だけで、彼らもすでに脱出させていたようです」

 

 おれが欲しい答えを、賢者ちゃんはすぐにくれた。

 ということは、あの船はもう無人か。

 

「それなら、なんの問題もないな」

「へ……?」

 

 何を言ってるんだ、という目で赤髪ちゃんはおれを見たが、おれから言わせてもらえれば、そっちの方が何を心配しているんだ、と言いたい。

 

「師匠はドラゴンへの対応を」

「ん。わかった」

 

 おれたちは、世界を救ったパーティーだ。

 この程度のピンチは、まったくもってピンチの内に入らない。

 

「おわりだよ! 勇者さま!」

 

 終わらねぇよ、馬鹿が。

 

「上は任せた」

「まかされた」

 

 指示と同時に、おれが背中を預ける騎士は、頷きもせずに上空へと跳躍した。同時に、かわいらしい白のワンピースがうっすらと透けて消失し、瞬きの間にその全身が蒼銀の鎧を身に纏う。頭兜が金の髪を包み込み、表情の全てが完璧に覆い尽くされる。

 右手には、火の聖剣。左手には水の聖剣。

 彼女が振るえば、それは炎と氷に変わる。

 両手に構えたそれらが、まるで飛び立つ鳥の羽根のように広がって。

 

 一刀両断。

 

 豪華客船を、二つに切り分けた。

 

「いっ……!?」

 

 うーん、お見事。

 どうだ、うちの騎士さまはすごいだろ!と大いに自慢したいところだったけれど。驚く赤髪ちゃんにかまってあげる暇は、さすがにもうない。おれは剣を構えて、叫んだ。

 

「なるべく細かく頼む!」

「注文多いなぁ!」

「できない?」

「はあ?」

 

 騎士の声のトーンが、一段深く落ちる。

 

「誰に言ってんの?」

 

 それが大剣であることが嘘のように、立て続けに斬撃が炸裂する。大剣を片手で振るう魔力の身体強化と、積み重ね、習熟された剣技がなければ、絶対に不可能な所業だ。これ、騎士ちゃんもまた腕上げてますね。おれも負けてられねぇわ。

 大まかに炎の剣でカットされた船のパーツはそれでもまだ一つ一つが巨大で、頭上に落ちれば命はない。とはいえ、ここまで細かくなれば、あとは砕くだけで事足りる。

 赤髪ちゃんと賢者ちゃんの頭上に落下してくる船の残骸を、おれは大剣を振りかぶって破砕し。騎士ちゃんは左手を翻して、氷の波で切り裂いたそれらを押し流した。

 

「……この船、保険とか下りるんですかね?」

「知らん」

 

 賢者ちゃんは守銭奴なので、そこらへんの事情が気になるのだろうが、それについても考えている暇はない。

 落下する大質量に対処したのも、束の間。すでにドラゴンはブレスを撃ち放ち、巨大な火球がおれたちを飲み込もうとしていた。見事な挟み撃ちだ。

 

 まあ、まったく問題ないが。

 

「おい、死霊術師」

「っ……ハァ! 武闘家さま! ようやく心臓への『静止』を解いてくださったのですね!? とりあえず、勇者さまにお話を……」

「今から、多分少し、熱い」

「熱いってな……ちょ、あなたまさか……」

 

 死霊術師さんを装備したまま、師匠は巨大な火球に躊躇いなく手を触れた。

 炎の揺らめきが、流れが、この世の法則の全てを無視して、空中で静止する。

 その魔法を知っているはずの赤髪ちゃんが、その有り得ない光景に、目を見開いた。

 

「炎が、止まって……!」

 

 はじめて見たら、驚くのも無理はないだろう。魔術には理屈があり、理論があるが、魔法は違う。理屈も理論も笑い飛ばして、世界を根本から塗り替えるのが『魔法』という力の本質。

 故に。師匠が触って止めることができる、と認識したものなら、『金心剣胆(クオン・ダバフ)』はそれを絶対に静止させることができる。

 ついでに補足するならば、おれの師匠は意外と負けず嫌いなところがあるので、攻撃を止めた程度では絶対に満足しない。小柄な幼女は、自分の身の丈以上の妖艶な美女の足首をひっ掴み、魔法で固めた状態で一本の棒のようにして、空中でそれを振りかぶった。

 

「よっ──」

 

「は? まってくださいまってくださいそんなことをしたらわたくしの体がやめろクソババ……」

 

「──せい」

 

 気の抜ける掛け声にもなってない掛け声と共に、師匠は必死の制止を無視して、静止させた死霊術師さんを片手でフルスイング。ものすごい悲鳴が聞こえた気がしたが、途中で熱に焼かれて跡形もなく消える。

 

 問題、ドラゴンのブレスは打ち返すことができるか? 

 正解、仲間との絆があれば打ち返せる、だ。

 

「は?」

 

 悪魔の間抜けな声も聞こえた気がしたが、それすらも飲み込んで。師匠が打ち返した火球の剛速球は、寸分違わずドラゴンの頭部へと返され、直撃した。

 自分が吐き出したものとはいえ……いや、自分が放った攻撃だからこそ。モンスターの王もさすがにただでは済まなかったらしい。絶叫を響かせて、竜は激しく頭を揺らし、のたうち回った。

 

「ありがとうございます、師匠。たすかりました」

「ふ……我ながら、完璧なスイング。これなら、王都の野球で、プロデビューも狙える」

 

 師匠はいたく満足した様子で、焼け落ちて持ち手……もとい、足首しか残っていないバット……もとい、死霊術師さんを地面に放り捨てた。

 

「師匠は身長制限で選手にはなれないと思いますよ」

「身長、制限……? あ、ごめん勇者。あのバット、捨てた」

「ああ、いいですよ」

 

 おれは足首しか残っていない死霊術師さんを見て、溜め息を吐いた。

 

「どちらにせよ、そろそろ生き返らせないと、全員集合できませんから」

 

 

 

 

 

 驚愕という言葉すら、生温い。

 

「くそ」

「くそっ!」

 

 回避はした。しかし、悪魔は無傷ではなかった。

 ジェミニは打ち返されたドラゴンの火球が直撃した瞬間に、自身の固有魔法……『哀矜懲双(へメロザルド)』で位置の入れ替えには成功したものの、半身である少女の体は痛々しい火傷を負っていた。もちろん、ジェミニの外見は人間の皮を被ったもので、その中身は完全に別のモノである。皮膚の表面を焼く程度の火傷では、致命傷には成り得ない。

 しかし、ジェミニの全身は燃えるように熱かった。

 

「「この、くそったれが……!」」

 

 二つの体の内側から、怒りと屈辱が炎のように沸き上がる。

 見くびっていているわけではなかった。

 最初から全力で潰そうとしていた。これで仕留めるつもりでいたのだ。それでも、勇者という存在は、勇者パーティーという存在は、あまりにもあっさりと悪魔の想像を超えてきた。

 

「魔王さまは……」

「魔王さまは、どこだ?」

 

 ジェミニは、目を見開いて正面を見た。落下した船の残骸によって、凄まじい砂埃が巻き上がっている。ジェミニが最も視界の中に収めたい、赤髪の少女の姿は砂埃に隠れて見えなかった。

 

「ちっ」

 

 だが、よろよろと立ち上がる、半裸の女性の姿は見えた。少年は、ニヤリと笑みを浮かべる。次の瞬間には、少年の姿はかき消え、女性のすぐ近くに転がっていた船の残骸と入れ替わった。

 

「おい、リリアミラ」

 

 一瞬で自分の目の前に転移してきた悪魔に驚いた様子もなく、リリアミラ・ギルデンスターンは、乱れた黒髪の隙間から、見上げるようにジェミニを見た。

 

「仲間にいいように使われて、ひどい有り様だな。はやく、ぼくと一緒にこっちに来い」

 

 勇者のパーティーは、たしかに最強だ。魔王を倒し、世界を救い、その力を疑うものは、この世界に誰一人として存在しない。

 最強とは、最も強い、ということ。だから倒せない。だから勝てない。

 ならば、と。悪魔は、逆に考えた。敵が最強であるのなら、その一部を取り込み、こちらも最強になってしまえばいい、と。

 

「お前がいれば勝てる。ぼくたちが死んでも、お前がいれば何回でもやり直せる。だから、はやくこっちに来い! ぼくを手伝え!」

「……ですが」

 

 歯切れの悪い返事に、ジェミニの中で何かがキレる音がした。

 

「いい加減にしろよ、このクソ女が! お前はもうパーティーを裏切ったんだよ! 元に戻れるわけがないだろ!」

 

 並べ立てた言葉に、死霊術師が押し黙る。

 

「安心しろ。勇者は殺さない。そういう契約だからな。お前にとっても、悪い取引じゃないはずだ」

 

 悪魔は、彼女の望みの、その核心を突く。

 

「自分の名前を。勇者に呼んでほしいんだろう? リリアミラ・ギルデンスターン」

 

 長い黒髪が、辛うじて女の大切な部分を隠している。リリアミラの体が、大きく揺れた。

 

「さあ! わかったら一緒に」

「おれの仲間に、手を出すな」

 

 差し出した腕は、噴煙の中から飛び出してきた腕に、止められた。

 

「お前……!?」

「死霊術師さん」

 

 声を荒らげて睨む悪魔の一切を無視して、勇者はリリアミラに向かって語りかける。

 もちろん、ジェミニは勇者の腕を振り払おうとした。しかし掴まれた腕は、まるで万力に挟まれたかのように、ぴくりとも動かない。

 それは、ありえない膂力。ありえないパワーだった。

 

 

(身体能力だけで、ここまで差があるのか……? そんな、そんなバカなことが……!)

「おれは、死霊術師さんが裏切ったとは思ってないよ」

 

 悪魔の手を凄まじい力で掴んだまま、勇者は静かに言葉を紡ぐ。

 

「おれは、きみと交わした約束を果たせなかった。だから、きみが不安になって、おれの力を取り戻すために、この悪魔と契約したのは、仕方のないことだ。きみの優しさにかまけていた、おれの怠慢だ」

 

 それは、平坦な口調だった。事実を事実として、受け止めた上で発言している、フラットな口調だった。

 

「海で言ったけど、不安ならもう一度言うよ。何度でも、伝わるまで言う」

 

 それは、本来なら決して仲間に向けるべきではない言葉だった。

 人間の口から出たとはおもえない、悪魔のような一言に、ジェミニは耳を疑う。

 

 

「おれは必ずきみを殺す。殺してみせる」

 

 

 けれどそれは、なによりも熱に満ちた宣誓だった。

 

「だから、こんな悪魔に頼る必要はない。戻ってきてよ、死霊術師さん」

 

 それは、間違いなく。一人の女性に向けられた、たしかな愛の告白だった。

 

「……勇者さま」

 

 強張っていたリリアミラの表情が、ゆったりと。氷の塊が太陽の光で溶け出していくように、やわらかなものに変化していく。

 

「ふ、ふざけるな! 騙されるなリリアミラ! こんな、力を奪われた勇者なんかに、できるわけがないだろう? お前を殺すためには、魔王様のお力が……」

 

 必要だ、と。続く言葉は、しかし最後まで続かなかった。

 

「少し、黙って。そのまま、動かないで。今、勇者が、死霊術師と話をしている」

 

 武闘家が、ムム・ルセッタが、ジェミニの背後に忍びより、背中にそっと触れていた。

 

(こいつら……揃いも揃って!)

 

 動けない。武闘家の固有魔法の特性は、静止。触れた対象の、動きを止める。接近に気がつけなかったのは不覚だったが、そういう魔法である以上、その特性によって口の動きを含めた全身を止められているのは、理解できた。

 理解できたからこそ、勇者を名乗るその男に、魔法も使わず、何食わぬ顔で腕を止められたことが、なによりも悪魔の神経を逆撫でした。

 

「死霊術師さん」

「はい」

 

 艶やかな視線が、勇者に釘付けになる。

 

「そんなことは、ありえないと思うけど……もしも、もしもこのまま、この悪魔と手を組んで、赤髪ちゃんのことを魔王にしようとするなら」

 

 それは、心の内側に染み込むような、

 

 

「おれ、死霊術師さんのこと、きらいになっちゃうよ?」

 

 

 最悪の死霊術師に、ある意味相応しい、最悪の発言だった。

 

 脅しだった。

 

 ──は? 

 

 なんだそれは、と。

 口を挟むことすら、全ての動きを止められた悪魔には許されていなかった。

 

 

「ふぇ?」

 

 

 お前、その声どこから出した?と。

 疑問を口にすることすら、今のジェミニにはできなかった。

 

「わたくしのことを?」

「うん」

「きらいに?」

「うん」

「それはつまり」

「うん」

「わたくしのことを、殺してくださらない、ということですか?」

「そうそう」

 

 妖艶な美女の、絵画のような横顔が崩れて歪む。

 

 

 

 

「い、いやですぅー!?」

 

 

 

 両手を広げ、両足を広げ、涙目になって……じたばた、と。どうして見えてはいけない部分が見えていないのか、不思議になるような体勢で、リリアミラは地面に寝転がったまま、全身でいやだいやだと駄々を捏ねた。

 

「いやですいやですいやです! わたくし、勇者さまに嫌われたくありません!」

「うん、だよね」

 

 当然のように、勇者はそれを肯定する。

 

「じゃあ、戻っておいで」

「はい!」

 

 素肌を晒しているのも気にせず、リリアミラは勇者に抱きついた。

 ちっ、という深い舌打ちが背中から聞こえて、その冷たさにジェミニの背筋は凍るようだった。

 対照的に、最高に幸せを滲ませた表情で、リリアミラは銅像のように固まったジェミニを見る。

 

「申し訳ありません。悪魔さま」

 

 やめろ。

 

「あなたの提示してくださった条件は、とても魅力的だったのですが……」

 

 やめろ。

 

「勇者さまに嫌われてしまったら、わたくしの人生は、なんの意味もないので……」

 

 やめろ。

 

「あなたさまとの契約は、ここまでにさせていただきます。今まで、お世話になりました」

 

 やめてくれ!と。叫ぶことすら、全てを止められたジェミニは許されていなかった。

 パーティーの一角を崩す、という悪魔の勝利の目算が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。

 

「じゃあ、そういうわけなんで」

 

 まるで迷子だった仔猫を見つけたような気軽さで、勇者は言う。

 飛びついてきた死霊術師を抱きかかえたまま、剣を振り上げる。

 

「お前は、消えろ」

 

(転移を……)

 

 もうなりふり構ってはいられない。自分自身を魔法によって転移させようと、ジェミニは視線の先に意識を集中したが、

 

哀矜懲双(へメロザルド)が、発動しない!?)

 

「動かないで、って。さっき、言った」

 

 ムム・ルセッタの『金心剣胆(クオン・ダバフ)』は、触れた全てを『静止』させる。

 それが魔法であったとしても、同じ魔法であるのなら、例外はない。

 

 悪魔の肩に、大剣が食い込み、肉が裂ける音がした。




今回の登場人物

・勇者くん
 比較的まともな心の持ち主のはずだが、死霊術師さんと絡んでいる時だけドロドロのヤベー彼氏みたいな言動になる。

・わかりやすく状況説明を行うリアクション芸人
 赤髪で魔王。勇者くんと死霊術師さんの関係にちょっとドキドキしてる。どちらかといえばS。

・賢者ちゃん
 一見、Sに見えるがその実はM。

・騎士ちゃん
 くっ、殺せ、とか言えないタイプの強すぎる女騎士。早くドワーフに謝って女騎士をやり直してきた方がいい。SかMかで言えば間違いなくドS。敵を切り倒してる時に強くなってる実感を得てキャッキャしてるタイプ。わりと頭兜の下とかが見せられない表情になっている。
 今回も、勇者くんに頼られて内心ウハウハだった。

・武闘家さん
 打率十割。

・死霊術師さん
 半裸の痴女。精神性と挙動が幼児で、何かある度に裏切る峰不二子みたいなタイプ。地獄の底まで突き抜けたドM。

・動けなかった悪魔の片割れ。
 死霊術師に裏切られた。SかMかで言えばSだが、相手が強すぎて一方的に殴られて斬られている


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黒輝の勇者

「あ?」

 

 途中で消えた手応えに、おれはたまらず間抜けな声をあげた。大剣で肩口から真っ二つにするはずだった小さな体が、目の前から忽然と消失したからだ。

 

「ちょっと師匠? 止めてたんじゃないんですか?」

「ふむ。大悪魔とやらの魔法、甘く見てた」

 

 滅多なことで表情を動かさない師匠が、少なからず驚いた様子で振り返る。

 

「わたしが、直接触れれば止められる。でも、外側から干渉されたら、止められないらしい」

 

 足元に転がっている小石、おそらくジェミニと入れ替わったのであろう石を、師匠は蹴っ飛ばした。視線の先には、肩の傷口を抑えて荒く息をしている少年と、手をかざしている少女がいる。

 軽く舌打ちしながら大剣を軽く振るうと、刃から血が滴り落ちた。逃しはしたが、無傷では済まなかったらしい。

 

「あの悪魔の魔法は、自分自身と触れているものを、視線の先にある対象と入れ替える効果を持っているようです」

 

 半裸でおれに抱きついたままの死霊術師さんが、得意げな顔で解説してくれる。説明はとてもありがたい。ありがたいのだが、そろそろ離れてほしい。胸とか当たっていて、さっきから師匠の視線がすごく痛い。

 

「武闘家さまの魔法で、触れていた少年の方の魔法は()()()ことができても、少女の方の魔法は止めることができなかったようですわね。やれやれ、黄金の魔法が聞いて呆れますわ」

「は?」

「師匠。落ち着いてください、師匠」

 

 今にも体に巻き付いた死霊術師さんごとおれを殴りそうな師匠を宥めていると、

 

「……調子に、乗るなよ」

 

 負け犬の遠吠えが聞こえてきた。

 いや、違う。何も聞こえないな。

 

「何だ? 言いたいことがあるなら、もっとでかい声で言ってくれ」

「なら、言わせてもらうよ」

「わたしたちは、まだ負けていない」

 

 あれほど激昂しているにも関わらず、悪魔の視線はおれを見ていなかった。

 どこを見ているんだ、と。疑問に思ってから、気付く。

 

「赤髪ちゃんっ!」

 

 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 後ろに隠れていた赤髪ちゃんを目敏く見つけだしたジェミニは、たった一瞬でその体を手元に転移させ、引き寄せ、捕縛していた。

 

「ゆ、勇者さん!」

「馬鹿が」

「わたしたちを馬鹿にするから、こうなるんだよね」

 

 まずい。完全にしくじった。

 

「む。抜かったな」

「あの魔法は『見る』だけで、対象を手元に捕まえられるようなもの。厄介ですわね」

 

 師匠と死霊術師さんは呑気にそんなことを言っているが、冗談ではない。早く、赤髪ちゃんを取り戻さないと……

 

「落ち着いてください。勇者さん」

 

 沸騰しかけたおれの頭に、冷ややかな一言が水をかけてくれた。

 

「あの最上級悪魔は、2体で1体の特別な存在。それなら、同じ魔法を扱うことにも納得がいきます」

「……賢者ちゃん」

「空間操作系の能力かぁ。あたしは近づいて斬るしかできないけど、接近しても逃げられそうで困るね」

「……騎士ちゃん」

「その女を許すのは、甚だ不本意ですが……とはいえ、私たちが5人、揃っているのです」

 

 いつも通りの自信に満ち溢れた顔で、賢者ちゃんが言い切る。

 

「女の子を1人助けるくらい、何の問題もないでしょう? 違いますか?」

 

 ……いいや、違わない。

 

「赤髪ちゃん!」

 

 声を張り上げて、言う。

 

「すぐに助ける!」

「っ……はい!」

 

 ジェミニは、それを鼻で笑い飛ばした。

 

「はっ! 自信満々だね」

「きみたちは、仲間の力を頼りにしているようだけど」

「でもそれは、きみたちだけのものじゃない」

 

 羽の音が聞こえた。

 ドラゴンの翼ではない。もっと小さくて、耳障りな、虫のような羽音。

 

「ぼくたちにだって、仲間はいるんだ」

「協力、団結、絆」

「数の力が人間の専売特許じゃないってことを」

「教えてあげるよ」

 

 なるほど、と少し納得する。

 ジェミニが無駄に自信満々だった理由が、ようやく理解できた。

 まるで空を覆い尽くすかのような、黒い影。各地からかき集めたのであろう、地獄の使徒達。上級悪魔の群れが、まるで肉に群がる蝿のように集結していた。

 

「うわ……なに、あの数」

「数え切れない。賢者、あれ何体いるの?」

「ざっと数えて、72体ですね。よくもまぁ、ここまで集めたものです」

 

 呆れたような賢者ちゃんの呟きをかき消して、ジェミニが叫ぶ。

 

「聞け! 我が同胞たちよ!」

「よくぞ集まった! 魔王さまの魂は、すでに我が手の中にある!」

「あの目障りな勇者を排除し!」

「我らの主を! 我らの時代を取り戻すのだ!」

 

 拡声魔術によって広がったジェミニの声に、悪魔たちが賛同の雄叫びをあげる。あの双子悪魔、見た目は子どものくせに、士気を引き上げるのは無駄に上手いな。

 

「恐れるな!」

「このジェミニ・ゼクスが、お前達に力を授けよう!」

「肉を切り裂かれ、骨を砕かれようと、お前たちは蘇る!」

「あの人間どもを、蹂躪しろ!」

 

 ジェミニの腕が、紫色に妖しく輝き、悪魔の群れを照らし出す。

 

 ん? 

 

「ちょっと死霊術師さん。あれなに?」

「ふふ。いやその、なんというか……わたくし、あの悪魔と契約していたので」

「うん」

「取引内容に合わせて、ドラゴンの支配権を譲り渡したり、わたくしの魔法の一部を貸し出したりしておりまして」

 

 なんかすげー不穏な単語聞こえたな。もしかして、魔法を貸し出すって言った? 

 

「先ほど、一方的に契約を破棄してしまったので、わたくしの魔法が強制的に、あちらに権能として吸い上げられているようですわね」

「わかりやすく言ってくれない?」

「あのドラゴンや上級悪魔の群れ、多分自己蘇生します」

「最悪じゃん」

「そんなに褒めないでくださいませ。照れます」

「勇者くん、この人殺していい?」

 

 殺したくても、殺せないんだよなぁ……

 わらわらと湧いてきた上級悪魔を見て、深い溜め息を吐く。たしかに、あれらが全て自己再生するというのは、かなり手間だ。正直、すごく困る。

 

「どうすれば止められる?」

「契約破棄のペナルティによって、能力の一部を吸い上げられているのなら、契約者である双子を殺せば止まるでしょう」

「双子が蘇る可能性は?」

「それは殺してみなければわかりませんが……自分が蘇生できるなら、あんなにわかりやすく、情けないツラを晒して勇者さんの剣から逃げると思いますか?」

「いや、思わない」

「なら、そういうことです」

 

 賢者ちゃんはやっぱり頭が良い。

 つまりこれは、ジェミニという頭を潰せば終わりのゲームというわけだ。わかりやすくて助かる。

 

「じゃあ、作戦立てようか」

「立てる作戦とかあります? 突撃すればいいでしょう?」

「すいません。役職をお聞きしてもいいですか?」

「天才賢者ですが?」

 

 発言が賢者じゃないんだよなぁ。

 

「勇者くんが言いたいこともわかるよ。突撃するにしても、どう突撃するかとか、そういうのあるもんね」

 

 頭兜のフェイスガードを上げた騎士ちゃんが、ドヤ顔の笑みで鎧に包まれた親指を立ててきたが、うーんちょっと違うっていうかもう脳筋ですね。だめだこのマッスルプリンセス。

 

「勇者」

「なんです師匠? 何か名案が?」

「あのドラゴン、殴ってみたい。殴っていい?」

「……」

 

 よし、決まったぜ。

 

「突撃だ」

 

 

 

 

 

 

 それはもはや、戦闘ではなく戦争の様相を呈していた。

 72体の上級悪魔と、それらを統べて魔法を司る、最上級悪魔。そしてモンスターの王、ドラゴン。その軍勢と正面から対峙するのは、たった5人の人間だ。

 上級悪魔とは、本来それ単体で街一つを容易に滅ぼすことができる、人知を超えた存在である。それが72体。さらに、リリアミラから奪った自己蘇生の権能まで保有している。

 まるで群れを成すように笑い声をあげる悪魔の群れを、シャナ・グランプレは積み上がった船の残骸の上から冷めた目で見上げていた。普通の感性を持っている人間なら、この光景を地獄と呼ぶだろう。あるいは、世界の終わりというべきか。

 

「もう救ってしまったので、いまいち実感が湧きませんね」

 

 シャナは、杖を一振りした。

 頭上には、72体の悪魔。ならば、こちらも相応の数を用意する必要がある。

 瞬きの間に、1人だったシャナの姿が、悪魔と同じ数……72人に『増殖』した。

 

「大した魔法だ」

「けど、増えれば勝てるとでも、思ってんのかぁ?」

 

 悪魔の嘲笑に、まともに耳を傾ける方が馬鹿である。シャナは無言のまま杖を振って、攻撃の準備を整えた。

 

「攻撃魔導陣……並列多重展開(マルチ・パラレル・オープン)装填起動(セットオン)毅岩大砲(スカラ・カノーネ)』」

 

 小柄な少女の周囲から、岩石が削り取られ、弾丸となって浮き上がる。

 一般的に、魔導師はあらかじめ構築した魔導陣を高速展開して、戦闘に用いる。並列処理に優れた腕の良い魔導師であれば、同時に二つ、三つの魔導陣を展開することができるが、シャナは攻撃用の魔導陣を一つしか展開しなかった。一見、雑兵のように見えるが、群れているのは人間を遥かに上回る魔術耐性と身体能力を持つ上級悪魔である。撃ち出す攻撃の威力も考慮し、魔力を込めた魔導陣の展開は、それぞれ一つずつに留めた。

 それでも、居並ぶのは総数72門にも及ぶ、岩石の大砲。その威容に、悪魔達が狼狽えた様子を見せる。

 

「一つ、良いことを教えましょう」

 

 賢者の声が、戦場に響き渡った。

 それはジェミニが士気を高めるために用いたのと同じ、広範囲に声を届けるための拡声魔術だ。

 

「私の魔法特性は、自分自身と触れた対象の増殖。同一のものは100までしか増やせない制約がありますが、触れたものは完璧に、そのまま増やすことができます」

 

 淡々とした声が、広がっていく。

 いくら敵に能力の性質が知られているとはいっても、わざわざそれを大声で喧伝する理由はない。メリットもない。にも関わらず、賢者が己の魔法性質を開示する理由は、たった一つ。

 

「当然、72人に増えた私も、問題なく魔法の行使が可能です」

 

 己の力の誇示である。

 72人の賢者が、72の魔導陣に触れた瞬間、それは起こった。

 無限に溢れているのかと、錯覚するほどに。増殖していく魔術の紋様が、空を覆い尽くす。

 

「は……?」

「なんだ、これは……」

 

 シャナの魔法は、全てのものを無条件に増やすことができる……わけではない。

 例えば、池に張られた水をそのままそっくり『増殖』させることはできない。それはシャナが、池の中の水を数えることができないから。見ただけでは、その池に満ちる水の総量を把握することができないからだ。だが、手元のコップに満たした1杯の水であれば、1杯を2杯に、2杯を3杯に増やすことができる。

 発射準備を整えた魔導陣は、シャナにとって魔力という水が並々と満たされ、可視化されたコップであった。自らが生成した魔導陣を、シャナは増やせる『もの』として認識している。ならば、増やせない道理はない。

 

 72×100=7200

 

 合計7200門もの大砲が、悪魔達に牙を剥く。

 

「堕ちろ、雑魚ども」

 

 轟音、という言葉すら相応しくない。断末魔の悲鳴すら、掻き消える。まるで暴風雨のような岩石の砲弾が、細腕の一振りで放たれた。

 

 これこそが、世界最強の賢者。

 現実を真っ白なキャンパスに変えて、彼女は自分が望むものを、意のままに描き出し、知恵を以て使い潰す。

 

 

白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』シャナ・グランプレ

 

 

 咲き乱れる花を、何人も汚すことはできない。

 

 

「さて、上を飛ぶ蝿はこちらで落としました。制圧砲撃から援護射撃に切り替えますので、前に出て頭を討ち取ってください」

 

 逃げ場のない空中では叩き落されてやられる、と考えた悪魔達が、次々に地上へ降下する。このまま魔術砲撃で面制圧をかけてもいいが、72人に増えたシャナの魔力も、決して無尽蔵ではない。なにより、人質を巻き込んでしまう可能性がある以上、大味なシャナの攻撃は、ドラゴンとジェミニに向けることができない。

 故に、シャナの仕事は、ここまで。戦闘は、白兵戦に移行する。

 

「待ってました」

 

 かしゃん、と。上げていた頭兜のフェイスガードを下ろして、アリアは大剣を構えた。

 

「打たれ強いやつはまだ普通に生き残ってそうだな。再生してくるのもいるだろうし、一番でかい獲物のドラゴンもいる」

「突っ込みながら、一匹ずつ潰していけばいいよ」

 

 火の聖剣を肩に置いて、騎士は水の聖剣を突き立てた。

 

「あの双子悪魔まで……あたしが、道を切り開く」

 

 瞬間、溢れ出した氷の波が、怒涛のように広がって、戦場の中央に文字通りの氷の道を作る。

 勇者は、あきれた顔でアリアを見た。

 

「え、なに? これで滑って真ん中突っ切るの?」

「うん」

「いや、うん、じゃなくて」

「滑り台みたいで楽しいでしょ?」

「おお。たしかに、滑るの、おもしろそう」

「ほら、武闘家さんもこう言ってるよ?」

「……では、お先にどうぞ、師匠」

「なら、お言葉に甘える。よし、いくぞ死霊術師」

「は? なんでわたくしを掴むんですの? いやちょっと動けな……ぁああああ!?」

 

 リリアミラを掴んだムムは、そのまま自分よりも大きく豊満な体を静止させ、横に倒した。これで、即席の『人間そり』の完成である。

 

「一番乗り、いただき」

「どうぞどうぞ」

「あぁぁぁぁぁああああああああ!」

 

 死霊術師に上に飛び乗った武闘家が、凄まじい勢いで氷の道を滑っていく。勇者と騎士も、それに続いた。

 

「突っ込んでくるぞ!」

「殺せっ! 殺せぇ!」

「取り囲んで八つ裂きにしろ!」

 

 当然、敵がそれを黙って見逃すわけがない。

 賢者の魔術砲撃を生き残った、あるいは蘇生によって復帰した、気骨のある悪魔達が立ちはだかる。

 

「邪魔」

「どけ」

「消えろ」

 

 立ちはだかっては、吹き飛ばされる。

 闘争本能に満ち満ちた化物達が、人間の振るう拳に、剣に、冗談のように、その身を砕かれ、切り倒されていく。

 

「なにをしている! 魔力を出し惜しみするな! 全力でかかれ!」

「一斉に攻撃して致命傷を与えろ! 少しでも手傷を与えて、やつらの勢いを削げ!」

 

 ジェミニが悪魔達に出した指示は正しい。進む道が一本である以上、どうしても避けられない攻撃は出てくる。いくら個人個人が強くても、根本的な数の有利は覆らず、どう戦ったところで魔力と体力の消耗は、人間の方が早い。

 少しでもダメージを負えば、それが積み重なって、致命傷に繋がってしまう。

 

「勇者、使え!」

「はいっ!」

 

 ならば、致命傷を負っても問題のない人間に、ダメージを肩代わりしてもらえばいい。

 世界最悪の死霊術師。醒めない悪夢と謳われた、元魔王軍四天王、リリアミラ・ギルデンスターンの、勇者パーティーにおける運用は──

 

 

「いやぁああああああああああ!」

 

 

 ──死なないメイン盾である。

 

「騎士ちゃん、危ない!」

「おっと」

「ぎゃあああああああああああ!?」

 

 触れたらヤバそうな黒い炎を浴びそうになったアリアは、勇者から投げ渡された『リリアミラ・シールド』で炎を完璧に防御。返した剣で炎を吐き出したまま驚愕している悪魔を、一刀で切って捨てた。切って捨てている間に、リリアミラはもう灰から生き返っているので、また掴んでは振り回す。

 もはやほぼ全裸の美女が、死んでは生き返り、生き返ってはまた死ぬ。肩で息をしながら、リリアミラは黒髪を振り乱してぐったりとしていた。

 

「はぁ、はぁ……はぁ。む、無理です。もう無理です。死んでしまいます!」

「だからあなた死なないでしょ」

「ほんとだよ。なに言ってるの、死霊術師さん」

 

 再び騎士から投げ渡されたリリアミラを空中でキャッチして、勇者は言う。

 

「また裏切ったんだから、もっともっと働いてもらわないと」

「はぅぅ!?」

 

 あまりにも残酷な勇者の一言に、リリアミラは胸を打たれたように顔を赤らめた。その一言のどこに頬を染めて照れる要素があったのか、周囲にいた悪魔達は疑問に思ったが、その疑問を口にする前に、彼らは勇者に斬り殺されて息絶える。

 止まらない。72体の上級悪魔に、不死の権能を上乗せしても。そのパーティーの進撃が止められない。

 

「もういいっ……! 消し炭にしてやる」

 

 痺れを切らしたジェミニが、ドラゴンを前に出させる。

 勇者達は、それを待っていた。

 

「アリア。あれに向かって、飛ばして」

「了解。いくよ!」

 

 鎧に包まれた両足が、氷を踏み砕いて踏ん張る。

 ぐるん、と騎士が回した大剣の腹に、パーティーで最も小さな武闘家の体が乗る。同時に、アリアは肉体への魔力強化を全開にして、全力でそれをフルスイングした。

 結果、ムム・ルセッタの体は一発の弾丸のように、戦場を切り裂いて飛ぶ。

 

「でかい的、狙いやすくて、助かる」

 

 ドラゴンに比べれば、あまりにも小さな拳が、ぎゅっと握りしめられる。

 攻撃そのものを『増殖』させるシャナと異なり、ムムの魔法は防御性能には優れていても、攻撃に関して有効に作用するわけではない。

 触れた全てが『静止』する、という特性から、勇者パーティーの中でも一段上の魔法使いとして見られている彼女の強みは、しかし実のところ、魔法ではない。どんな人間でも持っている、誰もが握れば構えることができる、原初の武器。

 

 最もシンプルな、拳による打撃である。

 

 それは、単純な魔力強化に過ぎない。

 それは、日々の積み重ねに過ぎない。

 けれどもそれは、どこまでも正しく、一撃必殺の拳であった。

 衝撃が巻き起こった。誰もが、耳を疑った。

 顎を殴られた竜が、大きく仰け反って。一拍を置いた後に、悲鳴のような鳴き声を轟かせる口の牙が、砕けて割れる。

 

「……やっぱり、急所は、顎か」

 

 これこそが、世界最強の武闘家。

 修練を絶やさず、ただひたすらに磨き続けてきた金色の拳は、人の身の限界を超え、竜ですら殴り倒す。

 

 

金心剣胆(クオン・ダバフ)』ムム・ルセッタ

 

 

 永遠の研鑽に、果てはない。

 

「ドラゴンは抑える。悪魔をやって」

 

 武闘家の短い指示を聞いて、沸き立ったのはむしろ悪魔達だった。あの化物がドラゴンに掛かり切りになるなら、まだ勝ちの目はあるのではないか、と。

 

「じゃあ、よろしく」

 

 そんな安堵を、突撃する騎士が切り裂いていく。

 迂闊に触れた悪魔が、燃え尽きた。逃げようとした悪魔が、骨の芯から凍りついた。

 女騎士と勇者の進撃は、むしろ勢いを増して、加速していく。

 

「結局、2人になっちゃったね」

「ご不満か?」

「ううん。たまにはいいんじゃないかな」

 

 頭兜の下で、勇者には気づかれないように、アリアは笑う。

 

「勇者くんのテンポを、一番知ってるのはあたしだもん」

「じゃあ、合わせてくれ」

「うん。わかった」

 

 戦場の中心で、その2人はまるでダンスを楽しんでいるようだった。

 密着するような近さで背中を預けあって、身の丈を優に超える大剣を振るっているにも関わらず、その刃は襲い来る悪魔だけを的確に切って捨てる。むしろ、お互いの死角を補い合って、美しく舞い続ける。

 それは、互いの呼吸を完璧に把握していなければできない動きだった。

 

「それなら、片方を引き剥がせばいい!」

 

 遂に、ジェミニが動きだす。

 女騎士に視線を合わせ、魔法によって位置の入れ替えを行おうとした、その瞬間。

 分厚く張られた氷の壁が、女騎士と勇者の姿を覆い尽くした。

 

「なっ……!?」

「同じ手は、二度は食わない」

 

 騎士が呟く。

 見ただけで、対象を捕捉できる。ジェミニの魔法は、間違いなく強力だ。しかし、いくら強力でも『視界に入らなければ能力は発動できない』というタネは、すでに割れている。

 

「タネが割れた手品ほど、つまらないものはないな」

 

 勇者が呟く。

 刹那、氷の壁が、内側から溶け出して、ジェミニは目を見開いた。

 出力最大。剣から迸る炎の刃を限界まで延長したアリアは、それを躊躇いなく振るった。たった一閃で、数え切れない悪魔達がその身を焼き裂かれ、地面に沈んでいく。

 身を低くして横薙ぎの斬撃を避けたジェミニの頬を、熱気が掠めていった。

 

「無茶苦茶な攻撃を……」

 

 しやがって、と。言い切る前に、ジェミニはそれに思い至る。

 地面に膝をついてしまった。凍った地面に、長く触れてしまった。蛇が獲物に纏わりつくように、ジェミニの脚を霜が這い上がる。

 

「しまっ……」

「ご自慢の魔法でも、()()()()()()()ら、転移できないだろ」

 

 戦いとは、力が全てではない。

 戦いとは、数が全てではない。

 互いの持つカードを把握し、手の内を読み合い、狙いを通す。

 

「やっちゃえ、勇者くん」

 

 その騎士は、隣に立つ勇者の思考を完璧に把握し、呼吸を理解し、言葉がなくても考えを読み取って、実行に移す。勇者にとって、最高の騎士という言葉は唯一人、彼女のためだけに存在する。

 

 

紅氷求火(エリュテイア)』アリア・リナージュ・アイアラス

 

 

 誇りを掲げる剣には、情熱と冷厳が矛盾なく宿る。

 

 

「終わりだ」

 

 動けない悪魔に、勇者が剣を振り上げる。

 

「終わって、たまるか!」

 

 小柄な少年に大剣を受け止められ、勇者の表情が僅かに揺らぐ。当然、刃渡りの広い聖剣をまともに受け止めたジェミニは、無事では済まなかった。肉が裂け、骨が砕け、肩の傷口から鮮血が吹き出す。受け止め切れなかった刃が、腹に食い込む。

 それでもなお、悪魔は笑っていた。

 勇者の背筋に、悪寒が走る。そういう笑みを浮かべる敵が何をするのか、勇者はよく知っている。

 密着した状態で。ジェミニの手刀が、寸分違わず、勇者の胸を貫いた。

 

「ご、はっ……」

「勇者くんっ!?」

 

 ずるり、と。胸からべっとりと血が付着した、小さな手のひらが引き抜かれる。

 戦闘を開始してから、最も色の濃い笑みを浮かべ、少年の悪魔は歓喜した。

 

「やった……やったぞ! そうだ! 刺し違えてでも、ぼくは、お前を……」

 

 世界を救った勇者はその瞬間、たしかに命を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

「──あらあら、いけませんわ」

 

 女の、声がした。

 

「その方を、わたくしの許可なく殺すことは許しません」

 

 どこから、現れたのか。

 いつから、そこにいたのか。

 まるで影の隙間から、這い出てきたかのように。彼女は、死んでしまった勇者の背中に覆い被さって、熱く抱き締めた。白く長い指先が、愛おしげに、心臓の鼓動が止まった身体に触れる。

 甘えるように、女の顎が男の肩にのった。唇が、甘い言葉を紡いだ。

 

「さあ、早く起きてください」

 

 そう。忘れてはならない。

 彼女こそ、世界最悪の死霊術師。

 決して覆せないはずの死という結果を、零れ落ちた命を、指先一つで覆し、紫色(しいろ)で彩り、呼び覚ます。

 

 

紫魂落魄(エド・モラド)』リリアミラ・ギルデンスターン

 

 

 その傲慢には、死すらも頭を垂れる。

 

「リ、リリアミラぁああああああ!」

「邪魔をするなっ! この、裏切り者がぁ!」

 

 絶叫と共に突き出された拳を顔面に受け、死霊術師の頭が文字通り千切れ飛ぶ。首なしとなった女の体から、力が抜け、地面に崩れ落ちる。

 それだけの間があれば、十分だった。

 ゆっくり数えて、四秒。それが、彼女の魔法が発動する合図。

 鼓動が戻る。

 呼吸が戻る。

 視線が射抜く。

 

「よう。おはよう」

 

 剣が、翻る。

 

「あ」

 

 断末魔の叫びはなかった。

 そこにあったのは、結果だった。

 無造作に振るわれた一閃が、双子の名を冠する悪魔の首を落とした。

 

「悪いな。相討ちじゃ、おれは殺せない」

「あ、あああ……!」

 

 勇者の言葉は、もう殺した少年に向けられているわけではなかった。赤髪の少女を取り抑える、もう一人のジェミニに向けられていた。

 勇者の剣が、ジェミニの半身を殺した。

 首を落として、殺した。

 その意味を、最上級悪魔はよく知っている。

 

「早く、こっちに来い」

 

 立ち竦む悪魔を、勇者はつまらなそうに()()。手近な石を掴む。掴んだそれを、悪魔に向ける。

 たったそれだけの動作で、ジェミニは勇者の目の前に転移させられていた。

 

「わ、わたしの、魔法を……哀矜懲双(へメロザルド)を」

「そうだ」

 

 勇者は肯定する。

 その魔法を、最上級悪魔は知っている。

 

「おれの魔法は、()()()()()()()()()()()()

 

 魔法とは、自身の体と心を中心とする魔の法。世界を己の理で塗り替える、神秘の力である。

 だからこそ、色の名を司る高位の魔法の中で、唯一。その力だけが特殊な起動条件を課せられ……魔法使いを殺すカウンターとして完成したのは、必然であった。

 

「おれは、お前がきらいだ。それでも、お前はおれを、この子に会わせてくれた」

 

 世界を救う、その日まで。

 折れず、屈せず、砕けず、諦めず。

 鉄の強さに、鋼の意思を伴って、勇者という存在ははじめて完成した。

 なにものにも染まらない輝きは、なによりも美しく、しかし同時に、この世に満ちる全ての色を否定した。

 

「礼を言う」

 

 それは、魂を塗り潰し、あらゆる魔を従える、救済の黒輝(くろがね)

 

 

黒己伏霊(ジン・メラン)』──・────

 

 

 たとえ、讃える名が失われていたとしても。

 彼は、この世界を救った、最高の勇者にして、魔法使いだった。




今回の登場魔法
黒己伏霊(ジン・メラン)
 魔法の力は、いとも容易く人間を狂わせる。故に、その魔法に相応しくない担い手が現れた時には、魔法使いを殺し、魔法を剥奪する必要があった。長い歴史の中で、二つの魔法だけが、それを可能とした。黒の魔法は勇者に。無の魔法は魔王に。世界を命運を賭けて彼らが激突したのは、やはり運命であったと言える。
 黒己伏霊(ジン・メラン)は、勇者の固有魔法。殺した相手の魔法と名を己の魂に刻み込み、我が物として操ることができる。勇者は世界を救う過程で多くの魔法使いを殺し、彼らの名を覚え、片時も忘れることなく力を振るってきた。しかし、魔王の呪いによって全ての名が失われ、この魔法も実質的に使用不可能になってしまった。
 相手を殺して名前と魔法を得る、というシステムがセットであるため、勇者は魔王の呪いを浴びた今の状態でも『殺した相手』の名前なら、覚えて口にする事ができる。逆に言えば、殺さなければ相手の名前を覚えることができない。なお、リリアミラはいくら殺しても『殺した』という結果が残らずに生き返ってしまうため、この魔法だけでは彼女を殺すことはできない。
 均衡を保つ抑止力。望めば全てを塗り潰す黒い輝き。世界を変える魔法を否定する力。


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世界を救い終わったけど記憶喪失の女の子ひろった

 青かった空は、いつの間にか雲に覆われていた。

 雨の雫が落ちて、悪魔の頬を濡す。ここまでか、という悔しさに、奇妙な納得があった。

 勝算はあると思っていた。いくつもの準備を重ね、計略を張り巡らせてきた。それでもなお、自分の半身をむざむざと殺され、魔法を奪われ、すべてが終わろうとしている。

 ジェミニは悪魔だ。人間が言うバケモノだ。しかし、目の前に立つ人間は、悪魔以上にバケモノだった。だから負ける。それだけのことだった。

 

「……」

 

 振り上げられる剣に、言葉はない。切っ先が鈍く輝いて、恐怖に染まる悪魔の表情をまざまざと照らし出す。

 ジェミニは迷った。

 魔王を、この少女を盾にすれば、なんとか生き残れるだろうか? あるいは、自分の生存は保証されるだろうか? 

 そんなわけはない。この黒い勇者と敵対した以上、もはや生き残る術はない。たとえ何度殺そうが、この男は何度でも蘇って、自分を必ず地獄の底に突き落とすだろう。

 

 勇者の視線には、そういう力があった。

 

 ジェミニは決断した。

 その意を決した上で、あれほど欲していた少女の体を、突き飛ばすようにして解放した。

 

「え?」

 

 困惑する少女とは裏腹に、勇者に迷いはなかった。

 

「潔いな」

 

 呟きには、賞賛と殺意が同居していた。

 最小の動作を、最速のスピードで。悪魔を殺すための動きを、勇者は実行に移す。

 胴体を、一突き。

 肉体を貫き通す大剣の感触に、ジェミニは目を開いた。しかし、その口から苦悶の声は漏れない。無言のまま、悪魔の手は、勇者の心臓に向けられる。

 

「二度も続けて、急所狙い。芸がないぞ」

 

 が、その胸板に指先が触れたところで、勇者の手が少女の手首を掴んだ。悪魔の指先は、心臓には届かない。

 

「……ううん、見えたよ、勇者」

 

 しかしたしかに、悪魔の指先は、勇者の心に触れていた。

 

「あなたの殺意が、あなたの魔法が……あなたの心が、わたしには見えた。見えたなら、触れられる」

 

 そして、悪魔は自身の主である少女を手放してはいても、その視線までは決して外していなかった。

 魔法とは、世界を書き換える概念である。

 二体で一柱である特別な悪魔の魔法は、まだ完全に黒く塗り潰されたわけではない。

 触れている対象と、視線の先にあるものを入れ替える。それが、ジェミニ・ゼクスの魔法。『哀矜懲双(へメロザルド)』の発動条件だ。

 

「魔王様を、返してもらう」

 

 自分の命と、魔王の復活。その重さを、天秤にかけるまでもない。ジェミニのすべては、最初から主君に捧げられている。

 

 勇者の中にある『魔王の存在』を、少女の心と入れ替える。

 

 双子の名を冠する悪魔の、最後の魔法が発動した。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 夢を見ているようだった。

 赤髪の少女は、目を開く。

 心の内側で、欠けていたピースがかちりとハマった音がした。

 呼吸をする。周囲を見回す。そんな当たり前の挙動をしながら、ここはどこだろうと考える。

 透明な部屋だった。何もない、白とも違う、本当に透明な空間。

 

「こんにちは」

 

 透明な少女がいた。

 透き通るような白髪と、折れてしまいそうな肢体。造りもののようなその身体には、不思議と目が引き寄せられてしまうような魅力があって。同時に、目を離してはいけないような威圧感があった。

 じっと見入って、思考が答えを出す前に、心が呟いた。

 

「あなた、は」

「ひさしぶり。元気だった?」

 

 頬を持ち上げ、破顔する。たったそれだけの表情の変化が、こんなにも魅力的に見えるのは何故だろう? 

 

「勇者の中から、ずっとあなたを見ていたわ」

 

 唇を動かして、言葉を紡ぐ。たったそれだけの当たり前の所作が、こんなにも魅力的に聞えるのは何故だろう? 

 

「魔王」

「そうね。わたしは、そう呼ばれていたものよ」

 

 透明な少女は、あっさりとそれを肯定した。

 どこまでが地面で、どこからが天井かもわからない。

 その場に立ち尽くす赤髪の少女に向かって、魔王と呼ばれた彼女は一歩ずつ近づいていく。

 

「大丈夫?」

「え?」

 

 手を、差し出された。

 なぜか、勇者とはじめて会った時のことを、赤髪の少女は思い出した。

 その表情は、本当に心から、自分のことを気遣っているようで。

 

「わたしと、一緒になる気はない?」

 

 その提案は、なによりも甘く、魅力的だった。

 

「一緒になる、って……?」

「元に戻る、ってことよ。何者でもない自分でいることは、なによりも辛かったでしょう?」

「どうして、そんなことがわかるんですか?」

「わかるわ。だって、あなたはわたしだもの」

 

 謳うように、囁くように。

 もう楽になっていいのだと、魔の王は告げた。

 

「できません。わたしがあなたと一つになるということは、勇者さんやみなさんを裏切るということです。そんなことは、絶対に……」

「ほんとうに?」

「え?」

「あなたは、ほんとうにそう思ってるの? あなたの愛じゃ、どうせあの子たちには勝てないのに」

 

 ただ当然の事実を、突きつけられる。

 その指摘は、たしかに正しかった。

 少女は知っている。

 彼に向けられる気持ちが、多いことを知っている。彼に向けられる気持ちが、熱いことを知っている。彼に向けられる気持ちが、永遠であることを知っている。彼に向けられる気持ちが、美しいものであることを知っている。

 そして、自分の想いが、そのどれにも勝る保証がないことを。他ならぬ、自分自身が知っている。

 

「重ねてきた時間も、想いも、あなたは他の子たちには勝てないでしょう? だったらわたしと一緒になって、いっそのこと、ぜーんぶ壊してしまわない? 大好きなあの人を、独り占めにしたいと思わない?」

 

 魔王の言葉は、少女の本心でもあった。

 少女の心の、一番奥の部分にある。浅ましい嫉妬を晒け出す言葉だった。

 魔王の言葉に、偽りはない。魔王の言葉に、嘘はない。その提案はやはり魅力的で、少女の心を、強く強く揺り動かした。

 だから、少女は、

 

 

「うらやましいんですか?」

 

 

 魔王の提案を、鼻で笑って蹴飛ばしてみせる。

 疑問形のその返答は、自分自身への問いかけと、確認だった。

 

「え?」

 

 きょとん、と。

 透明な少女の大きな瞳が、さらに大きく丸くなる。純粋な、困惑だった。

 

「わたしが、勇者さんと一緒にご飯を食べて、街を歩いて、海に行って。そういうのが全部、うらやましいんでしょう?」

 

 赤髪の少女は言った。

 あろうことか、世界最悪の魔王に向かって「お前、嫉妬してるだけだろ」と言っていた。

 

「わかるんです。だって、あなたはわたしだったから」

 

 あなたはわたしだから、と。魔王は言った。しかし少女は、あなたはわたしだった、と。今の自分は違うと、魔王の共感を根本から否定する。

 少女は、記憶喪失ではなかった。最初から少女には、記憶というものすらなかった。

 けれど、世界を救った勇者の隣で、様々なものを見て、いろいろなものを感じて、それら全ての経験が、一人の少女を形作るアイデンティティに変わった。

 少女には、名前しかなかった。決して勇者に聞いてもらうことができない名前しか、自分という存在を証明するものがなかった。

 

「でも、あなたはわたしじゃありません」

 

 今は、もう違う。

 

「わたしは、勇者さんが大好きですから」

 

 勇者のことが大好きな自分がここにいると、胸を張って断言できる。

 

「世界を一緒に見に行くって、約束しました。世界を壊す魔王になるなんて、死んでもごめんです」

 

 だから、一人の女として、彼女は魔王の提案を、正面から否定する。

 

「そっか」

 

 なによりも自信に満ちたその返答を聞いて。

 魔王は、静かに微笑んだ。

 

「じゃあ、気をつけて」

 

 胸に、手が触れる。やさしく突き飛ばされて、少女の意識は薄れていく。

 ずっとこちらを見詰めていた瞳は、

 

「がんばってね」

 

 最後の最後まで、優しいままだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔法による入れ替えをはじかれた、と認識するのに、さして時間はかからなかった。

 ジェミニは、自分の魔法が正しく働かなかった理由を考えようとして、しかしそれがなによりも不毛な思考であることに気がついた。

 赤髪の少女が、ジェミニを見ていた。

 

(どうして……)

 

 その目を、知っている。

 記憶の底から、悪魔の最も大切な記憶が、走馬灯の如く鮮明に浮上する。

 

 ──魔王様は、何か欲しいものがありますか?

 ──わたしたちに用意できるものなら、必ず用意してみせるよ!

 

 それは、ただの戯れだった。

 玉座でつまらなそうに座る王の表情が、少しでもやわらげばいい、と。臣下が思いついた、ささやかな気遣いだった。

 とはいえもちろん、主が欲するものがあれば、悪魔にはそれを用意する自信があったのだが。

 

 ──そうね

 

 十二の悪魔に、主君として崇められることになった特別な少女は、その時はじめて、何かに迷う表情を見せた。顎に手を当てて、悩んで、考えて、

 

 ──あなた達みたいに、双子の妹ができたら……とっても楽しそうね

 

 荒唐無稽な提案に、ジェミニは思わず吹き出した。そして、敬愛する主が温かい笑みを浮かべたのを、よく覚えている。

 そう。悪魔はその笑顔を、片時も忘れたことなどなかった。

 あの笑顔を、取り戻したかった。あの笑顔を、もう一度目にするために戦ってきた。

 けれど、それはもう叶わない。何を引き換えにしたところで、絶対に。

 

 ──本当に? 

 

 声が、聞こえた気がした。

 悪魔が主の残滓から目を離さなかったように。彼女もまた、ジェミニのことを見詰めていた。

 少女の口が、言葉を紡ぐ。

 

「……ありがとう」

 

 彼と、出会わせてくれて、ありがとう。

 名前をくれて、ありがとう。

 どちらか、あるいは両方だったのか。

 

 ジェミニは、人ではない。

 その感謝の言葉にどんな意味が込められているのか、人ではない悪魔は理解することができない。

 だが、それは紛れもなく、悪魔が成し遂げようとした契約に支払われた、明確な代価だった。

 

「……ああ」

 

 かくして、悪魔の夢は、ここに終わる。

 剣が、意識を引き裂いて。

 その名と魂を、勇者は心に刻み込む。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 夢を見ているようだった。

 

 その日、すべてが終わり、すべてが変わった。

 それは、最後の戦いだった。

 

「……ここまでだな、魔王」

 

 疲労と痛みを少しでも排するように、息を吐く。

 魔王をそこまで追い詰めることができたのは、はじめてだった。賢者ちゃんも師匠も、死霊術師さんも限界で、最後までおれの隣で戦ってくれていたのは、騎士ちゃんだった。

 千載一遇の好機。もう二度とこないであろうチャンス。それに釣られて、おれは判断を見誤ってしまった。

 

「それは、どうかしら」

 

 騎士ちゃんが膝を突いたのと、満身創痍の魔王が手をかざしたのは、まったくの同時。隣の騎士ちゃんの体を突き飛ばしたのは、ほとんど反射だった。

 

「っ!」

 

 死に際に遺す、己の命を代価にした呪い。

 浴びてはいけないものを浴びてしまった、と。すぐにわかった。それでも、おれには足を踏み出して、剣を振るう以外の選択肢は残されていなかった。歯を食いしばり、その華奢な身体に魔剣を突き立てる。魔王と呼ばれた少女の口の端から、鮮血が零れ落ちた。

 

「……ごほっ」

 

 こいつの血も赤いのか、と。なぜか、ほっとした。

 手にした剣から、伝わってくる命の鼓動は、今にも消えてしまいそうだった。

 

「……ああ、すごいわ、勇者。ほんとうに、あなたはすごい」

 

 血と一緒に吐き出された言葉は、怨嗟ではなく、おれを讃えるものだった。

 

「わたしを倒すために、あなたはここまで辿り着いた。わたしを倒すことだけを目指して、あなたはここまでやってきた」

 

 語る言葉に、熱が籠もる。

 

「なにが、言いたい?」

 

 死に際の戯言に、どうして問いを投げたのか。自分でも、わからなかった。

 

「うれしいの。だってわたしは……世界で最も、あなたに想われた女ということでしょう?」

「ほざくな……っ!」

 

 足場が崩れる。おれの体も、もう限界だった。膝にろくな力すら入らず、そのまま突き刺した剣と、魔王と一緒に、斜面を転げ落ちる。おれの名前を叫ぶ騎士ちゃんの声が聞こえた気がしたが、返事はできなかった。

 

「っ!?」

 

 唇を、奪われたからだ。

 一体、瀕死の体のどこにそんな力が残っていたのか。首の後ろに手を回されて、脚を絡められて、まるで抱きつかれるような形で、一緒に落ちるしかなかった。求められるその熱に、舌を噛みそうになる。口の中に、血の味が溢れだす。落ちて落ちて、転がって、ようやく背中の鈍い痛みと共に、体の回転が止まった。

 おれは、すぐにその生温い感触を振り払って突き飛ばした。突き飛ばしたその手で、唇を拭う。

 

「はぁ、はぁはぁ……お前、なにを……?」

「ふぅ……ふふっ。照れてるの? かわいい」

 

 魔剣は、腹に突き刺さったままだった。

 今にも死にそうな息遣いで、それでも少女は、なぜかとてもうれしそうだった。

 

「どうして、こんなことを」

「理由はないわ。ただ、あなたと唇を重ねてみたかっただけ。わたし、あなたのことが大好きだから」

 

 まるで普通の女の子のように、少女はそれを語る。

 

「わたしは今まで、欲しいものをすべて奪って生きてきた。だからね、勇者。わたしは、大好きなあなたのすべてを奪うわ」

 

 まるで悪魔のように、少女はそれを語る。

 

「数え切れない人たちの魔法を、想いを、名前を、世界を背負って。あなたはわたしを殺した。この世は平和になって、魔の時代は終わる……でもね、わたしは嫉妬深いから、そんな一方的なハッピーエンドは、絶対に許さない」

 

 体が熱を帯びていることに気がついた。胸の内側から吐き気が湧き上がって、思わず頭を抑える。

 

「だってあなたは、わたしの名前も、自分の魂に刻んで生きていくんでしょう? 平和になった世界で、わたしを殺したことも、背負って生きていくんでしょう?」

 

 それが、義務だと思っていた。

 それが、おれの使命だと思っていた。

 だが、魔の王はそれを否定した。

 

「だめよ。絶対に許さない。あなたは……わたしの名前を一生忘れたまま、わたしの名前を呼べないまま、わたしという存在に囚われて、生きていくの」

 

 焼けつきそうな頭を抱えながら、まだ間に合うと思った。

 意識をして、言葉を紡いだ。

 

「────」

 

 おれは、はじめて魔王のことを、名前で呼んだ。

 

「……ああ、うれしい」

 

 本当に、本当に嬉しそうに。

 

「やっと、名前で呼んでくれた」

 

 この世の皮肉と矛盾を、集めて押し固めたような事実が、そこにあった。

 世界のすべてを賭けて戦った、命のやりとりのあとで。

 おれが殺した女の子の笑顔は、見惚れてしまうほどに美しかった。

 

「愛してるわ、勇者」

「……違う。お前のそれは、愛じゃない」

「……そっか。うん、そうね。あなたがそう言うなら、これはきっと、愛じゃないんでしょうね」

 

 ずっとおれを見詰めていた瞳は、

 

 

「わたしは……あなたに、恋をしていたのかな?」

 

 

 最後の最後だけは、おれを見なかった。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 体を強く揺さぶられる感覚に、目を覚ます。

 

「勇者さん!」

「勇者くん!」

「勇者!」

「勇者さま!」

 

 勇者、勇者、勇者、勇者……と。ああ、もう。本当に、うるさくて仕方がない。

 こんなに名前を呼ばれたら、おちおち寝ていられない。

 

「……いや、死んでないから。大丈夫だって」

 

 起き上がって、大きく伸びをする。

 せっかく勝ったのに、一番思い出したくないことを、思い出してしまったようだ。

 

「勇者さん!」

 

 起き上がったところで、赤髪ちゃんに抱き着かれる。よしよし、と頭に手を添えていると、4人分のじっとりとした視線が突き刺さってきたので、おれは誤魔化すように大きく咳払いをした。

 

「あー、とりあえず、状況報告を」

「あの悪魔を勇者さんが倒してくれたおかげで、敵の不死性が消えたので、とりあえず片っ端から殲滅しました」

「討ち漏らしはあったかもしれないけど、少なくともこの周囲にもう敵はいないよ」

「たくさん、殴れて、すっきりした」

「わたくしは今、全裸です!」

 

 なるほどなるほど、よくわかった。なんか一人、自分の状況報告をしてるアホがいるけど、放っておこう。

 

「みんな、ありがとう。本当に助かった。みんなのおかげで、赤髪ちゃんを助けられた」

「本当ですよ。もっと感謝して崇め奉ってください」

「ひさびさに良い運動になったね〜」

「修行の成果を、発揮できる機会をくれたのは、有り難い」

「ふふ……これも全て、わたくしが彼女を蘇生したおかげですわね! あ、ちょっと待ってください。今のはジョークですわ。うそです。もちろん反省して……」

 

 死霊術師さんがドヤ顔で言い放った瞬間に、残りの3人が取り囲んでリンチをはじめたので、おれはそっと目をそらした。

 

「赤髪ちゃん、大丈夫だった?」

「大丈夫って、何がですか?」

「あの悪魔の、最後の魔法」

「ああ……」

 

 おれを見詰める瞳の赤が、うっすらと滲んだ気がした。

 

「もちろん、全然平気です! わたしは、わたしですから!」

「そっか」

 

 なら、よかった。

 

「よーし、じゃあ帰るか!」

「え、本気で言ってるんですか、勇者さん?」

「へ?」

 

 死霊術師さんをぶん殴っていた杖を振るう手を止めて、賢者ちゃんが聞き返す。

 

「帰るといっても、ここがどこかもわからないのに、どうやって帰るつもりなんです?」

「ん……? いや、それはなんかこう、賢者ちゃんの魔法とか、位置探知で」

「方位くらいはわかりますが、ここがどこかまではわかりませんよ。各地の主要な都市に散らばっている『私』との通信も繋がりませんし。どうやらこのあたり、かなり辺境の土地みたいですね」

 

 たしかに、見渡す限り荒野で何もないけど、いやそれにしても! 

 

「でも、ドラゴンを飛ばしていたのは死霊術師さんじゃなかった?」

「あら、そうは言われましても、目的地はあの悪魔が設定していたので、どこに向かって飛んでいたかなんて、皆目見当がつきませんわ」

 

 つ、使えねぇ……この死霊術師、使えねぇ。

 

「でも、死霊術師さんの魔法でドラゴンを蘇生させて乗って行けば……!」

「申し訳ありません。それも無理です」

「なんで!?」

「わたくしの紫魂落魄(エド・モラド)の蘇生は、厳密に言えば二種類あります。意識を奪った状態での蘇生と、意識を奪わない蘇生です」

「うん。知ってる知ってる」

「先ほど勇者さまに施したような、意識を奪わない普通の蘇生には何の制限もないのですが、意識を奪ってわたくしの手駒にする蘇生には、当然いくつかの制限がありまして」

「……つまり?」

「4回以上死んだら、もう蘇生できないのです」

「師匠!? あのドラゴン4回も殺したんですか!?」

「うむ。4回くらい殺した気がする」

 

 おかしいだろ!? 

 なんでこの短時間であのサイズのドラゴンを4回も殴り殺せるんだよ!? 

 

「すまない。興がのって、つい……」

 

 ちょんちょん、と。指先を合わせて、師匠はしょぼんとした。そんなかわいらしい顔をされても困る。

 

「じゃあ、あのドラゴンはもう蘇生できないし、乗っていくこともできない、と」

「はい」

 

 なんてこった……帰りの足が消えた。

 

「まあ、ちょうどよかったじゃん、勇者くん。その子と、約束したんでしょう? いろんな世界を見せてあげるって」

 

 いつもポジティブな騎士ちゃんが、にっこりと笑って赤髪ちゃんの方を見る。

 

「いや、たしかに言ったけど……おれはなんかこう、もっとちゃんと準備とかして、旅に行くつもりだったんだけど……」

「準備もクソもないですよ。まず人がいるところまで辿り着かないと、私たちはこのまま野垂れ死にます」

「いやぁ、昔を思い出すねぇ。あたし、ちょっとワクワクしてきたよ!」

「これもまた、修行ということ」

「会社が気になるので、なるべく早く帰りたいところですが……勇者さまと一緒にいられるなら、わたくしは全てを投げ捨てる覚悟ですわ!」

 

 ああ、なんてこった。

 世界を救い終わって、おれは悠々自適にセカンドライフを満喫するはずだったのに……

 

 

 

「──これ、もしかしてまた冒険の旅に出なきゃいけない感じですか?」

 

 

 

 質問の答えは、すぐに返ってきた。

 

「そういうことです」

「楽しみだね〜」

「うむ」

「お供いたしますわ」

 

 うちのパーティーメンバーは、本当に最強で最高だ。

 

「では、出発です。武闘家さん、とりあえずこの女を背負って、動きを止めておいてください。自由にしておくと、何をしでかすかわかりませんから」

「わかった。トレーニングのために重りが欲しかったから、ちょうどいい」

「そんな……わたくしを、またモノのように扱って! 人権はないんですか!?」

「そうそう。さすがに服は着せてあげようよ。全裸だとあたし達の人格を疑われるし」

「じゃあこのズタ袋でも被せておきましょう」

「ああっ……扱いがひどい! ひどいですわ!」

 

 さっさと歩き始めたみんなを見て、やれやれ、と。ため息を吐く。

 赤髪ちゃんだけが、座り込んだままのおれに手を差し伸べてくれた。

 

「行きましょう! 勇者さん!」

 

 その手を取ろうとして、その表情をまじまじと見詰める。

 あの時と変わらない朱色の瞳は、あの時とは違う輝きに満ちていて。だから、少しからかってみたくなった。

 

「赤髪の、きれいなお姉さん」

「え、あ、はい!?」

「あなたに、伝えなければいけないことがあります」

「えぇ……? えーっと、なんでしょう?」

 

 突然敬語になって、小芝居を打ち始めたおれに、赤髪ちゃんは戸惑いながらものってくれた。それに甘えて、言葉を続ける。

 

「それが……おれ、あなたの名前を聞くことができないんです」

 

 ──それが……わたし、なにも覚えていないんです

 

 あの時と、正反対だ。

 赤髪ちゃんの目の前で座り込んで、おれは困りきった表情のまま、俯いてみせる。

 屈託のない笑顔で、おれの戯言はくすりと笑われてしまった。

 

「そうですか。それは困りましたね」

 

 まず、おれに立ち上がってもらうために、彼女は手を差し伸べた。

 

「じゃあとりあえず、わたしのことは『赤髪ちゃん』とでも、呼んでください」

 

 あの時から、何かが変わったわけではない。

 自分の名前しか覚えていない、まっさらな少女が一人。

 魔王が遺した呪いにかかった、情けない勇者が一人。

 

「うん。わかった。あらためてよろしく、赤髪ちゃん」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします。勇者さん」

 

 でも、何も問題はない。

 この鮮やかな赤髪の少女が、食いしん坊で、意外と毒舌で、おしゃれが好きな、かわいい女の子であることを、おれは知っている。

 だから、一緒に歩いていけばいい。これからこの子のことを、もっともっと知っていけばいい。

 

 差し出された手のひらを強く掴んで、おれは立ち上がった。

 

「あ、勇者さん! あっちの方、みてください! 晴れてますよ」

「おお、たしかに」

 

 おれたちの門出を祝福するように、青く染まった空の境界線に、色鮮やかな橋が架かる。

 

「虹を見たことは?」

 

 興味が湧いたので、聞いてみた。

 

「はい! もちろん、はじめてです!」

 

 元気の良い答えに、おれも釣られて笑ってしまう。

 

「いいね。じゃあとりあえず、あっちの方に行ってみようか」

「え、そんな適当に行き先を決めちゃっていいんですか?」

「いいんだよ」

 

 歩幅を合わせて、手を繋いで、歩き出す。

 

「虹を見上げて、その根本を目指して進む。冒険なんて、そんなもんだ」

 

 それでいい、と。

 気づかせてくれたのは、きっとこの子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて、世界は魔に包まれていた。

 紅蓮の騎士と純白の賢者。黄金の武闘家と紫天の死霊術師。力を持つ多くの仲間の助けを得て、黒輝の勇者が魔王を打倒した。

 

 魔王と呼ばれた、少女がいた。少女は、勇者に恋をした。

 

 少女の愛は、そんなに多くない。

 少女の愛は、そんなに熱くない。

 少女の愛は、それが永遠だと、断言するにはまだ自信がない。

 少女の愛は、それが誰よりも美しいと、自惚れるには足りなかった。

 

 そう。少女の中にあるこの気持ちは、きっとまだ愛と呼べるものですらなくて。

 でも、だからこそ、少女は自分の中に芽生えたこの気持ちを、大切にしたいと思った。

 

 彼に名前を呼んでもらったことは、残念ながら一度もない。これから、彼が呼んでくれる保証もない。しかし、それでも構わないと、少女は思った。

 

 愛とは、なんだろう? 

 

 この気持ちを積み上げていけば、それは多くの愛になるのだろうか? 

 この気持ちを静かに温めていけば、それは熱い愛に変わるのだろうか? 

 この気持ちを磨き続ければ、それは永遠の愛として認められるのだろうか? 

 この気持ちをどこまでも深く求めれば、それは美しい愛として讃えられるのだろうか? 

 

 疑問は尽きない。答えはわからない。

 だから、これから探しに行こう。

 

 空に虹。地には風。雨が降って、固まった地面を踏み締めて、彼女は彼と歩み出す。

 少女は、世界を救った勇者の隣を歩いていく。その横顔を、こっそり盗み見ながら歩いていく。

 彼に想い焦がれるものが多いのは知っている。 

 多くもなければ、熱くもない。永遠だと言い切ることはできないし、美しいと胸を張って自慢もできない。

 

 ──わたしの愛は、最も幼い。

 

 

 

 

 

 

 けれど少女は、空にかかる虹色を見て思うのだ。

 想う心は、何色にだってなれる。鮮やかな色彩を描いて、人と人を繋ぐ架け橋になれる。

 

 だから、ここからだ。

 

 

 

 ──わたしの恋は、ここからはじまる。






みなさんの応援のおかげで、ここまで書き切ることができました。本当にありがとうございます。
勇者と少女の出会いのお話はこれにてとりあえずおしまい。ですが、彼らの冒険はこれから、ということで。書ききれてないこともあるので、引き続きお付き合い頂ければ幸いです。


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これまでの登場人物まとめ

◆勇者くん

・名前 不明

・年齢 23歳

・職業 勇者

・魔法 『黒己伏霊(ジン・メラン)

・魔術属性 炎熱・迅風

・好きなもの 人間

・嫌いなもの 魔王

・備考 婚活中 騎士学校中退

 

 世界を救った勇者。世界を救い終わったあと、やることがなかったので悠々自適の引きこもり生活を過ごしていたが、赤い髪の女の子をひろっていろいろあった結果、また冒険の旅に出る羽目になった。わりと場の空気に流されやすく、困っている人はほっとけないタイプ。薄いくすんだ色合いの赤髪が目を引くが、地毛ではない。将来ハゲないかちょっと気にしている。

 戦闘に関しては基本的に脳筋。生まれ持った才と戦いで培ってきたセンスで、真正面からゴリ押しする。騎士ちゃんからは「昔の方が頭が良かったし、機転も利いていた」とか言われるが、ある意味その通りで、様々な命のやりとりを繰り返してきた結果、力押しで勝てる時は力押しで正解という嫌な結論に至ってしまった。勇者なので戦闘の際には専ら剣を使うが、師匠から教わった格闘技術を活かして、拳でもそこそこ戦える。魔術も使えるものの、斬って殴った方が相手が確実に死ぬので、やっぱり近接戦しかしない。どこまでも脳筋。

 魔王が遺していった呪いによって、相手の名前を聞くことができず、自分の名前も思い出せない難儀な体になってしまった。聞く、言うだけでなく、書いて見ることすらできないため、この呪いは口や耳、目といった肉体部位に対してかけられたものではなく、魂そのものに刻まれたものである。しかも、術者である魔王が死んでしまっているので、誰にも解くことができない。王国全土からあらゆる魔導師が集結して解呪を試みたが、すべて失敗に終わってしまった。現国王はそのことをかなり気にしているらしい。

 魔王討伐後はさっさと静かな街に引っ込み、あまり人と関わらない生活を送っていた。基本的に人が好きで、人と言葉を交わすのが好きなので、名前を呼べない呪縛は彼にとって深い傷になっている。パーティーのみんなのことはもちろん大好きだが、昔のように名前が呼べないことが少しつらくて、距離を置いていた。なんだかんだ、みんなとまた冒険に出ることができてうれしい。

 

・魔法『黒己伏霊(ジン・メラン)

 勇者の固有魔法。魔法は自分自身と何らかの身体的動作をトリガーとして発動するものがほとんどだが、黒己伏霊(ジン・メラン)はその発動条件が少々特殊であり、対象を殺害することで起動する。効果は、殺害した相手の名前と魔法の奪取。

 魔法使い相手でなければ意味がなく、勝って殺さなければそもそも能力を得ることもできないため、最初は役たたずの魔法。冒険をはじめた当初は、勇者本人も魔法の性質を理解しておらず、かなり苦しんだ。

 

・魔法『哀矜懲双(へメロザルド)

 ジェミニから奪った魔法。自分自身、もしくは触れている対象を、視線の先にあるものと入れ替える。魔術に区分するなら、空間移動、空間操作の能力にあたる。かなり応用力が高く、2人で1人というジェミニの性質も相まって、一時は勇者を完封しかけた。

 勇者はこの魔法をジェミニ・ゼクスの名と共に魂に刻んだため、二度とその名を忘れることはない。

 

・パーティーメンバーへの感情

赤髪ちゃん←かわいい。いろいろ心配

賢者ちゃん←かわいい。守ってあげたい

騎士ちゃん←かわいい。笑顔を見ると安心する

武闘家さん←師匠。頭が上がらない

死霊術師さん←美人。殺してあげたい

 

 

 

◆赤髪ちゃん

・名前 不明

・年齢 不明(推定16〜18歳)

・職業 なし

・好きなもの 勇者 ご飯

・嫌いなもの なし

・備考 記憶がない

 

 赤髪赤目の真っ赤な少女。きれいとかわいいの中間のような外見。仕草や反応が子どもっぽいので、少女に見られることが多い。性格は明るく生真面目で人懐っこいが、思ったことはそのまま口に出すタイプ。わりと勇者にはっきり文句を言う。記憶がないため知識や常識に乏しい面があるものの、地頭は決して悪くない。ご飯を食べるのがとても好き。なんでも食べる雑食だが、野菜よりも肉を好む。

 自分の境遇や生まれに思うところは多いが、今はとにかく冒険に行けるのがすごく楽しみ。勇者のことを、もっと知りたいと思っている。

 

・パーティーメンバーへの感情

勇者さん←好き。もっと好きになりたい

賢者さん←自分よりちっちゃいのにすごい

騎士さん←明るくてすごい人

お師匠さん←長生きですごい人

死霊術師さん←目がこわいけどやさしい

 

 

 

◆賢者ちゃん

・名前 シャナ・グランプレ

・年齢 17歳

・職業 賢者 王室相談役 王室付魔導師

 王立魔導学院校長 実戦魔術科最高指導者

 王立騎士学校魔術科特別顧問

 魔術協議会事務局長 他多数

・魔法 『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)

・魔術属性 砂岩・迅風・流水・炎熱

・好きなもの 勇者 勉強 魔術開発

・嫌いなもの エルフ

・備考 人間とエルフの混血。ハーフエルフ

 

 勇者パーティーの賢者。触れれば折れてしまいそうな細い体を黒のローブに包み込み、目深に被ったフードから波打つように溢れる銀髪に、翠色の瞳が特徴。典型的な魔導師らしい風貌だが、外見に関しては国王が「お前のように美しい魔導師は見たことがない」と褒め称えるほど。社交界でローブを脱いで着飾った時の可憐な容姿は、貴族の間でも評判だとか。

 パーティー最年少でありながら、頭脳労働担当。10歳の時に勇者に拾われてからもりもりと勉強しゴリゴリと知識を身に着け、すくすくと育ってあっという間にクソ生意気になった。肌は真っ白なくせにお腹の中が真っ黒であり、魔王討伐後はせっせと根回しを行い、わずか一年で王国内に魔導師中心の一大派閥を築き上げた。エルフの里では迫害されていたので、基本的に人間不信。権力や利益、恩義がなければ人心は掌握できないと思っている。普段は敬語で誤魔化しているが、根本的に口が悪く、相手を煽って挑発するのが大好き。テンションが上がるとさらに口が悪くなる。

 室内でも大抵フードを外さないのは、エルフの特徴である尖った耳が嫌いだから。背中の中ほどまで届く銀髪はややくせっ毛で、鬱陶しい、とシャナはよく愚痴っているが、勇者が髪の長い女性が好きであるため、切るつもりはまったくない模様。ハーフエルフなので視力は悪くないが、気分の問題で集中して執務に取り組む時はメガネをかける。

 

・『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)

 シャナの固有魔法。自分自身と、その手で触れたものを『増殖』させることができる。複製魔術、分身魔術といったオリジナルを元にコピーして増えたように見せかける魔術はいくつか存在するが、それらはどこまでいっても偽物。白花繚乱(ミオ・ブランシュ)は本物をコピーするのではなく、本物を二つ、三つに増やす。そこに真と偽の区別はない。ただし、触れた対象の増殖制限数は100であり、それ以上増やすことは不可能。

 魔力を込めた魔導陣を『増殖』させることも可能で、魔術を用いた対集団への制圧能力は、パーティーの中でも随一。シャナが魔術砲撃で敵を圧殺し、討ち取れなかった相手を残りのメンバーが仕留めていくのが勇者パーティーの基本戦術である。

 

・パーティーメンバーへの感情

勇者さん←好き。世界そのもの

赤髪ちゃん←胸がでかいなと思っている

アリア←お姉ちゃん。無意識に甘えている

ムム←頼れる人。でも自分の方が胸が大きい

リリアミラ←基本的に死ねと思っている

 

 

 

◆騎士ちゃん

・名前 アリア・リナージュ・アイアラス

・年齢 23歳

・職業 騎士 領主

・魔法 『紅氷求火(エリュテイア)』 

・魔術属性 適正なし

・好きなもの 勇者 鍛錬 料理 お酒

・嫌いなもの 弱い自分

・備考 アイアラス家第三王女

 

 勇者パーティー所属の騎士。流れるようなやわらかな金の長髪に青い瞳。鍛え抜かれた肢体と生まれからくる高貴な雰囲気が人を寄せ付けない……ように見えて、明るい陽だまりのようなやさしい笑顔がよく似合うお姫さま。作業をしたり体を動かす時は、髪をポニーテールにまとめていることが多い。

 隣国の第三王女にして騎士。農地で領民と一緒に鍬を振るい、鍛錬で汗を流し、酒を酌み交わして一日の疲れを落とすタイプの庶民派パワフルプリンセス。現在の領地と領民はいろいろあってアリアが勝ち取った成果の一つなので、とても大切にしている。直属の部下からの信頼も厚く、姫としても騎士としても人柄は申し分ないが、頭の方に関しては少々残念だと思われている。

 戦闘時には全身に特殊な鎧を身に纏い、力こそパワーを地で行く、強襲突撃型姫騎士に変貌する。持って生まれた魔力を身体強化に全振りし、二振りの大剣を二刀流のようにぶん回す。オークは間違ってもこの姫騎士にだけは喧嘩を売らないほうがいい。

 敵に捕まったら「くっ……殺せ」とか言う前に、勇者を守るために自分の舌を噛み切るタイプなので、あまりにも生け捕りに向かない。よく勇者くんに薬を盛ったりするが、基本的に盛ったほうが事態が好転する時にしか盛らない。彼が無理をしている時は、さり気なく疲労回復効果のある薬草や、よく眠れる薬を料理に混ぜ込んで美味しく食べさせたりしていた。2人で旅をはじめた頃は料理をしたことすらなかったが、旅を通じて酒屋の厨房に入っても問題なく切り盛りできるほどに家事スキルを上げている。とにかく何事に関しても努力家。

 

・魔法『紅氷求火(エリュテイア)

 アリアの固有魔法。自分自身と触れた対象の温度を『変化』させることができる。体に触れるだけで熱耐性や凍結耐性がなければ勝負が決まる強力極まりない魔法だが、アリアはパーティーの中で自分の魔法が最弱だと思っており、それがややコンプレックスに繋がっている。事実、戦闘における発動範囲や決定力が低いのは間違いなく、アリアはこれを鍛錬と装備でカバーしている。

 とはいえ、冒険者が持つ魔法としてこれほど便利な力もなく、自分自身の体温操作が自由自在なので、暑くても寒くても問題なし。温い水を冷たい水や氷に、冷えたスープを湯気の立つ状態にしたりと、生活面で非常に役に立つ。ぬるくなったビールをいつもキンキンに冷やした状態で飲むことができるので、アリアは姫という立場であるにも関わらずビールが大好きになった。コイツはそろそろ王女の看板を下ろした方がいい。

 

・パーティーメンバーへの感情

勇者くん←好き。守るべき人

赤髪ちゃん←かわいくて素直で好き

シャナ←妹みたい。甘やかしている

ムム←超えるべき壁。いつか倒したい

リリアミラ←殺すべき相手。いつか殺したい

 

 

 

◆武闘家さん

・名前 ムム・ルセッタ

・年齢 1024歳

・職業 武闘家

・魔法 『金心剣胆(クオン・ダバフ)

・魔術属性 適正なし

・好きなもの 勇者 鍛錬 観光地巡り

・嫌いなもの とくになし

・魔術属性 適正なし

・備考 武術大会で多数の優勝実績あり

 

 勇者パーティー所属の武闘家。勇者の師匠。魔法の特性によって1000年以上の時を生きる仙人だが、外見は青髪ショートヘアのロリっ子。背丈も手足も非常にちんまい。街では子どものふりをしてお菓子をもらったり、屋台で値引きしてもらったりしている。涼しい顔をして食えないロリ。

 見た目に反して精神的には非常に成熟しており、赤髪ちゃんに命の大切さを説いたり、勇者の頭をなでなでしたり、シャナからの無茶振りに応じたり、とても頼られている。が、他人と時間の感覚が根本的にズレているせいで非常にマイペースな性格であり、すぐにふらふらといなくなることが多い。年齢に関してはそこまで気にしていないが、他人にババアと呼ばれるとすぐにキレる。ババアと呼んでくるのは基本的にリリアミラなので、彼女をよくおもちゃにして遊んでいる。

 魔術適正は皆無なので、素手による戦闘を行う。育ての親である師父から十数年に渡って拳の使い方を学び、その腕前は拳聖とでも呼ぶべき域にまで達している。長い旅の中で様々な強者と出会ってきた勇者が「拳だけなら間違いなく人類最強」と太鼓判を押すほど。千年の時を経て研鑽された黄金の拳は、巨大なゴーレムを砕き、モンスターの王であるドラゴンすら殴り飛ばす。

 

・魔法『金心剣胆(クオン・ダバフ)

 ムムの固有魔法。司る権能は『静止』。自分自身と、触れた対象の動きを完全に停止させる。彼女が年を取らないのは、体の時間が止まっているから。格闘戦では触れただけで相手の動きを封じ込めるため、無類の強さを発揮する。また、ムムが「止めることができる」と認識しているものなら何でも静止させることが可能で、実際に炎や魔術の類いすらも止めてみせている。勇者パーティーの守りの要を担う、絶対防御。

 静止効果のオンオフはムムの自由自在だが、コントロールに不慣れな頃は、うまく扱えなかった。今では、リリアミラの体の動きを止めて、悲鳴だけを聞いてみたり、精密な操作をものにしてよく遊んでいる。

 

・他のパーティーメンバーへの感情

勇者くん←好き。自分の時を動かしてくれた弟子

赤髪ちゃん←たくさん食べて大きくなりなさい

シャナ←たくさん勉強してるけど無理はせずに

アリア←たくさん鍛錬して強くなりなさい

リリアミラ←装備品。武器。玩具

 

 

 

◆死霊術師さん

・名前 リリアミラ・ギルデンスターン

・年齢 26歳

・職業 死霊術師 ギルデンスターン運送社長 

 南部ギルド連盟特別理事

・魔法 『紫魂落魄(エド・モラド)

・好きなもの 勇者 魔王 会社経営 酒

 アクセサリー インテリア 美術品

 各地の特産品・名物 甘いもの

・嫌いなもの 自分の魔法 自分以外の四天王

 武闘家 治癒魔術全般 虫 辛いもの

・魔術属性 炎熱

・備考 元魔王軍幹部四天王第二位

 作戦参謀 資金運用担当

 

 勇者パーティー所属の死霊術師。ついでに元魔王軍四天王第二位。妖艶な美女、という形容表現をそのまま肉付けしたような魔性のお姉さん。腰まで届く黒の長髪は、服がなくなってしまった時に大事な場所を隠すのに必要不可欠。よく頭が破裂したり吹っ飛んだりして髪型が崩れるが、平時はハーフアップで黒髪を結わえている。洒落た服や小物の類いに目がなく、勇者パーティーの中で最も装飾品を多く身に着け、外見には気を遣っている……のだが、全身を吹き飛ばされるような死に方をしてしまうと全てなくなってしまうのが悩みの種らしい。そもそも全身を吹き飛ばされるような死に方をするべきではない。

 物腰柔らかで教養も気品もあり、冗談を解して軽く返すユーモアも完備しているので、パーティー内ではコミュニケーション能力が高い部類に入る。魔王討伐後に会社を設立、運営しあっという間に地位を築いてみせたことからもわかるように、その商才は本物。優秀な人材の選定にも優れており、魔王軍にいた頃は配下への勧誘などを積極的に行っていた。彼女がいたからこそ魔王軍は組織として問題なく機能しており、逆に言えば彼女がいなくなって魔王軍の戦力は一部が機能不全に陥った。

 勇者パーティーへの加入は最も遅かったが、元四天王という肩書に恥じない働きを果たし、魔王討伐に大きく貢献していた。「死霊術師さんがいなかったら魔王は倒せなかった」とは、勇者の談。口には出さないが、他のパーティーメンバーもそれに関しては認めている。勇者のことは尊敬しており、異性としても好ましく思っているが、最終目的が『自分を殺してもらうこと』なので、勇者には別の誰かと結ばれて幸せになってほしいとこっそり考えている。

 

・魔法『紫魂落魄(エド・モラド)

 リリアミラの固有魔法。自分自身と触れた対象を四秒で完全に『蘇生』する。生命の倫理を一切無視した外法。魔王軍に所属していた頃はこの魔法を用いて討伐されたモンスターや幹部格の悪魔を片っ端から蘇生させており、戦力を根底から支えていた。自分自身も死ねばオートで魔法が起動するため、基本的には不死。ただし、不老ではない。老化を肉体への攻撃と認識して魔法が働いているムムの『金心剣胆(クオン・ダバフ)』とは、このあたりの性質が明確に異なる。

 自分の蘇生と他人の蘇生にはいくつかの条件やリスクがあり、リリアミラはそれを巧妙に偽装している。例えば、

・蘇生した対象は意思を消して操ることができる

 ということは知られていても、

・操って手駒にした蘇生対象は四回以上死ぬと蘇生できない

 というリスクは隠し通していた。やはり食えない女である。

 パーティーでは囮の壁(タンク)役を担当。よくひどい目に遭うが、誰も気にしてない。大規模な戦場では人類側の死者を片っ端から蘇生させていたこともあり、一部の騎士から女神のように尊敬されているらしい。

 

・他のパーティーメンバーへの感情

勇者さま←好き。殺してほしい

赤髪ちゃん←わりと好き。魔王様みたい

シャナ←結構好き。才能があるなと思っている

アリア←結構好き。努力してるなと思っている

ムム←お前は死ね

 

 

 

◆魔王

・名前 不明

・年齢 19歳

・職業 魔王

・魔法 不明

・魔術属性 雷撃・炎熱

・好きなもの 部下 配下の悪魔 晴れた日の空

・嫌いなもの 人間

・備考 故人(享年19歳と推定)

 

 人類を脅かした最強最悪の脅威。魔を統べる王という概念が、形を成して現れたもの。

 本格的に活動を開始したのは、10年前。悪魔やモンスターと共に行動する少女の目撃報告が各地で散発的に報告されるようになり、統率された動きを取るようになったことから、その存在に裏付けが取れた。北方に本拠を構え、勢力を徐々に拡大。人間の生息域を脅かすまでに至る。

 5年前、勇者が旅に出て2年後の冬に、王国軍は周辺諸国と呼応して、大規模な反抗作戦を敢行。当時の五大騎士団の団長が戦列に加わり、魔王の討伐は確実と思われたが、1人を除いて全員が戦死した。これ以降、勇者が魔王の元に辿り着くまで、人類側は生活圏を維持するべく守りに徹することになる。

 カリスマの塊。王になるべくして生まれた存在。無色透明の悪意。彼女との謁見が許された者は、それだけで忠誠を誓うようになった、と言われている。天然の人たらし。

 

・人間への感情

勇者←大好き

リリアミラ←好き



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幼女を助けたらエルフの森が焼けた
ある日、森の中、エルフに、出会った


 やはり、こんな荒野のど真ん中に飲食店を構えたのが間違いだったのだろうか。

 

「今日も暇だねぇ……」

 

 昼間なのに薄暗いバーカウンターの中。その店主は、グラスを磨きながら静けさを紛らわすように、呟いた。もちろん、店内に客は1人もいない。

 この土地で店を開き、商売をはじめたのはほんの数ヶ月前のことだ。彼にとっては、余生を静かに過ごすことが主な目的で、利益や売上はどうでもよかった。だからこんな場所で開店したわけだが……そもそも人が来なければ商売として成り立たないことが、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。おかげで、店はいつも閑古鳥が鳴いている。なんというか、無欲故の誤算である。

 本当に時々、この辺りを通り過ぎる人間が寄って行ってくれるが、それすらも数日に一度という有様だ。これでは営業がたち行かない以前に、暇過ぎて死にそうになってしまう。

 

「団体様でも来てくれれば、目一杯もてなしてやるんだけどなぁ」

 

 耳まで隠す長髪をかきあげながら、愚痴をこぼす。まるで、その呟きに応えたかのように。

 からん、と。来客を示すベルが鳴った。

 

「すいませーん……やってますか?」

 

 入ってきたのは、くすんだ赤髪が目を引く青年だ。歳は20を過ぎたくらいだろうか。比較的整った、いかにも好青年といった顔立ちだが、なんとなく表情に苦労の跡が滲んでいるように見える。

 

「おう、いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」

 

 ああ、よかった。今日は客が来た。

 店主がほっとして、にこやかに席を勧めたその瞬間、

 

「よぉーし! ほらみろぉ! やっぱりちゃんとやってたじゃん! 営業してるじゃん! 幻覚なんかじゃないって!」

 

 青年は後ろを振り返って叫び、とても喜びながらその場で感激の涙を流し始めた。

 

「……お客さん? 大丈夫かい?」

「ああ! すいません! おれたち、実はここ数日歩きっぱなしで……やっとこの店を見つけて!」

「なるほど、冒険者だったか。そりゃ疲れただろう? 見ての通り狭い店だが、ゆっくり羽を休めていくといい」

「ありがとうございます!」

 

 頭を下げる青年の服装は、よく見るととても汚れている。しかも、冒険者というわりには随分と軽装だ。まるで、そこらへんの町中を歩き回っているような格好である。

 もしかして、まだろくに装備も整えられていないような駆け出しの冒険者なのだろうか、と首を捻っていると、2人目が入ってきた。

 

「ほほう。こんなところに店なんてあるわけがないと、思っていましたが。なかなか良い雰囲気ですね」

 

 2人目は少女だった。質が良さそうな黒のローブ、目深に被ったフード、そして携えている杖で、私は魔術師です、と。全身で全力で主張しているような少女だった。

 

「辺鄙なところですし、味に期待はできませんけど、この際飲み食いできればなんでもいいですね」

 

 あと、普通に口が悪かった。

 しかし、人が寄り付かない場所にあるのは事実なので、否定のしようがない。

 

「はっはっは。これはかわいらしいお連れ様だ。お好きな席にどうぞ」

「どうも」

 

 澄ました様子で、少女は青年の向かいではなく、すぐ隣に腰掛ける。

 そういえば、彼は「おれたち」と言っていたので、まだパーティーメンバーがいるのだろうか、と。目をやった扉がこれまでで一番勢いよく開かれた。

 

「やったー! お店だ! ご飯だ! お酒だー!」

 

 口が悪く、素直じゃなさそうな2人目の少女とは対照的に、元気一杯に入店してきたのは、3人目の女性だった。絹糸のような金髪に、思わず目を惹かれるような美貌。そして、一目で鍛え上げられていることがわかる体。まるで、存在感の塊のような美女だった。

 

「マスター! ビールある!?  ビール!」

「ああ、もちろん」

「じゃあビールふたつ!」

 

 こんなに嬉しそうに注文してもらえると、こちらとしてもうれしい。店主も釣られて笑いながら、冷えたビールの瓶を取り出した。

 

「なんで勝手にビール頼んでるの?」

「きみも飲むでしょ?」

「いや、飲むけどさぁ……」

 

 女性は、当たり前のように青年の前の席に座った。金髪のポニーテールが、犬の尻尾のようにふりふりと揺れる。

 これは両手に花だな、うらやましい、と。女性2人に囲まれた青年の様子を微笑ましく見ていると、なんとまた扉が開いた。

 

「ふむ、こんなところに店があったとは」

「あらあら、これでやっと一息つけますわね」

 

 なんと、3人目と4人目も女だった。しかもそれは、見るからにまだ小さい幼女と、簀巻きにされた妖艶な美女だった。より詳しく説明するなら、まだ小さい10歳くらいの幼女と、麻袋に突っ込まれてその幼女に担がれている、妖艶な美女である。

 

 なんだろう、この取り合わせは? 

 

 店主の困惑を気にもせず、幼女は軽々と美女を担いだまま入店し、カウンターの席に麻袋の美女を立て掛けてから、自分もよいしょっと、カウンター席に腰を落ち着けた。

 

「マスター、ミルクをもらいたい」

「あ、はい」

「では、わたくしは何にいたしましょう……紅茶でもいただきましょうか。失礼、メニューを見せて頂いてもよろしいですか?」

「あ、ええ。もちろん」

 

 なんで、この美女は麻袋で巻かれたまま当たり前のようにメニューを見れるのだろう? 

 

「あらあらあら、中々良い茶葉が揃っていますわね」

「まぁ、なんというか、それなりに拘ってるんで」

「しかも、そちらのグラスは東方のウィンチェスター地方のものではありませんか? 調度品の雰囲気と合っていて、とてもすてきです」

 

 美女の的確な目利きに、店主はぎょっとした。とてもじゃないが、麻袋で巻かれている女とは思えない審美眼である。

 

「……まさか、一目見ただけで言い当てられるとは。良い目をお持ちだ」

「ふふっ、ありがとうございます。わたくし、こう見えても運送会社を営んでおりまして」

 

 本当にどう見ても会社の経営者には見えなかったので、店主はさらに驚いた。

 

「……仕事柄、客の事情には立ち入らないようにしているんだが、一つ聞いていいか?」

「はい。なんでしょう?」

「なんで、麻袋に入ってるんだ?」

「どうしてだと思います?」

「…………奴隷、とか?」

「はい! 大正解です! わたくし、何を隠そう愛の奴隷でして! だからこうして麻袋に巻かれているわけなのですが!」

「はぁ」

「店主さん! その人の言うことは気にしないでください!」

「マスター、このバカの話に付き合う必要はないから、早くミルク持ってきて」

 

 事情はよくわからないが、この麻袋の美女が他のパーティーメンバーからひどい扱いを受けていることはよくわかった。

 

「あ、マスターさん。お手数ですが、わたくしのアイスティーにはストローをつけて頂けますか?」

「ストローを?」

「はい。わたくし、この下が全裸ですので、腕が使えないのです」

「…………はいはい、ストローね。ちょっとまってな」

 

 あと、ついでに変態だった。

 水とビールとミルクと紅茶を出しながら、店主は考える。この美女が変態の可能性もあるが、パーティーのリーダーはおそらく最初の青年だ。もしかしたら、あの男、穏やかな顔をして、えぐい性癖の持ち主だったりするのだろうか? 今のところ、パーティーメンバーがほぼ女性なのもあやしい。

 

「勇者さん、みなさぁーん……急に走らないでくださいよぅ……」

 

 またまた扉が開く。もう驚かない。5人目も女性だった。

 見るも鮮やかな、赤髪の少女である。

 店主は思う。やっぱこのパーティー、あの男以外全員女じゃねぇか。

 

「ああ、ごめんごめん赤髪ちゃん。こっちこっち」

「うぅ……もう無理です。わたし、お腹が空いて死にそうです」

 

 よほど空腹だったのだろう。赤髪の少女は青年たちのテーブルに座り込むと、スライムのようにテーブルの上にへたり込んだ。

 

「ここにメニューあるよ」

「ご飯ですかっ!? じゃあここからここまでください!」

「注文が雑!? 頼みすぎだろ! 誰の金だと思ってんの!?」

「もちろん勇者さんのお金ですっ!」

「自覚があるならよし!」

「よくないでしょう。なに甘やかしてるんですか」

「ぷはーっ! 生き返ったぁ! マスター! ビールおかわり〜!」

「ペースはやいよ!? まだ乾杯もしてないんだけど!?」

 

 どうやら食いしん坊の少女だけでなく、全員それなりに空腹だったようで、店主は手早く出せるものから食事を用意した。

 料理が出揃い、テーブルの上を彩ると、会話にも花が咲く。

 

「ところでわたくし、持ち運ばれるのは百歩譲っていいにしても、そろそろお洋服がほしいのですが……」

「お前のそのデカい乳を収める服がないから、無理」

「すいませんマスターさん、このスープは人参とか入ってますか? 入ってるなら抜いてくれるとありがたいんですが」

「賢者ちゃん! 好き嫌いはやめなさい!」

「好き嫌いじゃなくてあんまり食べたくないだけです。必要に迫られれば食べます。べつに嫌いじゃないんですよ。なるべく食べたくないだけで」

「賢者さん人参食べないんですか!? じゃあ人参だけわたしにください!」

「やめなさい! 恥ずかしいでしょ!」

「勇者くん勇者くん。このおつまみおいしそうだよ。頼んでいい?」

「好きにしなさい!」

「勇者さまっ! ちょっとこちらに来てください! わたくし、ご覧の通り腕が使えないので、あーんしてください! あーんって! さぁ!」

「床に這いつくばって食ってろ!」

「なんだ、あーんしてほしいのか。ほれ」

「あっっっづぅぅ!?」

「武闘家さん。それ私のスープです。遊ばないでください」

 

 先ほどまでの静けさがまるで嘘だったように、一瞬でくそ忙しくなった。騒がしいパーティーである。

 しかし、悪くない。料理と酒で温まったこの雰囲気が、店主はとても好きだった。

 

「じゃあ、勇者さんは騎士さんとはぐれてる時に、賢者さんと会ったんですか?」

「そうそう。賢者ちゃんと会ったのは、まだ冒険をはじめてから半年も経ってない、ほんとに駆け出しの頃で……」

 

 客の思い出話に耳を傾けるのも、この仕事の楽しみの一つだ。

 店主は、追加の料理と酒の準備を整えながら、なぜか『勇者』と呼ばれている青年の話に耳を傾けることにした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 一言で状況を説明するなら、森の中でおれは遭難してぶっ倒れていた。

 

「……うーん、やっちまったな」

 

 昼間なのに夜のように暗い、深い森の中で独りごちる。全身はそこそこズタボロ。傷がない場所がないくらいのやられっぷりだが、とりあえず命に別状はない。

 騎士学校を追い出されて、はや数ヶ月。世間知らずな姫騎士様との冒険にも慣れてきて、魔王軍の幹部も撃破して、旅の首尾は上々……と思っていた矢先に、この有様である。

 世界を救う。そんな御大層な目標を掲げて冒険の旅に出たのはいいが、あっさりと簡単に世界を救えるわけもなく。細々とクエストをこなして、お金を貯めて、装備を整え、経験を積む。魔王軍の本拠地を目指して、単純な作業を繰り返しつつも、冒険そのものはわりと順調だな、と。そんな風に考えていた矢先に、この有様である。

 

「まいったなぁ……」

 

 まさか、幹部格を倒してすぐに、最高幹部である四天王に手を出されるとは思っていなかった。正直な話、まだあのレベルの敵には勝てる気がしない。おれとアリアの戦闘経験も、装備も、何もかも足りない。あまりこんなことは言いたくないが、死なずに逃げ切れたのが奇跡みたいだ。あれで四天王の第四位だというのだから、はっきり言って先が思いやられる。

 とはいえ、今は自分の命が無事だったことを喜ぶべきだろう。アリアが無事かどうかも気になるところだけど、おれが死ぬまであいつは死なないので、そこまで心配はしていない。

 

「アリアー! アリア〜! ……まぁ、近くにいるわけないか」

 

 声を張り上げてみたものの、返事が返ってくるわけもなく。

 急に襲われたのが逆に不幸中の幸いだったというべきか、手荷物の類いは大体手元にある。すぐに食料や水に困ることがないのは助かった。

 森の中に限らず、冒険の旅でまず気をつけなければならないのは、水源の確保だ。小規模なパーティーなら、流水系の魔術を扱える人間が1人いれば事足りるが、人数が増えてくるとそうもいかない。数百人単位で行動する大規模なパーティーは、水源を確保してから大型モンスターの討伐作戦に望むのが常だ。

 なので、ここはおれもセオリーに従って、まずは飲み水を確保できる川を探すことにした。

 数ヶ月の旅で、森の中の獣道を探すことにも慣れてきた。道に見えないような道を辿っていくと、細い糸のような水音が聞こえてくる。

 草をかき分け、頭を出すと、そこにはたしかに川があった。あったのだが、

 

「あ」

「……」

 

 女の子が、いた。

 年は10歳に届くか届かないか、といったところだろうか。艶のない銀髪。かろうじて胸と下半身を隠す、植物を加工した衣服。透き通った水晶玉のような碧色の瞳が、こちらをじっと見詰めている。だが、なによりも目を引いたのは、ベリーショートの髪だからこそ目立つ尖った耳だった。

 尖った耳、人間からかけ離れた神秘的な美貌……そんな特徴を見て思い浮かぶ亜人種は、他にない。

 

「エルフ?」

 

 問いかけた、というよりは疑問がそのまま漏れ出してしまったような形で、思わず呟いてしまう。

 しかし、少女は無表情のまま、細い首を横に振った。水浴びから上がったばかりだったのだろうか。水滴が溢れて、地面に染みを作る。

 あれ? エルフじゃないのか? 

 

「えーと、はじめまして、こんにちは」

「こんにちはって、なに?」

「……はい?」

 

 なんだなんだ。挨拶をしただけなのに、なんか哲学的な問答がはじまったぞ。エルフは森の賢者って騎士学校の授業で聞いたことがあるけど、こんな小さい子もすごく頭がよかったりするのか? 挨拶の意味を問われているのか? 

 いや、でもさっき、エルフって聞いたら首を横に振られたしな……なんか、よくわからなくなってきた。

 

「お嬢ちゃん、名前は?」

 

 その質問に女の子が答える前に、水面が持ち上がる。思わず剣に手をかけたが、顔を出したのはモンスターの類いではなく、もう1人の女の子だった。まさか、他にもいるとは……

 

「は?」

 

 2人目の少女を見て、おれはものすごく失礼な声をあげてしまった。本当は視線をずらすべきだとはわかっていても、まじまじと凝視してしまう。素っ裸のその子の体を、ではなく。その子の顔を、穴が開くほどに見詰めてしまう。

 鼻筋、眉、瞳、唇。どこをとっても、その少女の顔が、2人目とまったく同じパーツで構成されていたからだ。

 

「……えーと、きみたち。双子だったりする?」

「わたしは、シャナ」

「わたしも、シャナ」

 

 まったく同じ名前を口にして、2人の小さな女の子は、おれの両手をそれぞれぎゅっと握りしめた。

 

「「お兄ちゃん、だれ?」」




勇者くんがヒロインズとはじめて出会った時系列は、

騎士ちゃん→賢者ちゃん→魔王さま→武闘家さん→死霊術師さん→赤髪ちゃんの順です


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エルフの里にはなんとなくえっちなイメージがある

感想欄でちょろっと言いましたが、過去編のイメージは騎士ちゃんが『学園ドタバタバトルラブコメ』、賢者ちゃんが『ナチュラルなダークファンタジー』、武闘家さんが『血湧き肉躍る地下闘技場デスマッチ。バキ』、死霊術師さんが『殺し合い』です。


「これはこれは、よく参られました」

「どうもどうも」

 

 シャナちゃんとシャナちゃんに事情を説明すると、2人はおれの話をわかったのかわかってないのか、表情をぴくりとも動かさずに真顔のまま「じゃあ、うちの村にくる?」と、すごく軽いノリで提案してくれた。ちなみに提案してくれたのは、最初に会ったシャナちゃんの方である。ややこしい。最初に会ったシャナちゃんを、シャナちゃん1号、おれが裸を見てしまったシャナちゃんを、シャナちゃん2号と呼びたいくらいだ。番号つけて呼ぶとか、失礼なのでやらないけど。

 特に行く宛もなかったし、噂のエルフの里とやらも見てみたかったので、シャナちゃんの後にほいほいついていくと、村は意外と近くにあった。エルフ族は、人間以上に魔術に精通している魔導師が多いと聞く。きっと外から見つけられないように、認識阻害の結界でも張ってあるのだろう。

 

「里にいらっしゃるのは、はじめてですか? 冒険者の方でしょう? よく自力でたどり着かれましたな」

 

 最初に声をかけてきたのは、入口に立っている門番のエルフだった。その姿を見て、シャナちゃんが自分たちはエルフではない、と否定した意味がようやく理解できた。

 槍を持った男性のエルフの背中には、明らかに人間ではないことを示す、半透明の翅が生えていたからだ。もちろん、耳も尖っている。シャナちゃんには、その翅はない。

 

「実は、この子たちとすぐ近くの川で会って……」

「……ああ、なるほど。そういうことでしたか。体の傷は大丈夫ですか? 腕の良い治癒魔術の使い手がおります。すぐに呼び出して治療させましょう」

「ああ、いやいや。お構いなく。こんなもんツバつけとけば治りますんで」

 

 ありがたい申し出だが、アリアを探さなきゃいけないし、この里にそんなに長居する気もない。

 しかし、服の裾をくいくいと引かれて、おれは振り返った。

 

「お兄ちゃん」

「ん?」

「治してもらった方がいい」

「その方がいい」

 

 頼むから、そんな風に見上げないでほしい。ただでさえかわいいのに、2人揃って上目遣いでこっちを見てくるのはずるいだろ。

 

「……じゃあ、お願いします」

「ええ。こちらへどうぞ」

 

 木で形作られた門を潜って、息を呑む。おれの一面の視界を塗り潰したのは、深緑の暴力だった。

 森の中から、さらに深い森の中に迷い込んでしまったのか、と。そう錯覚しそうになる大木の数々は、木々の中央がくり抜かれ、住居として機能するようになっている。むせ返るような花の匂いに溺れてしまいそうになるが、しかしそれは不思議と不快ではない。夢の中で微睡んでしまうような、朗らかな甘さが香ってくる。

 

「……すごいですね。ほんとに、森の中で暮らしてるって感じだ」

「人間の方から見れば、めずらしいでしょうな。我々は、ずっとこの森と共に暮らしてきました。森があってこその我らであり、我らあってこその森です」

 

 そんな生活をしているくらいだから、他所者には排他的かもしれないと思ったが、そんなこともないらしい。地面に近い商店には、何人か普通の人間の姿も見える。

 

「意外と人間もいるんですね」

「一部の商人の方とは、村の門戸を開いて取引をしております。誰とでも、というわけにはいきませんが、そこまで閉鎖的な村でもありませんよ」

 

 門番さんに苦笑される。ちょっとこっちの考えを見抜かれたかな? 

 

「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「もちろんです」

「シャナちゃんは、エルフではないんですよね?」

「こ……ゴホン、失礼。この子は、ハーフエルフです。半分、人間の血が混じっています。ですから、私たちのように翅がありません」

 

 ああ、なるほど。人間とエルフのハーフなのか。それなら納得だ。

 

「我らは翅を使って村の中を移動しますが、シャナにはそれがありません。少々不自由を強いられるでしょうが、シャナは飛べない人間の村の中の移動を心得ております。よろしければ、このまま案内させますよ。長老には、私の方からお伝えしておきましょう」

「そうですね。お願いします」

「シャナ、ご案内して差し上げろ」

「はい。お兄ちゃん、こっち」

 

 門番さんに言われて、シャナちゃんの顔が少し嬉しそうに綻んだ。そのまま駆け出していきそうな勢いだったので、あわてて手を掴む。

 

「……手、繋いだまま歩くの?」

「あ、ごめん。いやだった? こっちの方がはぐれなくていいと思ったんだけど」

「ううん。いやじゃないよ。うれしい」

「なら、よかった」

 

 ふと気がついて、周囲を見回す。そういえば、いつの間にかもう1人のシャナちゃんの姿が消えている。

 

「すいません、門番さん。もう1人、シャナちゃんがいたと思うんですけど……」

「ああ、彼女にはべつの仕事がありますので」

「シャナちゃん達って、双子なんですか?」

 

 そう聞くと、門番さんはおれに背を向けた。

 

「……ええ、そうですよ。同じ名前だとややこしいですが、そういう文化なので」

 

 はぁ、なるほどなぁ。

 

「お兄ちゃん、いこ」

「おっと。はいはい」

 

 シャナちゃんが連れて行ってくれた診療所のエルフは、女医さんの治療術師だった。とても優秀で、おれの傷をしっかり診てくれた。なんか呆れた口調で「よく涼しい顔でいられますね……何と戦ったんですか?」とか聞かれたけど、いや普通に魔王軍の四天王と戦ったんだよな……。傷だらけになるのは当然だと思う。

 

「お兄ちゃん」

「ん? どうした?」

「長老。ご挨拶したいって」

 

 シャナちゃんの後ろから、のそりと大きな影が出てきた。豊かに蓄えた白い鬚と後ろにくくった長髪。門番さんと同じように翅があるけど、加齢と共に衰えてしまったのか、皺が目立って小さい。失礼だが、この翅では満足に飛べないだろうと思った。

 

「すいません、おれは……」

「いやいや、どうぞそのまま治療を受けていてください。自己紹介は結構ですぞ。お噂はかねがね、伺っておりますからのぅ」

 

長老さんの口調は、思っていたよりも気安かった。

 

「あれ? おれのこと、ご存知なんですか?」

「はっはっは。もちろんです。あろうことか隣国の姫君を抱き込んで攫い出し、騎士学校から飛び出した、自称勇者の命知らずな若者がいると。愉快な噂がこんな森の奥まで轟いておりますぞ」

 

 うわーっ!? 

 え、なに? おれが学校を出た経緯、そんな感じになってるの? 話に尾ヒレがついてるってレベルじゃないんですけど!? 

 

「ほほっ、冗談です。もちろん取引に来る商人からそういう噂も聞きますが、悪い噂ばかりではありません。むしろ、良い話の方が多いくらいです」

「あー、えっと……恐縮です」

「ま、何はともあれ、今日はごゆるりとお休みください。部屋を用意しておきました。明日、よろしければ食事をご一緒しましょう。そこのシャナに、身の回りの世話をさせます」

「はぁ……ありがとうございます」

 

 なんだか、すぐに帰るって言いづらい雰囲気になってきたな。少なくとも、一泊はしていかなきゃいけない感じだ。まあ、仕方ないか……

 

「はい。これで一先ず終わりです」

 

 かわいいエルフの女医さんに、ペシッと包帯を叩かれる。

 

「いいですか? しばらくは無茶をしないように!」

「ありがとうございました。なるべく死なない無茶で済ませるようにします」

「無茶するなって言ったんですけど!?」

「いやぁ、世界を救うために無茶するのが勇者の仕事なんで」

「命がいくつあっても足りませんよ!?」

「はい。だからいつも足りないなぁ、って思ってるんですよね。できれば、いっぱい命が欲しいですよね。いくらあっても困りませんし」

 

 なぜかどん引きしてる女医さんとは対照的に、長老さんはおれの言葉を聞いて豪快に笑い声をあげた。

 

「はっはっは! 流石ですなぁ。噂と違わぬ()()殿()だ!」

「いやいや。そう呼んでもらうのは、まだ早いですよ」 

 

 おれはこれから、勇者にならなきゃいけないんだから。

 

 

 

 

 

 長老さんと女医さんにお礼を言って別れたあと、おれはシャナちゃんに連れられて村の中をぐるりと見て回った。はじめて訪れる場所を見て回るのは、冒険の楽しみの一つだ。

 

「お兄ちゃん、見せたいものがあるの」

 

 シャナちゃんに手を引かれて、村の中から細い道を抜けていく。あ、これ1人だったら絶対迷うな、と確信できるような道をいくつも通り過ぎていくと、周囲を大木に囲まれた、とても小さな広場のような場所に出た。薄暗いが、鬱蒼と茂った葉の隙間から、夕焼けの明かりが漏れて光の池を作っている。

 

「私の隠れ家なの。お兄ちゃんに見せたくて」

「いいね。きれいだ」

「ほんと?」

「もちろん。こういう隠れ家、楽しいよな」

「うん。教えたの、お兄ちゃんがはじめて」

「それは光栄だ」

 

 地面に生えている花を潰さないように腰掛けると、シャナちゃんがその花を指さした。

 

「このお花、すごくきれいだけど、摘むとすぐ枯れちゃうの」

「へえ」

 

 目を凝らしてよく見てみると、たしかにきれいな色をしている。白に光沢がある……銀色に近い色合いの花弁だ。とてもめずらしい。

 魔術的な薬効が期待できる植物は、その土地にしか自生しないもので、土から離れるとすぐに枯れてしまうのだと聞いたことがある。もしかしたらこの花も、そういう植物なのかもしれない。

 

「ふーむ……シャナちゃん、このお花、持って帰りたい?」

「……持って帰れるの?」

「よしよし。じゃあ、ちょっと待ってな。このお兄ちゃんに任せなさい」

 

 少し失礼して、地面に倒れている木から、適当な大きさの枝を拝借する。それらを紐で組み合わせて、シャナちゃんがギリギリ持てるくらいの骨組みを作った。余っている布を骨組みの周りにピンと張って、簡易的な植木鉢の完成だ。

 銀色の花を、周囲の土と一緒に手のひらで丁寧に掘り起こして、植木鉢の中に入れる。これなら、多分持ち帰ることができるだろう。

 

「お兄ちゃん……すごい!」

 

 今まで一番キラキラした表情で、シャナちゃんはおれの手元を見ていた。これはうれしい。ちっちゃい子からの素直な尊敬の眼差しは、とても気持ち良いものだ。

 

「水をあげればしばらく大丈夫だと思うけど、できればどこかに土と一緒に植えさせてもらうといいよ。ちゃんと育つかもしれない」

「うん。わかった! お兄ちゃん、ありがとう!」

 

 あー、かわいいなあ、もう! 思わず、表情が緩んでしまう。なんかひさびさに、妹がいるお兄ちゃんの気分を堪能させてもらった。

 

「じゃあ、暗くなる前に帰ろっか」

「うん!」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 はじめて、真っ直ぐ目を見てもらえた。

 はじめて、やさしく名前を呼んでもらえた。

 はじめて、手を繋いでもらえた。

 

 ()()()()()にとって、その日のすべてが、はじめての経験だった。

 枕元に置いた花の植木鉢は、月明かりを受けてきらきらと光っている。シャナはその煌めきを、ずっと眺めていられる気がした。

 ひさしぶりに横になるベッドのやわらかさはなによりも魅力的だったけれど、起き上がってしまったのは、それ以上に彼に心を惹かれていたからだろう。

 シャナは、隣の部屋の扉をそっと開いた。

 

「お、どうした? トイレ?」

「……トイレは、1人で行けるよ」

「はは、ごめんごめん」

 

 彼はまだ起きていて、ランタンの灯りを頼りに剣を研いでいた。

 

「お兄ちゃん」

「うん?」

「寝れないから、お兄ちゃんの側にいてもいい?」

「おー、いいよ」

 

 客人に用意されたベッドは、とても大きい。

 ぼふん、と。余裕のある彼のベッドに割り込むように横になる。

 

「お兄ちゃん」

「んー?」

「外のお話、してほしい」

「外の話か〜。そうだよな。村から出れないなら、気になるよな」

「うん。すごく気になる」

「おれが通ってた学校の話とかでもいい?」

「学校?」

「そうそう。騎士学校っていって、立派な騎士になるための訓練を積む学校なんだけど、そこには強いやつが7人くらいいてさ。上から順位がつけられていて、それで……」

 

 はじめて、話をしてもらえた。

 命令ではない。自分との会話を、この人はしてくれる。

 いつの間にか眠くなって、彼の手を握ってうとうとしながら、シャナは思った。

 明日には、きっとこの人はいなくなってしまう。

 

 いやだな。

 この人に、ずっと側にいてほしいな。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 結局、シャナちゃんと添い寝してしまった。

 

「……あー、うん……」

 

 寝顔もかわいいなぁ、などと。最初は寝起きの頭でのんきなことを考えていたが、なんとなく後から罪悪感が湧いてきた。

 ……これ、知られたらアリアに怒られるかなぁ? いや、べつに何かいかがわしいことをしたわけじゃないし、大丈夫だよな? 大丈夫ということにしておこう、うん。

 考えても仕方がない反省を頭から振り払って、上体を起こした。

 

「は?」

 

 シャナちゃんは、右手でおれの手を。そして、左手でもう1人の手を握っていた。

 

 そして、ベッドにもう1人、知らないやつがいた。

 いや、厳密に言えば、知っている人間が寝ていた。

 

 おれとまったく同じ顔。同じ髪型。同じ服。

 まるで、親子が子どもを挟んで川の字で寝るように。おれの目の前には、シャナちゃんの腕を握ったまま呑気にいびきをかいて寝ている、おれがいた。

 

 何度でも繰り返し言おう。()()()()()1()()()()

 

「シャナちゃん! シャナちゃん! 起きて!」

 

 小さな肩を全力で揺すって起こす。

 寝ぼけ眼で、シャナちゃんは上半身を起こして、それから自分が握っているおれの手を見た。

 

「……ごめんなさい。お兄ちゃん、増やしちゃったみたい」

「増やしちゃった!?」

 

 おれ、増えちゃったらしい。




今回の登場人物

・勇者くん
 増えた。

・シャナ
 増やしちゃった。

・勇者くん(2号)
 まだいびきかいて寝てる。

・門番さん
 強そう。

・長老さん
 エルフの村の長。人によって差はあるものの、長命のエルフの寿命は200年を優に超え、300歳まで生きる者もいるという。ただし、肉体の全盛期は200歳を超えたあたりから衰え始め、その後は段々と弱っていき、背中の翅で飛べなくなる。ただし、身に宿した魔力だけは、時間が経過するごとに、その力を増していくと言われている。
 里の長老は完全な実力主義であり、しきたりで村で最も強いエルフが、長となる。


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勇者、増える

 おれは、おれと向かい合っていた。

 朝、起きたらおれがもう1人増えていた。正直、意味がわからない。

 

「……それで、お前本当におれなのか?」

「いや、見ての通りおれはおれだぞ。だって、どこからどう見てもおれだろ?」

 

 だってじゃねぇんだよ。おれのくせに口答えしやがって……なんかもう喋るだけでもややこしいわ。

 しかし、いくら見た目がおれそのものとはいっても、中身まで本当におれとは限らない。

 

「今から、お前が本当におれかどうか確かめるために質問をする」

「ああ、なんでも答えてやるよ」

「好きな食べ物は?」

「食えれば何でも。強いて言えばでかい肉」

「体を洗う時は?」

「右足から洗う」

「利き腕は?」

「元々左だったのを右に直した」

「女の子の胸は?」

「大きい方が好き」

「アリアと学校の文化祭を回った時、最初に行ったのは?」

「アンデッド屋敷」

「名前は?」

「もういいだろ。いちいち質問しなくても、おれは本当におれだよ」

 

 ぐぬぬ……

 今のところ、質疑応答の内容がちゃんとおれっぽいのがなんとも言えない。誰かが魔術で化けた変装ってわけでもなさそうだし、幻覚の類いではないし、そう考えると……

 

「え、これ本当に増えてるのか……?」

「だからさっきからそう言ってるだろ」

 

 やれやれ、といった様子で肩を竦められる。なんだこいつムカつくな。おれだけど。

 しかし、本当におれがそっくりそのまま増えているとなると、原因はもう「増やしちゃった」と言った目の前の女の子にあるとしか考えられない。

 

「シャナちゃん、おれの体に何が起こったか、説明できる?」

「……ごめんなさい」

「いや、怒ってるわけじゃないよ。ただ、どうしてこうなったか、理由がわかるなら説明してほしいんだ」

「そうそう。おれ、全然怒ってないから。ゆっくりで大丈夫だし、わかることだけでいいから教えてほしい」

「お前ちょっと黙っててくれない?」

「なんで?」

「ややこしいんだよ! シャナちゃんも困ってるだろうが!」

 

 考えてることも言いたいことも大体一緒だから、セリフを分割してるみたいで気持ち悪い! 

 だが、文句を言われたおれは不満気に口元を尖らせた。

 

「ていうかそもそも、なんでお前が仕切ってるの?」

「え?」

「べつに、おれがお前に遠慮する必要はないだろ? だって、おれも間違いなくおれなわけだし」

「いや、お前は普通に遠慮しろよ。だって、おれが増えて急に生えてきたのがお前だろ?」

「はあ? おれとお前に違いなんてありませんけど? 差別やめてくれませんか?」

「はあ? 昨日シャナちゃんの右腕を握って寝てたのはおれなんですけど? そっちこそ自分が本物みたいに言うのやめてくれません?」

 

 なんだぁ、テメェ? 

 こういうのを同族嫌悪というのだろうか。どうやらおれは、おれと仲良くはできないらしい。しばらく向かい合ってガンを飛ばし合っていたが、

 

「お兄ちゃん……ケンカしないで。悪いの、私だから」

 

 シャナちゃんの目に涙が滲んでいるのに気がついて、はっと我に返った。

 

「あー! ごめんごめんごめん!」

「大丈夫大丈夫! お兄ちゃんたちめちゃくちゃ仲良しだから!」

「ほんと?」

「もちろん本当だって! なあ!?」

「ああ! 肩だって組めるぞ!」

 

 がっしりと肩を組んで、空いた手でシャナちゃんの頭をよしよしと撫でる。

 なんだぁ、コイツ……意外と良い身体してるじゃねぇか。いや、コイツの身体おれだったわ。そりゃ良い身体してるわ。だっておれだもん。

 

「すいませーん、おはようございます。起きてますか?」

 

 と、そこで扉の外から声が響いた。声色から察するに、昨日おれの治療を担当してくれたエルフの女医さんである。きっと様子を見に来てくれたんだろう。こんな朝早くから、うれしい気遣いだ。

 

「はいはい。今、開けます」

 

 言ってから、現在の部屋の状況を見て、はっと気付く。

 なぜか朝っぱらからおれの部屋にいる涙目の幼女。ワンアウト。

 なぜかもう1人いる、おれ。ツーアウト。

 

 うおおおおおおおおおおお!? 

 

「どうする!?」

「とりあえずシャナちゃんとおれには隠れてもらおう!」

「そうするしかないかっ……シャナちゃん、こっち来てくれ」

 

 幸い、ベッドの下にスペースがあったので、シャナちゃんを抱えて潜り込む。よし、これでとりあえず見つかることはないだろう……

 

「あ」

 

 なんでおれが隠れてるんだよ!? 

 おかしいだろ!? なんで本物のおれが隠れて偽物が応対するんだよ!? 

 普通逆だろ!? 

 

「おはようございます。あら? お部屋の中から声が聞こえたと思ったのですが……」

「ええ、朝の風と戯れていました」

「あらあら、詩人ですね」

「それほどでもありません」

 

 クソみたいな返事が聞こえてきて、頭を抱えたくなる。

 おれのことだから、よくわかる。あれはべつにかっこつけてるわけではなく、何を言っていいかわからずに適当なことを口走っているだけである。恥ずかしい。

 

「では、昨日の傷口を見せていただけますか?」

「ははは、きれいなエルフのお姉さんに裸を見せるのは照れますね」

「なに言ってるんですか、昨日も散々見たでしょう? いいから早く見せてください」

 

 そのやりとりを聞いて、思わずぎょっとした。

 まずい。昨日、治療を受けたのは女医さんと話しているおれではなく、こちらのおれだ。中身がおれに近いことはさっき確認したけど、細かい生傷までそっくりそのまま同じだとは限らない。見られたら、バレてしまう可能性が……

 

「……やっぱり傷の治りが早いですね」

「でしょう? 鍛えてますから」

「一応、念のためにお薬出しておくので、ちゃんと飲んでくださいね」

「はーい」

 

 女医さんが出て行ったのを確認してから、おれはベッドの下から這い出た。

 上半身裸で立っているもう1人のおれが、こちらを見下ろしていた。その全身には()()()()()()()()()()()が刻まれていて。

 ここまで見てしまったら、もう疑いようもない。

 

「……お前、本当におれなんだな」

「だからさっきからそう言ってるだろ」

 

 抱きかかえたシャナちゃんは、固まったままだ。

 

「「どうすっかなぁ……これ」」

 

 漏れ出た呟きまでもが、いやになるほどきれいに重なる。

 とりあえず、いつまでも部屋の中に引きこもっているわけにはいかない。またいつ、誰が訪ねてくるかわからないし、おれとおれが2人揃っているところを見られてしまったら本当にお終いだ。

 まずは、今日。村に出てシャナちゃんと一緒に行動するおれを、どちらか決めなければならない。

 

「なにで決める?」

「あれでいこう」

「恨みっこなしだぜ?」

「当然だ。手加減なしでこいよ」

 

 先ほどの巻き直しのように、おれはおれと向かい合った。ついさっき、シャナちゃんからケンカしないでと言われたばかりだけど、この勝負だけはやめるわけにはいかない。言葉通りの手加減なし、真剣勝負で挑まなければ……! 

 

 

「「さいしょは、ぐー! じゃんけん……」」

 

 

 流石はおれ、と言うべきか。

 あいさつとばかりに突き出した拳のタイミングは、完璧に重なった。あとは、何を出すか。

 単純な好みでいけば、おれはパーが好きだ。しかし、それは相対するおれも同じのはず。そして、おれがおれであるのならば、まったく同じ思考をしているに違いない。

 パーに勝つなら、初手はチョキ。相手のおれも同じ考えの元で動いているとしたら、初手はグーでくる……

 

「「……ぽんっ!」」

 

 と、見せかけて、あえてのパー! 

 

「ちっ……」

「互角か」

 

 出した手は、互いにパー。ここまで考えていることが一緒だと、もういい加減気持ち悪くなってくる。

 

「「あいこで……しょっ!」」

 

 チョキとチョキ。

 

「「しょっ!」」

 

 パーとパー。

 

「「しょっ!」」

 

 グーとグー。

 

「……なあ、おれ」

「ああ、おれもちょうどそう思ったぞ、おれ」

 

 これ、決着つかねぇな。

 

「どうする?」

「いっそのこと、シャナちゃんにどっちと行くか決めてもらうか? それなら文句もないし」

「おいおい。そんなの、ぽっと出で増えたお前じゃなくて、昨日一緒に過ごしたおれを選ぶに決まってるだろ。なぁ、シャナちゃん?」

 

 結果が見えている勝負を鼻で笑って、おれはシャナちゃんに判定を委ねたが、肝心の幼女はおれとおれを見比べて、少し悩んでから首を傾げた。

 

「ごめんなさい……どっちがどっちのお兄ちゃんかわからなくなっちゃった」

 

 もぉおおおおおおぉおお! 

 

「おれが本物! 本物だよ!」

「諦めろ、おれ。傷跡まで一緒で見分けがつかないんだ。どっちが本物とか偽物とか、そういう話じゃないぞ、おれ」

「じゃあ、どうするんだよ?」

「とりあえず、コインでも投げるか。表が出たらおれがシャナちゃんと出かけて、お前が部屋で留守番。裏が出たらお前が出かけて、おれが留守番だ」

「なんでお前基準みたいになってるんだよ? 表がおれの外出、裏がおれの留守番にしろ」

「なにいちいち細かいこと気にしてるんだよ。どっちでも変わらないだろ」

「じゃあお前、表面譲れよ」

「いやだよ。さっきから言ってるけど、なんでおれが影みたいな扱いになってるんだよ。おれもお前もどっちもおれだからな? 本物だからな?」

「本物のおれなら譲ってくれるぞ。心広いから」

「本物のおれならこんな小さいことに拘らないぞ? 心広いから」

「……」

「……」

 

 不愉快極まる自分の顔を見詰めて、大きく息を吸う。

 

「「じゃんけんっ!」」

「お、お兄ちゃん!」

 

 また不毛な争いをはじめようとしたところで、シャナちゃんからのストップがかかった。

 

「私は、どっちのお兄ちゃんも好き……だから、2人一緒がいい」

「「よし、一緒に行こう」」

 

 時間ズラして部屋から出ればなんとかなるだろ。

 

 

 

 

「私、魔法が使えるの」

 

 人目につくのがまずいなら、最初から人目がない場所に行けばいい。

 村から出て、昨日教えてもらったお気に入りの場所まで来ると、ようやくシャナちゃんはぽつぽつと事情を話し始めてくれた。

 

「私の魔法は、さわったものを増やすことができて……だから、多分お兄ちゃんは私のせいで、2人になっちゃったんだと思う」

 

 そう言われて、おれはおれと顔を見合わせた。

 

「そりゃすごい魔法だけど……」

「何の制限もなしに、人間までぽんぽん増やせるものなのか?」

 

 と、言ったあとに、自分が馬鹿な質問をしていることに気付く。

 シャナちゃんは、最初に会った時から2人いた。双子、なんて言って門番さんは誤魔化していたが、あれが自分の魔法で『増えた』もう1人のシャナちゃんだったのなら、簡単に説明がつく。

 

「お兄ちゃんが……私のはじめてだったの」

 

 俯きながら、躊躇いながら、小さな女の子はそれでも懸命に言葉を紡ぐ。

 

「私、魔法使うの下手だから……いつも、なんでも好きなものを増やせるわけじゃなくて。他の人を増やせたのは……お兄ちゃんが、最初。ほんとに、はじめて」

「……ひとつ、聞いてもいいかな?」

「……うん」

「どうして、おれのことを増やそうと思ったの?」

 

 魔法は、現実の理を曲げる力。超常の力。それでも、意思を持つ生き物が扱う力だ。

 魔法がもたらす結果には、当然のことながら理由がある。魔法を使用する者の強い意思がなければ、その結果は目に見える形で現れない。

 シャナちゃんの目尻には、またいつの間にか涙が溜まっていた。

 

「お兄ちゃんと、もっと、話したかったから……ここに、いてほしかったから……」

 

 こんにちはってなに、と。この子はおれに聞いてきた。

 それは、普段からあいさつをする習慣がないということ。この子に普通にあいさつをするエルフが、あの村に誰もいないということだ。

 ハーフエルフという存在が、あの村でどのような扱いを受けているのか、おれは知らない。もしかしたら、他所者の目には入らないようにしているのかもしれない。

 それでも、シャナちゃんがあの村でどんな思いをしているか。ぽろぽろと溢れる大粒の涙を見るだけで、想像するのは容易かった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……私の魔法、気持ち悪いかもしれないけど……でも、シャナのこと、きらいにならないで」

「大丈夫」

「きらいになんてならないよ」

 

 おれが明日には村を出て行ってしまうから。だから、村に残ってもらうために、もう1人おれを増やした……というのは、きっと正解の半分だ。

 おれの前で泣きじゃくるこの子は、無表情なふりを装って、感情を表に出さないように努めていたこの子は……ただ自分の顔を見て、自分の目を見詰めて話をしてくれる人が、もっと欲しかっただけなのだろう。

 

「ほらほら、泣くな泣くな」

「むしろ、おれはシャナちゃんにありがとうって言いたいくらいだよ」

「ありがとうって……なんで?」

「そりゃあ、おれは勇者を目指してるからさ」

 

 小さくて軽い体を、抱き上げる。

 

「おれは元々、1人でも世界を救いに行くつもりだったけど」

「そんなおれが2人も3人もいたら、全員で協力して、もっともっと早く世界を救えるかもしれない」

 

 だから、

 

「ありがとう。きみの魔法は、本当に、とってもすごい」

「お兄ちゃん……」

 

 握られた小さな手に、力が籠もった。

 一瞬、何かが重なるような感覚があって、視界が揺らぎ、しかし次の瞬間には元に戻っていた。

 

「ん?」

 

 妙な違和感と、嫌な予感があった。

 

「……」

 

 右を見る。おれがいる。

 

「……」

 

 左を見る。おれがいる。

 

「……」

 

 もう一度、両隣を見直して、完璧に確認する。

 おれの両脇には、おれが2人いた。

 シャナちゃんは、もう言葉すら出てこないのか。小さな顔を真っ青に染めて、ぱくぱくと口を動かしている。

 

 子どもは、褒めて伸ばせ、というけれど。

 しかし、これはあまりにも成果が出るのが早すぎる。

 

「……おいこれ」

 

 おれが呟く。

 

「……どうするんだ?」

 

 おれが聞く。

 

「……どうするって言ってもなぁ」

 

 おれが天を仰ぐ。

 腕を組んで、おれは……いや、おれたちは唸った。

 

「「「まさか3人になるとは」」」

 

 これ、もうおれたちだけでパーティー組んで世界を救いに行けるんじゃないの?




今回の登場人物

・勇者
 ガイア!

・勇者
 オルテガ!

・勇者
 マッシュ!

・シャナ
 ジェットストリームアタックをかけるぞ!


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欲しいのは、あなたのすべて

 状況を整理しよう。

 

「とりあえず、これからどうするかを決める」

「ああ」

「まかせとけ」

 

 ここまで増えたら、もう驚かない。おれも開き直って今後の方針をおれたちと話し合うことにした。

 

「まず、3人全員が村に戻るわけにはいかない」

「そりゃそうだ」

「当然だな」

「お前ら、会話進まなくなるから、いちいち相槌打たなくていいぞ」

 

 というか、返事しなくてもどうせおれ同士だから考えてることわかるんだよなぁ。

 

「そういえば、装備とかどうなってんの?」

「身につけているものは、そのまま増えてるぞ」

「ほんとに?」

「見た目だけじゃなくてパンツとかも増えてる」

「ほんとだ!」

「おいやめろ。ズボン下げるな。自分でも気色悪いんだよ」

「パンツまで増えるのはありがたいな。この前破れちゃったし」

「一緒におれが増えてるんだから、パンツが増えても何も変わらないんだよな」

「そうやって考えるとおれら、今同じパンツ穿いてるのか」

「なんかやだな」

「一緒に洗濯とかしたくないな。交ざるのもやだ」

「でも装備をある程度共有できるのは強いんじゃないか?」

「パンツは共有したくねぇよ」

「靴下もいやだ」

「パンツに比べれば靴下はセーフじゃないか?」

「パンツの話から離れろ」

 

 とはいえ、増えたおれたちのパンツの有無は、わりと重要なポイントだ。

 シャナちゃんの魔法は、増やしたいと思ったものを増やすこと。人間をそっくりそのまま増やしたことからなんとなく察しはついていたが、本人が認識していなくても、見えない部分や付属品……要するに、身につけている剣や衣服まで一緒に増やすことができるらしい。この場合、シャナちゃんはさっき宿で増えたおれではなく、剣などを身につけていたおれを増やした。だから、宿で増えたおれは剣を持っていないが、今増えたおれは剣を持っているというわけだ。うん、ややこしいね。

 

「まあ、おれはとりあえずここで待機してるよ。幸い、装備も一通り揃ってるし」

「いいのか?」

「ああ。どっちにしろ、明日にはもう村を出るだろ?」

 

 流石はおれと言うべきだろうか。話が早い。考えが同じで助かる。

 

「じゃあ、おれも装備がないおれと一緒にいるわ」

「ちなみに、このあとの予定は?」

「長老さんと食事の約束がある」

「なら、最低でも村にもう一泊する感じになるな」

「明日の昼までに出発できれば問題ないだろ」

「じゃあ、それまでに方針を決めておく感じで」

「了解了解」

 

 話がまとまったところで、俯いたままのシャナちゃんに声をかける。

 

「シャナちゃん。おれと村に戻ろっか」

 

 またおれを増やしてしまったことを、気に病んでいるのだろう。

 返事はない。視線も合わない。小さな手のひらが、おれの服の裾を掴んだ。

 

「……お兄ちゃん、明日、いなくなっちゃうの?」

「ああ。離れ離れになった仲間がいるんだ。あんまりゆっくりもしていられない」

「私、お兄ちゃんと離れたくない」

 

 引っ張る力が、強くなる。

 

「お兄ちゃん、3人いるでしょ? 私が、増やしてあげたでしょ? だから、1人だけでもいいから、私の側にいて」

 

 それは本当に、何かを絞り出すような声音だった。

 

「私を、1人にしないで」

 

 かわいらしい顔が、さらに下を向いて。どうしていいかわからずに、おれはやわらかい銀髪の上に、手を置いた。右にいるおれが、腕を組む。左にいるおれが、深く息を吐く。

 おれたちは、黙って顔を見合わせた。

 

「シャナちゃん」

「おれは、明日には村を出ていく」

「これは変わらないし、変えられない」

 

 打ち合わせたわけでもないのに、おれたちの声はきれいに重なった。

 

「おれたちは、いくら増えても結局おれだから」

「だから、世界を救いたいっていう気持ちは全員同じなんだ」

「1人だろうが、2人だろうが、3人だろうが、おれたちは絶対に世界を救いに行く」

 

 むしろ人数が増えた分、もっと世界を救いやすくなった、と。おれはそう考えてしまっている。最初のおれが死んでも、まだ2人のおれが残っているなら、そこそこ無茶ができるな、なんて。そんなことを考えてしまっている。それくらい、おれにとって魔王を倒して世界を救う、というのは大切な目標だ。

 この村に残って、シャナちゃんの側にいてあげる。そんな選択肢は、この場にいるどのおれの中にも存在しない。

 

「だからさ」

「シャナちゃんに提案があるんだ」

「提案?」

「うん。シャナちゃんが1人にならない、おれと一緒にいられる方法」

 

 昨日、シャナちゃんが教えてくれた花が目に入った。この場所でしか咲けない、この森の土でしか育つことができないと言われている、銀色の花。

 でも、それはそう言われているだけで、実際に試してみなければわからない。

 膝を折って地面につく。これだけはしっかりと、目線を合わせて、おれは逆に問いかけた。

 

「おれと一緒に、冒険に行かないか?」

 

 ぴくん、と。肩が跳ねたのがわかった。

 

「もちろん、今すぐに決めなくていいよ。おれが村を出るまでに、決めてくれればいい」

 

 その言葉は、今のおれが、この子に伝えられる精一杯の気持ちだったけど。

 結局、村に着くまでシャナちゃんはおれの手をぎゅっと握って離さないまま、目を合わせようとはしなかった。

 

 

 

 

 村を出る前に、まだ確かめたいことが残っている。じっくり聞き込みをしている時間はないので、事情を知ってそうな人物に、単刀直入に尋ねることにした。

 

「もしかしてシャナちゃんは、魔法を使えるんですか?」

 

 時刻は夜。場所は、おれを歓迎する食事の席である。

 長老さんは、約束をきっちり守る人間……もとい、エルフであるらしい。昨日の言葉通り食事に招かれたので、ちょうどよく2人きりになれたタイミングを見計らって、こちらから切り出した。

 深く皺が刻まれた瞼が、大きく持ち上がる。食事の手を止めた長老さんは「ほほぅ」と呻いた。

 

「よくお気づきになったものだ」

「気づくも何も、見てしまったので」

 

 何を増やした、とか。

 どこで見せてもらった、とか。

 そういう余計なことは、自分からは言わない。とりあえず『シャナちゃんは魔法が使える』という情報を元手に、かまをかけてみた。

 どうやら、うまく釣れたらしい。

 

「驚いたでしょう?」

「はい。びっくりしました」

「しかし勇者殿も、魔法をお持ちだと伺っています。同じ奇跡をその身に宿しているのなら、そこまで驚くこともないのではありませんか?」

 

 耳聡いな、と思った。

 

「おれの魔法は、そんなに大したものじゃありませんよ」

「機会があれば見てみたいものです」

「……そうですね。まぁ、機会があれば」

 

 歯切れの悪さを察してくれたのか。ふむ、と長老さんはあごひげに手をやって、話を戻した。

 

「それで、何を()()()ところを見たのですかな?」

「……果物です」

 

 これは真っ赤な嘘だ。

 しかし、長老さんはおれの適当な答えを気にする様子もなく、うんうんと頷いた。

 

「シャナの魔法は、触れたものを増やすことができるのです。もちろん、なんでもかんでも自由自在に増やせる、というわけではないのですが……我々も、あの子の魔法には大いに助けられています」

「……間違っていたら申し訳ないのですが、シャナちゃんは『自分』も増やすことができるのではありませんか?」

「ほほぅ。未来の勇者殿は、良い目をお持ちだ」

「おれは最初に、2人でいるシャナちゃんと会っています。あそこまでそっくりなら、すぐにわかりますよ」

 

 否定されるかと思ったが、あっさりと肯定された。

 

「左様。シャナは人間も増やすことができます」

 

 魔法は、現実の理を捻じ曲げる超常の力。

 その力を理解し実際に体験していても、こうもあっさり認められるとなんだか拍子抜けしてしまう。

 

「……では、シャナちゃんは、何人いるんですか?」

 

 さらに、突っ込んだ質問をしてみる。すると、間髪入れずに答えが返ってきた。

 

「4人です」

 

 おれが実際にこの目で見たのは、2人だ。

 それが本当なのか、嘘なのか。残念ながら、おれには確かめる術がない。

 質問を重ねるしかない。

 

「おれが会ったシャナちゃんは、2人だけです。他のシャナちゃんは普段、何をしているんですか?」

「勇者殿が顔を合わせているシャナ達は、よく村の仕事を手伝ってくれています。他の2人は、社交的な性格ではないので、部屋に籠もって魔術の研究に精を出しております」

 

 おれがまだ会っていない2人は、社交的な性格ではない。おかしな話だと思った。

 

「元は同じ存在なのに、性格が違う?」

「もちろん、増えた直後は同じです。あの子の魔法は完璧だ。身も心も、すべて同じ自分自身を増やすことができます。しかし、人間という生き物は経験や境遇によってその在り方を変える。在り方が変われば、好みや性格に変化が出てくるのは当然のこと。あなたが会ったシャナも、髪の長さが違ったでしょう?」

 

 たしかに。あの2人は、髪の長さで外見の区別がつく程度に、違いがあった。

 

「あの子たちは、魔法で増えてからもう3年ほどになります。同じものを食べ、同じように生活していても、細かな違いが出てくるのはむしろ自然なことだと思いませんか? 事実、あなたに懐いているシャナは、他のシャナに比べて、花が好きなようだ」

「……質問ばかりで恐縮なのですが」

「どうぞ、勇者殿」

「無礼を承知でお聞きします。シャナちゃんは、この村にあまり馴染めていないように見えます。長老さんは、そのことについて、どのようにお考えですか?」

 

 本命の問いかけを、ぶん投げた。

 灰色の瞳に、今までとは別の色が浮かぶ。

 

「そう見えますか?」

「そう思えます」

 

 客人であるおれに気を遣ってか、村のエルフが露骨な対応を見せることは少なかったけれど、シャナちゃんがろくな扱いを受けていないことは明白だった。

 

「……あの子には、人間の血が混じっている」

「はい」

「加えて、魔法の力も持っている。我々は、魔術に精通した種族です。その術理を知り尽くしているからこそ、得体の知れない魔法の力に恐怖する者も多い」

 

 自分たちとは違うものは、こわい。

 自分たちに理解できないものは、もっとこわい。

 種族こそ違えど、人間もエルフもそれは変わらないようだった。

 

「シャナは、自分の魔法を理解はしていますが、まだ正しくコントロールすることはできていません。先ほども言った通り、我々もあの子の魔法には助けられています。ですが、唐突に2人に、3人に増えるあの子のことを、完全に理解できているわけではない」

「だから、自分たちのために都合良く利用しながらも、疎んじるんですか?」

 

 それまでゆったりと飲んでいた杯の中身を、長老さんは一気に呷った。

 

「……勇者殿。恥を忍んで頼みたい」

 

 おれよりも遥かに長い時間を生きてきたエルフの長は、躊躇いなく頭を下げた。

 

 

「あの子を……シャナを、村の外に連れ出しては頂けませんか?」

 

 

 何を言われるか。何を問われるか。

 ある程度、会話のカードを用意してから席についたつもりだったのに、それは思ってもない提案だった。

 

「我々がシャナを同じ名で呼ぶのは、あの子をどう扱っていいかわからないからです。村を預かる長として、情けないことを言っているのはわかっています。ですが、あの子はきっとこの村では幸せになれない」

「……だからおれに預ける、と? おれはまだガキですよ。しかも、目指しているのは魔王の討伐です。シャナちゃんの幸せを簡単に保証はできません」

「だからこそ、です。あなたは若く、これから多くのものに触れ、多くのことを学ぶでしょう。それはきっと、シャナにとって新しい自分を形作る、かけがえのない経験になるはずだ」

 

 そもそも、と。長老さんは言葉を繋げて、

 

「自分とまったく同じ存在が側にいて、幸せになれると思いますか? 己という存在のアイデンティティが、保てると思いますか?」

「それは……」

「答えは急かしません。村を出るまでに、決めて頂ければ結構です」

「……わかりました」

 

 食事が終わるまで、おれはもう長老と目を合わせることができなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 よかった。今日は寝ている。

 

 彼が眠っている寝室の扉を開いて、シャナはほっと息を吐いた。

 穏やかな寝息の側に、歩み寄る。そこは昨日、シャナが一緒に眠ったベッドだ。

 昨日は、彼の話を聞きながら、ひさしぶりにぐっすり眠れた。いや、本当の意味で安心して寝ることができたのは、生まれてはじめてかもしれない。

 

 ──おれと一緒に、冒険に行かないか? 

 

 そう言ってもらったことが、うれしかった。

 なぜだろう。

 きっとこの人なら、自分のことをずっと見ていてくれると思った。

 離れてほしくない。いなくなってほしくない。すぐ近くで、笑っていてほしい。

 

「……お兄ちゃん」

 

 だから、一緒にいるために。

 ()()()()()()()は、殺さなくちゃ。

 

「ごめんね」

 

 ナイフを抜いて、寝ている男に突き立てる。命令されたのは、シャナにもできる簡単な作業だった。

 暗闇の中で、少年の体が強張る気配がした。

 

「……長老が、言ったの。約束、してくれたの」

 

 彼に、シャナは言い聞かせる。

 自分に、シャナは言い聞かせる。

 

「私が、お兄ちゃんを3人に増やしてあげたから。だから……だからね? 1人は殺して長老に渡して、1人は私のお兄ちゃんにして、1人は世界を救いに行けばいいって。長老が、教えてくれたの」

 

 命は、かけがえないのもの。失ってしまえば、決して取り返しのつかないもの。そう考えることができるのは、命に唯一性があるからだ。

 同じ母親の腹から、どれだけ顔が似通った双子が生まれようと、その中に宿る心は違う。この世に、まったく同じ命は存在しない。

 

「3人もいるんだから、1人くらい……いいでしょう? お兄ちゃん」

 

 誰もが持つそんな当たり前の価値観を、魔法は簡単に歪めてしまう。

 外見も、心も、すべてが同じ命すらも増やす。増やすことができるなら、それはもう替えの利く消耗品だ。欲しいと思ったなら増やせばいい。他にも欲しい人間がいるのなら、増やして渡してしまえばいい。

 けれど、少女の不幸は、そんな魔法を持って生まれてきたことではない。

 それを間違いだと正す者が、周りに1人もいなかったことだ。

 

「一緒に、いようね」

 

 シャナは、きっとこれから好きになる男の体に、もう一度ナイフを押し込んだ。




おまけ
勇者パーティーのいろいろランキング

身長
1位勇者くん(179。わりと体格は良い)
2位リリアミラ(169。女性にしては高めなのを実は気にしていたり)
3位アリア(165。リリアミラより小さいのを明らかに気にしてる)
4位赤髪ちゃん(162。平均身長くらい)
5位シャナ(155。まだ伸びると信じている)
6位ムム(143。とにかく小さい)

良く食べる人
1位赤髪ちゃん(食欲の悪魔)
2位アリア(お酒もご飯も大好き)
3位勇者くん(きみたち食べ過ぎじゃない?とか言いながら自分もよく食べる)
4位リリアミラ(好きなものだけよく食べる)
5位シャナ(ここから少食。あまり食事を重要視してない)
6位ムム(たくさん食べたいが体が小さいのであまり入らない。ご飯はとても好き)

頭の良さ(教養などを問う一般的な学力)
1位シャナ(私が一番若いのに恥ずかしくないんですか?)
2位リリアミラ(良家の出なのでかなり頭が良い)

〜でっかい壁〜

3位勇者くん(学校中退なのでいろいろお察し)
4位アリア(座学は勇者くん以下だった)
5位ムム(歴史だけはちょっと得意。あと体育)
6位赤髪ちゃん(知識はインプットされているが使い方がわからない。早く学校行け)

酒の強さ
1位リリアミラ(アホほど強い。よく魔王軍幹部を潰していた)
2位アリア(普通にめちゃくちゃ強い。よく勇者くんを潰す)
3位勇者くん(強いはずなのだが上がイカれている)
4位赤髪ちゃん(まだ飲まない方がいい)
5位シャナ(飲ませたら大変なことになる)
6位ムム(スヤァ……)


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勇者、がんばる

 くすぐったくて、目が覚めた。

 

「え?」

 

 閉じていた目を開けると、めちゃくちゃかわいい女の子がナイフを握りしめて、おれの上に馬乗りになっていた。どこからどう見ても、完全に事案である。どうやら、おれは寝込みを襲われて刺されそうになっていたらしい。

 目は口ほどにものをいう。きれいな色の瞳は、動揺で揺れていて。その中に、おれの顔が写っていた。

 うーん。わりとひどい顔をしているな……やれやれ。

 

「……!」

 

 また、ナイフが振り下ろされた。殺すつもりで刺してきた、というのはわかる。

 しかし、刺さらない。おれの肌は、非力な力で振るわれる刃を、簡単にはじいた。

 

「なんで……?」

「ん? 勇者だから」

「……勇者は、ナイフ刺さらないの?」

「うん。勇者だからね」

 

 シンプルに答えて、ナイフを払い除けて起き上がる。おれが力を込めると、華奢な体は簡単に倒れて、上下が逆転した。

 

「長老に言われた? おれを殺せって」

「……」

「うん、わかった。言いたくなかったら、言わなくてもいいよ」

 

 瞳の色が、滲む。

 ああ、この子は最初から泣いていたんだな、と。今さらながらに気がつかされる。

 鈍感野郎、とアリアにまた怒られそうだ。これは反省しなければなるまい。

 

「……ごめんなさい」

 

 掴んだ手首の、脈が早くなる。

 人間の声って、こんなに震えるんだな、と。やけに冷めた頭で思った。

 おれの中に、二種類のおれがいる気がする。

 泣いている女の子の頭を撫でて、今すぐにでも安心させてあげたいおれと。

 殺されかけたなら、相応の対処をすべきだと警告を告げるおれだ。

 

「私、お兄ちゃんに、側にいてほしくて。お兄ちゃんが、ほしくて、だから」

 

 声音に嘘はない。しかしその言葉は、吐き気を催すような矛盾を孕んでいた。

 こんなにも熱く求めながら、殺そうとする。

 こんなにも涙を流しながら、強く欲する。

 その致命的な食い違いの原因は、きっと本来この子の中にはなかったもので。この子の体に宿ってしまった魔法と、それを利用しようとした汚い大人たちが、この子をこんな風にしてしまって。

 

「ごめんなさい」

 

 繰り返される空虚な謝罪に、耳が痛む。

 この子は『おはよう』は知らなかったのに『ごめんなさい』は知っているのだ。

 もしかしたら、穏便に済むかもしれないと思っていた。この子を連れていくか、と聞かれたから。だから、なんとかなるかもしれないと思っていた。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。私、お兄ちゃんのこと、殺そうとしちゃった」

 

 でも、甘かった。

 

 

 

「だから、いいよ。私のこと、殺していいよ」

 

 

 

 すべて、おれが甘かった。

 

「殺そうとしたから、殺されるのは……当然だと思うから。大丈夫。私、()()()()()()()()()()()()()()。慣れてるから」

 

 増やしてしまえば、代わりがいる。だから、大丈夫だと。

 おれよりもずっと小さい女の子は、そう言っていた。

 

「だから、私を殺していいから……私のこと、きらいにならないで」

 

 わからない。

 この子が言う『私』とは、一体誰のことを指すのだろう?

 この子はきっと今までもたくさん増やされて、使い捨てられて。そしてこれから先も、いくらでも増えて、周りの都合で使い捨てられていくのだろう。

 おれは良い。これから世界を救いに行くのだから、いくら魔法があっても困らない。どんな魔法でも欲しい。

 アリアだってそうだ。己の魔法を見詰め直して、研鑽し、懸命に自分の力にしようとしていた。それはいい。それは、問題ない。

 でも、こんな小さな女の子に、こんな残酷な魔法を与えるのは、やはり間違っている。

 

 奪わなければ、ならない。

 

「シャナちゃん」

 

 ナイフは、手の届く距離にあった。

 

「おれの魔法は……殺した相手の力をもらうんだ」

「え?」

 

 手を離して、立ち上がる。床に落ちていたそれを、拾い上げる。

 実際に持ってみると、抜き身の刃は予想していたよりも重かった。でも、まだ軽い。

 だからおれは、ナイフをベッドの上に置いて、自分の剣を引き抜いた。より効率的に人を殺すために作られた刃の切っ先を、少女に向けた。

 

「正直に言う」

 

 身に纏う空気が変わったのを、理解したのか。小柄な体が、まるで獣から逃げるように、後退った。でも、扉には鍵がかかっている。外には出られない。

 そう。人間は、心臓を一突きすれば、簡単に死ぬ。

 

「おれは、きみの魔法が欲しい」

 

 剣を、突き立てる。

 彼女の呼吸が、止まる。瞬間が、永遠に感じられるように、静止した気がした。

 

「っ……が」

 

 シャナちゃんの、背後。

 おれが突き立てた剣は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようだった。血反吐を吐いて、倒れ込む音がした。

 とんとん、と。肩を軽く叩く。止まっていた呼吸が戻った。

 

「……はっ……はっ」

「驚かせて、ごめん。脅すようなことをして、本当にごめん」

 

 ぽろぽろと、また瞳から雫が落ちる。でもその涙は、さっきまでとはまた種類の違う涙だった。絞り出すような冷たさではなく、自然と溢れるような温かさがあった。

 頬が、興奮で赤くなっている。薄い胸が、上下に揺れている。

 おれの目の前で、この子はたしかに生きている。

 

「でも、どう思った?」

「……どう、って」

「死にたくないって。そう思ったでしょ?」

 

 わかってほしい。

 その気持ちに、替えなんて効かない。

 

「それは、きみだけのものだ。きみだけの命だ。だから、いくら増やせても、簡単に捨てちゃいけない」

 

 わかってほしい。

 今を生きている自分に、代わりなんていない。

 

「おれが助けたいのは、きみだ。シャナ」

 

 おれは、世界を救うために、この子の魔法が欲しい。

 だから、おれの都合で、おれがこの村から奪う。そう決めた。

 もう一度だけ、手を伸ばす。

 

「おれと一緒に、来てくれる?」

 

 返事はなかった。伸ばした手は掴まれずに、胸の中に飛び込まれた。震える背中をさすって、抱き止めた小さな体を持ち上げる。

 これが、おれが抱える命の重さだ。

 

「よし、行こうか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 子どもに殺しを任せて、それで安心するような馬鹿はこの世にいない。

 夜闇に紛れて、エルフの戦士達は、勇者の寝所を取り囲んでいた。

 

「出てこないな」

「部屋の前にも、1人置いていたはずだが」

 

 舌打ちと、嘲るような笑いが混ざる。

 元より、シャナが失敗することは想定済みだ。だからこそ、彼らは年若い勇者を、こうして待ち構えている。

 

「あのガキ、強いのか?」

「さあ? ただ、王都では『勇者の再来』なんて持ち上げられて噂になっていたとか」

「人間の話だ。我々にはわからんよ」

「どうする?  踏み込むか?」

「いや、出てきたところを狙えばいい。どうせ」

 

 どこにも逃げられはしない、と。

 最も前で弓を構えていたエルフの言葉は、最後まで続かなかった。その顔の中心に、寸分違わず銀色のナイフが突き刺さったからだ。

 

「は?」

 

 反射的に短剣を構えたエルフは、しかし仲間の顔面に突き刺さったナイフの柄に見覚えがあった。それは、彼があの勇者の少年を殺させるために、シャナに持たせたナイフだった。

 顔を上げて、息を呑む。少年の部屋の窓が、薄く開いている。

 

「……構えろっ! 気づかれているぞ!」

 

 そして、その言葉を最後に、彼もまた絶命した。

 窓から弾丸のように飛び出してきた影が、無造作に頭を踏み砕く。胸を剣で貫きながら、有り得ない素早さで地面に着地する。悲鳴すら残して逝くことも許されず、脱力した腕から槍が落ちた。

 

「……ッ!?」

 

 エルフの戦士の判断は素早かった。一瞬で死体になった仲間には目もくれず、少年に向けて大剣の刃を横に薙ぐ。獲った。そう思った時には、太い両腕が、肘から切り離されて宙を舞っていた。

 可動域を離れた腕と、感覚の喪失。それらの理解が追いつくと同時に、鮮血が吹き出した。少年の右手には、既に拾い上げた槍が握られており……驚愕と痛みに歪む顔面が絶叫をあげる前に、口の中に差し込まれた刺突が、声と意思を奪い去った。

 たった10秒足らずで血袋に変化した仲間達を見て、ようやくエルフが声を発した。

 

「な、なんのつもりだ! 我々は……」

「今さらそれは無理があるだろ」

 

 声を発することが許された、と言った方が正しかったかもしれない。

 しかし、その言い訳を最後まで聞かずに、少年は死体から引き抜いた剣を回して、首を刎ねた。

 これで5人か、と。確認するように呟く。

 

「いいや、6人だ」

 

 直上。仲間が殺されても機会を窺っていた狡猾なもう1人が、巨大な斧を薪割りの要領で振り下ろした。

 エルフには、人間にはない特徴がある。背中から生えた、虫のような翅。それは当然飾りなどではなく、空中を自由自在に駆け、人間の戦士とは異なる立体的な戦闘を可能にする。

 そもそも、人間の警戒が最も薄くなると言われているのが、頭上という死角。人である以上、少年もそれは例外ではなかった。

 避けることはもちろん、反応することすら叶わず、少年の頭に、薪を割るように分厚い刃が直撃する。

 

「あ……あぁ!?」

 

 ただし、その少年はただの人間ではなく、勇者だった。

 近接戦を得手とするそのエルフにとって、直上からの奇襲は完璧なタイミング。頭どころか、股の下まで裂けて真っ二つになってもおかしくはないほどの、全力の振り下ろしであった。にも拘わらず、エルフが感じた手応えは、まるで鋼鉄の塊に斧をぶつけたようなもので、

 

「な、なんだお前……!」

「勇者だ」

 

 ぐりん、と。頭で刃を押し返した少年は、軽く話しかけるような気安さで斧を持つ腕を掴み、中ほどからへし折った。と、同時に開いた手のひらで顔面を掴みこみ、前に突き出す。

 さながら身を守る盾のようになったそのエルフの体に、前方から3本の矢が突き刺さった。顎が絶叫で開きかけたところを見るに、おそらく毒矢なのだろう、と。判断した少年はまだ息のある盾を矢の方向に向けて投擲した。次に右手の槍を、最後に斧を回転をかけて放り投げる。それらはまるで自分から吸い込まれるかのように、樹上に息を潜めていた射手達に命中した。

 

「……バカな」

 

 槍が心臓に突き刺さり、斧に頭を割られた2人が、呆気なく息絶える。仲間の体をぶつけられた1人だけは、潰れたカエルのように地面に落下して呻いた。

 

「くそっ。なぜ、こちらの場所が……」

 

 立ち上がろうと地面についた手のひらを、刃が貫いて縫い止める。

 

「ぎっ!?」

「仲間は? あと何人いる?」

 

 どこまでも冷たい声だった。

 問いかけと共に、ねじ込まれた剣が回る。だが、エルフは少年を睨めつけて言った。

 

「……人間如きが、図に乗るなよ」

「わかった」

 

 頷いて、首を落とす。

 

「まだ、いそうだな」

 

 勇者とは、魔王を討つ者。人々を導き、救う者。

 それが敵に回るということが、何を意味するか。彼に刃を向けるエルフ達は、身を以て知ることになる。

 

 

 

◆ ◇ ◇

 

 

 

 エルフの血の匂いも、そんなに人間と変わらないらしい。うれしくない発見だ。

 ふっと息を吐いて、鉄臭い空気を肺の中に入れる。

 おれを待ち構えていた集団は片付けた。あとは、親玉が残るのみ。

 わざとゆっくりと、振り返る。気配の主は、おれが気がつくのを待っていたようだった。

 長老(クソジジイ)が、立っていた。

 

「……いつから、生かして帰す気がないと気がついていた?」

「なんとなく、価値観が違うなって思った」

 

 笑顔と言葉で、それは巧妙に取り繕われていたが、違和感は拭いきれなかった。

 

「夕食の席の時。あんた、シャナのことを思い遣るような言い回しをしてたけど、一度もシャナのことをエルフって言わなかったんだ」

 

 人間、とだけ言っていた。村の誰もが、一度たりともシャナのことをエルフとは呼ばなかった。自分たちと同じ種族だと言わなかった。それが、もうそのまま答えだ。

 付け加えれば、やはり最初からこの老獪はおれの体を……魔法を目当てにしていて、逃がす気など毛頭なかったのだろう。

 

「シャナは連れて行く。あんたを殺しても」

「良い威勢だ。しかし、これを見てもそう言えるかね?」

 

 無造作に、長老は右腕を振って、地面に何かを放り捨てた。

 それは、死体だった。見覚えのある剣は折れていて、見覚えのある服装はボロボロになっている。なにより、見覚えのある顔が、恐怖で歪んだまま固まっていた。

 

「わしが殺した」

 

 

 

 ――おれの、死体だった。

 

 

 

「……そっか」

 

 この老人はどうやらおれを殺せるらしい。状況は、明らかに悪化した。

 でも同時に、少しだけ良かったとも思った。

 自分と同じ存在を、殺される。シャナの気持ちがわかるようになったから。

 

「自分の敵討ちをさせてもらえるなんて、貴重な体験だ」




今回の登場人物

・勇者くん
 覚悟ガン決まりになった。この時点で『黒己伏霊(ジン・メラン)』以外にいくつかの魔法を所有している。この頃から基本は近接戦闘。

・シャナ
 彼に攫われることを決めた。

・長老
 苦しまずに死んでくれればよかったが、バレたなら仕方ない、くらいのスタンス。

・勇者くん(2人目)
 殺された。




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救いたいのは、きみのすべて

お待たせしてごめんなさい!!


 魔術戦において、情報はある種最大のアドバンテージである。

 扱う属性、得手とする攻撃距離。それらを知られるだけで、戦闘の有利は簡単に覆る。

 故に、魔術を扱う人間の戦闘の鉄則は、一つ。先手必勝だ。

 

「やはり若者は威勢がいいな」

「うっせえ」

 

 跳躍、接近。一太刀で首を落とすつもりで、剣を振るう。

 だが、おれが横に薙いだ刃は、クソジジイの首を捉えることができなかった。手応えのないその感触に舌打ちする。

 

「飛べるのか、その翅で」

「飛べるのさ、こんな翅でもな」

 

 回避された、というのは正確ではない。厳密に言えば、刃が届く範囲から逃れられた、と言った方が正しい。

 顔を上げ、天を仰ぐ。

 まるで枯れ枝のような老体が、風に攫われて浮いていた。地面から両の足を離して、エルフの長は宙に浮かんだまま、静止している。

 エルフが飛べることそのものに、驚きはない。さっきの戦士も、おれの頭上を取って奇襲してきた。ただ、あの明らかに衰えきった翅で飛べるのは、完全に予想外だ。

 しかし、剣が届かないからといって、やりようがないわけではない。

 

()()()

 

 その名を呼ぶ。

 

「──ゲド・アロンゾ」

 

 思い出して、行使する。

 体の内側から、魔法を引き出す、独特な感覚。

 

 

燕雁大飛(イロフリーゲン)

 

 

 エルフの戦士たちが使っていた武器を拾いあげ、クソジジイに狙いを定める。瞬間、おれが触れた武器に、魔の力が宿る。

 ナイフと剣を、投擲。物理法則を無視して回転するそれらは、まるで吸い込まれるかのように、目標に向かって飛翔する。

 

「ああ……()()()()()()()()()()()()()だったな」

 

 だが、阻まれる。

 浮遊する老人の、さらに頭上から舞い降りたのは、重装騎士が携えるような大盾だった。ジジイの体と同様に宙を舞う鉄の塊が、投擲したナイフと剣をあっさりとはじきとばす。

 身を守る盾を周囲に回転させながら、老獪は笑う。

 

「それは、さっき見た」

「ちっ」

 

 やはり、というべきか。

 魔術戦において、情報はある種最大のアドバンテージである。

 そして、魔法戦における情報の重要性は、魔術戦のそれよりもさらに上。すでに息絶えているおれは、きっと持てる力を以てあのジジイに抵抗し、手持ちの魔法を駆使して、全力を尽くした上で殺されたのだろう。

 つまり、おれが所持している魔法が、すべて把握されているかもしれないということだ。

 

「では、反撃させてもらおう」

 

 軽い声と同時に、それらは降ってきた。

 

「……ちっ!」

 

 人が抱えられない質量の、岩。

 おそらく砂岩系の魔術に分類されるであろう塊が、十数発。着弾と共に、地面を揺らす。

 避けられなかった。直撃だった。

 

()()()──シエラ・ガーグレイヴ」

 

 とはいえ、おれは落石が全身に直撃した程度では死なない。

 

百錬清鋼(スティクラーロ)

 

 衝撃は気合で耐える。砕けた石の粒を、払い除ける。

 もちろん、痛みがなかったわけではない。粉塵を掻き分けて、喉もとにこみ上げてきた血の塊を、地面に吐き出した。クソジジイは、おれを見下ろしたまま目を細める。

 

()()()()()()()()()だな。ナイフはもちろん、剣も斧も通さない。実に優れた防御魔法だ。不意打ちで死ぬこともない」

 

 だが、と。

 長老はいやらしいほど間を置いて、言葉を紡いだ。

 

「なによりも素晴らしいのは、他者の魔法を奪い、自由自在に操る……きみ自身の魔法だ」

 

 まるで足元の虫を相手にしていたかのような口調に、はじめて明確な熱が宿る。

 

「素晴らしい……素晴らしい素晴らしい! 本当に、実に素晴らしい! 複数の魔法を自在に操る魔法使いなど、聞いたことがない! 直接目にして、戦って、殺してみたあとでも信じられない! ああ……っ! きみは本当に、噂と違わぬ勇者殿だ」

 

 噂と違わぬ勇者殿だ。

 最初に出迎えられた時と同じ言葉を言われて、痛みからくるものとは違う吐き気を催しそうになった。

 

「正直に言えば、きみを一目見たときからその脳髄を開いてみたくて堪らなかった。臓物の色を、一つ一つ確かめてみたかった。きみの体に宿る神秘を知ることができれば、魔法という魔術とは異なる力の真実が、きっと解き明かされる。この世すべての魔法を手にすることも、夢ではないだろう」

「ジジイの与太話に興味はない。体をいじりたいなら、そこの死体を使ってくれ。調べ放題だろ」

「…………ふむ、それもそうだな」

 

 深く考えたわけでもない、脊髄反射で返した悪態。

 けれど、それを聞いた老人は少し考え込む様子を見せて、髭を撫でながら言った。

 

「ならば、やめよう」

「は?」

 

 次にどう動いて、どのように相手の息の根を止めるか。会話に付き合って時間を稼ぎつつ、それだけを考えていたおれは、耳を疑った。

 何を言われたかは、わかる。でも、どうしてそんなことを言われたのかが、わからない。

 

「いや、きみの言う通りだと思ってな。未来の勇者殿。もう、きみの死体は手に入れた。べつに、わざわざ骨を折って3人目を殺す必要もあるまい」

 

 さらり、と何の事も無げにクソジジイはそう言ったが、それはつまり最初に増えたおれも殺されている、ということで。

 

「……つまり?」

「見逃してやろう」

 

 生きるか、死ぬか。

 選択の瀬戸際に立たされたおれにとって、それはなんとも魅力的な提案だった。

 

「理由は?」

「才能に満ち溢れた未来ある若者の命を奪うのが惜しい……とでも言えば信じるかね?」

「いいや、全然」

「だろうな。わしも正直、人間の命はどうでもいい。が、我らエルフとて同じ世界に生きるもの。闇に包まれつつある世界を、憂う気持ちはある」

 

 もはや本性を隠そうともしないのが、いっそ清々しい。しかし、何も隠そうとはしていないからこそ、今この瞬間だけは語る言葉に嘘が含まれていないことがなんとなく伝わってきた。

 

「きみは思う存分、その魔法を成長させ、研ぎ澄まし、魔王を倒して、世界を救ってくるといい。そこにいるシャナも連れてな」

 

 まずいな、と思った時にはもう遅かった。

 

「わたし、も……?」

 

 あれほど隠れているように言い含めたはずなのに、小柄な銀髪が物陰から顔を出す。

 思わず舌打ちしそうになったが、釣り下げられた甘いエサに反応するな、という方が無理な話だ。それだけ、クソジジイの提案が魅力的な証拠でもあった。

 

「長老()……いいの? わたし、お兄ちゃんと一緒に、冒険に行っていいの?」

「ああ、いいとも。どうせ、まだ里にお前の代わりはいる。これからお前は、いくらでも増える。彼と一緒に、この村の外で生きていくといい」

 

 意外にも、シャナを見下ろす老人の瞳には、労りがあった。声音はぬるく、そのまま浸かれば引き込まれるような優しさを含んでいた。

 ただし、それはどこまでいっても、人間に対する言葉ではなかった。

 いくらでも代わりがいる、いくらでも新しく作ることができる、消耗品をゴミ箱に放り捨てる前に、ほんの少しだけ名残惜しくなるような、そんな感情の向け方だった。

 

「……シャナ、戻れ。隠れてろ」

 

 短く言って、老人を見上げる。

 

「魅力的な提案だ。見逃してくれるならありがたい」

「ふむ。賢明な判断だ。きみは幸運だったな。わしと会うのが最後だったおかげで、殺されずに済む」

「ああ、そう思うよ。土産代わりに、最後に質問をしていいか? 長老殿」

「わしに答えられることなら、良いとも」

「じゃあ聞こう。あんた、シャナを今まで何人殺した?」

「そんなこと、覚えているわけがないだろう」

 

 ほんの少しでも、あの子に情があったか、なんて。

 悪辣の中にほんの一匙の善性を期待していたわけではない。

 

「……とか。そういう返事を、期待していたかね?」

 

 それでもやはり、返答はバカみたいなおれの返答よりも、ずっとずっと黒い感情に塗れていた。

 

「もちろん、すべて覚えているとも。最初にアレが生まれてから、ずっとずっと……世話をして、管理してきたのが誰だと思っている?」

 

 おれの問いの意図が、どこにあったのか。

 

「喜びも悲しみも苦しみも。魔力を絞り尽くされて、息絶える瞬間の涙の一滴まで……アレから排出されるすべてがエルフという種族の財産だ。記録し、保管し、この頭の中に焼きつけているに決まっている」

 

 見透かすように、嘲笑された。

 

「アレは貴重な魔法だ。世界を変える魔法だ。いくら調べ尽くしても、興味は尽きない。しかし……使()()()()()()()()をきみに教えてやる義理はないな。それもまた、貴重な資料なのだから」

「ああ、よくわかったよ」

 

 どこまでいっても、そういうことだ。

 人間とエルフでは、価値観が違う。

 おれがシャナを連れて行っても、また別のシャナがこの村で死んでいくことになる。

 そんな事実を許容して、のうのうと世界を救いに行くおれを……死んでしまったおれは許さないだろう。

 

「シャナを全員解放しろ。それなら、この村から出て行ってやってもいい」

「やれやれ。1人だけならくれてやると言っているのに。少年……強欲は、身を滅ぼすぞ」

「強欲、大いに結構」

 

 ちびっ子をたくさん連れて戻ったら、アリアにはなんて言われるだろうか。きっと「旅は遠足じゃないんだよ!」とか言いながらも、文句たらたらでお世話してくれるに違いない。

 おれはまだガキで、あの子に対して、何の責任も持てないけど。幸せにしてやると、断言することはできないけど。それでも、道具としてではなく、人間として彼女の隣に立つことだけはできるから。

 

「これから世界のすべてを救いに行くんだ。欲が深いくらいじゃないと、勇者なんて名乗れない」

「……なら、仕方ない。死んでくれ」

 

 どうやらここが、おれの甲斐性の見せ所らしい。

 

 

 

 

 

 威勢よく啖呵を切った少年の最初の行動は、結局のところ先ほどまでと同じだった。

 地面を這いずり回って、武器を拾い上げる。その行動を見下ろして、エルフの長は嘆息する。

 

(惜しいな)

 

 若者らしい蛮勇だと思う。

 センスはある。研鑽も年齢を考えれば、十分過ぎるほどに積んでいる。そして、身に宿す魔法はこの世の理を根底から覆しかねないもので。ともすれば、あの少年はあの魔王を打ち倒し、世界に光をもたらす存在になれるのではないか、と。エルフの長は、たしかにそう思った。

 だから、見逃そうと考えたのだ。シャナの1人は貴重なサンプルだが、またいくらでも補充できる。くれてやることに、不満はなかったのだが……

 

「本当に、残念だよ」

 

 殺してしまおう。

 少年を見下ろして、長老は手をかざす。喉を枯らして叫ばなければ声が届かない高さまで、さらに高度を上げる。

 間合いのアドバンテージは、最初から最後まで、こちらにある。自分は飛べる。少年は飛べない。いくら足に魔力を流して強化したところで、人間の跳躍力には限界があるのだ。唯一、届く攻撃手段は、先程のような武器の投擲のみだが、それは()()()()()()で防御に用いる大盾で十分防げる。

 故に、エルフの長は余裕を持ったまま、少年を殺す方法を思案し、

 

「あ?」

 

 眼下の光景に、思考の停止を自覚した。

 膝を曲げ、地面を踏みしめて。

 少年の体勢は、その構えは、まるで「そこまで届くぞ」と、声なく告げているようで。

 事実、次の瞬間に弾丸の如く飛翔した体は、あまりにもあっさりと空中を駆け上がった。

 

 

「いつまで、上からもの言ってんだ」

 

 

 囁くような、声が聞こえた。

 振り下ろされる斧と体の間に、咄嗟に盾を挟み込む。それでも、少年はその上から斧を叩きつけた。

 結果、長老の体は垂直に落下し、大地に叩き落される。

 

「あっ……が!?」

 

 胸を打ちつけた衝撃で、胸の中から空気が漏れ出した。

 

「やっと同じ目線になったな」

 

 自分を見下ろす、声が聞こえた。

 

「あんたは最初から大嘘吐きだ。そんなくたびれた翅で、若いエルフみたいに飛べるわけがない」

 

 ──飛べるのか、その翅で

 ──飛べるのさ、こんな翅でもな

 

 交わした言葉は、どちらも欺瞞だった。

 ある意味、当然だ。最初から、どちらにもわかりあう気などなかったのだから。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。そういう類いの魔法だろ?」

 

 口の中の砂利を噛み締めながら、顔を上げる。

 大盾を地面すれすれの高さまで下げ、追撃を警戒しながら、それでも老いたエルフは精神的な優位を保つためだけに、言葉を紡いだ。

 

「……よく、見破ったな」

「ああ。逆に、こっちの魔法は全部知られてるわけじゃないみたいだな。安心した」

「……ッ」

 

 理解する。

 世界を救う。そんな大言壮語を当たり前のように口にし、当然のように成し遂げようとする人間が、普通であるはずがない。

 一度、二度、殺せたとしても。三度目まで、黙って殺されるとは限らない。

 

「言われた通り、おれは強欲だよ」

 

 ここに至って、エルフの長は理解する。

 奪ったつもりでいた。見下ろし、上に立っているつもりでいた。

 

「あんたのそれは、とても良い魔法だ」

 

 違う。

 アレは、最初から自分を獲物として見ている。

 

「クソジジイにはもったいない。おれに寄越せ」

 

 命と魔法を。

 奪うか。奪われるか。

 

「……若僧が」

 

 人間とエルフ。

 異なる種族の魔法使いの、殺し合いがはじまる。




今回の登場魔法

・『百錬清鋼(スティクラーロ)
 勇者くんが最初にゲットした魔法。体を鋼の硬さにすることができるらしい。冒険序盤で勇者くんが死ななかった理由の九割はこれ。元々はシエラという女性が所持していた。

・『燕雁大飛(イロフリーゲン)
 勇者くんが二番目にゲットした魔法。投げたものを必ず目標に命中させることができるらしい。冒険序盤で勇者くんが頼っていた遠距離攻撃の九割はこれ。元々はゲドという盗賊が所持していた。

・長老の魔法
 自分自身と触れたものを浮かせることができるらしい。


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その勇者、未だ最強ではなくとも

 不意打ちで地面に叩き落されたとはいえ、老人の立て直しは早かった。重力も慣性も一切を無視して、枯れ枝のような体が不自然に浮き上がり、再び上昇。距離を取る。

 その動きを見ながら、少年は思考する。エルフの長の魔法は、物体の浮遊に関連する能力でほぼ確定したといっていい。だが、まだ疑問は残っている。自身を含めた物体を自由に浮遊させる……たしかに強力な魔法だが、それだけで『百錬清鋼(スティクラーロ)』によって体を硬化させた自分を殺せるとは思えない。

 

(浮遊の魔法以外に、何かもう一手。おれを殺した隠し玉がある)

 

 それを見極めなければ、あのクソジジイには勝てない。無策で挑んでも、あそこに転がっている死体が二つに増えるだけだ。

 考えをまとめつつも、動きは止めない。暗闇の中を、少年は疾駆する。

 そして、思考を回しているのは、そんな彼を見下ろす老人も同じことだった。

 

(……想像以上の跳躍力だった。先ほどは身体能力を見る前に殺してしまったが、認識を改めるべきだな)

 

 エルフ族は、そもそも魔力の扱いに秀でた種族である。村を守る屈強で若い戦士達は、当然魔力による身体強化も高いレベルで習熟している。しかし、眼下の少年は長老が知るどの戦士よりも高く高く跳んでみせた。人間として、異常な脚力と魔力操作と言う他ない。

 

(そもそも、異常でなければ勇者は名乗れない、か)

 

 もっと高度を取れば少年の攻撃範囲から逃れることができるかもしれない。が、このまま攻めてもこちら側に勝ち筋はない。

 魔法戦とは、つまるところ互いの腹の探り合い。思考の先読みである。自分の魔法で、何ができるか。相手の魔法で、何をされるか。それらを予測した上で、己の強みを押し付けた方が勝つ。

 両者の思考がまとまったのは、奇しくも同時だった。

 

(──次で終わらせる)

(──次で仕留めよう)

 

 先に動いたのは、エルフの長だった。

 位置取りで常に優位に立つ長老は、魔法戦のセオリーに従って、己の強みを押し付けることを選択する。

 

「もう一度だ。潰れてくれるなよ」

 

 体の中身を調べるための死体は、いくつあっても困らんからな、と。呟きは胸の内に収めて、攻撃を再開する。

 振り上げた手の動きに合わせて、飛来するのは岩石の雨。

 それは、体を鋼に変化させる少年の耐久力を見極めるために最初に放った攻撃だった。ただし、今度の数は先ほどよりもさらに多い。

 通常、岩を砲弾として操る砂岩(さがん)系の魔術は、形成した岩の弾丸を相手に向けて撃ち放つ過程で、最も魔力を消費する。しかし、長老は自身の魔法で適当な大きさの岩石を浮遊させ、敵の頭上に落とすだけで、同等の破壊効果を獲得していた。

 それは言うなれば、自分の腕の力を一切使わず、弓に矢を番えて放つような暴挙である。

 

「……っ!」

 

 再び轟音が鳴り響き、大地が揺れる。舞い上がる噴煙の中に消えた少年の姿を見据えながら、それでもなお長老は岩石の砲弾を投下し続ける。

 いくら体を鋼の硬さに変化させることができたとしても、激突の衝撃を殺すことはできない。直撃を受ければ、少年の内蔵にはそれ相応のダメージが入る。

 戦闘のために事前に用意し、空中に配置した岩石は、およそ50と少し。このペースで投下し続ければ、頭上に待機させている残弾はあと十数秒で使い切ってしまう。きっとあの少年は、その瞬間を虎視眈々と狙っているはずだ。だが、懐に向かって飛び込んでくるのであれば、こちらにとっても望むところ。

 やはり、というべきか。応戦のリアクションは、すぐにあった。粉塵の中から飛び出してきたのは、攻撃に用いていた岩石である。

 

「ははっ! 岩を投げ返してくるか!」

 

 落下して砕け、サイズそのものは小ぶりになっているとはいえ、投擲した物体に必中効果を与える『燕雁大飛(イロフリーゲン)』の魔法効果もあいまって、少年の反撃は極めて厄介だった。普通ではありえない軌道を描きながら、岩の塊が追ってくる。

 

「ちっ……!」

 

 身を守るためには盾を使わざるを得ない。結果、防御に用いた大盾が衝撃で吹き飛ばされ、守りが手薄になる。

 当然、少年がその隙を見逃すはずもなかった。

 二度目の跳躍。一度目よりもさらに速い。自分に向かって突進してくるそのスピードと勢いに、長老は少年の身体能力をまだ甘く見積もっていたことを実感した……

 

「しかし、読み通りだな」

 

 ……が、動きそのものは、どこまでも予想通りだった。

 老人の表情に驚愕はなく、少年の表情には困惑が満ちた。

 轟音と共に、頭上からそれが降り注ぐ。

 岩ではない。岩石の弾丸であれば、少年には砕く自信があった。武器ではない。剣や弓の類いであれば、少年には打ち払う自信があった。

 しかしそれは、砕くことも打ち払うこともできない、最低最悪の武器だった。

 

「あ……がっ……ゴボッ……!?」 

 

 冷たい、と感じた時にはもう間に合わなかった。

 まるで、池をまるごと宙に浮かべたような、大量の水。不定形の質量の塊が、流れ落ちる滝のように少年の体を飲み込んだ。

 視界が、真っ青に染まる。竜の尾のようにうねる濁流に押し流され、跳躍の勢いが殺される。為す術もなく、少年は水の中に飲み込まれた。

 

「我が魔法の名は『雲烟万理(プレオヌーベ)』。わし自身とわしが触れたものを()()()()()()()()()()()()()()()()()させる。重装騎士が携える大盾、巨大な岩石、そして……水のような不定形の塊も例外ではない」

 

 このままでは、水に押し流されて地面に叩きつけられる。そんな少年の懸念を払拭するように、長老は指先を折り畳み、拳を握りしめた。

 

「故に、このような芸当もできる」

 

 瞬間、流れ落ちる水の動きがぴたりと止まって、少年を中心に球形に変化して浮遊する。本来なら、重力に引かれて地面に落ちるはずの体が、魔法の浮遊効果で操作された水流によって、木の葉のようにくるくると回る。いくらもがいても、どんなにも水をかいても、決して逃れ出ることができない。

 それは、空の中に作られた、水の牢獄だった。

 

「空中で溺れて死ぬ。貴重な経験だろう?」

 

 この方法で、多くの人間を長老は葬ってきた。

 水が喉の中に侵入し、声帯に入れば、気管が凝縮反応を起こす。本来、肺には水の侵入を防ぐ機能が備わっているが、一度でも肺の中に入ってしまえば意味はない。酸素が欠乏し、やがて死に至る。

 絶命する瞬間まで、その苦しむ様を見届けるのも、老いたエルフの楽しみの一つだった。

 

 

「……ぷっはぁぁぁ!」

 

 

 故にこそ。

 その悪辣で傲慢な楽しみを、少年は真っ向から否定する。

 水牢を叩き割り、中から飛び出してきたその勢いに、長老は目を見張った。

 

「……なに?」

「……ふぅぅ……わかってても、息が詰まるもんだな」

 

 声を発して、会話を行う。

 それが行える時点で、少年が水牢の中から見事に脱出してみせたことは、十分に証明されていたが……それだけではない。

 長老が形作った水球の上に、彼は悠然と立っていた。

 

「どうやって、おれを殺したか。自分の死体を見るのはいやな気分だったけど、なんとなく苦しんで死んだのはわかったし……なによりも、髪や服が濡れていた」

 

 付着した水滴を振るって落としながら、まるで他人事のように言う。

 

「空中に浮かべた水の塊の中で、溺死。趣味の悪い殺し方だ。たしかに、なんでも浮かすことができるあんたの魔法なら、そんなありえないこともできるんだろうが……そういう攻撃がくる、とわかっているなら、対応はできる」

 

 エルフの長は、絶句する。誤算は二つ。

 一つは、彼が彼自身の死体に恐怖せず、ただ淡々と『どのように死んだのか』観察していたこと。

 そしてもう一つは、彼の魔法特性の応用を、見誤っていたこと。

 

「なぜ、沈まない。なぜ、そこに立てる!?」

「水を硬くしたから」

 

 コンコン、と。踵でつついた水面から、ありえない音が響いた。

 

 原則として、魔法とは、自分自身と()()()()()の理を、己の現実に書き換える力である。

 

 少年は今、自身の足で水の塊を踏み締めていた。足で触れたそれらの水を、鋼の硬さに定義していた。ならば、踏み締めて立つことに、なんの不都合もありはしない。

 

「良い足場だ」

「……っ!」

 

 長老の判断は素早かった。即座に水の塊に対して働かせていた浮遊の魔法効果を切り、落下させる。

 少年の判断も素早かった。水の塊が落下する前に『百錬清鋼(スティクラーロ)』によって押し固めた足場を最大限に活かし、力強く踏み締めて跳ぶ。

 それは、地面からの跳躍ではなかった。宙を舞う両者の間に、今までのような距離はない。最速かつ最短で、少年が振るう剣は、長老に届き得る。

 

「見事……! だがなぁ!」

 

 はず、だった。

 枯れ枝のような老いた体が、まるで突風に晒されたように、加速する。

 『雲烟万理(プレオヌーベ)』の魔法効果は根本的には『浮かぶ』だけで『飛行』を可能にするわけではない。魔法による急上昇、重力に引かれて落下する急降下は可能でも、自由自在に旋回し、移動できるわけではない。

 長老が行ったのは、魔法と魔術の併用。迅風(じんぷう)系の魔術によって、自身の体から圧縮空気を押し出し、運動エネルギーに変換する……横方向への急旋回と回避だった。

 

「惜しかったな」

 

 剣の切っ先が頬を掠める。だが、届かない。すれ違う少年の瞳が、大きく見開かれる。

 いくら足場があろうとも。

 いくら跳躍したところで。

 自由に空を飛ぶことができるわけではない。

 少年は空中で、自由に方向転換できない。長老は空中で、自由自在に方向転換できる。ほんの少し、横にずれて避けるだけで、攻撃は当たらない。

 

 空中戦という土俵で、勇者の少年は最初から致命的なまでに敗北していた。

 

 最後の足掻き、と言わんばかりに。横に逃れた標的に向けて、剣が投げられる。それすらも、エルフの長は余裕を持って回避する。

 そうして、足場を失い、武器を失い、空中で足掻く少年の体は、

 

 

 

「『燕雁大飛(イロフリーゲン)』」

 

 

 

 この世の一切の物理法則を無視して、直角に折れ曲がって加速した。

 

「あ?」

 

 避けきれずに、それは直撃した。

 押し固めた手刀が、老人の薄い胸に突き刺さる。

 鋼の指先が、内蔵を貫いて鮮血に染まる。

 

「なぜだ……その魔法は……投げたものを、必中させる……はず」

 

 喉元からこみ上げる血の塊と共に、エルフの長は疑問を吐き出した。

 吐き出しながら、己の致命的な思い違いに気がついた。

 

「そうだ。おれの『燕雁大飛(イロフリーゲン)』は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()する」

 

 忘れてはならない。

 

 魔法とは、()()()()と触れたものの理を、己の現実に書き換える力である。

 

 跳躍する前の大げさな準備動作も、溜めの時間も、すべてがフェイク。異常な身体能力と魔力強化に見せかけていただけで、最初の跳躍から、少年は魔法を使用していた。

 ただ、それを駆け引きの手札にしていただけで。

 

「見誤ったな。クソジジイ」

「……くくっ。このわしを、嵌めたか」

 

 自嘲に塗れた笑みが漏れる。その全身から、力が失われる。

 自信があった。驕りがあった。慢心があった。

 だが、なによりも、それ以上に。

 

 互いの能力を欺き合う魔法戦という土俵で、老人は最初から致命的なまでに敗北していた。

 

「その名と魔法、貰い受ける」

 

 体の中を貫く指先が、心臓に触れる。

 

「複数の魔法の、使い分けと組み合わせ……あぁ……やはり、なんと、素晴らしい魔……」

 

 言葉は、最後まで続かず。

 心が破裂する音を、どこか遠くに聞いた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「馬鹿な……!」

「長老が……負けた」

 

 つまるところ、最初からエルフの長は()()()()()()()()のことも想定していた。

 雑兵では、勇者に無駄に殺されるだけ。しかし、自分が戦い、手の内が割れ、消耗したあとなら、複数の魔術師で包囲して討ち取ることができる、と。

 

「狼狽えるな! 長老の指示通りに動くのだ。あの勇者も疲れ切っている。取り囲んで不意を突けば、必ず殺せるはずだ!」

 

 両者の戦いには参加せず、伏せていた30ほどの兵達と魔導師は、各々に杖や剣を構えた。

 

「弔い合戦だ!」

「必ずあの人間を殺し、あの魔法を我らのものとするのだ! さすれば、我らが悲願も……」

「うーん、でも、あの黒の魔法は彼だけのものだから……あなたたちには使えないと思うの」

「え……あ?」

 

 気づいた時には、周囲を鼓舞するために腕を振り上げていたエルフの首が、落ちていた。

 まるで、森の果実を無造作にもぎ取るかのように。ぽたぽたと血の雫を落として、取った頭を掲げて眺める少女がいた。

 

 少女が、いた。

 

 

「こんばんは」

 

 

 一体、いつからそこにいたのか。

 そもそも、結界が張られているこの村の中に、どうやって入ったのか。

 そんな疑問がどうでもよくなるほどに、その場に佇む少女は、ただただ美しかった。

 月光の光を受けて艶やかに透ける白銀の髪が、滴る血の色と相まって、目も眩むような濃いコントラストを作り出している。

 

「あの子はね、これから勇者になるんだって」

 

 エルフ達は、誰もが口を開くことすらできなかった。

 目を合わせてはならない。そう理解しているはずなのに、見てしまう。

 声を聞いてはならない。そう理解しているはずなのに、耳を傾けてしまう。

 

 そこに在るだけで、心惹かれてしまう。

 それは紛れもなく、生まれながらの魔性だった。

 

 その魔性が。蠱惑の塊といっても過言ではない存在が、一心に勇者の少年に見惚れている。

 

 

「だからね……ダメよ? 翅虫(はむし)如きが、抜け駆けはよくないわ」

 

 

 エルフの長にとって、なによりも誤算だったのは。

 魔の王が、すでに黒の魔法の(とりこ)になっていることだった。




今回の登場人物

・勇者くん
 この頃はまだ賢かった。

・長老
 殺し方に拘ったせいで台無し。彼が生まれてからは、彼以上の魔法使いはエルフの里で生まれていない。その心の奥底には、自分の魔法がシャナよりも劣っているという嫉妬めいた感情もあったらしい。

・魔王様
 きちゃった♡



今回の登場魔法
・『百錬清鋼(スティクラーロ)
 自分自身と触れたものを鋼の硬さに変化させる。自分自身を硬くして防御に用いるのが基本だが、水を硬くして水上を歩行したり、張った糸を硬化させてピアノ線のように罠に用いたりと、様々に応用が効く。師匠に出会う前の勇者くんは、この魔法で全身を固くして近接で殴り合い、硬化させた指先で急所を抉り抜くのが必勝パターンだった。お前もう勇者やめて剣捨てろ。
 当然現在は使用できないが、勇者くんは今でもこの魔法があった頃の感覚で無茶を行い、大体すぐ血だらけになる。

・『燕雁大飛(イロフリーゲン)
 投げたものがなんでも当たる魔法……ではなく、自分自身と触れたものを、定めた目標に向けて高速射出する魔法。定めた目標とは、
①視界の範囲内で
②一点のみ
を指す。生物か無生物であるかは問わない。
 狙いが厳密であればどのような軌道で投げようと、どれだけ力を抜いて投擲しようと必ず的中するが、逆に言えば視界の外に逃れてしまった目標には誘導が切れてしまう弱点を抱えている。
 自分自身にも効果があるので、勇者くんはこの魔法により擬似的な飛行が可能……とはいっても、一度目標を決めたら片道で特攻するロケットのようなものなので、移動手段としての使い勝手はクソ中のクソといったところ。今回のように、跳躍したあとに空中で速力を得たり、緊急時の方向転換として用いることがほとんどだったようだ。

・『雲烟万理(プレオヌーベ)
 自分自身と触れたものを浮遊させる魔法。魔術による自由飛行は人間にとって悲願と言っても過言ではない一つの目標であったが、迅風系の魔術をベースに開発された飛行技術は、結局大成しなかった。自由に宙を舞うことができるこの魔法は、魔術では結局どこまでいっても魔法には勝てない現実を端的に示しているといえる。
 長老はこの魔法の所有者として人間よりも遥かに長い時間を生きてきただけあって、『触れたもの』に対する解釈の幅とキャパシティが大きく、水のような不定形の物体や、複数の岩石を長時間に渡って浮遊させることも可能だった。
 ただし『浮遊させる』ことが根本的な魔法効果なので、横方向への移動や加速スピードに難があるのが弱点。長老はこの弱点を、魔術による空気の噴射で補っていた。


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幼女を助けたらエルフの森が焼けた

3話の『純白の賢者』を読み返して頂けると、いい感じに時系列がわかると思います


「で、おれはそのエルフの村の長老を一騎打ちでぶっ倒して」

「そんなこんなで村の中で迫害を受けていた私は、勇者さんにまるで攫われるように助け出され……そして、今に至るわけです」

 

 なんかおれが思い出話をしていたはずなのに、後半の語りの主導権を賢者ちゃんに握られちまったな。

 フォークを握ってデザートのケーキを食べていた赤髪ちゃんは、食べるのと同じくらい夢中になって、おれたちの思い出話に耳を傾けていてくれた。ていうかコイツ、めちゃくちゃ器用だな……頷きながら全然食事の手止まってなかったんだけど。

 

「ほえー、勇者さん、若い頃はそんなにやんちゃしてたんですねぇ」

「は? おれは今でも若いが?」

「やめといた方がいいですよ勇者さん。絶対あの頃よりは老けてるんですから」

「今よりちっちゃい賢者さんも、ちょっと見てみたいですね」

「は? 今よりってなんですか。今も小さいみたいな言い回しはやめてくれませんかね? 私はこんなに立派に成長しているんですが?」

「やめといた方がいいぞ賢者ちゃん。絶対成長はしているけど、いろいろと小さいままなんだから」

「加齢臭が臭ってくるので、口を閉じてもらえますか。おじさん」

「言葉遣いが汚いぞ。チビ」

 

 そのまま無言で賢者ちゃんと取っ組み合っていると、めずらしくちょっとむくれた表情で、騎士ちゃんが言葉を挟んだ。

 

「でもいいよねー、勇者くんは。あたしは四天王の1人にふっ飛ばされて、痛む身体を引きずりながら必死で行方を探していたのに……自分は伝説のエルフの村に行って、小さな女の子と戯れてたんだから」

「あのねえ、騎士ちゃん。ちゃんと話聞いてました? おれ、実際殺されてるし、殺されかけてるんですけど? 全然そんな楽しい時間を過ごしてたわけじゃないんですけど!?」

「しらなーい」

 

 騎士ちゃんは昔からこの話をすると、目に見えておへそが曲がって機嫌が悪くなる。まあ、死に別れたと思った仲間の男が、能天気に幼女を拾って戻ってきた……と考えると、おれにも少し非があるのかもしれないが。

 

「ええ、ええ。騎士さまがむくれるのもわかります。他の女との思い出話なんて、詳しく聞かされたところで一文の足しにもなりませんもの」

「武闘家さん、その女捨てていいですよ」

「わかった。食後の、運動」

「は? ちょっとやめてください。なんで窓を開けてるんです? いや、もちろん興味深いお話でしたわ。わたくしが勇者さまにお会いできたのは、そのずっと後でしたからね。まだ未熟な果実のような勇者さまを、わたくしもぜひたべ……」

「せいっ」

「あぁあぁぁぁあぁぁぁ!?」

 

 賢者ちゃんが窓を開け、そこから師匠が放り投げる見事なコンビネーションで、死霊術師さんが一足先にダイナミック退店した。うん、とてもお行儀が悪い。

 

「よく飛んで行きましたね」

「うむ。死霊術師投げの、新記録樹立は、近い」

 

 こんなところで競技記録の更新を目指さないでほしい。

 

「死霊術師さん……見えなくなっちゃいましたけど、大丈夫でしょうか?」

「大丈夫大丈夫。どうせこれから向かうのはあっちの方角だし、殺しても死なないし、武闘家さんはああ見えてコントロール抜群だし」

「なら大丈夫ですね!」

 

 騎士ちゃんの言葉に、軽く頷く赤髪ちゃん。この子、うちのパーティーにかなり毒されてきたな……

 

「でも、わたしはお二人の話が聞けて楽しかったです」

「べつにお世辞はいりませんよ」

「いえ、本当です」

 

 賢者ちゃんにぐっと顔を近づけて、赤髪ちゃんはニコニコと笑う。

 

「わたしが勇者さんに助けられたみたいに、賢者さんも勇者さんに助けられて……なんていうか、やっぱりその頃から、勇者さんは勇者さんだったんだなって!」

 

 賢者ちゃんは、少し困ったような表情で、助けを求めるようにおれを見て。

 

「……」

 

 おれも、黙って肩をすくめた。

 

「……よっし。腹ごしらえと休憩も済んだし、そろそろ行きますか」

 

 さてさて。

 結構長いこと話していたので、テーブルの上の料理はそのほとんどがきれいに平らげられ、デザートや食後のお茶もほとんど消えていた。死霊術師さんは今消えた。

 食事も栄養補給もばっちり。そろそろ、この店を出るには良い時間だろう。

 

「じゃあ、おれと賢者ちゃんは支払いを済ませておくから、先に外出て待ってて」

「はい、わかりました」

「よろしくね」

 

 連れ立って扉を開ける赤髪ちゃんと騎士ちゃんの背中を見送る。店の中に残るのは、おれと賢者ちゃんだけになった。

 なんだかひさしぶりに、2人きりになった気がする。

 

「……なんかさぁ」

「はい」

「……なんというか、こう……おれ、赤髪ちゃんのああいうところに、たぶん弱いんだよな」

「惚気ですか?」

「違う違う。こそばゆいなって話だよ」

 

 お勘定をお願いするために、マスターに手を上げながら、おれは隣に座る賢者ちゃんのフードを軽く叩いた。

 

「それにしても、よくおれに話を合わせられたね。賢者ちゃんは、ほとんどあの夜のこと……()()()()()()()()

「こう見えても、今では教壇に立って生徒に講義したり、無駄に権力を持った貴族と腹の探り合いをする立場ですから。軽く話を合わせるくらい、造作もありませんよ」

「成長したなぁ……」

「保護者面はやめてください」

「しれっとした顔で嘘を吐くようになっちゃって」

「嘘なんて言ってません」

 

 目深に被ったフードに隠れて、この子の表情は見えない。

 

「私はあの夜、勇者さんに助けてもらった。それは、本当のことです」

 

 いいや、違う。

 赤髪ちゃんも言っていた。おれが、賢者ちゃんを救った、と。だが、それは違う。それだけは、絶対に違う。

 あの夜。まだ勇者ですらなかったおれは、たった1人の少女を救うことすらできなかったのだから。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「シャナ! シャナっ!」

 

 不格好に地面に着地し、大声で叫ぶ。

 なるべく、巻き込まずに戦闘を行ったつもりだった。あのクソジジイの狙いはあくまでもおれと、おれの魔法。だから、おれに引き付けて戦闘を行えば問題ない、と。そう思っていた。

 だから、勝った瞬間に。

 その命を奪った瞬間に。

 致命的なまでに、選択を間違えていたことに、気がつかなかった。

 忘れていたのだ。おれが息の根を止めた魔法使いが、何を『浮かせていた』のか。

 

「シャナっ! どこだ! 返事をしろ!」

 

 クソジジイを殺した、その刹那。直上に残されていた、大量の岩の砲弾のコントロールが、すべて失われた。

 おれの『黒己伏霊(ジン・メラン)』は、殺した相手の魔法を奪う。だが、奪うだけだ。奪い取ったその瞬間から、決して上手く扱えるわけではない。

 落ちる。

 留めきれなかった。コントロールしきれなかった。おれの周囲は、辺り一面がまるで絨毯爆撃を受けたような有り様で、

 

「シャ……ナ」

 

 おれが助けたかった小さな女の子の下半身は、岩に潰されていた。

 

「お兄……ちゃん」

 

 息はまだある。だが、息があるだけだった。

 

「ごめん……ごめんね。私は、やっぱり……人間じゃないから。エルフだから。お兄ちゃんとは一緒に行けないみたい」

「そんな、そんなことはない。そんなはずない!」

 

 否定しながら、手を握る。

 どうすればいい? 

 

「村の東の、外れ。地下室に……最初の、私がいるの」

「やめろ、もう喋るな! おれが絶対に助け……」

「うん。お願い」

 

 絡まった指の、その力が、とても強くなった。

 

「絶対に、助けて」

 

 けれど、それは本当に一瞬で。

 繋がった指から、熱が失われていく。

 

「私は、もうダメだけど……でも、私は、まだいるから」

 

 嘘だ。代わりなんていない。

 最初に出会って。言葉を交わして、花を摘んで、一緒に笑った。

 おれが知るシャナは、今ここにいるシャナしかいない。

 

「いやだ……だめだ。シャナ」

「大丈夫だよ。お兄ちゃん」

 

 平気だ、と。

 

 

「私は、私だから。きっとまた、お兄ちゃんのことを、大好きになるよ」

 

 

 少女は、最後まで強く笑っていた。

 まるで、明日から冒険の旅に行くような、そんな明るい笑顔で。

 

「……」

 

 熱が失われた指を離して、立ち上がる。

 立ち上がらなければ、勇者にもなれないおれに、価値はない。

 

「……助けなきゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 きみしかいない、と言ったはずの少年は。

 少女の影を探して、炎の中をさまよい歩く。

 そんな彼を、魔の王は炎の中から眺めていた。

 

「魔王様ぁ……いいんですか? せっかく、あのひよっこ勇者くんを探してこんなところまで来たのに」

 

 森が、燃えていた。

 その熱の中心には、魔王と呼ばれた少女と、もう1人。朱色の中に影を落とす、漆黒が在った。フリルとリボンがこれでもかとあしらわれた可憐なドレスを身に纏い、火花を添えてくるくると踊り舞うその姿は、舞踏会の華のようだった。

 

「うん。今は、会わなくていい」

「えぇ。それじゃあ、わたしがここまで連れてきてあげた意味がないじゃないですかぁ」

「いいじゃない。そういうのが、あなたたちの仕事でしょう?」

「ちーがーいーまーす! こういうのは『四天王』の仕事じゃありませーん!」

「じゃあ、仕事をあげる」

 

 魔の王は、何ともない口調で命じた。

 

「この森、全部燃やして。おねがい」

「お……おぉ! おぉ! わかりますよ! これは、あれですね! 嫉妬の炎ってやつですね!」

「そういうのじゃないわ」

 

 瞬く間に広がっていく炎の光を受けて、透明な髪が妖しく煌めく。

 

「ただ、わたしの勇者に手を出した翅虫が鬱陶しいだけ」

 

 魔の王は微笑む。

 わたしの勇者には、たくさん悲しんで、たくさん泣いて、もっともっと、強くなってもらわなければ……でなければ、彼は勇者にはなれない。

 

 それに、

 

「どんなに寄り道をしても、どんな冒険をしても……彼は最後に、必ずわたしの元にやってくるから」

 

 だから、嫉妬する必要なんてない。

 

 

 

 

 

 

 

 もう死ぬのかな、と。少女の意識は、諦観と失意の底にあった。

 最初の1人であるが故に、少女はそこに囚われていた。日も当たらず、変化もなく、ただ暗く冷えた地下牢の中で、鎖に繋がれて観察されていた。

 だから、地下室にまで回ってきた火の手を見たときの感情は、恐怖でも驚きでもなく、やわらかな安堵だった。

 ああ、これでようやく死ねる。楽になれる。そんな安心だった。

 一つだけ、気掛かりがあるとすれば。魔法によって増えた自分がどうなったのか。それだけは、知りたかった。ろくな扱いを受けていないのはわかっている。それでも、きっと他の自分は、ここにいる自分よりはましな生活をしているはずだから……もしかしたら、この村から逃げ出して、外の世界で幸せに暮らしている自分もいるかもしれないから。

 そう考えることだけが、少女の希望だった。

 そう考えることだけが、少女の希望だったはずなのに。

 

 扉が開いた。

 

「……よかった」

 

 はじめて見る少年だった。そして、はじめて見る人間だった。

 

「あぁ、よかった、生きてる。よかった」

 

 うわ言のように呟きながら、少年はシャナの口に嵌められた自決防止の口枷を、次に手足の動きを封じていた鎖を外してくれた。

 

「にん、げん?」

「ああ、人間だよ。遅くなって、ごめん」

 

 炎の光に目を焼かれそうになりながら、それでも少女は懸命に少年の表情を見た。

 少女には、わからなかった。

 どうして、この人は……こんなにも、泣きそうな顔をしているんだろう? 

 

()()()()、誰?」

「……きみを、助けに来たんだ」

 

 助けに来た。

 諦観と失意の底にあった少女の意識は、その一言で、引き上げられた。

 もうほとんど諦めていたはずの、生への渇望が顔を出した。

 

「私、エルフじゃないのに……人間なのに、助けてくれるの?」

「……そっか」

 

 また、もう一つ。

 確かめるように、少年は頷いた。

 

「きみは、エルフじゃないのか……」

 

 おそるおそる、血まみれの手が少女の頬に伸びた。

 不思議と、こわくはなかった。

 まるで、自分を決して壊してしまわないように触れる指先に……鉄の臭いがする手に、やさしさがあったから。

 

「……よし」

 

 その一言で、彼の中の何かが切り替わった。

 面と向かって、少年は聞いてきた。

 

「この村は、好きか?」

 

 面と向かって、少女は首を横に振った。

 

「じゃあ、一緒に行こう」

 

 それ以上は何も聞かずに、少年は少女に手を差し伸べた。

 理由はない。事情もない。たった一つの質問と答えだけで、少年は少女を連れ出すことを選択した。

 

 少女の名は、シャナ。

 

「あー、でもちょっとお願いがあるんだ」

 

 わざと、おどけるように。

 少年は、少しだけ悩む素振りを見せて、シャナに言った。

 

「おれ、これから世界を救うために魔王を倒しに行くんだけど……手伝ってくれる?」

 

 シャナには、そもそも世界が何かわからなかった。

 シャナには、魔王がどれほどおそろしい存在なのか理解できなかった。

 しかし、目の前の少年が救いたいものは救いたいと思ったし、倒したいと思ったものは、倒さなければならないと確信した。

 シャナにとって、手を差し伸べてくれた少年が、はじめて知る世界の全てだった。

 

 だから、

 

「あの、私……いっこだけ、特別な魔法が使えます」

 

 気持ち悪い自分の力も、役に立てるかもしれないと思った。

 けれど、それを聞いた彼はなぜか笑った。

 ただ、笑って、答えた。

 

「うん。知ってるよ」



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そして、少女は賢者になった

 やはり、こんな荒野のど真ん中でも、飲食店を構えたのは間違いではなかったらしい。

 

「ごちそうさまでした。おいしかった」

「いやいや、こちらこそ。おもしろい話を聞かせてもらったよ」

 

 代金を受け取り、店主はそう言葉を返した。

 出した食事にきちんと礼を言ってくれる客は好ましい。それが、この世界を救った勇者なら尚更だ。

 

「まさかこんなところで、噂に名高い勇者さまが拝めるなんて思わなかったよ」

「……あー、わかっちゃいました?」

「最初は随分と大仰な呼び名で呼び合う変わったパーティーだと思ったけどなぁ。まあなんか、漏れ聞こえてくる会話の内容から、ああ、こりゃ本物の勇者さまだなって」

「あはは……」

 

 相変わらず、勇者の青年は人の良さそうな、ちょっと困った苦笑いを浮かべている。

 女性ばかりのパーティーだからそんなに値段はいかないものとばかり思っていたが、ずいぶんたくさん注文して飲み食いしてもらったので、合計金額はそれなりになっていた。ぎりぎりサービスできる範囲を頭の中で算盤をはじいて計算して、店主は青年にいくらかの釣り銭を返した。

 

「あれ? 多くないですか」

「おまけしとくよ」

「ありがとうございます。ところで、ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」

「どうぞどうぞ。道のことなら、もう半日も歩けば村に着くと思うが……」

「マスター、エルフですよね?」

 

 

 

「……おっと」

 

 

 

 純粋に、店主は驚いた。

 

「……いや、まいったな。わりと、上手く誤魔化せてるつもりでいたんだが、いつ気づいた?」

「まず、こんな荒野のど真ん中にぽつんと店がある時点で、私は最初からあやしいと疑っていましたよ」

 

 賢者の少女が、ゆったりとした口調で答えを提示する。

 

「そうかい? どこに店を開こうが、俺の自由だと思うが」

「もちろん、冒険者向けの休憩所や宿泊施設ならどんな辺鄙な場所にあってもおかしくはありませんが、それにしてては少々内装や雰囲気が凝りすぎています。粗野な冒険者や旅人は、べつに高級な皿や調度品の類は求めませんからね。休めれば十分です」

 

 私はお皿やティーカップのことは詳しく知りませんが、うちの死霊術師は運送業を営んでいるので、どこの特産品かまでわかったみたいですね、と。店内で使っている備品にまで言及されてしまっては、もはや言い逃れのしようがない。

 年齢よりも、彼女はずっと優秀な魔導師なのだろう。おそらく、魔術的に店の中も調べられていた。

 

「違う、というのであれば。とりあえず、その長髪をかきあげて、見せて頂けますか? 私の耳と差があるかどうか、見比べてみましょう」

 

 とどめと言わんばかりに、少女は被っていたフードを下ろしてみせた。

 ボリュームのある、ややくせの強いウェーブがかかった銀髪が、波のように広がってこぼれ落ちる。その美しい髪の間からは、エルフ族の特徴である尖った耳が存在を主張していた。

 

「同族に会うのは、ひさしぶりだな」

 

 観念して、店主は長髪の右側をかきあげる。賢者の少女と同じ耳の形を見て、勇者の少年は軽く頷いた。

 

「失礼ですけど、おいくつなんですか?」

「そうさなぁ。いくつにみえる?」

「え」

「年頃の娘のような返しはやめてください。勇者さんが困ってるでしょう」

「はっはっは」

 

 からかうと楽しい青年だな、と店主は思った。

 とはいえ、見かけよりも若作りしているつもりなので、年齢がばれる心配はない。

 

「店主さんは、村を出て長いんですか?」

「それも、お嬢ちゃんのご想像にお任せするよ」

「では、質問を変えます。どうして村を出たんですか? 私のようなハーフエルフはともかく、普通のエルフにとってあの村はそう悪い場所ではなかったでしょう?」

 

 そういう客観的な評価が下せる程度には、この少女はあの村に対して抱いていたであろう複雑な気持ちを、もう精算しているのだな、と。店主は目を細めた。

 

「さてね。たしかにあそこは、お行儀のいい花にとっては居心地のいい咲き場所だったのかもしれないが……俺みたいな鼻つまみものには、どうにも落ち着ける場所じゃなかったんだよ」

「エルフの村は、もうありません……多分、私のせいで、すべて燃えてしまいました」

「お嬢ちゃんのせいじゃないさ。俺は自分の種族のいろんなところがいやになって、あの村を出た。遅かれ早かれ、消えてなくなる運命だったんだろうよ」

「……村を出た理由を、お聞きしても?」

「ああ。きみと同じだよ。いや、逆というべきかな?」

「え?」

 

 自嘲気味に笑いながら、少女と真正面から目を合わせる。

 

「人間の女性に、惚れちまってな。この店も、元々その妻がやっていたものでね。おれが引き継いだんだ」

 

 それまで、常に余裕をもって会話を回していた少女が、はじめて息を呑む気配がした。

 水晶玉のような碧色の瞳で何を考えているのか。それを覗きこむことはできないが、なんとなく、少女が何を思っているのかはわかった。

 

「失礼ですが、奥方は……」

「ああ。90歳だったよ。おれに合わせて、ずいぶんと長生きしてくれた」

 

 自分のことでもないのに、少女はそっと顔を伏せた。それだけで、やさしい子であることがわかる。

 なので、ちょっとからかいたくなった。

 

「お嬢ちゃんは、この勇者の兄ちゃんのことが好きなのかい?」

「はい。愛していますが、それが何か?」

「おぅ……」

 

 いや、だめだった。からかって遊ぶ余地すらなかった。

 顔を赤らめて手で覆っているあたり、まだ後ろの勇者の方が可愛げもからかい甲斐もある。

 

「じゃあ、もう言うことはねえや。お幸せにな、お二人さん」

「ええ。ご飯、おいしかったです」

 

 振り返り際に、少女はさらに一言。フードを目深に被り直しながら、言った。

 

「また来ます」

 

 からんからん、と。退店を告げるベルの響きだけが残されて、あれだけ騒がしかった店内が、再び静寂に包まれる。

 素直じゃない分、あの子は幸せになるのに苦労しそうだな……なんて。隣にアイツがいてくれたら、そんな呟きに同意してくれただろうか、と。らしくない物思いに耽った。

 

 

「ちょっと! おじいちゃん! お客さん帰ったんだったら、洗い物手伝ってよ!? あたし、めちゃくちゃ料理作って大変だったんだから!」

 

 が、そんな風に沈んでいた意識は、奥の厨房から飛んできたやかましい声に一瞬で吹き飛ばされた。

 

「……あー、うるっせえなぁ! 今行く! 今行くよ! ……ったく、やかましいところだけ遺伝しやがって」

「あ、今悪口言ったでしょ!? こんな寂れた店を手伝いに来てる孝行者の孫娘に向かって、その言い草はなに!?」

「ああ言えばこう言いやがる。べつに手伝いに来てくれなんて、頼んでないんだがなぁ……どうせ、俺の道楽なんだしよ」

「だっておじいちゃん、1人じゃろくに料理も作れないでしょ!」

「……んなこたねぇよ」

「でもあたしが作った方が美味しいでしょ!?」

「そりゃ、まぁ……」

 

 ひたすらにやかましい孫娘が、料理の修行を終えて押しかけ同然にやってきたのは、つい最近のことだ。店主は深く、ため息を吐いた。

 結局、自分の胃袋は死ぬまでアイツに掴まれたままだった。まさか、料理上手なところまで、きっちり孫に遺していかなくてもいいと思うのだが。

 

「ひさしぶりのお客さん、あたしも接客したかったなぁ……」

「それはだめだ。お前に接客はまだ早い」

「おじいちゃん、前にあたしがお客さんに口説かれたの、未だに根に持ってるでしょ?」

「べつにそんなんじゃない」

 

 顔の良さまで遺伝したのは、嬉しいと同時に少々複雑である。

 どちらにせよ、あの青年は明らかに生粋の女たらしだったので、絶対に孫娘を会わせるわけにはいかない。ろくなことにならないに決まっている。

 

「さて、次はどのあたりに店を出すかね」

 

 店全体に仕込んである、()()()()()()()()()を起動する。

 

「今度はもうちょっと人が通る場所にしてね」

「忙しすぎると、おれが疲れちまうんだよ。なんせ、良い年だからな」

「まだまだ元気なくせに。で、おじいちゃん。さっきのお客さん、どんな人たちだったの?」

「ああ」

 

 腕まくりをして、洗い物をするために厨房に入った。

 

「世界を救った、勇者の御一行様だったよ」

「……おじいちゃん、やっぱりボケた?」

「はっ倒すぞ」

 

 

 

 

 

 狐に化かされたことは一度もないが、狐に化かされるとはこういうことを言うのだろうな、とおれは思った。

 

「……消えたな」

「……消えましたね」

 

 扉を開けて、店を出た瞬間。厳密に言えば、店を出たと認識して、振り返った瞬間、おれたちがさっきまで食事を楽しんでいた店は、忽然と姿を消していた。

 

「勇者くん! 大丈夫!?」

「お店! お店が消えちゃいましたよ、勇者さん!」

 

 外で待っていた騎士ちゃんと赤髪ちゃんも、あわてた様子で駆け寄ってくる。ついさっきまで入っていた店がいきなり消えてしまったのだから、驚くのも無理はない。

 ていうか、もしかしなくてもあのエルフの店主、めちゃくちゃすごい魔術の使い手だったのでは? 

 

「どう思う賢者ちゃ……」

「空間転移用の魔導陣を店全体に仕込んでいたとして、どこに仕込んでたのか全然わからなかった……人やモノを転送させるのとはわけが違う……だって建物をそのものを転移させたのにそこに建物があった痕跡すらない。つまりこれは地面に仕込んだものではなく建物をそのものを転移対象として認識させているということ。だとしてもこんなに一瞬で何の予備動作もなく忽然と消えるなんてありえない……でも認識阻害の類いじゃなくて明らかに建造物そのものが移動している……店そのものを単一の存在として確立させている? その場合、建築の土台から魔術的アプローチをする必要が……でもその方が明らかに手っ取り早いし、一応の辻褄が合う……だったら」

 

 ぶつぶつと呟きながら、賢者ちゃんは乾いた地面に杖の先でガリガリとおれにはよくわからない式を書き込んでいく。

 あ、これだめみたいですね。スイッチ入っちゃってるわ。

 

「騎士ちゃん、赤髪ちゃん。悪いけど先行ってて。多分、師匠が死霊術師さん拾いに行ってるから」

「はいはーい。じゃあ、先行ってるね」

「わかりました」

 

 隣にしゃがみ込んで、うわ言のように呟きを止めない賢者ちゃんをしばらく隣で眺める。

 

「はっ! すいません。つい……」

「いいよ。気が済んだなら行こっか」

「そうですね。30人くらいに増えて、じっくり思考を共有して取り組みたいところですが」

「だめだめだめ。それ、絶対日が暮れるパターンでしょ」

 

 さっきの魔術はおそらくあーだこーだ、と。うんちくを垂れ流すモードに入った賢者ちゃんの話を、笑いながら聞き流す。

 しかし、口と同じくらい滑らかに動いていた足が、ふと止まった。

 

「ん、どうかした?」

「ああ、いえ……」

 

 すぐに視線は逸らされてしまったが、何に目を留めていたかはすぐにわかった。

 花だ。草木すら少ない荒野の中で、それでも懸命に咲こうとしている、小さくてかわいらしい一輪の花。

 賢者ちゃんと同じように、おれの目も何故かそれに強く惹かれてしまった。

 

「賢者ちゃんは、花は好き?」

「そうですね」

 

 視線が、前に戻る。

 

「好きだったんだと思います」

 

 花を見る時。

 賢者ちゃんはいつも嬉しそうに、寂しそうな表情をする。

 自分の中にいる誰かを思い出すような、そんな顔をする。

 そして、決まってどこか遠くを見る。

 

「なんで過去形なわけ?」

「……はぁぁ。そういう質問します? 今の私は成長しましたからね。お花に無邪気に喜んでいたあの頃と違って、大人になったんですよ」

 

 ぐだぐだと言いながら、しかし賢者ちゃんは花の前で膝を折った。

 水の魔術だ。かざした指先から、雫が落ちる。根付く地面がやさしく濡れて、花を支える緑色が、少しだけ背伸びしたように思えた。

 

「お、やさしい」

「気紛れの慈悲です」

「またかわいくない言い回しを……お水をあげたくなった、でいいじゃん」

「よくないですよ。だって、わたしがずっとここにいて、この花に水をあげられるわけじゃないでしょう?」

 

 しゃがみこんだまま、賢者ちゃんはじっと花を見詰める。

 

「こんなところじゃなくて、もっと楽な場所で咲けばいいのに、とか。今はそういことを考えちゃいますから」

 

 ……なんというか、本当に素直じゃない育ち方をしたなぁと思う。

 とはいえ、質問にはしっかり答えてほしいものだ。

 

「過去形じゃなくて、現在進行系なんだよね」

「はい?」

「さっきの質問」

 

 むぅ、と。ローブに包まれた背中がもぞもぞした。

 

「……答えをわかっている問いを投げる方が、いじわるだと思いますよ」

「つめたっ!?」

 

 すくっ、と。立ち上がって。ちょん、と。

 背伸びした指先に鼻をつつかれて、おれはたまらずあとずさった。

 

 

「──花は好きです」

 

 

 不意打ちだった。

 

「特に、その場所でがんばって咲こうとしている花は、もっと好き」

 

 花が咲くような笑顔、という表現を最初に考えた人は、間違いなく天才だと思う。

 だって、いつもは素直じゃないくせに。

 急に昔みたいな笑い方をされると、おれの心臓が少し跳ねてしまう。

 

「でも、人は一輪の花よりも、一面に広がる花畑に惹かれるものでしょう?」

「……そうかな?」

 

 疑問を返して、おれは見た。

 水を浴びて、心なしか艶やかに輝いているように見えるその花を。

 

「おれも好きだよ。小さくてかわいい花は、特に好きだ」

「そうですか。それは……よかったです」

 

 小生意気で、あっけらかんとした、鈴の声。

 それでも、さっさと歩き出した背中には、また笑う気配があった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 燃え盛る森から脱出するために、彼が選択したのはいちかばちかの賭けだった。

 

「いくよ。しっかり掴まって」

「はい」

「コール……マーシアス。『雲烟万理(プレオヌーベ)』」

 

 少女の身体を強く抱き締めると同時に、彼と少女の身体が、重力を無視してふわりと浮き上がる。

 その魔術に、否、魔法に、少女は覚えがあった。

 

「長老の……」

 

 そのままぐんぐんと高度を上げた少年は、遠方にちらりと見えた明かり……おそらく、遠く離れた村のものであろうそれを見据えて、呟いた。

 

「これならいけるか……」

 

 その明かりに向けて、()()()()()された。

 ぎゅん、と。ただ浮かぶだけだった身体が、まるで風に押し出されたように、加速して射ち出される。

 

「きゃっ……」

 

 眼下を、見る。

 燃え盛る、生まれ故郷の森。風は冷たくて、指先はかじかんでしまいそうなほどに寒い。

 

「ごめん。本当に、ごめん……」

 

 彼は悪くないはずなのに、なぜか、彼はそれを心から悔いているようだった。

 

「でも、絶対に……絶対に、おれと一緒に来てくれたことを、後悔はさせないから」

 

 それを、認識した瞬間に。頬で受ける風の冷たさを、強く抱きしめられた熱が上回った。

 下を見るのではなく、前を見る。

 顔をあげると、闇の中に浮ぶ月があった。ささやかに、けれどたしかに光る、いくつもの星々があった。

 それは、少女がはじめて誰かと見る、夜の輝きだった。

 だから、不思議と、こわくはなかった。

 

「大丈夫?」

「はい」

 

 これだ、と少女は思った。

 

 彼に恋した『私』の想いを、私は知らない。それがどれほど深い気持ちだったのか、わからない。その無念を晴らすことは、きっとできない。

 だって、私は私だとしても。

 

 この世界に、まったく同じ恋は一つとして存在しないから。

 

 この夜、この瞬間。彼を見詰めるこの気持ちは……それだけは絶対に、私だけのもの。

 

 ああ、そうだ。

 きっと『私』は、この人に恋をした。

 

「お兄さん」

「ん?」

「名前を、教えてくれませんか?」

 

 そして多分、これから私もこの人に、何度でも恋をするのだ。

 静かに咲かせた想いを、幾重にも重ねて、花束のように。

 

 ──このささやかな恋を、愛に変えていくのだ。




今回の登場人物

・勇者くん
 長老の魔法を奪ったあとは、魔法を組み合わせることにより、ある程度の自由飛行能力を得た。普通にチート。花を見ているときの賢者ちゃんの横顔が好き。

・賢者ちゃん
 花を育てるのが趣味。勤務している魔導学園には、シャナが自分で栽培している花壇がある。その花壇の前で告白すると想いが成就すると、生徒たちには専らの噂。元々凝り性なのできれいに咲かせる方法をいろいろと模索しているが、冒険の途中に足元に咲いている花を見るのが、一番好き。

・店主
 実はエルフ。実は魔導師。村から出て生活することは、当時のエルフの里では重罪にあたるので、殺されずに逃げ切っただけでありえない凄腕の魔導師。
 妻が亡くなったあとは、残された店を暇そうな場所に出して、余生を過ごしながら一人でゆったり切り盛りする予定……だったのだが、最近孫娘が押しかけてめちゃくちゃ騒がしくなった。どんなに生意気でも孫はかわいいので、満更ではない模様。

・孫娘
 厨房担当。店主の奥さんに似て、とても美人らしい。おじいちゃん一人では店をやっていくのは難しいだろうな、と思って王都で料理の修行を積んでいた。貴族向けの一流店に放り込まれても鼻歌交じりに包丁を振るうことができる腕前。




賢者ちゃん過去編、完。タグの『ギャグ』があまりにも仕事してないので、騎士ちゃん過去編入る前に、ちょっとクエストしたりすると思います。


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最強パーティーの二周目な冒険
金がなければ冒険はできない


 なんとか辿り着いた人間のいる場所は、街というよりも村といった方がしっくりくるような、辺鄙なところだった。とはいえ、無理もない。村人に話を聞いてみると、どうやらこの村は魔王討伐後に住民が移り住んだ、開拓地の一つらしい。つまり、できてまだ一年足らずの村だということだ。

 北部と極東は魔王軍側の勢力が強く、当時のおれたちは旅をするのに随分苦労したが、今では人が普通に住んで暮らせるようになったんだなぁ、と。少ししんみりしたりしなかったり。

 あらためて、地図で村の詳しい場所を確認してみたが、やはり栄えている街までは行くにはそれなりにかかることがわかった。賢者ちゃんが敷設している転送魔導陣がある街か、もしくは死霊術師さんの運送会社のドラゴンが立ち寄るような商業都市に向かわなければならない。まずはこの村を拠点に装備や準備を整えて、それから出発しよう……と、とりあえず宿を取ったまではよかった。

 

「路銀が尽きました」

「は?」

 

 賢者ちゃんの無慈悲な宣告に、おれは思わず真顔になった。

 テーブルを囲むみんなも、きょとんとした顔になっている。

 

「路銀が尽きた、というのは?」

「要するに、もうお金がありません」

「いやいや、いやいやいや!」

 

 そんなはずはない。腐ってもウチは、世界を救ったパーティーだ。お金がなくなるなんて、そんなことはありえない。

 

「いや、だって騎士ちゃんとか」

「ごめん。あたしそんなにお金を持ち歩く習慣なくて」

 

 このリアルプリンセスが! 

 そういえば冒険はじめたての頃は金銭感覚の違いにかなり苦しめられたのを思い出したわ! 

 

「師匠は?」

「人間は、金がなくても、生きられる」

 

 五七五。俳句ですね。含蓄があります。そうじゃねぇんだよ。

 

「死霊術師さんは?」

「わたくしが身につけていたものは、みなさんに盾にされまくった時にすべて吹き飛んでいるので、すかんぴんですわ」

 

 それについてはごめんなさいって感じだな。

 死霊術師さんが持ち歩く用に、吹き飛ばしても大丈夫なお金とか欲しくなってくるね。うん。

 

「賢者ちゃんは?」

「わたしを誰だと思っているんです? そこらへんの宿屋なら一ヶ月滞在できるくらいの金額は持ち歩いていましたよ」

「で、そのお金は?」

「さっきスられました」

「ドアホのクソバカ」

 

 賢者ちゃんは頭がいいし、とてもしっかりしているが、こういう時になんというか、年齢相応のドジを踏む。

 

「……」

「……」

 

 最後に赤髪ちゃんを見つめて、しばらくたっぷり無言で見つめ合って、おれは溜め息を吐いた。

 

「どうすっかなー」

「どうしてわたしには何も聞かないんですか!?」

 

 うがーっと食って掛かってきた赤髪ちゃんの頭を、ぐいぐいと片手で抑える。

 おれはさらに深い深い、それはもう深いため息を吐いた。

 

「あのねぇ、赤髪ちゃん」

「はい」

「例えば赤髪ちゃんは、捨て犬を拾ったら毛皮までひん剥いて、何を持ってるか確かめたりするかい?」

「そんなことするわけないじゃないですか」

「だからそういうことなんだよね」

「犬なんですか!? 犬なんですかわたし!?」

 

 しかし、これは深刻な問題だ。

 

「マジで少しもないの?」

「ほんとに一銭もないですね」

 

 ですが、と賢者ちゃんは言葉を繋げて声を小さくした。宿屋の人に聞かれないようにするためだろう。

 

「不幸中の幸いというべきでしょうか。この宿の代金は先に一週間の滞在分を先払いしているので、晩ごはんと寝る場所の心配はしなくて済みます」

「なるほど」

「一週間程度なら、最悪、一日一食でもいい」

 

 ちまちまとパンを摘みながら、師匠が言う。同じくちびちびとシチューを飲んでいる賢者ちゃんも、こくりと頷いた。

 

「まあ、そうですね。べつに、死ぬわけじゃありませんし」

 

 だが、それで満足できるのはこの2人だけだ。

 

「えーっ!? 無理です無理です! 一日一食なんて、絶対死んじゃうに決まってますよ!?」

「そうだよ! あたしに一週間も禁酒しろっていうの!? 夜にビールを飲めなかったら何を楽しみに生きていけばいいの!?」

「そうですわそうですわ! わたくしなんてそもそもまだ服もありませんのよ! 衣食住の最初の一字は衣という字です! 文明人としてまず衣服を身に纏う権利がわたくしにはあるはずです!」

 

 赤髪ちゃん、騎士ちゃん、死霊術師さん。3人の心の叫びと抗議の声に、賢者ちゃんはそこらへんに落ちてる生ゴミでも見るような目で、舌打ちを漏らした。

 

「どいつもこいつもうるせえですね」

「なんで賢者さんはそんなに落ち着いてるんですか!?」

「そうだよ! そもそも賢者ちゃんがお金を取られてなかったらこんなことになってないんだからね!」

「そうですわそうですわ! そこの貧乳コンビは胸と同じで欲がないのかもしれませんが、わたくしたちは違いますのよ! 人間としてそれ相応の欲があるのです!」

「じゃあ今すぐ一週間分の宿代払ってくださいよ。払えないならそれでいいですよ。3人叩き出せば、私と勇者さんと武闘家さんで滞在期間を二週間に伸ばせますからね」

「ごめんなさい」

「すいませんでした」

「靴を舐めますわ」

 

 変わり身早いなコイツら……

 

「まあ、でもとりあえず宿代が払えてるのは不幸中の幸いだったな」

「そうですね。とにかく一週間は寝る場所があるわけですから、その間にお金を稼げばいいわけですし」

「ですわね。衣食住の最後の一字は住という字です。住居の確保は文明人としての生活を支える根幹の問題ですもの」

「死霊術師さんは今日から野宿ですよ」

「靴を舐めますわ」

「胸にぶら下げてるそのデカい脂肪があればしばらく生きていけるでしょう」

「わたくしラクダですの?」

 

 とはいえ、そううかうかもしていられない。さっさと手早くお金を稼いで、王都に帰るだけの手段、もしくは長旅に耐えうるだけの、きちんとした装備を整えたいところだ。

 

「金かぁ……お金にはしばらく困ってなかったから、懐が寂しくなるのもなんだか懐かしい感覚だなあ」

「成金のクソ野郎みたいなこと言うね、勇者くん」

 

 きみも冒険に出るまではお金に困ったことがないお姫様だったでしょうが……と言うのは抑えつつ、おれは賢者ちゃんに問いかけた。

 

「どうしようか。みんなで日雇いの仕事でも探す?」

「安心してください。わたしに、良い考えがあります」

 

 

 

 

 

 

 ボロ布を被ったその少女を見て、荷物を抱えた商人は足を止めた。

 魔王が討伐され、昔より格段に魔族の被害が減ったとはいえ、親のいない子はめずらしくない。冒険者や荒くれ者が多い開拓村ならなおさらだ。

 

「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」

「あの、私……昨日から、何も食べてなくて……行くところもなくて、それで」

 

 旅は道連れ、世は情けともいう。

 見るから人の好さそうな商人は軽く頷いて、荷物を下ろして探る。そして、ボロ布を被った少女に向けて硬貨を数枚、差し出した。

 

「かわいそうに。わたしも旅の身だ。こんなものしか渡せないが、今日のご飯くらいはなんとかなるだろう?」

「いいの? おじさん、ありがと……」

 

 めちゃくちゃ人の好さそうな商人のおじさんが硬貨を渡す前に、物陰からその一部始終を見守っていたおれは、飛び出して少女の背中を蹴り倒した。

 

「は?」

「すいませんごめんなさいこれ身内なんです失礼します!」

「あー」

 

 そのままずるずると路地裏まで少女を引きずっていき、いつもより乱暴に放り投げる。

 

「ちょっと何するんですか勇者さん」

「逆に聞きたいけど何してるんですか賢者さん」

 

 いつものローブを脱ぎ捨て、いい感じに顔を泥で汚し、頭からボロ布を被っている少女……もとい賢者ちゃんはとても不満気な様子で頬を膨らませた。

 

「見てわかりませんか? 身寄りのいない不幸な少女を演じて、お金を恵んでもらおうとしてたんですよ」

「良い考えってこれ? バカなの? 賢者ちゃんバカなの?」

「はー? 私は賢者ですが? 頭が良いに決まってるでしょう」

 

 ない胸を張りながら、賢者ちゃんは言うが、これっぽっちも頭が良さそうに見えない。

 隣でおれと一緒に賢者ちゃんの奇行を見守っていた赤髪ちゃんが、おずおずと片手を上げる。

 

「あのー、ちょっといいでしょうか?」

「なんです?」

「仮にお金を恵んでもらったとして、硬貨数枚じゃ、わたしたちのご飯代にもならないと思うんですけど……」

「わかってませんね。これだから巨乳はダメなんですよ」

「おいやめろお前。死霊術師さんにさっき言われた分を赤髪ちゃんに当たるな」

 

 おれの注意は無視して、賢者ちゃんは足元の小石を拾った。

 

「いいですか? 私の魔法『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』は、触れたものを100までなら増やすことができます」

 

 ぽんぽん、と。いつものように手品の如く小石を増やして手の中で玩び、賢者ちゃんはちょっと悪い笑みを浮かべる。

 

「つまり、たった1枚のコインでも、それを増やして100枚に……さらに増やした100枚を両替していけば」

「なるほど! いけますね!」

「なるほどじゃない!」

 

 おれは2人の脳天にチョップをかました。

 

「はうっ!」

「なんですか勇者さん! 何が不満なんですか!?」

「全部不満に決まってるだろ! そもそもお金は増やしちゃダメだって旅を始めた頃に教えたじゃん!」

 

 う、と。賢者ちゃんが親に叱られた子どものような顔になる。

 

「それは、その、なんというか……今は非常事態ですし」

「ダメなものはダメ」

「えー」

「えーじゃありません!」

 

 頭の痛いことに、賢者ちゃんの魔法は、戦闘だけでなくこんな場面でもその力を発揮する。『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』によって増やされたものは、そもそも真と偽の区別すらつかないので、賢者ちゃんはやろうと思えば無尽蔵にお金を増やすことすらできるのだ。まあ、やりすぎると明らかに貨幣経済が崩壊するので、絶対にダメだと教えてあるのだけど。

 

「まさか、おれの見てないところで変なもの増やしたりはしてないよね?」

「……してませんよ」

「なんで目ぇ背けてんの? こっち見て答えてごらん」

「してません、してませんよ。わたしはちょっと歴史的価値のある美術品を増やしたりしてるだけで、べつにお金を増やしたりとかは……」

「もっとダメだ! それから……」

 

 また脳天へのチョップを警戒して頭を押さえる賢者ちゃんの頬を掴んで持ち上げ、自分で泥だらけにしたその整った顔を、ぐりぐりと手荒く拭いた。

 

「あうっ……」

「自分から物乞いのふりをしたり、そういう自分自身の価値を貶めるようなこともダメ。斜に構えて自分のことを蔑ろにするの、良くないって何回も言っただろ?」

 

 そういうこところは本当に相変わらずだな、と。おれは懐かしくなる反面、少し言葉を厳しくした。

 昔の境遇のせいか、その魔法のせいか、賢者ちゃんは自分という存在のことを軽く扱う節がある。それはよくないし、おれも悲しい。だから、ちょっと怒る。

 

「……はい。ごめんなさい」

「うん、わかればよろしい。ほら、杖持って。ローブ……あれ? 赤髪ちゃん賢者ちゃんのローブ知らない?」

「ああ、それならさっき死霊術師さんが……」

 

 すると、タイミングを見計らったようにドタドタと足音が近づいてきて、騒がしい黒髪が顔を出した。

 

 

「勇者さま〜! 見てくださいまし! 賢者さまのローブをパクって羽織ってみましたが、全っ然前が閉まりませんわ!」

 

「せいっ」

 

 

 賢者ちゃんは真顔で杖を死霊術師さんのケツに向けてフルスイングした。

 

「痛い!? 杖の先端が痛っ……あ、賢者さま、前が閉まらなくてもいいので、このローブ増やしてくださいな。前が閉まらないのも、これはこれで殿方には惹かれる魅力があると思いますし……」

「絶対増やしません。早く返せ」

「剥ぎ取らないで! 剥ぎ取らないでください!」

 

 組んずほぐれつしはじめた2人を呆れた目で見ながら、赤髪ちゃんはおれに視線を移した。

 

「勇者さん……もしかして、明日のご飯は晩御飯だけになっちゃうんでしょうか?」

「あー、大丈夫だよ。赤髪ちゃん。今頃、騎士ちゃんと師匠が……」

 

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 

 扉が開き、下卑た男達の視線は一斉にその女性に吸い寄せられた。

 

「おい、見ろよアレ」

「ほほう……へへっ」

 

 女の冒険者は、べつにめずらしい存在ではない。しかし、このあたりでは見ない顔の冒険者が……しかも、まだ10にも満たないような小さな子を連れてやって来るのは、とてもめずらしい。それが、どこに出しても恥ずかしくないような、美しい金髪の上玉なら尚更である。

 

「よう、アンタ。まるで姫さんみてぇだな」

「ええ、どうも。よく言われる」

 

 褒め言葉をさらりとあしらう、その尊大な態度がますます好みだ。昼間からやることもなく、酒を呷っていた冒険者の男の心を掴むには、彼女の外見と態度は充分過ぎた。

 

「なあ、どこから来た? こんな小さな嬢ちゃんを連れて訳ありだろう? このあたりに来るのは、はじめてなんだよな? 俺が案内してやるよ」

「申し出はうれしいけど……お断りしておくね」

「つれねぇこと言うなよ。俺ぁこの村を拠点にして長いんだ。それなりに顔も利く。なんなら……」

「ねえ、お兄さん」

 

 そこでようやく、金髪の女性の瞳が正面から男を見た。

 

「あんまり女性にしつこく言い寄ると、火傷しちゃうって習わなかった?」

「……ははっ! いいねぇ! おれを火傷させてくれるような女は、大歓迎だぜ!」

 

 冒険者の男は、迷わなかった。

 そのまま、女性の腕を無遠慮に掴み取って、

 

 

「あ……熱っ!? ぎぃやぁぁぁ!?」

 

 

 次の瞬間には、手のひらをフライパンに押し付けたような、その熱さに絶叫した。

 

「あーあ、もう……だからあたし、ちゃんと()()()()って教えたのに」

 

 手のひらを抑え、床に倒れて這いつくばる男を見下ろして、金髪の女性は息を吐く。

 その熱とは対照的な、まるで氷のような冷たい瞳に見下されて、男はガタガタと全身を震わせた。

 

 ヤバい、この女は明らかにヤバい。

 

「ひ、ひぃ……」

 

 そそくさと退散していった背中を見送って、金髪の女性はやれやれとポニーテールの頭を振る。そうしてようやく、ここに来た目的を果たすために、口を開いた。

 

「騒がしくしてごめんなさい、受付のお姉さん」

 

 同性でも思わず見惚れてしまうような、微笑みを伴って。

 アリア・リナージュ・アイアラスはギルドの受付嬢に問いかけた。

 

「ところで、何か良い『依頼(クエスト)』ありますか?」




今回の登場人物

・勇者くん
 金銭感覚はわりときちんとしてる。こう見えてお金はコツコツ貯金するタイプ。

・赤髪ちゃん
 金銭感覚は破滅している。このご飯いくらですか!?

・賢者ちゃん
 金銭感覚は麻痺している。幼少期はパン一切れすら貴重な身の上だったので、お金を稼いでも使い道があまりなくて困るタイプ。ただし、魔術書関連に関してはぽんと大金を出す。勇者くんに怒られてからお金は増やさないように気をつけている。魔術書はぽんぽん増やして将来有望な魔術師に配り歩いている。

・騎士ちゃん
 金銭感覚は昔よりは多少マシになった。多少マシになっただけなので、妙なところでお姫様感覚が抜けていない。魔法のおかげで痴漢対策は万全。基本的に人当たりが良いが、腐ってもお姫様なので不躾な相手には塩対応。

・武闘家さん
 金銭感覚がそもそもない。昔のお金を溜め込むと、なんか高く買い取ってもらえてお得だと思っている。

・死霊術師さん
 金銭感覚にかなり優れている。良いものと悪いものの区別がはっきりつき、それに対して適正価格を付ける判断もブレない。良家での教育が活きている。魔王軍にいた頃は、死霊術師さんが財源の管理の一部を担当していたほど。しかしまだ服は着れてない。


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最強の女騎士の致命的な弱点

「仕事を! 取ってきました!」

「「「おー」」」

 

 胸を張る騎士ちゃんに向けて、パチパチと拍手の音が響く。賢者ちゃんがボロ布被って遊んだり、死霊術師さんが賢者ちゃんのローブを被って遊んでいる間に、騎士ちゃんはちゃんと仕事を取ってきてくれたわけですからね。頭が上がりませんよまったく。

 

「まあ、あたしたちはこの村では新顔だし、そんなに大きな仕事じゃないけど……」

「いやいや、仕事取ってきただけですごいよ。流石だよ」

「えっへへ。まあ、それほどでもあるかなー」

「これでわたくしの服を買うお金もようやく確保できますわね!」

「ダメだよ死霊術師さん。先にお酒買うから」

「服よりも酒を……?」

 

 騎士としても姫としてもちょっとどうかと思うことをほざいているが、お仕事を取ってきてくれたのは騎士ちゃんなので、何も言えない。

 

「というわけで、明日はみんなで依頼主さんの農場に行くよ」

「農場?」

「うん。なんでも、最近モンスターが出るようになったらしくて、見張りとモンスター狩りをしてほしいんだって」

「へえ」

 

 ほんとに初心者みたいな依頼だが、しかし騎士ちゃんがせっかく取ってきてくれた仕事である。おれたちも全力で取り組まなければなるまい。それに、騎士ちゃんも見るからに張り切っているし。

 だが、パンをもぐもぐしながら師匠が言った。

 

「すまない。わたしは、ちょっとパス」

「ええ……? いくら師匠でもわがままはダメですよ。そりゃ、師匠と満足に殴り合えるモンスターは畑には出てこないと思いますけど」

「そうだよ武闘家さん。働くもの食うべからずだよ」

「やれやれ。わたしを、甘く見ないでほしい。わたし、こう見えてもみんなより長生き。今まで、一人で生活してきた時間も長かった」

 

 まあ、たしかに1000歳くらい年上ですけれども。

 

「騎士が取ってきた仕事とは別に、わたしはわたしで、もう仕事を取ってある」

「え!? ほんとですか師匠!?」

「ぶい」

「そうだったんだ……わたしが交渉してる間もおじさんからアメ玉とか貰ってたから、てっきり暇潰しについてきただけかと」

 

 なにやってんだよ師匠。

 

「え!? お師匠さんアメ玉貰ったんですか!?」

「うむ。分けてあげよう」

「甘いもの! ありがとうございます!」

 

 それでいいのか赤髪ちゃん。

 

「じゃあ、明日は師匠は別行動で。おれと騎士ちゃん、賢者ちゃんと……赤髪ちゃんも来る?」

「あ、えっと……わたしも一緒に行っても、大丈夫なんですか?」

「もちろん」

 

 小さなクエストとはいえ、これもまた貴重な経験だ。元々、興味があったのだろう。両手を挙げて、赤髪ちゃんは喜んだ。

 

「ありがとうございます! お役に立てるかわかりませんが、お供します!」

「おっけー」

「勇者さま! ちょっと待って下さい勇者さま!?」

「なに? どうしたの?」

 

 麻袋に入ったままの死霊術師さんが、体をくねらせる。

 

「わたくしは連れて行ってくださらないのですか!?」

「連れて行かないよ。当たり前でしょ」

「即答!?」

 

 いやだって、素っ裸の美女を麻袋に入れたまま持ち歩いて、奴隷商人に間違われたくないし……

 

「でも勇者くん。明日行く農場、結構広いらしいんだけど、人手足りるかな?」

「あ、そうなの?」

「うん。武闘家さんだけじゃなく、死霊術師さんまでいないとなると、ちょっと……」

「じゃあ、死霊術師さんも連れてこっか。畑に差しておけばカカシにはなるでしょ」

「わたくし、ここでみなさんの帰りを心よりお待ちしております」

 

 この女、言うことコロコロ変えやがって……

 

「勇者さん」

「どうしたの賢者ちゃん」

「まかせてください。私に良い考えがあります」

 

 ……ほんとにぃ? 

 

 

 

 

 翌日。

 依頼された農場は、村の外れにあった。

 

「こんにちは! ギルドからご依頼を受けて来ました!」

「ああ。今日はよろしく頼むよ。それにしても……」

 

 依頼主の農場主さんは、おれと赤髪ちゃんと騎士ちゃんと、賢者ちゃんと賢者ちゃんと賢者ちゃんと賢者ちゃんと賢者ちゃんを見て言った。

 

「こいつは驚いた。兄弟で仕事をしてる人は時々見るが、そこの魔術士のお嬢ちゃんたちは、どこからどう見てもそっくりだねぇ」

「五つ子です」

「よく似てるって言われます」

 

 うん。人手が足りないから増えてもらったけど、わりと誤魔化せるもんですね。

 

「はっはっは! 似てるなんてもんじゃないねこりゃ! まるでそっくりそのまま増えたみたいだ」

「ええ」

「それもよく言われます」

 

 賢者ちゃんもしれっとした顔で頷いている。成長してるなぁ。

 

「それで、ご依頼というのは?」

「ああ、そうそう。これから農作物が収穫シーズンなんだけど、モンスターの被害がちらほら出ていてね。その退治をお願いしたいんだよ」

 

 なんでも、今回の依頼主のおじさんはこの村の中でも大きい畑を持っている豪農らしく、しかしそれ故にモンスターによる農作物の被害も馬鹿にならないらしい。騎士団が常駐しているような大きい街はともかく、小さな村ではギルドを通じて、あるいは直接冒険者にこういった仕事の依頼をすることが一般的だ。

 

 とはいえ、

 

「どうしてこの仕事をおれたちに?」

「え? いやアンタたちが一番安かったからさ」

 

 ですよねー。

 仕事とは、つまるところ責任と信頼で成り立っている。この村に来たばかりの新米のぺーぺー冒険者であるおれたちの賃金は、まあ当然のように安い。

 しかし、こうして仕事を積み重ねていくことで信頼と実績が蓄積されて、お賃金の向上に繋がるので、決して手は抜けない。そもそも無一文のおれたちに仕事を選り好みしている余裕はない。

 とりあえず、おれたちは手分けして見張りに立つことにした。おれの隣には、またしれっと賢者ちゃんが1人いる。なにやら、効率的な見張りのために良いアイディアがあるらしい。

 

「さて、それでははじめますか」

「で、どうするの? 長女の賢者ちゃん」

「私は次女の賢者ちゃんですよ。ちゃんと見分けてください」

「いやわかんねーよ」

 

 五つ子ネタが気に入ったのだろうか。

 

「要は、この農場全体を良い感じにカバーできる探知魔術を組めばいいのでしょう?」

「できる?」

「私を誰だと思ってるんです?」

 

 言いながら、賢者ちゃんは地面に杖を突き刺した。てっきり、浮遊系の魔術で上から監視するのかと思っていたが、違うようだ。

 

「ああ、上から見張るわけじゃないんだ」

「上から見張る時は、上からずっと監視する手間があるじゃないですか。それに、空中に浮遊する魔術はとても手間がかかりますからね。昔の勇者さんの魔法とは違うんですよ」

 

 今のおれは昔のように魔法を使えず、浮いたり飛んだりできるわけではないので、耳の痛い話である。

 地面に杖を突き刺した賢者ちゃんは、そのまま魔導陣を展開して満足気に頷いた。

 

「これでよし、と」

「何したの?」

「砂岩系の魔術で、地面に探知網を敷きました。農場の四方で監視している他の私達も、同じ魔導陣を展開、リンクして繋げているので、何か入ってきたり、あやしい動きがあれば、中央にいるわたしがすぐに気付けます」

「おお! すごい!」

「ええ、私はすごいですからね。私は末っ子なので褒めると伸びますよ」

「さっき次女だって言ってなかった?」

 

 とはいえ、すごいのは間違いないしとても助かるので、賢者ちゃんの頭を撫でて存分に褒め称える。

 

「おや、早速反応があったみたいですよ」

「早いな」

 

 数が出るから困る、と依頼主のおじさんは言っていたが、それにしても早い。これは外から入ってきたというより、元々この中にいたと考えた方が良さそうだ。

これ、どんなモンスターかにもよるけど、もしかして巣とか作ってるんじゃないかな……だとしたらわりとめんどくさい。

 

「どこ?」

「私達からはちょっと離れてますね。騎士さんの近くです」

「なんだ、騎士ちゃんの近くか」

 

 赤髪ちゃんにはモンスターを見つけても「近づかない、騒がない、すぐに知らせること」と、口を酸っぱくして言い含めてあるし、モンスターが出たらおれがすぐにすっ飛んで行こうと思っていたが、騎士ちゃんなら安心である。悪魔が降臨しようがドラゴンが飛んで来ようが、正面から斬り倒せる。

 

「あれ? 妙ですね」

「何が?」

「騎士さんと向かい合ったまま、モンスターの反応が消えません」

「なんで?」

「さあ?」

 

 おれと賢者ちゃんは無言でしばらく見詰め合い、

 

「……あ、やばいな」

「……あ、やばいですね」

 

 騎士ちゃんの唯一と言ってもいい、致命的な弱点である『天敵』の存在を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 アリア・リナージュ・アイアラスは、この世界を救った最強の騎士である。

 最強という言葉の定義は人によって異なるが、魔王軍四天王の首を落とし、世界を救った勇者の傍らで常にその背中を守り続けてきたアリアの実力を疑う人間はいない。事実、アリアは立場的には隣国の姫君であり、辺境の領主という地位にありながら、その実力は王都を守護する最強の騎士……5人の騎士団長達に勝るとも劣らない、と讃えられてきた。

 そんな世界最強の騎士が、全身を鎧兜で完全に覆い隠し、凶暴な悪魔を尽く切り裂いてきた愛剣を両手で構え……がくがくと震えていた。

 

「ふ、ふぇあ……ああああ」

 

 それはもう、ありえないほどに震えていた。

 完全装備の頭兜の下から、間違ってもお姫様や騎士様が出してはいけない、情けないにもほどがある声が漏れる。

 フェイスガードでその表情は誰にも見えず、そもそもこの場にアリア以外の人間は誰もいなかったが、すでに涙腺は崩壊していた。

 

「こっ……来ないで……」

 

 びくびくと小刻みに震えている大剣の先には、モンスターというにはあまりにも小さな……ぶよぶよと蠢く不定形の青い塊がいた。

 

 その名を『スライム』という。

 

 決まった形を持たない、その出自からして特殊な、めずらしいモンスターである。少なくとも、人里の畑の中に出没することは、滅多にない。

 しかし、その滅多にない事態に、女騎士はちょうどよく遭遇してしまっていた。

 

「うぅ……無理……無理無理無理!」

 

 完璧な人間など、この世にはいない。

 人には必ず、弱い部分があり、何かしらのウィークポイントが存在する。

 アリアの弱点は『スライム』だった。

 もう、思い出したくもない。騎士学校に通っていた頃に巻き込まれた事件の、そのトラウマから、アリアはこの『スライム』というモンスターが、どうしても生理的にダメだった。見ただけで気絶しそうになるレベルで、本当に無理だった。直接触るなんて不可能だし、指先が少し触れただけでも、気絶してしまう自信があった。要するに、とにかく無理、ということだ。

 

「ま……負けない。負ける、もんか……っ」

 

 しかし、けれど、だとしても。

 これは、自分が責任を持って取ってきた仕事。そして、たった一匹のスライムを前にして剣を引いては、騎士の名折れである。鎧兜と歯をガタガタと震わせて、目尻と剣には涙と魔力を溜めて、アリアは覚悟を決めた。

 ちなみに。アリア・リナージュ・アイアラスがスライムに向けて全力で構える剣の銘は『煉輝大剣(アグニ・ダズル)』。使用者の魔力を吸い上げ、火炎に変換して撃ち放つ、この世に一振りしか存在しない聖剣である。

 その一撃は、悪魔を切り裂き、竜すらも落とす。

 そんな聖剣を、畑のど真ん中で振るえば、どうなるだろうか?

 

「騎士ちゃん……っ! ストッ……」

 

 何か、呼ばれた気がしたが。

 アリアは、炎の大剣を持てる力で振り切った。

 世界を救った騎士の、渾身の斬撃が……世界最弱といっても過言ではない、小さな命に炸裂する──!

 

 爆炎が、巻き上がった。

 

「ハァ、ハァハァ……」

「お……おぉ……う、おぉぉ……」

「……やっちゃいましたね」

 

 騎士の剣は、主に捧げられるもの。

 そして、騎士が振るう剣に責任を持つのが、主の務めである。

 炎上する野菜畑を見ながら、泣きそうな顔で世界を救った勇者は呟いた。

 

「賢者ちゃん。とりあえず火消そっか」

「おじさんにはどう言いましょうか?」

「何か言う前にとりあえず土下座するよ」




今回の登場人物

・勇者くん
 新しい冒険の旅は、所持金マイナスからスタートすることが確定した。泣いていい。

・赤髪ちゃん
 あ、あの炎の渦は一体……まさか!?
 今回は武闘家さんからせびったアメ玉を舐めてた。

・騎士ちゃん
 弱点・スライム←NEW!
 基本的に強くてかっこよく頼れる存在だが、スライムを目の前にすると泣きながら震えることしかできない女の子になる。騎士学校時代にスライムにひどい目に遭わされた。

・賢者ちゃん
 五等分の賢者。

・武闘家さん
 伊達に年食ってないので自分で食い扶持を稼ぐことができる。

・死霊術師さん
 カカシルート回避。服がほしい。


今回の登場モンスター

・『スライム』
 かつて当代最高の流水系魔術の使い手が、自身の魔法のシステムを組み込んで生み出したとされる、ちょっとレアな魔物。野に放たれたことで野生化したが、とても弱い。小さな個体は、子どもが棒で叩いても倒せると言われている。遭遇することはめずらしく、一部の冒険者の間では「スライムを見かけたら良いことがある」なんて迷信まで生まれているほど。世界を救った炎の一撃で蒸発した。



もうすでにあらすじにデカデカと掲載しちゃってますが、碑文つかささんからパーティーメンバーのイラストをいただきました!すごく!かわいい!ありがとうございます!!


【挿絵表示】


以下、イラストと一緒に頂いたデザイン小話

赤髪ちゃん
「髪型はブラックマジシャンガールをイメージした」
たしかにそれっぽい。ブラマジガールが嫌いな男子なんていない

騎士ちゃん
「姫騎士ロイヤルおでこ。海外では前髪を下ろしてるのは子どものイメージ。立場上、イヤリングとかもつけそうだが、普段は動くのに邪魔になるので小さなピアス」
動くのに邪魔になるからピアス、完璧な解釈一致で土下座した。

賢者ちゃん
「逆に前髪あり。アイドルのふんわり感。基本はドラクエ賢者のイメージ」
尖った耳が見えるアングルが最高ですね

武闘家さん
「ほとんど隠れているが、背中はもろ空きで服はわりとえっちぃ」
ありがとうございます

死霊術師さん
「最初はこちらもデコ出しかと思ったが、姫に譲ったのでダークに目隠れ」
メカクレもさることながら、太腿もアツい

コメントまで頂き、本当にありがとうございました!


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最悪の死霊術師のちょっとかわいいところ

「いやあ、駆け出しの冒険者と思っていたが、こいつは驚いたねぇ……」

 

 もはや驚き過ぎて一周回った落ち着いた口調で、農場主のおじさんはそう言った。

 

「恐縮です」

 

 地面に頭を擦りつけているせいで前が見えない。正確に言えば、前を見たくないというべきか。あの温厚そうで、人の好さそうなおじさんの表情がどのように豹変しているのか、おれは確認したくない。

 

「まさか、うちの畑を焼野原にできる炎熱系魔術の使い手がいるとは……」

「失礼ですがやったのは私ではなく、あそこで体育座りをしている騎士なので、それだけは訂正させてください。もちろん、すべての責任は今頭を下げている彼にあります」

 

 賢者ちゃんもきれいに横一列に5人並んでおれの隣で頭を下げてくれているが、会話の内容はいっそ清々しいほどに保身に走っている。まったく、さすがは王都で悪徳貴族どもを相手に駆け引きをしているだけはある。もうちょっとおれのことも庇ってほしい。

 

「ごめんなさい……ダメな騎士でごめんなさい」

 

 一方、騎士ちゃんはまだ全身甲冑のフル装備のまま、焼け野原に変わった畑の隅っこで、小さくなっていた。普段は強くて頼れる鋼の女のような騎士ちゃんだが、昔から精神的なダメージを受けるとわりと引きずるところがある。赤髪ちゃんが隣で慰めているけど、あの調子だとショックから復活するのにもう少しかかるだろう。

 

「……あんまり、こういうことを聞きたくないんだどね」

「はい」

「アンタら、うちの畑に損害を出した分の補償はできるのかい?」

「大丈夫です。なんとかします」

 

 ぎょっとしたのはおれではなく、隣で頭を下げている賢者ちゃん5号である。うん、多分5号だと思う。

 小声を伴って、ぐいぐいっと袖を引っ張られる。

 

「何が大丈夫なんですか。お金を稼ぐどころか、負債だけでもヤバい額ですよ。これはいよいよ、私の魔法を使ってでもどうにかしないと……」

「いや、おれにいい考えがある」

 

 うちのパーティーには、まだ1人だけろくに働いていない人間がいる。

 働かざるもの、食うべからず。こうなったら、彼女の力を借りるしかないだろう。

 

 

 

 

 

「こ、これは……なんと凄惨な破壊の跡なのでしょう。まさか、勇者さまたちが苦戦させられるほどの超大型モンスターが!?」

「いや、騎士ちゃんがやった」

「だと思いましたわ」

 

 そんなわけで急いで宿まで戻って、麻袋に入れた死霊術師さんを連れてきました。

 ただでさえ疑心暗鬼だったおじさんの目が、さらに険しくなって、ついでにおれから数歩分、体を引いて距離を置く。

 

「袋に入れた美女……! アンタら、奴隷商だったのかい?」

「違います。ただパーティーメンバーに服を着せていなかっただけです」

「そっちの方が問題あるんじゃないかね?」

 

 そう言われるとぐうの音も出ないが、まあそれは置いておいて。おれは死霊術師さんが入った麻袋を地面に置いて、さらに死霊術師さんの前に洋服が入った紙袋を置いた。

 

「はい、死霊術師さん。これ、途中で買っておいた服ね。地味なやつだけど」

「服……服!? 勇者さまが、わたくしに!?」

「うん」

「まあまあまあ! 何日ぶりでしょうか!? まさか、こうして再び服を着れる日が来るなんて」

「おい」

「違いますよ」

 

 おじさんに冷たい目で見られるの、なんかもう慣れてきたな。

 小声を伴って、またぐいぐいっと袖を引っ張られる。これは賢者ちゃん4号かな? 4号だと思う、多分。

 

「お金はどうしたんですか?」

「帰りに必ず払いますから、って言ってツケで買ってきた」

「付き合いもコネもないのに、よくツケ払いにできましたね」

「土下座した」

「世界を救った勇者の頭がこんなに軽いなんて、泣けてきます」

「うるせえ」

 

 世界を救ってもお金がなければ頭を下げなければならないのが、資本主義経済の世なのだ。

 

「それでは、早速失礼して……と」

 

 ずるんっ、と死霊術師さんが麻の袋から出る。

 長い黒髪にちょうどいい感じに隠れていても、ばるんっ、とたわわな果実が胸で揺れたのがわかった。

 おれたちは普段から生きる盾として死霊術師さんを使いこなしているのでなんとも思わないが、驚いてひっくり返ったのはおじさんである。

 

「おわああああ!? お、おい! いい加減にしないか! どうして目の前で着替える!? これはあれか!? そういうサービスか!?」

「違います」

「び、美女の生着替えで損失を誤魔化そうたって、そうはいかねぇぞ!」

「違います」

 

 おじさんの目がめちゃくちゃ生暖かくなっていたが、賢者ちゃん1号、賢者ちゃん2号、賢者ちゃん3号、ついでに赤髪ちゃんもさっと死霊術師さんの前に入って生着替えシーンをガードしたので、そんなに見えなかった。とはいえ、死霊術師さんはそもそも羞恥心が死んでるので、あまり気にしている様子はない。なんせ、普段から数え切れないくらい死んで裸になっているし……

 

「ああっ! 何日ぶりでしょうか! 我が身に服を身に纏えたのは!」

 

 ようやく素っ裸から人前に出れる状態になって、くるくると上機嫌に回っている死霊術師さんに、おれは尋ねた。

 

「それで、どう? 死霊術師さん。いけそう?」

「あらあら、そんなに情熱的な目で求められてしまうと、わたくし、照れてしまいます」

 

 そりゃ生活がかかってますからね。自分でも、捨てられた子犬が通行人に縋るような死霊術師さんを見詰めている自覚がある。

 死霊術師さんは落ち着いた色合いのロングスカートが土で汚れないように、気を遣いながらしゃがみ込んで、もはや炭としか形容しようがない物体に触れた。ふむふむと頷きつつ、蠱惑的な唇からこれみよがしにため息が溢れる。

 

「しかしまぁ、本当によく燃やしましたわね。どこの加減を知らない騎士さまがやったのかは知りませんが」

「……う」

「バーベキューにしてはいささか、強火が過ぎます。こんなまっ黒焦げになったお野菜さんたち、もう死んでるも同然ですわ」

「…………うぅ」

 

 騎士ちゃんのメンタルがねちねちとした死霊術師さんの言葉でゴリゴリと削れていく! 

 

「でも、だから死霊術師さんに頼むしかないって思ったんだよ」

「ふふ……ええ! ええ! だから勇者さまはわたくしに頼んだのでしょうね! わかります! わかりますとも! そんなに頼られては、もう仕方ありませんわね! それでは、失礼して……」

 

 もはや原型が残っているかもわからない、まっ黒焦げになった野菜に死霊術師さんの指先が触れる。

 一秒、二秒、三秒、四秒。

 きっかり四秒。それだけで、彼女の魔法は発動する。

 

「は?」

 

 たったそれだけの時間で、死霊術師さんが触れていた炭の塊は、色鮮やかなトマトに変化した。

 いや、元に戻った、という方が、より正確な表現かもしれない。

 

「え……えぇ!?」

「おー、よかった。いけるもんだね」

「ふふっ……当然ですわ。わたくしの手にかかればお安い御用です」

 

 当然、おじさんはあんぐりと口を開いているが、おじさんだけでなく、赤髪ちゃんも賢者ちゃんも騎士ちゃんも、全員その場で固まっている。

 

「……どういう手品ですか、これは」

「あらあら、手品ではありませんわ。わたくしは騎士さまが誤って()()()()()()()お野菜さんたちを()()()()()()だけです」

 

 魔法とは、解釈だ。その効果と性質は、本人の解釈、性質、言ってしまえば心の持ち様によって広がる。

 死霊術師さんの魔法は、触れたものを蘇生させる。より厳密に解釈すれば、死んでいるものに触れることで、それを蘇生させる。

 つまり、死霊術師さんが触れた『それ』を『生きているもの』と定義しているのなら……魔法の対象に『人間』や『動物』という制限はない。

 

「だって、草も木も花も……人間と同じように生きているでしょう? そこに違いはありませんわ」

 

 だから、生き返らせることができるのだ、と。

 にっこりと、花のように微笑みながら死霊術師さんは言った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 便利に使われるのは、嫌いではない。

 誰かの役に立つのはうれしいし、誰かに必要とされていると、安心できる。きっと自分という女は、尽くされるよりも、尽くす方が好きなのだろう。

 死霊術師、リリアミラ・ギルデンスターンには、そういう自覚があった。

 なので、自分と同じように。彼の役に立とうとがんばろうとして、空回りしてしまった彼女の気持ちも、とてもよくわかる。

 

「ほらほら、いつまでしょげてらっしゃるんです?」

「……しょげてないし」

 

 未だに騎士甲冑を身に着けたまま体育座りをしているアリアは、しかしその重厚な甲冑の上からでも、意気消沈しているのが丸わかりであった。でかい騎士が負のオーラを放っていると、なんというかもう、単純に邪魔くさい。

 黒焦げに変わってしまったすべての野菜の再生……もとい蘇生が完了し、畑を荒らしていたスライムも完膚なきまでに灰燼に帰した、ということで。本日の依頼は、とりあえず達成したことになった。少し離れた場所では、勇者とシャナが農場主と顔を突き合わせて今日の支払いについて話しており、赤髪の少女がお土産にもらったトマトをさっそく齧っている。

 

「ほらほら、顔を上げてくださいな」

「うぅ……みないでぇ……今、ひどい顔してるから」

「それはいいですわね。ぜひ拝見したいです」

「……いじわる」

「はいはい」

 

 かしゃん、と。嫌がっているアリアの頭兜のフェイスガードをあげると、目元と鼻先が赤くなった金髪の美人が出てきた。元から涙もろいこともあってか、しばらくこっそりと頭兜の下で泣いていたらしく、目元が腫れかけている。

 

「うふふ、ひどい顔ですねぇ。美人が台無しですわ」

「……いいよね。死霊術師さんは、どうせ美人だもんね」

「ええ、もちろんわたくしは、常に美しいです。当然ですわ」

 

 言いながら、リリアミラはアリアの目元に濡らしたハンカチを当てた。擦って腫れてしまわないように、軽くあてがって、目元の熱を取ってやる。

 言葉にしなくても気遣いに満ちているその手つきに、されるがままになるしかないアリアは、ますますいじけた表情になった。

 

「……さっきは、あたしのことバカにしてたくせに」

「ええ、ええ。失敗した人をイジってバカにするのは、とても楽しいですからね」

「さ、最低」

「よく言われます。それは褒め言葉として受け取っておきますわ。でも、美人が台無しになるのを見過ごすのは、流石に趣味がわるいですからね。これで、ちゃんと冷やしてください」

 

 言われなくても、自分の性格が悪い自覚はある。

 アリアの言葉を軽く流しながら、リリアミラは指先で乱れた前髪をちょいちょいと整えた。このパーティーのメンバーは、みんな彼のことを大切に思っていて……それでいて感情の向け方が少々ねじ曲がっている。

 失敗しちゃったごめんなさい! と開き直っていつもの様に笑えばいいのに、それをしないあたり、アリア・リナージュ・アイアラスという騎士は、ちょっとめんどくさいところがあった。ある意味、こういうところはお姫様らしいとも言える。そして、アリアのそういう部分が、リリアミラは意外と嫌いではなかったりするのだ。

 

「素直に甘えればよろしいのに」

「うるさいなぁ……放っておいてよもう」

「このままあなたを放っておいたら、日が暮れてしまいますわ。それとも、今すぐ戻って、幼子のように腫らした目元を勇者さまに見られたいのですか?」

「やだ」

「ふふ。だと思いました」

 

 ぶんぶん、と。重い頭兜ごと首を振る反応は、まるで年相応の少女のようで愛らしい。

 リリアミラは、くすくすと笑った。決して、バカにした風にではなく、共感を示すやわらかな笑みを浮かべて。

 

「あちらにお手洗いがありました。鏡もあったので、お化粧も直せます。お顔が落ち着いたら、鎧を解いて戻ってきてくださいね」

「リリアミラさん」

「はいはい。まだ何か?」

「ありがと」

 

 彼の前では、互いの名前を呼ばないことに決めている。彼には自分たちの名前が聞こえないから、自然とそうなった。

 

「ええ。どういたしまして」

 

 だから、死霊術師という名前ではなく。リリアミラ、という自分の名前を呼ばれるのはひさしぶりで。そう呼ばれると、少し嬉しくなる。

 ガシャガシャ、と。トイレの方に歩いていく後ろ姿を見送っていると、後ろからすっと近づいてくる気配があった。

 

「騎士ちゃんの様子はどう?」

「それはもう、びちゃびちゃでぐちゃぐちゃのひどいお顔でしたわ」

 

 やれやれ、と。リリアミラはタイミングを見計って近づいてきた勇者に向けて、これ見よがしに肩を竦めてみせた。

 

「わかっているなら、勇者さまが慰めて差し上げればよかったのに。そちらの方が騎士さまも喜びますよ?」

「いやいや、それはだめだよ。騎士ちゃん、おれに泣いてるところ見られるの、大っきらいだもん。こういう時にフォローしてくれるのは、やっぱり死霊術師さんじゃないと」

 

 慰めは、時に善意の押し付けになる。想い人から気遣われるのは嬉しいものだが、それでも素直になれない時があるのが、人間というものだ。女心は難しい。フォロー役をリリアミラに任せた勇者の選択は、ある意味アリアのことを最も繊細に気遣っていた。

 人たらしだな、とリリアミラは思う。

 

「まったく、便利に使ってくれますわね」

「頼りにしているってことだよ」

「それは光栄です。でもまぁ、あまりわたくしを信頼していると、後ろからぶすりと刺されるかもしれませんから、気をつけてくださいね?」

 

 呑気にキュウリを齧っている赤髪の少女にちらりと視線をやって、リリアミラは皮肉を言った。しかし、勇者は特に表情を変えることなく、あっけらかんとした口調で答える。

 

「んー? まあ、あの時はあの時で懲りたけど、それはそれ、これはこれでしょ。死霊術師さん、やさしいし」

「あらあら、勇者さまはわたくしのことを『やさしい』と思っているのですか?」

「やさしいでしょ」

 

 視界一杯に広がる野菜畑を眺めながら、彼は笑う。

 

「人間も、動物も、草も、花も、木も、野菜も。みんな同じように生きてるって考えてる人は、絶対にやさしい人だと思うよ」

「……」

 

 本当に。

 こういうところが、彼が勇者である所以であり……ずるいところだと、リリアミラは思う。

 だから、なんだかんだと文句と皮肉を言いながら、自分は彼と、彼がいるこのパーティーが好きになってしまったのだ。

 

「……さてさて、わたくしにも何かご褒美がほしいですわね! これだけ便利に使い倒されたわけですし!」

「服買ってあげたじゃん」

「服を着ることは人として最低限の権利ですが!?」

「死霊術師さん!」

 

 言い争っていると、元気の良い声がぐっと近づいてきていた。

 

「あら、どうしました? 魔王さま」

「……あのさぁ。死霊術師さん、赤髪ちゃんのこと魔王さまって呼ぶのやめなよ」

「べつに良いではありませんか。わたくしがみなさんのことをどう呼ぼうと、わたくしの自由ですわ」

「あはは、わたしはべつにどっちでもいいですよ?」

「ほら、ご本人もこう仰っています」

「だめだめ。だめですよ。勇者として許しません」

「死霊術師さん、これよかったらどうぞ」

「赤髪ちゃん、これ結構大事な問題だからスルーしないで?」

「あら、美味しそうなトマトですわね」

 

 赤髪の少女は苦笑いしながら、熟れたトマトをリリアミラに差し出して。

 

「……いただきます」

 

 がぶり、と豪快に齧りついた。

 少し甘酸っぱいその風味が、今は心地良かった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「さて、じゃあ帰ってメシにしますか」

「お腹空きました〜」

「魔王さま、さっきお野菜食べていませんでした?」

「あれはオヤツです!」

 

 労働を終えると、やはり気持ちが良いものだ。

 騎士ちゃんも死霊術師さんのおかげで元気を取り戻したみたいだし、今日は本当によく働いた。村に帰り着く頃には、すっかり日が落ち始めていた。

 

「師匠、宿に帰ってるかな?」

「そういえば、今日は別行動でしたわね。あのクソババア、ちゃんと働いているのでしょうか」

「死霊術師さん、師匠の前でそれ絶対に言わないでね。死ぬのはいいけど、買ったばかりの服破かれたら、おれ泣くよ?」

「……あれ?」

 

 と、騎士ちゃんが何かに気がついたように声をあげる。

 

「なんか、人が村の中心に集まってない?」

「たしかに……?」

「お祭りか何かでしょうか? 辺境の土地ですから、何かしら土着の催しがあるのかもしれませんね」

「勇者さん! わたし、お祭り見たいです!」

「あいよ。でも買い食いはダメだからね」

「はい!」

「親子みたいなやりとりしますねこの人たち……」

 

 年齢がはっきりしている中では最も年下の賢者ちゃんにあきれた目で見られながら、赤髪ちゃんに手を引かれてずんずんと人混みの奥へ進んでいく。

 赤髪ちゃんに出店で買い食いされると稼いだお金が一瞬で吹き飛ぶので、先手を取って封じたが……どうやら、そういう催しではないらしい。近くにいたおじさんの肩を叩いて、聞いてみる。

 

「すいません、これ、何やってるんですか?」

「おや、兄さん。この村に来たばっかりだね? 観ていくと良い。今、ちょうどいいところだ。賭けるなら、オレは断然あのちびっこをオススメするね」

 

 ……賭ける? ちびっこ? 

 

 

『さぁぁあ! 盛り上がりに盛り上がった、今宵の『殴り祭り』も、いよいよ佳境だぁぁ!』

 

 

 拡声魔術を通して、やたらデカい司会らしき声が響き渡る。

 

「……殴り祭り?」

「おお! この村の名物でな! 月に一度、腕っ節自慢の冒険者たちが、武器なしで殴り合うのよ!」

 

『青コーナーからは、前回のチャンピオン! 『骨拾い』の異名を持つ凄腕冒険者! バロウ・ジャケネッタ!』

 

 歓声と共に飛び出してきたのは、見るからに筋骨隆々の大男。

 

「あ、あの人……」

「知っているのか、騎士ちゃん!?」

「うん。この前火傷させた」

 

 なに? 火傷させた? 

 

『そして赤コーナーからは……正体不明! 飛び入りでの参加で、並み居る強豪たちを薙ぎ倒してきた、謎の美少女!』

 

 大袈裟なリングコールと月の光を背に、空中で華麗に身を捻らせながら、()()()()()()()()()()()が安っぽいリングに着地する。

 

 

『ゴールデン・サウンザンド・マスクッ!!』

 

 

 ──なにやってんだよ師匠。




今回の登場人物

・勇者くん
 野菜はじゃがいもが好き。お腹に溜まって食べ応えがあるから。

・赤髪ちゃん
 野菜はなんでも好き。出されればなんでも食らい尽くす。雑食。

・騎士ちゃん
 果物はりんごが好き。お母さんの好物がりんごだった。

・賢者ちゃん
 野菜くずは嫌い。地下牢にいた頃は野菜くずをまとめた粥が食事のほとんどだったので、食べ飽きた。

・死霊術師さん
 野菜はトマトが好き。血のように赤いからとかではなく、トマトジュースも普通に好きらしい。

・バロウ・ジャケネッタ
 騎士ちゃんに手を出そうとしてたチンピラ冒険者。素手での格闘に自信があるらしい。結構強い。

・ゴールデン・サウザンド・マスク
 月夜に舞い降りた謎の美少女仮面。初参加で腕っ節自慢の冒険者たちをちぎっては投げ、投げてはまたちぎりそうになるのを手加減しつつ、あっという間に決勝まで駒を進めた。その正体は謎に包まれている。


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おれの隣の席の姫騎士が最強過ぎる
勇者の騎士学校生活。一日目


 バロウ・ジャケネッタは冒険者である。

 魔王が勇者によって討伐されたあと、人類の生活圏は以前よりも広がり、怪物たちが跋扈する危険な地域の開拓も、進んで行われるようになった。必然、腕が立つ冒険者は安全な生活圏よりも、スリルと一攫千金の夢を追い求めて、このような辺境の土地に進出することが多くなった。バロウも、そのような冒険者の1人だった。

 腕っ節には自信がある。殴り合いに限定するなら、王都の騎士とタイマンを張っても勝てる自信がある。事実、その程度の自惚れと自尊心を育める程度には、バロウという男は中途半端に強かった。

 

(なんなんだ、このガキは!?)

 

 だが、不幸にも彼の前に立っているのは、殴り合いに限って言えば人類最強の頂に手を掛けている拳聖だった。

 

 その名も、ゴールデン・サウザンド・マスク。

 

 はじめは、村の子どもが遊びで入ってきただけだと思った。だが、一回戦。少女をあやすように場外に出そうとした青年は、冗談のように高く打ち上げられ、吹き飛ばされた。

 

 ──次。

 

 少女は、静かに言った。

 二回戦で出てきた男に、油断はなかった。最初から全力で少女にタックルをかけにいき、流れるように拳による一撃を入れられ、地面に沈んだ。三回戦も、四回戦も、大の大人が小柄な少女に遊ばれるように叩き伏せられ、吹き飛ばされ、その度に周囲の観客の熱気はヒートアップした。

 

 今宵、この祭りの主役は、間違いなくゴールデン・サウザンド・マスクだった。

 

 バロウは攻める。ひたすらに攻める。だが、その殴打はまったくと言っていいほど通らない。

 ストレートを打ち込んでも、まるで水の中に手を突っ込んだかのように受け流される。蹴りを振っても、タイミングが完璧に悟られているかのように、跳躍で避けられる。相手は小柄で、手足のリーチでは圧倒的に自分が勝っているはずなのに、拳も脚も、何もかもが当たらない。

 

「身体の基礎は、できている。でも、技がなってない。力任せの拳に頼っていると、いつか必ず自分にしっぺ返しがくる。意識して、直した方がいい」

 

 しかも、戦いながら、なぜか上から目線で指導までしてくる。

 バロウははぐれ者から身を立ててきた冒険者である。修行などしたことはないし、戦い方は我流で、師もいない。故に、その少女の指摘が、彼の神経をどこまでも逆撫でした。

 

「……んだとぉ!」

 

 中途半端に強いせいで、実力差を正しく理解できなかったのが、彼の不幸であったとも言える。

 

「その仮面を引っ剥がして! 力の差ってもんをわからせてやるよ!」

 

 男らしい、分厚い手のひらが握り込まれた拳が、弾丸の如く加速する。大の大人が真正面から受ければ、それだけで倒れてしまいかねない、強烈な一撃。

 それを、謎の少女……ゴールデン・サウザンド・マスクは、

 

「暴言、反省」

 

 巻き取るように受け止めて、目にも留まらぬ反撃をお見舞いした。

 

「が、ふっ……!」

 

 その一撃を身に受けて、バロウは確信する。

 これは、ただがむしゃらに振るわれる拳ではない。これは、何の思考も伴わずに振るわれる拳ではない。

 肉体の、どこを突けば相手が倒れるのか。この少女は、それを知っている。

 自分にはない知恵と、自分とは異なる、鍛え上げられた拳の強さを、バロウは自ら体で体験するに至って、ようやく理解した。

 薄れいく意識の中で、それでもなんとか声を絞り出す。

 

「なに、もんだ、テメェ……」

「名乗るほどの、者じゃない」

 

 仮面の下で、うっすらと微笑む気配を感じながら、

 

「今夜のわたしは、謎の美少女、ゴールデン・サウザンド・マスク。それ以上でも、それ以下でもない」

「へっ……そうかよ」

 

 完敗である。バロウは、どこか晴れやかな気持ちで地面に倒れ込んだ。

 ぼやけていく意識の中、飛び込んできた青年がゴールデン・サウザンド・マスクを抱えて走っていったように見えたが……きっと、幻覚だと思った。あんな達人が、黙って抱えられるわけがない。

 もしもそんなことができる人間がいるとしたら、世界を救った勇者くらいのものだろう。

 

 

 

 

 

 

「師匠! 何してるんですか師匠!?」

「殴り合ってた」

「そういうことを聞いてるんじゃなくて!」

 

 なんとかあのお祭りから師匠を連れ出すことに成功し、宿屋に戻ったおれは師匠に対するお説教タイムに入っていた。

 

「なんですかあのイベントは!?」

「人を殴って勝てばお金が貰える、素晴らしい催し」

 

 むん、と師匠はドヤ顔で言う。

 相変わらず1000年くらい生きているせいで、倫理観がぶっとんでいる。流石だ。全然流石じゃないけど。

 

「まさかとは思いますけど、昼間言ってた仕事って」

「もちろん、これ」

 

 おれはもう言葉を紡ぐことを諦めて天井を仰いだ。深く考えなくても、思い出さなくても、師匠はそもそもこういう人である。そういえば、騎士ちゃんたちとはぐれて2人で旅をしていた時期も、よく賞金があるアウトローな大会に参加して日銭を稼いでいた。

 

「だめです。ちゃんと仕事をしてください」

「えー」

「えー、じゃありません! ていうか、よくその見た目であんな物騒な祭りに参加できましたね?」

「子どもっぽく駄々こねてみたら通った。ああいうのは、一度出てしまえばこっちのもの。あとは、勝手に盛り上がる」

 

 この師匠、自分の子どもっぽい見た目を活用するのに本当に躊躇いがない。ある意味、開き直りが激しいともいう。

 

「この趣味の悪い仮面は?」

「趣味の悪い?」

「あ、すいません。このかっこいい仮面は?」

「ふふん。大会とかに、出る時用のやつ。顔を覚えられると、面倒なことになることもある。長生きだから」

「無駄に歳食ってるわりにこんなにダサいのをみると、やはりセンスというものは持って生まれたものなのだと痛感致しますわね」

「残念。死ぬまでに理解できるようになることを、せつに祈っている」

「勇者さま、勇者さま。なんということでしょう。皮肉すら通じていませんわ」

 

 ひそひそと、師匠にも聞こえる声で死霊術師さんが言うが、師匠は泰然とドヤ顔で仮面を見せびらかしている。やべえなこの人。メンタルにまで『金心剣胆(クオン・ダバフ)』張ってるのか? 傷つけられる気がしないんだけど。ちなみに仮面のデザインはめちゃくちゃダサいとおれも思います。ごめんな師匠。

 

「とにかく、こういう大会に出て荒稼ぎするのはダメです」

「えー」

「えー、じゃありません! 師匠ももういい歳なんですから、落ち着きというものを覚えてください」

「わたしは、いつも冷静」

「じゃあ、もうやんちゃしないでください」

「拳を交わすのは、わたしの人生の楽しみ」

「ああ言えばこう言うなぁもう!」

 

 おれが師匠をお説教する、というめずらしい構図をしばらく見守る構えだった騎士ちゃんが、しかしそこで口を挟んできた。

 

「でも、勇者くんも昔はかなりやんちゃしてたじゃん」

「え?」

 

 思わぬところから刺されて、ちょっと言葉に詰まる。

 

「そうだったんですか?」

「そうだよー。前もいろいろ話したけど、騎士学校に入学した頃の勇者くんとかほんとにやんちゃしてたからさ」

 

 そこに好奇心の塊とも言える赤髪ちゃんが絡むと、もう手がつけられなくなってしまう。

 

「勇者さんの昔の話、もっと聞きたいです!」

 

 きらきらした目でそう聞かれてしまうと。赤髪ちゃんに弱いおれとしては、観念するしかないわけで。

 

「あー、まあ。おれと騎士ちゃんが出会った時のことは、前も話したと思うけど。わりと学校でも、結構いろいろあって……」

 

 なんとなく、みんなが昔話を聞き込む気配になる。

 話は、おれが騎士ちゃんと出会った、その翌日。おれがまだ、未熟極まるガキだった頃に遡る。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 太陽の光に顔を照らされて、目を覚ます。

 起き上がって背伸びをする。春の香りをのせた風は、まだ少し冷たかったが、眠気を覚ますにはちょうどよかった。

 

「……良い天気だ」

 

 思わず、そんな独り言が漏れ出る。

 空が青い。見上げれば白い雲が浮かんでいて、肺の中に吸い込む空気が美味い。爽やかな1日のはじまりを実感するには、それで十分だった。

 入学式初日から校舎を半壊させてしまって散々だったが、いよいよ今日からだ。今日から本格的に、おれの騎士学校での生活が始まる

 

「あ……」

 

 そこで、おれはようやく根本的な問題に気がついた。

 まず第一に、昨日までの記憶が、すっぽりと抜け落ちている。いや、アリアと屋上でバトルしてめちゃくちゃ怒られて、寮に戻って同室のやつと話に華が咲いたところまでは覚えているのだが、そこから先の記憶がない。ベッドに入った記憶はおろか、いつに寝たかの記憶すらない。

 第二に、おれが起床したのは、寮の部屋の中ではなく、道路のど真ん中だった。妙に体が痛かった理由はこれである。そりゃ、太陽の光を全身に浴びることができるわけだ。だって外だもん。春先の冷たい風に、全身が晒されるわけだ。だって壁ないもん。

 

「……れ?」

 

 そして、第三に。

 おれは、全裸だった。制服の上着も、シャツも、ズボンも、パンツすらない。紛うことなき完璧な全裸だった。

 

 そりゃ、寒いわけだ。だって服ないもん。

 

「そこのきみ、ちょっといいかな?」

 

 かけられた声に、自分の顔が引き攣るのを自覚する。振り返れば、そこにいたのはとりわけ優秀なことで知られている王都の憲兵団だった。紺色の制服をかっちりと着こなしたガタイの良い彼は、きっと朝のパトロールの途中だったのだろう。汚れたものを見るような目で、問いかけてくる。

 

「詰め所までご同行願いたい」

 

 ()くして。

 おれの学生生活は、全裸の全力ダッシュからはじまった。




今回の登場人物

・勇者くん
 師匠におかんムーヴしてる

・ゴールデン・サウザンド・マスク
 驚くべきことに、その正体はムム・ルセッタ。日銭は拳で稼ぐタイプ。

・バロウ・ジャケネッタ
 チンピラだが、負けは負けとして認めるタイプ。




・昔の勇者くん
 ぐ ら ん ぶ る


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勇者の騎士学校生活。決闘全裸編

 アリア・リナージュ・アイアラスは、窓から差し込む朝日で目を覚ました。

 

「ん」

 

 騎士学校の宿舎のベッドは、やはり王城のそれと比べると硬い。しかも、1人ではない部屋で起きるのはひさしぶりだ。

 

「あ、えっと。おはようございます、姫様」

「うん。おはよう。でも、姫様はよして。あと、敬語もいらないよ? これから同じ部屋で生活していくわけだし」

「あ、あはは。ごめんなさい。わかっているんですけど、なんとなく緊張しちゃって」

 

 同室の女子は、縮こまるように体を固くした。またやってしまったな、とアリアはため息を吐きたくなった。

 無理もない。アリアは人と話すのが大好きだし、いろいろな人と仲良くなりたいと思っていたが、残念ながら王女という立場と生まれ持った魔法がそれを許してくれなかった。

 

(でも、大丈夫)

 

 昨日は、とても良い出会いがあった。

 自分と同じように入学式を抜け出して、自分と遠慮も手加減もなしに剣を交えてくれた、あの少年。彼は自分の顔色を伺うこともなく、ありのままのアリアと本気で向き合ってくれた。

 彼が勇者になる、というのなら。自分はそれを助けたい、と強く思う。

 制服のブラウスに袖を通して、ネクタイとリボンを選ぶ段階に至って。彼はどちらが好きだろう……とアリアは考えた。そうして、とても自然に彼に()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()自分に気がついた。

 

「……」

 

 なんとなく、頬が火照るのを自覚しながら、リボンを置いてネクタイを手に取る。

 これはよくない。自分は、彼の騎士になる、と言ったのだ。たとえ口約束でも、約束は約束。そして、その誓いは誇りに懸けて撤回できない誓約だ。

 キュッとネクタイを締めると、身も心も引き締まる気がして、アリアはふぅ、と息を吐いた。鞄を持ち、部屋を出る。同室の女子もそれを待ってくれていたのか、一応2人揃って寮の門を潜った。

 

「あの、姫様。一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「ええ、どうぞ」

 

 敬語と姫様呼びを取ることは、これから先の目標にしよう。アリアは諦めて、まずは友人との会話を楽しむことにした。

 

「昨日、姫様は入学式を無断でサボって、私的な決闘で屋上を爆破したと聞きました」

「……」

 

 最初から、全然まったく会話を楽しめる気配がなかった。

 というか客観的にそう言われて考えてみると、アリアは入学初日からあまりにも盛大にやらかしていた。普通の生徒なら退学になっていてもおかしくないレベルである。

 冷や汗を流しながら、アリアは顔を背けた。

 

「ば、爆破はしてないよ? ちょっと壊しただけっていうか、なんていうか」

「でも、すごい音が響いて、見に行ったら屋上が明らかに半壊していましたよ?」

「他のみんなの反応って、どうだった?」

「めちゃくちゃ怖がってました」

 

 もしかしたらしばらく自分は同級生に馴染めないのかもしれない。アリアは心の中で泣きたくなった。

 

「それで、気分を害されたら申し訳ないのですが」

「もう、なんでも聞いて」

 

 ぐったりと項垂れながら、投げやりに返す。

 もはや下がる評判もなさそうだ。

 

「姫様とそれだけ打ち合った新入生に、皆は興味を抱いているようで」

「……!」

 

 ああ、なるほど。そういうことか。それを聞いて、アリアは下がっていた肩を戻した。

 納得するのと同時に、少し誇らしくなる。

 

「どのような人だったのですか?」

 

 問われて、どのような答えが相応しいか考える。

 

「とても、強い人」

「え?」

「とても強くて……」

 

 同年代の人間に剣で負けたのは、はじめての経験だった。

 しかし、それ以上に、

 

「……すてきな人だったよ」

 

 くすり、と。

 含むものを感じさせる笑みといたずらっぽい口調に、それを聞いたルームメイトの顔が、ちょっとだけ赤くなる。

 

「す、素敵、とは!?」

「えー、言葉通りの意味かな」

「ひ、姫様は、男性の方との交友関係が豊富なのですか!?」

「んー、そんなことはないけど」

 

 なんとなく、萎縮していた雰囲気が解けて、普通の女の子らしい会話ができるようになって。

 これはちょっと楽しいな、と。アリアは嬉しくなった。

 

「そ、それはもしかして」

 

 

「アリアァあああ!」

 

 

 自分の名前を呼ぶ、絶叫が響いた。

 横に向けていた視線を戻すと、前方から走り駆けてくるのは、肌色の物体。

 

「は?」

 

 それを見て、アリアは言葉という概念を一瞬、忘れかけた。無意識に口から出たその呟きが、辛うじてアリアの発声機能を繋ぎ止めたと言ってもいい。

 

「アリア! 助けてくれ! 追われているんだ!」

「ひ、姫様の名前を気安く口にするな! この不審者め!」

「あの、えっと」

「いけません姫様! こんな全裸の男と言葉を交わしては!」

「聞いてくれ! なんか起きたら裸だったんだ!」

「ち、近寄るな!」

 

 それは普通に、知っている人だった。

 というか昨日、アリアが己の剣を捧げると誓った勇者の少年だった。

 

「む! そこの騎士学校の生徒たち! 離れなさい! その不審者は全裸だ!」

 

 さらに後ろから、紺色の制服を着込んだ憲兵もやってくる。

 

「むむ! そこにいらっしゃるのはアイアラス殿下! いけません! その全裸の不審者から離れてください!」

「はあ!? おれのどこが不審なんだ憲兵のおじさん! 一切合切包み隠さずきれいさっぱり曝け出してるだろ!」

「黙れ! 特に股間が不審だ!」

「おいアリア! 頼む! この憲兵さんになんとか言ってくれ!」

 

 縋るような目で見られても、アリアは少年の方を直視することができない。直視しようとした瞬間に、下半身に目がいってしまいそうになるからだ。

 つい昨日の出来事が、走馬灯のように脳内を駆け巡る。

 

 

 ──わかった。あたしが、あなたの騎士になってあげる

 

 ──それでは、主よ。名前を教えていただけますか? 

 

 遂に意を決して、アリア・リナージュ・アイアラスは答えた。

 

「…………知らない人です」

 

 

 

 

 

 

 アリアァァァァ! 

 昨日言ってくれたじゃん! 

 おれの騎士になるって言ってくれたじゃん! 

 自分で言うのもなんだけど、結構良い感じだったじゃん! 

 昨日、やさしい微笑みを見せてくれた蒼い瞳は、今は「知り合いに思われたくない」という目でこちらを見ている。正直泣きそうである。

 

「あの、憲兵のおじさん」

「何かね。全裸の少年」

「おれ、あの子と同じ騎士学校の生徒なんですよ」

「騎士学校の生徒? 馬鹿は寝てから言いなさい。キミのような全裸の少年が騎士学校の生徒なわけがないだろう」

「いや、ほんとなんですって。ほら、おれ結構良い筋肉してると思いませんか?」

「ああ。たしかによく鍛えているな」

「でしょう!?」

「胸を張るな。股間を隠しなさい」

「男同士で何恥ずかしがってるんですか?」

「はっ倒すぞ」

 

 おれに向かって暴言を吐きながら、裸のおれの両手に手錠をかけ、ぐいぐいと引っ張っていこうとする憲兵さん。

 やばいやばいやばい。ただでさえ入学式の日から屋上を半壊させてやらかしているのに、通学初日からお縄についたりしたら、マジで退学になってしまう。せっかくシエラが入学のために手を尽くしてくれたのに、何も学ばないまま退学するなんて絶対にいやだ。

 仕方ない。ここは強引にでも振り切って逃げて、あとで謝りに行く作戦でいくか、と。おれが覚悟を決めたその時。

 

 

「──その逮捕、待って頂きたい!」

 

 

 唐突に。頭上から響いた声に、おれも憲兵のおじさんも揃って上を見た。

 赤を基調にしたマントを翻し、見覚えのある制服……というかおれが今日から通うはずだった騎士学校の制服に身を固めた少年が、屋根の上に立っていた。

 

「とうっ!」

 

 うわ。高い場所から飛び降りる時に「とうっ!」って言うヤツ、はじめて見た。

 おれがドン引きしてる合間にも、その少年の身体は宙を舞い、何故か無駄に一回転をきめて、地面に着地する。白い歯を見せながら、その金髪男は憲兵のおじさんに一礼した。

 

「憲兵殿。朝から変態の捕縛、誠に御苦労様です。しかし、彼を捕まえるのは、このボクの顔に免じて、どうか再考を!」

 

 今、おれ変態って言われた? 

 

「その制服、きみも騎士学校の生徒か? いや、しかしその『肩幕(ペリース)』は……」

「はい。新入生です。そして、彼も騎士学校の生徒です。身元は、このボクが保証しましょう」

 

 言いながら、金髪のイケメンは憲兵さんにおれの学生証を提示した。転写魔術で写し描かれているおれの顔写真を、憲兵さんは胡散臭いものを観察するように、見比べる。

 

「むう。たしかに、本人のようだが……?」

 

 ああ、よかった。信じてもらえた。

 いや、ちょっとまて。そもそもどうしておれの学生証を、この金髪のイケメンが持っているんだ? 

 

「おい。あんた……」

「ボクの名は、レオ・リーオナイン!」

「あ、これはご丁寧にどうも。おれは……」

「自己紹介は不要だよ。昨日、もう済ませているからね。まあ、キミは忘れているようだが」

「ん?」

「ボクは、キミの『ルームメイト』だ!」

「ルーム、メイト?」

 

 首を傾げながら、朧気な記憶を引っ張り出す。

 そういえばこのイケメンの顔、なんとなく見覚えがあるような……

 昨日の夜。寮の部屋に行った時のことを、少しずつ思い出す。

 

 ──これからよろしく

 ──やあやあ、こちらこそ。お近付きの印にこれは如何かな? 

 ──おい、これ酒か? 気持ちは嬉しいけどそういうのはちょっと

 ──ああ、心配はいらないよ。ボクの実家は商家でね。これは今度売り出そうと思っている新商品のポーションなんだ。滋養強壮の効果がある

 ──ポーション。へえ……

 ──さあさあ。お近付きの印に、一緒にぐぐっと

 ──じゃあ、お言葉に甘えて

 

「あーっ!?」

 

 思い、出した。

 

「お前、おれのルームメイトの!?」

「だからさっきからそう言っているだろう」

「おれにポーションを飲ませたヤツ!」

「フフッ。昨晩はお楽しみだったね」

 

 ふぁさぁ……と前髪をかきあげながら、金髪のイケメンは不敵に笑う。

 

「お前、まさか。あのポーションに変な細工を!?」

「いや、それはしてない」

「え」

「ただ、中の成分に悪酔いしたキミが、もっと飲みたいとか言い出して」

 

 ──おい、まだあるなら出せよ

 ──えぇ、しょうがないなぁ。特別だよ? 

 ──うへへ

 ──うふふ

 

「それで、寮の部屋から飛び出して行ったんだ」

「……」

 

 おれは押し黙った。

 たしかに。たしかに、そうだった、かもしれない。

 いやしかし、だとしても、だ。

 

「じゃあ、どうして止めてくれなかったんだよ!?」

「フッ……ボクもポーションの効能に悪酔いして熟睡していたからに決まっているだろう?」

 

 もう売るのやめちまえ! そんな強い酒みたいなポーション! 

 

「しかし、こうしてキミを見つけることができて安心した。大事になる前でよかったよ」

 

 そうかな? 

 服を脱ぎ捨てて全裸で捕まりかけてる状況って、まあまあアウトだと思うんだが。

 

「まあ、いいや。とりあえず、そのマント貸してくれないか? さすがに股間は隠したい」

「断る。キミに貸したらその汚いイチモツがボクの上着に触れてしまうだろう。それは断じて許容できない。ふざけたことを言うのも大概にしてもらおう」

「お前がふざけるなよ。誰のせいでこんなことになったと思ってんだ」

「たしかにボクはちょっと悪酔いするポーションを親交の証としてキミに勧めたが、服を自発的に脱ぎ捨てているのはキミだ。責任の所在をすり替えるのはやめてもらおう」

「お前……ああ言えばこう言うな」

「率直に言って、ボクは今この瞬間も生まれたままの姿で平然と会話を行うキミの無神経っぷりに驚いているんだ」

「隠すものがないんだから仕方ないだろ」

 

 そもそも、レオはおれに向かって言葉を繋いだ。

 

「この『肩幕(ペリース)』は、きみのような人間が腰を隠すために巻いていいものではない。これは騎士学校の中でも最強の称号を手にした者にしか着用を許されない、特別なモノなのだから」

「っ……やはりそうか!」

「何か知っているんですか、憲兵のおじさん?」

 

 おれが問いかけると、憲兵のおじさんは頷いた。

 

「ああ。今年の騎士学校の入学主席といえば、魔法を持つ隣国の王女、アリア・リナージュ・アイアラス殿下で持ち切りだったが、もう1人……男子の主席入学者が、試験会場で三年生を打ち倒し、『肩幕(ペリース)』を奪って『七光騎士(エスペランサ)』の称号を得たという……まさか、こんなところで出会えるとは!」

 

 解説ありがとうございます、って言いたいんだけど、なに? 

 ペリース? エスペランサ? ちょっと専門用語が多すぎてわけわからん。

 

「きみにもわかりやすく言ってあげよう。この騎士学校の中で最強の称号を持つ7人が、これを着用することが許される。そして、ボクは入学した時からその称号を手にした、最強の1人ということさ!」

 

 なるほど! わかりやすい! 

 

「つまり、お前は強いんだな?」

「ああ、ボクは強いよ」

 

 赤い肩幕が、風に揺られる。

 おれの股間のアレも、風に揺られる。

 視線が、空中でぶつかり合う。

 

「いいね。そんな強いヤツとルームメイトになれたなんて、幸先が良い」

「それはこちらのセリフだよ。入学初日にあの姫様を倒した新入生と知り合えるなんて、やはり運命はボクを愛している!」

 

 芝居がかった仕草で腕を広げたレオは、その細腕で抱えきれるかあやしいほどの、巨大な戦槍を顕現させた。魔力を帯びた装備品を縮小して持ち歩くのは、騎士の中でも高等技術と聞く。どうやら、大口を叩くだけの腕前はあるらしい。

 

「ボクはキミを倒さなければならない! 本来なら、入学式のあとはボクの話題で持ち切りになるはずだったのに、キミと姫様に注目を攫われてしまったからね!」

「ああ、そういう理由なのか……」

「どうする? 逃げても構わないが?」

「逃げる? それは冗談だろ」

 

 あまりにもわかりやすい挑発に、笑みを返す。

 

「おれは魔王を倒す勇者になる男だ。騎士の1人や2人を前にして、尻尾巻いて逃げられるか」

「フフッ……やはり、耳にした噂は本当だったか。では、勇者を志すキミに、ボクは決闘を申し入れる! 受けてくれるか!?」

「こいよ」

「良いだろうッ!」

 

 レオが高らかに叫ぶのと同時、肩幕がうっすらと魔力を帯び、輝いた。

 ブーツが踏みしめた足元に、魔導陣が浮かび、おれとレオを中心に広がっていく。すぐ近くにいた憲兵さんとアリアたちが、はじき飛ばされるように外に出た。

 

「これは……!?」

決闘魔導陣(デュエルフィールド)!?」

 

 はじき飛ばされた憲兵のおじさんが、起き上がりながら目を見開いて叫ぶ。

 

七光騎士(エスペランサ)のみに使用を許された、一対一を強制する結界闘技場! どちらかが倒れるまで、外界と対戦者たちを完全に遮断するという高位魔術! まさか、こんな近くで見ることができるとは……!」

 

 解説ありがとうございます、憲兵のおじさん。

 その言葉通り、おれとレオを中心にして、円形のドームのようなものが展開されている。端の方まで寄っていき、軽くドームの壁を叩いてみると、コンコン、と硬質な音が鳴った。なるほどたしかに。なにやら特殊な魔術を元に練られているらしい魔力の壁は簡単には壊せそうになかった。

 

「ん?」

 

 ちょっとまってほしい。

 

「おい」

「何かな、我が好敵手よ」

「これ、決闘の決着がつくまで出られないんだよな?」

「ああ! もちろんだ!」

 

 今さら、あらたまって説明するまでもないが、あえてもう一度言わせてもらおう。

 

 ──おれは、一糸纏わぬ全裸である。

 

「……服も武器もないんだけど」

「いくぞっ!」

 

 ()くして。

 おれの人生初の決闘は、やはり全裸からはじまった。




「ああ、勇者様は臆することなく、動じることなく、正々堂々とリーオナイン団長との決闘に望んでいましたね。あれは、自分の身体に恥ずかしい場所はないという、自信の表れだったのでしょう」
 今では名所の一つになっている勇者の銅像を懐かしそうに眺めながら、当時を知る憲兵は語った。
〜勇者秘録・二章『勇者、その青春』より〜


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勇者の騎士学校生活。決着全裸編

 槍という武器の特筆すべき強みは、やはりなによりもそのリーチにある。

 剣よりも間合いが長く、急所を的確に突き穿つ。槍使いと相対した時、もしもこちらのリーチが相手よりも劣っているならば、まず最初に考えなければならないのは、その間合いの差をどうやって埋めるか、である。

 とはいえ、今のおれには槍に対抗できる得物どころか、服すらもない。おれの股間の槍は決して小さくないし立派だが、さすがにあの槍とは打ち合えないし……

 

「困ったな」

「言うほど困っているようには見えないな! 器用に避けるじゃないか!」

 

 称賛と共に繰り出される槍撃を、避けて、かわして、また避ける。

 レオの操る槍は、普通の兵士が持つようなそれと比べてかなり長大だった。手持ちの槍、というよりも馬に跨がる騎士が使うような巨槍に近い。

 それを至近距離でぶん回してくるのだから、本当におっかないことこの上ない。

 

「危な……お前、おれの大切なイチモツに何かあったらどうする気だ!? おれが子ども作れなくなったら責任取れるのか!?」

「心配しなくていいよ。決闘魔導陣は魔法全盛の時代に作られた、高位の魔術だ。致命傷に至るような攻撃が判定されたり、中の人間が意識を失えば、そこで決闘は終わる」

「あ、そうなの?」

 

 なんだよかった。あまりにも自然に抜き身の刃を向けてくるから、普通に死ぬまで戦うような野蛮人の結界かと思った。

 

「この中で戦う人間は絶対に死なないし、万が一怪我を負ったとしても決闘が終わればすべて回復する。だから安心してボクに突き殺されるといい」

「今、殺すって言わなかった? 今殺すって言ったよな?」

「そもそもキミと姫様だって、昨日屋上で決闘に近いことをやっているだろう? ボクとしては、場も整えずに戦うキミたちの行いの方が、よほど危険だと思うんだけどね」

 

 くっ……反論しにくいことを。

 いけ好かないイケメンの指摘は、たしかに的を得ている。おれとアリアはその場のノリと勢いで剣を交えて、初日から生傷を作りまくって保健室の先生のお世話になっているので、本当に何も言えない。

 ちらりと結界の外を見ると、お姫様は気まずそうな表情で顔をぷいっと横にそらした。いや、今あなたのことを言ってるんですけど……

 

「なあ、金髪イケメン」

「ボクはレオだ」

「なあ、レオくん。決闘をやりたいのはわかったから、とりあえずこの結界解かないか? おれ、武器ないし、全裸だし。とりあえずおれを文明人として最低限の生活が保障されている格好にしてほしい」

 

 具体的には服を着せてほしい。

 派手な結界の展開に釣られてか、アリアや憲兵のおじさん以外にもわらわらとギャラリーが集まりつつあるので、このままだとおれが全裸を晒す人間が加速度的に増えていくことになる。

 しかし、金髪イケメンは槍を振るいながら悲しそうな表情で首を横に振った。

 

「そうしたいのは山々なんだが、この結界は一度展開すると勝者が決まるまで解除できないんだ」

「なんでそんなもん展開したんだよ」

「ボクがその場のノリで挑んだら、キミも了承してくれたし……」

 

 いや、たしかに「来いよ」とは言ったが……それだけで出られなくなるのはもはや罠だろ? 決闘開始の判定があまりにも緩すぎる。

 

「くそがっ!」

 

 槍を避け、受け流して後ろに下がり続けていたので、背中が結界の壁に当たる。

 やばい。逃げ場が……! 

 

「さて、追いかけっこは終わりだ」

「ちっ……」

 

 魔法を、使わざるを得ないか。

 戦闘を開始してから、はじめて。おれは振るわれる槍の一撃を、まともに浴びた。

 構えたおれの腕に当たった槍が、火花を散らして高く硬質な音を立てる。

 

「おっと?」

 

 生身の腕で、槍の穂先を弾いた。その事実に少しは怯むと思ったのだが、優男はまったく躊躇せず、すぐに体勢を整えて連撃を繰り出してきた。

 何発も鋭い突きを受けてはいられない。体を転がして、もんどり打つように回避。一目散に、金髪の横を駆け抜ける。それでなんとか、結界の端に追い込まれた状態から脱することができた。

 

「追い詰めたと思ったのに。すばしっこいね」

「そりゃどうも」

 

 なるほど。たしかにこの結界の壁は凄まじい強度を誇っているようだ。半透明で外は見えるがわりと分厚い造りのようだし、槍の穂先が掠めても傷一つ付く様子がない。どんな魔術で構築されているのかは知らないが、鉄よりも鋼よりも硬いのは間違いない。あれを壊して脱出するのは諦めた方がいいだろう。

 となると、やはり決着をつけて外に出るしかない。

 

 全裸で? 

 

 考えを巡らせながら、間合いを測り直す。互いに、距離を取って再びぶつかるタイミングを測り合う。

 

「ふむ」

 

 ぐるぐる、と。

 巨槍をルーティンのように片手で回転させながら、優男は顎に片手をあてた。

 

「おかしいね。さっきの一撃、腕が取れてもおかしくないくらいには、強く打ち込んだつもりだったんだが」

「ああ、そうだな。まともに受けてたら危なかった」

「いいや、誤魔化さないでくれ。あれはクリーンヒットだ。手応えはあった。しかし、その手応えが妙だった」

 

 とんとん、と。

 ブーツの踵が回る思考を整えるように、リズムを刻む。

 

「キミの身のこなしはたしかに素晴らしいが、ボクの攻撃を捌いている間、常に一定の余裕を保っていたね? それはつまり、ボクの槍を正面から受けても問題ない、防御手段があったということだ。先ほどの腕への直撃、その感触から鑑みるに……」

 

 つらつら、と。

 事実と分析を端的に並べたてながら優男は笑う。

 

「キミは魔法を持っている。そして、その魔法は防御に特化したもの。体を硬くする類いの効果があると見た」

 

 なんてこった。

 このイケメン、救いようないバカだと思っていたが……どうやら、ただのバカではないらしい。

 

「さて、どうだろうな」

「ああ、答え合わせはいらないよ」

 

 おれの苦し紛れの返答をさらりと流して、優男は……否、おれの目の前に立つ強敵は、再び槍を構えた。

 

「これから、自分で確かめる」

 

 刹那、加速があった。

 溜めがあったわけではない。まるで、一迅の風が吹き抜けていくかのような。自然体の踏み込みから繰り出される、瞬間の突貫。槍が届かない間合いを保っていたはずなのに、その間合いが一瞬で潰される。

 赤い肩幕が翻ったと思った時には、おれの腹部に一撃が突き刺さっていた。そのインパクトに、体全体が押し出され、踏み留まった足の裏が削れる感触に顔をしかめる。

 

「ぐっ!?」

「やるね。この速度でも硬化は反応するのか。ああ、それとも、致命的な一撃には、オートで発動するのかな?」

 

 言いながら、さらに一撃。繰り出された一閃は今度はおれの頭部を捉え、体が大きく仰け反った。

 先ほどまでとの小手調べとは、まるで違う。繰り出される槍の軌道が、穂先の動きが、まったく読み切れない。

 

「突いても突いても弾かれる。はじめての経験だ。人間の体じゃないみたいだね。本当に、鋼か何かに打ち込んでいるみたいだ」

「そりゃ、どうも……!」

 

 皮肉に、言葉を返すのが精一杯だ。

 レオがおれの回避を観察していたように。おれもまた、レオの槍の動きを観察していた。その一撃一撃は洗練されていて、美麗とも言える鋭さを伴っていたが、攻撃の軌道そのものは一直線で、避けきれないほどではなかった。

 だが、それが切り替わった。まるで穂先が自由自在にしなっているかのように、槍の軌道が読み切れない。おれの防御に魔法というタネがあるように、この攻撃にも何らかの秘密があるのは明らかだった。

 しかし、呑気に思考を回している余裕はない。

 

「やはり、思っていた通りだ」

 

 まるでおもちゃを見つけた子どものような、嬉しげな声と共に。

 おれの膝から、薄く血が流れ出た。

 

「魔法を発動させる際の、意識の差かな? 可動する()()()()()()()()()()()()とみた」

 

 おいおい。本当に、勘弁してほしい。

 執拗に上半身を狙ってくると見せかけての、下半身狙い。この金髪、技の冴えだけじゃなく、対峙する相手への分析が尋常じゃなく早い。腕だけでなく、頭もよく回るタイプだ。

 おれは、胴体を腕の前で交差させ、防御の体勢を取った。

 

「おや、もう避けないのかい?」

 

 されるがままに、連撃を浴びせかけられる。おれの『百錬清鋼(スティクラーロ)』は、防御に秀でた魔法ではあるものの、その衝撃まで緩和することはできない。体の表面を切り裂かれることはなくても、今この状態は鉄の棒で全身を強打されているに等しい。

 少しでも動けば、関節を狙われる。だから全身を硬化させて、ここは耐える。

 その思考そのものが、大きな油断だった。

 

「は……?」

 

 関節部、ではない。

 おれの両腕が薄く裂け、出血した。

 

「驚くことじゃないさ。ボクがキミの硬さに慣れてきただけだ」

 

 事も無げに言われて、絶句する。

 

「ボクの槍は、鋼だって貫く」

 

 連撃がほんの一瞬静止し、溜めの気配があった。

 全身の感覚が、全力で警鐘を鳴らす。

 足に魔力を込めて、おれは背後へと跳躍した。

 

「いや、よく避けたね」

「バカ言え。当たってるわ」

 

 掠っただけ、と言えば聞こえはいいが、掠る程度にはぎりぎりの回避だった。

 へその上あたりに、真一文字に赤い線が入ってしまった。致命傷でもなんでもないが、これが直撃していたら、と思うとぞっとする。

 大きく飛び退いて回避してしまったので、もう逃げ場もない。背後の壁は、手を伸ばせばもう届く距離だ。これ以上下がることもできない。

 

「フッ……心なしか、キミの股間の槍も先ほどより小さくなっているようだ」

「は? どこ見てんだよ。ちょっとひゅんってなっただけだ」

「ひゅんしてる事実は否定しないようだね」

「ひゅんしてるのは事実だからな」

 

 手強い。魔法の分析に関しても見事だったが、おれの全身を観察して精神状態まで見抜いてくる。今のおれは魔法の性質も含めて、丸裸にされているに近い。

 いやまぁ、裸にされるまでもなく全裸なんですけど……

 

「じゃあ、そろそろ終わりにしていいかい?」

「ちょっとまってくれ。お前のその槍、迅風系の魔術を併用してるだろ?」

 

 少しでも情報面でアドバンテージを取りながら時間稼ぎをするべく、おれは口を開いた。それまで常に余裕を保っていた優男の表情に、ほんの少しだけ驚きが混ざり込む。

 

「……へえ。そう思う根拠は?」

「槍のデカさに比べて、動きが機敏過ぎる」

「魔力による身体強化で、振り回しているだけかもしれないよ?」

「それにしては動作の起こりや繋ぎがしなやかだし、さっきの連撃はまるで突いたあとに攻撃の軌道が変化してるみたいだった」

 

 つまり、槍そのものから圧縮した空気を噴射して、攻撃の加速に利用している。そう考えるのが、最も自然だ。

 

「素晴らしい。立ち会ってすぐにここまでバレたのは、はじめての経験だよ」

「お前もおれの魔法を見抜いてるから、おあいこだな」

「ああ、そうだね。たしかにおあいこだ」

 

 でも、と。やわらかい顔つきに不似合いな好戦的な笑みを浮かべて、優男は告げる。

 

「いくら仕掛けがわかったところで、キミはボクの攻撃を防げない」

「なら、試してみるか?」

 

 もう逃げない、という意思を示すために。

 おれは腰を低くして完全に受ける体勢に入った。

 

「もしかして、さらに体を硬くすることができるのかな?」

「試してみたらどうだ?」

「矛と盾、というわけだね。いいだろう。それこそ、ボクの槍の本領だ!」

 

 もはや隠す気もないのだろう。意気揚々を構えられた槍から、髪を吹き上げるような勢いで旋風が荒れる。

 先ほどの言葉は、ただのはったりだ。『百錬清鋼(スティクラーロ)』はあくまでも、自分自身と触れたものの硬度を、鋼に近いレベルまで引き上げる魔法。それ以上硬くすることは、絶対にできない。

 だが、それでいい。

 

 瞬間、槍そのものが、消えたように見えた。

 

 受ける、と見せかけた。ぎりぎりまで引きつけた一撃を、右か左か。半ば勘だけに従って避ける。避けることが、できた。

 銀色に輝く巨槍が、魔導陣の壁を突き刺す。

 

「なっ……!?」

 

 そして、鋭利な切っ先が、絶対に壊れないはずの壁を貫いた。

 その一撃を打ち放った張本人の表情が、驚愕で歪む。

 

「どうして……!?」

「お見事。本当に鋼を貫く威力があるんだな」

 

 おれは今、後ろ手に結界の壁に触れている。触れたものを鋼の硬さに変える……というのは、何も硬くするだけじゃない。

 

 発想を、逆転する。

 

 物質の硬度を変える、ということは。例えば鋼よりも硬い物質を、()()()()()()()()()()()()()()ことも可能だということだ。

 勝負とは駆け引き。どんなに力で負けていても、どんなに速さで負けていても、持っているものを最大限に利用すれば、勝機が見えてくる。

 

 全裸の、身一つでも勝てる。

 

 あの一撃の回避に成功した時点で、おれは優男との駆け引きに勝っていた。

 

「結界の強度を、魔法で下げた……? まさか、これを狙って壁を背後に!?」

 

 どんな高位魔術で作られた物質であろうと、それは所詮どこまでいっても魔術止まり。

 魔法を使えば、いくらでも書き換えることができる。

 

「くっ!」

 

 渾身の力で壁に突き立てられた槍は、そう簡単には抜けない。

 そして、この距離ならおれが今、唯一まともに使える武器が届く。

 

「何か、言っておくことは?」

 

 拳を握り締めてそれを問うと、優男は槍を引き抜くことを諦めて両手を上げた。

 

「フッ……決闘を強行して、済まなかった」

 

 それから、と言葉を繋げて、

 

「キミとは、良い友達になれそうだ。是非、思いっきりやってくれ」

「ああ」

 

 諦めが良いというよりも、潔いと言うべきだろう。

 おもしろいヤツだ。

 

「これからよろしくな、レオ」

 

 そしておれは、きれいな顔面に全力の拳を叩き込んだ。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 魔導陣によって形作られた結界が、消失していく。

 

「……勝ちやがった」

 

 憲兵は、言葉を失ってその光景を眺めていた。

 レオ・リーオナインの噂は、一般の憲兵である彼すらも耳にしていた。今年度の騎士学校の主席入学者。間違いなく次代を担うであろう、新星の1人。

 そんな実力者が、全裸の少年の前に倒れ伏してしまった。自分だけでない、戦闘の音を聞きつけ、結界を見て駆けつけてきた見物人たちも皆、一様に絶句している。

 ごそごそ、と。気絶したまま動かないレオの体から少年は『肩幕(ペリース)』を引き剥がした。これで、彼は騎士学校の頂点に位置する7人として、その資格を手にしたことになる。

 だが、全裸の少年はあろうことかその資格を腰に巻いて満足気に頷いた。

 

「よし」

 

 ──いや、よしじゃないが? 

 

「アリア! 学校行こう! 間に合わなくなるぞ!」

「え、あ、うん……じゃなくて! もしかして、そのまま学校行く気!?」

「いやだって、初日から遅刻はまずいだろ。不良になっちまうよ」

「いやもうその格好がすでに……」

「とにかく行くぞ!」

「あ、あたしの上着、着れるかな? 上裸に上着……?」

「姫様! その人、やっぱり知り合いなんですか!? ああ、ダメです! 上着を脱がないでください! 姫様の制服を貸すくらいならわたしが!」

「え。ほんとに?」

 

 騒ぎながらギャラリーの間を器用に縫って、彼らは人波に紛れて消えていく。

 そこで、憲兵はようやく自分の職務を思い出した。

 

「む! しまった、逃げられる!」

「いいじゃないか。今日のところは、とりあえず見逃してあげなさい」

 

 喧騒の中で、しかしその声だけははっきりと憲兵の耳に届いた。

 振り返れば、倒れている金髪の少年を助け起こす、1人の騎士の姿がそこにあった。

 

「……団長」

「お(はよ)う。朝から大変だったな」

「いつからご覧になっていたんですか?」

「んー、お前が全裸の不審者を見つけて「詰め所までご同行願いたい」って言ってるところから、かな」

「最初からじゃないですか」

「はっはっは」

 

 鍛え上げられた、明らかに体格の良い体を存分に活かして、気絶したままの少年を騎士はひょいと抱え上げた。

 

「今年の新入生はどいつもこいつも、活きが良くて良いな。実に結構だ」

「笑い事ではありませんよ。入学初日の朝から、全裸で肩幕を懸けた決闘を行うなんて、前代未聞です。必ず騒ぎになります。あんな少年が本当に騎士になれるのかどうか……」

「ふむ……そうだなぁ。たしかに、礼節を弁えた立派な騎士にはなれんかもな」

 

 顎に薄く生やした髭をさすりながら、騎士は答えた。

 

「しかし、ああいうおもしろい人間が案外、世界を救う勇者になるのかもしれないぞ」




 勇者が現第三騎士団団長、レオ・リーオナインから肩幕を勝ち取った逸話は、現在でも語り草になっている。誇り高い騎士であるリーオナイン団長はその敗北を隠すどころか、今でも部下たちに自慢気に語って聞かせているらしい。
 銅像の前では観光客向けに転写魔術の記念撮影が行われているが、もしもリーオナイン団長がそこに居合わせてくれたら幸運である。サービス精神旺盛な彼は、観光客と一緒に写真に入ってくれるという。もちろん、地面に倒れた姿で。

〜王都ガイドブック・勇者名所十選より〜


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勇者の騎士学校生活。壁尻パンツ編

 はやいもので、おれが騎士学校に入学して一週間が経った。 

 今までずっと辺境の土地で暮らしてきたので、王都での生活は結構楽しい。山奥で極貧生活を送っていた頃に比べると、衣食住と学びの環境が保証されているのが、もう本当に最高すぎる。これ以上ない贅沢だ。

 一緒に授業を受ける同級生とも大体顔見知りになって、仲良くなることができた。

 唯一、問題があるとすれば……

 

「おはよう、全裸くん」

「お、全裸野郎は今日も早いな」

「ぜんらっち! 昨日の宿題やった!? やってたら見せて! お願い!」

 

 おれのあだ名が『全裸』で固定されつつあることくらいだろう。

 

「おれの名前は全裸じゃないんだが」

「知ってるよ」

「知ってるなら直せよ」

 

 今度飯奢ってくれ、と交換条件を提示しながら、課題のノートを手渡す。

 クラスメイトたちがフレンドリーに話しかけてくれるのはおれとしてもとてもうれしいが、あだ名が『全裸』で固定されつつあるのは、実に悩ましい、由々しき事態である。もちろん、原因はわかっている。

 

「おはよう! 諸君!」

 

 この金髪バカイケメンのせいだ。

 

「レオ……」

「やあ、親友。ひどいじゃないか。一緒に登校しようと思っていたのに」

「お前が身支度の準備に時間をかけ過ぎるのが悪いんだよ。あと親友はやめろ」

「何を言うんだ。騎士たるもの、服装の乱れに気を配るのは当然だろう」

「だからって鏡の前で女子みたいにいつまでも髪整えなくてもいいだろ」

「フッ……ボクはくせっ毛だからね。整えるのに少し時間がかかってしまうのは仕方ない」

 

「レオっちとぜんらっち、仲良いよね〜」

 

「よくない」

「良いとも」

 

 くそっ!コイツがさも「彼とは昔からの友人なんだ」みたいな顔で隣にいるのが腹立つ! 

 べつに悪いやつじゃないから普通に話してて楽しいのもなんか逆に腹ただしい! 

 

「しかし、レオも災難だよな。入学早々、肩幕(ペリース)をゲットしたのに、すぐに全裸に取られて腰巻きにされるなんて」

「まったくだよ」

「待ってくれ。災難だったのはおれの方だろ。全裸だったのにコイツに無理矢理決闘申し込まれたんだぞ?」

「それはそもそも全裸だった全裸が悪くない?」

 

 ぐうの音も出ない正論に押し黙る。

 正直、全裸で町中で決闘とか、やらかし以外のなにものでもなかったので厳罰を覚悟していたのだが、意外にもおれへのお咎めは反省文の作成だけだった。まあ、仕掛けてきたのはレオの方だし、全裸になった遠因もレオの方にあるので、悪くないといえば悪くないのだが、思っていた以上に軽い措置である。

おれの目の前で、レオが胸を張る。

 

「ボクの説明がよかったからね。感謝してくれたまえ、親友」

「いや、それくらいは当然だからな? あと親友はやめろ」

七光騎士(エスペランサ)になってまさか数日で蹴落とされるとは、ボクも思わなかったよ。しかし、すぐに返り咲いてみせるさ」

「じゃあ、またこれ賭けて再戦するか? 今度はちゃんとした場所で」

 

 一応、規則ということで制服の上から身に着けている肩幕(ペリース)をひらひらさせる。この布切れに価値があるとは思わないが、これを着けていることで強いヤツと戦えるなら、それはそれでありがたい。

 加えて言えば、現在のレオとおれの実力差は、ほとんどないように感じる。この前は全裸で勝つことができたものの、あれは偶然に偶然が重なった奇跡のようなものだ。また戦えるなら、ぜひ戦いたい。強いヤツと戦うのは成長への近道だし。

 

「いや、遠慮しておくよ。キミの股間に触れた肩幕を着用したくはないからね」

 

 レオの一言で、おれの周囲のクラスメイトたちがさっと距離を取った。

 おいおい。そんな汚いものから距離を取るような反応をされると、さすがにおれも傷つくな。

 

「は? ちゃんと洗ってるんだが?」

「ちゃんと洗っててもいやだよ。ボクはまた適当にキミ以外の相手を倒して肩幕を取ることにするさ」

「遠慮するなよ」

「遠慮はしてない」

 

 なぜかレオもおれの肩幕からじわじわと距離を取る。なんだよ。一回腰に巻いただけだぞ。

 また文句を言ってやろうかと思ったが、騒がしい足音を伴って、教室の扉が開いた。

 

「ゼンラ! ゼンラはいるか?」

 

 入ってきたのは、おれたちのクラス担任のナイナ・ウッドヴィル先生。銀髪で褐色で巨乳が特徴。見た目がキツめの美人である。外見に違わず言動は厳しいが、生徒想いで冗談も返してくれる良い先生だ。

 

「ウッドヴィル先生、その名前っぽいイントネーションで呼ぶのはやめてください。あとおれの名前はゼンラじゃないです」

「ああ、すまない。生徒の顔と名前はいつも早く覚えるように努力しているんだが、まだきみたちが入学して一週間だからな」

 

 嘘つけ絶対わざと呼んでるだろ。

 

「その肩幕(ペリース)についてだが」

「まさか先生も汚いっていうんですか?」

「ん? 汚したのか? 綺麗に身に着けていて感心だと思ったんだが」

「いえ、なんでもないです」

 

 汚れていたのはおれの心だったようだ。

 

「リーオナインもそうだったが、入学して一週間も経たずに七光騎士になった一年生は、ほとんど前例がない」

「フッ……照れますね」

「お前もう落ちてるだろうが」

 

 いつの間にかレオがおれの隣に並んでドヤ顔をしていた。コイツ気配消すの異様に上手いんだよな。なんか気がついたら隣にいるからやめてほしい。

 

七光騎士(エスペランサ)は基本的に決闘のみで入れ代わりが発生する称号だ。しかし同時に、生徒の代表として各種行事や校外活動の運営に携わる役目も担っている。この学校の生徒会長も、代々七光騎士(エスペランサ)の長が務める習しだ」

「じゃあ、おれがその生徒会長に決闘を挑んで勝ったら、一気にトップに立てるってことですか?」

「きみの発想は蛮族のそれに近いな……」

 

 でも、一番強い人間が、生徒たちのトップに立つってことでしょ? わかりやすいシステムだ。

 肩幕に備わっている結界魔術も、決闘を推奨するような仕様だったし、上の立場に就きたいなら実力で奪い取れ、ということなのだろう。

 

「これは親友としての忠告だけど、やめておいたほうがいいよ。当代の生徒会長は、歴代でも屈指の実力者と言われている。入学式でも挨拶をしていただろ? ほら、黒い肩幕(ペリース)を着けていた人だよ」

「いや、おれ入学式出てないし……」

「ああ……」

 

 レオに遠い目をされてしまった。

 まあ、ウッドヴィル先生が伝えたいことは大体わかった。

 

「とりあえず、おれもその生徒会の仕事に参加しろってことですよね?」

「うむ。私としては、初日から屋上を爆破し、二日目に全裸で決闘をしたバカ者を生徒会に参加させるのは、誠に遺憾なんだが」

「そう言わないでください、先生。おれほど模範的な生徒はなかなかいませんよ」

「鏡をみてこい」

「精悍な顔つきのやる気に溢れた若者が写るだけだと思いますよ」

「フッ……照れてしまうな」

「お前の話はしてないんだよ」

 

 おれとレオと漫才をしていても埒が明かないと思ったのだろう。先生は呆れを隠そうともせずに手を軽く振って話を締めた。

 

「とにかく放課後、授業が終わったら生徒会室に行きなさい。きみもそれを身に着けるからには、他の生徒からも先生方からも注目される。皆の模範にならなければならない立場になったということだ。わかったな、ゼンラ」

「先生、その名前だと模範になれません」

「全員着席! 授業をはじめる!」

 

 この人絶対わざと呼び続ける気だろ。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 騎士とは、王から認められ、叙任を受けた人間の総称である。古くは各地の諸侯が王都に赴き、国王から騎士の称号を賜ることで任命されていたが、それはもう昔の話。現在では専門的な訓練を受けた王都直轄の兵士の総称として認識されている。

 騎士学校では、三年間の訓練過程を経て、卒業と同時に騎士の称号を取得。各地の騎士団や王都の守護として配属されるのが基本的な進路になる。まあ、おれは強くなったらそのまま世界を救いに行きたいので、騎士になる気はないんだが……この学校を卒業しても職業騎士にならない人間はいくらかいるらしいので、べつに大丈夫だろう。おれの就職希望は勇者一択である。

 

「……」

 

 レオと同じクラスになったことも驚いたが、アリアと同じクラスになったことにも驚いた。そういえば、ウッドヴィル先生は「問題児はまとめて見ることになった」とか言っていたので、それを中和するためにおれやアリアのような模範的な生徒を固めているのかもしれない。レオは間違いなく問題児だ。

 隣の席のアリアは、真面目という言葉をそのまま形にしたような表情で、ノートにペンを走らせていた。窓から漏れる太陽の光が、うしろで二つにわけたツーサイドアップの金髪を照らしている。こうしてふと横に目をやると、本当に美人だなと思う。

 すっ、と。ノートの切れ端が差し出される。見てみると、そこにはきれいな文字が綴ってあった。

 

授業中の盗み見は罰金だよ? 

 

 なんだコイツ。全然集中してないじゃねぇか。

 視線を黒板の方へ戻しつつ、おれも切れ端に返事を書き込んだ。

 

これは失礼しました。お姫様

全裸くん、最近人気者だね

全裸はやめてくれ

上の学年の人たちも、全裸くんの噂で持ち切りらしいよ

レオが無駄に広めたからだろ

 

 視線はお互いに前の黒板に向けたまま。テンポよく言葉を書き込んで、切れ端をやりとりする。

 

いいなぁ。あたしもみんなとお話したい

すればいいじゃん

なんかまだ距離とか遠慮があるみたいで

やっぱりお姫様だからじゃない? 

きみまでそういうこと言う

ごめんて

 

 こういうやりとりが、案外楽しい。

 

放課後はひま? 

生徒会から呼び出し受けてる

やっぱり人気者だ

茶化すなよ

ごめんごめん。じゃあその用事がおわったあとでいいから

 

 さらさら、と。ペン先が紙の上を踊る。

 

放課後、一緒に遊びに行こうよ

 

 くすり、と。前を向いたまま、横顔が笑った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「間違いないね、それはデートだよ」

「やっぱり!? やっぱりそうだよな!?」

 

 昼休み。

 おれはレオを裏庭のベンチまで引きずっていき、先ほどのアリアとのやりとりについて話していた。

 

「やるじゃないか。まさか入学早々に、しかもプリンセスと放課後デートの約束を取り付けてくるなんて。ボクも鼻が高いよ」

「お前はおれの何なの?」

「親友だとも」

 

 サンドイッチをもぐもぐと頬張りながら戯言をほざいているこのバカに相談を持ちかけるのは癪だったが、しかし背に腹は代えられない。おれは思い切って、次の言葉を紡いだ。

 

「それで、ちょっと聞きたいことがあってだな」

「相談!? キミがボクに!? これはめずらしいね。はじめてじゃないかい?」

 

 そりゃまだ知り合って一週間しか経ってないからな。

 

「おれ、王都に来たばかりで右も左もわからないんだけど、その……なんというか、女の子が喜びそうな店とか、そういうのを教えてもらえると助かるというか……」

「ふむふむ」

「あと、なんかこう……女の子と二人で歩く時に気をつけるべきこととか、そういうことがあるなら」

「童貞丸出しだね、親友」

 

 おれは立ち上がった。

 

「お前に頼んだおれがバカだったよ」

「冗談だよ。そう怒らないでくれ」

 

 くっ……恥を偲んで頼んでいるとはいえ、やはりこの恥ずかしさは耐え難いものがあるな。

 しかし、レオはどこに出しても恥ずかしくないタイプのイケメンである。すでに性格の方が残念であることはクラスメイトに周知されつつあるものの、他クラスや上の学年の女子からの人気は相変わらず高いらしい。入学早々、七光騎士になったが全裸の変態に負けてしまった悲劇の貴公子、というのがコイツに対する大まかな印象なのだという。なんかおれが変態扱いされてるみたいで腹立ってきたな……

 とはいえ、繰り返しになるがレオはどこに出しても恥ずかしくないタイプのイケメンである。認めたくないが、おれよりも女性経験は断然豊富だろうし、力にはなってくれるはずだ。自称親友だし、現在進行系で訳知り顔で頷いているし。

 

「なるほど。理解したよ。キミの力になってあげたいのは山々なんだが、しかし一つ問題がある」

「なんだ?」

「ボクも童貞だ。レディの手とか握ったこともない」

 

 おれは立ち上がった。

 

「お前に頼んだおれがバカだったよ」

「冗談じゃない。これは真実だ」

 

 冗談であってほしい。

 なんでこんなナルシストの金髪イケメンで売っているようなヤツが、女の子の手も握ったことがないタイプの童貞なんだよ。それは詐欺だろ。

 

「待ってくれ親友」

「待たないぞ童貞」

「ボクは今まで己の研鑽に全力を注いできた。だから女性経験を積むような遊びにかまけている暇がなかったんだ」

「ものは言い様だな」

「でも、キミと違って王都には何度も来たことがある。商家の息子として、女性が喜びそうなお店に心当たりがないわけじゃないよ。どうする?」

「よろしく頼むぜ親友」

「素直で結構だよ」

 

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。聞くと愚か者に見えるが、聞かなければ本当の愚か者になる、とも言う。おれはレオに向かって深く頭を下げた。

 うむうむ、と満足そうに頷いて、今度はレオが立ち上がった。

 

「じゃあ、ボクは次の授業の準備を手伝うように言われてるから、先に行くよ。デート先の候補はあとでリストアップして渡してあげるから、キミは口説き文句でも考えておくといい」

「……困るなぁ」

「最初から弱気なのは良くないよ、親友。女性を落とすのも勝負事と同じさ。弱気だと、勝てる勝負も勝てなくなるだろう?」

 

 めちゃくちゃ良いこと言ってくれてるけど、コイツもめちゃくちゃ童貞なんだよな。

 レオを見送って、ベンチに座ったままぼーっと空を見上げる。先日の全裸決闘事件以降、アリアのおれに対する態度はちょっと余所余所しくなっていたが、今日はなんとなく普通に話せた気がする。話せたというか、切れ端に書き込んでやりとりをしただけなんだけど……

 

「……ん?」

 

 ガサゴソ、と。物音が聞こえた気がした。

 ベンチの裏。植え込みで死角になっている方からだ。もしかして、猫でもいるのだろうか。ちょうど良い、猫は好きだし、話し相手になってもらおう。

 

「へーい。猫ちゃーん。出ておいで〜」

 

 ガサゴソ、と。植え込みをかき分ける。

 が、そこにいたのは、断じて猫などではなかった。

 

「……」

 

 そこにあったのは、形の良い女性の臀部だった。

 要するに、お尻である。

 厳密に言えば、スカートが捲れ上がり、黒のタイツに包まれたパンツが薄く透けている……そういうお尻だった。ついでに言えば、色は白である。アリアの時といい、おれは白パンツに縁でもあるのだろうか。

 とにもかくにも、上半身を壁に空いた穴に突っ込み、パンツを見せびらかしている下半身が、おれの目の前にあった。

 

 なんだろう、これは。

 

「こんにちは」

 

 ケツが、喋った。

 

「え、あ、はい。こんにちは」

「驚いているようだね」

 

 そりゃ、いきなりケツに話しかけられたら、誰だって驚くだろう。

 とりあえず、見るに耐えないのでおれは捲れ上がっているスカートをそっと戻してあげた。すると、ケツが左右に動いた。

 

「今の感触。もしかして、スカートを戻してくれたの?」

「ええ。まあ」

「紳士な後輩だ。感心感心。もしかして、ワタシのパンチラには魅力がなかったのかな?」

 

 パンチラじゃなくてパンモロの間違いだろう。

 

「ところで、ちょっとお願いを聞いてほしいんだけど」

 

 ケツがさらに言葉を紡ぐ。

 

「な、なんでしょう?」

「実は猫さんを追ってたら、見ての通り壁の穴に嵌って抜けられなくなっちゃったんだ。ぐいっと引き抜いてもらえるとうれしい」

「な、なるほど……?」

 

 しかし、見る限りケツさんが通り抜けようとした穴はかなり小さく、腰の部分で完全に詰まってしまっている。引っ張っても抜け出すのはちょっと難しそうだ。多分、周りの壁を壊して出してあげた方が早い。

 

「ちょっと音が響くと思いますけど、踏ん張っててくださいね」

 

 おれは拳を魔法で硬くして、壁に向かって振り上げた。

 

「うわっ!?」

 

 雑に殴った壁が、雑に砕ける。元々穴が空いてたみたいだし、こんなものでしょう。

 ぶっ壊した勢いで嵌っていたお尻が抜けて、こてんとこちら側に倒れてきた。それでようやく、おれは彼女の下半身だけではなく、上半身も確認できた。

 首元のタイの色は、最上級生を示す青。対して、腰まで伸びる髪の色は漆黒。ブレザーの下に重ねているカーディガンも、髪色と同じ黒だった。きれいに切り揃えられた前髪から覗く琥珀色の双眸が、こちらを見上げる。

 おれは、思わず固まってしまった。

 それは彼女が美人だから、とか。見惚れてしまったから、とかではなく。壁の向こうに隠れて見えなかった上半身に、()()()()を彼女が身に着けていたからだった。

 

 ──ほら、黒い肩幕(ペリース)を着けていた人だよ

 

 朝聞いたレオの言葉が、頭の中でフラッシュバックする。

 

「ありがとう〜! 助かったよ! 後輩くん」

 

 その()()は、女の子座りのままおれを見上げて、にっこりと微笑んだ。

 

「お礼は、デートの相談でいいかな?」




今回の登場人物

勇者くん
 あだ名が『全裸』で固定されつつある悲しき存在。わりとカタカナで『ゼンラ』って語感は主人公として悪くないと思う。

アリア・リナージュ・アイアラス
 アオハルプリンセス。勉強は好きじゃないが育ちが良いので字はきれい。まだ勇者くんとの距離感とか、そういうのを探ってる時期。はやく仲良くなりたい気持ちでいっぱい。というか友達がほしい。

レオ・リーオナイン
 勇者くんの親友。王子様キャラぶってるが恋愛耐性がない。月刊少女野崎くんの御子柴から可愛げを取り除いてギャグに全振りしたような存在。顔だけはイケメン。サンドイッチはかぶりついて食べるタイプ。

ナイナ・ウッドヴィル
 銀髪、褐色、巨乳の先生。以上です。これ以上何か必要でしょうか?

壁尻さん
 パンツを見られても気にしないタイプの黒髪ロング先輩。七光騎士第一位。生徒会長。最強。


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勇者の騎士学校生活。修羅場編

 授業前に、なんとか教室に戻ってくることができた。

 

「やあ、親友。お姫様の良い口説き文句は思いついたかい?」

「あ、聞いてくれよ、レオ。おれ、さっき生徒会長のパンツを見たんだけど」

「うん。待ってくれ。お願いだからきちんと会話をしてくれないか?」

 

 かくかくしかじか。

 先ほどの出来事を手短かに説明すると、レオはふむふむと頷いた。

 

「なるほど。生徒会長か……」

 

 顎に手を当てて、目を細めて感慨に耽る。そうした所作だけでも、顔が良い男は様になるのだからずるい。

 

「何か知っているのか?」

「いや、ボクもパンツ見たかったなと思って」

「黙れ顔だけ童貞」

「何色だった?」

「白だった」

「いいね」

 

 よくはない。

 

「それで、キミはパンツを見てどうしたんだい?」

「いや、べつにどうもなかったけど」

「え。パンツを見たのに? 何もなかったのか!?」

「お前さてはパンツ好きだろ」

「逆に質問を返すけど、この世にレディのパンティが嫌いな男がいると思うかい?」

「いや、いない」

「だろう?」

 

 しかし、今はパンツの話はどうでもいい。

 

「で、生徒会長ってどんな人なんだ?」

「キミ、本当に何も知らないね……」

「悪いな。田舎育ちなもんで」

「その無知。まるで汚れを知らない白の布地のようだよ」

「お前が白派なのはもうわかったよ」

 

 余談だが、おれはやっぱり黒の方がえっちだと思う。

 

「で、生徒会長の話をすればいいのかな?」

「ああ」

「彼女は、平民の出でね。出自に関してはあまりはっきりしてないんだ。家族に関する情報はなくて、入学の際には騎士団長の一人が後見人になったという話だよ」

「へえ」

 

 騎士学校の入学試験は、希望すれば誰でも受けれられるわけではない。レオやアリアのように家が特別な力を持っていたり、もしくは魔力や剣の才能に秀でた人間でないと、まず門を叩くことすら難しい。

 しかも、騎士団長といえば王都を守護する五人の精鋭……すべての騎士の頂点に位置する存在。そんな人物が後見人になっていて、それでも出自がはっきりしていない、というのはかなりおかしな話だ。

 

「それはなんともあやしいな」

「キミもあまり人のことは言えないと思うけどね?」

「お前、さてはおれのこと調べただろ?」

「情報は武器だよ、親友。それに、実家が商売をやってると、噂話には耳聡くなるのさ」

 

 もう少しその噂話とやらについて問い詰めたかったが、レオは素知らぬ顔でおれに話の続きを促してきた。

 

「で、会長は、何か言っていたのかい?」

「いや、授業がはじまるまでもう時間もなかったし、どうせ放課後に会うから……」

 

 ──またあとでね

 

 と。耳元で囁きかけられた感覚がまだ残っていて、おれはなんとなく押し黙った。

 顔は赤くなっていないと思う。多分、きっと。

 

「そういえば、放課後に生徒会室に呼び出されていたね」

「そういうこと」

「ボクの分までがんばってくれよ、親友」

「めんどくせえなぁ」

「生徒会の仕事にプリンセスとのデート。今日の放課後はイベントが目白押しだね」

「やることが多くて困っちまうよ」

「学生はそれくらいの方がちょうどいいのさ。三年間の青い春は短い。目一杯楽しまないと」

 

 コイツ、他人事だからってジジイみたいなこと言うな……

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 放課後。

 アリア・リナージュ・アイアラスは特にやることもなく、ぶらぶらと校内を歩いていた。すれ違う生徒は、何かを思い詰めているようなその表情に遠慮して、そっと道を空ける。

 簡潔に言ってしまえば、アリアは焦っていた。

 その焦燥の原因は、勇者志望の全裸少年である。

 アリアはこれまで、己の魔法と自身の強さを疑ったことがなかった。幼い頃から同年代で自分より強い人間に出会ったことはなかったし、自分が最も強いことが当たり前だった。

 だが、そんな当然の自負は、騎士学校に入学して一日目で崩された。より厳密に言えば、たった一人の少年に破壊された。

 それだけではない。全裸による街中での決闘。文字に起こしてみると本当に馬鹿みたいだが、しかしその結果、彼は入学から僅か一週間で、この騎士学校で最も強い七人に名を連ねてしまった。

 アリアの常識は、この一週間ですべて彼に壊されてしまったのだ。

 

 ──おれ、魔王を倒して世界を救いたいから、なるべく強いやつと戦いたいんだ

 

 あの屈託のない笑顔が、頭の中に焼き付いて離れない。

 今のままでは、きっとダメだ。彼は、これから『勇者』になるという。それなら、自分もその強さに相応しい騎士にならなければならない。

 

(あたしも、もっと強くならないと……)

 

 一般的に。

 それが出会って一週間の人間に対して抱くには『重い』と呼ばれる感情であることを、アリアは自覚していない。

 

「アリア・リナージュ・アイアラスだな?」

 

 不意に背後からかけられた声に、アリアは振り返った。

 

「……そうですけど」

「はじめまして。不躾で申し訳ないが、少しお時間をいただいてもよろしいだろうか?」

「え? は、はい。大丈夫です」

「では、こちらへ」

 

 アリア・リナージュ・アイアラスは、隣国の姫君である。姫であるが故に、基本的に、人が好くて世間知らずだ。他人を疑ったりはしないし、こちらへどうぞとエスコートされればほいほい連いていく。

 

(学校の先輩に、はじめて話しかけてもらえた……ちょっとうれしい)

 

 しかも寂しがりで会話に飢えていたので、そのチョロさは純然たるポンコツプリンセスと言っても過言ではなかった。

 案内された場所は、校舎の裏だった。薄暗く、人通りも少ない場所である。

 

「あの、先輩……?」

「……すまない。騙すつもりはなかったのだが、こうするのが一番早いと判断した」

「それは、どういう?」

「くくっ……まさか、素直にノコノコ着いてくるとは思わなかったぜ」

 

 物陰から、まるでチンピラのようなガラの悪い声が聞こえた。出てきたのは、長身痩躯の、目付きの悪い声の印象をそのまま形にしたような外見の上級生だった。

 

「彼女を馬鹿にするような発言はやめなさい。騎士としての品性が疑われるわよ」

 

 次に現れたのは、三年生の女子生徒。こちらは毅然とした声音で、ショートヘアがよく似合っている。

 

「ああ? そもそも、こんな校舎裏に呼び出てる時点で、やってることは後輩いびってんのと変わらねえだろ。品性もクソもあるかよ」

「だとしても、相手への敬意というものがあるでしょう?」

 

 二人に共通しているのは、そのどちらも『肩幕(ペリース)』を身に着けていることだった。そして、アリアをここまで連れてきた、朴訥とした印象の男子生徒も、どこからか取り出したそれを身に着ける。

 学園最強と謳われる、七人。その内の三人が、アリアの前に肩を並べていた。

 この段階に至ってようやく、アリアは自分が騙されてここまで連れて来られたことに気がついた。

 

「……これは、どういうことですか?」

「重ねて、非礼を詫びよう。アリア・リナージュ・アイアラス。しかし、きみと話をするには、こうするのが一番早いと判断した。また、人の目がある場所での話も避けたかった」

「前置きは結構です。用件は何でしょう?」

「話が早くて助かる。我々は、きみに七光騎士(エスペランサ)の席についてもらいたいのだ」

 

 思ってもなかった提案に、アリアは目を丸くした。

 

「それは生徒会に入れ、ということですか?」

「そうだ」

「でも……七光騎士(エスペランサ)になるには、入れ代わりの決闘が必要なのでは?」

「その通り。だからあなたには、決闘をしてもらいたいのよ。例の、街中で全裸の決闘をして神聖な『肩幕(ペリース)』を腰巻きにした、あの不届き者とね!

「…………」

 

 なんということだろう。

 アリアは、頭を抱えてうずくまりたくなった。その提案はめちゃくちゃだったが、しかし納得もあった。

 彼らは要するに「街中を全裸で駆け回ったアホを生徒会に入れるのは認められないから、さっさと決闘して肩幕(ペリース)を取り戻してほしい」と言っているのだ。だから、新入生の中で彼に勝てる可能性があるアリアにこうして声をかけたのだろう。

 

「無理を言っているのはわかっている。しかし、きみはすでに入学式の日に、彼と剣を交えていると聞く。正式な場で、決着をつけたい気持ちがあるのではないか?」

「それは……」

「場所は、こちらで用意しよう。どうかな?」

「……わかりました」

「では」

 

 アリア・リナージュ・アイアラスは、彼に追いつきたい。彼の隣に立つのに、相応しい騎士になりたい。

 だからこれは、絶好のチャンスだと思った。

 

「では、あたしと決闘をしてください。今、ここで」

「は?」

 

 途切れなかった会話が、そこで止まった。

 

「……何を、言っている?」

「あたし、彼に追いつきたくて。だから、なるべく早く、七光騎士(エスペランサ)と戦いたかったんです」

 

 淡々と、少女は語る。

 

「生徒会への勧誘は、お受けします。決闘もしましょう。でも『肩幕(ペリース)』を取るなら、彼からではなく……()()()()()()()()()()、何の問題もないはずです」

 

 アリアは、自分の体の内側に、熱を感じていた。

 彼が馬鹿にされるのは、わかる。彼がけなされるのは、わかる。だって全裸だし。

 しかし、遠回しに彼を貶めようとする者がいるのなら……そんな敵から、彼を守るのが、騎士の役目だ。

 

「どうしますか?」

 

 その静かな気迫に、アリアを取り囲んでいた三人は一歩後退する。

 実力はある、と聞いていた。新入生主席として、申し分ない実力を持つ、と。

 それでも相手は、隣国の姫君。蝶よ花よと愛でられてきた、プリンセスだと。彼らは、そう考えていた。

 しかし、ただの姫君が、戦いを前にして、こんなにも好戦的で、獰猛な喜びに溢れた笑みを浮かべるだろうか? 

 

「ははは! リーオナインといい例の全裸野郎といい、今年の一年はじゃじゃ馬ばっかだなぁ! いいぜぇ! そういうことならオレが相手になって……」

「あ。三人まとめて来てください。お一人ずつ相手にするのは、面倒なので」

「あぁん!?」

 

 萎縮したのは、一瞬のこと。

 そのわかりやすい挑発は、彼らの闘争心に火を点けるには十分だった。

 

「我々も、舐められたものだ」

「これは……少し、教育が必要なようね」

「いいぜぇ……! あとで泣いて謝っても知らねぇからなぁ!」

 

 風を伴って、三枚の『肩幕(ペリース)』が翻る。

 

七光騎士第六位(ヘキサ・エスペランサ)! ジルガ・ドッグベリーが問うぜ!」

七光騎士第五位(ペンテ・エスペランサ)……サーシャ・サイレンスが問いかける」

七光騎士第三位(トリス・エスペランサ)。グラン・ロデリゴの名の下に、問おう」

 

 三人の声が、重なりあって響く。

 

「「「決闘を受けるか?」」」

「受けます」

 

 即答だった。

 三人と一人の騎士を中心に、魔導陣が展開され、結界が広がっていく。

 ここに、放課後の決闘がはじまった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 生徒会室の扉を開くと、壁尻さん……もとい、生徒会長がおれを待っていた。

 

「失礼します」

「いらっしゃい」

 

 部屋の一番奥。学生に充てがわれるにはあまりに豪華に見える執務用の机の上で、生徒会長……もとい、壁尻さんは腕を組んでいた。

 こうしてあらためて対面すると、本当にきれいな人だなと思う。穏やかな微笑みを浮かべているその表情に、見惚れてしまう男子も少なくないだろう。

 だが……

 

「何してるんですか?」

「見てわからない?」

「わかりませんね」

 

 余裕綽々といった様子の壁尻さんの様子とは裏腹に、生徒会室の中はひどい有り様だった。

 茶色の物体が床に散乱し、さらに白い破片がそこら中に散りばめられている。まるで空き巣か何かに入られたような状況である。

 

「……これ、どうしたんです?」

「かわいい後輩がくるから、ちょっと張り切って……紅茶をね、淹れようとしたんだ」

「紅茶を」

「でも茶葉をひっくり返してしまって」

「茶葉を」

「ティーカップも割っちゃって……」

「ティーカップを」

「そしたらきみが来たから、とりあえずこうして出迎えているというわけなんだ」

「よくそんな涼しい顔で座ってられますね?」

「うん。先輩だからね……あ! ちょっと待って! 足元には気をつけて! まだ破片があるから!」

「トラップか何かですか?」

「まって。今片付け……ふぅ!?」

 

 部屋に入ろうとするおれを気遣ってくれたのだろう。あわてて立ち上がった壁尻さんは、そのまま机の足に蹴躓いてすっ転んだ。

 

「……大丈夫ですか?」

「心配には及ばないよ」

 

 いや及ぶよ。

 出会ってまだ三分くらいしか経ってないけど、おれはすでにあなたのことが心配で心配で仕方ないよ。

 とりあえず、ほうきとちりとりを貸してもらって、床の上をさっさと片付ける。

 

「なんか……悪いね。せっかく招待したのに、そんな雑用をやらせてしまって」

「べつに大丈夫ですよ」

「ワタシも……」

「座っててください」

「あ、はい……」

 

 しゅん、と。でかい執務机の上で、黒髪の美人が小さくなる。ちょっとかわいい。

 

「普段はどうしてるんです?」

「いつもは他のみんなが紅茶を淹れてくれたりするんだけど……今日はなぜか誰もいなくて」

 

 なるほど。せっかく生徒会に来たことだし、他の先輩方にもご挨拶ができればと思ってたんだが、ご不在なら仕方ない。

 

「もしかしたら、きみみたいに血気盛んな下級生に、決闘を申し込まれているのかもね」

「ははは。そんなまさか」

 

 棚を開いてみると、中には予備のティーセットが一式あったので、そちらを使わせてもらって新しい紅茶を淹れる。

 

「……手際、良いね」

「いえいえ」

 

 山奥暮しだったとはいえ、家事は一通りこなしてきたので、これくらいは問題ない。とりあえず二人分の紅茶を出して、椅子に座って、ようやく落ち着いて話ができるようになった。

 

「他のみなさんがいないのが残念ですね」

「そう? ワタシはきみと二人きりになれてうれしいよ」

「……そういうことは軽々しく言わないでください」

「イト・ユリシーズ」

「え?」

「ワタシの名前。七光騎士第一位(ミア・エスペランサ)。ご覧の通り、生徒会長だよ。どうぞよろしく」

「あ、はい。どうも。おれは……」

「では、早速本題に入ろうか、ゼンラくん」

「すいません、その呼び方はちょっと訂正させてもらってもいいですか?」

 

 天然でポンコツだと思ったけど、妙に押しが強い美人だ。このあたり、同じ美人でも微妙に押しに弱いアリアとは、真逆だなと思う。

 

「あ、ごめんごめん。ゼンラくんじゃなくてドウテイくんの方がよかったかな?」

 

 すげえナチュラルに究極の二択突きつけてくるな。

 

「失礼しました。ゼンラです。よろしくお願いします。ユリシーズ生徒会長」

「うんうん。よろしくよろしく。あと、そんなに堅苦しくしないで。ワタシのことも気軽にイトさんとでも呼んでくれたまえよ、後輩くん」

「じゃあ、イト先輩で」

「結構結構」

 

 くすくす、と。笑う動きに合わせて、艷やかな黒髪が左右に揺れる。

 

「まあ、ウッドヴィル先生から大まかに事情は聞いていると思うけれど、レオくんに勝ったきみには、この生徒会に入る権利がある」

「はい。そう伺ってます」

「学業や訓練以外に、仕事が増えることになるけど、やり甲斐はあると思うよ」

「ちなみに、具体的にはどんな仕事をするんですか?」

 

 イト先輩は、優雅な手付きで紅茶を一口飲み、それからおれに向かってにこりと笑った。

 わりと長い、間があった。

 

「……何をするんだろうね?」

「帰ります」

「まってまって! まってゼンラくん!」

 

 立ち上がったおれの手を、先輩が掴んだ。

 

「じゃあ聞きますけど、先輩は普段、生徒会でどんな活動をされているんですか?」

「ワタシは普段、ここで紅茶を飲んでるよ」

「他には?」

「お菓子も食べてる」

「……他には?」

「……えーっと。あ! サイン! なんかよくわからない書類にサインしてる!」

「帰ります」

「待ってってば!」

 

 だめだろ、これ。

 新入生への業務説明、オリエンテーションとして、あまりにも人選ミスが過ぎる。というか、ほんとにこの先輩、なんで生徒会長やれてるんだろう? 

 

「生徒会の仕事はたしかに色々あって大変だけど!」

「そうでしょうね。トップの仕事を他の人が引き受けてそうですもんね」

「でもその分、卒業後の進路とか、そういうところで融通が効くよ! 多分! 卒業前から騎士団のみなさんと合同で訓練をする機会もあるし!」

 

 身も蓋もない特典をちらつかせ始めたな……

 

「いや、おれこの学校卒業しても騎士になる気はないですし……」

「え? じゃあ、何になるの?」

「勇者です」

 

 きょとん、と。

 それまであたふたしていた表情が呆気に取られて固まって。

 

「ふふっ……あはははは!」

 

 そして、破顔した。

 

「勇者! 勇者ときたかぁ……そっかそっか! 勇者ね!」

「……やっぱり、おかしいですか?」

「いや全然! おかしくないよ! 気に障ったならごめんね。ただ、ちょっとうれしくて」

「うれしい?」

 

 疑問の声を発した時には、もう遅かった。

 猫が体をしならせるように。テーブルに手をついて、身を乗り出して、距離を詰められた。

 何か声を上げる前に。細い人差し指が、おれの唇に当てられる。

 特別、早いというわけではない。ただ、意識の隙間に、滑り込まれたような。

 

「ワタシもね。()()()()()()()()()

 

 その指先は、思っていたよりも冷たかった。

 

「いいね。入学試験の時からおもしろい子だと思っていたけど、ますます気に入っちゃった」

 

 だからこれは提案なんだけど。

 そう言いながら、手のひらがくるりと返って、指先がおれの顎に触れる。

 それはまるで、花を摘むように。

 あるいは、獲物を品定めするかのように。

 

「──きみ、勇者になるのをやめて、ワタシの騎士にならない?」

「それは……」

 

 

 

「失礼しますッ!」

 

 扉が、唐突に開いた。

 

「え?」

「お?」

「は?」

 

 おれと、イト先輩と、アリアの声が、一言ずつ順番に漏れ出た。

 そう。アリアである。何故か、おれの用事が済むまで待っている約束をしていた、アリア・リナージュ・アイアラスがそこにいた。

 アリアは、顎先をイト先輩につまみ上げられているおれを見て、低い声で言った。

 

 

「──なにしてるの?」

 

 

 しかし、おれは()()()()()を得意気にその手に持っているお姫様に、逆に聞きたかった。

 

 ──いや、お前の方こそ、なにしてるの?




今回の登場人物

ゼンラ(仮称)
 ドウテイよりはマシだと思った。
 パンツの色は黒派。

レオ・リーオナイン
 パンツの色は白派。

アリア・リナージュ・アイアラス
 ワンターンスリィキルゥ……

イト・ユリシーズ
 黒髪ロングうっかりドジっ子生徒会長。一人では基本的に何もできないタイプ。勇者になりたいらしい。

ジルガ・ドッグベリー
 七光騎士第六位。通称『双剣のジルガ』。二年生でありながら、七光騎士の中でも屈指のスピードを誇る特攻隊長。趣味は園芸で、生徒会室のお花を育てている。担当業務は書記。
 アリアに負けた。

サーシャ・サイレンス
 七光騎士第五位。『静寂のサーシャ』。魔術の扱いに長けた魔術騎士。中距離から近距離まで幅広く活躍できるバランサー。趣味は会長のお世話で、最高級の茶葉(床にぶちまけられた)や最高級のティーセット(騎士の月給が軽く飛ぶ金額。全部割れた)を、用意している。担当業務は広報。
 アリアに負けた。

グラン・ロデリゴ
 七光騎士第三位。『鉄壁のグラン』。一年生の時から七光騎士の座を譲らず、守り続けてきた高い実力の持ち主。レオと同じく、実家が商家を営んでおり、趣味は貯金。担当業務は会計。
 アリアに負けた。


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勇者の騎士学校生活。放課後デート編

「それで? 一人で三枚も肩幕(ペリース)を取っちゃってどうするの? 生徒会業務、一人で三役兼任できるの?」

「で、できません……」

 

 まるで道場破りのように勢いよく生徒会室に押し入ってきたアリア・リナージュ・アイアラスは、その勢いが嘘のようにしょんぼりとしおれていた。その様子は、投げられた骨と一緒に余計なものまでひろってきた大型犬が飼い主に怒られている姿を連想させる。

 

「ジルくんとサーシャちゃんに……ちょっと待って、グランまでやられたの?」

「えっと、はい……やっちゃいました」

「三人は元気?」

「多分校舎裏で寝てます」

「そうか……いや、きみほんとに強いね?」

「あ、ありがとうございます!」

「褒めてはないよ」

 

 アリアがまたしゅんとなる。

 おれは含み笑いを押し殺した。犬っぽいお姫様の様子はおもしろかったし、先ほどまでちゃんと生きていけるか心配だったドジっ子のイト先輩がきちんと会長っぽくお説教してるのもおもしろい。

 

「なにを笑っているのかなぁ? ゼンラくん」

「なにかおかしなことあった? ゼンラくん」

「ちょっとまってくれ。どさくさに紛れておれの名前を全裸で定着させようとしないでくれ」

 

 美人二人に睨まれると圧が強いとはいえ、そこは譲れない。

 

「失礼します! 生徒会長、ウッドヴィル先生から書類が……と。やはり親友とお話し中でしたか。これは失礼」

 

 あー、ほらもう。またバカが一人増えたよもう。

 開いた扉と入ってきた金髪……レオ・リーオナインを見て、イト先輩はゆったりと頷いた。

 

「ありがとう、レオくん。というかきみ、ゼンラくんに負けて肩幕取られたのに仲良いんだね?」

「それはもう! ボクと彼は裸で突き合った仲ですから!」

「やめろやめろ! お前の言い様だとほんとに誤解しか生まないんだよ!」

「なるほど」

「なるほどじゃないです先輩」

「ですが、彼の体はボクが思っていた以上に硬く、ボクの自慢の槍では突き通せませんでした」

「なあ、わざとやってる? わざと言ってるよな?」

「な、なるほど……!」

「なるほどじゃないです先輩」

 

 ただでさえ天然の会長を前にしているところに近接パワー型プリンセスが乗り込んできて意味がわからないことになっているのに、ここに天性のバカを加えたら本当に収拾がつかなくなる。

 と、そこで闖入者に目を丸くしていたアリアが、おずおずと手を上げた。

 

「えーと、リーオナインくん」

「これはこれはプリンセス。直接お話するのは、はじめてだね。レオ・リーオナインです。恥ずかしながら、彼の親友をやっています」

「本当に恥ずかしいから親友名乗らないでくれ」

「はっはっは。しかし、まさかプリンセスまでここにいるとは。これは、もしかしてアレかな? プリンセスも七光騎士(エスペランサ)に勝って生徒会入りを目指しているのかな?」

「うん。さっき勝った」

「はっはっは……は? さっき勝った?」

「三枚あるけど、一枚いる?」

「三枚ある!? どういうことだ親友!? これじゃあまるで、三対一で彼女が勝ったみたいじゃないか!?」

「だから三対一で勝ったらしいぞ」

 

 アリアは机の上に並べていた肩幕を適当に一枚手に取って、レオに手渡した。いつもは人を振り回してばかりで、余裕綽々の笑みばかり浮かべている男も、流石にこれには驚いたのか。表情が凍りつく。

 

「プ、プリンセス……これは一体?」

「それ、あたしのだから一枚あげる。たくさんあって困ってたの」

「たくさんあって困ってた!?」

 

 がばぁ、とレオがこちらを振り向く。なんというか、顔がすごくうるさい。

 

「し、親友! これ貰ってもいいと思うかい!? 思うかい!?」

「ダメに決まってんだろ顔だけイケメン」

「フッ……入学と同時に七光騎士の称号を得るも、一日で不幸にもその座を追い落とされ、しかし一週間で不死鳥のように蘇る!」

「質問してきたくせに自己完結して自画自賛をはじめるのはやめろ」

 

 レオの頭を叩こうとしたが、それはするりと避けられた。

 

「あ、リーオナインくん。あたし、あんまりお姫様扱いされるの好きじゃないから、なるべく普通に話してくれるとうれしいな」

「わかったよアリア。ボクのことも親しみを込めてレオと呼んでくれ」

「とんでもねえ距離感の詰め方するな」

「レオくん、何番の肩幕がほしい?」

「何番があるんだい?」

「選択肢を作るな」

「三番と五番と六番があるよ」

「ボクは謙虚だからね。三番はキミに譲るよアリア。五番を貰えれば十分さ。それでとりあえず、親友より上の順位でマウントが取れる」

 

 どこが謙虚なんだよ。謙虚って言葉の意味辞書で引いてこいよ。

 

「そんなに遠慮せずに二枚持っていかない?」

「いいのかい!?」

「よくねえよ。やめろ」

「あたしも二枚あっても困るんだよね」

「ふむ。しかしボクは謙虚な男だからね。二枚貰うのは流石に気が引けるよ。それに隣国のお姫様に借りを作り過ぎるのはちょっと」

「む。またお姫様って言った。ならば、罰を与えよう。二枚持っていきなさい。将来、あたしが偉くなった時に返してくれればいいから」

「なんと!?」

 

 校内順位の証を将来の政治取引に使うな。

 

「はいはい。そこまでそこまで。流石に、ワタシの目が黒いうちは肩幕の譲渡は見逃せないなぁ」

「あ、やっぱりダメなんですね」

 

 あれだけはしゃいでいたレオは表情を元に戻して、肩幕を机の上に戻した。

 

「意外と素直だな」

「フッ……まあ、わかっていたさ。それに、こんな方法で七光騎士に返り咲いても、何の意味もないからね」

「本音は?」

「楽して生徒会に入りたかったッ!」

「レオくんっておもしろい人?」

「素直なバカだよ」

 

 正直なところは褒められる美点だと思う。

 とはいえ、決闘の勝敗によって争奪戦を行う、という大前提のルールがある以上……いくら余っているとはいってもほいほいと手渡して譲るようなことは認められないのだろう。

 元を辿れば、やはり何も考えずに三対一の勝負を受けて、勝ってきてしまったこのお姫様が悪いんじゃないだろうか? しかし、おれが横目で見ても、アリアは首を傾げるだけだった。

 

「アリアちゃん。とりあえず、今日のところはこの三枚の肩幕は預かるよ。後日、きみの生徒会への参加について、また話し合おう」

「わ、わかりました」

「あれ? じゃあ、今日はもういいんですか?」

「うんうん。今日はもう下校してくれて構わないよ。だってお二人さんは、これからデートでしょ?」

 

 イト先輩の言葉に、アリアの顔がほんのりと朱を帯びる。

 とんでもない黒髪美人の顔が、とんでもなくニヤニヤと喜色に満たされた。

 

「いいねいいね。これこそ青春だね。きちんとエスコートしてあげたまえよ〜、後輩くん」

「からかおうとしても無駄ですよ」

「照れるなよ〜、親友」

「お前はどのポジションでもの言ってるんだよ」

 

 やはりニヤニヤしてるバカイケメンの首根っこを掴み、一礼して外に出る。すると、レオはおれの手をさっと振り払って、すっと体勢を立て直し、

 

「さて、ではボクも行くよ」

「え。いや、べつに一緒に来ても……」

「ボクは、行くよ」

「あ、はい」

「では二人とも、また明日」

 

 そそくさと、廊下を走らない程度のスピードで歩いて、ささっと消えてしまった。

 

 なんで? 

 

 なんであいつ、こういう時だけ無駄に空気読めるの? 

 

「……」

「……」

 

 放課後。誰もいない廊下に。

 ぽつん、と。おれとアリアだけが、取り残される。

 

「……行こっか?」

「ああ。うん」

 

 助けてくれ。気まずい。こういう時、何を話せばいいんだ? 

 混乱しているおれを尻目に、アリアは自分から口を開いてくれた。正直、会話を回せる話題なら、なんでもありがた……

 

「さっき、生徒会長さんに顎を掴まれているように見えたけど、あれはなんだったの?」

「……」

 

 前言撤回。まったくよくない。

 

「今日は良い天気だな」

「さっき、生徒会長さんにすごく近くに顔を寄せられて顎を掴まれているように見えたけど、あれはなんだったの?」

「すいませんちゃんと聞こえているので繰り返さないでください」

 

 諦めて、おれはさっき言われたことをそのまま話した。べつに、イト先輩も誰にも話すなとか言ってないし、おれも隠す必要を感じないから、話してしまっても大丈夫だろう。

 

「ワタシの騎士に……って。将来の部下として勧誘されたってこと?」

「そういうことになるのか? よくわからん」

「七光騎士の第一位ともなれば、将来の騎士団長候補だからね」

「ほほう」

 

 でも、イト先輩はおれみたいに勇者になりたいって言ってたしな。アリアが言う騎士団長とやらにはならない気がするけど、まあいい。おれから言えるのは一つだけだ。

 

「勘違いのないように言っておくけど、あそこでアリアが入ってこなくても、おれは先輩の誘いを断ってたよ」

「ほんとうに?」

「本当本当。だって、入学式の日に言ったじゃん。おれは勇者になるから、アリアにはおれの騎士になってほしいって」

 

 さっきまでおれに口を開くことを促していたアリアは、そこで会話を止めて、おれの発言を反芻するように頷いた。

 

「そっか。そうか……」

「な、なに?」

「……あたし、戦って疲れたし、お腹空いたなぁ」

 

 急にわがままなアピールきたな。

 

「おれのような平民がその役を全うできるか不安ですが、精一杯エスコートさせていただきますよ、お姫様」

 

 なるべく、格好をつけて。

 動揺を悟られないように、手のひらを差し出してみせる。

 しかし、お姫様はじっとりとした目で何も書かれてないおれの手のひらを穴が空くほど見つめて、一人で歩き出した。

 

「あ! ちょっとアリアさん!?」

「さっきも言ったけど。お姫さま扱いは、ちょっとうれしくないなぁ」

「わかった! わかりましたから! どうすりゃいい!?」

 

 ぴたっ。くるり。

 振り向いたお姫様ではなく、おれのクラスメイトは、そこでようやく溜飲を下げたように、喉の奥を鳴らした。

 

「普通に」

「え?」

「普通に、一緒に遊びに行ってくれれば、それでいいよ」

 

 今度は、アリアの方から手のひらが伸びて。

 女の子にしては少しだけ皮が厚い、よく鍛錬していることがわかる指先が、おれの制服の裾を掴んだ。ぎゅっと、寄った皺が力の強さを物語る。

 

「それがいいな。だめ?」

 

 ……率直に言って。

 この問いに、だめなどど言える男はいないだろう。

 

「はい。喜んでお供します」

「……なんか、まだお姫様扱いしてない?」

「してないしてない」

「じゃあ、お腹空いたから、どこかで何か食べたいな。お洒落な喫茶店とか行きたい」

「おーけー、わかった。でも、アリアさんアリアさん。わかったから、とりあえず手離さない?」

「え、やだ」

「なんで?」

「だって、手を離したらまたどこか行っちゃいそうだし。美人な先輩とかに絡まれそうだし」

「どこにも行かないし絡まれないって……」

「あ、そういえばお店知ってる?」

「全然知らん」

「だよね。誰かに聞けばわかるかな……」

 

 服の裾を掴まれて、逆エスコートされたまま、おれはずるずると引ずられていく。

 手を繋いだ方が早くない? と。提案するだけの度胸は、まだおれにはなかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 騎士学校は、王都を守護する騎士を育成する学校である。

 それも、ただの騎士ではない。この学校で育成され、巣立っていく騎士たちは、誰もが優秀で王国において欠かせない人材となる、未来の希望そのものだ。

 

 ならば当然、彼らに敵対する存在は、芽の内にそれらを摘むことを考える。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()も、そういった考えを巡らせ、そして実際に行動している魔王の使徒の一人だった。

 

(この学校にも、魔法持ちが増えてきたな……生徒の実力も年々、目に見えて増してきている。そろそろ、刈り入れ時か)

 

 キャンサーの見た目は、どこにでもいるような用務員である。作業服を着込んだ、如何にも人の良さそうな初老の男性を警戒する生徒はまずいない。

 最上級の悪魔達の、他の悪魔とは違う最大の利点は彼らが人間の姿をしていることだ。自らの姿を魔術を用いて人間や動物に見せかける悪魔は数多くいるが、それらは所詮、見せかけの偽装。腕の良い魔導師に見られたり、悪魔を探知する結界に触れてしまえば、正体を簡単に見破られてしまう。

 だからこそ、素の状態で外見が人間そのものであるということは、こうした潜入任務において、なによりも重要なアドバンテージとして働く。実際には、キャンサーはさらに自身の魔法を併用することで王都の厳しいセキュリティを潜り抜け、人としての生活を営んでいるのだが……まあそれは良い。

 

(さて)

 

 柱の陰から、生徒を観察する。

 キャンサーの視線の先には、男女の二人組がいる。両方が、魔法持ち。しかも片方は隣国の王女という高い身分の人間だ。

 気づかれないように注意しなければならないのはもちろんだが、事故に見せかけて殺すことなど、造作もない。むしろ、二人揃っている今がチャンスと言っても良い。

 そういえば、少年の方は勇者になる、などとできもしないことを口にしていた気がする。キャンサーの主である少女は勇者が現れるのを待ち望んでいるが、臣下の身から言わせてもらえば、未来の脅威は早急に取り除いておくに限る。

 

(どう殺すか……)

「こらこら、おじさん。若人の青春の邪魔をしちゃあいけませんよ」

 

 人間の気配を察知できなかったのは、はじめての経験だった。

 振り返ると、乾いた唇に指先をあてられた。目の前には、この学校で知らない人間はいない女子生徒の姿があった。

 

「……生徒会長」

「そんなにあわてないで。盗み見が気づかれちゃいますよ?」

 

 キャンサーは、顔の表面に笑みを貼り付けて、応対した。

 

「……これは、恥ずかしいところを見られたな」

「カップルを観察なんて、良いご趣味ですね?」

「まあそう言わんでくれ。年寄りの道楽のようなものだよ。きみたちのように若くて元気な子たちが初々しい付き合いをしていると、どうしても気になってしまうのさ」

「じゃあ、用務員のおじさんには、ワタシとデートしてほしいな、なんて」

「はは。年寄りをからかうものじゃないよ。きみはかわいいから、他の男子からも引く手数多だろう。遠慮させてもらおう」

「いやいや、ダメダメ。ダメですよ、おじさん。ワタシ、普通の男の人とのデートなんて、興味ないですから」

 

 まだ女性にもなりきれていない少女の唇が、三日月に歪む。

 

 

「悪魔とのデートの方が魅力的です」

 

 

 間髪入れずに、キャンサーは右の腕を裏拳の要領で振るった。

 人間にしては整った容姿の少女であることは認めるが、たかだか人間の女に、心を弄ぶような物言いをされたのが、甚だ不快だった。

 

「いきなり顔はひどくない?」

 

 が、避けられる。

 顔面を引き潰すつもりで打った拳は空を切り、少女は体のやわらかさを活かして一回転の後退。キャンサーの拳が届かない場所まで、間合いを取り直した。

 

「なぜ、気付いた?」

「逆に聞きたいけど、なんで気付かれてないと思ってたの? いくら能天気に間抜けを重ねても、希望的観測が過ぎると思わない?」

 

 いやらしい女だと、思った。

 

「あなたはもう少し泳がせておこうと思っていたんだけど……あの子たちに手を出すつもりなら見逃せないなぁ」

「まるで、いつでも儂を殺せたかのような口ぶりだな? 人間」

「だからそう言ってるんだよ」

 

 もう一度、逆に聞こうか、と。

 少女は悪魔を見詰めたまま、余裕を崩さない。

 

「問おう、悪魔よ。あなたは、ワタシに勝てる?」

「応えよう。愚かな人の子よ。儂は、貴様を殺すことができる」

「……そっか」

 

 少女は笑う。

 それは、海の底のように、深い笑みだった。

 

「ふふっ。応じた応じた……応じたね?」

 

 問いかけて、それに応じた。ならば、決闘は成立する。

 右腕が、振り上げられる。華奢な肩に掛けられた、黒の幕が上がる。それが、開演の合図だった。

 瞬間、逃れ出ることを許さず、イトと悪魔を中心に、決闘魔導陣が広がっていく。しかし、閉じ込められた側であるはずの悪魔の反応は、淡白なものだった。

 

「……結界か。児戯だな」

「そう? あなたを閉じ込めるには、十分だと思うよ? 知らないだろうけど、これは……」

「知っているさ。貴様らが順位を決める決闘ごっこに使っているものだろう? こんなもので儂を閉じ込めたつもりなら……」

 

 片腹痛いな、と。続けようとした悪魔の言葉は、そこで途切れた。

 七光騎士が着用を許される肩幕の中で、第一位のみ色が違うのには、明確な理由がある。

 決闘魔導陣は、互いに切磋琢磨し、剣を交えて高みを目指すための舞台。悪魔の言葉通り、それは命を賭けない決闘ごっこでしかないのかもしれない。

 

「……なに?」

 

 そう。()()()()()()()

 

「決闘魔導陣は、本来、一対一で悪魔と戦うために作られたもの。そして、七光騎士の第一位のみが、単独で悪魔を討伐する資格を認められる」

 

 その色が、証。

 悪の魔を討ち伐う、黒という色である。

 

「これは、悪魔に対して起動した場合、どちらかが死ぬまで解除できない。こわいこわい結界だよ」

 

 それだけの結界を維持する魔力をどこから得ているのか、とか。

 なぜ自分の正体を悪魔だと看破することができたのか、とか。

 聞きたいことはそれこそ数え切れないほどあったが、キャンサーは会話という行為を放棄した。とりあえず、手足の一二本でも折ってやった方が、聞きたいことが聞きやすくなるだろうと思ったからだ。

 決闘に、合図はない。

 足に力を込め、突進。正面から、拳で肉体を叩き折る。そのためにキャンサーが膝を曲げ、地面を踏みしめた、瞬間。

 

「あ、そこ。危ないから気をつけて」

 

 かちり。

 何かを踏みしめた音は、即座に響いた爆発音で完膚なきまでに上書きされた。

 封鎖された魔術結界という空間の中で、突如巻き上がった爆炎。

 無論、解答はある。悪魔と対峙する学生騎士の指先には、いつの間にか小さな魔導陣がいくつも浮かんでいた。

 

「決闘っていうのはさ。人間が名誉を得たり、恨みを晴らすために戦うことを言うんだよね。だから、ワタシはいつも疑問に思うんだよ」

 

 右手に展開した、防御用の魔導陣で、自身が炸裂させた爆炎は防御。

 それだけではシャットアウトしきれない煙を左手で鬱陶しそうに払いながら、少女は気怠げに言う。

 

「害虫駆除は、決闘じゃないだろうってさ」

 

 ばらり。

 黒のマントの裏側から、炎熱系の魔術が刻まれた魔術紙が落ちる。それらは、結界を展開する前から……悪魔に声をかける前から、イトが地面に仕込んでおいたものだった。

 

「……なるほど。騎士らしからぬ悪辣だな」

 

 回答があった。

 返事を期待すらしていなかった、独り言のような嘲りに、明確な声が返された。

 地面が抉れるほどの爆発の痕。そこから、煙をかき分けるように、キャンサーを名乗った悪魔は歩を進めた。爆発の規模を考えれば、悪魔の肉体は粉々に飛び散り、肉塊になっていても何ら不思議ではない。少なくとも、足の一本は吹き飛んでいて然るべきだ。

 しかし驚くべきことに、外見だけは初老の男性にしか見えないキャンサーの肉体には傷どころか塵一つ付いていなかった。

 

「……おやおや。なんで死んでないの?」

「『華虫解世(フロルクタム)』。儂の魔法の力だ」

「うーん。違う違う。名前を聞いたわけじゃなくて。理屈を教えてほしいんだけど?」

「知る必要もないことだ」

 

 上着を脱ぎ捨て、キャンサーは上半身の肌を外気に晒した。

 外見の年齢からは想像もできないような、分厚い筋肉に覆われた肉体だった。

 

「これから死ぬ相手に、理屈を説いても仕方なかろう?」

「そっかそっか。それは道理だね。じゃあ、仕方ない」

 

 対して、学生騎士の頂点は剣を取り出さず、構えもせず。

 ポケットから素朴なデザインのヘアゴムを取り出して、悠然と黒の長髪をポニーテールに括る。

 それで、彼女のスイッチは切り替わる。

 

「本腰を入れて、あなたを殺そうか」

 

 何も持たない両手を広げて、イト・ユリシーズは微笑んだ。




今回の登場人物

勇者になりたい少年
 女の子と歩く時は自分が行きたい場所ではなく、相手が行きたい場所に合わせるタイプ。

アリア・リナージュ・アイアラス
 近接パワー型大型犬種プリンセスナイト。このあと勇者くんとローマの休日した。

レオ・リーオナイン
 馬鹿だが空気は読むタイプ。

イト・ユリシーズ
 黒髪ロング前髪ぱっつん悪魔は殺す型生徒会長。戦闘時は髪型を変えるタイプ。悪魔はゴミだと思ってるので、手段も方法も選ばず搦め手も罠も笑顔で多用するタイプの騎士。

キャンサー・ジベン
 第七の蟹。当時、魔王に最も近かった悪魔の一柱。将来の脅威になるであろう騎士の情報収集と、事故死に見せかけた狩りを行うために王都に潜入していた。外見は髭を蓄えた初老の男性。
 魔王のことをとても敬って心配しているが、逆に魔王は煙たがっている。靴下を一緒に洗ってもらえないタイプ。


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蒼黑の剣士

 悪魔の拳が唸る。

 騎士の炎が炸裂する。

 

「ふん」

 

 直撃したはずの炎は、そのまま拳に切り裂かれ、霧散する。拳だけではない。体のいたるところに着弾しているはずの炎は、しかしそのいずれもが悪魔には届かない。

 キャンサー・ジベンの魔法『華虫解世(フロルクタム)』の効果は、極めてシンプルだ。

 その能力は()()()()()()()()()()()()()()()()()()こと。キャンサーはこの魔法を近距離の格闘戦で最大限に活かすために、己の肉体を鍛えてきた。あるいは、外界の影響をほとんど断つことができる悪魔が、己の内を支える筋肉と拳に信頼を置くようになったのは、ある意味必然であったのかもしれない。

 高速で飛来する矢も、どんなに切れ味の鋭い剣も、絶大な破壊力を誇る鉄の砲弾も、すべてが無駄であり無力。自身の体に害をなす異物を遮断する『華虫解世(フロルクタム)』の前では、あらゆる攻撃が無意味と化す。

 

 ──キャンサー。あなたって本当、守るだけなら最強よね

 

 主である魔王は、至極つまらなそうな表情で、キャンサーの魔法をそう評した。

 けれど、それで良いとキャンサーは思った。派手な破壊も、特殊な性質も必要ない。自身を守る。ただそれだけに特化した魔法は、如何にも自分らしいではないか。

 いざという時、あの華奢で可憐な主君を、身を挺して守ることができるのなら。それが叶う力であるのなら、キャンサーはそれ以上を求めようとは思わなかった。

 事実、目の前の敵を屠るのに、これ以上の力は必要ない。

 

「その程度か」

「いやいや、おかしいでしょ」

 

 キャンサーは前進する。イトは後退する。それがそのまま、力の差だ。

 

「なんでなんで? どうして効かないのかなぁ!?」

 

 疑問の声にバックステップを踏み重ねながらも、攻撃の手は緩めず。

 黒のマントの下から、紙片が舞い、まるで数珠繋ぎのように立て続けに爆裂する。一つ一つは小さな炎でもその狙いは正確で、人間を一人丸焼きにするには申し分ない火力だった。

 しかし、それでもなお、キャンサーの体には火傷どころか、煤の一つすら付かない。

 

「無駄撃ちをしていて切なくならないか?」

「無駄とわかっていても、やらなきゃいけない時もあるでしょ」

 

 認めよう。

 イト・ユリシーズの扱う魔術の展開スピードは、極めて早い。あらかじめ魔導陣を書き込んだ魔術紙(スクロール)を戦闘のために併用する騎士は時々いるが、詠唱も展開も挟まず、あるいは本職の魔導師のように杖も用いず。魔術を連射する彼女の戦闘スタイルは、ある種近接戦闘に特化された完成形と言っても過言ではなかった。

 しかし、キャンサーには疑問があった。

 

「騎士よ」

「なになに?」

「こちらからも、一つ問いたい。貴様はなぜ、剣を抜かない?」

「……さてさて、なぜでしょう?」

 

 問答の内に接近。キャンサーは右のストレートで、少女の顔面を打ち抜く。が、固く握りしめられた拳は頬を掠めて空を切って。

 すれ違い様のカウンター。イトがかざした手のひらから火花が瞬き、爆発が逆にキャンサーの胴体を撃ち抜いた。が、至近で炸裂した炎はやはりキャンサーにダメージを与えられず。

 立て続けに振るわれた拳を再び紙一重のところで回避し、イトは距離を取り直した。

 変わらない繰り返しに、呆れを滲ませながらキャンサーは少女を睨めつける。

 

「逃げてばかりだな。儂を殺す、と宣言した先ほどまでの威勢はどうした」

「威勢だけじゃあ、戦いには勝てないでしょう」

「まだ勝てる、とでも思っているような口ぶりだな」

「思ってる思ってる。ちゃんと考えてるよ。あなたを殺す方法」

「無駄なことだ」

 

 結果は何も変わらない。イトの炎は、キャンサーにダメージを与えることができない。

 イトの攻撃手段が魔術である限り、キャンサーの華虫解世(フロルクタム)を突破することは不可能だ。

 

「剣を抜け、騎士よ。結果は変わらないとはいえ、全力を見ないまま相手を屠るのは忍びない」

「そうだねえ。そこまでご所望なら、仕方ない」

 

 ポニーテールが揺れる。黒のマントが揺らぐ。

 細かくステップを刻むことをやめて、足を止める。

 それは騎士にとって、相手の攻撃を真正面から受け止める、決意表明に他ならない。

 

「じゃあ、抜こうか」

 

 

 

◆ ◆

 

 

 

 昔の話をしよう。

 イト・ユリシーズは、幼い頃から快活で才気に溢れた少女だった。イトは体こそ小柄だったが、そのやんちゃっぷりは男子に混じって野原を駆け回り、棒を握って野ウサギを追いかけるほどだった。せめて女の子らしく、かわいらしくあってほしいと両親が整えてくれたポニーテールを、その名の通り馬の尻尾のように揺らして、イトは朝から晩まで遊び場を駆け回っていた。

 イトという少女には、夢があった。

 

「わたし、大きくなったら、魔王を倒す勇者になるの!」

 

 両親は危ないからやめなさい、とか。周囲の大人は女の子には無理だよ、とか。周囲からそんな言葉を重ねられて、イトはいつも頬を膨らませていたが、理解者がいないわけではなかった。

 

「お姉ちゃんならできるよ。だってお姉ちゃん、すっごく強いもん!」

 

 イトには、妹がいた。

 イトとは違って物静かで控えめな性格だったが、妹は頭が良く、魔術の才能があった。外を走り回るよりも、本を読んで物語の世界に耽ることが好きな子だった。

 妹は、姉が勇者になることを信じていた。イトはそれがうれしくて、でもきらきらした視線が少しくすぐったくて、自分より小さなところにある頭を撫でながら、提案した。

 

「そうだ! わたしと二人で勇者になっちゃえばいいんだ!」

「ええ!? 無理だよお姉ちゃん。私、お姉ちゃんみたいに強くないし……」

「何言ってるの! 平気平気! わたしが剣を教えてあげれば大丈夫だよ!」

「何も大丈夫じゃないよ〜」

 

 イトは鍛錬を重ねた。少しずつ、確実に、自身を支える剣技の基礎を磨いていった。とうとう根負けした両親は、腕に覚えがある村の冒険者や、時折訪れる騎士団の人間に、イトの剣の指導を頼むようになった。

 楽しかった。充実していた。

 いつか、世界を救う冒険に出ることを、イトは信じて疑わなかった。

 

「わたしが大きくなったら、一緒に冒険に行こ! 世界を救う冒険!」

「……それ、私も付いて行っていいの?」

「もちろん! 絶対絶対、行こう!」

 

 積み重ねていけば、いつか夢は現実にできると思っていた。

 けれど、積み木が崩れるのは、いつだって突然のことで。

 

 ある日、村が魔物に襲われた。

 行われたのは、容赦のない殺戮と略奪。巨大な魔物が村の中を闊歩し、家を潰し、家畜を貪り、財産を奪い去っていった。

 

「はぁ、はぁはぁ……」

 

 なんとか魔物から逃げきったイトは、それでも重傷を負っていた。左目を潰され、左腕にはひびが入っているのか、それとも折れているのか、自分でもよくわからない。最初は泣き叫びたくなるほどだった激痛も、今は頭の中が麻痺してしまっているのか、じんわりとした熱しか感じない。だから、イトはその熱を堪えて、必死に家まで走った。

 破壊の跡だけが残された家を見て、ズタボロの肉塊に変わっている両親を見て「ああ、お母さんとお父さんはもうダメだ」と。イトはすぐに確信した。それでも、まともに動く片腕だけで瓦礫を掘り返して、手のひらが真っ赤になるのも構わず夢中で掘り進めて、

 

「お姉ちゃん」

 

 ようやく、積み上がった建材の隙間の中に……()()()()()()()()()を見つけた。

 

「あ」

 

 それを見た瞬間に。痛みの熱が、イトの全身からすっと抜けていった。

 妹を瓦礫の中から助け出す? 

 無理だ。自分は片手しか使えなくて、そもそも子どもの力でこれ以上重い瓦礫を持ち上げることはできない。

 妹をここに残して、助けを呼んでくる? 

 不可能だ。どこに医者がいるかもわからない。そもそも、妹の怪我はもう医者の力でどうにかなるようなものには見えない。

 

「お姉ちゃん……私のことは、いいから。だから……逃げて」

 

 噛み締めた唇から、血の味がした。

 イトは、勇者ではない。なんの力もない、ただの少女だった。

 

 誰か──

 誰か──

 誰か──

 

 勇者様じゃなくてもいいから、誰か──

 

「こんにちは」

 

 ──応じたのは、鈴の音のような声。

 

 運命はいつも残酷で、なによりも皮肉を好む。

 その村に、勇者はいなかった。

 ただ、魔王がいた。

 

「その子、あなたの妹? 体の右半分が潰れちゃって、今にも死んじゃいそうね」

 

 透けるような白い髪。人形のような冷たい美貌。無色透明な、イトとそう年の変わらない少女は、けれど明らかにイトとは異なる力を持っていた。

 

「あなた、この子を助けたいの?」

「助けて……助けて、くれるの?」

「わたしは助けてあげることはできないわ。でも、助ける手伝いくらいはしてあげる」

 

 その代わり、と。

 魔王はイトの耳元で、交換条件を囁いた。

 

「どう? できる?」

 

 イト・ユリシーズは、勇者になりたかった。

 たくさんの人の笑顔を守りたかった。たくさん人を守るために、剣を振るってみたかった。

 でも、悪いやつはいつも突然現れて、守りたいものを、守るための準備ができる前に奪っていく。

 今の自分に差し出せるものは、ささやかな覚悟だけで。

 

「やる」

 

 その答えに、魔の王は静かな笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、決まりね。ジェミニ! こっちにいらっしゃい。前に言っていた実験をさせてあげる」

 

 

 

 

 

 

 少女は、目を覚ました。

 痛い。片方の目が見えない。腕も折れている。痛くて痛くて、涙が出そうだ。

 だが、その痛みに違和感を覚えた。自分が瓦礫で潰されたのは、体の右側だ。それなのに、どうして左側の腕と、左目が痛いんだろう? 

 

「ああ、よかった。上手くいったみたい。大丈夫? 体は、ゆっくり起こしてね」

 

 聞いているだけで、蕩けてしまいそうな知らない声に、そう言われて。

 

「え」

 

 起き上がった少女は、ようやくその異常を認識した。

 

「お姉さんの体の感覚はどう? やっぱり、違和感があるのかしら?」

 

 少女は呆然とそれを見る。

 少女の目の前には()()()()()()()()()()が倒れていた。

 

「あ、え……え?」

「大丈夫? 鏡は必要?」

 

 意味が、わからなかった。

 喉から絞り出した、言葉にもなっていない声は、姉の声音だった。

 突き出された鏡の中で、姉の顔が、見たことのない表情をしていた。

 

「なんで、どうして、私……」

「身体を入れ替えたの。ああ、そうね。厳密に言えば、あなたとお姉さんの心を入れ替えた……と言うべきかしらね」

「心を認識して入れ替えるなんて、やったことがなかったけど、うまくいってよかったよ」

「わたしたちにとっても、貴重な経験になったね! よかったね!」

 

 振り返ると、自分とそう年の変わらない双子が、笑っていた。まるで、実験の成功を喜んでいるかのような、薄気味悪い笑みだった。

 

「お姉ちゃん!」

 

 少女は、ついさっきまで自分の体だったそれに飛びついた。

 浅く呼吸をしながら、自分の体は、やはり見たことのない表情でこちらを見上げた。

 それは紛れもなく、自分の顔であるはずなのに。その強がるような笑みは、間違いなく姉の……イトの表情だった。

 

「────。生きて」

 

 自分の口から、自分の名前が、零れ出た。

 

「ちゃんと……ちゃんと、生きてね」

 

 呆然と、ただその言葉を聞く。

 少女は、物語を読むのが好きだった。

 物語の中で、英雄が死ぬ時。最愛の人に手を握られて、これまでの人生を振り返りながら遺言と感謝を述べて、自分を看取ってくれる人物と言葉を交わして……やがて息絶える。

 そういうシーンで、英雄の手を握る人は決まって涙を流していたし、実際に物語のページを捲る自分も、共感して泣いていた。

 でも、だめだ。涙なんて出てこない。言葉なんて紡げるわけがない。頷くことすらできない。

 呆然と。ただ呆然と、姉の手のひらで、自分の手を握り締める。

 自分の命を救ってくれた姉は、剣を握っていなくても、間違いなく英雄であり、勇者だった。

 

 

「──勇者になんて、ならなくていいからね」

 

 

 それなのに。

 勇者になることを誰よりも夢見た姉の最後の言葉は、勇者を否定した。

 それが、イト・ユリシーズが妹に向けて遺した、最後のメッセージだった。

 たったそれだけで、終わりだった。

 

「……お姉ちゃん?」

 

 死体を、見る。

 ついさっきまで、自分だった死体を見る。

 胸に手を当てる。

 ついさっきまで、そこにあったはずの心を探す。

 けれどそれはもう、どこにもない。

 揺すっても、呼びかけても、何の反応も返ってこない。

 

「あ、ああ……」

 

 遅れて、涙が溢れ出た。

 遅すぎる。感情の波に、体が追いついてくるのがあまりにも遅すぎる。

 

「しっかりして。わたしを、見て」

 

 そのまま、少女が壊れてしまわぬように。

 崩れる心を引き止めたのは他の誰でもない、魔王だった。

 

「提案したのは、わたしよ」

 

 粉々に、砕けてしまう寸前で。

 心に、熱が入った。硝子のような脆さだったそれが、どろりと溶け出して。魔王は少女の心を、砕ける前に強引に癒着させた。

 

「だから、恨んでくれて構わない」

 

 染み入るような悲しみを上書きするのは、いつだって燃えるような憎しみだ。

 だから魔王は、一言一句。少女に向けて、言葉を紡いだ。

 

「わたしは、いつでも待っているから。殺したければ、殺しに来なさい」

 

 それは、期待を込めた種蒔きのようなものだった。

 それは、哀れみを重ねた期待のようなものだった。

 けれど、一つだけ。魔王は嘘偽りなく、本心を少女に向けて述べた。

 

「……でも、決めたのはあなたのお姉さん」

 

 魔王が、少女に向けて発したその言葉は、

 

「お姉さんは……あなたのことを、本当に愛していたのね」

 

 楔となって、突き刺さった。

 この日、少女は名前を失った。

 自らそれを捨てて『イト・ユリシーズ』になることを選んだ。

 

 

 

 

 

 

 遂に抜き放たれた刃は、異質だった。

 吸い込まれるような黒塗りの鞘。通常の剣よりも明らかに細く、薄い造り。

 それは一般的な騎士が扱う(ソード)ではなく、片刃の(ブレード)だった。

 

「くだらんな……」

 

 渾身の力を込めて、キャンサーは拳を振るう。

 少女はもう、逃げようとはしなかった。魔術を展開しようともしなかった。ただ、無言のまま構えた刀で、キャンサーを斬るための構えを見せた。

 

「そんな華奢な剣で、何を斬ろうというのだっ!」

 

 少女は嗤った。

 それこそ、下らない問いだと思った。

 

「何を斬る?」

 

 刀で斬れるものは、この世にたった一つだけ。

 

「あなたの、命を」

 

 返答。抜刀。納刀。

 たったそれだけで、力の差はなによりも明確に表れた。

 振るった拳が、その中央から真っ二つに裂けて、断ち切られた肉が地面に落ちる。遅れて、切断面から血液が溜り落ちる。

 

「あぁあああああああああ!?」

 

 それは、キャンサーにとってはじめて体験するモノ。

 痛み、だった。

 

「……やっぱり、ワタシ (イト)の魔法はすごいなあ」

 

 自分の魔術では絶対に貫けなかった、その防御を。

 ただの一振りで破断してみせた姉の魔法を、イトは心の底から賛美した。

 

「わたしは、私は……()()()はね? 勇者にならなきゃいけないの。だって、それがお姉ちゃん (イト)の夢だったから」

 

 その剣士は、この世の全てを斬って断つ。

 その剣士は、この世の全てを絶つことで否定する。

 穢れを祓う一振りの刃は、魔王の気紛れによってその在り方を歪められた。

 

 それは、海の底に沈む闇すらも斬り裂く、無情の蒼黑(そうこく)

 

 『蒼牙之士 (ザン・アズル)』。イト・ユリシーズ。

 

 たとえ、その名が偽りだったとしても。

 少女はこの世界を救うことに囚われた、最強の剣士にして、魔法使いだった。

 

「さてさて。それじゃあ、終わりにしようか」

 

 だらりと脱力したまま、イトは真っ直ぐに歩を進める。キャンサーは後退する。

 ありのままの力の差が、逆転していた。

 

「ぐっう……ふぅうぅぅ……!」

 

 キャンサーの額に、脂汗が滲む。呼吸が荒くなる。

 

 ──あなたの魔法がどうしてつまらないのか。教えてあげる。キャンサー

 

 焼け付くような激痛の中で、主の言葉がフラッシュバックする。

 

 ──その魔法に頼る限り、あなたは痛みを知らない

 

 あらゆる攻撃から主を守ることができると、そう考えていた。

 自分に敵はいないと、そう思っていた。

 違う。そんなわけがない。痛みを知らない自分が、主の盾になれるなどと。それは果たして、どこまで不遜な思い上がりだったのか。

 

 ──痛みを知らない戦士ほど、弱い存在はないわ

 

 主の、言う通りだった。

 しかし、それでも。キャンサーは痛みを堪え、歯を食いしばって前を見た。

 自分は今、この瞬間。痛みを知った。理解することができた。

 それならまだ、戦うことができる。

 

「……ッ……ふぅぅ!」

「……なになに? まだやるの?」

 

 あの刃は『華虫解世(フロルクタム)』では防げない。

 ならば、斬撃のみを避ければいい。キャンサーは全神経を賭して、(ブレード)にかけられた手を注視する。

 

「あなたってさ……本当に学習しないよね?」

 

 だからイトは、刀の柄を握る手とはべつの腕で、無造作にキャンサーの足元を指差した。

 地雷のように仕込まれた魔術紙(スクロール)を、踏んでしまったと。気がついた時には遅かった。

 光が、炸裂する。

 それは魔法ではない。特別な武器でもない。一般的な騎士も魔物を怯ませるために用いる、強烈な光を叩きつける目眩ましの閃光魔術。

 だが、それは目を見開いて集中していたキャンサーの瞳に、なによりも強烈に突き刺さる。

 視界が、潰される。目が、見えない。

 

「いつの間に、こんなものを……」

「防御膜……バリアみたいなものを張ってる魔法なのは、撃ち込み続けた魔術の手応えですぐにわかった。足元に仕掛けた最初の地雷も気づいてはいなかったけど、防がれた。それなら、本人の意志とは関係なく、常に発動させているタイプの魔法。となると問題は……何を通して、何を遮断するか、だよね」

 

 答え合わせをしながらも、剣士に躊躇いはない。呼吸をするような自然な抜刀が、キャンサーの右足を膝から斬って捨てた。

 目を潰されたキャンサーに、もはやそれを避ける術はない。

 

「……っ!?」

 

 悲鳴を食い縛るのが、精一杯。

 少女は、声を止めない。

 

「全身を覆っていて、攻撃……もしくは自分を害する何かに対して、自動で発動する。でも、自分自身が生存して、活動するためには、遮断しちゃいけないものもあるよね? だったら、そういう自動で通すものを攻撃に転用すればいい」

 

 防御のために構えた左腕が、刃に撫でられて落ちる。

 片膝で堪えていた左膝が、突き刺されて割られる。

 

「光まで遮断したら、あなたは目が見えなくなっちゃう。だから、強烈な光の類い……閃光魔術は通じる。あと、空気を遮断しても窒息しちゃうだろうから、炎熱系の魔術をもっともっと連発して、結界の中の空気を薄くしようかな……とか。まあ、いろいろ考えてたんだけど」

 

 両手両足が、すべて切断された。

 地面に、虫のように這いつくばるキャンサーは、辛うじて頭を持ち上げて、少女の声を聞く。

 

「あなたが急かしてくるし、めんどくさくなっちゃったから、やめた」

 

 あまりにも恐ろしい想像が、キャンサーの脳裏を掠めて震わせる。

 もしかしたら、この剣士は……魔法を使わないままに、自分を倒す算段を立てていたのではないか?

 

「悪魔は斬る。魔王も斬る」

 

 潰された視界の中で、その声だけが悪魔の心に響いて木霊する。

 

「あなたみたいな雑魚に、手こずってる暇はないんだ」

 

 勝てない。

 その言葉の奥に秘められた、暗く黒い感情に、勝てる気がしない。

 

「そうだそうだ。二つだけ、聞いておこうかな」

 

 刀の柄に手をかけて、剣士は問いかける。

 

「魔王の居場所とか弱点。もしくは()()()()()に心当たりはない? もしも教えてくれたら、その首だけは残してあげるよ。両手両足は、もう斬っちゃったからさ」

 

 絶対遮断。最強の守りを誇りとするはずの、何も守れなかった悪魔は。

 最後の最後に与えられた選択肢に、歓喜の笑みを浮かべた。

 

「──それだけは、死んでも教えん」

「なら死んで」

 

 一閃。駆ける軌跡が、首を撥ねた。

 そして、少女の周囲を覆っていた結界が、音も無く霧散していく。

 刀を収めて、髪留めを解く。広がった艷やかな黒髪を揺らして、少女は猫が散歩を終えたかのように、緩く伸びをした。

 

「……ん、終わった終わったぁ! 楽勝楽勝! ワタシは……イトは、本当にすごいなぁ」

 

 イト・ユリシーズを名乗る少女は、自分自身の名前を愛おしそうに呼びながら、自分ではない己を褒め称える。

 もうここにはいない、最愛の姉に向けて語りかける。

 

「みててね。イトはもっともっと悪魔を斬って、魔王を倒して、絶対に勇者になるからね」

 

 死ぬことは許されない。これは姉の身体だ。

 立ち止まることは許されない。姉の夢を叶えるまでは。

 普通に生きることなんて、許されるはずがない。姉は自分の代わりに死んだのだから。

 自分は必ず勇者になって、姉の死が無駄ではなかったことを……イト・ユリシーズが勇者に相応しい存在であることを、証明しなければならない。

 だから、少女は思い出す。勇者になる、と。はっきり宣言した後輩のことを思い出す。

 可愛い子だと思った。良い後輩だとも思う。けれど……

 

ワタシ(イト)以外に、勇者はいらないんだよなあ……」

 

 イト・ユリシーズは、決して自分以外の勇者を愛さない。

 勇者になるのは、自分だから。

 イト・ユリシーズは、決して他者を愛さない。

 人を愛することは、時になによりも脆い弱さになってしまうから。

 姉の愛が、自分を救った。姉の愛が、自分の命の原動力になった。そこに疑いはない。

 けれど、姉は自分を愛していたから、死んでしまった。

 才気に満ちたこの体があれば。磨き抜かれたこの剣技があれば。あらゆる悪を切り裂く、この魔法があれば。

 

 お姉ちゃんは、絶対に勇者になることができたのに。

 

 ──勇者になんて、ならなくていいからね

 ──お姉さんは、あなたのことを、本当に愛していたのね

 

 言葉は呪縛。けれど、縛られることを自ら望んだのなら、呪縛は希望にも成り得る。

 何度でも何度でも、少女は言い聞かせる。自分自身の心に説いて、馴染ませる。

 

 勇者になる。それがワタシの生きる意味。

 

 あの日、あの場所で死ぬのは本来、自分だったのだから。

 愛されるのは、勇者になったイト ・ユリシーズ(お姉ちゃん)だけでいい。そこに、かつての自分の存在は一欠片も必要ない。

 

 名前を捨てた少女は、世界を救おうとする勇者の、その在り方のみを愛している。

 勇者という存在が、多くの人々に愛されることもわかっている。

 それでも、イト・ユリシーズは否定する。

 

 ああ、そうだ。

 

 ──ワタシは愛が、最も憎い。




今回の登場人物

イト・ユリシーズ
 勇者を夢見ていた少女。

キャンサー・ジベン
 第七の蟹。仲間の情報だけは守ることができた悪魔。

──・ユリシーズ
 黒髪ロング技巧派帯刀系ドジっ子最強生徒会長(妹属性・お姉ちゃん大好き)。軽口を叩きつつ、冷静に敵を分析しながら淡々と処理するその戦闘スタイルは、誇りを重んじる騎士というよりも、己の獲物を斬ることを至上とする人斬りの剣士に近い。魔術の素養があったため、本来の適正は魔導師の方が近かったほどだが、血反吐を吐くような努力を重ねて剣技を磨き上げた。イトの身体だからこそ、できたことでもあるとも言える。
 身体を失い、名前を捨てた少女。姉の身体と、勇者になる夢を引き継ぎ、それに囚われている。彼女にとって、勇者になることそのものが、生きる意味。同時に、姉と自分を弄んだ魔王という存在への仇討ちでもある。
 姉のふりをしている自分に価値はなく、愛される必要もないと思っている。勇者になった自分が愛されれば、それで良いというスタンス。しかし、外見を褒められることは姉を褒められていることと同義なので、身嗜みには気を遣うし、綺麗だと言われれば喜ぶ。複雑骨折した心を無理矢理くっつけたような精神性。

魔王さま
 ユリシーズ姉妹の村を襲った魔物は、実は彼女の勢力とは別の悪魔が放ったもの。しかし、少女の心が壊れる前に、恨む対象が必要だと考えた。
 自分を倒してくれるような勇者が欲しくて欲しくて堪らないので、同情したり善意で助けたわけではない。それはそれとして、身を呈して妹を救う姉の精神性は、とても美しいと思った。

ジェミニ・ゼクス
 余計なことしかしないことに定評がある双子。奇しくも、この時に使った魔法による『心の入れ替え』の経験が、本編のアレに繋がる。


今回の登場魔法

華虫解世(フロルクタム)
 キャンサー・ジベンが有する固有魔法。自分自身に触れる一切のものを遮断することができる。ただし、イトが弱点を突いたように、本人が無意識に必要だと判断している光や空気は透過してしまう。
 魔王さまにも最強生徒会長にも散々にこき下ろされてしまったが、最上級悪魔の中でも近接戦闘においては並ぶ者がいないほどの戦闘力を保証する魔法。同じ魔法による攻撃以外なら、全て遮断してしまうため、高い攻撃性能を持つ魔法以外の相手なら、圧倒することが可能。相手が悪かった。

蒼牙之士 (ザン・アズル)
 イト・ユリシーズが有する固有魔法。キャンサーの『華虫解世(フロルクタム)』による防御を正面から斬り伏せる能力を持つ。詳細は不明。
 すべてを斬り裂く『蒼牙之士 (ザン・アズル)』と、すべてを遮断する『華虫解世(フロルクタム)』の関係性は、矛と盾のようなものだが、魔法は所有者の心を色濃く反映するもの。最初から守ることしか考えていなかったキャンサーの魔法がイトによって斬り裂かれてしまったのは、ある意味必然であると言える。


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勇者の騎士学校生活。ヌメヌメスライム編

この作品のシリアスとコメディの振れ幅はゴールデンカムイみたいなもんだと思ってください。


「学年合同実戦演習?」

「うん」

 

 朝の登校中。

 おれの疑問形の呟きに、隣を歩くアリアは頷いた。

 

「一年生全体でやるみたいだよ。あと、指導教官として、上の学年の先輩たちとか現役の騎士の人たちが来てくれるんだって」

「ほー」

 

 アリアが取り出したプリントを覗きこむ。なるほど、書かれている説明を見るに、たしかに普段やっているようなトレーニングや戦闘訓練よりも、大規模な催しらしい。普段はやらないような訓練……プールを使った水辺での戦闘を想定した模擬戦なども実施すると書かれている。わりとすごい。

 

「ああ、これイト先輩たちも参加するのか」

「みたいだね。七光騎士の先輩たちは全員参加なんじゃないかな? 後輩の指導も七光騎士の役目だって聞くし」

 

 そんなことを言うアリアの肩には、ばっちり七光騎士の肩幕が靡いている。例の三人撃破事件のあと、結局一人分の業務しか引き継げないだろう、ということで、アリアは倒した中で最も位が高い七光騎士第三位を引き継ぐことになった。

 引き継ぎの際にはおれも立ち会ったのだが、負けた先輩方は皆一様に神妙な表情で正座していて、敗北の言い訳をすることもなく「オレがやめる」「いやわたしが」「いやおれが」と、神妙な表情で正座しながら揉めていた。騎士として敗北の責を負うのは当然、ということらしい。潔い先輩方である。ちなみに、イト先輩はそれをニコニコ眺めながら紅茶をこぼしていたのでおれが拭いた。

 結局、最も年長で位も高いグラン先輩が「じゃあ決闘で決めるか」と言い出して残り二人を薙ぎ倒し、自身が身を引くということで落ち着いた。が、一年生のアリアに生徒会の仕事ができるわけがないため、グラン先輩は業務の引き継ぎというか、アリアの指導で引き続き生徒会室に出入りしている。

 

「あたしたちもなんか仕事ありそうだよね」

「裏方の手伝いくらいはしなきゃだろうな」

 

 身を寄せて、おれと一緒にプリントを覗きこむ金髪が揺れる。

 数ヶ月一緒に過ごして、アリアの距離感は前よりもずっと近くなった。

 

「やれやれ、二人は大変だね」

「離れろうっとうしい!」

 

 顎が肩に乗り、金髪が頬をくすぐる。

 数ヶ月一緒に過ごさずとも、レオの距離感は最初から今も変わらず近かった。マジでなんなのコイツ? もう慣れちゃったよ。

 

「あ、見なよ親友」

「話を逸らすな」

「いや、ほんとに前。あれあれ」

「あん?」

 

 指を差された方向。広場のベンチがある方を見る。

 

「ご覧。上裸のおじさんが椅子の上で寝ているよ」

「仲間がいたね、みたいな口調で言うのやめてくれない?」

「ほんとだ。ジョウラだ」

「まってくれアリア。イントネーションがおかしい」

「ゼンラくんに合わせてみたよ」

「合わせなくていい」

「ねえ、レオくん。あれはどんなモンスターなの?」

「良い質問だね、アリア。あれはジョウラ。ゼンラ族の一種だ。酒を飲みすぎた翌日の成人男性が変態することで知られているね」

 

 アリアとレオもすっかり仲良くなったようでなによりだ。おれにとってはあんまりよくない気もする。

 

「やめろ。おれをあれと一緒にするな」

「キミの進化前じゃないか。やさしくしてあげなよ」

「お前ぶっとばずぞまじで」

 

 金髪の頭を引っ叩きながら、ベンチで寝ているおっさんの肩を軽く叩く。

 

「おいおい親友! 下まで脱がせるつもりかい!?」

「そんな趣味はない!」

 

 普通に起こすんだよ! 人間としての当たり前の善意に基づいた行動だろうが! 

 上裸のおっさんの肩を、さらに軽く揺する。一目見た時からなんとなく気になっていたが、このおっさん、やけにガタイが良い。腹筋はバキバキに割れているし、なんというか体全体が分厚い感じだ。

 

「もしもし。もしもーし。こんなところで寝てると風邪引きますよ」

「経験者は語る、か。説得力が違うね」

「でもバカは風邪ひかないよ?」

「それはそうだ」

「いいからお前らも起こすの手伝ってくれない?」

 

「きみたち、そんなところで何をしているんだ」

 

 朝の登校時間に、ベンチの前で学生三人が騒いでいるのが目についたのだろう。後ろから声をかけてきたのは、憲兵さんだった。しかも、聞き覚えがある声の憲兵さんである。

 

「あ、憲兵のおじさん」

「む、全裸の少年じゃないか。今日はきちんと服を着ているな。感心だ」

 

 服着てるだけで感心されるってなに? 

 

「しかし、こんなところで寄り道してないで、早く学校に行きなさい。遅刻してしまうぞ」

「それよりも見てくださいよ憲兵のおじさん。ここに上裸のおっさんが寝てるんですよ。見るからに不審者ですよ。早く取り締まってください」

「なんだ、上裸のおっさんか。上裸程度ならべつにいいだろう。全裸でもあるまいし」

「上裸は良くて全裸は駄目なんですか? それは常識的に考えて裸差別なのでは?」

「待つんだ親友。常識的に考えてまずいのは明らかに上裸よりも全裸の方だよ。その議論は明らかにキミの方が分が悪い」

 

 わいわい、がやがや。

 憲兵のおじさんと熱い裸討論を始めたのがうるさかったのだろう。話題の中心である上裸のおっさんが、上体を起こして大きく伸びをした。

 顎に薄く生やした髭をさすりながら、欠伸が一つ漏れる。

 

「うぅ……ん? ……いかんな、寝落ちしていたか」

 

 その顔をはっきり視認した憲兵さんの顔が、目に見えて凍りつく。そして次の瞬間には、憲兵さんは自分の上着を差し出していた。

 

「おはようございます! あと、服をお召しになってください!」

「おお、すまんすまん」

「はあ!?」

 

 おれはキレた。

 

「それはおかしいでしょう、憲兵のおじさん! おれの時は素っ裸のまま捕まえようとしたのに、なんでこの人には上着を貸そうとしてるんですか!?」

「え、いや……これはその……」

「横暴だ! 全裸差別だ!」

「すまんなぁ、少年。おじさん、昨日は巨乳のお姉さんと遊んでてちょっと羽目を外し過ぎちまってなあ」

「ほんとになにしてるんですか?」

 

 上裸のおっさんを見る憲兵のおじさんの目が冷たくなる。しかし、それを気にする様子もなく、おっさんは上着を羽織ると、おれの肩に手を置いて、瞳を覗き込むように見据えてきた。

 

「──少年、巨乳は好きか?」

「え、はい」

 

 あ、やべ。普通に答えちゃった。

 

「そうかそうか。なら、やはり我々は同志だな。同じものを好む者同士、今日のところは許してくれ」

 

 バシバシ、と背中を叩かれ、特に言葉を紡ぐ暇もないまま、でかい背中が去って行く。

 

「……なんだったんだ?」

「親友は巨乳好き、と」

「メモるな」

「ボクも人並みに大きいのは好きだよ」

「フォローするな」

「今日はあんまりこっち見ないでね」

「アリアさん!?」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「なにやってるんですか、団長」

「いや、すまんな。昨日はひさびさに気持ちよく飲めたんだ」

「だからって上裸でベンチの上で寝ていたらダメでしょう。お立場を考えてください」

「下は脱いでなかったからセーフじゃないのか?」

「あの全裸の少年を基準にしないでください!」

「べつにいいんじゃないか? 貴族派閥の第一や第二の連中ならともかく、俺は印象とかに拘る気はないし」

「だとしても限度があります!」

「今度お前も一緒にどうだ?」

「…………それは、お供します」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 学年合同実戦演習の日は、思っていたよりすぐにやってきた。

 一般生徒よりも早い時間帯。集合場所に指定されていた演習用のプールサイドに向かうと、先輩方がすでに準備を進めていた。

 

「ジルガ先輩、おはようございます」

「おう。集合時間よりも早いじゃねぇかゼンラ。感心だな」

「ありがとうございます。感心ついでにゼンラって呼ぶのやめてもらっていいですか?」

「今日のスケジュールとお前の仕事を説明すんぞ」

 

 最近わかってきたのだが、この学園の人たちはどうやら基本的に人の話を聞かないらしい。

 ジルガ・ドッグベリー先輩は一見粗暴で粗野でヒャッハーとか言いそうな盗賊みたいないかつい見た目をしているが、その実、とても面倒見が良い人だ。今もおれと会話をしながら書類にペンをはしらせ、さらに「ジルガ先輩! タイムスケジュールが!」「時間には余裕を保たせてるから、安心しろ」「ジルガ先輩! 訓練用の武器が足りなさそうです!」「第二倉庫に予備があるから取ってこい!」などと、あちこちに指示をとばしている。

 

「忙しそうですね」

「あ? まあ、これくらいはいつものことだ。新入りのお前らには大した仕事は振らねぇから安心しろ。今日のオメーの役割は、基本的に会長の隣に突っ立ってることだけだ」

「え、それだけでいいんですか?」

「それだけでいいわけねえだろ。会長は基本的に歩いてるだけで何かやらかすし、座っていても何かやらかす。立ってるだけでもやべえ」

「天然の災害か何かですか?」

「だからオメーは会長が何かやらかした時のために、横で常にスタンバっておけ。そして会長が何かやらかしたら全力でフォローして差し上げろ」

「それ結構大した仕事なんじゃないですか?」

 

 最初からなんとなくわかっていたとはいえ、この生徒会、あまりにも会長に対して過保護過ぎる。

 

「オメーにはこれを預けておく。絶対になくすなよ」

「これは?」

「会長のおやつセットだ。そっちの袋には飴玉とチョコレート。こっちの瓶には温かい紅茶が淹れてある。会長のコンディションに応じて、適量を与えろ。最初から全部あげるのは駄目だぞ」

 

 過保護過ぎる! 

 

「ゼンラくん」

 

 背中を叩かれて、振り返る。

 

「あ、サーシャ先輩。お疲れ様です」

 

 そこにいたのは、サーシャ・サイレンス先輩。ショートカットがよく似合う理知的なクールビューティである。

 

「お疲れ様。早めに来てもらって悪いわね」

「いえいえ。あ、すいません、ゼンラって呼ぶのやめてもらっていいですか?」

「私もいろいろと仕事があるから、今日のところは会長の隣は譲ってあげるわ、ゼンラくん」

「ゼンラって呼ぶのやめてもらっていいですか?」

「でも、よく覚えておくことね。会長にぬるい紅茶なんて出したら、私はあなたを全裸にひん剥いてやるわ」

「全裸にひん剥くのもやめてもらっていいですか?」

「精々、しっかり励みなさい」

 

 おいおい、全然会話が成立しねぇな。どうなってんだ? 

 もはや説明するまでもなく、サーシャ先輩はイト会長のことが大好きである。おかげでイト会長が絡むとクールビューティがまったく仕事をしていない。

 

「おはよう、後輩くん」

 

 噂をすればなんとやらだ。間がいいのか悪いのか、サーシャ先輩と入れ代わりでイト先輩がやってきた。

 

「おはようございます、会長」

「うんうん。今日はワタシに付いていてくれるって聞いてるよ。よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 今日のイト先輩は、前に立って話をする立場で、訓練で動く予定もあるせいか、長い黒髪をアップでまとめている。前髪も止めて上げていて、いつにも増して大人びた印象だ。

 

「どうかな?」

 

 くるりと回るのに合わせて、黒い肩幕がふわりと舞い上がる。

 

「お綺麗ですよ」

「よかったよかった。後輩くんに褒めてもらえたら安心だよ」

「先輩は誰から見ても美人の部類に入ると思いますけど……」

「では、そんな魅力的な女性の先輩から一つアドバイスをしてあげよう。女の子はみんな自分を着飾るためにお洒落をするものだけど、それを具体的に口に出して褒めてもらえると、もっとかわいくなるんだよ」

「そういうものですか?」

「そうそう」

「今日はおでこ出ててかわいいですね」

「……それはちょっと違うかな」

 

 何故か会長は、おでこを抑えておれから距離を取った。

 この先輩、基本的に大人びているように見えて、いろいろと子どもっぽいところがあるんだよな。だからみんなからお世話焼かれて、好かれてるんだろうけど。

 

「まあ、とにかく今日は気軽にやってくれればいいよ。生徒会のみんなもフォローしてくれると思うし」

「そうですね。頼りにさせてもらいます」

 

 おれはおれの責務を全力で遂行しなければなるまい。具体的には目の前でニコニコしているこのドジっ子天然爆弾先輩のお世話を。

 

「あと、今日はフリーの手合わせもやる予定だから。ワタシも全体の進行が終わったらそっちに混ざるつもりだよ」

「それはつまり?」

「ワタシが一対一の相手をしてあげる、ってこと」

 

 おお、それは楽しみだ。

 

「あとで是非、胸をお借りします」

「ふふーん。ワタシは強いよ。具体的には悪魔を倒せちゃうくらい強いよ?」

「ははっ。それは冗談でも楽しみです」

「お話中失礼します」

 

 と、アリアとレオが連れ立ってやってきた。

 

「会長。今日のイベントで使うモンスターの確認をしてほしいらしく……」

「ああ、ご苦労さま。どれどれ」

 

 レオが持ってきたのは、黒い布がかかっている箱である。上に覆い被さっているそれを取ると、箱は半透明のケースになっていて……中では水のような、粘液の塊のような物体が蠢いていた。

 

「……なんですか、これ?」

「知らないのかい、親友。これはスライムだよ」

「すらいむ?」

「かつて当代最高と謳われた流水系魔術の使い手が、自身の魔法のシステムを組み込んで生み出したとされる魔物でね。野に放たれたことで野生化したというのが俗説だけど、はっきりしたことはわからない。とにかく、中々お目にかかれない、レアなモンスターの一種なんだ」

「へえー」

「詳しいねえ、レオくん。まるでスライム博士だ」

「……ええ、まあ。父の書斎にある本でいろいろ読んだことがあったので」

 

 さすが、お金持ちの名家の息子は知識が豊富だ。

 イト先輩はひょいとレオからケースを取り上げて、しげしげとその中身を眺めた。

 

「ワタシも実物を見るのは、はじめてだなあ。ほんとにブヨブヨしていておもしろいね」

「……イト先輩、どうしてこんなモンスターを取り寄せたんですか?」

「ん? 卒業して騎士になる人間は、魔物討伐の任務に出る機会も多いでしょ? 直接目にしたことのない、めずらしいモンスターを見ておくのも大事かなって。この子、結構愛嬌があるし、輸送してきてもらってよかったよ」

 

 いやそんな、ペットの触れ合いコーナーみたいな……

 

「なあ、レオ。コイツって強いのか?」

「ああ、とても弱いよ」

「弱いのかよ」

「うん。特に、これくらいの小さな個体は、子どもが棒で叩いても倒せるらしい。さっきも言ったけど、遭遇することがそもそもめずらしいモンスターだからね。昔の冒険者の間では縁起物として扱われることもあったみたいで『スライムを見かけたら良いことがある』なんて迷信が語られていたそうだよ」

「……お前ほんとに詳しいな」

「フッ……そんなに褒めてもスライムの解説しか出せないよ」

「べつに褒めてないし、もういらん」

「まってくれ親友! このモンスターにはまだまだ語るべきところがたくさんあるんだ!」

 

 と、熱っぽく語るバカとはべつに、おれはアリアが明らかに一歩退いて、距離を置いていることに気がついた。

 

「アリア?」

「……」

「アリアさん?」

「え、なに?」

「いや、何もないけど。スライム見ないのかなって」

「あ、あたしはべつに大丈夫かな……」

 

 あせあせと目を背けながら、アリアはさらに身を退く。

 ははーん。なるほど。はいはい、そういうことですね。わかりましたよ。

 

「アリア、さてはこういうヌメヌメしたヤツ苦手だろ?」

「うん」

「素直だな!?」

 

 本当におどろくべき素直さである。誤魔化そうとかそういう意志が微塵も感じられない。子どもが人参を嫌いって主張するくらいの素直さだ。

 

「だって苦手なんだもん! はっきり言うけど、なんで会長が平然とケース持ってられるのか、信じられない!」

「ええ〜? 近くで見るとうねうねしてて意外とかわいいよ。よく見るとねちょねちょ蠢いてるし」

「そのぬちょぬちょした感じがダメなんです!」

「またまた。そんなこと言って。アリアちゃんも、ちょっと近くで見てごらんよ。ほらほら」

「いーやーでーすー!」

 

 女子二人がキャッキャ言いながら擬音を言い合っている光景は微笑ましかった。ある意味、それがおれの気持ちの油断を誘ったのかもしれない。

 

「あっ」

 

 まず、イト先輩が滑って転んだ。この時点で、支えることができなかったのが、おれのミスである。

 次に、その体が勢いのままにつるんとひっくり返り、その小さな頭がプールサイドの床に叩きつけられた。ここで先輩を抱きかかえることができなかったのも、おれのミスである。

 そして、おれの最大のミスは、イト先輩の手のひらからこぼれ落ちるスライムが入ったケースを、キャッチできなかったことだった。

 

「ぐえっ」

「あ」

「あ」

「あ」

 

 大きく宙を舞うケースは、ぽちゃんと音を立てて、背後のプールに落下した。

 

「……」

「……」

「……」

 

 ぴくぴくと体を痙攣させながら伸びている先輩。無言のまま、顔を見合わせるおれたち。

 スライムのケースが沈んでいった水面を見つめる。

 いやな予感がした。

 いやな直感があった。

 いやな感覚が、頭の中で、全力で警告の音を打ち鳴らしていた。

 

「……ごめん、レオ。やっぱり聞いていいか?」

「……なんだい、親友」

「もしかしてスライムって、水を取り込んでデカくなったりするのか?」

「勘がいいね、親友」

 

 なぜか全体が浮上しつつあるプールの水面を見ながら、めずらしくこれっぽちも笑みを感じられない表情に冷や汗まで添えて、おれの悪友は言った。

 

「ボクも伝説だと思っていたけどね。ごく一部の特殊で優れた個体は、水源を取り込んで成長……街一つを飲み込んだと言われているそうだよ」

 

 目を回したまま動かないポンコツ女を担ぐ。

 

「逃げようぜ」

「賛成だ」

 

 すでに無言のまま、アリアが陸上競技のような素晴らしいフォームで、全力疾走を開始していた。




今回の登場人物

ゼンラくん
裸族差別に一家言ある。
・巨乳◎

ジョウラおじさん
上半身裸。マッチョ。髭面。
・巨乳◎

憲兵さん
全裸と上裸なら上裸がマシだと思っている。
・巨乳◎

レオ・リーオナイン
まるでスライム博士だな……
・巨乳◎

アリア・リナージュ・アイアラス
最初からスライムのことは苦手。
・コンセントレーション
・脱出術
・逃亡者
・先頭プライド
・先駆け
・危機回避
・逃げ直線○
・逃げのコツ○

イト・ユリシーズ
夜ふかし気味。片頭痛。
・道悪☓
・ゲート難

ジルガ・ドッグベリー
インテリマイルドヤンキー。
・巨乳◎

サーシャ・サイレンス
なんちゃってクールビューティー。
・会長◎

スライム(?)
継承に成功した。


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勇者の騎士学校生活。スライムパニック編

 それは間違いなく、人生最高の全力疾走だった。

 人生最高の全力疾走をしながら、おれは声の限り、大きく叫んだ。

 

「先輩方! スライムが来ます! 逃げてくださいっ!」

「なんて?」

 

 間の抜けた質問に、律儀に答えを返している余裕はなかった。おれは最強(笑)のお間抜け先輩ガールを肩に担いでいるので、いちいちそんな問いに答えている暇はない。

 なによりも、おれの背後を見れば、警告の内容が真実であることは火を見るよりも明らかだった。

 

「うおぉおおお!? なんだあれ!?」

「だからスライムだって言ってるでしょうが!」

「退避だ! 全員退避しろ!」

 

 まるで津波のように追ってくる不定形の塊を目撃して、逃げるなという方が無理な話である。ほとんどの生徒が悲鳴に近い叫び声をあげて逃げ出す中、しかしジルガ先輩だけは冷静におれの横に並走してきた。

 

「ゼンラぁ! どうなってやがる! まるでスライムがプールの水を取り込んで巨大化したみてぇじゃねえか!?」

「あ、そうです。合ってます」

「なんでそんなことになった!? スライムが入っていたケースをプールに落とすようなバカがいるか!?」

「はい。頭打っておれの背中で寝てます」

「バカ野郎! だからあれほど会長には気をつけろと言っただろうが!」

「え、これおれが怒られるやつですか?」

 

 それはちょっとさすがに理不尽が過ぎるんじゃないか? 

 

「いやだぁ! あんなヌメヌメの塊、絶対触りたくない!」

「アリアぁ! オメーも泣きそうな顔してるんじゃねえ! オレたち三人に勝ったときの威勢はどうしたぁ!」

「は、はひっ!」

「シャキッと返事しろゴラァ!」

「しゃ、シャキっ!」

「……」

「ジルガ先輩ジルガ先輩。アリアはああいうヌメヌメしたやつ苦手っぽいんでダメです。戦力としては当てになりません。諦めてください」

「くそがぁ!」

 

 言ってる側から、徐々にスライムとおれたちの距離は縮まっていく。

 スライムはあの巨体でヌメヌメしているくせに、予想以上にスピードが早い。

 走りながら漫才をしている場合ではない。このままでは追いつかれてしまう。

 

「ちぃ!」

 

 後ろを見ていたジルガ先輩も、同じことを考えていたのだろう。

 先輩は足を止めると、腰の二刀を即座に抜き放った。

 

「ジルガ先輩!?」

「先に行けぇ! バカどもぉ! ここはオレが引き受け……」

「ありがとうございますっ!」

「せめて最後まで聞けぇ!」

 

 後輩として、先輩の好意は無下にできない。ありがたく、おれは全力ダッシュを続行した。

 対して、七光騎士が誇る特攻隊長は、果敢にスライムに向けて挑みかかる。

 

「ザコスライムが少しデカくなったくらいでイキりやがって! いくぜ! このジルガ・ドッグベリーが、テメーを……」

 

 ぬちゅっ、と。

 挑みかかって、そのまま呑まれた。

 七光騎士が誇る特攻隊長は、やはりセリフを最後まで言い切ることができずにスライムに呑まれていった。

 

「ジルガ先輩ーっ!?」

「そんな、ジルガ先輩が……」

「七光騎士最速とも謳われるジルガ先輩が……!」

 

 唯一露出したジルガ先輩の親指が、びしっと立てられる。「オレはいいから、お前たちだけでも逃げろ」という、おれたちへのメッセージだろう。本当にありがとうございます。先輩の犠牲は……無駄にはしません! 

 不定形の怪物は、その味を堪能するかのように足を止めて、うねうねと蠢めく。結果的におれたちは助かったとはいえ、隣を走るアリアが顔を青くして叫んだ。

 

「じ、ジルガ先輩が! ジルガ先輩が食べられちゃったよ!?」

「食べられちゃったみたいだね」

「食べられちゃったみたいだね、じゃねえ! あれ大丈夫なのか!? 生きてるのか!?」

「安心したまえ、親友。スライムの主食は魔力そのもの。捕食した対象は消化されたり、肉体的な損傷を負うことはない。むしろ生命を維持しなければ、魔力を継続して摂食できないからね。体力は著しく消耗するし、多少苦しい思いもするかもしれないが、死ぬことは絶対にないはずさ」

「お前本当に詳しいな!?」

「ああ! 父の書斎にあったエッチなスライムの本に書いてあったからね!

「エッチなスライムの本に!?」

「あ。今のは忘れてくれ」

「お前、今まで自信満々で語ってた知識、エロ本由来だったのか!?」

「エロ本ではないよ親友。歴史ある官能小説だ」

 

「お前達! 何をしている!」

 

 馬鹿なやりとりをしながら校舎を目指すおれたちに、声が降りかかる。

 この声は! 

 

「ウッドヴィル先生!」

「正面玄関の一箇所だけ開けておいた! 早く飛び込め!」

 

 指示に従って正面玄関に転がり込むのと同時に、まだ校舎に残っていたらしいクラスメイトたちが、ドアを締めて厳重に施錠。さらにどこから持ってきたのかわからない机やロッカーやらで、出入り口を固めて、バリケードにした。

 

「……た、助かったぁ」

「やれやれ。これで一先ずは安心かな?」

 

 床に倒れ込んで息を整えているおれたちの方に、助けてくれたウッドヴィル先生が駆け寄ってくる。

 

「お前たち! これはどういうことだ!? まさか取り寄せたスライムをプールの中に落として水を取り込んで巨大化したわけでもあるまい!?」

「あ、先生。残念ですけどそれで大体合ってます」

 

 状況把握早いな、おい。

 そんな馬鹿な、厳重に管理していたはず……と。呟いた先生は、頭にタンコブを作って目を回しているイト先輩を見て、完全に悟ったような表情になって「ああ、うん」と頷いた。やはり状況把握が早い。生徒のことをよく見て、理解してくれている良い先生である。

 

「しかし、まずいことになったな……」

「というと?」

「今、二年や三年はほとんどいない。あの巨大化したスライムに対処できる人員は、お前たちと私だけだということだ」

 

 言われて、たしかにと頷く。

 そう。今日の訓練では一年生がグラウンドやプールなどの設備を優先して使用する予定だったので、指導役以外の二年生や三年生は、校外学習で出払ってしまっている。当然、引率役として付いていった先生方の多くもいない。そして、校内に残っていた数少ない上級生や先生たちのほとんどは、外で準備をしていた。つまり、逃げ切れていなかった場合、ジルガ先輩のようにあのヌメヌメスライムに呑まれてしまっているだろう。

 ウッドヴィル先生は手を叩いて、この場にいる生徒たちを見回して言った。

 

「誰か! あのスライムの生態に詳しい者はいないか!?」

 

 おれはレオの腕を引っ掴んで前に突き出した。

 

「先生! まかせてください! コイツは子どもの頃からエッチなスライムの本を読んでいたから、スライムに詳しいらしいんです!」

「えっちなスライムの本を!?」

「やめないか親友!」

 

 男子たちがざわめき、女子たちがさっと距離を取った。

 しかし先生は、食い気味に問いかけてくる。

 

「本当かリーオナイン!? えっちなスライムの本を!?」

「いいえ、先生。誤解です。ボクはリーオナイン家の誇りにかけて、決してエッチなスライムの本を読んだりは……」

「リーオナイン。私は一人の教師として、思春期の男子生徒のそういった感情にも理解があるつもりだ」

「いえいえ、ですから決してそのようなことは……」

「あれの撃退にお前の知識を活かしてくれれば、今後一ヶ月、お前の課題を免除してやる」

「ボクのすべてをかけて、エッチなスライムの知識を提供しましょう」

 

 男子たちが歓声をあげ、女子たちはさらに距離を取った。

 これでもうコイツのイメージは残念なイケメンで確定したな……

 

「せ、先生……! バリケードの隙間からスライムが!」

 

 どうやら、ゆっくり対策を話している時間すらないらしい。

 

「くっ、やはり液状のモンスター……バリケードを築いた程度では、侵入は防げないか。リーオナイン! このスライムに、何か有効な攻撃手段はあるのか!?」

「ええ。おそらくこのスライムには、炎熱系の魔術が有効なはずです」

「本当か? 頼っておいてこんなことは言いたくないが、情報源は明確に……」

「具体的には流水系の高位の魔導師は文字通り成す術もなく捕まって、あんなことやこんなことをされていましたが、炎熱系の魔術が使える魔術士は、そこそこ抵抗したあとに涙目で取り込まれていました」

「すまない。そこまで明確にしなくていい」

 

 そんなやりとりをしている間にも、液状のスライムはバリケードの隙間から漏れ出るように侵入してくる。

 

「ちっ……迷ってる時間はない、か。全員、武器を取れ! 炎熱系の魔術を使える者は、準備をしろ! 一斉に火を放つぞ! 校舎を多少焦がしても構わん! 思い切りやれ!」

 

 先生の号令で、炎熱系の魔術を習得している数人が、前に出る。

 

「撃て!」

 

 合図と共に、小規模とはいえ複数の炎が漏れ出るスライムに直撃。水と炎が反応して、水蒸気が空間に満ちる。

 

「うおっ……!?」

「効いてる……! 効いてるぞ!」

「やったか……?」

 

 その瞬間。

 やったか、と。安堵して呟いた一人の足元にスライムが絡まり、持っていかれた。

 

「うわぁぁぁぁぁ!」

「ああ、うん。やっぱり、火力が足りないみたいですね」

「レオくんのバカっ! これじゃ怒らせただけじゃん!」

 

 アリアが叫んで、レオの頭をぽこじゃかと叩く。

 プールの水を取り込んでそのまま大きくなった、ということは。あのモンスターの性質は、水そのものに近いのだろう。だから、炎をぶつけて蒸発させる、というレオの提示した対策は、きっと間違いではない。

 ただし、大量の水を取り込んでしまったあのスライムを焼き尽くすには、圧倒的に熱量が足りていないのだ。

 スライムの真っ先に目をつけたのは、やはり先頭で陣頭指揮を取っていたウッドヴィル先生だった。悪意に満ちた粘液の触腕が、女性らしい丸みを帯びた体に絡みつく。

 

「くっ、お前たちだけでも……逃げろ!」

「先生ーっ!?」

 

 銀髪褐色巨乳でスタイル抜群の先生が、ヌメヌメのスライムに絡まれて取り込まれていく。

 おれはあまり嘘を吐きたくない質なので正直に言うが、おれを含めた男子生徒のほとんどが走りながら背後を振り返って、その光景を脳裏に焼き付けた。意図しての行動ではない。動物的な本能に基づいた反射行動である。

 

「ウッドヴィル先生がスライムに!」

「なんてことだ……本で読んだシーンよりえっちだ」

「バカ野郎! 冗談言ってないで逃げるぞ!」

 

 こうなってしまっては、もう上に逃げるしかない。

 廊下は走るな、という基本的な学校規則を無視して、階段に向かってひた走る。追いすがってくるスライムの先端を剣で切り払ってみるが、気休めもいいところだ。どんなに鋭い刃でも、流体のスライムに対しては鈍らも同然。思い切り剣先を振るって当てるのが精々である。

 

「もうやだーっ! こっち来ないで!」

 

 唯一、アリアの振るう剣だけはよく効くのか、刃を浴びたスライムがぎょっとしたように仰け反って距離を取る。理由は単純。刀身が、アリアの魔法によって赤熱しているからだ。

 

「アリア! お前の魔法でどうにかできないか!?」

「無理無理無理! 剣を熱したら効果はあるみたいだけど、あんまり温度を上げすぎちゃうと、刀身の方が保たないし……」

 

 アリアの魔法は、触れたものの温度を上げることができる。剣を熱して刀身の温度を上げれば、スライムを焼き切ることができるとはいえ……アリア本人がスライムを苦手にしているので、このままではまずい……

 

「来ないでーっ!」

 

 普段は聞けない女の子っぽいちょっとかわいい声を上げながら、アリアは襲ってくるスライムを焼いては切り捨て、切り捨てては焼いていく。おそらくこの場限りアドリブだと思うが、他の生徒の剣を拾い上げて、果敢に二刀流で大立ち回りを演じながら、刀身温度が上がりすぎて消耗した剣は捨てて、持ち替えていく。

 

 ……いや、強いな。アリアさんすごく強いな? 

 

 あれ? これなんか、意外と大丈夫そうじゃないか? むしろスライムに対して有効な手段がない自分のことを心配するべきじゃないか? 

 

「親友! ここは二手に分かれて追ってくるスライムを分散させよう!」

「賛成だ! アリア! おれはレオと行く! 死ぬなよ!」

「なんでぇ!? なんであたしだけ置いてくの!?」

「いやだってお前なんか大丈夫そうだし……」

 

 言いながら、捨ててきたイト先輩のことを思い出す。

 

「あ、やっべ。先輩のこと忘れてた……」

「問題ない。すでに会長は回収したわ」

「うおっ!? いたんですかサーシャ先輩!?」

 

 いつの間にか会長を背負って隣を走っていたのは、クレイジーサイコレズ……ではなく、サーシャ先輩だった。

 

「私はこちらから逃げるから、あなた達はいい感じに囮になってあっちの方から逃げなさい」

「先輩に向かってこんなこと言うのもあれですけど、少しはジルガ先輩のこと見習った方がいいですよ?」

「すべては会長のためよ」

「あ、はい」

 

 とはいえ、意識のないイト先輩を放置しておくこともできないのは事実。

 ポンコツ会長のことはサーシャ先輩に任せて、おれとレオは階段を駆け上がる。と、まるでスライムの進路を塞ぐように、机や椅子が折り重なって落下してきた。

 

「二人とも、無事か!?」

「グラン先輩!」

 

 やった! ようやく常識人枠のまともな人が助けに来てくれた! 

 先輩に誘導されて教室の中に飛び込み、追ってきたスライムをやり過ごす。

 

「アイアラスはどうした? 一緒じゃないのか?」

「アリアは置いてきました。おれたちがこの先の戦いにはついていけそうになかったので」

「そうか……ん?」

 

 グラン先輩がおれの文脈のおかしさに気づく前に、質問を重ねる。

 

「先輩、他のみなさんは無事ですか?」

「いや……あのスライムは正面玄関以外からも侵入してきている。応戦はしたが……俺やサーシャ以外の人間はほとんど呑まれてしまった」

「そんな……」

「気を落とすのは早いよ、親友。きっとこの中に、反撃の糸口に繋がる情報が隠されているはずだ」

 

 言いながら、レオは黒い装丁のハードカバーのページを、懸命に捲って読み込んでいる。

 

 あ? 

 

「お前、そのエロ本持ち歩いてたのかよ!?」

「エロ本じゃない! 『怪物の誘惑と蜜〜咲き狂う華達〜』だ!」

「エッチなタイトルだな……」

「なんだ、そのエッチそうな本は」

 

 意外にも、グラン先輩が興味津々といった様子で手元を覗き込んでくる。

 

「いや、こいつ、スライムに詳しいんですけど、そのエロ本から知識を得ていたみたいで」

『怪物の誘惑と蜜〜咲き狂う華達〜』か。なるほど。たしか、そのタイトルは発禁処分を受けて、絶版になった一冊のはずだ」

「グラン先輩?」

 

 なんでそんなこと知ってるの? 

 なんでちょっと詳しそうなの? 

 

「先輩、まさか!」

「恥じることはない、リーオナイン。こう見えて、俺も健全な男子学生の一人だ。男として、そういったタイトルに関しても、多少は嗜んでいる」

「先輩! 先輩と呼ばせてください!」

「言ってる場合か!」

 

 叫んだ瞬間に、スライムが外の窓を突き破って侵入してきた。

 

「うお!?」

「危ない! ボクの聖書が!」

 

 手元を狙ってきたスライムを回避したレオは、逆転の鍵であるエロ本をグラン先輩にパス。グラン先輩も、逆転の鍵であるエロ本を丁寧にキャッチ。早速開いて、中身を確かめる。

 

「ほう。これはこれは……」

「先輩! スライムのところ! スライムのところを読んで弱点を探してください!」

「ああ、わかっている! リーオナイン! スライムのえっちなシーンは何ページからだ!?」

「二章の134ページからです!」

「お前シーンのページ数暗記してるのか!?」

「ボクの頭脳を以てすれば、些細な努力だよ親友」

「べつのことに使え!」

 

 おれとレオは必死に剣と槍を振るいながら、グラン先輩がページを捲る時間を作る。

 

「先輩っ! 何かわかりましたか!?」

「ああ……触手のシーンもえっちだ

「それ絶対違うページでしょ!?」

「すまない。好きなんだ」

「あ、わかります。いいですよね、四章の女冒険者が落とし穴にかかって触手に呑まれるシーン」

「ああ……良い」

「スライムのとこ! スライムのとこを読んでください!」

 

 おれがやけくそ気味に叫んだその瞬間、天井からみしりと嫌な音が響き、粘液が漏れ落ちてきた。

 うおっ、やば……! 

 

「避けろ!」

 

 警告の声だけでは間に合わない、と判断したのだろう。一歩下がっていたグラン先輩はおれたちとスライムの間に飛び込んで身代わりになり、体を廊下へ突き飛ばした。

 

「せ、先輩!」

 

 起き上がると同時、目が合ったグラン先輩は「ふっ……」とニヒルな笑みを漏らしながら、まだなんとか動く腕で本を投げ返してくれた。そして、おれたちの間にある扉を、がっちりと閉める。

 

「だめです先輩! それじゃあ先輩が……!」

「いや、俺はもうダメだ。お前たちだけでも逃げろ」

「グラン先輩!」

「リーオナイン。もし俺が、無事に生きて帰れたら……その本、また貸してくれ」

 

 それが、おれたちを守ってくれた先輩の、最後の言葉だった。

 

「グラン先輩ぃいいいい!」

 

 くそっ……めちゃくちゃ愉快な一面があるってわかったばっかだったのに! 

 

「親友……これは、ちょっとまずいかもね」

 

 気がつけば、おれたちは四方をスライムに取り囲まれていた。

 有効な攻撃手段はない。

 剣も槍も、まともに効かない。

 唯一、役に立ちそうなのは、この手元のエロ本のみ……

 

「万事休す、か……」

 

 

──若人の諦めが早いのは良くないぞ

 

 

 渋くて、良い声音だった。

 その声が聞こえたのと同時に、おれたちを囲っていたスライムの一角が、粉々に吹き飛んだ。

 は? 吹き飛んだ?

 液状の、スライムが……?

 

「やれやれ。何か騒ぎが起きているようだったから、急いで来てみれば……まさか取り寄せたモンスターが暴走しているとは」

「あなたは……!」

 

 粉塵の中から顔を出したのは、一人の騎士だった。

 質実剛健な造りの甲冑。

 灰褐色のマント。

 薄くヒゲを生やした、彫りの深い顔立ち。

 そして、王都に五人しかいない騎士団長の位を示す、肩章。

 見覚えが、あった。

 おれは、その名を叫ぶ。

 

「巨乳好きの上裸おじさん!」

「まってくれ」




「勇者様への第一印象は?」
「クソガキでしたね」
「え?」
 インタビューに応じた現役最強の騎士団長は、にこやかに答えた。
〜勇者秘録・二章『勇者、その青春』より〜
※出版にあたって本文の表現は差し替えられています


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勇者の騎士学校生活。スライム攻略編

 巨乳好き上裸おじさんは、尻餅をついたままのおれに手を差し伸べて、言った。

 

「やれやれ。自己紹介がまだだったな、少年」

「きょ、巨乳好き上裸おじさん! 

「自己紹介がまだだったな、全裸少年

「失礼しました。お名前を伺ってもよろしいですか? おじさん」

 

 このままだと、呼び名で醜い争いがはじまりそうだったので素直なおれは名前を尋ねることにした。このおじさん、明らかに強そうだし、殴られたら痛そうだ。

 

「グレアム・スターフォード。王都の守りを預かる、第三騎士団の団長だ。あらためてよろしく」

「え?」

「いや、え?じゃないが」

「巨乳好きの上裸おじさんが騎士団長?」

「こんなにかっこよく颯爽と助けに現れたんだから、そこはシンプルに感謝してくれ」

 

 口ではからかってしまったが、おじさんの正体が騎士団長なら、いろいろと合点がいくことが多い。具体的には、憲兵のおっさんがおれには服を貸してくれなかったけど、おじさんにはすぐに貸した理由に納得がいく。いや、やっぱり納得はできないな。全裸差別反対。

 

「どうしてこんな愉快な状況になっているんだ?」

 

 苦笑いするおじさんに手を握られて引き上げられた瞬間、おれは「お?」と思ってしまった。

 まず、手の皮が分厚い。剣を何年も握って、鍛錬を重ねてきたのが素人目にわかるくらいだ。

 次に、手の力が強い。痛い、というほどではなかったけれど、さり気なくおれの手を取っただけで「あ、この人は握力が強いんだな」というのがひしひしと感じられるくらい、がっちりと手のひらをホールドされる感覚があった。

 最後に、体幹がヤバい。おれの体を片手で引き上げて起こすのに、体のぶれが一切なかった。なんというか、芯の強さが感じられてすごい。

 

「あー、えっと……うちの生徒会長が、スライムの入ったケースをプールの中にぶちまけてしまって」

「なるほど……イトのヤツ。気を抜いたらドジを踏むところはまったく変わってないな」

 

 ん? その口ぶりだと、なんかおじさんと先輩が知り合いみたいに聞こえるんだが……? 

 おじさんは、おれの様子を確認してから、次にレオの方を見た。

 

「そちらの少年も大丈夫か?」

「はい。お気遣いありがとうございます」

「よし。では脱出を……ん?」

 

 おじさんの目が、レオの手元に止まる。

 レオがまるで宝物のように抱えている、黒い装丁に。

 

「その本は……」

「ああ、エロ本です」

「親友! エロ本じゃないと言っているだろう! これは……」

「これは『怪物の誘惑と蜜〜咲き狂う華達〜』じゃないか!?」

 

 おじさんが、目を輝かせて食いついた。

 なに? グラン先輩といいおじさんといい、なんでみんなこのタイトル知ってるの? そんなに有名なのかこのエロ本? もしかして無知なのはおれの方だったりするのか? 

 

「しかもこのカバー……このタイトルの印字……これはもしや、初版じゃないか!?」

「っ……! さすがは騎士団長。お目が高い!」

「それ絶対騎士団長関係ないだろ」

「いやあ、懐かしいな。俺も昔はこの本を読んで大きくなったものだ」

 

 どこを大きくしたんだろう、と。おれはおじさんの下半身を見た。

 

「おっと、無駄話をしている暇じゃなかったな。とりあえず、ここから出よう。少年たち、舌噛むなよ」

「え、ちょ」

 

 スライムがまた取り囲む動きを見せる前に、おじさんの判断は早かった。まずは、また雑に剣を一閃して、壁を切って吹っ飛ばす。

 そして、おれとレオをまるで藁でも持つようにひょいと脇に抱えて、もはやスライムの巣のようになりつつある校舎から飛び降りた。結構な高さから、しかも人間二人分の重さを抱えて落下したにも関わらず、足に魔力を回したおじさんの着地は、驚くほどやわらかかった。

 

「手荒くなってすまんな。もう中に残っているのはきみたちだけか?」

「あ、いや。友達の女の子が……」

「なに? まだ中に女子生徒がいるのか? それはまずいな……早く助けに行かないと」

「ああ……でも、多分大丈夫だと思います」

 

 と、言ってる側から、スライムの一角が焼き切れて吹っ飛んだ。

 

「二人のバカ! バカバカバカっ! なんであたしだけ置いてくの!? 最低! 信じらんない!」

 

 おれとレオへの文句と、焼き切ったスライムを撒き散らしながら、両手に赤熱させた剣を握りしめて、のしのしと。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、アリアが現れた。

 どうやら、自力でのスライム包囲網から脱出に成功したらしい。魔法の相性問題もあるとはいえ、マジで強いな……アリアを置いていくというおれとレオの戦略的判断は、どうやら間違っていなかったらしい。

 明らかに一歩、身を退いてひきつった顔でおじさんは言う。

 

「おい少年……なんかあの子、きみよりも強そうだぞ?」

「そうなんですよ。なんというか、おれももっとがんばらなくちゃって気持ちになりますよね」

「えぇ……?」

 

 おじさんは困惑した顔をしているが、おそらくこの人も純粋な魔力出力とそれに伴うパワーでスライムをぶっ飛ばしているので、どっちもどっちだとおれは思う。

 さらに、校舎のべつの一角ががらがらと切り崩され、そこから今回の事件の張本人が出現した。

 

「やあやあ、お待たせ。後輩くん」

 

 なんだろう。この人たち、いちいち校舎を破壊しないと登場できないのだろうか? 

 黒の肩幕を翻し、解けた黒髪を振り乱して、この学校の最強がおれの傍らに着地する。

 

「あ、イト先輩。ようやく起きたんですね。はやく仕事してください」

「……」

 

 おれの素っ気ない反応に、振り返った先輩は明らかに頬を膨らませて文句を言った。

 

「あのさぁ……後輩くん。せっかくこんなに美人で強い先輩が復活して、颯爽と助けに来たんだから、もっと目を輝かせてくれてもいいんだよ? 両手を握りしめて腕を振り上げて歓声をあげてくれてもいいんだよ?」

「先輩がそもそも足を滑らせなきゃこんなことになってないんですよ。その頭にこさえたタンコブはやくしまってください」

「……はいはい。そうだよね。そもそも、ワタシが足を滑らせていなければこんなことにはなってないもんね。うんうん、ワタシはどうせ……」

 

 言われてから頭を抑えて、しゅんと肩幕を羽織った肩が下がる。

 明確にしょんぼりモードになった会長をフォローするように、続いて降り立ったサーシャ先輩が、おれのことを睨み据える。

 

「ちょっとゼンラくん! 会長は打たれ弱いのよ!? もっと喜んで会長すごい!会長最強!と声の限り褒め称えなさい!」

 

 この人、最強名乗ってるくせにメンタルだけはガラスみたいな強度だな……

 じっとりとした目でしょんぼりイト先輩を眺めていると、おじさんが先輩に声をかけた。

 

「イト。お前何やってるんだ? 学校がもうめちゃくちゃじゃないか」

「グレアムおじさん!? なんでここにいるの!?」

「これだけの騒ぎになれば、騎士団長の一人や二人、駆けつけるのは当然だろう?」

「う、たしかに……」

「失礼ですけど、お二人はどういう関係なんですか?」

 

 おれが問いかけると、イト先輩は自分の体重を預けるように、おじさんにもたれかかった。

 

「んー、ワタシを騎士学校に推薦した人で、あと保護者……かな?」

「どうも保護者です」

 

 おじさんは素知らぬ顔でピースしているが、なんかこう、関係性を明らかにされても犯罪臭がすごいな。

 

「それで、グレアムおじさん。もう収集がつかないような状況になっているわけだけど……騎士団の人たちはまだ来ないの?」

「俺だけ道を無視して最短ルートで来たからな。到着にはもう少しかかるだろう。とはいえ、俺の部隊の到着を待っている時間はない。あのスライムを市街地の方に向かわせるわけにはいかないからな。捕まった生徒たちや教師たちも、命の危険はないとはいえ、なるべく早く助けてやりたい」

 

 というわけで、と。言葉を繋いだ騎士団長は、寄り掛かっていたイト先輩の背中を軽く押して言った。

 

「俺たちで、あのスライムを倒してしまおう」

「え……? おれたちだけで、ですか?」

「ああ。元々、今日は合同実戦演習の予定だったろう? いろいろとイレギュラーが重なったとはいえ、あれだけ大きく成長したスライムを倒せるチャンスなんて中々ないぞ。経験を積む良い機会だ」

 

 言いつつ、剣を地面に突き立てたおじさんは、レオからエロ本を受け取り、おもむろに開いた。

 いや、なに当たり前のようにエロ本開いてるんだ? 

 

「作戦は俺が立てる。きみたちは、おれの指示に従って動いてくれ」

「その本開く必要あります?」

「もちろんだ。この本にはスライムの生態が事細かに記されている。官能的な描写もさることながら、モンスターの生態を描いた本としても、学術的な価値が非常に高い一冊だ」

「フッ……照れますね」

「お前は親父さんの書斎から本パクってきただけだろ。照れるな」

「レオくん、あの本なに?」

「男の聖書だよ、アリア」

「アリア、このバカの言うことは気にしなくていいぞ」

 

 パラパラとページを捲りながら、至極真面目な表情で中身を読み込み、おじさんは続けて言う。

 

「この本によると、スライムには大量の水分を取り込んで巨大化する変異種が存在する。通常の剣では刃は通らず、かといって炎熱系の魔術も焼け石に水で効果が薄い。中に取り込んだ人間の魔力を吸っているから、スタミナも充分だ。持久戦はこちらに不利になるし、取り込まれた人間を助けながら倒す必要がある」

「グレアムおじさん。なんで話しながら中腰になってるの?」

「生理現象だ。イト」

「うわ……」

 

 イト先輩はゴミクズを見るような表情で、自分の保護者から一歩身を引いた。当然の反応だと思う。

 

「ふぅ……さて、そこの二刀流の物騒なプリンセス」

「……?」

「こっち見んな。お前に決まってるだろ」

「きみの存在が、あのスライムを倒す鍵だ」

「あたしが、ですか?」

「ああ。きみの魔法は、触れたものの温度を操作することができると見た。違うか?」

「は、はい。たしかにあたしの魔法は、触れたものの温度を上げることができますけど……」

「ならば、よし」

 

 グレアムさんはアリアを片手で拝んだ。

 

「隣国の王女にこんなことを頼むのも恐縮だが、今のきみは我が国の騎士学校で訓練に励む、騎士学生だ。非常事態には、できることをやってもらわなければならない」

「……わかりました! あたしにできることがあれば、なんでもやります! がんばります!」

「良い返事だ。では……」

 

 王国最強の五人。その一角に名を連ねる騎士団長は、にっこりと笑いながら言った。

 

「制服を脱いで、スクール水着に着替えてきてくれ」

「は?」




今回の登場人物

そろそろ全裸から卒業したい少年
 年頃なのでそろそろエロ本の中身が気になってきた。

レオ・リーオナイン
 親友にはやく本を貸してあげて感想を共有したいと思っている。

アリア・リナージュ・アイアラス
 泣き虫最強二刀流プリンセス。
 ん? 今なんでもするって言ったよね?

イト・ユリシーズ
 パパ活。

サーシャ・サイレンス
 会長活動。略してカイカツ!はじめます!

グレアム・スターフォード
 巨乳好き上裸おじさん。今回はちゃんと服と鎧を着て生徒たちを助けに来た。イト・ユリシーズの保護者兼後見人。
 王都第三騎士団の団長。元々身分と才能に恵まれた人間が就任することが多かった騎士団長という職に、平民の出でありながら24という年齢で上り詰めた俊英。魔力による基礎的な肉体強化とそれに絡めた剣技が図抜けて優れており、魔法の性質や相性などはあるものの、この頃から五人の騎士団長の中で最強と言われていた。
 勇者パーティー以外で、魔王と直接交戦して生き残った数少ない一人。


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勇者の騎士学校生活。スライム討伐編

 そのスライムは、もはや校舎全体を覆いきりそうな勢いで巨大化し、広がっていた。

 今からこれを、みんなで協力して倒す。やらなければならないと頭ではわかっていても、本当に討伐が可能なのかどうか。

 

「よーし、学生諸君。作戦は説明した通りだ」

 

 しかし、そんな不安を根底から塗り替える声は、どこまでも落ち着いていた。

 

「まずは俺が前に出て適当にスライムをいい感じにあしらいながら……ほどよく削って弱らせるから……そしたらきみたちも、なんか良いタイミングで入ってきなさい」

 

 落ち着いてたが、おじさんの指示はやはり雑だった。

 

「では、はじめよう」

 

 言い出しっぺが、なんとやら。

 騎士団長は軽い調子で剣を肩に担ぐと、先頭に立ってスライムに向けて突貫した。

 作戦を簡単に説明された時、おれは「一人で大丈夫なんですか?」と彼に聞いた。巨乳好きで上裸だったおじさんは「大丈夫だ」とあっさり返答した。

 その答えの証明が、おれの目の前で雄弁に繰り広げられる。

 結論から言ってしまえば、スライムの触腕は騎士の鎧に触れることすら叶わなかった。

 振り上げる一撃の、剣圧が重い。炸裂する一撃の、剣閃が鋭い。

 重さと鋭さを伴う攻撃を呼吸のように繰り返しながら、それでいてスライムの触腕を避ける足取りは余裕を保って、どこまでも緩やかで軽く。

 重いのに、軽い。そんな強さの矛盾の塊を、ありありと見せつけられる。

 

「よく見ておきなよ。後輩」

「先輩」

 

 いつの間にか隣に立っていたイト先輩は、どこか得意気な表情で言葉を紡いだ。

 

「勇者になる、っていうのは……アレより強くなるってことだよ」

 

 言われた意味に、ごくりと生唾を飲みこむ。

 

「イト! サボってないでちゃんと働け!」

「はいはいわかってますよ。おじさん」

 

 軽い返事をしながら、イト先輩が前に出る。

 抜かれたのは、通常の剣よりも細く薄い得物。よく手入れされた片刃の刀だった。

 

「イト先輩」

「ん?」

「さっきはすいませんでした。おれ、先輩のかっこいいところがみたいです」

「ほおほお、ほお。ふんふん、そっかそっか」

 

 軽く。しかし満足そうに頷いた先輩は、何を思ったのか。地面に片膝をついて、おれに後頭部を晒した。そして、飾り気のないヘアゴムを差し出される。

 

「髪、結んでくれる?」

「……おれ、あんまりそういうのうまくありませんよ?」

「いいのいいの。ワタシがやってもらいたいだけだから。さあさあ、早く早く」

 

 ヘアゴムを受け取って、艷やかな黒髪に触れる。女の人に髪に触るのは、やはりちょっとドキドキする。とはいえ、目の前で戦闘が繰り広げられているのに、呑気に髪型のオーダーを聞いている時間もない。おれはイト先輩の黒髪を、手早くポニーテールに括った。

 

「お、いいねいいね。意外とうまいじゃん」

「そうですか? 普通だとおもいますけど」

「ポニーテールも、きれいに結ぶのは意外と難しかったりするんだよ?」

 

 馬の尻尾を、一房。軽く頭を振って揺らしたイト先輩の横顔は、どこか上機嫌で。

 ざり、と。砂を踏みしめる靴の音が、やけにはっきりと聞こえた。

 

「じゃあ、ちょっとは良いところ見せちゃおっかな」

 

 跳ねた。

 小柄な体が、飛ぶように。否、実際に飛翔するように宙を舞って、スライムの塊に突貫。そのまま、振り上げられた細い刃が流体に切り込みを入れて、一刀両断する。

 一刀両断、した。してしまった。

 

「は?」

 

 あ? 斬った!? 

 あのやわらかいスライムを!? 

 

「よしよし。どんどんいこうか」

 

 呟きながら、加速する斬撃は止まらない。むしろ振り抜かれるごとに、使い手の昂りをそのまま表すかのように、キレと勢いが増していく。

 スライムの切断を可能にしているのは、先輩の魔法だろうか? 

 斬撃の合間に織り交ぜ、炸裂する火炎は、魔術に依るものだろうか? 

 疑問と興味が、心の中から湧き出て尽きない。今のおれよりも明確に実力が上だと断言できる人間が、目の前で戦い方を見せてくれている。その事実を、噛み締めて、咀嚼する。

 

 考える。

 

 おれは、あの二人の、何を盗めるだろうか? 

 

「良い顔をしているな、少年」

 

 スライムの相手を、一旦イト先輩に任せて。傍らに着地したおじさんは、おれの顔を覗き込みながらそんなことを言った。

 

「貪欲な目だ。俺たちの動きを見て、何か掴めたか?」

「……いえ。正直、自分がおじさんと先輩の動きについて行けるイメージは、あまり湧きません」

「それでいい。己の力を正しく客観的に評価できるのは、戦場で生き残るために大切な資質だ。しかしあれを倒すためには、突っ立ってないで手伝ってもらわなきゃ困る。きみが持っている魔法の性質を簡単に教えてくれるか?」

「……おれの魔法は、自分自身と触れたものを、鋼の硬さに変えることができます」

 

 魔法の本来の特性は伏せて、おれはおじさんの質問に答えた。現状、おれが使える魔法は『百錬清鋼(スティクラーロ)』しかないので、嘘は言っていない。

 

「……ふむ。良い魔法じゃないか」

「でも、今はあまり役に立ちません」

 

 自分の体を硬くしても、丸ごと呑みこもうとしてくるあのスライムには関係ない。常に流動する水のような状態のスライムを、硬くすることもできない。

 しかし、おじさんは首を傾げた。

 

「なぜ、役に立たないと考える?」

「え?」

「できないと思うな。やれないと考えるな。想像を現実に、不可能を可能にするのが魔法だ」

 

 落ち着いた声音から紡がれる、その一言一句が。

 おれの心の中になぜか沁み入るように響いた。

 

「あのモンスターを見ろ、少年」

 

 肩に、手を置かれる。

 

「きみの魔法は、触れたものを固くできる。物体の硬度を変えられる。まずはそれを強く意識しろ」

 

 スライムを、見る。

 常に流れ動く、不定形の本質を考える。

 

「逆に聞こう。なぜあれを硬くできない、と思う? それはあれが生物で、やわらかいもので、きみの中にあれを固めるイメージがないからだ。そういう固定観念を、きみが心の中に持ってしまっているからだ」

 

 固定観念。思い込み。

 

「魔法を使うのに、それはなによりも邪魔なものだ。捨てろ。そして、考えろ。あれをきみの魔法で(かた)く……(かた)めてしまったら、ヤツはどうなると思う?」

 

 ニヤリ、と。おじさんは悪い笑みを浮かべた。

 

「とても愉快なことになる気がしないか? さあ、わかったら、臆さずいけ」

 

 背中を、強く押されて。おれはスライムに向けて駆け出した。

 呼吸をする。集中をする。想像をする。

 そう。イメージだ。必要なのは、強いイメージ。

 スライムの触腕に触れた瞬間。取り込まれる前に魔法を発動させなければ、おれはあっという間にあの気持ち悪いぶよぶよに呑み込まれてしまうだろう。一度呑まれてしまえば、それでアウトだ。後から魔法が効いたとしても、もう遅い。自分の周りを固めてしまったら、むしろそれは己の首を絞めるだけだ。

 しかし、スライムがおれに触れてきた、その瞬間。正しく、素早く、魔法を作用させることができれば……

 

「そう。やればできるじゃないか」

 

 硬く、固めた触手を、弾くことができる。

 どこにものを考える頭があるのかは知らないが、自身の体の変化に驚愕したのだろう。ぎょっとしたように動きが硬直し、スライムの触腕はおれを襲うのをやめた。

 ならば、と。

 今度は逆に、おれの方からスライムの体に触れて『百錬清鋼(スティクラーロ)』を発動させる。

 

 イメージは、ゼリーを固める感覚に近い。

 

 瞬間、硬化した部位のスライムの動きが、明らかに鈍った。さらに困惑を重ねたように、痙攣を起こして麻痺したかのように、動きそのものが目に見えて止まった。

 

「おお、こりゃいいねえ!」

「ああ、これは助かる」

 

 溌剌とした声が、重なって響く。

 

「「──斬りやすくなった」」

 

 鋼の硬さ。それがどうした、と言わんばかりに。

 先輩とおじさんの斬撃が、硬化して動きが静止した箇所を、あっさりと切り分けた。先輩が斬った箇所は、切断面がそのまま張り付きそうなほどに、滑らかに。おじさんが斬った箇所は、切断したというよりも、ハンマーで無理やり砕いたかのように、粉々に破断される。

 あれ? 

 おれの魔法、ちゃんと発動してるよな? 

 これ、ちゃんと鋼の硬さになってるよな? 

 

「……スライムを硬くしたら、お二人の攻撃が通らなくなるかなと思ったんですけど、いらない心配でしたね」

「ん? ああ、そういう心配はまったくしなくていいぞ。基本的に、おれもイトもなんでも斬れるからな」

 

 なんでだよ。

 

「そうそう! 後輩くんはその調子でスライムを固めて、がんがん動きを鈍らせて! そしたらワタシたちが、じゃんじゃん斬って削っていくからさ!」

 

 やっぱりおかしいだろ。

 でも、それならたしかにいけるか? 

 と、安心したのも束の間。おじさんと先輩が斬ったスライムの塊が、どろりと液状に戻り、取り込んでいた人たちを吐き出した。そして、本体に戻ろうと怪しく蠢き出す。

 

「うおっと!?」

 

 連結、合体。再構築。

 完全にわかれて別個体になったスライムが、怒り狂って襲いかかってきた。おれが触れている部分から離れて、硬化の作用が効かなくなったからだろう。

 手を離して、一度後退する。

 

「む。やはり本体から完全に切り離しても、動いて元に戻ってしまうか」

「これ、細かく刻んでも意味がなさそうだね」

 

 言いながら、スライムを見るイト先輩の瞳の、片目の琥珀色が、濃い赤色に変化する。

 ……ちょっとまってくれ。

 ただでさえ魔法持ちでめちゃくちゃ強くて最強なのに、もしかしてこの先輩、特別な『魔眼』の類いまで持っていらっしゃる!? 

 

「イト。あと何人、中に残ってる?」

「さっき切り落とした部分に結構固まってたから、もう数人だよ。後輩くん! もっかいさっきのやれる!?」

「言われなくても、やりますよ!」

 

 先輩と、動きを合わせて、再び前に出る。とはいっても、おれはついていくので精一杯で、イト先輩の方が合わせてくれた形だ。

 硬化させて動きを止めてからの、再びの斬撃。

 今度は頭頂部に近い部分を掻っ捌いたイト先輩とおじさんは、そこから数人を引きずり出した。

 

「お、ジルくんみっけ!」

「うぅ……ヌメヌメする」

「サーちゃん! ジルくん抱えて連れてって!」

「承知しました。正直ヌメヌメで触りたくないですが」

 

 文句を言いながらもしっかり仕事をするサーシャ先輩が、生まれたての子鹿みたいになってるジル先輩をキャッチして離脱する。

 

「お、大丈夫かナイナ」

「ぐ、グレアム!? なんで貴様がここにいる!?」

「お前を助けに来たに決まっているだろ?」

「ふ、ふざけるな! 貴様はいつもそうやって……」

「ああ、すまない。お前の生徒をちょっと借りているぞ」

「ちょっとまて!? 私の生徒たちに危険なことはさせてないだろうな!?」

「ああ。お前を助ける手伝い程度しかさせてないよ」

「貴様ぁ!」

 

 一方で、おじさんはどうやらウッドヴィル先生とも顔見知りらしく、全身ヌメヌメになってる先生を抱きかかえながら、ラブコメに興じている。冷静に考えて担任の先生がおじさんとラブコメしてるところを見るのは、中々心にくるものがあるな……正直、あとにしてほしい。今、ウッドヴィル先生、全身ヌメヌメでえっちなことになってるし。

 

「スターフォード団長! 助け出した人たちは全員離れました!」

「よし。ご苦労、槍の少年。じゃあ、コイツも頼む」

 

 レオもしれっと救出した生徒たちを避難誘導していたらしく、報告を受けたおじさんはウッドヴィル先生をレオに向かってぽいっと放り投げた。めちゃくちゃ興味があるので、二人がどういう関係なのかはあとでじっくり聞くとしよう。

 スライムを中身まで透かすようにまじまじと見詰めながら、イト先輩がサムズアップした。

 

「うん、大丈夫そうだね。 おじさん! もう中に人はいないよ」

「準備完了だな」

 

 頷いたおじさんは、おもむろに振り返った。

 そこには、制服のブレザーも、シャツも、スカートも、すべて脱ぎ捨てて、水着に着替えたアリアがぷるぷる震えながら立っていた。靴とハイソックスは履いたままなのでちょっとなんかこう、うん……なんだろうな……これはこれで魅力的でとてもありだと思います。

 赤面したままのアリアに、おじさんが告げる。

 

「さて、プリンセス。俺は騎士で紳士だから、事前に確認しておくんだが……(ケツ)を触ってもいいか?」

「え。いやです」

「よし。ありがとう」

「質問した意味は!?」

 

 おじさんは水着姿のアリアを抱えると、スライムに狙いを定めて両足を広げ、深く腰を下げてための姿勢を作った。

 

「いくぞ。女子をスライムに向けて全力投擲するのは、俺もはじめての経験だ。失敗したらごめんな」

「いや、ちょっとま」

「どっせい!」

 

 アリア・リナージュ・アイアラスが、飛ぶ。

 王国最強の騎士団長という砲身から、一国の王女が、一発の砲弾の如く。スライムという目標に向けて射出される。

 これ非常時で誰も見てる人がいないからいいけど、普通に国際問題になりそうだなとおれは思った。

 

「いやぁあああ──へぶっ!?」

 

 プリンセスキャノンは、狙い違わず、スライムの中心に着弾。あのヌメヌメを心底嫌っていたアリアの表情が、ここからでもわかるほど蒼白に染まり、そして歪む。

 水着の女子生徒を、切り札の砲弾代わりにして投擲した騎士団長は、すでに勝利を確信した表情になっていた。

 

「繰り返しになってしまうが、魔法というのはつまるところ、想像の力だ。自身が置かれた状況や心の在り方で、その威力や性質は、いくらでも変化する」

 

 アリアの魔法は、触れたものの温度を上昇させる。

 しかし、アリア本人がスライムに触れるのを嫌っていたが故に、触ることで発動する魔法の本質を活かすことができなかった。あるいはおれのように、スライムの一部に触れたとしても……その全体を強く熱っするイメージを、アリアは持つことができなかったかもしれない。

 だが、今。アリアは拒否権すらなくスライムの中央に投げ込まれ、そして体に張り付いた水着という薄布の上から、全身でスライムに触れている。その不快感と生理的な嫌悪から脱するために、魔法の出力は段違いに跳ね上がる。

 

「あのスライムはかなり厄介なモンスターだが、その本質はどこまでいっても取り込んだ水分にある」

 

 ぶくぶく、と。

 水が沸騰するような音がした。否、実際に巨大なスライムの全身が、余すところなく沸騰して、そして。

 

「プリンセスの魔法とは、相性最悪だ」

 

 ある種の破裂音にも似た、凄まじい轟音と共に、おれたちを苦しめたモンスターは水蒸気になって、粉々以下の塵になって、霧散した。

 

「はっはっは! 本当にすごい威力だ。あ、少年。ちゃんとお姫様を助けてあげろよ。多分ショックで受け身取れないから」

「え、あ……はっ!」

 

 言われてからその意味に気がついて、慌てて駆け出す。校舎並みの大きさだったスライムの中心からすべてを吹き飛ばしてそのまま落ちてきたアリアの体を、おれはスライディングでキャッチした。図らずも、お姫様だっこの形で。

 

「見事だよ、親友」

「お前近くにいたなら助けろよ」

「キミが間に合わなかったら、もちろんボクがキャッチしていたとも。しかしボクは空気が読める男だからね」

 

 バカが! 

 空気の読めるイケメンへのツッコミは後回しにして、腕の中のアリアを見る。身体のラインが出る水着姿だし、なんか全身はほんのりとあったかいし、腕の感触にも目のやり場にも正直困る。恥ずかしさから悲鳴の一つでもあげてもらうのが正常な反応だと思うのだが、それ以上に本人の端正で整った顔が、なんというか性も根も尽き果てて、茫然自失としていた。

 うん、大変だったな。本当に。

 

「ふぅ、う、ううう……もうやだ。スライムきらい。絶対一生関わらない……」

「……おつかれさま」

 

 アリアを抱えたままのおれに、おじさんが近づいてくる。

 

「よーし。なんとかなったな! みんな、ご苦労! しかし、良い経験になっただろう? あとはおれの部下たちが到着したら引き継がせるから、一息ついてくれ」

 

 はっはっは、と笑う巨乳好きの上裸おじさんに……否、

 

「グレアム団長。お願いがあります」

「ん?」

 

 戦闘の最中、一瞬でおれに魔法の使い方を叩き込んでくれた、王国最強の騎士に頭を下げる。

 

「おれに、戦い方を教えてくれませんか?」

 

 え、正気? という目で。

 お姫さま抱っこしたままのアリアの視線が、おれを見上げていた。




今回の登場人物

弟子入り志願の少年
 ちょっと魔法に関して新たな扉を開いた、気がする。
 現在の勇者くんはムムを『師匠』、グレアムを『先生』として認識しているが、ムムは勇者くんのことを最初の愛弟子だと思っているので、グレアムの存在を知ったら多分めちゃくちゃ拗ねる。

アリア・リナージュ・アイアラス
 尻を押し出されて砲弾として射出されるタイプのお姫さま。今回のイベントでスライムが完全にトラウマになってしまった。なお、作中で描写された通り、本人の魔法との相性はすこぶる良い。
 元の100万パワーに、スライムに対する生理的な嫌悪の100万パワーをプラスして、200万パワー!
 騎士団長による全力の射出エネルギーが加わり、200万×2の400万パワー!
 そして、スクール水着を加えれば、400万×3……スライムマン!お前をうわまわる1200万パワーだっ!

レオ・リーオナイン
 スク水にハイソックス……アリだな。

サーシャ・サイレンス
 会長のヌメヌメはちょっと見たかった。

ジルガ・ドッグベリー
 ヌメヌメした。

イト・ユリシーズ
 黒髪ポニテ最強帯刀系オッドアイ生徒会長。過去の事故で潰れた片目を、魔力を宿した義眼で補っている。キャンサーの正体を見破ることができたのは、この眼があったから。使用にはいろいろとリスクがあるらしく、イトはいくつかの薬を日常的に服用している。

グレアム・スターフォード
 俺は上裸だったのにきみは全裸だったから、俺が教えることとか何もなくない?と思っている

ナイナ・ウッドヴィル
 銀髪褐色巨乳先生。グレアムとは子どもの頃からの幼馴染みで、騎士学校でも同級生の腐れ縁。学生時代は銀髪褐色ツインテールでメガネをかけていて風紀委員だった。


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勇者の騎士学校生活。修行編〜筋肉を添えて〜

 グレアム・スターフォードの朝は早い。

 毎日、決まった時間に目が覚めるのは、体に染み付いた一種の習慣に近かった。酒を入れて部下たちと飲み明かした翌朝はともかく、決まったルーティンで生活リズムを刻んでいると、やはり体の方が起床する時間を覚えてしまうものだ。

 騎士団の駐屯地のベッドは、団長クラスになって出世しても変わらず固い。起き上がり、軽く体を伸ばして解す。その後は窓のカーテンを開き、明るい日差しを浴びながら、爽やかな朝の風を胸いっぱいに吸い込むのが、グレアムの日課だった。

 

「あ、おはようございます! 先生!」

 

 カーテンを、開けた先。

 そこには、爽やかな笑顔を浮かべた少年が、べったりと張り付いていた。

 

「……」

 

 しゃっ!と。グレアムはカーテンを閉めた。きっと何かの見間違いだろう、と己に言い聞かせて。

 息を吐いて吸って、また吐いて、呼吸を落ち着けてから再びカーテンを開く。

 

「ところで先生……やっぱり、良い体してますね。今度、トレーニングの内容教えてください。おれもやります」

 

 グレアムの鍛え上げられた全身をしみじみと眺めながら、少年はきらきらした目でそう言った。裸で寝る自身の習慣を、これほど後悔したこともなかった。

 少年がいる目の前の光景がやはり現実だったので、しゃっ!とグレアムはもう一度カーテンを閉めた。さらに、ばっ!と適当なパンツを履いた。タンクトップを着て、軽く身支度を整えながら、グレアムは考える。

 スライム騒ぎは、つい昨日の出来事。あの少年に弟子入り志願をされたのも、当然昨日の出来事である。昨日の今日で、いくらなんでも行動が早すぎる。しかも、あの場では良いとも悪いとも言わず、有り体に言ってしまえば言葉を濁して……うまくあしらったつもりでいたのだ。

 それがまさか、翌日に自室の窓まで登ってきてモーニングコールをかけてくるとは、一体誰が予想できよう? 予想できるわけがないだろうと、グレアムは思った。

 とはいえ、王都の守護を司る騎士団長の一人が、いつまで経ってもアホ面を晒しているわけにはいかない。軽く咳払いをして、グレアムはもう一度カーテンを開いた。三度目の正直である。

 

「おはよう、少年」

「おはようございます!」

「どうして俺がここで寝泊まりしていることを知っている?」

「はい! ウッドヴィル先生に聞きました!」

「なるほど。では二つ目の質問だ。きみはこんな朝早くから、どうしてここにいる?」

「はい! グレアム先生に修行をつけてもらいに来ました!」

「俺はきみに戦い方を教えると約束した覚えがないが?」

「本日からよろしくお願いします!」

 

 それは圧倒的なゴリ押しであった。

 

「少年。きみが強くなりたいというのなら、そのために力を貸すのはやぶさかではないが……しかし俺も騎士団長という肩書と地位を持つ立場だ。きみのためだけに時間を割くのは……」

「そうですか。残念です。おれの指導を引き受けてくださるのなら、先日のスライム騒ぎを振り返る資料として、この『怪物の誘惑と蜜〜咲き狂う華達〜』をお借しするのもやぶさかではなかったのですが……」

「喜んで協力させてもらおう」

 

 それは圧倒的な即断であった。

 グレアムは窓を引き上げて、本を受け取り、少年と力強い握手を交わす。

 実に単純でシンプルな理屈である。どんなに強い男でも、エロ本には勝てない。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 レオから借りたエロ本をさらに又貸しすることで、おれは騎士団長の一人、グレアム・スターフォードに弟子入りすることに成功した。

 騎士団の駐屯地には、平時から訓練に励めるようにいくつかの訓練場があるらしい。その中の一つにおれを連れてきたグレアム先生は「まあとりあえず、実力を見ようか」などと言いながら、軽い調子で訓練用の刃のない剣を構え、そして案の定……

 

「うん。まあ、こんなもんだろう」

 

 おれはボコボコにされた。

 本当にもう、ボコボコのボコである。

 勇者を目指す身の上として、人生はじめての完膚なきまでの敗北であった。

 わかっていたこととはいえ、こうして実際に……それも容易く地面に転がされてしまうと、中々心にくるものがある。

 

「しかし、体を硬くできる魔法ってのは良いな。おかげで、多少やり過ぎても殺してしまう心配がない」

 

 物騒なことをほざきながら、先生は倒れたまま動けないおれを尻目にいそいそとエロ本を開いて熟読し始めた。

 

「それで、きみは俺から何を学びたいんだ?」

 

 丹念にページを捲って、一言一句美しい文章を味わっているのだろう。先生は投げやりに問いかけてくる。やはり良い文章というものは、何度読んでも良いものらしい。繰り返し読むことで得られる含蓄とかあるもんな。あるのか? あのエロ本に。

 スタボロになって地面に転がされたカーペット状態のおれは、なんとかそこから上体を起こして先生に答えた。

 

「強くなる方法が知りたいです」

「はい、ダメ。具体性に欠ける」

 

 本に視線を落としながらも、先生の言葉は厳しかった。

 

「そもそも、どうしてそんなに早く強くなりたがる? まだ入学したばかりの一年生だろ。そんなに焦らんでも、これから地道に努力を重ねていけば、いくらでも成長できるだろうに」

「おれ、勇者になって魔王を倒して世界を救わなきゃいけないんですけど」

「急に話が飛躍したな?」

「そのためには、おれが見てきた中で最も強い人に戦い方を習うのが、一番の近道だと思ったんです」

「……なるほど。具体性には欠けているが、見る目はあるな。たしかに俺は強いぞ。すごく強い」

 

 エロ本を見ながら、ふんす!と鼻息を荒くして先生は言う。これ、どっちの鼻息なんだろうな。褒められて喜んでる鼻息なのか、興奮して下半身が喜んでる鼻息なのかわからん。

 

「強くなりたい。そのために、()()()()()()()()()、というのであれば……多少の方向性を示してやることはできる」

 

 ぱたん、と分厚いエロ本が閉じられる。

 手近な枝を拾い上げて、先生は地面に絵を書き始めた。

 

「少年。きみはそもそも、騎士と魔導師の根本的な違いを理解しているか?」

「あー、えっと、こう……魔力を体に込めるか、魔力を外に出すか……みたいな」

「座学は苦手そうだな」

 

 うるせえ。どうせおれはよくウッドヴィル先生に怒られて座学の課題追加されてますよ。

 

「我々騎士は、体内に魔力を巡らせて、それを用いて肉体を強化する。対して、魔術士や魔導師は魔導陣のような術式を通して、体の外に魔力を放出することに特化している」

 

 ガリガリと、強面の顔面にしては少しかわいらしく、そして意外にも達者な絵柄で、先生は騎士と魔導師の絵を書いていく。意外とわかりやすい図解になってるのがおもしろい。

 曰く、近接戦を得手とする騎士と遠距離戦を主体とする魔術士や魔導師は、戦闘スタイルだけでなく、根本的な魔力の使い方が真逆と言って良いのだという。

 

「魔力による強化と、魔術の使用は併用できないんですか?」

「もちろん、できないわけじゃない。しかし、それは正反対の技術を一つにまとめるようなものだ。息を吐きながら吸え、と言われてすぐにできるか?」

「それはちょっと無理ですね」

「だろう? だから騎士は戦闘で魔術を併用する時、剣や槍などの武具に魔力を込めることが多い」

 

 言われて、金髪の馬鹿面を思い出す。

 

「……レオみたいなスタイル」

「ああ、そうだな。リーオナインくんのあれは、槍に迅風系の魔術が仕込んである。戦闘の途中に術式を展開するよりも、自分の体の一部のように振るうことができる武器に魔力を流すのは、とても効率が良い」

「イト先輩は、前に出て剣振るいながら、なんか紙をばら撒いてガンガン魔術を使ってましたけど」

「あれは予め用意された、使い捨ての魔術用紙だ。厳密に言えば、戦闘中に魔導陣を展開しているわけじゃない。それに、イトは元々、魔術の素養は俺よりも恵まれている天才だ。おいそれと真似できるものじゃないぞ」

 

 剣も魔術も天才的とか、あのドジっ子先輩、ちょっと強すぎるな。壁にはまったり、足を滑らせたり、皿を割ったりしなきゃ完璧なのに……

 

「中には、近接戦闘を得意とする特殊な魔導師や、そもそも近寄らせてくれない者もいるが……まあ、大抵の場合、魔導師は距離を詰めて斬れば勝てる」

 

 簡単に言ってくれるなぁ。

 しかし、先生は「大抵の魔導師」と括って言った。少し気になったので、聞いてみる。

 

「先生でも、勝てないと思う魔導師はいるんですか?」

「そうだな……俺は強くて騎士の中でもかなり最強だが、こわい相手がいないわけじゃない」

 

 その表情が、やや考え込むものに変化して。

 先生は、手のひらを開いた。

 

「あらゆる魔術を解き明かし、現在の魔導学院における教育の基礎を築いたと言われる女傑。清澄(せいちょう)のハーミア」

 

 指折り数えて、一つ。

 

「砂岩系の術式を極め、土塊に指先一つで命を宿すと謳われた世界最高のゴーレムマスター。鋼鉄(こうてつ)のオセロ」

 

 二つ。

 

「純粋な魔術攻撃の威力のみを突き詰め、それらの悪用と普及によって成り上がった史上最悪の魔術犯罪者。朱炎(しゅえん)のバーナーダイン」

 

 三つ。

 

「そして、この世で唯一、魔導陣を使わない魔導師として知られる異端……生きた伝説。口遊(くちずさ)むシャイロック」

 

 閉じて、四つ。

 なるほど……四人か。

 

「いずれも、現代の魔導師の頂点に位置すると謳われる賢者たちだ。俺も無策では勝てないだろうし、できれば戦いたくない人間ばかりだ」

 

 おれが現在だと絶対に敵わないと判断した騎士が、自分でも勝てるかあやしいと思う魔導師が、およそ四人。

 良い感じだ。こうして具体的に名前を出されると、なんとなく見えてきた気がする。

 目指すべきもの。強さの到達点が。

 

「……立てなくなるまでしごいたら、音を上げると思ってたんだが」

 

 おれの目を覗き込んで、先生はどこか嬉しそうに頷いた。

 

「ま、それだけやる気があるなら大丈夫か。指導するなら、俺は手を抜かないぞ。()()が本当に強くなれるまで、面倒を見てやる」

「はい。よろしくお願いします」

 

 話がきれいにまとまって、ほっとした。

 まあ、ほとんどエロ本がまとめてくれたようなものだが、まとまったことには変わりない。

 

「さて。前置きが長くなったが、お前が強くなるために、最初にやるべきことは極めてシンプルだ。まずは、効率良く確実に、身体強化に魔力を回す訓練をする。そのために必要なのは……」

 

 言いながら、先生は上に着ていたタンクトップに手をかけ、脱ぎ去った。

 

 

「そう! 筋肉だ!」

 

 

 ……ちょっとまってくれ。

 今、わざわざ脱ぐ必要あったか? 

 

「体内の魔力循環を効率化できれば、少ない魔力でより高いパワーを得ることができる。つまり、体を鍛えるのが一番早い。魔力を使わない状態でのトレーニング! 魔力を使った状態でのトレーニング! これを交互に行うことで、体に魔力の使い方を染み込ませるっ!」

「……魔力で肉体を強化できるなら、使わない状態での筋トレは意味がないんじゃ?」

「男の腹筋は割れていた方がかっこいいだろう?」

「わかりましたから腹筋見せつけながらポーズを取らないでください」

「まあ、真面目に答えるなら。魔力という水を入れておく容器は、なるべく丈夫な方が良い」

 

 水筒を手に持って、上裸の腹筋自慢先生はごくごくとその中身を飲んだ。

 

「さらに、もう一つ。そうやって交互に身体に負荷をかけていけば、魔力のオンとオフの切り替えが自然に身につく。そういう切り替えが身につくと、魔力を使う時のロスが自然に減る。ロスが減るとスタミナが続くようになるし、瞬間の出力も高まる。良いこと尽くめだ」

「……まあ、そう聞くと、たしかに」

「筋肉はすべてを解決する。あと、これはオマケというか、ただの俺の持論なんだがな」

 

 握り締めた拳でおれの額を小突いて、ヒゲ面が破顔した。

 

「魔力だの魔術だの魔法だの、そういう見えない力に頼れなくなった時……最後の最後に信じられるのは、やっぱり自分自身の身体だろ?」

 

 おれが、この人に戦い方を教わりたいと思ったのは、もちろんさっき言った「今まで見てきた人間の中で一番強いと思ったから」という理由もあるが。

 なによりも、惹かれたのは。

 おれに向けて伝えてくれる一つ一つの言葉に、たしかな納得があるから。この人の下でなら強くなれるという、直感めいた確信があったからだ。

 どうやらそれは、間違っていなかったらしい。

 

「ああ、そうだ。少年、一つだけ聞いていいか?」

「なんです?」

「強くなりたい理由はわかった。でもお前、どうしてそんなに勇者になりたがる? 勇者になるってことは、魔王を倒して世界を救うってことだぞ」

「え?」

 

 おれは堪らず、首を傾げた。

 なんというか。

 この先生にしては、おかしなことを聞いてくるな、と思った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 朗らかな先生の表情が。

 一瞬だけ、理解できないものを見るような目に変わった気がした。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「……歪んでいるな」

 

 学校に向かう少年の背を見送りながら、グレアム・スターフォードは誰にも聞こえない声で呟いた。

 最初に一目見た時から、おもしろい少年だと思った。しかし、おもしろいだけの少年ではなかった。

 明るさの中に、影がある。笑顔の中に、ぎこちなさがある。なによりも、その情熱の中に冷たさがあった。

 やはり、一言でまとめるなら、あの少年は歪んでいた。

 人間とは根本的に、何かの目的がなければ努力できない生き物だと、グレアムは考えている。

 日々を生きるために、労働に勤しむ。

 名声を得るために、怪物を討伐する。

 金のため。名誉のため。生活のため。愛する者のため。

 誰かのために、何かのために、あるいは最も利己的に、己自身のために。人間は努力し、それに見合った対価や満足感を得る。

 あの少年の剣は我流だったが、決して研鑽を怠っているような剣筋ではなかった。短い立ち会いの中で、たしかに磨き上げてきたものを、グレアムは感じた。それは紛れもなく、少年が今まで積み重ねてきた努力の証だった。

 例えば、イト・ユリシーズが勇者になりたいのは、魔王を倒して()()()を討つためだ。憎しみという動機は決して健全ではないが、理解はできる。

 しかし、あの少年には何もなかった。彼はただ、勇者になることを望んでいた。

 だからこそ、疑問に思う。だからこそ、わからない。

 何故、彼はあんなにも、勇者という存在に拘るのだろうか?

 疑問に思って、それを危惧する。

 仮に、あの少年がこのまま強くなって。いつの日か本当に魔王を倒してしまったとして。もしも、本物の勇者になる日がやってきた時。

 

 彼の手元には、何が残るのだろう?

 

「……やれやれ」

 

 自分でも、らしくない想像だと思った。

 そんなことは、本当にあの少年が、勇者を名乗るのに相応しい強さを得てから、考えれば良い。

 

「おい。さっきからそこにいるのはわかっているんだ。出てきなさい」

 

 故にグレアムは、とりあえず背後で覗き見をしている不届き者に声をかけることした。がさごそ、と。一瞬躊躇うような間を置いてから、バツの悪そうな顔が草むらから出てきた。

 美人になる素質がある子は、葉っぱと土に塗れていても気品があるな、と。グレアムは思った。

 アリア・リナージュ・アイアラスが、そこにいた。

 

「これはこれはプリンセス。こんなところで道草と盗み見とは、感心しないな」

「ごめんなさい……でも、どうしても気になって」

 

 そういえば、昨日あの少年が弟子入り申告をしてきた時、最も近くにいたのはこの子だった。近くにいたというか、少年はこの子をお姫様抱っこしたまま弟子入り申告をしてきたので、聞いていないはずがない。

 面倒なことになりそうな流れである。グレアムはなんとなく、次の展開が予想できてしまった。

 

「グレアム・スターフォード卿。あたしも、貴方にお願いがあって参りました」

「……聞くだけ聞こうか」

「あたしのことも、彼と同じように鍛えてください。彼に置いていかれないように、強くしてください」

 

 わかりやすく、溜め息を吐いた。

 

「プリンセス。きみが強くなりたいというのなら、そのために力を貸すのはやぶさかではないが……しかしおれは騎士団長という肩書と地位を持つ立場で、しかも今さっき、少年の指導を約束してしまった身の上だ。きみのためにこれ以上、時間を割くのは……」

「そうですか……残念です。それなら、仕方がありませんね」

 

 しゅん、と。

 白のブレザーに包まれた肩を下げたアリアは、懐から便箋を取り出した。

 

「あたしの指導を引き受けてくださらないのなら、昨日のスライム騒ぎを振り返るこの手紙を、国に送るしかありませんね。騎士団長に着替えを強要され、お尻を触られ、スライムに向かって投げ込まれたという事実を記したこの手紙を……」

 

 それは圧倒的な脅迫であった。

 

「喜んで協力させてもらおう」

 

 それは圧倒的な即断であった。

 グレアムは地面に膝をついて、なるべく頭を低くして、少女の手を優しく取った。

 実に単純でシンプルな理屈である。どんなに強い男でも、国家権力には勝てない。




 あの勇者の指導を引き受けた日のことを、現第一騎士団の団長、グレアム・スターフォードは昨日のことのように思い出せるのだという。
「彼の迸る情熱は、登る朝日のようでした。ただ、それだけに負けました。他には何もいりませんでしたよ」
 同じく、勇者と共に世界を旅した賢者、シャナ・グランプレもハーミット・パック・ハーミアに弟子入りするために、厳しい試練を乗り越えた。やはり、世界を救った彼らは、師匠となる人物を動かす心の熱を持っていたのだろう。

〜王都観光ガイド・騎士団駐屯地ガイドブックより〜



「え? お師匠の話ですか? 絶対にいやです。あんなクソを煮詰めたような性格の女のことを事細かに説明したら、私の口が腐ってしまうでしょう?」

〜王都観光ガイド・学院ガイドブックより〜
※この一文は編集の権限により差し替えられています


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盗賊と魔王

 世界はすでに終わっている、というのが彼の持論だった。

 魔王という御伽噺の存在が、実在していると確認されてから、どれだけの時間が流れたのか。詳しいところは忘れてしまった。多分、意識して数えている人間もいないだろう。誰だって、いやなことは考えないようにしているものだ。

 そう。今の世界の均衡は、子どもが大嫌いな宿題をやるのを先送りにしている状態に近い。

 べつに明日、滅びるわけではない。すぐに終わりが来るわけではない。ただ、人間の生活圏は瑞々しい葉が芋虫に貪られるように、徐々に目減りしていた。

 だから、彼は一年後の世界のことを考えるよりも、明日飲む酒と美味い飯のことだけを考えるようにしていた。

 刹那の快楽に身を委ねるためだけに、今日という日を生きる。

 

 彼は、盗賊である。

 

 もちろん、そこらに履いて捨てるほどいるチンピラ崩れがやるように、行商人を襲って金品を巻き上げることもあったが。彼の場合は高い地位にある人間から依頼を受け、宝物の回収や強奪を請け負う仕事の方が多かった。その内容には、依頼人にとって邪魔な人間を消すことも含まれる。

 今回の依頼人はこれまでも何度も依頼を受けてきた、俗に言う『お得意様』というやつで、その屋敷は身分と立場に反して、人が寄りつかない森の中にあった。こんな辺鄙な場所に、よくもまあこれだけ大きな屋敷を構えたものだ、と。贅を尽くしたその外観を見て、思わずそんな溜息が漏れる。

 予め、来訪の時間は伝えていたとはいえ、扉を叩く前に使用人が出てきたのには、少し驚いた。

 

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。主人からお話は伺っております。こちらへどうぞ」

 

 見たことがない顔である。

 案内に現れたのは、黒髪のセミロングが印象的なかわいらしいメイドの少女だった。一目で仕立ての良いとわかる仕事服。真っ白なフリルエプロンには、染み一つない。通された応接室はやはりというべきか、彼一人を待たせておくには充分過ぎる広さを誇っていた。

 居心地の悪さを感じながら、出された紅茶に口をつける。茶には詳しくないし、普段からキツいアルコールばかり転がしているバカ舌に正しい価値がわかるとも思えない。ただ、自分が人生で飲んできた紅茶の中で最も高いものであることくらいはわかった。

 彼は、刹那の快楽に身を委ねて生きている。

 この一杯が飲めただけで、なんとなく。今回も仕事を受けてよかったと思えた。

 

「美味いな、この紅茶」

「恐縮です」

 

 メイドは静かに笑った。

 きれいなテーブル。美しいカップ。香りの良い紅茶。

 恵まれたこの部屋の中には、きれいなものが満ちみちていて。

 彼女の澄ました横顔までもが、怜悧で美しかった。

 

 だからだろうか。なんとなく、汚したくなったのは。

 

 彼は、飲み干したティーカップを置いて言った。

 

「おかわりをもらえるかい?」

「かしこまりました」

 

 頷いた彼女は、ティーポットを持って近づいてくる。温かい紅茶が、カップの中に注がれる。

 彼はとても自然な動作で、まるで高級品のカップを優しく持つように。

 整ったメイドの顔を、広げた手のひらで鷲掴みにした。

 

「っ!?」

 

 声は出せない。出させない。

 ティーポットが落ちて、高級な香りが床にぶち撒けられる。こんな高い茶葉をカーペットに吸わせてしまうのは惜しいが、これはこれで悪くない楽しみ方かもしれない、と。部屋の中に広がる香りに、彼は鼻腔を震わせた。

 

「……きれいな顔してるな、あんた。髪色は、黒じゃない方が好みだが」

 

 極めて客観的な容姿の評価を主観を交えて述べながら、彼は服に手をかけた。こういう服は造りが凝っているせいか、どうにも脱がせ方がわからない。長いワンピーススカートにシックな色合いは、色気がないと言えばなかったが……脱がせた時の想像が膨らむのは悪くない。きっと、下着も上品なものを身に着けているのだろう。

 面倒になったので、懐からナイフを引き抜く。まずはエプロンから切っていけばいいか、と。そこまで考えてから、彼は強烈な違和感を覚えた。

 この少女は、なぜ抵抗しない? 

 恐怖で体が竦んでしまっているからか? 

 男の自分には力では敵わないと、諦めてしまっているからか? 

 違う。少女は口元を掴まれたまま、目を開いて彼を真っ直ぐに見詰めていた。

 まるで、自分とは違う生き物を観察するように。瞳の中に、写り込んだ自分の姿に、思わず息を呑んだ。

 

「おやめなさい」

 

 そう言われて、彼は振り返る。

 そこには、依頼主が呆れた表情で立っていた。

 

「……アリエスの旦那」

「彼女はとても美しい。摘み食いをしたくなる気持ちはよくわかりますが……しかし、自重してください」

 

 アリエス・レイナルドは、王国の大臣である。

 男にしては長い髪を後ろで纏め、颯爽と肩で風を切るその姿は、宮廷の女性たちから羨望の眼差しを向けられている。大臣の中で最も年若いものの、実績は申し分なく、国王からの信頼も厚い。次期国王の右腕は彼になる……というのが、専らの噂であった。

 

「さあ、仕事の話をしましょう」

 

 そんな男は……否、そんな男であるからこそ。

 アリエスは盗賊である彼に、幾度も表に出せない仕事を依頼していた。

 仕事である以上、依頼主には逆らえない。彼は少女から手を離し、椅子に深く腰掛け直した。

 

「さて……思えば、私とあなたの付き合いも随分長くなってきました」

「そうだな。旦那は金払いが良いから、オレも感謝しているよ。これからも、末永くビジネスパートナーとして付き合っていきたいもんだ」

「それは結構。そこで今日は、これからも互いに良好な関係を築いていくために……あなたに、私の秘密について打ち明けておこうと思いまして」

「秘密?」

 

 アリエスは、笑顔を浮かべたまま、メイドの少女を手で示した。

 

「簡潔に申し上げます。私の正体は悪魔で、魔王軍の幹部。ついでに、そこにいらっしゃるのが、私の主です」

「……あ?」

 

 何を言っているのだろう、と。

 思わず振り返った彼の唇に、指先が当てられた。

 絶句する。

 いつの間にか、その少女の髪からは、色が抜け落ちていた。彼が先ほどまで黒髪だと思っていたそれは、透き通るような色合いの白髪だった。

 

「さっきは、激しく求めてくれてありがとう」

 

 乱れた襟とリボンのせい、ではない。

 その囁きは、ただそれだけでどこまでも蠱惑的で。

 

「きれいだって言ってくれて、嬉しかったわ」

 

 声に惹かれる。

 表情に惹かれる。

 視線に囚われる。

 自分の内側からふつふつと沸き上がるその野性的な欲が、否応なしに彼に一つの事実を認識させた。

 

「……魔王?」

 

 指が離れる。

 薄く赤を引いた唇が、やわらかい三日月を描く。

 

「ええ、魔王よ。今日は折角だから、お給仕をしてみたの。わたしが淹れてあげた紅茶を飲んだのは、人類で貴方がはじめてじゃないかしら?」

「なんと羨ましい……魔王様、その紅茶はまだ残っていますか?」

「今さっき、床にぶち撒けてしまったわ」

「なんと勿体ない……舐めます」

「やめなさい。また淹れてあげるから」

 

 たったそれだけのやりとりだけで、彼は王国の中枢に立つ大臣とその少女が、従僕関係で結ばれていることを、否応なしに理解した。

 

「おいおい、マジかよ……」

 

 世界の滅びの、元凶である少女が、目の前にいる。

 その事実に耐えられる人間が、この世にどれだけいるだろうか。

 泣き叫んで、許しを乞うか。

 発狂して、向かってくるか。

 アリエスは、彼の反応を待った。

 

「ああ、くそっ……」

 

 頭を抱えて、心の底から後悔するような声を漏らして、

 

 

 

「ますます、抱きたかった……!」

 

 

 

 盗賊は、心底悔しそうに、そう言った。

 悪魔は、目を丸くして手を叩いた。

 

「……これは驚きました。あなた、恐怖という感情を知らないのですか?」

「あ? 何言ってんだ、旦那」

 

 彼は、何の気なしに答える。

 

「魔王の嬢ちゃんがその気なら、オレはもう百回は死んでる。今さら怖がることなんてあるかよ。それよりも、あの魔王を抱く機会を逃しちまったことの方が、百倍悔しいね」

「相変わらず、あきれた刹那主義者ですね」

「ふふっ……アリエスが言った通り、おもしろい人ね。メイドさんごっこをした甲斐があったわ」

「けど、いいのか?」

「あら、何が?」

「オレがもし、あんたらの正体をバラしたらどうする? 国王の側近の正体は悪魔で、魔王と裏で繋がってる、ってな」

「それは脅しですか?」

「いいや、これからもビジネスパートナーを続けていくにあたって、気になるところはきれいにしておきたいだろ?」

 

 ふむ、と。アリエスは頷いた。

 

「盗賊風情におかしな噂を流されたところで、私の地位は揺らぎませんし、そのように宮廷内の立ち回りにも、気を配っているつもりですが……結論から言えば、そういった心配はする必要がない、というのが答えになります」

 

 悪魔は気安く彼の肩に触れて、一言。告げた。

 

「私の正体と魔王様について、他者に喋ることを禁止します」

 

 肩に触れて、それを言う。

 たったそれだけで、終わりだった。

 たったそれだけのことであるはずなのに、彼は自身の全身に冷たいものが這い回る感覚を覚えた。

 

「……なにをした?」

「魔法をかけてあげました」

 

 プレゼントを渡すような口調だった。

 

「私の魔法は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 潜入、あるいは諜報活動。

 この世で秘密を守るために最も難しいのは、秘密を秘密のまま、他者に強制することである。

 人間の口は、常に軽い。だからこそ、その悪魔の魔法は敵の本拠地に潜り込むのに、なによりも最適だった。

 

「魔法ですから、当然解除はできません。これであなたは、一生涯、私と魔王様の正体について、喋ることができなくなりました。おめでとうございます」

「……こわいねぇ」

 

 行動の『禁止』。

 それはもう、何よりも強い呪いじゃないか、と。

 口には出さずに、彼は内心で毒吐いた。

 

「それともう一つ。これはべつに、魔法を使って禁止するまでもないと思いますが……」

 

 魔法をかける際は優しくのせられていた手に、肩が痛むほどの力が込められる。

 

「人間風情が、我が主に気安く触れるのは感心しません。次はありませんよ?」

「……へいへい。肝に命じておきますよ」

「結構です」

 

 後ろで、魔王の少女がフリルエプロンを摘んで、くるりと回る。

 

「あら? わたしはべつに気にしないのに」

「いけません、魔王様。私が、誰よりもこの私が気にします」

 

 再び笑顔の仮面を被り直したアリエスは、彼に資料を差し出した。

 

「……さて、それでは改めて、今回の依頼です。騎士学校の生徒が、ダンジョンの調査に出向くように、こちらで仕向けておきました。そこで、我らの同胞である最上級悪魔を殺した少女を、始末してください」

 

 記された名前は、イト・ユリシーズ。

 学生騎士最強とも謳われる、異端の剣士。

 

「こりゃまた、強そうな嬢ちゃんだ」

「強いですよ。死なないように気をつけてくださいね。ああ、そうそう。ついでに、そのダンジョンにある炎の聖剣も回収を忘れずに」

「注文が多くて困るぜ。まあ、やらなきゃ死ぬだろうから、死ぬ気でがんばらせてもらうけどよ」

「理解が早くて助かります」

 

 アリエスは、わざとらしいほどに丁寧に、彼の手を取った。

 

「安心してください。老いた国王はもうじき死にます。新たな王の下で、私がこの国の権力を握る日も近い。その日が来たら、あなたを正式に私の配下に加えることを約束しましょう」

 

 悪魔は嗤う。

 

「よろしくお願いしますよ。ゲド・アロンゾ」

 

 盗賊は笑う。

 この世界が、いつ終わるのか。それは誰にもわからない。

 しかし、悪魔に根っこから巣食われたこの国は、世界の滅びを待つまでもなく……もうとっくに、終わっているようだった。




今回の登場人物

ゲド・アロンゾ
 盗賊。明日は明日の風が吹く、を座右の銘にしているタイプの男。魔王様に手を出しかけたが失敗した。

魔王
 メイドのコスプレをした。衣装はアリエスがノリノリで用意した。

アリエス・レイナルド
 第四の雄羊、アリエス・フィアー。魔王軍四天王、第四位。しかし潜入と諜報が主な役目であるため、対外的には別の悪魔がその地位に座り、正体を隠している。当時は王国の中枢に深く食い込んでおり、実権を掌握しつつあった。
 相手の行動を『禁止』する魔法を持つ。その政治的手腕と強力な魔法で、勇者たちをリリアミラの次に苦しめた四天王の一人。


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勇者の騎士学校生活。休日デート編

 おれと先生の、個別訓練がはじまって、早くも数ヶ月の時間が経過した。

 先生の指導は厳しかったが、その言葉通り、内容については極めてシンプルだった。基礎的な体力作りを繰り返して、体を作る。魔力を循環させる感覚を体に染み込ませる。

 おおよそ二ヶ月間はただひたすらに基礎的なトレーニングを繰り返して、先生はようやくおれと一対一で立ち会ってくれるようになった。体が完成したら、次は実戦で感覚を身に着けろ、というわけだ。

 今さら説明するまでもなく、当然のようにおれは先生に必ずといっていいほどボコボコにされたので、ボコボコにされたあとはボコボコにされた理由を考えるための反省会を行った。

 

「大体わかってきた。お前の剣技のセンスは、そこそこまあまあだ」

「そこそこまあまあ」

 

 実にふわふわした言葉を復唱する。

 そんな中の中みたいなニュアンスで例えられても困る。喜べばいいのか悲しめばいいのかわからない。

 

「才能あるってことですか?」

「うーん。こう、ないと言い切るほどではないが、あるとは言い切れないような……」

「指導者なんだからそこらへんはっきりしてくださいよ」

「筋はいいぞ、筋は」

「アリアとどっちが上ですか?」

「間違いなくプリンセスだな」

「イト先輩と比べるとどうですか?」

「トカゲとドラゴンを比べるようなものだな」

「先生の若い頃と比べると?」

「お前は山と小石比べろと言われて、具体的に比較することができるのか?」

「自己評価が高すぎる!」

 

 しかし、なるほど。

 おれの剣の才能がいまいちなのはよくわかった。

 

「武器を変えてみるか? リーオナイン少年のように槍を持ってみるという手もある」

「うーん。でもおれ、勇者になりたいんで。勇者といえば剣じゃないですか」

「拘る理由が雑すぎるだろ」

「憧れはモチベーションと直結しているものですよ、先生」

 

 それに、せっかくこれだけ良い師匠に巡り会えたのだから、凡才であろうと磨き上げることができるラインまでは、なんとか磨き上げてみたい。ちょっと照れ臭いから面と向かっては言えないけど。泥団子だって、根気良く磨けばピカピカになるのものだ。

 

「ま、べつに勇者が剣聖になる必要はない。剣の腕があろうがなかろうが、どんな形であろうと魔王を倒せる力があるのなら、それだけで勇者だ。剣の腕で負けていても、べつの部分で勝てるようにすればいい」

「べつの部分?」

「例えば……そうだな。お前普段、何を考えて体を動かしている?」

「何を、考えて?」

 

 先生の質問には、いつも意味がある。意味があるから、考えを巡らせて答えを出さなければならない。スタボロにされて地面に転がされた状態で、深く首を傾げる。

 敵を斬る時。攻撃を避ける時。何かを考えているか、と聞かれたら。多分おれは、何も考えてはいない。

 

「考える前に、反射と直感で体を動かすのが戦いでは?」

「……ふむ。それはある意味、間違ってはいない。剣を振る。盾を構える。攻撃を避ける。これらのほとんどはすべて、経験や習慣に基づいた、反射的な行動だ。鍛錬を重ね、経験を積めば積むほど、それらの動きはよりスムーズになっていく。そういった動作がスムーズであればあるほど、単純に強い。が、そういった単純な強さで勝負しようとすると、結局のところセンスや才能のある人間には勝てない」

 

 しかし、と先生は言葉を繋げて。また地面にかわいらしい絵を書いた。

 ムキムキのマッチョとメガネをかけたインテリっぽい見た目のキャラクターが並んでいる。軽く手をはらって、先生はムキムキのマッチョの首を吹き飛ばした。そして、インテリのメガネの顔の側に、星を書いてキラーンと光らせる。

 毎回思うんだけどこの絵ほんとに意味ある? 説明にいる? 

 

「戦場では、何も考えずに前に出るヤツから死んでいく。だから、常に思考を回せ。自分よりも才能に優れた相手と対峙する時は、反射の勝負に持ち込む前に、まずは相手のことをよく観察しろ。頭を使って、分析しろ。筋肉だけで勝てると思うな。筋肉だけで勝てるほど世界は甘くないぞ」

「言ってることが違う!」

 

 筋肉はすべてを解決するって教えてくれたのに! 

 基礎トレーニングによって苛め抜いた、おれの愛おしい腹筋や上腕二頭筋が涙している気がした。

 しかし、先生の言っていることはたしかに納得できる。

 相手が何を狙っているか、何を考えて自分の目の前に立っているか。たしかに、それを意識するとしないのとでは、動きの組み立てに雲泥の差がある。

 相手のことをよく見て、自分の狙いを通す。効率良く敵を倒すために、それは間違いなく必要な心構えだった。

 先生はそういった敵に対する思考だけでなく、おれ自身の立ち回りに関しても容赦なくダメ出しを行った。

 

「お前の魔法は防御力が高いから、どうしてもそれを守りの要にしている。体を硬くして、攻撃を受けてしまうきらいがある。だが、最初から魔法に頼ろうとするな。俺に言わせれば、いざという時に魔法ほど頼りにならんものもない」

 

 鋼鉄の体のおれを剣の一振りで吹っ飛ばす先生がそれを言うと、説得力が半端なかった。

 しかし、一応反論はしてみる。

 

「でも、近距離で戦うおれたちにとって、魔法ほど頼りになる力もないと思うんですけど……」

「じゃあお前、相手が『なんでも斬れる魔法』を持っていたらどうするつもりだ? 体が鋼だから、絶対に斬られることはない……そんな甘い考えで敵の攻撃を受けたら、最初の一太刀でお前は死ぬぞ。即死だ、即死」

 

 ぐうの音も出ない。

 

「個人によって効果が違う魔法ってのは、どこまでいっても残酷な相性ゲーになりやすい。にも関わらず、多くの魔法使いは自身の魔法を信じ切って、それに頼った戦い方をする。俺からしてみれば、そういう魔法使いが一番殺しやすい」

 

 簡潔な説明には、これ以上ないほどの実感が籠もっていた。

 

「能力を見せた相手を動揺させることができるなら……必ず倒すチャンスを作ることができるなら、もちろん魔法を使うべきだろう。しかし、考えなしに乱発はするな。必要以上に自分の能力を見せるな。手札を晒しながらテーブルについてしまったら、勝てる勝負も勝てなくなる」

 

 先生はたくさんのことを教えてくれた。

 何度も何度も繰り返し地面にキスをさせられたが、それでも何回も繰り返している内に、先生に対して粘れる時間は長くなっていった。騎士団長という立場上、先生との訓練の時間は早朝か夜に限られたが、それでもおれに対して随分と時間を割いてもらった。

 そして、ある日。

 

「よし。トレーニングを次の段階に進めるぞ」

 

 にこやかに、告げられた。

 

「お前、ちょっとデートしてこい」

「は?」

 

 おれのアホ面を見て、先生はやはり嬉しそうだった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 勇者になりたい少年を、しごき倒す一方で。

 

「きみの魔法は、まだ不完全だ」

 

 グレアム・スターフォードは、才能溢れる王女に対しても、手を緩めることなく指導した。

 具体的には、その魔法がまだ未完成であることを、まず端的に指摘した。

 アリア・リナージュ・アイアラスは、指導者の顔を見据えてむっとした。その反応を見て、グレアムは内心で苦笑する。この王女、わりと感情が表情に出やすい。

 

「未完成って……どういうことですか?」

「言葉通りの意味だよ。じゃあ聞かせてもらおうか、プリンセス。きみは、自分の魔法の特性を正しく説明することができるか?」

「はい。触れたものの温度を引き上げる。それがあたしの魔法特性です」

「そうだな。だが、きみの自分の魔法への理解は、そこで止まってしまっている。きみはまだ、己の魔法の名前を引き出すことができていない」

 

 魔法とは、心の在り方。魂の色合いを示すもの。魔法使いは、自分の魔法の名前を知ることで、はじめてその力を十全に行使できるようになる。組み立てた術式に魔力を通して発動させる魔術とは違う。理の外にある力であるからこそ、魔法の習熟は魔術以上に、センスや感覚に頼ったものになってしまう。その効果も十人十色であるが故に、これと決まった鍛え方は存在しない。

 しかし、魔法使いとして一人前かどうか。おおよその力量を測る目安は存在する。それは、自分の魔法の名前を理解しているかどうか、である。

 

「今のきみは、自分の武器が剣か槍か。あるいは斧かもわからないまま、適当に振り回している状態に等しい。なまじ得物がよく斬れてしまうものだから、そのまま振り回してもある程度結果を出してしまっている。しかし、さらに上を目指すためには自分の武器を理解しなければ、お話にならない」

 

 自分で自分の魔法の名前を理解していない内は、力の覚醒は不十分。その性能をすべて引き出しているとは言い難かった。

 

「……どうすれば、魔法の名前を知ることができますか?」

「簡単だよ。己を知ることだ」

 

 自身の魔法を理解していないということは、自分自身を理解していないということに他ならない。

 

「きみは、なんのために強くなりたい?」

 

 あの少年にぶつけたものと同じ問いを、グレアムはアリアに向けて投げた。

 

「勇者になりたいと言う、彼を守りたいからです」

「守るために強さが必要なのか? あいつは十分強いと思うし、これから先も強くなると思うが?」

「守りたい人がいるなら、その人よりも強く在らなければならない。これは騎士として、当然の考えだと思います」

 

 力強い言葉遣いだった。グレアムの予想よりも、この王女は勇者を志す少年のことを、ずっと熱く想っているようだった。

 

「あたしは彼と剣を交えて負けています。だから、今は彼よりも弱い。これでは、騎士を名乗れません」

「きみは彼の騎士になりたいのか?」

「はい」

「どうして?」

「どうしてって、それは……」

 

 言葉が詰まる。

 

「即答できないなら、つまりはそういうことだ」

 

 やんわりと、グレアムはアリアの答えが足らないことを指摘した。

 

「あいつに認められて、求められて、嬉しかったか? 自分の強さに、価値があると思えたか?」

「……どういう意味ですか?」

「きみがあいつに対して抱いているその感情は、依存に近い。それは、少し重いよ」

 

 端的に、突きつける。

 アリアの顔が、わかりやすく歪んだ。

 グレアムが突いたのは、きっとアリア自身ががわかっていても目を背けてきた部分だった。

 

「……」

 

 アリアは、地位のある王家に生まれた。

 生まれた時から、体には魔法が宿っていた。

 魔法が宿っていたから、心の隙間を埋めるために剣の鍛錬に励んだ。

 だから、アリア・リナージュ・アイアラスは、強い。

 けれど、その強さは空っぽで、意味がないもので。アリアはずっと、自分が強くなる意味を探している。

 勇者になりたいと語る少年は、アリアの強さにはじめて意味を与えてくれた。一緒に行こうと、手を差し伸べてくれた。

 しかし、故にこそ。グレアムはそこで止まってしまった少女に対して、問題を提起する。

 

「戦う理由。強くなりたいと思う理由。それらの理由を、他者にすべて求めてしまうのは、危険なことだ」

 

 世界を救いに行くから、一緒に来てほしい。

 なるほど。その誘いはたしかに魅力的で、劇的で、()()()()()()()()()()にとってはなによりも心惹かれるものだったのかもしれない。

 けれど、その誘いだけに囚われて、それだけしか考えられなくなってしまうほど視野が狭い精神状態は、少なくとも健全ではない。焦りに満ちたアリアの表情を見て、グレアムは殊更にそう思った。

 

「きみの出自について、少々調べさせてもらった」

 

 整った顔立ちが、はっと上げられる。

 指導するからには、当然身元についても詳しく調べる。もっとも、アリアの境遇については詳しく調べるまでもなく、おおよその察しはついていた。入学の段階で、噂にもなっている。

 隣国の第三王女。剣と魔法の才に恵まれた、生まれながらの騎士。信頼の証として……いやな言い方をすれば人質として、王国に預けるには、うってつけの立場だ。

 しかし、騎士とは誰かに仕える者。支配者ではなく、従僕である。それはつまり、アリア・リナージュ・アイアラスという個人が、王族として何の期待もかけられていないことを意味する。

 アリアが現在のアイアラスの国王……実の父から疎まれていることは、明白だった。

 

「自分の国はきらいか?」

「……好きじゃない、と言ったら。先生はあたしを軽蔑しますか?」

「いいや。きみが生まれの家で受けた仕打ちについて、俺は想像することしかできないし、それについて深く追求する気もない。この国に来てくれなかったら、俺はきみのお尻に触れる機会も得られなかったわけだしな」

「帰ります」

「冗談だ」

 

 ジョークを交えてみても、アリアの表情はまだ固い。

 

「……誰かのために、剣を手に取るのは騎士の本分だとは思いませんか?」

「思うよ。でも、それだけに縋るってのは、俺は好きじゃない。剣を握り、敵を斬るのは自分自身。だからこそ騎士は、常に剣を振るう意味を己の中にも見出すべきだ」

 

 そういう芯がない騎士は、どんなに強くても、いつか簡単に折れてしまう。

 渋い顔をしたまま黙り込む少女の頭を、グレアムは多少乱暴にゆすった。

 

「難しく考えすぎなんだよ。きみも、あいつも。だから、プリンセスにはリフレッシュも兼ねて、俺から課題を出そう」

「課題、ですか?」

「ああ」

 

 グレアムは言った。

 

「あいつとデートに行ってきなさい。ちゃんと、二人きりで」

「……え」

 

 ようやく学生らしい顔が見れたな、と。

 お節介な騎士団長は、少し嬉しくなった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 要するに、トレーニングにオーバーワークの気があるから、休みを兼ねて息抜きをしてこい、ということらしい。

 

「なんだかなぁ」

 

 学校も訓練もない、完全オフの休日は何日ぶりだろうか。事前に待ち合わせの時間と場所をきちんと決めて、おれはアリアと出掛ける約束を取り付けた。

 訓練の効率を上げるために、適度な休息が大切なのは理解しているつもりだ。先生の気遣いはうれしい。しかしかといって、自分が師事してる人間に「へいボーイ、お前ちょっと女の子誘って遊んでこいよ。ちゃんとエスコートしろよ?」なんて言われるのは、なんとも微妙な気分になる。

 もちろん、アリアと出かけるのがいやだというわけではない。むしろ間違いなく楽しみだし、めちゃくちゃ気合いを入れて店も行く場所も考えてきた。しかし、こんな風に呑気に遊んでいてもいいのかという呟きが、おれの心の中には常に付きまとうわけで……

 

「ごめん。おまたせ」

 

 そんなどうでも良い思考が、一瞬で吹き飛んだ。

 ちょっとだけ、息が止まった。

 制服でもなく、訓練用の軽装鎧姿でもない。私服のアリアが、立っていた。

 かわいらしいが華美なデザインではないシンプルなブラウスに、少し大きめのオーバーサイズのカーディガンは薄い桃色。ロングスカートに控えめなヒールが添えられていて、女の子であることを強く意識させられる。よく見ると、髪も軽く巻いているようだった。頭の上にちょこんとのった帽子が、またかわいらしい。

 おれの目の前に立っている彼女は、とても魅力的で。説明しようと思えばいくらでも言葉を尽くして説明できてしまう気がしたが……シンプルに、一言で言ってしまえば、とてもきれいだった。

 わざとらしく上目遣いに調整された視線が、こちらを見る。薄く笑う唇にも、やわらかい紅色が引かれていることに、そこでようやく気がついた。

 

「どうかな、とか。聞いてみても良い?」

「聞くまでもないと思いますよ、お姫様」

「……そういう言い方しちゃうんだ。ふーん」

 

 どうやら返答を間違えてしまったらしい。機嫌よく弧を描いていた唇が、ツンと尖る。

 背中がくるりと振り返って、ロングスカートとカーディガンの裾が揺れる。そのまま、リズミカルにおれから数歩分離れていったアリアは、またくるりと振り返った。

 

「ごめん。お待たせ」

 

 さっきのセリフを、そのままもう一度。

 

「え?」

「やり直しだよ」

 

 さっきと違うのは、控えめな笑みがいたずらっぽくなったこと。傾げた首に合わせて、軽く巻かれた金髪がくるんと揺れる。

 

「どうかな? ……今度は、ちゃんと答えてね」

「……はい。めちゃくちゃかわいいです」

「うむ。よろしい」

 

 王女らしい口調で。王女らしからぬニカッとした笑顔が眩しい。

 お礼を言われても、言われたこっちが困ってしまう。

 まいった。これは勝てない。

 わざわざやり直して、言わせるのは、ずるい。それはちょっと反則だ。

 

「じゃあ、行こうか」

「うん。今日はどこに連れて行ってくれるの?」

「とりあえず、甘い物から攻めますか」

「甘い物! いいね! 何食べるか迷うなぁ」

 

 やりとりは、いつも通り。学校での会話と、特に何か変わるわけでもない。自然なもの。

 だから、差し出された手のひらを、自然に握る。

 制服の裾を掴まれていた頃よりも。

 縮まった距離感に、自惚れても良いのだろうか、と。ふと、そんな風に思った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「カフェに入ってお茶を楽しむ、か。実に真っ当な学生デートではあるが……くそ、じれってぇな。ちょっとやらしい雰囲気にしてきていいか?」

 

 私服姿でも筋肉の厚みと暑苦しさを隠しきれていない髭面の男が、やきもきしながらそんなことを言う。

 グレアム・スターフォードは、王都の守護を司る第三騎士団の団長である。

 そして同時に、休日に青少年たちの色恋沙汰を静かに見守る後方保護者面厄介おじさんでもあった。

 

「だめだよ、おじさん。こういうのはこっそり見守って、甘酸っぱい空気感を楽しむのが良いんだよ。かーっ! みてみて! ゼンラくんがアリアちゃんのパフェちょっと食べたよ! そぉーれ! キッス! キッス! 間接キッス!」

 

 きれいめのワンピースに身を包んだ美少女が、その外見とは裏腹に品性の欠片もない言葉を重ねて、囃し立てる。

 イト・ユリシーズは、王国騎士学校最強の学生騎士である。

 そして同時に、後輩の色恋沙汰を興味津々で見守るお節介厄介ドジっ子先輩でもあった。

 

「フッ……入学した頃と比べて、かなり距離感が縮まってきたのを感じますね。ボクも二人の親友として実に鼻が高いですよ。これまでひっそりと見守ってきた甲斐がありました」

 

 ジャケットを羽織った美少年が、興奮を隠しきれない様子で言葉を紡ぐ。

 レオ・リーオナインは、王国切っての商家の御曹司である。

 そして同時に、友人の色恋沙汰を眺めて楽しむ残念イケメン自称親友でもあった。

 三人は植木の影から、各々遠見の魔術やら魔眼やら望遠鏡やらを用意し、少年と少女の甘酸っぱい時間をじっくりとウォッチングしていた。

 

「いいぞ。もっとだ。もっとくっつけ! そこだ! 押せ!」

「おじさん、ちょっとこっち寄らないで。加齢臭キツイ」

「あぁ!? 俺はまだお兄さんだが?」

「若人の輝きに目を焼かれそうだから、近くで臭うおじさんの香りが余計にキツイんだよね」

「お二人とも、静かにしていただけますか。そろそろアリアが我が親友にあーんをしそうな雰囲気です」

「「マジで!?」」

 

 三人寄れば文殊の知恵という言葉がある。

 しかし、バカとドジとアホが三人が寄って集まったところで何も生まれないことは、現在進行形で完璧に証明されていた。




今回の登場人物

勇者くん
 単純な剣技だけに絞るなら、学生時代はグレアムの評価通り、そこそこまあまあな中の中。実戦経験と鍛錬を積み重ね続けて、上の下レベルといったところ。本人も剣だけで敵に勝とうとは思わず、良い意味で割り切るようになった。この後、武闘家さんに弟子入りしたのも、そのあたりの考え方が反映されている。

アリア・リナージュ・アイアラス
 単純な剣技だけに絞るなら、勇者くんよりも上。しかし、パーティーの切り込み隊長を務めることが多くなった関係上、大剣の二刀流という大味なスタイルに行き着いた。
 デート用の私服のチョイスに二時間かけた。グレアムに公式重い女認定された。

グレアム・スターフォード
 単純な剣技だけに絞るなら、王国最強クラス。天才が努力も積み重ねてきたタイプの隙のなさに、経験も載っている。後方保護者面恋愛ウォッチングおじさんとして、ワクワク暗躍する。

イト・ユリシーズ
 単純な剣技だけに絞るなら、人類最強クラス。学生時点ではグレアムの方が上だが、果てしない伸びしろがあったため、現在ではほぼ追いついている。後輩の色恋沙汰に興味津々のうざい先輩として、楽しく暗躍する。

レオ・リーオナイン
 単純な槍技だけに絞るなら、才能は勇者くんよりも恵まれているレベル。しかしレオの強みは淡々とした鍛錬の積み重ねにあるので、良い意味で才能に胡座をかいていない。後方理解者面親友として、ドヤ顔で暗躍する。


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勇者の騎士学校生活。イチャイチャデート編

 口に含んだクリームが甘い。

 

「ん……! おいし」

「よかったよかった」

 

 アリアが彼に連れて来られたのは、落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。落ち着いた雰囲気のわりに、注文して出てきたのはそびえ立つような見た目のファンシーなパフェだったので、雰囲気と商品のギャップがとても激しい。

 

「取り分け用のお皿もお持ちしましょうか?」

 

 ウェイターが気を利かせて言ってきたが、アリアは人懐こっく笑いながら首を振った。

 

「あ! 大丈夫です! すごくおいしいので……多分、その……一人で食べちゃうかなって」

「かしこまりました。おかわりも遠慮なくお申し付けください」

「それは……検討します」

「ええ。ごゆっくり」

 

 恥ずかしいやりとりをしてしまった。

 赤面しながら、アリアはパフェの甘さに舌鼓を打つ。照れ隠しで何か話さないと、もっと顔が赤くなってしまいそうだ。

 

「よくこんなお店知ってたね」

「それは褒めてる?」

「もちろん。褒めて遣わす」

「はは。ありがたき幸せ」

 

 対面に座る顔も、緩んで笑う。

 

「入れ知恵してもらった」

「誰に?」

「グレアム先生」

「ああ」

 

 変に格好をつけずに、素直に教えてもらったと白状するのが、また彼らしい。まったく、あの上裸先生は本当に何が狙いなのだろうか。

 アリアは眉根を寄せて、またパフェから次の一口をパクついた。なんだかいいように遊ばれている気がするが、オススメのパフェがおいしいのは間違いないのでどうしても表情は和んでしまう。

 しばらく黙々とクリームとフルーツの山を掘り進めていると、視線がこちらに向いていることに気がついた。

 

「なに?」

「いや、うまそうに食べるなぁって」

「だって、おいしいものはおいしく食べなきゃ損じゃない?」

「そりゃそうだ」

「たくさん食べる女の子は、はしたないかな?」

「おれはおいしそうにいっぱいごはん食べる子の方が好きだよ」

「わあ、白々しいセリフ。あたし以外の女の子にそれ言っちゃだめだからね」

「なんでだよ」

 

 最初に会った頃に比べると、会話の内容も随分気安くなったなと思う。でも、それは決していやではない。むしろ、うれしい。

 彼が向かいの席に座っていて、一緒に何かを飲み食いをするのが当たり前になって。そういう当たり前が、アリアは楽しかった。

 

「王宮にいた頃はこういうパフェつっつけなかったからなー。カフェとかにも気軽に行けなかったし」

「へえ、そういうもんなのか。お姫様は好きなときに好きなもの食えるものだと思ってたけど」

「全然そんなことないよ。出されるものはもちろん豪勢ではあったけど、あたしは大体一人で食事をとってたし……」

 

 父は政務で忙しく、腹違いの姉たちはそもそもアリアと一緒に食事の席に着こうともしなかった。

 良い食材が使われていたのはわかる。腕の良い料理人が、栄養バランスを考えて作っていたのもわかる。

 それでもアリアは、広くて冷たい部屋で、無言のまま黙々と食事をとる時間が好きではなかった。食事がどんなに温かくても、心はずっと冷たかった。

 だから、目の前の少年と一緒に食べるこのパフェは真逆だな、とアリアは思う。

 冷たくて、甘いけど、温かい。

 

「すごく当たり前のことかもしれないんだけど」

「うん」

「誰かと一緒に食べたら、おいしいものはもっとおいしくなるね」

「…………そういうセリフ、おれ以外の男に言わないでほしい」

「なんで!?」

「レオになら言ってもいいよ」

「いや、レオくんはあたしが何か言わなくても、大体いつも何かしら喋ってるし……」

「それはそうだ」

 

 また笑い合って、一拍の間を置く。言葉のやり取りが消えて、沈んで黙る。

 今までアリアは、沈黙は気まずいものだと思ってた。国王である父親と話す時は、いつもなんとか父の気を引けるようにと、必死に話題を探して、自分から懸命に言葉を紡いでいた。でも、そういう会話はきちんと言葉のやり取りをしているようで、いつも中身が上滑りしているような虚しさがあった。

 でも、今。自分と彼との間に流れる沈黙は、不思議と心地良い。

 一緒にいるだけで楽しい、というのは……こういうことを言うのだろうか? 

 

「アリアはさ。最近、雰囲気やわらかくなったよな」

 

 ぽつんと。言われて、目を瞬いた。

 

「そう、かな?」

「うん。最初はもっと鋭利な横顔してた」

「鋭利な横顔ってなに? 褒めてないでしょ」

「褒めてる褒めてる。美人ってことだよ。でもとんがってた、みたいな」

「……あたし、そんなに人を寄せ付けない雰囲気してた?」

「そこそこ。入学式をサボって、屋上から空を見上げてるくらいには……」

「あーあーあー! 言わないで! お願いだからそれ以上は言わないで! それ、すごい恥ずかしい過去だから!」

「まだ一年経ってないんだが……?」

「う……」

 

 まだ目の前の少年と出会ってから、一年も経っていないことに、今さらながらに気付かされる。

 彼は、続けて畳み掛けてきた。

 

「アリアって多分、人間が好きだと思うんだけど」

「まって。なにその大きい前提条件」

「いや、人間が好きか嫌いかで言ったら、アリアは絶対に好きだと思うんだよ。誰かと話してる時は楽しそうだし、はじめて行った店の人ともすぐ仲良くなるし、みんなの名前も最初からちゃんと覚えてたし」

「うんうん。そうだねゼンラくん」

「おれの名前もそろそろ覚えましょうか?」

 

 冗談で誤魔化しながら、嬉しさを覚える。

 一年も経っていないのに、少年はアリアのことを、随分深く見ているようだった。

 また言葉を探して、彼の視線が少し泳ぐ。

 

「だから、なんというか。あの時と違って今はもう友達も増えたと思うし、おれがこれを聞くのはお節介かもしれない。だから、答えたくなかったら答えてくれなくて、構わない。でも、教えてくれるなら教えてほしい。入学した頃……今も、かもしれないけど。アリアが悩んでいるのは、家のこと?」

 

 言い当てられて、口をつぐんだ。

 グレアムに言われたことを、アリアは思い出した。

 

 ──簡単だよ。己を知ることだ

 

 自分は本当に、自分のことを理解できているのだろうか?

 

「うん。そうだよ」

 

 恐る恐る、肯定する。

 でも、口に出して相手に伝えることで、なんとなく自分のことを客観的に見詰められる気がした。

 

「きみが言う通り、あたしは、多分、人と喋るのが好き」

 

 自分がほしい時に、ほしい言葉をくれたらうれしいから。

 

「人に頼られるのも、多分、好き」

 

 自分を求めてほしい時に、求めてくれたらうれしいから。

 そういう人がくれる甘さを、きっとほしがりで浅ましい自分は、無意識のうちに望んでいて。

 

「あと、名前。名前を、呼んでもらうのが好き」

 

 こんなことを言ったら、また重い女って言われそうだな、と。

 内心の苦笑を胸の内に留めて、アリアは言った。

 

「あたしのお母さん、正式な妃じゃないの。簡単に言っちゃうと妾の子ってやつ、かな」

 

 彼の顔が、わかりやすく歪む。

 でも、これはべつにめずらしい話ではない。王族が跡継ぎの問題を鑑みて、正妻以外との間に子どもを作るのはよくあること話だ。

 ただ、アリアの母親は元々王宮内の小間使いであり、特に身分が低かった。そして、アリアは男児ではなく、上にはすでに腹違いの姉が二人いた。

 

「お母さんはあたしが生まれたあと、病気で死んじゃって……家にあんまり居場所がなくて。姫様、とか。お前、とか。そういう呼ばれ方に慣れちゃったんだ」

 

 自分という存在は、ちょっとした間違いが元で生まれて、けれどちょっとだけ特別な才能を持っていたから捨てられずに済んだ。あの家にとっては、捨てられるものなら捨てたいが、しかし捨てるには少し惜しい。そういう便利なゴミ程度の存在でしかない。

 当たらず触らず。腫れ物を扱うようにアリア・リナージュ・アイアラスは育てられてきた。

 

「でも、だから……この学校で、いろんな人と仲良くなって、いろんな人に名前を呼んでもらえるのが、あたしは、うれしかったんだと思う」

 

 姫という立場を抜きにして。

 目の前にいる彼や、騎士学校で出会った友人や先輩たちは、アリアに対して遠慮も容赦なく、当たって触れてぶつかってきた。

 アリアにとって、それははじめての経験だった。だから、彼が言うように、少しだけ変わることができたのかもしれない。

 

「ごめんね。せっかく遊びに来てるのに、暗い話しちゃった」

 

 軽く拝んで、軽い口調で空気を戻そうとする。

 けれど少年は黙ったまま、本当に難しい顔のまま、腕を組んだ。

 

「……アリア」

「なに?」

「アリア」

「え」

「アーリーアー」

「ちょっと……」

「ありあー」

「なに!?」

 

 普通に。伸ばして。緩く。歌うように。

 自分の名前を連呼されて、アリアは戸惑った。すごく戸惑った。

 

「良い名前だよな、アリアって。すごくきれいな響きで、何回でも呼びたくなる」

「あのさぁ……からかってる?」

「違うって。本当にそう思ってるよ」

 

 だからさ、と。

 カフェオレのカップを置いて、アリアの瞳を正面から見て、少年は言った。

 

「名前を呼ぶよ」

 

 当たり前の……けれどアリアにとっては当たり前ではないことを、彼は言った。

 

「おれが、アリアの名前を呼ぶ。困った時は叫んで呼ぶかもしれないし、ケンカした時は怒りながら呼ぶかもしれない。でも、それでも……おれはアリアの名前をたくさん呼ぶよ」

 

 ああ、だめだ。

 それは、ずるい。

 

「家のこととか、生まれのこととか。そういう悩みでは力になれないかもしれないけど、名前を呼ぶことくらいなら、おれもたくさんできるから」

 

 ほしい時に、ほしい言葉をくれたら。

 求めてほしい時に、求めてくれたら。

 そんなやさしい甘さを差し出されたら、自分は溺れてしまいそうになる。

 

「……うん。わかった」

 

 アリアは、パフェの残りにスプーンを差し入れた。底の方に残っていたアイスとフルーツとクリームと、甘いものをすべてかき集める。

 そして今度は、彼の口に向けて突っ込んだ。

 

「んぼっ!?」

「それ、お返しね」

 

 今は、これが精一杯。

 口元に突っ込まれたスプーンに、彼は目を白黒させたけれど。

 アリアは、そんな反応はお構いなしに、笑った。

 

 

「全部あげる」

 

 

 魔法の名前を知るために必要なのは、己を知ること。

 グレアムはアリアに対してそう言った。

 自分のことを。

 そして、彼のことを。

 

 もっともっと、たくさん知りたい

 

 心の内側からじんわりと湧き上がってくるこの熱の名前を、まだ知らないから。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「不審者が三人いる、と聞いたから来てみれば……なにをやっているんですかあなた達は」

 

 王都の治安維持を司る憲兵は、不審者三名を見下ろしてため息を吐いた。

 

「くっ……離せ! 俺は騎士団長だぞ! 俺は無実だ! ただ教え子のデートを草葉の陰から見守っていただけで……」

「騎士団長が教え子のデートを盗み見してたらそれはもうアウトなんですよ。連れて行け」

「やめろ! これからきっと買い物とか行くんだぞ!? 最後まで見守らせてくれ! おい!?」

 

 筋肉達磨が、ずるずると引きずられていく。

 

「くっ……はーなーしーてー! ワタシは生徒会長なんです! 後輩たちの恋愛をこっそり見守って思い出のメモリーに刻んでおく義務があるんですー!」

「生徒会長が後輩のデートを盗み見して隠し撮りしてたら、それはもうただのパワハラなんだよ。連れて行け」

 

 黒髪の残念美少女が、するすると引きずられていく。

 

「……きみは抵抗しないのか?」

「フッ……ボクは彼の親友ですからね。引き際は弁えています」

「そうか。よし連れて行け」

 

 最後に、自称親友のイケメンが、颯爽と引きずられていった。

 どうしてこんなバカ三人の面倒を見なきゃならんのだ、と。ため息を吐きながらも、

 

「さて、上手くいくといいが……」

 

 喫茶店から出てきた少年と少女の背中が見えなくなるまで、憲兵も二人の後ろ姿を見守っていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして、後に勇者になる少年の、騎士学校での生活は瞬く間に過ぎていった。

 雪が溶けはじめ、暖かい春の気配を感じられるようになった頃。

 卒業を控えた騎士たちには、最後のイベントがあった。

 

「さあさあ! それじゃあワタシたち最上級の、最後の思い出作り! 卒業遠足に出発しようか!」

 

 卒業生以外にも、実力を重視して選抜された生徒たちの前で、()()()()と軍用コートに身を包んだ生徒会長、イト・ユリシーズが高らかに叫ぶ。

 

「目標は北部のダンジョン! 回収目標は『火の聖剣』! ワタシたちの任務は探索の補佐だけど、油断せず、気合いを入れてがんばろう!」

 

 そして、そんな彼らを監視する者たちがいた。

 

「……さぁて、魔の使徒のみなさん。人間如きに顎で使われるのは癪かもしれねぇが、ちょっと付き合ってもらうぜ。これも契約なんでね」

 

 眼下に広がって群れている騎士の卵たちを見下ろして、盗賊は笑う。その傍らには、静かに佇む数体の悪魔の姿があった。

 

 ──最後の戦いの舞台は、火の聖剣が眠ると謳われる、古のダンジョン。

 後に勇者になる少年の青い春は、冷たい冬が明けるのを待たずに、静かに終わろうとしていた。




Q.勇者様とアリア様の仲についてどう思われますか?
A.うちのお店にお忍びでいらしたことがあるんですよ。結局、その一回だけになってしまいましたが……とても仲良く談笑されていました。お二人にはまたぜひいらしゃってほしいものです

〜勇者様特集記事のインタビューより〜


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勇者の騎士学校生活。ダンジョン襲撃編

「卒業遠足がダンジョン探索っておかしくないか?」

「恒例らしいよ」

「恒例にしちゃダメだろ」

 

 白い息と一緒に疑問をぼやくと、おれの隣に立つレオは軽く肩を竦めた。

 

「魔物や悪魔による被害が増えている昨今、騎士団はどこも人手不足だからね。ボクたちみたいな生徒に実地研修を兼ねて探索をさせた方が、効率が良いんだろうさ」

「それはわかるけど、この寒さは堪えるぜ」

「暇潰しに何かほしいところだね」

「雪だるまでも作るか」

「おいおい親友、ふざけているのかい? ちなみにボクは人参を持っているよ」

「なんで人参持ってんだよ。あの枝とかめっちゃ良くないか? 腕にしようぜ」

 

 まだ雪が薄く残っている地面を踏みしめると、ザクザクと小気味良い音がした。手近な雪をゴロゴロとかき集めて、雪だるまを作り始める。

 

「形の良い高い鼻だね。これは美人になるよ」

「胸も盛るか」

「巨乳にしよう」

「腰にくびれも欲しいところだな」

 

 学生二人が暇を持て余した末に、えっちな雪だるまを作り始める。不真面目を極めているが、仕方ない。人間、暇な時間には勝てないのだ。

 おれとレオが仰せつかったのは、ダンジョンの入口での見張りである。今回のダンジョン探索は、グレアム先生の第三騎士団と卒業生が合同で行う。しかし、その第三騎士団の到着が予定よりも遅れているらしく、先に浅い階層のモンスターの駆除を済ませておこう……ということでイト先輩をはじめとする卒業生のみなさんは先にダンジョンに潜っていってしまったのだ。

 結果、腕に覚えがある下級生として招集されたおれたちは、第三騎士団の到着を待つ雑用を任されたというわけである。なお、アリアはおれとレオとのじゃんけんに勝ったので、一年生で一人だけダンジョンに潜っていった。ゆるせねえ……! 

 

「あーあ。おれもダンジョン入ってみたかったなぁ」

「そうかい? ダンジョンの中なんてじめじめしているし、モンスターは次から次へと湧いてくるし、良いことなんて一つもないと思うけどね」

「くそ寒い外よりはマシだろ。しかもこのダンジョン、中に聖剣が眠ってるって話だったよな?」

「ああ、そうらしいね」

「おれの武器にしたい」

「さすがは我が親友。欲望もストレートだね」

 

 黙々と雪だるまの胸を盛っているレオには鼻で笑われてしまったが、なにせ聖剣である。もう名前の響きからして、勇者の武器って感じだ。これから勇者を目指す身の上としては、ぜひともゲットしておきたい。

 

「でも、このダンジョンで聖剣を見つけても、キミのものにすることはできないよ、親友」

「え。そうなの?」

「相変わらず座学を聞いていないようだね」

 

 やれやれ、と。レオはまた肩を竦めた。イケメンは大仰な動作も様になるからズルい。コイツが雪だるまにおっぱいを盛るタイプのバカでなければ嫉妬でハゲ散らかしているところだ。

 

「ダンジョンのような遺跡から発掘される遺物は、それそのものが莫大な魔力の塊なのさ。だからモンスターたちは集まって、安定して魔力が供給される自分たちの生活基盤として、ダンジョンのような巣を作る。そして、遺物を守る。ここまでは良いかい?」

「それくらいはわかる」

「OK。こうした遺跡から発掘される武具は、自らが魔力を生むその性質上、生きていると言っても過言じゃあない。特に聖剣のようなめずらしい武器は、持ち主を選り好みする。そして、一度使い手として認められると、その使い手が死ぬまでは他の人間には扱えなくなるわけだ」

「犬が本当に飼い主として認めているのは一人だけ……みたいな?」

「そうそう、そんな感じ。だから、今回のようなダンジョン探索でも、聖剣を見つけた人間は迂闊に使ってしまわないように、細心の注意を払うのさ。うっかり使い手として認められてしまうと、誰かに譲り渡すことも、献上することもできなくなってしまうからね」

「逆に言えば一度認めれちまえばそれで勝ちってことだよな? よし!」

「よしじゃないよ」

 

 ダンジョンの入口に飛び込もうとするのを、首根っこを掴まれて止められる。仕方ないので、おれも雪だるまの腰のくびれを作る作業に戻ることにした。お尻の造形にも拘ろうかな。

 

「今回の探索の責任者は、宝物庫の管理を担っている大臣……アリエス・レイナルドが関わっていると聞いた。無事に聖剣が発見されたら、相応の実力者か、優秀な騎士に支給されることになるんじゃないかな」

「ええ……おもしろくないな。伝説の武器は、発見したヤツが引き抜いて使ってこそだろ」

「そういうロマンに関しては、ボクも全面的に同意するよ」

 

 と、そこでレオは居住まいを正した。視線の先を見てみると、騎士が一人、こちらに向かって歩いてくる。

 

「お前ら、おもしろそうな話してるな」

 

 声の口調は随分とフランクだった。しかし、身に纏っている鎧からして、第三騎士団の所属なのは明らかである。おれとレオは、慌てて頭を下げた。

 若いわけではない。かといって、年を食っているわけでもない。一目では年齢がわかりにくいタイプの顔立ちの騎士は、軽く笑みを浮かべて手を振った。

 

「お待ちしてました!」

「そう固くなるな。こちらこそ、遅れてすまなかった。卒業生たちはもうダンジョンに潜っているのか?」

「はい。先に浅い階層の制圧に取り掛かっています」

「そうか。ご苦労」

「グレアム団長や、他の方たちは?」

「もう少しで到着するだろう。街道沿いで少々トラブルがあってな。予定がかなり後ろにずれ込んでしまった。オレは本隊から先発して、状況を確認しに来たんだ」

「そうだったんですね」

「それにしても力作だな」

 

 いかん! レオと作ったかわい子ちゃん(雪だるま)がそのままだった! 

 

「そっちの勇者志望の坊主は、入口での留守番がつまらんから文句を言いつつ雪だるまを作っていた……というわけだ」

 

 どうやら、会話の内容まで聞かれていたらしい。

 

「し、失礼しました!」

「いや、すいません。彼はボクの親友なんですが、普段から勇者を目指すと言って聞かなくて……」

「おい。おれをダシにして逃げるな」

 

 頭を下げながら、保身に掛かってる小狡いイケメンの脇をつつく。すると、騎士さんはくつくつと喉を鳴らした。

 

「べつに責めているわけじゃない。良いじゃないか、勇者。実現可能か、不可能か。そんな小難しい理屈は置いといて、夢ってのはでっかく持ったほうが良い」

「ですよね! ありがとうございます!」

 

 中々話がわかる騎士さんである。

 

「あまり調子に乗らない方がいいよ、親友」

 

 うるせえ。おれが「勇者になりたい!」って言っても大体みんな笑ってくるから、こうやって肯定してもらえるのは素直に嬉しいんだよ。

 

「しかし、雪だるまか。オレも昔はよく作ったなあ」

「雪国のご出身なんですか?」

「おお。オレの生まれは王都からかなり北の方でな。俗に言う豪雪地帯ってやつだ。もっとでかい雪だるまが作れたぞ」

「へえ、いいですね」

「ああ。でもまぁ、こういうのは結局、必死こいて作って、きれいに整えて……」

 

 ブーツを履いた足が無遠慮に振り上げられる。

 

()()()()()が、一番楽しいよな」

 

 そして、雪だるまは粉々に崩されてしまった。

 レオと黙って顔を見合わせる。まあ、サボっていたのはこちらなので、崩されても仕方がない。

 

「せっかく目の前にダンジョンがあるのに、見張りなんてつまらなかっただろう? ま、入口に二人だけってのは、こっちの手間も省けた」

「手間……?」

 

 気安く肩に置かれた手に、殺気はなかった。

 するりと、内側に入り込まれた。

 だから、反応が遅れてしまった。

 男の手から飛び出した、白い、ネバネバとした塊に、おれとレオの全身は一瞬で絡め取られた。

 

「なにを……!?」

「わりぃな。勇者志望の青少年は、しばらくここで大人しくしておいてくれや」

 

 口調が変わる。

 表情が変わる。

 視線が変わる。

 擬態した虫のように、その騎士はゆったりとした口調で本性を曝け出した。

 

「……あんた、騎士団の人間じゃないな?」

「ああ、違うよ。オレは悪党だ」

 

 嘯いた男の両脇に、静かに悪魔が降り立つ。

 角と爪。口から生え出る牙。濃い魔力の気配に、背筋が凍る。

 それが、上級悪魔と呼ばれる存在であることは明らかだった。

 おれとレオは、動けない。こいつがその気になれば、一瞬で殺される。けれど、男は身構えたおれを嘲笑うかのように、軽薄に口元を歪めた。

 

「だから、そう固くなるなよ。勇者志望くん。お前らをここで殺すのは簡単だが、こっちも予定が詰まってるんでね。騎士団長サマの足止めにも戦力を割いてるから、今日の仕事はテキパキ終わらせねぇと」

「……なにが狙いだ?」

「将来、勇者になる可能性がある女の命を摘み取りに来た」

 

 おれとレオには目もくれずに、上級悪魔たちがダンジョンの中に入って行く。

 

「お前じゃないから、安心しな」

 

 最後までおれをバカにしきった笑いを漏らしながら、その悪党も闇の中に消えていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 ダンジョンとは、魔物が棲み着いた迷宮である。一度中に入ってしまえば常に命の危険が付き纏い、モンスターを警戒する探索が続く。

 しかし、先頭に立つ人間がモンスターを一方的に駆逐できるほどの実力者である場合、その緊張感は緩やかに弛緩する。

 

「それでそれで? アリアちゃんはゼンラくんとはどこまで進んだの?」

「進んでません! また会長はそうやってからかって……! ほんとにもう!」

 

 ガールズトークの花と共に、イトが撃ち放つ炎熱系魔術の火花が咲く。

 倒れたモンスターを踏みつけにしながら、イトはかわいい後輩への追及の手を緩めない。

 

「またまたぁ! ワタシは生徒会長として、二人がデートしていたことを知ってるんだよ?」

「職権乱用です! 大体、あたしの話ばっかりずるいですよ! そういう会長はどうなんですか? 絶対モテるでしょう!」

 

 アリアが振りかぶった照れ隠しの斬撃が、図体だけが大きい魔物を一刀両断する。

 

「えぇー? いやほら、ワタシはたしかに美人でかわいいけど」

「わかります」

「急に隣に出てきて相槌打つのこわいからやめてくださいサーシャ先輩」

「でもほら、ワタシは将来、勇者を目指しているわけだし? そんなワタシに釣り合うほどの男の子って中々いないよね」

「激しくわかります」

「わかりましたから寄りながら相槌打たないでくださいサーシャ先輩」

 

 イトへの愛情を隠しきれていないなんちゃって無表情ガールを押し退けながら、アリアは「でも」と反論した。

 

「会長ももうすぐ卒業ですよね? 告白してくる男子は絶対いると思いますよ」

「んー、気持ちは嬉しいけど、全員切って捨てて終わりかな」

「切って捨てちゃダメでしょう」

「まあでも、ゼンラくんがワタシに告白してきてくれたら、ちょっと考えないでもないかな」

 

 ぐぬっ、と今度はアリアの方が明確に言葉に詰まった。心の内を示すように、繰り出す斬撃の軌跡が目に見えて荒くなる。

 

「おやおやぁ? アリアちゃん。どうしたのかな?」

「イト会長は……」

「うんうん」

「……イト会長は、お付き合いするなら年下の男の子の方がよかったりするんですか?」

 

 にんまりと。イトの笑みがさらに濃くなる。可愛い後輩を、さらに愛でる方向に。

 

「そりゃもう、ワタシは見ての通りのお姉さんだからね〜! やっぱり年下の男の子は庇護欲が唆られるよねえ〜」

「ぬぅ……」

「あはは。冗談だよ冗談。アリアちゃんの気持ちはちゃんとわかってるから安心して?」

「あたしの気持ちの何がわかってるって言うんですか!?」

 

 ぬふふ、とイトは含み笑う。

 自分は、勇者になるまで恋愛に現を抜かすつもりはない。けれど、それはイト自身の事情からくる心の持ち様であって……後輩たちには、存分に恋愛をし、青春をしてほしいというのが本音だ。だから、こうして話してからかうのが、とても楽しい。

 そんな楽しいガールズトークをしている間に、モンスターの駆除も一通り終わってしまった。

 

「会長。下の階層への入口を見つけました」

「了解了解。上層のモンスターの駆除は大体終わったし、あとはグレアムおじさんたちの到着を待とうか」

「もう一層程度なら降りても問題ないのでは? 我々にもまだ余裕がありますし。第三騎士団の到着も予定より遅れているようです」

「んー、でも」

 

 こういう時は安全第一が基本だよ、と。言いかけたイトは、振り返って上を見た。

 嫌な気配を感じる。片目を凝らして、魔力を集中し、それの正体を精査する。

 イトは、サーシャの方をちらりと見た。彼女は剣の腕は元より、魔力感知に特に秀でている。クールな無表情は、やはり無言のままこくりと頷いた。

 

「……じゃあ、ワタシはこの階層でおじさんたちの到着を待つから、みんなには先行して次の階層に降りてもらおっかな。くれぐれも無茶はしないように。特にアリアちゃん」

「なんであたしが名指しなんですか!?」

 

 ぷんすか怒りながら下に潜っていく後輩を見送って。

 イトは他の誰にも気付かれないように、サーシャに耳打ちした。

 

「ちょっとヤバそうだから、ワタシがここで敵を止めておくよ。みんなのこと、よろしくね」

「はい。会長もお気をつけて」

 

 学校を卒業したらやっぱりこの子が副官にほしいなぁ、などと思いながら。イトは下ろしていた髪を、ポニーテールの形に括った。

 

「……さて、やりますか」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 いやな予感というのは、当たってほしくない時ほど当たってしまうものだ。

 

「団長。ダンジョンの方角です」

「言わんでも見えてる。いちいち騒ぐな」

 

 目的地の方向を見据えて、グレアムは薄く舌打ちを漏らした。同時に、軽く薙いだ剣がモンスターの首を斬って落とす。

 グレアムが率いる第三騎士団は、本来ならばもうダンジョンに到着し、学生たちと合流している手筈だった。しかし、実際には魔物の群れに遭遇してこの有様である。

 

「ギルボルト! どうだ!?」

「ダメですね。街道を完全に塞がれています。隊全体での強行突破は難しいでしょう。明らかに時間稼ぎを目的にした動きです。群れへの指示と増援の投入に、人為的なものを感じます」

 

 優秀な副官の報告に、グレアムは眉根を寄せて唇を噛む。

 引いては寄せ、寄せては引いてくる敵の魔物たちに統率者がいるのは明らかだった。

 

「指揮をしている()がいるな。人間か悪魔かは知らんが」

「はい。十中八九、間違いないかと」

 

 あるいは敵も、グレアムたちが勘付いたことに、気がついたのだろうか。

 魔物たちの波が引き、その中心に人影が現れた。

 

「……あれだな」

「そのようです」

 

 フードを被った細い人影は、グレアムに向けて一礼する。

 

「これはこれは、お初にお目にかかります。グレアム・スターフォード。お会いできて光栄で……」

「邪魔だ」

 

 時間が惜しい。敵の戯言に、耳を貸している暇はなかった。

 全身に、魔力が巡る。ゼロから一へ。励起した魔力は体を駆動させるエネルギーとなって、大柄な体を弾丸のように加速させる。

 跳躍したグレアムは一瞬でその人影に肉薄し、首を落とした。声の調子から、女だということはすぐにわかった。女の魔術使いがなぜ魔王軍に与しているのか。興味がないわけではなかったし、普通なら捕縛してじっくり情報を引き出したいところではあったが……

 

「すまんが、話をしている時間はない」

 

 斬ってから、言葉を添える。

 落とした頭が、地面に転がる。

 刃に付着した血を一振りで落とし、グレアムは副官に向けて声を張り上げた。

 

「ギルボルト、敵の頭は獲った! ここは任せるぞ! 俺は先に生徒たちの救出に……」

「団長!」

 

 しかし、部下の表情は青かった。

 

「そいつは、まだ生きています!」

 

 振り返ったグレアムは、絶句する。

 たしかに斬って捨てたはずの首が、元に戻っている。まるで、時間をそのままそっくり巻き戻したかのように。陽炎の如く、その人影は立ち上がった。

 

「……あらあら、いけませんわ。そんなにせっかちだと、女性に嫌われますわよ。本来、騎士というのは正々堂々、名乗りを上げてから剣を振るうものではなくて?」

 

 それは、まだあどけなさが残る妖艶な少女だった。

 

「自己紹介から、やり直しましょうか」

 

 繋がった首の調子を確かめるかのように、長い黒髪が左右に揺れる。

 

「リリアミラ・ギルデンスターン。あなた方が仰るところの、魔王軍で四天王を務めさせていただいております。月並みな芝居のようなセリフで恐縮ですが、ここを通りたければわたくしを倒してから……いえ、殺してからお通りくださいな」




ものすごい穏やかな顔で仲間ヅラしてるヤツが、過去はエグい敵だったのが好きです

今回の敵

ゲド・アロンゾ
 盗賊。潜入などもこなすので変装が得意。

リリアミラ・ギルデンスターン
 当時はまだ19歳。ウキウキで魔王軍四天王をやって、ワクワクと人類の敵をしていた頃。ある意味全盛期。


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最悪の死霊術師VS最高の騎士

 勝敗の究極の形は、勝って生きるか、負けて死ぬか。その二つの結末に集約される。

 グレアム・スターフォードは、これまで勝って生き残ってきた。だから、グレアムには「自分は強い」という自負がある。

 しかし、負けても死なない敵を相手にするのは、はじめての経験だった。

 

「ちっ!」

 

 グレアムの剣が、風を切って唸る。切断、というよりも破砕、といった方が相応しい衝撃をその全身に浴びせられて、女の半身は文字通り吹き飛んだ。

 しかし、それは結局吹き飛んだだけに過ぎない。

 要する時間は、僅か数秒。どこまで飛散したかもわからない肉片が、どこまで粉々になったかもわからない骨の欠片が。それらすべてが、再び寄り集まって女のカタチを再構築する。

 

「……バケモノめ」

「よく言われます」

 

 生理的嫌悪を含んだグレアムの呟きに対して、リリアミラ・ギルデンスターンは涼やかに微笑み返した。

 すでに、再生を繰り返した女の体に衣服は残っていない。長い黒髪がかろうじて秘するべき体の部位を覆い隠しているだけである。

 

「斬るのはダメだな。身体ごと吹き飛ばしても再生すると見た」

「ならばどうします?」

「そうだな。こうしてみよう」

 

 剣を地面に突き立てて、グレアムは副官に指示を飛ばす。

 

「ギルボルト。()()を寄越せ」

「はっ!」

 

 リリアミラは、グレアムの後方に立つ、副官であろう男を見た。より厳密に言えば、彼の足元に展開された魔導陣を注視する。

 

(物質を格納するタイプの召喚魔導陣……なるほど。武装を部下に携帯させて、使い分けているようですわね)

 

 後方から、新たな武器が投げ渡される。それなりの重さがあるであろうそれを、騎士団長は難なく片手でキャッチした。

 ある種、洗練された美しさを持つ剣とは異なる、もっと原始的で、野蛮な武器。先端にスパイクが備わった殴打用の棍棒を、リリアミラはうっとりとした目で眺めた。

 

「あらあら。それはちょっと痛そ……」

 

 感想は、体感で良い。

 生まれたままの姿の女の脳天に向けて、グレアムは情け容赦なくモーニングスターを振り下ろした。

 骨が砕け、肉が潰れる音が響く。

 星球式鎚矛とも呼ばれるそれは、打撃による衝撃で肉を轢き潰すことを目的にしたシンプルな武器である。全身を吹き飛ばすような先ほどまでの大味な斬撃とは異なり、グレアムはピンポイントでリリアミラの頭部に狙いを定め、整った顔立ちを一撃でミンチに変えた。

 モーニングスターは、皮肉を交えてホーリーウォータースプリンクラーと称されることでも知られている。正しくその理由を証明するように、頭を失った体から血の噴水が吹き出した。がくん、と。膝を折った女の体を、グレアムは注意深く観察する。

 一秒、二秒、三秒、四秒。

 

「……いろいろな殺し方を試してくださるのは良いですわね。ワクワクします」

 

 やはり、四秒で。リリアミラ・ギルデンスターンは、当然のように生き返る。

 本当に顔だけは綺麗だな、と。グレアムは再生した女の笑みを見て盛大な舌打ちを鳴らした。

 

「不死身か?」

「ええ。それもまた、よく言われます」

 

 しかし、仮に不死身であったとしても、そこには何らかのルールやカラクリが存在する。

 実際に、何度か殺してみて、わかってきたことがある。

 肉体が完全に元通りになるまでの所要時間は、四秒ジャスト。高度な魔術で肉体を再生させる死霊術師は、基本的に頭を潰せば止まるものだが、そんなセオリーすら無視している。むしろ、頭だけをピンポイントに潰しても、再生速度が落ちる様子がない。

 つまり、この魔王軍四天王の蘇生には、一切の制限がないということだ。

 事実、何度殺しても、女は余裕に満ちた態度を保ち続けている。

 

「流石は王国最強と呼ばれる騎士。攻撃の速度も威力も一級品ですわね」

 

 パチパチ、と。無感動な拍手の音が鳴る。

 

「次はなんでしょう? 槍ですか? 弓ですか? それとも魔術ですか? どうぞ気が済むまで、わたくしを殺してみてくださいな。まあ、どうせ死にませんが」

「そうだな。なら、少し発想を変えてみよう」

 

 モーニングスターを放り捨て、グレアムは地面に預けていた愛剣を再び引き抜いた。

 グレアムの攻撃は、リリアミラには通用しない。しかし同時に、リリアミラもまた、グレアムの攻撃に対応できているわけではない。ただ、真正面から攻撃を受け続けているだけである。

 故に、グレアムは目の前の不死に対して、一つの回答を導き出した。

 

「っ!?」

 

 地面を舐めるような低姿勢から、接近し、一閃。

 全身を吹き飛ばすような魔力を込めた斬撃ではなく、ピンポイントでリリアミラの足のみを狙った斬撃を浴びせ、動きを止める。

 

「死なない程度の傷なら、再生は鈍くなると見た」

 

 なるほど。悪くない発想だ。

 足の健を断ち切られたリリアミラは地面に膝をついて、騎士を上目遣いに見た。そして、吐き捨てる。

 

「つまらない解決策ですわね」

 

 そう。悪くはないが、つまらない。

 死なないのなら、動きを止めて捕縛する。それはたしかにリリアミラの魔法への対応策としては、どこまでも正しい。

 だが、自分という存在を殺してほしいリリアミラにとって、それは結局のところ、殺すことを諦めた対応に他ならない。

 

「期待外れもいいところですわね。つまり、貴方はわたくしを殺せないということでしょう?」

「なにを言っている?」

「え?」

 

 地面に這い蹲った女を見下ろして、グレアムは静かに言い捨てた。

 

「俺の前に立った敵は、必ず殺すに決まっているだろう」

 

 リリアミラが背筋に悪寒を感じたのと、グレアムが新たな武器を指示したのは同時だった。

 

「ギルボルト。()()だ」

「了解。重いですよ」

 

 それを見上げるリリアミラの顔に、影が差した。それを見上げるリリアミラの表情から、血の気が消え失せた。

 グレアムが新たに構えた武器はそれほどまでに、およそ人間が携帯するにはあまりにも馬鹿げた威容を誇っていた。

 

「なんですか、それは?」

「見てわからないか? ただのハンマーだ」

 

 破城槌(はじょうつい)、と呼ばれる武器が存在する。これは、城壁や要塞を突破するための衝角を備えた、攻城兵器である。通常は複数人で抱えて運用するそれに持ち手をつけ、ハンマーのように運用する。人並み外れた魔力出力、圧倒的な膂力がなければできない芸当であった。

 対城兵器を、対個人に向けて振るう。そういう派手で馬鹿な芸当こそが、グレアム・スターフォードという騎士の真骨頂である。

 

「何をしても生き返るんだろう? だったら、話は簡単だ」

 

 浅い軽蔑を、深い殺意が塗り替える。

 

「生き返っても、潰し続ければ良い」

「ちょ、ま……!」

 

 悲鳴はなかった。ただ、大地を揺らす凄まじい衝撃があった。

 ただ、人間一人を潰して有り余るほどの槌と地面に挟まれて、リリアミラ・ギルデンスターンの声はかき消えた。

 四秒が経過する。しかし、リリアミラは再生できない。厳密に言えば再生はしているのだろうが、地面とハンマーにサンドイッチされた女の身体は、再生した瞬間からすり潰される。

 再生、あるいは蘇生が限界を迎えるのであれば、それで良し。たとえ殺しきれなくても、破城槌の重力を自力でどうにかするのは不可能に近い。

 

「さて、とりあえずはなんとかなったか」

 

 あとは残りのモンスターを駆逐し、学生達の救援に向かうおう、と。

 次を見据えて歩き出した、グレアムの背後。

 地面に深々と突き刺さった破城槌が吹き飛んだのは、次の瞬間だった。

 

「……!?」

 

 地面が揺らぐ。視界が揺れる。

 それは明らかに、何かの爆発だった。

 まるで大地そのものが激しく揺さぶられたかのような衝撃に、周囲で戦闘を行っていたモンスターも、騎士たちも、誰もが攻撃の手を止めて、その振動に注意を奪われた。

 

「……危なかったですわ。死ぬかと思いました」

 

 振り返った視界の中に、解答があった。

 まるでクレーターのように落ち窪んだ地面の底から、女の声が這い上がる。

 土煙の中から、生まれたままの姿の美女が、可憐な顔を覗かせる。

 苦虫を噛み潰したかのような顔で、グレアムは問いかけた。

 

「どういうことだ?」

「あら? どういうことだと聞かれましても、ご覧の通り……()()しただけですが」

 

 嘲笑う声音が深い。

 リリアミラの身体には、先ほどまでと明確に違う箇所が、一点。

 白い肌。美しいラインを描く臍の上。そこに、妖しく輝く、赤色の魔導陣が刻まれていた。

 

「炎熱系の暴走魔導陣です。わたくしが短時間に、連続して死亡した場合、自動的に起動するように身体に刻み込んであります」

 

 自身の裸体の上を愛おしそうに撫でる、その指の所作は、いやになるほど艶やかだった。

 

「捕縛されたり、拷問されたり、封印されたり、あるいはさっきみたいに、連続して殺されたり……そういう死にたくても死ねない状況になったら困るので、炎熱系の魔術に詳しい同僚に調整していただきましたの。不幸中の幸いと言うべきでしょうか。わたくしの魔術適正は、元々そちらに寄っていたそうなので、それなりの威力があります」

 

 城壁を砕く破城槌を丸ごと吹き飛ばし、大地を激しく揺さぶり、地面に風穴を空ける威力の爆発を、リリアミラは「それなりの威力」という一言で流した。

 

「ですが、難点もありまして、これ、一度起動してしまうと、わたくしが死ぬたびに自動で起爆してしまうのです」

 

 グレアムの背中を、いやな汗が伝う。

 

「だから次からわたくしを殺す時は、くれぐれも気をつけてくださいね?」

 

 たった今。

 この瞬間から、リリアミラ・ギルデンスターンは歩く人間爆弾と化した。

 これが、魔王軍四天王。人類の生前圏を脅かす、魔の使徒の頂点の一人。

 時間稼ぎ、などではない。目の前の敵に、全力で集中しなければ、やられるのはこちらだ。

 

「団長」

「……ああ。あちらに駆けつけるには、まだまだ時間がかかりそうだ」

 

 ダンジョンのある方向を見て、グレアムは言った。

 

「信じるしかないようだな。おれのバカな教え子たちを」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「ネバネバがとれねえ!」

 

 おれは、ネバネバしていた。

 より具体的に説明すると、突然襲撃してきた知らないおっさんにせっかく作った雪だるまを壊された挙げ句、勇者になるという夢を鼻で笑われ、おまけによくわからない白いネバネバで完全に動きを封じられていた。ちくしょう。

 

「ネバネバではないよ、親友。これはトリモチってやつだ。狩りとかで使われることもあるね。ボクも昔、父と一緒に出かけた狩りで使ったことがあるよ」

「じゃあ取り方もわかるんじゃないか?」

「そうだね。とりあえず引っ張ってみよう。ある程度腕の自由さえ効くようになれば、ボクの槍で切断できるかもしれない」

 

 レオの魔術は迅風系である。単純な切断性能に限って言えば、すべての魔術の中でも随一。このネバネバも切り裂けるかもしれない。

 互いに、ネバネバを伸ばす。なんとか体の自由な稼働部位を得ようと、力を込めて引き伸ばす。

 結果、なんかもっとくっついた。

 

「おい」

「フッ……これは予想外だね」

 

 これは予想外だね、じゃねーんだよ。マジで殴るぞこいつ。ネバネバしてるから殴れないけど。

 

「ふざけんな。もっとくっついたぞ」

「温かいね。きみの

 (ぬく)もりを感じるよ」

「これで暖が取れたな……じゃない! 男同士で密着しても気持ち悪いだけだろうが!」

 

 なんというか、複雑な結び目を解こうとしてもっと絡まってしまった状態に近い。しかも、右に左に上下左右にと引っ張ったせいで、おれの体勢が妙な状態で固定されてしまった。具体的には中腰で頭がレオの股間に密着している。誰か助けてくれ。

 

「親友。ちょっといいかな」

「なんだよ」

「まず、共通認識として確認しておきたいんだけど、ここは寒いじゃないか」

「そりゃ、雪積もってるからな」

「寒いとほら、したくなるだろう」

「……レオ。ちょっとまってくれ」

「恥ずかしながら、ボクの尿意は今、危機的状況にある」

 

 おれの頭は今、レオの股関に密着している。

 誰か、助けてくれ。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 そもそも、助けは必要ない。

 

「まあ、上級悪魔を揃えて、学生騎士を襲撃だ!……みたいな。そういうノリはわかるんだけどさ」

 

 イト・ユリシーズは、既に完成された勇者である。

 己の魔法を理解し、その性質を把握し、使いこなす彼女は、単独で最上級悪魔を討伐するだけの力を備えており……

 

「ワタシを倒したいなら、その手駒じゃ足りないよ」

 

 膾切りにした上級悪魔を踏みつけにして、イトは静かに告げる。

 対峙する盗賊は、額に冷や汗を滲ませて嘯いた。

 

「あーあ、楽じゃない仕事は好きじゃねえな」




今回の敵
・死霊術師さん
自爆型傍迷惑系四天王幹部。何度殺されても大丈夫→くり返し殺された時には自爆して対応、という文字通りに最悪な戦術をぶんぶん振り回していた頃の死霊術師さん。体に刻み込んだ魔導陣は例えるならタトゥーのようなものなので、蘇生と同時に再生する。歩く人間爆弾。具体的に例えるなら穢土転生で互乗起爆札する卑劣様みたいなものである。
余談だが、現在の死霊術師さんは自爆術式を「なんか危ない(盾にした時に爆発されたら困る)」という理由で勇者くんから解呪をもとめられ、ほいほいと解いている。さらに余談であるが、そこそこ複雑な魔導陣を解呪したのは、当時勇者パーティーに付き添っていた聖職者(プリースト)さんである。


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勇者になれなかった少女、やがて勇者になる少年

 人間の最も魅力的な表情は、笑顔だ。

 姉が死んでから、イト・ユリシーズは毎朝必ず、鏡の前で笑う練習をするようになった。

 姿見(すがたみ)の前に座って、髪を整える。櫛を通す。身支度をする。それ事態はいたって平凡な、一人の女の子らしいありきたりなルーティーン。けれど、イトは普通の女の子よりもずっと長く、自分の顔を……より正確に言えば『自分の顔になってしまった姉の顔』を眺め続けた。

 鏡の中には、笑顔の姉の顔がある。艷やかな黒髪。やや凛々しい眉根。すっとよく通った鼻筋。透き通った鏡面を覗き込めば、自分はすぐに姉に会える。そう思っていた。

 けれど、鏡の中に映る自分の顔は、いつもどこか歪んでいて。姉の笑顔を最も近くで見てきたからこそ、イトはその笑顔に違和感を覚えずにはいられなかった。

 

 ──お姉ちゃんは、こんな風に笑っていなかった。

 

 記憶の中の姉の笑顔は、もっともっと輝いていた。

 

 ──こんなんじゃ、ワタシはちゃんとお姉ちゃんになれない。

 

 だから、イトはイトになるために、笑う練習を始めた。

 両手の人差し指で、頬を釣り上げる。指に力を込めて、それを定着させる。

 作り物の笑顔が、少しずつ馴染むようになった。

 

「無理に笑わなくてもいいんだぞ」

 

 自分を引き取ってくれたグレアムは何故か困ったようにそう言っていたけれど、イトはこれで良いと思った。

 お姉ちゃんは、いつも笑っていた。だから、自分も笑う。

 勇者は、いつも笑っているものだ。だから、自分も笑おう。

 勇者は泣かない。勇者は下を向かない。勇者は負けない。

 どんな窮地も、どんな困難も、鼻で笑い飛ばす。そういう強さが、勇者には必要だと、イト・ユリシーズは信じて疑わない。

 それが勇者という存在への妄信だと気付くには、イトの中で姉が目指した勇者という象徴(シンボル)は、あまりにも大きすぎた。

 

「……来たかな」

 

 潰れた左目を補うために埋め込んだ魔眼で、それらの魔力反応を感知する。

 襲撃者は、四体の悪魔と一人の人間だった。もはや、外部からの襲撃を隠す気もないのだろう。ダンジョンの天井を力任せに破壊して、四体と一人の敵はイトの前に降り立った。

 外見だけは騎士の軽装鎧を着込んだ男は、イトの姿を見留めて表情を綻ばせる。

 

「ターゲットが一人きりでお出迎えとは、助かるぜ」

「女の子を待たせるなんて感心しないなぁ。おじさん、モテないでしょ?」

「おお、こりゃあ耳がいてぇ。お察しの通り、良い女には縁がない(たち)なんだ」

「素直に答えてくれると助かるんだけど、おじさんは何者?」

「ちょっとばかし悪魔と付き合いのある、しがない盗賊さ。お嬢ちゃんの命と、このダンジョンに眠る聖剣とやらをいただきに来た」

 

 イトと軽口を叩き合いながらも、男は軽く周囲を見回し、ハンドサインで悪魔に指示を出した。翼のない、比較的細い体付きの一体が、その指示に同意を示して、さらに下層へ潜ろうと動く。

 

「いやいや、行かせるわけないでしょ」

 

 パチン、と。

 イトが鳴らした指の音を合図に、壁面に貼り付いていた魔術用紙から、炎の矢が吹き出した。

 あまり時間がなかったので、そこまでの数は仕込めなかった。が、それでも敵を包囲し、直撃を浴びせるには十分な数の炎熱(えんねつ)系魔術の連射。

 

「おおっと!?」

 

 男がとった回避行動はイトの想像よりも早く、また身軽だった。盗賊を自称するだけはある。上体を捻り、体全体を回転させるような動きで、炎の矢はすべて避けられる。他の四体の上級悪魔たちにとっては、そもそも避けるほどの威力でもないのだろう。鬱陶しそうに炎を払い除ける反応をしただけで、怪物たちは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 しかし、注意は奪った。

 

「はいはい。一体目」

 

 接近しての、抜刀。

 たったそれだけのワンアクションで、イトは悪魔を輪切りに変えた。

 その斬撃に理屈はない。イトが斬った。だから斬れた。そういう結果だけが残って、悪魔が肉塊に変わる。

 

「……やるねぇ」

 

 明らかに驚愕した様子を見せる悪魔たちとは対照的に、男は飄々とした調子を崩さなかった。

 

「噂以上だな。歴代最強の学生騎士ってのは」

 

 普通の人間は、刃物を見たらまず恐れを抱く。よく斬れる刃を見せつけられれば、尚更だ。

 しかし、立ち竦む悪魔たちを鼻で笑うように。

 

「お手並み拝見といこうか」

「……っ!」

 

 狂人は、踏み込んで来た。

 盗賊は二刀だった。幅が広いナイフのような短刀は、見るからに使い込まれている。

 イトの魔法の性質上、一度切り結んでしまえばそれで終わるはずが、盗賊は付かず離れずの距離で鍔迫り合いを徹底的に避けてくる。

 

「なんでも斬っちまうんだろ? おっかねぇな!」

「こわい?」

「いいや、最高だ! スリルがある!」

 

 言いながら、盗賊は笑う。笑顔を返しながらも、イトは内心で舌打ちを鳴らした。

 やはり、こちらの魔法の性質がある程度割れている。しかし、それだけだ。問題は、ない。

 冬季装備の軍用コートを脱ぎ捨てて、イトは攻撃のテンポとギアを一段引き上げた。攻防を繰り広げるイトと盗賊を取り囲むようにして、二体の悪魔が魔力を充填する。

 

 ……二体? 

 

「ちっ……!」

 

 今度は、表情に出てしまった。

 侵入してきた悪魔は四体。斬り殺したのが一体。目の前にいるのは二体。つまり、一体が消えている。

 逃すつもりは毛ほどもなかったというのに。自分はともかく、後輩や仲間たちが上級悪魔を相手にして善戦できるか。気掛かりが、脳裏を掠める。

 

「お仲間の心配をしている余裕があんのか?」

 

 盗賊が身を引いた、瞬間。左の悪魔は炎を、右の悪魔は岩で形成した弾丸を、イトに向かって放った。

 人間と悪魔の連携とは思えない、完璧なタイミング。お手本のような挟撃。

 

「だから?」

 

 苛立ちが、斬撃に乗る。

 それらすべてを、イト・ユリシーズは一刀を以て斬り伏せる。

 炎が割断された。岩が砕けた。緩やかに振るわれた斬撃は、しかし一撃で悪魔たちの攻撃を断つ。

 

「魔術まで斬り落とすかよ!?」

「勿論、斬るよ」

 

 斬って、斬って、斬り開く。

 それが、イト・ユリシーズという勇者が目指す、理想の強さだ。

 斬って、断つ。振り翳す一太刀に、ただひたすらに、その概念を込めて切断する。それを繰り返すだけで、残りの二体も物言わぬ屍に成り果てた。

 

「まあ、上級悪魔を揃えて、学生騎士を襲撃だ! ……みたいな。そういうノリはわかるんだけどさ」

 

 刃を振るって、悪魔の血を払う。

 

「ワタシを倒したいなら、その手駒じゃ足りないよ」

 

 イト・ユリシーズは、既に自身の名と魔法を持つ、最上級悪魔を討伐している。

 上級悪魔の二体や三体が集まったところで、結果は変わらない。

 

「あーあ、楽じゃない仕事は好きじゃねえな」

 

 ゲド・アロンゾも、それは良く理解している。

 理解しているからこそ、この仕事が自分に割り当てられた意味を改めて把握した。

 

「良い魔法だ。事前に放った魔術で動きを止めて、接近して斬る。相手を殺すためのパターンも、洗練されてる。たしかに強いな、お嬢ちゃん。勇者を目指してるだけはある」

「褒めても何も出せないよ」

 

 ゆったりとした歩調で、イトは盗賊に近づいていく。

 

「とりあえず、足を斬って逃げられないようにしてから……話を聞かせてもらおうかな」

「そいつは困るな。残念ながら、オレは何も喋れねぇんだ」

 

 変装用の鎧を外し、ゲドは自身の全身を曝け出した。

 男にしては痩身のシンプルな黒衣の下には、革のベルトが巻かれており……()()()()()()()、仕込まれていた。

 男の手が、針に触れる。

 

「魔法を持っているのが、自分だけだと思うなよ?」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「親友、ボクはもう……ダメだ」

「諦めるな、レオ! まだ何か……何か手があるはずだ!」

 

 人間という生き物は、本当に追い詰められると、逆に笑えてくるものらしい。股間の防波堤を死守しているおれの親友は、いっそ額に脂汗を浮かべながら微笑んだ。

 

「そういえば、ボクは前に聞いたことがあるんだ……人間の汗と尿って、そんなに違いはないらしいよ」

「先に理屈を捏ねるな! それは客観的な分析の結果であって、お前が小便を漏らしていい理由にはならない!」

「すまない、親友。あとでボクのことを思い切り殴ってくれていいよ」

「先に謝るな! くそっ! こうなったらお前のズボンを硬くして被害を最小限に……」

 

 と、そこまで言って、おれは気がついた。

 このトリモチが全身に貼り付いて取れないのは、やわらかいからだ。いくら腕を伸ばしてもがこうと、伸び上がって貼り付いてくるからだ。

 しかし、それなら逆に考えれば良い。全身に貼り付いているトリモチを、あのスライムの時のように硬くしてしまえば、あるいは……

 

「親友、いいかい? もう出すよ」

「待て、馬鹿」

 

 時間がない。おれは簡潔に、アイディアを説明した。

 

「いや無理だよ、親友。このトリモチを固めたところで、それは鋼の硬さになってしまうんだろう? 服から引き剥がせるわけがない。脱出は不可能だ。状況は何も変わらないよ」

「それはどうかな?」

「え?」

 

 間抜けなアホ面を晒している親友に向けて、おれは白い息を吐き出しながら言った。

 

「知ってるか? 服って脱げるんだぜ」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 ゲド・アロンゾの魔法の名は『燕雁大飛(イロフリーゲン)』。

 その効果は、投擲した物体の必中。事前にターゲットの魔法を資料として受け取っていたゲドと違い、イトはそれを知らない。

 

「……へえ、おもしろいね」

 

 知らなくても、問題はなかった。

 投げられた針が、弧を描いて戻ってくる。

 それは明らかに、通常ではあり得ない軌道だった。何らかの仕掛けが施されている動きだった。

 しかし、結局のところ、それはイトに対応できない攻撃ではなかった。迫りくる針をギリギリで避けて、直撃を避けれないものは切り落とす。

 

「……惜しかったね」

 

 唯一、掠った針が頬を薄く裂き、そこから血が流れた。

 

「……ああ、惜しかったな」

 

 盗賊は、大仰に肩を竦めて言った。

 

「お前の()()だよ。勇者志望のお嬢ちゃん」

 

 聞き返す前に、身体が異常を示した。

 

「……っ!?」

 

 漏れ出た声を押し殺して、イトは片手で頭を抑えた。

 目が霞む。視界が揺らぐ。呼吸が荒くなる。

 血液の流れにのって全身を巡る異物に、体が悲鳴をあげる。

 

「お前みたいな強いヤツは、勝つことを当然だって考えてる。自分は強いっつう自負がある。自分は負けないっつう信念がある」

 

 ゲド・アロンゾは語る。

 

「結構なことだ。胸張って、高らかに剣を掲げて力を奮う。そりゃあ、たしかに素晴らしいことだ」

 

 盗賊は、勇者よりも弱い。

 しかし、それは盗賊が勇者に勝てない、という意味ではない。

 

「だから、オレみたいな弱くて小賢しい悪党が、付け入る隙ができるんだぜ」

 

 勝利を確信した瞬間、人間には必ず隙が生まれる。

 油断を突き、余裕を喰い破る。それが、盗賊というハイエナの流儀だった。

 

「なに、を……」

「ただの毒だよ。掠ったら終わりの猛毒だけどな」

 

 平淡な口調で、ゲドは種明かしをした。

 取り落した刀が、乾いた音を響かせる。

 

「はっ……はっ、はっ……う、ぁ……」

 

 三半規管が、壊れる。

 地面に膝をついて、それを堪らえようとしたイトは、けれど堪えることができず、胃の中身を地面に吐き出した。それでも、なんとか立ち上がろうと、落とした刀を、拾おうとして。

 

「無理すんな。寝てろ」

 

 盗賊は、そんな少女の足掻きを容赦なく蹴り飛ばす。

 顎先を硬いブーツの先で砕かれて、イトの視界は火花が散るように明滅した。

 

「っ……あぅ……」

 

 悪魔を屠り、圧倒的な力を見せていたはずの少女の身体が、ごろごろと呆気なく地面を転がる。

 震える指先で、懐の魔術用紙(スクロール)を取り出そうとする。けれど、だめだ。もう指先にすら力が入らない。取り落したそれらが地面に散乱して、イトは倒れ込んだ。

 

「だから諦めろって。竜の爪から生成した、即効性の猛毒だぞ? 十分程度で全身に回って死ぬ」

 

 ゲドは、少女に向かって端的に告げた。

 

「良いか? お前は死ぬんだ」

 

 死ぬ?

 問いかけは、己に向けて。

 誰が?

 わかっているはずのそれを、繰り返す。

 ワタシが?

 自己認識が、ブレる。

 わたしが?

 事実の確認が、追い付いて。

 イト・ユリシーズが? 

 全身が、恐れを抱く。

 勇者になれずに、お姉ちゃんになれずに、お姉ちゃんの仇すら討てずに、こんなところで……死ぬ? 

 

「……ぁ」

 

 勇者になりたかった少女は、その瞬間。はじめて迫りくる死を、明確に認識した。

 いやな汗が止まらない。髪が頬に張り付いて気持ち悪い。全身の震えが止まらない。いいや、違う、震えが止まらないのは、毒のせいだ。死ぬのはこわくない。こわくなんてない。勇者は、死ぬのなんてこわくない。

 

 ──だって、わたしは勇者なんだから。

 

 もう、ここで終わっても良いのかもしれない。

 それで、お姉ちゃんのところに行けるのなら。

 ならばせめて。その最後くらいは、誇り高く。

 

「……こ、殺せ」

 

 唇を震わせながら、少女は言葉を紡いだ。

 笑顔の仮面を貼り付けて、強がりとプライドで補強した言葉を、盗賊に言った。

 

「あ?」

「ワタシの、負け……だったら、殺せば、いい」

 

 盗賊は、吐瀉物の中に倒れ込んだ少女を見下ろして、大仰に首を傾げてみせた。

 

「……なんで?」

「ぇ……?」

 

 仮面が、砕ける音がした。

 まるで、言葉の意味そのものが理解できない、というような反応だった。

 

「どうせ放っといても死ぬんだ。最後まで苦しんでいるところを見せてくれよ。オレはそれが見たい」

「ぁ……」

「お嬢ちゃんはこのまま、じっくりとゆっくりと、毒に侵される。安心しろ。オレが最後まで側にいてやるから」

 

 人の本質は、死の瞬間に最も(つまび)らかになる。

 

「何も守れず、何者にもなれず、お嬢ちゃんはここで死ぬんだ」

 

 ゲド・アロンゾは、人間が刹那に魅せる輝きを愛している。だから、死の瞬間を愛している。

 矛盾はない。極めて合理的な業務の効率と己の嗜好を、ゲドは両立させて満たしていた。

 そして、突きつけられたそれは、イトがこれまでずっと、目を背けてきたものだった。

 

「あ、いや……やだ。わたし……」

「あ、そうだ。死ぬ前にその眼は貰っておくぜ。高く売れそうだ」

「や、やめっ……」

 

 身動きのできない少女の眼球に、盗賊は無遠慮に指を突っ込んだ。

 甲高い悲鳴が響いたが、ゲドは微塵もそれを気にせずに、眼窩から貴重な眼を摘んで抜き出した。

 

「ぅ……う、ぁあああ……ふっ……ぐぅ……ぇ」

 

 クライアントから依頼されたのは、殺害だけだ。高く売れるものは、剥ぎ取っておいた方が良い。魔眼は出すべきところに出せば、高い値で捌ける。

 頭の中で算盤を弾きながら、ゲドは鼻歌交じりに抜き取った美しい眼球を瓶の中に収めた。

 

「かわいい顔が、台無しだな」

 

 だが、それが(そそ)る。

 勇者になる、と言った少女が。

 最強だと謳われてきた少女が。

 すべてを砕かれて、自分の前に這い蹲って、もうすぐ死ぬ。

 これほどまでに気持ちの良い見世物はない。

 

「最後に何か、言い遺しておくことはあるか?」

 

 段々と、呼吸が浅くなっていく少女を見下ろして、ゲドは問いかけた。

 

「……勇者は、負けない」

「お前は負けた」

「勇者は、必ず……魔王を、倒す」

「お前には無理だ」

「勇者、は……」

「お前じゃなかった」

 

 どこまでも、何度でも。最後の瞬間まで。

 盗賊は、少女の心を念入りに丁寧に()し折る。

 

「お前はここで死ぬ。だから、お前は勇者にはなれない」

 

 片目で自分を見上げる少女の瞳が、深く揺らぐ。

 勇者ではない少女は、もう笑顔を貼り付けることはできなかった。

 本心が、漏れ出る。

 痛みと、涙と、苦しみで、ぐしゃぐしゃに歪んだ表情で、少女は声を絞り出した。

 

「……助けて」

 

 たった一言。

 しかし、凝縮されたその一言にこそ、生への執着が凝縮されている。

 ゲドは、全身を震わせて、それを堪能した。

 

「いいねぇ……年相応の女らしい、素晴らしい言葉だ」

 

 この瞬間、ゲド・アロンゾは間違いなく勝者であり、強者だった。

 勝利を確信した瞬間、人間にはどうしても隙が生まれる。

 だから、歓喜に打ち震える盗賊は気付かない。その言葉が、自分に向けられたものではないことに、気付けない。

 

「……死にたく、ない。助けて」

 

 助けを求める少女に対して、盗賊の背後に音も無く立つ……()()()()()()()()は答えた。

 

「当然です。絶対助けます」

 

 拳が、炸裂した。鼻の骨が、砕ける音が響いた。

 振り返った顔面に異常な硬さの拳が突き刺さり、盗賊は吹き飛んだ。地面に叩きつけられ、転がって、それからようやく立ち上がって、ゲドは少年を見る。

 

「……っ! どうやって抜け出した、とか……いろいろ聞きたいことはあるが……」

 

 それは、極めて純粋な疑問だった。

 

「……お前、なんで服着てないんだ?」

 

 助けを求める人が、そこにいるなら。

 助けを求められた者は、その瞬間から勇者になれる。

 大切な先輩を奪おうとした盗賊に対して、()()()()()()()()は答えた。

 

「お前を倒すのに、服なんて必要ないからだよ」




ゼンラ→パンツ(NEW!


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目醒める紅蓮

 寒い。

 特に乳首が寒い。

 今の季節は冬の終わりで、外にはまだ雪が残っている。ダンジョンの中だからまだ良いものの、寒いものは寒いわけで。

 服なんていらねえ、と大見得を切ったまではよかったが、実際問題、服は欲しかった。今回はまだパンツがあるからマシな方だが。

 

「……親友」

「わかってるよ」

 

 ああ、わかっている。おれたちがいくら寒さに震えようが、そんなことはどうでもいい。

 目の前の敵を見据えながら、おれは倒れたままのイト先輩の体に手を添えた。

 

「先輩、大丈夫ですか?」

 

 質問は気休めだ。イト先輩の状態は、明らかに一刻を争う。

 顔色は真っ青で、息遣いは荒く、全身が小刻みに震えている。

 

「大丈夫……だよ。ごめんね、こんな、かっこ悪いところ……ほんとは、見せたくなかったんだけど」

 

 強がるように笑みの形を作る顔には、片目がない。それがあまりにも痛々しくて、おれは唇を噛み締めた。

 

「……先輩は全然かっこ悪くないですよ。どちらかといえばかっこ悪いのはおれの方です。なにせパンツしか履いてないですからね」

「今回は……素っ裸じゃないから、えらいよ」

 

 軽い会話を回しながら、先輩の意識を繋ぐ。軽い会話を回していないと、おれの方が先輩の状態を直視できなさそうだった。

 手を握り締めると、その冷たさと震えが直に伝わってくる。パンツ一つで、先ほどまで寒さを感じていたはずなのに、体に芯から湧き上がってくるのは明確な熱だった。

 先輩をこんな風にしたヤツを、許せるわけがない。

 

「レオ」

「ああ、まかせてくれ」

 

 一言、名前を呼んだだけで、おれの親友はやってほしいことを理解してくれた。おれと同じくパンツしか身につけていないレオは、先輩を注意深く抱き上げる。

 

「先輩のことを、頼む」

「安心しなよ、親友。こんなこともあろうかと、ボクは解毒用のポーションを常備しているからね」

 

 明らかに先ほどよりもすっきりとした表情のレオは、良い笑顔を浮かべて小ビンに入ったポーションを取り出した。

 コイツは本当に、いつも用意が良くて助かる。なんだかんだと言いつつも、頼れる男だ。

 ……パンツ一丁なのにどこからポーションを取り出したかは、あまり深く考えないことにした。というか、考えたら負けだと思う。

 

「なんだ? 勇者らしく、女の子をかっこよく助けようってか?」

 

 対面に立つ盗賊は、荒い息を吐くイト先輩を見てせせら笑った。

 

「やめとけやめとけ。ほっとけよ。どうせ死ぬぜ?」

「…………あぁ? 死なせるわけないだろ。殺すぞ」

 

 一触即発。戦端が開く。

 おれが踏み込む前に、盗賊の方から投擲という回答があった。細長い、相手に突き刺すことを前提にした、刃物が襲い来る。

 怖くも、なんともない。

 頭に向けて投げられたそれらを、おれは額で受けて、そのまま弾く。

 

「素っ裸のくせに防御が硬いな、おい!」

「だからお前を倒すのに服はいらねえって言ってるだろ」

 

 レオとイト先輩を逃がすのに、コイツの注意を引く必要がある。

 さっきの一撃で鼻の骨は完璧にイッているはずだったが、盗賊に気圧された様子はなかった。痛みに慣れているのか、負傷を足枷に感じている様子もない。場数を踏んできた、手練れらしい獰猛さがそこにはあった。

 

「せっかく男前が台無しだ。どうしてくれんだよ、ええ!?」

「そっちの方が女にモテるだろ」

「生意気を言う! 威勢が良いガキは嫌いじゃないぜ。馬鹿で威勢の良いガキなら、尚更だ!」

 

 吠えるような声と共に、右の大振りがくる。

 幅が広い、ナタのような分厚い刃を、腕で止める。鈍く響く衝撃を伴って、火花が閃いた。

 ギリギリ、と。鍔迫り合いをしながら、盗賊の目が()()()()()()()()を注視する。

 

「さっきのことは謝るぜ。勇者になれない、なんて言って悪かったな。そいつは、中々に良い魔法だ」

「褒めても何も出ないぞ」

「かかっ! 最初から素っ裸だろうが! 剥ぎ取るもんもねぇだろ!」

 

 くん、と。鍔迫り合いの圧力が抜ける。想像よりもずっと滑らかな動きで、盗賊の上体が沈み込む。

 さらに、腹に叩き込まれた蹴りは、思っていたよりも重たかった。魔力を使った身体強化の出力が高い、というよりも、身体そのものの使い方が上手いというべきだろうか。

 

「っ……!」

「ハッハァ!」

 

 崩れた体勢。再び振り抜かれる刃。

 反撃を受ける前に、おれは上体を腹筋のバネだけで叩き起こして、額を敵の脳天にぶち当てた。

 

「ぬぅっ……!?」

 

 石頭の勝負で、負けるつもりはない。

 頭の中は、澄んでいる。怒りが原動力になっているとしても、全身の力が、魔力が、淀みなく体の中を巡っているのを感じる。

 先生の教えを、思い出す。

 魔力の励起は、感情の昂り。心の温度を正しくコントロールできれば、瞬間に出力できる力は何倍にもなる。

 そんな感情の昂りに合わせて振るわれた拳が、盗賊の腹に突き刺さる。声もなく、吹き飛ばされた体が壁面に向かって突き飛ばされ、衝撃で粉塵が舞い上がった。

 

「勘違いしているようだから、一つ、教えておく。おれは勇者だから、お前を倒しに来たんじゃない」

 

 おれが勇者になる、とか。

 おれが勇者に相応しいか、とか。

 そんなことは本当に、どこまでもどうでもいい。

 

「おれは、おれの大好きな……大切な先輩を奪おうとしたお前を、後輩としてぶん殴りに来たんだ」

 

 踏み込みの深さとは裏腹に、手応えは浅かった。

 粉塵の中から、影が立ち上がる。

 

「……なるほどな。若者らしくてきらいじゃあないぜ、そういうのは」

 

 これ見よがしに首を鳴らして、盗賊は薄く笑む。

 腹に拳を打ち込む瞬間に、後ろに跳んだのだろう。予想以上にダメージが少ない。イト先輩が手玉に取られたことからわかってはいたが、やはり一筋縄ではいきそうにない相手だった。

 

「だけどいいのかよ、勇者志望くん。お前のお仲間は、あのお嬢ちゃんだけじゃねえだろ? 下の階層には、もう上級の悪魔を送ってある。そっちも心配なんじゃねえか?」

 

 この場にいない仲間を槍玉に挙げて、おれの意識を割こうとしてくる。コイツは、やはり手慣れている。

 

「何の心配もない」

 

 だから、その手には絶対に乗らない。

 

「この下には、おれの未来の騎士がいる。おれが考えることは、今目の前にいるお前を倒すことだけだ」

「そうかよ。オレと遊んでる間に、全員死んでも知らねえぞ?」

 

 それこそ、本当に無用な心配だ。

 

「お前と、そんなに長く遊ぶつもりはない」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 暑い。

 上層階とは正反対に、茹だるような熱気が、ダンジョンの下層には満ち満ちていた。

 

「はぁ……はぁ」

 

 自分の息遣いの荒さを、アリアは自覚する。

 隣に立つサーシャを見れば、顎の先から、汗が滝のように滴り落ちている。下層に降りた瞬間に、ダンジョンの環境は劇的に変化していた。

 ここは、火の聖剣が眠る迷宮。魔力を宿した武具は、それに相応しい持ち主を見極めるために、共生するモンスターに合わせて、特殊な環境を形成する。熱気に満ちた空間は、人間が活動するにはまるで地獄のような様相を呈していた。

 しかし、逆に言えば……地獄とは、悪魔にとって愛すべき故郷である。

 

「脆弱なものだな、人間は」 

 

 力尽きた騎士の頭を踏みつけにして、長い腕が特徴的な上級悪魔は(しわが)れた声を漏らした。

 

「この程度の気温で音を上げるとは、不便でか弱い肉体だ。まァ、強さに関しても、あのバケモノじみた刀の女以外は、まったくもって話にならないが」

 

 言いながら無造作に振るわれた腕を避けきれず、アリアの隣にいたサーシャが吹き飛ばされた。

 

「サーシャ先輩!?」

「オマエだけだな。多少、骨があるのは」

 

 もう動けるのは、アリアしかいない。

 通常、上級悪魔を撃退するには、武装した騎士の集団が必要だと言われている。イト・ユリシーズが単独で上級悪魔を一方的に屠っていたのが、むしろ異常。今、目の前でアリアが直面している現実こそが、人と悪魔の、正常なパワーバランスだった。

 

「負けない……あたしは」

「オマエは? なんだ?」

 

 伸縮した腕が、アリアの細い喉笛を掴んだ。

 

「っ……ぐ、ぁ……」

「多少力があったところで、何も変わらん。死ぬ順番が少し変わるだけで、そこには何の意味もない」

 

 淡々と、自分よりも弱い生き物を締め上げながら、悪魔はその事実を告げる。

 

「理解しろ。オマエは、何も守れない」

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 記憶の底の中から、それを拾い上げる。

 アリア・リナージュ・アイアラスは、子どもの頃から、自分は強いという自覚を持っていた。

 あるいは、それはどちらかといえば、自分は強く在らなければならないという強迫観念に近かったのかもしれない。

 城の中に味方はいなかった。母は元々身分が低く、病に冒されていて、腹違いの子であるアリアの存在は腫れ物のように扱われていた。

 己の魔法を持ち、剣の才がある。戦うための駒、あるいは政略結婚のための道具としてなら、いつか役に立つかもしれない。そんな理由だけで、アリアの存在は保証されていた。

 

「あなたは、お父上に愛されていません」

 

 故に、アリアの養育を任された執事長は、まだ8歳の少女に向けてそんな言葉を平気で浴びせかけていた。

 

「……はい。わたしの出自を考えれば、それは仕方のないことです」

 

 無表情に、突きつけられた事実を咀嚼する。

 

「ええ。よく理解していらっしゃいますね、お嬢様。あなたはお父上に愛されていません。これから先も、愛されることはありません。だからせめて、道具としてお役に立てるように努力をしてください」

 

 執事長は、アリアの名前を決して呼ぼうとはしなかった。まるで口にすることそのものが不快であるかのように、ただ『お嬢様』という記号で呼び続けた。

 愛されることがないのなら。

 愛する必要がないのなら、人を愛さなくてもいい。

 まだ幼いアリアの心の中にあったのは、そんな諦めにも似た感情だった。

 顔を伏せる少女の暗い影を、執事長は満足そうに眺めて、

 

 

「たのもぅ!」

 

 

 唐突に、そんな空気を吹き飛ばすように、ドアが蹴破られた。

 ぎょっとする執事長とは対照的に、アリアの顔には満面の花が咲いた。

 

「お母さん!」

「うんうん。あたしだよ。お母さんだよ、アリア」

 

 アリアの母は、そこにいるだけで、その場の空気を変えてしまうような女性だった。空気を変えるために、ドアを蹴破るような女性だった。

 

「お、奥さま。どうしてここに……?」

「いけませんか? 今日は何故か特別に猛烈に、気分がよかったのです。それとも、あたしの体調が良いと、何かまずいことでもあるのかしら?」

「い、いえ……決してそのようなことは」

 

 アリアの母親は病を患ってはいたが、強い女性だった。

 

「ああ、そうそう。元々メイドをしていたせいかしら。品がなくて申し訳ないのだけれど、あたしはとっても地獄耳でね」

 

 声の張りも、詰め寄る足取りも、とても病人のそれではなく、

 

「あなた、今……アリアに何を言っていたの?」

 

 母は本当に、とても強い女性だった。

 一言一句、言葉の意味を明確にした発声に、執事長の表情が歪む。

 

「べつに、なにも……」

「あら? アリアには言いたいことを言いたいだけ言えるのに、あたしに何も言えないのは何故?」

「わ、私はお嬢様のことを想って……」

「アリアのことを想っているのなら、それをあたしに言えないのは何故?」

「お、奥様! 誤解です! 私はお嬢様には何も……」

「見苦しいですよ」

 

 ぴしゃりと。言い訳が、切って捨てられる。

 

「身分のこと、家のことを言うのであれば、あたしに直接言いなさい。それらはすべて、あたしの責任です。ですが、娘に対してそれを言うのは、許しません」

 

 顔を紅潮させた執事長は、ぷるぷると震えたあと、捨て台詞を吐いた。

 

「生まれたことが間違いだったくせに、何を偉そうに……」

「あぁ!?」

 

 しかし、その捨て台詞を、執事長は捨て置いていくことができなかった。

 なんというか、アリアの母は本当に、とても強い女性だったので……部屋を出ようとする執事長の腕を凄まじい力で掴み取り、背中で持ち上げ、一撃で床に叩き伏せた。

 その結果。轟音が響いて、大の大人が泡を吹くところを、アリアははじめて目撃することになった。

 

「お、お、お……お母さん!?」

「ふんっ……! 良い気味だわ」

 

 目を回している情けない男を、鼻息荒く見下ろしたあと。声のトーンが一段落ち着いて、謝罪がアリアに向けられた。

 

「ごめんね、アリア。お母さんのせいで、辛い思いをさせたね」

「だ、大丈夫だよ! わたし、我慢できるもん。いろんなことを言われて、ばかにされても、平気だもん!」

 

 そう言うと、母は笑ってアリアの頭を撫でた。

 

「アリアは強いなぁ。えらいぞ。さすがは、あたしの娘だ」

 

 膝を折って、目線を同じにして、アリアの母はまだ小さな娘を力いっぱいに抱き締めた。

 

「……お母さん」

「なぁに?」

「お母さんは、どうしてそんなにかっこいいの? どうしてそんなに強いの?」

「それはねぇ……アリアがあたしの宝物だからだよ。大切なものを守るためなら、お母さんはいくらでも強くなれるんだよ」

 

 アリアは、純粋にその言葉が嬉しかった。

 やさしい言葉に、常に緊張で固く張り詰めていた心が、少しずつ解けていく。

 

「あたしは……もうすぐ病気でいなくなっちゃうかもしれないけど。でも、あたしが生きている間は、アリアのことを絶対守ってあげるから。たくさんたくさん、抱きしめてあげるから。だから、我慢しなくていいんだよ」

 

 そこまで言われて、ようやく。

 アリアは、しゃっくりあげるように堪えていたものを吐き出して、涙を流した。

 

「……あのね、お母さん。みんなはきっと、わたしのこと、好きじゃないの」

「そんなことないよ。あたしは、アリアのことが大好きだよ」

「……お母さん以外の人、みんないじわるなの。わたしのことが、きっときらいなの」

「ごめんね。それはお母さんのせいだ。いつも側にいてあげられなくてごめんね」

「……お母さん、わたしがきらわれるのは、わたしがわるいこだからなの?」

「違うよ。アリアはとってもいい子だよ。あたしが保証する」

 

 頭を撫でながら、母はアリアに向けて少し申し訳そうな表情をした。

 

「ごめんね。お母さんがもっと強かったら、アリアのことを守ってあげられたのにね?」

 

 母は強い女性だった。

 それでも、母の顔つきが、体付きが、以前に比べてやせ細っていることは、まだ幼いアリアにもわかった。

 もうすぐきっと、母は自分の側からいなくなる。

 だから、こんな風に泣いてはいけない。心配をかけてはいけない。弱いままではいけない。

 もっと、もっと強くならなければならない。アリアは、そう思った。

 

「お母さん、わたし、強くなるね」

「……無理して強くならなくても、いいんだよ?」

「ううん。わたし、剣も魔法もすごいって、それだけは先生に褒めてもらえるの。だから、強くなるよ! 魔王を倒す勇者さまみたいに、強くなるんだ!」

「……うん、そうだね。アリアは強い子だから……だから、これからもっともっと強くなれると思う。でも、忘れないでほしいな」

 

 抱き締める力が、より一層強くなる。

 

「自分を守るための強さは、どこまでいっても独りぼっち。人が一番強くなれるのは、誰かを守るために戦う時なんだよ」

「……お母さんが、わたしを守ってくれたみたいに?」

「そう。お母さんが、アリアを守る時みたいに!」

 

 ニカッと。間近で見る母の笑顔は、とても眩しくて。

 幼い心の中に、納得があった。安心があった。

 だからアリア・リナージュ・アイアラスは、この日の母とのやりとりを、よく覚えている。きっと、一生忘れない。

 

「自分を大切にしてくれる人。自分が大切にしたいと思える人に出会えた時。そういう人たちを守れる強さが、アリアにはきっとあるから──」

 

 ──これから先。あなたの人生に、たくさんの幸せな出会いがありますように。

 

 その言葉の熱を胸いっぱいに吸い込んで。その願いの温もりを、全身の抱擁で感じ取って。

 それから数日後に、アリアの母は死んだ。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

 悪魔の腕が、剣によって跳ね上げられる。

 

「っ……ひゅ……っはぁ!」

 

 気道に、再び空気が通る。呼吸と意識が、引き戻される。

 

「はぁ……はぁ……」

「よぅし! 生きてるな、アリア!」

「……先輩?」

 

 咳き込みながら前を見ると、三人の騎士がアリアを庇うように立っていて。伸縮する腕を引き戻した悪魔は、つまらなそうに鼻を鳴らして、立ちはだかる騎士の卵たちに問いかけた。

 

「なぜ立ち上がる?」

「愚問だな。かわいい後輩を守るのに、理由が必要なのか」

 

 喉に詰まった血の塊を吐き捨てて、グラン・ロデリゴが言った。

 

「なぜ負けるとわかっていて挑む?」

「わりぃな。オレぁ、頭の出来がちょいと悪いからよ。お前が何言ってるか全然わかんねぇんだわ」

 

 額から流れる血を糊代わりに前髪をかきあげて、ジルガ・ドッグベリーが言った。

 

「なぜ諦めない?」

「お生憎様ね。そんな言葉を知らないからよ」

 

 折れた腕をぶら下げたまま表情を変えず、サーシャ・サイレンスが言った。

 アリアよりも弱いはずの彼らは、しかしアリアを守るために、強く剣を握りしめていた。

 

「無駄なことだ」

 

 剣が折れる。鎧が割れる。肉が裂ける。血が吹き出す。

 全員が、倒れていく。

 自分を守ろうと、立ち上がった人たちが、自分を庇おうと敵に立ち向かう人たちが。誰もが力尽きて、膝をついていく。

 

 ……助けなきゃ。

 

 もう一度、自分の剣を取ろうとしたアリアの肩を、しかし血だらけのジルガが掴んで、囁いた。

 

「バカが。お前だけでも逃げろ」

「でも、先輩……」

「何度も言わせるな。後輩を守るのに、理由は必要ない」

 

 呟いて、愚直に突進したグランの体が岩肌に叩きつけられる。まとめて鞭のように振るわれた腕が、今度こそジルガとサーシャの抵抗を刈り取る。

 

「……なんで」

 

 アリアは、呆然とそれを見ていた。

 どうして、自分なんかを助けるために。

 この人たちは、戦ってくれるんだろう?

 焦り。恐怖。理性的な思考の大部分を占めるそれらとは少し種類の違う、この状況に不似合いな感情が湧き上がる。

 

 助けてくれた。

 守ってくれた。

 

 自分以外の人が、自分のために、命を投げ出して、戦ってくれていた。

 

 ──嬉しい? 

 

 どす黒い問い掛けが、心の内から自然に漏れ出た。

 それは、浅ましく、醜く、あまりにも自分本位な感情の発露だった。

 けれど、その浅ましさは、その醜さは、間違いなく自分自身の心の本質だった。

 だから、だろうか。心が叫ぶままに、思考が意識を動かす前に、アリアの身体は先に動いた。

 誰かから必要とされたかった少女は。

 誰かから大切にされたかった少女は。

 

「まずは、お前からだ」

 

 誰かから愛されたかった少女は、その瞬間。

 はじめて、自分以外の誰かを守るために、自分の身を投げ出した。

 サーシャに向けて振るわれた悪魔の爪を、アリア・リナージュ・アイアラスは、真正面から受け止めた。

 軽装の鎧が、貫かれる。チェストプレートに喰い込むようにして、原始的な鋭い痛みが、胸を刺す。

 

「う……ぐ、ぅ……!」

 

 赤い血が、鎧と爪の間から、滴り落ちた。

 

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 

 けれど、痛いだけだ。

 自分が、痛いだけだ。

 それだけなら、平気だった。

 

「……また、バカなことを。結果は、何も変わらない」

「変える」

「なに?」

「変える……変わるんだ。あたしが……」

 

 自分の存在に、価値を与えるために。

 自分の存在を、守るために。

 そのために、自分という存在には強さが必要なのだと思っていた。

 けれど、違った。

 自分という存在の価値を(おとし)めていたのは、他ならぬ自分自身で。冷たい諦めの中に身を沈めて、己を(さげす)んでいたのも、自分自身だった。

 昔は誰も、自分の名前を呼んでくれなかった。

 

 ──名前を呼ぶよ

 

 でも、彼は当たり前のようにそう言った。

 

「アリア、逃げて……」

 

 今は、もう違う。

 名前を呼んでくれる人たちが、たくさんいる。

 

「……逃げません」

「アリア……!」

「逃げませんっ!」

 

 負けたら、守れない。

 勝たなければ、救えない。

 

 故に、変化があった。

 

 滴り落ちる赤い血が、止まった。

 薄い鎧を突き刺した、爪と腕が動かなくなった。

 

「……なんだ、これは」

 

 悪魔は、絶句する。

 悪魔は、その変化を正しく認識できない。

 空間に満ちていた熱気が、丸ごと凍りついたようだった。

 少女の足元。そこに触れている場所から、地面が、軽やかな音を鳴らして氷結していく。

 少女の胸元。それを突き破るはずだった爪が、腕が、異常な速度で凍結していく。

 

「そっか。やっと……()()()()

 

 疑問があった。

 触れたものを熱する魔法。それなら何故、自分は自分以外のものを熱する時、その熱さに焼かれることがないのか? どうして熱気に満ちたこの空間の中で、自分だけが自由に動けるのか? 

 答えがあった。

 触れたものを熱くするのが、この魔法の本質ではない。きっと無意識の内に、自分はこの魔法の本当の力を理解していて。その力の正体は、もっと自由なもので。

 心に宿る魔法を引き出すためのきっかけは、ずっとすぐ側にあった。

 

 ──きみは、なんのために強くなりたい? 

 

 どうして、自分には力があるのか。

 その力で、何がしたいのか。

 今なら言える。

 今ならわかる。

 だって、ようやく見つけることができたから。

 守りたいものが、目の前にあるから。

 

「これは、なんだ……なんなんだ!? オマエの、その()()は!?」

 

 だから、叫べ。

 この力の名は──

 

 

──紅氷求火(エリュテイア)

 

 

 乱れた金髪の間から、深い蒼の瞳が覗く。その視線の鋭さに、鮮やかな紅色の怒りに、悪魔の心が凍りつく。

 身を焦がす熱い激情を、冷たい吐息に変えて。

 今、此処に。魔法使いとなった騎士は、静かに告げた。

 

「あたしの大切な人たちに、手を出すな」



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勇者と騎士と盗賊と、パンツ

 自分で言うのもおかしな話だが、おれの魔法……『百錬清鋼(スティクラーロ)』は基本的に近接戦闘では無敵である。

 腕や胴体を部分的に硬化させてしまえば、鈍らの刃は通らず、徒手空拳でも硬化させた拳ならそれなり以上のダメージが入る。攻撃面でも防御面でも、これといった弱点はない。

 にも関わらず、おれはまだ、目の前の盗賊を仕留めきれていなかった。

 

「大口を叩いたわりには、息があがってるんじゃねぇか? クソガキ」

 

 理由は二つ。

 まず第一に、単純な経験の差。殴る、蹴る。間合いを測る。イト先輩を倒したのだから、当然といえば当然かもしれないが、そういった戦闘の駆け引きにおいて、間違いなくこの悪党はおれよりも上に立っていた。

 そして、第二に、この悪党の持つ魔法は、おれの想像よりも遥かに厄介だった。

 

「そら、もう一発だ」

 

 攻撃ではない。まるで、気安く肩を叩くように。盗賊の手のひらが、おれの腕に触れる。

 相手に、触れるだけ。しかし、その触れるというアクションは、魔法使いにとってなによりも強力に機能する。

 

「飛んじまいな」

 

 下卑た視線はおれを見ておらず、背後に向けられていた。

 瞬間、感じるのは浮遊感。まるで見えない力に引きずり込まれるように、おれの体は唐突に浮き上がり、盗賊の視線の先……壁面に叩きつけられる。

 

「ぐっ……」

 

 さっきからずっと、この繰り返しだ。

 近づく度に、見えない力で跳ね飛ばされる。いや、感覚的には跳ね飛ばされるというよりも、何かに向かって引き寄せられる、飛ばされるような感覚に近かった。

 

「どうしたどうしたぁ? あの威勢は最初だけかよ? もうちっと粘ってくれなきゃ、張り合いってもんがねえぞ!」

 

 せっかく詰めたはずの距離が、また開く。

 これ見よがしに両手を広げて、盗賊は笑った。笑いながら、おれに向けて短剣を放り投げる。それらはまるで重力と物理法則を無視したかのように独特な軌道を描いて、殺到してきた。

 おれの体に、刃は通らない。硬化させた腕で短刀を弾いて、前を見る。

 魔法の性質そのものは、掴めてきた。おそらく、コイツの魔法は……

 

「……触れたものを目標に向けて、飛ばす」

「お、正解だよ。おめでとう勇者志望くん。よくわかったな」

「これだけ体験すればいやでもわかるだろ」

 

 猛毒を塗布した短剣や針を、自身の魔法効果で確実に的中させる。イト先輩を仕留めたそのやり方が、おそらくはこの盗賊の必勝パターン。しかし、おれの体に刃や針の類いは通らない。

 だから、明確に戦術を変えてきた。のらりくらりと攻撃を避けながら、時間稼ぎに徹する形で、コイツは自身の仕事を完遂しようとしている。

 強い、弱いの話ではない。厄介だ。この盗賊はおれにとって、間違いなくこれまでで最も厄介な敵だった。

 

「くそみたいな魔法を使いやがって……」

「阿呆抜かせ。オレの魔法なんざかわいいもんだ。世の中には、触れられただけで即死するような魔法を持ってるヤツもいる。それに、厄介さで言えばお前の魔法の方が上だろ」

 

 折れた鼻の血を拭いながら、不細工になった顔がせせら笑う。

 

「硬くなられちゃ、いくら叩きつけても致命傷にはならねえが、お前の魔法……中身まで硬くなるわけじゃねえだろ? 内蔵や脳みそまでカチコチにできるとは思えねえ。刃が通らなくても、衝撃を与えれば体の中身にはダメージが通ると見た」

 

 見立ても良い。

 おれが見抜かれたくない魔法の情報を、的確に射抜いてくる。

 

「しばらくは人間ピンボールを楽しみな」

「ごめんだね。それなら、触られなきゃいいだけだ」

「できるわけねえだろ! クソガキ!」

 

 おれの防御は、基本的に『百錬清鋼(スティクラーロ)』に依存している。言い換えれば、ある程度は相手の攻撃を受けることを前提にしている。

 

 ──お前の魔法は防御力が高いから、どうしてもそれを守りの要にしている。体を硬くして、攻撃を受けてしまうきらいがある。だが、最初から魔法に頼ろうとするな。俺に言わせれば、いざという時に魔法ほど頼りにならんものもない

 

 まったくもって、先生の言う通りだ。

 おれには、遠距離攻撃の手段がない。相手を倒すためには近づかなければならず、近づけばほんの一瞬触れられるだけで、吹っ飛ばされる。

 ああ、なるほど。

 この悪党には地力がある。積み重ねてきた経験がある。

 だが、それがどうした? 

 みんなを助けるために。

 悪党には、今この場で勝てなきゃ意味がない。

 

「……ふーっ」

 

 どんな魔法にも、弱点はある。

 考えろ。

 顔面の骨を叩き折った最初の一発。脳天にお見舞いした頭突きから、腹への一発。どちらもおれからコイツに触れたにも関わらず、魔法が発動しなかった。

 攻撃された瞬間に、対応できなかった? その可能性も確かにあるだろう。

 だが、もう一つ。もっと論理的な答えがある。最初にクリーンヒットした攻撃は、どちらも顔面への攻撃。視界を塞いだ上での、一撃だった。

 

「何度やっても変わんねぇぞ!」

「変えるさ」

 

 つまり、()()()()()()()、コイツの魔法は機能しない。

 再びの格闘。触れられないように立ち回りながら、盗賊の動きを誘導する。

 体を転がして、おれはひろいあげたそれを網のように投げ広げた。

 

「っ……!」

 

 イト先輩が脱ぎ捨てていた、コート。

 一瞬。ほんの一瞬、視界を遮るには、それは充分な大きさだった。なによりも、盗賊の思考に躊躇いが混じって、静止したのがわかった。

 その瞬間が、なによりも欲しかった。

 低い姿勢から、足を払う。突いた膝、空いた胴体に一発。そして、組み付いて動きを止める。ぎりぎりと、締め上げる。

 

「関節技かよ……! 裸のガキに抱きつかれる趣味はねえぞ」

「おれもない。けど、これしかないからな」

 

 触れたものを飛ばす魔法なら、触れたまま離れないようにすれば良い。

 おれの体は、鋼の硬さに変化する。一度関節をきめてしまえば、もう振り解くことは不可能に近い。

 

「……で、こっからどうする? オレをちんたら絞め落とす気か?」

「イト先輩は、炎熱系の魔術が得意なんだ」

「あ?」

魔術用紙(スクロール)に仕込んだ魔術を、時間差で発動させることもできる。すごいだろ?」

「お前、何言って……」

 

 いいね。男に組み付いて、いい事なんて何もないと思ってたけど……凍りつく表情を間近で見れるのは最高だ。

 おれたちのすぐ側に落ちている、それ。おれが視界を遮るために使ったイト先輩のコートから、赤い光が漏れ出していく。

 

「まさか……!」

「そのまさかだよ」

 

 イト先輩は、毒で朦朧とする意識の中、おれに小声でそれを伝えてくれていた。

 

 ──コートに、起爆の……仕込み。時間差で、もうすぐ爆発する……うまく、使って。

 

「お前がバカにした勇者は、最後まで勝負を捨てていなかった」

 

 悲鳴はなかった。

 ただ、強く歯を噛み締める音がした。

 

「自爆する気か……!」

「我慢比べだ。……自慢じゃないけど、おれは硬いぜ?」

「クソガキ……!」

「ガキじゃない。勇者だ」

 

 目を閉じ、全身を硬める。

 コートに仕込まれた魔術用紙(スクロール)が、一斉に起爆する。

 爆発の熱と衝撃は凄まじく、床が崩落したことをおれは閉じた目の中で感じ取った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 温度を変化させる。

 覚醒したアリアの魔法は、すでに触れれば相手を即死させる段階に指をかけていた。

 故に、腕が凍りついた悪魔の判断は素早かった。もう動かない右腕を自身の爪で切り落とし、肉体にまで冷気が伝播するのを防ぐ。それを見たアリアも、自身の鎧に突き立てられた悪魔の爪を引き抜いた。 

 

「……ぅ」

 

 傷は深い。しかし、傷口を凍結させれば止血に問題はない。だから、戦闘の続行に問題もない。魔法の名前を知ったアリアの思考は、鮮明に澄んでいた。

 

「ちぃ……」 

 

 悪魔が、ダンジョンの奥へと身を踊らせる。アリアは、無言でそれを追った。

 誘いであることは明白。しかし、アリアの後ろには動けないほどのダメージを負ったサーシャたちが倒れている。負傷者を庇いながら戦うよりも、アリアは手負いの悪魔を追うことを選択した。

 そして、その選択が正しかったことは、すぐにわかった。

 悪魔が逃げた先。そこに、アリアたちがこのダンジョンに来た目的もあったからだ。

 

(あれが、聖剣……!)

 

 それは、思っていたよりもずっと静かに、ひっそりと祀られるように突き刺さっていた。

 予想よりも遥かに大きい、大剣である。

 特別な魔力が漏れ出ているわけではない。それでも、一度目にしてしまえば不思議と惹きつけられる、言葉にできない圧力を、その聖剣は自然に放っていた。

 手負いの悪魔は、今すぐにでも聖剣を引き抜いて離脱したいのだろう。だが、それはアリアに無防備な背中を晒すことを意味する。

 

「……お前の仲間は見逃してやる、と言ったら。これを譲る気になるか?」 

「それ、取引のつもり? 応じるわけがないでしょ。悪魔なら、もうちょっとマシな契約条件を提示しなよ」

 

 強気にも、アリアは挑発の言葉を投げた。

 既に片腕という安くない代償を支払っている悪魔の視線が、鋭くなる。今度はどちらから踏み込むか。睨み合い、互いに呼吸の合間を測り合うような、その瞬間。

 鼓膜を割るような爆発音を伴って、否、天井が実際に割れて、二人分の人影が瓦礫と煙の中から降ってきた。

 

「は?」

「……げほっ、ごほっ。お待たせ、アリア。助けに来たぞ」

 

 その声に、思わず自分の肩の力が抜けるのを、アリアは自覚した。

 やっぱり、助けに来てくれた。

 それはうれしい。とてもうれしい。

 しかし同時に、アリアは目の前に落ちてきた少年の格好に、べつの意味で力が抜けるのを感じた。

 

「なんで……なんできみはそう、いつも裸なのかなぁ……」

「裸じゃないぞ。よく見ろ。パンツ履いてるだろ」

 

 彼は、パンツしか履いていなかった。

 

「ほとんど同じでしょ。あとよく見たくない」

「全裸とパンツを一緒にするな。あと、こう見えておれ、最近かなり鍛えてるから、恥ずかしいところなんてない」

「……はいはい。すごいね。下の方は見ないようにするね」

「見たけりゃ下も見ても良いぞ」

「最低」

 

 何故か開き直っている彼は、アリアを見上げて言った。

 

「怪我、大丈夫か?」

「……ありがと。でも、まず自分の裸の心配したら?」

「裸の心配ってなに?」

「あたしに聞かないで」

 

 と、馬鹿なやりとりがそこで止まる。

 

「……あれか。聖剣!」

 

 パンツだけで勇者を目指す少年は。

 睨み合っていたアリアと悪魔の緊迫感を一切無視して、脱兎の如く突き刺さっている剣に向けて走り出した。

 思わず、アリアは叫んだ。

 

「ちょっと!? まさかそれ使う気?」

「ああ! 勇者といえば、伝説の武器だからな!」

 

 突如、上から降ってきた珍妙な乱入者。その行動に思考が停止した悪魔は、呆気にとられ、

 

「なにしてやがる! 早くその()()()()を止めろ!」

 

 焦りに満ちたゲドの叫びが、悪魔の思考を引き戻した。

 自分と同じように落ちてきた盗賊の叫びを聞いて、少年は笑う。

 

「嬉しいね。やっと『勇者』って呼んでくれたな」

 

 聖剣を取らせまいと、鞭のように伸びた悪魔の腕が、パンツを掴む。

 パンツが脱げる。

 少年は、全裸になった。

 

「そんなに欲しいなら、それやるよ」

「キサマ……ふざけるなっ!」 

 

 脱ぎ捨てたそれを気にせず、少年は聖剣に手を掛けた。

 使ってはならない、とレオは言っていた。一度、聖剣を使用してしまえば、所持者として認められ、死ぬまで他の人間には渡らない。

 理解していても、躊躇いはなかった。

 聖剣を引き抜いた少年は、ほんの一瞬、自らのものとしてそれを振るおうと構えて、

 

 ──あ、おれじゃダメだ。

 

 気がついてしまった。

 この聖剣に相応しいのは、自分ではない。

 地面に這いつくばったまま、盗賊が叫ぶ。

 

「もういい! 女から殺せ!」

「言われんでもわかっている!」 

 

 荒く息を吐く悪魔の腕が、今度はアリアに向かって伸びる。

 もはや満身創痍の盗賊の手が、毒針を掴む。

 奇しくもそれは、アリアを挟み込むような位置取りだった。

 まずい。

 守るためには、手が足りない。どちらか片方の攻撃を体で防いだとしても、足元には脱げたパンツしかない。

 否、逆に言えば。少年の足元には、脱げたパンツだけはあった。

 恩師の言葉が、脳裏を過る。

 

 ──お前の魔法、触れたものを硬くできるのは良いが、触れている間しか硬くできないのがネックだな。

 

 考えるよりも先に、体が動いた。アリアに向かって、走り出す。

 走りながら、ひろい上げて、投げる。

 悪魔は、自分に向けて投げられたそれを見て、目を疑った。

 少年が投擲したのは、パンツ。本来、それはただの布切れ。しかし、

 

「──()()()

 

 薄く硬く、魔法によって変化したそれは、凶器に変わる。

 まるで、ブーメランのように。回転するパンツは鋼の硬さを以て、悪魔の片目に突き刺さった。

 

「ぐっ……おぉおお!?」

「だから、そのパンツやるって言っただろ」

 

 吐き捨てて、笑う。

 必中するゲドの毒針から、鋼の背中を盾にして。少年は少女を抱きかかえ、庇った。

 

「アリア!」

 

 そして、聖剣を突き出す。

 未来の勇者は、その武器を仲間に託すことを選択した。

 名前を呼び、渡す。

 使え、とも。預ける、とも。少年は少女に言わなかった。

 ただ、名前を呼ぶ。それだけで、してほしいことはわかるだろう、と言いたげに。

 

「あたしでいいの?」

「アリアじゃなきゃ、ダメだ」

 

 少女は、喉の奥から込み上げる熱いものを吐き出した。

 

「……ずるいなぁ」

 

 そんな信頼、応えなきゃウソだ。

 透き通るような聖剣の刃に、自分自身の顔が映り込む。

 剣の中に浮かぶアリア・リナージュ・アイアラスは、堪えきれない笑みを浮かべていた。

 

「わかった。それ、もらうよ」

 

 少女の手の中に、聖剣が予定調和のように吸い込まれる。

 頭の中に、響く声があった。

 

『認証開始。対象、()()()保持者』

 

 頭の中に、巡る声があった。

 

『覚醒は不全なれど、その心の熱は真に迫るが故に。熱き決意に報いるべく、汝を我が使い手として認めよう』

 

 掴んだその重さは、なによりも正しい、信頼の証。

 柄を握った瞬間に、名がわかった。

 

「……そっか。アグニ。煉輝大剣(アグニ・ダズル)だ」

 

 契約は、完了した。

 魔法と同じく。

 名を認識した瞬間、聖剣から流れる魔力が、アリアの全身を駆け巡った。

 火炎が、刃となって噴出する。

 感じたことのない魔力を感じて、アリアの頬が紅潮する。

 堪らずふらついた身体を、少年が後ろから抱き止めた。

 

「……これ、思ってたよりも、大きいね」

「アリアなら使いこなせる」

「……剣の魔力、熱いの、流れ込んでくる」

「おれが支える」

 

 手が重なる。

 二人で、聖剣を握る少年と少女を見て。

 ふざけているのか、と。ゲドは思った。

 互いが互いを想い合うそのやりとりは、盗賊の神経をひどく逆撫でした。

 

「ガキどもが、呑気に乳繰り合ってんじゃ……!」

 

 声を遮る、爆発があった。

 否、爆発ではない。聖剣から溢れ出る炎が、火炎の渦となって、ゲドの頬を撫でた。

 

「……あ?」

 

 絶句する。

 見ただけで理解する。肌で感じ取ってしまった。

 あの少女とあの聖剣は、あまりにも相性が良過ぎる。

 故に、少女の手に聖剣が渡ってしまった時点で、すべての勝敗は決していた。

 

「わりぃな。()()()()

 

 全裸の勇者が、勝ち誇る。

 哀れな盗賊の手が、助けを求めるように悪魔に触れる。

 

「おれが背中を預ける騎士は、最強なんだ」

 

 剣の形、と表現するにはあまりにも馬鹿馬鹿しい炎の奔流が、盗賊と悪魔を飲み込んだ。




今回の必殺武器
煉輝大剣(アグニ・ダズル)
 ダンジョンに眠っていた、火の聖剣。契約者に魔力を供給し、刀身から魔術式を省いて火炎を放出する権能を有する。
 全裸バカとアリアのはじめての共同作業、ケーキ入刀に使用された。


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二人目。あるいは、とある盗賊の独白

 空を飛ぶのが夢だった。

 鳥があんなにも簡単に宙を駆けることができるのだから、きっと人間にもできるはずだと。そう思い上がってしまったのは、自分自身の魔法のせいだったのか。

 あるいは、魔法が人の心を体現するのなら、その傲慢こそがゲド・アロンゾという少年の最初の間違いであったのかもしれない。

 孤児であったゲドを引き取った家は、造船を生業とする職人の家系だった。子どもが生まれなかったことから跡継ぎを望んでいた義理の両親はゲドに愛情を注ぎ、ゲドもまたその愛に応えるために全力で造船技術を学び、磨いた。何かを作る、ということは何かをこの世に残すということで、それはきっと人生で一番意味があることなんだろう、と。血の繋がっていない父が心血を注いで作り上げた船が海を往く姿を見て、少年は強い憧れを抱いた。

 

「ものを作るということは、積み重ねなんだ。ゲド」

 

 少年を肩車して、義理の父はやさしい口調で語った。

 船を作るためには、まず緻密に構造を計算された設計図が必要であり、次に吟味された部材を用意し、それらを無事に輸送することで、ようやく組み立てに入ることができる。様々な人たちの努力と想いの積み重ねが、あの大海原を進む船なのだ、と。そう語る義理の父の言葉は、とても誇らしげだった。

 

「オレはお前の本当の父親じゃない。けど、これからたくさん、お前との思い出を積み重ねていくことができる。今すぐじゃなくていい。オレが、お前の父親でも良い。そう思えた時に、オレのことを父さんと呼んでくれ」

「うん。わかったよ。父さん」

「……え!? はやくないか!? ま、まってくれ。こういうのってなんかこう、もう少し時間がかかるというか……」

「だめなの?」

「……いや、すまない。だめじゃないさ。ありがとう、ゲド」

 

 肩車されているせいで表情は見えなかった。でも、肩が小刻みに震えていることは、なんとなくわかった。

 義理の父は、少年にとって本当の父になった。

 義理の両親は、少年にとって普通の両親になった。

 父さん、母さん、と。そう呼べるようになっても、すぐに親子になれたわけではない。命を懸けて救ってくれた、とか。貧しい場所から拾い上げてくれた、とか。特別で劇的な理由があったわけでもない。はじまりが他人である以上、どうしても互いに気を遣ってしまう部分があったのは、否定できない。

 だから、少しずつ積み重ねていった。

 朝起きて、おはようと挨拶を交わす。

 いただきます、と一緒に食卓を囲む。

 おやすみを言う前に、頭をそっと撫でられる。

 長い時間と、交わした言葉と、惜しみなく注がれた愛情が……なんの変哲もない日々の積み重ねが、育ての親とゲドとの間に、血の繋がりを超える関係を作り上げていった。

 だから両親の間に弟が生まれた時も、ゲドは純粋に喜んだ。血が繋がっていない、とか。自分はきっともう跡継ぎにはなれないだろう、とか。そんなことはどうでもよくて、ただ本当に、自分を愛してくれた人たちの間に、新しい命が生まれたのが嬉しかった。

 ゲドは弟のことを可愛がり、弟もまた、ゲドのことを慕うようになった。兄さん、と自分の名前を呼んでくれる小さな坊主頭が、かわいくて仕方なかった。

 自分に魔法があるとわかったのは、12歳の時。その性質と魔法の名をゲドはすぐに理解し、弟は特別な力を発現させた兄のことを、やはり尊敬に満ちた眼差しで見上げた。

 

「すごいね兄さん! その魔法があれば、絶対に騎士になれるね!」

 

 弟の尊敬と憧れを、無下にはしたくなかった。騎士として国に仕える道を志しながら、しかしゲドの中にはほんの少しだけ疑問があった。

 オレが騎士になったら、今まで父さんから学んできた技術は、どこにいくのだろう? 

 オレが必死に積み重ねてきたものは、やっぱり無駄になってしまうのだろうか? 

 

「僕、兄さんからたくさん船のこと教えてもらったから! だから僕も兄さんに負けないようにがんばるよ!」

 

 いや、そんなことはない。

 弟がプレゼントしてくれた手作りの、小さな船のレプリカを、ゲドは笑顔で受け取った。

 自分が父から受け継ぎ、積み重ねてきたものは、弟の中にもきちんと継がれている。だから、何の心配もない。自分の中に芽生えかけた黒い感情と、些細な違和感を、ゲドは見なかったことにした。

 ほんの少しの部品の組み違いは、時に船の崩壊に繋がってしまうと。父からあれほど教えられてきたはずだったのに。

 

「大丈夫? 最近のあなた、疲れた顔をしているわ」

 

 再び転機が訪れたのは、騎士として数年の従軍経験を得て、ひさしぶりに家に戻った時。

 少し老けたように見える母にそう言われて、ゲドは心配ないと手を横に振ったが、父もまたゲドに向けて言った。

 

「ゲド。お前がやりたいことは何だ?」

 

 やりたいこと。

 単純にそう問われて、返す言葉に詰まった。

 

「お前に特別な力があることはわかっている。でもそれは、お前の生き方を決めるものじゃない」

 

 積み重ねを、無駄にはしたくなかった。

 ゲド・アロンゾには、夢があった。

 

「……空を、飛びたい。父さんみたいに、空を自由に飛ぶ船を作りたい」

 

 鼻で笑われると思った。何を馬鹿なことを、と怒鳴られると思った。

 空中を自由に飛行する術は、魔術の力を以てしても未だに確立されておらず、ゲドが語る夢はあまりにも無謀だった。

 

「おお、いいじゃないか。じゃあ作ろう」

「え?」

「雲海を切り裂いて、青空の中を自由に進む船! 最高だな! それこそ、男のロマンだ!」

「あなた、作るのはゲドなのよ? 横取りは良くないわ?」

「おいおいおい! 手伝うくらいはいいだろう!? オレはコイツの親父なんだから!」

 

 豪快に笑う父と、優しく微笑む母。

 二人に釣られて、ゲドも笑った。笑うのは、ひさしぶりだなと思った。

 

「ずっと、気にしていたんだ。お前はオレたちのために、自分が本当にやりたいことを我慢しているんじゃないかって」

「そんなことは……」

 

 自分は既に、貰い過ぎなほどにたくさんのものを受け取っている。けれど、父は言葉を続けた。

 

「だから、嬉しいんだ。ようやくお前の口から、お前の言葉で、本当の夢を聞かせてもらえて、オレは嬉しい」

「……父さん」

「無理に騎士になる必要はない。ウチの家業も、継ぎたければお前が継げば良い。お前はオレたちのはじめての息子で……長男なんだから」

 

 その日。ゲドは両親の前で、はじめて子どものように泣いた。

 機会が良かったのだろうか。ゲドが所属する騎士団では、馬や船に変わる新たな移動手段が模索されており、予算と計画の許可はいっそ拍子抜けするほどにすんなりと下りた。自由に空を飛ぶことは、やはり多くの人々の悲願だったのだろう。

 基礎設計。部材の選定。魔力を利用した動力の開発依頼。にわかに忙しくなった日々の積み重ねの中で、ゲドはたしかな充実を感じていた。父と弟と、肩を並べて船を作るのが本当に楽しかった。

 数年の時間をかけて、迅風系の魔術を動力として組み込んだ、試作品が完成した。完成の記念として、父と母と弟を載せて、ゲドははじめて自分が作った船の舵を取った。小さな小さな、ヨットのような船だったが、乗り込んできた父と母の表情は、期待と幸せに満ちていた。

 

「初速を得るために、オレの魔法を使う。そのあとは風にのって、この船は飛ぶんだ」

 

 実験に実験を重ねた。問題はないはずだった。ゲドの魔法で船体を浮かせたあとは、自分の力で空を飛ぶだけの力を、この船は持っているはずだった。

 けれど、ほんの少しの部品の組み違いから、事故は起きる。

 

「兄さん! 操舵が!」

「わかってる! くそっ!」

「もう船体が保たない! 不時着しよう! 舵を安定させて……!」

「今やってる!」

 

 記念すべき日になるはずだった最初の空の航海は、地獄に変わった。

 空を飛ぶための機能は、問題なく動作していた。万が一、空中で落下してしまうことがないように、ゲドは目標に向けて飛ぶという己の魔法を活かして、二重に保険をかけていた。問題があったのは、単純に船体の構造の方だった。

 

「不時着する! 掴まれ!」

 

 凄まじい勢いで山肌を削る舟底の衝撃に、歯を食い縛る。食い縛りながら、自問自答する。

 どうしてこんなことになってしまった? 

 自分はきちんと積み重ねてきたはずなのに。

 努力してきたはずなのに。

 それなのに、どうして? 

 不時着の衝撃に耐えられず、母の体が空中に放り出されて。何も考えず、反射的に手を伸ばしたのは、完全に父と同時だった。

 

「バカ野郎」

 

 そして、抑え込むように父に腕を掴まれた。

 ゲドの体は、船に引き戻された。

 

「父さん! なんで」

「そりゃお前……親は、子どもを守るもんだろ」

 

 ひさしぶりに感じた父の手はやはり大きくて。それが、最後に聞いた言葉になった。

 手が届かなければ、魔法は使えない。母を抱き締めて谷の底へ落ちていく父の姿を呆然と見送りながら、意識は刈り取られた。

 次に目覚めた時、ゲドは弟と並んで病院のベッドの上に寝ていた。

 弟とゲドは助かった。父と母は助からなかった。それが、積み重ねてきた夢の結果だった。

 

「お前のせいだ!」

 

 起き上がってすぐに、ゲドは弟の胸倉を締め上げた。

 理由はシンプルだった。ゲドは自分の仕事にミスがないことを確信しており、自分よりも経験豊富な父がミスをするわけがなく……必然として、ゲドは事故の理由を弟に求めた。

 違う。自分じゃない。僕のせいじゃない。ごめん。 

 そんな言葉が、弟の口から出てくることを期待していたのかもしれない。

 

「そうだよ。兄さん」

「……あ?」

「事故の原因は僕だ。僕がやったんだ。わざと船体が保たないように、そういう組み上げ方をしたんだ」

 

 想像すらしていなかった弟の言葉に、ゲドはただ声を失うしかなかった。

 能面のような冷たい表情は、ゲドが知っている弟の顔ではなかった。

 

「父さんも母さんも、兄さんのことばかり見ているから。帰ってきた兄さんのことを跡継ぎにしようとするから。だから、兄さんが成功しないように、わざと事故を起こしたんだよ」

 

 どこから。

 いつから。

 何を間違えていたのだろう?

 

 ──すごいね兄さん! その魔法があれば、絶対に騎士になれるね!

 兄さんは騎士になればいい。

 

 ──だから僕も兄さんに負けないようにがんばるよ!

 家を継ぐのは僕だ。お前には渡さない。

 

 違う。見て見ぬ振りをしてきただけだ。

 家族だから。愛しているから。そんな言い訳をして、見たくなかった汚い部分に踏み込むのを、恐れていた。

 

「僕が……僕の方が、本当の子どものはずなのにっ……あの人たちは、兄さんばかりに愛を注ぐから!」

 

 音を立てて、何か大切なものが崩れていく。

 言葉を。信頼を。愛を、積み重ねてきたはずだったのに。

 それは、こんなにも脆いものだったのだろうか? 

 

「父さんと母さんを……殺すつもりじゃなかったんだ。こんなことになるなんて、思っていなかったんだ。許されることじゃないことは、わかってる。僕が……僕が悪いんだ。だからさ、兄さん……頼むよ」

 

 泣き崩れる声音に、嘘はない。

 嘘がないからこそ、それはどこまで痛々しく、強く、ゲドの心を揺さぶった。

 

「僕を、父さんと母さんのところに連れて行ってよ」

 

 弟が差し出してきたナイフを、呆然と受け取る。

 数秒の間があった。

 受け取ってしまった事実を認識して、それからようやく否定の言葉を吐いた。

 

「できるわけがない……できるわけがないだろ! そんなこと! オレは、お前の……!」

 

 叫びと同時に、力が抜けた手のひらの中から、ナイフが落ちる。

 絞り出した言葉とは裏腹に、そのまま重力に引かれて落ちるはずだったナイフは、見えない力に引き寄せられるように浮かび上がって、弟の胸に突き刺さった。

 

「……え」

 

 間抜けな声だった。

 でも、自分の声だった。

 そこでようやく、ゲドは自分が弟の心臓を見詰めてしまっていたことに気がついた。

 殺意に翼を与えたのは、自分だった。

 殺意を的中させたのも、自分だった。

 心と魔法が、自然にそれを選択してしまっていた。

 

「兄さん……ごめん」

 

 前のめりに倒れた身体が、甘えるように体重を預けてくる。

 

「……愛せなくて、ごめん」

 

 積み重ねることには、意味があると信じていた。

 努力は決して裏切らない。人が心を通わせた時間には意味がある。そう信じて、疑ったことがなかった。

 違うのだ。

 どんなに積み上げても、どんなに積み重ねても、崩れる時は本当に一瞬で。人の幸せは、風に攫われるように塵になって消えていく。

 だから、今。生きているこの一瞬だけ幸せであれば、それで良い。

 きっとそれが、空を飛ぶような自由な生き方なのだと、ゲド・アロンゾは気がついた。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 らしくないことを思い出してしまったのは、傷の深さのせいだろうか。

 火炎に飲み込まれる直前、傍らにいた悪魔を炎に向けて()()し、盾にすることによって、ゲドは直撃を避けていた。

 

「あー、くそ……ほんと、楽じゃない仕事は好きじゃねぇ」

 

 とはいえ、直撃を避けたということは、決して無事だったという意味ではない。

 炎に焼かれ、焼け爛れた体の右半分は、ほとんど感覚がなかった。片目の視界も失われている。あの勇者を語っていた少女と揃いになってしまった。思わず、自嘲めいた笑みが口元から溢れる。笑わなければやっていられない、という方が正確か。

 傷だらけの体を引き摺りながら、ゲドはダンジョンの出口を目指す。

 一先ず、最優先すべきは治療。そのあとはたらふくメシを食って回復に努めよう。依頼そのものは失敗に終わってしまったが、次のチャンスは必ず来るはず。あの最上級悪魔と魔王にとって、自分は貴重な人間の駒だ。

 そこまで頭の中で算段を立てながらも、ゲドは地面に膝をついた。震える全身に、力が入らない。顔を上げれば、もう出口に繋がる光が見えているというのに。

 

「ああ……」

 

 漏れ出す陽光が弱くなったのは、気のせいではなかった。

 

「……早かったな」

 

 顔を上げると、あの少年が立っていた。

 

「おいおい。なんだよ。今度は、服着てるじゃねぇか」

「服を着ても追いつけると思ったからな」

「抜かしやがって」

 

 別の学生から借りたのだろう。雑にコートとズボンを着込んだ少年は、やはり自然な動作でゲドに向けて剣を突きつけた。

 

「その傷じゃ、あんたはもう助からない」

「……そうだな」

「だから、おれが殺す」

 

 殺してやる、とは少年は言わなかった。

 その言い回しに、彼のまだ青い部分を感じて、ゲドは苦笑した。

 

「お前、人を殺すのは、はじめてか?」

「……二人目だ」

「そうかよ。なら、ちょうどよかった」

 

 もはや抵抗する気はない。

 地面に座り込んで、首を差し出す。

 

「後腐れもない悪党で、ちょうど良いだろ。オレで慣れておけよ」

 

 逆光で、表情は見えない。

 暗い影が、顔を黒く染め上げているようだった。

 

「あんた、名前は?」

「……ゲド・アロンゾだ。悪いことは言わねえ……殺したヤツの名前なんて、さっさと忘れちまいな。それは、お前にとって重荷になる」

「忘れないよ」

 

 即答だった。

 

「絶対に、忘れない」

 

 その瞳に中にあるものを垣間見て、盗賊は笑った。

 ああ、なるほど。

 

 これが、勇者なのだ。

 

 きっとこれから先も、この少年は自分の中にたくさんの人の死を積み重ねて。たくさんの命を積み重ねて、そうして少しずつ強くなっていくのだろう。

 だから、聞いてみたくなった。

 

「冥土の土産に、一つだけ教えてくれよ」

 

 くだらない人生だった。

 意味のない人生だった。

 飛べない鳥に、価値がないように。何も生み出してこなかった人間の生には、欠片ほどの意義もない。

 生み出したものは一つもなく、奪ったものの方が多かった。生きることに勝手に絶望した自分は、瞬間の快楽に溺れ、それだけを求め続けてきた。

 だから、自分の生きた証は、きっと何も──

 

「……お前、名前は?」

「────」

「……良い名前じゃねぇか」

 

 ──それでも。

 これから勇者になる少年の中に、自分という存在が残るのは悪くないと、盗賊は思った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 ダンジョンを出ると、アリアたちが待っていた。

 

「あの盗賊は、どうしたの?」

「殺したよ」

「……そっか。ごめん」

「アリアが謝ることじゃない」

 

 答えながら、それを取り出す。

 盗賊の懐には、一つだけ。手のひらに乗るような、小さな小さな、古ぼけた船のレプリカが入っていた。

 

「なにそれ?」

「……なんだろうな。おれにも、よくわからない」

 

 あの盗賊が、どんな思いでこれを持ち歩いていたのか。その意味を、おれが知る術はもうない。

 おれが知り得ることができたのは、彼の名前と魔法だけ。本当に、それだけだ。

 同情はしない。哀れみもしない。情けもかけない。

 だけど、なんとなく、そうするべきだと思った。

 空を見上げて、その中に浮かぶ雲を見詰めて、船を投げる。

 まるで翼が生えたように、小さな船は真っ直ぐに、どこまでも空を駆け抜けていった。



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そして、勇者は追放される

 敵を倒して、みんなも無事で。

 それですべてが丸く収まる、と。おれはそう思っていた。

 しかし、現実というものはどうやらそんなに甘いものではないようで。

 

「貴様を、騎士学校から追放する!」

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 その原因を説明するには、少し時間を遡らなければならない。

 

 

 

 

 

 上級悪魔まで投入された大規模なダンジョン襲撃事件は、奇跡的に一人の死者も出すことなく、無事に幕を下ろした。怪我人は多く出たものの、後から駆けつけてくれた先生たちの第三騎士団の対応が素早く、大事には至らずに済んだ。

 それでも、グレアム先生は責任を強く感じたのだろう。繰り返し、何度も「駆けつけるのが遅くなって本当にすまなかった」と、おれたち生徒に頭を下げるのをやめなかった。怪我の治療で呻いてる先輩たちが、違う意味でも恐縮して呻いていたのが、なんだか微笑ましかった。

 後から聞いた話によると、ダンジョンへの襲撃と時を同じくして、先生の第三騎士団にモンスターの集団が徒党を組んで陽動をかけていたらしい。だから、先生たちの到着が遅れてしまった。敵の中には、あの魔王軍の四天王までいたというのだから驚きだ。

 

「魔王軍の四天王が自ら指揮する軍勢に対して、一歩も退かずに戦い抜いて、損害も軽微で済ませたグレアム先生はやっぱり化け物だね」

 

 とは、いろいろと事情に詳しいレオの談である。

 

「その四天王は、殺しても死なない、悪魔以上に悪魔のような死霊術師だったそうだよ」

「殺しても死なない? そいつはたしかに厄介だな……」

「おや、親友もそう思うかい?」

「いやまてよ……でも、そいつを仲間にできたらめちゃくちゃ最強なんじゃないか?」

「キミはもう少しの頭のネジを強く締め直した方がいいよ」

 

 襲撃事件から三日後。

 他愛のないやりとりをしながら、おれとレオは呼び出しを受けた議事堂へ向かっていた。

 そう、この国の中枢とも呼ぶべき施設。執政に関わる人間が集まる、あの議事堂である。現場で襲撃者と戦った中で、大きな怪我をせずぴんぴんしている生徒として、おれとレオは事情を聞く名目で招集を受けていた。

 

「おれたちも何かお小言とか言われんのかね?」

「さて、どうだろうね。服を脱いだことはそこまで問題視されていないはずだけど」

「それを議事堂で問題にされたら、おれは首を括って死ぬしかないんだよな」

「おや、何を言っているんだい、親友。今さら裸如きで恥ずかしがることはないだろう?」

「いやお前もだからな? 今回はお前も仲間だからな?」

「ふっ……文字通り裸の付き合い、というわけだね」

「すまん。やっぱそんな付き合いはなかった。忘れろ」

 

 くだらないやりとりをしながら、おれの代わりにレオが扉を開いて声を張り上げる。

 

「参りました」

「入り給え」

 

 入室した瞬間に、複数の視線がこちらに向けられたのがわかった。まず、威圧感がすごい。頭上にずらりと居並ぶお偉様方たちは、誰も彼も態度がでかい。まあもちろん、この場にいるということはそれなりの地位にある人間しかいないのだろうが、それにしても上からじろじろと一方的に眺められるのは気分が良いものではない。

 あまり楽しい空気ではなかった。予想していたよりも、ずっと剣呑な雰囲気だ。

 まるで裁判における罪人のように、部屋の中心に立たされているのは、アリアだった。制服をきちんと着こなし、背筋を伸ばして口元を引き結んでいる。その横顔は固く険しい。

 おれたちの到着を待っていた、と言わんばかりに、めずらしく真面目くさった表情のグレアム先生が口を開いた。

 

「彼らも到着したことですし、どうでしょう? もう一度、現場の状況を聞いてみては」

「その必要はない! 結論は既に出ておるだろう!」

 

 でっぷりと肥えた口ひげの役人が、先生の発言を遮った。

 なんだなんだ。声だけ無駄にでかいな。

 

「現場の判断とはいえ、聖剣の無断使用は到底許されるものではない! これは我が国の貴重な財産を、身勝手にも奪い去る背信行為に等しい!」

 

 やっぱりか、と。糾弾されている内容に思い当たるところがありすぎて、ため息を吐きそうになった。

 隣のレオをちらりと見ると、無言で肩を竦められた。さもありなんって感じだ。

 聖剣をはじめとする遺物は、所有者を認めた場合、その人間にしか扱えなくなる。つまり、一度でもアリアが使ってしまった聖剣は、アリアが死なない限り、所有権が確定してしまう。もう他の誰かに譲ることはできない。おれがレオから釘を刺すように受けた説明には、それだけの意味がある。

 おれたちの任務は、あくまでも聖剣の回収。聖剣の使用は、当然の御法度である。

 まあ、おれはチャンスがあればパクってしまおうと思っていたわけだが……

 

「みなさん、落ち着いてください」

 

 上座でふんぞり返っている一団の中で、唯一といっても良いだろう。年若い理知的な顔つきの一人が、よく通る声を発した。紛糾しかけた室内の雰囲気が、それだけで静まり返る。

 あれは誰?と疑問を視線にしてレオに送ると「アリエス・レイナルド。大臣だよ」と口パクが返ってきた。なるほど。どうやらあのイケメンの兄さんが、今回のダンジョン探索を主導していた責任者らしい。まだ若いのにおっさんたちの中に混じっているのは、それだけ優秀な証拠ということか。

 

「当事者の意見を黙殺したまま、結論を急ぐのは良くありません。何か、申し開きはありますか? アリア・リナージュ・アイアラス」

「ありません」

 

 極めて簡潔に。

 アリアは言い切った。

 

「聖剣の使用は、現場にいた他の騎士たちを守るために、必要な判断でした。すべて、自分の責任です。申し開きはありません。どのような処分も、受け入れる覚悟です」

「なるほど。それは良い心掛けです」

 

 見下ろす視線が、憐れむような色を帯びる。

 少し、いやな目だなと思った。

 

「しかし……申し訳ないが、貴方の発言はこちらからしてみれば、ある意味開き直っているようにも聞こえます。結果は結果。起こってしまったことは仕方ありません。が、どうしてそうなってしまったのか。その理由を、我々は(つまび)らかにしたい」

「……仰りたいことの意図が、分かりかねます」

「単純な話ですよ」

 

 まず、共感を誘うような笑顔が朗らかだった。

 

「貴方は、我々が隣国からお預かりしている姫君という、地位ある立場だ。そんな貴方が、ダンジョン探索の任で我が国の防衛の一翼を担うはずだった聖剣の資格者になってしまった」

 

 次に、声の抑揚と波の作り方が絶妙だった。

 

「もしや最初から、()()()()()を目論んでいたのではないか、と。そう邪推してしまう我々の心境も察していただきたいのです」

 

 更に、身振りを交えた感情表現も豊かで。

 

「そして、可能ならばその疑惑はこの場でしっかりと晴らしておきたいのですよ。貴方と我が国、ひいては、()()()()()()()()の、これから先の良好な関係のためにも」

 

 最後に、それらの言葉の選択が、気味が悪いほどに完璧だった。

 総じてやはり、アリエス・レイナルドという大臣は好きになれそうにないと、おれは結論付けた。

 なるほど。彼の言っていることは、たしかに正論だ。

 しかし同時に、どうしようもない嫌悪感が喉の奥から込み上げてくる。これなら、さっきのように上辺だけ虚勢を張って怒鳴るような詰められ方をされた方が、よっぽどマシだ。母国の立場をちらつかせながら、責任の取り方を追求する言い回しは先程のハゲジジイよりも、遥かに陰険でやり辛い。

 

「……自分が、学友たちを助けたいと思い、行動したのは、自分自身の判断に依るものです。国のことは関係ありません」

「詭弁だ! こいつは最初から隙を突いて聖剣を奪い、自分のものにしようとしていたに違いない!」

「言われてるよ親友」

 

 レオが小声を添えて、おれを肘でつつく。

 こっち見んな。たしかに、おれはちょっと欲しいなって思ったけれども。

 それにしても、わざわざ呼び出しておいたわりに、おれたちのような外野の意見は最初から聞く気がないらしい。アリアに対して、さらに調子づいた大人たちの追求の声が止まらない。

 

「そもそも、だから受け入れるのは反対だったのだ!」

「やはり、所詮は妾の血筋か! 盗人根性が丸出しではないか!」

 

 一言。それが、痛烈に耳に木霊した。

 肩が強張ったのが、自分でもわかった。

 それは少しだけ、聞き捨てならない一言だった。

 

「ちょ……ダメだよ親友」

 

 レオの静止を振り切って、前に出る。何事か、と視線がおれに集中する。

 

「お言葉を返すようですが」

 

 しかし、剣のように真っ直ぐに。横に伸びた腕が、前に出ようとするおれを押し留めた。

 おれを止めてくれたのは、品のない言葉を浴びた張本人であるアリアだった。

 その横顔を見て、思わず固まる。頭が冷える。

 凛とした顔立ちが、綺麗だった。氷のような怜悧な表情を崩さないまま、薄い朱色の唇が言葉を紡ぐ。

 

「この身は皆様が仰る通り、国と国の信頼関係を保つために、担保として預けられたものです。気を遣って言葉を濁してくださっていますが……言い換えてしまえば、体の良い人質です」

 

 あえて言及が避けられていた部分に、アリアは自ら踏み込んだ。

 冷たい語気に、強気な笑みを添えて。

 

「逆にお尋ねしたいのですが……自分を人質扱いする母国に対して、義理立てする必要があるとお思いですか? そこまで、国のことを想っていると? 買い被っていただいて恐縮ですが、この身はそこまで清廉ではありません。ええ、何分……()()()()ですので」

 

 正しく、空気が凍った。

 アリア・リナージュ・アイアラスの、蒼い瞳は揺らがない。

 おれが内側に抱いていた熱は、それらの言葉だけですっと冷めてしまった。

 少し前までのアリアなら、下を向いて押し黙るだけだったかもしれない。あるいは、激情に身を任せて剣を抜き放っていたかもしれない。

 だが、今。おれの隣にいる女の子は違う。

 月並みな言葉だけれど。

 上から目線の言葉になってしまうかもしれないけど。

 強くなったな、と。そう思った。

 

「くくっ……ふふふ……はっははは!」 

 

 そして、奇しくもそれは、相手にも刺さったらしい。

 場にそぐない笑い声が、鋭利な容貌から漏れ出る。

 くつくつと肩を震わせて、年若い大臣は周囲の老人たちに気を遣うこともなく、笑っていた。

 

「れ、レイナルド殿!?」

「なにを……?」

「くくっ……いや、失礼。ご無礼をお許しください。アリア殿下」

 

 殿下、と。

 周囲を手で制し、レイナルドはアリアの名前に敬称を付け加えた。

 

「……いえ、こちらの返答が、お気に召していただけたのなら、なによりです。冗談を言ったつもりは、毛頭ありませんが」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。重ねて、ご無礼をお詫び申し上げます。そこまではっきりと胸の内を曝け出されては、こちらとしてもこれ以上追求することはできません」

「レイナルド……しかし!」

「他意はなかった、と。そう言い切れるのかね!?」

「野暮ですよ、みなさん。私は今、殿下を通じた国と国の信頼関係の話をしておりました。それを、こうも冷ややかに、興味がない、と。鮮やかに切り捨てられてしまっては、もはや反論は無意味。良いではありませんか。我が国にとっても、その方が都合が良い」

 

 しかも、と。

 次にレイナルドは、冷え切った視線を老人たちに向けた。

 

「皆様方が、揃いも揃って品もなく当て擦った生まれという出自を、他意がない論拠として逆に提示されたのです。これが戦の場であったなら、我々の完敗と言っても相違ないでしょう。違いますか?」

 

 侮蔑。軽蔑。

 その発言には人を見下す感情が、たっぷりと含まれていて。もはや押し黙るしかなくなった彼らを見て、レイナルドは薄く息を吐いた。

 

「とはいえ、貴方は聖剣の所持者になってしまった。その責任は、別に取っていただく必要があります。理解していらっしゃいますね?」

「はい。もちろんです」

「結構。では卒業後、貴方には少なくとも五年間、我が国に騎士として仕えることを確約していただきます」

「……」

 

 おれの方を振り向いた唇が、言葉を紡ぐ。

 

 ごめんね。

 

 短く、唇がそういう形に、動いた。

 アリア・リナージュ・アイアラスは強くなった。

 騎士として。一人の人間として。たくさんの人のことを想い、たくさんの人に想われて、強くなった。

 きっと、それはとても良いことで。

 きっと、それはとても喜ばしいことで。

 けれど、だからこそ。

 強くなったこの子を守りたいと、おれは思う。

 手をあげて、目配せをする。それだけで、グレアム先生は観念したかのように手を振った。

 構わない、という許可だ。

 

「失礼します。自分からも、よろしいですか?」

 

 割り込んで、言う。

 

「そもそも彼女が責任を問われている、使用許可もなしに聖剣を使った、というお話ですが……許可なら下りています」

「なに?」

「おれが許可しました」

 

 視界の片隅で、さらに先生が天井を仰ぐのがわかった。

 いやほんとに、ごめんなさい先生。

 

「貴様、何を言って……」

「彼女は、()()()()()です。そして、彼女に聖剣を渡したのも、おれです。現場における判断の責任を問うのであれば、それらの責はすべて、自分にあります」

 

 自分でも、驚くほど平淡な声が出ていた。

 騎士の責任は、主が取る。

 無茶な理由を、無理に通して、理屈に変える。

 

「そしてなにより……あの場で聖剣を引き抜き、彼女に渡して使うように指示したのはおれです。そうだよな? アリア」

「……」

「アリア・リナージュ・アイアラス。嘘偽りなく、答えてくれ」

「……はい。その通りです」

 

 アリアは、嘘を吐かない。

 

「レオ・リーオナインも、それを目撃し、聞いています。そうだな?」

「はい。彼が彼女に聖剣を渡す一部始終を、自分は見ておりました。責任を追求するなら、すべては彼にあるかと。自分は、アリア殿下を擁護するために、この場に馳せ参じた次第です」

 

 爽やかな笑顔で少しも見ていないことぬけぬけとほざくイケメンはめちゃくちゃ殴りたかったが、しかし今だけは我慢しよう。打ち合わせもなしに合わせてくれたのが、本当に有り難い。

 さすがはおれの親友だ。

 

「処分を、お願いします」

 

 大人たちが、頭を抱えていた。

 いいね。どうか存分に頭を抱えてほしい。

 あちらの狙い……というよりも、レイナルドの狙いは、最初から明白だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 アリアがこの国にやって来たきっかけ。三年間という、人質期間の延長。そんなこと、させるわけがない。

 こちらを見下ろすレイナルドの目を、見返す。アリアがもしも、生まれに関する発言で言い返さなかったら、さらに十年でもふっかけるつもりだったのだろう。あるいは最初から、アリアの発言を認め、身内を諌めて共感を誘い、提案を飲ませる腹積もりだったのかもしれない。

 

「その場合、きみには相応に重い罰が下ることになりますが、理解していますか?」

「はい。理解しています」

 

 そっちは最初から優位に立って交渉しているつもりかもしれないが、おれはそもそも交渉する気がない。

 ざまあみろ、というやつだ。

 

「つまり、きみは彼女の分まで、自分が責任を取ると。そう言うのですね?」

「はい」

「ちょっと待ってください! あたしは」

「アリア」

 

 近づいて、軽く肩を叩く。

 

「大丈夫だから」

「……」

 

 ずるい封じ込め方だったが、今のおれにはこれしかできない。

 

「わかりました。良いでしょう」

 

 微笑を浮かべて、レイナルド大臣が、おれの肩に手を置く。

 気安く触れないでほしかったが、払い除けることもできず、言葉を待つ。

 

「アリア・リナージュ・アイアラスの処分については見送りましょう。彼女は自由だ。その代わり、貴方からは騎士の資格を永久に剥奪し、今後、この議事堂に立ち入ることを禁じます。これは、あなたが二度と、騎士としてこの国の政治的なやりとりに干渉できないことを意味しています」

 

 微笑には、そのまま笑みを返した。

 元々、政治に関わる気はない。

 

「貴様を、騎士学校から追放する! 即刻、この場から出て行け!」

 

 レイナルドの言葉を引き継いで、おれの処分を告げる太い声が響き渡った。

 

 

 

 

 議事堂を出て、すぐ。

 追いつかれたアリアに、腕を掴まれた。

 

「なんで……こんなことしたの?」

 

 なんで、と言われても。

 その答えは、決まっている。

 

「アリアはおれの騎士だから。だから、絶対に渡したくなかったんだ」

 

 たとえ、相手が国であっても。

 

「ばか……」

「ごめん」

「ばか……ばか! ばか!」

 

 仕方ないから後は任せろ、と言いたげにレオが苦笑いしたので、その好意に甘えることにした。

 力が込められていない腕を、振り払う。振り返ることはしない。

 強くなった女の子は、泣いている顔をきっと見られたくないだろうから。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 そんな二人の少年少女を、窓から眺めていた人間……否、悪魔は深い溜息を漏らした。

 アリエス・レイナルドは、魔王の勅命を受けて王国に潜り込んだ最上級悪魔……最も誇り高き、十二の使徒の一人である。

 恵まれた容姿。

 巧みな話術。

 そして、反則的とも言える魔法。

 有り余る才覚と能力によって、宮廷内の闘争を勝ち抜き、着実に権力を手にしつつある恐るべき最上級悪魔は、自らの執務室に戻り、扉を締めた瞬間に、叫んだ。

 

 

「アァッ……(とうと)いっ!」

 

 

 悪魔は、ハジけた。

 己の内側に渦巻く、熱き情動。それを一声で発露させたアリエスは、励起する魔力によって全身の筋肉を膨張させ、身に纏っていた礼服を巡る魔力のみによって、破裂させた。

 より簡潔に表現すれば、上裸になった。

 

「リリアミラっ! リリアミラ! ミラぁ! ミラさぁん!? どこです!? いるんでしょうッ! 早く出てきなさいリリアミラぁ!」

「はいはいはい。おります、おりますからここに……ってあなた、なんで服脱いでるんですの!?」

「迸る感動と情熱が抑えらなかったのです……! この熱を、私は自らの内から発散させなければ、今にも爆発してしまいそうなのです!」

「うわ……」

 

 部屋の奥から出てきた少女……魔王軍四天王、リリアミラ・ギルデンスターンは、純粋な興奮によって上半身裸になっている同僚に引いた。それはもう、そのまま部屋の奥に引き戻る勢いで、大きく身を引いた。

 

「いや、あの……あなた……一体何をどうして、そんなに興奮しているんです?」

「愛ですよ」

「は?」

「愛……愛です! 互いを慈しみ、尊重し合う人間の麗しき心! その在り方を、私は今さっき、ありありと見せつけられたのです! ミラさぁん! あなたも議事堂でのやりとりは、私の耳を通じて一部始終、余すところなく隅々まで聞いていたでしょう!?」

「いや、まぁ……たしかに聞いてはいましたが……そんなに興奮することですか?」

「勿論! 無論! 当然です! あなたは人間だから理解できないのかもしれませんが! 我々悪魔からしてみれば、無償で相手を想うその行為……すべてが美しいのです!」

 

 うねうねと蠢きながら力説するアリエス。そろそろと距離を取るリリアミラ。二人は狭い部屋の中をぐるぐると回った。世界一くだらない追いかけっこだった。

 

「寄らないでくださいます?」

「ならば、私の感動を聞いて共有していただきたい! ここしばらく、宮廷内の腐った人間ばかり相手にしてきたのですっかり失念していました。少年少女の青い春……その関係性が、かくも甘酸っぱく、心の内に沁み入るものであったことを! 尊い! 実に尊い! 五臓六腑に沁み渡る尊さですよ、これは!」

 

 第四の牡羊。

 アリエス・フィアーという悪魔は、人間を愛している。

 というよりも、()()()()を、愛している。

 人が、人に対して抱く好意。

 自分たちには存在しないその感情に、アリエスは最大の敬意を払い、最上の憧れを抱く。

 勝手に一人で盛り上がっている悪魔をじっとりと横目で眺めて、リリアミラは嘆いた。

 

「わたくしを良い様に囮に使って、使える人間の手駒と同胞も失って。何の成果も得られなかったというのに、あなただけそんなに楽しそうなのは、なんというかおもしろくありませんわね」

「ん……何を言っているのです? 成果なら存分に得られたでしょう」

 

 興奮と感動に身を震わせていたアリエスの声が、一段落ちる。

 

「貴方は、騎士団長と直接対峙することにより、戦力の分析ができた。特に、グレアム・スターフォードは今後、我々にとって最も脅威になるであろう男です。いくら情報を取っても取り過ぎということはありませんし、そのためなら同胞の犠牲も安いものです」

「……」

 

 酷薄なアリエスの言葉に、リリアミラは黙って目を細めた。

 リリアミラとアリエスは、仲間だ。魔王を通じて、それなりの付き合いになる。性格も趣向も、好むものも、おおよそ理解しているつもりだ。

 しかしそれでも、悪魔が持つ二面性は、時として理解し難いことがある。

 

「あとはまぁ……有望な若い魔法使いは仕留められず、聖剣の入手にも失敗し、貴重な人間の手駒も失ってしまいましたが!」

「いや、これやっぱり後半だめじゃありませんか?」

「でも! けれども! それでも! 私はこれ以上ない尊さを得ることができました!」

「魔王様に報告するのが楽しみですわね。きっと怒られますわよ」

「ひゅぅぁ……!? たしかに、魔王様に怒られてしまう……」

「ええ。精々、こってりと絞られると良いでしょ……」

「魔王様に踏んでもらえる……!」

「………」

 

 アリエス・フィアーは、魔王という存在を心の底から、病的なほどに愛している。

 

「ああ、いつか私も魔王様に、あのように愛していただきたい……!」

 

 そして、人間のように愛されることを、心の底から望んでいる。

 

「やれやれ。変態の悪魔にいつまでも付き合っていられませんわ。用も済みましたし、わたくしは帰らせていただきます。うっかり、あの強すぎる騎士団長とまた出会ったりしたら堪りませんし」

「ええ、ありがとうございました。機会があれば、また少年少女の愛について語りましょう」

「あなたが一方的に語っていただけなんですが……?」

 

 アリエスは弾け飛んだ自分の衣服の残骸をいそいそと拾い集め、その中から封筒を抜き出した。

 

「おお、よかった。これは無事でした。個人的に無理を聞いてもらった代わりと言ってはささやかですが……今回の謝礼です。受け取ってください」

「はあ……あなた、馬鹿ですの? 誰が魔王軍の財源を管理していると思っているのです? こんな端金でわたくしを顎で使えるというのなら、二度と……」

「以前、私の屋敷で魔王様がメイドをした時の写真です。転写魔術による撮れたてほやほやですよ」

「アリエス。あなたという悪魔は本当に最高ですわ。困ったことがあればまたいつでも仰ってください。わたくし、協力は惜しみませんわ」

「感謝します」

 

 悪魔と人間の間に愛は成立しない。

 が、二人の間には間違いなく奇妙な友情が成立していた。




アリエス・レイナルド
 第四の牡羊、アリエス・フィアー。魔王軍四天王、第四位。
 人間大好き悪魔。カプ厨厄介オタク。ラブガチ勢。人に好かれるために話術を磨き、人に好かれるために笑顔を磨き、人に好かれるために心を磨いた、対人コミュニケーション能力の完成形とでも言うべき存在。バリバリのコミュ強。アリエスにとって愛は最も尊ぶべきものであり、人間の最も素晴らしい点は人を愛すること、その在り方であると信じて疑っていない。
 この世界にサイリウムがあれば確実に振り回していたであろう愚かな性癖を有する。


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そして、少女は勇者を託す

 やってしまった。

 完膚なきまでに、やらかしてしまった。

 やってしまったことは仕方ないとはいえ、沈んでいく夕日を見ていると、こっちの気分まで少し沈んでくる。ノリと勢いで、一国の大臣を相手に啖呵を切ってしまった。

 そのわりに、やってしまったことに対して後悔はしていないのだから、なんというか自分でも質が悪い。もしもおれがあの場に百回立ち会ったら、百回ともああ言っていただろう。

 アリアは怒っているだろうか? 考えなくても、怒っているに決まっている。というか、泣かせてしまったかもしれない。いやもうあれは声のトーンそのものが泣いていた。ばかって言われたし。そうです、おれがバカですごめんなさいと全力肯定したかったが、おれにも意地があるので仕方がない。こう見えても男の子なのだ、おれも。

 騎士学校からの追放。そして、騎士の称号の剥奪。

 先生は頭を抱えながら「なんとかする」と言ってくれたが、いくら騎士団長でもできないことはある。そもそも、アリアが処分される代わりにこちらが責任を取るという話なのだから、おれが何らかの処罰を受けなければ、筋が通らない。あの場で宣告された通り、この学校をやめなければならないのは確定と考えていい。

 

「やあやあ少年。元気かね?」

 

 肩を叩かれて、思わず咄嗟に振り返る。

 むにっと。

 おれの頬に、指が突き刺さった。

 こんなことをする人間を、おれはこの学校で一人しか知らない。

 

「……イト先輩」

「学校の屋上で夕日を見ながら黄昏れる……青春してるねぇ」

 

 そう言いながら笑うイト先輩の姿は、中々にひどいものだった。

 おれをからかってない方の手は包帯を巻いて吊り下げており、頭にも包帯がぐるぐると巻かれている。頬や膝といった体のあちこちにはガーゼが貼り付けられており、なんとも痛々しい。

 極めつけに、もう戻らない片目には、眼帯がしてあった。その片目でおれの顔を覗き込むようにして見ながら、先輩は聞いてくる。

 

「大丈夫?」

「その格好で大丈夫?とか聞かれると、こっちが逆に心配したくなりますね」

「あ、ワタシの心配してくれてるの? ありがとありがと。でもこの通り、元気ピンピンだよ。もう毒も身体からばっちり抜けたし」

「それはなによりです」

 

 聞いた話によると、レオが飲ませた解毒剤と応急処置が良かったらしい。ろくに戦えなかったことを不満気にぼやいていたが、人を助けるためにするべき処置を的確に行えるあいつは、なんだかんだやっぱりすごい。

 イト先輩は、入院着の上に羽織った制服のブレザーの袖をゆらゆらと揺らしながら息を吐いた。

 

「話は大体聞いたよ? なんでキミは、ああいうおバカなことをしちゃうのかなぁ」

「すいません。性分なもので」

 

 皆まで言葉にされなくても、追放処分の件を言っているのはわかった。

 

「それはワタシも、キミと一年間付き合ってきたからわかるけど……他に何か良い方法はなかったわけ?」

「ちょっと思いつかなかったですね」

「ちょっと思いつかなかったかぁ……それは、仕方ないね」

「はい。仕方ないんです」

 

 先輩は、また片目で笑った。

 それ以上、深くは聞いてこないのが、先輩のやさしさだった。

 

「それにしても、よくここがわかりましたね」

「んー? なんとなくここかなぁ……って。事の顛末はおじさんから聞いたから、多分学校で一人になれる場所を探してそこにいるだろうな、と」

「名推理です」

「うむうむ。ワタシは名探偵だからね。後輩の考えていることは先輩としてなんでもお見通しなのだよ」

 

 名探偵イト・ユリシーズの推理は、そこそこ当たっていた。

 しかもどうやら、おれの心情まで見透かしていらっしゃるらしい。まったくもって敵わない。

 

「それならそれで、そっとしておいてもらえると助かるんですが」

「え。やだ」

「即答で拒否?」

「だって、弱ってる後輩を慰めてあげるのは先輩の役目でしょ?」

「よく言いますよ。どうせ慰めに来たんじゃなくて、からかいに来たんでしょう?」

「うん」

「それも即答かよ」

 

 相変わらず良い性格してんな。

 

「その怪我でからかいに来ないでくださいよ。怪我人は大人しく寝ててください」

「大丈夫だよ。なんかいろいろ包帯とか巻かれてるけど、大きな怪我は目玉抉られたくらいだし」

「目玉抉られてるのは大丈夫じゃないんですよ。大怪我の自覚持ってください」

「先輩のきれいな顔が見れなくなってさみしいかね?」

「はい」

「即答なの!?」

「イト先輩の顔はきれいですからね」

「ああ、うん。たしかにワタシの顔はきれいだけど」

「少しは照れてくれませんか?」

 

 実際、少し一人になりたいと思ってここに来たのは、決してうそではなかったのだけれど。

 しかし、この先輩と話していると、そういうセンチメンタルな気持ちの沈み込みが、至極どうでもいいものに思えてきて。

 多分、それは先輩もそうだったのか。

 おれたちは数秒間、目線を合わせて無言のまま、同じタイミングで吹き出した。

 

「……ありがとね」

 

 唐突に感謝の言葉を贈られて、おれは聞き返した。

 

「何がです?」

「助けてくれて」

 

 少しだけ、声のトーンが変わったなと思った。

 

「先輩を助けるのは後輩として当然の責務ですよ」

「ほんとは、後輩を助けるのが先輩として当然であるべきなんだけど」

「油断することだってあるでしょう」

「油断、はしてなかったかな」

 

 静かな否定。

 自分を客観的に見ている口調だった。

 

「ワタシ、これでも結構強いつもりでいたんだよね。それこそ、魔王を倒して勇者になりたい。自分は勇者になれるっていう思う程度には、自分の剣に、魔術に、魔法に、自信を持ってた」

「過去形にしないでください。先輩は強いですよ」

 

 事実、おれはまったく勝てる気がしないし。

 しかし、先輩は困ったように笑って、言葉を続ける。

 

「でも、ワタシは負けた。キミが助けてくれなかったら死んでいた。で、キミはワタシが負けた相手に勝った。これは本当に、紛れもない事実なんだよ」

「それは結果です。結果だけで強さは語れません」

「いやいや、勝負の先にあるのは結果だけだよ。ワタシは負けて、死にかけた。キミは勝って、生き残った。うん。でも、それはまだ良いんだ」

 

 いや、もちろん負けたのはよくないんだけど、と。

 そこはやはり口の中で補足した上で、先輩は言った。

 

「ワタシ、あの時……()()()()()()って思っちゃったんだ」

「はあ?」

 

 間抜けな声だった。

 適当な返事が思いつかず、おれはそのまま間抜けな声を漏らしてしまった。

 やはり、その反応は先輩の告白に対して相応しくなかったのだろう。

 わかってねぇなコイツ、みたいな顔をして、黒髪が左右にぶんぶんと触れた。

 

「ねえ。ちゃんと聞いてる?」

「いや、聞いていますけれども」

「じゃあ、恥ずかしいけどもう一回言うよ。ワタシはね、あの瞬間。死ぬのがこわくなっちゃったの。死にたくないなって思っちゃったの。覚悟はできてるつもりだったのに、心構えはしているつもりだったのに……何も残せないまま死ぬのが、こわくてこわくて仕方がなかった。これ、世界を救う勇者としては致命的でしょう?」

「え。どうしてですか?」

「え?」

 

 多分おれたちは今、互いに「わかってねぇなコイツ」という顔をして、相手の顔を見ているのだろう。

 でも、今回ばかりはわかってないのは先輩の方だと思う。

 

「おれは、こわかったですよ。駆けつけた時、ボロボロの先輩を見て、先輩が死んじゃうんじゃないかって……すごくこわかった。だから、死物狂いで助けようとしたんです」

「……それは、うれしいけど、でも」

 

 騎士だから、とか。勇者だから、とか。そういう話ではない。

 今回は偶然、おれが先輩を助ける側だっただけで。逆におれが死にかけていれば、先輩は命を懸けておれを助けようとしてくれたはずだ。そう信じて疑わない程度には、おれは目の前に立つ先輩と、一年という時間をかけて揺らがない信頼関係を築いている。

 

「でも、じゃありません。おれがこわかったんだから、先輩がこわいのも当たり前です。そんな怪我までして、こわくない方がおかしいです」

 

 また、妙な間があった。

 でも、言われた言葉を咀嚼して、飲み込んで、理解する。そのために必要な時間だと思った。

 時間差で、言葉が沁み込んだようだった。

 

「……あー、もうっ……」

 

 ぽつり、ぽつり、と。

 落ちてくるのは言葉だけじゃなく、地面に点々と。涙の染みができた。

 おれが知っているイト・ユリシーズという先輩は、ドジで抜けていても、いつも笑っていて、飄々としていたのに。

 

「……どうして、そういうこと言うかなぁ」

 

 今、この瞬間。

 おれの目の前にいるのは、泣きじゃくる普通の女の子だった。

 

「そんなこと言われたら……そんな風に、言ってもらったら、ワタシ……ほんとに勇者になれなくなっちゃうじゃん。かっこよくない、かっこわるい先輩になっちゃうじゃん」

「いや、先輩は元々、自分で思ってるほどかっこよくないと思いますけど……」

「どうじでそういうごど言うの!?」

 

 うあぁ!?

 顔近いなもう! 駄々っ子か!?

 

「先輩はアホで抜けててドジでアホですけど」

「アホって二回言った!」

「……でも、みんなから尊敬されてますし、みんなが憧れてます。おれも、あなたに憧れています」

「……アホで抜けててドジなのに?」

「さり気なくアホ消さないでください」

「アホ二回必要なの!?」

 

 むしろアホが本体だろ。

 こちとら初対面がパンツ丸出しだぞ?

 

「でも、この学校のみんなが好きなのは、多分そういうありのままの先輩なんですよ」

「……ゼンラくんにありのままって言われると説得力が違うね」

「おれは今まじめな話をしているんですが?」

 

 台無しだよ。誰がフルチンだよこの野郎。

 でもまぁ……混ぜっ返したのは、多分照れ隠しなのだろう。ごしごしと目元を擦りながら、先輩は唇を尖らせた。

 

「あーあ……男の子の前で、はじめて泣かされちゃった」

「なに言ってるんですか人聞きの悪い」

「いついかなるときも常にスマイル!が、イト・ユリシーズの売りだったのに、どうしてくれるの?」

「こうしてやりますよ」

 

 はいはい、と適当にあしらいながら、目元をハンカチで拭く。擦ると腫れるからやめてほしい。美人が台無しだ。

 ついでに、一言添えておく。

 

「……先輩の笑顔はとても素敵ですけど。でも、いつも無理して笑っている必要はないと思いますよ。人間なんですから」

 

 きょとん、と。

 おれは至極当たり前のことを言ったはずなのだが。先輩は、今までで一番丸い目をしていた。

 

「泣きたい時は泣けばいいし、助けてほしい時は助けてって言えばいいんです。おれは勇者になりたいですけど、これから先も悲しいことがあれば普通に泣くと思いますし、助けてほしい時は助けてくれー!って。仲間に叫ぶと思います」

「それは……なんか、勇者としてかっこ悪くない?」

「かっこ悪くてもいいじゃないですか。かっこいいだけじゃ勇者にはなれませんよ」

「……そっかぁ」

 

 何が、先輩の腑に落ちたのか。

 何が、先輩の心に触れたのか。

 それはよくわからなかったけれど。

 それでも、先輩の中にある何かが切れた音を、おれはたしかに聞いた。

 

「じゃあ、仕方ない。かっこ悪い勇者は、きみに譲ってあげるよ」

「譲ってくれるんですか?」

「うん。ワタシは勇者じゃなくて……キミのかっこいい先輩で良いよ」

 

 ああ、うん。

 おれはやっぱり、この人が、こういう風に笑ってるのが好きだ。

 それでも一応、釘は刺しておく。

 

「無理にかっこつけなくてもいいですからね」

「年下には甘えられないなぁ」

「だから甘えてもいいんですって。ていうか、いつも周りに甘えてるでしょう? 生徒会の先輩方とかに」

「え?」

「……あれだけお世話されてて自覚ないのは相当ですよ、先輩」

 

 この人、おれに対してはいつも先輩風吹かせてくるけど、中身はめちゃくちゃ末っ子気質なんじゃないか?

 

「ふぇ……ふぇくしゅっ!」

 

 話している間に、日が落ちてきた。

 まだ春というには肌寒い風を受けて、先輩はぶるりと身体を震わせた。肩に羽織っている制服のブレザーの前を、少し寄せてあげる。

 

「あ、先輩。鼻水、鼻水出てます」

「ふぐっ……ちょっと、鼻かませて」

「子どもですか?」

「だって、甘えていいんでしょ? ほらほら、こんな美人に鼻水垂らさせる気?」

「鼻水垂らしてる状態で美人の自己申告できるのすごいですね」

 

 おれは少し屈んで、形の良い鼻にちり紙をあててあげた。

 最低限、騎士として身だしなみには気を遣うよう厳しく言われてきたので、ハンカチとちり紙を持ち歩く習慣はついている。というか、イト先輩が転んだり倒れたり転んだりして顔をぶつけることが多かったので、ハンカチとちり紙は手放せなくなってしまった。要するに先輩のせいだ。

 ちーん、と。恥も何も気にせず、鼻をかむ先輩は、なんというかやはり手のかかる小さな子どものようだった。

 やれやれ、と。

 ちりがみをしまって。

 溜め息を吐いて。

 顔が近くて。

 そして。

 顔が、あまりにも近いことに気がついた。

 それは、本当の本当に、一瞬のことで。

 気がついた時には、唇に熱が移っていた。

 

「……ごめん。したくなっちゃったから、しちゃった」

 

 ちょっとまってほしい。

 なんだ、それは。

 

「退学祝いだよ。それとも、追放祝いの方が良い?」

「さ、最悪だ……」

 

 それ以上、言葉が出てこない。

 

「あの、先輩……」

「なに?」

「おれ、はじめてだったんですけど」

 

 余裕なんてない。

 だから、いたずらっぽく、誂うように笑われるだろうと思った。

 けれど、イト先輩はどこか安心したように笑った。

 

「ふふっ……そっか。そっかぁ……よかった」

 

 気取らない。

 屈託のない。

 素直な笑顔。

 夕日が、まだ落ちていなくて良かったと思った。

 

()()()も、ね。はじめてだよ」

 

 そうか。

 これがこの人の素顔なんだな、と。

 おれはようやく、それがわかった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 熱い。

 自分の心臓の鼓動を、こんなにも熱く感じたことはない。

 声を出して、叫びだしそうになるのを、耐えて、堪えて、我慢して。

 アリア・リナージュ・アイアラスは、開きかけていた屋上の扉を、そっと閉めた。

 音を決して鳴らさないように。

 決して気付かれないように。

 それでも、なるべく早く離れられるように。

 階段を、逃げるように駆け降りる。

 沈む夕日とは裏腹に、少女の胸の中には、熱いものがいつまでも渦巻き続けていて。

 その熱を早く冷まさないと、自分の中の何かが、溶け落ちてしまいそうだった。




次回、騎士ちゃん過去編完結


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その旅立ちに、騎士たちの喝采を

 思い立ったが吉日、という言葉がある。

 追放を言い渡されたその日に、おれは一年間世話になった寮から出て行くことを決めた。下手に日にちを置くよりも、その方が良いと判断したからだ。

 

「これでよし、と」

 

 びっしりとカーテンを閉めた部屋の中は、ランプの明かりだけで薄暗い。

 もう少し手間がかかると思っていたが、荷物をまとめるのは案外早く済んだ。差し当たり必要なものは背負えば持っていける範囲に収めたし、もう必要ない学習用品や制服などは置いていくことにした。処分を任せるのは立つ鳥が跡を濁すようで心苦しいが、多めに見てもらおう。

 

「親友、ハンカチは持ったかい?」

「タオルならリュックに入れたよ」

「バナナはいるかい? おやつは必要だろう?」

「お前、追放を遠足だと思ってんの?」

 

 あまり認めたくなかったが、おれの荷造りが手早く済んだのは、このルームメイトのバカが部屋の片付けなど率先して手伝ってくれたおかげである。

 レオ・リーオナインは、どこに隠していたのかもわからないバナナの皮を剥いてパクついていた。なにバナナ食ってんだコイツ、張り倒すぞ。

 

「キミがいなくなると寂しくなるね」

「嘘つけ」

「本当だとも、ボクほど友情に篤い男はいないよ?」

「バナナ食いながら言うな。あ、そうだレオ」

「なんだい? やっぱりバナナ欲しくなったかい?」

「バナナはいらん」

 

 おれは既に畳んである制服の上に置いてあったそれを、レオに向かって放り投げた。

 入学して最初に、このバカから奪い取ったもの。この学校で最も強い、最上位の七人のみが身に着けることを許される、最強の証。肩幕である。

 いつもは涼しい表情ばかりのイケメンの顔が、めずらしく強張って固まった。

 

「……これは、どういうつもりかな?」

「どういうつもりも、クソもないだろ。それ、返しておく」

「こんな形できみから肩幕を返されることを、ボクが望んでいるとでも?」

 

 うーん。それを言われると、ちょっと弱い。

 おれも、レオとはもっと手合わせをしたかったし、正式な場できちんと決着をつけたかった気持ちがないといえば、嘘になる。

 でも、追放処分になったこの身の上で、レオと公的な場で戦う機会はもうないわけで。

 それなら、おれが勝ち取った肩幕は、コイツに返しておきたかった。

 

「じゃあ、預かっておいてくれ。で、おれが勇者になって戻ってきたら、もう一度。それを賭けて、決着をつけよう」

「……やれやれ、仕方ない。その時はちゃんと服を着ておくれよ?」

「当たり前だ」

 

 どうやら、納得してくれたらしい。

 リュックを背負うと、合わせてレオも立ち上がった。

 

「見送りはいいぞ」

「水臭いことを言わないでくれ、親友。そこまでは送っていくよ。友の門出を祝福するのは、騎士以前に人として当然のことだからね」

 

 夜になっても制服を着替えてもいなかったレオは、キザったらしくネクタイを締め直して笑った。

 そこまで言われてしまったら、断れない。親友の気遣いだ。お言葉に甘えるとしよう。

 ゆったりと部屋の扉を開けて、閉める。

 

「……なんか、静かだな」

「こんな深夜だからね。もしかして感傷的になっているのかい?」

「うるせえ」

 

 小声で言い合いをしながら、階段を降りる。

 寮の中はひどく静かだったが、玄関の扉の前には、人の気配があった。

 

「早いな。もう行くのか」

「……なんでいるんですか」

「お前なら、今晩必ず出発すると思っていたからな」

「先生、おれのことよくみてますね……」

「一年も面倒を見ていれば、そりゃ生徒の考えていることくらいわかるさ」

 

 どうやら、おれの先生はこちらの考えなど最初からすべてお見通しだったらしい。

 騎士団長、グレアム・スターフォードは鎧を身に着けた完全装備で、腕を組んでいた。いつもは快活なひげ面が、今晩に限っては少し険しい。

 

「すまなかったな」

「何がです?」

「生徒を庇い切れなかった。俺は指導者失格だ」

「先生のせいじゃありません。自分で決めたことですから」

「うん、まあそうだな。よくよく考えなくても、べつに俺のせいじゃないな」

「せめてもう少し粘ってくれませんか?」

 

 台無しだよ。

 何しに来たんだこのひげ面おじさん。おれをからかいに来たのか?

 とはいえ、気遣って見送りに来てくれたことには間違い無い。頭を下げて、礼を言う。

 

「ありがとうございます。わざわざ、見送りに来てくださって」

「ああ、それはべつに気にするな。俺だけじゃないからな」

「え?」

 

 疑問の答えを聞く前に、先生は玄関の扉を勢い良く開け放った。

 思わず、言葉を失う。扉の光景に、おれの疑問への明確な回答があった。

 手前から、点々と。温かいランプの光が灯って、広がっていく。

 学生寮の玄関から、一年間通った騎士学校への通学路。その街路樹と灯った光に沿って、ずらりと並び立っているのは、白い制服を着込んだ学生たちだった。

 数え切れない人数だ。

 同じクラスの同級生たち、だけではない。二年生も、これから卒業する三年生たちも。およそ考え得る限り、おそらく騎士学校の全生徒が、沈黙を保ったまま、整然と立ち並んでいた。

 寮の部屋に人の気配がなかった理由が、これだった。あまりにも単純な答えだ。寮の中には、一人も人がいなかった。最初から、全員が外にいて、おれを待ち構えていたのだ。

 

「どうどう? びっくりした?」

「会長。あまりはしゃがないでください。お体に障りますよ」

「いやあ、会長の気持ちもわかるぜ。後輩の驚いた顔ってのは、いつ見ても健康に良い」

「それに関しては同感だな」

 

 玄関のすぐ側には、見知った数人がいた。

 イト先輩だけではない。

 傷だらけの体を上から制服を羽織って誤魔化して、サーシャ先輩が、ジルガ先輩が、グラン先輩が、おれを見て笑っていた。

 

「先輩たちも……なんで」

「お前の考えなんて、俺だけじゃなく全員お見通しなんだよ。そして、なにより……お前を見送りたいと考えるのは、俺だけではなかったということさ」

 

 そう言って先生が笑う。

 おれは慌てて、レオの方を振り返った。

 

「レオ……お前、これ知ってただろ!?」

「もちろんだとも。しかし、サプライズは本人にわからないように仕込まなければ、意味がないだろう?」

 

 イケメンは、やはり飄々と素知らぬ顔で抜かした。仕掛け人がすぐ近くにいたというわけだ。まったくもって、やられたと言う他ない。

 先輩たちが、軽い調子でおれの肩を叩く。

 

「お前は、追放の身だ。今、この瞬間の門出に、俺たちは歓声も号砲も贈ることはできない」

「だから、私たちから贈れるものはこれだけよ」

「卒業生と在校生から、追放される馬鹿野郎に向けて、最後の餞別だ。しっかり目に焼き付けていきな」

 

 三人の言葉を受けて、イト先輩が微笑んだ。

 髪をポニーテールに括っているから、真面目モードであることはすぐにわかった。

 纏う雰囲気が、がらりと変わる。

 イト・ユリシーズは吊っていない方の腕を掲げて、生徒会長として号令を下した。

 

「──総員、抜剣」

 

 鞘から剣が引き抜かれる音が、幾重にも重なって夜の静寂に響く。

 壮観、という他なかった。

 号令に合わせて、騎士たちの腰から引き抜かれた剣が、高く掲げられる。一糸乱れぬ動きで、銀色の刃がまるでアーチのように道を形作る。

 月明かりを受けて輝くその銀光は、言葉も出ないほどに美しく、見惚れてしまうほどで。

 視界に入るすべての剣が、おれの門出のために捧げられたものだった。

 振り返ったイト先輩が、これ以上ないほど不敵に笑う。

 

「どうかな?」

「……どうもこうもないです」

 

 込み上げてくるものを、なんとか堪える。

 その剣で飾られた花道に向けて、一歩を踏み出す。

 

「こんなの、最高の餞別に決まってるじゃないですか」

「ふふっ……それは、よかったよかった」

 

 イト先輩とグレアム先生とレオと。肩を並べて、銀色のアーチを潜っていく。

 笑っている先輩がいた。泣いてくれている同級生がいた。言葉を交わさなくても、一人一人の顔を見て、前に進むことができる。それだけでも、おれには十分過ぎるお別れだった。

 

「先生」

「なんだ?」

「前に、おれに質問してくれたの、覚えていますか? どうして勇者になりたがるんだ?って」

「……ああ、そんなことを聞いた気もするな」

 

 あの頃は、勇者になるのに理由なんて必要ないと思っていた。世界を救うために戦うのは、当たり前だと考えていた。

 でも、今は違う。

 勇者になりたい、理由ができた。

 こんなにもやさしくて、すてきな人たちが生きている世界だから。こんなにもやさしくて、すてきな人たちが体を張って戦う世界だから。

 だから、救いたいと。そう思えるようになった。

 

「……勇者ってのは、どこまでいっても称号に過ぎない。それは、人々が名前に込めた祈り。理想を押し固めた、実態のない幻想のようなものだ」

 

 隣を歩く先生の瞳が、どこか遠くを見た。

 

「だから、お前が救いたいもの。お前が助けたいもの。お前が守りたいものに、中身が生まれたのなら……この一年は、無駄ではなかったと俺は思うよ」

「……はい!」

「べつに、わざわざ口に出して言う必要はないさ。思いは秘めるものだ。その気持ちは、胸にしまって持って行け」

 

 大きな手が、おれの背中を叩く。

 

「馬を回してある。とりあえずは、それで王都を出るといい」

「ありがとうございます」

「気にするな。これくらいは手間の内にも入らん。それよりも、これからどうする?」

「そうですね。まずは、仲間を探そうと思います」

「ほう」

「おれと一緒に前衛を張れるような騎士が二人くらいに、支援に長けた魔導師と……あとは、そうですね。死ぬような怪我をしても生き返らせてくれる回復のスペシャリストがほしいです。あと、できれば全員、魔法持ちがいい」

「お前……中々無茶を言うな」

「それくらい無茶を望まないと、世界なんて救えないと思いますから」

「くくっ。それは、そうだな」

 

 隣を歩く先生は笑って「それならちょうどよかった」と呟いた。

 ん? 今、ちょうどよかったって言った? 

 何がちょうどいいんだ? 

 

「一人目は、もう決まっているようだ」

 

 いたずらっぽい声音でそう言われて、ふと前を見る。

 馬を回してやる、と先生は言った。だが、誰が馬に乗って来る、とは一言も言っていない。

 芦毛の馬が、駆けてくる、新調した軽装の鎧を身に纏って、風に靡く金髪は月の光よりも眩しくて、思わず笑ってしまいそうになるくらい、その姿は様になっていた。

 目の前で、馬がぴたりと止まる。合わせて馬上から舞い降りた姫騎士は、おれの前で片膝をついた。

 

「……どうして」

「ご覧の通りです」

 

 優雅な一礼に、言葉を失う。

 

「未来の勇者様を、お迎えに上がりました」

 

 

 

 

 どうして、だなんて。

 今さら、そんなわかりきった質問をしないでほしかった。

 アリアは、顔を上げる。

 彼は言葉が出てこないようなので、こちらから声をかけてあげた。

 

「すごい顔してるね。びっくりした? あたしが、きみのことを黙って見送るとでも思った? 拗ねて、見送りに来ないとでも?」

「いや、それは……」

「そんなわけないでしょ。だって、あたしはきみの騎士なんだから」

 

 いろいろなことを考えた。

 自分が彼に着いていくのは、彼の気持ちを無下にするんじゃないか、とか。彼が好きなのは、本当は自分じゃないんだろうか、とか。そんなことばかりを、ぐるぐるとぐるぐると、頭の中で考えて。

 アリアはそれらが、すべてどうでもいいことに気がついた。

 理由なんて、もっと単純でいい。

 彼を一人きりで、行かせたくない。

 彼の隣にいたい。

 でも、置いていかないで、なんて。そんな言葉は、絶対に言ってやらない。

 

「一緒に行くよ」

 

 思いを、口にする。

 今はきっと、それだけで良い。

 この心の中の熱が、決して冷めないものであることは、もう痛いほどに自覚してしまったから。

 

「……多分、厳しい旅になる」

 

 確認をするように、彼は言った。

 

「うん。そうだろうね。だって、世界を救いに行くわけだし」

「辛いことも、たくさんあると思う」

「だから、あたしが支えてあげる」

「命の危険も、あるかもしれない」

「だから、あたしが守ってあげる」

 

 一つ一つ。確かめる。確かめて、埋めていく。

 それは、確認作業だ。

 最初から、気持ちは決まっていたいたけれど。それでも、必要な確認作業。

 

「最初に会ったときのこと、覚えてる?」

「……ああ」

 

 あの時は、朝だった。屋上から見上げる空には太陽があって、青空が広がっていて、白い雲が流れていた。

 でも、これから先の旅路には、太陽が見えない曇りの日もあるのだろう。雨の日も、風の日もあるだろう。

 太陽に照らされた、空の下だけではない。夜の闇の中を、歩いて行かなければならない。

 だから、この月明かりの下で、もう一度。

 これから勇者になる少年は、騎士の少女に向けて問いかける。

 

「アリア・リナージュ・アイアラスに、今一度問います。おれの騎士に、なってくれますか?」

 

 その声に、応えよう。

 その思いに、応えよう。

 

「貴方の言葉を待っていました。この身は、世界を救うその日まで、勇者の剣となることを……今一度誓いましょう」

 

 顔を上げる。

 差し出された手を取る。

 多くの騎士たちが見守る中で。

 勇者が、一人目の仲間を得た瞬間だった。

 

「ふっ……くく」

「……先生。なに笑ってるんですか」

 

 グレアムが堪えきれない笑いを吹き出しながら、彼の肩を叩いた。

 

「いや、なに。これはもう、どう足掻いても無理だと思ってな。諦めろ。いくら意地を張っても、お前の負けだよ」

「先生はそうやって、他人事だと思って……」

「そりゃあ、他人事だからな。特に、教え子の色恋沙汰は見ていて楽しみが尽きん」

 

 それは、完全に楽しむ口調だった。

 アリアはむっとグレアムを睨む。女性に弱いところがある師は、わかりやすく目を逸らした。

 からかうのは、別に構わない。

 たとえからかわれても、アリアには旅立つ前にやっておきたいことがあった。

 

「イト先輩」

「なに? アリアちゃん」

「そのリボン。あたしにくれませんか?」

 

 きれいな顔が一瞬だけ、きょとんとした表情になって。

 アリアの中にあるものを察してくれたのだろうか。イトは、ふわりとした笑顔で頷いた。

 

「うん、いいよ。あげる」

 

 自由に動く腕が、剣の柄を取る。

 アリアは、目を疑った。何をしようとしているのか、わからなかった。

 それに気がついた時には、止めるタイミングを失っていた。

 イト・ユリシーズは、片手で軽く引き抜いた剣で、ばっさりと。

 自身の長髪を、切って捨てた。

 

「せ、先輩!?」

「か、かかか、会長!? 御髪(おぐし)が!?」

「はいはい。みんな騒がない。たしかに髪は女の命だけどね。でも、これから旅に出る後輩に餞別を渡すんだから……()()()もこれくらいしないと、釣り合いってものが取れないでしょう?」

 

 うん、すっきりした、と。

 あくまでも飄々とした態度を崩さないまま、ショートボブのようになった頭を揺らして、イトは自身のリボンをアリアに手渡した。それは思っていたよりも使い込まれていて、けれど彼女がそれを大切に使ってきたことがいやでもわかった。

 アリアは、受け取ったそのリボンで、髪をイトと同じポニーテールの形に結ぶ。

 思っていたよりも、しっくりきた。というか、思っていた以上にしっくりきてしまった。

 

「うんうん。似合ってるよ」

「ありがとうございます」

「それ、汚してもボロボロにしてもいいけど、ちゃんと返しに来てね?」

「……はい。必ず返しに来ます」

 

 一礼をして、アリアはイトの瞳を見た。

 

「イト先輩」

「ん?」

「あたし、負けませんから」

 

 今度は、きょとんとしなかった。

 歳上なのに、子どもっぽい笑みが、わかりやすく口元に弧を描いた。

 

「望むところだ、と答えておくよ」

 

 尊敬する先輩と、固く握手を交わす。

 これでもう、思い残すことはない。

 

「儀式は済んだか?」

「はい。ありがとうございます」

 

 ポニーテールを揺らして振り返るアリアを見て、グレアムは微笑んだ。

 しかし、彼の頭を軽く小突きながら、騎士団長は続けて口を開く。

 

「さて、出発の前にもう一つ。やっておくことがあるな」

「はい? 何の話ですか?」

「お前の罪状を、一つ増やさなければならん」

「いや、先生。本当に何の話ですか?」

「おいおい、鈍いやつだな。お前は追放される身の上だぞ? そんな男に、一国の姫君が騎士としてほいほい付いて行けるわけがないだろうが」

 

 至極真っ当な意見を述べながら、騎士たちの輪が自然な形で、少年と少女を囲む。

 否、囲い込む。

 

「卒業試験だ。男なら、甲斐性を見せろ。欲しいものは、奪って行くくらいの気概でな」

 

 言われた意味を理解したのだろう。彼は息を吐きながら、頭を掻いた。

 勇者と騎士。その契約は、もう結んだ。

 だからこれは、さっきとは真逆。

 国を出る、建前として必要な儀式だ。

 少年と少女は、立場を入れ替える。

 彼がアリアの手を取って、地面に膝をつく。

 その姿はまるで、姫君に忠誠を誓う騎士そのものだった。

 

「アリア・リナージュ・アイアラス姫殿下」

「……はい。なんでしょう?」

「おれに、(さら)われてください」

 

 告白に、堪らず口元が綻んだ。

 彼のかしこまった口調が、おかしくて。でも、そんな些細なことが、愛おしくて。

 

「もう、仕方ないなぁ。今日だけ、特別だよ?」

 

 アリア・リナージュ・アイアラスは、ずっとずっと、お姫様扱いされるのが嫌いだった。

 籠の中の鳥、なんて。そんな風に自分を悲劇のヒロイン扱いする気はなかったけれど、己の身分と、それに付き纏う扱いを、好ましく感じたことなんてほとんどなかった。

 彼が、変えてくれた。

 彼と一緒に、変わることができた。

 だから、今夜だけは──

 

 

「はい、喜んで。勇者さま、あたしを攫ってください」

 

 

 ──自分は、彼だけのお姫様になろう。

 

「……よっしゃ!」

「きゃっ! ちょっと!?」

 

 膝まづいた姿勢から、自然に腰に手を回されて。アリアの身体は、彼に抱え上げられた。

 

「……あれ? アリア、なんか太った?」

「はぁ!? 太ってないです! 筋肉ついたんです! きみの方こそ、鍛え方足りないんじゃないの!?」

「はあ? おれのトレーニングは完璧だが? むしろこれからさらに筋肉をつける予定だが?」

「……」

「……」

 

 ひとしきり言い合って、しばらく見詰め合って、それから堪えきれなくなって、少年と少女は笑った。

 ようやく、いつも通りに戻れた気がした。

 

「じゃあ、先生。見てくれましたね?」

「ああ、たしかに見届けたぞ。極悪人の追放者が、隣国の姫君を口説くところをな」

「ひどい言い様だ……」

 

 彼の言葉を受けて、グレアムが楽しげに肩を揺らす。

 思い出に浸りながら、静かに王都を出る。本当はそんな出発が理想だったのだが、どうやらそう上手くはいかないらしい。

 名残惜しいが、お別れだ。

 

「わたしもすぐに偉くなって助けに行ってあげるから、待っててね」

「はい、イト先輩」

「ボクも同じく、だね。キミというライバルがいないと、張り合いってものがない。すぐに騎士として登り詰めてみせるよ」

「おう、そうだな」

 

 アリアを抱えたまま、彼はこの学校で最初に出来た友達の靴を、軽く蹴った。

 

「また会おうぜ、()()

「……ああ、もちろんだ」

 

 別れの言葉は、もう必要ない。

 

「さて……では、第三騎士団、総員に告ぐ」

 

 騎士団長であるグレアムの号令で、それまでニヤニヤと笑みを漏らしていた騎士たちが、訓練された動きで騎乗を開始する。

 そして、彼とアリアが、馬に背に跨った瞬間。

 すっ、と。大きく吸い込んだ息と共に、

 

 

 

「未来の勇者が、姫を(さら)っていくぞ! 全力で追い立てろ!」

 

 

 

 愛すべき馬鹿達の歓声が、爆発した。

 時刻が深夜であることを気にする者は、もう一人もいなかった。

 その声量に、その熱量に、背中を押し出されるようにして。二人を乗せた芦毛は、全力の疾走を開始する。

 

「……歓声も号砲も贈れない、ってさっき言ってたよな? 大嘘吐きもいいところだ」

 

 馬の手綱を握りながら、少年は嬉しそうにあきれた声を漏らした。

 

「いいんじゃない? こっちの方が楽しいよ」

 

 彼の腰にしっかりと腕を回して、アリアはその歓声に耳を傾けた。

 二人を取り巻く第三騎士団の団員たちも、やはり騒がしい。

 

「団長! この二人はどこまで見送ればいいんですか!?」

「街道を出るまで追うふりをすれば十分だ! そのあとは市街に散って、全力で捜索しろ!」

「捜索じゃなくて捜索するフリでしょう? 参ったな! オレたちはこれから、学生二人にまんまと逃げられるわけだ!」

「減給処分になったら恨みますよ、団長」

「うるさい! その時は全員奢ってやる!」

 

 団長の気前の良い宣言に、騎士たちからまた歓声の声が上がる。

 騎乗する馬の尻に鞭を入れたグレアムは、速度を上げて先頭に出た。

 

「さて、お別れだ。アリア、このバカの手綱をしっかりと握るんだぞ」

「はい。わかりました」

「おれが尻に敷かれる前提ですか!?」

「もちろんだ」

 

 そして、グレアムは彼に向かって拳を突き出した。

 

「お前が帰ってこられるように、俺も手を尽くす。この国を変えてやる。だから、無茶はするな。絶対に死ぬな」

「……はい」

 

 合わせた拳の力強さは、きっと男同士にしかわからないもので。

 

「──。勇者になって、帰って来い」

 

 片手は手綱を握り、片手は拳を合わせたせいで。

 彼の名を呼ぶヒゲ面の騎士団長は、瞳から溢れるものを拭うことができないようだった。

 しかし、彼もアリアも、それは見なかったことにした。

 

「……先生も、お元気で!」

「おう!」

 

 手を振って、グレアムの騎乗する一頭が離れていく。合わせて、並んで走っていた第三騎士団の騎士たちが、三々五々に散らばっていく。

 最後まで隣を走ってくれたグレアムの副官が、進む先を指差した。

 

「間もなく、街道です。お気をつけて」

「ありがとう」

「……待った! 右方向! あれは……憲兵隊か!?」

 

 尖った警告の声に、背後を見る。

 第三騎士団とはべつに、追ってくる濃紺の制服の集団があった。

 

「ああ、構えないでくれ! 見送りに来ただけだ! 敵意はない!」

 

 先頭を駆ける人物の叫びに、残り三騎ほどの団員たちが、困惑しながらも道を空ける。

 追いついてきた顔には、彼もアリアも見覚えがあった。

 

「よう、坊主。騒がしい夜だな」

「え……憲兵のおじさん!?」

 

 入学式の日、最初に彼を捕まえようとした憲兵が、馬の背中で笑っていた。

 

「なんです? おれを捕まえに来たんですか?」

「いや、何故か深夜に出歩いていたガキどもにはお灸を据えてきたがな。今日のお前さんは、捕まえることはできんよ。なにせ、きちんと服を着ているからな」

「そりゃどうも」

「なぁに、礼はいらん。それよりも、長旅になるだろう? 持っていけ」

 

 言いながら、並走する憲兵が馬上から投げ渡してくれたのは、しっかりとした作りの外套だった。彼とアリアの二人分。きちんと、二着ある。

 それだけでもう用は済んだとばかりに、並走していた馬は踵を返した。

 

「達者でな! 坊主と姫さん!」

 

 手綱を引き上げて、王都の治安を守る憲兵は振り返らずに、ただ一言。

 

「風邪ひくなよ」

「……はい!」

 

 そのたった一言が、本当に嬉しくて。

 お礼を言っても、言い切れないと思った。

 グレアムが用意してくれた芦毛は健脚が自慢のようで、凄まじいスピードで景色が流れていく。

 一年。長いようで、短い時間だった。

 思い出が詰まった街は、もう背後。けれど脳裏には、走馬灯のように、様々な記憶が湧き出してくる。

 駆け抜ける頬に感じる風は冷たく。

 月明かりが薄く照らす地平線の先は、まだ暗く。

 それでも、二人の胸の中に不安はない。この一年という時間の中で、たくさんの人から、貰い過ぎなほどにたくさんのものを貰ってきた。

 見送る側は、泣いても良い。

 旅立つ側は、笑っているべきだ。

 だからアリアは、笑顔で彼に言葉を投げる。

 

「二人きりになっちゃったね」

「ご不満かな? お姫様」

「ううん。不満も不安もないよ」

「そりゃよかった」

「これからどうする?」

「そうだなぁ。とりあえずは、王都から離れて、逃げれるところまで馬で逃げて、それから……」

 

 気負う必要はない。焦る必要もないと、師は言ってくれた。

 たくさんの人と出会って、様々な風景を見て、頼れる仲間を集めるために。

 そのためには……

 

「まずはどこかで、メシでも食おうか」

「うん。賛成!」

 

 前途は多難。先のことなんて、何もわからない。

 でも、それで良い。

 勇者と騎士の冒険は、ここからはじまる。

 

 ──さあ、世界を救いに行こう。




 彼の追放を黙って見送らねばならなかったのは、我が人生において、最大の痛恨といっても良い。
 それでもあの夜、処分を受け入れた彼は、朗らかな表情で私に笑いかけてくれた。あの笑顔を、私は親友として生涯忘れないだろう。
 たった一人の人間の双肩に、世界の命運を託してしまったことが、果たして正しかったのか。私には、未だにわからない。
 しかし事実として彼は魔王を打倒し、世界を救い、勇者となった。彼が振るった剣のおかげで、我々は今日、この世界を生きている。
 彼の名前を呼べる者は、もういない。
 彼は勇者になった。その事実は、もう誰にも変えることはできない。
 しかしだからこそ、私はかつて彼の名前を呼んだ一人の友として、宣言しよう。

 ──我が友愛は、永遠に不滅である。

〜勇者秘録・あとがき〜
著・王都第五騎士団団長 レオ・リーオナイン


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これまでの登場人物まとめ②

騎士ちゃん過去編は登場人物増えたしまとめを作るか!→どうして一万字を超えているんだ……これが幻術か?


◆勇者くん

・あだ名 全裸 ゼンラ

・年齢 16歳

・職業 学生→無職(勇者志望)

    七光騎士第七位(エフタ・エスペランサ)

・魔法 『黒己伏霊(ジン・メラン)

    『百錬清鋼(スティクラーロ)

    『燕雁大飛(イロフリーゲン)』←NEW!

・魔術属性 炎熱・迅風

・好きなもの 人間

・嫌いなもの 魔王

・備考 パンツの柄には拘るタイプ

 

 学生生活を基本的に裸でエンジョイしていた馬鹿勇者。この頃はまだまだ若くて無鉄砲な面が目立つ少年である。存外ノリは良い方で、レオやイトが振り回しているように見えて、自分から彼らを振り回すことが多々あった。騎士学校の文化祭ではパンツ一丁で芸出しを行い、違う意味で伝説を作った。そして伝説へ……。在学中に書いた反省文は十数枚ほど。わりと問題児。

 基本的な魔力操作や剣技、体の使い方は在学中にグレアムに師事して身につけた。防御に関しては百錬清鋼(スティクラーロ)に頼り切りだったが、グレアムの教えを元に戦闘中の駆け引きや思考を磨き、より深いレベルで応用できるようになった。

 もう思い出になるくらいの時間が経過した現在でも、屋上でイトにされたことに関しては未だに恥ずかしい模様。顔を合わせたらからかわれること必至。

 

・魔法『百錬清鋼(スティクラーロ)

 名実共に彼の代名詞とも言える、メインウェポンの魔法。自分自身を鋼の硬さに変化させることで、拳を文字通りの鉄拳に変化させたり、敵の剣を腕で受けたりと、高い汎用性を誇る。とはいえ、あくまでもその硬度は鋼に準ずるレベルに留まるので、鋼を貫くような攻撃を受けた場合は防ぎきれない。魔術を併用して一撃の威力を突き詰めたレオの槍や、地味にイトの魔法も天敵中の天敵である。

 グレアムから教えを受けて魔法のイメージを広げたことにより、軟体が特徴のスライムを硬化させて動きを止めたり、本来は鋼の硬さ以上の物体の防御力を逆に()()()ような使い方をしたりと、『硬化』の性質を持つこの魔法を、より幅広く柔軟に使用できるようになった。

 

・魔法『燕雁大飛(イロフリーゲン)

 ゲドから名前と共に奪った魔法。投げたものを目標に『的中』させる……というのが基本的な使い方だが、こちらも様々な形で応用が効く便利な能力。後のエルフ族の長老との戦闘では、これがなければ間違いなく死んでいた。

 

・他の人物への矢印

アリア←自分の騎士。とても大切だし、大切にしたい

レオ←悪友で親友。なんだかんだ一番仲が良い

イト←放っておけない先輩。お願いだから無茶をしないでほしい

グレアム←戦い方を教えてくれた先生。いつか倒したいが、ちょっと強すぎる

ナイナ←厳しいけど良い担任の先生。えっちですね

ジルガ←良い先輩。ちょっとメシ奢ってください

サーシャ←良い先輩。ちょっとこわい

グラン←良い先輩。ちょっと性癖が歪んでいる

 

 

◆騎士ちゃん

・名前 アリア・リナージュ・アイアラス

・年齢 16歳

・職業 学生

    七光騎士第三位(トリス・エスペランサ)

・魔法 『紅氷求火(エリュテイア)』 

・魔術属性 なし

・好きなもの 友達 先輩 喫茶店巡り 放課後遊びに行くこと 全裸のバカ

・嫌いなもの 弱い自分

・備考 アイアラス家第三王女

 

 自己肯定感よわよわバトルつよつよプリンセスナイト。過去編のメインヒロイン。この頃の髪型は金髪ハーフアップ。明るくよく笑う現在よりもちょっと暗く、自分に自信のない性格だった。しかし、一年という時間を掛けて、心の中にあった暗い感情を克服。同時に、ずっとわからなかった自身の魔法の名を知ることにも成功した。

 作中ではあまり触れられなかったが、グレアムから習うことはしっかり習っており、彼の「なんか大剣二本持った方が強そうじゃね?」というアドバイスを元に、二刀流の技術の下地をこの頃から磨いている。後に水の聖剣を手に入れたことにより、勇者を守る騎士のスタイルは完成した。

 イトは敬愛すべき先輩であり、同時に恋のライバルでもある複雑な関係。魔王を討伐した後、約束通りイトにリボンを返しに行った際には、最もすぐ側にいたのに勇者を守れなかった後悔を先輩に対して吐き出し、泣いて泣いて泣きまくった。イトはアリアの泣き顔を一晩中眺めて慰め頭を撫で続け、翌朝には新しいリボンをプレゼントした。なので、アリアの髪型は未だにポニーテールであることが多い。揺れるリボンには、先輩への尊敬がたくさん詰まっている。それはそれとして、イトが今でも彼のことが好きなのか気になって仕方がない。

 

・魔法『紅氷求火(エリュテイア)

 アリアの固有魔法。当時、アリアは己の魔法を触れたものの温度を上げる能力として認識しており、そのような使い方しかできなかった。が、グレアムの指摘や様々な経験を得て、温度を上げるだけでなく引き下げることもできることに気付き、魔法の本質に一歩近付いた。

 能力の発現時期は魔法使いによって様々であり、最初から己の魔法名を知る人間もいれば、十数年の時間を掛けて魔法と向き合う人間もいる。術式のシステムが細かく解明されている魔術とは異なり、魔法に関しては研究の進んでいない未知の部分がまだ多い。いずれにせよ、己の魔法の名を知ることは、魔法を使いこなすために必要不可欠なプロセスであると言える。

 

・他の人物への矢印

勇者くん←隣にいたい。ただそれだけ

レオ←なんだかんだと仲が良く、手紙のやり取りが続いている

イト←尊敬する先輩であり、恋のライバル

グレアム←戦い方を教えてくれた先生。いつか倒したいが、ちょっと強すぎる

ナイナ←厳しいけど良い担任の先生。グレアム先生と早くくっつかないんですか?

ジルガ←良い先輩。素直じゃない人

サーシャ←良い先輩。イトのことが好きな人

グラン←良い先輩。事務処理の師匠。現在のアリアの領地に取引で訪れることもある

 

 

・名前 イト・ユリシーズ

・年齢 18歳

・職業 学生→王都第三騎士団団長

    騎士学校生徒会・会長 

    七光騎士第一位(ミア・エスペランサ)

・魔法 『蒼牙之士(ザン・アズル)

・魔術属性 炎熱・流水

・好きなもの 読書 昼寝 三時のおやつ 勇者

・嫌いなもの 事務作業 自己鍛錬 労働 戦闘 働くこと全般 人参 ピーマン キノコ 苦い食べ物 グレアムが脱いだ靴下 弱い自分

・備考 年下好き(お姉さんぶれるため)

 

 黒髪ロング前髪ぱっつんポニテ最強帯刀系ドジっ子生徒会長。どこからどうみても盛り過ぎな属性の先輩。

 騎士学校入学時から高過ぎる実力と抜群のカリスマを存分に発揮し、瞬く間に学生騎士の頂点に登り詰めた才女。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花……といって差し支えないほどに外見も整っているが、実際は立てばすっ転び、座れば居眠りをし、歩けばやはりすっ転ぶほどの社会不適合者。平時は基本的に無能であるため、生徒会メンバーが全力でお世話することでなんとか普段の業務が回っている。そしてお世話されている本人も満更ではない。見かけと立場に依らず『美人』というよりも『可愛い』寄りの性格。天性の愛嬌で、人を惹き付けるタイプである。

 イトという名前は、死んだ姉のもの。過去に生まれ育った村を襲われ、その際に瀕死の重傷を負うが、ジェミニの魔法によって、心を移し替えられ、姉の身体と名前を受け継いで生きていくことになった。魔王の存在を強く憎み、魔王を倒す勇者になることに、固執していた……が、とある後輩の一言で迷いを絶ち切った。

 実際の戦闘では、軽い身のこなしで魔術用紙(スクロール)に仕込んだ魔術をばら撒きつつ、相手を撹乱。接近した後、魔法によって確実に仕留めるスタイルを取る。これは、姉の体に染み付いていた剣技と自身の本来の得意分野である魔術を組み合わせた結果。また、魔法効果との相性から、騎士にとって一般的な両刃の(ソード)ではなく、細い片刃の(ブレード)を好んで使用している。

 敗北と死への恐怖から「自分は自分らしく在れば良い」ということに気がついた後は、勇者への執着を捨てて、その称号を後輩に譲ることを選んだ。卒業後は騎士として頭角を表し、十数年ぶりの女性の騎士団長に就任。グレアムから第三騎士団を引き継ぐ形で預かっている。魔術剣士とでも呼ぶべき本人のスタイルもあってか、騎士の戦場における魔術の運用理論を積極的に記述して提出しており、シャナとは面識と交流がある。

 

・魔法『蒼牙之士(ザン・アズル)

 イトの固有魔法。イトが振るう武器に絶対的な『切断』効果を付与する。この魔法により、彼女の剣戟はその全てが必殺の斬撃と化す。キャンサーの魔法を上から斬り裂いた事実からわかる通り、その攻撃性能は数ある魔法の中でも一級品。概念的な防御すらも、断ち切ってしまう。初見殺しとしても申し分ない能力であり、イト・ユリシーズという剣士の強さを根底から支える魔法である。

 この魔法の真価はもう一つ上の段階にあり、騎士学校を卒業したイトは自身の魔法を見つめ直し、磨き上げて騎士団長に相応しい実力を得た……つまりまた強くなった。現在の勇者くんが普通にタイマンをした場合、無策ではおそらく負ける。

 

・魔眼『真紅の真珠(アル・アイン)

 イトの魔眼。魔力を色によって識別することが可能で、ある程度の範囲内であれば壁や障害物越しに索敵も行える。特に姿を隠したり変化させたりする魔術に対しては効果覿面で、キャンサーもこの魔眼によって正体を見破られ、しばらく泳がされていた。

 イトが元々持っていたものではなく、グレアムの紹介で移植されたもの。外科的な魔眼の移植は高いリスクと拒否反応を伴うため、普通の人間は拒むことが多いが、イトは平然と受け入れた。魔眼はそれそのものが高い価値を持っているため、王都に屋敷を買ってお釣りがくるほどの金額になる。ゲドが金銭目的で眼を奪い取ったため、現在のイトはこの魔眼を保有していない。

 

・他の人物への矢印

勇者くん←かわいい後輩。好き

アリア←かわいい後輩であり、ライバル。いつか決着を付けたい

魔王←殺したい。殺し損ねた

レオ←かわいい後輩。現在はおもしろい同僚

グレアム←色々な意味で恩人。足が臭い

ナイナ←厳しいけど良い先生。それはそれとしてグレアムおじさんと早くくっついてください

ジルガ←からかうとおもしろい。面倒見が良くて好き

サーシャ←仲良し。現在は頼れる副官

グラン←頼れる同級生。もっと笑えばいいのにと思っている

シャナ←うわ、この子も多分後輩くんのこと好きじゃん。黙っとこ……

 

 

・名前 レオ・リーオナイン

・年齢 16歳

・職業 学生→王都第五騎士団団長

    七光騎士第七位(エフタ・エスペランサ)

・魔法 不明(卒業後に使用するようになった)

・魔術属性 迅風・流水

・好きなもの 人との会話 かっこいい自分 執筆 家族 官能小説 勇者

・嫌いなもの 〆切 悪魔

・備考 下ネタ好き 巨乳好き

 

 金髪イケメン爽やか親友枠の槍使い。新入生次席なので、実は魔法無しでアリアに次ぐ実力を誇る秀才。ペラペラとよく喋るタイプの残念なイケメンであり、喋っているとすぐにボロが出る。

 入学してすぐに七光騎士第七位(エフタ・エスペランサ)の称号を獲得したが、全裸のバカに負けて一日で剥奪された。三日天下ならぬ一日天下。全裸のバカが追放処分になったあとは、彼から七位の肩幕を引き継ぎ、実力的にはもっと上位であるにも関わらず、卒業までその地位を守り続けた。なんだかんだと義理堅いところがある様子。

 戦闘では大型の戦槍(ランス)を使用。迅風系の魔術を併用した強烈な突きは、全裸のバカの百錬清鋼(スティクラーロ)を貫く威力を誇る。卒業した後も愚直に研鑽を積み、現在では槍の扱いで並ぶ者は居ないと称されるほど。

 副業(と趣味を兼ねる形)で小説の執筆を行っており、勇者の青春時代を回想する形で綴った『勇者秘録』はベストセラーとして大ヒットを記録。元々裕福な家の生まれだったが、騎士をしなくても遊んで暮らせるほどの財産を築き上げた。部下たちに奢ったり孤児院を建てたりして散財しながら、現在も続編を執筆中。

 余談ではあるが、調子に乗って、レオ・リーオナインとは別名義で『触手天獄〜秘する花が散る時〜』という官能小説も出版しており、そちらは見事に歴史的大爆死を記録。続刊の目処が一切立っていない。さらに余談ではあるが、全裸のバカ勇者はどちらもしっかり購入し、前者は本棚に飾り、後者はベッドの下に隠してある模様。

 

・他の人物への矢印

勇者くん←親友。心の友

アリア←良き女友達。早く親友とくっついてほしい

イト←おもしろくて良い先輩。しかし、自分は勇者×騎士派なので、親友にちょっかいはかけないでほしい

グレアム←趣味が合うおじさん

ナイナ←先生ってエッチですよね

ジルガ←妹モノですか。良いですね

サーシャ←百合ですか。良いですね

グラン←触手モノですか。良いですね

シャナ←すまない。貧乳は好みではなくて……

 

・名前 グレアム・スターフォード

・年齢 24歳

・職業 王都第三騎士団団長

    →王都第一騎士団団長

    王宮付筆頭騎士

    騎士学校実戦指導特別顧問

・魔法 不明

・魔術属性 迅風・炎熱

・好きなもの 肉 酒 筋トレ 銀髪で胸がでかい色気のあるキツそうな見た目の女

・嫌いなもの 魔王 貴族 王族

・備考 老けて見られるのが密かな悩み

 

 ヒゲ面最強マッスルナイトおじさん。王都最強との呼び声も名高い騎士団長。親しみやすい性格で部下から信頼も篤く、飲み屋に足繁く通っているので、民衆からの支持も得ている。ただし、平民出身なので貴族派閥からのウケは悪い。肩書や実績は仰々しいが、その実態は、よく食べ、よく飲み、よく笑うタイプの面倒見の良い明るいおっさんである。

 肉体の魔力強化に関して飛び抜けた才覚を持っており、繰り出す攻撃のどれもが素早く、重い。剣を振るえば斬撃一つで敵が吹き飛び、ハンマーを振るえば一撃で城壁に穴が開く。「速くて重い攻撃が最強」という勇者の戦闘における脳筋思考を形作る一因にもなった、最強の騎士。戦闘では様々な武装をシチュエーションに応じて使い分ける頭脳派な一面も。頭の良い筋肉。

 勇者パーティーのメンバーを除いて、魔王と直接対峙し、生き残った数少ない一人。彼以外の五大騎士団の団長は全員が魔法持ちであったにも関わらず無惨に殺され、全滅したが、グレアムだけは生き残った。その後は筆頭騎士として第一騎士団の団長に就任し、王都の戦力の再編に尽力する。

 教え子に魔王との決着を委ねてしまったことが、未だに心残り。

 

・他の人物への矢印

勇者くん←教え子。勇者になってくれて嬉しいが、同時に彼の現在については苦々しく思っている

アリア←教え子。関係が進展したのか気になって仕方がない

魔王←殺したい

レオ←おもしろい教え子。現在はおもしろい同僚

イト←色々な意味で娘のようなもの。ウザがられるのが最近つらい

ナイナ←幼馴染であり昔のクラスメイト。良い先生になったなと思っている。30過ぎて互いに独り身なら一緒になるか?

サーシャ←イトの副官。ちょっと仲が良すぎないか?と思っている

シャナ←騎士団長の一人を笑いながら足で踏んだと聞いて「次は俺も踏まれるんじゃないか?」とちょっと警戒している

 

 

・名前 ジルガ・ドッグベリー

・年齢 17歳

・職業 学生

    七光騎士第六位(ヘキサ・エスペランサ)

    騎士学校生徒会・書記

・魔法 なし

・魔術属性 迅風

・好きなもの 人との食事 家庭菜園 妹

・嫌いなもの 家族を蔑ろにする人間

・備考 サーシャのことがちょっと好き

 

 マイルドヤンキー世話焼きかませ犬先輩。七光騎士第六位。通称『双剣のジルガ』。二年生でありながら、七光騎士の中でも屈指のスピードを誇る二刀流の特攻隊長。よく最初に突撃してよく負ける。趣味は園芸で、生徒会室のお花を育てている。担当業務は書記で、見かけによらずかなりマメな性格。後輩からも「悪いのは口だけ」と専らの評判。

 両親とは死別しており、唯一の肉親として病気の妹がいる。騎士になったのも、妹の治療費を稼ぐためというヤンキーマンガのような理由。騎士学校に通っていた当時は治療の見込みがなかったが、騎士団長に就任したイトやレオが揃って世話を焼きまくった結果、現在は無事に回復。妹と二人で暮らせるようになった。

 

 

・名前 サーシャ・サイレンス

・年齢 18歳

・職業 学生→王都第三騎士団副団長

     七光騎士第五位(ペンテ・エスペランサ)

    騎士学校生徒会・広報

・魔法 なし

・魔術属性 流水・砂岩・迅風

・好きなもの イト 紅茶 インテリア 魔術研究

・嫌いなもの 時間を守らない人間(イトは別) だらしない人間(イトは別) 仕事ができない人間(イトは別)

・備考 イトのことが好き

 

 クレイジーサイコレズクールビューティ先輩。七光騎士第五位。通称『静寂のサーシャ』。担当業務は広報。魔術の扱いに長けた魔術騎士で、中距離から近距離まで幅広く活躍できるバランサー。趣味はイトのお世話で、朝起きたら髪を梳かすところからはじまり、大体の身支度を手伝っている。用意した最高級の茶葉を床にぶちまけられても、買い占めた最高級のティーセットを全部割られてもめげない、一途な女。ゆるユリ。

 入学当初、友達ができず、剣術でも伸び悩み一人で苦しんでいたサーシャの前に(ネコを追いかけていたらすっ転んで頭を打って気を失う形で)現れたのがイトだった。この子、一人だとダメそう……と母性本能を刺激されたサーシャは、そのままイトの強烈な強さのギャップに惚れ込み、魔術と剣を併用する彼女のスタイルを模倣。それまでのスランプがまるで嘘であったかのように、急激に腕を上げた。やがて君になる。

 卒業後も順調に騎士としてのキャリアを積み上げ、現在ではイトの右腕として、第三騎士団の副団長に就任。あまりにも緩すぎる団長に代わって、団員たちを締め上げつつ、良きパートナーとして活躍している。私の百合はお仕事です。

 

 

・名前 グラン・ロデリゴ

・年齢 18歳

・職業 学生→ロデリゴ商会代表

    七光騎士第三位(トリス・エスペランサ)

    騎士学校生徒会・会計

・魔法 なし

・魔術属性 砂岩

・好きなもの 貯金 各地の名産品 小説 官能小説

・嫌いなもの 犬(お尻を噛まれたことがある)

・備考 胸より尻派

 

 鉄面皮むっつりスケベ常識人先輩。七光騎士第三位。通称『鉄壁のグラン』。一年生の時から七光騎士の座を譲らず、守り続けてきた高い実力の持ち主……だったのだが、アリアに負けて第三位の座からは退いた。レオと同じく、実家が商家を営んでおり、趣味は貯金。担当業務が会計だったので、事務処理スキルをアリアに引き継ぐ形で容赦なく叩き込んでいる。ある意味アリアの師匠。後に彼女が領地を運営する立場になった時、グランから教わったことはとても役に立ったらしい。

 卒業後は家業を継ぐことを選択。各地の名産品の取引や、販売ルートの確立で堅実な才覚を発揮しており、同じく運送会社を営むリリアミラとも顔馴染みだったりする。この人乳デカいな、と思っていても口には出さない。余談ではあるが、レオの官能小説は三冊買ってサインも貰った。

 

 

・名前 ナイナ・ウッドヴィル

・年齢 25歳

・職業 騎士学校教員

・魔法 なし

・魔術属性 炎熱

・好きなもの 生徒 チョコレート トレーニング

・嫌いなもの ヒゲ面でデリカシーに欠ける自分より強い男

・備考 そろそろ結婚しろと実家がうるさい

 

 銀髪ロング褐色巨乳先生。真面目で優しい性格。厳しくも親切で丁寧な指導が評判で、生徒たちからの人気も高い。男子生徒に惚れられること多数。生徒からのラブコールはクールにすげなくあしらっているが、婚期については若干の焦りがある。

 学生時代は風紀委員であり、メガネをかけていて銀髪ツインテールで、現在よりもさらに融通の効かない性格だった。グレアムとは騎士学校に入学する前からの幼馴染で、疎遠になったりならなかったりしながらなんだかんだと腐れ縁が続いている。雨の日に一緒の傘に入ったり、実戦訓練で庇われてお姫様抱っこされたり、卒業式の日に二人きりになったり、たまに王都の居酒屋でサシ呑みしたりしているが、グレアムとは何もない。ないったらない。

 

 

〜魔王軍陣営〜

 

 

・名前 ゲド・アロンゾ

・年齢 29歳

・職業 盗賊・傭兵

・魔法 『燕雁大飛(イロフリーゲン)

・魔術属性 なし

・好きなもの 酒 女 金

・嫌いなもの 船 空 弟

・備考 一時期は盗賊団を率いていたが、性に合わずに個人に戻った

 

 生の実感を得たいタイプの快楽刹那主義盗賊。酒と女と金に溺れて死ねればそれで良いと思っているタイプのどうしようもない人間だが、受けた依頼に関してはかなり堅実にこなす。アリエスからもその仕事ぶりを高く評価されており、上級悪魔以上に使える人間の駒として重用されていた。

 経験に基づいた高い近接戦能力。相手の魔法の性質を見抜く鋭い判断力。不意打ちされても即座に立て直す強い精神力を合わせ持っており、対人戦においてはかなり厄介な存在。後述する魔法の応用も柔軟性に富み、本人の資質以上に磨き上げられた実力で最上級悪魔を単独で屠ったイトを完封した。が、全裸のバカの乱入によって作戦を狂わされてしまい、魔法を覚醒させたアリアの一撃で半身を焼き尽くされ、敗走。最後は勇者によってトドメを刺された。

 勇者が殺した二人目の人物。慣れるにはちょうどいい悪党で良かった、とは本人の遺言。

 

・魔法『燕雁大飛(イロフリーゲン)

 ゲドの固有魔法。基本的には投げたものを的中させる魔法として用いているが、その本質は自分自身と触れた対象を定めた目標に向けて『射出』することにある。視界の範囲内であれば、ゲドが触れたものは重力を無視し、物理法則を超えて必ず対象に的中する。毒針を回避不能の必殺として用いたり、敵の体を接触の瞬間に後方へ強制的に射出……さながらノックバックさせるように活用したりと、熟れた扱いで全裸のバカを追い詰めた。

 視線の先、見える場所までしか飛ぶことが許されない翼。盗賊の心は、勇者がその名を拾い上げて、最後に空を舞った。

 

 

・名前 アリエス・レイナルド

・年齢 28歳(外見年齢)

・職業 王国大臣

    四天王第四位

・魔法 『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)

・魔術属性 氷雪・流水

・好きなもの 人間の愛 コーヒー 魔王

・嫌いなもの 品のない悪魔 臭そうな人間

・備考 人間ガチ勢 魔王ガチ勢

 

 人間の愛をラブするタイプのカプ厨悪魔。第四の牡羊。アリエス・フィアー。魔王軍四天王第四位。交渉、話術などの対人スキルが異様に優れており、王都で頭角を表し、宮廷内の政治に深く食い込んでいた。当時の国王からの信頼も篤く、そのまま放置されていれば、間違いなく王国は悪魔の国になっていた。内政干渉特化型とでも言うべき恐るべき存在。位階は最低でありながら、正体を巧みに隠す立ち回りによって勇者パーティーが最後まで倒せなかった四天王の一人である。

 話術や観察眼はアリエスが元々持っていた資質ではなく、人と関わる中で独学と経験によって身につけたもの。人間との契約によって動く悪魔とは異なり、打算抜きの激しい情動を見せてくれる人間の愛に深い興味を持ち、心の底から愛している。人間を愛し、人の愛を尊ぶかなり珍しい悪魔の一柱。

 その本質は、興奮すると早口になり、筋肉を膨張させて上半身裸になるタイプのめんどくさいカプ厨オタク。魔王に対する愛情も深く、積極的に忠誠心をアピールして足で蹴られるまでがセット。もちろん彼にとってはご褒美以外の何物でもない。

 総じて強力で厄介な悪魔だったが、後にグレアム・スターフォードが単独で討伐した。

 

・魔法『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)

 アリエスの固有魔法。触れた相手に対して口述で宣言を行うことで、指定した行為・事象を『禁止』する。最上位の魔法は触れられた時点で勝負が決まってしまうことも多いが、晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)もその例に漏れず、接触のみで相手を即死させることが可能な魔法の一つ。極端な例ではあるものの、例えば「呼吸を禁止」されてしまえば、どんな人間でも必ず死に至る。

 禁止する行為・事象には一切の制限がない、最上位の呪いに近い性質。話してもわからない相手や秘密を守りたい事柄に関しては、アリエスはこの魔法を積極的に使用。自身の正体を明かしながらも他者に喋ることを禁止する……といった悪辣な使い方で、邪魔な相手の精神を擦り減らしていった。でっぷりと肥えた貴族の『食事を禁止』して痩せ細っていく様を見るのも、アリエスという悪魔の密かな楽しみだった(傍から見れば自分から食事を断っているようにしか見えない。奇病や精神の病として処理された)。

 

・他の人間、悪魔への感情

魔王←ペロペロしたい

キャンサー←融通の効かないジジイ

ジェミニ←無邪気な双子

ゲド←駒として有能で好きだった

リリアミラ←推し活仲間

勇者×騎士←てぇてぇ

 

 

・名前 キャンサー・ジベン

・年齢 56歳(外見年齢)

・職業 騎士学校用務員

・魔法 『華虫解世(フロルクタム)

・魔術属性 なし

・好きなもの 自己鍛錬 卵料理 魔王

・嫌いなもの アリエス

・備考 純粋な近接戦闘では魔王軍トップクラス

 

 潜入工作型近接格闘用務員おじいちゃん悪魔。第七の蟹。将来の脅威になるであろう騎士の情報収集と、事故死に見せかけた狩りを行うために、アリエスとは別の形で王都に潜入していた。外見は髭を蓄えた初老の男性。魔法を持っているアリアを殺害しようと付け狙っていたが、イトに正体を看破され、なし崩し的に戦闘へ移行。当初は強力な魔法で圧倒しているかのように思えたが、実際は遊ばれていただけで、一方的に屠られた。死の間際でも仲間は売らないナイスミドル。

 格闘戦における実力は折り紙付きで、騎士学校に潜入する前は四天王第一位の訓練相手をよく努めていた。堅実で口うるさい性格なので、弁が立ち柔軟な思考が持ち味のアリエスとは相性が悪い。

 

・魔法『華虫解世(フロルクタム)

 キャンサーの固有魔法。彼の強さを支える唯一絶対の力。自分自身に触れる一切のものを『遮断』することができる。ただし、イトが弱点を突いたように、本人が無意識に必要だと判断している光や空気は透過してしまう。

 最上級悪魔の中でも、近接戦闘においては並ぶ者がいないほどの絶対防御。同じ魔法による攻撃以外なら、全て遮断してしまうため、蒼牙之士(ザン・アズル)のような高い攻撃性能を持つ魔法以外なら、一方的に圧倒することが可能。事実、現在の勇者パーティーにはキャンサーのこの魔法に対する有効な攻撃手段はない(勝てないわけではないが)。ともすれば、世界を救った勇者パーティーを苦しめたかもしれない、強力な魔法である。

 

・他の人間、悪魔への感情

魔王←命に代えても守りたい存在

アリエス←口先だけのヤツ

ジェミニ←手のかかる双子

リリアミラ←信用ならない女

 

 

◆魔王

・名前 不明

・年齢 13歳(推定)

・職業 魔王

・魔法 不明

・魔術属性 雷撃・炎熱

・好きなもの 部下 配下の悪魔 晴れた日の空

・嫌いなもの 人間

・備考 故人(享年は19歳と推定)

 

 人類を脅かした最強最悪の脅威。魔を統べる王という概念が、形を成して現れたもの。

 この頃から大絶賛暗躍中であり、イトの心をジェミニの魔法で入れ替えさせたり、アリエスの屋敷でメイドごっこをしたりしていた。人間の生活に紛れ込むのが好きで、暇さえあれば似たようなことをよくやっていた。そして周りの悪魔たちがとても慌てるまでがワンセット。

 自分自身の容姿が優れていることは認識しているが、かといってオシャレに興味がないわけではなく、様々な服を着るのが趣味だった。暇な時は幹部を招集してファッションショーを敢行。気に入った洋服を見せびらかして喜んでいた。ほとんどの場合リリアミラとアリエスが最前列に陣取って歓声をあげながら騒ぎ立てていたため、他の幹部はウンザリしていた模様。

 

・他の人間、悪魔への感情

アリエス←すごくキモい

キャンサー←口うるさい

ジェミニ←手のかかる双子

ゲド←如何にも人間って感じでおもしろい

リリアミラ←好き



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寄り添う熱の温もりは

騎士ちゃん編が終わったと……いつから錯覚していた?


 名前を、呼ばれた気がした。

 

「勇者くん。おーい、勇者くん。そろそろ起きようよ」

 

 わさわさ、と。

 肩を揺さぶられて、思わず寝返りを打つ。

 頭は痛いし、まとわりつく泥のような睡魔も気怠いことこの上ない。

 

「……あと、五分」

 

 お決まりのセリフを条件反射で吐くと、頭の上で苦笑の気配。

 

「それ、さっきも言ってたんだよ? あたしはちゃんと五分待ってあげましたからねー? まあ、世界を救った勇者さまの寝顔はいくら見てても飽きないから、それでもいいけど?」

 

 ちょっと聞き捨てならない物言いに、また寝返りを打って体を戻す。鉛のように重い瞼を持ち上げる。

 ベッドに頬杖をついて、こちらを見下ろす騎士ちゃんと目があった。くすり、と笑う表情がとてもやわらかく、そして生暖かい。

 寝起きに美人は、目に毒だ。ちょっと眩しすぎる。

 

「おはよう」

「……うん。おはよう」

「みんなは?」

「もう働きに行ったよ」

「……今、何時?」

「そろそろお昼だねぇ」

 

 無慈悲な宣告に、顔を覆いたくなる。

 昔話に花を咲かせたところまでは、まあなんとかギリギリ覚えている。そこから先の記憶が、きれいにぶっ飛んでいた。

 

「昨日、おれ、何杯くらい飲んだ?」

「死霊術師さんが勇者くんにどんどん注ぐから、途中から数えるのやめちゃった。あたしもそこそこ飲んでたし」

「そのわりには、おれよりも元気そうですね?」

「だってあたしの方がお酒強いでしょ。死霊術師さんには負けるけど」

 

 おかしいだろ。なんでパーティーの長がパーティーの中で一番酒に弱いんだよ。いや、賢者ちゃんとか師匠がいるし、今は赤髪ちゃんもいるから決して、断じて一番弱いわけではないけれど、それにしても死霊術師さんと騎士ちゃんに潰されるのは、こうかなり心にくるものがある。

 とはいえ、いつまでもベッドに横になったままいじけていても仕方がない。重い上体を起こして、欠伸を噛み殺す。明らかに昨晩の酒を引きずっている様子のおれを見て、金髪がまたくすくすと揺れた。

 

「お水飲む?」

「飲む」

 

 受け取ったガラスのコップから、一気に水を飲み干す。

 あー、うまい。飲み過ぎた翌日の朝に飲む水ってどうしてこんなに美味いんでしょうね。

 

「仕事って言ってたけど、みんなどこ行ったの?」

「賢者ちゃんは宿の人の紹介で、村の子どもたちに勉強を教えるんだって。賢者ちゃんと武闘家さんと赤髪ちゃんは昨日の農場のお手伝い。残りの賢者ちゃんと死霊術師さんは朝イチでどこか行っちゃった。まあ、どこかで何かやってるんじゃないかな?」

 

 言いながら、騎士ちゃんの片手が寝癖がひどいおれの頭に伸びる。

 ちょいちょい、と。遠慮もなしに片手で寝癖をいじられるのが、少しこそばゆい。

 

「相変わらず寝起きはボサボサだねえ」

「……昨日のおれ、酒飲みながらどこまで喋ってた?」

「んー? ほんとに覚えてないの?」

「覚えてないですね」

「最後の方はノリノリで語ってたもんね」

 

 最後の方をノリノリで語っていたということは、もう取り返しがつかない可能性が高いんだよな。

 おれの羞恥心などさもどうでも良いかのように、騎士ちゃんはどこからか取り出した高そうな櫛で、手強い寝癖付きの髪を漉き始めた。

 

「まあ、大丈夫。騎士学校入ってから、あたしを攫うところまでしか喋ってないよ」

「全部じゃん」

「うん。全部だね」

 

 ああ、恥ずかしい。

 賢者ちゃんや死霊術師さんはともかく、赤髪ちゃんにまで酒の勢いで醜態を晒してしまったのが、ひたすらに恥ずかしい。

 

「赤髪ちゃんは勇者さんが楽しそうでよかったです、って言ってたよ」

 

 しかも、フォローまで万全だ。もう本当に勘弁してほしい。

 

「あたしも楽しかったけどなー。今の勇者くんがあの時のことをどう思ってるかとか、なかなか聞けなかったし」

「べつにそれは、今さら掘り返さなくてもいいだろ」

「掘り返すよ。言葉にしてくれないとわからないことってあるからね。昔は聞けなかったことなら、尚更」

「おれ何か言った?」

「覚えてないならいいよ? あたしだけ覚えておくから」

「それはおれにとってよくない!」

 

 寝起きに二日酔いで最弱状態だからっておれを舐めてるな?

 騎士ちゃんがあまりにもからからかってくるので、手を伸ばして金髪をわしゃわしゃともみくちゃにする。おれの寝癖を直す櫛の動きが止まって「もうやめて!賢者ちゃんじゃないんだから!」とお叱りを受けた。

 

「まったくもう……あとは自分でやってね」

「へいへい」

「準備できたら下降りてきて。ご飯食べよ。もう朝ごはんじゃなくてお昼ご飯だけど」

「へいへい」

「じゃあ、あたしは先降りてるから」

 

 扉を開けて一度は部屋から出て行った騎士ちゃんは、しかし何かを思い出したかのように、顔だけぴょこんと戻した。

 

「あ、勇者くん」

「んー?」

「朝、二人きりだと昔みたいでちょっと楽しいね」

 

 寝起きの頭では、言い返せないこともある。

 本当にどう返していいかわからなかったので、黙りこくっていたら、からかい上手な騎士さまは「よし、顔色が良くなった」と勝手に満足して、今度こそ下に降りて行った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「何か討伐の依頼とかあったらどかんと稼ぎたいよね」

 

 朝飯兼昼飯を食べつつ相談するのは、今後の話である。

 現状のおれたちは文無しに近い状態なので、とりあえず稼がなければならない。繰り返しになるが、赤髪ちゃんを連れて冒険するにしろ、王都まで帰るにしろ、何はともあれ必要なのはとりあえず金である。

 そして、おれは腕っ節に自信のある……腕っ節にしか自信がないと言い換えるのは控えておく……冒険者なので、何かでかいクエストを請け負ってどーんと稼ごう、という騎士ちゃんの思考は、至極真っ当なものと言えた。いや、領地や領民を預かる身としては、ちょっとどうかと思うけど。

 

「あれ? ちょっとまって。そういえば昨日の酒代は?」

「死霊術師さんがツケにしてもらえるように言葉巧みに交渉してたよ」

 

 きえーっ!

 おれが知らない間に借金が増えてる!

 

「これで所持金は完璧なマイナスか……」

「まあまあ。そんなに気落ちしなくても、また稼げばいいって」

「そうは言ってもなぁ」

 

 ぼやきながら、焼き飯をつっつく。うん、おいしい。この宿、お値段手頃なわりに食事が美味いのは本当に当たりだったと思う。

 

「それおいしい?」

「二日酔いの胃袋に染みる程度には」

「一口ちょうだい」

「ん」

 

 騎士ちゃんの開いたお口の中に、焼き飯をのせたスプーンをつっこむ。もぐもぐと揺れる頬の動きを眺めていると、お返しとばかりにフォークに巻き付いたスパゲッティが突き出された。それに甘えて、おれも一口いただく。

 んー、今日は米が食いたい気分だったから焼き飯にしたけど普通にスパゲッティもうまいな。明日はこっち食べようかな。

 

「とりあえず今日はこれからどうする?」

「今から赤髪ちゃんたちを手伝いに行っても、中途半端な時間だしな……なんか適当にこなせるような仕事があればいいんだけど」

 

 そこまで言って、おれはちらりと後ろを見た。

 宿屋の主人と話し込んでいるのは、行商人らしき一人の男である。ちょっと聞き耳を立ててみたところ、隣村まで荷運びをしたいが、人手が足りないらしい。

 これはちょうど良さそうだ。今日だけでもいいから仕事を貰えないか聞いてみよう。

 

「すいません」

「ん……って、きみは!」

 

 む。辺境の村だったから顔は割れてないと思ってたけど、遂におれも勇者であることを明かす時が来たか……

 

「昨日、物乞いの女の子を攫っていった……!?」

「違います」

 

 ふざけんな。よくよく見たらこの行商人のおっさん、昨日賢者ちゃんが物乞いアタック仕掛けようとしてた人じゃねーか。そのせいで、なんだかおれの印象が最悪になっている。これは良くない。

 かくかくしかじか。あまりにも情けない話だったが、包み隠さずお金に困っている事情を説明すると、人の良さそうな行商人さんは軽く頷いた。

 

「なるほど。そういうことなら、急ぎの荷運びを頼みたい。隣村に薬を届けたいんだが、こちらも人手が足りなくてね。馬には乗れるかい?」

「昔、騎士学校に通っていた程度には」

「それは充分すぎるな」

「馬はお借りしても?」

「もちろんだ。外に繋いであるやつを使ってくれ。荷はこれだ。地図はこちらに合わせて入れてある。ただ……ちょっと問題があってな」

「なんです?」

 

 行商人さん曰く、隣村へは馬を全力で飛ばせば三時間ほど距離とのこと。ただし、最近そのあたりにモンスターの群れが出るようになってしまい、迂回ルートを取るしかないのだという。そちらはどんなに急いでも、一日はかかるらしい。

 

「荷の中身は薬だ。村に病人がいるらしくてね。早く届けてあげたい。もちろん、きみたちに危険を冒せとは言うつもりはないんだ。ただ、迂回ルートで構わないから、なるべく急いでほしい」

「わかりました。最短でいきます」

「私の話聞いてたかね!?」

 

 あわてた様子で付いてくる行商人さんを手で制しながら、玄関に出る。繋いである馬の状態も問題なさそうだ。手早く髪をポニーテールに括っている騎士ちゃんに、荷と地図を預ける。

 

「騎士ちゃん、ルートの確認よろしく。詰めれそうなところはもっと詰めていこう」

「合点承知。モンスターは?」

「行きはとにかく最短を目指す。帰りに巣穴を探して叩く感じで」

「了解っ! 前と後ろ、どっち?」

「おれが手綱握るよ」

「わかった。調子乗って飛ばして振り落とされないでね?」

「ひさびさで二日酔いとはいえそんな馬鹿はしないって」

 

 馬に跨がって手綱を握る。やさしくて気性の穏やかな良い子そうだ。ご主人様に似てるのかな?

 同じように騎士ちゃんも後ろに乗って、腰に手が回される。よし、じゃあ行きますか。

 

「気持ちは嬉しいが、無茶はしないでくれ! きみたちが怪我をしては本末転倒だ!」

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。日の入りくらいには戻ってこれるとは思うので、その時は……」

「その時は?」

「ちょっと報酬に色を付けていただけると、助かります」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「うーん。働いたねぇ」

「うん。働いた働いた」

 

 最短ルートで駆け抜けて、薬を届けるのに二時間半。泊まっていけば良い、という村でのお礼は固辞して、帰りはゆったりめのペースで襲ってくるモンスターを撃滅しつつ、三時間と少し。合わせて六時間に届かないくらいの労働だ。前日の二日酔いからお寝坊したにしては、中々よく働いたと思うよ、うん。

 おれの背中で聖剣を思う存分振り回していたおかげか、騎士ちゃんも上機嫌だ。

 

「勇者くん」

「んー?」

「今日はなんだか、ほんとに昔みたいで楽しかったね」

「昔はもっと余裕なかったけどな」

「ふふっ……それはたしかに」

 

 背中で笑う気配に、おれも釣られて笑みを深める。

 本当に、騎士学校から追放されて駆け出しの頃は、もっとひどかった。金も装備も実力も何もなかったから、二人で駆けずり回って、色んな仕事をやって、それはもう本当に大変だった。

 けれど。

 昔はあって、今はもう、なくなってしまったものもある。

 

「騎士ちゃん」

「んー?」

「ごめん」

「何が?」

「昔みたいに、名前。呼んであげられなくて。ごめん」

 

 手綱を握っているので、後ろを振り向くことはできない。表情も見えない。だから逆に、言えたのかもしれない。

 腰に回された手の力が、少し強くなった気がした。

 

「……どうして、急にそんなことを?」

「謝りたかったのは前からだよ」

「勇者くんが謝ることじゃないでしょ」

「それでもさ」

 

 時々。本当に時々だが、考えてしまう。

 あの日、あの夜、あの場所で。おれの手を取らなかった騎士ちゃんには、別の未来があったのではないか、と。

 側に居てほしい、と考えるのはおれのわがままで。

 側に居るのが当たり前だ、と思ってしまうのはおれの甘えで。

 あの頃みたいに名前で呼ぶことができないのなら、少し距離を置こう、と。そうして、離れていたのがこの一年だった。

 騎士ちゃんは強い。やさしすぎるくらいにやさしくて、強い。でも、そんなやさしいこの子に、辛い思いをさせるくらいなら……

 

「あのね、勇者くん」

「はい?」

 

 片手が、おれの襟元に伸びる。ぐい、と。はだけるようにして、わりと強めの力が掛かって、襟首が晒される。

 吐息がかかる。

 熱い。

 なんだか、嫌な予感がした。

 

「ちょっと噛むね」

「は?」

 

 宣言通り。

 がぶりと、いかれた。それはもう盛大に。多分ちょっと、痕が残るくらいに。

 それは少しばかり、強烈な熱だった。

 

「いっ……!? 何? なんで!? 」

「言ってもわからないみたいだから、体に刻んでおこうと思って」

「言ってくれ言ってくれ! そこは人間としてちゃんと言ってくれ!」

「じゃあ言うけど」

 

 一拍。置いた間に、どんな感情が含まれていたのかはわからない。

 

「あたしはね、今が幸せだよ」

 

 けれど、駆け抜けていく風の音に紛れるように、耳元で囁かれた。

 はっきりと、そう言われた。

 

「みんながいて、勇者くんがいて、一緒に起きて、一緒にご飯を食べて、一緒に仕事をして、一緒に帰る。あたしはやっぱり、そういう今が幸せ。昔は良かった……じゃなくて、今が楽しいの。だって、勇者くんがここにいるから」

「……そっか」

「うん。言わないとわからないみたいだから、ちゃんと言ってあげる」

 

 ぎゅっと。背中に体重が預けられる。寄り添う熱の、その温もりが風を切って冷えていく体に、心地良い。

 ああ、なるほど。騎士ちゃんの言うとおりだ。

 言葉にしてもらわないと、わからないこともある。

 じんじんとする首元は、察しが悪い己へのペナルティということで、甘んじて受け入れよう。

 

「でもこれ、ちょっと跡付くよなぁ……」

「大丈夫。服をはだけなきゃバレないよ」

 

 ささっと。また器用におれの襟元を直して、騎士ちゃんは笑う。

 

「あたし以外にはバレないように、ね?」

 

 振り返って、表情を見ることはできない。でも、それは間違いなく、今日最も意地の悪い微笑みだった。

 それは多分、おれが今日最も見たい表情でもあったけど……まあ、仕方ない。我慢しよう。

 手綱を引き締め、前を見る。

 谷間を抜けて、閉ざされていた視界が開ける。

 染め抜いたような、紅の夕焼け空。地平線の向こうに落ちるそれを追い抜く勢いで、駆け抜けていく。

 

「ほらほら! 晩ごはんまでに帰るよ! 飛ばせ飛ばせ!」

「へいへい。仰せのままに、お姫さま」




騎士ちゃん編、これにて今度こそおしまい。
次回は死霊術師さんが裸になる話です


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世界を救ったパーティーの就活
死霊術師さんの華麗なる転職


 おれは勇者であると同時に、パーティーを率いるリーダーである。

 リーダーたる者、パーティーメンバーの働きぶりには常に目を光らせておかなければならない。

 

「診療所?」

「はい。そうなんです」

 

 怪訝極まるおれの声に、隣を歩く赤髪ちゃんはぶんぶんと首を縦に振って頷いた。

 おれの気のせいかもしれないが、赤髪ちゃんとこうして話すのが随分ひさしぶりな気がする。まあ、おれの気のせいだと思うけど。

 ふんす、と鼻息荒く、赤髪ちゃんは話し始めた。

 

「わたしたち、昨日からお金を稼ぐために働き口を探しはじめたんですが」

「うんうん」

「賢者さんは村の子どもたちの教室に、賢者さんはギルドの受付案内に、賢者さんは農作物の魔術を用いた品種改良に、とみなさん順調にお仕事が決まっていたんですけど……」

 

 なんか賢者ちゃんしか仕事が決まっていない気がするが、ツッコむのもバカらしいのでそれはとりあえず置いておく。

 

「どうやら死霊術師さんは、診療所でお勤めをはじめたみたいで。ギルドで働き始めた方の賢者さんが、ちょっと心配だから様子を見てこい、と」

「なるほどなるほど」

「ついでに、土木作業場で働いている賢者さんは「あなたたちはどうせまだ働き口も見つけられていないんでしょうから、暇潰しにちょうどいいでしょう」と」

「なるほどって言いたくないな」

 

 どうやら土木作業場で働いている賢者ちゃんはおれたちのことを舐め腐っているらしい。失礼な話である。おれはきちんとギルドに行って、受付嬢の制服に身を包んでいるめずらしい賢者ちゃんを一通りからかったあとに、今日の依頼を貰ってきたというのに。なんかおれも赤髪ちゃんも賢者ちゃんとしか仕事の話してない気がする!

 

「でもまぁ、ちょうどよかったよ。おれも今日、ギルドから依頼を受けてきたんだけど、それが死霊術師さんの手を借りたい内容だったんだよね」

「本当ですか? それならちょうどよかったです! 一石二鳥ってやつですね!」

「赤髪ちゃんも一緒に来る?」

「いいんですか?」

「もちろん」

「はい! では、お供させていたただます!」

 

 と、このあとの予定を決めている内に、噂の診療所とやらに着いた。村のすみっこの方にひっそりと建っているだけあって、中々年季の入った外観だ。このあたりは開拓村が多いという話だったけど、新しく建て直さずに、昔からある建物をそのまま使っているのだろうか?

 

「すいませーん」

「はーい!」

 

 ガラガラ、と。横開きの立て付けの悪いガラス戸を開いて声をかけると、奥の方から死霊術師さんが出てきた。

 

「あらあらあら! お二人ともどうされたんです?」

「うわ」

 

 それはピンク色のナース服だった。どこからどう見てもナース服である。丈が短めなナース服であった。

 とても大事なことなので三回言いました。

 赤髪ちゃんが目をパチクリとさせながら、その服装を上から下まで眺める。

 

「死霊術師さん、なんというか……本当に看護師さんの格好なんですね」

「ええ、ええ! それはもう! 制服も貸し出してくださるということで、助かりました!」

 

 いつもは下ろしている黒髪は頭上できれいに結われており、ご丁寧にナースキャップまで被っている。喋って頷く度に、ウチのパーティーで最大の火力を誇る双丘がぶるんぶるんとそれはもう勢いよく揺れる。これはもう診療所というよりも、そういう感じのサービスを行ういかがわしい店みたいだ。

 いつものように体をくねくねさせながら、死霊術師さんは聞いてくる。

 

「勇者さま! 勇者さま! 如何です!? この格好!」

「うん、いいね。似合ってる」

「もう一声! もう一声お願いいたします!」

「えっちなお店みたいだ」

「勇者さん!?」

 

 赤髪ちゃんがおれの隣で目を剥く。

 おっと、いけない。のせられたせいでつい本音が。

 赤髪ちゃんの厳しい視線の追求から逃れるべく、話題を少し逸らす。

 

「ところで、死霊術師さんはどうして診療所で働こうと思ったの?」

「はい! わたくし実は、お医者さまという職業にちょっとした憧れがありまして。それをお話したところ、こちらの先生がぜひうちで働いてみないか、と」

「先生?」

「この診療所の院長先生ですわ!」

 

 死霊術師さんの視線の先。診察室の奥の椅子には、とても小柄なおじいちゃん先生がちょこんと腰掛けていた。メガネの奥の目は小さく、頭はツルッパゲで、全身がプルプルと小刻みに震えており……なんというか、この先生大丈夫かな?という感じがすごい。診察中に患者より先にぽっくり逝ってしまいそうだ。

 

「先生! こちら、わたくしの勇者さまです!」

 

 また胸を揺らしながらぶんぶんと腕を振って、死霊術師さんはおれのことを雑に紹介してくれた。おじいちゃん先生はぷるぷる震えながら死霊術師さんの胸をガン見して、おれに向けて力強くサムズアップした。

 なんだよこのクソジジイ、めちゃくちゃ元気そうじゃねぇか。おれも死霊術師さんにナース服を貸し出してくれたおじいちゃん先生に、サムズアップを返した。赤髪ちゃんの目はさらに冷たくなった。仕方ないね。

 

「どいてくれ! 急患だ!」

 

 と、そんな馬鹿なやりとりをしていたせいで忘れていたが、ここは診療所である。

 入ってきたのは、二人組の男。どちらも傷だらけのボロボロ、特に肩を貸されている男の方は全身血まみれのひどい状態だった。

 

「まあ大変! 先生! お願いします!」

「……」

 

 意外にも慣れた動作で死霊術師さんはテキパキと怪我人をベッドに寝かせ、ぷるぷる震えてるおじいちゃん先生を椅子ごとスライドさせ、患者の前まで持ってくる。

 

「……」

 

 傷の様子を見たおじいちゃん先生は、ぷるぷると首を横に振った。

 

「なるほど……もう打つ手がないようです」

 

 諦め早いな、おい。

 

「そんな!? 頼む! お願いだ! 助けてくれ! 相棒はまだ息があるんだ!」

「……なるほど。たしかにまだ息はあるようですわね」

 

 おじいちゃん先生に代わって、全身の怪我の状態を確認した死霊術師さんは、軽く頷いた。

 

「わかりました。でしたら、わたくしが治療してみましょう」

「本当か!? 相棒は助かるのか!?」

「ええ、お任せください」

 

 死霊術師さんは自信満々な様子で、マスク、手袋、エプロンを装着。おじいちゃん先生に指示を出した。

 

「処置を開始します。メス」

 

 驚くほど機敏な動作で、死霊術師さんの手の上に鋭い刃物が置かれる。

 赤髪ちゃんが困惑を滲ませながら呟いた。

 

「勇者さん……これ、普通は逆じゃないですか?」

「うん。おれもそう思うよ」

 

 なんでナースが医者からメス受け取ってるんだろうね?

 余談ではあるが、こういった外科的処置は王都の方ではメジャーになりつつあるものの、辺境の土地ではまだ受け入れられているとは言い難い。相棒の体に向けられた刃物を見て、冒険者のお兄さんは体を強張らせた。

 

「な……! まさかそれを使うのか!? 麻酔もなしで!?」

「はい。治療のために必要な処置ですから」

「け、けどよぉ! それで本当に助かるのかよ!? 相棒を苦しめるだけに終わるんじゃ……」

「あなたの心配はわかります。しかし……」

 

 死霊術師さんは、冒険者のお兄さんの目を真っ直ぐに見詰めて、告げた。

 

「わたくしは、医者です」

「……ッ!」

 

 違いますよ?

 なにさらっと嘘吐いてるんだコイツ。

 冒険者のお兄さんも「……ッ!」じゃないんだよ。なんで雰囲気でちょっと気圧されてるんだよ。どこからどう見ても医者じゃなくてコスプレみたいなナース服着た看護師だろうが。その無駄に見開いた目でちゃんと目の前の女の格好をよく見てほしい。

 しかし、死霊術師さんは良い感じの雰囲気のまま、良い感じの言葉を続けて並べ立てる。

 

「もちろん、すべての人を救ってきた、などと。思い上がったことを言う権利はわたくしにはありません。ですが、あなたさまの大切な相棒さんの命を救うために……わたくしに、全力を尽くす機会をいただけないでしょうか?」

「わかりました……相棒のことを、頼みます」

 

 頼んじゃったよ。

 

「でもコイツの傷は見ての通り深い……一体どんな処置を?」

「簡単な話ですわ」

 

 キラン、と。

 死霊術師さんはメスを光らせながら、それを逆手に力強く握りしめた。

 

「まずは……患者の息の根を止めます」

 

 そして、振り下ろした。

 メスが、怪我人の喉笛に突き刺さった。

 鮮血が、噴き出した。

 

「あ、相棒ぉおおおおおお!?」

 

 うん、即死だなこれ。

 

「お、お前! なんてことを!? こ、この人殺しっ!」

「お兄さん! お兄さんちょっと落ち着いて! 大丈夫だから!」

「何が大丈夫なんだ!? 明らかにもう大丈夫じゃないだろこれは!」

 

 取り乱すお兄さんをおれが必死に取り押さえている間にも、死霊術師さんは悠々と物言わぬ死体になったそれに手を伸ばした。

 

「はーい、それではいきます。楽にしてくださいね〜」

 

 もう逝ってるし、もうとっくに楽になってる死体に対して律儀に声掛けしながら、カウントが始まる。

 死霊術師さんの指が、体に触れる。

 

「ひとーつ」

 

 凝り固まっていた血痕に、変化があった。

 

「ふたーつ」

 

 今さっきナイフで掻き切られた喉笛の傷から、回復が始まる。

 

「みーっつ」

 

 明らかな致命傷だった胸の傷も、みるみる内にふさがっていき、

 

「よーっつ」

 

 土気色だった頬に血の気が戻って、瞼が開く。

 ボロボロの重傷だった冒険者の体には、もう傷一つ残っていなかった。

 

「え、あれ……は?」

「はい。おはようございます。お加減は如何ですか? 気分などは悪くありませんか?」

「あ、はい」

「よかったですわ〜! 一応、血を増やす効能があるお薬出しておきますわね〜」

「いや……でもオレ、今死んで……」

「はい。お疲れさまでした。診察代はこちらになります」

 

 まるで狐に化かされたように固まっていた冒険者のお兄さんは、そこでようやく相棒の命が助かったという現実を理解したのか。呆然とした様子で呟いた。

 

「奇跡だ……」

 

 うん。いやまぁ、たしかに奇跡みたいなものだけれど。

 二人の頭が、死霊術師さんに向かって深々と下げられる。

 

「ありがとうございます……ありがとうございます! 何とお礼を言っていいか……!」

「いえいえ。わたくしは人として、助けられる命を助けただけですから!」

 

 一回殺してるけどね。

 

「本当に、ありがとうございました!」

「はーい。また悪いところがあったらいつでもいらしてくださいな」

 

 格安と言っても良い治療費を支払って、何回も何回もこちらに頭を下げながら、冒険者の二人組は診療所を去っていった。

 

「先生、今回の治療はどうでしたか?」

 

 死霊術師さんがそう聞くと、おじいちゃん先生はぷるぷると全身を震わせながら、なぜかおれの手を握って、一言。遂に、口を開いた。

 

 

「この子は……神じゃ」

 

 

 違いますよ?

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 とりあえず神扱いされてた死霊術師さんを診療所からお借りして、おれたちは村から歩いて行ける距離にある小高い丘までやってきた。

 

「なんだかハイキングみたいで楽しいですね!」

「右に勇者さま。左に魔王さま。余計な邪魔者もいませんし……ふふ、これが両手に花というやつですわね」

 

 今日は天気も良いので赤髪ちゃんはもちろん、ナース服のままおれたちに挟まれている死霊術師さんも、なんだか上機嫌だ。

 とはいえ、おれたちは遊びに来たわけではなく、仕事をしに来たわけで。依頼はきっちりこなさなければならない。

 

「それで勇者さま? わたくし、何をすればよろしいのでしょう?」

「ああ、依頼はこんな感じなんだけどね……」

 

 ギルドの依頼書を見せると、死霊術師さんはそれに素早く目を通して内容を確認した。

 

「……あらあら、まあまあ。なるほど。これはたしかに、わたくしが適任ですわね。報酬も悪くない額ですし」

「でしょう?」

「なんだか昔を思い出しますわ〜!」

 

 それでは準備が必要ですわね、と。

 呟いた死霊術師さんは、おれに対してゆっくりと背中を向けた。

 

「勇者さま、背中のファスナーを……下ろしていただけますか?」

 

 特殊なプレイか何かだろうか?

 

「ちょ、ちょっとまってください! どうして脱ぐ必要があるんですか!?」

「どうして……と申されましても。まずは服を脱がないことには、この依頼は始めることができませんし」

「そんなわけないでしょう!? どんな依頼ですか!?」

「いや、たしかに脱がないとこの仕事は始められないんだよね」

「え、えぇ!?」

 

 困惑してる赤髪ちゃんを他所に、おれは死霊術師さんの背中に手をかけた。服を脱がせるだけだ。別にいかがわしいことをするわけではない。そう、これはあくまでも服を脱がせるだけだ。別に決して、断じていかがわしいことをするわけではない。

 

「はぁ……勇者さまに背中のファスナーを下ろしてもらえるなんて……興奮で鼻血が出そうです」

 

 相変わらず死霊術師さんは変態みたいなことを言う。

 

「っ……どいてください勇者さん!」

「あ、赤髪ちゃん?」

「勇者さんが脱がせるなら、わたしが脱がせます!」

 

 髪色と同じくらい顔を赤くした赤髪ちゃんは、おれと死霊術師さんの間に割って入って、ナース服の後ろのファスナーをびっと下ろしてひん剥いた。

 

「ああっ! ま、魔王さま……もっと優しくしてください」

「変な声出さないでください! 服を脱がせてるだけでしょう!」

「……あ、勇者さま。ちり紙とかお持ちですか?」

「あるけどなんで?」

「申し訳ありません。わたくし、本当に興奮で鼻血が……」

「うわ」

 

 相変わらず死霊術師さんは変態だった。

 なにはともあれ、赤髪ちゃんに手伝ってもらって無事に借り物のナース服を脱ぎ、ついでに下着の一つに至るまですべて脱ぎ捨てて、死霊術師さんが生まれたままの姿になったところで、準備は完了である。

 

「さて、それでは始めましょうか」

「うん。よろしく」

「ではお二人とも。くれぐれも足元にはお気をつけて、十分な距離を取って()()()()()()()()()()をついてきてくださいね?」

 

 そのまま素っ裸の大股で堂々と歩き始めた死霊術師さんを、変態を見るような目で眺めながら……事実として変態なのだが……赤髪ちゃんはおれに聞いてきた。

 

「勇者さん……これ、本当に全裸になる意味あったんですか?」

「もちろん。借り物の服を木っ端微塵にするわけにはいかないからね」

「……木っ端微塵?」

 

 赤髪ちゃんの、その疑問の声が合図であったかのように。

 かちり、と。死霊術師さんの裸足が何かを踏む音がして。

 ドカン、と。そんな擬音の形容では生温い、凄まじい轟音が、前方で鳴り響いた。

 端的に言えば、それは爆発だった。厳密に言えば、それは魔術による爆発だった。さらに詳細に説明するならば、それは地面に仕込まれた炎熱系の魔術が作動したことによる、魔術的な爆発だった。

 つまり爆発である。大事なことなので四回言いました。

 

「……え?」

 

 さっきまでハイキングという名の気軽なお散歩を楽しんでいた赤髪ちゃんの表情が固まる。元気よく地面を踏み締めていた足が、生まれたての子鹿のように震え出す。

 

「あの……勇者さん。どんな依頼を受けてきたのか、お聞きしても良いですか?」

「うん。違法に設置された()()()()()()()だよ」

 

 だらだらと冷や汗まで流しはじめた赤髪ちゃんを安心させるために、おれは爽やかに笑いかけた。

 

「死霊術師さんにぴったりの仕事でしょ?」




今回登場していない働く賢者ちゃん

・子どもたちに勉強を教えている賢者ちゃん
 教育者として村の子どもたちの学習風景が気になったので覗きに行ったところ、その豊富な知識を見込まれて臨時教師として雇われることになった。子どもたちにもみくちゃにされながら、楽しく勉強を教えている。ちなみに賢者という役職は豊富な魔術知識を持つと同時に教育者としても知られており、各地で教壇に立つ賢者は多い。

・農場で品種改良に勤しむ賢者ちゃん
 趣味のガーデニングの関係で農場を見回っていたところ、あまり質の良くない肥料が使われているのを見兼ねて、口出しを始めてしまい、雇われることになった。ちなみに砂岩系の魔術は植物の生育にも関係があり、地方の賢者の中には農場の地主となって財を築く者も珍しくはなかったりする。

・ギルドで受付案内嬢をしている賢者ちゃん
 耳は魔術で誤魔化して面接に行って普通に採用された。荒くれ者を魔術で撃退できるので早速重宝されている。制服がかわいい感じなので勇者くんはとても満足した。

・土木作業をしている賢者ちゃん
 現場ハーフエルフ。ヨシ!


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死霊術師さんの華麗なる爆発

 おれはパーティーを率いるリーダーであるのと同時に、世界を救った勇者である。

 勇者たる者、人々に害を為す存在には常に目を光らせておかなければならない。

 

「魔術地雷?」

「はい。そうなんです」

 

 怪訝極まるおれの声に、賢者ちゃんはきれいな翠色の流し目を向けた。

 ギルドの受付嬢として働き始めたこちらの賢者ちゃんは、耳を魔術で誤魔化し、髪を結ってまとめている。そして、制服であるタイトスカートにベスト、リボンの制服をきちっと着こなしていた。性格なのか性分なのか、いろいろとおしゃれをすることが多い騎士ちゃんや死霊術師さんに比べて、いつも同じようなローブ姿でフードを被っていることが多い賢者ちゃんなので、こういった服装には新鮮味があった。つまり似合っていてかわいいということだ。

 

「賢者ちゃん、制服似合っててかわいいね」

「は? なんです。今さら口説いてるんですか?」

 

 思ったことをそのまま言うと、翠色の瞳がジト目に変化した。思ったことをそのまま言っただけなのだが、随分な塩対応である。

 

「仕事の話ですよ。真面目に聞いてください」

「はーい」

「今回、勇者さんにお願いしたいのは、魔術地雷の撤去です」

「うん。魔術地雷っていうのはさっき聞いたんだけど、そもそもなんでそんな物騒なものが村の近くにあるわけ?」

 

 至極真っ当な疑問を口にすると、これに関しては賢者ちゃんも「勇者さんのその質問は尤もです」と肯定してくれた。

 

「なんでも、村外れの丘の上には魔導師崩れのお婆さんが住んでいるそうでして。その方が人やモンスターを寄せ付けないために、勝手に魔術地雷をばら撒いてしまったそうなんです」

 

 そりゃなんともはた迷惑な……

 

「なので、地雷が埋まっているのは主に村近くの丘の上です。歩いて行ける距離だから楽で良いですね」

「歩いて行ける距離に地雷が埋まってちゃだめだろ」

「場所が場所なので、村に近づくモンスターを迎撃するトラップとしても機能はしているようなのですが、根本的に危険であることは否定できません。なので今回、勇者さんにご依頼したいのは、これらの地雷の安全な排除です」

「依頼が面倒で聞いてるわけじゃないんだけど……賢者ちゃんの魔術で対処はできないの?」

 

 今さら説明するまでもなく、賢者ちゃんは魔術分野における生粋のスペシャリストである。魔術に関しては基本的に知らないことはないし、できないことを探す方が困難なくらいだ。

 しかし、おれの問いかけを聞いた賢者ちゃんは、何とも言えない表情で唇を噛み締めた。

 

「もちろん、本来なら天才であるこの私に解析、解除できない魔術はありません。ですが、魔術地雷はその性質上、探知して発見することが困難です」

 

 足元に仕掛けるものだから、見つからないようにできている。

 そもそも見つけることが難しいので、解析が困難。その理屈はわかる。

 

「じゃあ、遠距離から炎熱系か砂岩系の魔術で、地雷がありそうな場所を一斉に爆撃したら?」

 

 単純な話、地雷そのものを解除できなくても、何らかの魔術で遠距離から衝撃を与えて爆発させてしまえば、地雷の一掃は可能なはずである。

 

「うわ……相変わらず思いつく解決方法が脳筋ですね」

「でも、それなら解決はできるでしょ?」

「ところがどっこい。そう単純な話でもありません。勇者さんは魔術地雷にも種類があるのをご存知ですか?」

「は? 地雷に種類とかあるの?」

 

 踏んだら爆発するってだけじゃないのかよ!? 

 やれやれとこれみよがしにため息を吐きながら、まるで無知な生徒に語って言い聞かせるように。賢者ちゃんはどこから取り出した紙にペンを走らせ始めた。

 

「物体を爆破、炸裂させる魔術は、大きく分けて二種類に分類できます。まず、爆破する媒介を用意するタイプ。専用の爆発物を用意して飛び散る破片による殺傷を目的としたり、もしくはコンパクトな運用のために魔術用紙などを利用するものがこれにあたります」

 

 そう言われて、おれは剣をぶんぶん振り回しながら周囲を爆破しまくってた強すぎる先輩の顔を思い浮かべた。なんだか懐かしいな。先輩は元気にしているだろうか。

 

「今なんか昔の女のこと思い出してませんでした?」

「ソンナコトナイヨ?」

 

 心でも読んでるのかな? 

 

「で、もう一つは?」

「……物体に直接魔導陣を仕込み、それそのものを爆発物に変えてしまうタイプです」

 

 言いながら、賢者ちゃんの細い指の上で羽根ペンが回る。魔法によって一瞬で二本に増えたそのペン先に、小さな小さな魔導陣が浮かび上がり、おれの鼻先でボンっと小さく爆発した。

 原理とかはよくわからないが、多分めちゃくちゃ高度なことをしたんだと思う。賢者ちゃんがあまりにもサラッとやるせいで実感が沸かないが。

 

「もちろん、外部からの強い衝撃によって起爆する簡単な術式なら、勇者さんがさっき言った方法で一掃できるでしょう。しかし、後者の高等術式は生命反応を感知して起爆するパターンがほとんどです。物体に仕込まれた起爆術式そのものは取り除けません」

「つまり?」

「遠距離から魔術で攻撃して一掃しようにも、それは逆に、無駄に広範囲に爆弾を撒き散らすような結果になりかねない……というわけです」

 

 うーん、それは困るなぁ。

 

「つまり、その地雷を除去するためには、片っ端から生き物が踏んで起爆させていくのが一番早いってわけか」

「はい」

「なるほど。そういうことなら適任は一人しかいないな……」

「ええ。内容が内容ですから、この依頼は報酬の額も悪くありません。死霊術師さんを使ってサクッと地雷除去してきてください」

 

 賢者ちゃんは本当にめずらしく、満面の笑みで朗らかに言い切った。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 今さら説明するまでもなく、我がパーティーにおける死霊術師さんの運用は、メイン盾である。

 仲間になってからの死霊術師さんは、常に体を張って、パーティーが生き残るための血路を切り開き続けてきた。

 そして今日もまた、死霊術師さんはおれたちのために元気に先頭に立ち、爆散してくれている。

 

「そんなわけで、死霊術師さんで地雷除去するのが一番楽だなっていう結論に至った、と。事情は理解してもらえたかな? 赤髪ちゃん」

「理解はできましたけど、脳が受け入れるのを微妙に拒みますね……」

 

 曖昧な表情で赤髪ちゃんがそう溢したのと、同時。

 死霊術師さんがまた地面を踏みしめて、かちりと嫌な音を鳴らした。数瞬遅れて、再び轟音が鳴り響く。

 

「あ、勇者さん。死霊術師さんがまた爆発しました」

「爆発したねえ」

 

 そろそろ、この派手な爆発音にも慣れてきた。

 吹き飛んだ腕がおれたちの足元まで転がってきて、数秒で素っ裸の女の形に戻る。

 

「ふぅぅ……」

 

 そのままのびのびとストレッチをはじめた死霊術師さんに、おれは問いかけた。

 

「どう? 死霊術師さん。地雷はどんな感じ?」

「なかなか質の良い爆発ですわね。ざっくり評価して、87点といったところでしょうか」

「どうして爆発に点数を付けているんですか?」

 

 赤髪ちゃんの正統派なツッコミが冴え渡る。

 しかしそれよりも、おれは死霊術師さんが地雷に付けた点数に目を剥いた。

 

「87点!? かなり高くないそれ?」

「ええ。爆発の威力、指向性、踏んだ時の起爆速度。どれをとっても一級品の地雷です。自爆ソムリエのわたくしが言うのですから、間違いありません」

 

 これは驚きである。まさか自爆ソムリエの死霊術師さんにここまでの高得点を出させるとは……!

 

「あの、自爆ソムリエってなんですか?」

「ああ、そっか。赤髪ちゃんは知らないよね。死霊術師さんは、昔からよく自爆をしていたんだけど……」

「昔はよく自爆を!?」

「うん。おれたちと敵対していた頃は、自爆が基本戦術って言ってもいいくらいに自爆しまくってたからね。対処しながら殺すのが大変だったよ」

「懐かしいですわね〜! あの頃は勇者さまもあの手この手でわたくしの自爆を封じながら殺そうとしてくださったものです。今となっては、とても良い思い出ですわ〜!」

 

 あはは、おほほ、と。笑い合うおれと死霊術師さんを見て、赤髪ちゃんは顔を引き攣らせながら一歩距離を取った。そんな、狂人をまとめて見るような目でおれと死霊術師さんを括るのはやめてほしい。おれは当時、真っ当に魔王軍四天王を攻略しようとしていただけなのだが……

 全裸で腰に手を当てながら、死霊術師さんはやけにすっきりした表情で言葉を続ける。

 

「それにしても、最近はあんまり爆発してなかったので、たまにはこうして爆死するのも悪くはないですわね。爆発の質も極めて高いですし」

「死霊術師さんがそこまで褒めるのは本当にすごいね」

「ええ。昔取った杵柄とはいえ、わたくし、自爆に関しては少々うるさいので。この地雷での爆死は自信を持ってオススメできると言えるでしょう!」

 

 ふーむ。

 ここまでベタ褒めされると、ちょっと気になってくるのが人間の好奇心というものだ。

 

「じゃあちょっと、おれも爆発してみようかな。赤髪ちゃんはここから動かないでね」

「え?」

「あらあらあら! 勇者さまも体験してみますか!? わたくしの推測ではこのあたりに次の地雷が埋まっていると思いますわ!」

「ここらへんかな?」

 

 死霊術師さんに誘導された方向へ、軽くダッシュしてみる。予想通りというべきか、かちりと何かを踏み込む感触と音が、足裏にあった。

 

「ちょ、勇者さ……!」

 

 赤髪ちゃんの制止の声を最後まで聞くこともなく、おれの意識は一瞬で爆ぜて飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 死の淵から舞い戻った時は、いつも時間が巻き戻されたかのような、不思議な感覚に襲われる。

 瞼を開くと、おれは死霊術師さんに膝枕されていた。ついこの前、あの双子クソ悪魔に殺されたばかりとはいえ、普通の魔術で普通に死ぬのは数年ぶりである。こうして生き返ってみると、なんだか懐かしい感覚が強い。

 

「如何でしたか?」

 

 頭の上で、死霊術師さんが豊かな双丘越しにゆったりと微笑んでいた。

 

「いや、これはたしかにすごいわ」

 

 むくり、と。体を起こす。

 

「爆発の質が良いね。足だけ吹っ飛んだりせずに、ちゃんと全身を粉々にされるのがすごい」

「そうでしょうそうでしょう!? そもそも中途半端な地雷は踏んでも足だけ飛ばされたりして死ねない不良品が多いのです! ですが、この地雷はちゃんと踏めば、全身粉々になります! 意識もいい感じにもっていかれたでしょう?」

「うんうん。あと、踏んでから起爆までの間が本当に短いのが良い」

「わかりますわかります! 勇者さまなら必ずわかってくださると信じていましたわー!」

 

 何事も、実際に体験してみなければわからないものだ。この魔術地雷は、相当に腕の良い魔導師が手掛けたものに違いない。

 しかし、あーだこーだと、おれと死霊術師さんが楽しく自爆の感想に花を咲かせていたのも束の間。

 

「……あ、勇者さま」

「ん? なに?」

「いや、その……後ろ」

「え?」

 

 微妙に気まずそうな表情の死霊術師さんに言われるがままに、後ろを振り返ってみると。

 ポロポロと涙を流して顔をぐしゃぐしゃにした赤髪ちゃんが、拳を固く握り締めておれを睨みつけていた。

 

「あ、赤髪ちゃん?」

「ゔーっ!」

 

 返答が言葉になってなかった。

 泣き顔で吠えられた。慌てて近寄ってみても、赤髪ちゃんは涙目でこっちを睨んでくるだけで。おれはすっかりたじたじになってしまった。

 

「いや、その……ごめんね? びっくりした?」

「当たり前ですっ! 急に死なないでください! びっくりするでしょう!?」

 

 怒られた。

 

「そ、そうだよね……すいません」

「自分の命を何だと思ってるんですか!?」

「ごめんなさい……」

「そのごめんなさいはきちんと意味を理解したごめんなさいですか!? わたしが何に怒っているか、勇者さんはちゃんとわかっていますか? 普通の人は生き返れるからってそんなにほいほい命を投げ出したりしないんですよ!?」

「はい、はい……わかります。本当に、ごめんなさい。反省してます……」

「本当ですよ!? 反省してください!」

 

 拳を固く握り締めた赤髪ちゃんに、ぶんぶんと胸板を叩かれる。

 困り果ててるおれを他人事のように見詰めながら、死霊術師さんが微笑んだ。

 

「勇者さま、愛されてますわねぇ……」

「もうやっちゃダメですからね!? いくらでも死んでいいのは死霊術師さんだけです!」

「わたくし、軽んじられてますわねぇ……」

 

 おれは死んじゃダメだが、死霊術師さんは良いらしい。

 とはいえ、これは盲点だった。死霊術師さんの魔法のおかげですっかり麻痺していたが、たしかに普通の人は隣の人間が急に死んだら、いくら生き返るとわかっていてもびっくりしてしまう。現実を捻じ曲げる魔法に慣れきっていると、このあたりの感覚が麻痺してしまうからよくない。

 まだぐすぐすと鼻をすすっている赤髪ちゃんの頭を撫でて宥めていると、死霊術師さんがおれの肩を叩いた。

 

「ところで勇者さま」

「なに?」

「わたくしは爆発する前に脱いでおいたから良いのですが……勇者さまは替えのお洋服はあるのですか?」

 

 ……あ、やっべ。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 丘の上に居を構えるその老婆は、立て続けに鳴り響き、近づいてくる爆発音を聞いて、静かに戦慄していた。

 老婆は、魔導師である。

 モンスターと人を近づけないために周囲の土地にばら撒いた魔術地雷は、老婆が最も得意とする魔術であり、そう簡単に破られはしないだろうという強い自負があった。事実、これまで地雷はその役目を忠実に果たし、モンスターも人も老婆が住むこの場所に一切寄せ付けてこなかった。

 しかし、それが今。何者かの手によって破られようとしている。

 これまで、随分と長生きしてきたが、自分も遂に年貢の納め時が来たのかもしれない。老婆は自身の愛杖を手に取り、強く握り締めた。あの魔術地雷は、生体反応を探知しなければ起爆しない。つまりここを目指してやってきている何者かは、数え切れない命を使い潰して、自分の元に辿り着こうとしている……ということだ。よほど腕の良い、モンスターを操る魔獣使いがいるのか。それとも単純に、大軍が攻めてきているのか。

 

「……」

 

 コンコン、と。

 控えめなノックの音が鳴った。賊にしては、やけにマナーが良い。老婆は鼻を鳴らした。

 

「開いとるよ。好きに入れば良い」

 

 ぎっ、と。

 立て付けの悪い扉が開き、そして……

 

「お邪魔いたしますわーっ!」

「し、失礼します……」

「こんにちは」

 

 全裸の美女と、かわいらしい赤髪の美少女と、股間に葉っぱを貼り付けたやはり全裸の青年が入ってきた。

 魔物ではなく、人間だった。大軍どころか、三人しかいなかった。そして、その内の二人が全裸だった。

 

「あ、はじめまして。ギルドの依頼で来ました、勇者です」

 

 股間に葉っぱを付けた青年が、丁寧に頭を下げて自己紹介する。

 

 自分、もうボケたかな、と。老婆は思った。




今回の登場人物

勇者くん
全裸。生き返るならいいかの感覚で気軽に死ぬ。

死霊術師さん
全裸。爆発にはちょっとうるさい。こだわり派。

ゔーっ!
赤髪。服を着ている。ツッコミ。

お婆さん
とても腕の良い魔導師。全裸の変態とかわいらしい赤髪の美少女と全裸の変態の襲撃を受けた。何らかの事情があって周囲に地雷をばら撒いていたらしい。


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死霊術師さんの華麗なる全裸

いつの間にやら、この作品も一周年を迎えました。いつも読んでくださるみなさんのおかげです。本当にありがとうございます!
一周年記念のサブタイがこれなので、もうこの作品の方向性は完全に定まった気がします。これからもよろしくお願いします。


「あ、はじめまして。ギルドの依頼で来ました、勇者です」

「きえええええっ! こっちに寄るな! キサマのような全裸が、勇者なわけがなかろうっ!」

 

 は? 自己紹介の瞬間に存在を否定されたんだが? 

 ゆるせねえ。

 しかも、全裸とか言われたんだが? ちゃんとさっき現地調達した葉っぱで大事なところは隠しているというのに。

 納得できねえ。

 なんとも失礼な物言いのおばあさんである。

 

「立ち去れい!」

 

 あまつさえ、上半身だけで杖を構えたおばあさんはそのままおれに向けて炎熱系の魔術……要するにでっかい火球を放ってきた。

 死霊術師さんがいるし、べつにくらってもいいかな、と思ったが。ついさっき赤髪ちゃんに命は大切にしなさいと怒られたばかりなので、おれはきちんと赤髪ちゃんを庇いつつ、火球をしゃがんで避けた。

 

「へぶぅああああああ!?」

 

 結果。火の球はおれの隣につっ立っていた死霊術師さんに見事に直撃し、一撃で吹っ飛ばした。

 うーん、中々良い威力である。さすが、あの魔術地雷の作り手なだけはある。このお婆さん、間違いなく凄腕の魔導師だ。

 とりあえず、敵意がないことを示すためにおれは腕を大きく広げておばあさんに呼びかけた。股間の葉っぱが少し揺れる。

 

「まってください! おれはあやしいものではありません!」

「勇者さん勇者さん。素っ裸の時点でかなりあやしいので、この対応は仕方ないと思うんです」

「え、マジ? 大事なところは隠してるけど」

「大事なところしか隠せてないんですよね」

 

 赤髪ちゃんの視線が、微妙に上と下を行ったり来たりする。

 おれは赤髪ちゃんを庇いながら、前に出た。なんかケツの方に視線を感じるが、まあ気のせいだろう。これでも鍛えているので、おれは見られて恥ずかしいケツはしていない。

 

「キサマら、どうやってここまで来た?」

「いや、どうやってと聞かれても。ご覧の通り、地雷を踏んで吹き飛んできました」

「そんなわけがなかろう!」

 

 そんなわけしかないんだよなぁ。いや、本当にどう説明したものか。

 相変わらず杖を構えられた臨戦態勢のままのおばあさんと、睨み合う。

 

「ふぅ……あっちぃですわ。少々不覚を取りました。まさか、自己紹介をする前に死ぬとは」

 

 微妙に緊迫した空気感を破壊してくれたのは、やはり死霊術師さんだった。

 まるで何事もなかったかのように起き上がってきた五体満足全裸の美女を見て、おばあさんが目を丸くする。

 

「……? アンタ、なんで生きてんだい?」

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、しがない死霊術師をやっておりまして。殺しても死なないのが取り柄なのです。以後、お見知りおきを」

「は?」

 

 死霊術師さん、すげえな。なんで死なないの? という質問へのアンサーを「死霊術師です!」っていう元気一杯の自己紹介で済ませちゃってるよ。この厚かましさ、見習っていきたい。

 

「おばあさん、おれもしがない勇者をやっておりまして」

「黙ってな」

 

 おれはちょっと泣きそうになった。

 仕方ないので、さっきのおばあさんの疑問に答えることにする。

 

「あ、周囲の地雷はこの人が全部踏んできました」

「はぁ?」

「ええ、ええ! それはもう! あなたさまの地雷は大変素晴らしかったですわ! わたくし、昔は自爆が趣味でして、よく爆発していたのですが、久方振りに爆散する快感を味わい尽くすことができました!」

「はぁぁ?」

 

 あまりにも目を丸くしすぎて、おばあさんの目はそろそろ顔から溢れてしまいそうだった。

 まずはきちんと事情を説明して、臨戦態勢の杖を下ろしてもらたいところだったが、いつまでも素っ裸のまま、というのも、礼を失する。

 おれは死霊術師さんの肩を軽く叩いた。

 

「死霊術師さん、とりあえず服着たら?」

「むむ……たしかに勇者さまの仰る通りですわね。これは失礼いたしました。礼節を弁える常識人として知られているこのわたくしが、興奮のあまり素っ裸でご挨拶をしてしまうとは。魔王さま! わたくしにお洋服を着せてくださいませ!」

「勝手に着てください」

 

 べしっ、と。赤髪ちゃんが死霊術師さんにナース服を投げつける。死霊術師さんはいそいそとそれを着込んだ。

 

「ふぅ、これでいいですわね」

「何も良くはないよ。なんでナース服なんだい。アタシを馬鹿にしてんのかい?」

「わたくし、これが仕事着なもので」

「意味がわからないよ」

「今はしがない看護師をしております」

「アンタもうボケたのかい? さっきの死霊術師の自己紹介はどこにいったんだい?」

「わたくし、ナースで死霊術師なのです」

「仕事を舐めんのも大概にしな」

 

 死霊術師さんが飄々としているのはいつものことだが、いい加減おばあさんがイライラしてきたので、仲を取り持つために会話に割って入る。

 

「すいません。おばあさん、おれもこの筋肉が一張羅なもので」

「アンタはもうアタシの視界に入らんでおくれ」

 

 おれのウィットに富んだジョークはすげなく流された。

 あんまりな扱いである。おれの腹筋も泣いている。

 

「勇者さん」

「どうしたの、赤髪ちゃん」

「その、えっと……勇者さんの腹筋、触ってみてもいいでしょうか?」

「……いいよ?」

 

 むきっ。

 おれの腹筋も喜んでいる。

 

「アンタら、アタシの前でいちゃいちゃと乳繰り合うなら、さっさと帰っとくれ」

「まあまあ、おばあさま。落ち着いてくださいまし。こちら、粗茶ですが……」

「なんで勝手にウチの紅茶を淹れてるんだい!?」

「そこに良い茶葉とティーセットがあったので」

 

 結局、そのままみんなでティーブレイクという運びになった。

 

 

 

 机をおばあさんの側に寄せて、紅茶とお茶菓子を囲む。

 

「いやあ、良い香りです。落ち着きますね」

「そうかい? アタシゃ、目の前に全裸の男が座ってるからちっとも落ち着かないけどね」

「……? 全裸の、男?」

「勇者さん。多分勇者さんのことだと思います」

 

 妙だな。おれは全裸じゃなくて半裸なんだけど。

 まあ、テーブルに座ってると葉っぱが視界から隠れてしまうので、それで全裸に見えてしまうのだろう。おばあさんの視界は限られてるしな。安心してください、ちゃんと履いてますよ。

 

「それで、アンタらは何をしにきたんだい?」

「この周辺に設置されている地雷の撤去をお願いしに来ました」

「おばあさん! このクッキーおいしいです! おかわりありますか!?」

「アンタら、本当は何しに来たんだい? ウチは喫茶店じゃあないんだよ」

「いや、本当に地雷の撤去をお願いしに来たんです。本当です」

 

 おれの分のクッキーも、赤髪ちゃんの口の中に突っ込んで黙らせる。

 しかしおばあさんは、相変わらず半信半疑といった顔でおれたちを見ながら、深く息を吐いた。そして、杖を一振りして戸棚を開き、そこからクッキーを赤髪ちゃんの前まで移動させる。

 さらっとやってるけど、今のかなりすごくないか? というか、赤髪ちゃんにだけ甘くないか? 

 

「ギルドの依頼ねえ……そう言われても、信じられないね。見たところ、不審者にしか見えないが」

「信じてください。おれは包み隠さず自分を曝け出しているつもりです」

「普通の人間は初対面の人間に包み隠さず自分を曝け出したりしないんだよ」

「大事なところは隠しているつもりです」

「大事なところしか隠れてないだろ」

 

 言いながら、おばあさんは死霊術師さんが勝手に淹れた完璧な温度と蒸し加減で淹れられている紅茶を勢いよくカップに注いだ。

 紅茶がはねた。

 おれの乳首に当たった。

 あっつ。

 

「勇者さま、大丈夫ですか? わたくしのナース服着ますか?」

「ありがとう死霊術師さん。気持ちだけ受け取っておくよ」

「アンタはなんで服がないんだい?」

「さっきの爆発で、つい吹き飛ばしてしまって……」

「落としてきたみたいなノリで言わんでくれ」

 

 もうたくさんだと言わんばかりに、おばあさんは首を左右に振った。

 

「それ食って飲んだら、さっさと帰りな。もう来るんじゃないよ」

「わかりました。じゃあ、またこれくらいの時間に来ます」

「明日の爆発も楽しみですわね!」

「明日のお菓子も楽しみです」

「絶対に来るんじゃあないよ!」

 

 

 

 次の日。

 

「おばあさまー! 遊びに来ましたわ〜!」

「来ました!」

「こんにちは。お土産ありますよ」

「なんでまた来てんだい!?」

 

 おれは胸を張って笑った。

 

「どうですか、おばあさん。今日のおれはちゃんと服を着ていますよ」

「服を着てくるのは人間として当たり前なんだよ。そんなことでいちいち胸を張らんでおくれ」

「わたくしは今日も地雷を踏んで爆発してきたので、もちろん裸です!」

「……アンタ、本当に不死身なんだね」

「え? はい」

「いや、はいじゃないが……」

 

 またテーブルを寄せて、騒がしいティータイムがはじまる。

 

「ところで、せっかく昨日撤去したのに、どうしてまた地雷が元に戻ってるんですか?」

「うるさい虫が寄ってこないように、設置し直したに決まってるだろう」

「ええっ!? あの地雷って虫避けだったんですか!?」

「……」

「赤髪ちゃん。今のは多分、皮肉。皮肉だから」

「今日の爆発もよかったですわ。ただ、昨日に比べると少しだけ起爆のタイミングがズレているようでした。次からは気をつけてください」

「アタシゃ、そこそこ長いこと生きてきたつもりだけどね。爆発させた相手にダメ出しを喰らうのは、はじめての経験だよ」

 

 それはそうでしょうね。

 げっそりと肩を落としているおばあさんの背中をさすりながら、気になっていたことを聞く。

 

「ところで、よくこれだけの範囲に魔術地雷を設置できますね?」

「使い魔を使えばそう難しいことじゃないさ」

 

 またさらっとおばあさんはそんなことを言うが、賢者ちゃん曰く、使い魔を通じた魔術の使用は魔導を極めた賢者の中でも一部の人間しか精通していない超高等技能である。あの賢者ちゃんですら、余程の必要に駆られない限り、魔法で増やした自分自身を通じて魔術を使用している……と言えば、その特異性がわかるだろうか。

 

「おれたち、明日も来るので……」

「ああ、わかってるよ。どうせ地雷を撒くなって言うんだろ?」

「あ、べつに地雷はまた撒いてもらって大丈夫です」

「は?」

「いやだってほら、どうせこの人がまた全部踏んで行きますし」

「明日の爆発も楽しみにしております」

「……アンタら、頭イカれてんのかい?」

 

 自宅の周辺に地雷をバラ撒いているおばあさんには言われたくないな、とおれは思った。

 

 

 

 次の次の日。

 

「おばあさまー! 今日はわたくしが新しい茶葉を持ってきましたわ〜!」

「お腹空きました」

「こんにちは。お加減は如何です?」

 

 薬草を掲げてみせると、おばあさんは鼻を鳴らした。

 

「もう止めないから、勝手にやっとくれ」

「だってさ赤髪ちゃん。棚にあるお菓子全部食べていいよ」

「本当ですか!?」

「アタシが悪かったよ」

 

 今日のおばあさんは、手元に毛糸玉と糸と針、そして縫いかけのローブを持っていた。

 いや、新しいものにしては、それなりに使い込まれているように見える。昔から着ていたものを、補修していると言った方が正確だろう。

 

「年季の入ったローブですね」

「ああ。これは、元々ウチの婆様が着てたものさ」

「あらあら。それはそれは……」

 

 服飾品の類いには目がない死霊術師さんが、ずいっとおばあさんの側に体を寄せる。おばあさんは少し意外そうな顔をしたが、特に拒否することなく、死霊術師さんにそのローブを預けた。

 大きく広げたり、袖口を見たり、縫い目を確認したり。おれにはわからない拘りがあるのだろう。死霊術師さんは細かくローブを確認して、しきりに頷いた。どうでもいいけど、まだ素っ裸なので早く服を着てほしい。

 

「これは、本当に年季が入った品物ですわね」

「はっ! 古臭いデザインだって言いたいのかい? アンタみたいな若い娘には似合わんだろうね」

「まあ、そうですわね。わたくし、見ての通り美しいので!」

「死霊術師さん。胸張ってないで早く服着てください」

「ですが、このローブが大切に受け継がれてきたものであることは、見ればわかります。古着には歴史あり。大切に保管され、修繕されてきた衣服には、相応の価値があるものです。その価値は、デザインや機能性だけで測れるものではありませんわ」

「……へえ。少し見直したよ」

「死霊術師さん、良いこと言ってないで早く服着てください」

 

 素っ裸のまま熱弁を振るう死霊術師さんに、赤髪ちゃんがまたナース服を投げつける。

 きっとたくさんの思い出が詰まっているのであろうローブを抱えながら、おばあさんはゆったりと笑った。

 

 

 

 次の次の、そのまた次の日。

 

「おばあさま〜! 今日の地雷はちょっと少なかったんじゃありません?」

「こんにちは。お加減は如何ですか?」

「……おばあさん、寝てるみたいだね」

 

 あれだけ口うるさかった凄腕の魔導師は、嘘のように静かに眠っていた。

 最初に出会った日から、()()()()()()()()()()()()()彼女は、とうとう上半身すら起こせなくなっていた。

 

「……ああ、また来たのかい」

「おばあさん、無理は……」

「べつに無理はしてないよ。自分の体に残ってるもんはわかってるつもりだからね」

 

 天井を見上げたまま、瞳はどこか遠くを見ている。

 

「一人で死にたかったんだ」

 

 ポツリと。

 おばあさんは言った。

 それは、少し寂しい言葉だった。

 

「……肉親の方は?」

「孫娘が一人いたよ。これがまた、馬鹿な娘でね。アタシより才能はあったんだが、まあ本当にヤンチャな子だった。ちょいとケンカして出ていったっきり、ろくに帰ってきやしない」

 

 しわくちゃの手のひらが、古ぼけたローブを握り締める。

 彼女に贈るために、少しずつ、自由の効かない手で修繕していたに違いないそれに、死霊術師さんがそっと手を置いた。

 

「……待っていたのですね?」

「地面に仕込んだアタシの魔術を完璧に解除できるのは、あの子だけだからねえ。自慢じゃあないが、王都にいる天才賢者様とやらでも、解くことはできないだろうさ」

 

 事実、その通りだったので、おれは堪らず苦笑した。

 

「死ぬなら一人で。死に目に立ち会ってくれるのは、あの子だけでいいって……そう思って閉じこもってたのに……まさかアタシの魔術を踏み抜いてくる馬鹿どもが、のこのこやって来るとは思ってなかったよ」

「照れますね」

「褒めてないよ」

 

 声音が弱々しくなっても、おばあさんの言葉の切り返しはやはり鋭かった。

 

「本当に、最悪だよ。見ず知らずの他人に看取られるくらいなら、アタシは一人で死にたかったね」

「まあ、そう邪険にしないでくださいませ」

 

 掛け布団の上に重ねられたローブの上から、死霊術さんの指が滑らかに下りて、優しく重ねられる。

 

「これはわたくしの経験談なのですが……人間という生き物は、死ぬ時に一人だと、どうしようもなく寂しいものですよ?」

「おや? アンタは、死なないんじゃなかったのかい?」

「ええ、その通りです。ですが、こんなに強くて美しいわたくしでも、死にかける時は死にかけるものなのです。とはいえ、そんなことは滅多にありませんが」

「かわいくない女だね」

「ええ、よく言われます。わたくし、美しい女ですので」

「アタシと同じだ。苦労するよ」

「はあ? 一緒にしないでいただけます?」

「ああ、一緒じゃあないね。若い頃のアタシの方が十倍は美人だったよ」

「まったく、かわいくないババアですわね」

 

 やれやれ、と。

 深く深く、乾いた唇から息が漏れる。

 おれは顔を寄せて、おばあさんに問いかけた。

 

「お名前を教えていただけませんか?」

「いやだね」

 

 これまた、ばっさりと切り捨てられた。

 

「墓はいらないよ。手間をかけるが、骨はそこらへんに撒いておくれ。家は住みたい人間がいるなら、ギルドを通じて村の人に譲ってもらおうか。耄碌したババアが迷惑をかけちまったからね」

「……わかりました」

「悪いね。けど、()()()()()()()()()()に、余計な重荷を背負わせるほど、アタシはボケてないんだ」

 

 にひひ、と。

 溢れるような笑い声は、びっくりするほどに若々しくて。

 

「アンタらは、名前も知らないババアの死に目に、偶然立ち会った。そういう覚え方をしといてくれ。アタシの最後のワガママだ」

 

 それは本当に、すごくやんちゃな笑い方だった。

 笑うだけ笑って、おばあさんは目を閉じた。

 

「おい」

「はい。なんでしょう?」

 

 名前は呼ばれなかったが、死霊術師さんが自然に言葉を返した。

 

「あのローブは、アンタにやる」

「……よろしいのですか?」

「服は着るためにあるもんだからね。汚しても破ってもいいから、袖を通してあげとくれ」

「わかりました」

「頼むよ。アンタは……アタシの若い頃に、よく似てるからね」

 

 そうして。

 爆発がトレードマークの元気なおばあさんは、とても静かに息を引き取った。

 いつの間にか、死霊術師さんは手を離していた。

 

「死霊術師さん」

「なんでしょう?」

「手。もう握ってあげなくていいの?」

「……ええ。やめておきます」

 

 白い指先をひらひらと振って、死霊術師さんは呟いた。

 

「やっとぐっすり眠れたのに、わたくしが触って……うっかり起こしてしまったら、大変でしょう?」

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 服というのは結局のところ、どこまでいっても消耗品だ。毎日着ていれば擦り切れていくし、糸も解れる。だから修繕して手を加えてやらなければ、いつか着れなくなってしまう。

 あまり得意ではない糸仕事に四苦八苦していると、今日も元気な孫娘の声が聞こえてきた。

 

「おばあちゃーん! 見てみて! 昨日おばあちゃんが教えてくれた魔術で、でっかい猪、仕留めたよ!」

「アンタ、また勝手に狩りに行ったのかい!? 覚えたての魔術で狩りをするなってあれほど……」

「いひひっ! でも、おばあちゃんにお肉食べてほしかったし……!」

 

 このやんちゃな笑い方は、やはり遺伝なのだろうか。どうにも、血は争えないらしい。

 愛する孫娘の頭をぐりぐりと撫でて、また作業に戻る。

 

「ねえねえ、おばあちゃん! そのローブ、いつになったらあたしにくれるの!?」

「アンタがもう少し大きくなったらね」

「えー。もう待ちきれないよ〜! それじゃなくて、新しいのちょうだいよ〜!」

 

 たしかに。

 こんな古いものを修繕するよりも、村で商人を捕まえて新しいものを買ってきた方が、遥かに効率的だ。

 しかし、何故かそうする気にはなれなかった。

 

「そうさねぇ。けど、このローブは特別だからね」

 

 服というのは結局のところ、どこまでいっても消耗品だ。毎日着ていれば擦り切れていくし、糸も解れる。だから修繕して手を加えてやらなければ、いつか着れなくなってしまう。

 少しずつ、年を取っていく。

 人間と同じだ。

 

「いつかアンタにもわかるよ」

 

 けれど、服は人間よりも少しだけ長生きで、着る人のことを守ってくれる。

 

「大切にされてきた服には、命が宿るのさ」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 後日。

 村近くでモンスターの討伐を請け負った時のこと。

 

「死霊術師さん! 後ろ!」

 

 まずい、と思った時にはもう遅かった。

 忠告が間に合わず、死霊術師さんが後ろから襲ってきたリザードに、がぶりと上半身を喰われた。

 その身に纏っていた服ごと、喰われてしまったのだ。

 

「……あ」

「どうしたの勇者くん? 顔青くしちゃって」

「そうですよ。死霊術師さんが死ぬのはいつものことでしょう?」

 

 即座に剣戟と魔術が叩き込まれ、死霊術師さんを咥え込んだリザードが跡形もなく吹き飛ぶ。

 騎士ちゃんと賢者ちゃんは怪訝な顔でこちらを見ていたが、唯一事情を知る赤髪ちゃんが、おれの袖を後ろから引いた。

 

「勇者さん……おばあさんから貰ったローブが」

「……うん」

 

 もちろん、食われようが焼かれようが煮られようが、死霊術師さん本人に関しては、なんの心配もない。けれど、身に着けている服に関しては、そうもいかない。

 今日の死霊術師さんは、おばあさんから貰った、あのローブを羽織っていたのだ。あんな風に、頭から歯を突き立てられてしまったら、服はもう……

 

「ふぅ〜! 油断しましたわ。やっぱり頭から噛み砕かれるのは慣れないですわね〜」

 

「……え?」

「……は?」

「……えっと」

「……なんで?」

 

 困惑の声は、上から順に賢者ちゃん、騎士ちゃん、赤髪ちゃん、そしておれ。全員が、食い入るように死霊術師さんを見詰めていた。

 それは、死霊術師さんが生き返ったから、ではない。生き返るのは、いつも通りの日常茶飯事。うちのパーティーにとっては、当然で当たり前なこと。

 

「あらあら? みなさま、どうしたのです? そんな風に、穴が空くほど見詰めないでください。恥ずかしいですわ〜!」

 

 薄く微笑みながら、我がパーティーが誇る死霊術師は、()()()()()()()()()()()()()の前を合わせて、顕になった胸元を覆い隠した。

 

「え……死霊術師さんの魔法って、そういうのじゃなくない?」

「どうして、服まで再生してるんですか?」

「……あらあら、おかしなことを仰いますのね。そんなの、答えは一つに決まっているじゃありませんか」

 

 少しサイズの大きいローブを全員に見せびらかすように、死霊術師さんはくるりとその場で回った。

 

 

「想いの籠もった、素敵なお洋服は()()()()()()()()。でしたら、わたくしの魔法で蘇って当然でしょう?」

 

 

 まあ、ちょっとデザインがかわいくないのが難点ですけど、それは我慢しましょう、と。

 使い古されたローブを裸の上に羽織って、死霊術師さんは上機嫌に歩き始めた。

 

「え、えぇ……? そういうの、アリなの?」

「魔法は、解釈。心の、在り方。死霊術師が、服を生きていると定義したなら、あの服は生きている。そういうこと」

「さすがは死霊術師さんです!」

 

 師匠の言葉に対して、嬉しそうに赤髪ちゃんが頷く。

 

「あ、あのクソ死霊術師……一体どこで、そんなパワーアップイベントを挟んだんですか? この数日で修行でもして何かに目覚めたんですか? 地雷の処理しかしていないはずでは!?」

 

 事情を把握していない賢者ちゃんが、理解し難いと言いたげに呻く。

 

「でも、ちょうどいい。死ぬ度に素っ裸になられるよりは、羽織れるものがあった方がマシ」

「いや、それはそうですが……一体全体どういう理屈で……」

「いやあ〜、こればっかりは考えても無駄だと思うよ? 魔術ならともかく、魔法なんて使ってるあたしたちですらわからないことの方が多いんだし」

 

 事の経緯を、みんなに説明しようかと思ったが。顔を見合わせた赤髪ちゃんがいたずらっぽく笑ったので、おれは口を閉じた。なんでもかんでも、説明すれば良いというものでもないだろう。

 こちらを見上げる師匠と、目があった。

 

「良い出会いが、あったと見た」

「ええ、まあ。そんなところです」

 

 今にもスキップを始めそうな死霊術師さんの背中に追いついて、肩を叩く。他のみんなには聞こえないように、おれは小声で呟いた。

 

「似合ってるよ」

 

 振り返った黒髪が、波のように揺れる。

 

「はい。ありがとうございます、勇者さま!」

 

 目を細めて、白い歯を見せて笑う死霊術師さんのその顔は、綺麗というよりも、かわいかった。



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武闘家さんの愛ある修行

 我がパーティーで最も早起きなのは、師匠である。

 師匠の朝は、早い。とにかく早い。おれもそこまで寝覚めが悪い方ではないはずだが、師匠がパーティー入りしてからは、師匠よりは早く起きれたことがほとんどない。以前、死霊術師さんが「やっぱりババアは朝が早いものですわね〜!」と口を滑らせた際には丸一日裸ロープで逆さ釣りの刑に処されていたが、正直おれもちょっと同じことを思った。口は災いの元なので、決して言葉にはしないけど。おれがパーティーの中で一番こわいのは怒った師匠です。

 

「師匠。おはようございます」

「ん。おはよう」

 

 おれたちが宿泊している宿屋から少し歩いた場所には、ちょっとした空き地があり、そこは体を動かすには最適なスペースだった。最近の朝は、ここで軽めの運動をするのが日課になっている。

 今日はいつもより少し早めに来たのだが、やはりというべきか、師匠がすでに柔軟体操をはじめていた。のびーっと小さな体が、まるでスライムのように地面に溶けている。師匠はアホみたいに身体がやわらかい。

 昔、二人で地下闘技場の牢獄に捕まったことがあったが、その時は師匠が肩の関節を外すことで脱獄に成功した。小さくて体がやわらかい上にどこにでも入り込めるので、パーティーの斥候やアサシン的な役割も率先してこなしてくれるのがウチの師匠である。つくづく頭が上がらない。

 

「賢者と死霊術師は?」

「まだぐっすりですよ」

「怠惰の極み」

「まあ、あの二人は昔から朝は弱めなんで。寝かしておいてあげましょう」

 

 死霊術師さんもワーカーホリック気質の完全な夜型人間なので大概だが、特に賢者ちゃんは元々低血圧な性分なせいなのか、寝起きの機嫌がすこぶる悪い。あと、髪質の関係か寝癖もすごい。大体朝は頭を爆発させている。おれや騎士ちゃんが髪を梳いている間も半分寝ている状態がほとんどで、すごくぽわぽわしている。目が覚めるとつんつんしてくるので、バランスが取れているといえば取れているが、あんな感じで普段は大丈夫なのか、少し心配だ。

 なので、我がパーティーの早起き組は、第一に師匠。次におれ。もしくは、騎士ちゃんといった感じである。既に師匠の隣には、鮮やかに朝の光を受けて輝く金髪があった。

 

「おはよ、勇者くん」

「おっす。今日はどっちからいく?」

「あたしからやろっかな」

「じゃ、レディファーストでお譲りしますよ」

「おっけー」

 

 朝から朗らかな笑顔を浮かべている騎士ちゃんは、タンクトップだけのラフな格好だったが、髪をポニーテールにまとめ、すでに準備万端といった様子だった。

 

「すいません! 遅れました」

「おはよう。赤髪ちゃん」

「はい! おはようございます!」

 

 ぽてぽてと軽く走ってきた赤髪ちゃんは、向かい合う騎士ちゃんと師匠を見て、わずかに首を傾げた。

 

「あれ? みなさん、朝は体を動かしているとお聞きして混ぜてもらおうと思ったんですけど……お二人は何の準備をしてるんですか? わたし、てっきりみんなで走り込みとかするものだと……」

「ああ、まあそうだね。軽く走ったりする時もあるんだけど、最近はよく組手をやってるよ」

「くみて……ですか?」

「うん。最初は見学してたら良いんじゃないかな」

 

 騎士ちゃんと師匠が一定の距離をとって、向かい合う。

 

「おっと。赤髪ちゃん、もう二歩分くらい下がって。おれの隣に来た方がいい」

「え。なんでですか?」

「いや、単純に危ないから」

 

 騎士ちゃんの瞳が、すっと細まり、冷たくなった、その刹那。

 遠慮も容赦もなく、全力で振るわれた拳が、師匠の顔面に直撃。凄まじい拳圧によって生じた一陣の風が、おさげの形になっている赤髪を揺らした。

 

「ほへ?」

 

 目を丸くする赤髪ちゃんの驚愕を置き去りにして、騎士ちゃんのラッシュが続く。右から振り下ろすような殴打。下から顎を砕き抜くような蹴撃。踏みしめた地面が、みしりと音を立てて歪んでいるように錯覚してしまうほどの、重い拳と蹴り。

 

「初手から全力は、良し。でも、狙いが単純」

 

 しかし、師匠はそれらすべてを余裕をもって受け止めていた。脱力し、直立した状態で、顔面に浴びたように見えた一発も、実は止められていたことがわかる。

 相対する騎士ちゃんは、しかし師匠の指摘に返事を返さなかった。淡々と、殴打のラッシュが再開される。騎士ちゃんが攻め、師匠が守る。騎士ちゃんが攻めて、師匠が受ける。一方的に攻めている側が、しかし一方的に攻撃を受け流し続けられるという矛盾。

 その均衡を崩すべく。パターン化した攻め手に、相手が慣れきったタイミングを見計らって、騎士ちゃんの体が沈み込んだ。足首を刈り取らんとする足払い。それを避けるために、師匠の小さな体が片足でトンっと跳ねる。

 それこそが、狙いだったのだろう。

 ニィ、と騎士ちゃんの口元から犬歯が覗いた。

 逃げ場のない空中。そこに、全力の右ストレートが叩き込まれる。が、師匠は渾身の一撃を容易く受け流し、あろうことか体全体を回転させて、騎士ちゃんの右腕全体を絡め取った。

 そしてそのまま、右手で一撃。左手で第二撃。流れるように噛み合った二発の拳打を頭に受けて、騎士ちゃんの体が吹っ飛ぶ。

 なんというか、すごく痛そうだった。

 

「崩すための組み立てが、浅い。反撃の想定が、甘すぎる」

 

 うーん、スパルタ。

 容赦のないダメ出しを受けて、起き上がった騎士ちゃんの横顔は、より獰猛にギラついていた。

 

「っ……まだまだ!」

 

 再び鳴り響き始めた鈍い音の多重奏に、赤髪ちゃんが目に見えて一歩引く。

 

「あの、勇者さん……」

「んー?」

「騎士さんってあんな感じでしたっけ……」

「んー。騎士ちゃんは昔からあんな感じだよ」

 

 敵を仕留めた時とか、わりとじんわり浸るような笑みを浮かべるタイプだからなぁ、騎士ちゃん。普段は頭兜に隠れているのでわからないが、強い敵と戦っている時はテンションが引き上げられるのか、結構ああいう顔をする。まあまあこわい。とはいえ、あれもまた騎士ちゃんの()とも言える部分なので、否定するつもりはないのだけれど。

 

「重心は、乱さない。拳は、脚で打たないとダメ。直感に頼るのは良いけど、考えなしは身を滅ぼす」

 

 淡々とダメ出しをしながら、師匠は拳打の嵐の中を木の葉が水の流れに揉まれるように舞っていた。

 師匠、騎士ちゃんの動きを止めているわけじゃないから、あれで『金心剣胆』(静止の魔法)はまったく使ってないんだよなぁ……おかしいだろ。

 ちなみに、騎士ちゃんの魔力による身体強化の出力は、パーティー内ではおれに次ぐレベルである。というか、男性と女性の体格的なハンデがそもそもあるので、純粋な身体強化の精度と瞬間の出力は、騎士ちゃんの方が上だと言っても過言ではない。

 それらすべての重い打撃を、魔法なしで捌き続けている師匠の技量がどれだけイカれているかがよくわかる。

 遮二無二に空を切っていた拳が、遂に師匠の背後の大木を叩き折った。

 

「……ッラァ!」

「むむ」

 

 そこから、意表を突く()()()()があった。

 折れた倒木を、騎士ちゃんの片手が掴み取る。魔力の励起が、目に見えて伝わる。

 片手一本、振るわれた木の幹が、師匠の小さな体を真横から薙ぎ倒して、

 

「その場にあるものを、意表を突いて利用する。発想は、悪くない」

 

 吹き飛ばさない。

 またもや小さな体を回転させた師匠は、木の幹の上で寝そべるような自然さでその衝撃を受け流し、騎士ちゃんが振るった木の幹の上で逆立ちをしてみせた。これどんな曲芸? 

 

「っ!」

 

 騎士ちゃんが息を呑んだ、束の間。

 逆立ちの状態から離れた右の手のひらが、倒木を軽く叩いた。叩かれた瞬間に、少なくとも騎士ちゃんが振り回しても耐えられる強度があった倒木が、一発で粉々に砕け散った。なんで? 

 騎士ちゃんの体勢が、崩れる。

 師匠が水を得た魚の如く、また跳ねる。

 

「……そこまで!」

 

 おれの静止の叫びと共に、師匠の動きが魔法のようにぴたりと止まった。地面に倒れ込んだ騎士ちゃんの体を、師匠は小さな体躯を巧みに伸ばして、かっちりと抑え込んでいた。

 研ぎ澄まされた集中。全身が緊張した状態で、地面に組み伏せられた騎士ちゃんは固まったままだった。

 

「っ……」

「騎士。息、吸って」

 

 絞め技を解いた師匠は、騎士ちゃんのおでこをピンと指で弾く。汗で張り付いたきめ細やかな金髪が揺れた。

 

「……ふぅぅ。はっ、はっ……はっ」

 

 思い出したような呼吸が再開される。

 体がようやく意識に追いついたのだろう。緊張が解けた騎士ちゃんの全身から、汗が噴き出した。騎士ちゃんの魔法は自身の体温を含めた温度を完璧に調整できるが、極度の興奮状態に陥った場合は、魔法のコントロールを手放してしまうこともある。

 地面に大の字になったまま、冷たかった横顔にじわじわと温かさが戻っていく。鋭い目尻がふにゃりと溶けて、薄い涙が浮かんだ。

 

「うぅぅ……また負けたぁ〜!」

「当たり前。素手で武闘家が騎士に負けたら、沽券に関わる」

「でも武闘家さん、全然本気じゃない!」

「当たり前。()()()()()()の女の子に、本気を出せるわけがない」

 

 御歳千二十三歳になるおれの師匠は薄く笑って、二十四歳の立派な騎士の頭をなでなでした。

 

「……よし。じゃあ次は赤髪ちゃんやってみよっか」

「無理です。死んじゃいます」

 

 

 

 

 実際問題、ゆったりとランニングをする程度が朝の運動にはちょうどよい。

 おれは軽く汗を流せれば満足だし、赤髪ちゃんはぜーぜー言いながら「お腹、お腹空きました……」とすでに虚ろな目でうわ言を呟き始めていたが、最も運動量が多いはずの騎士ちゃんはまだ満足していなかった。

 

「ねー、武闘家さん。もう一回! もう一回だけやろうよー!」

「ダメ。騎士は加減を知らなすぎ。いつも自分の限界まで体を痛めつける。そういうの、よくない」

「今度は無理しないから! お願い! あ、でも今度は剣ありにして。剣ありでやりたい!」

「それなら、私も魔法を使わないとさすがに負ける。あと、手加減もできない。だから無理。やらない」

 

 師匠のきっぱりとした言葉に、ぐぬぬと頬を膨らませた騎士ちゃんは聖剣を片手に出現させて、ぶんぶんと振り回した。この世に一振りだけの聖剣が、まるでマラカスみたいである。

 

「勇者くん! 勇者くんからも何か言って!」

「はいはい、だめですよ騎士ちゃん。早く煉輝大剣(アグニ・ダズル)しまって」

「でも〜」

「でもじゃありません。騎士ちゃんが剣振り始めたら地形変わっちゃうでしょ」

「炎ちょっとしか出さないようにするから〜!」

「ちょっともダメです」

「じゃあ氷だけにする! 氷だけにするから!」

「いけません」

「勇者く〜ん!」

 

 大剣抱えてうるうると歯噛みしていた騎士ちゃんだったが、

 

「あ」

 

 ふと思い出したように煉輝大剣(アグニ・ダズル)を振るって、炎の斬撃を背後へと飛ばした。

 

「ぴぃゃ……!?」

 

 いくら軽く振るわれたとはいえ、騎士ちゃんの斬撃は世界を救った実績のある斬撃である。おれたちの背後をのたのたと歩いていた赤髪ちゃんは、目の前を通り過ぎていった炎の閃きに、顔を青くして腰を抜かした。

 なんか人間じゃない小動物みたいな悲鳴聞こえたな……じゃなくて。

 

「おいこら騎士ちゃん! 消化不良だからって赤髪ちゃんに当たって斬撃飛ばすな!」

「違うよ、勇者くん。誰か、あたしたちのこと尾けてる」

「え?」

 

 言われて、炎の刃で切り開かれた森の奥を見てみると、たしかにそこには人の気配があった。

 

「ひ、ひぃ……ど、どうか命だけは……!」

「……誰だ?」

 

 如何にも屈強な冒険者という荒くれた風貌の男が、地面にへたり込んで腰を抜かしていた。ポーズだけなら赤髪ちゃんとお揃いである。全然かわいくないけど。

 それにしても、つい最近。どこかで見たような顔の気がする。おれの気のせいか……? 

 

「あ」

「なに騎士ちゃん。知ってるの?」

「うん。この前ギルドでナンパされたから、火傷させた」

「……へえ」

 

 つまりストーカーか。

 なるほど。

 じゃあブチのめすか。

 

「ま、まってくれ! オレぁ、たしかにこの前そっちの騎士さんに失礼な真似をしちまったかもしれねえ……それは、謝る! だが、オレが話したかったのはアンタじゃねえんだ!」

「うん?」

「オレの名前は……」

「名乗らんでいい。早く目的を言え」

 

 男は、ちょこんと突っ立っている師匠を指差して、言った。

 

「そこのアンタ! オレは、アンタの正体を知ってるぜ!」

「……っ!?」

 

 呆れ混じりで弛緩していた空気に、再び緊張がはしる。おれと騎士ちゃんは黙って顔を見合わせ、赤髪ちゃんは相変わらず腰を抜かしたままぷるぷる震えていた。

 師匠は、その来歴からしておれたちとは少し違う特別な人間だ。あと、千年くらい生きてるちょっと長生きで不思議な人だ。

 その正体を知っている、と。この男は豪語した。

 まさか……

 

「忘れたくても忘れられるわけがねぇ……あの、熱い夜。この身に受けた、その拳を!」

 

 うん? 

 

「ようやくアンタの素顔を拝むことができたぜ……ゴールデン・サウザンド・マスク!」

 

 あ、思い出した。

 この人あれじゃん。

 殴り祭りで師匠にふっ飛ばされてた人じゃん。

 

「……」

 

 師匠はいつもの無表情を一切崩さぬまま、遂に閉ざしていた口を開いた。

 

「よくぞ、見破った」

「師匠それ持ち歩いてるんですか?」

 

 おかしいだろ。

 なんでそんな当たり前みたいなノリで懐からマスクを取り出せるんだよ。めちゃくちゃお気に入りじゃねぇか。

 もうあんまり見たくない趣味の悪い金色のマスクを見て、冒険者の男は目を見開いた。

 

「やはり、そうか……アンタが!」

「そう。私こそが、夜の闇を切り裂く、大いなる黄金の輝き……ゴールデン・サウザンド・マスク」

「師匠?」

 

 なんでこの人、仮面を持ち出すとこんなにノリノリなんだろう? 

 

「へっ……そうとわかりゃあ、やることは一つだぜ……!」

「なんだお前。師匠に手を出すつもりなら、まずは一番弟子のこのおれが相手になるぜ」

 

 不敵な笑みを浮かべた男に対して、おれは身構えた。

 

「そうか。やっぱりアンタはこの人の弟子か。そりゃあ、ますます都合が良い」

「なんだと?」

 

 チンピラは、抜かした腰を戻し、丁寧に地面に足をつけ、両手も同様にして、頭を深く深く擦りつけた。

 それは、見事な土下座だった。

 後ろの方で、相変わらず赤髪ちゃんは腰を抜かしたままぷるぷる震えていた。

 

「お願いします! このオレを、アナタの弟子にしてください!」

「……はぁ?」

 

 おれは堪らず、溜息を吐いた。

 まったく、舐められたものだ。土下座した男を見る師匠の目はきびしい。当然である。おれですら、地下闘技場で文字通り血の滲むような命のやり取りと、その後の下積み期間を経て、ようやく認められて弟子入りに成功したのだ。そんな土下座一つで、師匠に弟子入りできるわけがない。

 

 当然、師匠は言った。

 

「ん、いいよ」

「は?」

 

 おれは、腰を抜かした。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
 なんだかんだ武闘家さんに対しては「おれが一番弟子だぜ!」的な自負を持つ。腰を抜かして立てなくなった。

ぷるぷるしてた女
 ぽてぽてと走りぬたぬたと歩く赤髪の美少女。ぷるぷると腰を抜かして立てなくなった。

騎士ちゃん
 アリア・リナージュ・アイアラス。バーサーカータイプの姫騎士。戦闘中にテンションが引き上がるとちょっと人様に見せられない顔になることも。勝てない相手に対してはムキになる性質を持つ。魔法の特性上、汗を流すことは少ないがお風呂に入ったりしてる時や気分の問題で意図的にオフにすることもできる。金髪が汗で濡れるとえっち。

武闘家さん
 ムム・ルセッタ。またの名をゴールデン・サウザンド・マスク。
・ムムhead……戦闘中に相手の最適な殴り方を導き出す、優れた頭脳。ありがたい教えをゆっくりした口調で出力することも可能。
・ムムeye……敵の動作を瞬間に見切る、つぶらな瞳。大人を上目遣いに見上げて菓子をせびることも可能。
・ムムhand……敵を殴って吹き飛ばす、小さな拳。弟子やかわいい女の子の頭を撫でることも可能。
・ムムleg……飛んだり跳ねたりできる、短い足。水の上を走ることも可能。
・ムムbody……平坦な胴体。無駄のない洗練された造形には神が宿る。
・ムムheart……全身に血液を送ったりできる、小さな体の核。常にポジディブな熱い鼓動を刻んでいる。

バロウ・ジャケネッタ
 土下座。


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武闘家さんと魔王

 昔の話をしよう。

 千年近い時間を生きていても、あの時の自分は子どもだったな、と。

 過去の行いを振り返って、そんな反省をしてしまうのが、人間という生き物のおもしろいところであると、ムム・ルセッタは思う。

 それはまだ、ムムが勇者と出会った頃。普通の人間とは異なる時間の感覚を持つ武闘家からすれば、本当についこの間の、ほんの数年前の話。

 ムムと勇者の少年の仲は、決して褒められたものではなかった。

 

「ちょっといいですか。師匠」

「……」

「師匠? ちょっと師匠?」

「……」

「はあ……ムムさん」

「なに?」

 

 少年にそこまで名前を呼ばれて、ムムはようやく返事をする。

 対する少年は、あきれた顔で言った。

 

「なに拗ねてるんですか」

「べつに、拗ねてない」

「いやいやいや。明らかに拗ねてるじゃないですか」

 

 少年に指摘されて、ムムはつーんと横を向いた。

 少年の言う通り。その頃のムムは身も蓋もない言い方をしてしまえば、拗ねていた。

 今になって思い返してみると、少年はムムに弟子入りを希望してからすぐに「師匠!師匠!」と馴れ馴れしく呼びながら、まとわりついてきたので。それが、なんとなくおもしろくなかったのかもしれない。

 

「お前に、師匠と呼ばれる筋合いはない。師匠になったつもりもない」

「またまたそんなことを言って」

 

 少年はムムが自分よりもずっと歳上であることを既に知っていたが、外見のイメージに引っ張られてしまうのか、それともわざとやっているのか。まるで妹をあやすように、ムムの頭を軽くぽんぽんと撫でた。

 

「気安く、触らないで」

「はいはい。すいません、師匠」

「ムム」

「はい。ムムさん」

 

 繰り返しになるが。

 それは、ムムが生きてきた千年という悠久に近い時間の中では、本当についこの間の出来事で。

 けれどムムは、後に勇者になる少年と出会ったばかりの、その頃のことを思い返すと。

 ああ、自分はまだ子どもだったなぁ、なんて。そんなことばかりを思うのである。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 時を現在に戻そう。

 ムム・ルセッタは武闘家だ。

 拳を振れば大地を砕き、地面を蹴れば大地が揺れる。最強の武闘家である。

 そして、この世界を救った勇者の師匠でもある。ムムはこれまで、愛弟子である勇者を、時に厳しく、時に優しく、時に殴って、教え導いてきた。その結果、愛弟子は立派な勇者として魔王を討ち滅ぼすに至り、名実共に世界を救った勇者となった。

 そんなムムの愛弟子は、今。

 

「おらぁ! 足動かせ! 足ぃ! そんな体たらくで師匠の弟子名乗れると思ってんのか!?」

「ッス!」

「いいか!? お前は今、ウジ虫だ! まだ人間ですらない! 人間じゃないからお前はまだ師匠の弟子じゃない! わかったかウジ虫!」

「ッス!」

「理解できたら走り込みもう一周行って来い!」

「ッス!」

 

 新しく出来た弟弟子を、全力でしごいていた。

 ムムはおずおずと、指導用の竹刀代わりに聖剣をぶんぶんと振り回し、鼻息荒く指導に励んでいる勇者に声をかけた。

 

「あの、勇者。ちょっといい?」

「なんですか師匠。言っておきますけど、おれはまだアイツを師匠の弟子にするなんて認めてませんからね!」

「いや、べつに、普通に弟子に取っても……」

「はーっ!? ダメです。絶対にダメです。おれの目が黒いうちは、あんなどこの馬の骨とも知れぬ輩を師匠の弟子にするなんて絶対に許しませんよ! そもそも……」

「勇者、拗ねてる?」

 

 一言。

 ムムが口にした瞬間に、世界を救った勇者は膝を折った。

 それはいわば、胴体に響くボディブローであった。あるいは、一撃で致命傷となるクリーンヒットであった。

 一瞬、ぐっと黙り込んだ勇者は、しかし次の瞬間には顔をあげて、滑らかに言葉を紡ぎ始めた。

 

「はぁん!? べつに拗ねてませんが!? 全然拗ねてませんが!?」

「うそ。さっきから勇者、おかしい」

「べつにおかしくないです! 大体、おかしいのは師匠でしょう! あんな簡単に弟子入りを許して! おれの時は、弟子として認めてくれるまであんなに時間がかかったのに!」

「ほら、拗ねてる」

 

 拗ねていると同時に、勇者はいじけていた。

 それはもう、いじけていた。

 具体的には、ムムから距離を置き、膝を抱えて体育座りをはじめるくらいにはいじけていた。聖剣の切っ先が、小枝の代わりに地面にうじうじと絵を描く。

 この男が世界を救ったと言っても、誰も信じないであろう。そういう情けなさが、今の愛弟子にはあった。要するに、めちゃくちゃに駄々をこねていた。

 先ほど、新しい弟子を迎え入れてから、ずっとこの調子である。

 ムムは視線の先の勇者に向けて、呆れたため息を吐いた。

 

「勇者。そろそろ、機嫌直して」

「……いや、べつに機嫌を悪くしてるわけじゃないですけど」

「うそ。見るからに拗ねてる」

「何度も言いますが、べつに拗ねてないですよ!? 全然拗ねてないですからね!?」

 

 いや拗ねてるじゃん、とムムは思った。

 

「ゆ、勇者さん! ほら、元気出してください! わたしのおやつちょっとあげますから!」

「うう、ありがとう赤髪ちゃん……おれの味方は赤髪ちゃんだけだ」

 

 見るに耐えない駄々をこねている大の勇者を、おろおろと少女が慰める。本当に、情けないこと極まりない光景であった。

 自分が何を言ったところで、今の勇者には逆効果になるだろう。ムムは、隣に座っているアリアの肩を軽く叩いた。

 

「騎士。なにか言ってあげて」

「嫉妬で拗ねている勇者くん……そっか、そういうのもあるのか」

「……あの、騎士?」

 

 アリアは何故か、新たな発見をしたかのようにしきりに頷いていた。

 反応がない。ただの恋する乙女のようだ。これはもうしばらく使い物にならない。

 ムムは諦めて、もう一度勇者に向き直った。

 

「勇者。何が不満?」

「……いや、べつに不満とかはありませんが」

「うそ。不満しかない顔してる。気に入らないことがあるなら、はっきり言ってくれないとわからない」

「じゃあ言わせてもらいますけど! わざわざ新しい弟子なんて取らなくても、師匠にはおれがいるじゃないですか!」

「べつに、弟子は一人とは決めていない」

「でも! おれの時は弟子にしてくれるまであんなに時間かかったのに!」

「あの頃は、私もまだ若かった」

 

 ああ言えばこう言う、とはまさにこのことだろうか。

 そんなやりとりを繰り返している間に、律儀に走り込みを終えた弟子入り志望が戻ってきた。

 

「ッス! 戻りました!」

「早い!」

「え?」

「あ、間違えた。遅ぉい!」

 

 勇者の言動にはもはや威厳の一欠片も残されてはいなかったが、その声量と勢いだけで、弟子入り志望の荒くれ者はすっと背筋を伸ばして叫んだ。

 

「ッス! ですよね! すんません! 次はもっと早く戻ってこられるように、頑張ります!」

 

 中々殊勝な態度の新しい弟子を見て、ムムはふと気がついた。

 

「あ。そういえば、名前」

「はい?」

「名前。聞いてなかった」

「ああ、失礼しやした! 自分はバロウ! バロウ・ジャケネッタと申します、師匠!」

 

 ふむ、と。ムムはその元気な声に頷いた。返事が良いのは、自分の弟子の第一条件である。

 とはいえ、この二番弟子がいくら名乗ったところで、いじけて拗ねて駄々をこねている一番弟子は、人の名前を覚えることも呼ぶこともできない。

 なので、代わりの名前が必要だ。

 

「勇者。なんか、こいつにあだ名つけて」

「はあ!? どうしてこんなヤツにそんな親しみを持たなきゃいけないんですか!?」

「よろしくお願いします。兄弟子!」

「うるせえ! 兄弟子って呼ぶな!」

「お願いします。兄貴!」

「やめろ! 距離感をちょっとずつ近づけんな!」

 

 なかなか図太い対応で勇者に擦り寄っていくバロウとそれから必死で距離を取ろうとする勇者を見て、ムムはほんの少し笑った。

 

 

 

 

 たっぷり昼まで指導した、帰り道。

 

「なかなか悪くない筋をしていた」

「そうですかぁ?」

「うむ。勇者も先輩として、指導の経験を積むと良い。教えるということは、自分にとっても鍛錬になる」

「むぅ……まあ、師匠がそこまで言うのであれば……」

 

 素直になれない愛弟子は、かわいいものだ。

 昔は師匠と呼ばれるのがいやだった。けれど、今の勇者はもうムムのことを「師匠」と。あるいは他人行儀に「武闘家さん」と呼ぶことしかできない。

 それはムムにとって、やはりさびしいことである。

 しかし、勇者が師匠というムムの立ち位置を。その在り方と繋がりをムムが思っていた以上に大切にしてくれていたのは、ムムにとってもうれしいことであって。

 だから、

 

「わたしは、勇者が拗ねてくれて嬉しい」

 

 服の裾を摘むと、愛弟子はその意図を汲んだのか、腰を低くした。

 

「あの、師匠」

「なに?」

「これ、ちょっと恥ずかしいんですけど」

「じゃあ、勝手に恥ずかしがっていればいい」

「えぇ……」

 

 苦笑とともに下げられた、くすんだ赤髪に触れる。

 くしゃくしゃと、少し手荒に撫で回す。

 

「甘えたい時は、私にたくさん甘えて良い」

「いや、そんな子どもじゃないんですから……」

「わたしくらい生きていると、生きてる人間はみんな子ども」

「何も反論できない……!」

 

 とはいえ、一番弟子は勇者でも、()()()()()()()()()()()のは、勇者が最初ではない……という話は、また拗ねるからしないほうが良いだろうな、と。ムムはそう思った。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 昔の話をしよう。

 千年も生きていると一年単位の時間の感覚がズレてくるので、それが正確に言えばいつだったか、ムムは覚えていない。ただ、勇者が弟子になった時期はよく覚えているので、そこから逆算しておよそ一年か二年前、もしくは三年前くらいのことであったと記憶している。

 ムムが当時暮らしていたボロ小屋の扉を勢い良く開いて、その少女は現れた。

 

「頼もぅ!……とか。こういう時はそういうセリフを言えばいいのかしら?」

 

 それは、特異な少女だった。

 そこに立っているだけで、目が惹かれる美貌。

 耳に入るだけで、心が引き込まれるような、甘い声。

 まるで舞踏会で身に纏うような、豪奢な真っ白なドレス。

 そして、光を受けて輝く長く白い透明な髪。

 

「誰?」

 

 ムムは問いかけた。

 

「それを答える前に、あなたにお願いがあるの」

 

 やはり思わず見惚れてしまうような、優雅な礼を伴って。

 少女は言った。

 

「すいません……わたし、昨日から何も食べてなくて。ご飯とか、ありますか?」

 

 それが世間で『魔王』と呼ばれる少女であることを、世捨て人に近い生活を送っていたムムは、まだ知らなかった。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
ずっと拗ねていた。師匠とは頭を撫でたり撫でられたりする関係。

赤髪ちゃん
お前そのオヤツどこから出した?

騎士ちゃん
アリア・リナージュ・アイアラス。
拗ねてる勇者くんに可能性の獣してた。

武闘家さん
ムム・ルセッタ。
甘やかし上手のロリ師匠。相手が屈んでくれないと頭を撫でられないという致命的な弱点を抱える。

バロウ・ジャケネッタ
二番弟子。イカつい見た目に反して抜けた天然なので「『ユーシャ』って変わった名前だなぁ」とか考えてる。



魔王様
世界を滅ぼそうとしていた魔王。実は勇者くんと出会う前から武闘家さんとは知り合いだった。
強すぎて弱点と呼べる弱点は存在しないが、方向音痴でお腹が空くのが早いという特徴を持つ。


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武闘家さんと魔王と、馬鹿弟子たちと

「おかわりを所望するわ」

「もうない」

 

 華奢な身体の、一体どこに入るスペースがあったのか。

 その少女はムムが出した保存食の乾パンやら干し肉やらを片っ端から平らげ、すっかり胃袋の中に収めてしまった。

 満足気に、少し膨れたドレスの腹をさする少女を眺めながら、ムムは深く深くため息を吐いた。

 

「まったく、大した食いっぷり」

「ありがとう」

「べつに、褒めてない」

「何かお礼をしたいのだけれど」

「べつに、必要ない」

「まあまあ、そう言わずに」

 

 人好きのする、と言えばいいのだろうか。

 ともすれば鋭利な美貌とは真逆に、少女の微笑みはどこか子どもらしさも残す、やわらかいものだった。

 例えるならば、見た目は同じで、明らかな差があるわけではない。それでも、喉を潤した瞬間に美味いとわかる、秘境の湧き水のような。一言では決して形容できない。同性であるムムが見惚れてしまうような魅力が、少女にはあった。

 しかし、そんなムムの心中など気にする様子もなく、気ままに周囲を見回して少女は聞いてきた。

 

「センセイは、武術を教えているの?」

「センセイ?」

「だってここ、道場でしょう?」

「……ああ」

 

 言われてから気がついた、というように。

 実際に、言われてからそれに気がついて、ムムは周囲を見回した。

 たしかに、ここは道場である。もっとも、あちこちから雑草が生い茂り、今にも潰れそうな有様の……という注釈が付くが。

 

「もう誰も使ってなかったから。わたしが、勝手に間借りしているだけ」

「じゃあ、やっぱりセンセイは師範というわけね!」

「人の話、聞いてた?」

「いいわね! わたし一度『ケンポー』というものを学んでみたかったの!」

 

 どうやら、人の話を聞く気はまったくないらしい。

 

「そんなヒラヒラした格好で、教えられることは何もない」

「そう? わかった。じゃあ脱ぐ!」

「は?」

 

 止める間もなく、少女は襟周り、腰回り、ドレスの背中、と。順番に、あっという間に手をかけていった。

 するり、と軽やかに衣が落ちる音がして、やはりドレスと同じくらい豪奢なデザインの下着が顕になる。色は白。惜しげもなくあしらわれたフリルに、彼女の見た目にはややそぐわない色香を醸し出す、ガーターベルト。

 決して成熟しているわけではない、けれど大の大人でも忙殺できそうな細い肢体を空気に直接晒して、少女はあまりない胸を張った。

 

「どう? センセイ! これなら動きやすいでしょう?」

「あなた、バカ?」

「え? うーん。そうね。仲間からはよく言われるけど」

 

 ムムが思っていた以上に、少女は話すと残念なタイプのようだった。

 とはいえ、そんな提案を真に受けるほど、ムムは暇ではなかったし、お人好しでもない

 

「わたしが、あなたに教えれられることはない。そもそも、わたしはあなたより年下」

「え? センセイ、わたしよりもずっと年上でしょう? 嘘はよくないわ」

 

 一瞬の間があった。

 その会話の間に生まれた空虚すらも楽しむように、少女はまた微笑んだ。

 それは、先ほどまでとは、少し種類の違う笑みだった。

 

「あなたは、なに?」

「……ええ、そうね。申し遅れました」

 

 ドレスの裾を指で持ち上げようとした少女は、自分が既にそれを脱ぎ捨てていることに気がついて、微笑みを苦笑に変えた。

 生まれたままに限りなく近い姿で礼を済ませて、告げる。

 

「わたしは、魔王。目標は、世界の滅亡」

 

 謳うように。

 溶かすように。

 言い聞かせるように。

 一歩ずつムムに近づいた少女は、自分よりも小柄なその体を見下ろして、手を伸ばした。

 硝子細工の瞳に、吸い込まれるかのような錯覚。透明な結晶に見詰められて、言葉を絞り出せなくなる。

 ムムの背後の壁に手をついて、逃げ場を潰して、魔の王は問い掛けた。

 

「ねぇ、センセイ。わたしと一緒に、世界を滅ぼしてみませんか?」

 

 それは、明確な勧誘だった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「ねぇ、そこのハゲさん。あなた、ウチのパーティーで荷物持ちでもしませんか?」

 

 それは、明確な勧誘だった。

 

「え、オレっすか?」

「ええ、あなたです。ここ数日、武闘家さんに弟子入りしたあなたの働きぶりを観察していましたが、実に気に入りました。ちょうど、アゴで都合良く使える下働きが一人くらいほしかったところです」

「おいやめろ賢者ちゃん!」

 

 おれはイスに深く預けていた上体をがばりと起こした。

 普段は多少のわがままには目を瞑っているが、流石にそれは許容できない。パーティーを率いるリーダーとして、即座に反論する。

 

「言っておくが、おれはコイツを師匠の弟子として、まだ認めたわけじゃないからな!」

「じゃあなんでハゲさんに肩揉ませてくつろいでるんですか?」

 

 バカ弟子が一人増えてから、およそ一週間。

 持ち前の人の良さというか、要領の良さというか、元々持ち合わせていたそこそこのスペックの高さでバカ弟子はあっという間にパーティーに馴染んでいた。

 あと、おれはこいつの名前がわからないので、とりあえずあだ名は『ハゲ』にした。丸刈りっぽいヘアスタイルで、ちょっと前髪が後退しているからである。

 生半可なメンタルを持ってるヤツならそれだけで心が折れそうなものだったが、バカ弟子はからからと笑って「まあ、ウチのじいちゃんもハゲてたらしいっすからね〜。遺伝には逆らえないっすね!」などとほざいていた。まいった。ちょっとメンタルが強すぎるぞこのハゲ。

 メンタルが強すぎるので、おれはとりあえず宿屋の食堂でくつろぎながら、バカ弟子、もといハゲに肩を揉ませてこき使っていた。これが中々に気持ち良い。

 

「おい! 力弱いぞ!」

「ッス! すいませんアニキ!」

「何度も言わせるな! おれはお前の兄貴じゃねぇ!」

「ッス! すんません兄弟子!」

「兄弟子でもねぇ!」

「じゃあオレはアンタの何なんですか?」

「えっ……なんだろう」

「破局寸前のカップルみたいな会話してますね」

 

 賢者ちゃんがジトっとした目でいらんことを言ってるが、おれは聞こえないふりをした。

 

「仕方ない。ちょっと賢者ちゃんの肩も揉んできてあげなさい」

「ッス!」

「助かります。では、まずこちらの私からお願いしますね。土木作業でくたくたなので」

「あ〜これはたしかに腰回りにきてますね」

「そうでしょう? そっちの私が終わったらこちらの私もお願いします。ギルドの事務作業で肩がガチガチで……」

「あ〜たしかにこれは肩やってますね」

「いや、それは一人にまとめてあげなさいよ」

 

 遠慮も何もなしに、賢者ちゃんは増殖した自分用に、バカ弟子をマッサージ係として使い倒そうとしていた。あまりにも人を顎で使うことに躊躇いがなさすぎる。ちょっと将来が心配だ。

 

「ところで、アネさんたちは結局何姉妹なんすか?」

「今は大体七姉妹ですね」

「ほえ〜すごいっすねえ」

 

 バカ弟子はバカ弟子で、あまりにも人を疑うということ知らなすぎる。ちょっと将来が心配だ。

 

「おーい、おとうと弟子くーん。そっち終わったらあたしもマッサージしてよ」

「え、いや騎士のねーさんはちょっと……」

「は? なんで?」

「いや、また火傷しそうで……」

「えー、変なとこ触らなきゃ大丈夫だよ」

「マッサージで変なとこ触らない自信がちょっとないんですよね」

 

 騎士ちゃんともすっかりわだかまりが解けたらしい。

 なんでも、出会った時はいやなことがあって荒れていたらしく、しこたま呑んでいたとかなんとか。まあ、おれも酒に呑まれることはたまーにあるので、そういうこともあるだろう。

 

「ハゲさん! ギルドからクエストの伝言です! こちらが用紙になります!」

「ああ、すんません赤髪さん。そこに置いといてください。あとこれ、すくねぇですがお駄賃です。地元のやつですが……」

「お菓子ですねっ!?」

 

 赤髪ちゃんは赤髪ちゃんで……いやもう、うん。やっぱおれ、この子が一番心配だわ。知らない人にお菓子渡されてもついて行かないように、また言い聞かせておこう。

 

「みんな、あんまり弟子をこき使わないで。修行、再開する」

「あ、師匠」

「お師匠! おつかれさまです!」

「うむ。いくぞ、バカ弟子」

「はいッス!」

「よし、行って来い」

「お前も弟子」

 

 師匠に耳を引きずられて、宿屋を出る。

 バカな弟子が増えてから一週間。こういうやり取りにも慣れてきた。

 悪くない時間だった。

 

 

 

 修行も、なんだかんだで滞りなく進んでいた。

 

「うむ。筋が良い」

「ありがとうございます!」

 

 師匠は基本的に、嘘を吐かない。こと、修行に関しては、思ったことをそのまま率直に伝える。

 なので、師匠が筋が良いといえば、それは間違いなく「才能がある」ということだった。千年近く生き続けてきた師匠には、おれには見えないものが見えている。それを疑う余地はない。

 単純な強さは別にして、師匠が見えているものを同じように見るためには、やはり千年近い時間と修練が必要になってくるだろう。たかだか二十年と少ししか生きていないおれには想像しかできないが、しかし漠然とそんな確信だけはあった。

 

「ハゲは、どうしてわたしに弟子入りしようと思ったの?」

「あ、やっぱりそれ気になるっすか?」

「うん」

 

 腰を落ちつけて、バカ弟子は困ったようにはにかんだ。

 

「いやぁ、なんといいますか。オレ、こう見えて荒くれ者じゃないっすか」

「見た目からしてチンピラだもんな」

「照れるッス」

 

 だから褒めてねぇんだよ。

 

「だからまぁ、基本に立ち返って。一度きちんと習ってみたくなったんすよね。『武術』とか『拳法』ってやつを」

「どうして?」

「そりゃもちろん。お師匠の拳が綺麗だったからですよ」

 

 面と向かってそう言われて、師匠は真顔のまま目を瞬いた。

 

「ま、オレみたいなチンピラが今さら一から学ぼうなんて、ちょいと遅すぎるとは思いますけど……」

 

 ヘラヘラと笑うハゲに、師匠は言葉を返さない。

 この野郎、師匠に向かってストレートにきれいとか言いやがって……

 

「おいお前! 師匠を口説いてんのか!? おれの目が黒い内は師匠を口説くなんてゆるさねぇぞ!」

「え、兄弟子はお師匠のことが好きなんですか!?」

「ああ好きだよ!」

「……オレは応援してるっす! 恋愛に歳の差は関係ないですからね!」

「違うそうじゃない!」

 

 ちょっとまってほしい。誤解を招いた。

 おれはたしかに師匠のことが好きだが、そういう好きじゃない。

 

「そもそも、おれと師匠じゃ歳の差がえらいことになるだろうが!」

「そうっすねロリコン」

「それも違う!」

 

 おれの方が年下なんだよ! 遥かに! 具体的には千歳くらい! 

 おれとハゲの馬鹿なやりとりをぼんやりと聞いていた師匠は、おれたちの間に割って入った。

 

「実はわたしも、尖ってた時期がある」

「え、お師匠もですか?」

「うん。昔の話。でも、こうして落ち着いて自分の拳と向き合えるようになったのは、わりと最近」

 

 師匠の目がこちらを見た気がしたが、おれは気づかないふりをした。

 

「だから、大丈夫」

 

 ちょいちょい、と。

 師匠に手招きされたので、おれは仕方なく細い腰に持手を回して……要するに抱っこする形で持ち上げた。ハゲが無駄にデカすぎるからである。

 懸命に手を伸ばした師匠は、刈り上げられた頭の上にぽんと手を置いた。

 

「あなたは今、自分から変わろうとして前に進んでいる。何かを始めるのに、遅すぎるということはない」

 

 まさか、頭を撫でられて、褒められるとは思っていなかったのか。ただただ目を丸くして固まっていたバロウは、しばらくして吹き出すように笑った。

 

「もしかして、触り心地いいっすか?」

「うん。悪くない」

「じゃあしばらく撫でてくれていいっすよ」

 

 

 

 

 師匠は基本的に、嘘を吐かない。そして、嘘を吐かないということは、人の嘘も簡単に見抜いてしまうということである。

 だから、あのハゲが()()()()()()()()()()、おれたちに近づいていることは、師匠もわかっているはずだった。

 おれにできて、師匠にできないことはもちろんある。

 でも、おれが見抜けて、師匠に見抜けないことはない。

 だからその日の修行を終えた帰り道、師匠は言った。

 

「勇者」

「なんです?」

「今夜は、一人にしてほしい」

「わかりました」

「あと、わかってると思うけど。あの子、ちょっと心配。勇者も、気にかけてあげてほしい。念の為に、これを預けておく」

 

 手渡されたそれを見て、そのあまりの用意の良さに、おれは夕焼け空を仰ぎたくなった。

 思わず暴言を吐き出したくなるのをぐっと堪えて、言い返す。

 

「師匠」

「なに?」

「おれはまだ、あいつを師匠の弟子として認めたわけじゃありません」

「うん。知ってる」

「……だからおれは、あいつの兄弟子じゃないですし、助けてやる義理もないですよ?」

「うん。それも、知ってる」

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 辺境の土地では、人が生きるために必要な当たり前の倫理が、当然のように無視される。

 

「よう。バロウ。調子はどうだ」

「上々です」

 

 夜の闇が、風景に溶け込んでしまうような時間帯。

 村からそれなりの距離がある、寂れた廃墟の屋敷。そこをアジトにする人飼いは、簡単に言ってしまえば法を無視する奴隷商人である。

 バロウは、柱に繋がれたり、檻の中に収められている奴隷たちを軽く見やった。

 人飼いは、その名の通り人間という商品を取り扱い、土地の権力者に取り入り、非合法な人命の売買を生業として勢力を拡大してきた組織だ。

 今回、バロウが彼らから受けた依頼は、極めてシンプル。とある少女を攫って売り渡す、とても簡単なものだった。

 

「しかし、今回のターゲットは腕の立つガキだって話だったのに、よく連れて来られたな。例の祭りにはオレの部下も混じってたが、大の大人でも歯が立たなかったって聞いたぜ?」

「そりゃあ、正面から立ちあった時の話です。寝込みを襲えば、連れ去るのは簡単ですよ」

 

 言いながら、バロウは少女がぎりぎり収まるサイズの、小さな木箱を床に置いた。

 奴隷を戦わせる非合法な闘技場は、見世物として金になる。騎士団が常に目を光らせている都の近くならいざ知らず、辺境の土地でそれらの娯楽を咎める者は誰もいない。

 腕の立つ小柄で容姿の整った少女は、コロシアムの見世物として、まさしくうってつけだった。

 

「成長したなぁ、バロウ。オレぁうれしいぜ」

「恐縮です。ボス」

 

 昔を懐かしむように、人飼い首領の目が細まる。にこりともせずに、バロウは淡々と頷いた。

 直接、言葉を交わすのはひさしぶりだ。

 バロウは、彼らに()()()()()()ことがある。

 より正確に言えば、彼らに飼われて、バロウ・ジャケネッタという男は育てられた。特別でも、悲劇的でもない。きちんとした教育の場がない未開発の土地では、これもまたよくある話である。

 人飼いの実務に協力したことはない。それがいやで、バロウは死ぬ気で身を立てて、別の方法で稼げる冒険者になった。

 それでも、過去の繋がりからは逃れることはできない。事実、この周辺で活動する冒険者の多くが、彼らの活動を見て見ぬ振りで誤魔化している。ギルドにその首を差し出せば、まとまった額の賞金が手に入るにも関わらず、誰も手を出さないのは、単純な話。もはや巨大な組織になった人飼いという集団に、誰も勝てないからである。

 

「いつもの上納金は?」

「こちらに」

「結構だ。仕事ができるヤツは嫌いじゃあない。そのチビ、ツラもいいんだろ? 泣き顔を肴に一杯やろうぜ」

「承知しました。では……」

 

 バロウは、おもむろに木箱を開いた。

 十数人の人飼いたちの視線が、その一点に集中し、賑やかだった空間に沈黙が満ちる。

 いやになるほど静かな、驚愕があった。

 箱の中には、少女はおろか、虫の一匹すら入ってはいなかったからである。

 

「……バロウ。これは、どういうことだ?」

「どうも何も。見ての通りです。ボス」

「おい、てめぇふざけてんじゃ……」

 

 一撃。

 声を荒らげて向かってきた男の顔面を、バロウの正拳が突いた。

 それはこの一週間で、バロウが新しく学んだ拳の打ち方だった。

 

「ふざけてねぇよ。逆だ、逆。オレは、ふざけるのをやめたんだ」

 

 こういうのを、絆された、というのだろうか。

 情に引きつけられ、心や行動を縛られる。なるほど。そういう意味では、たしかにバロウはあの師匠と兄弟子に、心を縛られていた。

 

「バカが。情でも沸いたか?」

「……有り体に言やぁ、そうかもしれませんね」

 

 最初はもちろん、タイミングを見計らって攫うつもりでいた。しかしいつの間にか、今まで知らなかった拳の打ち方を知るのが楽しくて。純粋に、言葉を交わすのが楽しくて。気がつけば自然と、これ以外の選択肢が浮かんでこなくなってしまっていた。

 最低限、自分一人が気ままに生きていくために。

 そのための力があれば、それで十分だとバロウは思っていた。

 

 でも、どうやらダメらしい。

 

 真っ直ぐに、芯の通った拳の握り方を。

 背筋を伸ばした、その構えを教えられてしまったら。

 もう捻くれて、曲がることはできない。

 

「今さら、オレたちに逆らって何か変わるとでも思ってんのか?」

「そっちこそ知らねえのか? 何かをはじめるのに、遅すぎるってことはないんだぜ」

 

 だから、ここからはじめることにした。

 たとえ、ここで終わってしまうとしても。

 

「オレの命に代えても。あの人たちを、アンタらみたいなクソ野郎どもには売れねぇなあ」

 

 バロウ・ジャケネッタはチンピラ冒険者だ。

 決して褒められるような生き方はしてこなかった。

 胸を張れるような、太陽の下を自信を持って歩いていけるような人間ではないことは、自分自身が一番よくわかっている。

 それでも、クズには、クズの矜持があった。

 

「遺言はそれでいいのか?」

 

 首領の声音には、もはや怒りもなく。

 ただ純粋な殺意だけが滲んでいた。

 生き残れる、とは思っていない。元より、人数の差は比べるまでもなく。バロウは最初から勝ち目がないとわかっていても、けじめをつけるために、この場に来た。

 

「もういい……やっちまえ」

 

 そう。だから。

 そんな馬鹿の、浅はかな考えを、彼の小さな師が予想していないわけがなかった。

 

「……よし、やっちまおう」

 

 首領の声に応じる、飄々とした声があった。

 その静かな声と同時に、バロウに襲いかかろうとしていた二人が、声もなく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 扉も、窓も、開いた形跡はない。この場にいる全員が、それを見逃すはずがない。

 まるで、何らかの特別な方法で瞬間移動でもしたかのように。

 その青年は、唐突に姿を現した。

 

「おい! テメェ、どこから入り込みやがった!」

「ここがどこだかわかってんのかぁ!?」

 

 奇しくもそれは、バロウと同じ構えであり。

 しかしそれは、バロウよりも洗練された構えであって。

 だけれどもそれは、何も知らない人飼いのチンピラたちが一目見て理解できるほどに、どこまでもバロウと同じ拳だった。

 

「……なにもんだ。おまえ」

 

 怒声が響く中。

 珍妙なデザインの、()()()()()をつけた青年はたった一言。

 己の正体を、告げた。

 

「その馬鹿の()()()だ」




こんかいのとうじょうじんぶつ

武闘家さん
ムム・ルセッタ。実は魔王様直々に下着壁ドンヘッドハンティングを受けていた。もしも勧誘を受けていた場合、四天王として猛威を振るうポジションについていたかもしれない。

賢者ちゃん
苦労人。あ、そこですそこです。効きます

騎士ちゃん
お姉さん。なんか増えたなぁ、と思っている。

赤髪ちゃん
お使い。最近はお駄賃としてもらったお菓子を食べずに溜め込んでおくことを覚えた。恐るべき知略を持つ。

ハゲ
バロウ・ジャケネッタ。武闘家さんを攫うために接近していたが、一週間の青空拳法教室で身も心もきれいなハゲとしてピカピカになった。武闘家さんは嘘を吐かないので、筋が良いのは本当。才能のあるハゲ。

黒い仮面の男
バロウの窮地に突如として現れた黒い仮面の男。その正体は謎に包まれている。





魔王様
食い倒れ脱衣癖持ち勧誘壁ドンガール。世界を滅ぼそうとする前、彼女は旅をしていた時期があり、ふらふらと色んな場所に行ってはそれなりの頻度でピンチになったり行き倒れたりしていたので、当時の仲間たちからはとても心配されていた。方向音痴で燃費が悪い上に、様々なことに興味を示しては透明な瞳を輝かせて首を突っ込んで引っかき回すため、致命的に旅に向いていない。
魔王として名をあげてからも積極的にヘッドハンティングを行っており、世界を滅ぼすために優秀な人材を引っ張ってくるのに躊躇いがなかった。そういうところは、世界を救うために強いヤツを片っ端から集めていた勇者そっくりである。


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武闘家さんと魔王と、勇者

「おれの名は……マスクド・ブラック・ブレイブ」

「なにやってんすか兄貴」

「兄貴じゃない。マスクド・ブラック・ブレイブ」

「え、でも兄弟子って言ってましたし。それに、どう見ても兄貴……」

 

 うるせえ。

 返事の代わりに、おれは背後にぬぼっと突っ立てたチンピラバカの腕を取り、引き上げ、ハゲに向けて投げ飛ばした。普通に力を込めてぶん投げたので、家具やら壁やらを破壊して、チンピラの体がダーツの如く突き刺さる。

 おれのことを兄貴だの兄弟子だのと呼ぼうとしているふざけたハゲは、体を大きく仰け反らせてそれを避けた。ちっ。修行の成果がよく出てるな……。

 

「のぉあぁあ!? あ、あぶなっ!?」

「おれの名はァ! マスクド・ブラック・ブレイブ!」

「わかった! わかりました! わかったっす! 助けに来てくれてありがとうございます! マスクド・ブラック・ブレイブ!」

「か、勘違いするなよ! おれはべつに、お前を助けに来たわけじゃない!」

「えぇ……」

 

 ハゲ馬鹿弟子は信じられないものを見るような目でこちらを見てきたが、おれは後ろ殴りかかってきたもう一人の顔面を裏拳でしばきつつ、主張した。

 

「おれは偶然たまたま、この場所を通りがかったに過ぎない」

「あ、はい」

「だが、ここで会ったのも何かの縁。何を隠そう、おれもかつては、お前と同じ拳聖に師事した身の上」

「何も隠せてないと思うんすけど」

「今夜だけは、お前のその心意気に免じて、おれもお前の隣で同じ拳を振るおう」

「もしかして師匠みたいにその仮面付けてノリノリになってます?」

「そんなわけねえだろお前からしばき倒すぞ」

「すいません」

 

 正直、師匠にこの仮面を渡された時はそのまま投げ捨ててやろうかと思ったが、あまりにも「これで、わたしと勇者の仮面は、お揃い。うれしい」みたいな純粋な上目遣いでこちらを見上げてきたので、ノリノリで装着せざるを得なかった。おれは基本的に師匠には弱い。というか今も昔も勝てない。

 

「でも、助けに来てくれてありがとうございます! マスクド・ブラック・ブレイブ!」

「フルネームで呼ぶのはやめろ。恥ずかしいから」

「どうしろと!?」

 

 とはいえ、顔を晒したまま助けに来ると何の誤魔化しも効かなくなってしまうので、顔だけでも隠せるのは有り難い。

 

「なんだてめぇ! 趣味の悪い仮面つけやがって!」

「ああ、うん。おれもそう思う」

「ぐべぇあ!?」

 

 ナイフを構えて突っ込んできたチンピラの腕を、構えられたナイフごと蹴りで叩き折る。昔なら便利な魔法があったので、体で受けても何の問題もなかったのだが……こういう時は、使えなくなった魔法が少し恋しくなる。

 まあ、魔法が使えないからといって、こんな小悪党ども負ける道理はないのだが。

 

「で、コイツらは何だ?」

「……人飼いっす」

「人飼い? そんな職業まだ息してたのか」

 

 昔、魔王軍と繋がっていた人間の組織を探る過程で、そういう非合法な組織は見つけた先からぷちぷちと潰していったはずである。生き残っていた組織があったのか、はたまたおれたちの目を逃れた地下組織があったのか。いずれにせよ、人間の悪性は時に悪魔よりも度し難いらしい。

 

「ここで育てられたのか?」

「……」

 

 常に素直に、率直に。おれや師匠の質問にはバカ正直に答えてきたハゲ弟子は、この問いにだけは答えを詰まらせて、顔を下に向けた。隙あり、と言わんばかりに剣と斧を振り上げた二人組が突っ込んできたので、掌底を一発ずつ打ち込んで黙らせる。

 

「話したくないなら、話さなくていい」

「え?」

 

 いかつい見た目のわりにはつぶらな瞳が、驚いたようにこちらを見る。

 人間、絶対に人に話したくない過去の一つや二つ、持っているものだ。おれだって、騎士ちゃんや賢者ちゃんに話せないことはいくつかある。

 

「ただ一つ言っておくと、師匠に隠し事はできないぞ。見た目がちっちゃいからって油断してると、なんでも見抜かれちまうからな」

 

 おれが仮面を付けてここにいることが、その証明だ。

 そして、ちょうど師匠くらいの子どもが一人入りそうなサイズの箱が空っぽで投げ出されていることが、師匠の考えの正しさを証明していた。

 

「……オレのあとを尾けてたんじゃないすか? オレが怪しいことも、お二人ならわかってたはずですよね?」

「ああ。おれは最初はそのつもりだったよ。でも、師匠は違った」

 

 自嘲が多分に含まれた呟きを、おれはあっさりと肯定し、そして否定する。

 コイツを弟子とは認めない、と。おれは師匠にはっきり言っていたし。コイツに何らかの裏があることを、おれも師匠もわかっていた。

 それでも師匠は、新しい弟子を責めることも疑うこともせずに、ただ「気にかけてあげてほしい」と。それだけをおれに告げた。

 

 なぜか? 

 

「素直なんだよ。うちの師匠は」

 

 なんてことはない。

 自分の弟子を、信じているからだ。

 

「……ありがとうございます」

「それは帰ったら直接師匠に言ってあげてくれ」

 

 多分師匠は、このバカ弟子がどんな過去を抱えていようと。どんな思惑を持っていたとしても。

 無表情のまま、淡々とこう言うだろう。

 

 昔の話だ、と。

 

 おれたちの何倍もの過去を生きているはずの拳聖は、けれど誰よりも現在を見ている。

 前を向き、顔を持ち上げた弟分と、おれは背中を合わせた。じりじりと、残りの人飼いたちが武器を構えておれたちを取り囲み、距離を詰めてくる。

 

「ところで、一個聞いていいか?」

「なんです?」

「コイツらの首って、賞金かかってたりする?」

 

 明日の昼飯を聞くくらいの軽さで、おれは聞いた。

 

「まあ、それなりの額はかかってるんじゃないすかね?」

 

 明日の昼飯を決めたくらいの軽さで、弟分は答えた。

 

「おいおい。そりゃ最高だな」

 

 背中越しにも、笑った気配が伝わった。

 

「なにをニヤニヤと笑ってやがる! やっちまえお前らぁ!」

 

 そこから先は、一方的な蹂躙だった。

 殴り飛ばし、蹴り飛ばし、投げ飛ばす。背中を任せて、気にしなくていいというのは、とても楽だ。思う存分向かってくる敵を、片っ端から叩きのめすことができる。

 この程度の人数の差は、関係ない。師匠が鍛えた拳に、そんな理屈は通じない。構えた拳に正しさがあれば、どこまでも貫き通せる。そういう修行をつけてくれるのが、おれたちの師匠だ。

 ものの数分で、立っている相手をほとんど床に敷き詰めるカーペットに変えて。残った最後の一人……人飼いのボスらしき人物は、短剣を引き抜いて()()()()()()()()()()に駆け寄った。

 

「く、来るんじゃねえ! こいつがどうなってもいいのか!?」

「……おぅ」

 

 いっそ清々しいほどの小悪党の足掻きに、仮面の下から呆れた目を向ける。いや、逆に仮面があるから、おれが呆れた目を向けていることが、あっちにはわからないのだろうか。冷や汗が流れる顔に、勝ち誇るような下卑た笑いが張り付いている。

 おれはそこでようやく、地面に落ちていた質の悪い長剣を拾い上げた。人質を取っているにも関わらず武器を手に取ったおれを見て、首領の口から唾と一緒に叫びが漏れ出る。

 

「てめえ! 武器を拾うんじゃねえよ! これが、どういう状況かわかってんのか!?」

「ああ、今捨てるよ」

 

 仮面の下から、おれは奴隷の女の子を見た。

 おれは、長剣に触れている。おれは、少女を見詰めている。

 

()()()。ジェミニ・ゼクス」

 

 条件は、すべて満たしている。

 

 

哀矜懲双(へメロザルド)

 

 

 その一声で。

 おれが握っていた長剣と、人質に取られていた女の子が、そっくりそのまま()()()()()()

 

「は……え? あ?」

 

 何が起こったのか理解できず、手元の長剣を呆然と握り締める首領を見て、弟分は静かにため息を吐いた。

 

「兄貴、なにやってるんすか。敵に武器渡しちゃってるじゃないですか」

「いや、修行の成果を見るにはこれくらいのハンデは必要だろ」

 

 震えている女の子を抱き上げながら、おれは「じゃ、あとはよろしく」と後ろに下がった。代わりに「わかりました」とでかい背中が前に出る。

 言葉の意味を、理解したのだろうか。首領の顔が、真っ赤に染まる。

 

「ふ、ふざけんじゃねえ! ふざけんじゃねえぞ! 『   』ッ! てめえ、オレに受けた恩を忘れやがって!」

 

 おれには聞こえない名前を口汚く罵しりながら、首領は左手の短剣と右手の長剣を振り上げた。

 

「お前を育てて、いたぶって、かわいがってやったのが、誰か……もう忘れたのか!? ええ、おい!?」

 

 巨体が両手に武器を携えて、突っ込んでくる。

 女の子を抱き上げているおれは、拳を構えることもできない。構える必要は、最初からなかった。

 

「てめえがオレにぃ! 勝てるわけねえだろうがぁ!」

 

 音もなく、滑り込んだ体は、見えているかのように長剣を避けた。

 音もなく、滑らかな拳は、わかっているかのように短剣を叩き落とした。

 握り締められた拳に、大仰な叫び声は伴っていなかった。ただ、静かに構えられたそれは、どこまでも正確に、人体の急所である顎を突いた。

 たった一撃ですべてを終わらせた、おれの(おとうと)弟子は、沈み込む巨体を見下ろして、一言。告げた。

 

()()()()

 

 この修行の成果は、師匠にも見せてやりたいな、と。

 おれはそう思った。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 武闘家の、昔の話である。

 

「ねえ、センセイー! どうしてわたしの仲間になってくれないの!?」

「しつこい」

 

 魔王を名乗る少女から勧誘を受けるようになって数日。すっかり居候と化した彼女はムムから借りたシャツだけをだらしなく羽織って、だらだらと寝転びながら相変わらずムムへの勧誘を続けていた。

 

「だってセンセイ、どうせ暇でしょう?」

「暇じゃない。修行してる」

「修行してもそれを試す相手がいないじゃない」

「そんなことはない。時々は試してる。大会とか、賞金首倒したりとか」

「で、誰も勝てないんでしょう? センセイ、強すぎるから」

 

 少女の言葉は、まるで透明なガラスを覗き込んでいるかのように、ムムの不満と焦燥を言い当てていた。

 

「わたしなら、その拳を振るえる場所を用意してあげられるのに!」

「……興味がない」

「うそ。センセイだってわかってるはずでしょう? だって、目的のない拳に価値なんてないもの」

「うるさい」

「ごめんなさい。怒らせてしまったかしら?」

 

 じゃあ、お詫びと言うのもおかしいかもしれないけれど……と。

 

「わたしと勝負してみない? センセイ」

 

 少女はムムに、挑戦状を叩きつけた。

 

「……良い。望むところ」

「よかった。本気できてね? センセイ」

 

 言われなくても、立ち会いにおいてムムは手を抜く気はなかった。

 自信はあった。自負はあった。

 

「死なないように、手加減はしてあげるから」

 

 それらすべてを真正面から踏み砕いていくほどの、ただひたすらに圧倒的な力があった。

 それは、はじめて見る魔術だった。

 それは、理解のできない魔法だった。

 稲妻のような速度と、閃光のような衝撃。

 それこそ、大人が子どもの手をひねるように。ムム・ルセッタはこの日、魔王に敗れた。

 数百年の時を生きてきた武闘家にとって、最も手痛い敗北だった。

 

「わたしの勝ちね」

「……うん。わたしの負け」

「じゃあ、センセイ。一緒に来てくれる?」

 

 全身が痺れて動かない中で、まともに動く首と目だけで、差し出された手を見る。

 昔もこんなことがあったな、とムムは思った。

 

「……あなたの勝ち。それは認める」

「! じゃあ……」

「でも、ダメ。一緒にはいけない」

「なんで!?」

「目標が、できた」

「目標?」

「うん。魔王を真正面から殴れるようになるっていう、目標が」

 

 大きな目を、驚いたように瞬かせて。

 それから少女は、困ったように微笑んだ。

 

「無理よ。魔王を倒せるのは、勇者だけだもの」

「そんなことは、やってみなきゃわからない」

「今、こんなにズタボロに負けたのに?」

「今はそう。でも、未来はわからない」

 

 こちらを見下ろす魔王の微笑みに、影が落ちる。

 

「そんなに長く生きているのに。センセイは、未来に絶望しないの?」

「……わからない」

 

 肯定でも否定でもない答えを、ただ繰り返す。

 長い長い時間をゆっくりと消費するように、ムムは繰り返した。

 

「わからないけど……わかる。わたしも、数え切れない時間を生きてきたから。人間の汚いところ、たくさん見てきたから。あなたがやろうとしていることが、わからないわけじゃない」

 

 長く暮らした村で、歳を取らない化け物だと、石を投げられて追放されたことがある。

 少しだけ、と考えて身を置いた屋敷で、そのまま奴隷商人に売られたことがある。

 数百年を優に超える時の中で、人間の汚い部分を、ムムは数え切れないほど見てきた。

 それでも。

 

「わたしは多分、あなたよりもほんの少しだけ……まだ、人を信じている」

 

 はじまりは、一人の男のお節介だった。

 山の中で独りぼっちだった自分に手を差し伸べてくれた、師父のささやかな優しさが、ムム・ルセッタの根底にはずっと残っている。

 どれだけの時間が過ぎようと。

 どれだけの絶望を経験しようと。

 その輝きは、ムムにとって変わらない永遠だった。

 

「……素敵な出会いがあったのね」

「うん。何年経っても、忘れられない」

「羨ましいわ」

 

 ぽつりと漏れたその呟きも、おそらく彼女の本心だった。

 

「あと、もう一つ。これは本当に、個人的な理由だけど」

 

 人間は愚かな生き物だという、魔王の諦観をムムは理解できる。

 あるいは、世界を滅ぼそうとするその行為には、ある種の正しさがあるのかもしれない。

 それでも。

 

「この世界が滅んでしまったら、わたしが最強を証明する場所が消えてしまう」

 

 一人の武闘家としての、利己的な欲求(エゴイズム)があった。

 自分の師が追い求めていた武の道は、きっとこの少女の理想とは違うところにあるという、確信があった。

 

「だから、わたしはあなたに手は貸せない」

「ふふっ……あはは! なにそれ……センセイって、本当におもしろい人ね」

「よく言われる」

 

 無邪気にひとしきり笑って、笑い尽くしたあとに。 

 魔王は、決して伸びないムムの髪に指を伸ばして、そっと絡めた。

 

「……わたしの手を取らなかったら、あなたは、今よりももっと辛い思いをすることになるかもしれない」

「構わない」

「……体は欠けなくても、人の心は磨り減っていくものよ。いつか、粉々に砕けて消えてしまうかもしれない」

「構わない」

 

 倒れたまま、彼女を見上げてムムは言い返す。

 

「あなたが世界を壊そうとするように。この世界を救おうとする人も、きっといる。いつか終わりの時が来るのなら、わたしはその輝きにこそ、寄り添いたい」

「……そっか」

 

 髪に指を絡めたまま、少女の顔がムムに近づく。

 

「そんな良い人が見つかるとは思えないけど」

「さっきも言った。わたしは、あなたよりも少しだけ人を信じてる」

「……うん。じゃあ、もしもそんな人と出会えたら。わたしを殺しに来てね、センセイ。その時は今度こそ。わたしが、センセイを殺してあげるから」

「望むところ」

 

 見詰め合う時間は永遠のようで、けれど一瞬で。

 彼女の笑みには、駄々を捏ねていたそれまでとは違う、納得があるようだった。

 

「あーあ……フラれちゃった。このわたしの勧誘を断るなんて、センセイがはじめてよ?」

「そう。なら、よかった。あなたの、はじめてになれて」

「……ええ。わたしの名前がもっともっと広まったら、魔王と一対一で対決したことがあるって、自慢するといいわ」

「そうする」

 

 するする、と。

 着たときと同じ、豪奢なドレスを再び身に纏った彼女は、最初のやり直しと言わんばかりにその裾をつまみ上げて。今度こそ、優雅に一礼した。

 

「またお会いましょう。センセイ」

「うん。また、いつか」

 

 そうして。

 勇者と出会った武闘家は、魔王になった少女と、再び対峙の時を迎えた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「おかえり」

「はい。ただいま戻りました」

 

 ぶらぶらと足をふらつかせながら、師匠はおれの帰りを木の上で待っていた。どこか遠くを見ていた瞳が、こちらを向く。

 

「何か、昔のことでも思い出してたんですか?」

「……そんなところ」

 

 くるん、と小さな体が一回転して地面に着地する。

 

「どうだった?」

「ほとんど師匠の予想通りですよ」

「そう。なら、よかった」

 

 軽く頷いて、師匠はおれの服の裾を握った。

 

「勇者」

「え、なんです?」

「仮面つけて。仮面」

「…………」

 

 くどいほどに繰り返すことになるが、おれは師匠には絶対に逆らえないので、諦めて懐に入れていた仮面を装着した。

 眠そうだった目が、きらきらと輝く。

 

「おぉ……」

「師匠?」

「良い……」

「外していいですか師匠?」

「写真に残したい……」

「絶対にやめてくださいね師匠」

 

 しばらく外見の年相応とでも言うべき、子どもっぽい視線に見上げられて。師匠が満足したであろうタイミングを見計らって、おれは仮面を外して深く息を吐いた。

 

「あのバカ弟子は、夜明けを待ってギルドの人間に人飼いたちを引き渡すそうです。奴隷になってた人たちの援助も、それと合わせて……」

「そう」

「……他に何かないんですか?」

「べつに、ない。二人とも、無事でなにより。わたしが鍛えてるから、無事に決まってるけど」

「……はい。師匠の言うとおりです」

「ふふん」

 

 おれが手近な岩に腰掛けると、その上にちょこんと。師匠の小さな体が乗っかった。おれの膝の上にそのまま載せられてしまうほど、やはり師匠の体は小さい。

 

「勇者はどうだった?」

「え、何がです?」

「ひさしぶりの実戦で。あの双子悪魔の魔法、使えた?」

「……はい。使えました」

「そう。なら、よかった」

 

 またおれの膝の上で足をぶらぶらとさせながら、師匠は言葉を続ける。

 

「魔法が使えた、ということは。勇者は()()()()()()()()()()()()()()()()ということ」

「……はい。そうですね」

 

 その理由はわからないが、しかしジェミニを倒したあとも、おれの魔法の……『黒己伏霊(ジン・メラン)』の効果は変わらず維持されていた。

 殺した相手の、名と魔法を奪う。

 おれの魔法は、まだ生きている。

 

「わたしたちの名前は、相変わらず忘れたままだけど。でも、魔王が遺していったその()()に、意味がないとは思えない」

「……はい」

「物事には、必ず理由がある。魔術にも魔法にも、理がある。その秘密を探っていけば、もしかしたら名前を取り戻すきっかけを掴めるかもしれない」

 

 こちらを振り向かないまま、背中を向けたまま、師匠は淡々と言葉を続ける。

 

「前に、死霊術師に、言われた。わたしは、勇者を救うことを諦めてる、って」

「……いや、師匠。そんなことは……」

「ムカついたから、その時はぶっ飛ばしたけど。でも、あいつの言うことにも、一理あるかもしれないって。そう思った」

 

 師匠の色は、黄金だ。

 黄金の輝きは永遠であると、人は口を揃えて言う。

 でも、その永遠を知っているはずのおれの師は、永遠の傍らに常にあるはずの停滞を、決して許さない。

 

「だから、前に進もう。勇者」

 

 静かに、師匠は言い切った。

 

「あなたはまだ、強くなれる。また、強くなれる。師匠のわたしが、保証する」

 

 師匠は振り向かない。

 師匠の体は小さくて、師匠の体は少し心配になるほどに軽い。

 しかし、間近で見るその背中は、やはり誰よりも大きかった。

 

「……魔王を倒して、世界を救い終わったのに、まだおれに強くなれって言うんですか? 師匠」

「そんなことは、()()()。わたしは、これから先の話をしてる。拳の研鑽に、果てはない」

 

 それに、と。

 

「わたしは、あなたの師匠だから。最後まで、あなたの面倒を見る、義務がある」

 

 振り返った師匠の横顔は……失礼かもしれないけど、ちょっとびっくりするほどに大人っぽい、きれいな女性の微笑みだった。

 

「……そうですね。じゃあ、またおれを鍛えてください。師匠」

「無論、そのつもり。とりあえず、宿までダッシュで帰る」

「は? いやちょっとま……」

「負けた方が、赤髪にお菓子を奢る」

「なんでっ!?」

「よーい、どん」

「師匠っ!?」

 

 跳ねるように走り出した、小さな背中を追いかける。

 誰よりも過去を積み重ねてきたおれの師は、誰よりも現在(いま)を楽しみ、そして未来を見据えている。




死霊術師さんは巨乳でボン・キュッ・ボン。いつもは大人っぽく妖艶に微笑んでいるものの、時々すごく子どもっぽい笑い方をする。
師匠はロリでツルッ・ペタン・ツルン。いつもは無表情で仏頂面の愛想のない子どもだが、時々驚くくらい大人っぽい優しい笑い方をする。
そういうところでもこの二人は正反対だといいですね。

次回は賢者ちゃん回です。なんと賢者ちゃんが増えるみたいです


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賢者ちゃんはよく増える

 賢者、シャナ・グランプレの朝は遅い。

 

「んっ、ぐ……ぬぅ」

 

 潰れたカエルのような呻き声を漏らしながら、シャナは癖っ毛の頭を布団から出した。

 魔術の研究やら開発やらで夜更しが常習化し、元々の寝付きもすこぶる悪く、寝られたところで夢見も悪く、そこに直しようのない体質の問題である低血圧でトドメを刺されている賢者の寝起きは、すこぶる悪い。

 なので基本的に、パーティーメンバーの誰かがシャナをベッドから引きずり出しに来るのが常である。

 

「シャナー。起きてるー?」

 

 今日はアリアが扉を開けて、部屋に入ってきた。

 脳筋姫騎士はシャナとは真逆に早起きで、既に朝の鍛錬も終えている。締め切られたカーテンを手際良く開いて、アリアはシャナの体をぐいぐいと揺すった。

 

「……んぅ」

「朝だよ朝だよ! はい起きてー。ほら起きてー!」

「…………あと、十分」

「もー、わがまま言わないの。みんなもう起きてるよ〜。最近は赤髪ちゃんだって早めに起きてあたしたちと走ってるんだよ?」

「……ぬぅ」

 

 いつものシャナなら「良い心掛けですね。あの胸に無駄に付けた脂肪を落とすにはちょうど良いでしょう」くらいは言うものなのだが、寝起きの頭でそれだけの毒を吐くには回転が足りていない。

 アリアに為されるがまま布団を剥がれて、のそのそと上体を起こして、シャナは猫のように大きな欠伸を吐いた。いつもはふわふわしている銀髪が、寝起きの頭ではものの見事に爆発している。

 

「もー! やっぱり寝癖すごいじゃん! 早めに起きて自分で準備しないとだめでしょ!」

「……めんどくさい」

 

 シャナは基本的に自分の顔の良さを自覚はしてるものの、着飾ることに関しては無頓着である。

 

「王都では朝の支度とかどうしてたの!?」

「学院では、身の回りの世話は、やってくれる子をいつも側に置いているので……」

「またそうやって周りに甘えて〜! 今回みたいに急に旅に出ることになった時はどうするの? お世話してくれる人がいつもいるわけじゃないんだよ、まったくもう……」

「……だって、そういうときは()()()()()()()()()がやってくれるし……」

 

 寝坊助賢者から飛び出した一言に、アリアは固まった。あまりにも、不意打ちであった。

 アリアおねえちゃん、と。

 まだ三人で旅をしていた頃。まだシャナが小さかった頃の、昔の呼び方をされて、口うるさいお母さんモードに入りつつあったアリアは、完璧にフリーズした。

 それは、母性本能の敗北であった。アリアという姫騎士は、基本的に人に頼りにされたり甘えられるのが好きなので……根本的に、ちょろい。

 

「し、仕方ないな〜! ほら頭出して!」

「ん〜」

 

 寝起きが一番だらしないけど、寝起きが一番かわいいかもしれないなぁ……などと思いながら、アリアはシャナの癖っ毛に手際よく櫛を入れていく。

 

「そういえばシャナ、髪切らないの?」

「……なんでですか?」

「いや、短くすれば朝とかお風呂の後も楽だし。フード被る時も基本的には邪魔になるでしょ? シャナは、短いのも似合うと思うんだけど」

「……勇者さんが」

「ん?」

「……勇者さんが、多分長い髪の方が好きだから」

「そっか」

 

 やっぱり寝起きが一番素直だから、一番かわいいなぁ……などと、アリアは勝手に確信した。

 

「勇者くんもこの前、寝起きの頭が結構爆発してたし、お揃いみたいでいいかもね」

「は? いつ勇者さんの頭の寝癖直したんですか? それ寝起きですよね? 寝起きに勇者さんの部屋入ったんですか? なにやってるんですか?」

「いや急に起きるじゃん……」

 

 かわいくなくなった。

 

 

 ◇

 

 

 賢者、シャナ・グランプレの仕事は多い。

 

「では、今日の予定を確認しましょう」

 

 アリアに朝の身支度を八割くらい手伝ってもらい、どこに出しても恥ずかしくない美少女賢者の見た目になったシャナは、増えた自分自身を見回して言った。

 寝起きで身支度ができていない状態で『増殖』しても面倒が増えるだけなので、最近は準備をすべて整えた状態で増えるのが基本になっている。

 

「私はギルドの受付へ」

「私は畑の見張りと、生育の指導に」

「私は土木作業の手伝いに」

「私は子どもたちの教室に行ってきましょう」

 

 今日も今日とて、シャナは増えた自分自身に仕事を振り分ける。村人たちが能天気で細かいことは気にしない性格のおかげか、シャナの五つ子設定も問題なく馴染んできた。おかげで、仕事とお金が稼ぎやすくて助かる。

 

「賢者さんはなんというか、本当に働き者ですね……」

「あなたが働いてないだけでは?」

「はぅ……! そ、それは……賢者さんに比べたら、全然お金を稼げていないかもしれませんが……」

 

 赤髪の少女の呟きに毒を吐き返してから、しかしシャナは口元に手を当てて考え込んだ。

 

「あなた、今日も暇ですよね?」

「ひ、暇じゃありません! 宿でみなさんの留守を預かっています!」

「やっぱり暇なんですね」

 

 働かざる者食うべからず、というが、彼女に関しては働かなくてもよく食べているので、たまにはこき使ってもいいだろう。

 

「私の仕事、少し手伝ってみますか?」

 

 てっきり、面倒臭がられるか嫌がられると思ったのだが、

 

「いいんですか!? 行きます!」

 

 赤髪の少女は、シャナの懸念とは対照的に、笑顔の花を咲かせて大きく食いついた。

 

「良い返事ですね」

「はい! よろしくお願いします!」

「わかりました。それでは、どの私にしますか?」

「え、選べるんですか……?」

 

 

 ◇

 

 

 ギルド受付嬢、シャナ・グランプレの仕事は多い。

 

「支払金はこちらです。次の受注ですか? そうですね……簡単なものでしたら、こちらにまとめてあります。そちらのパーティーの人数を鑑みると、こちらから選んでいただくのが良いと思いますが、緊急性の高い案件は掲示板に張り出してあるので……」

 

 とはいえ、書いて、読んで、説明することに関して、研究者であるシャナはプロフェッショナルといっても過言ではないので、この仕事に関してはすぐに慣れた。ちょろいものである。

 

「わるいわね〜、シャナちゃん。連日で入ってもらっちゃって」

「いえ、仕事ですから。それよりも、今日連れてきたあの子はどうですか?」

 

 ギルドの受付はいつも五人ほどで回しているのだが、昨日から体調不良で一人が休んでおり、誰もいないよりはマシだろう、くらいの気持ちでシャナは赤髪ちゃんを連れてきていた。

 

「ああ、それなら……」

 

 元魔王の少女に接客をやらせてみることに、多少の不安があったのだが……

 

「はい! クエストの受注ですね! ありがとうございます!」

「あ、えっと……はい」

「その大剣、かっこいいですね!」

「あ、えっと……ありがとうございます」

「クエスト、がんばってくださいね!」

「おっふ……」

 

 受付嬢の制服に身を包んだ赤髪の少女は、持ち前の笑顔と素直さとかわいさで、初日からガチ恋勢を量産していた。

 屈強な見た目の冒険者たちはギルドのすみっこに陣取り、ひそひそと話し込んでいる。

 

「あの新人の赤髪の子、いいな……」

「ああ、良い……」

「これまではクールなシャナちゃん派一強だったが……」

「ああ、間違いねえ。動くぜ……()()()が」

 

 冒険者という生き物は基本的に単純な馬鹿しかいないので、こんなものである。

 

「気立ても良いし、よく笑うし、物覚えも悪くないし、ああいう子がもう一人いてくれると助かるわ〜」

「そ、そうですね……」

 

 シャナとしては仕事ができずに「賢者さーん! これ全然わかりません! 助けてくださーい!」と泣きついてきたところを「やれやれ……仕方ないですね」と溜息を吐きながら助けてあげることで、パーティーのみならず職場の先輩としても尊敬を獲得する、という計画だったのだが、その目論見は完全に崩れ去っていた。

 ただの大食いだと思っていた少女は、意外と物覚えが悪くなかったし、人見知りせずに笑顔で会話できていたし、なにより働いていてとても楽しそうだった。良い意味で誤算である。

 

「そこの赤髪のお嬢さん。あなたの笑顔は受注できますか?」

「あ、勇者さん!」

「何してんですか仕事してください」

「痛い!?」

 

 なんか見覚えのある顔がやってきたので、シャナは仕事中は出番のない杖を、投擲武器として勇者の顔面に投げつけた。当たった。痛そうだった。

 

「馬鹿なんですか? 暇なんですか?」

「い、いや……今日は赤髪ちゃんが賢者ちゃんと一緒に出ていったって宿の女将さんから聞いたから、赤髪ちゃんが仕事できてるか気になって……」

「お気遣いありがとうございます!」

「わかりました。そんな暇を持て余しているあなたにぴったりのクエストがあります。こちらをどうぞ」

 

 シャナが杖の次に受注用紙を叩きつけると、勇者はあからさまに顔をしかめた。

 

「湖を根城にしてる大蛇の討伐……? これ遠いしきついしモンスター強いやつじゃん」

「そうですよ」

「そうですよじゃなくて……」

「勇者さんなら楽勝でしょう。早く行ってお金稼いできてください」

「はい……」

「どうせ赤髪さんの制服姿を見るのが目的だったんでしょう?」

「いや、まぁ……」

 

 投げつけられた杖をシャナに返しながら、勇者は気まずそうに言った。

 

「あと、ここに来たらフードしてない賢者ちゃんの顔見れるし……」

「……はやく行ってください」

「はい。すいません。行ってきます。稼いできます」

 

 いそいそと一人で最高難度のクエストを受注し、大いに他の冒険者たちをざわつかせ、そそくさと立ち去っていった勇者の背中を見て、シャナは今日一番深い溜め息を吐いた。

 

「はぁ……まったく」

「あの、賢者さん」

「なんです?」

「ちょっとお顔、ニヤけてます」

「……」

「いひゃい! 無言で頬つねんないでくだひゃい!」

 

 

 ◇

 

 

 土木作業監督、シャナ・グランプレの指示は的確である。

 

「ほら、次の木材がきますよ。そこ! 足元には気をつけて!」

「ひぃ〜」

 

 午前中とは打って変わって、肉体労働にいそしむことになった赤髪の少女は、悲鳴を上げていた。

 この村は辺境の開拓村なので、まだまだ土地や建築物に()()()ところが多い。もっも簡単に言ってしまえば、新しい建物を立てて大きくなる、発展の余地があるわけで。

 魔術のスペシャリストとして木材やら建築材やらの調達、地盤の確認などで有能さを示したシャナは、あっという間に一つの現場を指揮する立場に登り詰めていた。

 

「一班は休憩を取ってください。二班は木材の運搬を。ここは今日中には仕上げてしまいましょう」

「うす!」

「わかったらきりきり働いてください」

「うす!」

 

 ハチマキを頭に巻いてひーひーとスコップを担ぎながら、少女は隣でつるはしを振るう作業着のおじさんに問いかけた。

 

「あの……賢者さん、みなさんよりもかなり年下ですけど、現場から反発とか出ないんですか?」

「お? ああ、お嬢ちゃんはよく知らねえのか。辺境の土地じゃ、領主様の指示を受けた賢者様がこういう場で陣頭指揮を執るのは、よくあることなんだぜ。畑を耕すにも、建物を建てるのにも、魔術の知識はあるに越したことねぇからな」

「ほぇ〜。そうなんですね!」

「あと、かわいい女の子に罵られながら仕事した方がやる気出るだろ?」

「あ、はい」

 

 ちょっと特殊な性癖を持つ作業員も多いようだった。

 

「かーっ! けど賢者さま! ここの作業をこの人数で終わらせるのは、ちと厳しいぜ!」

「たしかになぁ……」

「ああ、その心配なら必要ありません。応援を呼んでありますから」

 

 ちょうどそのタイミングで、彼はやってきた。

 ヘルメットにスコップを持ち、首からはタオルを下げている、その青年は……

 

「待たせたな」

「ゆ、勇者さん!」

 

 また勇者である。

 

「例のクエストは?」

「うん。午前中で終わった。お土産に蒲焼きあるけど食べる?」

「あとでいただきます。できれば、すぐに現場に入ってください。ちょっと予定より遅れているので……」

「あいよ」

 

 頷いた勇者は、おもむろに上半身の服を脱いだ。脱ぐ必要はなかったが、脱いで見せつけた。

 

「おお……」

「へえ、鍛えてるじゃねぇか……」

「あらァ〜! ……良い身体してるじゃない」

 

 着痩せするタイプは、脱いだらすごい。

 その事実を端的に表す肉体に、筋肉自慢であるはずの作業員たちも、動揺とざわめきと興味を隠せなかった。

 

「なに脱いでるんですか。危ないからちゃんと作業着着てください」

「あ、はい。すいません……」

 

 勇者の活躍で作業はむしろ予定よりも早く終わった。




こんかいのとうじょうじんぶつ

賢者ちゃん
シャナ・グランプレ。寝起きが悪い。毒舌。勇者が好き。

騎士ちゃん
アリア・リナージュ・アイアラス。寝起きが良い。ちょろい。勇者が好き。

赤髪ちゃん
食費がかかるかわいい系ニートだと思われていたが、わりとスペックは高く、地頭は悪くない。女は愛嬌、を地で行く。実は受付嬢の制服が少しきつかったので、賢者にめちゃくちゃ舌打ちされた。

勇者くん
午前中には散歩がてらに湖の主である大蛇(多分捕獲レベル25くらい)との血沸き肉踊るバトルを展開。外皮が硬く、安物の剣が通らなかったのでお腹の中に入り込んで内側から割いて倒した。肉は蒲焼きにしておいしくいただいた。ごちそうさまでした。
自分の筋肉にはそこそこ自信があるのでよく脱ぐ。


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賢者ちゃんの魔法のちょっとした秘密

 農家、シャナ・グランプレは働き者である。

 

「あの、賢者さん。一つ聞いていいですか?」

「なんです?」

 

 畑の見回りをしつつ、土の状態を細かく観察し、さらに作物の葉の伸び方までチェックしていたシャナは、赤髪の少女の質問に向き直った。黒のフードの間から漏れた銀の毛先が、風を受けて靡く。

 

「えっと、賢者さんの魔法について、なんですけど」

「べつに今さら、あらたまって説明することもないと思いますが……私の魔法はごちゃごちゃと条件がある死霊術師さんや、魔法によって作用する結果が面倒な武闘家さんに比べれば、極めてシンプルですよ」

 

 収穫を頼まれていたりんごを一つ、手に取って。

 次の瞬間には、シャナが手にしたりんごは二つに増えていた。

 

「触れたものを増やす。増殖。それが私の『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』の能力です」

 

 微妙なへこみから、うっすらとついたキズに至るまで、すべてが完璧に再現されたりんご。

 それをやはり信じられない面持ちで見詰めながらも、大きく開いた少女の口は、遠慮なくも容赦もなく、ばくりとりんごにかぶりついた。瑞々しい甘さとアクセントの酸っぱさが、口いっぱいに広がる。

 

「んー! おいしいです……って、そうではなくて!」

「え、りんご食べたかったんじゃないですか?」

「いや、たしかにりんごは食べたかったんですけど! わたしが賢者さんにお聞きしたかったのはそこじゃなくて!」

 

 ぶんぶん、と。長い赤髪が、左右に振られる。

 やれやれ、と。シャナは子どもを見守るような気持ちで少女の次の言葉に耳を傾けて、

 

「賢者さんの魔法って……()()()()()、ですよね?」

 

 そして、少々面食らった。

 ごほん、と。咳払いを一つ。

 

「増えるだけ、とは? つまり、何が言いたいんです?」

「す、すいません! 言い方が悪かったです! 私が言いたいのはつまり、賢者さんがこんな風に何人にも増えて効率よく仕事ができるのには、増殖の魔法とは違うべつの理由があるんじゃないかなって……」

「どうして、そう思いました?」

「……さっき勇者さんが依頼を終わらせて来た時、賢者さんは勇者さんが来るのをわかってみたいでした。依頼が終わったら、必ずギルドに行って報酬を受け取ります。だから、ギルドで働いていた賢者一号さんは、勇者さんがクエストを終わらせたことを知っているわけで……土木現場で働いていた賢者二号さんに、何らかの方法で連絡があったと考える方が自然です」

 

 つらつらと。まるで探偵のように、少女は自分の考えを述べていく。

 

「そうやって考えると、増えた賢者さん同士に、何か連絡手段のような、繋がりがあるんじゃないかな〜と。ま、間違っていたらすいません!」

「……いえ。正直、ちょっと驚きました」

 

 仮定に仮定を重ねてはいるものの、少女の予想は事実を踏まえた上で、よく考察されていた。

 シャナは目の前の少女への印象を「大食い赤髪脳天気」から「腐っても元魔王でわりと鋭いところのある食いしん坊」に上方修正した。

 

「あなたが言う通り、私の魔法は人間も増やすことができますが……それらの実際の運用には、いくつかの特別な魔術を噛ませてあります」

 

 一つ、問いを投げる。

 

「たとえば、自分自身が二人に増えたとしたら、あなたはどうしますか?」

「困ります! ご飯が半分になるので!」

「……」

 

 やっぱりコイツ、大食い赤髪脳天気なのではないだろうか。

 

「……説明するより、見せた方が早そうですね」

 

 呟きながら、シャナは少女の手を取った。

 小さな魔導陣を展開し、自分が日常的に用いている魔術を、一時的に繋げてみせる。

 

「賢者さん……? のわっ!?」

「視えましたか?」

 

 瞬間。文字通り、視界が割れた。

 一つだった視界が分割されて、複数の視点と情報が流れ込んでくる。

 そんな体験をいきなりさせられて、赤髪の少女は思わず尻もちをついた。

 

「な、なんですか? これ」

()()()()。他者と魔術的なラインを繋ぐことで、感覚を共有する、特殊な魔術です」

 

 先ほどの答え合わせである。

 簡潔に言ってしまえば。

 シャナ・グランプレは、魔術によって己の魔法を拡張している。

 

「あなたがさっき言っていた、()()()()の正体がこれです。ある程度の距離であれば、私は他の場所にいる私と時間差なく情報を共有することができます。紛争が盛んな地域では、魔導師が斥候兵と繋がって偵察に利用されたりしたそうですよ」

「な、なるほど……でもこれ、繋げれば繋げるほど、視界が増えていくんですよね?」

「ええ。なんなら視覚だけでなく、聴覚の方も……音も聞こえるようにできますけど?」

「だめっ! 無理です! 今でもちょっと酔いそうなのに……」

「まあ、最初はそうでしょうね。慣れれば意外と楽しいですよ?」

「それは賢者さんだけだと思います……」

 

 解除してやると、少女は疲れた表情でシャナのことを見上げた。

 

「賢者さんは、いつもこの魔術を……?」

「はい。とはいっても、距離的な制限もあったりするので、さすがに王都に残っている私と()()()ことはできませんが……この村の中くらいの距離なら、余裕です」

「……それ、すっごく疲れませんか?」

 

 こちらを心配するような、見上げる視線。

 それを受けて、シャナは苦笑した。

 

「さっきも言ったでしょう? 慣れですよ、慣れ」

 

 シャナが最初に習った魔術は、この共有魔術だ。

 決して修得が簡単な術式ではなかったが、シャナはまず最初にこれを覚えさせられた。

 なぜなら『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』という魔法を最も効率良く使うために、この魔術が必要だったからだ。

 

「少し、昔の話をしてあげましょう」

「昔の話、ですか?」

「ええ」

 

 また魔法で増やしたりんごを、シャナは一齧りした。

 

「とんでもないろくでなしだった、私の師匠(センセイ)の話です」

 

 

 ◆

 

 

 シャナという少女は、アリアやムムとは違い、最初から賢者として仲間入りしたわけではない。

 まだ幼かったシャナには、戦う力を得るために、学ぶための環境が必要だった。

 だから、シャナは一度。旅の途中で、勇者と分かれる選択をした。

 彼の役に立つためには。

 彼の側にいるためには。

 魔術が必要だと思った。

 なによりも、生まれ落ちたその時から自分の体に宿っていた力を制御するために、魔を扱う術を理解しなければならないと思った。

 勇者と出会い、エルフの村から助け出された、その二ヶ月後。シャナは、自分が求めるものを最も効率よく学ばせてくれる人物に、師事することを決めた。

 

「……へんな場所」

 

 その教室は、異様な空間だった。

 床も壁も、すべてが白一色。窓はなく、扉は入口の一箇所だけ。そして、机と椅子が一組になって、百の数が並んでいる。それだけの生徒を収容できるほどの広さが確保された、学びの場だった。

 そんな広い教室の中で、たった一人。シャナは、適当な席を選んで座った。普通よりも広く作られた机の上には分厚い魔術の教科書と新品のノート、ペンなどの筆記用具が完璧に用意されている。隣の席を見やれば、やはり同じものが整然と並んでいる。当然のように、これらの教材も百組あった。

 シャナが席につくと同時。一箇所しかない扉が開いて、一人の女性が入室してきた。

 

「……おいおい。なんだそれは」

 

 挨拶はなく、シャナを見やった彼女がこぼしたのは、ただひたすらに呆れたような声だった。

 翻るのは、深い緑色のローブ。丁寧に編み込まれた長い二房の黒髪には、赤に青、加えて緑と、色とりどりのリボンが編み込まれている。

 大股でかつかつと教室を横断した彼女は、喉を震わせた。

 

「おいおい。おいおいおい! なんでそんなところに座ってるんだ! 講義を受ける時は常に一番前に座れって習わなかったのか!?」

「習ってない」

 

 返事はなかった。

 手のひらが黒板を叩く音が響いた。

 

「違ぁう! 違う違う違う! 違うだろ! いいか、我が愛弟子よ! アタシは今、お前に教えを授ける以前の問題を! どのような心持ちで学びを得るかという、心構えの話をしている! 世界で最も優れた魔導師であるこのアタシが! 貴重な時間を割いて! 未来の勇者の力になる賢者を育成してやろうと言っているんだ! にも関わらず、これから学ぼうとする当人がそんな後ろに座っていちゃあ何の意味もない! そもそも! このアタシの講義で最初から後ろに座ろうとするヤツは最初から……」

「座った」

「素直だなぁおい!?」

 

 一番前の一番中央の席に座り直したシャナを見て、教師は大袈裟に仰け反った。そんなに驚かれることではない。シャナにも、教えを受けるという自覚はある前に座れと言われれば、前に座るのは当然だ。そもそも、あんな生活をしていたのだから、誰かの命令に従うのに抵抗はなかった。

 

「あなたから、私は魔術を学ぶ。だから従う。疑問は持たない」

「……あー、そりゃダメだ」

「ダメ?」

「よくないってことだ。お前は一つ、勘違いしてるよ。従うとか、強制されるとか。学問ってのは、そういうもんじゃない」

 

 不思議な女性だった。

 あれほど高く興奮した音で紡がれていた声が、今度はゆったりと落ち着いている。

 

「学び、習うことは世界で最も自由な行為だ」

 

 彼女がシャナに最初に教えてくれたのは、学習の定義だった。

 

「自分から叩かなきゃ、学問の扉ってのは常に閉じたままだ。アタシがなによりも重視するのは、自ら疑問を持ち、学ぼうとする意欲。だから、最初に確認しておきたい。お前にそれはあるか?」

 

 聞かれて、少し考える。

 シャナはずっと、あの閉ざされた村の中の、薄暗い部屋の中で生きてきた。

 自分は何も知らなくて。何も知らない自分は、勇者を目指す彼の役には立てなくて。だから、彼のために魔術という知識が必要だと思った。

 

「意欲は、あるつもり。助けてあげたい人がいる。その人の役に立ちたい」

「他人のために学ぶのか? アタシの指導は厳しいぞ。それで、本当に耐えられるのか?」

「耐えられる。ところで、せんせい」

「どうしたぁ!? 我がかわいい生徒よ! 早速質問か!? 世界最高の魔導師であるこのアタシのことを知りたいってわけだな!? いいぞ! 質問は常に受けつけている! アタシのことを知りたいなら、まずは教科書の最初のページを開け! そこに美しい顔が大きく載っているだろう! 誰かわかるか!? そう! このアタシだっ!」

「せんせい」

「ああ! 皆まで言わなくてもわかる! 学者というのは常に成果を求める生き物。己の見た目には無頓着な人間も多い! だが、世界最高の魔導師であるこのアタシは、その美貌すらも最高だ! なぜなら回復魔術の応用によって肌の張りと艶を保つ努力を……」

「せんせい」

 

 三回目。

 それでようやく、

 

「……ちっ。偉大なるこのアタシの有り難い話を遮る不躾な人間は基本的に例外なくブチ殺すことにしているが、まぁお前はかわいいかわいい愛弟子だからな。そこまで発言したいことがあるのなら、特別に発言を許可しよう。で、何かなシャナ?」

「私、字が読めない」

 

 彼女は、そこで大きくずっこけた。リズミカルに硬質な床を叩いていた高いヒールの足首が、ごりっといやな音を立ててすっ転んだ。

 如何にも魔導師らしい大きく背の高いとんがり帽子が、ふわりと宙を舞って落ちる。

 

「は? はぁ!? 字が読めない!?」

「うん。習ったことがないから」

 

 彼女は、ぶるぶると唇を震わせて、頬を真っ赤に染めた。

 教科書に載ってる顔と実物はやはり違うな、と。シャナはぼんやり思った。

 

「ふ、ふ……ふざけやがってええ! あのちんちくりんの勇者志望のクソ小僧が! アタシは魔術の指導を引き受けるとは言ったが、読み書きから赤ん坊のはいはいみたいに教えるなんて、そんな慈善事業みたいな青空教室を開いてやるとは一言も言ってねぇんだよ……あの、くそったれがぁ!」

 

 それこそまるで赤ん坊のように四肢をしたばたとさせて、一通りとても教師とは思えない口汚い罵詈雑言を吐き出し尽くして、それでようやくシャナの師匠は息を切らして上体を起こした。

 

「はぁ、はぁ……じゃあお前、何か? 自分の名前も書けないのか?」

「うん。わからない」

「よぉし! わかった! もうわかった! もういい! 上等だ! そういうことならやってやる!」

 

 世界で最も偉大な魔導師であると言われている彼女は、勢いよく黒板にチョークをはしらせた。

 黒い板の中に、白い文字が並ぶ。たったそれだけの板書も、何も知らないシャナにとっては目新しいものだった。

 

「読めっ! 我が愛弟子よ!」

「だから読めない」

「ならば、大きな声で復唱しろ! シャナ・グランプレ! これが、この世界でお前の名を証明する、文字の羅列だ!」

「シャナ、グランプレ」

 

 慣れないペンで、ただたどしく。けれど大きくしっかりと、シャナは開いたノートの最初のページに、はじめて

 習った自分の名前を書いた。

 

 シャナ・グランプレ。

 

 真っ白な紙の上に、黒いインクでそれを書いただけで、何かが自分の中にしっくりと収まる気がした。

 

「せんせい。グランプレってなに?」

「ああ、それはアタシの母方の苗字だ。いらないからお前にやる」

「いいの?」

「びくびくと聞き返すんじゃあない! このアタシがくれてやると言ったものは一も二もなく受け取れ! そして感動に咽び泣いて感謝しろ! わかったか!?」

「うん。ありがとう」

「よぉし!」

 

 一つ、頷いた彼女はそこでようやく床に落ちていた自身のトレードマークとも言えるとんがり帽子をかぶり直して、整えた。

 

「そして愛弟子よ! お前が自分の名前の次に覚えるべきものは、これだ!」

 

 また勢いよく、チョークが唸る。

 

「さっきよりも大きな声で! 尊敬と敬愛と崇拝を込めて復唱しろ!」

 

 彼女は、王国における魔術指導の基礎を築き上げた教育者である。

 彼女は、それまで無秩序に乱立していた魔術体系を、万人に理解できる属性として定義した研究者である。

 彼女は、理屈の通らない神秘であった魔術を、魔力によって運用される学問にまで落とし込んだ開拓者である。

 彼女の名は、この世に轟く伝説。

 世界最高と謳われる、四人の賢者の一角である。

 

「アタシの名は、ハーミット・パック・ハーミア! この世界で唯一にして絶対! 魔術のすべてを解き明かす、最高の魔導師にして大賢者だ!」

「あたしの名は、ハーミット・パック・ハーミア。この世界でゆいいつにして、ぜったい。魔術のすべてをときあかす、最高の魔導師にして大賢者だ?」

「誰がそこまで復唱しろと言った!? 名前だ名前! とにかく偉大なるこのアタシの名前を刻み込め!」

 

 やはり声が大きくて圧が強かったので、シャナはカリカリとノートに名前を書き込んだ。

 

「どうだ? 言葉の意味を理解して、白い紙に文字を刻む気持ちは?」

「……わからない。私、まともにペンを持ったこともないバカだから」

「馬鹿? はは、なるほど。馬鹿ときたか。そうか。いいだろう。なら、最初に一つ。簡単な道徳の授業をしよう。柄じゃあないが、これでもアタシは教鞭を取る身だからな」

 

 それまでひたすらに熱が篭っていた言葉から、熱さが失われる。

 

「お前の環境には同情するよ。恵まれない生まれであることも、あのボウズから聞いている」

 

 眼鏡の奥の瞳が、すっと細くなる。

 シャナは知っている。そういう声音と視線と、雰囲気には覚えがある。

 手をあげられる、と思った、殴られる、と思った。

 自分は罰を受けるのだと思って、シャナは目を閉じた。慣れているから、こわくはなかった。

 

「よく聞け、シャナ・グランプレ。お前はその席に座った瞬間から、偉大なるこのアタシの弟子にして、愛すべき生徒だ。そして、偉大なるこのアタシの生徒である以上、己を卑下する発言は、その一切を許さない」

 

 しかし、頬に痛みはなかった。

 目を開ける。

 ハーミアは、シャナのノートに、赤いペンをはしらせた。

 文字ではない。だから、文字を知らないシャナにも、その意味がわかった。

 

「お花?」

「そう。はなまるってヤツだ。よくできました、と。教師が生徒を褒めるのに使うマークだ。覚えとけ」

 

 自分のノートに、花が咲いた。

 なぜだかシャナには、それがたまらなく嬉しくて。

 

「でも、私の文字、へたくそだよ?」

「はぁ? 何度も言わせんな。へたくそかどうか決めるのはアタシだ。お前をバカと侮辱する権利を持つのは、今この瞬間からお前を教育するこのアタシだけだ。それを肝に銘じておけ」

「はい」

「よぉし、良い返事だ」

「せんせい」

「なんだ?」

「私、字も書けないけど、魔術をおぼえること、できる?」

「できるとも」

 

 百の席が用意された教室を見渡して、ハーミアは言う。

 

「お前の魔法は、分身のような見せかけの誤魔化しとは違う。そっくりそのまま、目玉も心臓も、脳ミソに至るまで、まったく同じものを用意することができる」

 

 増えてみろ、とハーミアは言った。

 言われた通り、シャナは増えた。

 二人になったシャナは、用意された席に座る。一瞬で、生徒が二人になった。

 

「お前は、一人で学ぶわけじゃない」

 

 リングを嵌めた細い指先が、今度は違う席を指す。その指示に従って、シャナは三人に増えた。

 

「二人で学ぶわけでもない。三人で学ぶなんて、甘っちょろいことは言ってられない」

 

 三人になった生徒に向けて。

 

 声のトーンが、落ちる。やはり一転して落ち着いた口調になったハーミアは、淡々と告げる。

 

「初回だ。無理をするなとは言わない。その十倍の数を用意してみせろ」

「はい。せんせい」

 

 増えて、増えて、増える。

 静かだった教室に、椅子を引く音と、ペンを手に取る音と、ノートを開く音が、幾重にも重なって響く。

 たった一人の生徒しかいなかった教室は、一瞬で一つのクラスに変化した。

 それは、異常な光景である。同じ顔で、同じ背格好の少女が、同じようにノートを開き、同じようにペンを握る。

 しかし、三十人に増えたシャナを見て、ハーミアはただ一言。満足気に呟いた。

 

「素晴らしい」

 

 それは、己の愛弟子に。生徒に向けられた、明確な賞賛だった。

 

「それで良い。最初は三十人だ。慣れたら、数を増やしていく。次は五十人。六十、七十、八十……そして、最終的には百人。そう、百人だ。お前は単純に計算して、常人の百倍のスピードで、物事を学ぶことができる。偉大なるアタシの教えを、誰よりも最大最高の形で吸収することができる」

 

 ハーミット・パック・ハーミアは、根本的に人でなしの魔導師である。

 

「アタシは天才だ。人類最高の天才だ。いくらお前がエルフの血を引いていると言っても、アタシに比べれば凡才もいいところだろう」

 

 彼女は、自分が史上最高の魔導師であることを、欠片も疑っていない。

 

「だが……どんな凡人であろうと、百人で学べばその学習効率は天才を上回る」

 

 彼女は、自分以外の人間に価値があるとは思っていない。魔術を教育するシステムを構築したのは、研究の過程でそれを他者に伝え広げる必要があると感じたからに過ぎない。

 彼女は、世界を救おうとは思っていない。魔術の探求が第一の目的である以上、自分の命が失われるリスクを侵してまで、魔王と対峙しようとは考えない。

 だからそんな彼女が、シャナという少女の教育を引き受けたのは、世界を救うためではない。未来の勇者の頼みだからでもない。

 

 自分を超える魔導師になれる可能性があるから。

 

 たったそれだけの理由で、ハーミアはシャナのために己の知識と時間を注ぎ込むことを選択した。

 故に、告げる。

 

「このアタシが、保証しよう」

 

 百余年の時を生きてきた伝説の賢者は、断言する。

 

「お前の魔法は、この世界で最も学ぶことに向いている」

 

 シャナを見て、ハーミアは笑う。

 それは、馬鹿にしているわけでも、嘲っているわけでもない。

 はじめてだ、とシャナは思った。

 

「さあ、わかったらペンを握れ。ノートを開け。授業をはじめよう」

 

 自分を見て、こんなにも期待に満ちた笑みを浮かべてくれる人は。

 

「死ぬ気で学べ。学べなければ死ね」




こんかいのとうじょうじんぶつ

賢者ちゃん
パーティー内過労死枠。やれることとやっていることが多すぎる女。お花が好きなので土いじりもわりと好き。共有魔術は現代で言うところのマルチタスク的な処理を求められるが、平然と使いこなしている。社畜の才能あり。

赤髪ちゃん
分身して最初に心配するのはメシが半分になること。しかし、どちらかが食べられない、という可能性は考えない。きちんと半分に分ける。根が良い子なのがわかる。

勇者くん
今回は登場していないがこのあと畑の収穫も覗きに来た。おそらく、休日はいろいろなところに出かけて「休んだ!」とかほざくタイプ。過労死枠その二。お前も休め。

ハーミット・パック・ハーミア
世界最高の魔道師。四賢の一人。清澄のハーミア。
学生が講義室で前の方に座ってないとネチネチ文句をいってくるタイプのめんどくさいババア。ただし、教育には真摯。賢者ちゃんに魔術を一から百どころか、一から万くらいまで叩き込んだ熱血教師ババア。
百年ちょい生きているが、魔術をフル活用しているので見た目は若々しい。黒髪編み込みメガネ魔女帽子先生。


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賢者ちゃんたちは勇者が好き

今回はあとがきに嬉しいお知らせがあります


 教師、シャナ・グランプレは今日も授業を終えた。

 

「シャナ先生さようなら~」

「はいはい。さようなら。気をつけて帰るんですよ」

 

 辺境の土地では、その土地に定住する魔導師が子どもたちに基礎的な教養を教えることも珍しくない。

 ましてや、この村は発展途上の開拓村だったので、魔導師として申し分のない実力と実績を持つシャナが教鞭をとることは容易かった。とはいえ、勇者パーティーの賢者で王室付の魔導師で首都の魔導学院の長である、なんて名乗ったら大変なことになるのは目に見えているので、うまい具合に身分は誤魔化しているのだが。

 シャナが受け持つことになったのは、二十人にも満たないような小さな教室である。やはり今回も仕事の手伝いとして、ちょこちょこアシスタントをしていた赤髪の少女は、一通り子どもたちを送り出した後に「はー」と深く息を吐いた。

 

「賢者さん。教えるの上手なんですねえ……」

「何を当たり前のことに感心してるんですか。私は賢者ですよ。賢いんですよ。人に教えるのも上手いに決まっているでしょう」

「それもやっぱり、ハーミア先生のおかげですか?」

 

 何気ない問いかけに、シャナは全力で首を横に振った。

 

「はぁ? 違います。ありえません。そんなことはないです。あの人はたしかに天才ですが、根本的に人を教えることには向いていません。私の授業がわかりやすく、子どもたちに大人気なのは、単純に私が教師として優れているからです」

「あ、はい」

 

 でも、と。赤髪の少女は言葉を繋げる。

 

「なんか、賢者さんの昔のお話を聞いてて思ったんですけど」

「なんです?」

「わたし、ハーミア先生って普通に良い人なのでは? って思ってるんですけど」

「はぁあああああん!?」

「うわっ!?」

 

 シャナは赤髪の少女の肩を引っ掴んだ。作り物のような均整の取れた容貌が、感情の昂りでぐちゃぐちゃに歪んでいる。

 いや、顔こわ。と赤髪の少女は思った。

 

「バカなんですかアホなんですか読解力がないんですか? 何をどう聞いても人でなしのカス教師だったでしょう!?」

「え、え? そ、そうですかね……?」

「そうなんです! 大体、あの人はわたしの魔法を……!」

 

 と、矢継ぎ早にそこまで言いかけて、シャナはぴたりと口をつぐんだ。あれほどむきになっていた表情も、元に戻る。

 

「あの、シャナ先生……」

 

 教室の扉の近くに、まだ生徒が一人残っていたからだ。

 白い質素なワンピースを着た女の子である。授業中、率先して手を上げたりするわけではないので印象に残りにくいが、わからないことがあればきちんと質問ができる良い子だった。

 

「どうしました?」

 

 元々小柄なシャナは、さらに自分より小さなその子に目線を合わせるために、膝を折った。

 

「あ、あのね。ほんとはこんなこと、お願いしちゃダメかもしれないんだけど……わたしの家、あんまりお金なくて。だから、ノートの紙ももう残ってなくて。だから、もし余ってたら、使わない紙を分けてほしくて……」

「……何を言うのかと思えば、そんなことですか」

 

 軽く頷いたシャナはまだ新品のノートを手に取り、一瞬でそれを五冊に増やして、女の子に手渡した。

 

「わ!?」

「まったく……授業で足りないものはすぐに先生に伝えなさいと初回の授業であれほど言ったでしょう? 他に足りないものは? そういえばあなた、教科書も古いものでしたね」

「う、うん。お母さんが近所の人からもらってきてくれたやつだから」

「じゃあそれも渡しておきます。あとはペンと、他には……」

「わわっ!?」

 

 女の子がぎりぎり持って帰れるくらいの教材を山盛りに手渡して、シャナは満足気に深く頷いた。

 

「よし。それじゃあ、気をつけて帰るんですよ」

 

 ありがとう先生!と。元気良く帰っていった女の子とちょうど入れ替わりに、勇者が入ってきた。赤髪の少女が、ぱっと顔を上げる。

 

「あ、勇者さん!」

「二人ともお疲れ様。迎えに来たよ」

「おや、もうそんな時間ですか。では、私たちも帰るとしましょう」

「賢者ちゃん、また生徒に教科書とかノートたくさんあげてたでしょ?」

「いけませんか?」

 

 勇者は苦笑した。

 

「いや、良いことだとは思うけど。でも、他のものを増やす時はお金儲けに繋げようとするのに、こういう時だけは絶対にお金受け取らないからさ」

「当然です。子どもからお金を取れるわけがありません。それに……」

「それに?」

 

 むすぅ、と。

 フードの下の髪を指先でいじりながら、賢者は呟いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ですからね」

「あ! やっぱりハーミア先生の教えが活きてますねっ!」

「黙りなさい」

「あうっ!?」

 

 余計なことしか言わない赤髪少女の頭を、杖で小突く。

 

「言わなくていいことを言った罰です。私は先に戻ってますから、勇者さんと教室の中を掃いておいてください」

「えー」

「あれ? これ、おれも仕事する流れ?」

 

 勇者と少女を放っておいて先に歩き出したシャナは、夕焼け空を見上げて考える。

 まあ、たしかに。自分の師と呼べる人物は、間違いなくハーミアしかいないわけで。

 他人に語ってみないと気付けないことだったが……自分という人間は思っていた以上に、あの師の影響を受けているのかもしれない。

 たとえどんなろくでなしであったとしても、それは事実なのだろうな、と。シャナは思った。

 

 

 ◆

 

 

 シャナが教えを受けるようになってから、数ヶ月。

 ハーミット・パック・ハーミアは、教え子を静かに見下ろしていた。

 

「せ、せんせい……こわい。こわいよ」

「焦るな。ゆっくり呼吸をしろ。十八番」

 

 より正確に言うのであれば。()()()()()()を観察していた、と言ったほうが正しい。

 ハーミアは、複数人に増やした教え子を見分けるために、番号を振ってそれぞれを呼称していた。

 

「無理……無理だよ。だってわたし、息をしてるのに……あれ? 息してるのわたし?」

 

 小さな体が、小刻みに震える。

 目の焦点が、ズレていく。

 

「ねえ、わたしが見ているものはなに? わたしの前にわたしがいるのに、わたしは本当に呼吸してるの? 息をしてるの? ねえ、先生……!」

「シャナ」

 吹かしていたキセルから口を離して、ハーミアは言った。

「コイツはもうダメだ。()()

「はい。先生」

「いや待って、せんせ……」

 

 ハーミアの背後に立つシャナが、手をかざす。それだけで、呼吸困難に陥っていた()()()()()は一瞬でかき消えた。

 

「……ふぅ。十八番は何日保った?」

「六十三日です」

「比較的()()()だったが……やはり自我の喪失からは逃れられない、か」

 

 また煙を吸い込んで、ハーミアは堪えきれない気持ちを吐き出した。

 十八番は、昨日の食事の際に、ハーミアにデザートを持ってきてくれた個体だ。二週間ほど前から、食事の好みや笑い方に、他の個体とは違う変化の兆候が見受けられた。

 そう。個体である。個人ではない。ハーミアはシャナを一人の生徒として尊重していたが、同時にモルモットを扱うのと同じ感覚で分析も行っていた。

 ハーミット・パック・ハーミアという魔導師の中で、それらの価値観は、決して相反しない。

 

「シャナ。十八番の学習内容は問題なく共有できているか?」

「はい。同化して得ています」

 

 言いながら、ハーミアの背後に並んでいるシャナの内の一人が、黒板に魔術式を書き記した。

 それは、ハーミアが別室で、十八番にしか教えていない魔術式だ。

 

「二十五番。これの性質と戦闘における有効な利用を簡潔に解説しろ」

「はい。この魔術は……」

 

 ハーミアが最初にシャナに授けた魔術は、二つ。

 共有と同化。

 共有魔術は、近くにいる人間と魔術的なラインを繋ぎ、視覚や聴覚などを共有する術式である。ハーミアはこれを用いてまず、個人ではなく集団となったシャナに、感覚の共有を行わせた。同じものを見て、同じ音を聞き、同じ感覚を共有する。これにより、シャナという集団は魔術的に思考と感覚を分かち合い、複数の脳で複数の思考を処理する、ある種の群体として完成した。

 

「……よし、良いだろう。よく理解できている」

「ありがとうございます」

 

 同化魔術は、触れた人間の脳神経に魔力を通じてアクセスし、その人間の知識や記憶、技術を得る術式である。これはハーミアが自ら開発したもので、主に拷問や諜報活動などの後ろ暗い目的を達成するために用いられてきた。比較的簡素な魔導陣を用いる共有魔術に比べて修得難度はかなり高い。が、ハーミアは共有魔術と並行して、この術式を最優先でシャナに叩き込んだ。

 他者の脳から知識を情報として抜き出すのに、この魔術が最も適しているからだ。

 

「よく聞けお前ら。お前らは集団であり、個人であり、全員がシャナ・グランプレという存在だ。そこに矛盾は存在しない」

 

 シャナの『白花繚乱』は、ともすれば世界を変える可能性すらある魔法だったが、他の多くの魔法がそうであるように、人間に対して使用するには致命的なまでに生命倫理に反しており……また重大な欠陥を抱えていた。

 単純な話、自分と全く同じ顔で、同じ性格の人間が、数十人以上いたとして。自分自身が複数人存在する事実を認識しながら、何食わぬ顔で共同生活を営むことはできるだろうか? 

 不可能である。

 人間という生き物の精神は、そこまで図太くできていない。

 自分の分身が複数いる現実に、知らず知らずの内に精神は摩耗し、焼き切れ、耐えきれなくなって、狂い果てていく。今さっき消した、十八番のように。

 だからハーミアは、シャナ達に常日頃から感覚を共有させ、個人というアイデンティティを徹底的に塗り潰した。そして、自我の喪失に耐えきれなくなった個体はその存在を消去し、同化魔術で個体が得ていた知識と経験を個別に吸い出し、引き継がせる。

 

「シャナ。十八番が消えた分を追加しろ」

「はい」

 

 新しいシャナが現れ、ナンバリングを加える。

 現在、並行して学習を行っている個体は、九十一人。ハーミアの予想を遥かに上回るペースで、シャナは増殖した自分自身の集団としてのコントロールを、ものにしていた。

 そして、シャナ・グランプレには間違いなく、ハーフエルフという血に恵まれた、魔術の才能があった。

 

「さて、今日の授業をはじめようか。シャナ」

「はい。よろしくお願いします、先生」

 

 最初はバラバラだったその声は、今や少しのズレもなく、完膚なきまでに重なって響いている。

 魔導師としてのハーミアは、シャナを一人の生徒として、優しく尊重している。

 しかし、同時に。

 研究者としてのハーミアは、シャナを一つの群体として、つぶさに観察している。

 これは矛盾だろうか? 

 人間であるハーミアは、シャナをという存在を使い潰すかのようなこの学習に、どうしようもない嫌悪を抱いている。

 賢者であるハーミアは、シャナという存在が到達できるかもしれない魔導師の高みに、ひたすらに興奮している。

 重ねて、己に問う。

 これは、矛盾だろうか? 

 

「……いや、関係ないな」

 

 矛盾していても、構わない。

 魔術の発展は、常にその矛盾を乗り越えた先にある。

 

 

 ◇

 

 

 夜。宿の自室に戻ったシャナは、ぼんやりと自分自身の顔を眺めていた。

 ハーミアがシャナに教え込んだのは、シャナ・グランプレという自己をどのように維持するか、である。

 異なる自分が、異なる場所で、異なる経験をする。それは、自分という存在が少しずつ乖離し、消えていく恐怖に等しい。

 だから、シャナ・グランプレという個人のアイデンティを維持するためには、決してブレることのない、己の存在を確立させる柱が必要だった。

 狹苦しい部屋の中に、シャナ・グランプレは五人いた。

 今日もシャナは、一人ずつ。己自身のそれを、確かめる。

 

「私は、勇者さんのことが好き」

 

 一人目。ギルドの受付嬢をしていたシャナが呟いた。

 

「私は、勇者さんのことが好き」

 

 二人目。畑の見張りをしていたシャナが呟いた。

 

「私は、勇者さんのことが好き」

 

 三人目。土木工事で監督をしていたシャナが呟いた。

 

「私は、勇者さんが好き」

 

 四人目。教壇に立っていたシャナが呟いた。

 そして、四人の自分自身を見回して、最後のシャナが呟いた。

 

「私は、勇者さんが好き」

 

 ブレない。変わらない。揺らぐことなんてありえない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その心が根底にある限り、群体であるシャナの集合意識は、常に安定した状態で保たれる。

 この結論に辿り着いた時、ハーミアはなぜか顔を引き攣らせて固まっていたが……まあ、人の恋心や愛とは最も縁遠い人種なので、そもそも理解が難しかったのだろう。

 一日の終わりの、いつものルーティーン。それを終えたところで、コンコン、と。ノックの音が響いた。

 

「はい。どうぞ?」

「あ、よかった。まだ起きてた」

 

 扉を開けたのは、勇者だった。

 

「どうしたんです? こんな夜中に」

「ごめんごめん。でもほら、今日はまだ賢者ちゃんと会ってなかったからさ」

「は? 何言ってるんですか。何回も会ってるでしょう?」

 

 聞き返すと、逆に不思議な顔をされた。

 

「いや、そっちこそ何言ってんの。ギルドと、畑と、土木現場と、教室。それぞれ四人の賢者ちゃんにはたしかに会ってるけど……でも、まだ賢者ちゃんには会ってないでしょ?」

 

 今、この瞬間。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()を指して、勇者はそう言っていた。

 つまり、全く同一の存在であるはずの増殖したシャナを、彼は完璧に見分けていた。

 

「……よくわかりましたね」

「そりゃあわかるよ。付き合い長いんだから」

 

 ぬけぬけと、そんなことを言う。

 

「でも、寝る前に顔合わせられて良かった。賢者ちゃん、明日の予定は?」

「……四人は、今日と同じです」

「明日、ちょっと遠出したいんだけど、一緒にどう?」

「‥……行きます」

「お、よかった」

 

 いつものように軽く笑って、勇者は頷いた。

 

「じゃあ、おやすみ。賢者ちゃん」

「はい。おやすみなさい。勇者さん」

 

 扉を締めたあと、しばらくシャナはそのまま固まっていた。

 増えていた五人のシャナが、一人に戻る。

 それから、思い出したように呼吸を再開して、狭い部屋の中で無駄に何回かくるくると回って、そのあと下の人間の迷惑にならない程度に飛び跳ねて、それからようやく、ベッドの中に潜り込んだ。

 今の自分の表情は、絶対に誰にも見せることができない。

 私は彼のことが好きだ。

 いや、訂正しよう。

 

 今日も私は、彼のことが大好きだった。

 

 その日の夜、シャナはひさしぶりにぐっすりと眠れた。




あらすじですでに告知していますが、あらためてご報告させていただきます。この度、本作「世界を救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった」が「世界救い終わったけど記憶喪失の女の子ひろった」のタイトルでTOブックス様より書籍化決定いたしました! どこが違うかわかりにくいですが「を」が抜けました。一文字だけ縮みました。

公式サイト https://tobooks.shop-pro.jp/?pid=170156414

素晴らしいイラストを担当してくださったのは、アニメ化した「スライム倒して300年〜」や「数字で救う弱小国家」の紅緒さんです。編集さんからお話をいただいた際には、耳を疑いました。龍流の本棚に同人誌があるくらい好きなイラストレーターさんだったので……


【挿絵表示】


賢者ちゃんも騎士ちゃんも師匠も赤髪ちゃんも、最高にかわいく書いていただきました!! 表紙にいないあの人やこの人もいますが、ちゃんと挿絵で出てくるのでお楽しみに!

みなさんからいただいた感想や評価を糧に、ここまで来ることができました。本当に、いつも読んでくださる読者のみなさんのおかげです。ありがとうございます。
ツイッターの方でも告知を行っておりますが、書籍版では連載版からの加筆に加え、書籍、電子書籍、TOブックスオンラインストア、それぞれに書き下ろしの特典小説が付きます!
①書籍 赤髪ちゃんが役職を決めるお話
②電子書籍 目が見えない絵描きのおじいさんのお話
③オンラインストア 魔王様が旅をしていた頃のお話
なんか3万字くらい書きました。がんばりました。楽しんでいただければ幸いです。
お手に取りやすい形で、お求めいただければと思います。
もちろん書籍版とはべつに、これからもハーメルンでの連載は続けていきます! 引き続き「世界救い終わったけど記憶喪失の女の子ひろった」を、よろしくお願いいたします。


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世界を救ったパーティーのダンジョン攻略
赤髪ちゃんの魔王っぽい進撃


大変長らくお待たせしました
遂にメインヒロイン回です


 わたしの名前は赤髪です。名前はもうあります。

 あることにはあるのですが、滅多に呼ばれることはありません。

 

「うーん……」

「どうしたんすか、赤髪さん? 何か悩み事でも?」

「あ、ハゲさん」

 

 宿屋の食堂で腕を組んで唸っていたわたしを心配して、声をかけてくださったこの方のお名前は、ハゲさん。最近お師匠さんに弟子入りした勇者さんの弟弟子さんです。お師匠さんに毎日元気にしごかれながら、勇者さんにしばかれたり、賢者さんにこき使われたりしています。わりと雑な扱いを受けている気がしますが、ご本人が楽しそうなので問題はなさそうです。

 もちろん正確に言えば「バロウ・ジャケネッタ」という立派なお名前をお持ちなのですが、勇者さんやお師匠さんが「おい、ハゲ」「こら、ハゲ」と呼ぶもので、すっかりわたしの方もハゲさんと呼ぶ形で定着してしまいました。やはり人の名前というものは、呼びやすいのも大事なポイントなのでしょう。

 

「何か悩み事っすか? 俺なんかでよけりゃあ、お話聞ききますよ」

 

 キラーン、と。歯と頭を光らせながら、ハゲさんは言いました。

 見た目は強面で「ひゃっはぁー!」とか言いそうな感じで、ついでに頭もつるてるてんでピカピカですが、でもハゲさんはとっても良い人です。

 なのでわたしは、正直に悩んでいる内容についてお話することにしました。

 

「ハゲさん。わたし、実は前々から気になっていたことがありまして」

「はいはい」

「わたし、勇者さんたちに助けていただいて、そのまま流れでご一緒に旅をさせてもらうことになったわけですけど」

「はいはいはい」

「わたし、最近ご飯ばっかり食べてて、みなさんのお役に立てていないんじゃないか、と」

「は……あ。う、うーん……」

 

 ハゲさんは目をそらしました。明らかに目をそらしました。

 なんでしょう。この煮えきらない態度は。

 わたしは無言のまま、ハゲさんの腕を掴みました。

 

「ハゲさんもやっぱりそう思ってますよね!? わたしのことをタダ飯食らいの役立たずだと!?」

「言ってない言ってない! 言ってないっすよ!?」

「わたしみたいなご飯をたくさん食べるだけの無能は追放すべきだと!?」

「考えてないし思ってないですから!?」

 

 ぐぬぬ、と。わたしは歯軋りしました。

 今さら説明するまでもありませんが、わたしを助けてくださった勇者さんたちは、とてもすごい人たちです。

 賢者さんはすごい天才ですし、魔導師です。

 騎士さんはすごく強いし、お姫様です。

 お師匠さんはすごく強いし、長生きな分いろいろなことを教えてくれます。

 死霊術師さんはうるさいです。

 そして、勇者さんは強くてやさしいのです。

 つまり、わたしのパーティーのみなさんはとても最強です。わたしは死霊術師さんを除いて、パーティーのみなさんを心の底から尊敬しています。

 ですが、わたしはそんなみなさんに甘えてばかりで、何もできていません。

 このままでは……

 

「このままでは、無能なタダ飯食らいのわたしは、パーティーから追放されてしまうかもしれません!」

「いや、それは本当にありえないと思うっすけど……」

 

 ハゲさんは困ったような、少し呆れたような目でこちらを見てきましたが、わたしは大真面目でした。

 

「赤髪さんだって、最近は賢者さんのお仕事手伝ったりしてるじゃないすか」

「でも、わたしは賢者さんみたいに五人分の仕事をこなせているわけではありませんし……!」

「普通の人間は五人に増えたりしないんすから、あれは目指さなくていいんすよ」

 

 そうは言っても、わたしの仕事量がみなさんより劣っているのは、紛れもない事実です。あの胸に頭の栄養が持っていかれてそうな死霊術師さんですら、最近は診療所でせっせと働き、死にそうな患者さんやもう死んでしまった患者さんを生き返らせて、村の中でも大変評判になっていると聞きます。

 

「どこか、一気にがーっと働いて、ぱーっと稼げる場所はないでしょうか?」

「都のカジノじゃあるまいし、こんな辺境の土地でそんな稼げる場所はないっすよ……」

 

 ああ、でも、と。

 言葉を繋げて、ハゲさんは後ろを見回しました。

 

「そういや最近、ウチの村近くでダンジョンが見つかったって話は聞いてますかい?」

「だんじょん……ですか?」

「ああ、そこから説明が必要っすね」

 

 ハゲさん曰く。

 ダンジョンというのは、聖剣などの高い魔力を持った遺物を中心に形成される、地下迷宮の総称。魔力を生成し続ける遺物を『核』として、空間が歪んで地下に広がっていき、モンスターたちが生息する迷宮が形作られる……とかなんとか。あまり詳しい理屈はよくわかりません。今度、賢者さんに教えてもらいましょう。

 とにかく、ダンジョンでは純度の高い魔鉱石や宝石がザックザクと取れるのだそうです。

 

「最近、村に流れてくる冒険者やハンターの類いが増えてきたのもそのせいっす。でかいダンジョンが見つかると、その近くに拠点を設営して、腰を据えて攻略することになりますからね」

 

 さらにハゲさん曰く。

 そういったダンジョンは都の近くでは騎士団が対処にあたることが多いものの、彼らが駐屯していない辺境の土地では採掘や討伐ついでに、複数の冒険者が協力して立ち向かうことがほとんどなのだそうです。

 

「こういうど田舎や、魔王軍の領地だった場所には、まだまだ未開のダンジョンも多いっす。冒険者にとってはでかい金のなる木ってわけっすね。本当に手強いダンジョンだと、数年単位で数百人の冒険者が、攻略に駆り出されることもあるとか……」

「なるほど。つまり大きなダンジョンが見つかれば、その周辺に冒険者さんたちが集まって、商人さんたちもやってきて、ある種の街のように商業活動の場になる……と」

「そういうことっす。赤髪さんは頭が良いっすねえ」

「ありがとうございます! それほどでもあります!」

 

 えへん、と胸を張ってみましたが、そこでハゲさんは少し声を潜めました。

 

「今回見つかったダンジョンは、かなりデカいと聞きました。噂では、既に『土竜』も来てるって話です」

「もぐら?」

「ダンジョン攻略を専門にする、複数の集団で構成されたパーティーのことっすよ。まったく、いつもどこから嗅ぎ付けてくるんすかねぇ……」

 

 なるほど。どうやらザックザクにガッポガッポと稼ぐためには、先を越されない内に急いだ方が良さそうです。

 

「ハゲさん! ありがとうございました!」

「いえいえ。まあ、ダンジョンの周辺ならメシを提供する小屋も立ちますし、簡易的な取引所やらもできるでしょうし、猫の手も借りたいような有り様になるのが常っすからね。雑用でも、この村よりは割の良い仕事が見つかると思うっすよ」

「はい! ありがとうございました!」

 

 では、とりあえず……そのダンジョンとやらに向かう馬車に潜り込んでみましょう。

 

 

 ◇

 

 

「んー? おい、ハゲ。赤髪ちゃんどこ行ったか知らない? ここで待ってるように朝言ったんだけど」

「あれ? 兄貴なんも聞いてないんすか」

「んん? 何が?」

「……あっちゃあ。俺ぁ、てっきり一緒に行っているものだと……」

「いや、だから何が?」

「赤髪さん、今日は例のダンジョンの方まで行くって言ってましたけど……」

「……はあ?」

 

 

 ◇

 

 

 ふふん。迷いました。

 ここは一体どこなのでしょう? 

 いえ、厳密に言えばわたしは迷っていません。自分が今いる場所がダンジョンの中であることは、きちんと把握しています。だから、迷ってないと言えば迷ってないと言えます。やはりわたしは迷っていないのではないでしょうか? そんな気がしてきました。よし、わたしは迷ってない。そういうことにしておきましょう。

 

「……うーん」

 

 とはいえ、まさかダンジョンの中というものがここまで広いとは。まったく予想していませんでした。

 地下迷宮、という説明から薄暗い洞窟のような場所を想像していたのですが、実際に来てみると天井は高く広く、おまけに中も昼のように明るいのです。

 どうやら、辺り一帯に生えている苔のようなものが発光しているようです。不思議ですが、松明も火の用意もしてなかったので、正直助かりました。

 

「……ううーん」

 

 しかしながら、すべてが思い通りというわけにはいきません。

 馬車に潜り込んでダンジョンの入口まで来たのは良いのですが、中に入りたいと言っても、冒険者のおじさんたちは鼻で笑うばかりで取り合ってくれませんでした。仕方がなかったので裏に回ってみると、良い感じに入れそうな別の穴があったので、お師匠さんに習った技で岩を砕いて出入り口を確保。これに関しては、最近朝練をがんばっておいてよかったと思いました。

 そんなこんなでダンジョンの中に入り、適当に進んでみた結果が今なわけですが……正直お手上げです。どこに向かって進めばいいのか、どうやって下の階層に降りればいいのか。さっぱりわかりません。

 ですが、捨てる神あれば拾う神あり。途方に暮れるわたしの耳に、複数人の声が聞こえてきたのは、その時でした。

 

「急げっ! はやくしろ!」

「ま、まって……置いてかないで!」

「死にたくねえ! こんなところで死にたくねぇよ!」

 

 むむっ! 

 ちょうどいいところに人の気配! 

 

「すいません! そちらのみなさん!」

「あっ!? 嬢ちゃんも冒険者か!?」

「なにボサッと突っ立ってんだ!? すぐに逃げろ! ヤツがくる!」

「……ヤツ?」

 

 見るからに疲弊した様子でこちらに走ってきた男女三人組の冒険者のみなさん。その背後の壁が、次の瞬間に吹き飛びました。

 鼻を突く、生臭い匂い。鼓膜を切り裂くような咆哮。

 

「……おー」

 

 例えば、トカゲをそのまま大きくしていろんな場所をトゲトゲさせたような。

 そんな感じの大きなモンスターが、壁を突き破って現れました。

 

「は、はやく逃げろぉ! お嬢ちゃん! そいつは『メイルレザル』だ! 数人で敵う相手じゃねえ!」

 

 そうは言われても、今から走って逃げるのはちょっとむずかしそうです。

 ギョロリ、と。大きな目玉が、こちらを向きました。気のせいでしょうか。なんだか、目をつけられた気がします。

 わたしは、深呼吸しました。落ち着くのです。クールになるのです。

 こんな時は、騎士さんに習ったことを思い出します。騎士さんは、もっと大きくて凶暴な面構えの四足獣を焼き尽くしながら言っていました。

 

 ──いい? 赤髪ちゃん。でっかいモンスターは、まず目玉を潰すか、脚を切るといいよ! とりあえず動きを鈍らせれば、ぐっと倒しやすくなるからね! それでだいたい殺せるよ! 

 

 まずは、目玉か脚です。脚は、鎧のような鋭い鱗がギラついていて、いかにも硬そうです。

 わたしの体を丸ごと飲み込んで砕くために、そのトカゲ……メイルレザルとやらは、真っ直ぐに大口開いて突っ込んできました。

 なので、わたしはとりあえずその突進を横に避けて……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……は?」

「な……?」

「……うそ」

 

 うぅ……気持ちの悪い感触です。

 一目散に逃げようとしていた三人組の冒険者さんたちが、目を点にしてこちらを見ていました。

 一拍、遅れて。怪物の喉笛から、痛みを吐き出すような絶叫が響きます。

 

「……むぅ。うるさいですね」

 

 次に、賢者さんから習ったことを思い出します。賢者さんは、空から襲ってくる怪鳥を杖の一振りで次々に撃ち落としながら、言っていました。

 

 ──いいですか? 赤髪さん。あなたには魔術の才能がありますが、経験と知識が不足しています。もし、モンスターに襲われるようなことがあれば、自分の属性をどう出力するか……そんな難しいことは考えずに、とりあえず体の中の魔力を絞り出す感覚で、ぶつけてみてください。多分、大抵の敵はそれで死にます。

 

 手の中に、魔力を込めます。わたしは魔導式を覚えていないので、きちんとしたきれいな魔術を撃つことができません。

 なので、賢者さんのアドバイス通り、手の中でぐるぐると渦巻くそれを、とりあえず頭に叩きつけてみました。

 結果、なんかトカゲの頭が吹き飛びました。

 

「……え?」

「死んだ……?」

「……い、一撃?」

 

 よし……なんとか倒せました。騎士さんと賢者さんの的確なアドバイスのおかげです。

 勇者さんたちが相手にしていた本物のドラゴンに比べれば小虫のようなサイズだったので、なんの自慢にもなりませんが……でも、何事もなく倒せて良かったです! 

 

「すいません。みなさんにお聞きしたいのですが……」

 

 最後に、勇者さんに習ったことを思い出します。勇者さんは、間一髪で助けた他の冒険者の人たちに、手を振りながら言っていました。

 

 ──いいかい? 赤髪ちゃん。初対面の相手には、まずは笑顔で話しかけよう。赤髪ちゃんの笑顔には、人を安心させる魅力があるからね。

 

 スマイル。そう、スマイルです。

 顔を引き攣らせている、冒険者の皆さんに向けて。

 頬にこびりついた返り血を拭いながら、わたしは仕留めた獲物を片手で持ち上げて、聞きました。

 

「わたし、お腹がペコペコで……このモンスター、どうすれば美味しく食べられますか?」

 

 

 ◇

 

 

 元魔王の赤髪少女が、人生最初の獲物を仕留めて美味しく食べる方法を模索していた、その頃。

 開拓村からダンジョンに続く道を爆走する、一台の馬車があった。

 

「急げぇ! おいハゲぇ! 急げぇ!」

「兄貴っ! これでも充分とばしてるっすよ!」

「馬鹿野郎! 赤髪ちゃんが危ないんだぞ!? もっととばせっ!」

 

 手綱を握るハゲの首を、勇者は必死の形相で締め上げる。

 

「やれやれまったく……まさか一人でダンジョンに突っ込むとは」

「いやあ、意外と赤髪ちゃんもやんちゃなところがあったんだねえ」

「うむ。はじめてのお使いのようなもの。成長を感じる」

 

 賢者が溜息を吐き、騎士がのほほんと笑い、武闘家が頷く。

 

「言ってる場合かぁ!? 早く迎えに行かないと!」

「焦っても到着は早まりませんよ、勇者さん」

「そうだよ勇者くん。案外、入口近くの小屋で食べ歩きとかしてるかもよ?」

「うむ。あるいは、モンスターを自力で狩って調理してるかもしれない」

「そんなわけないでしょ!?」

 

 わいわい、がやがや。

 他のパーティーメンバーが騒がしい中、死霊術師は出発前にギルドから預かったメモを見た。そこには、現時点で判明しているダンジョンの情報が記されている。

 発見されて間もない故に、大したことは書かれていない。ただ、正面の入口に遺された碑文から、そのダンジョンの生成に関わったと思われる人物の名前だけは、すでにわかっていた。

 目を細めて、舐めるように。その文字の羅列を確認する。

 

「あらあら、これはまた……懐かしい名前ですわね」

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、誰にも聞こえない声で呟いた。

 記述は、たった二行。

 

 ──我らが魔の王に、この迷宮と愛の遺産を贈る。

 四天王・序列第一位『トリンキュロ・リムリリィ』




こんかいのとうじょうじんぶつ

赤髪ちゃん
コレクッテモイイカナ?
世界最強クラスの騎士と世界最高の賢者と世界最強の武闘家と世界最強だった勇者からいろいろ吸収した結果、恐るべきスピードで元魔王的な才能が開花しつつある少女。世界最悪の死霊術師からは何も学んでいない。
普段はぽてぽてと走る程度の運動能力しか発揮しないが、スイッチが入ると魔力による身体強化で恐るべき反応速度を発揮する。パーティー追放を勝手に危惧し、ダンジョンに突撃しお宝ゲットしてみんなに褒めてもらうべく、独自の行動を開始したが、とりあえずお腹が空いてしまった。

メイルレザルくん
目玉をくり抜かれて頭を吹き飛ばされたトカゲ。3人編成のそこそこの実力パーティーを単体で追いかけ回す程度のパワーとスピードを誇る。その鱗は硬く、剣や矢を簡単に弾いてしまうが、同時に冒険者向けの加工品の素材として重宝されている。次回、実食。


こんかいのようご

『ダンジョン』
魔力を垂れ流す遺物を核として形成される、地下迷宮。遺物が生成する魔力が強大であればあるほど、凶暴なモンスターが増え、質の良い魔鉱石などの魔術資源が発掘されるようになる。基本的に核となっている遺物を取り出せば時間経過と共に崩壊していくが、ダンジョンと共存する形で維持されている街なども存在する。とはいえ、基本的にモンスターが湧いて出てくるので、やはり人が住むには向かない。
冒険者たちに狩りを、職人に素材を、商人に商売の場を与えてくれるダンジョンは、経済活動の中心として機能する側面もあり、大規模なダンジョンであればあるほど、多くの人間が集まる。魔王討伐後はモンスターが減少したこともあってか、一攫千金を狙う冒険者たちが積極的に攻略を行うようになっていった。ベースキャンプを設置し、冒険者の出入りなどを管理するダンジョン攻略専門のパーティー集団は『土竜』と呼ばれる。



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赤髪ちゃんのおいしいダンジョンご飯

「このトカゲおいしいです!」

「そ、そりゃあよかった……」

 

 ほっぺが落ちそう、とはこのことでしょうか。

 なんと、助けた冒険者のみなさんは「お礼がしたい」ということで、わたしが仕留めたトカゲを調理してくださいました。

 

「そら。串焼きおかわりだ。まだまだ焼くからな」

「ん〜!」

 

 香辛料をピリっと効かせた串焼きを頬張ります。トカゲ肉、ということで最初は少し身構えてしまいましたが独特の風味こそあるものの、噛み応えがあってとてもジューシーです。狩ってその場で調理しないと味わえない、ワイルドな一品です。

 

「こっちは煮込みのスープだよ。メイルレザルの骨は良い出汁が出る」

「んん〜!」

 

 一口、口に含めば旨味が口の中いっぱいに広がりました。これは実に満足感のあるスープです。味付けは持ち込んでいた塩コショウと香草だけしか使っていない、とのことだったので、それだけ骨から滲み出る旨味が優れているのでしょう。これはちょっと毎日でも飲みたいですね……

 

「目玉の丸焼き。珍味って言われてるものだけど……食べる?」

「おいおい。そんなゲテモノはさすがにお嬢ちゃんには……」

「もちろんいただきます!」

 

 いわゆる見た目はアレ、という分類の料理になるのでしょうか。ですが、わたしは料理を見た目で判断するつもりは毛頭ありませんし……なにより、せっかく出していただいた料理を残すのは、わたしの主義に反するというものです! 

 

「っ……!」

 

 食べた瞬間に、わたしは思わず目を見開きました。

 

「んんん〜!」

 

 珍味、という一言では片付けられない味わいが、舌の先から頭の中まで駆け回ります。独特極まる食感と、天然のスパイスのようにあとから追ってくる苦味が、得も言えぬ多幸感を提供してくれました。わたしはお酒というものを飲んだことがありませんが、これは間違いなくお酒にめちゃくちゃ合うのではないでしょうか……? 

 

「うぅ……こんなことなら、もう片方の目玉潰さなきゃよかったです」

「あはは……」

 

 スープの鍋をかき回していた女性の魔術士さんが、ちょっと引きつった笑みを浮かべました。

 

「それにしてもよく食べるなぁ、お嬢ちゃん」

「なに言ってんの。この子はあたしたちの命の恩人よ。いくら食べてもらっても足りないくらいだわ」

「えへへ……あ、おかわりください!」

「もちろん。どんどん食べて」

 

 なんと言えばいいのでしょうか。

 わたしは今まで、勇者さんに助けてもらってばかりだったので、こうして誰かを助けて感謝してもらう、というのがとても嬉しく感じられます。勇者さんが「冒険は助け合いだよ」とよく言ってましたが、本当にその通りですね。あとお肉がおいしいです。

 

「それで、お嬢ちゃんは地元の冒険者かい? このあたりじゃ見ない顔だが」

「あー、えっと。わたし、旅の途中でして」

「ああ、旅人さんだったか。なるほどな。それで、儲けられそうなダンジョンを見つけて立ち寄った、と」

「そ、そんな感じです!」

「話は大体わかったが……やめておいた方がいい。このダンジョンはかなり広いし、しかもモンスターも多い。いくらお嬢ちゃんがかなり腕が立つとはいっても、ソロでの攻略は危険過ぎる」

「え。わたし、パーティーの中で間違いなく一番弱いですけど」

「……?」

「……?」

 

 おじさんと顔を見合わせて、首を傾げ合います。

 なんでしょう。何か認識の違いが発生している気がしますが、まあいいでしょう。

 腹ごしらえも済んだことですし、探索に戻るとしましょう。

 

「ごちそうさまでした! とってもおいしかったです!」

「そりゃあなによりだ」

「本当に一人で大丈夫?」

「やめとけ。おれたちが束になっても叶わないメイルレザルを一人で倒せるんだ。心配するだけ野暮ってもんだぜ」

「それはそうだけど……」

「みなさんは、もう地上に戻られるんですか?」

「おう。財宝よりも命が大事だからな。オレたちにはこのレベルのダンジョンは無理だ」

 

 リーダーのおじさんは肩を竦めて溜息を吐きました。

 

「土竜として名が知られている『スカロプス』だけじゃなく、王都からはわざわざ騎士団の連中も攻略に来てるって話だ。本当に、くれぐれも気をつけてな」

 

 なるほど……よくわかりませんが、とにかくダンジョンのお宝を狙っている人たちは、たくさんいるみたいです。

 これは、うかうかしていられません。

 

「みなさん、ありがとうございました! でもわたし、大丈夫です。こう見えても方向感覚にはそれなりの自信がありますので!」

 

 冒険者のみなさんは名残惜しそうに顔を見合わせていましたが、わたしの言葉に軽く頷きました。

 

「まあ、ダンジョンの中で方向感覚が当てになるとは思えないが……とにかく無理はしないように」

「はい! みなさんも、お帰りは気をつけて!」

「あ! ちょっとまってくれ!」

 

 お辞儀をして歩き出したわたしを、リーダーのおじさんが呼び止めました。

 

「余計なお世話かもしれんが、この先のエリアはトラップも増える! 足元には気をつけて進むんだぞ!」

「はい! ありがとうございます! でも大丈夫です! わたし、こう見えても用心深いので!」

 

 そう言った瞬間。

 何かを踏み込むようなかちりという音と、体がふわりと浮き上がる不思議な感覚がありました。

 

「あ」

 

 ばこん、と。足元の地面が、不自然に二つに割れます。

 なるほど。これが俗に言う落とし穴というやつなのでしょう。

 わたしは、そのまま真っ逆さまに落下しました。

 

 

 ◇

 

 

「赤髪ちゃん大丈夫かなぁ……お腹空かせてないかなぁ……」

「だから心配しすぎですって。あの子、なんだかんだ図太いところありますから大丈夫ですよ」

「でもさぁ、賢者ちゃん。赤髪ちゃん、基本的に方向音痴ですぐ迷うし……」

「まあそれはそうですね」

「何にでも興味示すから、一度決めたらどんどんそっちに進んじゃうし……」

「それについてもまあそうですね」

「素直だからトラップとかにもかかりやすいだろうし……!」

「つくづく思うんですけど、あの子ほんとによく一人でダンジョンに突撃しましたね」

「だから心配なんだよぉ!」

 

 

 ◇

 

 

 また迷いました。

 一体、ここはどこなのでしょう? なんだか、一人で出発してから常に迷っている気がします。しかしながら、さっきの階層から『下』に降りられているのは間違い無いようです。わたしはダンジョンの最深部のお宝を目指しているわけで、目標にはしっかり近づいています。なので、迷っていないとも言えます。いや、むしろわたしは迷っていないのでしょう。迷っていないということにしておきましょう。よし! 

 

「うーん……」

 

 とりあえず「多分こっちだ!」と思った方へ歩き続けていますが、さっきご飯を食べた階層に比べるとかなり薄暗くなってきました。

 

「……ん?」

 

 ガサゴソ、と。物音が聞こえた気がします。

 またモンスターでしょうか? 

 食べられそうな感じのモンスターだと、嬉しいのですが……あと、わたし一人で調理できるようなやつだと、さらに嬉しいです。

 ですが、物音が聞こえた方に進んでみると、そこにいたのは、断じてモンスターなどではありませんでした。

 

「……」

 

 なんということでしょう。

 そこにあったのは、形の良い女性の臀部だったのです。

 要するに、お尻です。

 厳密に説明するのであれば、スカートが捲れ上がり、黒のタイツに包まれたパンツが薄く透けている……そういうタイプのお尻でした。ついでに言えば、色は白です。

 とにもかくにも、上半身を地面の穴に突っ込み、パンツを見せびらかしている下半身が、わたしの目の前にありました。

 

 なんなのでしょう、これは。

 

「やあやあ、こんにちは」

 

 お尻が、喋りました。

 

「え、あ、はい……こんにちは」

「驚いているようだね」

 

 そんな確認を取られても困ります。

 いきなりお尻に話しかけられたら、誰だって驚くというものです。

 とりあえず、見るに耐えないのでわたしは捲れ上がっているスカートをそっと戻してあげました。すると、お尻さんが左右にくねくねと動きます。中々鍛えられていそうな臀部です。

 

「今の感触……もしかして、スカートを戻してくれたのかな?」

「えっと、はい」

「ありがとう! 女性同士とはいえ、パンツを見られるのは恥ずかしいからね〜」

 

 どうやらこのお尻さん、最低限の恥じらいはお持ちのようです。

 

「ところで、ちょっとお願いをしてもいいかな?」

 

 お尻さんがさらに言葉を続けます。

 

「な、なんでしょう?」

「いやはや、実は罠に引っかかって、見ての通り穴に嵌って抜けられなくなっちゃったんだよね。だからこう、ぐいっと引き抜いてもらえるとうれしいかな〜、みたいな?」

「な、なるほど……?」

 

 しかし、お尻さんが嵌っている穴はかなり小さく、腰の部分で完全に詰まってしまっているように見えます。引っ張っても抜け出してもらうのは、ちょっと難しそうです。多分、周りを壊して出してあげた方が早いでしょう。

 

「ちょっとうるさいかもしれませんけど……我慢していただけますか?」

「うんうん。よろしく」

 

 上手くいけばいいのですが……

 わたしはお師匠さんに習った構えを取って、拳を一発。壁面に叩き込みました。

 

「うわっ!?」

 

 殴った床が、音を立てて割れます。元々穴が空いていたようなものですし、わたし如きの力で割れてよかったです。

 壊した勢いで嵌っていたお尻が抜けて、こてんと落ちます。それでようやく、わたしは彼女の下半身だけではなく、上半身も確認することができました。

 そして、思わず固まってしまいました。

 それは彼女が美人だから、とか。見惚れてしまったから、とかではなく。穴の中に隠れて見えなかった上半身に、軽くて丈夫そうな軽装の鎧を着込んでいたからです。

 

 ──王都からは騎士団の連中も来てるって話だ

 

 先ほど聞いた冒険者さんの言葉が、頭の中で蘇ります。

 

「ありがとう〜! 助かったよ! 赤髪のかわいこちゃん」

「えっと……あなたは」

 

 その女性は、わたしを見上げて、にっこりと微笑みました。

 きれいな黒髪と、肩口にかからないくらいでやはりきれいに切り揃えられた、艶のあるボブヘア。ですが、なによりも目を引くのは、片目を隠す眼帯でした。

 

「ワタシはイト。()()()()()()()()()、イト・ユリシーズ」

 

 片方だけの瞳は、どこか優しげで。

 

「助けてもらったお礼は、このダンジョンのお宝の在処……とかでいいかな?」




こんかいのとうじょうじんぶつ

赤髪ちゃん
ンンン〜! 蘆屋道満。

お尻さん
遂に再登場を果たした華麗なるお尻。またの名をイト・ユリシーズ。


ぽぽりんごさんから賢者ちゃんのファンアートをいただきました!


【挿絵表示】


セリフのチョイスがどれも素晴らしくてかわいいですね。本当にありがとうございます!


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勇者くんの服を脱ぐダンジョン攻略

「よし。おれたちもダンジョン潜るぞ」

「落ち着いてください勇者さん」

「ぐえ」

 

 到着早々、ダンジョンに突っ込もうとしたら、首根っこを賢者ちゃんに締め上げられた。

 

「なんで止めるんだよ賢者ちゃん!」

「落ち着いてよく見てください。土竜の連中が来てます」

「うわ、ほんとだね」

 

 鎧を展開して手甲の調子を確かめていた騎士ちゃんが、めんどくさそうに眉をひそめる。『土竜』というのは、ダンジョン攻略を生業にする専門のパーティー集団のことである。腕利き揃いなのは間違いないのだが、逆に腕利きが揃っているがゆえに、黒い噂が絶えなかったり、ダンジョンから掘り出される遺物の類いを独占している疑惑があったりと……一般の冒険者からは疎まれることも多い存在である。

 

「面倒だ。おれが話を通してくる」

「ちょ……えっ!? 勇者くん!?」

 

 静止しようとした騎士ちゃんの手をするりと抜けて、おれはとりあえず冒険者たちが集まっているテントに声をかけた。まだ内部のマッピングが進んでいないのか、もしくはやる気がない連中が集まっているのか、はたまたよほど暇なのか。

 

「なんだァ、てめえ?」

「ここはガキがミルクを探しに来る場所じゃねぇんだ」

「帰りな帰りな」

 

 しっし、と。入って早々。手で追いやられる。

 うーん、あまりにも柄が悪い。どうしてこう冒険者っていうのはどいつもこいつも品がよろしくないのだろうか。

 まあ、舐められる見た目をしているおれも悪いのだけれど。若く見られるのって嬉しいけどこういう時ほんと損だよな……帰ったら思い切ってヒゲでも伸ばしてみようかな。ちょっと赤髪ちゃんにも聞いてみよう。

 

「ここは土竜のテントか?」

「あー!? こんな小さくてしょっぺえ場所が土竜のテントなわけねぇだろ!」

「ここはオレたち地元の冒険者同盟が金を出し合ってダンジョン攻略のために立てた野営地!」

「明日を掘り進める探窟隊の前線基地よ!」

 

 名前ダサすぎだろ。

 もう少しなんとかならなかったのか? 

 というか、勘違いして全然違う場所に乗り込んでしまった。恥ずかしい。穴があったら入りたい。これからダンジョン潜るけど。

 

「じゃあいいや。おれは土竜の野営地に用があるんだ」

「ちょっと待てや兄ちゃん」

「せっかく入ってきたのに、ただで帰るってのも、何もおもしろくねえだろう?」

「どうだい? 折角だ」

「ここは一つ、オレたちのゲームでちょいと遊んでいかねぇかい?」

「ゲーム?」

 

 おうよ、と。金髪に熊のような大男が、横柄に頷いた。

 

「後から来た土竜の連中にダンジョンの探索やらマッピングやらの仕事は全部取られちまって……オレたちの仕事は、浅い階層で大して金にもならねぇ石拾いよ」

「アイツらに顎でこき使われるくらいなら、ここで酒入れながら賭け事でもしていた方がマシだ」

「だから兄ちゃんも一枚噛んでいけや!」

 

 コイツら何しに来たんだよ。もう帰れよ。

 とはいえ、どう足掻いてもただでは帰れそうにない雰囲気だ。おれは諦めて問い返した。

 

「ゲームの種類は?」

「最も原始的でありながら、今、冒険者の間で最もアツいゲーム……その名も、アームゥレスリィングッ!」

「ッ……! なるほどな」

 

 おれは口元を歪めた。

 それならちょうどいい。

 

「にいちゃんにはプレイヤー側として参加してもらうぜぇ!」

「その細っこい体じゃ一ラウンドも保たねえかもしれねぇが!」

「精々足掻いてくれよ! あーひゃっひゃ!」

「……御託は良い」

 

 おれは、上半身の衣服をすべて脱ぎ捨てた。

 その途端、おれを取り囲んでいたチンピラなんちゃって地元冒険者たちの反応が、明らかに変化する。

 

「この野郎……」

「良い身体してるじゃねぇか」

「へっ……おもしれー男」

 

 自慢の筋肉を見せつけ、威圧しながらおれは冒険者たちに告げた。

 

「何連戦でもいいから、さっさと掛かってこい」

 

 

 

 そうして、二十分後。

 おれはある程度のまとまった賭け金の報酬と、チンピラたちの人望を得てテントを出た。

 滴る汗が流れる素肌に、外の冷たい風が心地良い。

 

「いくぞお前らァ! 土竜どもにダンジョン攻略を好きにさせるなっ!」

「「「おうっ!」」」

「なんで地元のチンピラたち束ねてるのっ!?」

 

 騎士ちゃんにツッコミを受けながら、おれは頭を手甲でどつかれた。ちょっと痛かった。

 

 

「なるほど。つまりお姉さんは、王都の騎士団の団長さんなんですね?」

「そうそう。そうなんだよ〜」

「小規模な部隊を率いて来たものの、まずは散歩がてらにダンジョンの浅い階層を見て回ろうと一人で勝手にダンジョンに入り……」

「うんうん」

「しかしすっかり道に迷って出口がどこなのかすらわからなくなり」

「いえすいえす」

「道中で武器である剣も落としてしまい」

「然り然り」

「そして、トラップを踏んでさらに深い階層まで来てしまい、先ほどまで自力脱出困難な状況であった、と」

「そう! まさしく、そんな感じかな!」

「あなた本当に騎士団長ですか?」

 

 わたしにはちょっと、このおとぼけお姉さんが王国に五人しかいない騎士団長であることが、まるで信じられませんでした。あまりにもおマヌケです。ダンジョンに一人で入って迷った挙げ句、罠にハマって一人で深い階層まで落ちてくるなんて、考えなしが過ぎます。

 

「でもでも、そういうアカちゃんもワタシと同じように罠にハマって落ちてきたクチじゃないのかな?」

 

 ……考えなしが過ぎます!

 わたしは腕を組みながら、団長さんを見下ろしました。

 

「ていうか、アカちゃんってもしかしてわたしのことですか?」

「うん。あなた、かわいいし赤いし、なんかちびっこみたいな雰囲気だから、アカちゃん!」

「本当にちびっこみたいな呼び方をされても困ります! 別のあだ名を所望します!」

「えー、お姉さん的にはめちゃくちゃかわいいあだ名だと思うんだけど……」

 

 まあいいや、と。特に気にする様子もなく、騎士団長さんはわたしの正面に回って聞いてきました。

 

「アカちゃんは、なんでこんなダンジョンに一人で来てるの?」

「同じように一人で来てるお姉さんがそれを聞きますか……?」

「ワタシはほら、仕事だしねぇ」

 

 にこり、と。笑う騎士団長のお姉さん。普通に仕事で来て勝手に迷って勝手にダンジョン散策されてる方がどうかと思うのですが……

 わたしは答えました。

 

「パーティーメンバーの皆さんに、こんなわたしでもお役に立てることを証明するためです!」

「へえ、アカちゃんは冒険者なんだ」

「はい! そうです! わたしの入ってるパーティーのみなさんは、本当にすごい方たちばかりなんです! でも……」

「自分は弱いから、役に立てるか不安?」

 

 一言で内心を言い当てられて、思わずびくりと。体を震えて反応してしまいました。

 

「それとも、役に立てない自分は必要ないんじゃないか、とか。そんなこと思ってる?」

 

 騎士団長のお姉さんは、片目に眼帯をされていて。瞳は一つだけでしたが……ですが、その琥珀色の瞳にどこまでも何もかも見透かされるような気がして、わたしは顔を背けました。

 

「おっ……お姉さんには、関係ありません!」

「きゃ〜! もうっ、アカちゃんかわいい〜! ワタシ、キミみたいな子ほんとに放っておけないんだ〜!」

「く、くっつかないでください! 暑苦しいです!」

 

 何なんですかこの人は!

 勝手にこちらのことを理解した気になって、勝手にくっついてきて!

 騎士さんや死霊術師さんも身体的接触を伴うスキンシップが激しい方達でしたが……なんというかこのお姉さんは別ベクトルで苦手! 苦手です!

 

「……よしよし。大丈夫大丈夫」

 

 と、いきなりハイテンションだった声がトーンダウンして、お姉さんの指先がわたしの髪に絡まりました。

 

「わかるよ、うん。わかるわかる。ワタシにも、そういう時期があったからさ〜。たくさん意地張って、自分は強いんだ! 必要とされる人間になるんだ、って。でも、そうやって意地と見栄ばっか張ってると、いつかワタシみたいに手痛い失敗をしちゃう日が来るよ」

 

 わたしも鈍くはありません。なんとなく、お姉さんの言うその失敗が、片目の眼帯のことだということは、自然と察することができました。

 

「キミはきっと、良い子なんだろうしさ。かわいいし、みんなもたくさん可愛がってくれるんだろうから、今はまだたくさんそれに甘えていれば良いんだよ。いつか、返せるようになったら返したらいい」

「……そうですか?」

「そうだよ」

 

 わたしが問い返したその言葉だけには、お姉さんは力強く即答しました。

 

「人間、意地ばっかり張ってたらいつか折れちゃうからね。一人ぼっちは絶対にダメ。人間は、誰かに頼らないと」

 

 ついさっきまでは、あれほど煩わしかったお姉さんの言葉は。何故かわたしの胸の中にすとんと収まって、そのもやもやを晴らしてくれました。

 

「お姉さん」

「んー?」

「ありがとうございます」

「いえいえ。どういたしまして」

 

 でも、それはともかく。

 

「お姉さん、わたしに「一人はだめだ!」みたいなお説教してたわりに、今現在進行系で、一人でダンジョン攻略してませんか……?」

「いやいや、それはそれ。これはこれっていうか……うーん、ほら! ワタシは散歩してたら迷っちゃっただけだから!」

「えぇ……」

 

 お姉さんの都合のよい自己弁護に、抗議しようとしたのも束の間。

 

「……おっと危ない。頭下げな、アカちゃん」

 

 お姉さんに手を引かれたわたしの頭上を、鋭い爪が横切っていきました。

 

「ひっ……あれって……メイルレザル!?」

「お。アカちゃんよく知ってるねぇ。感心感心」

 

 お姉さんは能天気にそんなことを言いますが、わたしは思わず後退りました。

 それがメイルレザルと呼ばれるモンスターであることは、上層階で特徴を教えてもらい、実際に仕留めたわたしにもわかります。

 ですが、今。眼の前で舌をちらつかせているメイルレザルはわたしが仕留めたものよりも遥かに大きい……具体的には三倍ものサイズを誇っていました。

 

「こ、こんなに大きいななんて……」

「うんうん。たしかにこのサイズは中々お目にかかれないねぇ。この階層でボスやってるのかな?」

 

 言いながら、騎士団長のお姉さんは一歩。そのバケモノような巨体に向けて歩を進めました。

 

「アカちゃんは危ないから下がっててね」

 

 唾液でぬらぬらと輝くその歯を剥き出しにして、大きな口が開きます。

 

「お姉さんっ!?」

「大丈夫大丈夫」

 

 お姉さんに、武器はありません。

 失くした、と言っていました。

 だからお姉さんは、手に何も持たないまま、そのオオトカゲと正面から向き合い、そして……

 

「へ?」

 

 そして、一刀の元に切り捨ててしまいました。

 一瞬で三枚に卸されたトカゲは、その巨体を地面に落として、動かなくなってしまったのです。

 

「よーしよし。一丁上がり。いやぁ、コイツは食いでがありそうで良いね」

 

 ニコニコと笑うお姉さんは、さっきまでとまるで変わらず。

 ですが、その異質さの正体を確かめるために、わたしは聞きました。

 

「今……()()()()()んですか?」

「おー? 斬ったことはわかるんだ。目が良いねぇ」

 

 騎士団長のお姉さんは、わたしに向けてひらひらと。手のひらを振りながら答えました。

 

()()

 

 

 

 

 

「よし! 今度こそおれたちもダンジョン潜るぞ!」

「落ち着いてください勇者さん」

「うぼっ」

 

 頼れる仲間を得て早々、ダンジョンに突っ込もうとしたら、首根っこを賢者ちゃんに締め上げられた。

 もういいよ。さっきやったよこの流れは。

 

「なんでだ賢者ちゃん!? せっかくこうして頼れる仲間も増やしてきたのに!」

「そのチンピラどもが頼れる仲間になるかは大いに疑問が残りますが、勇者さんが上半身裸で男同士の遊びに興じている間に、私もある程度情報を仕入れておきました」

「というと?」

「どうやらこのダンジョン、下の階層へ続くルートの発見が相当困難らしく。まだ土竜たちも三層で手をこまねいているようです。そして、先ほど聞き耳を立ててみたところ、一番深い場所に潜っていたパーティーが一旦帰投する、との連絡が入っていました」

 

 つまり今のダンジョンの中は他のパーティーがほとんどおらず、探索はし放題。

 

「周辺をぐるっと回ってみて、入り口になりそうな場所も見つけました。探知もかけておいたので、周囲に人もいません。赤髪さんはもっと深いところにいるようなので、巻き込む心配もないでしょう」

 

 そして、中の構造は賢者ちゃんがある程度探知魔術で把握済み。

 なるほど、たしかに。これなら、おれたちがダンジョン攻略する時に使っていた、()()()が活かせる。

 

「そんなわけで、さっさと始めてしまいましょうか。では、騎士さん。よろしくお願いします」

「はーい。ひさびさだから腕が鳴るね!」

 

 言いながら全身甲冑のフル装備になった騎士ちゃんは、いつもの二刀流ではなく、めずらしく両手で大剣を構えた。その刀身から、凄まじい勢いで炎が迸り……そして魔法効果によって形作られた炎の刀身が、超高温で固められた、大地を抉り掘る刃となる。

 ぽかん、と。冒険者たちはその規格外の破壊の熱量を見上げた。

 

「一気に五層まで抜きたいな〜!」

「とはいえ、これやるのもひさしぶりですからね。ここは欲張らずに四層までにしておきましょう」

 

 炎の剣が、凄まじい音を響かせながら、大地をゴリゴリと穿いて抉る。

 おれたちがやっていることは、極めてシンプルだ。

 圧倒的な火力でダンジョンの地下構造を外殻からブチ抜き、地上から深い階層まで直通で潜れるルートを形成する。

 つまり、迷って惑って出口を探してほしい制作者の意図を全否定する、ショートカットである。

 風情がない気もするが、だって仕方がない。うちのパーティーは、これをやるのが最も効率が良いのである。

 

「ふぃ〜! ひさびさに良い穴が掘れたぁ!」

「四層まできっちり抜けました。充分ですね」

「じゃ、わたしが先行する」

「あ、武闘家さんちょっとまってください。今騎士さんが水流し込んで通路冷やしてくれますから」

 

 新しく生成された出入り口。しかも、四層への直通路。

 それを呆然と見詰めるしかない冒険者のみなさんに向けて、上半身を風に晒しながら、おれは言った。

 

「いくぞお前らァ! 今から、死ぬほど稼がせてやるから、黙ってついてこい!」

 

 爆発した歓声が、返事の代わりだった。




こんかいのとうじょうじんぶつ

アカちゃん
またの名を赤髪ちゃん。おせっかい焼きのお姉さんに対してツンデレ反抗期という新たな属性を獲得しつつある。

騎士団長のお姉さん
またの名をイト・ユリシーズ。歳を重ねて落ち着きと包容力が増した。アカちゃんのことをとても気に入ってるが、天然なので当然魔王であることとか勇者くんたちが近くにいることとかは知らない。コイツは色々知ってるようで知らないことの方が多い。無知無知系お姉さん。
愛刀は落としてどこかに消えたが、現在の戦闘力では手刀で大抵の問題は片付く。やはり何かがおかしい。

勇者くん
上半身の衣服を脱ぐことで、カリスマ+20。下半身も脱ぐとさらに加算されるらしい。現在、ゴールデンカムイ4期が絶賛放送中だが、この勇者はスチェンカとかあったら絶対参加するし、バーニャにも入る。

騎士ちゃん
土木工事インフェルノソードブレイカー。騎士ちゃんの聖剣は魔力が続く限り火を放って操ることが可能であり、魔法によって火の温度が高められるとそれはもう大変なことになる。コイツもやはり何かがおかしい。

賢者ちゃん
すべてが円滑に回っているのは大体この子のおかげ。そろそろこのダンジョンでいくら稼げるか脳内で算盤を弾き始めている。

師匠
このダンジョンつえぇモンスターはいるのか!?オラワクワクすっぞ!

死霊術師さん
霊圧がなかった。多分どこかでふらふらしてる


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勇者くんのちょっと意外な再会

 待つ側というものは、いつも暇なものである。

 

「で、進捗はどうなんだぁ?」

 

 ダンジョン近くに設営されたベースキャンプ。その中で、男は欠伸を噛み殺しながら長い脚を組んでいた。

 

「悪いっす」

 

 彼の問いに、副官の女は端的に一言で答えた。が、さらに続けて、ヘラヘラとサイドポニーを揺らしながら言葉を繋げる。

 

「こんなに探索の進捗が悪いのは、ウチが『スカロプス』に入って以来なんじゃないすかねえ。まあ、だからこそ、こんな地図にも載ってないような辺境の土地に来たかいがあったとも思いますけど。探索が難しいってことは、それだけデカい案件の証明ってことでしょう? がんばればお宝ザックザク! ザックザックっすよ! がんばりましょうね! 隊長!」

 

 話が長い。

 

「……デカいのは結構だが、成果がなけりゃあスポンサーさまは満足しねえぞ」

 

 スカロプス。それが、彼が現在率いるパーティー集団の名前である。

 冒険者たちからは俗に土竜とも呼ばれるスカロプスは、その言葉通り貴族や商人などをスポンサーに持つ凄腕たち……ダンジョン専門の攻略者集団だ。しかし、後見人がいるということは、当然成果を求められるわけで。資金援助を受けている以上、手ぶらでは帰れない、というのが実情だった。

 

「一応、タイモンのチームが三層まで潜ってるっす。装備の消耗がひどいとかで、今はベースキャンプまで戻って休息を取ってます。準備ができ次第、再アタックをかける予定ですね」

「わかった。いつも通りルートの共有は全チームにさせろ。それと、浅い階層の情報は地元の冒険者にも開示してやれ」

「いいんすか?」

「こっちは他所者だからな。それくらいはあちらさんの顔も立ててやるべきだろ」

「浅い階層を隅々まで漁るのは面倒だから、お前らうまく使ってやるって言えばいいじゃないすか」

「バァカ。こういうのはな、道理と建前を使い分けていくのが大事なんだよ」

 

 ダンジョンを見つけては出張ってくる土竜は、その土地の人間や冒険者から嫌われることも多い。気を遣わなくてもいいことではあるが、しかし気を遣っておけば回避できるトラブルは、事前に回避するに限る。

 歳を重ねるにつれて学んだ処世術の一つだ。しかも厄介なことに、今回気を配らなければならない相手は、一つだけではない。

 

「それで、騎士団の方は?」

「動いてる気配なしっす。今来てるのは『第三』でしたっけ? 少人数で遠征してるみたいですし、団長がいなくなって困惑してるんじゃないですかね?」

「……ったく、本当にあの人は」

「あ! 隊長はあちらの騎士団長さんとお知り合いでしたっけ?」

「あぁ。騎士学校の先輩だ」

「眼帯が目立ってましたけど、すっごいきれいなお姉さんでしたよね〜! どんな方なんです?」

「……あー、天然という概念の塊?」

「いやほんとにどんな方なんです?」

 

 その通り、としか言いようがないのが困り物である。

 そのままで第三騎士団の団長まで登り詰めてしまったのだから、本当に大したものであるとも言えた。

 

「タイモンのチームの準備が済み次第、オレも出る」

「えー、隊長も出るんですか?」

「なんだぁ? 不満か?」

「隊長が出るなら、ウチも付いていかなきゃいけないからめんどいっす」

「それくらいは我慢しろ。給料分はちゃんと働け」

 

 言ってから、使い慣れた双剣を手に取る。

 ダンジョンの探索速度は、先陣を切って潜るパーティーの練度によって、大きく左右される。各階層のモンスターを避けながら進むことももちろんできるが、倒して進んでいった方が間違いなく効率は良い。その方が必然、後続パーティーが探索する安全も確保される。

 スカロプスに所属しているパーティーは、情報を共有し、互いの得意分野も把握しているので、足並みを揃えやすい。頭数の多い大規模攻略集団の強みである。

 

「今回のダンジョン。無駄に広い規模も厄介だが、表の碑文に刻まれていた名前も厄介だ。用心はしておくに越したことはねえ」

「ああ。トリンキュロ・リムリリィ……魔王軍の四天王っすね。どんなヤツだったんですか? ウチらの世代だと、名前くらいしか習ってないですけど」

「何度も同じこと言わせんな。その名前だけでも、とびっきりの厄ネタだ」

 

 魔王軍、四天王第一位。

 その名は『色喰い』の異名と共に知られている。

 

「単純に、魔王軍の中で一番多くの人間を殺してきたのが、リムリリィだ。時代が違えば、アイツが魔王と呼ばれていても何も不思議じゃなかった」

「ひえー。ウチ、そんなヤツと絶対戦いたくないっす。そんなヤツをぶっ倒した当時の勇者サマってほんとすごかったんすねえ」

「……まあ、オレから見たらただのクソ後輩だったけどなぁ」

「あ。隊長は勇者サマとお知り合いですもんね! 騎士学校の後輩さんでしたっけ?」

「そうだ。昔の話だがな」

「いやいや、勇者サマとお知り合いなんて憧れるっす! マジリスペクトっす!」

 

 しかし、そこまで言ってからお調子者の部下は「あ……」と何かに気づいたように、顔を伏せた。

 

「す、すいません隊長。今、勇者サマ行方不明っすもんね。心配ですよね?」

「あぁ? あのバカの心配なんざ馬鹿らしくてしたことねえよ。どうせ、どっかで馬鹿やってるに決まってるからなぁ。ああいうバカは殺しても死なねえんだよ」

「おお。信頼ってヤツっすね!?」

「昔を知ってるだけだ」

 

 それが勇者というものだ、と。そこまで言って説明してやるのも馬鹿らしくなって、彼は立ち上がった。

 

「おら、そろそろオレらも行くぞ。準備しろ」

「あいーっす」

「隊長! 副隊長! 失礼します!」

 

 しかし、そこで入ってきたのは、先鋒を務めるチームの一つの率いる部下だった。

 

「どうしたぁ? 何かあったか?」

「そ、それが。我々が発見した出入り口とは別に、地元の冒険者たちが勝手に別の出入り口を掘削して作っているようでして。その……非常に申し上げにくいのですが、漏れ聞こえている話では、既に四層までの直通ルートを確保した、と」

「あ?」

「それと……地元の冒険者たちを束ねている()()()()()()が、あろうことか勇者を名乗っているようでして」

「あぁ?」

 

 情報量の多さに戸惑っている間に、べつの部下がテントを引き上げて入ってくる。

 

「隊長! ()()()()()! ご報告します!」

「今度はなんだぁ?」

「いえ、それが。勇者を名乗る半裸の不審者が、ジルガ隊長にお会いしたいと」

「すいません。失礼しまーす」

 

 そして、二人の部下をかき分けるように入ってきたのは、彼……ジルガ・ドッグベリーが忘れようとしても忘れられない、見覚えしかないクソ生意気な後輩の顔だった。

 

「あれ……先輩!? 先輩じゃないですか!? こんなところで何してるんです!?」

「……おめーの方こそ、こんなところで何してんだぁ。バカ勇者」

 

 スカロプス隊長、ジルガ・ドッグベリーは、絶賛行方不明中の世界を救った勇者に向けて、吐き捨てた。

 

 

 ◇

 

 

 意外な再会というのは、いつも突然やってくるものだ。

 ひとしきりの事情を説明し終えると、おれが学生時代に大変お世話になった騎士学校の先輩は、腕を組んだまま頷いた。

 

「なるほど。つまりまとめると、こういうことだな? お前は元魔王の女の子をひろって、情報収集を兼ねながらパーティーの仲間たちを集めていたが、黒幕の最上級悪魔と戦っている内にギルデンスターン商会の空中輸送船を一隻丸ごと潰してしまい、そのまま見知らぬ場所に落っこちて、今いる場所がどこかもわからず、無一文になってしまったが故に帰るための金を稼いでいた、と」

「はい! まさしく、そんな感じです」

「情報量が多すぎだバカタレが!」

「痛い!」

 

 先輩に頭をはたかれるのは、ひさしぶりの感覚だ。なんというか、ある種の懐かしさすら感じる。昔は、よくこの面倒見の良い先輩に小言を言われながら、生徒会の仕事をこなしたものだ。ああ、懐かしい。

 先輩の後ろでは、サイドテールが印象的な快活なイメージの美人さんが顔を手で覆いつつ、指の隙間からおれの上半身を見詰めている。

 

「はわわ……ほ、本物の勇者サマっす……! ほ、本物の勇者サマの裸の上半身が目の前に……ッ! やばいっす」

「先輩、こちらの方は?」

「ウチの副官だ、気にすんな。つーか、おめーはまず服を着ろ」

「おれの上半身に恥ずかしいところなんてありませんが?」

「……」

「いや冗談ですよ先輩。剣抜こうとしないでください」

 

 せっかく数年ぶりに再会したのだから、おれの勇者ジョークを楽しむ度量の広さを見せてほしい。

 

「ていうか、先輩の方こそこんな所で何やってるんですか?」

「ここの隊長はオレだ、アホタレ。今はこの『スカロプス』っつうダンジョン攻略専門パーティーの、雇われリーダーをやってる」

「ははぁ……先輩、妹さんの治療のために騎士団やめたのは聞いてましたけど、こんなところに再就職してたんですね……」

「ほっとけ。あと、早く服を着ろ」

「はい」

 

 仕方ないのでいそいそと服を着込んでいると、先輩は頭を抱えて深く深く溜息を吐いた。

 

「おめー、王都の方で今、どんな騒ぎになってるか何も知らねぇだろ?」

「え? どうなってるんですか?」

「消えた勇者! 世界を救った英雄、謎の失踪! 王都の新聞はそんな見出しの記事でもちきりだ、バカが! 権力を握ることを目的とした貴族の陰謀だの、隣国に身柄を確保されただの、魔王が復活しただの、とにかくアホみたいな噂を挙げ始めたらキリがねぇ!」

 

 うわぁ……予想していなかったわけではないけれど、何かそこそこ大事になってるみたいだなぁ。大変そうだ。しかも「魔王が復活した」という部分だけ、ちょっと合ってるのがなんかおもしろい。

 

「とにかく、お前は早く王都に戻って自分が無事であることを伝えろ。めんどくせぇが、オレたちが転送魔導陣のある街まで護衛して送ってやる。そこから先はお前のとこの賢者様がなんとかしてくれんだろ」

「え! でも隊長! そしたらこのダンジョンの探索が……」

「うるせぇ。勇者の無事を世界に伝える以上に大事なことなんかねぇだろが!」

 

 先輩、相変わらず面倒見が良いなぁ……。なんだかんだいってやさしい人だ。

 しかし、おれは首を横に振った。

 

「いや、でもすぐに帰るわけにはいかないんですよね」

「あ? なんでだよ。何か気になることでもあんのか?」

「いや、実はさっき説明した魔王の女の子が、今このダンジョンに潜ってるらしくて……」

 

 おれの簡潔な説明に、先輩の表情が目に見えて青くなった。

 

「それは……まずいな」

「はい。おれも強いモンスターとかに襲われてないか心配で、だから強引に入口こじ開けて、うちのパーティーで捜索を……」

「そうじゃねぇ」

「え?」

 

 学生時代から愛用している武器の双剣を手に取って、先輩は立ち上がった。

 

「お前、このダンジョンを作ったのが誰か、まだ知らねぇだろ?」

「あ、はい」

「四天王の第一位だ」

 

 思わず、絶句する。

 そして、先輩はさらに重ねて言った。

 

「しかも今回、ここに遠征に来てるのはオレたちだけじゃねぇ。王都から第三騎士団も来ている」

「第三って、まさか……」

「あぁ。こんなところで、呑気に同窓会する羽目になるとは思ってもみなかったが……」

 

 頭の中に浮かぶのは、もう一人の先輩の顔。

 かつて、おれと同じように勇者を目指し、誰よりも魔王を倒すことに執着していた、あの人の横顔。

 

「オレたちの()()も、ダンジョンの中だ」

 

 赤髪ちゃんが、危ない……! 

 

 

 ◇

 

 

「お姉さん! お肉おいしいです! 焼き加減が絶妙です!」

「そうじゃろそうじゃろ〜? お姉さんは強いだけじゃなく、パーフェクトなお嫁さんも目指してるからね〜。お料理も完璧なんだよ〜!」

 

 獲物を倒したあとは、当然ご飯の時間です。

 お姉さんが仕留めたメイルレザルはとても大きく、食べ応えがある巨体でした。先ほど調理してくれた冒険者のみなさんのように、わたしもお姉さんも調理器具を持っているわけではなかったので、お姉さんが起こしてくれた火でいい感じの丸焼きになりました。

 これはこれで、ワイルドな食べ応えです。心なしか、浅い階層にいたメイルレザルよりも、肉質も良いように感じられます。

 

「あの、お姉さん」

「んー?」

「お姉さんは多分、とても強いと思うんですけど」

「お! アカちゃん、見る目があるねえ。その通り! ワタシはとっても強いんだよ」

 

 えへん、と。

 お肉を頬張りながら、お姉さんは胸を張りました。

 

「でも、そんな風に強いお姉さんも……さっきのお話を聞く限り、負けたことがあるんですよね?」

「うんうん、そうだね。負けたせいで、こんな感じに片目を抉られる羽目になっちゃったんだ」

 

 自分の眼帯を軽くつつきながら、お姉さんは笑います。

 

「それは、なんというか……大変な経験をされましたね」

「そりゃもう大変だったよ〜。でもでも、そういう経験をしたから、今のワタシがあるわけだし。後悔はしてないかな?」

「……そういう、ものですか?」

「そういうものなんだよ」

 

 お姉さんは朗らかで抜けている人のようでしたが、しかしその考え方はやっぱりわたしなんかよりも、ずっと大人な気がしました。

 

「お姉さんは、すごいですね……」

「うむうむ。ワタシはすごいよ。とてもすごいよ」

「はい! 今のわたしの中で、お姉さんはすでに勇者さんたちの次くらいにすごい人になってます! それくらいすごいです!」

「わぁ……アカちゃん、うれしいこと言ってくれるね〜! そんな良い子にはもっとお肉をあげよう!」

「はい! いただきます!」

 

 もらったお肉を頬張って、お姉さんと見詰め合って、少し間がありました。

 

「……ん? なんか今、アカちゃん……勇者くんたちのことを知ってるみたいな口ぶりだったけど?」

「はい! 何を隠そう、わたしは勇者パーティーの一員ですから! 勇者さんに助けていただいたから、今のわたしがあるんです!」

「……」

「あれ? もしかして、お姉さんも勇者さんのこと、ご存知なんですか?」

 

 ぽろり、と。

 唐突に。

 お姉さんの目から、雫が落ちました。

 ぽろぽろ、と。それは絶え間なく落ちて、乾いた地面に滲みを作りました。

 

「え、え……お、お姉さん!? どうしたんですか!? 大丈夫ですか!?」

「……よかったぁ」

「え?」

「よかったぁ、よかったよぉ……勇者くん、ちゃんと無事だったんだ。生きてたんだ。よかったぁ……」

 

 あれほどかっこよくてきれいで強いお姉さんが、まるで子どものように。ぐずぐずと泣きじゃくる姿を見て、わたしは慌てました。

 

「だ、大丈夫ですよ! お姉さん! 勇者さんは元気です! とてもお元気です! だ、だから泣かないでください!」

「勇者くん、急に行方不明になっちゃったから……わたし、わたしね? ほんとに心配で……」

「わかります! それは本当に、ご心配なさって当然だと思います!」

 

 本当に、腰の力まで抜けてしまったように。こてん、と座り込んだまま止まらない涙を拭うお姉さんの頭を、わたしはよしよしと撫でながら、ぎゅっと抱き締めてあげました。

 なんでしょう? 先ほどまでと立場がまるで正反対になっている気がします。

 というか、今まで能天気に旅を続けてきましたが、やっぱり勇者さんがいなくなったのって、お国では大事になってたんですね……なんだかちょっと、申し訳なくなってきました。

 

「馬鹿な新聞は、勇者くんは死んじゃったなんて、アホな記事書いてるし……」

「そんなことありません! ぴんぴんしてますよ! そもそも、勇者さんは死にません! どうせ死んでも死霊術師さんが生き返らせてくれますし!」

「魔王が復活したなんて、根も葉もない噂まで流れてきて……」

「う……」

 

 それはちょっと本当なんですよね……。

 

「……アカちゃん?」

 

 勇者さんのこともありますし、なによりもこんなにわたしのことを助けてくれたお姉さんに、嘘を吐くのは気が引けます。

 抱き締めていた身体を少し離して、それでも吐き出した息が感じられるほどに近い距離で。

 わたしは、お姉さんに告白しました。

 

「お姉さん。わたし……実は、魔王だったらしいんです」

「……え?」

 

 瞳から、あれほど止め処なく流れていた涙が。

 ぴたりと、止まりました。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
服を着た。

ジルガ・ドッグベリー
ダンジョン攻略大規模パーティー『スカロプス』隊長。チンピラ世話焼きお節介先輩。病気の妹の近くにいるために騎士団を辞めていたが、どこぞの会長やひげのおじさんの協力で妹の病は快復。職探しをしていたところを、その面倒見の良さと実力を貴族に買われて、複数のパーティーを率いる優秀な指揮官になった。
剣の腕はさらに上がっており、複数のダンジョンを攻略した実績と相まって、固有魔法を持たない剣士としては最高峰の実力者として名を馳せている。が、相変わらずイトには勝てない。

サイドテールちゃん
ジルガの副官。今時のギャル。勇者くんの上半身をガン見していた。口調は緩いが事務作業全般に長ける有能。戦闘では大鎌を使用するゴリゴリの近接戦闘タイプ。そこそこ強いらしい。

赤髪ちゃん
衝撃の正体が発覚したくいしんぼ少女。はい、そうです、わたしが魔王です。
ママ属性に目覚めつつある。

イト・ユリシーズ
黒髪眼帯料理上手ドジっ子泣き虫騎士先輩。
とある人物の胃袋を掴むべく料理の腕を磨いていたらしく、ドジを発揮しなければ赤髪ちゃんの舌を唸らせるモンスターの丸焼きを作ることができる。
ジルガと会ったときは「どうせ勇者くんなら生きてるっしょ〜」「そうっすね」みたいな会話をしていたものの、実はマジで行方不明だった勇者くんのことを心配しており、その生存を確認してガン泣きした。過去編も含めてよく泣く人。





トリンキュロ・リムリリィ
今回みんなが潜ってるダンジョンを作った人。魔王軍四天王第一位。『色喰い』の異名でその名を知られていた。リリアミラ・ギルデンスターンが最も多くの人間を蘇生してきた最悪の死霊術師なら、トリンキュロ・リムリリィは最も多くの人間を殺害してきた最高の狂戦士である。

勇者くん→魔王より嫌い
賢者ちゃん→顔も見たくない
騎士ちゃん→トラウマの塊
師匠→千年生きてきた中で唯一、殴り勝てなかった相手
死霊術師さん→一度も蘇生しなかったし、絶対に蘇生したくない

わりと嫌われている。


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心に宿す、勇気の剣

「そんなわけで、土竜のリーダーが騎士学校でお世話になった先輩だったから、協力してダンジョン攻略することになりました。はい、みんな挨拶して」

「なるほど」

「勇者さんの先輩さんですか」

「これはこれは」

「よろしくお願いします」

 

 勇者の紹介を受けて、とても礼儀正しく、四人の賢者たちが礼をする。

 しかし、ジルガ・ドッグベリーはそんな彼女たちと勇者を見比べて、顔を引き攣らせた。

 

「おい。クソ後輩」

「なんですか先輩」

「オレには同じ顔の女の子が四人いるようにしかみえねぇんだが?」

「はい。ご覧の通り同じ顔の女の子が四人います。全員同一人物です」

「勇者パーティーの賢者は増える……いや、噂で聞いたことはあったが……」

「はい。まったくもってそのままの意味ですね。ご覧の通り増えています」

 

 ジルガは深く息を吐いて、天を仰いだ。

 頭が痛くなってきた。深く考えたら負けな気がする。なにせ、相手は世界を救ったパーティーである。このように、常識が通じないこともあるだろう。

 

「スカロプス隊長、ジルガ・ドッグベリーだ。ここの仕切りをやらせてもらってる」

「ご丁寧にどうも。ご紹介に預かりました。勇者さんのパーティーで賢者をやってます。シャナ・グランプレです。とはいえ、あなたの横にいるのほほんとしたリーダーには名前が聞こえないので、私のことは適当に役職名でお呼びください」

「ああ、了解したぜ。賢者殿」

 

 敬称を添えると、フードの下のきれいな翠色の瞳が、目に見えて丸くなった。

 

「見かけよりも理知的な方のようですね。安心しました」

「おう。よく言われるよ。それで? そちらの進捗は?」

「そうですね。三層までのマッピングはそろそろ終わると思いますよ」

「あ?」

 

 ここ数日の労力を一瞬で無に帰すような簡潔な報告を聞いて、ジルガは耳を疑った。

 

「浅い階層の探索は地元のパーティーに任せていますが、それぞれのパーティーに一人ずつ私が同行して、探索と並行して情報共有を行っています。私が何人かいれば、顔を突き合わせてそれぞれがマッピングした地図を確認するような手間はすべて省けますので、早いものです」

 

 勇者パーティーの有能な賢者は、ダンジョン攻略においても恐ろしいほどに有能だった。存在そのものがズルと言っても過言ではない。

 ジルガは勇者の方に振り向いて言った。

 

「おい。クソ後輩。この賢者殿、ウチに三人くらいくれ。正直、めちゃくちゃ欲しい」

「だめですよ先輩」

「ふふん。私は高いですよ? ですが、報酬によっては前向きに検討して差し上げます」

「だめだよ賢者ちゃん」

 

 と、アホなやりとりをしている間にも、入口の方から帰ってきたパーティーの歓声が上がる。

 

「アニキっ! ただいま戻りやした!」

「おう。どうだった?」

「それがすげーんですよ。これ見てくださいよ!」

 

 ずるずる、と。

 人をそのまま数人程度なら飲み込めそうな巨大極まる大蛇を引きずって、青い髪色の幼女が顔を出す。

 

「勇者、みてみて。でっかい蛇、いた。倒した!」

「おお! 流石です、師匠!」

「えへん」

「……?」

 

 よしよし、と。

 勇者は特に驚きもせず、にこやかに称賛の言葉を口にする。

 ジルガは後輩の肩を叩いた。

 

「なんですか、先輩」

「あれはなんだ? オレには幼女が片手でデカい蛇を引きずってきたように見えるんだが……」

「はい。あれは片手でデカい蛇を引きずってきた幼女です」

「説明放棄すんな」

「かいつまんでご紹介すると、おれの師匠です。見た目より年齢は百回りくらい上なので、あんまり年齢ネタは振らないでくださいね?」

「なんで?」

 

 情報量が多い。本当に多い。脳がパンクしそうだ。

 

「む、勇者。この人は?」

「おれが騎士学校でお世話になっていた先輩です。さっき偶然再会したんですよ」

「ふむ? なるほど。はじめまして、私、ムム・ルセッタ。うちの勇者が、お世話になってる。気軽に、武闘家とでも呼んでほしい」

「ああ、これはすいません。どうも……」

 

 幼女と頭を下げ合うジルガ。

 そろそろ、これはもう深く考えたら負けだなという諦めが芽生え始めていた。

 

「あらあら、勇者さま。お知り合いの方ですの? わたくしにもぜひ紹介してくださいまし」

「あ、先輩。こちら、死霊術師さんです」

「おいクソ後輩」

「なんですか先輩」

「オレにはナース服を着たナイスバディなお姉さんしか見えないんだが?」

 

 ナース服を着たナイスバディなお姉さんをちらちら横目で見ながら、ジルガは言う。

 

「はい。そちらのナース服を着たナイスバディなお姉さんが死霊術師さんです」

 

 この後輩、どういう基準で仲間集めをしていたのだろうか? 

 ジルガは少し心配になってきた。

 

「わたくし、勇者パーティーで死霊術師を務めております、リリアミラ・ギルデンスターンと申します。よろしくお願いいたしますね?」

 

 ふざけた見た目に反して、丁寧で整った所作である。

 礼を返してから、ジルガはリリアミラと握手を交わした。

 

「リリアミラ・ギルデンスターン……あんたが、そうか。噂はいろいろ聞いてるぜ」

「あら〜! 照れますわね!」

「まさかダンジョン攻略にナース服を着てくる変人だとは思わなかったが……」

「あら〜! そんなに褒めないでくださいまし!」

「おい、クソ後輩。この姉さんはいつもこんな感じなのか?」

「はい。いつもこんな感じなので諦めてください」

「そっか……」

「これでもパーティーの中ではかなり常識人なんですよ?」

「お前、学校入り直して常識って言葉の意味もう一度学び直してこい」

「いやぁ、一年目で追放されたからもう一度通い直したいですよね」

 

 馬鹿な会話を繰り広げていると、今度は入口とはまったくの別の方向の壁面が粉々に吹き飛び、粉塵と煙の中から一人の騎士が現れた。

 

「ごめーん! 手加減できずに壁ごと壊しちゃった!」

 

 蒼銀の鎧に、両手に大剣。足元に転がっている黒焦げのモンスターはすでに原型を留めておらず、ぴくりともうごかない。それを蹴飛ばしながら、女騎士は頭兜のフェイスガードを引き上げた。

 ようやく出てきた見知った顔に、ジルガはほっと息を吐く。

 

「あれっ……!? 先輩!? ジルガ先輩じゃないですか!」

「おう。ひさしぶりだな、バカ後輩。元気してたか?」

 

 勇者はクソ後輩。アリアはバカ後輩。

 とりあえずは、そういう呼び分けでいいだろう。

 驚いているバカ後輩を尻目に、クソ後輩がジルガを見てニヤリと笑う。

 

「それじゃあ、先輩。メンツも一通り揃ったことですし」

「ああ。最下層まで最速で攻略すんぞ」

 

 ◇

 

 イト・ユリシーズは、困惑していた。

 ダンジョンの中で助けた少女が、自分のことを魔王だと言い出した。

 そんな告白を、馬鹿正直に信じる人間はいない。イト自身も、それを馬鹿正直に信じるつもりはなかった。

 

「……」

 

 だが、何故だろうか? 

 理性ではない、自分の中の直感。本能とでも言うべき部分が、目の前の赤髪の少女が「ただの女の子」ではないことを、雄弁な警告として告げていた。残念ながら自分のそういった勘がよく当たることを、イトは知っている。

 そして、なによりも。

 この子が、本当に勇者と知り合いだったとして。

 この子が、本当に魔王の関係者だったとして。

 それでも、自分がよく知るあの後輩の勇者は、一も二もなく、たとえ元魔王の少女であったとしても、関係なしに手を差し伸べて助けてしまうんだろうなぁ……と。

 他の何よりも強い、そういう確信が、イト・ユリシーズの中にはあった。

 

「……はぁ」

 

 堪らず、ちょっと深めの溜息を吐く。

 年甲斐もなく流してしまった涙を軽く指先で拭って、イトは自称元魔王の少女の肩に、手を添えた。

 

「あのね、アカちゃん……」

 

 言葉を紡ごうとした。

 しかし、それ以上は続かなかった。

 背後から、濃密な魔力の気配を感じたからだ。

 

「アカちゃん、危ないっ!」

「え?」

 

 一瞬の硬直のあとの、瞬間の反応。

 少女の頭を抱きかかえ、地面に転がったその刹那。イトと少女がいた場所を、火の矢が数発、横切っていった。

 

「お姉さん……!」

「いやぁ、危なかったねぇ……ちょーっと、ワタシの後ろに下がっててね。どうやら、ボスっぽいのが出てきたみたいだからさ」

 

 殺気は感じられなかった。イトの反応が間に合ったのは、魔力の気配に脳ではなく脊髄が反射したからだ。

 闇の中から、浮上するように。全身を黒のローブで覆い隠した人影が現れる。

 

「このダンジョンの主さん、ってことでいいのかな?」

「……」

 

 答えはない。妙な雰囲気だ、とイトは思った。

 多分、人ではない。かといって、悪魔でもない。だとしても、モンスターにしては理性的で落ち着きがありすぎる。

 

「……なぜ庇う?」

 

 どうやら、言葉は理解できるらしい。

 イトの質問には答えなかったにも関わらず、純黒の人影は、気安く問いを投げてきた。

 

「なぜ、っていうのはどういう意味かな?」

「言わなくても、わかるだろう。騎士の長よ。お前が背後に庇うそれの正体は、魔王の残滓だ。お前たちが、憎むべきものだ。私という存在が今、それを狙っていることが、それの正体の証明に他ならない」

「……っ」

 

 振り返らなくても、少女の表情が強張ったことがイトにはわかった。

 

「で、つまり?」

「その赤髪の少女を引き渡せば、お前だけは見逃してやろう」

「ほほう、なるほど。一丁前に交渉のつもり?」

「取らなくて済む命であるならば、取らないほうが良い。少なくとも私は、その方が好ましい」

「やさしいね。やさしくて、涙が出てくるよ」

「強がりはよせ。今の貴様は、剣の一本すら持ち合わせていないだろう」

 

 最悪だな、とイトは思った。

 かつての魔王軍の第一位。その名前が刻まれたダンジョンの最奥で、得体の知れない敵が異常なほどに執着を見せる存在。気持ちでは否定したいのに、状況と現実が、背後の少女がただの女の子ではない事実を、明確に突きつけてくる。

 

「去れ。イト・ユリシーズ」

「断る。キミの方こそ、さっさと消えてくれるかな?」

 

 手刀でも、自分の魔法であれば首の一つや二つは、簡単に落とせる。距離はあるが、詰めきれないほどではない。

 イトは小声で、背後に向けて囁いた。

 

「アカちゃん。目を瞑って」

「え?」

 

 閉じた拳を、前に突き出す。

 さすがに、返事まで確認している余裕はない。

 イトは開いた指先から、視界を塗り替えるような閃光を解き放ち、敵の不意を打った。

 

「……っ!?」

 

 一手目。左の閃光魔術で、敵の目を潰す。

 二手目。陽動代わりに右から炎熱系の魔術を撃ち放ち、同時に距離を詰める。

 そして、三手目。手を伸ばせば届く距離は、イト・ユリシーズという騎士にとって、必殺の間合いだ。

 すらりと伸びたその指先は、敵にとってはギロチンの刃に等しい。躊躇なく、イトは右の手刀で黒いローブの首から上を斬り落とした。

 理想通りの動き。確かな手応え。

 だからこそ感じる、背筋を這い上がる蛇の如き違和感。

 

「……見事だ」

 

 宙を舞う生首が、悠然と称賛の言葉を紡いだ。

 首は落とした。しかし、殺せていない。

 

「お姉さん!」

 

 背後から、少女の警告の声。

 首を失った胴体の切断面から、濃い青色の風が吹き出した。

 

「これ、は……」

 

 刺激臭に、目を突くような痛み。

 転がる生首が、地面で嗤った。

 

「わかるだろう? 毒だ」

「ッ……アカちゃん! 吸わないで!」

 

 イトの反応は、決して遅くはなかった。噴出するそれが有毒な気体だとわかった瞬間に、即座に飛び退いて距離を取った。

 それでもなお、気体が空間に充満するスピードの方が早い。

 

「ダンジョンのような閉鎖空間では、毒霧を撒くのが最も効果的だ、と。リリィ様は、よくそう仰っていた。同時に、簡単に敵を無力化できてしまうからつまらない……と。愚痴を吐いてもいたが」

 

 地面に落ちた生首を拾い上げ、黒のローブは淡々とそんな言葉を吐く。切断されたはずの首は、いつの間にか元に戻って繋がっていた。

 視界が、青く染まっていく。呼吸のテンポがずれる。吐き気に加えて、強烈な目眩。あとは、頭痛もか。

 呼吸を止めるという対処法を放棄して、イトは声を発した。

 

「ろくに換気すらできない湿っぽい空間なのに、こんなに毒ガスばら撒いちゃって。キミも呼吸できないんじゃないの?」

「無用な心配だ。私は、そもそも生存に必要な呼吸を行っていない」

「……化物かよ」

 

 吐き捨てた言葉と共に、背後で人が倒れる音が響いた。

 揺れる視界の歪みを堪えて振り返ると、地面に赤い髪が広がっていた。

 

「アカちゃん!?」

 

 警告はしたが、吸い込んでしまったのだろう。そもそも、息をずっと止めていろ、という方が無理な話だ。

 

「……お姉さん、ごめんなさい」

 

 倒れ込んだ少女が、荒い呼吸を繰り返しながら、それでも口にしたのは、謝罪の言葉だった。

 きっと苦しいのに。辛いのに。それでも懸命に、自分と視線を交わそうとする、赤の虹彩をイトは見た。

 

「巻き込んで、しまって……ごめんなさい」

 

 髪色と同じ瞳から、雫が落ちて。

 イトは、僅かに目を開いた。

 

「お前には、用はない。欲しいのは、我らが王の残滓のみ。いただいていくぞ」

 

 膝をついたイトの横を、黒の異形は淡々と通り過ぎようとする。

 昔のことを、思い出す。

 ああ、そうだ。昔も、こんなことがあった。

 ダンジョンに潜って、意気揚々と敵を迎え撃って。馬鹿馬鹿しい油断で不覚を取って、毒を浴びて這い蹲る。

 昔も、そうだった。

 

 ──今は? 

 

「同じ質問をするのは、好きではないが……もう一度問わざるを得ないようだな」

 

 黒の異形の、片腕が落ちる。

 それは、手のひらで形作られた刃による、斬撃の結果である。

 

「なぜ、庇う?」

「……ワタシさぁ。これでも昔は、勇者を目指していたんだよね。だからさ、やっぱり思うんだよ」

 

 立ち上がったイトの指先が、片目を隠していた眼帯を外す。琥珀色の瞳とは違う、瑠璃色の輝きがそこにはあった。

 左右で色の異なる、オッドアイ。

 埋め込まれた魔眼が、毒を見る。

 見たそれを、腕が切り払う。

 たったそれだけで、空間に満ちていた毒の煙が、鮮やかに霧散した。

 それはやはり、腕全体が大剣のように振るわれた、斬撃の結果である。

 

「泣いてる女の子を助けるのが、勇者でしょ?」

「……理解不能だ。質問を変えよう。なぜ、貴様はまだ言葉を紡ぐことができる?」

 

 毒は効いているはずだ。即死することはなくとも、もう動けないはず。

 黒の異形のそんな疑問に、今度は回答があった。

 細い指先が、胸の上で十字を切る。まるで、体を侵す腫瘍を切除するかのような、繊細な動き。

 それもまた、歴然たる斬撃の結果である。

 

()()()()()()()

「……毒は、切れるものではない」

「斬れるよ? ワタシが斬れると思ったなら、それは斬れる」

「……やはり、理解不能だ」

 

 はじめて、黒の異形は言葉に感情を滲ませた。

 

「……おねえ、さん」

「大丈夫」

 

 イト・ユリシーズは、勇者にはなれなかった。

 

 ──大丈夫ですか? 先輩

 

 けれど、彼が泣いている自分にそうしてくれたように。

 成長した少女は、背後へと優しく語り掛ける。

 

「大丈夫だよ。アカちゃん」

 

 きっと、自分が知る勇者なら、そうするから。

 少女の正体が、何であろうと関係ない。

 泣いている人がいる。だから助ける。刃を手に取る理由は、きっとそれだけで良い。

 イト・ユリシーズの心には、一振りの剣が在る。

 かつてそれは、摩耗し、刃が欠け、粉々に砕けて、一度は折れた。

 だから勇者になれなかった少女は、ひたすらに刃を磨き、愚直に打ち直してきた。

 

「ワタシがキミを守るから」

 

 心に宿したその剣は、もう折れない。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
クソ後輩。みんなの自己紹介聞けないのやっぱりちょっとさみしいなぁ、と思ったり思わなかったり。

賢者ちゃん
ハイパー有能賢者。一家に一台はほしい便利さ。

師匠
ゆうしゃー!みてみて!へびたおした!

死霊術師さん
怪我人を治療(蘇生)するために着替えてきた意識高い系ウーマン。

騎士ちゃん
バカ後輩。ええっ!? 先輩がどうしてここに!?
さらに厄介な恋敵がダンジョンの奥にいることを彼女はまだ知らない。

ジルガ・ドッグベリー
世界を救うのって大変なんだなぁ、とパーティーメンバーを見て思った。

赤髪ちゃん
アカちゃん。毒により絶賛呼吸困難中。

黒いローブの人
このダンジョンのボス。息もしてないし首が落ちてもまた繋がるらしい。ギミックがある不死身タイプ。死霊術師さん、アイデンティティの危機。

イト・ユリシーズ
黒髪眼帯外しオッドアイなんでも斬る先輩。過去の反省はきちんと活かすタイプで、既に毒物の類は魔法によって体内から切り裂くという方法で克服している。まったく意味がわからない。
やっぱり、はたけカカシは額当てを引き上げて写輪眼見せるところが一番かっこいいと思うんですよね。


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勇者くんは惑わされる

 今さら説明するまでもないことではあるが、おれたちは世界を救ったパーティーである。

 これでも最強最悪の魔王を、真正面切って撃破しているので、まあそれなりに強い。正直、おれだけは例の呪いのせいで、見る影もないくらいに弱体化しているのが情けないところだが、他のメンバーは全盛期のままの力を保っている。

 

「騎士ちゃん、前」

「はいはーい」

「師匠、そこ割れます?」

「わたしに砕けないものはない」

「賢者ちゃん、そろそろ良い?」

「はい。二班はこちらのルートの探索に回します」

 

 騎士ちゃんが出てくるモンスターを斬っては焼き尽くし、切り捨てては凍結させて、進行方向に邪魔な岩があれば師匠が拳で一撃粉砕し、賢者ちゃんが魔術で細々とした探索を行う。

 はい。みんな強いですね。おれがやることが全然ないですね。

 基本的に世界を滅ぼすくらいの敵が出てこない限りはピンチになることはないし、どんな敵も圧倒できるのが我がパーティーである。とはいえ、単純に目の前の敵をぶっ倒すわけではない、こういうダンジョンのちまちまとした探索はどうしても時間を食ってしまう。

 しかし、おれの隣を歩く先輩は何か信じられないものを見るかのような目でこちらを見ていた。

 

「アホみたいにはえーな」

「そうですか?」

「おう。正直助かる。さすがは勇者殿だな」

「やめてください、先輩」

 

 学生時代に散々ケツを蹴られてきた先輩に、こうしてストレートに褒められるのはどうにもこそばゆい。

 

「じゃあ、さすがは勇者殿のパーティーだな、と。そう言った方がいいか?」

「……そうですね」

 

 そっちの方が、おれは嬉しい。

 

「お? もしかして今、あたし達のこと褒めてました?」

 

 意外と耳聡いところのある騎士ちゃんが、兜のフェイスガードを上げていそいそと寄ってくる。

 しかし、先輩は途端に嫌そうな顔になって「しっし」と腕を振って追い払う構えに入った。

 

「べつに褒めてないが?」

「昔から素直じゃないですね、先輩は」

「そう言うお前はアレだな。なんか昔よりも増したな、犬っころ感が」

「犬っ!? こんな良い女騎士を捕まえて犬とはなんですか!? 犬とは!」

「そのまんまの意味だ」

 

 先輩と騎士ちゃんが言い合っているのを見ると、なんだか昔に戻ったみたいで微笑ましい。

 まあ、たしかに騎士ちゃんのイメージってわりと大型犬だしな……などと考えていると、後ろからちょんちょんと背中をつつかれた。

 

「勇者」

「ん? どうしました、師匠」

「なんか、落ちてた。ひろってきた」

「これは……」

 

 師匠が小さな両手で抱えてきたのは、剣だった。それも、ただの剣ではない。騎士ちゃんが扱うような大剣とも、一般的な冒険者がよく使う幅広の片手剣とも異なる。鞘に収められた、薄く細い造りの、けれどたしかな存在感を放つ一振り。

 こんな特徴的な得物を使う剣士を、おれたちは一人しか知らない。

 おれと先輩と騎士ちゃんは、黙って顔を見合わせた。

 

「会長のだな」

「ですよね?」

「多分そう」

 

 問題。おれたちが知るドジっ子生徒会長先輩は、ダンジョンのど真ん中で身を守る武器を落として失くすような人物か? 

 

「落としたのかな?」

「絶対落としたでしょ」

「ああ。間違いねぇ」

 

 解答。そうです。

 

「ってことは、今あの人、武器無しか……ちょっとまずいな」

「でも、武器がなくてもわりとなんとかする気がしません?」

「それはそう」

 

 だが、武器がなくて困っているのは間違いないので、早く届けて上げたほうがいいのは間違いない。ひろってきてくれた師匠にお礼を言って、おれはその剣を腰に差した。

 

「それにしても妙ですね」

「ん? 何が」

「このダンジョン。探索が簡単すぎます」

「ああ」

 

 賢者ちゃんに言われて、そういえばそうだな、と。おれは頷いた。

 たしかに、トラップの類いは少ないし、モンスターもそんなに強いヤツがいない。内部の構造も、規模のわりには単純であまり凝っていないように思える。

 

「勇者さんの先輩さん。周辺の調査もしたんですよね? このダンジョン、何が埋まってるとか、制作者は誰か、とか。そのあたりの情報はないんですか?」

「ああ、そこらへんの情報共有がまだだったな。すまねえ。簡単なものだが、ここにメモがある」

「一枚いただければ大丈夫ですよ。増やせるので」

 

 手渡されたメモを受け取った賢者ちゃんは、それをさっと人数分に増やして配った。先輩は相変わらず「やっぱりありえねぇくらい便利だな、その魔法……」と苦笑いを浮かべている。

 

「……うわ」

 

 淡々と文字に目をはしらせていた賢者ちゃんの横顔が、ぴくりと引き攣った。

 同様に、騎士ちゃんの目が氷のように鋭く冷たくなって、無表情が常のはずの師匠の表情すら、嫌悪に歪む。

 うんうん。まあ、そういう反応になるよね。

 

「『色喰い』ですか……」

 

 今となってはもう思い出せない名前だが、もう二度と思い出したくもない憎たらしいあの顔だけは、今でも鮮明に思い出せる。

 魔王軍、四天王。第一位。

 おれたちにとって、もしかしたら()()()()()()()()()と言ってもいい相手。

 そんなヤツの名前が残っているダンジョンが、普通であるはずがない。

 

「ちゃんと警戒して進まないとね」

「ええ。何があるかわかりませんし」

「やだなぁ……あたし、アイツ嫌い」

「むしろ、好きな人間なんていない」

 

 全員でもうこの世にいない相手を散々にこき下ろしながら、先に進む。

 隣を歩く先輩が、腕を組んでこちらを見た。

 

「やっぱり、ヤバいヤツだったのか? 四天王の第一位は」

「ヤバいというか、とにかく性格が悪いというか……」

 

 なんだろうな。一言で言うなら、

 

「人の心が大好きなヤツだったんですよね」

「……それは、悪いことなのか?」

「悪いですよ。世界を滅ぼそうとしてるのに、人間のことが大好きなんて、質が悪いに決まってるでしょう?」

 

 そう言ってはみたが、思い返してみれば魔王の配下にいた連中は、どいつもコイツも人間に対して何かしらの執着が強かった。

 四天王の第一位は、人の心を。

 四天王の第二位は、人の生を。

 四天王の第三位は、人の夢を。

 四天王の第四位は、人の愛を。

 それぞれが、人間の異なる部分を好いていた。

 だからこそ全員が厄介で手強くて、最悪の敵だったのだ。

 まあ、約一名は今は頼れる味方になっているのだが。

 

「人の心に対して理解があるってことは、人を罠に嵌める術も心得てたってことですからね」

「単純な戦闘でも強いのに、頭まで回るから困るよね」

「わたしが、純粋に殴り負けしたのは、アイツだけ」

「仕掛けた罠を、罠だと思わせないのが上手い。そう説明するだけでも、アレの悪辣さはわかるでしょう」

 

 賢者ちゃんが締め括る形になって、また全員でうんうんと頷く。

 頷いてから、気がついた。

 そうだ。あの第一位は、気付けない罠を仕込むのが、異常に巧かった。

 だからもしも……おれたちが全員揃ってこのダンジョンに足を踏み入れた時点で、仕掛けが()()()()()()としたら? 

 

「賢者ちゃん、もしかして」

 

 おれが、その可能性を口にする前に。

 意識が、ぶつりと途切れた。

 

 

 ◆

 

 

 どこにでもある、なんの変哲もないお話。

 あるところに、一人の魔導師がいた。彼はとても優秀な魔術の使い手で、魔物が多く現れる地域に滞在し、それらを狩り尽くしては次の場所へと向かう。根無し草のような生活を送っていた。

 とはいえ、住む場所や着るものに困っていたわけではない。腕の良い魔導師である彼を、魔物に脅かされる村の住人たちは好意的に歓迎した。人々からは感謝され、多くの場合、定住を求められた。しかし、彼はそれらの温かい申し出を断り、一箇所への滞在は長くても数週間に留めた。

 

「きみっておもしろいよね。ボク、きみのことがもっと知りたいな!」

 

 だから、彼が彼女と知り合ったのは、偶然だった。

 彼は今まで共に旅をする仲間を持ったことすらなかった。しかし、なぜか自分にくっついてくる彼女だけは、邪険にすることができなかった。

 中性的な風貌の、変わった魅力を持った少女だった。自分のことはこれっぽっちも話そうとはしないくせに、相手のことはとても知りたがる。ニコニコと話を聞いて、本当に嬉しそうに目をキラキラとさせて。

 冒険者は、自己中心的な性格の人間が多い。聞き上手、と言ってしまうのは簡単だったが、話していると不思議と心地良い彼女の魅力に、彼はいつの間にか惹かれていった。

 

「なあ、リリィ」

「なぁに?」

「俺と、一緒にならないか?」

 

 彼から彼女への、シンプルな告白。

 けれど、それはあっさり裏切られた。

 

「ごめん。それはできないんだ。ボクは人間のことが大好きだけど……キミのことが好きなわけじゃないから」

「……そうか」

 

 なんとなく、告白する前から振られることはわかっていた。

 なので、彼はそれ以上彼女に縋るような、情けない真似はしなかった。

 

「じゃあ、仕方ないな」

 

 なので、告白とは別の方法で、彼は彼女を自分のものにすることにした。

 

「……え?」

 

 手を触れた彼女の体から、力が抜ける。目から生気が抜け落ちる。

 彼は魔導師であるのと同時に、魔法使いだった。

 そして、自分の欲望を叶える為なら躊躇いなく魔法を使う人種であった。

 

「いいさ。今から、お前を俺に惚れさせてやるから」

 

 彼が持つ魔法の名は『泡沫無幻(インスキュマ)』。

 その魔法効果は、触れた対象への()()である。

 一度、触れてしまえば、その人間が望む光景を。あるいは、恐怖の対象を。自由自在に、意のままに見せることができる。それが魔法である以上、魔術で防御も解除も不可能な強力な幻術。悪辣極まる、精神攻撃。

 この魔法があれば、触れた相手に刷り込みを行い、思うがままに操ることすら容易い……

 

「そっか! なるほど! そういう魔法か!」

「あ?」

 

 容易いはず、だった。

 

「即死効果こそないけど、なかなか良い魔法だね! ちょっと効果範囲が狭いのが難点だけど、色々と応用が効きそうだし、便利な魔法だと思うよ! ボクは好きだな」

 

 いつものように。

 彼女はキラキラと目を輝かせて、彼の瞳を覗き込むようにして語りかけてきた。

 魔法は、たしかに発動させたはず。

 それなのに、なぜ? 

 

「きみが誰とも仲を深めようとしないのは、その魔法が原因だよね? 触れてしまえば好きなように相手を惑わせることができるから、根本的に人を信頼してないのかな?」

「やめろ……」

「自己嫌悪、とでも言えばいいのかな? きみは、手が触れるような距離感の親しい人間を作りたがらない。もしかして、好きになった女の子って……ボクがはじめてだったりする? うわ、だとしたらごめんね。悪いことをしちゃった」

「やめろ……」

「そういう魔法を持っていたから、そういう心を持つようになったのか。それとも、そういう心を持っていたから、そういう魔法が形作られたのか。興味が尽きないよ。やっぱり、人の心はおもしろいね」

「やめろ、と……!」

「やめないよ」

 

 細腕の、片手一本の、枝のような指先。

 たったそれだけで、首を絞め上げられる。彼は、潰れる前の蛙のようにもがくことしかできなかった。

 懐いていた感情が、白と黒のように裏返る。彼が彼女に対して抱いていた親しみは、一瞬で純粋な恐怖に塗り替わっていた。

 

「うーん……きみみたいな彼氏を作って持って帰ったら、アリエスは喜ぶかな? でもボク、さっきも言ったけどきみ個人のことはべつに好きじゃないんだよね」

「た、たすけ……」

「色魔法じゃなかったのは残念だけど、きみの魔法はいろいろ使えると思うんだよね。うん、大丈夫。いつもなら食べちゃうところだけど、そこそこ長い付き合いになったし……殺しはしないよ。安心して、助けてあげる」

 

 その笑顔は変わらない。

 その声音も変わらない。

 自分に興味を持ってくれていた、美しい瞳の輝きすらも、何も変わらないまま。

 

「きみ、さ。ちょっと人間やめて……()()()()()()()()()()()()()

 

 何を言っているんだ、と。叫ぶことすら叶わない。

 

「実験をね……してみたいんだ」

 

 最初から最後まで、彼女は彼のことを興味深く観察していた。

 これは、どこにでもある、何の変哲もないお話。

 人の形をした悪魔に騙された、哀れな一人の魔法使いの結末だ。

 

 男の名は、もはや掠れて消えてしまった。

 女の名は、トリンキュロ・リムリリィという。

 

 ◇

 

「やっぱり、人間じゃないね」

 

 もう何度目になるかわからない。

 手刀で切り落とした相手の首を見て、イト・ユリシーズは吐き捨てた。

 

「……そうだ。私は人間ではない」

 

 フードの下の顔には、何もなかった。

 幼児がとりあえず人の形に整えたような、無邪気で不細工なのっぺらぼう。

 それが、イトが見た得体の知れない襲撃者の正体だった。

 

「でも、その姿が本体ってわけでもないでしょ?」

「……なるほど。やはり、目が良い」

「どうもどうも。ま、これ義眼なんだけどさ」

 

 その瞳で、正体を見極めながら、イトは問う。

 

「で、答えてほしいな。キミは何?」

「そんなに良い目を持っているなら、もうわかっているだろう? 私は、人間ではない。モンスターでもない。そもそも、血の通った生物ですらない」

 

 口の代わりの、空洞のような穴が歪んで笑う。

 

 

「私は、このダンジョンそのものだ」

 

 

 魔王軍四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィは考えた。

 ダンジョンとは、迷宮。迷宮とは、冒険者に探索され、いつかは踏破されてしまうもの。どこに罠があるか、どこが正解の出口に続く道なのか。どんなに巨大で複雑な迷宮であったとしても、多くの人々が多くの時間をかければ、いずれ全てが解き明かされてしまう。

 伝説と謳われたゴーレムマスターであり四賢の一人、ザイルディン・オセロはダンジョンそのものに命と意識を宿し、入る度に構造が変わる魔の迷宮を作り出したという。

 なので、トリンキュロ・リムリリィは閃いた。

 

 ──そうだ。おもしろいから、それをパクってみよう! 

 

 魔法を持った人間の精神を一人分、そのまま丸ごとダンジョンの素材にする。

 侵入される度に内部構造が変化するような複雑で繊細なシステムは、いくら四天王の第一位でも再現不可能だった。それほど精密な砂岩魔術の腕もなかった。

 なので、トリンキュロ・リムリリィは逆に考えた。

 

 ──そっか。べつにダンジョンの構造には拘らなくてもいいや! 

 

 男の意識を、その肉体を、その心を。迷宮全体と一体化させてしまえば。そのダンジョンへ足を踏み入れた瞬間に、侵入者は魔法に触れることになる。

 罠をちまちま仕掛けるなんて、面倒臭い。入り口を見つけた冒険者が、足を踏み入れた瞬間に、それで終わり。そちらの方がずっと効率が良い。

 そして何よりも幸いなことに、ダンジョンの素材になった彼の魔法は、第一位が理想とする迷宮の条件を満たしていた。

 その魔法の名は『泡沫無幻(インスキュマ)』。

 その魔法効果は、触れた対象に対する()()である。

 

「貴様たちは、もう私の中から出ることはできない」

 

 魔法によって侵入者を惑わせる、心を持つ迷宮。それが、最高最強のダンジョンの在るべき姿だと。彼女はそう結論づけた。

 

「私の意識は、リムリリィ様の手によって、この迷宮全域に及んでいる。お前が今踏み締めている地面も、手をついている壁も、視界に入るすべてが、私自身だ」

「……そんなこと、ありえる?」

「どういう意味だ?」

「だって、そんなの……保つわけがないでしょう。キミの精神が」

 

 イトの指摘は正しい。

 根本的な問題が一つ。

 人はそもそも、迷宮にはなれない。巨大なダンジョン全域に渡るほどの意識の拡張。人の自意識が、生の肉体を持たないそんな現状に、耐えられるはずがない。

 なので、トリンキュロ・リムリリィはもう一つ。極めて単純かつ効果的な工夫を『彼』に対して施した。

 

「黙れ」

 

 ──そうそう。きみ、今からダンジョンになるから。そう思い込んでね? 

 

「誰がなんと言おうと……私は、迷宮だ」

 

 魔法効果は、触れた対象と自分自身に及ぶ。

 己の魔法を、己に対して行使させる。

 自分に、自分の魔法をかけさせる。

 四天王の第一位は、魔法によって自分自身を惑わせ……幻惑の沼の中に彼の心を沈めることで、意識の崩壊という問題をクリアした。

 

「そして、貴様たちは既に、私の胃の中にいる」

 

 イト・ユリシーズは、絶句する。

 このダンジョンは、生きている。

 トリンキュロ・リムリリィの手によってすべてを解放された男の意識は、迷宮と完璧に一体化している。

 故に、その魔法効果の対象は、ダンジョン全域に及ぶ。

 

「残念だったな。幻想は……絶対に斬れない」

 

 誰であろうと、決して逃れ出ることはできない。

 イト・ユリシーズの意識は、ぶつりと途切れた。

 

 

 ◇

 

 

 賢者は、夢を見る。

 それは、緑に包まれた村の中で、多くの人々に囲まれて食事を楽しむ、フードを被っていない自分の姿だった。

 

 騎士は、夢を見る。

 それは、両隣に立つ母親と父親と、手を繋いで森の中を散歩しながら笑い合う、確かな温かさを感じる自分の姿だった。

 

 武闘家は、夢を見る。

 それは、ずっと追いつきたかった師父と、拳を合わせて試合を行う、成長した自分の姿だった。

 

 そして、勇者は夢を見る。

 

 

 ◇

 

 

 目を覚ます。

 体を起こす。

 周囲を見回す。

 どこか、懐かしい部屋だった。

 

「まずは席に座ったら?」

 

 手を晒せば透けてしまいそうな、艷やかな髪。

 耳が蕩けて落ちてしまいそうな、甘い声。

 おれは、それをよく知っている。

 

「……魔王」

「どうしたの? そんなにこわい顔をしないで。良い男が台無しよ」

 

 おれが殺したはずの女の子は、にこりと微笑んだ。

 落ち着いた雰囲気の部屋の中には、お茶の用意がされていて、テーブルの上に置かれたポットからは、紅茶の匂いが漂ってきていた。

 

「ほら。いつまで床に座り込んでいるの?」

 

 手を差し伸べられた。

 迷わずに掴んでしまった。

 手のひらに体温がある。熱が伝わってきた。

 

「うれしい。あなたが来てくれて」

 

 所作の一つ一つが、踊るようで。

 見詰めているだけで、見惚れてしまいそうで。

 彼女が、そういう女であったことを思い出す。

 

「どうして、おれはここに……」

「それはもちろん、あなたがわたしを殺したくなかったから、でしょう?」

「……おれが?」

「うん」

 

 席に座り、カップに注がれた紅茶を飲む。

 おいしい、と思った。

 

「大丈夫? つらかったでしょう?」

「いや、おれは……」

「大丈夫。大丈夫だから……」

 

 手を握られて、その顔を見る。

 やはり、おれが殺した女の子の顔だった。

 

「しっかりして。あなたは、()()()()()()()()()()

「……殺さなかった?」

「そう。わたしは生きている。だから、安心して。あなたは──」

 

 おれは、この子を、殺していない? 

 

「──あなたは、みんなの名前を呼ぶことができる」

 

 ……ああ、そうだったかもしれない。

 おれは、この子を殺していなくて。

 おれは、世界を救っていなくて。

 おれは、みんなの名前を普通に呼ぶことができる。

 それでいい。それが良い。

 

「ほら、あなたのために用意したのよ」

 

 良い香りのするパイを、彼女は切り分けて皿に載せ、おれにすすめてきた。

 やはり、とてもおいしそうだった。

 けれど、彼女はなぜか、自分の分は用意しようとしなかった。

 

「食べないのか?」

「わたしは結構よ。べつに、お腹空いてないし」

「……そうか」

 

 飲んでいた紅茶から、温かさが消えた。

 食べていたクッキーから、甘さが消えた。

 空気が冷えて、背筋が寒くなる。

 だけど、その冷たさにおれは安心した。

 

「違う」

「え?」

「違うんだよ」

 

 切り分けられた一つではなく、見た目だけはほかほかと湯気を立ち上らせている円形の大きなパイを手に取る。

 繰り返しになるが、おれは勇者だ。当然、あのふざけた魔王と茶を飲んだこともある。

 おれは、彼女のことを知っている。あいつは、これくらいのサイズのパイなら、一人で頬張って、平気な表情で食べきって無邪気に笑っていた。

 

「ちょっと、あなた何を……」

「お前は、魔王じゃない」

 

 そうだ。おれはよく知っている。

 あの子は、そんな澄ました表情で、目の前のお菓子に目もくれないような女の子ではなかった。

 

「──解釈違いだ」

 

 勇者に、幻惑は通じない。

 おれは、魔王のふりをしたそれの顔面に、パイを丸ごと叩きつけた。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
パイ投げ一級。勇者に幻覚は効かねぇ!(ドヤァとしてるが、普通に惑わされていたし、そこそこオチかけていた。魔王と何回かお茶したり喫茶店デートをした思い出がなければ危なかった。

賢者ちゃん
スヤスヤしてる

騎士ちゃん
スヤスヤしてる

武闘家さん
スヤスヤしてる

イト・ユリシーズ
剣がなくても手刀だけでわりとなんとかなってる女。仕方ないので襲撃者さんは魔法を使う羽目になった。幻想は斬れないらしいが……?



魔導師さん
この世で最も危険な女に惚れてしまった人。対人で有効過ぎる魔法を持っていたので、過去に色々あって人間不信気味だったらしい。人に好かれるために魔法を使ってしまった時点で、彼の命運は決まってしまったとも言える。

トリンキュロ・リムリリィ
魔王軍四天王第一位。色喰い。聞き上手で笑顔が素敵な中性的な可愛らしさを持つボクっ娘。人の心の探求を一つの目的としていたらしく、その延長線上の欲求として魔法使い狩りを行っていた。純粋なバトルも好きだが、穏やかな心の交流も好むタイプ。脳筋だが頭脳派。なんでもオールマイティにこなせてしまう厄介さを持つ。
自由奔放かつ最強であったために他の四天王たちからのウケは微妙だったが、魔王の遺産を確実に守るために最強最高のダンジョンを作ろうとする仕事熱心な一面もある。

今回の登場魔法
泡沫無幻(インスキュマ)
手札から発動して相手モンスターの効果を無効にできそうな、魔導師さん、もといダンジョンさんの固有魔法。自分自身と触れた相手を幻惑させる効果を持つ。触れた相手を即死させるようなシンプルな殺傷能力には欠けるものの、精神干渉できる魔法は中々貴重であり、それなりに汎用性も高い。色魔法マニアの四天王第一位も「使える魔法」と太鼓判を押すほど。
ダンジョンそのものと一体化した彼がこの魔法を使うと、足を踏み入れた瞬間に精神異常を誘発させるクソ強トラップとなる。とはいえ、入口で昏倒する人間が続出するとさすがに怪しまれるため、深い階層まで冒険者を誘導してからダメ押しとして使用するのが基本な模様(ダンジョンは探索が進めば進むほど、中の人数も増えるため)。


11月19日の書籍版発売が近付いてきました。発売を記念して、一日一回、イラストレーターの紅緒先生によるキャラデザラフが公開中です!

https://twitter.com/TOBOOKS/status/1588491628427489282?t=ZVYP7dOxBcaUPL7t43_OqQ&s=19

ぜひ見てみてください!


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勇者と先輩さん

お話が進んできたところで、初期のサブタイの雰囲気に戻ったりするのが好きです


 ああ、すっきりした。

 パイを顔面に叩きつけられ、ひっくり返ったままぴくぴくと手足を震わせている魔王を見下ろし、おれは深く息を吐いた。

 良い様だ。人の大切な思い出を土足で踏み躙ろうとした罰である。これくらいの醜態は晒してもらわないと割に合わない。

 ショックからようやく立ち直ってきたのだろうか。魔王のふりをしていたそれは、パイを顔から引き剥がし、口の中に詰まった生地やクリームを吐き出しながら上体を起こした。

 

「ごほっ……げほ。ゆ、勇者……あなた、一体何を……?」

「だから、ちがぁう!」

「ほげぁ!?」

 

 追撃である。

 テーブルの上にはまだイチゴのホールケーキがあったので、おれはそれをさっきと同じ要領で魔王のふりをしているそれの顔面に叩きつけた。まるで巻き戻しのように、起き上がりかけていた上体が倒れ伏す。

 

「なんだお前……今、なんて言った? まさかおれに対して()()()()()()()()()()()()()()って。質問をしたのか? 理由を聞こうとしたのか?」

 

 それは違うだろう。ああ、それは違う。

 だってそんなのは……全然、少しも、これっぽっちも、魔王らしくない。

 おれが知っているあの女は、常にいたずらっぽく笑いながら……それでも、ただ人を小馬鹿にしているわけではなく、同じ目線で、自分の前に立つ人間をよく見ていた。傲岸不遜に、唯我独尊。あれは、そういう女だった。

 

「理由なんて聞くなよ。やられたらすぐに笑いながらやり返してこいよ。パイを投げられたら、おれにケーキを投げ返してこいよ! お前はそういうヤツだろ?」

「げほっ……ごほ。ひっ……!」

 

 自分でも驚くほど饒舌になっていた。なぜか、あいつならそうするだろうという言葉が、すらすらと出てくる。言いながら、詰め寄っていく。

 魔王のふりをしているそれは、なぜかおれを怯えた上目遣いで見ると、体を翻して四つん這いで床を這い始めた。

 は? 何してるんだコイツ。

 

「なんで逃げようとするんだ?」

「や、やめ……ごめんなさ……」

「逃げないぞ。おれが知ってる魔王なら、おれから逃げようとするわけがない」

 

 世界を救うために、おれが倒した最大の敵の顔と体を利用して。ガワだけを被って、そのふりをして。

 そんな風に、情けないこと極まりない姿を見せられて、おれは頭の芯が急速に冷え込んでいくのを感じた。

 

「もういい。わかった」

 

 怯え竦んだようにこちらを見るその瞳すら不快で、もう我慢ならない。

 

「出ていけ。おれの思い出を、これ以上汚すな」

 

 

 ◆

 

 

 どうしてだろう、と。ムム・ルセッタは思った。

 

「ふっ……強くなったな、ムム。体の成長と共に、技の冴えも格段に増している」

 

 師父は、満足気にそう呟いた。

 彼の言葉通り、今のムムの姿は、子どものそれではない。短いはずの青い髪は背中の中ほどまで伸び、胸の膨らみは薄いが、手足はすらりと長く。あどけなさは欠片もなく、鋭さを伴う美貌がそこにあった。

 手を握り、開く。ゆったりと噛みしめるように、成長した体の感触を確かめる。不思議と、体に違和感はない。だが、やはりムムは思う。

 どうしてだろう、と。疑問を覚える。

 

「もう満足だ。わしに悔いはない」

 

 視線の先では、師が満足そうに笑みを浮かべて、背中を地面につけていた。

 結論から言えば、ムムは師父に勝った。

 成長した姿で、己の師と拳を交えて勝負する。それは紛れもなく、ムム・ルセッタが待ち望んできた夢……のはずだった。

 だが、どうしてだろう。

 何かが違う。

 

「お前の成長を見届けることができて、わしは嬉しい。お前はもう、わしより強くなった……お前は、わしを超えたのだ」

 

 それを言われて、ムムはようやく気がついた。

 ああ、そうだ。わかった。とても簡単な話だ。シンプルな答えだ。

 なぜかこんなにも心が満たされない、その理由。

 自分は……今の立ち会いに、満足していないのだ。

 

「師父」

「なんだ?」

「もっかい、やろ」

「……え?」

 

 ならば、繰り返すしかあるまい。

 自分が、満足できるまで。

 ムムは倒れたままの自分の師匠を片手一本で持ち上げ、無理やり叩き起こした。

 

「いや待て、ムム。決着はついただろう?」

「師父、どうしてそんなこと言うの? らしくない。昔は、朝から夜まで、わたしが好きなときに好きなだけ稽古に付き合ってくれたのに」

「そ、それは……」

 

 師父がムムに稽古をさせなかったのは、筆を握る勉強を疎かにして、怒っていた時だけだ。それ以外はいつも楽しそうに、ムムの拳を受け止めてくれた。

 

「よ、よし。じゃあ、もう一度手合わせするか!」

「うん」

 

 ムムは、もう一度師父をボコボコにした。

 

「はぁ……ぐっ、ごほっ……やはり、さっきの敗北は偶然ではなかったようだな」

「うん。わたし、強くなった?」

「ああ、強くなったとも。これで本当に、もう悔いは……」

「じゃあ、もっかいやろ」

「え?」

 

 ムムは、さらにもう一度師父をボコボコにした。

 

「おっ。お。おえっ」

「どう? 師父」

「ああ、さすがだ。もうお前に教えることは何も」

「もう一回」

「ま、まて……!」

 

 ムムは、さらに続けて繰り返し、もう一度師父をボコボコにした。

 

「ひぃ、ひっ……!」

「師父? どうしたの?」

 

 無表情のまま。ボコボコに腫れ上がった顔面を静かに見下ろして、ムム・ルセッタは自分の師匠であるはずの()()に向けて冷たく問う。

 

「もういい。もういいだろう!」

「何が?」

「わしはもう負けた!」

「うん。だからなに?」

 

 ひろわれてからずっと、数え切れないほど、ムムは師父と拳を重ねてきた。

 だが、どれだけ年老いても、肉体の全盛期を過ぎても、病によって床に伏せるその日まで、ムムは師父の背中に一度たりとも土をつけることはできなかった。

 

 己の師に勝つ。

 

 それは、紛れもなく、ムムの夢だ。

 だが、これは違う。断じて違う。

 

「師父はいつも言ってた。負けたらそれで終わりなのは、ただの殺し合い。でも、わたしたちが志す武の道は、負けても次がある。敗北を糧にして、また拳を磨くことができる。」

 

 ムムは、常に負け続けながら、師を超えることを目指してきた。

 たった四回。弟子にボコボコにされた程度で諦めるような武道家を、ムム・ルセッタは知らない。

 自分の知っている師匠なら。負けたら大笑いして、大いに悔しがって、そして「よし! もう一度だ! 今度こそわしが勝つ!」と。必ずまた起き上がってくるはずだ。

 ムム・ルセッタの師は、そういう武道家だった。

 

「もう一回」

「や、やめろ!」

「もう一回」

「わ、わかった! 引退だ! わしはもう引退する! 武道家はもうやめる! お前にすべて譲る! だから……」

「そう。わかった」

「おお! わかってくれたか!?」

「うん」

 

 頷いて、倒れ込んだままの師父に、手を差し伸べる。

 今度こそ、まともな形で助け起こしてもらえると思ったのだろうか。師父のふりをしていたそれは、躊躇いなくムムの手を取った。

 

「お前は師父じゃない。もう黙れ」

 

 そして、ムムは引き上げたそれの体を、一本背負いの要領で地面に叩きつけた。

 もはや、悲鳴の一つすら口から漏れることはなかった。

 動かなくなったそれを見て、一言だけ告げる。

 

「師父は、死ぬまで武道家だった。あの人は、命が尽きる瞬間まで拳を握るのをやめない」

 

 懐かしさはなかった。ただ少し悲しくて。

 静かに、噛み締めるように呟いた。

 

 ◇

 

 目が覚めると、青い髪の毛が視界に入ってきた。

 

「あ、師匠」

「おはよ。勇者」

「おはようございます」

 

 体を起こして、周りを見る。

 おれと師匠以外に、目覚めた人はいないらしい。他の冒険者はもちろん、騎士ちゃんや賢者ちゃんすら、すやすやと寝息をたてている。

 

「どうです、師匠? 起こせそうですか?」

「いや、自力で目覚めないと、多分無理」

 

 ですよねー。

 まあ、なんとなくそんな感じだろうとは思っていた。

 

「師匠はどんな夢見てたんですか?」

「殴り合い」

「バイオレンスですね」

 

 流石はおれの師匠だ。自力で目覚めただけでなく、夢の中でも殴り合いを楽しんでいたなんて、ちょっと強すぎる。

 

「勇者は?」

「え?」

「そういう勇者は、どんな夢見てたの?」

「あー」

 

 腕を組み、十秒ほど考えて、おれは口の前に人差し指を立てた。

 

「ごめんなさい。秘密です」

「……」

 

 うわ。

 師匠がものすごく賢者ちゃんみたいな目でこっちを見てきた。要するにジト目である。

 

「…………」

「痛い痛い。痛いです。お願いですから、無言のままおれの脛蹴らないでください」

「起きていたのが、わたしだけでよかった。騎士や賢者だったら、殺されていても文句は言えない」

「なんでですか!?」

「自分の胸に聞くべき」

 

 そんな言い合いをしながら、みんなの体を安全そうな場所に運んで集める。

 

「さて、動けるのはおれと師匠だけになっちゃいましたね。どうしましょうか?」

「これは十中八九、魔法による攻撃。本体を叩くのが、早い」

「ですね。何らかの方法で魔法効果を拡張しているのか」

「もしくは、このダンジョンそのものが魔法を持っているのか」

「いやいや師匠。そんなまさか……」

「このダンジョン。作ったのは、アイツ」

「……はい。ちょっとありそうですね」

 

 否定できないのが最悪だ。

 ほんとに、まじで死んでくれないかな、あの四天王第一位。まあ、もう死んでいるのだが……。

 

「やっぱり早く下に潜って、本体を叩こう」

 

 やっぱそれしかないよなぁ。

 騎士ちゃんや賢者ちゃんには悪いが、もう少し待っていてもらうしかあるまい。

 何か、手っ取り早いショートカットの手段があれば良いのだが……。

 

「あ」

「どうした? 勇者」

 

 膝をついて、コンコン、と。岩盤の音をチェックする。

 思った通り、上の階層よりもこのあたりの床は少し薄そうだ。

 

「師匠」

「なに?」

「ちょっと、地面とか砕いてみません?」

 

 

 ◇

 

 

「……何故だ。なぜだ……っ!?」

 

 迷宮は、絶叫していた。

 

「覚めるな……私のっ! 私の夢から勝手に目覚めるなァ! クソがっ!」

 

 あくまでも仮の体として形成したヒトガタで、髪のない頭を掻き毟りながら、瞳の欠けた目玉を見開き、舌のない口を震わせて絶叫する。

 もう人ではないはずなのに、それは人間ではない姿でどこまでも人間臭い怒りを発露させながら、全身を震わせて叫びを撒き散らす。

 

「魔法が、私の魔法が、破られるなんて……そんな、そんなバカなことがあってたまるかっ!」

 

 魔法とは、触れた対象を認識することではじめて発動する。

 逆に言えば、触れてさえいれば対象を認識できるということ。

 それの肉体は迷宮そのものであるが故に、自身の魔法が二人に破られたことを、正しく認識していた。

 屈辱である。

 彼女が、トリンキュロ・リムリリィが褒め称えてくれた己の魔法を破られることは、その迷宮にとってなによりも屈辱であった。

 魔法があり、心があるからこそ、迷宮は激しく憤っていた。

 

「……まあ良い。時間は、稼いだ」

 

 声の調子が、元に戻る。

 そう。目的は、あくまでも魔王の残滓の確保。べつに、世界を救った勇者を倒すことではない。

 焦る必要はない。自分はただ、あの方から賜った命令を忠実に遂行すれば良いだけだ。

 ヒトガタは、目の前で倒れ伏したままの赤髪の少女を抱き上げようとして、

 

「あ?」

 

 抱き上げるための両腕が切り裂かれていることを、ようやく認識した。

 

「ふぅ……よく寝た」

 

 頭を抑えて、呻きながら。

 それでも、魔王の少女を守るようにして立つ、一人の剣士がいた。

 

「くっそぉ……斬るのに、ちょっと時間かかっちゃった」

 

 幻想の魔法から抜け出した、三人目が……イト・ユリシーズが、そこにいた。

 

「貴様、なぜ……」

 

 まさかこの女も。あのイカれた勇者パーティーと同じように、強烈な自我を以て幻想の魔法から抜け出したのか? 

 主語の欠けた問いかけに対して、しかしイトは首を横に振った。

 

「ん? いやいや、今言ったじゃん。ワタシとしたことが、不覚にもキミの魔法食らっちゃったからさ。すごく良い夢見させてもらって、いつまでも浸っていたくなったけど……そんなわけにはいかないし」

 

 ひらひらと。

 両の手も一緒に振って、イトは屈託なく笑う。

 

()()()()()出てきちゃった」

 

 斬った? 

 魔法を? 

 幻想を? 

 形もないのに? 

 ヒトガタは、仮の体が震えるのを自覚した。

 ぶちり、と。

 迷宮の心の中で、文字通り。何かがキレる音がした。

 

「──勝手に魔法を斬るなァ!」

「うるさいな」

 

 三度、手刀による斬撃。

 首を落とされたヒトガタは、先ほどと同じように胴体と元通りに繋ぎ合わせようとして……しかしそれがもうできなくなっていることに気がついた。

 

「な、なぜ……?」

「キミの斬り方も、わかってきたよ」

 

 そもそも、と。言葉を繋げて、イトは落ちた首を見下ろす。

 

「一度斬り落としたモノが、またくっついたらダメでしょ? だって、それじゃあ()()()ことにならないもん」

「……だとしても!」

 

 イトの周囲。地面や壁を問わず、あらゆる場所から這い出るようにして、新たなヒトガタが数えきれない群れとなって、イトと赤髪の少女を包囲する。

 魔法による切断。それによって再生すら妨げられるのであれば、再生を取りやめて、数を用意すれば良いだけのこと。

 

「うわ……多いなぁ」

「お前がいくらモノを斬れようが、そんなことは関係ない! 私の体はこの迷宮そのもの! ダンジョンに足を踏み入れた時点で、お前たちは私の胃袋の中に進んで入った獲物と同じだ!」

「じゃあいいよ。その胃袋、喰い破ってでも出るから」

「できると思うか!? この数を前にして! お前は無事でも、その少女を守り切れるか!? そんな方法がお前にあるのか!?」

「うん。全部斬る」

「……吠えたなァ! 人間!」

 

 迷宮が蠢く。イトが構える。

 だが、両者の戦端が開かれることはなかった。

 次の瞬間。天井が凄まじい轟音と共に砕け散り、直上から二人分の人影が降ってきたからだ。

 

「あいてて……師匠、もうちょっとやさしくできないんですか!?」

「それは無理。フルパワーで殴ったら、こうもなる」

 

 土煙が晴れる。

 砂埃をはらいながら、ゆったりと立ち上がった大きい人影が、イトの方を振り向く。顔が見える。

 息を呑んだ。

 

 ──覚えているよりも、ちょっと髪が伸びたかもしれない。

 

 まるで、時間が止まったように感じられた。

 

「あ、先輩。おひさしぶりです」

 

 彼は、少し困ったような表情で笑った。

 どんな顔をすればいいのか、わからないようだった。

 とはいえ、それは自分も同じようなものだ。

 イト・ユリシーズも、釣られて困ったように微笑んだ。

 

「ひさしぶり。今日はちゃんと服着てるじゃん」

「ええ。勇者ですから」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
さらにもう一発!
解釈違いによって幻想から脱出した。魔王の夢を見ていたことは誰にも話すつもりはないらしい。悪い勇者である。

武闘家さん
ぶん殴っても!ぶん殴っても!ぶん殴っても!
弟子と同じく、やはり師匠への解釈違いによって幻想から脱出した。こういうところが似た者師弟。夢の中ではスレンダー美人になっていたが、現実で魔法が無効になった場合どう成長するかは不明。死霊術師さんばりのボン・キュッ・ボンになる可能性だってあるかもしれない。

イト・ユリシーズ
ぶった斬っても!ぶった斬っても!ぶった斬っても!
上記二人が精神力で魔法から脱したのに対し、自身の魔法による純粋な斬撃で幻想から抜け出した人。意味がわからない。そろそろなんでも斬れそう。
ちなみに夢の内容は「勇者になったお姉ちゃんと一緒に冒険する」だったらしい。

迷宮さん
初期遊戯王でいうところの「俺が攻撃するのは、月!」理論で自身のフィールドパワーソースをめちゃくちゃにされたかわいそうな人。やっぱり「地の利を得たぞ!」って勝ち誇るヤツはなにをやってもダメ。
魔法は心なので、一見すると冷静で化け物っぽく見えても、まだまだ人間臭いところが残っている。




恐縮ですが、宣伝になります。
いよいよ書籍版の発売が迫ってきました……ということで宣伝用POPがドーン!です。

https://twitter.com/TOBOOKS/status/1590660552828649472?t=NKwoUAcD6qSLQP4U4NrpYw&s=19

イラストレーターの紅緒さんとデザイナーさんの拘りで、それぞれの愛の形を、とてもかっこよくまとめていただきました。控えめに言って最高です。

また、書籍版の発売は今月の19日ですが、一部サイトで電子版の先行配信が始まっております。

コミックシーモア様
https://www.cmoa.jp/title/1101368087/

BOOK☆WALKER様
https://bookwalker.jp/ded4515144-1aa2-47c2-a4e4-ea7556bf52b5/

立ち読みで口絵や挿絵がちら見できるので、よろしければぜひ覗いてみてください。もちろん買っていただけると作者が半裸で小躍りします。
電子版では書き下ろしで「目が見えない絵描きのおじいさんと勇者くんたちが交流しながら自分の色について考えるお話」が読めます。よろしくお願いします!


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新たな一人目。あるいは、彼が勇者である理由

 師匠に床を本気の本気で殴ってもらった結果、ショートカットに成功した。

 落ちた先に、探していた先輩がいた。かなりラッキーである。きっとおれの日頃の行いが良いおかげだろう。

 ひさびさの再会である。何を言おうか迷ったが、おれは正直に心のままに、思ったことを口に出すことにした。

 

「先輩、きれいになりました?」

「お、わかる? やっぱり勇者くんにも進化したワタシの大人の魅力ってヤツが、より深く伝わるようになったみたいだねぇ」

「あとなんか片目の色変わってません?」

「お、わかる? 前の魔眼は昔、あのクソ盗賊に抉られちゃったからさぁ。新しいヤツ入れてみたんだよ! どうどう? 似合ってるかな?」

 

 左右で色の違う瞳が、こちらを見て「えへへ」と細くなる。

 魔眼ってそんなお洒落するようなノリで入れ替えるものだっけ……と少し思ったが、先輩のことなのであまり深く気にしないことにした。女性のイメチェンは、褒めるに限る。モテる男の鉄則だ。

 

「はい。よくお似合いです」

「ありがとありがと」

 

 嬉しそうにはにかみながら、先輩は背後に立つ人型ゴーレムのようなモンスターを、手刀で切断した。

 

「……?」

 

 は? 今、手で斬った? いいのかそれ? 

 疑問に思いながら、おれは横合いから襲ってきたもう一体の頭部を、裏拳の要領で砕いた。ちょっと手が痛い。

 

「勇者くん、最近元気?」

「ええ、まあ。ぼちぼちやってます」

「まさかこんなところで会えるとは思ってなかったよ」

「それはおれもですよ。どうです? 騎士団長の仕事は」

「そうそう! 聞いてよ。最近ほんと忙しくてさ。こんな辺境の土地までわざわざ派遣されるし、中々休みも取れないし! 勘弁してほしいよほんと」

「うわ、大変そうですね」

 

 各々、好き勝手に襲いかかってくるゴーレムを斬って砕いていく。ちょいちょい、と。瞳でアイコンタクトが入ったので頭を下げると、おれに飛びかかってきた三体がやはり片手一本で膾切りにされた。

 うーん、見れば見るほどきれいな切断面だ。なんでだよ、おかしいだろ。指先で発揮していい切れ味じゃないんだよ。

 

「でも、勇者くんに会えたから、ここに来てよかったかな」

「そりゃあどうも」

 

 さて、いつまでも世間話に花を咲かせているわけにはいかない。

 

「先輩。赤い髪の女の子がいたと思うんですけど」

「ああ。アカちゃんのこと?」

 

 なんか、おれが知らないあだ名が付いてるな。

 

「大丈夫大丈夫。後ろで寝かせてるよ」

 

 ちらりと背後を見ると、後ろに寝かされている赤髪ちゃんの様子を、師匠が確認していた。無表情のまま、力強いサムズアップ。

 よかった。とりあえずは大丈夫そうだ。

 

「先輩が助けてくれたんですか?」

「うん。一応、そういうことになるかな」

「ありがとうございます」

「いえいえ。ちょっと毒を吸い込んじゃったみたいだから、念のためにあとで回復の心得がある魔導師さんに診せてあげて。一応、毒の処置はしたけど」

 

 毒と言われて、昔のことを思い出す。

 あのクソ盗賊に襲われた時、先輩も毒を浴びていた。きっと苦い思い出のはずだ。処置をした、ということは、あのトラウマを克服したのだろうか?

 

「先輩、その毒はどうしたんですか?」

「斬った」

 

 なんて? 

 

「毒って斬れるものでしたっけ?」

「え? うん」

 

 ……そっかぁ。

 

「そういえば先輩も、幻覚効果のある魔法の影響を受けたと思うんですけど」

「ああ、受けた受けた。いやぁ、ちょっと油断しちゃったよ」

「どうやって脱出したんですか?」

「斬った」

 

 なんて? 

 

「夢とか幻って、斬れるものでしたっけ?」

「え? うん」

 

 そっかぁ……。

 やばいな。

 もしかしたらこの人、もうおれより強かったりするんじゃないか? 

 おれ、腐っても世界を救った勇者なんだけどな。

 

「それにしても、減らないね。このゴーレムの数」

「そうですね」

 

 雑談をしながらかれこれ二十ほどは薙ぎ倒していると思うが、次から次へと湧いて出てくる。

 率直に言ってきりがない。

 

「この迷宮そのものが、心を持った魔法持ち……っていうのがおれの予想なんですけど、どうです?」

「お。正解正解、大正解だよ。さっきお喋りしたけど、お前たちは胃の中に入り込んだ獲物だ!みたいに言われたから」

「なるほど」

 

 やはり、予想は正解だったらしい。

 となると、この分身のような人型のゴーレムをいくら倒しても意味がなさそうだ。例えるなら、砂場の中で作られる砂の城をいくら壊しても、材料が無限にあるようなもの。砂場の中でいくらもがいても、勝てない。

 こいつを倒すためには、ダンジョンの核を叩く必要がある。

 

「師匠。赤髪ちゃんを守ってもらえますか?」

「合点、承知」

「そして先輩」

「なに?」

「お願いがあります」

 

 足元から適当な石を拾い上げて、おれは言った。

 

「この迷宮の核までの道を、切り開いてください」

 

 ぴくん、と。先輩の肩が震える。

 

「それはお願い?」

「はい。お願いです」

 

 おれは腰から、困ったドジっ子先輩が落としていた刀を引き抜いて、放り投げた。

 

「あ! わたしの剣!」

「落としたでしょう? ひろっておきました」

 

 その鞘をキャッチして、困ったドジっ子先輩の表情が、いたずらっぽく歪む。

 

「助けてほしいかい? 後輩」

「助けてほしいですね、先輩」

「素直だね」

「はい。おれは素直な後輩ですから」

「よしよし。それなら仕方ないなぁ」

 

 今の先輩は、手刀一つで、岩を切り、毒すらも断つ剣士だ。

 そんな最強の剣士に、愛用の一刀を渡したらどうなるか? 

 

「かわいい後輩を、助けてあげるのが先輩の務めだ」

 

 どこまでも純粋な、斬撃の解答があった。

 その一瞬で、抜刀したことはわかった。しかし、その切断の軌跡はおれの目にも見えなかった。

 遅れて響く、刀身を再び鞘に収める高い音。そして、残ったのは斬撃の結果のみ。

 眼前に立ち塞がっていた、合計十数体のゴーレムが、その一閃だけで両断されていた。

 斬撃は、距離の概念すら超越していた。

 俄には信じ難いこと。しかし、間違いのない一つの事実があった。

 

 彼女は()()()()()()()のだ。

 

「──さあ、勇者の道を斬り拓こうか」

 

 理屈も理由も常識も。

 すべてを超越した魔の斬撃が、石のヒトガタたちを切り捨てていく。

 圧倒的、という言葉では生温い。美麗、という言葉でもなお、表現が不足している。

 世界最強の斬撃が、おれの前で踊り出して止まらない。

 極限まで突き詰められた、切断という概念が、腹の中から内蔵そのものを掻っ捌いていく。

 

「やめろ……やめろぉ! 私をっ! 私を斬るなぁ!?」

 

 叫びが聞こえた。おそらく、この迷宮の、心の声が。

 遂に痺れを切らしたように、おれたちが立つ地面そのものが隆起して、形を変え、大口を開けて飲み込もうと蠢き出す。

 

「先輩!」

「うん。わかってるわかってる」

 

 声音は、冷静だった。

 おれの前に立つ剣士は、左右で色の違う瞳で、それを一瞥する。

 今までの斬撃は、すべて片手だった。

 しかし、単純な理屈として……剣は、両手で振るった方が、強い。

 はじめて、先輩は両の手のひらで刀の柄を握り締めた。

 

「多分、この下かな?」

 

 大上段の、振り下ろし。

 最も美しい一閃が、地面を両断した。

 それはもはや、物体に対する斬撃でも切断ではない。地層に対する割断に等しい。

 真っ二つに割れた、足元の下。濃密な魔力と、蠢く心臓のような核が、視界に入った。しかし、敵も馬鹿ではない。すぐに核をカバーしようと、地面が壁の如く動いて、また再構成をはじめる。

 

「逃げられるよ!」

「逃しません」

 

 警告に応えて、おれは割れた地面の中に飛び込んだ。

 距離がある。まだ届かない。故に、懐から取り出した小さな石を、それに向かって全力で投擲する。

 無論、そんな石の礫で、迷宮の核が破壊できるわけもなく。

 

「──哀矜懲双(へメロザルド)

 

 だからこれは、最初から攻撃ではない。

 距離を詰めるための、一手だ。

 投げた石と、自由落下するおれの体が魔法によって入れ替わる。一瞬で、距離が縮まる。

 それは、核を守ろうとする迷宮の計算を狂わせるには、十分過ぎる隙だった。

 

「捕まえた」

 

 片腕の手のひらで掴めるほどの、小さな核。

 それに触れた瞬間。目の前が、真っ暗になった。

 

 

 ◆

 

 

「……む。またか」

 

 やれやれ。何回、精神攻撃をすれば気が済むのだろうか。

 迷宮の核を砕くために、直接手を触れた結果。

 どうやらおれはまた、魔法が作る夢の中に引きずり込まれてしまったらしい。

 おれの目の前には、一人の少女がいた。

 ついさっき、おれがパイとケーキを顔面に直撃させた少女だ。

 

「何度やっても無駄だってわからないかね」

「ええ。わたしもそう思うわ」

 

 やはり、さっきと同じ声がした。

 いい加減、この手の精神攻撃はおれに通用しないことを学んでほしいものだ。

 再び目の前に現れた魔王の幻影に向けて、指を突きつける。

 

「なんだよ。またパイを顔にぶん投げてほしいのか?」

「え! パイを顔に投げてくれるの!? うれしい! それ、食べていいってことでしょう!?」

「……」

 

 ちょっとした間があった。

 食い気味にこんなことを言ってくる女を、おれは一人しか知らない。

 

「……なんて言えばいいんだろうな、こういう時」

「ひさしぶり、でいいんじゃないかしら」

「そうか」

 

 目を合わせて、顔を見る。

 

「ひさしぶりだな。魔王」

「ええ、また会えてうれしいわ。勇者」

 

 ふんわりと笑うその表情が。

 上品に緩む口元が。

 

「で、パイはどこ?」

「ねぇよそんなもん」

 

 そしてなによりも、その恐ろしい食い意地が。

 夢幻の類いではなく、目の前に立つ彼女が本物であることを、おれに正しく認識させた。

 絹のような髪を横に揺らしながら「甘いもの、食べられると思ったのに……」と、しょんぼり肩が落ちる。そこには、魔王の威厳は欠片もなかった。

 

「……なんで、いるんだ?」

「なんでって言われても、ほら。わたしはあなたの中にずっといるわけだし」

「呪いとして?」

「そう。呪いとして」

 

 なんて重い女だ。勘弁してくれ。頼むから早く出て行ってほしい。本当にお願いだから。

 

「前はあの子とも喋ったし……良い機会だから、今回はあなたとお喋りしておこうかなって」

 

 あの子、というのが赤髪ちゃんのことを指しているのは、なんとなくすぐにわかった。

 

「お前、赤髪ちゃんにいじわるなこと言ってないだろうな?」

「失礼ね。わたしのやさしさを信用できないの? わたしと一つになって、復活してみないかって。そう提案しただけよ」

 

 コイツ、生き返る気満々じゃねぇか。

 

「でも、フラれちゃった」

「当然だ」

「あなたのパーティーの人間、わたしのことを絶対拒むのよね。どうして?」

「そりゃ魔王を倒すために集めたパーティーなんだから、拒むに決まってるだろ」

「わたしが誘惑すれば、ほとんどの人間はいちころなのに……」

「残念だったな。お前の誘惑に引っかかるアホな人間なんて、うちのパーティーにはいないんだよ」

「ひどい。そういういじわる言うんだ」

 

 すっと。

 彼女の指がおれの胸に触れた。

 

「でもさっき、わたしのニセモノに怒ってくれたでしょう?」

「……」

「どうして?」

「…………」

「ねえ、どうして?」

「…………うるさい」

 

 くすくすくすくす、と。

 口元に手を当てて、こちらを上目遣いに見上げて、彼女は笑った。

 

「いじわる返し、効いた?」

「効いてない」

「効いてるくせに」

「……早く用件を言え」

「そうね。まあ、用件と言うほどではないけれど。一応、忠告しておこうかと思って」

 

 くるり、と。

 長い髪と細い体が、おれの前で回る。

 

「黒の魔法。使って大丈夫?」

「……どういう意味だ?」

「ジェミニは悪魔だったけど……あなたが今触れているのは人間の心でしょう?」

 

 おれの魔法は、殺した相手の名と魔法を奪う。

 そんな、今さら説明するまでもない事実を、魔王はわざわざ再確認する。

 

「あなたのその力は、わたしを倒すための魔法だった。世界を救うための魔法だった。あなたは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()けど」

 

 甘い声音は、いやになるほど自信に満ちていて。

 

「でも、今は違う」

 

 重ねた否定が、いやにはっきりと響いて。

 

「わたしはもう、あなたが生きる世界にはいない」

 

 澄みきった瞳は、こちらを試すようで。

 

「ねえ、勇者。世界を救い終わった勇者さん。今だからこそ、もう一度問うわ。あなたは本当に、その魔法を正しく使えるの?」

「当たり前だ」

 

 おれは、即答をした。

 魔王は、驚かなかった。表情を変えないまま、おれの顔をじっと見詰めていた。

 昔はよく、二人きりでこういう問答をした。

 交わす言葉は平行線のままで、結局おれたちは最後まで対立することしかできなかった。思い返してみれば、おれはいつも彼女の問いに対して、満足いく答えを返すことができていなかったように感じる。

 だから、リベンジをさせてもらおう。

 

「おれの魔法も、おれの心も、おれのすべては……お前を殺すためにあった」

「ええ、そうね。だって、それが勇者だもの」

 

 コイツの言葉は、たしかに正しい。

 きっと、おれという勇者は、魔王を殺すために存在していた。

 

「でも、今は違う」

 

 魔王を倒して、世界を救って、名前を奪われて。

 おれという勇者の物語はそこで一度、たしかに終わった。

 何をすればいいのか、わからなかった。この世界に、もう魔王はいないのに、出会う誰もがおれのことを『勇者』と呼ぶ。

 それが、恐ろしかった。自分にもう名前がないことを突きつけられているようで、怖かった。

 ただ『勇者』という記号が存在証明の代わりになって、おれという個人の存在が、少しずつ擦り減っていくようで。名前を知る人たちと連絡を断ち、関係を絶って、その事実から目を背けて、逃げ続けて生きていた。

 だけど、あの日。追われている女の子を助けて、止まっていた時間がまた動き出した。

 

 勇者さん、と。

 

 助けた女の子からそう呼ばれた時、どこか心が軽くなった。

 それ以外に名乗る名前がなかったから、仕方なくそう呼んでもらっただけだったのに。でも、記憶も名前も何もないと告げる彼女からそう呼ばれて、そこからまた新しい冒険がはじまった。

 もう一度、パーティーのみんなに会うことができた。

 

 賢者ちゃんには、小言を言われて。

 騎士ちゃんと、お酒を酌み交わして。

 師匠からは、頭を撫でられて。

 死霊術師さんに、抱きつかれて。

 

 名前を失っても。

 何も、変わってなんかいなかった。

 

「お前がいなくなっても、おれは勇者なんだ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 それが、とても多いことをおれは知っている。

 それが、とても熱いことをおれは知っている。

 それが、変わらないことをおれは知っている。

 それが、美しく在ることをおれは知っている。

 なによりも……それが、鮮やかな色合いであることを、おれはよく知っている。

 

 だからきっと、最初から迷う必要なんてなかった。

 

「愛されてるのね。あなたは」

 

 色のない魔王は笑った。

 

「……ずるいなぁ」

 

 それはやはり、少し寂しそうな笑みだった。

 

「そんな風に、いろいろな愛に彩られて……あなたって、本当にずるいひと」

「ヤキモチか?」

「うん。嫉妬しちゃう」

 

 ならば、その嫉妬は甘んじて受け入れようと思った。

 仕方ない。モテる男はつらいのだ。

 

「ねえ、勇者。最後に一つだけ聞かせて」

 

 最後、と言われて。

 ああ、もう話すのは終わりなのか、と。そう思った。

 

「救い終わった世界に、勇者は必要?」

 

 いじわるな質問だ。

 しかし、胸を張って答えなければならない問いだった。

 

「何度でも言う。お前がこの世界にいなくても……おれは、勇者で在り続けるよ」

「……そっか」

 

 寂しそうな微笑みが、ほんの少しだけ。

 嬉しそうな微笑みに変わった。

 

「じゃあ、気をつけて」

 

 胸に、手が触れる。やわらかく体を押されて、おれの意識は薄れていく。

 ずっとこちらを見詰めていた瞳は、

 

「がんばってね。わたしの勇者」

 

 最後の最後まで、優しいままだった。

 

 

 ◇

 

 

 魔法の中から、勇者が目覚める。

 

 それは、恐怖した。

 勇者に魂を掴まれて、ただ恐怖した。

 殺される。死にたくない。

 死にたくない?

 いいや、そうではない。迷宮の魂は、死ぬことに恐怖しているわけではなかった。

 

「……いやだ」

 

 それは、ずっと解放されたかったのだ。

 暗く湿った迷宮という形に囚われたまま、人間ではないものになっていくのが怖かった。

 魔法という心を利用され、人間だった頃の記憶と名前を奪われたまま、朽ち果てていくのが恐ろしかった。

 だから殺されるのは構わない。

 けれど……このまま、死にたくない。

 

「……名前が、ほしい」

 

 縋るように、それは勇者に言った。

 

「名前が……自分の名前が、わからないまま、消えたくない」

 

 もう、人間には戻れない。

 そんなことは、自分自身が一番良くわかっている。

 それでも、名もなき迷宮のまま。あの四天王の道具になったまま、死んでいくのだけは……。

 

「……大丈夫だ」

 

 勇者は、告げる。

 手のひらに収まる小さな心に向けて、語りかける。

 

「──ベリオット・シセロ。その名と魔法を、貰い受ける」

 

 勇者は、たしかに、声に出して『それ』ではない『彼』の名前を、呼んだ。

 トリンキュロ・リムリリィが奪い取り、弄び、忘れ去られた彼の名前を。

 

「べり、おっと……」

「ああ」

「私の……、オレの名前?」

「そうだ。お前の名前だ」

 

 たとえ世界を救っても、救えないものがある。

 勇者にできるのは、その名と魔法を奪い、心に刻むことだけ。

 死を迎える前の、この一瞬。彼に、名前を返すことしかできない。

 

「ごめん。おれは、お前を救うことはできない」

 

 謝罪があった。

 歪み切ってしまった彼を、人間に戻すことはできないから。

 彼の命を、救うことはできないから。

 それでも、

 

「……ありがとう」

 

 感謝があった。

 

「本当に、ありがとう」

 

 生まれ持った魔法のせいで、他人を避け続ける生き方をしてきた。生まれ持った魔法のせいにして、他人を信用することのない生き方をしてきた。

 心惹かれた存在には騙され、すべてを奪われ、人ですらなくなった。

 決して、幸せな一生ではなかった。

 だとしても、それが自分の人生なのだと。開き直ることはできても、一人ぼっちで、誰からも名前を呼ばれないまま、忘れ去られるのは、やはり寂しかった。

 自分の名前を、誰かに覚えていてほしかった。

 そんな寂しさから、救ってもらった。

 

「あなたは……勇者だ」

 

 勇者が取り戻した名前は、彼という存在を人間に引き戻す。

 ベリオット・シセロの心は、最後に、黒い輝きの中に救いを得た。

 

「どうか、あなたも……自分の名前を」

 

 そして、最後の最後に、他者を気遣うやさしさを得た。

 その心に報いるために。

 

「ああ、絶対に取り戻すよ」

 

 黒の勇者は、新たな名前と魔法を、心に刻み込む。




書籍化記念に、めりっとさんよりいただきました。勇者くんです。


【挿絵表示】


かっこいいですね……とても裸になる男とは思えない。今回のお話の前にいただけてよかったなと思いました。

書籍版はいよいよ本日発売です!

【TOブックス公式】
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自分にとって、人生はじめての本になります。
いつも読んでくださるみなさんのおかげで、一冊の本にすることができました。
これからも、よろしくお願いします。


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蒼穹の剣士

「むにゃ……えへへ、勇者さん、ダメですよぅ……わたし、そんな……もう食べられません」

「なにアホな夢見てるんですか!」

「起きろーっ! 赤髪ちゃん!」

「むにゃぁあああ!?」

 

 頬に強い痛み。ついでに、首の後ろに恐ろしいほどの冷たさを感じて、わたしは飛び起きました。

 黒のローブと白銀の鎧が、目の前にあります。

 

「き、騎士さん!? 賢者さんも?」

「まったく。私が渾身の往復ビンタをして、騎士さんが首の後ろに冷えた手を突っ込んでようやく起きるなんて……本当に脳天気ですねあなたは」

 

 両手をひらひらと振りながら、賢者さんが呆れた視線をわたしに向けてきます。

 どうやら、わたしの頬を往復ビンタしたのは賢者さんみたいです。だからほっぺたがこんなにひりひりするんですね。痛いです。

 

「でも、目を覚ましてくれてよかったよ。体は大丈夫? 少し毒を吸っちゃったみたいだけど」

「は、はい! なんというか、意外と平気です!」

 

 騎士さんの言う通り、倒れる直前は息苦しかった記憶があるのですが、何故かその感覚はきれいさっぱり消え失せていました。まるで、吸い込んでしまった毒が体の中から取り除かれたような、不思議な感覚です。

 

「賢者さんが治療してくださったんですか?」

「一応、あなたの体に異常がないか確認は行いましたが……私がやったのはそれだけです。あなたの体の中から毒を除去したのは、別の人ですよ」

 

 そこまで言われて、わたしは眼帯のお姉さんの顔を思い浮かべました。

 そして、周囲を見回して、ようやく自分が今、どこにいるかを理解しました。首を真上に、見上げてみると懐かしい青い空の中に、白い雲が浮かんでいます。

 そう。青空です。いつの間にかわたしは、ダンジョンの外に出ていました。

 

「あれ? わたし、ダンジョンの中にいたはずじゃ……」

「魔法を受けて動けなかったあなたを、眠っている間に連れ出してあげたんですよ」

「まあ、武闘家さん以外はみんな魔法の影響から自力で抜け出せてなかったし。あたしたちも武闘家さんに起こしてもらわないとヤバかったから、あんまり人のことはとやかく言えないんだけど……」

 

 たはは、と頬をかく騎士さん。

 その後ろでは、やはりお師匠さんが無表情のまま無言でピースサインをしていました。さすがはお師匠さんです。かっこいいです。

 

「そういえば、みなさんはどうしてここに?」

「あなたが先走ってダンジョンに突撃していったから、私達がわざわざ助けに来てあげたに決まっているでしょう!」

「ひぃ!? すいません! ごめんなさい!」

 

 賢者さんに詰め寄られて、頭を下げます。

 わたしの勝手な行動で、みなさんに迷惑をかけてしまいました。頭を下げる以外に、できることがありません。

 

「まったく、あなたはもうウチのパーティーの一員なんですから」

「そうだよ、赤髪ちゃん。勝手な行動はもうダメだからね」

「うむ。仲間を助けるのは、当然。でも、手の届く範囲にいてくれないと、助けられないから困る」

 

 頭を下げる以外、できることがないようなわたしなのに、みなさんの言葉はとても温かくて。

 わたしの目の前の視界は、じんわりと滲んで見えなくなりました。

 

「ほらほら、泣かないで」

「ずいまぜん……」

「起きたらすぐ泣くなんて、あなたは赤ちゃんですか? まったく」

「はい。めちゃくちゃアカちゃんって呼ばれてました……」

「いや何の話です?」

 

 何の話か、と聞かれれば、あのお姉さんの話です。

 怪訝そうな表情の賢者さんに、わたしは問い返しました。

 

「賢者さん! わたしと一緒にいた騎士のお姉さんはどこですか! あと、みなさんがいるってことは、勇者さんもいるはずですよね?」

「それは……」

「勇者は、まだダンジョンの中。その騎士も、多分まだ中にいる」

 

 言葉を濁して答えにくそうな賢者さんに代わって、お師匠さんが簡潔に答えてくれました。

 ですが、まだダンジョンの中にいる、と。その独特な言い回しは、今は外にいるわたしたちと比較して、少しいやな感触を伴っていて。

 

「勇者があの迷宮の核を破壊した瞬間に、ダンジョンが崩れ始めた。わたしたちはなんとか脱出できたけど、一番深い階層にいた二人は多分……逃げ遅れた」

 

 やはり、お師匠さんはその結果を、簡潔に言いました。

 

 ◇

 

 おれは、死にかけていた。

 

「あー、しくじったなぁ」

 

 瓦礫の隙間に埋まったまま、声を漏らす。

 いや、核を破壊したら、普通はダンジョン攻略成功だと思うじゃん? 

 いきなり前触れもなく崩れ始めるとか聞いてないんだわ。

 しかも師匠に向けて「おれは大丈夫ですから、赤髪ちゃんを連れて逃げてください!」とか言っておいてこのざまである。本当に恥ずかしい。穴があったら入りたいくらいだ。現在進行形で埋まって動けないけど。

 

「いってぇ……」

 

 崩落に巻き込まれて、おれの右足は見事に落石に挟まれていた。強い痛みで感覚が鈍りきっているが、おそらく折れている。多分、左腕も同様だろう。昔持っていた硬くなる魔法とかがあれば何の問題もなかったのだが、今のおれはただの勇者なので、重いものの下敷きになれば足も腕も折れてしまうのだ。正直、泣きそうだ。泣いてもいいかな? 

 

「これじゃあ、哀矜懲双(へメロザルド)も使えんしなぁ……」

 

 普通なら、手足を挟まれようが、手足が折れていようが『哀矜懲双(へメロザルド)』の空間転移で脱出することは容易い。しかし今、おれの体は積み上がった瓦礫からかろうじて首だけが露出しているような状態である。なによりも、視線の先に体を移動できるようなスペースが一切ない。数センチ先の視界ですら、自分の体の上に積み上がっているのと同様に、瓦礫で埋め尽くされている。転移できる空間がなければ、転移魔法も宝の持ち腐れというわけだ。

 ダンジョンが崩落する直前。魔法の主と、少しだけ言葉を交わすことができた。あの声の響きに、悪意は感じられなかった。つまり、この崩落はダンジョンの核となっていた人物の意思ではなく、このダンジョンの造り手の意思によって、ご丁寧に仕込まれたものというわけだ。

 あの四天王の第一位のクソ野郎は「どんな迷宮も、踏破された瞬間に自爆してしまえば攻略失敗と同じじゃない?」とか平気で言いそうである。というか、絶対に言う。そういうことを言うヤツだから、おれは今こうして生き埋めになっているのだ。

 

「……やばいな」

 

 最悪、死ぬのは構わない。死んでも、死霊術師さんに生き返らせて貰えばいい。

 しかし、この広大な迷宮の中で生き埋めになったおれの死体を、みんなはきちんと見つけ出すことができるだろうか? 

 できないかもしれない。

 見つけられなかったら、おれは一生、土の下だ。

 それは、こわい。

 薄くなってきた空気に、頭が痛む。

 名前を取り戻す。呪いを解く。ようやく少し、やりたいことができたのに。

 

「あー」

 

 誰も聞いてないのに。

 いや、誰も聞いていないからこそ、おれは呟いた。

 

「死にたくないな」

 

 

 

 

 

「よっせーい!」

 

 斬撃が、あった。

 おれの顔の、すぐ側を。そのギリギリを切り裂いて、見覚えしかない顔が現れた。

 

「お、いたいた! へいへーい。かわいい後輩よ、生きてるかい?」

「……ご覧の通りです」

「おうおう、きれいに埋まってるね。体は大丈夫? 潰れてない?」

「足とか腕は折れてますが、まあなんとか……というか先輩、どうしておれの居場所が?」

「いやほら、ワタシってば目がいいからさ。どこにキミが埋まってようが、丸見えなわけよ」

 

 色の違う瞳を得意気に指差しながら、おれの先輩は朗らかに笑う。

 

()()()()()()って。そう思った?」

 

 問われて、おれは苦笑いした。

 ダンジョンの中。命の危機。まるで、昔の再現。けれど、これでは立場がまるっきり逆だ。

 

「助けに来てくれて、ありがとうございます。でも……」

 

 そう。助けに来てくれたのは嬉しい。

 しかし、同時に少し困る。

 

「先輩は、逃げてください」

「え、なんで?」

「おれはもう、足をやられて動けません。いくら崩落した瓦礫を斬れると言っても、限度があります。ここも、いつ崩れるかわからない。でも、先輩の……切断の魔法があれば、一人だけなら脱出できるかもしれません」

「んー」

 

 しかし、その発言に何を思ったのか。

 刀を鞘に収めた先輩は、おれの横に腰を落ち着けた。

 何のつもりだ。この人は。

 

「ちょ、なにしてるんですか? おれの話聞いてたんですか!?」

「勇者くんはさぁ……人が、人を好きであることに必要な証明ってなんだと思う?」

 

 おれの話を遮って、先輩は言った。

 ただ淡々と。自分の考えを。一つの事実を口にしているかのような口調だった。

 

「わたしはね。()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう思えたなら……それはわりと、限りなく真実の愛に近いと思うんだよね」

「なにを……」

 

 言い訳をさせてほしい。

 繰り返しになるが、おれは生き埋めになって動けない状態である。

 だから、そのきれいな顔が近づいても。

 だから、その左右で色の違う瞳の光彩が、覗き込めるようになっても。

 おれには、抵抗のしようがなかった。

 

「……」

 

 こんな薄暗い穴の底の中で、あの日の屋上を思い出してしまうなんて、何の皮肉だろう。

 長いわけではない。むしろ、とても短い。

 ほんの一瞬、互いの口元の赤色の、その温度を確かめる程度の、(ついば)むようなキスだった。

 

「死ぬのがこわいのは、一人だから。二人なら、こわくないかもしれないよ」

「……」

「このままキミと一緒に生き埋めになるのもアリかな、なんて。わたしはそう思ってるんだけど、どう?」

「それは……」

 

 暗い海の底に、共に沈むような。そんな提案だった。

 一緒に溺れてあげてもいいよ、と。おれの横に座っている女の人は、そう言っていた。

 けれど、どこまでも蠱惑的なその表情を見上げて、おれは答えた。

 

「それは、だめです」

「なんで?」

「おれは、先輩に死んでほしくありません」

 

 きょとん、と。

 大人っぽかった表情が、急に子どもらしくなった。

 すべての毒気を抜かれたような顔になって、しばらく硬直した後。

 

「ふふっ……あっはっは! そっかそっか! 死んでほしくないかぁ! そうきたか……うんうん。そうだよね」

 

 ひとしきり膝を叩いて、頭を振って頷いて、笑うだけ笑って、

 

「うん。ワタシも、勇者くんには死んでほしくないな」

 

 立ち上がった先輩の横顔は、甘い女性のそれから、精悍な剣士に戻っていた。

 

「じゃあ、死ぬのはやめて、ここから出ようか」

「いや、でもどうやって……」

「決まってるじゃん」

 

 明確な、解決策の提示があった。

 

「斬って出れば良い」

 

 ◇

 

 一緒に死んであげてもいいよ、と。そう伝えた。

 あなたには死んでほしくない、と。そう返された。

 こまった。そんな風に言われたら、もう何も言えないに決まっている。

 彼の周囲の岩を切り裂いて、その体を引きずり出しながら、イト・ユリシーズは苦笑した。

 

「あれ? キミ、ちょっと太った?」

「笑えない冗談はやめてください。これでも毎日剣は振ってましたよ」

「でも鈍ってるんじゃない? だから逃げ遅れて生き埋めになるんだよ」

「言い返せないからやめてください」

 

 昔と同じように、軽口を叩き合う。

 肩と半身に寄り掛かるようにして預けられた、彼の体重が心地良い。

 

「うん。やっぱりちょっと重くなったよ」

 

 片手で、勇者の体を抱き寄せて。

 片手で、愛刀を構えて。

 イトは、やわらかく笑った。

 

「……嬉しいな」

「何がです?」

「ワタシは、勇者にはなれなかったけどさ」

 

 その剣士は、この世の全てを斬って断つ。

 その剣士は、この世の全てを絶つことで否定する。

 穢れを祓う一振りの刃は、魔王の気紛れによってその在り方を歪められた。

 今は違う。

 

「勇者の危機に……勇者を救うことができる存在にはなれた」

 

 後に勇者となる少年との出会いを経て、その深い蒼は、鮮やかに色合いを変えた。

 それはかつて、海の底に沈む闇すらも斬り裂く、暗く冷たい蒼黑だった。

 今は、違う。

 

「あ、そういえばワタシの魔法、切断じゃないからね」

「え?」

「ワタシの魔法はね……ワタシが振るう刃に触れたすべてを『断絶(だんぜつ)』するんだ」

 

 切断、ではない。

 切断とは切るだけ。物体を両断するだけに留まる。

 断ち斬った上で、存在そのものを、絶つ。

 存在と概念の断絶。

 それこそが、イト・ユリシーズの魔法の本質。

 

「離れちゃダメだよ。危ないから」

 

 自分たち以外に、中に人がいないのなら。

 もう何も、遠慮する必要はない。

 今、この瞬間。イトが斬り裂くのは、目の前を埋める瓦礫ではない。視線の先の岩の塊でもない。

 

 この迷宮そのものを、一刀で斬る。

 

 剣が、振られた。

 斬撃が、あった。

 あとは、結果が残るだけだ。

 合計八層にも及ぶダンジョンの全てを。ただの一振りが、一刀両断する。真っ二つに、切って開く。

 

「……すごい」

 

 壮観、という他ない。

 途方もない巨人が、身の丈より巨大な剣を振り下ろしたとしても。こうも見事に大地を切り裂くことは、不可能だろう。

 それは紛れもなく、世界最高の一閃だった。

 勇者は、ただ目を見張って、彼女が振るう剣がもたらした結果を見る。

 斬撃に見惚れるのは、はじめてだった。

 

「お、空が見えたね」

 

 地の底に、太陽の光が差す。

 その剣士は、触れる全てを指先一つで切り捨てる。

 その剣士は、愛刀の一振りで、大地の奥底から天に至る斬撃を撃ち放つ。

 それは、終わりなき絶望を切り裂き、新たな希望を斬り拓く、大いなる蒼穹(そうきゅう)

 

蒼牙之士(ザン・アズル)』。イト・ユリシーズ。

 

 彼女は、この世界を救った勇者の窮地を救う、最強の剣士にして、魔法使いだった。

 

「……で、先輩。空が見えたのはいいんですけど、ここからどうやって上まで登るんです?」

「…………」

 

 迷宮一つを切り捌くことなど、イトの魔法の前では造作もない。

 

「先輩?」

「……」

「ねえ、先輩」

 

 が、切り捌いたあと。地下から登って出なければ、脱出したことにはならない。

 さっと刀を鞘に収めたイトは、すっと無言のまま懐に手をやって、ばっと小石を頭上に向けて投げた。

 

「今だーっ! 勇者くん! 早くへメザって! へメザらないと出られないから!」

「あんた絶対斬ったあとのこと考えてなかっただろ!? あと変な略し方すんな!」

 

 叫びながら、勇者は投げ上げた小石と、自分たちの位置を入れ替える。

 結果的に、二人の体は少し浮き上がることになるわけで。

 

「よしっ! これあと十回くらい繰り返そう!」

「本気で言ってんの!?」

「いけるいける! 多分出れるって!」

「ふざけんな! 斬ったあとがノープラン過ぎる!」

 

 そんな馬鹿なやり取りをしながら行う脱出は、決してスマートではなく、ロマンチックでもなかったけれど。

 ああ、楽しいな、と。

 イトはそう思った。

 なんとか地表に辿り着いて、肩で息をしながら、二人で笑い合う。

 それはほんの少しだけ、昔に……学生の頃に戻ったようだった。

 

「はぁ、はぁ……まったく」

「あー、よかったよかった」

 

 歓声が聞こえた。

 地上で二人を救出しようとしていた、冒険者たちが駆け寄ってくる。

 それに向かって手を振りながら、また二人で顔を見合わせて、笑顔を交換する。

 何度でも、いつまでも。こうしていたいな、と。

 イトはそう思った。

 

「……ありがとうございます。先輩」

「……うん。どういたしまして、後輩」

 

 イト先輩、と。

 彼に呼んでもらう名前は、自分の本当の名前ではなかったけれど。それでも、彼に名前を呼んでもらえるのは、嬉しかった。

 人の縁は、いつか途切れてしまうもの。人の想いも、いつかは断ち切れてしまうもの。

 だからこそ、自分が生きている限り、永遠に繋いでおきたいその気持ちを、人は愛と呼ぶ。

 彼はもう、人の名前を呼び、人の名前を覚え、人と縁を繋ぐことはできない。

 それでも、もし。彼の身に魔王が遺した呪いがなかったとしたら。彼は自分の心に刻んだ名前を決して忘れず、繋いだ心を断ち切ることなどなかっただろう。

 空を見上げる。そう、あの空と同じだ。

 彼ほど大きな心を持っている人間を、イトは知らない。

 

 彼女は、世界を救った勇者を愛している。

 彼に好意を寄せる者が多いのはわかっている。

 それでも、イト・ユリシーズは叫びたい。

 

 ──ワタシの愛が、最も果てしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なーんて、きっと彼を想う誰も彼もが、その思いを胸の内に秘めているのだろう、と。

 イトはこちらに向けて手を振りながら走って来る、勇者のパーティーメンバーを見て思った。

 

 ──うん。やっぱりもう、我慢なんてできそうにない。

 

 この気持ちを、胸の内に秘めることが愛だというのなら。

 そんな愛なら、切り捨ててしまえばいい。

 思い切って、イトは口を開く。ずっと気になっていた、それを聞く。

 

「ところで、後輩」

「なんですか先輩」

「今、好きな人とかいたりする?」

「……その質問には、黙秘権を行使します」

 

 ぷい、と。そっぽを向く。彼の拗ねた横顔には昔の面影があって。

 そういうところが、変わらないのが愛らしかった。

 

「うんうん。そっかそっか。そりゃあ仕方ないね。わかるわかる。人間誰しも、答えたくないことの一つや二つはあるもん」

「はい。そういうことです。わかっていただけたようでなによ……っ!?」

 

 イトは、支えていた勇者の肩を、さらに強く抱き寄せた。

 彼の左腕が折れていて助かった。肩を貸している状態なら、抵抗しようがない。

 彼の右足が折れていて助かった。片足しか動かない状態なら、逃れようがない。

 首の後ろに手を這わせて、頭の後ろを鷲掴む。

 先ほど交わした、慎ましやかな口吻(くちづけ)とは違う。

 貪るように。この場にいる全員に、ありありと見せつけるように。

 彼のすべてを、自分のものにするために。

 イト・ユリシーズは、世界を救った勇者に、本日二回目のキスをした。

 

「っ……!?」

「……ふぅ」

 

 息が切れるまで、離さなかった。

 あれほど高まっていた冒険者たちの歓声が、しんと静まり返る。

 世界を救った賢者は、わなわなと震えながら杖を取り落とした。

 世界を救った騎士は、絶句して口元を覆った。

 世界を救った武闘家は、目を輝かせて「ほほう」と呟いた。

 世界を救った死霊術師は、頬に手を当てて「あらあらまぁまぁ」と声を漏らした。

 そして、かつて魔王だった赤髪の少女は、その髪色に負けないほどに、頬を真っ赤に染めた。

 

()()()。二度あることは三度ある、なんてね」

 

 これで通算、三回目だと。

 生意気に、昔よりも高い位置にある彼の顔を間近で見上げて、イトは宣言する。

 

「まどろっこしいのは嫌いだし、回りくどいのも好きじゃないから。だから、単刀直入に言うね?」

 

 一拍の間を置いて。

 

「ねえ、勇者くん。ワタシと結婚しようよ」

 

 吹き抜ける青空のような、爽やかな笑顔に。

 その力強い求婚の声に。

 一部始終を見守っていた冒険者たちの歓声が、爆発した。

 その盛り上がりから置いてけぼりを喰らったのは、世界を救ったパーティーだけだった。

 

「な、な、な……!」

「あ、あ、あ……!?」

「ううむ。これは……」

「意外なところから、ダークホースが飛び出してきましたわね〜!」

 

 忘れてはならない。

 世界を救い終わった勇者の物語は、

 

 ──婚活でもしたら? 

 

 そんな、些細な一言から再び動き始めた。

 これは、世界を救う物語ではない。

 これは、悪の魔王を倒す物語ではない。

 だって、そういうお話は、もうとうの昔に終わってしまったのだから。

 だからこれは……救った世界の、その先を生きる勇者の()()()()の話であるべきだ。

 

「……先輩。冗談じゃない、ですよね?」

「もちろん」

 

 今一度、確認しておこう。

 これは、名前を失った勇者が、救い終わった世界で己の生き方を探す──

 

「わたしが絶対、キミを幸せにしてあげる」

 

 ──愛と勇気と冒険の物語である。




ダンジョン攻略編、完!

区切りが良いので、アンケートやってます。よろしければぜひポチッとお願いします。


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これまでの登場人物まとめ③

◆勇者くん

・名前 不明

・年齢 23歳

・職業 勇者

・魔法 『黒己伏霊(ジン・メラン)

    『哀矜懲双(へメロザルド)

    『泡沫無幻(インスキュマ)』←NEW!

・魔術属性 炎熱・迅風

・好きなもの 人間

・嫌いなもの 魔王

・最近の悩み 婚活がヤバい 

 

 二回キスをかまされ、片手片足がバキボキの全身ズタボロな状態でプロポーズを受けた男。お前もう主人公降りろ。ヒロインやってこい。

 幻覚で見ていた夢には、魔王様が登場。しかし、そのあまりの解釈違いっぷりにブチギレ、パイをぶん投げて叩きつけることで、自力で幻覚を破った。とはいえ、夢の中に魔王様が出てきたことには何も言わないあたり、後悔やら何やらがないまぜになった感情は自覚しているものと思われる。

 

・魔法『黒己伏霊(ジン・メラン)

 勇者の固有魔法。対象を殺害することで起動し、殺害した相手の名前と魔法を奪い取る。

 迷宮の主を救うために、約一年ぶりに人間相手に使用した。魔王の呪いはこれまで取得した名前に対して作用しており、新しく獲得した名前に関しては効果がない模様。しかし、それは言い換えれば「勇者が自身の手で相手を殺さない限り、名前を知るのは不可能」という事実を意味している。

 

・魔法『哀矜懲双(へメロザルド)

 ジェミニから奪った魔法。自分自身、もしくは触れている対象を、視線の先にあるものと入れ替える。高位の転送魔導陣ですら難しい瞬間移動を、指先と視線の動きだけでやってのける便利極まる万能魔法。現状では黒己伏霊(ジン・メラン)が直接戦闘でクソの役にも立たないため、実質的な勇者のメインウェポンと化している。

 実は誰も見ていないところで密かに練習に励んでおり、それなりに扱いにも熟れてきた様子。少なくとも、人飼いのアジトで即座に人質の少女を手元に引き寄せる程度には使いこなしている。使いこなせば使いこなすほどに強くなっていく魔法なので、これからも出番は多いと思われる。

 ちなみに、ジェミニはおやつタイムの魔王様の手元からお菓子をくすねるのに、よくこの魔法を使用していた。魔王様はよくキレていた。

 

・魔法『泡沫無幻(インスキュマ)

 迷宮にされた魔導師、ベリオット・シセロの固有魔法。自分自身と触れた相手を『幻惑』させる効果を持つ。魔法効果は定義が広ければ広いほど汎用性が上がる傾向にあり、この魔法もその例に漏れず『幻惑』という解釈の横幅が広いため、様々に応用が効く。

 作中では対象に都合の良い夢を見せて動けなくさせる、ある意味ベーシックな使い方しかされなかったが、負傷した自分に使用して痛みを消したり、捕虜に上官の幻影を見せて情報を引き出したりと、派手さはないものの、かなり使い勝手が良い魔法である。

 結果的に黒己伏霊(ジン・メラン)によって勇者に奪われることになってしまったが、そのおかげで迷宮にされていたベリオットは、死の間際に自分の名前を取り戻すことができた。

 

 

◆赤髪ちゃん

・名前 不明

・年齢 不明(推定16〜18歳)

・職業 勇者志望

・好きなもの 勇者 ご飯

・嫌いなもの なし

・最近の悩み ちょっと太った気がする

 

 世界を救ったパーティーの下で順調に戦闘能力を強化している、赤髪赤目の真っ赤な少女。恋愛面では順調ではなく、突然出てきた眼帯の美人なおねーさんにすべての先を越された。シャナとアリアの二人ですら「あ、あ、あ」「な、な、な」と呻くことはできていたのに、それすらできず無言だったあたり、かなりショックだった模様。強く生きろ。

 幻覚で見ていた夢は、好きなものをひたすらお腹一杯食べるという色気より食い気な内容。お前もうメインヒロイン降りろ。食べ放題行って来い。

 

 

◆賢者ちゃん

・名前 シャナ・グランプレ

・年齢 17歳

・職業 賢者 王室相談役 王室付魔導師

 王立魔導学院校長 実戦魔術科最高指導者

 王立騎士学校魔術科特別顧問

 魔術協議会事務局長 他多数

・魔法 『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)

・魔術属性 砂岩・迅風・流水・炎熱

・好きなもの 勇者 勉強 魔術開発

・嫌いなもの エルフ

・最近の悩み ちょっと働きすぎている気がする

 

 素直じゃないムーヴと照れ隠しの毒舌に定評がある賢者。

 幻覚で見ていた夢は「緑に包まれた村の中で、多くの人々に囲まれて食事を楽しむ、フードを被っていない自分」。地位も権力もすべて捨てて、勇者と小さな家で慎ましやかな暮らしをしたい、というシャナの深層心理にある欲求が如実に反映されている。

 

・魔法『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)

 シャナの固有魔法。過去編ではコントロールがうまくできず、自分を減らせずに常に増えた状態であったり、勇者を三人にしてしまったりと、いろいろ苦労していた。

 シャナは四賢の一人であるハーミット・パック・ハーミアに師事し、共有魔術と同化魔術という二つの高等術式を組み合わせることで、効率的にこの魔法を運用する術を得た。村での生活では、五人ほどに増えて同時に仕事をこなすブラック労働の要として勇者パーティーの資金を支えている。この賢者はそろそろ労基に行くか、増えた自分の基本的人権を訴えた方が良い。

 

 

◆騎士ちゃん

・名前 アリア・リナージュ・アイアラス

・年齢 23歳

・職業 騎士 領主

・魔法 『紅氷求火(エリュテイア)』 

・魔術属性 適正なし

・好きなもの 勇者 鍛錬 料理 お酒

・嫌いなもの 弱い自分

・備考 肉弾戦でムムに勝てないのがくやしい

 

 からっとした笑顔とじめっとした湿度に定評がある騎士。

 幻覚で見ていた夢は「両隣に立つ母親と父親と、手を繋いで森の中を散歩しながら笑い合う、確かな温かさを感じる自分の姿」。母親と父親に愛されながら、自分を愛してくれる(勇者)を紹介して、全員で家族になりたい、というアリアの深層心理にある欲求が如実に反映されている。

 

 

◆武闘家さん

・名前 ムム・ルセッタ

・年齢 1024歳

・職業 武闘家

・魔法 『金心剣胆(クオン・ダバフ)

・魔術属性 適正なし

・好きなもの 勇者 鍛錬 観光地巡り

・嫌いなもの とくになし

・魔術属性 適正なし

・最近の悩み 弟子がたくさん欲しくなってきた。

 

 肉弾戦と精神力に定評がある武闘家。

 幻覚で見ていた夢は「ずっと追いつきたかった師父と、拳を合わせて試合を行う、成長した自分の姿」。普通の人間のように年齢を重ねたい、ムムの欲求が如実に現れているが、師父の強さが解釈違いだったために、たこ殴りにして自力で脱出した。勇者と合わせて、精神攻撃耐性に定評がある師弟である。

 

 

◆死霊術師さん

・名前 リリアミラ・ギルデンスターン

・年齢 26歳

・職業 死霊術師 ギルデンスターン運送社長 

 南部ギルド連盟特別理事

・魔法 『紫魂落魄(エド・モラド)

・好きなもの 勇者 魔王 会社経営 酒

 アクセサリー インテリア 美術品

 各地の特産品・名物 甘いもの 素直じゃないおばあさんから貰ったデザインの古いローブ

・嫌いなもの 自分の魔法 自分以外の四天王

 武闘家 治癒魔術全般 虫 辛いもの

・魔術属性 炎熱

・最近の悩み 特になし。生きてて楽しい。

 

 エッチな雰囲気とギャグ要員としての立場に定評がある死霊術師。

 迷宮攻略では、入口付近で死人を生き返らせるナースごっこをしていたために、幻覚は見なかった。もしも見ていたら、ぶっちぎりで薄暗い感じの内容だったと思われる。他にも元同僚が作った迷宮ということで、周辺でちょこまかと動き回り、いろいろやっていた様子。元四天王は暗躍が得意。

 

 

◆先輩さん

・名前 イト・ユリシーズ

・年齢 24歳

・職業 王都第三騎士団団長 

・魔法 『蒼牙之士(ザン・アズル)

・魔術属性 炎熱・流水

・好きなもの 勇者 読書 昼寝 三時のおやつ かわいい部下

・嫌いなもの 労働全般 事務作業 自己鍛錬 戦闘 人参 ピーマン 苦い食べ物 自分に心配をかけておきながらけろっとしているタイプの男

・最近の悩み 仕事と家庭をどう両立するかという人生設計

 

 黒髪ロング前髪ぱっつんポニテ最強帯刀系ドジっ子生徒会長から、黒髪ボブヘア眼帯最強帯刀系騎士団長ドジっ子お姉さんにジョブチェンジした女。属性を盛らないと死ぬのだろうか?

 この作品の肝であり骨子である「わたしの愛が」構文を騎士学校編と迷宮編で二回も使用し、あろうことかラストでキャンセルをかましてキスと告白と求婚に繋げた。強すぎる。誰か止めてこい。

 幻覚で見ていた夢は「勇者を目指す姉と一緒に騎士学校に通いながら、(勇者)に本当の名前を呼んでもらう自分」。ただしすぐに斬って脱出した。強すぎる。幻覚を斬るな。

 

・魔法『蒼牙之士(ザン・アズル)

 イトの固有魔法。振るう武器に絶対的な『切断』効果を付与する……と思われていたが、その本質は物理的な『切断』に留まらず、万物の『断絶』にある。

 厳しい訓練と修行を重ねた結果、イト自身が「斬れる」と判断したものであれば、不定形の毒であろうと、巨大な迷宮であろうと、認識したそれを一刀の元に斬り捨て、無力化することが可能になった。概念切断、斬撃権能とでも呼ぶべき異常な攻撃性能の魔法。

 振るう武器の定義も広がっており、手刀でもゴーレムや体内の毒程度なら指先で「裂く」ことができるため、武器がなくても戦闘に支障はない。ただし、魔法をフルに活用するためには、やはり愛用の刀が必要不可欠である。実際に、身体に移植した魔眼、愛用してきた魔剣、そして鍛え続けた魔法の三つを組み合わせることで、十数体のゴーレムをまるで斬撃を飛ばすように、()()()()断絶する離れ業を披露している。魔法は原則、触らなければ発動しないので、眼と剣に何らかの仕込みがある模様。強さの底が、未だに見えない。

 

 

◆ハゲ

・名前 バロウ・ジャケネッタ

・年齢 22歳

・職業 冒険者 武闘家の弟子

・魔法 なし

・魔術属性 流水

・好きなもの 自己鍛錬 酒(最近は控えるようになった)

・嫌いなもの 奴隷

・最近の悩み 兄弟子たちのようなパーティーを組んでみたいなと思い始めたが、自分の厳つい見た目で仲間ができるか不安

 

 スキンヘッドのハゲ。

 

 

◆クソババア

・名前 ハーミット・パック・ハーミア

・年齢 百と少し

・職業 賢者 王室相談役 王室付魔導師

 王立魔導学院校長

 ※現在は全て引退済み

・魔法 なし

・魔術属性 不明

・好きなもの 天才な自分 魔術 物分りの良い教え子 ビーフシチュー

・嫌いなもの 天才じゃない自分 魔法 物分かりの悪い教え子 具なしの貧相なスープ

・最近の悩み 肌のハリの維持

 

 四賢と呼ばれる、世界最高の賢者の一角。その中の一人にして、最古参。清澄(せいちょう)のハーミア。

 王国における魔術指導の基礎を築き上げた教育者であり、それまで無秩序に乱立していた魔術体系を万人に理解できる属性として定義した研究者であり、理屈の通らない神秘であった魔術を魔力によって運用される学問にまで落とし込んだとてもすごい人。存在そのものが、この世に轟く伝説。ただし性格がとても終わっている。

 母方の姓はグランプレ。いろいろ複雑な感情を伴って、自分が名乗らなくなったファミリーネームをシャナに渡している。

 百年と少し生きているが、美容に効く魔術をフル活用しているので、見た目だけは若々しい。ムムさんよりも九百歳くらい年下なので、まだまだ現役と言える。

 名実共に魔術の天才として知られているが、その実態は愚直に努力を積み重ねてきたタイプの秀才。純粋な魔術の腕のみで現在の地位に登りつめており、四賢の中では唯一、自身の魔法を所持していない。『清澄』という異名も、色付きの魔法を持っていないことに由来する。他の四賢からは「色無し」と蔑まれることも。

 魔法を持っていないことが彼女の最大のコンプレックスであり、魔術研究の原動力。魔法使いになれなかった魔導師として、理屈の通じない魔法を理論的な魔術で超える、魔術のスペシャリスト。それが、清澄のハーミアである。

 

 

◆魔王

・名前 不明

・年齢 19歳(推定)

・職業 魔王

・魔法 不明

・魔術属性 雷撃・炎熱

・好きなもの 部下 配下の悪魔 晴れた日の空

・嫌いなもの 人間

・備考 チョコレートケーキよりもショートケーキ派

 

 ニセモノ魔王のあとに、勇者に忠告をするために現れたホンモノ魔王。パイは投げられても気にせずに食らう派。むしろ投げつけられたら多分喜んでクリーム塗れになりながら、大笑いしてやり返す。不遜な口調のわりに、無邪気なところがあるタイプ。

 存命していた時期はその圧倒的な強さで恐怖の象徴として見られていたが、魔王が直接支配していた地域では彼女を王として信頼する民も多く存在した。勇者が魔王を討った後は、そうした人々と勇者を讃える人々との間で、多くの軋轢があったとされる。

 余談ではあるが、勇者とは都合四回ほどデートを重ねており、一回目は正体を隠した町娘スタイルで。二回目からは正体がバレたので周りにいた邪魔な騎士やら賢者やら聖職者やらをぶっ飛ばした上できちんと勇者を連れ去って街中で遊び倒したりしている。

 三回目の会食の際に用いられた店は、現在では勇者と魔王が向き合って食事をした名店として、観光名所になっているらしい。

 




一巻が発売中です。よろしくお願いします。

そして、お知らせです。既に書籍版をご購入してくださった読者の方は巻末見てご存知だと思いますが、二巻が出ます。出ちゃいます。

https://twitter.com/Ryuryugu07fu06b/status/1596767046125391872?t=SvvvR21SFeL7GJ-ag6CrSQ&s=19

ツイッターでも告知させていただきましたが、二巻のメインヒロインは賢者ちゃんです。しかし、ハーメルンに掲載されている賢者ちゃん過去編の文字数はおよそ三万字。一冊の本にするには、とても文字数が足りない。くっ、一体どうすれば……!
その瞬間、龍流の脳内を、一筋の電撃が駆け抜けました。

龍流「すいません。本になる文量まで加筆します」
編集さん「いいよ」

そんなわけで十万字ちょい加筆して、二巻原稿が完成しました。一巻もそこそこ加筆しましたが、二巻はもうほぼ別の話です。そこそこ命と魂を削りましたが、良いものが書けたと思っています。でも次に原稿やるときは絶対に白花繚乱で増えてからやろうと思いました。ハメ版を更新する私と原稿をする私とポケットモンスターバイオレットをやる私に増殖します。マスカーニャかわいすぎる。
発売日が決まったらまたお伝えするので、よろしくお願いします。


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一方その頃、死霊術師さんは何をしていたか

一体、いつから……迷宮編が終わったと錯覚していた?(訳・残火の太刀超かっこよかったですね)


 荒野の全体を見渡すことができる、高台の上。

 崩れていく迷宮を見詰める、影が四つ。

 崩壊の音を響かせながら落ちていくダンジョンを、彼らは静かに眺めていた。

 

「いいねえ」

 

 小さい。けれどはっきりと呟かれた、楽しげな声が響く。

 

「やっぱこういうのってさ。苦労して作って、根気よく積み上げて……それを崩れる瞬間を見るのが最高だよね」

 

 中心に立つのは、中性的な美少女であった。

 顔立ちや所作や少年のように無邪気でありながら、その服装はどこまでも愛くるしい少女のそれ。

 フリルがふんだんにあしらわれたワンピースドレスに、太陽の光を防ぐ日傘。手に持ったそれをくるくると回しながら、少女は笑っていた。

 艶やかさはない、ややくすんだ落ち着いた色調の金色の髪。かわいらしく結ばれた純白と紅色の二色のリボン。触れれば折れてしまいそうな、細い肢体。

 蜃気楼のような儚さが、一輪の花の如く咲いている。そんな形容が、少女の外見には相応しい。

 彼女は、視線の先で崩れていくダンジョンの製作者。

 今回の事件の、すべての仕掛け人。

 かつて、魔王軍四天王で、第一位という頂点の地位を与えられていた者。

 その名を、トリンキュロ・リムリリィという。

 

「良かったのであるか?」

 

 背後に立つ影……最上級悪魔の一体が問う。

 トリンキュロは、くるくると回していた日傘をぴたりと止めて。その代わりに自分がくるりと可愛らしく振り返って、問い返した。

 

「ん。何が?」

「今、我々が動けば、魔王様の器の確保も難しくないはずである。これは、絶好のチャンスである」

「んん……まあ、それはそうなんだけどね。ただ、ジェミニのヤツがいろいろ先走っちゃったせいで、こっちの予定が狂っちゃったからさ。あと、ボクも一応世間的には死んでることになってるし」

 

 そういうの、表面上だけでも合わせないとね、と。

 トリンキュロは嘯いた。

 おそらく、顔を顰めているであろう背後の最上級悪魔に向けて、少女は続けて言葉を紡ぐ。

 

「いやあ、だってさ。魔王軍の四天王が生きてたなんて知れたら、やっぱりまずいでしょ。表向きだけでも、王国が討伐部隊を差し向けてきたら最悪だし。いやだよ、ボク。グレアム・スターフォードみたいな素の実力だけで最強張ってるバケモノ騎士団長の相手するの。きみたちだって、面倒極まりないでしょ」

「それは、そうであるが……」

「魔王様亡き今、ボクたちって存在そのものが厄ネタみたいなところあるからさぁ。元四天王で、のうのうと生存を許されているのなんて、それこそあの死霊術師くらいものだって……」

「たしかに。そんな存在は、わたくしくらいのものですわよねえ」

 

 割って入る、声があった。

 それは、どこまでも甘ったるい声であった。

 いつの間にそこにいたのか。いつの間に、彼らの背後を取っていたのか。

 

「おひさしぶりです。トリンキュロ・リムリリィ」

 

 場違いなナース服の女が、服装に似合わない完璧な礼をする。

 元魔王軍四天王、第二位。

 この世界を救った勇者パーティーの死霊術師。

 リリアミラ・ギルデンスターンが、そこにいた。

 

「まあまあまあ! トリンキュロだけでなく、最上級が三人も揃っていらっしゃるなんて。ジェミニが二人でがんばっていたのがバカらしくなる大盤振る舞いですわね〜!」

 

 背後に立つ影たちが、揃って身構える中で。

 ただ一人。トリンキュロだけは、笑顔でその声に応じた。

 

「わぁ! ギルデンスターン!」

 

 手にしていた日傘を放り出して、トリンキュロはリリアミラの体に抱きついた。布を隔てていてもわかる豊満な双丘が、やわらかい頬の圧力を受けて歪む。

 トリンキュロはそれに顔を埋めながら、満面の笑みを浮かべた。

 リリアミラもまた、自分の胸に飛び込んできた少女の頭を優しく撫でる。

 それは両者にとって、かつての仲間との感動の再会であった。

 

「ギルデンスターン! ギルデンスターンだ! うわあああ! ひさしぶり!? 元気だった? 最近どう? ご飯はちゃんと食べてる? この服なに? 全然似合ってないけど、すっごくかわいいね!」

「ええ、トリンキュロ。あなたも、相変わらずですわね。お元気そうでなによりです」

「うん! この通り、世界が救われても、魔王様がいなくなっても、ボクはピンピンしてるよ」

「ええ、ええ。本当に」

 

 互いの体に()()()()()まま。

 再会を喜ぶ口調のやわらかさも、その一切が変わらぬまま。

 

「──目障(めざわ)りですわねえ。どうして生きてるんですの、あなた」

「──(うるさ)いなぁ。ゴキブリみたいな生命力のおまえには言われたくないよ」

 

 元魔王軍四天王の、第一位と第二位。

 かつて、世界の滅びに最も近い席に座っていた二人は、互いに絶対的な嫌悪を顕にする。

 かつて仲間だからといって、それは手を取り合う理由にはならない。

 周囲に立つ三体の最上級悪魔たちは、その圧力から距離を取るようにして、一歩退いた。

 

「火山の噴火口にあなたを押し込んで、体が溶け落ちる醜い断末魔までしっかり聞き届けて差し上げたというのに……まさか、まだ生きていたなんて。わたくし、己の生き汚さについては並ぶ者はいないと自負しておりましたが、あなたの前ではそれも返上したくなりますわね」

「光栄だね。殺しても死なないギルデンスターンにそう言ってもらえると、ボクも自信が湧いてくるよ」

「また性懲りもなく勇者さまに負ける自信、ですか?」

 

 問いに答えはなかった。

 ただ、唐突に。リリアミラの頭が、脆い人形のように吹き飛んだ。首を奪われたナース服の胴体が、地面に倒れ込む。

 トリンキュロは、小さな手に付着した濃厚な血の色を一瞥して、大きくため息を吐いた。

 

「……あ、先に手を出しちゃった」

 

 そして、四秒でリリアミラ・ギルデンスターンの体は再生する。

 何事もなかったように起き上がって、死霊術師はやれやれと首を横に振った。

 

「本当に、相変わらずですわねえ」

「そっちこそ。相変わらず気持ち悪い魔法だね」

「失礼な。そこはきちんと、美しいと言っていただかないと」

「うーん。何言ってるか、よくわからないなあ」

 

 嫌いな相手との、中身のない会話ほど無駄なものもない。

 トリンキュロは地面に落とした日傘を拾い上げて、リリアミラに問いかけた。

 

「それで? 一体何の用かな、ギルデンスターン」

「いえ、べつに用というほどの用もありませんが……近くにいるのなら、昔馴染みの顔くらいは見ておこうと思いまして」

 

 それに、と。

 言葉を繋げて、リリアミラは形の良い唇に、指を当てる。

 

「勇者さまと魔王さまの心躍る迷宮大冒険に、水を差されては困りますので、釘を差しに参りました。騎士さんや賢者さんでは、あなた方の相手は骨が折れるでしょう?」

「……へえ。じゃあ、今からボクたちがあの迷宮に突撃して、きみたちをみーんな殺して、魔王様を奪うって言ったら……どうする?」

「もちろん、止めます」

「そっかあ」

 

 即答。

 中身のない会話は、意味のある宣戦布告に変わった。

 

「じゃあ、止めてみなよ」

 

 合図は必要なかった。

 そんなものをわざわざ出さずとも、トリンキュロの側に控えている彼らは、裏切り者の四天王を殺したくて殺したくて、体を怒りで震わせていた。

 少女の背後から、三体の最上級悪魔が踊り出す。

 

「唸れぃ! 『牛体投地(ブルアドラティオー)』ッ!!」

 

「落とせ。『不正不秤(イグアミザン)』」

 

「憑き突け……『妄言多射(レヴリウス)』」

 

 まず、膨張した筋肉による殴打が、リリアミラの体を吹き飛ばし。

 それを受け止める形で触れた手のひらが、リリアミラの体をきれいに六等分ほどに切り分けて。

 最後に、放たれた矢の連撃が、それぞれの肉体のパーツを射抜いて地面に縫い止め、爆発させる。

 彼らの連携は、極めて一方的な虐殺であり、鏖殺だった。

 三体の最上級悪魔たちは、それぞれがジェミニと同格。勇者を一時は封じ込め、苦しめた『哀矜懲双(へメロザルド)』に匹敵する、高位の魔法攻撃である。

 普通の人間なら、これらの連撃を浴びるだけで、三回は死んでいることだろう。

 そして、四秒が経過する。

 

「……あら。それで、終わりですか?」

 

 しかし、リリアミラ・ギルデンスターンは三回死のうと、三百回死のうと、三千回死のうと、何度でも蘇る。

 何事もなく起き上がった全裸の死霊術師は、何事もなかったかのように、やさしく微笑んだ。

 

「情けないですわね。最上級が三人、雁首を揃えておいて、わたくし一人殺すことができないなんて。もしもジェミニが生きていたら、もう少し工夫を凝らしてわたくしを殺そうとしていましたよ?」

 

 その静かな笑顔の裏にある異常性に、最上級悪魔たちは絶句する他ない。

 

「こちらのナース服、借り物でしたのに……修繕代は、あなた方から取り立てるということでよろしいですか?」

「……これは、無理であるなぁ。やはり、四天王には勝てないのである」

 

 豊かな髭を蓄えた初老の悪魔が、やれやれと諦めたように肩を竦めた。

 

「あら、それでは降参しますか?」

「ふむ。それも断るのである」

 

 悪魔は、リリアミラの背後を指差す。

 そこに、自分たちよりも、もっと恐ろしい獣がいることを伝えるために。

 

「──『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』」

 

 指先が、体に触れる。

 トリンキュロ・リムリリィの、魔法が発動した。

 

 

 ◆

 

 

 夢を見ているようだった。

 鳥のさえずりに耳をくすぐられ、穏やかな午後の陽射しに、たまらず眠気を誘われる。

 リリアミラは、庭園にいた。目の前のテーブルには、お茶の用意が整えられている。

 

「リリア」

 

 耳を打つ声に、はっと振り返る。

 リリアミラが、最初に愛した男がそこに立っていた。

 

「今日は良い天気だ。外でお茶をするのにちょうど良い」

「……」

「さあ、いただこうか。きみが東方から取り寄せてくれたこの茶葉、とても良い香りだね」

「……」

「リリア? 大丈夫?」

 

 本当に心配そうに。彼は黙ったままのリリアミラの顔を覗き込んだ。

 

「少し、椅子に座ってうとうとしていたようだけど……何か、良くない夢でも見ていたのかな?」

「……そうですわね。少し、悪い夢を見ておりました」

「そうか。どんな夢を見てたのかな? もちろん、話したくなければ話さなくて良い。でも、そういう怖い夢は、誰かに話して共有したほうが、楽になる時もあるからね」

 

 彼の言葉は本当にやさしくて。

 彼の声音は本当にあたたかくて。

 心地よくて、溺れてしまいそうで。

 

「はい。あなたが、死ぬ夢です」

 

 ──なので、リリアミラは、手にしたフォークを彼の喉笛に躊躇いなく突き刺した。

 

「あがっ……ご……」

「あなた、一体誰の許可を得て生き返っているのです?」

 

 彼の体が、地面に這いつくばる。

 潰れたカエルより醜い、とリリアミラは思った。

 喉笛から吹きでる血を抑えようとする彼を見下ろしながら、告げる。

 

「あなたは、わたくしが生き返らせることができなかった人です。わたくしが……世界最高の死霊術師である、このわたくしが手を尽くしても、命を取り戻すことを拒んだ人です」

 

 ケーキを切り分けるナイフを、彼の背中に突き刺す。

 枝葉を裁断するハサミを、彼の首筋に突き刺す。

 土をいじるためのスコップを、腰に向けて振り下ろす。

 

「あなたは、死んだのですよ?」

 

 どこまでもどこまでも、平坦な声で。

 

「たとえ夢の中でも、生き返ることが許されるわけがないでしょう?」

 

 幸せでやさしい夢を、世界最悪の死霊術師は躊躇いなく握り潰した。

 

 

 ◇

 

 

 意識を取り戻したリリアミラは、前を見る。

 目の前に立つ、少女の姿をした悪鬼を冷ややかに見る。

 

「ええ……そこそこ強い精神攻撃したはずなのに、なんで効いてないの?」

「ええ。良い夢でしたわ」

 

 さらりと答える。

 トリンキュロ・リムリリィは、頬を歪めて、身を引いて、理解できないものを見るような目でリリアミラを見ていた。

 

「そっかあ。これ、効かないのかぁ……悲しいな。体は殺せなくても、心は殺せると思ったのに……」

「残念でしたわね。わたくし、体だけでなく、心も不死身なので」

「冗談きっついなぁ……」

 

 人数の差に、臆することもなく。

 受けた魔法に、膝を折ることもなく。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、一人の四天王と三体の最上級悪魔を前にして、再び問いかける。

 

「さて……まだ、やりますか? でしたら、わたくしも本腰を入れてあなた方を倒さなければなりませんが」

「うん、わかった。やめておくよ」

 

 さらりと。

 トリンキュロは他の悪魔たちを手で制して言った。

 気持ち悪いほど、鮮やかな撤収の宣言だった。

 

「おまえと本気でやり合ったら、ボクたちもただじゃ済まないだろうし。今日は戦いに来たわけじゃないしね」

「賢明な判断ですわね、トリンキュロ。もしかして、昔より賢くなりました?」

「やだなあ、ボクは昔から賢かったでしょ?」

「冗談だとしたら、笑えませんわね」

「冗談言い合うほど、ボクたち仲良くないもんね」

 

 そうして、また最初のように笑い合って。

 最後の最後に、トリンキュロは一つの提案をした。

 

「ねえ、ギルデンスターン。ジェミニと契約していたなら、ボクたちと手を組んでもいいと思うんだけど……どう?」

「お断りいたします。わたくし、あなたがキライですので」

「つれないなぁ。目的のためには感情は分けて考えるべきじゃない? べつに個人的にきらいでも、一緒に仕事はできるでしょ?」

「もちろん、プライベートとビジネスは分けて考えていますよ? ビジネスとして考えても、あなたの提案にはわたくしの利がないということです。ジェミニとは違って」

「……じゃあ、仕方ない。今日のところはフラレておいてあげるよ」

 

 無邪気に大きく、手を振って。

 

「またね。魔王様によろしく」

 

 また会おう、と。

 再会を暗に告げて、四天王と悪魔の姿は一瞬で消え去った。

 

「……ふぅ。やれやれ」

 

 素直に退いてくれてよかった。リリアミラは、ほっと息を吐いた。

 死霊術師の仕事は、パーティーの盾となること。

 まだ見ぬ脅威から、彼らを守ること。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、今日も人知れず、その役目を静かに遂行した。

 感謝は不要。同情も必要ない。

 今は、あれらの存在は自分の胸の内にだけ秘めておけばいい。

 いつか知る日は来るだろう。しかし無理に伝える必要はないと、リリアミラは考える。

 もちろん、自分は嘘はキライなので、聞かれたら答えるけれど。

 聞かれなければ、答えなくても、嘘を吐いていることにはならない。

 

「さてさて」 

 

 何事もなかったかのように。着替えだけは済ませて、死霊術師は仲間の元に帰って行く。今の自分の居場所へと戻っていく。

 魔王が死んでも。

 世界を救い終わっても。

 楽しいことは、まだまだたくさんある。

 これだから、生きるということはおもしろい。

 

「……ふふっ」

 

 それはそれとして、早く自分のことは殺してほしいな、なんて。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、キスと求婚をかまされて呆然とした顔で冷や汗を流している、最高におもしろい勇者の顔を見て、静かに思うのだ。




こんかいのとうじょうじんぶつ

リリアミラ・ギルデンスターン
Q.なにしてたの?
A.ハエが集まってたので追い払いに行ってました!
 一章のラスボスと同格の悪魔×3となんかヤバそうなロリータ少女を一人で迎撃しに行ってた元四天王。やはりなんだかんだ仕事ができる女。そして相変わらず愛が重い女。騎士ちゃんと賢者ちゃんが振り払えなかった幻惑も難なく握り潰した。精神力つよつよ。腐っても元四天王である。
 単体戦闘能力は皆無のはずだが、第一位と正面から対峙して大口叩けるだけの隠し玉があるらしい。

トリンキュロ・リムリリィ
Q.なにしてたの?
A.うひょ〜!ボクが丹精込めて作ったダンジョン(とその中身)崩れてくの見るの気持ちイイ〜!!
 日傘ロリータフリフリボクっ娘四天王第一位。3匹くらい最上級悪魔を集めて何かしようとしているらしい。リリアミラとはすこぶる仲が悪い。魔法の詳細は不明。
 ダンジョンの中に遺しておいたものを赤髪ちゃんか勇者くんに取ってもらうのが目的だったので、遊んでいるように見えて目標は達成している。


次回から本当に新章『世界を救った勇者の婚活』です。


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世界を救い終わった勇者の婚活
勇者と国王陛下


 あの九死に一生を得た、地下迷宮の大冒険から一週間。

 なんやかんやで、自分の家に帰ってきました。

 地味に数ヶ月ぶりの帰還である。いやあ、やっぱり我が家っていいものですね。

 地を駆けて野で寝そべるような、胸が躍る大冒険は、もちろん良いものだ。けれど、屋根のある部屋の中でゆったりと過ごしながら、ふかふかのベッドで体を休める。そういう人間らしい文化的な生活に戻ると、やっぱり文明っていいなと改めて思うわけです。

 なによりも、使い慣れた調理器具が揃っている空間で、好きな材料を買ってきて料理をできるのがすばらしい。隠居生活をはじめてからおれの趣味は引きこもりながら打ち込むことができて、なおかつ成果がわかるものに自然と絞られていったので、ひさしぶりにじっくりと調理を楽しめるのはうれしかった。

 

「勇者さん。ソース取ってください」

「はいはい」

 

 テーブルの対面に座った赤髪ちゃんは、もぐもぐとおれが作ったチキンソテーを頬張っている。今日もたくさん食べてくれてうれしいね。なんか無表情だけど、まあ気のせいだろう。気のせいということにしておきたい。

 おれは赤髪ちゃんにソースを渡し、ニコニコしながらコップに水を注いで口に運んだ。ふう、冷たい水が実に美味い。

 

「それで、勇者さんはいつ結婚するんですか?」

「ぶーっ!?」

 

 水が全部口から吹き出た。そして、対面に座る赤髪ちゃんの顔にかかった。

 これで「うわ!?」とか「なにするんですか!?」みたいなリアクションがあればよかったのだが、赤髪ちゃんは濡らした髪をそのままに、変わらずぼうっとした視線でこちらを見詰めていた。

 

「ご、ごめん。今、拭くもの持ってくるから……」

「それで、勇者さんはいつ結婚するんですか?」

 

 こえぇよ。すげえこわいよ。

 なんで水被ってるのに、さっきと一言一句変わらない質問とんでくるの? 

 赤い髪から水を溜らせたまま、赤髪ちゃんはチキンソテーにフォークを突き刺した。

 

「赤髪ちゃん。チキンおいしくない?」

「いいえ。とってもおいしいです」

「ありがとう」

「それで、勇者さんはいつ結婚するんですか?」

 

 おおおおん!?

 どう会話を繋げてもこの質問に返ってくる! 

 おれは幻覚でも受けてるのか!? 何回聞けばいいんだこのセリフ! 

 幻惑の魔法はこの前手に入れたばっかりだから間に合ってるんだよ。助けてシセロさん。

 

「いや、べつに結婚は今すぐにはしないよ?」

「でも、してましたよね」

「してたって? 何を? 誰と?」

 

 そこでようやく、赤髪ちゃんの表情が露骨に崩れて、元の調子に戻った。

 

「いや、えっと……ですから、おねえさんと、ちゅ」

「チュ?」

「き、キ……」

「キ?」

 

「まったく、何を恥ずかしがって固まっているんですか。キスしていた、と。それくらい声に出してはっきり言えばいいでしょう」

 

 と、そこでおれの右斜め前の席でサラダをつついている賢者ちゃんが、やれやれと大仰に肩を竦めて会話に割って入ってきた。

 そう。賢者ちゃんである。

 百人いても多忙を極め過ぎているせいでまったく人手が足りないはずの賢者ちゃんは、なぜかおれの家に居座り、当たり前のように食卓に座り、ごはんを食べていた。不思議だね。

 

「あのさぁ、賢者ちゃん」

「なんです? 勇者さん。私も言いたいことがないわけではありませんが……しかし、そこの乙女でおこちゃまな赤髪さんとは違って、べつに勇者さんが他の女性と口吻を交わしたことについて、拗ねたり文句を言いたいわけではありませんよ。まあ、もっとも? 私たちが勇者さんの命の心配を本気でしていたというのに、昔馴染みの女性と呑気に二人きりの時間を過ごしていた、というのは、些か以上にパーティーを率いるリーダーとして自覚が欠けていると思いますがね」

「誰がおこちゃまですか!? でも後半の主張に関しては賢者さんに全面的に同意します!」

「あのさぁ、賢者ちゃん」

「だからなんです?」

「いや、なんでいるの?」

「は? 私がここにいちゃいけない理由があるんですか?」

 

 繰り返しになるが、あのダンジョン騒動から、一週間。

 唇を奪ったりプロポーズをかましたり、散々好き勝手にやりたいことをやってくれやがったあの先輩は「ワタシは事後処理とかあるから、勇者くんたちはウチの部隊の人間に送らせるね〜」と言って現地に残ることになった。おれ自身、先輩の行動と言動に関してはいろいろと聞きたいことがあったのだが、先輩と話していると騎士ちゃんや賢者ちゃんが割って入ってきてそれどころではなかったので、ちょっともうどうしようもなかった。師匠に至っては先走って「孫はいつ?」とまで聞いてくる始末である。話をややこしくしないでほしい。

 とはいえ、行方不明になって騒ぎになっていたのは、おれだけではないらしく。騎士ちゃんは領地を空けっ放しにしているわけだし、賢者ちゃんも王宮や学院での仕事があるだろうし、死霊術師さんも会社があって……といった具合に、今となってはそれぞれ要職に就いている我がパーティーメンバーが姿を消すことで生まれる弊害は、馬鹿にならないものがあった。師匠だけは問題ない。あの人は修行してるだけなので。

 とにかく、ジェミニの一件からなし崩し的に冒険を続けていたおれたちは、各々処理しなければならないことを整理するために、一旦帰還という選択肢を取ることになったのである。まる。

 

「だからおれは、賢者ちゃんも王都に帰ると思ってたんだけど……」

「いや、私はどうせべつの私が王宮にいますし。騎士さんや死霊術師さんみたいに慌てて戻る必要はないんですよね」

 

 こういうの聞く度にいつも思うけどほんと便利な魔法だな、白花繚乱(ミオ・ブランシュ)……。

 

「というか、それを言うなら。逆に私が問い質したいのは、むしろ赤髪さんですよ」

「え……わたし、何かしちゃいましたか?」

「すっとぼけないでください。あなた、どうして当たり前のように勇者さんの家に帰ってるんですか?」

 

 人差し指を突きつけて、賢者ちゃんが赤髪ちゃんにぴしゃりと言う。

 

「あ、えっと……いやでも、わたし他に行くところありませんし……」

「そうそう。赤髪ちゃんは頼りになるあてもないし、そりゃウチに来るしかないでしょ」

 

 おれも特に違和感なく赤髪ちゃんと一緒に我が家に帰ってきたので、頷いておく。しかし、賢者ちゃんはますます目を剥いた。

 

「べつに勇者さんの家じゃなくても、騎士さんの屋敷とか私の部屋とかに来ればいいでしょう!? あなた、なにをしれっと勇者さんのところで居候決め込んでいるんですか!?」

「そ、そう言われても……」

「わざわざこんな狭っ苦しい村の一軒家で生活しなくても、死霊術師さんの成金豪邸とかに行けば贅沢し放題ですよ?」

「あ、死霊術師さんのところでお世話になる気はないです。大丈夫です」

 

 そこだけは真顔でしっかり首と手を横に振って否定する赤髪ちゃんであった。ブレないね。死霊術師さんがここにいたら多分泣いてると思う。

 

「まあまあ。おれもひさしぶりに賢者ちゃんがウチに来てくれてうれしいよ」

「……そういう取って付けたような社交辞令はいらねぇんですよ!」

 

 やはりぷんすかと怒っている賢者ちゃんだったが、それを遮るように玄関のドアをノックする音が響いた。話を逸らすにはちょうど良いタイミングである。

 

「はいはーい。今開けますよ……と」

「勇者さん。どうも」

 

 ドアを開けると賢者ちゃんがいた。二人目である。実にややこしいが、今家の中にいる賢者ちゃんとは別個体である。

 なに? もしかして、もう一人泊まりに来たの? 

 

「勇者さん。私はまだいますか?」

「哲学的な質問だな……」

「げっ……」

「ああ、やっぱり勇者さんの家にいましたね、私。そろそろ戻りますよ」

 

 新しく来た方の賢者ちゃんが、ウチにいた賢者ちゃんを引っ張って連れ帰ろうとする。

 

「いや……べつにまだ帰らなくてもいいでしょう?」

「何を言っているんですか。ただでさえ王都から離れていた期間が長かったのに、これ以上人数を減らせるわけがないでしょう?」

「えー」

「えー、じゃありません。もう目的は達成しているわけですし、帰りますよ」

 

 賢者ちゃんと賢者ちゃん。自分同士の熱い戦いが、おれの前で繰り広げられる。朝、ベッドから起きようとする自分とまだ寝ていたい自分の戦いとか、こんな感じだよな、とおれは思った。

 

「あ! あと、勇者さんも私と一緒に来てください」

「え? なんで」

「国王陛下からの()()()()()です」

「……うわあ」

 

 あるだろうな、とは予想していたが。実際に言われると、気が進まないものだ。

 

「それ病欠とかできない?」

「どこか病気なんですか?」

「うん。今から風邪ひく」

「勇者さんバカだから風邪ひかないでしょう?」

「いくら頭が良くても言っていいことと悪いことがあるぞ?」

 

 まあ、長い間行方不明になって心配かけたわけだし。そもそも魔王を倒して以来、一年近くお会いしていないわけだし。

 陛下にも、顔を見せておかないといけないだろう。

 

「じゃあ行こうか。赤髪ちゃんも来るよね?」

「あっ……はい。ご一緒していいなら」

「もちろん」

「では行きましょうか」

 

 さっきとは逆に、二人目の賢者ちゃんが扉を開く。

 瞬間、薄い緑色に発光する複雑な魔導陣が、我が家の目の前で展開された。

 

 ……は? 

 

「あの、賢者ちゃんこれ、なに……」

「なにと言われても困りますね」

「ご覧の通り、転送魔導陣です」

 

 二人の賢者ちゃんが、しれっと言う。

 

「この家の前……玄関から徒歩三秒の位置に、私が強化改良した最も高位のスペシャルな転送魔導陣を敷設しておきました。王都へもこれでひとっ飛びです」

「なんで?」

「なんか……必要かなと思ったので」

「なんか必要かなと思った!?」

 

 いつの間に玄関から徒歩三秒の位置に設置したんだよそんなもの。

 この賢者ちゃん、人の家の床に穴を空けて地下を掘り進めて他の場所に繋げておきました、みたいなことを平然とやっている。聞いてないよ。

 

「やれやれ。私が理由もなく勇者さんの家に居座ると思っていたんですか? そんな無駄な時間の使い方をこの私がするわけがないでしょう。せっせと転送魔導陣作ってました」

「そこは胸を張るところじゃないんだよ。あと、おれの家にせっかく泊まってるんだから、そこは普通に休んでおきなよ」

「おかげさまで、勇者さんが買い物に行ったり寝ている間に、秘密裏にこの転送魔導陣を敷設するのは良い訓練になりましたよ。魔力の痕跡に気づかれない隠蔽処理もばっちりです」

 

 うん。そうだね。まったく気付けなかったからね。

 

「もちろん、みなさんの許可を取ってパスは繋いでおきました。これで私の執務室や騎士さんの領地へも簡単に行けるようになります。よかったですね」

 

 すごいね。いつでもどこにでも行けそうだね。

 おれの許可を取ってない以外は本当に完璧だよ。一番だめじゃないか? 

 もう何もかも諦めて、おれは赤髪ちゃんの手を引いて魔導陣を踏んだ。

 

「じゃあ、これも王都の転送魔導陣に繋がってるわけ?」

「あ、それは違います」

 

 術式を起動させながら、賢者ちゃんはおれの質問を否定した。

 

「面倒だったので、王宮の中……王の間と直接繋げておきました」

「は?」

 

 そうして、視界に満ちる浮遊感と共に、意識が浮かび上がった。

 

 

 ◇

 

 

 改良した最上位の最新型、というだけあってか。

 転送魔導陣特有の吐き気や目眩は最小限に、おれは赤いカーペットに着地した。

 隣を見ると、赤髪ちゃんがぱちくりと目を瞬かせている。

 

「赤髪ちゃん、気分は平気?」

「あ、はい! 大丈夫です」

「ふふん。さすが、私。使用感の改善も順調ですね」

「あとは移動距離と魔力量のバランス調整などでしょうかね」

 

 自画自賛を溢しながら、二人の賢者ちゃんはローブを翻し、床に膝をついて礼をした。

 

「……え?」

 

 赤髪ちゃんの驚きも、無理はない。

 生意気を形にしてそのまま歩いているような賢者ちゃんが、あの賢者ちゃんが、それがまるで当然の所作であるかのように、膝をついたのだ。

 だが、ここは王の間。

 その所作は、この場所に立ち入る者に求められる、最低限の礼節である。

 

「陛下」

「お連れしました」

 

 賢者ちゃんの声に合わせて、おれたちがいる場所から一段先にある、視線の先。玉座を隠していた幕が、広がって開く。

 賢者ちゃんと同様に、おれも膝をついて頭を下げる。赤髪ちゃんも、見様見真似でそれに倣ってくれた。

 

「おひさしぶりです。陛下」

「……うむ。死んでいなくて安心したぞ」

 

 ()()()が、響いた。

 赤髪ちゃんが、驚いたように顔を上げる。

 

「えっ……?」

 

 ああ、そういえば。

 赤髪ちゃんは、国王陛下のことを何も知らないのか。

 

「え、え……?」

「こらこら、赤髪ちゃん。失礼だよ」

「構わぬ。余に対するそういう反応は、絶えて久しい。なにより、人の驚いた顔を眺めるのは楽しいしな」

「恐縮です」

 

 赤髪ちゃんに合わせて、おれも視線を上げる。

 国の頂点に立つ者が座るに相応しい、きらびやかで巨大な玉座。

 そこでふんぞり返っているのは、口元に髭を蓄えているような、威厳に溢れた老いた王ではない。あるいは、精悍な顔付きで豪快に笑う、若き王でもない。

 脚を組み、悠々とこちらを見下ろしているのは、外見だけならまだ年端も行かない、一人の少女だった。

 

「赤髪ちゃん。こちら、国王陛下。十二歳」

「……若いのは見た目だけで、実は千歳超えてたりしませんか?」

「ううん。めっちゃ見た目通りの年齢」

 

 にこり、とではなく。

 にやり、とでもなく。

 にっ、と笑って。

 一年ぶりに会う国王陛下……もとい『女王陛下』は、おれに向けて言った。

 

 

 

 

「──会いたかったぞ。()()()()()

 

 

 

 

 

 うん。その呼び方だけはマジでやめてほしい。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
おれはお兄ちゃんだぞ!

赤髪ちゃん
わたしは居候だぞ!

賢者ちゃん
私は二人いるぞ!

女王陛下
勇者の国の王様。
一人称が余ですごいふてぶてしく笑うタイプのロリ。
どこぞの見た目は幼女中身は千歳その名はグラップラームムみたいな師匠とは違う本物のロリらしい。


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勇者が王にした少女

「ゆ、勇者さんの……妹さん!?」

「ちがうよ」

 

 すごい勢いで食いついてきた赤髪ちゃんの言葉を、おれは即座に否定した。それはもう、ニコニコの笑顔で否定した。

 次いで、玉座でふんぞり返っている自称妹様に抗議を入れる。

 

「陛下。この子は純粋なんです。良い子なんです。そういう言い回しは勘違いされるので、やめていただけませんか?」

「ああ、たしかに。妹ではないな」

 

 うんうん、と。

 頷いてから、玉座の上でふんぞり返っている暴君は、また歯を見せて笑う。

 

「血は繋がっていないから、より正確に説明するのであれば、()()()()と言うべきかな? お兄様?」

「ぎ、義理の……!?」

「ちがうよ?」

「そ、そんなの……もっとえっちじゃないですか!?」

「なんで?」

 

 どうしてそう言い回しだけで話をややこしくできるのだろうか。おれはちょっと頭を抱えたくなった。

 陛下は、これから先もっと長くなるであろうまだ短い御御足(おみあし)を尊大に組み直して、にやにやとこちらを見下ろしてくる。

 昔は良い子だったのに、どうしてこうおれが昔から知っている女の子は、微妙に小生意気に成長するのが常なのだろうか。おれは陛下と賢者ちゃんを交互に見て、深く息を吐いた。

 

「勇者さん。なんでこっちを見るんですか?」

「いやべつに」

 

 おれの胸中を知ってか知らずか、陛下は鷹揚に手を振った。

 

「よいではないか。賢者から聞き及んでおった通り、可愛げのあるおもしろい女子(おなご)だ。まったく、自分好みの良い子をひろったものだよ。なあ、お兄ちゃん?」

「……はあ、恐縮です」

 

 もう呼び方を訂正することは諦めて、再び頭を垂れる。

 おれは世界を救った勇者ではあるが、しかし目の前の少女はおれが暮らすこの国の王である。一番えらい人である。

 英雄譚の冒頭は、王様から剣やら金貨やらを頂戴して、勇者が旅立つところからはじまるパターンが多い。そして、無事に魔王を倒して帰ってきたら、国を挙げて盛大に迎えいれてくれるのも、王様なわけで。

 つまるところ、勇者という生き物は大抵の場合において、王様には頭が上がらないのだ。

 

「それで、勇者さんと国王陛下は、本当はどのようなご関係なんですか? まさか、本当に義理の妹さんなんですか?」

「ちがうよ」

 

 げじげじ、と隣の赤髪ちゃんがじっとりとした視線を伴って肘を打ってくる。

 追求の手が緩まる気配がないので、おれはもう正直に答えることにした。そもそも、べつに必死になって隠すことではない。

 

「おれたちと陛下は、昔一緒に旅をしていたんだよ」

「え? ご一緒に旅を……?」

「うむ。言うなれば諸国漫遊(しょこくまんゆう)の旅というやつよな。あれは楽しかった!」

 

 陛下はからからと笑っているが、あの頃の旅はそんな生易しいものではなかった。なんせこっちは、未来の国王陛下を抱えながら、魔王を倒すためにあちこち飛び回っていたのだ。常に気が抜けなかったと言っても過言ではない。

 

「で、いくらなんでも王族の血筋を引く方の素性を明かすわけにはいかないから。陛下には偽名を名乗ってもらって、身分も偽って、おれの妹ということにして……そんな感じで、一年ほどおれたちの旅に同行していただいたというわけ」

「ははぁ、なるほど」

 

 納得したような、していないような。

 赤髪ちゃんの反応はなんとも言えないものだったが、ここは納得したということにしておこう。いや、させてください。

 誤解も解けたところで、さっさとこの場から去るために、おれは陛下にとびっきりのスマイルを向けた。

 

「では、陛下。このあたりで自分は失礼させていただいてもよろしいでしょうか?」

「は? もう帰るつもりか? そんなのダメに決まっているだろう。不敬だぞ、不敬。なんのためにお前を王宮まで呼び寄せたと思っているんだ?」

「なぜです?」

「もちろん、余が会いたかったからだ!」

「帰ります」

「首打つぞお前」

 

 今さら説明するまでもないが、陛下は歴代の王族の中でも屈指の美貌……に育つだろうと言われている絶世の美少女である。本当にもう、出会ったころはお人形さんのように可愛らしかった。そんな陛下も、今ではノータイムでおれの失言に打ち首を突きつけてくるようになった。本当にすくすくと健やかにお育ちになられているようで、なによりだ。悲しい。

 おれたちのやりとりを見兼ねたのか、賢者ちゃんが間に割って入る。

 

「陛下。勇者さんをからかうのが楽しいお気持ちはよくわかりますが、そろそろ真面目なお話を……」

「おいこら」

「ふむ、そうだな。まあ、愛する兄の顔を見たかった、という余の気持ちに偽りはないのだが……しかし、余だけが敬愛する兄上のアホ面を見て安心しても、意味がないのだ」

「……というと?」

 

 敬愛するする兄上のアホ面、という部分はスルーする方向で問い返すと、あどけない顔がいたずらっぽく歪んだ。

 

「お前には王宮の広場で、民衆の前に出てもらう。勇者の健在を、大々的に知らしめるためにな」

「え……それ、おれ出なきゃだめですかね?」

 

 不服を示すために、おれは思いっきりいやそうな顔をしてみせた。

 が、それが却って暴君の不興を買ってしまったらしい。小さな体が、はじめて玉座から立ち上がった。

 

「……勇者ぁ」

「はい?」

「余は今からお前に説教をするぞ」

「え」

「頭が高い!」

「あ、はい」

「膝をつけ。頭を垂れよ」

「はいはい」

 

 言われるがままに、膝をついて頭を垂れる。

 王様には逆らえませんからね……。

 

「よいか? 同じことを何度も繰り返したくはないがな、勇者よ。余は、本当はお前を手元に置いておきたかったのだ。王宮に、余の側に置いて置きたかったのだ!」

 

 頭を垂れているのでわからないが、賢者ちゃんが思いっ切り深いため息を吐く気配がした。

 

「けれど、お前があまりにも意気消沈して塞ぎ込んでいるものだから、辺境の街に引っ込むことを許した。立ち直るまで待ってやろうとも考えた。余は寛大だからな。優しいからな! しかし、実際はどうだ? 勝手に厄介ごとをひろってきて、勝手に調査をはじめて、勝手に魔王の残党と戦って、勝手に消息を絶ちおって!」

「いや、それは……まあ、はい」

 

 それを言われてしまうと、なんとも反論しにくい。

 かつかつかつ、と。

 歩み寄る音と共に、おれの肩に陛下の片脚が乗る。そして、ぐりぐりされる。俗に言うと、足蹴にされた格好である。

 しかし、足蹴にされたところで、特に痛くも重くもない。むしろ軽すぎるくらいだ。

 陛下、ちゃんとご飯食べてるのかな? 

 

「自覚が足らんようだから、もう一度言っておくぞ!」

 

 耳元で、高い声が響く。

 

「お前は勇者なのだ! 魔王を倒し、世界を救った、この国の英雄なのだ! そんな存在がいきなり消えたら、国の一大事になるに決まっているだろう!? わかるか!? いやわかれ!」

「はい。すいません……」

「わかったら、さっさとその気の抜けた普段着から正装の鎧に着替えてこい! あちらの部屋に用意させてある!」

「はーい」

 

 お説教の内容に関しては本当に仰る通りです、としか言いようがなかったので。ぐりぐりされていた足が下がった瞬間に、そそくさと立ち上がる。

 

「なんか、勇者さん。国王様には頭が上がらない感じなんですね……」

 

 おれに向けられる赤髪ちゃんの視線は、先ほどのじっとりと湿ったものから、哀れみの籠もった生温いものに変化していた。ほんとに変わってるかこれ? 

 でも、そりゃ王様ですからね。おれみたいな平民出身の勇者は頭が上がりませんよ。

 赤髪ちゃんの呟きは小さかったが、陛下にも聞こえていたらしい。ふん、と鼻を鳴らしながら、細い腕が組まれる。

 

「頭が上がらないのも、余のいうことを聞くのも当然だ。こやつには、その責任がある」

「責任というと?」

「何を隠そう……余を()()()()()張本人は、そこの勇者なのだからな」

「は?」

 

 赤髪ちゃんが、こちらを見る。

 陛下が、またにっこりと笑う。今までで、最も子どもらしい無邪気で屈託のない笑顔を、おれに向ける。

 それは言うなれば、とても温かな脅しだった。

 

「なあ? そうだろう。お兄ちゃん」

 

 冷や汗を流しながら、おれは正直に答えた。

 

「ちが……いません。そうです」

 

 

 ◆

 

 

 昔の話をしよう。

 ある国に、一人の少女がいた。

 少女は、お姫様だった。

 ただのお姫様ではない。囚われのお姫様だ。

 少女は幼かったが、しかし幼いながらに聡明で、だからこそ悪意を持つ人々からは疎まれていた。

 国の実権は、アリエス・レイナルドという若い大臣が握りつつあった。彼は老いた王から絶大な信頼を得ていた。そんなアリエスが求めていたのは、自分の傀儡となる愚鈍な王。決して、聡明な王の後継者ではなかった。

 少女は、知っていた。アリエスの正体が人間ではないことを。

 少女は、知っていた。アリエスの正体が最上級の位にある悪魔であり、魔王と通じていることを。

 

 ──おや、見られてしまいましたか。

 

 闇の中で、人ではない証の翼を広げるアリエスを見た時。

 少しだけ。その漆黒がきれいだと思った。

 

 ──誰かに話しても、構いませんよ。話した相手を殺すだけですからね。

 

 けれど、その悪魔がこちらに向ける瞳は、やはり人間のそれではなかった。

 指の一本すら触れることなく、アリエスは少女を己の監視下に置いた。

 あの大臣は悪魔だ、と。年相応の子どものように、泣き喚くことは簡単だったかもしれない。 

 しかし、少女には何もできなかった。大臣の正体がバケモノの悪魔である、と主張したところで、誰も自分の言葉を信じてくれないのは明らかだったからだ。子どもの告発にはなんの意味もない。それが無駄な行為だと理解する程度には、やはり少女は賢かった。

 けれど、賢いということは、決して諦めが良いということではない。

 少女は一日中、窓の外を眺めるようになった。

 もしも、これが本で読むような物語であったなら。

 もしも、自分が物語のプリンセスであったなら。

 白馬に乗った王子様が、きっと自分を助けに来てくれるのに。

 広い部屋の中だけで完結する、何不自由ない生活。しかし、少女にとってそれはなによりも息が詰まる暮らしだった。

 

「……鳥になれればいいのに」

 

 結局、少女の元に、白馬の王子様は現れなかった。

 その代わりに、黒い勇者が助けに来た。

 

「やばい! 危ないっ!」

「え?」

 

 彼は、空を飛んできた。

 比喩ではない。本当に空を飛んで……否、どちらかといえば、鳥のように飛ぶというよりも、一本の矢の如く空を割く勢いで、少女の部屋に突入してきたのだ。

 破壊が、あった。

 錐揉み回転しながら突っ込んできた彼の体は、窓を叩き割り、そのままの勢いで部屋の中の机やベッドなどの調度品を粉々に破壊し尽くし、やはりぐるぐるともんどり打って、ようやく止まった。

 

「……うん。完全に加減ミスったな、これ」

 

 床の上に大の字になった状態で、彼はそう呟いた。全身から血を吹き出していてもおかしくないはずなのに、彼の体には傷一つなかった。

 まるで、体の全部が鋼で出来ているみたいだ、と。少女はそう思った。

 

「お兄さん……誰?」

「あ、どうも。はじめまして、姫様。勇者です」

「勇者、さん……?」

「はい、勇者です」

「……勇者って、空飛べるの?」

 

 至極真っ当な疑問に、勇者は力強く頷いた。

 

「うん。おれは勇者だからね。空くらい飛べるよ」

 

 飛べるらしい。

 すごい、と少女は思った。

 

「あれ? でも、あなたはたしか、追放されたって……」

「おお! そこらへんの事情もご存知とは! なら、話は早い」

 

 名前と噂だけは、聞いたことがあった。

 隣国の姫君を攫い出して国を出奔し、各地を転々としながら仲間を集め、武勇伝を打ち立てている若き英傑。

 そんな彼が、どうしてここに?

 

「何を、しにきたの?」

「及ばずながら、姫様を助けに参りました」

 

 勇者は、駆けつけてきた警護の騎士を殴り倒しつつ、年端も行かない少女に向けて、淡々と語った。

 魔王を倒せば、世界は平和になると思っていた。

 しかし、世界はそんなに単純ではなかった。魔王の手先は、既に人間社会の根深い部分にまで食い込んでおり、それは王国を内側から蝕む病巣になりつつある。

 魔王を倒したとしても、社会の深い部分に潜む悪魔が健在であるならば、それは決して人類の勝利ではない。

 世界を救ったとしても、そこに人が安心して生きることができる国がなければ、意味はない。

 だから、あなたが必要なのだ、と。

 勇者は少女に向けて、ではなく。たとえ幼くても、正当の血筋をたしかに受け継ぐ、王家の後継者に向けて、話をしていた。

 

「荒唐無稽な話なのは、理解しております。ですが、おれは世界を救うことができても……()()()()()()()()()()()()()()。だから、力をお借りしたい」

「……私に、どうしろと?」

「おれを信じて、おれと一緒に、ここから逃げてほしいのです」

「……ここから、逃げて。そのあとは、どうするのです?」

「然るべき準備を整えた後に、王都に帰還していただきます」

 

 小さな女の子ではない。

 か弱い姫でもない。

 これからの国を背負う一人の王に対して、勇者は膝を折り、頭を垂れた。

 少女にとって、それははじめて受けるかもしれない臣下の礼だった。

 

「ユリン・メルーナ・ランガスタ王女殿下」

 

 彼に、名を呼ばれた。

 たったそれだけで、何かが変わる予感がした。

 

「この国を、立て直すために。新しい王になってください」

 

 世界を救うのが、勇者の役目なら。

 世界を救った、その後で。人々が暮らす国を導くのが、王の役目だ。

 

「……本当に、できますか?」

「はい」

 

 月明かりに照らされて。

 侵入者の存在を告げる警告の鐘が鳴り響く中で。

 

「この国のすべてを、ひっくり返してでも……おれが必ず、あなたを王にして差し上げます」

 

 夜の黒い影に埋もれる勇者の微笑みに、しかしユリンは強く惹かれた。

 

 

 

 

 

 

 歴史上に残る勇者の偉業は、およそ六年に及ぶ旅路の中で、枚挙にいとまがない。

 たとえば、魔王軍最大の要衝と謳われた地下要塞都市ルグソーンに対して、冒険者たちを束ねて挑んだ迷宮大攻略戦。

 あるいは、大陸東方に位置する、シーザァルト連合王国が一つにまとまるきっかけを作った、ビタンの海戦。

 もしくは、篤い信仰によって国のシステムを維持してきた聖女を拉致し、一国の宗教概念を根本から揺るがした、グエイザルの衝撃。

 さらには、四人の騎士団長が敗北した後、絶望的だった北部戦線を押し戻すきっかけに繋がった、四天王第一位トリンキュロ・リムリリィの撃退戦……エオ山の戦い。

 

 そして、忘れてはならない。

 勇者の最大にして最後の偉業──魔王討伐。

 

 しかし、黒輝の勇者が関わった戦いの中で、最大の偉業は魔王討伐であったとしても、最大の()()は上記のどれでもない、と。後世の歴史家たちは、口を揃えて語る。

 

 それは、大陸最大の国家、ステラシルド王国にて勃発した。

 王家の正統なる後継者、ユリン・メルーナ・ランガスタを旗印に。人類を救う勇者が、魔王ではなく、当時の王政へと刃を向けた、異端の戦い。

 

 ──これを『勇者と女王の反乱』と呼ぶ。




80話超えてからようやく主人公の国の名前が判明するタイプの作品があるようですよ。めんどくさい呪いのせいでつくづく固有名詞に縁がない勇者ですね……

早いもので、二巻の予約がスタートしました。賢者ちゃんメインの表紙絵もドーンと公開されております。

https://tobooks.shop-pro.jp/?pid=171799189

今回も紅緒さんにすばらしいイラストを書いていただきました。賢者ちゃんかわいいですね。なんか右に知らない子がいますがきっと気のせいでしょうHAHAHA!
はい。バチバチに新キャラです。この先のハメ版でやる予定だった話を十万字も加筆して先取りしたので、当然ハメ版にはいない新キャラも出てきます。めっちゃかわいいですね。龍流はファンタジー衣装のあみあみが好きです。

2巻のテーマは「もう一人の自分」「己自身との戦い」「もしも違う未来を選べたら?」の三本立てです。オタクが大好きなやつをたくさん詰め込みました。
一巻の続きモノとしてはもちろん、ハメ版を追ってくださっている皆様に読んで頂いたときに、ニヤリとしてもらえるようなギミックをたくさん仕込みました。賢者ちゃん過去編に決着をつける一冊となっております。楽しんでいただけたら幸いです。よろしくお願いします!


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黒輝の勇者は、人々に愛されている

「と、まあそんな感じで。あやつがすごくがんばって王都にいた四天王の正体をなんやかんやで暴いて。それでも既存の権力に縋りつこうとしていた貴族連中を片っ端からしばき倒して。そうして玉座に返り咲いたのが、余ってわけ」

「な、なるほど?」

「理解できたか?」

 

 大まかな事情を語り終え、ドヤ顔で王冠をもてあそぶ女王に向けて。

 赤髪の少女は、抗議した。

 それはもう、くわっ! と目を剥いて、抗議した。

 

「いや、後半の説明雑過ぎません!?」

 

 勇者との出会いは、その場面が想起できるほどに懇切丁寧に語り尽くされていたのに対し。

 その後の説明が、なんというかもう、あまりにもおざなりであった。具体的には数行くらいであった。

 しかし、そんな抗議の声に対して、玉座の上の女王はふんぞりかえったまま、悠々と首を傾げてみせた。

 

「ぬぬ。わかりにくかったか?」

「いや、説明飛ばしすぎて逆にわかりやすかったくらいなんですけど……」

「しかし、余がどうやって王になったか、とか。そういうのは、歴史の教科書とか読めば大まかな流れは掴めるからな。べつにわざわざ説明する必要もなかろうよ」

「えぇ……?」

 

 一国の女王と世界を救った勇者だけあって、無駄に話のスケールが大きかった。

 

「ちなみに余のオススメは、他国でもベストセラーとして大人気になったこの『勇者秘録』だ。これは騎士団長をやっておるリーオナインというやつが書いておってな。お硬い文章で事実を書き連ねるだけでなく、いろいろと脚色が加わっていて、とても愉快な読み物に仕上がっている。余も何回も読み返したものだ」

「あ、それはわたしもちょっと読みました」

「ほほう! どこまで読んだ?」

「勇者さんが裸になったあたりですね」

「……どの裸だ?」

「え? 裸になるシーン、何回もあるんですか?」

「わりとあるぞ」

 

 わりとあるらしい。

 そう言われると、俄然本の続きが気になってくるものである。

 

「わかりました。帰ったらすぐに続きを読みます!」

「ほほう。そんなに勇者が裸になるシーンが気になるのか?」

「い、いえ! べ、べつにそんなことはありませんが!」

「よいよい。お兄ちゃんは良い身体をしてるからな。余も昔はよく肩車をされたものよ」

「そ、それならわたしだってお姫様だっこしてもらいました!」

「もちろん余もされたことあるぞ?」

「むむ……」

「ふふ……」

 

 不毛な争いである。しかし、女王はとても楽しげだった。

 こういう時、主君を諌めるのが臣下の役目である。隣に控えているシャナが、やんわりと口を出した。

 

「陛下。赤髪さんをからかうのが楽しいのはとてもよくわかりますが、あまりやりすぎると勇者さんに怒られますよ」

「問題ないぞ。余、王だし」

「そういうところですよ陛下」

 

 一定の敬意を払いつつも、わりと気安い言葉のやりとりをしている賢者と女王。そんな二人を見て、赤髪の少女は目を瞬かせた。

 

「なんというか……お二人は仲良いんですね?」

「うむ。グランプレを宮廷魔導師に引き上げたのは、他ならぬ余であるからな」

「そういうことです。正直、世界を救い終わったらそれはそれで、そのあとどうしよっかなーと考えていたので。いい感じに権力を握れる就職先が転がってきたのはありがたかったですね。本当に、持つべきものはコネ、というやつでしょうか」

「いや言い方……」

 

 淡々とダブルピースしながらとんでもないことを口走る賢者に、赤髪の少女は表情を引き攣らせた。賢者と権力の癒着が垣間見えた瞬間であった。

 

「さて。では、あやつがいない間に、あらためて自己紹介をさせてもらおうか」

 

 名前を認識できない勇者が、身支度のために退室したタイミングを見計らっていたのだろう。

 玉座に座る幼い国王は、少女に向き直った。

 

「ステラシルド王国、現国王。ユリン・メルーナ・ランガスタである」

「あ、わたしは」

「名乗らなくてもよい。お前の素性については、そこの賢者から大体聞いている」

 

 言葉を手で制して。

 それまで常に笑みに近い種類の表情を常に保ってきた女王は、はじめて口元から明るさを消した。

 切り揃えられた前髪の下から、値踏みをするように。アメジストの瞳が、赤髪の少女を鋭く見る。

 

()()()、であろう?」

 

 ユリンは目を合わせて、はっきりとそう告げた。

 赤髪の少女のパーソナルに触れる、デリケートな問いかけ。

 シャナは目を細めてユリンを見たが、対する返答はしっかりとしていた。

 

「はい。そうです」

「ほう。否定はしないのだな?」

「しません。事実、ですから」

「なるほど。潔いな。その素直さはたしかに美徳だが、そこまで素直に認められるのも……困りものだ」

 

 お前は魔王なのか、という問いに、イエスの答えがあった。

 それを放置しておく危険性は、言うまでもなく。王であるユリンが、元魔王である少女を放置しておく理由もない。

 

「今後のことを考えるのであれば……お前の首は、今ここで落としておいた方がいいかもしれんな」

 

 あっさりと、そんなことが言われた。

 繰り返しになるが、ユリンはこの国の王である。

 玉座に座っている限り、この国の中である程度の権力の行使を許される、強い決定権がある。そして、目の前に立つ少女にはいつか、魔王になるかもしれない可能性がある。いくらかの危険を孕んでいることは、疑いようのない事実だった。

 極論ではあるが。ユリンが「この少女は危険だから殺せ」と命令してしまえば、少女の命はここで終わる。

 弛緩した空気から、一転。ひりついたものが、無言の視線のやりとりに混じる。

 だからこそ、

 

「大丈夫です。わたしは、魔王ではありませんから」

 

 赤髪の少女は、にこりと微笑んだ。

 ユリンが笑みを消したから、おべっかを使うように愛想笑いを浮かべたのか。

 違う。

 それは、命乞いの笑みではなかった。

 会話の中で、人がゆったりと表情に浮かべる、自然体の笑みだった。

 大した度胸だ。称賛に値する。ユリンはそう思った。ふわふわと浮ついているだけの、か弱い少女ではない。表情一つで、それがよくわかった。

 わかったからこそ、ユリンは問いを重ねる。

 

「なぜ、そう断言できる?」

「わたしがわたしだから、でしょうか?」

「ぬるい返答だな。お前が魔王に近しい存在になる可能性は絶対にない、と? そう断言できる根拠はあるか?」

「それを言われると困っちゃいますね。でも、わたしに何かあったら……」

 

 少しだけ悩む素振りを見せて、鮮やかな赤髪が左右に揺れる。

 

 

 

「勇者さんは、結構怒ると思いますよ?」

 

 

 

 恥ずかしげもなく、少女はそう言い切った。

 それは言い換えてしまえば「自分は世界を救った勇者から大切にされています」というのと同義であった。

 女王を、脅し返してきた。

 大胆不敵。否、傲岸不遜というべきか。

 きょとん、と目を丸くしたユリンは、しばらく必死に笑いを堪えていたが、遂に我慢の限界に達して、体を折り曲げた。

 

「くくっ……ふふふ、あっははははは!」

「え!? わたし、そんなにおもしろいこと言っちゃいましたか!?」

「うむ! うむうむ、うむ! おもしろい! その胆力と開き直り! 実におもしろいぞ! なあ、グランプレ!」

「おもしろくねーです。全然これっぽちも笑えませんよ、陛下」

 

 同意を求められて、賢者は吐き捨てた。シャナは、すごくおもしろくない顔をしていた。

 

「腹ただしいか? グランプレ」

「ええ、ムカつきますね。この当たり前のことを当たり前に言っているだけ、みたいなこの態度。最高にムカつきます」

 

 元のゆるい空気に戻ったところで、ひとしきり笑い尽くしたユリンは、玉座から立ち上がって元魔王の少女に近づいた。

 

「脅すようなことを言って悪かったな。まあ、安心しろ。お前の処遇は、元々勇者に委ねるつもりであった。ひろった犬の世話は、ひろった人間がするのが当然であるしな!」

「犬!? 犬なんですかわたし!?」

「犬のようなもんでしょうよ。ひろわれてから衣食住お世話されてるんですから」

 

 後ろからちくりとシャナが、言葉で元魔王を刺す。

 赤髪の少女は、唸るしかなかった。それこそ、犬のように。

 

「さて。良い暇潰しもできたし、そろそろ行くとするか」

「暇潰し!? 暇潰しだったんですかわたし!?」

「そう怒るな。詫びとは言っては何だが、お前には特別に近くで見ることを許そう」

 

 弄んでいた王冠をしっかりと被り直して、ユリンは言った。

 

「自分の目で確かめると良い。勇者が、()()()()()()()()()()()()()()をな」

 

 ◇

 

 王宮の庭園には、夥しい数の群衆が集まっていた。

 

「すごい数だな。よくもまあ、これだけ駆けつけたものだ」

 

 庭園を一望できるテラスに立ち、ユリンは呟いた。

 女王陛下が、勇者の健在を国民に知らせる。

 文字にしてしまえば、たった一行。ただそれだけの知らせのみ。

 しかし、そんな知らせだけで、王宮の庭園は、数え切れない人々で埋め尽くされていた。

 人々のざわめきと不信。それらが、塊となって渦巻いているようだ。眼下の国民を見て、ユリンはそう思った。

 

「では、陛下」

「うむ」

 

 拡声魔術を仕込んだペンダントを、ユリンはシャナから受け取った。

 

「皆、よくぞ集まってくれた」

 

 女王の一声に、瞬間。人々のざわめきが、嘘のように静まり返る。

 ユリン・メルーナ・ランガスタは、王になるということを。決して軽く考えていたわけではない。

 それでも、いざこうして人前に立つ時。数えきれない人々の視線に晒される時。ユリンは、すべてを投げ出してどこかに消えてしまいたくなることがある。

 まだ十二歳の少女には、重すぎる圧力。それを背負いながら、ユリンは毅然と声を張る。

 

「まずは、詫びさせてほしい」

 

 第一声には、謝罪を選択した。

 王は、民に対して声を震わせてはならない。

 王は、民に対して不安を見せてはならない。

 故に、それはどこまでも、堂々とした謝罪だった。

 

「この数ヶ月。勇者の不在がまことしやかに囁かれていたのは、余も預かり知るところである。隣国のキドン、アイアラスとの情勢が不安定な今、国民の皆に心配をかけてしまったこと。一人の王として、心より謝罪したい」

 

 ユリンは、幼い王だ。

 経験が足りない。知識が足りない。威厳が足りない。

 何もかも足りない幼い王が、玉座でふんぞりかえっているだけでは、誰もついてこない。

 だからユリンは、共感という感情を用いる。己の外見が、愛らしいものであることを、平然と活用する。

 幼い王が、懸命に声を張り、呼びかける姿。それを見て、群衆の感情は、少しずつ王に寄り添っていく。

 

「だが、何も不安に思うことはない!」

 

 その寄り添いを、ユリンは一声でまとめあげた。

 視線を、感情を。すべてを自分に集めた上で、手を掲げて、それらを別の一人に誘導してみせる。

 高らかに手を掲げて、ユリンは指し示した。

 

「見よ! 我が国が誇る勇者は、健在である!」

 

 声に合わせて、彼は人々の前に姿を現した。

 漆黒に金の装飾が入った、式典用の鎧。

 やや長いくすんだ赤色の髪は丁寧に結い上げられ、まとめられている。

 先ほど気の抜けたやりとりをしていたのと、同一人物とは思えない。王国が誇る、世界を救った勇者が、そこにいた。

 ざわり、と。

 彼が出てきただけで、人々の波は大きく揺れた。

 

 ──勇者さまだ。

 ──勇者様だ! 

 ──本物だ! 

 ──本当に勇者様がいらしゃった! 

 

 ざわめきが、段々と大きくなっていく。

 勇者様だ、と。その小さな呟きがはじまりとなって、民衆に少しずつ広がり、伝播していく。

 熱狂。声援。歓声。一つの大きな爆弾となって、火が点きかけたそれを、

 

「……」

 

 世界を救った勇者は、無言のまま制した。

 溢れかけたコップの水を、ぎりぎりのところで止めるように。幼子に、静かにしなさいと諭すように。

 人差し指を、唇に当てて見せることで。自分の登場によって爆発しかけた熱狂を、指一本のみで押し留めてみせた。

 それはまだ、ユリンにはできない芸当であった。

 

「……勇者よ。こちらへ」

 

 ユリンは、彼の歩き方が好きだ。

 背筋が伸びていて、背中に一本の芯が通っている。

 ユリンは、彼の横顔が好きだ。

 やわらかく、人を安心させる顔つきは、彼が持つ一つの武器だから。

 ユリンは、彼が自分に向けて膝を折るのが嫌いだ。

 一緒に旅をしていたあの頃の関係に、もう戻れないのを否が応にも理解させられてしまうから。

 しかし、女王であるユリンは、自分に向けて臣下の礼を取る勇者の姿を、国民に見せなければならない。

 頭を下げる前に、彼の口が、ユリンにだけわかるように声を発さずに動いた。

 

 ──さあ、どうぞ。

 

 己の中に渦巻く感情を振り切って。

 幼い女王は、高らかに叫びをあげる。

 

「誇れ! 我らは、世界を救う星の盾! 世界から魔を打ち払った守護者の国である! 黒輝の勇者が共にある限り、世界は知ることになるだろう! 我がステラシルドの繁栄は、永遠であると!」

 

 英雄が、英雄であるために、理由は必要か? 

 不要である。人々が彼を既に英雄として認識していること。それこそが、既に彼が英雄である証明に他ならない。

 英雄が英雄であるために、言葉は必要か? 

 不要である。ただそこに在るだけで、人々が熱狂する存在。それが英雄なのだから。

 

「……」

 

 声は発しない。

 腕を掲げて、民に応える。

 たったそれだけの所作のみ。そんな小さな動作だけで、留めて、留めて、留め置いていた歓声が、遂に爆発した。

 無言のまま、あくまでも王を支える一人として。

 その姿勢を崩さないまま、国民を沸かせる彼を見て、ユリンは思う。

 

 ──ああ、やっぱりお兄ちゃんには敵わないなぁ。

 

 勇者は、そこに在るだけで、誰よりも勇者だった。

 

 

 ◇

 

 

「あー、疲れた。肩凝る。動きたくない」

 

 ぐでーっと。

 式典用の無駄に重くて豪華な鎧を脱ぎ捨て、おれは脱力した。

 大勢の前に出るのは、やっぱり気を張るし疲れる。これを日常的にやってる陛下は本当にすごいと思う、うん。

 

「勇者さんは疲れるほど何もしてないでしょう? 一言も喋らなかったじゃないですか」

 

 やはり賢者ちゃんがちくちくと言ってきたので、首だけ回して応戦する。

 

「いやいや、あの場ではおれが喋る必要はないでしょ。引退した勇者の演説なんて、誰も聞きたくないだろうし」

 

 それに、おれは世界を救った勇者であって、王様ではない。

 

「あの場の主役は、あくまでも陛下だよ」

 

 尊敬も、信頼も。おれではなく、国王である陛下に向けられるべきだ。おれは、そのための手伝いができれば、それで良い。

 赤髪ちゃんが、感心したように呟いた。

 

「勇者さんも、いろいろ考えてるんですね」

「そりゃあね」

 

 あの子を王にしたのは、おれだ。当然、その責任がある。

 だから、頭を下げろと言われれば下げるし、剣を掲げろと言われれば掲げる。

 あの子が国王である限り、おれはその命令に従うことになるだろう。

 なによりも、一緒に旅をしたかわいい妹の頼みは、なかなか断れないのだ。お兄ちゃんとしては。

 

「ほほう。それは殊勝な心がけだな」

 

 と、演説を終えた陛下が戻ってきた。

 

「心に残るお話を、ありがとうございました。陛下」

「世辞は良い。それよりもお前、今……()()()()()()と、そう言ったよな?」

「え? いや、なんでもするとは……」

「言ったよな?」

「あ、はい」

 

 明らかにめんどくさい流れだったので、おれはもう頷くしかなかった。

 

「では、かわいいかわいい妹から、一つお願いをしよう。同時に、この国を統べる王として、臣下である勇者に命じる」

 

 妹として。王として。

 持てる立場と権力を最大限に振り翳しながら、陛下は告げる。

 

「婚活をせよ」

「……なんで?」

「そんなの、決まっているだろう」

 

 不敬極まる疑問の声に、この日一番の笑顔で、女王陛下は言い切った。

 

「兄の幸せを願うのは、妹として当然であるからな!」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
本人は気づいてないがカリスマがわりとカンストしてる。その気になれば国盗りもできたが、魔王を倒すことしか考えていなかったのでやらなかった。
なんだかんだ陛下に対しては過保護。やれと言われればそこそこなんでもやる。今なんでもやるって言ったよね?

赤髪ちゃん
大切にされている自覚が芽生え、自己肯定感がアップしてきた元魔王。魔王っぽさがちらつくようになってきた。

賢者ちゃん
↑を見て舌打ちしてる。歳が近い陛下とは仲が良く、公私共にいろいろなことを話す間柄。「貧乳同盟ですわね〜」と口走ったどこぞの死霊術師は十回くらい死んだ。余談だが、陛下にはこれから大きくなる可能性がある。

女王陛下
ユリン・メルーナ・ランガスタ。勇者の妹(自称)。
国王になった後は幼さを感じさせない積極的な外交でガタついた国を立て直したすごいロリ。自分の外見が優れていることを利用できる打算的なロリでもある。
勇者は多分初恋だった。けれど、自分の婚姻が外交的なカードとして有効に機能することを理解しているので、自分が勇者と一緒になる気はさらさらない。
国と世界を救ってくれた英雄の幸せを、一人の国王として。なにより、自分に優しくしてくれた兄代わりの幸せを一人の妹として、切に願っている。



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勇者くんと騎士ちゃんの朝

この話、朝に投稿したかったんですよね


 婚活しろ、と女王様に命令された。

 なんでも「世界を救った国を代表する英雄が、いつまでもふらふらしているのは世間体が悪い」ということらしい。

 もう少し踏み込んだことを言うのであれば、おれが失踪している期間、王国にはあまり関係が良好ではない対外諸国からそれなりの圧力が掛かっていたようで……つまるところ「身を固めてさっさと落ち着いてくれ」ということなのだろう。

 陛下の方でお相手やら婚活の準備は色々してくれるそうなので、軽い説明だけされて昨日はさっさと追い返されてしまった。

 

「はぁ……」

 

 悩みながら寝て、すっきりしないまま朝を迎えた。

 ベッドから起き上がり、溜息を吐く。

 婚活、婚活かぁ……。別にいやというわけではないのだけれど、しかし同時に「めんどくせぇな……」という感情が湧き出てくることは否定できない。

 多分、貴族のお嬢さんとお見合いとかさせられるんでしょ? わかりますよ、おれ。すごく良いお屋敷に招かれて、上っ面をなぞるような会話をして、それっぽいことを話しておほほと笑い合うような、お上品な会食とかさせられるんだろうなぁ……。

 とはいえ、ベッドの上でいつまでもうじうじと悩んでいても仕方がない。朝ごはんの準備もしなければならない。おれは掛け布団を畳んで、一階の洗面所に降りた。

 ちなみに、我が家は二階建てで、おれの部屋は二階である。一人で住んでいる時は無駄に広い間取りにして少し後悔していたが、赤髪ちゃんや賢者ちゃんが来てからはある意味ちょうど良い広さになりつつある。

 

「あ、おはよ。勇者くん」

「おう。おはよう」

 

 洗面所には、先客がいた。

 

「早いな、騎士ちゃん」

「そういう勇者くんはちょっと遅めだね」

「いや、昨日いろいろあってさぁ……」

 

 おれと同じく寝起きらしい騎士ちゃんは、薄い青色のネグリジェ姿だ。艷やかな金色の前髪が、飾り気のないヘアゴムでぴょんとまとめられている。普通の女の子なら見られたら恥ずかしがりそうな格好だが、おれと騎士ちゃんは数年単位で一緒に旅をしてきたので、もはや今更である。騎士ちゃんはおれにすっぴんを見られてもなんとも思わないし、おれも騎士ちゃんのすっぴんを見てもなんとも思わない。あと、これは極めて単純な事実だが、騎士ちゃんはすっぴんでも美人である。

 ばしゃばしゃ、と騎士ちゃんが顔を洗い終えるのを待って、少し狭い洗面所の立ち位置を入れ替わる。

 

「ああ、陛下のところ行ってたんだっけ?」

「そうそう。ひさしぶりに会ったよ」

「怒られた?」

「なんで怒られるの前提なんだよ。おかしいだろ」

「でも怒られたでしょ?」

「うん……」

 

 仰るとおりなので、反論もできない。黙って顔を洗い、手渡されたタオルで顔を拭く。

 

「ありがとう」

「いいよ。鏡まだ使う?」

「あー、髭だけ剃りたい」

「おっけー」

 

 手の中で泡をたてて、さっと広げて剃刀を当てる。

 男よりも、女性の方が朝の準備には数段手間がかかる。騎士ちゃんの準備もあるので、手早く済ませてしまおう。

 黙々と髭剃りを行うおれを見て、騎士ちゃんが感慨深げに頷く。

 

「昔は毎日剃らなくてもよかったのにねぇ。勇者くんも老けたね」

「老けたとか言うな。老けたとか」

「あたしは伸ばしてもダンディでいいと思うよ。威厳出るんじゃない?」

「まあ、たしかに。剃る手間考えたら伸ばしてもいいんだけど……おれ、髭が全然きれいに生え揃わないタイプなんだよ」

「あー、なるほど」

「先生みたいにがっつりかっこよく生え揃うなら、全然伸ばしてもいいと思うんだけどさ」

 

 この場合の『先生』とは、今も元気に騎士団長をやってるどこぞの筋肉ヒゲダルマを指す。

 歯ブラシを手に取って歯磨き粉を伸ばした騎士ちゃんは、たしかに、と頷いた。

 

「でも、先生はなんか元々顔面のパーツに髭が備わってるっていうか……むしろ髭がないと先生じゃないっていうか……」

「そうそう、そうなんだよ。ああいうちゃんとヒゲが似合う大人はずるいよな」

 

 思えば、おれもそろそろ先生と最初に出会った時と同じ年齢である。そう考えると、騎士ちゃんに「老けた」と言われるのも仕方ないかもしれない。

 いや、もちろんまだまだ若いが。決して老けているつもりはないが。

 しゃしゃしゃ……と歯磨きを始めた騎士ちゃんが、歯ブラシを口に咥えながら笑う。

 

あたしはヒゲ伸ばしてる勇者くんも(ふぁたしはひけのはしてるふうゃくんほ)見たいんだけどなぁ(ひたいんたけどのぉ)』」

「うん、ごめん。何言ってるか全然わからんわ」

 

 お願いだから、歯磨きを終えてから喋ってほしい。

 一通り剃り終えたところで、泡を洗い流して騎士ちゃんに再び前を譲る。ヘアゴムでぴょん、と跳ねてる前髪の束をいじると、バシィ! と無言のまま払い除けられた。この反応、なんか昔飼ってた猫を思い出す。

 洗面台の側面に置いてあるボトルの蓋を取り、適量を手に取る。口をすすぎ終えた騎士ちゃんが、それを見て首を傾げた。

 

「なにそれ?」

「化粧水」

「化粧水!? うわ〜」

「うわ〜ってなんだよ。うわ〜って。差別するな。男子だって美容には気を遣う時代だぞ。これ使うと肌荒れにくくなるんだよ」

「へえ。どこのやつ?」

「死霊術師さんのとこのやつ」

「あー、やっぱり。貰ったやつでしょそれ」

「いや、最初はたしかに貰ったんだけど、それ以降はちゃんと買ってる。普通に気に入ったし」

「経済回しててえらいじゃん」

「だろ?」

 

 あと単純に、死霊術師さんが取り扱ってる会社の美容品、評判がすごく良いんだよね。本人が美容に気を遣うタイプだから、生半可な品質のものは取り扱わないし。ほんと、商売に関してだけは信頼できる人だ。

 

「うわ、歯磨き粉切れてる」

「あたしの使う?」

「お。助かる。今日買ってくるわ」

「それなくなってからでもいいよ」

 

 騎士ちゃんの言葉に甘えて、ありがたく使わせてもらう。口の中に広がるミントの香りが心地よい。これ、いいな。おれも次からこれ買おうかな。

 わしゃわしゃと歯を磨いている間にも、騎士ちゃんはおれ同様に化粧水をぱぱっとつけ、おれにはよくわからない化粧品を広げ、準備を進めていく。

 

騎士ちゃんはそのままでも(ひしひゃんはほのままても)十分かわいいけどなぁ(ひうふんはわいいへとな)

「いや、ごめん。何言ってるか全然わかんない」

 

 コップを突き出されたので、こちらもありがたく使わせてもらう。ピンクの花柄がかわいらしいコップだ。

 歯磨きを終えたおれは、コップと歯磨き粉を騎士ちゃんに返した。

 

「これ良いね」

「ああ、それね。ウチの村の陶芸屋さんが最近出したやつ。デザインかわいいでしょ?」

「かわいいかわいい」

「今度買って。ウチの経済も回して」

「買って経済回すわ」

 

 頷いて笑った騎士ちゃんは、ゆすいで洗った花柄コップの中に歯ブラシを差して、おれの飾り気のないコップの隣に置いた。

 なんか、こうして見ると洗面所の棚も狭くなってきたな。

 

「洗面所の棚小さくない?」

「ああ。それ今思ったわ」

「あたしも化粧品置きたいし、赤髪ちゃんも細々としたもの必要でしょ? 隣になんか背の高い棚置こうよ」

「そうだなあ」

 

 収納はいくらあっても困るものではないし、赤髪ちゃんの部屋用にいくらか家具もほしい。一緒に家の中をちょっと模様替えしてもいいかもしれない

 滑らかに櫛が通っていく金髪をぼうっと眺めていると、後ろ手にリボンを突き出された。

 

「はい」

「ん」

 

 リボンを受け取る。

 真正面に鏡。騎士ちゃんの頭はちょうどおれの頭一つ分くらい下にあるので、この体勢が一番髪をいじりやすい。ポニーテールっていう髪型はシンプルな見た目に反してわりと結うのが難しいので、丁寧に手櫛で髪をまとめていく。一緒に旅をしていた頃は、まだ小さかった賢者ちゃんや陛下はもちろん、騎士ちゃんや師匠の髪も時々結っていたので、髪型をいじることに関してはそれなりに自信がある。

 

「如何ですか?」

「うむ、よろしい。鈍ってないね」

「お褒めに預かり光栄です」

 

 なんてことない、いつも通りの朝のルーティン。

 それを終えて、おれは洗面所を出ていこうとして、

 

 

「あの、騎士ちゃん。なんでウチいるの……?」

 

 

 背筋に冷や汗を流しながら、固まった。

 

「気付くの遅くない?」

 

 コップと歯ブラシの位置をちょちょいと直して。

 騎士ちゃんは朗らかに笑った。

 それは朝に相応しい、とても気持ちの良いからっとした笑顔だった。

 

「賢者ちゃんから聞いたでしょ? みんなのいる場所と、勇者くんの家を転送魔導陣で繋げたって」

「あ、うん」

「あたしは屋敷の寝室と繋げたから」

「え、は……?」

 

 ちょっと何を言ってるかよくわからなかった。

 突っ立っているおれを意にも介さず、するりと騎士ちゃんは横を抜けていく。

 

「朝、二人で一緒に準備してると、昔に戻ったみたいで楽しいね」

 

 すり抜け様に、横顔が笑む。

 それは朝に朝に相応しくない、少しじめっとした、纏わりつくような笑顔だった。

 

「あ、勇者くん」

 

 ちょこん、と。

 金髪のポニーテールが、立ち止まって揺れる。

 

「朝ごはん。目玉焼きと卵焼きどっちがいい?」

「……卵焼きでお願いします」

「甘いの? しょっぱいの?」

「……甘いのでお願いします」

「うん。わかった」

 

 上機嫌に引っ込んだ金色の尻尾を見送って、おれは溜息を吐いた。

 忙しい一日になりそうだ。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
じわじわとプライベートが失われつつある世界を救った英雄。騎士ちゃんの髪がさらさらで一番いじりやすく、賢者ちゃんの髪がくせっ毛一番いじりにくいらしい。

騎士ちゃん
何食わぬ顔で勇者の家の洗面所で朝の仕度を行い、自分の歯ブラシとコップを設置し、髪を結わせて満足している女。しつどがたかい。卵焼きは甘いのが好きだが、しょっぱいのもちゃんと作れる。


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勇者と合コン

新年あけましておめでとうございます。新春なんちゃってバラエティみたいな話が続きますが、今年も世救をよろしくお願いいたします


 まあ、落ち着こう。

 騎士ちゃんが「ここがあたしの家だよ?」みたいな顔で洗面所を使っていたことには、たしかに驚いた。ああ、びっくりしたとも。

 いつも通りに当たり前の雑談をして、そこからワンクッション置いてようやく気づく程度には反応が遅れてしまったが、まあそれは置いておくとして。けれどもそもそも、洗面所に騎士ちゃんがいたとして、べつにそこまで驚くようなことではないのだ。年単位で一緒に冒険をしてきたのだから、寝起きの顔を互いに見て朝の準備をするのもいつものことである。そう、いつものことなのだ。

 落ち着け。クールになれ、勇者。

 おれは自分自身に言い聞かせながら、リビングのドアを開けた。

 

「おはよう。赤髪ちゃん」

「遅いぞ、お兄ちゃん。なにをしておった」

 

 リビングには、まだ赤髪ちゃんはいなかった。

 代わりに、当たり前のようにめっちゃかわいいフリフリのパジャマを着た女王陛下が、テーブルに座って足をぷらぷらさせていた。

 おれは膝から崩れ落ちた。

 

「……おはようございます、陛下」

「ああ。おはよう」

「……なにをしておられるんですか?」

「もちろん、朝ごはんを食べに来た」

 

 えっへん、と。発展途上の胸を貼って陛下はお答えくださった。

 違う。聞きたいのはそうじゃない。

 

「いや、陛下。あのですね……国の王様が、そんなに気軽にウチみたいな汚いところにいらっしゃるのは、少し如何なものかと」

「そうか? 男の一人暮らしにしてはきれいだと思うぞ」

 

 お褒めの言葉を賜ったが、それはそれ。これはこれである。

 朝ごはんを四人分用意しなきゃいけない時点で、もう男の一人暮らしじゃないんだよな。

 

「陛下〜! 目玉焼きと卵焼きどっちがいいですか?」

「卵焼き」

「甘いやつですよね?」

「うむ。甘いやつだ!」

 

 当たり前のようにキッチンに立っているエプロン姿の騎士ちゃんが、当たり前のように陛下に卵料理の二択を問い、手早く慣れた手付きで殻を割っていく。

 

「手伝うよ、騎士ちゃん」

「じゃあこっちやって」

「あいよ」

 

 キッチンに並んで立つおれたちに、陛下のによによとした視線が突き刺さる。

 

「こうして並ぶと二人はお似合いだな」

「もー、陛下ったらそういうお世辞どこで覚えてくるんですか?」

「外交」

「返答重いな、おい」

 

 堪らずツッコんでしまったが、騎士ちゃんは嬉しそうにニコニコしているから、良しとしよう。

 余談ではあるが、賢者ちゃんと陛下が直属の部下と上司という良好な関係を築いているように、騎士ちゃんと陛下もそこそこ仲が良い。騎士ちゃんに現在の領地を預ける許可を出したのは他ならぬ陛下だし、それ以外にもいろいろと便宜を図ってくれているようだ。具体的には、騎士ちゃんのお国周りで。

 

「そういえば、この前お父上にお会いしたぞ」

「……ああ、どうでした?」

「どうもこうも、相も変わらず硬物よな。あそこまでいくと、逆に安心感を覚えるくらいだ」

「そうでしょうね〜。あのクソ親父は」

 

 まったく変わらない笑顔のまま、騎士ちゃんの口からどす黒い感情が漏れ出す。戦闘中ならともかく、いつもの騎士ちゃんの口から賢者ちゃんのような毒舌が飛び出してくるのは、少々めずらしい。

 

「おやおや。みなさんお集まりのようですね」

 

 当たり前のように、賢者ちゃんが欠伸を噛み殺しながら入ってくる。

 

「すいません! ちょっと寝坊しちゃいました!」

 

 まだちょっと乱れている髪を整えながら、赤髪ちゃんが入ってくる。

 

「あれ!? 陛下さん、なんでここにいるんですか?」

「朝ごはんを食べに来たに決まっておるだろう」

「赤髪ちゃん、悪いけどみんなの分の食器運んでくれる?」

「はい! おまかせください!」

「……赤髪さん、陛下がいることにはびっくりしてるのに、騎士さんがいることには驚かないんですね」

「……? あ、あーっ!? 騎士さん、なんでいるんですか!?」

「朝ごはんを作りに来たに決まってるでしょ」

「な、なるほど?」

「納得しちゃだめですよ」

 

 騎士ちゃんが作った朝メシを賢者ちゃんと赤髪ちゃんが運び、陛下が食べる。

 すごい。我が家じゃないみたいだ。我が家だけど。

 でも、我が家が朝からこういう風に賑やかなのは、はじめてのことなので。

 それはちょっとうれしいな、と。おれは思った。

 

 

「さて。お兄ちゃんには()()()をしてもらう」

「なんて?」

 

 むしゃむしゃと卵焼きを頬張る陛下に、おれは思わず聞き返した。

 

「合コンだ」

「いや、それは聞こえましたけれども」

「勇者さん、合コンも知らないんですか? やれやれ、遅れてますね……」

 

 スープの中の人参を赤髪ちゃんの器に移しながら、賢者ちゃんはおれをバカにするように鼻を鳴らした。

 この野郎、人参食べれないくせにえらそうに。

 

「合コンとは、近頃王都で流行っている、配偶者を見つけるための会食イベントのことです。複数人の男女が集まって、軽い食事やゲームを楽しみながら気に入った相手を見つけ、オーケーが出れば交際関係に繋がる。魂を合わせる、と書いて合魂(ごうこん)と読みます」

「へえ……軽い婚活パーティー、みたいな認識で合ってる?」

「そうですね。大まかに、そのような認識で問題ないと思いますよ」

 

 なるほどね。

 長らく隠居に近い生活を送ってきたので、そういった世間の流行りにはどうにも疎いのがおれである。

 

「うむ。一人ずつお見合いをセッティングしてやってもよかったのだが、それだと効率が悪いからな。かといって、貴族連中を集めた婚活パーティーを開いてやったとしても、お兄ちゃんは人に囲まれてろくに相手も選べないだろう?」

「はい。仰る通りです」

 

 ぐうの音も出ない正論である。

 

「なので、ここは最近の流行りを取り入れて、合コンをセッティングしてやった方がよかろう、という結論に至ったのだ! 堅苦しい場よりもそちらの方が盛り上がるだろうしな! もちろん、場所と衣装と内容と人選は、こちらで用意して済ませてある!」

「それ、おれが用意するもの残ってます?」

「結婚への前向きな姿勢」

「あ、はい」

 

 本当に何から何まで用意してもらって、陛下には頭が上がらない。まあ、元々上がらないのだが……。

 

「よかったですね、勇者さん。一国の王に合コンをセッティングしてもらう人なんて、多分勇者さんがはじめてですよ」

「そうでしょうね……」

「この機会に気合い入れて良い人を見つけてきた方がいいよ、勇者くん」

「はい。がんばります……」

 

 てっきり賢者ちゃんと騎士ちゃんは微妙な反応をすると思っていたのだが、意外にもおれの背中を押してくれるスタンスのようだ。

 赤髪ちゃんだけは、相変わらず微妙な表情でパンをもぐもぐしている。

 

「で、その合コンとやらはいつやるんです?」

「今日やるぞ」

「え?」

「今日やるぞ」

「あの、おれの予定とかは?」

「黙れ。どうせ暇だろう?」

「あ、はい」

 

 本当に、ぐうの音も出ない正論であった。

 

 

 そんなわけで、合コン会場にやってきた。陛下は、王城の一室を会場として貸し切ってくれたらしい。気楽な婚活パーティーとかいうさっきの説明を返してほしい。

 昨日は鎧を着させられたが、今日は仕立ての良いスーツを着させられた。重っ苦しい鎧は嫌いだが、堅苦しいスーツも好きではない。もちろん陛下が用意してくれたものなので、着心地は抜群。サイズも恐ろしいほどのジャストフィットなのだが、それはそれ、これはこれ。そもそもきっちり礼服を着込まなければならないような場の雰囲気が、おれは少し苦手だ。本当にこれからはじまるのは気楽な婚活パーティーなのだろうか? 

 コンコン、と。ノックの音がして、侍従のお姉さんに声をかけられる。

 

「勇者様。準備が整いましたので、控室へどうぞ」

「はい。わかりました」

 

 合コン、合コンねえ……。

 正直、あまり気乗りするわけではないが、せっかく陛下が用意してくれた場である。陛下曰く、近くの国のお姫様や、会社の経営をしているバリバリのキャリアウーマンの女性もいらっしゃるらしい。場を設けてくれた陛下のメンツを潰さないためにも、粗相がないように気をつけねばなるまい。

 問題は、男性側の面子だ。なんでも、合コンという催しは、基本的に同数の男女を集めて、対面で行う会食の形式を取るらしい。正直、おれは旧来の貴族派閥には嫌われている自覚しかないので、かなりギスギスとした雰囲気になりかねない。女性側に気を遣う前に、まずは男性陣としっかりコミュニケーションを取って仲良くなりたいところだ。和気藹々と食事を楽しめる環境作りは大切である。

 

「こちらでみなさんがお待ちです」

 

 侍従のお姉さんが扉を開ける。

 意を決して、おれは部屋の中に入った。

 

「どうも。はじめまして、勇者で──」

「やあ! 会いたかったよ! 親友!」

「ひさしぶりだな! 我が教え子よ!」

 

 見知った顔しかいなかった。

 おれは黙って、扉を締めた。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
知り合いしかいなかったので扉締めた。もう帰りたい

親友!!の人
ウッキウキで王城の合コン会場にやってきた。第五騎士団団長。

我が教え子!!の人
ワックワクで王城の合コン会場にやってきた。第三騎士団から第一騎士団団長に就任した人。王国筆頭騎士。今の王国で多分一番強い。

騎士ちゃん
卵焼き作ってた。

賢者ちゃん
人参あげた。

赤髪ちゃん
パン食ってた。

陛下
合コンセッティングした。
勇者のスーツを仕立てるのに、自分のドレスの倍の時間をかけて、生地や色を選んだ。当然勇者にはそのことを一言も言ってない。自己満足なので伝える必要もないと思ってる。


柴猫侍さんからミニキャラをたくさんいただいたので掲載させていただきます。めっちゃかわいいですね


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勇者と合コンの騎士たち

〇〇と〜の〇〇たちってタイトル、ドラえもんの夏映画みたいな雰囲気出て好き


 王都第五騎士団団長、レオ・リーオナインは多忙である。

 まず第一に、ステラシルドを守る筆頭騎士として、騎士団長という立場は激務を極める。魔王軍全盛の時代に比べれば、命に関わるような戦いこそ減ったものの、王族の護衛や式典への参加、地方への魔獣の討伐など、その任は多岐に渡る。レオの場合は、そこに副業として書籍の執筆まで加わることもあって、尚更であった。

 なので、国王であるユリン・メルーナ・ランガスタから直々に呼び出しを受けた時も「また仕事が増えそうだ」と。口にこそ出さないものの、レオは内心で肩を竦めていた。

 とはいえ、国王からの直接の呼び出しに、応じない騎士はこの国にはいない。正装で玉座を訪れたレオは、幼い女王に頭を垂れ、膝をついた。

 

「お呼びでしょうか、陛下」

「ご苦労、リーオナイン。実はお前に、折り入って頼みがある」

 

 折り入っての頼み。そこまで言うということは、よほどの急務か、あるいは重要な任務なのだろう。

 居住まいを正し、レオは声音に一段と張りをのせて答えた。

 

「はっ。この若輩の身で叶えられる願いであれば、何なりとお申し付けください」

「実は今度、勇者を呼んで合コンをやるんだが、男側の面子が足りん。お前も来るか?」

「行きます」

 

 第五騎士団団長、レオ・リーオナインは即答した。

 レオはこの国を守る騎士である。しかし、この国を守る騎士である前に、レオは勇者の親友である。

 親友として、こんなおもしろそうなイベントを逃す手はない。

 だが、ユリンは幼いながらに端正な顔を心配そうに歪めて問いかけてきた。

 

「大丈夫か? 無理せずともよいのだぞ」

「無理はしておりません陛下」

「騎士団長の中でも、お前は特に多忙だと聞くし」

「全然大丈夫です陛下」

「予定が合わなければキャンセルしても構わんからな」

「すべてを投げ出してでも、必ず馳せ参じる所存です陛下」

「流石だ。それでこそお兄ちゃんの親友」

「恐縮です陛下」

 

 もはや疑う余地もない。

 双方共に、ノリノリであった。

 

「陛下」

「なんだリーオナイン」

「私と勇者殿は学生の頃から親友です」

「無論知っておる」

「共に青春を過ごした竹馬の友です」

「わかっている」

「陛下が設けてくださる場であることは、重々承知しております。承知しておりますが、しかし……」

「くどいぞ。言いたいことがあるなら、はっきり申せ」

「はっ。では、恐れながら……」

 

 現在の王国で最年少の男性騎士団長となった天才は、床に額を擦り合わせる勢いで頭を下げながら告げた。

 

「合コンで慌てる親友を、からかって遊びたいのです」

「よい。余が許す。久方ぶりの再会、存分に羽を伸ばすが良い」

「ありがとうございます」

 

 言質は取った。

 これで好き勝手できる。

 濃い金髪を揺らして、レオは笑った。爽やか極まる笑顔だった。

 

「それと……」

「なんだ、まだあるのか?」

「合コンの内容は私が執筆する本に書いてもよろしいでしょうか?」

「それも許そう」

「ありがとうございます」

「ただし、条件が一つ」

「なんでしょう」

「書き上げたら最初に余に読ませよ」

「はっ。仰せのままに」

 

 これで条件は整った。

 女王と騎士の契約は、滞りなく完了した……かに思えた。

 

「なるほど、合コンか。そういうことなら、私も同行しよう」

「スターフォード卿……!」

 

 厄介な乱入者が現れなければ。

 まるで、最初からこの場にいたかのように。柱に背を預け、腕を組み佇む一人の大男。

 ユリンは顔を歪めて、その髭面を見据えた。

 

「何の用だ、スターフォード」

「陛下。お許しを頂けるのであれば、私もその合コンとやらに馳せ参じたい所存」

「帰れ。リーオナインは呼んだが、お前は呼んでおらん」

「陛下! 恐れながら陛下! この身も合コンに!」

「黙れ。首打つぞ貴様」

 

 魔王と直接対峙し、生き残った唯一の騎士。王国最強の魔法使い。

 第一騎士団団長、グレアム・スターフォードは、潔いほど愚直に、真っ直ぐに頭を下げた。

 その所作は主に仕える騎士としてこれ以上ないほどに完璧であり、合コンに参加したい気持ちに溢れていた。

 

「そこのリーオナインが勇者の親友であるように! 私は勇者に戦いの基本を教えた師です!」

「そうらしいな」

「教え子の晴れ舞台! 近くで見たいと思うのは、師の親心として当然!」

「白々しいぞ、グレアム」

 

 王国最強の男をフォーストネームで気軽に呼び捨てて、ユリンは鼻を鳴らした。

 

「建前は良い。本音を申せ」

「はっ。では、恐れながら……」

 

 顔を上げ、グレアムは真剣そのものの表情で言い切った。

 

「合コンであたふたする教え子を、隣でおちょくって遊びたいのです」

「よく言った。ならば許そう」

 

 ◇

 

 回想終了。

 

「というわけで、今日の合コンにはボクたちも参加することになった。よろしく頼むよ親友」

「帰る」

「まあ待て。そんなに照れなくてもいいだろう、我が教え子よ」

「帰る!」

 

 おれの決断は早かった。

 即座に踵を返し、部屋を出ようとした。

 が、クソ親友とアホ先生に両肩を抑えられ、逃走を企てるそれ以上の動作は叶わなかった。

 だめだコイツら。無駄に強い。振りほどけない。

 

「どうして逃げようとするんだ親友!? キミにはボクたちとの感動の再会を喜ぶ気持ちはないのかい!?」

「じゃあ逆に聞くが、お前の方こそひさしぶりの再会の場が合コンであることに何か思うところはないのか!?」

「ああ! おもしろいと思う!」

「帰れ。おれじゃなくてお前が帰れ」

「照れるなよ親友。これから一生の伴侶を見つけに行くんだ。そんな風に心が恥ずかしがっていては、愛のキューピッドも逃げ出してしまうよ? まあもっとも、今日記念すべきこの場に、勇者の愛のキューピッドとして馳せ参じたのはこのボクだ。キミの恥じらいというベールを取り払い、運命の人を共に見つけ出してあげようじゃないか!」

「よく喋る……!」

 

 本当によく喋るな、コイツ。

 懐かしいけどマジで腹が立つ。

 そのまま取っ組み合いをはじめたおれとバカを見て、先生が微笑んだ。

 

「いいな。青春だな」

「おれたちもう二十歳過ぎてるんですよ。いくつだと思ってるんですか」

「俺からしてみれば、お前らはいつまで経っても子どものようなものさ。かわいい生徒だからな」

「先生……」

 

 先生の口調は、本当に心から昔を懐かしむようで。

 おれは、バカと取っ組み合う手を止めて、目を細めた。

 

「なんかいい感じのこと言ってますけど、これからおれたち合コン行くんですよ」

「うん」

「うんじゃないんですよ。恥ずかしくないんですか? 生徒と合コン行くんですよ?」

「ああ! 楽しみだ」

「くそっ……」

 

 恥じらいはないようだった。飲み潰れて上半身裸で一夜を過ごしてもあっけらかんとしている男は、心の器も大きいようだった。

 

「ていうか先生、こんなところに来ていいんですか?」

「それはどういう意味だ?」

「すっとぼけないでください。先生には良い仲の人がいるでしょう。具体的にはおれの担任の先生だった美人さんがいるでしょう!?」

 

 さっ、と。

 先生の視線が、横に泳いだ。

 

「何を言っているのかよくわからないな……」

 

 この筋肉ヒゲ親父、さてはケンカでもしたな? 

 学生の頃から互いに好き合っているのは明らかだったのに、何年モタモタやっているんだろう。さっさとくっつけばいいのに……。

 

「なんだその顔は。さっさとくっつけばいいのに……とでも言いたげな顔だな」

「はい。そういう顔です」

「大人にはいろいろあるんだ。お前が気にすることじゃない」

「じゃあ生徒の婚活に首ツッコむのも、やめてもらっていいですか?」

「断る」

「なぜ?」

「おもしろそうだから」

 

 取っ組み合う相手をクソ親友から奥手筋肉ヒゲ親父に切り替えようとしたおれだったが、そこで背後から咳払いの声が聞こえた。

 

「旧交を温めるのも構わないが、そろそろいいだろうか?」

 

 振り返ると、メガネをかけた几帳面そうな外見の騎士が立っている。

 

「あなたは?」

「お初にお目にかかる、勇者殿。陛下の勅命で、本日の合コンに参加することになった。第四騎士団長の団長だ」

「まだ増えるの?」

 

 思わず口に出てしまった。

 いや、だって……まだ増えるの? 

 なんでおれ以外の男側の面子、全員騎士団長なんだよ。おかしいだろ。戦争でもしにいくのか? 

 

「陛下から直々に賜った仕事だ。そこのお二人はともかく、私はあなたを全力でサポートするつもりでいる。どうか、よろしく頼む」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 なんだか生真面目そうな人だ。

 なぜか、はじめて会った気がしない。

 いや、ちょっとまて確実にどこかで会ったことがあるな。明らかに見覚えがある顔だ。

 

「すいません。失礼な質問なんですけど、どこかでお会いしませんでしたか?」

「質問の意図がわかりかねる。先ほど、お初にお目にかかると言ったはず。私とあなたは初対面だ、勇者殿」

「いや、でも絶対どこかで……」

「初対面だ」

「いやいや、でも」

 

 記憶を探る。

 多分、この人の顔を見たのは、わりと最近のことだ。

 そう。わりと最近。赤髪ちゃんと出会ってから……たしか王都で、賢者ちゃん関連……賢者ちゃん? 

 

「あ! 賢者ちゃんに踏まれてた人!」

「勇者殿。騎士の恥だ。どうかお願いだから、あの時のことは忘れてほしい」

 

 対面早々土下座をされた。清々しい。完璧な土下座だった。

 

「ところで、どうしてあの時、うちの賢者ちゃんに踏まれてたんですか?」

 

 立ち上がった騎士団長さんは、土下座でズレたメガネを整えながら答えた。

 

「ちょっとした権力闘争で負けて証拠を握られて脅されていた」

「うわ……」

「あれ以降、私はあなたのパーティーの賢者殿には頭が上がらない。私は彼女の豚のようなものだ」

「騎士として恥ずかしくないんですか?」

「最近癖になってきた」

「え?」

「では、移動しながら本日の予定を説明しよう」

 

 聞き間違えだろうか? 

 うん。聞き間違えということにしておこう。

 

「本日の合コンは男女対面の会食形式で取り行う。場が温まってくれば要望に応じて席替えなども実施する予定だが、とりあえず最初の席順は右から第一騎士団、第四騎士団の私、第五騎士団、そして勇者殿だ」

 

 聞けば聞くほどアホみたいなメンバーである。

 が、さすがにもうツッコむ気力はないのでスルーする方向でいくことにした。

 

「そういえばおれ、お相手のことあんまり聞いてないんですけど……」

「ああ。それに関しては安心していただきたい。陛下から伺ったところ、とびきっきりの美女揃いと聞いている」

「そいつは楽しみだ。巨乳の美人さんに期待したいな!」

 

 ヒゲオヤジがまた好き勝手なことを言ってる。

 まあ、おれも男だ。巨乳の美人さんは決して嫌いではないし、せっかく陛下が設けてくれた場でもある。新しい出会いに期待しても罰は当たらないだろう。

 

「会場には既に一人、相手方の女性が着いているらしいよ。女性を待たせてしまうのも申し訳ないし、ボクたちも先に入っていようか」

「ん。わかった」

 

 男側の人選で完全に出鼻を挫かれた感はあるが、今日は楽しもう。

 おれは会場の扉を開いた。

 

 

 

「あらあらあら! 素敵な殿方がたくさん! お待ちしておりましたわ〜!」

 

 とびっきりの美人がいた。

 聞き覚えのある声と、見覚えのある顔と、見覚えしかない巨乳がそこにあった。

 おれは黙って扉を締めた。

 隣に立つ先生を見る。

 生粋の巨乳好きであるにも関わらず、顔面には滝のような冷や汗が流れている。

 隣に立つ先生と頷き合う。

 おれたちは、声を揃えて言った。

 

「「──帰っていいか?」」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
知り合いしかいねぇ……!
帰りたい。

クソ親友
レオ・リーオナイン。第五騎士団団長。
どこかのドジっ子でなんでも斬る先輩の影に隠れているが、現在の騎士団長の中で最年少であり、若手のエース。

アホ先生
グレアム・スターフォード。第一騎士団団長。
花京院典明。筋肉。巨乳好き。合コンにはノリノリだったが、昔ハンマーで全身を挽き潰した四天王が何故か待ち構えていたのでもう帰りたい。

豚メガネ
第二話で賢者ちゃんに踏まれてた人。第四騎士団団長。
賢者ちゃんとの権力闘争に負けて以降は賢者ちゃんの言うことをよく聞くようになった。

見覚えのある巨乳
トップバッター。敏腕女社長。よくできた社会人なので時間前にきちんと会場に着くタイプ


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世界救い終わったけど、合コンすることになった

 美しさには、種類がある。

 かわいいときれいは違う、と言ったほうがわかりやすいだろうか。

 イメージに基づいた漠然とした例になってしまうが、たとえば赤髪ちゃんのイメージはどちらかと言えばきれいよりもかわいいになるだろう。賢者ちゃんも然り。騎士ちゃんは……ちょっと判定が難しい。師匠は圧倒的な幼女です。

 では、おれの目の前でニコニコしている死霊術師さんはどちらなのかというと、それはもう文句のつけようがないほどにお綺麗だった。

 自身のイメージカラーとも言える、上品な紫のドレス。その上に一目で良い生地だとわかる白のストールを合わせて、完璧に着こなしている。お化粧の雰囲気も、うまく説明はできないけれど、いつもとは少しだけ違うことがわかった。

 指輪も、イヤリングも。元から整った外見を、完璧なセンスに基づいた服装とアクセサリで彩る。

 美しい自分を理解している。

 美しい自分を理解しているから、もっときれいに魅せる方法を知っている。

 無遠慮に触れてしまいたくなるけれど、自分のような男が触れていいものかと躊躇してしまう。

 そういう隙のない美しさが、死霊術師さんという女性にはあった。

 

「まさか、死霊術師さんがいるとは……」

「サプライズというヤツですわね!」

 

 ドヤ顔であった。

 

「今日は勇者さまと『合魂(ごうコン)』していだけるということで、わたくし……いても立ってもいられなくなり、一番乗りで会場に到着してしまいましたわ」

 

 いつもよりもさらに美人だが、口を開けばいつもの死霊術師さんだった。残念美人とはこういうことを言うのだろう。

 ほっとするような、安心するような。

 しかし、それはそれとして帰りたい。すごく帰りたい。

 冒険者にとってパーティーメンバーとは、職場の同僚のようなものである。一体、何が悲しくて職場の同僚と合コンしなければならないのか。

 ていうか、この人何も隠さず「勇者さまと合コン」って言ったよな? もう最初から確信犯じゃねーか。何が「敏腕女社長も来る」だ、あの幼女陛下め……! 

 おれの内心を見抜いているのか、いないのか。死霊術師さんはゆったりとした笑みを崩さない。

 

「それにしても。勇者様だけでなく、騎士団長の皆様もお揃いとは。わたくし、びっくりいたしました」

 

 小首を傾げると同時に、イヤリングが左右に動く。こちらに向けられていた視線が、他に移る。

 おれは、隣をちらりと見た。

 先生の顔色がものすごく悪かった。具体的には、酒を入れてないのに胃の中身を吐き出しそうだ。

 

「……ごめん死霊術師さん。ちょっと席を外すね」

「ええ。大丈夫ですよ」

「では、その間はボクとお話していただけませんか、レディ」

「あらあら。新進気鋭の第五騎士団の団長殿に口説いていただけるなんて、照れてしまいます」

 

 イケメンバカををちらりと見ると、いやらしいくらい様になったウィンクを送ってきた。目線が「ここはボクに任せたまえ」と語っている。ヤツはバカだが、こういう気遣いができるタイプのバカなので、正直助かる。

 死霊術師さんの相手はバカイケメンに任せて、ささっと先生を連れて部屋の外に出た。

 

「先生、大丈夫ですか?」

「……か、帰りたい」

 

 かわいそうに。筋肉とひげが萎れて見える。

 

「先生、死霊術師さんと昔、()り合ったことあるんでしたっけ?」

「……ある」

「殺したことあります?」

「むしろ殺したことしかない。首は落としたし、モーニングスターで頭を砕いたし、さらに言えば複数回に渡って破城槌で全身を叩き潰した……」

 

 まあまあ()ってんなこのヒゲオヤジ。

 いや、当時は敵の最高幹部だったわけだから、先生が死霊術師さんは殺ってるのは当たり前なんだけど……。

 

「まさか、合コン会場で昔殺した女性に会うことになるとは……」

 

 本当にね。不思議だね。

 

「大丈夫ですよ、先生。昔のことですし、死霊術師さんも水に流してくれますって。もしかしたら忘れているかもしれないし……」

「だが、俺の手は彼女の全身を叩き潰した感覚を覚えている……こんな血塗れの手で、俺は本当に彼女と酒を酌み交わす権利があるのか?」

「それこそ大丈夫ですよ。先生が死霊術師さんのこと十回くらい殺してるなら、おれは仲間になってもらう前に百回以上殺してますから」

「お前の手、血塗れ過ぎないか?」

「どうせあの人、殺しても死なないんだから、昔の戦場で会ったことなんて気にするだけ無駄です、無駄。むしろ、死霊術師さんは自分を殺してくれる可能性がある人のことを好きになってる節がありますからね。かくいうおれも、現在進行系で死霊術師さんを殺す方法を模索しているわけですし」

「お前のパーティー倫理観とか大丈夫か?」

 

 倫理観とか道徳は騎士学校中退する時に置いてきたよ。

 急に合コンへの参加意欲を失いはじめた先生だが、ここで離脱してもらっては困る。おれは先生の肩に手を置いて、耳元で囁きかけた。

 

「でも先生、死霊術師さんタイプでしょう?」

 

 びくん、と。

 手を乗せた肩が震える。

 

「……正直いいか?」

「いいですよ」

「めっちゃ好き」

 

 ほれ見たことか。

 結局、男は下半身には勝てないのである。

 今さらこんなことを説明するのもおかしいが、死霊術師さんは客観的に見ても目を引く美女である。うちのパーティーの中で最もナイスバディだし、ロングヘアは艶やかで美しいし、やっぱり胸はでかいし、目元にホクロだってある。もうなんというか、先生の性癖を的確に射抜いているのだ。

 

「大丈夫です。おれがフォローしてあげますから、会場戻りますよ」

「本当か? いい感じに紹介しろよ? この人はおれの恩師で、彼の教えを授からなかったら世界は救えませんでした……くらいは盛るんだぞ?」

「先生、この国の騎士で一番強いんだからべつにエピソード盛る必要はないでしょうよ」

 

 びしばしと先生のケツを叩いて、会場に戻る。

 なんだか立場が逆な気がするが、まあいいだろう。

 

「あ! 勇者くん。おかえり」

「……?」

 

 なんか、もう一人、増えてる。

 扉を開けた瞬間に、おれはまた膝から崩れ落ちそうになった。

 

「騎士ちゃん……?」

 

 二度見する。

 冷や汗をかきまくっていた死霊術師さんの時とは対照的に、隣の先生の顔がぱあっと明るくなる。

 

「おお! これは懐かしい顔だな!」

「先生っ! ご無沙汰しております! お元気でしたか!?」

「はっは。ご覧の通りだ。お前も元気そうで何よりだよ」

 

 騎士ちゃんは飛びつくような勢いで、先生の手を取ってぶんぶんと振った。

 そう。騎士ちゃんである。明るい金髪に、見るも鮮やかな深紅のドレス。どこからどう見ても、我がパーティーの騎士ちゃんがそこにいた。

 

「あの、メガネさん。こちらの方は?」

「本日二人目の参加者の()()()()()だ」

 

 そうきたかぁ……いや、そっか……うん。

 メガネさんの説明は一言一句、これっぽっちも間違ってはいないので、もはやツッコミを入れる気にもならない。

 やはり花が咲くような明るい笑顔で、騎士ちゃんはこちらを見た。

 

「来たよ! 勇者くん!」

「うん。いらっしゃい」

「噂には聞いてたけど、あたし合コンってはじめて!」

「おう。おれもはじめてだよ」

「楽しみだね」

「そうだな……」

 

 こんなに知り合いしかいない合コンを催している場所は、世界でここしかないと思う。

 

「で、どうかな?」

 

 問われて、騎士ちゃんの姿をまじまじと見詰める。

 もちろん、よく似合っている。細々とした装飾品や複雑なデザインのドレスをセンスで着こなしている死霊術師さんとは真逆に、全体的にシンプルな方向性でまとめていることがわかる。しかし、だからこそ目立つ赤色がよく映える。そういうところが、如何にも騎士ちゃんらしい。

 けれど、いつもの騎士ちゃんとは明確に異なるポイントが、別にあった。髪だ。ポニーテールの形で括られていることがほとんどの金髪が、今日は下ろされていた。艶やかな金髪が、肩口で靡いてる。寝起き以外で、髪を結っていない騎士ちゃんを見るのはかなりめずらしい。

 騎士ちゃんのイメージは、かわいいときれいで迷うところではあったけど。今日の騎士ちゃんは、明確にキレイだと思った。

 

「大人っぽい」

「……むむ。それは、普段は子どもっぽいって意味に取れるんだけど。褒めてる?」

「すごく褒めてる」

「……ふーむ。まあ、良いや」

 

 その手が、真っ直ぐこちらに向かって伸びる。

 

「では、席までご案内していただけますか? 勇者様」

「……もちろん、喜んで。お姫様」

 

 いつまでも立ち話というわけにもいかないので、席につく。

 先生が端に座り、そこからバカとメガネさん、おれの順番。対して、先生の正面に死霊術師さん、騎士ちゃんという形だ。意図せず、先生はしっかりと狙いの女性の正面の席を射止めた形である。

 対面には、空いてる席が二つ。つまり、あと二人は女性が来るということだ。

 おれは小声で、司会進行役のメガネさんに話しかけた。

 

「メガネさん。これもしかしておれの知り合いしか来ない感じですか?」

「わからん。この合コンのメンバーの人選は陛下が自ら行っておられるからな」

「知り合いしか来ないなら、おれもう帰りたいんですけど……」

「勇者殿。馬鹿を言わないでいただきたい。あなたが主役の合コンだ。主役が帰ってどうするというのか?」

 

 いや、知り合いしか来ない合コンセッティングする方がバカだろ。絶対おれは悪くないよ。

 

「まったく、始まる前から帰りたい、などと。そんなことでは先が思い遣られる」

「本当にその通りですね。男同士でコソコソと。見苦しいですよ」

 

 背後から、かわいらしい毒舌が、耳を打った。

 

「あ、賢者ちゃん」

「つまらない反応ですね。もう少し何か言うことはないんですか?」

 

 さすがに三人目だ。いい加減慣れてくる。

 しかし、軽い気持ちで振り返ったおれは、賢者ちゃんの姿を見て言葉を失うことになった。

 

「……うぉ」

「……ふふん。前言撤回します。その顔とその反応は、ちょっとおもしろいです。何も言わなくても許してあげましょう」

 

 本当に、ちょっとびっくりした。

 ドレスの色は、黒。吸い込まれそうなその滑らかな漆黒に、陶磁器のような白い肌のコントラスト。人形のような、という例えは人に対して使われる時は悪い意味を含むこともあるかもしれないが……目の前の賢者ちゃんに関していえば、本当に完璧な、造り物のような繊細さがあった。

 なによりも驚いたのは、賢者ちゃんが騎士ちゃんとは正反対に、髪をあげていることだった。

 

「……おれ、賢者ちゃんのおでこ、はじめて見たかも」

「あたしも」

「はあ? 何言ってるんですか。私だって、社交の場であれば髪のセットくらいします」

 

 多少ゴムで括ったり、軽く三つ編みにしてまとめる程度なら、見たこともやってあげたこともあったが。前髪をすべてきれいにぴっしりと上げて、頭の後ろできっちりと結っている姿を見るのは、はじめてだ。固めのシニヨン、とでも言えばいいのだろうか。常にくせっ毛で隠されている尖った耳が、はっきりと見えている。

 

「……普段は、あまりこういうものを着ないのですが。せっかくなので……勇者さんの色にしてみました」

「うん。よく似合ってる。髪型もかわいいよ」

「本当ですか?」

「もちろん」

「それなら、まぁ……よかったです」

 

 ちょっと困った。

 普段は、かわいいの分類で落ち着いていた賢者ちゃんに、こういう格好をされるのは……純粋に美人だと思ってしまうから、本当に、ちょっと困る。

 軽く狼狽えてる内心を悟られないためにさらっと褒めたが、周りには見抜かれてる気がする。具体的には、ニヤニヤしてるヒゲオヤジとかバカイケメンとか、対面に座ってるえっちなお姉さんとかに。

 だが、そんな賢者ちゃんの登場に最も狼狽えたのは、おれではない。

 

「け、けけけ、賢者殿……!」

 

 おれの隣に座っていた、メガネさんだった。

 あまりにも狼狽えすぎて、立ち上がった拍子に椅子が音を立てて後ろに倒れた。

 少し朱色に染まっていた賢者ちゃんの表情が、そこでようやくメガネさんの存在に気がついたのか。ころりと入れ替わる。

 

「ああ……ご機嫌よう。団長さん」

「は、はい!」

 

 賢者ちゃんは歳不相応なほどに妖艶な笑みを浮かべて、黙っていれば鋭利な容貌の騎士団長の頬に腕を伸ばし、指を這わせた。

 

「どうしました? 急に立ち上がって」

「い、いや。パーティーの類はお嫌いだと思っていたので、まさかいらっしゃるとは思わず……」

「そうですね。きらいですよ。ですが、たまにはこういう場に来るのもいいでしょう」

 

 上目遣いで、見下した視線。

 その深い碧色の眼に見詰められて、喉がごくりと鳴る。

 

「ところであなた、いつまで突っ立っているんです?」

「い、いや、これはその」

「そんな風に狼狽えていると、せっかくの良い男が台無しですよ。それに、行儀もよくないですね」

 

 本当に楽しそうに、一言。

 賢者ちゃんは、囁くように告げた。

 

「おすわり」

「……わん」

 

 もうダメだろこの合コン。

 司会が豚メガネさんじゃなくて犬メガネさんだもん。

 終わりだ終わり。頼む。早く解散させてくれ。

 

「…………帰りたい」

 

 犬メガネさんが、小さく呟いた。

 コイツ、さっきはおれに無責任だなんだと言ってたくせに……! 

 

「……それにしても」

 

 目の前に座る美女たちを眺める。

 元魔王軍四天王で、今や世界を股にかける運送会社の元締め。

 隣国の姫君で、今やこの国の一部を預かる領主。

 ハーフエルフで、今やこの国の中枢に最も近い宮廷魔導師。

 本当にすごい顔ぶれである。全員知り合いだけど。

 

「ところでみんな、あと一人誰が来るのか知ってるの?」

「いえ、わたくしは特には……」

「あたしも知らないよ」

「お誘いは陛下から受けましたが、メンバーについては当日まで秘密だ、と。そう言われましたからね」

 

 そろそろ約束の時間が過ぎるのですが、遅刻は感心しませんね、と。

 賢者ちゃんがそんな言葉を言い切ったタイミングで、会場の扉が勢いよく開かれた。

 

「着いた着いた〜! みなさん、おまたせしました〜!」

 

 喉から、変な声が漏れそうになった。

 

「……遅刻だぞ、バカモン」

「ごめんごめん。ちょっと迷っちゃって……」

 

 少し厳しい口調で咎めた先生を、彼女は手で拝む。

 

「騎士団長が王宮で迷うとは……さすがですね、会長」

「むっ! ワタシは悪くないよ。無駄に入り組んだ造りしてる王宮が悪い!」

 

 バカイケメンの皮肉をさらりと躱して、コツコツとヒールの音が鳴る。

 死霊術師さんも、騎士ちゃんも、賢者ちゃんも、全員が揃って、彼女の姿を注視する。倒すべき敵を、見極めるように。

 

「やぁやぁ、後輩くん」

「……どうも、先輩」

 

 その登場がもたらす緊張感は。

 まるでこの部屋に、魔王が現れたようだった。

 

 

 

 

 

「ふぎゃぁ!?」

 

 そして、慣れないヒールに転んだ。

 あ、よかったいつもの先輩だ、と。おれは思った。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
諦めがついてきた。

ヒゲオヤジ
第一騎士団団長。グレアム・スターフォード。
死霊術師さんが昔のことを忘れていてくれたらいいな、と思ってる。巨乳が好き。

バカイケメン
第五騎士団団長。レオ・リーオナイン。
コイツはおもしろくなってきたなぁ〜!と内心テンションが上がってる。

メガネ
第四騎士団団長。
豚メガネ→犬メガネ(NEW!!

死霊術師さん
運送会社社長。リリアミラ・ギルデンスターン。
豪奢なアクセサリをゴテゴテさせずに身につけることができるセンスの持ち主。一番胸元が開いたドレスを着ているので、自分の武器を自覚している節がある。グレアムに殺された時のことはよく覚えている。

騎士ちゃん
隣国の姫君。アリア・リナージュ・アイアラス。
ドレスの色は深紅。もとより社交的な性格であるため、こういった場での立ち振る舞いはお手の物。ただし合コンははじめて。ニコニコ明るくしてたが、内心では勇者くんの正装にかなりドキドキしていたらしい。
今回、先輩からもらったリボンを外してきているため、かなりやる気だと思われる。

賢者ちゃん
宮廷魔道師。シャナ・グランプレ。
ドレスの色は黒。勇者の色だから即決した。地味に今回、はじめて髪をあげてセットする髪型を披露した。普段おでこを見せない子が見せるおでこには栄養があるので、勇者をドキッとさせた。

先輩さん
第三騎士団団長。イト・ユリシーズ。
魔王。ラスボス。他の参加メンバーにとって、倒すべき敵。
主役として遅れてやってきて、こけた。


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勇者と王様ゲーム

サブタイがどんどん馬鹿になっていく


 先輩が来ていきなりすっ転んだりしたものの、とりあえずこれで今日の合コンのメンバーは全員揃ったことになった。

 

「では、ドリンクの注文を」

 

 すっとメガネさんがメニュー表を取り出す。さすがは王宮というべきか。アルコールはもちろん、ソフトドリンクの類いに至るまで、何でも揃っていそうだ。

 

「えーと、シャンパンください」

「ボクはワインかな」

「あら、さすがは王宮。いろいろ選べて良いですわね。では、わたくしもこちらの赤を……」

「でしたらもうボトルで入れてしまいますか、レディ? いちいち注文するのも面倒でしょう」

「そうですわね。おすすめの銘柄はありますか?」

「おまかせください。ボクのイチオシがあります」

「うーん。こういう場ってビール頼んでもいいのかな? どう思う勇者くん?」

「いいんじゃない?」

「ああ! 好きに頼め! 俺も一杯目はビールを貰おう!」

「いや、先生は絶対もう少し世間体とか気にした方がいいですよ。あ、賢者ちゃんはジュース何にする?」

「は? 子ども扱いはやめていただいていいですか? ジンジャーエールください」

「昔は炭酸苦手だったのに……大人になったね」

「勇者さん少し黙っててください」

「ワタシは何にしよっかな〜」

「先輩は飲んじゃだめですよ」

「なんで!?」

「バカほど弱いからに決まっているでしょう」

「たしかに。先輩にお酒飲ませてもろくなことにならないのは目に見えてるもんね」

「うぅ、後輩たちがひどい……いいよいいよ。最初はリンゴジュースで」

 

 自由か? 

 これが初対面の合コンの姿か? もうただの飲み会だろ。

 全員に飲み物が行き渡ったところで、揃ってグラスを掲げる。

 

「では、勇者殿から一言」

「あ、これおれが何か言う流れですか? えー、本日はお日柄もよく……」

「親友、そういうのいいから」

「早く飲ませろ」

「勇者くんってこういう時何か言うのヘタクソだよね」

「センスがないんですよ」

「ワタシみたいにトーク力を磨いた方がいいぞ、後輩くん」

 

 くそっ! どいつもこいつも! 

 

「ええいっ! 今日は楽しんでください! 乾杯!」

「「「「かんぱーい!」」」

 

 締まらない挨拶をしてしまった。

 だが、グラスとグラスがぶつかり合う音は、いつだって小気味好いものだ。

 

「うお、このシャンパンうま……」

「当然だ。今日のために陛下が酒も料理も最高級のものを取り揃えるように命じていらっしゃるからな」

「そう言うメガネさんはジュースなんですね」

「私は下戸だ」

「あ、はい」

「くぅー! 仕事でタダで飲むビールはうまいな!」

「先生はもう少し言葉選んでください」

「すいません。ビールおかわりで!」

「騎士ちゃん。ペース早い。早いよ」

「えー?」

「えー、じゃありません」

 

 どこの世界にドレス姿でジョッキを空にするお姫様がいるんだよって感じである。おれの目の前にいてもうおかわりを頼んでいるんだよな。一応、空気を読んで一杯目をシャンパンにしたこちらの気遣いは何だったのだろうか。

 

「いやあ……お前たちも酒を飲める歳になったんだな。俺は嬉しいぞ。ビールもう一杯」

「先生もいい感じに言いながらしれっとおかわり頼まないでください」

「勇者くんってば、おかたいんですよ。先生、もう一回乾杯します?」

「ああ! 乾杯は何度してもいいからな!」

 

 もうダメだ。この酒豪どもは放っておこう。

 

「良い香りですわね。どちらのブドウでしょう?」

「西方の品種で作られています。まだあまり知られていませんが、目敏い貴族様方はすでにいくつかの農園に声をかけているようですよ」

「あらあら。それは是非、我が社も一口噛ませていただきたいですわね」

「大戦後、国外へのワインの輸出量が上がっていると耳にしました。やはり需要は高まる一方ですか?」

「ええ。人はお酒がなくても生きることはできますが、お酒があれば人生に酔えるでしょう? それが平和な時代なら、尚更というものです」

 

 こちらはこちらで、品の良いやりとりをしている。ツラと頭は良いだけに、ここだけ切り取ると上流の社交界みたいだ。おれは両方の中身を知っているのでなんとも言い難いむず痒さを感じてしまうが。

 

「賢者さん、ドレスと髪すっごいかわいいねぇ〜。ワタシ、びっくりしちゃった」

「どうも」

 

 騎士ちゃんと先生、死霊術師さんとバカイケメンの組み合わせで盛り上がる一方で、先輩はぐいぐいと賢者ちゃんに絡んでいた。

 そういえば、すでに面識があると聞いたことがある。前に賢者ちゃんがちょっといやそうな顔で話してくれた。

 

「賢者さん賢者さん。サラダ取ってあげよか? お魚好き? やっぱりお肉? ローストビーフあるよ?」

「自分でやるので結構です」

「先輩、ダメですよ。この子、野菜の好き嫌いわりと多いので」

「え〜! 好き嫌いはよくないなぁ。大きくなれないよ?」

「いや、先輩もわりと食べれない野菜多い気が……」

「後輩くんは少し黙ってようか?」

「あ、はい」

「うぜぇですね……」

 

 騎士ちゃんと先輩という世話焼きお姉さん二人に絡まれて、すでに賢者ちゃんがちょっと疲れた顔になっている。少しおもしろい。

 ごほん、とメガネさんが咳払いを一つして、全員の視線を集めた。

 

「話も弾んできたところで……それではまず、自己紹介からはじめようか」

「必要ないだろ」

 

 メガネさんの提案を、おれはざっくりと切り捨てた。

 ひどく慄いた様子で、メガネが曇る。

 

「自己紹介が、必要ない……?」

「いやほら、知り合いしかいないので……」

「馬鹿な……私は勇者殿とは本日初対面のはず……?」

「あんたのことはべつに知りたくないんだよ」

 

 なんで合コンに来てまで男の自己紹介聞かなきゃいけないんだよ。さらに言うならメガネさんの自己紹介はあんまり聞きたくないし知りたくもないよ。えぐい性癖とか出てきたら、おれは対処しきれる自信がない。

 

「そもそも、勇者さんの前で自己紹介というのは不謹慎なのでは? この人、名前を聞くことも言うこともできないわけですし」

 

 と、賢者ちゃんに突っ込まれてメガネさんはまた小さくなりかけたが、まるで賢者ちゃんの言動を先読みするか如く。それに関しては心配無用と言わんばかりに、数字が書かれた札を懐から取り出した。どうやらお手製らしく、色紙で作られていて素朴ながらかわいい。

 

「そこについては、そう言われるだろうと思っていたので問題ない。こちらで数字が書かれた番号札を用意させてもらった。会食中はこの番号札に書かれた数字で呼び合う予定だ」

 

 微妙にきちんとおれの呪いに寄り添った形で企画されてて、喜べばいいのか微妙なところだな。

 

「ちなみにこの番号札は陛下お手製だ」

 

 かわいい。ありがとうございます、陛下。

 

「では、ここはレディファーストということで、まずは女性陣から自己紹介をいただきたい」

「承知いたしました。では、僭越ながらわたくしから」

 

 メガネさんから一番の番号札を受け取った死霊術師さんに視線が集まる。

 

「一番。勇者さまのパーティーでは死霊術師を努めておりました。現在は運送会社を営んでおりまして、各地の名産品を集めることをささやかな趣味としております。本日は素敵な殿方のみなさんとお食事を共にできるということで、楽しみにして参りました。よろしくお願いいたしますわ」

 

 末尾に、にこりと微笑を添えて死霊術師さんは自己紹介を締め括った。

 仕事の内容に趣味を絡めつつ、しかし長すぎず内容は簡潔。トップバッターとして完璧な自己紹介と言えよう。相変わらずこういう社交の場では常識的な社会人を演じることに定評がある死霊術師さんである。

 

「いやあ、すばらしい。俺もこんな美人の社長さんがいる会社で働かせていただきたいものですなぁ」

「あらやだ。お上手ですのね」

 

 すかさず、対面に座る先生がいい感じに相槌を打ちつつ死霊術師さんの好感度を稼ぐ立ち回りをしている。

 すげえなこの人。対面に座ってる騎士ちゃんと先輩にゴミでも見るみたいな目を向けられているのに、まったく気にする様子がない。メンタルが鋼できてるのか? 

 

「でもわたくし、この中では一番歳上になってしまうでしょう? 今日いらしてる女性のみなさんは、全員若くてお綺麗じゃありませんか。ですので、少し恥ずかしくて……」

「はっはっは。何を仰いますか。女性の魅力は、年齢で決まるものではありませんよ」

 

 困り眉を作りつつ頬に手を当てた死霊術師さんに、先生がすかさずフォローを入れる。

 言ってることはすごくまともだけど、あんたは少し恥ずかしがった方がいいよ。

 

「ふふっ、ありがとうございます。団長さまも、お変わりないようで嬉しく思いますわ」

「…………初対面では?」

「あらあらあら。お忘れになられてしまったのですか? 魔王による洗脳を受けていたとはいえ、わたくしは団長さまのことをよく覚えておりますよ?」

 

 ぶわっと。先生の顔に冷や汗が広がった。

 余談だが、四天王時代の諸々のやらかしを、死霊術師さんは基本的に「魔王から洗脳を受けていた」の一点張りで乗り切ることにしている。結果的に魔王を裏切ってうちのパーティーメンバーの一員になったことや、会社の起ち上げに関連した諸々の功績があるとはいえ、剛腕過ぎる言い訳である。

 

「ふふっ……『俺の前に立った敵は、必ず殺すに決まっているだろう』でしたか? わたくしに対してあのように情熱的な言葉と殺意を向けてくださる殿方は中々いらっしゃらなかったので……とっても記憶に残っています」

「は、はは。いやあ〜、あの時は敵同士でしたから……そういうことも言ったかもしれませんな……」

「ご謙遜を。頭に振り上げられたモーニングスターも、わたくしの身体を余すことなく押しつぶした破城槌も、どれもとても情熱的でした。よろしければまた是非、殺していただきたいものです」

「あ、あははははは……」

 

 掲げられたワイングラスの、血のような赤が艶めかしい。

 先生がめちゃくちゃ「たすけて」みたいな視線を向けてきたが、おれは無視した。

 よかったね。覚えてもらってた上に、両想いでしたね。

 

「は、はーい! じゃあ次は、あたしの番だね。二番です。一応今日は、隣国のお姫様、的な立場でここに来ました! でも、特に立場とかは気にせずに、気軽にお話してくれるとうれしいです。よろしくお願いします!」

 

 死霊術師さんと先生のやり取りがこれ以上続くとまずいと判断したのだろう。

 すかさず騎士ちゃんが自己紹介をしつつ割り込んで、会話の中断を図った。どうでもいいけど教え子に合コンの席で助け船を出される先生ってどうなんだろうね。

 

「三番。宮廷魔導師です。バカな男に興味はありません。よろしくお願いします」

「もうちょっと何かないの?」

 

 やわらかい騎士ちゃんの自己紹介の正反対を行くように、賢者ちゃんの自己紹介は至って簡素だった。簡素過ぎて毒が漏れ出している。

 

「ははっ! 聞いたかい親友! いきなりボクとキミは眼中にないと言われてしまったよ!」

「お前なにしれっとおれをバカの括りに加えてるんだよ。はっ倒すぞ」

 

 メガネさんを挟んでいるせいでバカイケメンを叩けないのが恨めしい。

 

「じゃあ、最後はワタシかな。四番です」

 

 最後の一人。先輩が札を持ち上げて笑った。

 

「こう見えて第三騎士団の団長をしています! バリバリの現役の騎士です! 趣味は読書で、好きなものは昼寝!」

 

 にこりと微笑む先輩は、率直に言って魅力的だ。

 ワンショルダーのパーティードレスは、深い青色。髪は昔と比べて短く肩口にかからないくらいしかないので、賢者ちゃんのような凝った結い方はしていないが、左側を織り込んでまとめている。最も目を引いてしまう片目の眼帯についても、前に会ったときに着用していた飾り気のない黒一色のものではなく、レースの刺繍があしらわれた紺色のものに変わっていた。片目が隠れているアンバランスさすら魅力に変えてしまうのは、流石という他ない。

 総じて、華やかな装いである。その片目がちらりこちらを見て、口元が弧を描いた。

 

「普段はあんまりこういうオシャレとかしないんだけど、今日は意中の殿方を射止めるためにがんばってみました! どうぞよろしく」

「……」

「……」

「あらあらまあまあ」

 

 バチバチしている。何がとは言わないが、バチバチしていた。

 うんうん、なるほどね。合コンってこんな感じなんだな。雰囲気掴めたから帰っていいかな? 

 

「では、男性陣も自己紹介を」

「五番! 第一騎士団長だ! 勇者はおれの教え子だ! よろしく!」

「六番。第五騎士団団長です。みなさんが夢中の彼とは、学生時代からの親友です。趣味で筆も取っているので、今日は良い執筆のネタを探しに来ました。よろしくお願いします」

「七番は私だ。第四騎士団長、及び本日の司会進行を務めさせていただく」

 

 ……そういえば、おれの札だけ何故か数字がなくて赤色だ。

 

「……えー、八番、なのかな? 勇者です。思ってたより知り合い多くて、安心してます。よろしくお願いします」

 

 わかってはいたが、男側の自己紹介があまりにも適当過ぎる。おれ以外全員騎士団長だから、なんか数字がややこしいし。どこか適当な国を落としに行きますと言っても信じられそうな面子なんだよな。

 

「では、自己紹介も済み、場が温まったところで、レクリエーションに移らせてもらおう」

「レクリエーション?」

「ああ」

 

 メガネさんがパチン、と指を鳴らす。

 どこからともなく現れたメイドさんが持ってきたのは、中に手を入れられるような構造の箱だった。

 

「これは?」

「王様ゲームだ」

「王様ゲーム」

 

 なんか……すごい下世話で宴会っぽいの来たな。

 

「ルールは簡単。この箱に一番から七番までの数字。そして王様を示す一枚の赤い札を戻してシャッフルする。ちなみにこちらのボックスも陛下の手作りだ」

 

 もっとべつの公務させろよ。

 

「王様の赤い札を引いた人間は、数字と命令を宣言。その内容に従わなければならないというわけだ。例えばこの場合は、赤い札を持っている勇者殿が王様にあたる。勇者殿、ものは試しの余興だ。何か命令を出してみてくれ」

「え、番号わかってるのにいいんですか?」

「軽いものであれば問題無い」

「うーん……じゃあ」

 

 軽いもの、と言われておれは天井を仰いだ。

 

「七番さんが三番さんにお手、で」

 

 言うまでもなく、七番はメガネさん。三番は賢者ちゃんである。

 

「……」

「……」

 

 賢者ちゃんが躊躇いなく差し出した手のひらの上に、メガネさんが手を置いた。なんというか「くっ殺せ……」と言わんばかりの表情だった。

 嗜虐的な笑みを浮かべて、賢者ちゃんが問う。

 

「いつもの鳴き声は?」

「…………わん」

 

 オプション付けろとまでは言ってないんだよな。

 ていうか、いつもの鳴き声ってなに? 

 

「なるほど」

「なるほど」

「なるほど」

 

 だが、ゲームの知らない人たちに雰囲気は伝わったらしい。特にイケメンバカに至っては、どこからか取り出したメモ帳にキラキラした顔でペンを走らせている。多分未成年に見せられないような文章を生成しているのだろう。

 

「くっ……なんという屈辱。だが、これこそが王様ゲームの醍醐味」

「少し楽しんでませんか?」

「では、全員の札を回収し、もう一度配布する。配った札の番号は合図するまで見せないようにしていただきたい!」

「メガネさんほんとメンタル強くてすごいと思います」

「あ、すいません。リンゴジュースおかわりください」

「自由か?」

 

 実に混沌とした進行だったが、一応ルール説明と準備は済んだ。全員から回収された札をメイドさんが受け取って箱の中でシャッフル。再び取り出し、裏側にしたまま配られる。

 

「それではいくぞっ! 王様だーれだ!」

 

 札を捲って確認する。

 おれの番号は……七番か。

 

「ふっ……やはりボクは天運を引き寄せる才を持っているようだね」

 

 イケメンバカがドヤ顔で赤いカードを見せびらかした。

 最初の王様がコイツかぁ……。

 

「幸運の女神は、常に勝利を求める者に微笑む……王になる気はないけれど、楽しみをもたらしてくれるこの幸運には感謝の意を表明しよう」

「いいからはやく命令しろよ」

「ああ。悪いがボクは、生半可な命令を出す気はないよ。仮にも、最初のキングだからね。ゲームは楽しみたい」

 

 ぴん、と。

 人差し指を立てて。

 

「では、王様から最初の命令だ。()()()()()()()()してもらおう」

 

 バカは最初からかっ飛ばしてきた。




みなさんのお酒事情

勇者くん
弱くはない。が、パーティー内では強い方ではない。なんでも飲むが炭酸キツめで割られたお酒が好き。

騎士ちゃん
強い。ビールをガバガバ飲み続けるタイプ。自分の魔法でジョッキを常にキンキンに冷やすという芸当が可能。他のお酒も飲めるが、ワインが体質的にやや合わないらしく、死霊術師さんとサシで飲むと付き合わされて敗北する。完全に酔いが回るとお世話焼き気質から甘えん坊になる。

賢者ちゃん
すごく弱い。飲ませてはいけない。炭酸は未だに少し苦手。ジンジャーエールもそこまで好きではない。

死霊術師さん
馬鹿みたいに強い。ずっと微笑みながら度数の高いものを飲んでる。いくら飲んでも記憶が飛ばない。四天王でも一番酒が強かった。
魔王軍時代に抑えた占領地では、酒の流通などに積極的に手を出していたらしく、現在でも会社で扱うメインの流通品の一つとなっている。個人的に好きなのは赤ワイン。

先輩
ヤバい。

ひげのおじさん
まあまあ強い。ビールが好き。ガバガバ飲んで気持ちよく酔って快活に笑って、普通に吐いて記憶飛ばすタイプ。酔ってもだる絡みしないタイプの体質。酔いすぎると筋肉を縮めてすみっこに移動するので、逆に他の人が絡みに行くらしい。

バカイケメン
すごく強い。現在のメンバーでは死霊術師さんの次。うんちくを聞きながら酒を楽しみたいタイプ。好みはウィスキー中心。年代物のボトルを棚に並べて見てるだけで楽しめるコレクター気質でもある。お酒との付き合い方が上手い。

メガネさん
下戸。オレンジジュースが好き。


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合コンと女王陛下と赤髪ちゃん

 おれは、目前に迫るそれを、信じられない気持ちで見詰めていた。

 

 呼吸が荒い。

 胸が高鳴る。

 唇が迫る。

 

 あと、ヒゲ。

 

「うわぁあああああああああ!」

「おい、動くな。大人しくしろ」

 

 一番が七番にキス。

 それが、最初に王様になったバカイケメンの命令であった。

 七番はおれ。一番は先生。

 それが、現実であった。

 死ぬ。死んでしまう。精神的に。

 

「来るなっ! 来るなぁ!?」

「暴れるな。安心しろ。すぐに終わる」

 

 いかがわしいセリフを吐きながら、いかついおっさんの顔が近づいてくる。

 いやだっ! いやだ! 

 おれは婚活に来たんだぞ!? 

 何が悲しくて、こんなヒゲ面のおっさんとキスしなきゃいけないんだ! 

 

「すごい悲鳴だね勇者くん」

「こんなに絶叫する勇者さん、四天王の第三位に左腕をぶった切られた時以来ですね」

 

 騎士ちゃんと賢者ちゃんがのほほんとそんなことを言う。完全に他人事である。

 おれは必死で抵抗しながら、顔を近づけてくる先生に語りかけた。

 

「いいんですか先生!? おれは教え子ですよ!? 教え子に飲みの席でキスとかもう完全にアウトですよ! アウトだろ! 事案だ事案!」

「いいんじゃないか? 男同士だし」

「その開き直りをやめろ!」

「大体、こういう催しでトップバッターが恥ずかしがったら……ほら、場が盛り下がってしまうだろう?」

「いらないんだよそういうサービス精神は!」

 

 そんなおれの絶叫すらも心地良い音楽だという風に、この状況の元凶であるバカイケメンが、ワインを掲げて微笑む。

 

「ふっ……王様の命令は絶対だよ。親友」

「てめえあとで覚えてろよ!」

 

 同じように、ワインを掲げる死霊術師さんも微笑む。

 

「ふふっ……殿方同士で絡み合う、というのも中々」

 

 おれを酒の肴にするな! 

 

「へいへーい。キ〜ス、キ〜ス!」

 

 先輩はジュース片手にもう酔っているのか、ガキみたいなコールをしながら手を叩いていた。あの残念美人、本当にこういう時は残念さが際立つ。

 

「大丈夫だ。やさしくするから」

「あーっ!」

 

 魔力による筋力増加も入れて、わりとマジの本気で振り払おうとしているのだが、丸太のような先生の腕は、びくともしない。やはりこのヒゲ、基礎的なパワーがイカれている。もはやヒゲゴリラだ。

 しかし、無抵抗なままではやられてしまう。こう、精神的に。

 唇が頬に近付く。もう、振り解くのは絶対に間に合わない。かくなる上は……! 

 

()()()……ベリオット・シセロ」

 

 腕力がダメなら、頼れるのは魔法のみ。

 おれは、極めて小さな小声で呟いた。

 

泡沫無幻(インスキュマ)

 

 触れてさえいれば、どんな体勢、拘束状態からでも瞬時に発動できるのが魔法の優れた利点である。

 まだ使いこなせている、とは言い難いが『泡沫無幻(インスキュマ)』は触れた相手に幻覚を見せる。これで先生に幻を見せれば……。

 

「ん? 今、何かしたか」

 

 だめでした。

 効いてない。全然効いてない。

 昔もよくあることだった。貰い受けたばかりの魔法は、上手く扱えないことがあるのだ。特に魔法によってもたらされる効果が単純ではない場合……精神干渉などの複雑で繊細な変化を与える魔法……に、その傾向が強い。どうやら泡沫無幻(インスキュマ)もその例に漏れず、使いこなすのに少しコツがいるタイプのようだった。精神干渉系の魔法なので、簡単に試し撃ちしたり、練習したりできなかった弊害が、こんなところで牙を剝いてきた。

 おれ、こんなんじゃ、魔法を貰ったベリオットさんに顔向けできねえよ……。

 くそっ……ならば、さらに、かくなる上は……! 

 

「……ふぅ」

 

 ぶちゅり。

 頬に、口吻の感触があった。

 騎士ちゃんと賢者ちゃんが「うわあ」という表情でこちらを見る。先輩は爆笑しながら手を叩いている。メガネさんは直視に耐えない、という様子で顔を背けていた。

 しかし、周囲の反応とは対照的に、おれの精神にダメージはない。

 おれは今、()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「……なんか、もっと嫌がると思ったのに、最後はすんなり受け入れたな?」

「っ……はぁ、はぁ……」

 

 ()()()()()()()()、不思議そうな先生の顔が間近に浮かぶ。

 ぐわり、と視界が揺れる。

 現実を認識して、全身からどっと汗が吹き出した。

 

「……? 勇者さん、今なんか魔法使いませんでした?」

「使ってないよ」

 

 目敏い賢者ちゃんの追求を躱す。

 一般的に、魔法によってもたらされる効果は、他人よりも自分の方がコントロールしやすい傾向にある。例えば、騎士ちゃんの『紅氷求火(エリュテイア)』などは、他人の体温を変化させるよりも、自分の体温を変化させる方が、細やかな調整が利いて簡単らしい。

 おれの『泡沫無幻(インスキュマ)』の使用法は、極めてシンプルだ。

 自分自身に幻覚をかける。これにより、先生を妙齢の美女だと思い込むことで、おっさんのキスによる精神ダメージを低減させることに、見事に成功した。

 危ないところだった。なんとか精神崩壊は避けることができた。

 ありがとう、ベリオットさん……! 

 おれは、心の中で感謝した。

 

「満足そうな顔してますけど、なんかすごく下らないことに魔法使ってません?」

「使ってないよ」

 

 鋭い賢者ちゃんの追求を避ける。

 

「次だ次! 次のゲーム行くぞ!」

 

 おればっかりがこんな思いをするのは納得いかない。

 再び札を集めて、引き直す。

 運が向いてきたのか、おれの手元に来たのは、数字が書かれていない赤い札だった。

 

「よし。王様はおれだ」

「いいじゃないか、親友。それで、どんな命令をするつもりだい?」

「悪いが、おれ以外にも恥ずかしい思いをしてもらう。四番さんがその場で三回まわってワンと鳴き、三番さんにお手だ」

 

 すくっと。メガネさんが立ち上がった。

 札が提示される。四番だった。

 右足を軸に、その場で滑らかに三回転する。ブレがない。見事な体幹だ。

 

「わん」

 

 鳴き声も堂に入っている。

 

「……」

 

 無言のまま、賢者ちゃんが三番の札を上げる。

 つかつかと歩み寄り、メガネさんは右手を胸の前に掲げ、賢者ちゃんにお手した。

 深い碧色の瞳が、呆れたようにこちらを見る。

 

「……まったく、本当に勇者さんはダメダメですね。普段やっていることをあらためて命令しても、おもしろくもなんともないでしょう」

 

 これ、おれが悪いのか? 

 普段からこんなことをやっている関係性の二人がピンポイントに当たりくじを引いてることに問題があるんじゃないのか? 

 

「賢者殿の言うとおりだ。勇者殿、少しはこのレクリエーションの本質について考えてから、お題を出していただきい。私は既に賢者殿の犬になってお手をしているのだから、そんな命令を再び出しても場が盛り下がるのは自明の理だろう?」

 

 賢者ちゃんだけでなく、メガネさんにまで溜め息を吐かれながらダメ出しをされる始末である。どうでもいいけど、ついさっきまで三回回ってワンと泣いてお手をしてた人間に本当に呆れたみたいな雰囲気でダメ出しされるの、すごく腹立つな……。

 

「お、今度はおれが王様のようだな」

 

 三回目。先生が少し嬉しそうに、引き当てた赤い札を見せびらかした。

 

「くだらない命令しないでくださいよ」

「当たり前だ。俺をなんだと思ってるんだ」

「ウキウキで生徒と王様ゲームやるおじさんだと思ってますよ」

「では命令を出そう。二番が六番の最も好きなところを言う、だ」

 

 キスしてくるヒゲのおじさんにしては、まともなお題が飛び出してきた。キスやワンコごっこに比べれば、特に恥ずかしい命令ではないはずだが、騎士ちゃんや賢者ちゃんは顔を見合わせて、少し顔を赤くしている。

 

「六番はおれですね」

 

 おれが札を出すと、してやったり、という風な顔で先生が笑った。

 まあ、たしかに。好きなところを相手にはっきりと口に出して言われる、というのは少し恥ずかしいかもしれない。

 

「二番はわたくしですわ〜!」

 

 しゅばっ!と。

 死霊術師さんが引き当てた数字をとても嬉しそうに提示した。

 

「ああっ……みなさんの前で、勇者さまの一番好きなところを、口に出して言うなんて……恥ずかしい……恥ずかしいですが、王様の命令は絶対なのでしょう? それなら、皆様にきちんとお伝えするしかありませんわね」

 

 うねうねと体をくねらせながら、死霊術師さんはおれに熱い視線を向けて言った。

 

「わたくしの、勇者さまの、一番好きなところは……わたくしを殺してくれそうなところです」

 

 言っちゃった……みたいな感じで、死霊術師さんが顔を両手で覆う。言ってることはこれっぽっちも可愛くなかったが、その動作だけは可愛かった。

 賢者ちゃんと騎士ちゃんが、文字通り死んだ顔で死霊術師さんを見る。

 先輩は爆笑している。

 先生は「お前ほんとになんでこの人仲間にしてんの?」みたいな顔でこちらを見ていた。

 うん。はい、次。次行こう、次。

 

「あ。やった。あたしが王様だ」

 

 四回目。次に赤い札を引き当てたのは、騎士ちゃんだった。ぐびぐびとビールを飲みながら、今日に限っては結っていない金髪が思案するように左右に揺れる。

 

「うーん……じゃあね、一番さんが五番さんの好きなところを言う!」

「それさっきと同じじゃない?」

「ただし百個!」

 

 多いよ。重いよ。

 さては騎士ちゃん、ちょっと酔ってきてるな? 

 普通、人の好きなところを百個言うなんて無理なんだよな。ていうか、一番またおれだし……

 

「五番は誰?」

「あ、私です……」

 

 賢者ちゃんか。

 それならまぁ、なんとかなるか……。

 

「やさしい。魔術が上手い。頭が良い。字がきれい。勉強熱心。周りをよく見てる。お花が好き。あと、水やりとかのお世話がマメ。自分の考えをはっきりと言える。できないことをできるようにするために努力を惜しまない。一度見たもの、聞いたことを滅多に忘れない。銀髪がきれい。鉛筆を最後まで使う。肌がきれい。子どもの面倒見がすごく良い。知らないことを積極的に知ろうとする。口は悪いけど思い遣りがある。自分の考えを相手が理解できるように言語化できる。ねことすぐ仲良くなれる。杖とかの道具をとても大切にしてる。めちゃくちゃ読書家なところ。わからないことを、わからないままにしない。口では文句を言うけど、なんだかんだ頼めばやってくれる。背伸びしてるところ。素直じゃないところ。常に先を読んで行動してくれるところ。ローブがよく似合う……」

「勇者さん、勇者さん……」

 

 慌てて立ち上がった賢者ちゃんに肩を掴まれて、止められた。

 なんだろう。まだ二十九個くらいしか言えてないんだけど。

 

「も、もういいです……」

「え? でも……」

「もう大丈夫です」

「あ、はい」

 

 下を向いているので顔色は見えなかったが、よくよく見ると、いつもはフードと髪に隠れている尖った耳が、薄い朱色に染まっていた。

 

「いいなぁ……王様の好きなところを百個言え、っていう命令にしておけばよかった」

「ははっ。気持ちはわかるけど、それはダメだよ」

 

 騎士ちゃんとバカイケメンも、ニコニコと顔を伏せる賢者ちゃんを見ていた。

 

「では、次だ」

 

 なんだかんだと、楽しく進行していくゲーム。

 ここで止めておけば……と。そんな後悔を胸に抱く羽目になることを、この時のおれはまだ知る由もなかった。

 

 ◇

 

 おもしろい舞台が目の前にあれば、最初から最後まで余すところなく観賞したい。それは、人間として当たり前の思考である。

 ましてや、数合わせとして決して暇ではない騎士団長たちに声をかけ、世界を救ったパーティーメンバーの一人一人を誘い、王城の一室を貸し出し、最高級の食事と酒を手配し、自らレクリエーションに使う小道具を作成した一国の女王が、合コンを余すところなく監視して楽しみたいと考えるのは、至極当然であった。

 

「くっくっく……ぶっふふ……あっははは!」

 

 予め、シャナに設置させた遠見の魔術。それによって水晶に映し出される王様ゲームの様子を眺めながら、ユリン・メルーナ・ランガスタは人目を憚らず大笑いしていた。

 

「今の見たか!? お兄ちゃんが、お兄ちゃんがスターフォードにキスされたぞ! 傑作だなぁ! これは!」

 

 ユリンが同意を求めたのは、傍らで遠見の魔術を維持しているもう一人のシャナ……()()()()

 テーブルを挟んでもぐもぐと食事をしている、赤髪の少女の方だった。

 

「不満そうだな。魔王ちゃん」

「……魔王ちゃんはやめてください。陛下さん」

 

 決して機嫌が良いとは言えない少女を宥めるように、ユリンは言う。

 勇者には内緒で、こっそりと。合コンの日取りに合わせて、ユリンは少女を王宮に呼び寄せていた。

 

「お兄ちゃんが合コンに繰り出して拗ねる気持ちはよくわかるが」

「べつに拗ねてません」

「しかしこういった催しを余が開いたのには、きちんとした理由があるのだ」

「べつに説明を求めてもいません」

「食事のクオリティに関しては、あちらと遜色ないものを用意させたぞ」

「はい! とってもおいしいです!」

 

 ご飯に、嘘は吐けない。

 食い気味に笑顔で返答してしまったことに、自分で恥ずかしくなったのか。少女はスプーンを咥えながら、恥ずかし気に視線を落とした。

 

「というか。そもそも陛下さんは、なぜわたしとお食事を? 陛下さんも、あちらの合コンに混ざればよかったのでは?」

「いや、余まだ未成年だし。お酒とか飲んだらダメだろ」

「なんでそこだけはしっかりしてるんですか!?」

「余、国家元首ぞ? 王が法律を守らんでどうする?」

「いや、それはそうなんですけど」

「それにほら。酒が入る場に未成年で素面の年下の人間がいても、みんな遠慮するだろう?」

「だからどうしてそういう配慮だけは完璧なんですか!?」

 

 渾身のツッコミを受け流しつつ、ユリンはひとしきり笑って溢れてきた涙を手で拭った。

 

「まあ、しかし。お前を仲間外れにしてしまったのは、正直悪いと思っておる。すまなかったな」

「べ、べつにそんなことは。ご飯もおいしいですし」

「ああ、うん。食事を満喫しておるのは、見ればわかる」

 

 すでにうず高く積み上げられている皿がその証明である。

 

「お兄ちゃんはお前にべったりだし、お前も勇者にべったりだろう? こうでもしないと、二人きりできちんとゆっくり話す機会が中々設けられないと思ってな」

「やはり、魔王のわたしが信じられないと。そういう話ですか?」

 

 やや警戒の色を強くした語調。しかしそれに対して、ユリンはあっけらかんと首を振った。

 

「いや全然」

「え」

「ただ、余がお前とデートしたかっただけ」

「でっ!?」

 

 休みなく食事のために動いていた手がぴたりと止まって、赤髪の少女の顔が赤くなる。

 ああ、いいなぁ。からかいがあるなぁ、とユリンは内心で黒く笑った。

 正直に言えば、勇者の少女への扱いに嫉妬がないわけでもなかったが。こうしてからかって反応を楽しんでみると、勇者(お兄ちゃん)が過保護に可愛がるのも頷けるというものだ。

 

「余は現女王。お前は元魔王。似通うものがある同士、二人きりでデートしてもなんの不思議もなかろう?」

「不思議しかないですけど」

「あと余はかわいい女子に目がなくてな」

「わたしの方が歳上なんですが!?」

「歳下に責められるのも悪くなかろう? 余はかわいいしな」

「自分で言わないでくれますか!?」

 

 事実としてユリンの顔はとても良いので、赤髪の少女はますます赤面して顔を背けた。

 

「そもそも、そういう問答は前回しただろう? なんだ? わざわざもう一回追求してほしいのか?」

「いえ、べつに追求してほしいわけではありませんが……」

 

 軽く鼻を鳴らして、ユリンは立ち上がった。

 

「余が話したいのはな。お前自身のことだ」

「わたし自身の?」

「それなりに前の話になるが、お兄ちゃんがお前をひろったあと、アリアのところに向かっただろう? 悪魔の襲撃やら何やらで有耶無耶になってしまっていたが、あの時、お兄ちゃんはお前の身辺調査を依頼していてな」

 

 まず最初に、魔術の心得があるシャナの元で体に異常がないか、徹底的に調べ上げ。

 そして次に、領主であるアリアの元で、戸籍などの調査を行う。

 記憶喪失で身元のわからない少女に対して、勇者の行動は無駄のないものだった。

 

「アリアから事情を聞いて、余の方でも働きかけてみた。結論から言ってしまえば、こんな名前の人間は、ステラシルド王国の中には存在しなかった」

「それは……そうでしょうね」

 

 赤髪の少女は頷いた。

 自分の名前は、ジェミニが適当に名付けたものだ。そもそも記憶喪失という自己申告が嘘だった以上、名前を元にした調査は、最初から意味のないものだったことになる。

 

「ただし。それは、生きている人間の話だ」

「え?」

「報告が遅れたのは、そのせいだ。余が知らせを受けたのも、つい数日前のことになる。過去の故人まで徹底的に漁らせた結果……お前とまったく()()()()()()()()()()が、見つかった」

 

 テーブルの上を、紙が滑る。

 薄い一枚の用紙に書かれたその情報に、赤い瞳が大きく見開いた。

 

「……これって」

「それを悪魔の気まぐれと捉えるか。あるいは、ただの偶然と取るかは自由だ。しかし、運命のいたずらとして片付けるには、やや出来すぎのように、余は思える」

「……このことを、勇者さんは?」

 

 遠見の魔術の維持に徹していたシャナが、ようやく口を開いた。

 

「まだ知りませんよ。知っているのは、私と陛下とあなただけです」

「うむ。お兄ちゃんは心配性だからな」

 

 それはある意味、二人の気遣いだった。

 

「……ありがとうございます」

「構わぬ。良い女は、秘密の一つや二つ、持っているものだ」

 

 疑問があった。

 少女はかつて、魔王と呼ばれる存在だった。

 魔王の残滓は、勇者の中に呪いとして宿っていて。だからこそ、魔王の意識は不完全に、現在の少女の形を取った。

 

 しかし……それは、心の話だ。

 

 少女は、悪魔の言葉を思い出す。

 目覚めた時に、言われた言葉を、思い出す。

 

 ──借り物の器に、不完全な中身。何もかも足りないけど、何もかも足りないなら、これから満たしていけばいい。

 

 借り物の器、と。

 ジェミニはそう言っていた。

 スプーンを握る手。食事を楽しむ舌。相手を見る瞳。

 それらを、当たり前のように少女は自分自身の肉体として認識してきたが。

 けれども自分は、()()()()()()()()()()()()()()()()、何も知らないのだ。

 

「一つ。考えられる可能性がある」

 

 腕を組み、ユリンは少女を真っ直ぐに見据えて、告げる。

 

「もしかしたら、お前の身体は……」

 

 だがそこで、若き女王はぴたりと言葉を止めて、水晶の中を凝視した。

 

 

 

 

 

 

「あ、ちょっとまて。ユリシーズがお兄ちゃん押し倒した

 

 大事な話がすべて吹き飛んだ。




お知らせです。2巻が今月の20日に出ます!

https://tobooks.shop-pro.jp/?pid=171799189

十万時の加筆(という名のほぼウェブにないお話)に加え、今回も前回に引き続き、書き下ろしのラインナップが三本。

①書籍 賢者ちゃんから見たパーティーメンバー(の第一印象と客観的な評価)のお話
②電子書籍 赤髪ちゃんが強くなるためにがんばって修行するお話
③オンラインストア 魔王様がレストランでウェイトレスをすることになったので最上級悪魔たちが揃ってメシを食いに行くお話

となっております。よろしくお願いします。


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世界を救った女たちによる超高度恋愛心理戦

 酒に酔わないコツというものをご存知だろうか。

 様々な種類の酒を、一気に飲まない。

 空きっ腹に酒を入れない。

 いろいろと注意すべきことは多いが、最も重要なのは、こまめに水を飲んでお手洗いに行くことである。酒を飲んでると酒ばっかり飲んで気持ちよくなりがちだが、アルコールというものはものすごくざっくりと言ってしまえば人体に対して毒以外の何物でもない。なので、摂取した分は水を飲んで薄めるに限る。

 そんなわけで、盛り上がっていた王様ゲームを抜けて、お手洗いに来ました。

 

「ふぅ」

「ほほう。なかなかのものだね、勇者の下半身の聖剣は」

「やかましいわ。こっち見るな」

 

 しれっと右隣に連れションしに来たバカの頭を叩きたかったが、用を足している最中なのでそれもできない。

 

「入学初日に下半身を晒して突きあった仲だろう? 今さら何を恥ずかしがっているんだい。親友」

「重ねてやかましいわ」

「ふー。飲んだ飲んだ。やはり若者と飲むのは良いな。なんかもう単純に楽しい」

「感想がおっさんですよ、先生」

 

 バカイケメンと同じく、極々自然に左隣に連れションしに来た先生が、豪快にズボンを下げる。

 すっ。ぼろん。

 うお、でっか……。

 

「先生。負けました」

「やかましい。こっち見るな」

 

 男三人。揃って並んで下半身を出して用を足す。

 完全にバカみたいな構図だが、こうしていると昔に戻ったみたいだ。

 とはいえ、

 

「べつに全員揃ってトイレに行かなくてもいいでしょうに」

「つれないことを言うなよ親友。連れションは男友達の嗜みだろう?」

「嗜みたくねぇよ」

「俺は単純にビール飲みすぎた」

「先生はエンジョイしすぎです」

「でもほら、男同士じゃないと話せないこともあるだろう?」

「だからトイレに、ってことか?」

 

 おれがそう聞くと、後ろから水が流れる音がして、個室の扉が開いた。

 

「そういうことだ。勇者殿」

「えっと。おっきいのでました?」

「ああ。快便だった」

 

 このメガネさん、イケメンなのは間違いなんだけど、キメ顔でトイレの個室から出てこられると残念感がものすごいな。

 

「私のうんこの話はどうでもいい。ここでしか話せない話をするべきだろう」

「待ってください。ここはお手洗いなのだから、うんこの話をするのはある意味当然では?」

「お前もう黙ってろよ」

 

 ていうか、この人この顔とキャラでうんことか言うんだな……。

 

「うんこではない。男子が合コンの連れションでする話といえば一つ……そう、場が温まってきたこの頃合いで……どの子を狙いで仕掛けていくか、だ」

 

 几帳面に手を洗いながら、メガネさんが言った。

 ああ。そういう感じの。

 まあ、たしかに。狙いの女の子が被ったら争いの種になるのは間違いないし、互いの好みを把握しておくのは間違いではない。

 

「そういうことなら、俺はやはり死霊術師さんでいく」

「先生、まじでブレませんね」

「ああ! あのちょっとヤバそうな感じ、最初はこわかったが、少し癖になってきた」

「いや、ヤバそうじゃなくて死霊術師さんは実際ヤバいんですけど」

 

 なんで戦場で直接相対した元魔王軍四天王を落とせると思ってるんだろう。やっぱ物理的に命を叩き潰したことがあるからだろうか。経験に基づく自信ってすごいね。

 しかし、先生に関してはもう女性の好みがわかりきっているので、比較的どうでもいい。

 おれは背後の生真面目な面構えに、話を振った。

 

「メガネさんはどうなんです?」

「実は、ここだけの話なんだが……」

「はい」

「自分は、その……少し賢者殿が気になっている」

 

 うん。これも知ってた。

 

「メガネさんの性癖を否定するつもりはありませんが、あまり賢者ちゃんに変なプレイを強要しないでくださいね」

「……まるで、私が踏まれたり首輪を付けられたりするのが好きだと思っているようだな、勇者殿」

「違うんですか?」

「否定はしないが」

「否定はしろよ」

 

 なんでそこは否定しないんだよ。

 お願いだから否定してくれよ。

 

「はいはい。くだらない話はこれくらいにして、さっさと戻りますよ。あんまり女性陣を待たせて、あらぬ疑いをかけられえたくないし」

「おっと。さらっと逃げようとしているようだけれど、親友であるこのボクの目は誤魔化せないよ」

「なんのことだ?」

「とぼけていないで、はっきり答えてほしいな。ここには、ボクたちしかいないわけだし」

 

 バカイケメン、もといおれの悪友は、求めていた獲物をついに見つけたような瞳で。

 絶対に逃さないと言いたげに、問いかけてきた。

 

「親友、キミの本命は誰なんだい?」

 

 ◇

 

 馬鹿な男連中がお手洗いに立っている間、当然会場には女子だけが残る。

 

「で、みんなは後輩くんのどんなところが好きなの?」

 

 イト・ユリシーズは馬鹿な男連中がいない間に、でかい爆弾を落としにかかっていた。

 賢者、シャナ・グランプレはジンジャーエールをちびちびとすすりながら、じっとりとした視線を隣に向ける。

 

「ユリシーズ団長」

「イトでいいよ、賢者さま、じゃなくてシャナちゃん。今日はオフだし、お互いに堅苦しいのはぬきでいこ?」

「では、イトさんと呼ばせていただきます。イトさん、その質問は、まるで私達が勇者さんのことを異性として好いていることを前提にしているように感じるのですが……」

「え、違うの?」

「……それについては答える義務がないので黙秘するとして」

「ワタシは後輩くんのこと、好きだよ」

「……あなたが勇者さんのことを好いているか否かは、かなりどうでもいいですし、別に聞いてもいないですし、本当に興味もないのですが、私がここで訂正しておきたいのは……」

「だからこの前も、ほら……キス、しちゃったわけだし。シャナちゃんは後輩くんとしたことある? ちゅー」

「がるるるっ!」

 

 あまりにも会話のキャッチボールができないので、シャナは人間として言葉を交わすことを放棄して、獣として唸り声を上げることを選択した。

 ビールのジョッキを空けることに集中していたアリアが、さすがに止めに入る。

 

「シャナ! ステイっ! ステイ! 先輩こういう人だから! ほんとに元々こういう感じだから!」

「アリア? こういう人ってどういう意味かな? 尊敬すべき先輩に向かって」

「だって先輩わかっててやってるでしょう!?」

「そりゃあねえ。だってここにいる全員、ワタシにとっては恋のライバルであるわけだし。ワタシだけは後輩くんのパーティーメンバーじゃないから、ちょーっと仲間外れ感はあるし。敵情視察はしときたいでしょ」

 

 からからとそう言うイトに、アリアは深めの溜息を吐いた。

 まったくもう、と呟きながら、アリアは懐から小さな包み紙を取り出し、勇者の使っているコップにその粉末状の中身をさらさらと入れる。

 

「大体、イト先輩は……」

「まってまってまって!? 今なに入れたの!?」

 

 立場を完全に逆転させて、今度はイトがアリアにツッコミを入れた。

 危なかった。あまりにも動作が自然過ぎて、スルーしてしまうところだった。

 

「え? なにって見ての通り。勇者くんのコップに薬を入れただけですけど……」

「なんで当たり前のように本人がいないところで薬入れてるの!? ダメでしょそれは!? ていうかなんの薬!? こわいんだけど!?」

「あ、大丈夫です。これはアルコールの分解を助ける、二日酔いとかに効果がある薬なので。勇者くん、二日酔い引きずるタイプだからこういうのあった方がいいんですよね。いつもの睡眠薬とかじゃありませんよ」

「いつもの睡眠薬……?」

「イトさん。ステイ、ステイですよ。アリアさんはわりと普通に勇者さんに薬を盛ります」

「それいいの? 食事に薬盛るってパーティーメンバーとしてわりとやっちゃいけないことしてない?」

 

 明るいアリアの笑顔の裏に、闇を垣間見る。

 イト・ユリシーズは確信した。

 やはりこのパーティーの倫理観はおかしい。

 

「まあ、勇者さまはいろいろと無理をしてしまう方なので。アリアさまがお薬を盛ることで、事態が好転することは多々ありました」

 

 ワインのおかわりを勝手に注いでいるリリアミラが、補足して言う。

 

「そ、そうなんだ……」

「ていうか勇者さんももはや、何入れられても特に気にしないまでありますね。いつでしたっけ? あまりにも効果が強い薬盛りすぎて、二日くらい起きなかったの。あの時はさすがにちょっと怒ってましたけど」

「左腕がなかった時期でしょ。腕なくても無茶しようとするから、さすがに薬盛ってでも止めるよね」

 

 軽い調子で繰り広げられる会話のインパクトが、いちいち強い。

 

「……なんか、そういうのを聞いてると、やっぱりうらやましくなっちゃうなあ」

「うらやましい?」

「うん。うらやましいよ。ワタシはみんなみたいに、後輩くんと冒険したわけでも……()()()()()()()()()わけでもないから」

 

 勇者くん、後輩くん。

 イトはあえて、その名称を使い分ける。

 勇者のパーティーは、勇者を除いて、全員が女性だった。リーダーである勇者以外、メンバー全員が女性で構成されていた、というその事実を「英雄色を好む」とはっきり馬鹿にする人間もいるが、そういった批判は多数派ではない。

 それは、勇者が実際にそのパーティーを率いて魔王を討ち倒したから。なにより、そのパーティーの戦いぶりを目にした人間が、疑いを持たなくなるからだ。

 

 勇者は、世界を救うことだけを考えて、自分の仲間を選んできた。

 

 ここにいる彼女たちは選ばれて。

 自分は選ばれなかった。

 イトの中にはどうしても、そういう意識が残っている。

 

「もちろん、今は負ける気がしないけどね」

「……でも、結局。あたしは勇者くんを守れませんでした」

 

 ぽろり、と。

 アリアが、そんな言葉を溢した。

 それまでのほほんと言葉を紡いでいたイトの唇が、ぴたりと止まる。

 

「魔王の最期の攻撃から、勇者くんはあたしを庇って。そのせいで勇者くんは呪いにかかって。あたしのせいで、勇者くんは自分の名前も、みんなの名前もわからなくなって」

 

 それはある意味、アリアがずっと心の中に鍵をかけて仕舞い込んできた感情だった。

 今、この瞬間。勇者がこの場にいないからこそ、できる話だった。

 

「勇者くんは、みんなの名前を呼べないのがつらくて。みんなは、勇者くんに名前を呼んでもらえないのがつらくて。この一年間は、互いにそんなつらさを、見て見ぬ振りをしてきた時間で」

 

 ──まあ、立場もあるだろうし、勇者くんがいろいろ悩むのはわかるけどさ。でも、そんな風に迷ってると、好きな人とちゃんと恋愛して、結婚できる機会もなくなっちゃうかもしれないよ? もちろん、あたしが心配することじゃないし、余計なお世話かもしれないけどさ

 

 婚活をしたら、と。

 彼に向けて伝えた言葉は、決して嘘ではない。

 ずっと一緒に冒険をしてきた。だからこそ、ずっと一緒に冒険してきた仲間の名前を忘れてしまうのは、なによりも心を抉るもので。

 だから、それならいっそ、パーティーの誰でもない、新しい女性と一緒になって幸せになってほしい。

 そう考えていたのは、決して嘘ではない。

 

「だから、だから……イト先輩が本当に勇者くんのことを幸せにしてくれるなら、あたしは……」

 

 アルコールのせいだろうか。

 自分は、酔っているのだろうか。

 紡ぐ言葉と一緒に、溢れ出る涙が止まらない。

 そんなアリアを見て、イトは一言。はっきりと言った。

 

 

 

「いや、おっも……」

 

 

 

 アリア・リナージュ・アイアラスの葛藤を、あろうことかイト・ユリシーズはたった一言で切って捨てた。

 騎士は、アイスブルーの瞳を点にしてイトを見た。

 賢者は、もう呆れてものも言えないといった様子で、深く息を吐いた。

 死霊術師は、品とかマナーとかそういうものを無視して、爆笑した。

 

「お、重い? 重いって、重いって言いました!? 先輩」

「言った言った。重い、重いよ」

「ど、どこが重いっていうんですか!? あたしのどこが!?」

「一から十まで。言動と気持ちのすべて」

「すべて……」

 

 そもそもさ、と。

 イトは言葉を繋げて、アリアのジョッキを手に取る。

 

「昔、魔王を倒して戻ってきた時。ワタシはアリアに何回も言ったよね。勇者くんの呪いは、キミのせいじゃないよ、って」

「それは……でも」

「シャナちゃんもリリアミラさんも、そう思ってるはずでしょう?」

 

 イトから話を振られて、シャナとリリアミラは顔を見合わせた。

 

「……まあ、もちろん私もアリアさんのせいだとは欠片も思っていませんし。事実、アリアさんのせいではないと繰り返しそう言ってきたのですが、やっぱりアリアさんって、こう気にしいで全部自分で抱えて、じめっとして自己嫌悪に陥るめんどくさいところがあるので……」

「シャナにだけはめんどくさいって言われたくないんだけど!?」

「わたくしは普通にアリアさまを庇って勇者さまは呪いを浴びてしまったので、アリアさまのせいなところも多少はあるとは思いますが、起こってしまったことをいつまでもうじうじと気にしていても仕方がないですし、過去ばかり後悔していないで、さっさと未来に目を向けてほしいな、と。そう思いますわね」

「裏切った人がなんかほざいてる……」

 

 パーティーメンバー同士の気安いやりとり。

 それを聞いて、イトはにこりと笑う。

 

「ね? だからさ。アリアはそんなに気にしなくていいんだよ。抱え込まなくていいんだよ。昔のことに責任感じて、縛られなくていいんだよ」

「イト先輩は……」

「ん?」

「イト先輩は、どうしてそんなにはっきり、そう言えるんですか」

「んー」

 

 ぐびぐび、と。

 イトは残っていたアリアのビールを飲みきって「ふう」と一息ついた。

 

「さっきも言ったけど。ワタシはやっぱり後輩くんと冒険したわけじゃないから、外野の立場から好き勝手なことを言える、っていうのが一つ。でも、一番の理由はやっぱり……」

 

 思い出すのは、あの日の、屋上でのやりとり。

 

 ──かっこ悪くてもいいじゃないですか。かっこいいだけじゃ勇者にはなれませんよ。

 

「昔、まだまだ未熟だった勇者に、過去にいつまでも縛られてるんじゃねえよ、って。そう言われたから、かな?」

 

 考えるべきは、これまでではない。

 考えるべきは、これからのことだ。

 

「過去を振り返って、責任を感じるだけじゃなくて。彼の未来の幸せを、これから一緒に考えてあげられるのは……彼のことが好きな人だけだよ。ここに来ている、ってことはもうそういうことだと思うんだけど。ワタシはやっぱり、ちゃんと本人の口から聞きたいな。アリアはどう?」

「あたしは……」

 

 おかわりのビールを手渡して、イトは微笑む。

 しばらくそのジョッキを見詰めていたアリアは、意を決したようにその中身を飲み干して、飲み干してから、はっきりと全員に聞こえる声で、告げた。

 

「勇者くんのことが、好きです」

「うん。よく言えました」

 

 昔と同じように、イトはアリアの頭をやさしく撫でた。

 

「じゃあやっぱり、これからはライバルだね」

「負けません」

「望むところだよ」

 

 テンポのいいやりとりに、互いの笑顔が混じる。

 リリアミラとレオの飲みかけだったワインのボトルを、そのまま直で飲んで、イトは立ち上がる。

 

「よぅし! そうと決まったら今日は飲もう! 男どもがいない間に、追加のお酒を用意しよう!」

 

 そう宣言した現役の女性騎士団長は、テーブルの上に景気よく拳を打ち付ける。

 そうして、王宮で数百年に渡って使用されてきた歴史あるテーブルが、真っ二つに裂けた。

 

 思い悩んでいたものを告白し。

 抱えていたものを吐き出して。

 

 ──祭りが、はじまる。




【こんかいのまれてるのみもの】
・ビール
冒険者のお供。その喉越しは疲れを一発で吹き飛ばしてくれる。アリアはもう六杯くらい飲んでる。イトもついに飲んでしまった。

・ワイン
赤。辛口のフルボディ。まだあまり名が知られていない地方の、レオ・リーオナインおすすめの銘柄。濃いめの味わいとスパイシーな香りが特徴で、レオとリリアミラはハイペースながらゆったりと楽しんでいた。イトは味も分からず一気飲みした。

・ジンジャーエール
ちびちび。

・お水
誰も飲んでない


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我らの勇者に祝杯を

「なんだこれは……」

 

 お手洗いから戻ってきたおれは、絶句した。

 扉を開けた瞬間に、言葉を失って静止した。

 本当に、お花を摘みに行っている間に何があったのかと問い質したくなる、ひどい有様だった。

 こちらに気づいた死霊術師さんが、ワインのグラスを置いて微笑む。

 

「あら、勇者さま。お帰りなさいませ」

「死霊術師さん。これは、一体」

「うふふ」

「うふふじゃねえんだよ」

 

 笑えば何でも誤魔化せると思っているのだろうか。顔が良いからといって調子にのらないでほしい。

 まず、テーブルが真っ二つに裂けていた。何を言っているかわからないと思うが、中央から真っ二つに裂けていた。本当になんで? と思うが、こんなことができる魔法の持ち主は一人しか思い当たらないので、不思議ではない。

 その魔法の持ち主である先輩は、半壊したテーブルに突っ伏してケツを突き出したままピクリとも動かない状態だった。懐かしい。最初に会った時も、壁にケツをめり込ませて、パンツが丸出しだったのを思い出す。相変わらずいいケツしてると思うけどあまりにもあんまりな有様過ぎてこれっぽちもエロさを感じない。

 

「もしかして、先輩に飲ませた?」

「誓って飲ませてはおりません。わたくし、お酒の楽しい飲み方は心得ているつもりです。飲酒の強要は飲みの席では御法度。決して許されるものではありませんから」

「つまり?」

「先輩さまが勝手にぐびぐびと飲んだだけです」

 

 止めてほしかったなぁ。

 それを、止めてほしかったなぁ。

 

「で、まずテーブルが割れまして。ほら、この方の魔法、切断とかそういう類のものでしょう? こうなってしまっては全身刃物のようなもので、こわくて近づけないではありませんか」

 

 厳密に言えば先輩の魔法は切断ではないのだが、その認識でおおよそ間違っていないし、危ないから触りたくないという死霊術師さんの意見も理解できる。

 

「でも死霊術師さん、切り刻まれても大丈夫じゃん」

「わたくしにこの方を止めるために切り刻まれろと?」

 

 そうだよ。

 

「いやまぁ。先輩が潰れてるのはまだわかるんだよ。ほんとお酒弱いし、歩くだけで転ぶ人だし」

 

 率直に言ってしまえば、先輩が飲んで潰れるところまでは、この合コンにおいて最初から想定内だ。

 そして、ウワバミの中のウワバミである死霊術師さんの心配は、最初からしていない。

 つまるところ、問題は残りの二人である。

 おれは床で猫のように丸くなっている賢者ちゃんと、かろうじて椅子に引っかかっている騎士ちゃんに目をやった。

 

「騎士ちゃんと賢者ちゃんも潰れてるのは、なんで?」

「話せば長くなるのですが」

「うん」

「お酒をお召しになった先輩さまが、騎士さまと賢者さまを煽りまくりまして」

「なにやってんの?」

「そのまま飲み比べがはじまり、こうなりました」

「止めなかったの?」

「良い酒の肴でした」

「止めなさいよ」

 

 だから死霊術師さんは、信用できないんだよ。おもしろいものがあったら、それは罠でも喜んで踏みに行く精神性してるもん。

 

「でも、騎士ちゃんがこんな簡単に潰れることある?」

「さすがは勇者さま。鋭いですわね。実はこちらに、騎士さまが苦手な度数の高いお酒がありまして。先輩さまと飲み比べの条件を対等にするために」

「わかった。もういい」

 

 どうやら騎士ちゃんも完全に自爆しているようだった。

 先輩に何かむかつくことでも言われたのだろうか? 

 誰から介抱していくか迷ったが、とりあえずおれは賢者ちゃんの肩に触れた。騎士ちゃんはともかく、賢者ちゃんが酒を入れて行動不能になっているのは少々まずい。酔って魔法を暴発させるだけで、大変なことになるからだ。

 軽く肩を揺すって、声をかける。

 

「おーい。賢者ちゃん」

「……ん」

 

 しばらく揺さぶって、ようやく賢者ちゃんが顔を上げた。

 いつもきりっとしている目が、とろんとしている。

 いつもむすっと引き結ばれている口も、半開きでぽわんとしている。

 要するに、いつもの賢者ちゃんなら絶対に拝めない表情がそこにあった。

 

「大丈夫? おれのことわかる?」

「……勇者さん」

「はいはい。勇者さんですよー。お水飲める?」

「んぅ……」

 

 返事をしながら、賢者ちゃんはまた床にぐでっとしなだれかかかる。水を飲んでほしいのだが、肝心の顔がこっちを向かない。

 

「おーい。賢者ちゃん?」

「……テーブルが、割れています」

「あ、うん。テーブルは割れてるけど」

「私に、まかせてください」

 

 あ、ヤバいと思った時には既に遅かった。

 次の瞬間、半分に割れたテーブルがそのままそっくりと。音もなく出現して、部屋の一角を押し潰した。

 

「ぐぁああああああ!?」

 

 どんがらがっしゃん、と。

 良い位置に立っていたメガネさんが、増えたテーブルの波に押し潰された。

 そして、メガネが砕ける音がした。

 くそっ……なんてこった、メガネさんのメガネが!

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫です! ちょっとテーブルが半分に割れてから増えてメガネが割れただけです!」

「それは本当に大丈夫なんですか!?」

 

 凄まじい物音に駆けつけてきたメイドさんに、問題ないことを伝える。

 まあ、普段から賢者ちゃんに踏まれているわけだし、テーブルの下敷きになった程度ではメガネさんも死なないだろう。

 おれは賢者ちゃんの頭を、ぺしぺしと叩いた。

 

「賢者ちゃん! テーブルは増やさなくていい! 増やさなくていいから!」

「……勇者さん。私、えらいですか?」

「えらいえらい。賢者ちゃんはえらいから、魔法使わなくても大丈夫だよ」

「そうですか」

 

 こてん、と。

 小柄で華奢な身体が、こちらにしなだれかかる。

 

「勇者さん」

「なに?」

「だいす──」

 

 どこか熱に浮かされた目で、賢者ちゃんがそれを言い切る前に、部屋の扉がまた勢いよく開け放たれた。

 

「はいはいはいはい!」

「失礼しますよ!」

 

 ぞろぞろと揃って入室してきた二人の賢者ちゃんだった。こちらは着飾ったドレス姿ではなく、いつものローブ姿である。

 賢者ちゃんと賢者ちゃんは、ドレス姿の己の醜態を見て深い溜息を完璧なタイミングで揃って吐き出し、それから己の腕と脚をそれぞれ分担して持った。

 

「では、私は少し酔ってしまったので、このあたりで失礼します」

「みなさんはどうぞごゆっくり」

 

 えっほえっほ、と流れるように酔った自分自身を飲み会からサルベージし、賢者ちゃんは消えていった。

 おそらく、自分が酔って粗相をしでかさないように、最初からどこかで監視していたのであろう。本当に便利な魔法である。

 と、そこで潰れていたもう一人が顔を上げる。

 

「勇者くん」

「あ、騎士ちゃん。起きた?」

「勇者くん。座って」

「いや、とりあえずお水……」

「座れ」

「あ、はい」

 

 お姫様には逆らえない。

 座れ、と言われたのでおれは騎士ちゃんの隣に腰掛けた。

 こわい。なんかもう完全に目が座っている。

 

「勇者くんはさぁ」

「はい」

「あたしたちに気を遣いすぎなんだよね」

「いやそんなことは」

「気を遣ってたから。あたしたちから距離を置いてたんでしょ?」

「……」

 

 痛いところを突かれて、押し黙る。

 しかし、騎士ちゃんは相変わらずこちらを睨むような上目遣いで、言葉を続けた。

 

「ごめんね……」

「え?」

「あたしがもっと……もっとごはんに誘っていれば……」

「なに?」

「うぅ……今度、ハンバーグ作ってあげるね」

「本当になに?」

 

 話に脈絡がない。

 いや、酔っぱらいだから話に脈絡がないのは当然といえば当然なのだけれど。

 それはそれとして、わりとしっかり怒られる準備をしていたので、拍子抜けしてしまう。

 

「あのー、騎士さん?」

「うっ、う……」

 

 泣き上戸、と言えばいいのか。

 いつもの騎士ちゃんはどちらかといえば笑い上戸なのだが、今日に限っては何か変なスイッチが入っているらしい。

 アイスブルーの瞳から、ぽろぽろと涙が溢れる。

 怒ってから、わんわんと泣く。

 子どもかな? 

 

「後輩」

「どわぁ!?」

 

 泣きはじめた騎士ちゃんをどう宥めるか考えていたせいで、反応が遅れた。

 背後から、体重がのしかかる。

 いつの間に、ケツを突き出したオブジェから復活していたのだろうか。

 音もなく背後に回られた先輩に、おれは押し倒された。そう、完全に押し倒された格好になってしまった。

 

「先輩……!? ちょ、ま……」

「後輩……」

「なんですか?」

「飲もう」

「もう飲んじゃってるでしょ、あんたは!」

 

 おれの上にがっつりと体重をかけて伸し掛かる先輩の体は……案外重い。こんなことを口にしてしまえば間違いなく殺されてしまうのだが、悪い意味での重さではなく、しっかりと筋肉がついていることがわかる重さだった。

 片方だけの目が、こちらを見下ろす。

 唇の先から、ちろりと赤い舌が覗く。

 それは、捕食者の瞳だった。

 

「おー、慌てちゃって。かわいいかわいい」

「……いや、べつに慌ててはいませんが」

「おめでとうおめでとう。キミには、なんと……ワタシの眼帯を捲る権利をあげよう」

「だから本当になに?」

 

 何の権利なんだよそれは。

 

「ワタシの……ワタシの眼帯が捲れんのかっ!?」

「め、めんどくさ……」

「じゃあ飲もう」

「一周してるんだよ」

「飲もう飲もう。飲んでいやなこと忘れよ」

「だから……」

「眼帯が捲れないなら……ふむふむ。そうか、スカートか?」

「先輩?」

「ワタシの割れた腹筋が見たいなんて……」

「止まってくれ頼むから!」

 

 人間とはこんなにも会話ができない生き物だったのだろうか。

 おれが先輩に押し倒された結果、必然的にもう一人の酔払いである騎士ちゃんの相手はお留守となる。

 

「先輩、ずるい。また先輩だけ」

「あの、騎士ちゃん?」

「よかろうよかろう! このワタシが後輩にまとめて胸を貸して差し上げよう!」

「貸してるのはおれなんですけど……」

「差し上げられる!」

「騎士ちゃん!?」

 

 おれの胸の上に、二人分の体重が乗る。

 重い。物理的にも重いし、向けられる視線も重い。

 

「せっ……せんせい! 先生ーっ!」

「なんだね。両手に花の勇者殿」

「助けてください!」

「断る」

 

 ちくしょう! 

 人が困っているのを酒の肴にしやがって! 

 

「でも、楽しいだろう?」

「いやいや。だからって、なにを呑気に……」

「楽しんでいいんだよ、お前は」

 

 不意に、声のトーンが落ちた。

 

「名前が呼べなくても、名前を呼ばれなくても。それでも案外、酒はこうして楽しく飲めるもんだ」

 

 先生が生徒に言い聞かせるように。

 まるで昔に戻って、諭すかのようにそう言われて、おれは口をつぐんだ。

 いつの間にかまたおかわりしていたビールを飲みながら、ひげ面が笑う。

 

「そこの姫騎士さまと、騎士団長さまの言う通りだ。抱え込まなくていい。背負いすぎなくていい。いやなことがあれば、気楽に飲んで騒いでもいい。これからのことは、酒でも楽しみながら考えりゃいいんだ」

 

 それを聞いて、なんとなく陛下が今日の飲み会をセッティングしてくれた理由がわかった気がした。

 早く身を固めろ、だの。お前がふらふらしたままだと困る、だの。それらしいことをいろいろと言っていたが。

 なんてことはない。おれの知っている妹分の女の子は、おれのために……おれが昔馴染みの仲間たちと楽しく飲める席を、こうして用意してくれたのだ。

 たしかに、今日の夜は楽しかった。

 みんなで、お酒を飲んで話しながら、馬鹿騒ぎをする。そういう夜を過ごしたのは、本当にひさしぶりだ。

 

「合コンでもただの飲み会でも、なんでも構わん。お前が酒を飲みたくなったら、俺たちはいつでも付き合うさ」

「そういうこと。だからもう少し、気軽に誘ってほしいものだね。親友」

 

 両手に花を抱えながら。

 むさい男二人にそう言われると、こちらとしてはもう笑って、こう言うしかない。

 

「……ありがとうございます」

 

 二人は、とても満足気に頷いた。

 

「……よし。じゃあ俺たちはお邪魔みたいだから、一旦退散するか」

「え」

「そうですね。また後で来るよ、親友。ああ、安心してほしい。潰れたあとで介抱はきちんとしてあげるから。今日はとことん、心いくまで飲んでほしい」

「いや、ま……」

 

 去っていく騎士団長たちの背中に、伸ばそうとした手を。

 がっしりと、掴まれる。

 それは濃密極まる、アルコールの気配だった。

 

「勇者くんさぁ……」

「全然、飲んでなくない?」

 

 あっあっ……いやーっ! 

 

 

 ◇

 

 

「おちたか?」

「おちましたね」

 

 数十分後。

 床に大の字になって動かなくなった勇者を見て、グレアム・スターフォードとレオ・リーオナインは頷きあった。

 

「よし……ギルボルト」

「はい、承知しております……ああ、私だ。状況終了。会場の撤収作業を開始しろ。想定通り、備品に被害が出ている。修繕費はユリシーズ団長宛で、第三騎士団につけておけ」

 

 メガネの騎士団長……もとい第四騎士団の団長であるギルボルト・ヴァノンは、通信魔術でテキパキと指示を出す。とてもメガネが割れているとは思えない、冷静な手配であった。

 

「あっ! お待ち下さい! お開きにするのであれば、最後にもう一杯いただけますか!?」

「本当にお強いですね、レディ」

「さすが、勇者パーティーを支えた死霊術師殿ですな。リリアミラ・ギルデンスターン嬢」

 

 勇者が寝落ちした今、名前に関する気遣いは必要ない。

 この日はじめて、グレアムから名前を呼ばれて、リリアミラは微笑みながらグラスを掲げた。

 

「良いお酒は楽しまなければもったいないでしょう」

「それはそうだ。で、如何でしたか、今夜は?」

「ええ。楽しいパーティーでした。わたくし自身がいろいろなお酒を飲めて楽しかったのはもちろんですが、こんなに楽しそうにお酒を嗜む勇者さまを見たのは、一年ぶりです」

 

 それは、彼が名前を失ってからの時間だ。

 目を細めるリリアミラに釣られて、グレアムも口が緩くなる。

 

「リリアミラさん。こいつは、俺の教え子だ」

「ええ。存じております」

「勇者になる、と言って王国から出て行ったこいつは、本当に魔王を打倒して、勇者になって戻ってきた。だが、帰ってきた時にはもう、誰もこいつの名前を呼べなくなっていた」

「……ええ、存じております」

「どうして代わりに背負ってやれなかったんだろう、と。そう考えることがある」

 

 だから、ぽろりと。

 本音が、漏れた。

 グレアムは、先ほどのやりとりを思い出す。

 

 ──親友、キミの本命は誰なんだい?

 

 レオの問いかけに対して、勇者は困ったように笑うだけだった。

 

 ──まともに名前を呼ぶことすらできないおれに、女の子を幸せにすることはできないよ。

 

 きっと彼は、世界を救ったことを後悔しているわけではない。

 きっと彼以外に、世界を救うことはできなかった。

 それでも、世界を救った彼が幸せになれないのは……勇者になる前の彼を知る者として、とても納得できるものではない。

 世界を救った勇者には、救い終わった世界で、幸せになる義務がある。

 グレアム・スターフォードも、レオ・リーオナインも、そしてユリン・メルーナ・ランガスタも、そう考えている。

 

「俺たちは結局、こいつの呪いを解いてやる方法を、まだ見つけられていない。もっと楽にしていい、と。えらそうなことを言って、気休めにこんな場を設けても、救ってやれないままだ」

 

 それでも、少しでも。

 彼がこれから幸せになる手伝いをできたら、と。

 願わずにはいられないのだ。

 

「ですが、あなたが彼の代わりになることは、絶対にできません」

 

 リリアミラはグレアムの葛藤を、穏やかに否定した。

 

「グレアム・スターフォード団長。わたくしが世界を救うことになったのは……そこで呑気に寝ている方が、勇者だったからです。仮に、もしもあなたが勇者だったとしたら、わたくしは最後まで、世界を滅ぼす側にいたでしょう」

「……ははっ。これは手厳しい」

 

 グレアムは苦笑する。

 元四天王に、これ以上なくあっさりと()()()()しまった。

 リリアミラは、言葉を続ける。

 

「勇者さまに、代わりはいません。勇者さまの、代わりになることもできません。わたくしたちが考えるべきは、勇者さまの抱える荷物を肩代わりする方法ではなく……その荷物の重さを、軽くしてあげられる方法です」

「……そのわりには、あなたもこいつに()()()()()()()ように見えるが」

「はい! だって、良い女というものは、決まって重いものでしょう?」

「……やれやれ」

 

 そこまで開き直られては、もう何も言い返せない。

 

「それに、今夜は楽しかったでしょう?」

「……ああ、そうだな。酒も飲めないガキだった教え子が、一緒に酒を飲める歳になった。教える側ってのは、それだけでうれしいもんです」

「そういうものですか」

「ええ。そういうものですよ」

 

 リリアミラは散らかった室内を見回す。

 主役はもう潰れてしまったが、積もる話はまだまだありそうだ。

 中身が少し残っているボトルを、死霊術師はこれ見よがしに持ち上げて見せる。

 

「では、まだまだ飲み足りませんわね」

「お?」

「みなさま、素面のようなものでしょう? 如何ですか? 今夜はとことん、思い出話に花を咲かせるというのは。わたくしの語る勇者さまのお話は……長いですよ?」

 

 なにせ、波乱万丈ですので、と。

 リリアミラは騎士団長たちに向けて、笑いかけた。

 かつては、命を奪い合う敵だった者同士。けれども、それがこうして、酒を酌み交わす日がやってきた。

 そういう未来を作ってくれたのは、他でもない。今は酔い潰れている、一人の勇者だ。

 グレアムとレオは顔を見合わせて、それから大きく笑った。

 

「いいですなぁ。ならば、二次会と洒落込みましょうか!」

「朝までお付き合いしますよ、レディ」

「まったくあなた方は……」

「そう言うな。美女の誘いは断れん。なあ、ギルボルト」

「はぁ……」

 

 リリアミラは微笑んだ。あきれた声を出しながらも、ギルボルトもノンアルコールを手に取るあたり、やはり騎士団長たちは全員ノリが良い。

 大の字で寝転がったままの英雄に向けて、彼らはグラスとジョッキとコップを掲げる。

 

「それでは……」

「ボクたちの勇者に」

「ええ。わたくしたちの勇者さまに」

 

 二度目の乾杯の音が、静かに。けれど、軽やかに響く。

 満月の光はやわらかく、開け放した窓から流れる風は、どこまでも穏やかだった。

 すっかり泡が抜けてしまったビールを飲み干して、グレアムは笑う。

 

 良い夜だ。

 

 今夜は本当に、酒が美味い。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
無事に二日酔いになった。翌日、陛下にお礼を言いに行った。陛下は照れた。

賢者ちゃん
やっぱ私ってお酒飲んじゃダメですね、と客観的な評価をくだした。それはそれとして勇者と二人きりで甘える時ならわりと使えるかもしれないとは思っている。

騎士ちゃん
ぐずぐず泣いていたことは覚えているが、何を言っていたかまでは忘れている。翌日、ベッドの上でしばらくゴロゴロと羞恥に打ち震えた。

先輩さん
眼帯とスカートを捲らせようとした。そういう欲求があるのかもしれない。腹筋が割れているか確かめる術はまだない。翌日、破損させた設備の請求書の金額に、しばらくギャーギャーと悲鳴をあげた。

死霊術師さん
お酒うめぇ〜!

ひげのおじさん
二次会で潰れた。

バカイケメン
二次会でも潰れなかった。

ブタメガネ
メガネが割れた。



第二巻、今月20日発売です。先立ちまして、電子版の先行配信が始まっております。よろしければ是非!

https://twitter.com/TOBOOKS/status/1625772377408933888?t=e9Rjg0PZzd534txp4AVlJA&s=19





次章
【世界を救った死霊術師の死】
※死にません


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世界を救った死霊術師の死
勇者と死霊術師・ファーストコンタクト


 服が好きだ。

 重ねれば重ねるほど、醜い自分を覆い隠してくれるように感じるから。

 魔王軍四天王、第二位。リリアミラ・ギルデンスターンは、一糸纏わぬ己の裸体を鏡で確認して、軽く息を吐いた。

 衣装棚に収められた服を眺める。

 元よりそこまで重要な拠点ではないとはいえ、それなりに長い期間滞在していたので、持ち込んでいた衣服の量も相応のものになっている。気に入っている服も何着もあるのだが、すべて持ち出すのは難しいだろう。

 

「ご報告します! リリアミラ様」

「着替え中です。手短にお願いします」

「し、失礼いたしました」

 

 カーテン越しに、翼が畳まれる気配がした。

 比較的頭がよく回る……という理由で重用している上級悪魔の一体が、膝を折って小さくなる。

 

「勇者が率いる軍勢の勢いは、我々の想像を遥かに上回っており……防衛線が突破されつつあります。恐れながら、ギルデンスターン様にもご出陣願いたいと……」

「グリンクレイヴの増援はどうなっているのです? もう到着していてもおかしくないはずでしょう?」

 

 選び取った黒の下着を穿きながら、リリアミラは部下の悪魔に問いかける。

 新進気鋭の勇者とやらが、この拠点を目指して進行してきている情報は事前に入手していた。故に、事前にこちらの戦力が削られることを見越して、同じ四天王の第三位には増援を要請してある。

 しかし、返事の歯切れは悪いものだった。

 

「そ、それが……」

「なんです? 報告は、はっきりなさい」

「は。実は、グリンクレイヴ様からは、先ほど連絡がありました。文面はこちらに……」

 

 カーテン越しに差し出されたそれを、リリアミラは手に取った。

 嫌になるほどの達筆に、上品な便箋。しかし、中に記されたメッセージは、とても短かく簡素だった。

 

 ──貴様もたまには、前線に出て働け。

 ──引き籠もってばかりで、胸と腹の重さが気になって来た頃だろう? 

 

「……クソジジイが」

 

 一つ。舌打ちをして、リリアミラは手紙とも言えない紙切れを握り潰した。

 白く長い……皮肉にもたしかに自分自身、肉付きを気にかけるようになってきた……脚をタイツに通しながら、四天王は思考する。

 リリアミラが前に出れば、損耗した戦力の補充はいくらでも効く。だが、この拠点に集めてある手駒の質は、あまり高くない。グリンクレイヴからの増援が望めないのであれば、お互いに決定打のない泥仕合に成りかねない。勇者の善戦を聞きつけて、有力な魔法使いが駆けつけてくれば、それだけで詰みだ。

 

()()()()の持ち出しはどうなっています?」

「問題ありません。シャイロック様が敷設にご協力してくださった転送魔導陣で、ほぼ完了しております」

「結構。ならば、関連する資料はすべて廃棄しなさい。痕跡を残してはなりません」

 

 ブラウスを羽織って、前を閉じる。こちらもまた少し、サイズがキツくなったかもしれない。

 リリアミラは魔石が嵌め込まれたタイを手に取って、襟元で締めた。ベストを着込み、その上からワンピースの構造になっている軍服を身に着ける。以前、主と揃えて仕立てたお気に入りのものだ。

 ベルトを腰でまとめ、ブーツを履き込む。腰まで届く黒い長髪をバネッタでまとめ、帽子を被る。カーテンを開けると、配下の悪魔は何も言わずにリリアミラの肩に厚手のコートを掛けた。

 

「では……リリアミラ様」

「この拠点は破棄します」

「よろしいのですか?」

「元はと言えば、増援を寄越さないグリンクレイヴが悪いのです。魔王様も、お怒りになることはないでしょう」

 

 私室から、階下の大広間へと降りる。

 扉を開けた瞬間に、慣れ親しんだ腐臭が鼻を突いた。充満しているのは、ねっとりとした血の香り。リリアミラの事前の指示通り、前線で殺された魔物や悪魔たちが、一箇所に集められていた。

 それらの死体を薄目で、リリアミラは見下ろす。炎熱系の魔術による肉体の損壊と、刺し傷のような裂傷が、特に目についた。

 死体は、情報の塊だ。

 それらの死に方を観察すれば「どうやって死んだか」が、一目でわかる。

 とはいえ、リリアミラの魔法の力をもってすれば、本人たちからその死因を聞くことができるので、あまり意味はないのだが。

 

「あなたは残存戦力を取りまとめて、離脱しなさい。殿はわたくしが務めます」

「で、でしたら私もお供を……」

「撤退の指揮を執る人間がいなくては困るでしょう? 気遣いは結構です。早くお行きなさい。わたくしを誰だと思っているのです?」

「はっ……どうか、ご無事で」

 

 悪魔にしては珍しく、忠誠心の厚いその声には、ひらひらと右手を振って応えて。

 リリアミラは逆の左手で、死体に触れ始めた。

 四秒。

 それだけの時間があれば、息絶えていようと、原型を留めていない死体であろうと、全ての死者は再び動き出す。

 蘇った魔物と悪魔たちは、眼前に立つリリアミラを見て状況を理解し、深々と頭を垂れた。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、純粋な人間である。アリエス・フィアーのように十二の使徒から四天王の地位に引き上げられた最上級悪魔でもなければ、ゼアート・グリンクレイヴのように人間でありながら自身の武力を以てして魔族を従える戦闘狂でもなく。ましてや、トリンキュロ・リムリリィのようなイカれた突然変異でもない。

 にも関わらず、リリアミラが魔王軍の中で深い尊敬を一心に集める理由は、唯一つ。

 

 生き物は、自分の命を救ってくれた存在に、心の底から感謝の念を抱くからだ。

 

 醜悪な魔族であろうと、人間を嘲笑う悪魔であろうと、それは変わらない。

 

「さて」

 

 死人に口なし、ではなく、()()()()()()

 蘇生の魔法の前では、使い古された下らない表現も、簡単に書き換わる。

 

「敵は勇者ですね? 戦い方。使用する魔法、武器。なんでも構いません。情報を教えなさい。あなたたちは、どうやって殺されました?」

「恐れながら、ギルデンスターン様」

 

 人語に造詣の深い個体なのだろう。一体が前に進み出て、滑らかに言葉を紡ぐ。

 

「発言を許可します。続けなさい」

「はっ……我々は、勇者とはじめて相対しましたが、あれは」

 

 人間を簡単に喰い殺すことができる、鋭い牙。それを覗かせる口元は、しかしはっきりとわかるほどに小刻みに震えていた。

 

 

「あれは、バケモノです」

 

 

 直後のことであった。

 大広間の天井が、音を立てて崩壊した。豪奢なシャンデリアが、粉々に砕け散って落ちる。

 魔物たちは自ら進んで盾になるように体を重ねてリリアミラを守った。そして、覆い被さった魔物たちの体の隙間から、リリアミラはそれを見た。

 着地する人影。決して大きくはない、自分たちよりも遥かに小さいその人影に、魔物も悪魔も、恐れ慄いたように距離を取る。

 城壁を超えて? 

 屋根を破って来た? 

 空でも飛んできたのか?

 

「ほら見ろ。やっぱり上からの方が早かった」

 

 それは、敵地の中央に飛び込んできたとは思えない、呑気な声音だった。

 本来は、闇を溶かし込んだような色合いなのであろう漆黒の鎧は、返り血で赤く染まっている。

 片手に長槍を。もう片方の手に戦斧を。細身でありながら、それは両の手に身の丈を超える武器を軽々と構えていた。

 

「お」

 

 そして、こちらを見て、呑気な声が漏れる。

 想像よりも、遥かに若い。本当に、まだ年若い少年であった。

 

「うーん……? シャナ! シャナ!」

「はい」

 

 少年の上から、さらに若い銀髪の少女たちが降りてくる。

 そう。少女たち、である。

 まったく同じ顔、同じ表情の少女たちが複数人。付き従うようにして、少年の後ろに立った。

 

「アレがそうか?」

「そうですね。聞き及んでいる外見の特徴や、背格好も一致します。ほぼ間違いないかと」

「そうか。わかった」

「いいんですか? アリアおねえちゃんとランジェさんを置いてきて。あとで怒られますよ?」

「うーん。でも、もう目標見つけちゃったからなぁ。仲間が揃ってないから待ってください、とか言える雰囲気でもないし」

 

 リリアミラと相対した人間の反応は、大まかに二択だ。

 泣き喚きながら、逃げ出すか。

 泣き叫びながら、頭を垂れて命乞いをするか。

 しかし、少年の反応はそのどちらでもなかった。

 にっ、と。

 口元を歪めて、心の底から、嬉しそうに。

 これから喰らい尽くす獲物を見る瞳で、少年は獰猛に微笑んだ。

 

「魔王軍四天王、第二位……リリアミラ・ギルデンスターンだな?」

「無粋な坊やですわね。初対面の相手には自己紹介をしなくてはいけないと教わらなかったのですか?」

「そいつは失礼」

 

 肩に背負うようにして持っていた戦斧を地面に突き刺し、指を真っ直ぐに突きつけて。

 少年は、宣言する。

 

 

「勇者だ。あんたを殺しに来た」

 

 

 対して、リリアミラは笑った。

 その傲慢極まる宣言を、鼻で嗤う。

 

「おかわいいこと。よくもまぁ、できもしないことを自信満々に言えたものです」

「どうかな。やってみなくちゃわからない」

 

 宣言を事実に変えるための、行動があった。

 シャナ、と呼ばれた魔導師たちが、杖を構える。同時に、炎熱系の魔導陣が折り重なるように展開される。そして、少女の小さな手が魔導陣に触れた瞬間に、変化は起きた。

 

(触れて、魔導陣を増やした……?)

 

 疑問に対する答えが提示される前に。

 無数の炎の矢が、魔物と悪魔たちに向けて降り注ぐ。

 大広間は一瞬で炎に呑まれ、悲鳴が響き渡る地獄絵図と化した。

 

「……あのさぁ、シャナ。前にも言ったでしょ。こういう時、火はやめなさいって。燃え広がったら、あとで面倒になる」

「いいですよ。私があとで消しますから」

「でもほら、燃えたら困るものがあったりするかもしれないし」

 

 それに、と。

 少年は言葉を繋げて、炎の熱さにのたうち回る魔物たちを見る。

 

「こういう攻撃は雑魚には効いても、親玉には効力が薄い」

 

 立ち塞ぐ煙の中から、リリアミラ・ギルデンスターンは勇者の少年と、魔導師の少女を睨み据える。

 リリアミラの胸元で輝く魔石が、薄い青色の障壁を展開し、周囲の炎を完全に断ち切っていた。

 

「……魔力障壁。流石は、四天王の幹部ですね」

「お褒めに預かり、光栄です。それにしても、舐められたものです。そんな低級の魔術で、わたくしに傷をつけられるとでも?」

 

 低級の魔術、と言われて、フードに隠れた少女の顔があからさまに歪む。

 しかし、少年の方は特にその指摘を否定するわけでもなく、また朗らかに笑った。

 

「いいや、思ってないよ」

 

 リリアミラは、目を見張った。

 少年が、片手で槍の切っ先をリリアミラに向ける。そして、隣に立つ少女の手が、長槍に触れる。

 たったそれだけで、まるで幻想のように、数十本にも増えた長槍が、リリアミラの視界を埋め尽くした。

 

(……っ!? やはり増えている? ですが……)

 

 いくら槍を増やしたところで、それを操る持ち主がいないのであれば、なんの意味もない。見かけだけなら大した手品だが、長槍は重力に引かれて地面に落ちるだけだ。

 そんな四天王の慢心を、

 

 

「──燕雁大飛(イロフリーゲン)百連掃射(ハンドラング)

 

 

 勇者は、たった一言で塗り替える。

 

「は?」

 

 火炎で形作られた、実体のない矢ではない。希少な素材によって作られ、鍛え抜かれた名槍が、まるで使い捨ての矢のように、圧倒的な物理攻撃として、掃射される。

 十数秒にも渡る、刃の刺突による蹂躙。

 それらは寸分違わず、リリアミラ・ギルデンスターンの魔力障壁を砕き貫き、彼女の体を、周囲の魔物たちごと、細切れの肉片に変えた。

 自らの破壊の痕を満足そうに眺めて、少年は呟く。

 

「さて、と……」

 

 一秒。呻く魔物の頭を、少年は戦斧で粉々に砕いた。

 

「噂、本当だと思う?」

 

 二秒。少女が、こてんと首を傾げた。

 

「さあ? どうでしょう」

 

 三秒。槍の矢で穿たれた柱が倒壊し、天井が崩落した。

 

「まったく……生き返らせたばかりだというのに。一瞬で全滅だなんて。本当に、困ってしまいますわね」

 

 そして、四秒。瓦礫の下から、一人の女が這い出て、笑った。

 

「コートも帽子も、アクセサリも。どれもお気に入りでしたのに。弁償はしてくださるのかしら?」

「……驚いたな。噂通りだ。本当に生き返るのか。まさか、素っ裸になるとは思わなかったけど」

「これは失礼いたしました。生きていないものは、戻せないのです。こんな姿を晒してしまって、お恥ずかしいですわ」

「べつに恥じる必要はないだろ。あんた、きれいだし」

「あら? お世辞ですか? 有り難く受け取ってはおきますが、重ねて申し訳ありません。まだ年端もいかない勇者殿には、些かばかり刺激が強かったかもしれませんわね」

 

 己の裸体を腕で抱いて、リリアミラは蠱惑的に微笑んだ。

 

「問題ないさ」

 

 再び両手に武器を構え直し。

 裸体のリリアミラを、油断なく見詰めて。

 その少年、否、その勇者は宣言する。

 

「むしろ、最初から裸で出てきてもらっても構わない。どんなに着飾ったところで……どうせズタズタにしてやるんだからな」

「そのわりにはあなた、鼻血出てますけど」

「え」

 

 勇者は、否、その少年は間抜けな声を漏らし。

 裸体のリリアミラから、さっと目を逸らして。

 両手の武器を取り落として、自分の鼻先を拭った。

 

「……シャナ! シャナ!」

「…………なんです?」

「ハンカチある?」

「自分の袖で拭けばいいんじゃないですか?」

「シャナぁ!」

 

 リリアミラは、沈黙する。

 妙な間があった。

 

「……ふぅ」

 

 ごしごし、と。

 鼻血を拭って、微妙にリリアミラの裸体を直視しないように目線を調整しながら、少年は告げる。

 

「……おれはそんな誘惑には屈しない」

「いや、勝手に鼻血出したの、あなたですが……」

 

 くすり、と。

 リリアミラは、今までとは違う種類の笑みを浮かべた。

 有り体に言ってしまえば、今まで毛ほども興味がなかった少年に、ほんの少しだけ興味が湧いてきた。

 とはいえ、それは興味だ。籠の中に入れた虫を観察するような、純粋な興味。決して、好意ではない。

 リリアミラの好意を独占しているのは、今はもう一人の少女だけだ。

 あくまでも、敵として。

 まだ年若い、いたいけな少年を見下ろして、リリアミラは告げる。

 

「少し、遊んで差し上げましょう」

「……ああ、望むところだ」

 

 空気が、切り替わる。

 呆れた目で少年を見ていた魔導師の少女が、全身を強張らせる。

 それは、殺気だ。

 絶対に殺せないはずの四天王を……絶対に殺してやるという、どす黒い意志の発露。

 決して、劇的ではない。

 決して、きらびやかではない。

 

「いくぞ、クソババア。ぶっ殺してやる」

「やれるものならやってみなさい。クソガキ」

 

 勇者と死霊術師の出会いは、純粋な敵として。

 血生臭い戦場から、はじまった。




してんのうのみなさん

トリンキュロ・リムリリィ
四天王第一位。色喰い。リリアミラはコイツがきらい。

リリアミラ・ギルデンスターン
四天王第二位。おっぱいがでかい。

ゼアート・グリンクレイヴ
四天王第三位。人間。おじいちゃん。キャンサーとかとタイマンで遊んでた人。

アリエス・フィアー
四天王第四位。ペロペロしたり踏まれる人。



書籍第二巻が発売されました〜!!

https://twitter.com/TOBOOKS/status/1627341382833831936?t=emJosYv17uXOjvh5gD-Ibg&s=19

十万字の加筆(加筆?)がどうでもよくなるくらい、紅緒さんが書いてくださった挿絵がめちゃかわなので、ぜひ手にとっていただければと思います!
よろしくお願いします〜!!


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勇者と死霊術師は殺し合う

「勇者さまー! 遊びに来ましたわー!」

「暇なの?」

 

 例の合コン騒動から、数日後。

 扉を開けたらこんにちはしてきた死霊術師さんに、おれは遠慮なく大きな溜息を吐いた。

 今日も今日とて、胸元の開いた大きなドレスに、おばあさんから貰ったあのローブを羽織っている。以前よりも若干露出が軽減されたようなされていないような気がしないでもない。とはいえ、貰ったものを大切にしているようで、なによりだ。

 

「実は、勇者さまと魔王さまに折り入ってご相談がありまして」

「相談?」

「わたしにも、ですか?」

 

 おれの背後から、赤髪ちゃんがひょっこりと顔を出す。

 泊まり込みでバカ騒ぎした合コンですっかり機嫌を損ねてしまったかと思っていたが、しかし意外にもそんなことはなく。むしろ以前よりも元通りに喋れるようになって、おれと赤髪ちゃんの関係は落ち着いている。

 ただ、ここ数日は一人で考え込むような時間が増えた気がするので、そこだけ要注意といったところだろうか。かなり深刻に悩んでいる、といった雰囲気ではないが、例えるなら、のどの奥に魚の小骨がつっかえているような……そういう横顔でぼーっとしていることが増えたように見える。

 

「魔王さまーっ! お会いしとうございました!」

「はい! わたしはべつに会いたくなかったです」

 

 朗らかな笑顔で、赤髪ちゃんが言い切る。

 うーん、この塩対応。死霊術師さんのあしらい方が板についてきたようだ。

 が、辛口の応答をされた死霊術師さん本人は、その一言に頬を赤らめ、軟体動物のように体をくねらせて喜ぶだけである。

 

「ああっ……! 明るい笑顔と拒絶の言葉のギャップ! 素晴らしいですわね……」

「一人で勝手に気持ち良くなってないで、用件早く言ってほしいんだけど」

「くだらない相談だったらドア閉めますからね」

「すいませんとりあえず入れていただけると嬉しいのですが」

 

 仕方ないので、中に入れてお茶を出す。

 熱い湯呑に口をつけて、死霊術師さんはほっと息を吐いた。

 

「ふう……粗茶ですわね」

「勇者さんやっぱりこの人叩き返した方がいいですよ」

 

 仕方ないね。この人無駄に舌肥えてるからね。

 

「ちなみにそれ淹れてくれたの、おれじゃなくて赤髪ちゃんだよ」

「うひょぅ! 甘露ですわぁ!」

「勇者さんなんとしてでもこの人叩き出しましょう」

 

 ボケとツッコミを繰り返していては、話が進まない。

 おれは死霊術師さんに話の先を促した。

 

「で、相談ってのは?」

「ええ。実は、魔王さまの今後を考え、職場体験のご提案に参りました」

「……職場体験?」

 

 ちょっと想像もしていなかった単語が飛び出してきたので、思わずそのまま聞き返す。

 

「はい。簡単に言ってしまえば、うちの会社で少しお手伝いをしてもらおうかな、と。今は勇者さまのお家にこうして身を寄せていらっしゃいますが、いつまでもこのままというわけにはいかないでしょう?」

「むむ……」

「おれはべつに、うちにいてもらう分には構わないけど……」

「ほら! 勇者さんはこう言ってますよ!」

「ですが、魔王さま。正直に、率直に申し上げさせていただきますが……そのように勇者さまの元で、タダ飯食らいでいつまでも居座っているのは少しどうかと、わたくしは思うのです」

「ふぐっ……!」

 

 おれの隣でお茶菓子を頬張っていた赤髪ちゃんは、その一言に喉を詰まらせて胸を抑えた。死霊術師さんの正論が効果抜群だったらしい。

 

「もちろん、わたくしのお屋敷に来ていただければ、以前の主従関係を再び結び直し、衣食住から人間の五大欲求に至るまで、何もかも養って差し上げてもよろしいのですが……」

「絶対にお断りします」

「はい。前に進む意欲をお持ちの魔王さまは必ずこう仰ってくださると信じていたので、現実的な社会復帰のプランをお持ちした次第です」

「むぐっ……!」

 

 上手いなぁ。相変わらず死霊術師さんは口が上手い。

 現状への問題提起を起点として、拒否されるであろう代替案を提示しつつ、代替案を蹴った相手の判断を尊重する意志を表明し、そうして逃げられなくした後に、本命の提案を通す。

 完全にもう詐欺師のやり口である。

 

「で、死霊術師さんのとこでの職場体験をして、社会への見聞を広げよう……みたいな?」

「左様でございます。せっかくですので、魔王さまにはぜひ我が社の業務を見学していただきたく……わたくし、社会的に『働く』ということに関しては、パーティーの中で最も上手くやっていると自負しておりますので!」

「それは、まぁ……」

 

 普段全裸になったり死んだりやはり全裸になったりしている変人なので忘れがちだが、死霊術師さんは大陸を股にかける運送会社を一代で軌道に乗せた生粋の商売人である。本人はまったく信用できないとはいえ、その商才と手腕に関しては疑うべくもない。

 たしかに、その仕事ぶりを間近で見るのは、知識があっても経験が絶対的に不足している赤髪ちゃんにとって、ためになるだろう。

 

「ついでに、魔王さまには、我が社で実際の業務も体験していただこうかと」

「業務?」

「簡単に言ってしまいますと、服のモデルなのですが……」

 

 そう言って死霊術師さんが取り出したのは、そこそこの厚さのファッションカタログだった。開いてみると、転写魔術で撮影されたモデルさんたちの華やかな服が、これでもかと紙面を彩っている。

 こういうものが作られて、楽しめる余裕があるってことは平和の証明だよなぁ、と。なんだか感慨深くなってしまう。

 

「わあ! きれいですね! これも死霊術師さんの会社で?」

「ええ。これらのお洋服も、我が社で取り扱っているれっきとした商品の一部です」

 

 死霊術師さんの会社の運送のメインは、運送業の常というべきか、やはり食料や資材が中心である。しかし、死霊術師さん本人が服飾品に造詣が深いこともあり、最近はそちらの分野の流通普及にも力を入れているという。今思えば、おれたちが乗ったドラゴンと客船も、観光業のモデルケースの一部だったのかもしれない。

 まあ、ジェミニとのバトルで沈めて粉々にしてしまったが……。

 

「なるほど。つまり死霊術師さんとしては、赤髪ちゃんの社会勉強のついでに、モデルさんをお願いして、さらに自分の好き勝手にコーディネートしたい、と」

「その通りですわー!」

「否定しろよ」

 

 もはや悪びれもしない死霊術師さんの顔とカタログを交互に見て、赤髪ちゃんが唸る。

 

「……どう思います? 勇者さん」

「うん。いいんじゃないかな。何事も経験だし。死霊術師さんなら……」

 

 安心して預けられるし、と言いかけたところで、おれの中の直感がストップをかけた。

 目の前でニコニコしている美女を、あらためてじっと見詰める。

 

 元魔王軍四天王で。

 今でも赤髪ちゃんのことを魔王さまと呼び。

 そして、一回がっつり裏切っている前科持ちである。

 

「……おれもついていってもいいかな?」

「もちろんです。勇者さまもぜひご一緒にいらしてくださいな!」

 

 うん。一応、ついていこう。

 べつに死霊術師さんを信頼していないわけではないが……本当に信頼していないわけではないのだけれど、赤髪ちゃんの付き添いということで一緒に行こう。うん。そうしよう。

 

「それにしてもこのカタログの服、どれもかわいいね」

「ええ! それはもう! この紙面を様々な服を着こなす魔王さま一人で埋められると考えると……ふふっ、いけません、よだれが……」

 

 よだれを垂らされるのは困るが、たしかに色々な服を着こなす赤髪ちゃんは、見てみたい。

 おれはカタログのページを指さして、言った。

 

「例えば、こっちの白のワンピースなんて、赤髪ちゃんにぴったりだと思うよ」

「特に、こちらの黒のドレス! 魔王さまには、とてもお似合いかと!」

 

 一拍。沈黙があって。

 おれと死霊術師さんは、あくまでも笑顔を保ったまま、顔を見合わせた。

 

「あ?」

「は?」

 

 解釈違いによる、意見の相違。

 困惑する赤髪ちゃんを、間に挟んで。

 バチリ、と。見えない火花が散る音がした気がした。

 そう。まるで、敵対していたあの頃のように。

 

 

 ◆

 

 

 殺意とは、熱である。

 火花が散るような、鋭く弾ける眼光が、裸体に響いて心地良い。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、勇者の少年に()()()()()()そう思った。

 

「はぁ、はぁ……ふーっ」

 

 武器を構え、息を整える少年の顔から、汗が滴り落ちる。

 あれを舐め取ってやったら、良い塩気がのっているのだろうか、などと。馬鹿な思考が、リリアミラの頭を過る。

 しかし、敵としての立場を忘れて、そのように労ってやりたくなる程度には、勇者を名乗る少年は、リリアミラをよく殺していた。

 

「……いやになるな、まったく」

 

 殺せない相手に対して、決して戦意を捨てず。殺意を保ったまま、少年は吐き捨てる。

 

「殺しても、殺せない……しかも噂通り()()()()()()()()()()ときたか」

「あら、ご存知でしたの。そんなに見せてはいない、奥の手なのですが」

「おれに剣術と戦い方を叩き込んでくれたのは、騎士団長のグレアム・スターフォードだ。知ってるだろ?」

「……なるほど。ええ、ええ。よく覚えております。あの方も、わたくしのことをたくさん殺してくれたので。しかし、あの方の教え子だというのなら、納得よりも失望が上回ります」

「……なに?」

 

 はじめての勇者との遭遇。

 黒の魔法との、はじめての直接戦闘。

 それらに対する、リリアミラの率直な感想は。

 

「期待外れ、と言っているのですよ。坊や」

 

 単純な失望である。

 

「っ!」

 

 斬撃が、一閃。大型の戦斧が、撫でるようにリリアミラの首を刈り取る。

 しかしその瞬間、リリアミラの腹部に刻まれた、白い肌に映える炎熱系の暴走魔導陣が、起動。そして、起爆。

 勇者は、手近な板切れを魔法によって硬化させ、盾代わりにして爆風をなんとかやり過ごした。

 結果は変わらない。先ほどから、ずっとこの繰り返しだ。

 きっかり四秒で身体の再生を終えたリリアミラは、大きく欠伸を漏らして、少年に問い掛ける。

 

「何を狙っているのかは知りませんが……同じことを繰り返して飽きませんか?」

「……生憎、我慢強いのが自分の長所だと思ってるんでね」

「ああ。そこはたしかに、魔王さまもお褒めになっていましたよ。自分を()()()()()()()()()少年が勇者として名を挙げはじめた、と。それはそれは嬉しそうに語っておられました」

「……お前らの主様にちゃんと覚えてもらっているとは、光栄だ」

 

 皮肉めいた物言いに、リリアミラは歯軋りする。

 勇者といっても、所詮はこの程度。光るものはあっても、四天王が圧倒されるような実力を備えているわけではない。自分を殺せない程度の存在でしかないのだ。

 にも関わらず、リリアミラの主である魔王は、一人で護衛も付けずに街に降り、正体を隠して勇者の少年と語らう機会を設けたという。そして、最後に正体を明かし、自分を殺しにくることを彼に約束させた。

 

 そう。()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 ──そうすれば……あなたは、わたくしを殺してくださるのですか? 

 ──ええ、殺してあげるわ。

 

 勇者と魔王の関係は、奇しくもリリアミラと魔王の関係に、あまりにも似通っていた。

 だから嫉妬する。

 だから忌々しく思う。

 主にとってこの少年がそれほどまでに特別だということを、リリアミラは認めたくない。

 リリアミラと魔王だけのものだった、特別な関係に無遠慮に立ち入ってきた、無粋な男が許せない。

 

「……気に入らない物言いですわね」

 

 ぎりり、と。リリアミラは重ねて歯軋りをする。

 特別だったのに。それは、自分と主を繋ぐ、何よりも美しい、唯一無二の愛の形だったはずなのに。

 だから、リリアミラ・ギルデンスターンは、目の前の少年がきらいだった。

 

「お前らが、主のことをどう思ってるのかは知らないが……」

「あなた如きに、わたくしたちの主への忠誠心は図れないでしょうが」

 

 会話とは、互いの言葉を受け取り、投げ返す過程があって、はじめて成立するものだ。

 

「あの子は──」

「あの方は──」

 

 だからこそ、二人のやりとりは、そもそも会話の形を成しておらず、互いの主張を押し通すためのもので。

 

「なんてことない、普通の女の子だったよ」

「すべての常識を覆す、完璧な王です」

 

 一拍。沈黙があって。

 勇者と四天王は、いつでも相手を殺せる距離感を保ったまま、相手の顔をまじまじと見詰めた。

 

「あ?」

「は?」

 

 勇者は思った。

 死霊術師は思った。

 魔王という人物への感情。それについて、どこまでも平行線で対立する二人の思いは、しかしこの瞬間だけは、たしかに一致した。

 

 ──なんだコイツ。ぶっ殺してやる。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
なんだァ……てめぇ?
赤髪ちゃんには白ワンピ派。
過去編では「魔王実は普通の女の子なんじゃね?」派。

死霊術師さん
なんだァ……てめぇ?
赤髪ちゃんには黒ドレス派。
過去編では「魔王様は唯一無二の完璧な王様」派。

魔王様
やめて!わたしのために争わないで!

赤髪ちゃん
食っちゃ寝生活を満喫してたので、モデルをする場合腹回りと脚周りがやや気になる。



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勇者くんと赤髪ちゃんの楽しい写真撮影

 黒のドレスか。

 白のワンピースか。

 いくら議論しても尽きることのなかったおれたちの討論は「じゃあもう両方とも直接着せて比べればよくない?」という方向で、一応の意見の一致を得た。

 そんなわけで、死霊術師さんの会社の本社が構えられている街、ベルミーシュにやってきました。

 

「おぉ……これはまた、おっきな街ですね」

 

 きょろきょろと周囲を見回して、赤髪ちゃんが唸る。その様子は完全に田舎から出てきたお上りさんそのものといった感じで、通り過ぎていく街の人たちは微笑ましそうに赤髪ちゃんに視線を向けていた。

 一方で、おれは変装用の眼鏡をかけ、髪をセットした上でスーツも着込んでネクタイを締めているので、一目で勇者だと気づかれる心配はない。傍からは、身分の高い女性の二人組の側に従者が控えているようにしか見えないだろう。街を見て回るために、死霊術師さんが用意してくれた。

 死霊術師さんはウキウキと「勇者さま、大変よくお似合いですわ〜」と喜んでいた。赤髪ちゃんも「……これは、これで」と頷いてくれていたので、まあ良しとしよう。赤髪ちゃんの服を見に来たのに、おれが先に着替えてしまったのは変な感じだが、おかげで街をゆっくり見て回れる。

 

「位置的には王国の端の方にあたるけど、今や商業活動の中心とも言える街だからね。それにしても、おれが知ってる頃から随分と栄えてるなぁ……」

 

 記憶よりも、明らかに背の高い建物が増えている。

 自然に漏れ出たおれのコメントに、赤髪ちゃんが振り返った。

 

「勇者さんは、この街に来たことがあるんですか?」

「来たことがあるっていうか……はじめて死霊術師さんと会ったのが、この街なんだよね」

「なんと! 思い出の街というわけですね!?」

「懐かしいですわね〜。あの頃は寂れた街並みしか特色のない辺鄙な田舎町でしたわ」

 

 すっかり様変わりした街並みを見回しながら、昔の思い出を懐かしむ。よくよく見れば、ちらほらと記憶に残っている場所もある。

 

「お! あのあたりおれが死霊術師さんの体を罠で生き埋めにしたあたりじゃない?」

「罠で生き埋め……?」

「ですわね。あ、勇者さま! あちら、覚えていらっしゃいますか? わたくしが勇者さまを捕縛した時に、磔にして見せしめにした広場です」

「……ほ、捕縛して磔……?」

「うわ、なっつ……あそこ、今何建ってるの? なんかデカい建物あるけど」

「あれは博物館ですわね。中には美術品の他に、当時、勇者さまを処刑しようとした道具一式も展示してあります。わたくしがいれば無料で観覧できますが、寄っていかれますか?」

「うーん、いいや。二度と見たくないから」

「あらあら。ふふっ……」

「あの……お二人とも、もう少し楽しい思い出はないんですか?」

 

 せっかくとてもきれいな街並みなのに、と。赤髪ちゃんから不満気な視線を向けられる。ごめんなさいって感じだ。

 

「そういえば、この街にも勇者さんの銅像ってあるんですか?」

「もちろんありますよ、魔王さま。ぜひ、ご覧くださいな」

 

 赤髪ちゃんの疑問の声に、死霊術師さんがウキウキと答える。

 ふふっ……勇者だから仕方ないとはいえ、赤髪ちゃんにおれの銅像を見られるのは、少し気恥ずかしいものがあるな。

 

「あちらに見えてきたのが、この街の観光名所の一つになっている……『魔王の洗脳から死霊術師を解き放つ勇者像』です」

「なにあれ」

 

 知らん知らん知らん。

 なんだあれは!? 

 おれの知らないところで知らないイベントが捏造されている! 

 おかしいだろあの銅像! 上半身裸のおれがギリギリ上半身裸ではないボロボロの死霊術師さんをやさしく抱き止めている、おれの記憶にない一幕が完璧に再現されているんだけど!? 

 

「うわぁ」

 

 ドン引きする赤髪ちゃんに対して、死霊術師さんはあくまでもドヤ顔で、そのデカい胸を張る。

 

「ふふ……名のある美術家を、金にものを言わせてかき集め、制作させました。作品のタイトルは『解放』です。美しいでしょう?」

「なんでちょっといい感じの命名してるの?」

「魔王様の洗脳に苦しみながらも打ち勝ち、しかしボロボロの体で地面に倒れ込みそうなったわたくしを、敵としてではなく味方として抱き止める。そんなわたくしの妄想を、完璧に再現させました」

「妄想って言っちゃってるよ」

「特に勇者さまの上裸の腹筋については、何度もリテイクを出して造形させました」

「そこはいいね」

「よくないですよ目を覚ましてください勇者さん」

 

 赤髪ちゃんに後頭部をはたかれる。

 くっ……成長したな、赤髪ちゃん。このおれに容赦なくツッコミを入れられるようになるなんて。

 

「ちなみに、この前の合コンの際に、わたくしが洗脳から開放され、魔王軍四天王から世界を救った死霊術師として名を馳せるまでの流れを、勇者さまの親友さんに話しておきましたので。きっと感動の一場面として、次回作では話題を呼ぶことになることでしょう」

「なにしてんの?」

 

 あのバカイケメンと何を話し込んでいると思ったら、そんなことを……。

 と、話し込んでいる内に、頭上に影が差す。

 

「あ! 勇者さん。ドラゴンです!」

「ドラゴンだねえ」

 

 赤髪ちゃんと出会ったばかりの、港町でのやりとりを思い出す。

 見上げると、貨物船を牽引するドラゴンが、悠々と大空を我が物顔で旋回していた。おれは追いかけられたり、挑んだり、狩ったりしてたのでもはや見慣れたものだが、赤髪ちゃんも見るのは二度目とはいえその威容に釘付けになって、目を輝かせている。

 周りの人々の反応も似たようなのもので、観光客らしき一団は歓声をあげているし、逆にこの街に住んでいる人たちはもはや慣れきった様子で、視線を上に向けようともしない。こういった反応で現地民と観光客の違いが見て取れるのは、少々おもしろい。

 

「街の郊外には、我が社のドラゴンたちの発着場があります。少々距離があるので馬車を使って移動する必要がありますが、後ほど見学に行かれますか?」

「それは……ちょっと行きたいですね」

 

 死霊術師さんの提案に、赤髪ちゃんがこくりと頷く。

 おれは肘で死霊術師さんを小突きつつ、小声で問いかけた。

 

「どうせそっちの見学でもお金取ってるんでしょ?」

「おほほ……この街に来れば、()()()()()()()()()()()()、というのは、観光地としてこれ以上ない強みですので」

「商売上手だなぁ」

 

 

 ◇

 

 

 軽い観光の後、本来の目的を果たすために死霊術師さんの会社の撮影スタジオにやってきた。

 

「勇者さま。彼女は、わたくしが会社を起ち上げた時からサポートをしてくれている、秘書ですわ。とてもよく気が利くので、一部の業務も委ねております」

「はじめまして、勇者様。お会いできて光栄です」

「どうもどうも」

 

 死霊術師さんに紹介してもらった秘書さんは、メガネをかけた如何にも理知的な女性といった外見の人だった。黒髪のショートカットがよく似合っている。

 たしかに、見るからにしっかりしているし、仕事も早そうだ。

 

「社長から、お噂は兼ね兼ね伺っております」

「いやぁ、照れますね」

「なんでも、社長を殺すのが目標だとか」

「ちょっと死霊術師さん?」

「おほほ……」

 

 問い詰めるようなおれの視線に、死霊術師さんはさっと目を逸らした。会社を起ち上げた時から、と言っていたので、死霊術師さんと秘書さんはそこそこ長い付き合いになるのだろう。どうやら、おれたちの関係についても、それなりに深い部分まで把握しているらしい。

 それにしても、初対面でわりとデリケートな部分にまで踏み込んでくるあたり、この秘書さん、なかなか良い性格をしている。

 

「応援しております。何分、社長は殺しても死なない方ですので、かなり骨が折れると思いますが」

「あはは……」

「あらあら。それではまるで、わたくしが死ぬのを望んでいるようではありませんか。なんだか、悲しくなってしまいますわね……」

「はい。正直、一ヶ月も業務を放り出した上に、輸送船一隻とドラゴン一頭を潰して帰ってきた時は、私が殺してやろうと思いました」

「お、おほほ……」

 

 問い詰めるような秘書さんの視線に、死霊術師さんはさらにささっと目を逸らした。全て事実なので、弁解のしようもないのだろう。どうやら、死霊術師さんがいない間も会社が上手く回っていたのは、この秘書さんのおかげらしい。

 

「いや、アレはなんというかその……緊急事態でしたし」

「突発的なトラブルに巻き込まれるのは致し方ないでしょう。社長には勇者さまのパーティーメンバーとして、世界を救った一員としてのお立場があることも理解できます。しかし、それが会社を放り出してもいい理由になりますか?」

「なりません。はい、すいません……」

 

 しおしおと、死霊術師さんが小さくなる。

 すごいな……いつもは師匠にお説教されても右から左に受け流して結局拳で吹っ飛ばされてる死霊術師さんが、ちゃんとお説教を聞くなんて……。この秘書さん、只者ではない気配を感じる。

 五分ほどお説教が続いたところで、少し小さくなった死霊術師さんは次の人物の紹介に移ってくれた。

 

「ふぅ……気を取り直しまして、勇者さま。こちらが本日の撮影を担当する転写魔術士の方です」

「ヤダぁ〜! ナマのモノホンの勇者サマにお会いできるなんて、この仕事受けてよかったわぁ〜!」

「癖強いなおい」

 

 死霊術師さんに紹介してもらった転写魔術士さんは、明らかにおれよりも背丈が高い色黒の大男だった。しかし口調はオネエだった。なんか前もこんなことがあった気がする。おれはオカマに縁があるのだろうか? 

 苦笑いしながら握手を交わしたおれは、しかしその手のひらの固さに、笑顔を取り下げた。普通の手ではない。これは、鍛え抜かれた身体の手だ。

 

「……失礼ですが、前のお仕事は何を?」

「あらァ……さすがは勇者サマ。手を握っただけで通じ合ってしまうモノね。ウフフ、昔はちょっとトクベツな偵察部隊にいたのよ。でもご覧の通り、アタシってばか弱い魔術士だったから、引退しちゃったってわけ」

「はっはっは。それだけ鍛えてるのに何を仰る」

 

 転写魔術は写真の撮影以外にも、戦場における敵陣営の戦力配置の確認や、スパイ、諜報活動にも重用される。トクベツな偵察部隊、と言ってはいるが、このお兄さん……もとい、お姉さんがいたのは、十中八九王国お抱えの特殊部隊。ゴリゴリに魔術を『戦う道具』として使ってきた手練れに違いない。

 

「フフ、でも勘違いしないでね。今のアタシは愛の戦士……女性たちにお洒落という名の希望を届ける、美の伝道師よ」

「なるほど……」

「ところで勇者サマ」

「なんです?」

「アナタはアタシの手を握っただけで、アタシの身体の秘密を掴んだようだけど……アタシにもわかるわ。アナタのその、尋常ではない鍛え抜かれた肉体の美しさ! どう? アタシの前に、すべてを曝け出してみない? モチロン、恥ずかしいなら断ってくれても構わないけど」

「……ふっ」

 

 わかりやすい挑発だ。乗る必要はない。

 

 

 

「舐めないでもらいたいな。おれの身体に……恥ずかしい場所は一つもない」

 

 

 

 おれは服を脱いだ。

 もちろん、上半身だけ。

 オカマさんの目が、くわっと見開かれる。

 

「あぁ〜! 良いッ! 良いわッッ! これが……これこそが、世界を救ったカラダなのね! 社長! 本来の予定にはないけど、いいわよね!?」

「もちろんです。存分に撮ってください。撮りまくってください。それはもう舐めるように全身撮影してください」

「社長。鼻血出てます、鼻血」

 

 鼻から血を流している死霊術師さんに、秘書さんが淡々とハンカチをあてる。しかし、死霊術師さんはとても楽しそうだった。普段自分はあれだけ全裸になっているくせに、おれの上裸には興奮するらしい。まったく、おかしな人だ。

 というか、これはおれも写真を撮られる流れなのだろうか。上裸で。

 

「イイっ! イイわよ勇者ちゃ〜ん! 目線はこっちに頂戴! 可能ならポーズも少し変えてくれると、捗っちゃうわ〜!」

「仕方ないですね。サービスしときますよ」

「はぁー! 昂ぶる! 昂ぶるわーっ!」

「社長。如何でしょうか? この際、勇者様にも紙面を飾っていただくというのは。場合によっては別冊で写真集にしてしまっても良いかもしれません」

「それ採用ですわ」

 

 うーん。おれの目の届く範囲で、おれの筋肉が売り物にされようとしている……。でもまぁ、お金貰えるならいいか。

 そんなこんなで撮影しながら時間を潰している間に、赤髪ちゃんのメイクと着替えが完了したらしい。控えめなノックの音が響いた。

 

「えと……準備が終わったんですが、どうでしょうか?」

「んっ……がわいいっーっ!」

 

 死霊術師さんが絶叫した。

 それはもう、絶叫した。

 

「社長! しっかりしてくたさい! 社長!」

 

 赤髪ちゃんのドレス姿を見て、元四天王第二位は絶叫しながら倒れ伏した。鼻からは、どくどくと赤い血が漏れ出している。このままだと、出血多量で死にそうだ。この人殺しても死なないけど。

 息も絶え絶えに、死霊術師さんはなんとか体を起こしながら、しかし口だけは高速回転させて、捲し立てる。

 

「ご覧にっ……ご覧になりましたか!? 勇者さま!? ややあどけない幼さの残る魔王さまに、あえて大人の女性に寄せたアダルトでシックなコーディネートをする……これがその答えなのです!」

「ふん……たしかに悪くない」

「あ、ありがとうございます……」

 

 おれたちの惜しみない称賛に、赤髪ちゃんが頬を赤らめながらひらりと裾を翻す。ツーサイドアップの形に丁寧に結われた赤髪が、その動きに合わせて左右に揺れた。

 赤髪ちゃんのドレスは、胸元が大きく開いている、わりと攻めたデザインだった。その幼さとは対称的に……大きいなぁ、と感じることもある部分が、比較的目立つようなつくりになっている。差し色の赤も、また髪色によく合っていて、まるで最初から赤髪ちゃんのために仕立てたようである。

 

「で、でもなんというかこのドレス……デザインはすごく可愛くて好きなんですが……その、ちょっと透けてる部分が多いと言いますか、すーすーして、気になると言いますか……」

「んんっ……恥じらいは可愛さの最高のスパイスですわね……」

「ふん……わかる」

「今さらですけど勇者さんはなんで上半身裸なんですか?」

 

 赤髪ちゃんのじっとりした視線が、おれの腹筋に突き刺さった。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
自分の身体に恥ずかしいところはないと思っている。自分の上腕二頭筋が好き。

赤髪ちゃん
最近自分の一部が平均よりわりと大きいことに気が付きはじめた。勇者の腹筋が好き。

死霊術師さん
金儲けが上手い社長。手広く事業を展開し凄まじいスピードで会社を成長させており、このままいけば王国内の経済を軽く牛耳れそうな勢いがあるので、関係各所から警戒されている。それはそれとして自分と勇者が絡んでいる銅像は私財を投じて街のど真ん中に建てる。勇者の広背筋が好き。

秘書さん
黒髪メガネっ子敏腕秘書さん。死霊術師さんを会社の設立当時から支え続けた有能極まるキャリアウーマン。死霊術師さんも心を許しているのか、勇者と自分の関係や過去については大まかに語っている。死霊術師さんのことが好き。

オカマさん
色黒筋骨隆々カメラマンさん。昔は戦場で腕を鳴らしていたプロフェッショナルの魔術士。勇者が只者ではないと悟った通り、職場をテロリストに占拠されても単騎で制圧できる程度の腕がある。多分。
余談だが、魔術を仕事の道具として割り切って使う人間の中には、魔導師並みの実力を持っていたとしても、自らを魔術士と名乗る者が多い。これは「魔を導く師」という魔導師の語源に己は相応しくない、という自嘲的な側面があったり、差別的な意味合いでそうした言葉を向けられるのを避けたりと、やや複雑な事情がある。
勇者の身体に興味津々。


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世界を救った死霊術師の死

馬鹿な……タイトル回収が早すぎる……!


「ところで、勇者様はどうして社長のことをお好きになったのですか?」

「ごふっ……!?」

 

 壁際に陣取り、出されたコーヒーを啜りながら撮影を眺めていたおれは、秘書子さんから投げかけられたそんな一言に咽て、思わず飲んでいたものを吐き出しそうになった。

 あくまでもクールな表情のまま、秘書子さんはシワひとつないハンカチを渡してくる。

 

「失礼しました。質問が少々唐突に過ぎたようです。どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 渡された気遣いに甘えて口元を拭きながら、おれは気を取り直して問い返した。

 

「でも、どうしてそんなことを?」

「純粋な興味です」

「純粋な興味ですか……」

「はい。私は社長から勇者様とのご関係について、大まかにその顛末を聞き及んでおります。そして、その内容には、一般に明かされていない事実も含まれています」

 

 大まかな顛末、と秘書子さんは言った。

 

「えーっと。それはつまり……洗脳云々が嘘だったこととかも含めて?」

「はい。我が社の馬鹿社長が、極めて正気のまま魔王の下で、本気で世界を滅ぼそうとしていたことも、もちろん存じ上げております」

 

 本当にすごいところまで存じあげられている! 

 しかもさらっと馬鹿社長とか言ってる! 多分事実だけど! 

 しかしある意味、秘書子さんは死霊術師さんにすごく信頼されているんだなぁ、と。おれは少し感心した。

 

「だからこそ、疑問なのです。勇者様と社長は、明確な敵と敵。いわば、不倶戴天の仇同士だったわけでしょう? それが現在の関係に至り、仲間になったということは、よほどの好意に繋がるきっかけがあったのではありませんか?」

「好意のきっかけ、ですか……」

 

 難しい質問だった。

 白ワンピに着替えて撮影を続けている赤髪ちゃんのスカートの中を覗こうとして、頭を思い切り蹴り飛ばされている死霊術師さんを見る。なにやってんだあの人。

 おれは腕を組み、頭の中で言葉を選んだ。

 

「たしかに……敵だった頃の死霊術師さんとは、色々ありましたよ。殺し殺されの関係だったし、互いに捕まえたり捕まったりもしたし……」

 

 言いながら昔のことを思い返し、考える。

 秘書子さんの言う通り、死霊術師さんはおれの敵だった。しかも、どいつもこいつも化物揃いだった四天王の中で、最も厄介な仇だった。

 何度も戦った。

 何度も殺した。

 けれど、何度でも蘇って、立ちはだかってきた。

 それがどうして、味方になったのかといえば。

 

 

 ◆

 

 

「お前さえ、殺せれば……お前さえ、おれの味方だったら、みんなは、死なずに済んだのに……!」

「味方になって、差し上げましょうか?」 

「条件は、何だ?」

「簡単ですわ。いつか、わたくしを殺してください」

 

 

 

 

「……おれが、その約束を守れば──」

 

 

 

 

「──お前の魔法で、二人を……生き返らせてくれるのか?」

「──ええ。必ず」

 

 

 ◆

 

 

「アレですね。一言で言ってしまえば、利害の一致ってやつです」

 

 ざっくばらんに言い切った。

 秘書子さんのメガネの奥の目が、きょとんと丸くなる。

 

「それはなんというか……思っていたよりも、ビジネスライクな理由ですね」

「その方が、らしいでしょう?」

 

 敵にしておくよりも、味方にした方が利があると判断した。

 なによりも、喉から手が出るほど魅力的な提案をされた。

 敵意が裏返るきっかけなんて、そんなものだ。

 

「しかし魔王軍の四天王を仲間にする、というのは……勇者様にとっても、随分とリスキーな決断だったのではありませんか?」

「おれは多分、()()をしていたんですよね」

「賭け、ですか」

「そう。賭けです。あの頃のおれは結局、最後まで死霊術師さんを殺すことができなかった。なので、殺す以外の方法で、無力化する必要がありました」

「その回答が、仲間にする……という選択だったと?」

「そうなりますね」

 

 おれは世界を救う過程で、世界を救うために必要な仲間を集めてきた。

 騎士ちゃんと出会い、賢者ちゃんを助け、聖職者さんに助力を乞い、師匠に修行をつけられ、そして最後に、死霊術師さんを仲間にして、魔王を倒すことができた。

 死霊術師さんの存在が、間違いなく世界を救うための最後のピースだった。

 

「裏切られるとは、思わなかったのですか?」

「思いましたよ」

 

 ていうか、事実ついこの間、裏切られたばっかりだしなぁ……。もちろん、秘書子さんは知らないだろうけど。

 まあ、あれは半分くらいおれも悪いので言いっこなしなのだけれど。

 

「だから、本当に賭けだったんですよ。死霊術師さんが裏切ったら、世界は救えない。裏切らずに、最後までついてきてくれれば、世界を救える」

「そして、勇者様はその賭けに見事に勝った……失礼かもしれませんが、お会いする前と随分印象が変わりました。勇者様は、なかなかのギャンブラーだったようですね」

「人生を賭けた大博打くらい打たないと、世界は救えませんからね」

 

 言いながら肩を竦めてみせると、秘書子さんはくすりと笑った。こちらこそ、秘書子さんの印象が最初から変わった、初対面のイメージよりも、話してみるとそれなりに笑顔を見せてくれる人らしい。

 少し仲良くなってきたところで、今度はこちらから口を開く。

 

「おれの方からも、質問してもいいですか?」

「もちろんです。私にお答えできることであれば」

「じゃあ、せっかくなので聞きたいんですけど。秘書さんは、どうして死霊術師さんの仕事を手伝うことになったんですか?」

「ああ……社長からお聞きになっていないのですね。実は、私の祖父も運送会社を経営していたのです」

「秘書さんのおじいさんが?」

「はい。もっとも、今のこの会社とは比較にならない、馬車が数台しかないような小さな会社でしたが……」

 

 小さく補足して、秘書子さんは言葉を続ける。

 

「祖父が亡くなって潰れてしまった会社の設備や人員を引き取り、立て直してくださったのが、社長なのです。同時に、社名を改めながらも、前社長の孫娘だった私のことを、秘書としてひろってくださいました。今はこうして、社長のお側で様々な経験を積ませていただいております」

「へえ……そんな事情があったんですね」

 

 意外と知らない情報がぽんぽんと出てきて、おれは唸った。

 なんだか知らない内に、いつの間にかデカい会社の社長の椅子に収まっていたので、疑問に思う機会すらなかったが……こうして経緯を聞いてみると納得できる。本当に何もない状態で一から会社を起こすよりも、元になった会社があった方がたしかに自然だ。

 もしかしたら死霊術師さんは、秘書子さんのおじいさんから、運送関連の仕事について学んでいたのかもしれない。

 

「社長には、とても感謝しております。いつか必ず、この恩義を返したいと思っています」

 

 少し遠くを見ながらそう語る秘書子さんを、思わずからかいたくなって。

 おれは、ちょっとだけ意地悪な聞き方をしてみた。

 

「大好きなんですね。死霊術師さんのことが」

 

 

 

 

 

 

 

「大好きなんですね。死霊術師さんのことが」

 

 世界を救った勇者に、そう言われて。

 ギルデンスターン運送社長秘書、ルナローゼ・グランツは薄く微笑んだ。

 

「はい。心よりお慕い申し上げております」

 

 ルナローゼは、照れることなく即答する。

 思っていた反応とは少し違っていたようで、青年の顔がうっすらと赤くなった。わかりやすくて、笑ってしまいそうになる。

 良い男だな、と思う。自分の上司が、惚れているのも納得だ。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、その根っこから商売人であるが故にコミュニケーション能力が高く、人当たりも良い。が、その実、本当の意味で心を許している人間は少ない。自分を含めて、そういう関係を築いている人間は数人しかいないだろう。

 その数少ない一人が、彼のような青年であることを、ルナローゼは嬉しく感じていた。

 

「世界を救った勇者様も、そういうお顔をされるんですね。なんだか少し、安心しました」

「……まいったな」

 

 苦笑いする青年のその反応は、やはり人の良さが隠しきれていなかった。

 

「勇者さん! お待たせしました!」

「お。赤髪ちゃん、終わった?」

「はい! たくさん撮ってもらっちゃいました!」

 

 勇者と話し込んでいる内に、どうやら撮影も済んだらしい。

 モデルである赤髪の少女に引っ付いては嫌がられているリリアミラに、ルナローゼは語りかける。

 

「撮影は済んだようですね。社長も、ご満足いただけましたか?」

「ええ、ええ! とっても良い写真が撮れました! この写真が紙面を彩るのが今から楽しみですわ〜!」

「それはなによりです」

 

 勇者との語らいは、ルナローゼにとっても楽しい時間だった。

 だからこそ、本当に心の底から、残念に思う。

 

 

 

「では、社長。これで、あなたのこの会社での業務は、完全に終了となります」

 

 

 

 こんな形で、仲間を貶める場面に、彼を立ち会わせてしまうことに。

 

「……何を言っているのですか?」

「そのままの意味です」

 

 パチン、と。

 ルナローゼは、指を鳴らした。

 それが合図だった。撮影会場の雰囲気に似つかわしくない、武装した騎士の一団が扉を蹴破って踏み込んでくる。

 さすがに、勇者の反応は素早かった。リリアミラと、赤髪の少女を庇うようにして、一瞬で前に立つ。荒事に慣れきった人間特有の、思考よりも反射に先立つ行動。

 対象的に、騎士たちに囲まれる形になったルナローゼに、勇者は一転して厳しい視線を向けた。

 

「……どういうことです。秘書さん」

「申し訳ありません、勇者様。本当に……あなたを巻き込みたくはなかったのですが、こればかりはタイミングが悪かった、と。そう言う他にありません」

 

 リリアミラが、勇者の背後から一歩、前に出てその隣に並ぶ。

 

「冗談には見えませんね? ローゼ。随分物々しいお客さまを招いているようですが。説明はあるのですか?」

「どういうことも何も……ご覧の通りです、社長」

 

 愛称を呼んで問いかけたリリアミラに対して、ルナローゼはあくまでも淡々と、言葉を紡ぐ。

 

「本日を以て、我が社における貴方の権限は、すべて剥奪されました。貴方には、我が社の資産であるドラゴンと貨物船の私的利用。そして、なによりも()()()()()()()()()()()()()が掛かっています」

「……わたくしに、弓を引くつもりですか? ローゼ」

 

 弓を引く。

 反抗、謀反、裏切り。

 どんな表現でも構わないが、よりにもやって魔王を裏切った経験のある元四天王にそんな言葉を投げかけられて、ルナローゼは鼻で笑った。

 

「社長。あなたの目的は……死ぬことでしたね?」

 

 愛とは、共に生きること。

 生命の営みを、共にすること。

 だが、リリアミラ・ギルデンスターンは、己の愛の在り方を、生命を奪うものとして定義している。

 殺すことが、愛なのであれば。

 恨み、憎しみ、憑き殺す……そんな復讐もまた、愛の形の一つであるはずだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()に復讐できるこの日を、ルナローゼは待っていた。

 眼鏡を外して、握り潰す。

 レンズ越しにではなく、直接己の瞳で、その美貌を、ルナローゼは目に焼き付ける。

 

「ずっとずっと……ずっと、あなたを殺したかった。私の望みが、今日ようやく叶います」

 

 世界最悪の死霊術師は、決して死ぬことはない。

 世界を救った勇者であっても、命を奪うことは遂に叶わなかった。

 けれど、死の定義とは、決して一つではない。

 心臓を止めなくても、頭を潰さなくても、腹に穴を空けずとも。

 時に人は、血の一滴すら流すことなく、人を殺すことができる。

 ルナローゼ・グランツは、リリアミラ・ギルデンスターンに向けて、告げる。

 

 

「この私が、あなたを殺して差し上げます。この社会から、居場所を奪うという形で、ね」

 

 

 ──この日、世界を救った死霊術師は、死んだ。

 平和になった世界で築き上げてきた立場を、すべて失うという形で。




NEW!!【失業編、開幕】


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勇者は死霊術師を見捨てない

 人間の罪は、根本的に償うことができない。

 二十と数年の時を生きて、それがリリアミラ・ギルデンスターンの得た一つの結論であった。

 たとえあったことを、なかったことにしても。犯した罪のすべてを、元通りにすることで精算したとしても。

 過去の全てを、巻き戻すことは不可能だ。

 

 昔の話である。

 リリアミラが魔王を裏切り、勇者の仲間を蘇生し、世界を救うパーティーの一員となって、まだ一月も経っていない頃。

 

「リリアミラ・ギルデンスターンだな?」

「人違いでは、ありませんか?」

 

 休憩のために立ち寄った酒場は、お世辞にも治安が良いとはいえない場所であり、他のメンバーが席を外しているタイミングであったこともまずかった。あるいは、酒臭い息を吐くその男は、リリアミラが一人きりになる瞬間を最初から見計らっていたのかもしれない。

 だとすれば、赤ら顔の見た目よりも、脳にアルコールは回っていないらしい、と。リリアミラはそう思った。

 

「アンタみたいな別嬪さんの顔を、見間違えるわけがねえ」

「それは恐縮です」

「洗脳が解けた、なんて言い訳をして、うまく勇者の小坊主に取り入ったみたいじゃねえか。そりゃあ、うまくいくだろうなぁ。なにせ、その顔にその身体だ。どんな男でも誘惑されりゃあころっと落ちるだろうよ」

 

 下品な男だった。

 男の角張った大きな手が、無遠慮にリリアミラの胸に伸びる。露出の少ない厚手のセーターの上から、欲望に塗れた指の動きを感じて、リリアミラは僅かに眉を歪めた。

 

「何の御用でしょうか? 夜の相手でしたら、専門の方にお願いしてくださいませ。べつに、お金に困っているわけではありませんので」

「オレの故郷はアジストンだ。てめぇらが奪っていった土地だ。忘れたとは言わせねえぞ」

 

 記憶力には、それなりに自信がある。ああ、自分が担当した侵略地域か、とリリアミラは心の中で納得を得た。

 その上で、勇者パーティーの一員となった死霊術師は答える。

 

「申し訳ありません。わたくし、洗脳されていた間の記憶は曖昧なのです。ですが、どうかご安心ください。罪滅ぼしになるかはわかりませんが、わたくしは必ずあなたの故郷を勇者さまと共に、取り戻して……」

「ふざけるなっ!」

 

 男の手が首筋に伸びて。女性にしてはやや高いリリアミラの体は、しかし根本的な男女の体格差には叶わず、一瞬で酒場の汚い床に押し倒された。

 

「オレは戦場で、てめえの顔を見た! てめえの表情を見た! あれは、破壊と略奪に心酔している人間の目だった! オレにはわかる! オレに、オレにだけはわかる! てめえはバケモノだ! この世に、存在しちゃいけねえ人間だ!」

 

 男にのしかかられて、激昂したその表情を見上げる。頬に落ちる唾の感触が気持ち悪い。

 それでも、リリアミラは一切抵抗しなかった。

 ああ、髪が乱れるなぁ、とか。

 どこまでやられてしまうんだろう、とか。

 そんなことを思いながら、どこまでもぼんやりと男の声を聞いていた。

 

「勇者と一緒に世界を救えば! てめえの罪を償えるとでも思ってんのか!?」

 

 くだらない質問だった。

 そんなことは、欠片も思っていない。

 人間が罪を償う最大の形は、死んでこの世から消え去ることだ。死んでしまった人間に憎しみをぶつけることは不可能だから。

 けれど、リリアミラの魔法は、それを許さない。

 いっそ死んでしまえれば、どんなに楽だろうか。

 今も昔も、男に犯されかけているこの瞬間も、リリアミラはそれを望んでいるというのに。

 生まれ持った瞬間から心の内にある魔法だけが、そのたった一つの願望を拒絶する。

 

「すいません。その人、おれの仲間なんです。やめてもらえませんか?」

 

 喧騒の中で、何故かその落ち着いた声音だけははっきりと耳に届いた。

 リリアミラの服を剥ぎ取ろうとしていた手が、一瞬で強張って固まる。

 

「く、黒輝の……」

「故郷を失ったあなたの気持ちはわかります。でもそれは、あなたが今ここで、彼女を傷つけていい理由にはなりません。彼女に対して抑えきれない気持ちがあるのであれば、リーダーであるおれに向けてください」

 

 年下の少年に淡々と諭され、ヤニで汚れた男の歯が、ぎしりと音をたてる。

 男の懐から、鈍く光るナイフが取り出される。

 

「お前がっ! お前の魔法があるなら! こんなヤツはさっさとぶっ殺して、蘇生の魔法だけ奪っちまえばいいじゃねえか! それをっ……!」

 

 男の言葉は、最後まで続かなかった。

 その前に、勇者の脚が男を店の外まで、蹴り飛ばしていた。

 リリアミラは、ぼんやりと自分を助けてくれた勇者の表情を見上げる。

 少年から青年になろうとしている彼の表情は、ひどく歪んでいた。

 

「……それができれば、とっくにやってるよ」

 

 吐き捨てる言葉も、心なしか汚い。

 彼にしては、本当にめずらしい表情だった。

 

「……立てるか?」

「はい。大丈夫です」

「なんで抵抗しなかった?」

「わたくし、か弱い乙女ですので」

「嘘つけ。それに、あんたの魔法なら過剰防衛で殺しても、いくらでも生き返らせることができるだろ?」

「でも、殺してはいけないでしょう? わたくしはもう、勇者のパーティーの一員なのですから」

 

 苦いものを噛み潰しているようだった表情が、そこできょとん、と。丸くなった。

 堪らず、リリアミラは笑う。やはりまだ、彼の顔つきは青年のものではなく、少年に近しいものだ。それが何故か、リリアミラにはとても好ましい事実であるように思えた。

 

「それに、こういう扱いを受けるのは、慣れています。それなりに長い間、身体をおもちゃにされていた経験もありますから」

「おれは……」

 

 露出した肌に視線を合わせないように上着を掛けながら、少年は女性の体を抱き起こす。

 

「あんたがどういう境遇にいたのか、とか。どうして魔王の傘下に加わったのか、とか。そういう過去に興味はないし、そういう過去に同情するつもりもない。ただ、魔王を倒すためにあんたの力が必要だから、利用する。それだけだ」

 

 また笑ってしまいそうになる。勇者は、嘘が下手だった。

 

「でも、あんたはもうおれの仲間だから。さっきみたいなのは、見過ごせない」

「お優しいのですね」

「優しくないよ。おれも、本質的には、あのおっさんと同じだ。おれはあんたを、絶対に許さない。最後に必ず殺す」

「はい。わたくしも、それを望んでおります」

 

 だから、と。

 勇者の少年は言葉を繋げて。

 

「リリアミラさん、あんたを殺すまで、おれはあんたを誰にも傷つけさせない」

 

 この日。彼は、パーティーの仲間として、はじめて彼女の名前を呼んだ。

 

 

「では、ご同行願います。リリアミラ・ギルデンスターン様」

 

 そう言われて、リリアミラははっと我に返った。

 勝ち誇るようなルナローゼの宣言とは真逆に、部屋に踏み込んできた騎士たちを束ねる分隊長の声は、至って平坦なものだった。

 

「あなたにかかっている嫌疑に関しては、先ほどグランツ嬢が申し上げた通りです。抵抗の意志を示される場合は、力尽くでの連行となります。それは我々にとっても本意ではないことを、どうかご理解いただきたい」

 

 対するリリアミラも、長い髪の先を指で弄りながら、問い返す。

 

「その言い草。わたくしを連れて行くのに十分な証拠は既に出揃っているのですか?」

「我々の所属は第三騎士団です。この意味が、わからないあなたではないでしょう」

「……なるほど。()()()()ですか」

 

 王都に存在する五つの騎士団は、要人の護衛やモンスターの討伐など、民を守る騎士として共通する職務の他に、それぞれの部隊ごとに特色とも言える役割を担っていることで知られている。

 王国最強の騎士であるグレアム・スターフォードが率いる第一騎士団は、王都の守護を。

 黒騎士、ジャン・クローズ・キャンピアスを頂点に据える第二騎士団は、大型モンスターの討伐を。

 そして新鋭、イト・ユリシーズが旗印となった第三騎士団は、悪魔の討伐とそれに関わった人間の審問を主な任としている。

 第三が動いた。その時点で、容疑者の抵抗は無意味と言ってもいい。

 

「致し方ありませんわね」

「……死霊術師さん」

「あらあら、そんな顔をなさらないでください、魔王さま。大丈夫です。ここは、わたくしが連れて行かれれば丸く収まるのですから、そのようにいたしましょう。今すぐに殺されるわけではありませんし、殺しても死なないのがわたくしという女です。でも、わたくし寂しがり屋ですので、面会には早めにいらしゃっていただけると助かります」

 

 任意の同行を求められたのだから、それに従う。

 リリアミラの判断は至って真っ当で正しく、常識的なものだった。周りの人間を巻き込まないように、という配慮に基づいた行動だった。

 

「では、手錠を」

「はい」

 

 その常識的な行動を、止める手があった。

 

「これは、なんのつもりでしょうか? 勇者様」

「見ての通りです」

 

 普通ではない勇者が、それを止めた。

 あくまでも表情を変えないまま、壮年の分隊長は勇者を見る。

 

「勇者様。抵抗される場合は、反抗の意思ありと見なします」

「隊長さん。死霊術師さんは、おれの仲間です。目の前で仲間を黙って連れて行かれて、はいそうですかと。指をくわえて見ているわけにはいきません」

 

 丁寧語で、やわらかな口調で、淡々と。

 勇者は、騎士たちに語りかける。

 

「勇者様、ここはどうか、ご理解いただきたい。率直に言って、我々はあなたを敵に回したくはありません」

「そうでしょうね。だからこうして、抵抗しています」

「ギルデンスターン様には、まだ容疑が掛かっているだけです。世界を救ったパーティーの一員として、釈明の余地は残されています」

「でもそれは、おれが今ここで死霊術師さんを見捨てる理由にはなりません」

 

 武装した騎士たちが、動き出す。

 

「最後の警告です。退いてください」

「最初から、答えは変わりません。無理です」

「……致し方ありませんな」

 

 交渉は、決裂した。

 勇者が人の名前を認識できない呪いを浴びた、というのは一般的に周知されている事実である。

 第五騎士団団長、レオ・リーオナイン著『勇者秘録』に記されているように。あるいは、公的な場で記録された勇者本人の言動からも、察するに余りある。

 同時に、複数の魔法を駆使する勇者が、その全盛期の力を失って弱体化している事実も、大っぴらに公言されることはないとはいえ、多くの騎士たちに認識されている情報の一つであった。

 勇者の手に、武器はない。撮影所の中に踏み込んだ騎士たちの数は、一個分隊、十二人。完全武装した十二人の騎士を、正面から単騎で相手取ることは、普通に考えればまず不可能である。

 

「すいません」

 

 世界を救った英雄だけが、その不可能を現実にする。

 一人目。峰打ちの要領で、鞘ごと振るわれたロングソード。その大振りを重心の移動だけで避け、勇者は鎧の隙間から手刀を叩き込んだ。

 二人目。倒れ込んだ仲間の死角から、タックルを掛けるように掴みかかってきたその勢いを、勇者は避けずに受け止めた。

 

「は?」

 

 鎧も含めた自身の全体重を掛け、勇者を押し倒そうとした騎士は、その体幹の強さに絶句する。

 動かない。床に根を下ろしているかのように、勇者の体は微動だにしない。木の幹か、何かのようだった。

 そのまま首筋に肘打ちを食らって、二人目が白目を剥く。

 三人目は、鞭のように唸るハイキックで沈黙した。四人目は、一本背負いの要領で、床に叩き伏せられた。

 

「ぶ、分隊長!」

「抜剣を許可する」

「はっ!」

 

 遂に、白銀に輝く刃が抜き放たれる。

 五人目の一閃を、勇者はあろうことか手のひらで止めて、白刃を取った。同時に、ブーツのつま先が一人目のロングソードを蹴り上げて、その柄が滑らかに勇者の手の中に吸い込まれる。曲芸に目を見張る五人目と六人目の顔面には、拳を一発ずつ。背後をうまく取った七人目には、後ろ回し蹴りで応じる。

 凄まじい蹴りの威力に刀身が叩き折れ、八人目はうめき声すら漏らすことなく地面に沈んだ。

 九人目が、魔術用紙を懐から引き抜く。仕込まれているのは、目潰しの閃光魔術。その動きを見て取った瞬間に、勇者は撮影機材の一つだった遮光板を掴み取って、盾にした。

 魔術用紙が起動、そして起爆。

 背後に立つルナローゼの目を庇い、外套で覆った分隊長は、光が晴れたその先に目を凝らしながら、呻いた。

 

「……やれやれ。どこの馬鹿だ。勇者は弱くなったなんて、ホラを吹いたのは」

 

 九人目、十人目、十一人目。残りの三人がやられているところは、もはや見届けることすらできなかった。

 外套を脱ぎ捨て、壮年の分隊長は腰の剣を引き抜いた。

 こんな形で、勇者と向き合うことになった騎士は、後にも先にも自分一人だけだろう。

 ベテランの騎士は笑う。

 不謹慎な話であることを自覚しながらも、そんな機会を得ることができた事実に、分厚い鎧の胸の内は、自然と高揚していた。

 

「手合わせ願いたい」

「……どうぞ」

 

 その構えだけで最後の相手が手練れだと見抜いてもなお、勇者は鞘から剣を引き抜かなかった。

 一撃、二撃。連続して、風を切る打ち込みが唸る。遂に勇者と騎士の打ち合いが成立し、同時にはじめて、勇者が守勢に回る。

 騎士は前に出る。勇者は退がる。傍目にもどちらが押しているか、明らかな攻防。

 

 いけるか? 

 

 壮年の騎士の脳裏に、そんな思考が掠めた時点で、勝敗はもう決していた。

 

()()()

「っ!?」

 

 大きく開いて、一歩。

 僅か一歩分で、剣の間合いから拳の間合いに距離を詰めた勇者の手が、騎士の右腕を掴み取る。

 

「ベリオット・シセロ。『泡沫無幻(インスキュマ)』」

 

 魔法戦の鉄則は、()()()()()()()()()()()()

 自分自身と触れたものに影響を与えるのが魔法である以上、魔法使いに接触を許してしまうことは、イコールで敗北に直結する。

 現在の勇者に、魔法はない。

 そう信じ込まされていた時点で、対峙した瞬間から騎士の敗北は確定していたのだ。

 

「すいません。あなたが一番強そうだったので、確実に嵌めるために使わせてもらいました」

 

 勇者の姿が、かき消える。

 騎士の視界に、花畑が広がっていく。

 幻惑の類いであることは理解できた。理解できても、抜け出す術はない。

 

「しばらく、眠っていてください」

 

 勇者のそんな言葉を最後に、騎士の意識は幻想の中に囚われた。

 

 

 

 

 最後の一人の意識を奪ったのを確認して、おれは深く息を吐いた。

 

「ゆ、勇者さん?」

「はあぁぁぁぁ……」

 

 ふと、我に返ったというべきか。

 あるいは、いつも通りに戻ったというべきか。

 おれは息を吐きながら、がっくりと膝をついた。

 

「や、やっちまった……いや、仕方ないとはいえ、や、やっちまった」

 

 倒れ伏したままぴくりとも動かない騎士のみなさんを見回して、頭を抱える。

 くそ……どうしてこんなことに。

 

「ゆ、勇者さま。わたくしを助けるために、そこまで……! わたくし、わたくし……感動いたしましたっ!」

 

 決まっている。あきらかにこの女のせいである。

 

「黙れ殺すぞ」

 

 目をうるうると潤ませながら感動を伝える死霊術師さんに対して、おれは低い声で答えた。

 びくっと。赤髪ちゃんの肩が怯えたように震える。

 いかんいかん。赤髪ちゃんを怖がらせてはいけない。

 

「ですが、勇者さま。わたくし、本当に大人しく捕まるつもりでしたのに……」

「……それはだめだよ。秘書さんの言動、明らかにおかしいでしょ。これは最初から、死霊術師さんを嵌めるための動きだ」

 

 だから、一度連れて行かれたら終わりだ、と。そう判断した。

 

「それは、勇者さまの勘ですか?」

「うん。勘」

「そうですか。ならばここは大人しく、その勘に従って守っていただくことにしましょう」

 

 悠々とそんなことを言う死霊術師さんの頭を軽くしばきたかったが、それは後で良い。

 おれは、部屋の奥にぽつんと佇んでいる秘書さんに目を向ける。

 ぱちぱちぱち、と。

 無感動な、乾いた拍手の音が鳴った。

 

「さすがは勇者様です。現役の騎士たちを相手に、これだけの多勢に無勢だったというのに、一瞬で制圧されてしまうとは。感服いたしました」

「白々しい褒め言葉は結構です」

 

 疑問があった。

 とても根本的な、一つの疑問が。

 

「秘書さん。どうして、おれがいるタイミングで死霊術師さんの確保を強行したんですか?」

「……質問の意図が、分かりかねます」

「じゃあ、聞き方を変えましょうか。死霊術師さんと一緒に、おれを巻き込むのがあなたの目的ですか?」

 

 死霊術師さんを捕まえるだけなら、おれという厄介な存在がいないタイミングで仕掛けた方がいいに決まっている。その方が、圧倒的に楽だからだ。

 形の良い唇が、三日月に歪む。

 

「そこまで、大層な理由はありませんよ。ですが、そうですね。強いて言うなら……」

 

 一個分隊、十二人のフル装備の騎士たち。

 彼らを打ち倒して、油断していなかったといえば、嘘になる。

 切り裂かれ、真っ二つに割れる扉を見て、おれは己の迂闊さを呪った。

 

「勇者がいてもいなくても、最初からこちらには関係ないからです」

 

 そう。おれたちが今、敵に回しているのは『第三騎士団』だ。

 切り裂いた扉を蹴り上げて。

 見知った顔が、現れる。

 おれも、死霊術師さんも、赤髪ちゃんも。全員が、よく知る人物。

 

「あらあらあら……じゃなくて、おいおいおいおい。これはこれは。また、派手にやってくれちゃったねえ、後輩くん。まさかまさか、女を庇って騎士団相手に大立ち回りとは、ね」

 

 騎士団長の地位を示すマントを揺らして。

 軽装の鎧の音を、かちゃりかちゃりと鳴らしながら。

 

「公務執行妨害で、逮捕しちゃうぞ?」

 

 先輩は、笑っていた。

 しかし、片方だけのその目は、ちっとも笑っていなかった。

 

「死霊術師さん」

「はい」

「悪いんだけどさ」

「はい」

「守りきれないかもしれないわ」

 

 冷や汗を流しながら、おれは極めて情けない自己申告を、死霊術師さんに向けて告げた。




よくわかる勇者くんと死霊術師さんのQ&A

Q.初期の二人の関係はぎこちなかったの?
A.わりとそう。最初はあんた呼びだった。勇者くんは未だに死霊術師さんの扱いが少し雑。

Q.二人の裸について教えて?
A.最初は互いに恥じらいがあった。今となってはそんな初々しさはもう欠片も残っていない。よく脱ぐコンビとして他のメンバーからセット扱いされている。

Q.傷つけさせない、とか言いながら勇者くんはよく死霊術師さんを盾にしてた気がするけど……
A.自分で傷つけるのはオッケーらしい。アホの価値観である。


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『断絶』VS『転移』『幻惑』『蘇生』

 正直なところ、最初から気乗りしない任務だな、とイト・ユリシーズは思っていた。

 提出された証拠は、たしかに証拠足り得るものではあったが、どうにもきな臭く。自分たちの会社の社長が、最上級悪魔と取引を行っている、などと。そんな密告をしてきたのが、社長に最も近しい位置にいた秘書だというのも、どうにも胡散臭い。きな臭さに胡散臭さまで乗っかるのだから、それはもう怪しさ満点だ。

 イトはリリアミラ・ギルデンスターンという女性をよく知っているわけではなかったし、彼女の全てを完璧に信用しているわけでもなかったが、それでも、一度は共に酒を酌み交わした仲である。いや、イトはあの日の記憶はほとんど吹っ飛んでいるので、酒を酌み交わしたらしい仲である、といった方が正確かもしれないのだが、それはさておき。

 とにかく、なるべくなら実力行使には出たくない、というのがイトの本音ではあった。

 だからイトは、明らかに実力を以て抵抗しようとしている後輩に、微妙な表情を向ける。

 

「自分が何をしているのか。理解できてないわけじゃないよね。後輩」

「いやぁ、すいません。ちょっと成り行きでこうなっちゃいまして。どうにか見逃してはいただけませんか。騎士団長殿」

「無理無理。それはできない相談だよ、勇者さま」

 

 仕事に私情を挟むつもりはさらさらないが。

 とはいえ、彼が他の女性を自分から庇って立っている現状に、思うところがないわけではない。

 勇者の肩越しに、リリアミラと目が合う。

 まるで、言葉にできないイトの葛藤を見透かしたように、薄く薄く、リリアミラは微笑んだ。

 

 かちん。

 

 少し、頭にきた。

 

「勇者くん。やっぱりその人、今からワタシに引き渡さない?」

「すいません。いくら先輩といえども、それはできない相談です」

「うんうん。そっかそっか。じゃあ、仕方ないね」

「そうですね。仕方ない」

 

 互いに、気の抜けるような、溜息が一つ。

 それと同時に、勇者は床から剣を拾い上げ、躊躇なくイトに切りかかった。

 速いな、と。イトはその動きの滑らかさに、目を見張る。

 しかし、驚きはない。

 むしろ、

 

「このワタシと、斬り合いをしようっての?」

 

 その選択に関しては、失望が先立つ。

 勇者がロングソードを振るう。

 イトが手刀を振るう。

 激突。そして、切断。

 それなりに頑強に作られているはずの白銀の刀身が、イトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』によってあっさりと真ん中から叩き折られた。

 

「うわぁ」

 

 その魔法の威力に引き攣った苦笑いを浮かべつつも、勇者は攻め手を緩めない。

 次に振るわれた細身の剣も、イトは魔法によって鞘ごと刀身を両断する。

 片方だけの瞳で、イトは勇者を呆れた目で見る。

 

「無駄だってわかんない?」

 

 勇者は飄々と答えた。

 

「無駄じゃありませんよ。少なくとも、外側の鞘だけ触れても中身の刀身ごと切られるってのは、わかりました」

 

 ぞわり、と。イトは背中の産毛が、逆立つような感覚を抱いた。

 彼の顔は笑っている。だが、彼の視線は、これっぽっちも笑っていない。

 分析、されている。

 世界を救った勇者が、自分を倒すために思考を巡らせている。

 そのプレッシャーは、生半可なものではない。

 

「なので、こっちにします」

 

 次の剣を引き抜いて、勇者は片手に剣を、片手に入れ物であった鞘を構えた。

 なるほど。たしかにこれならば、振るう度に武器を叩き折られたとしても、単純計算で二倍は持つ。

 

「でもそれ、なんの解決にもなってないよ?」

 

 イトの指摘に、勇者は答えない。

 一方的なチャンバラが、再開する。

 

(悪いけど、ワタシは先輩だからさ。かわいい後輩の狙いは、最初からお見通しなんだよね)

 

 勇者の勝利条件は、イトに()()こと。

 触れた時点で勝負を決することができる魔法を持っているのなら、身体的接触を目指すのは、魔法戦の鉄則だ。

 ただし、イトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』は、生半可な魔法効果なら、その概念ごと断絶する。

 

(多分、後輩が持っているのは触れた相手をハメて意識を落とすタイプの魔法。たとえ掛けられても、まあワタシなら斬ることはできるはず)

 

 しかし、イトに触れなければ勝てない勇者は、同時に、迂闊にイトに触れることができない、という矛盾を抱えている。イトの魔法が『断絶』である以上、考えなしの接触は致命傷に繋がりかねないからだ。

 

(そのために、ワタシの魔法の様子見も兼ねて、こんなことをしてるんだろうけど……ワタシ相手に近接戦したところで、長く保たないのは明白だし)

 

 そもそも、長く保たせる気もない。

 彼のことを、傷つけたくはないけれど。

 

(まあ、足の腱の一本や二本くらいは、許してもらおうかな)

 

 イトがそんな思考を巡らせている間にも、勇者の攻撃は途切れず、そしてそれらすべては徒労に終わろうとしていた。

 鞘を用いた変則的な二刀流であるにも関わらず、勇者の剣戟は苛烈そのものだ。繰り出される斬撃のすべてが、イトの防御の合間を、的確に縫っては突いて来る。

 しかし、たった一つの要素だけで、イト・ユリシーズは絶対の有利を保ち続ける。

 イトの手刀は、折れない。勇者の剣は、必ず折れる。

 すべてを切り裂く名刀の前では、対等な斬り合いは成立しない。

 たった十数秒の打ち合いで、イトは勇者が振るった九本の刀剣を、叩き折った。

 あるいは彼の手に魔剣があれば、まだ対等な勝負になったかもしれないが、借り物の武器しかないこの状況では、こんなものだ。

 残りの剣は、あと二本ほど。

 

「そろそろ武器が心もとないんじゃない!? 後輩っ!」

「いいえ。武器なら……まだあります!」

 

 勇者の上体が、がくんと下がる。

 その手が、守るべき対象であるはずの、死霊術師の足首を引っ掴む。

 

「あら……?」

 

 そして、勇者の英雄と呼ぶに相応しい膂力が、死霊術師の恵まれた肢体を、武器としてぶん回した。

 

「喰らえぇえええええ!」

「うわぁぁ!?」

 

 イトは、悲鳴をあげた。

 わりと、素に近い感じで。

 

「ぎぃやぁぁ!?」

 

 リリアミラも、悲鳴をあげた。

 身体を断ち切られる、断末魔に近い感じで。

 

「な、なな……なにしてんの!?」

「なにって……武器です」

「仲間じゃないの!?」

 

 勇者の終わっている倫理観にツッコミを入れてから、イトはふと気付く。そして、しまったと思った。

 自分の『蒼牙之士 (ザン・アズル)』で、彼女の身体を『断絶』してしまった。

 イトの目的は、あくまでもリリアミラ・ギルデンスターンの確保だ。殺害ではない。

 勇者の仲間を殺してしまったかもしれない。その事実に、イトは顔を青くして。

 

「勇者さま! わたくしを武器にするなら前もって言ってください!」

「ごめんごめん」

 

「……え?」

 

 まるで何事もなかったかのように()()している、リリアミラ・ギルデンスターンの身体を見て、言葉を失った。

 

「……なんで」

「あら? どうかしたのですか。騎士団長さま。お顔の色が悪いようですが」

「……ワタシは今。たしかにあなたを斬ったはず」

「ああ、なるほど。ええ、ええ! たしかにわたくし、先ほどの瞬間に完膚無きまでに一刀両断されました。されましたが、しかし……」

 

 元魔王軍四天王は、妖艶に微笑む。

 

「あなたの、蒼の魔法の一振りであっさり断たれるほど、わたくしの『紫魂落魄(エド・モラド)』は安くないのです」

 

 死霊術師は、告げていた。

 お前の『断絶』という概念より、自分の『蘇生』という概念の方が上なのだ、と。

 同じ色魔法だったとしても。お前のその魔法よりも、自分の魔法の方が、格上で、より色濃いのだ、と。

 

「先輩の魔法は、たしかに強いです。でも、死霊術師さんの魔法は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ?」

 

 その宣言の説得力を、補強するかのように。

 リリアミラ・ギルデンスターンという人間棍棒を担いで、勇者が笑う。

 

「おれが殺せなかったのに……先輩に殺せるわけがないでしょう?」

 

 ぎりり、と。

 イトは、くやしさで歯を食い縛った。

 勇者と死霊術師。

 二人の間に、自分の知らない、目に見えない繋がりと深い信頼があるようで。

 それが、たまらなく不愉快だった。

 この感情に、嫉妬という名前をつけたくない程度には。

 

「……わーかったよ」

 

 イトは腰の愛刀を引き抜いた。

 

「じゃあ、ワタシの魔法で斬れるまで、お望み通り斬って斬って斬りまくってあげるよ」

「え? いやべつに斬られまくりたいわけではないのですが……」

「ふっ……望むところですよ、先輩」

「いや、勇者さま。ですからわたくし、べつに望んで斬られたいわけでは……いぎゃぁああ!?」

 

 イトが、愛刀を振るう。

 勇者が、愛すべき仲間を振るう。

 それらが激突するたびに、リリアミラの身体だけが一方的に切断され、鮮血が飛び散る。

 とても、世界を救った英雄が戦っているとは思えない。あまりにも凄惨でひどい、喜劇のようなチャンバラだった。

 

「うぅ……いっそ殺してください……!」

「いや殺しても死なないでしょ」

「それはそうなのですがーっ!」

 

 馬鹿なやりとりをしている勇者と人間棍棒(リリアミラ)を見て、しかしむしろ先程よりもやりづらいな、と。イトはそう思った。

 人一人分の重さを振るっている分、スイングスピードは圧倒的に落ちているが、接触する面積が広い。なにより、いくら斬っても蘇生するので、武器として使い減りすることがない。

 リリアミラ・ギルデンスターンという人間棍棒は、イトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』と正面から打ち合うのに、最も適した武器だった。

 それでも結局、イトの有利は覆らない。

 

「……やっぱり、先輩は強いなぁ」

 

 その強さを噛み締めて、味わうように。勇者はなおも笑っていた。

 イトは、目を細める。

 脳天を直接突き刺すような、違和感と危機感。

 肉片が、切り裂かれて宙を舞う。

 瞬間、勇者の体が、イトの目の前から、かき消えた。

 

「──哀矜懲双(へメロザルド)

 

 否、より正確に言うのであれば。

 宙を舞うリリアミラの肉片と、勇者の位置が、転移の魔法によって、入れ替わった。

 その仕掛けを理解していても、ほんの数秒、反応が遅れてしまう。

 取られた背後。勇者の手が、無遠慮に前へ。

 触れたものを、何もかも斬る。文字通り抜き身の刃に等しいイトの手のひらに、勇者の指先が伸びる。

 切られることを、一切恐れず。まるで、最初から斬られないことがわかっているかのように。勇者は自分から、イトに触れに来た。

 そして、互いの指が、絡まる。

 

「あ。先輩の手って、やっぱりちょっとちっちゃいですよね」

「ちょっ……」

 

 恋人繋ぎだった。

 斬り断つ蒼は、触れたすべてを切り裂く。

 ただし、自分が切りたくないものは、切れない。

 なによりも……大好きな人は、絶対に斬れない。

 自分の顔が、赤くなるのを、イトは自覚した。自覚してしまった。

 

(やばい……触られた。魔法が、来る)

 

 魔法に備えた、そのイトの思考を。

 

「では、もう一発。哀矜懲双(へメロザルド)

 

 勇者は、異なる魔法の選択によって、塗り変える。

 転移の連続使用。

 手を繋ぐほどの近距離にいたイトの体は、一瞬で勇者から引き剥がされる。具体的には、部屋の入口まで。

 単純な話。相手が瞬間移動するよりも、自分が()()()()()()()()()方が、人間は混乱する。

 

(意識を奪う魔法はブラフ……? 最初からこっちを確実に使いたかった? 幻惑や幻術の類いは、ワタシに斬られて解除される可能性があるから!? でも……!)

 

 その『哀矜懲双(へメロザルド)』という魔法を使い慣れていない限り、位置関係の把握、飛ばされた距離の確認、混乱する思考を取りまとめるのに、どうしても時間を要する。

 

「こんなんじゃ、時間稼ぎにもならな……」

「死霊術師さん」

「はい」

「首出して」

「仰せのままに」

 

 残された最後の一振り。

 その刃を振り向きもせず、無造作に振るって。

 勇者は、守るべき仲間であるはずのリリアミラの首を、一切の躊躇すらなく、両断した。

 

「は?」

 

 常軌を逸した勇者の行動に、イトの思考は静止する。

 稼いだ間合い。稼いだ時間の、有効活用。

 

「よし。軽くなった」

 

 剣を放り投げた勇者は、片手で生首を。もう片方の腕で、首を失って鮮血を撒き散らしている体を、無造作に持ち上げて、見比べて。

 

「じゃあ、こっちはあげます」

 

 イトに向かって、ぶん投げた。

 頭だけが切り取られた、人間一人分の死体。投げて寄越されれば、それは立派な質量攻撃に成り得る。

 イトは、ほとんど反射で居合いを放った。

 魔法を用いて、投げられたそれを、一刀両断する。どうしても、投げられたそれを迎撃のために切断する、というアクションで、足が止まる。

 

「くっ……」

 

 生首を抱えた勇者は飄々と、開いた窓に足をかけて、告げた。

 

「すいません。ここは、逃げます。この埋め合わせは、いつか必ず」

 

 それだけを言い残して、勇者の姿が転移によって消える。開いた窓には、何が起こったのかわからないという顔でけたたましく鳴く、一羽の鳥が残された。

 今日は、良い天気だった。空を飛ぶ鳥と転移で()()()()()ことも、もちろん可能だろう。

 

「このっ……!」

 

 逃げられる。まだ、間に合うか?

 眼帯を外し、魔眼を起動。愛刀を構え、イトは距離に縛られない拡張斬撃を撃ち放とうと──

 

「やめてください」

 

 ──して、目の前に立ちはだかった赤髪の少女に、刃が当たる寸前で、イトはそれは押し留めた。

 

「……やあ、アカちゃん」

「こんにちは。お姉さん」

「きれいなワンピースだね。よく似合ってるよ」

「はい。ですので、()()()()()()()()()()と、助かります。わたしもこの服、お気に入りなんです」

 

 イトの魔法の威力は、理解しているはずなのに。いや、理解しているからこそ。

 欠片も物怖じする様子を見せず、赤髪の少女は両手を広げて、イトの前でにこりと微笑んでみせた。

 その真っ直ぐな赤い瞳に見据えられると、もうどうしようもない。

 

「……やれやれ」

 

 キン、と。

 刀を鞘に収めて、イトはまるで子どものように、床に大の字になった。

 

「ダメだダメだ。こりゃワタシの負けだね」

 

 強くなったと思っていた。

 魔法を磨き上げ、勇者よりも強く、鋭く、すべてを斬り裂く力を得た、と。

 まだ眼帯を外していなかった、とか。殺さないように立ち回っていた、とか。言い訳はいくらでもできるが、それらは結局ただの言い訳に過ぎない。

 自分は捕まえるつもりで対峙していたのに、実際はこの様なわけで。

 何よりも一つの事実として、イト・ユリシーズの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』は、リリアミラ・ギルデンスターンの『紫魂落魄(エド・モラド)』を断ち斬ることができなかったのだ。

 

「まだまだ青いなぁ……ワタシも」

 

 己の未熟を嘆くイトの表情を、赤髪の少女が覗き込む。

 

「でもお姉さん、さっき顔赤くなってましたけど……」

「…………アカちゃん、うるさい」

「あいたっ!?」

 

 生意気なことを言うその額に、騎士団長のデコピンが突き刺さった。




Q.魔法の効果って調節できるの?
A.わりとできる。騎士ちゃんで言えば、触れたコップの中の水を温くするか、沸騰させるか、みたいな。もちろんコントロールできないとえらい目にあうし、コントロールするために訓練は必要。

Q.たとえばイト先輩の魔法がコントロールできなかったどうなる?
A.手で触れたものをなんでも切り裂く悲しきモンスターみたいになる。両手がハサミに!

Q.魔法の概念が衝突した場合はどうなる?
A.条件などにもよるが、基本的に心が強く、より魔法を使いこなしている方が勝つ。

Q.リリアミラ人間棍棒ってなに?
A.リリアミラで作った人間棍棒。壊れてもすぐ治る。すごい。

おまけ
自身の魔法への理解の深さランキング
リリアミラ≧師匠>魔王様=全盛期勇者くん≧イト>シャナ>アリア>トリンキュロ


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勇者と死霊術師・愛の逃避行

 ルナローゼ・グランツは、基本的に感情を表に出すことは少ない。

 しかしながら、目の前で策に嵌めてその地位を奪ってやった社長が、勇者に絶叫しながら武器として振りまわされ、無惨に切り刻まれて数回死んだあと、生首のまま持ち去られてしまった今の状況に関しては、かなり思うところがあるわけで。

 率直に言えば、どんな顔をすればいいのかわからない、というのがルナローゼの本音であった。

 けれど、どんな表情をしていいかはわからなくても、何を言うべきかははっきりとしている。

 

「ユリシーズ団長。これはどういうことですか? 逃げられてしまいましたが」

 

 責任の所在の追求である。

 

「いやあ、すいませんすいません。ご覧の通り、逃げられてしまいましたねえ」

 

 床に大の字になったイト・ユリシーズは、ルナローゼを見上げて、あろうことか抜け抜けとそう言い放った。

 

「第三を率いるトップである騎士団長がいて、この様とは。悪魔狩りの名が聞いて呆れますね」

「はいはい。もう本当に、仰る通りです。お恥ずかしい限りです」

 

 ぽりぽりと、指先が眼帯の上をかく。

 あからさまに、気の抜けたような返答だった。

 

「ユリシーズ団長」

「なんです?」

「あなたまさか、あの勇者を逃がすために手を抜いていたのではありませんか?」

「グランツさん。もしも先ほどの戦いをご覧になって、手を抜いているように見えたのでしたら、それはもうワタシの実力不足ということになります。まだまだ若輩の、至らない身で申し訳ありません」

「……」

 

 片方だけの瞳に見上げられて、ルナローゼは押し黙った。

 先ほどの全力戦闘を目にしておいて「手抜きしていた」といういちゃもんを付けるのは、さすがに道理が通らない。文句を言うことだけならできるが、それがただの言いがかりになってしまうことは、ルナローゼ自身もよくわかっていた。

 

「では、そちらの赤髪の少女も捕縛してください」

 

 ルナローゼの提案に、少女の肩がびくりと震える。

 

「彼女は勇者と行動を共にしていた、重要な参考人です。もしかしたら、二人が逃げた行方に心当たりがあるかもしれません。それに……」

「グランツさん」

 

 するり、と。

 イトの体が、しなやかな猫のように、機敏に起き上がる。

 赤髪の少女を庇うように前に出て、イトはルナローゼの視線の先に自らの体を滑り込ませた。

 

「それを決めるのはあなたじゃない。その子は、こちらで保護します」

 

 イトの口調が、冷えたものに変化する。

 ルナローゼの肩にわざわざ手を置いて、イトはその耳元に口を近付けた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()のご立腹なのは理解できますが……女の嫉妬は見苦しいですよ? 次期社長殿」

「それはそれは、大変失礼いたしました。ですが、あなたの方こそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、苛立っているように見えますよ? 騎士団長殿」

「……」

「……」

 

 美人の睨み合いほど、こわいものはない。

 赤髪の少女は、イトとルナローゼを交互に見て、あわあわするしかなかった。

 

「団長! これは一体……!」

 

 緊迫した空気は、後続の騎士たちの到着で解かれた。

 イトはルナローゼとの睨み合いをやめて、息を吐く。くるりと回って、マントが翻った。

 

「はいはい、みんなおつかれさまー。二班はそこで倒れてるみなさんに手を貸してあげて。三班、四班は市街に検問の設置をお願い。第一捜索目標は、リリアミラ・ギルデンスターン。第二捜索目標が、勇者くん。まあ、どうせ二人いっしょにいるだろうけど。あ、そうそう。二人を探す時、名前は出さないように気をつけてね」

「それはやはり……勇者のパーティーには、特別な配慮をせよということでしょうか?」

「そうだよ」

 

 訝しげな部下の問いを、イトはあっさり肯定した。

 

「世界を救った英雄とその仲間を、いきなり国賊扱いで指名手配なんてできるわけないでしょ? それこそ、国が揺れる一大事になっちゃう」

 

 また振り返って、イトはルナローゼの方を見る。

 

「それで構いませんね? グランツさん」

「はい、結構です。私としても、あの馬鹿な社長のせいで、我が社の評判が落ちるのは本意ではありませんので」

「……あの、秘書さん!」

「なんでしょう?」

 

 そのまま部屋を出ていこうとしたルナローゼは、赤髪の少女の声に足を止めた。

 

「秘書さんは、死霊術師さんのことを尊敬していたんじゃないんですか!? なのに、どうして……」

「……尊敬しているからこそ、その人物のことを許せなくなることもあります。それに、あなたが私のことをどう思っているかは知りませんが……私はそれほど清廉潔白な人物ではありませんよ」

 

 純粋そうな少女に向けて、ルナローゼはその整った口の端を釣り上げてみせる。

 

「今だって、あの女がどれほど追い詰められた表情で、歯を食い縛っているか。想像するだけでも、楽しくて仕方がありませんから」

 

 

 ◇

 

 

「勇者さまと二人っきりのラブラブ逃避行生活! スタートですわーっ!」

「いやだーっ!」

 

 おれは素っ裸の死霊術師さんを抱えたまま、頭を抱えたくなった。物理的に両手が塞がってるから、抱えられないけど! 

 この死霊術師、社会的地位も身分も失って、世間的な立場としては完璧に殺されたのに、まったくへこたれる様子がない。ちょっと元気過ぎる。

 とりあえず哀矜懲双(へメロザルド)の転移で逃げてきたものの、先輩には魔眼もある。本気で探されたら、きっとすぐに追いつかれてしまうだろう。しかしながら、全裸の死霊術師さんをお姫様抱っこしたままでは、あまりにも目立ち過ぎる。路地裏から表通りに出た瞬間に、おれが違う意味で捕まりそうだ。

 どうやって逃げようか真剣に頭を悩ませていると、死霊術師さんがお姫様抱っこされたまま、その細い指先を斜めの方向に向けて言った。

 

「あ、勇者さま。そこの路地を左です」

「え。あっちは何もなさそうだけど。ていうか、行き止まりじゃない?」

「大丈夫です。下にあります。あ、そうそう。そこの石畳みですわ。それをずらしてみてくださいな」

 

 死霊術師さんの担ぎ方をお姫様抱っこから、肩に土嚢を担ぐような形に切り替えて、言われた通りに一見何の変哲もない石畳みを開ける。下水道に降りろということだろうか?

 しかし、下水のいやな臭いが漂ってくるかと思いきや、そんなことはなく。はしごの下には、どこかに繋がってそうな雰囲気の通路が見えた。

 

「なにこの非常時に使える脱出用の地下通路みたいなやつ」

「さすがは勇者さま! お目が高い! ご覧の通り非常時使える脱出用の地下通路です!」

「なんでこんなものがあるの?」

「それはもちろん、このベルミーシュの街の再開発をしたのはわたくしですので!」

「あっはい」

 

 それが答えだった。

 いざという時のために、地下に避難用の通路を作っておいたのだろう。抜け目がないにもほどがある。そういえば四天王やってた頃もあの手この手で逃げられていたなぁ……と。なんだか遠い目になってしまう。

 死霊術師さんを抱えたまま下に降り、地下通路をしばらく進むと、さらに驚くべきことに小さな部屋のようなものまであった。中に入ると、ランタンにクローゼットやベッドまで備え付けられており、数日間ならここで生活ができてしまいそうである。

 丸出しのケツをなんとか長い黒髪で隠しながら、死霊術師さんはいそいそとクローゼットの中を漁り始めた。

 

「なるほど。ここで服を着替えて、変装して街の外に出る、と」

「いえ、今日はもう寝ます」

「寝るの!?」

「はい」

 

 最低限、肌を覆う紫色のネグリジェに着替えた死霊術師さんは、そのままどーんとツインサイズのベッドへダイブした。

 バタバタと、白い素足が子どものようにシーツの上を泳ぐ。

 

「どうせこの場所のことを知っているのはわたくししかおりませんし。この地下通路はそのまま街の外縁部まで繋がっていますから、最も警戒が厳しい今出て行くよりも、翌日に警戒が緩まった段階で抜け出した方が遥かに安全です」

「いや、まぁ。それはそうかもしれないけど……」

 

 困った。思っていたよりも理由がちゃんとしていて、反論が難しい。

 死霊術師さんは、枕を自分の胸元に抱き寄せて、微笑んだ。

 

「ですので、勇者さまも……今晩は、わたくしの隣で安心しておやすみください」

「いやいや、おれはさすがに起きてるよ。何があるかわからないし」

 

 

 

 

 

 結論から言えば、熟睡してしまった。

 翌朝。地下室なので、朝になっているかはわからないが、体の疲れの取れ方的に、多分もう朝である。

 おれはボサボサになった頭を、がりがりとかいた。

 

「…………ふーっ」

 

 いや、べつに何かしやましいことがあったわけではないし、本当にただ並んで寝ていただけなのだが、しかしそれはそれとして寝ずの番をするはずだったのにあっさり寝落ちしてしまったという事実に関しては、曲がりなりにも世界を救った勇者としてちょっと思うところがあるというか、おれも老けたかなというか、もう若くないなというか……。

 

「あれ?」

 

 起きてみると、隣には既に死霊術師さんの姿はなかった。わりと朝が遅くて、宿屋の朝食などでは最後に降りてくるタイプなのに、めずらしい。

 昨日は確認もせずに寝てしまったが、地下室の中にはまだ扉がある。うっすらと水が流れる音がしていたので、そちらを開けてみると、中は簡素な洗面所になっていて、死霊術師さんが顔を洗っているところだった。

 

「ゆ、勇者さま!?」

「おはよう。死霊術師さん」

「お、お、おはようございます……」

 

 狭苦しい洗面所の上には、おれには何が何やらわからない化粧道具が細かく広げられている。女性は朝の支度が多くて大変だ。

 慌てた様子で振り返った死霊術師さんは、髪をタオルでまとめていて、まだ化粧もしていなかった。そういうところを見るのも、なんだかめずらしい。

 

「おれも顔洗っていい?」

「は、はい。もちろんです」

「あ、急かしてるわけじゃないから、大丈夫だよ。ゆっくりやって。後ろでまってるから」

「……えっと」

 

 どうしたのだろうか。

 いつもなんでもあっけらかんと言い放つはずの死霊術師さんが、もごもごと言いにくいものを含んでいるかのように、口ごもっている。

 

「申し訳ありません、勇者さま。その、なんといいますか……朝の支度をしているところを見られるのは、少し恥ずかしくて……」

 

 アイラインを引いていなくても十分過ぎるほどに大きな瞳が、動揺を隠しきれずに左右に泳ぐ。

 手を合わせた、口元。そこから覗き見える頬が赤くなっているのは、寝起きでぼんやりとしている頭にも、よくわかって。

 

「……あー、ごめん。外で待ってるね」

「はい。お願いいたします」

 

 扉を閉めて、おれはまた深く息を吐いた。

 人の家の洗面所に、すっぴんでずかずか入ってきて、一緒に歯を磨く騎士ちゃんとか。

 小さい頃は普通に一緒に寝起きするのが当たり前だった賢者ちゃんとか、そもそも最初から身の回りの世話をぶん投げてきた師匠とか。

 そういうのに慣れきって、すっかり忘れてしまっていたが。

 

「そうだよなぁ……普通の女の人なら、あれが当たり前の反応だよな」

 

 己に向けて再確認するように。絶対に死霊術師さんに聞こえない小さな声で、おれは呟いた。

 とはいえ……そう、とはいえ、だ。

 

「素っ裸は恥ずかしがらないくせに……こっちは恥ずかしがるんだもんなぁ」

 

 歳上の、大人の女性。

 それが、おれの死霊術師さんのイメージだったし、事実としてそうだったわけだが。

 

 朝、お化粧をする前の姿を見られて、こまったように顔を背ける。

 

 そういうところに、普段は全然意識しなかった死霊術師さんの、女の子っぽい部分を感じてしまって。

 そういうのは、ちょっとずるいな、と。おれは思った。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
昨晩はお楽しみでしたね?

死霊術師さん
今回人並みの羞恥心が残っていることが判明した。朝起きたときに勇者の寝顔見て良いな〜とか思ってた。

秘書さん
復讐をしているはずが、愛のキューピッドになりつつある

先輩
もう帰って寝てぇ……とか思い始めた

赤髪ちゃん
これ私のモデル料はちゃんと出るのでしょうか……?


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勇者と死霊術師・愛の包囲網

「ここからはじまるのですね。わたくしと勇者さまの愛の逃避行が……!」

「うるさいよ」

 

 馬車に揺られながら、死霊術師さんの言葉をざっくりと切り捨てる。

 支度と変装を整えたあと、地下通路から出たおれたちは、街道を通りがかった馬車に乗せてもらう形でベルミーシュの街から無事離れることに成功していた。商人のおじさんの話によると、昨日はあちこちで騎士団が検問を張っており、思うように通行できなかったらしい。奇しくも、時間を置いた方がスムーズに逃げられる、という死霊術師さんの狙いが的中した形である。

 しばらく追手の心配はないだろう。目下の不満は、座り心地が悪くてケツが痛いことくらいだ。

 

「……」

「わたくしの顔に何かついておりますか、勇者さま?」

「ああ、いや、ごめん。髪型一つで変わるものだなって思って」

 

 シックな装いの、黒の長袖のワンピース。手元には、畳まれた上品な日傘。

 露出の少ない地味な服装だけでも、普段の派手な印象を上書きするには充分に思えたが、なによりも違うのはその髪型だった。腰の中ほどまで伸びていたはずの髪が嘘のように消え失せ、ワンピースの襟元に包まれたうなじが見えるほどの短髪になっている。

 

「ウィッグを被ってみました。髪をまとめるのは大変でしたが、悪くはないでしょう?」

「うん。似合ってる」

「ふふ。ありがとうございます。勇者さまは長髪の方がお好みだとは思いますが、しばらくはこの姿で我慢していただけると幸いです」

「おれ、長い髪が好きって言ったことあったっけ?」

「あら。違うのですか?」

「……ノーコメントで」

「うふふ」

 

 ロングスリーブの手袋を口元に当てて、くすりと笑う死霊術師さんは、本当に雰囲気だけなら浮世離れした若奥様といった感じだ。おれの方は相変わらず黒のスーツの上下にメガネなので、執事と駆け落ちに走る夫人に見られても、なんら不思議ではない。

 

「まるで駆け落ちみたいですわね」

「口に出して言わないでくれる?」

 

 思っていたことを、そのまま言われてしまった。

 

「ですが、少しだけうれしいです」

「というと?」

「全員で一緒に旅をすることはあれど、勇者さまとこうして二人っきりで馬車に揺られる機会は、ありませんでしたから。なんだか、新鮮な気持ちですわ」

 

 言いながら微笑む死霊術師さんの表情は、本当に上品で。

 普段とは違う髪型と服装も相まって、少々心の不意を突かれたことを気取られないように、おれは話を逸らすことにした。

 

「現状の確認をしたいんだけど」

「はい」

「とりあえず、死霊術師さんがジェミニと契約を交わしていた事実がバレて、社長の座を追われてしまった。元の地位に戻るためにはこの疑惑を晴らさなきゃいけない、と」

「そうなりますわね。まあ、疑惑も何もわたくしがジェミニと繋がっていたのは、紛れもない事実なのですが!」

「開き直ってるんじゃないよ」

 

 おほほ、と笑う死霊術師さんをしばき倒したいところだったが、死霊術師さんがジェミニと契約を交わしていなければ、おれは赤髪ちゃんと出会えなかったわけで。怒るに怒れないのが、なんとも言えないところである。

 

「ですが、気がかりな点がいくつかあります」

「たとえば?」

「そもそもわたくし、ジェミニと繋がりがあった証拠の類いは、一切残していませんし、誰にも知られておりません。叩いてもホコリの一つも出てこない、汚れのない身体のはずです」

「嘘つけ。真っ黒だろうが。胸を張るな」

 

 よくぬけぬけとほざけるな……コイツ。面の皮が厚いにもほどがある。

 しかし、死霊術師さんが用意周到で抜け目のない女であることは、おれが一番よく知っている。知っているし理解もしているが、事実として悪魔との繋がりを告発され、こうして逃亡生活を送る羽目になっているわけで。

 

「秘書さん以外にも、死霊術師さんを貶めようとしている誰かがいる……ってことでいい?」

「ええ。そうとしか考えられません。わたくし、あの子のことは本当にとても可愛がっておりましたので、何者かが唆したに違いありませんわ」

「じゃあ、秘書さんに恨まれるような理由には、心当たりがないってこと?」

 

 死霊術師さんは押し黙った。ちょっとあからさまに目を逸した。

 この反応を見れば、聞かなくてもわかる。絶対何かあったんだろうな、あの二人……。

 

「と、とにかく! わたくしを社長の座から追い落とそうとした人間が誰なのか!? まずはその正体を探ることが先決ですわ!」

「方針はわかったけど……こっちはお尋ね者だしなあ。どこから手をつけたものか」

 

 話し合っている内に、馬車が止まった。

 どうやら、宿場町に着いたらしい。降りてみると、結構な人数の人だかりができており、ざわざわと騒がしかった。

 おれたちを乗せてくれてた商人のおじさんも、なぜか嬉しそうな表情で薄い紙面を眺めている。

 

「あの、何かあったんですか?」

「おう! お二人さん。こいつを見てくれよ! さっき回ってきた号外だってよ。めでたい報せだぜ、こいつは」

 

 勇者と死霊術師の手配書だったらどうしようかと思ったが、そういう雰囲気でもない。

 商人のおじさんから受け取った号外の紙面を手に取ったおれはその見出しに目を走らせて、

 

「は?」

 

 完全に、絶句してしまった。

 

 

 ◇

 

 

 ルナローゼ・グランツは、主のいなくなった社長室の椅子に、体を預けていた。

 良い座り心地だと思う。元社長は「良い仕事は良い椅子からですわ」などと、ふざけたことを抜かしていたが、そう豪語するだけの高級品だ。

 背もたれに、抱きつくように顔を埋める。少しだけ、敬愛するあの人の残り香が感じられた。

 馬鹿馬鹿しい感傷だ。憎んで、追い落として、彼女を引きずり降ろしたのは、他でもない自分自身なのに。

 なのに、この部屋に一人でいることが、こんなにも寂しい、なんて。

 

「ククク……順調そうじゃないか、ルナ」

 

 低く、よく響く声があった。椅子ごと振り返って、ルナローゼは目を細める。

 ドアを開いた気配すらなく、彼はそこに立っていた。

 真紅のシャツを派手に着崩し、上着には真っ白なジャケット。ともすれば軽薄の一言で片付けられてしまいそうな容貌だが、彼の場合はその整った彫りの深い顔立ちとよくマッチしているのが、また腹ただしい。

 

「……何の用ですか。サジ」

「お前の方こそ、何をしている? オレには、自分が追い落とした女の残り香に、酔いしれているように見えたが?」

「出ていってくれませんか?」

「フフ……照れる必要はない。憧れと憎しみは、コインの表と裏。いわば表裏一体の感情だ。少なくともオレは、人間のそういった機敏に理解のある悪魔のつもりだぞ。なあ、我が愛しい契約者よ」

 

 ルナローゼがサジという愛称で呼んだ……見た目だけは軽薄な優男に見える彼の正体は、実のところ人ではない。

 かつて、魔王に直接仕えた十二の使徒の一柱。ルナローゼが、自らの目的を叶えるために契約した最上級悪魔の一人。

 第十二の射手。その名を、サジタリウス・ツヴォルフという。

 

「サジ。私は用件を聞いたはずですよ」

「悲しいことを言うじゃないか。用がなければお前に会いに来てはいけないというのか? ビジネスライクな乾いた関係も悪くはないが、お前のハートを射止めるためにはもう少し時間がかかりそうだな」

「口説きに来ただけなら、帰ってください」

「ククク……お前という高嶺の花を落とすために、オレの時間を捧げるのはやぶさかでないが、しかし用がないのかと問われれば、答えはノーだ。オレは契約者であるお前に願いがあり、それを伝えるためにこうしてこの部屋に足を運んでいる」

 

 サジタリウスは、ルナローゼの手のひらを取って、優しく口吻をした。

 飛び抜けて優れたその容姿も相まって、それこそ世の女性の心を一瞬で射止めてしまえそうな、紳士的な所作。優男の悪魔は、ルナローゼの手を取ったまま、言った。

 

「ルナ……すまないが、お金を貸してくれ

「……またですか」

 

 サジタリウス・ツヴォルフは、紛れもない最上級悪魔である。

 しかし同時に、ギャンブルが趣味で契約者に金をせびるのが常の、クズでカスのヒモな悪魔であった。

 

「いい加減にしてください。前に貸した分もまだ返ってきてないんですよ」

「フフ……ごめんなさい」

「今度はいくらスったんですか?」

「二十万」

「この前貸した分、ほぼ全部じゃないですか。なんであなた悪魔のくせにそんなにギャンブル弱いんですか」

「ルナ。オレがお前から貸り受けた二十万を競馬という夢に託し、紙一重のところで敗れたのは紛れもない事実ではあるが、一つだけ訂正させてほしい」

 

 透き通るようなルビーの瞳を向けて、悪魔は告げる。

 

「オレは、お前という契約者に賭けている。そして、お前は当初の目論見通り、あの忌々しい死霊術師を追い落とし、その社長の椅子を手に入れようとしている。だからオレは、賭け事に弱いわけではない。もう少しで、人生最大の賭けに勝てるのだからな」

「そういうことは、勝ってから言ってください」

 

 言いながら、ルナローゼは懐から財布を取り出した。

 

「十万です。本当にもうこれっきりですからね」

「ククク……ありがとう。倍にして返す」

「あなた、前に貸した時もそう言ってましたからね?」

 

 悪魔の言葉は、信用ならない。

 悪魔とは根本的に人間を騙し、惑わし、裏切って、その魂を奪うもの。

 

「で、頼んでおいた仕事の方はどうなりました?」

「そちらの方は問題ない。役員会は、お前の社長就任を間違いなく承認するだろう。オレが一人ずつ丁寧に家を回って、既にハンコも押させてきた」

 

 ルナローゼから借りた十万をいそいそと懐に仕舞い込んだサジタリウスは、その代わりと言わんばかりに、書類の束を机の上に置いた。

 悪魔の言葉は、信用ならない。

 だが、人間と契約を交わした悪魔は、契約者が約束を違えない限り、決して裏切ることはない。

 ある意味、人間よりもよほど信用できる。ルナローゼは、サジタリウスに対してはじめて笑顔を見せた。

 

「上々です。仕事が早いことだけは、あなたの美徳ですね、サジ」

「ククク……オレは仕事のできる悪魔だからな。しかし、勇者と死霊術師の方はどうする気だ、ルナ」

「どうする、とは?」

「そのままの意味だ。社会的な立場を奪って、殺す。お前のリリアミラの殺し方は、極めて正しい。あの女は普通に戦っても殺せないし、いざとなれば勇者も助けに入ってくるだろう。オレは最上級悪魔の中で、最も弱いからな。正面から戦えば、必ず負ける。賭けてもいいぞ。絶対負ける」

「胸を張って言うことじゃないですよ」

「事実だ。オレは契約者に対して、誠実でありたい」

「まあ、最初から荒事に関して、あなたには何も期待していませんが……」

 

 だからこそ、勇者と直接対峙しなければならない場面で、ルナローゼはイト・ユリシーズを利用した。正面から戦う戦力としてサジタリウスは頼りにならず、自分が最上級悪魔と契約していることも、リリアミラに気取られたくなかったからだ。

 

「ここまでの段取りは、当初の予定通り。完璧と言ってもいい。だが、勇者と死霊術師は、世界を救った英雄。その罪を公にされなければ、まだ社会的に殺した、とは言えない。そして、リリアミラ・ギルデンスターンが社長の座から降りた明確な理由がなければ、お前はその椅子を公的に奪うことはできない」

「言われなくても、わかっています」

 

 まるで、自分と死霊術師の二人が揃っているタイミングを狙っていたようだ、と勇者は言っていたが、その予想は実のところ的中している。

 最初から、勇者とリリアミラの二人が揃っている状態で罪を突きつけ、()()()()()()()()()()()()()()()のがルナローゼの狙いだ。

 勇者は、死霊術師を決して見捨てない。

 故にこそ、そこに突け入る隙が生まれる。

 

「私の方針は最初から変わりません。私は、リリアミラ・ギルデンスターンを徹底的に殺します。社会的に、ね」

 

 ルナローゼは、机の下から一枚の紙を取り出し、サジタリウスに手渡した。

 

「なんだこれは」

「リリアミラの社長退任を報じる号外です。私が事前にリークして、記事を作らせました」

「待て待て。何度も言わせるな、ルナ。今、リリアミラが悪魔と繋がっていたことを表に出すのは……」

「あなたの方こそ、何度も言わせないでください、サジ。べつに、リリアミラが悪魔と繋がっていた事実を世間に認めさせなくても……違う事実をでっち上げてしまえば良いのです」

 

 そして、記事の内容を見た悪魔は、絶句した。

 

 ◇

 

 その日。ステラシルド王国の全土を、一つの知らせが駆け巡った。

 

『リリアミラ・ギルデンスターン、突然の失踪。社長職を辞退。書き置きの手紙が自室に』

 

 号外には、世界を救った死霊術師がギルデンスターン運送の社長の座を辞した事実が記されており……しかし、それをさらに上回る大きな見出しで、こう記されていた。

 

 

 

『駆け落ちの相手は、勇者さま!? 熱愛発覚か!?』

 

 

 

 その日。ステラシルド王国は、一瞬で祝福の熱狂に包まれた。

 王国に点在する様々な拠点に身を置く賢者は、その全員がまったくの同様に、固まったように杖を取り落として動かなくなった。

 己の領地で畑を耕していた姫騎士は、握っていた鍬を己の魔法で鉄の融点まで熱し、どろどろに溶かしてしまった。

 とある場所で修行していた武闘家は、無言のまま紙面を破り捨てた。

 そして、玉座に腰を預けていた女王は、ひとしきり爆笑したあと、泡を吹いて意識を失った。

 

 ◇

 

 策士の表情を保ったまま、ルナローゼ・グランツは断言する。

 

「結婚。人生において、これ以上の墓場はありません。私の計画は完璧です」

「ククク……我が契約者ながら、なんと恐ろしい……」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
ある意味最大の危機を迎えている。

死霊術師さん
ある意味最大のチャンスを迎えている。

ルナローゼ・グランツ
有能だが、天然。勇者を最も追い詰める女になるかもしれない。

サジタリウス・ツヴォルフ
かつて魔王に仕えた十二の使徒の一柱。第十二の射手。ルナローゼが契約している最上級悪魔。見た目だけは最強なイケメン。実際はクズでカスなヒモ。賭け事が趣味。
好きな女のタイプは気の強いメガネが似合う知的な美女。好きな馬のタイプは後ろから差し込む根性のある末脚。


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勇者は死霊術師さんには勝てない

 人間という生き物は、本当に焦った時、全身から冷や汗が吹き出るものらしい。

 

「あわ……あわわわわ」

 

 あと、本当に「あわわ」って言っちゃうものらしい。

 

「あら、まだ固まっていらっしゃったのですか? そんな風に穴が空くほど記事を見詰めても、内容は何も変わらないと思いますよ」

 

 なぜか少し上機嫌な様子の死霊術師さんは、口元に両手をあてて、うふふと笑う

 紙面いっぱいに力強く踊る文字たち。

 具体的には『駆け落ちの相手は、勇者さま!? 熱愛発覚か!?』というくそみたいな見出しを一言一句再確認して、おれは膝から崩れ落ちた。熱愛、の部分がやたら目立つ字体で、クエスチョンマークは小さめに印字されているのが、またなんとも腹が立つ。

 

「大丈夫ですか、貴方(あなた)さま」

 

 正体を隠している都合上、外で大っぴらに「勇者さま」という呼称は使えないので、違う呼び方をしてくる死霊術師さんが、おれの隣にぴたりと寄り添ってくれた。呼び方には特に深い意味はないと思う。ないと信じたい。本当に。

 

「だ、だいじょばない。ぜ、全然大丈夫じゃない」

「うふふ、そうでしょうね。わたくしはちょっとうれしいですが」

「お、おおぉ……」

 

 どうしてこうなるのか。

 おれは死霊術師さんを守るために行動しているのであって、べつに駆け落ちしているわけではない。

 というか、あの秘書子さんは「社会的に死霊術師さんを殺す!」と言ってたが、これで死ぬのは死霊術師さんではなくおれの方である。死霊術師さんじゃなくておれを殺す気なのか? 殺す気だろこれ。まじでふざんけんなあのメガネ女。

 こんな記事を賢者ちゃんや騎士ちゃんや師匠や陛下に読まれでもしたら……いや、もう確実に読まれていることはほぼ確定事項なので「読まれでもしたら」などという希望的観測は何の意味もないのだが……とにかく、死霊術師さんと一緒に身を隠している状況なのも相まって、何の言い訳もできないのが非常にまずい。

 

「しかし、これではっきりいたしましたわね」

「何が? おれが死ぬってこと?」

「もちろんそれもありますが」

「もちろんそれもあっちゃだめだろ。否定してくれ頼むから」

「やはり今回の一件。裏で糸を引いている人物がいるようです」

 

 すっと死霊術師さんが取り出したのは、メモの切れ端。流れるような達筆で記されているのは、いくつかの数字と街の名前だった。

 

「これは?」

「貴方さまが号外記事を読んで硬直し、役立たずになっている間に、少々、伝手を頼って情報収集をして参りました。わたくし、できる女ですので」

 

 まるでおれが使えないでくの坊みたいな言い草である。そもそもどうしてこんなことになっているのか、そのデカい胸に手をあてて考えてほしい。

 とはいえ、特に目的地もなく馬車を乗り継いでいたのかと思いきや、きっちり頼りになる人間がいる宿場町に向かっていたのは、流石というべきだろう。社会的に殺されても、ただでは死なないのが死霊術師さんである。

 

「もう少し詳しく調べてみないと、詳細は掴めそうにないのですが……あの子の周辺では、以前からあやしい金の動きがあったようです。わたくしの目を掻い潜って、どこからか資金を調達し、一部の幹部を買収。株式の買い上げなどに手をつけていたみたいですわね」

「簡単に言うと、秘書子さんは裏で資金を調達していて。そのお金で役員を釣っていた、と」

「はい。そういうことになります」

「じゃあもう、こっちも札束で叩き返してやれば? お金持ってるでしょ、死霊術師さんは」

「いけませんよ、貴方さま。死霊術師さんではありません。たっぷりと愛を込めて……お前、もしくはハニーと呼んでくださらないと」

「お前調子に乗るなよ」

 

 思わず声に怒気が乗ってしまったが、それはともかく。

 毒を持って毒を制す。金でやられたなら、金でやり返す。

 我ながら黒い提案だと思うが、しかし我がパーティーの中で懐に最も小金を溜め込んでいるのは、間違いなく死霊術師さんである。賢者ちゃんは宮廷魔導師だし、騎士ちゃんも腐っても地方領主なのでまとまった金額は動かせるとは思うが、それでも死霊術師さんには敵わないだろう。

 余談になるが、パーティーの中でいつも金欠に喘いでいるのは師匠だ。年下ぶって普通に弟子にたかってくることがあるので、たちが悪い。

 

「金で奪われた信頼なら、また金で取り返しちゃえばいいし。そのあと、裏切った人達をどう処分するかは、死霊術師さんの自由なわけだしさ。大体、そういうの得意でしょ」

「やってやれないことはないのですが、今は無理というのが正直なところです」

「なんで?」

「わたくしの口座、凍結されております」

 

 おれはまた頭を抱えた。

 まさか、社会的に殺す、という秘書子さんの言葉が間違っていなかったことを、この段階になって痛感することになるとは……。

 

「というわけで貴方さま、ちょっとお金貸してください」

「この期に及んでおれにたかるとか面の皮が厚いにも程がない!?」

「でも、でもわたくし……貴方さましか、頼れる人がいなくて……」

「あー、もうわかったわかった! だけど、おれも手持ち貸すくらいしかできないからね!?」

「はい。ありがとうございます。百倍にして返しますわ」

 

 それはクズでヒモな男のセリフなんだよなぁ。

 おれからお札を十枚ほどふんだくった死霊術師さんは、いそいそとそれらを懐にしまって、踵を返した。

 

「では行きましょうか」

「行くって、どこに?」

「もちろん、あやしい金の出処を叩きに行くのです」

 

 死霊術師さんは、情報収集をしていた、と言っていた。心当たりは既に掴んでいるのだろう。

 守るよりも攻めるべし。実に死霊術師さんらしい、アグレッシブな提案だった。

 

「えぇ……反撃しにいくのはいいんだけどさ。まずは賢者ちゃんとか騎士ちゃんと合流しない?」

「いいえ、貴方さま。こんな記事が出回っているということは、相手はわたくし達の居場所をまだ掴めていないということです。敵の懐に飛び込むなら、今を置いて他にはありません」

「いやでもほら、みんなと合流した方がいろいろやりやすいだろうし」

「なんですか貴方さま。そんなにわたくしと二人っきりのままなのがいやなんですか?」

「そうだよ」

「なにやら理屈を捏ねていらっしゃいますが、早くこの記事の誤解を解きたいだけでしょう?」

「そうだよ」

 

 断言した。当たり前である。そんな答えがわかりきっている質問をしないでほしい。

 

「ふふっ……いやです」

「いやです、じゃないんだよ」

 

 おれが死んじゃうんだよ。

 

「ていうか、死霊術師さんはいいの?」

「良いとは、何がです?」

「その、なんというか……なし崩し的に秘書さんと敵対することになってるけど、大丈夫なのかなって」

 

 きょとん、と。

 虚を突かれた表情から、さらにくるりと変化して。

 おれの質問に、死霊術師さんはさっきまでとは違う種類の笑みを浮かべた。

 

「貴方さまはおやさしいですわね。お気遣い、痛み入ります。ですが、今までどんな忠犬だったとしても、噛み付いてきたのならば……躾が必要でしょう?」

 

 その微笑みに、思わず苦笑する。

 こういうところは、つくづくブレない人である。

 

「なら、よかった。秘書さんに裏切られて、ちょっとショック受けてないかなって心配してた」

「え? 勇者さま、わたくしの顔をちゃんとご覧になってますか? 今も大変ショックを受けておりますし、昨晩も涙で枕を濡らしておりましたが」

「嘘つくんじゃないよ」

 

 白々しいにもほどがある。

 

「まあ、正直に言えば……驚いたのが半分、嬉しさが半分、といったところでしょうか」

「うれしい?」

「あの子には、秘書としてすぐ側でわたくしの仕事を見させてきました。仕込めるだけのものを仕込んできたつもりですし、あの子に何かを教えることに関して、わたくしが手を抜いたことはありません。そういう意味では、わたくしとあの子の繋がりは、勇者さまと武闘家さまの関係に近いと言えるでしょう」

 

 師弟の間柄。おれと、師匠のような。

 そう言われると、なんだかしっくりくるものがあった。

 

「でも、師匠はおれが裏切ったらめちゃくちゃキレてくると思うんだけど」

「でも、あの人勇者さまと戦うことになったら、それはそれで嬉々として拳を構えてきそうだと思いませんか?」

「……」

 

 おれは押し黙った。

 そんなことない!と即座に否定できないのが、なんというか悲しいところであった。

 

「あの子は、わたくしを殺そうとしてくれています。勇者さまとは少し違うやり方ですが……世界を救い終わったあとに、わたくしが積み上げてきたものを、奪い取ろうとしています」

 

 死霊術師さんは、常識人だ。

 いつもニコニコとやわらかい笑顔を浮かべ、物腰はやわらかで。

 常に周囲をよく見て、必要な時には適切な助言やフォローを行って。

 

「わたくしをここまで本気で、殺そうとしてくれるのです。嬉しくて嬉しくて仕方ありませんし……その想いに応えないのは、嘘でしょう?」

 

 けれど、生命に関する価値観だけは、歪んでいる。

 薄い薄い笑顔の外側を、一皮剥いたところに、覗き見える狂気が埋もれているのだ。

 

「ですから、勇者さまもそんなにご心配なさらなくても、大丈夫です。賢者さまに魔術でふっ飛ばされても、騎士さまに剣で焼き切られても、わたくしがきちんと生き返らせて差し上げますから」

 

 いやもうほんとに歪んでんなぁ! 

 

「なるほど。死霊術師さんの意見はよくわかった」

「ご理解いただけてよかったです!」

「でもまずはみんなと合流しよ?」

「なんですかそんなに死にたくないんですか?」

 

 普通の人間は死にたくないんだよ。当たり前だろうが。

 

「まったくもう……仕方がありませんわね」

「なんでおれが駄々こねてるみたいになってんの?」

「では、ここは潔く、コインで決めましょう。話し合っている時間も惜しいですし。表が出れば、勇者さまの方針で合流。裏が出れば、わたくしの方針に従って二人で動く、ということで。如何ですか?」

「わかった。もうそれでいいよ」

「ありがとうございます。それでは……」

 

 キィン、と。

 指先が、コインをはじく高い音が響いた。

 

 

 ◆

 

 

 昔の話である。

 簡潔に結果だけを言うのであれば、勇者はリリアミラ・ギルデンスターンと戦場ではじめて出会い、正面から戦い、そして敗北した。

 

「とりあえず、よくがんばりました、と。褒めてあげましょうか。あの魔導師の女の子だけでも逃がすなんて、大したものです」

 

 倒れ伏した少年を見下ろして、一糸纏わぬ姿のリリアミラは、形だけでも称賛の言葉を投げかける。

 お前を殺す、と。そう息巻いていた勇者は、もはや疲労で指一本動かすことすら叶わない様子だった。

 

「本当に、悪くはありませんでしたよ。最初はただ突っ込んでくるだけのバカだと思っていましたが、わたくしの魔法を戦いながら分析し、対応策を練る頭もある。なにより、魔王様が気にかけていらっしゃった黒の魔法……それを活かした、複数の魔法の組み合わせと応用が、すばらしい」

 

 ただし、と。

 長い黒髪が地面につくのも構わず、腰に手をあてたまま上半身を折り曲げ、頭の後ろから、囁くように。

 

「戦う前から、勝負はついていました。最初から、相性が悪かった。そう言う他ありません。()()()()()()()()()()()()()()などと。そんな浅い希望を抱いていたのですか?」

「……」

 

 リリアミラの問いかけに、少年は答えない。

 相手を殺すことが究極的な勝利条件である戦場で、リリアミラ・ギルデンスターンの『紫魂落魄(エド・モラド)』という魔法は、すべての敗北を塗り替える。

 対して、勇者の『黒己伏霊(ジン・メラン)』は、殺した相手の魔法を奪う。しかしそれは、相手を殺した、という結果があって、はじめて成立する魔法である。

 故に、リリアミラ・ギルデンスターンは、極めて単純な事実を勇者に突きつける。

 

「あなたの黒では、わたくしの紫色(しいろ)は塗り潰せない」

 

 『黒己伏霊(ジン・メラン)』は『紫魂落魄(エド・モラド)』には勝てない。

 

「理解できましたか? 坊や」

「……ああ、理解できないよ。おれは、馬鹿だからさ」

 

 裸の足の裏に、頭を踏みつけられて。

 それでも、勇者は不敵に笑った。

 

「──次は勝つ」

 

 

 ◆

 

 

「……裏だね」

「はい。()()わたくしの勝ちですわね」

 

 なんとなく、こうなる予感はしていた。

 昔から、おれは、死霊術師さんには勝てない。

 しかし、こんな簡単な賭け事ですら負けてしまうのは、どうにかならないものか。

 

「そう気落ちされることはありませんよ。わたくし、こういったギャンブルは強い方ですから」

 

 朝の支度を見られて、頬を赤く染めていたかわいいお姉さんの横顔は、どこへやら。

 妖艶に微笑んで、()()()()()()()()()をくるくると回して見せる死霊術師さんは、とても悪い女の顔をしていた。

 

「あのさぁ……それはずるじゃない?」

「何を仰るのです。はじめる前に確認をしていれば、逆に貴方さまの勝ちでしたよ? わたくしを信じて、コインを投げさせたのが良くなかったですわね」

 

 いけしゃあしゃあと、そんなことを言いながら。

 死霊術師さんは、人差し指でおれの額を小突いた。

 

「その素直さは、貴方さまの美徳ですが、もう少し腹芸も覚えていただかないと……ずっと坊やのままですわよ?」

「……ここは、花を持たせておくよ」

「ふふっ……では、そういうことにしておきましょう」

 

 ひどい自惚れになるかもしれないが。

 賢者ちゃんも、騎士ちゃんも、師匠も。おれが仲間に引き入れたパーティーメンバーは、その全員がおれと出会うことで、少しずつ変わっていった。

 この人だけだ。

 この人だけが、敵だった頃と変わらない笑みのまま、おれの隣に立っている。

 

「行きましょうか。わたくしに、良い考えがあります」

 

 

 

 

 

 

 

 目的地にたどり着いたのは、夜になった。

 炎熱系の魔術によって彩られた、きらびやかなネオンの光。

 明らかに普通のものとは異なる、熱気に満ちた喧騒。

 金を賭け、金を稼ぎ、そして金を失う危険な場。

 そこは俗に『カジノ』と呼ばれる場所だった。

 

「……え、マジでここ?」

「はい。マジでここです」

「ここに入るの?」

「ここに入ります」

「……百歩譲って入るのはいいとして。その馬鹿みたいな衣装はなに?」

「もちろん、潜入のために用意いたしました」

 

 黒のタイツで美しいラインが強調された、肉付きの良い脚。

 見るからにふわふわとした、純白の尻尾が踊るお尻。

 ただでさえ大きい胸元を、さらに大胆に際立たせるその衣装は、俗に『バニーガール』と呼ばれるものだった。

 

「お金の流れを探りつつ、カジノでがっぽがっぽと稼いで、足りない資金を調達! 一石二鳥の潜入調査の開始ですわ!」

 

 得意気な顔で宣言するバニーガール死霊術師さんを見て、おれは心の底から思った。

 

 ──かえりてぇ。

 

 

 ◇

 

 

 そして、奇しくも時を同じくして。

 

「ククク……今宵も、欲に塗れた人間どもを、狩るとするか……」

 

 人ではない最上級悪魔もまた、夜の賭場に足を踏み入れようとしていた。

 




勇者くん
きぃぃ!!おれの魔法とあの不死身女の魔法の相性悪すぎぃ!と、ずっとキレていた。あんまり口にはしないが、多分心の中では、死霊術師さんのことを自分の色に染めたいと思っている。

死霊術師さん
小細工をするタイプのクソボケ不死身女。そう簡単に他人の色には染まらない。バニーガールになった。

サジタリウス・ツヴォルフ
競馬は負けたのでカジノに来た。


かこへんのとうじょうまほう
・『黒己伏霊(ジン・メラン)
勇者くんの魔法。殺した相手の名前と魔法を奪い、自分のものとして使用できる。
・『紫魂落魄(エド・モラド)
死霊術師さんの魔法。自分自身と触れた相手を蘇生できる。

黒己伏霊(ジン・メラン)紫魂落魄(エド・モラド)
今回しれっと出てきた二つの魔法の力関係。黒己伏霊(ジン・メラン)で死霊術師さんを殺しても、死霊術師さんは問題なく生き返るため、魔法も名も奪えない。まだ若かった勇者くんは「一回でも殺すことができれば。あるいは蘇生の限界に至るまで殺し続ければ、紫魂落魄(エド・モラド)を奪えるのでは?」と仮定して死霊術師さんに挑み、完敗を喫した。
紫の魔法は、世界を救った勇者にとって、未だ超えることができていない一つの壁である。



次回【デスゲーム編】開幕


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赤髪ちゃんと先輩。勇者とヒモな悪魔

 わたしの名前は赤髪です。名前はあることにはあるのですが、滅多に呼ばれることはありません。

 現在、わたしは非常に危機的状況に晒されています。わたしの保護者である勇者さんが、死霊術師さんの生首を引っ掴んで、どこかに消えてしまったのです。

 直前までモデルのアルバイトをしていましたが「すいませんわたしのバイト代ってどうなるんですか?」と聞ける雰囲気ではなく……結果的に、わたしは無賃金労働を強いられることになってしまいました。許せません。これだからあのすぐ全裸になる死霊術師さんは信用できないのです。

 行くところもなく。お金もなく。結局わたしはお姉さん……イト・ユリシーズさんの騎士団の駐屯所でお世話になることになったのですが

 

「ひゃっくまいめ〜!」

 

 荒れています。

 それはもう、お姉さんはとても荒れていました。

 どれくらい荒れているのかというと、勇者さんと死霊術師さんの駆け落ちの記事が載っている記事を、片っ端から魔法で切り刻む程度には荒んだ有様でした。こんなに無駄な魔法の使い方も、中々ないでしょう。笑顔のまま淡々と切り刻んでいるのが、またなんとも言えない恐ろしさを醸し出しています。

 

「ふふっ……みてみて、アカちゃん。お花の形に切ってみたよ」

「すごいです。かわいいですね」

「後輩くんの顔写真の部分だけ切ってみたよ」

「すごいです。元の記事が穴だらけですね」

「十字架の形に切ってみたよ」

「やばいです。こわいですね」

 

 いちいち相槌を打たなければいけないのも大変です。

 わたしはサラダを食べながら、ハムとチーズをパンに挟みました。即席サンドイッチというやつです。

 

「ああ……ああ、もう……全部切っちゃった。サーちゃん!サーちゃん! 追加の号外記事持ってきて! 切る分なくなっちゃった!」

「お待ちを、団長。今、市街に散っている団員に全力で回収させております。ところで赤髪さん、ローストビーフもいかがですか?」

「はい! 食べます!」

「では、おかわりのパンもお持ちしますね」

 

 お姉さんが切り刻む号外記事を持ってきたり、わたしのご飯を持ってきてくれたり、部下のみなさんに指示を出したり、休みなくきびきびと働いていらっしゃるのは、第三騎士団の副団長である、サーシャ・サイレンスさん。なんでも、イトお姉さんとは学生時代からのお付き合いだそうです。

 号外記事を切り刻んでばかりでまったく仕事していないお姉さんが、どうやって騎士団の仕事を回しているか不思議でしたが、お姉さんが役立たずな分、副官さんがとても優秀ということなのでしょう。納得です。

 

「でもお姉さん。そんな風に怒りにまかせて紙を切ってるだけでいいんですか? お仕事した方がいいんじゃないんですか?」

「ちょいちょい、まったまった。それじゃあまるで、ワタシが仕事してないみたいじゃん」

「はい」

「わはは……ほざきよる。ていうか、それを言ったらアカちゃんも、さっきからご飯食べてるだけでは?」

「わたしのは必要な栄養補給です!」

 

 ローストビーフサンド、とてもおいしいです。

 

「まあ、大丈夫だよ。ワタシだって、何も手を打ってないわけじゃないから。ちょっとキナ臭い場所があるから、次はそこの調査に行こうと思ってるんだよね」

「キナ臭い、というと……秘書さん関連ですか?」

「お。さすがにそういう頭の回転は早いね。元魔王なだけある。ちょっと、黒いお金の流れがありそうな場所を見つけてね〜」

 

 褒められているのか貶されているのか微妙なところですが、わたしは自作したサンドイッチを頬張りながら、お姉さんから渡された地図を見ました。わたしたちが今滞在しているベルミーシュの街から少し離れた位置に、赤い丸が付けられています。

 

「……リリンベラ。どんな場所なんですか?」

「金と酒と女の街だね。大陸で最も賭博が盛んと言われている場所だよ」

「それはまた、なんというか治安が悪そうな……」

「ところがどっこい、意外や意外。そうでもないんだよね。金回りがいい場所は、治安もそこそこ良かったりするもんだよ。でなきゃ、お金持ちが安心して遊べないからね」

 

 お姉さんのお話を要約すると。

 リリンベラという都市は、公営のカジノを軸に発展した独特な歴史を持っていて、王族や貴族を問わず、各地からお金を持った資産家たちが集う社交場のような土地なのだとか。華やかなギャンブルで多額のお金がやりとりされる反面、やはり黒い噂もちらほらと聞くのだそうです。

 

「めんどくさい権力者が集まってるからさぁ。ワタシらみたいな陛下のお膝元の騎士団は、中々踏み込めないってわけなのよ」

「意外です。騎士団の名前を出せば、大抵のことは通るかと思ってました」

「そりゃあもちろん、基本的には通るけどね。ただ、陛下はまだお若い上に、リリンベラは領主が自治権を持っている土地なんだよ。そちらの顔も立てておかないと、ワタシたち騎士団でも自由に動けない。だからある意味、良い機会ではあったんだよね。前々から合法的に調査に行きたいと思っていた土地に、踏み込む口実ができたからさ」

 

 そこだけはあのメガネ砕き女に感謝してあげてもいいよ、と。

 イトお姉さんは、切り刻んだ駆け落ち号外記事を、さらに輪切りにしながら言いました。正直、全然感謝の気配が感じられません。

 

「というわけで、準備ができ次第、ワタシはリリンベラに発つ予定だけど……アカちゃんも一緒に来る?」

「いいんですか?」

「もちろん。今回の一件では、アカちゃんにもあのこまった後輩くんのケツを蹴り上げる権利があると思うし。あと、あの死霊術師は殺す」

 

 こまりました。後半に殺意しか感じられません。

 

「リリンベラに行くのは、お姉さんだけですか?」

「いや、実はもう一人。騎士団長が先に現地に身分を隠して入ってるんだよね。アカちゃんは会ったことないと思うけど、そこそこ頼れるヤツだから、まあ上手くやってるんじゃないかな」

「なるほど?」

「あと、荒事になるならもうちょっと戦力がほしいところなんだけど……そこは心配ないかな? だって……」

 

 イトお姉さんが言い終わる前に、駐屯所の扉が吹き飛びました。

 はい、吹き飛びました。唐突に、物理的に。

 わたしはとっさにローストビーフサンドを庇うので精一杯でしたが、お姉さんはまるで「待ってました」と言わんばかりに、口元を歪めています。

 

「お、きたきた」

 

 がちゃり、と。重い鎧が擦れる音が一つ。

 たん、と。細い杖が地面を叩く音が一つ。

 手荒に部屋の中に踏み込んできたのは、わたしもよく知る賢者と騎士の黄金コンビ……というか、シャナさんとアリアさんでした。

 

「おひさしぶり、というわけでもありませんね。イト・ユリシーズ第三騎士団長」

「どうもどうも。シャナ・グランプレ宮廷魔導師殿。この前の合コンぶりだね」

 

 つかつかと室内に入ってきたシャナさんは、切り刻まれた号外記事が無惨に床に散らばっているのを見て、表情を歪めました。

 

「うわ。なんですかこれ。まさかあなた、あの駆け落ちの号外記事、いちいち魔法で切り刻んでるんですか?」

「そうだよ。悪い?」

「悪いわけないでしょう。私が魔法で増やしてあげますから、気が済むまでもっと切り刻んでいいですよ」

「ふぅー! シャナちゃん話がわっかるー! ちょうど切らしてたんだよね! 切るものだけに!」

 

 シャナさんが魔法で増やした無傷の号外記事がさらに室内にばら撒かれ、お姉さんがそれを嬉々として切り刻みはじめました。キャッキャウフフと、二人揃ってとても楽しそうです。

 なんなんでしょうこの人たち、頭がおかしいんじゃないでしょうか? 

 

「……冗談はさておき。率直に言えば、私はあなたのことがあまり好きではないので、こうして手を組むことはしたくなかったのですが……」

「いやいや。気持ちはわかるけどね。でも、非常事態だから仕方ないでしょ?」

「ええ。不服ですが、ここは一時休戦です。それで、勇者さんの居場所に心当たりはあるんですか?」

「そっちはないけど、この号外記事をばら撒いてる元凶を追い詰められそうな場所なら、わかるよ」

「結構です。では、共に行きましょう」

 

 シャナさんの言葉に軽く頷いて、イトお姉さんは既に全身武装で臨戦態勢の鎧騎士に目を向けました。

 

「アリアも、そういうことでいいかな?」

「はい」

 

 シャナさんがばらまいた号外記事の一枚を手に取って。しかし手に取った瞬間、その薄っぺらい紙面はアリアさんの魔法により、一瞬で消し炭に変わりました。

 

「早く行きましょう。先輩」

 

 極めてフラットな、熱くて冷たい口調でした。

 なんでしょう。頭兜で表情が見えなくて想像するしかないのですが、間違いなくこの三人の中で一番こわいです。騎士さんが一番こわいです。

 金属質な音を響かせながら、頭兜がこちらに向きます。

 

「赤髪ちゃん。サンドイッチ食べてるんだ。焼いてあげよっか?」

「あ、大丈夫です」

 

 絶対火加減間違えて消し炭にされそうです。わたしはサンドイッチを守るために、残りを一気に頬張りました。

 ご飯を食べ終えたわたしを笑顔で確認して、お姉さんが椅子から立ち上がります。

 

「さてさて。じゃあ、みんな。行くとしようか」

 

 騎士さんに、賢者さん、そしてお姉さんとわたし。

 急遽結成したパーティーですが、このメンバーなら世界の一つや二つは簡単に滅ぼせそうだなぁ……と。わたしは思いました。

 

 

 ◇

 

 

「おーほっほっほ! フルハウスですわーっ!」

 

 すげえ! 死霊術師さんつえ〜! 

 リリンベラのカジノ、最高だぜ! 

 

「今のでもう元手は三倍になったな……」

 

 呟きながら、腕を組む。

 バニーガールの馬鹿みたいな衣装で周囲の注目を集めていた死霊術師さんは、その馬鹿みたいな衣装のままするりとカジノのカードゲームに参加し、あっという間におれが貸した金額を十倍ほどまで増やすことに成功していた。

 周囲には既に野次馬のギャラリーができており、その異常な荒稼ぎっぷりを見て、ざわざわと喧騒が広がっている。

 

「何者だ……あのバニーガール」

「スタッフじゃないのか?」

「いや、スタッフではないらしい」

「スタッフじゃないのになんでバニーガールなんだよ」

「わからん。自分から着てるんだろう」

「頭イカれてんのか?」

 

 いや本当にね。おれもそう思うよ。

 それなりに両手にチップをたんまり抱えた状態で、ニコニコと死霊術師さんがもどってくる。

 

「とりあえず一稼ぎして参りました!」

「うん。相変わらず賭け事に強いね」

 

 元から腹芸が得意で頭が良い、というのもあるが、死霊術師さんはこういった賭け事やテーブルゲームの類いにかなり強い。賢者ちゃんももちろん頭の回転は早いのだが、盤面の読み合いや心理戦では、どうしても死霊術師さんに一歩譲ってしまうイメージだ。

 

「ふふっ……こういったゲームの肝は、引き際の見極めと、表情の読み合いです。コツさえ掴んでしまえば、あとは多少の運を考慮に入れて立ち回るだけですわ」

 

 簡単にそう言われても、はいそうですかと簡単にできることではない。

 おれは素直に死霊術師さんを褒め称えた。

 

「流石だね。やっぱうちのパーティーで()()()()()()()()()()だけはあるよ」

「……二番目は余計です。二番目は。わたくしが目指すのは、常に一番の女ですので」

 

 調子に乗っていた表情に、ちょっとだけ拗ねたような感情が乗る。

 と、そんな死霊術師さんの肩を、黒服にサングラスの出で立ちの男が叩いた。

 

「すいません」

「あ、申し訳ありません。わたくしこんな格好をしておりますかが、スタッフではないのです。チップの換金などでしたらあちらのバニーさんに……」

「いえ、お客様にぜひご案内したいゲームがあるのです。よろしければ、ご一緒にいかがですか?」

 

 どうやら、もう釣れたらしい。

 荒稼ぎしている腕の良いギャンブラーしか案内されない、裏のゲーム。そこに潜り込むことが、死霊術師さんの目的だ。

 

 いってきます。

 気をつけてね。

 

 一瞬のアイコンタクトでおれに確認をとって、白い尻尾がくるりと振り返った。

 

「それはそれは。是非遊ばせていただきたいです。よろしいですか? 貴方さま」

「うん。遊んでくるといいよ。おれは適当に時間を潰してるから」

 

 黒服たちに囲まれて、バニーガールの背中が離れていく。

 これでとりあえず、当初の目的は達成した。あとは、潜り込んだ死霊術師さんが良い感じに情報を掴んでくれることを祈るだけである。

 

「さて、と……」

 

 しかし、こまった。

 死霊術師さんが裏ゲームに行ってしまって、おれは特にやることがなくなってしまった。単純に、手持ち無沙汰だ。

 

「……スロットくらいかなぁ。おれがやれるのは」

 

 スロットとは、魔力で駆動する絵柄合わせのゲームだ。コインを入れて、タイミングよくボタンを押すことで、絵柄を揃える。揃ったら、コインが払い戻される。単純な仕組みだ。

 とりあえず空いてる席に座って、絵柄を合わせようとがんばってみる。

 純粋な動体視力と反射神経なら多少の自信があるので、こういうゲームはまだ得意な方だ。逆に言えば、こういうゲームくらいしかおれには自信がない。

 

「フフ、そこのお兄さん」

「え? おれですか?」

「ああ。あなただ」

 

 隣の席から声がかかる。

 横目で見てみると、そこに座っていたのはイケメンだった。

 赤いシャツに、白のジャケット。整髪料で固めた髪。いかにも遊び人ですといった風貌だが、しかし間違いなくイケメンであった。

 

「すまないが、コインを一枚、貸してくれないだろうか」

「えぇ……」

 

 そんなイケメンは、イケメンのくせに、たかってきた。

 

「いや、実はおれも一緒に来ている人にお金貸してて……あんまり手持ちが」

「なに。それは良くないな。金の貸し借りは人間関係を歪める。貸したのは男か?」

「あ、いえ。女性ですけど」

「ますます良くないな。金の貸し借りは健全な男女の関係ですら歪めてしまう。悪いことは言わないから、貸したお金はすぐに返してもらった方がいい。それはそれとしてコインを一枚恵んでくれないだろうか」

「自分が言ったこともう忘れました?」

 

 なんだコイツ。

 

「ククク……頼む、信じてほしい。この台は、次こそ出るんだ」

「それ絶対に出ないやつのセリフ」

「いいや、出る。オレは次に、七を三枚揃えて勝つ」

 

 スロットに手を添えて、男は自信満々に言い切った。無駄に顔が良いので、雰囲気だけはある。

 このままごねられても面倒なので、おれは一枚だけコインを恵んであげることにした。

 

「……はぁ。一枚だけですからね」

「フフ……ありがとう。本当にありがとう」

「いいから早く回せ」

 

 伊達男はおれから受け取ったコインを躊躇なくスロットに突っ込み、躊躇いなく回した。

 

「……うお。マジか」

「ククク。当然だ。オレは、やるといったらやる男」

 

 その結果、大当たりの音が鳴り響き、数えきれないコインが排出口から溢れ出してきた。しかも、揃った絵柄は宣言通りに七が三枚である。

 これ以上ないドヤ顔で、伊達男は笑う。

 

「言っただろう? 運命の女神のハートは、常にオレの言葉の矢によって射抜かれる、と」

「聞いてないけどすごい!」

「ククク……窮地を救ってもらった礼だ。時間はあるか? よければ、バーで一杯奢ろう」

「お、ありがとう! 実は、ちょうど暇してて……」

「フフ。気にするな。こうして隣の席で打っていたのも、何かの縁だ。オレの名は、サジタリウス。お前の名前は?」

「おれは……」

 

 まじまじと。

 それこそ穴が開くほど、おれは伊達男の顔を見詰めた。

 サジタリウス、と。男は言った。

 名前が、聞こえた。

 聞こえてしまった。

 

「どうした? オレの顔に何かついているか? いや、たしかに今のオレにはツイている……勝利の女神の天運が、な」

「あのさ」

「なんだ?」

「おれ、実は人の名前が聞こえない呪いにかかってるんだけど」

「フフ、おもしろい冗談だ。まるで勇者だな」

「うん」

「……ククク。フフ……いや……え? 勇者?」

「うん」

「…………」

 

 イケメンの顔に、だらだらと情けない冷や汗が浮かぶ。

 その名前を。

 一言一句、再確認するように、おれは言った。

 

 

「なあ、サジタリウス。お前、悪魔だろ」

 

 

 束の間の、沈黙。

 震える膝を折り曲げ、地面に両手を突いて。

 

「ククク……勇者よ。命だけは助けてください」

 

 最上級悪魔は、それはそれは見事な土下座を行った。

 




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
草むらを歩いていたら軽率にボスキャラにエンカウントするタイプ。運はそこそこあるが駆け引きは苦手。

死霊術師さん
ボロ儲けですわ〜!!

赤髪ちゃん
タマゴサンド。ハムサンド。ローストビーフサンド。

先輩
イライラしてる。指で触れれば魔法効果で紙を好きな形に切断できる。型抜きとかもすごく得意。

賢者ちゃん
怒っている。すでに増やした自分を使って二人を捜索している。

騎士ちゃん
キレている。駆け落ち号外記事は片っ端から燃やした。

サジタリウス・ツヴォルフ
第十二の射手。今回は勇者とのエンカウントを無事射止めた。


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勇者と悪魔の勘違い心理戦

 少し、昔の話をしよう。

 男はある日、一人の少女に出会った。

 簡素な革の鎧。背中には身の丈に合わない剣。それはいかにも、自分は駆け出しの未熟の冒険者です、全身で主張しているような少女であった。

 付け加えてどのあたりが駆け出しで未熟そうか説明するのであれば、その冒険者の少女は、明らかに力尽きたように地面にうつ伏せに倒れていた。

 無視して通り過ぎることは簡単だったが、彼はなぜかその行き倒れを無視することはできなかった。

 

「……おい。大丈夫か」

 

 出血はない。地面に、赤い色は広がっていない。

 怪我をしているわけではなさそうだ。

 彼の質問に、少女は答えた。

 

「おなか、が」

「お腹?」

「おなかが、空いて……動けない」

 

 空腹による行き倒れだった。

 実にくだらない理由だった。

 しかし、彼はなぜかそのくだらない自己申告を無視することができなかった。

 

「……握り飯くらいしかないが、食うか?」

「いいの!? ありがとう!」

「ククク……良い食べっぷりだ」

 

 食べた瞬間に、少女は生き返った。

 袖振り合うも多生の縁、という言葉がある。そのままなし崩し的に、彼は地面に腰を下ろして、少女と語らう時間を作った。

 

「お兄さんは、なにをしている人なの?」

「フフ……オレは基本的に、女から借りた金を賭け事で増やす仕事をしている」

「カスのヒモってこと!?」

「ククク……命の恩人に対してそのはっきりとした物言い。嫌いではないぞ」

 

 少女は、よく食べ、よく喋り、よく笑う女の子だった。

 話していると、不思議と心地が良かった。隣に座っているだけで、曇り空に光が差すような。

 そういう明るさを持った少女だった。

 

「うーん……一人目が遊び人っていうのも、ちょっとどうかと思うけど……でも、助けてもらったし、いっか」

「何の話だ?」

「ねえ、お兄さん」

 

 お腹を満たした少女が、元気良く立ち上がる。

 振り返り、風を受けて靡く白髪が、青空の太陽を受けて、透明に光り輝く。

 

「わたし、これから冒険に行くんだ! だから、仲間になってよ!」

 

 絵になる光景。劇的な勧誘。

 まるで、これから心躍る旅がはじまるような、そんな予感。

 彼は、即答した。

 

「断る」

「なんで!?」

「オレは働きたくないからだ。一生遊んで暮らしていたい」

「こんなにかわいい女の子に誘われてるのに!?」

「ククク……良いことを教えてやろう。オレの好みは、メガネが似合う理知的で賢そうで少し性格がキツそうな女だ。そういう女が懐に入った時に見せる弱みは……すごく良いぞ」

「知らないよお兄さんの性癖なんて!」

 

 腕を組み、唸る少女は、しかし名案を思いついたかのように、ぽんと手のひらを合わせた。

 

「そうだ! じゃあお兄さん、わたしとゲームしよう!」

「ゲーム?」

「うん! じゃんけんしよ! わたしが勝ったらお兄さんはわたしの仲間になる! わたしが負けたら、お兄さんのことは諦める!」

「それは、オレが得るものが少ないのではないか?」

「あれ? お兄さん逃げるの? それとも、わたしみたいな女の子に、じゃんけんで勝つ自信もない?」

「ククク……安い挑発だ。だが、おもしろい。のってやろう。良い男は、女の誘いを断らないものだ」

「よしっ! じゃあ、いくよ! 最初はグー!」

 

 強く強く、拳を握り締めて、向かい合う。

 

「じゃんけん──ぽん!」

 

 それは、彼が人生ではじめて負けた記憶。

 それは、少女がはじめて仲間を得た瞬間。

 後に魔王と呼ばれることになる少女と、後に最初の使徒となる悪魔の出会いは、とても些細な、子どもの遊びのようなゲームからはじまった。

 

 

 

 カジノに潜入してスロットで遊んでたら、最上級悪魔に出会った。

 何を言ってるかわからないし、おれ自身も何が起こってるのかよくわかっていないが、しかし目の前にあのジェミニ・ゼクスと同じ最上級悪魔がいるのは、紛れもない現実である。

 

「ククク……つまりはこういうことだ。オレは、お前のパーティーの死霊術師を表社会から追放するため、同じ目的を持つ人間と契約を交わし、協力関係にある。簡単に言ってしまえば、このオレがお前たちを貶めた黒幕ということだな。フフ……」

「全部喋るじゃんお前」

 

 ほんとに全部喋って説明してくれるから、びっくりした。

 土下座の姿勢を解いて両手をホールドアップしている悪魔は、おれの呆れた声に対して、なおも不敵に笑う。

 

「当然だ。一つしかない命を守ることに比べれば、己のプライドなど些細な問題だ。しかしまさか、こんなところで世界を救った勇者と出会う権利を引き当ててしまうとは……クク、このオレの運も、なかなかバカにできないものらしい」

「オレも最上級悪魔からスロットのコインをせびられるとは思わなかったよ」

「あれは良い当たりだった。もう少し打ちたかった」

「馬鹿なのか?」

 

 言いながら、間抜けなイケメン顔だけ悪魔……もとい、サジタリウス・ツヴォルフに問いかける。

 

「それで? お前はどうしてこのカジノに来たんだ?」

「女から借りた金を、一発当てて増やしに来た」

「嘘を吐くならもう少しマシな嘘を吐けよ」

「フフ……本当だ。信じてくれ。頼む」

 

 だらだらと冷や汗を流しながら、悪魔が言う。不敵な笑みは速攻で剥がれていた。

 鵜呑みにするにはあまりにも阿呆な言い訳だったが、オレに正体がバレたきっかけもスロットのコインをせびったからなので、なんとも言えない信憑性があった。

 

「まあ、いい。お前、このカジノには詳しいのか?」

「愚問だな。詳しいなんてものじゃない。多い時は週五で通っているくらいだ」

「自慢すんな。働け」

 

 ほんとにこの馬鹿があのジェミニと同じ最上級悪魔とは思えない。そこらへんにいる普通のヒモ男みたいだ。

 

「詳しいなら、このカジノの中を案内しろ。腕の良いギャンブラーがゲームをしているエリアに行きたい。うちの死霊術師さんが先にそっちへ潜り込んでるんだ。断ったらどうなるかは、わかるな?」

「ククク……やめよう。暴力はよくない。こっちだ。付いてくるがいい」

 

 開幕土下座をキメてきたこの情けない悪魔は、どうやら本当にオレと戦う気はないらしい。さすがに無抵抗の相手を倒すのは気が引ける。それなら、必要な情報を引き出しつつ、カジノの中を案内させて便利に利用した方がいい。

 魔法を使われないように適度に背中を小突きながら、前へ進むように促す。

 

「フフ……それにしても、やはりあの死霊術師も来ているのか。まったく、懐かしいな」

「なんだお前。死霊術師さんのこと知ってるのか?」

「無論だ。元同僚だからな。あの不死身女は元気か?」

「ああ。今頃、バニーガール姿で楽しく博打やってるよ」

「バニーガール、だと……?」

 

 サジタリウスは、虚を突かれたように目を見開いた。

 まさか、あの馬鹿げた衣装には、何か隠された意味があったのだろうか? 

 見た目だけイケメンの悪魔は、噛みしめるように呟いた。

 

「ククク。それは、すごくえっちだな……」

「しばくぞお前」

 

 違った。この悪魔が本当に馬鹿なだけだった。

 

「サジタリウス様。そちらの方は?」

「オレの客だ。通せ」

「かしこまりました。ごゆっくりお過ごしください」

 

 しかし不幸中の幸いというべきか、サジタリウスは口だけではなく、このカジノの中には本当に詳しいらしい。よほど通い詰めているのか、VIPしか入れないようなエリアでも、顔パスで悠々と通過できた。そのまま迷わず、ずんずんと進んでいく背中についていく。

 

「勇者よ。お前は、ゲームは好きか?」

「べつに、好きでも嫌いでもでもない。自分が賭け事に特別強いと思ったこともないしな」

「そうか。オレは好きだ」

 

 めずらしいな、と。おれは単純にそう思った。

 社会に紛れ込むために、人の文化を学び、その真似事をする悪魔はそれなりにいる。しかし、人間を自分たちの道具、捕食の対象、餌としてしか認識していない悪魔が、人の文化を率直に褒め称えるのは、極めて稀なことだった。

 

「ゲームは、素晴らしい。人間が生み出した最も価値のある遊戯の一つだ。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も種族も、すべてを忘れて興じることができる」

 

 階段を降り、狭い通路を抜けて、辿り着いたのは小さな部屋だった。

 四隅に配置された蝋燭によって照らされた、薄暗い空間。部屋の中央にはシンプルなデザインのテーブルと、椅子が一組。向かい合うように置かれている。

 そこは一言で説明するなら、まるで秘密のゲームをするためのような部屋だった。

 少なくとも、大勢のギャラリーが集まる華やかな裏カジノの場には見えない。

 

「……おい。なんのつもりだ」

「勇者よ。オレは貴様と、ゲームがしたい」

 

 口調が変わる。

 イケメンの馬鹿男が、振り向かずに言う。

 

「人の生き様は、ある種、ギャンブルのようなもの。人生は選択の連続で、その選択に己の全てを賭けることのできる人間だけが、勝利という結果を手にする」

 

 纏う、雰囲気が変わる。

 悪魔が、背中だけで語る。

 

「故に。オレも今、この場で選択を行おう。オレがどれだけ弱くても……お前と敵対する、という選択を」

 

 言葉に滲む、感情が変わる。

 最上級悪魔が、振り向いて笑う。

 

「これは賭けだ。お前はどうする?」

「受けて立つに決まってんだろ」

 

 即答。と同時に、拳を振り上げる。

 部屋にどんな仕掛けがあるのかは知らない。サジタリウスがどんな魔法を持っているのかもわからない。

 だが、最初に降参の意思を示した以上、この最上級悪魔がジェミニよりも弱いのは紛れもない事実。小細工を弄される前に、速攻で片付けてしまえばいい。

 しかし、そんなおれの思考は、次の瞬間。赤いカーペットの上に広がった黒い紋様に塗り替えられた。

 

「これは……」

()()()()()()()()()()()()()()。勇者」

 

 拳が、届かない。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

 

「──決闘魔導陣」

 

 

 その絡繰のタネが、淡々と語られる。

 

「お前も、よく知っているはずだ。貴様ら人類が、我々という悪魔を狩るために作り上げた、魔導結界の最高傑作」

 

 白いスーツの、両手が広がる。

 

「安心しろ。タネも仕掛けもすべて明かそう。オレは、魔力を通して扱う、通常の魔術……それらのあらゆる行使を封じる代わりに、決闘魔導陣をこの身体に刻み、運用している」

 

 はだけられた胸元には、煌々と輝く漆黒の紋章が浮かび上がっている。

 おれは、思わず歯噛みをした。

 甘く見ていた、という他ない。

 おれの目の前に立つ化物は、人間が悪魔を狩るために作り上げたシステムを、あろうことか自分の体に刻み込み、利用していた。

 弱いからこそ、非力だからこそ、人の知恵を悪辣に利用する。

 その在り方は、正しく悪魔という他ない。

 

「フフ……最初に、ルールを説明しておこうか。この決闘魔導陣の中で厳守されるべき約束は、三つ。第一に、この決闘の場に囚われたものは、決着がつくまで外に出ることはできない。第二に、魔導陣の中における一切の暴力行為を禁じる」

 

 指折り数えて、悪魔は嗤う。

 

「そして、第三に。この魔導陣の中で行われる決闘の勝敗は、遊戯において決するものとする」

 

 サジタリウスは、悠々と腰を椅子に下ろした。

 テーブルの上には、既に用意されたカードの束と、チップの山。

 

「さあ、勇者よ。ゲームをはじめよう」

 

 

 

 

 

「これから我々がプレイするゲームの名は『シュヴァリエ・デモン』。騎士が悪魔と契約して戦う、カードバトルだ。それぞれのプレイヤーはチップを賭け、手持ちのカードから攻撃と防御を選択。場に設置されたサークルにカードを配置し、攻防を行う。カードの種類は、五種類。ソード、シールド、アックス、ランス、そしてデビル。まず、ターンの進行についてだが──」

 

 ぺらぺらぺら。

 ゲームのルールを、楽しげに語りながら。

 最上級悪魔、サジタリウス・ツヴォルフは、心の中で意地の悪い笑みを深くしていた。

 

(フフフ。どうだ、勇者よ。ルールを説明されても、ルールが全然わからんだろう!)

 

 サジタリウスは、勇者と対決するにあたり、わざと複雑なゲームを選んだ。

 人間という生き物は、どうしてもはじめて遊ぶゲームに慣れるまで、時間がかかる。

 基本的な手番や順序を理解し、システムに秘められた戦略性を学び、それらを理解してはじめて、ようやくプレイヤー間の駆け引きというものは成立する。

 だが、はじめて触れるゲームで、それを行うのは不可能に近い。

 故に、サジタリウスは勇者を己の土俵に引き込んだ。

 卑怯と言われるかもしれない。小汚いと罵られるかもしれない。

 しかし、勝負事とは……常に勝負が始まる前から、その勝敗を左右する要素が散らばっているのだ。

 

「ククク……基本のルールはこんなところだ。さて、何か質問はあるか? わからないことがあれば、このオレが責任をもって解説しよう」

「いや、特にない」

「強がる必要はないぞ、勇者よ。ゲームは公平であってこそおもしろい。一方的な勝負になってはつまらんからな」

「必要ないって言ってんだろ。さっさとはじめよう」

「ほう」

 

 虚勢を張っているにしても、大した強がりだ。

 心の中で感心しながら、サジタリウスは最初の手札を引いた。

 

「では、ルール説明を兼ねて、先攻はオレが」

「いや、先攻はオレが貰う」

 

 淡々とした、反論の言葉。

 勇者の宣言に、サジタリウスは己の心臓がどきりと跳ねたことを自覚した。

 

(このゲームが基本的に先攻有利であることを見抜かれた?)

 

 いや、そんなはずはない。ルールを一度聞いただけで、凡人がそこまでこのゲームを理解することは不可能に近い。

 平静を装って、サジタリウスは勇者に譲るように手を差し出した。

 

「クク……いいだろう。先攻は貴様に譲ってやろう。では、まず……」

「俺のターン。先攻なのでチップのチャージはスキップ。ソードをメインにコール。サイドに2チャージしてアップキープ。これで、俺の手番は終了だ」

「な……」

 

 己の表情に、驚愕の色が浮かんだことを、サジタリウスは自覚した。

 早い。

 あまりにも、迷いがない。

 シャッフル。行動の宣言。

 勇者のカード捌きには、一切の無駄がなかった。

 まるで、長年このゲームに親しんできたかのような、熟練の手付き。鮮やかで洗練されたプレイング。

 とても、はじめて遊ぶプレイヤーには見えない。

 

「どうした? サジタリウス。何か間違っているなら、指摘してくれ」

 

 サジタリウスを、正面から見据えて。

 余裕綽々といった表情で、勇者は試すように言った。

 

「……ククク。いや、間違いはない。お手本のような初手の動きだ」

「そりゃどうも」

 

 前提が、間違っていた。

 サジタリウスの、歴戦の勝負師としての直感が警告する。

 この男は、普通ではない。

 そう。相手は、世界を救った勇者だ。

 たとえ自分のフィールドに引き込んだとしても、簡単に勝てる相手ではない。

 認識を、改めなければなるまい。

 はじめて触れるゲームの特性を、彼は一瞬で理解した。

 世界を救った勇者は、盤上においても、強い。

 

「フフ……疼く。疼くぞ。ひさびさに、楽しいゲームになりそうだ」

 

 

 

 

 

 なぜかやる気満々になってる最上級悪魔を見て、おれは内心で思った。

 

 

 ──どうしよう。ルール全然わかんねえ。

 

 

 見慣れないカード。はじめて触るチップ。はじめて聞くルール。

 質問があったら答えるぞ、と。サジタリウスは懇切丁寧に申し出てくれたが、正直なところ何がわからないのかもわからなかったので、質問すらできなかった。なんだこれ。ちょっと複雑すぎる。頼むから遊ぶならババ抜きとかにしてくれ。

 それっぽくプレイしてみたら上手くハマったみたいなのでそれはよかったけれど、正直何をどうしたらどう勝てるのかすらわかってない。

 おれは頭脳労働は苦手なのだ。まじで勘弁してほしい。

 

「オレのターンだ。いくぞ、勇者。全力の勝負を楽しもうじゃないか!」

「……ああ。たまには、知略のせめぎ合いも悪くない」

 

 とりあえずかっこいいセリフとポーカーフェイスで応じつつ、心の底からおれは思った。

 

 ──死霊術師さん。早く助けに来て




こんかいのとうじょうようご

・決闘魔導陣
 騎士学校編で勇者くんがレオと全裸決闘する時に使った例のアレ。イト先輩がキャンサーのおじいちゃんを輪切りにするときに使ったのも、同じもの。騎士が一対一の戦いをする際に利用したりする最高位の魔導結界だが、今回のように悪魔と一対一で戦う際に逃げられないように使うのが正しい利用法である。

・『シュヴァリエ・デモン』
 カジノを中心に流行の兆しを見せている本格バトルテーブルカードゲーム。ルールは一見複雑そうだが複雑そうで難しいぜ!砦を守る翼竜が回避したり海の上の月を攻撃できるゲームがあったらほんと楽しいと思います。






ジャンケットバンクという現在週刊ヤングジャンプで連載中の本格頭脳バトル漫画があるんですが、作者は獅子神さんが好きという説が有力です。


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死霊術師さんの華麗なるデスゲーム

やめて!アリア・リナージュ・アイアラスの特殊能力で、リリアミラ・ギルデンスターンを焼き払われたら、普通に熱くてリリアミラの精神まで燃え尽きちゃう!
お願い、死なないでリリアミラ!
あんたが今ここで倒れたら、会社はどうなっちゃうの?
ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、武闘家さんに勝てるんだから!

今回「死霊術師さん、死す」ゲームスタンバイ!


 リリンベラの裏カジノに、ルールは存在しない。

 弱肉強食。イカサマ上等。勝てば一生を遊んで暮らせるほどの大金が一瞬で転がり込んでくるが、弱ければ無様に死ぬだけ。この場所ではギャンブラーの命に、金以上の価値はない。

 故に今夜も、賭場では勝者の高笑いが木霊する。

 

「ひゃーはっはははは! これでてめえのライフカウンターはゼロ! 敗北した分、10リットルの血液が体から抜き取られるぜぇ! これで終わりってわけだなぁ! ひゃははははは!」

「そ、そんな……そんなに血を抜かれるなんて、死んでしまいます!」

 

 対面に座る女性の顔が青くなる。男は下品で低俗な笑みを、より一層深くした。

 運営スタッフが、借金でもして首が回らなくなったのだろうか。対面に座る、黒髪のショートヘアがよく似合うバニーガールが今回の男の対戦相手であり、哀れな獲物の子兎だった。

 特別な見どころがなければ招待されないこの『ブラックランク』まで勝ち上がってきたあたり、ただのビギナーズラックではないようだったが……しかし昨日今日賭場に入ってきたズブの素人が簡単に稼げるほど、リリンベラは甘い場所ではない。表には表の秩序があるように、裏には裏のルールがあるのだ。

 二の腕まで大きく露出したバニーガールの衣装。陶器のような白い肌に突き刺さったチューブが、身体の中を巡る赤い血を吸い上げる。蠱惑的な唇から荒い息が漏れて、見開いた瞳からは真珠のような大粒の涙が溢れ落ちる。

 

「い、いや! いやですっ! 死にたくない! 死にたくないです!」

 

 ブラッディ・フォーチュン。このゲームでは負ける度に、その敗北点に応じて、体内に刺したチューブから血液が抜き取られる。さらになによりも恐ろしいのは、どちらが勝者かを定める勝ち点……勝敗のラインが存在しないことだ。

 死んだら負け。

 そんなシンプル極まるルールのみが、このイカれた遊戯の終わりを明確に定めている。

 

「お願い! お願いです! 助けて! 助けてください! わたくし、なんでも! なんでもいたしますから! だから……!」

 

 バニーガールの女が、泣き叫ぶ。声を絞り出して許しを請う度に、豊かに実った胸がその衣装からこぼれ落ちそうになる。しかし、いくらもがいたところで、足首を縛る鋼鉄の枷からは逃れることはできないし、彼も彼女を解放する気はなかった。

 

「わりぃな。お嬢さん。たしかにそのイイ身体は、とても抱き心地が良さそうだ。けどな……オレぁ、そういうとびっきりのイイ女が! 無駄に命を落としていく絶望に表情を歪めて泣き叫ぶのが! たまらなく好きなんだよなぁ!」

 

 歯と舌を剥き出しにして、男は大笑する。

 もう女は、泣き叫ぶ気力すらないようだった。ただ顔を伏せて、カタカタと肩を震わせるだけ。その震えもほんの短い時間で途切れて、血を抜かれきった女はすぐに動かなくなった。

 

「……はぁ。お楽しみタイムが終わっちまった。おい、ジャッジ。さっさと三分カウントしろ」

 

 興奮も束の間。気の抜けたような息の吐き方をして、彼は周囲に控えている黒服に仕事を急かした。

 ブラッディ・フォーチュンでは、対戦相手が動かなくなってから三分間が経過した場合に死亡と見なす。

 勝者にとっては、甘美な余韻に浸る心地の良い時間だ。

 懐に手を入れ、ポケットからライターとタバコを取り出した彼はそれに火を点けて、

 

「……んんっ! ふぅううう。血を抜かれて死ぬ、というのも久方ぶりですわね〜!」

「……は?」

 

 そして、そのまま火が灯ったタバコを地面に取り落とした。

 

 なんだこれは? どういうことだ? 

 

 男は、女から抜かれた血液が並々と満たされているタンクを見る。イカサマではない。ペナルティは正常に作動していた。間違いなく、血は抜かれている。

 意識を失っただけ、というのも考えにくい。女の身体から抜き取られた血液の量は、間違いなく致死量だった。

 そもそも、この女が意識を手放してから、自分がタバコに火を点けるまで。ほんの四秒ほどの時間しか経っていないではないか。

 

「おい待て……なんで生きてんだお前」

「生きてはいませんよ。ちゃんと一回死にました」

 

 死にました? 

 何を言っているのだ、このイカれたバニーガールは。

 

「ジャッジ! おい、ジャッジ!」

「うふふ。普段は首をとばされたり、胴体が泣き別れになることがほとんどですので……ひさびさに良い死に方をすることができました。吸血皇に全身の血を吸われ尽くした時とは比べるまでもありませんが、たまには失血死というのも悪くありませんわね」

「おい! コイツ絶対ズルしてるって! おかしいって!」

「さて。このゲームの勝利条件は、相手プレイヤーが死んでゲームの継続が不可能になること、でしたわね? わたくしがまだピンピンしているということは、当然ゲーム続行ということでよろしくて?」

「ジャッジ! ジャッジー!」

 

 しかし、いくら男が叫んでも、黒服のジャッジたちはその場から動く気配すら見せなかった。

 それはつまり、彼の主張は一切認められず。目の前のイカれたバニーガールを対戦相手として、ゲームを続行することを意味する。

 

「あらあら。大丈夫ですか? わたくしと違って、全然まったく、これっぽっちも血を抜かれていないはずなのに、随分と顔色が良くないようですが?」

 

 男は、女の顔を見る。

 つい先ほどまで泣き叫んでいた、か弱い子兎の顔は、そこにはない。

 

「そんなに心配なさらないでください。先ほどは気持ちよく負けたおかげで、あなたが行っていた()()()()()()()()()()()はよくわかりました。なので、次からは純粋な真剣勝負です。きっと楽しく、心踊る良いゲームができると思いますよ?」

 

 目の前のおもちゃを、これからどうやって壊そうか? 

 そんな残酷な想像に胸を膨らませる、嗜虐的な深い笑みだけが、そこにあった。

 まずい。おかしい。このままだと、ヤバい。

 男のギャンブラーとしての直観が、警告の音をかき鳴らしている。

 血液ではなく全身から、水分が抜け落ちていっているのではないか、と。そんな錯覚に陥るほどに、顔面から冷や汗を流す男は、静かに頭を下げた。

 

「た……」

「た?」

「……助けて、ください」

「あらあら、まあまあ」

 

 バニーガールという下品極まる服装であるはずなのに、口元に手をあてて笑う女の所作は、どこまでも美しく、気品に満ちていて。

 

「はい。では、次のゲームもよろしくお願いしますね」

 

 そして、紡がれた言葉は、彼にとって死の宣告に等しかった。

 

「ち、ちがっ! 違う! オレは、オレは降参する!」

「ええ、違うでしょう? ゲームの前に頭を下げるのは、相手への礼を示す所作です。だって、はじめる前から降参してしまったら、ゲームは成立しませんもの」

 

 お前の降参なんて認めてやらない、と。

 女は、言外にそう言っていた。

 こと、ここに至って、男はようやく理解する。

 この女の笑みは、先ほどの自分と同じだ。

 

「申し訳ありません。わたくし、あなたさまとは違って、泣き叫んで許しを請う殿方に興奮する趣味はまったくないのですが……でも、やられたことをやり返すのは、きらいではないのです」

 

 圧倒的優位に立つ、捕食者の微笑み。

 

「それでは、もう一勝負。お付き合いくださいませ」

 

 

 ◇

 

 

「たくさん稼げて最高ですわ〜!」

 

 今宵、リリンベラの裏カジノは、なんかもう大変なことになっていた。

 連戦連勝の死んでも死なないバニーガールが、デスゲームで片っ端から荒稼ぎを行っていたからである。

 血を抜かれても死なない。 

 電撃でも死なない。

 首を落とされても死なない。

 端的に言って、リリアミラ・ギルデンスターンは裏カジノで無双していた。

 やはりというべきか。資格がなければ立ち入ることができない賭博場は、金が湯水の如くやりとりされている代わりに、倫理観をどぶに吐き捨てたような有様であった。ギャンブラーの対決には観客席が設けられ、金を持て余している道楽貴族や成金商人たちが、ワイン片手に命をベットした勝負を楽しんでいる。

 しかし、命をチップに設定した勝負で、リリアミラに負けはない。不死の死霊術師にとって、命を賭けた勝負は無限の元手を準備して挑んでいるようなものである。

 

「しかし、楽しいことは楽しいのですが……さすがにちょっと、飽きてきましたわねぇ」

 

 ブラッディ・フォーチュンという血抜きゲームを終えて、リリアミラは呟きながら大きく伸びをする。

 賭けるのは自らの命。わかりやすいスリルを提供する、歪んだ道楽と汚れた欲望で押し固められたような空間。

 下品ではあるが、利用価値はあるし、肌には合っているのがなんとも困る。

 とはいえ、これから動くために必要な資金はもう十分過ぎるほどに稼いだし、そもそもリリアミラがこの裏カジノにやってきたのは、資金調達が主目的ではない。

 リリアミラがこの裏カジノにやってきた目的は、唯一つ。今回の一連の事件において、ルナローゼの背後にいる黒幕の存在を探るためだ。

 

「リリアミラ・ギルデンスターン。ひさしいな」

 

 なので、今までは雰囲気の異なる人間……ではない()()から名前を呼ばれたリリアミラは「ようやく来たか」と、内心で胸を撫で下ろした。

 

「ああ、よかった。このまま放置されていたら、どうしようかと思っておりました」

「ククク……賭場に魔術や魔法を持ち込むギャンブラーは少なくない。だが、死すらも超越する紫の魔法を、そのように大胆に使い潰す女は、貴様くらいのものだろうよ」

 

 白スーツに、赤いシャツ。整った容姿。

 見た目だけで個性の主張をしているかのような、伊達男。

 

「褒め言葉として有り難く頂戴しておきますわ。おひさしぶりですわね、サジタリウス」

「貴様も元気そうでなによりだ。ギルデンスターン」

「ダンジョンの前で殺された時以来でしょうか。あの時は随分不躾な挨拶をされましたが……トリンキュロの取り巻きからは卒業しましたの?」

 

 リリアミラの皮肉を込めた質問を、サジタリウスもまた鼻で笑った。

 

「ククク……勘違いするな。リムリリィとオレは協力関係にはあるが、仲間ではない。今回の一件も、オレの目的はヤツが目指しているものとは別にある」

「あら、そうですか。では、あなたは今、何をしているのでしょう?」

「主にヒモをやっている。女から借りた金をギャンブルで増やすのが基本的な仕事だ」

「それは仕事とは言いません」

 

 相変わらず変わっていないらしい悪魔に思わず突っ込んでしまう。こほん、と咳払いを一つして、リリアミラは空気を切り替えた。

 

「……やはり、ルナローゼの契約者はあなたでしたか」

「ああ。ルナローゼ・グランツが、現在のオレの守るべき女だ」

 

 最上級悪魔との契約。

 それは普通の人間にとっては、己の心を悪魔に売り渡したことを意味する。

 

「ローゼはわたくしの秘書です。あの子を誑かした上に、わたくしの会社を掠め取ろうとする暴挙……喧嘩を売っている、という認識でよろしくて?」

「見解の相違というやつだな。まず、ルナは貴様のものではなく、オレの女だ。そして、オレは彼女がやりたいことに力を貸しているだけに過ぎない」

「ヒモ悪魔がほざくようになりましたわね」

 

 かち、とリリアミラの奥歯が鳴る。

 臨戦態勢に入った死霊術師の様子を見て、しかし最上級悪魔に動揺の色はなかった。

 

「ギルデンスターン。オレが何の用意もなしに、貴様の前に現れると思うか?」

 

 パチン、とサジタリウスの指が鳴る。

 その音を合図に、大きな台車が一台。サジタリウスとリリアミラの間に割り込むように運び込まれ、中身を隠すために覆い被さっていた布が剥ぎ取られる。

 リリアミラは、息を呑む。

 それは、人が一人がなんとか入れるほどサイズしかない、小さな檻だった。

 そんな檻の中で囚われの身になっているにも関わらず、彼は冷たい鉄の床に腰を落ち着け、腕を組み、静かに目を閉じていた。

 その瞳が見開かれ、最上級悪魔を見据える。

 

「……サジタリウス」

「なんだ、勇者よ」

「おれはまだ戦えるぞ」

「ククク。もうやめておけ勇者。さすがに脱げる服がない」

「いや、おれのパンツはきっとそれなりの値段で売れるはずだ」

「ククク。まじでやめておけ、勇者。お前がどうしてもと言うから、上着やシャツは許したが……そもそもオレがそんなことをしたくない。見るに耐えん」

 

 檻の中のパンツ一丁の人物が、リリアミラの方を見る。

 その瞳が、とても気まずそうに左右に泳ぐ。

 

「……助けて! 死霊術師さん!」

 

 世界を救った勇者は、ギャンブルで負けて身ぐるみを剥がされていた。




やめて!サジタリウス・ツヴォルフの特殊能力で、ゲームに負けたら、決闘魔導陣でプレイヤーと繋がってる勇者くんの服まで脱げちゃう!
お願い、負けないで勇者!
あんたが今ここで倒れたら、赤髪ちゃんの食費はどうなっちゃうの?
ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、サジタリウスに勝てるんだから!

次回「勇者脱ぐ」ゲームスタンバイ!


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過去の宿敵。今は味方

 死霊術師さんが、こっちを見てる。

 

「勇者さま?」

「はい。勇者さんです」

「そのお姿は一体……?」

「うん。見ての通り、負けて身包み剥がされちゃった」

「なるほど。だから、おパンツだけなのですね」

「そう。だからもう一回言うけど、その、なんというか……助けて」

「あらあらまぁまぁ……」

 

 はい、負けました。

 それはもう、身包み剥がされるくらいサジタリウスにボコボコにされました。

 いや、おれだってね。ルールがわからないなりにハッタリ効かせてがんばったんですよ。これでも必死にやったんですよ。サジタリウスも何度か「バカな……そんな奇想天外な一手が!」とか言ってたんですよ。でも無理だった。マジでボコボコにされた。まったくもって情けない話である。死霊術師さんに合わせる顔がない。

 

「お(いたわ)しいですわね。勇者さま。まさかそんなお姿に……」

「くっ……見ないでくれ。死霊術師さん。こんな情けないおれの姿を……」

「上腕から肩にかけてのライン……少し鍛え直されました?」

「あ、わかる? いやそうじゃねえよ」

 

 めちゃくちゃ見てるじゃねえか。

 見られて恥ずかしい体はしてないし、何なら最近鍛え直したところまで見抜かれてるけど、それはそれとしてバニーガールな死霊術師さんに食い入るようにパンツ一丁の姿を見られるのは困る。まあ、見られて恥ずかしい体はしてないけど。大事なことなので二回言いました。

 

「ククク……オレは筋肉がなくてもイケメンだがな」

「なに張り合ってんだしばくぞヒモ悪魔」

「フフ……オレに一方的な大敗を喫したというのに、よくもそんな大口を叩けるものだ」

「仕方ありませんわ。勇者さまは基本的に脳筋ですので。テーブルゲームや賭け事の類いはくそ雑魚もいいところですから」

「死霊術師さんはどっちの味方なの?」

 

 じっとりとした視線を向けても、死霊術師さんはニコニコと微笑んでいるだけである。

 

「しかし、妙ですわね。サジタリウス」

「何がだ?」

「あなたが使ったのは決闘魔導陣でしょう? あれは、決着がつくまで両者の自由を封じる代わりに、どちらかが死ななければ外に出ることができない高等術式のはず。ですが、勇者さまは素っ裸になっただけで、生きています」

「ああ。一つ付け加えておくとこの勇者は自分から服を脱いでいる。決してオレが脱がせたわけではない」

「なるほど。あなたの趣味で脱がせたわけではない、と」

 

 これ何の会話? 

 

「ククク……勇者が生きていて安心したか?」

「いえ、べつに死んでいても生き返らせるので、そこはべつに構わないのですが」

「フフフ……こわい。相変わらず倫理観が狂っているな」

 

 なんで悪魔から倫理観の心配されてるんだよ。普通逆だろ。

 サジタリウスが、微妙に同情のこもった目でこちらを見てくる。

 

「勇者よ。貴様、よくこの女を仲間にしたな」

「うん。おれも頻繁にそう思う」

「うふふ。照れますわね」

 

 おれとサジタリウスのやりとりに、死霊術師さんが両手を頬に当てて恥しがる。

 どこに照れる要素があったかまったくわからない。

 気を取り直すように咳払いを一つ挟んで、サジタリウスは死霊術師さんに向き直った。

 

「質問に答えようか。オレの決闘魔導陣は、敗北した人間に死を強制するものではない。その代わりに、勝者が敗者に対して()()()()()()()()()()()()できる。おれはこの成約によって、勇者におれとカジノの人間に対するすべての暴力行為を禁止した」

 

 はい。だからこうして簡単に捕まってるわけですね。

 

「なるほど。衣服の着用は?」

「誓って禁止していない」

 

 はい。おれが脱いだだけです。

 

「それにしても、口述で宣言した事柄を禁止する……なぜでしょうか。どこか懐かしい、聞き覚えのある魔法ですわね?」

「ククク……さすがに察しが良いな。貴様の予想通り、オレが決闘魔導陣に組み込んだのは我が盟友、アリエスの魔法……『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』だ」

 

 その一言に、背筋が寒くなる。パンツ一丁だからではない。いやな記憶を思い出したからだ。

 晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)。それは、かつて王都を混乱に陥れた四天王第四位、アリエス・レイナルドの魔法である。相手に対して永遠の行動の禁止を強制する、最強最悪の呪い。けれど、アリエスはもうこの世にはいない。

 おれをゲームで負かした最上級悪魔は、既に失われているはずのその魔法を、決闘魔導陣という術式に上乗せする形で利用していた。

 

「もちろん、オレの扱う『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』は、アリエスのオリジナルには遠く及ばない。この魔法を行使するためには、オレがゲームで勝たなければならず、行動の禁止も一ヶ月ほどで効力は失われる。が、見ての通り一度ゲームに引きずり込んでしまえば……効果は覿面だ」

「他人から借り受けた魔法を、よくも我が物顔でつかえたものですわね」

「フフ……貴様もよく知っているだろう。オレは弱い。だから、勝負の舞台に立つために、他者の魔法や人間の作り出した魔導陣に頼らなければならない。それに、魔法の譲渡は貴様もジェミニに対して行っていただろう? とやかく言われる筋合いはないな」

「あらあら、これはわたくしとしたことが……一本取られましたわね」

 

 それまでの緩いやりとりはどこへやら。

 死霊術師さんとサジタリウスの間に、張り詰めた空気が満ちる。

 

「貴様もこのカジノを随分と荒らし回ってきたようだな?」

「ええ。それなりに稼がせていただきました」

「ククク……おもしろい。勇者よりは楽しめそうだ」

 

 おれをゲームに引きずり込んだ時と同じだ。

 再び、サジタリウスの胸元に、妖しい魔力の光が満ちる。

 最上級悪魔は、意気揚々とゲームの開始を宣言する。

 

「さあ! 勇者を助けたければ、オレを倒してみろ! 勝負だ! 世界を救った死霊術師よ!」

「はい! お断り申し上げますわ!」

 

 決闘の拒絶。

 そして、妖しい魔力の光は霧散した。

 

「え」

「え」

 

 おれとサジタリウスの困惑の声が、きれいに重なって響く。

 そもそもの大前提として。決闘魔導陣は、互いの合意と戦う意思がなければ、成立しない。

 成立しない、のだが……。

 

「いや……え……?」

「し、死霊術師さん……?」

 

 顔を見合わせるおれとサジタリウスに対して、死霊術師さんは我関せずといった様子で、その場でくるくると回る。正しくその姿は、勝手気ままな兎のようだった。

 

「お断りする、と言ったのです。だってあなた、ゲームだけはとっても強いでしょう? わたくし、負けるのはキライなのです。わざわざ敗北の決まっている舞台に上がるつもりはありませんわ〜!」

 

 あっけらかんと。

 朗らかに。

 あろうことか、死霊術師さんはそう言い切った。

 サジタリウスの目が、驚きすぎて点になっている。イケメンの最上級悪魔も、驚愕が限界を超えるとあんな顔になるんだなぁ、と。あまり役に立たない発見ができた。

 うん……まぁ、はい。そうでしたね。死霊術師さんは、最初からこういう人でしたね。

 

「貴様……! このオレとの決闘(ゲーム)を拒否するのか?」

「ええ。拒否します」

「その場合、貴様は勇者を助けることができなくなるぞ!」

「致し方ありません」

 

 悪魔がいくら問い詰めても、死霊術師さんはいつも通り最悪だった。

 説得を諦めたサジタリウスが、ものすごく同情を込めた目でこちらを見る。

 やめろ。そんな目でおれを見るな。泣きそうになっちゃうだろ。

 

「勇者よ。貴様、なんでこの女を仲間にした?」

「うん。おれも今そう思ってる」

「悪いことは言わん。今からでもクビにしたほうがいいぞ」

「うん。おれも今それを検討してる」

 

 なんだろう。おれはコイツと仲良くなれる気がしてきた。少なくとも、現在進行系でおれのことを見捨てようとしている死霊術師よりは、よほど仲良くやっていけそうだ。

 と、真剣にパーティーメンバーの変更を視野に入れ始めたところで、死霊術師さんが手を挙げた。

 

「ああ……お二人とも、勘違いをしているようなので、一つ訂正を。わたくしはべつに、勇者さまを見捨てる……と言っているわけではありませんよ?」

「なに?」

 

 訂正に添えられる、意味深な笑み。

 

「サジタリウス。あなたの相手をするのは、わたくしではないということです」

 

 直後、地面を根本から揺らすような、激しい震動が襲いかかった。

 

 

 ◆

 

 

 それは、彼女がまだ、勇者の仲間になる前の話。

 魔王軍四天王第二位、リリアミラ・ギルデンスターンは、戦いにおいて敗北の経験がなかった。

 第一位、トリンキュロ・リムリリィには「死んでも生き返る魔法とかすっごく気持ち悪いね! ボクも真似した〜い!」と何度かちょっかいを掛けられ、殺し合いになったものの、殺されても普通に生き返ったため、決着はお預けとなった。

 第三位、ゼアート・グリンクレイヴには出会い頭に一撃で殺されたが、その後何事もなく生き返った様子を見て「命を賭けない勝負の、何がおもしろい」と鼻で笑われた。それ以降、老戦士から興味を持たれることはなかった。

 第四位のアリエスとは普通に仲が良かったため、主の写真を肴に「この魔王様、いいよね……」「いい……」と二人で茶をしばいたりしているのが常だったので、そもそも殺し合うような事態になったことはなかった。

 不死とは最強。

 最強とは不死。

 敗北の二文字を知らなかったリリアミラが、自身の魔法に絶対の自信を持つのは必然であり、その必然が当然として罷り通るほどに、リリアミラ・ギルデンスターンの悪名は広く轟いていた。

 そんな四天王第二位に、はじめて敗北を突きつけたのは、世界を救った勇者──

 

「四天王第二位。これでもう、お前は動けない」

「さすがです! 師匠!」

 

 ──()()()()()()

 リリアミラは、絶句していた。正しく、本当の意味で、言葉を発せない状態に陥っていた。言葉どころか、指一本すら体が言うことを聞かない。

 

「っ……ッ……!」

 

 動けない。動かない。

 その幼い少女に指一本触れられただけで、リリアミラ・ギルデンスターンのすべては()()していた。

 

「どうだ、死霊術師! これがウチの師匠の力だっ!」

「馬鹿弟子。勝ち誇るの、よくない。次からは、ちゃんと自分一人で勝った方がいい。でも、魔法は相性差が、結構ある。こいつに、わたしの魔法が有効だと、きちんと分析できたのは、えらい」

「はい。ありがとうございます! 師匠!」

 

 少女の言葉通り、その魔法はリリアミラに対して極めて有効だった。

 殺せないなら、殺す以外の方法で無力化してしまえばいい。

 今までもリリアミラの紫魂落魄(エド・モラド)に対して、あえて殺さないアプローチで攻略を仕掛けてきた敵は数多くいた。しかし、身体に仕込んだ自爆の暴走魔導陣まで含めて、すべての行動を封じられてしまっては、打てる手はもうない。

 それはリリアミラが経験する、はじめての明確な敗北だった。

 

「ランジェ、この馬鹿弟子の、治療をお願い」

「はいは〜い。ムーさんは大丈夫〜?」

「問題ない。わたしは無傷」

「うはぁ〜。最強だ〜! じゃあ今日もかわいい勇者くんをランジェ色に染め上げてくるね〜」

「痛い痛い痛い。ランジェさん。おれ、自分で歩けるから引き摺らないで……」

「これ見て〜。さっき見つけたカブトムシ〜」

「話聞いてよ!?」

 

 片手にカブトムシを持った聖職者が、ボロボロの勇者をずるずると引き摺っていこうとする。

 リリアミラを負かした少女は、触れていた指先をそっと放した。

 

「っ……ふっ……はぁ、はぁ……」

「何か、言いたいこととか、ある?」

「ふふっ……まさかこのわたくしが、こんな幼い子どもに負けるとは……不覚を取りましたわ」

「子どもじゃない。こう見えても、わたし、千歳超えてる」

「……はあ?」

 

 何を言っているのか、よくわからなかったが。

 しかし、言われてみれば。落ち着いた言動。小揺るぎもしない表情。勇者が「師匠」と呼ぶ強さ。そして、なにより紫魂落魄(エド・モラド)を完封する、得体の知れない魔法。

 若いのは外見だけで、中身は千歳を超えている、という少女の発言は、奇妙な実感が伴っていた。

 

「お前と、わたしの相性は、最悪」

「……ええ。そのようですわね」

「お前の魔法は、わたしの魔法の前だと意味を失う」

「はい。頷くしかありません」

「だから、諦めたほうがいい」

「やれやれ……まさか、わたくしにこんな天敵がいたとは。今からでも遅くありませんから、魔王軍に来るつもりはありませんか?」

「興味ない。それに、その勧誘なら昔に受けてる」

「まぁまぁ。フラれたあとでしたか」

 

 それなら、ご機嫌を取る必要はない。

 這い蹲った姿勢のまま、リリアミラはその少女を見上げて、薄く笑った。

 

「では、一つだけお伝えしておきましょう」

「なに」

「次は必ずあなたを殺します。覚えておいてくださいませ……クソババア」

 

 言った瞬間に、リリアミラの顔面は悲鳴を挙げる間もなく、幼女の足で踏み砕かれた。

 

「馬鹿弟子。ランジェ。この女、砕いてミンチにして四角に固めて、持ち運んでもいい?」

「やめてください、師匠。それだとおれたちが魔王軍になっちゃいます」

「残酷過ぎて神様がお許しにならないかも〜」

 

 

 ◆

 

 

「この揺れは何事だ!?」

「ご、ご報告します! サジタリウス様! 上層階に侵入者です!」

 

 黒服の報告を受けて、サジタリウスは天井を見上げる。

 

「……フフ、なるほど。勇者の仲間……いや、タイミング的にそちらではなく、()()()()()()()()()()()の行方を追ってきたか? いずれにせよ、もうここを嗅ぎ付けてきたとは、手が早い。それで、相手の数は? 襲撃してきたのは、騎士か? 魔導師か? それとも……」

「い、いえ。侵入者は、一人だけです! 剣も魔術も使用しておりません!」

「……なに?」

 

 黒服の言葉に、サジタリウスは固まった。

 剣も魔術も、使用していない。たった一人だけ。

 では、この地響きのような激しい破壊音は、何だというのか? 

 

「敵は、身一つで地下階層に侵入しようとしています!」

「馬鹿な。なら、なぜお前たちで対処できない?」

 

 カジノの警備を任されている黒服たちは、裏稼業を主な仕事とする手練れの魔術使いや、冒険者くずれで構成されている。騎士団長クラスの実力者を倒せるとは欠片も思っていないが、それでも少しの時間稼ぎもままならないとは、考えにくい。

 

「とにかく、早くお逃げください! サジタリウス様! 敵は……」

 

 みしり、と。

 サジタリウスは、音を聞いた。

 響くような震動ではなく、自分のすぐ近くで、何かに亀裂が入る音を。

 

 

「──敵は、幼女です!」

 

 

 奇しくもそれは、宣言の直後だった。

 腹の底に叩き込まれるような轟音と共に、天井が割れる。

 吊り下がっていた豪奢なシャンデリアが落下し、粉々に砕け散る。

 同時に、きらきらと輝く物体が、雨のように降り注いだ。

 

「……豪勢過ぎるシャワーだな、これは」

 

 避けながら、サジタリウスは呟く。

 それは、金貨だ。

 この裏カジノでは、汚れた金の流れを洗うために、紙幣の金への交換も行っている。違法賭博で稼いだ金の、字面通りの意味の『換金』も、運営側の仕事の一つである。故に、地下には大量の物理的な(きん)が蓄えられている。

 そんな黄金の雨の中から、一人の少女が顔を出す。黄金が貯蔵された金庫を、魔術に頼らない拳のみで打ち抜いて。無理矢理に地下へと侵入した化物が、静かに降り立つ。

 その手段は粗暴極まる。しかし、美しい拳だ、と。サジタリウスは思った。欲望に塗れた金塊などよりも、遥かに洗練され、磨き上げられた、一つの技。

 

「ククク……なるほどな」

 

 納得があった。

 なるほど、これは黒服如きで、止められるわけがない。

 

「何者だ?」

 

 悪魔が問う。

 

「ムム・ルセッタ。武闘家」

 

 幼女が答えた。

 サジタリウスは、横目で金貨をいそいそと拾い集めているリリアミラを見る。

 

「ギルデンスターン。貴様が言うオレの相手とは……この幼女か?」

「ふふっ……ええ。わたくしもかつては、敵として大いに苦しめられました。ですが今は、頼れる味方です」

 

 汚れた黄金を踏み越えて、武闘家は一歩前へ。

 待ち望んでいた援軍の到着に、死霊術師は笑顔の花を咲かせた。

 

「あらあら! 助けに来てくださったのですね! ぶとうかさ、ぐはぁああああああ!?」

 

 一撃、であった。

 言葉はなかった。無言だった。

 ただ無造作に振るわれた小さな拳が、リリアミラ・ギルデンスターンの整った顔面に突き刺さり、鼻筋を叩き折り、その細い身体を吹き飛ばした。

 即死、であった。

 

「よし。すっきりした」

 

 無表情のまま、ムムは満足気にそう言った。

 

「ククク……こわすぎる」

 

 今は頼れる味方? いや敵じゃん……と。サジタリウスは吹っ飛んで死んだリリアミラを見てそう思った。

 流れる冷や汗が止まらない。それはどこからどう見ても、明確な敵に対して、相手を殺すために振るわれた拳だった。どう考えても、仲間に向けて振るっていい拳ではない。

 リリアミラ・ギルデンスターンが殴り飛ばされたところで、ようやく事態に対して理解が追いついたのか。檻の中で絶望に暮れていた勇者が、顔を上げて叫ぶ。

 

「し、師匠!?」

「あ、勇者。よっ」

 

 軽く片手を挙げて、ムムは檻の中の勇者に手を振った。

 そして、あどけない表情のまま、首を傾げた。

 

「……どうして、捕まってるの?」

「いやちょっと……色々ありまして」

「困ってる?」

「はい」

「助けてほしい?」

「はい」

「うむ。わかった」

 

 平気で勇者を見捨てる人でなしの死霊術師と違って、最強の武闘家は愛弟子を決して見捨てない。

 丸く、可愛らしい瞳が、最上級悪魔に対して、静かに向けられる。

 

「お前を倒せば、馬鹿弟子を解放してくれる?」

「ククク……いいだろう。幼女よ。ゲームはできるか?」

「まかせて。とらんぷは、得意」

「それは良い。オレの勝負を受けるか?」

「受ける」

「了承した」

 

 再び。

 最上級悪魔を中心に、あらゆる暴力を禁止する、魔導陣が展開される。

 サジタリウスは、両手を広げた。

 その黄金の拳には、一人の悪魔として敬意を払おう。

 しかし、この世で最も原始的な拳という武器で雌雄を決する気は、毛頭ない。

 今ここに、世界を救った武闘家の拳は、すべて封じられた。

 

「さあ、席につけ。ゲームをはじめよう」




こんかいのとうじょうじんぶつ

・勇者くん
パンツ

・サジタリウス
最上級悪魔。第十二の射手。
もしかして世界を救ったイカれた人間たちよりも、自分の方がまともなんじゃないかと思い始めた。

・死霊術師さん
リリアミラ・ギルデンスターン。勝てない勝負は最初からしないタイプ。殴られて死んだ。

・武闘家さん
ムム・ルセッタ。実は26話ぶりくらいの登場。どうしてどうやってカジノにやって来たか、は次回。勝ち目のない勝負にこそ燃えるタイプ。リリアミラを殴って殺した。



・聖職者さん
ぷりーすとさん。別名聖女さん。死霊術師さんが加入するまでパーティーの回復役を担っていたゆるふわおねえさん。虫を素手で掴んで喜ぶタイプ。

・アリエス
魔王軍四天王、第四位。故人。
限定的にではあるものの、サジタリウスに自身の魔法の権能を一部貸し与えていた。魔王軍きっての知略派として、魔王様にバニーガール衣装を着せようと策謀を巡らせていたが、遂にその夢が叶うことはなかった。


次回はちゃんとギャンブルバトルします。多分


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遊ぶ黄金

 勘違いされがちだが、おれの師匠はただ厳しいだけの人ではない。

 師匠の鍛錬は過酷を極める。が、弟子には体を酷使するような鍛錬は絶対にやらせない。無理をして体を壊すのは、逆に成長への遠回りであることを知っているからだろう。

 なので、息抜きは大切にするし、気ままにふらふらと何処かに行くし、突然よくわからないお土産を買って帰ってきたりする。

 人よりも年を食っているだけあって、人生の楽しみ方を心得ている。なんだかんだで、師匠は優しい人である。

 

「それで、勇者は死霊術師と結婚するの?」

 

 ただし、怒っている時のお仕置きに関しては、その限りではない。

 

「しませんしません誤解です師匠」

 

 遮断された結界の中から、じとぉー、と。

 全身にへばりつくような視線を向けてきた師匠に対して、おれは千切れそうなほどに首を横に振った。師匠をあまり知らない人から見れば、その表情はいつもとあまり変わらない無表情に見えるだろう。だが、付き合いの長いおれにはわかる。今の師匠は、すごく機嫌が悪い。

 助けてもらうためには、なんとか誤解を解いてご機嫌を取らなければならない。

 

「でも、ひろった新聞記事に、勇者が死霊術師と結婚するって書いてあった」

「誤報です誤報! 死霊術師さんの会社のゴタゴタに巻き込まれて、こんなことになっちゃったんです!」

「じゃあ、悪いのは全部、死霊術師?」

「そうです!」

 

 わりぃ。死霊術師さん。おれの代わりに死んでくれ。

 

「ふむ。なら、仕方ないか」

「そうです。仕方ないんです。ところで、師匠はどうしてここに?」

 

 誤解も解けて、死霊術師さんに全面的に責任を擦り付けたところで、話を逸らす目的も兼ねて話題をふる。

 師匠は、こてんと首を傾げた。

 

「勇者が、駆け落ちしたって記事見た」

「はい」

「探しに行こうと、思った。でも、ちょうど手持ちのお金があんまりなかった。ハゲに借りようと思ったけど、ちょうど仕事を受けてて、近くにいなかった」

「なるほど?」

「だから、カジノで旅費を稼ぎに来た」

「なんでだよ」

 

 だめだこの師匠。悠久の時を生きているくせに、生き方が刹那的過ぎる。

 

「最近のリリンベラは、きびしくなった。昔は、わたしくらいの歳の子どもも遊ばせてくれたのに、ガキはカジノに入れないって、言われた」

「それはそうでしょうね」

「だから、こっそり潜り込んで、スロットやってた」

「だめでしょ師匠がスロットやったら」

 

 師匠の鍛え上げられた動体視力と静止の魔法である『金心剣胆(クオン・ダバフ)』を以てすれば、スロットの出目を百発百中で揃えることなんて簡単だ。鼻歌を唄いながら、七を三枚揃えてしまうだろう。運営側からしてみれば、クソ客もいいところである。

 

「スロット、楽しかった。しばらく遊んでたら、お金持ちっぽいひげのおじさんに、きみかわいいねお菓子あげるよ、って声かけられた」

「犯罪の匂いしかしない」

「お腹空いてたし、ついていった」

「だめでしょ知らない人についていったら」

 

 子どもか? 

 いや、師匠の見た目は明らかに子どもだけれども。

 

「びっぷるーむに案内されて、ご飯と洋服もただで貰ってきた」

「あ。だから今日はそんなかわいい感じの格好なんですね」

 

 今日の師匠はいつもの道着ではなく、レモンイエローを基調とした、あどけない雰囲気の子ども用ドレスに身を包んでいた。スカートは長すぎず短すぎない膝くらいの丈で、ふんだんにリボンやフリルがあしらわれている。ロリコン金持ち不審者野郎の性癖なんて欠片も賞賛したくはないが、ドレスそのものはとてもよく似合っていた。

 

「どう、勇者。かわいい?」

「はい。よくお似合いです」

「うむ。苦しゅうない」

「ちなみに、服とご飯をもらったあとはどうしたんですか?」

「胸を揉まれそうになったから、壁を殴り壊して逃げてきた」

「師匠の胸を?」

「何か、不思議?」

「いえ、何も」

 

 きっとこの世に無いものを追い求めようとする金持ちおじさんだったのだろう。

 

「でも、黒服の警備員に追われた」

「壁壊したらそうでしょうね」

「だから、適当に壁壊して逃げてたら、死なないばにーがーるが地下で暴れてるって話が聞こえた」

「暴れてるのはどっちかって言えば師匠ですけどね」

「多分絶対、死霊術師だと思って、殴りに来た」

「なるほど」

「殴れて、すっきりした」

 

 よかったね。

 

「ところで、勇者」

「なんです?」

「その筋肉だけど」

「お、師匠もわかります? 実は最近ちょっと鍛え直してて……」

「上半身に比べて、下半身の強化が、甘い。トレーニングはバランスが命。見かけでわかったとわかる外側の筋肉よりも、内側の筋肉を大事にするべき」

「っ……! わかりました。参考になります、師匠!」

「うむ」

「ククク……そろそろルール説明していい?」

 

 おれが師匠直伝のアドバイスに身を正したところで。

 背後でずっとほったらかしになっていたサジタリウスが、少し悲しそうに呟いた。

 

「あ、ごめん。忘れてたわ」

「フフ……忘れるな。泣くぞ」

 

 泣くなよ。男だろうが。いや、男である前に、こいつはそもそも悪魔か。

 

「気をつけてください。師匠。そいつ、ゲームの腕だけは本物です。あと、カスでヒモの女の敵です」

「散々な言われ様だな。しかし勇者よ、安心しろ。オレの好みはメガネが似合う理知的で賢そうで少し性格がキツそうなお姉さんタイプだ。そんなロリに興味はない」

「あ? 師匠はどこに出しても恥ずかしくないくらいかわいいだろ! ぶち倒すぞ!」

「フフ……めんどくさい男」

 

 サジタリウスが椅子を手で示すと、師匠はちょこんとその椅子に腰掛けた。かわいい。

 

「トランプが得意、と言っていたな? 幼女よ」

「うん」

「では、トランプを使ったシンプルなゲームを三種類、用意しよう。レディとはいえ、手加減はしない。二本先取の三本勝負だ。異論は?」

「ない」

「良し」

 

 サジタリウスの腕が、52枚のカードをテーブルの上に広げる。

 

「最初のゲームは『ハイ・エンド・ロー』。これは、簡単に言ってしまえば、二択のゲームだ。まずは五十二枚の山札をシャッフルし、互いに十枚を引く」

 

 手慣れた手付きで、シャッフルとカットを行う悪魔の指先に、無駄はない。十枚のカードを配り終え、片手で手札を構える姿も、堂に入ったギャンブラーそのものだ。

 対する師匠は、配られた十枚のカードを小さな両手で掴み取り、しげしげと眺めている。かわいい。

 

「このゲームは攻撃側と防御側にわかれる。レディファーストだ。先攻はそちらに譲ろう」

「ありがとう」

「ククク……お礼がちゃんと言える良い子のようだな」

「おいてめぇ、なに師匠口説いてんだ。はり倒すぞ」

「フフ……もう黙ってろ半裸勇者」

 

 おれに向かってとんでもない暴言を吐きながら、サジタリウスはゲームの基本ルールの説明を続ける。

 

「防御側は手札の中から二枚のカードを選び、裏側で場に伏せる。そして、攻撃側は伏せられたカードの中で、最も数字が高いと思ったカードを選択し、表に開く。当てることができれば、そのカードを獲得。当てることができなければ、失敗だ。攻撃側はカードを獲得できずに、捨場に送られる」

 

 やばい。すでにルールがちょっとよくわからなくなってきた。

 

「両手を握って、石がどっちに入ってるか当てるゲーム?」

「ククク……そうそう。そんな感じ」

 

 な、なんてわかりやすい……! 

 師匠はやっぱりすごい。馬鹿なおれでもわかるように、めちゃくちゃシンプルな要約をしてくれる。流石と言うしかない。一生付いていきたい……。

 

「これらのワンセット……攻撃と防御を交互に繰り返し、相手よりも先にカードを五枚獲得した方が勝ちだ」

「わかった」

「質問は?」

「ない」

 

 師匠が即答する。

 え? 質問ないのか? もっといろいろ聞くこととかあるんじゃ? 

 おれ、まだわからないこと結構あるんだけど……もしかして、おれの理解力がないだけ!? 

 

「では、はじめよう。まずはオレが、カードを二枚伏せる」

 

 叩きつけるように。小気味良い音を鳴らして、サジタリウスが最初の二枚を場にセットする。

 

「ククク……それでは、最初の駆け引きと洒落込もうか。カードを選んでもらおう」

「うん。わかった」

 

 そして、師匠の小さな右手が動いた。

 

 

 ◆

 

 

 ムム・ルセッタが育ての親である師父から教わったものは、三つある。

 一つ目は、武術の鍛錬。

 二つ目は、簡単な勉学。

 そして、三つ目は、

 

「ムム! 今日の鍛錬は休みだ! 遊ぶぞッ!」

 

 たくさん遊ぶこと。

 山から降りて街に行くたびに、師父は二人でできるボードゲームやカードゲームを調達してきては、一緒にやろうと誘ってきた。

 

「師父」

「なんだ!? ムム!」

「師父はどうして、遊べるものを、買ってきてくれるの?」

「そりゃあ、子どもは遊ぶのが仕事だからな」

「む。それは、心外。わたし、もう子どもじゃない」

 

 ムムは、遺憾の意を示すために頬を膨らませた。

 すでに、師父と出会って共に生活をするようになってから、十年ほどの月日が流れていた。見た目が変わらなくても、子ども扱いをされるのは少々不服である。

 しかし、師父はムムのまったく変わらない背丈を上から見下ろして、青い髪を拳で乱雑にぐりぐりと揺すった。

 

「がはは! そりゃ、わしの言い方が悪かったな! 子どもはよく遊ぶものだが、遊ぶのは子どもだけではない! 大人も、時には大いに遊びたくなるものなのだ! だから、今日はわしの遊びに付き合ってくれ!」

「……でも、遊ぶ時間を、鍛錬に使えば、もっと強くなれる」

「何を言うか! 鍛錬とは、ただ己の体を追い込めばいいというものではないぞ。追い込みすぎて体を壊してしまえば、元も子もない。特にお前は、まだ体ができていない。これから先も……もしかしたら、武術に適した体には成長せんかもしれん。適度な休息を取り、体を休めることも一つの鍛錬と心得ろ」

 

 師父の鍛錬は厳しかったが、決してムムに無理をさせるようなことはしなかった。

 

「人生において肝要なのは、切り替えだ。励む時は励み、遊ぶ時は遊び、寝る時は寝る! いいな、ムム!」

「ん。わかった」

 

 いつも通りの、平淡な声音の返事。

 しかし、それを聞いて、師父はにっと笑った。

 

「よぅし! ならば、今日は遊ぶぞ! 今回は、オセロというゲームを仕入れてきた! わしも街で少し遊んできたが、コイツはよくできておる! おもしろいぞ!」

「ルール教えて」

「おうとも! まずはこの白と黒の丸っこいやつを四つ並べてな……」

 

 熊よりも大きな男と、子鹿よりも小さな女の子が、地面に腰を落ち着けて、机を挟んで向かい合う。傍から見れば、滑稽に写る光景だろう。

 けれど、ムムは修行をしている時と同じくらい、この時間が好きだった。

 

「並べた。丸っこいやつも、色ごとに分けた。次は?」

「……」

「師父?」

「ああ、すまんな」

 

 対面に座る師父の表情には、鍛錬に励んでいる時とは違う優しさと。

 ほんの少しだけ、何かを心配するような色があった。

 

「よく遊べよ、ムム。人生は、楽しんでこそだ」

「うん。これからも、師父とたくさん遊ぶ」

「……がっはは! 同じ相手とばっかり遊んでいたら飽きるぞ!」

「そんなことない」

 

 二人で、たくさんのゲームをした。

 トランプ。オセロ。チェス。

 師父が寿命で死んでからは、一人で二人用のゲームをするようになった。

 なぜだろうか。

 己を鍛えることは一人でいくらでもできるのに。なのに、ゲームは一人でやっても、ちっともおもしろくない。

 三十年ほど一人で過ごして、ムムは師父の言葉の意味をようやく理解した。

 一人で遊ぶのは、つまらない。

 ゲームは、一人ではできない。

 よく遊べ、と。師父は言っていた。

 師父はきっと、これから先も長い時を生きる自分が独りぼっちにならないために、色々な遊びを教えてくれたのだ。

 あの人はいつも、大切なことをきちんと言葉にせずに、後から気付かせる。そういうところが少しズルいと、ムムは思った。

 ある日。最低限の生活必需品を買い込むために、ムムが山を降りて、街へ行ってみると。

 

「……あ」

 

 道端で、師父が教えてくれたオセロをやっている子どもたちがいた。ちょうど、ムムの外見と同じくらいの子どもだった。

 ちょっとだけ、迷った。

 でも、気が付いた時には、足が吸い寄せられていた。

 最初は、後ろから少し覗いていくつもりだった。だが、オセロで遊んでいた子どもたちは、すぐにムムに気がついた。

 

「なに? 混ぜてほしいの?」

「うん。よかったら、わたしにも……やらせてほしい」

 

 一緒にやりたい、遊びたい、と。

 たったそれだけのことを言うだけのに、すごく緊張して。

 だが、振り向いた男の子は、ムムのそんな心配を蹴飛ばすように、にかっと笑った。

 

「おう! いいぜ! この勝負が終わったらな!」

「ねえねえ! オセロのルール知ってる?」

 

 食いついてきた子どもたちに、ムムは表情を緩めた。

 

「……もちろん、わかる。わたしは、そのゲームを三十年前からやってる」

「うそつけ! お前、オレより身長低いだろ!」

「ほんと。勝って、証明する」

 

 百年。二百年。三百年。

 ルールが変わることもあった。流行り廃りもあった。いつの間にか、消えていったゲームもあった。

 けれど、どんなに時が流れようとも。

 おもしろい遊戯は、常に人々の傍らにあって、人と人をたしかに繋いでいた。

 

 

 ◆

 

 

 一瞬のことだった。

 サジタリウスが二枚のカードを伏せた瞬間に、師匠は動いた。

 目にも止まらぬ早さでカードが捲られ、表になる。

 一枚は、スペードのK。

 そして、もう一枚もダイヤのKだった。

 

「え……?」

 

 思わず、間抜けな声が、漏れる。

 だって、そんなことは有り得ない。

 師匠は初手で、()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

「ちょ……師匠それ、ルール違反じゃ……」

「なんで?」

「いや、なんでって……」

「わたしは、()()()()()()()()()()、とは聞いてない」

 

 子どもっぽいかわいらしい声の、力強い宣言。

 それを聞いて、サジタリウスの整った横顔が、たしかに歪んだ。

 

「二枚とも、きんぐ。()()()()()()()()()()()()()()()だから、二枚ともわたしが貰う」

 

 淡々と。

 師匠は二枚のカードを自分の手元に引き寄せる。

 普通にターンを進行していたら、あり得ない。二点分のアドバンテージ。

 そう。師匠に言われて、ようやく気がついた。

 あの悪魔は最初のルール説明の時に『伏せられたカードの中で、最も数字が高いと思ったカードを選択し、表に開く』としか説明していない。場に伏せられたカードが同じ数字なら、それが最も数字の高いカード。師匠の例えに沿って言うなら、両手に石を握り込んで「どっちに入ってる?」と、問いかけるようなひっかけ問題だった。

 

「……ククク。最初にからかってやるつもりが、すべて見抜かれていたとはな。いつから気づいていた?」

「先に五枚のカードを獲得した方の勝ち。このルールなら、先攻が絶対に有利。でも、お前はコイントスもじゃんけんもせずに、わたしに先攻を譲ってくれた」

 

 それはつまり、サジタリウスにとって、先攻を譲るメリットがあったということだ。

 例えば、初心者が陥りがちなルールの穴を利用して、出花を挫いたり、とか。

 

「お前は、ルールで嘘は吐いていないと、思った。ゲームが好きだからこそ、ゲームには誠実であるタイプ。でも、だからといって正直者でもない。だから、ルールの範囲内で、嵌めてくると思った」

「見抜いていて、わざとオレの誘いにのった、と?」

「うん。その方が、おもしろいと思った」 

 

 サジタリウスの視線が、変わる。

 瞳の中に、明確な興味の色が浮かぶ。

 

「ククク……フフフ……だとしても、だ。なぜ初手から二枚、オレが同じ数字を伏せると思った?」

 

 小さな手を広げて、師匠は悪魔を指さした。

 

 

 

「顔に書いてあった」

 

 

 

「……あ?」

 

 とても、簡単な答えだった。

 魔法を使ったわけではない。

 言葉を交わして、駆け引きを仕掛けたわけでもない。

 ただ、悪魔の表情を一瞥しただけ。

 

「わたしは、千年生きてる。相手の考えてることなんて、表情を見れば、すべてわかる」

 

 たったそれだけで、必要十分。自分にとっては、伏せられたカードを見抜くのに多すぎるほどの情報だと。

 師匠は淡々と、そう告げていた。

 これまで、一切の余裕を崩してこなかった悪魔が絶句したのは、おれの目にも明らかだった。

 盤上の遊戯に絶対の自信を持ち、己の舞台としてきた最上級悪魔にとって、その言葉がどれほどの屈辱であるかなんて……二人の駆け引きがわからないおれには、もう欠片も想像できない。

 

「……これは、困った。どうやらオレはもう、笑っている場合ではないらしい」

「そう? ゲームは、楽しむもの。もっと、肩の力を抜いたほうが良い」

 

 覚悟を決めた悪魔に対して、師匠はやはり淡々と言う。

 拳を構えるように、気楽に。

 拳を構える時よりも、少しだけ純粋に……楽しそうに。

 

「さあ、もっと遊ぼう」

 

 黄金の武闘家の指先は、盤上においても、その一手を間違えない。

 勘違いされがちだが、おれの師匠はただ厳しいだけの人ではない。

 その可愛らしい見た目通り……とてもよく遊ぶ人である。




今回のとうじょうじんぶつ

勇者くん
観客席の解説役。パンツ一丁。
修行時代は寝る前に師匠とゲームをしてボコボコにされるのがお約束だった。オセロはとりあえず角を取れば強いと思っているタイプ。

師匠
見た目は子ども!頭脳は千歳!その名は、グラップラームム!
自分は表情筋が死んでるくせに相手の考えてることは頬の動き一つで見抜いてくる最悪なタイプ。伊達に長生きしてない。
近接格闘、特に対人戦においても、表情や身体の僅かな所作から攻撃の組み立てを予測するムムの『読み』は、彼女の強さを支える大きな基盤になっている。
余談だが、死霊術師さんは師匠とインディアンポーカーを行い、表情を全て読まれて全敗してからインディアンポーカーをやらなくなった。本人曰く「クソゲーですわーっ!」とのこと。実際クソゲーである。

サジタリウス・ツヴォルフ
ピンチのヒモ。


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勇者の恐るべき地下強制労働

今回は勇者くん視点がメインです


 地下に落とされた。

 この説明だけだと前後の文脈が意味不明になるので少し補足をしておくと、師匠がサジタリウスにいい感じに一矢報いてくれたので、ちょっと調子に乗って「どうだ見たか顔だけ悪魔! ウチの師匠は強くてかわいくてすごいだろ! 顔だけのお前とは違うんだよばーか!」といった感じで元気いっぱいに声を張り上げて応援していたら「ククク……黙れ」の一声で床が真っ二つに開き、入っていた牢の檻ごと穴に吸い込まれてしまった。口は災いの元とはこのことである。

 驚くべきことに、地下にはサジタリウスにギャンブルで敗れた人がおれの他にも多くいて、強制労働に従事させられていた。

 

「おい! ハンラ! 新入りはこっちだ! 急げ!」

「すいません変なあだ名付けるのやめてもらっていいですか?」

 

 パンツ一丁の半裸で地下に落とされたせいで、同じ境遇の囚人たちからも、妙な呼び方をされる羽目になってしまった。まったく勘弁してほしい。

 

「よぉ、新入り。お前、勇者さまに顔似てんなぁ」

「まあ、勇者なんで」

「がっはは! おもしれえ冗談を言うやつだ! 気に入ったぜ! なんて呼べばいい?」

「もうハンラでいいよ」

 

 慣れてしまったのであまり気にしなくなったが、こういう時は本当に自分の名前が恋しくなってくる。まさかおれに呪いをかけた魔王も、カジノで闇のゲームに負けて身ぐるみを剥がされ、地下に落とされてあだ名がハンラになるとは想像もしていなかっただろう。助けてくれ。

 しかし、結果的にボコボコに負けてしまったとはいえ、災い転じてなんとやら、だ。こうしてカジノの深い部分に潜り込めたのは好都合ではある。複数人で棒を持って回転させる……何のためにあるのかよくわからない装置を動かす労働に素直に従事するふりをしつつ、おれは聞き込みをはじめた。

 

「あんたたちもサジタリウスに負けて地下に落とされてきたのか?」

「ああ。オレらも元はちったぁ名の知れた博打打ちだったんだがなぁ……あの伊達男に負けてこの様よ」

「そりゃ、ついてなかったな」

「いやあ、オレらはまだマシな方だぜ。生きてるからな」

 

 どういう意味だろう、と首を傾げると、おれの後ろで棒を押している男が答えてくれた。

 

「ハンラも上から落ちてきたなら、よくわかってんだろう? この裏カジノじゃ、人の命なんざチップにすらならねえ。負けたら死ぬなんて日常茶飯事だ。オレらみたいなクズも、それを承知でゲームに参加してる」

 

 まあ、ついさっきまで死んでも死なない人がめちゃくちゃゲーム荒らしてたと思うけど……。

 

「だが、サジタリウスの野郎は()()()()()()()()()()()()()()()()()。魔法で縛って、こうして地下で飼い殺しにしちまうのさ」

 

 言われてみれば、たしかに。

 限定的に効果を再現している、とはいってもアリエスの『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』は本当に恐ろしい魔法だ。極端な話、ゲームに負けた瞬間に『呼吸を禁止』されてしまえば、ここにいるおれたちは全員死んでいるわけで。

 サジタリウスがそれをしないのは、単純に労働力が欲しいだけなのか、なにか別の目的があるのか。あるいは、あいつのギャンブラーとしてのポリシーの問題なのか。

 まあ、それについてはあとで本人にでも聞いてみればいいだろう。今は、ここから脱出するのが先決だ。殺されなかっただけマシとはいっても、いつまでも地下で労働してるわけにはいかない。

 

「ここから出たい。何か手はないか?」

「ははっ! オレたちはあの魔法で、暴力を禁止されてる。黒服たちに抵抗すらできないんだぜ?」

「悪いけど、おれは我慢弱いんだ。一ヶ月も地下労働には付き合えない」

「つくづく威勢の良いの新人だぜ。気に入った。オレからリーダーに話を通してやるよ」

「リーダー?」

「おう。一週間前にここにやってきて、その圧倒的なカリスマでここのトップに登り詰めちまった……とにかく、すげえ人だ。オメーも、失礼のないようにな」

 

 労働の合間の休憩時間。

 

「リーダー! 新入りを挨拶に連れて来させました!」

 

 案内された先に待っていたのは、肩に掛けたタオルで汗を拭う、サジタリウスとはまた違うタイプの、キラキラとした金髪のイケメンだった。

 

「え」

「…………()()?」

 

 おれをそんなふざけた通称で呼ぶイケメンは、この世に一人しか存在しない。

 

「親友! 我が親友じゃないか! パンツ一丁で、どうしてこんなところに!?」

「何やってんだお前」

 

 失礼のないように、と言われたばかりではあったが。

 この前の合コンぶりに出会った悪友の顔面を、おれは蹴り飛ばした。

 

 

 ◇

 

 

 同時刻。

 リリンベラの入口で、カジノの入場を担当する受付嬢は、顔を引き攣らせていた。

 

「お、お客様……」

「はい」

「私の勘違いでしたら、誠に恐縮なのですが……シャナ・グランプレ様では?」

「はい。そうです」

 

 王国最高の魔導師。世界最高の賢者の名前を出すと、黒いパーティードレスの少女は、あまりにもあっさりとそれが自分であることを肯定した。

 この世のものとは思えない、天然の宝石を思わせる深い翠色の瞳。陶磁器のような白い肌と、輝く銀髪が、黒のドレスと素晴らしいコントラストを生んでいる。

 

「すごいすごい。さすが、世界を救った賢者さまは有名人だねえ」

 

 と、その後ろから賢者の護衛らしき女性が気安く肩を組んだ。

 黒のパンツスーツに、同じく黒のネクタイ。黒髪のショートボブに、黒のサングラスまでかけた、如何にもボディガードといった黒ずくめの出で立ち。スーツは、オーダーメイドなのだろうか。素人目にも、服の上から見て引き締まったしなやかな筋肉と身体のラインが見て取れる。

 そんな彼女に絡まれた賢者は、とても鬱陶しそうに息を吐いた。こんなに整った顔立ちの少女でも、ここまで表情が歪むことがあるのだな、と。新たな発見をした気持ちになる。

 

「離してください鬱陶しい。大体、どうして私だけドレスなんですか」

「だってほら、この中で一番ちっちゃいの、シャナちゃんだし。全員が黒スーツだと異様な集団になっちゃうじゃん?」

「好きじゃないんですよ。耳を出した格好で出歩くの」

「ええー。せっかくこんなにかわいいのに。ねえ? 受付のおねーさんもそう思いますよね?」

「え!? ええ、あ、はい! 本当によくお似合いだと思います!」

 

 まさか話を振られるとは思わなかったので、受付嬢は慌てて答えた。そして、絶句する。

 こちらの顔にも、見覚えがあったからだ。

 

「い、イト・ユリシーズ団長……? 第三騎士団の……?」

「おやおや。うれしいなぁ。シャナちゃんだけじゃなく、ワタシの名前までこんなきれいなおねーさんに知ってもらえてるなんて」

 

 黒髪のショートボブの合間から、ピアスが揺れる。ずらしたサングラスの先に見え隠れする瞳の色は左右非対称で、そのアンバランスさがひどく蠱惑的だった。

 

「おねーさん。ごめんだけど、ワタシたちのことは内緒でお願いしますね? ちょーっと、野暮用のお忍びで来てますので……」

 

 こんな美人がスーツ姿の男装で、人差し指を添えてウィンクをしてくるのは、反則以外の何ものでもない。

 受付嬢は、顔を赤らめたまま、こくこくと頷いた。

 

「ちょっと先輩。なに口説いてるんですか」

「口説いてないよー。かわいい受付のおねーさんに少しお願いしてただけだって」

「だめですよ。おねえさんが困ってるでしょう」

 

 するりと、後ろから金髪のポニーテールが顔を出して、あのイト・ユリシーズの頭を気安く叩く。騎士団長の頭を気軽に叩くなんて、と受付嬢は一瞬焦ったが、その三人目の登場はこれまでよりもさらに強烈だった。次こそは驚くまい、と構えていた心が崩れて、目が点になる。

 

「すいません。うちの先輩が、面倒な絡み方をしちゃって」

「あ、アリア・リナージュ・アイアラス姫殿下……?」

「あちゃあ……やっぱりマスクしててもバレるものはバレちゃいますね」

 

 と、黒のマスクを下げた下から、控えめに白い歯が覗く。世界を救った騎士とは思えない、可愛らしい笑顔だった。

 アリアは、イトと同様に黒のスーツ姿だったが、こちらは中にベストを着込んでおり、上着の前はラフに開いている。隣国の姫君がこんな格好で目の前に立っていること事態が信じられなかったが、しかし伸びた背筋と纏う雰囲気が、硬い服装と自然にマッチしていた。

 

「あの、すいません。ちょっと、お聞きしてもいいですか?」

「は、はい! 私なんかでお答えできることであれば!」

 

 最後にひょっこりと出てきたのは、見るも鮮やかな赤髪の少女だった。二つ結びにした赤色の髪が、よく目立つ。

 こちらの少女はサングラスやマスクといった顔を隠すものを見に付けておらず、その顔に見覚えもない。しかし、王室付の賢者と女性唯一の騎士団長と隣国の姫君と一緒にいるのだから、彼女も特別な人間であるに違いない。受付嬢は居住まいを正して、赤髪の少女に向き直った。

 

「では……」

 

 ごくり、と。

 唾を飲み込んで、その問いを待つ。

 

 

「この街のおいしいものを教えてください!」

 

 

 最後の一人だけ、ただの観光客みたいだった。

 

 ──勇者・死霊術師討伐パーティー、リリンベラに到着。




こんかいのとうじょうじんぶつ

・ゆうしゃくん
ハンラ

・親友
レオ・リーオナイン。カジノに潜入調査していたが、サジタリウスに負けて地下強制労働のリーダーに登り詰めた。どんな場所でも気高く自分らしく咲くことのできる強靭で図太い雑草のような精神の持ち主。

・賢者ちゃん
シャナ・グランプレ。イベント限定衣装黒のパーティードレス装備で参戦。前回は髪の毛をきっちりまとめていたが今回は下ろしている。実はみんなとお揃いの黒スーツもちょっと着てみたかったらしい。

・先輩さん
イト・ユリシーズ。イベント限定衣装黒スーツネクタイサングラス装備で参戦。ちなみにピアスは髪を短くしてから空けた。オシャレのために色々持っているがその内勇者くんに選んでもらおうと画策している。

・騎士ちゃん
アリア・リナージュ・アイアラス。イベント限定衣装黒スーツネクタイベスト黒マスク装備で参戦。服を調達する際にイトに「胸またデカくなった?」と聞かれたので頭を叩いた。アリアはよくイトの頭を叩く。

・赤髪ちゃん
受付のおねーさんは気づいていないが、元魔王。ぶっちぎりでヤバい。気づいてないけど。
カジノでお金増やしたら美味しいもの食べ放題なのでは?と恐るべき計画を画策している。


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赤髪ちゃんと四天王

 王都第五騎士団団長、レオ・リーオナインは、世界を救った勇者に踏まれていた。

 具体的には、蹴り倒された上で、頭の後ろをぐりぐりされていた。

 

「なんでここにいるのか説明しろ。バカ」

 

 とても不機嫌そうな表情で、勇者はレオを見下ろして問いかける。それはある意味、苛立ちと驚きを隠す必要がない、親友への気安さの証明でもあった。

 

「はっはっは! もちろん説明しよう、親友!」

 

 対して、レオは踏まれていても上機嫌であった。むしろ、踏まれて喜んでいるまである。

 賢者に踏まれて喜んでいたどこぞのメガネの第四騎士団長といい、もしかして騎士団長って全員マゾなのかな……と。勇者はすごくどうでもいいことを思った。

 

「実はボクたちも前々からこのカジノはキナ臭いと思っていてね! 最上級悪魔がオーナーとして関わっているという情報があったんだ。最上級の相手ともなれば、さすがにそんじょそこらの騎士には務まらない! そこで騎士団長であるこのボクがカジノに先んじて潜入し、情報の真偽を探ることになったのさ。的確な調査で悪魔の居所を突き止めたボクは、最上級悪魔の一体を発見! 誇りを賭けたゲームに挑み、あと一歩のところで敗れてしまったというわけだね!」

「なるほど。だめじゃねえか」

 

 滑らかで淀みない説明だった。

 ものすごく爽やかな表情で己の敗北を自己申告するレオに、勇者はこれ以上なく呆れた目を向けた。

 

「おっと、そんな目でボクを見ないでくれ親友」

「うるせえよ。おれは時々、こんなアホが親友でいいのか疑問に思うことがあるわ」

「何を言うんだ親友! ボクたちは、サジタリウスによって人に暴力を振るえない呪いを浴びている! しかし、キミは今、こうしてボクを足蹴にしている! つまりこれは、ボクたちの親愛の証明に他ならない!」

「やかましいわ」

 

 本当にああ言えばこう言う男である。

 

「大体、それを言うならキミだってサジタリウスにボコボコにされたんじゃないのかい? 服も脱げているし!」

「……」

「はっはっは。無言のままぐりぐりしないでくれ親友。パンツは守り切っただけえらいと思うよ? ああ、やめてくれ。首がもげそうだ……!」

 

 地面に這いつくばったまま、あくまでもポジティブに、レオは反論する。

 こいつと口喧嘩してもおれが大体負けるんだよなぁ……と。勇者は少しげんなりとした。世界を救った勇者を口先だけで萎れさせることができるのが、レオ・リーオナインである。

 

「とはいえ、キミが来てくれて助かったよ。見ての通り、ここからどう脱出するか考えあぐねていたんだ。ボク一人では、どうにも手が足りなくてね。世界を救った勇者殿が助力してくれるなら、これほどありがたいことはない!」

「……たしかにサジタリウスは違う意味で強かったけど、お前がそこまで言うほどか?」

 

 思わず聞き返した勇者に、今度はレオの表情が怪訝なものに変わる。

 

「おいおい、親友。ボクの実力を高くかってくれるのは嬉しいけどね。いくらボクでも、最上級二体の相手は骨が折れるよ」

「……()()?」

 

 

 ◇

 

 

 勇者が地下に落ちて強制労働とアホな親友への対応に追われている頃。

 

「おお……勇者が、落ちた」

「フフ……弟子が心配か?」

「心配? べつに、心配はしてない。わたしも、ばぁん、って落ちてみたい」

「ククク……おもしれー幼女」

 

 サジタリウスとムムは、ゲームを続行していた。

 すでにムムの手元にはカードが四枚。対して、サジタリウスの手元には三枚。二枚の同時先取をやってのけたムムに、サジタリウスはどう足掻いても追いつけない。

 そして、リードをキープしたまま、次はムムのターンである。

 

「イケメン」

「フフ……如何にも、オレはイケメンだが」

「一つ、質問。イケメンは、どうしてゲームが好きなの?」

「ククク……え、オレの呼び方それでいくのか?」

 

 ムムの雑な命名に少し冷や汗を浮かべつつも「まあ、いいか」とイケメンらしい広い心で己を納得させたサジタリウスは、場に防御側のカードを二枚、セットした。

 

「ゲームは素晴らしい。人間が生み出した最も価値のある遊戯の一つだ。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も種族も、すべてを忘れて興じることができる。この言葉はそのまま、オレの友人の受け売りだが……しかし、オレもそう思う」

「ふむ」

 

 短く頷いて、ムムは言った。

 

「その人は、人間?」

「……ああ。人間だ。アルカウス・グランツ。オレの唯一の、人間の友だ」

 

 ムムは、そのファミリーネームが死霊術師を追い落とした自称敏腕秘書……ルナローゼと同じものであることを知らない。

 もしも仮に。勇者がこの場にいたとしても、名前を聞くことすらできない勇者が、サジタリウスとルナローゼの繋がりを推し量ることはできない。

 故に、何も知らないムムは、素直に己の感じたままを口にした。

 

「良い出会いが、あったと見える」

「ありがとう。友への賛美は、オレ自身への賞賛よりもうれしい」

 

 サジタリウスも、素直にその言葉を受け止める。

 互いに負けられない勝負をしているはずなのに、ムムとサジタリウスの間には、奇妙な繋がりのようなものが芽生え始めていて。

 あるいはそれこそが、サジタリウスの語る「ゲームの素晴らしさ」なのかもしれない、とムムは思った。

 

「サジタリウス様」

「なんだ。今、良いところだ。邪魔はしてくれるなよ」

「いえ、それが……ルナローゼ様が、リリンベラに入られた、と。報告が」

「……なん、だと?」

 

 魔導陣の結界の外。そこに控えていた黒服からの報告に、サジタリウスの表情は劇的に変化した。

 具体的には、冷や汗をだらだらと流して追い詰められている様子に。

 

「ば、馬鹿な……なぜ、オレがここにいることがバレた?」

「その……非常に申し上げにくいのですが、これだけ足繁く通われていたら、居場所を突き止められるのは簡単かと」

「ククク……まずいな。ルナのヤツめ。お説教しに来たに違いない。このままでは、お金を返せと言われて小言の二時間フルコースだ。これは本当にまずい」

「サジタリウス様……非常に申し上げにくいのですが、サジタリウス様はカジノで稼いだご自分の資産がありますし、わざわざルナローゼ様から金を借りる必要はないのでは?」

「フフ……馬鹿か貴様は。女から借りた金でするギャンブルでしか、得られない栄養素があるだろう」

 

 やっぱりこいつ顔が良いだけのただのクズかもしれないな、とムムは良い方向に傾きかけていた最上級悪魔への認識を改め直した。

 

「ククク……すまないな、幼女よ。少し、勝負を急ぐ必要が出てきた」

「構わない。どうせ、わたしが勝つ」

「その意気は良し。だが、そう簡単にはいかない。このターンの防御は成功する。なぜなら、貴様はこれから()()()()()()2()()()()()()()()()()()()からだ」

「そういうブラフは、わたしには効かない」

 

 ムムは淡々と、指先をカードに伸ばす。

 サジタリウスの表情を、ムムは完璧に読み切っている。読み逃すことはない。

 

「言葉は、人の心を射抜く矢のようなもの。盤上で、心理戦を仕掛けてくる、その意気は買う。でも、わたしはそんなものに、惑わされない」

 

 そうして、迷わずに右のカードを開いたムムは、そのまま動きを止めた。

 自身の魔法を使ったわけではない。

 ただ、純粋な驚きから、動きを止めた。

 開かれたカードは『ハートの2』。

 それは悪魔の言葉通りだった。

 

「ククク……貴様の言うとおりだ、幼女よ」

 

 完璧に読み切っていたはずの表情。

 整った顔立ちに笑みを浮かべたまま、サジタリウスは語る。

 

「言葉とは、人の心を穿つ矢。そして、心の想像に形を与える呪いでもある。だが、オレの言葉は人の心だけでなく、万物すべてを射貫く、形のない魔法の矢だ」

 

 読んだ、読めなかった。

 そういう、駆け引きの話ではない。

 

 

 

「物に憑き、心を突く。オレの『妄言多射(レヴリウス)』は、オレが発言した起こり得る事象を全て()()する」

 

 

 

 

 魔法という奇跡は常に、そんな人間の小細工や積み重ねを、いとも簡単に超えていく。

 目を細めて、ムムは問う。

 

「一つ、聞いていい?」

「なんなりと」

「そんな魔法を持っているなら、なぜ最初から使わなかった?」

「どうした、幼女よ。聡明な貴様が、随分とくだらない質問をするな」

 

 悪魔は、好戦的な笑顔で言い切る。

 

「賭け事でこんな魔法を使ってしまったら、すぐに勝負がついてしまうからに決まっているだろう。運は、天に託し、己の手で引き寄せてこそおもしろい」

 

 だが、と悪魔は言葉を繋いで、

 

「オレは、負けるわけにはいかない。オレの契約者を守るためにも、オレはゲームだけは、負けるわけにはいかないのだ。そういう約束を、()()()()()()()()()()と交わしているからな」

「……オーナー? オーナーは、イケメンじゃないの?」

「……そうか。まだ言っていなかったな」

 

 ようやく思い至った、といった様子で。

 サジタリウスは、ムムに言った。

 

「このカジノに、オレは一人のギャンブラーとして遊びに来ているだけだ。オーナーをやっているヤツは、別にいる」

 

 

 ◇

 

 

 わたしの名前は、赤髪です。今日は、人生ではじめてカジノに遊びに来ました。

 勇者さんと死霊術師さんの殲滅を目的に急遽結成された討伐パーティーですが、いきなりほいほいと手掛かりが見付かるはずもなく。

 

「きました! またきましたよおねえさん!」

「アカちゃんいいよ! 来てるよ! のってるよ! ツイてるよ!」

 

 そんなわけで、とりあえずスロットゲームで荒稼ぎをしています。

 

「見てくださいお姉さん! 回せば回すほどメダルが増えます!」

「アカちゃん最高だよ! ヤバいよ! アツいよ! フィーバーだよ!」

 

 どうやら、わたしにはスロットの才能? のようなものがあったようです。

 数字の七。ラッキーセブンがまたもや揃って、きらびやかに発光。筐体から大量のメダルが吐き出されました。

 

「うわあ……赤髪ちゃんすっごい」

「よくもまあ、こんなに当てられますね」

 

 わたしの手元に大量に吐き出されるメダルを、騎士さんと賢者さんはなんとも言えない表情で眺めています。

 カジノに入って早々「わたしも遊んでみたいです!」と主張したところ、賢者さんからお小遣い程度のメダルをもらってはじめてみたのですが……これがビギナーズラックというやつなのでしょうか。大当たりが止まりません。すでに一人では持ちきれないほどの量に、メダルの山が膨れ上がっています。

 もしかして、これがわたしの天職……? 

 これだけ稼げるのなら、これだけで食べていくことも可能なのでは……? 

 

「これで食べて行こうとか考えないでくださいね」

「はっ、はい! もちろんです!」

 

 危ないところでした。賢者さんは時々わたしの内心を見透かしたことを言ってくるので油断なりません。

 

「いや、でも今日のアカちゃんは最高にノッてるよ。ちょっとこれ、いけるところまでいってみようか」

 

 いつもと同じくクールな賢者さんとは違って、わたしの肩を揺さぶってくるお姉さんの目は、お金に眩んでいるように見えます。かけているサングラスは飾りなのでしょうか? 

 

「先輩? 当初の目的忘れちゃダメですよ?」

「で、でもアリア」

「ダメです」

 

 おねえさんの肩を、今度は騎士さんががっしりと掴みました。

 最近、この二人の力関係がなんとなく掴めてきた気がします。基本的に騎士さんが上で、お姉さんが尻に敷かれています。年齢的には逆だと思うのですが、妙な納得がありました。

 

「賢者さん! このメダルでいくらくらいになりますか!?」

「さあ? でもまぁ、あなたが食べたいものは大体食べられるくらいは稼いだんじゃないですか?」

「やったー!」

 

 食べ放題というやつですね。最高です。

 

「私から言わせてもらえば、わざわざ出目を揃えてメダルを増やす意味がわかりませんけどね。そんなことしなくても増やせますし」

 

 と、手元でくるくると弄んでいた賢者さんのメダルが、魔法によって、一瞬で二枚に増えます。端的に言って、ズルです。

 

「シャナ! お金関連のものは増やしちゃダメでしょ!」

「はいはい。わかってますよ。冗談です」

「あ、あのシャナちゃん、じゃなくて賢者さま。ちょっとお話が……」

「先輩?」

「痛い痛い! ごめんごめんジョークだってジョーク! でもせっかくカジノに来たんだしちょっと稼ぎたくなるじゃん!」

「赤髪ちゃん。あたしたち、このメダル換金してくるね」

「はい! お願いします!」

「アリア痛い! 耳引っ張らないで、耳!」

「では、私も少し離れて情報収集してきます。はじめて遊びに来た場所とはいえ、あんまり羽目を外し過ぎないでくださいね?」

 

 みなさんがいなくなって、わたしはまた一人でスロットを回し始めました。

 なんといえばいいのでしょうか。周囲は相変わらず賭け事の音や人々の歓声で騒がしいのに、なんだか少し静かになってしまった気がします。

 

「おねーさん、一人? よかったら、ボクと遊ばない?」

 

 後ろから掛けられたのは、軽薄でやわらかい声。

 もしや、これが噂に聞く『ナンパ』というやつなのでしょうか? 

 少し警戒しながら振り返ってみると、そこに立っていたのは若い男性……ではなく。小さな女の子でした。

 

「えっと……」

「わあ、すごいアタリだね」

 

 フリルがいっぱいの、ワンピースドレス。騎士さんと比べると、少し落ち着いた色合いの金髪。二房に分けられたそれらを、純白と紅色の二色のリボンがゆったりと束ねています。

 女の子はするりとわたしとスロットの間に潜り込んで、わたしの膝の上に乗りました。

 

「ちょ、ちょっと……?」

「ふふっ……やっぱり落ち着くなぁ。あ、スロットは続けていいからね? せっかく遊びに来たんだから、たくさん稼がないと!」  

「はぁ……?」

 

 どこかのお金持ちの家のお子さんなのでしょうか? 

 言われるがままにスロットを続けていると、また数字が揃って、メダルが出てきました。

 

「あはは! すごいすごい! ほんと、相変わらず運が良いね! 昔と変わらないなぁ」

「……昔?」

 

 その一言に。

 ぞわり、と。

 心臓が跳ねた気がして。

 

「ふふっ……あ〜、落ち着く。昔は、ここがボクの定位置だったんだよ? 覚えてる?」

 

 女の子の小さな頭が、わたしの胸の間に埋もれました。

 

「心臓が、鳴ってるね」

 

 噛み締めるような、呟きでした。

 

「心臓が鳴っているってことは……生きてるってことだね。嬉しいよ。ジェミニに出し抜かれた時は、本当に腹が立ったけど……でも、こうして生きてまた会えたから、ボクはうれしい。とってもうれしい。うれしい。うれしい!」

「…………あなたは、誰ですか?」

 

 甘えるように。

 わたしに小さな体の、すべての重さを預けたまま、女の子は聞き返してきました。

 

「本当に、忘れちゃったの?」

 

 純朴で、純真で、純粋な。

 信頼と敬愛が込められた、温もりのある声音。

 

「ボクにこの名前をくれたのは、魔王様なのに」

 

 

 ◇

 

 

 レオ・リーオナインは、勇者に告げる。

 

「資金の調達、という意味では、これほどお誂え向きな場所もない。ヤツは、キミが魔王を倒したあとも、淡々と牙を研ぎ続けてきた」

 

 サジタリウス・ツヴォルフは、武闘家に告げる。

 

「魔王を倒し、世界を救ったあと。勇者パーティーの中で、経済的に最も成功を収めたのは、リリアミラ・ギルデンスターンだ。ヤツは、同じ四天王として裏切り者が許せないのだろう」

 

 整った顔を、歪めながら、

 

「「このカジノの主は、かつての魔王軍四天王第一位……トリンキュロ・リムリリィだ」」

 

 彼らはその名を吐き捨てる。

 

 

 ◇

 

 

 四天王第一位。トリンキュロ・リムリリィは静かな歓喜に打ち震えていた。

 目が焼けるような赤色の髪に、幼さの残るやわらかい赤色の瞳。起伏に富みつつも丸みを帯びた、肉付きの良い身体。

 見た目も、印象も、何もかもが、かつて仕えた自分の主とは違う。

 

「ひさしぶり。でも、はじめまして。ボクの魔王様」

 

 それでもなお、この少女は魔王であると。

 トリンキュロの心のすべてが、体の内から沸き上がる歓喜を高らかに肯定していた。

 

「わ、わたしは……魔王じゃ、ありません」

 

 少女の口から紡がれたのは、否定の言葉だった。

 赤色の瞳の目尻には、うっすらと涙が浮かび始めている。

 

「大丈夫」

 

 もしかしたら、こわがらせてしまったかもしれない。それは、トリンキュロの本意ではない。

 自分よりも大きな少女の体に、己の小さな体を絡みつかせながら、トリンキュロは少女の体温を余さず味わうために、強く強く抱き締めた。

 

「ひっ……」

「安心して」

 

 昔とは違う、抱き締めた時の感触。

 でも、大丈夫だ。

 人間の本質は、肉体ではない。内に秘めた、心にある。

 だから、何の問題もない。

 

「キミはボクのことを忘れているみたいだけれど、ボクはキミのことをよく覚えている。だからまずは、お互いのことを思い出すことからはじめよう」

 

 手のひらを赤い髪に絡める。

 

「ところでこれは、本当に純粋な興味から出るくだらない質問なんだけど……勇者と、接吻はした?」

「な、なんでそんなこと!?」

 

 一瞬で朱色に染まる頬。強張る身体。嫌悪を滲ませた、反駁の声。それらすべてが、狂おしいほどに愛おしい。

 

「ああ、よかったぁ……」

 

 トリンキュロは、嬉しかった。

 人の本質は、心だ。

 肉体なんて、どうでもいい。

 けれども、それはそれとして。

 自分よりも先に、この新しい魔王の身体を、勇者に汚されるのは我慢ならない。

 なので、先に自分が汚しておこう。

 会って早々。無理矢理に、というのは趣味ではないけれど。

 まあ、仕方ない。

 

「やっ……いや!」

 

 泣き顔も、意外と唆る。

 新しい発見ができて、トリンキュロはとても嬉しくなった。

 

 

「それじゃあ、いただきます」

 

 

 初恋の人に、はじめてを捧げるように。

 静かに目を閉じたトリンキュロは、唇の触れ合う感触を、全身全霊で味わおうとして、

 

 

「離れろ。ウジ虫」

 

 

 そうして次の瞬間には、トリンキュロ・リムリリィの細い首筋は、振るわれた大剣によって一撃で切断されていた。

 ずるん、と。生首が、宙を舞う。次いで、頭部を失って力が抜けた体が、大剣の背で吹き飛ばされる。

 トドメとばかりに、追撃の魔術が生首と泣き別れした胴体に降り注ぎ、スロットコーナーの一角を火の海に変えた。

 

「き、騎士さん……! 賢者さん!」

「赤髪ちゃん! しっかり!」

「……最悪ですね、まったく。この世で最も会いたくない存在と、こんなところで再会することになるなんて」

 

 世界を救った騎士と賢者は、唇を奪われかけた少女を守るように。大剣と杖、各々の武器を構えた。

 助けに入るのが間に合った。

 不意打ちも、成功した。

 しかし、そんな事実は、あのバケモノの前には、欠片ほどの意味もない。

 

「ひどいなぁ。首が取れちゃったじゃないか」

 

 吹き飛ばされた先。

 落とされた首を自分できちんと拾い上げて、トリンキュロ・リムリリィは起き上がる。

 首を落としたから死ぬ?

 あり得ない。そんな常識で、あのバケモノの身体は動いていない。

 魔術を叩き込めば死ぬ?

 笑えもしない。百の神秘を揃えたところで、あの魔を祓うことは不可能に近い。

 

「騎士さん、賢者さん……アレは、誰ですか?」

 

 震える声で、魔王だった少女は問う。

 シャナ・グランプレは、かつての宿敵を見据えたまま、その問いに答えた。

 

「……アレは、魔王軍四天王、第一位。トリンキュロ・リムリリィ。魔王の下で、魔王を上回る暴虐を尽くした、最上級悪魔の一柱です」

「なるべく、後ろに下がっててね。赤髪ちゃん。情けないことを言うけど、ちゃんと守ってあげられる自信がないんだ」

 

 アリア・リナージュ・アイアラスは、静かに一つの事実を告げる。

 

「あたしとシャナは……アレに、殺されたことがあるから」

 

 世界を救った勇者のパーティーは、常に勝ち続けてきたわけではない。その道程は、むしろ敗北に塗れている。

 四天王第四位、アリエス・フィアーには情報の駆け引きで常に欺かれ続け、遂に直接の勝利を収めることはできなかった。

 四天王第三位、ゼアート・グリンクレイヴには軍団としても個人としても、戦略と能力の双方で上を行かれた。敗北の結果、勇者は腕を奪われ、再起までに決して少なくない時間を要した。

 四天王第二位、リリアミラ・ギルデンスターンを殺すことは結局のところ一度たりとも叶わず、仲間として引き入れることで一応の解決を得た。

 そして、四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィは……最も多く、世界を救ったパーティーを殺害した、最悪の宿敵である。

 

「ボクと魔王様の、感動の再会とファーストキスの邪魔をするなよ」

 

 最強の四天王。

 世界を救った、最高の賢者と騎士。

 魔王の没後、約二年。歓楽と遊戯の街、リリンベラにて。

 世界を救う戦いの、延長戦が始まろうとしていた。




こんかいのとうじょうまほう

妄言多射(レヴリウス)
サジタリウスの魔法。自分自身が発言した事柄を『実現』させる。ある種の事象操作に近い性質を持つ。アリエスの『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』と同様に、口述による宣言を発動のトリガーとすることから、特性がやや似通っている。サジタリウスがアリエスからスムーズに魔法を借り受け、運用することができたのも、これらの要因が大きい。
賭け事においては、最強に近い魔法。ポーカーで山からカードを引く際「オレの手札にはロイヤルストレートフラッシュが揃う」と言えばそれだけで役が成立し、ババ抜きで「オレはジョーカーを引かない」と宣言すれば絶対に引かなくなる。勇者からメダルを借りてスロットを回した時、一発で当たりを引くことができたのも、この魔法のおかげ。
ただし、サジタリウスはこの魔法を普段は使用したがらない。また、魔法の効果には何らかの制約があるらしく、本人の魔法への評価が低いのにも関係しているらしい。

麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)
トリンキュロ・リムリリィの魔法。首がもげてもそのまま喋ることができるのも、この魔法による効果の一部。


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勇者の華麗なる大脱走

 アリア・リナージュ・アイアラスは、明朗快活に見えて、意外ときらいなものが多い。

 トラウマになってるスライムとか。

 泡の抜けたぬるいビールとか。

 父親とか。

 他の女の子を目で追う彼の横顔とか。

 彼を呪いから守り切れなかった自分自身とか。

 彼に呪いを遺していった魔王とか。

 

 トリンキュロ・リムリリィとか。

 

 アリアの『嫌い』という感情の多くには理由があるが、トリンキュロに対するそれは、明確な理由のない……ある種の生理的嫌悪に近かった。

 もっとも、自分を殺したことがある相手を好きになれ、と言う方が、そもそも無理な話とも言える。

 

「ひさしぶりだねえ、アイアラス。元気だった?」

 

 形の良い小さな唇が、滑らかに再会を喜ぶ言葉を口にする。

 にこり、と。

 人によっては見惚れてしまいそうな笑顔で、アリアは即答した。

 

「口を開くな。気持ち悪い」

 

 耳が腐りそうだ。吐き出す息すら、嫌悪の対象である。

 

「ひっどいなぁ。感動の再会に似つかわしくない暴言だよ」

「あなたと会えてうれしい人間なんて、この世にいる?」

 

 本当は、言葉すら交わしたくなかったが、しかし時間稼ぎは必要だ。

 世界を救った姫騎士は、敵を前にした時、どのように相手を倒すかを最速最短で組み立てる。

 この場合の『倒す』という言葉の意味は、殺さずに制圧するか、殺し切るかの二択に分かれる。

 今回は、言うまでもなく後者だ。

 

「シャナ、防護結界張って。あと、カジノの人の避難誘導。赤髪ちゃんのカバー」

「もう全部やってます」

 

 小声での簡潔な指示に、背後の賢者は即答。万全のバックアップを確認して、迷うことなくアリアは踏み込んだ。

 黒いスーツの、上着が揺れる。

 トリンキュロ・リムリリィを相手に、迷ってはならない。守勢には回ってはならない。殺すつもりで攻撃を加え続けなければ、四天王の第一位は殺せない。

 かつてトリンキュロに殺された経験のあるアリアは、それをよく知っている。

 殺意と敵意をふんだんに載せた、大上段の振り下ろし。

 受ければ首どころか、体そのものが真っ二つに割かれるであろう、驚異の斬撃。

 

「『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』──」

 

 しかし、目の前に濃厚な死が迫っても、トリンキュロ・リムリリィは動かなかった。

 直立不動。自分の首を繋ぎ直そうともせず、プレゼントのように抱きかかえたまま。ただ当たり前のようにその場に佇んで、迫る大剣を見上げる悪魔の少女は魔法の言葉を紡ぐ。

 

「──アニマ・イミテーション──『奸錬邪智(イビルマル)』」

 

 油断ではない。慢心でもない。

 それは、実力に基づいた、余裕と観察だ。

 

 ぐにゃり。

 

 トリンキュロの体を切り裂こうとした大剣は、その小柄な体躯に触れた瞬間、まるでおもちゃのように折れ曲がって、ゴムのようにたわんだ。

 物理法則を無視した干渉。

 異常極まる手応えに、アリアは忌々しげに吐き捨てる。

 

「触れたものを、やわらかくする……()()の魔法」

「なつかしいでしょ? これで勇者くんの『百錬清鋼(スティクラーロ)』をふにゃふにゃにしてぶん殴るの、楽しかったなあ」

 

 アリアは、もうトリンキュロの問いかけに応えない。そんなものに応じている暇があるのなら、次の一手を即座に打つ。

 口を開く代わりに、アリアはトリンキュロの肩を掴みとった。

 接触に、成功する。

 

「お?」

「溶けて燃えろ」

 

 触れた瞬間に、アリアの『紅氷求火(エリュテイア)』が牙を剥く。

 一瞬で限界まで引き上げられた体温。普通なら有り得ない温度上昇によって全身の血液が沸騰し、トリンキュロ・リムリリィの肉体が燃え上がる。

 魔法使い同士の戦闘。特に色魔法を保有している者同士の戦いは、触れられた時点で勝敗が決してしまうことも多い。それは、アリアの『紅氷求火(エリュテイア)』も例外ではない。普通の相手であれば、触れるだけで勝利が確定する。

 

「ああっ! ボクの体がっ!?」

 

 そう。普通の相手であれば。

 

「……ちっ」

 

 堪らず、口から舌打ちが漏れ出る。

 全身が燃え上がって炎に包まれた程度では、殺せない。トリンキュロ・リムリリィは、健在だった。

 いや、果たしてその有様を、健在であると言っていいのだろうか。

 アリアの『紅氷求火(エリュテイア)』の魔法効果が、全身に回るよりも早く。自分自身の生首を空中に放り投げる、という常人ではあり得ない方法で、トリンキュロは難を逃れていた。

 仮に、自分の首から下が着脱可能であったとして。

 首をお手玉のように放り投げなければ、避けられない攻撃を受けたとして。

 実際に、自分の頭をお手玉のように放り投げることができるだろうか? 

 普通は、できない。

 しかし、それを平然と行なってしまうのが、トリンキュロ・リムリリィの異常な精神性だった。

 見上げた視線が、ぴたりと噛み合う。空中で、生首が嗤う。文字通りに、アリアを見下す形で、首だけになったトリンキュロが再び言葉を紡ぐ。

 

「じゃ、反撃するね。『不脅和音(ゼルザルド)』」

 

 それは、トリンキュロ・リムリリィの()()()()だ。

 聞き覚えのあるその名に、アリアは防御の構えを取った。

 しかし、遅い。

 構えるよりも早く、まるで見えない腕に張り手を受けたような衝撃を浴びて、姫騎士の体は吹き飛んだ。

 

「アリアさん!?」

「っ……大丈夫」

 

 血の混じった唾が、床に落ちる。

 空中で一回転。体勢をコントロールして、アリアは前を見る。

 思考を止めるな。集中を切らすな。視線を外すな。

 自分自身にそう言い聞かせながら、トリンキュロの姿を確認しようとして、

 

 

「──『因我応報(エゴグリディ)』」

 

 

 アリアは、理解できないそれを認識する。

 

 ──なぜだ? 

 

 首から下が失われたはずのトリンキュロの身体は、五体満足。全てが元通りになっていた。

 服も、髪も、全身を飾り立てる細やかな装飾品も、全てが。

 

「思考、止まってない?」

「っ!」

 

 小さな確認は、明らかな嘲りだった。

 可愛らしい靴に踏み込まれた足元の床が、不自然に沈み込んで、弾む。

 トリンキュロの体が、気味の悪い滑らかさを伴って、空中に跳ねる。

 足元の床をトランポリンのようにやわらかくすることで、フリルに彩られた体が宙を舞う。

 

「『我武修羅(アルマアスラ)』」

 

 加速、接近。

 少女の風情を残す、あどけなさ。小枝のような、細い手首。しなやかというにはあまりにも華奢な脚。

 そこから繰り出されるのは、強化の魔法による、埒外の怪力。

 半ば反射でアリアは全身に鎧を展開。それを身に纏うことで、トリンキュロの打撃を浴びて、受ける。

 姫騎士は、膝をつかなかった。大きく後退しながらも、その怪力の直撃を、耐える。

 

「お……! 魔法の接触発動の反応が早くなってるね。殴っただけで拳を焼かれるとは思わなかったよ。あれから鍛えたのかな? すごいすごい」

 

 焼け焦げた拳を、頷きながらしげしげと眺めて、トリンキュロは頷いた。

 

「でも、ボクの打撃をもろに受けちゃダメでしょ。ギルデンスターンもいないのに。死んじゃうよ?」

 

 どこまでも皮肉めいた、トリンキュロの物言い。

 それに答える代わりに、アリアは頭兜のフェイスプレートを跳ね上げた。

 

「ぐっ……ごほっ、うっ……ぅ」

 

 そうせざるを、得なかったからだ。

 蒼い瞳に、涙が滲む。堪えきれなかったそれを、吐き出す。

 血の混じった、唾とは違う。

 濁流のような赤い血の塊が、姫騎士の口から流れ落ちた。

 

「ふっ……ふぅ、はっ……」

「騎士さん!」

 

 自分を案じる声を、アリアは手を挙げるだけで制した。

 逆に言えば、声で応じる程度の余裕すら、もう残されていなかった。

 赤髪の少女は、瞠目する。

 アリア・リナージュ・アイアラスは、世界を救った姫騎士だ。

 あの時は隣に勇者がいたとはいえ、ジェミニとの近接戦闘でも、決して遅れを取らなかった。そんなアリアが、こんなにも簡単に弄ばれている。

 なにより、次から次へと異なる魔法を繰り出す、トリンキュロの戦法は、例えるなら。

 

「な、なんなんですか。あれじゃ、まるで……」

「ええ。あなたが考えている通りですよ」

 

 アリアを治癒の魔術で補助しながら、シャナは唇を噛む。

 

「トリンキュロ・リムリリィは、おそらく……この世で最も、()()()()()()()()()使()()です」

「はあ? やめてよ。あんなヤツと一緒にしないでほしいな」

 

 決して大きくはなかったシャナの声を聞き咎めて、トリンキュロはその発言を訂正する。

 

 

 

「ボクの魔法は『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』。心に触れた相手の魔法を『模倣』する」

 

 

 

 学ぶこと。習うこと。

 人の進歩は、自分より優れた誰かの、真似をすることからはじまる。

 模して倣う。

 殺して奪う勇者の魔法に比べれば、トリンキュロの『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』という魔法の性質は、あるいはいくらか、人道的であったのかもしれない。

 

「相手を殺さなきゃ奪えない、黒の魔法なんかよりも絶対に強いよ」

 

 しかし、それは過去形だ。

 トリンキュロ・リムリリィの心は、既に取り返しのつかないほどに繰り返した模倣によって、気ままに針を通したパッチワークのように編み上げられている。

 魔法とは、使い手の心を表すもの。

 その最上級悪魔は、己の魔法を誰よりも悪辣に用いて、誰よりも多くの魔法使いの心に触れることで、最後には誰よりも多くの魔法を我が物としてきた。

 そう。単純な魔法の総数だけで言えば。

 『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』によって模倣された魔の数は、世界を救った勇者の『黒己伏霊(ジン・メラン)』すら凌駕する。

 心に触れ、心を模倣し、心を愛する。

 それが、魔王軍四天王第一位。

 それが、トリンキュロ・リムリリィである。

 

「アニマ・イミテーション」

 

 トリンキュロの『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』に、限界は存在しない。

 組み合わせも、取捨選択も、全てが変幻自在である。

 

「『自分可手(アクロハンズ)』」

 

 トリンキュロが触れたスロットマシーンが一瞬で『形成』される。

 子どもが、砂場で団子を捏ねるような気安さで鉄の塊が、弾丸の形を取る。

 

「『我武修羅(アルマアスラ)』」

 

 形成された弾丸が『強化』される。

 刀鍛冶が己の自慢の腕で鍛え上げたように、歪な弾丸が黒鉄色に輝く。

 

「『蜂天画戟(アピスビーネ)』」

 

 形成され、強化された弾丸が『回転』を開始する。

 純粋な破壊力を突き詰めるため、目標を貫くために必要な運動エネルギーが弾丸に付与される。

 

「『猪突猛真(ファングヴァイン)』」

 

 形成され、強化され、回転する弾丸が『突貫』する。

 それは間違いなく、全身甲冑の姫騎士の体に、風穴を穿つだけの威力を持っていた。

 幾重にも重ねた魔法が、一発の砲弾となって、撃ち放たれる。

 

「……シャナぁ!」

「ちっ……わかっています」

 

 アリアの回復は、まだ完了していない。

 姫騎士は、腕の一本を犠牲にしてでもそれを迎え撃とうと、二振りの大剣を構えた。

 賢者は、己の何人かを犠牲にしてでもそれを止めようと、魔導陣を展開した。

 そして、

 

 

 

「おいおい。そりゃダメでしょ」

 

 

 割って入った一人の剣士が、それを斬るために己の剣を鞘から引き抜いた。

 トリンキュロ・リムリリィの攻撃は、その一つ一つが、絶望に等しい。

 しかし、そんな絶望を切り裂くために、蒼の斬撃は存在する。

 故に、身勝手な欲望に塗れたトリンキュロの一撃が『断絶』されるのは、必然だった。

 

「は?」

 

 戦闘を開始して、はじめて。

 トリンキュロ・リムリリィの表情が大きく歪む、予想外の乱入者が現れる。

 

「ねえねえ、アリア」

 

 遅れてやってきた脳天気な声が、いやに耳に響いて。

 どうせ、お手洗いに行っている間にこの人は道に迷っていたんだろうな、と。

 アリアは、口の中の血の味を噛み締めながら答えた。

 

「……なんですか、先輩」

「アレ斬ったらワタシも勇者になれる?」

「いや、勇者になれるかは知りませんけど……」

 

 どう答えたものか。

 ダメージを負いながらも、アリア・リナージュ・アイアラスの冷静な思考は、心強い援軍への最適解を導き出した。

 

「ああ、でも……アレを斬ったら、勇者くんがとっても褒めてくれると思いますよ」

「よし斬ろう」

 

 首元のネクタイを指先で緩めて。

 刀の峰を、肩に軽く載せて。

 王国最高の剣士は、サングラスを放り捨てた。

 左右で色の違う瞳が、四天王の第一位を見据える。

 恐怖はない。怯えもない。

 ただ純粋に、斬るべき獲物として、邪悪を見据える。

 

「こまったな。知らない顔だ」

 

 トリンキュロ・リムリリィは、問いかける。

 

「誰だよおまえ」

 

 イト・ユリシーズは、簡潔に答えた。

 

「元勇者」

 

 

 ◇

 

 

 ルナローゼ・グランツは、苛立っていた。

 

「サジに会えないとは、一体どういうことですか?」

「申し訳ありません。ルナローゼ様。サジタリウス様は、現在取り込み中でして」

 

 カジノにクズでヒモの彼氏を迎えに来たら、無駄な足止めを食っている。

 ルナローゼの現状を簡潔に説明するなら、そのような説明になってしまう。

 我ながら最悪だ、と。ルナローゼは重い息を吐いた。

 

「取り込み中? サジが、私よりも別のものを優先するなんてあり得ません。サジに、私よりも大事なものもありません。私が来いと言えば、アレはすぐに必ず駆けつけます。とにかく、今すぐに私のところに戻ってくるように来るように伝えなさい」

「は、はい。承知しました」

 

 ルナローゼの言葉と剣幕に、黒服はたじろいで頷く。

 その主張はあまりも身勝手で乱暴で、我儘を極めた姫君のようだったが、しかしルナローゼという理知的な女性がそれを真顔で言うものだから、奇妙な説得力があった。

 

「ところで、さっきから妙に騒がしいようですが、何かあったのですか?」

 

 問いかけに、黒服の肩がびくりと揺れる。

 妙だな、と。ルナローゼは廊下の奥を見た。

 警備を担当する黒服の数が妙に少ないだけでなく、普段はもっと賑わっているはずのカジノの客達も避難を促されるように誘導されている。サジがゲームをプレイをするのは、くだらないスロットの類いを除けば大抵はこのカジノの深い階層である。上層よりも隠し事が多いエリアとはいえ、張り詰めている空気の質が明らかにおかしい。

 

「じ、実は……地下のギャンブラーたちが、一斉に逃げ出したらしく……お恥ずかしい話なのですが、その対応に少々人員を割いておりまして。VIPのみなさまには、一時的に避難を願い出ているのです」

「……サジの魔法があるのに、ですか?」

 

 人の命を奪うのを嫌う彼が、オーナーの意向に反して自分が負かした人間の命だけは助けていることを、ルナローゼはよく知っている。

 

「はい。先頭を切る二人の勢いが止まらず……恐れ入りますが、ルナローゼ様も安全のためにここは一旦避難を」

 

 言葉は、最後まで続かなかった。

 

 

「いくぞお前らぁ! シャバは近いぞっ!」

 

 

 黒服達が二人がかりで開く巨大な扉を片足で蹴り倒して、それが現れたからだ。

 くすんだ赤い色の髪。強い意志の強さを感じさせる、前しか見ていない瞳。

 そして、鍛え上げられた肉体と、辛うじて大切な場所を覆い隠す、下履きが一つ。

 

「はーはっはっは! 最高だよ親友! まさかまた、キミとこうしてバカ騒ぎができるとは! 実に心踊る! いやあ、昔を思い出すなあ! そう……思い返せばあの時も、ボクとキミは服を着ていなかった! あれは、冬のダンジョンで雪だるまを作っていた時のこと!」

「やかましい! 走るか回想するかどっちかにしろ!」

 

 背後に続くギャンブラーたちの誰よりも速いにも関わらず、先頭を走る半裸の二人組には、軽口を叩きあうだけの余裕すら残されていて。

 ルナローゼにとって最悪なことに。

 響くその声は、聞き覚えしかない男のものだった。

 

「えっ?」

「あ」

 

 そして、ルナローゼにとって、さらに不幸なことに。

 半裸で廊下を疾走する彼は、ルナローゼの存在に気付いてしまった。

 目が合った。一瞬の間。何かを迷うように、泳ぐ瞳。

 そして、

 

 

「わっしょい!」

 

 

 ルナローゼの元に全速力で駆けつけた半裸の勇者は、細い身体を俵のように肩に担いで、速度を落とさずそのまま逃走を再開した。

 

「きゃあああああ!? な、な、なにをするんですか!?」

「いや、ちょうどいいところに担ぎやすい女の子がいたものだから……つい、ね。わっしょい!」

 

 わけのわからないことを言いながらも、駆ける速度は決して緩まない。

 むしろ、加速して背後の黒服たちを突き放していく。

 

「むっ! 親友!? この大脱走の最中にナンパとは、ますます伊達男に磨きがかかったようだね!」

「アホ抜かせ。ちょっとした顔見知りだ」

「はじめまして。理知的で美しいお嬢さん。ボクの名前は、レオ・リーオナイン。今、あなたをやさしく担いでいる彼の親友です」

「自己紹介はあとにしろ!」

 

 同じように隣を爆走する顔の良い男の口から、滑らかな自己紹介の言葉が紡がれる。

 頭がおかしくなりそうだとルナローゼは思った。

 それは王都を守護する第五騎士団長と同じ名前だったが、きっと何かの間違いに違いない。だって、こっちもパンツしか履いてないし。

 

「は、離しなさい! この変態!」

「おいおい、聞いたかよ、悪友。このお嬢さん、おれのことを変態って言ったぜ?」

「ど、どこからどう見ても変態でしょう!?」

「どう思う?」

「いいんじゃないかな? 大事なところは隠れてるし」

「だよな」

 

 ルナローゼは、絶句した。

 馬鹿と馬鹿が、並んで走ることは……こんなにも恐ろしいのか。

 

「な、なんなんですかあなたは!?」

 

 この男はいつも、ルナローゼの理解から外れた行動しかしない。

 仲間の首を躊躇いなく切って、持ち逃げし。

 半裸のパンツ一丁で、嬉々として逃げ回り。

 肩に女を抱えて、飄々と語る。

 

「え? なにって……勇者ですけど……」

 

 知らないの?と。

 いっそふてぶてしいほどの顔で、世界を救った勇者はそう答えて、笑った。

 

「ちょうどよかった、秘書子さん。あんたには、聞きたいことがたくさんあるんだ」

「まず服を着て止まりなさい!」

「え? お前、服ある?」

「ふっ……生憎、今は持ち合わせを切らしているよ」

「だそうです。ごめんね?」

「いやああああああああああああああああ!」




こんかいのとうじょうまほう

麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)
 トリンキュロ・リムリリィの色魔法。自分自身が触れた相手の魔法を『模倣』する。模倣の精度は、トリンキュロが相手と過ごした時間や親密度、相手の心の在り方や人柄への理解によって変動する。

「アニマ・イミテーション」
トリンキュロ・リムリリィが相手の心に触れることによって、模倣してきた魔法。

・『自分可手(アクロハンズ)』 
 自分自身と触れたものを『形成』する。武器の生成、破損した身体部位の補完の他、模倣した自身の心を適した形に安定させる……人格の形成にも用いられる。

・『我武修羅(アルマアスラ)
 自分自身と触れたものを『強化』する。身体能力の向上の以外にも、他の魔法と組み合わせての威力、効果の向上にも使用できる。トリンキュロの魔法すべてにバフが載るに等しい、厄介な魔法の一つ。

・『不脅和音(ゼルザルド)
 自分自身と触れたものに『衝撃』を与える。単純に肉体の中へ響く打撃としてはもちろん、身体的接触を狙ってくる相手を弾く用途でも多用される。攻防一体の魔法。

・『因我応報(エゴグリディ)
 詳細不明。以前は持っていなかった魔法。

・『奸錬邪智(イビルマル)
 自分自身と触れたものを『軟化』させる魔法。剣を柔らかくして斬撃を無効化、足場を柔らかくしてクッションのように跳ねるなど、応用性が高い。攻防に渡って、勇者パーティーを苦しめ続けた魔法の一つ。

・『猪突猛真(ファングヴァイン)
 自分自身と触れたものを定めた目標に向けて『突貫』させる。単純な縦軌道の運動を補助する魔法。勇者の『燕雁大飛(イロフリーゲン)』と比較すると、目標への追尾性能がないが、威力と速度ではこちらが勝っている。

・『蜂天画戟(アピスビーネ)
 自分自身と触れたものを『回転』させる。今回は形成した砲弾の威力向上という地味な活用をされたが、違う運用でも威力を発揮する。


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蒼穹は果てしなく

 うっひょお……本物の魔王軍四天王じゃん。斬りてぇ……!

 

 要約すると、イト・ユリシーズの心境は、そんな感じの高揚に満ち満ちていた。

 無論、先輩として、負傷した様子の後輩への心配はある。騎士として、カジノの中にいる一般客の安全も気掛かりだ。

 しかし、そうした理性的な部分を差し引いてなお、魔王軍四天王第一位という、はじめて相対する明確な格上の敵への期待が、なお勝る。

 ゆったりと歩を前に進めつつ、イトはシャナに問いかけた。

 

「シャナちゃん。一応確認しておきたいんだけれども、アレ、本当に本物?」

「アリアさんをここまでズタボロにする敵が魔王軍四天王以外にいると思うなら、べつにアレが本物かどうか疑ってもいいんじゃないんですかね?」

「なるほどなるほど」

 

 持って回った、皮肉めいた言い様に、イトは苦笑する。

 とはいえ、賢者の口ぶりが普段と変わらないということは、いつも通りの仕事ができるということだ。

 事実、シャナの華奢な指先はドレスの裾に隠れて、イトに向けたハンドサインを送っていた。

 

『一般人、避難完了。周囲に、結界を敷設中。アリアの回復、およそ三分』

 

 トリンキュロに気づかれることを、嫌ってだろう。

 わかりやすく、的確な報告である。騎士用のハンドサインを素知らぬ顔で使いこなすあたりに、シャナの勤勉さが感じ取れて、イトは内心でくすりと笑った。

 前に出たイトは、背後に回した指を三本、立てて横に振ることで、シャナに応えた。

 

『了解。三分、稼ぐ』

 

「あなたには特別な眼がありますし、理解しているとは思いますが、一応忠告しておきます。アレは、強いですよ」

「うんうん。ご忠告痛み入るよ」

 

 こちらの注意喚起は口頭だった。トリンキュロにも聞こえても構わないからだろうか。

 でも、と。

 否定の言葉を接続に用いて、今度は表情に出すことで、イトは不敵に笑ってみせる。

 

「ちょうどよかった。この前も魔王軍四天王の第二位斬れなかったから、欲求不満だったんだよね」

「もしかして死霊術師さんのこと言ってます?」

「もしかしなくても死霊術師さんのこと言ってますよ」

 

 賢者と赤髪の少女のやりとりは、さらりと流す。

 イトは剣を構えた。

 

「へいへい、シャナちゃん。アレの情報ちょーだい」

「大まかにはご存知かと思いますが、勇者さんと同じく多数の魔法を使います」

「ほうほう。多数の魔法、ね……」

「何か考えが?」

「もちろん、ある」

 

 自信に満ちた表情で、言い切る。

 イト・ユリシーズの聡明な頭脳は、既に勝利への最適解を導き出している。

 

「アレの手持ちの魔法、全部斬って、本人も斬る」

 

 いや、これだめかもしれねぇな。

 脳筋の極みのような結論を出しているイトの背中を見ながら、シャナは「勇者さんはいないし、賢い自分がしっかりしないと」と、アリアの回復を急ぎ始めた。

 しかし当然、敵である四天王の第一位が、目の前で回復に専念する敵を待ってやる道理はない。

 トリンキュロ・リムリリィが、動き出す。

 

「とりあえず、アイアラスの魔法を貰おうかなぁ」

 

 今日は、あのお菓子が欲しいな、と。

 子どもが母親に、そんなおねだりをするように。

 たん、たん、たん。

 バレリーナがリズムを刻むが如く、地面を蹴るトリンキュロの足音が、消える。

 

「跳ねろ──『奸錬邪智(イビルマル)』」

 

 カジノという戦場に則った例えをするならば、それはまるでピンボールだった。手を触れる度、あるいは踏み込む度に、柔らかく変化させた壁面、天井。接触した箇所が『奸錬邪智(イビルマル)』によって、トリンキュロにとって最適なジャンプ台に変化する。

 それらを踏み込んで、小さな悪魔がアリアとシャナに向けて躍りかかる。

 常人には決して見切れないであろう、異常極まる高速の機動。

 

「おいおい」

 

 しかし、それを遮ったのは、冷めた視線の一瞥だった。

 左右で色の違う瞳が、トリンキュロを見る。

 

 ──見切られている。

 

 トリンキュロがそう気づいた時には、既に躊躇なく剣が差し入れられていた。

 

「こっち見ろよ、ロリっ子」

 

 まずは、右腕一本。

 振り抜いた斬撃が、染み入るように肉を裂く。少女らしい細腕が、肘の先から切り離されて宙を舞う。

 否、その斬撃は水を斬るよりも、なお滑らかだ。はじめて身で浴びる蒼の魔法に、トリンキュロは素直な驚嘆を口にした。

 

「素晴らしいね」

「どうも」

「その魔法も、ほしいなあ」

「あげないよ」

 

 シンプルに拒絶して、イトは二の太刀を振るう。

 勇者と相対した時。あるいは、赤髪の少女とはじめて出会った……武器をうっかり落としてしまった時。そうしたイレギュラーな事態を除いて、イト・ユリシーズの戦いに手加減という概念は存在しない。

 一刀で斬れば、全て終わるからだ。

 完全な、空中。いくら身を捻ったところで、トリンキュロがその斬撃を回避することは敵わない。

 無論、普通であれば。

 

「回れ──『蜂天画戟(アピスビーネ)』」

 

 常識を嗤い、魔法による奇跡すらも愚弄する。

 トリンキュロ・リムリリィは、そういう類いの魔法使いである。

 小柄な体躯が、ぐるりと回転した。

 同時に、普通の人間の人体構造であれば、絶対にあり得ない方向に曲がりくねった体が、斬撃の軌跡から逃れて、避ける。

 目を細め、イトはその異常を端的に評した。

 

「なるほど。身体もやわらかくできる、と」

「いいでしょ?」

「いや、キモいよ」

 

 回転と軟化。

 トリンキュロは、二つの魔法を組み合わせることで、イトの斬撃を回避した。

 先に攻撃に用いられた『蜂天画戟(アピスビーネ)』という魔法の本質は、回転運動の付与による破壊力の増加ではなく、任意のタイミングで自身に回転という概念を付与することによる……運動エネルギーの利用にある。

 絶対に切断される斬撃が迫りくるなら、対処はシンプルな方が好ましい。

 つまり、受けるのではなく、回避に徹する。

 体に任意の回転運動を付与し、同時にあり得ない形に折り曲げることで、斬撃をぎりぎりで避ける。

 発想、応用。トリンキュロの魔法の運用は、どれを取っても既に熟達の域に達している。

 

「魔法ってのはさ……やっぱこうやって、頭を回して、やわらかい想像で使わないとね」

 

 回避の後には、当然反撃がある。

 ぴん、と。

 トリンキュロの指先が、イトに向けて突きつけられる。

 まるで、銃口を向けるように。

 それは、照準のための動作だった。

 

「喰い破れ──『猪突猛真(ファングヴァイン)』」

 

 瞬間、背後から弾丸の如く飛来したトリンキュロの右腕を、イトは振り向き様に両断した。

 

「あっぶな……!」

 

 魔法の効果対象は、原則として、触れたものと自分自身。

 なるほど、たしかに。切断されていたとしても、それが自分の一部であることに変わりはない。

 普通の人間の魔法使いにはできない。自分の肉体を、パーツの一部として使い潰すことを前提にした戦い方だ。

 

「おおっ! やるね、お姉さん! これに反応するなんて」

「どうもどうも」

 

 トリンキュロの賞賛を、涼しい顔で受け取りつつ。

 しかしイトは、内心で舌を巻いていた。

 

(やばいなぁ……これ)

 

 ほんの数十秒、立ち会っただけで理解する。

 魔法の数が多いだけでなく、その一つ一つの練度が高い。本来、一人に一つであるはずの魔法を、理解し、使いこなし、併用し、組み合わせて使用してくる恐怖。

 魔王も倒した勇者が、殺し損ねているのも頷ける。

 しかし、逆に言えば。

 複数の魔法を応用して使いこなす……その対応力に、付け入る隙がある。

 じゃあ、次だ、と。新しいおもちゃを見せびらかすように、次の魔法をトリンキュロが繰り出す前に。

 イトは手持ちの切り札の一枚を切った。

 距離は、詰めない。一度は、納刀した刃。それを再び引き抜く……居合いの形で、鋭い切っ先が空を切る。

 振るわれたのは、横薙ぎの一閃。

 

「はあ?」

 

 距離に縛られぬ、両断。

 トリンキュロの口から、困惑に満ちた声が漏れ出した。

 左腕と左足。肩口から太腿にかけて。トリンキュロの左半身が、ただの一撃で破断される。

 イト・ユリシーズの斬撃は、全てを斬り裂くだけに留まらない。

 蒼の斬撃は、触れることで発動するという魔法の原則を、いとも容易く塗り替える。

 剣という武器の、間合いという常識すらも切り拓く、必殺の斬撃が炸裂する。

 

「いや、ちょ……!? ずるくない!?」

 

 それは、イトの攻撃に対して距離を取って回避に徹する……というアプローチを取っていたトリンキュロの意表を突くには、十分過ぎる一手だった。

 

「悪いね。でもさ」

 

 肉体の半分を欠損し、体勢が崩れ、動揺を隠せない四天王に向けて、イトは剣を振り翳す。

 

「触れなきゃ斬れないなんて、そんな常識でワタシの斬撃を推し量るのは……頭が固すぎるでしょ」

 

 頭が固すぎる。

 見事な意趣返しに、トリンキュロは堪らず微笑んだ。

 たしかに、その通りだ。

 魔法は、常識で考えるべきではない。常識で捉えるべきではない。

 

「仕方ないなぁ」

 

 トリンキュロが愛する人の心は、もっと自由なものだ。

 

「『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』──」

 

 イトは切り札の一枚を切った。

 故に、トリンキュロもまた、次のカードに指を伸ばす。

 

 

「──()()()()()()()()()()

 

 

 単純な話である。

 トリンキュロ・リムリリィのアニマイミテーションには、もう一段、()がある。

 

 

「散れ──『青火燎原(ハモン・フフ)』」

 

 

 奇妙な手応えに、イトは息を呑む。

 今度は、頭を縦に、真っ二つにするはずだった。

 しかし、たしかに直撃したはずの斬撃は、何故かトリンキュロの()()()()()()()()()()()を刻んで、無効化された。

 魔法には、魔法を。

 色魔法には、色魔法を。

麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』の『模倣』は、ただの魔法のコピーのみに留まらない。

 魔法と、さらにその上にある……色魔法の模倣。

 トリンキュロ・リムリリィが『色喰い』の異名で恐れられてきた、最大の理由。

 

「っ……!?」

 

 驚愕が、入れ替わる。

 斬ったはずなのに、斬れなかった。

 それは『蒼牙之士 (ザン・アズル)』という魔法に目覚めてから、あらゆるものを断ち斬ってきたイトにとって、はじめてに近い経験だった。

 

「驚かないでよ」

 

 飄々と、声が響く。

 

「同じ色魔法だろ? なら、色魔法で防げない道理はない」

 

 驚愕が入れ替わったように。

 攻防も、また入れ替わる。

 

「呑み込め──『砂羅双樹(イン・ザッビア)』」

 

 咀嚼するような、歪な音だった。

 無造作に転がる椅子、破損して動かないスロットマシーン、赤いカーペットが敷かれた床。

 それら、身の回りにある全てを、呑み込むように噛み砕いて、細かく整形して、トリンキュロは切断された体の部位を補填する。

 

「その蒼の魔法。攻撃は大したものだね。でも、防御はどうかな?」

 

 補填するだけに、留まらず。

 連鎖するように繋がっていく腕は、太く長く、トリンキュロの小さな身の丈を遥かに超えて、まるで一匹の蛇のような、巨腕と化す。

 一振りすれば、イトだけでなく、その背後にいるシャナやアリアたちをまとめて吹き飛ばすであろう、巨人の腕。当然、その腕には、イトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』を無力化した、あの魔法も付与されているはずであって。

 

「……一つ聞いていい?」

「何かな?」

「色魔法、なんで最初から使わなかったの?」

「おもしろくないから」

 

 剣士の問いに、悪魔は即答する。

 トリンキュロ・リムリリィは戦いにおいて圧倒を好まない。

 相手の心を理解するために……心の色を見るためには、対話が必要だ。

 故に、トリンキュロ・リムリリィの戦いは、常に後の先をいく。

 心を見て、心を圧し折り、心を砕き、心を喰む。

 その先に垣間見える絶望に、真なる心の模倣があるからこそ。

 

「おかげで、キミの魔法が、見えてきたよ。目で捉えて、刀で触れて、魔法で斬る。そういう仕掛けだ」

 

 イト・ユリシーズは、理解する。

 数多の心を理解し、無数の魔法を使い潰す。

 キャンパスの上で、絵具をごちゃまぜにするような、理不尽な暴力の嵐。

 

「見えてきたから……ここからは、同じ色の魔法で、圧倒させてもらうね」

 

 トリンキュロ・リムリリィは、勇者と同じだ。

 この四天王の悪魔を斬るということは……かつて最強を誇った黒輝の勇者を、超えるということ。

 迫り来る、継ぎ接ぎの巨腕。

 斬撃の迎撃は、先程のように防がれる。

 応じる手が、ない。

 その直撃を、イトは受けるしかなかった。

 

 

 ◆

 

 

 イト・ユリシーズには、戦う理由がもうない。

 昔は、世界を救う勇者になりたかった。

 魔王を殺して、自分に名前と体を残してくれた、姉の仇を討つ。けれど、そんなどす黒い目標は、ただ純粋に「世界を救いたい」と語る後輩の言葉に、呑み込まれて消えてしまった。

 本当は、彼と一緒に戦いたかった。でも、彼が選んだのは自分ではなく、アリア・リナージュ・アイアラスというお姫様だった。

 

 アリアは、選ばれた。

 イトは、選ばれなかった。

 

 それが答えだ。

 彼という勇者が、世界を救うために必要としたのは、褪せた蒼色ではなく、鮮やかな紅色だった。

 その事実に、心を蝕まれなかったと言えば、嘘になる。

 

 ──わたしもすぐに偉くなって助けに行ってあげるから、待っててね

 ──はい、イト先輩

 

 取り繕って、そんなことを言ってみても。

 本当は、子どものように駄々を捏ねたかった。

 

 ──わたしも一緒に行く

 

 あるいは、本心のままに、叫びたかった。

 

 ──アリアじゃなくて、わたしを選んで

 

 なんて。そんなこと、言えるわけがないのに。

 世界を救う彼の旅路には、ついて行くことができなかったから。

 だからせめて、少しでも彼の強さに追いつけるように、強くなろうと思った。

 事実、彼は魔王を殺し、世界を救い、姉の仇を討ってくれた。

 そして、勇者になって帰ってきた後輩は、もうイトの名前を呼ぶことができなくなっていた。

 

 寂しい。

 

 そう口にすることすら、できなかった。

 選ばれなかった自分には……彼の側にいることすらできなかった自分には、そんな言葉を表に出す資格すらない。

 だからせめて、幸せにしてあげたいと思った。

 彼の目は、もう彼が大好きだった人たちの名を読むことができない。

 彼の耳は、もう彼が大好きだった人たちの名を聞くことができない。

 彼の口は、もう彼が大好きだった人たちの名を紡ぐことができない。

 勇者である彼が救った世界は、彼にとってなによりも残酷な世界に変わってしまった。

 それでも、少しでも、彼が毎日を生きることに、幸せを感じられるように。

 

 ──わたしが絶対、キミを幸せにしてあげる

 

 ふわふわと、うじうじと、ずるずると。彼との関係をはっきりさせない賢者や騎士や死霊術師と違って、イトはきちんと告白をしている。

 そう。告白をしているのだ。

 唇は、二回ほど奪ったし。

 ちゃんと、求婚もしたし。

 我ながら、かなりがんばってアプローチしていると思う。

 それなのに、あのアホ勇者ときたら「すいません。ここは、逃げます。この埋め合わせは、いつか必ず」などとほざきながら、死霊術師の生首を持って逃げ出す始末。

 なんだろう。

 段々、怒りが込み上げてきた。

 そもそも、きちんと態度をはっきりさせないから、あることないことをでっちあげられて、偽物の結婚報道をされるのだ。

 というか、こんなところで、こんな強いヤツと戦って、死にかけているのも、彼が女と駆け落ちしたせいだ。

 ありえない。こんなに良い女が求婚を迫ってるのに、のこのこと駆け落ちするなんて。

 すぐに返事がないのは、まだ良い。合コンで遊ぶのも、許そう。しかし、彼の隣に、自分の知らない彼の一面を知る女が、訳知り顔で立っているのは、許せない。

 

 ──あなたの、蒼の魔法の一振りであっさり断たれるほど、わたくしの『紫魂落魄(エド・モラド)』は安くないのです

 

 ──おれが殺せなかったのに……先輩に殺せるわけがないでしょう? 

 

 腹が立つ、腹が立つ。

 思い出しただけで、腹が立つ。

 我ながら、可愛くない女だとは、思うけれど。

 思い返しただけで、果てしない嫉妬が、海の底から湧き出るように止まらない。

 イトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』はリリアミラの『紫魂落魄(エド・モラド)』を斬ることができなかった。

 それはまるで、自分の愛の色が、あの下品な紫に劣っていることを、突きつけられたようで。

 

 その明確な事実に、イトは思う。

 

 もう、負けたくない。

 もう、置いていかれたくない。

 

 目の前に迫る濃厚な死を感じながら、イトは考える。

 キスは、そこそこした。告白と求婚も済ませた。あとは何が必要だろう? 

 そういえば、色々と過程をふっ飛ばしたせいで、二人っきりのデートというものをやったことがない。

 カフェに行って、あーんをやりたいし、されたい。

 ソファに並んで腰掛けて、一日中だらだらしていたい。

 膝枕は、してあげてもいいけど、できればされたい。

 頭もそうだ。撫でてあげたいし、たくさん撫でてほしい。

 こちらが歳上だから、いっぱい甘えてくるのは良いけど、甘えさせてほしくもある。このあたりのバランスが難しいところだ。

 とても楽しい想像だった。

 

 考えて、考えて、考えて。

 イトは、思い至る。

 

 この敵を斬れなかったら、彼と結婚できない。

 

 それは、困る。すごく困る。

 だから、なんとしてでも、斬らなければならない。

 そして、この敵を斬るためには、同じ色魔法を断つ必要がある。

 

 もっと強く。

 もっと深く。

 もっと果てしない、その先へ。

 

 魔法は心。心は色。

 己にとって、最も明確で、最も欲する、切断のイメージを、イトは考える。

 そもそも『断絶』という自分の魔法は、あまりにも恋のイメージに向いていない。

 だって、色々と不吉だ。

 運命の赤い糸を断ってしまったら、洒落にならないし。

 夫婦の縁を絶ってしまったら、笑い話にならないし。

 でも、仕方ない。

 これが、これだけが、今の自分の色なのだから。

 迷いを切って、躊躇いを振り切って、その先に残った深い蒼が、イト・ユリシーズの愛の色。

 

 だから、想像する。

 

 もっと強く。

 もっと深く。

 告白と求婚の、その先へ。

 

 

 ◆

 

 

「そうか……ケーキ入刀だ」

 

 聞き間違えかと、トリンキュロ・リムリリィはそう思った。

 あるいは、目の前で剣を振るう女の頭が、おかしくなったのかと。そう考えた。

 しかし、それは現実だった。

 同化の特性を持つ『砂羅双樹(イン・ザッビア)』で無差別に取り込み、『自分可手(アクロハンズ)』で形成し、『我武修羅(アルマアスラ)』で強化し、『蜂天画戟(アピスビーネ)』で回転を上乗せした義手が、一撃で切断される。

 

「……ぇ?」

 

 斬られて、しまった。

 有り得ない。

 四つの魔法に加えて、トリンキュロはその歪な義手に、イトの魔法を攻略するための、もう一つの色魔法を加えていた。

 名は『青火燎原(ハモン・フフ)』。魔法効果は、触れたものの『拡散』である。

 トリンキュロは『蒼牙之士 (ザン・アズル)』の『断絶』という概念を、真正面から受けるのではなく。それを受け流せる『拡散』という概念によって、逸らすことで対処した。

 事実、つい先ほどまでは、それで対処できていた。

 今は違う。

 断ち切られた。トリンキュロの『青火燎原(ハモン・フフ)』は、イトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』によって、その魔法効果ごと、斬られてしまった。

 

「そんなに、驚かないでよ」

 

 淡々と、声が響く。

 

「同じ色魔法でしょ? なら、色魔法で斬れない道理はない」

 

 そんな理屈で納得できるわけがない。

 この一瞬で、明らかにイトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』は変化した。

 

「……何をしたのかな?」

「想像したんだよ。ワタシと勇者くんの結婚式を

 

 剣士は、悪魔に即答する。

 何を言ってるんだろう、とトリンキュロは思った。

 

「ケーキ入刀は、はじめての共同作業。だから、斬れないものはないと思った。だから、実際に斬れた」

 

 率直に、純粋に、意味がわからなかった。

 

「ありがとう。トリンキュロ・リムリリィ。ワタシは、まだまだ強くなれる。これから、式場を決めることにするよ」

 

 イカれている、とトリンキュロは思った。

 けれど、同時に、懐かしくも感じた。

 強い魔法使いというのは、得てしてこういうものだ。支離滅裂な思考、決して塗り潰せない我の強い色合い。

 果てしなく異常で、どこか狂っていて、常人には簡単に理解できない。

 それは紛れもなく、勇者に成り得る……英雄の資質。

 

「一つ、聞いてもいいかい?」

「何かな?」

「おまえさぁ……勇者のこと、好きだろ?」

 

 かつて、トリンキュロ・リムリリィが黒輝の勇者に感じたものに、限りなく近い心の色合いだった。

 

「うん。すごく大好き」

 

 今、断絶する蒼の魔法は、進化する。




こんかいのとうじょうじんぶつ

イト・ユリシーズ
脳内妄想結婚式覚醒先輩。死霊術師さんを斬った経験がここで活きてきた。フラグの回収に定評がある女。
根がのんびり屋のナマケモノなので、基本的には歩き回らずにお家でだらだらデートしていたいタイプ。この世界にネトフリとアマプラがあったら流行りモノを見ながらお家でポテチを摘んでいることは想像に難くない。その場合、多分隣で勇者くんは上裸で筋トレしてる。

トリンキュロ・リムリリィ
えぇ……なんか魔法が進化してる……
なにこれ知らん、こわ……

シャナ・グランプレ
結婚式!?

アリア・リナージュ・アイアラス
ごほっ……げほっ……結婚式!?

赤髪ちゃん
結婚式!?

こんかいのとうじょうまほう

蒼牙之士 (ザン・アズル)
必殺ケーキ入刀斬り!!
個人脳内妄想のみで繰り出される、石破天驚ラブラブ拳のようなもの。

『アニマイミテーション』
トリンキュロのコピー魔法。

自分可手(アクロハンズ)
形成する魔法。後述の砂色の魔法と合わせて、欠損した肉体の再生に主に使われる。

我武修羅(アルマアスラ)
強化する魔法。当然ながら色魔法との組み合わせも可能。単純に魔法の性能が一段上がるので、トリンキュロの魔法は元の使い手よりも強くなる事が多い。

奸錬邪智(イビルマル)
軟化する魔法。完全に余談だが、初期勇者くんに持たせるか迷っていた魔法の一つ。大まかに覚醒したどこぞの麦わらみたいな戦い方ができる。

猪突猛真(ファングヴァイン)
突進する魔法。腕の一部を切り離して「ロケットパーンチ!」が放てる。かっこいい。

・『蜂天画戟(アピスビーネ)
回転する魔法。自身の肉体に『回転』という運動エネルギーを加えることができるのが、最大のウリ。前転、バク転といったアクロバティックも『回転』の概念に加えられるので、近接戦におけるトリンキュロの身のこなしは、特に読みにくいものになっている。
もしかしたら色魔法にも届き得る可能性があった素質を秘めた魔法だったが、使い手が魔法に向き合って鍛え上げる前にトリンキュロに喰われてしまった。


『カラーイミテーション』
トリンキュロのコピー魔法の本領。

・『青火燎原(ハモン・フフ)
拡散する魔法。波紋の群青。イトの魔法と同系色の青色の魔法。触れたものを『拡散』させることにより、魔術などの遠距離攻撃を無力化する。トリンキュロが勇者に負けてから、新たに入手した魔法の一つ。

・『砂羅双樹(イン・ザッビア)
同化する魔法。飲み込む砂塵。砂色という地味な色合いだが、魔法効果の汎用性がかなり高く、トリンキュロも好んで愛用している。『自分可手(アクロハンズ)』と組み合わせて、瓦礫の残骸などを同化させて義手にしたり、ドラゴンなどのモンスターに同化して乗っ取って操るなど、運用は多岐に渡る。
かつては砂漠の国の王子が使用していた魔法。その国はモンスターの襲撃が多く、王子がこの魔法でモンスターと同化し、飼い慣らすことでなんとか被害を最小限に留めていた。しかし、生物との同化は普通の人間にとっては、リスキーな行為であり、善良な王子は次第に精神を病んでいく。
そんな時に、王子の前に現れたのが、リムリリィと名乗る流れ者の踊り子だった。身分の差も気にせず、自由気ままに振る舞う少女に、王子は自然と惹かれていく。
「君と一緒になれればいいのに」
その言葉を聞いた踊り子は、フェイスベールの下で薄く微笑んだ。
「貴方になら、食べられても構いませんよ」
王子は、少女に魔法をかけた。
そして、その夜。砂漠の国は一夜にして滅んだ。


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死霊術師さんと運び屋のおじいさん

ちょっと寒暖差にやられて死んでました。みなさんも勇者くんみたいに裸で寝たりしないように。ちゃんと服は着て寝てください


「なんか……すごい寒気がする

 

 具体的には、背後からめちゃくちゃ鋭利な刃物で刺されるような悪寒を感じる。

 もしかして騎士ちゃんとか賢者ちゃん来てる? いや、さすがにそれはないよな……ないと信じたい、うん。

 

「服を着ていないからでは?」

 

 体を震わせるおれに対して、秘書子さんは冷たく言い放った。

 肩に抱えられた状態で的確なツッコミをしてくるとは、なかなかやる。伊達に全身クソボケ人間である死霊術師さんの秘書を務めてきたわけではないようだ。ツッコミスキルが高い。

 

「大丈夫かい親友? 服はちゃんと着た方がいいよ」

「お前も半裸なんだよ。ていうかなんで上脱いでるの? いつ脱いだの?」

「キミが裸だったからに決まっているだろう! ペアルックというやつだね!」

「お前腐っても作家だろ。ペアルックの意味辞書で引いてこいよ」

 

 野郎二人がパンツ一丁で並んで走るのをペアルックと表現し始めたらこの世の終わりだと思う。

 

「あとおれはパンツ履いてるから。裸じゃないから。そこんところよろしく」

「似たようなものだと思いますよ」

 

 さっきから肩に抱えている秘書子さんのチクチク言葉が痛い。

 上は服を着ていないので言葉の針がおれの繊細なハートにとてもよく刺さる。ちくしょう。

 じっとりした目でこちらを見る秘書子さんは、これ見よがしに溜息を吐いた。

 

「まったく……私はサジを迎えに来ただけなのに、どうしてこんなことに……」

「サジ?」

「あ」

 

 しまった、みたいな顔で自分の口を塞ぐ秘書子さん。だが、もう遅い。おれが名前を聞くことができた、という時点で、それが人間の名前ではないことの証明になってしまっている。

 わりと軽率に口を滑らせているあたり、どうやらこの秘書子さん、ツッコミ属性だけでなくドジっ子属性も持ち合わせているらしい。

 

 しかし勇者よ、安心しろ。オレの好みはメガネが似合う理知的で賢そうで少し性格がキツそうなお姉さんタイプだ。

 

「……あぁ」

「なんですかそのめちゃくちゃ納得がいった、みたいな顔は」

「秘書子さんやっぱりメガネかけた方がいいと思いますよ」

「だからなんなんですか!?」

 

 まあ、サジタリウスとこの人が繋がっていた可能性は、もはやわかりきっていた事実である。今さら驚くことでもない。

 

「まあ、さっきも言いましたけど。どうしてこんなことをしたのか、観念して話してくれませんかね?」

「説明することなど、何もありませんよ。あの時、申し上げた通りです。私の目的は、最初から唯一つ。社長が積み上げてきた社会的地位を殺すことです」

「だからといっておれと死霊術師さんの熱愛報道とかする必要ありませんよね!?」

 

 死霊術師さんを社会的に殺す過程で、ついでみたいにおれを殺そうとするのは本当にやめてほしい。死んでしまう。

 しかし、おれの言葉に対して、秘書子さんはしれっと首を傾げて言った。

 

「え? でも、社長は勇者様のことが大好きでしょう?」

 

 クールビューティー極まる、面構えで。

 あまりにもあっけらかんとそんなことを言われてしまったので、今度はおれの方が押し黙ってしまう番だった。

 

「社長はこれまで自分の心血を注いで、会社を大きくしてきました。しかし、それと同じくらい……いえ間違いなくそれ以上に、社長の心の中には、勇者様。あなたがいます」

「なんでそんな風に言い切れるんですか?」

「言い切れますとも。勇者様が社長と一緒に世界を救ってきたように、私は一年以上、社長の一番近くで仕事をしてきましたから」

 

 またもや自信満々に言い切られてしまった。

 おれに抱えられながら、秘書子さんは「はぁ」とかなりデカい溜息を吐く。

 

「だから、社長が大人しく騎士団に捕まらなかった時点で、私は計画を切り替えたのです。社長から会社を奪うために、社長が会社よりも大好きな勇者様を利用する『ラブラブ駆け落ち大作戦』に……!」

 

 なんて? 

 

「大好きな勇者様との外堀りを埋めて差し上げれば、結婚という人生の墓場に社長を叩き込むことができる、と。そう思っていたのですが……」

「それ本気で言ってます?」

「はい? 私は常に本気です。計画において手を抜いたことはありません」

 

 やはりきりっとした顔で、秘書子さんは言い切った。

 なんだろう。おれはこの人のことを有能な策士だと思い込んでいたのだけれど、わりと真面目にアホをやるクソボケである疑惑が浮上してきた。こんなことある? 

 

「大人しく駆け落ちして社会的地位を失って二人仲良く幸せに生きてくださればそれでよかったのに……まったく、勇者さまは社長の何が不満だというのですか? 同性の私から見ても社長はかなり魅力的な女性ですよ? たしかに経済的な魅力は私が全て奪い去ってしまいましたが、元は貴族のご令嬢ということですし、家庭に入られてもとても良い奥さんになると思いますが?」

「まってまってまって」

 

 おれが質問する側だったはずなのに、完全におれが問い詰められる側に回ってしまっている。明らかにおかしい。おかしくない? 

 

「勇者様は胸が大きくて髪が長い女性が好みだと聞き及んでおります。ビジュアル的な面で言っても社長は完璧に条件を満たしていると考えます。一体、社長の何がご不満なのですか? さっさとくっついていただきたいのですが」

「いやいやいや、たしかに死霊術師さんは魅力的な女性だけれども! そういうことじゃなくて!」

「勇者様がそういう煮えきらない態度のままだから、社長は……」

「わっはっは! 抱えている女性に説教を食らうとは! おもしろすぎるね親友!」

「お前まじで黙ってろ」

 

 隣で爆笑してるイケメンのケツを蹴り飛ばしながら、おれは頭を抱えたくなった。秘書子さんの肩に抱えているので、今のおれは頭を抱えることすらできないのである。まったく困ったものだ。

 

「秘書さんの言いたいことは……まあ、わかりました。目的も、やりたいことも、わからなくはありません」

 

 ただし、それでも残る、疑問が一つ。

 

「こんな回りくどいことをしてまで……いや、こんな回りくどいことをしてでも、死霊術師さんから会社を奪おうとした理由はなんですか?」

「……以前、勇者様にはお話したと思いますが。私の祖父は運送会社を経営しておりました」

 

 祖父が亡くなって潰れてしまった会社の設備や人員を引き取り、立て直してくださったのが、社長なのです。同時に、社名を改めながらも、前社長の孫娘だった私のことを、秘書としてひろってくださいました。今はこうして、社長のお側で様々な経験を積ませていただいております

 

 たしかに。秘書子さんはそう言っていた。

 

「私は、社長が好きです」

 

 煮え切らないおれとは、正反対に。

 秘書子さんは真っ直ぐに、おれに向けてそう言った。

 

「恩があります。人柄を好いています。ですが、同時に……私は社長のことを、とても恨んでおります。ただ一点……社長が我が物顔で、今の会社を経営していること。それだけは、許せません」

 

 おれの肩を掴む手のひらが。

 ぎゅっと、その感情を顕にするように、引き絞られる。

 

「社長は、おじいさまを……私の祖父を、見殺しにしたからです」

 

 絞り出すような、その声に。

 ようやく少しだけ、彼女の本音が覗けた気がした。

 

 

 ◆

 

 

 それはまだ、勇者が魔王を倒す前のこと。

 彼がまだ、仲間たちの名前をはっきりと呼べた頃。

 

「ミラさんって世界救ったあと何するの?」

「え? 死にます」

 

 もう少し付け加えるなら、彼が、自分のことを愛称で呼んでくれるようになった頃の話である。

 

「そうだけどそうじゃない!」

 

 リリアミラの即答に、勇者は目を剥いて反論した。

 

「え? でも、魔王様を倒したら、勇者さまはわたくしを真っ先に殺してくださるのでしょう?」

「ああ、いや、うん、まあ……それは、そうなんだけど。でもほら、なんていうか。多分、おれはミラさんのことをすぐには殺せないと思うんだよね」

 

 ぽりぽりと、頬をかく横顔が、苦笑いを浮かべる。

 

「ていうか、魔王を殺す算段がついても、ミラさんを殺せるイメージが湧かないっていうか……」

「あらあらあら。それは困りましたわね」

 

 その日の夜は二人っきりで、周囲には誰もいなくて。

 なので、誰かにその行為を見られる心配はなかった。

 

「ミラさん」

「はい」

 

 彼に促されて、リリアミラは自発的に服を脱いだ。月明かりに照らされる生まれたままの姿のリリアミラを、彼はどこまでも冷めた目で一瞥して、息をするように引き抜いた剣で、その首を切断した。

 血が噴き出す。地面に鮮血が落ちる。

 そして、四秒。すぐに生き返ったリリアミラを見下ろす溜息は深い。

 人の成長は早いな、と。息を吹き返したリリアミラは思う。

 出会った頃は小生意気だった少年の顔は、いつの間にか男らしさを感じる青年のそれに変わっていた。

 

「……やっぱり、だめだなぁ」

「ええ。やっぱり、だめですわねぇ」

 

 そう言って、二人でくすくすと笑って。

 見上げる勇者の顔に、影が落ちる。

 

「……まだ、魔法が足りない」

「またそんなことを仰って」

 

 駄々を捏ねる子どもを、諭すように。リリアミラは、彼の頭をそっと撫でた。

 勇者が今、所持している魔法の数は()()

 きっと、まだ増えるだろう。これからも、彼は名前と魔法を奪い続けて、もっともっと、その黒の色を深くするはずだ。

 

「一体、どこまで強くなるおつもりですか?」

「どこまででも」

 

 リリアミラの肩に服を被せて、勇者は笑った。

 

「ミラさんを殺せるようになるまで」

 

 ぞくり、と。リリアミラは、体を這うようなその興奮を、彼に悟られないように、そっと押し留めた。

 勇者の目的は、魔王を倒すこと。

 魔王を殺して世界を救うために、彼はこんなにも強くなった。

 けれど、自分を殺すという目標は、魔王を殺し、世界を救ったその後、その先にある。

 それは捉え方を変えれば、魔王よりも自分の方が……彼に強く想われているようで。

 そんな些細なことが、リリアミラはとても嬉しかった。

 

「もしも、おれが世界を救えたらさ……」

「それ、俗に言う死亡フラグというやつでは?」

「べつに死亡フラグ立ててもいいでしょ。ミラさんがいれば死なないんだから」

「ふふっ。それはそうですわね」

 

 混ぜっ返したリリアミラの発言をきれいに返して、勇者は改めて言う。

 

「ミラさんが死ぬ前にやりたいことがあるなら。殺す前に、おれはそれに付き合うよ」

「わたくしに未練が残らないように、ですか?」

「そう。未練が残らないように。殺したあと、ミラさんに化けて出られても困るからね」

「あらあら、うふふ……」

 

 奇しくも、リリアミラ・ギルデンスターンに人生の転機が訪れたのは、そんなやりとりをした夜の、次の日だった。

 リリアミラが魔王軍を寝返ったあと。人類と魔族のパワーバランスは、一気に塗り替わった。蘇生の魔法による戦力の再補充はもはや見込めず、元々数で劣る魔王軍側は、当然の如く防衛線を後退させていった。特に、不死の軍団、という絶望が覆ったことによる人類側の士気の向上はかなり大きく、各地で攻勢に転じる義勇軍の存在が、散見されるようになる。

 

「西部の戦線に大きな被害が出ています。死者の数は、既に千を超えたとのことです。リリアミラ様! どうか……どうかあなたの魔法で、我々にお力添えを!」

 

 しかし、攻めに転じるということは、決して死者が減る、という意味ではない。過熱した戦場で、死者が増えるのはむしろ必然だった。

 仲間の命を救うために。きっと必死になって、ここまで馬で駆けてきたのだろう。ボロボロの使者の姿を見て、リリアミラは目を細めた。

 その想いには、応えたい。彼が救いたいと願う人々を、可能ならば救いたい。

 だが、リリアミラの魔法は万能ではあっても、完璧ではなかった。

 

「……シャナ様」

「だめです。リリアミラさん」

 

 ちらりと顔色を伺っただけだったが、リリアミラの隣に立って戦場を見渡す賢者は、ばっさりとその提案を切り捨てた。

 

「気持ちは理解できますが、ここからの西部の戦場までは馬を飛ばしても、片道で一日、往復二日は掛かります。前線に出ている勇者さんを呼び戻すことも難しいでしょう」

「以前お話していた、転送魔導陣というのは……?」

「まだ実用段階ではありませんし……そもそも、あちらの戦場に()()()()()がいません。無理ですよ」

「では、わたくしをシャナ様の魔法で増やせば……」

「人を増やすのは危険だからできないと、前にお話したはずです」

「……」

 

 どんなに腕が良い医者でも、一人では救える命の数に限界がある。

 そういう意味では、触れれば生き返らせることができるリリアミラの魔法に、救う命の上限はない。

 ただし、魔法を使えるリリアミラ・ギルデンスターンが一人しかいない以上、二つの戦場で同時に命を救うことはできなかった。

 

 

「一日で戻って来ればいいのか?」

 

 

 故に、その男の提案は、リリアミラやシャナの思考の、間を突くようなものだった。

 

「あなた、誰です?」

「運び屋だ。立ち聞きしたことは謝ろう。が、聞いておいて知らんぷりもできなかったもんでな。オレには、アンタらみたいな大それた魔法はねぇが、そういう話なら力になれるかもしれねえ」

「……どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味だよ、賢者サマ。オレの馬ならそこの死霊術師のねーちゃんを連れて、一日で戦場を往復できる」

 

 歳はもう、六十を超えているだろうか。無造作な口髭に、結わえた長髪も抜けた銀色に染まっている。

 が、その眼光は鋭く、紡ぐ言葉も力に満ちていた。

 

「必要な場所に、必要なもんを運ぶのが、運送屋の仕事だ」

 

 灰褐色の瞳が、リリアミラの方を向く。

 

「どうだいねーちゃん。アンタ、オレの荷になって運ばれる気はあるかい?」

 

 根拠はない。実績もない。できるかどうかもわからない。

 そんな時、人を信じるきっかけを生むのは、芯のある態度と、震えない声音だ。

 リリアミラは答えた。

 

「良いでしょう、運び屋のおじいさん。そこまで仰るのであれば、あなたに賭けてみます」

「おじいさんはやめてくれ。オレぁ、まだまだ元気に仕事してくつもりだからよ」

 

 差し出されたのは、皮膚の固い、皺が刻まれた手。

 

「アルカウス・グランツだ。よろしくなねーちゃん」

「リリアミラ・ギルデンスターンです。丁重に運べとは言いません。最速でお願いいたします」

「おう。任せな」

 

 日焼けした顔が、にっと若々しく笑う。

 

「死んでもアンタを送り届けてやるよ」




こんかいのとうじょうじんぶつ

・勇者くん
髪が長くておっぱいが大きい女が好きという秘密が発覚した。どうやら育て親がそんな感じのお姉さんだったらしい。

・秘書子さん
ルナローゼ・グランツ。理知的な眼鏡キャラで売っていたが、わりとクソボケ寄りの性格であることが発覚した。有能で仕事できるタイプのクソボケ。死霊術師さんとは似た者同士なのかもしれない。

・親友
レオ・リーオナイン。おもしれー男とおもしれー女が喋ってるのを見て「おもしれー」と喜んでいる。

・死霊術師さん
リリアミラ・ギルデンスターン。次回、運ばれます。

・賢者ちゃん
シャナ・グランプレ。この時期くらいになるとわりと死霊術師さんと打ち解けていた。まだ転送魔導陣とかは開発できてない。がんばれ。

・運び屋のおじいちゃん
アルカウス・グランツ。洋画でヒッチハイクを試みる主人公に「乗ってくかい?」ってやるタイプのイケオジ。死霊術師さんに見殺しにされたらしい。


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あるいは、世界を少しだけ変えた出会い

「さあ、いくぜ! ペガサス号!」

「羽もないのに名前が強気過ぎでは!?」

 

 結論から言えば、リリアミラはアルカウスによって布でぐるぐる巻きの簀巻きにされて、馬の背へ放り込まれた。座るための馬鞍どころか跨がるための場所すら用意されなかったので、本当にただの荷物扱いである。

 

「くっ、このわたくしに、こんな仕打ちを……!」

「わりぃな。まあ、文句はついてから言って……」

「正直興奮します」

「お前さんさては変態だな?」

 

 出発直後こそ、まだそんな軽口を叩き合う余裕があったが、しばらくすると口を開けば舌を噛みそうなほどに駆ける速度が上がった。

 アルカウス・グランツの馬の操り方は、素人のリリアミラの目から見ても、実に見事だった。

 パーティーには勇者も騎士もいるので、馬に乗ることそのものがめずらしいわけではない。基本的に後ろに乗せてもらうことが常であるシャナや、物理的に足が届かないムムはともかく、勇者とアリアは騎士学校に通っていたこともあって、人並み以上に馬を操ることができる。

 しかし、老人の手綱の握り方は、そもそもの年季が違った。己の手足のように操る、という使い古された表現がぴったり当てはまるほどに無駄がない。経験に裏打ちされ、長い時間をかけて磨き抜かれた技術。全速力に近いスピードが出ているはずなのに、決して力んでいるわけではなく、馬がのびのびと走っているのが伝わってくるようである。

 半日で間に合わせてみせる、と。そう大口を叩くアルカウスに対して、シャナは半信半疑の目を向けていたが、実際に彼の馬に乗ってみて、リリアミラは理解した。あれは本当に、ただ可能である事実を述べていただけだったのだ。

 結果として、日の入り前に出発したアルカウスとリリアミラは、日の出前に目的地に到着した。

 

「よぅし。着いた着いた。さぁ、待たせたなねーちゃん。降りてくれ」

「すごいですわね」

「ん?」

「正直、半日以上は絶対に掛かると思っておりました」

 

 リリアミラの素直な感想に、老人は片眉をあげた。

 

「そりゃ仕事だからな。できるって言ったことを嘘にはしねえよ。信用に関わる」

 

 それに、と。

 アルカウスはここまでがんばってくれた馬の首筋を撫でながら、言葉を付け加える。

 

「美女からの褒め言葉はありがたく頂戴するが、オレがすごいわけじゃねえ。ペガサス号が良い馬なだけだ」

「すいませんそのネーミングセンスだけどうにかなりませんか?」

 

 どんなに仕事ができてもすべてが完璧な人間はいないのだなぁ……とリリアミラは実感した。

 

「にしても、聞いていたよりもひでえな」

 

 そう呟いて、アルカウスは周囲を見回す。怪我人が運び込まれてくる拠点には医療魔導師達の怒号が飛び交っており、既に息絶えたものとして端に寄せられている死体も、かなりの数だった。

 

「今更聞くことじゃないけどよ。本当にこれ、お前さんの魔法でなんとかなるのか?」

「ええ、もちろん。なんとかいたします」

「ほお、言い切るねえ」

「無論です」

 

 自分を、ここまで運んでくれた。

 自分に、彼らを助けるチャンスをくれた運び屋に向けて、リリアミラは力強く宣言する。

 

「それが今のわたくしの仕事ですから」

 

 そこから先は、正しくリリアミラの魔法の独壇場であった。

 魔力という有限のリソースを用いる治癒魔術と異なり、心を元とする魔法は魔力切れを気にする必要はない。故に『紫魂落魄(エド・モラド)』という蘇生魔法には『四秒間触れなければならない』というような制限はあっても、限界は存在しない。

 触れた側から、死人が人間に戻る。

 土気色だった顔に、生気が戻っていく。淡々と、続々と息を吹き返していく人々。その非常識な光景に、一介の運び屋に過ぎない老人は、ただ感嘆するしかなかった。

 

「……オレぁ、結構長いこと生きてきたけどよ。人間って本当に生き返るんだな……はじめて知ったぜ」

「ふふ。わたくしの手にかかれば、こんなものです」

 

 引き攣った笑顔を浮かべるアルカウスに向けて、ほぼ全員の蘇生を終えたリリアミラは、得意気な表情で胸を張った。

 

「お前さん、本当にすげー魔法使いだったんだな」

「失礼ですわね。わたくしのことをなんだと思っていたんですか?」

「元魔王軍四天王のこわいねーちゃん」

「……まあ、その通りですが」

 

 少しだけ口ごもったリリアミラを横目で見ながら、アルカウスは指先を鳴らしてタバコに火を点けた。ふぅ、と吐き出した煙が、ゆったりと宙に舞う。

 

「あの……あまりゆっくりしている暇はないのでは?」

「まあ、落ち着けよ。お前さんの仕事が、オレの予想よりも早かったからな。あの賢者の嬢ちゃんに約束した時間には、十分に間に合う。ちょいと一服しても罰は当たらんだろ」

「ですが……」

「なにより、せっかくの美人の顔色が悪い。帰りの乗り心地も保証はできんからな。少しでもいいから休め」

 

 それは、無骨な気遣いだった。

 老いぼれの言葉は、素直に聞くもんだ、と。

 そこまで言われては、もう頷くしかない。リリアミラは、老人の隣に腰を落ち着けた。

 

「わたくしにも一本いただけますか?」

「なんだ。吸うのか?」

「はい。少し嗜む程度ですが」

「あんまり上等なタバコじゃねえから、お嬢さんの口には合わないかもしれんがね」

「構いませんわ。嗜好品の好き嫌いはしない主義なので」

「そりゃよかった」

 

 懐から差し出されたタバコを受け取る。先ほどと同じように指先が軽く鳴って、リリアミラが咥えたタバコに、小さな火が灯った。

 吐き出した紫煙が、二つ。重なって、見上げた空に溶けていく。

 親子よりも歳の離れた二人が、並んで一服をする。それは少し、不思議な時間だった。

 

「おじさまは、いつから運び屋のお仕事を?」

「かれこれ四十年くらいだな」

「まあ。だからあんなに、馬の扱いがお上手なのですね」

「こんなジジイをおだてても、何も出せねえぞ?」

「いえ、本当に感服いたしました。おじさまがわたくしを運んでくださらなかったら、この戦場のみなさんを助けることを、諦めるしかありませんでしたから」

 

 リリアミラの魔法は、どんな死体でも蘇生できる。逆に言えば、基本的には死体がなければ蘇生はできない。

 戦線が崩壊し、遺体が魔獣の餌にでもなってしまっていたら、こんなにも多くの命を救うことはできなかった。

 アルカウス・グランツという運び屋が偶然居合わせてくれなければ、リリアミラは自分の責任を果たすことができなかっただろう。

 

「生真面目だねえ、お前さん」

「……そうでしょうか?」

「そりゃあそうだろうよ。顔も人柄も知らん連中の命を助けるために、ろくな報酬も貰わず、必死こいて自分の魔法を使い潰す。そんな人間は、よほど馬鹿な博愛主義者か、罪の意識に押し潰されそうになってるヤツだけだ」

 

 食んだ煙が、苦く感じる。

 あの時、酒場で言われたことを思い出す。

 

 ──勇者と一緒に世界を救えば! てめえの罪を償えるとでも思ってんのか!?

 

 たった一言で。

 リリアミラの心の深い部分を突いてきたのは、老人の年の功というべきなのだろうか。

 

「……わたくしが、どれだけ多くの人の命を救ったところで。それだけで、今までやってきたことを、償えるとは思っていません」

 

 今日出会ったばかりの、他人。

 仕事を依頼しただけの、その場限りの付き合い。

 しかし、そんな薄い間柄だからこそ、言えることもある。

 煙と一緒に、抱えていたものを、リリアミラは吐き出した。

 

「そうさなぁ……人間、一度やったことはそう簡単になかったことにはならんよ。お前さんが何を思って人類の敵をやっていたのかは知らんし、何があって今、また人間の味方に戻ってくれたのか。そのあたりの事情が、気にならないと言えば嘘になるがね」

 

 言葉を区切り、煙を吐いて、

 

「だがまぁ、正直。一緒に()()()()()()()としては、どうでもいいな」

 

 老人に、そう言い切られて。

 リリアミラは、目を丸くした。

 タバコの先が、ぽろりと地面に落ちて消える。

 

「どうでもいい、ですか?」

「ああ。どうでもいい」

「あの……今、なんか、おじさまがわたくしを慰めてくれる流れだったと思うのですが」

「なんだ? 慰めてほしいのか。オレの仕事はお前さんを運ぶことだけだからなぁ。やさしい言葉が欲しいなら、この先は有料の追加サービスになる。高いぞ?」

「なっ……!」

 

 頬を赤らめるリリアミラを見下ろして、アルカウスはタバコを咥えたまま意地悪く笑った。

 それは、そういう笑い方を知っている、長い年月を生きてきた人間ならではの微笑みだった。

 

「ようやっと年頃の娘らしい顔になったな。それでいいんだよ。お前さん、大人びた美人なんだからよ。そういう顔してた方が可愛げがあるぞ」

「……おじさまに口説かれたくありません! 」

「わっはっは。オレもカミさんに怒られたくねぇからな。口説く気はねえよ」

「まったく……もっと仕事人のようなおじさまだと思っていましたのに。とんだプレイボーイですわね」

「なんだぁ? オレのことそんな風に見てたのか? わりぃが、オレはそんなご立派な人間じゃねえよ。逆に聞いてみるがね。お前さん、なんでオレがこの仕事を続けてると思う?」

「……お馬さんが好きだから、とか?」

「違う違う」

 

 首を傾げてとりあえず言ってみたリリアミラに対して、アルカウスはざっくばらんにタバコを持ってない腕を振って否定した。

 

「オレが毎日汗水垂らして働くのは、趣味を楽しむためだ」

「趣味、ですか?」

「ギャンブル。賭け事。あとゲーム」

「え、えぇ……」

 

 リリアミラはなんとも言えない表情で身を引いた。

 とてもじゃないが、四十年手綱を握り、己の手足のように馬を操るプロフェッショナルから口から出てきたものとは思えない言葉だった。

 

「仮に、だ。オレになんかすげえ悲しい過去があったとして、その過去を精算するために運び屋をやっているとしよう」

「悲しい過去あるんですか?」

「三日前に賭場で稼ぎを半分スッた」

「直近じゃないですか。あとべつにそれただの自業自得でしょう」

「……ともかく、だ。一緒に仕事をやる相手の、そんな細けえ事情なんか、どうでもいいんだよ。お前さん、果物屋でリンゴを買う時、その店のオヤジの人生にまで思いを馳せたりするか? しねえだろ?」

「まあ、たしかに……」

「でも、その店で買ったリンゴがめちゃくちゃ美味かったら……その日は多分、少しだけ良い日になるよな?」

 

 アルカウスの目が、やさしく笑う。

 

「仕事ってのは、明日を生きるためにやるもんだ。そこにある本質は、自分のために金を稼ぐことだ」

 

 明日を生きようとは思わない。死にたがりの死霊術師に向けて、老人は淡々と言葉を紡ぐ。

 

「でも、自分のためにやってることが、回り回って誰かのためになるんなら、そんなに嬉しいこともねぇだろう?」

 

 やってきたことから、目を背けるために魔法を使う。罪の意識から逃れようとする死霊術師に向けて、老人は続けて言葉を紡ぐ。

 

「ほら、見てみろ」

 

 ちょいちょい、と。

 くゆる煙を挟む指先が、前を指す。

 

「お前さんの、今日の仕事の成果だ」

 

 促された方向に目をやると、リリアミラが魔法によって蘇生した騎士たちが、一礼をしていた。

 騎士たちだけではない。装備を整え直す冒険者たちは、陽気に肩を叩き合っている。それまでずっと働き詰めだった医療魔術士たちは、ようやく休める時間ができて、肩を寄せ合って眠っている。

 失われたはずの命たちが、生きている今。リリアミラの魔法がなければ、あり得なかった光景だった。

 

「オレはお前さんを運んだ。お前さんは自分の魔法を使った。互いに、良い仕事をした。その結果、数え切れないくらい、たくさんの命が救えた。誇らしいことじゃねぇか」

 

 それは、慰めの言葉ではない。

 ただ単純に、結果を羅列して、述べているだけ。

 

「オレぁ、運び屋だからよ。井戸が枯れた村に、水を届けに行ったことがある。流行り病が広がった村に、特効薬を運んだこともある。オレはギャンブルやるために金を稼いでるクズ人間だが……それでも、誰かのために仕事ができたら、やっぱり気持ちが良いもんだ。そういう仕事をやったあとに、こうやって吸うタバコが、一番美味い」

 

 そろそろ、朝日が登る。

 地平線の先に。

 眩しそうに目を細めて、老人は言った。

 

 

「オレは今日、人生で一番良い仕事ができた。ありがとよ、お嬢さん」

 

 

 それは、慰めの言葉ではなかった。

 四十年。手綱を握ってきたベテランの運び屋が、一人の死霊術師に向ける、感謝の言葉だった。

 

「……やっぱり、おじさまはずるいです」

「そうかい?」

「……ええ。殺し文句ですもの」

 

 償えるとは、思っていなかった。

 アルカウスが言った通り、自分がやってきたことは何も変わらない。何一つとして、なかったことにはできない。

 これから先も背負い続けて、やがて自分の命では償いきれないそれを償って終わることになるのだろう、と。リリアミラは、漠然とそう思って自分の魔法を使ってきた。

 それでも、いつかくる終わりのその日まで、自分が明日を生きるために。誰かを幸せにできる何かが、あるのだとしたら。

 

「……かーっ。やっぱ徹夜明けの朝日は、ジジイの目には染みるぜ」

 

 まるで、年頃の娘のように。泣きじゃくるリリアミラが泣き止むまで、老人は知らんぷりでタバコをふかしていた。

 

 

 

 

 

 

「さて。ペガサス号には無理をさせたから、ここに預けていく。帰りはこのユニコーン号だ」

「角もないのに!?」

 

 絶叫するリリアミラを、アルカウスはまた淡々と簀巻きにして後ろに載せた。帰り道も荷物扱いは変わらないらしい。過酷極まる往復である。

 しかし、リリアミラはくすりと笑って、アルカウスに言った。

 

「おじさま」

「なんだ?」

「一つ、お願いがあります」

「すまねえがいくらお願いされても、乗り心地は変わらねえぞ?」

「いえ、そうではなく」

 

 ──ミラさんって世界救ったあと何するの? 

 

「もしもわたくしが世界を救って帰ってきたら。その時は、わたくしに運び屋のお仕事を教えて下さいませんか?」

「おいおい。知ってるぜ。そういうの、死亡フラグっていうんだろ?」

「あらあら……それこそ、無用な心配ですわね」

 

 にっこりと笑顔を浮かべて、リリアミラは言い切ってみせた。

 

「わたくし、不死身ですから」

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 数年後。

 黒輝の勇者が魔王を倒し、世界を救ったという話を聞いても、アルカウス・グランツの仕事に変化はなかった。

 世界とは、案外そんなものだ。

 リリアミラ・ギルデンスターンの名前は、多くの人々を救った功績により、元魔王軍の四天王ではなく、世界を救った紫天の死霊術師として認知されることが多くなった。とても嬉しいことだと、アルカウスは思う。

 

 ──もしもわたくしが世界を救って帰ってきたら。その時は、わたくしに運び屋のお仕事を教えて下さいませんか? 

 

 べつに、最初から期待していたわけではない。たった一回。一緒に仕事をしただけの、ただそれだけの関係だ。あんな口約束を、本気にする方がおかしい。

 世界を救う。そんな大仕事を成し遂げたのだから、彼女はゆっくりと休んで、幸せな毎日をどこかで過ごしてくれていれば、それで良い。

 頭の片隅でそんな風に考えながら、アルカウスはいつものように馬車に荷物を積んで……

 

「おじさまーっ!」

 

 とうとう、自分もボケたか、と。そう思ってしまった。

 空を見上げて、アルカウスは絶句する。

 聞き覚えのある声と共に、人生ではじめて目にするモンスターが、翼を広げて降りてくる。

 鉄よりも硬い鱗。剣よりも鋭い牙。鳥よりも風を掴む翼。

 魔獣の頂点。モンスターの王。ドラゴンと呼ばれる伝説の存在が、一人の美女に足として使い倒されていた。

 

「おひさしぶりです! わたくし、リリアミラ・ギルデンスターン! お約束した通り、弟子入りに参りました!」

「お、おま、お前……それ、ドラゴ……」

「ええ! ドラゴンです! わたくし、おじさまのように馬をうまく扱える自信はないので……使えるものは使い倒そうと思いまして! とりあえずは、これを馬代わりに使って、おじさまの運び屋のお仕事を、お手伝いしながら学ばせていただこうかと!」

 

 どこの世界に、馬の代わりに竜を使うバカがいるだろうか。現在進行系で、ここにいる。自分の目の前で、ニコニコと微笑んでいる。

 アルカウスは、頬を引きつらせた。

 勘弁してほしい。こちらはもう、腰の痛みで引退を考え始めている歳なのだ。危うく腰を抜かしそうになるような伝説の魔物を、ほいほい持ってこられても困る。

 

「お前さん、本気でそのドラゴン使って仕事やるつもりなのか……?」

「とんでもないです! この子だけで仕事ができるとは思っていません」

「ああ……よかった。そうだよな。普通に馬も使って……」

「ご心配なく! そのあたりは抜かりありませんわ! あと九匹躾けてあるので、今は上空で待機させております!」

 

 アルカウスは、腰を抜かした。

 ドラゴンが、十匹。

 そもそも、数える単位は『匹』でいいのだろうか?

 そんなどうでもいい疑問だけが浮かんでくる。

 なんかもう、発想のスケールそのものが違った。

 

「おじさま!? 大丈夫ですか! おじさま!?」

 

 お前のせいだ、お前の。

 そう叫び返したかったが、腰に響くリスクを考えて、アルカウスは叫び返すのをやめた。

 ただ、約束を守って自分を頼りに来てくれた彼女へ、静かに問いかける。

 

「……オレが教えられることなんて、たかが知れてるぞ?」

「大丈夫です! わたくし、自分で言うのもおかしいですが、聡明で賢い女ですので。おじさまから学んで、素晴らしい会社を作ってみせます。一を聞いて、十を知り、百を成してみせましょう!」

「ははっ……いいね。そりゃおもしれえ」

 

 アルカウスはリリアミラのことを、生真面目な女だと思っていたが……どうやら違うらしい。

 見誤っていた。リリアミラ・ギルデンスターンは、想像よりもずっと破天荒な女だった。

 それで良いと、アルカウスは思う。常識に縛られた仕事を続けるよりも、その方がずっとずっと、おもしろい。

 ドラゴンを、輸送に使う。

 きっと、そんなイカれた空想を現実に変える天才が、世界を変えるのだ。

 

「そのでけえ図体を有効活用するには、港が欲しくなってくるな。そもそも、降りられる場所も限られているし……お前さん、会社を起こす資金はあるのか?」

「はい。それなりに貯め込んでおります!」

「なら、まずは資金上乗せして借金してでも、でけえ船買うぞ、船」

「船、ですか?」

「ああ。馬に馬車を引かせるのと同じだ。海ならある程度安全に着水できるし、既存の海運のノウハウも利用できる」

 

 人類が、魔術を一つの技術として体系化してから、およそ千年。千年の時を掛けても、人類は空を飛行する技術を一般化できず、交通、輸送の手段として利用することは叶わなかった。

 千年を変えるチャンスが、目の前にある。

 おもしろい。年甲斐もなく、アルカウスは心の底からそう思った。

 

「よぉし。やるからには、でけえ会社にするぞ。しっかりついてこいよ、()()()()()

「はい! よろしくお願いいたします、()()!」

「ばぁか。これから、お前さんが社長になるんだよ」

 

 歴史が変わる。

 この日、世界にはじめて()()という概念が誕生した。




こんかいのとうじょうじんぶつ

アルカウス・グランツ
運び屋のおじさん。十五くらいの時から馬の手綱を握っている大ベテラン。ギャンブルとゲームが大好き。女好き。大恋愛の末に貴族の娘だった奥さんの尻に敷かれてからはお小遣いの範囲で細々と楽しむようになったが、二人の子どもが十歳になる前に、流行り病で亡くなってしまう。

あの時、誰かが薬を運んでくれれば。

男手一つで子どもたちを育て上げてからは、率先して困っている村や危険地帯、戦場への物資の輸送を請け負う破天荒ジジイになった。

リリアミラ・ギルデンスターン
どうせ仕事を始めるなら、自分が死んだあとも人々の役に立つ、大事業を。
死にたがりの死霊術師が起こした会社は、世界の物流に革命を起こした。


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勇者は両手に花を持つ

「なんてこった……死霊術師さんに、そんな良い感じの過去があったなんて……!」

「あの、すいません。泣くか走るか私を降ろすか、どれかにしてくれませんか?」

 

 おれは秘書子さんを肩に担いでダッシュしながら、しみじみと涙を流していた。秘書子さんがおじいさんと死霊術師さんの関係を話してくれている間、おれは秘書子さんのタイトスカートに包まれた形の良いケツしか見えない状態だったので、なんかケツが語ってるみたいな感じになってしまったのが少々アレだったが、それでも泣けるものは泣ける。実に良い話だった。

 どうせ死霊術師さんのことだから「勇者さまも魔法使えなくなってしばらく殺してくれなさそうだし、一発当てるつもりで起業したら成功しましたわ〜! ラッキーですわ! おほほ〜」くらいの感覚で仕事はじめたのかと思ってたよ、おれは。

 

「ていうか、何を勝手に感動しているんですか!? 私はあなたからお涙頂戴するために、おじいさまと社長の関係を聞かせたわけではありませんよ!?」

「ふっ……もちろんわかっているとも、お嬢さん! 親友だけではない! このボクも今! キミの素晴らしい話を聞いて、深く胸を打たれている! 率直に言って、創作意欲が漲って止まらないよ!」

 

 隣のアホもおれと一緒に涙を流しながら、どこからか取り出した紙にペンを猛烈な勢いで走らせている。そう、隣を走りながらペンを走らせている。まったくもって器用なヤツである。

 ていうかあの紙とペンどこから出したんだろうな。パンツくらいしか仕舞う場所ないと思うんだけど。

 

「この方もさっきからなんなんですか!? 本当に王国に五人しかいない騎士団長なんですか?」

「多分、騎士団長である前にアホの作家なんですよね……」

 

 王国はこんなヤツに国の防衛まかせちゃダメだと思う。さっさとクビにして他の人間にしたほうがいい。勝手に合コンに来るタイプのアホだからね。

 

「でも、秘書子さん。おれにはどうにも……さっきの話を聞いても『死霊術師さんがおじいさんを見殺しにした』っていう、秘書子さんの主張に繋がらないんですけど……?」

 

 至極、真っ当な疑問をぶつけてみると、やはりお尻がぴくりと揺れた。

 

「……おじいさまが病で伏せって、亡くなった時……近くには社長がいました。私は間に合いませんでしたが、おじいさまの死に目を、社長はすぐ近くで看取っています。ですが、あの人は勝手に葬儀を進めて……私に知らせが届いた時にはもう火葬すら終わっていました」

「それはつまり……死霊術師さんが、おじいさんを()()()()()()()()()()()()ってこと?」

 

 図星だったのだろう。

 表情は見えがなかったが、唇を噛み締めて押し黙る気配がした。

 

「私は……おじいさまを、尊敬していました。最後に一言だけでも、お話したかった。あの人の魔法なら、それができたはずなのに、なのに……!」

 

 秘書子さんらしくない、感情的な口調だった。

 気持ちはわかる。

 死に目に会いたい、という気持ちも。最後に少しだけでも話したい、という気持ちも。

 おじいさんが好きだった秘書子さんのその気持ちと憤りは、抱いて当然のものだ。

 死んだ人間は、本当は生き返らない。

 人の命は、簡単には戻らない。

 だから「そんな理由で死霊術師さんを恨むのはおかしい」とか「人の命は本来、取り返しのつくものではない」とか。

 もしかしたら、そんな風に彼女を諭して、言い聞かせるのが、本当は正解なのかもしれない。

 だけど、おれは世界を救った勇者ではあっても、人様に倫理を説くようなえらい人ではないので。

 なによりも、死霊術師さんのそんな魔法を、一番近くで、誰よりも便利に使い潰してきた人間なので。

 

 

「じゃあきっと、何か理由があったんですね」

 

 

 あっけらかんとそう言い切った。

 押し黙る、というよりも、唖然としたような間があった。

 秘書子さんの沸騰するような怒りの熱が、すっと冷めたのがわかった。

 

「理由が、あった……?」

「はい。だって死霊術師さん、やさしいでしょ? おじいさんを生き返らせることができたなら、絶対にそうしてますよ」

 

 死霊術師さんの命の価値観は、とても歪んでいる。

 敵として命のやり取りをしていた頃は、その異常性ばかりが際立って感じられたが、いざ仲間になってみると、死霊術師さんはわりと普通の人だった。

 

「……どうして、勇者様はそんな風に言い切れるんですか?」

「どうしてっていうと、まぁ……」

 

 夕飯の肉が硬いと文句を言うし

 宿のベッドが固いと文句を言うし。

 街で泣いてる子どもがいたら、膝を折って話しかけるし。

 見ず知らずの死体が転がっていたら、捨て猫をひろうみたいに適当に蘇生していくし。

 

「そういう人だと、知っているから?」

 

 言い切れる程度には、一緒に旅をしてきた。

 はじまりは裏切りだったけど、信じて、頼って、背中を預けてきた。

 だから、おれが死霊術師さんを信頼しないのは、嘘だ。

 

「大切な人が死んだら、人は泣くでしょう? でも、死霊術師さんの魔法は、そういう悲しい涙を、簡単にふっとばしてくれるんですよね」

 

 『紫魂落魄(エド・モラド)』は、とてもやさしい魔法だ。

 今はもう名前すら思い出せないが。

 おれの育ての親は、こう言っていた。

 

 ――世界を救う勇者に必要なのは、正しさでも強さでもない。人に手を差し伸べることができる、やさしさだよ

 

 だから、死霊術師さんは最初からきっと、勇者になれる資質を持っていた。

 魔法は、人の心の形。

 はじまりは、もしかしたら不幸だったのかもしれない。

 命を指先一つで弄ぶ魔法は間違っていて、それを思うがままに使う心の在り方は歪んでいて。事実、今も死霊術師さんは、自らの死を望んでいる。

 でも、死霊術師さんの魔法がなかったら、もっとたくさんの人たちが泣いていた。

 目に見えない心の形が魔法だとしても、おれは目に見える形で人の命を救ってくれる、死霊術師さんの魔法が大好きだ。

 間違っていても、歪んでいても、それだけは否定させない。

 理由もなしに、人の命を見捨てたなんて、そんな話は信じない。

 命は救うべきもの。その一点に関して、おれは死霊術師さんを疑わない。

 

「秘書子さんだって、この一年。おれよりも近くで、あの人のことを見ていたはずでしょう?」

 

 人を信じるためには、時間が必要だ。

 おれは死霊術師さんを殺せなかったから、死霊術師さんを仲間にした。魔王をぶっ倒すために死霊術師さんの魔法が必要だったから、仲間にした。

 互いに、打算があった。利用価値があった。

 でも結局のところ、人間はそんな打算や利用だけでは、酒を酌み交わして笑い合うような仲間にはなれない。

 おれたちと、最後まで一緒に旅をしてくれた。

 それがきっと、死霊術師さんという人間に対する、最大の証明になるのだろう。

 彼女は魔王軍の四天王で。

 多分、たくさん取り返しのつかないことをしていて。

 そんな過去や、感情の重荷を、おれは背負ってあげることはできないけれど。

 でも、死霊術師さんは絶対にそんなことはしない、と。

 仲間のおれが、信じてあげることくらいはできるから。

 

「……以前、私がお二人の関係について、質問をしたのを覚えていますか?」

「……ああ」

 

 ――ところで、勇者様はどうして社長のことをお好きになったのですか? 

 

「勇者さまは利害の一致だと仰いましたが、やはり私はそうは思いません。そもそも、なぜ好きなのか、という質問が適切ではありませんでした」

 

 いつの間にか、秘書子さんの口調はフラットなものに戻っていて。

 

「世界を救った勇者さまは、隣で一緒に戦ってくれた死霊術師さんのことが、大好きなのですね」

 

 ……危ない。

 今度ばかりは、秘書子さんがおれの顔を見ることができなくて良かったと思った。

 

「はっははぁ! 顔が赤くなっているぞ! 親友!」

「お前マジで黙れよ」

 

 やはり熱くペンを走らせているアホの頭をしばこうとして、おれは気がついた。

 視界の隅で、もぞもぞと動いている、黒髪。

 その頭の上に、辛うじてまだ残っている、兎耳。

 要するに、先ほど殴り飛ばされた、バニーガール。

 

 

「あ」

 

 

 つまるところ、話題の中心である、死霊術師さんである。

 

「見つけたァ!」

「え、なんですか?」

「わっしょい!」

 

 見つけたので、またひろった。

 何を隠そう、おれは女の子をひろうのが得意なのである。

 肩に担がれてひどく狼狽えた秘書子さんとは違い、死霊術師さんは昔から担がれ慣れているので、狼狽することもない。むしろ、けろっとした態度だった。

 

「あらあら勇者さま。迎えに来てくださりありがとうございます。まったく、さっきはあのクソロリババアに殴り飛ばされてひどい目に合いました。それはそれとして、何やらもう一人背負っていらっしゃいますわね? 本当に勇者さまはすぐ女の子に手を出して……ぎええええ!? 『   』ぇぇ!? なんで勇者さまの肩にいるんですの!?」

 

 うるせえ。

 めちゃくちゃ狼狽えてる。

 おれの前で、おれに聞こえない人の名前を叫ぶあたり、本気で動揺しているのがわかった。

 

「しゃ、社長……! これはちょっと、色々ありまして……!」

 

 右肩に、秘書子さんを。

 左肩に、死霊術師さんを。

 両肩に美女二人を装備して、おれは再び走り出す。

 

「勇者さま!? じゃなくてあなた! どういうことですか!? 浮気ですか!?」

「黙れ」

「でぃーぶい!?」

 

 死霊術師さんはやさしい。

 やさしいが、こそこそと暗躍はするし、いらんことを勝手に背負ってくることもある。

 

「ほら、死霊術師さん。秘書子さんから大体事情は聞いたから、ちゃんと話して。特に、おじいさんのこと」

「え、えぇ……でも」

「でもじゃありません」

 

 すれ違いとか。

 思い違いとか。

 そういうのが、おれは好きじゃない。

 死人に口なし、とよく言うけれど、二人はちゃんと生きているのだ。

 なら、語るべきだ。

 言葉を交わせば、きっと解決できるのだから。

 

「おらっ! さっさと全部話して仲直りしなさいっ!」

 

 表情を見なくても、おろおろしていることがわかる死霊術師さんに対して。

 相変わらずやはりケツしか見えない秘書子さんは、くすりと小さく笑った。

 

「やさしいひとですね。勇者様は」

 

 

 ◇

 

 

 蒼色の死が、迫り来る。

 回避をミスすれば、待ち受けるのは一刀両断の即死。

 一瞬の油断も許されない攻防を演じながら、大悪魔トリンキュロ・リムリリィの心中は、困惑の二文字で満たされていた。

 

「ふふ……ダメだ。いくら考えてもわからん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 追い詰めたと思っていた敵が、ケーキ入刀の想像だけで自身の魔法を進化させた。

 冷静に、実際に起こったことを客観的にまとめてみても、理解不能な出来事である。

 

「あのさぁ」

「なに? 引き出物の話? 悪いけど、キミは結婚式には呼べないよ?」

「……会話をしろよ」

 

 言葉と魔法の応酬が続く。

 トリンキュロの注意は、今、この瞬間。魔法を進化させたイト・ユリシーズに向けられている。

 そこが、付け入る隙になる。勇者が不在である以上、全体の戦術を組み立てる立場にある賢者……シャナ・グランプレはそう考えていた。

 

「もう少しで、アリアさんの回復が終わります。準備をしてください」

 

 愛用の杖を魔法によって増やし、ほとんど人に預けたことがないそれを手渡して、シャナは言う。

 

「ヤツを倒すための切り札は、あなたの魔術です。赤髪さん」

 

 二つ結びに束ねていた髪を解き、スーツの上着を脱ぎ捨てて、元魔王である赤髪の少女は頷いた。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
両手に花ではなく、両肩に花。ケツよりも胸派なのでケツに対してはフラットな視点で語りかけることができる。

秘書子さん
お尻。またの名をルナローゼ・グランツ。

死霊術師さん
リリアミラ・ギルデンスターン。パーティーで一番ケツがデカイ。

親友
レオ・リーオナイン。紙とペンはパンツから出した。

イト・ユリシーズ
結婚って考えることたくさんあって大変だなぁ……!

トリンキュロ・リムリリィ
↑の人が理解できなくてこわい。言葉も通じない

シャナ・グランプレ
Q.やる気なのはいいんですけど、なんでスーツの上着脱いだんですか?

赤髪ちゃん
A.胸が苦しいからですっ!!!
余談だが死霊術師さんの次にケツがデカイ。


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魔王の片鱗

 それは、わたしが勇者さんと賢者さんに、修行をつけてもらっていたときのお話です。

 

「勇者さんが戦ってきた中で、一番強い魔法ってなんですか?」

 

 わたしの質問に、勇者さんは「ほほう」と腕を組みました。

 

「赤髪ちゃん。どうしてそんな質問を?」

「はい。単純にちょっと気になって」

「ふむ……まあ、おれも長く冒険してたし、単純に強い魔法とは色々戦ったよね。四天王のクソジジイの魔法とかは、そりゃもうバカみたいに強かった……しかし、なんといっても! やはり世界で一番強いのはこの勇者さんの魔法である……」

「何言ってるんですか。『黒己伏霊(ジン・メラン)』のどこが強い魔法なんですか? 現状まともに機能しない上に、元から使い勝手の悪いクソ魔法じゃないですか。ちゃんと現実見てください」

 

 横合いから賢者さんの言葉の暴力によってボロクソにされて、勇者さんはしゅんと肩を落としました。ちょっとかわいそうです。

 

「はい……すいません使い勝手の悪いクソ魔法で、すいません……」

「そ、そんなことないですよ!? ゆ、勇者さんの魔法も、『黒己伏霊(ジン・メラン)』もかっこいいと思います!」

「どのあたりが?」

「……」

「ねえ、赤髪ちゃん。どのあたりが?」

「……名前の響きとか?」

 

 フォローしたつもりだったのですが、勇者さんはより深く沈み込みました。どうやら逆効果だったようです。ごめんなさい。

 

「ふふ……まあいいさ。どうせおれの魔法なんて、元々暗い色だし……色合いなら、騎士ちゃんや賢者ちゃんの魔法の方が、よほど勇者っぽいし……」

「いじけてないで赤髪さんの質問にちゃんと答えてあげてください」

「いじけたくなる原因作ったの賢者ちゃんなんだが?」

 

 賢者さんの杖でほっぺたをぐりぐりとさせながら、しかししっかりと真面目な顔に切り替えて、勇者さんは言いました。

 

 

 

「『輝想天外(テル・オール)』」

 

 

 

 どこか、懐かしい響きがありました。

 わたしではなく、遠くを見る目で勇者さんはゆったりと言います。

 

「魔王の魔法の名前だよ。おれが知る限り、あの魔法が間違いなく最強だった」

「テル、オール……」

 

 その名前を反芻するように呟いて、わたしは勇者さんに聞き返しました。

 

「もし……もしもの話なんですけど。その魔法を使えるようになったら……わたしも、勇者さんたちと一緒に並んで戦えるくらい、強くなれますか?」

「……さあ?」

「さあ!?」

 

 あまりにもふわふわとした返答に、わたしは目を剥きました。

 しかし、勇者さんと賢者さんは顔を見合わせて「だって……ねぇ?」みたいな表情で、頷き合っています。

 

「あの魔法、最後までよくわからなかったもんな。なんかこっちの攻撃当たらんし」

「天候操作とかがそれっぽい感じではありましたが……如何せん、それだけでは説明できないことが多すぎた、というのが正直な感想です」

「指先一つで海を割ったみたいな噂もあったよね」

「わからないものをわからないままに攻略した、みたいな節がありました」

「それなぁ……赤髪ちゃんはわかる?」

「魔王と一番戦ったお二人が分からないのに、わかるわけないでしょう!?」

 

 まったくもう、と。

 溜息を吐くわたしに、勇者さんは苦笑しました。

 

「ごめんごめん。からかうつもりはなかったんだけど……でも魔法って、やっぱり心から生まれるものだからさ」

 

 見た目よりも皮膚の皮が分厚い手を握りしめて、こんこん、と。勇者さんは自分の胸を叩きました。

 

「赤髪ちゃんは魔王の強さを目指す必要はないし、魔王みたいになる必要はないよ」

「……はい。そうですね」

 

 それ以上聞いても、多分この人はやさしい笑顔ではぐらかすんだろうなぁ、って。

 なんとなく、そんな気配がしたので、わたしは話の流れに乗ったまま、話題を変えることにしました。

 

「じゃあ、魔王が強かったのは、その魔法のおかげなんですね」

「……」

「あれ?」

 

 そう聞くと、今度はなぜか賢者さんが下を向きました。

 なんでしょう? わたし、何か賢者さんの機嫌を損ねるようなことを言ってしまったのでしょうか? 

 

「魔王が強かったのは魔法のおかげ……っていうのは、ちょっと違うかな」

 

 賢者さんの頭をフードの上からぽん、と。

 軽く手で撫でながら、勇者さんは言いました。

 

「魔法と()()。どちらも、魔王は世界最高の使い手で……だからこそ、彼女は最強だった」

 

 少しだけ、光明が見えた気がしました。

 魔法は心。

 心の在り方が違う以上、わたしに魔王の魔法が使えるかどうかは、まだわかりません。仮に、これから使えるようになったとしても、その力をきちんとコントロールできるようになるまでには、少なくない時間が掛かるでしょう。魔王と直接対峙した勇者さんと賢者さんが「どんな魔法かわからなかった」と言っている以上、その扱い方や戦い方を教えてもらうこともできません。

 

「賢者さん」

 

 でも、魔術なら。

 わたしの目の前には、シャナ・グランプレという世界最高の賢者がいます。

 

「わたしに、魔王が使っていた魔術を、教えてもらうことはできますか?」

「……それを、私が扱うことはできません。私の師匠ですら、魔王の魔術は解き明かせまんでした。実際に対峙した経験から『こういうものであった』と。伝聞めいた説明しかできませんが……」

 

 フードの奥から、こちらを覗き込むようにして。

 

「それでも良いのなら。私個人としても、あなたが魔王の力の一端を扱えるかどうかは、興味があります」

 

 

 ◇

 

 

 トリンキュロ・リムリリィは、攻防の合間にふっと息を吐いた。

 

「まいったなぁ……何かの切っ掛けで魔法が強くなることは今までもあったけど……こういうパワーアップはちょっとはじめてだ」

「うむうむ。理解したかな? これが愛の力だよ」

「おまえ今一人だろ隣見ろよ」

 

 こわい。言葉が通じているはずなのに通じていない。

 トリンキュロは迫りくる斬撃を避けながらドン引きしていた。心も体も、全力で後退している。

 かつての魔王軍四天王第一位を会話だけで圧倒するプレッシャーが、今のイト・ユリシーズにはあった。勝手に脳内の想い人とケーキを切る妄想をしながら繰り出される斬撃は、全てが正しく必殺だ。

 それは、数多の魔法で己の死を塗り替える、トリンキュロにとっても、例外ではない。

 

「まったくもって厄介だ……厄介だけど、いいねえ」

 

 唐突に脈絡のない進化を遂げた魔法を前に、悪魔は笑う。

 最初から答えのわかっている問題に、魅力はない。難解で理解できないものにこそ、人はそれを解き明かす価値を感じる。

 この世で最も理解し難いのは、いつだって人間の心だ。

 

「きみをもっとたくさん、分かりたくなってきたよ」

 

 故にこそ、トリンキュロは大いに笑う。

 己の死を恐れていては、悪魔は名乗れない。

 人の強さを嘲笑し、心の輝きを褒め称え、その色合いを喰らいつくすのが、トリンキュロ・リムリリィという悪魔である。

 

「その深くてキレイな蒼色。とっても欲しいな!」

「あげないよ。ワタシは勇者くんのものだから」

 

 断ち切るような宣言に、苦笑を一つ。フリルに彩られた小さな大悪魔は、空中を疾駆する。

 トリンキュロが足場として選び取ったのは、シャンデリア。きらびやかなそれを踏み砕きながら、イトに狙いを定めさせない空中機動を以て、防御ではなく回避に専念する。

 とはいえ、避けてばかりでは勝てない。

 

(基本的にどんな攻撃でも拡散させて防ぐことができるのがのウリなのに、魔法の上から()()()()。まともに受けたらそれだけで詰みだなぁ)

 

 トリンキュロは思考する。

 

(生半可な魔法を重ねたところで、まとめてぶった斬られて終わりだ。彼女には、一対一でボクと渡り合うだけの攻撃性能がある。王国の騎士団長クラスで脅威に成り得るのはグレアム・スターフォードだけだと思っていたけど、考えを改めなきゃいけないな)

 

 思考を重ねて、考えを伸ばしていく。

 

(一対一でも、後手後手に回ってこのザマだ。しかも、そこそこ時間をかけて遊んじゃったからそろそろこわいおねえさんが戻ってくる)

 

 そして、トリンキュロの思考が正解であることを証明するように。

 獲物に食らいつく、蛇の如く。揺れる爆炎が鼻先を掠め、シャンデリアのガラスを一瞬で個体から液体に変化させた。

 

「こわ〜ぁ。でも、やーっぱ、そうなるよねえ」

 

 右手の『青火燎原(ハモン・フフ)』で拡散させた炎を払いながら、トリンキュロは呻く。

 

「おかえり。アリア。お腹の調子はどう?」

「問題ありません。お待たせしました」

「よかたよかた」

「でも結婚式はダメです」

「大丈夫大丈夫。招待状は送るから」

「何も大丈夫じゃないですよ!?」

 

 イト・ユリシーズの隣に、傷を癒やしたアリア・リナージュ・アイアラスが並び立つ。

 細身の剣をゆったりと構える、ダークスーツ姿の騎士団長。二振りの大剣をがっしりと携える、重装の姫騎士。

 武器も装備も、どこまでも対照的な出で立ちの二人の騎士が、並び立ってトリンキュロに剣を向ける。

 

「いくよ、アリア。二人でダブルケーキ入刀だ」

「ダブルケーキ入刀ってなんですか? バカなんですか?」

「ああ、ゴメンゴメン。アリアの魔法的には、ロウソク係が適任かな?」

「……シャナ! シャナーッ! 助けて!」

「いやですよ私もその人と意思疎通するの」

 

 憎まれ口を叩きながらも、下準備を終えたらしい複数人のシャナ・グランプレも、トリンキュロを取り囲む。

 

「お? 雑務は終わったのかな? グランプレ」

「ええ。あなたをぶっ倒す目処は立ちましたので……可及的速やかに、人の心を貪る害虫は駆除しようかと」

「強がりはやめておきなよ。勇者がいないからってリーダーのまねっこをしてもボロが出るだけだよ?」

「では、試してみましょう」

 

 先ほどよりも圧倒的に不利な状況に陥っても、トリンキュロの余裕は変わらない。 

 

(いくら頭数が増えたところで『青火燎原(ハモン・フフ)』である程度の攻撃は捌ける……ボクに致命傷を与えられるのは、あのイカレ妄想結婚願望女の『ケーキ入刀』だけ。注意すべき攻撃は変わらない)

 

 圧倒的に密度が増した攻撃を避けながら、四天王第一位は内心で笑う。

 そう。トリンキュロが警戒するべきは『蒼牙之士 (ザン・アズル)』によって拡張された、イト・ユリシーズの拡張遠隔斬撃のみ。見かけの攻撃の圧力が増えようとも、その事実は揺るがない。

 加えて言うなら、アリアとシャナの連携密度は熟練のそれであっても、イトとアリア、イトとシャナ……それぞれの連携はこの場限りのもの。そこまでの脅威には成り得ない。リリアミラやムム、なにより勇者を欠いた急造パーティーの連携を恐れることはない。

 さらに、戦う場所として地下を選んだことで、アリアは文字通りに大火力の炎による攻撃を封じられ、シャナは持ち味である増殖させた魔導陣の面制圧が使えない。

 そして、最後に。人間の心のみならず、その動作の観察にまで長けたトリンキュロは、イトの遠隔即死斬撃が()()()()()()()()()()()()()ことを、既に見抜いている。

 

(狙うのは、遠隔斬撃で剣を振り抜いた瞬間! イカレ妄想結婚願望女から仕留める!)

 

「イト先輩!」

 

 アリアの炎の斬撃が霧散し、氷の壁が退路を断つ。

 トリンキュロには関係ない。

 

「合わせてください」

 

 シャナの魔術攻撃は火力が絞られている。

 トリンキュロには通用しない。

 

「任されたよ、お二人さん」

 

 そして、現状唯一の有効打である『蒼牙之士 (ザン・アズル)』の斬撃を。

 紙一重で回避してみせたトリンキュロは、深い笑みと共に華奢な腕を振り上げる。

 

(獲ったァ!)

「お見事」

 

 回避と見極め。称賛の一言。

 それらを贈ったイトは、さながら二刀流の如く、愛刀を持つ手とは逆の腕を、振り抜いた。

 

「招待状だよ」

 

 散らばるように、ばら撒かれる紙片。

 それらはもちろん、結婚式の招待状などではなく……予め、イトの用いる魔術が仕込まれた『魔術用紙(スクロール)』だった。

 トリンキュロは知らない。その規格外の剣技故に、予想すらしていない。

 イト・ユリシーズが純粋な騎士ではなく、魔術の才能にも優れた『魔導剣士』に近い存在であることを。

 

「しまっ……!」

 

 起動、明滅。

 所詮は、非殺傷の閃光魔術。目眩まし程度の効果しか見込めない、初歩的な魔術。しかしだからこそ、その初歩が最上級悪魔の虚を突いて穿つ。

 振り抜いた刀身を引き戻し、再度の一閃。

 

「……ちぃっ!?」

 

 それすらも、四天王の第一位は回避してみせた。

 動物的な直感。あるいは、神業めいた反射の為せる技。

 引き込んでなお、仕留め損ねた事実に、今度はイトが目を見張る番だった。

 イト・ユリシーズは、強い。この世の全てを斬ることを剣の強さと仮定するのであれば、彼女の剣は間違いなく、最強の頂きに手をかけている。

 だからこそ、イトの攻撃のみを警戒すればいい……そう考えるトリンキュロ・リムリリィは、全力の攻防の中で、気付けなかった。

 

「今だよ。アカちゃん」

 

 静かに魔力を充填する、赤髪の少女の姿があることに。

 瞬間、トリンキュロの胸に浮かんだのは、疑問だった。回復しつつある視力で、背後を見る。

 

(あのバカみたいな斬撃を囮にして、ボクを誘導した? そこまでして、当てたい攻撃が……)

 

 そこに、存在した。

 

「その、魔導陣は……」

 

 目を見張るトリンキュロ。

 驚きを隠せない最上級悪魔に対して、赤髪の少女は、ただ両腕を構えて向けた。

 その手の中には、賢者の魔法によって複製された、借り物の杖がある。

 

装填起動(セットオン)

 

 口にするのは、シャナ・グランプレ直伝の口述起動式。

 唸る魔力に、鮮やかな赤髪が靡く。

 かつて、世界を滅ぼそうとした魔王が最強を誇ったのは、彼女の魔法が最も強かったから……だけではない。

 魔王が最強であったのは、彼女の魔法が最強だっただけではなく、彼女の魔術も最強であったからに他ならない。

 攻撃に使用される魔術の属性は、主に四つ。

 イメージを具現化しやすい炎を操る、拡張性の高い攻撃術式である炎熱(えんねつ)

 攻撃性能は凡庸なものの、質量による面制圧や搦手に極めて優れた流水(りゅうすい)

 極めれば人体に対して最も高い殺傷能力を発揮し、速度にも秀でる迅風(じんぷう)

 攻撃、防御、補助など状況を選ばずに、場面に応じた活躍が可能な砂岩(さがん)

 これらの魔術は、長い時間を重ね、術式を最適な形で行使するための魔導陣を組み上げることで、効率化されてきた。いわば、多くの魔導師達の探求の成果。次代へ、また次の時代へと、受け継がれてきた叡智と努力による、研鑽の結晶である。

 無論、才能による適性はある。

 しかし、魔法が一人に一つだけの異能であるならば、魔術は共有が可能な知識。原理を理解し、学習すれば誰もが扱える技術だった。

 魔王と呼ばれた少女が、自分にしか扱えない魔導陣を組み上げ、運用するまでは。

 

「……」

 

 赤い瞳が、細く悪魔を見据える。

 魔力が、引き絞られる。

 必要なのは、イメージだ。

 根本的に、自分自身と接触したものにしか影響を及ぼせない魔法に対して、魔術は己の中の魔力を体外へと放出する技術である。

 魔法は心。魔術は理。

 だから、感情の昂ぶりは関係ない。

 

 それでも、少女は考えてしまう。

 

 己の内に燻る気持ちを、意識し始めたのは何時からだろう? 

 それに蓋をして、気づかないように、コントロールするようになったのは、どこからだろう? 

 

 ──ねえ、勇者くん。ワタシと結婚しようよ

 

 勇者がイトから唇を奪われた時。嫉妬がなかったと言えば、嘘になる。

 表面上は拗ねながらも、けれど心の中には安堵があった。

 あんなに強くて、きれいで。澄んだ青空のようにかっこいい女の人から、求婚を迫られても。

 まだこの人は、自分が側にいることを許してくれる。一緒に暮らすことを、一緒に過ごすことを許してくれる。

 そんな浅ましい、優越感と安心があった。

 けれど、王城で聞いた一つの事実を受けて、自分の中で認識が切り替わった。

 

 ──お前とまったく同姓同名の少女の名前が、見つかった。

 

 ジェミニはこう言っていた。

 

 ──借り物の器に、不完全な中身。何もかも足りないけど、何もかも足りないなら、これから満たしていけばいい。

 

 女王の少女は、簡潔に告げた。

 

 ──もしかしたら、お前の身体は本来……別の人間のものだったのかもしれない。

 

 今はもう、魔王ではない少女は思う。

 わたしは、魔王じゃない。

 魔王じゃない、とあの人は言ってくれたけど。

 でも、()()()()()()()()()()()()()()()だったら、きっと彼と出会うことすらできなかった。

 

 自分で気づいていますか、勇者さん? 

 勇者さんって、魔王のお話をする時、ちょっとだけ遠くを見るんですよ? 

 

 いっそ、直接彼にそう聞いてしまえたら、どんなに楽だろう。

 今はもう、魔王ではなくなった少女は考える。

 

 ──世界を一緒に見に行くって、約束しました。世界を壊す魔王になるなんて、死んでもごめんです。

 

 それでも。

 もしも、わたしの中に魔王の残滓のようなものがあったとして。

 それを、正しく。

 彼のためだけに、使えるとしたら。

 世界を壊してしまえるような、力を。

 彼の敵を倒すためだけに、奮うとしたら。

 

 膨大な魔力が、迸る。

 形を伴って溢れ出すそれが、目に見える光となって、空間を満たす。

 

「そんな、魔王様の猿真似で……」

()()()()()()

 

 呼ばれた名に、トリンキュロ・リムリリィは言葉を止めた。

 透明な水の中に、指を差し入れるような。

 厳しく、苛烈で、それでいてどこか温い。

 耳の中を、その響きだけで満たしたくなる、甘い声音。

 それを、トリンキュロ・リムリリィは知っている。

 燃えるような赤い髪の合間から、焼けつくような鋭い視線が標的を射抜く。

 かつて()()()()()()()()は、薄く薄く、蔑むような瞳を、人ではない悪魔に向けて、

 

 

「少し、()が高いですよ?」

 

 

 

 明確に、嘲笑(わら)った。

 

「あ……」

 

 主の笑みを、垣間見た。

 そう思えてしまった時点で、悪魔がその一撃を避けられないことは確定した。

 一筋の光が、駆け抜ける。

 フリルに彩られた小柄な体が、かつて世界を救ったパーティーを最も苦しめた四天王第一位の、その肉体が。

 一拍の間も置かずに、風船の如く爆ぜ消え、呑まれる。

 防御不能。

 絶対必中。

 撃ち放った後には、ただ対象が破壊されたという結果のみが残る。

 世界で唯一、一人の少女のみが行使することを許された、魔術の特異点。

 それは、天の外より降りかかる、光の一撃。

 それは、大気を撃ち裂く、神の裁きの再現。

 人と魔を問わず。生きるものすべての恐怖と畏敬を集めたそれは『雷撃魔術』と呼ばれた。

 

 

 

「……うん。できた」

 

 

 

 かつて世界を脅かした、魔王の術理が、蘇る。




二巻のカバー裏に書いてるんですが、好きな忍術は雷切です。
補足すると好きなドラゴンスレイヤーはラクサスで、好きな死ぬ気の炎は雷です。雷属性いいよね……


今回登場しない魔法
輝想天外(テル・オール)
 魔王様の魔法。とにかく意味がわからない強さだった彼女を根底から支えていた力であり、複数回に及ぶ戦闘を経験した勇者パーティーですら、その全容を把握することは叶わなかった。確認されているだけでも、
・傷が回復する
・海が割れる
・攻撃の軌道を捻じ曲げる
・天候を操作する
などの効果があった模様。


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色喰いのリムリリィ

「ええ……いや、威力えっぐ」

 

 シャナ・グランプレはドン引きしていた。

 理屈は教えた。道具は貸した。知識も与えた。

 とはいえ、自分がやったことといえば本当にそれくらいで、雷撃魔術は本来、魔力運用の基礎も知らない少女が扱っていい代物ではない。

 

「……ま、天才というべきなのでしょうね」

「シャナがそれ言う?」

 

 苦笑いするアリアに対して、シャナはノースリーブの華奢な肩を竦めてみせた。

 

「言いますよ。もちろん私は天才ですが、きちんと努力を怠らないタイプの天才ですので。天然モノのおとぼけガールが自分にできないことをやってのけたら、小言の一つも言いたくなるでしょう?」

 

 トリンキュロ・リムリリィの魔力反応が跡形もなく消えている。石橋を叩きすぎるほどにそれを確かめてから、シャナは周辺に展開していた自分自身を呼び戻した。敵の増援を警戒して、十数人にまで増やしていた人数を、一人に戻す。

 勇者の不在。急場凌ぎのパーティー。そして、魔王の魔術。

 仕方がないとはいえ、危険な賭けが多い勝負になってしまった。シャナは長く息を吐いた。

 雷撃魔術は、魔王のみが操ることを許された、一つの魔の到達点。

 中でも特筆すべき点は、攻撃そのものが必中必殺であること。

 魔力による身体強化でどれだけ反応速度を引き上げたとしても、雷撃の速度には対応できず、回避は不可能。故に、魔王との最終決戦においても、勇者パーティーの賢者は自然現象である雷への対策……避雷針を参考とし、雷撃を誘導する形で一応の解決とした。

 逆に言えば、事前の対策と対処がなければ、魔王の雷から逃れる術はない。

 

「見事です。赤髪さん」

 

 これまでの戦闘で、シャナはトリンキュロの防御の要となる魔法を分析し続けていた。

 トリンキュロが新たに獲得したと思わしき魔法の中で、特に厄介だったのは『因我応報(エゴグリディ)』と『青火燎原(ハモン・フフ)』の二つ。

 前者は、恐らく回復、再生に近い効果。そして色魔法である後者の能力は、イトの遠隔斬撃やアリアの炎が散らばったことから、接触した攻撃に対して『分散』ないし『拡散』のような効果であると、推測できた。

 同時に、トリンキュロが『青火燎原(ハモン・フフ)』による防御を行う際、受ける攻撃を認識し、振り払うような動作を見せていたことを、シャナは見逃さなかった。

 イトの斬撃であれば『青火燎原(ハモン・フフ)』の防御の上からトリンキュロを両断することも可能。しかし、警戒されている攻撃というのは、得てして決まらないものである。

 必要だったのは、トリンキュロの知らない、認識が間に合わないほどの圧倒的な速度と、再生すら許さない絶対の威力。

 雷撃魔術は、それらの条件をすべて満たしていた。

 

「えへへ……賢者さん! わたし、やりました!」

 

 極度の緊張と、集中によるものだろう。

 赤髪の少女の胸に張り付いた白いシャツはうっすらと透けて、顎先からは汗の雫が滴り落ちている。赤色の髪も、ぺたりと一房、頬に張り付いていた。消耗していることは、誰の目にも明らかだ。

 しかし、こちらを振り向いて、にしゃりと笑う表情が魔王のそれではなく、自分のよく知る『赤髪ちゃん』であることに、なによりもシャナは安堵した。

 雷撃魔術を撃ち放つ、刹那。

 その一瞬だけ。少女の表情に、シャナはあの魔王の面影を垣間見た。

 魔王の残滓である、彼女の魔術を使うことで()()()()に引き摺られてしまうのではないか、と。そんな心配が杞憂に終わったことに、なによりもほっとした。

 

「ええ。今回は褒めてあげます。よくがんばりましたね」

「はい! ありがとうございます!」

「本当にすごかったよ。シャナが素直に人を褒めることなんて、滅多にないんだよ?」

「ああ。わかるわかる。シャナちゃんからはツンデレをびんびんに感じる」

「イトさん。あなたとは先ほどの発言についてじっくりお話をする必要がありますね」

「え、なに? 受付とか手伝ってくれるの? 助かるよ〜! 結婚式って人手が足りないから」

 

 アリアが笑い、イトが混ぜっ返し、シャナが噛みつく。

 

「うん。ほんとうに素晴らしいね。ボクの魔王様が順調に育っているようでなによりだよ」

 

 そして、聞こえてはいけない声が相槌を打った、その直後。

 賢者の胸が、背後から刺し貫かれた。

 

 

「え」

 

 

 黒いドレスの胸元を彩るのは、冗談のように赤い鮮血。

 痛みと驚愕。

 ようやく認識が追いついて、振り返った背後には穏やかに微笑む悪魔がいた。

 

「やあ。グランプレ」

「トリンキュロ……どうして?」

 

 ごぷり、と。

 血の泡を吹き出しながらも、シャナは疑問を口にせずにはいられなかった。

 隠れていたわけではない。魔力探知に、抜かりはなかった。

 仮に、再生や回復の魔法を使っていたとして。そもそも、全身が跡形もなく吹き飛んでいた悪魔に、思考を回すための『頭』はないはずだ。

 

「どうしてぇ? お前、曲がりなりにも賢者なんだから、そんなこと聞くなよ。自分の頭で考えな」

 

 魔法による防御の認識が間に合わないほどの、圧倒的な速度。

 魔法による再生すら許さない、絶対の威力。

 雷撃魔術は、それらの条件をすべて満たしていた。

 すべての条件を満たしていたとしても、それは魔王軍四天王第一位を倒せるという事実には繋がらない。

 五体満足。傷一つなく、汚れ一つなく、トリンキュロ・リムリリィはそこにいた。

 

「いやあ、よかったよ、グランプレ。増えたお前を一人ずつ殺すのは……正直なところ、ボクでも面倒だった。昔からの癖だよね? きみはいくら増えても、疲れる戦いをしたあとは、必ず一人に戻りたがる。勝利を確信して、一人にまとまってくれるのを待っていて正解だったよ。全員殺すよりも、やっぱりこっちの方が断然早い」

 

 質問に、答えはない。

 ただ、悪辣で合理的な思考をひけらかしながら。

 子どもが折り紙のつくりものを潰すような気安さで、トリンキュロはシャナの心臓をあっさりと握り潰す。

 破裂音と共に、小柄な体が糸の切れた人形のように揺れた。

 

「賢者さ……!」

「失礼するよ、我が君」

 

 滑らかな動作だった。

 

「少しだけ辛抱を……『虎激眈眈(アリドオシ)』」」

 

 一瞬で距離を詰めたトリンキュロは、賢者の心臓を潰した手のひらで、少女が賢者から譲り受けた杖を手折った。

 それと同時に、赤い瞳を見開いたまま、少女の体が硬直する。

 

「大丈夫。『虎激眈眈(アリドオシ)』は全身を『麻痺』させるだけの魔法だから。こわがらないで。それよりも、雷撃魔術を使うために、随分無理をしたでしょう? すごく汗をかいているね?」

 

 ぺらぺらとよく回る口の中から、赤い舌先が躍り出る。

 べろん、と。

 トリンキュロは、固まる少女の頬から流れる雫を舐め取った。満足気に熱い息を吐いて、最上級悪魔は頬を赤らめる。

 

「……うぅぅん。しょっぱい。良い味だ」

「いや、キモいキモい。もっかい死ね」

 

 吐き散らされたのは、嫌悪の言葉。

 汗の味わいに浸るトリンキュロに向けて、イト・ユリシーズは再び抜いた刃を振りかぶった。

 魔王の魔術ですら仕留めきれなかった、誤算。

 シャナを一撃で仕留めることを許してしまった、迂闊。

 反省すべき点はいくらでもあるが、後悔をしている暇はなく。それらの後悔を踏まえたとしても、イトのやることは変わらない。

 トリンキュロがなぜ復活したのか。再生したのか。回復したのか。そのタネは未だにわからない。

 だが、接近し、斬り裂けば、殺し切れる。

 そんなイトの確信を、

 

 

 

「魔王様バリア〜!」

 

 

 

 トリンキュロ・リムリリィは、邪悪を以て攻略する。

 己の敬愛するかつての主を、盾にするという形で。

 思ってもいなかった一手に、イトの思考が遅れる。

 

(斬撃の射線上に、アカちゃんが被る……!)

 

 イト・ユリシーズの斬撃は、必殺。

 必殺であるということは、斬れば殺してしまうということ。

 

「なんでも斬れちゃうってことはさ……逆に言えば、自分が斬りたくないものは、絶対に斬れないってことだよねえ?」

 

 振りかぶった刃が、止まる。

 イトは即座に遠隔斬撃という攻撃手段を捨て、魔術による攻撃に切り替えるために、懐に手を伸ばした。

 

魔術(そっち)も使えんのは、さっき見たんだよなあ!」

 

 悪魔が吼える。

 赤髪の少女を、盾として前に抱えたまま、トリンキュロが前方に跳ぶ。

 愛刀を振るうことを躊躇ったイトは武器を変え、魔術用紙(スクロール)を抜き出した。

 空中で、交差する一瞬。

 勝敗は、一撃で決した。

 

「うん……強かったよ、騎士団長。きみは、本当に強かった。ただ残念なことに、ボクにはあんまり結婚願望がないからさ。その蒼い心を食べるのはやめておくよ。お腹、こわしたくないし」

 

 無感動に、トリンキュロは言い捨てた。

 悪魔の細い腕が、無造作に手の中のものを捨てる。それは、トリンキュロがすれ違い様にイトの腹から抜き取った、人体のパーツだった。

 あまりにも重い、血を含んだ臓物が地面に落ちる音が響く。

 ただの一言すらなく。

 イト・ユリシーズが、己の体から溢れ出る血の海の中へ、倒れ伏す。

 

「……ッ……ぅ……ッ!」

「ダメだよ、魔王様。全身が麻痺してるって言ったでしょう? 無理に叫ぼうとすると、喉を痛めちゃうよ」

 

 もう動かない、シャナとイトを見詰めて。

 目の中にいっぱいの涙を浮かべる少女の慟哭を、間近で堪能しながら、悪魔はあくまでも優しく囁いた。

 かつての魔王は、涙を流すことなどなかった。

 しかし、これはこれで、良い。

 整った美貌が、悲しみと涙で歪む様。

 それは、トリンキュロの好物の一つだ。

 

「わかるよ、魔王様。人間って悲しい生き物だよね。だって、こんなにも簡単に死んじゃうんだから」

 

 だから、と。

 トリンキュロはわざとらしく言葉を繋げて、

 

「こんなにもか弱い人の心は、せめて大切にしたいよね?」

「トリンキュロッ!」

「うるさいなぁ。声がデカいぞ、アイアラス」

 

 最後の一人。

 激昂する騎士の大剣を、トリンキュロは悠々と受け止めた。

 ドレスから伸びた細い片脚が、姫騎士の鎧の腹を踏み拭き、吹き飛ばす。

 

「さぁーて、アイアラス。どうする? また死んじゃったね? お前は騎士で、前に出て仲間を守るのが役目のはずなのに……まーた仲間を守れずに、お前が最後の一人になっちゃったね?」

 

 全身が麻痺して動けない少女を、やさしく床に下ろして寝かせる余裕を保ちながら。

 悠々と、トリンキュロはアリアに向けて問い掛けを続ける。

 

「黙れ」

「黙れとか、コミュニケーションを否定することを言うなよ。悪魔にだって心はあるんだ。悲しくなっちゃうだろ?」

「黙りなさいっ!」

 

 炎と氷が、乱舞する。

 しかし、当たらない。激昂するアリアの心の内を読んでいるかのように、トリンキュロは軽いステップを踏みながら、それらの攻撃を回避する。

 アリア・リナージュ・アイアラスの強さは、熱のような闘争心と冷たい判断力が違和感なく混じり合っていること。

 守るべき仲間を失い、油断を突かれ、なによりも勇者という精神的支柱を欠いた今。

 世界を救った騎士の全力は、失われている。

 

「『自分可手(アクロハンズ)』……手指鏃(ハントペイル)

 

 だからといって、トリンキュロが手を抜く理由は、ない。

 自らの指先を『自分可手(アクロハンズ)』で鋭い弾丸の形に成形したトリンキュロは、その先端を無造作にアリアへ向けた。

 

「喰い破る猪牙に」

 

 模倣した魔法を使用する、アニマイミテーション。

 模倣した色魔法を使用する、カラーイミテーション。

 

「蜂起する回転を」

 

 そして、それらを溶け合わせることで生み出す、新たな魔法の創造。

 

「混ざれ……()()()()()()()()()()──」

 

 それこそが、トリンキュロ・リムリリィの真骨頂。

 射出された五発の弾丸の内、三発は鎧と剣に阻まれ、弾かれる。だが、その内の二発が鎧の間からアリアの右腕と左脚に容赦なく食い込み、

 

 

「──『猪突蜂天(ファング・ビーネ)』」

 

 

 右腕と左脚が、回転し、捻れた。

 

「ぎっ……あぁぁぁぁぁ!??」

 

 被った頭兜(ヘルム)で、表情は見えない。

 逆に言えば頭兜(ヘルム)を被っていても木霊するほどの絶叫が、姫騎士の口から溢れ出た。

 

「うっ……ふぅ……はぁ、はぁ……」

 

 片膝をつき、痛みを堪えるアリアの肩に、トリンキュロはそっと手を置いた。

 

「ごめんね。今、楽にするよ、アイアラス……『虎激眈眈(アリドオシ)』」

 

 麻痺の魔法で、アリアの痛覚が和らぐ。

 しかし同時に、全身から力が抜け、抵抗の力すら抜け落ちる。

 トリンキュロは、アリアの体を押し倒して、その上に馬乗りになった。

 

「軽めに打たせてもらったよ。これなら、まだ喋れるだろ?」

「離せ……!」

「離さないよ? せっかく、やーっと捕まえたんだから」

 

 抜けた力でもがこうとするアリアの腕を、トリンキュロは小柄な体でがっしりと掴む。

 外見は幼女のそれであっても、中身は正しく化物の膂力。

 

「離せって、言ってんでしょうが……!」

 

 体が麻痺していても、魔法はその限りではない。

 全身からの、発熱。触れたものを焼き尽くす、発火。

 しかし、そんななけなしの抵抗すら、トリンキュロ・リムリリィには通用しない。

 鎧を通した放熱は、すべて『青火燎原(ハモン・フフ)』によって拡散され、周囲に熱波を撒き散らして終わる。

 トリンキュロの顔を見上げて。頭兜(ヘルム)の中で唇を噛みながら、それでもアリアは思考する。

 

 考えろ。

 考えろ。

 考えろ。

 

 なんでもいい。

 逆転の方法。せめて赤髪の少女(あの子)だけでも、この悪魔から逃がす方法を……

 

「ねえ、アイアラス。一つ、質問いいかな?」

「お前に答えることなんか……!」

「最後の戦いで、勇者に庇われた時。どんな気持ちだった?」

 

 投げられた問いに、アリアの思考は貫かれた。

 

 どうして? 

 どうしてこの悪魔は、今。そんなことを聞く? 

 

 それまでの、小馬鹿にするような態度とは違う。

 雨があがったあとに空に架かる虹は、何で出来ているのだろう、と。

 純粋な知的好奇心から、子どもが質問をするように。

 トリンキュロは、言葉と疑問を重ねていく。

 

「つらかった? うれしかった? 後悔した? それとも、自分の力不足を嘆いた?」

「なに、を」

「お前のせいで勇者は名前を失ったね。あんなにも人と人の繋がりを大切にする勇者が、人の名前を呼べなくなってしまったね」

「……お前にっ! お前なんかに、何が分かる!?」

「わからないよ? だからこうして、理解するための努力をしているんじゃないか」

 

 ダメだ。

 のせられてはいけない。

 その葛藤は、もう克服したはずなのに。

 わかってはいても、アリアの心に入り始めた亀裂は、元には戻らない。

 じわじわと、広がって、裂けていく。

 

「教えてよ、アイアラス。きみの心が、知りたいんだ」

 

 ただひたすらに、力の差があった。

 奪う者と、奪われる者。

 捕食者と被捕食者。

 それまでアリアの表情を覆い隠していた鎧を、少しずつ、確実に。トリンキュロは剥いでいく。

 心の外殻を取り除いて、その中に眠る傷口に指を差し入れるために。

 

「顔が見たいな」

「…………やだ」

「ん?」

「……いやだ」

 

 か弱く細い、女の声。

 それが自分の声であることを、アリアは信じたくなかった。

 身体が、震える。

 心が、恐怖している。

 殺されたことはある。死ぬのはこわくない。

 だけど、死ぬことよりも、自分の心を、無造作に、無遠慮に、暴かれる事の方が、おそろしい。

 

「やめて……みないで」

 

 頭兜が歪む。みしみしと、いやな音を鳴らす。

 表情だけは、見られない。

 そんな細やかな最後の砦が。最後の頼みが、あっさりと毟り取られる。

 アリアの表情を、トリンキュロはまじまじと眺めた。

 乱れた金髪。

 濃い汗の匂い。

 噛み締めて血が滲む唇。

 どれこれも、心が折れた人間の有り様として美しかったが、なによりも雄弁な証明は、目元にあった。

 

「ああ、やっぱり──」

 

 すごく納得した、と。

 そう言いたげな表情で、トリンキュロは告げた。

 

 

 

「──お前、泣いてるじゃないか」

 

 

 

「う、うあああああああああああああ」

 

 決壊する。

 ぎりぎりで保っていた心が。

 繋ぎ止めていたプライドが。

 砕かれて、圧し折れる。

 その事実を指摘されて、アリアはようやく自分の瞳から涙が溢れている事実を、認識させられた。

 腕と脚を、捻じ曲げられた時よりも、より深い絶叫が、響いて流れていく。

 

「いいね。世界を救った姫騎士も、鎧の一皮を剥いてしまえば、こんなにかわいい女の子だ」

 

 トリンキュロは、アリアの頬を流れる涙を啄んだ。

 シャナは殺した。イトも殺した。

 ではなぜ、最後にアリアを残したか? 

 咀嚼するためだ。

 より、厳密に言うなら。

 あの中で一番食べやすそうで、最も食べ頃に近いと感じたのが、アリア・リナージュ・アイアラスだったからだ。

 

「じゃあ、いただきます」

 

 鮮やかな金の髪を、片手で鷲掴みにして。

 

(ことわり)(ほど)け──『意心伝心(ハルトゴート)』」

 

 トリンキュロの唇が、アリアの唇を()む。

 あるいは。

 己の思うがままに、己の人の心を喰らう怪物であったのならば、トリンキュロ・リムリリィは決して四天王の頂点に至ることはなかっただろう。

 行動を分析する。分析を煮詰める。煮詰めたそれから、答えを導き出す。

 トリンキュロという悪魔は、常に理性に基づき、相手の心を捕食するための思考を行う。

 そうして、野生のままに喰らい尽くす。

 

「ご馳走様(ちそうさま)でした」

 

 長い長い、口吻(くちづけ)が終わる。

 

 その悪魔は、触れた全てを模倣する。

 その悪魔は、触れた全てを理解する。

 魔王が倒れた後の世界で、主無き身に成り果てたとしても、決して止まることはない。

 それは、人の心への憧れが生んだ、頂点捕食者。

 

 『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』。トリンキュロ・リムリリィ。

 

 この世界を滅ぼす、最強の悪魔にして、魔法使いである。

 

「ありがとう、()()()。これで、きみの心はボクのものだ」

 

 トリンキュロ・リムリリィには、一つ。小さな拘りがある。

 心を喰らった相手を殺す時は、

 

「美味しかったよ。 『紅氷求火(エリュテイア)』」

 

 その心の名を、呼びながら殺す。

 そんな、小さな拘りだ。

 名前という概念が、人にとってなによりも大切であることを、トリンキュロは、よく知っていた。

 

 

 ◆

 

 

「見つけたーっ! 最後の一人だ!」

 

 それは、とある悪魔の最初の記憶。

 飢えて、苦しくて、辛くて、すべてが朧気であった頃の、心の奥底に眠る断片。

 

「ククク……驚いたな。こんな小さな子どもが、最後の一人とは……本当に大丈夫か?」

「いや、最初の仲間が遊び人だったし、今さらでしょ。ていうかサジ、昨日借したお金返してくれる?」

「フフ……あと三日待ってください」

「サジタリウス貴様っ! また金をたかったのか!? いい加減にしろ! 我々の旅の資金をなんだと……」

「キャンサー、うるさい」

「……」

「まあ、そう目くじらを立てるな、じいさまよ。明日には三倍にして返す」

「結構な自信だけれどね、サジタリウス。あなた、リーダーにたかるのはもうやめなさい。いい加減にしないとその唯一の取り柄のキレイな顔をボコボコにするわよ」

「ククク……待ってくれヴァルゴ。本当に明日は勝てる。勝てるんだ」

「ていうか、お金に困っているなら私から借りなさいな」

「断る。お前から借りても興奮しない」

「殺す」

「やめてヴァルゴ。サジの唯一の長所が消えちゃう」

 

 賑やかで、うるさいパーティーだった。

 一気に過熱しはじめた喧騒から抜け出して、少女は苦笑した。

 

「騒がしくてごめんなさい。でも、いつもはみんな仲良しだし……それに、とっても楽しいの」

 

 眩しい、と思った。

 

「ねえ。わたしの仲間になってくれる?」

 

 微笑み、手を差し伸べてくる少女の、すべてが眩しかった。

 

「あなた、名前は?」

「……カプリコーン。でも……」

「ん?」

「自分の、名前……きらい。好きじゃない」

「どうして?」

「自分は、悪魔だけど……人間に、なりたい」

「……そっか」

 

 彼女は膝を折った。

 目線が合う。同じ高さで、見詰め合う。

 そんな小さな気遣いを受けたのも、はじめてだった。

 

 

「じゃあ、わたしがあなたに名前をあげる」

 

 

 地面に生えた小さな花をそっと摘んで、少女は微笑んだ。

 

「カプリコーン・アインじゃない。あなたの、あなただけの、人間としての名前」

 

 たくさんのものを、彼女から貰った。

 旅の楽しさも、寝床を共にする温もりも、言葉を交わす嬉しさも。

 けれど、一番最初に貰ったものが、最も大切なものにものになった。

 

 

「──トリンキュロ・リムリリィ」

 

 

 その名は、悪魔を呪縛から解き放つ、祝福になった。

 

 

 ◆

 

 

「あなたは……何なんですか?」

 

 赤髪の少女が、まだ痺れの残る唇で、必死に声を絞り出す。

 彼女はもう、何も覚えていない。

 だから、思い出すまで、繰り返そう。

 何度でも、何度でも、教えよう。

 

「トリンキュロだよ。ボクの名前は、トリンキュロ・リムリリィだ」

 

 人は脆い。

 人は弱い。

 人は醜い。

 

 それでも。

 

 いつの世も、人の心は美しい色合いに満ちている。

 誰かを愛したことはない。

 悪魔にとって、人は捕食の対象。

 魔王という主に向けていた感情が、愛と呼べるものかどうか。トリンキュロにはわからない。あるいはアリエスの方が、その答えには近かったのかもしれない。

 それでも、カプリコーン・アインという悪魔は、人間としての名を受け取って、人を理解するための道を選んだ。

 

 トリンキュロ・リムリリィは、人の心を愛している。

 

 自らの血肉として、その心を己を動かす赫色の中に落とし込むことを望む。

 食らって、食らって、喰らい続けて。

 その先に、孤独が待ち受けているとしても。

 きっとそれは、唯一無二の極彩に成り得るだろう。

 だからこそ、人間を目指す悪魔は信じている。

 

 ──ボクの愛が、最も(とうと)い。




こんかいのとうじょうあくま

トリンキュロ・リムリリィ
 魔王軍四天王第一位。またの名を、カプリコーン・アイン。十二の使徒における、第一の山羊。原初の悪魔。魔王の最後の仲間。
 最上級悪魔の中で唯一「人間になりたい」という欲求を持ち、それを実現するために心と魔法を喰らい続けている。
 悪魔としての自分の名前が大嫌いだったので、魔王様から貰った今の名前が大のお気に入り。最上級悪魔としての名を呼ぶと、キレる。

ヴァルゴ・ノイン
 十二使徒の一柱。第九の乙女。世話焼き姉さん気質。サジタリウスがきらい。

キャンサー・ジベン
 十二使徒の一柱。第七の蟹。本編ではイト先輩にぶった斬られて故人。

サジタリウス・ツヴォルフ
 カスのヒモ。魔王様の最初の仲間。


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黒輝の激怒

 体が満足に動かない。

 頭が霞がかったように重い。

 それでも、赤髪の少女は立ち上がろうと動いた。

 最上級悪魔による鏖殺は、滞りなく完了した。

 シャナが死んでいる。イトが死んでいる。アリアが死んでいる。

 自分以外の全員が、息をしていない。

 それでもなお、赤髪の少女は震える腕で、折れた杖を手繰り寄せた。

 

「へえ」

 

 トリンキュロは、少し意外そうに片眉を釣り上げた。

 

「まだ折れないんだ。ちょっとびっくりしたよ」

 

 雷撃魔術を撃たれる刹那。トリンキュロは赤髪の少女の中に、紛れもない主の面影を垣間見た。

 やはり彼女は、かつて世界を滅ぼそうとした魔王であり、その心の中には尊い主の色合いが、未だに眠っている。

 仲間を全員殺せば、少女の心は完膚なきまでに砕けて、魔王の心を引き出せるかもしれない。そんな可能性も前向きに加味した上で、トリンキュロは少女を除く全員を殺害した。

 だが、現にこうして、赤髪の少女は立ち上がろうとしている。

 

「……いやだなあ」

 

 追い詰められても挫けない。

 絶望の中にあっても、前を見続ける。

 奇しくもその姿は、トリンキュロがこの世で最もきらいな、あの男とひどく重なった

 

「ボクの魔王様には、勇者みたいになってほしくないんだけどね」

「……そうですか」

 

 鮮やかな赤色の髪が、散らばって広がる。

 乱れた前髪の間から、トリンキュロを見据える瞳は、やはり赤い。

 

「わたしの目標は、勇者さんです。あなたの思い通りには、なりません」

 

 強がりを多分に含んだ、笑み。

 瞳には涙の跡が滲み、額には汗が滲んでいる。

 だとしても、この状況で笑ってみせることができる。その事実に、トリンキュロは舌打ちを鳴らした。

 

「……だから嫌なんだ。勇者の側にいる人間は、どいつもこいつもやたら強くなる」

 

 それはまるで、全てを自分の色に染め上げるような。

 あるいは、混ぜ合わせた上で、自分の色にしてしまうような。

 

「なんでもかんでも真っ黒にされちゃたまんないね」

 

 吐き捨てながら、トリンキュロは少女がひろい上げようとした杖を、蹴飛ばした。

 

「さて、魔王様……キスとハグをしよっか」

 

 あっけらかんと言い放ちながら、トリンキュロは赤髪の少女に迫る。

 抵抗はない。麻痺の魔法の効果は未だに抜けきっておらず、最上級悪魔に膂力に対する抵抗の術はない。

 だからこそ、少女は言葉を紡ぐことをやめなかった。

 

「あなたは……」

「ん?」

「あなたは、勇者さんに一番近い魔法を持っているはずなのに……どうして()()()()()()()()()()()()んですか?」

 

 単純な、憎しみではなかった。怒りでもなかった。

 哀れみ。憐憫。

 そういった感情がないまぜになった、鏡のような赤く潤んだ瞳。

 

「……あー」

 

 可憐な少女の姿で。

 がっぷりとはしたなく股を開き、がりがりと頭の後ろをかきながら。

 トリンキュロはその場に座り込んで、赤髪の少女と向かい合った。

 

「たとえば、一匹の蝶を飼っていたとして、さ」

 

 悪魔は、例え話を交えて語る。

 理解を得られるように。

 

「あいつは、あの勇者は……飼っていた蝶が死んじゃったら、きちんとお墓に埋めて手を合わせて、毎年蝶が花に蜜を取りに来る季節にその子のことを思い出す……多分、そういうヤツなんだろうね」

 

 あるいは、共感を得られるように。

 

「ボクはさ、キレイな蝶は標本にして手元に置きたいんだよ」

 

 しっかりと、その赤い瞳と目を合わせて、トリンキュロは言葉を紡ぐ。

 その態度は、いっそ薄気味悪いほどに、真摯だった。

 

「……そうですか。やっぱり、わたしにはわかりません」

「わからなくていいよ」

 

 指先を絡めて、トリンキュロは笑う。

 

 

「あなたがボクを理解してくれなくても、ボクがあなたを理解してあげるから」

 

 

 どこまでも一方的で。

 どこまでも利己的な。

 そんな在り方で人の心を理解しようとするトリンキュロは、気付かない。

 

「いつかは死ぬ人の心を、永遠のものにしたい。その色合いを、ボクの中に魔法というカタチで残したい。それは、おかしなことかな?」

「そうですわね。人は、死にます」

 

 いつの間にか、背後に一人の女が佇んでいたことに。

 赤髪の少女ではない。

 シャナでも、イトでも、アリアでもない。

 聞こえてはいけない声が、相槌を打った。

 それは、甘く滑らかで美しい、打てば響くような、女の声。

 トリンキュロ・リムリリィが、この世で最もきらいな、女の声だった。

 

「世界を救った賢者も、世界を救った騎士も。あるいは、そんな彼女たちに匹敵する力を持つ、世界最高の剣士も。人間という生き物は、簡単でくだらない理由で、あっさりと命を落としてしまいます」

 

 かつて、四天王第一位だった悪魔は、賢者も、騎士も、世界を救ったパーティーのメンバーを完膚なきまでに叩きのめし、一度は完全に勝利を納めている。

 

「どれだけ知恵を蓄えようと、どれほど堅牢な鎧に身を包もうと、どんな名刀を携えようと。人は人である限り、些細な油断で、悪辣な罠一つで……そして、時の流れの中で、いつかは命を取り零します」

 

 この世に、もしも、という仮定ほど無意味なものは存在しない。

 

「ですが、それは今日ではありません」

 

 しかし、トリンキュロ・リムリリィは、その声を聞く度、その名を思い出す度に、いつも考えてしまう。

 

「もしも、それが今日だというのなら……そんなくだらない死は、わたくしが覆して差し上げましょう」

 

 この女さえ、いなければ。

 

 

「リリアミラ・ギルデンスターン……!」

 

 

 この女さえ、裏切らなければ、自分たちが敗北することなど、絶対にあり得なかった、と。

 

「ええ、わたくしです。あまりひさしぶり、というわけでもありませんわね。トリンキュロ」

 

 自らの名を呼ばれて、死霊術師はひらひらと手を振った。

 女が立っている。

 棘のある花の如き、妖艶な容貌。

 凛と際立つ、鈴の声音。

 ウサギの耳を模した、耳飾り。

 要するに、バニーガール。

 その姿を、トリンキュロは頭から足先まで、まじまじと見詰めた。豊満な体を惜しみなく晒す、煽情的な衣装を。

 

「一つ、質問いいかな?」

「どうぞ?」

「お前……どうしてバニーガールなんだ?」

「あらあら。ここはカジノでしょう? 下品な悪魔は、ドレスコードも弁えられないようですわね?」

 

 自分が着ているドレスよりもお前のバニーガールの方が下品だろう、とか。

 そもそもカジノのバニーガールは絶対にドレスコードではないだろう、とか。

 言いたいことは山程あったが、トリンキュロはそれを口には出さなかった。

 敵の服装を、いちいち気にかける必要はないし、それを指摘するのも無駄なだけである。

 それよりも重要なことは唯一つ。

 

「ギルデンスターン。お前、どうしてのこのこ出てきた?」

「さて? のこのこ、とは?」

「言葉通りの意味だよ。このボクが、目の前で悠長に、お前に仲間を蘇生させるのを眺めているとでも思っているのか?」

 

 リリアミラを無力化するための魔法の組み合わせを頭の中で巡らせながら、トリンキュロはわざとらしくせせら笑う。

 リリアミラの『紫魂落魄(エド・モラド)』による蘇生は絶対だ。四秒間触れてしまえば、肉片であろうとなんであろうと、完璧な形で人間を蘇生する。

 心臓を潰された賢者も、臓物を抜き取られた剣士も、首をへし折られた姫騎士も、指先一つで簡単に蘇る。

 逆に言えば、指先一つでも死体に触れることができなければ、蘇生はできない。

 四秒という時間は、トリンキュロ・リムリリィの前では、あまりにも長い。

 しかし、リリアミラはそれを指摘されても、ゆったりと微笑むだけだった。むしろ首を傾げて、死霊術師は最上級悪魔に言葉を返す。

 

「わたくしからも、一つ。疑問に思っていることがあるのですが」

「なにかな?」

「よろしいのですか? トリンキュロ。わたくし如きの登場に、気を取られて」

「あ?」

 

 策謀を巡らせているわけではない。

 駆け引きを仕掛けているわけでもない。

 ただ単純に、一つの事実を、リリアミラ・ギルデンスターンはトリンキュロに教えた。

 

「あなたの死神が、すぐそこまで来ていますよ?」

 

 赤髪の少女でも、リリアミラでもない。

 新たなもう一人の声が、低く響いた。

 

 

 

「コール──ジェミニ・ゼクス」

 

 

 

 その名前を、トリンキュロは知っている。

 

 

「『哀矜懲双(へメロザルド)』」

 

 

 その魔法を、トリンキュロは知っている。

 振り返った時には、もう遅い。

 入れ替わっていた。

 トリンキュロが、熱い口吻と抱擁を交わそうとしていた相手が。

 赤髪の可憐な少女から、下履き一つの不審者に。

 その姿を、トリンキュロは頭から足先まで、まじまじと見詰めた。

 男が立っている。

 細くとも鍛え抜かれた体。

 突き刺すような視線。

 やはり露出している上半身。

 要するに、半裸。

 パンツ一丁で仁王立ちするその男を、トリンキュロ・リムリリィはよく知っている。

 

「ゆ、勇者……」

「ひさしぶりだな」

「おま、お前……」

 

 体が震える。

 心が生理的嫌悪で揺れる。

 玉のような汗が浮かび、トリンキュロの呼吸が、早くなる。

 なぜここに? 

 どうしてわかった? 

 いつから自分の存在に気がついていた? 

 限界だった。

 言いたいこと、聞きたいことは山程あったが、それでもトリンキュロは問わずにはいられなかった。

 

 

「なんで服を着てないんだよぉおおお!?」

 

 

「うるせえ」

 

 絶叫するトリンキュロの顔面に、拳が突き刺さる。

 トリンキュロ・リムリリィの体には、もはや数え切れないほどに魔法という神秘が収められている。

 迂闊に触れれば、魔法効果による即死も有り得る。

 

 そんなことは、関係ない。

 

 勇者は、悪魔の可憐な顔立ちを、躊躇なく殴り抜いた。

 

「ごっ……!?」

 

 一発、ではない。

 踏み込んで、二発。

 潜り込むようにして、三発。

 踏み締めた床を砕き割って、四発。

 流れるような打撃が全身に余すところなく浴びせられ、トリンキュロの小柄な体が吹き飛び、叩きつけられる。

 

「がっ……あ」

 

 戦闘を開始してから、はじめて。

 四天王第一位が、床に膝をつき、肩で息を吐く。

 

「大したダメージじゃないだろ? さっさと立て」

 

 瞳が、淡々と敵を見据える。

 拳が、雄弁に音を鳴らす。

 声が、鋭利な殺意を突きつける。

 世界を救った勇者が、どこまでも静かに、悪魔へ告げる。

 

「おれは、今からお前を死ぬまで殴る」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
パンツ。

死霊術師さん
バニーガール。

赤髪ちゃん
また脱いでる……!

トリンキュロ・リムリリィ
なんでバニーガールなんだ……?←まだ耐えられた
なんで半裸なんだ!?←耐えられなかった


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勇者の本気

 人間は死んだらどうなるの? 

 そんな使い古された質問に対して、シャナ・グランプレの答えは一つだけだ。

 人間が死んだらどうなるかなんて、神様にもわからない。

 けれど、死んでから生き返った時の気分は、何時だって最悪だ。

 

「う……ぅん? あれ、私……?」

「勇者さま〜! 言われた通り、賢者さまから蘇生いたしましたわ〜!」

「……は?」

 

 寝起きにバニーガールは、目に毒である。

 飛び起きたシャナは、何故かバニーガールの格好をしているリリアミラと、いつものように半裸の格好で恥ずかしげもなく立っている勇者を交互に見た。

 寝起きに黒のブリーフは、目に毒である。

 

「ありがとう。死霊術師さん」

「ゆ、勇者さん……」

「賢者ちゃん。起きたばっかりのところにお願いして悪いんだけど、寒いから服ちょうだい」

 

 トリンキュロ・リムリリィを一撃で殴り飛ばした勇者がまず最初に要求したのは、当然のことながら自分の身を守る装備だった。

 リリアミラの魔法によって死地から生き返ったシャナは、その第一声にやれやれと溜息を吐いた。

 

「……なんで裸なのか、とか。私達に何か言うことがあるんじゃないか、とか。言いたいことは山程ありますが、まあ良いでしょう」

「裸じゃないよ。パンツ履いてるでしょ」

「……はぁぁ」

 

 こんなこともあろうかと持ち込んでおいた……というよりは昔の癖で常に持ち歩いている装備を、シャナは格納用の魔導陣から引き出した。

 人体の要を効率良くカバーする、勇者が好む軽装の鎧。シャナが渡したそれを、勇者はさっさと着込んでいく。脱ぐのが早いだけあって、着るのも手早い。

 ようやく人前に出られる格好になった勇者の背中を眺めながら、シャナは指示を仰いだ。

 

「命令は? 勇者さん」

「騎士ちゃんと先輩が立ち直るまでのフォローを最優先。赤髪ちゃんは後ろに下げて。おれと死霊術師さんで前をやる。賢者ちゃんは何人使える?」

「広さを加味して、二十人ほどでしょうか」

「三人ずつ、騎士ちゃんたちに付けて護衛を。残りはおれのフォローだ」

「了解です」

 

 淡々と、やりとりが進む。

 

「ゆ、勇者さん……! わたしも、まだやれます!」

「大丈夫だよ、赤髪ちゃん。悪いけど、下がってて」

 

 自分はまだ戦える、と。そう主張する少女の頭をわしわしと乱雑に撫でる勇者の視線は、既に倒すべき敵しか見ていない。

 

「よくがんばったね。あとは、おれがやるから」

 

 拳を握り締める勇者に向けて。

 聞いても無駄だろうな、と思いつつも、シャナは問う。

 

「武装は?」

「いらない」

 

 極めて平坦な口調で、

 

「アレを、直接ぶん殴りたい気分だから」

「承知しました」

 

 一礼と共に、世界最高の賢者は、一歩。後ろに退いた。

 

「どうぞ、存分に」

「うん」

 

 何よりも、勇者の全力の戦闘に、巻き込まれないために。

 

 

 

「ボクに一発入れたからって、調子に乗ってんじゃないのか勇者ァ!?」

 

 

 

 直後、激突があった。

 瓦礫の山の中からトリンキュロが飛び出し、咆哮する。

 最上級悪魔の細腕は、華奢に見えても何よりも鋭い凶器だ。野生の獣の爪の如く、襲いかかるそれに少しでも触れた瞬間、トリンキュロの魔法は相手を蝕む。

 するり、と。

 音もなく、勇者はトリンキュロの拳を受け流した。

 まるで、そうすることが最初から決まっていたように。

 勇者は、かつての四天王第一位を、真正面から受けて立つ。

 

「ちぃ!」

 

 速度は申し分ない。

 威力は言うまでもない。

 狙いも悪くない。

 しかし、当たらない。

 トリンキュロが繰り出す打撃は『我武修羅(アルマアスラ)』によって強化されているにも関わらず、その尽くが受け流されて、勇者の体を捉えることができない。

 勇者の突きが、トリンキュロの腹部を撃つ。トリンキュロの薙いだ右腕が、裏拳で弾かれる。勇者の正拳が、トリンキュロの顔面を潰す。トリンキュロの重い蹴りが、勇者の軽い体捌きだけでいなされる。

 普通ならば、トリンキュロ・リムリリィに触れた瞬間に、相手は終わる。

 しかし、勇者は終わらない。

 勇者の打撃は、終わらない。

 ただひたすらに、殴って、殴って、殴り抜く。

 

「ごほっ……!」

 

 トリンキュロの胸元で、リボンにあしらわれたブローチが砕ける。

 一連の攻防を見て、赤髪の少女は気がついた。

 

「触れているのに、魔法が効いてない……?」

 

 勇者はたしかにトリンキュロの攻撃を的確に回避していたが、全ての攻撃を避けているわけではない。にも関わらず、勇者にトリンキュロの魔法の影響は見られない。

 

「ええ。勇者さんの拳は、普通じゃありませんからね」

 

 疑問に、賢者が答える。

 魔法戦の鉄則は、相手に触れられないこと。

 身体的接触による、魔法の影響を避けること。

 故に、魔法使いの戦い方は、大まかに二通りに分かれる。

 自身の魔法によって優位を保ちながら、接近を徹底的に避け、遠距離からの攻撃手段で相手を押し潰すか。

 自身の魔法を直接相手に浴びせるために、懐に飛び込んで、近接戦で強みを押しつけ続けるか。

 接触さえできれば、勝利が確定する。

 己の魔法に絶対の自信を持つ優れた魔法使い。色魔法の使い手ほど、近接戦闘を好む傾向にある。

 

「また増やしたのか? 魔法」

「ああ、そうだよ! もう魔法が使えないお前と違ってね! 悪いけど、ボクは……」

「そうか」

 

 よく回るトリンキュロの口を、再び勇者の打撃が、殴って閉ざす。

 今の勇者に、かつての魔法はない。

 全盛期の最強を支えた魔法の数々は、魔王の呪いによって失われている。

 

「ぐっ……アニマイミテーション! 『奸錬(イビル)──」

 

 打撃を通す。

 

「くそっ……『虎激(アリド)──」

 

 打撃を通す。

 

「ぜ……『不脅(ゼル)──」

 

 打撃を通す。

 敵に魔法を使う暇を与えず、ただひたすらに打撃を通す。

 今の勇者に、魔法はない。

 では、現在の勇者は弱いのか? 

 

「──ぐごっ……がっは……!?」

 

 (いな)である。

 たとえ、その強さを根底から支えた魔法のほとんどが失われているとしても。

 数多の戦闘で培ってきた直感と、磨き抜かれてきた洞察は、その一切が衰えることなく、健在。

 そしてなによりも、勇者の近接格闘は、ムム・ルセッタの直伝(じきでん)。千年の研鑽を惜しみなく伝授された、一つの技巧の頂点。

 それは、触れた瞬間、打撃の刹那に衝撃が伝播し、炸裂する。

 

 ──魔法殺しの、黄金の拳。

 

「……すごい」

 

 赤髪の少女は、理解する。

 ジェミニと戦った時も、勇者は間違いなく本気だった。

 手を抜いていたわけではないだろう。気を抜いていたわけでもないだろう。けれど、あの時の勇者は、()()()()()()()()を最優先に、戦っていた。

 今は、違う。

 今、この瞬間。勇者は、目の前の敵をただ殺すために、拳を握り締めている。

 

「ぐっ……はぁ、はぁ……」

 

 その殺意を一身に浴びる最上級悪魔は、呻くことしかできない。

 

(だ、打撃の、勘所が良すぎる……動く前に、魔法攻撃の起き上がりを、潰される!)

 

 理解は、していたはずなのに。

 その厄介さに、トリンキュロは改めて戦慄する。

 自らの手で、殺すことに……近接戦に拘れば、このまま押し切られかねない。

 

「……なら、遠距離で殺すだけだ」

 

 狡賢い悪魔は、思考を切り替える。

 勇者への接触は諦め、『奸錬邪智(イビルマル)』によって柔らかくした地面を踏み込み、トリンキュロは後退する。

 間合いさえ稼げば、こちらのもの。

 指先を弾丸のように構え、トリンキュロは歯を剥き出しにして叫ぶ。

 

「食い破る猪牙に、蜂起する回転を……! クロスイミテーション! 『猪突蜂天(ファング・ビーネ)』」

 

 それは、姫騎士を屠った手指弾丸。トリンキュロ・リムリリィの真骨頂である、合成魔法。

 直撃の瞬間、内部から捻れて破壊する、絶死の連射である。

 右手から五発。左手から五発。合計十発の弾丸が、勇者に襲い掛かる。

 勇者は、その攻撃を知らない。アリアより先に死んでいたシャナも、その詳細がわからない。わからないが故に、警告することもできない。

 だからこそ、

 

「『哀矜懲双(へメロザルド)』」

 

 勇者はその未知の攻撃を、完璧に防御する。

 死霊術師を、手元に引き寄せ、盾にすることによって。

 

「ぎぃやぁぁぁ!!?」

 

 十発の手指弾丸は、バニーガールの身体に一発残らず着弾。それらすべてに仕込まれた『回転』の魔法が作用し、リリアミラの体は着弾した十箇所で捻り切れ、血飛沫を巻き上げる。

 

「……うわ」

 

 肉壁にされたリリアミラの有り様は、凄惨という言葉では言い表せないほどで、原因となる弾丸を撃ち込んだトリンキュロですら、顔を歪めるほどだった。

 

「なるほど」

 

 だから、反応が遅れた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 分析が終わる。

 ぞっとするほどの、低い声が響く。

 仲間を盾にして、表情の一つすら変えず。

 勇者は、血の雨の中から千切れ飛んだ肉片の一つを掴み取って、トリンキュロに向けて投擲する。

 

「……っ!?」

「『哀矜懲双(へメロザルド)』」

 

 投擲された()()()()()()()()()()が、刹那の内に入れ替わる。

 トリンキュロがやっとの思いで稼いだ間合いが、一瞬で詰まる。

 下から、抉り通すように。躊躇のない一撃がトリンキュロの頭部を捉え、遂に顎の骨を砕き割った。

 使いこなしている。

 本来、最上級悪魔が運用するはずの魔法を、黒輝の勇者は存分に使い潰している。

 実際に、対峙してみなければわからない。実際に、対峙してみれば嫌が応にでも理解させられる。

 近接格闘を至上とする勇者と、転移によって間合いを自由自在に詰める『哀矜懲双(へメロザルド)』の相性は、これ以上ないほどに良い。

 

(ジェミニめ……なんて、なんて厄介な置き土産を遺していったんだ……!)

 

 だが、しかし。

 それでも、トリンキュロは勇者に負けるつもりはない。負ける気もしない。

 

「舐めるなよ……真っ黒野郎」

 

 勇者は、目を見張る。

 砕いたはずの顎が再生し、トリンキュロは元通りに言葉を紡いでいた。

 

「『猪突蜂天(ファング・ビーネ)』ぇぇ!」

 

 右腕の五発。勇者は身を大きく退いて避けた。

 左腕の五発。勇者は体を回転させて、ぎりぎりで躱した。

 

「甘いよ。ばーか」

 

 そして、()()()()()

 トリンキュロが足から放った不意打ちの射撃を、勇者は腕を犠牲に受け止めざるを得なかった。

 右腕が粉々に捻じれ、使い物にならなくなる。

 その隙を見逃さず、トリンキュロは躍りかかる。

 

「片腕なら、殺せるなァ!」

 

 腕一本の喪失。常人なら絶叫する痛み。

 しかし、自身の肉体が欠けたところで、勇者はその表情を小揺るぎもさせなかった。

 

()()

「はい」

「撃て」

 

 勇者の背後に回っていたシャナは、躊躇わなかった。

 魔導陣から撃ち放たれた岩の弾丸は、あっさりと勇者の胸を貫き、殺す。そして、ついでとばかりに、貫通したそれはトリンキュロの顔面を抉り抜いていった。

 

「ごっ……!?」

 

 勇者は死んだ。

 口元から血を流しながら、勇者は笑う。

 既にその傍らには『哀矜懲双(へメロザルド)』により引き寄せられた死霊術師が寄り添っている。勇者の体に、触れている。

 

「ひとーつ」

 

 貫かれた背中が、再生する。

 

「ふたーつ」

 

 抉られた肉が、再び織り込まれる。

 

「みーっつ」

 

 完璧に元通りになった心臓が、血液を送り出す。

 

「よーっつ」

 

 そして、トリンキュロ・リムリリィにとって、なによりも最悪なことに。

 捻れたはずの右腕までもが、塗り重ねられた()によって、完璧に再生していた。

 

「ふざけっ……!」

 

 ふざけるな、と。

 そう叫ぶことすら許されず、穿ち抜く拳が、トリンキュロの鼻を叩き折って吹き飛ばす。

 トリンキュロは、まるで人形のように錐揉み、地面を無様に転がった。

 

「あったまってきたな」

 

 事も無げに、勇者は言った。

 

「……うん。そうだね」

 

 起き上がって、トリンキュロも応える。

 挨拶代りの、前哨戦が終わる。

 

「ふふ……くくっ……あはは」

 

 トリンキュロ・リムリリィは笑う。

 それは、どこまでも懐かしい感覚だった。

 自分の命に指先が掛かる、暗い危機感だけがもたらす熱があった。

 魔法を殺す拳。

 魔法を見抜く洞察の眼。

 魔法を躊躇いなく使い潰す心。

 人の心を喰らう頂点捕食者である最上級悪魔は、思い出す。

 すべてを塗り潰す黒輝の勇者は、彩りを尊ぶ自分にとって、たった一人の天敵。

 そう。この世界で、たった一人。

 

 この男は、魔王を殺した唯一の人間だ。

 

 トリンキュロは、思わず呟いた。

 

「バケモノめ」

 

 勇者は、口元を歪めて吐き捨てた。

 

「よく言われる」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者
近接格闘特化型勇者。敵は殴れば死ぬと思っている。
ちっこい師匠のスパルタ指導により、魔法殺しの拳を獲得。本来、迂闊に触れてはいけない魔法使いを一方的にバリツっぽい何かで殴り殺す技術を持つ。テクニックタイプ。
今でも威力十分だが、全盛期はここに全身硬化による硬さが加わって、手が付けられなかった。

トリンキュロ・リムリリィ
サンドバッグ。

リリアミラ・ギルデンスターン
シールド兼無限残機発生装置。
余談だが、ジェミニの魔法のお陰で手元に引き寄せやすくなったので、生きる盾としての使い勝手がアップした。

シャナ・グランプレ
勇者の次に、死に慣れているので、死んだあとのショックからの復帰が早い。


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勇者と親友

 勇者と四天王の第一位が、激戦を繰り広げていた、その頃。

 

「ぬおおおおおおおおお!」

「むん」

「ふおおおおおおおおお!」

「むん」

 

 ムム・ルセッタとサジタリウス・ツヴォルフのギャンブル三本勝負は、第二戦を迎えていた。

 勝負の内容は、これ以上なくシンプルなトランプゲームの王道、ババ抜き。だが、ムムとサジタリウスの魔法が、その戦いの内容を無駄にややこしくしていた。

 

「フフ……ククク……ワハハハ! いい加減にしろっ! 幼女! ()()()()()()()()()()()()()! これは確定事項だっ!」

 

 ムムの手札からカードを引き抜こうと躍起になりながら、サジタリウスが叫ぶ。

 

「じゃあわたしも、このカードは離さない」

 

 サジタリウスにカードを引かれないように、涼しい表情でムムが呟く。

 

「ふざけるなぁあああああ! 魔法でカードを握り込むんじゃあないっ! ガキか貴様は!」

 

 サジタリウスはキレた。

 ムムはちょこんと首を傾げた。

 

「……? うん。わたし、ガキ」

「そうだったなあ! 見た目はガキだったなっ!」

「若いって、よく言われる」

「そうだろうなっ!」

 

 事実、見た目は紛うことなきロリである。そういう問題ではない。

 

「ククク……くそ。どうしてこんなことに」

 

 ムムの手札は、残り二枚。サジタリウスの手札は、残り一枚。あと一枚、ジョーカーではないカードを引けば、サジタリウスの勝利が確定する、いわば王手に近い状況である。

 そしてなによりも、サジタリウスの魔法『妄言多射(レヴリウス)』は発言した事象を()()することができる。サジタリウスが「オレはジョーカーを引かない」と口に出して宣言すれば、それだけで絶対にジョーカーを引くことはない。言い換えれば、サジタリウスは魔法によって必ずジョーカーではないカードを手札に引き込むことができる。

 しかし、ムムの魔法がその明確な勝利への道筋を妨害していた。

 ムムの魔法『金心剣胆(クオン・ダバフ)』は、触れたすべてを静止させる。触れたものを静止させるということは、手に持ったものを、そのままの状態で留め置くことができるということ。

 子どもが、引かれたくないカードを必死で掴むように。本気で抵抗するムム・ルセッタから、カードを引き抜く術はないに等しい。

 

「はあ、はあ……やめだ」

「む。休憩する?」

「オレが望むのは互いに知略を尽くしたゲームだ。魔法を使った意地の張り合いなど、やってられるか」

 

 テーブルに両手を投げ出して息を吐いたサジタリウスは、変わらず涼しい表情のムムを見て、息を吐いた。

 

「心配ではないのか?」

「何が?」

「さっき言っただろう? このカジノには、トリンキュロ・リムリリィがいる。ヤツは強い。まともに戦えば、無数の魔法に呑まれて終わるぞ。たとえそれが、世界を救った勇者であっても、だ」

「ふむ。そういうことなら、あんまり、心配はしてない。どんな魔法が相手でも、それを殴る術を、わたしは弟子に叩き込んである」

 

 悪魔の問いかけに対しても、ムムの回答は一切ブレることがなかった。

 

「わたしの勇者は、めっちゃ強い」

「ククク……めっちゃ強い、か。それは、見物だな。力を失った黒輝の勇者が、四天王の第一位を再び倒し得るか。オレとしても、興味深い」

「うむ。そういう意味では、あなたとわたしも、同じ」

「……同じ?」

「わたしは、勇者のことを心配していない。あなたも、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ククク……幼女よ、何が言いたい?」

「言いたいことは、ない。でも、聞きたいことは、ある」

 

 一つ一つ。

 一手ずつ、詰めていくように。

 ムムは、言葉を重ねていく。

 

「あなたは、ゲームで負けた勇者の行動を、魔法で縛った。でも、勇者がトリンキュロと戦うことに関しては、一切制限していない」

「つまり?」

 

 サジタリウスが魔法によって禁止したのは『自分自身とカジノの人間に対するすべての暴力行為』である。カジノの人間、という指定範囲に『悪魔』は含まれていない。

 

「あなたは、自分の魔法で守る範囲から、トリンキュロを意図的に除外している。トリンキュロ・リムリリィを、外部の誰かに排除させようとしている。違う?」

「……ククク」

 

 手元に一枚しかないカードを弄びながら、サジタリウスは笑う。

 整った顔立ちに浮かぶ笑みを、ムムは静かに見据える。

 この最上級悪魔は、自らのことを最弱であると嘯いていたが、世界を救った勇者と四天王第一位を、意図的に潰し合わせようとしているのだとしたら。彼らを駒として盤上で操り、使い潰そうとしているのだとしたら。

 サジタリウス・ツヴォルフは、最弱でありながら二人の最強を手玉に取る、とんだ食わせ者だ。

 しかし、それと同時に。

 

「イケメン」

「なんだ。幼女よ」

「トリンキュロのことは、きらい?」

「……今のヤツは、好かん。それだけだ」

 

 ムムはまた別の感情を、サジタリウスという悪魔に対して懐いていた。

 

「ククク……勘違いするなよ。おれはべつに、勇者の味方をしているわけではない。ただ、利用できるものを、自分の利のために利用しているだけであって……」

「サジタリウス」

「……なんだ。ムム・ルセッタ」

 

 ムムは、サジタリウスの名前を呼んだ。

 サジタリウスも、ムムの名前を呼んで応じた。

 

「わたしは……サジタリウスが、イケメンで、カスで、クズで、ヒモのカスだと思うけど」

「ククク……あまり強い言葉を使うなよ。泣くぞ、オレは。か弱いからな」

「あと、ひ弱で、なよっちくて、かなり弱そうだけど」

「フフフ……やめて」

「でも、あんまり悪いやつじゃないと思う」

 

 ムムの一言に、サジタリウスはカードを弄ぶ手を止めた。

 一拍の間を置いて、悪魔は言葉を吐く。

 

「……どうしてそう考える?」

「簡単な話。こうやって、一緒に遊べば、すぐにわかる」

「見た目通りだな。子どもらしい、何の脈絡もない主張だ」

「うん。そうだと、思う。でも、人を見る目には、わりと自信ある。伊達に、長く生きていないから」

 

 見た目だけは幼い少女の、自信満々の主張。

 人を見る目がある、と。ムムはそう言った。

 それはつまり、サジタリウスを『人』であると、認めているということで。

 

「わたしは、人間を『親友』と言い切る悪魔を、はじめて見た。それだけでも信用できるって、わたしは思う」

 

 飾り気のない、けれど素直な言葉。

 それを聞いたサジタリウスは、どこか嬉し気に目を細めて、先ほどまでとは違う種類の笑みを浮かべた。

 

「そうか。ありがとう」

 

 トントントン、と。

 指先が、テーブルを叩く。

 

「やはり、ゲームは素晴らしい。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も種族も、すべてを忘れて興じることができる。だが……」

 

 リズミカルな音が、ぴたりと止まる。

 

「忘れるな、ムム。オレは悪魔だ。人間じゃない」

 

 たった一つ。

 その事実を再確認するように。

 噛み締めて、再確認するように、サジタリウスは呟いた。

 

「幼女よ。そもそも、悪魔とは……なんだ?」

「……人間の魂を食べる、怪物」

「そうだ。オレたちは人の血を啜り、魂を喰らわなければ生きていくことができない。欠陥品のような種族だ」

 

 悪魔とは、人間と契約を結び、その代価として魂を喰らう者。

 人の心を喰らうことでしか生きられない、人を餌として認識することしかできない、生まれながらの捕食者。

 

「オレは、お前が思っているほど、良い悪魔じゃない」

 

 サジタリウスは、思い返す。

 

 お前は、悪いやつじゃない。

 

 かつて、テーブルを挟んで向かい合っていた、唯一の人間の友も、そう言っていた。

 

「親友を……アルカウス・グランツを喰ったのは、オレだ」

 

 今は、もういない。

 

「オレが、ルナローゼの祖父を殺した。だから、オレはあの子と契約を結んでいる」

 

 

 ◇

 

 

 手持ちの札では、殺し切れない。

 それが、現状のトリンキュロ・リムリリィと対峙する、勇者の結論だった。

 

(打撃は効いてるが、決定打にはなりにくい……虎の子の『哀矜懲双(へメロザルド)』にも、慣れてきた節がある)

 

 トリンキュロ・リムリリィの戦闘スタイルは、敵の攻撃を受けて、分析することに偏っている。

 大抵の攻撃は受ける。魔法効果も、浴びることで把握する。

 それは、相手の心を隅々まで理解したい、というトリンキュロの欲求に依るものだ。

 だからこそ、トリンキュロの戦闘は、根本的にスロースターター。逆に言えば、戦いが長引けば長引くほど、上り調子にコンディションを上げていく。

 

(あまり、長引かせたくないな……)

 

 思考を回しながらも、勇者は拳を止めない。

 

「表情が険しくなってきたなァ! 勇者ぁ!」

「殴ってもスッキリしないからな。仕方ないだろ」

 

 迫るトリンキュロの拳を、突き落として、顔面に一撃。

 鼻筋の骨を砕く感触を確かめつつ、強く踏み込み、もう一撃。今度は、内蔵に響く、確かな打撃の感触。小柄な体が、衝撃だけで宙を舞う。

 直後、吹き飛ばしたトリンキュロの背後へ『哀矜懲双(へメロザルド)』で転移し、首筋へ回し蹴りを叩き込む。

 首が圧し折れる音が響き、白いドレスに彩られた体が、がくりと倒れ伏して、

 

「……ボクも飽きてきたよ。キミに殴られるのは」

 

 トリンキュロの全身が、嘘のように元通りになる。

 

「そうかい。じゃあこっちだな!」

「あぶばぁ!?」

 

 手元に引き寄せたリリアミラを、勇者はフルスイングした。絶叫と共に、リリアミラが数回、トリンキュロの魔法によって砕ける。野球のバットの要領でリリアミラを振り回しつつ、仲間の犠牲を無駄にしないために、勇者は思考を前に進める。

 トリンキュロを攻略するためには、あの無尽蔵の再生能力にある何らかの仕掛けを看破する必要がある。

 

(ヤツがダメージを負ってから……回復の魔法を使ったのは、これで二回)

 

 仲間を殺された怒りを漲らせながらも、勇者はずっと、敵の魔法を盗み見てきた。

 叩きつけ、炸裂するリリアミラの隙間から、勇者はトリンキュロを見据える。

 

(見えてきた。およそ『百八十秒』。これが、ヤツが回復するために必要なインターバルだ)

 

 約三分。それが、トリンキュロを殺し切る、タイムリミット。

 連発はありえない。ノーリスクで使える魔法なら、延々と回復を回し続ければ良いからだ。

 ダメージを負ってから、回復するまでに明らかな間を要していることから、致命傷以外でトリンキュロが魔法を使う気配はない。

 何が必要だ? 

 火力がほしい。一撃で魔法防御を貫けるような、火力が。

 どう叩き込む? 

 手数がほしい。数で圧を掛ければ、直撃を狙いやすくなる。

 今の自分に、そんな魔法があるか? 

 ない。魔王の呪いを受けたこの身体から、そんな神秘はとうに消え失せている。

 

「……やれやれ」

 

 勇者は苦笑した。

 その苦い呟きを、トリンキュロは見逃さない。

 

「いろいろ考えてるみたいだけど、無駄だよ」

 

 打撃のテンポに、徐々に対応する。

 間合いの変化に、段々と追い付く。

 勇者の命に、幾度も指を掛けながら、トリンキュロは告げる。

 

「キミは強い。でも、昔のキミならともかく……今のキミじゃあ、ボクは殺せない」

「……そうだな」

 

 自分は、たしかに昔よりも弱くなった。

 トリンキュロの指摘を、静かに受け入れて、肯定する。

 

「お前の言う通りだ。おれはもう、強くない」

 

 瓦礫を取り込み、肥大化したトリンキュロの右腕の攻撃を、勇者はリリアミラで受ける。

 

「おれ一人じゃ、お前には勝てないのかもしれない」

 

 瓦礫を砲弾に変えて、射出するトリンキュロの砲撃を、勇者はリリアミラで受ける。

 

「でも、今のおれには……仲間がいる」

 

 高速回転するトリンキュロの打撃を、勇者はリリアミラで耐え凌ぐ。

 

「仲間がいる、か。群れることしかできない、ひ弱な人間らしい主張だ。それで!? キミの頼れる仲間ってのは、その肉壁のことかい!?」

「違う。これは武器」

「それは失礼!」

 

 あ、違うんだ。

 そう思いながら、盾にされたリリアミラは本日十数回目の死を迎え、勇者の手元から弾き飛ばされた。瞬間、トリンキュロは抜け目なく吹き飛んだリリアミラに向けて、瓦礫の砲弾を叩き込み、勇者の視界を覆い隠す。

 

「ちっ……!」

「なら、まずは武器を奪う!」

 

 これでもう、勇者は『哀矜懲双(へメロザルド)』で武器(リリアミラ)を引き寄せることはできない。

 最も厄介な肉壁(リリアミラ)が剥がれた、好機。そのチャンスに、トリンキュロは、獰猛な笑みを漏らす。

 勇者がトリンキュロを分析していたように。

 悪魔もまた、勇者を倒す方策を、頭の中で巡らせていた。

 

「拳で魔法を弾かれるならッ! 拳で防げない圧力で魔法をぶつければいいよなァ!」

 

 床に()()()()()トリンキュロの足元が、噴出する水の如く、湧き上がる。

 勇者の周囲の地面が、隆起する。

 取り囲むように『自分可手(アクロハンズ)』によって形成した分厚い壁に、魔法効果を付与する形で。トリンキュロは、勇者を仕留めに掛かる。

 

「沸騰して死んじまいな! カラーイミテーション! 『紅氷……」

「言ったよな。トリンキュロ」

 

 追い詰めたはずの、勇者は。

 トリンキュロを見上げて、しかし悠々と、その頭上を指差した。

 

 

 

現在(いま)のおれには、仲間がいるって」

 

 

 

 それは、勇者が指摘した通り、トリンキュロ・リムリリィの頭上から飛来した。

 身の丈を超える、長大な銀槍。

 雄々しく靡く、金色の髪。

 全体的に、ほぼ肌色の肉体。

 そして、純白のブリーフ。

 魔導師ではない。武闘家でもない。

 突如、降り立った変態に、トリンキュロ・リムリリィは目を見開く。

 

「ピンチかい!? 親友!」

「おう。ピンチだ。助けてくれ、馬鹿」

「心得た!」

 

 銀槍が、勇者を取り囲む壁に突き立てられる。

 一撃。

 ただの槍の一撃で、トリンキュロが絶対の自信を持って築いた分厚い壁が、一瞬で崩落する。

 

「なっ……!?」

「このような薄い壁で、我が友の行く道を阻もうとは、片腹痛い!」

 

 高らかに銀槍を構えて、その援軍は勇者の隣に並び立つ。

 文字通りの横槍を加えてきた、忌々しい援軍を、トリンキュロは睨み据えた。

 

「……何者だ。お前」

「ボクは今……猛烈に感動している!」

「あ?」

 

 トリンキュロは、絶句する。

 会話が、通じなかった。

 

「貴様には理解できるか!? この胸の高鳴りが! この心の躍動が! ああ、わかるまい! 人の心を、ただの食い物にしてきた貴様に、わかるはずもあるまいよ!」

 

 銀槍を握る手が、静かに奮い立つ。

 あの頃はただ、旅立つ友の背中を、見送ることしかできなかった。

 その両肩に世界のすべてを背負うのを、見守ることしかできなかった。

 だが、今は違う。

 力を得た。魔法を得た。

 なによりも、こうして窮地に駆けつけることができた。

 

「なればこそ! 悪魔よ! 貴様の新たなる野望は、我らが友情の前に打ち砕かれることになるのだ! 知りたければ、その身に刻み込もう! そして、完膚なきまでに討ち果たしてみせよう! 我が槍の冴えは、万全である! たとえどれほどの邪悪であろうとも、たとえどれほどの悪辣であろうとも! 我らは必ず乗り越える! 絆の熱に、その身を焼かれる時、貴様は知ることになるだろう!」

 

 過去の後悔は、この時のために。

 勇者の隣で戦う喜びを、騎士は高らかに謳い上げる。

 共に背負える。

 共に肩を並べる。

 友であるが故に。

 レオ・リーオナインは、世界を救った勇者の親友として、隣に立つ。

 

 

 

「我が魔法! 『紙上空前(オルゴリオン)』の名を!」

 

 

 

「おい」

「なんだい!? 親友!」

「盛り上がってるところ悪いけど、まずは服を着ろ」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
お前が言うなオブ・ザ・イヤー最高金賞受賞。自分が裸なのは良いが他人が脱いでるのは気になるらしい。

レオ・リーオナイン
親友。考え得る限り最高の登場ができたので、かなり満足している。白ブリーフ派。

リリアミラ・ギルデンスターン
武器。肉壁。盾。

トリンキュロ・リムリリィ
まともにコミュニケーション取ってくれる人間が少なくて泣きそうになってる。


ムム・ルセッタ
引かれたくないカードは握り込んで渡さないタイプの幼女。

サジタリウス・ツヴォルフ
引きたくないカードは引かずに済むタイプの魔法を持ってるか弱いイケメン。イケメンなのでルナローゼとババ抜きをする時は魔法使わず大体負けている。ルナローゼは勝つと「サジもまだまだですね」とドヤっている。サジタリウスは「ククク」と笑っている。



こんかいのとうじょうまほう
『紙上空前』
レオの魔法。自身や武装に効果を付与できるタイプらしく、トリンキュロが形成した分厚い壁を槍の一撃で砕いた。


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さあ、史上空前の共闘を

 レオ・リーオナイン。

 二十三歳。騎士学校卒業。元七光騎士。

 首席で入学するも、登校初日に勇者との決闘を行い、敗北。肩幕を剥奪される。

 しかし、勇者が騎士学校から追放された後、たゆまぬ努力と研鑽の末に、七光騎士に再び復帰。

 卒業時の席次は、第一位。

 

「開け……『紙上空前 (オルゴリオン)』」

 

 稀代の天才女剣士、イト・ユリシーズに続く……()()()()()()()()()()()()()()である。

 

「『オープン・セフェル』」

 

 槍を持つ手とは逆側の手。

 レオがかざした、左腕。それに応えるように現れたのは。

 

「……本?」

 

 思わず漏れ出た、トリンキュロの困惑。呟きの通り、それは一冊の本だった。

 カバーや背表紙には一切の書き込みがされておらず、まっさらの白紙。薄く光り輝く一冊の本は、まるで使い魔のようにレオの周囲をくるくると回る。

 魔法使いは、その身一つで奇跡を起こす。

 道具も武器も、本来は必要としない。

 だが、レオ・リーオナインの魔法は、そういった普通の魔法とは、明らかに種類の異なるものだった。

 ぺろり、と。トリンキュロは赤い舌で唇を舐める。

 

「おもしろいね。とんだ不審者に乱入されたと思ったけど……どんな風にその魔法に至ったのか、興味が出てきたよ!」

 

 相手が魔法使いであるなら、それらはすべて、トリンキュロの捕食対象。

 例外はない。ただ、味を見て、喰らうのみ。

 小細工無しに突っ込んでくるトリンキュロを前に、レオの隣で勇者が拳を構える。

 

「来るぞ」

「焦るなよ、親友。強敵を前に焦りを表に出すのは、やられ役のすることさ」

「ていうか早く服着ろよ」

「気にするなよ、親友。そもそも、ボクの身体に見られて恥ずかしい部分など一つもないだろう?」

「やかましいわ」

 

 迫りくる悪魔を意にも介さず、レオはゆったりと笑った。

 ステラシルド王国の騎士団長の就任条件は、多岐に渡る。

 家柄、人格、実績。通常の騎士が地位を上げていくにあたって必要なそれらを無視して、絶対とされる条件がいくつか存在する。

 単独で最上級悪魔と対峙できる戦闘能力を有すること。

 色魔法の保持者であること。

 第一騎士団のグレアム・スターフォード。第二騎士団のジャン・クローズ・キャンピアス。第三騎士団のイト・ユリシーズ。

 己の色を持つ彼らとは違い、レオ・リーオナインの魔法はその頂には至っていない。

 では、色魔法を持っていなければ、騎士団長になることはできないのか? 

 それもまた、否。

 たとえ色魔法を持っていなくても、騎士団長に求められる強さは変わらない。

 色魔法を持っていなくても、色魔法の使い手と互角以上に渡り合える。

 

「はじめようか……『ペン』」

 

 それが『紙上空前 (オルゴリオン)』という魔法だ。

 槍を握る右腕とは逆。それこそ魔法のように、唐突に出現した羽根ペンを、レオの左手が握った。

 騎士としてのレオ・リーオナインの武器は、間違いなく槍である。

 しかし、レオという人間の武器は、決してそれだけではない。

 勇者の冒険と活躍、その青春時代を一冊の本に綴り、多くの人に届くようにまとめ上げた。

 

「『クイック・プロット──華麗なる回避(スプレンディド)』」

 

 作家としての武器が、その手の中に在る。

 本が開き、筆が唸る。一枚のページが、千切れ飛ぶ。

 次の瞬間には、レオ・リーオナインの回避行動は完了していた。

 

「っ!?」

 

 攻撃を空振った。

 トリンキュロがそんな事実を認識するのに、一瞬の間が空く。

 こんなパンツ一丁の変態に、攻撃をあしらわれたのか、と。

 そう思った瞬間には、既にレオ・リーオナインはパンツ一丁の変態ではなくなっていた。

 

「『クイック・プロット──迅速なる武装(ドレスアップ)』」

 

 早着替えというには、あまりにも一瞬だった。

 レオが全身に纏ったのは、白銀の重装鎧。そのきらびやかな白とどこまでも対照的な、漆黒の肩幕が靡く。

 宙を舞う光のページ。その隙間から襲いかかる、穿ち抜くような槍の一閃。

 迅風系の魔術が付与された一撃に、トリンキュロは大きく跳ね飛ばされて後退し、片膝をついた。血反吐と共に、トリンキュロは吐き捨てる。

 

「……いつ着たんだよ?」

「もちろん、今だけど?」

 

 かつての四天王の第一位の意表を突き、レオは爽やかに笑う。

 その隣で、勇者はじっとりとした視線を向けた。

 

「お前、いつでも服着れたんだな……」

「当然だよ、親友。キミに合わせて服を脱ぐのはやぶさかではなけれど、今ではボクも立派な大人だからね。体裁というものがある。こんなこともあろうかと、服はいつでも着れるようにしてあるのさ!」

「ていうか、お前の魔法……それ、なに?」

「ふっ……おいおい親友。敵の前で自分の魔法を説明するバカはいないだろう?」

「急に正論吐くなよびっくりするだろうが」

 

 軽く、小気味良く、テンポよく。

 まるであの頃のように。学生時代に戻ったかのように言葉を交わしながら、勇者とレオは肩を並べる。

 

「そんなわけでボクの魔法の説明はあまりできないけど、大丈夫かい?」

「問題ない。合わせて動けばいいだけだし」

「はっはっは! 心強いなぁ、親友!」

「お前の魔法のことはよく知らないけど、お前が強いことはよく知ってる。だから、心配はしてない」

「っ……親友っ! 名言いただいたよ! 親友!」

「おいやめろおれの言葉をいちいちメモするな。お前まじでそれ新作とかに使うなよ!? おれが恥ずかしいから」

 

 

 

「いつまで男同士でイチャイチャしてんだよぉ!」

 

 

 

 トリンキュロ・リムリリィの絶叫が、男二人の漫才をかき消した。

 魔法によって形成された瓦礫の尾が、薙ぎ払うように振るわれる。

 勇者は跳躍してそれを回避し、レオは体勢を低くして、それを避け、トリンキュロの懐に飛び込む。

 

「どうする親友!? イチャイチャと言われてしまったぞ!」

「最悪だ。鳥肌が立つ」

「注意することはあるかい!?」

「迂闊に触れるな。死ぬぞ。生半可な遠距離攻撃は、すべて拡散される。近接は、見えない衝撃波に注意」

「了解したよ!」

 

 笑いながら、レオの槍がトリンキュロの形成した尾を砕く。

 言いながら、勇者は親友に視線を合わせる。

 

「『哀矜懲双(へメロザルド)』」

 

 そして、入れ替わる。

 

「バカが! そんな急場凌ぎの連携でっ!」

「急場凌ぎ?」

 

 レオの笑みが、消え失せる。

 心の底から、悪魔の言葉を疑問に感じているような声音だった。

 

「冗談にしても、おもしろくないな」

 

 勇者の拳が、トリンキュロを殴打する。

 転移。

 レオの槍が、トリンキュロの右腕を穿ち抉る。

 再びの転移。

 勇者の足払いがトリンキュロの体勢を崩し、レオの槍がトリンキュロの左肩を突き刺す。

 前衛と後衛にわかれた連携と比較して、魔法使い同士の近接連携は、困難を極める。ともすれば仲間を切り捨ててしまう可能性もある前衛同士の連携は、熟練のパーティーでも難しい。

 しかし、レオと勇者は、平然とそれをこなしてみせる。

 三度の、転移。

 打撃と槍撃が同時に直撃し、トリンキュロは疑問を口にせずにはいられなかった。

 

「ぐっ……どうして」

 

 共に旅をしたパーティーメンバーなら、理解できる。

 共に長い時を過ごした仲間であるなら、理解できる。

 しかし、レオ・リーオナインは、勇者のパーティーメンバーではない。仲間でもない。

 連携を打ち合わせる時間も、積み重ねも、何もないはず。

 なのに、何故? 

 どうしてこんなにもこの二人は、呼吸も、テンポも、タイミングも、

 

「どうして、こんなにも息が合う!?」

「親友だからさ」

 

 まるで心を見透かしたように。

 レオ・リーオナインは悪魔に告げた。

 

「たしかに、ボクが親友と過ごした時間は、共に冒険した仲間に比べれば、短いだろう。しかし、ボクと親友が共に過ごした一年の青い春は……なによりも、誰よりも色濃いものだった」

 

 トリンキュロの背筋を、冷たいものが走り抜ける。

 そう。忘れてはならない。

 そもそも、ジェミニの『哀矜懲双(へメロザルド)』という魔法の真骨頂は()()()()()()()()を前提にした、高速転移の連携だった。

 勇者一人で武器(リリアミラ)を振り回していた先ほどまでとは、明確に違う。

 勇者と連携できる前衛が増えるだけで『哀矜懲双(へメロザルド)』という魔法の厄介さは、数倍にも増す。

 それが、勇者の速度と呼吸についてこられる前衛なら、尚更だ。

 

「そして……ボクは己の研鑽を積み重ねながら、親友と肩を並べて戦うことを、常に妄想(イメージ)してきた! 親友と背中を合わせてニヒルに笑うボク! 親友と目配せだけで合図を交わすボク! 親友と力強いハイタッチを交わすボク!」

 

 トリンキュロは絶句する。

 あまりにも力強く、気持ち悪い宣言だった。

 絶句したトリンキュロを殴り飛ばしながら、勇者もどん引きしていた。

 

「ボクの脳内では既にそれらのシーンは、完璧に書き終わっている! ならば、あとは実現するだけ! 息が合わないわけがない!」

 

 積み重ねた妄想の力で勇者の動きに完璧に追従する変態が、心の底から笑っていた。

 

「だからこそ、大悪魔よ! ボクはキミに、心の底から感謝している!」

 

 連携は、途切れない。終わらない。

 故に、トリンキュロは抜け出せない。

 

「ボクの望む妄想(イメージ)を! ボクが望んだ共闘を! こうして実現する機会を与えてくれた敵に、心の底から感謝を捧げよう!」

 

 レオ・リーオナインの魔法の真価は、止まらない。

 

「そして、その返礼として!」

 

 銀槍の穂先がトリンキュロの体を掠める。

 

 

 

「──キミの名を、ボクの作品に刻み込もう」

 

 

 

 掠めた瞬間。

 ペンを持つ反対の腕が、まるで別の生き物のように、本に文字を書き記す。

 

「『ターゲット・キャスティング』」

 

 トリンキュロの背筋に、再び悪寒が走る。

 相手が理解できないことからくる、悪寒ではない。

 相手が変態であることからくる、悪寒でもない。

 

「『トリンキュロ・リムリリィ』」

 

 相手の魔法に、捉えられた。

 そんな直感からくる、本能的な生命の危機。

 

「ちっ……いい加減に鬱陶しいんだよ! 『不脅和音(ゼルザルド)』ぉ!」

 

 接近してくる変態を引き剥がすために、トリンキュロが発動させた魔法は『不脅和音(ゼルザルド)』。その魔法効果は、触れたものへ衝撃を与える。

 だがそこで、トリンキュロはようやく気付く。

 

「……ぇ、あ?」

 

 起動させようとした魔法が、()()()()()ことに。

 凄まじい勢いで捲れていく光の本から、また一枚。新たな紙片が、()()()()()()ことに。

 獅子のような眼光が、トリンキュロを真っ直ぐに射抜く。

 視線が、獲物を捉える。

 

「作家の端くれから言わせてもらえば……」

 

 筆先が、魔法を捉える。

 

「キミの心の描き方は、最悪だ。品性に欠ける」

 

 二刀流、と呼ぶには、その姿はあまりに滑稽である。

 だが、その騎士は、たしかに二つの武器を持っている。

 右手に風の槍を。左手に魔法のペンを。

 

 自分自身と触れたものを、すべて『創作』する。

 

 現実を虚構に。虚構を現実に。その魔法は、紙の上の絵空事を、現実へと昇華する。

 その在り方と戦闘スタイルから、史上最年少で騎士団長の地位にまで登り詰めた天才は、畏敬を込めてこう呼ばれた。

 『騎士作家(ナイトライター)』。レオ・リーオナイン。

 

「まさか、お前、魔法のむこ……」

 

 疑念が言葉になる前に。

 横合いから、全体重を載せた勇者の渾身の打撃がトリンキュロの顔面を砕き、吹き飛ばした。

 

「どうだい、親友!」

「ん」

 

 ワンセットの攻防が終わる。

 連続していた攻撃に、一区切りがつく。

 隣に立つ親友の問いかけに、勇者は軽く頷いた。

 

「悪くない。このまま頼むぞ、相棒」

「アッ……」

 

 レオ・リーオナインの全身を、その瞬間、稲妻が貫いた。

 身体中を熱い感動が駆け抜け、満ちていく。

 相棒。

 相棒。

 相棒。

 なんと、甘美なる響きだろうか。

 気がつけば、レオの瞳からは、一筋の涙が流れ落ちていた。

 

「新作のタイトルが決まったよ……『親友から相棒へ〜黒輝の勇者と騎士作家の友愛〜』これでいく」

「いくな。帰ってこい」

 

 親友兼相棒の頭を思い切り叩きつつ、勇者は立ち上がったトリンキュロ・リムリリィを見据えた。その全身は、やはり元通りに、傷一つない少女の姿に癒えている。

 たしかに、再生はしている。だが、レオの『紙上空前 (オルゴリオン)』という魔法と、この連携攻撃の密度を合わせれば、あの四天王第一位の喉元に、手が届く。

 仕留めるために必要なピースは、揃いつつある。

 あとは、

 

 

「なになに? いつまで男同士でイチャイチャしてんの?」

 

 

 その声の主は、トリンキュロではない。

 勇者とレオの間に、割り込むように。

 二人の肩に、気安く腕を回したのは、先ほどまで絶命していた……この場にもう一人いる騎士団長だった。

 

「……先輩。もう大丈夫ですか?」

 

 勇者の問いかけに、イト・ユリシーズは明るい笑顔で答えた。

 

「平気平気。元気いっぱいだよ、ワタシは。内蔵を抜き取られて死ぬっていう、貴重な経験もできたし。あの死霊術師さんに借りを作ったのは、死ぬほど癪だけど」

「それはよかったです。あと、内蔵抜き取られて服ボロボロなんですから、前は隠してください。胸当たりそうなんですよ」

「当てようとしてるって言ったらどうする?」

「……」

「っ……先輩っ! ネタいただきました! 先輩!」

「おいやめろペンを動かすな」

 

 イトが悪ふざけをし、レオが乗っかる。

 これではまるで、同窓会だ。

 しかし、それも悪くないか、と勇者は思った。

 

「およそ三分。それが、ヤツの復活のインターバルだ。三分以内に、あのブサイクな魔法の塊を、再起不能になるまで殺し尽くす」

「了解了解。先輩の威厳、取り戻させてもらおっかな」

「応とも。任されたよ、親友」

 

 かつて、騎士学校から追放され、国から王女を攫った勇者は、ステラシルド王国にとって、お尋ね者に近い存在であった。表立った支援はもちろん、国のシンボルである騎士団長との共闘など、以ての外。

 それが今日、皮肉にも実現する。

 

「時に、親友。騎士団長と肩を並べて戦ったことは?」

「いや、ないな」

「お。じゃあワタシが勇者くんのはじめてだ〜」

「意味深な言い方やめてください」

「ふっ……さりげなくボクの存在が無視されたね」

 

 ゆるいやり取りを続けながら、三人は陣形を組む。

 騎士学校の教練で最初に学ぶ、スリーマンセルの基本形。

 基礎中の基礎とも言えるそれを、世界を救った勇者と、王国最強の騎士団長の二人が、揃って組み固める。

 武器を持たない勇者の傍らに、剣と槍が並ぶ。

 どこまでも芝居がかった口調で、レオ・リーオナインは宣言した。

 

「さあ、史上空前の共闘をはじめようか」

 

 敵は、かつての四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィ。

 相手にとって、不足なし。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
先輩ってでかいわけじゃないけどないわけじゃないんだな……と実感している

レオ・リーオナイン
めちゃくちゃ楽しい。

イト・ユリシーズ
百合の間に挟まる男……じゃなくて、熱い友情の間に挟まる女。スーツもシャツも破けてるのでセクシーなことになっている。

トリンキュロ・リムリリィ
騎士団長には変態しかいないことに気がつきはじめた


こんかいのとうじょうまほう

紙上空前 (オルゴリオン)
 レオ・リーオナインの魔法。自分自身と触れたものを対象に『創作』する効果を持つ。
 アリエスの『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』やサジタリウスの『妄言多射(レヴリウス)』が口述で宣言した事象を禁止、実現するのに対して『紙上空前 (オルゴリオン)』は自身や対象に対応した文章を書き記すことによって効果を発揮する。前者二つの魔法を『口述宣言型』とカテゴライズするのであれば『記述干渉型』とでも言うべき魔法である。
・『オープン・セフェル』
 魔法起動の合図。使い魔のように自身の周囲を追従する一冊の本を出現させる。この本に後述のペンを用いた書き込みを行うことによって、魔法効果を発揮する。書き込む度にページ数が消費されるため、それが擬似的な魔法の残弾になっている。
・『ペン』
 羽根ペンを模した形の、光の筆記用具。このペンで書き込まなければ『紙上空前 (オルゴリオン)』の魔法効果は発揮できないらしい。魔法の運用上、必ず片手が塞がるため、使用者はほぼ片手で近接戦闘を行える技量を求められる。
・『クイック・プロット』
 ペンによる執筆を挟まず、予め書き込んでおいた内容を即座に発揮する簡易記述干渉。その性質上、相手ではなく自分に効果を及ぼす内容が多い。
・『クイック・プロット・華麗なる回避(スプレンディド)
 予め記述されている文章は、
 「レオ・リーオナインは華麗に敵の攻撃を回避した」
 要するに緊急回避。自分が攻撃を避けた、という描写を予め創作しておくことで、あらゆる攻撃に対する当たり判定をゼロにする。絶対に攻撃が命中する状況でも「レオ・リーオナインは華麗に敵の攻撃を回避した」という結果だけが残るため、基本的にどんな攻撃も、どんな体勢からでも避けることが可能。レオが最も多用するクイック・プロット。
・『クイック・プロット・迅速なる武装(ドレスアップ)
 予め記述されている文章は、
 「レオ・リーオナインは素早く使い慣れた鎧と武器を身に纏った」
 要するに武装の召喚。自分が鎧を着込み槍を手にしていた、という描写を予め創作しておくことで、瞬時にフル武装を展開する。たとえ勇者に合わせてパンツ一丁だった状況からでもレオ・リーオナインは素早く使い慣れた鎧と武器を身に纏った」という結果だけが残るため、どんな全裸からでも鎧を着込むことが可能。これでコンプラも安心。
・『ターゲット・キャスティング』
 相手へ自身の『創作』の対象にする。詳細は不明だがトリンキュロの魔法を一時的に封じた。いくつかの使用上の制限がある模様。


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悪魔と親友

 イト・ユリシーズは、震えていた。

 世界を救った勇者と、共に戦える感動。

 世界を救った勇者の、手助けとなれる高揚。

 レオ・リーオナインが口にしたような、王国の騎士団長としての感動も、もちろんあったが、

 

(まずい。うん、これはちょっと、まずいかもしれないな……真面目に戦っている後輩の横顔が良すぎる

 

 不純であった。

 隣に立つ勇者の顔面に、イトは内心で恐怖を懐いていた。

 大真面目な顔で愛刀を構えながら、イトはちらりと片目で勇者の横顔を見る。

 戦いの中で無造作に乱れた、くすんだ赤い髪。相手を射殺すような眼光。引き結んだ口元。なによりも、自分を助けに来てくれた彼との、満を持しての共闘というこのシチュエーション。

 それら諸々の要素をまとめて、イト・ユリシーズの聡明極まる頭脳は、一つの結論を導き出した。

 

 良すぎる。

 

(いや、べつにワタシは勇者くんが強いから惚れたわけじゃないし、そもそも勇者くんが世界を救う前から勇者くんのことが好きだったし、だから勇者くんが勇者だから好きってわけでは決してないだけど、でもいつ惚れたかって言われたらやっぱり助けに来てくれた時の背中に惚れたわけで、っていうかズルいなあ普段あんなにゆるい感じなのにこういう時は男の子からちゃんと男の顔になるんだもんなあ、もちろんワタシには甘えてほしいし全然甘えさせてあげるけどでもこの顔を間近で見られるっていうのは役得だよね結婚式いつにしよ)

「先輩、来ます!」

「よしよし。先輩におまかせってやつだ」

 

 さすがに、思考を止める。

 かっこいい後輩には、さらにかっこいい先輩のいいとこを見せなければなるまい。

 イトは剣を振るった。抜き放った刃が、壁面に斬撃の跡を刻む。

 

(んん?)

 

 すべてを切り裂く圧倒的な、破壊の斬撃。

 しかし、それを撃ち放った張本人であるはずのイトは、言葉にできないような微細な違和感を抱いた。

 

(おかしい。なんか、さっきよりも、切れ味が)

「さっきまでみたいに、剣を振れないでしょ?」

 

 間近で響いたトリンキュロの声に向けて、イトは反射で剣を振り下ろした。

 しかし、当たらない。

 嘲笑うように飛び跳ねながら、トリンキュロはイトにだけ、狙い澄まして、言葉を紡ぐ。

 

「勇者がグランプレから蘇生させたのは、単純な話。あの賢者が、死に慣れているからだ。普通の人間は、死んだらそこで終わりだし、一度経験した死の体験は、そう簡単に払拭できるものじゃあない」

 

 そこまで言われて、イトはようやく理解する。

 剣先がブレる、違和感の正体。自分自身の小さな小さな、手の震えに。

 トリンキュロ・リムリリィは、心を喰らう悪魔だ。

 人の心の変化には、目敏く気が付く。

 そして、それを指摘し、あげつらい、馬鹿にして、塩を塗り込むことに、何の躊躇いもない。

 

「恥じることはないよ。正常なのはきみで、イカれてるのは勇者やギルデンスターンの方だ」

 

 先ほどよりも明らかに余裕を保って、イトが繰り出す斬撃を避けながら、トリンキュロは言葉を止めない。

 死は、命の終わり。死は、恐怖の根源。

 当たり前のようにそれを繰り返し、戦術に組み込んでいる勇者やリリアミラは、既に人間が生まれた時から持っている恐怖のブレーキが壊れている。

 当然、今まで一度も死んだことのなかったイトは、死に慣れておらず。

 必然、一度死んでしまったイトの身体はその経験を理解してしまっていた。

 体から熱が抜け落ちる感覚。遠のく意識。動きを止める心臓。

 

 ──また死んでしまったら、どうしよう? 

 

 トリンキュロに指摘されて、イトは自覚する。

 これは、勇者と共に戦える、喜びの武者震いではない。

 

 もっと原始的で、より単純な、死への恐怖だ。

 

(やばい。まずい? 大丈夫だ落ち着け。こわくない、こわくない。足手まといになるな。三人で連携すれば、絶対に勝てる。落ち着け、落ち着け。体の感覚を、取り戻せ)

 

 思考が、ぐるぐると無駄に回る。

 精神と体が、噛み合わない。

 勇者が隣にいるからといって、それは誤魔化しきれるものではない。

 呼吸が乱れる。手に汗が滲む。緊張が、筋肉を強張らせる。

 人間が当たり前に抱く、根源的な恐怖が、イト・ユリシーズの心にべっとりとこびりつき、動きの質を低下させる。

 恐怖を自覚したイトの様子に、トリンキュロは内心でほくそ笑んだ。

 リリアミラ・ギルデンスターンの蘇生の魔法に、限界はない。だが、生き返る人の心には、必ず限界がある。殺し続ければ、いくら体が蘇っても、先に心が壊れるだろう。

 

「さあ! あと何回死ねば、きみの心は折れるかなぁ!?」

 

 盛大に煽る言葉を浴びせかけながら、トリンキュロの手刀がイトに迫る。

 

「おい」

 

 その間に割り込む形だった。

 覆い被さるように、転移した勇者がイトの盾になる。

 

「おれの目の前で、そんな簡単に仲間を殺せると思ってるのか?」

 

 結果、トリンキュロの手刀は、勇者の胸を貫くだけで留まった。

 数滴。跳ね跳んだ勇者の血が、呆然と立ち尽くすイトの頬に汚す。振り返りもせず、勇者は裏拳の一発で、トリンキュロを殴り返した。

 そして、糸の切れた人形のように。心臓を貫かれた勇者が、息絶える。

 

「あ」

 

 死んだ。

 目の前で、好きな人が、死んだ。

 その端的な事実に、悪い意味で回っていたイトの思考が、ぴたりと静止する。

 

「勇者く……」

「失礼。蘇生いたしますわ」

 

 今にも泣き出してしまいそうな、イトの横に、空気を読まない死霊術師が割って入った。

 いつの間にか戦線に復帰していたのだろうか。背後から現れたリリアミラが、手慣れた様子でその背に手を当てて、落ちた命に再び鼓動を吹き込んでいく。

 体の震えが強まることを自覚しながら、それでもイトは口を開いた。

 

「リリアミラさん」

「なんです?」

「勇者くんは、いつもこんな戦い方を?」

「はい」

 

 リリアミラも、簡潔に答えた。

 

「これが、世界を救った勇者さまですから」

 

 無造作に言い放たれた一言に、イトは唇を噛み締めた。

 痛みも、恐怖も、あるはずだ。

 なのに、彼は一切の躊躇いなく

 この境地に至るまでに、彼は一体どれほどの苦しみを経験したのだろう。

 抱き留めた体に、少しずつ、体温が戻ってくる。

 そして、意識を引き戻した勇者は、開口一番。イトに向けて言った。

 

「大丈夫ですよ。先輩は、おれが守るから」

 

 その一言に。

 そのたった一言だけで、イトの手の小さな震えが、ぴたりと止まる。

 同時に、平静に引き戻された思考が、勇者の行動の意味を理解する。

 勇者は、自分を助けるだけなら『哀矜懲双(へメロザルド)』の転移で逃がすこともできた。

 しかし、彼はそれを選択しなかった。自分の体を張って、自らの命を犠牲にしてでも、仲間を守ることを選んだ。

 何故か? 

 示すためだ。

 集団を率いる長として、パーティーのリーダーとして、仲間が殺されるならその前に自分が盾になって死ぬ、と。その在り方を、示すためだ。

 死んでも生き返るからいくらでも命を粗末にしろ、と。リリアミラの魔法があれば、そう言うのはたしかに簡単だろう。けれど、剣で刺されれば人は痛みを感じるし、生き返るとわかっていても、死ぬことは恐ろしい。

 だから、勇者は自らが率先して死ぬ。仲間が死ぬなら、それを庇って死ぬ。誰かが死んだなら、それよりも多く死ぬ。

 その背中で、仲間を勇気づける。

 

「……ずるいなぁ。そういうこと言うの。ほんと、どうかと思うよ」

「すいません」

「謝れって言ってるわけじゃないんだけど」

「ごめんなさい。でも、それなら、ずるいついでに、後輩のお願いを一つ。聞いてくれますか? 先輩」

「なに?」

 

 もう、体の震えは止まっている。

 手と手を合わせて、左右で色の違うイトの瞳を見て、勇者は小さく呟いた。

 

 

「先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな」

 

 

 先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな

 先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな

 先輩のかっこいいところ、もっと近くで見たいな

 

 勇者がそう呟いた、瞬間。

 イトの脳を、魔王の雷撃魔術に等しい衝撃が駆け抜けた。

 そして、次の刹那には。

 無造作に抜き放たれた斬撃が、しかしこれまでで最も鋭く、トリンキュロ・リムリリィの右腕を切って捨てていた。

 

「なっ!?」

「……ふぅううぅ」

 

 驚愕するトリンキュロを尻目に。

 イトは勇者から受け取った言葉を反芻するように息を吸い込み、咀嚼して吐き、また吸い込んでその味わいに浸る。握る剣に、もはや死の震えは微塵もない。

 

 

 

「やっぱ妄想(イメージ)よりも現実(ナマ)の方が効くわ」

 

 

 

 イト・ユリシーズ、完全復活。

 

「わかります、先輩。やはり、親友はイメージよりもナマに限りますよね」

「ね。やっぱりレオくんもわかる?」

「わからないでくれ」

 

 狂人二人が、共鳴を開始する。

 甘い一言で死のトラウマを克服した女と、そのケツを叩いた勇者(おとこ)を交互に見て、トリンキュロは吐き捨てた。

 

「この腹黒女誑しが」

「モテない嫉妬か? 見苦しいぞ」

 

 やはり、世界を救った勇者は。

 どこまでも、トリンキュロ・リムリリィの天敵。

 仕切り直しが完了したところで、リリアミラはつんつんと勇者の背中をつついた。

 

「ところで勇者さま」

「なに? 死霊術師さん」

「先ほど、おれの目の前で仲間は殺させねぇ、みたいなことを仰っていたではありませんか?」

「うん。言ったね」

「わたくしは死にまくっているのですが、それについてはどう思われます?」

「もちろん死霊術師さんもおれの大切な武器(なかま)だよ」

「答えになってますそれ?」

 

 

 ◇

 

 

 そんな彼らの戦いを、ルナローゼ・グランツは物陰からひっそりと眺めていた。

 純粋に、すごい、と思う。

 勇者がパンツ一丁で戦いに飛び込んでいった時はどうなることかと思ったが、世界を救った勇者の実力に、ルナローゼの視線は釘付けになっていた。決して半裸の馬鹿の躍動に釘付けになっていたわけではない、多分。

 勇者だけではない。悲鳴を撒き散らしながら幾度も武器として使い捨てられている元社長や、そこにやはり白ブリーフ一丁で飛び込んでいった現役騎士団長。目の前で繰り広げられる戦いの何もかもが規格外過ぎて、ルナローゼの脳はパンクしそうだった。

 しかし、本当に恐ろしいのは。

 そんな規格外の彼らとたった一人で渡り合っている、あの最上級悪魔だろう。

 悪魔。そう、悪魔だ。

 ルナローゼは、あらためて認識する。

 自分が知る彼は……サジタリウス・ツヴォルフは、アレと同じ悪魔という存在なのだ。

 

「ククク……良かった。無事だったか、ルナ」

「ひゃあああ!?」

 

 突然、背後から掛けられた声に、ルナローゼはらしくない悲鳴を挙げてしまった。

 振り返ると、そこに立っていたのは見慣れた絶世のイケメンだった。

 

「さ、サジ!? 急に現れるのはやめなさいといつもあれほど……っていうか、どこにいたんですかあなた!?」

「スロット打ってトランプしてた」

「しばきますよ?」

「フフフ……ごめんなさい」

 

 と、そこでルナローゼは、クソヒモのイケメンが胸の前に何かを抱えていることに気がついた。

 

「なんですか? その子は」

 

 サジタリウスに抱えられた青髪の少女は、無表情のまま気軽に手を挙げた。

 

「よっ」

「あ、はい。どうも……じゃなくて!? サジ! なんですかこの子は!? こんな小さい子をどこから攫ってきたんですか!? それとも遂に色ボケが過ぎてこんな小さい子まで……犯罪ですよ!?」

「ククク……幼女よ。誤解を解いてくれ」

「やだ。めんどくさい」

「フフフ……まずいな。誠実さがオレの美徳だというのに。浮気を疑われてしまう」

 

 幼女を抱えたまま器用に肩を竦めたサジタリウスは「そんなことを言っている場合ではないな」と呟いて、ルナローゼに向き直った。

 

「ルナ。ここは危険だ。あのアホ勇者がトリンキュロと戦っている間に、逃げるぞ」

「……サジ」

「このカジノが失われるのはそれなりの痛手だが、そもそもここのオーナーはトリンキュロだ。オレたちのギルデンスターン運送の乗っ取りに、何ら支障はない。安心しろ。お前の契約者として、オレは必ず……」

「サジ!」

 

 普段は滅多に出さないような、感情的な叫び声。

 自分の喉からそれが飛び出したことに、自分自身が驚いて。それでも、ルナローゼはサジタリウスに向けて、続く言葉をしっかりと紡いだ。

 

「社長から、すべての事情を、聞きました」

「…………そうか」

 

 ギャンブルで大金をスってきた時のように、狼狽えるのかと思っていた。

 浮気を疑われた時のように、わかりやすい嘘を吐いてほしかった。

 しかし、ルナローゼの言葉を聞いたサジタリウスには、驚きも動揺もなかった。

 ただ、短く一言。

 本当に、ただ頷いた。

 

「でも、私はあなたの口から直接聞かなければ、信じません。納得もしません。だから、教えてください。サジタリウス」

 

 瞳に、涙が滲んでくるのを無視して、ルナローゼは言った。

 

「おじいさまを殺したのは、おじいさまの魂を喰らったのは、本当にあなたなんですか!?」

「そうだ」

 

 ただ、短く一言。

 肯定だけがあった。

 

「お前の祖父を……アルを殺したのは、オレだ。ルナ」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 そもそも、悪魔とは何か?

 人類史上はじめて魔術を扱ったとされる原初の魔導師……マギア・シャイロックは自身の著書の中で、通常の魔物とは異なる悪魔の存在を三つの条件で定義した。

 一つ。人の言葉を理解するモノ。

 二つ。人の魂を喰らうモノ。

 三つ。人に()()()()()()()()モノ。

 人の言葉を理解する悪魔は、通常の魔物とは異なり、意思の疎通が可能である。

 しかしながら、人を簡単に引き裂く爪と牙を持ち、翼で宙を舞う悪魔は、根本的に人間よりも上位の生物である。

 そして、力で人を上回り、知恵で人を欺く悪魔は、目をつけた獲物に『契約』を持ち掛ける。その『契約』の完遂を以って、悪魔は人間の身体から魂を取り出し、喰らい尽くす。

 マギアが遺した定義は、現代に至るまで知識として人に受け継がれ、悪魔がどのような存在であるかは、一般の人々にも広く認知され、恐れられている。

 人類の敵として認知され、理解されているにも関わらず、現代に至るまで、悪魔の存在は根絶できていない。

 それは、人間という生物が、悪魔を利用し、悪魔と契約し、悪魔を己の望みを叶えるために利用してきたからに他ならない。

 

 サジタリウスは、今でも鮮明に思い出せる。

 

「誰か!? 誰か近くにいねぇか!? 頼む!」

 

 冷たい雨が降る日だった。

 元々、土壌が悪く、馬車を走らせるには向いていない山道だった。手綱を握る腕が悪かったのではなく、単純な不運が重なって、馬車が横転してしまったことは、傍目にも明らかだった。

 そして、馬車から投げ出された幼い少女の打ち所が悪く、明らかに危険な量の血を流しているのも、また明らかだった。

 

「ルナは……この子は、孫娘なんだ! 誰か、手を貸してくれ!」

「その娘を、助けてほしいか?」

「助けて……助けてくれるのか!? あんた、医者か!?」

 

 掛けた声に、飛びつくように顔が持ち上がる。

 

「医者ではない。だが、助けられるかもしれない」

 

 泥が膝につくのも構わず、体を屈めて少女の怪我の状態を見ながら、サジタリウスは問いかけた。

 

「お前、オレに賭けてみる気はあるか?」

 

 それが、サジタリウス・ツヴォルフとアルカウス・グランツの出会い。

 二人が友情を育む、最初のきっかけだった。




Q.最序盤から出てくるのに100話を超えて悪魔の定義に触れる作品があるんですか!?
A.あんまり説明のタイミングがなくってェ……ようやく触れられる章に来たなって感じでェ……

こんかいの登場人物

勇者くん
ハイパーイカレポンチ。生き返るから率先して死に行く狂人。
死霊術師さんが仲間になったあとは根本的に方針を改め、命大事に!からガンガンいこうぜ!に戦術をシフトした。
味方が多い大規模な戦闘ではまず自分が死んでみせて、死霊術師さんに生き返らせてもらうところを見せることで、全軍に士気バフを掛けたりしていた。体を張るのが得意。

イト・ユリシーズ
妄想派からナマ派に鞍替えした。

レオ・リーオナイン
うんうん、わかるわかる。良いよね、親友……!

リリアミラ・ギルデンスターン
わたくしは仲間じゃないのかもしれない……と恐れを抱きはじめた。

トリンキュロ・リムリリィ
姫騎士以外に心理攻撃効かないから戦法変えよっかなぁ……と思い始めている。

ルナローゼ・グランツ
浮気!?

ムム・ルセッタ
抱っこされてる。

サジタリウス・ツヴォルフ
浮気じゃない!!

アルカウス・グランツ
生涯唯一の事故の日に、悪魔に出会った。


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アルカウス・グランツ

 サジタリウスの魔法『妄言多射(レヴリウス)』は、本人が発言した事象を全て()()する……

 

「まずはその子の傷を見せろ」

 

 ()()()()()()

 言葉にして発声する、というタイムラグがあるとはいえ、それだけで全ての望みが叶うのであれば、サジタリウスはとうの昔に最上級悪魔の中で最強に至っていただろう。しかし、事実としてサジタリウスは最上級悪魔の中で間違いなく最弱であり、その理由は戦闘向きではない本人の気質だけでなく、魔法にもあった。

 『妄言多射(レヴリウス)』が実現できるのは、あくまでも、起こり得る事象のみ。

 例えば、サジタリウスが矢を番えて射る際に「オレの矢は必ず当たる」と宣言すれば、放った矢は必中する。が、弓も矢も持っていない状態で「オレの矢は必ず当たる」と宣言しても、何も起こらない。

 殺したい相手に「お前は死ぬ」と宣言しても何の意味もないが、病を患っている相手に「お前の病はひどくなる」と宣言すれば、確実に悪化する。つまるところ『妄言多射(レヴリウス)』とは望んだ可能性を目の前の現実に結びつけ、事実として引き上げる魔法である。

 万能ではあるが、全能ではない。

 そんな自身の魔法の特性をよく理解しているサジタリウスは、少女の傷の確認から入った。

 

「なるほど」

 

 意識はない。頭部から出血。全身に打撲。右足がおそらく折れている。腹部には、刺さった木片。

 まだ小さな手を握りながら、サジタリウスは言葉の選択を慎重に意識して、一言一句違えぬように紡いだ。

 

「大丈夫だ。傷はひどいが『打ちどころは良かった』らしい。腹部の傷も『内臓は外れて』いる。出血も『これ以上はひどくならない』だろう」

「本当か? というか、あんたやっぱり医者なのか!?」

「医者ではないと言っただろう。多少の心得があるだけだ」

 

 上着を脱いで、少女の体がそれ以上冷たくならないように、包む。

 必要最低限『妄言多射(レヴリウス)』によって少女の容態を保ったところで、サジタリウスは横転した馬車の状態を見た。

 

「この馬車はまだ走れるのか?」

「わからん。起こしてみないことにはなんとも……車輪と骨組みにも亀裂が入っちまってる。道中で割れちまったらそれで終わりだ」

「確かめてみよう」

 

 馬車が損傷を負っている箇所を確かめるように触れながら、サジタリウスは口に出して告げる。

 

「問題ない。この程度なら『宿場町に着くまでは走れる』はずだ」

「本当か!? いや、しかしこの有様じゃ……」

「黙れ。この子を助けるんだろう? 助けたければオレの言葉を信じろ。さっさと馬車を起こすぞ」

 

 なんとか二人掛かりで馬車を引き起こしたあと、サジタリウスは男の肩に手を置いてさらに言った。

 

「東へ全力で走れ。オレが宿場町に寄った時、腕の良い旅医者がいた。まだ『街に残っている』かもしれない」

「わかった! 恩に着る!」

 

 泣き言の一つや二つ、返ってくるかと思ったが、男は即答で頷いた。

 気風の良い男だと、サジタリウスは思った。

 だから、最後にもう一つ添えておく。

 根拠はない。要因もない。だから、意味はないかもしれないが、それでもサジタリウスは、最後にその言葉を贈った。

 

「大丈夫だ。この子の命は必ず助かる」

「ありがとう! お前さん、名前は!?」

「サジタリウスだ」

「ありがとうサジ! オレはアル! アルカウス・グランツだ! 運び屋をしている! 宿場町で名前を出してくれれば、どこかで必ず引っ掛かるはずだ。いつか必ず、必ず礼をさせてくれ!」

「いいから早く行け。縁があれば、また会おう」

「ああ! 絶対にまた会おう! 約束だぞ! サジ!」

 

 去っていく馬車を見送りながら、サジタリウスは誰にも聞かれない小さな溜息を吐いた。

 また会おう、と彼は簡単に言っていたが、それはない。

 もしも、また会う時があるとすれば、それはサジタリウスが、彼の魂を喰らう時だからだ。

 

「ククク……いかんな。ああいうお人好しの魂は、どうにも不味くて食えん」

 

 言い訳のように重ねた呟きは、誰の耳にも届くことなく、雨の中に吸い込まれた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「よぉ! やっと会えたな! サジタリウス!」

「……」

「探したぜお前馬鹿野郎! お前さん、さてはアレだな? ヒモってヤツなんだな!? 住むとこも仕事も安定せずにフラフラと! 見つけるのに随分時間が掛かっちまったぜ! ワハハハ!」

「…………」

 

 周りに聞こえる大きな声で、恥の喧伝をされながら再会を果たしたのは、あの馬車の事故から数年後のことだった。

 酒場のカウンターでちびちびとやっていた飲みかけの一杯を置いて、サジタリウスは深い溜息を吐いた。

 

「……よくオレを見つけたな」

「そりゃあ骨を折って探したからな! 恩人に礼の一つもできなきゃ、アルカウス・グランツの名が廃るってもんよ」

「ククク……おい、なぜ隣に座る?」

「お前、何飲んでんだ? あー、適当にツマミも追加しようぜ。苦手なものとかないよな? オレァ、がっつり肉が食いたい気分だ。とりあえず盛り合わせと……」

「フフフ……いや、距離感ちか……」

「あ、もちろんここはオレが全部出すからな」

「ありがとう。おかわりください」

 

 人の好意には甘えるのが悪魔の正しい在り方である。

 とりあえずここは奢らせてくれ、と。

 了承の一つも取らず、馴れ馴れしく隣に腰掛けたアルカウスに思うところがないわけではなかったが、サジタリウスは素直に誘惑に負けておくことにした。人を誘惑する側なのに、誘惑には徹底的に弱いのがサジタリウスという悪魔であった。

 

「その口ぶりだと、孫娘は大丈夫だったようだな」

「お前さんのおかげだよ。本当に感謝してる」

「オレは何もしていない。ただ、お前はあの子を助けるための努力をして、あの子は助かる運命にあった。それだけのことだ」

「謙遜すんなよ。あの時、あの場所にお前がいてくれなかったら、オレはルナを……大切な孫を失うところだった。いくら礼をしてもしきれねえ」

「フフフ……まぁ、礼をくれるというのなら、有り難く受け取っておこう」

「おう! 今日は気が済むまで飲め飲め!」

 

 並々と酒が注がれたジョッキを重ねて、鳴らす。

 

「運び屋の仕事は長いのか?」

「ん? まあ、そうだな。生まれてこの方、この仕事しかしたことねぇし」

「仕事は楽しいか?」

「そうさなぁ。オレももう歳だからよ。最近は腰が痛くてな。働かずに楽ができるなら、そりゃ楽してぇよ」

「ククク……わかる。オレも働きたくない」

「お前さんはそりゃそうだろうな」

 

 言葉を重ねて、互いを知る。

 

「がははははは! だからオレの孫はとびっきりの美人になるんだよ! 間違いねぇ! ジジイのオレが言うのもおかしな話だが、あの子は頭も良いし、気立ても抜群だ! ルナは本当に良い女になるぜ! 賭けてもいい!」

「フフフ……なら、今のうちに粉をかけておくか」

「あ?」

「ククク……冗談だ。いや、顔こわ。冗談だ、アル。本当に冗談だから、本気にするな」

 

 笑顔を重ねて、時間を溶かす。

 アルカウスの、明らかに人懐っこい明るい性格に釣られて、いつの間にかサジタリウスも、彼の名前を呼ぶようになっていた。

 

「ん? なんだお前さん。カードやんのか?」

「まあ、多少は」

「そいつぁ良い。オレもギャンブルが趣味でな。親睦を深めるためにも一戦交えようぜ」

「ククク……いつの間にお前と親睦を深めることになったのかは知らんが、良いだろう」

 

 対人戦であれば『妄言多射(レヴリウス)』を使うまでもなく、サジタリウスというギャンブラーはプレイヤーとして強い。

 優雅にタダ酒とタダ飯を楽しみながら。自分を恩人だという馴れ馴れしいこの人間を、煽てて調子に乗せて、毟れるだけ金を毟ってしまおう、と。

 内心でほくそ笑みながら、サジタリウスはカードをシャッフルし、ゲームを開始した。

 簡潔に、結論から言えば。

 

「……」

「お前さん、すげえ強いな!? びっくりしちまったぜ」

 

 サジタリウスは、ボコボコにされた。

 

「……やるな、アル」

「がっはっは! おうよ! オレもゲームにはちょいと自信があるからな!」

 

 サジタリウスは、ゲームにおいて負けなし、というわけではない。かつて主と仰いだ少女には、じゃんけんという単純なゲームで一蹴されたこともある。

 しかし、戦略があり、読み合いが発生し、思考の攻防が行われる。そういったゲームでサジタリウスが敗北を経験したことは、極めて少ない。

 

「ククク……もう一回だ」

「おう、いいぜ」

 

 リベンジしても、また負けた。

 表情が読まれている。

 

「フフフ……次はボードゲームでもやるか」

「お、いいぜ。駒のデザインが良いよな、これ。ハンデやろうか?」

「不要だ。本気で来い」

 

 リベンジのリベンジをしても、またまた負けた。

 先の手が見透かされている。

 

「いやぁ、わりぃな。オレばっか勝っちまって」

「ク、ククク……今日はちょっと、調子が悪いかもしれんな」

 

 手を変え、品を変え。

 酒場で遊べるような簡単なゲームを、遊べるだけ遊び尽くして、遂にサジタリウスはテーブルの上に突っ伏して呻いた。

 全戦全敗。

 我が事ながら気持ち良くなるほどの、負けっぷりだった。

 

「さて、じゃあ今日はお開きにすっか」

「……そうか。名残惜しいが……」

「じゃあ、次は一週間後だな」

「え?」

「え、じゃねえよ。なんで鳩が豆鉄砲喰らったようなツラしてんだ」

 

 さっさと支払いを済ませながら、アルカウスは朗らかに笑った。

 

()()()()()()()、って。そういう話だよ」

 

 そう言われて、ようやく気が付く。

 

 そうか。次が、あってもいいのか。

 

 もう一度遊べたら、それはきっととても楽しいだろう、とサジタリウスは思った。

 そして、同時に。

 次が、あるのなら。

 まだこの男を食うわけにはいかないな、と悪魔は思った。

 

「ククク……一週間後だな。いいだろう。その日なら、ちょうどオレのスケジュールも空いている」

「うそつけ。お前さんぜってぇいつでも空いてるだろ」

 

 その日。アルカウスと遊んだゲームで、サジタリウスは結局『妄言多射(レヴリウス)』を一度も使わなかった。

 使おうと思えば使えたはずなのに、なぜか使う気になれなかった。

 金も、命も、何も賭けずに気楽に行うゲームは、負けても楽しい。

 純粋に、友人と楽しむゲームがこんなに心踊るものであることを、サジタリウスという悪魔は、はじめて知った。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 友情とは、時間の積み重ねだ。

 

「サジぃ……お前、また女といざこざあっただろ?」

「いざこざではない。ヒモであるオレがキレられて、家から叩き出されただけだ。ククク……次の住処を探さなければ」

「お前さん、ぜってえロクな死に方しねえぞ」

「では、アル。マシな死に方とはどんな死に方だ?」

「そりゃあ……アレだろうよ。惚れた女に看取られて死ねりゃあ、男は本望だろうよ」

「……貴様、顔に似合わずロマンチストだな」

「うるせえなてめぇ」

 

 共に過ごした時間が、思い出になる。

 

「かーっ! 稼いだ稼いだァ! たまにはカジノを荒らすのも悪くねぇなぁ!」

「フフフ……この稼ぎを元手に、さらに増やすとするか」

「おいやめろサジぃ! お前、この前稼いだ金も全部馬に突っ込んで大損しただろうが! 絶対にやめろよ!?」

「しかし……馬は健気だぞ? ワクワクする」

「それで外しちゃ世話ねぇんだよ!」

 

 馬鹿なやりとりの一つ一つが、かけがえないのないものに変わっていく。

 

「なあ、サジ」

「なんだ? アル」

「オレの孫は、とびっきりの良い女になるぜ。賭けても良い」

「ククク……貴様は酔ったらいつもそれだ。ああ、そうだな。お前に似ないことを祈るばかりだ」

「かーっ、うるせえな!」

「お前のような大酒飲みのギャンブル狂いに、ならないほうがいいに決まってる」

「ほっとけ!」

 

 かけがえのないやりとりが積み重なって、心の奥に宝物のように溜まっていく。

 

「にしてもサジ、お前って老けないよなあ」

「……ククク、オレが若くてイケメンなのは見ての通りだが」

「そりゃ負けてられねぇな。オレもルナにじいちゃんかっこいいねって言われてぇからな……」

「風呂上がりの化粧水は必須だ」

「そんなもん使ってんのかよお前!?」

 

 だからこそ、数年単位で友人としての付き合いを続けていく中で、抱えた嘘は罪悪感となって、静かに肥大していった。

 

「……オレの正体は、人間ではない」

「ふーん」

 

 それを明かした時。

 自分とアルカウスは、もう友達ではいられないのだろうと、そう思った。

 

「オレは悪魔だ。重ねて説明するが、人間ではない」

「そうか」

「悪魔は人間と契約を結び、望みを叶える。その代価に人の体から魂を抜き出して、喰らう。悪魔が提示した契約書に触れることによって、契約は完了する。そして、契約者の望みを叶えた瞬間に、その魂は……」

「ふむふむ……ほい。ぽちっと」

「だあぁああああああ!? 何をする貴様ァ!?」

 

 自分が悪魔であると証明するために。

 出現させた契約書にあっさりと触れられて、サジタリウスは絶叫した。

 対して、アルカウスはけろりとした表情で言い放つ。

 

「なにって……契約をしただけだが?」

「アホか!? 馬鹿なのか!? いや、貴様はたしかにゲーム以外は馬鹿のようなアホたれだが!」

「あぁ!? ゲーム以外はろくに頭を働かせねぇヒモ野郎に言われたくはねぇなぁ!?」

 

 取っ組み合いの喧嘩になりそうな勢いを、お互いに静めて。

 アルカウスは、深く息を吐いた。

 

「お前さんは人間じゃない。なるほど、ああ、わかったぜ。で、だから何だ?」

「いや、だからそれは……」

「何も変わんねぇだろ。言葉が通じる。一緒に酒が飲める。ゲームができる」

 

 わざとらしく指を折って数えながら、深い色の瞳がテーブルの上の、ゲーム盤に向く。

 それは、出会ってから今日に至るまで、二人をずっと繋いできたものだった。

 

「なあ、サジ。ゲームは、良いもんだよな。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も……種族も関係ねぇ。全部忘れて、楽しむことができる」

 

 サジタリウスが、ずっと秘密にしてきた事実を告白しても、アルカウスの態度は何も変わらなかった。

 ちびちびと酒を楽しみながら、駒を進める。賽子を振る。カードを切る。

 本当に、これまでと何一つ変わらない。自然体の友の姿が、そこにあった。

 

「お前さんが人間じゃないってことは、オレとお前がダチじゃねえ理由になるのか?」

「……」

「ならねえだろ。だから、いいんだよ。そんなことは」

 

 コイツ、妙に老けねぇなってずっと思ってたしな、と。

 出会った頃よりも濃く白く染まった頭をかきながら、アルカウスはさらに朗らかに、大きく笑った。

 

「奪いたくなったら、いつでも奪えばいい。腹が減ったら、取ってくれて構わねえ」

 

 これまでとまったく変わらない気安さで、人間の友は、悪魔の肩を叩いた。

 

「オレの命は、お前に預けておくよ」

 

 そこまで言われてしまっては、もう何も言い返せない。

 

「……大馬鹿者が」

「ところでお前、羽根とか出せるの?」

「……ククク、出せると言ったらどうする?」

「すげぇ見てぇ。あと空とばしてくれよ」

「フフフ、野郎二人で空の旅など、死んでもごめんだ」

 

 

 

 ◆

 

 

 アルカウスが体調を崩しがちになったのは、黒輝の勇者が魔王を打ち倒し、世界を救った後のこと。

 あまり無理をしない方がいい。仕事は休んだ方がいい。

 そう忠告すると、アルカウスは皺が刻まれた顔で苦笑いを浮かべた。それは、ゲームに興じている時の悪ガキのような表情ではなく、ベテランの運び屋の横顔だった。

 

「そうしたいのは山々だが、最近弟子を取っちまってな」

「弟子?」

「おうよ。オレの仕事を学びたいってな」

「ククク……それはまた、物好きがいたものだな」

「ほんとになぁ。ま、オレももういい加減に引退する年だしよ。ここらで後進をきっちり育てて、道を譲ろうってわけだな。いつかお前にも紹介してやるよ、サジ」

「不要だ。むさ苦しい男に興味はない」

「おおっと? そりゃ残念だ。うちの弟子は、とんでもねえべっぴんのお嬢さんだってのによ」

「前言撤回だ、アル。すぐ呼んでこい。今夜一緒に飲もう」

「クソヒモ野郎が。ぜってぇ紹介しないからな」

「アル! 頼む! アル!」

「うるせえ! 寄ってくんな!」

 

 軽口を叩けている内は、まだ良かった。

 しかし、数ヶ月もすると、アルカウスの体調は目に見えて悪化していった。

 

「こりゃ、もう長くねえかもなぁ……」

「……貴様らしくもない。弱音を吐くな。病は気からと言うだろう。安心しろ……『お前の病気は必ず良くなる』はずだ」

 

 ベッドに横になった親友の手に触れて……その手を強く握って、サジタリウスは宣言した。

 数日は、体調が安定した。しかし、またすぐに、ぶり返して元通りになった。

 いくら『妄言多射(レヴリウス)』を使ってもどうにもならないほどに、アルカウスの病は悪化しており、余命は幾許もない。彼の死は、もう決まっている。ただ、それだけのことだった。

 友の命は、もう助けられない。

 それならせめて、なるべく最後まで、同じ時間を過ごそうと。

 サジタリウスは酒場ではなく、アルカウスの家に足繁く通うようになった。

 

「来てやったぞ」

「また来たのかよ。サジぃ……お前、オレ以外に友達いねぇだろ」

「フフフ……急にひどいことを言うな。オレは泣くぞ」

「いやあ、ちょっと心配になっちまってな。オレが死んじまったら、遊べるヤツがいなくなっちまうだろ」

「……余計なお世話だ。馬鹿が」

 

 アルカウスの体調が良い日は、ベッドの横で、これまでと同じようにゲームをした。

 厳密に言えば、これまでと同じ、ではない。

 体調の悪化に伴って、アルカウスのプレイは明らかに精彩を欠くようになっていた。サジタリウスはわざと手を抜いて、良い勝負を演出し、負けるように心掛けた。

 皮肉な話だ、とサジタリウスは思った。

 はじめて自分を完膚なきまでに打ち負かした相手に。あれほど勝ちたかった好敵手に、今度は、わざと負けている。

 ひどい話だ、と悪魔は思った。

 どうして人間という生き物の寿命は、こんなにも短く決められているのだろう。どうして人間という生き物の体は、こんなにもか弱いのだろう。

 

「……なあ、サジ。なんか、お前も顔色悪くねえか?」

「とうとう目までボケたか? 貴様のひどい顔と比べれば、数倍マシだ」

「いや、そりゃそうだろうが……」

 

 アルカウスに、自分が悪魔であることを告白したその日から。

 サジタリウスは、人間の魂の摂食をやめていた。

 悪魔にとって、空腹は生き地獄に等しい。もういいのではないか。我慢しなくてもいいのではないか。これまでのように、賭場に落ちてくるクズの人間の魂なら、喰ってしまってもいいのではないか、と。

 そう考える度に、心に根付いた親友の言葉が甘い誘惑を断ち切った。

 

 お前さんが人間じゃないってことは、オレとお前がダチじゃねえ理由になるのか? 

 

 人間は、人間を食べない。

 彼は、自分を友だと呼んでくれた。

 その言葉に、報いるために。

 最後の最期まで、彼の友であるために。

 サジタリウスは、人の魂を決して食べない、という誓約を自らに課した。

 限界は近い。彼の終わりを看取って、自分もすぐに死ぬことになるだろう。

 悪くない話だ、とサジタリウスは思った。

 そういう死に方ができるのなら、ほんの少しでも人間に近づける気がした。

 

「おい、サジ。明日は、ルナが来るんだ。遠くで経営の勉強をしてるってのに、オレのためにわざわざ……お前も、会ってやってくれないか?」

「……もちろんだ」

「ルナはな。すげえ美人になったんだ。きっとびっくりするぜ」

「…………いいのか? そんな美人なら、オレは口説いてしまうかもしれないぞ」

「そいつは許せねえな。やっぱなしだ」

 

 アルカウス・グランツの、命の終わりが近付いていた。

 たった一つ。

 サジタリウスという悪魔にとって誤算だったのは、親友の命が終わるよりも早く、己の飢えに限界が近付いていたことだった。

 表情にそれを出さないように、堪えながら。サジタリウスは骨と皮膚だけになった友の手を、祈るように握り続けた。

 目眩がする。動悸が止まらない。呼吸が辛い。

 もう少し。あと数日。たったそれだけでいいのに。

 せめて、友の最期を看取るだけの、ほんの少しの時間だけでいいのに。

 それすらも与えられないということは、やはり自分は生まれた時から呪われている種族なのだろう、と。

 悪魔は、人間の手を離した。

 

「少し、野暮用を済ませてくる」

「……おい、サジ」

「心配するな。すぐに戻る」

「サジ」

 

 死にかけの病人のどこに、そんな力が残っていたのだろう。

 驚くほど強い力で、アルカウスはサジタリウスの手を掴んだ。

 人間が、悪魔の手を引き戻した。

 

「お前、やっぱ嘘が下手だよ。表情が読みやすい。だから、オレにゲームで勝てねぇんだ」

「手を離せ、アル」

「お前も辛いんだろ? やせ我慢しやがって、馬鹿野郎が」

 

 友情とは、年月の積み重ねだ。

 なんとなく、次に相手が何を言うか。

 親友であれば、自然とわかってしまう。

 だから、サジタリウスはそれを聞きたくなかった。

 

 

 

「オレの魂、お前にやるよ」

 

 

 

「……貴様は、本当にバカだ」

「うるせえなぁ」

 

 サジタリウスは、嫌だった。

 

「孫娘が会いに来るんだろう? 明日までがんばれ」

「自分の体のことが自分が一番よくわかるって言うだろ? ちょっとばかし、時間が足りねえ」

 

 サジタリウスは、嫌だった。

 

「ふざけるな。オレが、お前を……喰えるわけが、ないだろう」

「死にかけの老いぼれの魂で、親友を救えるなら……上々だろうよ」

 

 いくら否定しても、いくら拒んでも。

 悪魔の本能が、目の前の人間の魂を喰らうことを望んでいる。

 人間である前に、お前は悪魔なのだ、と。

 どうしようもない飢えに、種族の本能を突きつけられて。

 それが、本当に嫌だった。

 

「ふざけるな。オレは、貴様の望みなど絶対に叶えてやらんぞ」

「素直じゃねえなぁ。オレの体が楽になるように、散々魔法使ってたくせに」

「……」

「たくさん叶えてもらったよ。お前には」

 

 手のひらから、熱が抜け落ちる。

 

「孫娘の命を、救ってもらった。ジジイになってから、おもしれえ友達ができた」

 

 瞳から、光が失われていく。

 

「叶えすぎなくらいに、お前には叶えてもらった。でも……そうだな。最後に、もう一つだけ」

 

 それでも、乾いた唇は、滑らかに言葉を紡ぎ続けた。

 

「アルカウス・グランツが、サジタリウス・ツヴォルフに望む──」

 

 悪魔の胸から浮かび上がった契約書に、老人が触れる。

 契約者の望みは、絶対である。

 拒否権は、ない。

 

 

 

「──オレより、ちょっとだけ長生きしろ」

 

 

 

 親友は、自分を喰え、と最期まで言わなかった。

 生きろ、と。

 ただ、それだけを、望んでくれた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 外は、雨が降り始めていた。

 たてつけの悪い扉が、耳障りな音を伴って開く。

 

「間に合いませんでしたか」

 

 水滴が、床に落ちる。

 声の主は、息を切らしており、髪も乱れきっていた。

 彼女のそんな姿を見るのは、はじめてだ。

 呻くように、もう動かなくなった手を握りながら、サジタリウスは声を絞り出した。

 

「……ギルデンスターン」

「驚かないのですね?」

 

 あくまでも、淡々と。

 部屋に踏み入ってきた死霊術師は、ベッドに横たわる師の体を見下ろした。

 

「……ああ。自分の弟子は()()()()()()()()()()()()()()()だと。アルは、言っていた」

「そうですか。生きている内に、直接言ってほしかったですわね」

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、ベッドに腰掛けて、サジタリウスが握っているのとは反対の手を取った。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 四秒。

 僅か四秒という一瞬が、経過する。

 それはサジタリウスという悪魔にとって、生きてきた中で最も長い四秒間だった。

 いくら待っても、目の前の現実は覆らなかった。

 手の温もりは、戻らない。心臓の鼓動は、復活しない。

 悪魔に魂を喰らわれた人間は、二度と蘇生できない。

 

「……すまない」

 

 謝罪しか、浮かんでこなかった。

 人間は、死んだらそれで終わり。

 当たり前のことであるはずなのに、その当たり前を、悪魔は正しく認識できない。

 

「すまない、ギルデンスターン。オレは……」

「謝罪は不要です」

 

 簡潔な否定があった。

 

「人は死にます。死んだ人間は、生き返りません。あるいはこの世に、悔いのない死など、ないのかもしれません」

 

 指先一つで、それを覆せるからこそ。

 

「だからわたくしは、死ぬ前に何かを遺すことができた人間は、幸せなのだと思います」

 

 死霊術師は、それを尊ぶ。

 

「魔王軍の四天王を弟子に取って。悪魔に魂を預けて逝くなんて……おじさまは、本当に死ぬまでギャンブラーでしたわね」

 

 リリアミラの頬を流れている雫が、何なのか。

 見極めるためには、サジタリウスの視界は歪みすぎていた。

 内側から溢れ、零れ落ちるものが多すぎて、はじめて感じるものを噛み締めるので、精一杯だった。

 

「サジタリウス。あの人の心は、わたくしの手の届かないところにいってしまわれました」

 

 膝を折り、目線を合わせ、肩に手を置いて。

 リリアミラの指先は、真っ直ぐにサジタリウスの胸元を指差した。

 

「今は、ここにあります」

 

 死霊術師は、それを悪魔に問いかける。

 

「どう使うかは、あなた自身が、選びなさい」

 

 遺されたものがある。

 託されたものがある。

 人ではない自分に、人間の友が賭けてくれたものが。

 

「……ギルデンスターン。頼みがある」

 

 その日。

 悪魔と死霊術師は、密約を交わした。



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勇者とヒモカス悪魔

 サジタリウスがリリアミラと交わした約束は、三つ。

 一つ。アルカウス・グランツと悪魔の間に繋がりがあったことを、秘密にすること。

 アルカウスと最上級悪魔の間に特別な繋がりがあった事実が世間に知られてしまえば、アルカウスが運営していた会社やその縁者にまで危害が及ぶ可能性がある。故に、今日この場で起こったことは、誰にも知られてはならない。

 二つ。アルカウス・グランツが遺した遺産を然るべき時まで維持管理すること。

 こちらに関しては、会社の運営に関わったことのないサジタリウスが力になることはできない。それらは、すべてリリアミラに任せることにした。

 三つ。アルカウス・グランツの孫娘である、ルナローゼ・グランツを守ること。

 これだけは、自分も全面的に協力することを、サジタリウスはリリアミラと約束した。

 

「葬儀や会社の諸々は、すべてわたくしが」

「すまない」

「あなたはとりあえず、その酷い顔をなんとかするところからはじめなさいな」

「イケメンが台無しだ、とでも。そう言いたげだな?」

 

 皮肉めいた物言いにはなんとか皮肉で返したものの、リリアミラはそれを鼻で笑った。

 

「あら、そんなことはありませんよ。むしろ、今まで一番……あなたが男前に見えます」

 

 人のために泣く悪魔なんて、わたくしもはじめて見ましたから、と。

 後半に添えられた小さな呟きは、サジタリウスも聞かなかったことにした。

 翌日。

 サジタリウスは結局、アルカウスの葬儀には行かなかった。

 自分には参列する資格はないと思った。合わせる顔もないと思った。なにより、親友の魂がもうそこにはないことは、自分が一番よく知っていた。

 夜の街を、手元に残った僅かばかりの金で飲み歩く。バーに行ったところで、その席にもう親友はいない。わかっていても、足は自然にそちらに向かった。体にアルコールを入れるだけ入れて、また次の店に向かう。そんなことを繰り返している内に、ひどく酔って歩けなくなった。

 

「……あの、大丈夫ですか?」

 

 若い女性の声に、そう聞かれたところまでは、辛うじて記憶があった。

 次に気がついた時、サジタリウスはそれなりに上等な宿屋のベッドの上で寝ていた。

 ああ、またレディを引っ掛けて転がり込んでしまったか、と。

 痛む頭を抱えながら起き上がると、案の定。ベッドの横では薄い寝息が響いていた。まだ年若いが、ぎりぎり少女から大人の女性に成りかけているくらいの、理知的な外見。

 年齢が年齢だったので、サジタリウスは即座に自分の衣服を確認した。特に乱れも脱いだ形跡もない。その事実にほっとしながら、彼女の肩を揺する。

 

「おい、起きろ」

「んぅ……」

 

 気怠げな声と共に、寝ぼけ眼が起き上がる。

 あどけなさの中に、美人の素質が感じられた。

 

「すまない。昨日は世話を掛けた」

「……あ! あなた! 本当に大変だったんですからね!? あんなになるまでお酒を飲んで! 何か事情があったのかもしれませんが、それにしたって感心しませんよ!」

 

 起きて、早々。ぷんぷん、がみがみ。

 怒っている顔も、少しかわいいな、と。

 そう思わされた時点で、サジタリウスの負けだった。

 

「ククク……悪かったな。礼というには少し足りんかもしれんが、遅めのランチをご馳走したい。どうだろうか?」

「……まあ、お礼をしたいと言うのであれば、それは、ありがたくいただいておきますが」

「ククク……ありがとう。そういえばまだ、きみの名前を聞いていなかったな」

「あ。申し遅れました。私はルナローゼ。ルナローゼ・グランツと申します」

「ククク……そうか。ルナローゼ、美しい名……え?」

「なんです?」

「る、ルナ、ローゼ?」

「はい」

「……グランツ?」

「はい?」

「うぇあああぁぁぁぁああ!?」

「ひぃあああぁぁぁあああ!?」

 

 サジタリウスは絶叫して、ベッドの上から飛び上がった。比喩ではなく、本当に飛び上がった。驚きすぎて、危うく背中から羽根を生やしてしまいそうになった。

 ひとしきり叫びを終えた後に、己の全身を再確認し、まかり間違っても一夜の過ちがなかったことを、入念に再確認する。

 危なかった。

 酒の勢いで、危うく親友の孫娘とワンナイトするところだった。

 サジタリウスはヒモでカスの悪魔ではあったが、そこが踏み越えてはならないラインであることは、さすがにわかっていた。

 

「な、ななな、なんですか!? いきなり大声を出して!」

「ふ、フフフ……すまない。天が仕組んだ運命のいたずらに、少し驚いただけだ」

「酔っ払いの口説き文句にしては随分壮大ですね……?」

「ククク……それと、ルナ」

「いきなり馴れ馴れしい!?」

「男は皆、獣だ。いくら困っていようと、酒に酔っていようと、こんな簡単に部屋には入れていけない」

「そうですね。現在進行系で後悔しています」

「そうだ。おーけー。そんな感じだ。それくらい冷たくしてくれていい。それにしても……う、うーん……」

「……なんです?」

 

 まじまじと、ベッドの上に仁王立ちになりながら、サジタリウスは腰を抜かしてへたり込んでいるルナローゼの顔を見詰めた。

 鼻筋の通った顔立ち。困った時に下がる眉。なによりも、意思の強そうな瞳。

 

「ククク……全然似ていないな」

「はあ?」

「フフフ……こちらの話だ」

 

 ──だからオレの孫はとびっきりの美人になるんだよ! 間違いねぇ! ジジイのオレが言うのもおかしな話だが、あの子は頭も良いし、気立ても抜群だ! ルナは本当に良い女になるぜ! 賭けてもいい! 

 

 サジタリウスは、内心で苦笑した。

 まったくもって不愉快な話だったが、たとえ死んだあとでも、自分はアルカウスとの賭けには勝てないらしい。

 

「さて、何か食べたいものはあるか?」

「……そうですね。なんでもいいですけど……強いて言うなら、卵が美味しいお店に行きたいです」

 

 サジタリウスは、今度は素直に笑った。

 それは、親友の好物でもあったから。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 親愛とは、時間の積み重ねだ。

 

「サジーっ! あなた、また昼まで寝てたんですか!?」

「寝ていたわけではない。英気を養っていただけだ」

「でもあなた仕事してないでしょう!?」

「しているさ。お前を守るのがオレの仕事だ。ルナ」

「それが女の家に居候する時の常套句ですか?」

「そんなことはない。オレが守ると誓ったのは、お前だけだ」

「あー、はいはい。そういうのはいいですから。ご飯の準備手伝ってくれますか?」

 

 共に過ごした時間が、思い出になる。

 

「稼いできたぞ。ルナ」

「……」

「おいやめろ。そんな目でオレを見るな。これは本当に、真っ当な手段で稼いできた金だ」

「一応どうやって稼いできたか聞いてもいいですか?」

「ククク……お馬さんが、がんばった」

「バカ!」

 

 やりとりの一つ一つが、かけがえないのないものに変わっていく。

 

「なあ、ルナ」

「なんです? サジ」

 

 悪魔は思う。

 ああ、自分はまた、同じことを繰り返している。

 だからこそ、もう同じ失敗はできない、と悪魔は思った。

 

「オレの正体は、人間ではない」

「え」

 

 それを明かした時。

 自分とルナローゼは、もう今までと同じ関係ではいられないだろう、と。親友に正体を明かした時と同じように、そう思った。

 夕飯の調理の最中。エプロン姿のルナローゼは、きょとんと振り返って、サジタリウスを見た。

 

「オレは悪魔だ。重ねて説明するが、人間ではない」

「サジ」

「悪魔は人間と契約を結び、望みを叶える。その代価に人の体から魂を抜き出して、喰らう。悪魔が提示した契約書に触れることによって、契約は完了する。そして、契約者の望みを叶えた瞬間に、その魂は……」

「えっと、サジ。待ってください」

「なんだ。人が真剣な告白をしている時に」

「知ってます」

「え?」

「あなたが悪魔なの、知ってます」

「ククク……いや、え? なんで?」

「だってはじめて会った日、酔って自分から翼広げてたじゃないですか。最初からあなたの正体なんて丸わかりですよ」

「フフフ……え、マジ?」

「はい。マジです」

 

 マジらしかった。

 

「お、おぉおおおおおおお……」

 

 恥ずかしい。

 サジタリウスは、ルナローゼの前で頭を抱えて倒れ伏した。

 情けない。

 もはや、まな板に乗せられた魚のように、のた打ち回るしかなかった。そんなサジタリウスを見て、ルナローゼは静かに息を吐いた。メガネの奥の瞳が、腐っても最上級の位階にある悪魔を冷たく見下ろす。

 

「何をしているんですか。そんな競馬で大負けしてもう私に金を借りるしか後がない……みたいな呻き声を上げながら倒れ伏して」

「いや……だって……だってなあ!」

「あなたがアホでバカでイケメンのクズであることは、重々承知です。そんなくだらないことで悩んでいる暇があったら、じゃがいもの皮でも剥いてください」

「ククク……今日はシチューか?」

 

 サジタリウスは切り替えの早い悪魔だった。

 ルナローゼはツンと答えた。

 

「カレーです」

「えー」

「えー、じゃありません。叩き出しますよ?」

「フフフ……すいません。食べます。美味しくいただきます」

 

 速やかに立ち上がったサジタリウスは、ルナローゼがいつの間にか買っていた揃いのエプロンを身に着け、じゃがいもの皮剥きに取り掛かった。

 ちょうど、頭一つ分。自分よりも低いところにある視線が、調理を進めながら、上目遣いにこちらを見る。

 

「ところで、サジ。あなたの羽根って……飾りではないんですか?」

「……ククク、飛べると言ったらどうする?」

「それは……ちょっと、飛んでみたいです」

「……そうだな。気が向いたら抱えて飛んでやる」

 

 昔も、同じ質問をされた。

 気づかれないように、サジタリウスは嬉しさを含んだため息を吐く。

 本当に。

 そんなところまで、似なくてもいいのにと思った。

 

 

 ◆◆

 

 

 我ながら、生温い時間を過ごしたと思う。

 親友の命で、幸せ過ぎるほどの余生を貰った。

 

「やあ、サジタリウス。ひさしぶりだね。元気だったかい?」

 

 だから、トリンキュロ・リムリリィが、自分に会いにやってきた時。

 これは罰なのだ、と。

 あるいは、今まで貰った幸せに報いるために、この身を盾にする時が遂に来たのだ、と。サジタリウスは、心の底からそう思った。

 

「きみはすごいね。ちゃんと人間の生活に馴染んで、人と一緒に暮らしている。ああ、勘違いしないで。きみの在り方を、責めているわけじゃない。きみが魔王様の元から離れた理由も、その上で得た答えも、ボクは尊重するつもりさ」

 

 あの子を、純粋な悪意に晒したくない。

 

「ただ、協力してほしいんだ。ギルデンスターンの会社をぶっ潰したくてね。下準備とか資金源の調達とかは目星がついてるんだけど……ほら、きみが仲良くしている彼女、ギルデンスターンに近しいところにいるだろう? せっかくだから、ぜひ利用させてほしくて」

 

 あの子を、純粋な悪意に利用されたくない。

 

「よろしければ、ぜひきみの彼女と契約させてほしいんだけど、どうだろう?」

「トリンキュロ」

 

 あの子を、純粋な悪意から、守りたい。

 

「アレは、オレの獲物だ。オレの契約者であり、オレの餌だ。他人のモノに手を付けるのは、昔から貴様の悪い癖だぞ?」

「……そうだね。失礼したよ」

「もちろん、協力はしてやる。オレ如きの非力な悪魔で、どこまで貴様の力になれるかは分からないが……計画のお膳立てもしてやろう」

 

 守る。ルナローゼ・グランツを、必ず守る。

 そのためなら、頭を下げよう。

 巨悪に頭を垂れよう。

 無様に尻尾を振って、付き従ってみせよう。

 最初から、勝負のテーブルに付くことすらせず、サジタリウスはトリンキュロに対して恭順の意を示した。

 

「……サジ」

「何だ?」

「きみ、つまらなくなったね」

 

 どこまでも冷たい声音に、背筋の先まで射抜かれるようだった。

 それでも、サジタリウスは耐えた。傲慢な第一位に対して、ただ淡々と平静を装った。

 感情を表に出さないのは、ギャンブラーの得意分野である。

 

「……まあ、いいや! ありがとう! サジタリウス! きみが仲間になってくれれば、百人力だよ!」

「ククク……見え透いた世辞は止せ」

「ああ、そうだ! もう一つ、聞いていい?」

「まだ何かあるのか?」

「いや、きみと彼女の関係を知るにあたって、ボクの方でも色々と調べさせて貰ったんだけど……純粋に興味があってさ」

 

 人を射抜く言葉は、サジタリウスという悪魔の真骨頂。

 それをわかっているからこそ、トリンキュロ・リムリリィはサジタリウスに向けて。

 

 

 

「きみ、ちゃんと祖父を殺して喰ったこと、あの娘に話してるの?」

 

 

 

 その残酷な問いを、突き刺した。

 サジタリウスは、顔を伏せた。

 一拍を置く。呼吸を整える。視線を上げる。

 己の内を駆け巡る、全てのあらゆる感情の熱を、完璧にコントロールした上で。

 

「…………ククク。そんなこと、話しているわけがないだろう」

 

 そして、悪魔は静かに笑った。

 

「あの娘には、利用価値がある」

 

 そうだ。笑え。

 

「アレの命も、遺産も、オレが貰い受ける」

 

 もっと、笑え。

 

「老いた男の魂も、悪くはなかったがな。若い生娘の、それも直接の血縁の魂ともなれば……騙し通して、啜り殺すのは、極上の快楽だろう?」

 

 もっともっと、大いに笑え。

 人間ではない、怪物らしく、より悪辣に。

 自分を親友と呼んでくれた友が遺したものを守るために。

 サジタリウスは、バケモノの笑みを貼り付けて見せた。

 

「事実として、ギルデンスターンはあの娘の祖父を見殺しにしている。すべての罪を、ギルデンスターンにでっちあげ、会社を内部から崩す。上手くいくと思わないか?」

「おお! いいねえ! それは楽しそうだ! きみの賭けに、ボクも一枚噛ませてもらうことにするよ!」

「ああ。賭けたければ賭ければいい。安心しろ。オレの言葉は、絶対だ。外すことはない」

 

 あるいは、トリンキュロが現れなくても、いつかはこうなっていたのかもしれない。

 あの子を守る。

 そんな言葉は、自分に対する言い訳。契約ですらない。今はもういない親友と交わした、この体を動かすための、仮初めの約束だった。

 

 あの子を、純粋な悪意に晒したくない。

 あの子を、純粋な悪意に利用されたくない。

 あの子を、純粋な悪意から、守りたい。

 どれもこれも、全てが、耳障りの良い建前に過ぎない。

 

 あの子に、嫌われたくない。

 

 いつの間にか、自分を動かすものは、そんなちっぽけで些細な、プライド以下のくだらない感情になっていたのだ。

 

 

 ◆

 

 

 すべて、語り終えた。

 もう隠していることは、ほとんどない。

 サジタリウスは、顔を伏せたまま床に座り込むルナローゼの肩に、上着を掛けた。

 

「人ではないオレには、最初から……きみと一緒にいる資格はない」

 

 ずっと騙していた。

 彼女を守るという言い訳をして、自分が側にいたいだけだった。

 本当に、ただそれだけのことだった。

 

「オレは、ルナに嫌われるのがこわかった」

「…………サジ」

「オレは、ルナに化物扱いされるのが、嫌だった」

「……サジ」

「だから、こんなオレを」

「サジッ!」

 

 きっ、と。

 ルナローゼが顔を上げる。

 

「歯を食い縛りなさいっ!」

「え? ぶほぉあ!?」

 

 平手ではなかった。

 グーだった。

 ルナローゼが握りしめた拳骨の一発が、サジタリウスの整った顔立ちの中央を、見事に打ち抜いた。

 サジタリウスは、倒れた。倒れ伏した。

 普通に、めちゃくちゃ痛かったからである。

 

「ぐだくだと、ダラダラと、話が長い!」

 

 一喝が、響いた。

 

「あなたはいつもそうです! ちょっとゲームが強くて話術に自信があるからといって、のらりくらりと話を引き伸ばして! 要点は簡潔に! 伝えたいことは、ハッキリと! これはビジネスの鉄則であると、何度も言ってきたでしょう!?」

「お、ぅおぉ……はい、すいません……」

「痛いですか!?」

「痛い」

「それは私の怒りです!」

「はい……ごめんなさい」

 

 頭が上がらない。頭を垂れるしかない。

 ルナローゼは、怒ると恐い。すごく、恐い。アルカウスよりも、全然恐い。

 なので、サジタリウスは普通に土下座の姿勢に移行した。

 悪魔と契約者、ではなく。

 ヒモのクズカスと、飼い主。

 サジタリウス・ツヴォルフとルナローゼ・グランツは、そういう関係性にあった。

 

「あなたが悪魔であることが、本当に……本当に!? 私があなたを嫌いになる理由になると、本気で思っているんですか?」

 

 とはいえ、仕方ない。

 馬鹿なのは、自分だ。

 殴られて当然だ。

 

 ──お前さんが人間じゃないってことは、オレとお前がダチじゃねえ理由になるのか? 

 

 随分前に、とっくの昔に、その不安を取り除く言葉を、自分は貰っていたのだから。

 

「よく聞きなさい! サジタリウス・ツヴォルフ! あなたは悪魔で、人を喰うバケモノで! 人間ではない存在で! どうしようもないヒモで! 働かない穀潰しで! クズのカスで!」

「ククク……ほんとに泣きそう」

「聞きなさい!」

「あ、はい」

 

 正座したまま、頬を抑えるサジタリウスに向けて。

 かつて、魔王の使徒であった、最上級悪魔に向けて。

 

 

 

「だとしても! あなたがお祖父様の生涯唯一の親友であった事実は、一切揺らぐことはありません!」

 

 

 

 ルナローゼ・グランツは、高らかに告げる。

 

「誇りなさい! サジタリウス・ツヴォルフ! アルカウス・グランツの魂は、あなたの中で今も生きています!」

 

 彼女のそんな叫びを、サジタリウスは、はじめて耳にした。

 けれど、知っている。自分はこの声を、よく知っている。

 馬鹿みたいにでかい声だ。

 アルカウスも、仕事をする時はそういう声の張り方をしていた。

 そういう馬鹿みたいにでかい声で、はっきりとものを言われると、くだらない悩みは、案外簡単に吹っ飛んでいってしまうのだ。

 ああ、本当に。

 良い女だな、と。サジタリウスは、ルナローゼを見てそう思った。

 

「あなたがしたいことは何ですか!?」

「きみを守りたい」

 

 即答する。

 

「あなたがすべきことは何ですか!?」

「きみを守ることだ」

 

 即答する。

 

「そうです! なら、もう答えは決まっているでしょう!」

 

 四天王の第一位と戦う彼らを指差して。

 しかし、まだ言い足りないものがあるように。

 一瞬だけ、ルナローゼは何かを噛み締めるような素振りを見せて。

 

「それと、最後にもう一つ!」

 

 ルナローゼの手が、サジタリウスの頭を掴む。

 うわ、また暴力か、と。悪魔は恐怖した。

 土下座すれば回避できるかもしれない、と頭を下げようとした。

 できなかった。

 ほんの一瞬。触れるか、触れないかの、曖昧な境界。

 けれども、やわらかく、温かいそれが、額に口付けられた感触があった。

 

「……私は、あなたのことが、そんなに嫌いではありません。あまり、私の好意を舐めないでください」

「…………えっと、はい。ありがとう」

 

 なんだか、少し、妙な間があって。

 

「おい。サジタリウス」

 

 名前を呼ばれた。

 いつの間にか、世界を救った勇者がそこに立っていた。

 きっと、自分のいないところで絡まった全ての誤解を解いて、お節介なお膳立てをしたのだろう。

 腹が立つことに、とても良いものを見た、と。そう言いたげな表情で、勇者は笑っていた。

 

「契約者がそう言ってるけど、お前はどうする?」

 

 これは、選択だ。

 これは、賭けだ。

 なによりも。

 これはきっと、自分にとって最後の契約だ。

 

「良いのか?」

「何が?」

「オレは悪魔だ」

「そうだな。おれは勇者だ」

「オレは人ではない」

「ああ。おれは人間だ」

「オレは敵だぞ?」

「おう。さっきまで、テーブル挟んで敵同士だったな」

 

 わざとらしく、強調の一言が差し込まれる。

 

「ゲームでは、敵同士だった。それだけだ」

 

 選択は、常に迫ってくるもので。

 選び取るのは、常に自分自身で。

 

「ククク……勇者よ」

 

 しかし、だからこそ、悪魔は勇者に向けて、逆に問いかけた。

 

「お前、オレに賭けてみる気はあるか?」

 

 サジタリウスが、伸ばした手。

 人間ではない、悪魔が差し伸べた手。

 それを、世界を救った勇者は一切の躊躇いなく手に取った。

 

全賭け(オールイン)だ」



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新たなる絆の力

 おれは勇者である。

 べつに勇者に限らず、極めて当たり前の話だが、人は一人では何もすることができない。

 なのでおれは、世界を救う過程で、数えきれない人達の協力を得て、かけがえのない仲間を得た。

 吸血鬼の女帝さまとか、半人半馬のケンタウロスとか、船を沈めるのが趣味の人魚のみなさんとか、そういう純粋な人間ではない存在の助けを借りたこともある。

 しかし、最上級悪魔が仲間になったのは、今日がはじめてだ。

 

「ククク……いくぞ、勇者。まず最初に覚えておいてほしいのは、オレはとても弱いということだ。お前達が素知らぬ顔で普通に捌いている攻撃が掠っただけでも、か弱いオレは普通に死ぬ。いいか? 脅しではないぞ? 本当に死んでしまうんだ。だからオレのことは全力で守れ。蝶とか花とかを愛でる感じで、全力でだ」

「えぇ……?」

 

 大丈夫か? 

 この優男、仲間にした意味本当にあるのか? 

 オールインしちゃったぞ? 

 

「いや、お前が弱そうなのはなんとなくわかるけど……」

「フフフ……そう褒めるな。こんなにもかっこいいオレが味方になって、とても嬉しいのはよくわかるが……」

「サジ。早く働きなさい」

「はい。すいません」

 

 秘書子さんに尻を蹴られて、またうだうだと言葉を紡ごうとしていたサジタリウスは、しぶしぶと立ち上がった。

 良いコンビだ。普段からこの顔だけイケメン最上級悪魔が、どれだけ尻に敷かれているかがよくわかる。コイツは見た目がイケメンでムカつくが、女の子にしばかれているところを見るとちょっと共感が生まれる気がした。

 

「ククク……まさか、このオレが働く日が来ようとはな」

 

 それにしても、かっこいい顔でかっこわるいことしか言わない男である。

 

「お前、本当に大丈夫なんだよな? ちゃんと役に立つんだよな?」

 

 口にする一言一句、全てが不安だ。

 繰り返しになるけど、本当にコイツ仲間にして良かったのかな……。

 

「愚問を吐くな、勇者よ。オレは生粋の遊び人だが、やる時はやる男」

「頼むぞ。こっちはわりと長期戦で疲れてるんだから。それにおれ、何回か死んでるし」

「フフフ……相変わらず倫理観がイカれていてこわいな。しかし……疲れている? 生憎、オレにはそう見えないな」

 

 極めてわざとらしく。まるで、詐欺師のように。

 サジタリウスが、オレの肩に手を置いた。

 

「戦いの中でかつての感覚を取り戻しつつあるお前は『最高のベストコンディション』だ」

 

 言われた、瞬間。

 体に、変化があったのがわかった。

 例えるならば、活力が体の内から漲る感覚。

 支援系の魔術を掛けられたのとは、また少し違う。見えない何かに、背中を後押しされたような。

 

「うお、すごいな……」

 

 端的に感想を言うと、サジタリウスはドヤ顔で胸を張った。

 

「ククク……少しは見直したか? 気休めのようなバフだが、効果は実際にある」

 

 シセロさんの『泡沫無幻(インスキュマ)』でも似たようなことはできるかもしれないが、それはあくまでも思い込みであり、幻覚。実際に体の何かが変わったわけではない。

 しかし、このイケメン顔だけ悪魔の『妄言多射(レヴリウス)』は違う。指先の一本、筋肉の筋の一つ一つに至るまで、体のコンディションを最良に引き上げられている実感があった。

 当然、それはおれ達と対峙する敵にとって、予期せぬパワーアップだ。

 対峙しているクソロリ悪魔から、舌打ちが漏れる。

 

「ボクを裏切って、そちらに着くのかい? サジ」

「ククク……そういうことになってしまったらしい。すまんな、トリンキュロ」

「べつに謝る必要はないさ。ボクたちは悪魔だ。きみはきみの思う通りに、心のままに、成すべきと思うことを成せばいい」

 

 ゆったりと、大きく手を広げて。

 四天王第一位は、サジタリウスに向けてやさしく微笑んだ。

 

「ボクも、ボクの心のままに。裏切り者のキミは、きちんと殺そう」

 

 おれの肩に手を置いたまま、サジタリウスはいそいそと背後に隠れて震えだした。やる気あんのかコイツ? 

 仕方ないので、クソロリ悪魔からビビリイケメン悪魔を庇うように、前へ出る。

 

「悪いが、コイツは顔だけのイケメンでも、おれの仲間だ。そう簡単に手出しできると思うなよ」

「おいおい……キミはバカか勇者? そんな目に見える強化をボクが許すわけ……」

 

 クソロリ悪魔が至極真っ当な言葉を言い切る前に、おれの真横を、一迅の風が走り抜けた。

 どうせなら『哀矜懲双(へメロザルド)』で前方に転送して奇襲してもらおうかと思っていたのだが、

 

「よっ」

 

 師匠には不要だったらしい。

 クソロリ悪魔の表情が、わかりやすく歪む。

 おれの拳は、四天王第一位の天敵。

 ならば当然、おれの師匠の拳は、四天王第一位の、大天敵である。

 およそ、近接格闘という分野において、おれに出来て、師匠に出来ないことはない。

 

「殴りに来た。勝負しよ」

「ぶ、武闘家……!」

 

 クソ悪魔の小柄な体が、さらに小さな体の師匠に一撃で殴り飛ばされた。

 うきうき、わくわく、わんぱく、満点。

 サジタリウスとずっとインドアなテーブルゲームをしていたせいだろうか。人を殴りたくて殴りたくて仕方ないといった様子の師匠が、本当に嬉々とした様子で襲いかかる。

 こわい。飢えた獣のようだ。

 おれの背中に隠れながら、サジタリウスがニヒルに笑う。

 

「ククク……トリンキュロよ。オレがなぜ、貴様を決闘魔導陣の……『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』の魔法効果の対象にしなかったか、わかるか? いつか、お前を真正面から殴れる人間が現れた時……オレの代わりに、思いっきり殴ってもらうためだ!」

「他力本願過ぎるし、相手を煽りたいならちゃんと前に出ろ」

 

 しかし、サジタリウスが『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』で『人間への暴力行為』のみを禁止したおかげで、おれ達があのクソロリ悪魔を殴ることができているのも、また事実。そこは評価せねばなるまい。

 とはいえ、相手は腐っても四天王第一位。師匠一人では、限界があるだろう。

 こんな時こそ、頼れる仲間の力が必要だ。

 こっそりと隅に移動して、ちょっとサボろうとしていた死霊術師さんの肩を、おれは掴んだ。

 

「師匠。これ使ってください」

「助かる」

「あら? あらあらあら? いや、ちょっと待ってくだい。助かるってなんですか助かるって。なんで足首持つんですか。べつにわたくしいらないでしょうこれ。武闘家さま? 武闘家さま本当に聞いてらっしゃいます? それ絶対普通に殴った方がはや……うぇぁあああああ!?」

「ぐぁぁぁ!?」

 

 悲鳴が二人分に増えた。

 すげえぜ、師匠。四天王で四天王殴ってる。四天王を盾にするしかできなかったおれとは、格が違うぜ。

 今のうちに、ありがたく作戦を練らせてもらおう。

 小休止、と言うにはあまりにも僅かな間だが、おれの側まで下がってきた先輩と悪友は、少し怪訝な様子でサジタリウスを見た。

 

「あー、お二人さん。詳しい事情はあとで説明するけど……」

「不要だよ、親友。キミが信用すると言ったんだ。ボクたちが疑う理由がない」

 

 バカだが理解の早いことに定評のあるおれの親友は、サジタリウスと気楽に握手を交わした。

 

「やあ、サジタリウス。あの日、脱衣オセロで負けて以来だね」

 

 初耳だが? 

 コイツそんなアホなギャンブルに負けて強制労働に従事してたのか? 

 バカなんじゃないか? いや、バカだったわ。

 

「ククク……アレは良い勝負だった。このオレを下履き一つまで追い詰めた貴様と、肩を並べて戦えることを嬉しく思う」

 

 こっちもこっちでなんでちょっと嬉しそうなんだよ。どうしてちょっとかつての強敵と共に戦える嬉しさに胸踊らせてるみたいになってんだよ。

 サジタリウスとバカ作家が男の握手を交わしている横から、先輩がひょっこりと顔を出して、頭を下げる。

 

「どうもどうも悪魔さん。はじめまして。勇者くんのお嫁さんです」

「違いますよ?」

 

 なにをさらっと捏造しているのだろうか。

 

「勇者、お前……」

「なんだよ」

「ククク……おめでとう」

「真に受けるな」

 

 素直か? 

 腐っても言葉を操る悪魔なんだからもう少し疑うということを覚えてほしい。あと後ろから突き刺さる賢者ちゃんの視線がちょっと洒落にならない感じになっているから勘弁してほしい。

 

「じゃあ、みんな。ちょっと聞いてくれ」

 

 いつまでも背中に隠れ続けているサジタリウスを引っ剥がして、おれは言った。

 

「新しい仲間を軸にした、良い作戦がある」

 

 

 ◇

 

 

 トリンキュロ・リムリリィは、端的に言って窮地に陥っていた。

 度重なる援軍。不死に近い体を概念ごと斬り裂く剣士に、危険な妄想を現実にする作家崩れの騎士。

 信じていた仲間の裏切りに、勇者の上位互換と言っても過言ではない、黄金の武闘家の参戦。

 どこを切り取っても、マイナス。自分が不利になる要因はあれど、自分が有利になる要素は一つとしてない。

 それら全てを踏まえた、トリンキュロ・リムリリィの結論は、

 

「うん。問題なし」

 

 接触した瞬間に、魔法による静止を浴びせてくるムムに対しては『自分可手(アクロハンズ)』で整形した瓦礫の腕を、自切して対処。盾にも武器にもなるリリアミラに対しては、蘇生に掛かる四秒のインターバルを見極めて、その隙を詰めれば問題ない。

 全身に数多の魔法を備えるトリンキュロに対して、近接戦闘で互角に戦える者は、その前提からして限られる。

 警戒すべき攻撃は、四つ。

 接触という魔法の発動条件を無視して、理屈の上から殴打を浴びせかけてくる、勇者の拳。

 そんな勇者の拳よりも、さらに威力が高く、より磨き抜かれた錬度を誇る、ムム・ルセッタの聖拳。

 戦いの最中、あらゆる魔法を切断するほどに進化を果たした、イト・ユリシーズの剣戟。

 現実を虚構に書き換える、レオ・リーオナインの不可思議極まる魔法無効執筆(アンチマジックライティング)

 それら四つを踏まえてなお、トリンキュロは不敵に笑ってみせる。

 

「それでも、勝つのはボクだよ」

 

 警戒すべき攻撃は、四つ。しかしその中で、致命傷に繋がる攻撃は、イト・ユリシーズの蒼の魔法による斬撃のみ。

 そして、その致命傷も、トリンキュロ・リムリリィにとっては致命傷に成り得ない。

 トリンキュロの異常な再生能力を根底から支える魔法の名は『因我応報(エゴグリディ)』。その魔法効果は任意の対象の『復元』である。

 たとえ、全身が粉々になろうと、心臓が砕かれようと、頭を割られようと、トリンキュロはこの魔法によって瞬時に五体満足、気力十分な状態に復活できる。

 もちろん、弱点は存在する。『因我応報(エゴグリディ)』による復元は、連発ができない。再び使用するためには、三分間……厳密に言えば、百八十二秒という、インターバルを要する。戦闘を継続できないほどの致命傷を負い、全身を復元してしまった場合……以降の三分間は、トリンキュロも死亡のリスクを伴う戦闘を強いられる。

 だとしても、問題はない。

 単純な話、三分間で自分を二度殺すほどの攻撃を当てるのは、不可能に等しいからだ。

 だからこそ、トリンキュロは疑問に思う。

 

「これで全ての準備は整った……みたいな顔してるけどさぁ。きみ、ボクに勝つ気あるの?」

「勝つ気はない。殺す気しかないからな」

 

 勇者らしからぬ黒い台詞を吐きながら、世界を救った勇者が前に出る。イトも、レオも、ムムも、仲間としてその隣に並ぶ。リリアミラは武器として引き摺られている。

 そして、新たな仲間となった最上級悪魔は、勇者の横に……並んでいなかった。

 

「勇者よ」

「なんだ」

「オレの嗜むゲームは、基本的にソロプレイだった」

「ああ。お前友達いなさそうだもんな」

「うるさい、泣くぞ。いや、そうではなく……その、純粋な疑問なんだが……これは本当に、良い作戦なのか? これが、チームプレイなのか?」

「そうだ。これがチームプレイだ」

「なあ、勇者よ。オレは、全力で守ってほしいと頼んだはずだが?」

「ああ。約束通り、全力で守ってやる。おれはもう、お前を離さない」

 

 気持ちを、心を一つにする、という意味では、勇者とサジタリウスの二人は、これ以上なく一つになっていた。

 気持ちを、心を乗せる、という意味では、勇者はたしかにサジタリウスの思いを乗せていた。というか、物理的に肩に載せていた。

 二人は一つだった。

 

「そろそろ、決着を付けよう」

 

 魔王の使徒の一柱。第十二の射手。

 最上級悪魔、サジタリウス・ツヴォルフを()()()()()()()勇者は、不敵に笑う。

 肩車である。

 肩車であった。

 どこをどう見ても、それは肩車だった。

 

「さあ、いくぞ! サジ!」

「ククク……正気か?」

 

 裏切り者の発言なので、あまり認めたくはなかったが、トリンキュロ・リムリリィも心の底からそう思った。



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悪魔の妄言、数多を射抜く

 最上級悪魔、サジタリウス・ツヴォルフを、勇者が肩に背負うという奇抜極まる、奇策。

 客観的に見ればふざけているとしか思えない、その連携を、

 

「くっ……勇者のたった一人の親友であり、戦いの中で相棒にまで進化したこのボクを差し置いて……肩車だとっ!? あの悪魔め……どこまでおいしい役所を掻っ攫っていくつもりなんだ……! 許せん!」

 

 レオ・リーオナインは、歯軋りしながら見詰めていた。

 端的に言って、嫉妬である。ジェラシーである。

 そんな気持ちの悪い感情を滾らせているレオの背中を、イトがつんつんと叩く。

 

「レオくん。男の嫉妬は見苦しいよ?」

「まるで女の嫉妬は許されるような言い方ですね? 先輩」

「うん」

 

 ちょっとこわい肯定であった。

 とはいえ、さすがに肩車に嫉妬する女はいない。イトは髪を片手でかきあげながら、口にする内容とは裏腹に、のほほんと笑った。

 

「でもでも、レオくん。アレ。ちょっとおもしろくない?」

「まったくです。悔しいことにおもしろいことは認めざるを得ない!」

 

 起死回生のフォーメーションが、どこまでも好き勝手な品評をされている。

 冷や汗をかきながら、勇者に肩車された状態のサジタリウスは強がりを多分に含んだ笑みを浮かべて、真下の勇者を見る。

 

「ククク……おい、勇者よ。いいのか? ネタ扱いされてるぞ?」

「いいんだよ。このおれのパーフェクトな頭脳が導き出した作戦なんだから」

「貴様、頭良かったか?」

「……」

「フフフ……おい、黙るな。オレが悪かった」

 

 通常よりも一人分高いところにあるサジタリウスの背中を、シャナが背伸びして、杖でつんつんとつつく。

 

「そこの顔だけ悪魔。勇者パーティーの賢さ担当である私が直々に補足しておきますが、勇者さんは基本的にバカです」

「ククク……圧倒的不安……!」

 

 サジタリウスの頬を、だらだらと冷や汗を流れていく。心配になってきた。

 対して、その表情を物理的に見上げることすらできない勇者は、どこまでも他人事のように軽く言う。

 

「まあまあ。ここは大人しく、おれに担がれておけって。サジタリウス」

「人を担ぐと言って本当に物理的に担ぐアホは貴様くらいうぉぁぁ!?」

 

 サジタリウスはセリフをすべて言い切ることができなかった。それよりも前に、股下の勇者が一気に駆け出したからである。

 直後、勇者とサジタリウスが立っていたその場所を、巨人のように肥大化したトリンキュロの右腕が抉り抜いていく。

 

「ほぅ。器用に躱すね」

「人は抱え慣れてるもんでね」

 

 一人分の体重を抱えたまま、颯爽と走り出した勇者が告げる。

 

「散開して各個に攻撃。ヤツを取り囲め」

「了解したよ、親友」

「おーけーおーけー」

「うむ。わかった」

 

 指示と応答。

 それを聞いたトリンキュロは、唇の端を僅かに持ち上げた。

 勇者も、イトも、レオも、全員が騎士学校の出身。ムムは言うまでもなく世界を救ったパーティーの一員であり、勇者の師匠。このメンバーならば、元より連携の練度は不足なく、意思疎通もハンドサインや他の方法で、口頭に限らずいくらでもある。

 つまりこれは、敵に聞かせるための、作戦方針。

 

「何を企んでるのかなぁ!? 勇者ァ!」

「そりゃもちろん、お前を殺すための企みを」

 

 涼しい顔で応じながら、打撃。勇者の拳が、トリンキュロの肥大した腕を、打っては崩し、崩しては砕く。

 しかしながら必然、上にお荷物のサジタリウスを抱えている都合上、その拳の切れ味は先ほどよりも遥かに落ちる。

 

「サジ!」

「ククク……あ、オレも何かするのか?」

「各個に攻撃って言っただろうが! 働け!」

「フフフ……仕方あるまい」

 

 アホなやりとりを交わしながらも、乱れた前髪の間から覗く瞳が、上へと動く。勇者とサジタリウスの姿は一瞬でかき消えて、トリンキュロの直上を取ったムムと入れ替わる。

 回避に長けた『哀矜懲双(へメロザルド)』による、瞬間転移。今回の戦闘においても、幾度となく繰り返してきた、勇者の回避の常套手段。

 

「……ちっ」

 

 しかし、それに対して、トリンキュロは明確な舌打ちを鳴らした。

 魔法の効果対象は、自分自身と触れているもの。手にする剣や身を守る鎧も、当然その対象に含まれる。つまり、勇者に装備されている状態に近い最上級悪魔も、勇者と同様に瞬間転移するということ。

 事実。肩車された状態のまま、空中へ軽やかに身を躍らせるサジタリウスの手には、敵を倒すための武器があった。

 

「オレの放つ『矢は命中』する」

 

 踏ん張りの効かない空中。それも、勇者に肩車され、背筋を曲げたふざけた状態で。

 それでもなお、サジタリウス・ツヴォルフの放つ矢は、言葉通りの必中である。

 着弾と同時に、爆発。炎熱系の魔術が込められた矢がふり撒いた爆炎をかき分けながら、トリンキュロは獰猛に笑う。

 

「あっはっは! 本当に良い魔法だね、サジ! 共食いは趣味じゃないけど、やっぱりボクも『妄言多射(それ)』欲しくなってきたよ!」

「ククク……だめだ勇者。このオレの必殺の矢が、全然効いてない。あと、こわい。食べられたくない」

「それでいい。ビビらず、浴びせ続けろ。絶対に当たる遠距離攻撃ってのは、お前が思っている以上に貴重だ」

「人使いが荒いな」

「いいから黙って働け」

「フフフ……黙ったらオレは本当に働けないぞ。魔法が使えないからな」

「ほんとにああ言えばこう言うなお前!? いいからやれ!」

 

 勇者に促されて、サジタリウスはしぶしぶと次の矢を番えた。

 サジタリウス・ツヴォルフは最上級悪魔の中で最も弱い。近接格闘は素人に毛が生えないレベルで、腕相撲もルナローゼに負ける。反射神経は鈍く、運動神経は皆無に等しく、とにかく純粋に弱い。故に、戦闘におけるサジタリウスの攻撃手段は『妄言多射(レヴリウス)』で必中効果を付与した弓矢での遠距離攻撃に限られる。

 申し訳程度に炎熱系魔術が付与された弓矢は、着弾と同時に小規模な爆発を起こす。その程度の魔術は、トリンキュロにとっては蚊に刺されたようなもので、致命傷にはならない。

 

(でも、うざいな)

 

 心境を気取られぬよう、トリンキュロは内心で呟く。

 常に視界の中を蚊に飛び回られるのは、相応に鬱陶しいのは事実。

 トリンキュロは、周囲を見回す。

 右にイト。

 左にムム。

 背後にレオ。

 正面に勇者と担がれるサジタリウス。

 シャナは後方に控え、前には出てこない形だが、単独の敵を包囲する人数としては、十分過ぎる。

 

(ま、やってることは先ほどまでと、そう変わらない。単純な選択肢が増えただけだ)

 

 勇者が中心である以上、戦闘における組み立ても、常に『哀矜懲双(へメロザルド)』がメイン。勇者と誰が入れ替わるか。それを常に可能性として頭にいれておけばいい。

 なによりも、転移魔法として万能に見える『哀矜懲双(へメロザルド)』には、致命的な欠点がある。

 それは、転移する方向が……()()()()であること。

 いくら複数人に包囲されたところで、勇者とサジタリウスが転移する先は、必ず()()()()()()()()()だ。

 

「テンション上がってきたし、少しギアを上げていこうか?」

 

 トリンキュロ・リムリリィの強さの根底を支えるのは、蒐集してきた魔法だけではない。激しい戦闘の最中、相手を分析し、その考えを先読みする、思考の回転も、四天王第一位の、明確な持ち味である。

 周囲の瓦礫を『砂羅双樹(イン・ザッビア)』で取り込み、取り込んだそれらを『自分可手(アクロハンズ)』で触腕の形に整形して、背中から生やす。

 まるで、ハリネズミのように。純粋な手数を増やしたトリンキュロは、勇者とサジタリウスに攻撃を集中させる。

 

(さあ……また『哀矜懲双(へメロザルド)』を使え!)

 

 手数を増やした分、余力は残っている。

 視線は読める。転移した先に攻撃を置けば、確実に当たる。

 

「甘いな」

 

 結論から言えば、勇者は『哀矜懲双(へメロザルド)』を使用した。

 ただし、勇者はその場から一切動かなかった。

 トリンキュロの触腕を両腕の拳打で捌き、捌ききれなかったそれらを腹に浴び、腹に浴びた刺突が腹部を突き破って。

 そうして、口から血を吹き出しながらも、それでもなお、勇者は四天王第一位の思考を「甘い」と断ずる。

 勇者は、転移しなかった。

 ただ、肩に担ぐ形で触れていたサジタリウスだけを、転移させた。

 

「自殺志願? 馬鹿だね」

「殺害希望だ。阿呆悪魔」

 

 それは、自分自身を犠牲にした、囮。

 

(サジだけを逃がした……!? だがっ!?)

 

 半ば反射で、トリンキュロは背後に触腕を振るう。転移先への、置く攻撃。勇者が守っているならともかく、サジタリウスだけなら、確実に殺せる。

 そして、その反射と行動を、トリンキュロは後悔した。

 

「残念。外れだよ、リムリリィ」

 

 繰り出した攻撃を、レオ・リーオナインの槍の一撃によって砕かれたからだ。

 レオは、最初からトリンキュロの背後にいた。

 騎士作家は『哀矜懲双(へメロザルド)』の転移の対象になっていない。

 何故か? 

 

「クイック・プロット──悪戯の小道具・鏡(プロップス・ミラー)

 

 ページが、千切れ飛ぶ。

 戦闘開始時、『紙上空前 (オルゴリオン)』によって、一瞬で鎧を身に纏い、出現させたように。

 レオ・リーオナインは、まるで身を守る盾の如く、それを構えていた。

 全身を写し込む姿見──大きな鏡を。

 

「お前……鏡で視線をっ!?」

「これが親友の力さ」

 

 視線を先読みすれば『哀矜懲双(へメロザルド)』による転移は怖くない。

 だが、先読みできる視線そのものを仲間の協力で、ずらしてしまえば? 

 予測は、もう不可能だ。

 

(なんだ!? サジは、何と入れ替わった!?)

 

 その結果だけを、トリンキュロに教えるように。

 レオの足元に、腹部に大きな穴が空いた白いワイシャツが、ひらひらと落ちる。

 

「変なとこ、触らないでね?」

「ククク……無論だ。オレは紳士的な悪魔だからな」

 

 声が、聞こえた。

 ワイシャツを脱ぎ捨て、タンクトップ一つで抜刀の構えを取るイトと、その肩に控えめに手を載せるサジタリウスを、トリンキュロはようやく認識した。

 滑らかに、最上級悪魔が言葉を紡ぐ。

 

「騎士団長イト・ユリシーズは、トリンキュロ・リムリリィに向けて『史上最高の斬撃』を撃ち放つ」

 

 人間という生き物は、常に100%のポテンシャルを発揮できるわけではない。

 身体的な疲労、精神的な心労。周囲の状況と自身のコンディションは、常に変化し、流動するもの。完全に噛み合うことは、一生に一度、あるかないか。一芸において、愚直に鍛錬を積み重ねる達人たちは、そのたった一度を、生涯を通して追い求め続ける。

 だが、サジタリウス・ツヴォルフの魔法は、それが実現可能であるならば……必ず()()に至らせる。

 

 

「──新婚旅行に行こう」

 

 

 歯車が、噛み合う音がした。

 トリンキュロの全身を、恐怖が突き抜ける。

 

(避けなければ……!)

 

 むんず、と。

 何かに足首を掴まれて、トリンキュロはまったく注意を払っていなかった足元を見る。

 決して大きくはない自分よりも、さらに小さい幼女が、そこにいた。

 

「あ」

「ぴーす」

 

 音もなく忍び寄り、地面に這いつくばったムム・ルセッタが、こちらを見上げてVサインを繰り出していた。

 片手で、足首を、掴まれてしまった。

 触れられてしまった。

 黄金の武闘家の『金心剣胆(クオン・ダバフ)』による静止は、絶対不変。

 トリンキュロ・リムリリィは、もう動けない。

 

「一回目だな」

 

 勇者が呟いた、刹那。

 イトの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』の限界(タガ)が外れた。

 過去の最大出力──ダンジョンを一撃で断ち斬ったそれを、遥かに凌駕する。

 横薙ぎの居合い。比類なき一閃が、フロア全体を撫で斬った。

 四天王第一位は、腰から上を切断され、破断され、完膚なきまでに断絶された。

 

「お、ぉおおおおおおおおお!?」

 

 直後に、トリンキュロの全身は元に戻る。

 体も、魔力も、すべてが『因我応報(エゴグリディ)』の『復元』によってもとに戻る。

 だというのに、トリンキュロは違和感を覚えた。

 吹き出て止まらない冷や汗が、顎先を伝って地面に染みを作る。小刻みに震える指先が、先程よりも冷たい。

 

「感覚、どうですか? 先輩」

「イイ……イイよ、これ……! 手に剣が馴染む! 体が軽い! ワタシもこれずっと装備したい!」

「ククク……オレは装備品じゃない」

「こまりますよ、勇者さん。もう一度アレ撃たれたら、結界魔術で地下を支えるのにも限界があります」

「ああ……じゃあもう少し、コンパクトに詰めていこうか」

 

 心に刻まれた恐怖が、戻らない。

 トリンキュロは、勇者を見る。

 魔法殺しの黄金の拳も。己の死も厭わないイカれた精神も。数多の魔法を使いこなしてきた、理解と応用も。

 それらはすべて、黒輝の勇者の力の、一端に過ぎない。

 勇者が真の力を発揮するのは、頼れる味方がいるからだ。

 

 ──仲間と共に、敵を討ち倒す。

 

 優しく肩に手を置き、言葉で鼓舞し、けれども時に、貪欲に利用する。

 パレットの上に色をぶち撒け、混ぜ合わせて飲み込む、漆黒の勇猛こそが、黒輝の勇者の、最も色濃い一面。

 ブランクがあったはずだ。

 少しずつ、勘を取り戻していたとはいえ。

 全盛期には、及ばなかったはずだ。

 その在り方を、言葉一つで取り戻してみせたのは……トリンキュロが見くびっていた、最弱の悪魔だ。

 サジタリウス・ツヴォルフの『妄言多射(レヴリウス)』は、仲間と連携する運用において……最強最高の『支援(バフ)』に成り得る。

 

「知らなかったよ、サジ。きみ、チーム戦の方が得意だったんだね」

「ああ……どうやら、そうらしい」

 

 いつものように。

 ククク、とも。

 フフフ、とも。

 貼り付けた笑いを漏らすことなく、最上級悪魔はトリンキュロの言葉を肯定した。

 

「オレも知らなかった。友達があまりいなかったからな」

 

 既に『因我応報(エゴグリディ)』は使用されている。

 これにより、トリンキュロ・リムリリィは百八十二秒間、身体的な復元が不可能となった。

 

「──おもしろい」

 

 三分後。

 すべての決着は、そこにある。




次回、VS四天王第一位、決着

おまけ
☆勇者パーティーの基本陣形と連携の変遷
①勇者・騎士ちゃん時代
二人で殴る。ガンガンいこうぜ
②勇者・騎士ちゃん・賢者ちゃん時代
二人で殴る。賢者ちゃんが後方支援。ガンガンいこうぜ
③勇者・騎士ちゃん・聖職者さん時代(賢者ちゃんが修行のため一旦離脱)
三人で殴る。プリーストさんのおかげで回復ができるようになった。いのちだいじに
④勇者・騎士ちゃん・賢者ちゃん・聖職者さん・武闘家さん時代
完成形その一。勇者、騎士ちゃん、武闘家さんが前衛。聖職者さんが遠近を兼ねる中衛。賢者ちゃんが後衛。勇者が前に出て敵の能力とスタイルを探り、聖職者さんがいろいろやって、賢者ちゃんが分析と全体支援、武闘家さんが足止めと防御を行い、騎士ちゃんが仕留めるというパーティーの方向性がこの頃確立された。死霊術師さんの加入が遅いため、地方によってはこの頃のメンバーが勇者パーティーと呼ばれることも(死霊術師さんの元四天王という複雑な立ち位置の関係上、勇者パーティーの一員として認めない声は王国内外に一定数存在する)。
勇者が騎士学校時代に思い描いていたパーティーの形としては、一応この時代に完成を迎えている。
⑤勇者・騎士ちゃん・賢者ちゃん・武闘家さん・死霊術師さん時代
真の完成形。魔王様を殺して世界を救った実績アリ。勇者くんの肉壁上等蘇生前提特攻により、歴代パーティーの中で最も単純な攻撃水準が高い。勇者個人の魔法も、この頃に最も質が高いものが揃っていた。


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勇者の切り札

「ここから三分はボーナスタイムだ……ヤツを囲んで袋叩きにしろ!」

 

 およそ世界を救った英雄とは思えないセリフを吐きながら、勇者が動く。

 フォーメーションに変化はない。全員でトリンキュロを包囲し、逃げ道を塞ぎ、確実に仕留める形。

 体勢を低く落とし、駆け出したトリンキュロは、勇者たちの包囲から逃れるように、ジグザグの軌道でカジノの中を跳ね回る。

 

(さて……ボクが『因我応報(エゴグリディ)』を使えるまで、百六十秒弱か)

 

 これまで防御の切り札的な運用をしてきた『因我応報(エゴグリディ)』の仕掛けは、勇者の洞察と賢者の分析によって、既に割れている。ここからの約三分、勇者パーティーは『復元』が使えないトリンキュロの隙を突いて、全身全霊で潰しに来るだろう。

 逆に言えば、この約三分の攻防を凌ぎ切ることができれば、トリンキュロの勝利は確定すると言ってもいい。

 

「いいね。そういうわかりやすいバトルは好きだ」

 

 必然、攻撃の圧力は増す。

 が、捌けないことはない。

 迫りくるシャナ・グランプレの魔術砲撃と、サジタリウスの必中爆撃を、トリンキュロは手をかざしただけで霧散させた。見た目だけは可憐な美少女の最上級悪魔は、思わず呆れを表に出して息を吐く。

 

「そういうのは無駄だっていうのがまだわかんないかな? グランプレ! サジ!」

「これでも学者の端くれでしてね。実験は何度も繰り返したくなるものなんですよ」

「オレも一流のギャンブラーだからな。その内、貴様にクリーンヒットが出せるかもしれないだろう?」

「あはは……ほざいてろ、馬鹿が!」

 

 そう。ダメージをほぼ無効化できる『因我応報(エゴグリディ)』が使えないとしても。

 受けた攻撃を拡散させて受け流す二つ目の防御の要。遠距離攻撃のほとんどを無力化する『青火燎原(ハモン・フフ)』は、未だ健在。サジタリウスの必中攻撃も、受けて流してしまえば問題はない。

 色魔法の中で破格の防御の性能を誇る『青火燎原(ハモン・フフ)』を真正面から超えられるのは、イト・ユリシーズの『蒼牙之士 (ザン・アズル)』のみ。逆に言えば、イトの斬撃の回避に専念していれば、トリンキュロに二度目の致命傷が入ることは、ほぼないだろう。

 トリンキュロ・リムリリィは、考える。

 逃げに徹して、蒼の魔法から逃れ続ける。たしかにそれは、悪くない選択だろう。

 

「……うーん」

 

 しかしそれは、四天王第一位として、おもしろくない思考だ。

 だからこそトリンキュロは、一歩踏み込んで、逆に考える。

 イト・ユリシーズさえ。あの蒼の魔法さえ潰してしまえば、こちらの勝利は、半ば確定する。

 

「……うん。こっちの方が、やっぱりボクらしい」

 

 攻撃こそが、最大の防御。

 『因我応報(エゴグリディ)』の再使用まで、百三十秒。

 トリンキュロは、仕留める目標を、一人に……イト・ユリシーズへと絞った。

 

「先輩!」

 

 勇者の緊張に満ちた警告に対して。

 

「いいよ、後輩。先輩に任せなさい」

 

 イトは、全身を脱力させたまま、納刀した剣の鞘をゆるりと構えた。

 経験は、人を変える。

 勇者との結婚の妄想。助けに現れた勇者の妄想ではない現実の魅力。そして、サジタリウスが与えた『妄言多射(レヴリウス)』による支援。

 元より王国の騎士団長として恵まれていたイト・ユリシーズのポテンシャルは、この短い期間でさらに三段階に渡って引き上げられている。

 その場から動かず、抜刀の構えを取ったまま、イトは剣の柄に手を掛けた。

 慢心はない。四天王第一位であろうとも、正面から斬り伏せる。

 既に一度は、殺している。故に、再びの一刀両断に、不足なし。

 

「斬るよ」

「やってみな」

 

 万全を期して、己を斬り断つ構えを崩さない蒼の剣士を見て、トリンキュロはあどけない笑みをより色濃くした。

 

「保証するよ、イト・ユリシーズ。時代と運が噛み合えば、きみは勇者になれる魔法使いだ」

 

 返答はない。

 真正面から迫るトリンキュロに対して、イトは全速の抜刀を応じる回答とした。

 

「だから潰す」

 

 抜刀はした。しかし、斬撃は届かなかった。

 イトが剣を振り抜く、その直前に。床から飛び出したトリンキュロの細い触腕が、イトの腕に触れ、弾き飛ばしたからだ。その触腕には、触れたものに強い『衝撃』を与える『不脅和音(ゼルザルド)』の魔法効果が、抜け目なく付与されている。正しく、イトに正面から接近し、確実に仕留めるための布石。

 手のひらから溢れ落ちた剣が、空中でくるくると回る。左右で色の違うイトの瞳が、トリンキュロを見る。

 小さく、イトは呟いた。

 

「後輩。跳ばせ」

「『哀矜(へメロ)──」

「──『自分可手・両断壁(アクロハンズ・ピグウォル)』」

 

 被せるように、二人分の呟きも、重なった。

 勇者が魔法によってイトと入れ替わろうとした、その瞬間。そのタイミングを狙い澄まして、勇者とイトの間に巨大な壁が隆起する。

 

「いつまでも通用すると思わないことだ」

 

 視界さえ閉ざしてしまえば、転移は使えない。

 ニィ、と。トリンキュロは歯を剥き出しにする。今まで散々に苦汁を舐めさせられてきた『哀矜懲双(へメロザルド)』による瞬間転移も、これで止めた。

 今までの攻防の中で、彼らの手の内はわかっている。盤上に、カードは揃っている。

 だから、一枚ずつ潰し、一手ずつ確実に、詰める。

 転移を封じられ、逃げ場を失った形。だが、まるで子どもが無理矢理瓦礫を積み上げたような、不格好な壁を一瞥して、イトは一言だけ吐き捨てた。

 

「やれやれ。しゃーなし」

 

 麻痺させられた右腕ではなく、左腕の手刀で、迎撃の選択。

 この剣士ならば、当然そう来るだろう、と。

 正面に立つイトに対して敬意を示すように、トリンキュロは両手を合わせた。

 殺してはならない。蘇生されてしまえば、傷も何もかも元通りになってしまう。今、最も必要なのは、リリアミラの『紫魂落魄(エド・モラド)』で蘇生されない攻撃。

 だからこそ、トリンキュロは二つの魔法を同時に選び取った。

 

「虎を刺す一瞥」

 

 一歩。イトが踏み込む。

 

「我は武装する修羅」

 

 応じて、やはり一歩。トリンキュロも踏み込んで、宙へ身を躍らせる。

 

「混ざれ……イミテーションクロス──」

 

 そして、一撃が交差した。

 

「──『虎刺修羅(アリアスラ)』」

 

 骨を断つ鋭さを伴うイトの手刀とは、真逆だった。

 風を撫でるように、イトの胸にやわらかく触れたトリンキュロの手。しかし、そこからもたらされる合成魔法の効果は、トリンキュロが満を持して選び取り、融合させたものだ。

 襲い来るのは、激痛。

 崩れ落ち、倒れたイトの全身が、猛毒を浴びたように痙攣する。

 

「っ……!」

「麻痺の効果を持つ『虎激眈眈(アリドオシ)』を『我武修羅(アルマアスラ)』で強化した。悪いけど、五分程度は口を開くことも叶わないと思うよ」

 

 これで、自分に対してトドメを担う剣士は潰した。

 とはいえ、トリンキュロも支払った代償は重い。

 

「ここで、脚を狙うとはね……」

 

 太ももから完全に両断された片脚で体重を支えきれず、四天王第一位は、堪らず片膝をついた。蒼の魔法の影響だろうか。『自分可手(アクロハンズ)』で義足を形成して接合しようとしても、上手く繋がらない。再生が『断絶』の概念によって、阻害されている。

 

「やるねぇ。ユリシーズ」

 

 トリンキュロの口から、素直な称賛が溢れ出たのと、同時。

 急拵えの壁が、粉々に砕け散り、勇者とその師匠が現れる。倒れ伏したイトを見て、勇者の表情が険しさを増した。

 

「……師匠、挟んでください。死ぬまで殴り潰します」

「おっけー」

「やめてくれよ。こっちは動けないんだから」

 

 二人だけではない。

 

「親友!」

「ああ」

 

 勇者がレオの体に触れる。

 勇者が倒れ込んだイトを見る。

 たった二つの動作で、動けないイトとレオが入れ替わる。

 動けなくなった味方を逃しつつ、最適な間合いへと、動ける味方を送り込む。

 

「本当に良い連携だよ」

 

 振り上げられた槍を見上げて、トリンキュロは息を吐いた。

 蒼の魔法を潰した今、トリンキュロの『青火燎原(ハモン・フフ)』を凌駕する攻撃魔法は、勇者のパーティーに残されていない。

 が、魔法効果を貫通して打撃を通す……勇者とムムの磨き上げた技量で()()()()()()場合、人間とは異なる肉体を持つ最上級悪魔も、さすがに死ぬ。

 生半可な魔法では、黒輝の勇者と黄金の武闘家をあしらうことすらできない。

 トリンキュロは、左右を確認する。イトに断絶された右足の形成は、まだ完了していない。

 

 ──新しい魔法が必要だ。

 

 片足、一本。跳ねるようにぎりぎりで繰り出された槍の穂先から逃れながら、トリンキュロはそれを決断する。

 喰らったばかり。奪ったばかりだ。

 試運転すら、まともにしていない。

 自分にとっても、大きなリスクを伴う行為。

 

「でも……できるよね」

 

 イト・ユリシーズの潜在能力が、戦いの中で引き上げられていったように。

 四天王第一位も、戦いの中で、かつての獰猛さを取り戻しつつあった。命の取り合い。心を塗り潰し合うゲーム。自分が全力を向けるに相応しい相手。

 最上級悪魔のポテンシャルが、引き上がる。

 万全の闘争心を伴って、トリンキュロ・リムリリィは、再び両手を合わせる。

 

冷艶(れいえん)なる紅蓮(ぐれん)氷牙(ひょうが)

 

 模倣した魔法を使用する、アニマイミテーション。

 模倣した色魔法を使用する、カラーイミテーション。

 模倣し、使いこなしたそれらを重ねることで生み出す、新たな魔法の創造、イミテーションクロス。

 トリンキュロの色魔法『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』の真価は、文字通りの多彩さにある。

 

連鎖(れんさ)せよ波紋(はもん)群青(ぐんじょう)

 

 当然、()()()を混ぜ合わせれば、その魔法出力は、さらに増す。

 

「混ざれ……イミテーションクロス──」

 

 体の内から湧き上がる高揚感。

 新たな自分が、薄く細く、広がっていくような全能感。

 その高揚の熱に身を委ねて、トリンキュロは叫ぶ。

 

 

 

「──紅氷青火(エリュテイア・ハモン)

 

 

 

 触れたものの温度を自由自在に変化させる、紅蓮の魔法『紅氷求火(エリュテイア)』。

 触れたものを周囲へと拡散させる、群青の魔法『青火燎原(ハモン・フフ)』。

 それらを混ぜ合わせた答えが今、示される。

 トリンキュロを中心に拡散する熱波。身を焦がすような灼熱の風が爆発し、周囲を無差別に巻き込んだ。

 勇者を、レオを、ムムを巻き込んだその熱波は、相手を即死させるような火力……()()()()

 

「合成魔法にしちゃ、しょぼいって思っただろ?」

 

 沸騰する熱の中で、どこまでも涼し気に悪魔が嘯く。

 

「ボクは基本的に最強だけれど、正面から戦って破れなかった魔法が、二つある。魔王様の『輝想天外(テル・オール)』と、きみの『金心剣胆(クオン・ダバフ)』だ。ムム・ルセッタ」

 

 自分の肉体に害をなすもの、全てを静止させる。

 ムム・ルセッタの魔法は、絶対無敵の、勇者パーティーを守護する盾。

 しかし、生存のために必要な呼吸……肺に取り込み、吐き出す空気までは、静止できない。

 

「きみに届き得る攻撃は……やはり仲間の魔法のようだね」

 

 気道熱傷。

 急激に加熱され、拡散した空気からは、黄金の武闘家といえど逃れる術はなかった。

 

「……くふっ」

 

 口から零れ落ちた血を吐き出して、ムムが膝を折る。

 どれだけ長い時を生きていたとしても、体の作りは子どものそれ。呼吸を担う気道へのダメージは、重くのしかかる。

 同様に動けなくなったレオを、見かけだけはなんとか取り繕った片足で軽く蹴飛ばして、トリンキュロはほくそ笑んだ。

 

「うん。ぶっつけ本番にしては、上等かな。即死しない体の中へのダメージってのが、また素晴らしい。これで──」

 

 もう終わりだろう、と。

 そんな軽い確信を抱いたトリンキュロは、振り返って気付いた。

 口元を抑え、今にも息絶えそうな勇者の胸に、一本の矢が突き刺さっていることに。

 

「オレが放った矢は『勇者の心臓を射抜く』」

 

 悪魔が、実現の言葉を紡ぐ。

 仲間であるはずのサジタリウスが、魔法の力を利用して、勇者の胸を射抜いた。

 味方への攻撃。その行動が示す結果は、一つ。

 突き刺さった矢を引き抜いて、赤い血と共に勇者が吐き出す。

 

「──懲双(ザルド)』」

 

 今にもへし折れそうな、一本の矢と入れ替わって。

 まるで幼い少女が、恋人の胸へ無邪気に飛び込むように。

 

「はい。勇者さま」

 

 一糸纏わぬ裸体のまま、転移したリリアミラ・ギルデンスターンが勇者に抱きついた。

 致命傷にならない攻撃、という『紫魂落魄(エド・モラド)』への対策を。

 さらに上回る、仲間の補助による間接的な自殺と、リリアミラの引き寄せという対策への対応。

 トリンキュロの『因我応報(エゴグリディ)』の再使用まで、百十四秒。

 リリアミラが勇者を『紫魂落魄(エド・モラド)』で蘇生するまで、四秒。

 傷を治すという観点から言えば、その回復性能は、比べるまでもない。

 

「ちぃ!」

 

 トリンキュロの攻撃が届くよりも、早く。

 蘇生が完了した勇者が、息を吹き返す。

 

「返せ」

「あ?」

「それは……騎士ちゃんの魔法だ」

「……ははっ!」

 

 堪らず、乾いた笑いが漏れた。

 自分から死んでおいて。死の淵から舞い戻り、息を吹き返した第一声が、それとは。

 

「本当にお前は……どこまでも勇者だなァ!」

 

 昂る心を感じながらも、トリンキュロは細く形成した触腕を、勇者に向けて射出した。

 絶命を避ける範囲で、相手の体に穴を空けて、動きを止める。殺さない程度に殺し、終わらせる。

 しかし、トリンキュロのその目論見は、完全に裏目を打った。

 

「『お前の攻撃は、勇者には届かない』」

 

 咄嗟に前に出たサジタリウスが、それらすべての攻撃を、自らの体で受け止めたからだった。

 肉を貫く音。吹き出る血飛沫。

 トリンキュロだけではない。勇者も、悪魔のその行動に、一瞬の虚を突かれて、目を見張った。

 勇者には『哀矜懲双(へメロザルド)』という魔法がある以上、避けられない攻撃を繰り出せば、必ず転移で回避する。少なくとも、トリンキュロはそう予測していた。予測した上で、仲間の魔法を使われ、冷静さを欠いた勇者の転移の先を読んで潰そう、と。そんな悪辣な考えを巡らせていた。

 その程度の稚拙な駆け引きの思考が、一流の賭博師(サジタリウス)に読まれないわけがない。

 サジタリウス・ツヴォルフという最弱の悪魔の一手に。

 トリンキュロ・リムリリィという四天王最強の目論見が、崩される。

 

「ククク……」

 

 身を盾にする。らしくない自己犠牲だ。

 本当に、らしくないことをしたものだ、と。サジタリウスは己の行動を自分で笑う。

 力はない。魔法もハリボテ。回るのは口だけの、最弱の悪魔。それが自分だ。

 だとしても、不敵に笑みを漏らすだけの満足が、胸の内にある。

 これは、自己犠牲ではない。

 勝つために必要な、一手だ。

 

「トリンキュロ。『オレの魔法は、貴様の……」

 

 自分の体を貫かせたまま。

 トリンキュロの体から伸びる触腕という体の一部に()()()()()、サジタリウスは言葉の矢を番える。

 

「『貴様の魔法を、無効に……」

「ちぃ……くそっ!」

 

 トリンキュロの判断は、なによりも素早かった。

 即座に、触腕を体から切り離し、接触による魔法の影響を断つ。

 それは、迂闊な接触が即死に繋がる魔法使いを相手にする判断として、どこまでも正しい。

 

「ククク……バカが」

「あ?」

「オレ如きの魔法が、貴様の赫色をどうにかできるわけがないだろう?」

「あ……あァ!?」

 

 だが、サジタリウスという賭博師を相手にするには、あまりにも愚かな選択だった。

 サジタリウスの『妄言多射(レヴリウス)』は、あくまでも起こり得る事象を実現する魔法。仮に「お前の魔法を無効にする」と口にしたところで、そんな戯言を実現する力はない。

 それは、己の魔法をチップに賭けた、ブラフ。

 サジタリウスという最弱の悪魔が、トリンキュロという最強の悪魔に対して仕掛けた、刹那の駆け引き。

 悪魔の妄言は、数多を射抜く。

 

「サジタリウスぅううう!」

 

 トリンキュロが、絶叫する。

 触腕という、遠距離攻撃の手数を潰した。

 その心から、余裕と冷静を奪い取った。

 

「さあ、いけ……勇者」

 

 生み出された隙を見逃さず、サジタリウスの真横を、勇者が走り抜ける。

 血まみれの手は、駆け出した勇者の背には、もう届かない。

 重ねた言葉を、実現する力に変えて、与えることは叶わない。

 それでも、サジタリウスは、その思いを言葉に変えて口にした。

 

 

「勝て」

 

 

 なによりも、誰よりも強く、背中を押すために。

 悪魔が紡いだその一言は、たとえ魔法ではなかったとしても、たしかに勇者の心を強く射抜いた。

 

「ああ。まかせろ」

 

 新たな仲間の声援を引き金にして、勇者が加速する。

 再びの、一対一。小細工なしの対峙。

 勇者が正面から踏み込み、トリンキュロがそれを迎え撃つ形。

 

(無駄だ。お前は詰んでいる……!)

 

 四天王第一位は、足を広げ、地面を強く踏みしめた。

 読めている。

 勇者は既に、手札という手の内を、吐き出しきっている。

 こちらの攻撃を『哀矜懲双(へメロザルド)』で避けようにも、転移する方向は、視線の先。

 近距離への転移なら、合成した魔法で潰せる。遠距離への転移なら、近接主体の勇者は自分に攻撃を届かせることはできず、致命傷には成り得ない。

 この状況。この間合い。このタイミング。

 勇者は『哀矜懲双(へメロザルド)』による転移に、頼りたくても頼れない。

 

「賭けを見誤ったな……お前にもう、切れる選択肢(カード)はない!」

 

 次は、さらに火力を上げる。

 両手を合わせて、トリンキュロは合成魔法『紅氷青火(エリュテイア・ハモン)』の使用を選択する。

 自身の周囲を巻き込む。全方位への熱放射。

 仮に、万が一、勇者が『哀矜懲双(へメロザルド)』で、誰に入れ替わろうと関係ない。

 勇者も、シャナも、イトも、レオも、リリアミラも、サジタリウスも。

 誰一人として、この魔法を浴びて無事では済まないのだから。

 

「終わらせる!」

 

 サジタリウスの捨て身の一手で、計算を狂わされたのは、事実。

 最弱の悪魔の足掻きに、苛立ちを覚えたのも、また事実。

 それでもトリンキュロ・リムリリィは、勇者と正面から、一対一で決着を付けるというこの状況に、心地良さを抱いていた。

 互いの一手を読み合い、互いの思考を潰し合い、互いの心を賭けて、死力を尽くす。

 例えるならば、最高の遊戯。

 相手に勝つための最後の一枚を、盤上へと繰り出す、至上の興奮こそが、今。

 

 

 

紅氷青火(エリュテイア・ハモン)

 

 

 

 絶対の自信の元に、合成魔法を撃ち放つ、刹那。

 対峙する宿敵へ、トドメを刺す快感に身を浸す中で。

 

(どうして……? なぜだ?)

 

 しかし、トリンキュロは気がついた。

 

(なんでお前は、ボクを、見ていないんだ……?)

 

 気がついてしまった。

 勇者の瞳が、自分へ向けられていないことに。

 それどころか、その眼差しには殺し合いの最中で、どこまでも穏やかなあたたかさがあって。

 その事実は、宿敵が自分を見ていないことを証明するには、十分過ぎるものだった。

 

「お前はっ……ボクを見ろよぉ! 勇者ァ!」

 

 感情の昂ぶりに呼応して、合成した魔法の出力が引き上がる。灼熱が、無差別に周囲を焼き焦がす。

 合成色魔法『紅氷青火(エリュテイア・ハモン)』。

 それは紛れもなく、相手全てに対応できる攻撃だった。

 世界を救った勇者すらも、転移の魔法によって逃れざるを得ない。

 

「『哀矜懲双(へメロザルド)』」

 

 相手全てに対応できる攻撃のはず、だった。

 唯一人、その色魔法の本来の使い手を除いては。

 

「お前が、何を以て人の心を『折った』と……そう考えているのかは知らないし、興味もない」

 

 姿が、消えた。転移によって、入れ替わった。

 勇者の声が、遠くに聞こえる。

 

「でも、一つだけ言わせてもらうなら」

 

 皮膚をも焼き尽くすような熱風の中で、鮮やかな金髪が揺れる。

 トリンキュロは、絶句した。

 おかしい。

 そんなはずはない。

 唇を奪った。プライドを引き裂いた。心を折った。隅々まで潰して、何もかも喰らったはずだ。

 それなのに、だというのに。

 

()()()()()は、その程度じゃ折れない」

 

 トリンキュロの前に、一人の騎士がいた。

 勇者と転移で入れ替わった、アリア・リナージュ・アイアラスが、そこにいた。

 呼吸の一つで肺を焼き尽くすはずの、熱の中。人の生存を許さない、灼熱の地獄の中で。

 不屈の冷気が、渦巻く。

 白い吐息が、薄い唇から漏れ出して、流れていく。

 

 

 

「──紅氷求火(エリュテイア)

 

 

 

 トリンキュロ・リムリリィが模倣した灼熱を、姫騎士の絶対零度が、塗り変える。

 

「なんだよそれは……」

 

 最後の、最後に。

 トリンキュロは、勇者だけを見ていた。

 勇者は、トリンキュロを見ていなかった。

 たったそれだけの違いだった。

 いや、違う。

 きっと、最初から。

 勇者が賭けていた切り札は、自分ではなく、仲間だった。

 

「賭けは、お前の負けだ」

 

 姫騎士が、大剣を薙ぐ。

 『因我応報(エゴグリディ)』の再使用まで、七十六秒。

 力も、魔法も、プライドも。

 トリンキュロ・リムリリィの小さな体に詰め込まれたすべてが、人形を潰すように破断された。



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勇者と悪魔の最後のゲーム

「……なぜだ」

 

 敗北を喫したトリンキュロが最初に抱いたのは、純粋な疑問だった。

 地面に倒れ伏し、感覚を失った下半身が吹き飛んでいくのを、呆然と眺める。

 四天王第一位の身体は、腰の上を境界線にして、真っ二つに裂かれていた。しかし、体が二つに分かれた程度で、トリンキュロ・リムリリィが死ぬことはない。

 過不足なく、思考は働く。

 故に、考えてしまう。

 地面にうつ伏せに這いつくばりながら。指先の爪を立てて、悔しさを滲ませながら。

 それでもトリンキュロという悪魔は、単純な好奇心からそれを問いかけずにはいられなかった。

 

「アリア。きみの心は、完璧にへし折ったはずだ……それなのに、なぜ……」

「名前で呼ばないで。耳が腐る」

 

 低い声で拒絶しながらも、アリアはトリンキュロを見下して疑問に答えた。

 

「心は、折れてたよ」

 

 ただ、事実のみを告げる。

 

「あたしは、お前に負けて、魔法を奪われて、無様に殺されて、やっぱり勇者くんがいないと……何もできなくて」

 

 それでも、と。

 

「勇者くんの、視線を感じた。あたしを、見てくれていた。あたしが立ち上がって、お前にトドメを刺すことを信じていた。その信頼に、応えないのは嘘だ」

 

 人の心は、強いようで脆い。

 些細な一言で、悪意に満ちた指摘の一つで、簡単に折れて壊れて、砕け散る。

 言葉とは、人の心を射る矢だ。

 しかしだからこそ、長年培ってきた信頼と行動は、いとも容易く、悪意に満ちた言葉を超えていく。

 一人ぼっちのトリンキュロに、それは理解できない。

 

「それだけか。それだけで、お前は立ち上がったのか?」

「うん」

 

 アリアが生き返ったのは、リリアミラの魔法のおかげだが、紫の魔法で元に戻すことができるのは、体だけ。

 折れた心をもう一度引き戻したのは、間違いなく勇者とアリアの関係、そのものだった。

 

「酔狂だね。あいつも大概だけど、きみもやっぱりイカれてるよ。アリア」

「でなければ、勇者の隣に立つ資格はないよ」

 

 姫騎士と言葉を交わしながら、悪魔は地面を這う。

 トリンキュロは、足掻くことをやめない。『因我応報(エゴグリディ)』の再使用まで、六十五秒。

 体さえ、この体さえ復元できれば。

 まだ、打てる手はいくらでもある。

 

「待たせましたね。トリンキュロ」

 

 そんなトリンキュロの思考を、嘲笑う存在があった。

 

「グランプレ……」

「ええ。私です」

 

 いつの間に、そこまで増えていたのだろうか。

 這いつくばるトリンキュロを、取り囲むように。

 地面を走る蟻の一匹を、決して逃さないように。

 複数人に増えたシャナ・グランプレが、トリンキュロを包囲していた。

 

「待たせたっていうのは、どういう意味かな?」

「そのままの意味ですよ。あなたという悪魔に、とどめを刺す用意です」

 

 杖の先端が、無慈悲に向けられる。

 

「おかしいとは思いませんでしたか?」

「いくら、広範囲の攻撃魔術が使えない地下とはいえ」

「いくら、あなたが最初から、私たち全員が全力を出せない環境に誘い込んだとはいえ」

「あんなにも優秀で」

「あんなにも有能で」

「あんなにも用意周到な」

「あの勇者パーティーの賢者が!」

「あの世界最高の賢者が!」

「あまりにも存在感が薄すぎると!」

「そう疑問には思いませんでしたか?」

「もしも」

「ええ、もしも」

「もしも、疑問に思わなかったのなら」

 

 何人も、何人も、何人も。

 まるで精巧に作られた人形のように、増えていくシャナ・グランプレが、トリンキュロの周囲を取り囲む。声が幾重にも折り重なって、嘲笑が響き渡る。

 

「てめーは私を舐めすぎなんですよ。クソロリ四天王」

 

 直後、トリンキュロの周囲に変化があった。

 まるで、外界からの影響をすべて断つように。

 円形ではなく、四角形に形成された魔術結界が、トリンキュロを外界から遮断する。

 

「……はは。得意げな顔で何を披露してくるかと思えば、こんな結界でボクを……」

 

 言いながら、その半透明の壁に触れようとして、トリンキュロは気付く。

 硬い。そして、触れた瞬間に、指先が弾かれる。トリンキュロの頬にそれが跳ねて、流れ落ちる。

 指先を濡らしているのは、数滴の液体。

 トリンキュロの周囲を覆っているのは、硬い水で形成された壁、としか表現できない不可思議な結界だった。

 

「なんだ、これは……」

「世界を救った後、私の研究のメインテーマは、結界魔術になりました」

 

 四天王第一位の疑問に対して、世界最高の賢者の、答え合わせがはじまる。

 

「転送魔導陣のような高等魔導術式は、どうしてもその用途に特化した術式を仕込まなければなりません」

「たとえば、転送魔導陣の敷設には、天才魔導師である複数人の私が必要であり……さらに、万人がスムーズに扱えるようにするには、それなりの時間と魔力と調整を要します」

「さらにたとえば! そこの博打顔だけ悪魔が実際に行っているように、魔導陣の術式そのものを肉体に書き込み、特化させることで、ある程度、運用を簡易にすることは可能ですが……」

「その場合は他の魔術の使用を完全に捨てることになるので、これもまた現実的な手法であるとは言い難いでしょう」

「しかし、決闘魔導陣のように一定範囲に展開し、相手を閉じ込める結界には多大な戦術的アドバンテージがあることもまた事実」

「なので、賢くてかわいい私は考えました」

「魔法使いを完璧に閉じこめる結界魔導陣を作れたら……強そうだなぁ、と」

 

 声が重なる。聴き取りきれない。

 それらに耳を貸すことは放棄して、トリンキュロは抵抗した。

 上半身だけになった体をなんとか引き起こしながら、揺れる壁面を拳で殴りつけた。

 触れて、魔法を発動させる。

 形があるなら、それを変えてしまえばいい、と。強引に『自分可手(アクロハンズ)』で壁面に穴を開け『形成』しようとした。

 無駄だった。やはり指先が弾かれて、不格好に蠢く水の塊が壁面から剥がれ落ちる。

 実体があるなら、力で強引に破ってしまえばいい、と。力任せに『我武修羅(アルマアスラ)』で『強化』した膂力で殴りつけた。

 やはり無駄だった。壁面は衝撃の一切を吸収して殺し、ヒビが入る気配すらない。

 それでも、壁面そのものの特性を変えてしまえばどうにかなるはずだ、と。縋るような思いと共に『奸錬邪智(イビルマル)』で『軟化』しようと指先を突き入れる。

 どこまでも無駄だった。触れた箇所は、どろどろに溶けて、腕に纏わりついた。

 何もかもが、通じない。

 トリンキュロが身体に宿す、数多の魔法が無力と化す。

 

「流水形成型鏡面多重拘束魔導陣……まあ、ちゃんとした名前は、そのうち考えるとしましょう」

「展開のためには、私が四方に立ち、魔力を注ぎ込み続けなければならず」

「おまけに、魔導陣の術式構築までに、十分以上の時間を要する」

「率直に言って、欠陥品もいいところですが」

「四天王第一位を、閉じ込めることができる」

「今は、その成果さえあれば十分です」

 

 欠けた体で、芋虫のように籠の中で足掻く、かつての四天王第一位を見下ろして。

 純白の賢者の頬が、隠しきれない興奮を伴って、紅潮する。

 

「ねえねえ、トリンキュロ」

「今、どんな気持ちですか?」

「散々見下して」

「一度は完璧に殺したと思った相手に、してやられる」

「リベンジ大失敗」

「そういうのって、どういう気持ちですか?」

「ほら」

「答えてみろよ」

 

 敗者を、徹底的にいたぶる。

 敗者を、執拗なまでに折る。

 ともすれば悪辣な賢者の嘲笑に、トリンキュロは答えた。

 律儀に、回答することを、選択した。

 

「流水系の魔術を器用に応用しているね」

「は?」

「展開した魔導陣全体に、魔法を感知する術式を織り込んであるのかな? 魔法が触れた瞬間に接触した部位を切り離して、干渉をその部位だけに、最小限の形で留めている。かといって、壁面が脆いわけじゃない。変幻自在のスライムで作った監獄みたいだ。本当に、良く出来ていると思うよ」

「……本当に、反吐が出るほど気持ちの悪い悪魔ですね。この期に及んで、まだ私のことを理解しようとするなんて」

「ああ。それはもちろん。きみの魔法を手に入れることは、魔王様の悲願だったからね、グランプレ」

「くだらない御託は結構です」

 

 そこで会話を打ち切ろうとしたシャナは、しかし何かに気がついたように、杖を振り下ろそうとする手を止めた。

 

「ああ。そういえば」

「聞き忘れていました」

「トリンキュロ」

「最後に」

「これは本当に」

「些細な質問なんですが」

 

 あれだけ勝ち誇っておきながら。

 あれだけ見下ろしておきながら。

 あれだけ嫌悪感を示しておきながら。

 最後の最後に、トリンキュロを取り囲む賢者たちの笑顔と興奮が、ぬるりと抜け落ちる。

 

「あなた、勇者さんを何回殺しましたか?」

「あ? いや……くくっ……ふはははははは!」

 

 トリンキュロは、切り離されても辛うじて残っている腹を、器用に抱えた。

 我慢の限界だった。

 自分にはこれだけの代えがいるというのに。

 死んだところで、何度でも生き返るというのに。

 そんな些細なことを気に掛け、感情を剥き出しにする賢者の人間性の妙に、悪魔は大笑した。

 もはや抵抗を諦め、大の字になって、トリンキュロは答えた。

 

「賢いんだろ? お前がちゃんと数えておけよ。ばーか」

「ええ。覚えてないなら、どうでもいいですよ」

 

 拘束結界の直上に、蓋をするように。

 シャナは最後の仕上げとして、攻撃魔導陣を展開する。

 一つ。二つ。そんな、簡単に数えられる数ではない。

 まるで獲物を飲み込む蛇のように、数珠繋ぎになった魔導陣の数は、ちょうど百。

 

「砲撃魔導陣を百連で繋ぎました。その狭さでは、拡散も無駄です。ぜひとも、百回死んでください」

「勘弁してくれ。普通の悪魔は一回死んだらそれで終わりなんだよ」

 

 トリンキュロは、視線を左右に動かして探す。

 死を目の前にして、その姿を追い求める。

 終始、蒼の魔法に苦しめられた、イトではない。

 直接の敗因に繋がった、アリアではない。

 今、この瞬間に己にとどめを刺そうとしている、シャナでもない。

 トリンキュロは、世界を救った勇者を見た。

 負傷したサジタリウスを助け起こして気遣いながら、こちらを見ようともしない……魔王を殺した勇者の背中を。

 

「……あーあ」

 

 また勝てなかった。

 辛い。

 悔しい。

 悲しい。

 恨めしい。

 胸の内に渦巻くこの感情を、この心を、正しく形容する言葉を、トリンキュロ・リムリリィは知らない。

 故に、それでも、悪魔は口を開いた。

 すべてを奪われても、その意志だけは口にするために。

 

「次は負けないよ。勇者」

 

 四天王第一位の小さな体は今度こそ、完全に魔力の奔流に呑まれて消えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ククク……やったか?」

「お前マジでそういうこと言うのやめろ。しばき倒すぞ」

 

 コイツがそういうことを言うと、本当に洒落にならない。

 ボロボロのサジタリウスの頭に、おれは容赦なく拳を叩き落とした。

 

「何をする。オレは怪我人だぞ。全身から血が出ているんだぞ。もっと丁重に、花のように扱え」

「安心しろ。その程度……体にいくつか穴が空いたくらいじゃ、人は死なない。おれが保証する」

「ククク……オレはか弱い悪魔だぞ。貴様のようなバケモノの保証など当てになるものか」

「逆じゃないか?」

 

 ぎゃーきゃーと騒ぎながらも、それだけの軽口が回る元気があることに、とりあえずはほっとする。

 ふらふらと覚束ないその足取りに肩を貸す。

 

「なあ、サジタリウス」

「なんだ、勇者」

「お前、体は大丈夫か?」

「何度も言わせるな。大丈夫なものか。全身が悲鳴を挙げている。すごく痛いぞ。今にも泣き叫びそうだ」

「いや、そうじゃなくて」

 

 周囲にいる、誰にも聞かれないように。

 特に、こちらに向けて駆け寄ってくる、秘書子さんに気づかれないように、おれは声を落として問いかけた。

 

「ケガの話じゃないんだ」

「フフ……では、何の話だというんだ?」

 

 肩車した時もそうだった。肩を貸している今も、それを感じる。

 こいつは……ちょっと軽すぎる。

 

 

「人の魂を喰ってないお前の体……もう限界なんじゃないか?」

 

 

 軽口が止まる。

 こちらに寄り掛かることで感じられていた体重の重さが、さらに軽くなった気がした。

 

「ククク……いつ気付いた?」

「気付いたというよりも、そうだろうなっていう……予想だな」

「どうやら貴様は、どこまでもオレを善人にしたいようだな」

「いや、善人ではない。お前がクズでカスのヒモであることに疑いは持ってないけど」

「疑え」

「でも、何もかも全部……好きな人のために、お前が行動してたっていうのは、なんとなくわかるよ」

「……フフフ。そうだな」

 

 ふらついていた足に、力が籠もる。

 落ちていた視線が、前を見る。

 

「惚れた女のためなら、どこまでも馬鹿をやれてしまうのが、男という生き物だ」

 

 おれは頷いた。

 

「違いない」

 

 四天王第一位は、倒した。

 勝負は決した。

 しかし、おれという勇者と、サジタリウス・ツヴォルフの決着は、まだついていない。

 肩を貸すのをやめて、おれとサジは向かい合う。

 

「サジ! サジ! 大丈夫ですか!? 怪我は……」

「少し、離れていろ」

「えっ……?」

 

 サジタリウスの足元から、光が浮かぶ。

 こいつが使う魔術は、一つだけ。

 それは、今まで散々に苦しめられてきた、決闘魔導陣。

 

「そういえば、師匠との三本勝負ってどうなったんだ?」

「ククク……稀に見る泥試合……ではない、歴史に残る知略を尽くした名勝負だったぞ。しかし、オレもこの場に駆けつける必要があったからな。幼女に土下座して、一勝一敗で切り上げてきた」

「ああ、それならちょうど良いな」

 

 師匠には悪いけれど、喉をやられて回復にも時間がかかるだろうし。

 決着をつける三戦目は、おれに譲ってもらうとしよう。

 

「ククク……勇者よ。決闘を……」

「あー、待て待て」

 

 待ったをかけた。

 キザったらしく、おれに質問を投げかけようとしてきた、イケメンの声を遮る。

 整った顔立ちが、不満気に歪む。

 申し訳ないが、しかしここは譲ってもらおう。

 おれは、勇者だ。

 世界を救った勇者だ。

 自慢じゃないが、そこそこ強かった。

 負けたこともあるが、大体最後は勝ってきた。

 なので、おれの本質は、結構負けず嫌い……なのだと思う。多分。

 

「おい、サジ。リベンジいいか?」

「……フフ。ああ、もちろんだ」

 

 今度は、整った顔立ちが、嬉しそうに笑った。

 

「承諾しよう。勇者の挑戦を」

 

 今度は、おれが挑む側だ。

 踏み締めた革靴を起点に、決闘魔導陣の展開が完了する。

 サジタリウス自身が弱っているせいだろうか。その光も、展開の規模も、先ほどよりずっと弱い。

 けれど、おれの前に立つギャンブラーは、たとえズタボロで血だらけであっても、先ほどよりもずっとずっと手強そうだった。

 

「フフ……もう一度、ルールを説明しておこうか。この決闘魔導陣の中で厳守されるべき約束は、四つ。第一に、この決闘の場に囚われたものは、決着がつくまで外に出ることはできない。第二に、魔導陣の中における一切の暴力行為を禁じる。第三に、この魔導陣の中で行われる決闘の勝敗は、遊戯において決するものとする」

 

 指折り数えて、サジタリウスは笑う。

 

「そして、四つ」

 

 一つ、ルールが増えていることは、すぐにわかった。

 

「オレの最後のゲームだ。存分に楽しんでいけ」

 

 テーブルはない。

 椅子もない。

 ディーラーも、賭ける金もない。

 それでも、まるで無邪気な子どものように。

 おれとサジは、向かい合って地面に腰を下ろした。

 

「さあ、勇者よ。ゲームをはじめよう」




こんかいのとうじょうまじゅつ

『流水形成型鏡面多重拘束魔導陣』
りゅうすいけいせいがたきょうめんたじゅうこうそくまどうじん。シャナえもんの新しいひみつ道具。
対象の四方を四人のシャナが包囲し、それぞれを起点に結界を形成する。対象を閉じ込める壁面は『対魔法使い』に特化した特別製であり、スライムのように流動する液体で構築されている。触れた瞬間に剥がれ落ち、魔法の影響をカットする術式が高い精度で備わっている他、アリアの鎧の上から血反吐を吐かせる威力を持つトリンキュロの純粋な打撃を受け流す、柔らかな堅牢さも併せ持つ。一度閉じ込められたらほぼ脱出は不可能だが、発動までの準備が長く、最低でもシャナ四人が必要となるため、虫の息で往生際の悪い化物にトドメを刺す時くらいしか使い所がない。
騎士学校編で触れたように、この世界ではスライムは比較的希少なモンスターである。学生時代の勇者はスライム全体を当時所持していた魔法で『硬化』させることで撃破に貢献したが、あるいはよりレベルの高い個体が存在すれば、それは魔法使いにとって大きな脅威に成り得るかもしれない……とシャナは寝不足の頭で考えたりもしたが、おそらく絵空事。
余談ではあるが、酒の席でレオにこの結界のアイディアを話した際は『ぬめぬめしたスライムみたいな相手を拘束する壁』として、大いに喜ばれた。彼の次の作品でネタとして使われるかもしれない。

次回、サジタリウス戦、決着


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サジタリウス・ツヴォルフ

 ──サジは、どうしてゲームが好きなの? 

 

 魔王と呼ばれる少女が、まだ魔王ではなかった頃に、そう聞かれたことがある。

 理由は、いくらでも考えられた。

 さして労せずに金を稼げるから。

 腕っ節の強さが関係ないから。

 自分の魔法は、ゲームで最も活かせるから。

 いくらでも答えを出すことはできたはずなのに、それを口にできなかったのは、結局のところ、自分が出そうとした答えに納得がいかなかっただけなのかもしれない。

 ゲームは素晴らしい。テーブルを挟んで向かい合った瞬間から、立場も地位も人種も種族も、すべてを忘れて興じることができる。

 友がくれた言葉は、サジタリウスにとっても大切なものだったが、それがそのまま自分にとっても正解であるかというと、微かな疑問が残った。

 

 ──いつか、ちゃんと教えてね? 

 

 答える前に、少女はこの世を去ってしまった。

 答えを見つけないまま、自分はここまで来てしまった。

 

「では、はじめるか……」

 

 悪魔と勇者の最終決戦が、幕を開ける。

 

「で、なにやるんだ?」

 

 勇者が問う。

 サジタリウスは、懐に手を入れた。

 

「ククク……手持ちの中で、無事なカードはこれくらいしかない」

「うわ、さっきのシュヴァなんちゃらか……」

「シュヴァリエ・デモンだ」

「じゃあそれで。先攻後攻決めるか」

「良いだろう」

「じゃあ、最初はグー、じゃんけん……」

「オレは『パーで勝つ』ぞ」

「ぽっ……! おい! それはずるいだろ! ずるいってサジ! おい!? 魔法使うのはずるだって!」

「ククク……オレの先攻!」

「待て待て待て! もっかい! もう一回じゃんけんからやり直せ! やり直そう!」

「これがオレの本気だ」

 

 ぐだぐだだった。

 段取りも雰囲気もクソもない。

 だが、悪くないとも思う。

 大人気なく先攻を取って、カードを引き、手札を整えながら、サジタリウスは笑う。

 金を賭けているわけではない。

 命を賭けているわけではない。

 プライドすらも賭けていない。

 子どものように地べたに座り込んで、ただ同じ時間を共有して、遊ぶ。

 それが、少しだけおかしくて。

 それが、なぜかとても楽しかった。

 勇者とサジのやりとりを見て、最初は困惑したように顔を見合わせていたパーティーの面々も、周りに集まってくる。

 

「あ、勇者さん。そのカード出したらダメですよ。絶対弱いですよ」

「え。マジ?」

「勇者さま、本当にゲームのセンスはからっきしですわねー」

「うるさいよ死霊術師さん」

「えー、なにこれ楽しそう。いいないいな。あとでワタシもやりたい」

「はいはい。こういうのは順番ですよ先輩」

「勇者さん! わたしにもあとでルール教えてください」

「もちろん。おれが教えるから、赤髪ちゃんも一緒にやろう」

「いや現在進行形でボコボコにされてるのによくそんなこと言えるね勇者くん」

「黙れ、騎士ちゃん。おれはまだ負けてない」

「じゃんけんから負けてるんですよね」

「勇者。次、右から二番目のカード、出したほうが強い」

「はい師匠!」

「サジ! いいんですか!? 外野からめちゃくちゃアドバイスが飛んでいますよ!」

「ククク……問題ない、ルナ。むしろ、オレにはちょうど良いハンデだ。それとも、この程度のアドバイスでオレが負けると思うか?」

「いいえ! まったく思いません!」

「フフフ……そういうことだ」

 

 決闘魔導陣の周囲に、全員が集まって、ああだこうだと言いながら、騒ぎ立てる。

 どこか弛緩した空気の中で、全員がゆったりと、勇者とサジタリウスの勝負を眺めて、笑顔になる。

 

「あ、サジ。それ待って」

「ククク……だめだ。待ったなしだ」

「ずるいぞお前!」

「いや普通にプレイしてるだけだからズルくもなんともないぞ」

「これ無理だろ。絶対勝てないって」

「いや、そうでもない。たとえばさっき、このカードを出しておけば……」

「え? うお、本当だ。たしかにこれならわりとなんとか……」

「まあ、なんとかはならないんだが。ではアタック」

「あああああああ!」

 

 対面に座る相手の顔を見て笑う。

 次に引くカードを予想して、心を踊らせる。

 何も賭けていない勝負が、ただの遊びのはずなのに、こんなにもおもしろい。

 

「なあ、サジ」

「くどいぞ、勇者。今更、待ったはなし……」

「楽しいな」

「……ああ。そうだな」

 

 楽しい、と。勇者はその感情を、言葉にしてサジタリウスに伝えてくれた。

 ゲームは、一人ではできない。

 誰かと向き合って、誰かと言葉を交わさなければ、楽しめない。

 一人ではできないそれを好む自分は、きっと隣にいてくれる誰かが欲しくて。ずっと、一緒にそれを遊んでくれる相手を探していて。

 

「ひとりぼっちが、いやだったんだな。オレは」

 

 そんな簡単な答えに。

 そんな自分の心の形に、ようやく気付かされた。

 

「え?」

「気にするな。くだらん独り言だ」

 

 そして、楽しい時間というものは、皮肉にもいつもあっという間に過ぎていく。

 

「……オレの勝ちだな」

「ああ。おれの負けだ」

 

 世界を救った勇者と最上級悪魔の、世界で最もくだらないゲームが、終わる。

 

「誇れよ。サジタリウス・ツヴォルフ。勇者をこてんぱんに負かしたまま、勝ち逃げできる悪魔はお前だけだ」

「そうだな。あの世への、良い土産ができた」

 

 限界が、近付いていた。

 呟いたサジタリウスの指先が、少しずつ、掠れて砂に変わっていく。

 時間がない。

 けれど、まだやるべきことは残っている。

 サジタリウスは、己の胸に手を当てて、簡潔に告げた。

 

「勇者、オレを殺せ」

 

 勇者が、目を見開いた。

 黒の魔法を持つ人間が、悪魔を殺す。

 そこには、ジェミニの時と同様に、魔王が遺していった重要な意味がある。

 

「人の魂を喰らっていないオレは、間もなく力尽きるだろう。その前に、オレの魔法をお前に託す」

 

 自分の『妄言多射(レヴリウス)』は、そこまで強力な魔法ではない。しかし、十二柱の一つ、悪魔法である事実に、変わりはない。

 元から最弱であったこの身よりも、きっと勇者のほうが自分の心を使いこなしてくれるだろう、と。サジタリウスには、そんな確信があった。

 

「世界を救った勇者に使われるのなら、本望だ。オレを殺して、黒の魔法に……」

「やだ」

「……は?」

 

 今度は、サジタリウスが目を見開く番だった。

 

「ククク……オレの『妄言多射(レヴリウス)』をお前に」

「いやだから、いやだって言ってるだろ。なに言い直してんだ」

 

 勇者は、あっけからかんと言い放った。

 思わず、唖然とする。頭の回転はそれなりに早い方だと自負していたのに、思考が止まってしまう。

 サジタリウスは、勇者の胸ぐらを掴んだ。

 

「おまっ……『妄言多射(レヴリウス)』だぞ!? オレの魔法だぞ!? 欲しくないのか!?」

「うん」

「即答!?」

「あのなぁ、サジ。おれは魔王を倒して、世界を救った勇者だぞ? 今さら、お前みたいな最弱悪魔の魔法なんか貰っても、嬉しくもなんともないんだよ」

「ククク……急に辛辣。泣くぞ」

「繰り返しになるけど、おれは勇者なんでね。自分が口にしたことは、魔法に頼らず自分の力で現実にするよ。あとまぁ、これは本当に個人的な理由なんだけど……」

 

 ぼりぼり、と。

 少し照れくさそうに、頭の後ろを所在なさげにかきながら、

 

 

 

「友達は殺したくない」

 

 

 

 きっとそれが、本当に嘘偽りのない勇者の本心であることを、サジタリウスは理解した。

 

「……勇者」

「なんだよ」

「オレは、お前の友人か?」

「一緒にゲームやって、一緒に戦って、一緒に敵を倒して、一緒に遊ぶ。仲間だし、友達だろ。むしろ、これが友達じゃなかったら何なんだっていうくらい友達だ」

「オレは人間じゃないぞ」

「知ってるよ。でも、言葉を交わせる。名前を呼べる」

 

 あるいは、思い上がりになってしまうかもしれないが。

 サジタリウスにとって、この出会いが特別であったように。

 

「ありがとう、サジ。名前を呼べる友達ができたのは、本当にひさしぶりだった」

 

 勇者にとっても、この出会いは特別なものだったのかもしれない。

 

「……こちらこそ、礼を言う」

 

 決闘魔導陣が、消えていく。

 二人だけの空間が、霧散して光になっていく。

 サジタリウスは、周囲を見回して二人に声を掛けた。

 勇者以外にも、きちんと言葉を遺しておきたいと思った。そう思えるようになった、と言った方がいいのかもしれない。

 

「ムム・ルセッタ。楽しい勝負だった」

「うむ。こちらこそ」

「レオ・リーオナイン。親友は大切にしろ」

「ありがとう。でもそれは、キミに言われるまでもないな」

 

 そして、もう一人。

 

「リリアミラ・ギルデンスターン」

「はい」

「ククク……えっと、その、アレだ。いろいろすまなかった」

「わたくしにだけ選ぶ言葉が雑では?」

 

 もっと言うべきことがあるでしょう、と。

 死霊術師は、頬を膨らませた。

 

「まあ、そうですわね。わたくしに対するアレコレ、会社に対するソレやアレ、トリンキュロへの協力のモロモロ……率直に言って許し難い行為ばかりですが」

「フフフ……はい。なんかもう、本当にすいません」

「ですが、謝ることはあれど、恥じる必要はありませんよ。サジタリウス」

 

 リリアミラの口元が、蠱惑的な弧を描く。

 

「ルナローゼ・グランツを守る。その一点のみにおいて、あなたはたしかに、契約を完遂しました」

「ククク……そうか。お前が保証してくれるのなら、間違いない」

 

 立ち上がろうとした悪魔の、腕の一部が音を立てて地面に落ちる。

 体だったものが、砕けて消えていく。

 それを見たリリアミラの表情が、ほんの少しだけ。何かを迷うように、歪んだ。

 

「本当に……よろしいのですか? サジタリウス」

「らしくない顔をするな、ギルデンスターン。昔、お前はオレに言ったはずだ。貰った命をどう使うかは、自分自身で選べ、と」

 

 不器用な使い方だったかもしれない。

 それをくれた親友に、報いることができたかはわからない。

 それでも。

 

「友が賭けてくれた人生で、オレが望んで勝ち取った、オレたちの死だ」

 

 自分を気遣う死霊術師に対して、サジタリウスははっきりと答えた。

 

「これ以上の終わりはない」

「……そうですか」

 

 迷うように揺れていた白い指先が、そっと下ろされる。

 もう決して、サジタリウスに触れないように、リリアミラは自分の右手を、自らの左手で掴んで止めて、微笑んだ。

 

「良い男になりましたね。サジタリウス」

「馬鹿を言え。オレは昔から、ずっと良い男だ……」

 

 言いかけて、サジタリウスは膝を折った。

 もはや立ち上がる力もないその体を駆け寄って支えたのは、目の前にいた勇者でも、死霊術師でもなかった。

 

「……すまない。ルナ」

「構いませんよ。あなたに面倒を掛けられるのは、いつものことですから。仕方ないので、膝枕でもしてあげましょうか?」

「ククク……最後まで、世話をかけるな」

「ええ。本当ですよ」

 

 サジタリウスとルナローゼ。

 二人を残して、全員が一歩。そっとを身を退いた。

 横たわるサジタリウスに膝を貸して、ルナローゼは柔らかく頭を撫でた。

 悪くない寝心地だ。子どものような扱いに皮肉を漏らす前に、サジタリウスはそう思った。

 

「死なないで、とか。置いていかないで、とか。そういう可愛げのあるセリフを吐いてもいいんだぞ? ルナ」

「お断りです。それとも、そういう可愛げのある女が好みになったんですか? サジ」

「いいや? オレの好みは今も昔も変わらず、キツいがちょっと抜けているところがある、良い女だ」

 

 最初は、親友の孫娘という記号だけの存在だった。

 貰った命に報いるために、側にいようとした。

 いつの間にか。

 いつからだろう? 

 こんなにも、己の全てを賭けても守りたいと思えるようになったのは。

 

「ルナ」

「なんです。サジ」

「お前は一人でも心配ないと思うが」

「当たり前です。穀潰しのあなたのお世話をしていたのは私ですよ? あなたに心配されることなど、何一つありません」

「そうでもない。寝起きは悪いし、出かける前に再確認しないと何かしら忘れ物をするし、大きな会議の前には」

「やめてください。そういう弱点は大体克服しましたから」

「フフ」

 

 たくさんの思い出を作った。

 欠けた心を、埋めてもらった。

 守るといいながら、救われていたのは、自分だった。

 

「ああ、でも……あなたがいなくなると、食器とか余っちゃいますね」

「そうだな」

「ご飯も、いつもの癖で二人分作っちゃいそうです」

「お前は良い女だ。すぐに、甲斐性のある男が迎えに来るさ」

「……それは、あなたよりも良い男ですか?」

「クズでカスな穀潰しの悪魔と比べれば、世の中のほとんどの男は、良い男になるだろう?」

「……まったく、あなたは」

 

 もっと一緒にいたい。

 もっと見守っていたい。

 そして、もしもその先の望みが叶うなら──

 

「ルナ」

「大丈夫。私はもう、大丈夫ですよ。サジ」

 

 ──いいや、もういい。

 

 頬に触れる、手の温もり。

 少しだけ震える、声の響き。

 今、この瞬間。彼女が自分に向けてくれるすべてが、契約の答えだ。

 

「だからもう、安心して眠ってください」

 

 薄れていく意識の中で、親友とのやりとりを、思い出す。

 

 ──では、アル。マシな死に方とはどんな死に方だ? 

 ──そりゃあ……アレだろうよ。惚れた女に看取られて死ねりゃあ、男は本望だろうよ

 

 見ているか、と。

 サジタリウスは、親友に向けて勝ち誇りたかった。

 今まで、ずっと勝てなかった。一度も、友に勝つことはできなかった。

 けれど、ようやく掴んだ。

 こんなにも大切で。

 こんなにも愛おしい。

 

「ククク……」

 

 この賭けは、自分の勝ちだ。

 

「ルナローゼ。オレは、お前を」

 

 悪魔が紡ごうとした言葉は、最後まで続かなかった。

 崩れ落ちたその体の跡を抱き締めて、ルナローゼ・グランツは静かに唇を噛み締めた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 暗闇の中を、サジタリウス・ツヴォルフは独りで歩く。

 あの世がどういうものか、想像したことがないわけではなかったが、こうして実際に命を落としてみると、存外面白みがないものだと思う。

 悪魔である自分は、死んだらすぐに地獄にいくものだと考えていた。しかし、そういうわけでもないらしい。

 あるいは、この無限に歩めてしまえそうな暗闇が、地獄なのだろうか。

 それが罰であるのなら、喜んで受け入れようと。

 そんな風に考えていたからこそ──

 

「よう、遅かったな。おつかれ」

 

 ──親友が待っていたことに、少し拍子抜けした。

 

「……おい。どうしてこんなところにいる?」

「どうしてって、そりゃお前……おもしれえゲームは、やっぱ最前列でみてぇだろうがよ。プレイヤーが親友なら、なおさらだ」

「ククク……相変わらず、ふざけたヤツだ。人の苦労を、ゲーム呼ばわりとは」

 

 ご丁寧に用意されている椅子とテーブルに、腰を下ろす。

 対面に座る彼は、サジタリウスが席についたのを確認して、カードの束を取り出した。

 

「いろいろ言いたいことはあるんだけどよ」

「ああ」

「とりあえず、賭けはオレの勝ちってことでいいか?」

「なにをふざけたことを抜かしている、阿呆め。オレの勝ちに決まっているだろう?」

「馬鹿はてめえだろ。オレが言ったこと、もう忘れたのか?」

「覚えているから、オレの勝ちだと言っているんだ。これ以上ない良い女に、看取られてきたからな」

 

 チップの枚数を手早く数えながら、サジタリウスは勝ち誇ってみせたが、

 

「おう。そうだろ? オレのかわいい孫娘は、良い女になっただろ?」

 

 直後にそう言い返されて、せっかく作ったチップの山が崩れた。

 

「む、むぅ……」

 

 たしかに。

 

 ──オレの孫は、とびっきりの良い女になるぜ。賭けても良い

 

 たしかに、いつも酔う度に、コイツは腐る程それを言っていたが。

 いや、しかし。

 それを持ち出してくるのは、少々卑怯なのではないだろうか? 

 

「がはは! ほれ見ろ! やっぱりオレの勝ちだ!」

「いや待て。その理屈はずるい。少しずるい」

「勝負は狡くてなんぼってもんだろ」

「ああ言えばこう言う……!」

 

 滑らかな手つきでシャッフルされるカードを見て、サジタリウスは深い溜息を吐いた。

 

「仕方ない」

「ああ、仕方ねえな。言葉であーだこうだと言っても仕方ねえ。オレらはやっぱ、これでケリをつけるべきだ」

 

 粗暴な口調に似合わない、丁寧な所作でカードが引き抜かれる。

 時間は、たっぷりある。

 語るべきことは、山ほどある。

 だから、一つずつ話していこう。

 

「聞いてくれ。アル」

「おう。聞かせてくれ、サジ」

 

 配られたカードを手に取って、サジタリウスは笑う。

 

「新しい友達ができたんだ」

 

 さあ、ゲームをはじめよう。



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勇者は死霊術師を殺したい

あとがきにちょっとしたお知らせがございますわ〜!


 後日談というか、おれたちの、あのあとのお話。

 リリンベラの裏カジノは、やはりというべきか四天王第一位の息がかかった人間で運営されており、以前から知られていたオーナーは、既に殺害されていた。おそらく、あのクソロリ悪魔が成り代わっていたのだろう。先輩の第三騎士団によって、繋がりのあった人間はほとんど捕縛したようだが、明らかになっていない資金の流れも多く、調査は今後も続けられるらしい。

 どれほどの金が、どこに流れていったのかはあまり想像したくない。しかし、最上級の生き残りがジェミニやサジタリウスだけだったと考えるのは、あまりにも希望的な憶測だ。次の悪事の種になる前に、摘み取らなければならないだろう。

 幸いにも、と言っていいのかはわからないけれど、サジタリウスに敗北して地下に送られていたギャンブラー達はそのほとんどが健康そのものといった感じで、社会復帰にも問題はないのだとか。たまに楽しむ分には構わないが、これからは違法な賭博には手を染めず、ぜひとも真っ当な道を歩んでほしいものである。

 そして、おれたちを散々に巻き込んだ死霊術師さんは、というと……

 

「さてさて。それで、今回の事件の中心にいた、あなたの処遇についてなんですが」

「はい。わたくしの今後について、ですわね? 勇者さまと幸せになります」

 

 狹苦しく、薄暗い取調室にて。

 騎士団長から直々に事情聴取を受ける死霊術師さんは、のほほんとそう言い切った。

 

「うん、うん……そっかぁ!」

 

 先輩は美人の極みのような笑顔でにこやかに頷き、机の端に立てかけていた愛刀を気軽に手に取り、鮮やかに抜き放って、その美しい白刃をぎらつかせた。

 

「先輩、だめです。落ち着いて、剣抜かないで」

「離して、後輩。今ならわたし、斬れる気がするんだ。この女の首」

「ステイ。ステイですよ、先輩。ここで殺人事件を起こさないでください」

 

 おれは全力で先輩を羽交い締めにしながら、なだめすかして語りかける。

 

「結局、死霊術師さんと四天王第一位が繋がっていた証拠は、なかったんでしょう?」

「……」

 

 それはもう、とてもわかりやすく。

 むっすぅ、とした顔で、先輩は愛刀を鞘に収めた。なんというか、相変わらずというか、いくつになっても変わらないというか、子どもっぽいというか。この人は、こういう表情の変化がいつもわかりやすい。

 そう。結局のところ、今回の事件において死霊術師さんはまったくの潔癖。巻き込まれた側であった。

 まあ、実際にはそれより前の赤髪ちゃんの件というか、ジェミニの事件というか、魔王復活に関連する一連の出来事でがっつり最上級と関わってはいたので、真っ黒であることは紛れもない事実ではあるのだが、

 

「おほほほ……それは当然のことです。だってわたくし、悪いことなんて何もしておりませんので。この身は純白、汚れなき無罪放免ですわ」

 

 そんな黒に紛れてしまうのが、紫という色の恐ろしさである。

 溜め息を一つ。わかりやすく吐き出した先輩は、取調室の安っぽい椅子に腰を下ろした死霊術師さんに、少しずつ詰め寄っていく。

 

「ねえねえ、死霊術師さん」

「なんでしょう? 剣士さま」

「正直、確たる証拠がないとはいえ、わたしはあなたのことを黒だと思っているんだけど」

「信頼が得られなくて寂しいことこの上ないですが、致し方ありませんわね」

「今回の事件が終わったあと、あなたへのこれ以上の追求は控えるようにって。上から釘を刺されたんだよね」

 

 わかりやすく威圧したわけではない。剣を持ち出したわけでもない。

 ただ片方の瞳だけで、射殺すような視線を向けて、先輩は死霊術師さんの首筋にそっと手を添えた。

 

「あなた、また何かした?」

「さて、何の話か、わたくしにはわかりかねます」

 

 あくまでも穏やかな笑みを浮かべたまま、死霊術師さんはそう言い切った。

 うん。間違いない。

 何かしたんだろうなぁ……

 

 

 ◇

 

 

「スターフォード」

「はい。陛下」

 

 送られてきた書状を眺めながら、指先がテーブルを鳴らす。

 

「ギルデンスターンは、これからも使える女だな」

「私もそう思います。しかも、しぶとい女です。彼女は殺しても、決して死にませんから」

「お前が言うのであれば間違いなかろうよ」

「恐縮です」

「こまった女だ。正直、お兄ちゃんの隣からは、もう消してやろうかと思ったが」

 

 さらに、もう一つ。勇者と死霊術師の駆け落ちが、誤報であったことを告げる号外記事。

 それを破り捨てて、まだ幼い女王は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「まあ、まだ利用価値があるのなら、生かしておいてやろう」

「いやあ、あいつの結婚がまだでよかったですなぁ、陛下。心の準備ができていなかったのでしょう?」

「不敬だぞ、貴様」

 

 

 ◇

 

 

 どこに何を根回ししたのかはもはや知ろうとも思わないが、死霊術師さんは無事に無罪放免、取調室から開放という運びになった。よかったね。

 

「それで、先輩さま? 愚かにもわたくしを陥れようとした下手人は、ちゃんと捕まえてくださったのですか?」

 

 いけしゃあしゃあと、素知らぬ顔で死霊術師さんがのたまう。図太いという言葉を擬人化させて、美しく飾り立てたら、きっとこの人の形になるのだろう。それくらい図太い態度だった。

 

「ねえねえ、後輩。なんでこの人、面の皮こんなに厚いの? どこまでいけば、人はここまで開き直れるの?」

「よくわかんないですけど、世界を滅ぼそうとした魔王を裏切ったりすれば、こんな風になれるんじゃないですかね?」

 

 三人で、大して広くない廊下を並んで歩く。おれが真ん中に立っていないと、先輩が死霊術師さんを切り刻んでしまいそうなので、やむを得ない措置である。

 

「それで実際、他の繋がりはどうなんです?」

「会社の幹部の一人に、最上級と契約した痕跡があったよ。四天王第一位と取引があった事実も、確認済み」

「なんという……このわたくしが、裏切られるなんて……そんなことが!?」

「……」

「だめですよ、先輩。そんな「どの口が言ってんだこいつ」みたいな顔で死霊術師さんを見ても、なんの意味もないです。慣れてください」

「これに慣れるのはちょっとどうかと思うよ、後輩」

 

 言いながら、先輩が先ほどよりは少し広い部屋の扉を開く。

 二人が並んで座れる程度の広さの机の前には、拘束衣に目隠し、口加までされた男が、椅子に座らされていた。

 

「じゃあ、面の確認してくれる?」

「ええ。うちの重役の一人ですわね。少し、お話させていただいても?」

「どうぞどうぞ。それで得られる情報があるのなら、願ったり叶ったり」

 

 個人的な感情と仕事の成果はさすがに分けて考えているのか、フラットな声で応えた先輩は、手だけで部下に指示を出した。

 重役さんの顔周りの拘束が解かれる。

 開口一番、死霊術師さんは言い放った。

 

「最初から、四天王第一位の指示でわたくしの会社に潜り込んでいたのでしょう?」

「……っ」

 

 重役さんの表情が、明確に歪んだ。

 それはきっと、ひさしぶりに目を開いた眩しさが理由ではない。

 

「残念です。わたくしは、あなたのことを、それなりに高く評価しておりました。たとえあの()()()()()()()()()()()()()()()だったとしても、黙って我が社に利益をもたらしてくれるのなら、見逃してあげてもよかったのですよ?」

 

 如何にも死霊術師さんらしい言い分だった。

 

「……社長。私があなたについていった理由は、一つ。あなたが……我らが王の、最も尊き四人の使徒。その第二位に、人の身でありながら座していた、稀代の魔法使いだからだ」

「あらあら、どこかで聞いたような薄っぺらい褒め言葉ですわね」

「かの王の思想は、ある意味では……我々人間にとっても、正しいものだった」

 

 こいつ、魔王の信者か、と。

 おれの隣で、先輩が低く呟いた。

 

「王を裏切ったあなたが、王の亡き世界で、どのような世界を作るのか……私は興味があった。しかし、失望した。あなたに、かつての四天王の面影はもうない。牙を抜かれた犬も同然だ」

「よく喋ることですわね。ぜひ、これから続く取り調べでも、それくらい口を回してほしいものです」

「あなたの方こそ、強がりはそこまでだ。会社の株式は、こちらで確保してある。私の再起はもはや望めないが……私以外にも、あなたを後ろから刺したい人間は多い。あなたが社長の座に返り咲き、会社を再始動させるためには、長い時間がかかるだろう。違うか?」

 

 勝ち誇る重役さんの言葉に対して。

 おれと死霊術師さんは、黙って顔を見合わせた。

 そして、ゆったりと死霊術師さんが告げる。

 

「会社の株式なら、もう買い戻しましたが?」

「……あぇ?」

 

 驚くとか、驚愕で目を見開く、とか。

 そういう感情を通り越して。

 重役さんは、口を開いたまま、完全に固まった。

 かわいそうに。

 人間は驚きすぎると、こんな顔になっちまうんだなぁ。

 

「か、買い、戻した……?」

「ええ、もう買い戻してあります。わたくし、自慢ではありませんが、いくら殺されても、生き返ることは少々得意なので」

「そ、そ……そんなバカなことがあるかぁ!?」

 

 ようやく告げられた事実に理解が追いついてきたのか、叫びが漏れ出し、拘束された椅子が大きく音をたてて揺れる。

 

「あれだけの規模の会社の株式だぞ!? いくら資金を投じるにしても……そもそも、あなたの口座も、まだ凍結は解かれていないはずだ!」

「あら、その読みは正しいですわね。まったく、お役所仕事は手が遅くて困りますわ〜。早く元に戻ってほしいものです」

「だったら!? どこから資金を用意した!?」

「借りました」

「か、借りっ……? そんなもの、どこから……あ」

 

 重役の視線が、これまで話の蚊帳の外だったおれの方へ、向けられる。

 手を挙げて、おれは答えた。

 

「はい。貸しました」

 

 今更ながら、おれは世界を救った勇者である。

 地位や名声やら土地やら……恩賞やら、そういうものは大体いただいてるし、特に使う当てもなかったので、貯め込んでいる資産はそれなりにある。

 今回は死霊術師さんに「勇者さま〜、倍にしてお返しするので、お金借してくださいな」とお願いされ、仕方なく動かせる資産のほとんどを貸した次第である。まあ、死霊術師さんが倍にして返すといえば、倍になって返ってくるのは間違いないので、おれにとっても悪い話ではない。

 

「い、一体どれだけの……」

「どれだけというと……これくらい?」

 

 指で数字を作る。重役の表情が、目に見えて引き攣った。

 隣で先輩が「スケールでかぁ……」と小さく呟いた。

 

「なぜだ……」

「はい?」

「なぜだ!? 勇者殿!」

 

 疑問の矛先が、こちらに向く。

 

「おかしいだろう!? こんな……こんなイカれた女に! 世界を救ったあなたが! どうして手を貸す必要がある!? 何の理由があって救う!? なぜ、そこまでする!?」

「……うーん、そうですね」

 

 唾を吐き散らすような勢いで捲し立てられたひどい言葉を、おれは簡単に肯定した。

 

「庇うつもりはありません」

 

 死霊術師さんが、会社を立ち上げるに至った動機や思いとか。

 死霊術師さんが、会社を通じて社会にしてきた貢献とか。

 彼の言葉に対して、それを庇う形で返す言葉は、いくらでもあるだろう。そうして庇えるだけの実績を、死霊術師さんは積んできたはずだ。

 しかし正直なところ、そんなものはどうでもいい。

 

「ただ、一つだけ言うのなら」

 

 今も昔も、おれと死霊術師さんを繋ぐものは、

 

 ──簡単ですわ。いつか、わたくしを殺してください

 

 あの時の約束だけだ。

 だからきっと、これはささやかなおれのエゴなのだろう。

 これまでも、これからも、それで構わない。

 男の肩に、手を置く。

 瞳を見て、告げる。

 

 

「彼女を殺すのは、おれだ。邪魔をするな」

 

 

 横槍を入れる不届き者は、排除するだけだ。

 

「……くそっ」

 

 すべてを諦めたような悪態と共に、聞こえたのは柔らかいものを引き裂く音。

 重役の唇から、血が吹き出た。

 舌を噛み切って、自決を図ったのだろう。

 しかし、無駄なことだ。

 

「死霊術師さん」

「ええ」

 

 ひとつ。

 ふたつ。

 みっつ。

 よっつ。

 四秒。数えただけで、すべてが元通りになる。

 

「いけませんよ? そんな簡単に、楽になろうとしては」

「あ、ああ……あ」

 

 裏切り者の頬を、死霊術師の指先が、どこまでも優しく撫でる。

 

「死とは冷たく、恐ろしく、悲しいもの。しかし同時に、それを望む人にとっては、甘美な終わりでもあります」

 

 彼は、ようやく気がついたようだ。

 

「あなたには、まだまだお聞きしたいことがたくさんあります。何回死のうとしても、わたくしが手ずから生き返らせて差し上げますから……どうかご安心くださいな」

 

 自分はもう、楽には死ねないということに。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 口枷が、解かれる。口の中に溜まっていた唾を吐き出して、深く息を吐いた。

 目隠しが、外れる。圧迫されている状態が当たり前だったせいで、瞼が正しい動作を忘れているようだった。

 ひさしぶりの明るさに目を細めると、そこに座っていたのは自分が最も尊敬していた人物だった。

 

「おはようございます。社長」

 

 ルナローゼ・グランツは、いつものように挨拶をした。

 

「ええ。おはよう、ローゼ」

 

 リリアミラ・ギルデンスターンも、やはり普段と同じようにそれに応えた。

 

「数日、拘束された感想はどうです?」

「肩が凝って仕方ありません。揉んでいただけると、助かります」

「あらあら。いつもはわたくしの肩を揉む側だったというのに、随分偉くなりましたわね?」

「はい。もう、社長と秘書の関係ではありませんから」

 

 軽口を叩きながらも、ルナローゼはさっさと本題に踏み込んだ。

 

「私は死罪ですか? 社長」

 

 悪魔との魂の取引は、重罪。

 それが明らかになった時には、例外なく死罪である。

 リリアミラは、ゆったりと微笑んで腕を組んだ。

 

「そうですわね。先ほど、トリンキュロと契約を交わしていた重役に会ってきましたが……そもそも、あなたとサジタリウス・ツヴォルフの間に、契約関係はなかった」

 

 人間と悪魔の関係は、基本的にすべて契約によって担保される。

 悪魔と繋がりを持った人間の証拠となるのも、魔力によって作られた結び付きが大半だ。

 憎い人間を殺すため。

 犯罪の片棒を担がせるため。

 純粋に便利な手駒として使い潰すため。

 利用し、利用され、喰らわれて、喰う。

 人間と悪魔の関係はそんなものがほとんどだが、しかしサジタリウスとルナローゼの関係は、そういったものではなかった。

 主従ではない。契約者でもない。

 あの不思議な繋がりを、どんな言葉で表現すればいいのか。

 ルナローゼには、わからなかった。

 ただ、彼がいなくなったあと、自分の中にぽっかりと空いた穴が、埋まらない事実だけはわかった。

 

「どのような処罰も、受ける覚悟です」

「……そうですか。契約関係になかったとしても、悪魔と関わりを持ち、わたくしを陥れたのは、紛れもない事実。その代償は、払ってもらいます」

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、ルナローゼ・グランツに向けて、告げた。

 

 

「あなたはクビです」

 

 

 それは、紛れもない死刑宣告。

 社会的な立場を奪う、通告であった。

 

「……え、あ、はい」

「首を切ります。解雇です」

「は、はい」

「終わりです」

「えっ」

 

 もう話すことはない。

 そう言わんばかりに、リリアミラが立ち上がる。

 ルナローゼは、慌てて口を開いた。

 

「ま、待ってください社長! 本当に、本当にそれだけですか!?」

「ええ。それだけですが、何か?」

「し、しかし……私は、そんな簡単に許されないことを……」

「簡単に許されない? 何を言っているのです。会社から、首を切られる。これはもう、社会的に殺されたのと同じです。健全に生きる人間として、これ以上の死はないでしょう」

 

 あまりにも詭弁であった。

 

「社長……まさか、私を庇って……」

「あらあらあら、何を言っているのかよくわかりませんわね〜! あなたが何を背負うつもりだったのかは知りませんが……まあ、被害を受けたのはわたくしですし? あなたの裏にいた重役も、すでに捕まっていますし? これ以上、いいように利用されていた馬鹿な小娘に追求できる罪は、もうこれっぽっちもないということです」

「ですが、私は……!」

 

 くどいですわね、と。

 言葉を繋げたリリアミラが振り返る。

 机に腰掛け、腕を伸ばし、指先を頬に当てて、リリアミラはルナローゼに問いかけた。

 

「ローゼ」

「……はい」

「サジがいなくなって、つらいですか?」

「……はい」

「愛した人がいなくなって、寂しいですか?」

「……はい」

「サジのあとを追って、死にたいですか?」

「…………」

「ダメです」

 

 リリアミラは、ルナローゼの返答を待たなかった。

 

「あなたは生きなさい」

 

 浮かんだ涙を、指先が優しく拭う。

 決して死ぬことのない死霊術師が。

 自分では死ぬことのできない死霊術師が。

 誰よりも死にたがりな死霊術師が。

 生きろ、と。

 ルナローゼの意思を否定して、そう告げた。

 たったそれだけの言葉で、ルナローゼ・グランツは理解した。

 

 自分はもう、楽には死ねないのだ。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
金持ち。死霊術師さんを殺すのは俺だ邪魔すんなボケェ……!

死霊術師さん
意外とやさしくて、あまい。

先輩
コイツ↑斬りてぇ……

重役さん
トリンキュロと契約してた人間側黒幕ポジ。死ねなくなった。多分これからたくさん情報を搾り取られる。もう楽には死ねない。

ルナローゼ・グランツ
楽に死ねなくなった。



みなさんにお知らせがあります。
先日発売された『このライトノベルがすごい!2024』にて『世界救い終わったけど、記憶喪失の女の子ひろった』が、

【単行本・ノベルズ部門 12位】
【新作部門 20位】

にランクインしました!!
いつも応援いただき、本当にありがとうございます!

https://twitter.com/nmaaaaa/status/1728069427571143147?t=AtyYlyKIbDwXhM8N3OQ4nQ&s=19

紅緒先生からもお祝いチビ赤髪ちゃんが届いております。かわいい。すごい
毎年買って読んでいたこのラノにこうしてランクインすることができて、作者としてこれ以上の喜びはありません。これもすべて、いつも作品を読んでくださる読者のみなさんのおかげです。重ねて、心よりの感謝を。
これからも勇者くんたちの物語に、お付き合いいただければ幸いです。

次回、死霊術師さん編、完結。


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ニューゲーム『ルナローゼ・グランツ』

「……無職だぁ〜!」

 

 ルナローゼ・グランツは、アホみたいなセリフを叫びながら、馬鹿みたいに広くなったベッドに飛び込んだ。

 あれほど職なしのヒモカスをバカにしていたはずだったのに、まさか自分が職を失って無職になってしまうとは思わなかった。

 部屋の中を見渡して息を吐く。まるで、時間が宙に浮いてしまったかのような気分だ。

 あれから間もなくして、ルナローゼは無罪放免で釈放された。お節介で人の良い社長が手を尽くしてくれたことは、想像に難くない。礼の言葉の一つでも、と思って会社に行ってみたが「あなたはもう部外者ですので」とあっさり門前払いを食らってしまった。一応、渡すべきものは渡してきたつもりだが、本当に素直じゃない上司はこれだからやっていられない。

 ただ、生活の中心であった仕事を失ってしまったのは、紛れもない事実だ。

 仕事もなく、やることもない。

 とりあえず、部屋の片付けからはじめてみよう、と手を付けてみたが、これも中々進まなかった。

 彼が使っていたマグカップ。彼が座っていた椅子。

 部屋の中に残る全てに、馬鹿な悪魔の残り香がある。

 その事実に、ルナローゼ・グランツはもう一度深い息を吐いた。

 もう少し、自分は賢いものだと思っていたが、どうやらそんなこともないらしい。

 ルナローゼは、彼が使っていた食器に手をかけた。

 

「忘れものばっかり」

 

 呟きをひろってくれる誰かは、この部屋の中にはもういない。

 生きなさい、と言われた。

 だから、生きなければ、と思う。

 けれど、一人で普通に生きていくことがこんなに難しいなんて、彼が隣にいる時は、想像すらできなかった。

 

「サジ」

 

 耳を澄ますと、足音が聞こえた。

 階段を小気味良く登る音。まるで、ギャンブルで大勝ちしてきた時のように、上機嫌な。

 

「……サジ」

 

 想像をする。

 もしも。

 もしも、彼が帰ってきてくれたら。

 いつものように鍋に火を入れよう。無駄なお土産を買ってきたなら、少し強めに叱ろう。

 足音が部屋の前で止まる。ノックの音が響く。

 まさか、と。

 期待に、心が踊る。

 ルナローゼは、迷わずにドアを開いた。

 

「帰ったぞ。ルナ」

 

 思わず、呼吸が止まった。

 目を引くような赤い髪。白いスーツ。整った顔立ち。

 寸分違わず、ルナローゼがよく知るサジタリウス・ツヴォルフがそこに立っていて。

 

「中に、入れてくれるか?」

 

 それを見た瞬間に、ルナローゼはすべてを理解した。

 彼の胸の中に飛び込んで。

 彼の腕に抱き締めてもらって。

 それは多分、きっととても幸せで。

 

 

 

「どちら様ですか?」

 

 

 

 でもそんな幸せは、もう二度と自分にはやってこない。

 だからルナローゼは、それを躊躇いなく言葉で破壊した。

 どこまでも粉々に、躊躇なく、砕き割った。

 

「……なぜわかった?」

 

 サジタリウス・ツヴォルフの皮を被った『何か』が、問いかけてくる。

 目線が違った。声音が違った。階段を登る足音が違った。

 そんな風に、その偽物の精巧な物真似を馬鹿にすることはいくらでもできたが、ルナローゼは最もシンプルな回答を選んで、口にした。

 

「彼は、死にました」

 

 そう。彼は死んだ。

 これ以上ない、単純な答え。たった一つの、変わらない事実。

 サジタリウスのような、何か。ソレの表情が、困ったように歪んだ。

 

「……愛したものが、生きて帰って来る。そういうハッピーエンドは、嫌いか?」

「もちろん好きですよ。ただ、私はどうにも……()()()()()()()らしいので。そういう甘ったるいエンディングは、肌に合わないんです。残念でしたね?」

 

 彼は死んだ。死んだものは、もう二度と帰ってこない。

 魔法でも使わない限り、たとえ魔法を使ったとしても、自分が愛した彼は、もう戻ってこない。

 

「これは、お前にとっても望ましい結末のはずだ」

「そうかもしれませんね」

「受け入れて、溺れてしまえばいい」

「ええ。それはきっと、幸せなのでしょうね」

「ならば……」

「……でも」

 

 言葉を遮って、止める。

 こうして、彼の姿をした『何か』を見て、ルナローゼは確信した。

 

「彼に生きていてほしい、と願うのは……ただの私のわがままです」

 

 自分は、悪魔に恋をした。

 自分は、サジタリウス・ツヴォルフという一人の男を、愛してしまった。

 残された自分は、不幸なのかもしれない。

 自分の物語は、ハッピーエンドではないのかもしれない。

 けれど、ルナローゼは、自分が看取った彼の死を、不幸だったとは微塵も思わない。

 

「彼が望み、彼が勝ち取った死を愚弄することは、この私が許しません」

 

 たとえ、それが自分の幸せと引き換えだったとしても。

 彼が選んだ結末を、否定することだけは。

 

「そこに、あなたが望んだ愛がないとしても?」

「……ええ。たくさん貸したまま、返し切らずに、逃げられてしまいました」

 

 十分だ、なんて言えない。

 もっともっと、本当は欲しかった。

 

「でも、いいんです」

 

 そんな泣き虫でか弱い女の子よりも……ちょっときついくらいの、かっこいい女の方が、彼はきっと好きだろう。

 

 

「愛した男が、私にすべてを賭けてくれました。これ以上はいりません」

 

 

 これから、彼に相応しい女になることが。

 きっと、自分の人生を賭けたゲームになる。

 

「……うん。そうか。そうだね。さすがは、サジが選んだ女性というべきか」

 

 サジタリウスだった『何か』の姿が、解けて消える。

 ルナローゼは、息を呑んだ。

 長身を見上げていたはずが、一瞬で見下ろす側に立場が逆転する。

 白いフリルが彩られた華美なワンピースドレス。純白と紅色が目にも鮮やかな、二色のリボン。

 その悪魔の名を、ルナローゼはよく知っていた。

 

「トリンキュロ……リムリリィ」

「まずは、彼の姿を『模倣』したことについて……あなたに謝罪を。ルナローゼ・グランツ」

 

 史上最悪の悪魔と呼ばれたトリンキュロ・リムリリィが、深く膝を折り、頭を垂れる。

 不思議な違和感だった。

 ルナローゼは、トリンキュロと勇者の、殺し合いと呼ぶしかない死闘を見届けている。

 だから、いつでも自分を殺せるはずの彼女が、こちらに向けて頭を下げるその姿が、ひどく非現実的で滑稽で、信じられなかった。

 

「なぜ、こんなことを?」

「あなたという人を、見極めたかった。それだけだよ。ボクはサジを信頼していたつもりだったけど、結局のところ最後には裏切られてしまったからね。こういうイジワルもしたくなるのさ。何を隠そう、悪魔なものでね」

 

 硝子張りのような軽薄さで、けらけらと笑顔が踊る。

 貼り付けられたようなそれを見下ろしたまま、ルナローゼは簡潔に評した。

 

「悪戯にしても、薄っぺらい真似事でしたね」

「そうかなぁ? ボクの『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』は、一度触れたモノならほぼ完璧に『模倣』できる。どこをどう見ても、サジタリウス・ツヴォルフ本人だったと思うけど……」

 

 そこで、言葉を区切って。

 トリンキュロの笑みから、薄さが消えた。

 

「うん。でもこればっかりは、見破られたボクの負けだ。あなたはもう、彼の死を受け入れている。やっぱり、人の心を模倣するのは、難しい。そこに、愛やら恋やらが絡むなら、尚更だね」

「彼は、悪魔でしたよ?」

「……きみ、人の揚げ足を取るのが上手いねえ。こりゃ、サジが口喧嘩で負けるわけだよ」

「お褒めに預かり光栄です……とでも、言っておけばいいですか? 四天王第一位」

 

 くつくつと、細い喉が鳴る。

 笑い声を抑えたトリンキュロは、自分を言いくるめた女性を見上げて、さらに問いかけた。

 

「改めて、ルナローゼ・グランツへ、トリンキュロ・リムリリィより、最上の敬意を。たとえ魔力の繋がりがなかったとしても……あなたはたしかに、我らが十二柱と、心を通わせた契約者だった」

 

 四天王第一位は、懐から取り出した封筒を、ルナローゼに差し出した。

 

「これは……?」

「サジからの預かりものだよ。もしも自分の身に何かあったら渡してくれって。あいつから頼まれてたんだよね」

「なぜ……彼は、これをあなたに」

「さあ? 他に預けられる人がいなかったからじゃない? それ以上の理由はないでしょ」

 

 ほら、サジって全然友達いなかったしさ、と。

 トリンキュロは、素知らぬ顔でそう言い添えた。

 

「どうして、あなたはこれを私に届けてくれたのですか?」

「おや。聡明なあなたにしては、愚かな質問だね、ルナローゼ。じゃあ、これだけは覚えておいてほしい」

 

 人ではないそれは、最後まで礼を欠かさず。

 

「悪魔は、契約は守るものだよ。お嬢さん」

 

 そうして、最後の一礼と共に、トリンキュロ・リムリリィの姿は一瞬でかき消えた。

 

「……」

 

 開け放たれた扉の前で、立ち尽くしたまま、ルナローゼは封筒を握り締めた。

 今すぐに開くべきか、迷っていると背後から声を掛けられた。

 

「ルナローゼ・グランツ様ですね?」

「はい」

 

 もしや、また人の皮を被った人外の類いか、と。

 あからさまに警戒する様子を見せたルナローゼに対して、身綺麗なスーツを着込んだ女性は、声を和らげた。

 

「突然の訪問を、どうかお許しください。私は、銀行の者です。リリアミラ・ギルデンスターン様より、ご依頼を受けて参りました」

「社長から?」

「はい。お祖父様……アルカウス・グランツ様からの遺言状と相続に関連する事項を、こちらにお預かりしております」

「それは……?」

 

 なぜ今更、と。

 疑問に思ったことを見透かしたように、女性は書類の束を胸の前で抱えて、微笑んだ。

 

「お聞きになれば、分かっていただけるかと思います。開封には、私が同席するよう命じられております。よろしければ、口頭で読み上げさせていただいても?」

「……わかりました。あがってください」

「では、失礼いたします」

 

 部屋の中に入ってもらい、ルナローゼの目の前には、二つの書面が並んだ。

 彼と、祖父が、自分に遺してくれたもの。

 少し悩んだが、祖父の遺言を聞きつつ、ルナローゼはサジタリウスの手紙を開くことにした。

 

「愛するルナローゼへ。おそらく、お前がこれを聞いている時、自分はこの世にいないだろう……」

 

 淡々と読み上げられる祖父の言葉に耳を傾けながら、意を決して封筒を開く。

 遺言状にしてはあまりにも可愛すぎる薔薇の便箋には、所狭しとサジタリウスの不格好な字が踊っていた。

 

 ルナへ。お前が、これを読む時、オレはもうこの世にいないだろう

 

 そんなところまで、似なくてもいいのに。

 祖父と彼の言葉が、手紙でまで被っていることに、ルナローゼは堪らず苦笑した。

 

「自分は祖父として、お前を甘やかしてばかりだったから、いくつか注意を遺しておく」

 

 オレはお前に甘えてばかりだったわけだが、まあ最後くらいはオレからの忠告も聞いておけ

 

「体は仕事の資本であるから、健康には気をつけろ。食事は幸せの基盤であるから、良いものを摂れ。睡眠は体の土台であるから、仕事に追われて睡眠を疎かにしてはならない」

 

 風邪には気をつけろ。食事は疎かにするな。あと、服だけ脱いでソファーで寝るな

 

「遺産はあまり残せないが、グランツの会社の看板と名義は、すべてお前に贈る。これらは然るべき時まで、リリアミラ・ギルデンスターンに預け、彼女の判断により、お前に贈られるように相続を整えておく。継いでくれると、嬉しい」

 

 オレは仕事のことは何もわからんが、お前なら上手くやるだろう。あまり心配はしていない。オレに遺せるものはそんなにないので、とりあえず金だけはお前に渡るようにしておく。会社に使ってもいいし、馬に賭けてもいい。好きに使え

 

 額面の大きさを見比べて、驚いて。

 それから、ルナローゼは可笑しくて、また笑いそうになった。

 もしもあの祖父が、自分が遺した資産よりも、彼が遺した資産の方が金額が大きいことを知ったら、さぞ悔しがるだろう。

 

 ──ククク……ありがとう。倍にして返す

 

 そういえば、彼はクズでカスでヒモなどうしようもない男だったけれど、約束は守る男だった。

 

「仕事の話ばかりしてしまったが、正直そんなことはどうでもいい」

 

 金の話ばかりになってしまったが、金がなくても人間は生きていけるものだ

 

 文字の温かさを、目で追う。

 言葉の温もりを、耳で感じる。

 

「お前は、おばあちゃんによく似た美人になるだろう。誠実で真面目な良い人を見つけて、幸せになりなさい。あと、自分が言えたことではないのは重々承知しているが、ギャンブルが好きな男はやめておきなさい」

 

 お前は言葉はキツイが、良い女だ。オレよりもイケメンでかっこいい男が、その内見つかるだろう。まあ、オレよりすごいイケメンじゃなかったとしても、お前に惚れ込む男はたくさんいるだろうから、しっかり心を射止めてやれ

 

 祖父と彼は、べつに似ていない。

 そもそも、人間と悪魔だ。同じ生き物ですらない。

 

「繰り返しになるが、最後にもう一度だけ伝えさせてほしい」

 

 もう十分に理解していると思うが、最後にもう一度だけ、言っておこう

 

 でも、二人の好きなものは、とてもよく似ていて。

 二人の間には、たしかに結ばれた友情があって。

 

 

 

 

「お前を愛している」

 お前を愛している

 

 

 

 

 それは、こんなにも、深く、大きく、強く。

 祖父と彼は、自分を、愛してくれていた。

 

「……ぁ」

 

 瞳から零れ落ちる涙が止まらなかった。

 吐き出した嗚咽が収まらなかった。

 一人で生きていかなければ、と思っていた。

 これからは、強くならければいけないと思っていた。

 違う。

 遺してくれたものがある。

 二人との思い出は、この心に秘めて、ずっと残しておけるものだった。

 思い出して良い。

 これから何度も、思い返して、泣いていいのだ。

 きっと、今日、この日のように。

 

「うっ……ぁぁぁぁ」

 

 泣いて、泣いて、泣いて。

 気がつけば、ルナローゼは流せるだけの涙を、流し尽くしていた。

 

「落ち着かれましたか?」

「……はい」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫に……なります」

「お強いですね」

「……いいえ。私は弱いです」

 

 目元を拭ったルナローゼは、ゆっくりと顔を持ち上げた。

 

「だから、これから強くなります」

「……はい。それは経営者として、とても素晴らしい心構えかと思います」

 

 律儀に気持ちを整理するだけの時間をくれた女性は、やはり生真面目にハンカチを差しだしてくれた。

 有り難く受け取って、聞き返す。

 

「相続の確認と、遺産について。詳しいお話を伺ってもいいですか?」

「もちろんです。下に馬車を回してありますので、よろしければそちらへどうぞ」

 

 一つ。女性は礼をしてから、立ち上がったルナローゼに向けて、新たな敬称を付け加えた。

 

「ご案内させていただきます。社長(プレジデント)

 

 

 ◇

 

 

 リリアミラ・ギルデンスターンは、彼女の住まいから離れていく馬車を見送って、空を見上げた。

 死は終わりだ。

 死は決して美しいものではない。

 それは、どんなに飾り立てたとしても、冷たく、醜く、悲しいものであるがゆえに、必ず人の心に傷を残す。

 それでも。

 この心の色が、指先一つで死という終わりを覆せるからこそ、信じたいものがある。

 

 ──は、はじめまして! ルナローゼ・グランツです。わ、私のような若輩者に秘書業務が務まるか不安ですが……がんばります!

 

「お転婆娘が、社長の椅子に戻る」

 

 それは、一人の人間と、一人の悪魔が望んだもの。

 誰に聞かせるわけでもなく。

 あるいは、己自身に言い聞かせるかのように。

 

『退職願 ルナローゼ・グランツ』

 

 死霊術師は、もはやなんの役目も果たさない紙面を丁寧に折り畳んで、大切に懐へと入れた。

 

「契約は果たされた」

 

 紙一枚分の重さが、なによりも心地良かった。




死霊術師さん編、完!
めりっとさんより、頂戴しました。サジタリウス・ツヴォルフのイラストをご紹介させていただきます。


【挿絵表示】


これはクズでカスのヒモですね。
指先のカードが、とても好きです。

死霊術師さん編はこれにて完!なのは本当なんですが、いつもの如くおまけパートが少しあります。次回はあのクソ野郎なんで生き返ってんだよボケナスがよ、と思ってる読者さんへの答え合わせになります。


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アフターゲーム『獅子身中の虫』

・獅子身中の虫
内側から災いを起こすもののこと。 獅子の体内に巣食う虫が、その身体を内側から食い尽くして、ついに倒すこと。


 ルナローゼ・グランツが、新たにグランツ運送という祖父の会社を相続することに決まった、数日前。

 世界を救う戦いの延長線とでも言うべき、四天王トリンキュロ・リムリリィの戦いの、翌日。

 勇者パーティーの賢者、シャナ・グランプレは、色濃い戦いの爪痕が残るカジノホールで、黙々と調査を続けていた。

 自分の魔法を最大限に用いて、複数人に増えた上で魔術による精査を続ける。それは客観的に見ても、やや過剰とも言える調査だった。

 

「精が出ますね。賢者殿」

 

 爽やかな声音で労いの言葉を掛けられ、シャナは振り返った。もっとも、振り返ったのは一人だけで、残りのシャナたちは黙々と作業を続けている。

 

「……リーオナイン騎士団長」

「レオで構わないよ。賢者殿。今は我が親友もいないことだしね」

「では、レオさん。私に何かご用ですか?」

「もちろん、用があるからこうしてキミに声を掛けに来た」

 

 やはり爽やかな笑いを重ねがら、レオ・リーオナインはシャナの肩に手を置いた。

 

「いろいろと気になることが多いのはわかるけど、無理はしない方がいい。複数人に増えることができるキミの魔法はたしかに素晴らしいが、それはべつに疲労がゼロになるわけじゃないからね」

「勇者さんに『賢者ちゃんはどうせ無理をしているだろうから、お前から休むように言ってほしい』とでも頼まれましたか?」

「ははっ……さすが、賢者殿はなんでもお見通しだ」

「ええ。私は賢いですからね」

「しかし、そこまでわかっているのに無理を押し通しているのは、あまり賢明な行動とは思えない。現場の保全は、イト先輩の第三騎士団で受け持つことができる。ここは親友の思いを汲んで、一度休まれては如何かな?」

 

 理路整然とした、レオの忠告と思いやり。

 それを聞いたシャナは、どこか遠くを見ながら呟いた。

 

「魔王がどのように死んだのか、あなたはご存知ですか?」

「……いいや? 親友も、魔王を殺したことに関しては、いろいろと思うところがあるようでね。詳しい話を聞いたことはないよ」

「魔王にトドメを刺したのは、勇者さんです。()()()()()()()()()()()、アリアさんが息絶えた体のすべてを灰に変わるまで焼き尽くして、完璧に殺しました」

 

 体の一部、骨の一欠片すら残らないほどの、激闘の果て。魔王は死に、世界は救われた。

 しかし現実として、魔王は蘇った。

 記憶も肉体も異なる、赤髪の少女として。

 

「死んだ人間を蘇らせる手段として、私たちが最もよく知る魔法は、リリアミラさんの『紫魂落魄(エド・モラド)』です」

「死霊術師殿の、紫の魔法。アレはたしかにすごいね。死んだ人間を生き返らせるなら、アレ以上の魔法はないんじゃないかな?」

「そうですね。でも、この世にはまだ……私たちの知らないあれ以上の魔法があるかもしれません」

 

 死んだはずの魔王が、蘇ったように。

 死んだはずの四天王第一位が、再び姿を現したように。

 人の生死を指先一つで自在に操る『紫魂落魄(エド・モラド)』超える魔法が、存在するのだとしたら。

 

「トリンキュロ・リムリリィは、また蘇るかもしれない。あるいは、自分が死んだ時のために、何らかの保険を残しているかもしれない。そう考えると……安心できないんです」

 

 賢者らしからぬ、弱音の吐露。

 

「なるほど。キミの心配はよくわかった」

 

 それに一つ頷いて、レオは腕を組んだ。

 

「では、キミが休んでいる間は、このボク……レオ・リーオナインが、現場の監視と保全に勤めよう」

「あなたが自ら?」

「ああ。ボクを除いて、誰も立ち入れないようにしておくし、現場のものにも手を付けないでおく。もちろん、我が親友や死霊術師殿も、キミが戻るまでは絶対に入れない」

 

 魔術による調査なら、キミの右に出るものはいないだろうしね、と。

 お世辞ではない率直な意見を添えた上で、レオはシャナの手を取って、軽く膝まづいてみせた。

 

「勇者の親友として。そして、王国の騎士団長として。少し無理をしている賢者殿への、心からの願いだ。どうだろう?」

「……そこまで言われてしまっては、仕方ありませんね」

 

 軽く溜息を吐いたシャナは、構えていた杖を収めた。同時に、現場に散らばっていた複数人のシャナたちが、一人に戻る。

 

「二時間ほど仮眠を取って戻ります」

「もっと寝てきても大丈夫だよ? 睡眠不足は肌の天敵だからね」

「私は若くてぴちぴちなので、そのあたりは気にしなくても大丈夫なんですよ。では、よろしくお願いします」

 

 軽口を叩きながらも、やはり疲労を感じさせるふらふらとした足取りで、シャナは出ていった。

 その背中を、笑顔で見送って。

 レオ・リーオナインは荒れた床に腰を下ろした。

 

「……やれやれ。頭の良いレディが心配性だと、中々どうして扱いに困る」

 

 しかも、用心深く、疑り深いとくれば、なおさらだ。

 人払いを済ませたホールの中を見回して、レオは呟いた。

 

「さて、と……『紙上空前(オルゴリオン)』」

 

 手の中に浮かぶ、輝く本。そのページをパラパラと捲って、レオはトリンキュロ・リムリリィがトドメを刺された魔導陣の残滓に、手を触れた。

 

「さすがは賢者殿。本当に高度な術式だ。何が何やらさっぱりだよ……『オープン・セフェル』」

 

 感心しながらも、レオは淡々と作業を進める。

 本のページを開き、書き込む準備を整える。

 

「『ペン』」

 

 まるで子どもが落書きをするように、レオ・リーオナインは上機嫌で文字を重ねていく。

 そうして最後に、締め括りの一文となるそれを、口にした。

 

 

「『トリンキュロ・リムリリィは、殺されなかった』」

 

 

 静まった空間に、作家の声が響き渡る。

 ページが捲れて、光の紙片が乱れ舞う。

 しかし、変化はない。

 レオ・リーオナインの『紙上空前(オルゴリオン)』を以てしても、死んだ者の蘇生は、成し得ない。

 

「ふむ……やはりこれではダメか。仕方ない」

 

 まるで別人のように呟きながら。

 背中から()()()()()()()()()()()()()()()、レオ・リーオナインだったソレは、小さく呟いた。

 

 

「──獅上空前(オルゴリオン)

 

 

 それは、魔法ではない。

 それは、色魔法ではない。

 人ではないものが振るう、悪魔の力。

 

「『トリンキュロ・リムリリィは、死ななかった』」

 

 偽装して用いていた『()上空前』とは異なる、本来の『獅上空前(オルゴリオン)』の魔法効果によって、今度こそ、明確な変化が在った。

 体の一片に至るまで破壊し尽くされていたはずの、四天王第一位の体が、蘇る。

 

「おはようございます。リムリリィ」

「……ぼくは、死んでいたのか?」

「ええ。完膚なきまでに」

 

 端的に、その事実を告げられて。

 トリンキュロの表情が、歪む。

 世界を震撼させた、四天王第一位として、ではなく。悪魔たちの頂点に立つ、絶対捕食者として、でもなく。

 

 

うぁぁぁ! ちくしょう!

 

 

 吐き出されたのは、後悔の声。

 

「くやしい! くやしい! くやしいくやしい! またか!? また勝てなかったのか!? ぼくは! くそっ! くそぅ! ちくしょう! 何度勇者に負ければいいんだよ!?」

 

 駄々を捏ねる赤子のように。

 あるいは、純粋に敗北を悔やむ、挑戦者のように。

 トリンキュロ・リムリリィは、己の力不足を大声で喚き散らして、発散した。

 

「ふぅ……」

「落ち着きましたか?」

「ああ、うん。おかげさまで」

 

 けろり、と。

 復活したトリンキュロ・リムリリィは、そこでようやく目を細めて、静かに礼をする一人の悪魔の姿を見た。

 

「……ぼくを蘇らせたのは、きみの仕業か。()()()

「きみの仕業、とは……また随分と、()を嫌った言い回しをしますね」

「……それはそうだろ。きみが乱入してこなければ、ぼくは勇者を殺せていたかもしれないんだから」

 

 人ではない、最上級悪魔。

 魔王の最も尊き使徒たる、十二柱。

 第八の獅子。

 レオ・アハトは、トリンキュロに向けてゆったりと言葉を返した。

 

「勇者を殺す? あなた如きが? それは無理でしょう」

 

 四天王の第一位に向けて。

 十二柱の第一位である、最上級悪魔に向けて。

 レオは、どこまでも小馬鹿にした言い回しで、蘇ったばかりのトリンキュロを詰った。

 

「むしろ、はっきりしてよかったではありませんか。今のあなたでは、弱体化した勇者すらも殺せない」

「……うん。うん。そうだね」

 

 対するトリンキュロもまた、鼻を鳴らしてその返答を嗤った。

 

「だから、次は勝てるようにがんばらないと」

「はい。次は勝てるようにがんばってください」

 

 それにしても、と。

 トリンキュロは、レオの背中から生える翼をしげしげと眺めて、言った。

 

「きみも、その体に意識を宿してから、随分長いでしょ? よく我慢できるね?」

「騎士学校に入る前からの付き合いなので、かれこれ十数年になりますが……とはいえ、慣れてしまえば大したことではありませんよ。幸い、私の表の人格は、なかなか愉快な性格をしていますからね。退屈することがない」

「二重人格ってヤツか。キャンサーのヤツも、きみみたいな方法で潜入していれば、無駄に死なずに済んだかもしれないのに」

「それこそ、無駄な想像でしょう。キャンサーの爺様は、人間に体を預けるような真似はしないでしょうから」

「それはそうだ」

 

 彼は、ずっと勇者の側にいた。

 その力を試すために、入学直後の彼に決闘を申し込み、友情を育んだ。

 そして、その傍らで、彼の命が不用意に奪われないように、心を尽くしてきた。力を蓄え、冒険の旅に出発するまで、勇者を守り続けた。

 ゲド・アロンゾが、まだ未熟だった勇者を殺さず、捕縛するに留めたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()レオが側にいたから。

 アリエス・フィアーが、勇者を魔法で殺さず、騎士学校から追放したのは、彼の嗜好に合わせて、一連の事件が動くように誘導していたから。

 サジタリウスが、決闘魔導陣によって『人間への暴力』を禁止したにも関わらず、勇者が彼に蹴りを入れることができたのは……そもそも彼が人間ではないから。

 ヒントはあった。

 兆候はあった。

 けれど、勇者はまだ、その正体に気がついていない。

 悪魔の獅子は、息を潜め続けている。

 

「……さて、このカジノももう終わりだ。大人しく退散することにするよ。ボクはリブラと合流するけど、きみはどうする?」

「今まで通り、親友を見守り続けますよ。それが、魔王様から託された私の責務ですから」

 

 さらりと答えたレオに向けて、トリンキュロは重ねて問いかけた。

 

「きみの望みはなんだい? レオ・アハト」

「今も昔も、それは代わりません」

 

 翼を肉体の中に戻し、魔法ではない紙の本を取り出して、レオは微笑んだ。

 

「あなたという敵がいれば、我が親友はこの世界で、勇者として在り続けるでしょう」

 

 魔王は死んだ。世界は救われた。

 しかし、舞台の上で踊れる役者たちは、まだ健在だ。

 

「ボクは勇者(親友)の物語を……その続きを紡ぎたい」

 

 世界を救った勇者の戦いは、まだ終わらない。

 悪魔たちは、新たな遊戯(ゲーム)を企てる。




レオ・アハト
 第八の獅子。レオ・リーオナインの中に巣食う悪魔。
 勇者の友として、彼を助け、彼を導き、彼と共に技を磨いてきた。名実共に、勇者の唯一無二の親友である。
 悪魔である彼は『紙上空前』という魔法を、本来の『獅上空前』を書き換える特殊な形で、運用している。魔法効果は不明だが、リリアミラですら不可能なトリンキュロ・リムリリィの蘇生をやってのけた。


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これまでの登場人物まとめ④

今回、どっかのクソボケロリ四天王のせいで魔法の解説がえぐいことになるので、キャラ紹介と魔法紹介を分けます。ご了承ください。


◆勇者くん

・名前 不明

・年齢 23歳

・職業 勇者

・魔法 『黒己伏霊(ジン・メラン)

    『哀矜懲双(へメロザルド)

    『泡沫無幻(インスキュマ)

・魔術属性 炎熱・迅風

・戦闘における思考 まずは近づいて物理で殴る

・恋愛における思考 お互いが幸せになれる関係になるべき

・好きなゲーム お互いに笑顔で終われるようなもの

 

 基本的にパーティーメンバーに振り回されることに定評がある勇者。今回は死霊術師さんと赤髪ちゃんの引率にはじまり、騎士団長との殺し合いから死霊術師さんとのワクワク駆け落ち生活に移行。カジノに突入して身包みを剥がされてゼンラになった後、四天王第一位と大激戦を演じた。ちょっと落ち着け。

 戦闘においては、今回ひさびさに武闘家さん仕込みの近接格闘を披露した。接触の瞬間に相手を吹き飛ばす威力を誇る打撃は、正しく魔法殺しの黄金の拳である。勇者くんは世界を救う過程で「おれ、体硬くできるから剣とか振るうよりも直接殴った方が早いよなあ」という思考に至っており、しかし同時に「でも魔法使いに直接触りたくないなぁ。どうしよっかなぁ」と頭を悩ませており、そんな風に行き詰まってる時期にムムさんと出会い、近接格闘特化型への道を突き進むことになった。

 ゲームのルールをろくに理解できない筋金入りのアホっぷりを誇るが、戦闘中のIQは引き上がるタイプ。『黒己伏霊(ジン・メラン)』が相手を殺さなければ発動しない特殊な魔法であったことも相まって、奪ったあとに自分がその魔法を使い潰すことを無意識に考慮しているのか、未知の魔法への分析能力は高い。

 殺せる相手の魔法を奪わない、という選択をしたのは、実は今回がはじめて。射手の悪魔は、勇者の心の色にも変化をあたえていった。

 

 

◆赤髪ちゃん

・名前 不明

・年齢 不明(推定16〜18歳)

・職業 勇者志望

・魔術属性 雷撃

・戦闘における思考 初手から大火力ぶっぱ

・恋愛における思考 相手に好かれたい

・好きなゲーム 運が絡むもの。基本的に豪運なのでスロットなどが強い。

 

 カジノ潜入コスプレ黒スーツの胸と尻の部分がわりとギリギリだった系赤髪美少女。きみそろそろ痩せた方がよくない?

 戦闘においては今までずっとお荷物だったが、今回は密かに修得していた雷撃魔術を解禁。発動と発射までに溜めが必要なものの、魔王の十八番とも言える雷の一撃は、必中必殺の強力な武器である。現状、勇者パーティーでの役目はワンチャン狙いの一撃必殺役といったところ。大火力でドーーン!するのは、本人の気質的にも合っているらしい。

 天から降り注ぎ、地を焦がす稲妻に、四天王第一位はたしかにかつての魔王の面影を見た。

 

▲雷撃魔術

 魔王の代名詞とも言える雷の魔術。あらゆる事象に干渉する彼女の魔法『輝想天外(テル・オール)』と合わせて、魔王の振るう力の象徴として知られている。

 現在の赤髪ちゃんは十数秒の時間を掛けて魔力と魔導陣と練り上げ、一日に一発撃つのが限界だが、全盛期の魔王は必中必殺のこの魔術を当然のように連射して用いていた。単独の敵相手だけでなく、大軍に対しても有効。空から降り注ぐ雷は、天の裁きそのものであったと言い伝えられている。

 炎熱(えんねつ)系の破壊力を、彼女は物足りないと評した。

 流水(りゅうすい)系の柔軟さを、彼女は頼りないと感じた。

 迅風(じんぷう)系の速度を、彼女はより速く突き詰めたいと考えた。

 砂岩(さがん)系の対応力を、彼女はあっさりと切り捨てた。

 求めたのは、単純な速度と破壊力。対峙する誰もが絶望する、圧倒的な力。

 『輝想天外(テル・オール)』が人々を惹きつける魔法であったからこそ、彼女は自らが扱う魔術は、人々に恐れを抱かせる圧倒的な力であるべきだと考えた。

 魔法が一人に一つだけの異能であるならば、魔術は運用が理論化され、共有が可能な知識。学んで理解すれば、誰もが扱える技術である、はずだった。

 四賢の一人、口遊むシャイロックに師事した少女は、自分だけの魔術を描き出すことに成功した。

 

 

◆賢者ちゃん

・名前 シャナ・グランプレ

・年齢 17歳

・職業 賢者 王室相談役 王室付魔導師

 王立魔導学院校長 実戦魔術科最高指導者

 王立騎士学校魔術科特別顧問

 魔術協議会事務局長 他多数

・魔法 『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)

・魔術属性 砂岩・迅風・流水・炎熱

・戦闘における思考 人海戦術による正面からの圧倒

・恋愛における思考 一輪の花のように大切にされたい

・好きなゲーム 戦術性が高く、ルールが複雑なもの

 

 今回もやることがたくさんあった賢者。いつもお疲れ様です。

 戦闘においては、増殖して魔術による数の暴力で押し潰す人海戦術を好む。シンプル故に強力だが、相手もシャナが厄介な存在であることは理解しているため、魔術そのものを封じられたり、狭い地下での戦闘を強要されたりと、対策を講じられることが多い。単純に強すぎるが故に対策を講じられやすいかわいそうな賢者。

 

流水形成型(りゅうすいけいせいがた)鏡面多重拘束魔導陣(きょうめんたじゅうこうそくまどうじん)

 シャナの師匠である四賢、清澄のハーミアが研究を続けていた「魔法殺しの魔術」に、シャナ独自のアレンジが加えられた魔導結界。勇者やムムの打撃が、魔法に対する肉体的アプローチであるならば、こちらは魔術的なアプローチと言える。シャナは基本的にどんな魔術も使えるが、結界魔術が最も得意。

 対象の四方を四人のシャナが包囲し、それぞれを起点に結界を形成する、という面倒極まりない方法ではじめて起動できる。対象を閉じ込める壁面は、スライムのように流動する液体で構築されており、堅牢かつ柔軟。触れた側から切り離すことで、魔法の影響を完全に無力化する。

 発動までの隙が大きく、連発もできないが、作中ではトリンキュロの撃破に成功した。実際、作中に登場するほとんどの魔法使いを、この魔導結界で閉じ込めることが可能。これを破れる可能性があるのは、魔法の特性上相性が悪いイト・ユリシーズやグレアム・スターフォード。まだ登場していない聖職者さんくらいである。

 

 

◆騎士ちゃん

・名前 アリア・リナージュ・アイアラス

・年齢 23歳

・職業 騎士 領主

・魔法 『紅氷求火(エリュテイア)』 

・魔術属性 適正なし

・戦闘における思考 相手の弱点を見極め、的確にそれを突く

・恋愛における思考 相手に笑顔でいてほしい。自分を一番に想ってくれる証明がほしい。ずっと側にいて、いなくならないでほしい

・好きなゲーム じゃんけんとか。単純なやつ

 

 今回はあんまりいいところがなかった……と見せかけて、最後に一番美味しいところをかっさらっていった姫騎士。

 戦闘においては、中距離戦も炎の放出で難なくこなし、近接戦闘においてもトップクラスの実力を誇る……のだが、如何せん四天王第一位が相手ではやや分が悪かった。今回の一件で自分の力不足を痛感したようで、また色々と鍛え直すことになりそう。

 

 

◆武闘家さん

・名前 ムム・ルセッタ

・年齢 1024歳

・職業 武闘家

・魔法 『金心剣胆(クオン・ダバフ)

・魔術属性 適正なし

・戦闘における思考 とりあえず近づいて物理で殴る

・恋愛における思考 自分よりつえー男がほしい(自分より強い男に守ってほしい)

・好きなゲーム こう見えてなんでも嗜む。一戦に長い時間が掛かるボードゲームなどを特に好む。

 

 相変わらずめちゃくちゃ強いロリっ子武闘家。

 戦闘においては、『金心剣胆(クオン・ダバフ)』による強制静止の絶対防御。勇者に叩き込んだ魔法殺しの打撃など、近接戦においていつも変わらず無類の強さを誇る。

 過去編では不死身の四天王に対抗するために勇者が用意した(ついでに師匠になってもらった)ジョーカーとして、満を持して対死霊術師さん戦に投入。リリアミラ・ギルデンスターンを初見殺しでタコ殴りにした。死霊術師さんは昔から武闘家さんに弱い。すごく弱い。

 実は千年間ずっと修行をしていたわけではなく、それなりにゲームの類も嗜んでいたことが判明。本人が基本的に無表情ロリで、逆に対面するプレイヤーの表情は経験と直感で全て読んでくるので、卓上においても最強クラスの実力を誇る。無敵か?

 

 

◆死霊術師さん

・名前 リリアミラ・ギルデンスターン

・年齢 26歳

・職業 死霊術師 ギルデンスターン運送社長→???

 南部ギルド連盟特別理事

・魔法 『紫魂落魄(エド・モラド)

・魔術属性 炎熱

・戦闘における思考 相手が心折れるまで追い詰める

・恋愛における思考 相手に殺してほしい。記憶の中で永遠になりたい

・好きなゲーム 死ねるやつ

 

 今回も好き勝手に暴れ散らかしていた歳上えっちお姉さん。

 魔王を裏切って世界を救ったところで、自分が許されるとは到底思っておらず、いつかは責任を取って死ななければならないし、勇者に殺してほしいと考えている。のほほんとしていてメンタルが強いように見えて……実際にメンタルは強いが、それはそれとして、どこか自罰的な感情も抱えている。

 自分は死ぬまでに何を残せるだろう?と考えた時に、恩人であるアルカウスと同じ仕事がしたいと思い、運送業の道を選んだ。同時に、ルナローゼを秘書として雇い入れ、アルカウスから学んだ仕事のイロハを叩き込みつつ、彼女の独立を助けた。根っこの部分がかなりの世話好きでお人好しなのを隠しきれていない。

 サジタリウス・ツヴォルフの死は、誰もが納得し、受け入れた上での最期だった。願わくば自分もあのように死にたいと、心の片隅で少し羨ましく思っている。

 

 

◆先輩さん

・名前 イト・ユリシーズ

・年齢 24歳

・職業 王都第三騎士団団長 

・魔法 『蒼牙之士(ザン・アズル)

・魔術属性 炎熱・流水

・戦闘における思考 とりあえず斬る

・恋愛における思考 朝起きておはようと笑って、夜眠る時におやすみと安心できる家庭が作りたい

・好きなゲーム 王様ゲーム(酒付き)

 

 黒髪ボブヘア眼帯最強帯刀系騎士団長ドジっ子お姉さん。

 今回も大暴れしまくり、覚醒イベントを挟んでまた強くなった。世界を救う勇者になり得る器は、伊達ではないということだろうか。

 戦闘においては、基本的に『蒼牙之士(ザン・アズル)』ですべてが片付くため単純なゴリ押し……に見えて、要所要所で魔術を差し込んだり、自分の斬撃を味方の攻撃を当てるための陽動にしたりと、相手を観察しながらクレバーに立ち回ることを好む。

 ケーキ入刀、結婚式、新婚旅行を終えたので、そろそろ新居が必要になるだろう。

 

 

◆トリンキュロ・リムリリィ

・名前 カプリコーン・アイン

・年齢 不明

・職業 四天王第一位

・魔法 『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)

    『青火燎原(ハモン・フフ)

    『砂羅双樹(イン・ザッビア)

 

    『意心伝心(ハルトゴート)

 

    『自分可手(アクロハンズ)

    『我武修羅(アルマアスラ)

    『泡沫無幻(インスキュマ)

    『不脅和音(ゼルザルド)

    『因我応報(エゴグリディ)

    『奸錬邪智(イビルマル)

    『猪突猛真(ファングヴァイン)

    『蜂天画戟(アピスビーネ)

    『虎激眈眈(アリドオシ)

    他多数

・魔術属性 ???

・好きなもの 魔王 人の心 戦闘 

・嫌いなもの 勇者 

・戦闘における思考 相手の全力を受けたうえで、自分の全力で叩き潰す

・恋愛における思考 よくわからない

・好きなゲーム 殺し合い

 

 白ロリ幼女戦闘狂サイコパス。

 かつての魔王軍四天王第一位。史上最悪の最上級悪魔。色喰いのリムリリィ。同時に、魔王の最も尊き使徒、第一の山羊。

 第四位のアリエスが工作活動、第三位のゼアートが軍団の指揮、第二位のリリアミラが後方支援を担っていたのに対して、第一位のトリンキュロは率先して先陣を切り、魔王軍の旗印として暴虐の限りを尽くした。

 戦闘においては『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』によって模倣した大量の魔法を使い潰しながら、相手を圧倒する戦術を好む。模倣している魔法の数は、勇者が奪ってきた魔法よりも多い。

 人間になるために、人の心を模倣し、踏み躙り続ける最上級悪魔。模倣した魔法を心の形、心の色として取り込んでいくことで、トリンキュロは自らの魔法をパッチワークのように編み上げ続けている。言動や性格に脈絡がなく、どこか浮ついた言動が多いのもそれが理由。良く言えば様々な一面を持っている、悪く言えば心が安定していない。

 現在の目的は、魔王の意志を受け継ぐこと。

 

 

◆クズヒモカス悪魔

・名前 サジタリウス・ツヴォルフ

・年齢 不明

・職業 ギャンブラー。女のヒモ。馬の応援。遊び人

・魔法 『妄言多射(レヴリウス)

・魔術属性 なし

・好きなもの 友達 ゲーム 競馬 ルナローゼ

・嫌いなもの 労働 女の涙

・戦闘における思考 ない。弱い。そもそも戦いたくない

・恋愛における思考 相手を幸せにしてあげたい

・好きなゲーム 全部

 

 クズヒモカスイケメン悪魔。

 魔王の最も尊き使徒、第十二の射手。

 戦闘においては、まったくもってこれっぽっちも役に立たない。おそらくいない方が良いレベル。しかし、魔法を使った味方への支援に関しては、目を見張るレベルの活躍を見せた。

 アリエスから受け継いだ決闘魔導陣によって、対峙した相手を強引に自分のフィールドに引き込むことができる。盤上の遊戯においては、神憑り的な強さを誇るため、ほぼ負けなし。強い相手との勝負ではテンションがアガるタイプ。

 一人の人間と友情を育み、信頼関係を築き、かけがえのない時間を得た最上級悪魔。その在り方は、世界を救った勇者や、死にたがりの死霊術師にも、深い影響を与えていった。

 

 

◆秘書子さん

・名前 ルナローゼ・グランツ

・年齢 20歳

・職業 社長秘書

・魔法 なし

・魔術属性 なし

・好きなもの やりがいのある仕事 お世話できる社長 尽くし甲斐のある人

・嫌いなもの 自分に隠し事をする人

・恋愛における思考 相手を幸せにしてあげたい

・好きなゲーム お金を賭けないものなら何でも

 

 メガネがよく似合うクールビューティー秘書さん。

 質実剛健かつ慎重できびきびとした性格で、死霊術師さんの事業を支え続けた。ただしわりとドジっ子。わりと素でボケる。真顔でボケをやらかして「え?」とか言うタイプ。

 サジタリウスとは公私共にパートナーと言える間柄で、こちらに関しても互いを支える関係だった。

 自分の心を射抜いていった彼には責任を取ってほしいと思いつつも、彼が幸せな最期を迎えたことに関しては「ずるい人だな」と割り切ることにしている。新たな会社を背負う女社長は、初恋の記憶を自分の宝物にすることにした。



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今回の登場魔法

あけましておめでとうございます。旧アニメ版のハンターハンターで一番味があるセリフはクロロの「ありゃ盗めねーわ」派の作者です。
今年も世救をよろしくお願いします


勇者パーティーの魔法

 

黒己伏霊(ジン・メラン)

 世界を救った勇者の、黒の色魔法。発動条件は対象を殺害すること。殺した相手の名前と魔法を奪い取って、自分のものとする。

 作中では揃えた魔法の数に関する言及はないが、とりあえずトリンキュロよりは少ない模様。コール、というキーワードで魔法と名前を引き出して、使用する。使用する際に必ずしもそれらを呼ぶ必要はないが、いくつか法則と制約が存在するらしい。なお、こういった『黒己伏霊(ジン・メラン)』本来の性質に関しては、やたらと重いことに定評がある魔王の呪いを受けたあとも、変化していない。魔の王の輝きを以てしても、勇者の黒を塗り替えることは叶わなかった。

 いつものことながら、主人公向けの能力ではない。盗賊団の首領ポジの敵キャラとかが使ってそう。

 

哀矜懲双(へメロザルド)

 勇者がジェミニから奪った悪魔法。自分自身、もしくは触れている対象を、視線の先にあるものと入れ替える。今回は勇者の本格戦闘の機会が多かったこともあって、その本領を遺憾なく発揮。死霊術師さんを入れ替えて肉壁にしたり、クソカスヒモ悪魔を肩車してインド映画やったり、ブラザーな親友と祇園精舎の鐘の声なコンビネーションを見せつけたりと、大活躍した。地味に、接触して発動するという魔法の原則を無視した性質を持つ。ジェミニが特別な悪魔だった可能性があるが、真実は闇の中である。

 作劇的にも過労死枠の魔法。これからも勇者くんのメインウェポンとして息の長い活躍を見せてくれるに違いない。

 

泡沫無幻(インスキュマ)

 迷宮にされた魔導師、ベリオット・シセロの魔法。自分自身と触れた相手を『幻惑』させる効果を持つ。

 幻覚系の十八番として、相手を負傷させずに無力化するのがとても得意。今回の章でも殺したくない相手を無力化するのに活躍した。世界を救う前の勇者くんは『黒己伏霊(ジン・メラン)』の性質上、対峙した魔法使いは全員ぶっ殺す以外の選択肢がなかったため、ある意味世界を救った今だからこそ上手く使える魔法だといえる。

 

白花繚乱(ミオ・ブランシュ)

 勇者パーティーの賢者、シャナ・グランプレの白の色魔法。自分自身と触れたものを『増殖』させる効果を持つ。

 今回は戦場が地下であったために、増殖したシャナが魔術を乱射して力押しするといういつもの戦術が使えず、真価を発揮できなかった。逆に言えば戦場の選択から魔王軍四天王であるトリンキュロがメタを張る程度には、世界最強の賢者は厄介な存在だという証明でもある。事実、トリンキュロはシャナに対しては積極的な攻撃を行わず、一人に戻ったタイミングを狙って仕留めにかかった。

 トリンキュロが「きみの魔法を手に入れることは、魔王様の悲願だった」と述べているように、敵味方問わず強力な魔法として認識されていた模様。やはり増えることができるのは強い。

 

紅氷求火(エリュテイア)』 

 勇者パーティーの騎士、アリア・リナージュ・アイアラスの、紅の色魔法。自分自身と触れたものの温度を『変化』させる効果を持つ。

 今回はアリアがトリンキュロに対して全体的にいいところがなかったことに加え、純粋な破壊力に優れる魔法であるからこそ、終始きびしい戦いを強いられた。しかし戦闘中にトリンキュロが言及しているように、単純な魔法のコントロールや精度は昔よりも上がっている。

 トリンキュロ・リムリリィは今回の戦いを通してアリアの心を理解したことで、この魔法を模倣。手札の一枚に、ついに念願の勇者パーティーの魔法を加えた。

 

金心剣胆(クオン・ダバフ)

 勇者パーティーの武闘家、ムム・ルセッタの、金の色魔法。自分自身と触れたものを『静止』させる効果を持つ。

 相変わらず絶対的な防御性能で、戦闘におけるムムの安定感を支える。今回はババ抜きで引かれたくないババのカードを『静止』させて握り込むという、非常にクレバーで子どもっぽい使い方も披露した。さすが、師匠はロリ汚い。

 トリンキュロ・リムリリィが正面から破れなかった二つの魔法として魔王の『輝想天外(テル・オール)』と並べて称するほどに、ポテンシャルが高い。

 

紫魂落魄(エド・モラド)

 勇者パーティーの死霊術師、リリアミラ・ギルデンスターンの、紫の色魔法。自分自身と触れたものを『蘇生』させる効果を持つ。

 今回の章では、イトの『蒼牙之士(ザン・アズル)』に『断絶』されてもお構いなしに蘇生するチートっぷりを見せつけた。あとはいつも通り勇者に肉壁にされたり、デスゲームで無限残機を活かしたゴリ押しプレイをしたりと、やはり生き残ることに関しては圧倒的な性能を有する。

 その反面、決して無敵というわけではなく、間断なく攻撃を叩き込まれ続ければ蘇生が追いつかず、ムムの『静止』などの殺さない無力化に対しても弱い。リリアミラを壁にする勇者の戦術は、あえて相手にリリアミラを殺させることで、そういった無力化を防ぐ理に適ったアプローチ……といえるかもしれない。

 

蒼牙之士(ザン・アズル)

 ステラシルド王国第三騎士団長、イト・ユリシーズの蒼の色魔法。触れたものを『切断』……ひいては『断絶』する効果を持つ。

 リリアミラの『紫魂落魄(エド・モラド)』を切り捨てることこそできなかったが、単純な攻撃性能でいえば現在までに作中に登場した魔法の中で、最も強烈。概念切断、斬撃権能とでも呼ぶべき異常な攻撃力で、トリンキュロが使用した同系色の色魔法すら断ち切ってみせた。ただでさえ強かったのに、勇者と行う「ケーキ入刀」のイメージでさらに魔法の出力を高めており、今後のイト・ユリシーズの妄想にも期待が掛かる。何かがおかしいが、魔法は心の力なのでセーフ。

 魔法は基本的に『自分自身と触れたもの』に効果を及ぼすのが基本だが、その性質上、触れた対象にしか効果を与えないタイプも存在する。自分自身を真っ二つにするわけにはいかないので、イトの『蒼牙之士(ザン・アズル)』もそのタイプ。他には、四天王第三位ゼアート・グリンクレイヴの魔法などがこれにあたる。シャナの『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』も本来、自分に使うことを考慮していないタイプの魔法だったが、努力と頭脳で塗り替えた。さすが天才賢者。

 

紙上空前 (オルゴリオン)

 ステラシルド王国第五騎士団団長、レオ・リーオナインの魔法。自分自身と触れたものを対象に『創作』する効果を持つ。

 アリエス・フィアーの『晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)』やサジタリウス・ツヴォルフの『妄言多射(レヴリウス)』が口述で宣言した事象を禁止、実現するのに対して『紙上空前 (オルゴリオン)』は自身や対象に対応した文章を書き記すことによって効果を発揮する。前者二つの魔法を『口述宣言型』と定義するのであれば『記述干渉型』とでも言うべき魔法である。これら二つの悪魔法と似通った効果を持っている事実が、レオの正体を暗に示している。

 レオがこの魔法に目覚めたのは、騎士学校の卒業直前。時期的には、まだ魔王が存命の頃にあたる。

・『オープン・セフェル』

 魔法起動の合図。使い魔のように自身の周囲を追従する一冊の本を出現させる。この本に後述のペンを用いた書き込みを行うことによって、魔法効果を発揮する。書き込む度にページ数が消費されるため、それが擬似的な魔法の残弾になっている。

・『ペン』

 羽根ペンを模した形の、光の筆記用具。このペンで書き込まなければ『紙上空前 (オルゴリオン)』の魔法効果は発揮できないらしい。魔法の運用上、必ず片手が塞がるため、使用者はほぼ片手で近接戦闘を行える技量を求められる。

・『クイック・プロット』

 ペンによる執筆を挟まず、予め書き込んでおいた内容を即座に発揮する簡易記述干渉。その性質上、相手ではなく自分に効果を及ぼす内容が多い。

・『クイック・プロット・華麗なる回避(スプレンディド)

 予め記述されている文章は、

 「レオ・リーオナインは華麗に敵の攻撃を回避した」

 要するに緊急回避。自分が攻撃を避けた、という描写を予め創作しておくことで、あらゆる攻撃に対する当たり判定をゼロにする。絶対に攻撃が命中する状況でも「レオ・リーオナインは華麗に敵の攻撃を回避した」という結果だけが残るため、基本的にどんな攻撃も、どんな体勢からでも避けることが可能。レオが最も多用するクイック・プロット。

・『クイック・プロット・迅速なる武装(ドレスアップ)

 予め記述されている文章は、

 「レオ・リーオナインは素早く使い慣れた鎧と武器を身に纏った」

 要するに武装の召喚。自分が鎧を着込み槍を手にしていた、という描写を予め創作しておくことで、瞬時にフル武装を展開する。たとえ勇者に合わせてパンツ一丁だった状況からでもレオ・リーオナインは素早く使い慣れた鎧と武器を身に纏った」という結果だけが残るため、どんな全裸からでも鎧を着込むことが可能。これでコンプラも安心。

・『ターゲット・キャスティング』

 相手へ自身の『創作』の対象にする。詳細は不明だがトリンキュロの魔法を一時的に封じた。いくつかの使用上の制限がある模様。

 

獅上空前 (オルゴリオン)

 最上級悪魔、第八の獅子、レオ・アハトの悪魔法。

 魔法効果の詳細は不明だが、完全に死亡していたトリンキュロ・リムリリィを蘇生した。

 

妄言多射(レヴリウス)

 最上級悪魔、第十二の射手にして、勇者パーティーの遊び人、サジタリウス・ツヴォルフの悪魔法。自分自身と触れたものを対象に口述で宣言した内容を『実現』する効果を持つ。

 一見、万能な力に思えるが、この魔法で『実現』できる内容は、起こり得る事象のみ。たとえば、触れた相手に「お前は死ぬ」と宣言してもなんの効果もないが、病を患っている相手に「お前の病気は悪化する」と言えば、それを実現することは可能。あるいは、サジタリウスがもっと残酷な悪魔であれば、より悪辣な使われ方がされたかもしれない。

 賭け事においては、最強に近い魔法。ポーカーで山からカードを引く際「オレの手札にはロイヤルストレートフラッシュが揃う」と言えばそれだけで役が成立し、ババ抜きで「オレはジョーカーを引かない」と宣言すれば絶対に引かなくなる。勇者からメダルを借りてスロットを回した時、一発で当たりを引くことができたのも、この魔法のおかげである。しかし、使いすぎるとゲームがつまらなくなるため、普段の賭け事でこの魔法を使うことはほとんどない。サジタリウスが競馬好きなのは、魔法の影響を受けずに力一杯走るお馬さんを心の底から応援できるからである。そしてだいたい負ける。

 熟練の魔法使いや騎士との戦闘ではだらだらと口述している間に距離を詰められて殺されかねないため、戦闘には不向き。しかし、味方に触れてコンディションを引き上げる支援役としては、これ以上ない力を発揮する。作中でも、勇者のコンディションを全盛期に近い状態まで引き戻し、自分自身が相手に触れることをブラフとして用いたりと、要所を支える活躍を見せた。

 自分の魔法、自分が紡ぐ言葉が、誰かを傷つけるためではなく、誰かを支えるためにあることを知ることができた悪魔は、やはり幸せ者なのかもしれない。

 

晨鐘牡鼓(トロンメルキラ)

 サジタリウス・ツヴォルフが、アリエス・フィアーから借り受けて運用していた悪魔法。自分自身と触れたものを対象に口述で宣言した内容を『禁止』する効果を持つ。

 サジタリウスは他一切の魔術の使用を放棄する代わりに、相手と自分のゲームによる対決を強制する決闘魔導陣と、この魔法をセットで運用。ゲームで負かした相手の様々な行動を『禁止』することで、敗者を強制労働に従事させると同時に、彼らの命をトリンキュロから守った。

 元々の所持者であるアリエスは『食事の禁止』『呼吸の禁止』など悪辣極まる使い方をしていたため、魔法の使い方が使用者によって大きく変化する一例といえるだろう。

 

 

 

トリンキュロ・リムリリィの魔法

 

◆色魔法

麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)

 魔王軍四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィの代名詞とも言える、赫の色魔法。自分自身と触れたものを対象に『模倣』する効果を持つ。

 単純に触れた相手の姿形を『模倣』する変装能力のように使うこともできるが、その本質は勇者の『黒己伏霊(ジン・メラン)』と似通った、他者の魔法のコピー能力。他の魔法に触れ、それを理解し、模倣することで、自分自身の魔法として扱うことができる。トリンキュロ・リムリリィが史上最悪の悪魔として名を馳せた、最大の理由。コピーした魔法を使用する『アニマイミテーション』、コピーした色魔法を使用する『カラーイミテーション』のみならず、それらを独自に合成して新たな魔法効果を生み出す『イミテーションクロス』が、この魔法の真価である。単純な比較はできないが、魔法の数と応用性に関しては、勇者の『黒己伏霊(ジン・メラン)』を凌駕する。

 模倣とは、模して倣うこと。模倣して吸収し、技や術を身につけることは、常に模倣した本物を超えることを目指す。人の体に流れる血よりも濃い赫色には、皮肉にもそれを為せるだけの力があった。

 真なる人を目指す最上級悪魔の進化は、まだ止まらない。

 

砂羅双樹(イン・ザッビア)

 トリンキュロが使う、砂の色魔法。自分自身と触れたものを対象に『同化』する効果を持つ。

 周囲のものを取り込み、自身の手足のように利用する、トリンキュロの基本戦法を支える魔法の一つ。魔法効果の汎用性がかなり高く、後述する『自分可手(アクロハンズ)』と組み合わせて用いることが多い。瓦礫の残骸を同化させて義手にしたり、ドラゴンなどのモンスターに同化して乗っ取って操るなど、その運用は多岐に渡る。

 元々は、砂漠の国の王子が所持していた魔法。その国はモンスターの襲撃が多く、王子がこの魔法でモンスターと同化し、飼い慣らすことでなんとか被害を最小限に留めていた。しかし、生物との同化は普通の人間にとっては、リスキーな行為であり、善良な王子は次第に精神を病んでいく。そんな時に、王子の前に現れたのが、リムリリィと名乗る流れ者の踊り子だった。身分の差も気にせず、自由気ままに振る舞う少女に、王子は自然と惹かれていく。

「君と一緒になれればいいのに」

 その言葉を聞いた踊り子は、フェイスベールの下で薄く微笑んだ。

「貴方になら、食べられても構いませんよ」

 王子は、少女に魔法をかけた。そして、その夜。砂漠の国は一夜にして滅んだ。

 トリンキュロが用いる魔法の中でも、最初期の内に入手した一つ。王子の名前を、トリンキュロはもう覚えていない。

 

青火燎原(ハモン・フフ)

 トリンキュロが扱う、青の色魔法。触れたものを対象に『拡散』する効果を持つ。

 奇しくも、イトの『蒼牙之士(ザン・アズル)』と同系色の魔法だが、その魔法効果は正反対。触れたものを『拡散』させることにより、魔術などの遠距離攻撃を無力化できる。事実、作中ではトリンキュロの防御の要として活躍し、シャナやサジタリウスの援護射撃を寄せ付けなかった。トリンキュロが勇者に負けてから、新たに入手した魔法なので、使い始めてから日は浅い。

 元々は、生まれつき病を患う少女が所持していた魔法。少女の魔法の才能を見抜いたトリンキュロは、友達として近づき、その最期を看取るまで足繁く見舞いに通い続けた。部屋の中に置かれた水瓶に触れ、様々な形の波紋を浮かべて時間を潰す。そんな彼女の癖を、トリンキュロは無意識の内に引き継ぎ、暇を持て余した時に繰り返している。窓枠の中から見上げる青空の美しさに、悪魔は価値を見いだせなかった。少女の名前を、トリンキュロはもう覚えていない。

 

紅氷求火(エリュテイア)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものの温度を『変化』させる効果を持つ。

 今回の戦いにおいて、トリンキュロが得ることができた明確な戦利品。『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』はあくまでも相手の魔法を模倣するだけであるため、元の所持者も存命であれば、変わらず魔法を行使することができる。ただし、複数の魔法を組み合わせて独自に発展させるトリンキュロが、オリジナルを凌駕する可能性は十分にある。

 

 

魔法

自分可手(アクロハンズ)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『形成』する効果を持つ。

 色魔法ではないが、それに到れる可能性があった魔法の一つ。攻防共に応用の幅が広く、周囲のものを『砂羅双樹(イン・ザッビア)』で取り込んだあとに使いやすい形に『形成』し直して腕や武器として用いるのは、トリンキュロの戦闘の十八番。手足を平気で使い捨てるトリンキュロの体を継ぎ接いで修復する、回復魔法としての役割も兼ねる。

 元々は、女性の陶芸職人が所持していた魔法。彼女が作る陶器はその魔法効果も相まって、どれも素晴らしく美しい出来栄えだったが、彼女本人の容姿は美しいものではなかった。想い人に気持ちを伝えるか迷う彼女の前に表れたのは、男が望む可憐さをそのまま形にしたような、悪魔の少女だった。

「自分の顔、自分で作り直してみれば?」

 悪魔の提案に乗ってしまった彼女は、美しく作り直した顔で想い人に会いに行くが、彼の反応は想像とは真逆のものだった。

「誰だ、お前」

 彼が見てくれていたのは、自分の外見ではなく、自分の心の美しさだった。そのことに気付いた時にはもう遅く、彼女の前には契約を迫る悪魔の姿があった。稀代の名工と謳われた彼女の名前を、トリンキュロはもう覚えていない。

 

我武修羅(アルマアスラ)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『強化』する効果を持つ。

 自分自身の肉体を強化する他、武器などの強度を上げることも可能。トリンキュロの近接格闘の強さを支える魔法である。単純に他の魔法と組み合わせることで、魔法の出力を強化することも可能。

 元々は、流れ者の傭兵が所持していた魔法。いくつもの戦場をさまよい歩いていた彼は、信じられないほど美しい悪魔の少女と出会った。そして、少女の足元には夥しい数の死体が転がっていた。

「手合わせを」

「名前とか聞かないの?」

「不要」

 望むのは、強者との戦い。命を落とすその時まで自分の生き方を貫いた彼の名前を、トリンキュロはそもそも聞かなかった。

 

奸錬邪智(イビルマル)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『軟化』させる効果を持つ。

 触れたものを軟らかくしてクッションにする他、踏み込んだ足場を軟らかく反発させることで、即席のトランポリンのように扱うことも可能。鎧を着込んだ相手に対しては、打撃と同時に鎧を軟らかくすることで衝撃を通したりと、攻防共に隙のない優秀な魔法。

 元々は、女性の道化師が所持していた魔法。誰にでも好かれる、柔らかく優しい雰囲気を持つ彼女と、トリンキュロは親交を深めていった。人間関係には恵まれていた彼女は、しかし金銭的に困っていた。

「その魔法があれば、扉とかもやわらかくできるから、どこにでも入れるね」

 たった一つの悪魔の囁きは、彼女の良心を蝕むには充分だった。彼女は投獄され、己の行いを後悔しながら、悪魔に喰われた。笑顔を忘れた道化師の女性の名前を、トリンキュロはもう覚えていない。

 完全に余談だが、初期勇者くんに持たせるか迷っていた魔法の一つ。大まかに覚醒したどこぞの麦わらみたいな戦い方ができる。

 

猪突猛真(ファングヴァイン)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『突進』させる効果を持つ。

 単純に自分自身に魔法効果を付与して、前方へ突撃する速度を引き上げる他、相手に向けて投擲したい岩や矢などを強引に投げつけることもできる。ただし、どこぞの盗賊の魔法とは違って必ず当たるわけではないため、回避はそれなりに容易。まさに猪突猛進といったところ。

 元々は、地方を守護する騎士が所持していた魔法。トリンキュロに向けて真っ直ぐに求婚した彼の在り方は実直そのもの。トリンキュロもその気持ちを受け入れ、そのまま捕食した。裏表のない好意を向けてくれた彼の名前を、トリンキュロはもう覚えていない。

 

蜂天画戟(アピスビーネ)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『回転』させる効果を持つ。

 自身の肉体に『回転』という運動エネルギーを加えることができるのが、最大のウリ。前転、バク転といったアクロバティックな動作も『回転』の概念に加えられるので、近接戦におけるトリンキュロの身のこなしは、特に読みにくいものになっている。あるいは色魔法に届き得る魔法だったが、使い手がその可能性に至る前に、トリンキュロが魔法を自分のものにしてしまった。

 元々は、魔術の研究者が所持していた魔法。彼は自分の魔法と合わせて、新しい魔術の研究を行っていたが、理解者を得られずに、苦しんでいた。そんな彼に助手として近づいたのが、トリンキュロである。

「通常の魔法と色魔法の違いは、何だと思う? リムリリィ」

「なるほど。あなたは少し、知りすぎたね」

 魔法の本質に迫った彼の名前をトリンキュロはもう覚えていないが、彼の研究内容は興味深かったので、記憶の片隅に残っている。

 

不脅和音(ゼルザルド)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『衝撃』を与える効果を持つ。

 打撃と同時に、不可視のインパクトを浴びせるのが、基本的な運用。致命打には成り得ないが、相手の防御を崩すために、トリンキュロは好んで用いている。

 元々は、貴族のピアニストが所持していた魔法。トリンキュロと親交を深めた彼は、たとえ悪魔が相手でも音楽を通じてわかりあえると信じ、新しい曲を作って贈った。

「うん。きみの気持ちは嬉しいけど、やっぱりこういう芸術のことはよくわかんないや」

 今際の際に自分を口汚く罵る彼の叫びは、トリンキュロの心に不協和音として残った。彼の名前をトリンキュロはもう覚えていないが、彼から贈られた曲は今でも演奏することができる。

 

虎激眈眈(アリドオシ)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『麻痺』させる効果を持つ。

 単純に相手を麻痺させて動きを封じる他、自分自身の痛覚を麻痺させて痛みをなかったことにしたりと、意外と細やかな使い方ができる魔法。『我武修羅(アルマアスラ)』と組み合わせて使えば、どんな強者でも一方的に動きを止められる。

 元々は、奴隷商人が所持していた魔法。暴力と魔法で奴隷たちを一方的に虐げる彼の元に、トリンキュロは自身も売り物となって潜り込んだ。殺される前に、殺さなければならない。支配されないためには、支配するしかない。夜のベッドの中でそんな言い訳をうわ言のように繰り返していた彼の名前を、トリンキュロはもう覚えていない。

 

因我応報(エゴグリディ)

 トリンキュロの使用する魔法の一つ。自分自身と触れたものを対象に『復元』させる効果を持つ。

 非常に強力な魔法で、壊れた武器やものを復元するのはもちろん、傷ついた自分の体すら元通りに癒やしてしまう。ただし、使用には制限があり、三分間のインターバルが必要。全身が魔法という凶器の塊であるトリンキュロを三分間に二度殺すのは極めて困難だが、勇者パーティーは見事にそれを成し遂げた。

 元々は、とある地方領主が所持していた魔法。魔王が殺され世界が救われた後、トリンキュロは本来の目的と並行して、勇者を殺せる魔法を探しながら、各地を彷徨い歩いていた。正体を明かしたトリンキュロを前に、領主は膝を折って即座に降伏の意を示した。

「戦おうとは思わないの?」

「思わない。あなたに勝てるとは思っていないからだ」

「死ぬのがこわくないの?」

「こわい。しかし、私が死ぬのを恐れて抵抗することで、私の民の命が失われる方が、もっと恐ろしい」

 心も魔法も、あなたにすべて捧げる。だから、民の命は救ってほしい。

 トリンキュロは領主と契約を交わし、彼の命と魔法だけを奪って、その土地から去っていた。領主の名前は忘れてしまったが、その土地に咲く花がとてもきれいだったことを、トリンキュロはよく覚えている。

 

 

『イミテーション・クロス』

 トリンキュロが使う合体魔法。合成魔法とも呼ばれる。二つの魔法を同時に起動することにより、その魔法効果を自身、もしくは接触対象に向けて重ね掛けする。

 

猪突蜂天(ファング・ビーネ)

 猪突猛真(ファングヴァイン)蜂天画戟(アピスビーネ)

 遠距離攻撃を意識した合成魔法。自身の指先を弾丸のように撃ち出し(突進させ)、着弾した内部から回転させて破壊する。

 

虎激修羅(アリアスラ)

 虎激眈眈(アリドオシ)我武修羅(アルマアスラ)

 相手の捕縛を意識した合成魔法。単純に虎激眈眈(アリドオシ)の麻痺効果を我武修羅(アルマアスラ)で強化することで、威力を引き上げている。

 

紅氷青火(エリュテイア・ハモン)

 紅氷求火(エリュテイア)青火燎原(ハモン・フフ)

 広域殲滅を意識した合成色魔法。色魔法同士の組み合わせは、通常の魔法の合成に比べて難易度が高い。紅氷求火(エリュテイア)で加熱した自身の周りの空気を青火燎原(ハモン・フフ)で一気に拡散。周囲に熱波を撒き散らす。

 

 

 

悪魔法

意心伝心(ハルトゴート)

 トリンキュロのもう一つの側面。最上級悪魔、第一の山羊、カプリコーン・アインが使用する悪魔法。『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』が四天王第一位の魔法であるなら、こちらは最上級悪魔であるトリンキュロが本来持つ魔法である。

 その魔法効果は自分自身と触れたものを『理解』すること。トリンキュロが『麟赫鳳嘴(ベル・メリオ)』の模倣を最大限に利用できるのは、この魔法のおかげといえる。魔法を模倣する際、トリンキュロは対象への接触の手段として、口吻を好む。

 

 

 

今回登場しなかった魔法

輝想天外(テル・オール)

 魔王が所持していた、光の色魔法。無色透明の力。

 複数回に及ぶ戦闘を経験した勇者パーティーですら、その魔法効果の全容を把握することは叶わず、確認されているだけでも、

・傷が回復する

・海が割れる

・攻撃の軌道を捻じ曲げる

・天候を操作する

などの効果があった。

 魔王が世界を滅ぼすきっかけを作った、最強の魔法。天の外より人の輝きを想う彼女の真意は、遂に明かされぬままだった。



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勇者と死霊術師・エンドレスゲーム

「これであの女も終わりですね」

「一緒に世界を救った仲間に向けるセリフじゃないよ、それ」

 

 新聞を読みながらほくそ笑む賢者ちゃんに向けて、おれは思わず突っ込んだ。天才と毒舌がウリとはいえ、さすがにあまりにもあんまりな物言いである。

 死霊術師さんとの駆け落ちからはじまったあの事件から、一週間後。ようやく、新聞を広げて茶をしばける程度には、いつもの日常が戻ってきた。しかし死霊術師さんとは、釈放された後に会う時間を作れていない。一連の出来事の後始末で忙しいことくらいは、さすがに想像がつく。

 

「ほらほら、勇者さんも読んでください」

「はいはい、わかったわかった。わざわざ魔法で増やさなくていいから」

 

 おれに読ませるためだけに『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』を使って新聞を増やしてるあたり、悪い意味で賢者ちゃんのテンションが上がっているのがわかる。死霊術師さんの失脚がそれだけ嬉しくて仕方ないのだろう。本当に仲間か? 

 個人名が表記されている箇所を、おれは当然読むことはできない。が、大まかに内容をまとめると、死霊術師さんの社長職の引退と、運送会社の今後が危ぶまれる、と報じられていた。

 

「死霊術師さんが金と権力を握っているのは、私としても目障りでしたからね。結果論とはいえ、こうして表舞台から消えてくれるのは、非常に助かります」

 

 だから、セリフが悪役のそれなんだよなぁ。

 いつものローブを脱ぎ捨ててソファーに寝転がり、ニコニコと天使のような笑顔を浮かべている賢者ちゃんは、まるで幸せに満ちた猫のようである。まあ、猫は他人の不幸を喜んだりはしないけど。

 しかしながら、毒舌で性格の悪い賢者ちゃんとは違って、おれは死霊術師さんが会社を起ち上げるに至った流れを今回知ってしまったので、どうにも後味が悪い。おれから金を借りて、会社の株式を買い戻したところで、一連の駆け落ち騒動や、幹部の一部が最上級悪魔と繋がっていた事実が消えるわけではない。それは、仕方のないことだとは思うが……

 

「ていうか、死霊術師さんの運送会社って今じゃもう結構な規模だったよね?」

「それは認めざるを得ませんね」

「そんな会社がなくなると、これからの物流に支障が出るんじゃない?」

「問題ありませんよ。しばらく多少の混乱はあるでしょうが、設備や人材は様々な会社に散っていくはずです。経済とはそうやって回っていくものですよ。いくら不死身でも、今回ばかりはどうしようもないでしょう!」

 

 滅多にお目にかかれないイキイキとした表情で、言葉を紡ぐ賢者ちゃんはもう放っておいて、おれは背後を振り返った。

 

「師匠も、新聞読みます?」

「ありがとう。でも、必要ない」

 

 ソファーでくつろいでいるおれと賢者ちゃんとは対照的に、黙々と片手で腕立て伏せをしていた師匠は、こちらを見もせずに言い切った。

 

「癪な話だけど、あいつはこの程度じゃ、死なない」

「はい? それはどういう」

「言葉通りの、意味。勇者はまだまだ、修行が足りない」

 

 師匠の言葉の意味を問い返す前に、部屋の扉が勢いよく開いた。

 入ってきたのは、赤髪ちゃんと騎士ちゃんである。

 

「勇者さん! 大変です!」

「これ! ちょっとこれ! 早く読んで!」

 

 普通よりも薄い紙面は、どうやら発行されたばかりの号外記事らしい。

 だが、おれはすでに号外記事で駆け落ちをすっぱ抜かれ、でっち上げられた男。今さら何を書かれたところで、驚くことは何もない。

 

「…………はあ?」

 

 そのはず、だった。

 食い入るように、紙面に目を走らせる。

 

「や、やりやがった」

 

 名前がわからなくても……否、名前がわからないおれでもわかるその見出し記事の内容は──

 

 

 

 ◆

 

 

 

 『ギルデンスターン運送、勇者運送として、再出発』 

 先日、ギルデンスターン運送の社長職から辞任することを発表したリリアミラ・ギルデンスターン氏は、社の名前を「勇者運送」と改め、新たなスタートを切ることを表明した。

 経営幹部陣との摩擦が囁かれていたリリアミラ氏は、実際に社の中で株式の独占とそれに伴う不正があった事実を、先日公表した。それに伴い、ギルデンスターン運送は解体の説が濃厚であったが、それに待ったをかけたのが、リリアミラ氏と死線を共にした、勇者様の一言であったという。

「国内の物流は、経済を回す血液。ギルデンスターン運送は、他国との架け橋を繋ぐ、翼である。ステラシルドの飛躍を担う一翼を、こんな形で失うわけにはいかない」

 勇者殿は私財を投げ打ち、ギルデンスターン運送を支援。これに感銘を受けたリリアミラ氏は、深い反省と自戒の念を込めて、我が国の英雄の名を社名に刻むことを決意したという。

「経営幹部の裏切りに合い、失意の底にあったわたくしは、すべてを投げ出して逃げ出してしまいました。しかし、そんなわたくしを探し出し、引き戻してくれたのが、他ならぬ勇者さまだったのです」

 かつての仲間に向けて、勇者様はこう述べた。

「逃げるな。あなたの責務を果たせ」

 勇者様とリリアミラ氏の関係については誤報であることは先日報じられた。しかし、世界を救ったパーティーの絆が健在であった証明は、我々ステラシルドの国民にとっても、喜ばしい限りだろう。

 なお、リリアミラ氏は新たに勇者運送の会長に就任し、これからも国内外を問わず物流の発展に尽力していく意志を、強く表明した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 新調した執務室の中で、リリアミラ・ギルデンスターンは上機嫌に鼻歌を口ずさむ。

 社名が刻まれたネームプレートの真新しい冷たさを、指先で撫でて、確かめる。

 元々、ギルデンスターンという家名に愛着はなかった。

 ミラさん、と。彼に名前を呼んでもらうのは好きだったけれど、それはしばらくお預けだ。

 だったら代わりに、彼の呼び名を拝借するくらいはいいだろう。

 再出発に合わせた社名の変更には、幸いなことに国王陛下も乗り気だった。色々ともみ消したいことが多かったリリアミラとしては、願ったり叶ったりと言う他ない。

 ギルデンスターン運送から、勇者運送へ。

 

「ええ、いいですわね。こちらの方が、儲かりそうです」

 

 人は、いつか死ぬ。

 世界を救った勇者も、例外ではない。

 銅像を立ててその勇猛さを讃えたとしても、錆びて朽ちていくことは免れない。

 書物の中でその足跡が紡がれたとしても、失われてしまえば意味がない。

 けれど、名前は死なない。

 人々が忘れない限り、記憶の中で生き続ける。

 死にたがりの自分が、彼の名を生かす。

 なんとも皮肉な話だが、しかしその皮肉が、今のリリアミラにとっては、存外に心地いい。

 そして、なによりも。

 自分が積み上げてきたものの中に、勇者の二文字を刻み込んでおく、というのは。

 

「ふふっ」

 

 彼のことを独占しているようで、心が踊った。

 目を閉じて、リリアミラは革張りの椅子の背に、体重を預ける。

 今夜は少し、よく眠れそうだ。

 

「死霊術師さん! 死霊術師さんっ!? おい開けろ! おれは金は貸したけど名前を貸したつもりはないぞ!?」

「はやくここを開けなさいクソ女! なにを勝手に勇者さんの名前使ってんですか!?」

「面倒だから、蹴破っていい?」

「燃やそうよこの扉。燃えるよ。木だもん。燃やしていいかな?」

「駄目ですお二人とも!? この扉高そうですよ! 弁償になったら誰がお金払うんですか!?」

 

 ……いや、今夜はやはり、眠れなさそうだ。

 目を開けて、リリアミラはやれやれと息を吐く。

 部屋の中を見渡すと、社の再出発を祝う贈答品や花が山のように積み上げられている。

 その中で一つだけ、デスクの上に飾ったもの。

 小さく、簡素だがしっかりとした造りのゲームボードに手をやって、死霊術師は微笑んだ。

 吹けば飛ぶような小さな会社に相応しい、祝いの品。

 差出人は、言うまでもない。

 せっかくの新たな門出の日である。こういうゲームを楽しみながら、穏やかに過ごしたいところだが……彼らは受けてくれるだろうか?

 無理な気がする。

 まあ、仕方ない。

 そもそも、今さら勝負をするまでもなく、結果はもう出ている。

 可愛い秘書を育て上げ。

 恩人との契約を完了し。

 悪魔との盟約を果たし。

 駆け落ちごっこを楽しんで。

 カジノで豪遊した上に。

 彼の名前を手に入れた。

 リリアミラ・ギルデンスターンは、勢いよく扉を開き、愛すべき仲間たちを迎え入れた。

 

「ご機嫌よう、みなさん。社長から会長にランクアップした、わたくしですわ〜!」

 

 ──今回のゲームは、自分の勝ちだ。




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
「国内の物流は、経済を回す血液。ギルデンスターン運送は、他国との架け橋を繋ぐ、翼である。ステラシルドの飛躍を担う一翼を、こんな形で失うわけにはいかない」←言ってない
「逃げるな。あなたの責務を果たせ」←言ってない
言ってないことをたくさんでっちあげられた上に、名前を使われた。今回の敗者

賢者ちゃん
死霊術師さんにまた一枚上手をいかれた

騎士ちゃん
木は燃える。みんな知ってるね?

武闘家さん
なんだかんだこの程度じゃ死霊術師さんが死なないことは理解していたが、それはそれとしてムカつくので一発殴る。

死霊術師さん
ギルデンスターン運送社長→勇者運送会長(NEW!!
今回のゲームの勝者



死霊術師さん編、今度こそ完


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世界を救った賢者の決別
もしも自分がもう一人いたら


新章です。よろしくお願いします
二巻を読んでいない方はそのまま普通にお楽しみください。
二巻をすでに読んでる方は「ああ、はいはい読んだ読んだ……なんだこの話!?」となってください


 もしも自分がもう一人いたとして。

 自分と違うものを食べて、自分とは違う経験をして、自分と違う人と出会って。

 それは果たして、自分と同じ人間と呼べるだろうか?

 なんとなく気になって、シャナ・グランプレは、パーティーメンバーに尋ねてみたことがある。

 

「自分がもう一人いたらどうしますか?」

 

 パーティーの突撃隊長である姫騎士。アリア・リナージュ・アイアラスは、腕を組んで空を見て、たっぷり返答までの時間を取ってから、答えた。

 

「お姫様やって責任を取る自分と、気ままに騎士をやってる自分に分かれて、役割分担するかなぁ」

 

 穏やかな一国の姫君と、領民を守る苛烈な騎士。置かれている立場的にも、そして元々の性格的にも、明らかな二面性を持つ、彼女らしい返答だった。

 

「でもそれ、お姫様やってる方のアリアさんが割を食うというか。ちょっと不公平じゃありませんか?」

「んー、でも結局、シャナが言ってるそれってどっちもあたしなわけでしょう? だったら、自分の選択とか責任とか、そういう選んだものに迷いはないかなって。あたしが二人に増えたら、絶対やれることは増えるしね」

「なんか、ちょっと大人っぽいですね」

「お。シャナもようやく、あたしが頼れるお姉さんであることに気がついたかな!?」

「はいはい」

 

 次に。

 パーティーを見守る立場でありながら最強に近い立ち位置を確立している、見た目だけは幼い武闘家。ムム・ルセッタはその見た目通りに、無邪気に目を輝かせて言った。

 

「すごい。わたしが二人いたら、常に二人で、組手ができる……!」

「いや、そういう話をしてるんじゃないんですよ。質問の意図を理解してくれていますか?」

 

 千年近い時間を生きているはずの拳聖は、やはりどこまでいっても修行のことしか頭にない、生粋の格闘家であった。

 

「でも、シャナ。相手がいない鍛錬と、相手がいる鍛錬は、得られる経験値に雲泥の差がある」

「いやまぁ、たしかにそれはそうかもしれませんが」

「あと、一人で修行してる時よりも、寂しくない」

「ムムさん。結構一人でふらふらしてるイメージあるんですけど、寂しくなったりする時ってあるんですか?」

「もちろん、ある。十年くらい一人で修行してると、かなりさびしい」

「時間の感覚がちょっと理解できませんね……」

 

 さらに次に。

 パーティーの回復役兼盾役兼武器兼財布である死霊術師。リリアミラ・ギルデンスターンは特に悩む素振りも見せずにあっけらかんと言い切った。

 

「どうするというか。そういう結果に落ち着きそうという予想になってしまうのですが。魔王様に味方するわたくしと、勇者さまに味方するわたくしに分かれて、敵味方になって殺し合う気がしますわね」

「うわ」

「うわってなんですの。うわって」

「ドン引きしてるんですよ」

 

 考え得る限りの最悪の返答であった。魔王軍の四天王をやっていた頃からろくな女ではないことを理解はしていたが、蘇生の力を持った魔法使いがそれぞれにいる争いなんて、想像したくもない。血で血を洗う地獄絵図と化すに決まっている。

 

「いやでも、考えてみてください。人生には重大な選択を迫られる、運命の分かれ道とも言える瞬間があります」

「魔王の部下になったり、魔王を裏切ったりですか?」

「ええ、ええ! まさしくその通り! 魔王様を裏切って、勇者さまの味方をしたのが、今のわたくしです! ですが当然、そこで裏切りという決断をしなければ、魔王様に忠誠を誓い続けたわたくしもいたはずでしょう?」

 

 そういったもしもの可能性を現実にできるなら、してみたい、と。死霊術師は言っていた。

 

「あと単純に、勇者さまに捧げるわたくしの愛と、魔王様への愛! 同じわたくしで、どちらの愛が上か勝負できるではありませんか!? 楽しそうだと思いません!?」

「ミラさん。とにかくあなたという存在は一人いれば充分だということがよくわかりました」

 

 最後に。

 パーティーを率いるリーダーである勇者にそれを聞くと、にこやかに笑顔で言い切られた。

 

「二人で世界を救いに行くかな」

「最高につっまんねー返答がきましたね」

「そこまで言われることある?」

 

 シャナがばっさりと切り捨てると、彼はしゅんと肩を落として項垂れた。リーダーの威厳も何もあったものではなかったが、わりとこれが平常運転なのがこのパーティーのおもしろいところであった。

 

「でも、おれ勇者だしなぁ。世界を救わなきゃいけないしなぁ。おれが二人いれば、単純に考えて世界を救うスピードと助けられる数が二倍になるわけでしょ?」

「子どもでももう少しマシな計算しますよ。頭の中お花畑ですか?」

「さっきからなんでそんな辛辣なの?」

 

 しかし、口ではそうは言ったものの。自分がもう一人いたら、迷わず一緒に世界を救いに行くと断言するのは、なんとも彼らしいとシャナは思った。

 

「あ。もう一個。やってみたいことあった」

「なんです?」

「せっかくなら、もう一人のおれと戦ってみたい」

「その発想。ほとんど武闘家さんと同じですよ」

「まじで?」

「はい」

「そっかぁ」

 

 彼はバツが悪そうに頬をかきながら笑った。

 

「まあ、弟子は師匠に似るって言うし」

「そんなところまで似られても困るんですよね」

 

 どうしてこう、このパーティーにはバトルジャンキーしかいないのだろうか。

 

「まあ、最初から『  』さんの答えに期待はしてませんけどね」

「ひどいなぁ」

 

 軽く笑った彼は「でも、それなら」と言葉を繋げて、今度は質問を投げる側に回った。

 

「おれが答えたから答えてほしいんだけど、シャナはどうなんだ?」

「ええ……実際に増えることができる私に、それを聞きますか?」

「だからこそ聞くでしょ」

「……そうですね。まあ、私がもう一人いたら……」

 

 せっかくなので、反撃と言わんばかりに顔を近づけて。小声で耳打ちをすると、勇者は目を丸くしてシャナを見た。

 その顔が、なぜかとてもおもしろくて。笑ってしまったことを、今でも覚えている。

 それはまだ、勇者が魔王を倒して、世界を救う前。

 シャナ達が彼の名前を呼んで、彼もシャナ達の名前を呼べた頃。

 勇者が、自身の名前と、大切な人々の名前を失う前のことだった。

 

 

 

 

「で、赤髪ちゃんは大丈夫なの?」

「え、何がですか?」

「いや、ほら。この前、魔王のあの雷撃魔術とか使ったじゃん? なんかこう、体に悪影響とかないのかなって」

 

 午後の昼下り。俗に言うおやつタイム。

 自分が紙面に載っているファッション雑誌を満更でもなさそうにニコニコと眺めていた赤髪ちゃんは「ああ、なんだそんなことか」と言わんばかりに、ゆったりと頷いてドーナツを手に取った。

 

「大丈夫です! わたしは全然元気です! 一日一発撃つくらいなら、何の問題もありません!」

「うーん」

 

 大丈夫なのだろうかそれは。

 ドーナツを美味しそうに頬張る天真爛漫な女の子が、ともすれば世界を破壊しかねない力を持っているというのは、なんとも不安がある。

 口の端にドーナツの食べかすをつけながら、次の一個を手に取った赤髪ちゃんは、こてんと首を傾げた。

 

「試しに今日の分、撃ってみましょうか?」

「スナック感覚で世界を滅ぼす力を振るおうとするのやめなさい」

 

 試しに、じゃないんだよな。普通に我が家が吹き飛びかねない威力があるからやめてほしい。マジで。

 ていうか、この前は非常事態で仕方がなかったとはいえ、そんな危ない力をほいほい使うのは、この子の保護者としてはちょっと認められない。

 

「実際どうなの、賢者ちゃん。赤髪ちゃんの雷撃魔術って、なんか使ってて体に悪影響とか、そういう心配はないの?」

 

 一個のドーナツを四つに切り分けて、さらにその切り分けた四つの内を一つをちまちまとつまんでいる賢者ちゃんは、おれの質問に対してあからさまに顔を歪めた。

 

「けっ。相変わらず勇者さんは過保護ですね」

「いや、だってさぁ」

「私にもわかりませんよ。雷撃魔術は、稀代の天才であるこの私が、その運用理論の基礎すら解き明かせていない魔術なんですから」

 

 自己評価がすこぶる高いことに定評がある賢者ちゃんだが、常に自信満々でドヤ顔しているだけあって、魔術に関してはトップクラスのスペシャリストだ。身内贔屓になってしまうかもしれないが、この世のすべての魔導師の中で、五指には確実に入るだろう。

 その賢者ちゃんがわからない、使えないと言っているものを、赤髪ちゃんは使えてしまうというのだから、その才能の凄まじさは、簡単には推し量れないものがある。

 

「赤髪ちゃんは雷撃魔術、どうやって撃ってるの?」

 

 おれが聞くと、両手にドーナツを装備して一口ずつ交互に楽しもうとしていた赤髪ちゃんは、一旦それを皿に置いて、わざわざこちらに向き直ってくれた。

 

「えっとですね。まずぐーっと力を貯めて、それをばーっと広げます」

「うん」

「広げたばーっを、ぴゅっとして、きゅーいんともう一回貯めます。ここでぴゅっとするのがわたし的にはポイントです」

「ふむふむ」

「そして、ぴゅっしたヤツに目掛けて満を持して! ドバーンをズドーンです!」

 

 うん。すごいかわいいけど、なんもわかんねえや。

 

「ちっ。これだから本当にイヤになるんですよ、感覚派ってヤツは。それを、共有できるレベルまできちんと言語化する努力ってものをしてほしいですね」

「ぼやいてるわりには賢者ちゃんなんかめっちゃメモってない?」

 

 いつの間にか一人増えた賢者のもう片方がペンを握り、さらさらとノートに筆を走らせている。

 ぐーっやばーっやぴゅっやドバーンやズドーンといった擬音ががメモられていたらどうしようかと思ったが、少し覗き込んでみると、おれには理解し難い専門用語がわんさか書き込まれていた。

 うん。なんかすごそうだけど、なんもわかんねえや。

 

「はーい。おかわりのドーナツ揚がりましたよーっと」

「ありがとうございます騎士さん!」

 

 台所から戻ってきた騎士ちゃんが、ドサァ!と山盛りのドーナツをテーブルの上に置く。

 赤髪ちゃんは目を輝かせたが、二人の賢者ちゃんは「うへえ」と顔をしかめた。

 

「いや、私もうお腹いっぱいなんですけど」

「大丈夫です、賢者さん! わたしが食べます!」

「あ、はい」

 

 賢者ちゃん二人分の食欲が赤髪ちゃん一人に劣ることが一瞬で証明されちまったな。

 

「ていうか、賢者ちゃんももっと食べなよ。大きくなれないぞ」

「こんな油と糖分の塊を摂取して大きくなるのは腹回りくらいのものですよ」

「あ、勇者くん。小麦粉切れそうだったから補充しといたよ。あと、卵も」

「ありがとう騎士ちゃん」

 

 どうでもいいけど、この前の一件から騎士ちゃんがウチの台所に来る機会が増えたというか、なんかもうウチの台所事情を大まかに掌握されつつある気がする。

 

「ドーナツが油と糖分の塊なのは、紛れもない事実。でも、おいしいのも事実」

「そうですね師匠」

「ええ。特に騎士さまの揚げるドーナツは、専門店に勝るとも劣らぬ絶品! わたくしも最近は美容の観点からこういったものは食べるのを控えているのですが、ついつい手が伸びてしまいますわねー」

「あんたは金払えよ」

 

 師匠には頷き、死霊術師さんには罵詈雑言を投げかける。

 この前の事件では散々巻き込まれた上に好き勝手やられたので、おれはしばらく死霊術師さんには厳しくいくことに決めている。

 

「ああ、そういえば勇者さま。お借りした資金、もうお返ししておきましたので」

「え、早くない?」

「わたくし、たとえ身内であってもビジネスが絡むお金のやりとりはきちんとしておきたいタイプなのです。あ、多少返済額には色をつけておきましたので」

 

 言いながら、死霊術師さんは通帳に記された入金の履歴をおれに見せてきた。

 

「……」

 

 なんか、うん。

 めちゃくちゃ増えてる。

 

「え、これ」

「それは返済の利子であると同時に、勇者さまの名前をお借りして事業を再出発させたわたくしからの、ほんの気持ちだと思ってください。もちろん、今後も勇者さまの口座へ定期的に入金させていただきますので」

 

 おれの顔を真正面から見つめ、手を合わせて。

 死霊術師さんは、極めて優秀な仕事のできる女の顔で、問いかけてきた。

 

「ドーナツ代も払いましょうか?」

「死霊術師さん」

「はい」

「今日はいっぱい食べていってね」

「はい!」

 

 騎士ちゃんと賢者ちゃんがゴミカスを見るような目で見てくるが、仕方ない。おれは勇者だが、札束で頬を叩かれると負けることもある。

 いやあ、うれしいなぁ。

 とりあえず今回増えた分は孤児院に寄付するとして、今後も定期的な収入が約束されちまったし、なんかデカい買い物とかしようかな。自家用船とか。

 

「そういえば勇者さん。今日はどうしてみなさんお揃いなんですか?」

 

 一通りお腹を満たして、思考がドーナツ以外にも向くようになったのだろう。赤髪ちゃんの質問に対して、おれはその答えになる紙を差し出した。

 

「あー、ちょっと陛下から『依頼(クエスト)』を受けてね」

「くえすと! だからみなさんに声をかけたんですね!」

「そういうこと」

 

 赤髪ちゃんの顔が、ぱっと輝く。冒険大好きっ子の血が騒ぐのだろう。

 思えば、あのダンジョンの一件以降は、全員で出かける機会というのをなかなか作れていなかった。まだ依頼の詳細はわからないが、陛下曰く「それなりに大きな仕事で、遠出してもらうことになるだろう」とのことだったので、赤髪ちゃんにとっても良い気晴らしになるはずだ。

 気にし過ぎかもしれないが、雷撃魔術の詳細についても旅の中でそれとなく見ておきたい、という気持ちもある。

 

「やっぱり過保護ですね」

「はは。なんのことやら」

 

 賢者ちゃんがさっきとまったく同じ言葉を吐き捨てる。

 ジト目を二人分に増やして向けてくるのはやめてほしい。

 

「まあ、いいでしょう。それで、多忙極まるこの私をわざわざ呼び出すほどの依頼の内容は、一体なんなんですか?」

「それは直接、依頼人から聞くことになってる。ウチに来てくれるってことだったから、そろそろ来ると想うんだけど」

「陛下を通して依頼を寄越してきたとなると、それなりに地位のある人物でしょう」

「へー、どっかの王様とかかもね」

「騎士ちゃんもお姫様だけどな」

「いずれにせよ、世界を救ったパーティーを顎で使おうとは、良い度胸ですね。早くその面を拝みたいものです」

 

 と、言っている側から、控えめに扉をノックする音が響いた。

 

「お、きたきた。はーい、今開けます」

 

 扉を開く。

 

 

 

「あは〜。来ちゃった」

 

 

 

 ものすごく間延びしていて、ゆったりとした、しかし、聞き覚えしかない声が、そこにあった。

 一切の露出がないにも関わらず、その微笑みだけで見惚れてしまうそうになる色香が、そこにあった。

 そして、それらの懐かしさと甘さと美しさをを上回る、たしかな恐怖が心を貫いた。

 反応は顕著だった。

 騎士ちゃんの背筋が、一瞬ですっと伸びる。

 二人の賢者ちゃんが、まったく同じ動作でソファーの上に正座する。

 師匠が、目を丸くして魔法も使っていないのに、動きを止める。

 死霊術師さんが、青ざめて震え出す。

 赤髪ちゃんだけが、何食わぬ顔のまま、ドーナツを頬張っていた。

 

「やっほ〜。みんなひさしぶりだねぇ……元気だった?」

 

 全身から吹き出る冷や汗を拭いたい気持ちをぐっと堪えて。

 おれは、声が震えないように細心の注意を払いながら、再会の言葉を紡いだ。

 

「……おひさしぶりです。『聖職者(プリースト)』さん……」

「あは〜。ゆうくん、声震えてる。かわいい」




こんかいのいらいにん

聖職者さん
ぷりーすとさん。今まで名前とセリフしか出てこなかった最後の元勇者パーティーメンバー。垂れ目で語尾が伸びてるタイプの天然美人さん。胸がでかい。死霊術師さんが加入するまでは、勇者パーティーをシメていた。


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勇者と聖職者さん

 勇敢。勇猛。命知らず。向こう見ず。狂暴。

 世界を救った勇者を評する言葉はいくつか存在するが、その多くを簡潔にまとめるのであれば「勇気に満ち溢れているが危機感が著しく欠如している、すぐに突撃する狂人」という評になる。

 そして、この評価はおおよそ間違いではない。

 戦いの経験を積むまで。あるいは賢者として魔術を研鑽し、知識を蓄えたシャナ・グランプレが合流するまで。勇者の戦いは、突進と突貫と突撃が基本であった。

 後に、何度死んでも生き返らせることができる死霊術師、リリアミラ・ギルデンスターンがパーティーメンバーとして加わったことで、そんな勇者の悪癖を軸とした戦術は、良くも悪くも完成を迎えてしまったわけだが。当然、リリアミラが加入するまで世界を救う勇者は、死ぬことが許されなかった。

 故に、無理と無茶と無謀を繰り返す彼を、その聖職者は決して死なせなかった。

 勇者が無理をすれば、言い聞かせて叩き伏せる。

 勇者が無茶をすれば、説き伏せて殴り飛ばす。

 勇者が無謀をすれば、叩き伏せて殴り飛ばした上で、ベッドに縛り付ける。

 世界を救った勇者の半生を綴った書物はいくつか存在するが、そのすべてには、一つの共通した記述がある。

 曰く──

 

「人間が死ぬのは、一度だけ。命は、神様からお借りしたものなんだよ〜」

 

 ──翡翠(ひすい)の聖女の祝福がなければ、勇者は世界を救えなかった。

 

 

 

◇◇

 

 

 

「えー、本日は大変お日柄もよく、聖職者さんとの再会を祝うのに相応しい日和で……」

「あは〜、つまんない挨拶だ〜」

 

 おれの心を込めた再会の言葉は、穏やかな笑顔にばっさりと切り捨てられた。

 聖職者さんは、美人である。

 人間の顔の印象の大部分は、大抵の場合、髪型で決まる。聖職者さんは頭巾を被り、白布(ウィンプル)でほぼ首から顎までぴったりと肌を隠しているので、その特徴的な髪色すら一切わからない。逆に言えば、人間の顔の印象の大部分を決定づける髪が見えなくても、聖職者さんの顔立ちはまるで神様からの贈り物のように、整っていた。

 繰り返しになるが、聖職者さんは美人である。

 そして、これはおれの持論なのだが、美人の完璧な笑顔ほど、こわいものもない。

 

「ゆうくん、焦った時に出てくる言葉が取ってつけたようになるの、相変わらずだねぇ。曲がりなりにも、世界を救ったゆうしゃさまなんだから、表面上だけでもさらっと口を回せるようになっておいた方がいいよ〜」

「はい。すいません」

「素直でよろしい。よしよししてあげよう〜」

「はい。ありがとうございます」

「でも、わたしとひさしぶりに会って焦ったことは認めるんだぁ?」

「はい。あ、いや。ちがいます。ちがうんですよ。べつにほら、焦ってるとかそういうのはないです。ほんとです」

 

 こわいよー。

 再会三秒後の会話の中でダメ出ししながら言質取ってくるのめちゃくちゃこわいよー。

 こてん、と聖職者さんがわざとらしく首を傾げる。首元に下げている教会の紋章をあしらった質素なペンダントが、左右に揺れた。

 

「ゆうくん、そんなにおねーさんと会いたくなかった?」

「い、いえ。決してそんなことは」

「ざんねーん。ゆうくんが会いたくなくても、会いに来ちゃいました〜!」

 

 決して、強い力ではない。

 純白のロンググローブに包まれた細い手のひらが、おれの手をやさしく包み込む。

 そして、聖職者さんはおれを上目遣いに見て、唇を尖らせた。

 

「できれば、自分から会いに来てほしかったけどね」

「……」

 

 言葉も触れ合い方も、とてもやさしい。やさしいのに、顔から噴き出る冷や汗が止まらない。

 頼む。誰か、ハンカチをくれ。

 

「勇者さん、なんだかたじたじですね」

「そりゃあそうだよ。勇者くん、聖職者さんには頭が上がらないもん」

「なるほど。尻に敷かれている、ということですね!」

 

 おれの後ろで、赤髪ちゃんと騎士ちゃんが好き勝手なことをほざいている。

 まったく、女の子が尻に敷くとか軽々しく言わないでほしい。おれが聖職者さんに頭が上がらないのは事実だけれども。

 

「あは〜、じゃあ『   』はおねーさんに反抗できるってことかな〜?」

「うぇ!? いや、そういうわけじゃなくて……」

 

 聖職者さんのやさしい瞳が、騎士ちゃんを標的に定めた。

 おれがだる絡みされているから、自分は大丈夫だと安心しきっていたのだろう。慌てて立ち上がった騎士ちゃんは、最敬礼しそうな勢いで頭を下げた。

 

「うそうそ。『   』と会うのもひさしぶりだね〜。立派に領主やってるって聞いてるよ」

「はい。ありがとうございましゅ!」

 

 噛んでるよ。緊張しすぎて噛んでるよ。しっかりしてくれお姫様。

 急に話を振られてあたふたし始めた騎士ちゃんを見て、聖職者さんはゆったりと微笑んだ。おれと一緒に突撃上等無茶万歳の突撃戦術を繰り返していた騎士ちゃんを「女の子がそんなに生傷作っちゃダメだよ。ていうか脳みそ付いてるんだからもっと頭使って戦いなよ〜」と優しく諌めてくれたのが、聖職者さんである。なので、騎士ちゃんは聖職者さんに頭が上がらない。

 その視線が、隣に移動する。

 

「『   』ちゃんの噂も、こっちにまで轟いてるよぉ。今は王都で学長先生やってるんだよね。すごいなぁ。おねーさんとしても、とっても鼻が高いな〜」

「ありがとうございます」

 

 にこにこの笑顔が添えられた褒め言葉に対して、賢者ちゃんは謙虚に感謝の言葉を述べた。ただ緊張しているだけともいう。

 王都での修行を経て、クソ生意気なメスガキになって戻ってきた賢者ちゃんを「反骨心は勉学の原動力だね。でも、最低限の礼儀くらいは弁えようか」と、優しく正座させていたのが聖職者さんである。なので、賢者ちゃんは聖職者さんに頭が上がらない。

 

「『  』さんは相変わらずちっちゃくてかわいいね」

「うむ。ありがとう」

 

 腕を組んだまま、師匠は答えた。雑な褒め言葉に相応しい、雑な応対だった。まあ、昔からこの二人はこんな感じである。

 そして、もう一人。

 

「あは〜。どこ行くの? 『        』」

「ひ、ひぃ!?」

 

 おれたちがそれぞれ絡まれている間にこっそりリビングから逃げようとしていた死霊術師さんを、聖職者さんはただの一声でその場で釘付けにした。

 床に、染みが生まれる。言うまでもなく、死霊術師さんの顔から滴り落ちた冷や汗である。

 武闘家さんにしばかれている時よりも焦りと恐怖を滲ませて、我がパーティーの回復担当は振り返った。

 

「い、いえそのなんというか……みなさん、元パーティーメンバー同士で旧交を温めたいかなぁ、と思いまして。わたくしのようなお邪魔虫は、空気を乱さぬために退散しておこうかな、と! どうぞわたくしにはお構いなく!」

 

 すげえよ。

 究極の自尊心の塊みたいな死霊術師さんが、自分のことを「お邪魔虫」って言ってるよ。

 しかし、おれから離れた聖職者さんは、死霊術師さんにつかつかと歩み寄った。

 

「そんなに気にしなくてもいいのに〜。『        』はゆうくんに置いていかれたわたしと違って、最後までちゃんとパーティーの一員として活躍したんだから」

 

 おっと。急に死霊術師さんと合わせておれを刺してきたな。

 こわすぎて心臓の鼓動が止まりそうだから、本当にやめてほしい。

 

「相変わらず、死にたがりやってるのかな? わたしが()()()()()()()から、もう自爆はできないと思うけど」

「あ、あ……! ひ、ひぃぃ! 触らないで! わたくしに触らないください!?」

「大丈夫だよ〜。もう敵じゃないからイジらないって〜。ほれほれ〜うりうり〜」

「ひぃいあぁぁ……」

 

 ねっとりと、嬲るように。聖職者さんの指先が、死霊術師さんの下腹部を撫でて、そのまま這い上がっていく。消え入りそうな声で悲鳴を絞り出しながら、死霊術師さんの顔色は青を超えた真っ青になっていた。

 まだ敵だった頃の死霊術師さんが自分の体に炎熱系術式を仕込んで、悪の四天王として自爆しまくっていた時期に、その戦術に対抗していたのが、聖職者さんである。厳密に言えば、死霊術師さんの無力化は師匠が担当し、聖職者さんは捕縛した死霊術師さんの身体の解析を受け持っていた。全身を静止させられてもふてぶてしい態度を崩さなかった死霊術師さんに対して「あはっ。死んでも生き返るなんて、ほんとに命の冒涜みたいな魔法だねえ。心の底から気に喰わないなぁ。死んじゃえばいいのに〜」と、あれこれしながら絶叫をあげさせていたので、死霊術師さんは普通に聖職者さんとその魔法がトラウマになっている。

 まあ、そもそもの話。敵に回った時の聖職者さんはいろいろと()()()()()()()()をするので、死霊術師さんが怖がる気持ちも、とてもよくわかる。

 

「ちょっと勇者さん!? どうして目隠しするんですか!?」

「いや、赤髪ちゃんにはちょっとまだ早いかな〜って思って」

 

 なんだかえっちな雰囲気なってるからね。仕方ないね。

 

「というか、わたしは納得できません!」

「赤髪ちゃん?」

 

 おれの目隠しを跳ね除けて、赤髪ちゃんはビシィ! と聖職者さんを指差した。

 

「聖職者さん! 勇者さんは、人の名前を認識できない呪いを浴びてるんです! だから、勇者さんの前で皆さんの名前を呼ぶのは」

「知ってるよ〜」

「え?」

 

 死霊術師さんの身体を一通り弄んで満足したのだろうか。

 聖職者さんは、自分に向かって抗議してきた赤髪ちゃんの頭を、子どもをあやすように撫でた。

 いつも穏やかな印象を受ける黄金色の垂れ目がすっと細くなって、赤い唇が弧を描く。

 

 

「だから、わざとやってるの〜」

 

 

 再び、おれに向き直って。

 今度は、手のひらだけでなく、おれの体をぎゅっと抱き締めて。

 

「ほんとに、みんなの名前、わからなくなっちゃったんだねえ」

 

 噛み締めるように呟いた。

 おれが聖職者さんに頭が上がらないのは事実だけれども。

 が、その実態は陛下の時とは少々異なる。

 聖職者さんは、おれの三人目の仲間だ。

 騎士ちゃんも賢者ちゃんも、おれも含めた今のメンバーの全員がまだ経験の浅い未熟者だった時期に、たくさん助けてもらった。師匠が加入したあとも、パーティーの回復役としてみんなのことを支え続けてくれた。

 死んでも生き返らせてくれるのが、死霊術師さんなら。

 死んでも死なせないようにしてくれたのが、聖職者さんだ。

 だが、おれたちと聖職者さんの別れは、決して穏やかなものではなかった。様々な事情があったとはいえ、おれたちは聖職者さんを置き去りにし、新しい仲間として死霊術師さんを迎え入れて、冒険の旅を続けた。

 だから、うらまれても仕方がない。

 だから、数年間会えなかった。

 背伸びして、顎をおれの肩にのせて。

 耳元で、聖職者さんはなによりも生温い声音で、囁いた。

 

「ねー。ゆうくん……わたしを置いて、世界を救いに行くから、こんなことになっちゃうんだよ〜」

 

 はい。いやもう、本当にすいませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど〜。魔王を倒したのはいいけど呪いでみんなの名前がわからなくなっちゃって、なんとなく気まずくなって距離をとって一年間何の解決策も得られずにふらふらしてたけど、かわいい女の子に助けを求められたからひさびさにちょっと気力が戻ってきて、人助けの時しかやる気が出ない、ゆうくんの勇者っぽい生き方が復活したわけだね〜」

 

 騎士ちゃんが淹れてくれたお茶を飲み、賢者ちゃんを隣に座らせてヨシヨシしつつ、師匠を膝の上にのせて愛でながら、死霊術師さんを足置きにして寛いで、聖職者さんはおれの現状を端的にそう評価した。

 すごい。フルボッコである。もう言い訳の余地がないくらいボコボコにされてる。正直ちょっと泣きそうだ。泣いてもいいかな? 泣かせてください。心がつらいです。

 

「ゆうくんってほんとに、自分の行動理由に他人を置きたがるよね〜」

「はい」

「そこはゆうくんの良いところだけど、同時に悪いところでもあるんだよ〜。人間っていうのは、本来もっと自分本位な生き物だからね〜」

「はい」

「あは〜。ちゃんとおねーさんの言ってること、わかってる〜? はい以外の返事が聞きたいな〜?」

「すいません」

「謝れって言ってるんじゃないんだよ〜?」

「はい。すいません」

 

 聖職者さんは、その仕事柄と魔法の特性も相まって、恐ろしいほど観察眼に長けている。

 聖職者さんのやさしい笑顔に、多くの人は惹かれるが、それは食中植物が虫に向けて垂らす疑似餌に近い。甘い微笑みを投げかけ、温かい言葉を与えながら、爬虫類にも似た黄金色の瞳は、いつもこちらをじっと観察している。

 だから、やわらかい声で紡ぐ言葉の数々は、常に人の心の真理を突く。

 さらに、一般の信者を相手にするならともかく、聖職者さんはおれたちに容赦をすることはない。

 そして、人間は本当のことを言われると泣きそうになる弱い生き物だ。

 

「勇者さん……泣かないでください!」

 

 隣でドーナツの残りを咀嚼している赤髪ちゃんにも心配される始末である。

 ていうかこいつすごいな、聖職者さんのプレッシャーを前にしてまだドーナツ食えるの? 

 

「それで、ゆうくんはこれからどうするの〜?」

「どうする、というと……?」

「あは〜。やっぱり何も考えてない〜」

 

 圧迫面接でもここまで圧迫されねえよってくらいの圧迫感を与えながら、聖職者さんは問いかけの意味を重ねてきた。

 

「ゆうくんはもう、世界を救った勇者さまでしょ〜? 実績があって、立場があって、世界中の人を信仰を集める存在になってるわけなのだよ〜。きっと、ゆうくんが知らないところで、いろんな人の思惑が勇者っていうシンボルを求めて巡っているよ。それは良いことかもしれないし、悪い企みかもしれないね」

 

 世界を救った勇者としての自覚を持て。

 これは、陛下にも口酸っぱく言われたことだ。

 

「今のゆうくんは、多分浅く満ち足りてる状態だと思うんだよね〜」

「浅く、満ちてる……」

「そう。ぐっすり眠って、おいしいものをたくさん食べるのは、とっても幸せなことだけど〜。でも、寝て食うだけで毎日を生きるなら、それは獣の生き方と変わらないよ〜。わたしたちは人間だから、いつもどう生きるかを考えきゃいけない生き物なんだよね〜」

 

 おれの隣で、赤髪ちゃんが激しく咽た。

 多分「寝て食うだけ」の部分がめちゃくちゃ刺さったのだろう。おれを詰めながら赤髪ちゃんまで刺してくるのが、聖職者さんの言葉のキレである。

 

「おねーさんが昔から言ってることだけど〜。どう生きるかっていうのは、どう変わりたいかってことだと思うんだ〜」

「……はい」

 

 聖職者さんの言葉は、いつも人の心の弱い部分を突く。

 けれど、決してそれを馬鹿にしたり、傷つけたままにはしない。

 

「たとえ話になっちゃうけどね〜。もしも自分がもう一人いたら、なんでも好きなことができちゃうでしょう〜? でも、わたしたちは賢者ちゃんみたいに白の魔法を持ってるわけじゃないから、なんでもかんでもたくさんは選べないよね〜」

 

 賢者ちゃんを猫をいじり倒すようにぐりぐりと撫で回しながら、淡々と言葉が紡がれる。

 やわらかく、やさしく、あたかかく、あまい。

 聖職者さんの言葉には、じんわりと心に沁み入る、不思議な魅力がある。

 

「ゆうくんは、世界を救うためにいっぱいがんばったから。だから今度は、本当に自分がやりたいことを探していいんだよ〜。王国で要職に就いてもいいし、孤児院を立てて子どもたちのお世話をしてもいい。いっそぜーんぶなげだして、あてのない放浪の旅に出るのも、楽しそうだよね〜」

 

 だから、聞き入ってしまう。

 だから、魅了されてしまう。

 

「もちろん、呪いを解く方法を探してもいい」

 

 騎士ちゃんが淹れてくれたお茶を机の上に置いて。

 賢者ちゃんを撫でる手を離して。

 膝の上に置いていた師匠を横に移動させて。

 足置きにしていた死霊術師さんを蹴飛ばして。

 立ち上がった聖職者さんは、ぐるりとおれの横にまで回って、座ったままのおれの頭をやさしく包んでくれた。

 

「さっきは、いじわる言ってごめんね。本当にすごいよ、ゆうくんは。魔王を倒して、世界を救って、たくさんがんばったね」

「聖職者さん……」

「よしよし」

 

 人の心の、一番弱い部分に寄り添う。

 聖職者さんには、そんな不思議な力がある。

 

「えらいよ。ゆうくんはえらい。わたしが保証してあげる」

「……」

 

 普通なら。

 甘えていいのだろうか、とか。

 寄りかかっていいのだろうか、とか。

 人間は他人に頼る時、無意識にそういう自己問答のブレーキが掛かる。

 でも、聖職者さんは違う。

 気がついたら、甘えさせられていて、寄りかかってしまっている。

 そんな聖職者さんの不可思議な力は、きっと恵まれた外見でも、あたたかい声音でもなく、言葉を紡ぐ心に宿っているものなのだろう。

 

「……聖職者さん、おれ」

「でもやっぱり、何も考えずにふらふらしてるのはダメだと思ったから、今日はおねーさんがゆうくんのやりたそうな仕事を持ってきてあげました〜!」

 

 ずっこけた。

 ちくしょう。良い空気になったと思ったら上げて落とされた。

 

「はいはい。やりますよ。やればいいんでしょ、やれば」

「あは〜。素直な子が一番好き〜!」

 

 話がきれいにまとまってしまったところで、赤髪ちゃんがおれの脇を軽くつついた。

 

「あの、勇者さん」

「ん」

「聖職者さんはその……何をされていた方なんですか?」

 

 なるほど。

 たしかに、初対面の赤髪ちゃんにとっては、目の前でニコニコしている聖職者さんは「すごい正論を笑顔で叩きつけてくる得体のしれないこわいきれいなおねーさん」みたいになっているだろう。

 騎士ちゃんはお姫様だ。

 賢者ちゃんはエルフだ。

 師匠は不老の仙人だ。

 死霊術師さんは、社長……じゃなくて、今は会長だ。

 そういう端的な説明を、聖職者さんに関してするならば……

 

「強いて言えば……『神様』かなぁ……」

「は?」

 

 比喩ではない。

 誇張でもない。

 おれが世界を救った勇者で、赤髪ちゃんが世界を滅ぼそうとした元魔王なら、

 

「聖職者さんはね……大陸最大の宗教国家で、神の遣いとして崇められていた人なんだよ」

 

 聖職者さんは、かつて現人神(あらひとがみ)だった。

 多分、その意味を理解できていない赤髪ちゃんに向けて、聖職者さんは口元で手を合わせて、微笑んだ。

 

「あは〜。おねーさん、昔はかみさまやってました〜」




こんかいの登場人物

勇者くん
聖職者さんによしよしぱふぱふされてまんざらでもない男
聖職者さんからの呼ばれ方は「ゆうくん」

騎士ちゃん
もっと狂犬じみていた時代に、聖職者さんにたくさんシバかれた。
聖職者さんからの呼ばれ方は「アリア」

賢者ちゃん
もっとメスガキじみていた時代に、聖職者さんにたくさんシバかれた。
聖職者さんからの呼ばれ方は「シャーちゃん」

武闘家さん
とくにシバかれてはおらず、聖職者さんからマスコットのように可愛がられていた。
聖職者さんからの呼ばれ方は「ムーさん」

死霊術師さん
魔王軍四天王だった時代に、聖職者さんにめちゃくちゃ殺されていた。同時に、身体をイジられたり拷問されたりしている。
聖職者さんからの呼ばれ方は「ギルデンスターン」

聖職者さん
ゆるふわ正論叩きつけカリスマ恐怖おねーさん。
瞳の色は黄金色。髪色は濃い茶髪。普段はシスターっぽい頭巾とウィンプルで隠れているが、背中から尻までかかるパーティー屈指のロングヘアである。ただし、勇者くんくらいにしか見せない。
勇者くんたちとは海岸線に行かなかったアラバスタ編のビビみたいな別れ方をしてしまったため「置いていかれた」という認識になっている。かつては大陸最大の宗教国家で女神として崇められていた。
人の心を読み解くのが得意で、シャナやリリアミラとは完全に別のベクトルで、弁舌が立つ。気がつけばその温かさに惹き込まれ、溺れている。


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勇者と聖職者・ファーストコンタクト

 人を神様にする最も簡単な方法。

 それは、信仰を集めることだ。

 翡翠の聖女、ランジェット・フルエリンが神になるための養育を受け始めたのは、彼女が五歳の頃である。

 翠の色魔法が発現すると同時にその力に目をつけたとある教団は、まだ幼い少女を信仰の旗印にするため、徹底的な英才教育を施した。食事、睡眠、教育。少女を取り巻くすべてを管理し、少女に影響を与える可能性のある不純物は意図的に取り除かれる環境の中に閉じ込めた。

 籠の中の鳥、という例えすら生温い環境の中で行われたのは……人に愛されるための人格の形成。

 人の目を引く、所作を作る。人の感情を惹きつける、視線を作る。人の心を掴む、話術を作る。普通の人間が普段、当たり前に行っているコミュニーケーションを、人を無意識に惹き付ける高いレベルで、習熟させる。

 少しずつ、しかし意図的に『民衆に愛されるたおやかな修道女』の造形を、気の遠くなるような毎日の繰り返しによって、繊細で汚れのない硝子細工のように仕上げていく。

 あるいは、年頃の少女なら逃げ出してしまうかもしれないその日々に、ランジェットはしかし平然と適応してみせた。

 

 彼女の心が、()()()()()()()()()()からだ。

 

 人々から信仰を集める最も簡単な条件は、彼らに奇跡を見せること。そして、魔法とは須らく、人が望む奇跡の再現である。常識を覆す異能。魔術とは根本から異なる、超常の力こそが、魔法。

 なによりも都合の良いことに。翡翠の聖女、ランジェット・フルエリンの魔法は、彼女を神の遣いとして認識させるのに、十分過ぎるほどの力を伴っていた。

 ランジェット・フルエリンの魔法が『救済の奇跡』として広く知られるようになった頃。後に勇者と呼ばれることになる少年が教会にやってきたのは、本当にただの偶然だった。

 

「魔王軍の四天王と、小競り合いがあったようです。教団も襲撃を受けましたが、現地の冒険者の彼らが身を呈して庇ってくれました。ぜひ、彼らにも奇跡の加護を」

 

 魔法による加護の祝福は、基本的に信者しか受けることができない。しかし、その経緯を仲介役の神父から聞いたランジェットは、ゆったりと頷いて微笑んだ。

 

「感謝いたします。勇敢な冒険者よ。どうぞ、前へ。私の手を取ってください」

 

 言葉を受けて、土と汗と血に塗れた少年が、顔を上げる。

 後悔と悔しさが、多分に滲んだ表情だった。

 

「……自分は結構です。それよりも先に、彼女の治療をお願いできますか?」

 

 お姫様抱っこの形で抱え込んだ金髪の少女を差し出して、少年はまた頭を下げた。仲間に対して、どこまでも献身的な姿勢だった。

 顔を隠していたヴェールの前を引き上げて、ランジェットは金髪の少女の傷を見る。腹部に裂傷。右足と左腕が折れている。頭部にも大きな外傷が見て取れた。

 体温が下がりつつある、その身体に触れる。

 このまま放置していれば、間違いなく死に至る重傷。治癒魔術のスペシャリストが持てる技術の全てを駆使しても、全治数週間は掛かるだろう。

 

「身体の力を、抜いてくださいね……『翠氾画塗(ラン・ゼレナ)』」

 

 しかし、ランジェットの魔法ならば、一瞬で終わる。

 滴り落ちる、血の流れが止まる。縫わなければ塞がらないはずだった外傷が、跡も残さず消滅する。荒かった少女の呼吸が、やわらかなものに戻る。

 目の前で立証された聖女の奇跡に、少年は大きく目を見張った。

 

「もう大丈夫ですよ」

「これは、魔法ですか?」

「ええ。この身に、我らが主より授けられた、奇跡の力です」

 

 目を見開いたまま、少年は驚愕で塗り固められたように、動かなくなった。

 いつもと同じ反応だ。ランジェットは、内心で薄く溜め息を吐いた。自分の魔法の力を目の当たりにした人間は、大なり小なり、こんな顔を見せる。

 最初は、救ってくれたことへの感謝で満ちていた表情は、すぐに理解できないものを見る恐れに塗り替わり、やがて頭を垂れる崇拝に書き換わる。

 とはいえ、恐れを抱かせてしまっては、ろくな治療もできない。ランジェットは少年の警戒心を解くためにやさしく手を伸ばして、語りかけた。

 

「恐れる必要はありません。さあ、あなたにも奇跡の加護を……」

「その魔法、欲しい!」

「ひゃあ!?」

 

 自分から、がっしりと。少年は自ら手を伸ばして、ランジェットの手袋に包まれた手を、力強く掴み取った。

 礼を失した少年の行動に、周囲が大きくざわつく。

 今、この少年はなんと言った? 

 まさかとは、思うが。

 恐れ多くも、浅ましく。

 我らが主の奇跡を「その魔法、欲しい」などと、宣ったのか? 

 驚きで跳ねかけた胸の内をなんとか鎮めて、ランジェットはなぜか目を輝かせている少年に向けて、優しく言葉を紡いだ。

 

「欲しい、という言葉は、あまり穏やかではありませんね。身勝手な強欲は、常に争いの種になります。あなたにそのつもりがなくとも、周囲の人々からいらぬ反感を買うかもしれませんよ?」

「す、すいません。失礼しました」

「興奮するのは、わかります。主の奇跡を目の当たりにすれば、驚くのも無理はありません。いかがでしょう? もしもあなたが、より深い主の慈悲の側に身を置きたいというのなら、我々と共に……」

「あ、そういうのは大丈夫です」

 

 入信の誘いをあっさりと蹴り飛ばして、少年は無邪気に笑った。

 

「だって、アリアを助けてくれたのは、あなたの魔法ですよね? べつに、神様の力じゃない」

 

 たった一言で、この場にいる全員を敵に回しかねない、劇物のような発言。

 ただの一言で、少年はランジェット・フルエリンが最も触れられたくない、核心の一つを突いた。

 

「おれ、魔王を倒して、世界を救いに行きたいんです。これから先の旅路で仲間を失わないためにも、あなたみたいな回復に特化した魔法使いがいてくれると、とても心強い。無理で急なお願いであることは、もちろん理解しています。ですがどうか、おれの仲間になってくれませんか?」

 

 あまりにも馬鹿げた提案。厚かましい願いだった。

 ざわり、と。剣呑な気配が、さざ波のように広がっていく。

 しかし、身構えた周囲の人間達を片手で制したのは、他ならぬランジェットだった。

 

「あなたのお気持ちは、嬉しく思います。しかし、この身は地の底に眠る我らが主の代行。あなたのためだけに、私の力を振るうわけにはいかないのです」

「……それはつまり、あなたは神様だから。だから、おれ個人に力を貸すわけにはいかない、と。そういうことですか?」

「まあ、そうなりますね」

 

 まだ年若い少年らしい。そのたどたどしい解釈に、ランジェットは再確認するように、ゆっくりと頷いた。

 

「なるほど。それなら、一つ質問があります!」

 

 ランジェット・フルエリンが、後に勇者と呼ばれる少年と出会ったのは、本当にただの偶然だ。

 誰かが仕組んだわけでもない。彼が、自ら望んで自分に会いに来たわけでもない。

 しかしだからこそ、今になってランジェットは思う。

 

 

 

「あなたを人間に戻せば、おれの仲間になってくれますか!?」

「……はぁ?」

 

 

 

 あの日の出会いは紛れもなく、自分にとって、奇跡だった。

 

 

 ◇

 

 

「船の試験飛行?」

「あは〜。そうなの〜」

 

 死霊術師さんの頬を爪先でつついて遊びながら、聖職者さんはおれに向けて書類の束を差し出した。

 

「なんかすごい船ができたらしいんだけど〜、ゆうくんがそれに乗って〜、いい感じに処女航海してもらって〜、勇者が乗った船っていう泊をつけよう〜みたいな?」

「なるほど」

 

 すごくふわふわした説明だったが、説明のふわふわした部分は書類に目を通して補完することしよう。

 

「あと、ゆうくんはこれから『勇者』っていう肩書きが一つの武器になるから、それを活かした仕事とか、社会での役割を模索していった方がいいと思うのです〜」

「あ、はい。ありがとうございます。いやもう、本当に仰る通りだと思います」

「だから今回の依頼はこういうのがいいかな〜って、おねーさんが選んでみました〜」

「うす。ありがとうございます。誠心誠意務めさせていただきます」

 

 ふわふわしてない釘を刺されたので、居住まいを正してすべてを受け入れる。

 しかし、聖職者さんの隣で賢者ちゃんが「けっ……」と鼻を鳴らして、肩を竦めた。

 

「そのためだけに私達をわざわざ全員集めるとは、随分と御大層な依頼ですね」

「あは〜」

 

 賢者ちゃんの毒舌に、聖職者さんの首がぐるんと回り、その目が光る。

 

「おねーさんは純粋に疑問なんだけど〜、ゆうくんが引き籠もっている間、みんなは何してたの〜?」

「まって聖職者さん! いや、あたしたちもいろいろ考えていたんだよ!? ほんとだよ!?」

「私は王国内での権力の掌握を目的に立ち回りつつ、地盤固めに動いていました。そこの引きこもり勇者さんとは違ってきちんと先を見据えて行動しています。だから私のことは怒らないでください。お願いします」

「修行、してた」

「わたくしは椅子です。足置きです……」

 

 おかしい。

 おれのパーティーなのに、聖職者さんがトップみたいになってる。あと、約一名に関してはなんか家具になりかけている。ていうか、賢者ちゃんはおれを貶めながら自己保身に走るのをやめてほしい。

 話を変えるために、書類のページを捲る。

 

「それにしても、飛行船ねえ。ドラゴンはそう簡単に調教できないはずだけど、何に引かせるの?」

 

 空輸という概念を作り出したのは何を隠そう、今はそこで足置きをやっている死霊術師さんである。

 魔術を用いた安定した自立飛行は、すべての魔導師の悲願とも言っても過言ではない。ただの浮遊や自由落下ならいざ知らず、空中を自由自在に駆け抜ける魔導術式は、未だにこの世界に生まれていない。

 

「ドラゴンは使わないよ〜」

「え?」

「ちゃんと書類は最後まで読んでほしいなあ」

 

 聖職者さんの指先が、テーブルの上に置かれていたメモ用の紙を器用に折り畳む。それこそ、紙を折り込むように、テキパキと。唇が、滑らかに言葉を紡ぐ。

 

「人間は、空を飛べない。魔術に頼っても浮くことが限界だし、奇跡に縋っても実現できるとは限らない。神様に頼んだとしても、空を自由に飛ぶことって、やっぱり難しいよね〜」

 

 昔は神様だった人が「神様に頼んだとしても」という言い回しを使うあたり、もう確信犯だ。

 

「でも、人の努力や技術の積み重ねって……時々そういう常識を全部、えいやって飛び越えちゃうことがあるんだよ〜」

 

 書類を捲る。

 端的に言ってしまえば、そこに描かれていたのは飛行船の設計図だった。詳しい構造や理屈はわからない。しかし、その図面の中には、魔力石を動力源にした炉があり、自ら風を受けるための帆や羽があった。

 ドラゴンの力を借りる、飛行船もどきではない。本当に、自らの力だけで空を駆ける、翼を得た船。

 

「ゆうくん、昔からそういうの好きでしょ〜?」

 

 部屋の片隅に飾ってある、いくつかの船の模型を指して、聖職者さんはそう言った。

 おれがもう()()()()を使えないことは理解しているだろうに、聖職者さんは出来上がった紙飛行機を「ぶーん」と。手で飛ばす仕草をしてみせながら、美人の横顔が朗らかに破顔する。

 なんとなく、あの二人目の盗賊と船のレプリカを思い出して、おれも釣られて笑ってしまった。

 

「まあ、きらいじゃないよ」

 

 空の旅。なるほど、悪くない。

 ちょっとだけご機嫌斜めな聖職者さんと、ひさびさに冒険するには、それくらい荒唐無稽な方がおもしろいだろう。

 




実はコミックコロナさんにて、本作のマンガがはじまりました

https://to-corona-ex.com/comics/138024458977370

みなづき先生に、勇者くんも赤髪ちゃんもかっこよくかわいく描いていただいております!無料で読めるので、よかったらぜひ読んでいってください〜!!
ちなみに一話の見どころはどのコマでもめちゃくちゃ食べまくってる赤髪ちゃんです。いっぱいたべるきみがすき


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聖職者さんVS賢者ちゃん

 予想していたよりも小さいな、というのが正直な感想だった。

 これから乗り込む船を見上げて、おれは呟いた。

 

「へえ。これがほんとに飛ぶんだ」

「飛ぶらしいよ〜」

 

 善は急げ、ということでやってきた造船所にて。おれたちはパーティー全員で揃って、これから乗り込む船を見上げていた。

 

「実物を見るとやっぱり違うなあ」

「わくわくするよねぇ〜」

 

 隣でうきうきと体を弾ませる聖職者さんの胸元が、大きく揺れる。おれはちらりと横目でそれを見て脳裏に焼き付けた。地厚い法衣を着込んでいるのに、相変わらず大きいなというのが、正直な感想だった。

 

「ゆうくんはやっぱり大きい方が好き?」

「まあ、これから貨物や人員の輸送に使っていくなら、やっぱり大きい方がいいかなって。まだ試験段階なら、このサイズでも仕方ないかなって思うけど」

「あは〜。男の子ってほんと、大きいのが好きだよねぇ」

「ごめん船の話だよね?」

 

 その無駄に意味深な言い回しはやめてほしい。後ろのみなさん……特にフードを目深に被った賢者ちゃんから刺すような視線を感じるんだよ。

 とはいえ、想像していたよりも小さいというのは、おれの素直な感想だ。縦に長い流線型の船体は、力強いというよりも美しい印象を受ける。翼らしき部位や帆の配置も相まって、通常の船と比べて独特な外見を構築していると言えるだろう。しかし、全体的なイメージはやはり設計図で見た時よりも小ぶりで、船というよりもボートと言った方がしっくりくるサイズ感である。ていうか、限界まで乗り込んでも十人ちょいが定員なんじゃないだろうか? 

 

「勇者さん! わたし、これ早く乗りたいです! 運転してみたいです!」

「赤髪ちゃん、船の操舵できるの?」

「はい! やったことないのでやってみたいです!」

 

 やる気は買うけど処女航海で船を沈める気か? 

 

「それにしても、これが自力で飛ぶとは。眉唾ですわね」

「死霊術師さんとしては微妙な感じ?」

「いえ、むしろ早く買い取りたいですわ。たとえ未完成だとしても、可能性しか感じません。責任者はどこです? 同業他社に唾を付けられる前に、わたくしが抑えます」

 

 純粋に空の旅を楽しもうとしている赤髪ちゃんとは対照的に、死霊術師さんはそわそわと周囲を見回して、既に契約書類をちらつかせている。札束で頬ぶっ叩く気満々じゃねえか。

 社長から会長になって落ち着きを覚えたかと思ったけど、全然そんなことなかったわ。相変わらず商魂たくましいわこの人。

 

「失礼。お待たせして申し訳ありません」

 

 と、噂をすればなんとやらと言うべきか。

 黒髪をぴっしりとオールバックにまとめた、如何にも几帳面な風貌の技術者然とした男性がこちらに駆け寄ってきた。おそらく、船の設計者さんか何かだろう。

 

「聖女様。わざわざ足を運んでいただき恐縮です」

「ご機嫌よう。こちらこそ、お待たせしてしまって申し訳ありません」

 

 滑らかに一礼。顔を上げると同時に、控えめな、それでいて一目惚れしてしまいそうな笑顔の花が咲く。

 聖職者さんの完璧な口調と所作を見て、赤髪ちゃんがおれの背中をつっつき、囁いた。

 

「え……聖職者さん、普段はこんな感じなんですか?」

「うん。ご覧の通り、こんな感じだよ」

 

 まあ、そう言いたくなる赤髪ちゃんの気持ちもわかる。

 あのゆるゆるふわふわした口調のおねーさんを最初に見てしまうと、こっちの聖女様モードの聖職者さんが詐欺のように見えて仕方ないだろう。

 しかしながら、ゆるふわおねーさんモードの聖職者さんが素で、こちらの完璧聖女様の姿が演技……というわけでもないから、なかなか説明が難しい。裏表が激しいとかそういう話ではなく、やわらかい口調で厳しいことを言う聖職者さんも、厳かな口調であたたかい言葉を紡ぐ聖職者さんも、どちらもおれが知る聖職者さんなのだ。

 時と場合と相手によって、いくつかの仮面を使い分けるのが人間という生き物である。聖職者さんは、それらの仮面の変化と差異が普通の人に比べて大きい。同時に、場面に応じて被る仮面を完璧に使いこなしている……というべきか。

 

「あらためて、わたしからご紹介させていただきます。勇者様、こちらにいらっしゃるのが、この飛行船の設計と開発を担当した、技師の方です」

 

 どうでもいいけど、ついさっきまで「わたしの胸ガン見してたでしょー?」とダル絡みしてたおねーさんに、様付けで呼ばれると温度差で風邪ひきそうになるな。

 

「はじめまして。本日はよろしくお願いします」

 

 おれも外面勇者様モードに切り替えて、右手を差し出す。

 すると、目にも止まらぬ早さでおれの手を取った技師さんは、ペンチでネジでも締めるんじゃないかと思う勢いで……いやなにこわいこわい! この人力強いんだけどなに!? おれのファンか!? 

 

「おひさしぶりです勇者様、賢者様。こうして再会できたことそしてなによりも今回の依頼を快く引き受けていただいたこと大変嬉しく思います感動でこの私の胸も張り裂けそうです」

「んん?」

「はい?」

 

 おれだけではなく、セットで名前を呼ばれた賢者ちゃんの口からも気の抜けた声があがる。おれたちは揃って顔を見合わせた。

 まるで技師さんは、おれと賢者ちゃんと顔見知りのように話しかけてきたが……しかしおれの記憶が間違いでなければ、今日が初対面のはずである。

 失礼になるかもしれないと思いながらも、聞いてみる。

 

「すいません……昔、どこかでお会いしたことがありますか?」

「ああっ……その反応も無理はありません私がお二人にお会いしたのはまだお二人が年若い頃。世界を救った勇者と賢者として名を挙げられる前のことですからね。しかし私はお二人に助けていただいたこと、なによりお二人に私の夢を応援していただいたことを深く深く感謝すると共にそれらのお言葉が何にも勝る私の原動力になっておりますそして今日! こうして私の夢が形になったものを勇者様と賢者様にお見せすることができ心の感涙が止まりません」

「んんんっ?」

 

 早口過ぎてすべて聞き取れた自信がないが、ざっくりまとめると「昔はお世話になりました。ひさしぶりにお会いできて嬉しいです」と言っているように感じる。

 技師さんの熱意の籠もった手に右手をホールドされたまま、おれは左手で賢者ちゃんのフードをちょちょいと引っ張った。

 

「賢者ちゃん覚えてる?」

「記憶力に定評がある私ですが、まったく覚えがありませんね。あちらの方の勘違いなのでは?」

 

 だよなぁ。

 旅の中で人助けをしまくってきたので、もしかしたらおれが忘れている可能性もあるが……だとしても、頭の出来の良さに定評がある賢者ちゃんまで忘れているとは考えにくい。

 

「おお、なんということだ……! お二人の記憶の中に、私の存在はない!?」

「いや、すいません。ちょっと言いにくいんですけど、記憶違いか、もしくは人違いということも」

「さすがは世界を救った勇者様と賢者様私如きの心の救済などもはや路端の石を拾うが如き些事にも等しくそれ故に私の存在がお二人の記憶に残っていない、だとしても! こうして今日お二人がいらっしゃってくださった事実に何ら偽りはなく我が娘の処女をお二人に捧ぐことの喜びは筆舌に尽くしがたく!」

「こんな濃い目の変態の存在、忘れることあります?」

「うーん?」

 

 でも、本当に記憶にないんだよなあ。

 

「ちなみに、いつ頃お会いしたかと覚えてます?」

「もちろんです四年と百七十二日ぶりですね」

「ひえっ」

 

 悲鳴が漏れてしまった。

 初対面の相手が再会の日数までカウントして即答してくるの、ちょっとこわすぎる。

 しかし、そうなるとますます計算が合わない。このあたりの地域に立ち寄ったことはあるが、それは賢者ちゃんがパーティーから離脱していた時期なので、微妙に技師さんの話とは噛み合わないのだ。

 そもそも、おれが騎士ちゃんと旅に出たのが、ざっくり七年前の十六の時。賢者ちゃんと出会い、エルフの村が燃えたのがその半年後だ。その後、賢者ちゃんが修行で離脱した期間を挟みつつ、聖職者さんが仲間になったのがおよそ五年前なわけで。

 どう見積もっても、四年と半年前なら普通に騎士ちゃんや聖職者さん、師匠といったメンバーがいたはずである。その頃の死霊術師さんはまだ敵だったけど……ううん、考えれば考えるほどわからなくなってきた。

 

「まあ、いいではありませんか。記憶違いがあったとしても、こうしてまたお会いできたのも何かの縁。神の思し召しというものでしょう」

 

 すれ違い続けるおれたちの話を見かねたのか、間に立つ聖職者さんが和やかに場をまとめてくれた。

 今はもう神様なんて信じてないくせに、よく言うもんだよほんと。

 

「本日はこの船の処女航海を我々で担当し、実際の航行における性能をテストする、ということでよろしいですね?」

「はい聖女様にはこうして勇者様と賢者様の乗船に口添えをしていただき感謝の念が絶えませんお二人をはじめとした勇者パーティーのみなさんの乗船を以てこの船もさらなる高みへと至ることでしょう」

「この船、未完成なんですか?」

「未完成!? 冗談ではありませんよ! 我が愛娘はすでに完璧に完成しております! 空を駆けることへの可能性を諦めた凡人どもの飛行魔術の真似事と私の技術の結晶を一緒にしないでいただきたい!」

「あ、はい。すいません」

 

 どうでもいいけどそろそろ握った手を離してほしいんだよな。船に関して熱ってくれるのはべつにいいんだけどおれの手を握りしめたまま、唾を飛ばすのはやめてほしい。

 

「いずれにせよ、きちんと飛ばしてみせるので大丈夫ですよ」

「勇者様にそう言っていただけるのは大変心強いですそれでこそ我が子をお任せする甲斐があるというもの! それでは操舵や航路について打ち合わせをしたいのでどうぞこちらへ」

 

 この人もうおれの手離す気ないな。そのまま引っ張ってこうとしてるもん。

 

「あ、ちょっと待ってください」

「何か?」

「いえ。先に船の名前くらいは聞いておきたいな、と」

「これは失礼! 申し遅れました!」

 

 ようやくおれの手を離した技師さんは、両手を広げて背後の船を指し示し、今まで一番の笑顔で言い切った。

 

「彼女の名は、イロフリーゲン! お察しの通り、勇者様の魔法にあやかって名付けさせていただきました!」

 

 燕雁大飛(イロフリーゲン)

 かつておれが持っていた……しかし今は使い手の名前と共に、失われてしまった魔法。それを聞いたおれと賢者ちゃんは、黙って顔を見合わせた。

 ……やっぱり、会ったことあるのかなあ? 

 

 

 ◇

 

 

「賢者さん、ほんとにあの技師さんのこと記憶にないんですか?」

「だから、ないと言っているでしょう」

 

 航路や船の扱いなどについて、勇者たちが説明を受けている間。

 シャナは赤髪の少女を連れて、造船所の周囲を散策していた。もちろん、打ち合わせには()()()()()()()()()が同席しているので、こうして暇潰ししていても問題はない。

 

「でも、魔法で増えた賢者さんが、知らないうちにこの街に来て技師さんと会ってた、とか……?」

「ありえませんよ。あなたにも前に説明したでしょう。私は増やした私自身と、思考や記憶を魔術で共有しています。それに漏れが発生することはありません」

 

 シャナは断言した。

 万が一、そんなことが起きてしまったら、目の前で能天気な疑問を投げつけてくる食いしん坊の想像以上に、大変なことになってしまう。

 

「まあ、単純にあの技師の勘違いか。重度の思い込みか。もしくは……」

「あは〜。シャーちゃんみっけ〜」

 

 のしぃ、と。

 言葉を紡ぐシャナの背中に、重量感のある双丘がのしかかった。

 

「……ランジェさん」

「うれしい〜。みんなは役職で呼ぶの慣れてるかもしれないけど〜。やっぱり聖職者さんって呼ばれるの、なんか慣れないから〜、ランジェのこと、ランジェって呼んでくれるのうれしいな〜」

「重いから離れてください」

 

 辟易とした表情で……実際に辟易しながら、シャナは聖職者によるのしかかり攻撃を押し退けた。

 

「ていうか、勇者さんたちと説明受けてたんじゃないですか?」

「ランジェ、難しい話よくわかんないから抜け出してきた〜。舵はアリアが握るだろうし、ゆうくんもなんだかんだしっかりしてるから、いいかな〜って」

「そんな雑な……」

「あと、あーちゃんとしっかりよろしくお願いしますをしたかったんだ〜」

 

 赤髪の少女に向けて、聖職者はにっこりと微笑んだ。

 

「えーっと……あーちゃんってわたしですか?」

「そう! 赤髪ちゃんだからあーちゃん〜! 命名決定〜! どんぱふ〜!」

「あ、ありがとうございます。聖職者さ……」

「ランジェはランジェだよ〜。ランジェット・フルエリン。名前で呼んでくれるとうれしいな」

「わかりました! よろしくお願いします、ランジェさん!」

「かわいい〜。おっぱい揉んでいい?」

「おっ……!?」

「この人の言葉をいちいち本気に受け取ってはいけませんよ赤髪さん。馬鹿を見ますからね」

「え〜仲良くなるためにスキンシップは必要でしょ~」

「よく言いますよ。勇者さんがいる時は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()くせに」

 

 手を触れられ、密着した、その状態のまま。

 シャナは聖職者の顔を見上げて、はっきりと言い放った。

 一瞬の沈黙と、空気が張り詰める気配。

 

 

 

「あはっ」

 

 

 

 フードの中に手が伸び、白手袋の指先が、シャナの尖った耳を撫で回す。

 聖職者は、シャナ・グランプレを自身の魔法の使用圏内に収めたまま、先ほどよりも薄く笑った。

 

「シャーちゃん、やっぱり賢いから、人のことちゃんと見てるね〜。えらいえらいしてあげる〜」

「どうも」

「えらいえらいのついでに、お願いしてもいい〜?」

「聞くだけ聞いてあげますよ。どうせ、勇者さんの前ではできないお願いでしょう?」

「シャーちゃん、いじわるなこと言うね〜。でもその通り〜」

 

 赤髪の少女を一瞥して。

 魔王の魂が宿った、その身体を舐めるように見て。

 聖職者……ランジェット・フルエリンは囁いた。

 

「この子、ランジェの魔法でイジッてみてもいい?」

 

 シャナ・グランプレは、手にした杖を提案に向けて突き返した。

 

「ダメに決まっているでしょう」




こんかいのおねーさん

ランジェット・フルエリン
勇者パーティーの元聖職者。元現人神。
一人称が名前のタイプの女。体をイジるのが趣味。


いろいろ意見はあると思うんですが、名前が一人称なタイプのおねーさんが、一番ヤバい女打率高いと思っています。


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聖職者さんはとても強い

 魔法使い同士の戦いの鉄則は、相手に触れること。

 自身の魔法の影響下に、相手を捉えること。

 そういう意味では、ランジェット・フルエリンに触れられているシャナ・グランプレは、既に敗北していた。

 彼女が少しでもその気になった瞬間に、シャナの体は魔法によって文字通りイジられてしまう。例えるならばそれは、心臓を直に鷲掴みにされているかのような、圧倒的窮地。

 

「お生憎様ですが」

「私はべつに一人ではないので」

「脅しの意味で私の耳に触れているのなら」

「意味なんてねぇですよ」

 

 ただし、世界を救った賢者は、魔法戦における敗北の常識を無視できる。

 何故なら、彼女は一人であって、一人ではないからだ。

 木陰から、シャナが現れる。

 頭上から、シャナが舞い降りる。

 背後から、シャナが杖を向ける。

 赤髪の少女を庇うようにして、シャナが立ちはだかる。

 総勢、四人。新たに現れたシャナ・グランプレたちが、聖職者を取り囲む。

 

「あは〜。相変わらずズルい魔法だねえ。シャーちゃん」

「あなたにだけは言われたくないですね、ランジェさん」

 

 懐かしい光景だ、と。そう言いたげなランジェに向けて、シャナは冷ややかに吐き捨てた。

 

「どうします? 本当に戦り合いますか?」

「シャーちゃん、思ってたよりあーちゃんへの好感度高いんだねえ。そんな風に庇うなんて、おねーさんびっくりだよ」

「好きか嫌いか、などという個人感情が絡む浅い話はしていませんよ。ただ、赤髪さんの体と心はまだ色々とわからないことだらけですから……勇者さんの許可なく体を弄り回すような真似は控えてもらいたいだけです」

「あらかじめ魔法を使って増えてたってことは、こうなることを予想してたのかな?」

「はい。昔からランジェさんは油断ならない人ですから」

「あは〜。そこはちゃんと、頼れるおねーさんって言ってほしいかも」

 

 絶え間なく、滑らかに。

 旧知の仲らしいテンポのいいやりとりをしながら、じわじわといやな緊張感が増していく。

 何が引き金となって、どちらが動くかわからない。

 そんな空気の中、最初に動いたのは、

 

 

 ──ぐぅぅぅ……

 

 

 赤髪の少女のお腹だった。

 

「あ、すいません。えっと……はい。わたしの、わたしのお腹です」

 

 マジか、コイツ。

 シャナは目を点にして、赤髪の少女を見た。コイツがやらかしました、へへっ……みたいな顔で頭をかいてる、アホの美少女を見た。

 こちらが必死になって危険な聖職者と対峙している時に、能天気に空腹を思い出し、腹の虫を鳴らす胆力。決して並大抵のものではない。

 舐めているのか、とシャナは思った。

 

「……あは〜! かわいい〜。腹ペコさんだ〜。飴ちゃんいる?」

「え!? いいんですか!? はい! いただきます」

 

 どこからか取り出した飴玉袋をランジェがぽいっと放り投げ、赤髪の少女はそれを満面の笑みで受け取り、口の中に入れた。シャナが止める間もなかった。食べられるものに対して、少女の反応は常に即応だった。

 舐めてんじゃねえ、とシャナは思った。

 

「……ていうか、いいんですか? ランジェさん。私から手を離して」

「うん。もうやめとく〜。ランジェ、べつにシャーちゃんとケンカしたいわけじゃないし」

 

 いつの間にかシャナの頬から両手を離したランジェは、気が変わったと言わんばかりに手のひらをゆらゆらと振った。

 

「ゆうくんが入れ込んでる新しい女の子がどんなものか気になったけど〜、シャーちゃんがそこまで気に入ってるなら悪い子じゃなさそうだし、ランジェも可愛がってあげよっかなーって」

「はい! この飴おいしいです!」

「よかった〜」

「赤髪さんは少し黙っててください」

「じゃあ、ランジェはあっち戻るね〜」

 

 先ほどまで敵意を向けていたはずの相手に「またあとでね〜」と気の抜ける挨拶を言い残して、ランジェット・フルエリンは軽い足取りで消えていった。

 

「……はぁぁああ」

 

 なんだか、自分がものすごく無駄に疲れた気がして、シャナはその場に座り込んだ。

 

「えーえっと……ありがとうございました。賢者さん」

 

 一応、庇われたという自覚はあるのか、こちらを見下ろす少女は、少し困ったような、戸惑ったような、なんとも言えない表情をしていた。

 

「あ、飴いります?」

「ふんっ!」

「ああっ!? 全部取らないでください!」

 

 食いしん坊の手から奪い取ったそれを適当な数、口の中に放り込み、シャナはバリボリと噛み砕いた。まったくもって、甘ったるい味がする。

 ついでに、魔法で食べた分以上に増やしたそれを押し付け返して、シャナはフードの奥から能天気赤髪少女を睨み上げた。

 

「……まったく、あなたのクソ度胸にはいつも驚かされますよ」

「えへへぇ……うぅん!? それ、褒めてます?」

「一応、感謝はしてあげてもいいですよ。空気を読まないあなたのお腹がちょうど良いタイミングで鳴ったおかげで、ランジェさんと揉めずに済みましたから」

「でも、わたしには賢者さんが優勢のように見えましたけど……?」

「はあ? 何を言っているんですか。べつに私が勝ったわけじゃありません。あちらが退いてくれただけです」

 

 たしかに、見かけだけならランジェを包囲しているシャナが有利に見えただろう。

 しかし、赤髪の少女に向けて、シャナは深く息を吐いた。

 

「本気で戦ったら、私はランジェさんには勝てませんよ」

 

 誰よりもプライドの高い、世界を救った賢者が述べるそれは、どこまでも客観的な真実だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 これはあくまでもおれの持論だが、人間は乗り物に乗るとテンションが上がるものである。

 それが、空を飛ぶ船なんてロマンの塊なら、なおさらだ。

 

「波が高い。これから荒れるな」

「乗る波がないでしょう。なに言ってるんですか」

 

 腕を組み、船長ごっこをするおれの名演を、賢者ちゃんがあっさり切り捨てた。声音も視線も、身を切る風よりも冷たい。

 そんなこんなで、淡々と準備も出港も済み、現在のおれたちは大空の上にいた。

 

「いやあ、それにしてもちゃんと飛ぶもんだね。正直半信半疑だったから、ちょっとびっくりだよ」

 

 船の舵を取る騎士ちゃんがそう言うように、おれがふざけて船長ごっこをできる程度には、処女航海は順調だった。

 眼下には、白い雲。青い空の海を、イロフリーゲン号は拍子抜けするほど快適に航行している。

 

「操舵はどんな具合?」

 

 いつまでもふざけているとまた賢者ちゃんにまた白い目を向けられそうなので、臨時船長らしく騎士ちゃんに聞いてみる。背筋を伸ばして舵輪を握る姿が様になっている騎士ちゃんは「んー」と、悩む声を喉の奥で転がした。

 

「はじめて触る船だし、例えにくいんだけど……意外と素直な感じだよ。普通に船動かすのとそんなに変わらないかな」

「じゃあわたしもいけますかね?」

「だめだよ赤髪ちゃん」

「なんでですかーっ!?」

 

 犬が駄々を捏ねるように噛みついてくる赤髪ちゃんの頭を、どうどうと抑える。好奇心旺盛なのは結構なことだが、さすがにはじめて動かす……それも新型の飛行船を預けることはちょっとできない。

 

「機嫌直しなよ〜。今度、あたしが船の操舵も馬の手綱の握り方も教えてあげるから」

「というか、騎士さんはなんでそんなに手慣れてらっしゃるんですか?」

「ウチはほら、地味に王家だから船とかたくさんあったし」

「お、お金持ち……!」

 

 まあ、それ以外にも海の旅をしていた頃は基本的に騎士ちゃんが操舵担当だったので、一番手慣れているというのが大きい。

 

「しかし、こうも順調だと試験航行っていうよりも、リッチなクルーズって感じだな」

「いいんじゃない? 異常が起きないのは良いことだよ。どう? 勇者くん。航路はズレてない?」

「問題なし。あとは山を超えたら、ぐるっと周回して戻る感じ」

「了解」

「そういえば、聖職者さんは?」

「武闘家さんを抱き枕にしてお昼寝してるよ」

「リッチなクルーズだな、おい……」

 

 後ろの狭いキャビンでは、武闘家さんを抱き締めたまま聖職者さんがすやすやと寝息をたてていた。師匠もそうだけど、聖職者さんも、わりと場所を問わずすぐに寝られるんだよな……我がパーティーのお昼寝コンビって感じだ。

 

「あの二人……寝顔は愛らしいのに……もう目覚めないでほしいですわね……!」

 

 足置きの責務からやっと解放された死霊術師さんが、なんか物騒なことをほざいてる。武闘家さんと聖職者さんという天敵二人のセットがすやすやお昼寝しているので、ようやくほっとできたのだろう。

 操舵を奪うことを諦めて、持ち込んだおやつに手を伸ばし始めた赤髪ちゃんが、こてんと首を傾げる。

 

「死霊術師さんはどうしてそんなに聖職者さんが苦手なんですか? たしかに、時々ちょっと圧が強いというか、こわいなと感じることはありますけど」

「ちょっとどころではありません! 魔王様、アレは恐ろしく、おぞましい女です。敵だった頃は、わたくしも幾度となくアレの魔法に苦しめられました」

 

 魔王軍の四天王やってた死霊術師さんが、なんか厚顔無恥なことをほざいている。あんたも敵だったろうが。

 

「でも、聖職者さんって回復役ですよね?」

「一口に回復といっても、いろいろと種類があるのです。そもそも、回復しかできない魔導師と、回復もこなせる魔導師の役割は、その立ち回りからして変わってくるでしょう?」

「聖職者さんは後者、ってことですか?」

「まあ、そういうことです」

 

 聖職者さんの恐ろしさを説きながら、死霊術師さんの手が赤髪ちゃんのお菓子袋に伸びる。なるほど、と頷きながら、赤髪ちゃんの手が死霊術師さんのきれいな指先をはたき落とした。かわいそうに。一口くらいあげればいいのに。

 

「おれも死霊術師さんに聞きたかったんだけど」

「はい。なんなりと」

「実際に飛ばしてみて、この船についてどう思う?」

 

 赤髪ちゃんのお菓子袋に手を伸ばし、甘いものをつまみながら質問を投げる。

 お菓子をねだって拒否されている情けない姿からは想像もできないが、死霊術師さんは空輸という概念を生み出したスペシャリストである。こういう分野に関しては、最も知見がある。

 

「そうですわねえ。安定して運用できるようになれば、様々な概念が変わるな、と感じます」

「それは、旅や輸送の概念が覆る、ってことでいいのかな?」

「ええ。空路は陸路よりも安全性が高い上に、地形も無視できますからね。しかし、やはり出力の問題をクリアできないことには、これ以上大型の船体を飛ばすことは難しいでしょう」

 

 死霊術師さんの視線が、後方に向く。船体の大部分を占めるのは、この船の心臓とも言える動力源だ。

 

「魔鉱石を使った浮力生成魔導陣、ね……やっぱり実用には難があると思う?」

「もちろん、素晴らしい技術だと思いますわ。こうして今も問題なく飛んでいるわけですから」

 

 滑らかに即答したうえで、頬に手を当てた死霊術師さんは「ただし」と、否定の言葉を繋げた。

 

「ビジネスとして、安定した運用に耐えうるかというと、些か疑問が残りますわね」

「それは、コストパフォーマンス的な意味で? それとも、技術的な意味で?」

「両方です」

 

 やはり端的な即答だった。

 

「まず、勇者さまが懸念されている通り、純度の高い魔鉱石は貴重極まる資源です。それを用いた魔導陣の維持や管理に関しても、先ほどの早口技師さまのような優秀な人材が必要不可欠。けれど、資源も人材も、湯水のように湧いて出るものではありません」

 

 魔術を使う際、その元手となるのが魔力なわけだが、火を灯し、水を生み、風を吹かせ、土を操るエネルギーが無尽蔵に湧いて出るはずもなく。魔力を生み出すためには、基本的に生き物の力が必要だ。しかし、生き物ではない物体から魔力を得る方法も、少なからず存在する。

 この船に動力として搭載されている魔鉱石は、その名の通り魔力を生み出す鉱物資源だ。然るべき方法で魔導陣に接続すれば、術者の魔力を消費せずに術式を運用することができる。そして、純度が高く、大型の魔鉱石になればなるほど、出力できる魔力も大きくなるのだ。

 

「要するに、動力が貴重だからたくさん作れないってことですか?」

「まあ、簡単にまとめるならそんな感じだね」

 

 相変わらず理解力のある赤髪ちゃんが、おれたちの会話をサクッとまとめる。甘いもの食べてるから頭の回転も早いのだろうか。

 

「じゃあ、死霊術師さんを動力源にして魔力を絞り出し続けるのはどうですか? とてもコストパフォーマンスが良いと思います」

「おほほ。聞きましたか勇者さま? 魔王様がまるで魔王のようなことを仰っています」

「いいね。検討しようか」

「勇者さま?」

 

 死霊術師さんを動力源にするかはともかくとして、やはり物質の輸送に使うような大型の船を安定して飛ばすためには、まだまだ技術的な積み重ねが必要だということだ。

 

「そうやって考えると、ドラゴンに船を引かせるっていう原始的な発想で問題を解決した死霊術師さんは、なんだかんだやっぱりすごいよ」

「ええ! そうでしょう! わたくしの溢れる商才と発想力をもっと褒め称えてくださいませ」

「まあ、ドラゴンなんて早々出会えるモンスターじゃないから、死霊術師さんみたいに元魔王軍みたいなコネがないと、不可能な発想だけど」

「ええ! そうでしょう! 心を入れ替えて人類の輸送の発展に絶賛貢献中のわたくしをもっと崇め奉ってくださいませ」

「少しは悪びれろよ」

「あの、お二人とも」

 

 そろそろうるさい口にお菓子でも突っ込んでやろうかと思ったところで、赤髪ちゃんが恐る恐る手を挙げた。

 

「どうかした? 赤髪ちゃん」

「わたしはよく知らないんですけど、ドラゴンってめずらしいモンスターなんですか?」

「そりゃまあ、空飛べるし。火ぃ吐くし。強いし」

「わたくしも新しいドラゴンを調達したいのですが、なかなか見つからないくらいには希少ですわね」

「えっと、あの」

「ん?」

「下、見てほしいんですけど」

「うん」

「あれ、ドラゴンじゃないでしょうか?」

「は?」

 

 船のへりから身を乗り出していた赤髪ちゃんが、振り返る。

 髪色とはどこまでも対照的に、その表情が冗談みたいに青くなっていた。

 

「あらあら、魔王様もジョークがお上手になりましたわね。しかし、ドラゴンというのはモンスターの王。いわば頂点に立つ存在です。そんじょそこらの羽が生えたワイバーンとはわけが違います。そんなおつまみ代わりのスナック感覚で遭遇するものでは──」

 

 おれと死霊術師さんも、揃って身を乗り出して下を見た。

 それには、翼があった。

 翼だけでなく、手も足もあった。

 こちらを見上げる鋭い眼光と、その眼光の鋭さに勝る牙を備えていた。

 

 

 

「──あらぁ……ほんとにドラゴンですわぁ

「騎士ちゃん! 面舵ィ!」

 

 

 

 叫んだ瞬間に、急上昇してきたその襲撃者は船体の横を凄まじい突風と共に駆け抜けていった。

 風圧で、マストが軋む。帆を繋ぐロープが、ギシギシと耳障りな悲鳴をあげる。

 

「……あっぶねえ」

 

 騎士ちゃんがおれの意味不明な指示に反論一つなく従ってくれていなければ、今の急上昇だけでこの小さな船は粉々になっていただろう。

 

「ちょっと勇者くん!? なんかドラゴンみたいなでかいヤツが見えるんですけど!」

「ドラゴンだよ!」

「なんで!?」

「おれが聞きたいわ! 下げ舵! 高度落とせ!」

 

 指示を出しつつ、その巨体を見上げる。

 ジェミニが操っていたあのドラゴンよりも、明らかに大きい。一回り、いや二回り以上はあるだろうか。

 どうしてこんなところにドラゴンが生息しているのか、とか。

 なんでおれたちを目標に定めて襲ってきているのか、とか。

 色々と突き詰めたい疑問はあるが、それよりもなによりも、

 

「なんでこの距離まで、あんなデカブツの接近に気が付かなかったんだ!?」

「賢者さまの索敵がお粗末だったのではありませんか?」

「うっせえですね。こちらの探知に引っかからなかったのは事実なんですから、仕方ないでしょう」

「とはいえ、あれに気づかないってのは」

 

 明らかにおかしい。

 そんな言葉を紡ぐ前に、おれの視界の片隅で、何かが倒れた。

 

「赤髪ちゃん!?」

 

 抱き上げると、鮮やかな赤い髪の間から、ぽたぽたと違う色が落ちる。

 ……血だ。

 全身が、すっと冷えていくのを、おれは他人事のように感じた。

 すぐに駆け寄ってきた死霊術師さんが、容態を確認する。

 

「まずいですわね。先ほどの揺れの時に、強く頭をぶつけられたようです」

「……くそっ。賢者ちゃん!」

「言われるまでもありません……並列多重展開(マルチ・パラレル・オープン)

 

 おれが指示するまでもなく、賢者ちゃんは既に魔導陣の展開を終えていた。

 軍用船の側面に備えられる、大砲の如く。魔法によって一瞬で増やされた合計百門の理不尽極まりない大火力が、ドラゴンに向く。

 

装填起動(セットオン)──『火爆撃矢(フレア・バーン)』」

 

 一斉射。

 数え切れない火線が上空のドラゴンに向かって立ち昇り、完全に直撃する──

 

「おーほっほほ。さすがは賢者さま! 瞬殺ですわ〜!」

 

 ──はずだったそれらが、跡形もなく霧散した。

 

「はあ!?」

「賢者さま、もしかして今日は調子悪い日ですか? お腹が痛いとか? 明らかに攻撃届いていませんが」

「あなたはもう黙っていてください」

 

 おかしい。

 賢者ちゃんの調子が悪いとか、攻撃が届いていない、とかではなく。

 明らかに、あのドラゴンに当たる前に、魔術攻撃が消えた。

 防御魔導陣の類いではない。魔導陣が展開されているような素振りはなかった。

 あれはまさか……

 

「……魔法?」

「ドラゴンがですか? さすがに冗談きついですね。トカゲの成り上がり風情が魔法を使うのは、千年早いですよ」

 

 言いながらも、賢者ちゃんも目を細めてその竜の姿を見上げる。

 こちらが攻撃を加えたということは、当然あちらからの反撃がくる。

 予備動作はなかった。吐き出された火球は、明らかに普通の竜種が吐き出すそれとは、一線を画す威力を誇っていた。

 

「っ……防御魔導陣!」

「展開します」

 

 着弾、爆発、衝撃。

 幾重にも重ねられた熱風の暴力が、上方から叩きつけられる。

 賢者ちゃんが展開した魔力の壁がなければ、今の一息で終わりだっただろう。

 やばい。そして、まずい。

 通常、遠距離攻撃手段を持つ大型モンスターを相手にする際、パーティーは散開するのがセオリー。敵の大火力で、一網打尽にされないためだ。しかし今、おれたちがいる場所は空中というドラゴンのフィールド。そして、船の上のおれたちは、どうしても密集せざるを得ない。

 

「……賢者ちゃん」

「一発ずつならなんとか防ぎ切れるかもしれませんが、連射されたら保証はできかねます」

 

 こちらの主な遠距離攻撃手段は、賢者ちゃんの魔術攻撃のみ。それも何故か、あのドラゴンには届かない。

 攻撃と防御は同時にはできない。

 致命傷を与えるためには、どうしても接近する必要がある。

 かといって、迂闊に船を寄せれば一瞬で粉々にされるのが関の山だ。

 考えろ。考えろ。考えろ……!

 あのバケモノを倒すために必要なものを。

 火力が欲しい。

 空中を自在に駆ける機動力がほしい。

 火力……赤髪ちゃんの雷撃魔術なら、もしかしたら届く?

 でも、ケガをして、血を流している女の子に、そんな無茶を?

 そもそも、早く治療してあげないと、死霊術師さんの魔法で蘇生できない赤髪ちゃんは……

 

「はい。落ち着いて〜」  

 

 背後から赤髪ちゃんの体に触れた手が、出血を一瞬で止めた。

 翠の魔法。聖女の加護。神の奇跡。

 数年ぶりにそれを見せられて、思わず息を呑む。

 

「聖職者さん……!」

「はーい。まず深呼吸〜。焦らないで〜、とりあえず、あーちゃんは『翠氾画塗(ラン・ゼレナ)』したから大丈夫だよ〜。守りたいものが傷つくと感情的になっちゃうのは、ゆうくんの良いところだけど、悪いところでもあるよ? 落ち着きたまえ〜」

 

 とんとん、と。

 聖職者さんがおれの背中を叩く。今度はべつに魔法を使っていないはずなのに、さっきまでの興奮が嘘のように、呼吸が落ち着いた。

 

「……すいません」

「謝らなくていいよ〜」

「勇者くん! 第二波来るよっ!」

 

 騎士ちゃんの警戒の声に、前を見る。

 前方に迫るドラゴンは、その口から溢れんばかりの火炎の渦を吐き出していて。

 

「あはっ……『翠氾画塗(ラン・ゼレナ)──」

 

 それに対して、船首に飛び乗った聖職者さんは、前を見てただ嗤った。

 魔力の励起はない。

 魔導陣の展開もない。

 武器を構えることすらしない。

 ただ、その身一つで、可憐な美女は、モンスターの王から吐き出された暴力の渦に向き合う。

 防御はなかった。

 

 

 

「──変貌(メタエント)剛竜化(ドラゴーネ)

 

 

 選択されたのは、奇しくもまったく同じ攻撃だった。

 ドラゴンと同じように。

 まるで、その身が竜であるかのように。

 聖職者さんは、大口を開けて、巨大な火の玉を吐き出した。

 激突、衝撃。そして、相殺。

 巨大なドラゴンのブレスが、賢者ちゃんの防御魔導陣でも受けきれるか怪しいほどの熱量の塊が、たった一人の人間の一息で、完封される。

 

「ふぅ……! お昼寝の邪魔をしたのは、お前かな?」

 

 脱ぎ捨てた頭巾から、絹のような長い髪が零れ出て、風に舞う。

 船主に立つ法衣が、はためいて揺れる。

 

「お空の上でドラゴンが相手だなんて……ひさびさに冒険らしくなってきたねぇ、ゆうくん」

 

 おれたちの聖職者さん(たよれるおねーさん)は、その背中だけで、雄弁に微笑んだ。




こんかいの登場魔法
翠氾画塗(ラン・ゼレナ)
 聖職者にして聖女、ランジェット・フルエリンの保有する、翠の色魔法。自分自身と触れたものを『  』させる。その回復能力は一般的な治癒魔術を遥かに凌ぎ、奇跡と崇められる。
 同時に、シャナが一対一での正面戦闘では「勝てない」と断言するほどの戦闘力を誇る。



漫画の方ですが、ニコニコ漫画さんでも掲載がはじまったのでよろしくお願いします。こちらから読めます。

https://sp.seiga.nicovideo.jp/comic/67380

勇者くんの馬の乗り方が東方不敗みたいで好きなので、いつか本編で使いたいと思っています。余談ですが作者が好きなMFはガンダムシュピーゲルです。


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翡翠の聖女は空を舞う

 彼に選ばれない自分なら、死んでしまえばよかった。

 

 今でも時々、ランジェット・フルエリンは夢に見る。一人ぼっちでみんなに置いていかれた、あの日のことを。

 いつも通りに野宿をして、いつも通りにみんなで寝て、いつも通りに朝起きたら、ランジェットは一人ぼっちだった。シャナも、アリアも、ムムも、全員の姿が忽然と消えていて、残っていたのは彼の書き置きだけ。

 

 ごめん。今までありがとう。

 ここからは、おれたちだけで行くよ。

 

 野暮ったくて角ばった、けれど迷いのない彼の人柄をそのまま表したかのような、淡白な二行。

 ふざけるな、と思った。しかし同時に、自分の旅はここで終わるのだと、その二行を読んだだけでランジェットは理解してしまった。

 グエイザルの衝撃。それは、勇者による聖女の拉致事件である。聖女として祭り上げられてきたランジェットの出奔により、一つの国が大きく荒れていた。悪化していく国の情勢を、ランジェット自身も旅の中で幾度となく耳にし、騒乱は鎮まることなく大きくなっているようだった。

 戻った方がいいのではないか、と。そう考える日がなかったと言えば、嘘になる。

 自分が責務を果たしていれば、と。そう悔やむ日がなかったと言えば、嘘になる。

 自分が聖女であり続ければ、と。そんな風に思い悩む日がなかったと言えば、嘘になる。

 悔やむ自分の横顔に、彼が気がつかなかったとは思えない。

 今、この瞬間に抱える苦悩を後悔に変えないために、彼はランジェットをパーティーから追放する選択をしたのだろう。

 

「……仕方ない。帰るかぁ〜」

 

 もう誰もいないのにわざと大きな声でそう呟いて、ランジェットは歩き出した。

 最初は二人きりでいろいろと心配だったパーティーも、今はもう随分と頼もしくなった。

 出会った頃は無茶ばかりしていたアリアには、冷静さが備わった。魔術の修行から戻ってきたシャナは、驚くほどに知識をつけていたし、ムムは見た目だけは小さいけれどとても強い。そしてなによりも、彼は勇者として、とても逞しくなった。必ず魔王を倒して、世界を救ってくれるだろう。

 みんなと一緒に歩いてきた道を、ランジェット・フルエリンは一人で帰る。

 淡々と歩を進めながら、ぼんやりとパーティーのみんなのことを考える。

 自分がいなくなったら、ご飯係は基本的にアリアだろうか? 朝、シャナを起こして身支度させるのもアリアになりそうだ。とはいえ、彼にも一通り料理は仕込んだし、そこまで心配する必要はないかもしれない。彼とアリアと三人で旅をしていた頃は、自分しかまともに料理をできる人間がいなかったから、それなりに大変だった。思えば、二人に生活力を身に着けさせたのは、自分かもしれない。

 

「まあ、みんな成長したし、ランジェがいなくても、もう大丈夫だよね」

 

 大丈夫だ。心配ない。

 でも、みんなが怪我をしてしまわないかは、やはり気がかりだ。

 

「うーん。シャーちゃんの魔術だけで平気かなぁ」

 

 魔術による回復には、限界がある。単純に自分が抜けた穴は戦力ダウンに繋がるだろうし、回復を担える魔法使いは探した方がいいだろう。

 代わりは、きっと見つかる。世界を救うために、自分の代わりはいた方がいい。

 

「あは〜。やっぱりだめそうだなぁ……」

 

 誰も聞いてくれる人なんていないのに、そんな呟きが自然と漏れた。

 みんなは、自分がいなくても、もう大丈夫かもしれないけど。

 

 

 

「うぅ……うっ…………えぐっ」

 

 

 

 ランジェは、みんながいないと、だめだ。

 周りには誰にもいない。だから、ランジェット・フルエリンは子どものように大声で泣きじゃくった。

 

 ずるい。

 

 自分を変えたのは、彼なのに。

 自分を神様から人間に戻したのは、彼なのに。

 自分は、こんなところで、一人で泣くような女の子じゃなかったはずなのに。

 でも、そうなってしまったものは仕方ないので、ランジェットはひたすらに泣いた。

 今までの旅路と、冒険と、彼らと過ごした思い出をすべて涙にして吐き出して。

 そうしてようやく、身軽になった聖職者は、国に戻った。

 勇者である彼はきっと、これから世界を救うのだ。

 なら、聖女の自分が神という偶像に縋る国の一つも救えないのは、嘘だと思った。

 

 今でも時々、ランジェット・フルエリンは夢に見る。独りぼっちの、帰り道を。

 勇者は、魔王を倒して世界を救った。

 彼の隣に立つ、騎士がいた。彼を知恵で助ける、賢者がいた。彼を導く、武闘家がいた。彼を蘇らせる、死霊術師がいた。

 彼を癒やす聖職者は、そこにいなかった。

 それが、歴史の本に載る事実だ。

 自分を変えてくれたのは、彼だった。自分もきっと、彼のことを少しは変えることができたはずだ。

 最初に、彼は自分に手を差し伸べてくれた。自分も、最初に彼の手を取った。

 でも、それだけだ。

 最後に、彼が自分を選ばなかったように。自分も彼を、最後に選ばなかった。

 巡り合わせとか、運命とか、そんな薄っぺらい言葉だけでは、片付けられない。

 ランジェットは知っている。

 神様はいつもいじわるで。

 運命はいつも残酷で。

 勇者はいつもやさしくて。

 だから、ランジェット・フルエリンは今でも想うのだ。

 

 ──自分を選んでくれない彼なら、殺してしまえばよかった。

 

 

 

 

 殺すつもりで吐き出した結果が、相殺に終わった。

 なかなか良いドラゴンだ。

 ランジェット・フルエリンは、口元を釣り上げた。魔法の影響で鋭くなった犬歯の隙間から、火の粉が吐息のように漏れる。

 

「ゆうく〜ん。指示ちょーだい〜」

「っ……賢者ちゃんの魔法がかき消された! とりあえず、あのドラゴンに何が効いて何が通じるのか試したい!」

 

 ランジェットの問いかけに、勇者が端的に答える。

 すっかり立ち直った様子の彼の声は、とても心強いものだった。

 女の子が軽い怪我をしただけで、動揺する。先ほどはダメ出しをしてしまったが、ランジェットにとっては彼のそういうところも、また可愛らしい。

 

「おっけ〜。おねーさんにまかせなさ〜い。アリア〜! 船、思いっきり寄せて〜!」

「もぉおおおお! 聖職者さん人使い荒いって!」

 

 舵を取るアリアの文句を聞き流しつつ、ランジェットは右手のロンググローブを歯で噛み、引っ張って脱ぎ捨てた。同時に肩口に手をやって、いくつかの留金を外し、右の袖も剥ぐ。一切の露出のない貞淑な法衣のシルエットが、一瞬でノースリーブのワンピースのように変化する。

 自身の魔法の特性上、ランジェットが日常的に着用する衣服は、部位ごとに脱ぎ捨てることができるように特注で作り込んである。そうでもしないと、本気で魔法を振るった瞬間に、衣服が意味を成さなくなってしまうからだ。

 

「みんな振り落とされないようにね『翠氾画塗(ラン・ゼレナ)──」

 

 船首に立つランジェットは、腰を落とし、脚を広げ、構える。

 それは、予備動作だ。

 怪物の王を、物理的に殴打するための、用意。

 ランジェットは、自身の右腕を塗り潰し、変化させる。

 

 

「──変貌(メタエント)巨人の鉄拳(アイアボルグ)

 

 

 翡翠の聖女の右腕が、膨れ上がった。

 巨大なドラゴンの腹部に、常識外の拳が突き刺さり、殴り飛ばす。

 痛みに打ち震える竜の叫びが、大気をごうと震わせた。

 

「あは〜。殴れるじゃーん。物理有効〜!」

 

 ニィ、と。たしかな手応えに満足して、聖女はほっそりとした華奢な腕でガッツポーズを示した。

 しかし一方で、そんな強烈極まる打撃の足場にされた船は、たまったものではない。船体が横滑りし、天地がひっくり返るかのように、激しく揺さぶられる。

 世界を救ったパーティーが、たった一人の仲間の好き勝手な攻撃の余波に、絶叫する。

 

「のぁああああああ!?」

「揺れる揺れる! 転覆するって!?」

「あ、空の上でも転覆するって言うのでしょうか? 上下逆さまになるだけでは?」

「言ってる場合か!?」

「む。おはよう。なんかあった?」

「師匠はやっと起きたんですか!?」

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図の中で、しかしシャナが声高に叫んだ。

 

「とにかく、物理攻撃なら有効のようです!」

「じゃあ〜もう一発殴る〜?」

「やめてー! 今度こそ絶対転覆するからーっ!」

「そこはアリアの腕でなんとかしなよ〜」

「無茶言うなー!」

 

 明らかなピンチ。目の前には強敵。それでも、ぎゃーぎゃーと喚きあう。

 それが楽しくて、懐かしくて、ランジェットは誰にも気づかれぬように、また微笑んだ。

 

「ゆうく〜ん。近づきにくいから、当てやすいようにして〜!」

「……あー、もうっ! 当てやすくするから、()()()()()()()()!?」

 

 口と態度だけは文句を言っていたが、そんな様子とは裏腹に。

 勇者はランジェットの言葉に応えるために、空中に身を躍らせた。

 要するに、船から飛び降りた。

 

「いぃ!?」

「勇者さん!?」

 

 常軌を逸した、正気を疑う行動だった。

 自由落下する獲物を、ドラゴンは逃さない。

 空を飛べない人間は、どこまでいっても翼を持つ生物には勝てない。

 

「コール。ジェミニ・ゼクス──」

 

 とはいえ元より、勇者は翼を持ったバケモノに、一人で勝つつもりは毛頭ない。

 

 

「──哀矜懲双(へメロザルド)

 

 

 勇者と、視界の中に納めたドラゴンの位置が入れ替わる。

 初見では対応できない転移。回避のためではない。味方に攻撃を当てさせるための、位置の入れ替え。

 

「はい、どーん!」

 

 直上より、もう一撃。

 先ほどよりも重く深く食い込んだ拳が、巨大な竜を一撃で叩き落とした。

 

「あは〜! 楽しい〜!」

 

 久方ぶりの連携に歓喜の声をあげる聖職者の体は、もはや()()()()()()()()()

 ランジェットは、法衣の背中側を切り離して、すっぱりと脱ぎ捨てていた。理由は明白。空を駆けるために、背中の布はとても邪魔だからだ。

 

「人間さまは、飛べないって思った〜?」

 

 竜は、見上げる。

 不遜にも自身の直上を駆ける、翼の姿を。

 モンスターが、声を発することはない。しかし、竜はたしかに、驚愕で目を見開いた。

 魔術による人間の自由飛行は、未だに成立していない。今この瞬間も、彼らは魔力に頼り、道具に頼り、船という乗り物に縋って、空にしがみついている。

 魔術だけでは、空は飛べない。

 では、魔法なら? 

 

「あのさぁ。聖職者さん」

「んー?」

「落っこちるところを助けてくれたのは本当にありがたいんだけど、できればお姫様抱っこ以外がいいっていうか」

「あは〜。ゆうくん照れてる」

「うるさいな!?」

 

 聖女は、見下ろす。

 翠の色魔法は、人の身体に翼を与える。理屈はない。心がそう望むのであれば、そのように体を作り変えてみせる。

 自分自身と触れたものを『変身』させる。

 それが翡翠の聖女、ランジェット・フルエリンの『翠氾画塗(ラン・ゼレナ)』である。

 太陽を背に翼をはためかせ、宙を舞う姿は正しく天の御使い。

 人々の信仰を一身に背負うだけの力を秘めた、奇跡の色魔法。

 それは元々、人々に望まれた姿に、自分を変えるための魔法だった。

 今は違う。

 これは本来、自分が望む姿に、変わるための魔法だ。

 それを教えてくれたのは、勇者だ。

 たとえ、月日が経とうとも。

 たとえ、その名を呼べなくなろうとも。

 絆は消えない。事実は変わらない。

 ランジェット・フルエリンが、世界を救うパーティーの一員であった事実は揺るがない。

 

「相変わらず無茶苦茶するなぁ……」

「でも、わたしがどうせ助けてくれるって思ったから、船から身を投げ出せたわけでしょ〜?」

「いやそれはまぁ……」

「ゆうくんは、わたしのこと好き?」

「そりゃあ……きらいではありませんが」

「あは〜。急に敬語」

「うるさいなぁ!?」

 

 彼を抱きかかえて滑空しながら。

 その命の是非を握りながら、ランジェットは勇者に向けて囁いた。

 

「ランジェはねぇ、ゆうくんのこときらーい」

「えっ」

「ランジェを置いていくゆうくんがきらい。ランジェにかまってくれないゆうくんがきらい。ランジェに相談もせずに魔王をひろってくるゆうくんがきらい」

「……あの、はい。すいません。そういう文句、本当にあとで正座して聞くんで今はその」

「でも、そういうきらいなところぜーんぶひっくるめて、おねーさんはゆうくんを許してあげましょう」

 

 どうせ、この勇者はみんなから好かれているのだ。

 だから一人くらいは、聞こえない名前を連呼して、大嫌いだと言ってやるお姉さんが近くにいた方がいい。

 ひきつる彼の横顔を口吻できる距離感で堪能して、ランジェットはこの日一番の笑みを深く深く、なによりも楽しげに浮かべた。

 

「またランジェがゆうくんのことを大好きになれるように……がんばってかっこいいところを見せてね」

「うす。がんばります」

 

 (ばかなおとこ)は、間違うもの。

 (いいおんな)は、人に許しを与えるものだ。




こんかいのとうじょうまほう
翠氾画塗(ラン・ゼレナ)
 翠の色魔法。その魔法効果は、自分自身と触れたものを『変身』させること。
 怪我をした人間の体を元通りにすることも可能。この魔法だけで、ランジェはどんな優れた回復魔導師よりも優れたヒーラーとしての立ち位置を確立した。
 なによりも、戦闘におけるこの魔法の真価は、自分自身の体を様々な形態に『変身』させ、用いることにある。背中から鳥の翼を生やすだけで自由飛行を、巨人の腕を生やすだけで強烈な一撃を、竜の体に変わることで火球を吐くことすら可能にする。全開での戦闘時は、人間ではない生き物や怪物に『変身』することが多い。リリアミラが「おぞましい」と評していたのは、このため。
 また、自由気ままに翼を生やしたり腕を大きくしたり爪を伸ばしたりすると衣服がズタズタになってしまうため、ランジェは部分的に着脱可能な法衣を着用している。腕の変化程度ならノースリーブワンピほどの露出に留まるが、本気を出せば出すほど衣服を脱ぎ捨てていくことに。リリアミラはこれを指して「貞淑な露出狂」と影で罵っているが、ランジェに聞かれたら多分殺される。

コミカライズの二話更新が来ています。
賢者ちゃん回です。

https://to-corona-ex.com/episodes/140905703491047

私の愛が……!


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勇者は遭難する

 かっこいいところを見せて、と言われたからには。

 ここは勇者として、少しはがんばらなければならないだろう。

 

「攻めようか。聖職者さん」

「理由は〜?」

「なんかヤバそうだよね。ここで攻めないと」

「あは〜。理由雑ぅ」

 

 うるせえな。仕方ないだろ。どうせおれの戦いはいつも大体雑ですよ。できればシンプルでわかりやすいと言ってほしい。

 とはいえ、畳み掛けておける内に畳み掛けておきたいのは事実だ。

 もっと言えば、あのドラゴンが聖職者さんに二発の打撃を貰って動揺している間に、なんとか勝負をかけたい。

 

「まあ、いいけどね〜。そういうの、ゆうくんっぽくて好きだよ〜」

 

 言いながら、聖職者さんは深く息を吸い込み、頬を膨らませて、身体を仰け反らせた。

 

「ふっ」

 

 先ほど行ったドラゴンのブレス攻撃の再現。否、聖職者さんの場合は、実際にその身体を変化させて行う、竜の息吹そのもの。

 それが、耳元で三発。

 

「どわぁああああああああ!?」

「あは〜」

 

 クソビビった。

 比喩でもなんでもなく髪がちょっと焦げて、おれは抱きかかえられたまま情けないことこの上ない悲鳴をあげた。聖職者さんは相変わらず笑っていた。

 

「ちょ、撃つなら言ってよ!?」

「だって攻めろって言ったし〜」

「言ったけどおれ抱えたまま撃つ必要はないだろ!? 髪焦げたよちょっと!?」

「ちりちりパーマも似合うと思うよ〜」

「そういうことじゃねえ!」

「あとゆうくんさっきどさくさに紛れてわたしの胸触ったでしょ」

「あ、はい。それはすいません」

 

 でもどこ掴んでいいかわかんなかったし、驚いたら咄嗟に近くの一番大きいものを掴むのは人間の性だと思う。仕方ないよね。だからニコニコ笑いながらゴミを見るような目でこちらを凝視するのはやめてほしい。

 アホなやりとりをしながらも、聖職者さんの吐き出した三発の火球はドラゴンに対して確実な直撃コースに乗っていた。にも関わらず、やはりそれらは着弾する前に、消え失せる。動作はない。防御しようと、意識する素振りもない。つまり、触れた瞬間に何かが起こっている。

 やはり、何らかの魔法の影響を受けた、と考えるのが自然に……

 

「ゆうくん」

「ん?」

「見つけた。ドラゴンの上、なんかいる」

 

 そう言われても何も見えなかったが……おれが目を凝らしても視認できないものすら『人間とは異なる目の良い生物』に眼球を『変身』させた聖職者さんなら看破することができる。

 

「……なるほど。()()()()()な」

 

 ドラゴンが魔法を使って攻撃を防いでいるわけではなく。

 ドラゴンの上に乗っている『魔法使い』が、おれたちの攻撃を何らかの魔法で捌いている。

 おそらくは、これが結論だろう。

 

「聖職者さん。船に戻してくれ。しんどいと思うけど、アレの周りに張り付いて可能な限り牽制を」

「おまかせあれ〜」

 

 聖職者さんにお姫様抱っこを解除してもらい、飛行船の甲板の上に戻って来る。

 

「賢者ちゃん」

「上に何かいる、という話でしょう。私も望遠で見つけましたよ」

 

 話が早くて助かる。

 

「で、どうします? 方針は?」

「倒すよりも逃げ切るのが先決かな。もう追ってこない程度に痛めつけたい」

「了解しました。となると、船の速度を引き上げる必要がありますね」

「……あるねぇ」

 

 あるんだけどさぁ……

 おれが止める間もなく、にこり、と実に底意地の悪い笑みを浮かべて。賢者ちゃんは船の帆の裏に、魔法によって増殖させた魔導陣を大量に展開した。

 

「行きますよ、騎士さん。船の舵はこれまで以上にしっかり握ってくださいね」

「えっ……ちょっと待ってまさか」

 

 舵を取る騎士ちゃんがその意味を問い質す前に。

 劇的な変化が起こった。

 船の帆の裏に幾重にも重ねた、迅風系の魔導陣による人工的な突風。突風というよりも、圧倒的な暴風。それを浴びることによる、圧倒的な加速。

 体感で言えば、人間の徒競走が、馬の全力疾走に変化したほどの、スピードアップ。

 飛行船の速度が、世界最高の賢者の最悪にアホな発想により、一気に引き上がる。

 

「騎士ちゃーん。舵、しっかり頼むよ」

「ぎゃぁあああ!? 無理無理無理!? 早すぎるってこれ!?」

 

 操舵を担当する本人が一番の悲鳴をあげているが、悲鳴をあげている間は大丈夫なので、背後を見る。

 かなり加速したにも関わらず、モンスターの王者はその速度に驚く素振りすらなく、翼のはためきをさらに大きくして、ぴったりと後ろについてくる。

 

「賢者ちゃん、加速は!?」

「まだ引き上げられますが、これ以上は船体の保証をしかねますよ。空中分解して全員仲良く投げ出せられたいなら、話は別ですが……」

「了解。騎士ちゃん、上舵いっぱい!」

「そんな舵ないからねっ!?」

 

 文句を言いながらもおれの意図を意味のわからない指示だけでしっかり汲み取って、騎士ちゃんは船首を上に向けてくれた。小ぶりな船体が強風に後押しされて、急上昇を開始する。

 竜も聖職者さんも、ぴったりと後ろについてくる。

 急加速と急上昇の連続に、船体がガタガタと悲鳴をあげはじめる。

 まだだ。まだ……もう少し。

 分厚い雲を突き抜けて、船首が雲海を切り裂いた、その瞬間に。太陽の光に目を細めながら、おれは叫んだ。

 

「加速やめっ! 船を裏返す! 下舵ぃ! いっぱい!」

「下舵っ……了解ッ!」

 

 そんな舵はねぇ、という当たり前のツッコミは、もはやなかった。賢者ちゃんが魔導陣の展開を取りやめ、騎士ちゃんが舵をまた大きく回す。

 分厚い雲を遮蔽物にして、ドラゴンの視界を眩ませた、このタイミングが肝だ。

 急上昇からの、急降下。

 気が狂った鳥でもしないような、重力と物理法則に抗ったありえない軌道を、この船で描く。文字通り、騎士ちゃんの見事な操舵により空中で一回転をきめた船体が、急降下を開始する。

 同時に、伸ばした腕で船体を掴んだ聖職者さんが、こちらに向けて親指を立てた。

 よし、聖職者さん回収完了。

 

「帆を畳め! 船を落とす!」

「クソ船長! 裏返して落とすな! 上げたあとにすぐ落ちろって言うなーっ!」

 

 すごい。かつてないほどに騎士ちゃんの口が悪い。

 無茶やってるから仕方ないね。

 

「あ、すいませんわたくしもう無理です吐きます……」

 

 胃が裏返るような感覚を伴って……実際に耐えきれなくなった死霊術師さんが視界の片隅で口から何かしらを吐き出しているのを尻目に……もはや飛行とは呼べないただの自由落下が始まる。

 

「進路そのまま! 直下へ全速!」

「あは〜やばすぎ〜!」

 

 船のありえない軌道と速度が楽しいのか、青い顔で限界を迎えて苦しそうな死霊術師さんの様子が楽しいのか、とにかく聖職者さんだけはとても楽しそうだった。

 

「勇者さん! あんまり無茶すぎると船体が保ちませんよ!?」

「この船は保つ!」

 

 なんせ、名前が燕雁大飛(イロフリーゲン)号だ。

 問題ない。腐ってもおれの魔法の名前を冠した船なら、これくらいは余裕だろう。

 賢者ちゃんの魔術を利用し、自然にある雲を利用し、急上昇からの急降下という緩急を利用し……利用できるものを可能な限り利用して、それでようやく後ろにぴったりと張り付いてきたドラゴンを少しだけ引き離す。

 

「賢者ちゃん! 聖職者さん! 目標、後方! ありったけぶちこめ!」

「あは〜、了解」

「効果は保証しませんがっ……!」

 

 急降下を続けながら、我がパーティーが誇る遠距離攻撃持ち二人が、最大火力を後方のドラゴンに向けて叩き込む。

 火球が、岩の礫が、雨あられとモンスターの王に向けて降りかかる。やはり効果はない。渦巻く炎も、土の塊も、等しく何かに飲み込まれたように一瞬でかき消えて、消失する。

 効果はない。無意味な攻撃だ。

 それで良い。多少なりとも視界を眩ませられれば、それだけでいい。

 

「前方! 地面が近い!」

「進路そのまま」

「勇者くん!?」

「そのままだ!」

 

 騎士ちゃんの言葉通り、地面が迫る。あれだけ引き上げた高度が、また一瞬で消費される。

 急加速で、虚を突いた。相手にも『速度をあげなければ逃げられる』という意識を植え付けた。

 急上昇で、隙を広げた。相手にも『敵は左右だけでなく上下にも逃げられる』という危機感を抱いてほしかった。

 急降下で、嘘を混ぜ込んだ。相手にも『あの船は本気を出せばこれだけの無茶な軌道をこなせる』と信じてほしかった。

 速度が肝になる駆け引きの追いかけっこ中で、幾重にも思考を重ねていけば、考える余裕は失われる。

 おれは、ドラゴンに視線を合わせて、頼れる操舵手に告げた。

 

「騎士ちゃん。タイミング、全部任せる」

「……えっ? あっ……もう……!」

 

 風が頬を裂く。

 まだだ。

 心臓が高鳴る。

 もう少し。

 見開いた、眼球が乾く。

 後ろを見たい。でも、見るわけにはいかない。

 もう、間に合わない。

 背中でおれが()()()()()()()()()()()()()、その瞬間に騎士ちゃんが叫んだ。

 

「今っ!」

哀矜懲双(へメロザルド)っ!」

 

 おれたちの船と、ドラゴンが入れ替わる。

 攻撃は当たらない。スタミナも底知れない。火力だけでは到底削りきれない。

 なら、話は簡単だ。

 

 限界まで加速して、地面に叩きつければいい。

 

 竜が大地と口吻を交わした。お似合いだ。

 天地がひっくり返るような轟音と共に、粉塵が撒き散らされる。

 その轟音に負けない声量で、おれは叫んだ。

 

「師匠ォ! 急制動っ!」

「心得た」

 

 ドラゴンは急には止まれない。

 おれたちは止まることができる。

 指先一つ。師匠が甲板に触れて魔法を発動させた瞬間に、船体が『静止』した。

 ドラゴンがすぐ背後まで迫っていたように、おれたちもあと数秒で地面と激突する寸前……本当にぎりぎりだった。

 全員が、示し合わせたように、息を吐き出す。

 

「た、たーすかったぁ……」

「あは〜早くて楽しかった〜」

「うむ。ぎりぎり、せーふ、だった」

「持つべきものは師匠の魔法ですね……よし、賢者ちゃん。落下の勢い、全部流して」

「ほんと無茶苦茶やりましたね……」

 

 ぶつくさ言いながらも複雑な魔導陣をいくつか展開して、賢者ちゃんは船体にかかっていた落下の運動エネルギーを逃がしてくれた。師匠と賢者ちゃんの連携技。いつぞやの、おれと赤髪ちゃんが空から落ちた時に助けてくれたのと、同じ理屈である。

 地面に対して垂直、というふざけた姿勢を取っていた船体が正常に平行になり、元通りに空に戻る。

 これでなんとか、一件落着だろう。

 

「焦った……今回ばかりは本当に焦った」

「そのわりに騎士ちゃん、ちゃんとおれの意図汲んでくれたじゃん」

「だからって本当ならもっと説明が必要だからね!? あたしだからわかったけど……!」

「はいはい名操舵名操舵」

「褒めるならもっとちゃんと褒めろーっ!」

「あは〜さっきのもっかいやりたい〜!」

「二度とやるか!」

「というか、どうします勇者さん。あのドラゴンと上に乗ってた魔法使い」

「あー、あの勢いで叩きつけたから多分……」

「死んでますね」

「はい……」

「おぇ……そういうことならわたくしにお任せあれ……蘇生していろいろと情報を吐かせましょう……うぷっ……あと、あのドラゴンわたくしにください」

「青い顔しながらさらっとデカい要望するんじゃないよ」

「あは〜。ねぇ、ゆうくん」

「なんです、聖職者さん」

「なんか、変な音しない?」

「え」

 

 勝利の余韻ですっかり緩みきった空気の中で。

 ぼきん、と。

 船体を支える致命的な何かが、折れる音がした。

 

 

 

 ◆

 

 

 ステラシルド王国。その王城内にて。

 

「陛下……非常に心苦しいのですが、お耳に入れたいご報告が」

「なんだスターフォード。手短に話せよ。余は今忙しい」

「勇者のことです」

「……いや待て。うん。さすがにないとは思うが……うん。いや、しかしな……え、ちょっと待ってくれ。やっぱり話さなくてもいいぞ。正直、聞きたくな」

「勇者パーティーが消息を絶ちました。聖女様も一緒です」

「もぉおおおおおおおお! またぁあああああ!?」




こんかいのとうじょうじんぶつ

勇者くん
むちゃをやるのがわりと好き

賢者ちゃん
ぶつくさ文句を言いながらも、むちゃに付き合うのがわりと好き

騎士ちゃん
アーノルド・ノイマン。操舵のセンスは一級品だが、舵を取った船は必ず沈む。勇者が無茶をするからである

武闘家さん
地味にジェットコースターとか超好きなタイプ。

死霊術師さん
地味にジェットコースターとかダメなタイプ。ゲロった。地味に寝てる赤髪ちゃんを支えていたので仕事はしている。

聖職者さん
みんなでむちゃをやるのがめちゃくちゃ楽しかった

赤髪ちゃん
起きてたら吐いてた

イロフリーゲン号
ごめんね……みんなをもっと遠くまで、運んであげたかった……!
まだギリ沈んではいない



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勇者パーティー、最大の窮地

「やはり恋人に、嘘は吐くのはいけないことなのだろうか?」
「はあ? 何の話ですか?」

 唐突にそんなことを言い始めた彼に対して、彼女は首を傾げた。

「ククク……いや、この前賭場で聞いた話なんだがな。異国には嘘を吐いて良い日、という文化があるらしい。なかなかおもしろそうだと思わないか?」
「この前スッてたからしばらくギャンブル禁止って言いましたよね? まさか隠れて行ってきたんですか?」
「フフフ……行ってないです」
「はい。嘘ですね。夕飯抜きです」
「すいません嘘です許してください」

 即座に全面的に降伏する姿勢になって平謝りを始めた彼に対して、彼女は溜息を吐きながらエプロンをほどいた。

「しかし、もし合法的に嘘を吐いて良い日があるのなら、それはある意味で誠実な一日になると思わないか?」
「……? どういうことです」
「人間は愛を囁いたその口で、嘘を吐く生き物だろう? 最初から己が吐く言葉を嘘だ、と。胸の内を曝け出してみせるのは、逆に正直な在り方だとオレは考える」
「へえ……自分は人間じゃない、みたいなこと言いますね」
「人間ではないからな」

 実に悪魔らしく、彼は不敵に笑ってみせた。
 土下座の態勢に入っていなければ、それなりに格好のついたセリフになっていただろう。

「まあ、私達には関係のない話ですよ」
「なぜだ?」
「だってあなた、言ったことは全部本当にするでしょう?」

 きょとん、と。憎たらしいほどに整った顔立ちが、その中心に居座る瞳が、丸くなる。

「はい。味見」

 出来上がったシチューを小皿に乗せて差し出す。
 ククク、と。彼はまたいつもの含み笑いに戻って、差し出されたシチューに、そのまま口をつけた。

「どうですか?」
「少ししょっぱいぞ、ルナ」
「そこは嘘でも美味しいと言っておきなさい。サジ」


 船が落ちた。

 やはり、ひさびさの冒険でハッスルしすぎたのが悪かったのだろう。

 さっきまで快適な空の旅を楽しんでいたせいだろうか。少し山道を登っているだけで、疲労困憊の体にどっしりとした気怠さを感じる。おれは、ぼそっと呟いた。

 

「なんかさぁ……騎士ちゃんが舵握った船で冒険すると、大体沈むよね」

「はあ!? 言いがかりはやめっ……」

「いえ、案外勇者さんの指摘は正しいですよ。ラームエルではじめて海に出た時は転覆してますし、ギャリドで滝下りをした時も粉々になりました。あと、ビタンの海戦でも戦艦を一隻潰してますね」

 

 おれに食って掛かろうとした騎士ちゃんだったが。

 しかし賢者ちゃんにぼそっと今までの廃船履歴を指摘されて、そのまま押し黙った。金髪のポニーテールが、犬の尻尾のようにしおしおと揺れる。

 

「……え。あたし、もしかしてなんか呪い浴びてたりする? 厄払いとかしてもらったほうがいいかな?」

「帰ったら聖職者さんに頼んでみようか」

 

 とはいえ、騎士ちゃんの腕がなかったらおれたち全員空の塵になっていたので、本当に助かったとしか言いようがない。しょんぼりしてる肩をぽんぽんと叩いて慰める。元気を出すんだ騎士ちゃん。今度、沈んでもわりと平気そうな安めの船でクルージングしよう。

 

「しかし、本当に死ぬかと思いましたわ。スリリングな体験もたまには悪くありませんが、これではいくつ命があっても足りないというものです」

 

 ようやく乗り物酔いから復帰したらしい死霊術師さんが、涼しい顔でのたまう。やかましい。あんたは命がいくつどころかたった一つで十分に事足りるだろうが。

 

「船の状態が気になりますが、こればかりは致し方ありませんね。あちらは聖職者さんにお任せしましょう」

「そうするしかない、か」

 

 賢者ちゃんの言う通りである。船は落ちたが、沈んではいない。

 明らかに航行に支障をきたす損傷を負ってしまった結果、一刻を争う状況の中で聖職者さんの提案は「自分が変身して船を着水可能な場所まで運ぶから、みんなは先に脱出しろ」であった。飛行船とはいえども、船は船。着水可能なように設計はされているし、なにより地面への胴体着陸よりも水面への着水の方がリスクは圧倒的に低い。パーティーを二手に分けることも考えたが、聖職者さんの「一人で大丈夫」というゴリ押しに負けて、結局その提案を通してしまった。

 付け加えるなら、敵の追撃を受けないために撃墜したドラゴンとその乗り手の確認を、こちらで確認しておきたかった、というのもある。

 が、それはどうやら無駄に終わってしまったようだ。

 

「……消えてる」

「消えていますね」

 

 厳密に言えば、墜落した痕跡はたしかにあった。

 山の中腹の地面に深々と刻まれたクレーターが、その激しい衝突の跡を物語っている。

 しかし、肝心のドラゴンとその乗り手である魔法使いの姿が、どこにも確認できない。まるで最初から、その存在そのものが幻であったかのように。忽然と、姿を消していた。

 すでに複数人に増殖し、杖を構えて魔導陣を展開している賢者ちゃんたちに聞く。

 

「探知の結果は?」

「先ほどから可能な限りの最大精度でずっと行っていますが、敵の影はおろか、魔力の残滓すら認められません」

 

 魔術を使った痕跡は、ある程度腕の立つ魔導師なら魔力探知で特定することができる。世界最高の魔導師である賢者ちゃんが複数人に増えて探知を行った場合、その索敵調査能力に並ぶことができるのは、精々賢者ちゃんのお師匠さんくらいのものだろう。

 そんな賢者ちゃんたちが、敵の気配も、魔力の残り香もない、と断言している。

 

「つまり」

「はい。魔術を使った形跡は一切なく、転送魔導陣の類いで逃げた可能性すらない」

「魔法か」

「おそらく」

 

 聖職者さんの言葉を素直に信じるとして、今回の襲撃者がドラゴンの上に乗っていた魔法使いだった場合。

 賢者ちゃんの索敵を潜り抜けて近づいてきた、隠密能力。

 こちらの遠距離攻撃をすべてかき消す、無効能力。

 そして、忽然と姿を消した、移動能力。

 これらすべてが、たった一つの魔法である、ということになる。

 

「ちょっとそれは、いくらなんでも万能過ぎるな」

「本当ですよ。昔の勇者さんじゃあるまいですし」

「え。それもしかして褒めてる?」

「いえ、現在の勇者さんの魔法の役立たずっぷりを貶してます」

 

 しれっと賢者ちゃんは言い切った。そんなにあっさりと断言しないでほしい。おれが泣きそうになるから。

 

「まあ、相手が消えちゃったものは仕方ない。周辺警戒は継続しつつ、こっちも聖職者さんと合流するために移動しよう」

「そんな!? 我が勇者運送の新たな労働力となる予定のドラゴンの捜索を!? ここで諦めるのですか!?」

 

 死霊術師さんが悲痛な表情で何か叫んでいるが、その一切を無視する。実にやかましい。

 

「おれたちの現在位置は?」

「ステラシルドからもグエイザルからも外れた、完全に国境周辺の山岳地帯ですね。聖職者さんは東へ船を運んで下ろすと言っていました。たしかに、そちらの方角には湖があるようです」

 

 難しい顔で地図を広げている賢者ちゃんの一人が、簡潔に答えた。

 おれと騎士ちゃんが手を差し出した瞬間、白花繚乱(ミオ・ブランシュ)によって一枚だった地図が三枚に増える。全員で一枚の地図を見るよりも、こちらの方が早い、合わせて死霊術師さんも手を出したが、賢者ちゃんはそれを鼻で笑って杖ではじいた。死霊術師さんは泣きそうになってる。おもしろい。

 

「この地図、大丈夫? ちょっと古そうなんだけど」

「ろくな街もない国境の山岳地帯の地図なんて、そこまで細かく更新する理由ないしなぁ」

「たしかに。昔の地図は、三百年くらいで、地形がとっても変わってることがある。あんまり、あてにしない方がいい」

「それ多分師匠だけです」

 

 仙人めいた時間感覚でアドバイスされても困る。

 しかし「地図に頼りすぎるな」という意味では、その助言は正しい。

 

「賢者ちゃん。聖職者さんに魔力マーカーは?」

「舐めないでください。もちろん、予めつけていますよ。捕捉の範囲内です」

「それならとりあえず合流できないってことはないな。じゃあ、発信源を頼りに移動するとしますか」

「ええ。用意周到な有能極まるこの私を、もっと褒め称えるといいでしょう」

「ところで聖職者さんの居場所をいつでも捕捉できるようにしておいたってことは……もしかしての話なんだけど、出発前に聖職者さんと何か揉めたりした?」

 

 すーっと。

 一人だけではない賢者ちゃんたちの表情が、真顔になる。

 

「おもしろくない冗談を言いますね、勇者さん」

「とりあえず付けておいただけですよ」

「はい。その通りです」

「べつに深い意味とかそういうのは」

「ええ、まったくありません」

「急にみんな一斉に言い訳するじゃん」

 

 腐ってもおれはパーティーのリーダーだぞ。誤魔化せると思うなよ。

 複数人で嘘を吐こうとすると、ボロが出やすいのが賢者ちゃんのおもしろいところである。まぁ……聖職者さんと賢者ちゃんが何を揉めたかは、無事に帰ってからでも聞けるし。今、詮索することでもないだろう。

 

「赤髪ちゃん」

「はい? なんでしょう。勇者さん」

 

 おれは少し離れた場所で景色を眺めていた赤髪ちゃんをこちらに呼び寄せた。

 

「一つ。残念なお知らせがある。聖職者さんが着水したであろう場所までは、大まかに見積もって徒歩で二日くらいかかる」

「はい! これから、みなさんでプチ冒険というわけですね! それくらいの距離なら、全然大丈夫です。わたしだって歩けます! 聖職者さんを迎えに行くためにも、早く行きましょう!」

「……いや、残念なお知らせっていうのは、距離のことじゃないんだ」

 

 くどい説明になるかもしれないが、おれたちが乗ってきたイロフリーゲン号は、小型の試験飛行船だ。今回の乗り込んだ人数も定員ギリギリで、余計な貨物の類いを積み込む余裕もなかった。

 まあ、つまり何が言いたいのかというと、

 

「食料がない」

 

 最上級悪魔に、人質に取られた時よりも。

 四天王第一位に、迫られた時よりも。

 なによりも色濃い恐怖に染まった表情で、元魔王の女の子は泣きそうになった。

 

 

 ◇

 

 

「あは〜。なんとかなってよかった〜」

 

 栗色の髪から、水が滴り落ちる。

 聖職者、ランジェット・フルエリンは、ほっと息を吐いた。

 さすがに胴体着陸の無茶に勇者たちを付き合わせるわけにはいかなかったし、()()()()()()自分の姿を見られるのも、あまり好ましくなかった。なのでこうして、勇者たちを先に下ろしておいたわけだが……。

 船はかなりボロボロで航行不可能な状態ではあるものの、大破ではない。あの早口変態技師なら、ぎりぎり修復してくれるだろう、といった損傷具合だ。

 変身を解除し、水辺から上がったランジェットは一糸纏わぬ姿のまま、頭を横に振って水をはらった。同時に、大きく実った胸が無造作に揺れたので、手で抑えて留める。

 

「っ……ふぅ」

 

 足がふらつき、膝を折る。痛む頭を抑えて、ランジェットは意図的に呼吸を深めた。

 みんながいなくなって、気が抜けたせいだろうか。

 自分の魔法は、これだから困る。

 

「あはっ……ひさびさにちょっと使いすぎたかも」

 

 でも、楽しかった。

 全員で息を合わせ、窮地を切り抜け、笑い合う。

 そういう時間の共有が、なによりも楽しかった。

 胸の前を手で抑えながら、ランジェットは立ち上がって周囲を見回す。

 人の気配はもちろん、モンスターの影もない。

 

「はっはっはぁ! やったぁ! 依頼した通りに船が落ちている! 落ちてるぞっ!」

 

 故に。

 その高笑いと無邪気な悪意は唐突に、真上から、青空の上から降ってきた。

 それは、形だけは少女の姿をしていた。

 目が眩むような純白の、フリルに彩られたゴシックロリータ。くすんだ色合いの、けれど滑らかな金髪。純白と紅色の二色のリボンがそれらを束ねて、ショートポニーの形で後ろに流している。

 

「ヤツに依頼して正解だったッ! 信用ならないヤツだが、存外に仕事はきちんとこなしてくれる!」

 

 それは、形だけは少女の姿をしていたが。

 それが、形だけは少女の姿をした悪魔であることを、ランジェットはよく知っていた。

 くるくる、と。くるくる、と。

 その場で楽しげに回りながら、少女は背中から生やしていた継ぎ接ぎの翼を放り捨てて、高く笑う。

 

「ふふっ……ひさしぶり、というわけでもないな、勇者ァ! この前ぶりというやつだ! 早速このボクが、リベンジにやってきたぞ!」

 

 どこまでも高揚した様子でそんな言葉を紡いだ最上級悪魔は、しかしそこでようやく周囲を見回し、確認し、また見回して。

 目の前に、一糸纏わぬ美女が一人きりでいることに気がついて、語りかけた。

 

「…………おい、ボクの勇者はどこだよ」

「あは〜。負け犬筆頭の四天王さん。おひさ〜!」

 

 まるで野良のモンスターのように出現した四天王第一位……トリンキュロ・リムリリィに向けて、聖職者はゆったりと笑いかけた。



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『変身』VS『模倣・形成・回転・拡散・復元……』

「帰る」

 

 目元にうっすらと涙すら浮かべて、元魔王軍四天王第一位、トリンキュロ・リムリリィは言い切った。

 トリンキュロの今回の目的は、純粋な勇者へのリベンジ。

 リリンベラの裏カジノで散々にやられた借りを返すため、入念に情報を収集し、勇者たちが飛行船の実験にかり出されることを掴み、空中で彼らを襲撃し叩き落とせるだけの実力を持つ魔法使いにそれを依頼し、不時着したポイントにてトリンキュロ自身が待ち構える。そういう手筈であった。

 しかし、実際はどうだろうか? 

 たしかに飛行船を落とすことには成功したが、そこにはほぼ全裸の微妙に見覚えのある聖職者が一人。

 勇者の姿も、魔王の欠片の気配も、影も形もない。これでテンションを下げるなという方が、無理な話だ。露出した胸の前を片手で抑え、微笑みながらこちらを見詰めている聖女に向けて、トリンキュロはもう一度言い切った。

 

「ボクは勇者と殺り会いにきたんだ。あいつがいないんじゃ、何の意味もない」

「あはー。それってつまり、見逃してくれるってこと?」

「うん」

 

 トリンキュロ・リムリリィは、魔法使いを喰らうことに対して、常に貪欲だ。

 しかし同時に、トリンキュロは興味を抱いた相手しか、食べる気にならない。相手を理解し、喰らい、己の一部にするという心の在り方が、トリンキュロ・リムリリィの原動力であるが故に。

 編み込んだ髪をいじりながら、また深く溜息を吐く。

 

「ボクの獲物は、勇者とそのパーティーだ。でもおまえ、べつに勇者パーティーじゃないじゃん」

「…………」

「二年前、ボクを倒した戦いにも、魔王様との最終決戦にもいなかった女に……勇者に捨てられた神様のなり損ないに、今さら興味なんて沸かないよ」

 

 ただ端的な事実だけを告げて、トリンキュロは踵を返す。

 見逃してやる、と。

 お前には興味がない、と。

 本当に、どこまでもシンプルな事実のみを告げて、トリンキュロはもはや敵とすら思っていない聖職者に、背を向けた。

 

「あはっ──」

 

 対して、ランジェット・フルエリンは、どこまでも乾いた笑いを吐き出した。

 

「──おい。待てよ」

 

 そうして、次の瞬間には。

 聖職者の拳が、四天王第一位の顔面に突き刺さっていた。

 

 

 ◇

 

 

「やっぱ辺境の山道だからか、そこそこモンスターが多いな」

 

 後ろから奇襲してきた猿っぽいモンスターの急所の頭部に裏拳を叩き込んで吹き飛ばしながら、おれは深く溜息を吐いた。

 

「ね。ちょっと面倒」

 

 目の前に立ちはだかっていた十数匹の群れを大剣の一閃で焼き飛ばしながら、騎士ちゃんも溜息を吐いた。

 

「まあ、そろそろ敵わないと理解するんじゃないですか? ヤツらもバカではないでしょう」

 

 空中を旋回して隙を伺っていた飛行モンスターの大群を片っ端から撃ち落としながら、賢者ちゃんはフードから溢れる枝毛をいじっていた。

 

「食べれる獲物は出てこないんですか?」

 

 黙々とおれたちの後ろをついてくる赤髪ちゃんは、シンプルに目が死んでいた。

 お腹が空きはじめてきたのだろう。かわいそうに。

 

「いやぁ、食える獲物が出てきたらすぐ仕留めるんだけどな」

「そもそも魔物って食べれるヤツあんま多くないもんねぇ」

「大丈夫です騎士さん。この際、味は問いません」

「だめだよ赤髪ちゃん。毒持ってたりするやつもいるんだから」

「大丈夫です騎士さん。この際、毒は問いません」

「問おうよ!? さすがにお腹壊すよ!?」

 

 腹ペコモンスターと化しつつある赤髪ちゃんを、騎士ちゃんがどうどうと宥める。

 このままでは赤髪ちゃんが毒の有無に関わらずなんでもかんでも食べ始めてしまう。空腹を紛らわせるために、少し話題を変えよう。

 

「そういえば、赤髪ちゃんに魔物の説明ってしたことあったっけ?」

「いえ。厳密に聞いたことはない気がします」

「うん。じゃあせっかくだし、説明しておこうか。ちょうど、現在進行系で撃退してるし」

 

 空腹の悲しみに染まっていた赤髪ちゃんの表情に、旺盛な知識欲が混じった。知らないことを積極的に知ろうとするのが、赤髪ちゃんの良いところだ。なんだかんだ地頭も良いし、決してただの腹ペコ食いしん坊キャラではない。いや、知識に対しても貪欲なあたり、やっぱり食いしん坊なのか? 

 

「モンスター、魔物。そういう風に呼ばれる生物の特徴は、大まかに二点。魔力を持っているか。そして、人間を襲うか、だ」

「人を襲う特別な力を持った害獣が、大雑把に魔物という枠に括られているんですね」

「そういうこと。で、やっぱりこういうヤツらに対処するためには、弱点や生態をある程度把握しておくのが、手っ取り早い」

「なんか、みなさんは呼吸するように倒してらっしゃいますけど」

 

 赤髪ちゃんが若干の困り眉で呟く。

 そりゃあ、おれたちは世界を救ったパーティーですからね。そこらへんの魔物には手こずりませんよ。

 

「でも、おれたちだって駆け出しの頃は油断して不覚を取ったり、苦戦したりすることもあったわけだからね。いろいろ知っておくに越したことはないよ」

 

 地面で羽を広げてのびているコウモリに似た魔物を、おれは雑に拾い上げた。

 

「たとえば、賢者ちゃんが叩き落としてるコウモリっぽいこの魔物は、クラムバット。群れで襲ってくるのが特徴なんだけど、もう一つ厄介なのが……」

 

 

 ◇

 

 

 顔面に拳を叩きつけられ、細く整った鼻筋を叩き折られ、地面を数回跳ねるほどの威力で吹き飛ばされても、しかしトリンキュロ・リムリリィは激昂することなく、ただ冷静に態勢を立て直した。

 

「……バカな女だなぁ。ボクが見逃してやるって言ってるんだから、そこは大人しく見逃されておけよ」

 

 何もなければ見逃してやろう、と。そう考える程度には、トリンキュロ・リムリリィはランジェット・フルエリンに対して興味を抱いていなかったが、あちらから喧嘩を売ってきたのであれば話は別だ。

 悪魔にとって、人間はただの餌。餌が吠えてくるのは、思い上がりが過ぎる。

 舌打ちを一つ。鼻から垂れる血を舌で舐め取って、トリンキュロは生まれたままの姿で拳を握り締める聖職者を冷めた視線で値踏みする。

 

「あは〜。あなたがランジェを見逃すのは勝手だけど、ランジェがあなたを見逃す理由はないんだよねぇ」

「ちぢこまって謙虚に生きるのが人間の長生きのコツだって習わなかったのかな? 無駄にでけえ乳に栄養取られて頭が回ってないんじゃないの?」

 

 吐き捨てる言葉の毒とは裏腹に、トリンキュロの思考は目の前の相手を確実に喰らうため、静かに回り始めた。

 

(コイツの変身魔法の手札は、昔の戦いで大まかに割れている。間合いを取った場合は、ドラゴンに変身してブレスを吐く大味な遠距離攻撃。ボクの『青火燎原(ハモン・フフ)』で拡散してやれば、まったく脅威にはなり得ない)

 

 折れた鼻筋を『自分可手(アクロハンズ)』で整形し直す余裕すら保ちながら、トリンキュロは次の一手を見極め、やや開いた間合いを保つ。

 案の定、何かを吐き出すように大きく口を開いたランジェットは、

 

「『──ァ』!!!」

 

 声にならない、不可視のそれを、トリンキュロに向けて叩きつけた。

 

「なんっ……! ぐっ……!?」

 

 堪らず、トリンキュロは膝を折る。

 感じたのは、頭痛と不快感。そして、平衡感覚の、喪失。

 

 

 ◇

 

 

「クラムバットは、鳴き声がそのまま武器になる」

「鳴き声が、ですか?」

「そう。コイツが放つ音波をまともに浴びると、ひどく気分が悪くなる。ただし、効果範囲はもちろん限られているから、届く距離に近づかれる前に倒すのがベター」

「聞いてしまったらどうなるんですか?」

「うーん、なんていうか、すごく酔う感じかな? 転送魔導陣で赤髪ちゃん酔ったことあったでしょ? あれのひどい版だと考えてもらえればいいよ。吐き気が出て、頭が痛くなって、視界がぐらぐらする。まったく戦えないわけじゃないけど、ベテランの冒険者でもかなりしんどくなるのは間違いない」

「ちなみに食べれますか?」

「だめです。肉は硬くて食えたものじゃないしほとんど可食部はありません」

 

 

 ◇

 

 

(この女ァ……予備動作なしで、ボクが認識できない音の攻撃を……!)

 

 膝を折り、頭を抑えるトリンキュロは奥歯を噛み締めた。ドラゴンのブレスが来る。そんな予想を、完全に逆手に取られた。

 おそらく、変身したのはクラムバット。用いたのは、魔力を帯びた音波の攻撃。通常のクラムバットの放つ音波なら、悪魔であるトリンキュロの肉体に大きな影響を及ぼすことはない。だが、ランジェットが人間のサイズで放つそれは、変身の過程で明らかに効果と出力が引き上げられている。

 トリンキュロの防御の要を担う『青火燎原(ハモン・フフ)』は、触れたものを『拡散』させる。故に遠距離攻撃のほとんどは無効。

 だがそれは魔法の原則に則って『触れた』という認識が追いつく場合の話だ。

 

(拡散が自動(オート)じゃないのがこんな形で裏目に出るか。やってられないね、まったく……)

 

 頭痛も、平衡感覚の消失も、込み上げる吐き気も。トリンキュロにとっては、ひさしく感じていないもの。戦闘を妨げる、明確な障害になる。

 しかし、問題はない。

 

「そんなモンスターの猿真似で、このボクを仕留められるとでも思ってんのかよ」

「思ってないよ」

 

 嫌味を効かせた問いへの返答は、否定。軽く言い捨てたランジェットは、トリンキュロに向けて右腕を無造作に伸ばした。

 そして、瞬きの内に()()()()()()()()が、ある程度の距離を保っていたはずのトリンキュロを、あっさりと捉えた。

 

 

 ◇

 

 

「あれは……蛇ですか? 勇者さん」

「うん。あの師匠が振り回して遊んでるヤツは、ギルラング。俗に魔長蛇とも呼ばれてる。普通に人間を丸呑みできるくらいの大蛇だけど、最大の特徴は……めっちゃ伸びること」

「伸びるんですか!?」

「伸びるよー? 今でも十分長くてデカいけど、さらに伸びる。最大で、通常の体長の五倍は伸縮できるのが特徴なんだ」

「でもそれなら、皮とかは丈夫そうですね。防具とかに使えるのでは?」

「おっ。察しが良いね赤髪ちゃん。その通り。こいつの皮は伸縮性に富んでいて滅多なことじゃ破けないから、高く売れるよ」

「で、食べれるんですか? 蒲焼きとかにできませんか?」

「絶対にだめです。致死性の猛毒持ってるから食えません」

 

 

 ◇

 

 

 腕に絡みつき、噛みついたその大蛇を見て、トリンキュロは目を見開く。

 

(腕だけを蛇に……ギルラングに変身させたのか!? 随分と小器用な真似を……! いやそれよりも、体を魔物に変えるのが、はやい!)

 

 蝙蝠の声で動きを鈍らせ、距離を詰めることなく蛇の腕で間合いを補う。

 その組み立ての多彩さも称賛すべきだが、トリンキュロがなによりも異常に感じたのは、ランジェットの変身の()()()()()()()()だった。

 勇者のパーティーの一員であった頃の彼女を、トリンキュロはよく知っている。その変身魔法に、ある程度のタイムラグとインターバルが必要であったことも、朧気に記憶していた。だが、眼前で魔法を振るう聖職者は、抱えていたはずだったそれらの弱点を、完全に克服している。

 トリンキュロの中で、認識が書き変わる。

 この魔法使いは、昔よりも強くなっている。その力を、増している。ランジェット・フルエリンは、明確に自身の魔法を磨き上げ、進化している。

 それらの事実が、戦闘においてはスロースターターであるトリンキュロ・リムリリィのテンションを、引き上げて昂ぶらせる。

 

「それで捉えたつもりかは知らないが……ボクに()()()るんだよなァ! おまえもっ!」

 

 噛みつかれた箇所から回っていく毒の悪寒を感じ取りながらも、トリンキュロは声高に叫んだ。

 

「燃やせ! 紅氷求火(エリュテイア)ァ!」

 

 色魔法の模倣。カラーイミテーション。引き出した魔法は、アリア・リナージュ・アイアラスの紅氷求火(エリュテイア)

 一瞬で変化し、引き上げられた温度によって、華奢な腕に絡みついていた大蛇の血液が一瞬で沸騰し、燃え上がる。同時に、片腕の機能の喪失と引き換えに、高温によって毒が無力化される。

 魔法戦において、相手に触れて攻撃をするということは、相手の反撃を受けることと同義。肉を燃やすたしかな手応えに、トリンキュロはせせら笑う。

 必然、自らの腕を大蛇に変身させていたランジェットも紅氷求火(エリュテイア)による高熱に晒されて──

 

「腕を捨てるのが、自分だけの専売特許だとでも思ったぁ?」

 

 ──そんな必然を、聖職者は微笑み一つで塗り替える。

 

 トリンキュロは絶句する。

 すでに聖職者の右腕は影も形もなく、躊躇なく踏み込んだ左腕が、トリンキュロの腹部を穿つ。小柄な体が、また冗談のように吹き飛ばされる。

 その打撃の重さと躊躇のなさに、トリンキュロは苦い笑みを浮かべた。

 

(生物に変身させた部位を自切して、魔法の影響を切り離した、か)

 

 魔法戦においては、相手と接触してしまった身体の部位を即座に切り捨てて、魔法効果を遮断するのも一つの戦術だ。

 できれば、の話ではあるが。

 それは奇しくも、体の部位を使い捨てる戦法を好むトリンキュロと、同じ思考である。

 

「……いいねぇ! 楽しくなってきた!」

 

 心の高揚をもはや隠そうともせず、身を踊らせた空中。トリンキュロは両手を合わせて、獲物に向けて照準する。

 

「喰い破る猪牙に、蜂起する回転を……混ざれ。イミテーションクロス──」

 

 彼女には見せたことのない、合成色魔法。

 触れた相手を穿ち、捩じ切る弾丸の牙。

 

「──『猪突蜂天(ファング・ビーネ)』」

 

 トリンキュロが指先の五発を発射したのと、ランジェットが顔を上げたのは、奇しくも同時だった。

 聖職者は、回避を選択しなかった。

 ただ、どこから取り出したかわからない()()()()()を咥える口の端が、明白に釣り上がる。瞬間、欠けたはずの聖職者の右腕が、ぶくぶくと歪な音をたてて、膨れ上がった。

 

 

 ◇

 

 

「あ、このモンスターは知ってます! スライムです! 騎士さんが苦手なやつですね!」

「そうそう。騎士ちゃんが苦手なやつ」

「この子、すごく小さいですね。わたしの手のひらサイズしかありません」

「薄い緑色か。ちょっと変わった色してるね。騎士ちゃんも見てみる?」

「あ、やめて。あたしごめんスライムほんと無理だから。こっちに近づけないでもらっていい? ていうか早く消して」

「殺意高いですね」

「まあ、昔いろいろあったからなぁ……でも赤髪ちゃん、スライムは意外とめずらしい魔物なんだよ。そんなに害があるわけでもないし、冒険者の間では会えたらむしろラッキーみたいな話があるくらいで」

「ラッキーじゃない! そんなぶよぶよしたやつ、全然好きじゃない!」

「……と、まあ普通に嫌いな人もいるし、大型の個体はちょっと厄介かな。デカいスライムなんて、最近はほとんど見ないけど」

「強いんですか?」

「強いっていうか、倒しにくい。ほぼ水の塊みたいなもんで、斬ったり殴ったりの攻撃が効きにくいからね」

「で、食べれるんですか?」

「食べれません。絶対お腹壊すよ」

「……しかし、冷やしてゼリーっぽくすれば、あるいは?」

「どうしてもやりたきゃ騎士ちゃんの魔法で冷やしてもらいな」

「絶対に触りだぐないっ!」

 

 

 ◇

 

 

 トリンキュロの疑問は、多かった。

 

(クスリかっ! 何をキメた!? あの教団由来のものなら、絶対にろくでもない……というか、どこから出した? 胸の谷間にでも仕込んでたのか? )

 

 この戦闘の真っ只中に、何かを補給した理由。それが、体に及ぼす作用。純粋な隠し場所への疑問。

 それらへの回答を得る間もなく、トリンキュロが撃ち放った『猪突蜂天(ファング・ビーネ)』はランジェットの肥大した右腕に突き刺さり、回転し、捻じれて、

 

「あはっ」

 

 いくら捻じれたところで、()()()()()()()()()()()()()()には、何の意味もない。まるで水の中に、矢を放ったように。絶大な貫通力と破壊力を誇る手指弾丸が、あっさりと飲み込まれる。肉を突き穿ち、骨を捩じ切るはずの合成色魔法が、取るに足らない弱小モンスターへの変身だけで、いとも簡単に潰される。

 そして、空中から地面へ。重力に引かれて着地するトリンキュロを、魔物の右腕が待ち構えていた。

 

「これ、返すよぉ」

「まっ……!」

 

 トリンキュロの呼吸が、止まる。

 『猪突猛真(ファングヴァイン)』の突進。蜂天画戟(アピスビーネ)の回転。合成した『猪突蜂天(ファング・ビーネ)』に付与した魔法効果は、不定形のスライムという仮初の水槽の中で、問題なく継続している。

 受け止め、方向転換されたそれらが、トリンキュロに向けて撃ち返される。

 

「ぐぉおおおおおおおあああ!?」

 

 腹に、全弾が命中。着弾した五発はトリンキュロの小柄な体を引き千切り、上半身と下半身を二つに引き裂くには十分すぎる威力を誇っていた。

 絶叫を吐き出し、壊れた人形のように地面に転がった最上級悪魔を見て。

 ランジェットは勝ち誇ることすらなく、静かに言い捨てた。

 

「ね〜、早く起きたら?」

 

 復元の魔法……『因我応報(エゴグリディ)』発動。

 身体的な損傷がすべて復元し、今までの攻防のすべてがなかったものになって、巻き戻る。

 むくり、と。無造作に起き上がったトリンキュロは、首を回して聖職者を見た。

 スライムへの変身の応用だろうか。ランジェットの全身……首から下は、薄く黒い塗膜のようなものに、完全に覆われていた。その豊かな胸の起伏や肉付きの良い身体のラインはそのままくっきりと浮かび上がっているが、皮一枚下の肉体がどのように『変身』しているのかは、もはや窺い知ることはできない。

 

「……ああ。裸が恥ずかしいっていう自覚はあったんだ」

「ランジェ、聖職者だからね〜。あの下品な死霊術師みたいに肌は見せないことにしてるんだぁ」

「良い心掛けだと思うよ。ぼくもあの下品な死霊術師のような安直な露出は好きじゃない」

 

 妙なところで意気投合しながらも、トリンキュロは凝り固まった体を一度ほぐすように、肩を回した。

 

「……きみさぁ」

「なに?」

「強くなったね」

 

 油断していた、とか。

 隙があったとか。

 そんな言い訳を重ねることはいくらでもできたが、しかしそれらもすべて己の心の在り方であることを理解しているトリンキュロは、そんな言い訳を口にしない。

 戦闘開始から、数分の駆け引きで回復の要である『因我応報(エゴグリディ)』を使わされた。

 ただ客観的に、数多の魔法使いを喰らってきた最上級悪魔は、純粋にその事実を評価した。

 

「魔法の切り替えがはやくなった。変身する魔物の使い分けも的確で、無駄がない。全身を変身させるだけじゃなく、部位ごとの変身も淀みなく、繊細だ。なによりも……連携を前提としない単独での戦闘の組み立てが、抜群に上手くなっている」

「あは〜。急に早口だ〜。キモい〜」

「誰を参考にしたのかな?」

 

 トリンキュロの質問に、ランジェットはすぐには答えなかった。

 ただ微笑んだまま、見かけだけは人間の形に戻った指先を真っ直ぐに正面へと向けた。

 

 

 

「あなただよ。トリンキュロ・リムリリィ」

 

 

 

 再生を前提とした身体の使い捨て。様々な魔法の使い分け。多彩な魔法の組み合わせ。単独で敵を圧倒する戦闘の組み立て。

 奇しくも、ではない。

 現在のランジェット・フルエリンの戦い方は、意図的に四天王第一位を……トリンキュロ・リムリリィを目指し、一年以上の時間をかけて、作り上げてきたものだ。

 

「ランジェはねぇ。魔王とは戦えなかったから、ずっとずっと……ずーっと考えてたんだ」

 

 そう。ランジェット・フルエリンは、ずっと考え続けていた。

 自分は、彼に置いていかれた。

 弱かったからだ。頼りなかったからだ。

 自分を大切にしてくれようとした彼は、自分のことを想ってくれた結果、自分をパーティーから外すことを選択した。

 どうすればよかったのだろう? 

 強ければ、よかったはずだ。

 では、どれくらい強ければ良かったのか?

 あの旅の中で、最も強く、おぞましく、恐ろしく、強かったのは、どんな敵だったか? 誰であったか?

 ランジェットの答えは、一つしかなかった。

 

「一人であなたに勝てるくらいに強くなれば、ゆうくんも旅の途中でランジェを捨てたことを、もっともーっと、後悔してくれるんじゃないかなって〜」

「……それ、本気で言ってる?」

「あは〜、冗談だよ〜」

 

 ランジェットは笑う。

 トリンキュロは、笑えない。

 その聖職者の笑みがどのような意味合いを含んだものなのか、理解できない。

 

 

「でも、あなたに勝てるっていうのは、ほんとかも〜」

 

 

 理解できないものこそ。

 トリンキュロ・リムリリィは、喰らいたくなる。

 

「……訂正しよう。ランジェット・フルエリン。ボクはきみに、興味が湧いてきた」

 

 勇者が率いたそのパーティーは、たしかに世界を救った。

 紅蓮の姫騎士、アリア・リナージュ・アイアラス。純白の賢者、シャナ・グランプレ。黄金の武闘家、ムム・ルセッタ。紫天の死霊術師、リリアミラ・ギルデンスターン。

 彼女たちは勇者と共に戦い、魔王を打ち倒し、世界に平和と安寧を取り戻した。

 しかしそれは、あくまでも一つの結果の話だ。

 もしも、彼女たちと肩を並べるほどの才能を持つ魔法使いが……彼に選ばれなかった魔法使いが、その後悔と無念を原動力に、己の魔法を磨き続けていたとしたら? 

 

「きみの魔法(こころ)、食べてもいいかな?」

「悪魔じゃ神様には勝てないって、証明してあげるよ」

 

 翡翠の輝きは、赫の頂点に、届き得る。




こんかいの登場モンスター

『クラムバット』
コウモリ型の魔物。捕獲レベル9。
小型ながらそこそこの凶暴性と、群れで襲ってくる厄介さを併せ持つ。独特な発声器官をもち、魔力を帯びた音波で獲物の動きを鈍らせて仕留める。炎熱系の魔術が弱点なので、音波の届かない遠距離から攻撃するのが一般的な対処法。
肉は筋張っていて固く、可食部も少ないため食用には適さない。

『ギルラング』
大蛇型の魔物。捕獲レベル17。
人を丸呑みするほどのサイズと、一噛みで大人を動けなくするほどの猛毒を併せ持つ危険なモンスター。魔長蛇の異名でも知られている。最大の特徴は、一瞬で伸縮する胴体。間合いを見誤った相手に、素早い伸縮を伴った毒牙で襲いかかる。なめした皮は様々な防具や日用品に利用される。が、換金を目的にした経験の浅い冒険者が返り討ちに逢うことも多い。
身には毒があるため、当然食用には適さない。

『スライム』
粘液の塊のような魔物。捕獲レベル1以下。ただし大型の個体は異なる。
そこまで積極的に人を襲うわけでもないため「厳密に区分するなら魔物ではないのでは?」と言われることもある弱小モンスター。しかし、稀に見る大型の個体は積極的に捕食行動を取る上に打撃や斬撃も通用しないため、かなりの難敵。よく官能小説のネタにされている。
細菌や雑菌やよくわからないものをたくさん含んだ水分の塊であるため、当然食用には適さない。

『ランジェット・フルエリン』
ゆるふわ正論巨乳おねーさん聖職者。捕獲レベル測定不能。
全身だけでなく、体の部位を細かく様々なモンスターに変えて襲いかかってくる。変身のタイムラグも極めて小さく、目を離した次の瞬間には別の生き物に変わっているレベル。やわらかくおだやかな笑みで獲物を惑わし、己の手中に収めることを喜びとしている。
勇者を食べようとしている。




漫画版の三話が更新されております。

https://to-corona-ex.com/episodes/143727209498122

騎士ちゃん回です。具体的にはパンツが見れます。是非




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一方、その頃の先輩は

 旅の中で最も重要な問題は、なんといってもやはり食料の確保である。

 赤髪ちゃんというスーパー腹ペコガールの有無に関わらず、空腹は旅路のモチベーションに常に直結する。

 ましてや、なんの準備も蓄えもなしに唐突にはじまった旅では、食料は現地調達するしかないわけで。

 

「絶対に逃がすなっ! 今日の肉だぁ!」

 

 そんなわけで、おれは獲物を指差して絶叫していた。

 ジェミニと戦ってた時とかより叫んでる気がする。正直それくらいおれも腹が減っている。

 

「賢者ちゃん!」

「確実に退路を断ちます」

「騎士ちゃん!」

「急所をやりたいね。やっぱり首かな」

「師匠っ!」

「仕留めたら、任せて。責任をもって鮮度を保つ」

 

 世界を救った賢者が魔導陣を展開して退路を断ち、世界を救った騎士が両手に聖剣を握りしめて突撃し、世界を救った武闘家が凄まじい勢いで跳躍する。このメンバーによってたかってボコボコにされた経験があるのは、世界を滅ぼそうとした魔王くらいだろう。ターゲットにされてしまった獲物くんには激しく同情するが、これも生きるための戦いである。許してくれ、手を抜くことはできないんだ。

 おれだけではない。今のおれたちは、猛烈に腹が減っている。

 結果、空腹による効果で過去最高と言っても過言ではないレベルの連携を発揮したおれたちは、見事に獲物を仕留めることに成功した。

 

「やったぁ! お肉だ! お肉!」

「騎士さん騎士さん。落とした首振り回さないでください。血が飛び散ります」

 

 仕留めた獲物はメイルレザル……冒険者の間では俗にヨロイトカゲと呼ばれる地を這うリザードの一種である。表皮の鱗が固く、矢や剣を通さないため、そこそこ経験のある冒険者パーティーでも手を焼くモンスターの一種だ。しかしその分、硬い鱗に守られた肉は引き締まっていて美味であり、その鱗も鎧などの工芸用品としてよく利用されている。おまけに、目玉は珍味で酒のあてにぴったりときている。全身を余すことなく活用できる、冒険者にとっては貴重なモンスターと言えよう。

 しかし、その首をぶんぶん振り回して喜んでいる全身鎧の姫騎士、という絵面はなかなかにくるものがある。聖剣の二刀流で真っ先に首を狩りに行く生粋のバーサーカーって感じだ。

 

「うむ。少々小ぶりだけど、悪くない。良い肉質をしている」

 

 師匠が、首がないメイルレザルの亡骸を無表情でぺたぺたと触る。早速、仕留めた獲物の肉質を確かめながら、その静止の魔法で抜け目なく血止めをし、肉の鮮度を保ってくれているらしい。相変わらず見た目は幼女なのに、心遣いがどこまでも細やかだ。いつもありがとうございます。

 

「お肉はもちろんいただきますが、メイルレザルの鱗は様々なものに加工できます。ぜひとも持って帰りたいですわね」

 

 それっぽい文化人らしいことを、死霊術師さんがほざく。

 

「勇者さん。ここは一度、先ほど通り過ぎた川辺まで戻りましょうか。調理をするのに水があるのに越したことはありません」

 

 淡々と、賢者ちゃんがそう提案する。純白の肌、雪のような銀髪。ついでに魔法の色も白と真っ白なキャラを売りにしているが、飛行船の墜落事故からのどたばたのせいで、体のあちこちが煤けていた。

 

「しかし、獲物が仕留められてよかったです。もう少しで、あそこで転がっている死霊術師を食べることを真面目に検討しなければならないところでした」

「わたくし共食いの危機……?」

 

 まあ、中身は元々腹黒なので、このくらいがちょうどいいのかもしれない。

 

「うう」

 

 と、そこでおれが背負い続けていた赤髪ちゃんが、ようやく目を覚ます気配がした。

 

「あ、起きた?」

「勇者さん? わたし……」

 

 おれの頬をくすぐるようにして、鮮やかな赤い髪が揺れる。

 

「お腹が空きすぎて倒れちゃったんだよ、赤髪ちゃん」

「ええっ!? す、すいません! だ、大丈夫です! わたし、自分で歩けます!」

「いやいや、いいよいいよ。おれの背中でよければしばらく貸すから、そのまま休んでて。ちょうど今、メイルレザル仕留めたから、ご飯にしよう。お腹空いたでしょ?」

「えっと、はい。もう正直ペコペコです」

 

 うーん、相変わらず折り紙付きの燃費の悪さだ。

 

「やれやれまったく。勇者さんは赤髪さんに本当に甘いですね」

 

 赤髪ちゃんを背負っているおれの隣で、賢者ちゃんがぼそっと呟いた。

 

「賢者ちゃん。仕方ないでしょ。赤髪ちゃんはおれたちとは違って、旅とかまったく慣れてないんだから」

「かといってその腹ペコ娘を甘やかすのもどうかと思いますけどね」

 

 つーんとした賢者ちゃんの言葉に、赤髪ちゃんがしゅんと小さくなる。

 やれやれ。賢者ちゃんは思ったことをはっきり言うので、なんでも素直に受け止める赤髪ちゃんとは、こういう時には相性が悪い。

 おれが賢者ちゃんに釘を刺す前に、察してくれたのだろう。騎士ちゃんが金髪のポニーテールをぶんぶんと揺らしながら、赤髪ちゃんと賢者ちゃんの間に割って入った。

 

「はいはい。そこまでにして。ご飯をゲットできたんだからさっさと移動するよー」

「うむ。わたしも、ひさびさに肉を食らいたい」

「ええ、ええ。これだけ空腹であれば、メイルレザルの野性味に溢れた肉もおいしくいただけるでしょう!」

「え。あなた何もしてないのに、自分の分があると本気で思ってるんですか?」

「わたくしメシ抜きの危機……?」

 

 なにはともあれ。

 ひさびさに腕を振るうとしようか!

 

「どんな感じで食う?」

「丸焼きにしよ! 丸焼き!」

「ええ……? 見た目がグロいからいやですよ。なんでもいいので、小さく食べやすい形にしてください」

「わたしは、目玉はいらない。苦いから、あげる」

「あらあら、見た目だけでなく舌までおこちゃまの武闘家さまはこれだからダメですわね。メイルレザルの目玉は珍味として社交界でも人気がありますのよ。あ、勇者さま。わたくしは肩の肉をステーキでお願いしますね。焼き加減はレアでぐぉぁああ!?」

 

 遠慮なくやたらとめんどくさい注文をしてきた死霊術師さんを武闘家さんが無言で地面に叩きつけ、騎士ちゃんと賢者ちゃんと武闘家さんがよってたかって袋叩きにする。賢者ちゃんは杖で、騎士ちゃんは大剣の腹で、師匠は拳で文字通りに袋叩きにしている。ああいう感じに調理の前に叩いておくと、肉がやわらかくなっていい下ごしらえになるんだよな。もちろん死霊術師さんは食べられないけど。

 

「うん。もうめんどいからスープで煮込むわ。腹にも溜まるし。あとは普通に焼こう」

「でも勇者さん。焼くのはともかく、お鍋とかあるんですか?」

「もちろんないよ。そういうわけで……騎士ちゃん」

「なに? 勇者くん」

 

 ひとしきり死霊術師さんを袋叩きにして満足した様子の騎士ちゃんが、こちらを振り返る。

 

「鍋貸して」

「いや、あたし、お鍋とか持ってないけど」

「持ってるでしょ」

「ええ? どこに?」

「頭の上に」

「……うわあ」

 

 頭に被っている頭兜を指差す。

 いつも朗らかな騎士ちゃんが、めずらしく本当にいやそうな顔をした。

 

 

 

 

「おいおい。うちの後輩は、まーた消えたのかい。こまったものだね、リーオナイン団長」

 

 ステラシルド王国第三騎士団団長、イト・ユリシーズは心底あきれたように言葉を漏らした。

 

「まったくですね、ユリシーズ団長。ウチの親友には、本当にこまったものです」

 

 ステラシルド王国第五騎士団団長、レオ・リーオナインはどこか楽しげに肩を竦めてみせた。

 勇者パーティーが消息を絶ったという報告を受けてから、約一日。依然としてその行方は掴めていない。

 

「それで、陛下のご意向は?」

「公表はしない、とのことでした。無難でしょうね。つい先日も駆け落ち騒ぎが起きたばかりだというのに、また消えました!なんて言えるわけがない」

「同感同感。ま、それだけじゃないと思うけどね」

「と、言うと?」

「今回は例の聖女さまもご同行されてるでしょ? 外交問題に発展しかけないから、迂闊に消息不明です、なんて言えないんだよ」

「なるほど。それは道理ですね」

 

 肩を並べて歩きながら、レオは自分よりも低い位置にあるイトの表情を、横目で見て笑った。渋いものと甘いものを同時に口に含んだような顔になっている。

 ランジェット・フルエリンという聖女の存在感は、下手をすればステラシルドにおける勇者の存在よりも大きい。勇者はステラシルドの国政に関わることはほとんどないが、彼女は現在でも国の中枢に深く食い込み……否、ランジェット・フルエリンという人物そのものが国の中枢として、今も機能し続けている。

 

「うむうむ。お隣のアイアラスとか、北のキドンとかもそうだけどさ。魔王を倒して世界が平和になった今の方が、外交問題でピリつくし、考えることも多い……っていうのは、なんとも皮肉な話だよねぇ」

「はっはっは。魔王という共通の敵がいたからこそ、人類は団結できた。そういった側面があったことは、否定できない事実なのでは?」

「わー、やなこと言うねレオくん」

「これでも作家の端くれですからね。脚色は得意ですが、事実は事実として受け止めなければ」

「事実、ねえ」

 

 レオの発したその言葉を、口に含んで転がすようにして。

 イトは一つしかない横目を、上目遣いに向けた。

 

「レオくんはさぁ」

「なんです? イト先輩」

「王国内に、いると思う? 魔王残党の内通者」

「いますね」

 

 あっさりと、イトの問いかけをレオは肯定した。吟味するまでもない。即答であった。

 扉を開けて、二人は屋外へと出る。

 

「おやおや。随分はっきり断言するんだね」

「ぼかしても仕方のないことですからね。今回、陛下が親友に出した依頼を知る人物は、そこまで多くありません。親友が急に消息を絶ったところで今さら心配はしませんが……しかし、乗っていた船を落とされる程度には追い詰められ、苦戦するほどの敵にこちらの情報が漏れていた、というのは紛れもない事実」

「また最上級かね」

「おそらくは」

「いやになっちゃうね。せっかく世界が平和になったのに、ぽこじゃかと思い出したみたいに湧いてきて」

「それだけ、かの魔王が遺したものは大きかったということでしょう」

 

 唇を尖らせて、イトは頭の後ろで手を組む。

 

「純粋な疑問なんだけど……どうして魔王はあれだけの力を持つ最上級の悪魔たちを、もっと自分の手駒として使い潰さなかったんだろうね?」

「単純に、戦闘向きの魔法を持っていない最上級が生き残っているだけでは? 事実、トリンキュロは四天王の第一位として重用されていたわけですし」

「でも、ジェミニとかサジタリウスみたいに、ずっと潜伏していたヤツもいたわけでしょ? そういう最上級をもっと側に仕えさせておけば……魔王は勇者に負けなかったんじゃないの?」

「先輩らしくありませんね。世界を救った我らが親友の実力を疑うんですか?」

「そーいうわけじゃないけどさー!」

 

 べしべし、と。平均よりも小さい手のひらが背中を軽く叩く。むくれているところが可愛らしいのは、イトの人柄というべきか。レオは小さく笑って、その手を控えめにはらった。

 

「わかりましたよ。自分も、親友の実力を疑っているわけではありませんから。しかし、連絡が取れないのが現状です。対処はしなければなりませんね」

「うんうん。頼れる歳上おねえさんであるワタシが迎えに行ってあげれば、後輩も喜ぶでしょう!」

「……頼れる、歳上……おねえさん?」

「なんでそこで疑問形になるの?」

「いえべつに」

 

 げしげし、と。普段からよく鍛えられている腕が背中を強く叩く。わりと目が据わっているあたり、イトはどうやら本気で自分のことを『頼れる歳上おねえさん』だと思っているらしい。

 ドジで抜けている天然おねえちゃんの間違いではないですか、と口に出して訂正する勇気はなかったので、レオは曖昧に笑って空を指さした。

 

「ほら、先輩。お待ちかねのものが来ましたよ」

「お、やっと来ましたかー。じゃあ交渉しようかね」

 

 吹き下ろす強烈な風が、イトとレオの肩幕を強くはためかせる。

 ギルデンスターン運送が魔王軍から接収したドラゴンを輸送に用いているのは、もはや他国にも広く知られている有名な話だが……輸送用に使われているドラゴンがいるように、当然『軍用に使われるドラゴン』も存在する。

 地面に着陸し、翼を休めるように大きく伸びをする巨竜。その背中から降り立ったのは、全身を漆黒の甲冑で覆った、見上げるような巨漢だった。

 大型モンスターの討伐を主な任務とする、スペシャリストたち。国内に存在する騎士団の中で、最も遊撃に適した機動力を持つ戦闘集団。それが、第二騎士団。

 

「……ユリシーズとリーオナインか」

 

 そんな第二騎士団を率いるのが『黒騎士』。

 ジャン・クローズ・キャンピアスである。

 

「ご無沙汰しております。キャンピアス卿」

「挨拶は不要だ。何か用があって来たのだろう? でなければ、騎士団長が揃って私の出迎えをする理由もあるまい」

 

 相変わらず、紡ぐ言葉に嫌な威圧感がある。表情の一切を覆い隠す鎧兜の奥から響く声は、低く重い。

 頭を下げたままレオは苦笑いを浮かべたが、隣のイトはさっさと頭を上げて、朗らかに告げた。

 

「実は、例の飛行船の試験飛行に出た勇者様の消息がわからなくなってしまいまして……可能であれば、ぜひキャンピアス卿にも捜索のお力添えをいただきたく、こうしてお願いに参りました」

「勇者殿の捜索のために私の竜を貸せ、と。そういうことか?」

「はい! お話が早くて助かります」

「断る」

 

 やはりか、と。

 キャンピアスの予想通りの返答に、レオは内心で溜息を吐いた。

 第一騎士団のグレアム・スターフォードに勝るとも劣らない実力を持つ、と言われるキャンピアスは古参の武闘派であると同時に、明確に貴族派に属する騎士だ。平民出身のグレアムや、そんなグレアムが後見人となって騎士学校に入学させたイトとは、そもそもの反りが合わない。

 簡潔に言ってしまえば、派閥の違いというやつだ。

 

「第二騎士団の戦力を動かしたければ、正式に陛下を通して命令を下せ。横から貴様らにお願いをされたところで、聞く気にはなれない」

「……どうしてもですか?」

「くどいぞ」

 

 ぴり、と。空気がひりつく。

 レオは隣に立つイトの表情を見る気にはなれなかった。顔を見るのがこわいからだ。

 これ自分が止めなきゃいけないのかなぁ、と。いやだなぁ、と。思いながらも、間に入る。

 

「まあまあ、お二人とも……」

「貴様は引っ込んでいろ。リーオナイン。悪いが、ここはハッキリと言わせてもらう」

 

 頭兜越しにもわかる鋭い眼光。威圧感すら伴う視線を突きつけながら、キャンピアスは言い切った。

 

「ユリシーズ。近い将来、勇者殿の花嫁になる貴様が彼の身を案じるのはわかるが……」

「ひゃい!?」

 

 イトの喉から、なんかすごい声が飛び出た。

 漆黒の鎧を着込んだ堅物騎士から、なんだかすごいセリフが飛び出してきたからだ。

 

「……なんだ? 違うのか。私が聞いた話では、貴様は学生時代の後輩である勇者殿のことを、異性として好いている……と。そう思っていたのだが」

 

 眼帯がされていない、片方だけの目を泳がせて。

 腰の前で、両手の指を絡めて。

 薄い朱色に染まった頬を隠せないまま、ぼそりと呟いた。

 

「いや……そうですけど」

 

 声ちっちぇ。

 レオは顔を伏せた。笑いを堪えてるのがバレたら困るからだ。

 イト・ユリシーズは、自分から攻める時は強いが、不意打ちにはわりと弱い。自分で言うのは得意だが、他人から言われるのも、わりと弱い。

 

「ならば、信じて待つのが未来の妻の甲斐性というものだ。勇者殿はお強い。我々のような者が身を案じずとも、必ず無事で帰ってくるだろう」

「つっ……!? ……ごほん。ええ、そうですね。仰る通りです。失礼しました」

「分かれば結構だ。では、私は失礼する」

 

 去っていく大きな背中を眺めながら。

 イト・ユリシーズはその背中が見えなくなったタイミングで、レオに向かって勢いよく振り返り、とても元気良く、朗らかに上機嫌で叫んだ。

 

「レオくん! キャンピアス卿ってもしかして良い人!?」

「ちょろすぎです。先輩」

 

 

 

 

 結局、スキップしながら戻っていったイトの姿が見えなくなったのを確認して、レオは深く溜息を吐いた。

 

「やれやれ……こちらが少々肝を冷やしたのが馬鹿のようだ」

 

 イト・ユリシーズは、学生時代に最上級悪魔の一柱であるキャンサー・ジベンを殺害している。正体を見破られるようなへまをしたつもりはないが、それでも探りを入れるようなことを聞かれるのは、いささか心臓に悪い。

 

「さて……トリンキュロは聖女殿との交戦にかかりきり。我が親友が船から降りたのは、このあたりか……」

 

 地図を広げて、最上級悪魔は思考する。

 今回の襲撃計画を、レオはトリンキュロから聞いている。

 しかし、現状はトリンキュロの思惑通りに事が運んでほしくないのも、また事実。勇者が四天王第一位に簡単に敗れるとは思っていないが……しかし、トリンキュロに勇者が殺されてしまうのも、レオにとっては好ましくない。

 勇者を、勇者に戻すために。

 必要なピースは、まだ欠けたままだ。

 今頃は山登りに励んでいるであろう勇者の顔を思い浮かべて、レオ・アハトは微笑んだ。

 

「……なるほど。タウラスの出番になるな」




こんかい登場した騎士団長

イト・ユリシーズ
第三騎士団団長。
ちょろい。褒めるとすぐ調子に乗る。攻めてる時は照れないくせに、攻められるとちょっと照れる。不意打ちにも弱い。恋愛が絡むと切れ味が鋭い分、脆い刃物みたいになる。
にぶい。隣にいるヤツが真っ黒であることに気がついていない。探偵とか絶対に向いてない。船降りろ。

レオ・リーオナイン
第五騎士団団長。実は最上級悪魔。
先輩がおもしろかった。
キャンピアスには色々と聞きたいことがあったが、上手く流されてしまったなと思っている。
勇者×アリア派

ジャン・クローズ・キャンピアス
第二騎士団団長。黒騎士の異名で知られる武闘派であり、保守的な貴族派。常に全身甲冑を身に纏っており、その素顔を見る機会は少ない。
魔王により前任の騎士団長たちが殲滅されたあと、グレアムと共に騎士団の再建に尽力したが、現在では国政を巡って派閥上は対立関係にある。グレアムの元部下であるギルボルトもその出自から貴族派に属しているが、両者が部下と上司の関係であった都合上、貴族派の筆頭騎士としての地位はキャンピアスが担っている。
魔法を介して操っているリリアミラとは異なり、純粋な実力でドラゴンを飼い慣らしている、名実共に偽りのないドラゴンライダー。黒騎士の名は、勇者の色を称号として使うことを許されている証明でもある。
勇者×イト派らしい。


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勇者のわくわく野外クッキング

 さてさて。

 ひさびさに腕を振るわせてもらいましょうか。

 

「はい、というわけでね。今日はこの騎士ちゃんの頭兜を鍋にしてね。お料理をね。していきたいと思います」

「な、なるほど?」

 

 勇者さんクッキングのはじまりだ。助手は赤髪ちゃんである。

 まずは器の確保。川の水でざっと頭兜を洗っておく。うん。鍋にするのにちょうどいいサイズだ。

 

「ねえー、やめようよー。それあたしが被ってたヤツだよ? 絶対臭いよ」

「大丈夫。騎士ちゃん臭くないから」

「そ、そういうことじゃなくて……」

「なんで騎士さんは顔を赤くしているんですか?」

 

 賢者ちゃんが呆れた目で騎士ちゃんを見上げる。

 

「ええ、わかります。わかりますとも。わたくしもどうせなら在りし日の勇者さまの鎧兜を器にしてスープを飲み干したかっ……ぐべぇあ!?」

 

 武闘家さんが死霊術師さんを岩壁に叩きつけ、そのまま騎士ちゃんにパスし、騎士ちゃんもにこやかな笑みのまま死霊術師さんを叩きつけた。叩きつけた、というか、叩きつけ続ける。頭兜を被っていないので、振り乱れる金髪の間から表情がとてもよく見える。目が据わってる。超怖い。

 うーん。ひさびさに魚も食いたいなぁ……タタキにして安い酒でいいからくいっと一杯やりたい。

 

「まあ、大丈夫だよ騎士ちゃん。騎士ちゃんの鎧兜って展開する度に生成されてるんだから、むしろ一番清潔でしょ」

「うーん。それはそうなんだけど、でもなんかなぁ」

 

 気が済んだのか、タタキどころかすり身になっていそうな死霊術師さんを放り投げて、騎士ちゃんが腕を組む。死霊術師さんはもう動かない。ただの屍のようだ。

 

「そういえば、騎士さんの鎧ってどういう仕組みなんですか? いつも、いつの間にか着込んでますけど」

「えっへへ。この鎧は『夜支天鎧(アトラスシルバ)』っていってね。あたしが最後に手に入れた遺物装備なんだ」

「いぶつそうび?」

「ダンジョンの奥とか遺跡とかから発掘される、魔力が籠もった特別な道具の総称だよ。騎士ちゃんの聖剣とかもこれにあたるんだ。装備と契約して魔力的な繋がりを作るから、持ち主しか取り出せなくなるけど、その分メリットも大きい」

「な、なるほど」

 

 頷きながら赤髪ちゃんの髪の毛がぴょこぴょこと揺れる。ちょっと一気に説明しすぎたかな?

 

「じゃあ、賢者さんの杖とかも?」

「は? バカにしないでください。これはわたしが丹精込めて作ったお手製です」

「愛着、あるんですね……」

「賢者ちゃんは基本的に物持ちめちゃくちゃいいよ。鉛筆とかもすっごく小さくなるまで使い切るし」

「そうなんですね……」

「赤髪さんに余計なことばっか教えないでください」

「いてっ」

 

 長年愛用しているお手製の杖で、ケツをしばかれた。

 

「勇者くん。お肉は切り分けとく?」

「ああ、うん。いい感じに頼むわ。聖剣でこうずばっと」

「はいはい。そういえば勇者くん、自分の魔剣って今どうしてるの? まさか、捨てたり売り払ったりしたわけじゃないでしょ?」

「魔王にとどめを刺したあんな物騒なヤツ、普段から持ち歩きたくないよ。封印しておくに決まってるでしょ」

 

 具体的には、アレは今も元気に我が家の台所の下で漬物石をやっていることだろう。うーん、今回は数日しか家を空けない予定だったから、遠出の準備してないんだよな。今回漬け込んだ分の野菜はわりと自信作だったから、赤髪ちゃんにも食べてほしいところだ。隣のおばあちゃんに鍵は預けてあるから、ぬか床かき回しておいてくれないかな……

 とはいえ、今は絶対に食べられない漬物に思いを馳せるよりは、目の前の肉である。

 

「それではね。この頭兜にね。お水をね。張っていきたいと思います」

「でも、隙間からお水が漏れるんじゃ?」

「漏れないんだなぁ、これが!」

「ほんとだ! 漏れてないです!」

「なんとこちらの頭兜! 一度被れば、装着者の頭に合わせてジャストフィット! しかも魔力のシールドで完全防水! 吸えば即死するようなヤバイ毒の霧も一切通さない!」

「いやそれ呼吸できなくないですか?」

「ご安心ください。常に迅風系の魔術によって新鮮な空気をあなたにお届けします」

 

 商品も真っ青の渾身のセールストークで売り込んでいくと、赤髪ちゃんが頭兜を見る目が、何か恐れ多いものになった。

 

「……これおいくらなんですか?」

「これいくらくらいになるんだっけ騎士ちゃん」

「うーん。全身含めた値段はよくわからないけど、その頭兜だけでもお屋敷買って一生遊んで暮らせるんじゃないかな」

「ひえっ……」

 

 目の前の鍋の価値を理解した赤髪ちゃんが後退した。腐っても魔王を倒して世界を救った姫騎士の装備である。それくらいの価値は当然ある。

 まあ、そんなに身構えないでほしい。これからこいつを器にしてスープを作るわけだし。

 

「そういえば、火も起こさなければいけませんね! わたし、小枝とか集めてきます!」

「ああ、大丈夫。必要ないよ」

「え?」

「騎士ちゃん。これ沸かして」

「はーい」

 

 騎士ちゃんに頭兜を渡した瞬間、中の水が一瞬で沸騰した。

 

「へ?」

 

 ぐつぐつと沸き立っている水を覗き込んで、赤髪ちゃんが赤い目をまん丸にする。

 ああ、そうか。赤髪ちゃんは、派手に燃やしたり凍らせたりしてる騎士ちゃんばっか見てるから、あんまり実感ないかもしれないけど……

 

「いやほら、騎士ちゃんの魔法で触れたものの温度調整は自由自在だからさ」

「はい。火を起こさずに……焚き火をせずに加熱調理ができる。煙を出さずに、敵地のど真ん中でも炊き出しができるということです。騎士さんの魔法は戦闘以外でも非常に便利です」

「いやあ、それほどでも」

「ほぇ〜やっぱり魔法ってすごいですね……」

 

 感嘆したように、赤髪ちゃんが呟いた。そうそう、魔法ってほんとすごいんですよ。

 

「さて、それじゃあ本格的な調理に移りますか。騎士ちゃんお肉は?」

「捌いてあるよ」

「おっけー、ありがとう。うーん。やっぱ全員で食べるには少ないな……」

 

 そう漏らした瞬間、食べ盛りの赤髪ちゃんの肩が目に見えて下がる。

 しかし、ここで我慢させてしまうようでは、調理人としてのおれの名が廃る。

 

「安心して、赤髪ちゃん」

「え?」

「出すからにはお腹いっぱいに食べてもらうのが、おれの勇者メシ……この青空の下、大自然の中でみんなで囲む、おれの勇者ごはんのポリシーだ」

「呼び名どっちかに統一できないんですか?」

「というわけでよろしく賢者ちゃん」

「やれやれ。本当にこういう時は私頼みですね。あまり生肉には触りたくないんですが」

「あとでちゃんと手洗ってね」

「お母さんですか?」

 

 ぶつくさと文句を言いながらも、やはり賢者ちゃんもお腹が空いているのは同じだったのだろう。

 ぴたり、と指先が生肉にほんの少しだけ触れた。

 瞬間、切り分けられた肉が増えた。

 それもう、どっさりと。

 

「え?」

「何を呆けた顔をしているんですか? 私の魔法を忘れたわけじゃないでしょう?」

「いやほら、賢者ちゃんの魔法って触れたものをそっくりそのまま増やせるからさ」

「だからあたしたち、パンの一個でも確保できればひもじい思いをせずに済んでるんだよね。ほんと『白花繚乱(ミオ・ブランシュ)』さまさまって感じ」

「ふふん。もっと褒め称えてください」

「賢者さん!」

「うわ!? ちょ、なんです!?」

 

 がしっと。赤髪ちゃんが賢者ちゃんに思いっきり抱き着いた。

 

「ありがとうございます。本当にっ……ありがとうございます。賢者さんの魔法はっ! 最高です!」

「ふ、ふん! どうやらあなたもようやく私の優秀さが理解できてきたようですね。まあ、私に対する尊敬の念を忘れないのであれば……」

「本当の本当の本当に、ありがとうございますぅ!」

「いやちょっとなに泣いてるんですか? ちょ、鼻水ぅ! 鼻水出てます!? こっちくるな!?」

 

 わちゃわちゃとくっつき始めた赤髪ちゃんと賢者ちゃん。そんな二人を見て、騎士ちゃんおれを横からつついた。頬が不満そうに膨らんでいる。

 

「なに。どしたの」

「……あたしの魔法の時と比べて、反応が違い過ぎる気がする」

「あー、うん。いや、ほら。赤髪ちゃんも食べざかりだしね」

「反応が違う気がする」

 

 拗ねてちょっとぷくぷくしはじめた騎士ちゃんを宥めながら、調理を進めていく。

 沸いた水に、適当に捌いた骨と肉を頭兜、というよりももはやただの鍋になってしまったそれにぶち込んでいく。いつの間にか師匠が採集していた香草なんかも加えてみて、いい仕上がりになりそうだ。

 

「とはいえ、やっぱ結構灰汁が出るなぁ。騎士ちゃん。手甲ですくってくれる?」

「なんなの? あたしの鎧を全身調理に使わないと気が済まないの?」

「勇者さん。お肉はなにで焼きます?」

「騎士ちゃん鎧の胸当て」

「ねえ!? あたしの鎧で全身調理する気でしょ!?」

「そうだよ」

「そうだよじゃない!」

「勇者さん。この鎧の胸当て、胸の部分に不自然で不愉快な盛り上がりがあって、なんだかとても焼きにくいです」

「それはがんばって」

「潰していいですか? どうせ元に戻るんでしょう」

「やめなさい!」

 

 と、そこで死んでからほっとかれていた死霊術師さんが戻ってきた。

 

「あらあら、良い匂いがしてきましたわね」

「なんで服脱いでるの?」

「わたくし、やはり身嗜みには気を使いたいタイプなので、服は軽く洗ってきました。そこに川があったので」

「えぇ……」

 

 先ほど死んでいた傷は完治しているが、死霊術師さんは当然のように全裸である。身体の前に垂れているきれいで長い黒髪がなければ、大事なところが丸見えになってしまうところだ。この死霊術師、あまりにも生まれたままの姿でいることに慣れすぎている。

 

「死霊術師さん。目に毒だから服着て」

「生憎ですが勇者さま。わたくしの身体に恥ずべきところなどありません」

「うん、ごめん。おれの言い方が悪かったね。目障りだから服着て」

「わたくしのナイスバディが、目障り……?」

「全裸だと危ないですよ。ほら、脂も跳ねますし」

「これはこれは、本当においしそうなお肉……あっづう!?」

 

 ナイスバディの全裸の身体に、溢れんばかりの肉汁が跳ねた。とても熱そうだ。しかし、同情はしない。むしろ当然の報いである。

 のたうち回っている死霊術師さんは放っておいて、おれは既に口元から涎という液体を分泌しはじめている赤髪ちゃんに声をかけた。

 

「どれどれ。ちょっと味見してみる? 赤髪ちゃん」

「いいんですか!? わたしが先にいただいてしまって!?」

「どうぞどうぞ」

「私たちはあなたほど食い意地が張っているわけではありまえんからね」

 

 騎士ちゃんと賢者ちゃんも、すすっと肉の前を譲る。

 

「じゃあ、お言葉に甘えていただきます!」

 

 あーん、と。

 ばくり、と。

 最初に焼けた肉を頬張った赤髪ちゃんは、ニコニコとその口の中で溢れる肉汁を堪能し、頬に手をあて、身悶えて喜びを露わにして、

 

「……勇者さん」

「うん。どうかな? おいしい?」

「あの、非常に申し上げにくいのですが」

「うん?」

「……あんまり、味がしません」

 

 すん、と。虚無が極まる表情で、告げた。

 あれだけ期待に目を輝かせていた瞳が。

 あれだけおいしさを元気いっぱいに発露させてきた笑顔が。

 一瞬で、溝川に漬け込んだ宝石のように、輝きを失ってしまっている。

 

「……」

 

 あまりの己の愚かさに、おれは言葉を失ったまま膝から崩れ落ちた。

 

 

 

「そうだよ。塩ないじゃん」

 

 

 

 全員が、絶句する。厳密に言えば、地面で呑気にのたうち回っている死霊術師さんを除く全員が、絶句する。

 塩。ソルト。人間の舌が旨味を感じるために、絶対に必要な調味料。

 迂闊だった。ひさびさの、しかも急にはじまった旅のせいで、おれたちは文明的な調理に必要不可欠なそれがないことを、きれいさっぱり失念していた。

 なんだかんだと言いながら、肉を目の前にして浮かれてしまっていたのだろう。

 

「……」

「……」

「……」

 

 あまりにも気まずい沈黙だった。全員が押し黙って、この事実に気づかず調理を進めていた事実に、触れようともしない。肉が焼ける音が響き、香草の無駄に良い香り漂ってくるのが、余計に沈黙の時間を残酷なものに仕立てあげていた。

 けれど、パーティーが窮地に陥った時、真っ先に解決案を提示するのがリーダーの役目である。

 意を決して、おれは口を開いた。

 

「賢者ちゃん塩出せる魔術とかないの?」

「あるわけないでしょう」

 

 即答だった。

 リーダーであるおれは、また杖でケツを殴られた。さっきよりも痛かった。

 

「勇者くん」

「なんだい騎士ちゃん」

「汗ってさ。しょっぱいよね?」

「だめだ。それ以上いけない」

 

 死んだ目で静かに暴走をはじめた騎士ちゃんをどうやって止めるか悩んでいると、ようやく死霊術師さんが会話に戻ってきた。

 

「あらあらあら、みなさまどうしたのです。急にお通夜のように押し黙って」

「死霊術師さん。ショックを受けずに、落ち着いて聞いてほしいんだけど」

「はいはい」

「……塩が、なかったんだ」

 

 自分でも驚くほど、苦痛を滲ませた声が喉から漏れた。

 

「塩? ああ、塩ですか。それくらいならわたくしがお出しいたしますけど」

「え?」

 

 今なんて言った?

 一も二もなく、おれが死霊術師さんに飛びついた。

 

「死霊術師さん、塩持ってるの!? 全裸なのに!?」

「落ち着いてください勇者さん。騙されちゃいけませんよ。この女は今、全裸なんです。冷静に考えて塩の瓶の一つたりとも持ち歩けるわけがないでしょう」

 

 たしかに。賢者ちゃんの言うとおりだ。今の死霊術師さんが物を隠せそうな場所なんて、精々その豊かな胸の谷間くらいだろう。何かしら仕込めそうではあるが、しかしその胸の谷間に都合よく塩が仕込まれているとは思えない。

 などと思っていたら、死霊術師さんは「ちょっとはしたないですが、お許しくださいね」と呟きながら、少し離れた場所でうずくまった。

 

「うぇ」

 

 と同時に、何かを吐き出すような苦しげな声とともに、口の中から唾液に塗れたそれを取り出す。

 

「ふぅ……生まれました。はい。どうぞ」

「いや、は?」

「元気なお塩です」

「やかましいわ」

 

 まてまてまてまて。生まれましたって言った? 今それ、どこから取り出した?

 少なくともおれの目には、口の中から出てきたようにしか見えなかった。しかし、目を凝らして見れば見るほど、それは塩の入ったガラス瓶だった。

 

「だって、これ。え……? ほんとに塩?」

「もちろん。エルロンゼ地方のれっきとした高級品です。わたくしの会社でも取り扱っている自慢の一品ですわ」

「おれが聞きたいのは塩の詳細じゃなくて、なんでその塩が死霊術師さんの口から出てきたか、なんだけど」

「ああ。そちらについてですか。ご覧の通り、口の中にしまっておいたものを取り出しただけです」

 

 あーん、と。おれの目の前で、死霊術師さんは口を開いてみせた。

 

「勇者さま、ジェミニの一件で箱の中に閉じ込められたのは覚えていらっしゃいますか? 手のひらサイズくらいの箱ですわ」

「ああ、うん。たしかに閉じ込められたね」

 

 とりあえず無理やりぶん殴って壊したやつね。なんだか少し懐かしいな。

 

「あれ、空間を歪めて物体を収納する遺物なのですが、似たタイプの非常に小さなものを、わたくしは奥歯に仕込んでおりまして。ある程度の小物なら、口の中にしまっておくことができるのです。取り出す時にちょっと吐きそうになりますが、まあ些細な問題でしょう」

「聞いたことがないんだけど」

「言ったことがありませんもの」

 

 うふふ、と。死霊術師さんは口元に手を当てて上品に笑った。悪びれる素振りすら見せないあたり、本当に良い根性をしている。

 

「ほら、わたくし魔王さまの下で働いていた時代は、いろいろな方から疎まれていたでしょう? 魔法のおかげで体が不死身なものですから、他の方法で心を折ろうとしてくる輩がそれはもう多くて多くて……みなさまは、ご存知ですか? 監禁されて餓死とかすると、とっても辛いのですよ?」

 

 またさらっと、この人はとんでもないことを言う。

 

「ですので、わたくしは考えました! 口の中にいろいろと便利なものを隠し持っておけば、いざという時に困らなくて済む、と!」

「そっかそっか。備えあれば憂いなしとも言うもんね」

「ええ、その通りです!」

「ところで死霊術師さんは、おれたちと違って一言もお腹空いたとか喉乾いたとか言ってなかったよね?」

「はい! だってわたくし、こっそりパンとかチョコとか食べてましたし。ほら、口の中から取り出すわけですから、食べ物はそのまま味わってしまえるのです!」

「うんうん。そうだよね。それはそうだ」

「納得しました。道理で一人だけ肌ツヤも良いわけですよ」

「理解した。やはり全身を静止させておくべきだった」

「……いや、あの。ふふ、みなさんお顔がこわいですね。あっ……!」

 

 二度あることは三度ある。

 おれたちが、死霊術師さんを袋叩きにしようとしたその時。

 

「そ、そこの皆様方……食事を、メシを、わけてはいただけねえでしょうか……?」

 

 どうやら、塩を振って完璧になった香ばしい肉の匂いが、新しい客人を招いた……らしい。

 頭に被った大きめの笠。背丈ほどもある背嚢。

 如何にも旅の商人といった外見の声の主は、力尽きる寸前のように地面に手をついて、くぐもった声音を重ねた。

 

「ここ数日、何も口に……」

「はい! こちらにどうぞ!」

 

 意外にも。

 誰よりも早く即答したのは、最も食い意地がはっている……ゴホン、食欲が旺盛なはずの、赤髪ちゃんだった。

 

「あ、ありがとうございます! なんとお礼を言っていいか……!」

「……赤髪ちゃん、いいの?」

「はい! 袖振り合うも多生の縁……というのは、こういう時に使う言葉ですよね? それに、ご飯はみんなで食べた方が美味しいですし!」

 

 良い笑顔と、嬉しい言葉が返ってきた。

 騎士ちゃんと賢者ちゃんも、ふむ……と、顔を見合わせている。末っ子みたいな立ち位置の子にそう言い切られてしまうと、こちらとしてはだめとは言えない。

 まぁ、あやしい人じゃなければ大丈夫だろう。

 

「なんておやさしいお嬢さんだ……この御恩、決して忘れません!」

「それで、あなたは?」

「ややっ! 申し遅れました!」

 

 被っていた笠を取り、下を向いていた顔が勢い良く跳ね上がる。

 赤髪ちゃんが目を見開き、賢者ちゃんが一歩後退り、逆に騎士ちゃんは一歩前に出て、師匠が欠伸を漏らして、死霊術師さんは目を輝かせて両手を合わせた。

 三者三様ならぬ、五者五様なその反応には理由がある。

 

「自分は、このあたりで商人をしております! 『      』という者でさぁ!」

 

 元気の良いその名乗りとは正反対に。

 その商人さんの顔は、真っ白な仮面に覆い隠されていた。

 

 わぁ……あやしい。

 

 




非戦闘時、旅路における勇者パーティーの各色魔法の利便性

黒己伏霊(ジン・メラン)
カス。なんの役にも立たない。奪った魔法の中には、いくつか有用なものはあった。

白花繚乱(ミオ・ブランシュ)
控えめに言って神。『増殖』の魔法効果で、毛布や衣服などの消耗品の補充もし放題。パン一切れあれば、餓死の心配が一切消える。持ち歩く物の重さと距離の長さを天秤にかけなければならない旅路において、これほど利便性の高い魔法もない。
強いて言えば増やしたいものの『オリジナル』がなければ、増やすことができないのが欠点といえば欠点。

紅氷求火(エリュテイア)
控えめに言ってド有能。温度の『変化』……加熱と冷却が自由自在であることは、過酷な旅路に人間の文化的な生活を提供する。あたたかい炊き出しも冷たい水の提供も、なんでもござれ。
鎧を着込んでいるのでわかりにくいが、アリアはこの魔法で自身の体温調節も行えるので、吹雪で荒れる山の中でも、マイクロビキニとかで過ごすことが可能。暑さ寒さを一切無視できる。つよい。

金心剣胆(クオン・ダバフ)
まあまあ有能。仕留めた獲物の肉とかが腐らなくなる。

紫魂落魄(エド・モラド)
急に死んでも安心。


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