白い館 (縁 緋咲(げに味わい深きレモン))
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白い館

 これはボーイミーツガールです。
 誰が何と言おうとボーイミーツガールです(自己暗示)。


 旧白浜館は、最近有名になった心霊スポットだ。

 白浜館トンネルと呼ばれる廃トンネルの先にある二階建ての小さな館で、名前の通り浜に近く外壁は白いという。

 もとは有名な資産家の別荘だったそうだが、複数の持ち主の間を転々とし、10年ほど前に持ち主がいなくなってから放置されていたそうだ。一時期は廃墟として注目されたらしい。

 真偽は不明だが、2年ほど前から行方不明者や変死者が出始め心霊スポットと呼ばれるようになったようだ。

 

 ビビリだなんだとクラスメイトに散々言われた僕は、夕暮れ時に自転車を走らせて旧白浜館まで肝試しにきた。あわよくば、証拠品でも持って帰って、奴らの鼻を明かしてやろう。

 

 無数のお札の貼られたトンネルの入り口には、立ち入り禁止のカラーコーンがひとつと、へし折れた危険色のバーが一本落ちている。コーンの片割れは見当たらない。

 自転車を道の傍に止めて、懐中電灯を取り出した。さすがにこの暗い中に自転車でトンネルを突っ切るわけにはいかない。

 

 ざわざわと木々が鳴る。夏特有の生ぬるい夜風に悪寒を覚えて身震いした。

 懐中電灯が落書きだらけのトンネルの壁を照らしだす。妙にカーブして出口の見えないコンクリートの壁には、『〇〇参上!』とか、誰のかもわからない電話番号、スプレーで描かれためちゃくちゃな絵で一面埋まっていた。

 

 朽ちたゴミや古い吸殻、虹色の油の浮いた水たまりを避けつつ出口を目指して歩いていく。サンダルで来るんじゃなかった、と今更後悔した。

 どこかで水が滴り落ち、反響して、耳鳴りがしているかのようだ。

 トンネルの静止した空気は、ひんやりとしているはずなのに、どこか生暖かい。

 

「まったく……ビビってんのぉ?早くいこーよ」

 

 さっさと済ませてしまおうと思って、足早にトンネルの出口を目指した。爪先にひっかけた空き缶のなる音が、耳が痛くなるほどの騒音に感じた。

 

 風の音が聞こえる。もうすぐ外に出るようだ。

 あからさまに壁の落書きが減っている。ここまでで引き返したのか、落書きに飽きたのか。少し落ち着いた。自分より怖がっている人がいると怖くなくなるというのは本当らしい。

 

「おぉい、こっちだよ!」

 

 トンネルを抜けると、すぐ目の前にレンガの塀と金属製のゲートが見えた。半開きのままのゲートには蹴られたような凹みが残っている。

 半身でゲートをすり抜けようとしたとき、足に硬い感触があった。ライトで照らすと、切断された鎖と南京錠が鈍く光っている。どこかの阿呆がやったらしい。

 

 庭は背の高い草が生い茂り、ハエが無数に飛び交っている。サンダルできたことをもう一度後悔して、なるべく草のない場所を選んで進む。砂利が擦れて無意識の忍び足を無駄にさせた。

 

「隠れるなんてできないね、これじゃ。さっさと行こ」

 

 なんだか、無駄に警戒して歩くのも馬鹿らしくなってきて、ため息をついた。ライトを左右に向けて、あたりを照らし出す。小さい割に明るい光が、白い壁を捉えた。あれが白浜館だろう。

 

 見失わないように気をつけつつ、しかし足元も少しは照らさなくてはならない。陽の光はもうかけらも残っていないのだ。

 白い館が大きくなってくる。闇に浮かび上がる白浜館は、それそのものが幽霊のように見えた。

 

「こうして見ると、なかなかに雰囲気あるねぇ」

 

 少しだけつまづいて、足元に飛び石があるのを見つけた。よく見れば、道のように点々と草のない場所がある。ここを通って行こう。

 乾いた苔がこびりついた飛び石は、砂利と雑草の混ざった地面よりも格段に歩きやすい。

 

「ここが玄関だよ!ほら、はやくはやく!」

 

 重厚そうな両開きの扉が、白い壁には浮いて見えた。人の手を離れて久しいはずなのにあまり朽ちている様子はない。

 

 分厚い木製の扉の、メッキの剥がれてザラザラしたレバーハンドルに手を掛け、下げる。

 扉は軋みつつも、見た目より軽く開いた。思わず、お邪魔します、と小声で呟いた。

 

「ふふん、ようこそ!なんてね?」

 

 誘われるように、一歩ずつ足を踏み入れる。床板がうるさいほど鳴り、心臓がぎゅっと縮んだように思った。

 

 蜘蛛の巣の無数に張った天井や壁、埃まみれの床と家具はいかにもな雰囲気を醸し出している。

 ボロボロに朽ち、大穴のあいた壁が、アスベストの防火材と枠組みを曝け出している。

 割れたガラスが床に散乱しているのが、視界の端でギラギラと光る。

 

「ちょっと汚いから足元気をつけて行こうね。それサンダルでしょ?」

 

 抜けた床板のささくれを跨いで越えた。こんな場所で怪我をしてはたまらない。動けなくなっても助けは来ないのだ。

 

 一階は、荒れてはいるが普通の廃墟、という印象だった。朽ちたテーブルクロスのかかったままの丸テーブルに、脚の折れた椅子、汚れたキッチン。

 戸棚には腐りすぎてもう臭いもない食べ物や、誰も触れなかったのか、綺麗なままガラスの戸棚にしまわれたカップ類が置いてある。

 

「ここには面白いものは何にも無いよ。二階を見に行こうよ」

 

 一階だけでもお腹いっぱいだが、二階も一応見に行くことにしよう。ここまで見に行ってやったんだぜ、と、あいつらに自慢できるだろう。

 階段も穴が空いていたから、何段か飛ばして上がっていった。

 

 二階にあるのは書斎のようだ。大きな本棚と埃を被った分厚い本が壁を一面覆っている。倒れた本棚の一つが向かいの本棚に当たったようで、ドミノ倒しのように外壁まで穴を開けていた。外の風が心地よく感じた。

 

 持って帰るならこの辺の本がいいかな、と思いながら歩き回っていると、部屋の角の本棚に違和感を覚えた。この置き方だと、部屋の角にそこそこ大きな無駄な空間ができてしまう。何か仕掛けがあるのだろうか。

 

「ああ、そこ。押すんだよ」

 

 本棚を押すと、扉のように動き出した。何度も開けたのか、床には引きずったような跡が残っている。底の見えない四角い穴に、梯子がかかっていた。

 

 この先に行ってはいけない。引きかえそう。

 

「せっかく見つけたんだから、行かなきゃ損だよ」

 

 手が梯子のステップを掴んだ。黒々とした四角い筒は、僕を呑み込もうと口を開けた生き物のようにも思えた。

 木製だった壁がコンクリートに変わり、一気に体感温度が下がった。

 どうやら地下室があるらしい。

 

 床についた。ライトであたりを照らす。梯子とその左右はすぐに壁がある。廊下のようだ。床も天井も壁も、灰色のコンクリートだ。圧迫感に苛まれる。

 

「ほら、この先だよ」

 

 コンクリートの筒が、いやに長く感じる。寒いぐらいなのに、汗が止まらない。先に何があるのか見たくなくて、ライトを少し手前の床に向けた。しかし、どうしても端には着いてしまう。

 

 コンクリートで固められた筒の端に、錆びた鉄格子が嵌め込まれている。粗雑な牢獄が、そこにはあった。

 心臓が痛いほど鳴っている。中に何があるのか、見てはいけないと反応が叫ぶ。

 

「ほら、そこ。照らしてよ」

 

 しかし、懐中電灯を持った腕は、誰かに腕を掴まれて動かされたように、僕の意に反して鉄格子の向こうを照らし出した。

 

 鎖が壁から下がっている。

 呼吸が浅くなる。

 鎖には鉄枷が繋がっている。

 背筋を汗が伝う。

 鉄枷には白い骨が繋がっている。

 動けない。

 

 

 

 

 

 そこにいたのは、白骨化した、死体だった。

 

「やっと、会えたね」

 

 誰かの声がした。恐怖でガタガタとうるさく歯が鳴る。

 

「ちょっと暗いかな。今明るくするから」

 

 明かり取りの窓が、ひとりでに上がっていく。明るい月明かりが闇を切り取って、部屋全体を見せつける。

 死体の様子がより鮮明に浮かび上がる。白い骨と、残された皮と毛に、朽ちた肉。虫食い穴だらけの黄ばんだ布切れ。

 

「きてくれたの、とっても嬉しいよ?」

 

 いつのまにか、月光の中に少女が現れていた。

 

「私の、何人目かのはじめてのお客さん」

 

 黒く長い髪と、白いワンピース。こちらを笑顔で見つめる瞳は、底知れず黒く見えて。

 

「じゃあ、はじめましての挨拶してあげる」

 

 こちらに伸びる白い手を振り払うことも出来ず、ただ無抵抗のまま受け入れる。

 

「ふふ、いい子、いい子。何にも抵抗しないんだね。じゃあ……」

 

 少女が僕を覗き込むように、顔を近づけてくる。逆光の中で、その綺麗な顔は、果てしなくおぞましく思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いただきます」

 

 

 

 

 

 

 

 少女が唇を僕のものと合わせた瞬間、僕の中に何かが吹き込まれたような感覚がした。

 吹き込まれた何かに押し出されて、僕が僕から追い出されていく。記憶も、身体も、僕から解放されていく。

 

「じゃあ、今から私は僕だから。僕は私だ。

 

 何を言っているんだ。僕は私だ。ワタシは私で……」

 

 体に自由が戻ってくる。ガクガクと足が震えている。

 

「何……これ……」

 

 踵を返して、牢獄を背に走り出した。恐怖心が足をもつれさせながらも前に進ませる。

 

「待ってよ……返してよ!それは私の!」

 

 梯子を蹴りつけるように登っていく。ミシミシと嫌な音がする。

 

「待ってよ!ねえ!」

 

 書斎を駆け抜ける。強く踏みつけた本で足が滑る。

 

「返してよ!」

 

 階段を駆け降りる。抜けた段に足を置いてしまい、派手に床に打ち付けられる。しかし、追いつかれたら何をされるかわからない。無理矢理起き上がる。

 

「それは私の身体なのに!」

 

 床の穴を飛び越えて、分厚い扉を蹴り開けた。黄ばんだ腕が視野の端に見えたが、間一髪でかわす。

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」

 

 草むらも石段も気にせずに駆け抜ける。躓いたのも、四つ足で走るようにがむしゃらに走る、走る、走る。

 

「返せかえせカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセカエセ!」

 

 真っ暗なトンネルを、無茶苦茶に揺れるライトの光を頼りに走り抜ける。足音がくぐもる中に、ビタビタビタ、と水っぽい音がついてくる。

 

「カエシテヨ!」

 

 街灯の灯りが見える。もうすぐだ。トンネルの出口は、すぐそこだ。

 

 氷のように冷たい感触が腕に触れる。ぐっと引き戻されそうになる。

 嫌だ。あんな風になりたくない。怖い、怖い、怖い!

 

 

 バチン!と、大きな音がした。振り向くと、光の壁のようなものがトンネルの入り口に、できていた。

 

「なに、これ。通れない。痛い。邪魔。どかしてよ。ねえ、怖くないから」

 

 黒い髪の少女が、バチバチと弾かれるのも厭わず、狂ったように光の壁に突進している。あそこから先にはいけないようだ。

 

 喚き散らす少女から目を逸らして、そばに止めておいた自転車に跨った。もう、帰ろう。

 

 相変わらず、バチバチと音が聞こえる。あいつは、あそこから出られない。もう安心だ。

 

 自転車のペダルを踏み込む。まだ足に力が入らず、ふらつきながら家路につく。明日はきっと人気者になれるだろう。なんてったって、幽霊を見て、生きて帰ってきたんだから。

 

 街の明かりがみえる。怪我のことは、母さんにはなんて言おうか。

 まあ、帰って来れたから、いいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の、体を、記憶を、心を、返して」




 これはボーイミーツガールですか?


 どうせどっか抜けてるのでそのうち修正します


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