悪くねえ 大したもんだ ハルウララ (黒チョコボ)
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トレーナー兼工場長

ウマ娘達が集う育成学校、トレセン学園にてある一人の男が理事長の元へ呼び出されていた。その格好はくたびれたロングコート、汚れたシャツに歪んだハット、極め付けにサングラスと不審者としか言いようがない格好だった。いや、正確には右手に担がれた巨大な鉄鎚のお陰で不審者のラインは大幅に超えていることだろう。

当然、この学園の雰囲気に合っているはずもなく、その様は数多の生徒の視線を釘付けにしていた。だが、男にとってはこれが当たり前なのだろう。彼女らの視線を全く気に留めることなく、理事長の元まで向かって行った。

 

男は理事長のいる部屋のドアを乱雑に開け放つと、さも当然のように来客用のソファーへ深く座り込んだ。

無礼極まりないこの行為。しかし、彼を知っている者にとっては気にする事はない些細な事らしく、動揺する事なく彼と会話を始める。

 

「歓迎! よく来てくれた、ハイゼンベルク!」

 

「歓迎……ねえ、全くされてなかった気がするけどな」

 

ハイゼンベルクと呼ばれた彼は鉄槌を床へ置き、不満そうに未だ開きっぱなしのドアを見やる。

案の定、覗き見をしている者がそこに沢山見受けられた。理事長はただ一言"たづな"と声を掛けると、ドアは一人の女性によって無情にも閉ざされる。

 

「はぁ……どう考えてもその格好のせいでしょう」

 

たづなと呼ばれた女性はため息混じりに、注目を浴びている原因を指摘する。

 

「うむ、間違いない。ハイゼンベルクよ、もう少し……その、マシな服装はなかったのか?」

 

「あん? オイルまみれの服装よりか大分マシだとは思うんだがな」

 

「理事長……服装もそうですが、その大きい荷物のせいでしょう……間違いなく」

 

たづなはハイゼンベルクが持ってきた鉄鎚を指差しそう言った。だが、肝心の彼は反省する様子もなく、ヘッヘッヘと笑いながらこう言った。

 

「悪いな、昔からの癖みてえなモンでな」

 

「ゴホンッ! とりあえずは本題に入ろう。ハイゼンベルク、君をここに呼んだのは頼みがあるからだ!」

 

「頼みだって? また見た目を何とかしろってヤツか? 良い加減理解してくれよ。俺ん所のブツは見た目と性能は反比例するって事をよ」

 

「否! その理屈は理解できん! そもそも、何故性能を取ると見てくれがああなるのだ!?」

 

トレーニングルームの一番端。目立たないところにポツンと置かれたボロボロな見た目のランニングマシン。それが、理事長が初めて買ったハイゼン印の性能特化の商品だ。

残念ながら、その見た目は学園の雰囲気など知った事ではないと言い張っている。

今、彼女の脳裏にはそのボロボロのマシンが凄まじい速度を出している光景が浮かび上がっている事だろう。

 

「そんな事言われてもよ、そっちが先に言ってきたんだぜ? ウマ娘の運用に耐え、なおかつレベルの高いブツが欲しいってよ。そもそも、その条件はちゃんと満たしてるじゃねえか」

 

「だが! ランニングマシーンで時速200km出せるようにしろとは一言も言っておらん!」

 

「レベルが高いってそういう事じゃねえのか?」

 

「否! 性能と見た目、そのどちらもバランス良く整った物をレベルが高いと呼ぶのだ!」

 

理事長は立ち上がり、ハッキリとそう言い放った。その様子に、"初めからそう言えよ"と言いたい彼だったが、これ以上面倒になるのは避けたいという事で渋々言葉を胸の中へと仕舞い込んだ。

 

「ハイハイ、それで本題って何だ?」

 

「っは!? 失礼! 話が逸れたな。単刀直入に言おう! トレーナーを兼業する気は無いか?」

 

「はあ? トレーナー? だったら、この学園に腐る程居るじゃねえか」

 

「うむ、それはそうだが……少し事情があってな……とにかく! 言葉よりも見せた方が早い!」

 

理事長はそう言うと椅子の上から飛び降り、ついて来いと一言ハイゼンベルクへ伝えると、ドアをドンと開け放った。

外ではちょっとした騒ぎになっていた様で、ウマ娘が野次ウマの如く集っていた。その中でも何人かは聞き耳を立てていた様で、理事長の開けたドアに打たれた者もいた様だ。

その様子に、思わずため息をつくたづなであった。

 

扉が開き、騒ぎの中心人物が出て行った後、廊下では未だあの不審者について話し合っている生徒達。そんな中、トウカイテイオーと呼ばれる彼女は開いた扉に直撃し赤くなった鼻をさすっていた。

 

「聞き耳なんて立てるからそうなるのですよ」

 

涙目の彼女に冷たく言い放ったのはメジロマックイーン。さらに彼女は追い討ちの言葉を投げかける。

 

「そもそも、あんなにベッタリと扉に張り付かなくたって声ぐらい聴こえますわ」

 

「じゃあマックイーンは何話してたか全部わかったんだよね? 早く教えてよ!」

 

「え? そ、それは……」

 

「ほら! やっぱり聞こえてないじゃん!」

 

二人があーだこーだ言い合っていると、後ろからそれを止める声が響く。

 

「ほら、二人ともやめないか」

 

「あ、カイチョー!」

 

シンボリルドルフと呼ばれる彼女はテイオーからの呼び掛けに反応を示すも、その目はじっとあの不審な男の背を見続けていた。

 

「カイチョー! あの人って誰か知ってる?」

 

「いや、私も知らない」

 

「「え!?」」

 

生徒会長である彼女は理事長の側にいることも多いため、なんかしらの情報を持っていると踏んでいたテイオーとマックイーンだったが、返って来た想定外の回答に驚きを隠せなかった。

 

「もしかしてさ、トレーナーなんじゃない?」

 

「アレがトレーナー……? 一般的なイメージとかなり違ってますけど……」

 

テイオーの言葉に各々自分を担当しているトレーナーの顔を思い浮かべる。男性も女性も共通して、あのようなラフすぎる格好をしている者はいないと言うことだけだ。

 

「あ! きっと、工事の関係者ですわ! あの大きな金槌も工事用の物だとしたら納得がいきますわ!」

 

「あー! そうか! 冴えてるね、マックイーン」

 

「メジロ家の者として聡明なのは当然のことですわ!」

 

結局、彼女らの間では工事のおじさんと言う認識で固まったようだ。そして、この騒ぎに夢中になっていたせいか、次の授業までの時間が少ししか無いことに気付き、彼女達は次々に散開したのだった。

ただ、シンボリルドルフだけは納得がいってないようで、一人歩きながら呟いた。

 

「工事……? 今月にそんな予定は無かった筈だが……」

 

しかし、そんな思考は時計の針に遮られ、彼女は急いで教室へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理事長に連れられてやってきたのは学園のグラウンド。彼女は一番先頭の席の上に立ち、威風堂々に言い放つ。

 

「ここが! 我がトレセン学園のグラウンドだ!」

 

グラウンドには沢山のウマ娘達が今日もトレーニングに励んでいる。なお、ハイゼンベルクは彼女らの事など全く見ておらず、ただただ面倒くさそうに照りつける太陽を眺めていた。

 

「たづな! 確か今日は短距離の模擬レースだったな?」

 

「はい! 後5分ぐらいでしょうか……?」

 

「ふむ……5分か。ならば! 今のうちに少し説明しておこう!」

 

ハイゼンベルクは大きくため息を吐き、渋々理事長の言葉に耳を傾ける。見て分かる通り彼はさっさと帰りたいと思っているが、相手はお得意様。話ぐらいは聞かなくてはならない。

 

「ハイゼンベルク! まず聞きたい! 君はウマ娘に詳しいか?」

 

「ああ詳しいぜ、少なくともこのグラウンドにいる連中が全員同じに見えるくらいにはな」

 

「ならば! 本題に入ろう! ハルウララというウマ娘がだな……」

 

「理事長! これは詳しくないという意味ですよ! ハイゼンさんもちゃんとハッキリ言ってください!」

 

彼のジョークを真に受けた彼女は、察したたづなに止められた。

その後、少しばかり反省した彼女に一つ一つ知識を教え込まれるハイゼンベルクだったが、なまじ本人のやる気が皆無なせいもあり、彼女の発する言葉はそよ風とともに彼の右耳から左耳へ抜けていくのだった。

それでも、肝心な部分だけは聞き取れているようで、今回の理由を伝える事においては支障が無いのが救いだろう。

 

「……という事だ! 分かったかハイゼンベルク!」

 

「あー……要するにトレーナーが居なけりゃレースに出れねえって事だろ? だったらさっさと付けてやりゃ良い。そうじゃねえのか?」

 

「その通り! 確かにトレーナーの数には問題は無い! しかし、トレーナーとウマ娘の相性というものが……」

 

その時、理事長の話を遮るように乾いた破裂音が響く。彼女の言っていたレースとやらが始まったのだ。彼女は急いでグラウンドの方に向き直ると、ハイゼンベルクに扇子を使って手招きをした。どうやら見ろとの事だ。仕方なく視線をグラウンドへ向ける。

 

「で、その例のヤツってのはどこだ?」

 

「恐らく最後尾でしょう……」

 

「最後尾?」

 

ハイゼンベルクは懐からボロボロになった双眼鏡を取り出す。そして、トラックに沿うように視線を動かし、最後尾と思われる者の番号を読み上げる。

 

「アイツか? あー……7番の茶髪のヤツ」

 

「ハイゼンベルクよ……それではなくもう少し後ろを見てくれないか?」

 

彼の視線が更に後ろへとずれる。すると見えてきたのは、一人だけ明らかにポツンと離れた影。

 

「……あの9番か。ピンク髪の」

 

「いかにも! 今回彼女の担当になって欲しい!」

 

理事長の扇子が勢いよくハイゼンベルクの方へ突き出される。しかし、彼は向けられたそれをまるで虫でも払うかのように叩き落とした。

 

「冗談じゃねえ、要するに出来損ないの面倒を見ろって言ってんのと同じじゃねえか。悪いがそこまでの義理は無え」

 

冷たくそう言い放った彼は静かに踵を返す。だが、理事長の視線は今もなお彼の背中に注がれていた。

 

「待て! まだ話は終わっておらん!」

 

「もう終わったも同然じゃねえか。そもそも、何故俺なんだ? テメエも嫌ってほど分かってる筈だ。これほど適さねえ人材はいねえってよ!」

 

荒い口調で声を張る彼を見て、流石に耐えきれなくなったのか、たづなが厳しい表情を浮かべ彼へと迫る。

しかし、その進行を妨げたのは他でも無い理事長の腕だった。

 

「制止! ハイゼンベルク、逆に問おう! 何故、君は頑なに拒む? 君の事だ、もし断るつもりなら初めから明確に断言する筈だ!」

 

未だ彼は振り返らない。しかし、返ってきた言葉に怒気は孕んではいなかった。

 

「悪いが、俺は自由が大好きでね。それを顔も知らねえ小娘に圧迫されんのが嫌なだけだ。それに、俺みてえな悪人が教える事なんて何一つありゃしねえ」

 

「否定! 確かに君は容姿、言葉、行動。どれをとっても良い者とは言えん。しかし! その根幹は悪では無い!」

 

真っ直ぐと迷いのない目をハイゼンベルクへ向ける理事長。しかし、彼はまだ譲らない。

 

「ハァ……今のを抜きにしても、知識も、何もねえ俺をトレーナーなんかにしてみろ。やっとの思いでこの学園に入った連中が黙ってるわけが無え」

 

「肯定……! その言い分も間違っていない! だが、彼女の本質を引き出すには型破りな人材が必要なのだ!」

 

理事長は足を揃えると、そのままハイゼンベルクへ頭を下げた。立場上、あり得ない行動に彼だけでなく側にいるたづなも驚愕の表情を隠せずにいた。

 

「り、理事長!?」

 

「テメエ……何してるか分かってんのか?」

 

「頼む! 私は全てのウマ娘が輝ける世を作っていきたいのだ! その為ならば、好きなだけ頭を下げよう!」

 

ハイゼンベルクはため息を大きく一つ吐く。それは、ただ単に呆れによるものではない事は確かだった。

たった数秒間、沈黙が場を支配する。永遠にも思えるそれを打ち破ったのは彼自身の言葉だった。

 

「いや駄目だ。断る」

 

その言葉を受け取っても彼女の表情は変わらない。しかし、その右手は扇子が今にも折れそうな程に握り込まれていた。

ここまでしても理想の自由を求めるこの男を動かす事は叶わない。彼女はその事実を嫌でも悟る。

離れていく彼の背中から視線を外す。先ほどまで視界を埋めていたコートの色の代わりと言わんばかりに、グラウンドの土を眺めた。

しかし、その目に映ったのは土の色などではなく、様々な感情と悔しさが混じった複雑な色だった。

 

「だが……名前ぐらいは貸してやる」

 

その声にグラウンドに向けていた目を再び彼へと戻す。相変わらず背中を向けたままだが、空いた左手をポケットに突っ込み何かを取り出し、更に語る。

 

「文字通りの意味だ。登録用紙だか何だか知らねえが好きに書け。だが、期限はそいつがデビューするまでだ」

 

「メイクデビュー……ですか」

 

「ああ、もちろんトレーナーじゃなくただの腐った男としてだ。さあ、どうする? あの発言、取り消しても良いんだぜ?」

 

「否! その条件で問題無い! 是非ともよろしく頼む!」

 

ふざけた条件に多少狼狽えるかと思いきや、全くその様子を見せず、むしろそれを歓迎する理事長にハイゼンベルクは驚きを見せる。

そして、小さく一言"相変わらず変わった奴だ"と呟いた後、彼の姿は出口の暗闇に消えていった。

 

「理事長、本当に彼で問題無いのでしょうか? 私には問題しか無いように見えるんですが……」

 

「問題無い! あの様な荒々しい者だが、興味を惹き続けると言う点において、あやつの右に出る者は無い! 私自身も昔は何度か遊んで貰った覚えがある。何度か色々とやらかして先代に怒られてた記憶があるが……」

 

「はあ……と言うか理事長! どうして私に相談なく彼を呼んだんですか!? 来ると分かっていたら生徒達の目につかない様に配慮したんですよ!」

 

「謝罪! た、たづなよ! それに関しては済まなかったと思っている。しかし……まあ、その……ああいう者もいると言う事を知る良い機会なのではないか……?」

 

「理事長〜!!」

 

先程までの威厳はどこに行ったのか。たづなの冷たい笑顔に晒された理事長は完全に白旗を上げていた。

そんな馬鹿をやっている横からコツコツと鳴る足音。ただそれだけで二人の緊張の糸は再度ピンと張り詰める。

 

「お取り込み中の所失礼するぜ」

 

消えたと思いきや、一分も立たずして戻ってきた彼。微妙に言いづらそうな雰囲気で、左手にある物を見せつけて口を開く。

 

「あ〜……吸えるとこあるか?」

 

その手に握られた物は葉巻。残念ながら、煙の類は肺機能の低下につながるため、この学園ではご法度。

張り詰めていた気が抜けるような感覚を味わいながら、理事長は学内禁煙という残酷な一言を突き付けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、いつも通りグラウンドでトレーニングをすっぽかして蝶々を追いかけるハルウララ。このサボりに近い行為もスカウトされない大きな理由の一つなのだが、本人は全く気にしていない。しかし、トレーナーがいなければレースに出れないと言う事は知っていた為、既にトレーナーに引っこ抜かれた友人達をちょっぴり羨ましく思っていた。

今日もまた、他のウマ娘達が次々とスカウトされていくのを横目に、また別の色を持つ蝶々へ標的を変え、走り回っていた。

 

空を見上げて右へ左へとフラフラと揺れ動く蝶々を追いかけて、気がつけば学園の門の前。そこで、彼女の視線は蝶々から外れた。どうやら、より珍しい何かを見つけたようだ。

視線の先には、門のすぐ外に立つ男。ただの変哲も無い者であれば興味など無かっただろう。しかし、彼の出す異様な雰囲気は彼女を惹きつけるには十分だったようだ。

 

「ねぇねぇ、おじさん! ここで何してるの?」

 

「あ? あ〜……気にすんな。ただの休憩だ」

 

その男の右手には茶色の棒状の何か。色々と疎い所もある彼女もこれが大体何を示しているのかはわかっていた。

 

「あ〜! おじさん、学校は"きんえん"なんだよ!」

 

「ったく……教育が良く行き届いてるこった」

 

男は隣にたった一歩分だけずれると再び煙の香りを楽しみ始める。当然、彼女は再び同じ事を男に言うが、彼は返答と共に空いた手で下を指した。

 

「悪いなお嬢ちゃん。学校の敷地はそこまでだ」

 

「……? ここも学校だよ?」

 

ハルウララのその言葉を聞き、男は特大のため息と共に頭を抱えた。そして、全て察した事だろう。説明しても無駄だと。

仕方なく彼は葉巻の火を消し、代わりと言わんばかりに空いた右手に特大の鉄槌を握ったのだった。

 

「のんびり葉巻も吸えねえとはな……もう用はねえだろ? さっさと戻りな優等生」

 

「優等生!? えへへ……嬉しいな! わたし優等生なんだ!」

 

彼の皮肉たっぷりの言葉は、どうやら特殊な濾過フィルターに通されたらしい。その結果、綺麗な褒め言葉となって相手へと伝わった。

 

「ったく、調子狂うぜ……」

 

彼はただそれだけ言い放つと、その足を学園とは反対方向へ向けた。

 

「あれ、おじさん帰っちゃうの?」

 

「ああ、どうやら家に帰ってから吸わねえといけねえらしい。ま、どうせまた会う事になんだろ。じゃあな」

 

「ばいばーい!」

 

ハルウララは遠ざかっていく彼の背中を見送る。そして、それが見えなくなった頃になってやっと自分がすっぽかしたトレーニングの事を思い出し、慌ててグラウンドへと戻るのだった。

 




ハイゼンベルクのヒミツ
葉巻は商店街のある店から買っている


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問題だらけの仮トレーナー

ある日、ハルウララに一通の手紙が届く。理事長から直々に届いた物だが、堅苦しく書かれた内容は彼女には難解であった。故に彼女は友人のキングヘイローに解読を頼むのであった。

 

「ねえねえ! キングちゃんこれ読んで!」

 

「うん? ってこれ、理事長からじゃない!? 私が読んで大丈夫なの!?」

 

「実はね、わたしも見たんだけど……漢字ばっかで読めなかったんだ! えへへ……」

 

意気揚々とそう宣言する彼女の学力に不安を覚え、苦笑いが思わず出てしまうキングだが、折り畳まれたそれを開くと認識を改める。

 

「……うっ、確かに難しいわね」

 

あまり文面では使われない物が散りばめられたそれの大まかな内容をキングは何とか読み取った。

 

「ええと……簡単に言えば貴方にトレーナーが付くそうよ! 良かったじゃない!」

 

「ええ!! ホント!? やったー! ありがとーキングちゃん!」

 

ハルウララは勢いよくキングに抱きつき、その喜びを全身で表した。キングは変わらない彼女の様子に優しい笑みを浮かべる。しかし、この文面の一部分に違和感を感じ、頭ではその事について考えていた。

 

(仮トレーナー……ねえ、サブトレーナーならまだ理解できたけど、仮ってなによ仮って!)

 

だが、その答えは夜になっても出ることはなく、次の日に珍しく目の下に隈を浮かべたキングの姿があったそうな。

 

その後、キングの世話焼きのおかげか集合場所である理事長室へ遅れずに到着することができたハルウララ。元気よく扉を開けた彼女の目に入ったのは、見覚えのある姿だった。

 

「ハイゼンさん! どうしてまたこんな物を持ってきたんですか!?」

 

「悪いな、癖だ」

 

「毎回そう言って誤魔化してるじゃないですか!? 早く片付けてきてください!」

 

「ここに置いとくのは駄目か?」

 

「駄目です!」

 

彼女が入室しても気がつかないほど、白熱している様だ。その様子をぼーっと眺めていると、男が彼女の存在に気付いた。

 

「おっと、肝心の奴が来ちまったぜ? こりゃあ、片付ける時間は無くなっちまったな」

 

「あ、ハルウララさん……これはお見苦しい所を……」

 

「おみぐるしい? わたし苦しくなんかないよ? 元気いっぱいだもんっ!」

 

「あ、いや、そういう意味では……」

 

狼狽えるたづなの様子に横の男は大爆笑。珍しく頭を抱えた彼女はゴホンッ!と咳払いをすると、本題に入り始める。

 

「ハルウララさん、彼が新しく貴方のトレーナーになる、ハイゼンベルクさんです」

 

「えっ!? おじさん、トレーナーだったの!?」

 

「違え、ただの世話役だ。テメエがデビューするまでのな」

 

「あれ? じゃあトレーナーじゃないの?」

 

「いえいえ、トレーナーですよ。貴方がデビューするまでの間、面倒は見てくれるそうです」

 

「う〜ん? じゃあトレーナー?」

 

「だから、トレーナーじゃねえよ! あんなガチガチのトレーニングなぞ組めるわけがねえ!」

 

ハイゼンベルクとたづなの間でバチバチと火花が散る。トレーナーなのか、そうじゃないのか、このままでは決着など付かない。そこで、たづなはその判断をハルウララへ委ねる事にした。

 

その結果……

 

「じゃあ次からおじさんじゃなくて、トレーナーって呼ぶね!」

 

どうやら彼の望まない方向に事は進んでしまったようだった。その後、彼が何度トレーナーではないと説得しようとするも、彼女からの呼び名が変わる事は無く、最終的に彼が折れることで幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイゼンベルクは不本意な肩書きを押し付けられた後、その原因である彼女に連れられて半ば無理矢理、学園の案内をされていた。もちろん、通り過ぎるウマ娘達をその見た目でドン引きさせながらだ。

残念ながら、何度か学園に来ている彼にとっては面倒以外の何物でも無かった様で、最初からずっと生返事しかしていない。そんな彼の状態も露知らずに彼女は最後の案内場所へ連れて行った。

 

「はいっ! ここがトレーニングする部屋だよ!」

 

「おい、さっきから全部知ってるって言ってんのが聞こえてねえのか?」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

「ったく、まあ良い。ついでだ、アイツらの様子でも見に行くか」

 

先程までの順番が入れ替わり、今度はハイゼンベルクが彼女を先導する。そうして向かったのは部屋の端。使用中止の紙が貼られたボロボロのランニングマシンだった。

ハイゼンベルクは警告の紙を何の抵抗もなく剥がし、丸めてそこら辺に投げ捨てる。そして、躊躇せずに電源を入れた。

 

「……だろうと思ったぜ」

 

そのマシンは力強く稼働し始めた。そして、見た目に似合わない静音性を遺憾無く発揮する。

 

「おい、確か……ハルウララだったか? テメエは時速何キロまで出る?」

 

「わたし? うーんとね……わかんない!」

 

「じゃあ乗れ」

 

「はーい!」

 

ハルウララは彼の指示通り、動くマシンに飛び乗った。普通の人であれば既に限界であろう速度に彼女は難なくついていく。

ウマ娘にとって全く問題ない速度ではあるのだが、そんな常識を知らない彼は少しだけ関心した様子を見せる。しかし、その裏にふざけた考えがあるとは彼女は思いもしなかった。

 

ドスンッと分厚いマットが背後に置かれる。そして、意味深な笑みを浮かべた彼はマシンの操作板に寄りかかりながらこう言った。

 

「おい、ウララ。ゲームの時間だ!」

 

「ゲーム?」

 

「ルールは単純、テメエがこのマシンの速度についていけたら勝ちだ。そん時はジュースの一本でも奢ってやる。やるか?」

 

「やるっ! よーし! 負けないぞー!」

 

いつの間にか、彼を不審がる周囲の目は全て好奇の目へと変わっていた。

 

「さて、走る事に囚われた諸君! 目ん玉ひん剥いてちゃんと見とけ! コイツがただのオンボロマシンだって思ってる奴は特にな!」

 

ギャラリーと化した彼女らの注目をさらに集めた彼は、ついに操作板に手を触れる。

 

「今、速度が段々と上がっていくモードに変えた! 後はテメエ次第だ、せいぜい頑張りな」

 

そして、ゲームが始まる。

 

初めは時速20キロだったものが、21、22、23、24、25、とスピードを上げていく。

 

「えっほ! えっほ!」

 

「ほう、やるじゃねえか」

 

そして、人類の限界に近い速度まで達してなお、まだ余裕そうな彼女に彼は感嘆の声を漏らす。

しかし、表示される値が45に差し掛かったあたりでその余裕は薄れていった。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

「さて、どこまでもつか見ものだな」

 

ついに、値は50の大台に乗る。余裕がない筈だが、意外にも堪えているハルウララ。だが、その様子を見て潮時と考えたのだろうか。彼は操作板に手を伸ばした。

 

「そろそろ限界みてえだな? 終わらせてやるよ」

 

彼は無慈悲にも速度上昇のボタンを強く押し込んだ。すると、速度は今までとは比べ物にならない程急速に上がり、その値は60を超え70まで達した。

 

一般的なトレーニング用のマシンであればこの辺りが限界である。その事実は彼女も周囲のギャラリーも知っている。それ故に彼の言っていた通り、ここで終わるのだろうと皆が思っていた。

 

「おい、ここからが本番だぜ?」

 

ただ一人、彼を除いて。

 

70に達した時、音が変わった。彼女の走る音ではない。静かだった機械の音が、だんだんとその自己主張を強めていく。

 

そして、値は70を越え始めた。

 

「えっ!? うわわっ!!」

 

もちろん、とっくの昔についていけなくなっていた彼女はそのまま後方へ吹っ飛ばされた。汗だくの身体をマットが優しく受け止めてもなお、モンスターマシンの動きは止まらない。

70、80、90とまだまだ速度は上がり、最終的に達した速度は、本来なら使用されないであろう3桁目に1を表示させた。

 

「ま、こんなもんか」

 

彼が停止スイッチを押すと、先程まで出ていた速度が嘘の様にベルトはゆっくりと止まった。ハルウララはまだ息も整ってないのも関わらず、興奮した様子で彼に突撃していく。

 

「ふぃー……トレーナー! これすっごく早いね!」

 

「ああ、なんせあのチビ直々の特注依頼だからな」

 

「とくちゅう? え! じゃあ、これトレーナーが作ったの!?」

 

「ああ、そうだ」

 

「すっごい!」

 

「そもそも、この部屋にある器具は大体俺ん所のモンだぞ?」

 

「えっ!? そうなの!」

 

彼の放ったその言葉に、各々が先程までの使用していた器具を見やる。そして、書かれたロゴとモンスターマシンのロゴを見比べる。それは見事に一致し、彼の不審者という印象は僅かに和らいだ。

 

やる事をやったからか、彼は満足そうにトレーニングルームを後にする。置いて行かれそうになったハルウララがその後ろを急いで追いかける。ただ、去り際の彼の一言が残った全員を大きく動揺させた。

 

「あー……言い忘れてたが、コイツの最高速は200だ。自信があるやつか命知らずはやってみな」

 

「「え!?」」

 

彼が立ち去った後、まるでゲテモノを見るかの様な視線があのモンスターマシンへ向けられる。しかし、速さに魅せられた者は試してみたいという欲求を抑えられず、何人かはそのモンスターの洗礼を浴びるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理事長室まで戻ってきた二人。しかし、その中にはたづなではなく、理事長本人と彼の知らないウマ娘が居た。

 

「戻ってたのかよ。さっさと帰ろうと思ってたんだがな……」

 

「勿論! 君がそう考えてると予想し、早急に帰還したのだ! それはそうと紹介しておこう! 彼女がシンボリルドルフ、優秀な生徒会長ゆえ君も頼ると良い!」

 

理事長は手をシンボリルドルフの方に軽く向ける。紹介された彼女は丁寧にお辞儀をした。その動作から、彼は彼女の礼儀正しさを認識すると同時に、滲み出る真面目なオーラにため息を吐いていた。

 

「真面目そうな奴で何よりだ。だが、残念ながら頼ることは無さそうだ」

 

「……!? まさか自己紹介の挨拶でそんな事を言われたのは初めてだ。そちらの名前は既に聞いてある。確か……ハイゼンベルクだったな? これから、よろしく頼む」

 

親睦の証として右手を差し出して握手を求める彼女。しかし、相変わらずと言ったところか、彼はそれに応じる事はなくただただ右手をひらひらと動かした。

流石の彼女もこんな事をされては困惑が表へと出てしまう。それに気づいた理事長がすかさず言葉を付け加える。

 

「謝罪! すまない、此奴はああいう奴なのだ。自由すぎる故に肩書きや権力は話す上で飾りでな……」

 

「分かってんじゃねえか。だったら、俺がさっさと帰りてえって事もよく分かるよな?」

 

「否! それに関しては全くもって理解できん!」

 

「ちっ、いい考え方してるぜ」

 

皮肉たっぷりにそう言った彼は、以前と同じ様に来客用ソファに座り込んだ。

ちなみに、この話の流れを何も分かっていないウララはとりあえずシンボリルドルフの真似をして堂々と立っている事にした。

 

「ああそうだ、トレーニングルームの奥にあるブツだが、再起動しといたぞ」

 

「驚愕!? アレには張り紙がされてあった筈!」

 

「んなもん取って捨てた」

 

「衝撃!? アレは危険すぎる故に使用禁止にしたのだぞ!?」

 

「あ? 危ねえ部分なんてあったか? ベルトでミンチになるなんて事はねえぞ。転けるなり何なりでぶっ飛ぶ場合はちゃんと後方に飛ぶ様にしてある」

 

「憤怒! そのぶっ飛ぶというのが問題なのだ!」

 

「マットでも何でも敷いとけば良いじゃねえか。それこそ張り紙でもするこった。第一、怪我した奴いんのか?」

 

「うぐ……! 現段階では……無い!」

 

「じゃあ問題ねえ、俺の作ったセーフプロセスは上手く稼働してるって事だ。そもそも、今日そこに突っ立ってるアイツに走らせて問題なかったからな、他の奴らでも問題ねえだろ」

 

ハイゼンベルクは親指をハルウララに向けながらそう言い放った。話題に上がったと分かった彼女は元気よく手を振る。大人しく立っているという選択肢はいつの間にか消えた様だ。

 

「またアレを止めるかどうかは好きにしろ」

 

「うむ、どうするべきか……確かにトレーニング効果が高いのも負傷者がいないのも事実……! だが怪我があってからでは……」

 

ブツブツと考え始める彼女を横目に、ひっそりと帰ろうと試みるハイゼンベルク。しかし、その退路は優秀な生徒会長に阻まれた。

 

「なんだ、用でもあんのか?」

 

まるで敵に向けるかの様な目が彼女へ向けられる。負の感情の入り混じったその圧は、鋭く彼女を滅多刺しにした。

 

「すまない、邪魔をしようと思った訳ではない。ただ……少し聞きたくてな」

 

「何がだ」

 

「先程話していたトレーニング器具は何処にある? 別に取り締まろうという訳ではない。ウララ君から話を聞いてな、ただの興味本位だ」

 

結局の所、彼女も一人のウマ娘。より性能の良い器具と聞き、大人しく座ってられるほど良い子では無いようだ。

 

「ほう、話が分かるじゃねえか。確かに、優秀な生徒会長のお墨付きが貰えるなら悪くはねえ」

 

先程まで瞳に込められていた感情はフッと消え、彼は代わりに不敵な笑みを浮かべた。賢い彼女はこのやり取りで何となく分かった事だろう、このハイゼンベルクという男の極端な価値観を。

 

「トレーニングルームの一番奥、他と比べて見てくれが一番悪いブツだ。ま、コイツに案内して貰えば良いだろ」

 

そう言って彼はハルウララの肩を掴み、シンボリルドルフの前へと引っ張ってくる。そのまま素っ気なく"後はコイツに聞け"と言い放つと彼の足は出口へと向いた。

 

「すまない、感謝する」

 

返事はなく、ただ手をひらひらと動かすのみ。ただ、会った時とは違ったちょっぴり友好的な何かを彼女は感じ取ったのだった。

 

なお、この数分後に彼が消えた事に気付いた理事長の大声が部屋中に響き渡ったのだった。

 




ハイゼン印の製品
見た目がとても悪いが性能は良い。見た目を良くすると性能が落ちる。理事長はこの理不尽な特性のせいでいつも悩んでいる。


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ゲームの時間

感想、評価ありがとうございます!


今日、ハルウララは散歩に来ていた。ただ、いつもと違う部分は彼女自身も全く知らない道を通っているという事だけだ。

とある道路の横に生い茂る林。特に用も無ければ気に留めない、そんな影の薄すぎる道を曲がる。車一台通れるかどうか分からない細い道を彼女は躊躇わず突き進んでいく。

 

そして、彼女の目の前に現れたのは大きなフェンスの壁だった。

 

入り口であろう金網で出来たドア。乗り越えられない様その上に設置された有刺鉄線。もし今の時間帯が昼でなく夜であったなら、間違いなく何かが化けて出てきただろう。

彼女の友人達ならためらいなくここで引き返しただろう。それほどの圧を感じる場所だった。

 

しかし、当の彼女は何一つ気にせずに備え付けられたインターホンを押す。

 

ピンポーンと呼び鈴が鳴るが、反応は無い。数秒待ってしびれを切らした彼女は再びボタンを押した。また、ピンポーンと鳴り響く呼び鈴。そしてまた押されるインターホン……

 

またまた彼女がそれを押そうと思い始めた瞬間、ピッという音と共に一人の声が返ってきたのだった。

 

『おい、五秒ごとにボタン押す馬鹿はどこの……』

 

「あ! トレーナー! 遊びに来たよー!」

 

『は? おい待て、何でテメエがここに居る?』

 

「りじちょーが教えてくれたんだ! 遊びに行くぐらいなら良いよって言ってたよ!」

 

『あのチビ……面倒な事を』

 

「あっ!! あのね、りじちょーからトレーナーに渡してくれって言われた手紙も持ってきてるんだ!」

 

『ったく、入れざるを得ねえって事かよ。しょうがねえ、今開ける。入って……いや待て! 俺がそっちに行く、それまで勝手に動くんじゃねえぞ!』

 

ブツッと通信が一方的に切られる。彼の口調はかなりの焦りを含んでいたが、そんな事は一切知らない彼女はキョロキョロと物珍しそうに辺りを見回してはいるが、言いつけ通りじっとその場で待っていた。

 

一分も経たないうちに向かい側にハイゼンベルクが現れる。珍しいことに鉄槌は持っていない。ドライバーなどの工具が詰め込まれたポーチが腰からぶら下がっている事から、どうやら何かの作業中だった様だ。

 

彼は慣れた手つきで金網に付いている端末を操作すると、目の前に立ち塞がっていたドアは歓迎するかの様に開く。なお、彼の感情はそれとは真逆であった。

 

「ついてこい、変なとこ勝手に行くんじゃねえぞ?」

 

「はーいっ!」

 

相変わらず不機嫌そうな彼にワクワクしながらついて行くと、今まで見た事もない光景が彼女の目の前に広がっていた。

 

学園のグラウンドより大きい広大な大地。その至る所にそびえ立つスクラップの山々。この土地の中心に建つ小さな工場。何故かここだけ別の世界だと思ってしまう程にこの場所は不思議なオーラを放っていた。

 

「うわぁーっ! 山がいっぱいだあ!」

 

「おい、全部ただのスクラップだぞ? 面白くも何ともねえ」

 

「えーっ!? でも、登ったら面白そうだよ! てっぺんに立ったら何が見えるのかな?」

 

「そんなに死にたけりゃ、後で登れ」

 

「わかった! 登ってくるね!」

 

彼の話の一部だけを聞き取り、勝手に理解した彼女は勢いよく山の方へと走ろうとするが、その首根っこを彼に見事に掴まれた事でその夢は絶たれた。

 

「聞いてなかったのか? "後で"だ!」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

「ったく、さっさと行くぞ」

 

彼が手を離すかと思いきや、首根っこを掴んだまま片手でハルウララを持ち上げる。そして、そのまま猫でも持つかの様にして歩きだした。

 

「えっ!? あれっ!? トレーナー力持ちなんだね!」

 

「……マジか、肝座るどころか地面に寝っ転がってやがる。大した奴だ、全くよ」

 

宙でブラブラと足を動かしてこの状況を楽しんでいる彼女に、彼は初めて畏敬の念を抱いたのだった。

 

それからすぐに、工場までたどり着くと彼女の足をちゃんと地面へと戻す。そして、適当な場所にパイプ椅子を置き、彼女を座らせた。

 

「そんで、確か手紙だったか?」

 

「はいっ! これ!」

 

彼女から手紙を受け取ると彼は気怠げな様子でそれを読んでいく。その間、暇なので周囲を見回す彼女。

 

近くにある棚には何かよく分からない機械が沢山置いてある。奥に見える机には紙が沢山貼ってあるがどれもこれも難しそうな内容ばっかりで理解できない。

後ろを見ると、良くある業務用のトラックが停まっている。しかし、その奥にも何かがある。ウマ娘の視力を最大限に発揮して奥の暗闇にある物を見ると、そこにはバイクと何かをくっつけた様な乗り物が置かれていた。何か色々突き出ているが何に使うのかは彼女には分からなかった。

 

前に向き直り、手紙を読んでいる彼の背後の棚を見る。そこには彼女でも分かる機械、ドリルがあった。それも大量に。普通なら疑問に思う部分だが、彼女は全く気にしなかった。

 

まだ何か面白そうな物は無いかと、辺りを再び見回そうとしたが、もう彼は手紙を読み終えてしまった様だ。

 

「クソッ……やるじゃねえかあのチビ」

 

「なんて書いてあったの?」

 

「あー……"遊びはトレーニングじゃ無いからトレーナーじゃなくても問題なく出来る"だとよ」

 

「えっ!? トレーナーが遊んでくれるの?」

 

「んな訳……いや待て」

 

ハイゼンベルクは彼女を置き去りに、奥の部屋へ入って行った。ガシャガシャと何かの音が閉じたドアから響いてくる。そして、しばらくして戻ってきた時、彼はバスケットボールより一回り大きい球体を持っていた。

 

「さて、お望み通り遊んでやる。だが、相手は俺じゃねえ。コイツだ!」

 

彼は球体をその場に落とす。ボールの様な軽い音ではなく、ガンッと重たい音が鳴り響く。彼は片足をその黒い球体に乗せてこう言った。

 

「ルールは単純、俺が蹴ったこのボールをテメエが取ってくるだけで良い。簡単だろ? じゃあ行ってこい!」

 

「わかった! よーし負けないぞ……え? ええっ!?」

 

彼が足を離すとそのボールは勝手に転がり始めた。そのまま一直線に工場の出口へ向かっていく。予想もしてなかった動きに呆気に取られた彼女だったが、すぐさま持ち前の足で追いかける。

 

「見つけたっ! 待てー!」

 

ボールは工場を出てすぐの場所でハルウララを待っていた。まるで彼女を煽るかの様に左右にユラユラと揺れている。

彼女がスピードに乗ってボールへと近づくと、まるで意思でもあるかの様に彼女から逃げ出した。その逃げ足は意外に早い。

 

「さて、見物でもさせて貰うか」

 

ボールと彼女が同スピードで右に左に駆けていくのを見ながら、彼は葉巻を片手に一息つくと、どこかの能天気さんの来訪で中断していた作業を再開するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくの間、勝負は平行線であった。ハルウララが加速すればボールも加速し、止まればボールも止まってユラユラと煽り始める。まるで一定距離を保つかの様にボールは動いていたのだった。

 

「ゆっくり……ゆっくり……!」

 

時折、ゆっくりと移動して気付かれない様に接近しようと試みては、触る直前で綺麗に逃げられたり。

 

「よーしっ! いくぞー!」

 

全力のスプリントで捕まえようとしてみては、途中で急カーブを織り交ぜられて見事に撒かれたり。

 

「ふぅ〜、疲れた〜」

 

地面が砂の部分があったので、そこに追い込んだ結果、ボールよりも自分が足を取られて疲れてしまったりと中々捕まえられずにいた。

 

持参の水筒で喉を潤しつつ何か良い方法は無いかと考えていると、またボールが彼女をからかうために見える位置まで移動してきていた。

 

「あれ? あんなのあったっけ?」

 

その時に見えたボールは最初の物とは少しだけ違った。猛スピードで彼女から逃げているせいもあり、表面の黒い塗装は剥げて中身の鈍い銀色が顔を出している。そして、その銀色の中に彼女の方を向く赤い点があった。

 

「もしかして、これって目かなあ?」

 

彼女がわざと右へ左へ動くと、ちゃんと赤い目も右へ左へ移動する。

 

「あっ! そうだ! 良いこと思いついた!」

 

彼女は不敵な笑みを浮かべると、スクラップの山へ走って行った。当然、一定距離を維持しようとボールも追いかけて来たのだが、そこに彼女の姿はなく、あるのは錆びた鉄屑だけで明るいピンク色なぞ何処にも見当たらなかった。

 

「捕まえたっ!」

 

その音に反応し、その目を真上へ向けるとそこには大の字になってスクラップの山からボールへと飛びつく彼女の姿があった。

それを見て焦りでもしたのか、ボールは出力最大で急加速。空転させながら彼女の作る影から脱出を果たした。もちろん、彼女はボールに触ることすら叶わず、地面に大の字のまま落ちた。

 

「いてて……でも惜しかったぞ! やっぱりあれで見てるんだ!」

 

彼女は再びボールを追いかけ始める。だが、さっきまでとは違う。真っ直ぐではなく、ボールの視界を避ける様にわざと軸をずらして追いかけていた。本当に視界から外れているかは分からない。ただ、先ほどとは違い彼女を撒くようなカーブをしていない事は確かだった。

 

「よーし、いくぞー! 3、2、1……うわっ!」

 

直線勝負のみであれば彼女の方が少し早い。故に差は段々と縮まり、あとは飛びついて捕まえるだけのはずだった。しかし、偶然にも彼女の前方に砂地が広がっていた。ボールは砂地に入るギリギリを走っていたため、問題なく通り過ぎて行った。対して、ハルウララは足を思い切り取られてしまい失速。狙いは惜しくも阻まれた。

 

「ふぅ……よしっ! ボールだけじゃ無くて前も見れば完璧だよね! 次こそは捕まえるぞー!」

 

再びボールを追いかける。思い切り走ってボールの斜め後ろにつく。先ほどと同じ状況だ。今度は反省を生かし、視野を広げると彼女の通る軌道上にまた砂地が広がっていた。だが、ここまでは予想通り。今度はちゃんと準備万端にして突っ込んでいった。

 

「よーし! いくぞー!」

 

砂埃をばら撒いて僅かに失速はしたが、どうにか砂地はスピードとパワーで切り抜けた。あとは、あの逃げまくるボールを捕まえるだけだ。

 

「隙あり! もらったー!!」

 

速度、角度ともに完璧な飛び込みだった。これがビーチフラッグだったらきっと彼女の勝利だっただろう。だが思い出してほしい、このボールの製作者の事を。あの性格の悪い彼が作る物が一芸だけで終わるのか、その答えはハルウララの前にあった。

 

「え? ええっ!?」

 

彼女の手がボールに触れそうになった瞬間、そのボールはひとりでに大きく跳ねた。ガシャンッといかにもメカメカしい音を立てながら着地すると、そのまま真っ直ぐハイゼンベルクの元へ戻って行った。

結局、彼女の手が捕まえたのは砂埃の舞う空気だけだった。

 

「残念だが、テメエの負けだ」

 

彼女の愉快な追いかけっこ相手を片手で掴み上げ、すぐそこの棚に適当に突っ込みながら彼はそう言った。

 

「ええーっ!? もう終わりなの? わたしまだ元気だよ!」

 

「テメエが元気かどうかなんて関係ねえんだよ。もう夕方だ、さっさと帰れ」

 

彼は壁に掛かっている古い時計を指さす。確かに時刻は夕方。日も既に傾き、空は赤から黒へと移り変わっていく最中だった。

 

「ええっ!? もうこんな時間!? 早く帰らなきゃ!」

 

「じゃあな、もう来んじゃねえぞ」

 

「じゃあね、トレーナー! また来るね!」

 

「あ、おい! ハァ……この感じじゃまた来んだろうな」

 

彼が念押しをしようと振り向いた時、既に彼女の姿はスクラップの影に消えた後だった。ため息一つ吐きつつも、行ってしまったものは仕方ないと割り切って、作業を再開する。

 

「あー、奥に置きっぱじゃねえか」

 

少しだけ時間が経った後、彼は口元へ葉巻を持ってくるが、手に持っていたのは葉巻では無くドライバー。どうやら、奥の部屋に置いてきてしまったのを忘れてしまっていたようだ。彼は悪態を吐きつつも、換気扇の真下に置かれた火のついたままのそれを咥える。そして、どこかのお偉いさんに頼まれた芝整備用の専用機械を作るため、作業を再開させるのであった。

 




ハイゼンベルクの工場
いつからあるのか分からない古びた工場。実はお化けが出るという噂がある。


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鉄槌

皆様のお陰でランキングに載りました!
本当にありがとうございます!


「あっ! トレーナー! 今日はこっちに居るんだね!」

 

ある日、理事長室から出て行くハイゼンベルクを見つけたハルウララは手も尻尾も大きくブンブン振りながら声を掛ける。

 

「ん? ああ、仕事だからな」

 

「あれ? トレーナーがお仕事なんじゃないの?」

 

「……あのな、何度も言ってるがトレーナーなのは書類上だけで、本来は別の仕事してんだよ!」

 

「ええっ!! じゃあ、トレーナーってすごいんだねっ!」

 

「あ? 何でだ?」

 

「だってだって、二つのお仕事を同時にやってるんでしょ? すごいよ! ちょっとキングちゃん達に自慢してくるね!」

 

とりあえず、ハルウララ的な評価基準で凄いと思ったのだろう。自慢したいがためか凄い勢いで彼の元から離れていき、数秒で彼の視界から彼女は消えたのだった。

 

「片方の仕事はやってないに等しいがな……」

 

彼は小さくそれだけ呟いた後、彼は学園の裏に駐車されたトラックへと向かう。業務用であるそれの積み荷は綺麗なフィットネスバイク。もちろん、ウマ娘用である。

 

流石に邪魔になると思ったのか、持っていた鉄槌をすぐ側の切り株に立て掛ける。

そして、透明な袋に包まれた積み荷を軽々と担ぐと、彼は再び学園の中へと戻って行った。

 

そんな彼が向かったのはトレーニングルーム。今回はただの器具の交換だ。故にあのモンスターマシンに用は無い。時間的に混んでいそうだと思ったが、幸運な事に利用者はほとんどいなかった。

僅かな利用者の内、一名は彼も見覚えのある者。ただ、その居場所は例のマシンの後ろに設置されたマットの上だった。

 

「ほう、マジでやってるとはな。生徒会長さんよ」

 

「ん? ああ、君だったか。これは中々に……難しいな。75でどうしても速さに追いつかずこうなってしまう」

 

シンボリルドルフは息を整えながらも少し笑ってそう言った。どうやら、まだまだ今の速度に満足していないようだ。

それを聞いたハイゼンベルクは、75でも十分バケモンの部類だと言いたかったが、その言葉は心の中に仕舞い込み、代わりに皮肉を吐いた。

 

「3桁はやり過ぎだったかもな」

 

「いや、逆に有り難い。頂点を目指す者にとって、この様な分かりやすい指標があるとやる気も出る。何より、このランキングのシステムも面白くて良いと思っているよ」

 

そう言って彼女が目を向けた先には、到達最高速度のランキングがディスプレイに表示されていた。

 

 

 

1 シュツルム 100.0

2 ルドルフ 75.2

3 バクシン 75.0

 

 

 

ハイゼンベルクは一位の名前を見て頭を抱える。

 

「少し気になるのはこの一位のシュツルムという者だが……知っているか?」

 

「あー……そいつはテストプレイヤーだ、人じゃねえ。悪かったな、消しておく」

 

「いや、私の一つの目標としては中々良い指標だ。消さないで貰えないか?」

 

「……しょうがねえな」

 

「すまない、感謝する」

 

相手がハルウララであったら容赦なく消していただろうが、今回の相手はちゃんと礼儀を知っている者ゆえに、あまり強引には出られない。

結局、次からしっかりと確認しようと心に刻み込むだけに終わった。

 

「じゃあ俺はこれで……おっと、聞き忘れてた。安全性はいかがでしたか? 生徒会長?」

 

わざとらしく貴族に話しかけるかのような丁寧な口調でそう尋ねられたシンボリルドルフ。この見るからに品を欠いたような見た目から、敬語と西洋式のお辞儀が飛び出してくるとは思ってもいなかったのだろう。彼女は豆鉄砲を食らったかのようにキョトンとした様子だった。

 

「フフフッ……君はそんな態度も出来るのだな。決して貶している訳ではないがその……似合わなくてな」

 

その結果、彼女から出てきたのは笑いだった。ギャップが凄すぎる故だろう。

 

「悪かったな? 残念ながら真似事しかやった事ないんでな」

 

彼もその反応に対してニヒルな笑みを返す。

 

「ああ、すまない。安全性に問題はなかった。もし()()があったら、またこの()()を作って欲しい」

 

今度は彼がポカンと気の抜けた表情を浮かべる。それもそうだ、こんなクソ真面目そうな生徒会長からちょっとしたギャグが飛び出てくるとは思ってもいなかっただろう。

 

「ヘッ、分かったよ。今度は何キロまで出るやつをご要望で?」

 

「あ、いや……速度に関してはもう十分だ。私個人としてはこのベルト部分の長さを伸ばして欲しい。前後のキャパシティに余裕があると速度の調整もやりやすい」

 

「これでも長い方なんだがな……まあいい。参考にさせて貰うとするぜ。じゃあな」

 

彼は続けて"これから仕事なんでな"と言葉を添えると、さっき適当に置いたフィットネスバイクへと戻って行った。シンボリルドルフはなんとなく彼の仕事ぶりを見たくなり、マットに腰掛けたまま視線だけをそっと向ける。

 

彼は壊れた器具を見つけると、軽々と片手で担ぎ上げ、その空いたスペースにもう一方の手で持った新品を丁寧に置く。そして、手早く配線類を整えていく。

ディスプレイを軽く操作して初期設定を済ませ、最後に軽く足でペダル部分を蹴っ飛ばし雑な動作確認を終える。

 

彼女はしっかりと一連の動作を見ていたが、特に専門知識が有る訳では無いため、腕の良し悪しに関しては全く分からなかった。ただ、所々荒っぽいが新しく設置された器具には傷一つ無いことから、悪くは無いのだろうと勝手に思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

トレーニングルームから不良品のマシンを担ぎ、再びトラックの元へと向かう。道中で重い重いと文句を漏らしているが、片手で軽々と器具を担ぐその様はまさに真逆だった。

 

「むむ! 不審者を発見!」

 

もう少しで着くというところで、知らないウマ娘が彼の前に立ちはだかる。

 

「無断でトレーニング器具を持ち出そうとしている……分かりましたっ! あなたは泥棒ですね! その身柄、委員長である私が確保させて頂きます!」

 

彼が言い返す間もなく、彼女は凄い勢いで突っ込んでくる。面倒臭くなったのか、彼は特に避けようともせずそのまま突っ立っていた。

 

「ふべらっ!?」

 

その結果、圧倒的な質量の差で運動エネルギーごとひっくり返され、ただ彼女一人だけが廊下に無残に転がった。身長の差も影響しているだろうが、何より大きいのは彼がマシンを担いだままというのもあるだろう。

 

「むむ! 反撃してくるとは! ですが、学級委員長として何としてでも止めなければなりません! いざ、バクシーン!」

 

勝手に突っ込んできて勝手に反撃を喰らい、その言い分は中々に酷いものがある。そして、またまた話すタイミングを逃した彼は大きく溜息を吐いた。

 

そして、向かってくる頭を空いている方の手で鷲掴みにした。

 

「うぐっ!? あ、あれ? 地面に足がつきません!? こ、これではあの犯罪者を止められないのでは!」

 

「おい!」

 

「ハイッ!」

 

ハイゼンベルクの荒々しい声かけに、彼の手に掴まれぶらぶらしている彼女はその状態のまま綺麗に背筋も尻尾も伸ばし、威勢の良い返事をした。

 

「学級委員長が何だか知らねえが、こっちの話の一つや二つぐらい聞いてくれても良いんじゃねえのか?」

 

「ハッ!? 私としたことが! つい、勝手に早とちりをしてしまいました! しっかりと話を聞くのも学級委員長の務め! 今すぐお聞きしましょう! あの……出来ればこの手を離して頂いても良いですか? 凄い話し辛いのと、こめかみ辺りがだんだん痛くなってきてですね……」

 

「ハァ……ったく」

 

彼は掴んだ頭をパッと離す。無事地面に降り立った彼女は痛みのせいか、こめかみを抑えて唸り声を上げている。だが、ここを逃せばまた話を切り出せなくなると悟ったのか、彼はお構い無しに口を開いた。

 

「おい、先に言っとくが俺は泥棒じゃなくここのトップに雇われた業者の人間だ。勝手に泥棒扱いするんじゃねえ」

 

「なるほど! では、何故トレーニング器具を担いでいるのですか?」

 

「不良品の回収、交換って言えば分かるか?」

 

「不良品の回収!? それはアレですね! バクシン出来なくなった物を交換してバクシン出来るようにするというやつですね!」

 

「爆進? まあ、そんなとこだ」

 

会話が微妙に成立していないが、わざわざ指摘するのも面倒な彼は適当に話を合わせる。

 

「それで俺はここを通る。だからどいてくれ」

 

「分かりましたっ!」

 

一応、彼女はちゃんと道の端に避けてくれた。何故だか顔はどこか自慢げで尻尾もブンブンと振られている。

なんとなくあのピンク髪のウマ娘とどこか似た何かを感じた彼であった。

 

今の騒動でさらに集まった視線が痛いぐらいに彼の背中に浴びせられるが、普段通りガン無視しつつ外へのドアを乱雑に開けた。

 

「人目がなけりゃ楽なんだけどな」

 

外に出てドアを足で器用に閉め、彼は空に浮かぶ太陽を恨めしく睨むとそう呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ! みんなーっ!」

 

「あら、ウララさん?」

 

ハルウララはハイゼンベルクと別れた後、学園内を走り回ってキングヘイロー達を探していた。幸運にもその様子を一部の厳しいお方達に見つかって注意される事もなかった。

ただ、ちょっと走り過ぎたせいで本人は息切れ気味だった。

 

「ウララちゃん、走ってきたの?」

 

「うんっ! そうだよ!」

 

「あはは! よくあの副会長に見つからなかったね! その運、私も欲しいなー」

 

「スカイさん! そこは注意すべきとこでしょう!」

 

キングヘイロー、スペシャルウィークにセイウンスカイ。ウララが走って着いたカフェテリアではその三人がちょうど昼食を終えた所のようだった。

 

「あのね、あのね! キングちゃんが知りたがってたわたしのトレーナーの事なんだけど!」

 

「「え?」」

 

彼女のその言葉にスペシャルウィークとセイウンスカイの二名の目が残り一人へと向く。

 

「確かに言いましたけども、今じゃなくても良いじゃない? 寮に帰ってから教えてもらっても良いかしら?」

 

余裕そうにそう言い張るキングヘイロー。しかし、その額には数粒の汗が流れていた。

 

「おっと、その話私達にも聞かせてもらえないかな? ねえ、スペちゃん?」

 

「うん! 私も気になります!」

 

「これは……ウララさん、貴方に任せるわ」

 

親しい友人二人に詰められた彼女は、言っても良いかの判断をハルウララに委ねた。

 

「うんっ! 良いよー! みんなでお話しした方が楽しいもんね!」

 

快く了承する彼女に対して、どこか決定的なズレがあると思ったキングヘイローであった。

 

「あのね、ウララさん。これは貴方の名誉に関わる問題なのよ? まあ、この二人なら問題無いけれど、他の人にはそう安易と言っては駄目よ」

 

「うんっ! 分かったよキングちゃん!」

 

「もしかしてさー、結構ヤバイ感じの話だった?」

 

「あら、貴方達は問題無いわよ。ただ、場所を変えても良いかしら?」

 

彼女の言葉通り、四人はカフェテリアから外へ出る。そして、周囲を確認した後に歩きながら話し始めた。

 

「先に説明しておくわ。ウララさんのトレーナーが決まったのだけれど、それが少し変な扱いなのよ」

 

「変な扱い……ですか?」

 

「そう、仮トレーナーってウララさんに届いた手紙には書かれていたわ。サブじゃなくて仮」

 

彼女は片手を顎へ持っていき考える素振りを見せた後、再び話し始める。

 

「そこでね、一応調べてみたのよ」

 

「おお、ここでキングのスーパー情報網が火を吹いたー!」

 

「違うわよスカイさん、その逆よ。何も分からなかったのよ!」

 

彼女は携帯を取り出すと、その画面を見せつける。セイウンスカイ達に突きつけられた画面には彼女達のトレーナーの名前や経歴、その他個人情報が書かれていた。

 

「え? こんな事まで分かるんですか!?」

 

「あはは、まさかこっちのトレーナーの趣味までぶっこ抜かれてるとはね……」

 

「これが普通なのよ!」

 

「わたしも見たーい!」

 

画面を見ようとピョンピョンとウサギのように跳ねているハルウララを止めると、今度は別の画面を見せつける。ちゃんとハルウララにも見えるよう位置を下げて。

 

「あ! トレーナーだ! でも、さっきと違って全然文字が書かれてないね!」

 

「そうなのよ、殆ど情報が無いのよ! 職業も年齢も分かってない。分かってるのは名前だけよ」

 

「へえー、カール・ハイゼンベルクって言うんだー。意外とイケてる名前じゃん」

 

「あ、私見たことあります! この前理事長室から出てきた人だ! なんというか……インパクトしかない感じの人だったな」

 

「そりゃあ、この見た目じゃあインパクトしか無いでしょ」

 

「あ、いや、そうじゃなくて。すっごい大きいハンマーを持ってたんです」

 

「そうだよっ! トレーナーはいっつも大っきいハンマー持ってるんだ! 仕事で使うんだって!」

 

ハルウララから発せられた真実を聞き、明らかに表情が引き気味のそれとなるセイウンスカイ。なお、キングヘイローもその様子を見て心の中で大きく同感していた。

 

「まあ、簡単に言えば。怪し過ぎるからウララさんに頼んで、その人の情報を教えて貰ってるのよ」

 

「まあ、確かに私も怪しいとは思いますけどもー。そうだとしても今回のキングはだいぶ世話焼きだねえ?」

 

「なっっ! 違うわよ! 一流のウマ娘は情報収集も怠ってはいけないのよ! たとえ、それが戦う予定のない者だったとしてもね!」

 

「へえーっ! じゃあわたしも頑張ってじょーほーしゅーしゅー?して一流を目指すぞー!」

 

「あーはいはい、いつもの照れ隠しね」

 

「あはは……いつものキングちゃんだね」

 

顔が茹で蛸のように赤くなっているキングヘイローだが、咳払いをして気持ちを切り替えると、本題へと入る。

 

「さて、ウララさん。教えて頂けるかしら? さっき言ってた貴方のトレーナーについて」

 

「うんっ! 分かった! あのね、トレーナーは二つの仕事を同時にやってるんだって!」

 

「うーん? 片方がトレーナーってのは分かるんですけど……もう片方は?」

 

「あっ!? 聞いてなかった……!」

 

耳も尻尾もピンッと真っ直ぐにした後、どちらも力無く垂れた。キングヘイローその様子に頭を抱え、スペシャルウィークは苦笑い。残るセイウンスカイはいつも通りの平常運転に笑っていた。

 

「あっ! お仕事は分かんないけど、何作ってるかは分かるよ! トレーニングルームの機械はほとんどトレーナーが作ったんだって!」

 

「え? それってマジなやつ?」

 

「ウララさん! その会社名とか分かるかしら?」

 

「うーん、分かんないなあ」

 

「まあ……普通そこまで確認しないよね」

 

キングヘイローは一応彼のデータベースに製造業?と追記をした。そこそこの成果だ。

話しながら歩いていたせいか、気がつけば学園の裏側の方まで歩いて来ていたようだ。周囲に他の生徒の影はなく、置いてあるのはただの業務用のトラックだけだ。

 

しかし、彼女が戻る提案をするよりも先にハルウララが駆け出した。置いていかれた全員が、キョトンと顔を見合わせる。彼女を追って三人がたどり着いた先は先程見えていたトラックのすぐ側、切り株に立て掛けられた鉄槌だった。

 

「あっ! これトレーナーのだ!」

 

「うわ、ほんとにデカいハンマーじゃん」

 

よく分からない工業製品の寄せ集めのように見えるそれをハルウララは両手で掴む。そして持ち上げようと踏ん張った。だが、その鉄槌は地面に縫い付けられたかのようにびくともしなかった。

 

「〜〜〜! ふぅ、やっぱり重いね! スペちゃん! 持ってみてよ!」

 

「わ、私!?」

 

彼女はハルウララに連れられて、鉄槌の柄を握る。そして、思い切り力を入れてその柄を引いた。

その様子を見ていたセイウンスカイとキングヘイロー。しかし、柄を引く彼女の顔が赤く染まってなお鉄槌は動かない。

 

「ね、ねえキング。あれ何キロあると思う……?」

 

「……いや、分からないわ」

 

そして、やっと鉄槌が地面から僅かに浮いた時点で彼女の体力は切れ、再びその頭は地面へとめり込んだ。

 

「はぁ……はぁ……これ、重いです」

 

そして、一時的に体力が切れたスペシャルウィークも地面に座り込んだ。そして、ハルウララの期待の眼差しは今度はセイウンスカイへと向けられた。

 

「いやー、その眼差しは反則じゃない? だって断れないじゃん」

 

渋々といった様子で彼女は柄を掴む。そして、少し力を入れて踏ん張る様子を見せた後、すぐに手を離した。

 

「いやー、重いねー。セイちゃんでもダメだったよ」

 

わざとらしく棒読みでそう言った彼女には汗の一筋も流れてはいなかった。

 

「そっかー! じゃあキングちゃんなら持ち上がるかな?」

 

「あの、ウララさん。勝手に他人の物で遊ぶのはあんまり褒められる行為じゃ無いわよ」

 

「うんっ! 分かった! じゃあ、キングちゃんも持ち上げられないって事だね!」

 

恐らくハルウララは無意識で言ったのだろう。しかし、その発言は彼女への最大の煽り言葉。つまり、彼女の対抗心という火種に大量のガソリンをぶっかけた。

 

「……このキングが……戦わずして負ける……?」

 

その言葉と共に彼女は問答無用で鉄槌の柄を両手で掴む。そして、思いっきり持ち上げ始めた。

 

「こんな物、簡単に持ち上げてやるんだから!」

 

「うわーっ! キングちゃん凄いね! 持ち上がって来てるよ!」

 

プライドと根性で鉄槌はみるみる持ち上がっていく。

 

「ほうほう、流石キング。パワーありますなあ」

 

「わあ、頑張ってキングちゃん!」

 

三人の応援もあり、キングは何とかして鉄槌を肩に担ぐところまで持ち上げたのだった。

 

「こんなもの、私のような一流にとっては朝飯前よ!」

 

余裕綽々な態度を取る彼女だが、その内心は余裕とは全くの逆でその重さから足も腕も笑い始めていた。それでも、表情だけは絶対に崩さない所は流石と言える部分であろう。

 

「おい!」

 

「ひゃあ!」

 

背中から突如掛けられたドスの利いた声。思いっきり驚いた彼女はバランスを崩し、鉄槌を前へ振り下ろしてしまう。

 

バキッという破壊音が響く。幸運にも前方には誰もいなかった。ただ、その代わりに切り株が凄惨な状態になっていたのは言うまでもない。

 

「ちょっと! 急に話しかけ……ないで……よ……」

 

振り向きざまにそう言った彼女だが、目の前に居たのは友人ではなく、厳つい男の顔。彼女の発した言葉はその男の圧に押され、段々と弱まっていった。

 

「あっ! トレーナー!」

 

「テメエ、また触りやがったな? 何度も言ってんだろ、触んじゃねえってよ! 足がミンチになって困るのはテメエなんだぞ!」

 

「うんっ! わかった! 次から落とさないようにするね!」

 

元気よく返事をする彼女。意図が微妙に伝わっていない事を感じ、思わずため息が漏れる。

 

「ハァ……そんで、わざわざお仲間引き連れて裏側まで来たんだろ? なんか用でもあんのか?」

 

「あのねあのね! トレーナーが何の仕事をやってるのか聞きに来たんだ!」

 

「へっ、どうせ誰かの差し金だろうが、まあいい。俺はこの学園にトレーニング器具を卸してる業者みてえなモンだ。まあ、他にも色々とやってるがな」

 

「だってさ! キングちゃん!」

 

そう言って振り向くと、少し離れた場所に呼びかけられた彼女はいた。

 

「そ、そうね!」

 

「あれ? なんでそんなに距離取ってるんですか?」

 

「いやまあ、気持ちは分からなくは無いけどねえ……」

 

セイウンスカイはハイゼンベルクへと目を向ける。何回見てもその見た目から来る圧が凄まじい。故に彼女自身も少し気圧されていた。

 

「そうかな? 別に怪しい事以外は普通の人だと思うけど?」

 

あの圧が苦手な二名はその言葉を発したスペシャルウィークに驚愕の目を向けることしかできなかった。もしかすると、彼女の故郷の方には似たような者が居たのかもしれない。

 

「じゃ、じゃあ後はよろしく。セイちゃんはもうダウンです」

 

そう言うなり、彼女はその場に座り込んでしまった。耳も垂れている事から結構しんどかったようだ。

何で二人がこんな事になっているのか首を傾げながらもキングの代わりに話を進めるべく、ハルウララの側に立ったのであった。

 

「あの! ハイゼンベルクさん! かなり言い方が悪いかも知れないですけど、私達から見てかなり怪しい人に見えたんです。だから、ウララちゃんの友達として問題ない人かどうか確かめたかったんです!」

 

「ほう、納得だ。確かに、俺も怪しい奴は信用しねえ。だが、その怪しさってのを拭うのは無理なんじゃねえか? まあ、見ての通りの奴なんでね?」

 

ハイゼンベルクは古ぼけたコートをわざとらしく叩いた。付着していた土埃が周辺を舞い、それに鼻をくすぐられたのかハルウララは盛大にくしゃみをした。

 

「ねえねえ、トレーナー! トレーナーの工場はなんて名前なの?」

 

「あ? 何でだ?」

 

「だって、怪しいのは分からないからなんだよね? じゃあ、全部教えちゃえば怪しくないよっ! どこどこのどこどこにいるおじさんです。って言えば誰も怪しまないよねっ!」

 

「……ああ、いい発想だ。俺のプライバシーが魚の餌になってる事を除けばな」

 

皮肉たっぷりに彼はそう言った。しかし、彼女のいう事にも一理あると思っているのか、考える素振りを見せる。無意識に左手が口元へ近づく。しかし、ここは学園内。彼の望むスティック状の精神安定剤は無い。

 

「しょうがねえ、少しぐらいなら教えてやる。俺の名はハイゼンベルク。ま、既に知ってそうだがな」

 

「あれ? カールじゃないの?」

 

「あのな、テメエらと違って名前に種類があんだよ。いきなり全部ぶち撒ける訳ねえだろ」

 

「ええっ! 名前がいっぱいあるの!?」

 

口元にあった左手を帽子へと移し、続きを喋る。

 

「それで、次は仕事の話だったか? 町外れの工場でスクラップから色々と作ってる。簡単に言えばリサイクル場みてえなモンか?」

 

「へぇーっ! だからいっぱい金属があったんだね!」

 

「ウララちゃん、行ったことあるんだ……」

 

帽子から手を離しコートのポケットから何かを取り出す。心地よい金属音を鳴らすそれは何かのアクセサリーのようだ。

 

「工場の名前は"シュタールフィアーツ"。意味は自分で調べな。そして、コイツが看板代わりだ」

 

ハルウララにポイッと投げ渡されたそれは、文字通り鉄で出来ておりずっしりとした重量感があった。興味の湧いたスペシャルウィークもすぐ横からそのエンブレムを見る。

 

「わあーっ! ねえねえ! これどうやって作ったの!?」

 

「あ? んなモン、金属溶かして型にぶち込めば出来る」

 

「へぇーっ! トレーナーって何でも作れるんだね! すごいよ!」

 

「無骨だけど……オシャレでカッコいいな! あれ? これは……蹄鉄?」

 

デザインをよく見るとU字と何かの生物を組み合わせたような見た目をしていた。U字の部分はよく見る蹄鉄と似ているが、生物の方は全く見当がつかなかった。

 

「こんなもんだな。そいつはタダでくれてやる。どうせ、いくらでも作れるしな」

 

「ほんとっ!? わーい! トレーナーありがとー!」

 

「じゃあ俺は帰る。さっきも変な奴に絡まれて疲れちまった。テメエらもさっさと戻りな、時間が無くなっちまうぜ?」

 

その言葉を聞き、スペシャルウィークは時間を確認すると、もう昼休みも終わりに近づいていた。その事を伝えるべく後ろを向くと、そこにはキングヘイローに膝枕されているセイウンスカイの姿があった。

 

「終わったようね。じゃあ、これはもう終わりよ」

 

膝上の誰かにお構いなく、立ち上がった彼女はさっさと教室に戻るべく歩き出す。その後ろには苦笑いを浮かべるスペシャルウィークとエンブレムを嬉しそうに両手で持つハルウララが続いた。

なお、一流の膝から問答無用で落とされたセイウンスカイは少しの間だけ放心状態だったが、急いで立ち上がって後に続く。

 

だが、なんとなく後ろを振り返る。そこには、彼女らが苦戦していた鉄槌を片手でなんの抵抗もなく持ち上げて、そのままトラックの荷台に詰め込んでいる工場長の姿があった。

 

よく筋トレ好きの者達をパワーお化けと心の中で呼称していた彼女だが、本当のお化けは彼なのではないかと顔を青ざめさせたのだった。

 

 




シュツルム
トレセン学院のトレーニング器具にあるランキングシステムに時折見かける謎のプレイヤー。その優秀な成績から実はウマ娘では無いかと噂されている。だが、バーベルなどを使う器具の方にはその名前は確認されていない。


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お化けの友達

沢山の感想ありがとうございます!


 

今日は生憎の雨。しかも土砂降り。葉巻の火が付きにくく、ご機嫌斜めの工場長。そして、何食わぬ顔でパイプ椅子に座ってにんじんジュースを飲んでいるハルウララ。

 

きっかけは数分前に遡る。ここ最近、いつもこの工場に遊びに来ているハルウララ。その理由は、彼の持っているあのふざけたボールにあった。

毎回毎回、あの異次元軌道を描くボールを捕まえられずにいた彼女は今日もまた、彼の言うゲームにチャレンジしに来た。そして、いつも通り繰り返される逃げと追い。そんな中、予報にはなかった雨が突然降り始めた。

 

雷を伴うそれは、瞬く間に大地を泥沼へと変える。そして、珍しく何回も使用された機械仕掛けのボールは防水性能が劣化して、火花と共にその命を散らしてしまったのだ。そこを見事に捕まえた彼女はゲームに勝った褒美としてにんじんジュースを貰ったというわけである。

 

なお、この雨の中わざわざジュースを買いに行くのが面倒だった彼は、ネットで適当にレシピを検索して工場にある材料で作ったそうだ。

 

「ほらよ、さっさと体と頭を拭け」

 

「ありがとー! トレーナー!」

 

「礼なんて要らねえ、工場を濡らされんのが嫌なだけだ」

 

相変わらず冷たい態度を取る彼だったが、渡されたタオルはふわふわでとても暖かかった。

拭き終わった彼女はにんじんジュースを美味しそうに飲む。彼女の横に置かれたミキサーの中にはまだまだ沢山のにんじんジュースが。

 

「美味しいなー! うっらら〜!」

 

彼曰く、作る量を間違えたそうだ。そして、彼自身が飲むのはコーヒーか紅茶。自ずと全てのジュースがハルウララ行きとなった。

 

「ねえねえ、トレーナー! テレビとかってないの?」

 

「ある事にはあるが、壊れちまってる」

 

彼は何かの作業をしながら、ぶっきらぼうにそう答える。

 

「そっか! じゃあトレーナーは今何してるの?」

 

「壊れちまったブツを直してる」

 

彼は葉巻を咥えながら、作業机に向かっている。その上には先程彼女が捕まえたボールが分解されて置かれていた。もちろん、彼女が見ても何がどうなっているのか全く分からなかったのは言うまでもない。

 

「トレーナーは飲み物飲まないの?」

 

彼女の視線はすぐ横の小さいテーブルに移る。彼女の好物がたっぷり詰まったミキサーの横に置かれたマグカップ。もう湯気も出ておらず、とっくに冷めてしまっているだろう。

 

「悪いが、そっちにコイツは無いんでな」

 

彼は背を向けながら天井を指さす。そこにはでっかい換気扇らしき物が。天井の他の部分と比べて、何故か換気扇だけピカピカだった。

 

しばらくお互い無言が続く。激しく降る雨の音だけが響く中、彼が一つの疑問を問いかける。

 

「そういや、あのお偉いさんからメールが来てた。模擬レースがあったんだってな?」

 

「うんっ! そうだよー!」

 

「何着だった?」

 

「6着!」

 

「何人出てた?」

 

「6人!」

 

「ビリじゃねえか」

 

彼は元気にビリを言い張る彼女に思わず笑いが込み上げる。だが、彼女からは背中しか見えないので分からないだろう。

 

「でもね、次は1位を取るんだ! わたし負けないぞー!」

 

「ほう、どうしてだ?」

 

「だってレースってすっごく面白いんだよ! それで、一位を取れたらもっっっと面白くなると思うんだっ!」

 

彼女のメンタルの化け物具合に笑みを浮かべながらも、彼は作業を終える。葉巻の火を消して作業机に放ると、新しく進化したボールを彼女に見せつける。

 

「よし! これで次からは浸水でショートなんてつまらねえ死に方はしねえ! おまけに速度も判断能力も上がった! テメエからも完璧に逃げ切れるボールの出来上がりって訳だ!」

 

「ええっ!? でも負けないぞ! わたしの方がもっと早くなれば捕まえられるもんね!」

 

「悪いが、試すのはまた今度だ。外があれじゃあな」

 

工場の巨大の扉の隙間からでも分かるほど、地面は池と化していた。今外に出れば、水上に浮かぶ家のような気分を味わえるだろう。

 

「ええー! わたしは平気だよ?」

 

「悪いが、俺は平気じゃねえ。泥まみれの足でほっつき回られても迷惑だ」

 

彼の言葉に仕方なく、にんじんジュースを啜る。その美味しさのせいか、無意識に尻尾の振りが大きくなる。結局、ただそれだけで彼女の中にあった不満の種は外へと抜け落ちた。

 

空になってしまったので、おかわりをしようとミキサーに手をかけた時、謎の轟音が工場内に響き渡った。

ブオンブオンと何故か鳴り響く音に驚いた彼女は、尻尾が完全にピンッと伸び切ってしまう。

 

「ああ、クソッ! またか!」

 

彼はハルウララに少し待ってろと伝えると、工場の奥の方へ姿を消す。おかわりしたジュースを飲んで待っていると、彼の叫び声があの音の代わりに響き渡った。

 

「おい! うるせえぞ! 静かにしてろ!」

 

そして、バンッと何かを思い切り閉めるような音が響くと、先ほどまで鳴っていた低い音は見事に止んだ。

 

「あー……悪かったな」

 

帰ってきた彼は珍しく悪びれた様子で彼女にそう言った。

 

「トレーナー! さっきのは何かの鳴き声?」

 

「まあ……そんなとこだ」

 

「じゃあトレーナーって動物飼ってるんだね! わたしも見ていい?」

 

「え? あー……そんな生易しいモンじゃねえ。どっちかと言えばバケモンに近え、だから……」

 

「えっ!? お化けがいるの!? 見たい見たい! わたしね、お化けと友達になってみたかったんだ!」

 

「は? おい、マジかよ……!」

 

かつての敵の口癖が移ってしまうほどに彼は大きく動揺する。そして、その隙を突くかのように再度鳴り響く轟音。そして、ハルウララはお化けに会いたいが為、勝手に音のする方向へ突き進んでいってしまった。

 

ウマ娘の発達した聴覚で、迷わず真っ直ぐに音源まで向かっていくハルウララ。そして、たどり着いた先には沢山写真が貼られたボードと音の発生源である戸付きの穴があった。

ボードの方は赤ペンでバツがいっぱい書かれていたが、彼女にその意味は分からない。そのため、彼女の興味は自動的に穴の方に向いた。

 

「ここかな?」

 

彼女は戸を解放すると、その中に向かって話しかける。

 

「お化けさーん! そこにいるのー?」

 

先程まで無規則的に鳴っていた轟音は止み、代わりにブオンッと一回だけ音が返ってきた。

 

「わあ! お化けって本当にいたんだ!」

 

その声に反応するように今度は三回の返事が響く。

 

「ハァ……ったく、テメエの度胸はバケモン並か? ちったあ恐れってもんを知りやがれ……!」

 

「あ! トレーナー! お化けさんってここに居るんだよね? 会ってもいいかな?」

 

「これに関しては……完全に俺の負けだな。しょうがねえな、ビビって泣き喚くんじゃねえぞ?」

 

ハイゼンベルクはハルウララを抱き抱えると、そのまま穴に飛び降りた。無事にすんなりと着地した彼は彼女を下ろす。そして、彼女の目の前に現れたのは、見た事もない異形の姿だった。

 

けたたましい音と共に回るプロペラ。それの動力であるエンジン。そしてそれを支える二本の足。文字通り、プロペラ機のエンジンと人間を合体させたかのような化け物が彼女の前に現れたのだ。

 

ハルウララは尻尾も耳も完全に伸び切って、驚愕の表情を浮かべている。その様子に、ハイゼンベルクはいかにも極悪そうな笑みを浮かべるが、次の彼女のセリフでその表情は吹き飛んだ。

 

「すごいっ! プロペラのお化けなんだね! わたし、ハルウララって言うんだ! お友達になろうよ!」

 

その言葉に、彼の笑みもプロペラも止まった。思わず、お化けと彼は目を見合わせる。お化けに目は見当たらないが、何故かそう思わせるような仕草だった。

その結果、二人から溢れ出てきたのは盛大な笑いとエンジンの轟音だった。

 

「ダーハハハハハ! おいマジか、普通コイツを見て友達になるなんて言えねえぜ? 頭のネジ一本どころじゃねえ、もはや全部外れてぶっ飛んでやがる!」

 

彼の笑いと比例するかのようにプロペラは凄まじい勢いで回転する。それはまるで、お化けも一緒に笑っているようだった。

 

「バカも極まれば恐れ知らずってか? 悪くねえ、大したもんだ、ハルウララ! お前の度胸だけは気に入ったぜ!」

 

「ほんとっ!? やったやったー!」

 

「良いもんを見せてくれた礼に教えてやる。コイツは"シュツルム"! テメエの大好きなお化けだ! 精々仲良くするこった」

 

「しゅつるむ? じゃあ、お菓子みたいな名前だからシューちゃんって呼ぶねっ!」

 

シュツルムはエンジンを最大限に吹かし、彼女との出会いに盛大な祝砲と言わんばかりに轟音を上げたのだった。

 

「テメエの物騒なプロペラ、今度交換しねえといけねえな。もうチェーンソーの三枚刃は必要無え」

 

彼はそれをシュツルムに伝えると、ハルウララを担ぎあげる。

 

「うわっ! トレーナー? なんで担ぐの?」

 

「テメエが勝手にあっちこっち行かねえようにするためだよ!」

 

口調は悪いがいつもよりテンションの高い彼に連れられて、彼女は工場の迷路のような道を通って、少し開けた場所へ出る。

再び、彼女の表情が驚きのそれへと変わる。それもそうだろう、あんなちっぽけだと思っていた工場が実は地下に続きがあり、その広さが学園の校舎に匹敵する物だったのだ。

 

「ねえねえ! トレーナー! あれって何? なんかいっぱいぶら下がってるよ! なんだかお祭りの射的みたい!」

 

「アレか? ただの鉄屑だけどな」

 

巨大な吊り下げ式の輸送機には、沢山のスクラップがぶら下がっている。学園で見るようなバーベルやランニングマシンもその中に入っているようだった。

 

「さて、工場見学はもう終わりだ。さっさと帰るぞ」

 

彼はそれだけ言うと、巨大な業務用のエレベーターに乗る。そして、壁のボタンを押してから彼女を肩から下ろした。彼女が地面に降り立った時には、既にエレベーターの金網の扉は完全に閉まっており、彼女の勝手な行動を封じ込めていた。

 

エレベーターが上がっていくにつれて遠ざかっていく地下施設を名残惜しそうに見ながら、彼女達は無事地上へと戻ったのだった。

 

「わあっ! 見てみてトレーナー! 虹だよ!」

 

外を見ると、先程までの土砂降りは嘘だったかのように消え、代わりに外は見事な晴れ模様と大きな虹が掛かっていたのだった。

 

「もう夕方だ、さっさと帰りな。また降られねえうちにな」

 

しかし、彼は空を見ることなく彼女にそう告げる。彼女が携帯で時間を確認すると、確かにそろそろ戻った方が良い時間帯だった。

 

「分かった! じゃあまた来るねー!」

 

彼女は虹を見ながら、先程の雨のように去っていった。その後ろ姿を横目に、作業机に向かう。

 

「さて、丁度いいモンがあれば良いけどな」

 

置きっぱなしだった葉巻を咥え、プロペラと思われる設計図を広げる。そして、今度は換気扇など付けずに意気揚々と作業に没頭するのだった。

 




シュタールフィアーツ
ハイゼンベルクの工場の名前。ドイツ語で"鋼のウマ"を意味している。不思議な事に工場のロゴにウマ要素と言えるものは蹄鉄しかないため、どこか違和感を感じる名前である。
恐らく、根本的な何かがズレているのだろう。

なお、彼が訳すと"鋼の馬"となる。


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行きつけの店

評価と感想ありがとうございます!


 

今日、熱く照りつける太陽は雲の後ろに隠れてしまい辺りはいつもより暗かった。しかし、太陽の代わりのようにこの商店街の雰囲気を明るくしている一つの姿があった。

 

「いらっしゃいませー! 今ならにんじんが安いよー!」

 

八百屋の手伝いを喜んでしているハルウララ。彼女の明るい声は確かにこの商店街に活気を与えていた。

八百屋、肉屋、魚屋など店を選ばず楽しみながら手伝いをする彼女は人気者であった。

 

「いやー、今日も助かったよウララちゃん」

 

「えへへ! どういたしましてっ!」

 

彼女のおかげで無事に商品を売り切れたのか、八百屋のおじさんは笑顔で彼女にお礼と言わんばかりに箱詰めされたにんじんを渡す。

 

「こいつはお礼だ! 貰ってくれ!」

 

「ええっ!? こんなに沢山貰って良いの!?」

 

「良いんだ良いんだ!」

 

「わーいっ! 後でトレーナーににんじんジュースにして貰おうっと!」

 

彼女は両手で箱を掲げ、全身で喜びを表現する。八百屋のおじさんもそれを見てにこやかに笑っていたが、先程の彼女の言葉を思い出し疑惑の表情を浮かべた。

 

「あれ? ウララちゃん、今トレーナーって言わなかったかい?」

 

「そうだよ! わたしにもトレーナーが付いたんだ!」

 

「こいつは大変だ! みんな来てくれ!」

 

その声に商店街の店主たちがどんどんと集まってくる。そして、皆口々に彼女にトレーナーが出来たのは本当かと尋ねてきたのだった。

 

「うんっ! わたしのトレーナーって凄いんだよ! 確か、こーじょーちょー?のお仕事も一緒にしてるんだって!」

 

「工場長……? あーあの人か!」

 

「あれ? おじさん、トレーナーの事知ってるの!?」

 

「ハイゼンさんだろ? 知ってるさ」

 

彼女はとても驚いた。何せ、商店街の皆が彼女のトレーナーの事を既に知っていたのだから。それどころか、彼女も知らない彼の裏の顔がどんどん彼らの口から出てきたのだ。

 

「見た目は怖いが良い人だよ! この前も壊れちまったウチの扇風機をチョチョイと直しちまったんだぜ!」

 

「私の店も似たような事があったわ。確かあの時は空調だったかしら? ドライバーだけで綺麗に直してたわ」

 

「俺んとこの売れ残った魚を"ただの気紛れだ"って言って買って行ってくれたなあ……」

 

驚くべき事に彼女のトレーナーの評価はかなり高かった。何よりも、普段のぶっきらぼうな態度はそのままで行動だけ優しさが滲み出てるらしい。それ故に素直になれない優男と裏では呼ばれ、そこそこの人気がある様だった。

 

「へえーっ! じゃあトレーナーって良くここに来てるんだね! 何買いに来てるのかなあ? やっぱり、食べ物買いに来てるのかな?」

 

「確か……前に聞いた話だと行きつけの店があるみたいでな、ウチらの所で色々と買ってくのはそのついでらしい」

 

「確かあの店よ、大男が店主をやってるところ。何を売ってる店だったかしら?」

 

「ウララちゃんも気になるなら行ってみるといいよ。多分向こうの店主の方が俺達よりも良く知ってると思うぜ?」

 

「わかったっ! 行ってみるね!」

 

商店街の店主達は丁寧にも手書きの地図を用意してくれた。暖かみのある文字で描かれたそれを見るに、どうやらこの商店街の端っこの方にその店はある様だ。

 

実際にそこまで足を運んでみる。しかし、いくら探しても教えてもらった店名を掲げている店は一つもなかった。

 

「あれ? おかしいなあ……?」

 

彼女がこめかみに手を当て困っていると、一人の老人がそれを見兼ねて話しかけてきた。

 

「そこのお嬢ちゃん、お困りかい?」

 

「うんっ! この店に行きたいんだけど、場所が分からなくって……えへへ」

 

その老人は彼女から地図を受け取ると、大きな眼鏡越しにそれを見る。目が悪いのだろうか、眉間に皺を寄せ目を凝らしている。

しばらくすると、眉間の皺は消えて表情が柔らかな物に戻った。

 

「この店だったら……あそこを通って行けばいい」

 

そうして老人が指さしたのは細い路地。明らかに怪しげな雰囲気が漂っている。しかし、彼女にとってそんな空気感など塵も同然だった。

 

「ほんと!? ありがとー! おじいちゃん!」

 

「いやいや、当然の事をしたまでだよ」

 

彼女は花咲く様な笑顔で老人へ別れを告げると、躊躇いなくその路地を突き進んでいった。

 

少しすると、目的の店が見えてきた。看板の名前をちゃんと確認する。

 

「えーっと、ざ……なんちゃら……うんっ! ここだ!」

 

店名は英語だった様で殆ど読めなかったが、地図の物とスペルは確かに一致していた。

 

彼女はやたらと威厳のある扉をゆっくりと開けると、元気のいい挨拶と共に中に入って行った。

 

「こんにちはーっ!」

 

「ん? ああ! いらっしゃいませ、ハルウララ様。お待ちしておりましたよ」

 

挨拶に応じたのは文字通り大男。太っていると言う表現が正しいのかもしれないが、それを加味してもその体躯の大きさは巨大の一言に尽きた。

 

「ええっ!? まだ私何にも言ってないよ? 何で私のこと知ってるの!? もしかして、おじさんはちょーのーりょくしゃ?」

 

「いえいえ、そんな事はありません。この商店街で商いをする身としては、貴方の噂は耳にしております。ましてや、貴方はこの商店街においてマスコットの様な存在。むしろ、知らない方が失礼という物でしょう」

 

店主は太り過ぎ故か、その場から動かずに西洋式の礼を彼女へ行う。その言葉と態度には不思議と気品を感じさせる物があった。

 

「ええっ!? そうなの? わたしってマスコットだったんだ!?」

 

「勿論そうですとも! 数々の店を助け、その笑顔で花を咲かせ、皆々から愛される存在。この商店街の看板娘といっても過言では無いでしょう」

 

「わーいっ! じゃあ、おじさんの所も手伝ってあげるね!」

 

「ふむ、ご提案は誠に感謝致します。ですが、私の店はご覧の通り骨董品や珍しい品を扱う日用とはかけ離れた商いをしております」

 

店主は辺りの品々を指し示す。いかにも古そうな何かのコイン、骨董品といえば候補に上がるであろう高級そうな壺、宝石のついた首飾りなど、周りの店とはまた違った不思議な物が並んでいた。

 

「それ故に一般のお客様からのお買い上げは殆どありません。稀に物好きなお方が買っていく時もございますがね。ですので、そのお手はこちらの様な寂れた店ではなく、八百屋や肉屋などの活気のある店に差し出してあげて頂きたい」

 

要は、彼女の手伝いがあっても無くてもあまり変わらないと言うのが彼の言いたいことの様だ。しかし、彼は一言"ですが"と付け加えるとこう言った。

 

「貴方のそのお心遣いは有り難く受け取らせて頂きます!」

 

彼は再び笑顔で礼をする。そして、横の小さなバスケットから何かを取り出すとカウンターへそっと置いた。

 

「こちらはその心遣いに対してのお礼です。是非お受け取り下さい!」

 

「わーいっ! 飴さんだ!」

 

置かれたそれはこの店の様に無名ではなく、よく聞く大手メーカー製の棒付きの飴だった。ハルウララは封を開け、迷わずそれにパクッと口に入れる。

 

「パイナップル味になります。お味の方は問題無いですかな?」

 

「おいひいー! ありがとー! おじさん!」

 

完全に当初の目的を忘れ、飴の味に没頭する彼女。彼女の代わりにそれを思い出すかの様に、店内の古い振り子時計がゴーンゴーンと音を響かせた。

 

「おっと、そろそろですな」

 

「そろそろ……? 何か面白い事でもあるの?」

 

「いえいえ、とある常連客が来るだけですよ。恐らく、貴方も良く知っているお方でしょう」

 

「ええっ!? わたしも知ってるの!? 誰だろなー? 高そうな物がいっぱいあるからキングちゃんかな?」

 

ハルウララが例のお嬢様の姿を想像していると、扉についたベルがカランカランと鳴り響く。その音に振り返ると、そこにはいつも見ている男の姿があった。

 

「お待ちしておりました、ハイゼンベルク様」

 

「ええっ!? 何でトレーナーがいるの!? ここにスクラップは無いよ?」

 

「おい! テメエは俺を何だと思ってるんだ! てか、何でこの店に居んだ?」

 

ハルウララにとって大きく見えた扉を狭そうに通るその男は、彼女のトレーナーであるハイゼンベルクだった。なお、今日は彼の相棒である鉄槌は不在の様だ。

 

「おや、ご存知ないのですか? 彼女はこの商店街において看板娘と言える存在。何も可笑しくはありませんぞ?」

 

「んな事知るか。それよりも例のブツはあんのか?」

 

彼のその言葉に店主は笑顔で"勿論!"と返すと、高級そうな箱をカウンターへそっと置いた。ペンケースより一回り大きいそれを彼は開くと、その顔に笑みを浮かべる。

何が入っているか気になったハルウララは、横からその中身を横から覗く。そこにあったのは、綺麗に整列させられた茶色の棒達。すなわち、彼がよく咥えている葉巻だった。

 

「うわっ! タバコだー! トレーナー、タバコは体に悪いんだよっ!」

 

「タバコじゃねえ、葉巻だ」

 

彼は彼女のお節介な忠告を無視して箱の中のそれを一つ一つ吟味する。全て見終わると、満足そうな表情で店主に封筒を手渡した。

 

「相変わらず、良い仕事してるぜ」

 

「お褒め頂き誠に有難うございます。次回の分もご予約という形でよろしいですかな?」

 

「ああ、頼む。ここ以外じゃほとんど買えねえからな」

 

「確かにそうですな。この世界では、タバコすら中々見かけません。そんな中、葉巻をご要望される方など殆どいないに等しいでしょう。特に、産地まで拘る方など尚更でしょうな」

 

店主はすぐそばのタイプライターに紙を差し込むと、手早く何かを記入していく。そして、チーンッと音を鳴らすとその紙を取りだした。

 

「さて、ご予約は完了ですな。一応、こちらの紙を次回お持ち下さい」

 

「ヘっ、どうせ顔パスだろ?」

 

「確かに、次回もそうなる可能性が高いですな。ですが、彼女が代わりに買いに来たりした場合はその限りではございませんぞ?」

 

彼らの視線が彼女へ向けられる。肝心の彼女はこちらなど見ておらず、この店に置かれている珍しい品々に目を奪われていた。

 

「ねえねえ! この時計すごいよ! ハトさんが出てくるんだ!」

 

時計の針を12時の方向へ向け、仕掛けを作動させた彼女は目を輝かせてそう言った。ハイゼンベルクベルクはその様子を鼻で笑い、再び店主へ視線を戻した。

 

「いや、無えな。アイツに頼んだら何されるか分かったもんじゃねえ」

 

「おっと、では再び貴方様の顔そのものが予約の証明書になりそうですな」

 

店主は渡そうとしていた紙を折り畳み、そっと手帳に挟んだ。

 

「では、また今後ともご贔屓に」

 

「ああ、じゃあな。また来るぜ」

 

「じゃあね! おじさん!」

 

彼が出るよりも早く、彼女は扉から外へ飛び出した。もはやその程度では何も動じなくなった彼が後に続く。

 

「ハイゼンベルク様。最後に一つよろしいですかな?」

 

しかし、その歩みを店主の声が止めた。

 

「手短に頼むぜ?」

 

彼は不満な表情を一切見せずにそう言った。

 

「私の気のせいかも知れませんが、前よりも角が取れて丸くなりましたかな?」

 

「そりゃあ、復讐や自由に囚われてた昔と比べりゃあ、ちったあマシになってるだろうよ」

 

「いえいえ、ここ最近の話です。貴方が彼女のトレーナーになってからですよ」

 

その言葉に、彼は珍しく困惑した表情を見せた。逆に店主の方は不敵な笑みを浮かべている。

 

「何でアンタが知ってんだ? 誰にも言ってねえ筈だがな?」

 

「商人にとって情報は命! 後は、お分かりですかな?」

 

「流石だな。その点に至っては敵う気がしねえ。だが、恐らくアンタのそれは気のせいだ。俺は何にも変わっちゃいねえ」

 

「おや、私の勘違いだったようですな。お引き止めして申し訳ない。では、また次回」

 

ハイゼンベルクが"じゃあな"と一言だけ添え、この店の扉を閉める。店主は最後に深く礼をすると、マッチで自身の葉巻に火をつけてその煙を楽しみ出したのだった。

 

ハイゼンベルクは路地から出る前に振り返り、その看板を眺める。工場の一つ目のまともな作品であるそれは今も朽ちる事なく見事にその役目を果たしている。

 

その看板には The Duke's Emporium と美しい文字で書かれていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ! トレーナーは今日車で来たの?」

 

「違え、バイクだ。車だったらいつもの相棒を持って来てる」

 

「えっ!? バイク持ってるの!? あのね、ウオッカちゃんが言ってたんだ! バイクはろまん?が詰まってるって! 面白そうだから私も乗りたーい!」

 

彼女は一時的に八百屋の店主に預かって貰っていた人参の詰まった箱を元気よく掲げながら、ピョンピョンと跳ねる。何個か人参が落ちそうになるが、彼がそっと手で中に押し込んでいたので、悲惨な運命は辿らずに済んだようだ。

 

「ほう、そんな奴も居んのか。悪くねえセンスしてんじゃねえか!」

 

「ほんとっ!? じゃあ今度こーじょーに連れて来てあげるね!」

 

「おい待て、それだけは止めろ! こっちはテメエの世話で手一杯なんだよ!」

 

「ええーっ!」

 

そんな事を話していると、彼の言うバイクが駐車されている場所まで着いたようだ。しかし、何個かあるせいでどれか彼の物なのか彼女には分からない。

 

「じゃあ、さっさと乗れ」

 

そう言って彼が手を付けたのはその中でも一番見た目がボロいバイク。ホイールなどは汚れ、マフラーも少し錆びている。

しかし、彼女にとってそれは些細な問題なのか、特に気にする事なく後部座席へちょこんと座った。分類から言うと大型二輪に入るそれの座席は小柄な彼女にとって余裕があるようで、人参入りの箱を体の前に持っても大丈夫だった。

 

「これでも被っとけ」

 

そう言って半ば無理矢理被せられたのはヘルメット。ちゃんと耳の通る穴のあるウマ娘用のものだ。しかし、肝心の彼はヘルメットなど被らずに座席へと座っている。

 

「トレーナーはヘルメット被らないの?」

 

「俺には帽子があるからな。コイツで十分だ」

 

ダメである。

しかし、バイクのルールなど一切知らないハルウララは"そっか!"と一言で納得してしまった。

 

 

 

 

 

 

結局ノーヘルのまま出発し、幸運にも警察のお世話になる事なく工場までたどり着く。

 

「バイクってすごいねっ!! ビューンってすごいスピードが出てビックリしちゃった! ジェットコースターより速かったかも! また乗せてよトレーナー!!」

 

「……機会があればな」

 

実はハイゼンベルクが彼女をビビらせようと調子に乗ってアクセル全開で加速し、300キロまで出していた事を彼女は知らない。

 

彼はフェンスのゲートを開け、車庫まで一直線で突き進む。そして、以前彼女が見た謎の乗り物の奥にバイクを止めると、彼女のヘルメットを回収した。

 

「今回のドライブは終わりだ。さっさと帰りな」

 

「うん、わかった! じゃあ、これトレーナーにあげるね!」

 

そう言って彼女は箱一杯の人参を彼に差し出す。彼はそれの意図が全く分からず、思わず顎に手を当てる。

そして、過去に自分がした行為を思い出し額に汗を滲ませた。

 

「おい、まさか……!?」

 

「これ全部ね、にんじんジュースにして欲しいなっ!」

 

どうやら、彼女はあの味がお気に召したらしく、特大のおかわりの要求を彼に突きつけた。

 

「そんなに飲みたけりゃあ、自分でやれ!」

 

全てを理解してしまった彼は、ネットのレシピをコピーして彼女に叩きつけ、ミキサーや果物ナイフ、そしてまな板を目の前のテーブルへ乱雑に置いた。

 

その結果、ハルウララは苦戦しながらもにんじんジュースの作り方を完璧に覚えたのだった。

喜びながらにんじんジュースを飲む彼女は、シンクにある袋に大量の人参の皮が詰まっている事に気が付く。しかし、レシピと睨めっこしている彼女の元へ彼が持って来てくれた人参は元々皮がついていなかった。それ故に、何故あるのかは彼女には分からなかった。

 

その答えは食洗機の中にあるオレンジ色に染まったピーラーだけが知っているだろう。

 




ハイゼンベルクの葉巻
彼の愛用しているキューバ産の葉巻。最近、彼が仮トレーナーとなってから消費速度が減っているらしい。何故だろうか?


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模擬レース?

 

今日もハルウララはいつも通りハイゼンベルクの工場へと足を運ぶ。珍しい事に、今までそびえ立っていたスクラップの山達がまるで神隠しにあったかのようにその姿を消していた。その代わりに、よく学園で見るようなトラックが白線で作られていた。

普段とは違う様子に思わずワクワクしながら彼の元へ歩みを進めて行く。そして、工場の入り口に手をかけた時、中から面白げな声が聞こえたのだった。

 

「おい、動くんじゃねえ! プロペラも回すな! 交換できねえだろうが!」

 

正確には声だけでなく、けたたましいエンジン音もついでに聞こえていた。彼女の中で唯一のお化けの友達の姿を頭に浮かべ、その大きな扉を開け放つ。

 

「おっはよーっ!! 遊びに来たよー!」

 

「予想通り来やがったか。テメエのせいで俺の冷蔵庫がパンパンなんだ! さっさとコイツを消費しやがれ!」

 

彼女の好物であるにんじんジュースがたっぷり入ったペットボトルを冷蔵庫から3本ほど取り出すと乱暴に投げ渡す。受け取るのに失敗して一個だけ落としそうになるが、蓋を口で咥えてなんとかキャッチに成功する。

 

「わはった! ありあとー!」

 

「咥えてる暇があったらさっさと飲んどけ!」

 

「はーいっ!!」

 

彼女はもはや自分の席と化した入り口近くのテーブルに渡されたそれを全て置く。そして、いつの間にか置かれたストローを一本目のジュースに流れるように刺すと美味しそうに飲み始めた。

 

「やっぱり何回飲んでも美味しいなー! うっらら〜!」

 

そのまま、相変わらず何をするのか予想のつかない彼の作業を眺める。彼は例のお化けのプロペラを外すと、また別のプロペラをお化けに装着していた。

 

「よし、これで良いだろ! 一応言っとくが、もうテメエのプロペラに今までの破壊力はねえ! ただ、前のより軽量化してやったからスピードが出る筈だ!」

 

彼はそう言いながら、回収したプロペラをそっと作業机の上に置いた。お化けのプロペラはチェーンソーの三枚刃ではなく、見た目だけそれっぽく塗装された硬質プラスチック製へと変わり、その縁にはゴムがしっかりと貼られていた。

 

新しいプロペラが気に入ったのか、シュツルムは高々にエンジンを唸らせる。その回転力を試すためか、シュツルムは自身の友人に向けて思いっきりプロペラを逆回転させた。

 

「うわわっ!! すっごい風! シューちゃんは風も起こせるんだね! 扇風機みたーい!」

 

巻き起こした強風は扇風機のそれとは比較にならず、むしろヘリコプターに近かった。その風は、彼女のピンク色の髪や尻尾を勢いよくなびかせる。耳のカバーが半分取れかかった状態で、彼女はシュツルムの扇風機機能を面白いと喜んでいた。

しかし、彼女の後ろにあった筈の書類や本などは見るも無惨に消え去ったようだ。

 

「おい……! ったく、テメエら表へ出ろ!」

 

その光景を見て怒るどころか呆れた彼は、荒々しい口調で彼女らを外へ放り出した。

 

「室内で試運転するんじゃねえ! 分かったか!」

 

怒られた彼女の友人は、プロペラの回転数を弱めて、どこかしょぼくれた様な仕草をしていた。

 

「おい、いつもテメエの遊びに付き合ってるんだ。たまにはこっちの遊びも付き合え」

 

「ええっ!? 遊んでくれるの?」

 

「まあ、似たようなもんだ」

 

珍しくハイゼンベルクから彼女に遊びのお誘いが届く。彼にとってはただの実験のような物だろう。

 

彼は外周に描かれたトラックに一本横線を加えると、手に持ったスパナで地面にSTARTと文字を書いた。

 

「今から、ちょっとしたレースの時間だ!」

 

「レース!? やったやった!」

 

「相手は勿論コイツだ」

 

スパナがカンカンとプロペラお化けのボディを叩く。そして、お化けは威勢よくエンジンの回転数を上げた。

 

「ほんとっ!? あのね! お化けと友達になったら競争してみたかったんだ! よろしくね! シューちゃん!」

 

「相変わらず発想がぶっ飛んでる奴だぜ……全くよ。じゃあ、テメエらスタートに適当に並んどけ!」

 

彼はそう言うなり工場へと戻って行く。彼の言う通りスタート地点に並ぶと、シュツルムもその横に少し離れて並んだ。

 

「ねえねえ! シューちゃんは走るの速いの?」

 

返事代わりのプロペラがブオンと鳴る。

 

「へえーっ! 分からないんだ! でも、大丈夫だよ! これから一緒に走ればシューちゃん速いかどうか一瞬で分かっちゃうもんね!」

 

またまた、プロペラがブオンブオン鳴る。

 

「えっ!? スタミナには自信あるの!? じゃあじゃあ、どっちが長く走れるか今度勝負しよ!!」

 

再び、プロペラが……

 

「直線も得意なの!? わたしもそうだよ! カーブよりも直線の方が好きなんだ! やっぱり、なんにも考えずにうおーって走れるのが良いよね!!」

 

再度……

 

「ええっ!? 目の前に壁があっても真っ直ぐ走れるの!? なにそれすごい! カッコいい!! わたしも出来るかなあ?」

 

そんなこんなで会話?を弾ませていると、ハイゼンベルクが手に信号機のランプを持って戻ってくる。

 

「いいモンが無かったからコイツで代用だ! さて、ルールの説明だ。距離は……トラック半周ぐらいでいいか。大体1.5キロぐらいだろ」

 

彼はトラックの反対側にまた線を書き、そこにGOALと書き加える。

 

「スタートはコイツの緑のランプが付いたらだ! 後はテメエがいつもやってるレースと同じだ。早ければ勝ち。ただそれだけだ」

 

シュツルムは気合を入れるかのようにエンジンの回転数を大きく上げ。それを見た彼女も同様に、拳をギュッと固めて意気込んだ。

 

「よーし! 負けないぞー!」

 

ハイゼンベルクは手元のスイッチを操作する。信号機の赤いランプがブザーと共に光り出し、彼女らにまもなくレースが始まる事を告げる。

 

「そんじゃ、スタートだ!」

 

その声とほぼ同時だろうか。ビーというブザー音と共に合図の色が緑へと変わる。その瞬間、彼女は脚に力を込めて思い切りスタートを切った。

 

彼女の脚質は差しであるが故、初めは集団の少し後ろ側にいる事が多い。しかし、この勝負は1on1。前に誰もいないその光景を楽しみながら、安定したペースを維持して走って行った。

 

肝心の競争相手から聞こえてくるエンジン音は小さい。どうやら、彼女の遥か後ろに置いていったようだ。最近、ずっとあのボールを追いかけていたせいだろうか、まだ彼女の体力には余裕があった。

 

600mを過ぎた辺りだろうか。いつの間にか相手の音の自己主張が段々と大きくなってきた。いや、もはやその様な次元ではない。救急車のサイレンの如く高くなった音が凄い勢いで近づいて来る。

 

ビュンッ!と彼女のすぐ横を風を切りながら猛進する友人の姿に彼女は目を見開いた。ドップラー効果で低く聞こえるプロペラ音は先ほどとは打って変わって彼女の遥か前方から聞こえてきていた。

 

それに負けじと彼女は加速する。本来のレースであれば掛かっていると言われるであろう加速だが、それでもなおプロペラお化けの背中に付くことすら叶わない。

 

そして、二人はカーブへ突入する。前方にいるシュツルムはコースの枠に沿って綺麗なカーブを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

描かなかった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それどころか、最早コースから外れ直線上に走り続ける。どこかの爆進王でもカーブはちゃんと曲がるのだ。恐らく、そのスピードと引き換えに何か大事なものがどっかに行ってしまったに違いない。

 

「ええっ!? そっちはコースじゃないよ!?」

 

その状況に気づき、慌てふためいた彼女はカーブの途中で止まって大声で呼びかける。しかし、その走りは止まらない。

 

一方、ハイゼンベルクの状態は彼女とは真逆。まるで、そうなる事が当たり前だと言わんばかりに落ち着いていた。

 

「まあ、だろうと思ったぜ」

 

彼は懐から携帯を取り出すと、手早く何かの指示を打ち込んだ。すると、トラックの直線部分の延長線上、彼の領地を示すフェンスの内側に横幅3メートル程の分厚いコンクリートの壁が地面から生えてきた。

 

まるで、そうなる様に調整されたかのようにシュツルムはそのままコンクリの壁に突っ込んだ。

分厚いはずのそれをいとも容易く割り、煙と共にその走りを強制停止した。

 

「おい、まだレースは終わってねえぞ?」

 

心配そうにその様子を見ていたハルウララに、ハイゼンベルクは大声でそう告げた。勿論、彼女もそれは分かっているが競争相手があの有様なのだ。レースなど続行出来るはずがないだろう。

 

しかし、このお化けに常識というものは存在しない。

 

コンクリートに自分の影を物理的に刻みつけた後、彼は力任せに向きを変えて再び走り始めた。その行き先は、カーブの出口近くにあるコンクリートの壁だ。

 

その行動の真意に気付いた彼女が再び走り始めたが、既に時遅し。向こうは既にカーブの出口にある壁を使い、ゴールへとその向きを変えていた。

 

その結果、ブロロンブロロンッとエンジンを鳴らしつつ、シュツルムは彼女と大差をつけてゴール。彼女は途中で無理な加速をしたせいで、息も絶え絶えの状態で数秒遅れてゴールした。

 

「ふぅ〜……シューちゃんってすごく速いんだね! わたしね! 走ってる途中なのにとっても驚いちゃって足が止まっちゃったんだ! えへへ……!」

 

「足止めなきゃテメエの勝ちだったぞ?」

 

「えっ!? そうなの!? じゃあじゃあ、もう一回やろうよ! 次は驚かないで走るぞー!」

 

「別に構わねえ。だが、ちょっと休憩だ」

 

「ええっ!? わたしまだまだ走れるよ?」

 

「テメエの問題じゃねえ、コイツの問題だ」

 

そう言って彼はシュツルムの機体をバンバンと叩く。よく見ると、エンジン部からは煙が絶え間無く上がり、新しくつけたプラスチック製のプロペラはあの威力に耐えられなかったのか、バキバキに割れて折れてしまっていた。

 

だが、まだまだ元気なようで異音と共にその回転機構をブンブン回し、彼女の心配そうな顔に応える。

 

「あれ? シューちゃんは元気だって言ってるよ?」

 

「そりゃあまだ熱暴走する程じゃねえが……おい待て、テメエ今何した?」

 

「今? えーっと……走ってきてからトレーナーとお話しして、シューちゃんともお話しして……あ! またトレーナーとお話ししてる!!」

 

確かに今だがそうじゃない。彼は思わず頭を抱えた。

 

「そういう意味じゃねえ! それより、今コイツと会話したって言わなかったか?」

 

「うんっ! お話ししてたよ?」

 

「うん、じゃねえよ! コイツに口は無えんだぞ? どうやって話してんだ?」

 

「あれ? でも、ぶーんぶーんって喋ってるよ?」

 

「それは声じゃねえ! エンジンの音なんだよ!」

 

この現象はハイゼンベルクの機械脳を持ってしても理解不能であった。

なんとか簡潔にまとめると、彼女はエンジンの音でなんとなく何を言いたいのか分かるようだ。なお、その理屈を聞いても"わかんない!"の一言で返されるため、どう足掻いても理論化は不可能である。

 

「ええーっ! 絶対違うよ! だってちゃんと喋ってるもん! だよね、シューちゃん?」

 

異音混ざりのエンジン音がガンガン彼の鼓膜を叩く。一応ちゃんと聞きはしたが、彼にはシュツルムの言葉などこれっぽっちも分からなかった。

 

「ええっ!? シューちゃんもおかしいって思うの!? なんでなんで!? へえーっ! 今までちゃんとお喋りできた人は一人も居なかったんだ! でも、わたしはおかしく無いと思うな! だってシューちゃんとわたしは友達だからね! お話しできて当然だもん!!」

 

目の前で行われる会話?を目の当たりにし、思わず頭が痛くなる。話の流れからして、シュツルムはハイゼンベルク側のようだ。しかし、彼女は自身の異常さを自覚せず、よく分からない友達理論でゴリ押した。

 

もう理解しようとする事を諦めたのか、彼は彼女に対しこれ以上何も言うことはなかった。

 

「ハァ……もういい、次行くぞ」

 

「次? 何かあったっけ?」

 

「コイツにリベンジするんだろ?」

 

「ああっ!? そうだった! でも、シューちゃんのプロペラはボロボロだよ?」

 

「んな事見りゃわかる。だから、こっちのヤツに戻すんだよ」

 

彼がいつの間にか手に持っていたのは、今までシュツルムが使用してきたチェーンソーでできた三枚刃。これまで目の前に立ちはだかる壁を文字通り粉砕してきた彼の愛用品と言えるだろう。

そして、特筆すべき点はその耐久力。肉をミンチにしようが、鉄パイプをスクラップにしようが、そのプロペラは折れずに最期の時まで回り続けた。

 

そんな、ある意味悍ましい代物を彼はプロペラマンに取り付ける。馴染みのあるプロペラへ交換されたシュツルムは元気よくそのエンジンを昂らせた。

 

「わーいっ! これでもう一回レースができるね!!」

 

彼女は勢い良く走り出し、再びスタート地点に立つ。無駄に元気の有り余っているその様子を見て、ゴール地点へ置いて行かれた二人はゆっくり歩き出す。

余談だが、実は今にも走り出そうとしている爆進マシンを彼が片手で止め、無理矢理歩かせていた。恐らく、彼の手が無かったらスタート地点をスルーして明後日の方向へそのまま突き進んでいく事だろう。

 

「おい、テメエはこっちだ」

 

スタートに着くや否や、ハイゼンベルクはハルウララの首根っこをいつぞやのように捕まえると、その位置をコースのラインの外側ではなく内側へ移動させる。

 

その意図が分からず、彼女は相変わらず頭にハテナを浮かべている。その様子を見て彼は彼女の友人を指差してこう言った。

 

「テメエはシュレッダーがお望みか?」

 

「しゅれっだー……? 分かった! タキオンちゃんが言ってたんだ! 箱の中にネコさんがいるやつでしょ?」

 

「違えよ! テメエが言ってんのはシュレディンガーの猫だ!」

 

誰の入れ知恵なのかは分からないが、ただ一つ確実なのはアレに巻き込まれたら国産ウマミンチの出来上がりという事だけだろう。そこに二つの事象の重なりなど存在しない。

 

「とにかく! テメエは黙って線の内側走っとけば良いんだよ!」

 

「うんっ! 分かった!」

 

「おいシュツルム! テメエは絶対外側だぞ! 分かってんだろうな?」

 

一人と一機に念を入れて注意するハイゼンベルク。それぞれ、自分なりの相槌をしっかりと返すと、その顔をコースへと向けた。

 

そしてまた、信号機で作られたお手製の合図でレースのスタートが切られたのであった。

 

今度はちゃんとよそ見せず、目の前のレースにだけ集中して走るハルウララ。その耳にはもうエンジンの音など聞こえる事はなく、自身の足が地面を踏み締める音だけが響いているだろう。

 

珍しく安定したペースでコーナに入る。恐らく、彼女の友人はこの辺で一回目の方向転換をしている頃だろう。そして、カーブを出る頃になっても友人の気配は全く感じられなかった。

 

最後の直線。より傾いた前傾姿勢に変化し、ウマ娘特有の規格外のスピードが発揮される場所。それは彼女も例外ではなく、文字通り風となって突き進む。彼女はそのままの勢いでゴールラインを踏み越えた。

 

 

そして、彼女の前方には誰もいなかった。

 

 

「やったやったやったー! 勝ったよトレーナー!」

 

嬉しさのあまりハイゼンベルクに飛び付いた彼女だったが、肝心の彼は顔を青ざめさせていた。おまけに葉巻が地面に落ちている。

 

「トレーナー?」

 

彼の視線の先を追う。そこにはトラックの直線部分、その延長線上にあるコンクリートの壁がある。

しかし、見事な大穴が空いている。おまけに、中に埋め込んであったであろう鉄筋や金属板が外側へ飛び出るかのように変形していた。

さらに、その穴の形作る歪なシルエットにはとても見覚えがあった。

 

「ああ! クソッ! 俺はあのポンコツを追いかける! テメエは大人しくしてろよ!」

 

正気に戻った彼はとんでもない早口でそう告げると、車庫からバイクと鉄槌を乱暴に引っ張り出してフルスロットルで暴走マシンを追いかけて行った。

 

そして、話をあんまり聞いてなかったハルウララがその後を追うように走る。

 

その結果、大穴の空いた壁と粉砕されたフェンスを通り、奥の森へと二人は姿を消す。

 

それからしばらく後、後部座席にシュツルムを乗せたハイゼンベルクが戻ってくるのだが、彼女がいない事に気付いてしまい、すぐさまポンコツマシンを地下に放り込むと、彼は再びバイクで森へと捜索しに行ったのだった。

 




シューちゃん
初めてのお化けのお友達!
でもね、トレーナーは重いし、加速は遅いし、曲がれない、しっぱいさく?とか、ぽんこつ?って良く呼んでるんだー! なんでだろ?
あとね! いつかおんそく?ってのを出してみたいんだってさ!


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工場見学 前編

 

学園での授業が終わった放課後、カフェテリアにて三人のウマ娘が神妙な顔付きで向かい合っていた。そのうちの一人であるキングヘイローは両肘をテーブルにつくと、ゆっくりと話を切り出した。

 

「二人にお聞きするわ……今回、なぜこんな機会を設けたかお分かりかしら?」

 

「いや、まあ……なんとなく察しはしてるけど」

 

「多分……分かってます!」

 

一人怪しい者がいるが、問題なく話を進める。

 

「……まあ良いわ。話というのはウララさんの事よ」

 

「分かりました! この前ウララちゃんが言ってた事ですね!」

 

「多分、スペちゃんが思ってる事とは違うと思うんだよねえ」

 

「あれ? にんじんジュースの話じゃないんですか?」

 

どうやらキングヘイロー、セイウンスカイの二名とは、違った事を考えていたスペシャルウィーク。彼女はそれ以外だと何も思いつかないと言わんばかりにキョトンとした表情を浮かべていた。

しかし、その様子を見ても一流ウマ娘が動じる事はない。紅茶を上品に一口飲むと、肝心の内容について話し始めた。

 

「少し前からだったかしら? ウララさんから良く聞くのよ……お化けと友達になったって、始めはただの夢の中のお話かと思っていたのだけれど……」

 

彼女は段々と顔を青ざめさせながら一息吐くと、落ち着かなそうに続きを話す。

 

「最近、そのお化けに名前までつけ始めたのよ……しかも、一緒にレースしたって言っていたわ。いつもなら空想の話だと思って気にしないわ。でも……やたらとリアリティがあると言うか……描写が細かいというか……それで気になったのよ」

 

その話を聞いたスペシャルウィークはキングヘイローと同じく顔を青ざめさせていた。しかし、セイウンスカイは彼女とは異なり驚愕の表情を浮かべていた。

 

「え? え? キング待って、私はその話知らない! ずっと逃げ続けるボールの話じゃ無いの?」

 

「え? 逆に私はその話を知らないわ……」

 

「もしかして、にんじんジュースの話も……!」

 

「ごめんスペちゃん、それは知ってる」

 

「私も知ってるわ」

 

一人だけ持ちネタが無くなったからか、スペシャルウィークは一人机に突っ伏して"何で知ってるの……"と力無く呟いていた。

 

「……まあ、単刀直入に言えばウララが気になるってこと?」

 

「え、ええ、そうよ。だからちょっと何してるのか調べたいのよね」

 

「ほほう、キングともあろう者が尾行ですかな?」

 

「う、煩いわね! 仕方ないでしょ! こうするしか無いんだから!」

 

「うーん? 直接聞くのはダメなのかな?」

 

スペシャルウィークのその発言にセイウンスカイはどこか納得したかのように感心の声を上げる。しかし、キングヘイローの表情はその真逆であった。

 

「聞いてもダメだったわ。いえ、正直に言うなら私が理解出来なかったのよ!」

 

「それってどんな感じで言ってたの?」

 

セイウンスカイは意地悪な笑みを浮かべてそう言った。

 

「どうだったかしら? ビューンとかブルルンとか擬音がやたらと多かっ……スカイさん! なんであなた笑ってるのよ!」

 

「にゃはは! いや、だってさ、キングがビューンとか言ってるのを見たら違和感がすごくて! あはははは!」

 

「スペシャルウィークさんも何故そっぽを向いているの……! こちらへちゃんと向いて頂けないかしら?」

 

「いや、ちょっと、それは……難しい……ですっ……!!」

 

手で口を押さえ、ニヤけた顔を明後日の方向へ向け何とか笑いを押し殺そうとしている彼女だが、残念な事にキングヘイローの顔を見ると笑いが込み上げてきてしまい、前を向けずにいた。

なお、セイウンスカイは普通に爆笑している。

 

「あーごめんごめん! そんじゃ、行きますか!」

 

キングの機嫌が悪くなりすぎる前に彼女は立ち上がってそう言った。

 

「……え?」

 

「え? じゃなくてさ、行くんでしょ? ウララのとこ」

 

「え、ええ! 当たり前じゃない。このキングに不安要素は何一つあってはならないのよ! お二人には私の懸念を取り除く権利をあげるわ!!」

 

「うんうん、いつものキングが戻ってきたねー」

 

「あれ? 結局ウララちゃんの後を尾けるって事でいいのかな?」

 

「そう言う事になるねー。まあ、キングなら尾行も"一流"だから大丈夫でしょう!」

 

セイウンスカイの言う一流はどうやらキングヘイローのお気に召さなかったようで、この後ハルウララが現れるまで、耳にタコが出来るほど一流とは何かを叩き込まれた彼女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事にハルウララを見つけ、バレないように尾行し始めた三人。しかし、尾行が下手なのか、彼女の勘がいいのか分からないが、何度か見つかりかける事があった。

 

「むむむ? さっきキングちゃんの声が聞こえたぞ! あれ? 誰もいないや! うーん……気のせいかな?」

 

彼女は目的地に着くまでに何度も振り返った。しかし、その度に見えたのはただの木だったり、猫の鳴き声だったりと特に何も無かった。そのせいもあり、今日の彼女は首を傾げながら工場への道を進んでいった。

 

「……嘘!? あの道を通るの? あんな道、携帯の地図にも載ってないわよ!」

 

「キングちゃん、あれは正規の道じゃないから載ってないだけだと思うよ?」

 

「まあ、見るからに後から無理矢理作りましたって感じだもんねー」

 

影の薄い道へと曲がっていくハルウララに三人はゆっくりと続く。そのまま進んでいって見えてきたのは明らかにヤバそうなフェンスの扉だった。

 

「えーっと、これだ!」

 

彼女はポケットから三人の前で貰っていたエンブレムを取り出すと、それを横にある謎の機械にかざす。すると、先程まで閉じていた扉が勝手に開き、彼女を招き入れたのだ。

 

そのまま、彼女は扉を開けっぱなしにして奥の方へと駆けて行った。

 

「流石、ウララってところかな?」

 

「見事に開けっ放しだね……」

 

「まあ、今回ばかりはそれに助けられたわ。あのセキュリティじゃ、こそこそ侵入なんて出来そうにないしね」

 

結局、開け放たれている扉から堂々と侵入を開始する。しかし、彼女達が通り過ぎた瞬間、扉はひとりでに閉まった。そして、間髪入れずに警報が鳴り響く。

 

こうなったら自棄だと言わんばかりに、彼女達はそれぞれ別方向に逃げようと地面を踏みしめる。だが、足を支えてくれる筈の地面は全員を喰らうかのように大口を開けたのだ。

 

巨大な落とし穴にそのまま落ちていく三人。底にはちゃんとキューブ状のスポンジが敷き詰められており、怪我は全くなかった。しかし、肝心の地面は彼女らの数メートル上。ジャンプしようにも踏めるのはスポンジだけだ。

 

「この安全性に地味に配慮してるとこ、なんかムカつくわね」

 

キングヘイローはスポンジキューブを一つ手に取り、眉をムッと寄せてそう言った。

 

「私は怪我しなくて良かったと思うんだけど……どうして?」

 

「あの悪人面でちゃんと色々考えてる所がムカつくのよ。口調も見た目も悪者っぽいなら行動もそれっぽくしてもらった方がこっちもやり易いのよ!」

 

「そいつは悪かったな!」

 

「ひゃあっ!?」

 

彼女が正方形の空を見上げると、その縁から葉巻を咥えた悪人面がその姿を見せる。彼は、余裕綽々と口から紫煙を燻らした。

 

「おい! テメエの大好きなお友達のご登場だ!」

 

遠くからハルウララの驚く声が聞こえた後、バタバタという足音と共にいつもの顔がこちらを覗く。

 

「あれっ!? キングちゃんにセイちゃんにスペちゃんだ! みんな面白そうな事してるねっ! わたしも混ぜてほしいな!」

 

そう言うなり彼女は数メートル下のスポンジの大地へと躊躇いなく飛び込んだ。その横では溜息を吐く彼女のトレーナーの姿が。

 

「おい! テメエが下に降りたら誰がそいつらを引っ張り上げるんだよ!」

 

「あっ、そっか! どうしようトレーナー! 間違えて降りちゃった!」

 

「ったく、何のために呼んだのか分かんなくなるぜ」

 

彼は悪態を吐きつつも縄梯子をちゃんと下ろしてやった。全員を回収した後、自動的にキングヘイロー達をしっかりと無力化した落とし穴はゆっくりと閉じる。

セイウンスカイは驚いた表情で閉じた部分を探るが、そこに繋ぎ目など一切ない。目を凝らしてもただの地面にしか見えない、完璧なカモフラージュだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、三人は工場にてパイプ椅子に座らされ、事情聴取をされていた。しかし、事情聴取と言いはしたが、実際はただのお喋りのような緩い空気感が漂っていた。

 

「はい! スペちゃんの分!」

 

「わあ! ありがとう! ウララちゃん!」

 

その原因は完全にハルウララであろう。勝手に犯人グループに対しにんじんジュースを配り始めた時には、流石に彼女のトレーナーも一言突っ込んでいた。

 

「おい、一本ごとじゃなく5本でも何本でも好きなだけくれてやれ」

 

「えっ! 良いの?」

 

「あのな、テメエのせいでどんだけ冷蔵庫が圧迫されてると思ってやがる! 扉を開けたら人参カラーで満たされる俺の気持ちをちったあ考えろ!」

 

「トレーナーの気持ち……? にんじんジュースいっぱいで嬉しいってことかな?」

 

「いや、もういい。さっさと消費しろ」

 

微妙に突っ込みどころが違う気がするが、気のせいだろう。

 

そんなゆるゆる空気感の中、溜息混じりに口を開いたのは工場長であった。

 

「ったく、何で侵入なんてしたんだ? まあ、お陰様で対策用の罠がちゃんと動いた所を見れたがな」

 

「ウララさんの最近の話がちょっと変だったから、このキングが様子を見に来てあげたのよ!」

 

「ほう、どうやらお嬢様ってのは常識を知らねえらしいな? 人様の土地に入るんだったらまずは許可を貰うべきだろ」

 

この悪そうな見た目から飛び出したド正論に、ぐうの音も出ない彼女であった。

 

「直接聞けと言いてえとこだが、テメエらからしたら、俺は怪しい事この上無しなんだろ? そんな奴の言い分は信じられねえよなあ? だから、この目で確かめるべく侵入したって所か。まあ、理に適ってるな」

 

器用にナイフを片手でお手玉しながら、彼は勝手に予想を立て、勝手に納得する。だが、その推理はキングヘイローの核心を確かに突っついていた。

 

「いやー、良く分かるねー。ウララのトレーナーってもしかして名探偵?」

 

「違えよ、外れた道の事を良く知ってるってだけだ」

 

「外れた道?」

 

「悪人の考えって事だ」

 

「ほうほう、つまりキングは悪人っと……」

 

「ちょっと!? 何勝手にふざけた肩書きをつけてるのよ!」

 

「ヘッ、じゃあ次から不法侵入はやめるこった」

 

彼はそう言うとナイフをこなれた手つきで投擲する。投げた先にあるのはただのコルクボード。そこに貼り付けられた紙に綺麗にナイフは突き刺さる。紙にはつば広の黒い帽子が描かれていた。

 

「そんで、コイツは何てほざいてたんだ?」

 

ボードからナイフを抜き取り、その持ち手で自らの仮担当しているウマ娘を指し示す。

 

当の本人はスペシャルウィークとにんじんジュースの大食い対決をしているのだろうか。彼女達の後ろにはいつの間にかとんでもない量のペットボトルの空き容器が転がっていた。

 

「にんじんジュースが沢山あるって話を聞きました!」

 

スペシャルウィークは手に持った容器の中身を一瞬で飲み干すと、どこか満足げにそう言った。

 

「あ、ああ、間違ってはねえ。てか、テメエら二人で何本飲んでんだ? 別に構わねえけどよ……」

 

「わたしはまだ5本しか飲んでないよー!」

 

「……マジかよ」

 

どうやら大食いをしていたのは一人だったようだ。

 

あの体積がどうやったら胃の中に収まるのか分からず、一人表情を引き攣らせていた。

 

「にゃはは! やっぱ普通そうなるよね! 慣れって怖いねー? アレ見ても何とも思わなくなるんだからさ!」

 

「ウマ娘ってあんなに食うのか?」

 

「あれ? ウララのトレーナーは知らないの? 私たちウマ娘は一般人よりも食事量が多いんだよ」

 

「これ、義務教育の内容よ? 知らないなんて事あるかしら?」

 

「んな義務教育は知らねえな……」

 

キングヘイローの得意気な視線が彼へと突き刺さる。彼はそれを鼻で笑うと、静かに帽子を深く被り直した。

 

「そんで、それだけか?」

 

「いやいや、まだあるよー? 私が聞いたのは、勝手に逃げるボールの話かな」

 

「ああ、そいつか。説明するよりも見たほうが早えな」

 

彼は棚から真っ黒なボールを取り出すと、地面に放り投げる。相変わらず重そうな金属音を鳴らすそれを足で踏みつけると、お馴染みの台詞を吐いた。

 

「じゃあ、俺とテメエらでゲームといこうか?」

 

「ゲームっ!? わーいわーい!」

 

「ちょっと!? 私はやるなんて一言も言ってないわ!」

 

「おっと、一流のお嬢様は椅子に座ってふんぞり返ってるのが美学らしい。是非とも見習いたいもんだぜ?」

 

「あら? 一流に相応しくない事はしない主義なのよ?」

 

彼は呆れた様子で彼女を皮肉る。とても様になっているのが不思議な部分だ。そんな売り言葉を投げられようとも彼女は動じない。返った言葉は自身の道を貫き通す意思表示であった。

 

「出された料理を食べもせず突き返す一流……ねえ? 随分と立派なエゴをお持ちのようだ」

 

しかし、彼の言葉は止まらない。皮肉の詰まったソーセージでも生産しているのだろうか。連なるように煽り文句が次々と顔を出す。

 

「まあ、好きなだけそこの座り心地の悪い椅子で惰眠でも何でも貪ると良いさ。他の奴らが元気にこの勝負に勝つとこを見ながらな!」

 

「……ルールを説明しなさい!」

 

「そうこなくっちゃな……!」

 

皮肉のマシンガンが彼女の琴線に触れるどころか、粉々に破壊したようだ。余裕の消えた表情を見て、彼は言葉を付け加えた。

 

「テメエらから見たら俺はただの怪しい男かも知れねえが、こう見えても俺はエンジニアなんでね。技術ってもんだけは良く知ってる」

 

彼は地面のボールをいつの間にか持っていた葉巻で指し示すと、更に言葉を添える。

 

「実はコイツには、あの能天気野郎から確実に逃げられるように俺の知る最高の技術が詰まってる! 言い換えれば"一流"の技術だ! テメエは言ってたよな? 自分が一流だってよ?」

 

キングヘイローにニヒルな笑みを浮かべた彼の視線が突き刺さる。一流とは無縁と思われる容姿や態度だが、その中には彼女とはまた違った一流が確かに存在した。

 

「おっと、勿体ぶっちまったな。簡単に言えばこうだ! 俺の"一流"と、テメエの"一流"! どっちが強えか勝負といこうじゃねえか!」

 

「望む所よ!! 本当の一流がなんたるかをこのキングが貴方に教えてあげるわ! おーっほっほっほっほ!!」

 

高貴な笑い声と下賤な笑い声が同時に響く。彼女を完全にやる気にさせたその手腕に、セイウンスカイは一人感心した表情を浮かべていた。

 

「ルールは簡単だ! 俺が蹴ったボールをテメエらが取ってくるだけ! しかも、四人掛かりで構わねえ! 誰か一人でもコイツを取ってこれたらテメエらの勝ちだ! そんじゃあ、行ってこい!」

 

彼はボールから足を離す。すると、ひとりでにボールは急加速して工場の外へと出て行った。己のプライドが掛かったお嬢様がその後に続き、にんじんジュース大好き二人組が更にその後に続いた。

 

セイウンスカイは一人だけその後を追いかけずに、ゆっくりと伸びをして固まった体を解していた。

 

「いやー、お嬢様の扱いが上手いねー! 私、思わず感心しちゃったよ」

 

「昔、アレより図体もエゴもデカイ奴と関わってたもんでね。そいつと比べれば生温いってもんだ」

 

「ええ……? アレよりデカイ奴?」

 

「あのお嬢様を五倍して、生徒会長を足せば大体似たような性格になるかもな。あー……いや、それじゃ足りねえな」

 

その言葉に一体どんな奴なのか、想像もつかない彼女。そもそも、お嬢様を五倍の時点で彼女の脳みそは理解を拒んだ。

 

「一応、テメエらが勝ったら何か賞金的なもんを考えといてやる」

 

「ほほう、それは良い事を聞いた! 私もちょこーっと頑張っちゃいますか!」

 

「期待すんなよ」

 

「はいはーい」

 

どうやら、彼は彼女のやる気を出させるのにも長けていたようだ。意気揚々と向かっていくその後ろ姿を見ながら、彼は静かに葉巻に火をつけた。

味わうようにゆっくりと紫煙を吐いた後、作業机の置かれたリモコンに表示されているPowerと書かれた値を40から100まで上げたのだった。

 




ボール
どこかの誰かさんが気まぐれに作った機械のボール。一回だけ本気で改良をした結果、完全防水に加えて泥・砂・雪など殆どの悪路を走破できる様になった。
実は水上も走れる。


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工場見学 後編

誤字報告ありがとうございます!


スクラップの山々がそびえ立つ工場の敷地内で、ボールと全力の鬼ごっこをしているウマ娘の姿があった。

 

「ああ、もう! 何なのよこのボールは!? 常識破りにも程があるわ!」

 

キングヘイローは目の前にある機械仕掛けのボールに対して悪態をつく。ただの機械如きと侮った過去の自分を引っ叩いてやりたい程に、この高性能なボールは彼女の嫌な要素の詰め合わせであった。

 

全力で追えば途中で急な方向転換。かと言って、一定ペースで有利な場所まで追い込もうとしたら、気がついたら自分が砂場まで誘導されているこの始末。

極め付けは、彼女が休憩や思考を挟んだりする度に、煽るかのように目の前に現れて左右に揺れ始めるのだ。

 

この地味な精神攻撃はキングヘイローの冷静さをほんの僅かだが削り取っていた。

 

「ウララちゃん。あれってどんな動きするか知ってる?」

 

「うんっ! うおーって追いかけるとビューンッて行っちゃうの! でもね、えいっ!て捕まえようとしたらピョーンって逃げちゃうんだ!」

 

「あーこれはキングに同情するな……ははは」

 

「だからね、ボールさんに見つからないように行くのが一番良いと思うんだ!」

 

「見つかる? あのボールって目があるの?」

 

「うんっ! うさぎさんみたいな真っ赤な目がついてるんだ! でも、トレーナーがなんかガチャガチャした後は見えなくなっちゃった!」

 

「流石、一流の技術を詰め込んだだけあるねー……お? あれは……もしかしてチャンスではないか?」

 

セイウンスカイの視線の先には、こちらに向かってくるキングヘイローとボール。偶然にもボールに対し、挟み撃ちをする形となったのだ。

 

セイウンスカイは転がってくるソレが逃げないよう、左右に展開するよう二人に指示を出す。左に展開したハルウララが少し心配だったが、特に問題なくボールは作戦通り彼女の元へやってきたのだった。

 

「やあやあキング! 追い込みご苦労!」

 

「ちょっと! それは反則よ!」

 

「全員で捕まえに行けって言われてんだから反則じゃないでーす! さあ、ボールちゃん。私の胸に飛び込んでおいで!」

 

彼女は完全に勝ち誇ったふざけた口調でボールを待ち構える。ボールは特に左右に逃げる事なく一直線に彼女の元へ加速して行った。

 

しかし、彼女が捕まえようと手を伸ばした瞬間。ガシャンッという機械音と共にボールは空へと飛び立った。そのまま、彼女の上を通り越すような放物線を描いて、重々しい音を鳴らして着地を決める。そして、その場に止まると捕まえ損ねた彼女を煽るかのように左右に揺れ始めたのだった。

 

当の本人は驚きのあまり、口をぽっかりと開けたまま尻尾をピンと逆立てていた。今の様子を見たスペシャルウィークはようやくハルウララの言っていた難解な説明を理解したのだった。

 

「……これはキングの言う通りだね。何というか、ご立腹って感じ?」

 

「あのボール、中々に性格が悪いわ。中にウララさんのトレーナーでも入ってるんじゃないの?」

 

顔に苛立ちを見せる二人に対し、今度はハルウララとスペシャルウィークの二人がボールを追い始めた。

 

「今日は負けないぞー!」

 

元気よく二人はボールを追いかける。残念ながら、スペシャルウィークの方が走力が高いので必然的に彼女とボールの一騎打ちとなってしまう。

 

そうなってしまえば、後はボールの独壇場。跳ねたり曲がったりする縦横無尽な動きに嫌でも翻弄されてしまう。だが、長距離を走れるそのスタミナは飾りではない。

 

「……今なら!」

 

ずっとボールを追いながらもここぞという場面で最高速を出せるのは、彼女の成せる技だろう。その技に対抗するべくボールが繰り出したのは、そもそも全力を出させない様に砂地へと飛び込む事だった。

 

砂地へと誘導されたスペシャルウィークは足を取られ失速してしまう。しかし、彼女とバトンタッチするように突っ込んできたのはピンク色のダート走者だった。

 

「まかせてスペちゃん!」

 

砂地でも問題なくスピードを出すハルウララ。こんな悪路でも失速しないのは、普段からこの場所で鬼ごっこをしているお陰だろう。

だが、左右に大きく揺さぶられたせいで彼女のスタミナは底をついてしまう。どうやらあの意地の悪い工場長はしっかりと対策していたようだ。

 

結局彼女の足は止まってしまい、ボールは先に砂地を抜けて行ってしまった。

 

「はぁ……はぁ……ふぅ、全然追いつかないや!」

 

「そうだね……やっぱり全員で上手く追い掛けないと……!」

 

涼しい風が吹き、彼女らの火照った体から熱を奪い去っていく。頭の冷えた彼女達はこのままではいけない事に気付き、一度工場前に集まって作戦を練り始めた。

 

「ほう、ようやく四人同時に遊ばせた理由がわかったか」

 

工場内ではなく敷地の入り口の方から葉巻を片手にやってきたのは工場長。少し離れた場所から彼女達の作戦会議を見物していた。

 

「ちょっと、それ仕舞いなさいよ! こっちまで臭うわよ!」

 

気が散ったからか、キングヘイローは彼の葉巻を指差して、嫌悪の表情を浮かべる。しかし、返ってきたのは面白い答えだった。

 

「ほう? お嬢様は鼻まで一級品みてえだな? 風上にいるにも関わらず、火もついてねえコイツの匂いが分かるなんてな」

 

彼は葉巻の先端をこれ見よがしに突きつけて皮肉を吐く。そして、ニヒルな笑みを浮かべ、今度こそ本当に葉巻に火をつけて咥えると、どこかに去って行った。

指摘した張本人はその後ろ姿を悔しそうに睨んでいたのだった。

 

「いやー、上手くおちょくられてるねえ」

 

「このキングが……!! 手玉に取られるなんて……!」

 

どうやら、彼女は自身の誇りを突っつかれてお怒りの様だ。彼女が冷静さを取り戻すまで、代わりにセイウンスカイが話を切り出した。

 

「さてさて、あれをどうやって捕まえますかねー?」

 

「はーいっ! セイちゃんが釣り竿で釣れば簡単に捕まえられると思うんだ!」

 

「いやいや、アレは流石に釣れないでしょ……」

 

「じゃあ、砂場に追い込むのはどうかな? 私達はボールが砂場から出ないように囲んであげれば、後はウララちゃんが捕まえられると思うんだ」

 

司会進行役の彼女がその訳を聞くと、スペシャルウィーク曰く、柔らかい雪の上では跳びづらい経験から、砂地の方が跳躍の高さを抑制出来るのではないかとの事だった。

 

「採用! その案で行っちゃおう!」

 

「すごいねスペちゃん! 雪の上だとジャンプ出来ないなんてわたし知らなかった! 今度雪が降ったら試してみようっと!」

 

「あはは……こっちじゃそんなに積もらないと思うよ」

 

最終的に、正気に戻ったお嬢様に作戦を伝える。いざ作戦開始と行きたい所だが、肝心のボールがどこにも見当たらない。

普段なら近くにいるはずなのだが、今回ばかりは違うようだ。恐らく、彼女達の様子が変わった事を察知したのだろう。

 

しかし、その姿は意外にもあっさりと見つかった。

 

「見つけた! このキングの力見せてやるわ!」

 

第一発見者はキングヘイロー。ただ、今回の彼女の役目はこのボールを砂地へと追いやること。普段の彼女であれば地味な役回り故に断るだろう。

 

しかし、あのムカつく男に対し盛大に啖呵を切ってしまった以上、もう引き返すことは出来ない。焦らないよう、一息深呼吸を入れてからボールを追いかけ始めた。

 

「おーっほっほっほっほ!! さあ逃げると良いわ! このキングからね!」

 

わざとボールを有利な方向へと逃がすこの役は、思ったよりも彼女に適していたようだ。脳裏でどんな想像をしているのかは知らないが、かなりノリノリでボールを追いかけ回す。変な方向に逃げようものなら、すかさず先回りしてそれを防ぐ。爆発的加速力を持つその脚だからこそ出来る役回りだった。

 

「おおー! キングがあんなにノリノリなんて珍しいね!」

 

「セイちゃんが意外とやる気なのも珍しいよ?」

 

「そりゃあ、勝ったらご褒美貰えるっぽいし?」

 

「そうだよー! トレーナーはゲームに勝ったら毎回ご褒美くれるんだ!」

 

「ほんと!? じゃあわたしも頑張ろ!」

 

三人のやる気が絶好調になったところで、追い込まれたボールが一流の王に追われてやってくる。

 

「あら? 改めて見ると哀れなものね? 自分から檻に入ったことに気付かないなんて」

 

予定通り砂地に追い込んだ後、ハルウララ以外の三人は追うのを止める。その様子を疲れて休んだと認識したのか、いつも通り左右に揺れるボール。

だが、今度ばかりは違う。自分が有利だと思い込んでいるボールを勝ち誇った様子で見ながら、キングヘイローは今日一番の高笑いを決めたのだった。

 

「後はウララちゃんに任せるね!」

 

「うんっ! まかせて! よしっ! 絶対に捕まえてやるぞー!」

 

元気に砂地へと突っ込んでいくハルウララ。お嬢様の高笑いに気を取られていたボールは、彼女の接近を許してしまう。捕まる直前にジャンプして脱出するが、その高さは高くて1メートルと言ったところ。雪国出身の彼女の考えは間違ってはいなかった。

 

「スペちゃんの言った通りだ! さっきと比べて全然ジャンプしてないよ!」

 

始めはなんとか避けていたボールだが、段々と彼女の適応力にじわじわと端へと追い込まれていく。しかし、砂地の外側には彼女より速いウマ娘が三人体制で待ち構えていた。

 

そして、遂にボールを四人で囲む事に成功する。

 

「本番はここからだよ。分かってるキング?」

 

「私を誰だと思ってるの? 真の一流は油断なんてしないのよ?」

 

「わたしね! このボールはスペちゃんのほうに跳ぶと思うんだ! だから、そっちはお願いするね!」

 

「うん! 任せて!」

 

切り込み隊長はハルウララ。迷わずボールへと突っ込んで行く。追い込まれたボールは彼女の予想通りスペシャルウィークの元へ。当然、跳躍機能を使い彼女の横をすり抜けるようにボールは跳んだ。

しかし、飛んだ先には王者と天空が待ち構える。地面に着く前にキャッチするつもりだろう。そうすれば二度と跳ばれることは無い。

 

だが、秘密兵器とは最後まで取っておくもの。少なくとも機械仕掛けのボールの製作者ならそうするだろう。

 

空気の抜けるような音と共に、ボールの描く放物線は歪み始める。そう、スラスターによる擬似的な空中ジャンプ。別名、二段ジャンプと呼ばれるふざけた機能をこのボールは最後まで隠し持っていた。

 

「うわ、マジ!?」

 

「そんな!?」

 

ボールは二人の頭上を飛び越える。夕日が反射して赤く輝くその様子は、どこか誇らしげに勝ちを確信しているようにも見えた。

 

地面がゆっくりと近づく。

 

しかし、ボールとその間に滑り込む一つの影があった。

 

一番最初にボールにアタックを仕掛けたハルウララが確かにそこに居た。勝ち誇った顔など浮かべておらず、ただただ楽しそうな笑顔でボールへと飛び付いた。

 

「……っっやったやったやったー!!」

 

その結果、三段ジャンプをされるよりも先に彼女の手が確かにボールを捕まえたのだった。それは、四人掛かりだったが、運ではなく、彼女達の実力で掴んだ確かな勝利だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナー!!! 捕まえたよっ!!!」

 

工場の入り口でボケーっと立っていたハイゼンベルクに突っ込んできたのは、スーパーハイテンションのハルウララ。気を抜いていたせいか、彼は強烈なタックルをお見舞いされて見事に吹っ飛ばされた。

 

「ああ、クソ。今のは効いた……」

 

「ねえねえ! トレーナー! わたしちゃんと捕まえたんだよ! ほらっ!!」

 

「……!? おい嘘だろ?」

 

彼女は両手でボールを思い切り掲げる。痛そうに起き上がってから、それを見た彼は珍しく驚愕の表情を浮かべていた。

 

「おーっほっほっほっほ!! 私の一流の方が数枚上手だったようね!」

 

「……ったく、認めてやる。テメエのその負けん気含め、立派な一流だぜ。ああ、っクソ! 自信あったんだがなあ」

 

「あら? 貴方の技術は確かに一流よ? このキングが保証するのだから間違いないわ!」

 

「そいつはどうも!」

 

悔しそうに捨て台詞を吐き、彼は喜びに溢れるハルウララからボールを受け取って工場内へと戻って行った。

 

全員がそれに続いて工場内へと戻ると、人数分のスポーツドリンクが机に置かれていた。各々がそれを引ったくるように取ると、砂地でいつも以上に奪われた水分を補給する。味はよくある市販品の物と同一だった。

 

「そういや、勝者には褒美がねえとな」

 

「よっ! 待ってました!」

 

「わーいっ!」

 

殆どそれ目的で頑張ってきた約一名の目が輝いた。だが、肝心の彼は浮かない顔のままボールを棚に突っ込んでいた。

 

「とは言ってもな、何も思いついてねえんだが……」

 

「何でもありなら……ご飯一食とか!」

 

「……俺の財布をスクラップにしてえのか? ただでさえ食う量が多いんだろ? 特にテメエ!」

 

スペシャルウィークを指差して、彼は"ジョークは胃のサイズだけにしやがれ"と付け足した。その後、下を向いて考えていた彼だったが、コツコツとなる足音を聞いて思いついたかのように提案した。

 

「御誂え向きなのがあるじゃねえか。テメエら、靴あんだろ?」

 

彼の言葉にそれぞれが自分の靴を見る。高級な物もあれば普通な物もある。ただ共通しているのは、一般的なそれとは違って蹄鉄というパーツが付いている事だ。そのため、意外と値段が張ったりする。

 

「蹄鉄がもしダメになったら持ってこい。一度だけ、タダで直してやる」

 

「あら? この工場、蹄鉄なんて作ってたかしら?」

 

「実は作ってるんだぜ、お嬢様? まあ、勝者の権利だ。そこそこ良いブツをくっ付けてやる」

 

「ふーん? この工場でそこそこの物……ねえ?」

 

「どうやらお嬢様はこのサービスを受けねえみてえだ。二足分やって欲しい奴いるか?」

 

空いたお嬢様分を誰かに当てるつもりなのだろう。彼は勝手に希望者を募り出した。

 

勿論、誰か以外は全員手を挙げた。

 

「ちょっと!? まだ受けないなんて一言も言ってないわよ!」

 

「ヘッ、こっちだってレース用のモンを交換するなんて一言も言ってねえよ。普段から履いてるやつで構いやしねえ」

 

彼は彼女が考えていた事を見事に看破した。どうして思考が読まれるのか彼女は不思議に思っていたが、彼がもっと面倒な輩と付き合っていた事は知る由もないだろう。

 

「トレーナー!! じゃあお願い!」

 

彼の言葉を聞いたハルウララは今履いている靴を脱いで、素直に差し出した。

 

「まさか、今か?」

 

「うんっ! キングちゃんが前に言ってたんだ! 蹄鉄がちょっと擦り減ってるねって! だから、ちょうど良いかなって思ったんだっ!」

 

「あー……今は無理だ。材料やら機械がここにはねえ。全部地下だ」

 

「そっか……あれ? 地下……? あーっ! シューちゃんの事、みんなに紹介してなかったよね? 今から連れてくるね!!」

 

「あ、おい! 待て!」

 

彼女は彼が制止の言葉を掛けるよりも早く、業務用の巨大なエレベーターで下へと消えて行ってしまう。残されたのは、非常に焦った表情を浮かべたハイゼンベルクと何がどうなっているか分からない友人達だった。

 

「テメエら……あの能天気からお化けについて聞いたか?」

 

「え、ええ……聞いたわ。今日ここに来たのは、そんな事を言い始めたウララさんの事が気になったからなの」

 

「そうか、なら先に結論から言うぞ? アイツの言う"お化け"は確かにいる」

 

その言葉に彼女達は動揺を隠せない。その額に流れる汗は既に運動によるものでは無くなっているだろう。

 

そんな彼女達に追い打ちを掛けるかのように、彼は続けて言い放った。

 

「だが、そうじゃねえ! アイツがお化け呼ばわりしてんのは、お化けが可愛く見えるほどのバケモンなんだよ!」

 

彼女達の顔色は一瞬で真っ青に変わった。しかし、こんなふざけたことを言われて素直に信じる訳がない。

 

「ちょっと!? からかうのも大概にして頂きたいのだけど!」

 

彼女が思わず席を立ちそう言い放った瞬間、身を震わせる轟音が地下から地上へと響き渡った。

 

「さて、少しは理解したろ? 悪い事は言わねえ、さっさとここから逃げるんだな」

 

しかし、その言葉に従う者は一人も居なかった。興味が勝ったのか、はたまた三人一緒なら問題ないと思ったからか。

 

「ったく、後悔しても知らねえぞ?」

 

エレベーターが重い音を立てて動き出した。勿論、地下から地上へと向かって来ている。緊張と恐怖で高まる鼓動を無理矢理押さえ付けて彼女達が見た物は、とびきりの笑顔を浮かべるハルウララと油やら何やらで薄汚れた布を掛けられた何かだった。

 

「みんなー! 紹介するねっ! お化けのシューちゃんだよ!」

 

「あら? 思ってたのと違うわ……?」

 

「にゃはは、うんうんお化けだー!」

 

「ウララちゃん! その布がお化けなんだよね?」

 

彼女達は白いそのシルエットを見て安堵する。そして、心の中で思った事だろう。自分の考え過ぎだったと。

 

「あっ! 忘れてた! あのね! こういうのテレビで見た時にやってみたいと思ってたんだ!」

 

彼女は取り忘れていた布を取り払ってしまった。その結果、まだ可愛らしかった白い影は消え去った。

 

「じゃじゃーんっ!! これがシューちゃんです! 本物のお化けだよ! すごいよねっ!」

 

代わりに現れたのは、お化けのイメージを壊すかのように二本足で立っている、機械仕掛けの化け物だった。

 

カバーを外されたソレは、今まで鳴りを潜めていたエンジンを全開にし、威圧感しかない轟音とプロペラの駆動音をあたりに響かせたのだ。

 

「ひぅ!」

 

「きゃああああああっ!!」

 

驚愕の正体を見てしまった彼女達。

一名のお嬢様は声にならない声を上げ、その場で気絶。

もう一人の食いしん坊は悲鳴と共に工場の外へと逃げ出した。

最後に残ったお調子者だけが逃げも隠れもせず、引き攣った笑みでソレを見ていた。

 

しかし、そのお化けが彼女の目の前までゆっくりと近づいて来たせいか、恐怖を抑え込んでいたダムは決壊し、叫び声すら出さずに出口へと全力疾走したのだった。

 

「あれ? みんなどうしたの?」

 

残ったハルウララとシュツルムは首を傾げながら、互いに顔を見合わせる。その様子に、ハイゼンベルクは思わず軽く笑っていた。

 

「ヘッ、やっぱりテメエが異常なだけじゃねえか! ウマ娘は恐れ知らずかと思ってたが、杞憂だったみてえだな!」

 

「ええっ!? わたし、どこかおかしいの!?」

 

「ああ、可笑しいな! お化けをわざわざ見せようとする奴なんて、俺は今まで見た事ねえ! そんじゃ、さっさとソイツを戻して来い!」

 

「分かったっ!」

 

エレベーターで面倒の種を地下へと戻しに行く彼女を横目に、気絶したお嬢様を担ぎあげる。

恐らく表にいるであろう二人に、この荷物をさっさと預けたいと思っていたのだが……

 

「あー……まあ、そうだよな……」

 

周辺を探してもその姿は見つからず、代わりに強引に開け放たれ、壊れかかったフェンスの扉が見つかった。

 

結局、地下から帰ってきたハルウララに彼女を学園まで送り届けるよう頼むと、彼は頭を掻きつつ渋々と扉の修理を始めたのだった。

 

 

 

 

 

なお、三人はしばらくの間、風車などの回転体を直視出来なかったようだ。流石に彼女も反省したのか、学園でお化けの話はあまりしなくなったという。

 

 




ハイゼンベルクのヒミツ
実は、ドリルとジェットエンジンを付ければ大抵の事は何とかなると思っている。


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面倒なヤツ

誤字報告と感想ありがとうございます!


 

異常気象なのだろうか。最近、雨がずっと降り続けている。豪雨でも何でもないただの雨なのだが、それが学園に意外な影響を及ぼしていた。

 

トレーニング器具不足。それが理事長の頭を悩ます問題の一つだった。

 

雨の中わざわざ外でトレーニングをする者は、よほどの物好きでも無い限りいないだろう。故に、本来外でトレーニングする者達が押し寄せたのはトレーニングルームや体育館であった。

トレセン学園の生徒数は膨大。押し寄せた先が混雑するのは必然であった。

 

そこで、各トレーナー室に一部のトレーニング器具を設置しても良いのでは無いかと理事長は考え、希望者を募ったのだ。

結果は、大成功。使わないスペースの有効活用という事で、殆どのトレーナーが賛成したのだ。そうなると、配備する器具が必要になるのだが、倉庫内の在庫を出し尽くしてもその需要は尽きなかった。

 

困った理事長は多少無茶の効く男に連絡し、無事に在庫の確保に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイゼンベルクは雨の中、帽子とコートを濡らしながら倉庫とトラックの間を往復していた。ちゃんと、校舎内を通っていた為にびしょ濡れという訳では無い。彼が濡れたのは倉庫と校舎間の5mほどの区間だけだった。

 

最後の一個を倉庫に納品し、帰りに自動販売機で飲み物でも買おうと歩いていると、誰かに唐突に声を掛けられる。

 

その声の方向に振り向くと、そこには白衣を着て、虚ろな目を浮かべたウマ娘が立っていた。

 

「一つ尋ねたいんだが……ハイゼンベルクとは君かい?」

 

「そうだ、なんか用か?」

 

「実に面白いっ!!」

 

「……あ?」

 

どこか狂っているかのような瞳に、思わず彼は後ずさる。どこか昔、目的のために手段を選ばない奴が似たような瞳をしていたのを思い出した。

 

「その腕だ! ウララ君から聞いたよ! 一般的な成人男性よりも数センチ太いだけにも関わらず、ウマ娘と同じ……いや、それ以上の力を出せるそうじゃないか!!」

 

彼女は彼の鉄槌を持つ方の腕を見て、気分高々にそう言った。どうやら、不味い相手に絡まれてしまったようだ。

 

「アイツらもこれぐらいは持ってた。気のせいだろ」

 

彼はハルウララの友人の姿を思い浮かべてそう言ったが、それを食い気味に否定するのは目の前の狂人。彼の引き攣りかけた表情からは、このウマ娘に対して危機感を持ち始めているのが伺える。

 

「ふむ、その鉄の塊は体積から見ておよそ150kg程だろうか。確かに、ウマ娘の力であれば150どころでは無く200……いやそれ以上の重さを持ち上げる事が可能だろう」

 

彼女は数歩後退した彼に詰め寄ると、間髪入れずに話し続けた。

 

「しかし、それは瞬間的な最高出力の話! いくら人の数倍の筋肉密度があるウマ娘といえど、100kg越えの物を平然と持ち続けるのは難しい!」

 

「テメエ、何者だ?」

 

「ああ、すまない。言い忘れていたよ。アグネスタキオンだ。それよりも! 異常な力を出せるその肉体、是非ともサンプルが欲しい!」

 

そう言って彼女は懐から注射器を取り出した。中には何も詰まっていない。どうやら採血用の物のようだ。彼はそれを見て僅かに焦った表情を浮かべた。

 

「悪いが、生憎俺は暇じゃねえ。ご遠慮願うぜ」

 

しかし、図々しさでは彼も負けてはいない。向けられた注射器を横から掴むと、親指で根本からその針を見事に折った。

 

アグネスタキオンはその折れた跡を感心した様子で観察すると、大声で笑い出す。

 

「はっはっはっはっ!! 予想以上だ! 行動パターンが一般的では無いと聞いてはいたが、まさか注射器への対処として針を折られたのは初めてだ!」

 

「俺も初対面でいきなり注射器向けられたのは初めてだよ!」

 

面倒そうに台詞を吐き捨てると、彼は彼女に背を向けて足早にその場を立ち去る。

 

「おっと、待ちたまえ。まだ、じっけ……話は終わっていないのだよ」

 

しかし、彼女は不愉快な事にピッタリと彼について来た。彼の周囲を回るように彷徨くおまけ付きで。

 

「君がサンプル採取に積極的で無いのは分かった。では投薬実験はどうだい? 安心したまえ! 私のモルモ……トレーナー君で安全性は確認済みだ!」

 

彼女は今度は明らかに危険な色をした注射器を取り出すと、流れるように彼の腕に中身を注入しようと試みる。

 

だが、懐からナイフを取り出した彼は針の刺さる場所に刃先を先回りさせてそれを防いだ。そして、そのままナイフを振るい、注射器を床へと叩き落とした。

 

「俺が言うのもアレなんだが、テメエは倫理って言葉知ってるか?」

 

彼は実に面倒臭そうな表情を浮かべながら、足で注射器を踏みにじる。

 

「意味なら勿論知っているさ。だが、君が言いたいのは私の行動が一般的な倫理観に沿っているのか、という事だろうがね。 それよりも、君は医療関係者だったりするのかい? だいぶ注射器の持ち方が様になっているじゃないか」

 

「そんな訳あるか、オイル差すときに使ってただけだ」

 

「ふむ、ならそういう事にしておこう」

 

彼の適当な言い訳は、どうやら彼女には見透かれているようだ。だが、彼が医療とは無縁の場所でそれを使っていた事までは知る由もないだろう。

 

「君は頑なに投薬も採血も拒むようだね。なら、観察するだけなら良いのかい?」

 

「……テメエが本当に何もしねえならな」

 

「本当さ! どちらにせよ、君のお陰で手持ちの注射器は全て使えなくなってしまったからね」

 

「ヘッ、好きにしろ」

 

彼女はその言葉に礼を言うと、興味深そうに彼の腕や足を観察している。確かに見ているだけなのだが、まるでモルモットを見ているかの様な目のせいか嫌でも気が散ってしまう。

 

「視認可能な部分は観察し終わった。すまないが君、反対側の腕の袖も捲ってくれないか?」

 

性懲りも無く何度もそう要求する彼女に嫌気が差す。何をしてもビビらず、興奮した様子で事細かに観察される。そんなケージの中の扱いに、彼はもう限界だった。

 

「もう止めだ、じゃあな」

 

結局、彼は彼女を押し退けて逃げるように去って行ったのだった。

 

「ふむ、まあ良い。データは取れた」

 

アグネスタキオンは白衣に隠されていた謎の装置を腰から取り外すと、壁に体を預けてデータを確認し始めた。

 

彼女の持っている装置は筋肉の電位を測る物。しかし、筋肉に発生する電気は弱く、かなり接近していないとまともに測定出来ない代物だった。

 

「下半身の電位に関しては問題ない。だが、上半身が異常値……か」

 

彼女が上半身のデータを見ると、胸部を中心に大きな電気反応が検出されていた。しかし、その値は人間はおろか、ウマ娘ですら出せる値では無い。

 

「ふむ……胸ポケットに携帯のような電子機械の類が入っていた可能性が高いね。まさか、こんな形で実験を妨害されるとは……実に型破りで面白いじゃないか!」

 

一人高笑いをする彼女の右手には、もう用の無くなった装置が握られていた。彼女の目は装置など見ていないにも関わらず、それは健気にも次のデータを画面に表示していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついて来て……ねえな。頭がいい分、あの半魚人よりやべえ奴じゃねえか……」

 

イカれた科学者から逃げるように歩き出した彼は、さっさと帰りたいが為に生徒達の多い廊下をズカズカと突き進んでいた。

 

モーセが海を割るが如く、ハイゼンベルクは人混みを割る。ただ、少し違った部分はそれを止めるものが居るかどうかだった。

 

「おい、貴様。何をしている?」

 

「今度は誰だよ……?」

 

肩を掴まれ強引にその歩みを止めさせたのは、見るからに優等生なウマ娘。同じウマ娘の某お嬢様が脳裏に浮かび上がる。

 

「貴様に名乗る名前など無い。それより質問に答えろ! ここで何をしている?」

 

前言撤回、お嬢様というよりも貴族様の方が近かったようだ。

 

「仕事終えてさっさと帰ろうとしてんだ。じゃあな」

 

肩を掴む手を払い、そのまま進んで行こうとするが、再度肩を掴まれる。さっきと違うのは掴む力が万力に近かった所だろうか。

 

「……痛えんだが?」

 

「悪いが校内に侵入した不審者にかける情けなど無い。生徒会室まで来て貰おうか」

 

「あーはいはい。そんじゃ案内してくれ」

 

面倒になって生返事を返した彼は、肩を挟む万力を強引に振り解いた。

 

「反抗する気か!?」

 

「しねえよ。ほら、案内するんだろ? 手早く頼むぜ?」

 

「その前に、それを預からせて貰おう」

 

そう言って彼女が指したのは、彼の持つ鉄槌。確かにとんでもない不審物だ。生徒会に携わる者ならば放っておかないのは確かだ。

 

彼は先程のマッドサイエンティストの言っていた事を思い出し、黒い笑みを浮かべる。どっからどう見てもその姿は悪役だ。

 

「あー……分かったよ。落とすんじゃねえぞ?」

 

彼はまるで傘でも渡すかの様に、彼女に鉄槌を差し出した。しかし、予想と重さが違ったのだろうか。受け取った筈の鉄槌は重力に引かれて床へと真っ直ぐ落ちていった。

凄まじい音と共に、鉄槌は床へと着地した。

 

勿論床にはヒビが入った。

 

「そんじゃ後は頼むぜ? 俺は先に生徒会室とやらに行っとくからよ?」

 

「何? おい、貴様! 待て!」

 

彼女は両手で何とか鉄槌を持ち上げると、重い足取りでハイゼンベルクを追う。しかし、重りのなくなった彼の足取りはウサギの様に軽かったのか、彼女は置いていかれる亀の気分を味わったのだった。

 

 

 

 

 

意外にも彼は逃げずに生徒会室までやって来ると、ノックもせずにドアを開ける。

一瞬だけ驚きの表情を見せた、見覚えのある顔が彼を出迎えた。

 

「よう、生徒会長。どうやら、世話になる時が来ちまったみてえだ」

 

「ああ、君か。久々にその顔を見た気がするよ。それで、世話になるとはどういう事だい?」

 

「遅れてやって来る真面目な奴に聞いてくれ。俺は連行されて来ただけなんでな」

 

そう言うと彼は手頃な椅子へ深く座り込んだ。彼のそんな様子に連行の意味が分からなくなりそうになった彼女だったが、重たい足音と共に部屋に入って来た副会長を見て、賢い彼女は全てを察した。

 

「エアグルーヴか、なるほど。納得したよ」

 

「よう、お疲れさん。そいつとの散歩は楽しかったか?」

 

「貴様……次は預からん……!」

 

手をひらひらと動かすと、ニヒルな笑みと共に彼は労いの言葉ではなく、皮肉を吐いた。

ここまでが彼の仕掛けた罠だと気付いたエアグルーヴは、火照らせた顔をそのままに歯を食いしばった。

 

「すまない、エアグルーヴ。どうやら、手間を掛けてしまったようだ」

 

「いえ、私の力不足が何よりの原因です。お気になさらないで下さい」

 

尊敬する人の前とそうではない者の前では多少態度が変わるのも当然なのだが、そんな事を知る由もない彼は、この態度の変わり身具合に一人の女性を思い浮かべていた。ただ、向こうの敬意はうわべだけだ。

 

「随分と真面目なこった」

 

「彼女はエアグルーヴ。優秀なこの生徒会における副会長さ。私の誇れる存在だよ」

 

「だったら覚えとく方がいいな。次見かけたらさっさと逃げる為にもな? そんで、俺はこれからどうなるんだ? テメエら二人から小言のサンドイッチにでもされんのか?」

 

「君がもし三度同じ事をしたらそうなるな」

 

海外式の言い回しは彼女のお気に召したようだ。お返しと言わんばかり彼女も洒落をぶつけると、二人は軽く笑い出す。

そんな談笑をする二人を、副会長は困惑した様子で眺めていた。

 

「会長、その男とは知り合いなんでしょうか?」

 

「ああ。彼はハイゼンベルク。トレセン学園で主にトレーニング器具などを取り扱っている。怪しい風貌だが許してやってくれ」

 

エアグルーヴははっきりとした返事をするが、その表情は複雑そうであった。

今の会話を聞き、彼は少し思うところがあったのか、椅子から立って話し始める。

 

「なあ、一つ聞きてえ。テメエらは俺がここに来た理由を知ってるか?」

 

彼の問いに二人は首を横に振った。不審者扱いされるのは慣れてはいる。だが、生徒会の者が業者の人間を間違えて不審者扱いなどするだろうか。

 

良くも悪くも真面目な者達だからこそ、もし知っていたら業者かどうか尋ねるだろう。

 

「あー……そう言うことか、やっと分かった。副会長とやらがご立腹になる訳だ」

 

「どう言うことだ? 説明しろ」

 

「文句ならテメエらに話通してない理事長に言えって事だ。俺はそもそもアイツに頼まれて倉庫に器具の搬入に来ただけ。まあ、知らねえんだろうがな」

 

「……と言う事は貴様、本当に仕事終わりだと言うのか!?」

 

「そう言うこった。悪いな? 副会長さんよ」

 

どうやら、エアグルーヴは彼の一言をその場凌ぎの言い訳だと思っていたようだ。彼女の表情はどこか悪い事をしてしまったかの様に歪む。

 

「謝罪の一言なんて要らねえ、それよりもさっさと帰らせてくれ。見つかりたくねえ奴が二人ほど居るんでな?」

 

彼はエアグルーヴから鉄槌を引ったくると、ドアに手を掛けそう言った。

 

「見つかりたくない……か。一人は分かるがもう一人は誰だい?」

 

「科学者って言えば分かるか? 注射器を二本もブッ刺されそうになった」

 

「アグネスタキオンか……次会ったら厳重注意しておく」

 

副会長の言葉に"頼んだぜ"と真面目な声で返答すると、彼はドアから去って行った。これでやっと静かになったと思いきや、ドア越しに元気な声が響き渡る。

 

『あっ! やっぱりトレーナーだ!』

 

『……何で出待ちしてんだ?』

 

『あのね! ふくかいちょーがトレーナーのおっきなハンマーを持ってるのを見たんだ! あんなに重たいの持てるなんて、さすがふくかいちょーだよね!』

 

『じゃあな、俺は帰る』

 

『あっ! そうだトレーナー! これから、スペちゃん達と一緒にダンスの練習するんだっ!! トレーナーも見にきてよ!』

 

『あ、おい! テメエ、人の話聞いてんのか! 俺は帰るって言ってんだよ!』

 

『ええっ!! じゃあさ、じゃんけんで決めようよ! 最近、みんなとやってるんだ! よーし、勝つぞー!』

 

『……拒否権無えのかよ』

 

扉越しに聞こえるやり取りを面白く感じたのか、思わず笑みを浮かべた会長と副会長の姿があったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、その数分後。問答無用で校内を連れ回される哀れな一人の男の姿が確認された。




ハイゼンベルクの鉄槌
とんでもなく重い。
ウマ娘の力であれば持ち上がらないことも無いのだが、重心の関係で柄を持って持ち上げる事はかなり難しい。

最近、彼にバレないようにこれを勇者の剣のように持ち上げる事が流行っている。なお、今まで出来た者はメジロ家の力自慢だけである。


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最下位からの脱出

メイクデビュー前のファン数は一人です


 

その知らせは唐突にハイゼンベルクの元へ届けられた。

 

「メイクデビュー前の模擬レース?」

 

手紙に書かれていたのは、彼の呟き通りの内容だった。ウマ娘の精神上だとか、緊張がどうのこうのと色々と御託が並べられているが、その辺りの言葉は全て流し読みだ。

 

そして、大問題だったのが最後の一文。

 

「全トレーナーは参加を義務付けられている……か、ふざけやがって」

 

彼にとって、これっぽっちも興味の無いレースを見るのは面倒な事この上ない。だが、もしこれを無視したら、いつもの客からの有り難いお小言が大量に頂けるだろう。

 

一応、名義上は彼もトレーナーである。まあ、活動履歴も専用の部屋も無いのだが。

 

「……どうせ最下位だろうがな」

 

彼女と出会う直前に見たレースを脳裏に浮かべる。圧倒的最下位。あれが覆るなど、奇跡でも起きなければ無いだろう。

 

だが、そんな簡単に起きる物では無い。彼はそれを嫌と言うほど知っていた。

 

ふと、昔の事を思い出す。愚かで哀れな己自身が、その狂気もろとも打ち砕かれた瞬間を。

そういえば、一人だけ……一人だけ居た。

 

奇跡など無くとも、手を千切られようとも、腹を突き刺されようとも、絶対に諦めず、ただの執念で全てを覆した男が……

 

「そういや、聞いた話だとアイツはあのイカれ女をしっかりとぶっ殺したみてえだな」

 

とある商人から聞いた、自身が知り得なかったはずの話を思い出す。

今更になって思うと、良くやったと褒めてやりたいが、それも叶わぬ幻想だ。

 

そこで、一つだけ思ったことがあった。

 

いるではないか、最下位を取り続けようとも、何を言われようとも、持ち前のポジティブさで全てを覆すべく、諦めずに頑張るウマ娘が。

 

本人はそんな事一切考えてはいないのだろう。それは、彼自身も分かっている事だ。

 

「……一日ぐらい真面目にやってやるか」

 

彼は葉巻を消して口の中に残った紫煙を吐くと、一足のウマ娘用の靴と共にエレベーターで地下へと消えて行った。

 

数時間後、地下に行きっぱなしだったエレベーターが地上に帰ってくる。それと一緒に戻ってきた彼の手には、彼の作品とは思えない程に綺麗な靴があった。蹄鉄は黒く輝き、ピンク色の靴本体がより明るく見える。

 

そんな靴とは対照的に、彼の手は煤やら油やらで酷く汚れていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は模擬レースの日。話によるとメイクデビューの練習のような物らしい。

トレセン学園のレース専用会場を使用し、観客もいる。模擬にも関わらず、実戦に近い大規模な事を行えるのも理事長の敏腕故だろう。

 

デビュー前のウマ娘達が次々と控室に案内される。その中には輝く笑顔を浮かべた一人の姿があった。

 

「ウララさん! 頑張るのよ!」

 

「ウララちゃん! けっぱってね!」

 

「ウララー! 一位取るんでしょ? 応援してるよー!」

 

「うんっ! ありがとー! わたし、絶対一番取ってくるねっ!!」

 

ハルウララは友人の声援で元々満タンだった元気をオーバーフローさせる。そのまま、両手を振りつつ、控室の方に案内されて行った。

 

控室に入ると、いつもの体操服へと着替える。陽気に鼻歌を歌いながら準備を進めていくその様子は緊張などかけらも感じられない。

 

「レース楽しみだなー! うっらら〜!」

 

むしろ、この先のレースを待ち望んでいる様子だ。しかし、まだ前のレースは終わっていない。出番はもう少しだけ後だろう。

 

待ち切れなくなった彼女は気分だけでも味わうためか、さっさとレース用の靴を履こうとする。しかし、その靴の隣に見た事のないピンク色の靴が置かれていた。

 

「あれれ? 誰かの忘れ物かな?」

 

彼女がそれをよく見ると、一枚の汚れた紙が添えてあることに気付く。興味を惹かれた彼女は迷わずそれを読む。

 

『靴の差し入れです 貴女の一人のファンより』

 

「わーいっ! ファンの人からの差し入れだー! 嬉しいなー!」

 

どうやらその靴はファンからの差し入れらしい。本来なら気持ちだけ受け取って、得体の知れないそれを使う者は殆どいないだろう。

しかし、彼女は躊躇う事なく差し入れの方の靴を履いた。

 

「うわわっ! ピッタリだっ!? しかも、すっごく軽い! 鳥さんみたい!」

 

その靴は何事もなく彼女の足を迎え入れた。ジャストフィットしたその靴は、今までの靴と比べると、羽根のように軽かった。本当に蹄鉄が入っているのか疑問に思ってしまうほどだ。

 

彼女はジャンプしたり、足を上げたりしてその軽さを楽しんでいた。

 

「わーっ! わたしのと違って蹄鉄が真っ黒だー! カッコいい!」

 

興味深そうにその靴を見ていた彼女は蹄鉄の色が今までのものと違うことに気付く。今までの鉛色ではなく、黒曜石のような輝く黒色は、どことなくカッコ良さを覚える。

 

自身の番が来るまでの間、彼女は飽きずに履いた靴を眺めていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

係員に呼ばれ、ようやくレース場に入る。通路を抜けた先は、彼女も知らない光景だった。

 

埋め尽くされた客席に、沢山の歓声。デビュー戦でないのにも関わらず、これだけの観客がいるのは、競バが人々に愛されている故だろう。

 

今回のレースはダートの1200m。ハルウララの得意分野だが、それは他の出場バ達も同じだ。出場人数は十人。今年はウマ娘の数が多いせいだろうか、いつも定期的に行われる練習のレースより人数が多かった。

 

「よーしっ! 出走だー!」

 

周りのウマ娘と同じようにゲートに入る。身に付けたゼッケンと同じ八番へと。そして、ワクワクしながらその時を待つ。

 

実況の声が会場に響き始め、観客達は声を抑え、会場はスッと静かになる。

 

破裂音と共にゲートが開く。

 

全員、一位を目指して飛び出した。

 

誰も出遅れる事なくスムーズなスタートを切る。先頭が速いのか、全体がかなりハイスピードな展開だ。そのせいか、彼女はどんどんと抜かされていく。

 

しかし、自分を抜かしていく彼女達の後ろ姿はあのお化けほどでは無い。最下位にはなったものの、目の前の背中には簡単に追いついた。

 

実況の声も何を言ってるか聞こえない程の集中状態。そんな中、彼女達はカーブへと差し掛かる。

 

ここにはカーブを無視して突き進む者なんて居ない。全員が綺麗な曲線を描いて曲がっていく。

 

前の六番を無意識に風除けにしながら、彼女は前を伺っていた。しかし、前方は団子状態。そのまま突っ込めばブロックされるのが明白だ。

 

レースの展開を実況席が語る。

 

『かなりハイスピードな展開です』

 

『少し掛かり気味ですね、一息入れられると良いのですが』

 

彼女の息は段々と上がる。もうすぐ最後の直線にも関わらず、その体力は底をつきかけていた。

 

そして訪れた最後の直線。全員がラストスパートを掛ける中、前の背中に阻まれて思うように進めない彼女。しかし、ここで思い出したのはお化けとの模擬レース。

 

『おい、テメエはこっちだ』

 

あの時の言葉を思い出し、前の背中から離れて外側へと躍り出る。その前には誰もいない。強烈な風をかき分けるように彼女はラストスパートをかけた。

 

地面を全力で蹴ると、いつもよりそのスピードはグングン上がる。

整備されたダートと荒れ放題の大地では確かに走り易さは違うだろう。だが、それを加味しても彼女の加速はいつもと一味違ったのだ。

 

それを味わった彼女の表情は少し苦しそうな物から、最高の楽しさを見出したかのような笑顔へと変わった。

 

地面を蹴る度に彼女の体は風へと近づいていく。その様子は彼女だけでなく、他の者達にも伝わっていた。

 

「行けるよ! 頑張れウララ!!」

 

「けっぱれ! ウララちゃん!」

 

「頑張って! ウララさん!」

 

友人達の声援を力に変えて突き進む。もう既に最下位では無い。だが、目指すは一位なのだ。ここで満足してはいられない。

 

歯を食いしばり、既に空っぽなスタミナを振り絞って無理矢理前へと進んでいく。段々と目の前が酸欠で霞んでくる。

 

焦点の合わない瞳で前を見た時、観客席の上の方。一般の者なら立ち入らないであろう整備用の足場。そこに、彼女のよく知る一人の影を見出した。

 

恐らく、気のせいなのだろう。彼はこの様な場所に来たがらない性格である事は彼女もよく知っている。

 

だが、そんな幻想でも彼女に更なる力を与えるのには十分だった。

 

「負け……ない……ぞっ!!」

 

そのまま彼女は速度を更に上げ、酷使に抗議の声を上げる心臓を押さえ付けながら、そのままゴールへと突っ込んでいった。

 

 

ゴールラインを越える。

 

 

大きな歓声が上がる。

 

 

そして、息も絶え絶えの状態で見たモニターには三番目に彼女の番号である八の文字が表示されていた。

 

「やったやったー!!!」

 

嬉しさが込み上げて思わずはしゃぎ出すハルウララ。その様子を見た友人達も思わず微笑んだ事だろう。

 

彼女はハッと思い出したかの様に、観客席の方向へ振り向く。しかし、どこの足場を見ても彼女のトレーナーの姿など無かった。やっぱり、酸欠状態が見せた幻影だったのだ。

 

この後はウイニングライブだ。いつもはバックダンサーしかやった事のない彼女だが、今回ばかりは前の方に立てるのだ。

 

嬉しさ半分、楽しさ半分で跳ねる様にライブ会場へ向かっていくハルウララ。その足についた黒い蹄鉄は既にその輝きを失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブも終わり、ウキウキ気分で彼女は放課後を迎える。友人達に褒めちぎられたお陰か、今日一日を最高の気分のまま終えられそうだ。

そんな中、彼女は学園の入り口で見覚えのある人物を発見した。

 

「あっ! トレーナー!」

 

「何だ、テメエか」

 

ハイゼンベルクは火の付いていない葉巻を咥え、入り口に止めた例の大型バイクを弄り倒している。

 

「そうだっ! あのねあのね!」

 

「三位だったんだろ? 模擬レース」

 

「そうなのっ!! それでね! とっても楽しかったんだ!」

 

「やっとドンケツから脱出か……」

 

飛び跳ねながら喜ぶ彼女。真上に伸ばされたその手のひらに、彼は一方的にハイタッチをかました。

 

「まあ、テメエにしては上出来だな」

 

「えっ? えっ? ねえねえ! 今のもう一回やってよ!」

 

「さあ、何のことだか?」

 

彼女は再度ハイタッチを要求するが、彼はニヒルな笑みと共に知らないの一言でそれを突き返す。

 

「よし、こんなもんだろ」

 

ハイゼンベルクはスパナを懐へ仕舞うと、バイクのエンジンをかける。あのお化けと比べると随分静かなエンジン音があたりに響き渡った。

 

「あれ? そういえば、トレーナーは何でここにいるの?」

 

「まあ、いつも通りお仕事だ」

 

「そっか! また変な機械とか運んでたんだね!」

 

「あー……まあそういう事だ」

 

彼女は彼が跨るよりも先にバイクにちょこんと飛び乗った。その様子を見た彼は溜息混じりにその頭にヘルメットを被せる。

 

「おい! テメエ、腹減ってるか? これからたまには外食でもしようと思ってたんだが、間違えて予約人数を二人にしちまってな。俺だけじゃ食い切れねえ」

 

「ええっ!? ほんと! わたしも行くっ!!」

 

「ありがとよ」

 

彼はエンジン全開で学園前から走り去る。その後ろ姿を一部のウマ娘が目を輝かせて見ていたが、それを彼らが知ることは無いだろう。

 

「あっ! そうだ! 実は今日ね、レース前にファンの人からプレゼント貰ったんだ!」

 

「ほう、良かったな」

 

「すっごいカッコいい靴なんだよ! 今度見せてあげるね!」

 

彼女は両手を広げ、その格好良さの大きさを表現する。きっと、その脳裏にはあの輝いた靴が思い浮かんでいる事だろう。

 

その後、彼女は彼に連れられてやってきたレストランで案の定食べ物に記憶をすっ飛ばされた。

 

だが、舌鼓を打つ彼女にとってはどうでもいい事だろう。

 




黒い蹄鉄
蹄鉄の何に反し、磁力に対して無反応な異様な代物。
圧倒的軽さとグリップ力を持つが、それと引き換えにたった2レースで壊れてしまう程、耐久性は極端に低い。劣化速度も凄まじく速く、1ヶ月もすればボロボロになってしまう。

正しくそれは、誰かの技術が生んだひと時の魔法なのだろう。


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契約満了

今回は少し短めです


 

「さて、今日で終わりだ。そうだよな?」

 

「肯定……! 君の言っていた期間というのは確かに今日までだ!」

 

理事長室にて工場長と理事長、二つの長が向かい合っている。方や台の上に立ち、方や椅子に深く座り込んでいる。

 

彼がハルウララの面倒を見る期間は彼女のデビューまで。そして、今日がその日だった。

 

「数ヶ月間! 君は彼女と共に歩んだ! 何か思った事や言いたい事は無いか?」

 

「厄介者が消えるんだ。清々するぜ」

 

「うむ……そうか」

 

期待していた物とは真逆の答え。理事長はどこか残念そうな表情を浮かべると、彼に契約満了を示す書類を渡した。

 

「そこにサインすれば、君は名義上もトレーナーでは無くなる……本当に良いのか?」

 

一瞬の沈黙を挟み、彼は答えた。

 

「元々トレーナーでも何でもねえ。ただ、全て元に戻るだけだ」

 

彼の目には迷いなど無い。しかし、随分と険しい表情を浮かべ、手元の紙と睨めっこをしている。

その状態のまま、握られたペンがゆっくりとサインを書き始めた。

 

「なあ」

 

「どうした?」

 

「……紙、もう一枚あるか?」

 

そう言った彼の手元では、紙の上のサインが悲惨な事になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先程のやり取りを数回繰り返し、彼は何とか綺麗なサインを書き終えた。大きく息を吐き、座り心地の良いその椅子からその腰を上げた。

 

「そんじゃ、また今度な」

 

「制止!!」

 

理事長が扇子を彼に向ける。どうやら何か言いたい事があるようだ。大人しく彼は足を止め、背を出口の方へ向けた。

 

「もし、またトレーナーを希望するならいつでも言ってくれ! 歓迎するぞ!」

 

いつも通りの笑みを浮かべた彼女は、手に持ったそれをバッと広げた。歓迎と書かれた面は確実に彼に見えているはずだ。

 

「歓迎……ねえ、まあ確かに以前よりかはマシか」

 

毎回、ウマ娘達から不審者を見るような目を向けられている事には変わり無い。しかし、視線の鋭さは確かに以前より優しくなっているだろう。

 

「だが、俺はここには似合わねえ」

 

しかし、彼はポツリとそう答えた。

 

「否定! 何故そう言うのだ? 君が彼女と接する姿を度々見たが、正しくトレーナーそのもの! そこに似合うかどうかなど関係無いであろう!」

 

「テメエには分からねえだろうな? この根本的な違いはよ!」

 

「疑問! 君の言う根本的な違いとは何だ?」

 

荒々しい彼の発言に引っ掛かりを覚えた理事長は、間を置かずに質問を投げかける。

話を適当に切り上げて帰ろうとする彼への対策のような行動だ。

 

「文字通りの意味だ。常識ってモンが違えんだよ!」

 

この言葉を理事長は理解出来なかった。

 

生まれる環境によっては確かに常識の差異はある。だが、それは容易に補正ができる物なのでは無いのか。ウマ娘の中にも海外から来た者もいるが、この常識云々で問題になった事など一度も無かった。

 

「悪かった。少しカッとなった」

 

彼は悪びれた様子で謝ると、理事長へ背を向けた。もう帰るという意思表示だろう。

 

「さっきの言葉は訂正しとく。テメエが理解出来ねえ訳じゃねえ、俺が理解されようとしてねえだけだ」

 

彼はそう言ってドアノブに手をかけた。

 

だが、ドアは彼が開けるよりも早く他の者に開けられた。

 

「あっ! トレーナー! ここに居たんだね! たづなさんに教えて貰わなかったら分からなかったよ!」

 

出て行こうとしていた彼を部屋に押しやるかのように、彼女は理事長室へ入ってきた。どうやら、その笑顔からして伝えたい事があるようだ。

 

「あのねあのね! わたしついにデビューしたんだよ! デビュー戦は後ろから二番目だったけど……でもね! これからいっぱいレースに出て沢山一位を取るんだ! だから、これからよろしくね! トレーナー!」

 

ハイゼンベルクは笑顔と身振り手振りで伝えられた言葉に対し、手を固く握りしめていた。

 

「悪いが……俺はもうトレーナーじゃねえ」

 

「えっ? なんで……!」

 

その言葉の意味を理解した彼女の表情は花のような笑顔から悲しげな顔へ変わっていった。

 

「わたし! なんかしちゃったかな……! トレーナーに怒られるような事しちゃったかな……!?」

 

初めて見せた表情から、ポロポロと雫が溢れ出す。桜のような目から涙の花びらが地面を濡らす度、彼の表情はより険しい物へと変わっていく。

 

「テメエは……何もしてねえよ」

 

彼の詰まった言葉に彼女は頬を濡らしながら疑問の声を上げた。

 

「じゃあなんで……! 教えてよトレーナー……!」

 

自身の頬を軽く叩き、普段の表情を無理矢理取り戻した彼は、膝をついて彼女に目線の高さを合わせる。しかし、彼の目は彼女の濡れた瞳を見る事はなく、下や左右に泳いでいた。

 

「……テメエのトレーナーでいられる期間ってのがある。俺はそれが短かった。それだけだ」

 

彼の言葉に嗚咽を漏らしながら、自身の手で涙を拭い続けているハルウララ。しかし、いくら拭ってもその頬が乾く事は無く、むしろ涙が雨のように溢れた。

 

「……俺みてえな鉄屑よりもっとマシな奴がいるはずだ。次からそいつらにちゃんと教われ。そうした方がテメエの為になる」

 

「やだ……! やだよ……! 他の人じゃつまらないもん……! トレーナーだから……楽しいんだもん……!」

 

普段の彼女なら彼に対し、感情的になってわがままなど言わなかっただろう。恐らく、彼に対する信頼の裏返しなのだ。そんな大きな信頼は、たった数ヶ月間で得られる筈が無い物だった。

 

険しい顔を浮かべる彼は確かにその存在に気付いているはずだ。

 

「だが……」

 

"こっちにも事情がある"、そう口から出ようとしていた彼の言葉は、彼女の桜舞う瞳を見て止まってしまう。

 

「……期間はもう終わったんだ」

 

結局、彼の口から出たのは意図とは違う言葉だった。

 

頑なに理事長やハルウララと壁を作り続ける彼。誰かさんの明るさで溶けかかった鉄の壁を何故、今もなお守り続けているのだろうか。

恐らく、壁の内側にある黒々しい何かを外へ出さないためだろう。どう足掻いても誤魔化せない何かが、心の痛みで血塗れの彼を未だ壁の守護神として顕現させている。

 

そして、度重なる皮肉や嘘の化粧でその血を隠し続けているのだろうか。

 

だが、そんな彼の纏った誤魔化しを彼女は涙で剥がしに掛かる。

 

「じゃ、じゃあ……! またトレーナーになってよ……!!」

 

彼はその言葉に狼狽えた。

その声に応え、再度トレーナーになる事は可能。だが、彼は葛藤している。いつの間にか固く握り込んだ左手は血の涙を流していた。

 

彼は鉄槌を静かに地面に置くと、右手を懐へ入れ何かを取り出す。少しの間、それを手のひらに置いて、これで良いのかと問い掛けるかのようにじっと見ていた。

 

一旦息を大きく吐くと、彼は彼女とちゃんと目を合わせた。そして、それを人差し指と親指で挟み、目の前まで持ってくる。

 

「……ゲームだ」

 

「え……? ゲーム……?」

 

「このコインを今から投げる。今テメエが見てるオモテ面が出たら、俺はまたトレーナーになってやる。それ以外なら……後は分かるよな?」

 

彼女の濡れて歪んだ瞳に映ったのは、彼の工場のロゴ。彼はそれを親指で弾く。

 

落下してきたそれを右手で掴み取り、左手の甲へ叩き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右手をそっと離すと、そこには蹄鉄と今でも何なのか分からない動物の姿が刻まれた、オモテ面がその顔を光らせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……運が良いな」

 

彼は立ち上がり、大きくため息を吐く。そして、背後にいるであろう彼女に呼びかける。

 

「おい! 全部聞いてんだろ?」

 

「無論! また名義を貸してくれるのだろう?」

 

「ヘッ、そういうこった」

 

理事長はまるでこうなる事が分かっていたのか。登録用紙は既に机の上に置かれていた。

 

「感謝! 期間はどうする?」

 

「テメエの勝手にしろ!」

 

流れるように彼の情報を記入する理事長。期限の欄には他のトレーナーと同じ横一本線。それは、"希望する限り"を表すマークであった。

 

「完了! 君は今からトレーナーだ!」

 

彼は言葉の代わりにニヒルな笑みを返す。変わり身の早い彼に呆然としているハルウララに対し、彼はふざけるようにこう言った。

 

「さて、これでまた書類上はトレーナーだ。テメエは今、トレーナー不在だろ? 俺がスカウトしてやるよ! ハルウララ!」

 

「え……! ほんと…!? ありがとー!!! トレーナー!!!」

 

感極まった彼女はまだ頬が濡れているにもお構いなしに彼へと抱きついた。

 

「あ、おい! テメエ、コートが……ったく、次はねえぞ」

 

コートは彼女の涙を受け止めて濡れている。しかし、今回に限り彼は大目に見るようで、ため息と共に葉巻を咥えた。

 

が、途中で思い出したかのように胸ポケットに仕舞い込んだ。

 

手持ち無沙汰になってしまった彼は掛けているサングラスを不満そうな表情で弄っていた。

 

「えへへ……ありがとトレーナー!!」

 

彼の腰あたりに頬を擦り付ける彼女は、未だにその瞳からは涙を流していた。しかし、嬉しそうな笑みを浮かべている事から、その意味は先程とは真逆なのだろう。

 

これから、心に踏み入ってくる誰かに壊されないよう、彼の作る壁は今までの鉄製から、より補強された鋼鉄製に変わるだろう。その壁をハルウララが溶かせるのかは分からない。

しかし、纏っていた嘘と血の鎧は確かに彼女によって確かに洗い流された。

 

今回の選択において、()()()()()()()()()()という事実がそれを示す何よりの証拠だろう。

 




コイン
ハイゼンベルク持っていた鉄製のコイン。
工場のロゴが両面に描かれている。
そこに表裏など無く、あるのは裏を見せられない一人の不器用な男だけだろう。


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解体作業

感想ありがとうございます!本当に励みになります!


 

とある日の昼下がり、生徒会室にはシンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアンの三人が集まっていた。その理由は、彼女達の前に立っている理事長にあった。

 

「感謝ッ! 忙しい時期に集まって貰い、大変心から感謝する! 君達を呼んだのは決して軽くは無いお願いがあるからだ!」

 

彼女は"感謝"と書かれた扇子を畳むと、まるでこれから戦が始まるかのような真剣な眼差しを彼女達に向けた。

 

「依頼ッ! 本日の夕方頃に現在使用していない倉庫の解体工事があるのだが……その様子を見張って貰いたいっ!!」

 

何かとても重大な事だと思っていた生徒会長は、その依頼の軽さに違和感を覚える。

 

「理事長、理由をお聞きしても良いでしょうか?」

 

「うむ! 今回の解体工事を担当するのは……あのハイゼンベルクなのだ!」

 

その言葉に、約二名が半分納得し、面識がない一名が首を傾げた。

確かに扱うのが面倒なタイプではあるが、仕事を疎かにする者ではない。何故、ここまでの危機感を理事長が持っているのか分からなかった。

 

「彼である事で何か問題が?」

 

「解説ッ! 今回のこの仕事、彼奴が自ら名乗り出てきたのだ! あの毎回毎回帰りたいと吐かしている彼奴が!?」

 

そう語る理事長の顔色はたづなに怒られた時と同様、真っ青であった。それだけではなく、手に持った扇子も小刻みに震えている。

 

「惨烈ッ……! 放っておけば倉庫を中心にクレーターが出来上がる事、間違い無し……! いや、それだけに収まらず校舎も……!?」

 

「大袈裟だと思うのは私だけか?」

 

ぶっ飛んだ工場長の事をよく知らないナリタブライアンが、疑惑の眼差しを向ける。

 

「ブライアン、理事長の言っている事はあながち間違いでは無いだろう。私も一度会ったが、常識外れという言葉があれ程似合う男は他には居ない」

 

面識のある副会長がその疑惑を晴らそうとする。しかし、言葉だけではその根拠は薄い。そこで、彼女は最適な例えを出した。

 

「分かりやすく言えば、アグネスタキオンが男になったとでも思えば良い。性格もやり方も彼女より荒いが、大体同じだ」

 

「そうか、少しイメージがついた。感謝する」

 

今、彼女の脳裏には眼鏡をかけた科学者の男のイメージが思い浮かんでいる事だろう。

 

しかし、まだ疑問は積もる。

 

「だが、私達が見張る必要があるのか?」

 

「うむ! あの男を止められるのは君達しかいない!」

 

「それは一体、どういう事でしょうか?」

 

「説明ッ! 以前、彼に敷地内の不要な木の伐採を頼んだ時! それは起こった!」

 

その一言に会長は理解が追いつかなかった。あの者はトレーニング器具を卸す事が業務の筈だ。何故、業務と関係の無い伐採を頼んでいるのだろうか。

 

思わずその疑問を理事長に投げかけた。

 

「少し良いでしょうか? 彼はトレーニング器具の業者では無いのですか?」

 

「肯定ッ! シンボリルドルフ、君のいう通りだ! だが……彼奴は色々と融通が利いてだな……」

 

「突然頼んでも問題ない人材。そういう事ですか……」

 

「うむ……! 端的に言えばそうだ!」

 

少し悪びれた様子で理事長はそう告げた。そんな事実を聞いた会長は、ほんの少しだけ彼に同情したのだった。

 

「それで! 伐採を頼まれたあの男は、まとめて切った方が楽だと吐かし、刃渡りが5メートル以上もあるチェーンソーを持ってきたのだ!!」

 

刃渡り5メートルのチェーンソーと言われても、そのイメージは全く湧かない。困惑する彼女達を置いてけぼりにして、理事長は続けた。

 

「無論ッ! 生徒に当たれば危険! 係員含め5、6名ほどで止めに入ったが……あの男は止まるどころか、その者達を引き摺りながらあの凶刃を振り回しておった!」

 

彼女はその時を思い出しているのか、驚きと恐怖が入り混じったかの様な顔をしていた。

 

「故に! 何かあった時、君達に止めて貰いたい! 恐らく、君達三名の力を持ってすれば無理矢理止める事も可能!」

 

「……何故そんな奴に頼むんだ?」

 

全員が思っている事を代弁するかの様に、ナリタブライアンが指摘した。

 

「うむ……! 一言で言えば、時間が無かったのだ。少し調子に乗って色々と早く決め過ぎてな、納期の問題が……」

 

彼女達三人は、理事長の言う"融通が利く"の意味を完全に理解しただろう。彼に対して良い印象が無い副会長も、流石に少しばかり同情した。

 

「兎に角! 私はこれから用事で学園を離れる! その間、よろしく頼む!」

 

理事長は時計の時刻を見て、驚いた表情を浮かべると、そそくさと部屋から出て行ってしまった。

 

残された彼女達は例の工場長が来るまでの間、終わっていない書類仕事や会議を行って時間を潰すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方になり、解体予定の倉庫へと足を運ぶ。そこには既に、コンテナ三個分程の大きさの倉庫にホースを使って水を撒いている工場長の姿があった。

 

「あ? 何だテメエら? 見学でもしに来たのか?」

 

「理事長に頼まれて様子を見に来たんだ」

 

「様子? 何でだ?」

 

「貴様がふざけた行動をしたら止めろとの事だ」

 

「ああそうかい。そんじゃ、そん時は止めたきゃ勝手に止めろ」

 

彼は水を撒き終えると、携帯を弄り出す。そして、悪い笑みを浮かべてこう言った。

 

「止められるもんならな!」

 

彼が携帯を操作し、何かのブザー音が響く。そして、重々しい足音が等間隔で響き始めた。

 

その音源は近くに止めてあるトラックの荷台からだ。しかし、今回は緑のカバーに阻まれてその正体は伺う事は出来なかった。

ガシャガシャという金属音を響かせながら荷台から降りてきたそれは、まるで人を金属板で隙間なく埋め尽くし、その両の手にドリルを三本くっ付けた異様な存在だった。

 

「な、な、な、何だこれは!?」

 

「見て分かんねえのか副会長さんよ! コイツは建物解体用ロボット! 名付けてゾルダート・パンツァーだ!!」

 

驚愕の表情を浮かべるエアグルーヴに彼は最高の笑みと握り拳を作り、自信満々に宣言した。

 

驚いているのは彼女だけでは無い。ナリタブライアンもシンボリルドルフもその圧倒的な威圧感を放つそれに目を大きく見開いていた。

 

「安心しろ! 人型だが中に人間なんぞ入ってねえ! コイツは100%機械の塊だ!!」

 

「そういう問題ではない!」

 

「おい、ドリルというのはあんなに必要なのか?」

 

ナリタブライアンは引き攣った表情で、そのゾルダートとかいうロボットの、物を持つ気が一切無い手の部分を見てそう言った。

 

「テメエが誰だか知らねえが教えてやる! ドリルってのはな、あればあるだけ良いんだよ! カッコよさの塊だからな!」

 

一切迷いの無い狂った眼差しが彼女を貫く。

 

見た目に関しては副会長の例えは違っていたが、性格に関しては共通する部分があると思ってしまった。

 

「まあ、コイツはまだ使わねえ。先に別の作業があるんでな」

 

彼はそう言いつつゾルダートの肩を叩く。そうすると、ソレはまるで俯く様にして停止した。先程まで装甲の隙間から漏れていた光も完全に消えている。

 

「すまない、今は何をしているんだ?」

 

会長はこちらに背を向けて、座り込んで何かの作業に没頭するハイゼンベルクに尋ねる。彼は少しニヤリと笑うと、自身の身体で隠していたソレを見せた。

 

「見て分かるだろ? ハンマーに小型のジェットエンジンをくっ付けてんだ!」

 

彼が意気揚々と見せたのは、いつも手に持っている鉄槌の両サイドに、見た事もない筒状の物が付けられていた。

 

見ただけでは何なのかは分からないが、ただ一つ分かる事がある。

 

どうせロクな物ではない。

 

「よし、完成だ! ったくよお! 最高にイカしてんじゃねーか!」

 

「待て貴様! そ、それで何をするつもりだ?」

 

エアグルーヴはとてつもなく狼狽えた様子で、その改造された鉄槌を指差した。

 

「粉塵も舞わねえ様に水はちゃんと撒いた。そして、今この場には圧倒的加速力を得たハンマー。後はテメエのお堅い頭でも分かんだろ?」

 

わざとらしく丁寧な説明に、彼女は今から彼が何をするのか大体察した事だろう。そんな彼女を差し置いて、狂気の笑みを浮かべた彼は、ついに鉄槌の柄に手をかけた。

 

「おっと、重えな。だが問題ねえ! テメエらに見せてやるぜ! コイツの素晴らしさをな!」

 

ハイゼンベルクは鉄槌を両手で持ち上げると、その柄に付いたスイッチを躊躇いなく押し込んだ。すると、横に付いたジェットエンジンが段々とその自己主張を強め、いつしか耳を塞ぎたくなる様な轟音を発し始めたのだ。

 

「最高のショーの時間だ!」

 

彼はとんでもない付属品が付いたそれを横薙ぎに大きく振るった。彼女達も初めて見るだろう、倉庫の白いコンクリート壁が豆腐の様に抉れるところなど。それ程までにぶっ飛んだ代物を彼は振り回していた。

 

「流石に止めるぞ! おい、聞いているのかブライアン!」

 

「まだアイツは何もしてない。それに、よく見てみろ。瓦礫など一つもこちらに飛んできていない」

 

ナリタブライアンはエアグルーヴの呼び掛けに対し、淡々とした返答と共に地面を指さした。

 

適当かつ乱暴な解体作業。しかし、その瓦礫は全て倉庫側へと飛んでいる様で、その地面はただ粉塵で白く染まっているだけだった。

 

「すごいな……! 如何にも無闇矢鱈に振り回している様に見えるが、瓦礫はおろか、小さな破片さえ飛んでこない。本当に出鱈目な技術だ」

 

シンボリルドルフは彼の楽しそうな後ろ姿を見て、感心した様に笑った。彼はそれが聞こえていたのか、一旦その手を止めて調子の良さそうな笑みで面白い事実を言い放った。

 

「流石は生徒会長様だ。良く物事が見えてやがる! この理屈はアルミ缶をぶっ潰すくれえ簡単だ! でけえ質量がとんでもなく速くぶつかれば物は粉砕されんだよ!」

 

本当にその理屈は正しいのかどうかは分からないが、彼が倉庫という名のバターを片っ端からジェット付きのスプーンで抉り取っていく様子から見て、間違ってはいないのだろう。

尤も、あれ程ぶっ飛んだ速度であの質量を振れるものなどいない故、検証不可なのだが。

 

「……あんなに高速で振っていたか?」

 

彼の鉄槌を振るう速度は段々と上がり、ナリタブライアンがそう呟いた頃にはその軌道すら殆ど見えなくなっていた。そこから得られる物は、風を切る音と壁は砕け散る音、そして、ジェットエンジンの唸り声だった。

 

結局、彼女達は彼を止める事はなく。彼はもはや兵器と化したそれを振り回し、一時間も掛からずに倉庫の上半分を綺麗さっぱり消し去ったのだった。

 

「さあ、テメエの出番だ! この地盤ごとぶち抜いちまえ!」

 

彼は例のマシンに声を掛ける。ゾルダートと呼ばれたそれは、静かな起動音を鳴らして上体を起こした。

 

そして、腹と思わしき部分から明らかに砲身と思わしき部分が飛び出した。

 

「おい! 待て、貴様!」

 

「あ? どうした、何か問題でもあったか?」

 

「問題しか無いに決まっている! その異様な機械の腹から出たそれは何だ!」

 

「見れば分かんだろ、直径20cmの砲身だ! 大口径にはカッコよさとロマンが詰まってる! 本当は30cmにしたかったんだが……」

 

「なるほど、何か理由が?」

 

「ゾルダート自体の幅が足りなかった! 改良の余地ありってヤツだな!」

 

副会長のご指摘に特に抵抗もなく正直に答えるハイゼンベルク。本人は納得がいかないのか、少し悩んだ素振りを見せる。

 

地味にシンボリルドルフが、彼にその理由を尋ねている所から、彼女も彼のぶっ飛び工作に少し興味がある様だ。

 

だが、彼のふざけたこの機能を許すわけにはいかないエアグルーヴは、いつも以上に鋭い目付きで彼に詰め寄った。

 

「いい加減にしろ! こんな物を撃ったら文字通りここにクレーターが出来るぞ!」

 

彼女は危険なマシンと化したそれをバンッと乱暴に叩き、そう言い放った。しかし、彼は笑みを崩さない。まるで勝手にどうぞとでも言いたいかの様に、一人軽く笑っていた。

 

「さあ、やって見なきゃ分かんねえな?」

 

両手を広げ、悪役らしい笑みを浮かべる。それが何かの合図だったのか、ゾルダートはその主砲を彼女へと向けた。流石にナリタブライアンもこの行動は看過できない様で、舌打ちしながら殺戮マシンに向かっていくが、その歩みはシンボリルドルフの手にそっと阻まれた。

 

「心配無用だ。彼女が傷つくことはない」

 

彼から会長に向かって放たれたウインクを見て、彼女は勇敢な一人のウマ娘にそう言った。

 

その直後、破裂音と共に例の大砲が火を噴いた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思いきや、噴いたのは火ではなく大量の水だった。

 

エアグルーヴは冷たくも熱くもない、生温いそれを全身に被った。腕で目を覆っていたためかメイクは無事だが、制服も髪もびしょ濡れだ。

 

「ダッハハハハハ! 悪いな、砲弾が出るなんて一言も言ってねえぜ? まあ良かったじゃねえか? これで文字通り、"水も滴るいい女"ってヤツだ!」

 

その返答は、言葉ではなく拳だった。

 

ガッシャーンッと大きな音を立て、その拳は主人の命令に従っただけの機械へと打ち込まれた。ウマ娘の全力が注ぎ込まれたそのパンチは、哀れな機械を地面へと叩き込んだ。

 

「会長、少し時間を頂きます」

 

「ああ、分かった」

 

エアグルーヴは早足で自身の寮まで去っていた。

 

残された男は大爆笑している。

 

「コイツに何でこんなクソ分厚い装甲があるか知ってるか? 今みてえのを耐えるためだ! よし! 完璧じゃねえか! クソ程頑丈に作った甲斐があるぜ!」

 

まるでゾルダートは何事も無かったかの様に立ち上がり、今度こそ砲身を倉庫だった物に向けて、水をばら撒いた。

 

そして、問題の元凶が腹部へ仕舞われると、両手のトリプルドリルで残る壁や床を凄まじい勢いで削り出す。その間、ハイゼンベルクは粉々になりきらなかった瓦礫を回収し、トラックに乗せていた。

 

その結果、本来なら一日以上掛かる解体作業をぶっ飛んだ方法を使ったとはいえ、たった数時間で終わらせてしまった。

 

「早いな」

 

「そりゃそうだ。さっさと帰りてえからな」

 

「見事な手腕だった。だが、エアグルーヴをあまり虐めないでやって欲しい」

 

シンボリルドルフは少し顔をしかめながらそう言った。流石に少しやり過ぎたのだろう。

 

「そいつは悪かった。だったら俺の趣味の次の標的は生徒会長、アンタになるぜ?」

 

「ああ構わない。()()たる者、どんな試練でも受けて立とう! いや、君にとって立場や名前の()()差は無いような物だったね。では一人のウマ娘として受けて立とう!」

 

「おっと、まさかの全()()か? ()()()よくいられちゃあ俺もやり辛えな。何()()か挟まねえと、テメエに一泡吹かせるのは()()無理そうだ」

 

まさかの普段の十八番が返ってくるとは思ってもいなかったのだろう。珍しく、完全にやられた表情を彼女は浮かべた。

 

「会長よりアンタの方が一枚……いや、三枚上手だな」

 

「そいつはどうも」

 

先程の言葉のやりとりはナリタブライアンにも聞かれていた様だ。淡々とした言葉に、淡々とした言葉を返す。

だが、肝心の皇帝はその言葉に苦笑いを浮かべざるを得なかった。

 

その後、トラックにゾルダートを乗せて彼は満足そうに帰って行った。

その仕事ぶりは完璧の一言だったのだが、約一名少し納得のいかない者がいたそうだ。

 




シンボリルドルフのヒミツ
実はハイゼンベルクの独特な言い回しを気に入っている。


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幻想世界?

ウマネスト編入ります。4、5話分ぐらいの予定です。
ちなみに、色々と魔改造してます。許して下さい。


 

トレセン学園の体育館で、何やら異様な巨大な装置が稼働していた。その正体はVRウマレーター。理事長が以前から計画していたウマ娘の為のVR装置だ。

今まで、通信設備が十分では無かったので実現出来ずにいたのだが、どこかの誰かさんの活躍により倉庫を建て替えて、その中に様々な通信機器を入れる事により、遂にその問題点は解決した。

 

なお、この装置の開発には工場長は関わっていないらしい。そのため、彼女は何事も起こらずに動作テストは終わると思っていた。

 

「驚愕ッ!?」

 

警告灯と耳障りなエラー音と共に機械音声が問題を報告する。その内容は要約すれば、深刻なエラーによって全ソフトリセットをされてしまう事。そして、それを防ぎたくば他のVR装置を使い問題を解決する必要があるとの事だった。

 

そこで、理事長はたまたま居合わせたウマ娘達にとある提案をした。

 

「依頼ッ! この中で他のVR装置を使い、この問題を解決してくれる者はいないか!」

 

何が起こるか分からない。しかし、そんな提案に怖気つく事なく手を挙げたウマ娘がいた。

 

「ハーイ! エルが行きます! 世界最強の私にかかれば、こんな些細な問題なんて一瞬で解決デース!」

 

「感謝ッ! 心強い宣言、誠に感謝する! だが、たった一人で挑むのは困難極まるだろう! 都合よく、空いているVR装置は二つ! もう一人参加者を募りたい!」

 

エルコンドルパサーの勇気を讃えつつ、彼女は空きのあるVR装置を扇子で指し示す。

皆、危険が孕むという事実にその手が上がらない。そんな中、勇敢な彼女のルームメイトであるグラスワンダーがゆっくりとその手を挙げた。

 

「確かにエル一人では不安ですね。私も一緒に行きましょう」

 

「ブエノ! グラス、ありがとデース!」

 

「この二人なら心配無用! では、よろしく頼む!」

 

理事長が納得した表情で彼女達をVR装置へ案内しようとすると、ピョンピョン跳ねる一つの手が現れた。

 

「わたしも行きたーい!」

 

ウマ混みを掻き分けて前に出てきたハルウララ。何をするのか分かっているのか怪しい彼女は、キラキラと輝く目をVR装置へ注いでいた。

 

「ウララさん、VR装置は二つまでしか無いわ。諦めなさい」

 

「えーっ! 面白そうなのにー!」

 

どこかホッとした様子でキングヘイローが彼女を止める。不満そうな表情を浮かべた彼女は、がっくりと俯いた。

 

確かに、彼女が行ったところで見た事もない光景に右往左往して、問題解決には至らないのは明白だ。キングヘイローに止められていなくとも、理事長からやんわりと断られていた事だろう。

 

結局、エルコンドルパサーとグラスワンダーが問題解決に出向く事は決定し、ハルウララ達が見守る中、VR装置へと入って行ったのだった。

 

「いいなー! わたしもやってみたいな! あっ! そうだっ! トレーナーなら作れそうだよね! 頼んでみようっと!」

 

「あ、ちょっと! ウララさん!?」

 

名案を思い付いたのか、彼女はウマ混みを掻き分けてどこかへ行ってしまう。残念ながら、彼女の背が低い故にその姿は一瞬で見えなくなってしまった。

 

「まあまあ、大丈夫だって。ウララのトレーナーだよ? きっと、めんどくさがって作らないよ」

 

どうやら、彼の思考に共感する部分があるのか、セイウンスカイは少し呆れた様子でそう言った。

 

「確かにそうね……でも、妙な胸騒ぎがするのよね。どうしてかしら?」

 

その後、ずっとそわそわと落ち着かない様子だった彼女はしばらくカフェテリアで紅茶を飲んで精神を落ち着けていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある目的を遂行するため、彼女はハイゼンベルクの工場へとやって来た。いつも通り大量のスクラップが山を成している。そんな山々の間を駆け抜けて、彼の元までやってきた彼女は第一声を投げ掛ける。

 

「ねえねえ、トレーナー! わたし作って欲しいものがあるんだ!」

 

「あ? 作って欲しいだって? 残念だが、人参ジュースは自分で作るこった」

 

「違うよ! あのね! アレを作って欲しいんだ! えっとね……ぶいあーる?なんちゃらってやつ!」

 

盛大な勘違いをしている彼にうろ覚えの正解を教えるが、全く伝わっていないようだ。困った彼女は、彼を無理矢理外へ連れ出した。

 

「確かね、ダイコンみたいな形だったんだ! こんなやつだよ!」

 

彼女はそこら辺に落ちていた金属の棒で、地面に優しいタッチの絵を描いた。そこには、確かに棺の様な何かが描かれていた。

 

「あー……VRだか何だかのマシンか?」

 

「そうだ! VRウマレーターだった! あのね、グラスちゃんとエルちゃんがね、今それで遊んでるんだ。わたしも一緒に遊びたいんだけど、機械が足りないからダメだってなっちゃったんだ!」

 

「それで作れってか? 材料なんて何一つ……いや、今日来たブツの中に似たようなのがあったな」

 

彼はとあるスクラップの山から円柱状の何かを取り出した。それは正しく、彼女の言っていたVRウマレーターそのものだった。

 

「あっ! それだよトレーナー! すぐ見つけちゃうなんて、すごいね!」

 

「ああ、今日の朝学園から送られてきたモンだ。聞いた話じゃ、電源が付かねえらしいがな」

 

それを平然と担ぎ上げて工場内へと運んでくると、彼は躊躇いなく電源近くのパネルをこじ開けた。

 

「ええっ!? 壊れちゃうよ!」

 

明らかに鳴らしてはいけない類の音が響くなか、何かのケーブルやら基板やらを手繰り寄せながらこう言った。

 

「この程度で壊れる訳がねえ。それよりもコイツ、直せば使えるぞ? 電源の安定化装置が死んでるだけだ」

 

「あんていかそうち?ってのを直せば出来るって事だよね?」

 

「直さなくてもちょいと弄れば使える」

 

「ええっ!! ほんと! トレーナーってスクラップがあればなんでも出来るんだね!」

 

彼は得意げに"まあな"と返すと、すぐそこの棚から赤く光る何かを取り出した。そして、それを彼女の分からない方法で繋げると、そのまま電源を押し込んだ。

 

「わあっ!! 何か画面が光ってるよ!」

 

「あとはいつも通り使えんだろ。好きに使っとけ。俺は別の作業があるんでな」

 

「分かったっ!!」

 

ニコニコとした笑顔を浮かべながら、彼女はそのVR装置へと足を踏み入れたのだった。

 

中にある被り物を被り、スタートを押した瞬間。彼女の意識は一瞬で闇の中へ消えた。そして、目覚めた時にはそこは知らない世界だった。

 

空飛ぶ不思議な生物、緑が美しい広大な草原、風情のある村、現実世界ではどれも見る事の叶わないであろう幻想的な風景がそこには広がっていた。

 

「すっごーいっ! 面白い動物さん達がいっぱいだ!」

 

全てに目を奪われた彼女の目の前には、角の生えたウサギのような生き物が駆け回っている。興味のままに追いかけようとしたが、背中に変な重みがあったせいで、盛大に転けた。

 

「いてて……これ何だろう? あっ! おっきなハンマーだ! トレーナーがよく使ってるやつだよね!」

 

背中にある物を取り出すと、そこにはファンタジックな世界感に合うようにデザインされたハンマーがあった。鋼の銀色を基調とするそれは、彼女のトレーナーの持つ物とは全く違うと言えるだろう。

 

「あれれっ!? 服も変わってる!? カッコいいー!」

 

彼女が着ていたのは桜色のライトアーマー。どこぞの解体用ロボットほどガチガチに固められている訳ではなく、所々動き易いように隙間が空いている物だった。

 

「あっ! すごい大きな鳥さんだ! 待て待てー!」

 

自身の身体に向いていた興味の矢は、次は見た事もない鳥へと刺さったようだ。そのまま前を見ず追いかけて行った彼女だが、意外な者にその行く手を阻まれる。

 

「うわっ!? 大きな豚さんだ!?」

 

彼女の目の前には、二本の足で立つ黄色い豚のような生物が、自身よりも小さいハルウララをまるで餌を見るような目で見下ろしていた。

 

残念ながら彼女の辞書に警戒心という言葉はない。それ故に、彼女は敵意のある相手に対しておかしな言葉を掛けてしまう。

 

「ねえねえ! 豚さん! わたしとお友達になろうよ!」

 

満面の笑みで彼女はその怪物にそう言った。

 

ニタリと笑った怪物が返したのは、勢いよく振られた棍棒による横薙ぎの握手だった。

 

バキッという音が響き、その怪物が見たものは、悲惨な末路を辿った彼女の姿では無く、中程から折れた棍棒の哀れな姿だった。

 

「あれ? どうしたの?」

 

対して、彼女には傷一つ付いていない。逆に何をされたか分かっていないかの様なキョトンとした表情を浮かべていた。

 

圧倒的な力の差を身を持って味わった哀れな豚は、黄色い顔を真っ青にして彼女から逃げ出した。

 

そんな事も露知らず、彼女は突然逃げ出した友人候補に驚いて、思わず口を開けていたのだった。

 

「何で逃げちゃったんだろ? あっ! グラスちゃん達だ! おーい! グラスちゃん!」

 

彼女の本当の友人がその視界の奥に映る。彼女は元気よく手を振りながら、彼女達へと走って行った。

 

「ウララ!? どうしてここに居るんデスか?」

 

「えーっとね! トレーナーが壊れて捨てられてたやつを直してくれたんだ! これで一緒に遊べるね!」

 

「あら、そうだったんですね」

 

「ブエノ! ウララのトレーナーは凄いデース!」

 

「そうだよっ! トレーナーは何でも作れるんだ!」

 

思いがけない増援に二人は大いに喜んだ。ハルウララ自身も合流できて嬉しいようで、口癖をうらうらと言いながら尻尾を揺らしていた。

 

「それで……ウララちゃんのジョブは何でしょう?」

 

「じょぶ? 何それ! なんか面白そう!」

 

「ジョブというのは自分の役割の事デース! エルは見ての通り格闘家デスので、相手を鉄拳で倒すのがエルの仕事デース!」

 

「私は治癒士なので、皆さんを回復させるのが主な役割ですね」

 

二人の説明とカッコいい身振りに目を輝かせる。しかし、彼女はこめかみに指を当て、クエスチョンマークを浮かべた。

 

「じょぶ?ってどうやって分かるの?」

 

「簡単デース! 見たい情報を頭の中で念じれば、それっぽい情報が出てくるのデス!」

 

「へえ、そうなんだ! やってみるね! うーん……! じょぶ、じょぶ、じょぶ……!」

 

彼女が頑張って念じると、すぐ目の前にステータス画面が映し出された。職業の欄には戦士と書かれている。

 

「ふむふむ、せんし?だってさ!」

 

「なるほど、戦士でしたか。戦士は高い攻撃力と防御力を兼ね備えたジョブですね」

 

「つまりウララは相手の攻撃を受けて、お返しにビッグな一撃を放つのが役割デース!」

 

「エルは格闘家ですから、防御力に関してはあまり高いとは言えませんからね。ウララちゃんの力は役に立つでしょう」

 

「ほんと!? やったやったー!」

 

「では、ウララちゃんもパーティーに入れてレベル上げ、行きましょうか」

 

「はーいっ!!」

 

「オッケーデース!」

 

三人は息の合った連携で、モンスターを次々と倒し、レベルをどんどん上げていくのだった。

なお、パーティーを組んで分かった事が一つあり、ハルウララの攻撃頻度がとんでもなく低い事だった。一応、敵の前に立ってお喋りしようとしている時点で壁の役目は果たしているので問題ないだろう。

 

しかし、彼女は気付いていない。現実世界で一人の男が悪態を吐いている事を。

 

色々とあって痺れを切らした彼が、この幻想世界"ウマネスト"に鉄槌片手に殴り込もうとしている事を……

 




名前:ハルウララ
種族:ウマ娘
職業:戦士
武器:ハンマー
不思議な事に戦士でこの幻想世界ウマネストにログインする。恐らく、彼女のトレーナーのハンマーを使ってみたいという願望が表に出たためだろう。だが、肝心のハンマーは色以外全く似ていない。
最強の種族であるウマ娘のため、ステータスはかなり高い。戦士の職業ボーナスで攻撃と防御に関してはトップクラスである。素早さが低いが、それはウマ娘同士で競う場合以外、問題にはならない値だろう。
戦士にも関わらず、攻撃系のスキルが少ない。その代わり、普通は少ない筈の防御系、補助系のスキルが多かったりする。
彼女の優しさがスキルに反映されたのだろうか?


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幻想世界?んなもん知らねえな!

 

ハルウララがVR装置に入ってから数分後、彼の方でも学園と同じく、警告灯と機械音声が流れ始める。だが、彼はもう一台のVR装置を持っておらず、手の打ちようがなかった。

 

「重大なエラーだ? どうして面倒な問題抱えてるモンに限って、全リセットみてえなふざけた対策方法しかねえんだ? ったくよ」

 

どうやら、せっかく直した物をリセットされるのが気に食わない様だ。

 

彼は乱雑に稼働中のVRマシンの制御盤を開くと、そこに端末のコネクタを繋ぐ。そのまま流れる様に操作を進めていき、彼は本来ならあまりやるべきでは無い行動に出る。

 

「システムの中身を全部パクって、普通のVR機器にぶち込めばそれっぽくなるだろ」

 

一般のVR機器を気まぐれで適当に改造して出来てしまった代物を彼は端末に接続し、適当にシステムデータをパクっていく。

 

「ヘッ、正規ログインなんて出来るわけねえな。まあ、緊急用のバックドアぐらいは生憎付いてるんでな、犯罪だか何だか知らねえが有り難く使わせて貰うか!」

 

彼は悪い笑みを浮かべながら、セキュリティの穴を使って彼女のいる幻想世界のサーバーへアクセスし始める。そもそも、正規の方法で無く、正規の機器でも無いので問題が起きない方がおかしいのだが、何故か普通にアクセスに成功する。

 

「まあ、何かあったら無理矢理出て来れんだろ」

 

大分楽観的な考えのまま彼はその改造VR機器を被ろうとするが、何かを思い出したかの様にその手を止める。そして、端末に追加で何かの情報を打ち込むと、今度こそ彼はパイプ椅子に座ってその怪しさ満点のVR機器を被ったのだった。

 

彼の意識は闇へと消え、再び目に光が入る頃には幻想世界に足を踏み入れていた。

 

「ほう、ここがあの能天気野郎がいる場所か。中々面白そうじゃねえか!」

 

よく分からない村のど真ん中に生み落とされたようで、周囲を行く人々は珍しそうに彼の様子を見ていた。

 

「さてと、何すりゃいいか分かんねえ時は、大体ステータスかメニュー画面開けば万事解決だ……なんだコレ?」

 

そう言ってお望み通りの画面を開いた彼だったが、その画面は所々ノイズの様なもので読めなくなっていた。しばらく手を顎に当てて難儀していると、一人のガタイの良い男が横から助け舟を出した。

 

「アンタ、大丈夫か? 困ってるみてえだが」

 

「テメエ誰だか知らねえが、確かに少し困ってる。だが、テメエが見たって解決しやしねえよ」

 

「何だって!? この傭兵マッチョスが見てやるって言ってんだ! 解決出来ねえ筈が……って何だこりゃあ!?」

 

傭兵マッチョスと名乗る男は、壊れたステータス画面を見て驚きの声を上げた。解決出来ると意気込んでいたが、どうやらそれは虚勢になってしまいそうだ。

 

「職業……無職!? こんなの初めて見たぞ! アンタ……凄まじくバグってるが、一体何したんだ?」

 

「あー……心当たりはねえな」

 

平然としらばっくれるハイゼンベルク。実際の所、バグった原因の心当たりならあり過ぎて逆に困っている事だろう。

 

この筋肉に囚われた男によると、今の彼の状態はスキルどころかアイテムの収納すらまともに使えないらしく、何故か幻想溢れるこの世界で一人だけファンタジーもクソもない非幻想を強いられてしまった様だ。

 

「あー、マッチョスだったか? ありがとよ、バグってるのが分かっただけでも十分だ」

 

「そうか、俺様は向こうの草原にいる。また何かあったらそこまで聞きに来い! あっという間に解決してやる!」

 

「そいつはどうも、何しに行くか知らねえが頑張れよ」

 

「俺はこの世界に殴り込んできたウマ娘に力の差ってやつを分からせに行く! 応援ありがとな!」

 

あの筋肉ダルマは走ってどこかへと行ってしまった。その背中を彼は見ようともせず、代わりに自身の状態を目視で確認する。

 

「服は全く同じか、バグってるとはいえ少しぐらい夢見させてくれたってバチは当たらねえと思うがなあ……だが!」

 

右手に感じるいつもの重さに思わず笑みを浮かべながら、内ポケットから至福の一本を取り出した。

 

「現実世界じゃねえんだ、たまには好きなだけ吸わせて貰うぜ?」

 

実は接続前にデータ化して機械にぶち込んでおいた葉巻と鉄槌が、バグに陥った彼を上機嫌にさせてくれる。まあ、これらを無理矢理持ち込んだせいでバグが酷くなっている可能性は大いにあるのだが、それを彼が知る由もない。たとえ、知ったとしてもやる事は何も変わらなかっただろう。

 

「待て……火がねえ!」

 

棒状の至福に火をつけようとした時、彼はちょっとしたミスに気付く。どうやら、データ化していない為か、どのポケットを探ってもそのライターとかいう便利な道具は無かった。

 

「あの筋肉野郎に聞くか……」

 

流石に、せっかくの吸い放題チャンスを逃す訳にはいかないようだ。彼はマッチョスがいる筈である草原へと渋々足を運んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっと? ご愁傷様って感じだな」

 

草原には大の字に地面に横たわる、文字通りの巨人がいた。勿論、その正体はマッチョスだ。

彼の最後の言葉からして、大方ウマ娘に分からされたのだろう。胸部にある拳の跡がそれを物語っている。

 

「よお、元気そうだな?」

 

「ああ……! 最っ高に元気……だぜ……!」

 

ハイゼンベルクの放つ皮肉混じりの言葉に強がりを返せるぐらいなのだ。思ったより元気なのだろう。顔は赤く、息も絶え絶えといった様子だが、元気なのだから問題ない筈だ。

 

「確か、ウマ娘に分からせてやるって言ってたよな? どうやら、上手くいったみてえじゃねえか!」

 

「俺様を……誰だと思ってやがる……! 傭兵マッチョス様だぞ……! この世界の理不尽さを……教えてやる事なんて……朝飯前だぜ……!」

 

確かに、世界を理不尽さをきっちりと教えてあげたようだ。

ちなみに、勉学において教わる側よりも教える側の方が理解を深めやすいとよく聞く。つまり、これもそう言う事なのだろう。

 

強がりを保ち続けるその根性に少し感心した彼は、これ以上傷を抉るのは止め、本題に入り始める。

 

「なあ、この世界で火はどうやって起こしてんだ?」

 

「火……? そんなの……クリスタルを使えば一瞬……だぜ……! 俺様からの……初心者への餞別だ……そこの袋にある火のクリスタル……持っていきやがれ……!」

 

「ヘッ、ありがとよ。そんじゃ遠慮なく使わせて貰うぜ?」

 

彼はマッチョスの物と思われる袋から、缶コーヒーサイズの赤い宝石のような物を取り出した。一応、他の色の物もあったが、その親切心に免じて手は付けないでおいた。

 

とりあえず、葉巻を咥えてその先端部分にクリスタルを近づけてみる。すると、クリスタル自体に熱は無いにも関わらず、葉巻の先端は確かに熱を持ち、一筋の煙を空へ漂わせていた。

 

「ほう、こいつは驚いた。やっと仮想世界ってのを実感したぜ。礼を言うぜ、じゃあな」

 

未だ、寝っ転がって空を眺めている不思議な男に彼は別れを告げると、再び村の方向へ歩き出した。

ちなみに、クリスタルはとりあえずコートのポケットに突っ込んだようだ。何故、袋やコートは燃えず、葉巻だけが燃えたのか謎が深まるばかりだが、紫煙を満足そうに吐く彼にとってはどうでもいい事だろう。

 

何事もなく村へ帰ってきた彼だったが、目的である問題を解決しようにも何も情報がない。しかし、肝心の能天気な彼女はどこに居るのか分からなかった。

 

そんな中、一人の怪しい老婆が驚いた様子でこちらを見ていた。

 

「お主、何者じゃ!? 占えど占えど、お主の運命だけ殆ど出ぬ!」

 

「あ? 悪いが今は忙しい。下らねえ宗教勧誘は後にしやがれ」

 

「お、おお……!! 出た、出たぞ! "憤怒で鎖錠を破りし時、その嵐は顕現す" 、耳が遠い儂でも確かにお告げが聞こえたぞ!」

 

「……テメエ元々聞こえてんだろ? てか、水晶占いで何で声が聞こえんだよ!」

 

黒いローブを纏った老婆は、水晶玉を必死に睨みつけている。

そういえば、どっかの誰かさんが化けた姿がこんなだったかもしれない。まあ、ヘンテコな杖は持っていないので、ただの空似だろう。

だが、連鎖的に少し嫌なものを思い出してしまった彼は老婆を無視して、早足で村から逃げるように出て行った。

 

行く当てなど無い、ただの散歩の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

適当な方向に彼は何となく突き進む。そして、光るキノコの生えた森を抜けた先で謎の集団に出会う。

 

黒々しい鎧を身に纏い、それぞれ弓や剣、杖などを持って進行している。最も大きな特徴と言えるのは、彼らが引き連れている緑色の飛竜であろう。

その規模は優に十人を超えている。戦争でもおっ始めるつもりなのだろうか。

 

「何者だ、貴様!」

 

先程の老婆とは別のベクトルで面倒そうな輩達に絡まれてしまうハイゼンベルク。しかし、その顔はニヒルな笑みを浮かべていた。

 

それもそのはず、彼の眼中に黒い消しカスの集団など無い。その瞳が貫いているのは飛竜ただ一匹だけなのだから。

 

「最高に……イカしてんじゃねえか!!」

 

想像の斜め上だった彼の反応に、初めに声を掛けた者は思わずたじろいだ。

 

「き、貴様! 我々が何者か分かっているのか! 全てを無に返す魔王軍だぞ!」

 

「魔王軍って言ったか? お前ら中々いいセンスしてんじゃねえか! ソイツをどこで捕まえた? 居場所知ってんだろ? 教えてくれよ!」

 

魔王軍と聞いて恐れるどころか、逆に興味津々で近づいてくる者など今まで居ただろうか。そんな型破りにも程があるこの男は、この部隊の戦車とも言える飛竜に向かってソイツ呼ばわりをしている始末。

狂いに狂って輝く瞳とイカれてるとしか思えない言動に、部隊の者達はドン引きせざるを得なかった。

 

「ど、どうしますか……隊長?」

 

「フンッ、良いだろうお望み通りソイツと合わせてやれ。そろそろ腹も減ってる頃合いだ」

 

部隊の中で一際大きな体を持った者が指示を出すと、まるでハイゼンベルクを通すように集団が左右に割れた。そして、そのまま彼と飛竜を放っておくかのように、彼らは進軍を再開した。

 

「好きなだけ触れ合うと良い」

 

「ありがとよ! 礼を言うぜ!」

 

隊長は去り際にその狂人へ声を掛ける。その言葉の真意も知らず、この哀れな男は飛竜に向かっていくのだろう。

 

「文字通り、その身が朽ち果てるまで触れ合っているといい」

 

この先の展開を分かっているかのように、隊長は彼に背を向けて進んでいった。

 

ハイゼンベルクはそんな事も露知らず、飛龍の前まで歩みを進めると、その隅々までとても面白そうに観察する。

 

「ほう、爪も翼もいいモン持ってんじゃねえか! だが、まだ足りねえな」

 

だが、飛竜にとって右へ左へうろうろしているその様子は、ヘビの前で走り回っているネズミと同義だ。ただ、違う部分は翼や爪がある事ではなく、レアよりもウェルダンを好む所だろう。

 

それ故に、飛竜は大口を彼へ向けて喉の奥から灼熱の炎を吐き出した。直火焼きにしては火力が明らかに高すぎる気がする。もしかすると、ウェルダンより火が通っていた方が好きなのかもしれない。

 

「ほう? 火も吐けんのか! 葉巻はコイツで付ければ良かったかもな!」

 

その口に鉄槌を突っ込んで、火炎を左右に裂いた彼は、お返しと言わんばかりに葉巻の煙を巨大な爬虫類の顔面へと吐いた。

その飛竜は思わず咳き込むようにして、断続的に口から炎を吹き出した。

 

「待てよ……? コイツを巣に帰らせれば……!」

 

彼は最高の企み顔を浮かべると、重たいそれを飛竜の口から外し、とんでもない速さで振るった。下からカチ上げる様な一撃は、見事に飛竜の脳をこれでもかと揺らし、その意識を闇へと誘った。

 

「そんじゃ、案内頼むぜ?」

 

 

 

 

 

たった数分で飛竜は意識を取り戻す。驚いた事に最近の記憶が無くなっており、何故ここで寝ていたのかも分からなかった。

とりあえず、自身の住処でもある魔王城へと戻ろうと、大空へと飛び立った。

 

やけに体が重く感じたが、それはきっと変な体勢で寝ていたせいだろう。きっとそうに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔王様! 大変です!」

 

「オイ! 魔王じゃねえウマ王様だ! 何度も言ってんだろ!」

 

「う、ウマ王様! 大変です! 侵入者です!」

 

魔王城、いやウマ王城にて悪のトップに降臨したゴールドシップは、村から奪った食料で腹を満たして満足気であった。しかし、そこに一報が入り、その顔を大きくニヤリと歪ませた。

 

「エルとグラスのヤツ、やっと来たか!! 待ちすぎて銅像にでもなっちまうかと思ったぜ!」

 

「いえ、それが……ウマ娘ではありません!」

 

「はあ? じゃあオマエらで何とかしといて。アタシはトランプタワーを雲の高さまで積み上げてるから」

 

彼女が踵を返して玉座まで戻ろうとすると、部下が躊躇いながら事の大きさを報告した。

 

「出来ません! 城前に居たワイバーン部隊、人狼部隊は全滅! 増援に行った機械兵達も全て破壊されました! そして、武器庫に侵入した後、再び城の入り口にて居座っています!」

 

「マジで!? もしかして、そいつら四人組だったりするか? 何かスッゲー剣持ってたりするんじゃねえか!」

 

とあるRPGの勇者一行を脳裏に浮かべた彼女は、期待を込めてそう言った。しかし、帰ってきたのはつまらない事この上無しの言葉だった。

 

「いえ……一人の男です……! 巨大な鉄槌を所持していました」

 

「はあ〜!? オマエらたった一人に負けたのかよ!? ホントにこのウマ王ゴルシ様の部下やってんのかっての! オマエら後でサルミアッキの刑な!」

 

ゴールドシップはそう言うと、例の侵入者の顔を拝むべく城の入り口まで赴いた。そこには、コートを着た一人の男が複数のワイバーンの亡骸の前に座り、何かをカチャカチャと忙しく動かしていた。

 

先制攻撃でもアリかと思ったが、雰囲気が何となく面白そうだったので、手始めに会話から入ってみる事にした。

 

「おいオッサン! 何してんだ?」

 

「見りゃ分かんだろ? このドラゴンの翼にジェットエンジンくっ付けてんだ!」

 

「はあっ!? マジで!?」

 

彼女でも思いつかない様な、別ベクトルでぶっ飛んだ発想に、思わず驚愕の声が上がる。よく見ると、反対側の翼には既にジェットエンジンらしき物が付いている。

 

「オッサン! こんなモンどうやって作ったんだ!? ジェットエンジンのレシピなんてこの世界の宇宙、地底、海底、どこ探しても無し寄りの無しだぞ!?」

 

「ヘッ! こんなモン、鉄があれば簡単に作れる! レシピなんて要らねえんだよ!」

 

「マジで!? なあオッサン! 何か欲しいモンあるか? アタシはウマ王のゴルシ様だ! 何でも持って来れるぜ!!」

 

「あ? 協力でもしてくれんのか?」

 

「おうよ! こんな最高にぶっ飛んだモン、どこまでぶっ飛ぶのか見とかねえとアニメの最終回見逃した時ぐらいに勿体ねえ!」

 

「テメエ、中々分かるやつじゃねえか! 俺はハイゼンベルクだ! 欲しいもんは、電気、火、そして鉄だ! そいつらさえあれば、俺はこのいまいちキマらねえ奴らを最高の鋼の軍団に変えられる!」

 

ハイゼンベルクと名乗ったこの男は辺り一面に転がるまお……ウマ王軍を指さすと、最高の笑みでそう言った。少し刺激が欲しかった彼女にとってそれは魅力的な提案だった。

 

「よっしゃ! 任せとけ!」

 

快く了承した彼女は城の中へ走って行くと、今この瞬間から不要となった機械兵達を片っ端からぶっ壊して鉄屑へと変える。そして、倉庫から大きな木箱を持ち出すと、その素材となった兵士を箱に詰めた。おまけに、様々な色のクリスタルも鉄屑と同様に箱詰めする。

 

そして、数分足らずでハイゼンベルクの目の前にご要望の品が何箱も置かれる事となった。

 

「よし! 持ってきたぜオッサン! それで、これからどんな感じで裸玉から穴熊に変えてくんだ? やっぱりアレか! シュークリームにからしを注入した時みたいにすんのか!」

 

「とりあえず、翼にジェットエンジン! 爪にはドリル! この二つは決定事項だ! そして、コイツの吐く炎は生ぬるい! 熱線吐ける様に改造だ!」

 

「うおお!? 熱線!? 要はそれってビームじゃん!? 遂にこのゴルシ城も波動砲を採用する時が来たか……!」

 

ゴールドシップは自身の城に超弩級大砲が乗った姿を想像し、身体を震わせる。彼女がそんな妄想の世界にいる間に、彼は既にジェットエンジンとドリルを付け終わっていた。

 

そして、飛竜の喉奥を弄ろうとしていた彼は彼女のある言葉に手を止めた。

 

「波動砲? 良い響きしてんじゃねえか! その話、詳しく聞かせろ!」

 

「フッハッハッハ!! このゴルシ様が教えてしんぜよう! 一言でいえば、極太のビームを撃てる大砲だ! これさえあれば最強の勇者でも何でも空から地球ごと貫けるぞ!」

 

「テメエ……天才か!? 気に入った! 俺がそのロマンの塊を作ってやる!!」

 

「マジで!? じゃあオッサンはウマ王軍のメカニックとして引き入れてやるぜ!」

 

ゴールドシップの恐ろしい発想に同調してしまったハイゼンベルクは、今まで見せた事も無いような手際で飛龍達の熱線改造手術を終わらせる。そして、彼女に案内されるがままに城の中へと入って行った。

 

その後、設計図が広がった机の前で不敵な笑みを浮かべながら二人はこの先どんな機能を付けたりするかを話し合っていた。

 

ウマ王城の荘厳な明かりに照らされた彼らの姿は、正しく"ウマ王"と"魔王"であった。

 




名前:ハイゼンベル……Error
職業:無職
武器:無……Error
種族:検出不……Error
幻想世界に無理矢理入ったせいで、完全にバグってしまっている。それ故に、スキルは使えず、回復などの補助魔法も受ける事が出来ない。さらに、よくあるRPGの様にふくろにアイテムを仕舞うことが出来ず、物理的に持ち運ぶ必要がある。極め付けには、レベルも職業も無いせいでステータスはずっと初期値のまま。
幻想もクソもないハードモードである。
彼にとっては、データ化して持ち込んだ鉄槌と葉巻だけが救いだろう。
なお、ステータスはエラーで読めないが、きっと体力と力が高いはずだ。
その理由は……Error
ただ、スキルとはまた別にこの世界にない筈の……Error


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幻想世界?知らない物がいっぱいだっ!

 

レベル上げも終わり、ハンマーの使い方もだいぶ様になってきたハルウララ。グラスワンダーやエルコンドルパサーも同じく、自身の技を更に磨き上げていた。

 

「あれ? もうレベル上げは良いの?」

 

「そうですね、魔王を倒すのに必要な技を覚えたのでこれで終わりで良いでしょう」

 

一息ついた彼女達の元へ、一人の男が息を切らせながら駆けてくる。以前、格闘家の彼女と一悶着あったガタイの良い男、マッチョスだ。

 

「ああ! いた! アンタら大変だ! 村に魔王軍が攻めて来やがった!」

 

「えっ! 本当デスか!?」

 

「エル、今すぐ行きましょう! ウマ娘の足ならまだ間に合う筈!」

 

男の言葉に深刻な表情を浮かべると、その足を村の方へ向けて走り始めた。

隙間なく草の生い茂った草原は、実質レース場の芝と同じ。故に二人は流れる様に加速し、その姿は地平線へと消える。

 

しかし、忘れるなかれ、この中には芝の適性が無い者もいたことを。おまけに、その者は長距離はおろか中距離も走れない、スプリンター気質だと言う事を。

 

「グラスちゃーん! エルちゃーん! 待ってよー!」

 

大声を出しながら必死に追いかけるも、そもそもの適正に加え、背負ったハンマーのせいで追いつく事は叶わず。置いて行かれてしまった。その様を言葉にするならば、"ぽつんとひとりハルウララ"であろう。

 

「ふぅー……置いてかれちゃった! どうしよう!? 帰り道わかんないや!」

 

困った表情を浮かべ、彼女は誰もいない草原でそう呟いた。

しかし、そんな彼女の心配は瞳に映った見覚えのある人影によって吹き飛ばされた。

 

「あっ! キングちゃんにセイちゃんだ!」

 

キングヘイローとセイウンスカイと思わしき影に、彼女の元気は再びマックス値へと跳ね上がる。そんな元気を推進剤の様にして、彼女は両手を上げて満開の笑顔で彼女らの元まで駆けて行った。

 

「ねえねえ! 二人も遊びに来たの?」

 

いつも通りに話し掛けたつもりだったが、肝心の二人はニコニコしている彼女を見て大いに困惑していた。

 

「あら? ウララさん? おかしいわね……来るのはエルさんとグラスさんの二人だった筈」

 

「そうなの!? あのね! さっきまで一緒に居たけどはぐれちゃったんだ! 一緒に魔王を倒す約束してたのになー! またどこかで会えるかな?」

 

「ほうほう、という事はウララは私達の敵って事ですな!」

 

彼女の言葉を聞き、馴れ馴れしい態度を止めて威厳に溢れた立ち姿で、二人は堂々と言い放った。

 

「おーっほっほっほっほ!! 私はキングレイジョー! ウララさんには悪いけど、ウマ王様の元へ行かせる訳には行かないわ! ここでリタイアして頂く事になりそうね!」

 

「ふふふふ、私はブラッディースカイ! 空を操る闇のドルイド! あと言っとくけどセイウンじゃなくてブラッディーだから、青雲じゃなくて血だからね!」

 

「分かったっ! キングちゃんとセイちゃんだね!」

 

「あー……やっぱそうなるよね……」

 

名乗りに関しては彼女の右耳から入って左耳に出て行ってしまった様だ。結局、二人の呼び方が変わる事はなく、ブラッディースカイは案の定といった様子で頬を掻いていた。

 

「ねえねえ! 空を操れるってほんと!?」

 

「本当だよ、それじゃあ見せてしんぜよう!」

 

ブラッディースカイは怪しい笑みを浮かべながらその手を空へ突き出した。瞬く間に青雲漂う空は、血の様に赤く染まり、雲は黒々と不穏な空気を醸し出していた。

 

「わあっ! すごいすごいっ! ねえねえ! にんじんの雲とか出せるかな? わたし見てみたーい!」

 

「あ、いや、私は空の色を変えるだけだから……キング! あとよろ!」

 

「ほう、この程度では怯みもしないという事ね! なら私の魔法を見る権利をあげるわ!」

 

キラキラした目で詰め寄ってくるハルウララの期待に応えられない彼女は、溢れ出る申し訳なさに耐えられず、王の令嬢の後ろへと後退した。

代わりにこの能天気ウマ娘の前に立ったのは、紛れもないキングレイジョーだった。彼女が両手を広げると、周囲の草原が瞬く間に荘厳な雰囲気溢れる舞踏館へと姿を変える。

 

煌びやかな装飾溢れるその空間に、ハルウララは驚きの表情を浮かべていた。

 

「あれっ!? わたし、いつの間にか建物の中にいる!?」

 

「おーっほっほっほっほ!! 令嬢同士の戦いというのは力ではなくダンスで行うもの。貴方はちゃんと踊れるかしら?」

 

いつの間にか王族の様なドレスを身に纏った彼女は不敵に笑う。

 

「うんっ! 踊れるよ! ライブの練習いっぱいしたもん!」

 

そう言うなり、彼女は周囲に流れるクラシックに合わせて踊り出す。しかし、振り付けもリズムも合わないその踊りでは、まともなステップを踏む事は出来なかった。足を絡れさせ、大きな音を立てて床に転ぶ。

 

「あらあら、その程度じゃ野良猫の方が上手よ?」

 

「いてて……よーし! 頑張るぞー!」

 

彼女は起き上がって再び踊り始めるが、前回と同じ部分で同じ様に床に転がった。

 

「なあに? 今の動き? まるでリードに繋がれた哀れな子犬みたい。はっきり言ってダサいわよ」

 

床に転がる彼女に対し、冷たい言葉を浴びせ掛ける悪の令嬢。彼女のメンタルから壊そうとしているのだろう。精神的に効く言葉をしっかりと選んでいる。

 

だが、彼女はお返しと言わんばかりに不敵に笑った。

 

「ふっふっふ!」

 

「え……? 何がおかしいのよ!?」

 

しかし、彼女は見誤っていた。ハルウララにとって転ぶ事など日常茶飯事。彼女の心を本当に折りたいなら、最低でもあと何億回は転けさせる事だ。

 

「トレーナーが言ってたんだ! ダサくても、そこにマロンが詰まっていれば良いんだって! それで、今日のおやつに甘栗いっぱい食べたから、大丈夫なんだ!」

 

飛び起きた彼女は、うららん理論によって裏付けされた完璧な反論を、拳を腰に当てた堂々たる姿勢で言い放った。

 

「え? 何よそれ!? 絶対何か根本的な物を間違えてるわよ!!」

 

しかし、その言葉に彼女は揺らがず、辺りの風景は歪み始める。そして、霧が晴れるかの様に草原へと戻ったのだった。

 

「わ、私の幻術が破られた!?」

 

「へえー! さっきのって幻術って言うんだね! 実はわたしも一つだけ覚えてるんだ! やってあげるね!」

 

「ウララさん? 貴方って戦士よね? 何でそんな技覚えてるのよ!?」

 

「いっくよー! うららんげんかくじゅつ!」

 

令嬢の叫びも虚しく、彼女の意識はここでは無い何処かへと飛ばされて行った。おまけに、後ろにいたドルイドも巻き添えを食らったようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村での問題をなんとかして解決したエルコンドルパサー達。しかし、倒した魔王軍の放った言葉が彼女達をハルウララの元まで駆り立てていた。

 

「非常に不味いデス! ウララは絶対あの二人に騙されてしまいます!」

 

「ええ、まさかウマ王の側近がキングさんとスカイさんそっくりだなんて! 天真爛漫な彼女は間違い無く疑わないでしょう」

 

来た道を再び全力で走り抜ける。先程まで赤く染まっていた空は、いつの間にか青空へと戻っていた。流れる雲と同等の速度で彼女がいる筈の場所へ辿り着く。

 

だが、ひょんな事に地に伏せていたのは彼女では無く、ウマ王の側近の二人であった。

 

「これは……ウララちゃんが倒したんでしょうか……?」

 

「あっ! グラスちゃんにエルちゃん! あのね、新しく覚えた必殺技をやってみたらキングちゃん達がいきなり倒れちゃったんだ……!」

 

「ブエノ! つまり、そのハンマーで粉砕したんデスね! 流石はウララデース!」

 

背中にある圧倒的な存在感に視線を向けてそう言うが、ハルウララは首を傾げてキョトンとしていた。

 

「ハンマー……? わたしはこれ使っただけだよ?」

 

先程の問いの答えを彼女は指し示す。見せられたスキル欄には、何故か覚えた幻覚術の名前が載っていた。

 

「不思議ですね……この技では敵を倒せないはず……」

 

「根性! 不屈! ハイテンション! きっとウララの秘められたスーパーパワーが覚醒したんデス!」

 

「ほんとっ!? わたし強くなったのかな? だったら嬉しいなー!」

 

あまり考えない二人は強くなったと結論付けた。よほど嬉しかったのか、ハルウララの尻尾は左右に大きく揺れてその喜びを表していた。

 

その後、すぐにウマ王の元まで向かうため、ウマ娘の専用スキルである"ペースアップ"を使って、道中の障害を文字通り消し飛ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「う、うう……プロ……ペラ……」

 

誰も居なくなった草原で苦しそうにうなされた二人の呟きは誰にも聴こえる事はなく、ただただ空へ霞となって消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本来ならばウマ王の前まで移動できた筈のスキルは、何故か深刻なバグが発生し、停止してしまった。今いる場所はウマ王城の少し手前の森の中である。

 

結局、自身の足で目的地まで走っていく事になったのだが、目的地であるウマ王城には見覚えの無い門番がいた。

 

「な、な、な、なんですかアレ!? あんな生物、エルは見た事ないデース!!」

 

彼女達の目の前に居たのは、ワイバーンの様な何か。断言出来ない理由は、明らかに生物からは逸脱した逸品が付属していたからだ。

 

頭部には雷のクリスタルが嵌め込まれたヘッドギア。翼には仕事を奪うジェットエンジン。爪の代わりにドリルが何個か付けられているという魔改造が施されていたのだ。正確に呼称するならば、サイボーグが一番近いと言えるだろう。

 

そんなぶっ飛んだ生命体は挨拶代わりと言わんばかりに口からレーザーを吐き出した。

 

「うわー! すっごい! カッコいい!」

 

「そんな事言ってる場合じゃ無いデス!」

 

恐れを知らない彼女は光線を避けようともせず、真っ直ぐ突っ込んで行こうとしていた。素早さに長けた格闘家の彼女がなんとか救出に成功する。

 

真っ直ぐそのまま突き進んだ光線は彼女達の背後にあった森を一瞬で焼き尽くし消し炭へと変えた。

 

「まさか……魔法ではない!? これは……不味い事になりました」

 

どうやら、この治癒士によるとこの魔改造ワイバーンはガチガチの科学で動いている様だ。幻想世界に思いっきり喧嘩を売っているこの存在に思わず困惑が隠せない。

 

だが、そんな戦闘特化の存在にある意味喧嘩を売りに行く一つの影があった。

 

「ねえねえ、トカゲさん! わたしとお友達になろうよ!」

 

両手を高く上げ、ピョンピョン跳ねながらそう提案したのは、もちろんハルウララだった。

肝心のトカゲはいつしかのお化けの様に唖然としているのか、完全に固まっていた。

 

「あのねあのね! わたし空飛んでみたいんだ! だからね、背中に乗せて欲しいんだけど……だめかな?」

 

ヘッドギアで表情は見えないが、中身は困惑した表情を浮かべている事だろう。そして、ゆっくりと彼女の前へ顔を近づけて、品定めをするかの様に見ると、その大口を開けて彼女の上半身に食らいついた。

 

「ウララちゃん!?」

 

「くっ! 今すぐ離すのデス!」

 

衝撃的な光景に思わず顔を青ざめさせる二人。だが、すぐさま片方は回復の準備をし、もう片方は彼女が胃袋に入る前に救出するべく、ワイバーンの腹へ狙いを定める。

 

ゆっくりとこちらを向く飛竜。なんと、彼の口に彼女は居なかった。だが、飲み込まれてしまったのでは無い。

 

その頭の上に彼女は笑顔を浮かべて座っていた。

 

「わーい! みんなが小さく見える! 飛んだらもっと小さく見えるのかな? 楽しみだなー!」

 

その光景にグラスワンダーは気が抜けた様に苦笑いを浮かべ、エルコンドルパサーは竜へ突っ込んだ勢いそのままに土煙を上げながらずっこけた。

 

「ウララちゃん? どうしてそんな所にいるんですか……?」

 

僅かに怒気の孕んだ声がそっと彼女へ投げ掛けられる。しかし、表の意味だけ汲み取った彼女は素直に答えた。

 

「あのね! トカゲさんが、わたしの首の後ろをパクって咥えたの! それで、そのまま頭にヒョイって乗っけてくれたんだ!」

 

「あらあら、そうだったんですね。それで、もうその子に敵意は無いんでしょうか?」

 

「じゃあ聞いてみるね! トカゲさん! もう攻撃しないよね?」

 

彼女の問いかけに対し、ワイバーンは素直に首を縦に振った。何故か、彼女の言葉は通じる様だ。あのお化けの時と同じく、摩訶不思議である。製作者が似ているのだろうか。

 

とりあえず、完全に平和的な解決法でサイボーグの襲撃を回避した彼女達。しかし、少しだけ納得のいかない者が一人だけいた様だ。

 

「ウララが戦士なんて絶対嘘デース……!」

 

戦士なのにも関わらず、"戦わず"にワイバーンを無力化した彼女に対し、戦う気満々だった格闘家は少しだけ愚痴をこぼしたのだった。

 

その後、彼女達は友達になった飛竜を入り口でお留守番させ、ウマ王城の重たい入り口に手を掛けた。重々しい音を響かせながら開いた扉の向こうには、一人のウマ娘であるウマ王と一人の男がお互いに向かい合って座っており、何かを真剣な顔つきで話し合っていた。

 

ウマ王の座る威厳さを感じさせる玉座に対し、男の座る椅子はただの鉄屑の寄せ集めでできた物だった。

 

しかし、聞こえてきた会話の内容は椅子の見た目の差など無いかのような物だった。

 

「だーかーらー! このコイツは戦艦ゴルシって名前にするって言ってんだろ!」

 

「何言ってんだ! プラッツ・パンツァーに決まってんだろ! そんな腑抜けたモンより、こっちの方がよっぽどイカしてるぜ!」

 

どうやら、兵器の命名で揉めている様だ。そんな険悪ムードの中、迷う事無く突っ込んで行ったハルウララは争いを止める単純な方法を提案する。

 

「じゃあ、ジャンケンしようよ! そうすればどっちを選ぶか迷わなくて済むよね!」

 

「でかしたウララ! そんじゃ、見せてやるぜ。ウマ王の豪運ってヤツをな!」

 

「またソレかよ! クソッ、運なんて無えよ……」

 

彼女の提案にノリノリなウマ王に対し、明らかに嫌そうな顔を浮かべる彼女のトレーナー。

 

勢い任せにやった結果は……

 

「よし! アイツの名前は戦艦ゴルシに決まり!」

 

「あー……そうなるよな! クソッタレ!」

 

当然のように彼が負けたのだった。

 

そんなふざけた空気も束の間、本来の目的を果たすため、

 

「ウマ王……いえ、ゴルシ先輩! 貴方達の戯れもこれで終わりです! 今すぐシステムを掌握するのを止めなさい!」

 

「ぐ、グラス? 何かウマ王とは別に怖いオーラを放っている人がいるのデース! 何者ですか!?」

 

「あの人はね、わたしのトレーナーなんだ!」

 

「えっ!? スーパーメカニックのトレーナーがあの方なんですか!?」

 

勝負に負けて不機嫌モードなハイゼンベルクに只ならぬ雰囲気を感じた彼女だったが、ハルウララの一言に尻尾が伸び切るほど驚いたようだ。

驚愕の表情で、笑顔な彼女としかめっ面な彼を交互に見やっている。

 

「システムの掌握? おい、どう言う事だ?」

 

「簡単に言えば、ウマ王が色々と悪さをしていたせいでVRのアレがおかしくなったのデス!」

 

「はあ!? テメエが元凶だったのかよ!?」

 

彼は今まで楽しく会話をしていた隣のウマ娘へ、驚きと呆れが混じったかのような表情を向けた。彼は帽子を深く被り、火のついた葉巻を咥えると、ウマ王から踵を返す。

 

「あ、オマエ! どこに行く!」

 

「見て分かんだろ! テメエとの専属契約は終わりだ。後はコイツらにぶっ飛ばされる事だな」

 

鉄槌を持っていない方の手をひらひらと動かし、随分と舐め腐った別れを告げる。しかし、暴虐の王はそれを許さなかった。

 

「させるか! 鋼の鎖、アイツを捕まえろ!」

 

過去最高にウマ王らしい笑みを浮かべた彼女が手を彼へと突き出すと、どこからともなく大量の鎖が現れ、彼をぐるぐる巻きに拘束した。偶然にも、鎖はサングラスにも当たり、地面に叩き落とされて割れてしまった。

 

「テメエ……何のつもりだ……?」

 

「フッハッハッハ!! オマエはもうこのウマ王ゴルシ様の()()下にあるのだ! 週休1日であのぶっ飛んだ物を作って貰うぜ! ()()になるなんて許さねえからな!」

 

一人高らかに笑う彼女の言葉に場の空気が凍った。いや、正確には一人の男が発し始めた圧に、場の空気が静まり返ったと言った方が良いだろう。

 

深く被った帽子に俯き気味の顔も相まって、その表情は伺えない。ただ、その時の口元に一切の笑みが無い事だけは確かだった。

 

彼の感情を表すように、世界は揺れ始める。

 

 

咥えた葉巻がゆっくりと回りながら石畳へと落ちていく。

 

 

そして、彼はゆっくりと振り返った。

 

 

 

()()……だって?」

 

 

 

その眼に貫かれた瞬間、ゴールドシップの笑い声は止まった。

 

 

 

()()()()()……だって?」

 

 

 

彼に纏わりついていた拘束具は力任せの開錠により、耳障りな金属音を鳴らし、地へ落ちる。そして、ニヒルな笑みと共に彼女へ向けられた眼は一筋の黒い炎を灯す。浮かべた歪んだ笑みも形だけ。

 

青ざめた彼女を刺し殺すかのように貫く視線。彼の古い知り合いであれば、それを見たら間違いなくこう言うだろう。

 

 

 

あの村にいた頃と同じ眼をしていると……

 

 

 




『うららんげんかくじゅつ!』
彼女の可愛らしい暗示によって、一時的に不思議な世界に閉じ込める。
その世界では、転けたりしても一切ダメージは無い。そして、彼女の大好きな物で溢れているだろう。
彼女らしい優しい技だ。


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幻想世……Error

ウマネスト編最終話です


 

突如として大きな地響きが起こり、ウマ王城自体が大きく揺れる。何が起こっているのか分からない現状に困惑しているハルウララ達。そんな彼女達にハイゼンベルクは落ちたサングラスを踏みにじりながら、一言だけ告げる。

 

「テメエらは下がってろ」

 

彼が人差し指で出口を指し示すと、彼女達の体は急に浮き上がって、そのまま吹っ飛ばされていく。

ただ、出口を抜けた先には留守番していたワイバーンのお友達が翼を広げて立っていた。

 

三人の体は、飛竜のクッションによって受け止められ、大事には至らなかった。

 

一方で二人きりとなったハイゼンベルクとゴールドシップ。だが、そこにロマンスもクソも無い。あるのは、暴虐無人なウマ王と怒髪衝天な鋼の魔王だけだ。

 

そして、交わされるのは言葉ではなく、鉄塊だった。

 

「うおっ!? 危ねっ! そんなスキル知らねえぞ!? ガチャのシークレットか何かか!?」

 

次から次に浮かび始めるランプ、剣、鎧。それだけでなく、リベット留めされた樽や木箱までもが亡霊のように空を飛び、ゴールドシップへ襲い掛かる。

 

ウマ娘の特権である強すぎるステータスを総動員して、飛来してくるそれを片っ端から蹴りや殴りで叩き落としていく。だが、地面に叩きつけられて残骸と化してなお、その亡霊達は止まらない。

 

「生憎だが、ここは幻想世界。そうだろ? だったら、訳の分かんねえ事が一つや二つ起きても不思議じゃねえよな!」

 

彼の手が空へ掲げられると、歓喜するかのように鉄の友人達は渦を巻き始める。

そして、ミシミシという嫌な音と共に彼女の城の一階から上が瓦礫と化した。勿論、その瓦礫も友人達の演舞に混ざり始める。

 

突風を巻き起こし、破壊の螺旋を描くそれは、正しく嵐のようだった。

 

もはや、雲ですら雷雨を伴って彼の頭上で渦を巻く。

 

建物も天候も何もかも平伏するその様は、魔王以外の何者でもなかった。

 

「あー!? アタシのHGゴルシ城がー!!」

 

お気に入りだったのか、膝立ちになって頭を抱えるゴールドシップ。もう、彼女の視線の先には城など無く、ただの瓦礫の山しか残っていない。

 

「よくもやってくれたな!! 行け! 機械仕掛けの軍勢よ! あのおっさんをボコボコにしてやれ!」

 

苦い表情を浮かべながら、彼女はその指をハイゼンベルクへと向ける。すると、彼女の背後からウマ王軍が現れ、その地平線を埋め尽くした。

 

その中には、彼が改造を加えた飛竜軍の姿もあった。遠方からその大口を開け、例の熱線を吐こうとしている。

 

しかし、彼らが牙を剥いた相手は製作者であるハイゼンベルクだ。残念だが、安易とそんな反逆を許すわけが無い。

 

「考えが甘えんだよ!」

 

彼の叫び声と共に、飛竜達はまるで磔にされたかのように動きが止まる。翼についたロケットエンジンや爪のドリルも同じく停止しており、それを見たウマ王軍の間に動揺が走る。

 

そして、哀れな飛竜達は魔王の頭上で渦を巻く鉄の嵐に凄まじい勢いで巻き込まれていった。それだけに留まらず、その嵐は発生源と共に移動を始め、残りのウマ王軍をゴミの様に吸い込みだした。

 

そして、その嵐は文字通り地面から全てを消し去った。

 

「アタシのウマ王軍がー!? なら、エル達に食らわす予定だったコイツを食らえ!」

 

ウマ王も負けてはいない。彼女も何かの魔法を唱えると、次々と空から隕石が降り注ぐ。

 

「バカかテメエ! 隕石の主成分は殆どが……!? クソッ! 隕石もどきじゃねえか!」

 

「フッハッハッハ! バカめ! これは漬物石だ! 浅漬けの様に地面に沈めてやる!」

 

降ってくる大質量物体に、彼は嵐を飛散させる。そして、同じく大質量の瓦礫に対象を絞ると、それらを飛ばして次々にそのメテオを相殺し始めた。

 

相殺されずに地に落ちた物達が大きなクレーターを作っていく。草木すら消え、荒れ果てた地面にできる大穴。もはや、この場所は幻想世界と呼べるほど生易しい物では無くなった。

 

「メテオだか何だか知らねえが、そんなもんで終わりか? もう少し足掻いてくれよ?」

 

「なんだとー!? そっちこそ、丸まったダンゴムシみてーに防戦一方だったくせによ!」

 

お互いに悪い顔を浮かべ、醜く言い争っている。そんな、二人の姿を呆然と見ていた格闘家は頭を抱えて叫んだ。

 

「これじゃどっちが悪者か分からないデース!」

 

「エル、よく見て下さい。ウララちゃんのトレーナーはこちらに来る隕石まで迎撃していた様です」

 

「要するに、ウララのトレーナーは味方デスか。でもアレじゃあ……」

 

エルコンドルパサーは微妙な表情を浮かべながら、爆音が絶え間無く響く戦場へ視線を向ける。そこには、自身の周囲にゴルシ城から剥ぎ取った砲台を展開させ、ただひたすらに撃ちまくるハイゼンベルクの姿があった。

 

「ハッハッハッハ!! テメエの体はちゃんとどこかのパーツに使ってやるよ! だから安心してくたばっちまいな!!」

 

砲弾が迷いなく彼女へと襲いかかる。ウマ娘の速度で動いているお陰でギリギリ当たってはいない。だが、自身の後方で常に爆発が起きているという事実は彼女を大きく焦らせる。

 

「うぎゃあっ!? ヤバい! このままじゃ、可愛い可愛いゴルシちゃんが改造されてT-564として過去に送り込まれちまう! アタシは溶鉱炉なんかに沈みたくねー! そっちが沈みやがれ!」

 

彼女は彼の立つ地面を魔法でマグマ溜まりへと変える。しかし、彼がそう簡単に落ちるはずもなく、浮いている鉄屑を足場にして余裕の表情を浮かべていた。

 

そんな、ヤバい発言や殺意MAXの行動を見て、エルコンドルパサーはまるで"あれは味方と言えるのか?"と言うかの様な表情をグラスワンダーへ向けていた。

 

「あんなのが勇者の仲間って言いたくないデース!」

 

「エル? 我儘を言ってる場合じゃ無いですよ」

 

「ひえっ!? 魔王がもう一人……い、いえ! 何でもないデス! 今すぐ私達も戦いに行きましょう!」

 

「彼をウマ王と間違えて殴っちゃダメですよ?」

 

「そんな事しないデース!!」

 

冗談混じりな会話を交わす二人。過去最高に気が立っている彼に誤射しようものなら洒落では済まされないだろう。

 

とりあえず、爆発が止んだ瞬間に彼女達はウマ王の元へと躍り出る。そして、先制攻撃と言わんばかりに、格闘家の彼女は蹴りを繰り出した。

 

「食らえ! コンドル流星脚!!」

 

「しゃらくせえ! そんなもん反射だ反射!」

 

見事な飛び蹴りだったが、ウマ王の魔法によってその軌道を変えられてしまう。その行き先は、彼女が今恐れている者だった。

 

そう、ハイゼンベルクの顔面にその飛び蹴りは綺麗に決まった。周りの浮いていた物体は糸が切れたかの様に落ちていく。逆に彼は面白いぐらいに吹っ飛んでいった。

 

「あ……」

 

「確かに殴るなとは言いましたが……蹴るなとは言ってませんでしたね」

 

瓦礫の中から蹴られて所を痛そうに押さえながら起き上がる彼の姿に、彼女は思わず顔を青ざめさせた。

 

足が謎の力に引っ張られて彼女は有無を言わさず宙吊りにされる。そんな、180度回ったその顔に向かって、彼はあからさまに怒気を孕んだ声で言った。

 

「クソッ! 今のは効いた、嘘じゃねえ。よくもやりやがったなテメエ……そんなに粗挽きにされてえなら、お望み通りしてやろうか……!」

 

彼女の真下には、鋼の剣の四枚刃がミキサーのブレードの如く回転している。まだ、問答無用でそれに落とされないだけ、マシなのかもしれない。

 

「ご、ご、ご、ごめんなさいデース!! だから、ハンバーグだけはご勘弁をー!」

 

全力での謝りを見込んでくれたのか、彼女は一応無事に解放された。いつもの友人とはまた違ったベクトルの恐怖に、助かったというのに顔面蒼白な彼女であった。

 

「君子危うきに近寄らず、ですね」

 

「近づきたくて近づいてるわけじゃないデース……」

 

そんな二人の耳に聞き覚えのある轟音が響く、凄まじいドップラー効果を伴いながら聞こえるその音は、確かにジェットエンジンの物だ。

 

「ねえねえ! 見て見て! この子すっごく速いんだよ! こんな感じでえええぇぇぇ!」

 

その声に空を見上げると、もはや戦士ではなく竜騎士と化した彼女の姿があった。ワイバーンの背に乗って、ジェットのふざけた加速力を身をもって体感している。

 

どうやら、飛竜の方はしっかりと何をするべきか理解している様で、ハルウララを背に乗せたままウマ王へと攻撃を始める。

 

「バカめ、ブレス系の技は魔法攻撃だ! 全部アイツらに跳ね返してやる! 玉ねぎ切った時みたいに泣き喚け!」

 

飛竜の予備動作から何をするか見抜いたウマ王は眼前に透明な壁の様なものを張り、悪役らしく高らかに笑っていた。

 

「頑張れー! トカゲさん!」

 

ハルウララの応援と共に放たれた熱線は、まるで当然の様に壁を貫通した。

理由は簡単。これは魔法ではない、ガチガチの科学だ。

 

「ビームだー! カッコいいな! どうやったらわたしも出せるようになるかな?」

 

「ぎゃあああああああ!? あっつあっつ!? アタシはたこ焼きじゃねー!!」

 

やっと念願の焼肉に成功し、レアからミディアムぐらいまで火を通す事ができた。火だるまになった彼女は地面を転がりまくった末、魔法による大量の水で消火する事となった。

 

「だー! ちくしょー! こういう時に役立つ秘密道具的な何かは……お、あるじゃん!」

 

彼女がそう言って手を伸ばした先には、ポーションが入った半壊した木箱。あまり飲もうとは思わない、赤っぽい色のそれを彼女は躊躇なく全て飲み干した。

 

その様子を見ていた者は目を疑っただろう。ミシミシという音を立てながらゴールドシップの体がどんどん大きくなっていくのだから。

 

「あのクソデカいババアの城の倍、いやそれ以上か?」

 

「ええっ!? すっごい大きくなっちゃった! これも魔法?」

 

彼女の巨大化が止まった時、その背の差は文字通り天と地ほどの差があった。その光景に見覚えのある二人は焦り始める。

 

「まずいデス! 巨大化したウマ娘のパワーなんてどうやっても手に負えないデース!」

 

「でも、ゴルシ先輩がポーションを全部飲み切ってしまいました……私達も巨大化して何とかする方法は出来そうにないですね」

 

「おい、テメエら。俺にとっておきの秘策がある!」

 

お手上げの彼女達に声を掛けたのはハイゼンベルク。この時を待っていたと言わんばかりの最高の笑みをその顔に浮かべている。

 

「ここの空に、バカみてえな大きさをした戦艦がある! そいつの主砲であの野郎をぶち抜いて……いや、消し飛ばしてやるのさ!」

 

「戦艦がいくら大きいと言っても……あの大きさですよ? 倒せるんでしょうか?」

 

「舐めてもらっちゃ困るぜ? あそこに立ってるデクの棒が可愛く見える程のデカさだぜ!」

 

文字通り、雲に手が届きそうな程に大きいゴールドシップが可愛く見える程と言われても、いまいち想像がつかない。良くある話として、太陽の大きさの五倍だとか言われても同じように感じるだろう。

 

「で、でも! どうやって行けば良いんデスか!? エル達は空なんて飛べませんよ!」

 

「そこに一匹いるだろ? あの能天気が洗脳やら何やらしたヤツが」

 

そう言って彼は当の本人に声を掛けた。竜騎士ごっこを楽しんでいた彼女は、声掛けに応じて飛竜と共に目の前に降り立った。

 

「よお、もっとデッカい花火が見れるって言ったらどうする?」

 

「花火!? お祭りの時のやつでしょ! 見たい見たーい!」

 

「なら、テメエの"お友達"にコイツら全員乗っけて、空の花火会場まで連れて行ってやれ」

 

「はーいっ!」

 

例のお友達に目を向けると、ゆっくりと頷いた。どうやら、どこに行くべきかは分かってるようだ。

 

飛竜に全員が乗り込むと、翼のジェットが轟音と共に起動する。そして、まるでロケットの如く空へと飛び立った。

本来めちゃくちゃなGが掛かる筈だが、ここは幻想世界なのでノーカウントだ。まあ、例えあったとしてもウマ娘なら余裕を持って耐えられそうだが。

 

しかし、轟音と熱を伴って飛行するそれは厄介な者に目を付けられてしまう。

 

「お、さっきのトカゲじゃねーか! 仕返しにデコピンしてやろ! この大きさから放たれる最強の一発だ! 食らって吹っ飛びな!」

 

「これは……非常に不味い事になりましたね」

 

まるで蠅でも叩き落とすかのように、弾かれた中指が勢いよく迫る。しかし、その攻撃は特大の鋼鉄に阻まれた。その張本人は浮いている鉄屑を階段の様に上がりながら不敵に笑う。

 

「アイツらの邪魔をするって事は、俺の邪魔をする事になるぜ? 分かってんのか?」

 

彼の立つ鉄屑を始点にして、再び嵐が巻き起こる。金属同士が歪に合体を繰り返していき、いつしかそれは巨大な人型を象った。

 

目の前の彼女と同等かそれ以上の大きさを持つ巨人。そんな物の肩に立つ彼は、葉巻を片手に巨大化した彼女を懐かしむかの様に見ていた。

 

「知ってるか? こういうモンは先にデカくなった方が負けるんだよ! 俺は身をもって知ってるからな! デカくなるにしても、本体はそのままって寸法が一番小回り効くんだよ!」

 

「やべえ!? 確かにそうだ! くっそー! 図りやがったなおっさん! だが、そっちも死亡フラグがビンビンに立ってるんだぜ!」

 

「ほう、面白え! 言ってみろよ?」

 

「おっさんみてえに強さを解説する奴は間違い無く死ぬ! オラオラ、これでどうよ!」

 

「悪くねえ、大した言い分だ、ウマ王さんよ。だが、致命的なミスがあるぜ? 俺が死ぬには、テメエが俺をぶっ殺さなきゃいけねえだろ?」

 

彼は葉巻に火を付ける。そして、その香りが高い煙をニヒルな笑みと共に吐き出すと、声高らかに言い放った。

 

「殺れるもんなら、やってみな!」

 

その鉄巨人は動き出す。昔に抱いた憤りを理不尽にもウマ王にぶつけるため、その拳を振り上げる。

 

突然の攻撃に反応できず、重戦車が衝突したかの様な一撃を顔面に食らう彼女。その様子を見て、彼はスッキリしたかの様にほくそ笑むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウマ王の魔の手から逃れた三人と一匹は分厚い雲へ突入する。視界が霧に覆われて悪い中、ただひたすらに上へ上へと突き進んでいく。

 

雲から抜けた時、彼女達の目の前には彼の言う通りの頭のおかしい大きさの戦艦が堂々たる姿を見せつけていた。船首と一体化している主砲と思わしき物の大きさは、確かにあの巨人となったウマ王を巻き込むには十分であった。

 

三人は操縦席に直接乗り込んだ。中にウマ王軍などは一人もおらず、完全なもぬけの殻だ。

 

「わーいっ! ふかふかな椅子だ!」

 

一番座り心地の良さそうな椅子にハルウララが座ると、機械音声と共に謎の照準が現れる。どうやら、手元の操作板で狙いを定める様だ。

 

「これは主砲の……! これをゴルシ先輩に当てれば!」

 

「粉砕! 融解! 大爆発! エル達の勝利デース!」

 

「あれ? これってどうやって操作するの? こうかな!」

 

『エネルギーをオーバーロードします』

 

何か良くわからないレバーを勝手に引いた彼女。同時に機械音声が鳴り響くが、何を言ってるかさっぱりだったので、放置する事にした。

 

「これだ! えいっ!」

 

『発射モードを超過負荷モードに変更』

 

このままでは、自爆スイッチか何かを押してしまうんじゃないかと危惧の念を抱いた二人は、彼女の横から操作板を弄り、照準をしっかりと倒すべき対象へ合わせた。

 

「ウララ! あとはこのレバーを前に倒すだけデース!」

 

「ほんと!? じゃあみんなでやろー!」

 

「そうですね。では、お手を合わせて」

 

全員で一番大きなレバーを握る。

 

そして、一番元気な掛け声に合わせて前に倒し切った。

 

発射された超高密度なエネルギーは真っ白に光り輝き、まるで雷の様であった。

 

「"雲上より下界を見下ろし、生来の雷にて……"まさかこれが? でもそうなると生来とはどういう……?」

 

 

 

 

 

 

その頃、地上ではウマ娘の身体能力を生かした必殺拳が鋼の巨人に突き刺さっていた。どうやら彼女は我流武術の使い手である様で、重い拳が次々と鉄巨人の胸板へ打ち込まれていく。

反撃を許さない、完全なワンサイドゲーム。そんな状況にも関わらず、揺れる巨人の肩の上でハイゼンベルクは紫煙を吐いていた。

 

「マジで!? まだ倒れねえのかよ! ゴルシ神拳をここまで耐えたのはスーパークリーク以来だぜ……!」

 

それもそのはず、鉄巨人は怯みはするがその膝を地へつける事は決して無かった。

 

その事もあり、未だ余裕の表情を浮かべた彼は空を見上げると、何かを見てニヒルな笑みを浮かべた。

 

「おい! テメエ、シャワーは好きか?」

 

「シャワー……? ライスの事か! まあまあ好きだぞ! 意外と根性あるんだよなアイツ」

 

「ヘッ! そうかい、じゃあたんと浴びるこったな!」

 

彼の言葉を皮切りに鋼鉄の巨人はウマ王をその両手で捕まえる。その速さは、先ほどまで見せていた鈍重さとは裏腹に、凄まじい物だった。

 

彼女の直感がこのままでは不味いと告げるが、固く閉ざされたその腕と手が拘束から抜け出す事を許さない。それに対し、彼は動けない彼女を横目に浮いた瓦礫上を歩いてそっと離脱する。

 

縛り付けられたウマ王、自由な魔王。面白い事に、始めとは真逆の位置関係だ。

 

そして、空からは白い天使の光が雲を割き、ウマ王へとシャワーの様に降り注ぐ。

 

「ちくしょー! 離せよこのポンコツ! あ、やべ……!?」

 

「ダッハッハッハッハ!! 回転機構も良いが、大口径も悪かねえな! 最高の発想ありがとよ!」

 

光に飲み込まれたゴールドシップはもはや叫ぶ暇すら与えられずこの世界から姿を消した。彼女の光り輝く墓標に対し、彼は高らかに下賤な笑いを響かせる。

 

その天からの稲妻は、確かにウマ王に滅びを、魔王に快楽を与えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの騒動が終わった次の日、あの時共に戦った戦友はカフェテリアにて談笑していた。

シンボリルドルフに成り代わってゴールドシップがVR装置の中に入っていた事。解決した後、エアグルーヴにこっ酷く説教を食らっていた事。そんな笑い話を共有していた。

 

「そうそう、ゲームを終わりにした後すっごい事が起こったんだ!」

 

「凄い事ですか?」

 

「うんっ! わたしのトレーナーが持ってたヘルメットみたいなやつがどかーん!って爆発したんだ!」

 

「ええっ!? ウララは無事ですか! 怪我は!」

 

「あのね! シューちゃんが守ってくれたんだ! だから、わたしは元気だよ! でもね、トレーナーの工場の屋根が無くなっちゃったんだ」

 

「それって……ウララちゃんのトレーナーは無事なの?」

 

「うんっ! 顔が真っ黒になってたけど大丈夫だったよ! "二度とやらない"って言ってた!」

 

彼女の身振り手振りを交えた話に、ホッと息を撫で下ろす二人。肝心の彼は今頃、吹き飛んだ色んな物の修理を悪態をつきながらやっている事だろう。

 

このVRウマレーターが本格的に採用されるのはまだまだ先になりそうだ。

 




ハイゼンベルクのサングラス
なんだかんだ言って付けていたサングラス。
彼と他人の間に黒い壁を作るそれは、彼の心の現れなのかもしれない。
それがある限り、彼の壁は崩れる事はなく、真実など語る事もないだろう。
裏を返せば、それを外した時に彼は心を曝け出す。ただし、出てくるものが善だとは限らない。


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熱暴走

 

なんだかんだでもう真夏。ジリジリと地面を照らす太陽を恨めしく眺めているのはハイゼンベルク。流石にコートは脱いだ様だ。

工場の中では、シュツルムがエンジンの力をふんだんに使った扇風機と化しており、ハルウララが涼しげにその風を全身に浴びている。

 

「あー涼しいー! ありがとシューちゃん!」

 

どうやら、お化け自身が自ら進んでやっている訳ではなく、彼女に頼み込まれたからやっている様だ。しかし、嫌がっている訳ではなく。むしろ、意気揚々とそのプラスチック製の送風機の回転数を上げている。

 

もはや、扇風機の域に収まるのか分からない送風性能を発揮した結果、ハルウララの髪と尻尾は過去最高になびいていた。

 

風が一時的に止まった時、髪は所謂ライオンヘアーに早変わりを遂げており、櫛も何も持っていない彼女はお手上げであった。

結局、彼女が思い付いた解決案は背中で風を受けて髪を元に戻す事だった。

 

「おい、あんまり回転数上げんじゃねえ。この暑さじゃ速攻で熱暴走だ」

 

ハイゼンベルクが外で何かの作業をしながら、中にいる彼女達へ声を掛ける。しかし、鳴り響く機械音に特に変化は無く、むしろ上がっていく一方だった。

 

それに違和感を覚えた彼は作業を中断し、工場内の様子を見に行ったのだが、その時にはもう手遅れであった。

 

「あわわ……! あっ、トレーナー!! なんかね、風がだんだん熱くなってきたから、どうしたんだろうって振り向いたら、こうなっちゃってたんだ! どうしよう!」

 

彼女の目の前には、赤く燃え盛るエンジンを携えたお化けの姿があった。既にプラスチック製のプロペラはドロドロに溶けてしまっている。だが、プロペラが無かったお陰で彼女は火だるまにならずに済んだ様だ。

 

「あー……遅かったか、とりあえず外出ろ。中で色々と燃やされるのは勘弁だ」

 

外に出た発火源は、空に向かって何も付いていない出力軸をブオンブオンと回転させている。そんな様子を見かねたハイゼンベルクは特大のため息を吐くと、その手にいつもの危険度ナンバーワンなプロペラを持ってシュツルムへ近づいて行った。

 

そして、思いっきりスパナでその機体をぶん殴り、回転が止まったほんの一瞬を狙ってプロペラを交換する。彼の手が離れた瞬間、その灼熱の扇風機は再起動して、まだ青い空を火炎で赤く染めたのだった。

 

「ええっ!? シューちゃんって炎も出せるの!?」

 

「熱暴走してればな」

 

「ねつぼーそー? なんか速そうだね! 今から競争出来ないかな?」

 

「……確かに今の状態で走らせた事は無かったな」

 

彼女の思いつきの発言は、彼の知的好奇心を刺激する。一度膨れ上がってしまった好奇心という名の風船は、厄介な事に彼の目の前でふわふわと浮いている。

 

結局、彼はそんな風船の圧に負けたのだった。

 

「面白そうだな、やってみるか!」

 

「わーいっ! じゃあ先に準備してるね!」

 

あまり見えなくなってしまったレース用のトラックに、適当な小枝でスタートの文字を描く。そして、燃え盛る幽霊に声を掛けるとお互いにスタート地点に立った。

 

ただ、ハルウララはどこか浮かない表情をしていた。

 

「あれ? シューちゃんが何言ってるか分かんないや」

 

先程から彼の指示に従っている事から、こちらの声はちゃんと聴こえているようだ。しかし、返答にノイズが混じってよく聞き取れない。会話が一方通行なこの状況、恐らくは熱暴走のせいだろう。

 

彼女もなんとなくではあるが、原因の目星はついているようで、仕方がないと割り切るのであった。

 

「ゴールはコイツを置いておく。どうせ必要になるからな」

 

工場から出てきた彼が持ってきた物は、以前解体工事に使った例のロボットと、黒い本体に金色の装飾が刻まれたリボルバーだった。

 

ロボットは勝手にトラックの線の上に移動して、ただじっと立っている。どうやらソレが立っている場所がゴールの様だ。その様子を確認した彼は、リボルバーに一発だけ弾を込める。

 

「さて、始めるか」

 

「わわっ!? 鉄砲だ! 初めて見たー! どこで手に入れたの!?」

 

「あー……遠い昔に、不細工な男からぶんどっ……買ったんだ。生憎、コイツが撃った事あるのは空砲だけだがな」

 

彼はそのリボルバーを太陽へかざす。長い年月により、その黒と金の輝きは失われてしまったようだ。代わりに、所々に錆やくすみが見受けられる。

だが、そんな状態でもしっかりと動くのだから凄いものである。

 

「まあ良い、始めるぞ」

 

「うんっ! 分かったっ!」

 

彼が銃口を天へ向けると、スタート地点の二人は出走の準備をする。いつも通り真っ直ぐ前を見るハルウララだが、その横では異常なほどに昂ったエンジン音が響いている。

 

そして、よく聞く軽い破裂音ではなく、重々しい破裂音によって、その戦いの火蓋は切られた。

 

「あれ? うわわっ!?」

 

レース開始の数秒後、勢い良くスタートを切った彼女の横を熱い何かが通り過ぎた。燃える大型リアクターをテールランプにして、その巨体に見合わぬ加速を見せるのは彼しかいないだろう。

なんと、走った距離は100mにも達していない。普段の低い加速力は一体どこへ行ったというのだろうか。

 

だが、カーブを曲がらずに真っ直ぐ突っ込んでいく十八番芸は今だ健在のようだ。

 

「よーし! いっくぞー!」

 

シュツルムとレースする時において、勝機となるのはこのカーブしかない。カーブでもたついた瞬間、あの頭でっかちの戦闘機はそのプロペラで勝利を八つ裂きにしてしまうだろう。

 

それ故に、何度もあの怪物に競争を挑んだ彼女のカーブの腕は、そこそこ上手くなっていた。

 

そして、今回も見事な足運びでスピードを維持したまま綺麗な円弧を描いていく。だが、彼女が前だけ見ているこの間、その横ではとんでもないことが起きていた。

 

直進大好きお化けは加速を止める事なく、普段通り例のコンクリートの壁に突っ込んだ。ハイゼンベルクが全力で強化した厚さ約1mのそれを、たった一回の衝突で半壊状態に仕立て上げるといつもの倍以上の速さで振り向いて、再びエンジンの暴力を開始した。

 

そのまま、もう一つの壁でぶつかって停止し、進路を変えるのかと誰もが思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、事実はその斜め上を行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い残像を見せつける暴走マシンは、壁にその機体を衝突させてなお、前に進み続けた。その結果、ガードレールで無理矢理その進行方向を変える車の如く、壁に大きな抉り傷を作りながら、あまりスピードを落とさずに曲がったのだ。

 

「ええっ!?」

 

カーブ中の彼女の目の前を、流星のように通り過ぎる。そのまま、フルスロットルでゴールまで突っ込んできた。ハルウララはもう遥か後ろだ。

 

しかし、いつもの流れで直進されては困る。コレを野放しにしたら、ビルか何かにぶち当たるまで止まらないだろう。故に彼は準備しておいたソレの名を叫ぶ。

 

「ゾルダート・パンツァー! 止めろ!!」

 

暴走列車と化したソレの前に、重戦車が立ち塞がる。耳障りな金属音と火花を放ちながらその二体はぶつかり合うが、明らかに重戦車が押されていた。

 

しかし、不要だと散々に言われていたその装甲が、遺憾なく発揮されそのスピードは確かに落ちる。だが、そのプロペラは止まらない。

 

「シューちゃん! 止まらないとダメだよ!」

 

後からゴールして息を切らせた彼女が、横から友人へと大声を掛ける。両手を振って健気に呼びかけるその姿に、何か思うところがあったのかその動きは段々と遅くなっていく。

 

「やっと止まったか……」

 

ゾルダートとの激しいぶつかり合いで、やっとその機体の歩みは止まる。重戦車との激しい衝突があったにも関わらず、そのボディにはかすり傷しか付いていない。

しかし、勇敢にも立ち向かったもう一体は悲惨な状態となっていた。

 

ハイゼンベルクとハルウララが見つめる先には、鎖状の三枚刃で片っ端から剥がされた装甲。致命的な抉られ方をしたリアクター。

そんな、致死性の毒であるチェーンソー分を過剰摂取して火花を散らしながらも、立ち続けている勇者の姿があった。

 

「壊れちゃったね……」

 

「どうせただの機械だ、また作れば良い」

 

悲しそうな表情を浮かべ、壊れたそれを見つめる彼女とは対照的に、彼は大して気にする事なくドライな反応を返す。

 

確かにそれはただの機械、そこに意思も何もない筈だ。だが、不思議な事に彼の作る機械にはどこか生物の名残を感じさせるのだ。

 

それ故に彼女は耳を垂らし、残念そうな表情を浮かべているのかもしれない。だが、優しい彼女なら、例えそんな物がなくても同じ様な反応をしただろう。使用目的が何であろうと、そこには彼の思いが詰められているのだから。

 

「……今度はジェットでも付けるか」

 

そんな彼の漏らした呟きにはどんな思いが込められているのだろうか。ただ断言できるのは、ハルウララがそれを完全に理解するのは到底無いという事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

燃え盛る機体を消火して地下送りにした後、放置してあった改造ランニングマシンを見つけてしまった彼女。彼は面倒だからと使用を許可しなかったが、結局押し切られてしまい、地上にてそれを久々に起動する事となった。

 

「今度は時速70キロまで頑張るぞー!」

 

以前やった時は、彼にポチポチと加速ボタンを連打されていたため、正確な結果は出なかった。彼女もその自覚はあったようで、今度こそ自分の力で目標の70まで到達しようと意気込んでいる。

 

ため息混じりにクッションを設置する彼は、さっさと終わってくれとでも思っている事だろう。

 

「いっくぞー!」

 

彼女は元気にスタートのスイッチを押した。初期型ゆえに少し煩い音を立てつつそのベルトは回り始めたのだった。

 

数分後、見事にクッションへと飛ばされた彼女の姿が。そのスコアは60。良くも悪くも無い普通の値。しかし、かつての彼女であれば50で限界へと達していた事だろう。そう考えてみれば、このたった10の差は大きな進歩だった。

 

スコアのランキング欄に載った彼女の名前は誰も使っていないのだから、当然一番かと思われた……

 

 

 

シュツルム 100.0

ハルウララ 60.5

No Deta

 

 

 

「あれっ!? シューちゃんの名前があるよ! なんで!?」

 

「初期型だから残ってやがったか……」

 

そこでふと彼の脳裏に閃きが走る。元々の速さも尋常では無いアレが、熱暴走したらもっと速くなるのだ。一体どれほどなのだろう。しかし、彼女の前ではやらない方が良いだろう。何かと面倒が起こりそうな予感がする。

 

「……試してみるか」

 

ひっそりと笑みを浮かべる彼の企みは、彼女に気づかれる事は無かった。そして、夕方となり彼女が寮へと戻った後にひっそりと実験を始めるのだった。

 

この数日後、彼の製品のラインナップに新たなマシンが一つ追加された。彼曰く、気まぐれで追加したそうだが、気まぐれとは思えない程に気合の入った製品だったという。

 




改良型ランニングマシン
ついに時速300kmまで出るようになった、頭のおかしいトレーニング器具。流石のウマ娘用の物だとしても、ここまでの速度は無用の長物と断言出来る。何故、こんな物が出来たのだろうか?

風の噂によると、かつての時速200km級マシンがどこかの誰かの速さに負けたからだそうだ。だが、所詮は噂。本当かどうかは分からない。


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過冷却

感想、評価、誤字報告ありがとうございます!


 

トレセン学園はどの教室に置いても冷暖房器具は備え付けてある。故に、コンクリートで卵料理が作れる程に暑いこんな真夏日でも問題ない筈だった。

 

「灼熱っ!? 何故ここまで暑いのだ!?」

 

しかし、理事長がそう叫んだ日は学園内は地獄となっていた。空調は片っ端から止まり、スイッチを押してもうんともすんとも言わない。明らかな異常に驚きを隠せないでいた。

 

「あの、理事長。どうやら空調の配電盤が故障したみたいで……」

 

理事長の意を汲み取ったたづなが、先にその理由を告げる。しかし、理事長はどこか納得のいかない様子であった。

 

「疑問っ! 我が校の配電設備はこの様な場合に置いても対応できる様、予備電源が備え付けられておる! 何故それが起動していないのだ!?」

 

「あのー……どうやら誰かが配電盤の配線であみだくじを作ったみたいで……予備電源も一緒に故障してしまったそうなんです」

 

「驚愕っ!?」

 

暑さとショックで理事長はソファに倒れ込む。こんな時、融通の効く便利な業者が居れば良いのだが……

 

「名案っ! 彼奴がいるではないか! たづなよ、早速連絡だ!」

 

「ハイゼンさんの事ですか……本来は余り急な連絡は避けたいんですが、今日は仕方ありませんね」

 

このままでは生徒であるウマ娘達のトレーニングはおろか、学業すら危ぶまれる。いくら人より頑丈だとしても、熱中症は全てに等しく襲い掛かるのだ。

 

それを危惧した理事長は電話でいつもの番号に電話を掛けるのだった。

 

『またテメエか、次は何だ? 爆速で走る芝刈り機ならもうそっちに届いてる筈だ』

 

「うむっ! 確かに届いた! だが、確かに速く走れる物を要求したが、芝刈り機に時速100キロ以上出るエンジンは必要ない!」

 

『おっと、クレームの電話だったか。誠に残念ですが、当工場はクレームを受け付けておりません。ご了承頂けますようお願い申し上げます。そんじゃ切るぞ、じゃあな』

 

完全な対クレーム用のテンプレ構文をぶちかました彼。ふざけ倒した対応に理事長は受話器を耳に当てたまま固まった。しかし、肝心の話は一切していない。すぐさま正気に戻るとその行動に待ったをかけた。

 

「制止っ! 何を勝手に切ろうとしているのだ! 今回連絡したのはこの様な話をしに来たわけではなく、依頼があるからしたのだ!」

 

『そいつは失礼した。そんで、要望のモンは何だ?』

 

「解説っ! 実は学園内の空調が全て停止してしまってな。代わりになる様な物があれば今すぐ欲しい!」

 

『……一個だけあるな。分かった、そいつを持って行ってやる。レンタルって事にしといてやる』

 

素直に了承してくれた事に、ホッと胸を撫で下ろす。しかし、一個しかない様だ。これでは焼け石に水な気がするが、無いよりマシだと彼女は判断した。

 

「うむ、一つだけか……突然の連絡ゆえ仕方がない」

 

『おいおい、俺が一個だけって言ったのは個数が無いわけじゃねえ、一個で足りるって事だ』

 

「一個で足りる……? まさか、お主はまたとんでもない物を!?」

 

熱で頭が働いていなかったのか、今になって彼女は思い出した。この男が素直に首を縦に振る時は大体何か裏があると。しかし、背に腹はかえられぬ。

 

『安心しろ、使い方さえ間違えなけりゃ問題ねえ代物だ』

 

「うぬぬぬ……りょ、了承っ! 今すぐ持ってきてくれ。頼んだぞ!」

 

彼は二つ返事をすると、そのまま通話を切った。しかし、最後の言葉が非常に突っかかる。裏を返せば、使い方を間違えれば問題しか生まない代物なのだ。下手に弄られない様に厳重な管理を施すと心に決めた彼女だった。

 

ちなみにこの後、芝刈り機についてたづなに圧を掛けられながら問いかけられ、顔面蒼白となる理事長の姿があったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

珍しく元気が無さそうにとぼとぼと歩いているハルウララ。垂れ下がった尻尾と耳は今にも溶けてしまいそうだ。冷房が故障し、学園内の気温が上がっているのが彼女の元気を奪っている一番の理由だろう。

 

にんじんアイスでも食べて、気を紛らわせようと考えていたのか、その足は購買へと向かっていた。しかし、ロビーにていつもの後ろ姿を見つけたからか、行き先はすぐに変更された。

 

「おはよー……トレーナー……」

 

「あ? やけに大人しいと思ったら、汗だくじゃねえか。空調がぶっ壊れただけでテメエがそんなんになるなら、少しはぶっ壊れたままでいいと思っちまうな」

 

「ええー! ダメだよ! 授業中も暑くて暑くて、先生の話も全然入ってこないんだよ!」

 

「それは元からだろうが」

 

彼は葉巻を咥えたまま、目の前にある大きな箱状の何かを弄っている。普段なら何も分からない彼女であったが、今回は何を弄っているのか目星がついた様だ。

 

「トレーナー! もしかしてそれ、クーラーかな?」

 

「ああ、スポットクーラーだ。それがどうかしたか?」

 

「やったー!! ありがとートレーナー!! これでやっと涼しくなるんだよね! あ、でもここにあるって事は教室まで冷えないや! がーん!」

 

暑さから解放されると思いきや、実際はそうではない事に気づいてしまい、一人勝手に項垂れてショックを受けているハルウララ。

 

そんな彼女を横目に、彼はスポットクーラーから本来なら1、2本しかない筈の排気口の管を5本も引っ張り出すと、それぞれ別の方面を向く様にした。

 

「まあ、今の設定でも多少はそっちも涼しくなるだろ」

 

「ほんと! よかったー! また暑いままで勉強したら頭が溶けちゃうからね!」

 

「元々溶けてんだ。大して変わんねえよ」

 

そんな皮肉を吐きながら、彼はこのクーラーを起動する。いつもの静音性をしっかりと発揮しつつも、かなり冷えた空気が排気管から放出された。

 

迷わず彼女は排気管の前に顔を突き出した。

 

「わあああぁぁぁー! 冷たくて気持ちいい!」

 

「しばらくすれば、このクソ暑いビニールハウスみてえな所も冷えるだろ」

 

「そうだ にんじんアイス食べたら涼しくなるし、クーラーを浴びても涼しいよね! じゃあ、同時にやったらもっと涼しくなるかな? にんじんアイス買って試してみよう!」

 

彼女は購買へと歩き出そうとしたが、何かに気付いたかのように両手で自身の服やスカートを探る。そして、全てのポケットをひっくり返すと、その場でガクンと項垂れた。

 

「ああっ! お財布、寮に置いてきちゃった……」

 

「そんじゃ、アイスは諦めるこった」

 

代わりにクーラーの冷気をたくさん浴びる事にした様だ。彼女は排気管の前で、まるで扇風機にするようにだらけた声を発している。

 

そんな中、冷気に誘われてやって来た何者かが、ハイゼンベルクの肩を叩いた。

 

「よお! フランケンシュタイン!」

 

「あながち間違ってねえのが気に食わねえが、まあ良い。何の用だ?」

 

その正体はゴールドシップ。なにか面白い物を見つけたかの様な笑みを浮かべて、彼の後ろに立っている。あの、幻想世界の事はお互い根に持ってはいない様だ。

 

「ちょっと言いたい事があってな……」

 

「言いたい事?」

 

「ああ、やっぱりよ……」

 

大きく息を溜める彼女に、場は沈黙を返す。そして、意を決した様に真剣な目で言い放った。

 

「戦艦ゴルシの方がカッコいいよな!」

 

「あ? プラッツ・パンツァーに決まってんだろ!」

 

前言撤回、どうやらお互いにここだけは根に持っているようだ。ジャンケンか何かで既にどちらの名前か決まっていた気がするが、本人達にその覚えが無いなら、きっと決まっていないのだろう。

 

何回か言い合いを繰り返した末、彼らが出した結論は……

 

「しょうがねえな、今日のあみだくじの結果に免じて間を取ってやる! 戦艦プラッツ・シップだ! これなら文句ねえだろ?」

 

「まあ、テメエの最初の案よりかはマシだな。てかよ、シップはどこから来た?」

 

「はあ? このゴールドシップ様の名前から取ったに決まってんだろ!」

 

「テメエそんな名前だったのか。黄金……いや、コガネムシでも詰まってそうな船だな」

 

「アタシはゴールドバグシップじゃねえ! 鼻にワサビ詰めんぞ!」

 

常備しているのか、懐から市販のワサビのチューブを取り出すと、彼女はハイゼンベルクに襲いかかった。しかし、彼は平然とその首を掴み上げると、懐から小型の水鉄砲を取り出して彼女の顔面に放った。

 

それと同時に彼女はまるで虫の様に地面とハグを交わす。そして、形容し難い呻き声と共に顔面を抑え、ゴロゴロと地を転がった。

 

それもそのはず、彼の持つソレに入っている水は明らかにヤバそうな赤色をしていたのだから。

 

「トレーナー! それって何?」

 

「ただの水鉄砲だ。スパイスが少し効いてる事以外はな」

 

「ええっ!? って事は水鉄砲って食べれるの!? でも、プラスチックだよ!?」

 

「そういう意味じゃねえよ……」

 

完全に素で大ボケをかます彼女に、思わず彼はため息を吐いた。

 

そんなこんなしている間に、クーラーはしっかりと仕事をしている様で、灼熱状態だったロビー内はいつの間にか快適空間へと変わっていた。

 

「ちょっと飲み物でも買ってくるか」

 

ハイゼンベルクはハルウララにそう告げると、この場から離れて行ってしまう。なんとなく、このクーラーの仕事ぶりの観察でもしていようかと思っていると、スパイスで見事に味付けされたゴールドシップが復帰する。

 

「ぎゃあああああ! 顔面があちーし辛え!」

 

彼女は暑さの余り排気管の前に立ち、設定温度を勝手に最低まで弄った。ここで言える事は、その選択は間違いだったという事だろう。

 

その瞬間、クーラーは静かだった可動音の自己主張を強め、尋常では無い冷気を吐き出した。それは、瞬く間に排気管の前に立っていた者の顔に霜を降らせる。

 

「あわわっ! 髪の毛が凍っちゃってる!?」

 

ハルウララは排気管の前には偶然立っていなかったが、ゴールドシップは違かった。顔面には雪が積もり、髪はなびいた状態のまま凍りついていた。

 

とりあえず、彼女は半ば氷像と化したそれを引っ張って吹雪の発生源から遠ざけた。一応日差しは暑いので、すぐ溶けた事が幸いか。

 

「ぷっはあー! 助かったぜウララ! あのままだったら確実に札幌の雪祭りに展示されてたな!」

 

「ゴルシちゃん! 早く止めないと大変なことになっちゃうよ!」

 

ぴょんぴょんと跳ねながらそう主張する彼女の裏では、ロビー内の手すりや階段、椅子などが次々と凍りつき始めるほど気温が下がっていた。もはや真夏ではなく真冬だ。

 

「やっべ! 氷河期の魔の手がこんなとこまで来やがったか。じゃ、後は頼んだぞ!」

 

凍てつく世界から一足先に逃げ出したゴールドシップ。操作方法も分からないハルウララだけが、ポツンと残されてしまった。

 

「はわわっ!? ど、どうしよう!」

 

不用意に弄るわけにもいかず、ただただ慌てながらロビーが冷え切っていくのを見ている事しか出来ない。

 

寒さのあまりその場にうずくまる。吐く息はとっくのとうに白くなっており、唯一の救いである太陽の光は凍りついたガラスで屈折を起こし、彼女に射し込む事はなかった。もはやここは、先ほどとはまた別の地獄だ。

 

だが、地獄の閻魔大王に鉄槌片手に喧嘩を売るであろう人物が彼女の元に戻ってくる。

 

「ちょっと目を放した隙にこれかよ」

 

「と、トレーナー……! 止めかた分かんないよ……!」

 

「電源のスイッチ押せば良いじゃねえか。もしくはコンセント引っこ抜け」

 

彼は止める方法を彼女に言いながら、氷河期の元凶を停止させた。やっちまったと言わんばかりの表情を浮かべながら周囲を見回す。

 

窓ガラスには厚い氷が出来ており、太陽の熱を持った光を捻じ曲げる。床や手すりには霜。充満する空気は完全に真冬のそれだ。

 

「どこのどいつだ? こんな面倒事起こしやがったのは?」

 

「わ、わたしじゃないよ!」

 

「見りゃ分かる。どうせあのコガネムシだろ? ったく、アイツ専用の防御装置でも作ってもいいかもな」

 

「うう……寒い! わたし、購買で暖かい飲み物買ってくる! あっ! 財布無いんだった……」

 

少し走った先でその事実に気付き、尻尾も耳も垂らして項垂れる彼女。そんな彼女に、彼はため息混じりに声を掛けた。

 

「おい、落としもんだ」

 

心地よい金属音と共に弾かれた一枚のコインが彼女の手のひらに収まった。鈍い金色のそれは彼の持っているコインなどでは無く、500円の価値がある硬貨であった。

 

「地面に落ちてたぜ。大方、ポケットをひっくり返した時にでも落としたんだろ」

 

「え、ほんと!? ありがとートレーナー! じゃあ、わたし行くね!」

 

少し不思議に感じつつも、拾ってもらった礼を彼へとする。そして、彼女は急いで購買へと駆けて行った。そんな後ろ姿を見送った後、彼は懐から冷えた缶コーヒーを取り出した。

 

「あー……今じゃなくて良いか」

 

気が変わったのか、封を開ける事なく再びコーヒーは懐へ。そして、クーラーを再起動し、設定温度を戻すと彼は氷漬けのドアを無理矢理開け、灼熱の外へ出ていったのだった。

 

その日、ロビーの惨状と引き換えに学園全体は暑さから解放されたようで、その後の授業は快適に受ける事が出来たらしい。

 

なお、氷河期の開始地点を見てしまった理事長は恐る恐る彼の持ってきた説明書を隅々まで読んだ。

そこに設定温度範囲は-30〜40度と明記されており、彼女は目の前が真っ暗になったそうだ。

 




缶コーヒー
ただのぬるくなったブラックコーヒー。最低限の味は保証されているが、冷えている時と比べればだいぶ落ちるだろう。
長い間、彼の懐に入っていた故にぬるくなったようだ。飲む気が無いのにわざわざお札まで出して買ったのは何か理由があったのだろうか?


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調べ物

 

そろそろテストが近いため、何人ものウマ娘達が図書室へ集まっていた。理由は勿論、勉強するためだ。また、冷房がよく効いているというのもあるだろう。

その中の一員であるダイワスカーレットも、同様の理由でペンを持って机に向かっていた。

 

しかし、何時間もずっと集中力を維持するのは難しい。それ故に、彼女は休憩がてら図書室を一周して、読んでみたい本の目星でも付けようかと思っていた。

 

しかし、一周もしないうちに見た事のある光景を目にしてその足は止まる。目立たない奥にある机。その一番端っこに沢山の本と紙が山を成していた。こんな事をするのは彼女の知る中で一人しかいない。

 

「タキオンさん、何読んでるんだろ?」

 

机の上に乱雑に置かれた本を手に取る。テスト関係の参考書かと思いきや、その内容は全く違う異質な物だった。

 

「線虫……? この本は、カビ関係……? こっちの本は……流体!? 全く関係ない本だらけ……」

 

しかし、置かれた本の全てが無関係かと言われればそうではない。今回のテスト範囲にも入っているヨーロッパの国々について、事細かに書かれた本もあった。

 

そんな事実が、彼女をより混乱させた。

 

「この紙は……何かの計算用紙?」

 

計算用紙かと思っていた紙には、確かに計算式は書かれていた。しかし、その内容は全く理解の出来ない式が詰まっているだけだった。

 

「おやおや、スカーレット君じゃないか」

 

そんな、頭にハテナを浮かべた彼女へ一人のウマ娘が声を掛けた。驚いた彼女は変な声を出し、その尻尾を逆立てた。

 

「た、タキオンさん!? あ、えっと、ごめんなさい! 勝手に弄ってしまって」

 

「おや? 何か勘違いをしている様だね。私は今さっきここに来たばかりだ」

 

「えっ? じゃあ、この本は……」

 

「勉強熱心な誰かが読んでいた物だろうね。まあ、見ただけで誰が読んでいたか大体の予測は付く」

 

彼女の目は机の横に立てかけられた鉄槌へと向けられる。この学園でこんな物を持ち歩く者は一人しかいない。

 

そんな誰かさんが何を読んでいたのか気になった様で、山の上から数冊取って少しだけ読んでみる事にしたようだ。ダイワスカーレットもその横から同じ本を眺めている。

 

「ふむ……線虫にカビ、そして流体力学に材料力学……極め付けにはヨーロッパに関する本……か。何か関連性があるのだろうか?」

 

「関連性なんてある訳ねえだろ」

 

アグネスタキオンの手にあったレーザーに関する本を後ろからスッと奪い取ったその影は、不機嫌そうな表情を浮かべながら二人の顔へ目を向けた。

 

「やはり君だったか」

 

「分かってんなら勝手に持ってくんじゃねえ」

 

「まだ、持ち出してはいないよ。少しだけ中身を拝見させて貰っただけさ」

 

いきなり現れた厳つい男と流れる様に会話する彼女に、ダイワスカーレットは驚きを露わにする。

 

「タキオンさん? 知っている人なんですか?」

 

「ああ! 以前君にも話した、興味深い研究対象というのは彼の事さ! 確か名前はハイゼンベルクだったかな? 君も見た事があるだろう。良く学園に訪れているからね」

 

そんな彼女の発言に、自身の記憶を思い返してみると、確かに何度か見かけた事がある。最後に見かけたのは副会長と何か揉めていた所だ。

 

何はともあれ、彼を不機嫌にさせたきっかけが自分にある事だけは間違いない。そう思った彼女はとりあえず謝る事にした。

 

「あ、あの。すみません、アタシが気になって触っちゃったせいで……」

 

「何か勘違いしてる様だから言っといてやる。俺はテメエの行動じゃなく、この科学者野郎がいる事が面倒に思ってるだけだ。だから、テメエが謝る必要なんてこれっぽっちもありゃしねえんだよ」

 

「おや、スカーレット君には随分と優しいじゃないか? その優しさを私に向けてくれても良いと思うんだがね」

 

「生憎だが、マッドサイエンティストに向ける分は持ち合わせてねえ。寝言は寝てから言うこった」

 

相変わらず無愛想な態度で返答する彼は、椅子にドスンと座り込むと、持ってきた本を読み始めた。

 

「そういえば、さっき関連性は無いと言っていたね。どうしてそう言い切ったんだい?」

 

「読みてえ本を取るのに邪魔だった」

 

ハイゼンベルクは手に持った本を見せつけるように彼女の虚な瞳の前まで持っていく。その目に映ったそれは、『世界の欠陥兵器集』という、何ともふざけたタイトルだった。

 

「ふむ、色々と思う所があるがまあ良い。それよりも、一つ聞いておきたい事があるんだが」

 

「ダメだ。さっさとどっかに行け」

 

「君は自分の工場で色々なものを作ってると聞く。そこで、計測機器などは取り扱っているのか聞いておきたい」

 

彼の言い分など無かったかのように、アグネスタキオンは自身の尋ねたい事を勝手に話し始める。その内容は彼の仕事に関する事のようだ。

 

彼は嫌々ながらも、仕事関連故にまともに答える。

 

「基本的には無え、特注すれば話は別だがな」

 

「特注が出来るのか……ふむ、良い事を聞いた。他にも何かサービスとかは無いのかい? 血液サンプルも一緒に付いてくると、私としては嬉しいんだが」

 

「だったら、押したら手元で花火が見れるスイッチなんてどうだ? テメエならタダで3個……いや10個付けてやるよ。嬉しいだろ?」

 

「いや、やっぱり遠慮しておくよ。サービスも薬も過剰摂取は毒だからね」

 

どうやら彼はサービス精神旺盛のようだ。今なら手元で大爆発を起こすスイッチも付いてくるらしい。しかも大量に。

そんなふざけ倒した返答に、思わず彼女は鼻で笑いながら、やんわりと断った。

 

「おい、テメエは何の目的で研究してんだ? 生物兵器でも作んのか?」

 

「あながち間違いでも無い。簡単に言えば、私はウマ娘の速さの限界を見てみたいのだよ! だが、大きすぎる力は身を滅ぼすと言うだろう?」

 

「ああ、確かにそうだな」

 

意外にも、彼は本を読む事を止めて彼女の話を聞いていた。その狂った目に映る深淵を、ニヒルな笑みと共に覗いている。

 

「そこで、君の存在があった。平凡な肉体に似合わない、化け物の様な力。何かが根本的に違う気がしてならなくてね! それを解明出来れば研究は飛躍的に進むと考えている。そこで、君にちょっとした質問をしたい」

 

「おい、俺はウマ娘でも何でも無えぞ?」

 

「問題無い。いや、むしろ君の様なマイノリティな意見が意外にも役立つ時があるのだよ! さて、君は我々ウマ娘が速さを追い求めるのに何が足りないと思う?」

 

ハイゼンベルクが顎に手を当て考える中、話をずっと聞いていたダイワスカーレットがボソリと呟くように答えた。

 

「やっぱり、脚の力じゃないんですか?」

 

「勿論、それも必要だと考えられる。だが、先程も言ったが、大きすぎる力は肉体が持たない」

 

確かに、バイクにトラックの出力を与えたら即座にひっくり返るだろう。彼女は難解なこの問いに頭を抱えた。

しかし、彼はまるで簡単だと言わんばかりに鼻で笑うとその回答を自信満々に言い放った。

 

「そんなん簡単だ。大排気量のエンジンに決まってる」

 

彼のふざけてるにしか聞こえないその回答に、ダイワスカーレットは思わず目が点になり、アグネスタキオンは理解が及ばなかったのか困惑した表情を浮かべていた。

 

「……君はウマ娘をサイボーグか何かと勘違いしてないかい? 確かにそう比喩される者は居るが……これも何かの例えなのかい?」

 

「ヘッ! 機械も人の体も似たようなもんだろ。沢山空気を入れて沢山吐けば、自ずと出力も上がるんじゃねえのか? ジェットエンジンなんてそれの筆頭だぜ?」

 

「なるほど、呼吸面か。言われてみれば盲点だった。ヘモグロビンの濃度と数が上がれば、細胞に今まで以上に酸素が行き渡って活性化する……または肺の酸素吸収効率を強化するべきか? ふむ、また今度考えてみるとしよう」

 

彼女は満足そうな笑みを浮かべる。やはり彼女の言う通り、多少なりともぶっ飛んだ発想というのは時折必要なのだろう。あんな的外れだと思われる返答から、想像以上に有意義なヒントを貰えたのだ。

ダイワスカーレットもこの一連の流れを見て、柔軟な発想を持とうと思ったのだった。

 

だが、あそこまで頭のネジを外す必要は無い。彼女はその部分をしっかりと弁えていた。

 

「そんじゃあな。俺は帰る」

 

彼はそう言って立ち上がると、ちゃんと本を元に戻そうと手に取るが、科学者である彼女がそれを止める。

 

「いや、私も読みたい物があってね。そのままにして欲しいんだが」

 

「そうか、好きにしろ」

 

彼は置いていた鉄槌を掴み上げ、周囲の目線をこれでもかと集めつつ図書室から出て行った。そんな後ろ姿を彼女は見る事もなく、視線を目の前の山へ注ぐ。

 

「スカーレット君、彼は始めの方に欲しい本を取るのに邪魔だから余計な本まで持ってきた、そんな意味合いの言葉を言っていた筈だ」

 

「確かに言ってましたね。でもそれがどうしたんですか?」

 

「よく見てみると良い、どれもこれも全く別の本棚に入っているんだよ」

 

彼女の言い分通り、それぞれの本の種類と本棚を見比べると、確かに一つの本棚からは大体一つしか取っていない事がわかる。例え、二つ取っていても、順番の関係でお互いに離れた場所に入れてあった事もよく分かる。

 

「つまり、彼は自分の意思でこの本を取った。何を隠したかったのかは分からないが、この裏に何かの関係性がある事は間違い無いと言える」

 

「という事は……今から全部読むんですか!? それ……」

 

「勿論、直接調べられないなら、まずは間接的に調べて行くしか無いだろう?」

 

しかし、この積み上がった本を全て読むとなると、一体どれほどの時間が掛かるのだろうか。流石に、自分自身も勉強があるため付き合ってはいられない。

 

結局、ダイワスカーレットは一言告げてテスト勉強に戻って行った。残された彼女は面白そうな物を見る目で、本を次々と処理して行く。しかし、その途中で一枚の封筒が本の間から床へと滑り落ちた。

 

封筒に書かれていた文字は最高機密の四文字。そんな物を見せられては、彼女の好奇心は暴走するに決まってる。もう既に、中を見ずに彼に返すという選択肢など塵と化している事だろう。

 

「ふむ、こんなものを置いておく方が悪い。そういうことにしておこう」

 

封すらされていなかったその中から一枚の三つ折りの紙を取り出した。きっと彼女の中では彼の力の根幹に近づけると勝手に思い込んでいるのだろう。しかし、この紙の存在が彼が彼である事を知らしめる一番の証拠だった。

 

「……!? これは……一体……?」

 

紙に書かれていたのは一匹の竜の図。前足が翼と化しているいわゆる飛竜と言われるものだ。それだけなら、彼女はここまで狼狽えなかっただろう。

 

その図には幾つかの追記があった。翼にはジェットエンジン、爪にはドリル、口には熱線装置。そして、極め付けに尻尾にNEWの文字と元に、丸鋸orチェーンソーと確かに記述されていた。

 

賢さでは彼よりも上な筈だが、これだけはどうひっくり返っても彼女には理解出来なかった。

 

だが、それぞれに結びつく部分はあった。

 

「ジェットには流体力学、熱線はレーザーか。ドリルなどには材料力学……まさか、本当に邪魔な本を取り除くために関係の無い本を持ってきただけなのか!?」

 

どうやら、彼女にとってロマン分の過剰摂取は頭に凄まじい負荷を掛けるようだ。結局この紙を見た後、大人しく本を片付けて図書室から撤退したそうだ。しかし、睡眠を取るまでの間、ずっと調子悪そうに頭を抱えていたという。

 




謎の設計図
たとえ知識があっても見る者によっては全く理解の出来ない設計図。書かれたコメントによると三種の神器が使われているらしいが、鏡どころか剣すら見当たらない。
代わりにあるのは、ドリル、ジェットエンジン、チェーンソーor丸鋸の三つのコメントだけだ。何かの書き間違いなのだろうか?


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レース遠征

ハルウララの併走トレーニング相手はシューちゃんです


 

全ての事のきっかけはハルウララの一言から始まった。

 

「ねえねえ、トレーナー! わたしね、レースに出たいんだ!」

 

「レース? いつも学校でやってるあれだろ? 出たけりゃ出れば良いじゃねえか」

 

「違うよ! 何か、色んなところでレースってやってるみたいなんだ! だから出てみたい!」

 

その言葉にハイゼンベルクは頭を抱えた。なぜなら、彼はレースのレの字も知らない。彼女がどこのレース場に出れるのかなど、知る由も無いだろう。

まあ、そもそも彼がそんな面倒な事をやりたがらないというのが一番大きいのだが。

 

そんな時、一通のメールが彼の携帯を揺らした。

 

「……もう根回し済みかよ」

 

メールの相手は理事長。彼曰く、文面でもその煩さは健在のようだ。そんな彼女からのメールの内容は単純明快だった。

 

ハルウララの適正、どこにレース場が存在するか。などなど、この機を狙ったかのように必要な情報が書かれていた。だが、彼が何より嫌な顔をしたのは最後の文面。

 

『明日の新潟のレースにエントリーしておいた! 健闘を祈る!』

 

恐らく、彼は絶対にエントリーすらしない事を分かっているのだろう。名義を好きに使えと言質を取ったからこそ出来る、強引な方法だ。

 

そして、彼は諦めたかのように大きな溜息を吐いたのだった。

 

なお、この文面のせいで本日の喫煙時間が倍になったのは言うまでもない。

 

「ったく……おい、レース用の靴あるか?」

 

「うんっ! あるよー! たづなさんに持って行きなさいって言われたんだ!」

 

彼女は靴の入った袋から、黒い蹄鉄の付いた靴を取り出した。その蹄鉄はひび割れ、輝きは失われてくすみ切っている。

 

「蹄鉄の交換してやるよ。前にタダでやってやるって言ってただろ?」

 

「ほんとっ!? ありがとートレーナー! あっ! でもこの靴まだ全然使ってないよ!」

 

彼が静かにその蹄鉄部分を指差して、その靴の現状を伝える。壊れかけのそれをみた彼女は、尻尾を逆立てて驚愕の表情を見せていた。

 

「がーん! せっかくファンの人から貰ったやつなのに……」

 

初めての差し入れだった故に、かなり気に入っていたんだろう。彼女はガクンと肩を下ろし、落ち込んでしまった。

 

「何ふざけた事言ってんだ? ファンの奴はそれが原因で怪我したら悲しむんじゃねえのか? そもそも、靴自体処分するわけじゃねえ、蹄鉄部分だけしか変わんねえよ」

 

「そっか! じゃあお願いするね! トレーナー!」

 

「まあ、約束通りそこそこのモンを付けてやるよ」

 

彼は彼女から靴を受け取ると、工場内の地下行きのエレベーターに乗り込んだ。作業風景見たさに彼女も同様に乗り込む。まるで当然のようについて来る彼女の様子を鼻で笑うと、エレベーターのスイッチを押した。

 

地下に着き、迷路のような道を迷わず進んでいく彼。お化けへの道しか覚えていない彼女は、カルガモの雛のようにその背中にピッタリとついて行った。

 

着いた先は金属の机が溢れ、至る所に歯車やら鉄パイプやらのスクラップが集う空間だった。その奥の中心に何やら台座のような機械が置かれていた。地上で彼が使う機械よりも手入れが行き届いている事から、使用頻度が高い事が伺える。

 

そんな、凄そうな機械を前に彼女は目を輝かせた。

 

「わあーっ! 何か凄そうな機械だ!」

 

彼は四角い金属の何かを機械にセットする。すると、自動的に機械は動き出す。目を丸くしている彼女を横目に、その機械は四角い何かに付いている穴にドロドロに溶けた金属を流し込む。

 

そう、この機械は自動鋳造機。規格にあった型さえあれば、大体なんでも作れる優れ物だ。かなり前にハルウララにあげた工場のエンブレムや、鉄のコインなども全てここから生まれていた。

 

そして、冷却フェーズを終えた機械が綺麗な鉛色をした蹄鉄を吐き出した。

 

「ええっ!? すごいすごい! わたしこんなの初めて見た! ねえ、もう一回やってよ!」

 

そんな製造工程を見た彼女は大喜び。尻尾をブンブンと振って、期待の眼差しで彼を見つめていた。

 

「どうせ二つ必要だ。言われなくてもやる」

 

代わり映えもしない工程を再び見せられてなお、彼女の目の輝きはそのままだった。そして、次に彼が触れたのは何の変哲もない金床だった。

 

複数の工具を使ってあっという間に既存の蹄鉄を剥がすと、いつもの鉄槌を使って新しい方の蹄鉄を一撃で打ち込んだ。

 

あまりに早すぎたせいか、作業が終わった事の実感が湧かず、片付けをしている彼の姿をただ呆然と見つめるハルウララ。そんな彼女が正気に戻ったのは、彼が全てを終えて出て行く間際であった。

 

「わーい! ありがとー!」

 

地上に戻った後、彼からレース用のシューズを受け取り、彼女は嬉しそうに笑った。お礼を言われた彼はぶっきらぼうに返事をすると、葉巻を咥えて火を付けた。

 

勿論、換気扇の下でだ。

 

「じゃあ明日は朝一番に車で迎えに行ってやる。寝坊すんじゃねえぞ」

 

「分かったっ! そしたら今日はにんじんさんを数えて早く寝るね!」

 

「羊じゃねえのかよ……」

 

どうやら、彼女の睡眠導入法では羊はリストラされたようだ。その代役として採用されたのはまさかの人参。動けもしないそれを数えて何故寝られるのかは永遠の謎である。

 

微妙な表情を浮かべるハイゼンベルクを横目に、彼女は両手を振って元気よく別れを告げると、傾いた夕日へと走り去っていった。彼はその背中を見送ると、月の明かりへ誘われる様に工場へと戻ったのだった。

 

「今日中に整備しとくか」

 

作業用のポーチを腰にぶら下げ、スパナを器用に回しながら、彼は古い過去の遺物を引っ張り出した。かつて戦時中に足として使われたその車を彼はせっせと弄り始める。

 

ただ、この平和な世界においてこの見た目は色々と言われる事だろう。まあ、理事長からの小言だけなら問題ないと彼は勝手に思い込み、作業を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、当日の朝。ハルウララは同室の一流お嬢様の助けもあり、無事に遅刻せずに起床した。なお、一度寝ぼけてパジャマ姿のまま外へ出ようとしたが、これまたキングヘイローの世話焼きのお陰で阻止された。

 

そして、やっとの事で全ての準備を終えた彼女は忘れ物がないかしっかりと確認しつつ、助けてくれたキングヘイローへ最高の笑顔で礼をすると、寮の入り口まで駆けて行ったのだった。

 

しかし、入り口には人だかりならぬウマだかりが出来ていた。僅かな隙間を潰されながら通り抜けると、そこには良く知る二人の姿があった。

 

「……ハイゼンさん? これは一体何ですか?」

 

「見りゃわかんだろ? 車だ」

 

明らかに怒気を孕んだ声で彼女のトレーナーに話し掛けているのは、緑色の服装が特徴的なたづなであった。しかし、彼はそんな言葉を何処吹く風と適当な返事した。

 

「ただの車じゃない、の間違いでは?」

 

「そう言いてえ所だが、これに関してはマジでただの車だぞ? ちゃんと車検も無理矢……普通に通った。ちょっと見た目が厳ついだけだ」

 

そんなニヒルな笑みを浮かべる彼の横には、全体的に灰色っぽい厳つい車があった。

 

俗に言うジープと呼ばれる軍用車なのだが、彼はこれを色々と弄って公道でも走れる様にしたらしい。ちなみに、ドイツ軍の落とし物だそうだ。入手経路は不明である。

 

「収納式の屋根もある。ちょいと弄って空調も窓も……おっと、悪いな。もう出る時間だ」

 

彼は良く知るピンク色を目にすると、そう言ってたづなに手をひらひらと動かして適当な別れを告げる。そして、左ハンドルのその車に乗り込んだ。

 

そして、彼は窓のないドアの上に肘を乗っけて目的の人物に向かって呼びかけた。

 

「おい、行くんだろ? さっさと乗れ」

 

「うんっ! 分かったっ!」

 

彼女は色々と詰め込んだリュックを体の前に持ってくると、その助手席にちょこんと乗り込んだ。ほぼそれと同時に一般的な車と殆ど同じエンジン音を響かせながら、車は発進した。

 

その後ろ姿を見ていた一人の秘書は大きな溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

収納式の屋根を持つその車は、かなり厳ついが実質オープンカーの様なものだ。そして、そんな車に初めて乗った彼女のテンションは吹き抜ける風の強さに比例してどんどん上がっていった。

 

「わあー! 涼しー! すごいねこの車! 屋根も窓も無いから風がすっごく気持ち良いよ! 前の窓も取ったらもっと良くなるかな?」

 

「おい、ソイツは取ったら警察のお世話になっちまう。レースに出たくねえなら取っちまっても構わねえがな」

 

「ええっ! レースに出れなくなっちゃうの!?」

 

「それが嫌なら大人しくしとけ」

 

その後、彼女がフロントガラスを勝手に取っ払う事などなく、無事に会場まで到着した。だが、肝心の彼女は早起きした事もあり、座り心地の悪いその席でスヤスヤと寝息を立てていた。

 

調子に乗って飛ばし過ぎたせいか、時間にはまだ余裕がある。彼はため息混じりに屋根を展開し、その鋭くなってきた日射を遮った。そして、冷房を付けたまま飲み物でも買いに出かけるのであった。

 

それから暫く後、彼の呆れた声で彼女は起こされた。

 

「おい、寝過ぎだ! さっさと起きろ!」

 

「あれ……? お空のにんじんケーキは……?」

 

「テメエは脳みその代わりに人参でも詰まってんのか? さっさとレースしに行ってこい!」

 

「ああっ! そうだった!」

 

彼女が急いで車から降りる。そして、会場までとんでもない勢いで走って行った。一応、人だかりをしっかりと避けるようなルートを通っているので、事故は起こらないだろう。

 

「ったく、世話が焼ける奴だ」

 

彼はそう呟きながら、いつの間にか火を付けていた葉巻の紫煙をゆっくりと吐いた。会場は完全禁煙だからか、普段より長くその煙を味わっているハイゼンベルク。

 

結局、彼が会場に入って行ったのはゲートが開く寸前であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受付を終えて急いで控室へ入るハルウララ。しかし、備え付けの時計はまだまだ急ぐ時間では無い事を告げていた。どうやら、彼女は勝手に遅刻寸前だと思い込んでいたようだ。

 

そんな事実にホッと胸を撫で下ろす。

 

安心した彼女はゆっくりと出走の準備を進めていく。上下とも体操服を着た後、彼に整備してもらった靴を取り出した。

 

「わあーっ! キラキラしてる!」

 

昨日は暗くなり始めたせいでよく分からなかったが、良く見てみると蹄鉄は少しだけ金属光沢を放っていた。そして、靴自体もまだまだ綺麗な部類に入る。

 

そんな、色々と詰まったお気に入りのそれを履き終えた後、彼女はパドックへと向かって行った。

 

パドックでは出走するウマ娘達が、観客の熱い声援を貰っていた。そして、それはハルウララも例外では無い。

 

「おーい! ウララちゃん! 頑張ってくれよ!」

 

「あれっ!? 八百屋のおじさん!? 何でここにいるの!?」

 

「そりゃあ普段から元気を貰ってるからね。応援ぐらいはしに来なくちゃ!」

 

八百屋の店主だけではない。肉屋、魚屋などあの商店街に店を構えるそれぞれの店主が彼女を応援するためにやって来ていた。なお、骨董品屋の店主は巨体ゆえに来れなかった様だ。

 

「よし! アレ出せ!」

 

そして、彼らが広げたのは一枚の大きな布。そこには達筆な文字で『頑張れ!ハルウララ!』と応援の一言が書かれていた。

 

そんな彼らの応援は、彼女にこれまでに無い程の力を与えた。胸の中が暖かくなる感覚と共に、彼女は元気良くその声援に応えた。

 

「みんな、ありがとー!! よーしっ! 今日は絶対一着を取るぞー!!」

 

花咲くような笑顔と共に、彼女は他のウマ娘達も居る中で大きくそう宣言した。そんな彼女の放った言葉に、商店街の人達は更なる応援の声を送る。

 

パドック内が彼女の登場で、今まで以上の賑わいを見せる。その様子は、このレースがジュニア級の未勝利戦だと思わせない程のものだった。

 

だが、肝心の彼女のトレーナーの姿はそこには無かった。

 

「よーしっ! 頑張るぞー!」

 

しかし、彼女は目の前の彼らから投げ掛けられる激励の言葉に喜んでいたからか、その事実に気付くことは無かった。

沢山の声援に背中を押され、彼女は意気揚々とレース場へと向かって行った。

 

まだ、敷居の高いレースでは無いためか、周りの空気はどちらかと言えば緩いものであった。しかし、出場するウマ娘に闘志がないわけでは無い。全員が輝かしい勝利をもぎ取りに来ている。

 

そんな中、彼女も他の者達と同様にその目にやる気を満ち溢れさせる。そして、前回よりはちょっぴり重くなった靴の紐をしっかりと結ぶと、元気にゲートへと入った。今回のゲート数は8。そして、彼女の番号はゼッケンと同じ3番だ。

 

実況と共に訪れた沈黙の後、乾いた破裂音と同時にゲートが開く。以前の彼が撃ったものより一回り小さいその音は、彼女の足を勢い良く前へと踏み出させた。

 

ところが、普段のペースの筈にも関わらず、彼女はどんどん抜かされていく。それもそのはず、このレースにおいて差しウマはハルウララのみ。他のウマ達の作戦が先行と逃げに偏っていたのだ。

 

彼女を置き去りにして先頭集団は段々と速度を上げる。

 

置いていかれないように先行組が速度を上げると、それに追い付かれないよう逃げ組がまた速度を上げる。そんないたちごっこが原因で、いつの間にか彼女と先頭集団との差は5バ身以上のものとなっていた。

 

しかし、彼女は一切掛からなかった。

 

置いていかれても焦らずに自分のペースを守り続けた。

 

彼女がこんなに冷静なのは、きっとただの偶然だろう。普段であれば間違いなく先頭集団に追いつこうとして、スタミナを削られている。

 

最後尾から全員の背中を眺めながら、コーナーへ入る。

 

体が外側へ引っ張られる感覚を味わいながら、彼女は少しづつ前と距離を詰めていく。序盤で飛ばしすぎた故に、既にバテ始めている者もいるのだろう。形成されていた集団はバラバラに崩れ始めた。

 

しかし、それでも彼女は1バ身離れて最後尾。そのまま次々とコーナを抜けてラストスパートを掛ける。

 

もう、最後尾で燻っている訳にもいかない。外側へ大きく飛び出して仕掛けの準備をすると、全身全霊をその脚に込めて加速し始めた。

 

『ここで三番ハルウララ、仕掛けてきた!』

 

誰の目にも明らかな凄まじい加速。そのイメージは、不思議と暴走列車に近しいものがあった。

 

勢いそのままに五つの影をごぼう抜き。残るは先頭争いをしている二人だけだ。鉛色の軌道を輝かせながら、前との距離はどんどん縮んでいく。そして、彼女含めた三人が横並びになった時、暴走のツケがスタミナへと響き始める。

 

歯を食いしばり、痛む肺に鞭を打ち、何とか前に出ようと試みる。しかし、速度はもう上がらない。だが、それは横二人も同じのようだ。

 

結局、誰が前かも分からないままゴールへと突っ込んでいく。

 

息を整えて目の霞が取れた後、彼女が掲示板を見上げると、そこには二番目に彼女の番号が書かれていた。惜しくも一着とはハナ差だったようだ。

 

「やったやったー! 二着だー!」

 

しかし、彼女にとって二着でも十分嬉しかったようで。観客席の者達へその喜びを分かち合うかのように、花咲く笑顔で手を振った。結果など関係なくいつでも元気な彼女の姿は、観客に大きな影響を与える事だろう。

 

そんな中、観客席の出口へ向かう一人の背中を見つけた。薄汚れたコートに鉄槌を持つ観客など彼女の知る中で一人しかいない。そんな、見覚えのある後ろ姿に彼女は大きく手を振った。

 

当然、コースに背を向けている彼がそれに気付く事は無いだろう。だが、彼がこのレースを見ていたという事実は彼女にとっては大きかったようで、上機嫌に鼻歌を歌いながらライブへと向かって行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと帰ってきやがったか」

 

車の運転席でのんびりと携帯を弄っていた彼からの第一声はそれだった。だが、ルンルン気分の彼女にはそんな些細な事はどうでも良い事だ。

 

「ただいまトレーナー! わたしね、今日のレース、二着だったんだ!」

 

「ほう、テメエにしてはやるじゃねえか」

 

「だからね、ライブでも前の方で踊れたんだよ! トレーナーも見てたよね?」

 

「ライブ……? 何だそれ?」

 

言葉の意味が理解出来ずに困惑するハイゼンベルク。その様子を見たハルウララは驚きの表情を浮かべ、一つの問いを投げかけた。

 

「ええっ!? もしかしてトレーナー、ウイニングライブ知らないの!」

 

「ウイニング……ライブだって? 何だ、テメエら勝ったら歌って踊ったりでもすんのか?」

 

この男、トレーナー業への興味が無さすぎる故に、トレーナーとしての常識すらどっかに置いてきたようだ。

 

理事長曰く、説明はしたそうだ。きっと、彼の耳に入って脳へ情報が届けられる間に、ぶっ飛んだフィルタリングでもされたのだろう。今頃、情報は螺旋を描いた状態でどっかに保管されている筈だ。

 

この後、ハルウララの機嫌を直すため帰りのサービスエリアで色々と買わされる事になったハイゼンベルクであった。

 




???のヒミツ
実はハルウララの事はちゃんと友達だと認識している


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ランチ

 

太陽が真上へと昇る昼の時間帯。授業も終わり、皆が休み時間へと入り昼食を楽しみ始める中、一人の男が天真爛漫なウマ娘に引っ張られていた。

 

「トレーナー! 早く早く! 座れるとこ無くなっちゃうよ!」

 

「あのな、俺は後で食うから良いんだよ! テメエだけでさっさと行ってこい!」

 

「ええー! ここのご飯とっても美味しいんだよ! 一緒に食べようよ!」

 

彼の腕を掴んでカフェテリアへと走るハルウララ。力加減を考えていないのか、結構な勢いでハイゼンベルクは引っ張られて行く。おまけに急いでいるせいか、スピードが速かった。

 

「おい、待て! あんまり引っ張るんじゃ……」

 

ドゴンッという鈍い音と共に、彼と鉄槌は床へと転がった。力は強くても足が速い訳では無いのだ。

盛大に転倒した彼を見た彼女は心配そうに駆け寄った。

 

「ああっ!? ごめんねトレーナー! だ、大丈夫!?」

 

「ったく、地べたを這いずるのは何年振りだったか……?」

 

悪態を吐きつつ平然と立ち上がると、ひび割れた床に落ちている鉄槌を拾い上げる。そして、首を鳴らし体に異常がないことを確認すると、彼は彼女を指差して言った。

 

「ああ、分かったよ! この面倒なランチに付き合ってやるよ! だから、俺を引っ張り回すんじゃねえ!」

 

「ほんと!? やったー! じゃあ、先に席取ってくるね!」

 

彼女は彼を残してカフェテリアへと走り去る。その後ろ姿をため息混じりに見送っていると、彼の背後から見覚えのあるウマ娘が同じく彼女を追いかけて走って行った。

 

「むむっ! ウララさん! 待ちなさい! 廊下は走ってはいけませんよ!」

 

盛大なブーメランが突き刺さっている彼女だが、そんな事に気付くはずもなくハルウララを追って曲がり角に消えていった。

 

その後、彼がゆっくりと食事処へ向かう道中にて、厳格な副会長に叱られている二人の姿を見かけるのだが、彼は特に助け舟を出す訳でもなくただ"ご愁傷様"とだけ呟いて先にカフェテリアへと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こっ酷く副会長に叱られたハルウララは、非常にどんよりとした様子でカフェテリアに到着する。最低まで下がってしまったテンションだが、四人席に座る人影を見るや否や再びレッドゾーンを振り切って最大へと戻ったのだった。

 

「あっ! トレーナー! エルちゃん! グラスちゃん!」

 

「あら、ウララちゃん」

 

「やっと来ましたね! ウララも一緒に食べるデース!」

 

彼女は自身のトレーナーの隣の席に当然のように座る。そして、本日のメニューを見て何を食べるか迷っていた。

 

「トレーナーは何食べるの?」

 

「さあな、適当に決める」

 

結局、彼とお揃いのものを食べようと考えていたようだ。しかし、彼はぶっきらぼうな答えを返すと先に立ち上がって食事を受け取りに行ってしまった。

 

彼女は慌ててついて行き、彼の後ろに並んで全く同じメニューを頼む。そして、食欲を誘う美味しそうな香りと共に渡されたのは、ソーセージがメインのランチメニューだった。

 

肉汁がその身から溢れ出しているソーセージにふんわりと焼かれたパン、付け合わせのサラダ、おまけにカリカリに揚げられたポテト達による素晴らしい誘惑に涎を垂らしそうになるハルウララ。

 

何とか手を出すのを我慢しつつ席にたどり着くと、未だトレイを持ったまま厨房の年配者と話をしている彼を待つ。その様子は、さながら"待て"と言われた犬のようだ。

 

「この間はありがとよ! アンタのお陰で火力が段違いだ!」

 

「礼なら俺じゃなくて理事長に言いな。あのチビがテメエらの為に手配しただけだ。俺の鼓膜をぶっ壊してな」

 

「はははっ! まあまあ、コレで機嫌を直してくれよ」

 

「ヘッ……ありがとよ」

 

彼の皿に追加で二本のソーセージが置かれる。そんな様子を見て鼻で軽く笑うと、呟くように礼を言って自身の席まで戻ってきた。

 

そのやり取りを横から見ていたハルウララは、羨ましそうに彼のトレイを見やる。

 

「良いなあ……! 5本もある!」

 

普段、ウマ娘たちが食事を取るところである為、一つ一つの品の量がそこそこ多い。勿論それは彼の分も例外ではない。

 

「こんなに食えねえ、テメエに一本やる」

 

そう言った彼は、まだ未使用のフォークで特大のソレを一本彼女の皿に放り込んだ。

 

「ほんとっ!? ありがとー! えへへ、お肉がいっぱいだ! うっらら〜!」

 

「意外とお優しいんですね」

 

「うるせえ。食い切れねえからくれてやっただけに決まってんだろ」

 

刺身がメインの定食を席へと持ってきたグラスワンダーは茶化すように彼へ言った。返ってきた反応は至って単純、本当か嘘か分からない誤魔化しだった。

 

「そうですよグラス! ウララのトレーナーはもっと恐ろしい存在デース! 情けも容赦も優しさも全くもって無いに等しいのデス!」

 

エルコンドルパサーは至極当然のようにそう言い張ると、オムレツがメインの料理を持って席に座る。

とんでもなく失礼な言い分だが、彼は全く気に留めておらず、既に料理を楽しみ始めていた。

 

まあ、彼女が初めて会った時の彼は色々とあり頭のネジが吹き飛んでいたので、そんな評価になるのも致し方ないと言えるだろう。

 

「そんな事ないよ! トレーナーは優しいもん!」

 

しかし、彼ではなく別の者がそれに異議を唱えた。勿論、ハルウララだ。迷いなき眼をエルコンドルパサーへと向け、彼女と同じような自信満々といった様子でそう言ったのだ。

 

そして、最強の彼女に追撃を加えようと続けて何かを言おうとするが、それは男の声によって遮られる。

 

「テメエら黙って食え」

 

どこか呆れた様な表情と声調で、彼はこれから自分に都合の悪そうな言い合いが始まるのを阻止した。

 

「そうですよ二人とも。楽しく話すのは食事が終わってからにしましょう」

 

その言葉に少し悪びれた様子を見せる二人は、各々の料理に手をつけ始めた。

 

おまけのソーセージをハイゼンベルクから貰った彼女は、フォークをその肉の塊へ突き刺す。すると、刺さったフォークの隙間から肉汁が溢れ出す。そんな様子を見てしまってはもう我慢はしていられない。

 

迷わず口いっぱいに頬張ると、彼女の味覚は歓喜に震えた。

 

いつものランチとは一味違う、ほっぺたが落ちてしまいそうな程の料理に、思わず彼女は疑問を口に出す。

 

「んんっ〜!! すっごく美味しいっ! なんでなんで!? いつもと味が全然違うよ!」

 

そんな彼女の嬉しそうな声は厨房まで聞こえていたのか、一人のコックのおじさんがカウンター越しに彼女の疑問に答えた。

 

「簡単な話だよ。文字通り火力が違うんだ! 一人の優男が直してくれたからな! しかも、そのソーセージは別格だ。何せ、そいつが"作ったけど要らねえ"って言って、高性能なミンサーまで提供してくれたからな!」

 

「……っ!?」

 

コックの言葉に一人の男の手が止まる。だが、三人ともそれに気付く事は無かった。そして、男は何事も無かったかのように食事を続けた。

 

「へえ! 世の中にはとっても良い人もいるんデスね! 次回はそっちを食べてみようと思います!」

 

「きっと美味すぎて驚くぞ!」

 

「ブエノ! それは期待大デース! 明日のランチがとても楽しみデスね!」

 

「ふむ、確かにとても美味しそうですね。私もエルと同じように明日はそのメニューを頂きましょう」

 

コックの熱い説明と、実際に目の前にある品を見て、二人の興味はそのメニューへと向く。

 

見ただけで美味しいと脳が感じているのだ、実際に食べてみたらどれだけ美味しいのだろうか。考えただけで涎が出る。

 

しかし、今は目の前の食事に集中するのが良いだろう。あの料理も美味しいがこっちの料理も当然美味しい筈だ。

 

そうして自身の注文した料理に再び手をつけるグラスワンダー。だが、その隣のコンドルは彼女と同じように食べ始めるかと思いきや、懐から一つの瓶を取り出した。

 

「見て下さい! これがあのメーカー新作のデスソースでーす! きっとこれは料理を新たな高みへと持っていってくれるはずデース!」

 

その瓶に入っているのは真っ赤な液体。血よりも赤いそれには、とんでもない辛さが詰まっている事だろう。

 

そして、少しだけそれに見覚えのある彼はその瓶を見て思わず言葉を漏らした。

 

「そいつは食いもんじゃねえ。どっちかと言えば護身用の武器だ」

 

「護身用!? こんな素晴らしい物を一体どうやってそんな物騒な物に仕立て上げるのデスか!?」

 

「水鉄砲にぶち込めば丁度いいモンの完成だ。顔面にでも引っ掛ければ一発で無力化出来る」

 

「違うデース! コレはそんな野蛮な物じゃありません!」

 

その言葉に納得を見せないのは工場長だけでは無かった。その隣の大和撫子。天真爛漫な彼女。皆が懐疑的な視線をその劇薬へ向けていたのだ。

 

そんな視線を気に留めず、彼女はその赤い赤い悪魔の液体を、オムレツへと振りかけようとしていた。

 

「エル?」

 

「安心して下さいグラス! 今回の新作にはちゃんと少しづつしか出ない様に特殊なキャップが付いてます! エルは同じミスはしないのデース!」

 

キャップを開けて、思い切りオムレツに瓶をひっくり返す彼女。しかし、死の液体は一滴たりとも瓶から出てくる事はなかった。

 

不思議に思った彼女がキャップの穴から中身を見ると、そこにはアルミの封がしっかりとされていた。

 

「あ、まだ中に蓋が……よし、コレで完璧デース!」

 

キャップを外し、封を完全に取り外す。そして、今度こそ味覚が壊れる一撃をオムレツに放ったのだった。

 

しかし、彼女は肝心な何かを忘れていた。

 

「あ、あれ……? どうしてこんなに出てるのデスか? あ……! キャップ外したままデース……」

 

思いっきり振りかけたその液体は、彼女の想像の10倍以上の量だった。

 

隣のグラスワンダーには勿論、反対側に座るハイゼンベルクの料理にまで、味覚を殺すソースがばら撒かれた。なお、幸運にもハルウララの分は無事だった。

 

「エル……?」

 

「テメエ……」

 

「ヒィッ!?」

 

エルコンドルパサーによる、真紅の液体を使った儀式は、どうやら悪魔ではなく大和撫子の中に潜む鬼だけではなく、鋼の魔王までこの世に顕現させたようだ。

 

黒魔術としては大成功である。

 

鬼と魔王の夥しい程の殺気が彼女を覆う。顔を一気に青ざめさせ、コンドルからただのヒヨコへと成り下がった彼女は、ただただ震える事しか出来なかった。

 

絶望、滅亡、エル惨状。

 

雷に撃たれるよりも、炎に焼かれるよりも悍ましい経験を彼女はこれからする事だろう。

 

全てが終わった後、二人は食べれなくなった分を交換して貰い、食事を続けた。

 

先程までエルコンドルパサーのいた席には、代わりに彼女に似た何かが顔色を真っ白に染めて卓上に突っ伏していた。

 

彼女がエルコンドルパサーに戻った時、幸か不幸か先程の記憶はスッポリと抜け落ち、代わりに背筋に謎の悪寒が走り続け、しばらく悪夢を見たそうだ。

 




平日限定ソーセージランチ
学園内で人気のメニューの一つ。肉厚のソーセージがとても美味しい事で有名。ソーセージの本場であるドイツの食卓を模したものとなっている。
なお、どこかの誰かさんのご要望で生まれたようだ。


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水鉄砲大会

感想と誤字報告ありがとうございます!いつも励みになってます!


 

「ねえねえ、キングちゃん! これ一緒に出ようよ! 優勝したらスイーツバーのチケットだって!」

 

寮の一室にてハルウララがキングヘイローに手渡したのは、掲示板でも見かけた一枚の紙だった。

 

「水鉄砲大会?」

 

どうやら夏限定の催し物らしい。濡れると色の変わるベストを着て、二人のチームを組んで水鉄砲で撃ち合うようだ。なんとも涼しそうな催し物だが、ちょっとお子様感が否めないそれに渋い表情を浮かべる。

 

「そうなんだ! 優勝賞品も欲しいけど、それよりもキングちゃんと一緒にやったら楽しいと思ったんだ!」

 

彼女の天使のような言葉と表情に、お嬢様の言おうとしていた断りの言葉は口元で突っ掛かり、発せられる事は無かった。

 

代わりに出てきたのは、彼女のキラキラとした期待の眼差しに応える言葉だった。

 

「……ええっ! 良いわよ、一緒にやってあげるわ」

 

「ほんと!? ありがとー!! トレーナーには駄目だって言われちゃったからどうしようかと思ってたんだ!」

 

「私と組んだウララさんには、優勝する権利をあげるわ!」

 

「やったー!」

 

「それで、水鉄砲はどうするの? 適当な店で買うのかしら?」

 

尻尾を振って喜ぶハルウララに彼女は当然の疑問をぶつける。すると、彼女は自慢げな様子で言葉を返す。

 

「ふっふっふ! なんとなんと! トレーナーが貸してくれるんだって! ちゃんと二つ分あるよ!」

 

「え、ええ……それは、良かったわ……」

 

何か嫌な予感しかしない。彼の作る物は高性能だが、本人の意向がぶっ飛んでいる事もあり、その作品は一癖どころじゃ済まないのが彼女の中での定説だ。

 

そんな彼が水鉄砲を作る。

 

絶対に何か問題しかない要素をぶち込んでくるに違いない。

 

「先にキングちゃんの分渡しとくね!」

 

唖然とする彼女に手渡されたのは青色が主体の水鉄砲。しかし、そのフォルムはどこからどう見ても映画で時折見るアレだった。

 

「これ、本当に水鉄砲なの?」

 

「うんっ! トレーナーが目の前で使うところ見せてくれたから、絶対そうだよ!」

 

その見た目は、円形に並べられた六つのバレルが特徴的な、所謂ガトリングと似たような形をしていた。黄色い水のタンクと全体が鮮やかな青色でなければ、水鉄砲だと分からなかっただろう。

 

「あとね、わたしのはこっちだよ!」

 

そう言って彼女が持ってきた物は、恐らく背負うのであろう巨大な黄色いタンクと、それに繋がれた四角柱に持ち手がくっ付いたかのような何かだった。

角材で作ったトンファーとでも言ったほうが例えとしては適切かもしれない。

 

だが、やたらと大きいタンクを除けばキングヘイローに渡された物よりも、水鉄砲に近いと言えば近いだろう。

 

「まともだと決めつけるのはまだ早いわね」

 

残念ながら、彼の作品に対しての信用は地まで落ちているようだ。

 

「ウララさん、試し撃ちはしたのかしら?」

 

「ううん、してないよ!」

 

「絶対にやった方がいいわ! 今ならまだプールも空いているから、練習も兼ねて試し撃ちに行きましょう?」

 

「うんっ! 分かった! すぐに準備するね!」

 

大人しく彼女の提案に賛同するハルウララを見て、ホッと胸を撫で下ろす。このままぶっつけ本番で挑んだらどんな目に遭うか分からない。

 

そんなこんなで、彼女達はプールへと赴いたのだった。

 

プールにて試し撃ちした結果だが、ハルウララの方は射程距離がやたらと長いこと以外は至って普通。特にふざけた機能も無かった。

 

問題はキングヘイローの方だ。文字通り、豪雨の様な弾幕を張れる代物だった。弾は勿論水なのだが、謎技術によって圧縮されて放たれるので、水鉄砲とは何なのかと考えさせられる様な弾速を持っていた。

 

だが、当たっても痛くはない。大粒の雨に打たれたかの様な感じがするだけだ。

 

ただ、一流っぽくはない。これがせめて狙撃銃だったなら、彼女の考えも違ったのだろう。しかし、一度やると言ってしまった以上、もう腹を括るしかない。

 

「なんでこんなおもちゃにとんでもない改造出来るのよ……!」

 

呆れを通り越した表情を浮かべた彼女の呟きは、水と共に排水溝に流れていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当日、集合場所には沢山のウマ娘達が居た。優勝賞品目当ての者もいれば、ただ遊ぶのが目的の者もいる。一応、ハルウララ達も後者の中に入るのかもしれない。

 

そんな中、見覚えのある二つの影を見つけた。

 

「あっ! エルちゃんにスペちゃんだ! 二人も遊びに来たの?」

 

「あ、ウララちゃん! 私はね、優勝賞品狙いで来たんだ! それで、エルちゃんを誘ったの」

 

「そうデス! エル達は最強のタッグを組んで、無双しに来たのデース!」

 

エルコンドルパサーとスペシャルウィークもどうやら出場する様だ。しかし、食いしん坊な彼女の目がいつも以上にギラついていたのは気のせいでは無いだろう。

 

ただならぬ執念の様な何かを感じ取ったキングヘイローは、思わず冷や汗を流した。

 

「しかし、キングがいたのは意外デスね。てっきり、こういうのはやらないと思ってました」

 

「ウララさんに誘われたのよ。一流たる者、やるからには勝ちに行くわよ? 精々、吠え面かかないように頑張る事ね」

 

「ブエノ! その言葉そのままお返しします! 勝つのはエル達デース!」

 

一流と怪鳥がバチバチに火花を散らす。今にもその火花がどこかに燃え移りそうな程だ。しかし、その横では非常に平和的なやりとりが行われていた。

 

「一緒に頑張ろうね! スペちゃん!」

 

「うん! ありがとねウララちゃん!」

 

「ねえねえ! 優勝したらスイーツバーで何食べる?」

 

「えっと、そうだなあ……夏限定のスイカ系のやつも美味しそうだけど、やっぱにんじん系のも捨てがたいなあ……」

 

「そうだよね! わたしもすっごい迷ってるんだ! 昨日から何を食べたら良いかなってずっと考えてるんだ! えへへ、よだれが出てきちゃった!」

 

「あっ! スイーツバーなんだから、食べ放題だ! 全部食べちゃえば良いんだよ!」

 

「あ、そっか! じゃあ、食べたい物ぜーんぶ食べられるね! 良かったー!」

 

二人の脳内では既に多種多様なスイーツが目の前に並んでいる事だろう。だらしなく開けた口が、それを確かに物語っていた。

 

各々の交流が終わった所で、会場入りが始まった。どうやら学園のグラウンドを使う様だ。大きなフィールドにドラム缶などで作られたバリケードが所々に置かれている。

 

一部のバリケードに蛇口と繋がったホースがあるため、そこで水の補給は問題なく可能な様だ。

 

そして、準備を終えた者たちがそれぞれ好きな場所へと移動する。開始地点はどこでも問題ないようで、それぞれがフィールドの隅の方へ陣取っていく。勿論、スペシャルウィーク達も隅を取っていた。

 

出遅れたハルウララ達が陣取ったのは、激戦区となる事間違いなしのフィールドのど真ん中だった。

 

「キングちゃん、どうしよう……周り敵ばっかだよ!」

 

「そうね、じゃあ始まったらすぐに隅の方へ移動しましょう。ウララさん、ちゃんと撃ちながら移動するのよ?」

 

「うん、わかったっ!」

 

そして、レースの時と同じような乾いた破裂音と共に戦いは始まった。

 

あちこちから水が飛び交う中心部から脱出を図る為、二人は合図と共に走り出した。

 

「えーい!」

 

がむしゃらに撃ちまくりながら前へ進んでいくハルウララ。そして、それを援護するように全方向へしっかりとその厳ついブツを向けながらついていくキングヘイロー。

 

「何で、その撃ち方で当たるのよ……」

 

当然、前には幾人かの敵影があったが、彼女のがむしゃら撃ちが見事にその黒いベストを次々に真っ青に染めていく。偶然だとしても凄すぎるその光景を見て、援護していた彼女は苦笑いを浮かべていた。

 

とりあえず、無事に隅まで行くことができた二人はバリケードに身を隠して、ホッと一息ついた。

 

「これからどうするの? キングちゃん?」

 

「そんなの決まってるじゃない、あのコンドルを撃ち落としに行くのよ!」

 

「よーし! じゃあ私も頑張るぞ!」

 

今度は、闘志を燃やすお嬢様が先頭に立ち、煩く響く声の方向へと進んでいく。その道中にて当然敵に出くわすが、ソレを構えた彼女の眼前に立つという事はそれ即ち死を意味する。

 

数多の弾丸を放ち、相手を蜂の巣にするその姿は、一流の某ゴリラであった。ちなみに、どこかの誰かさんは今でもとんでもなく嫌っているらしい。

 

「おーっほっほっほっほ! 愚かにもこのキングの前に立ちはだかるなんて、身の程を知りなさい!」

 

実はちょっと楽しくなって来た彼女は、目の前の敵に弾をばら撒きながら、高らかに笑う。相手に反撃を一切許さないその弾幕により、二人は段々と因縁の相手へと近づいていく。

 

「ま、不味いデース……キングがあんな恐ろしい物を持ってるとは思って無かったデス!」

 

「絶対に……負けない!」

 

二丁拳銃のスタイルをとっているエルコンドルパサーとよくある空気圧式の水鉄砲を持つスペシャルウィークは迫り来る強敵に気を引き締める。

 

そして、その時は訪れた。

 

「最強、怪鳥、エル参上!」

 

「あら? このキングの前にその姿を見せるというのかしら? なら、その翼撃ち落として差し上げるわ!」

 

「ちょ、ちょっと待つのデース! 名乗り途中に撃つのは反則デスよ!」

 

「そんなルールある訳ないでしょ!」

 

バリケードの上に勇ましく立ち、目の前の一流に対して名乗りを上げる怪鳥。しかし、拍手の代わりに遠慮なくぶっ放された弾丸が、彼女をバリケードの後ろに追いやった。

 

「ふう、ちょっとペースが崩されましたが問題ありません! この翼! 落とせる物なら落としてみろデース!」

 

しかし、彼女は突如としてバリケードを踏み台にして、大空へと飛び立った。アクロバティックな動きを追い、キングヘイローの持つ六門の砲身が弾をばら撒きながら空へと上がっていく。

 

空中で体を捻り、見事に弾を回避するその様はさながらアクション映画の様だ。

 

しかし、そんな目立つ行動には大抵裏があるものだ。

 

「キングちゃん! 下!」

 

ハルウララの呼び掛けに上を向いていた視線が下へ戻される。そこにいたのは、食欲を執念に変えて突っ込んでくる、スペシャルウィークの姿だった。

 

スライディングでガトリングの下に滑り込んだ彼女は躊躇いなくその引き金を引く。

 

瞬く間にキングヘイローのベストは青色に染まり、脱落のサインとなってしまった。

 

「ブエノ! 完璧デース!」

 

「やったね、エルちゃん!」

 

息の合った連携プレイに敗北した彼女は、悔しそうな表情を浮かべたのだった。しかし、死人に口無し。敗者は黙ってフィールドから出て行くしかないのだ。彼女はハルウララの方を心配そうに見ながら、外へと向かって行くのだった。

 

「あわわっ!? どうしよう……」

 

強力な相方を失い、意気消沈してしまう。そんな彼女が隠れるバリケードへ、二匹の猟犬が残党狩りにやってくる。

 

「さあ、ウララはどうしますか! 逃げるも良し、立ち向かうも良しデース!」

 

じわりじわりと詰め寄ってくる二人に対し、彼女はバリケード裏で慌てる事しか出来ない。

 

「いくよ! ウララちゃ……きゃあっ!?」

 

彼女達が突っ込もうとした瞬間、横からとんでもない量の水が文字通り彼女達を吹き飛ばした。

 

「い、い、一体何が!? はっ!? そ、それは、絶対反則デース!」

 

彼女達を襲った水の正体は、遠くの方で大笑いしている問題児。ゴールドシップによるホースからの一撃だった。

 

「何言ってんだ? 誰もコイツを使っちゃ駄目だなんて一言も書いてなかったぜ? それに、水が撃てれば水鉄砲なんだろ! だったらこれも問題無えな!」

 

彼女が得意げに構えているのは、消火栓に繋がれたホースだった。文字通り質量が違いすぎる。

 

「ほらほら、お前らはもう脱落しただろー? 後はそこに隠れてるちっこいやつだけだからよ! 指でも咥えて待ってるんだな!」

 

どうやら、いつの間にか残りはゴールドシップとハルウララのみらしい。彼女はそのとんでもない放水量でバリケードを次々と崩していく。

 

小柄なお陰で、見つからずに逃げてられているが、もはや時間の問題だろう。真正面から撃ち合っても絶対に負けてしまう。せめて横から攻撃したいが、黄金船の周囲のバリケードは全て、その砲撃によって跡形も無くなっている。

 

そして、残るバリケードもあと僅かとなる。

 

「くっそー……カナヘビみてえに逃げ隠れしやがって!」

 

なんとか一番後ろのバリケードまで逃げてきた彼女だったが、慣れない動きに加えて意外と重い水の詰まったタンクを背負っているせいか、息も絶え絶えといった様子だ。

 

「よお、満身創痍って感じだな」

 

ニヒルな笑みを浮かべて彼女へと話しかけたのはハイゼンベルクだった。

 

「トレーナー! どうしよう……なんか良い方法ないかな……?」

 

「悪いが俺は部外者だ。テメエにアドバイスなんてしたらフェアじゃねえ」

 

ふざけた水鉄砲を作っておいてその言い分は、中々面白いものがある。しかし、一応それはルールの範囲内なのだ。今彼女がやろうとしている事は、脱落者や観客から情報を得る反則行為だ。故に彼は当然のように拒んだのだ。

 

「だが、こっちの会話を勝手に盗み聞きするのは問題無え。そうだよな、お嬢様?」

 

そんな彼の視線の先には、怪鳥に敗北を喫したキングヘイローが立っていた。彼女は投げかけられた問いを微妙な表情を浮かべながら答える。

 

「ええ、たしかにルールには明記されていないけど……やっぱり少しグレーゾーンじゃ……」

 

「そうかそうか! テメエはそんなにアレに仕込まれたブツについて知りてえ訳か! だったら教えてやる」

 

彼女の返答などどうでも良いのだろう。彼は強引に話を続けていく。

 

「クソでけえタンクがあるだろ? その下部に実はスイッチが仕込んである」

 

自慢げな彼とため息を吐くキングヘイローの話を、盗み聞きした彼女は左手を後ろに回し、彼の言っていたスイッチを探す。

 

「そして、ここぞという時に押せば、ド派手な花火が見れる! 最高だろ?」

 

「花火ですって? 一体何を仕込んだのよ……」

 

話の続きを聞きながら、彼女は例のスイッチを見つける。そして、間をおかずにそれを躊躇いなく押し込んだ。

 

ちょっとした機械音が鳴った後、彼女の背負うタンクの上部が二つに割れた。

 

そして、明らかに水ではない推進力を使った何かが勢いよく天空へと飛び出していく。一つではない、大量に。

 

「……ねえ、これは何なのよ?」

 

「見りゃ分かんだろ、高高度ペットボトルミサイルに決まってる!」

 

「そんなの見て分かるわけ無いでしょ!? それよりも、あんなの絶対アウトよ!」

 

「安心しろ、ちゃんと空中で破裂する。ペットボトルが直撃する事は無え。だから、ルール的にはセーフだ」

 

「そういう意味じゃ無いわよ……!」

 

絶対に水鉄砲の枠組みから外れている仕掛けに、彼女は呆れを通り越した表情を浮かべていた。

 

恐らく、その感情を抱いたのは彼女だけでは無かったようで、周囲のウマ娘達もそれぞれ呆然とした様子だった。しかし、そんなグレーゾーン同士の対決の結末がどうなるのか興味があるようで、皆ワクワクした表情を浮かべてこの勝負を見守っていた。

 

水のたっぷり詰まったソレは天高く飛び上がった後、全ては消防士ごっこをしている彼女の方へその矛先を向ける。

 

「うおっ! マジ? やっぱり面白そうな物仕込んでやがった! だが、勝つのはこのゴルシ様だ! どけどけーい!」

 

彼女は真上から飛来するペットボトル達を、そのホースを真上へ向けて次々と跳ね除けていく。本来一人で運用するべきで無いものを、余裕綽々で使えるのは流石ウマ娘と言った所だろう。

 

結局、彼の秘密兵器も大量の放水で完全に無力化されてしまった。

 

「よーし! これで後はアイツを仕留めて終わり……」

 

勝ち誇った笑みを浮かべ、視線を上から眼前のバリケードへ向ける彼女。黄金船に備わった大砲が壁ごとハルウララを吹き飛ばそうと迫ってくる。しかし、どうやら海は大荒れだったようだ。

 

彼女にだけ大量の雨が降り注ぐ。天に向かってその主砲を撃ってしまったのが不味かった。重力に引かれて落ちてきた水達はホースへ返る訳もなく、船のマストをびしょ濡れに青く染めたのだった。

 

「あーっ!? やっちまったー! マックイーンに見せびらかす筈のチケットがー……!」

 

まさかの自爆で地面に手をつくゴールドシップ。どうやら糖質制限中の友人に見せびらかそうとしていた様だ。

 

なお、ハルウララはしばらく勝ったことに気付かず、バリケード裏でプルプルとずっと身を隠していたらしい。友人達から終わった事を告げられると、彼女は大喜び。敵味方構わずその喜びを分かち合ったそうだ。

 

負けてしまって意気消沈していたスペシャルウィークはキングヘイローの粋な計らいでチケットを譲ってもらい、ハルウララと二人で後日、行く約束を取り付けるのだった。

 

この催しを考えた張本人は次からルールの欄に"市販されているものに限る"という注意文を書かざるを得なくなったとか。

ちなみに、どこかの誰かさんはしっかりとそのルールを守るために市販の水鉄砲を買った後、ふざけた意見と共に工場長の元に持ち込むのだが、またそれは別の話。

 




改造水鉄砲
色々と魔改造が施された水鉄砲。二つのタイプがあるが、どちらもどこかのしつこい追跡者を元にして作ったそうだ。
実は発射口のノズルだけ自動的に傾いて敵を狙うふざけたシステムがついている。

彼は最後に助言を漏らしたが、それは彼女に勝って欲しいからなのか、秘密兵器が作動しているところを見たかったのか、どちらなのかは分からない。


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身の振り方

今回はちょっとシリアス気味です


 

暑さもだいぶ収まり、日の長さも短くなって夏から秋へ季節が動き始める。しかし、商店街の活気は夏と比べて変わるどころか、一人のウマ娘によって更に賑わいを増していた。

 

そんな中、近寄り難いオーラを放ちながら一人の男が道を歩いていた。葉巻と鉄槌を持つその異様な姿は、初めてここに来た者達に思わず道を空けさせる。

しかし、この地に昔からいる店主達は彼にいつも通りの笑顔を送る。それどころか、積極的に話しかける店主もいた。

 

初めて彼を見る者はあの鉄槌が振り下ろされるのではないかと勘繰ってしまう。しかし、彼は話しかけられてもただただ面倒そうに首を横に振るだけで、特にスプラッタ映画の様な事は起きなかった。

 

逆に、彼の方が逃げる様に早足で立ち去る始末。店主はその後を笑顔で追う。そんな様子を呆然と見る観光客。

 

今日も商店街は平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目立たない場所にある骨董品店。活気のある表通りとは違って、紙の擦れる音以外何も響かない静かな空間だった。葉巻の紫煙が漂う中、店主によって本のページは捲られる。

 

しばらくの間、本に没頭していると葉巻を持つ手が反射的に跳ねる。思わず持っていたそれを床に落としてしまった。どうやら、いつの間にか手元まで火が来ていた様だ。

 

床に落ちた葉巻を拾うよりも先に、入り口の鈴が来客を告げる。時間通りに来たその客は、落ちて転がった葉巻を拾い上げるとカウンター上の灰皿へぶち込んだ。

 

「よお、まだ生きてて何よりだ」

 

挨拶がわりに皮肉を店主へとぶつけてくるのは、誰でもないハイゼンベルクだ。葉巻に鉄槌のセットはいつも通りだが、珍しくサングラスが胸ポケットに掛かっていた。

 

「ええ、まだ商いに満足しておりませんので死ぬ訳にはいきませんな。それよりもハイゼンベルク様、それはどうなさったのですか?」

 

彼は皮肉を華麗に受け流すと、僅かに首を傾げてそのサングラスへ指を差す。どうやら、腕利きの商人は常連客の些細な変化も見逃さないようだ。

 

「こんなとこでサングラスなんかしてみろ、何も見えやしねえ。外と比べて暗すぎんだよ」

 

彼は鼻で軽く笑うと、店主にそのギラついた目を向ける。いつも通りに見えるが、その瞳は酷く濁っていた。

 

「おっと、それは失礼致しました。次のご来店までに電球を替えておくことにしましょう」

 

勿論、店主もその様子には気付いているだろう。だが、それ以上は何も言わなかった。それは礼儀に欠けるからなのか、それともただの気遣いなのかは分からない。どちらにせよ、これが彼と取引する上で適切な距離感だということは確かだろう。

 

「それで、今回もコレですかな?」

 

笑顔を浮かべながら、いつもの木箱を取り出してカウンターへと置く。箱から漏れ出す香りは、正しく葉巻のそれだった。

彼はそれを見てニヤリと笑みを浮かべると、コートの中から取り出した封筒を店主へと手渡した。

 

互いに怪しい笑みを浮かべるこの状況を、もし誰かが見たとしたら闇取引の現場と勘違いする事間違いなしだろう。

そんな紛らわしい取引を終えた二人は、お互いに新たな一本を手に取って火を付けた。

 

「そういえば、ハルウララ様はいかがお過ごしですかな?」

 

「いつも工場で走り回ってやがる。はっきり言って邪魔だ」

 

ため息の様に紫煙を吐き出した彼はパッとしない表情を浮かべながら、ついでに文句も吐き出した。

 

「それはそれは、お元気そうで何よりです! 実は彼女のお陰で、この影の薄い店にも来てくれるお客様が増えてきたのですよ! このデュークが心よりの感謝をしていたと、彼女に伝えておいて下さい」

 

「悪いが俺は伝書鳩じゃないんでな、自分で伝えろ」

 

笑顔を浮かべる店主の要求を、彼は興味無さそうに突っぱねる。彼の顔は帽子のつばでよく見えないが、面倒そうな表情でも浮かべているのだろう。

 

「ふむ、ではそうする事に致しましょう。それで、いつも通り次回の分もご予約という形でよろしいですかな?」

 

店主はそう言って手帳を開くと、年季の入った万年筆を構える。

 

「構わねえ。ただ、本数を一本だけ減らしてくれ」

 

「ほう、珍しいですな。調子でも崩されましたか?」

 

「いや、中々吸えねえだけだ。どっかの誰かのお陰でな」

 

「なるほど! 彼女の前では吸っていないのですね! 以前の貴方を知る身としては、感慨深いものがありますな」

 

店主からの上品な皮肉に、彼はただただ"うるせえ"と返す事しか出来なかった。彼が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる中、店主は慣れた手つきで手帳に予約の有無と本数を書き記す。

 

そして、手帳を閉じると予約が完了した事を告げた。

 

「ありがとよ、じゃあな」

 

「ハイゼンベルク様、お尋ねしたい事がございます。少し時間を頂いても?」

 

「ったく、手短に済ませろ」

 

「ええ! お気遣い感謝致します!」

 

その瞬間、この店の空気が一変する。骨董品と古い品々によって生み出されていたレトロな雰囲気は、まるで雲に隠される太陽の如く覆い隠された。

 

代わりに現れたのは、部屋を埋め尽くすその巨体と同等の圧だった。詰め寄りに似たその圧に対し、依然として笑顔なその表情は不気味としか言いようがない。

 

もうそれは、骨董品屋の店主などではない。

 

かつて、あの四貴族相手に取引をしていた大商人デュークであった。

 

「貴方のその"力"、ハルウララ様……いえ、親しい者達にお見せになったのですか?」

 

その言葉と圧を受け、彼の頬に一筋の汗が光る。ただ、彼もかつては貴族の一人。ゆっくり紫煙を吐くと、瞬き一つでその瞳はドス黒い過去のものへと巻き戻る。

 

「おい、テメエは何が言いたい?」

 

「簡単にご説明致しましょう。私共はただでさえ様々な認識に齟齬がある身。些細な出来事が大ごとに発展する事もございます。そこで、私の勘はこう言っております。貴方のその"力"は早めに打ち明けるべきだと」

 

彼は胸元のドッグタグを握りしめる。いや、正確には握っているのは胸の中心にある歪な膨らみだろう。

 

そんな歪んだ生命の証から手を離すと、彼は全ての感情を抑え込んだ低い声で言った。

 

「どうせ、気味悪がられて終わりだ。打ち明ける利点なんざ何一つ無えんだよ」

 

自分への理解など要らない。抑揚のない声でそう主張する彼の表情は、笑いと悲しみが入り混じったかの様だった。

 

「お言葉ですがハイゼンベルク卿、今の貴方の身の振り方は、まるで群れから自ら離れる一匹の狼のようです。何故、貴方は孤独を選ぶのですか?」

 

「それが一番自由だからに決まってんだろ!」

 

波一つ無かった感情の海が、言葉の嵐によって波打ち始める。声を荒げた彼自身もその事に気付いたのか、葉巻を吸って強引に精神を落ち着かせようと図る。しかし、未だ葉巻を掴む手には過剰な力が入ったままだ。

 

「では何故……貴方はハルウララ様のトレーナーに再びなったのですか?」

 

「……っ!?」

 

どうしてそこまで知っているだろうか。彼のそんな疑問は、葉巻を思わず落としてしまう程の動揺によって掻き消される。

 

指摘された行動は、彼の言い分である孤独とは確かに矛盾していた。

 

「自由である条件に孤独である必要などありません。自由と孤独は似て非なる物です。貴方もそれは理解している筈」

 

この場所は既に、尋問室か何かの様だ。尋問官の大男は笑顔で彼へと問いただす。その笑顔の裏に真剣さを含んで。

 

「貴方だけではなく、私にとっても孤独という物は毒です。ですが、貴方はそれを避けようとする本能を、理性で無理矢理毒沼へと沈めている。何か理由がお有りですかな?」

 

少しの間、沈黙が走る。そして、ハイゼンベルクは床に落ちた葉巻を踏みつけ、紫煙の代わりに大きく息を吐くと、その瞳に最大級の憎悪を込めてデュークを見やる。

 

「あのクソ女からの贈り物だ! アレが俺を未だに縛り付けてやがる! 強引に休眠状態にしてやったは良いが、いつ戻るか分からねえんだよ!」

 

彼の目に宿るその感情は、デュークへと向けられたものでは無いだろう。激情にかられるように彼は覚悟の籠った言葉を連ねる。

 

「もしもの時は、俺は消える……! 不本意だが、あのクソ女の思い通りになるよりかはマシだ」

 

胸を上下させ、息を切らす彼は踏みつけたそれを拾い上げて灰皿へ捨てる。そして、口元に新たにあてがわれたのは、先程買った新品の葉巻。

 

火をつけたそれを何度か味わって、今度こそ落ち着きを取り戻した彼は"悪かった"と謝罪の言葉を呟いた。

 

「なるほど、その様な事情が……深い所まで介入してしまった事、深くお詫び申し上げます」

 

「テメエの事だ、実はとっくのとうに分かってたんじゃねえのか?」

 

「さて、どうでしょうな? とりあえず、私の口からは"存じ上げなかった"とだけ言っておきましょう」

 

不敵な笑みを浮かべたデュークは、その圧を鎮めてただの骨董品屋の店主へと戻る。その様子を見た彼も同様に、ただの工場長へと戻った。

 

「話が逸れましたな。貴方のその"力"は、夜な夜なスクラップを動かす事だけに使うのは宝の持ち腐れというものでしょう。いずれ、それが他人のために役に立つ時が来る筈です。その為にも、理解を得ておく方が良いと思いますな!」

 

「テメエ……何で知ってんだよ」

 

「商いにおいて情報は生命線です。ここまで言えば、勘のいい貴方なら分かるでしょう?」

 

「最高にイカれた情報網してるぜ……ったく」

 

「お褒めいただき光栄です!」

 

何もかもお見通しな店主に対し、呆れた表情で返事をするハイゼンベルク。ため息と共に吐き出された皮肉もしっかりと褒め言葉として受け取るあたり、完全に彼を知り尽くしていると言えるだろう。

 

「理解を得ておくと申しましても、いきなり全てを曝け出せとは言いません。少しずつで良いのです。その為にも、身の振り方を今一度改めてみてはいかがでしょう?」

 

にっこりとした笑顔と共に一礼をする店主。そんな顔に対して、彼は背を向けて手を軽く振った。

 

「テメエの言う通りにやるかどうかは置いとくとして、礼ぐらいは言っておく。ありがとよ」

 

「いえいえ、顧客サービスの一環の様な物です! お気になさらず」

 

「そんなサービスあってたまるか」

 

吐き捨てる様に彼はそう返すと、"じゃあな"と店主に別れを告げる。呼び鈴と共に、その大きな背中はドアの向こう側へと消えていった。

 

そんな背中を見送った店主は、どこか納得するかの様に一人頷く。

 

「ハイゼンベルク様。貴方はあの四人の中でただ一人、私利私欲の為に人を殺めなかった。その根幹にある優しさは、あの中の誰よりも貴族に近いでしょう」

 

店主の知っている貴族たちは自身のために、多くの人間の血を抜き、惑わせ、得体の知れない生物を埋め込んだ。そんな中、彼は自身のテリトリーである工場へと立ち入る者以外に危害は加えなかった。

おまけに、簡単にテリトリーに立ち入れないよう、間に掛かる橋すら川底へと落とした。その時の彼の真意は分からないが、少なくとも死へと通ずる道を一つ閉じた事は確かだった。

 

「ですが、少しばかり不器用を拗らせておりますな!」

 

素直になれない彼を皮肉って、店主は一人静かに笑う。その脳裏には帰り際の彼の姿が浮かんでいる事だろう。

 

そこに映る彼の目は、少しばかり曇りが晴れたようだった。もしかすると、ただの気のせいかもしれない。だが、それでも店主は満足そうに紫煙を大きく吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ夕方になる頃、八百屋の店主に強引に渡されてしまった紙袋を片手に、彼は町を歩いていた。紙袋の中には、ハルウララを二位まで押し上げてくれたお礼として、野菜や日用品などが詰まっていた。

 

ちなみに、何度も"俺は何もしてない。アイツが勝手に頑張っただけだ"と言ったそうだが、その言葉に効果は無かったようだ。

 

何かしらの乗り物に乗るべきだったと後悔しながら、彼は大通りを歩いていく。裸眼だからか、夕日がいつもより眩しく感じる。

 

そんな中、彼の工場より煩い音を響かせる店に思わずその視線を持っていくと、見覚えのあるピンク色の影があった。

 

「よーし、行け行けー!」

 

尻尾を振りながらクレーンゲームをじっと見やる彼女。暫くすると、いかにもがっかりしたように耳と尻尾が垂れ下がった。上手く取れなかったようだ。

 

そんな様子を横目に、彼は何事も無かったかのようにゲームセンターを通り過ぎる。だが、あの商人の言葉が彼の胸にチクリと突っ掛かる。

 

「身の振り方……か」

 

彼は葉巻を大きく吸う。そして、ため息のように吐き出すと、彼の足は煩い店へと向いて歩き出した。

 

「あと一回しか出来ないや……」

 

「よお、元気そうだな」

 

軽くなった財布を見て悲しげな表情を浮かべる彼女だったが、トレーナーである彼を見るや否や、満開の桜のような笑顔へその表情を早変わりさせた。

 

「あっ、トレーナー! あのね、これ取ったんだ! いつも頑張ってるトレーナーへのプレゼントだよ!」

 

彼女は近くに置かれていた袋の中から、U字型の何かを取り出すと、眩しい笑顔で彼にそれを差し出した。

 

彼が受け取ったそれは、柔らかい綿の詰まったクッションだった。

 

「クレーンゲームにね、蹄鉄の形のクッションがあったんだ! トレーナーの工場のえんぶれむ?とそっくりだよね! だから、頑張って取ったの!」

 

「ヘッ……ありがとよ」

 

「あっ、それでね! 今度はこのアイスクリームのぬいぐるみを取ろうと思ってるんだ!」

 

彼女は機体の中にあるソレを指差した。見たところ、そこそこ大きいぬいぐるみだ。彼女の身長の三分の二ほどだろうか。中々取れないのも納得の代物だった。

 

「じゃあ、見ててねトレーナー! わたしこれで取っちゃうから!」

 

彼女はそう言うなり100円を入れてゲームを開始した。張り切った様子で、ボタンを押してアームの位置を定めるが、圧倒的に力が不足しているようで、ぬいぐるみを持ち上げる事すら叶わないまま元の位置へ帰還した。

 

「あっ!? 失敗しちゃった……」

 

お小遣いを使い切っても取れなかったそれを前に、彼女は悲しげに軽く俯いたのだった。

 

しかし、横から出てきた一つの厳つい手が、カシャンという硬貨を入れる音と共に再びその機体に息を吹き込んだ。

 

「えっ!?」

 

「コイツの礼だ」

 

その張本人は笑みと共に柔らかい蹄鉄を軽く持ち上げた。

 

「ほんとっ!? ありがとうトレーナー! よーし、次は絶対取るぞー!」

 

本来無かったはずの幻のワンチャンスを貰った彼女は、再度そのボタンへ手を添えた。彼も、まるで集中するかのようにじっとその様子を見ている。

 

先ほどと同じように操作するが、アームの止まった位置はぬいぐるみの重心とは離れた場所。相当な力でないと持ち上げられないだろう。

 

「よしっ! 落としちゃダメだよ!」

 

しかし、運が良かったのかアームは今までにない程、ガッチリとそのぬいぐるみを掴み取る。ちょっとした異音と共にアームは無事帰還を果たすと、戦利品を彼女の元へと送り届けた。

 

「やったー!! やったよトレーナー! 取れたよ!」

 

「ほう、運が良いな。良かったじゃねえか」

 

「トレーナーのお陰だよ! ありがとー!!」

 

ハルウララは無事ゲット出来たアイスクリームのぬいぐるみを抱き締めたまま、ピョンピョンと嬉しさの余り跳ねる。そして、落ち着きを取り戻した後も、上機嫌に口癖をうらうらと呟き続けていた。

 

「うっらら〜!」

 

「引っ付くな、歩きづらい」

 

ハイゼンベルクは引っ付いてくる彼女を何度も引き剥がしていたが、十回を超えたあたりで諦めた。

 

その後、学園へ帰る彼女と別れた後、重くも暖かい荷物を持って疲れたように呟いた。

 

「やっぱ、慣れねえ事はするもんじゃねえな」

 

後日、彼のよく使っている椅子には蹄鉄を模したU字型のクッションが置かれていたという。

 




アイスクリームのぬいぐるみ
ハルウララがクレームゲームで取った物。
彼女は取れた時、とても嬉しかったようでその日以降、寝る時に抱きしめているらしい。
彼女にとって、トレーナーとの思い出の品の一つだろう。

しかし、彼にとっては違うだろう。なにせ、その秘めたる力を初めて他者の為に行使した、唯一の証拠品なのだから。


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改良型マシン

感想や誤字報告いつもありがとうございます!


 

太陽の光が世を照らし始める朝方。幾つかの書類を処理していた理事長の元に一通のメールが届く。記者からの物かと思ってすぐに携帯を覗くが、そこに書かれていた名前は例の工場長の名前だった。件名が空っぽなその中身を見ると、そこには彼女が待ち望んでいた事が書かれていた。

 

『完成した。今日持っていく』

 

ビジネスマナーもクソも無いこの文章の内容は、しっかりと彼女に伝わったようだ。

 

「上々っ! やはり彼は仕事が早い!」

 

「ええ!? もう出来たんですか? 確か、話をしたのはたった一週間前ですよ!」

 

彼の手早さに思わず驚くたづな。その手に握られたペンは完全に止まっている。

 

「更に! 今回の代物はしっかりと統監済み! 普段の過剰な性能も大人しくなっている筈!」

 

以前のような色々と問題しかない性能を何とかするべく、彼女は夜に彼の様子を見に行っていたようだ。不味い機能を入れようとする都度、横から一言二言苦言を吐いた。

 

その結果、彼が作ったとは思えない程大人しい物が出来上がった。それが昨日の出来事である。

 

なお、どう足掻いても見た目は何とかならなかった。感性に凄まじい食い違いがあるようで、スタイリッシュな見た目を頼んでも歯車や必要のない可動部品だったりとメカメカしい変な物が付いてくる。

 

例え、説明したとしてもそのぶっ飛んだ頭は直せる気がしなかったので、こればかりは彼女が折れることとなった。

 

「これで見た目も良くなってくれれば万事解決なのだが……」

 

「仕方ないですね、彼はそういうお方ですから。そういえば、以前の物はどうするおつもりですか?」

 

「継続っ! 引き続き置いておく事にする! 少々悔しいが、あれのお陰で短距離を得意とするウマ娘達の能力が格段に上がっている事は事実! これまで大きな怪我も無く、故障も無い。となれば、撤去する理由も無し!」

 

理事長は扇子を広げ、高らかにそう言った。手に持つそれには継続の二文字が書かれている。

 

「確か、今回作って貰ったのは長距離用の物でしたよね?」

 

「如何にも! 短距離だけでは無く長距離の者達にもより良く成長して欲しいからな! その為に、彼に製作を依頼したのだ!」

 

「流石ですね! それで、誰が受け取るんですか? 私も理事長も今日はこれから予定が入っている筈ですが……」

 

「不覚っ!?」

 

たづなの放ったその言葉に、彼女の表情は一瞬で困り果てたそれへと変わる。

 

「うーん……頼むとしても生徒会長ぐらいしか思い付かないですね」

 

結局、生徒会長とちゃんと話し合ってから決める事にしたようだ。もちろん、彼女は断るはずも無く、快く首を縦に振ってくれた。

 

だが、彼は来る時間など一切告げていなかった。それ故に、彼女は結構な時間を待つ事になり、暇過ぎて彼に対抗出来るとっておきの言葉遊びを考えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時刻は昼過ぎ、昼食の後の昼寝がさぞ心地良い時間にハイゼンベルクはトレセン学園にやって来た。いつも通りエアグルーヴに鉄槌の事を指摘され、からかい混じりの返答をした後、彼は生徒会室へ向かう為に廊下を歩いていた。

 

サングラス越しの視界には、沢山のウマ娘達が映る。幾つか見覚えのある者もいたが、特に声を掛ける事なく進んでいく。

 

そして、目的のドアを勢い良く開けた。

 

「あ? 何だテメエか、てっきり代理はあの秘書かと思ってたぜ」

 

窓から凛とした佇まいで、明るい外を見ているのは誰でもないシンボリルドルフであった。彼女は、振り返ると歓迎するかのように笑みを浮かべて返事をした。

 

「ああ、二人とも用事で学園を空けている故、私が代理だ。一応、縦横無尽に動く君を見ておいてくれと言われている」

 

「そんなに動いた記憶は無えんだがな。まあいい、じゃあ俺は行くぞ? 監視したけりゃさっさとついてこい」

 

「ああ、そうさせて貰うよ」

 

彼は開きっぱなしのドアへと踵を返す。その後ろを彼女はゆっくりついていった。

 

廊下に居るウマ娘達が彼に道を空ける様子を面白いように見ながら、彼女は彼にちょっとした相談を持ち掛ける。

 

「何となく思うんだが、君は相手を畏怖させない様に何かしている事はあるかい?」

 

「何もしてねえよ。むしろ、わざとビビらせる事の方が多いかもな。テメエは何かしてんのか?」

 

「ああ、ちょっとしたジョークで上手く場を和ませようとしている。だが、案外これが難しいんだ。この間、エアグルーヴにやってみたら苦笑いを返されたよ」

 

彼は過去の彼女の言動を思い返す。苦笑いを返されるのも何となく納得出来てしまう。

 

ちなみに彼自身は気付いていないのだが、彼の彼女への認識がクソ真面目からちょっと真面目に変わっているところを見ると、彼女のジョーク作戦もある意味成功している。

 

「だろうな。場が絶対零度に冷え切る所が目に浮かぶぜ。ウマ娘じゃなくて冷房にでも()()したらどうだ?」

 

「フフッ……それだと()()()()()を受けてしまうな」

 

「ヘッ、目を()にしてか?」

 

「ああ、そうだな」

 

彼のノリが良いからか、普段であれば止まってしまう会話もすんなりと繋がる事に彼女はちょっとした嬉しさを覚えてしまう。

 

「それで、あの堅物副会長を笑わせたネタはどんなのだ?」

 

彼は半分呆れた様な表情で彼女へ尋ねた。しかし、副会長は浮かべた笑いは普通の物ではなく、無理矢理捻り出した苦いものだ。故に、彼の言葉に込められた意味は皮肉が大半なのだろう。

 

恐らく、聡明な彼女もその事は承知の上だろう。

 

「確か……帝王が体を成す、だったな」

 

「おい、まさかそのまま言ったのか?」

 

「そうだ、それが何か問題だったか?」

 

「なるほどな、本人は無自覚って事か。あの堅物の表情筋が凍りつくのが何となく分かるぜ」

 

彼は心の中で副会長に"ご愁傷様"と呟くと、溜息混じりにその問題点を指摘した。

 

「テメエの使ってる洒落ってのは、会話の中に紛れ込ませるぐらいが丁度良い。サンドイッチに対して三度と返したあの時みたいにな」

 

「そうなのか!? 初耳だ」

 

その返答に、彼は思わずため息混じりに頭を抱えた。何というか、ギャグセンスはまだしも使い所が残念過ぎる事が判明してしまった。

 

まあ、これを機に改善されるかもしれない。

 

 

 

そんなふざけた話をしながらやって来たのは、工場長の所有するトラックの前だった。彼は荷台からいつもより少し大きいソレを取り出すと、当たり前の様に担いで再び学園へと歩き出す。なお、ちゃんと鉄槌は置いていった。

 

廊下を歩くシンボリルドルフは、彼が理事長やたづなと親しい関係にある事を今更ながら思い出す。そういえば、彼にはその理由も含めて色々と謎が多い。

 

そんな謎を興味本位で尋ねてしまうのも無理はないだろう。

 

「そういえば、君はいつ理事長に雇われたんだ?」

 

「かなり前だ。あのチビの母親……先代って言った方が良いのか? まあ、そいつに雇われた」

 

「先代……? 私がまだ学園に入学するよりも前か……」

 

賢い故に彼女は違和感に気付いてしまう。そんなに長く働いているのなら、何故つい最近まで姿を見かけなかったのだろうか。

 

しかし、その点を追及するよりも先に目的地であるトレーニングルームまで到着してしまった。

 

彼は彼女の指示など聞かずとも、勝手に一つのランニングマシンを新しいそれと交換し、掛かっていたカバーを取り除く。そこに現れたのは、かつて彼が持ってきた程では無いにしろ、そこそこの錆やよく分からない歯車などの装飾が目立つ一品だった。

 

「ちゃんとテメエが言ってた部分も改良した」

 

以前彼女が申した意見もキッチリと反映されている様で、その走行用のベルト帯は他のものと比べて少し長くなっていた。これでより走り易くなったはずだ。

 

「一応聞いておくが、アイツから今回のブツについてなんて聞いた?」

 

「理事長直々に統監をした長距離用のマシンと聞いている。それがどうかしたのか?」

 

「ハッハッハッハ! 教えてやるよ! あのチビにもまだ言ってねえ機能が付いてる! コイツは長距離用と短距離用の二つのモードを切り替えられる様にした! 短距離用に関しては、時速300kmまで出る! どうだ、最高だろ?」

 

「すまない、もう一度言ってくれないか? 少し聞き間違えてしまったみたいだ」

 

手を耳に当て今度こそ彼の言葉を聞き取ろうと集中する。しかし、再び聞こえてきた内容は聞き間違えた物と全く同じ物であった。

 

これには流石の彼女も少し頭が痛くなったようだ。

 

「まあ、肝心の使い方は前と同じだ。それで長距離用の方だが、一定の速度で走るのが重要なんだろ?」

 

「ああ、確かにそうだ。ペースを乱すと息がすぐに切れてしまう。まさか、君がそんな知識を持っているとは驚きだ」

 

「アイツに無理矢理叩き込まれたに決まってるだろ」

 

彼は不満そうな声を漏らしながら、マシンに付いている赤いスイッチを強く押した。すると、カチンと何かがはまる音と共に機体に付いている赤色のLEDが青色へと変わる。

 

「このボタンを押せばモードが変わる。そんじゃ、テメエにお仕事だ。とりあえず一旦走れ」

 

「なるほど、言葉よりも見せた方が早いということか」

 

「お察しが早くて何よりだ」

 

シンボリルドルフはマシンの上に立ち、操作板を彼の指示した通りに弄る。速度の欄は50と入力し、大きなスタートボタンを押すと至って普通の加速で速度が上昇していく。

 

そして、現在速度の表記がが50になった瞬間、真ん中にあるモニターが走行距離を表示し始めた。そこそこの勢いで上がっていく事から、どうやらメートル表記らしい。

 

「そしたら、わざとペースを落としてみろ」

 

それから三分ほど走り続けた彼女は、彼の言う通りにあえてペースを落とす。すると、マシンは画面にGAMEOVERと表示して、とてもゆっくりと速度を落として停止した。

 

「なるほど、一定ペースを維持し続けなければならない訳か。だが、ベルトの速度に合わせていれば自ずとペースは維持できる事を考えると、これは疲れて追い付けなくなった場合に使われる機能か」

 

「まあ、そんなとこだ」

 

「ランキング機能もあるのか?」

 

「ある。アイツの名前はしっかりと消した筈……」

 

彼が横から操作板を弄ってランキングを表示すると、その表情は得意げなものから一転した。

 

「モードが二つあるの忘れてたな……」

 

ため息を吐く彼を横目に彼女は例のテストプレイヤーのいるであろうランキングを覗いた。

 

 

 

1.シュツルム:10:1600

2.ルドルフ:50:2500

3.No Deta

 

 

 

「これは……どういう事だ?」

 

何故か、走行距離も速度も彼女の方が上であるにも関わらず、その一位の座は変動しなかった。思わず彼女は首を傾げる。

 

「あー……表示形式の問題だ。今度直す」

 

残念ながら、そこまで機械に詳しい訳ではない彼女にとって、その返答は疑問を晴らしてくれるものでは無く。結局、詳しい事は説明書でも見ろとの一点張りだった。

 

全ての作業が終わり、彼が軽く伸びをして帰ろうと思った時、彼女から意外な発言が飛び出した。

 

「シュツルム……か、一度会ってみたいな」

 

「あのな、コイツは人間じゃねえ」

 

「ああ、承知の上だ。以前君が見せてくれた様な人型の機械にテストさせているのだろう? 機械とはいえ二本の脚で出しているスピードが速いのは事実だ。流石に私も興味が湧いてしまうな! 出来れば、手合わせ願いたいものだ」

 

少し嬉しそうな表情を浮かべ、彼女は窓から空を見上げる。恐らく、その脳裏には人型の何かと併走している所を思い浮かべているのだろう。その目は、どこかハルウララと似た眩い物を感じさせた。

 

ちなみに、全てを知る彼は驚愕と呆れが入り混じったかの様な目をシンボリルドルフへ向けていた。

 

「あー……もし()()があればな」

 

「そうか、ありがとう! ではその()()と会える日を楽しみにしているよ」

 

絶好調になった彼女と別れを告げて、帰路に就いた彼。少しの間、この件をどうするか考えていたが面倒になってしまい、最終的に考えるのをやめて成り行きに任せる事に決めたのだった。

 

ちなみに、彼のアドバイスが功を成したのか、我らが生徒会長は会話の流れに沿う形で洒落を入れ始めた。そのお陰か、副会長であるエアグルーヴが洒落に気付かない事が多くなり、下がっていた調子が段々上がり始めたそうだ。生徒会長からこの話をされた時、彼女は初めて彼に深く感謝したのだった。

 




長距離用マシン
謎のモード切り替え機能以外は珍しくまともな一品。ランキングには相変わらず例の名前が載っている。だが、距離も速度も良いスコアを出しても何故か一位から落とせないらしい。
ちなみに、ランキング内において速度は二桁、距離は四桁までしか表示されないが、何か関係があるのだろうか?


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宇宙戦争

すみません、全力でふざけました!


ある休日の昼下がり、ハイゼンベルクが一人葉巻を吹かしていると、ピンク色の影が工場の入り口から姿を見せる。

 

「こんにちは! トレーナー! 今日ね、何か用があるって言ってたから連れて来ちゃったんだ!」

 

「誰をだよ」

 

至極当然な彼の問いの答えは、ハルウララの背後から現れた。

 

「よお! フランケンシュタイン! 良いとこ住んでるな!」

 

ひょこっと出てきたのは問題児でお馴染みのゴールドシップだった。ただ、ハイゼンベルクから見た彼女の評価はそこまで悪くはない。まあ、問題視されている拉致などのアクションが彼に全く通用しないというのもあるのだろう。

 

ちなみに、少し前に工場長を拉致しようとした彼女は常套手段である麻袋を使用したが、鉄槌が邪魔で失敗した。その後、彼女は地面に出来たクレーターの中で倒れた姿で発見された。

 

その様は、まるで何者かに自爆されたかのような倒れ方だったそうだ。

 

そんな事もあり、彼は時折ちょっかいを受けているだけで、特に大きな被害は受けていない。

 

「完璧な働きだったぞ! ウララ偵察部隊! このゴルシ様が褒美として今度にんじんジュースを奢ってやるからな!」

 

「わーい! ありがとーゴルシちゃん!」

 

彼女を見事に餌で釣ったゴルシ隊長は辺りを見回すと感心したような表情を浮かべる。

 

広大な土地、スクラップの山、周囲からそれを隠す様に生い茂る林。そして何より、怪しさ満点のこの雰囲気が彼女には堪らなかったようだ。

 

「まさかこんな所にあるなんてな……! どうりでビルの屋上から見渡しても見つからなかった訳だ」

 

彼女は右手の拳を胸の前まで上げ、歓喜に満ち溢れたかの様に固く握りしめる。そして、高らかにこう言い放った。

 

「このゴールドシップ様の城を建てるのに最高の立地じゃねえか! よし決めた! ここにバベルの塔もビックリな巨大建造物を建てるぞー!」

 

「おい、ここは俺の城だ。テメエが好き勝手するスペースは無え!」

 

ハイゼンベルクが懐から以前彼女をダウンさせた例の水鉄砲を取り出すが、しっかりとそれを見越したゴールドシップはどこからともなく取り出したバズーカを構えた。

 

「その手はもう食わないぜ! これがお手製のワサビバズーカだ! そんな豆鉄砲でアタシを止められると思うなよ!」

 

「ほう……? 面白え事をほざくじゃねえか!」

 

迷いなく砲身をこちらに向ける彼女を見た彼は、その豆鉄砲を捨て代わりに携帯端末を片手で弄った。

 

「うわわっ!? 何かロボットがたくさん来たよ!?」

 

上空と地上。その両方からほぼ同時に現れたのは装甲を纏った機械兵達だった。轟音と共にゴールドシップを囲う様に降り立つ四機のソレは、ジェットを背負ったロボット達。

 

そして、地上からは戦車の様な分厚い装甲を纏い、腰に突進用のジェットを備えた一機がその姿を現した。

 

その手に付けられた複数のドリルは全て彼女へと向けられている。まだ回転はしていないが、彼の指示があれば即座にその螺旋の破壊機構を作動させ、文字通り黄金船を解体しに掛かるだろう。

 

「もう一度言っておいてやる、ここは俺の城だ! 文句あるか?」

 

「イエ、ナンデモナイデス」

 

機械に囲まれた彼女は、まるでそれと同族の様に棒読みの言葉を吐き出した。

 

そんな様子を彼は鼻で笑うと、手でもういいと指示を出す。従順なロボット達は主人の指示に従って、彼女を囲むのをやめたのだった。

 

「なあ! コイツら全部オッサンが作ったのか!?」

 

包囲が解除された途端、先程の態度が嘘だったかの様に、ゴールドシップは興奮気味にハイゼンベルクへと詰め寄った。

 

「それがどうかしたか?」

 

「やっぱオッサン最高じゃねえか! あれさえあれば地球外生命体とも互角にやり合えるぜ! アタシ一人じゃ数の暴力で負けちまうからどうしようかと思ってたが、コイツら連れてけば万事解決ってヤツだな!」

 

「当たり前だ! コイツらは元々鋼の軍団だった奴らだ! そこら辺の雑魚共とは一味も二味も違うんだよ!」

 

「は、鋼の軍団!? 最高の響きだな! アタシの作る宇宙船隊の名前もそいつにするか!」

 

何故か微妙に噛み合う会話。頭のネジの取れた場所は違うが、本数は一致しているのかもしれない。

 

そんな中、彼女は真剣な顔付きで今回彼の元に来たきっかけを話し始めた。

 

「それで、このゴルシ様は近いうちに宇宙をこの手に収めようと思ってるんだ! だが、アイツらの武装が強すぎて中々キッツイ戦いになっちまう! だから、オッサンに作って欲しいブツがある!!」

 

「ほう、言ってみろ」

 

彼女は深呼吸を一度挟み、至って真面目な声調でその作って欲しい物の名前を告げる。

 

「最強の剣……ライトセイバーだ!」

 

その瞬間、ハイゼンベルクの脳裏に稲妻走る。驚きと興味の入り混じった瞳で彼も真剣な顔付きで追及する。

 

「ライトセイバー……!? おい! もっと詳しく聞かせろ!」

 

「簡単に言えばレーザーを一本の竹刀みたいにした物だな! その特性はなんでも切れる! だが、ライトセイバー同士だと切れずに弾かれる!」

 

「レーザーを剣にする……だと!? 前から思ってたがテメエの発想には脱帽するぜ! 良いだろう! 天才的な発想をくれた礼だ、さっきの無礼は見なかった事にしてやる!」

 

残念ながら、この恐ろしい発想力と凄まじい製作力を持つ二人を止める者は一人として居ない。

 

二人はお互いに悪い笑みを浮かべ、その拳を軽く突き合わせた。どうやら、交渉成立したらしい。

 

「よし! じゃあ一週間後ぐらいに取りに来るからな!」

 

「おい待て! 一週間じゃねえ……明日だ! 明日には試作品引っ提げて学園の方に行ってやる! テメエは大人しく向こうで待ってな!」

 

「マジで!? オッサンも結構なヤベー奴じゃん! 最高だぜ!」

 

納期は一週間ではなく明日。そんなふざけた約束を彼は自信満々に交わす。流石の彼女もそれは予想外だったようで、ガッツポーズをして大いに喜んでいた。

 

 

 

なお、完全に蚊帳の外となったハルウララは何をしていたかというと……

 

「あれ? 動かないぞ?」

 

主人の命令をじっと待ち続ける鋼の軍団の目の前で、両手を振って存在を大いにアピールしていた。

 

「あっ! この子、今こっち見た!」

 

彼らは人工知能が搭載されているため、一応の思考能力は備わっている。しかし、一部の学習不足な機体は、激しく動く物体などがあると、どうしてもカメラを向けて注目してしまう。

 

そんな、彼女と同じお勉強不足なとある一体のゾルダート・ジェットと呼ばれる飛行型機体は、彼女の興味の標的となってしまったようだ。

 

「あのね! わたし、最近体育の授業でバレーボールやってるんだ! 駄菓子屋のおじいちゃんから紙のボール貰ったから、一緒に遊ぼうよ!」

 

彼女の輝かしい笑顔と、やる気いっぱいの声が彼のカメラとマイクにこれでもかと入力される。

 

その結果、その一体の飛行型は主人の命令に無い、"彼女と遊ぶ"というプログラムを実行し始める。どうやら、彼の構築したAIシステムはウララ式ハッキングに対して、無防備だったようだ。

 

その後、紙のボールを鋼鉄の頭で突っついて彼女と楽しくラリーを続けるゾルダート・ジェットの姿があったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の放課後。グラウンドにてハイゼンベルクはゴールドシップと約束通り合流する。ちなみに、例のブツをハルウララも見たがっていたが、テストで赤点を取ってしまったせいで補習だそうだ。

 

トレーニング中のウマ娘達から送られる好奇の目を当然のように無視しながら、彼は肩に抱えた鉄の人形を乱暴に地面へと下ろした。

 

「なあ、それ何だ?」

 

「テメエの練習相手だ。あー……ディ・プーパとでも呼べ」

 

「変な名前だな」

 

それは、彼に似合わぬ不思議な名前だった。だが、彼女はそのような事を一切気にすることはせず。最高にワクワクした目で彼を急かす。

 

「それよりも、ここに来たって事は出来たんだろ? 早く使わせてくれよ!」

 

「ああ、コイツだ!」

 

彼が彼女に投げ渡したのは、一本の金属の棒。細いパイプと謎のギアが幾つも付いており、機械っぽさを感じさせるデザインだ。

 

そして、彼女はその棒につけられたスイッチを躊躇いなく押した。

 

「おおっ!? すっげえ! コイツがあれば遂にこのゴルシ様も騎士の仲間入りだ!」

 

彼女の持つ柄と思われる棒から、赤く染まったエネルギーの刃が形成される。ネオンの様に輝くそれは、振るたびにブオンと独特な音を響かせた。

 

彼はその様子に笑みを浮かべると、彼女に一声掛けてから、工場から持ってきた適当な木片をふんわりと投げる。その意図に彼女も気付いたのか、同じく笑みを浮かべながら、手に持った光子の剣を思い切り振り抜いた。

 

超高熱の刃に晒された木片は、無惨にもその体を二つに等分されてしまう。この光景は、正しく彼女が頭の中で思い描いていた物と一致したのだった。

 

「なあ、オッサン! アタシの専属エンジニアにならねえか? こんな技術力、地球に留めとくのは勿体無いぜ!」

 

「悪いがお断りだ。どうせ、休み無しの企業だろ? どうしても俺をヘッドハンティングしたいなら、コイツを倒してからにするんだな!」

 

先程まで地面に死んだ様に倒れていた鋼鉄のロボットが動き出す。厚い装甲を纏ったそのシルエットは、彼が作ったどんなロボットよりも人型に近かった。

 

ディ・プーパは顔の中心に付いたモノアイを起動させ、赤い眼球を彼女の方へ向けると右手にもう一本の剣を握る。

 

血の様な深紅の刃に照らされた暗黒のボディは、正しく悪役のような不気味な威圧感を放っていた。

 

「うおっ! ゴルシちゃんレーダーが、何かヤバそうって反応してやがる! もしかしてコイツ……めちゃくちゃ強い?」

 

「さあな! やってみれば分かるんじゃねえか?」

 

ゴールドシップは得物を構えるのに対し、そのロボットは構えずにただただ自然体で、その真っ赤な瞳を彼女へ向けていた。

 

「よっしゃ! 隙ありっ!」

 

その様子を好機と見たのか、彼女はこなれた手つきで剣を振るう。しかし、そんな彼女の全力の振りに対し、ソレは片手で横一文字に軽々しく剣を振るった。

 

二つの赤が激しい閃光と共に弾かれ合う。押し出される様にして一歩後退する彼女だが、その機械は一歩も下がる事なく再び自然体へと戻るだけだった。

 

「何っ! アタシの全力の剣技に対抗してきやがっただと!? さては、ただのまっくろくろすけじゃねえな? どっちかというと暗黒卿の方がしっくりくる強さしてるぜ……!」

 

「暗黒卿か……テメエにしては悪くねえネーミングセンスじゃねえか!」

 

そんな、黄金船と暗黒卿の光と闇がぶつかる様な戦いに、いつの間にか周囲には沢山のギャラリーが集まっていた。トレーニングはどうしたと聞きたい所だが、残念ながらウマ娘ではない者もその中に混じっている事から、既に色々と手遅れなのだろう。

 

この光景を見て、待ったをかける者は一人もいなかった。

 

 

 

「見てよタイシン! 映画の撮影かな!」

 

「煩い、耳元で叫ばないで」

 

「ふむ、映画の撮影にしてはカメラが見当たらないが……」

 

 

 

「うぐぐ……私もあの中に飛び入り参加したいデース!!」

 

「行ってきても良いですよエル? ちゃんと、骨は拾ってあげますから」

 

「何でやられる事前提デスか!?」

 

 

 

「ふむ、ただの荷電粒子の剣か……ん? 荷電粒子の剣!? フフ……ハッハッハッハ! 理論上ですら未だ不可能である代物をあんなに小型化して作れるとはな! やはり、彼の技術力には目を見張るものがある……!」

 

 

 

「驚愕っ!? い、い、一体何が起きている!? まだ私は夢でも見ているのか!?」

 

「り、理事長!? これは夢なんかじゃ無いですよ! 気を確かにして下さい!」

 

それぞれが様々な反応をする中、ゴールドシップは気合を入れて再び斬りかかる。今度は一撃の重みでは無く、その剣速で勝負を仕掛けに来たのだ。

 

「ゴルシ流剣術は反撃を許さない爆速の剣だ! 食らいやがれ!」

 

恐らく、何らかの我流剣術の型に沿った動きなのだろう。無駄のない無駄な動きを含みながら、ウマ娘特有の身体能力でとんでもない速度で剣を振るう。

 

当然のように暗黒卿もその剣技を防いでいくが、じわりじわりと戦況は彼女の方へと傾いていく。

 

機械の目でも追えない速度なのだろうか。防ぎきれずにその黒い装甲に一つ二つとかすり傷が増えていく。

 

「今だあああっ! よっしゃあ!」

 

上から叩き付けるような攻撃でよろめいた隙を見逃さず、彼女の剣が暗黒卿の左腕を切り落とす。あまりにも見事なその一撃に、周囲からは歓声が上がった。

 

しかし、彼女は喜びよりも驚きが先だったようだ。

 

「嘘だろ!? 全く動じてねえぜコイツ……!」

 

彼女の視線の先には、切り落とされた肘の部分を無機質な赤い瞳でじっと見つめるロボットの姿があった。

 

その目はゆっくりと彼女の方へ視線を向けると、まるで怒りを表すかのようにより赤く輝き始める。そして、同じように赤い輝きを持つその剣を彼女へと構えた。

 

そこから放たれる圧は、彼女だけでは無く観客すら黙らせる。それはまるで、これからが本気だと言わんばかりのものだった。

 

「いや! さっきコイツはアタシの速さに負けた! このまま攻め切らせて貰うぜ!」

 

そんな様子を見てニヒルな笑みを浮かべるハイゼンベルクをよそに、彼女は再び黄金の剣技を繰り出した。

 

だが、どれだけ攻撃しようともその刃は暗黒卿にかすり傷すらつけられない。先程とは比にならない程、洗練された動きで彼女の剣技は全て防がれる。それどころか、彼女の優勢が段々と崩れ始めたのだ。

 

どうやら、機械の体であるためか手首をクルリと一回転する事が可能なようだ。そんな、手首を中心とした回転運動が、広範囲かつ素早い防御を可能とし、彼女の技を悉く打ち破っていく。

 

そして、上段から暗黒面の一撃が振り下ろされる。

 

彼女はそんな意趣返しを剣を真横にして受け止めてしまった。

 

「やべ……! コイツめちゃくちゃ力強え!?」

 

隻腕であるにも関わらず、その力はウマ娘よりも強いようだ。ジリジリと押し込まれる剣に全身全霊の力を込める事で、彼女は何とかその進撃を止める。

 

だが、誰が見ても戦況はひっくり返ったと言えるだろう。

 

そんな中、駆けつけてきた一つの影が応援の声を送った。

 

「ゴルシちゃん! 頑張れー!」

 

後ろの方からぴょんぴょんと跳ねながら、両手を振って応援するのは、誰でもないハルウララだった。どうやら、やっと補習が終わったようだ。

 

そんな彼女の声を皮切りに、周囲のギャラリーが次々と彼女を応援し始める。それはいつしかゴルシコールとなって彼女に不思議な力を与えた。

 

「アタシは宇宙に行くんだ! こんなところで負けてられねえ! うおおおおっ!」

 

分が悪い筈の鍔迫り合いを、応援の力で強引に押し退けると、迷わず刃を翻し、横一文字に振り切った。

 

 

 

数歩後退する黒い足。

 

 

 

地にカランと落ちる赤い瞳。

 

 

 

ゴールドシップの膂力を余す事なく使ったその一撃は、暗黒卿の首から上を見事に跳ね飛ばした。

 

地に落とされた赤い目がゆっくりとその光を消した瞬間、誰かがボソリと呟いた。

 

「……やったか?」

 

「おいチケゾー止めろ!? その言葉はダメだ!!」

 

恐ろしい一言によって顔面蒼白のゴールドシップ。そんな彼女の視線は、未だ膝をつかぬその首無しの騎士へと向けられていた。

 

デュラハンと化したソレは数歩分の間合いを一気に詰め、彼女へと迫る。そして、繰り出されたのは彼女の用いた剣技であった。

 

無駄な動きはフェイントのように彼女を惑わせ、息をする事すら許さない怒涛の連撃は徐々に集中力を奪い、人智を超えたその力は受け止めるのが悪手と言わんばかりの恐ろしいものだった。

 

凄まじい猛攻に体制を崩されてしまった彼女へと、その血染めの刃は迫る。

 

 

 

だが、真横に薙ぎ払われたその光の剣は、彼女の持つライトセイバーの出力部である柄の上部のみを切り落とす。

 

そして、無防備となった彼女の首元に剣が添えられた。

 

「だあーっ! アタシの負けだー!!」

 

頭も無いのにその言葉が聞こえたのか、まるで血を落とすかのように一度剣を降った後、その首無し騎士は彼女に背を向けながら、得物の刃を仕舞いこんだ。

 

そして、威風堂々たるその背中を彼女に見せつけながら、その騎士は糸の切れたように膝から崩れ落ちたのだった。

 

その光景を見た観客達はその最期に拍手を送ったのだった。

 

 

 

「カ、カッケェー! 見たか今の後ろ姿! こんなイカした散り方映画でしか見たこと無いぜ!」

 

「あーはいはい、アンタはそういう奴だったわね」

 

 

 

「かんどおしたよおおお!! この映画が始まったら絶対にみるがらねえええ!!」

 

「煩い……というか感動するとこあった?」

 

「一体カメラはどこにあるんだ……?」

 

 

 

「あの動き……確実に可動域を逸脱していたはず。どういう事だ……?」

 

 

 

「ブエノ! 凄いアクションでした! 一度、真似してみたいデスね!」

 

「久々に良いものが見れました」

 

何故か映画を見終わった後のような雰囲気が辺りを包む。

 

そんな中、彼は勝者の特権としてゴールドシップに役目の終わった鉄人形をトラックまで運ばせていた。そして、面倒な奴らから長い長いお説教をされる前に、工場へと逃げるように去って行ったのだった。

 

しかし、いくら日が経ってもこの事を口煩く言ってくる者は誰一人としておらず、何故か"次回作はいつ作るのか?"というよく分からない質問をぶつけられる日々が続いたという。

 




ディ・プーパ
あのゴールドシップに暗黒卿と言わしめた、黒鉄で出来た超高性能戦闘ロボット。

……という訳でもなく。その正体はただの鉄の塊。頭部にLEDを制御する基盤があるだけで、それ以外の部分には駆動部品はおろか配線すら無い。プラモデルのように金属を組み合わせ、人型を成しているだけだ。一体どうやって戦っていたのだろうか?

ちなみに、その名前の意味はドイツ語で"人形"である。


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故障

 

日が落ちるのが早くなった冬の季節。肌寒さに負の記憶が嫌でも蘇ってしまうハイゼンベルクの元に、珍しく修理の依頼が来た。対象は前に作ったあの長距離用のランニングマシンだった。

 

彼の作る物の殆どはかなり頑丈に出来ている。その理由はともあれ、こんな短期間で壊れてしまうという事に彼は疑問を抱かざるを得なかった。

 

「どっかの誰かがバーベルでも落としたか?」

 

彼は現在の作業を中断し、工具の詰まった箱を荒々しく作業机の上に置く。そして、疑念の混じった表情を浮かべつつ、コートのポケットにトラックの鍵を突っ込んだ。

 

「おっと、交換じゃなくて修理だったな」

 

先程手放した工具箱をもう一度拾い上げ、助手席に放り込む。そのままトラックに乗り込むかと思いきや、彼は葉巻にマッチで火を付けて一服し始めた。

 

恐らく、学内が全面禁煙故に吸い溜めでもしているのだろう。タバコとは違い、一本吸い終わるのにそこそこの時間が掛かる為か、結局彼が工場から学園に出発したのは、準備し始めてから三十分後であった。

 

なお、愛用の鉄槌を忘れた事に気付いた時には、既に学園に到着した後だったそうだ。今頃、それは作業机の下にでも転がっている事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園の校門前にて、一人のウマ娘が記者の対応に追われていた。

 

「申し訳ないのですが、今は理事長もご不在故、取材の方はまた後日でもよろしいでしょうか?」

 

そんな、複数のカメラに囲まれているのはエアグルーヴだった。どうやら、無許可の取材を断っている最中のようだ。しかし、見るからに年齢の若そうな記者達は彼女の言葉に耳を貸さず、しつこく食い下がる。

 

「少しだけで良いんでお願いします!」

 

「なら、今から許可を取れませんか!」

 

「せめて、写真だけでも駄目ですか!」

 

そんな、礼儀を知らない記者達は学園に入れない代わりと言わんばかりに副会長の彼女へそのカメラのシャッターを切り始める。

 

フラッシュを伴うその撮影に、彼女は思わず眩しそうにその目を腕で覆った。

 

「……!? フラッシュは使用しないで頂けませんか! くっ……!」

 

目を細めたその表情には嫌悪感が見て取れる。しかし、本気で怒鳴ったりすれば面倒事になる事は確実だ。トレーナーやその他役員がいない今、彼女はじっと耐えるしか出来なかった。

 

「……おい!」

 

必死になって写真を撮っている彼らに向かってドスの効いた一声が掛けられる。

 

振り返った彼らは驚いた事だろう。そこには、明らかに不機嫌な表情を浮かべ、飢えた狼のような圧を辺りに振り撒く男が立っていたのだから。

 

そんな、首元を締め付けるかのような圧を受けた彼らが怯んで黙る中、その男は牙のような鋭利な言葉を投げ掛けた。

 

「テメエら邪魔だ。どけ」

 

サングラス越しの視線に凍りつく彼らは今になって思い出す。先輩記者達の言っていた忠告を……

 

『一人だけ、気を付けた方が良い奴がいる。ハイゼンベルクという名の男だ。何故かって? それは簡単だ。怒らせたら怖えし、何するか分かったもんじゃない。俺達のような記者が、関わって得する相手じゃないって事だ』

 

心の臓が握り潰されるかのような寒気に、記者達は簡素な礼を副会長へとすると、脱兎の如く逃げ出した。

 

しかし、たった一人だけ逃げる最中に振り返り、例の男に向かってシャッターを切るなんとも根性の溢れた者がいた。

 

一瞬だけ眩い光に照らされた彼の表情は、間違いなくしかめっ面だっただろう。しかし、目は口ほどに物を言う。サングラスに隠された目に浮かんだ感情は、しかめっ面という表現で足りる物なのだろうか。

 

ただ確かな事は、サングラス越しの視線を向けられたそのカメラが、火花を散らせてその短い命を終わらせた事だけだった。

 

「ったく、やるなら場所考えろ」

 

最後の一人が煙を吹いたカメラを抱えて逃げて行く様子を見た後、彼は調子の悪そうなエアグルーヴへと向き直る。

 

「貴様か……今回ばかりは助かった。感謝する」

 

「あ? 礼なんぞ要らねえ、ちょっとした八つ当たりをしただけだ。そもそも、テメエだったら拳か何かで解決しそうだがな」

 

「このたわけが、暴力では何も解決などしないに決まっている! それに、今のような記者はかなりの例外だ。殆どの者はあのような注意をせずとも、初めからやらん」

 

彼のふざけた解決法に対し、彼女はため息混じりの言葉を返す。だが、内容とは裏腹にその声調には一切棘は無かった。きっと、心のどこかで安堵でもしていたのだろう。もし、彼が来なければより面倒な事になっていたに違いない。

 

彼はそんな様子を見てニヒルな笑みを浮かべると、彼女の目の前にも関わらずふざけた悪戯の構想を暴露した。

 

「だが、テメエがフラッシュに弱いってのは驚きだ。今度、閃光弾でも持ってきてやろうか?」

 

「せ、閃光弾だと!?」

 

「ヘッ、冗談だ」

 

明らかに危険な香りのするその名前に、思わず驚愕してしまうエアグルーヴ。そんな彼女を彼は鼻で笑った。

 

一応ジョークだと言われたが、この男の言葉はどうにも信用し切れないのか、彼女は少しの間だけ苦虫を噛み潰したような表情をしていた。

 

彼女に一抹の不安を植え付けたハイゼンベルクは、いつものように背中を向けたまま手を振ると、学園のトレーニングルームへと向かって行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目的地に着くとそこには三人のウマ娘と、白い煙をあげているマシンの姿があった。一人は彼が良く言っている能天気野郎であるが、他二人は全く知らない者達だった。

 

「ごめんなさい……ライスのせいで……」

 

「いえ、先程のデータから推測するにマシンを故障させた可能性が高いのは私です。よって、ライスさんが落ち込む必要は1%もありません」

 

「大丈夫だよみんな! わたしのトレーナーはなんでもパパパって直しちゃうんだ! だから、きっとこれもすぐ直してくれるよ!」

 

「発言からウララさんのトレーナーは優秀な技師であると推測します。しかし、それではトレーナーと技師の二つの職業を持っているという事になり矛盾が生じます」

 

「えーとね、確かトレーナーは……こーじょーちょー?のお仕事をおまけみたいな感じでやってた気がするよ!」

 

「おい、逆に決まってんだろ! 勝手に俺の本業変えんじゃねえ!」

 

本業と副業を危うくひっくり返されそうになったハイゼンベルクは、呆れた声調でハルウララの発言を訂正した。

 

「あ、こんにちはトレーナー! 壊れちゃった機械を直しに来たんだよね!」

 

「ああ……もう一度言っとくが、俺の本業はエンジニアだ! 分かったか?」

 

「うん、分かった! あ、そうだ! トレーナーに紹介するね! ライスちゃんとブルボンちゃんだよ!」

 

「テメエ、絶対分かって無えだろ」

 

彼の言葉は残念ながら彼女の右耳から左耳へと抜けていったようだ。何故かそれが分かってしまった彼は、大きいため息を吐いたのだった。

 

その間にも、彼女は丁寧にも自身の友人を紹介している。だが、その中の一人は彼の不審者のような圧のある見た目に少し怯えていた。

 

「こ、怖いおじさま……私、ライスって言います……よ、よろしくお願いします」

 

「ええっ!? ライスちゃん、トレーナーは全然怖くないよ! いつも変な顔してるだけで、すっごく優しいよ!」

 

「おい、変な顔ってなんだ」

 

「た、確かにそうかも……! やっぱり、怖くないおじさまだね……!」

 

「ったく……もういい」

 

彼は部屋にある鏡で自分の見た目をチラリと確認した。特に違和感のない格好が映った事が分かると、彼はもう一人へとその視線を向けた。

 

「こんにちは、ミホノブルボンです。よろしくお願いします」

 

無感情な表情を浮かべ、抑揚の無い声で彼女は淡白な自己紹介をする。そんな彼女に対し彼が抱いた認識はまともそうな奴、意外にもただそれだけであった。

 

「そうか、まともで助かる」

 

「まとも……ですか。過去のメモリーを参照してもそのような評価は初めてです。殆どの者は私をサイボーグだと呼称します」

 

「悪いが、俺の知ってるサイボーグはそんな無表情じゃ無え。テメエ自身のメモリーとやらを改めるこった」

 

どうやら、彼にとってはどんなに無表情で抑揚の無い話し方だとしても、ロボットやサイボーグの内に入らないらしい。

 

恐らく、サイボーグとなっても話し方などは何も変わらないと知っているのだろう。今、ミホノブルボンの目の前にいる存在がその何よりの証明だ。

 

そして、そんな存在が返した言葉は彼女に僅かな驚きを与えた。

 

「それで、コイツが煙吹いたのはいつだ?」

 

彼は工具箱を適当に置くと、壊れたマシンの操作盤を弄りながら彼女達に尋ねた。

 

「データログによると、私が速度を時速50kmに設定し、走り始めてから約36秒後に何かの破裂音が鳴り、煙を噴出して停止しました」

 

「ブルボンちゃんの言う通りだよ! さっきまで煙がすっごく出ててね、お部屋の中なのに雲が出来ちゃうぐらいだったんだ!」

 

「……駆動系か」

 

彼女らの話から大体の目星を付けた彼は、慣れた手つきでマシンを分解し始める。彼女達は普段なら目にしないそれを、興味深く見ていた。

 

元よりメンテナンスのし易いように設計されていたお陰か、大した時間も掛からずに駆動系部品やその制御回路が彼女達の目に晒される。

 

彼は、白い煙をその身から放出し続けているモーターをその中から回収すると、新たな物へと交換してすぐに元通りに組み直した。

 

「す、すごいね……! ウララちゃんのトレーナー! まだ全然時間経ってないのに、もう直っちゃった……!」

 

「えへへ! 言った通りでしょ! トレーナーは凄いんだよ!」

 

「……更新完了。彼の認識をトレーナーではなくエンジニアに更新しました」

 

「ええっ!? 違うよブルボンちゃん! わたしのトレーナーはトレーナーだよ!?」

 

彼女達がそれぞれ彼を評価する中、彼は熱くなっていたモーターを見て首を傾げていた。

 

「初期不良品は無え事を確認した筈だがな……?」

 

彼の疑念の呟きは特に響く事はなく、ただただ自身の耳に入って消えただけだった。彼はこれ以上深く考える事はせず、試運転をするべく彼女達の中からテストプレイヤーを指名するのであった。

 

「おい、そこの黒いの。一回試しに走ってみろ」

 

「わ、分かった……! ライス、走ってみるね」

 

彼の気分で指名されたライスシャワーは恐る恐る、そのマシンを操作する。突然の爆発に怯えていた彼女だが、そんな事が起こる筈もなく、至って普通にマシンはその役目を全うする。完全復活したその様子に、彼女はホッと息をついた。

 

「も、問題無かったよ……! おじさま……!」

 

「そうか、ありがとよ」

 

「では、ライスさん。私も使用して良いでしょうか? 先程はマシンのエラーによって、十分なトレーニング結果を得られなかったので」

 

「そ、そっか! じゃあどうぞ! ブルボンさん……!」

 

ライスシャワーが快くマシンを空ける。ミホノブルボンは先ほどと同じ様な設定にするべく、操作盤のボタンを押した。

 

 

 

だが、押したのは自爆スイッチか何かだった様だ。

 

 

 

今度は火花を散らして操作盤が黙り込む。彼女はまたしてもマシンを壊してしまった事が、ちょっとした負い目となってしまった様で、その落ち込みが耳や尻尾に現れていた。

 

勿論、その様子を彼はしっかりと確認しており、そのぶっ飛んだ壊れ方に頭を悩ませていた。

 

「テメエは手から電磁波でも出てんのか?」

 

「いえ、私の身体にそのような機能はありません」

 

「だったらコレ持ってみろ」

 

彼は自身の携帯を彼女に手渡した。指示通り、彼女は携帯のボタンを押すが画面はずっと暗闇しか映さない。どうやら、電磁波対策のしてある端末でも彼女の前では無力のようだ。

 

彼は眉をひそめながらこう思った事だろう。

 

絶対に工場に入れてはならないタイプの奴だと。

 

「ああ、確かに出てねえな。きっと出てんのは別の何かだ……一体何食ったらそうなる?」

 

「今日の昼食は、ソーセージを使用したランチプレートと炒飯セットの大盛りです」

 

「ったく……とりあえずテメエがどっかの誰かみてえに会話が下手くそだって事は分かった」

 

どうやら、皮肉の翻訳機能は彼女に付いていなかったようだ。呆れ返った彼が彼女をマシンから下ろし、スパークを起こして命を散らした操作盤に触れる。

 

しかし、不思議な事に彼がボタンに触れた瞬間、死んでいた筈のそれは息を吹き返した。そして、何事も無かったかのようにメニューを表示させている。

 

「どういう事だ……? 壊れてねえ」

 

「ブルボンちゃん、良かったね! 壊れないってさ!」

 

「……私には理解出来ません。確実に先程のスパークでこの機械は停止した筈」

 

「き、きっと偶然だよ……! もう一回やれば……大丈夫……!」

 

そんなライスシャワーの言葉もあり、彼女は再度そのマシンへ手を付けた。しかし、結果が変わる事はなく、再び操作盤は破裂音と共にブラックアウトした。

 

その様子に納得のいかない彼は久々に真剣な顔付きで彼女へある提案をする。

 

「おい、明日また同じ時間にここに来い」

 

「はい、問題ありません。ですが、どうしてでしょうか?」

 

「簡単だ、気に入らねえんだよ。テメエが触っただけでぶっ壊れるのがな。だから、いくら触っても絶対に壊れねえよう、徹底的に直してやる! 文句あるか?」

 

「いえ、私のメモリー内の修理業者にそのような発言をした者はいませんでした。簡単にまとめますと、"期待しています"」

 

彼女の無表情だった顔に、僅かに笑みが生じた。しかし、そんな些細な表情の変化を彼が気にする筈もなく、ただただニヒルな笑みを浮かべながら考えるかのように窓の外へ視線を向けた。

 

「ねえ、トレーナー! 明日直すってことはこれから暇だよね!」

 

「悪いが暇じゃねえ、工場で色々と部品を作らなきゃいけねえからな」

 

「ええっ!? じゃあ、今からダンスの練習やるのに見に来ないの!?」

 

「見れる訳ねえし、見る気もねえ」

 

ウイニングライブを一切見ない彼にダンスを披露する場は殆ど無いに等しい。それ故に、ハルウララは何としても彼をダンスホールまで連れて行きたいようだ。

 

そこで、彼女はとっておきの秘策を繰り出した。

 

「じゃあトレーナー! ジャンケンで決めようよ!」

 

「……マジかよ」

 

まるで、自分が勝つと分かっているかのような、自信に満ち溢れた瞳を向けて彼女はそう宣言する。やらねば引き下がらないと分かっている彼は、嫌々ながらそれに応じた。

 

その結果がどうなったのかは分からない。しかし、ただ一つの事実として、彼の帰りが少し遅くなった事だけは確かだった。

 

そして後日、ミホノブルボンの使用にも耐えうる改良がしっかりとされ、彼女はその使用感に満足そうであった。しかし、それと引き換えに見た目が少し犠牲になったようで、少し綺麗だったそれは追加の配線や訳のわからぬ装甲が追加され、見事にいつも通りのボロボロマシンに変わっていたそうだ。

 

 




ハイゼンベルクのヒミツ
実はとんでもなく運が悪い


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お正月

今回はかなり短めです


 

「わーいっ! 神社だー!」

 

「なんで俺まで……」

 

時は元旦。吐く息は白く染まり、寒さが周囲を包むこの季節。ハイゼンベルクとハルウララは近くにある神社へお参りにやって来ていた。

 

見ての通り彼は乗り気では無いのだが、彼女との賭けに負けたせいで有無を言わさず連れて来られてしまったようだ。

 

ちなみに、賭けの内容は小テストで満点を取る事が出来れば、ハルウララのお出かけに付き合ってやるというものだった。

そのため、彼女はキングヘイローやグラスワンダーなどに協力して貰い、なんと文字通りの花丸をもぎ取ってきた。その時の彼女と彼の様子は筆舌に尽くし難いものだった。

 

そんな事もあり、彼は別段用も無い神社にて、一人微妙な表情を浮かべているのであった。

 

「トレーナー! お参りした後、おみくじ引こうよ!」

 

「分かった。だが、お参りだけはテメエ一人で行ってこい」

 

「ええっ!? 何で?」

 

「悪いが、俺は神なんぞ信じてねえ。だから、信じてる奴だけ勝手にやれば良い」

 

彼はそう言うと、お参りをせずにそこら辺の屋台へと足を運ぶ。そして、二つの紙コップを受け取ると、参拝の列に並ぶ彼女の元へと戻ってくる。

 

「ほらよ、くれてやる」

 

「あ、甘酒だ! ありがとー! これ甘くて大好きなんだ! トレーナーも同じの買ったの?」

 

「俺のは酒だ。テメエにはやらねえよ」

 

彼はニヒルな笑みを浮かべると、紙コップの中に入った透明な液体を飲み干した。その様子を見て真似しようとしたのか、彼女も甘酒に口をつけるが、温度が高いせいで一気飲みは叶わず、ちびちびと少しづつ啜るだけに収まった。

 

「ほう、悪くねえな」

 

「ふーっふーっ! ちょっと熱いけど美味しい! これににんじんジュース入れたらもっと美味しくなるかな?」

 

「……反射で吐き出すぐらいには美味くなるんじゃねえか?」

 

彼女のぶっ飛んだ足し算に、彼は思わず鼻で笑うと皮肉たっぷりの一言を返す。そんなふざけたやり取りをしていると、いつの間にか列は前へ進み彼女達の番が回ってきていた。

 

「そんじゃ、さっさと済ませるんだな。俺は適当に待ってる」

 

彼は何もせず賽銭箱の前から立ち去るが、その行動に何か思う事があったのか、一人のウマ娘が声を掛けた。

 

「あ、そこのアナタ! せっかく並んだのに参拝しないんですか!?」

 

「あ? 誰だテメエ?」

 

何やら色々とご縁がありそうな物をジャラジャラと身につけたウマ娘は、目を輝かせながら彼に自己紹介をした。

 

「あ、申し遅れました! 私はマチカネフクキタルです! 本日、神社のちょっとしたお手伝いをしてます!」

 

「そうか、じゃあな」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! 今のはどう考えても会話の終わりどころじゃ無いですよ!?」

 

そんな中、参拝を終えたハルウララが戻る。彼女はトレーナーに詰め寄るその影を見ると、笑顔を浮かべて手を振った。

 

「あっ! フクちゃんだ! あけましておめでとう! トレーナーと何してるの?」

 

「ウララさん! あけましておめでとうございます! って今この方の事、トレーナーって言いました……?」

 

「そうだよー! わたしのトレーナーなんだ!」

 

黄色の髪とピンクの髪が彼の目の前でそれぞれ揺れる。しかし、彼は二人へ背を向けて再び屋台へと逃げるように向かって行った。

 

そしてもう一度、日本酒を一杯買った彼が目を向けた時には二人の姿はいつの間にかそこには無かった。

 

代わりに謎の悪寒を背中に感じ、視線を後ろに向けると、何故かいつの間にか彼女達はそこに立っており、こちらにキラキラした目を向けていた。

 

ちょっとしたホラーである。

 

「テメエ、まだいたのか。悪いが、俺は神なんぞ信じちゃいねえ。宗教勧誘なら他当たれ」

 

「ええっ!? な、な、なんでそんな現実主義なんですか!?」

 

「神は何も救わねえって事を身を持って知った……ただそれだけだ」

 

彼はコップの中身をあおると、大きく息を吐いた。そうして出来た目の前の白い煙を、彼は何とも言えない表情で見つめていた。

 

そんな様子をちょっと気まずい表情で見る彼女に、ハルウララはいつも通りの様子で話しかける。

 

「そうだ、フクちゃん! 私とトレーナーの事、占ってよー! 良いかな?」

 

「勿論です! 今年の運勢で良いですか?」

 

彼女はどこからともなく大きな水晶玉を取り出すと、怪しく両手を動かしながらその透明な中身を覗き込む。どこか不思議なその様子に、ハイゼンベルクも興味深そうにその視線を向けていた。

 

「出ました! ウララさんの今年の運勢は吉ですね! 十分良い事があると思います!」

 

「わーいっ! じゃあ、今から商店街の福袋でも買って来ようかな? きっと良い物当たるよね!」

 

ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶハルウララを見て、彼女は得意げな笑みを浮かべると、今度はハイゼンベルクの方へその水晶を向けた。

 

「さあさあ、ウララさんのトレーナーも占ってあげます!」

 

「ヘッ、好きにしろ」

 

彼女は先ほどと同様に水晶玉を見入る。三度の瞬きと共に、彼女の表情が驚愕のそれへと変わった。

 

「むむむ……こ、これは!? だ、だ、だ、大凶ですとおおお! アナタは前世からの業でも引き継いでいるんですか!?」

 

「前世ねえ、なんかしたのかもな」

 

恐らく、彼の想像する前世とマチカネフクキタルの想像する前世では色々と差異があるだろう。いや、差異しか無いだろう。

 

「ここは幸運の使者である私が一肌脱ぎましょう! シラオキ様のお告げがきっと助けてくれる筈です!」

 

「シラタキ様? なんかお鍋に入ってそうな名前だね!」

 

「シラタキ様じゃありません! シラオキ様です!」

 

正月ならではの美味しい食べ物を頭に思い浮かべているのだろう。だらしない表情で涎を垂らすハルウララ。そんな彼女の発言をマチカネフクキタルは必死の形相で訂正した。

 

そして、彼女しか知らない謎の神であるシラタ……シラオキ様に水晶玉を使って交信を試みる。しかし、帰ってきたお告げは何も無く、諦めろと言わんばかりの結果に彼女は思わず頭を抱えた。

 

「そんな……! シラオキ様の反応が無い!?」

 

「運気上昇なんて必要無え」

 

彼はそう言うとすぐ近くのおみくじが入った箱に、二回分の代金を入れて紙片を二つ掴み取った。そして、片方を隣のピンク色に手渡すと自身の紙片を開いて幸運大好きな彼女へと見せつけた。

 

当然のように書かれた運勢は大凶だ。

 

ある意味運が良いとも言える。

 

「二連続で大凶!? も、もしかして呪われてたりしませんか……? 今すぐお祓いにでも行ったほうが……」

 

「ああ、ある意味呪われてるかもな。おい、テメエのはどうだった?」

 

「えっとね、小吉だったよ!」

 

彼はニヒルな笑みを浮かべると、大凶の"大"の字だけちぎり取る。そして、その字を彼女の持つ紙の"小"の字を隠すように押し付けた。

 

「ヘッ、これで俺は大凶から凶に運勢が上がったな? アイツは小吉から大吉だ。運勢なんぞ、力で何とかするだけだ」

 

「へ……? そ、そんな方法アリなんですか!? 罰当たりな感じが凄いするんですけど!」

 

「当てたいなら勝手に当てやがれ」

 

神に喧嘩を売るどころか、ぶっ殺しに行きかねないこの男は、紙コップをゴミ箱にぶち込むと、神社から出て行くべく階段へとその足を向けた。

 

その様子に気付いたハルウララはマチカネフクキタルに両手をブンブンと振って別れを告げると、その後ろを追いかける。

 

彼の何者にも左右されない生き方に、少しばかり畏敬の念を抱いた彼女は、その後ろ姿を見送りながら、なんとなく再びハルウララを占った。

 

「え……? ええっ!? なんで!?」

 

彼女のキラキラとした瞳に映ったその結果は大吉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナー! 見て見て、福引やってるよ!」

 

神社からの帰り道、いつもの商店街では正月限定の福引を行っていた。そんな面白そうな物を彼女がやらないはずもなく、彼は半ば強引にそこまで引っ張られて行った。

 

「お! ウララちゃんにハイゼンさんじゃないか! 神社帰りかい?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

「ねえねえおじさん! わたし福引やってみたい!」

 

「二人にはいつも世話になってるからな! 一回だけならサービスするぜ?」

 

「やったーっ! ありがとー!」

 

尻尾を振って喜ぶハルウララは抽選器であるそれをガラガラと回す。そして、出てきたのはオレンジ色の小さな玉。

 

今更になって景品がどうなっているかを確認した彼女の視線は、二等のそれへと釘付けとなった。

 

「あっ! やったやった、二等だよトレーナー! にんじん山盛りだって!」

 

カランカランと鳴らされるベルと共に、段ボール箱に人参が文字通り山となるまで積まれていく。

 

そんな様子を冷や汗を垂らしながら見る彼は、恐る恐る彼女へ尋ねた。

 

「……テメエが持って帰るんだよな?」

 

「わたしの部屋には入らないよ? キングちゃんも一緒にいるし……」

 

「おい、まさか……」

 

「だからトレーナーのとこに持って行くね!」

 

「……マジかよ」

 

どうやら、彼女は大吉になったが、彼は大凶のままのようだ。

 

過去に同じ事があったような気がしてならない彼は、動揺を隠せないまま福引を担当している店主と話をする。

 

その後ろでは、ハルウララがにんじんで重くなった段ボールを嬉しそうに持ち上げていた。

 

 

 

案の定、工場に着くと彼女はこの山盛りの人参を使った何かを食べたいと彼に要求した。なんと彼は、面倒そうな表情を浮かべながらも人参を使ったスープを作ってくれたのだ。

 

彼は曰く、八百屋の店主から貰ったレシピ通りに作っただけらしく、嫌味を込めて熱々に作ったらしい。

 

だが、そんな気持ちが込められていたにも関わらず、そのスープはとても暖かい味だったそうだ。

 

もしかすると、込める気持ちを間違えたのかもしれない。

 




ミホノブルボンのヒミツ
実は、どこぞの鋼の軍団の約七割を触れただけで倒せる。


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邂逅

今回は3話ほど続く話となります


 

ここ最近、ゴールドシップは一枚のコピー用紙にペンを持って向かい合っていた。珍しく、勉強でもしているのかと思いきやそうでは無く、何かのイラストのような物を描こうとしているようだ。

 

「だーちくしょう! どんな見た目にするか思い付かねえ!」

 

彼女が描こうとしている物の正体はハイゼンベルクに渡すための図。時折、彼女はふざけた物を作って欲しいと彼に頼むが、そこに彼を惹きつける要素が無いとそう簡単には作っては貰えない。

 

そんな、ロマン二進法を採用した男に対して聴覚だけでなく視覚からも魅力を伝えるべく、彼女は悩みながらもペンを取っていた。

 

「なあマックイーン! 相手に抵抗を許さずに速攻で拘束する装置ってどんな見た目してると思う?」

 

「はあ? また訳の分からない事を……光線銃を反射できる盾の話じゃ無かったのですか?」

 

「その話はもう終わったんだ! そもそも、光線銃撃ってきそうなヤツなんてあの工場長のオッサンぐらいしか居ないしな! それよりも、さっさと何かアイデアくれよー! そのモンブラン奢っただろー?」

 

メジロマックイーンは口の中に甘いモンブランを放り込みながら、ほんの少しだけ考える。しかし、拘束すると言っても彼女の脳裏には、警察が犯人を取り押さえる時の光景しか浮かばない。

 

「拘束するといえば、手錠とかが思い浮かびますが……まあ、見た目の話であれば良いと思いますわ」

 

「なるほど! 手錠をかけたら電流で相手が動けなくなるってヤツか! オマエ……意外とえげつねえこと考えるんだな……流石のアタシもちょっと引くわ……」

 

「ちょっと!? 電流の事なんて一言も言ってませんわ!」

 

「よーし! 一つ目終わり! 次は一瞬で海を渡れる装置についてだ! マックイーン、アイデア頼んだぞ!」

 

不満げな表情を浮かべる彼女を横目に、ゴールドシップはラフなスケッチを描き終える。そして、紙をひっくり返すと次の発想へと移行した。

 

「一応考えてるのが二つある! 海を真っ二つに割るか、海の上を走れるようにするかだな!」

 

「非現実的にも程がありますわ……そんな物作れる訳ないでしょう」

 

「おいおい、あんなにガッツリ観てたくせにライトセイバーの事忘れたのか? アレ作ったのそのオッサンだぜ? しかも半日で」

 

「どうせ、見た目だけのおもちゃでしょう? あの機械を切ったのだって演出の一環ではなくて?」

 

「じゃあ今度持ってきてやるよ! マックイーンの食おうとしてるパフェをそれで袈裟斬りにしてやっから楽しみにしとけ!」

 

「あれ……? その反応は……まさか本当に切れますの……!?」

 

何やら墓穴を掘った気がしてならない彼女は好物の甘い物を食べているにも関わらず、冴えない表情を浮かべていた。

 

だが、そんな状況でもしっかりと案は考えているようで、数分後には一応それっぽい方法を提案した。

 

「海の上を渡るのならば、凍らせるというのはどうでしょう? もし、アイススケートの様に海を渡れるとしたら、優雅の一言に尽きますわ!」

 

目を輝かせる彼女は、凍った海の上でアイススケートをする様を想像し、夢みたいなその光景に思わず笑みが溢れる。

 

しかし、ゴールドシップにその素晴らしさはあまり伝わらなかったようで、彼女は水をストローで吸いながら、つまらなそうな目でその話を聞いていた。

 

「なんか違うんだよなー……海の上走るんだったらもう少し面白そうなやつが良いぜ! 例えば、海面ギリギリで浮ける靴とかな! あのオッサンだったらジェットか何かでやってくれんだろ!」

 

またまた少し非現実的じみた発想に、メジロマックイーンは現実逃避の様に目の前のモンブランを平らげる。

 

だが、彼女はバカでは無い。段々とその法則性に気が付き始めた。

 

「常識を……今だけ捨てるのです……! 恐らく、SFの様な発想でないとこのモンブランの対価は支払えません!」

 

頭を抱えて念じる様に考え始めた彼女。そんな様子を横目にゴールドシップは席を立ち、どこかへ行ってしまった。

 

肝心の張本人が目の前にいないにも関わらず、彼女は閃いたかのように目を見開いて、大声で頭の中の発想を口に出す。

 

「そうですわ! 水を弾くバリアのような物を張って海底を走るのはどうでしょう! きっと水族館のようで面白いと思いますわ!」

 

「おお!? 完璧な発想じゃねえか! 流石マックイーンだぜ!」

 

彼女の横からスッと姿を現したゴールドシップは、ハイテンションでその発想を褒め称えながら、彼女の目の前に一つの大きなタワーを置いた。

 

「こ、これは何ですの……?」

 

「ここの名物のタワーパフェ! お礼に奢ってやるよ! その代わりあと三つぐらい付き合ってもらうぜ!」

 

「でも、カロリーが……」

 

「レース終わったんだろ? 一日ぐらいなら問題ねえって!」

 

「うう……! い、頂きますわ!」

 

魔の誘惑に負けたメジロマックイーンは、ゴールドシップと共に常識破りな発想をし続けたらしい。しかし、そんな中でつまむ犯罪的な味は彼女から正常な思考を奪い取ったのか、後半の方に限ってはゴールドシップが本当に引くような発想が沢山出てきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これだけあれば一個ぐらい作ってくれんだろ!」

 

その次の日、ゴールドシップが意気揚々と向かって行ったのは工場長の城。道はしっかりと覚えた故に、案内役はもう不要であった。

 

ジャリジャリと音を鳴らす道を歩いて行くと、彼女の前に立ち塞がったのは金網の門であった。しかし、上部に有刺鉄線が付いているそれを、彼女は周辺に生える木を使っていとも簡単に飛び越えてしまう。

 

「えーと、確かスカイの情報通りならここにでっけえ落とし穴があるって話だったな! そんなもんでこのゴルシ様を止められると思うなよ!」

 

優秀な諜報員からの情報を元に、彼女は大きく助走をとる。どうやら、ウマ娘の身体能力を生かし、落とし穴を飛び越えるつもりのようだ。

 

「よっしゃ、ゴルシ行きまーす!」

 

ふざけた掛け声から放たれる全力の加速と全力の跳躍。その瞬間、彼女は見事に鳥になったと言えるだろう。感嘆の声が漏れるほど完璧な走り幅跳びに、地面に潜む大口はなす術もない。

 

だが、単純な罠こそ侮るなかれ。その様な安易な仕掛けには裏がある。

 

まるで、マンホールからこちらを覗くかの様に、幾つかの地面が上方へ開く。そんな隙間から顔を覗かせたのは何かの発射口。空飛ぶ船を落とすかの様に、その対空砲は迎撃を開始する。

 

放たれたのは、ワイヤーと鉄球から作られたボーラ。絶対に捕らえるという強い意志が感じられる弾丸が、次々と空を優雅に飛ぶそれへと巻き付いた。

 

六個のボーラが纏わりつき、帆が折れてしまったその船は地面へと落ちていく。しかし、落ちた先は地面などではない。侵入者を食らう大口だ。

 

結局、彼女はスポンジという柔らかな舌の上で文字通り芋虫と化したのだった。

 

「マジで!? ただの紐じゃなくてワイヤーじゃねえか! どうりで千切れねえと思ったぜ……」

 

複数のボーラが絡まり合った結果、それは彼女を捕らえる拘束具と化した。流石にワイヤーは千切れないのか、彼女は声を上げながら何とかその絡まりを解こうともがいていた。

 

そんな彼女の元へ、複数の足音が響く。

 

「あっ! ゴルシちゃんだ! ここで何して遊んでるの?」

 

穴の縁から顔をひょっこりと覗かせたのはハルウララだった。どん底に落ちた彼女にとって、その姿はもう一つの太陽の如く輝いていた事だろう。

 

「お、ウララじゃん! 後でジュース奢るからコレ解いてくれよ! このアタシとした事がしくじっちまった!」

 

「ほんとっ!? じゃあ、今からそっち行くねー!」

 

彼女は可愛らしい掛け声と共に、その身を落とし穴へと投げ出した。彼女の体は穴の底にあるスポンジへとめり込む。そして、元気にその顔を上げると、楽しそうに柔らかい床の上で跳ねながら黄金芋虫の元へと向かって行った。

 

「わわっ……! なんかすごい事になってる! よし、頑張って解くぞー!」

 

彼女はまるで知恵の輪にでも挑戦するかのように意気込むと、複雑に絡まり合ったそれを弄り始める。

 

 

 

 

 

 

「右手のヤツをその穴に通せば一本取れるぞ!」

 

それから暫く経った頃、ゴールドシップの的確な指示もあり、彼女はその難解な知恵の輪をなんとか攻略する事に成功した。

 

「いやー助かったぜ! このままじゃ確実に埋葬されて、ゾンビ化でもしねえと復活出来ねえとこだった!」

 

「わたしもゴルシちゃんが無事で良かったよ!」

 

「それで薄々思ってたんだけどよ、どうやってこの穴から出るんだ?」

 

「あっ! どうしよう、考えてなかった……! そうだ、シューちゃんに頼もうっと!」

 

「シューちゃん? シュークリームのマスコットキャラみたいな名前だな!」

 

ハルウララが外へとその名前を呼びかけると、聞いた事のない重い音が響き渡る。シュークリームのシュの字も無いその音に、ゴールドシップの表情は僅かに困惑したものへと変わった。

 

彼女がそんな不穏な空気に動揺する中、ズッシリとした足音と共に縄梯子が投下される。どうやら、ちゃんと上で固定されているらしく、縄梯子は問題なくその役目を果たしている。

 

ハルウララは迷いなくそれに掴まり、地上へと舞い戻った。

 

「ありがとー、シューちゃん!」

 

穴の底で佇む彼女の上では、いつも通りの元気な声と風を切るような轟音が会話のように交わされていた。

 

「あれ……? アタシは風邪でも引いたのか!? ウララじゃない方のヤツが何言ってるか全然分かんねえ……!」

 

思わず頭を抱える彼女だが、このままでは埒があかないと思ったのか恐る恐るといった様子で、縄梯子を登って行く。

 

登り終えた時に彼女の目に入ってきたものは、装甲が所々に貼られた片足。縄梯子が落ちないように踏み付けて固定してくれたのは、どうやらこの足の持ち主のようだ。

 

「いやー助かった助かった! ありがと……な……!?」

 

とりあえず助けてくれた事にお礼を言いつつ、彼女はその視線をその恩人の顔へと向けた。

 

 

 

そこにあったのは顔では無い。

 

 

 

巨大な鋼鉄製のプロペラであった。

 

 

 

「なっ!? オ、オ、オマエ……!?」

 

顔の代わりにその上半身を覆っていたのは異様な雰囲気を放つターボプロップエンジン。驚愕の表情を浮かべる彼女に、それが生ぬるい風を送っていた。

 

目を見開いて固まる彼女を、その異様な者はただじっと見つめている。正確には、プロペラを向けているだけなのだが、そのように感じてしまう。

 

そんな威圧感しかない視線を向けられた彼女は脱兎の如く逃げ出す……

 

 

 

訳が無かった。

 

 

 

「めっちゃくちゃ強そうじゃねえか! 暗黒卿よりヤバいオーラがビシバシ感じるぜ! もしかして、ゴルシ宇宙軍の秘密兵器として採用しても良いんじゃねえか……?」

 

どうやら黄金船に搭載されたスカウターによると、彼の戦闘力は宇宙にも通用するという結果が出たようだ。

 

「おい、なんか強そうなオマエ! 名前なんて言うんだ?」

 

彼は何も言わず、ただそのプロペラをブンブンと回転させハルウララを見やる。どうやら、喋れないようだ。

 

「あのね、この子はお化けのシューちゃんだよ! 本当の名前はしゅつるむ?って言うんだって!」

 

「シュツルムだって!? 地味にカッコいい名前してやがる……! ってか、今お化けって言わなかったか?」

 

「うん、シューちゃんはお化けだよ! トレーナーは、マロンとうさいがたお化け?って言ってた!」

 

「なるほど、飛行機で栗の木に突っ込んだ結果こうなっちまったって事か……! いやー、それにしてもお化けなんて初めて見たぜ!」

 

「そうだよね! わたしもシューちゃんに会うまでお化けを見た事なかったもん! みんな恥ずかしがり屋なのかな?」

 

どこかズレのある会話を繰り広げる二人を横目に、シュツルムは縄梯子を器用に足で丸めて、ボールのように蹴っ飛ばして工場へと片付けていた。

 

「そういや、あのオッサンはどこだ? また秘密道具をちゃちゃっと作って欲しいんだけどよ」

 

「えーとね、トレーナーはたづなさんに呼ばれてどっか行っちゃった! だからね、わたしがシューちゃんと一緒にお留守番してるんだ!」

 

彼女が明るい声でお化けの友人へ声を掛ける。彼はその重そうな巨大な頭をゆっくりと縦に振った。

 

どうやら、彼は意思疎通の方法として首を振る事を覚えたようだ。

 

「そうだ! ゴルシちゃんはトレーナーが帰ってくるまで暇でしょ? 一緒にレースしようよ!」

 

「レース? 別にいいけどよ、二人じゃそんなに面白くなんねえぞ?」

 

「大丈夫! シューちゃんも走るから三人だよ!」

 

両手を上にあげて元気よく言い放つ彼女の隣では、シュツルムが肯定の意を示すかのようにそのプロペラを唸らせていた。

 

「マジで!? オマエ、お化けのくせに走れんのかよ! それで、どんぐらい速えんだ?」

 

ゴールドシップはワクワクした目をハルウララへと向ける。そんな期待に応えるかのように、彼女は得意げにその答えを返した。

 

「すーーーっごい速いよ! 初めて走った時ビックリしたもん!」

 

「おおお……!? なんか武者震いがしてきたぜ!」

 

段々とけたたましいエンジン音が響き始めると、彼女の背中に何故か冷たいものが走り、勝手に体が震え出す。

 

テンションが最高潮まで上がり切った彼女はハルウララに案内されて意気揚々とレースのスタート地点まで赴いた。

 

きっと、その震えが本能が送る危険信号であると彼女が気付くことは無いだろう。いや、むしろその方が幸運だ。

 

最近よくそのお化けと友情トレーニングをしているからだろうか。スタート地点には何かのスイッチが置かれていた。どうやら、タイマーで一定時間後にスタートの合図を鳴らしてくれる代物のようだ。

 

三人で走れる事が嬉しくてたまらないハルウララは、そのスイッチを思い切り押すと一番内側でスタートの体制を取った。そのすぐ外側にゴールドシップ。そして、一番外側に彼女達とは二人分ほど間隔を空けて立っている。

 

「シューちゃん! アレやるんでしょ? 頑張ってね!」

 

ハルウララの放つその言葉に、思わず彼女の視線は外側の異形へと向けられる。そこには、普段通りの轟音を響かせてプロペラを回すシュツルムの姿があった。

 

しかし、その体制は些か不自然だ。腰を深く落としたそれは、まるで何かの衝撃に備えるかのようだ。

 

 

 

そんな彼女の疑問はブザー音と共に解決する事となる。

 

 

 

いつも通りにスタートを切ったゴールドシップだが、ブザーと共に起きた爆発音に驚き、その視線を横へ向ける。そこには、ふざけた勢いで加速していく一つの影が映る。

 

瞬く間に彼女の前に躍り出るシュツルム。その様子を見た彼女の口元には笑みが浮かぶ。

 

当然のようにシュツルムを風除けに使うハルウララを見習って、彼女も同じように彼の背後につくのだが……

 

「だあああ!? なんだなんだ!? ここだけ暴風域の大嵐じゃねえか!」

 

彼の背負うターボプロップエンジンの後方から出る気流が見事に彼女を襲う。彼の名前の由来でもあるその嵐は、背後につくことが悪手と言わんばかりに、彼女へ強烈な向かい風を吹き付ける。その結果、彼女は横へ移動せざるを得なかった。

 

ちなみに、ハルウララは小柄なお陰で一切影響を受けていない。

 

しかし、そんな彼女も加速し続ける背中について行く事は叶わず、無理矢理引き剥がされてしまう。

 

一人だけぶっちぎりで駆けていくその様子は、ゴールドシップの走りの常識をシュレッダーにかけて粉々にした事だろう。

 

そして、この先のカーブで彼女の常識は更新される事だろう。

 

「……? アイツ、何処行くんだ? 腹でも壊したのか?」

 

カーブなど存在しないかのように真っ直ぐ突き進むシュツルム。既にトラック外へ暴走を始めているその背中を見ながら、ハルウララ、ゴールドシップの順でカーブへと差し掛かる。

 

彼の行き先は、前の物よりグレードアップされた鋼鉄の分厚い壁。

 

何をするのか気になって仕方がない彼女は、適当に走りながらその視線を向けている。

 

そして、彼は期待を裏切る事なくそれに火花を散らして衝突し、強引に停止する。そして、とんでもない音を鳴らして激突したにも関わらず、何事も無かったかのようにその向きを変えると、再び爆発音を響かせて突っ込んでいく。

 

勘のいい彼女はその動作を見ただけで色々と不味いことに気づく。

 

「やべっ!? このままじゃ追い付かれちまう!」

 

カーブの出口で彼女は早めにスパートをかける。グングンと上がる速度。普段ふざけているとしても、彼女の実力が上位にある事には変わりはない。

 

しかし、そんな彼女の目の前にある小さな影は思ったよりもしぶとく頑張っていた。

 

「……あれ? コイツ、こんなに速かったっけ? まあいいや、あらよっと!」

 

彼女の死角から余裕の表情で追い込みをかけるゴールドシップ。勿論、瞬く間に抜かされてしまうが、折れる事なく頑張るのがハルウララである。

 

「ええっ!? ゴルシちゃんがいきなり出てきた!? でも負けないぞー!」

 

二人が先頭争いをしている中、背後から爆発音と共にプロペラの風切り音が段々と近づき始める。心の臓が縮こまるような感覚に、黄金船はより速度を上げる。

 

その後を、春が風となって追い縋る。

 

そして、黄金船を沈めるべく、風を切って戦闘機が突き進む。

 

 

 

そんな三つ巴の戦いを制し、ゴールのカメラに映ったのは他でもない黄金船のマストであった。それに続いて二位をもぎ取ったのは戦闘機のプロペラ。ビリはハルウララであった。

 

ゴールしてなお、その速度を緩めないプロペラはその先にあるスクラップの山へと突っ込んで行く。山を半分崩すほど威力の高い山籠りを終え、彼はやっと停止したのだった。

 

「ふう〜……よし! アタシが勝ったから、オマエは今からゴルシ宇宙軍のメンバーな! そんだけ速ければ宇宙船に入り込んだ侵入者の一人や二人、余裕でぶっ飛ばせるだろ!」

 

勝者の特権で勝手にシュツルムをチームメンバーに加え入れたゴールドシップ。しかし、当の本人は意味を理解出来ずにただただ首を傾げていた。

 

まあ、もし彼が侵入者を迎撃しようものなら、一人当たり約三つほどの大穴が宇宙船に開けられる事を覚悟しなければならないだろう。

 

「やったねシューちゃん! トレーナーのお陰でまた速くなったね!」

 

「オッサンのお陰で? 一体何したんだ?」

 

「えーとね、確かにとろ?がどうとか言ってたよ! よく分からないんだけど、とりあえず速くなるってさ!」

 

「マジ!? それって多分液体だよな? アタシもそれを飲めば速くなんのか?」

 

「あ、そっか! シューちゃんも速くなったんだから、わたし達も使えば速くなるよね!」

 

今の会話をどこかの科学者が聞けば、笑い過ぎて椅子から転がり落ちるだろう。

 

無知ゆえの恐ろしい発想は留まることを知らない。そんな、夢中で話し続ける二人の横では、全てを知る者が必死になって首を横に振っていたという。

 

しかし、残念な事に彼女達がその行動に気付くことは無かったそうだ。

 




ゴールドシップのヒミツ
実はイタズラ用の道具をハイゼンベルクに作って貰っている。


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機械仕掛けの逆鱗

 

モンスターマシンとのレースを終えた、ハルウララとゴールドシップ。二人はテンションの上がった体を落ち着かせるかのように、その後ものんびりとこのお化けの友人について話し合っていた。

 

だが、そんな中でハルウララが放った一言が彼女の熱を復活させる。

 

「あのね、シューちゃんは速いけど曲がれないんだ!」

 

「……てことは、もし曲がれるようになったら、コイツとんでもねえ速さになるぞ! 体力も速度の文字通りお化けなコイツなら、得意距離関係なく相手を片っ端から追い回せるじゃねえか! よし、コイツをなんとか曲がれるようにしてやろうぜ! おー!」

 

「シューちゃんやったね! これでもっと速くなれるよ! おー!」

 

こうして、完全に邪な思考がダダ漏れのゴールドシップ、より彼が速くなる事に喜ぶハルウララ、何も分かっていないシュツルムの三人による、"シューちゃんを曲げようプロジェクト"が開始された。

 

しかし、早速会議を始めようとした時、インターホンの音がその思考を遮る。来客を告げるその音に、二人は走って入り口の門へと向かうが、そこには意外な姿が見受けられた。

 

「あ、みんなだ! 今開けるねー!」

 

キングヘイロー、セイウンスカイ、エルコンドルパサー、グラスワンダーの四人の姿に彼女はその門の鍵を開け、文字通り入口を開け放った。

 

「よお、四天王!」

 

「ご、ゴルシ先輩!? なんでここにいるのよ!」

 

「そりゃ、宇宙戦艦の錨が降ろされる場所がココだかんな! アタシはもう普通の船のブツじゃ満足出来ねえんだ……!」

 

「どういう事かよく分からないデース!」

 

意味不明すぎる受け答えに、思わず彼女は頭を抱える。

 

「私からすると、どうしてウララちゃんがここに居るのか不思議なんですが……」

 

「ここはね、わたしのトレーナーのこーじょーなんだ!」

 

「なるほど、あの人の工場なんですね」

 

「うーん、工場というよりヤバいもんの溜まり場だとセイちゃんは思うのですが……」

 

「やばいもの……?」

 

セイウンスカイの漏らした言葉に疑問を覚えた彼女は、少しその事について詳しく聞こうとするが、肝心の彼女はすっとぼけるばかりで、結局何も分からずじまいであった。

 

「そういや、なんでオマエら来たんだ? 分かった! 全員宇宙の騎士になりに来たんだな! だが、騎士の道は険しいぞ……! その覚悟はあるのか……?」

 

「違うわよ! 私達はちょっと面倒な記者から逃げて来たってだけよ!」

 

彼女は黄金船から飛来するぶっ飛んだ言葉を躱すと、その理由について語り始める。

 

「もう知ってるかもしれないけど、この場所は記者から結構恐れられてる所なのよ。ウララさんのトレーナーのお陰でね」

 

「ここに入っただけで、記者達が逃げていったのはエルもビックリしました。一体、何をしたらこんな風になるんデスか?」

 

「分からないわ。ただ、以前避難させてもらった時に本人にその事を聞いたけど、何にもしてないって言ってたわ」

 

「凄えなオッサン。実は超能力でも使ってんじゃねえか?」

 

普段から勘の鋭い彼女だが、今回ばかりは外れたようだ。彼が恐れられているのは、単純に本人が放つオーラが怖いからである。

 

まあ、もう一つの理由として、何故か彼の周りではカメラの故障率が非常に高くなるらしいのだが、その真相は定かではない。

 

「お、そうだ! オマエらもアレに参加してもらうぞ!」

 

いきなりそう言われた彼女達の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいる事だろう。

 

「アレ……とはなんでしょう?」

 

「簡単に言えば、アタシの秘密兵器の改良を手伝って貰う! このプロジェクトは沢山人手があった方が良いからな」

 

「なるほど、三人寄れば文殊の知恵と良く言いますからね」

 

「秘密兵器! なんか面白そうな響きデース! エルもそのプロジェクトに参加しまーす!」

 

何か興味を唆る要素があったようで、エルコンドルパサーは高らかに参加を表明する。それに続くようにして、グラスワンダーも参加しても良いと言い出した。

 

しかし、何やら嫌な予感がするのか、キングヘイローとセイウンスカイの表情はあまり優れなかった。

 

そして、その予感は見事に的中する事となるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

工場の敷地にて、彼女達は例の相手とご対面していた。会うのが二度目の者は多少なりとも落ち着いてはいるが、とある一人の者だけは目の前の存在を上手く理解出来ていないようだ。

 

「こ、こ、これは一体何なんデスか……?」

 

「お化けのシューちゃんだよ!」

 

「あら、お化けですか。私はてっきりロボットかと思ってました」

 

「どうしてグラスは平気デスか!?」

 

「先程、お辞儀をしたらちゃんと返してくれたので」

 

幻想世界でも見ることはないであろうこの存在に、エルコンドルパサーは顔面蒼白になっている。それに対して、グラスワンダーは柔らかい笑顔を浮かべたままで、動揺など一切していない。

 

お辞儀には恐怖を無効化する力など無い筈だが……

 

「キング、セイちゃんはもうダメみたい……もうアレを見ても何とも思わなくなってきちゃったよ……」

 

「ちょっと、スカイさん!? 貴方はそっちに行ってはダメよ! 気をしっかり持ちなさい!」

 

残念ながら、キングヘイローがどれだけ彼女を揺さぶろうとも、一度ついてしまった耐性は取れることはない。そんな、まともな者を惜しむかのような激しい揺さぶりに、彼女は気の抜けた声を出し続けるのであった。

 

「わーいっ! 友達がいっぱい出来たね、シューちゃん!」

 

友人関係を築く際に、このような恐怖の試練が課せられる事は無い筈だ。しかし、ハルウララにとっては無いに等しいのかもしれない。

 

そんな事も露知らず、彼女は両手を広げてシュツルムの友達?が増えた事に喜んだ。

 

「み、みんな平気な顔してるデース……!? うぬぬ、エルだけ負けてはいられません! 恐怖など一瞬で克服するのが真の最強というもの! ふっふっふ、もうこんなプロペラなんか怖くないデース!」

 

顔は依然として青ざめてはいるが、その態度は真逆だ。恐怖に立ち向かうその様子は、一部の者から尊敬の視線を集めた。

 

「いや〜、凄いねえ。キングは気絶してたっていうのに」

 

「ちょっと! スカイさんだって逃げ出してたじゃないの!」

 

「無理無理、アレは初見殺し。耐えられるわけがないのだよ」

 

彼女の言う通り、あの見た目のインパクトは強すぎる。初見で驚かない方が珍しいのだ。

 

ちなみに、どこぞの世界にはこの初見殺しを"ああ、クソッ!"や"マジかよ!"などで済ませてしまう人種がいるのだが、彼女達が知る由もないだろう。

 

威圧感のある空気が充満する中、ゴールドシップは何故か眼鏡を掛けて、外へと引っ張り出してきたホワイトボードの前に立つとこの場をリーダーのように仕切り始める。ちなみに、同じく前に立つハルウララは書記を担当するようだ。

 

「じゃあ、ミーティング始めっぞ! 話し合うのはコイツが曲がれる方法だ!」

 

「ちょっとストップでーす! 曲がれる方法って一体どういうことデスか!?」

 

「あのね、シューちゃんは走るのがすっごく速いんだけど、カーブで曲がれないんだ!」

 

「あら、なんだか可愛らしいですね」

 

その現象を証明するべく、ハルウララの指示を受けてシュツルムは走り始める。そして普段通りのイかれたスピードを出して、カーブで曲がれない事を彼女達に示すと、壁にぶつかって停止した。

 

「何と言いますか……まるで車ですね」

 

「飛行機の間違いデース……!」

 

「な? コイツにカーブを習得させたら面白そうだろ? 多分、授業サボって逃げるスカイを後ろから余裕で追えるぜ!」

 

「あら、それは良いわね」

 

「……あれ? 私、何か悪い事でもした?」

 

そんなこんなで、それぞれが彼を曲げるための案を出し合って、プロジェクトは順調に進んでいった。

 

 

 

「飛行機と似てるのなら、尾翼か何かを付ければ良いじゃないでしょうか?」

 

手作りの尾翼を付けたが、技術力不足によりシュツルムの走行に耐えられず大破。

 

失敗に終わった。

 

 

 

「簡単デース! カーブをじっと見ながら走れば良いんデース! そうすれば勝手に曲がれます!」

 

顔の向きをカーブへと向けるよう指示を出した所、僅かに曲がる事に成功。しかし、そのせいで壁に衝突せずに、工場裏の山へと突っ込んで行ってしまった。

 

失敗したが、進展あり。

 

 

 

「体をカーブの内側に傾けるのはどうかしら? 要は重心移動ね」

 

カーブに入る際、無理矢理頭をカーブの内側に傾けるよう指示。カーブの三分の一を走る事に成功。しかし、速すぎるせいで遠心力に負けて外側へと吹き飛んだ。

 

失敗したが、進展あり。

 

 

 

「じゃあ、アタシが外から押せば完璧だな!」

 

カーブの際、外側にゴールドシップを待機させ、カーブ時の遠心力を押さえつける試み。しかし、その質量が大きすぎるあまり、押さえきれずに彼女ごと吹き飛ばされた。

 

失敗に終わった。

 

 

 

「うーん……えーとね……たくさん頑張る!」

 

頑張った。

 

失敗に終わった。

 

 

 

「えー……だってこれ成功しちゃったら私が追われるんでしょ? だから、セイちゃんはゆっくり昼寝でもさせて貰いまーす!」

 

ゴールドシップがシュツルムにセイウンスカイを追い回すよう指示。彼はゆっくり歩いて彼女をしばらく追い続け、彼女へ多大なるプレッシャーを与えて睡眠へと至らせない事に成功。

 

失敗に終わった?

 

 

 

「そういえば、この子は歩きなら曲がれるんですね」

 

未だにゆっくりとした鬼ごっこを続ける二人を見て、グラスワンダーがそう呟いた。

 

「つまり、減速すれば曲がれるって事かしら?」

 

「なるほど! エルは完璧な案を思い付きました! プロペラを回して加速するなら、逆に回せば良いんデス!」

 

「そんな事出来るわけが……」

 

自慢げな様子で案を出す彼女に、キングヘイローはどこか呆れた様子で返事をする。しかし、そんな一流お嬢様の言葉に異議を唱えたのは、誰でもないハルウララであった。

 

「シューちゃんは出来るよ! ほらっ!」

 

彼女の指の先には、鬼ごっこを終えたシュツルムとどこか疲れた様子のサボり魔の姿。追い回したお詫びなのか、彼はこの冬にはありがたい温かな風を彼女へ浴びせていた。

 

意外と心地が良いのか、彼女は風を受けながらだらけた声を出し続けている。

 

ハルウララもその様子を見て我慢出来なくなったのか、その暖房付き扇風機の前に立つと彼女と同じくゆるゆるな空気感を辺りに振りまいた。

 

「ポンコツなのか高性能なのか分からなくなるわね……」

 

「ふふっ、まるで機械ではなく人みたいですね」

 

どうやら、グラスワンダーは精巧に作られたロボットだと思っているようだ。確かに、彼の技術力であれば不可能では無いだろう。

 

まあ、勘違いで済ませるのが彼女にとっても幸運なのは確かだ。世の中には知らなくて良い事の一つや二つ、あって当然なのだから。

 

 

 

そんなこんなで、プロペラ逆回転案はゴルシ議会にて可決され、実行へと移される。

 

「あのねあのね、カーブの前でプロペラのグルグルを反対にすれば止まれるんだって! そしたら、カーブを曲がれるんだってさ!」

 

シュツルム語検定1級の彼女が彼へやる事の指示を出す。理解はちゃんとしたようで、彼はその大きな頭を縦に振って了承した。

 

そして、彼はスタート地点に立つとその回転機構を稼働させる。ニトロ燃料によって改善されたバカげた加速を見せつけて、舞台はカーブへと差し掛かる。

 

外野の一人がライトセイバーをサイリウム代わりに振るって応援する中、彼はそのプロペラを強引に止め、反対方向へ回し始める。

 

機械的な面で化け物レベルの負荷が掛かるはずだ。しかし、より化け物だったのは彼の耐久力の方だったようで、異音を響かせながらエンジンの回転数は異様な程に上がっていく。

 

 

 

その結果、地面に二本の線を残しながら、彼はカーブの入り口をちょっと過ぎた所で無事に停止したのだった。

 

そして、今まで踏み入る事が出来なかったカーブをまるでウイニングランのようにテクテクとゆっくり歩いて行った。その軌道は問題を生じる事なく円弧を描く。

 

カーブの終わり際、まるで喜びを表すかのように彼のプロペラはけたたましい音を立てて再始動する。そして、スクラップの山をまた一つ半壊させると、彼は無事に停止したのだった。

 

「やったー! 初めて曲がれたよ!」

 

「でも、ちょっとゆっくり過ぎないかしら?」

 

「まあ良いんじゃない? 一歩前進って事でさ」

 

何かと問題点は残るが、とりあえず第一目的は達成したのだ。プロジェクトとしては一応成功である。

 

まあまあの結果にハルウララが大喜びしている中、入り口から何人かの話し声が響く。明らかに工場の主人ではないその声に、キングヘイローは咄嗟にスクラップの山の影にシュツルムを押し込んだ。

 

「貴方はここでじっとしてなさい! 出てきたらきっと面倒事になるわ」

 

一人以外全員一致の提案に、彼はお行儀良くじっとしている事にした。勿論、バレないように己の放つエンジン音も最低まで音量を下げている。

 

そんな、問題のあるブツを隠蔽し終えた彼女達の元にやって来たのは三人の記者だった。

 

「お、いたぞ! アイツらだ!」

 

見た感じ若そうな彼らはカメラを構えると、挨拶代わりにフラッシュを焚く。礼儀知らずの彼らに、とりあえずキングヘイローは丁寧に頼み込む。

 

「ちょっと良いかしら? 撮影も取材も今は少しご遠慮したいのだけれど?」

 

「いやいや、ちゃんと許可は取ったから!」

 

「そういう事ではなくて、少し取り込み中なので、後にして欲しいんです」

 

お嬢様だけではなくグラスワンダーも説得に参加するが、許可を取ったから問題無いと言い張って彼らは聞く耳を持たない。

 

それどころか、こんな変な工場に才色兼備な彼女達がいる事が良いネタなのか、お構い無しに周囲や彼女達を撮りまくっていた。

 

「だ、ダメだよ! キングちゃんもグラスちゃんも嫌がってるよ!」

 

心優しいハルウララは、記者達の前に立って全身で良心へと訴えかけた。

 

カメラの中に彼女が映るのが目障りなようで、彼らは嫌な表情を浮かべている。

 

「誰だコイツ?」

 

「知らないのか? ハルウララだよ、大体のレースがビリで有名な」

 

「少し前のレースでは珍しく二着でしたけどね」

 

口の悪い記者はどうやら彼女の事を知らないようで、他の二人の記者からその活躍を知らされると、彼女を見て鼻で笑った。

 

「なんだよ、ただの雑魚じゃねえか」

 

その一言で辺りの空気は険悪なものへと変貌を遂げる。もはや、彼らに丁寧に頼む者など、一人として居ないだろう。

 

彼女の友人達は、怒りを含んだ視線をその無礼な記者へと向ける。

 

そんな中、ゴールドシップは我慢の限界に到達し、クソみたいな性格をした彼の胸ぐらを掴み上げた。

 

「おい、テメエ。ウララに謝れよ!」

 

「離せ!」

 

「痛っ!?」

 

怒りを露わにする彼女に対し、返答代わりに返ってきたのはスタンガンの電撃であった。まるで、こうなる事を予測済みであるかのような装備に賢い彼女達は気付く。

 

この男は普段からこの調子なのだ。そうでもなければこんな物を持っている筈がない。

 

「おっと、面白そうなネタが撮れそうだ。見出しにはあの"ウマ娘が暴力を!?"とかが良いかもな」

 

「貴方達は記者としての誇りはないんですか!」

 

「誇りじゃ飯は食っていけないんですよ? そこんところを理解して貰いたいですね」

 

無礼極まりないその男達に、グラスワンダーは怒気のこもった言葉を放つ。しかし、彼女の放った言葉はまともに受け止められることはなく、ただただ軽く流された。

 

「け、けんかはダメだよ! どうしてみんな怒ってるの……?」

 

「確かに良くはないデス。だけど、これだけは絶対に許せません!」

 

「友達をバカにされて黙ってられるほど、私は良い子じゃないからね」

 

暴行事件など起こしたら、レースに支障が出るのは彼女達も分かっている。しかし、それでも彼女達は最悪の場合には手を出す事を躊躇わないだろう。

 

「本当の事言って何が悪いんだよ? 勝てないんだったら雑魚だろうが」

 

「その口、しばらく閉じておいて下さらない?」

 

流石の彼女もここまで言い争いが発展すれば、何がどうなっているのかは察しがつく。そして、その発端には自分が関わっている事も……

 

「み、みんながけんかしてるのは……わたしが弱いせいなのかな……!」

 

とても悲しそうな表情を浮かべた彼女は、今にも泣いてしまいそうだ。

 

そんな様子を見てしまっては、友人達の動きも止まってしまう。しかし、そこに追い討ちを掛けるかのようにイラついた表情をした記者が棘のある言葉を吐いた。

 

「そうに決まってんだろ! どうして弱い奴を弱いって言って文句言われなきゃならねえんだよ! 勝てない奴は隅っこで雑魚共と仲良くしてろ!」

 

他の二人の記者ですら苦笑いを浮かべるその言葉は、確実に彼女達の堪忍袋の緒をぶった切った事だろう。

 

しかし、それだけで済むはずがなかった。

 

 

 

彼らのその発言は、同時に誰かの理性のストッパーを文字通り粉々にしてしまう。

 

 

 

もはや、理性の鎖は意味を成さず、かの者は解き放たれた。

 

 

 

全てを塵へと変えるべく……

 

 

 

 

 

 

とてつもない轟音と共にスクラップの山々が崩壊を始める。障害物全てをただの屑鉄へと変え、無礼な者共の前へとその姿を現した。

 

「は……? な、なんだよコイツ!?」

 

その存在は、自身の怒りを表すかのようにエンジンの回転数を上げる。明らかに、異常であるその音は、エンジンの音という生易しいものでは無い。

 

例えるなら、それは機械仕掛けの咆哮。

 

思わず耳を塞いでしまう程の爆音。それだけに留まらず、憤怒の炎はニトロ燃料にまでその影響を及ぼした。

 

 

 

シュツルムを中心として巻き起こる大爆発。

 

 

 

吹き飛ばされる男達。辺りは既に火の海だ。

 

 

 

地面に這いつくばった彼らが見上げた先には、そんな火炎の床を意に介さず、ゆっくりと近づいてくる悪夢の回転機構。

 

炎で赤く染まった視界に映ったソレは、彼らを文字通り鏖殺するだけでは飽き足らず、魂すら粉微塵にして煉獄にばら撒く処刑器具だ。

 

 

 

 

 

もはや、生物という括りから逸脱したその存在を、形容する言葉があるとしたら……

 

 

 

 

 

それは正しく、"魔物"であった。

 

 

 

 

 

 




シュツルム
元々自我のようなものはあった。しかしそれは、曖昧で残虐なものだった。だが、一人のちっぽけなウマ娘はそんな彼を怖がらず、一人の友人として彼に暖かく寄り添った。

そうして彼に宿ったのは、復讐と暴力に溢れた過去のものとは違う、他者を思いやれる優しい心であった。

だが、もしもの時があれば、彼は悍ましい魔物と成り下がり、喜んで矢面に立つだろう。

きっと、その鋼鉄の体は友人達とたった一人の親友を守るためにあるのだから……


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魔物

シュツルムは前からの攻撃では絶対に倒れません


悪夢というものは大抵寝ている間に見るものだ。そして、起きた時には気持ち悪い感覚と微かな記憶だけが残る。

 

しかし、彼らにとって悪夢は体験するものらしい。

 

文字通り、悪夢のような存在が、炎を撒き散らしながら彼らに迫る。この体験型の悪夢の一番の特徴は、夢オチでは終わらない事だろう。

 

一応、その燃え盛る三枚刃に飛び込めば、ある意味これまでの人生を夢オチのように一瞬で終わらせる事が出来るが、そこに至るまでの恐怖は筆舌に尽くし難いのは確かだ。

 

「あ、ああ……! 来るな……来るなぁ!」

 

パニックに陥った彼らは手当たり次第に物を投げまくる。持っていたスタンガン、石、シャーペン、鉄屑。しかし、それは残虐な回転機構の前では全て塵と化す。

 

さらに、この魔物に慈悲など無い。敵とみなしたならば、生きた証すら残さない程に消し飛ばす。

 

それを示すかのように、魔物は煉獄の火炎を吐き出した。まるで、ドラゴンのブレスのようなそれは、前方の物体を焼き尽くす。さらに、その魔物はその頭を左右へ振るった。

 

扇状に地が火の色に瞬く間に染まる。そんな火炎放射器が生温く見えるこの光景は、彼らだけでは無く、後ろでじっと見ている彼女達にも恐怖を与えた。

 

目の前に広がる紅蓮に恐れを成し、彼らは震える足を強引に動かして逃げ出した。しかし、生まれたての子鹿のような足では満足に走る事など叶わない。結局、転倒を繰り返すせいで魔物との距離は変わることは無かった。

 

「はあっ、はあっ! なんでこんな目に……!」

 

だが、工場の入り口まで逃げてきた一人は砂利道に停めた車に乗り込むと、正気では無い血走った目で未だに燃えるその怪物を睨みつけた。

 

「これで……ぶっ殺してやる……!」

 

業務用のバンのアクセルを口の悪い彼は全力で踏み込む。もう彼の頭には怪物を排除する事しか無いのだろう。その後ろにいる罪なき者達の事など考えている訳がない。

 

しかし、ハルウララ達は気付かない。燃え盛る大地と煉獄の魔物に、ただただ唖然としているだけだ。きっと、視界は炎で隠され、音は別のエンジン音でかき消されているのだろう。

 

 

 

ゆっくりと歩くその魔物へ、猛スピードで鉄の箱が迫る。

 

 

 

しかし、彼に避けるという選択肢は無い。

 

 

 

そして、彼はその身を盾として迫り来るそれを受け止めた。

 

激しい衝撃と金属の軋む音に、運転手はほくそ笑みを浮かべた事だろう。

 

だが、考えてみて欲しい。

 

 

 

常軌を逸する生命体の溢れるあの地で、何のために彼はその産声を上げたのか。

 

 

 

その創造主たるハイゼンベルクを以ってして、何故化け物と呼ばれているのか。

 

 

 

幸か不幸か、一人の哀れな男はその片鱗を目の当たりにするだろう。

 

男が異変に気づいたのは、笑みを浮かべたすぐ後。車が一切前進せず、タイヤが地についているにも関わらず、空転を起こしている。そして、代わりに前から聞こえる謎の異音が、その自己主張を強めていく。

 

「は……? い、一体なんだ!?」

 

そして、ドリルのような振動が車全体へと伝わり、アクセル全開の車はなんと後退を始めていた。

 

その瞬間、男の乗る鉄の箱は便利な乗り物などでは無く、ただの棺桶と化す。

 

高速回転をする鎖状の刃は、瞬く間に車のエンジンを削り取り、鉄屑へと変える。それだけに収まらず、人智を超えたその力はおよそ二トンもある巨大な棺桶を、まるで発泡スチロールの如くひっくり返した。

 

ガッシャーンという音を立て、棺桶の天地は入れ替わる。

 

「ば、化け物だ……!?」

 

完全に戦意喪失したその男は、何とかそこから這い出て、一切後ろを振り返る事なく逃げ出した。

 

その後ろでは倒れたバンが、カステラのように左右に分断され、その切れ目から殺意の篭った業火が噴き出していた。

 

 

 

 

 

 

男は砂利道を転びながらも死に物狂いで走る。だが、大通りまであと少しという場所で、最悪の人物と鉢合わせてしまう。

 

「よお、歓迎されてるみてえだな?」

 

鉄槌を地面に突き立て、ニヒルな笑みを浮かべるその男は、正しくこの魔物の巣食う城の主人である、ハイゼンベルクであった。

 

正しくそれは、前門の虎、後門の狼……いや、前門の魔王、後門の魔物というべきだろう。

 

彼の足元には、男の蛮勇を見届けずに先に逃げ出した二人の記者の姿があった。だが、どちらも地面と熱いハグを交わしている事から、もう意識は無い事がよく分かる。

 

「ハッハッハッハ! なるほどな、アイツを怒らせたか……ご愁傷様」

 

「な、何言ってやがる? あの化け物に殺されそうなんだ! テメエのところのヤツだろ!? 何とかしろよ!」

 

彼の右手が男の首を掴み上げる。そのまま首の骨を折られるかと思うほどの力を込められ、男は冷や汗を垂らして沈黙した。

 

「おい、ガキ。いい事を教えてやる、この場所はテメエの大好きな日本じゃねえんだよ」

 

何を言っているんだと言わんばかりの目を彼へと向ける。彼のサングラスから時折見えるその目は、表情とは裏腹に笑ってなどいない。

 

「ハッキリ言ってやる。この場所でテメエら三人が仲良く土の下に埋まっても、誰一人気付かねえって事だ」

 

男の目が大きく見開かれる。つまり、ここで死んだとしても誰も介入できないと彼は言いたいのだ。あり得ない。そう思わざるを得なかった。

 

「さて、遊びはここまでだ。ほら、聞こえんだろ? アイツがお待ちかねだ」

 

ゆっくりと首元を掴まれたまま、工場の方へと運ばれる。目の前まで迫っていた出口は、本当に手の届かない所まで遠ざかっていく。

 

いくらもがいても彼の万力のような手が外れる事は無く、一歩一歩その男の体は地獄の粉砕装置まで持ってかれていく。

 

もう、魔物の声はすぐ後ろだ。

 

 

 

 

 

しかし、その回転機構はゆっくりと停止した。

 

何事かと思い彼がシュツルムを見ると、少し泣きそうな表情を浮かべながらも、その足にしがみつくハルウララの姿があった。きっと、彼女はこの行為を良しとはしなかったのだろう。

 

「ったく、甘え奴だ」

 

彼は小さく呟くと、その右手に持った物を勢いよく地面へと叩きつける。当然のように、その男は気絶した。

 

彼は、ハルウララの肩にポンと手を乗せると、ため息混じりに呟いた。

 

「悪かったな」

 

「え……? トレーナーはなにも悪くないよ!」

 

「カメラのマイク越しに全部聞いてた。あんなクソ野郎共の侵入を許したのは、俺の対策不足みてえなもんだ。テメエこそ何も悪くねえよ」

 

発端は自身の対策不足だと彼は言い張った。珍しく、その表情は優しげだ。

 

「おい、シュツルム」

 

彼は自身のお気に入りの名を呼ぶと、その燃えて熱を持った機体に拳を当て、得意げに笑みを浮かべた。

 

「テメエにしては良くやった」

 

彼から褒められたシュツルムは、嬉しかったのかプロペラを勢いよく回す。未だのその体は炎に包まれているが、そこにはもう魔物の雰囲気など無い。ここに立っているのは、ただの可愛らしいポンコツだけだ。

 

その後、彼は工場で後片付けに勤しむハルウララの友人達の姿を発見する。それだけでは無く、ゾルダート・ジェットやパンツァーまでもその活動に参加していた。

 

「この工場……なんでもアリね」

 

「まさか、こんなにロボットがいるなんて驚きですね」

 

破壊されたバンを勝手にスクラップだと思い込み、手についたドリルで次々と解体していくその様子に、二人は思わず呟いた。その他にも、辺りにばら撒かれた鉄屑を回収して再び山へと戻している者や、地面の消火活動に勤しむ者、どこぞの黄金船を頭の上に乗せたままジェットで移動している者もいた。

 

「みんなー! トレーナー帰ってきたよ!」

 

笑顔で放ったその言葉を聞いた彼女達の視線は、一斉に彼へと向く。

 

「よお、フランケンシュタイン! あの三人組はどうした?」

 

「今頃、砂利のベッドで最高の悪夢を見てるだろうよ」

 

「流石だぜオッサン!」

 

ゴールドシップの表情が笑顔へと戻る。工場長が彼らへ加えた制裁に満足でもしたのだろうか。

 

「それで、ここを勝手に避難所代わりにしてるテメエらには悪いが、これからやる事があるんでな。出て行って貰えねえか?」

 

「あら、珍しいわね」

 

「まあ、あの三人組にお灸を据えるだけだがな」

 

「なるほどね〜、大賛成!」

 

彼女達は残りの片付けを鋼の軍団に任せ、帰りの準備をし始める。

 

そして、今まさに帰ろうとした時、彼は彼女達に呼びかけた。

 

「まあ、その……なんだ……ありがとよ。今度飯でも奢ってやる」

 

「……どういう風の吹き回し? 私達が色々と面倒ごと持ち込んだのよ?」

 

「そんな事知らねえな。あのバカ共が勝手に来て、勝手にぶっ倒れてるだけだ。それよりも、テメエらはちゃんとそこの能天気を守ってただろ? ただそれだけだ」

 

彼はその顔を隠すように彼女達へ背を向ける。そして、ぎこちない動きで葉巻に火をつけた。

 

「おい、ハルウララ」

 

どこか浮かない様子の彼女は彼の声掛けに反応を示す。彼女から見た彼は未だに背を向け、その横顔だけこちらに見せつけている。

 

「これだけは言っておく。俺は一度たりともテメエを弱えと思った事なんぞ無え」

 

「え……?」

 

彼の視線はハルウララから空へと移る。まるで昔を思い返すかのように、浮かぶ雲をじっと見ていた。

 

「俺は昔、ある一人の男に負けた。そいつは力は弱え、凄え技も持ってねえ、諦めが悪い事だけが取り柄のヤツだった」

 

「オッサンが……負けた?」

 

よく戦闘面で関わりのある彼女は、その言葉が信じられないようだ。

 

彼は揺れる雲を見て、鼻で笑う。きっとそれは、唖然としている彼女ではなく、過去の自分へと向けたものだろう。

 

「俺も正直弱えと思ってた……だが、違った。そいつは誰よりも強かった。テメエはそいつと同じ、根性だけは一級品のポンコツだ」

 

その雲を増やすかのように、空へ向かって紫煙を吐く。

 

「簡単に言ってやる。テメエは強え、それだけだ。言いてえ事は言った、さっさと帰りな」

 

「トレーナー!!」

 

まるで、照れ隠しのように彼は工場へとその足を向ける。しかし、心からの笑顔を浮かべた彼女はその足へ抱きついた。

 

「さっき言ってた事ってほんと!? もしかして、次は一着取れるかな!」

 

「あ、おいテメエ! 今吸ってんだよ! さっさと離れろ!」

 

片足立ちになり、彼は彼女のくっついている足を振るうが、全く離れる様子がない。

 

仕方なく葉巻を遠ざけていると、何かの駆動音と共に彼の手に振動が走る。

 

「おい、シュツルム……テメエ随分と賢くなったじゃねえか……? ああ、クソッ! どいつもこいつも……!」

 

彼の葉巻の先端は、ちょっと賢くなったお化けのプロペラで綺麗に切り落とされていた。火のついた先端部分もご丁寧に装甲の付いた足で踏み消されている。

 

「えへへ……! わたし、強いんだ……! 嬉しいなー! うっらら〜!」

 

今まで言われた事のない言葉に彼女はニコニコとした笑顔で尻尾を振っている。勿論、彼の足に引っ付きながら。

 

 

 

しばらくして、やっと彼の足から離れた彼女は友人達と一緒に帰路につく。その様子は憑き物が取れたかのように晴れ晴れとしていた。

 

「ねえねえ! 今まで知らなかったんだけど、わたしって強いんだって! ビックリだよね!」

 

「いやー、あのお化けと初対面で仲良くなる時点で絶対弱くは無いでしょ……」

 

「しかも、一対一で会ったのよね? 正直言って、かなりとんでもない事してるわよ」

 

「えっ!? アレと一対一デスか……? 何か想像しただけで寒気がしてきたデース……」

 

「アイツすげーよな! 対面してるだけでなんか武者震いが止まんなくなるんだぜ! 多分、めちゃくちゃ強えからだな!」

 

「ゴルシ先輩……それ、本当に武者震いなんでしょうか?」

 

各々が談笑しながら大通りへ戻る。その道中には地面に倒れた例の三人の姿があった。しかし、彼女達の目の前で彼らはゾルダート・ジェットによって工場へと運ばれる。

 

彼らの行き先はあのニヒルな笑みを浮かべたあの男の元だろう。

 

 

 

 

 

 

「さて、そういやドナが言ってたな。強い思いがある奴に幻覚を見せると、面白い事になるそうだ。是非一度実験してみてえと思ってた! なあシュツルム、テメエもそう思うだろ?」

 

鳴りを潜めていたサディストが久々の獲物を前に涎を垂らす。その横では恐怖を体現した存在が、目先の贄に嵐と化した喜びを放つ。

 

「今のテメエらは燃えたプロペラが目に焼き付いてる状態だ。そこにコイツをぶち込んで、アレに追われたらどんな声を出してくれるんだろうな?」

 

彼は未だ意識の無い三人組に向かって、キラリと光る注射器を見せつける。その中身は恐らく幻覚剤か何かだろう。

 

彼は手早くその中身を注射すると、特別な入り口から彼らを地下へと叩き込む。かつて、一人の父親が落ちた時と同じように、彼らの行き先はあの鋼の獣の前に違いない。

 

「安心しろ、死にはしねえ」

 

彼の言う通り、殺される事だけは無いだろう。

 

ただ、死んだ方がマシと思う程のナニかを味わう事になるかも知れない。

 

そして、全てが寝静まる筈の真夜中。その工場からは、この世のものとは思えない叫び声と高らかな笑い声だけが響き渡ったという。

 

きっと、これを発端にあの噂は再び広まる事だろう。

 

彼の工場にはお化けが出ると……

 

 




誰かの新聞
トレセン学園に所属する誰かが読んでいた物。そこにはウマ娘達の活躍が特集として載っている

しかし、そんな輝かしい内容の裏側には、とある会社に鉄骨が何本も突き刺さっていたり、交番の前に何故か三人の男が廃人状態となって倒れていたり、どこか不気味さの残る事件について掲載されていた。

だが、学園で過ごす者達には関係の無い話だろう。そんな者など彼女らの中にいる筈も無いのだから。



チェーンソーのプロペラ
どこかの頭のおかしい誰かが作った一品。耐久性が非常に高く、何を切り刻もうとも壊れる事は無い。

本来、それは相手を滅する為の刃として作られた。しかし、その使い手は目の前の者を攻撃する為では無く、背後の者を守る為にこれを振るった。

最強の矛が最強の盾となるとは、何とも不思議な事だ。


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トレーナー室

これから更新頻度が少し落ちます


 

三人のウマ娘が作業をしている生徒会室。紙の擦れる音しか聞こえない静かなその空間で彼女達は、様々な書類をそれぞれ分担して捌いていた。

 

時刻は既に夕方。地平線に隠れようとしている太陽が、その窓から彼女達を眩しく照らしている。

 

光を反射する白い紙達の内容は、重要性が低いものがほとんどだ。だが、時折そうでは無いものも混じっている。

 

シンボリルドルフが今手に持っているその紙は、正しくその類のものであった。

 

「ふむ、珍しい種類の内容だな」

 

「どうかなさいましたか、会長?」

 

「ちょっと二人とも、これを見てくれ」

 

彼女はエアグルーヴとナリタブライアンを呼ぶと、その紙を手渡した。そこには明らかに苦情が述べられていた。

 

「物置の隣にあるトレーナー室から壁を叩く音がする……ですか」

 

「部屋の中を確認すれば一瞬で終わる内容だな」

 

「ただ……そこに割り当てられている名前を確認してくれないか?」

 

苦笑いを含んだ会長の言い分に、エアグルーヴは疑念を抱きながら名簿から誰の部屋なのかを確認する。

 

「ああ、あの男か」

 

ナリタブライアンの平然とした声を聞きながら、彼女も会長と同じく苦い表情を浮かべる。そこに書かれていた名前は例の工場長の名であった。

 

「なるほど……そう言う事でしたか」

 

「あの男だと問題でもあるのか?」

 

「問題があると言うより、問題になる可能性が高いと言った方が適切かな」

 

あまり彼と面識のない彼女だが、それでも何となくその言い分には同意出来る。確かに、暴走したロボットでもいたら大問題だ。

 

だが、ただそれだけの理由で後回しにはしたくない。その理由は単純、面倒だからだ。

 

「さっさと見に行った方が早い」

 

「なら、私も行く。経験上、一人では対応しきれんからな」

 

もし、この原因がただの猫であれば彼女だけで十分だ。しかし、これが彼お手製のロボットだとしたら、その対処は困難極まるだろう。

 

そんな副会長達の様子に会長は、柔らかい笑顔を浮かべると、強力な助っ人の情報を提供した。

 

「確か、あの工場長は学園の校門前で立っているのを窓越しに見た。彼もこう、冗長な人では無い。面倒事があるならば早めに解決しようとするだろう。きっと、理由を話せば協力してくれる筈だ」

 

餅は餅屋という諺の通り、機械が相手の可能性があるならば、それ相応のプロフェッショナルを連れて行く事が妥当だろう。恐らく、暴走というのは彼が望むような物ではない。

 

例外も偶にあるが、今回の件では問題無いだろう。

 

「なるほど、ご助力感謝します」

 

エアグルーヴは会長に礼をすると、そのままナリタブライアンと一緒に扉から出て行った。

 

扉が完全に閉まり切った後、シンボリルドルフは少しだけしょんぼりとした表情を浮かべ、首を傾げていた。

 

「気付いて貰えなかったか……結構良いと思ったのだがな。やはり、紛れ込ませた上で気付かせるというのは中々難しいものだ。ふふっ……! "工場長"と"こう、冗長"か、彼女に会ったら言ってみるとしよう」

 

シンボリルドルフは自身のギャグにいつも良い反応を示してくれる、茶髪のウマ娘を脳裏に思い浮かべる。

 

そんな、ツボの浅い彼女が笑い転げる事を想像しながら、一人クスクスと笑いながら残り僅かな書類を引き続き捌いていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒会長の助言通りに校門前までやってきた二人は、特に探す事なくハイゼンベルクを発見する。

 

というより、鉄槌、ハット、サングラス、葉巻の四点セットを装備した彼は、目立たないという概念をドリルで粉々にしてしまっているに等しい。見つけるなという方が難しいだろう。

 

至福の煙を漂わせる彼にエアグルーヴは声を掛けた。

 

「おい、学園の敷地内とその付近は禁煙だ!」

 

「おい待て、敷地内はまだ分かる。その付近って何だ? 吸えるところが無くなっちまうじゃねえか!」

 

彼女の言葉に彼は驚きの表情を見せる。どういう訳か、禁煙領域が広がっているのだ。ある意味彼にとっては死活問題である。

 

しかし、無慈悲にも彼の言葉への回答はナリタブライアンの淡々とした口調で返される。

 

「この前の会議でそう決まった」

 

「……マジかよ」

 

どんな衝撃的な事でも片付けられる便利な一言を彼は吐く。

 

そして、渋々と言った様子で葉巻の火を消し、代わりに空気を噛み締めたのだった。

 

「それで何の用だ? 二人仲良く俺の楽しみを奪いに来た訳じゃ無えんだろ?」

 

「当たり前だ。一言で言えば、貴様のトレーナー室の中を確認するから同行してもらう」

 

「……何言ってるか分からねえな」

 

エアグルーヴの前で彼はとぼける様な表情を浮かべる。これを見た彼女は確信犯だと判断したようだ。

 

未だに消えた葉巻を名残惜しく持ち続ける彼の左腕を掴み上げ、逃亡を阻止する。

 

「貴様、何か隠しているな? あの中に何を置いた?」

 

「隠してるも何も、知らねえって言ってんじゃねえか」

 

呆れた様な声で喋る彼を見た、もう一人副会長はエアグルーヴの肩を叩く。

 

「ふと思ったが、この男はトレーナー室の存在を知ってるのか?」

 

「まさか、そんな筈は……! コイツがトレーナーになってからどれだけ経っていると……」

 

「理事長が言っていたが、ウイニングライブの存在をこの前まで知らなかったそうだ」

 

「じょ、冗談じゃないのか……?」

 

困惑した表情を浮かべた彼女に追い討ちをかける様に、ナリタブライアンは首を横に振った。

 

調子が思わず下がる様な頭痛を感じながら、彼女は恐る恐る彼に尋ねる。

 

「貴様、トレーナー室というものを知っているか?」

 

「だから、さっきから知らねえって言ってんじゃねえか! 何度言わせんだ!」

 

残念な事に、彼の頭の中にあったトレーナーとしての常識は、どこかの走り回る扇風機にでも粉砕されたのだろう。

 

そんな事実に思わず彼女は本日二度目となる頭痛を味わう。

 

だが、その頭痛を消しとばすかのような疑問が黒髪の彼女から飛び出した。

 

「なら、あの部屋には何がいるんだ?」

 

「さあな……もしかすると、得体の知れねえ何かが居るかもな?」

 

心霊物件の噂が立っている工場を所有する彼は、少しばかり恐怖を煽る低い声でそう言った。

 

「な、何をふざけた事を言っているこのたわけが! 大方、どこかのウマ娘が悪戯しているだけに決まっている!」

 

彼女は彼の言葉を戯言と斬り捨てる。だが、その表情は強張っており、いつもの余裕は見当たらない。

 

「なら、その悪戯好きのウマ娘とやらを見に行こうじゃねえか! 面倒事を増やしやがったんだ、文句言うぐらいは良いだろ?」

 

「だが……」

 

「問題ない、さっさと行こう」

 

「なっ……!?」

 

ナリタブライアンとハイゼンベルクは彼女を置いて、例の部屋へと歩き出す。少し呆気に取られたエアグルーヴであったが、問題なくその後を追って行ったのだった。

 

 

 

 

 

夕日がもうその役目を終えようとする中、彼らは何かを叩く音がするというトレーナー室までやって来た。

 

今の所、問題となっていた音は聞こえない。

 

「本当にここか? テメエらの言ってた騒音なんて一切聞こえねえが……」

 

「間違いなくここだ。さっさと中を確認して終わらせるぞ」

 

急かされた彼はため息混じりにその扉を乱雑に開け放つ。何故か中は真っ暗だ。

 

彼は中に入ってすぐ、扉の横の壁にあるスイッチを叩く。着くまでに長い点滅をしていたが、一応電球は生きているようだ。暗闇が文明の利器によって照らされると、部屋の全貌が明らかとなる。

 

「おい、トレーナー室ってのは埃だらけで色々散らかってるもんなのか?」

 

「埃に関しては知らん、貴様が部屋の存在に気付かなかったのが悪い。だが……」

 

「謎の絵や本棚、その他置物がここまで置かれている事は無い」

 

どうやら、部屋の中は彼女達も思わず違和感を感じるほど、変な物が多いようだ。ハイゼンベルクには分からないが、全ての壁を隠すかのように本棚や絵が置かれている事は無いらしい。

 

「ほう、訳のわかんねえブツが大量だな。ここを使っていた奴とはお友達にはなれねえな」

 

彼は不気味な藁人形のオブジェを手に取って観察すると、鼻で笑いながらそう言った。

 

「おい、この役立たずなブツは処分してもいいか?」

 

「ああ、好きにしろ」

 

「そいつはどうも」

 

彼は許可を取ると、ゴミ箱の近くに置かれていた袋を手に取って、部屋の中心にあるテーブルに乗っているゴミと化したそれらを袋の中へぶち込んだ。

 

「……何というか、気味が悪い絵だな」

 

赤を主体として描かれた何かの絵。長く見ていると気持ち悪くなりそうなそれをエアグルーヴは躊躇なく外す。

 

しかし、本当に気味が悪いのはその裏にある物だった。

 

「なっ……!? これは……!」

 

「お札だな、剥がすか?」

 

「ぶ、ブライアン! 何を言っている!」

 

「あの男は片っ端から剥がしてる」

 

彼女の指の先には、気に入らない絵をテーブルの上に積み上げている彼の姿があった。だが、その隣にはクシャクシャに丸められた紙が大量に置かれている。

 

「……き、貴様、その紙はなんだ?」

 

「ああコイツか、なんか絵や本棚の裏に大量に貼ってあった。ヘソクリか何かか?」

 

「いや、何でもない。気にするな」

 

紙幣か何かと勘違いしている彼の様子に、エアグルーヴは吹っ切れたようだ。彼女は目の前にある謎のお札を思い切り剥がすと、ゴミ箱へと放り込む。

 

そして、何事も無かったかのように今回の苦情の原因を探し始めたのだった。

 

それから暫くして、彼の怪力が猛威を振るい本棚は片っ端から端っこに寄せられて、隠されていた壁の全貌が露わになる。

 

しかし、黒く汚れているだけで特に変な所は無かった。

 

そんな中、誰かの携帯の音が鳴る。

 

「む、姉貴か……」

 

「用事があるなら先に帰っても大丈夫だ。後は私とコイツでやっておく」

 

「なら、お言葉に甘えるとする」

 

時間はもう夕方を超え、夜となっている。どうやら、予定が入っていた彼女はエアグルーヴに礼を言うと、少し早足でこの部屋から出て行った。

 

「ハァ……テメエと二人きりかよ」

 

「何だ、不服か?」

 

「ああ、不服だ。テメエがいると少しふざけただけでお叱りが飛んでくるんでな」

 

ふざけた笑みを浮かべる彼はボロボロの本をテーブルに置くと、その足を扉へと向ける。

 

「おい、どこに行く?」

 

「便所だ。それとも何だ、テメエも来んのか?」

 

「な……!? こ、このたわけが! さっさと行ってこい!」

 

「はいはい」

 

彼はエアグルーヴを部屋に一人残して、トイレへと向かう。廊下は昼間とは違い暗闇に包まれており、床を照らしてくれる物は月の光以外何も無い。

 

だが、照明の落ちた工場よりは明るいようで、彼は平然と歩いて行った。

 

何事も無く用を足し終えて、洗面台を使っていると、鏡に見覚えの無い人影が映り込む。

 

 

 

そしてその影は、彼の背後に立っていた。

 

 

 

「……誰だテメエ?」

 

彼がそう言って振り向くとそこには誰もいない。不気味な沈黙が辺りを漂っているだけだ。

 

「誰も居ねえ……俺の見間違いか……?」

 

不気味で奇妙な出来事に、彼は首を傾げながら鏡へと向き直る。そこには人影など映っておらず、ただただ一人の厳つい男の姿があるだけだった。

 

何事も無かったかのような表情を浮かべ、彼は例の部屋まで戻ってくる。しかし、電気の点いていたはずの中は真っ暗だった。

 

「……何やってんだ?」

 

彼が壁のスイッチを押すと、照明が部屋の隅で丸くなっているエアグルーヴを照らす。怯えているようなその状態に、彼はため息混じりに声を掛けた。

 

「っ……!? な、何だ……貴様か……」

 

「ほう、なるほどな。テメエ、そんなに眠いんだったらさっさと帰ったほうが良いんじゃねえか? 門限とやらがあるんだろ? 後は俺が片付けとく」

 

「門限はまだ……いや、そうさせて貰う。すまない、恩に着る」

 

「恩に着る? 何の事だかさっぱりだな」

 

彼は彼女の発言を鼻で笑うと、そそくさと出て行くその背中を見送った。

 

本棚などの大型の物以外処分され、綺麗になった部屋を見て、彼はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「確か、トレーナー室ってのは"自由"に使って良いんだったな? ゾルダート達をここに置ければ、わざわざ持ってくる必要もねえ!」

 

どうやら、彼はこの部屋を自らの第二拠点へと色々と改造するつもりのようだ。それだけでなく、物置代わりにもするらしい。

 

彼がどこに何を置くか考えていると、突然窓が勢いよく叩かれる。思わずその方向へ視線を向けるが、窓はカーテンに隠されており見る事は叶わない。

 

「例の悪戯か? どうせあのゴールド何たらって奴がやってんだろうな」

 

腰にロープでも付けてぶら下がるゴールドシップの姿を想像しながら、彼はそのカーテンを開ける。しかし、そこに映っていたのは真っ赤な手形であった。

 

彼がそれを発見すると同時に、部屋の照明がプツンと切れる。寿命かと思いながら、彼は携帯のライトで窓を照らした。

 

金属製の窓の縁がその光を反射する。吹き付ける冷たい風が彼の頬を撫でていく。そして、彼はその違和感に気付いた。

 

 

 

 

 

彼の視線の先にあるのは窓。しかし、それは開け放たれていた。

 

 

 

 

 

その直後、部屋の壁という壁から叩くような音が響き始めた。流石の彼も、この現象に対して驚いた表情を見せる。

 

きっと、苦情の原因はコレだろう。

 

「ほう……?」

 

明らかに普通ではないこの現象に、彼は感心したような表情を見せる。

 

本棚から本が次々と床へと落ちる。まるで、彼をこの部屋から追い出そうとしているのか、騒音は大きくなる一方だ。

 

そんな中、先程開いてしまった窓から粘ついた水音と共に、床に真っ赤な足跡が刻まれる。それは、真っ直ぐハイゼンベルクの元へと進んで行く。

 

「っ……!?」

 

彼の目が見開かれる。

 

この現象の主は、その表情を見てニヤリと不気味な笑みを浮かべている事だろう。

 

 

 

 

 

「最高のブツを思い付いた! 視覚的に消える装置……光学迷彩だ! だが、どうすれば実現出来る……?」

 

 

 

 

 

だが、彼の反応はその足跡に向けられてなかった。どうやら、自身の最高の発想に対してのものだったようだ。

 

一人ブツブツと手法を組み上げていく彼に、その怪奇現象はまるで呆れたかのように一瞬だけ静まった。しかし、自身の存在をアピールするかの様に、先程より激しく壁が叩かれる。

 

「……煩えな」

 

彼は携帯を操作して、とある人物へ電話を掛ける。

 

「よお、俺だ」

 

 

 

「トレーナー室の存在をついさっき知った。それで、中にあったガラクタを処分してえもんでな」

 

 

 

 

「ああ、夜の内に終わらせる」

 

 

 

 

「……テメエは俺を何だと思ってるんだ? 本棚とかいらねえもんをぶっ壊して運び出すだけに決まってんだろ」

 

 

 

 

「ありがとよ、じゃあな」

 

彼は通話を切ると、ニヒルな笑みを浮かべて虚空へと呼びかける。

 

「ハッハッハッハ! 目には目を歯には歯をとはよく言うだろ? だから、テメエらにお誂え向きの奴を連れて来てやる!」

 

何故か開かなくなっていたドアを強引に蹴破ると、彼は一時的に学園から姿を消す。

 

しばらくして、学園へと戻ってきた彼のトラックには、深緑のシートを掛けられた大きな何かが乗っていたそうだ。

 

 

 

次の日の朝。問題であった壁を叩くような謎の音はピタリと止まった。疑問に思った副会長が幾ら尋ねても、ニヒルな笑みではぐらかされるだけ。

 

一体、彼は何をしたのだろうか。真相は闇の中である。

 




シュツルム式除霊法
ハンムラビ法典に則ったとんでも除霊法の一つ。頭のネジが殆ど抜け落ちた男が発案したようだ。
その除霊確率は驚愕の100%だが、大きな欠点として周囲の安全は保証されない。部屋の半分が吹き飛ぶ覚悟が必要だろう。


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Good Lack

感想、評価、誤字報告ありがとうございます!
毎回やってくれる人がいて本当に励みになります!


 

 

以前、二着を取ったハルウララ。しかし、その後の様々なレースではそれ以上の順位は取れずにいた。良い所までは行くのだが、毎回惜しくも敗れるという形で終わる。

 

何かしらの一押しが足りないのだ。

 

それが何かも分からないまま、彼女は明日のレースに備えて、学園のグラウンドでトレーニングをしていた。

 

「あっ! チョウチョだ!」

 

しかし、友人達に教わったトレーニングでは彼女を釘付けには出来ず、右に左にうらうらと笑顔で楽しく彷徨う彼女の姿があった。

 

だが、それを注意する筈のトレーナーはここには居ない。いや、居たとしても注意などしないだろう。むしろ、こちらに構わず大人しく遊んでろとでも言いそうである。

 

「あっ! トレーナーだ!」

 

しかし、その桜色の目に彼は見つかってしまったようだ。

 

彼女の興味は蝶々から工場長へと変わる。あちらこちらに向きを変えていた筈のその足は、真っ直ぐと彼の方へと向いて動き出す。

 

「こんにちは、トレーナー!」

 

「あ? 何だテメエか。あの堅物副会長かと思ったぜ」

 

彼は鉄槌へとその視線を向けるとそう言った。重量がある故に没収はされないが、しつこく注意はされるらしい。現状では彼がエアグルーヴの執念に負けるのが先か、彼女が彼の頑固さに折れるのが先か、いわば根比べの状態だ。

 

「あのね、トレーナー! 明日レースなんだ! 見に来てくれるよね?」

 

「明日か……良いぜ、行ってやるよ」

 

最近、彼女はそこそこの頻度でレースに出ている。だが、彼はトレーナー兼工場長。用事で同行出来ない時もある。

 

まあ、単純に気乗りしないので行かない時もあるのだが。

 

「やったーっ!! 今度こそ一着取るぞー! あ、ちゃんとライブも見てね!」

 

「あー……そういやそんなんあったな」

 

彼女は手を両手に上げ、全身で喜びをアピールする。尻尾は左右に大きく揺れ、まるで犬か何かのようだ。

 

「そうだ、トレーナー知ってる? シューちゃん、曲がれるようになったんだよ! プロペラでブーンって止まって、歩いて曲がるんだ!」

 

「歩いて曲がる……か」

 

「でもね、曲がらない方が速いんだ! わたし、ビックリしちゃった!」

 

笑顔でそう言う彼女の脳裏には、良き練習相手の姿が浮かんでいる事だろう。

 

しかし、その者はカーブに滅法弱いようだ。速度を落として曲がるより、直線でコの字を描く方が速いとは、何とも不思議なものである。

 

彼はこの話を聞き、鼻で笑った。

 

「ヘッ、そりゃそうだ。あのポンコツからスピードを取ってみろ。戦車みてえな重量に、ナメクジみてえな加速力。一体何が残る?」

 

恐らく、あの見る者の殆どを震え上がらせる見た目と、瞬く間に何でもミンチに出来る高性能チェーンソーだけは、しっかりと残るだろう。

 

「まあ、アイツを俺が本気で曲がれるようにしたらどうなるか、今度見せてやるよ」

 

「わーい! じゃあ、シューちゃんはもっと速くなるんだね! わたしも頑張るぞー!」

 

不敵な笑みを浮かべる彼に対し、彼女はそのやる気を満ち溢れさせるかのように、元気に右手を天へと突き上げた。

 

「あ、そうだ! また靴直して欲しいんだ! この前、スペちゃんと走ってたら凄い音立てて、真っ二つになっちゃったんだよね!」

 

「ハァ……じゃあさっさと持って来い。明日には渡す」

 

「ええっ!? 明日はレースだよ!」

 

彼のため息混じりの返答に、彼女は困った顔を浮かべてその尻尾をピンッと伸ばす。察しの悪い彼女に対し、彼は呆れたような表情を浮かべると、ちゃんと彼女に分かるようにハッキリと含んだ意味を言ってやった。

 

「会場まで持って行ってやるって言ってんだよ!」

 

「あ、そっか! ありがとートレーナー! ちょっと待ってて、すぐ持ってくる!」

 

「……ったく、調子狂うぜ」

 

彼は鉄槌を地面へと置き、手頃な木に寄り掛かると、サングラス越しに傾き始めた太陽を睨む。

 

見えるもの全てを明るく照らす球体は、木やグラウンド、そこを走るウマ娘達に柔らかな光を与える。それは彼も例外では無い。

 

しかし、彼にその光は眩しすぎたようだ。睨み付けるのを止め、代わりに帽子を深く被り直す。目元に出来た影は彼の視界を暗く、闇に満ちた世界へと引き戻すだろう。

 

だが、依然として彼の全身は太陽に照らされていた。そんな事も知らず、彼はのんびりと彼女を待ち続けたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、商店街にてハルウララは沢山の人に囲まれていた。理由は単純、彼女が今日レースに出るからだ。

 

「ウララちゃん、頑張ってくれよ! 応援してるからな!」

 

「私は今日は見に行けないけど、頑張るのよ!」

 

「うんっ! ありがとー! わたし頑張って一着取るから! 期待して待っててね!」

 

いつもお世話になっている店主達の声援を受けた彼女は、元気良く一着の宣言をする。皆がその様子を優しい笑顔で見届ける中、一部の者達はそんな元気に負けないように、声を張って対抗する。

 

「良しっ! じゃあウララちゃんが一着取ったら、今日の夜は俺の店で焼き鳥の食べ放題だ!」

 

「ええっ!? それ、ほんと!?」

 

「ああ本当さ! みんなで話し合って決めたからね!」

 

焼き鳥屋の店主は、周囲の者へ視線を向けると、食品を取り扱っている店の者達が任せろと言わんばかりにその親指を上げた。

 

「ウチからは最高の野菜を持って行くよ!」

 

「魚だったら任せといて!」

 

「鶏肉沢山持って行かねえとな!」

 

そんな、商店街の者達の期待を背負ったハルウララは、緊張する事なくその溢れる喜びを手足、尻尾、耳の全てを使って表した。

 

「わーいっ! ありがとーみんな! 焼き鳥の食べ放題……! えへへ……!」

 

応援してくれる者達に別れを告げ、彼女の足は駅へと向かう。しかし、その口元からは涎が垂れ、その顔はふにゃりとしており気が引き締まっていないように見える。

 

まあ、きっと走るのに支障は無いだろう。いや、むしろ一着を目指すモチベーションに繋がったのかもしれない。

 

そんな事もあり、彼女の足取りは重々しいものではなく、軽やかなものであった。

 

 

 

 

 

今回、レース場は近いのでトレーナーであるハイゼンベルクとは現地集合の予定だ。どうやら、ハルウララの方がだいぶ早く着いてしまったようだ。ウキウキ気分でスキップを刻んだせいだろうか。

 

とにかく、彼女は特にやる事も無いので、先に受付を済ませて控え室で座っていた。既に、いつもの体操服に着替え終わっているので、後は彼の到着を待つだけだ。

 

「えへへ……! 一着取ったら食べ放題……! 何食べようかな?」

 

頭の中で美味しい想像を膨らませている彼女。左右にゆらゆらと揺れながら、そんな事を考えていると、控え室の扉がノックも無く突然開かれる。

 

「あっ! トレーナー!」

 

当然それは係の者などでは無く、意外と大きい体躯にくたびれて薄汚れたコートを着たハイゼンべルクであった。

 

「狭っ苦しい場所だな」

 

入室してからの第一声は、部屋の大きさへの文句であった。まあ、彼と鉄槌が一緒に入るには少々狭いと感じるだろう。

 

「ほらよ、靴だ」

 

「わーいっ! ありがとー! あれ? これって……」

 

彼の手から渡されたピンク色の靴。割れていた蹄鉄はしっかりと交換され、靴自体もピカピカにクリーニングされている。

 

だが、彼女が疑問に思ったのはその部分では無い。その靴に付けられた蹄鉄が真っ黒に輝いている事だった。

 

見覚えのある一品に、彼女は思わず疑問の声を漏らした。

 

「あー……テメエのファンとか言う奴がその黒い蹄鉄を置いてった。だから、ついでにくっ付けただけだ」

 

「えっ!? そうなの! ねえねえ、どんな人だった?」

 

どうやら、彼女はそのファンを良く知りたいらしい。目を輝かせてその詳細を尋ねる彼女に、彼は視線を泳がせながらも答えた。

 

「あー……そうだな。まあ、帽子を被った怪しい男だ……それ以外に特徴なんて無かった」

 

「そうなんだ! あ、そうだ! 帽子は何色だった? 今度、探してみたいんだ!」

 

時折、吃りながらも放った彼の言葉は、しっかりと彼女に伝わったようだ。だが、肝心の彼女は更なる詳細を彼へ聞く。

 

またもや、彼の目は大いに泳いだ。

 

「あ、ああ……大して覚えてねえが、確か黒だったな……まあ、もしかしたら違うかもしれねえがな」

 

「分かった! 黒色の帽子だね! よーし、絶対見つけるぞー!」

 

欲しい情報を得た彼女は、得意げにそう言った。そんな様子に、彼は一つの疑問が浮かぶ。

 

何故、彼女はそのファンを見つけたいのだろうか。走れば走るほど増えていくその中から、たった一人を見つけたいとは中々不思議である。

 

「なあ、なんでテメエはそいつを見つけてえんだ? 会ったところで何にも無えだろ」

 

「えーとね、その人はわたしに初めてプレゼントをくれた人なんだ! だからね、お礼が言いたいの! ありがとうって!」

 

彼女は優しさを含んだ笑顔を浮かべてそう言った。きっと、その贈り物はただ彼女を喜ばせただけでは無いのだろう。そうでもなければ、ここまでしない。

 

「へッ、貰えるもん貰って終わりで良いじゃねえか?」

 

「ええっ!? でも、わたしは会ってみたいな!」

 

「まあ、精々頑張って探す事だな」

 

彼はそう言うなり、その足を扉へと向けた。もう、この狭い部屋からとんずらするつもりなのだろう。ハルウララはその背中を手を振りながら見送る。

 

だが、その扉は閉まり切る直前で止まる。少しだけ開いた隙間から、彼は言葉だけを部屋へ投げ入れる。

 

「"Good Luck"、ハルウララ。おっと……こんな言葉、大吉のテメエには必要無かったな。まあ精々、頑張りな」

 

そして、扉は強く閉められた。きっと、彼女にその意味は完全に伝わってはいないだろう。

 

「……うんっ!! わたし頑張るよ!」

 

だが、彼が何を言いたいのかはしっかりと伝わったようだ。

 

彼女は息を大きく吐くと、その目をやる気に満ち溢れたものへと変える。そして、その足をパドックへと向けて歩き出す。きっと、その先には彼女を応援する者達がいる筈だ。

 

きっと、その者達と同じようにどこかの誰かさんも"成功を祈っている"事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乾いた破裂音が響き渡るレース会場。スタートの合図であるその音と共に観客は大いに賑わい始める。

 

しかし、一人の男は観客席では無い場所で、のんびりと葉巻を吸っていた。

 

「そこは関係者以外、立ち入り禁止です!」

 

警備員に囲まれながら……

 

だが、彼はれっきとしたトレーナー。つまり、関係者である。勿論、彼はある意味名が知れている故に、警備員も彼がトレーナーである事を知っているだろう。

 

では何故、彼は警備員に囲まれ、色々と注意を受けているのだろうか。

 

「あ? 問題無え、俺は関係者だ」

 

「違います! そこは一着を取ったウマ娘とそのトレーナーが立てる場所なんです!」

 

そう、彼が突っ立っているのはウイナーズサークル。勝者のみが立てる場所。そんな所で、彼はのんびりと一服していたのだ。

 

しかし、そんな声掛けに動じる事なく、彼はゆっくりと紫煙を空へと吐く。そして、観客席の興奮が最高潮になるのをその耳で感じていた。

 

「悪いな、とある奴と待ち合わせしててね。もう数分待ってくれ」

 

「ですから、数分後はここに一着のウマ娘とトレーナーが来るんです!」

 

「ああ、知ってる」

 

彼は警備員の焦った顔を見て、ニヒルな笑みを浮かべる。

 

そして、この様子を見た記者達は、面白がって彼らをカメラへと収める。ちょっとしたゴシップにでもするのだろう。

 

「なら、どうして……!」

 

「ここに居るのかって? そりゃあ、あの能天気野郎が来るからに決まってんだろ」

 

「能天気野郎……?」

 

警備員が首を傾げたその時、大歓声が観客席から湧き上がった。どうやら向こうではレースが終わった様だ。

 

警備員達が更に焦り始める中、彼は葉巻の火を静かに消した。そして、その視線を通路へと向ける。

 

「ったく、待ちくたびれたぜ」

 

その暗い通路から現れたのは、彼の待ち人であるピンク色の影だった。

 

「あっ! トレーナー!」

 

「よお、遅かったな」

 

「あのねあのね! わたし……やったよ! 勝ったよ!」

 

彼女は嬉しさで頭が一杯のようで、言葉が上手く出てきていない。代わりに、手やその表情で何とか言いたい事を彼に伝えようとしている。

 

「ああ、知ってる」

 

彼はその様子を横目に、警備員達へ向けてニヤリとした笑みを浮かべた。彼らもこのやり取りを見て全てを察したようだ。祝いの拍手を彼女へと送り、彼には一礼だけしてそれぞれの担当の場所へと戻って行った。

 

「わわっ! わたしウイナーズサークルに立ってる……!」

 

「一着取ったんだろ? なら良いじゃねえか」

 

「そっか、そうだよね! わーいっ! 初めての一着だー! うっらら〜!」

 

彼女は初めて立ったこの場所をキョロキョロと見回している。きっと、この後も彼女は初めての一着を噛み締めるかのように、ウイナーズサークルで両手を上げて喜ぶだろう。

 

この後、記者達から沢山のインタビューを受けるのだが、その時には彼の姿はこの場所から消えていた。しかし、彼女はその事実に気付かずに満開の笑顔で沢山の質問に答え、その魅力を大勢へと見せつけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

喜びに溢れた今日一日を締め括るのは、商店街にある焼き鳥屋。約束通り食べ放題となった焼き鳥を、彼女は舌鼓を打ちながら頬張っていた。

 

「んんっ〜! おいひい〜!」

 

だが、肝心の彼の姿はそこには無い。彼は席に座らずに店の出口付近で、いつも関わりのある店主達から感謝の言葉を貰っていた。

 

しかし、ハイゼンベルクは掛ける相手を間違えてると彼らに伝えると、そのまま外へと出て行ってしまう。

 

どうしてだろうか。そんな疑問を頭に浮かべた者達は、離れていく彼の背中を不思議そうに見ていた。

 

外に出た彼を出迎えたのは、冷たい空気。春故に身を刺すような冷たさでは無く、普通に涼しいと感じられる程度のものだ。そんな空気を浴びた彼は、一人静かに呟いた。

 

「……勝ったのはアイツだ、俺じゃねえ」

 

彼は今日の彼女の頑張りを脳裏に思い浮かべる。

 

ライブを退屈な顔で見終えた後、彼は今回のレースの記録を見た。その結果は、5バ身差で一着であった。まるで、車か何かと見間違う程の加速をもって、追い上げをしたらしい。

 

彼女が何をイメージして走ったのか、きっと分かるのは彼だけだろう。

 

しかし、そんな優秀な結果も全ては彼女が諦めずに努力をしたからなのだ。その努力の過程にあのお化けは含まれていても、自身は含まれていないと彼は考えていた。

 

そんな事を考えながら、彼は葉巻を咥え、夜の商店街へ歩き出そうとする。

 

だが、そのコートの裾を掴んでその歩みを止めた者がいた。

 

「トレーナー! 帰っちゃうの……?」

 

「ああ……ちょっと用事があるんでな」

 

ハルウララは彼の言葉を聞き、少し残念そうな表情を浮かべる。しかし、すぐに元の笑顔に戻ると、彼女は彼へ何かを差し出した。

 

「じゃあ、これあげる!」

 

彼が受け取ったのは焼き鳥が一杯入ったプラスチックのパック。どうやら、早めに帰ってしまう彼のために彼女が詰めてくれたらしい。なお、その中身は彼女の好きな物だらけだ。

 

「今日はありがとー! トレーナー! わたしこれからもいっぱい一着取るからね!」

 

「……そうか、まあ精々頑張るこった。まあ、なんだ……ありがとよ」

 

彼は彼女に別れを告げ、夜の商店街へ再びその足を向ける。

 

葉巻を吸いながら帰ろうと考えていた彼だったが、手に持った暖かな贈り物を見て気が変わる。葉巻は静かに胸ポケットへ仕舞い込まれ、代わりに口に当てがわれたのは、未だに熱を持つ美味しそうな焼き鳥だった。

 

彼はそれを頬張りながら、雲一つない満月の浮かぶ空を見上げる。

 

しかし、視線の先のそれとは違い、太陽のような温もりを手の中に感じながら彼はゆっくりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

「悪くねえ、大したもんだ、ハルウララ」

 

 

 

 

 

 




パック詰めされた焼き鳥
ハルウララからハイゼンベルクに渡された物。その中身には偏りがある。きっと、彼女の好物ばかりが詰まっているのだろう。

これを受け取った彼はその暖かさに、複雑な表情を浮かべた。その熱が焼き鳥のものか彼女の心のものかは分からない。

だが、悪く思っていないのは確かだ。


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筋肉

 

ある日の朝、ハイゼンベルクは理事長室にて一枚の紙を理事長とたづなに見せ付けていた。どうやら、何かの設計図のようだ。

 

彼はペンを持ち、一部分に注釈を加えながらそれの解説をし終えると、自慢げに口端を吊り上げた。

 

「どうだ? 意外と悪くねえ代物だと思うが」

 

「驚愕っ!? 話を聞く限りはまともな代物ではないか!」

 

「何言ってやがる、まるで今までのブツがマトモじゃねえって言ってるみてえじゃねえか」

 

今回、彼が持って来たのはとある図面。普段なら、商売に関してはかなりの杜撰さが目立つ彼。しかし、珍しい事に目の前の紙に関しては、彼が直々に売り込んできた代物だった。

 

理事長は彼を信頼してはいる。だが、その製品に関しては例外もある。故に、彼女は過度な期待を寄せずに彼の話を聞いていた。

 

しかし、彼の売り込んできた物は彼女の想像を良い方向で超えていたようで、話を聞く前はどこか懐疑的な表情であったのに対し、聞き終わった後は驚いたかのように目を丸くしていた。

 

「賞賛っ! 素晴らしい発想だ! 君の発想力には感心するな」

 

「私もそう思います。それにしても、磁力で擬似的に重さを変えられるバーベルなんて、よく思い付きますね」

 

「ヘッ、ただの偶然だ」

 

そう、彼が彼女達に売り込んだのは磁力によって負荷を変えられるバーベルやその他器具用の重りであった。

 

重りの代わりに巨大な電磁石を付けるだけなので、既存の器具もそのまま使用が可能である。一応、床に鉄板のような磁力に反応する床材を打ち付けておかないといけないが、それは些細な問題だ。

 

それにしても、たづなの言う通り良く思い付いたものである。磁力などに詳しいのだろうか。

 

「理事長、もしこれがあれば保管してる重りで床が抜けかける事が完全に無くなりますよ……!」

 

「うむっ! 私もそう思っていた! だが、いきなり全ての器具を入れ替えるのは些か早計! まずは一台だけ注文する事にする」

 

ウマ娘のトレーニングに使用する重量という物は、人のそれとは比べ物にならない。故に、しっかりとそれを満たせる程の重りを用意しておかねばならないのだが、この学園ほどの規模になると必然的に数も必要となる。

 

そうなると、その合計重量は恐ろしいものとなるだろう。器具の保管庫が悲鳴を上げるのも理解出来る。

 

そして、それを解決出来る方法が目の前にあるのだ。使わない手はない。

 

「おい、早まらねえとか言っておきながら早まってんじゃねえか! まだ話は終わってねえ、コイツにはデメリットが何個かある」

 

お客に親切なこの男は、言わなくても良い問題点まで喋ってくれるようだ。やはり、根がちょっぴり優しいこの者はセールスには向いていない。

 

「まず、消費電力がそこそこある。まあ、当然だな」

 

「了承っ! その点に関しては問題は無い!」

 

「次は、コイツのグレードがCってのが問題だ」

 

初めて聞くグレードという言葉に、彼女達は首を傾げる。彼もその様子を見て、自身の説明不足に気付いたようで、すぐさま補足を入れる。

 

「グレードって言うのは……まあ、俺の所の製品の性能……ではねえな。頑丈さとでも思っといてくれ」

 

「それがCだと何か問題があるんですか?」

 

「あのマシンクラッシャーに触られただけで壊れる」

 

「ああ、そういう事ですか……」

 

恐らく、全員の脳裏に一人のウマ娘の姿が浮かぶ事だろう。約一名、作ったマシンを何度も機能停止に追いやられた、あの時の事を思い返している。

 

「まあいい、最後だが……これが一番不味い点だな」

 

悔しそうな表情と共に吐き出される溜め息。彼のそんな様子に、どんな恐ろしいデメリットが潜んでいるのか想像し、思わず彼女達は身構える。

 

そして、彼は非常に残念そうに言葉を吐いた。

 

 

 

「使ってるシャフトが既製品のせいで、最大荷重が約400kgまでだ……!」

 

 

 

 

彼の発言に理事長は思わず気の抜けた声を出し、たづなはキョトンとした表情を浮かべた。

 

「疑問っ! 一体それの何が問題なのだ?」

 

「どう考えても問題だろうが。合計荷重1トンまで出せるようにしたんだ! それがボロっちいシャフトのせいで出せねえなんて……!」

 

「きょ、驚愕っ!? 1トンなど、逆にどこで使うのだ! トレーニングにおいては無用の長物ではないか!」

 

「大は小を兼ねるって良く言うじゃねえか。それと同じだ」

 

「それにしては、大の部分が大き過ぎる気がするんですが……」

 

結局、彼の言う問題点はどれも致命的な物では無かった。まあ、彼にとっては大問題な部分もあるのだが、それは彼女達には関係のない話だ。

 

結論として、使用するメリットが大きい事から、無事に試用が決定したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方になり、ハイゼンベルクは理事長達に見せていた例のブツを学園へと持ち込む。勿論、床に設置するための鉄板も一緒である。

 

だが、肝心の設置場所であるトレーニングルームには一人の先客が居た。

 

「あ、こんにちは!」

 

「ん? ああ、どうも」

 

そのウマ娘から投げ掛けられた挨拶を彼は軽く手を上げ、適当な返事をする。

 

ぶっきらぼうと思われても仕方がない言い方だが、彼は知らない顔に対してはいつもこうである。

 

「その大きなハンマー……もしかして、ハイゼンベルクさんですか?」

 

「ああそうだ、何か用か?」

 

「やっぱり! 私、メジロライアンです! 一度お礼を言いたかったんです!」

 

「お礼……?」

 

彼と彼女は初対面である。お礼を言われるような事をした覚えなど一切無い。思わず彼は首を傾げた。

 

「はい! ここの器具の重りの数を増やしてくれたのって貴方ですよね! 私、それのお陰で良い筋トレが出来て、レースで結果が残せたんです! 本当にありがとうございます!」

 

笑顔でこちらに頭を下げるメジロライアン。しかし、彼の表情は納得したようなものでは無く、逆に更なる疑問が浮かび上がったようなものであった。

 

「あー……確かに重りを納品してた時もあったが、かなり前の話だ。多分、テメエが礼を言う相手は俺じゃねえ、別の奴だ」

 

「えっ……!? も、もしかして、また早とちりしてました? あわわっ……! は、恥ずかしい……」

 

メジロライアンは自らの勘違いに思わず赤面する。だが、彼が慰めの言葉を投げ掛けるはずも無く、彼女の様子に目もくれずに自身の仕事に取り掛かっていた。

 

彼は元々設置されていたバーベルとその台座を、何の苦もなく端に寄せると、空いたスペースに大きな鉄板を敷く。

 

そして、ドリルで下穴を開けた後に鉄槌でアンカーを打ち込む。瞬く間に鉄板は床へ固定された。

 

「噂通り、凄いマッスルですね! その鉄槌を軽々持ち上げちゃうなんて……!」

 

「ああ、コイツか? まあ、少し重い程度だ」

 

「え? 前に一度持ち上げた事があるんですけど、結構重かった記憶が……一体何kgあるんですか?」

 

「……知らねえな」

 

何故か、彼の怪力は噂になっているようだ。愛用している鉄槌よりも、先程退けたバーベルの重さである200kgの方が断然重い筈なのだが……

 

そんな事を考えながらも、先程退けた一式を鉄板の上へと戻した。

 

「おい、テメエは力自慢ってやつだろ?」

 

「どちらかと言えばそうです!」

 

「丁度いい、テメエにおあつらえ向きの新作がある。試してみねえか?」

 

「し、新作!? わ、私が試して良いんですか? もしかしたら、壊しちゃうかも……!」

 

「安心しろ、テメエじゃ壊せねえ」

 

彼はバーベルから円形の重りを外し、代わりに箱型の装置を取り付けた。

 

ただの金属の箱にしか見えないそれを取り付けたバーベルは、彼女へと手渡される。意外にもその箱は軽く、そこそこの期待を寄せていた彼女を拍子抜けさせた。

 

だが、彼が箱についているボタンを弄った途端、その重さは一気に跳ね上がる。慌てて力を入れるが、その時には重さは元に戻っていた。

 

「どうだ、面白えだろ? 磁力で負荷を変えられるブツだ!」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

彼女はすぐに改造バーベルを台に置き、箱についたボタンを押す。直感的に分かりやすい操作盤であるためか、特に迷う事なくその負荷を200kgに設定出来た。

 

そして、本当の200kgと殆ど同じ負荷が筋肉に掛かることを感じたのか、彼女は使用しながらも感心の声を漏らす。

 

「す、凄い! 重りを交換する手間も無くて良いですね! どこまで重く出来るんですか?」

 

どんどん重さを上げていく彼女に、彼は非常に残念そうに呟いた。

 

「一応400kgまでだ……本当は1000kgまで出るんだが、軸の耐久性の問題で使えねえ」

 

「せ、1000kg!? それって良くある1トンってやつですよね!? 何でそこまで出せるようになってるんですか!」

 

「それにはクソッタレな理由がある……」

 

彼は床に鉄槌を置き、ベンチに座る。そして、僅かに顔をしかめるとゆっくり話し始める。

 

「テメエは知らなくて当然だが、とあるゴリラが俺は大っ嫌いでな。そいつに負けねえようなブツを作ると、どうしてもそうなっちまう」

 

「ゴリラ……?」

 

「比喩みてえなもんだ。だが、あの野郎の家系図には絶対ゴリラがいる筈だ!」

 

彼は複雑そうな表情を浮かべ、頭を抱える。その様子はまるで、授業で何もかもを理解出来ない時のものと同一だった。

 

「あのゴリラ野郎は一応人間。だから、テメエらウマ娘よりも力は劣る……筈なんだ! だが、あの野郎は200kgもある鉄の塊を殴って1m以上ぶっ飛ばしやがったんだ!」

 

「に、200kgを殴って吹き飛ばす!?」

 

メジロライアンの脳裏には、いつも使ってるバーベルが浮かぶ。確かに持ち上げるのは簡単に出来るが、殴って1m以上飛ばすとなると……

 

彼女にそのイメージは一切湧くことは無かった。ただ、彼の言うゴリラ呼ばわりされている男が、人外に片足を突っ込んでいる事だけは嫌でも理解出来た。

 

「おまけに、爆発物でも無い限り取れなくした筈の装甲を、あの野郎は素手で無理矢理剥がしやがった……!」

 

「えっ……? 爆発物? 装甲?」

 

「クソ、思い出しただけでムカつくぜ……! やっぱりアイツは人間じゃねえ! 筋肉とゴリラで出来たBOWだ!」

 

段々と物騒な方向に進んでいく話を飲み込めなくなった彼女は、途中で理解するのを諦めた。

 

だが、彼女はこの話の理解出来た部分だけでも前向きに捉え、自身のモチベーションに繋げた。

 

「つまり、人間でも鍛えればウマ娘を超える力を出せる様になる! という事は、私も頑張って鍛え続ければ……!」

 

そんな恐ろしい彼女の呟きは、幸運な事に彼の耳に入る事は無かった。

 

結局、彼はもう少しだけ愚痴を漏らした後、例のブツの試運転に何も問題が無い事を確認して帰って行った。

 

そんな中、彼女はまだ見ぬ先を目指し、一人限界まで追い込んでいたそうだ。

 

もし、ウマ娘である彼女があのゴリラと同等の領域に達したら、一体どうなるのだろうか。

 

あまり、想像したく無いものだ。

 

 




ハイゼンベルクのメモ

グレードS:シュツルム
グレードA:パンツァー、超強化製品
グレードB:ジェット、
グレードC:ツヴァイ、強化製品
グレードD:アイン、一般製品
グレードE:その他ガラクタ

ジェットは壊されたが、パンツァーは動きが悪くなるが無事だった。
恐らく、グレードB以下はあのマシンクラッシャーに触れただけで壊されちまう。
製品の方もツヴァイやアインの強度をベースに作ったはずなんだが……クソッ!

追記
Code.VはSかAだが、FはB以下になりそうだ……


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お出かけ

ほのぼの回です


 

ハイゼンベルクの工場は今日も稼働中。白い一筋の線を空に描き、色々な金属製品を作っている。

 

だが、その工場の長はその活動を停止していた。

 

理由は単純、作業机のすぐ横に居る一人の存在が、彼を大いに妨害しているからだ。

 

「ねえねえ、トレーナー! お出かけ行こうよー!」

 

「何でだよ、いつものお友達と一緒に行けば良いじゃねえか」

 

「あのね、スペちゃんもセイちゃんも言ってたんだけど、トレーナーとお出かけすると楽しいんだってさ! だから、わたしもやってみたい!」

 

ぴょんぴょんと跳ねながら、そう主張するハルウララ。その目は、期待に溢れキラキラと輝いている。

 

「面倒だ」

 

「ええっー! じゃあ……どうしたら行ってくれるの?」

 

先程とは一転して、その表情は悲しみに染まる。しかし、彼女はまだ諦めていない。尻尾がその落胆を大いに示す中、彼女はお出かけの条件を尋ねた。

 

「……何か賭けでもしてテメエが勝ったら行ってやる」

 

「ほんとっ!? ほんとに行ってくれるの!」

 

「ああ、行ってやるよ。もう一度言うが、テメエが勝ったらの話だ」

 

彼女は彼にゲームを挑むため、工場の中に何か良い物が無いか探索する。

 

そして、彼がいつもお気に入りの作品を置いている棚で、彼女は見覚えのある物を発見する。

 

「あっ! これだっ!」

 

彼女が手に取ったそれは、彼の工場のロゴが描かれた鉄のコイン。そう、彼が彼女と再契約を交わした時に使用された物だ。

 

今回の賭けに最適だと思ったのか、彼女はそれを大事に握り締め、得意げに彼へと見せつけた。

 

「ふっふっふ! コイントスで勝負だ! トレーナーが好きな方選んで良いよ!」

 

彼女は見様見真似でコインを弾く準備をする。表が上になったそれを見て、彼は呆れたように笑った。

 

「ヘッ……じゃあ裏にする」

 

「よーしっ! いっくぞー!」

 

彼女はコインを思い切り弾く。力み過ぎたのか、コインは天井にぶつかって鈍い音を立てると、勢いそのままに彼女の元へ落ちてくる。

 

かつて彼がやったように、カッコよく掴み取ろうとするが、見事に失敗。コインは硬い床にその身を激しくぶつける。

 

その後、二、三度跳ねて勢いを殺すと、金属音と共にその結果を露わにした。

 

「やったーっ!! 表だ! じゃあ、今から行こうよトレーナー!」

 

「仕方ねえ、準備するから外で待っとけ」

 

「分かった! 出来るだけ早く来てね!」

 

彼女は喜びでうらうらと言葉を漏らしながら、工場の外へと出て行った。早く追わねば色々と言われる事間違い無しだろう。

 

「……ちゃんと隠しておかねえとな」

 

彼は床に転がったコインを拾い上げる。そして、こなれた手つきでそれを何度か弾くが、結果は全て表。

 

なんとも不思議な結果を見て彼は鼻で笑うと、彼女に二度と触られないようにそれを棚の一番上へと置いた。

 

ひっくり返されて置かれたそのコインには、表と変わらぬ模様が描かれていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の賑わう街へと約束通り訪れた二人。方や普段と変わらぬテンションでその足を進め、方や自身よりも小さな影に引っ張られる形で連れ回されている。

 

「うっらら〜、お出かけだー!」

 

元気なそのピンク色の影は、迷う事なく街の中を進んでいく。明確な行き先があると思われるこの行動とは裏腹に、これから何をするか一切考えていなかった。

 

所謂、ノープランというやつである。

 

「あ、見てよトレーナー! パフェだって!」

 

そんな彼女が指差した先にあったのは、とあるカフェ。店の外に出されている看板に、大きなパフェが描かれていた。

 

彼の返事を待たず、彼女はその店へと突き進む。幸運にも席は空いており、特に待つ事は無かった。

 

初めから特大パフェを頼むつもりだった彼女だが、卓上に置かれたメニューを見てその意思は揺らいでいるようだ。

 

「えっ! アイスでできたケーキもあるの!? うーん、どうしよう……?」

 

彼もメニューを一通り眺める。だが、彼の求めるような物は無く、ただただ甘ったるい食べ物ばかりであった。

 

その中には、カップル用の飲み物のような一際甘い物もあったが、彼らには似合わないだろう。

 

歳の差カップルというには余りにも厳しく、どちらかと言えば親子、かなり酷い表現をするなら子供を誑かす不審者にしか見えない。

 

「俺はコーヒーだけで良い」

 

結局、彼が頼んだのは何の変哲もないコーヒーだけだった。

 

「よし、こっちにしよう!」

 

なお、彼女が最終的に頼んだ物は、初めから気になっていたパフェであった。

 

注文した物が来るまでの間、彼女はこの後どうするかを彼へと尋ねる。

 

「ねえねえ! この後どこ行く?」

 

「知るか、勝手に決めろ」

 

「じゃあ、わたし水族館行きたい! おっきいお魚さん見たいんだ! あれ、トレーナーどうしたの?」

 

「あ、いや……何でもねえ」

 

大きな魚と聞いて何を想像したのだろうか。彼の表情が少し歪んでいるのを見て、彼女は不思議そうに首を傾げていた。

 

しかし、パフェよりも先に届いたコーヒーを飲んで、一息ついた彼はその表情をいつものものへと戻す。

 

「まあ良い、じゃあその魚とやらを拝みに行くか。道分かんのか?」

 

「うんっ! 前に一回行った事あるから、道案内は任せてよ! えーっと、確かあのコンビニを右に曲がって……あれ? 左だっけ?」

 

「……大丈夫な気がしねえ」

 

彼女の発言に、彼は呆れたような表情を浮かべる。なんというか、道を間違える気しかしない。

 

だが、当の本人はそんな朧げな記憶しか無いにも関わらず、何故か自信満々な様子である。

 

「あっ!! パフェが……ええっ!? 見てよトレーナー! このパフェすっごくおっきいよ!」

 

想像以上の大きさに、目を見開いて驚く彼女。だが、沢山食べれるという事実に気付き、可愛らしい笑顔を浮かべて大いに喜んだ。

 

明らかに先程話していた道の事など、頭から吹き飛んでいるだろう。薄々察してしまった彼は、ため息混じりに携帯で道を検索していたのだった。

 

 

 

 

 

特に時間もかかる事なく、ハルウララはペロリとそのパフェを平らげる。満足そうな様子の彼女へ、ハイゼンベルクは驚愕の表情を向けていた。

 

「胃袋どうなってやがる……! ブラックホールでも飼ってんのか……?」

 

どうやら彼は、彼女の胃の大きさ的に明らかに入らないと思っていたらしい。だが、彼女もれっきとしたウマ娘。本気になればこの程度の量など余裕だろう。

 

だが、どこぞの"怪物"に比べれば彼女の食事量など可愛いものだという事を、彼はまだ知らない。

 

そんなこんなで、ちょっとした休憩を取った二人は水族館へとその足を向ける。

 

道中、彼女の危なげな案内で何度か明後日の方向へ連れて行かれそうになるが、どこかのお節介焼きのお陰で大事には至らず、無事に目的地まで到着する事ができた。

 

すんなりとチケットを購入し、ゲートから入場すると、彼女の目が壁に貼られたとある紙に釘付けになった。

 

「ねえ、早く行こうよトレーナー! もうすぐ魚の餌やりあるんだって! 一緒に見ようよ!」

 

「あっ、おい! 分かったから引っ張んじゃねえ!」

 

彼のコートの裾を掴み、彼女がグングンと奥へと進んでいく。小柄な彼女とは違い、体躯の大きい彼は人混みに何度か阻まれるも、何とか転ばずにその背中について行った。

 

辿り着いた先は円柱状の大型水槽の前。酸素ボンベ、ウェットスーツ、足ヒレやゴーグルなどの潜水特化の装備をした者が既にその中で泳いでいる。

 

「わわっ! すっごい沢山お魚さんがいるよ! まるでお団子みたい!」

 

元気に飛び跳ねる彼女の視線の先には、撒かれた餌に群がる小魚達が大きな球を成していた。

 

だが、彼の見ている所は彼女とは違うようだ。

 

「何やってんだよ、あの野郎……」

 

どうやら、彼は潜水中の者に見覚えがあるらしい。

 

水の中にいるその者は、頭の耳とウェットスーツから飛び出ている尻尾からして、ウマ娘である事は間違いない。水流で揺れるその長髪は不思議な美しさを生み出している。

 

何故か分からないが、耳当てと帽子がとても似合いそうだ。

 

「えへへっ! こんにちはー!」

 

水中で絶賛餌やり中の彼女は、小さなピンクの呼び掛けに対して、ゆっくりと手を振る。反応してくれた事に嬉しく思った彼女は、両手で大きく手を振り返した。

 

「うわわっ! お魚さんがこっち来た!」

 

ファンサービスと言わんばかりに、その従業員は彼女の目の前に餌を放った。未だに空腹の魚達がそれ目掛けて群を成し、瞬く間に彼女の視界は沢山の魚に覆われた。

 

「すごいね! わたしこんなの初めて見た! トレーナーは見た事ある?」

 

「まあ、似たようなもんだったらあるな」

 

「へえー、そうなんだ! 似たようなのって事はウサギさんとか?」

 

「あー……いや、近いのはオオカ……イヌだな」

 

彼の言葉を聞いた彼女は、ドッグフードが入った皿に群がる子犬を想像する。脳裏に浮かべたその可愛らしい姿に、彼女は思わず緩んだ表情を浮かべていた。

 

珍しいものを見た後、二人は全ての水槽を巡る。彼女らと同じく、ウマ娘とトレーナーの関係の者もそこそこいるようだ。その大半が横二列に並んで進む中、彼女らは縦二列になって進んでいた。

 

勿論、特に意味がある訳でもなく、彼が彼女に引っ張り回されているだけである。

 

そして、全て見終えた彼女は出口近くにある売店に赴き、友人達へのお土産を選んでいた。クッキーやチョコなど、ちょっとしたお菓子を買った後、彼女はその内の一つを彼へと差し出した。

 

「トレーナー! これ一緒に食べて帰ろうよ!」

 

「テメエが買ったもんだろ。自分で食えば良いじゃねえか」

 

「ええっ!? もしかして、お腹空いてないの? わたしはもうお腹ぺこぺこなのに! すごいねトレーナー!」

 

「アレをもう消化したのかよ……胃液の主成分、絶対に塩酸じゃ無えだろ……」

 

結局、しつこく差し出され続けたからか、帰り道の途中で彼は何枚かそのクッキーを摘んだ。

 

目的を達成した彼女は口癖をうらうらと溢しながら、満開の笑顔を浮かべてスキップ混じりに歩いている。河川敷沿いの道を行く彼女の可憐さを、背景の草木や川がより一層引き立てる。

 

もしここに記者が居たならば、このシャッターチャンスを逃す筈も無いだろう。

 

「ヘッ、相変わらず呑気な奴だ」

 

彼はそんな可愛らしい彼女を見て、鼻で笑った。

 

小バカにしたようなその仕草は、一体誰に向けられているのだろうか。少なくとも、その行き先は彼女では無いことは確かだ。

 

「うっらら〜!」

 

いつの間にか彼女の動きはスキップではなく、ダンスのステップに切り替わる。どうやら、道そのものをステージ代わりにしているようだ。

 

だが、お土産を持っていたからか、彼女は河川敷の下り坂の方へバランスを崩す。

 

「うわわっ!?」

 

慌てた表情で咄嗟に右足を前に出すが、肝心の地面はもっと下。踏ん張れるための足場など、そこには無い。

 

空気を踏み抜いてそのまま坂を転げ落ちる未来が見えたのか、彼女は思わず目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

だが、彼女の右足はある筈のない足場をしっかりと踏んだ。

 

 

 

 

 

 

「えっ……あれ?」

 

"何か"を蹴るように踏んだ彼女は、無事に道へとその両足を戻す。困惑した表情で転けた場所を見つめるが、そこには後ろの川が映るだけで何も無い。

 

「あれ? なんでなんで!?」

 

踏んだ感触を確かめるかのように自信の靴の裏を見る。普段使いのそれには立派なU字の"蹄鉄"があるだけだ。

 

まるで魔法のような体験に、彼女は驚いた表情のまま彼へとその事を伝える。

 

「と、トレーナー! あのね! わたし今、空気を踏んだ!」

 

「何をバカな事言ってやがる。さっさと帰るぞ」

 

「あっ、待ってよトレーナー! 今の嘘じゃないよ! ほんとだよ!」

 

呆れた表情を浮かべ、彼女の言葉を妄言だとぶった切ると、早足で先に行ってしまう。

 

その後を、彼女は急いで追いかける。その足で体験した、未だに納得のいかない現象に首を傾げながら。

 

背後から近づく足音を聞きながら、彼は大きな溜息を吐く。

 

いつも通り眉間に皺を寄せながらも吐いたそれは、何かに安堵する。不思議とそんな風に感じさせるものであった。

 

 




ハイゼンベルクのヒミツ
実は、ウマ娘の名前はハルウララとゴールドシップ以外覚えていない。


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避難訓練

 

灰色の雲が広がり、空も気分もどんよりとした本日。ウマ娘達はそれぞれの教室でただ待機していた。トレーニングしたい者や、遊びに行きたい者がうずうずとその不満を膨らませる。

 

こうなっている理由は簡単。今日は避難訓練があるのだ。

 

面倒だ、そう思う者が殆どであろう。

 

しかし、幾ら身体能力が高いウマ娘といえど、火災などの災害に関しては無力である。災害とどこかのプロペラは、あらゆる物を無に還すのだ。そこに、生物が介入できる所など一つもない。

 

だが、実際に直面しない限りはその大切さなど完全に理解できる筈もなく。机の上に突っ伏したウマ娘、ウオッカも皆と同じように思っていた。

 

「だぁー! めんどくせえ!」

 

「あーもう! うるさいわね! アンタまだ言ってるの? もう諦めなさいよ!」

 

「避難訓練の内容が火災とかだったらな! でも、今日先生に聞いたら不審者系だって言ってたんだよ!」

 

どちらにせよ、避難する内容だという事は変わらないだろうと思ったダイワスカーレット。一体、それの何が問題なのか、彼女はウオッカへと呆れた視線を向けながら尋ねた。

 

「大体、それの何が問題なのよ?」

 

「そりゃあ、火災だったらどうしようも無えけど、不審者だったら戦えるだろ? オレから言わせてみれば敵前逃亡なんてダセエ! やっぱり、真正面からぶっ飛ばす方がカッコいいだろ?」

 

格好良さに重点を置く彼女は、鮮やかに相手を無力化する手順を想像しているのだろう。そんな"カッコ良さバカ"の様子に、ダイワスカーレットは溜息を吐かざる得なかった。

 

そんな中、学園内の放送装置が音を立てる。

 

『よお、親愛なる……ウマ娘諸君』

 

だが、聞こえてきた声は良くある避難勧告のようなハッキリとした声では無かった。低く威圧感のある男の声が学園内に響き渡っており、普段とは違うこの状況に生徒達は思わず困惑した表情を浮かべた。

 

『どうせ今頃、クソつまらねえ避難訓練にうんざりしてんだろ? だから、少しだけ面白くしてやるよ! ハッハッハッハ!』

 

まるで、映画で出てくる悪役の様な笑い声。困惑した彼女らの耳に入ったそれは、思わず背中に冷たいものを感じさせる。

 

『今までは仮想の相手に対して避難してたんだろ? だが、今回は違え! テメエらを本当にミンチに出来るバケモンを持ってきた!』

 

ミンチという表現は比較的身近である。それ故に、全員の脳裏に男の発言通りのビジョンが浮かび上がってしまう。そして、想像豊かな者ほど顔を青ざめさせ、そうではない者でも最終的にそれが何を示すのかは理解する。

 

その結果、学園中にどよめきが走った。

 

それは、精神的にも大人に近い高等部の者達でも例外では無い。

 

「な……!? あ、あの男! 一体何をしている!?」

 

とある高等部の教室でエアグルーヴは思わず言葉を漏らす。普段からこの男を知る故に、多少の事ではあまり動じないのだが、流石にこれはレベルが違う。

 

『そう怒んなよ、堅物副会長』

 

「……!? まさか、聞こえているのか!」

 

『ハッハッハッハ! テメエの驚いた顔が良く見えるぜ!』

 

「な、何だと!」

 

まるで、マイクもカメラも存在するかの様な発言に彼女は教室の天井や壁を見回す。だが、そんな怪しい物など一切確認出来なかった。

 

『まあ良い、ルールはこうだ。避難するか、イカれた殺人鬼を全て無力化するか、そのどちらかが出来た時点でテメエらの勝ちだ』

 

テロリストの真似事をしているこの男は、いつもやっている"ゲーム"の説明をするかの様に、勝利条件を並べていく。その口調は、この男をよく知る者に、度々見せるあのニヒルな笑みを思い起こさせる。

 

『驚いて声も出なくなった副会長さんよ、心配する事は無え。"ちゃんと避難した奴"の安全は保証されてる。勝手に突っ込む奴らに関しては、俺は知らねえがな。まあ、そんなに英雄に興味がある奴らには、お望み通り英雄的な二階級特進でもさせてやるよ! ハッハッハッハ!』

 

男のそんな発言は大半の生徒に恐怖を植え付ける。きっと、今まで適当に取り組んでいた者も、今回ばかりは真面目に避難する事だろう。

 

だが、中等部の誰かの様にそうでは無い者も居た。

 

「よっしゃ! じゃあ、オレが全員ぶっ飛ばしてやるぜ!」

 

「何言ってるのよこのバカ! さっさと避難するに決まってるでしょ!」

 

男子中学生の様な思考回路を持つウオッカに、ダイワスカーレットは思わずその顔を近づけて強く言い放つ。

 

「だぁー! さっきも言っただろ! ただの人相手に避難なんてカッコ良く無え!」

 

「どうでも良いわよそんな事! そもそも、どうして相手は人だって決め付けてるのよ!」

 

あの放送の主がどういう者か、彼女は良く知っている。良く話す科学者の先輩から、情報が少しだけ回ってくるのだ。故に、彼女はウオッカを何とか止めようとしていた。

 

そんな意味深な言葉を聞き、どういう事なのかウオッカは思わず聞き返そうとするのだが、その問いはスピーカーから放たれる悪の声によって遮られる。

 

『ぶっ飛んだ奴らのスタート地点は屋上からだ! そんじゃ、始めるぜ? 準備は良いか? 10、9、8……』

 

楽しそうな声調で男はカウントを読み上げる。

 

まるで、愉快犯の様な行動。下がっていく数字は、彼女達に底知れぬ緊張感を植え付けた。

 

『ショウタイム!』

 

耳障りだった放送がプツリと途切れる。代わりに響いたのは、重い何かが着地するかの様な振動だった。

 

上から鳴り響くその音を皮切りに、彼女達は次々と教室から逃げ出し始める。整列もせずに、予定していたルートを通って行く。しっかりと基礎は守っているからか、パニックを起こして騒ぐ者は一人も居なかった。

 

「じゃあ、オレは行ってくるぜ!」

 

「ちょっと……! あーもうっ!」

 

男子中学生の様な無鉄砲さをもって、ウオッカは皆が避難する方とは真逆の方向へ突き進んで行った。

 

ツンケンした態度を取るダイワスカーレットだが、やっぱり少しだけ心配だったようだ。文句を一言二言垂れると、走り去った彼女の背中を追う。

 

「あれ? 何で来たんだ? さっきまで避難するって……」

 

「か、勘違いしないでよね! アタシも犯罪者役がどんな奴か一目見たくなっただけよ!」

 

ある意味いつも通りの彼女の様子に、ウオッカは少し笑みを浮かべた。

 

「何笑ってんのよ!」

 

ムッとした表情をしたダイワスカーレットとウオッカが軽く言い争いをしていると、廊下の奥から重々しい足音が鳴っている事に気付く。

 

二人の視線が音の発生源を捉えた瞬間、その表情はすぐさま青ざめて困惑したものへと変貌を遂げた。

 

廊下の奥から謎の粘ついた水音と共にやって来たのは、人型ではあるが人では無い金属質の何か。

 

まるでカブトガニの様な頭部を持ち、手には岩盤でも貫けそうな大きなドリル。体の隅々まで金属板による装甲が張り巡らされたロボットの様な存在が、威圧感を伴って歩いていたのだ。

 

だが、彼女達が青ざめた理由はその部分では無い。

 

 

 

装甲、ドリル、頭部。あらゆる部分に粘性のある赤い液体と、ゲル状でピンク色の"何か"が付着していたのである。

 

 

 

幾ら勘が鈍い者といえど、これにはスプラッタな物を連想せざるを得ないだろう。

 

未だボディからその液体を滴らせ、真紅の足跡を廊下に刻むそれは、殺戮兵器以外の何物でもない。

 

幾人かを解体した後のように見えるソレを前にして、ウオッカは何とか自身の意思を遂行しようと頑張っていたが、近づいてくる恐怖に耐えられなくなり、結局ダイワスカーレットと共に逃亡したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放送室にて、どこからか持ち込まれた大量のモニターが学園中の廊下や教室を映し出していた。使用されているモニターは、最新の物からブラウン管のような年季の入った物まで、性能を問わずとりあえずかき集めた様なラインナップであった。

 

悍ましい機械兵の見た目に恐れを抱き、尻尾を巻いて逃げ出す者達を、ハイゼンベルクは悪者の様な笑みを浮かべて観察していた。

 

「こっち側の居心地はどうだ? 意外と楽しいもんだろ?」

 

彼は背もたれに大きく寄り掛かると、背後に居る影に声を掛ける。

 

「最高だぜ! まさか、映画のシーンがこんな形で現実になるなんてな! 今度アタシの部屋に作ってくれよ!」

 

テンションの上がった返答に対し、彼は無慈悲にもバッサリと断りを入れた。

 

「それよりも、まさかテメエに演出家の才があるとはな。驚いたぜ」

 

「当たり前だろ? このゴルシ様に出来ないことは無いからな」

 

彼はゴールドシップの持ってきた、血糊や赤いゼリー、色ペンの入った袋を見やる。

 

何をどうやったらゴム製のドリルが金属製のドリルに変わるのだろうか。見た目だけとは言え、その要素が明らかにあのロボット達の威圧感を大幅に上げていることは確かだ。

 

「だけど、オッサンも良く許可取ったよな」

 

「特に大したことはしてねえ、色々と御託を並べただけだ」

 

彼が理事長へ言った言葉を纏めると

 

"訓練は本番より大事だ"

"最近マジメにやらない奴が多いんじゃねえか?"

"避難に失敗して死にましたなんて聞きたくねえだろ?"

 

それ以外にも色々と言っていたが、大体この三つに区分されるだろう。

 

要は、彼は訓練だから一度本気でやってみないかという提案を持ち掛け、それを理事長が呑んだという事だ。交渉がお世辞にも上手いとは言えない彼にしては、この結果は快挙と言えるだろう。

 

因みに、あのロボットを使用する事は伝えてあるが、血糊などで恐怖を植え付ける演出をするとは伝えていない。きっと、露見すれば色々と怒られる事間違い無しだろう。

 

「……結構汚れるもんだな。ちゃんと証拠隠滅しとかねえと、また煩く文句言われちまう」

 

偽物の血で染まった廊下を見て、彼は予め用意しておいたとあるスイッチを入れた。

 

すると、彼のトレーナー室から次々と平たい三角形をした掃除用ロボットが出動し始める。どうやら、これで廊下のゴミも証拠もゴミ箱行きにするつもりの様だ。

 

「うおっ!? このお菓子みてえな形のやつは一体何だ!? というか、この量どうやってあの部屋に収まってたんだ!?」

 

「適当に作った掃除用ロボットだ。一つ一つの性能はゴミだがな」

 

性能を数で補うつもりなのか、十台をゆうに超えるお掃除ロボットが、四方八方に散開し、手当たり次第にその汚れを除去し始める。

 

そして、何故か壁に張り付いている機体もいるようだ。どうやら、清掃対象は床だけではないらしい。

 

「あ、見ろよオッサン! ウララとライスが映ってるぜ!」

 

「あ? コイツら、何してんだ……?」

 

彼女が指差したブラウン管のディスプレイには、黒とピンクの影が映っていた。だが、黒い方はとある部屋を覗き込む様な仕草をしており、彼のよく知るピンクの方はその部屋の奥で背をこちらに向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ……ウララちゃん……? ほ、本当に大丈夫なのかな……?」

 

「うんっ! 大丈夫だよ! この子はわたしの友達だもん!」

 

ライスシャワーはそっと返答があった部屋を覗き込む。シャワー室と思われるその中では、ハルウララがシャワーヘッドを奥へと向けて水を大量に放っている。

 

排水溝にどんどん吸い込まれる赤い水とゼリー状の何かを見て、彼女は驚いて顔を引っ込める。

 

「よし! すっごく綺麗になったよ!」

 

先程まで水を大人しく浴びていたその存在は、重々しい足音ともにその姿をライスシャワーへと見せつける。

 

それは、現在学園内を徘徊しているロボットである、ゾルダート・ジェットであった。

 

威圧感しかないその見た目に、彼女は声にならない声を出し、萎縮してしまう。しかし、しばらく時間が経っても何もしてこない事に気付き、瞑った目をゆっくりと開ける。

 

そうして入ってきた光景は、目の前の鋼鉄の存在に恐れを抱く事なく、ペタペタとその装甲を触りまくっているハルウララの姿だった。

 

「ほら! 大丈夫だよライスちゃん!」

 

「ほ、本当に大丈夫だ……! 凄いねウララちゃん……! でも、どうして分かったの?」

 

「あのね! トレーナーのこーじょーにはおんなじ見た目の子がいっぱい居るんだ! それでね、いつも分かんなくなっちゃうからここにしるしを書いたんだ!」

 

笑顔で彼女が指差した場所は、お友達の顎の部分。背の高い者達は決して気付かないであろうその死角には、ピンク色の星が描かれていた。

 

「わぁ、本当だ……! こ、これなら絶対間違えないね……!」

 

工場内の業務用塗料で描いたせいか、水程度ではその印は剥がれ落ちる事は無いだろう。

 

「そういえば、名前はなんていうの……?」

 

「じつは、まだ分かんないんだ……何か良い名前あるかなあ?」

 

その言葉に反応したのか、彼は背中の二つのジェットをブオンと稼働させる。それはまるで、自身のアイデンティティをアピールしているかのようだ。

 

「あ、あの……デュアルジェットとか、どう……かな?」

 

そんな、行動を見たライスシャワーは何となくそう呟いた。一瞬ポカンとした表情を浮かべたハルウララだったが、その言葉がこの友人を示す名前だとすぐに気づくと、目を輝かせてその名を絶賛した。

 

「でゅあるじぇっと……? なんかすっごいカッコいい感じがする! じゃあ、この子はデュアルちゃんに決定だ!」

 

何故か勝手に命名されてしまったゾルダート・ジェット。だが、このお友達機体は眼前のピンク色と同じくポンコツであるため、メモリへアクセスして自身の登録名称を変更してしまう。

 

今この瞬間から、彼はデュアル・ジェットである。

 

「よーしっ! 早速みんなに自慢しに行くぞー!」

 

「あ……! ま、待ってウララちゃん! 絶対みんな驚いちゃうよ!」

 

当然だが、皆が彼女のように圧倒的なホラー耐性を持っている訳では無い。その事実を未だに理解していない彼女は、まるで隣の者に消しゴムを貸すかのような気軽さで、そのポンコツマシンを見せびらかそうとしている。

 

それを止めようとしたライスシャワーだったが、二人目の主人に忠実なポンコツによってハルウララもろともその平たい頭部に乗せられてしまう。

 

そのまま、否応無しに避難予定の場所まで連れて行かれるのであった。

 

ちなみに、この一連の流れをカメラ越しに見ていた男は、自身の意図せぬ機械の行動に頭を抱えていたらしい。だが、製作者が彼である以上、このバグが直る事は無いのかもしれない。

 

何せ、製作者本人もそのバグに侵されているのだから。

 

 

 

 

 

「う、ウララさん……? それは一体……?」

 

「わたしの友達だよ!」

 

「あっ! エルは覚えてるデース! あの工場に居た空飛ぶロボットです!」

 

「なんと言いましょうか……不思議なデザインですね」

 

「え!? 私こんなの知らないよ!?」

 

「あーそっか、スペちゃんはあの時居なかったね」

 

当然、これ以上無いほどに驚かれた。

 

だが、どこかのお化けよりかはまだ受け入れやすい見た目をしているのが幸いだったようで、普段見る事のないメカメカしさにカッコいいと思う者が多く、意外と評判は悪くなかったようだ。

 

こうして、避難訓練は終わりを迎える。なお、二階級特進をする者は一人もいなかった。ただ、避難の大切さを知った者は何人かはいるだろう。

 

生徒達が学園まで戻ってくると、廊下がゴミ一つない綺麗な空間と化していた。だが、掲示板に貼ってあった筈の紙まで綺麗に消え去っており、幾人かは首を傾げていたという。

 

何とも不思議な事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、シャワー室は掃除の範囲外だったようで、そこに色々と残っていた証拠が原因でどこかの誰かはこっ酷く怒られたそうな。

 

 

 

 




デュアル・ジェット
たまたまAIが少しポンコツだったとあるゾルダート・ジェットがウララ式ハッキングを受けた結果、不思議な事に自我のような何かを得てしまった特殊な機体。

一応ハイゼンベルクの言う事は聞くのだが、これの生みの親と同じく、外から何かが干渉するとすぐに仕事を放棄し、それの対応をしてしまう。極め付けに、対応後は本来の指示の内容を半分ほど忘れるようだ。

見事なポンコツっぷりである。

顎の下にピンク色の星が描かれている。本人はこれが何かは理解していないが、大切な物だとは認識しているらしい。

ちなみに、似たような名前を持つウマ娘から何故かレースを持ち掛けられている。


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皇帝

シュツルム最速伝説の爆誕


 

「良し……これで完成だ!」

 

ハイゼンベルクの工場は今日は休みのようだ。普段、コンクリート製の煙突から立ち上っている煙はその姿を消し、その代わりに彼の咥える葉っぱの煙突から紫煙が上っていた。

 

「耐久度は……ゴミ以下か。使い捨てにしちゃあコストが高えな……やっぱ常用は無理か」

 

そう呟く彼の目の前に立っているのは、一際目立つプロペラとエンジンを持つシュツルムだ。ただ、そのフォルムはいつもとは少し違う。

 

全身の大部分を占めるターボプロップエンジン。その排気口に何本かのパイプが外付けされている。見たところ、その殆どはシュツルムの側面へと回っているようだ。

 

無理矢理付けた感が否めないその不自然な見た目に、彼は少し不満げな表情を浮かべながらも、その手に持ったスパナを仕舞う。

 

「モローよりかは……マシか」

 

彼曰く、深海魚よりかはカッコいいと思えるデザインらしい。

 

なお、同じ化物部門に属するシュツルムにとっては見た目などどうでも良いようで、嬉しそうにブンブンとプロペラを回していた。

 

きっと、壁を粉砕しつつ走れれば何も文句は無いのだろう。

 

いつもより静かなエンジン音が響く中、インターホンが工場への来客を告げる。葉巻をふかしつつ確認したモニターには、いつものピンク色と彼のよく知る一人のウマ娘が立っていた。

 

「鍵持ってんだろ? 勝手に入ってこい」

 

入り口まで行くのが面倒な彼はハルウララにそう告げる。だが、肝心の彼女はちょっと気まずそうな笑顔を浮かべて、こう言った。

 

『えーとね……寮に忘れてきちゃったんだ。えへへ……』

 

「改良しとくか……」

 

工場の中から遠隔で開けられるようにしようと心に決めながら、彼は葉巻を灰皿に放り込んで入り口まで赴くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金網の門を開け放ち、外へと続く砂利道に立っていたのは一人の凛々しい影。それは、この場にはとても似合うとは言えない者であった。

 

「よう、まさかここでテメエの真面目面を拝めるなんてな」

 

彼のニヒルな笑みが向いた先にいたのは、なんとあの生徒会長であるシンボリルドルフであった。しかし、彼の皮肉混じりの言葉は異質な空気を纏うこの場所に驚く彼女の耳には入っていない。

 

「驚いた……まさか、こんな所に工場があったなんて……」

 

「すごいよね! わたしも初めて見た時、とってもびっくりしたよ!」

 

実は、彼の工場は非常に巧妙な隠蔽が成されている。入り口は太く高い木々で目立たない事に加え、繁華街からは離れている故にビルから見渡した程度ではただの林にしか見えない。

 

極め付けに、この工場の本体は地下にある。地上に出ている部分はそこまで大きくない事から、一瞬で工場だと判別するのは難しいだろう。

 

「そんなに驚くもんか? 普通だろ」

 

「いや、なんというか……私はこの辺りの地理は良く理解していると自負していた。しかし、こんな場所があるとは全く知らなかった。本当に驚かされたよ」

 

「そうか……まあ良い、とりあえずついて来い。テメエのお望みのヤツがお待ちだぜ?」

 

シンボリルドルフは彼の後をついて行きながらも、興味深く周囲を見渡す。

 

怪しい工場、錆びた車や巨大なボルトなどのスクラップが成す山々、この敷地を囲む有刺鉄線付きのフェンス。彼の城を中心としたこの場所だけ、雰囲気が完全に日本ではなく海外だ。

 

そして、最終的に彼女の目を完全に釘付けにしたのは、地面に突き刺さった鉄槌の隣に立つ、機械仕掛けの異形だった。

 

「ほらよ、テメエが会いたがってたテストプレイヤーだ! 名前はもう知ってるだろ?」

 

「こ、これがシュツルムなのか……? 何というか、その……独特な見た目なのだな」

 

クルクルと回るそのアイデンティティを見て、彼女は何とも言えない表情を浮かべる。だが、そこに恐怖の色は一切無い。

 

「何だ、驚かねえのか。テメエがビビり散らす様が見れると期待していたんだがな」

 

「勿論、驚かされたよ。ただ、以前君が解体のために連れてきた者や光る棒のような物を振り回していた者のように、この者もロボットなのだろう?」

 

「あ? ロボット……? まあ……そうだな。一応、ロボットみてえなもんだ……」

 

彼女の言葉を聞いた途端、彼は少し唖然としたような表情を浮かべた。曖昧さの残る返答に、彼女は思わず首を傾げる。

 

何か変な部分でもあったのだろうか。

 

「あれ? 何かいつものシューちゃんと違うね! 変な筒がいっぱい付いてる!」

 

そんな中、ハルウララは友人の変化を敏感に察知する。普段とは異なるフォルムに違和感を覚えているのか、後付けされたパイプをペタペタと触っていた。

 

「まあな、どっかの生徒会長とやらがそこのポンコツマシンとお手合わせしたいらしい。だから、少しだけ弄ったが……試運転してねえからどうなるか分からねえな」

 

「ふふっ、機械のテストをするテストプレイヤーなのに、自身のテストはしないのだな」

 

「ヘッ、何言ってんだ。だからこれからテストするんじゃねえか! テメエでな!」

 

勝手に会長をテストプレイヤーに仕立てた彼は不敵に笑うと、今回走る者達をスタート地点まで誘導する。

 

「おい、テメエはダメだ」

 

「ええっ!? なんでなんで!? わたしもレースしたい!」

 

「悪いが、文句ならあそこにいる生徒会長とやらに言ってくれ。一対一が良いって言ったのはアイツだからな」

 

実は、この勝負はシンボリルドルフが希望したものである。

 

あのランキング付きのトレーニングマシンで圧倒的なスコアを叩き出していたテストプレイヤーと実際に会って戦える。そんな、面白そうな機会など滅多に無いだろう。

 

彼女も凛としているが、れっきとしたウマ娘。胸の内には速さへの渇望が炎となって燃えている。より速い者がいるのなら、どんな者だろうと競わずにはいられない。

 

そんな欲望の結果が今の状況である。

 

「じゃあじゃあ、次走る時は良いよね!」

 

「ああ、構わないよ。これが終わったら皆で走ろう」

 

「うんっ! 分かった!」

 

ハルウララは二人の競争を眺めるべく、梯子を使って工場の屋根へと登る。全貌が見えるそこは、このレース会場においての特等席だ。

 

「そんじゃ、さっさと始めようぜ?」

 

「ああ、望む所だ……ん? それは一体……?」

 

「コイツか? スタートの合図代わりみてえなもんだ。こういう時ぐらいしか景気良くぶっ放せないんでな!」

 

シンボリルドルフの視線は彼の手に握られた黒いリボルバーに注がれる。まるで、見せつけるかのようにその大口径の代物をクルクルとスピンさせた後、彼はその銃口を真っ直ぐ天へと向けた。

 

「さあ、始めるぜ? 準備は良いか?」

 

そんな彼の言葉に、彼女は大きく息を吐くとゆっくりと目を見開いた。

 

そこに普段の彼女などいない。

 

今ここに立っているのは、数々の戦いで勝利をその手中に収めてきた"皇帝"だ。

 

横の高鳴るエンジン音に負けない威圧感を放ちながら、皇帝はその時を待つ。

 

 

 

 

 

 

そして、一発の合図が放たれた瞬間、二人は同時に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「速い……!」

 

スタートのタイミングは完全に同じ。しかし、隣のシュツルムはニトロ燃料の力を借り、爆発的加速で皇帝の前を取る。

 

だが、ここで焦る彼女では無い。

 

彼の今のスピードは一般的なG1レースのウマ娘と同程度。加速面においては彼女の知る強者達を凌駕しているが、最高速度はそこまででも無い。

 

今の所は、だが。

 

「……速度が乗ってねえ。多少は出力下がるとは予想はしてたが、ここまで下がっちまうか……」

 

「どっちもがんばれー!」

 

方や応援、方や溜息。正反対の声援が彼女達に送られる中、シュツルムが依然としてトップを取ったまま舞台はカーブへと移行する。

 

シンボリルドルフの前にいるその異形は、重そうな体を傾け、凄まじい異音を立ててカーブを曲がる。

 

今、彼の体では後方へ放つ筈のジェットをパイプを用いて横方向へと強引に変換している所だろう。故に、誰がどう見ても無理矢理曲がっている感は否めない。

 

しかし、そんな方法を用いてもその速度は先程と変わらない。

 

二足歩行でこの速度を出せる機械など一度も見た事など無かった彼女は、このふざけた代物を作り上げたハイゼンベルクに対して賞賛の念を抱かずにはいられなかった。

 

だが、このロボットの凄さが分かったとはいえ、負けるつもりは毛頭ない。

 

今まで残しておいた足。カーブの終わり際にそれら全てを地を蹴る力として注ぎ込む。

 

段々とシュツルムとの距離が縮まっていく。

 

「マジか……化けもんレベルに速えな」

 

カーブが終わるその時、彼女は外からシュツルムを完全に差した。その威厳に溢れる走りは、あらゆるものを寄せ付けない。

 

これこそ、彼女が数々の戦場を駆け抜けた皇帝の走り。

 

それに続く事など、普通の者に出来るはずがない。

 

彼女に追いつこうとエンジンの音が咆哮のように高鳴るが、彼のスピードが上がる事はなく、その距離は開いていくばかりだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シューちゃん! がんばれー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった一言、それ以外には何もない。ただその一言が響き渡った瞬間、皇帝の背後で突如として異常な音が鳴り始める。

 

まるで、何かが外れて吹き飛ぶかのような音。だが、何が起こっているのか確認する暇など無い。今ここにある5バ身以上の差をより広げる事に彼女は注力していた。

 

「っ……!?」

 

強大な嵐の種が鉄の地面を打ち砕いてその芽を出す。今まではお遊び、そう言われてもおかしくない程の爆音が彼女の鼓膜を激しく揺らし、その背中を形容し難い圧が襲う。

 

本来なら皇帝の足について行く事など普通の者なら不可能。

 

だが、今この瞬間にその皇帝に刃を突き立てようとしているのは、そこらの平凡なウマ娘では無い。

 

炎と嵐を纏う魔物だ。

 

「ハッハッハッハ! やっぱり、テメエは俺と同じだな! 枷があるとどうしてもぶっ壊さずにはいられねえ! 曲がった道に矯正されるより、そこを真っ直ぐぶち抜いたほうが面白えからな!」

 

ハイゼンベルクが外付けしたパイプ達を、シュツルムはその高すぎる出力で片っ端から吹き飛ばす。そして、炎で真っ赤な軌跡を描きながら、皇帝へと肉迫する。

 

彼女もさぞ驚いた事だろう。

 

あの機械仕掛けの咆哮から数秒足らずで、あの開いていた差が埋められたのだ。

 

今やその火の熱と悪魔のような圧は彼女のすぐ横にある。

 

「あわわっ!? また燃えちゃってるよ!?」

 

「だったらこれでも構えとけ」

 

「あっ、そっか! 消してあげれば良いんだもんね!」

 

ハルウララがホースを構えてゴール地点に立つと、皇帝の真横の魔物はその化け物じみた咆哮を更なる高みへと持っていく。

 

その速度はもはや彼女の限界値を優に超えている。

 

「これが……君の本来の速さか……!?」

 

皇帝とはまた違ったその走り。燃え盛る軌跡を残すその道は、続く者達を文字通り焼き尽くす悪魔の道であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴール地点のスクラップの山を一つ崩して停止したシュツルムに、ハルウララは急いで消化活動を行っていた。

 

「と、トレーナー! 水がジュージュー言って蒸発してっちゃうよ!」

 

「だったら言わなくなるまで水掛けとけ」

 

次々と水蒸気となって消えていく水に、慌てた様子を見せる彼女。そんな様子を横目に、シンボリルドルフは滝のような汗をかいて、息を整えていた。

 

短距離にも関わらず、その疲労度は長距離を走った時と大差ない。アレに追われるという状況は、とんでもない程に体力を奪われるようだ。

 

歴戦のウマ娘達を凝縮してもなお、放つ事は出来ないであろうあの威圧感。思い出すだけでも心臓の鼓動が少し早まってしまうだろう。

 

「まさか、ここまで完敗するとは思っていなかったよ」

 

「いや、こっちも色々弄くり回してやっとこの結果だ。悪いが、俺も勝ったとは言えねえな」

 

「……つまり?」

 

「次は小細工無しって事だ。勿論、テメエに不利じゃねえ場所でな」

 

「ふふっ、そういえば君は工場長兼トレーナーだったね。脚質についての知識はしっかりと入っているようだ」

 

「あー……いや、テメエの分しか調べてねえ」

 

気の抜けるような彼の返事に、思わず笑いが漏れる。なんというか、この男はトレーナーをしているのか、してないのか、よく分からない。

 

そんな二人の思考を遮るように、一人の元気な声が響く。

 

「あっ!? 動いちゃダメだよシューちゃん!? まだ燃えてるよ!」

 

「あ、おい! それ以上引っ張ると……」

 

動き回るシュツルムを追いかけるハルウララは、ホースの限界の長さなど気にも留めずに思い切り引っ張った。

 

当然、根本が見事に外れ、晴れにも関わらず空からは雨が降る。

 

慌てふためいてその雨を止めに行くハルウララ。そんな様子を見て、シンボリルドルフはボソリと呟いた。

 

「Horseがホースを持ってるな」

 

「ヘッ、おまけに放水してるぜ?」

 

「ふふっ、そうだな」

 

この後、何度か全員でレースをしたが、カーブ用の制御装置を粉砕したシュツルムが再び勝利を収める事は一度も無かった。だが、彼にしか出せない直線のイカれたスピードは、生徒会長の記憶に色濃く残ったようだ。

 

そして後日、学園では面白い噂が囁かれ始めた。

 

 

 

 

 

あの"皇帝"と互角と言われる謎の存在。

 

 

 

 

 

"鋼鉄の嵐"と呼ばれる走者の噂が……

 

 

 

 

 

 




鋼鉄の嵐
学園で囁かれる噂で出てくる名前。
嵐を起こす事が出来る、炎を吹ける、生徒会長に勝ったなど、根も葉もない噂が立っている。
一応、存在している事だけは確からしい。

ちなみに、噂の発端は生徒会室だ。


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追跡者

いつも評価、感想、誤字報告ありがとうございます!とても励みになってます!


 

学園の門限を完全に過ぎた夜、ゴールドシップは鼻歌混じりに舗装された歩道を歩いていた。

 

「便利だなコイツ、火も付けられるし大体何でも切れる。やっぱり、無人島に持っていくのはライトセイバーだな!」

 

どうやら、彼女は自身のトレーナーを半ば誘拐するかのように船に乗せ、誰もいない島へと連れて行き、ふざけたサバイバルごっこをしていたようだ。

 

工場長からひっそりとくすねた光る剣を弄りながら、彼女は学園へと歩みを進める。

 

「なんだアレ? 酔っ払いか何かか?」

 

そんな最中、前方の街頭に照らされて出来た大きな影が、道の真ん中に立っていた。まあ、酔っ払って変な行動をする者も時折居る。気にしても特に良い事はない。この場においては、ゆっくりと横を通り過ぎるのが正解だろう。

 

歩みの速度をその影が近づくにつれ遅めていく。だが、その横を通り過ぎようとした時、とんでもない違和感に襲われる。

 

「あれ? アタシの目、おかしくなったか?」

 

横を通り過ぎた事自体には何も問題はなかった。しかし、問題だったのはその大きさだ。

 

影が大きく見えていたのは光との位置関係のせいだと思っていた彼女。

 

 

 

 

だが、実際は違う。この者が異常な程に巨大な体をしていたのだ。おまけに、黒く見えたのは逆光のせいでは無く、全身に隙間無く巻かれた黒いテープによるものだった。

 

 

 

 

疲労で幻覚でも見ていたのかと勝手に思い、両目を手で擦りながら後ろへ振り返ると、瞳にはしっかりとあの巨人が映り込む。残念ながら、これは夢や幻覚では無いようだ。

 

「ま、いっか! さっさと帰って寝るぞー!」

 

だが、触らぬ神に祟り無し。あの人を明らかに超えた巨体が、仮に人だったとしても関わらないのが一番に違いない。

 

そう考えた彼女は視線を再び前へ向け、早足で歩き出す。

 

「さっきの奴、やたらと大きかったな……まさか、巷で話題の八尺様って奴か!? だったら、もう少し見とけば良かったなー」

 

そんな戯言を溢しながら、彼女は学園の前まで到着する。

 

照明が殆ど消えた校舎は些か不気味ではあるが、生憎その中に用はない。敷地内を歩いて寮へと向かうだけだ。

 

だが、寮の方向へ向けた足は突然その動きを止める。

 

 

 

 

 

「なっ……なんで、ここに……!?」

 

 

 

 

 

彼女の前方にあるのは学園の街灯。だが、それに照らされたのは舗装された地面では無い。

 

先程通り過ぎた筈の不気味な巨人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の学園は良く噂の的になる。お化けが出るだの、階段が一段増えるだの、さまざまな話の舞台となっており、入る者に等しく恐怖を与える事だろう。

 

それは、帝王の二つ名を冠する彼女も例外では無い。

 

「はぁ……どうして誰も忘れ物が無い日に限って忘れ物しちゃうかなあ……!」

 

暗く静かな廊下を、トウカイテイオーは少しビビりながらゆっくりと進む。勿論、足音は最小限に抑えてだ。

 

しかし、神というのは意地が悪いようで、全神経を集中させて歩く彼女に対し、謎の振動や誰かの声のような風の音が響く。

 

「……ボクは無敵のテイオー様だぞ! 怖くなんか……ないやい!」

 

自らを鼓舞するかのように放った言葉は、廊下の中で反響を繰り返して消えていく。

 

それがかえってこの場所の不気味さを際立たせ、鼓舞する筈が逆効果となっているようだ。

 

それでもなんとか、自身の目的地である教室の前まで辿り着く。行きは怖かったが、帰りは風のように走り去れば問題無い。

 

「ん? 足音……?」

 

そんな中、駆けるかのような足音が彼女の元へ近づいてくる。

 

思わず音の鳴る方向へと身構えるが、暗闇から出てきたその姿にその構えを解き、ホッと息をついた。

 

「なんだ、ただのゴルシか……」

 

真面目な時もあるが、大半はふざけた事をしているゴールドシップ。最近はどこかの工場長のお陰で悪戯の道具がハイテク化し、あのエアグルーヴも手を焼いている。

 

故に、夜中に学園で走り回っていようとも特に驚く事はない筈だった……

 

「あ、おいテイオー! 逃げるぞ!」

 

「え……? うわっ!? 一体なんなのさ!?」

 

こちらまで駆けてきた彼女は酷く焦った様子で、トウカイテイオーを流れる様に小脇に挟むと、依然変わりないスピードで廊下を駆け続けた。

 

「やべえのに追われてる……! あのままだったらお前も巻き添えだ!」

 

「もう巻き込まれてるよ! というか、やばいのって何!?」

 

トウカイテイオーが普段と違うゴールドシップの様子に困惑していると、いきなり彼女の健脚が床を擦りながら急停止する。

どうやら、廊下の突き当たりまで運ばれていたようだ。

 

「げっ……!? この足音……!」

 

慌てる黄金船に担がれたまま、彼女は移動してきた廊下を見やる。

 

担ぎ手の精神を削る重い足音を響かせながら、何かが奥からやって来ている。だが、真っ暗故にその姿は良く見えない。

 

 

 

 

 

いや、違う。

 

 

 

 

 

窓からは月の光が入っている。先が見えない程に廊下が暗い筈がない。

 

しかし、それに気付いた時にはその謎の存在は数メートル前まで迫ってきていた。

 

「ぴ……ぴえええぇぇぇっ!?」

 

彼女の視界を埋め尽くしたのは、3m程の巨大な人影。明らかに人間としての範疇を超えているその大きさと、まるで正体を必死に隠すかのように乱雑に巻かれた黒いテープが、もはや不気味を通り越して恐怖を生み出している。

 

「こうなったら下に逃げるぞ!」

 

ゴールドシップはすぐそこにある教室へと飛び込むと、奥のベランダから外を経由して下の階層へと華麗な逃亡を見せる。勿論、彼女を担いだまま。

 

階を移動した後、彼女はずっと担いでいたトウカイテイオーをやっと床へ下ろす。

 

しかし、そこにいるのは真っ白に染まった何かの抜け殻だ。

 

「おーい、生きてるか?」

 

「ぴ……ぴええ……」

 

放心状態の彼女を見て、ゴールドシップは少し考える素振りを見せると、その耳へ口を近づけて囁いた。

 

「窓からアイツが来てるぞー」

 

「ぴええっ!? お、脅かさないでよ!」

 

「悪い悪い、冗談だって……」

 

彼女がそう言いつつ窓を見た時だった。

 

先程彼女達が降りてきたのと同じようにして、あの巨体が同じ階へと降り立った。さっきまで何処にいても聞こえる程の足音を立てていたのに、今この瞬間に限ってはまるで忍者のように音一つ鳴っていない。

 

もし、見ていなかったら気付かなかっただろう。

 

当然、彼女は正気に戻ったもう一人の手を引っ張りながら、脱兎の如く逃げ出した。

 

「ねえ! 何であんなのに追われてるの!?」

 

「知るか! アタシが一番聞きたいわ!」

 

全力疾走する二人を、巨人は走る事なくただの歩きで追い詰める。遅い筈なのだが、いかんせん一歩が大きすぎる事と、放たれる危険なオーラが、幾ら距離を離そうとも彼女達を休ませてはくれない。

 

しかし、そんな彼女達に一縷の希望が差し込んだ。

 

「そこの方! 部外者は許可無く校内立ち入り禁止ですよ!」

 

「お、オマエは!?」

 

「おや、ゴルシさんにテイオーさんじゃないですか! 貴方達もこの学級委員長と同じく夜の見回りですか?」

 

なんと、あの学級委員長であるサクラバクシンオーがその巨人に真っ直ぐ人差し指を向けて、立ちはだかったのだ。

 

瞳に桜を映す者に恐怖という感情は無いのだろうか。

 

「そいつに追われてるんだ! 今頼れるのは委員長しかいねえ!」

 

「なるほど! そういう事でしたか! なら、ご安心下さい! 私にかかればこんな問題、チョチョイのチョイで解決です!」

 

「す、すごい、初めて委員長が頼もしく見える……!」

 

自信満々のその背中を怯える二人へ向け、彼女は堂々と自身の役目を全うするため、その巨人に堂々と言い放つ。

 

「学園内は許可無く入るのも、廊下を走るのも禁止です! お引き取り下さい!!」

 

満面の笑みを浮かべ、静かな廊下全体に聞こえるような声量で、彼女は元気よく謎の部外者に注意をする。

 

だが、巨人はその小さな姿を前に微動だにしない。顔と思われる部分に巻かれたテープの隙間から、謎の赤い光を漏らすだけだ。

 

「あれ? すみません! 聞こえていますか? もう一度言いますが……ちょわっ!?」

 

「「あっ」」

 

二度目の注意喚起をしようとしたら矢先、彼女の頭はその大きすぎる手に掴まれ、そのまま宙へと浮かされる。

 

まるで、卵でも握っているかのような感じである。まあ、殻が割れて出て来るのは黄身ではないのだが……

 

「ちょ、ちょわ……目の前が見えません! おまけに宙ぶらりんでバクシンも出来ません! 一体何が起こっているんですか!? ん? 前にも似たような事があった気が……」

 

眼前が暗闇に包まれた彼女は、その巨大な手を掴みジタバタとその拘束から逃れようと頑張っているが、血の通ってなさそうな冷たい手はびくともしなかった。

 

『……違ウ』

 

その巨人はフリーズしたかのように数秒固まった後、機械的な声を発した。

 

まるで、何かを探しているかのようにも見えるその反応に、この場にいる全員が疑問に思っていると、巨人は手に持った彼女をポイッと後方へ投げ捨てた。

 

「ちょわあああぁぁぁっ!」

 

「委員長ー!?」

 

「くそっ! 委員長がやられた! この人でなし!」

 

背後で廊下をコロコロと転がる委員長に見向きもせず、巨人はその顔と思われる部分をゴールドシップに向ける。

 

『ゴールド……シップ……!』

 

まるで怒りの籠ったような声を放つと同時に、巨人は廊下を走り始める。驚愕して固まっているトウカイテイオーをガン無視し、向かう先はゴールドシップの所。

 

「えっ? 狙われてるのアタシだけかよおおおぉぉぉ!?」

 

今までのゆっくりとした動きは、ただのウォーミングアップだったのだろう。

 

その巨体からは考えられない程の速度で、先を行く彼女を追っていく。廊下を埋め尽くすその背中を、床に転がるサクラバクシンオーと、追跡から逃れたトウカイテイオーはただ茫然と見ていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体何なんだアイツは! アタシの鍛え上げた立体機動が通用しねえ!」

 

速度は未だ彼女の方が上。しかし、一回でも転けたり、行き止まりに当たってしまえば一瞬で追いつかれてしまうだろう。

 

故に彼女は非常階段や窓などを利用して、階を跨ぐ移動を多く取り入れていた。だが、何故かあの巨人はしっかりと追って来る。まるで、鉤縄でも持っているかのようだ。

 

逃げに逃げを重ねる中、彼女は戦力になりそうな一人のウマ娘を発見する。プロレスが大好きな者だ。きっと、助けてくれるだろう。

 

「よっ! ちょっと助けてくれ!」

 

「ゴルシ先輩? 助けるって一体何をデスか?」

 

「ほら! アタシの後ろにデカい奴が……」

 

ゴールドシップが自身の後方を指差した時、彼女を追い回していたあの存在の姿は跡形もなく消え去っていた。

 

指した先にあるのは虚空だけだ。

 

「フッフッフ! エルを驚かそうとしても、そう簡単にはいきませんよ! エルはあの工場で最強のウマ娘になったんデース! 怖いものなんて何一つありません!」

 

どうやら、彼女はシュツルムと会ってからホラー耐性が付いたようだ。確かに、アレの恐怖と比べれば、大抵のものであれば可愛く見えてしまうだろう。

 

「え……!? ワープはアタシの十八番だぞ! 勝手に取るんじゃねー!」

 

どこかズレた文句を闇へと吐き捨てた後、ゴールドシップとエルコンドルパサーは共に外へと向かっていた。

 

その道中、彼女は必死になってあの巨人の存在を証明しようと躍起になっていたが、帰ってきたのは生返事のみ。普段の奇行が完全に裏目に出ていた。

 

「だから、3m級巨人がいたんだよ! 立体機動してくるとんでもないやつが!」

 

「はいはい、その手の話はもう通用しないデース」

 

ラウンジまで辿り着いた二人。ガラス張りの壁から注ぎ込む月光のおかげか、廊下よりも明るくなっている。

 

空には雲一つ無く、星と月が綺麗に映っていた。

 

 

 

 

 

しかし、外へ出る扉にゴールドシップが手をかけた瞬間、遮る物が無いはずの月が大きな影によって一瞬だけ隠される。

 

 

 

 

 

「またかよ!? しつこいにも程があるだろ!」

 

「え、ええっ!? な、何なんデスか!?」

 

「アタシがさっきまで言ってたヤツに決まってるだろ!」

 

二人を驚愕の表情に染め上げたのは、巨人のふざけた行動だった。

 

このデカブツはなんと、屋上から地上まで飛び降りてきたのだ。人間でもウマ娘でも等しく怪我をするような高さであるにも関わらず、この化け物はコンクリートにその足跡を刻みながら着地すると、平然と窓越しに二人を見ている。

 

目はこちらからは見えないが、放たれる圧からして、どうやら睨んでいるようだ。

 

「やべえ、出口を塞がれちまった……!」

 

巨人は彼女達の通りたいその扉から、少し狭そうにしながら中へと入ってくる。ゴールドシップに固執するその姿には、狂気に近い何かを感じざるを得ない。

 

「ぐ、ぐるぐるテープのお化けデース!?」

 

「んな事言ってる場合か!? 逃げるぞ!」

 

彼女達は反対側のグラウンド方面の扉へ足を向ける。

 

だが、巨人は手から金属の触手?のようなものを出し、階段の手すりにそれを引っ掛けて跳躍を行う。その見た目に反する軌道を空中に描きながら、巨人は逃げる彼女達の前へ回り込んだ。

 

「なっ!? レギュレーション違反だ! デカブツは遅いっていうのが定石だろうが!」

 

再び踵を返して逃げ出すが、今度は彼女の足首に冷たい触手が絡み付き、無理矢理あの巨人の足元まで引き摺り込まれてしまう。

 

もう逃げるのは不可能のようだ。

 

「ゴルシ先輩……逃げられない。そんな状況になったらやる事は一つデス」

 

エルコンドルパサーは巨人の目の前まで近づき、指を真っ直ぐその顔部分に向けて、声高らかに言い放った。

 

「立ち向かうしかありません! ここで撃退するんデース! 一緒にウマ娘の力というものを見せてやりましょう!」

 

「あ、あれ? やっぱり今日のアタシはどこかおかしい! 勝ちフラグ立ててる筈なのに、勝てる気がしねえ!」

 

「何言ってるんデスか!? 戦う前から負ける気でいたら駄目デース!」

 

彼女はいつしかのVR装置で得た格闘術を駆使して、巨人へと攻撃を仕掛ける。しかし、その手応えはまるで丸太……いや、コンクリートのビルを蹴っているかのような感じであった。

 

何故だろう、効いている気がしない。

 

ペチペチと優しい音ではなく、重い衝撃音が響く中、巨人はただ悠然と立ち尽くしている。

 

「やっぱりなんか行ける気がしてきたぜ! アタシの必殺拳を喰らえ!」

 

だが、ゴールドシップは勘違いをしていた。この巨人がただ立っているのは、あの格闘家の攻撃に圧倒されている訳では無い。

 

 

 

狙っている相手がエルコンドルパサーではないだけだ。

 

 

 

故に、彼女がやる気になって近づけばどうなるのか、想像するのは容易だろう。

 

「あ、やべっ!?」

 

「うわっ!? は、離すデース!」

 

巨人はその手でゴールドシップとエルコンドルパサーの頭を掴み上げた。当然のように彼女達の体は宙へ浮く。

 

そして、興味無さそうに格闘家の彼女を後方へポイッと投げ捨てると、赤い光の漏れる顔部分をもう一方へ近づけた。

 

『返セ』

 

「えっ……?」

 

恐怖を煽るような不気味な声。そんな声が、ゴールドシップ目掛けて投げかけられた。

 

『返セ』

 

「返せって何をだよ!?」

 

『光ル……剣……!』

 

「光る剣? ま、まさかオマエ……!?」

 

彼女が何かを言い終える前に、巨人は問答無用で金属の触手を用いて、彼女のポケットから棒状の装置を奪い取る。

 

それは、彼女のお気に入りのライトセイバーであった。

 

奪うや否や、巨人は彼女を解放し、もう一方と同じく後方へ放り捨てる。そして、略奪したそれを自身の顔に近づけると、あの不気味な声で言葉を発し、その巨体を出口へと向けた。

 

『回収……完了』

 

その後、トウカイテイオーとサクラバクシンオーが、追われていたゴールドシップを探しにラウンジまでやって来ると、そこには完全にダウンした二人のウマ娘がいたそうな。

 

ちなみに、ゴールドシップはこの日から数日間、熟睡出来ない日が続いたようで、調子がガタ落ちしていたらしい。

 

なお、その様子を見てほくそ笑むどこかの工場長の姿があったとか無かったとか。

 




Code:V
シュツルムがブチ切れた事件をきっかけに作り始めた多目的ロボット。主な使用用途は警備や盗品の回収である。勿論、どこかの誰かに破壊されない最高グレードの代物。

四つのリアクターから生み出される出力と、手首に装着された触手のような金属製マニュピレーターで、常軌を逸脱した移動が可能となっている。だが途中で少し面倒になったのか、頭部にはどこかの暗黒卿のパーツが流用され、見た目に関しては黒いテープで巻かれているだけだ。

正式名称はゾルダート・ファーフォルガー(Verfolger)
その名前は"追跡者"を意味する。

余談だが、作成する際の仮想敵として用いられたのは、"殺しても死なない一般人"と"DNA詐欺のゴリラ"だそうだ。


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トラウマ

 

照りつける太陽が鬱陶しくなる夏のある日。ハイゼンベルクは蒸し暑い校内を歩いて、とある者を探していた。

 

「あの科学者野郎はどこにいやがる……?」

 

どこを探しても見つからず、誰に聞いても居場所は分からない。結局、面倒になった彼はこの配送のお仕事を後回しにすべく、自身のトレーナー室へと向かった。

 

だが、どうやら先客が居たようだ。

 

「……という訳で彼は元からあの場所に居なかったのよ!」

 

「うわあ……ゾッとする話だねそれ……」

 

「当然じゃない、このキングは語り手としても一流なのよ!」

 

「キングちゃんすごいね! わたしも上手くできるかなあ?」

 

扉の先には幾人かのウマ娘達が集っていた。ほぼ全員知っている顔だ。だが、普段誰もいない筈の部屋にこうも人が集まっていると、流石の彼も部屋を間違えたのかと思わず部屋のプレートを確認してしまう。

 

「テメエら……何やってんだ?」

 

「あっ、トレーナー! 今ね、怖い話大会やってるんだ!」

 

「なんでこの部屋なんだ……?」

 

「理由は簡単さ、遮光カーテンに優秀な空調。おまけに、心霊部屋として有名な場所。雰囲気作りとしては完璧だから選ばれたのさ」

 

アグネスタキオンの言う通り、この部屋は非常に快適な空間である。あのぶっ飛んだ空調に、他の部屋では理科室ぐらいしか無いであろう遮光カーテン。

 

極め付けに彼の工事用のロボットが何機か置かれており、不気味さの演出に一役買っている。

 

それ故に、投票でここに決められてしまったようだ。

 

なお、セイウンスカイだけはこの部屋に彼が修理したマッサージチェアがあると聞いて票を入れたようだ。

 

「ったく、本人の許可ぐらい取りやがれ……」

 

「あれ? ウララちゃんが取ったって言ってたけど……?」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

「これは取ってない反応ね……」

 

スペシャルウィークにそう言われたハルウララは、キョトンとした表情で首を傾げた。その様子に、皆は苦笑いを浮かべていた。

 

「まあまあ、良いじゃないか工場長。なんだかんだ言ってここ結構広いんだから」

 

「ほう……ところで、テメエが今座ってるマッサージチェア。ぶっ飛んだモードがあるがやってみるか? 文字通り天にも登る心地だぜ?」

 

「え……? いやいやいや! セイちゃんは遠慮しておきます!」

 

調子の良いセイウンスカイの言葉に、彼はニヒルな笑みと共に脅し文句を返す。何やら嫌な予感のした彼女は顔を青ざめさせながら、椅子から逃走を図る。

 

「おっと、すまないね。ぶつかってしまった」

 

なお、悪い笑みを浮かべたアグネスタキオンによって逃亡は阻まれ、彼女の体は異音を立て始めたマッサージチェアに吸い込まれていった。

 

一人の悲鳴と機械の異音をバックミュージックに、彼は一人だけ知らない顔のウマ娘を見やる。

 

「見た事ねえ顔だな」

 

「俺はウオッカだ! よろしく頼むぜ!」

 

「ウォッカ? 俺はウイスキーかビールの方が好きだな。最近はイエーガーばっか飲んでる気はするが……」

 

「だぁー! 違えよオッサン! 俺はウォッカじゃなくてウオッカだ!」

 

ハイゼンベルクの耳では彼女の名前は酒にしか聞こえないようだ。どうやっても直らない現象に彼女は頭を抱えて困り果てている。

 

「もう諦めたらどうなの? どうせ直らないわよ」

 

「くっそー! 今回だけは大目に見てやる!」

 

ダイワスカーレットの言葉もあり、今この時だけは我慢するようだ。

 

「さて、次は私の番だったかな?」

 

「テメエみてえなガチガチの科学者野郎が怪談か? 面白えな。そういう類のモンは信じてなさそうに見えるんだがな」

 

「そうかい? だが、幽霊に関してはいる事もいない事も証明出来ていない。故に居たと仮定しても問題ないのだよ」

 

「なるほどな、一理ある」

 

アグネスタキオンは何故かプロジェクターとVRゴーグルのような物を取り出した。そして、流れるようにセットアップし終えると、怪しい笑みでこう言った。

 

「さて、私の持論だと恐怖という感情は言葉だけでは伝え切る事が難しいと考えている。そこで、コレを持って来た」

 

彼女はゴーグルを見せつける。幾つか電子部品が剥き出しだが、様々な部品が綺麗に収まっており、無駄が無いように見える。

 

「これは、記憶の中で一番濃く残っている恐怖を映し出す装置さ。事実は小説よりも奇なりとよく言うだろう? まあ、それが薄い記憶だと、だいぶノイズ混じりになってしまうのが欠点だがね」

 

そう言うなり、彼女は実際にそのゴーグルを自身の頭に装着した。すると、プロジェクターが反応し、何かの光景を映し出す。

 

そこには、生徒会のメンバーに包囲され、鬼の形相で睨まれている場面であった。ノイズなど一切無く、鮮明だ。

 

「おっと……これは確かに少し堪えたものだね……」

 

「うわあ……これは体験したくないね……」

 

「同感ね……というかスカイさん、もう復活したの?」

 

「いや〜痛くて死ぬかと思ったけど、終わってみたら体の調子がすこぶる良くてですね……パーフェクトセイちゃん爆誕! って感じ!」

 

どうやら、調子が絶好調になる高性能マッサージチェアのようだ。今の言葉を聞き、幾人かは後で使ってみようと心に決めた。

 

「それじゃ、次は君だウララ君」

 

「わーいっ! ありがとー!」

 

「恐怖という感情が無いに等しい君から、どんな映像が出てくるのか楽しみだよ」

 

ハルウララがゴーグルをスッポリと被る。そして、映し出されたのは……

 

 

 

地面にアイスが落ちる瞬間の映像だった。

 

 

 

白黒でかなりノイズ混じりな事から、本人もあまり覚えていない記憶なのだろう。だが、心当たりはあるようだ。

 

「ああっ! いつだったか忘れちゃったけど、にんじんアイス落としちゃった時のだ!」

 

「……おかしいな、設定を間違えたのだろうか?」

 

「ああ、間違ってる。この能天気にその装置を使う事自体がな」

 

随分と可愛らしい恐怖に、思わず全員の張っていた気が完全に緩む。やはり、彼女にとって怖い物や体験は無いに等しいのだ。

 

「さ、さて、次に行こうか」

 

次に指名されたのはキングヘイロー。

 

一流の存在の抱く恐怖は一体何なんだろうか。アグネスタキオンは興味深く投影先の白い壁を見つめている。

 

しかし、映し出されたのは一つの鳴り響く携帯電話だけだった。

 

「携帯電話?」

 

「あれ、キングちゃんどうしたの? 大丈夫?」

 

「ええ、平気よ。それよりも、どうしてこの映像が出てくるのか良く分からないわね」

 

「ほう、本人の認知していない記憶でも出力可能なのか……これは面白い結果だな」

 

「まあ、大した記憶じゃないって事ね。はい、スカイさん。次は貴方よ」

 

押し付けるようにして渡されるゴーグル。セイウンスカイはそれを被ると同時に、直近で怖い事があったかどうか思い出そうと試みる。

 

だが、これっぽっちも出てくる事はなく、仕方なく映像が出るのを待っていた。

 

「ん? 釣り竿……?」

 

映し出されたのは引っ張って曲がっている釣り竿と、川か海か分からない水底と竿の先端を繋ぐ糸だ。

 

数秒後、竿のしなりは急に解放され、糸の先には魚はおろか釣り針すら付いていない。

 

「ああ〜っ!! これ根がかりで高級ルアー無くした時のやつじゃん! うぬぬ……何て恐ろしい記憶なんだ……!」

 

きっと、釣り経験のある物なら恐怖する瞬間なのかもしれない。だが、ここに居る者達にそれが伝わる事はないだろう。その証拠に、全員が首を傾げている。

 

その後、スペシャルウィーク、ダイワスカーレット、ウオッカの順で例のとんでもゴーグルを掛ける事になった。

 

スペシャルウィークの時は体重計。プロジェクターの光を必死になって遮って、その数値を隠していた。

 

ダイワスカーレットの時は、レースでビリだった時の光景。どうやら、今日の夢で見た出来事のようで、このゴーグルは夢と現実の判別までは付かないようだ。

 

そして、ウオッカが大問題だった。

 

「ウ、ウオッカ君。これは一体……何なんだい?」

 

「避難訓練の時に見た不審者役の人っす……」

 

「ほう、こんなものが徘徊していたのか……私も見てみるべきだったかな?」

 

「あれ? デュアルちゃんにそっくりだ!」

 

「ウララのトレーナーさん、何か言う事があるんじゃないかしら?」

 

「さて、何の事だか分からねえな……」

 

映ったそれは血塗れの何か。不思議そうにそれを見る者が二人、思い出して表情を強張らせる者が二人、とある人物に思わず視線を向ける者が三人……

 

そして、知らないふりをする元凶が一人。

 

ちなみに、ウオッカの後ろにある黒い布の下に彼女の恐怖の原因がいるのだが、幸運にも気付いていないようだ。まあ、時には気付かない方が良い事もある。

 

「さて、最後は君だ」

 

アグネスタキオンはハイゼンベルクへとそのゴーグルを差し出した。

 

「何のつもりだ?」

 

「見て分かるだろう? 君のような者が恐怖を感じる時、その目に何が映るのか私は非常に興味がある!」

 

半ば狂気に染まった目を向けて、彼女は依然とそのゴーグルを彼へ突き出している。

 

彼女の言葉を聞き、他の者達も興味が芽生えたようで、好奇の視線を彼に向けていた。

 

「……仕方ねえ、やってやる。見えるもんなんて、とっくのとうに分かりきってるがな」

 

彼はゆっくりとそのゴーグルを受け取ると、僅かな躊躇いを見せる。そして、少しだけ深く呼吸をすると一気にそれを頭へ被った。

 

プロジェクターがすぐさま映像を映し出す。

 

それは、彼女達とは比較にならない程に鮮明であった。

 

 

 

まず映ったのはどこかの教会のような場所。壁や天井がボロボロになったその中央には華美なカーペットによる道が出来ており、それを挟むようにして大きな椅子と長椅子が向かい合って置かれている。

 

そして、この不気味な場所にゆっくりと幾人かが姿を見せた。

 

真っ白な肌を持つ巨大な女性。

 

ローブを羽織って全体の姿が見えないが、老人のように腰を曲げている者。

 

同じくローブで黒子のように全身を黒で包み、その手に不気味な人形を持った者。

 

中央奥には一人の仮面を被った女性。不思議なことに、その背中からはカラスのような羽が生えている。

 

明らかに異様な光景に、見ている者は思わず息を呑んだ。

 

そして、場面は切り替わる。

 

嵐のように渦を巻く瓦礫。鉄骨や乗り物までもがその渦に逆らう事なく浮いている。しかし、雨はそのまま真っ直ぐ地面へと降り注ぐ。

 

そんな中、画面の中心に小さく映り込んだのは小さな人影。瓦礫と同じく宙に浮いているが、何か乗り物のような物に掴まってこちらを見ている。

 

全員が何も理解できないまま、画面全体は突如として放たれた閃光で真っ白に染まる。

 

そして、雨雲を見上げるように視点が動いた後、映像はプツリとブラックアウトした。

 

 

 

映像が終わり、彼はゆっくりとゴーグルを外す。いつも通りのしかめ面だが、そこには少しだけ納得の色が見える。

 

しかし、彼以外の者は今の光景を理解出来ないといった風に、困惑した表情を浮かべていた。

 

「これで満足か、イカれた科学者さんよ?」

 

「ふむ、かなり異質な映像だったが……あれは一体何なんだい? 恐怖というより不気味さが勝るようなものだったが……」

 

「あー……ある映画のワンシーンだ。そいつらの顔が俺の嫌いな奴にそっくりだった。それだけだ」

 

「ほう、嫌悪感も恐怖の内に入るのか。これは興味深い……」

 

ハイゼンベルクは所々言い淀みながら、アグネスタキオンの問いに返答する。彼の言い分によると、あの映像は昨日見た映画に出てきたシーンだそうだ。

 

はてさて、このような映画あっただろうか。

 

「ええっ!? という事はトレーナーって映画が怖いの? じゃあ、今度見る時はわたしも一緒に見てあげるね!」

 

「おい待て、なんで勝手に俺は映画が怖いって事になってやがる?」

 

「だって、あのゴーグルって怖いって思ったやつが映るんでしょ? トレーナーの時は映画のシーンが映ったから、映画が怖いって事だよね!」

 

「ああ、クソッ……そういう事かよ」

 

まあ、彼女の言い分もあながち間違ってはいない。

 

その人の怖いと思ったものを映し出すゴーグルで、あの映像が出てきたという事は紛れもない事実だ。

 

他の負の感情も勝手に恐怖判定される代物故に、このゴーグルの信憑性は決して高くない筈なのだが、ハルウララがそんな事知る由もない。

 

「ほらよ、返すぜ」

 

なんか色々と不名誉な勘違いをされた彼は、ため息混じりにそのゴーグルをアグネスタキオンへ返した。

 

「おや? ふむ、そういう事か」

 

彼女はポイッと放られたゴーグルを落とさずに受け取ると、その表情を少し歪ませる。

 

受け取った物はかなりの熱を発し、僅かに煙を吐いていたのだ。連続使用が祟ったのだろうか。

 

「テメエの要望に付き合ってやったんだ。質問の一つぐらい答えろ」

 

「良いだろう、手短に頼むよ」

 

「そうだな……もし、どこかの誰かの意思で動く殺人ナノマシンみてえのがあったらテメエはどう対処する?」

 

「ほう……それはつまり、体内に入ったら終わりという事かい?」

 

「ああ、終わりだ。おまけに、そいつらはデータ収集能力もある。面倒極まりねえだろ?」

 

彼から投げかけられた不思議な質問。一体どのような意図があるのかは分からない。恐らく、何かを作る際の参考にでもするのだろう。

 

勝手にそう思いながら、彼女はその虚な瞳を天井へと向け、有効な手立てを考えていた。

 

「そうだね……大まかに分けて二つある。一つ目は、一般的なウイルスや細菌への対処法と同じ、そもそも体内に侵入させないやり方だ」

 

彼女の脳裏では、防護服に身を包んでガスマスクのようなフィルターを介して空気を取り入れる。そんな光景が浮かんでいた。

 

体内に入らなければどうという事はない。大まかに言えばそういう思考だ。

 

「二つ目は……単純明快。君の言うどこかの誰かを始末するのさ。または、データのやり取りや保存をするサーバーを破壊しても良いかもしれないね」

 

彼女が二つ目に挙げた方法は、最終的に指示を出す部分がとある人間という部分に重きを置いたやり方だ。

 

確かに、司令部を壊せば戦場に出ている兵士の統率は取れなくなる。

 

「なるほどな……参考になったぜ」

 

「君のこの質問……一体何の意図があるんだい? まさか、本当にナノマシンかそれに準ずる物でも作るつもりだったりするのかい?」

 

ここにはもう用はないと言わんばかりに踵を返すハイゼンベルク。しかし、先程の質問に引っ掛かりを覚える科学者は、その足を止めさせる。

 

だが、彼が返したのはニヒルな笑みとはぐらかすような回答だった。

 

「気にすんな、ただの思考実験みてえなもんだ」

 

そう言うなり、彼はまるで逃げるようにこの部屋から去って行く。彼をよく知るハルウララが開け放たれた扉から廊下を覗くが、もう既に彼の姿は消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園の校舎裏、誰も殆ど来ないであろう場所。一本の木により掛かるようにしてハイゼンベルクは立っていた。

 

だが、そこに威圧のオーラを放つ工場長の姿など無く、気分悪そうに顔を青ざめさせる一人の男がいるだけだ。

 

「クソッ……どうして未だにあのクソ女にビビってるんだ……!」

 

イラつきを込めた拳が、すぐ横の木に叩き込まれる。堅い木にも関わらず、打ち込まれた拳の跡は刻印のようにはっきりと残っていた。

 

高鳴る心臓の鼓動を押さえつけるべく、彼は懐から葉巻を取り出した。学園の敷地内だが関係ない。噴き出る冷や汗を止めるのが優先だ。

 

「どうしてあのクソ女に立ち向かえた……? どうやってあのぶっ飛んだ恐怖を克服したんだ……!? イーサン・ウィンターズ……!」

 

まるで祈るかのように、自身を殺したその存在の名を呟く。神ではなく、強者に対して問いかけるその行為。何とも彼らしいと言えるだろう。

 

しかし、この世界で死人が蘇る筈も無く、その問いも答えも空へと消えていった。残るのは気持ち悪い汗だけだ。

 

不快な気持ちを拭おうとするが、オイル切れのライターは火花を散らすだけで、救いの灯火を授ける事は無かった。おまけに、愛用のマッチはコートの中。今頃、工場の椅子に掛けられているだろう。

 

「あっ、トレーナー! って、大丈夫!? すっごく調子悪そうだよ!?」

 

少しぐったりとしたその姿を、追ってきたハルウララが目撃する。青ざめたその顔は明らかに異常であると分かっている彼女だが、どうすれば良いか分からずに困惑し、慌てていた。

 

「ど、どうしよう!? えーっとえーっと……何か飲み物でも買ってくるね!」

 

「……なんでもねえ。さっさと帰れ」

 

「ダメだよ!!!」

 

明確な拒否の意思。あまり見せた事の無い彼女の真剣な表情に、珍しく彼は気圧された。

 

「ったく……コーヒーで良い」

 

「わかった! じゃあ買ってくるね!」

 

"勝手にどっか行っちゃダメだよ!"とご丁寧に釘まで刺した後、彼女はどこかへと駆けて行く。

 

その速度は過去最速レベルのもので、彼が葉巻を懐へとしまい終える頃には、既に両の手にペットボトルとコーヒー缶を持った彼女が戻って来ていた。

 

「はい、トレーナーの分!」

 

「……ありがとよ」

 

暖かい手から渡された、冷たい缶コーヒーを大きく呷る。有難いことに少しは落ち着きを取り戻した様で、青ざめていたその顔は血色の良いものへと戻ったようだ。

 

「よかった〜! 治ったんだねトレーナー! これで保健室の先生呼ばなくても大丈夫になったよ!」

 

「別に死ぬ訳じゃねえ、次からほっとけ」

 

「ええっ!? ダメだよ! わたしだって頭が痛い時とかはキングちゃんに助けて貰ってるもん! だから、トレーナーが調子悪い時はわたしが助けてあげる!」

 

もし彼女に看病された時どうなるか、勝手に彼は想像する。どうやっても、枕元ににんじんの山が置かれる気しかしない。

 

「いや、テメエはどうせこれ食べれば治るとか言って、人参の山でも送りつけるつもりだろ?」

 

「ええっ!? なんで、わたしの考えてた事分かるの!? もしかして、トレーナーってちょーのーりょく者?」

 

知らず知らずのうちに、二人は以心伝心の関係だった様だ。彼は呆れると同時に、気付いてしまったその事実に悪態をつく。

 

ボケをかます彼女と、素っ気なく物申す彼との間で、しばらくうらうらとしたやり取りが続いた。

 

尻尾を左右に揺らしながら、手に持ったジュースを飲むハルウララ。そんな光景を横目にハイゼンベルクは飲み終えた缶コーヒーを握り潰す。いつの間にか、彼の鼓動の高鳴りはすっかりと消え去り、一定間隔の落ち着いたリズムへと戻っていたのだった。

 




アグネスタキオン特製ゴーグル
感情の研究の一環でアグネスタキオンが何となく作った、恐怖を映し出すゴーグル。
記憶が古く、朧げであればある程、映し出されるそれにはノイズが走る。また、判定が曖昧な故に少しズレたものが映る事もある。

どうやら、彼女の持論では恐怖は時間と共に薄れゆく物らしい。だが、その考えには少しだけ修正が必要だ。

真の恐怖というものは、幾ら時が経とうとも、数が幾ら増えようとも、色褪せる事は無いのだから。


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不釣り合い

感想、評価、誤字報告ありがとうございます!
皆様のおかげで頑張れます!


 

「わーいっ! 一着だーっ!!」

 

以前一着を取ってからというもの、ハルウララの力が少しばかり開花したのか、他のレースでも一着を取ることが増えてきた。その内訳はほぼ全て地方のレースだが、一着は一着だ。

 

勿論、一着の回数に伴ってライブでセンターを貰える回数も増える。

 

そして、取材の回数も……

 

「ハルウララさん、おめでとうございます! 早速ですが、今後の意気込みなど教えて頂けませんか?」

 

「えーっとね……たくさんレースに出て、たくさん一着を取るんだ!」

 

陽気で元気な返答に会場は笑顔に包まれた。

 

彼女の強みとも言える、そのキラキラと輝く明るい性格は、誰一人隔てる事なく惹きつける。

 

「なるほど、素晴らしい意気込みありがとうございます! という事は、これからの予定などはもう決まっているのでしょうか?」

 

「うんっ! 明日も明後日も友達と遊ぶんだ!」

 

きっと、記者が聞きたかったのはトレーニングの予定なのだろう。しかし、彼女がそれを察する訳も無く、ただ正直にこの後の予定を答えてしまう。

 

「あれ? トレーナーからトレーニングなどの指示は受けてないのですか?」

 

「トレーニングの指示? うんっ! 何にも言われてないよ! 好きに遊んどけって言われたから、わたしいっぱい遊ぶんだ! えへへっ!」

 

その言葉はしっかりと場を和ませた。しかし、それを聞いた記者達の心の中ではとてつもない疑問が浮上する。

 

"ハルウララのトレーナーは、しっかりと仕事をしているのだろうか?"

 

だが、彼女のトレーナーが記者達にとって、とんでもない人物である事は有名だ。故に、張本人に取材を申し込む訳にはいかず、彼女を介してやんわりと尋ねるしかない。

 

「追加でもう一つお聞きしたいんですが、普段のトレーニングメニューはトレーナーが決めているんですか?」

 

「ううん、決めてないよ! わたしのトレーニングメニューはキングちゃんに教えて貰ったのをやってるんだ! あっ! それ以外にはね、友達と一緒に走ったりしてるよ!」

 

この返答によって、記者達の抱いていた疑問は確信へと変わる。良くも悪くも良いネタだ。使わない手は無いだろう。間違い無く、彼らの明日の記事は中々面白い事になる筈だ。

 

きっと、普段からかなり威圧的な態度を取るあの者へ仕返ししたいという欲求が、この邪な行動へ拍車をかけてしまっているに違いない。

 

一部の記者達が心の中でガッツポーズを取っている事など露知らず、彼女はいつもと変わらない純粋さで引き続き取材を受けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、トレセン学園の理事長室では窓からの明るい日差しで照らされたとある新聞を、たづなと理事長の二人が食い入る様に見ていた。

 

その表情は複雑だ。

 

「驚愕ッ! どうしてこんな事が書かれているのだ!?」

 

「ハイゼンさん……何か変な事でも言ってしまったんでしょうか?」

 

「否ッ! 彼は取材など受ける様な者ではない!」

 

全て新聞の記事に載っていた内容は、ハルウララを大きく持ち上げる様な物だ。しかし、一部の新聞には先程の内容に加え、ハイゼンベルクを大きく批判する文章が書かれている。

 

簡単に言えば、"ハルウララのトレーナーは職務を放棄している。それでも、彼女が勝ったのは才能があって強かったから"と言った内容だった。

 

新聞だけではない。ネットの一部の記事にも同様の内容が書かれていた。

 

この事実を、工場でふんぞり返っているあの男に伝えるべく、理事長は携帯を取り出した。いつも通り、しばらくコール音が鳴り響く。七か八回ほどそれが鳴った後、目的の男は電話に出る。

 

『何の用だ? 今日はそっちに行く予定は無えぞ』

 

「否ッ! 仕事の話では無い! 今日のニュースについての話をしたい」

 

『あ? なんかあったか?」

 

電話の先で、紙の擦れる音が響く。きっと、向こうでも新聞を開いているのだろう。

 

批判された張本人は、この内容に怒りを露わにするかもしれない。だが、返ってきたのはただの笑い声だった。

 

『ハッハッハッハ! 記者ってのは勘の良い奴らが多いみてえだな!』

 

「驚愕ッ!? ど、どこに笑う要素があるのだ!」

 

『テメエこそ何言ってやがる? コイツらは間違った事書いちゃいねえ、俺がアイツにまともに指導して無い事も、アイツが強えって事も、全部事実だ』

 

思いがけない返答に、彼女は返す言葉が無くなった。その理由は簡単、彼の言うとおり、全て事実だからだ。

 

走りのフォームや作戦、トレーニング内容など、彼は一切関与していない。全てハルウララの自由としている。

 

だが、トレーナーは肉体強化の指導が全てでは無い。

 

「肯定ッ……! 確かに、君はトレーニングなどに関してはトレーナーらしい事は何もしていないかもしれない。しかしっ! 君の彼女に対する行動はそうでは無い!」

 

『……さあ、どうだかな?』

 

「一流のトレーナーは精神面でもウマ娘を支えるものだ! 君はそっちの方面に偏っているのかもしれない!」

 

『精神面? 何ふざけた事言ってやがる。こっちは適当に御託を並べてるだけだ。そんな大層な事してねえよ』

 

「うむ……まあ良い。とにかくっ! 気をつけて欲しいのは、この知らせを聞いた者が彼女をスカウトする可能性がある!」

 

『……別に構いやしねえ。あの能天気がそれを望んでるんだったらな』

 

僅かな沈黙を置いて、低く落ち着いた声が返る。自分の担当しているウマ娘が引っこ抜かれる可能性があるというのに、何故この男は平然としているのだろうか。

 

『驚いてる所悪いが、俺のモットーは自由だ。移籍しようが、走るのを止めようが自由! くだらねえエゴで縛り付けるなんて事はしねえ』

 

"自由"、それは彼のよく使う言葉。理事長の耳に突き刺さるその言葉からは、何故か不気味な執着を感じてしまう。

 

そして、自身がそれを愛する故に、ハルウララに対して何一つ拘束していない。

 

先程彼自身が言っていた通り、フォームや作戦、トレーニングの時間など、何一つ指導していない理由には、全てその言葉が作用しているのかもしれない。

 

「驚愕ッ……!? つまり、君はもし移籍の話が私の方に回ってきたとしても、全て許可すると言うのか!? 移籍先と一切話し合わずに!」

 

『ああ、そう言う事で良い。それじゃあ、俺はやる事があるんでな。もう切るぜ』

 

唖然とした理事長の耳に、ツーツーと電話の切れた虚しい音が響く。これまで、誰もしてこなかった常識破りの判断に、しばらく彼女は動けなかった。

 

本来であれば、ウマ娘と移籍先のトレーナーと担当トレーナーの三人を交えて話をするもの。そこで、互いのトレーナーとウマ娘の合意を得ることで、晴れて移籍となる。

 

だが、彼のやり方ではウマ娘側がOKサインを出した瞬間、移籍が成立する。相手が問題を抱えているような人物だとしてもだ。

 

「理事長、きっと大丈夫ですよ」

 

「疑問ッ! たづなよ、どうしてそう思うのだ?」

 

「だって、考えてみて下さいよ。ハイゼンさんが学園に復帰するまで、ハルウララさん担当トレーナーはいなかったんですよ?」

 

たづなの発言に理事長はハッと何かに気付いた表情を浮かべ、手に持った扇子をパッと開く。そこには、"納得ッ!"の文字がはっきりと書かれていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も学園のグラウンドはウマ娘で溢れている。恐らく、その中の大半がトレーニングをして自分を磨き上げている事だろう。

 

しかし、ハルウララは違ったようだ。

 

「うわわっ!? ハトさんがいっぱいだ!」

 

本日の彼女は蝶々を追いかける事はなかったが、代わりに鳩に追いかけられているようだ。学園の係員の手伝いをする為に受け取った、鳥の餌が原因である事は間違いない。

 

今や、足元だけでなく彼女の肩や頭の上にも鳩やその他の鳥が餌を求めて登ってきている。

 

「よーし、もっとあげちゃうぞー! えへへっ!」

 

餌を撒くたびに集ってくる鳥の群れ。そんな光景を見た彼女の表情は楽しさに溢れていた。

 

だが、それも束の間。歩いてきた一人の男によって、集っていた鳥たちは一瞬で離散した。

 

「あっ! ハトさん達行っちゃった」

 

空へ飛んでいくその後ろ姿を彼女は残念そうに眺める。羽ばたきの音の後に残ったのは、彼女と男と未だに図々しく餌を啄んでいる数匹の鳩だけだ。

 

「あ……ごめんね。ハルウララちゃんで合ってるよね? あの、ちょっと話がしたいんだけど時間は大丈夫かな?」

 

「ううん、大丈夫だよ!」

 

「良かった! えーと……簡単に言えば、君を僕のチームにスカウトしたいんだ!」

 

彼女の目の前に立つこの若い男性はどうやらトレーナーのようだ。少し気の弱そうな者だが、その胸のバッジが光っている事から、学園に所属しているのだろう。

 

それ故に、実力は偽物では無い筈だ。

 

「すかうと? でも、トレーナーはもういるよ?」

 

「うん、分かってる。だから理事長に確認したら、君が良いって思うならそのまま移籍しても構わないらしい。だから、こうしないかい? 今日一日だけ、僕のチームにお試しで入ってみて、気に入ったら移籍って感じでどうかな?」

 

「うーん? よく分かんないけど、今日だけお兄さんのチームに入れば良いってことだよね! 分かった!」

 

きっと、細かい仕組みなど何一つ分かっていないのだろう。彼女は全て分かったかのような振る舞いをしながら、いつも通りの明るい笑顔で返事をした。

 

「ありがとう! そしたら早速、君のやりたいトレーニングをしよう!」

 

「じゃあ、綱引きしたい! 最近ね、お化けの友達と毎日やってるんだ! でもね、すっごく強くて全然勝てないの! だから、頑張ってしゅぎょーしようと思ってたんだ!」

 

「つ、綱引き……? お化け……?」

 

一般的なウマ娘からは出てこないであろう発言に、若きトレーナーは思わず脳裏にクエスチョンマークを浮かべ、大いに困惑した。

 

ハイゼンベルクと出会う前のハルウララでさえ、普通のトレーニングにあまり興味は示さなかったのだ。彼と出会ってぶっ飛んだ代物に慣れてしまった彼女なら、尚更そうであろう。

 

そして、トレーナーが困惑している中、彼女はいつの間にか残っていた数匹のハト達と戯れていた。癖が無いようで癖だらけな彼女に、彼はただただ唖然とするだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が落ちかかった夕暮れ時、商店街ではまだ在庫の残っている商品を売り捌く為、各店主が客の目を惹こうと奮闘していた。

 

だが、客達の視線は店頭に並べられたそれにではなく、道を歩く一人の男に注がれていた。

 

鉄槌片手に葉巻を味わうその薄汚れた男は、人々の視線など気に留める事なく歩き続ける。しかし、そんな不審者に恐れる事なく、店主達は声を掛ける。

 

「よお、ハイゼンさん! うちの品見て行かないかい?」

 

「ヘッ、冷やかしで良いなら見てやるよ」

 

相変わらずの憎まれ口を叩きながら、ハイゼンベルクは年配の店主に誘われて、肉屋へと赴く。

 

どうやら、ただの肉だけでなく、トンカツやハンバーグなどのちょっとした小腹を満たせる物も取り扱っているようだ。

 

そんな美味しそうな品々を見た彼は少し考える素振りを見せた。

 

「なあハイゼンさん、今日の新聞見たぜ」

 

「ヘッ、幻滅でもしたか?」

 

「いや、記者はウララちゃんとアンタを不釣り合いだって散々に書いてるが、うちらは違う」

 

肉屋の店主はメンチカツを揚げながら、良い笑顔を浮かべて彼に語る。

 

「アンタがトレーナーになってから、今まで勝てなかったウララちゃんはちゃんと結果を残せるようになった。アンタが仕事してるかどうかは知らないが、それだけは事実だ!」

 

「何もしてねえのも事実だがな。あと、そのメンチカツ一個くれ。見せつけるように揚げやがって……!」

 

鼻腔をくすぐる良い匂いに負けてしまったハイゼンベルクは、揚げたてのメンチカツを一つ注文する。

 

店主はしてやったりという表情を浮かべると、狐色に染まった熱々のそれを袋に入れて、彼に手渡した。

 

「おい、もうボケたのか? 二つ入ってんじゃねえか」

 

「まだそんな歳じゃねえよ! ちょっとしたサービスに決まってるじゃないか! 余計な事言うから色々と書かれるんじゃないかい?」

 

「悪いが、直す気なんてさらさら無え。言いたい奴には好きなだけ言わせとけ」

 

「アッハッハッハ! ハイゼンさんらしいな! まあ、ウララちゃんは最近いつも以上に元気だぜ。アンタのお陰でな!」

 

「あ? 何かした覚えなんて無えが……」

 

「まあ、本人がそう言ってたんだ。気付かぬうちに何かしてたんだろ? とにかく、そのサービスはそういう事だ」

 

「ヘッ……ありがとよ」

 

肉屋の店主と別れを告げ、彼は工場へと帰るべくその足を帰路へと向けた。しかし、燻る葉巻の香りに混じって、手に持ったビニール袋の中から食欲を唆る香ばしい匂いが漂ってくる。

 

工場に戻るまで我慢しようと考えていた矢先、道の奥からこちらに手を振り走ってくる一つの影が現れた。

 

「トレーナー!!!」

 

両手を広げて突っ込んでくるその影を見て、彼は葉巻を専用の携帯灰皿に押し込んだ。

 

そのピンク色の影は上手く減速して、彼の目の前でその足を止める。少し泥が付いているその顔は、間違いなく彼の良く知っている人物だった。

 

「トレーナー! 移籍って知ってる?」

 

「知ってるが、どうした? スカウトでもされたのか?」

 

「うんっ! それで、今日一日だけお試しで他のチームに入ったんだ! そしたらね、そのチームのトレーナーの人にね、"手に負えない"って言われたんだ! 手に負えないってどういう意味かな?」

 

「あー……そうだな……いろんな意味で強えって事だ」

 

「ほんとっ!? やったー!」

 

ハルウララの問いに彼は適当答える。かなり気の抜けた返事であるのだが、彼女がそこに気付く事はなかった。

 

嬉しさで尻尾をゆらゆらと動かしていた彼女。しかし、その動きは彼の持つ袋から漂う匂いでピタリと止まる。

 

「すっごい良い匂いがする! トレーナー何か買ったの?」

 

「買ったんじゃねえ、買わされたんだ」

 

彼は不満げにそう言いつつも、袋の中から未だに熱を帯びているメンチカツを取り出して、ハルウララの目の前に突き出した。

 

「……肉屋の奴からテメエへのプレゼントだそうだ」

 

「えっ! やったー! あそこの肉屋さんの食べ物すっごく美味しいんだよ! トレーナーも一緒に食べようよ!」

 

「あ? いや、俺は後で……まあ良いか」

 

ハルウララは学園へと足を向けつつ、そのメンチカツに齧り付く。すると、熱々の挽肉と旨味が凝縮された肉汁が溢れ出し、彼女の口内を至福で満たした。

 

きっと、一人で食べた時とはまた違った美味しさがあるのだろう。

 

目を瞑り、天にも登るその味を噛み締める彼女。そして、隣で特に表情を変える事なく、黙々と食べ続けるハイゼンベルク。

 

そんな彼の歩みは彼女に合わせたゆっくりなものであった。

 

そして、それは工場とは真逆の方向だった。

 




防犯カメラの録音記録
場所 ハイゼンベルク工場入口
記録時間 13:55

門を開ける音

『誰だテメエ? 悪いがセールスなんて求めてねえぞ?』

『お初にお目にかかります、乙名史と申します。メールの通り取材に来たのですが……』

『メール……? 何言ってやがる、片っ端から断った筈だが……ん? ああ、クソッ! 返信先間違えてるじゃねえか! 悪いが、帰ってくれ。俺はテメエら記者に割く時間なんぞこれっぽっちも無えんだ』

『い、今……取材に割ける時間は無いとおっしゃいましたか?』

『ああ、言った』

『素晴らしいっ!!!!』

『……!?』

『時間というのは大事です。日常生活においても仕事においても、時間というものには限りがあります! 貴方はそれら全ての時間をハルウララさんの為に使うおつもりなのですね!』

『お、おい……そんな事一言も……』

『きっと、睡眠や食事の時間すら彼女を成長させるための思案に費やすのでしょう! なんと素晴らしい思いやり! 彼女に優秀な成績を収めて貰いたいという誠意が感じられます!』

『は? そんな事するつもり……』

『はっ!? 貴方の彼女に充てる時間を削る行為、誠に失礼致しました! 短い時間ですが、貴方のウマ娘に向けるお気持ちはしっかりと伝わりました! では、私はこれで失礼させて頂きます』

『あ、おい……!』

遠ざかる足音








『……マジかよ』



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腕相撲

忙しすぎてこれから週一更新になります


 

照りつける日差しが暑い今日。そんな日であるにも関わらず、さらに暑くなりそうな催しがあるらしい。

 

その名も腕相撲大会。

 

なんの捻りもないネーミング。何をやるのか一目で分かるそれは、一部のパワー自慢の者達にとって大好評であった。

 

ちなみに、優勝賞品は一万円分の商品券である。

 

そんな豪華景品のお陰で参加者は意外にも多かった。きっと、これがただのダンベルやプロテインだったら、参加者が激減していた事間違いなしだろう。

 

日差しから逃れる事が可能な学園の体育館を借りて、その催しは始まった。ちゃんと冷房はガンガンに効かせてある故に、戦いが幾らヒートアップしても問題は無い。

 

だが、そんな広範囲を冷やせる冷房などあるのだろうか。その答えは、体育館に訪れたハイゼンベルクの手元にあるだろう。

 

「ほらよ、コイツだ」

 

「ありがとうございます、ハイゼンさん! これでウマ娘の皆さんが快適に過ごせます!」

 

真夏であるにも関わらず、普段と変わらぬ格好のたづな。色々と耐性のある彼ですらコートは工場に置いてくるというのに、何故問題なく過ごせているのだろうか。

 

彼はそんな疑問を浮かべながら、例のぶっ飛んだスポットクーラーを作動させた。

 

「今回はどっかの誰かに弄られないようしっかり見とけ」

 

「はい、凍ってしまうと後始末が大変ですからね……」

 

たづなの脳裏に、以前起こった学園凍結事件の光景が浮かび上がる。ただロビーが凍り付くのは問題無かったが、氷が全て溶けて水浸しになった床の掃除は、流石に面倒極まりないものだった。

 

あの惨劇を二度と起こしてはいけない。

 

「そういえば、ハルウララさんも大会に出るみたいですよ? ハイゼンさんも出てみたらどうですか?」

 

「あ? ウマ娘ってのはバカげた力してんだろ? その中に混じれって言いてえのか?」

 

「あれ、ご存知ないんですか? この大会はウマ娘と人間側でしっかりと分けられてますよ」

 

たづなの言う通り、この大会は人間側とウマ娘側でしっかりと区別が成されている。一応、人間側がウマ娘側に混じっても問題は無いが、結果は悲惨な事になるだろう。

 

どこかのゴリラや、3m級の貴婦人なら話は別かもしれないが……

 

「悪いが、遠慮して……」

 

「あっ! トレーナー!」

 

彼の発しようとした断りの言葉は、横から吹いてきた春風によって遮られる。その正体に心当たりしかない彼は、"マジかよ"と言った顔をしながら後ろに振り向いた。

 

「おはよう! トレーナー! たづなさん!」

 

元気の良い挨拶を放つハルウララ。彼に向けられたその目には、楽しさと期待の入り混じった色が見える。

 

「おはようございます、ハルウララさん!」

 

「やっぱりテメエか……」

 

肝心のトレーナーから挨拶が返ってきてないが、そんな些細な事など気に留めずに彼女は威勢よく話し始める。

 

「ねえ、トレーナー! わたしね、今回の腕相撲大会出るんだ! それで、もし勝ったらね、商店街のおじさん達の所でいっぱいお買い物するんだ!」

 

「そうか、まあ精々頑張りな」

 

彼の第六感が何かを察知したのか、早急にこの場から離れろと告げる。本能の意思に従い、早足でどこかへ去ろうとするが、彼の手と肩を掴む二名にその意思は砕かれた。

 

「トレーナーも一緒に出ようよ!」

 

「やあ、君を待っていたよ」

 

片方は何となく予測は出来ていた。しかし、当然現れて肩を掴んだもう一方、白衣を纏った者に関しては完全に想定外であった。

 

「……そこの脳内お花畑の方はまだ分かる。だが、ここでテメエが鬱陶しく出てくるのは理解出来ねえな? イカれ科学者さんよ?」

 

「ハッハッハッハ! イカれ科学者か、完全に否定しきれないのが少々痛い所か」

 

「何言ってやがる、否定出来る部分なんてこれっぽっちもねえだろうが」

 

「そう言う君も大概だろう?」

 

彼とは似て非なる思考回路を持つアグネスタキオン。彼から彼女を見れば狂人、彼女から彼を見れば異常者。

 

思考の歯車の歯数が異なるせいで、二人は一切噛み合わない。

 

技術と閃き、思索と理論。重なり合えば文字通り山を穿ち、海を裂き、宇宙へすら飛び出していけそうなのだが……

 

「さて、君に参加して欲しい理由は私の実験の検証をして欲しい。何も難しい事はない、ただ私のモル……トレーナー君と腕相撲するだけで良い」

 

彼女はそう言うと、とある一人の男性を呼ぶ。少し若いその男は、ハイゼンベルクも何度か見たことのある人物だった。

 

記憶が正しければ、全身を発光させたり、アフロになっていた者の筈だ。廊下で何度かすれ違った覚えがある。

 

「タキオン……今、モルモットって言おうとしなかった?」

 

「な、何を言っているんだねトレーナー君! 私がそんな事言う筈が無いじゃないか!」

 

男の言葉に妙に落ち着きを無くすアグネスタキオンを見て、彼は呆れた表情でたった一言声を掛けた。

 

「ご愁傷様」

 

「はははっ……」

 

目元に隈の出来たその男は苦笑いを返す。そこそこ苦労しているようだ。

 

「さて、本題に入ろう。今のトレーナー君はとある薬を飲んでいてね、力がウマ娘レベルにまで跳ね上がっている! 目安としては、私と互角かそれより少し下ぐらいだ」

 

「ええっ! じゃあ、タキオンちゃんのトレーナーは今すっごく速いの?」

 

「勿論そうさ! 脚力もそれ相応に上がっているからね。ただ……」

 

「次の日、一切動けなくなる程の筋肉痛に襲われるらしい……」

 

彼女のトレーナーは後日訪れる反動に暗い表情を浮かべる中、肝心の彼女は淀んだ瞳を輝かせていた。

 

「是非とも、トレーナー君と勝負して欲しい。安心してくれたまえ、大会のルールにはドーピング禁止とは書かれていない事は確認済みだ! と言うわけでトレーナー君! 早速、登録を済ませてきてくれ!」

 

彼女に振り回されている哀れな男は、苦笑いを浮かべながらも二つ返事で引き受けた。

 

「ドーピングねえ……バレたらあの堅物副会長からありがたい小言でも頂けそうだな」

 

「その点に関しては、恐らく問題無い筈だ。相当性能の良い検知器でも使用されない限り発覚しないように作ったからね。こう言うのも少々アレだが、要はバレなければいいのさ」

 

「ほう、そいつは同感だ」

 

お互いにニヒルな笑みを顔に出す。きっと、この光景を映画監督が見ていれば、悪の科学者役としてスカウトされるに違いない。

 

しかし、珍しいことにこの悪の組織では裏切りが多発しているようだ。

 

「おっと、言い忘れていた。君達二人の出場登録は既に済ませてある。私とトレーナー君に感謝したまえよ?」

 

「ほんとっ!? ありがとー! タキオンちゃん!」

 

「……マジかよ」

 

科学者に見事に裏切られた工場長は、困った時のお決まりのセリフを吐いて、唖然とする事しか出来なかった。

 

そして、すぐ隣で満開に咲く笑顔の桜。今更断ってその桜を散らす訳にもいかず、彼は仕方なく参加せざるを得なくなったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに始まった腕相撲大会。だが、そのトーナメント表はかなり酷い物だ。どこかの誰かの悪運は、第一回戦から最後まで優勝候補、あるいは強豪と呼ばれる者と対決する中々ハードな道を引き寄せたらしい。

 

仮に、この運を裏返す事が出来れば、きっと宝くじでも当たるだろう。

 

まあ、実際に当たるのは隕石か雷、又はそれに準ずる物に違いない。

 

ちなみに、ハルウララ側は非常にほっこりとした戦いになりそうだ。

 

「あれっ!? ライスちゃん!」

 

「う、ウララちゃん……!?」

 

お互いに出会うと思っていなかったハルウララとライスシャワー。確かに、誰がどう見ても腕力に自信があるという者では無い。

 

「ウララちゃんは……ど、どうして参加してるの?」

 

「あのね! 優勝したら商店街で使える商品券が貰えるって聞いて参加したんだ! もし勝ったら、みんなのお店でたくさんお買い物して、たくさんおいしいもの食べて、楽しい事いっぱいするんだ!」

 

どうやら、ハルウララは商店街の人たちの所で沢山買い物をして、普段応援してくれる事に対して恩返しをしたいようだ。

 

きっと、それが出来るなら優勝賞品が他の物だとしても彼女は参加しただろう。

 

「ライスちゃんはどうして参加したの?」

 

「ら、ライスはブルボンさん出るって言うから出たんだ……! ゆ、優勝は出来ないかもしれないけど……が、頑張るんだ……!」

 

ある意味ハイゼンベルクの天敵であるミホノブルボンも、この大会に出場しているようだ。

 

理由を語る彼女の瞳には憧憬の色が見える。この催しに参加したのも、その憧れに一歩でも近づくためなのだろう。

 

「そうだったんだね! よーし! ライスちゃんが相手でもわたし負けないぞー!」

 

「ライスもま、負けない!」

 

そう、第一回戦のハルウララの相手はライスシャワーだった。二人を見る観客の目は、どこか暖かなものを感じさせる。

 

例えるならば、それは公園の遊具で遊ぶ子供へ向けるものと大体同じだろう。

 

そんな緩い空気が漂う中、二人はお互いの手を握り、戦いの合図を待っていた。

 

「よーい……スタート!」

 

審判のその言葉を皮切りに、二人の腕に力が込められる。一般人とは比較にならないそのパワーが、お互いの腕を机へと倒さんと発揮されている筈だ。

 

しかし、お互いに顔を真っ赤にしているにも関わらず、二人の手の繋ぎ目はどちらにも倒れる事はなかった。

 

二人の力は完全に拮抗している。それ故に、持久力がこの勝敗を分けるだろう。

 

「〜〜〜っ! えいっ!!」

 

「うわわっ!?」

 

残念ながら、スタミナ勝負となってしまった時点で、スプリンター気質の天真爛漫ウマ娘に勝ち目は無いようだ。

 

力を使い果たしてヘロヘロとなった彼女の腕では、青薔薇の棘を受け止める事など叶わない。結局、なす術なくその手の甲はテーブルへと押し付けられてしまった。

 

「ふぅ〜……負けちゃった! ライスちゃんって腕相撲強いんだね! どうやったらわたしも強くなれるかな?」

 

「え、ええっ……! ら、ライスは何もしてないよ! えっと、あのおじさまが直したランニングマシンでトレーニングしてただけで……」

 

「そうなのっ!? じゃあ、きっとランニングマシンでトレーニングすれば、わたしも腕相撲強くなれるよね!」

 

的を射てるのか分からない解答に、ハルウララは完全に納得したらしい。どうやら、うららん理論によると、ランニングマシンでのトレーニングで腕力が鍛えられる?ようだ。

 

「た、多分違うんじゃないかな……?」

 

その理論に異を唱えたライスシャワーだったが、小さな声で放たれたその言葉は彼女の耳には入らなかった。

 

 

 

 

 

大会は順調に進んでいき、場面は遂に決勝戦へと差し掛かる。残念ながら、ハルウララに勝利したライスシャワーは二戦目で優勝候補のメジロライアンと当たってしまい、あえなく敗北。応援席へ回る事となった。

 

だが、応援対象であるミホノブルボンは準決勝にて、意外な相手に敗れる事となる。

 

「よっしゃあ! ふぅ……危ねえとこだった……!」

 

「なっ……!? 想定外のエラーです……! 原因は……不明。記録データの更新が必要だと判断……」

 

どうやら、戦った本人も負けるとは思っていなかったらしい。無表情な筈のその顔には、僅かな困惑の色が見える。

 

「このゴルシ様は日々進化してんのよ! 軌道に乗った宇宙船みてえにこのまま月まで突き進むぜ!」

 

ピースサインを作り、意気揚々と笑うゴールドシップ。それを驚いた表情で見やる観客達。そして、興味深そうに怪しい笑みを浮かべる一人の科学者。

 

「ふむ、やはりウマ娘の方が効き目は僅かに薄いか……まあ、誤差の範囲内だ。実験は成功と言える……!」

 

呟くアグネスタキオンの濁った瞳の先には、空っぽになった試験管。中身は一体どこに行ったのだろう。きっと、その答えはピースサインを浮かべる者の胃の中だろう。

 

ふと、彼女の視線がもう一方の実験対象へと移る。優勝候補であったメジロライアンのトレーナーを激闘の末に制した彼女のモルモットは、その他の強豪を面倒そうに倒してきたハイゼンベルクと、今まさに戦わんとしていた。

 

開始の合図と共に、工場長の手は赤子の手のように机ギリギリまで追いやられる。この様子には、マッドサイエンティストな彼女も思わず心からの笑みを浮かべてしまう。

 

後は、彼女のトレーナーがあの工場長の手を数センチ押し込むだけだ。

 

だが、その手の甲はいつまで経っても机にべったりと付くことは無かった。それどころか、まるでコンクリートで固めたかのように一切動かない。

 

彼女の笑みは消え、困惑のそれへと変わる。

 

そして、視線の先の彼らの手は、ゆっくりと彼女のトレーナー側へと傾き始めた。あの工場長の表情は見えないが、もう一方が必死の形相である事は確かだ。

 

「……君に対して、常識という測定器具は使ってはいけないな」

 

見開かれた瞳に映ったのは、審判の旗がハイゼンベルク側へと上がる瞬間だった。

 

人間側の優勝者が決まった頃、ウマ娘側ではゴールドシップとメジロライアンのとんでもない激闘が繰り広げられていた。

 

「ゴールドシップさん……! 良いマッスルを……お持ちですね……!」

 

「えっ……マジで……!? 今のゴルシ様とほぼ同等のパワーじゃねえか……! こっちは色々使ってんだぞ……!?」

 

どうやら、メジロライアンはどこかの誰かの影響で相当な筋トレをしたらしい。そのせいで、試験管一本分のブーストでは、黄金船の力は彼女と拮抗状態を作り出すのが限界だ。

 

「うおおおぉぉぉ! マッスル!!!」

 

彼女の掛け声と共に、全身全霊の力が込められた手は、黄金船を机へと叩き落とした。

 

科学とウマ娘の力が合わさっても、磨き上げた筋肉の前には勝てなかったようだ。

 

それもそうだろう。極限まで鍛え上げたそれは、岩をも穿つ攻撃に耐える鎧にも、人智を超えた存在に傷を与える矛にもなる。

 

相手が科学や何かで出来た化け物であろうとも、その理屈は変わらない。

 

勝者を知らせる審判の声と、喜びに溢れた明るい声。そして、一週間経った蝉のような謎の声が重なり合って、大会の熱は最高潮となった。

 

どちらの部門でも優勝者は決まり、このまま終わりを迎えると思いきや、たった一人だけその気の無い者がいるようだ。

 

「おい、フランケンシュタイン! アタシとその賞金掛けて勝負だ!」

 

怪しい科学者から受け取った二本の試験管を飲み干した彼女は、ハイゼンベルクに指を向け、声高らかにそう宣言した。

 

当たり前だが、この戦いを受けたとしても彼に得など無い。故に、彼は断る気満々でいる。

 

「今のゴルシちゃんの強さは、オッサンがよくビビってるゴリラなんか目じゃねえぜ! ブラックホールと腕相撲出来る宇宙レベルのパワーだ! まあ、断ってもいいぜ! 今日のアタシのオーラは銀河系を覆い尽くすほどヤベエからな!」

 

どうやら、これがフェアでは無い事は彼女も分かっているらしい。彼女にしては珍しく、拒否権がこちらに与えられていた。

 

これで、心置きなく断れる。

 

 

 

 

 

「……久々に聞いたな。ちょっとはマシな気分を最低にまで叩き落とす、クソみてえな御託をよ……! そんなにお望みならやってやる」

 

 

 

 

 

いつもより低くドスの効いた声。サングラス越しであるにも関わらず感じてしまう突き刺すような視線。こめかみに立っている青筋。

 

彼の浮かべるニヒルな笑みの裏側がどうなっているか、嫌でも分かってしまう今の状況。

 

彼女には既視感しか無かった。

 

「え、マジ……? というか、何で般若のお面みてえな顔してんだ……!?」

 

貼りつけたかのような笑みを浮かべるハイゼンベルクと、彼の様子に困惑するゴールドシップ。

 

二人はテーブルを挟んで、壇上に立った。

 

「あっ! トレーナーだ! あれ……? ゴルシちゃんと戦うのかな?」

 

「え、ええっ!? お、おじさま怪我しちゃわないかな……?」

 

「計算中……普段からアレを持っている彼であれば、怪我はせずに済むでしょう」

 

ゴールドシップのおふざけから、思わぬエキシビジョンマッチが始まった。しかし、観客は一部を除いてあまり興味が無さそうだ。

 

その理由など、述べるまでも無い。

 

壇上の二人に目もくれず、和気藹々と語り合うウマ娘達。その中の一人が、当然のように呟いた。

 

 

 

「人間がウマ娘に力で勝てるわけが無い」

 

 

 

それは、木になった林檎が重力に引かれ地面に落ちるのと同じように、彼女達の中に刻み込まれている常識の一つである。

 

 

 

だが、彼女達は知らなかった。

 

 

 

そのハイゼンベルクという名の林檎は鋼鉄製。一度や二度ぐらい、重力に逆らい宙を舞う事だってある事を。人間の枠組みから、とうに外れた存在である事を……

 

 

 

 

 

ただただ談笑していた彼女達の目を覚ますかのような轟音が、突然その耳に突き刺さる。

 

 

 

 

 

反射的にその発生源へと向くその瞳に映ったのは、粉砕された机、床に突き刺さる黄金船。そして、とんでもない圧を放つ狼のような男だった。

 

「おっと……どうやら、テメエと俺ではゴリラの定義が違かったみてえだ。つい、俺の知ってる方と殺りあう勢いでやっちまった。悪かったな」

 

「オッサン……化けもんかよ……!? ぐはぁ……!」

 

彼がニヒルな笑みを浮かべ、"かもな"と呟くと同時に、地に伏した彼女の天に向けられた手は、翼をもがれた鳥のように地へ落ちた。

 

きっと、その一部始終を見た者達は、ほぼ全員が等しくその目を見開いて、脳みそという電子回路をショートさせているに違いない。

 

なにせ、科学者とそのトレーナーがそうなっているのだ。ならない筈が無い。

 

この予想外の戦いを見ていなかった者達は、そんな彼女達の様子から、何が起きたか想像するしかなかった。当たり前だが、自分の身でそれを確かめに行くものなど、一人もいない。

 

「すごいすごい! トレーナーって腕相撲強いんだね! よーし、じゃあわたしもゴルシちゃんみたいに勝負するぞー!」

 

いや、一人だけいた。

 

恐怖を司るネジが完全に取れかかっているそのウマ娘は、彼の圧に一切臆す事なく向かって行っている。

 

「なんだ、テメエもやるのか?」

 

「うんっ! トレーナーと練習して、ランニングマシンに乗れば、わたしも腕相撲強くなると思うんだ!」

 

"自分のトレーナーと友情トレーニングする輩がどこにいる"と、どこかの誰かさんならツッコミたくなる言い分に、彼の表情は面倒と呆れが入り混じったものとなっていた。

 

しかし、ここで断れば工場までずっとうらうらとくっ付いてくる事間違い無しだ。

 

「しょうがねえ……やってやるか」

 

彼は渋々といった様子でその誘いを受ける。

 

「じゃあいっくよー! よーい、ドンッ!」

 

ハルウララの元気な掛け声と共に、お互いの腕に力が籠る。だが、戦いは平行線。両者の腕はピクリとも動かない。

 

だが、平然とした表情を浮かべた彼が、この様子にため息をついた時だった……

 

 

 

 

 

「ヘックシ……!!」

 

 

 

 

 

気の抜けるようなくしゃみの音が、ハルウララと相対する男から響き渡る。

 

目を丸くする観客、一気に傾く腕。そして、彼女が踏ん張るために閉じていた目を開けると、ハイゼンベルクの手の甲はしっかりと卓上に押し付けられていた。

 

「わーいっ! 勝った勝ったー!」

 

「ああ、クソッ……確かにテメエの勝ちだ。コイツはくれてやる」

 

「ええっ!? でも、これってトレーナーが優勝したから貰ったやつだよ!」

 

「あそこにぶっ倒れてる奴と同じルールでやるって、テメエがさっき言っただろ? 勝ったらくれてやるって約束だ。何も問題無え」

 

「じゃ、じゃあほんとに良いんだよね? わーいっ! これでみんなの所でいっぱいお買い物できるぞ! うっらら〜!」

 

ハイゼンベルクは両手を上げて喜ぶ彼女の目の前に、乱雑に優勝賞品であるその券を叩きつけると、久々に酷使したその腕を回しながらどこかへと去って行った。

 

きっと、この後ハルウララはライスシャワー達と一緒に商店街へと赴いて、食べ歩きでもするのだろう。商品券という物は基本的にお釣りは出ない筈だが、まあそこは店主達が融通を利かせてくれるに違いない。

 

ちなみに、薬の反動で全身筋肉痛に現在進行形で襲われている彼女も、死にかけの体に鞭を打ってついて行ったそうだ。

 

 

 

 

それにしても、相変わらず不運な男である。風もなく、花粉も飛んでおらず、鼻をくすぐる物など無いに等しい日であるにも関わらず、変なくしゃみをしてしまうとは。

 

きっと、今日に限って風邪でも引いたのだろう。

 

 




一万円の商品券
商店街や大型ショッピングモールなどで使える商品券。腕相撲大会の優勝賞品でもある。

力は感情の抑揚と密接な関係がある。激しい感情は、力という炎に対し燃焼剤の役割を果たすだろう。

いくら怪力とはいえ、工場長が科学で強化されたウマ娘に力で勝つ事は叶わない。しかし、幸運にも彼の中で煮えたぎる一つの感情がその結果をひっくり返した。

そして、この現象は彼以外にも通ずる部分があるだろう。きっと、その身に沁みている筈だ。


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夏合宿

デュアル・ジェットがトレーニングに現れるようになったようです!




 

夏合宿、それはウマ娘達の基礎能力を大きく高めるトレーニング期間でもあり、普段とは異なる環境に身を置くことで様々な変化を楽しむ時でもある。

 

そんな、楽しくトレーニングが出来る素晴らしい時を、学園の皆が待ち望んでいる事だろう。

 

 

 

 

 

一人の男を除いてだが……

 

 

 

 

 

「無論ッ! 担当ウマ娘がいるトレーナーは強制参加だ!」

 

理事長室に響き渡る威勢のいい声。生徒会の者も集っているこの状況下で発せられたそれは、この部屋にいる一人の男に対して向けられていた。

 

鉄槌というおまけ付きのその男は、いかにも面倒だという表情を浮かべている。

 

「当然ッ! 合宿先は全面禁煙だ!」

 

続けて放たれた第二声は、そんな彼の強気な表情を晴れ渡る空のように青く染めた。しかし、彼の気分は晴れるどころかゲリラ豪雨状態だ。

 

「おい! 一つ目はまだ分かる、監督がいねえと現場は進まねえからな。だが、二つ目は一切理解出来ねえ! 離れた所で吸うなら問題無え筈だ!」

 

焦りの見える表情で彼女の言葉に異議を唱えるハイゼンベルク。

 

"禁煙"、その二文字は彼への死刑宣告と同義である。きっと、彼の中に怖い言葉のランキングがあるなら、上位三位以内には入っているに違いない。

 

「感謝ッ! 実は向こうの管理人がウマ娘の事を考えて、そのような判断を下してくれたのだ! 故に、君がここでどんな意見を言おうとも変更される事は無い!」

 

彼女の自信を表すように、背後の窓から太陽の光が差し込む。ウマ娘達を想う精神のように輝くそれは、日を避けて影に身を置く彼とは真逆である。

 

「ほう……そうか、なら俺にも考えがある」

 

怪しげなオーラを放つ彼は、まるで陽光から逃げるように立ち上がり、部屋の扉へと向かう。

 

だが、何か嫌な予感がしたのか、エアグルーヴはその肩に手を置いてその歩みを止めさせた。

 

「おい、貴様。何処に行くつもりだ? まだ話は終わって無い筈だぞ!」

 

彼は鉄槌を強く握りしめると、怒りが混じったような声で言い放つ。

 

 

 

 

 

「見りゃわかんだろ! 今からその管理人とかいう奴に話をつけに行く! ただ"お話し"するだけだ……! 何も問題は無え!」

 

 

 

 

 

明らかに不機嫌極まりない表情。彼の言う"お話し"は最後の一文字が、平仮名でなく漢字であるに違いない。

 

「驚愕ッ!? 皆、彼を止めるのだ! このままでは砂浜が砂利に、海が溶岩に変わってしまう!」

 

誰が見たとしても不味いと理解出来るこの状況、止めに入らない者など居なかった。

 

生徒会のメンバーやトレーナー達が一丸となり、なんとか廊下で彼の歩みを止める事に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆の尽力によって鋼の魔王が合宿施設に進軍する事はなく、無事にハルウララ達は合宿当日を迎えた。

 

「うっらら〜! 合宿だー! 向こうに着いたら何しようかな? 砂のお城も作りたいし、海で遠くまで泳いでみたいし、やりたい事いっぱいで迷っちゃうな!」

 

「ウララさん、泊まるのに必要な物はちゃんと持った? 着替えも必要な枚数ちゃんと入ってる?」

 

うらうらと体と尻尾を揺らしながら、このバスの到着地点に思いを寄せていると、一流のお節介焼きの言葉がその横から差し込まれる。

 

「うんっ! 大丈夫だよキングちゃん! わたし、ちゃんとおとといから準備してたもん! だから忘れ物は……ああっ!? 携帯部屋に忘れてきちゃった!」

 

「ああもうっ! まだ時間はあるわ、早く取ってきなさい!」

 

キングヘイローの母親のような行動のおかげで、彼女は忘れ物に気付く。大慌てでバスから飛び降りると、学生寮へと一直線に駆けて行った。

 

「えっほえっほ! 急がないと置いてかれちゃう……!」

 

某副会長に怒られない程度のスピードで寮まで走っていると、ウマ娘以外は立ち入り禁止のその場所に、人でもウマ娘でもないグレーゾーンの存在を発見する。

 

両手にドリルではなくドライバーを装着し、配電盤を弄っているそのメカメカしい影。それは、彼女の異質なお友達の一人だった。

 

「あっ! デュアルちゃんだ! またお仕事してるの?」

 

デュアルと呼ばれたそのロボットは、配電盤のネジをポロポロと地面に落としながら、その頭部をハルウララへ向け、コクコクと上下に動かす。

 

「へえ、そうなんだ! わたしこれから夏合宿に行くんだ! デュアルちゃんも行かない?」

 

何も考えずに放ったその言葉のおかしさに、彼女はすぐに気付いた。目の前のこの友人は今もこうやって仕事をしているのだ。彼女と一緒に行ける訳がない。

 

「あ……デュアルちゃんはお仕事あるから一緒に行けないや! ごめんね、わたし頑張って沢山しゅぎょーするから、デュアルちゃんもお仕事頑張ってね! あと、お土産ちゃんと買ってくるからねー!」

 

手短に会話を終えた彼女は、両手を振りながら自身の目的地まで走り去る。

 

そんな彼女の姿をぼんやりと眺めていたデュアル・ジェットは、自身の右手のドライバーがいつの間にか配電盤を見事にぶち抜いている事に気付き、大慌てで修繕を試みるのであった。

 

そのしばらく後、とんでもなく歪んだ配電盤が学生寮で発見されたそうだ。何故か大急ぎで何かしらの作業が行われた痕跡が見受けられる。

 

まあ、一応正常に動いているので問題はない

 

 

 

……多分。

 

 

 

最終的に、ハルウララはポンコツなお友達と出会った後、なんとか忘れ物を回収し、バスに遅れずに乗る事が出来たようだ。

 

ワクワクしながら出発の時を待つ彼女の様子に、お節介焼きの一流お嬢様は安堵した表情を浮かべている。

 

そして数分も経たないうちに、彼女だけでは無い、ウマ娘達全員の高鳴る気持ちも共に乗せ、そのバスは出発した。

 

 

 

 

 

 

最初は舗装された平坦な道を進んでいたバスだったが、段々と上り坂、下り坂の多い山道に場面は移り変わる。車酔いが激しい者にとっては厳しい部分があるだろう。

 

「見て見てキングちゃん! どこ見ても山しかないよ! ほんとに海に着くのかなあ?」

 

「安心なさい、少し先のトンネルを通ったらもう海よ」

 

「ほんとっ!? 早く着かないかなー! うっらら〜!」

 

どうやら、もうすぐでこの山の景色とはお別れのようだ。なんだか勿体ない気分になったハルウララは、今のうちに窓から見える景色を目に焼き付けようとしている。

 

しかし、その視界を大きなトラックが遮った。

 

「あ、見えなくなっちゃった!」

 

彼女の目に映っているのは景色などでは無く、銀色に輝くアルミの荷台と大きく描かれた会社のロゴだけである。

 

「あら……? このマーク、どこかで……」

 

「うーん? ああっ!? これとおんなじだ!」

 

ハルウララは驚愕した表情を浮かべながら、もはやキーホルダーと化している金属のエンブレムを取り出した。

 

出会った最初期にあの工場長から投げ渡された思い出の品。それに刻まれているのは、彼の会社の名である"シュタールフィアーツ"の文字と、蹄鉄とよく分からない生き物が描かれたロゴだ。

 

手に持ったエンブレムと窓に映るそれを何度も見比べる。その結果は、"完全に一致"である。

 

「わーいっ! トレーナーだ!」

 

「ウララさん、ここで手を振っても絶対気付かないわよ……運転席はもっと前なんだから」

 

このトラックはトレーナーの物。その事実に気付いた彼女はバスの中から満面の笑みを浮かべ、その両手を振る。当然、ミラーを駆使したとしても見える場所では無いため、彼にそれが届く事は無いだろう。

 

だが、想定外の者が彼女の意に応えた。

 

「ああっ!?」

 

「ウ、ウララさん!? いきなり大声出してどうしたのよ!」

 

「き、キングちゃん! デュアルちゃんがいるよ! ほら、トラックの上!」

 

「デュアルってあのロボットの事よね? さ、流石にウララさんのトレーナーでも、荷台の中に入れるんじゃないかし……」

 

余計な物が大量に入りそうな箱型の荷台。その上にちょこんと座るようにしてそれは居た。どこかの誰かさんのように手を振るその姿に、キングヘイローの口は思わず止まった事だろう。

 

ロボットと言えば、精密機器の塊のようなイメージだ。きっと、運ぶ際にはちゃんと荷台か何かに入れたり固定したりする筈である。だが、目の前のポンコツにはそれが施されていない。これが導く事実はただ一つ……

 

「もしかして、無断でついて来たのかしら……? 絶対に怒られるわよ、アレ。ペット禁制とかそれ以前の問題で……」

 

「で、でも! お泊まりする所はロボット禁止なんて書かれてないよ!」

 

「わざわざロボット持ってくる人なんていないわよ……」

 

恐らく、この合宿が終わる頃には持ち込み禁止の一覧に一項目追加される事だろう。

 

ただただ唖然とするキングヘイローとハルウララ。だが、これはある意味幸運だったのかもしれない。

 

バスの後ろを爆速で追いかけるプロペラでも、どこぞの黄金船ばかり狙う追跡者でもない、ただのポンコツロボなのだ。上記の二名に比べれば、まだ可愛い部類に入るだろう。

 

なにせ、宿泊施設を更地に変えることも無ければ、指示を無視する事も殆ど無い。

 

「あ……もうすぐトンネルね。今更だけど、アレ……どうするのかしら?」

 

「そっか! もうちょっとしゃがまないとトンネル潜れないよね! 教えてあげなくちゃ!」

 

トラックの上の密行ロボットに危険を知らせるべく、ハルウララは窓を開けてその手をブンブンと振りながら声を掛ける。

 

その表情はちょっと心配そうだ。

 

「おーい! デュアルちゃーん! 頭下げないと危ないよー! ぶつかっちゃうよー!」

 

必死さが篭ったその声は、上にいる彼にしっかりと届いたようだ。振り続けていた片腕を下ろし、ピタリとその動きを止めると……

 

 

 

 

 

今度はちゃんと両手を使ってこちらに手を振り始めた。

 

 

 

 

 

どうやら、彼女の言葉は聞こえているように見えて、実は全く聞こえて無かったようだ。その結果、頭を下げるなど賢い行動をする筈もなく、ただただ彼女の手の振り方を真似ただけらしい。

 

ド直球に言って……バカである。

 

「え……ええっ!?」

 

「この……ヘッポコ!」

 

再度、声掛けるも既に時遅し。トンネルの縁は見事にデュアル・ジェットの後頭部を打ち据える。

 

ハルウララやキングヘイローだけでなく、ひっそりとこの様子を見ていた他の者達も目も当てられないと言った様子で、その手を目元へと持って行った事だろう。

 

おまけに、このヘッポコは端に座っていた故に、その鋼鉄の体は見事にトラックの後方へと投げ出された。

 

このままでは、後ろに続く他のバスに衝突してしまう。

 

だが、ヘッポコでも侮るなかれ。背中に備わった高性能な二つのジェットは、かつては不可能であった飛行を可能としている。

 

無駄に高性能なジェットを無駄に高性能なAIを使って、完全に制御する事で彼はコンクリートの道路に叩きつけられる事無く、見事にハルウララ達の乗るバスの上へと降り立った。

 

「高性能なのかヘッポコなのか分からないわね……」

 

上から鳴り響く威勢の良いドリルの駆動音に、彼女達はホッと安堵の息を吐いた。きっと、おバカな彼は今頃ガッツポーズでもしている事だろう。

 

「デュアルちゃんは頭が良いから次は大丈夫だよ! この前、わたしの宿題ちょっと教えてくれたもん!」

 

「この前? それ、全部間違って無かったかしら?」

 

「えーとね……一問だけ合ってたよ!」

 

「ウララさん、確かその問題はグラスさんが教えたやつよ」

 

「あれ、そうだっけ? じゃあ、デュアルちゃんが教えてくれたやつは全問間違いだね!」

 

"それだと頭が良いとは言わないじゃない!"と言いたくなったキングヘイロー。だが、可愛らしいハルウララの笑みに、そんな野暮な事を言える訳もなく、放つ筈だった言葉は強引に飲み込まれる。

 

結局、合宿先に着いた後に彼女は海に向かって溜まりに溜まった言葉を吐き出したそうだ。

 

だが、彼女は知る由もない。

 

紙に書かれた文字を認識し、内容を理解する。人が平然と行うこの行為は、機械にとってとんでもなく難易度が高いという事を。そんな行動を出来るアレは高性能だという事を……

 

 

 

 

 

余談だが、トンネルを通る際に聞き覚えのある衝突音がバスの上から鳴ったそうだ。どうやら、彼女達の乗る物より後ろのバスでも同じ現象が起こったという。

 

しかし、最後尾のバスではそんな事は起こらなかったらしい。

 

 

 

 

 

原因不明なこの現象……不思議なものだ。

 

まあ、一つ言える事としては"高性能っぷりを説明した一文"を消した方が良いという事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何事も無く?合宿先へ到着し、ワイヤーでグルグル巻きになった状態で入り口に正座させられている哀れなロボットを横目に、各々が自身の荷物を部屋へと持っていく。

 

部屋の整理がしっかりと終わる頃、ウマ娘達の大半は早速海へ向かっている中、一部の者達は施設の入り口に集まっていた。

 

「あれ、キングじゃん。もうトレーニングでもしてるかと思ってたよ」

 

「ちょっと、ウララさんの荷物がね……スカイさんこそ、部屋でだらけてるかと思ってたわ。それで、この集まりは何かしら?」

 

「さあ? 私もさっき来たばっかだから」

 

何が何だかさっぱりといった様子のセイウンスカイ。キングヘイローはそんな彼女の言葉を聞き、興味本位でこの集まりの中心へ視線を向ける。

 

そこに居たのは、未だに正座をしているロボットの姿。着いてから二時間以上経つにもかかわらず、彼はまだアホっぽい雰囲気を纏ってそこに佇んでいたようだ。

 

おまけに、追加で首からプレートが下げられており、かなり雑な字でこう書かれていた。

 

"このクソッタレなスクラップ野郎は無断で勝手について来やがった! あと五時間……いや、一週間はここに縛り付けておく! 勝手に解くんじゃねえぞ!"

 

誰が書いたか一目でわかる文章に、彼女は苦笑いとため息が同時に出た事だろう。きっと、後ろにいるおサボり大好きウマ娘も同じようになっているに違いない。

 

だが、一人だけ意気揚々と彼の目の前に座って、色々と語りかけている者がいた。

 

「おい、オマエ! 確か、あのフランケンシュタインの所のロボットだよな? ロープ解いて欲しいか?」

 

そう、ゴールドシップである。首を縦に振るデュアル・ジェットに対し、少し悪い笑みを浮かべ、その交換条件を提示する。

 

「じゃあ、このゴルシ様の仲間になれ! オマエ強そうだからな! あのプロペラとツーマンセル組ませればこの前のデカブツも倒せるだろ!」

 

どうやら、彼女はゴルゴル第三宇宙軍のメンバーに彼を加えたいらしい。軍への加入と引き換えに、極太ワイヤーと地面に深く突き刺さったアンカーで成された拘束を解いてやるという事だ。

 

 

 

しかし、事はそう簡単には運ばない。なんと、目の前のへっぽこは首を横に振ったのだ。

 

 

 

「何だと!? おうおうおーう! このゴルシ様の要求が飲めねえとはどういう事だ〜? 船の錨の代わりに沈めてやろうか!」

 

断られたのが癪に触ったのか、高圧的な態度を取るゴールドシップ。流石に、海に沈められたくは無いのか彼は今回も首を横に振った。

 

まあ、船の錨代わりにしたとしても、この逸材なら何やかんやして船底に穴の一つや二つ空けてしまいそうである。

 

「ほう、つまりオマエは助かりてえって事だよな?」

 

再確認するかのような彼女の問いに、彼は首を縦に振った。

 

「じゃあ、アタシの仲間に……」

 

彼女が言い切る前に彼は首を横に振った。

 

「ざけんなコラッ! ドラム缶にぶち込んでコンクリ流すぞ! 流石のオマエも……」

 

またもや彼女が言い切る前に、彼は首を縦に振る。

 

「じゃあ、アタシの……」

 

彼は首を横に……

 

「は? だったら……」

 

縦に。

 

「って事は……」

 

横に。

 

「だああああっ!! なんだよテメエ! さっきからアタシの言う事先読みしやがって! 読心装置か何かでもついてんのか!?」

 

不思議な事に、彼女の思考は完全に読まれているらしい。あまり遭遇しないタイプの相手に、流石の彼女も動揺した表情を見せる。

 

「先に親玉の方を引き入れなきゃダメなパターンか? くっ! こんな時にぶん殴るだけで仲間にできる魔法の道具さえあれば……!!」

 

そんな道具があっても、このヘッポコロボの守備力は魔王どころかメタルなレベルにまで達している。ぶん殴るだけでは火力が足りないだろう。

 

「ほほう、お困りのようですな? ならば、このセイちゃんが助けてしんぜよう!」

 

「マジで!? じゃあ、パパッとやっちまってくれよ! アタシじゃコイツのガードは崩せねえ!」

 

ゴールドシップと入れ替わるようにして、今度はセイウンスカイがデュアルの前へ現れる。今までの彼女であれば、少しは表情を青ざめさせる筈だが、プロペラの恐怖を乗り越えた彼女にとって、このカブトガニ擬きなど可愛い物なのだろう。

 

その顔には悪ふざけの表情しか浮かんでいない。

 

「さてさて、デュアルとやら! 我が軍に加わらないかね?」

 

まずは、普通に勧誘。もちろん、彼の首は横に振られる。

 

だが、次の言葉に彼の動きは完全に固まった。

 

 

 

「ほうほう、いいのかね? 我が軍にはウララもいるぞ?」

 

 

 

彼女の意地悪な一言は、デュアル・ジェットを困惑させる。首を縦にも横にも振らずにオロオロと動かしているのが見て取れる。

 

きっと、彼の中ではハルウララとハイゼンベルクを天秤にかけているのだろう。

 

数分間後、どうやら天秤は鉄塊の方では無く、桜の花びらの方に傾いたようで、彼はゆっくりと首を縦に振ったのだった。

 

「ま、こんなもんですかな」

 

「でかした! 軍拡成功だぜ! 今度、褒美に焼きそば作ってやるよ!」

 

「お、いいね! じゃあ、その時はありがたく頂こうかな〜」

 

無事勧誘も終わり、黄金船が持ち前の力でアンカーを引っこ抜くのを横目に、セイウンスカイはかなり傾いてきた日差しを見て、友人へと声を掛ける。

 

「ねえ、キングー? そろそろ、部屋に戻らない? 今からトレーニングするのもめん……あれ? キング?」

 

しかし、帰って来たのは海風だけ。違和感を感じて振り向くが、そこに一流の立ち姿など無かった。

 

"部屋に戻ったのだろうか?"

 

脳裏にスッと浮かんできたその考えを、彼女は即座に振り払う。あのお嬢様は声も掛けず、いきなり居なくなるような者では無い。

 

夕日が美しく砂浜を照らす中、セイウンスカイは誰にも悟られる事なく、ひっそりと友人を探し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海の人気に負け、人があまり来ないであろう裏山。その頂上に置かれているのは、景色を眺める為であろうベンチ。そこに座るようにして、例のお嬢様は居た。

 

それは一流の景色を眺める為などでは無く、手に持った携帯電話の鳴りを鎮める為だった。

 

「いえ、まだよ! まだ、諦めないわ!」

 

その相手は、成績優秀な母親。一言一言話す度、放たれた言葉の刃はキングヘイローの心をヤスリのようにガリガリと削る。

 

プライドと根性だけが、擦り減って折れ掛けた心をなんとか繋ぎ止めていた。

 

その精神力は正しく一流と言えよう。だが、彼女の悔しさと悲しさで歯を食いしばった表情は、一流とは言い難い。

 

「ええ……お休みなさい、お母さま……」

 

時間的にも遅くなってきた故に、その通話は別れの挨拶と共に切られたようだ。今や、携帯電話からは刺々しい言葉ではなく、虚しい電子音しか聞こえてこない。

 

「はあ……どうして、今日なのよ……!」

 

自身のステータスを大きく上げる夏合宿。殆どのウマ娘がやる気に満ち溢れているはずの初日において、彼女のそれはこの数分だけで大きく削がれていた。

 

普段ならグッと堪える文句も、この時だけはその意に反して漏れ出した。

 

 

 

 

 

「ほう、"お母様"ねえ……いつ聞いてもクソッタレな響きだな。反吐が出る」

 

 

 

 

 

「ひゃあっ!? だ、誰よ!」

 

突然、背後から掛けられた声に変な声を出して驚く彼女。その低い声の発生源へと振り向くと、そこにはハルウララのトレーナーである工場長が立っていた。

 

「おっと、悪かったな。にしても、テメエも"お母様"に困らされてるクチか?」

 

珍しくサングラスは掛かっておらず、そのままの瞳が彼女を射抜く。口元は相変わらず不敵な笑みを浮かべているが、なんの障壁も無い裸の目には笑みの要素など一切入っていない。

 

「……そうよ、文字通り余計なお節介を掛けてくれる人。待って……私"も"?」

 

彼女の目の前に居るのは、機械油や煤で汚れたズボンやよれた服が目立つ、みすぼらしい一人の男。自身の親をお母様と呼ぶ様な高貴な育ちには、とてもじゃないが見えるとは言えないが……

 

人は見た目によらぬものだ。今回に限っては特にだろう。

 

「あー……まあ、その名前で呼んでた奴と色々あったとでも言っておく。それで、テメエはそいつから脅迫でもされたのか?」

 

「そんな事されてる訳無いでしょう! ただ……恥を晒す前に帰って来い。そう言われただけよ……」

 

底の知れぬこの男に対し、キングヘイローはポツポツと自身の母親について話し始める。

 

それは、彼が人と進んで関わるタイプの人間では無く秘密が漏れないと思ったからなのか、自身の目から流れ出そうな雨粒の代わりに言葉の雫として吐き出したかっただけなのかは分からない。

 

ただ、彼女の気が少しだけ楽になったのは確かだった。

 

そしてしばらくの間、彼女の口から溢れる不満に似た言葉を、意外にも彼は黙って聞いていた。

 

小雨だった筈の文句は、いつの間にか大雨と化す。だが、これはただのゲリラ豪雨のようなもの。お嬢様の溜息を合図にそれはピタリと止み、気まずい沈黙が流れる。

 

彼はその静けさを鼻で笑うと、言うことが無くなった彼女の代わりに口を開いた。

 

「面白えな」

 

「ちょっと! 面白いってどういう事よ!」

 

今までされた仕打ちを面白いの一言で済ますこの男に、彼女はムカつきを隠さず表に出す。

 

何もおかしくは無い行動の筈だが、彼は未だに軽い笑いをし続けていた。

 

「ああ、面白え。やってる事が訳分からなくてな!」

 

"やってる事が訳分からない"

 

この言葉に、彼女の表情は大きく疑問を孕んだものへと変わる。

 

「いいか? 帰って来いだか、恥を晒すなだか何だが知らねえが、結局そいつはテメエを手元に置いときてえだけじゃねえか。だったら、どうしてテメエはノコノコと学園に登校してんだ? どうしてテメエは"自由"を得てる?」

 

更なる追撃の言葉が、彼女の疑問をより深める。この男は最終的に何を言いたいのだろうか。意図が全く理解出来ない。

 

「テメエを逃したくねえなら、城でも村でも工場でも、適当な所で箱庭生活送らせときゃいい。教育なんて金積んで専属の奴を呼べば良い。俺だったらそうする」

 

彼のこの発言で、彼女はやっと気付く。彼の言いたい事は、"本気で連れ戻そうとしているならとっくに権力か何かでそうしている"という事だ。

 

それにしても、やたらと具体的な説明だ。思わず不気味さを覚えてしまう程に。

 

「まあ、独断と偏見が油代わりに使われてるクソみてえな意見だ。参考にすらなりゃしねえよ。とりあえず、言える事はただ一つ……」

 

彼は彼女にその厳つい人差し指を向けると、歯を剥き出しにした笑みを浮かべて高らかにこう言った。

 

「今のテメエは"自由"だ! 何したって良い! だが、豪華なソファでふんぞりかえってる野郎に目に物見せんだろ? 死ななきゃ幾らでも足掻けるんだぜ?」

 

不思議と重みのある言葉。口元と違い笑っていないその目からは、何故か羨望の意が感じられる。

 

「そうよ……! あの人が何と言おうと関係無い! 私は"一流"なのよ! たった一人の戯言なんて気に留めないわ! 聞くも聞かぬも私の自由だもの!」

 

彼女は片手を口元へと上げ、いつもの様に高らかに笑った。迷いの無いその目は確かに一流に相応しいものだ。

 

「ヘッ、それじゃあさっさと帰りやがれ。俺はコイツを吸ってから戻りたいんでな。テメエがここに居ると邪魔で仕方がねえ」

 

彼は葉っぱに巻かれた至福の一本を取り出して、これ見よがしに彼女の目の前で左右に振った。

 

「あら? 合宿中はこの辺りは禁煙だった筈よ」

 

「禁煙? 俺の知った事じゃねえな! 要は煙がテメエらに行かなきゃ良いんだろ? ここならその心配は無え! もとより、コイツの良さが分からねえ奴らに吸わせる煙なんざねえがな!」

 

「まあ良いわ。今回ばかりは黙っておいてあげる」

 

色々とあったからか、彼女は彼が口に咥えているそれを見て見ぬふりをして帰り道を進む。きっと、その背後では茶色の煙突から灰色の煙を上らせる、立派な工場が建っているに違いない。

 

暗くなってしまった道を進みながら、彼女は未だに腑に落ちない部分を思い返していた。

 

「独断と偏見があるにしても、どうしてあんな物騒な考えが浮かぶのかしら?」

 

しかし、そんな思考は彼女を心配する者の声によって遮られるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺の想像とは違ったな」

 

葉巻を口から離し、紫煙を吐く。

 

「ただ、素直じゃ無えだけじゃねえか。不器用な母親だ」

 

きっと今の言葉を聞いた者全員が口を揃えてこう言うだろう。

 

"どの口がそれを言う"

 

「まあ、偽物の愛情じゃねえって事は確かだな。どこかのクソ女も見習うべき……いや、見習わなくていい、さっさと肉体も意思も消えてなくなっちまえ。その方が良い」

 

悪態を吐く彼はこれから三十分程、ここでゆったりと一服を楽しむ事だろう。だが、完全なる誤算としては、ウマ娘達は嗅覚も良いという事を彼が知らなかったという事だ。

 

香り高いその匂いはきっと服に染み付いている。きっと、次の日になれば良い感じのお言葉が副会長から貰える事間違い無しだ。

 

 

 

こうして、慌ただしい夏合宿が幕を開けたのだった。

 

 




デュアル・ジェット

ゾルダート・ジェットの特殊個体。うららんハッキングにより、思考のプロセスに多様性が生まれ、柔軟な行動が可能。

だが、その利点をぶち壊すほどに自己判断能力が低下した……

それ故に、"高性能×高性能=ポンコツ"の式を完全に成り立たせる唯一の存在である。

ちなみに、どこかのウマ娘から吹っかけられていたレースは、コースガン無視のジェット飛行により勝ったらしい。


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夏合宿 しゅぎょー!

 

夏合宿も中盤に差し掛かるであろう時期。元気な太陽とピンクの悪魔から逃げるかの様に、ハイゼンベルクは海岸に停めてあるトラックの荷台へと入り込む。

 

箱型のそれの中は、何と彼の手がこれでもかと加えられた快適空間。快適なソファにテーブル、しっかりと効く冷房、IHのキッチン、おまけにマッサージチェアまで付いている。キャンピングカーもこれにはびっくりであろう。

 

だが、ちょっとした悩みとしては余計な客が良く入り込む。快適が大好きなサボり魔が……

 

「おい……何でテメエが居るんだ?」

 

「いや〜、今日も結構暑いじゃないですか? 熱中症なんかになったら大変だからね〜。ウララのトレーナーさんも分かるでしょ?」

 

いつの間にかソファに座り、売店で買ったかき氷を食べているのはセイウンスカイだった。この避暑地は涼しむのにも、自身のトレーナーから姿を眩ませるにも丁度良いのかもしれない。

 

「ほう、じゃあテメエ専用の冷凍庫でも作ってぶち込んでやろうか? そうすりゃ熱中症問題は解決だ」

 

「あ〜……それはご遠慮願います」

 

そんな事されたらどうなるのか。それは嫌でも分かる。今、目の前にあるシロップの掛かった美味しい食べ物と自身の分類が同じになってしまう。

 

ネジの吹き飛んだこの男の事だ。下手をすればやりかねない。

 

「まあまあ、例のアレの事は黙っておきますから! 大目に見てくれると嬉しいかな〜?」

 

ちょこっと悪い笑みを浮かべる彼女の言葉に、彼は大きな溜息を吐く。

 

彼女の言うアレというのは彼の愛用しているあの茶色の棒の事だ。もし、またあの堅物副会長に押収されたら、これで何回目だと煩い小言を頂けるだろう。

 

だが、今回ばかりは彼は何も言えない。

 

禁煙である場所で吸っている方が悪いのだ。

 

「……ったくよ、次バレたらアイツらに家宅捜索されちまう。もし、アレが全て回収されたらここに入り浸る意味も無え。閉店だな」

 

複雑な表情と共に彼の視線は床へと向く。そこにあるのは所々に小さい穴の開けられたただの金属の板だけだ。

 

「またまた〜、どうせバレない為のあんな物やこんな物があるんでしょ? セイちゃんは大体分かってますから!」

 

確かに、床面に使われている金属板は普通のものだ。だが、この快適空間に施された小細工は中々手が込んでいる。

 

「ヘッ、勘が良いじゃねえか!」

 

彼はニヤリとした笑みを浮かべて、部屋の換気システムの出力を最大にした。途端に室内であるのに風が上から下へ吹き付ける。

 

そう、この部屋の換気扇はこの床全体。床にある沢山の穴を素通りした空気は、道中のフィルターで葉巻の匂いやら有害物質やらを全てキャッチされた後、外へと排出される仕組みとなっている。

 

微細な不純物すら許されない製造工場などで利用されるこの換気法。ただの葉巻の匂い対策に使うのは、些か過剰である事には間違いないだろう。

 

「一週間で作った割には悪くねえ出来栄えだろ?」

 

彼が初めて色々と押収された後、たった一週間で作ったらしい。きっと、居住スペースの奥にでも使える資材が積まれていたのだろう。

 

彼は得意気に葉巻を咥え、回収を免れたマッチを構えた。

 

「えっ!? ここで吸うの? まだ私居るんだけど……」

 

「これだけ距離があれば問題ねえ、黙って見とけ」

 

彼は部屋の出入り口近くに立つと、セイウンスカイが居るにも関わらず口に咥えたそれに火を付けた。

 

「さて、何か文句でもあるか?」

 

「ええっ!? すごっ……! 本当に何も感じないじゃん!?」

 

彼女がいくら嗅覚を研ぎ澄まそうとも、不快な匂いや感覚など一切入って来ることはなく、葉巻の煙が彼女に届く前に換気システムによって浄化されている事がはっきりと分かる。

 

そして、煙の代わりに鼻に入ってきたのはすぐ横の窓際に置かれた消臭剤の独特な香りだけだった。

 

「というか、これじゃあセイちゃんが何言っても虚偽申告になりそうなんですが……証拠の"しょ"の字も残らないでしょこれ」

 

「当たり前だろ、こっちはそのつもりでやってんだ」

 

ある意味喫煙の"自由"の為に普段の仕事よりも力を入れているこのシステムにかかれば、吸った証拠など、吸い殻以外出ないだろう。

 

これで彼の喫煙ライフに敵はいない。

 

 

 

「トレーナートレーナー!!」

 

 

 

前言撤回。一人だけ居たようだ。

 

出入り口の扉を吹き飛ばす勢いで開け、突っ込んできたのはピンク色のウマ娘。

 

きっと、何か夢中になる事でもあったのだろう。前を全く見ていない彼女は絶賛喫煙中の者の背中へ勢いよく突撃した。

 

その結果、彼の手にあった至福の一本は見事な放物線を描き、テーブル上のマグカップに綺麗に突き刺さった。

 

「そう来たか……クソッ……!」

 

マグカップの中には飲みかけのアイスコーヒー。額を抑え、深い溜息をつく工場長。どうなったかは容易に想像がつく。

 

解釈を間違えたウインナーコーヒーとでも言うべきだろうか?

 

"泣けるぜ"と言わんばかりの仕打ちだが、まあ仕方がないだろう。

 

こそこそと吸っている方が悪い。

 

「ねえねえトレーナー! しゅぎょーしようよ! しゅぎょー!」

 

思わず、机に突っ伏して肩を震わすセイウンスカイ。腹筋が崩壊しそうな彼女の事も露知らず、ハルウララは追い討ちをかける。

 

「あれ? なんでコップにタバコ入れてるのトレーナー? タバコは飲み物じゃないよ?」

 

「……ああ、確かにそうだ」

 

抑揚の無い低い声が、彼女の呑気な声に同意を示す。明らかに覇気のないそれに、彼女は全く気付かなかったのだろう。

 

いつも通りの笑顔を見せながら、普段より反抗する気のない彼を外へと引っ張っていく。

 

「……や……やばい……!! 変な所攣りそう……!」

 

ドアが閉められ静かになった部屋では、しばらくの間誰かさんの堪え切れない笑い声が、クスクスと響き渡るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽の光の下に十分に晒されて、鉄板のように熱くなった砂浜。その上をあちちと言いながら駆けていく水着姿のハルウララ。

 

波のお陰で冷やされている場所まで辿り着くと、ホッと大きく息を吐く。ウマ耳がヘニャリと下がっている所を見るに、彼女には少々暑すぎたようだ。

 

だが、砂浜に刻まれた足跡を追ってくる一つの影を見て、その耳は元気にピンッと立ち上がる。

 

「トレーナー! 早く早くー!」

 

彼女に急かされたその影は、沢山のバケツを抱えながら悪態をつく。きっと、断ろうにも断れず、流れるままに荷物持ちとなっているこの現状に納得がいかないのだろう。

 

「まあ待ってやれよ。アイツは今バケツだけじゃなく、色んな物も背負ってるんだ……」

 

「ええっ!? そうなの!? 色んな物って何? 教えてよゴルシちゃん!」

 

いつの間にか彼女の隣に立つゴールドシップはその手をそっと肩へ置く。瞬間移動かそれに準ずる何かをしたとしか思えないが、ハルウララは特に疑問を抱く事なく彼女へ問いかけた。

 

「おう、良いぜ! まず、学園のトレーニング設備の責任だろ。次に、アタシの宇宙戦艦の錨と費用。最後に、アタシの連帯保証……」

 

残念ながら、彼女の言葉はバケツによって阻まれた。プラスチック製のそれをヘルムのように頭に被せられ、最後の一文はくぐもってしまい不明瞭となる。

 

「勝手にふざけたもん追加してんじゃねえ! ったく……」

 

彼はハルウララの前へ適当にバケツの束を放った。金属製からゴールドシップに被せられたプラ製の物まで、種類は様々で統一されていない。

 

彼女は大喜びでそれをいくつか手に取ると、その中身を次々と海水で濡れた砂で満たしていく。そして、バケツを地面にひっくり返して置き、砂の塔のような物を作っていく。

 

どうやら、彼女の言っていた修行とはこれの事らしい。一体どこで知ったのだろうか、砂で大きな建造物を作る修行など聞いた事もない。

 

どんどんそれっぽい何かを作っていく彼女を見て、ゴールドシップは何か思い付いたのだろう。ニヤリとした表情を浮かべ、突然ハイゼンベルクにその指を突きつけた。

 

「オッサン! アタシとどっちが凄え城作れるかで勝負だ! 負けたら海の家で飯奢りなー!」

 

「あ? おい……!」

 

彼女の読みようのない行動に、当然彼は文句を連ねようとする。だが、振り向いた頃には肝心の黄金船は抜錨済み。頭に被っていたバケツを片手に、その背中は遠ざかる。

 

「……無駄に元気な奴だ」

 

ハルウララと同じく、彼女も面白いという理由から、彼に積極的に関わってくるのだろう。

 

ハッキリ言って、鬱陶しいものだ。

 

しかし、その感情と反するように彼の手は桜の塔を手入れする為に動き出す。溜息混じりにその外見を少しずつ整えていく彼の口の端は、ほんの少しだけ上がっていた。

 

きっと、"悪くはない"のだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ太陽が元気な昼過ぎ。ピークを過ぎ、あまり人が居ない海の家にハルウララ達は居た。

 

パラソルの刺さった簡易なテーブルを囲うようにして座る彼女達の元に、パック詰めされた焼きそばが乱雑に置かれる。

 

「ほらよ」

 

「わーいっ! トレーナーありがとー!」

 

「サンキュー! やっぱ、誰かの金で食う飯が一番うまいな!」

 

「クソッタレ……」

 

彼女達が美味しそうに食べる焼きそばが示す通り、お城作り対決はゴールドシップの勝利に終わった。

 

だが、砂浜に建設された二つの巨大な砂の城はどちらもよく出来ていた。何故か審査員として駆り出されたメジロマックイーン曰く、甲乙つけ難いのが本音のようだ。

 

しかし、豪華でファンタジックに仕上げた黄金船に対し、工場長の仕上げたそれは荘厳さの裏側にどこか不気味さを感じさせるようなものだった。

 

その結果、目を引く豪華な城に天秤は傾く事となり、今に至る。

 

「ゴルシちゃんすごいね! えらい王様が住んでるお城みたいだったよ!」

 

「まあな、このゴルシ様にかかればあんなもん朝飯前だぜ! だけど、オッサンの作ったやつも中々だよな。なんというか、実際にあっても不思議じゃねえ存在感なんだよ」

 

「そうだよね! わたしも見た時、貴族みたいな人が住んでそうって思ったよ!」

 

ウララ的感性によると、派手で豪華な城には王様が、荘厳で静かな城には貴族が住んでいる様だ。

 

そんな彼女の発言にゴールドシップは共感の意を示す。しかし、もう片方は違うようで、息を詰まらせたかのような変な声を出しただけだった。

 

「とりあえず、約束は果たした。それじゃあな」

 

変な表情を浮かべた彼はそう言って立ち上がると、再び売店の方向へその足を進める。何か飲み物でも買って帰るつもりなのだろう。

 

そして、何となくハルウララも焼きそばを食べる手を止め、その後を追う。

 

大きい者に小さい者が付いていくその様は、まるでカルガモの雛である。

 

「あっ! 焼きにんじん!! おいしそう……!」

 

だが、その視線の先に映るのは親鳥ではなく、にんじんの醤油焼きと書かれた看板であった。

 

足を止め、食い入る様にその看板に描かれたお品書きを見つめる。彼女の大好きな人参以外にも、王道のかき氷や焼きそば、焼きとうもろこしなどの名も書かれており、先程食べたばかりだと言うのにも関わらず口からは唾液が溢れ出す。

 

「あっ! トレーナー行っちゃった……」

 

目が食欲を刺激する看板に釘付けになっている内に、肝心のトレーナーは買い物を終えていたらしい。もう、辺りを見回しても目立つ後ろ姿すら見えなかった。

 

「そうだ! さっき焼きそば買って貰ったし、お返しにトレーナーの分まで買ってあげたら喜ぶよね!」

 

先程のお返しとしてハルウララがチョイスしたのは、勿論焼き人参。残念ながら、彼の好みに関しては考慮されていない。

 

早速、目的の物を買うため短い列に並ぶ。数分も立たないうちに彼女の番となり、店員のおじさんの声が掛けられた。

 

「いらっしゃい!」

 

「おじさん! えーと、焼きにんじん二つ下さい!」

 

「あいよ!」

 

威勢の良い返事と共に、二つの醤油焼きされた人参が目の前に置かれる。きっと、人気がある故に常に焼いているのだろう。すぐ出てきたにも関わらず、それは焼きたての香ばしい匂いを放っていた。

 

お金を払うため、彼女はスカートのポケットへと手を伸ばす。しかし、手の平から返ってきた感触はフワッとしたものでは無く、湿り気を帯びたものであった。

 

「ああっ!? わたし、水着着てたんだった……! お財布、スカートの中だ……がーんっ!」

 

尻尾も眉尻もガックリと落とし、全身で落胆を表現するハルウララ。大きな期待があればあるだけ、その反動も大きいものだ。

 

しかし、その様子を見た店員は彼女の想像とは真逆の事を言い放った。

 

「いや、お代は要らねえよお嬢ちゃん」

 

「ええっ!? どうして? わたし、お手伝いも何もしてないよ!」

 

「違う違う、お代はもう先払いで貰ってるんだ。二度貰うわけにはいかねえよ」

 

渦巻き状のソーセージを焼きながら、その店員は思い出す様に視線を上へと向ける。

 

「いや……貰ったのは"チップ"か。ここは日本だってのにな」

 

「ちっぷ?」

 

「ああいや、何でもねえ。とりあえずそれはお嬢ちゃんのだ! 美味しく食べてくれよ!」

 

ハルウララには細かい事情はよく分からなかったが、ありがたい事に、この焼き人参は誰かさんからのプレゼントという事でタダで貰えるようだ。

 

「わかったっ! おじさん、ありがとー! また買いに来るねー!」

 

両手にパックを持った彼女は、手の代わりに尻尾を振って感謝を伝えると、満開の笑顔を振り撒きながら軽く駆け足で、工場長のアジト代わりとなっているトラックへと向かう。

 

「トレーナー喜んでくれるかなー! うっらら〜!」

 

きっと今頃、一仕事終えた後のようにのんびり葉巻でも吸っているに違いない。最初と同じように出入り口の前で。

 

そんな彼の元にテンションの上がった彼女が赴く。

 

きっと、同じ事の一つや二つ、起きても不思議ではないだろう。

 




砂の城
ハイゼンベルクがゴールドシップとの対決の際作った物。彼曰く、昔の記憶を元にしたらしい。細部までしっかりと作られており、その完成度は見ているだけでどこか不気味さを覚える。

完成してしばらく後、どこかのへっぽこロボットと能天気ウマ娘の綱引き勝負の余波に巻き込まれて崩壊してしまうが、彼はがっかりするどころか、逆にほくそ笑んでいた。

何か因縁でもあったのだろうか?


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夏合宿 肝試し

???のヒミツ
最近、探知機が無くてもとある奴の居場所が分かるようになった。


 

夏と言えば何が思い付くだろう。

 

メジャーな海水浴やスイカ割りの他、お祭りや花火も容易に連想できる。しかし、それ以外にも重要な物が一つ……

 

火照った身体をある意味冷やしてくれる、ありがたい存在。

 

 

 

怪談やお化けを筆頭とするホラー要素である。

 

 

 

そして今夜、一部の者にとっては必要の無い要素を、皆で取り入れようとする集まりがあった。

 

「よお、持ってきたぜマックイーン!」

 

「それは……一体何ですの?」

 

施設の広間には、ただのホラー好きとそれに乗せられた、あるいは無理矢理連れてこられたウマ娘達が集っている。

 

そして、その中心にドスンと置かれたのは、ただのガラクタのように見える幾つかの装置。

 

きっと、誰もがメジロマックイーンと同じ疑問を抱いただろう。

 

「何言ってんだ? オッサン特製の装置に決まってるだろ。お化けを引っ捕らえて瓶詰めにする予定なんだから、それぐらい必要だろ?」

 

「お化け!? 瓶詰め!? ちょ、ちょっとどういう事ですの! 私は肝試しとしか聞いていませんわ!」

 

ぶっ飛んだ事を言い出すゴールドシップに、彼女は尻尾をピンと伸ばして驚いた素振りを見せる。

 

しかし、目の前の問題児がその程度で止まるわけも無く、問答無用でディスプレイの付いたガラクタ?を彼女に押し付けた。

 

「アタシは海の力を信じてるんだ……! だから、ここから瓶を海流に乗せればアメリカ大陸かオーストラリア大陸に流れ着く筈だ!」

 

「じゃあ、手紙か何か入れれば良いじゃないですか……」

 

「紙だったら和紙でも無い限り200年とかで劣化してボロボロだぞ? しかも、海に流すんだからもっと早くボロボロになっちまうと思ってる! 幽霊だったらその点安心だからな!」

 

「もう良いですわ……」

 

頭にネジの代わりに爪楊枝でも刺さっているのか疑いたくなる言い分に、彼女はただただ呆れていた。

 

というか、そもそも幽霊は瓶詰め出来るのだろうか。何故か、漬物と同じような扱いをされている気がする。

 

「そんで、瓶詰め作戦遂行の為に強力な助っ人も用意したぜ!」

 

彼女の自信満々の言葉に、何かその線のプロフェッショナルでも呼んだと思っていたメジロマックイーン。

 

しかし、実際に連れて来たのは感情の区分にホラーの枠が無いやべー奴らだった。

 

「話はお聞きしました! 皆さんも夜の見回りという事ですよね! 暗くて不安かも知れませんが問題ありません! なぜなら、この学級委員長が付いていますから! 大船に乗ったつもりで大丈夫です!」

 

「えーと、お化け探しだったよね! ふっふっふ! 実はね、わたし一回見つけた事あるんだ! だから、まかせて!」

 

その拳を腰に当て、意気揚々とその頼もしさを語る助っ人達。その目には今から行う事に関しての疑いなど微塵も無く、ただただ桜の花が彼女達のポンコツ具合を隠すように咲いているだけだ。

 

一人は致命的な勘違い、もう一人は不安要素の塊。

 

そんな、目の前の現実から目を逸らすかのように、彼女は自身の手元にあるガラクタを眺めた。

 

「それで、これは何ですの? 貴方のふざけた目的を達成するための物なんでしょうが……正直、ゴミか何かにしか見えませんわ」

 

「多分レーダー的なやつ」

 

「"的"!? 一応聞いておきますけど、あの物騒なお方から借りた物ですよね?」

 

「何言ってんだ、当たり前だろ。はぁ……遂にマックちゃんまでアタシを疑い始めるのか……」

 

ゴールドシップはその両目に涙を浮かべ、悲しげな顔を彼女へ向ける。普段見せないであろうその表情を見た彼女の心に罪悪感という名の針がぶっ刺さる。

 

おまけに、ハルウララとサクラバクシンオーの二人から不思議そうな視線を向けられ、彼女は焦って弁明を始めた。

 

「ち、ち、違いますわ! 先程も申した通り、一応聞いておいただけで……そんな"疑惑"を含んだ物ではありません!」

 

「いやー良かった良かった! てっきり、オッサンの所から奪ったと思われてんのかと思ったぜ!」

 

「はぁ……そもそも、どうして借りた物の性能を把握していないんですの?」

 

「しょうがねえだろ、借りたの一ヶ月前なんだから」

 

「え……? 今何と?」

 

「コレ借りたの一ヶ月前なんだよ。実は一週間が期限だったけど、アタシが返すの忘れてた」

 

彼女の平然と放った返答に、メジロマックイーンはただただ呆然と口を開けていた。しかし、その脳裏は真っ白ではなく一つの疑問が浮かび上がる。

 

「まさか、当の本人が忘れてる……? いえ、そんな事ある筈が無いですわ。きっと、合宿中は大目に見てくれているのですわ!」

 

まさか、使い方も返却期限も忘れた目の前のウマ娘と同じように、工場長が貸した事を忘れてるなんて事は無い筈だ。

 

となれば結論は一つ。この特別な期間ゆえに情けが掛かっているに違いない。

 

少なくとも彼女はそう思ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハルウララ、サクラバクシンオー、メジロマックイーン、ゴールドシップ。この不思議なチームの向かった先は、とある裏山。一応、副会長の許可は取ってあるようだが、その許可証を握りしめている物など誰一人としていない。

 

そんな紙切れの代わりに握られているのは、ハイゼンベルク製のライトとレーダー。

 

火力調整が狂っているそのライトは、真っ暗な筈の道を昼間のように明るく照らし、恐らく軍事用の物であろうレーダーは、周囲の動体を白い点として画面に映し出す。

 

「皆さんっ! 夜の見回りをするにあたって大切なものがあります! なんなのか分かりますか?」

 

「はーいっ! 懐中電灯!」

 

学級委員長の突然の問いに、ハルウララは元気に挙手をすると、学級委員長とメジロ家のお嬢さまの持つバケモノライトを指差した。

 

「惜しい! それも大事ですが違います! もし怪しい人を見つけた場合、しっかりと事情聴取しなければなりません! その為には、相手が逃げてしまう前に近づく必要があるのです!」

 

人差し指をピンと伸ばし、鼻高々にそう言い放つ。ハルウララはそれを目を輝かせながら一言一句逃さぬように聞いている。

 

「つまり! 一番大事なのはバクシンです!!! バクシン!!」

 

「そうなんだ!? じゃあわたしも……バクシーン!!」

 

どうやら、一言一句逃さぬように聞いていた筈の彼女の頭に残ったのは、"バクシン"の一言だけだったようだ。それ以外の言葉は全て反対側の耳から流れ落ちているのだろう。

 

彼女はこの楽しさを共有する為に、後ろにいる二人の方へと振り返った。

 

「ねえねえ、ゴルシちゃん達も一緒にやろうよ! 何かよく分かんないけど楽しいよ!」

 

「おう、良いぞ!」

 

彼女の要望にゴールドシップは二つ返事でオーケーを出す。そして、独特な決めポーズを取って高らかに"バクシン"と言い放った。

 

不思議な雰囲気を纏ったそのコールは、どこかの漫画の主人公のように彼女自身の存在感をこれでもかと増長させたのだった。

 

「流石ゴールドシップさん! 良いバクシン力をお持ちですね!」

 

「あったりまえよ! このゴルシ様に掛かれば、戦闘力だろうがバクシン力だろうが億越えだ!」

 

「ねえねえ、バクシン力って何?」

 

「……アタシも何なのか全く分からねえ」

 

ニコニコと先程のコールを褒めちぎる学級委員長へ、何かヤバい奴を見る目を向けつつゴールドシップは理解出来ていないと口に出す。

 

向けられた視線に一切気付かないまま、二人の桜の瞳は期待と共に残りの一人へと向けられた。

 

「わ、私はしませんわ!」

 

「そうなのですか!? 分かりました……嫌ならば仕方ありません……」

 

「マックイーンちゃん嫌だったの!? わたし気付かないままやろうって言っちゃった……! ごめんね……」

 

彼女の断りの言葉は、二つの桜の花びらを一瞬で萎れされたようだ。悲しそうに尻尾も耳も垂れ下がっているその様子は、先と同じように彼女の心にそこそこのダメージを与えている。

 

「あーあ、可哀想。純粋な少女の想いを踏みにじるなんて、意外とえげつない事するよなオマエ」

 

「違いますわ! ああ、もう! やれば良いのでしょう! やれば!」

 

隣のウマ娘から向けられる冷ややかな視線に、彼女は吹っ切れたように声を荒げた。

 

その張った声を聞き、彼女に再び向けられる純粋な期待の目。何故かそれと同時に向けられるニヤついた目。

 

明らかな陰謀をひしひしと感じる彼女だったが、一度吐いた言葉を撤回するにはもう遅い。目の前に咲く満開の笑顔は、彼女の例の言葉を心待ちにしている。

 

「バ、バクシン……ですわ!」

 

顔を真っ赤にしながら発した言葉は、小さいながらもきちんとハルウララ達に聞こえたようだ。

 

「わーいっ! マックイーンちゃんのバクシンだー!」

 

「ええっ! 小さいながらも良いバクシンです!」

 

「な? さっき言った通りだろ? 意外と押せばやってくれんだよ」

 

「なっ!? 貴方の手引きだったのですね! 許しませんわ!」

 

怒ったメジロマックイーンと、笑いながらからかい続けるゴールドシップ。

 

しばらくの間、お互いに騒がしく言葉のキャッチボール……いや、豪速球の飛ばし合いをしていたが、誰かさんの疲れた溜息を皮切りにそれは終わりを迎えた。

 

話し疲れて静かになった二人の代わりに、周囲の草木がザワザワと騒ぎ始める。

 

生温い不気味な風が彼女達の首元を撫でるように吹き、熱い筈の体に悪寒を走らせた。

 

「あれ? なんでだろう? さっきまで暑かったのに急に寒くなってきたよ!」

 

「私も少し寒気がしますわ……」

 

「言われてみればそうだな」

 

「おや、皆さんもですか? 私も先程から寒いと思っていました! もしかすると、ここはもう秋なのかも知れませんね!」

 

不可解な寒気が全員を襲う。心なしか、手に持った化け物級の懐中電灯が少し暗く感じる。

 

「やっぱり、あの噂は本当かもな……」

 

「噂?」

 

「ああ、話によるとこの先の廃屋で"出る"らしいんだよ。何故か行方不明者が多発してるらしいから、間違いない筈だぜ!」

 

「なんでそういうことを先に言わないんですの!?」

 

明らかに悪意のあるヤバいお化けの方へ彼女達は進んでいたようだ。当然、彼女はすぐに引き返そうとするが、振り返った先にはあり得ないほどの濃霧が立ち込めていた。

 

こんなもの、さっきまでは無かったはずだ。

 

「見て見て! 何かいっぱい点が映ってるよ! もしかして鳥さんかな?」

 

ただ一人焦る中、ハルウララがレーダーを上に掲げながら楽しそうにはしゃぎ始める。

 

そのディスプレイには沢山の白い点が映し出されていた事は間違い無かった。

 

メジロマックイーンは自身の冴え渡る思考を恨む。きっと、もう少し能天気であったならこんな恐怖など感じずに一緒に喜んでいただろう。

 

例えそうで無かったとしても、この謎の白い点達が自分達を包囲している事に気づく事は無かった筈なのだ。

 

「わわっ!? 何か一つだけこっち来たよ!」

 

レーダーに映る一つの点がゆっくりとこちらに向かって進み始めた。

 

霧でよく見えない空間をじっと見つめる中、二人は期待に目を輝かせ、一人は蓋の空いた瓶を片手に怪しい笑みを浮かべ、残る一人はこのレーダーの反応がただの動物である事を必死に祈っていた。

 

 

 

ガサガサと音を立てる茂み。

 

 

 

反応はすぐ目の前だ。

 

 

 

 

 

しかし、出てきたのは一匹のタヌキだった。

 

 

 

 

 

そんな期待外れの来客は、たった一人ホッとしている者の足元を抜けて反対側へ走り去って行く。

 

「なーんだ、ただのタヌキじゃ……」

 

「皆さん! あそこに誰か居ますよ! 不審者では無いか早速バクシンして聞きに行きましょう!」

 

「だ、ダメですわ!」

 

メジロ家のお嬢さまに引っ捕らえられたサクラバクシンオーの視線の先には、ぼんやりと映る白い服を着た女性の姿が。

 

深い霧によってその顔は殆ど見えない。だが、その口元は不気味にも歪な笑みを浮かべていた。

 

ゴールドシップが好奇の視線を送っていると、明らかに危険な香りのする女性はゆっくりとこちらに近づき始める。

 

勿論、メジロマックイーンはこの場から逃げるのが得策だと考え、普段ならしないであろうゴルシ流誘拐術をもって全員を連れて逃亡を図る。

 

しかし、彼女の体はまるで凍り付いたかのように動かなかった。

 

あの不気味な存在はもうすぐ目の前だ。彼女の表情からは段々と余裕が消え、消えた分を補うかのように青ざめていく。

 

「アタシとした事が失敗したな……瓶じゃなくてドラム缶持ってくるべきだった!」

 

目の前の存在の危険性にゴールドシップが気付くことは無く、ただただ目の前の存在の大きさを確認して、勝手に一人苦い表情を浮かべている。

 

女性の見た目をした何かはゆっくりと手を黄金船へと伸ばす。血の通っていない白さを持ったそれは、輝くそのマストを奪い取らんとする死神の手に他ならない。

 

 

 

しかし、その手が彼女の大切な何かに触れる直前の事だった……

 

 

 

 

 

突然、隕石でも降ってきたかのような"ドゴンッ!!!"という轟音と共に、目の前で爆発が起きたのだ。

 

 

 

 

 

そこから放たれた突風で辺りの霧は一瞬で消え去り、代わりに立ち込めたのは土煙。砂が舞い散って、彼女達の皮膚をチクチクと刺す。

 

皆が目を細めて手で顔を覆う中、煙をスクリーンに巨大な影がその形を露わにする。

 

そして、煙が晴れるよりも先に、影が再び放った突風が土色の世界をクリアに変え、それと引き換えにゴールドシップの表情を真っ青に染め上げた。

 

「で……出やがった!!! 逃げるぞオマエら!!!」

 

よく分からない存在を踏み潰しながら現れたソレは、3m近い体躯に黒テープでグルグルと縫われたドレスを纏った巨人であった。

 

顔に巻かれたテープの隙間から赤い光を滾らせるソレを見た途端、黄金船は己の舵を真反対へと切る。しかし、他の者達は呆気に取られたのか、その後に続く事は無く彼女一人だけこの場から姿を消すという結果となった。

 

「な……!? な……!? 何ですの!?」

 

ただ一人驚愕するメジロマックイーンをよそに、ハルウララは目を大きく見開いてハイテンションで話しかける。

 

「わーいっ!! すっごい大きいお化けさんだ!!」

 

「いえ、ウララさん! 違いますよ! この方はお化けなどではありません!!」

 

彼女の喜び溢れる発言に、サクラバクシンオーが待ったをかける。そして、腰に手を当てて胸を大きく張ると、自信満々にこの存在の正体を言い放った。

 

「この方は……」

 

 

 

 

 

「トレセン学園の用務員さんです!」

 

 

 

 

 

余りにも突拍子過ぎるその発言に、ハルウララだけでなく、メジロマックイーンも巨人の存在を一瞬忘れて目を丸くした。

 

「実は、私は一度このお方と学園内でお会いした事があるんです! その時は不審者と勘違いして怒らせてしまいましたが、今回は違います!」

 

同じ轍は踏まない学級委員長によると、この巨人は前にも学園に居た事から、お化けではないとの事だ。

 

メジロマックイーンはその事実を踏まえてもう一度このデカブツを見上げる。

 

丸太と見間違えそうな手足。バカげた身長。不気味な装い。何一つ取っても、用務員はおろか人間かどうかも怪しいのが本音だった。

 

せめてもう少し人っぽい所があれば信じても良かったと彼女が思っていた所、その巨人はゆっくりとハルウララの持つ機械を指差した。

 

『返セ』

 

「しゃ、喋りましたわ!?」

 

予想外にも、この者は低く不気味な声で喋った。彼女の中の天秤が、"人間かもしれない"と書かれた皿の方へ傾き始める。

 

「当然です! 以前も同じように話してましたよ! ですが……返せとは一体何でしょう?」

 

「あっ!! わかった! 多分ゴルシちゃんが借りたって言ってた機械の事だよ! この人から借りてたんだ!」

 

「え……? これはあの物騒なお方から……」

 

「なるほど!! そういう事でしたか! 流石はウララさん! 花丸をあげましょう!」

 

「やったー!!」

 

用務員?の横で繰り広げられるただの会話。だが、それは言葉のキャットボールではなく、跳ねるボールを打ち返すテニスだったようだ。一つ一つしっかりとキャッチしていては会話に追いつかない事は明白である。

 

『返セ』

 

しかし、そんなテニスボールを空中で叩き落とすが如く、彼は依然として同じ言葉で割り込んでいく。

 

「わかった! はいどーぞ!」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! 彼が用務員かどうかは置いておくとして、今ここでライトを渡してしまったら帰り道が分からなくなってしまいますわ!」

 

あのトンデモ懐中電灯があったからこそ、ここまで問題なく来れたのだ。彼女の言葉通り、それを失ってしまえば帰りがかなり危険となるのは間違いない。

 

異議を唱える彼女へとその巨人の顔は迫る。テープに覆われて表情すら見えないソレは、爆弾サイズの拳を振りかぶった。

 

威圧感と恐怖で思わず目を閉じる。

 

しかし、いつまで経っても何も起こらない。

 

ゆっくりとその目を開けると……

 

 

 

まるで爪楊枝でも持つかのようにして、また別の懐中電灯が彼女の目の前に垂らされていた。

 

 

 

そして、唖然とした彼女がそれを受け取るや否や、例の魔改造された機械達を回収していく。

 

最後に、ニッコニコのハルウララが差し出したレーダーを回収すると、今度はまた別の方角へ顔を向けた。

 

『残リ目標……1。追跡開始……』

 

不気味な声を響かせた後、彼は大地を強く踏み締めて跳躍する。余りにも速過ぎるそれは、目で追う事は叶わず、文字通り空の闇へと消えていったのだった。

 

「代わりのライトをくれるなんて、学園の用務員さんは優しい人ばかりですね! それにしても、あのバクシン……中々の物です! 今度会ったらレースでもしてみたいですね!」

 

「えっ!? よーむいんさんって速いの!? じゃあ、わたしも一緒にレースする!」

 

暗い森の中交わされる、明るいやりとり。さっさと帰りたいメジロマックイーンは、二人に帰ろうと言おうとしたが、色々起こり過ぎて腰が抜けたようで、暫くの間その気の抜けるような会話を聞かざるを得なかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイツ……一体何者なんだ……!? やっぱりアレか! 前に火星から卵持って帰って来ちまったからか!? おのれ火星人め……」

 

暗い山道を猛スピードで走るゴールドシップ。灯りなど何一つ無いはずにも関わらず、まるで地面が見えているかのように転ける事なく走っていた。

 

夜目が効くのだろうか。

 

「でも、宇宙に飛ばすか海溝にでも沈めるかしねえと倒せなさそうだよなー、あのデカブツ」

 

半分宿敵と化したあの妖怪筋肉ダルマを倒すべく、いつものネジの足りない思考を巡らせる。

 

「てか、アイツまだ追って来てるか? くっそー、レーダー引っ掛けて落とさなきゃ探知出来たのにな」

 

紛失したレーダーの事を考えていると、突然彼女の目の前に想定外のものが降り注いだ。

 

そこそこの音を立てて彼女の道を塞いだのは、二本の大木。まるで引っこ抜かれたかのように、根っこが完全に露出している。しかし、彼女のいる山の麓付近にはこんな木は生えてはいない。

 

そして、これが前方に降って来たという事実は、再び黄金船のマストを青く染める。

 

間髪入れずに響く重い足音。

 

 

 

もう手遅れだ。

 

 

 

「うわっ!? 後ろかよ!」

 

まるで猫を掴むかのように首根っこを掴まれ、彼女の足は地面と別れを告げる。そして、その体と大いに相反したステルス性を持った例の巨人はいつもの文句を並べ始めた。

 

『返セ』

 

「フッフッフ……ハッハッハッハ!! 残念だったな! 今のゴルシ様は何一つ持ってねえ手ぶら状態だ! テメエに返すもんなんざ何一つ無えぜ!」

 

両手をヒラヒラと動かして彼女はそう言った。ふざけにふざけた大きな態度は、どちらが捕まっているのか分からなくなる。

 

だが、相手はそんな挑発に一切動じる事はなく、再び低く冷たい言葉を投げかける。

 

『返セ』

 

「だから、さっきから言ってるだろ。レーダーは落としたし、卵はアタシの秘密基地の中だって……」

 

『返セ』

 

「お、おい、嘘だろ……!?」

 

ゴールドシップの脳裏に非常によろしくない予想図が描かれる。過去に何度か味わった事のあるこの流れ。モニターという壁を挟んで起こったあの出来事通りであれば、彼女のいく先は面倒な事になる。

 

「アタシは知ってるぞこの流れ! いいえを押しても永遠に終わらねえRPGで良くあるアレじゃねえか! このままじゃ干からびるまで足ブラのままだ!!」

 

幸運にも彼女の襟を掴んでいるのは、追跡者の親指と人差し指。彼女は両の手と己の全力をもって、その二本の指を強引に開かせた。

 

「そうだ! 確か海沿いにアレあったよな! アレさえあれば何とかなるかもしれねえ!」

 

そして、天啓とばかりに思い浮かぶ最高のプラン。どこか焦り気味だった表情に余裕が戻ってくる。

 

「よっしゃ! そうと決まれば海まで鬼ごっこだ! 直線ならアタシの方が速え! 捕まえられるもんならやってみやがれ!」

 

『ゴールド……シップ……!!!』

 

こうして、ゴールドシップはこの恐ろしい追跡者と血湧き肉躍る大逃亡を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の朝、皆が合宿を終えて帰る準備を始めた時、ゴールドシップは施設の入り口で錨と共にぶっ倒れているところが発見されたという。

 

一応エアグルーヴが事情聴取を行った所、彼女が発した第一声はこれだった。

 

「なあ……光速で攻撃するにはどうしたら良い?」

 




壊れた錨
倒れていたゴールドシップの側にあった物。全体があり得ない方向にひん曲がり、付いていた鎖は何かの力で引き千切られている。

無傷だった彼女に代わってとんでもないダメージを負ったそれは、どこかの誰かの手で小型のジェットが付けられている。卓越した技術をもって振り回せば先端の速度は相当なものとなるだろう。

それにしても、振り回した程度で鎖が千切れるとは不自然なものだ。


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未知との遭遇

 

夏合宿も終わり、またいつもの日常が帰ってくる。そんな訳で、ハルウララはいつも通り遊んだり、例の友人と特訓したりする為にハイゼンベルクの工場へ向かっていた。

 

今日のお天道様は不機嫌な様で、昼間と夕方とを間違えそうな程の曇り空だが、彼女の機嫌はその真逆。晴々とした笑顔を浮かべて、工場へと繋がる砂利道を進んで行く。

 

「あれ? この道ってこんなに広かったっけ?」

 

普段なら草が生い茂って道が狭く見えるこの道だが、今日に限ってはそうではないようだ。

 

まあ、草刈りがしっかりとされているだけなのだが、彼女の思考は鳥の如く斜め上へと飛んで行く。

 

「もしかして、わたし小さくなっちゃった!?」

 

自身の両腕や足をくまなく観察しながら、彼女はフェンスの扉へと辿り着く。最近は携帯のキーホルダーと化した、工場のエンブレムを横にある機械にかざすと、蔦一つ絡まっていない扉はゆっくりと開き始める。

 

「うん? なんか変な音がする」

 

優秀な彼女のウマ耳は、余り聞き覚えのない音をキャッチしたようだ。工場へ歩みを進める度に、ブーンという低音は段々と大きくなっていく。

 

工場の前に着いた時には、何かガチャガチャとした音も一緒に聞こえるようになっていた。

 

「トレーナー! うーん、居ないのかな? たづなさんが"今日はこっちに居る"って言ってたんだけどなあ……」

 

彼にこの音について聞こうとしていたが、居ないのならばやる事は一つ。

 

この好奇心に身を任せ、自分で確かめるしかあるまい。

 

ピクピクと耳に神経を集中させ、気になる音の出どころを探る。工場の地下だろうと勝手に思っていた彼女だったが、なんと音の出どころは地下などではなく、工場の裏側の方面からだった。

 

「ふむふむ……こっちだ!」

 

方向が分かれば後は突き進むのみ。彼女は建物に沿って裏側へと回って行く。

 

本来ならば森しかない裏側。だが、そこで彼女の目に入ったのはとんでもないものであった。

 

 

 

大量のスクラップが集まって出来た、何物にも例えようの無い巨大な体。そこから伸びる腕の先には低い作動音を響かせる丸鋸。背中についた剥き出しの粉砕機。

 

 

 

ハッキリ言って御伽噺ですら出てくる事は無いであろう怪物が、全てを抉って切り刻む凶刃を振るっていた。

 

ブーンという低い作動音と共に木々はなす術なく倒されていく。だが、自然への暴力はこんなものでは終わらない。背中についた粉砕機によって、見るも無惨な姿にされた後に辺りへとばら撒かれるのだ。

 

「わわわ……!?」

 

ハルウララは口を大きく開け、驚愕の表情を見せる。フィクションの世界ですら存在しないような怪物が、今こうやって目の前で動いているのだ。こうなってしまうのも無理はない。

 

しかし、驚きを終えた彼女の目は恐怖ではなく、ワクワクとした好奇心で輝いていた。

 

 

 

「大っきいお化けだーっ!!!」

 

 

 

驚きと嬉しさの入り混じった大声が周囲一帯に響き渡る。おばけに自らの存在を気付かせるかの様なそれは、確実にその役割を果たす。

 

だが、当の巨大お化けはその動きをピタリと止めた。背中の粉砕機も両手の丸鋸も何もかもが停止し、先程まで騒がしかったのが嘘のように、辺りに静けさが戻ってくる。

 

そして、お化けの顔と思われる部分がゆっくりとハルウララへと向いた。しかし、その動きは重々しい。ギギギという効果音が鳴ってもおかしくないそれは、まるで悪戯が副会長にバレた時の誰かさんのようだ。

 

「シューちゃん以外にもお化けっているんだ! すごいすごーい!」

 

自身の友人の一人である金属質なお化けを脳裏に思い浮かべた彼女は、ピョンピョンと跳ねて大喜びだ。

 

一体どこに喜ぶ要素があるというのだろう。

 

「ねえねえ! シューちゃんはプロペラのお化けだけど、君は何のお化けなの?」

 

どこかの誰かが聞いたら精神病院への通院をお勧めしそうなセリフが彼女の口から飛び出した。

 

しかし、好意的なそれに返されたのは、二つ返事などでは無く、凶悪な右腕を地面に叩き付ける音であった。

 

そして、彼女の目に再び信じられないものが映り込む。

 

「ええっ!? 物が浮いてるっ!!」

 

なんと、彼女の周囲にあったスクラップ達が、重力という枷を外されたかのように宙へ浮き始めたのだ。

 

鉄骨、トタン、自転車、果てに車までが空へ舞う。流石の彼女もこれが夢では無いのかと、目を擦ってパチクリとさせている。

 

だが、これは安全なパフォーマンスでは無かったようだ。

 

 

 

 

 

今この瞬間に浮いた物全てが、彼女に対してその牙を向ける。各々が鋭い部分を彼女へと向けたまま、その距離を急激に詰めていく。

 

 

 

 

 

瞬く間に彼女は歪なナイフの群れに囲まれる。そして、極め付けと言わんばかりに、怪物が携えた悪夢の回転機構が向けられた。

 

寸止めされた刃は、きっと何かの意思表示。"いつでもお前を殺せる"とでも言いたいのだろうか。しかし、殺意などこれっぽっちも感じられない。もしかすると、何か別の意図があっての事なのか。

 

真意は不明だ。

 

だが、少なくともこのメタルな怪物が放つ雰囲気は、どこかほくそ笑んでいる……ような気がする。

 

しかし、相手が悪かった。

 

「わたし知ってるよ! 確かこれって、"ぽるたーがいすと"だよね! 大きい物も浮いちゃうなんてお化けさんすごいんだね!」

 

ハルウララはこの不思議な現象を見て恐怖するどころか、逆に歓声をあげて大いに喜んだ。そして、浮いている物体をペタペタと触り始める始末。

 

この様子にこの大きなお化けは再び固まっていた。呆然としているのか、驚いているのか。それとも、何か他のことでも考えているのだろうか。

 

ただ、浮いていた物体が彼女を囲むのをやめ、力無く重力に従い始めたのは確かだった。

 

「あ、そうだ! わたしお化けの友達が居るんだ! 大きなお化けさんにも紹介してあげるよ!」

 

ハルウララは固まる目の前の存在にそう伝えると、工場に向かってその友人の名を大きな声で呼びかける。

 

すると、威勢の良いエンジン音がその呼び掛けに応じた。彼女はまだ例のお化けと一緒に外に居るにも関わらず、貨物用のエレベーターがひとりでに動き出す。

 

上昇してくるそれに乗ってきたのは、案の定あのプロペラお化けだった。

 

それにしても、最近シュツルムの賢さが高くなっているのは気のせいだろうか。誰かがこっそりと色んな事を教えてでも無い限り、彼の知能はそこまで上がらない筈なのだが……

 

「こっちこっちー!」

 

ハルウララの呼びかけに立派に答えた彼は、鈍重な動きで彼女の方へと向かう。

 

しかし、彼女の前に居る存在に気付いた瞬間、意気揚々と回っていたプロペラはピタリと止まる。そして、彼女の笑顔と巨大なお化けを交互に見やる。

 

何故だろう、とても動揺しているようだ。

 

「ねえねえシューちゃん! あのお化けさんの事知ってる?」

 

普段ならすぐ帰ってくるであろうプロペラによる返事は、錆び付いて動かなくなってしまったかと勘違いする程に遅かった。

 

何かおかしいと思い、ハルウララも首を傾げる。

 

「あれ、どうしたのシューちゃん?」

 

強引にプロペラにブレーキをかけているのか、金属の軋む音が響く。そして、そのすぐ後にシュツルムはその回転機構を一切動かさずに首を横へ振った。

 

「そっか! シューちゃんも知らないお化けなんだね!」

 

どうやら、彼女はぎこちない動きを考えていると受け取ったようだ。

 

まあ、その方が良いだろう。

 

まさか、彼女の背後でどこかの誰かさんが右手の回転殺戮兵器を天へ掲げて、プロペラお化けに脅しを掛けていたなんて事、ある筈も無いのだから。

 

「あ、あれ? シューちゃん!?」

 

シュツルムは彼女の問いに応えた後、まるで何かから逃げるかのように踵を返して走り去る。

 

彼の行く先は敷地の出口の方向。何故か今回に限って、頭のエンジンの辞書に止まるという言葉が無いようだ。

 

このままでは不味い事になるのは間違い無い。流石に出入り口を吹っ飛ばすのは止めなくてはいけないと思った彼女は、急いでその後を追う。

 

だが、肝心のシュツルムはフェンスの扉を突き破る事など無く、その手前で地面に寝っ転がっていた。

 

「うーん? 眠かったのかな?」

 

きっと、お昼寝中なのだろう。彼女はそう思った。

 

そうだ、お昼寝中に違いない。鉄骨が枕代わりになっているのも、寝心地が良いからなのだ。決して、金属製でクソ重い枕が飛んできたとかいう訳ではあるまい。

 

やたらと静かに眠っている彼を邪魔しないように、彼女は出来るだけ足音を立てないようにあの未知の存在の元へと戻る。

 

そして、期待が籠りすぎてキラキラとしている瞳を目の前のそれに向けていた。

 

「ねえねえ大きなお化けさん! さっきみたいなやつもう一回やってよ!」

 

どうやら、ハルウララは先程のポルターガイストをお気に召したようだ。尻尾は大きく揺らし、ワクワクとした表情を浮かべるその様子に、この怪物は何故か右手を頭部へと当てていた。

 

奇怪なこの存在が溜息のような空気音を響かせた後、彼女の予想の斜め上の現象が起きる。

 

「わわっ!? わたし浮いてる!!」

 

周囲の鉄屑達と同じように、彼女の体が重力を忘れ始めた。まるで、エレベーターに乗っているかのような感覚で彼女は工場の屋根近くまで上がっていく。

 

摩訶不思議な現象に、彼女は思わずその場にしゃがみ込んで、靴の裏辺りを手で仰ぐように行ったり来たりさせている。だが、触れられる物は靴以外に何も無かった。

 

「わーいっ! 見て見て! わたし空走ってるよ! もしかして、雲と競争出来るかな?」

 

空気の床を踏み付けて、彼女は文字通り空を走っていた。過去に夢で見た事のある光景だ。だが、夢の中ではこんなに心地の良いそよ風も不思議なお化けいる事も無かった。もし、暖かな日差しがあったならより素晴らしい物になったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

暫く経った頃だろうか。普段なら逃げられて終わってしまう筈のトンボと並走して遊んでいる最中、この夢は終わりを迎える。

 

突如として、周囲のスクラップが怪物の前へと集まっていく。そして、それぞれがぶつかり、大きな音を立てながら何かを形作っていく。

 

「うわっ!?」

 

そして、それはハルウララ自身も例外では無い。足自体を引っ張られるかのように、彼女は鉄屑の集まりの中へと放り込まれ。それに続き、驚く間も無く世界は黒一色で染まる。

 

だが、潰されてしまったという訳では無い。

 

成人男性一人分の空間がある事から、卵のような何かに閉じ込められてしまっただけのようだ。

 

現状が飲み込めていない彼女に追い討ちをかけるように、浮遊感が襲い掛かる。まるで下に落ちるかのような感覚を味わっていると、今度は大きな衝撃が全身を揺さぶった。

 

それから数秒したのち、光すら殆ど通さなかった鋼鉄の殻は、まるでどこかのお菓子のようにボロボロと崩れ始める。

 

 

 

外の眩しさに目が眩む。

 

 

 

周囲にガシャガシャと金属音が響く。

 

 

 

光に慣れた目をゆっくりと開けた時、目の前にいる筈の存在は幻だったかのように消え、周囲の浮いていた物達はその舞を止めていた。

 

不思議そうに落ちていた歯車を拾う。

 

先程まで紙切れのように軽かったそれは、ずっしりとした重さと共に魔法が解けた事を告げる。

 

だが、彼女が受け取った意味合いは少し違ったようだ。

 

「たぶん、夢じゃないよね!」

 

彼女が感じた重みも、心地よいそよ風も、先程までの出来事が夢ではない事の証明。

 

そう、夢でないのならまた体験出来るに違いない。

 

そんな、希望に満ち溢れた気持ちを胸に抱きつつ、彼女はステップを刻みながら未だ寝ている友人の元へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ! トレーナー!」

 

ハルウララが寝っ転がっている友人の真似をして、鉄骨の枕の寝心地を確認している時に彼女のトレーナーは現れた。

 

工具だらけのベルトを巻き、普段と変わらぬ愛想の欠片もない表情を浮かべている。

 

「何してんだ?」

 

「シューちゃんがずっとお昼寝したままだから、そんなに気持ちいいのかなって思って一緒に寝っ転がってたんだ! でも、全然良くなかった……なんでここで寝てるんだろ?」

 

「さあな」

 

ハイゼンベルクは大きな溜息を吐くと、首筋を伸ばしながら工場へと踵を返す。

 

やたらと重たい足取りからして、少し疲れているようだ。

 

「あれ? トレーナーってさっきまで何してたの?」

 

先程、工場の中を探してもその姿は見当たらなかった。それなのにも関わらず、彼は工場から何事もなく現れたのだ。彼女にとって当然の疑問だろう。

 

「まあ、あれだ……奥の方で色々と作業してたんだ……"慣れねえ作業"をな」

 

彼は目を左上から右上へと泳がせながら、そう答えた。

 

確かに、彼の工場の地下は入り口近く以外は謎に包まれたままだ。きっと、彼女の知らない奥底でいつものように面白おかしい物でも作っていたのだろう。

 

「そっか! だからさっき探した時居なかったんだね! あのね、トレーナーが居なかった時、すごい事があったんだよ!!」

 

工場へと戻る彼の背中を追いかけながら、彼女は今日の出来事を次から次へと言葉に出していく。

 

休憩がてらゆっくりと紅茶でも飲もうと思っていた彼だったが、どうやら今日に限ってはそれは許されないらしい。口止め料代わりの甘ったるい飲み物も効果無しだ。

 

"次から気を付けねえとな……"

 

お化けの話題を聞きすぎてうんざりしてきた彼がポツリと溢したそんな呟きは、彼女のうらうらと続く話にかき消され、跡形も無く消えたのだった。

 




大きなお化け
ハルウララが工場にて出会った不思議で大きなお化け。何のお化けかは分からない。

いかなる生物とも似つかないその存在は、一瞬でその姿を消した。周囲を探しても、体を構成していた鉄屑が転がっているだけだったようだ。

どうやら、そのお化けはポルターガイストを引き起こす事が出来るらしく、彼女は物が浮いている所を確かに見たと言う。

だが……浮いている物が金属類ばかりなのは気のせいだろうか?


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大きな目標

 

太陽は雲に隠れ、大気が湿り気を帯びた今日。雨が降るのか降らないのかハッキリとしない天候の中、工場長は商店街に訪れていた。

 

店主達の歓迎の意が籠った視線と、道行く人々の異端へと向ける偏見の目が入り混じる。

 

サングラスに帽子、くたびれたコートだけでも怪しげに感じるのだ。そこに鉄槌と葉巻が加わったのなら、異端視されるのも当然と言えるだろう。

 

そんな不審の塊のような存在が、細い路地の先にある不審な店へと足を運ぶ。一瞥しただけでは、これから違法薬物のやり取りでも始まるのではないかと嫌でも思ってしまう。

 

じめっとした不快な風とチクチクとした白い視線は不審者の背中へと突き刺さらんとするが、不気味で荘厳な扉がその間に割り込んだ。

 

だが、その扉を開けようとする者は誰一人としていなかった。

 

怪しいとはいえこの建物も店なのだ。その扉を掴んで手前に引っ張る事に、何一つ問題など無い筈だ。

 

猫をも殺す好奇心が屈服する程のナニカでも感じたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葉巻を片手に本を読む一人の男。肥えて巨大化した体を動かして、読み物のページを捲る。

 

本に集中し過ぎていたのだろう。紫煙を漂わせるその棒は大部分が灰となり、段々と燃焼部分が摘んだ指へと近づいていく。

 

そして、訪れるのは痛みの時間。

 

「おおっ!?」

 

指に伝わってきたその高熱に驚き、彼の手は反射的に葉巻を彼方へと放り出す。綺麗な弧を描いて店の入り口に転がったそれを、彼は未だに少し痛む指をさすりながら見やる。

 

幸運にも床の材質は非可燃性。放置していても問題は無いだろうが、この店の主人としてはあの高貴な発煙筒は何とかするべきであろう。

 

だが、ほんのちょっとだけ面倒だった。

 

顎に手を当てて小さな溜息を吐く彼だったが、幸運にも扉から姿を表したお得意様によって、それは果たされたようだ。

 

「よお、デューク」

 

「おや、ハイゼンベルク様。予定通り来られたようで何より」

 

会釈代わりに片手を上げたハイゼンベルクは、床の火の元をブーツで踏みつけて消火しながら店主の前まで歩みを進める。

 

そんな彼にニッコリとした笑顔を向け、デュークはそっと小さな木箱をカウンターに置いた。木箱は工場長の懐に入り、空いた台の上には代わりに小さな封筒が置かれる。

 

最早、言葉すら交わされないこのやり取りは、二人の関係がかなり長い間続いてきた事を物語っていた。

 

「そういえば、今回は注文本数が少し多いですな」

 

「ああ……どこかの能天気野郎のお陰でな」

 

「なるほど、ハルウララ様ですか。良い関係を築けているようで何よりです!」

 

少ない情報から大体何が起こったのかを察したデュークは、本心をそのまま言葉に変えて投げかける。

 

だが、彼は相変わらず冴えない表情を浮かべていた。今の言葉を皮肉として受け取った訳では無さそうだが……

 

そんな彼の顔色の訳が気になったのか、店主は静かに探りを入れる。

 

「そういえば、ハルウララ様のご活躍は聞いておりますぞ。なんでも、地方のレースで優秀な成績を残せているとか」

 

「らしいな」

 

それは、まるで他人事かのようないい加減な返答だった。

 

「おや、貴方は嬉しく無いのですか?」

 

「……さあな、どっちでも良いだろ」

 

自身の心境を隠すかのように、彼はデュークからの問いに適当な言葉を返す。

 

これはいつも以上に彼の面倒な部分が出てるなと思い、顎を触りながらその目を細く狭めた。

 

しかし、流石にあからさま過ぎたようだ。

 

「おい、聞きてえ事があるならさっさと言え」

 

「おっと、これは失敬……貴方のお顔が少し歪んで見えたもので。私ももう歳かもしれませんな」

 

面倒を掛けた事に詫びを入れつつ、デュークは正直に思った事を話す。ついでに自虐を交えながら。

 

その言葉を聞いた彼は"そうか"と素っ気ない返事をした。しかしそのすぐ後、特大の溜息を吐いて、意を決したかのようにその口を再び開く。

 

「なあ……有馬記念って何だ?」

 

今までの彼なら到底出ないであろう言葉に、店主は思わず驚きの声を漏らした。

 

「先に言っとくが、俺が調べた訳じゃねえ。あの脳内お花畑な奴が突然言い出したんだ。"有馬記念に出たい"ってな」

 

「まあそうでしょうな。もしご自身で調べたと仰ったなら、別人かどうか疑う所ですぞ?」

 

「ったく、癪に触る言い方しやがって」

 

この機械と友達になるどころか半ば融合してる男に対し、この頭に内包されている知識を真面目に伝えた所で、途中から適当に聞き流す事は目に見えている。

 

故に、デュークはこの説明をするにあたって、ちょっと違ったベクトルから切り込んだ。

 

「ふむ、貴方に分かるよう簡単に例えますと、ハルウララ様がよく出ている地方のレースは貴方がお造りになったハウラー、有馬記念などのGⅠレースはシュツルム、とでも言いましょうか」

 

続けて、"おっと、有馬記念ではなく有マ記念でしたかな?"と殆どの者には伝わらないであろう戯れを挟む。

 

そして、朗らかな笑顔もついでに挟み込むこの男に対して、ハイゼンベルクは"どっちでも良い"と言いたいのか、特に何も口出す事なく葉巻に火を付けていた。

 

「要はヤベエ奴らが集まるレースって事か……」

 

天井に備え付けられた換気扇をぼんやりと眺めながら、彼は静かに紫煙を吐き出す。まるで、音なき溜息にも見えるそれを回転する羽根が吸い込んでいく。

 

だが、完全吸い込みきれずに天井の隅に煙が残ったようだ。

 

「おまけに、出場する為には幾つかの重賞レースで結果を残し、人気も相応に無ければなりません。まあ、片方は問題無さそうですがね!」

 

目の前の彼と同じように葉巻を嗜み始めた店主が朗らかな笑顔と共に煙を吐いた時、眉間に深い皺の残る男は口端を僅かに上げ、灰皿に葉巻の燃えカスを落としていた。

 

「そうだ! これをお渡ししておきましょう!」

 

下を向いている彼の視線に割り込む様に、一枚の紙が差し込まれる。

 

「何だこいつは?」

 

「有馬記念に出るのでしょう? なら、そこに記されてるレースぐらいは出ておくべきだと思いましてな」

 

どうやら、この紙にはハルウララに適した重賞レースがまとめられているらしい。

 

レースに関して真の無知である彼にとって、この情報は有難いものである。面倒臭さが隠し切れていない苦い顔を浮かべながら、彼はその紙をそっと懐へと仕舞った。

 

「何でわざわざ……」

 

「お気になさらず、ただの顧客サービスの一環ですよ!」

 

「おい、もうテメエがトレーナーやった方が良いんじゃねえのか?」

 

「いえいえ、私がやれるのは商いのみ……結べるものは売り手と買い手の関係性のみです」

 

「……クソッタレ」

 

彼は再び紫煙を吐き出した。天井へと浮かんでいく煙は、窓から入ってきた風によって吹き飛ばされて反対側の窓から追い出される。だが、まだ隅の方に少しだけしぶとい輩が残っているようだ。

 

「そういえば、ハルウララ様の後援会はご存知ですか?」

 

「何だそれ?」

 

「活動を支援する団体みたいなものです。私も参加させて頂きましてね、そしたらとても面白い事を聞いたのです」

 

デュークの笑顔が少しニヤついたものに変わる。

 

なんだろうか、不思議と嫌な予感がしてしまう。聞くべきではない何かがあるような……

 

「どうやらその後援会のNo01がハイゼンベルクというお方のようです!」

 

その爆弾発言が耳に入った途端、彼は慣れ親しんだ煙に大きくむせた。手にかなりの力が篭っているようで微妙に葉巻が折れ曲がっている。

 

「ああ、クソッ! あの狂人どもやりやがったな!」

 

怒りを通り越してしまったのか、彼の表情は呆れ返るそれと同じであった。鎮静剤代わりの紫煙を口から吐き出すと、ただただ悪態をついていた。

 

「いやはや、商店街の者達全員を動かしてしまうとは、ウマ娘の力というのは凄まじいものですな!」

 

人を隔てる事の無い愛嬌に、負けても負けても折れずにひたすら頑張るその姿は、商店街の大衆を動かした。この平和で優しい力は持ち過ぎて困るという事は無いだろう。

 

お世辞にも勝っているとは言えない彼女でこれなのだ。きっと、スターウマ娘であればもっと凄い筈だ。

 

そんな事実をデュークの言葉によって気付かされたハイゼンベルクは、視線を上に泳がせて静かに呟いた。

 

「力……か」

 

落ち着いた低い声で放たれたその言葉は、まるで過去を顧みるかのような、重々しい何かを感じさせる。

 

「おっと、余計な物を連想させてしまいましたかな?」

 

「別に構いやしねえ」

 

その一言を皮切りに、部屋を満たしていた重い空気は一転して、軽いものへと変わる。

 

そして、ニヒルな笑みと共に続けられた言葉は、まるで過ぎ去った時を嘲笑にするかのようだった。

 

「陰気臭えカビた村に比べれば、こっちの方が数倍マシだ! 未練なんざ殆ど無え!」

 

「これはこれは、余計なお世話でしたな!」

 

二人の男の笑い声が部屋に響く。大きな振り子時計が鳴らすベルの音の方が大きかったが、彼らの笑いに割り込む事は出来なかったようだ。

 

「ハルウララ様が上を目指すと言いましたが、貴方はご協力なさるのですか?」

 

「さあな、今まで通り何もしないと思うぜ? トレーナー業なんて面倒なだけだからな」

 

「おや、そうですか。残念ですね」

 

それは本音か、はたまた裏返しか。

 

真意は分からないが、彼の言葉を聞いた大商人が残念そうな素振りなど見せず、ただただ微笑んでいたのは確かだった。

 

そんな中、彼らの耳に入ってくるバタバタとした足音。テンポ良く、なおかつ小刻みに聞こえてくる来客の知らせ。

 

そして、同時に己の手に握られた物を灰皿へと押し付けた。方や堪能されて短くなったもの、方や不恰好に折れ曲がったもの。

 

休息の篝火が完全に消えた時、入り口の扉が勢い良く開かれた。現れたピンク色の影と共に、外気が部屋へと押し入る。

 

「あっ! トレーナーここにいたんだね! お願いしたい事があるんだ! 良いかな?」

 

花咲く笑顔を向けられたハイゼンベルクは、溜息を少し吐くと、"仕方ねえな"とだけ呟いて、ハルウララの後に続く。

 

店から出る直前、その背中に店主の一声が投げ掛けられた。

 

「ハイゼンベルク様、余計なしがらみは早急に解決するのが吉ですぞ?」

 

彼はただただそっと右手を上げる。言葉無き返答に込められた何かは店主へとしっかり伝わったようだ。

 

「それでは、またのご来店お待ちしております」

 

扉がゆっくりと閉められる。壁を隔てた向こう側では、しがらみとは何か問う声が響いているが、そのやり取りをBGM代わりにデュークはそっと天井へと目を向けた。

 

隅に残っていた筈の煙を気にしての行動。しかし、漂っていたそれは先程入ってきた風に吹き飛ばされ、跡形も無く消えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっライスちゃん! おはよう!」

 

「おはよう、ウララちゃん! あの……それって何かな?」

 

次の日の朝、学園のグラウンドにてライスシャワーはハルウララと挨拶を交わす。だが、彼女の意識の矛先は、目の前の友人が牽引している謎の金属の箱に釘付けであった。

 

その無骨なデザインの箱には4つの小さなタイヤが付いているが、一体何なのかは分からない。

 

きっと、これを引いている本人がその正体を知っている筈だ。

 

「ふっふっふ! 実はわたし、今日からアイス屋さんになったんだ! これはその秘密道具だよ!」

 

「あ、アイス屋さん!?」

 

予想の斜め45度どころか、ほぼ直角の答えが返ってきた。

 

驚きの表情を見せる彼女の前では、ハルウララが箱の上部にある蓋を開けて何かの作業をしている。

 

「はいっ! ライスちゃんにもあげるね!」

 

そうして差し出されたのは、ラップに包まれたまんまるなシャーベット。一口サイズのそれを彼女がパクリと頬張ると、口内にさっぱりとした甘さと人参の風味が広がった。

 

「美味しい……!」

 

「えへへっ! そうでしょ! 頑張って作ったんだ!」

 

「え、ええっ!? どうやって作ったの……?」

 

「えーとね、これで作ったんだ!」

 

色々と困惑気味の彼女の目に映ったのは、先程引いていた大きな箱を指し示すハルウララの姿。

 

うらうらと尻尾を振る彼女は事の経緯を話し始めた。

 

「あのね、アイスって美味しいけどいっぱい食べちゃうとお金が無くなっちゃうでしょ? だから、自分で作ればいいって思ったんだ!」

 

「もしかして、おじさまがこの機械を作ったの?」

 

「うんっ! トレーナーが"勝手に作ってろ"って言ってこの機械をくれたの! これ凄いんだよ! 果物とか野菜を入れて引っ張るだけでアイスが出来ちゃうんだ!」

 

「ええっ!? す、凄い装置なんだね……!」

 

ライスシャワーの想像は装置の作り手の発想に大いに裏切られた。てっきり、冷やすだけかと思いきや、ミキサー機能も付いているらしい。

 

恐らく、まだまだ沢山の機能があるのだろう。しかし、それがどのような物か知る術は今は無い。

 

「わ、私も一緒にアイス作りしてみたいんだけど……良いかな?」

 

「ほんとっ!? わーいっ! ライスちゃんと一緒にアイス作りだー!」

 

どうやら、引っ込み思案な彼女を引っ張り出す程の魅力がその箱にはあったようだ。

 

ライスシャワーの提案を快く了承したハルウララは、箱から伸びている頑丈そうなロープを二人の腰に括り付ける。

 

そして、仲良く並んだ状態で不思議な箱を牽引していくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後、調子に乗って作り過ぎてしまったアイスが友人達に配られるのはまた別の話である。

 




アイス製造箱
投入された材料から球状のシャーベットを作り出す、不思議で面白い箱。

引っ張ってタイヤを回転させる事でその機能を発揮する。

タイヤの先には発電機やミキサー、その他回転機構のギアに繋がっているようで、引っ張るのには相当な力を要する。

だが、製作者が本気を出せばもっと軽量に作れる筈である。わざわざ負荷をここまで重くする必要などあったのだろうか?


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最高に運の悪い日

 

太陽がその顔を地平線から完全に出した朝方。トレセン学園は理事長が消えてしまった愛猫を血眼になって探していたり、どこぞのドジ娘が窓ガラスを粉砕したり、少し慌ただしい様子であった。

 

当然、それを解決するべく駆り出された生徒会のメンバーも同様だ。

 

少しして、窓ガラス事案の後始末を終えたエアグルーヴはすっかり遅くなってしまった花への水やりをする為に、花壇へと赴いていた。

 

ジョウロに水を入れて花壇へと持っていく最中、こんな場所に似つかわしく無い存在と出会う。

 

「珍しいな、貴様がこんな場所に来るなんて」

 

「何も用が無ければ来ねえ」

 

「……? 私に用があるのか?」

 

体と鉄槌がセットになっている男、ハイゼンベルク。彼の発した言葉の意味を素直に受け取った彼女は、用とは何なのかと思案する。

 

「テメエじゃねえ、そこの奴らだ」

 

そう言って彼が指差したのは、彼女が世話をしている花壇だった。

 

「なっ!? き、貴様! 勝手にこの花達を機械化するつもりか!?」

 

「する訳無えだろ! テメエは俺を何だと思ってんだ! 今やってんのは下見だ!」

 

大きな溜息を吐き、彼は花壇周辺を見渡す。その黒いフィルター越しの目には、カラフルな花々が映ることは無く、彼のコートの色と似た地面が映っていた。

 

「まあ、問題無えか」

 

「待て、一体何の下見だ?」

 

「あの真面目野郎からの依頼の下見だ。花壇の近くに水道があった方がテメエが便利だろうってな」

 

「ま、まさか……会長!」

 

「まあ、そういうこった」

 

どうやら、シンボリルドルフの厚意が彼への依頼として現れたようだ。エアグルーヴはその労いの気持ちに感極まり、より強い尊敬の念を心に抱いた。

 

「会長のご厚意、無下にする訳にはいかない……! おい貴様、場所や諸々は私が決めさせて貰う! 特にデザインはいつもの様にはさせんからな! 覚悟しておけ」

 

「そうかい、じゃあついでに水道管のラインまで決めてくれ」

 

「それは貴様の仕事だ。言っとくが、手抜きは許さんからな!」

 

棘のある態度とは裏腹に、その心情は嬉しさに溢れていた。それが影響しているのか、その足取りも軽く、普段なら踏む事もないホースの管も踏んでしまう程。

 

このままでは、ホースの先で作業中の者が困るだろう。

 

そう思い、その足をずらした時だった。

 

 

 

 

 

 

彼女の足元のホースの管から、突然大量の水が噴き出したのだ。

 

 

 

 

 

幸い、彼女にその流体状の悲劇が降りかかる事は無く、服が数滴の雫に濡らされた程度に留まった。

 

しかし、何故こうなったのか不思議に思い、自身の靴の裏を確認してみると、蹄鉄の割れ目にスッポリと嵌ったガラスの破片が。

 

「む、ガラスか……次から気を付けねばな」

 

この失態を繰り返さないよう、心に刻み込んでいる最中、ホースに空いた線状の穴にどこかの誰かさんの鉄塊がドンッと置かれる。

 

応急的であるが、水を止めてくれたのだろう。あんな物でも意外な使い道はあるようだ。

 

「よう、水遊びは済んだか?」

 

どこか不機嫌そうな声が響く。彼女がふとその視線を上へ持っていくと、そこには全身から雫を滴らせた哀れな男が立っていた。

 

「なっ……!? す、すまない……大丈夫か?」

 

「これが大丈夫に見えるなら眼科にでも行け」

 

一応、心配の言葉を投げかける彼女だが、返ってきたのはコートから滴り落ちる水音と、彼特有の悪態のみ。

 

そして、彼は"着替えなんて持って来て無えな……"と小さく呟くと、鉄槌をホースの上に置いたまま何処かへと行ってしまった。

 

残されたエアグルーヴは暫く呆気に取られ固まっていたが、すぐにホースの元栓を閉めてこれ以上問題が起きるのを防ぐ。

 

不可抗力な事に加え、相手が相手。多少の無礼など問題は無い筈だが、根が真面目で優しい彼女はちょっとした罪悪感を抱いてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自身のトレーナー室からタオルを取って来て、濡れた体を拭いていたハイゼンベルク。勿論、そのタオル達の本来の使用用途とは違う事は言うまでも無い。

 

廊下を汚さない程度に服に付いた雫を拭うと、置いてきてしまった鉄槌を回収するべく歩き出した。

 

 

 

だが、廊下に出た瞬間に彼を歓迎したのは、天井から剥がれ落ちたコンクリートだった。

 

 

 

50センチ四方の塊はゴンッという鈍い音と共に彼の脳天にぶち当たる。彼が石頭なのか、コンクリートが脆くなっていたのか分からないが、コンクリート片は彼の頭の上で見事に半分に割れ、床へと落ちた。

 

周囲のウマ娘達が想像もしていなかった事態に目を丸くしている中、彼は少しだけ痛そうに頭を抑えながら、眉間に皺を寄せた視線を天井へと向ける。

 

見事に出来たひび割れからでは、上の様子は分からない。ただ、どこかのお嬢様の様な声が微かに聞こえてきた。

 

「これで虫は大丈夫ですわ!」

 

「え、ええ……ありがとう……でも、床にパンチは流石にやり過ぎじゃ無いかしら……?」

 

どうやら、彼の知らない誰かさんからの意図せぬ攻撃だったらしい。

 

帽子に付いた灰色の欠片を落とし、彼はどこかうんざりした表情を浮かべながら、何も無かったかの様に平然とこの場から去って行った。

 

それにしても、幸運である。

 

きっと、彼の手に例の鉄槌が握られていたならば、当然の様に下から上に報復が飛んでいたに違いない。おまけに、危険な落下物の矛先が頑丈な者だった事は同様に言えるだろう。

 

だが、忘れてはならない。

 

この幸運は相対的である事を。

 

 

 

運のパラメータが地に落ちた奴が居ないと成り立たない事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄槌を回収して、エアグルーヴからの二度目の謝罪を"別に良い"と突っ返し、彼は普段通りに自身の提供した機器類を整備していく。

 

だが、道中はトラブルの連続だった。

 

曲がり角で別の者を狙っていた黄金船のドロップキックに巻き込まれたり。

 

何故か、階段から転がってきた机や椅子に下敷きになったり。

 

野球ボールが窓ガラスを貫通して側頭部にぶち当たったり。

 

自身の担当している能天気ウマ娘に後ろから思い切り突っ込まれたり。

 

まさに踏んだり蹴ったりである。

 

だが、ある意味鋼鉄レベルに頑丈な彼に怪我など一つも無く。毎回平然と歩いていく様には、プロレス大好きウマ娘も"頑丈にも程がありマース……"と若干引き気味に言葉を漏らしたそうだ。

 

もはや、偶然と言う敵からの攻撃にも慣れてしまったハイゼンベルク。しかし、そんなとんでも不運野郎の前に現れたのは、神頼みの専門家であった。

 

「ハッピーカムカム福よこーい!! 話は聞きましたよ! ウララさんのトレーナーさん!」

 

「話……? 何言ってんだ?」

 

「え、知らないんですか? 学園内でもう噂になってますよ。運に見放された人が居るって! そんな人、一人しかいないじゃないですか!」

 

マチカネフクキタルのキラキラとした眩しい瞳が彼へと向けられる。

 

彼女の話によると、至る所で不運に見舞われている奴の噂が立っているらしい。まだ半日程しか経っていないにも関わらず、この情報伝達の速さは何なのだろう。不思議である。

 

「そうか、クソッタレな噂話のご提供ありがとよ。じゃあな」

 

「いえいえ、礼には及びませんよ! それじゃ、お気をつけてー!」

 

 

 

 

 

 

「って違いますよ! 何勝手に帰ろうとしてるんですか!」

 

手をひらひらと動かして立ち去ろうとする男の背に、一際大きな声が突き刺さる。

 

「どうせ水晶遊びしてるだけだろ? そんな時間なんてこれっぽっちも……」

 

前を見ず、自身の背後にいる彼女に気を取られていたのだろう。

 

彼のずっと前を歩いていた誰かさんが意図せず落とした試験管を見事に踏み付ける。硬い靴底と全体重を乗せられたそのガラスの容器は真っ二つに割れ、中身を大気中へばら撒いた。

 

そして、いつもの光るだけのお遊び薬かと思いきや、今回のブツは刺激的な物だったようだ。

 

 

 

そう、爆発したのだ。

 

 

 

幸運?にもその爆発の危険域に居たのは彼だけだったようで、周囲を歩いていたウマ娘達はただ単に大きな音に驚かされるだけに終わる。

 

室内に似つかわしくない爆煙が晴れ、軽い咳と共に彼が姿を現す。

 

例のブツを踏んでしまった右足のブーツは靴底の鉄板が見える程に溶けて歪み、元々ボロいコートは更にボロくなっていた。

 

「ああ……クソッ! 誰だ! 地雷なんて仕掛けやがったバカ野郎は!」

 

下方向に限界突破した機嫌と盛大な勘違いを伴って、彼は悪態をつく。あんなものに巻き込まれたにも関わらず、ノーダメージだったようでピンピンしている。

 

この一連の流れを見ていたマチカネフクキタルは、以前と変わらぬ悪運が発揮されている事に苦笑いを浮かべつつ、彼の運勢をその水晶玉で勝手に占い始める。

 

「正直、占った所で結果は分かってるようなものですが……一応見ておきましょう!」

 

両手を怪しく玉の上で動かして、大凶の二文字であろう彼の運勢を占うが、その結果は彼女の想定より悲惨なものであった。

 

「なっ……!? なあああああああ!? す、水晶玉があああああ!?」

 

恐ろしい物を見るような目の先にあるのは、綺麗に真ん中を通る特大のヒビ。

 

どうやら、悪運を覗く者は悪運に覗かれているらしい。

 

きっと、透き通った石英の塊では溢れ出る負のオーラを表示するにあたって、些か耐久力が足りなかったのだろう。

 

そして、この結果から彼女が導き出した答えは一つだった。

 

「待って下さい!!」

 

「煩えな、今度はなんだ?」

 

「今すぐ! お祓いに行きましょう!!」

 

そう、これは呪いか祟りの類だ。

 

そうに違いない。

 

勝手にそんな答えを出した彼女は、眼前の存在から注がれる痛々しい視線をものともせず、このままではどうなるのかを続けて言い放った。

 

「私の予想が正しければ、あなた呪われてるか祟られてるかしてますよ! きっと、このまま放っておいたら……」

 

ここは脅しも兼ねて少し大袈裟に言うべきだと判断したのか、彼女の想像できる中でかなり酷いバッドイベントを例として挙げる。

 

「お気に入りのペンが折れたり、空からガラスが降ってきたり、家に車が突っ込んでくるかも知れません! あと、雷に打たれるかも……! あ、これはちょっと大袈裟ですが……」

 

「おい!」

 

「は、はい!?」

 

溜息と共にドスの効いた声が彼女の耳に突き刺さる。流石に宗教勧誘もどきのような行動に彼もご立腹なのだろうか。

 

だが、そんな彼女の想定とは裏腹に、彼の表情は理解出来ない物へ向けるそれへと変わった。

 

「さっきから早口で何言ってるかよく分からねえが、これだけは言っておく! "まだ"雷には打たれてねえ!」

 

呆気に取られる彼女を横目に、彼は"じゃあな"と一言だけ言い放つと、逃げるようにその場から立ち去った。

 

正気に戻った後、彼女はゆっくりと彼の言葉を頭で咀嚼して飲み込むと、その表情を真っ青に変える。

 

「まさか、雷以外は既に……! やっぱり野放しにしておくのは不味いんじゃ……!」

 

しかし、大いに目立つ彼の後ろ姿はとっくのとうに消えていた。

 

急いで探そうとした所、何も無い場所で盛大に転けてしまう。

 

「いてて、転けるなんて縁起が……なあああああああ!?」

 

立ち上がった彼女の目に映ったのは、地面に転がる透明な欠片達。とてもとても見覚えのあるそれらは、全て合わさればさぞかし見事で綺麗な球体となるであろう。

 

その正体を理解してしまった故に、悲惨な声を上げる彼女。

 

なお、この日を境に一週間程おみくじで凶しか出なくなったのは言うまでも無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

定期点検も終わり、もうすぐ帰ろうとした時、いつもなら眩しい夕日がその鳴りを潜めていた。廊下の窓から外へ視線を向けると、分厚く黒い雨雲が空を覆っている事に今更ながら気が付く。

 

もうすぐひと雨降りそうだと彼がぼんやりと思っていると、その思考を天が読み取ったかのようにポツポツと大粒の雫が地面を叩き始めた。

 

そして、瞬く間に小雨はバケツをぶちまけたかの様な豪雨と化す。

 

「……クソッタレ」

 

非常に不満げな溜息を漏らすと、彼の足は半分物置と化しているトレーナー室へと向かう。

 

生憎、今日は歩きの様だ。

 

ガチャガチャと何を弄っているのか分からない音の後、彼は手に黒い傘を持って部屋から出てくる。どうやら、以前置いていった物がまだあったらしい。

 

今日の彼には珍しいちょっとした幸運だった。

 

迷わず真っ直ぐ外に出て、実は穴が空いていないか、傘の骨が折れてたりしないか、念入りに確認した後、彼は傘をさして歩き始める。

 

急な雨に雨具を持っていない者が多い中、彼はちょっとした優越感に浸りながら、防水性能の無くなった靴で学園の出口へ歩んで行く。

 

もうすぐ出口と言った所で、彼の視界に映ったのはどこか見覚えのある真っ黒な猫であった。

 

「不幸の象徴が見送りか……笑えるな」

 

一部ではそう呼ばれるであろうその存在は草木の下で雨宿り中の様だ。だが、頼りないその雨具は絶賛雨漏り中のようで、葉を伝い落ちる雫がその背中を濡らしていた。

 

寒さ故に震えているその小さな存在を見て、彼の顔に同情の色は無い。むしろ、どこかほくそ笑んでいる様だ。

 

「じゃあな」

 

猫の発した小さな声は、彼の湿った靴音にかき消される。きっと、聞こえてないのだろう。

 

だが、彼の歩みはたった一歩で静かに止まった。

 

その視線は、防水性能の無くなった靴から湿りっぱなしのコートへと移っていく。そして、未だに乾いていない上着に触れた後、彼は小さく呟いた。

 

「今更……変わんねえか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨が降り始めてから約一時間後、一筋の雷光と共に天から流れ落ちる雫はピタリと止んだ。

 

雲は未だ空を覆ってはいるが、その後ろから茜色の光が透けて見える事から、分厚くは無いのだろう。

 

そんな中、少し疲れた様子の理事長の元に吉報が入る。

 

「理事長! ついに見つかったそうですよ!」

 

「何ッ!? それは本当か!」

 

朝から探していた自身の愛猫が見つかったと知り、理事長はホッと安堵の息を吐く。その様子に、たづなもどこか安心そうである。

 

「懸念ッ!! 先程の大雨! 風邪でも引いていないか心配だな……」

 

「あの、それがですね……」

 

たづなは何かを彼女の目の前に持ってくる。不思議そうな表情と共に差し出されたそれは、一本の黒い傘だった。

 

「どうやら、これが開いたままで置かれていたそうで、余り濡れてはいなかったそうですよ」

 

理事長は彼女の手からその傘を受け取る。ハッキリ言って、どこでも売られているであろう物。少し使い込まれている事以外は対して特徴も無い。

 

「うむ……この者にお礼ぐらいは言いたいが……」

 

「誰の物かは……分かりませんね」

 

互いに首を傾げる二人が最終的に出した判断は、せめて傘だけでも返すべきだろうとの事だった。

 

結局、暫く元の位置に傘を置いてみる事になり、もしずっとそのままであれば処分という流れになった。

 

 

 

次の日の朝、置かれたはずの傘はその姿を消し、代わりにあったのは歪な足跡。

 

それはまるで、抉れたブーツの様であったそうだ。

 




黒い傘
親切な誰かが猫の為に置いていった物。

不幸の象徴に傘を差し出すその行為からして、その者には幸運など必要無いのだろう。


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じーすりー

今回かなり短めです


今日、工場の中でハイゼンベルクはとある資料と睨めっこしていた。

 

その資料は、いつも彼が見ている油に汚れた設計図などでは無い。行きつけの店の店主から渡された、汚れの無い綺麗な紙束である。

 

しばらくして、側に置かれたマグカップの中身を一気に飲み干すと、彼は右手で頭を掻いた。

 

「……よく分かんねえな」

 

そこに書かれていた内容は、有馬記念に出場する為に必要な最低限の実績である。だが、ご自慢の工学と違い、レースに関しては興味の"き"の字も無い彼にとって、その情報は全く頭に入らなかった。

 

いや、頭が入れたがらないと言う方が正しいのかもしれない。

 

「なんであのチビに筒抜けなんだ……? クソッタレ」

 

彼がこんなやりたくもないお勉強をしている理由は至って単純。

 

ハルウララの有馬記念出走の目標を言伝で聞いた理事長とたづなが、明らかに裏のあるニッコリとした笑顔で彼の肩をそっと叩いただけである。

 

別に"減給"だとか"クビ"だとかの脅しをかけられた訳では無い。ただ、得体の知れない何かが彼の背中を冷たくなぞった。

 

なんと形容すれば良いのか分からないその感覚は、どこぞの高級ワインの材料を知ってしまった時とそっくりだった。

 

「とりあえず下のヤツから出れば問題無えか……」

 

結局、集中力の切れた彼が丸を付けたのは、リストの一番下にあったGⅢレースであった。

 

ちなみに、レースについての思考時間はたったの三十分。現役のトレーナーだったら当然のようにこの倍以上の時間をレースの研究に費やしている事だろう。きっと、彼の所業を聞いたら驚くに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わーいっ! レースだー!」

 

キラキラと輝く太陽の様な笑顔が満ちるこの部屋は、今から行われるレースの控え室。そして、ハルウララの隣で興味無さげにライターを弄っているのは、レース場での出現率が異常に低い工場長だった。

 

「珍しいよね! トレーナーがレースに出るぞって言ってくるって!」

 

彼女は心の内に抱くその不思議な思いを露わにする。その柔らかいボールのような疑問は、トゲトゲの金属球となって目の前の男に突き刺さる。

 

「……うるせえ。黙って準備しとけ」

 

ただただ悪態を返すハイゼンベルク。きっと、その裏にある事情など口が裂けても言えないのだろう。

 

「はーいっ!」

 

純粋な彼女は彼の言葉通り、静かに準備を進めていく。

 

靴を履き替え、ゼッケンを背負い、細かい調整を終え、もう後は呼ばれるのを待つだけの状態だ。

 

「準備終わりっ!」

 

準備が終わればもう静かにする必要は無い。

 

彼女は再びうらうらと楽しく他愛のない話をし始める。

 

「ねえねえ! このレースって"じーすりー"って言うんだよね? なんか、凄く強そうな名前だよね!」

 

「強そう……?」

 

先程までしかめっ面だった彼の表情は、彼女の突飛な言葉によってポカンとしたものへ変わる。

 

「まあ、その分相手も強えって事だろ」

 

脳裏に浮かんだ"シュツルムやパンツァーの方が強そうだろ"という幼稚な言葉は彼の心の内のミンチ機にぶち込まれる。鉄槌やらプレス機やら持ち出して強引に押し込んでいるような気がするが、きっとただの気のせいだ。

 

「ほんとっ!? じゃあ、このレースで一着だったらご褒美欲しいな!」

 

「……はぁ?」

 

「だって、スペちゃんとか一着取ったら食べ放題のお店に連れて行って貰ってるって言ってたよ!」

 

「知ったこっちゃ無えな」

 

「ええ〜っ!」

 

ピョンピョンと跳ねて、彼に全身で抗議するハルウララ。当然、彼はガン無視を決める。

 

だが、いつまで経ってもしつこく言い寄ってくるその様子に段々と面倒になってきたらしく、大きなため息と共にその動き回る額に人差し指を押し当ててその弾みを封じた。

 

「ああ、クソッタレ! 分かった、一着だったら適当になんか買ってやる! だからその鬱陶しいのを止めやがれ!」

 

「わーいっ!! わたし頑張って一着取ってくるね! 何買って貰おうかな〜? うっらら〜!」

 

ワクワクした様子で天井を眺める彼女の脳裏には、今頃そのお買い上げの候補が浮かんでいる事だろう。

 

ド安定の人参に、最近気になっているお菓子。珍しい物の多い骨董品屋で面白そうなものを買って貰っても良いかもしれない。

 

そんな、自分の世界に入り浸っている彼女を現実に呼び戻したのは、レースの係員の呼び声だった。

 

「あっ! 行かなきゃ! じゃあ、わたし一着取ってくるから、待っててねトレーナー!」

 

手を振りながら彼女は控え室から急いで出て行った。

 

きっと、今回もレースをちゃんと見なければあの能天気ウマ娘だけでなく、理事長やたづなに有難いお小言を頂けるだろう。それ故に、彼はいかにも億劫といった様子で観客席の方へ足を運ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盛大な歓声と共にレースの走者達が帰ってくる。まるで、城へ騎士団が帰るかの如き盛り上がりだが、優勝者のみ許されるその場所に立っていたのはピンク色の影では無く、茶色の毛を持ったウマ娘だった。

 

肝心のピンクの旗が立っていたのは、ウイナーズサークルでも、間にある連絡通路でも無く、控え室のすぐ外であった。

 

「ねえねえ! すごいよ! 今回のレースね、みーんな速かったんだ!」

 

「そ、そうか……」

 

そう、今日のハルウララの結果は五着。良いのか悪いのか分からないこの順位に対して、彼女の見せた反応は彼を大いに混乱させている。

 

どうやら、その呆れた様子は彼女にも感じ取れたようで、不思議そうに彼の顔を覗き込むと、その疑問を尋ねた。

 

「あれ? トレーナーどうしたの?」

 

「おい、テメエは一着取るって言ってたが、結果は五着。悔しくねえのか?」

 

「悔しい……? う〜ん……よく分かんない!」

 

それは、彼には考えられない一言だった。

 

彼にとっての"負け"は死と等しい部分がある故に、彼女と彼の勝ち負けの価値観は同じ物とは言えない。

 

だが、それでも自身の定めた目標に敗れたなら、後悔の一つや二つあると思うのは当然だろう。

 

彼女はその感情がすっぽりと抜けていた。

 

「でもね、みんなでわーって走れてとっても楽しかったんだ!」

 

きっと、緊張や悔しいという気持ちが完全に無いわけではない。ただ、楽しみという名の感情の大海に、そんな泥水のような感情を一滴垂らしただけでは何一つ変わらないという事だろう。

 

既に終えたこのレースの高揚を未だ噛み締め、依然として笑顔で愛嬌を振りまくその姿を見て、彼はなんとなく悟った。

 

「……敗北の定義は違えって事か」

 

彼女にとっての敗北は、レースで負ける事ではない。走り終わった後に笑っているかどうかなのかもしれない。

 

「トレーナー?」

 

天井に付いた照明をじっと見続けている自身のトレーナーに、ハルウララはキョトンとした視線を向ける。

 

「ああいや、何でも無え。テメエへの奢りが無くなって安心してただけだ」

 

「ああっ!? そうだった! わたし一着じゃないや……がーんっ!」

 

彼のぶっきらぼうな言葉によって、今更ご褒美の件を思い出した彼女。そのショックで尻尾を上へピンと伸ばしたかと思いきや、次の瞬間には力無く垂れ下がっている。

 

慌ただしい事この上ない。

 

おまけに、ここはもう控え室の中では無い。そんな行動をしたならば、人々の目に留まる事は必然であった。

 

お預けを食らった子犬のような表情を浮かべた彼女には温かい視線が送られ、そのトレーナーの背中には少し冷たい視線が突き刺さる。

 

しかし、周囲の目を気にする程、この男は繊細では無い。サングラス越しの鋭い目を効かせながら、彼は子犬と化したポンコツと共に歩いていく。

 

そのまま、ヒソヒソとした話し声の響く会場から平然と出て行き、向かった先は駐車場……

 

などでは無く、一台の自販機の前だった。

 

さっさと帰る素振りを見せたはずの彼が黙々とそれに硬貨を飲み込ませ、迷う事なくボタンを押す様子を、ハルウララはただただじっと見つめている。

 

その機械仕掛けの箱に取り付けられた取り出し口からゴトンと音が二度響いた後、ボーッとしている彼女の額に何かがそっと当てられた。

 

「うわわっ!? あっつい!」

 

「何腑抜けた顔してやがる。さっさと帰るぞ」

 

己の額の熱さに手を添える間も無く、彼女に向かって放られたのは一つの缶コーヒーだった。その温度は冷えた手には熱すぎるのか、反射で幾度か地面に落としかける。

 

ブラックでは無くミルクの入ったカフェオレ、無糖と表記がある事から砂糖は入っていない。

 

しかし、彼女の脳裏に浮かんだ当然の疑問はその首を傾かせた。

 

「トレーナー! なんでくれるの?」

 

「何だ? 要らねえのか?」

 

「い、いる!」

 

その手に握られている缶コーヒーを回収せんとする厳つい手を彼女はひらりと避けた。

 

「じゃあ黙って飲んどけ。テメエ向きの苦い参加賞だ」

 

彼は彼女の目の前で、黒いラベルの缶コーヒーを飲み干すと、自身の所有する車へ足早に戻って行く。

 

彼女もそれに倣い、手に持ったその缶を開ける。香ばしい香りが広がるが、そこに甘さは一切感じられない。恐らく、この無糖のカフェオレというチョイスは彼のちょっとした嫌がらせなのだろう。

 

かと言って、彼女の頭にこれを飲まずに捨てるという選択肢など無い。

 

一呼吸置いた後、意を決して熱々のそれを少しだけ口に流し込んだ。

 

「……にがーい!」

 

当然、その無糖のカフェオレは彼女の舌に初めての苦味を叩きつける。目をギュッと瞑り、思わず舌を出すがその味が変わる訳では無い。

 

結局、その熱さも相まって今すぐに飲み干す事など出来ず、車の中でゆっくりゆっくりと中身を空にしていく事となった。

 

 

 

なお、冷えても苦い物は苦かった。

 

 

 

だが、そんな苦味の裏にほんのりとした甘さがあった。

 




ハイゼンベルクのヒミツ
実は殆ど睡眠を取っていない。


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ケリ

どんよりとした曇り空が続く今日この頃。ハルウララは普段と変わらぬ元気さを持って、学園内をあっちこっち走り回っていた。

 

トレーナー室から学園の裏側まで余す所なく駆け回り、しっかりと副会長からお叱りを受けてなお、彼女の視線はキョロキョロと辺りを忙しなく動き回っている。

 

「うーん……トレーナーどこ行ったんだろ?」

 

少し不満げに口端を下げた彼女は、まだ探していない場所はどこか無かっただろうかと、思考を巡らせる。

 

「あっ! 寮の方まだ探してないや!」

 

自身の生活の拠点であるその場所を脳裏に浮かべた彼女は、その両足をすぐさま動かし始めた。

 

だが、そこは男性禁制である。残念ながら、彼がいる可能性はゼロに等しいだろう。

 

ちなみに、トレーナーや学園の用務員の為の寮もあるのだが、あの担当ウマ娘に似て自由奔放な彼が寮生活などする筈も無い。

 

ルールに縛られるのが面倒なのか、他に理由があるのかは分からないが、当然の如く工場に生活スペースを増設して、そこで暮らしている。

 

 

 

 

数十分後、寮全体をくまなく探し終えた彼女は、学園へと戻る為トボトボと歩いていた。

 

捜索の結果、見つかったのは壁に穴を開けて焦っているポンコツロボットと、何故か落ちていたライトセイバー擬きだけだ。

 

「うーん……八百屋のおじさんに聞いてみたら分かるかな?」

 

そんな事をぼんやりと考えていたら、いつの間にか学園のすぐ前へと辿り着く。どうして学園に戻ろうと思っていたのかをド忘れして必死に思い出そうとしていると、彼の居場所を聞くのに申し分ない者の姿を発見する。

 

近くの生徒に丁寧に挨拶するその緑色の服を着た女性。もはや、学園になくてはならない存在となっている彼女の元へハルウララは駆け寄った。

 

「ハルウララさん、こんにちは!」

 

「こんにちは! たづなさん!」

 

他の者達に混じって元気良い挨拶を交わすと、そのまま流れる様に尋ねた。

 

「ねえねえ、たづなさん! トレーナーどこ行ったか知らない? 工場とか色んなとこ探しても見つからないんだ!」

 

「ハイゼンさんですか? えーと……確か、一週間程休暇を取るとの事で前々から連絡がありましたよ。なんでも、どこか観光に行くそうで」

 

「ええっ!?」

 

彼の口から一度たりとも発せられる事は無かった"休暇"や"観光"という言葉に、彼女はガックリと肩を落とす。

 

スポーツテストの成績が上がった自慢をするという主目的は、羨ましいという感情に押し流され、瞬く間に記憶の奥底へと追いやられる。

 

「わたしも行きたかったなぁ……」

 

「まあまあ、お土産ぐらいは……買って来なさそうですね……」

 

あの男の事だ。きっと、何かしらの催促でもしないとそんな手荷物買いすらしなさそうである。

 

そんな至極当然な予想を立てた彼女は、指を顎に当てて少し思考すると、目の前で意気消沈しているハルウララへとある提案を持ち掛けた。

 

「でしたら、買って来いって催促しちゃいましょう!」

 

その言葉に、彼女の表情には蕾が開くかの様にワクワクとした笑みが浮かび上がる。そして、その後に続いたたづなの指示に従って、お互いに携帯を取り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体を芯から凍えさせる白い風が吹き荒ぶ。それと同時に、バタバタと風に煽られたコートの隙間から、叩きつけるかの様に雪が入り込む。

 

そこに歓迎の意など一切無く、あるのは不純物を排除しようとする大自然の猛威だけだ。

 

帽子が飛ばされそうになり咄嗟に抑える。

 

そのまま自身の前方を一瞥するが、未だに映り続けるのは一面の白銀の大地。

 

葉巻すら付かないこの天気の中、ハイゼンベルクは小さく悪態をついた。

 

「予報とは大違いだな、クソッタレ」

 

きっと、どこぞの能天気野郎であれば死ぬまではしゃいでいるだろうと脳裏に浮かべつつ、彼はその足を前へと進めて行く。

 

そんな中、鉄槌代わりに持ったロープがギチギチと悲鳴を上げる。その手に感じた抵抗に違和感を抱き、その視線を後ろへとやると、そこには雪が高層ビルの様に積もったソリが不満げにその足を地面に埋め込んでいた。

 

だが、顔色一つ変える事無く、彼はそのロープを強引に引っ張る。一瞬だけロープの抗議が最大まで高まるが、千切れるよりも先にソリ上の高層建築物が倒壊し、そのまま何事も無かったかの様に再度進み始める。

 

進めば進むほど、何者にも踏まれていないその雪は彼の足を深く飲み込み、重く纏わりつく。

 

しかし、それなのにも関わらず彼の速度は変わらずに一定を保っていた。

 

そんな、迷いの無く慣れ切った足運びは、まるで彼がこの土地に長い間住んでいると勘違いさせるほどである。

 

 

 

 

 

暫くして、幾つかの急勾配な斜面を上り下りすると、木の本数が明らかに少ない空間へと辿り着く。

 

コートと帽子の雪を払い落とすと、彼は目を細く凝らし、前方の真っ白な空間をじっと睨み付ける。

 

未だに強く降り続ける吹雪。そんな、彼の体温を奪い取らんとする白い死神の境目からチラリと黒っぽい影が顔を出す。

 

それを見た彼はニヒルな笑みを浮かべ、乾いた笑い声をこの地に響かせた。

 

「フッハッハッハ!! とんだ里帰りじゃねえか。こんなクソッタレな歓迎してくれるなんてな!」

 

雪に吸収されたその声は力無くその残響を終える。当然、誰もそれに答える者などこの極寒の地獄にはいない。

 

だが、空に浮かぶ雲だけはその声を聞いていた様だ。

 

ふと、全てを覆い尽くしていた吹雪がその勢いを弱める。その雪に埋もれた視界に、彼の立つこの土地が映り込む。

 

 

 

先程まで影しか見えていなかったそれは、その石造の堅牢な外壁を露わにし……

 

 

 

白いカーテンで覆われていた様に隠されていた周囲には、崩れ落ちた家だったものと、分厚い墓石が広がり……

 

 

 

もはや、人など住んでいない事が一目で理解出来るであろうこの場所は……

 

 

 

 

 

城という過去の遺物が残されただけの廃村(village)であった。

 

 

 

 

 

ハイゼンベルクは聳え立つ寂れて不気味な城へ目を向けると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。そして同時に、この城に主人がいない事を幸運に思った。

 

「二度と帰ってくる事は無えって思ってたんだがな……」

 

彼はそう呟くと、引っ張って来たソリの荷を解き、中を探り始める。そして、ダクトテープでグルグル巻きにされた怪しい代物を取り出すと、前方へと放り投げた。

 

そして、一緒に取り出していた明らかに危険そうな謎の装置のスイッチを一切の躊躇無く押し込んだ。

 

押すと同時に彼の体を重く叩いたのは特大の爆発音。どうやら、先程のアレはお手製の爆弾だったらしい。

 

遠くで雪崩の様な音が響くが、そんな事お構い無しに二つ目をヒビの入った目の前の地面に再び放り込み、起爆する。

 

「クソッ……ドリルでも持って来るべきだった」

 

目の前の雪が崩れて露わになった縦穴に吸い込まれる様子を見ていた彼は、今こそ三種の神器の一つの使い所であったとふと思う。

 

溜息混じりに頭を掻きながら、彼はその穴を見下ろした。

 

一応底は見えるが意外と深い。きっと、何処かの超人でも無い限り、飛び降りれば無事では済まない。

 

「アレやるか」

 

その言葉と同時に、周囲の雪の中から錆びついた農具や剥がれ落ちたトタンが飛び出した。何かの力によって半ば重力から解放されたそれらは、縦穴の中でピタリと静止し、その主人の歩む階段となる。

 

そんな不自然極まりない現象を目の前に、彼は当然と言った様子でその無骨な階段を降りて行く。その後ろには、積荷だった物が浮き上がり、ソリを置いて追従していた。

 

夢もクソも無い魔法を終え、彼は縦穴の底から続く洞窟を突き進む。

 

そうして彼を迎えたのは、重苦しい空気の漂う大空洞と

 

 

 

 

 

その空間の中心に浮かぶ、黒い塊だった。

 

 

 

 

 

胎児を象ったそれは、彼が知っている大きさよりも小さく、今にも消えそうな灯火の様であった。

 

だが、彼は知っている。このライターの火のように小さき炎は、人の手が加われば一瞬で大きく燃え広がるという事を。そして、このカビに塗れた炎に巻かれた者達の行き着く先は凄惨である事を。

 

「よお、帰って来たぜ? 本来なら"大いなるクソッタレな菌根様"でも呼ぶべきなんだろうが、名前が長過ぎて面倒だ。お婆さまでいいか?」

 

彼はニヒルな笑みを浮かべながら、その双眸をこの空間に鎮座する菌根へと向ける。

 

その殺意にも似た視線を受けたソレは、何かを感じたのか僅かにブルリと震えた。

 

「確か"菌根は全てを記憶する"だったか? だったら、もう知ってんだろ? 俺が親孝行しに来たって事をよ!」

 

高らかな笑い声が響く。一人の男の執念の籠ったそれが空気を揺らすと同時に、彼に付いて来た荷物がその姿を露わにする。

 

彼が持って来ていた荷物。それは、通称ジェリ缶とも呼ばれる金属製の燃料缶。それらはそれぞれ宙に浮き、辺りにその中身をぶちまけ始めた。

 

当然、目の前の菌根にもそれはたっぷりと浴びせられる。それがただの液体では無い事を察した黒い塊は、犬の様に細かく震えて液体を弾き落とそうとするが、それらは殆ど落ちる事なくその黒い体の表面に留まり続けていた。

 

どうやら、少し粘性があるらしい。

 

「ハッハッハッハ!! ここらは良く冷えるからな! テメエの為に俺特製の暖房を用意してやった! 嬉しいだろお婆さま? 最高の親孝行、良ーく楽しんでくれよ?」

 

そのナパームという名の暖房をばら撒き終えると、彼は燃料缶をそこらへ放り、一つの大きなタンクを菌根の真下に置いた。

 

おまけと言わんばかりに、その金属製の容器に例の特性爆弾を引っ付けると、彼は再び笑いと共に言葉を吐き出す。

 

「最近、密室でヒーター付け過ぎて酸欠かます馬鹿もいるらしい。安心しろ、ここにちゃんと酸素入りのタンクも置いておくからよ! 最後の最後までしっかりと楽しめるぜ!」

 

どうやら、一緒に置かれたこの酸素入りの鉄の塊は彼の優しさによるものらしい。

 

ある意味孫の様な存在から、ここまで気遣いされようものなら、嬉しさのあまり天にも上る心地だろう。

 

「そんじゃあな! お婆さま!」

 

やる事終えて彼はゆっくりと外へ出る。縦穴を降った時と同じ様にして上り、その縁に立つと、懐から一本の至福を取り出した。

 

きっと、今までの人生で最高の一服の筈だ。

 

だが、紫煙と共に吐き出された感想は、意外にも歓喜に溢れたものでは無かった。

 

「ヘッ……まるでインスタントのコーヒーだな」

 

彼は"あの時の方がよっぽど美味かった"と懐かしむかの様に呟く。その脳裏に浮かぶのは、どこぞのピンク色の能天気野郎が初めて一着を取った時に吸ったあの一本。

 

雪が降り止んだ空を見上げて、まるで捨てる様に口に残った煙を吐く。

 

そして、吐いた分だけ吸ったのは葉巻ではなく冷たい空気だった。

 

「いや、ハズレの葉巻を引いちまったか、雪で湿気っちまっただけだ。そうに違いねえ」

 

しっかりと防水加工された葉巻入れとあの店主が厳選した一級品の葉巻。その二つから目を逸らしながら、彼は吸いかけの葉巻を手の中で弄ぶ。

 

「コイツはテメエにくれてやる。餞別だ」

 

吸う気のないそれを指で弾く。クルクルと舞いながら落ちていく葉巻の行き先は何かの液体で濡れている縦穴の底。

 

次の瞬間、彼の咥えていた筈の至福は葉巻から暖房へと姿を変え、菌根へともたらされた。

 

途端、彼の頭がチクリと痛む。

 

だが、その痛みを強引に無視して、彼はポケットに突っ込まれていた起爆装置のスイッチを押した。

 

「ハッ……ハッハッハッハ!! これで……もう"コイツ"は二度と"再起動"しねえ!」

 

目の前の縦穴から天を焦がさんと上がる爆炎。その熱が自身の前髪を僅かに焼く様子に彼は高らかで、乾いた笑い声を上げた。

 

きっと、今頃あの"お婆さま"は千度に達する暖房に、文字通り天にも上る暖かさを感じている事だろう。この寒さの中、暖房が切れる事ない様に酸素という燃料もしっかりと用意したのだ。

 

黒い見た目がさらに黒く染まり、そして冷たい石棺と同じ灰色と化すのに十分な量を。

 

壊れた蛇口を想像させる未だ噴き出す炎を前に、彼は先程の高揚が嘘かの様に静かに呟いた。

 

「ヘッ……俺がここまで諦めが悪いとはな。一体誰に似ちまったんだか」

 

自身を皮肉るようなその言葉と共に、脳裏に浮かんだ二つの影。

 

方やポンコツ、方や一般人。その二つに共通する一つの要素。

 

だが、ぼんやりとしたその姿が鮮明に映るよりも先に、彼は頭を振ってそのイメージを振り払った。そして、空いた脳内スペースに次にやる事を強引にねじ込む。

 

「アイツを回収しねえとな。趣味で作った割には意外と良い仕事しやがった」

 

少し焦げた前髪を弄りながら、彼は周囲を見回した。この天を突く炎の熱で付近の雪は殆ど溶けてしまっている。

 

その中にあったとある墓石へと、彼はその足を進めていく。その裏側に置かれた機械仕掛けのボールを回収すると、労いの言葉を掛けた。

 

「偵察ご苦労さん。次はあのうるせえ奴に追いかけ回される仕事が待ってるぜ」

 

かつて、どこぞのウマ娘達とおもしろおかしく鬼ごっこを繰り広げたその丸い機械をソリへと乗せると、彼はこの村の外へ爪先を向けた。

 

しかし、たった数歩進んだところで彼の足はゆっくりと止まる。そして、不自然にも雪と地面の境目へと視線を向け、暫くいつもの仏頂面を浮かべていた。

 

ソリのロープを持っていない左手が、自身の目元にある黒いサングラスへと触れる。何度か壊れ、買い替えているそれは鉄槌の様に昔から愛用している訳ではない。

 

彼は静かにそれを外す。雪の輝く白さに目の奥が少し痛くなる。思わず、すぐ足元の焦げ茶色の地面へと目を逸らすが、数分後には再び目の前の白色へとその瞳を向けていた。

 

「コイツはもう必要無え」

 

彼はそう呟くと、左手の中にある物を背後の火柱へと放り込んだ。瞬く間に歪み、溶けていくその様を小さく鼻で笑うと、今度こそ彼は前に歩き始める。

 

「眩しいもんもしっかり見ねえと……いけねえな」

 

そう小さく溢す彼の頭上では、まるで嫌がらせかと思うほど、太陽が雲の切れ目から顔を覗かせていた。

 

吹雪は止み、冷たい風を天からの暖かな光が中和する。

 

雪が陽光で輝くその様に、彼は"やっぱ必要だったかもな"と情け無い言葉を頭に浮かべながら、白い大地に足跡を刻んでいた。

 

 

 

 

 

そんな中、彼のポケットの携帯が沈黙を割く様になり始める。誰からの着信なのか一瞥もせず、彼はそれを耳へと当てた。

 

『あっ繋がった! もしもし、トレーナー?』

 

「あー……人違いだ」

 

『やったー! トレーナーだ! ちゃんと繋がったよ! ありがとうたづなさん!』

 

「ああよーく分かった。テメエと電話する時は拡声器が必須だって事がな」

 

恐らくこの番号を教えた張本人と、あの能天気ウマ娘が会話をしているのだろう。向こう側から僅かに聞こえる会話に、彼は呆れの籠った溜息を吐いた。

 

『ねえねえトレーナー! 今どこか遠い場所にお出かけしてるんでしょ? 今居るとこは何があるの?』

 

「……崩れかけの城以外なんも無えよ」

 

『お城!? じゃあなんか珍しいお土産買って来てよ!』

 

その言葉に、彼は気の抜けた声を発しながら歩んできた道のりを振り返る。遠くにぼんやりと見える廃城と雪に刻まれた足跡、雑多に生える木々。彼女の要望に応えられる物など何一つ無い。

 

「土産なんてあるわけ……ああ、クソッ! 切れやがった!」

 

彼が耳にその冷たくなった携帯を当てた時、それは何も物言わぬ文鎮と化していた。どうやら、冷えによってバッテリーが尽きたようだ。

 

ポケットにでも突っ込んでおけば復活するかもしれないが、もはやそこまでする気は無かった。

 

「珍しいもんか……作って誤魔化すしかねえな。というか、こっちは不法入国だ。土産なんて買う暇ある訳ねえだろ」

 

残念ながら、向こうはこっちの事情など知る由もない。故に、彼が出来ることはただただ悪態を吐きつつ、帰路を進む事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、キングちゃん! これ見てよ! お土産で買ってきて貰ったんだ! キーホルダーだって!」

 

「へえ、あの独特なセンスの持ち主にしては意外と悪くないわね。それで、これは何をモチーフにしてるの?」

 

「えーとね……確か、ちぇす?のナイトってやつだって言ってたよ!」

 

「チェスのナイト……? 全然見た目違うじゃない!」

 

「ええっ!? そうなの!?」

 

「検索すれば画像ぐらい出てくるはず……あったわ。ほら、これよ」

 

「へぇ〜! 本当はウマ娘の駒なんだね! 初めて知った!! あれ? じゃあこれって何の駒なんだろう……?」

 

「分からないけど、とりあえず珍しい物って事で良いんじゃないかしら?」

 

「そっか! 確かに珍しいよね! じゃあ、オペちゃんに自慢してこようっと!」

 




菌根
とあるどこかの廃村の地下。そこに広がる洞窟で、密かに生きていた天然の菌根。洞窟には誰の手も入っていない事から、ハイゼンベルクが訪れるまでに誰にも見つからなかったのだろう。

全ての発端となった誰かの娘は、この世界ではウマ娘。少し重めの風邪程度で命を落とす事など無いのだから。


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明晰夢

現実が忙しかったり、他の小説に浮気してたりしましたが、帰ってきました。投稿頻度は落ちますが、ゆっくり更新していくつもりですのでよろしくお願いします。


 

トレセン学園のとある部屋。保健室という標識が掲げられているその場所にて、真昼間にも関わらず白いベッドで横になる一人のウマ娘が居た。

 

別に調子が悪いという訳ではない。

 

眠いと言う訳でもない。

 

だが、その胸に湧き上がるワクワクを満たすためには眠くなくてはいけない。

 

「駄目だああああ! ちっとも眠くならねえ! 暇な時とか一瞬で眠くなるのになんでこういう時に限って目が覚めてるんだよアタシいいいい!!」

 

三つの内、一番窓際のベッドにて奇声を上げながらのたうち回るゴールドシップ。謎の行動をしているという意味合いでは平常運転とも言える彼女だが、一応今回はちゃんと理由があった。

 

最近、トレセン学園にて興味深い噂話が流れている。

 

"保健室の端っこのベッドで寝ると変な夢を見る"

 

所詮は噂話。きっと、誰かのホラ話が誇張されただけだろうと常識的な者達は高を括っていた。だが、実際は違った。

 

事情は違えど、一部の者達が噂通りの体験をしたと言うのだ。空を飛んだり、雲を綿菓子のように食べたりなど、それぞれ違う夢の内容ではあったが、例のベッドで寝た者達だけが噂は真実だと発信した。

 

あとは、そこでゴロゴロと横になる者を見れば薄々勘付くであろうが、噂を耳にした黄金船は何の躊躇いも無くその舵を保健室へと向け、今に至る。

 

「仕方ねえ……羊でも数えるか!」

 

両目を瞑り、脳内で羊を数え始める。よくあるその行動は、残念ながら彼女の眠気を誘う事はなく、ただただ時間を浪費するだけに終わる。

 

一万匹ほど数え終わった後、飽きてきた彼女は良く知るどこぞの工場のスクラップの数を勝手に想像して数え始めた。

 

そして、スクラップの山に散らばる鉄骨、ネジ、シュツルムを数えたあたりで彼女の意識は微睡みの中に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ? どこだここ?」

 

ぼやけていた意識が覚醒し、辺りの状況が鮮明に映り始める。寝起きにも関わらず、二度寝の欲求が全く無いのは、ここがいつもの世界とは違う事の証明だろう。

 

「よっしゃ、侵入成功! これが噂の夢の世界ってヤツか! やっぱ、デモンストレーションは大事だからな! ここらで宇宙飛行士の予行練習でもしとくか!」

 

既に宇宙へ赴いていそうな者にそんな練習必要なのだろうか。だが、ここは夢の世界。きっと、見える景色もいつもと違うと想像しての事だろう。

 

そうして、意気揚々と彼女は辺りを見回した。

 

「うげ……なんだここ? 沼? 普通、夢の世界ってなんかこう……もっとメルヘンチックなもんじゃねえの?」

 

顔を顰める黄金船の目に映ったのは、宇宙とは無縁であろう光景だった。

 

ぬかるんだ地面、茶色く濁った沼、見通しを悪くする霧と木々。色々と変なものが出てきそうな雰囲気が漂う不気味な場所。恐らく、怖がりな者を連れてこれば、一歩も動けなくなる事間違いなしだろう。

 

「おっ! 第一村人はっけーん!」

 

怖いもの知らずの精神で誰かいないか探し回っていたゴールドシップは、この場所に似つかわしく無い装備をした人間を発見する。

 

映画で時折見るガスマスクとバイクのヘルメットを掛け合わせたかのようなそれに、明らかに一般的では無いであろう、戦闘を考慮した黒い服。そして、その手に持った弾の出る物騒な代物。

 

絶対に村人などでは無い。

 

「よお! 何やってんだー?」

 

だが、ここが現実世界でないのをいいことに、彼女はまるで友人のように馴れ馴れしく声をかけた。

 

「っ!? 動くな!」

 

返されたのは優しい言葉では無く、冷たい銃口。そして、訓練された構えと共に向けられる凄まじい敵意が、彼女の余裕を一瞬にして奪い去る。

 

「なっ!? 待て待て待て! アタシは敵じゃねえ!」

 

「その耳に尻尾……新種か!」

 

夢の中で死ぬと、現実世界の自分も死ぬ。そんな、嘘か本当か分からぬ知識を蓄えていた黄金船は、両手を上に挙げ、白旗の意を示す。

 

だが、肝心の相手はその意など全く気に留めてもいないようだった。

 

「ああ、くそ!」

 

躊躇なく引き絞られるトリガー。

 

頭へ伸びる射線。

 

一般人なら思わず口に出す悪態と共に、彼女は自由な右足を相手の胸板へ繰り出した。

 

鈍い音と共に吹っ飛ぶ相手。ウマ娘の膂力はその性能を遺憾無く発揮し、肉体を奥の木へぶっ飛ばすと同時にその意識も奪い去る。

 

「あっぶね! 危うくゴルシちゃんがトマト祭り帰りの姿になるとこだったぜ……」

 

もし、ここで強引な手に出なかったらどうなっていただろうか。想像に難くない。夢ではあるが、命の危機を感じた彼女は眠る男を漁る事なく、昂ぶる心拍を抑えながら早々とその場所から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

数分ほど歩き、靴の泥汚れと引き換えに落ち着きを取り戻したゴールドシップ。まともな奴がどこかに居ないかと思う中、彼女の頭に付いたウマ耳は一人の怒号を聞き取った。

 

「お? レーダーが反応した! 頼むぜ……アタシはこっから逃げるんだ……まともな奴であってくれ!」

 

音を頼りに向かった場所にあったのは、古ぼけた木製の小屋。今にも壊れそうなそこの前で、先程の軍人っぽい者三名と体付きの良い老人が一名、険悪な雰囲気で相対していた。

 

そして、老人から放たれた一発のパンチが全ての始まりだった。

 

「マジで!? あのオッサン、パンチであのヘンテコマスクマン気絶させやがった!? ヘルメット貫通属性でも付いてんのか!?」

 

その老人は例の軍人をヘルメットの上からぶん殴り、さも当然のようにその意識を刈り取った。

 

突然すぎるがあまり、他二名は意識の切り替えが追いついていない。

 

流れるような左フックが二人目の顎に直撃。膝から地面に崩れ落ちる仲間を前に、三人目がようやくその得物を構える。

 

だが、遅すぎたようだ。老人の剛腕は相手の右腕を砕き終え、そのままヘルメットを鷲掴みにした。

 

「ぐああああっ!!?」

 

「おい、てめえら! ここで突っ立ってるって事は、あのゾイを連れ去ったクソ野郎がどこに行ったか見てたはずだ!! 答えろ!!」

 

再び響き渡る怒号。痛みで遅れる問いへの答え。悲しきかな、この老人にはそれを待つ暇すらないようだ。

 

掴まれたバイザーに亀裂が走る。

 

「し、知らない! アンタ以外にここを通った奴は見てない!!」

 

「なんだと……!」

 

最早、用無しとでも言わんばかりに叩きつけられる軍人の肉体。なんと、最後まで立っていたのは老人の方であった。

 

どうやら人探しをしているようだが、明らかにまともそうには見えない。故に、彼女は特に姿を見せる事なくやり過ごすつもりだった。

 

だが、思わず呟いた一言がその目論見を崩壊させる。

 

「ゾイ? なんかどっかの洗剤みてえな名前だな」

 

「誰だ!!」

 

「マジで!? あのオッサン気付きやがった!」

 

このまま隠れていてもきっと良い事は起きないと思い、彼女は隠れるのをやめてその姿を曝け出す。

 

一応、相手はガタイが良いとはいえ丸腰の人間である。武器持ちよりかは話は聞いてくれるだろう。それに、もし何かあっても武器持ちで無ければ力にものを言わせてなんとか出来るかもしれない。

 

「てめえ……誰だ? こいつらの仲間か!」

 

「いやいやいや、違うぜオッサン! アタシはそいつらの仲間じゃねえ!」

 

「そうか……」

 

「そうそう、それでちょっと聞きたいんだけど、こっから出るにはどっちに……」

 

「てことは、あのクソ野郎の仲間だな!? 丁度良い、てめえから聞き出せば探す手間が省ける」

 

「やべえ……!? さっきのヤツより話通じねえじゃねえか!!」

 

前言撤回。

 

攻撃されるまでの間がさっきよりも少し長いだけで、残念ながらお話が通じないタイプの人間だったようだ。今にもぶん殴ってきそうな勢いでこちらに近づいてきている。

 

「あいつは何処だ! ゾイを何処に連れて行きやがった!! 答えろ!!」

 

「洗剤の場所は大体キッチンの……あっぶね!!!」

 

質問(物理)がゴールドシップに投げ掛けられる。自身のペースに持っていくことを許さないその行動。最早、答える間も存在しない。

 

老人の繰り出された右腕を咄嗟に避ける。彼女の右頬を掠って振り抜かれたその拳は、背後の木へその威力を発揮する。

 

「……マジ?」

 

まるでハンマーで叩いたかのように大きく凹む着弾点。それだけでは無い、今明らかに木が折れる時のそれと同じ音が鳴った。ふざけるのを忘れ、素のトーンで溢れる言葉。その脳裏に思い起こされるのは、名に姫を冠するウマ娘であった。

 

そして何よりこの瞬間、彼女の中で老人はゴリラへと格上げされた。

 

「やべえ! あんなの食らったらアタシの美顔が一瞬でドーナツになっちまう!」

 

想像したくも無い未来を幻視した黄金船。だが、今更ここが夢……いや、悪夢の世界という事を思い出す。

 

そうと決まれば話は早い。要は、全身全霊の拳をこのゴリラに叩き込めば良い。遠慮など必要ない。ここは夢の世界なのだから。

 

「揚げられてたまるか! ゴルシちゃんの価値は110円に収まんねえんだ!」

 

自分がウマ娘であった事に謎の感謝をしながら、彼女は持てる力をゴリラの頬へと叩き込んだ。勝手にゴリラと格付けしているが、一応相手は人間だ。無事で済むはずが無い。

 

 

 

 

 

「ぐおっ……てめえ、やってくれるじゃねえか!!」

 

 

 

 

 

……無事だった。

 

これまでのウマ生で色々あったが、きっと接触事故を起こして相手が無事だった事に、これほど絶望した事は無かっただろう。

 

相手は火力だけでなく、耐久力もしっかりとゴリラ基準。しっかりと腰の乗ったパンチにも関わらずピンピンしている。むしろ、殺気が増したような気がしなくも無い。

 

「なんでピンピンしてんだ!? アタシのトレーナーでも今のは倒れるやつだぞ!?」

 

耐久お化けの人間を引き合いに出しながら、彼女はその額に冷や汗を流し、ほぼ無意識に足を後退させる。

 

「てめえなんぞとは鍛え方が違えんだよ!!」

 

鍛えてどうにかなる範疇では無い。そんなツッコミを入れる暇も無く、再び襲いかかる剛腕。

 

「ゾイは! 何処だ! さっさと! 言いやがれ!」

 

「アタシは! 何にも! 知らねえって!」

 

一言話すごとに打ち込まれるキレの良いコンビネーションパンチを辛うじて躱すと、彼女はこの暴走マシンを止めるべく、強硬手段に出る。

 

「おらっ! これでお前は動物園のゴリラ同然よ!」

 

パンチの僅かな合間を縫い、彼女の手が相手の太い手首を捕まえる。そして、万力の如き力が両手首へとかけられた。

 

老人の腕が込められた力で隆起しようとも、彼女の手がそれを強引に押さえ付け、動く事は叶わない。

 

 

 

 

 

普通であればの話だが。

 

 

 

 

 

「わかった……」

 

「そうそう、分かったなら殴るのはもうやめて……」

 

「てめえをぶっ殺すには両手じゃ足りねえって事がな!!!」

 

「え……?」

 

万力の抑えを貫通してきた彼の手が、黄金船の船首とも言える頭部を左右から乱暴に掴む。人であれば耳があるはずのその部位を鷲掴みされた彼女は、相手の手首を掴んだままの己の手に全力で力を込めて引き剥がそうとする。

 

「頭突きとかアリかよ!?」

 

残念ながら、手の内に万力を所持しているのは彼女だけでは無かったようだ。必死の抵抗虚しく、彼女の額へと勢いの乗った頭突きが炸裂する。

 

「痛ってえええぇぇぇ!?」

 

ボウリングの玉でも当たったかのような衝撃に、思わず両手が痛みの発生源へと当てられる。だが、反射的なその行動は真正面の視界を遮る悪手であった。

 

「こいつでトドメだ!」

 

そして、両の手を退けて視界を確保した瞬間、彼女の瞳に映ったのは最早避けることすら叶わない速度で突き出された左の拳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だああああっ!?」

 

体に感じる浮遊感。訪れる後頭部への痛み。叫びと共に見えたのは白い天井。

 

「あれ……そっか、夢か」

 

どうやら、寝相が悪くてベッドから落ちたらしい。硬い床にぶつけた頭をさすりながら、彼女は夢の記憶を思い返す。

 

普段なら忘れる筈の夢の内容。しかし、幸か不幸かはさておき、今回はその内容はしっかりと彼女の記憶に残っていた。

 

そして、悪夢を体験した彼女は心に決める。

 

良い夢見るまで終われない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、ゴールドシップは良い夢を体験する為に、とある一人の助っ人を連れてきた。

 

「頼むぜウララ、今回の作戦は全部お前にかかってる!」

 

「うんっ! なんだかよくわかんないけど、その作戦? 頑張るよ!」

 

意気揚々と両手を掲げるその桃色の影は、面白そうだからと着いてきたハルウララである。どうやら、ゴールドシップは彼女の愛嬌による力で、なんとかまともな夢が見れるのではないかと考えたようだ。

 

なお、どこぞの神を信仰しているウマ娘の開運云々のお言葉や小物が胡散臭いからこうなったなどでは無い。断じて無い。

 

「よし、じゃあまず最初の作戦だ!」

 

「うんっ! 何すればいいの?」

 

「ここのベッドで寝るだけだ!」

 

「ええっ!? 寝るだけでいいの?」

 

何も聞かされてないハルウララは、目的が全く分からない作戦に驚きを露わにした。

 

そんなこんなで、結局何も分からないまま彼女はベッドに横になる。まだ寝る時間ではないが、昼食の後という事もあり数分後には可愛らしい寝顔をさらけ出していた。

 

「マジで!? もう寝たのかよ! これはアタシも負けてらんねえな!」

 

負けじとベッドに体を捻じ込んで目を閉じる。今回はちゃんと寝不足状態になってきたようで、前回よりは睡魔が仕事をしているようだ。

 

だが、寝る速さだけはハルウララの方が彼女よりも上だったらしい。夢の世界への期待にワクワクしすぎた結果、寝るまでに数十分ほど時間をかける事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しい夢である事を切望していたゴールドシップ。だが、意外にも運命は非情のようだ。

 

「……はっ!? どこだここ? 洞窟?」

 

夢の世界で目を覚ました彼女はまず周辺の状況を確認する。上下左右に広がる岩肌。前後に続く道。薄暗い灯りが点々と続く、気味の悪い洞窟だ。

 

そして、彼女の第六感はなんとなく前の夢と同じ世界ではないかと告げていた。

 

「なーんか嫌な予感すんだよなぁ……」

 

まるで、トラックでも通るのかと思うほど広いその場所。端に寄せて置かれている赤いドラム缶や資材の入っているのだろう木箱を横目に、とりあえず奥へと足を進めていく。

 

そんな最中、彼女は盛大に足を滑らした。

 

「どわっ!? ゴルシちゃんとしたことが……足元に鉛筆のキャップが落ちてるのを見逃してたぜ……」

 

今更ながら視線を向けた足元には、彼女の言う通り鉛筆のキャップ……いや、形状的には印鑑の方が近いであろう金属製の何かが、大量に転がっていた。

 

カラカラと心地よい音のなるそれらを、仕返しとばかりに軽く蹴っ飛ばす。

 

だが、甲高い金属音は洞窟内によく響いたようだ。

 

「おい! そこに居るのは誰だ?」

 

これから進もうと思っていた方向から現れたのは一人の厳つい男。ヘルメットやガスマスクの類は付けておらず、顔が外に晒されている。だが、その体に纏う丈夫そうな服には嫌な見覚えしかなかった。

 

「げっ……アタシの第六感は間違ってなかったのかよ」

 

前回のように問答無用で撃たれない事を祈りながら、彼女は平常心を装って返答した。

 

「誰だも何も、どっからどう見てもゴルシちゃんでしょうが! まあ、今のは少し暗かったからな! 無かったことにしてやるぜ!」

 

平常心とはどうのようなものを指すのか、彼女は復習した方が良いのかもしれない。

 

それはともかく、男から変人を見るような目を向けられたが、敵意の類が無いことはなんとか伝わったようだ。男は構えていた得物を静かに地面へと向けた。

 

「ゴルシ? 聞いた事ないが……まさか、"彼"と同じ民間人か……?」

 

「なあなあ、アタシいつの間にかここに迷い込んじまってさ、ざっとで良いから出口までの道教えてくれよ!」

 

「あ、ああ……分かった。俺も出口に向かってる途中だ。案内ならしてやれる」

 

どうやら話が通じるタイプの人間らしい。普通なら何とも思わない事だが、ゴールドシップは感激のあまり涙が出そうになっていた。

 

「うぅ……! 夢の中も捨てたもんじゃねえんだな……! 久々に感動しちまったぜ! というわけで、感動作品を手掛けたオッサンの名前、教えて貰ってもいいか?」

 

「……レッドフィールドだ」

 

「オッケ、覚えたぜ! そんじゃ、出口までよろしく頼むぜ"赤いヤツ"!」

 

「"赤いヤツ"? そんな呼び方されたのは初めてだ。行くぞ、ついて来い」

 

情緒が不安定に見える彼女を横目に、彼は出口へと歩き出す。

 

やはり、軍人なのだろう。歩いている時でも、会話の時でも、警戒を完全には解いていない。

 

砂利を踏み締める音が響く最中、レッドフィールドと名乗った男の装備から、電子音が鳴る。彼は片耳に付いたイヤホンに手を添えると、足を止めて話し始めた。

 

「俺だ。ちょうど今戻ってる」

 

チラリと男の視線がゴールドシップを一瞥する。

 

「ただ、少し話がある。戻る途中、民間人らしき者と合流した。よく分からんが、"ゴルシ"と名乗ってる」

 

何の変哲も無いただのやりとり。何も不審な部分などは無い。なのに、何故か彼女の背中にゾワリとした冷たいものが走る。

 

「意思疎通には問題は無い。少し変わり者ではあるがな。ただ、特異菌かどうかは不明だが、変異の兆候と思わしきものがある。簡潔に説明するが、ごく一部分のみ感覚器官が変異していると言えば分かるか? ああ……初めて見るタイプだ」

 

彼女に襲いかかる悪寒は段々と強くなる。まるで、本能が理性よりも先にこれから起こりうる恐怖に気付いてしまったかのように。

 

「戻り次第ゾイ達と一緒に精密検査を受けさせるつもりだ。今のうちに準備を頼む」

 

「ん? 待てよ……確か"ゾイ"って……」

 

記憶を掘り起こすと同時に走る衝撃。その名前は彼女が一番会いたくない人物が発していたものである。そして、今の会話通りに事が進むのであれば、あの老人と出会う確率は限りなく高くなるだろう。

 

それだけは……それだけは勘弁だ。話の通じないゴリラに二度も襲われたくは無い。

 

「わ、わりい! ちょっと急用思い出しちまった! お前との散歩も終わりだ終わり!」

 

「おい! 待て、どこに行く!? クソ、なんて速さだ……」

 

黄金船はその舵を大きく切り、全速力で走り去る。逃げ出した彼女へ掛けられる制止の声ですら、追いつく事は叶わない。

 

「聞いてるか? さっき説明した民間人が逃げ出した。理由は……分からない。とにかく、着くのに少し遅れる。そっちは任せた」

 

男は持っていた拳銃から弾倉を取り出すと、中身を見て溜息混じりに呟いた。

 

「脅しぐらいにはなれば良いが……」

 

指でそれを弾くと中身の詰まってない音が響く。どうやら、彼女と出会う前から弾切れだったようだ。そんな、見た目だけの玩具と化した武器を構え、彼女を追うべく"出口とは反対側"へと進み始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どけどけどけーい! ゴルシ様のお通りだっ! ってマジかよ! 行き止まりじゃねえか!」

 

彼女の目の前に立ち塞がったのは巨大なシャッター。侵入者を拒む為に作られたであろうそれは、彼女の力を以ってしてもびくともしない。

 

なんというか、この防壁は人間相手には些か過剰にも思えるが、きっと気のせいだろう。

 

「待てよ、そもそも出口あっちじゃね?」

 

目の前の防壁に2、3個ほど拳の型を作った後、彼女は今更ながら出口と真逆に進んでいたことに気が付いた。

 

もし、この防御力が限界突破している壁が無ければ、そのまま文字通り帰らぬ人となった可能性がある。そう考えれば、ここにシャッターがある事は幸運だったと言える。

 

「そんじゃ戻るかー……あ、赤いヤツ」

 

童話では兎が幾ら速くとも、立ち止まっていれば亀でも追いつく。

 

勿論、それは彼女でも例外では無い。だが、追い付いたのが亀のように遅い者でない事だけが、少し違うと言えるだろう。

 

「追い付いたぞ。いきなり逃げるとはどういうつもりだ?」

 

「どういうつもりかって? まあ、簡単に言えばアタシはまたドーナツになる気はねえって事だな!」

 

「……意味が分からん」

 

当然である。

 

「とりあえずアタシは帰る! そこ退かなくてぶっ飛ばされても知らねえかんな!」

 

彼女は再び、非現実であるからこそできる強引な手段に出るようだ。男の背後に続く道を辿れば着くであろう出口へと狙いを定め、クラウチングスタートの体勢を取る。

 

残念だが、彼に退く気はないようだ。

 

「そんじゃあな! 赤いヤツ!」

 

地面を強く踏みしめ、全身全霊の力を己の足に注ぎ込む。スタミナの減ったレース中では無く、満タンである今の状態でラストスパートと同様の出力を発揮すればどうなるか。

 

きっと、イカれた速さが手に入る。

 

そして、前に聳える障害物を吹き飛ばす程のスピードで彼女はここから脱出するのだ。

 

 

 

その理想を実現するべく、彼女はギリギリまで張り詰めた力の弦を解放した。

 

 

 

ブレーキの外れた思考から生み出される超加速。止められるものなら止めてみろ。不思議とそんな思考に至ってしまう程に今の状態は心地良かった。仮に止めるとするならば、重機か何かを持ってきた方が良いだろう。

 

速度の乗ったタックルで男を吹き飛ばし、そのまま出口へと向か……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ……!? 想像以上の力だ……!」

 

「は? え? ……マジで?」

 

 

 

 

 

ウマ娘の走行速度は車並み。そしてもし、車に突撃されたらどうなるか。誰でも分かるこの問題。だが、そんな模範解答をどこかの誰かは力で捩じ伏せたようだ。

 

目が点になりながらも、とりあえず彼女は前傾姿勢を維持してその足を力強く踏み込む。だが、まるで建物の壁を押しているかのようにその体は止まったまま。

 

計算外の座礁に理解の追いつかない黄金船。そして、現状を解する為にフル回転している脳みその隅っこで、静かに目の前の存在の定義が書き換えられた。

 

"赤いヤツ"から"赤いゴリラ"へと。

 

「アタシの行く場所にはゴリラしかいねえのか……? いやでも、最初にあったアイツは普通に……まあ、とにかく! こんな動物園にいる場合じゃねえ!!」

 

「また逃げる気か! そうはさせん!」

 

まさか相撲勝負で分が悪くなるとは思わなかった彼女は咄嗟に男との距離を離そうとする。しかし、相手もみすみすそれを許す者では無かったようで、先程とは逆に男のショルダータックルが彼女の顎へ突き刺さる。

 

姿勢の崩れたその瞬間、胸ぐらと足を掴まれて黄金船は宙に浮く。人ひとりを軽々と持ち上げるその膂力に驚く間もなく、彼女は端に積まれた木箱へと頭から叩き込まれた。

 

きっと、行き先が岩肌では無かったのは少しばかりの彼の情なのかもしれない。

 

「痛ってぇ……」

 

偶然にも木箱は空っぽだったようで、それぞれが弾け飛ぶように壊れる事で彼女への衝撃を僅かに緩和した。だが、それでも一人の意識を持っていくには十分な衝撃だったようで、彼女の視界は段々と暗闇に包まれていく。

 

そして、意識の消える直前に聞こえたのは、半分怪物な男の少し哀しげで耳を疑う呟きだった。

 

 

 

 

 

「少し……衰えたな」

 

 

 

 

 

その後、ゴールドシップが二度目の最悪な目覚めを迎えたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえねえ、トレーナー! 今日ね! すっごい夢見たんだ!」

 

「夢?」

 

「そう! えっとね……わたし、夢の中でね全然知らない泥だらけの場所にいたんだ! それで、どうしようって困ってたら、優しいおじさんとおばさんが助けてくれたんだ!」

 

「そうか、良かったじゃねえか」

 

「それでそれで! そのおじさんすっごい優しくてね! みんしゅく?ってのを開くのが夢だって言って、わたしのことお家に入れてくれたんだ! その後は、おばさんのおいしい料理たくさん食べて、ゾイってお姉ちゃんにいっぱい遊んでもらったんだ! すっごい楽しい夢だったよ!!」

 

「そうか、頭の中まで花畑とは大したもんだな」

 

「ただ、ゴルシちゃんはイヤな夢見ちゃったんだって! "赤いゴリラ"さんが出てきて大変な目にあったって言ってた!」

 

「……」

 

「よくわかんないけど、すっごく強かったみたいで……」

 

「おい、待て。こいつで好きなモンでも買わせてやる。だから金輪際その話はすんな」

 

「えっ!? いいの? わーいっ! じゃあ今からにんじんジュース買ってくるね! トレーナーもいる?」

 

「要らねえ。とにかく、もうその話は……」

 

「わかった! すぐ戻ってくるから待っててね!」

 

「アイツ行きやがった。ったく、本当に分かってんのか……?」

 

 

 

「どうせ、あのイカれ野郎の戯言だと思うが、まさかな……?」

 

 

 




ゴリラA
話の通じない方のゴリラ。左利きのようで、そのストレートパンチはもはや人とは思えない火力である。
ゴルシ曰く、"棺桶に詰めて池に沈めてもピンピンしてそう"とのこと。

ゴリラB
話の通じる方のゴリラ。どうやら、最盛期よりは衰えているらしい。それでも、息をするかのように人を担いで投げ飛ばせるようだ。
ゴルシ曰く、"あれを止めるには巨大な岩でも持ってこないとダメだ"とのこと。


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明晰夢 番外編

夢繋がりで思い付いたものを書きました。
夢の中なら何やっても許される……多分。


刺激的なタンデム

 

良くも悪くもない微妙な天気が続く中、体調不良で保健室へやってきたウオッカ。何故そうなったのかは知らないが、寝不足と疲労の十字砲火を食らったようだ。

 

そして、保健室の先生に流れるようにベッドへと案内されて横になる。クッタクタになった体に柔らかな感触が染み渡り、抗う間も無く夢の中へと旅立った。

 

偶然にも、彼女の寝たベッドは一番窓側。色々な憶測が飛び交う噂のベッドであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? ここどこだ?」

 

パチリと目を開けて目覚めるウオッカ。夢の中で目覚めるなどおかしな話ではあるが、実際に起こっているのだから仕方がない。

 

辺りを見回すが、そこは彼女の知るような世界では無かった。

 

「えっ!? ホントにどこだここ!? そもそも、オレは……保健室で寝てたはずじゃ!」

 

高層ビルが立ち並ぶとてつもない大都会。だが、彼女以外誰もいない交差点、見覚えのないロゴや看板、知らない名前の店。その全てが、ここが東京などでは無いと語っていた。

 

携帯か何かで調べようと懐を探る。そして、明らかな違和感を感じる。

 

「あれ!? なんでオレ勝負服着てんだ!?」

 

レース前や一部のイベントでないとあまり着ない筈の勝負服。そもそも、今日は一度も袖を通していない筈のそれが、彼女の身を格好良く覆っていた。

 

そして勿論、携帯どころか財布すらそのポケットには無かった。

 

そうして、彼女は半ば確信する。

 

「もしかして夢……なのか?」

 

確かめるように自らの頬っぺたをつねるが、何も感じないという事もなく、ちゃんと痛かった。

 

「だあああ! くっそー! とにかく動くしかねえ! 多分なんか目印っぽいの見つかんだろ!」

 

何もかもが理解出来ない今の状況を打破すべく、とりあえず走り出そうとしたその時だった。

 

 

 

「ワンッ!」

 

 

 

少し離れた前方。道端に停まる車の影からそれはぬるりと姿を見せる。

 

「……犬?」

 

全身を覆う黒っぽい体毛、凛々しいシルエット。犬にあまり詳しくない者でも名前は聞いた事あるだろう。その犬種は、警察犬などの印象の強いドーベルマンだった。

 

人が居ないこの場所で犬がポツリと一匹。なんだか不気味なシチュエーションである。

 

「なんだよワンコロ、お前も迷子か?」

 

その場にしゃがみ、朗らかな笑みを浮かべて犬の警戒を解きほぐそうとするウオッカ。だが、犬の態度はどんどん凶暴さを増しているような気がする。

 

そして、ゆっくりと近づいてくるそれが、ビルの影から出てきた時、彼女の表情は真っ青に染まる。

 

「……っ!? な、なんだよコイツ……!」

 

明かりに照らされたその姿は、彼女の知る犬とは遠くかけ離れていた。

 

腐り落ちて剥き出しになった頬。

 

見え隠れする肋骨。

 

狂気を孕む白目。

 

彼女がこの前観た映画でも似たようなものが出ていたが、ここまで恐ろしさを感じるものでは無かった。当然、彼女の足はもう逃げる気満々だ。

 

獲物の逃亡を本能的に察知したのか、そのゾンビ犬は駆け出した。全ては彼女を喰らう為。

 

「クソ、追いかけて来やがった! なら……このまま振り切ってやるぜ!」

 

幸運にも、今着ている服は走りに適した構造である。それ故に、ウオッカはウマ娘らしい速度を以ってアスファルトの上を駆けることが出来た。

 

数分程の疾走。常人であれば耐えられないその行為を彼女は平気で行える。そもそも、犬如きに速度で負ける気はこれっぽっちも無い。

 

末脚を残したまま彼女はチラリと後方を見やる。

 

「嘘だろ!? ついてきてやがる!」

 

確かに速度は負けてはいなかった。だが、圧倒的差を生み出す程勝ってもいなかった。今度こそ、完全に撒くべく温存していた脚を彼女は解放する。

 

「これで……ブチ抜く!」

 

一歩一歩踏み締める事に加速する体。激しくなびく尻尾と衣装がバイクにも匹敵するスピードだと物語る。

 

離れていく両者の距離。この状態を維持出来れば、勝機は確かに彼女にある。

 

"維持出来ればの話だが"

 

「はあっ、はあっ、はあっ! まだ、撒けないのかよ!」

 

既に走行距離はウマ娘で言うところの長距離を大きく超えている。それにも関わらず、後ろの存在は一定の速度で延々と追い続けてくるのだ。まるで、呼吸を必要としていないかのようなスタミナ。

 

ここから先は、相手の土俵だった。

 

「やばい……! 追いつかれちまう……!」

 

先程とは逆に、縮んでいく両者の距離。なびく茶色い尻尾のすぐ先に、赤黒い化け物が追い縋る。

 

「あっぶね!」

 

遂に狂犬の牙が彼女へ襲いかかる。明確に頭を狙う飛び掛かり。最早、センスと言って過言でないほどの反射神経で上体を思い切り下げて回避する。

 

安堵するのも束の間、彼女を追い越した相手は明確な殺意を滾らせて前方から襲いかかった。

 

 

 

しかし、牙より先に辿り着いたのはイカしたバイクのエンジン音だった。

 

 

 

「掴まれ!」

 

彼女の後方からバイクに乗って現れた一人の男。彼の差し出した左手が彼女の右手を掴み、後部座席へと拾い上げる。そして、何の躊躇いもなくアクセルを捻り、前方から襲い来る牙を浮かせたフロントタイヤで迎え入れた。

 

地面を走る為のゴムはさぞかし舌触りが良いのだろう。文字通り頬が落ちる美味しさに、その狂犬は赤い涎を撒き散らして動かなくなった。

 

「はあっ、はあっ、はあっ! さ、サンキュー! 助かったぜ!」

 

「安心してるとこ悪いが、まだ助かってない!」

 

道路を走る男の視線はミラーに注がれている。ウオッカはそれが写すであろう後方へと振り向くと、驚愕の声を上げた。

 

「さっきのが二匹!? オッサンもアイツに追われてたのかよ!」

 

「ああそうさ! クソ……これから激しい相乗りになりそうだ!」

 

どうやら、彼も追われていたようだ。彼は皮肉を吐きつつアクセルを目一杯捻り上げる。けたたましい音と共に、車体は時速百キロ近くまで加速した。だが、後方の奴らはかなりのエリートのようだ。エンジンによってようやく辿り着ける領域に、腐った脚だけで踏み入ってくるのだから。

 

「撒けそうにないな……悪いが、運転できるか?」

 

きっと、このバイクの事だろう。バイク好きの彼女だが、まだ中等部である。原付ならともかく、こんな大型バイクの免許など持っている筈もない。

 

「えっ!? えっと、まだ免許持ってねえ!」

 

「……泣けるぜ」

 

なびく茶髪の端っこに苦い顔が映る。だが、そんな顔を浮かべているのは一瞬だけ。後方から迫り来るゾンビ犬に、彼の表情はすぐさま真剣なものへと戻る。

 

「っ!? 屈め!」

 

「うわっ!?」

 

高速で走るバイクに飛びかかって来る犬。彼は左手で咄嗟にウオッカの頭を下げさせる。

 

その牙は、彼女の髪を僅かに掠めた。

 

「最近の警察犬はよく訓練されてるな!」

 

「冗談言ってる暇ないぜオッサン! オレら挟まれちまったぞ!」

 

「分かってる! 悪いが少し騒がしくなるぞ!」

 

前を走る黒い影に狙いを定め、彼がアクセルから手を離して懐から取り出したのは、映画やアニメでしか見たことのない物だった。

 

「そ、それって!」

 

「弾の出るおもちゃだ!」

 

彼は軽口と同時に鳴り響く発砲音。おもちゃにしては大きすぎるその音、そして放たれる鉛玉。

 

しかし、よく訓練された犬は構えられたそれをしっかりと認識し、跳ねるように蛇行する。当然、放ったそれはアスファルトへと消えていく。

 

回転数が落ちていくエンジン音に混じって、爪とアスファルトが激しく擦れる音が後方から近づいて来る事にウオッカは気付いた。

 

「オッサン! 後ろから来てる!」

 

「ご報告どうも!」

 

ハンドルに左手を残したまま、彼は左側へ身を乗り出して後方へと右手が握る拳銃を向ける。一歩間違えれば体勢を崩し、地面と血塗れのキスをかますことになる状態のまま、後方から迫り来るそれに威嚇の意を込めて発砲する。

 

避ける為に足を鈍らせる後ろの犬。一瞬では縮められないほどの差が両者の間に生まれた。

 

そして、再び前方を駆ける犬へ男は狙いを定めた。

 

 

 

突然だが、ウオッカはバイクが好きだ。休みの日にカタログを漁る程には好きだ。それ故に、免許が無くとも普通の運転の仕方ぐらいは知っている。おふざけの混じったヤンチャな運転もネットで見たことがあるだろう。

 

だが、獲物を仕留める為に彼が起こした行動は、彼女の知る運転とかけ離れ過ぎていた。

 

「え……!? おい! おっさ……嘘だろ!?」

 

ハンドルの右手側にあるアクセル。常人ならば、それを握るのは右手だろう。

 

 

 

だが、彼はそんなアクセルを"左手"で握った。

 

 

 

バイク右側に大きく乗り出し、地面に掠るのではないかと思う程に体を下げ、彼は空いた右手で銃を取る。犬と同等までに姿勢を低くし、蛇行による影響を最小限にするその構え。

 

放たれた弾丸は否応なしに相手の体を貫いた。

 

「やべえ……すげえ!」

 

だが、イカれた運転はまだ終わらない。銃を仕舞い、一旦"普通"のバイクの乗り方に戻った彼は後方から追って来るもう一匹を確認すると……

 

 

 

"右足"でブレーキレバーを引き絞った。

 

 

 

右手で操作する筈のそのレバーは、足でも問題なく動作したようで、バイクのスピードは瞬く間に落ちていく。オーバースピードで前に躍り出てしまった哀れな犬へ、素早く構えられた銃口が向けられる。

 

数発分の連続射撃が相手の脚を見事に殺す。

 

だが、頭を潰していない以上まだ相手は死の中で生きている。そんな相手を終わらせるべく、彼はほぼ一瞬で交通案内の巨大な看板、その固定部を撃ち抜いた。

 

真っ直ぐ下に落ちていく文字の描かれた鉄板。

 

その行き先は、未だ死なぬその者の首だった。

 

そうして、追手のいなくなった道路にウオッカのハイテンション気味な大声が響く。

 

「かっ…………けええええええ! なあ! 今のどうやったんだ!? 後でもう一回見せてくれよ!!」

 

「悪いな、お嬢ちゃん。刺激的なデートはここまでだ」

 

「へっ? で、デートっ!?」

 

ジョークを真に受けてしまった彼女の顔は、みるみるうちに真っ赤に染まる。そんな恥ずかしげな記憶を最後にその夢は終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……っ!? あれ、オッサンは!? あっ、夢か……」

 

保健室のベッドで目を覚ますウオッカ。さっきまでの光景は、ただの現実味たっぷりな夢だったのだろう。だが、この胸に残る高揚だけは、夢の中と変わらない。

 

「かっけえ……かっけえええ! オレもあんな運転してみてえ!! よっしゃ! なんか色々とやる気出てきたぜ!」

 

最高の体験の残り火のお陰か、彼女の調子は超が付くほど絶好調。バッドステータスはさっきのイカした男が始末してくれたみたいだ。

 

「よし! 今のに負けてられねえ! 早速トレーニングだ!」

 

夢の中の名も知らぬ一人の男に、静かに想いを焦がしたウオッカであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

筋トレ仲間

 

不調の時は寝るのが良い。だが、そうでない時もたまにはよく寝たほうが元気が出るだろう。メジロ家の筋肉自慢。メジロライアンも今日は偶然そういう日であった。

 

明日は朝のトレーニングはお休み。いつもならセットしているであろう目覚まし時計も、今回に限っては職務放棄をして貰う。

 

そうして、彼女は暖かいベッドに横になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気が付くと、彼女は学園のトレーニングルームに立っていた。だが、何かがおかしい。本来ならばウマ娘達がいる筈のその場所に居たのは一人の男。彼女以外誰もいないその部屋でただ一人黙々とトレーニングに励んでいる。

 

別に、男がいるからおかしいという訳では無い。トレーナーだってこの部屋を利用する時はあるのだ。ただ、彼女が違和感を感じた理由はその男を学園内で一切見たことがないからだった。

 

「もしかして、用務員さん? いやでも、あんなガタイの良い人一度も見た事ない……」

 

何となく気になって、男の隣にあるトレーニング器具を使う準備をしながら、その姿をもう一度チラリと確認する。

 

「……っ!? す、凄い……この人の負荷、私と同じぐらいだ!」

 

大胸筋と三角筋に一瞬目移りした後、彼が行なっているベンチプレスの負荷がいつも自分がやっている負荷と殆ど同じという事に気付く。

 

ハッキリ言って、自身と肩を並べるマッスルの持ち主はこの学園に殆どいない。それ故に、殆ど自身と同じぐらいの力量を持つ者に彼女は心を躍らせた。

 

そして何より、それがウマ娘でない事がその驚きとワクワクに拍車をかけた。

 

「こんにちは! その重さ……よく平然と出来ますね……」

 

「いや……そうでもない……! 無理して負荷を上げたからな。余裕なんて一切無い……!」

 

余裕が無いと言っておきながら、トレーニング中にお喋りする余裕はあるようだ。正直、同じ事が彼女に出来るかと言われたら少し怪しい部分があるかもしれない。なぜなら、もう少し上の負荷が彼女の限界ラインだからだ。

 

凄い人も居るものだと、休憩中の彼に対し感心の表情を浮かべていたメジロライアン。だが、その表情は急に驚愕のそれへと変わった。それも仕方が無い事だろう、何せ先程まで休憩していた男が更に負荷を強めてトレーニングを再開したのだから。

 

ほぼ彼女の限界点と同じ負荷。なんだか、人かどうか怪しくなってくる領域だ。実は大掛かりな変装したウマ娘ではないかと疑いたくなる。

 

「うわわっ! す、凄い……私の自己ベストとほとんど同じ……私も負けてられない!」

 

やる気の出る光景を横目に、今日は脚を重点的に鍛えるつもりの彼女は軽めの負荷で脚のアップを始めた。

 

黙々と行われる両者のトレーニング。金属の棒が軋む音以外、その部屋には吐息の音しか響かない。

 

じっくりとアップを終えて、いよいよ本格的な負荷をかけ始めようと重りを調整するメジロライアン。そんな最中、チラリと向けた目に映ったものは、彼女の限界……いや、ウマ娘の限界点を超えた負荷を持ち上げる怪物の姿だった。

 

驚きで変貌する表情。一体何が、彼をここまで強くさせるのだろう。何を思えば、人のままウマ娘を越えられるのだろう。

 

「え……ええっ!? どうして、そんな恐ろしい負荷でトレーニングしてるんですか!? どうして、そんなに……強くなれるんですか……?」

 

力はあっても強くなりきれない自分。今の彼を見ていると、何故かそんな情けない自分自身が浮き彫りになって見えてしまう。

 

欲する強さの答えを求めるかのように、彼女の本音の問いがその口から小さく漏れ出た。

 

その言葉を聞いた彼はトレーニングの手を止める。

 

「強くなんてないさ。ただ、因縁を終わらせて甘ったれていた自分を叩き直してるだけだ」

 

男の目は過去を思い出すかのように己の右手に向けられる。そして、硬く、強く握り込まれる拳。

 

不思議な事に、彼女は拳が閉じるその瞬間、見た事もないワッペンを幻視した。

 

「それに……託されたからな。色々と重たいものを……英雄に」

 

どこか悲壮溢れる物言いに、彼女はかける言葉を失った。

 

「悪い、少し辛気臭くなってしまったな。さっきの質問の答えだが……俺は特別な事はしていない。ただ、やり続けただけだ。自分がやれる事を精一杯な」

 

「特別な事はしてない……ただやり続けただけ……」

 

彼女の胸にスッと浸透するその言葉は、確かに問いの答えとなった。

 

「それに、鍛えておいて損はない。もし、岩を持ち上げる時があればかなり役立つぞ?」

 

「ふふっ! そうですね! 確かに役に立ちそうです!」

 

重い空気を払拭する為か、少し不器用なジョークが男の口から飛び出した。あまりに違和感のある冗談に、思わず笑いが漏れるメジロライアン。

 

そうして、笑いが収まると同時に彼女の意識は覚醒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、さっきのは……夢?」

 

凄まじくマッスルのある男性と一緒にトレーニングしていた部分は覚えているが、細部はあやふやになって覚えていない。もう、彼の声も顔も思い出せない。

 

だが、強くなる為にどうすれば良いか。その答えだけは確かに彼女の脳に刻まれていた。

 

「特別な事はしてない……ただ、やれる事を頑張るだけ……!」

 

あの出会いが嘘でなかった事を証明するかのように、頭に残ったその言葉を復唱する。

 

ただ言葉を発しただけにも関わらず、不思議とやる気がみなぎってくる。きっと、今トレーニングルームに行けば、最高の筋トレが出来るだろう。

 

「よし、しばらくの間はあの人の記録を越える事を目標にしよう!」

 

所詮は夢の中の出来事、目撃した事の大半は真実ではないだろう。だが、彼女の脳裏に浮かんだのは、どこぞの不機嫌な工場長が酷い呼び方をしていたどこかの誰かさん。なんだか、その人なら同じぐらいの凄さを持っていそうな気がするのだ。

 

きっと、全てが出鱈目ではない筈だ。

 

そうなれば、彼女の考えはただ一つ。今度は是非とも肩を並べてトレーニングをしたい。その為に、彼女は自分の出来ることをただひたすらにやるべく自室を飛び出すと、トレーニング器具の並ぶあの部屋へと意気揚々と向かったのだった。

 




男性A
ウオッカの夢に出てきた男。バイクと革ジャンが良く似合う。
何故か彼はウオッカの真っ直ぐな性格にどこかホッとしていた。何か安堵する事でもあったのだろうか?

男性B
メジロライアンの夢に出てきた男。かなりガタイが良い。
きっと、彼にとって本当に重い物は"英雄"から託された何かなのだろう。それと比べれば、岩やバーベルの重さなど可愛いものなのかもしれない。


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観察

感想、評価ありがとうございます!励みになります!


 

太陽が完全に隠されて暖かな日差しが雲に奪われたある日。一人のウマ娘がコソコソと遠くからとある者へと目を光らせていた。

 

「みてみてキングちゃん! 今日の授業で作った人形だよ! キングちゃんにあげる!」

 

「あら、良いの? ありがとうウララさん。ふふっ、よく出来てるじゃない! 流石ね!」

 

「えへへっ!」

 

キングヘイローの手がハルウララの頭を優しく撫でる。そんな彼女の行動に満開の笑みを返す桜の花。優しさ溢れるそのやり取りを見て、かの者は悶絶した。

 

「しゅ……しゅばらしすぎる!!! くうううぅぅぅ! 目を向けていたい! でも、これ以上の尊みは私の体が……!!」

 

尊みという刃を食らい、比喩ではなく実際に血を流しているのはハルウララと同様のピンク色の毛並みを持つアグネスデジタル。さっきからずっと見ているようで、その足元には血溜まりが出来ている。

 

学園では意外とよくある事らしいが、何も知らぬ者が見たら、腰を抜かしそうな程である。

 

「ですが……!!! この命に代えても……見届けなければなりません!!!」

 

よく分からない使命感に背中を押され、彼女は再び視線を二人へと戻す。だが、不運?にもその命が散ることは無かった。

 

「道のど真ん中で喋ってんじゃねえ、搬入の邪魔だ」

 

二人の間にそこそこ大きな器具を運ぶ男が小言を並べながら割り込んだ。それ故に、これから先に続いたであろう数々の言葉は、今この瞬間を持って消え去る事となる。

 

「あら、悪かったわね」

 

「あ、ねえねえこれ見て! シューちゃんも作ったんだ! どうかな?」

 

ハルウララもキングヘイローも嫌な顔を一つもせずに道を開ける。男が通り過ぎる際、小さな桜色の影が何故か彼にもう一つの人形を見せつけた。

 

「……そんな丸っこかったか?」

 

彼女が掲げたのは、扇風機に足が付いたかのような人形。パッと見では可愛く見えるが、その男は難癖だけを吐き散らす。

 

「まあ、本人にでも見せれば良いんじゃねえか? そうすりゃ、ちゃんと出来てるか分かんだろ」

 

「そっか! じゃあ見せてくるね!!」

 

彼の言葉通り、元にした本人に見せに行ったのだろう。ハルウララは目をキラキラさせながら何処かへと駆けて行ってしまった。

 

「ねえ、本物があの見た目だったら良いと思わないかしら?」

 

「ふざけんな。あの見た目のどこに需要あんだよ」

 

悪態をつきながら男は器具の搬入を再開する。歩き去るその後ろ姿を横目に、キングヘイローもやるべき事の為にその場を後にしてしまった。

 

「な、な、な、なんて事を……!!!! 他のウマ娘ちゃんならまだしも、あんな悪人顔にあの尊みが崩されてしまうなんて……!」

 

誰も居なくなった廊下を見て、アグネスデジタルは悔しそうに膝をつく。尊み成分の中毒症状とはまた別の意味で吐血しているように見えるがきっと気のせいだ。

 

だが、起こってしまった事は仕方が無い。気を取り直し、再び尊みを求めて徘徊を始める彼女であった。

 

 

 

 

 

だが、不幸というものは意外と重なる物のようだ。

 

 

 

 

 

 

「おい、そこ退け。今から使う」

 

場所はトレーニングルーム。とある二人が使っているランニングマシンを目の前に、彼はそう言い放った。

 

「ウララのトレーナーさん!? ちょっと待って下さい! コイツと決着付けるんです!」

 

「そうだぜオッサン! オレもコイツと白黒付けなきゃいけねえんだ!」

 

「そんなの俺の知ったこっちゃねえ」

 

「「あっ!?」」

 

器具を絶賛使用中なのは、ダイワスカーレットとウオッカ。どうやら何かで争っている様子。だが、無慈悲にも両方の電源は引っこ抜かれた。

 

ゆっくりと止まるマシンに二人は不満げな声を上げる。

 

「オッサン! なんで止めちまうんだよ! あのままだったらオレの勝ちだったのによ!」

 

「ちょっと! 勝手に嘘つかないでよね! あのままだったら勝ってたのはアタシよ!」

 

「いや、オレだっ!」

 

「アタシっ!」

 

「うるせえ!!」

 

イラついた声と同時に、両方の顔面へと叩きつけられる一枚の紙。汗で額に張り付いてしまったその紙をそれぞれが確認すると、そこにはトレーニング器具の整備作業の日付と時間が記されていた。

 

そして、指された時間帯が今この瞬間である事は言うまでも無い。

 

「俺がまだ手を付けてねえブツで遊ぶのは構わねえ。だが、その時が来たらちゃんと退きやがれ!」

 

ぐうの音も出ない言葉に彼女達は黙るしかない。

 

気まずくなった空気など露知らず、彼はさっきまで使われていたランニングマシンへと手をつけ始めた。

 

「仕方ないわ。この勝負の決着は次にしといてあげる」

 

「こっちのセリフだ!」

 

頭を冷やしにでも行ったのだろうか、ダイワスカーレットは男へと一言謝ると、そのままトレーニングルームを後にする。

 

だが、ウオッカの方は男に用があるようで未だこの部屋に残っていた。

 

「なあオッサン」

 

「なんだ?」

 

「またあのイカしたバーベルみたいなカッコいいヤツ作ってくれよ! やっぱそういうのでトレーニングした方がやる気出るし!」

 

「あー……気が向いたらな」

 

彼の作る物はウオッカに刺さる所があるのだろう。彼女はその要望だけ伝えると、休憩すべく部屋から出て行った。

 

そして、空っぽになった部屋に響くカチャカチャとした作業音を聞き、隠れて見ていたある者が一人悲しげに慟哭した。

 

「なあああぁぁぁ!!! 整備の時間帯なのはしょうがないにしても……どうして……どうしてウマ娘ちゃん達をわざわざ分断するんですかあああぁぁぁ!!!」

 

最後の最後で阻まれた尊み。本来なら実際に観れたであろう光景をその脳裏に浮かべつつ、アグネスデジタルは血の涙を流す。

 

何故なのかは不明だが、あの悪人面が割り込むと不思議と推しカプが離れてしまう。永遠に離れる訳では無いにしろ、見れたものが見れなくなってしまうのは彼女にとってかなりストレスなのだろう。

 

「あの者を何とかしなくては!!」

 

訳の分からない正義感に背中を押され、彼女は彼の妨害を阻止するべく、敵の観察を開始した。

 

 

 

 

 

 

何をするにもまずは情報が第一。だが、都合よくあの男の話をしている者などいる訳がない。少し困り顔を浮かべる彼女へ一つの助け舟が出た。

 

「やあ、こんな所で何をしてるんだい?」

 

「た、た、た、タキオンさん!?」

 

「おや、あそこに居るのは工場長じゃないか。君がウマ娘以外を追い掛けるなんて、珍しい事もあるものだね。それともアレかい? ウマ娘の観察はもう飽きてしまったというやつかい?」

 

「い、いや、違うんですタキオンさん! 私がウマ娘ちゃんに愛想を尽かすとか、そういう訳ではな、な、な、無くてですね!」

 

今にも茹で上がりそうな真っ赤な顔を携えて、彼女はテンパりながらも自らの頭の中に浮かぶ考えを伝える。

 

一通り伝え終わった後、アグネスタキオンはその目をマッドサイエンティストらしく、興味に染めた。

 

「私で良ければ教えてあげようじゃないかデジタルくん」

 

「え? いや、そんな、自分には畏れ多いと言いますか……」

 

「おや、残念だ。私は君に嫌われてしまったらしい」

 

「あぁ……! シュンとするタキオンさんもかわっ……ああいや嫌うなんて事はこれっぽっちも無くてですね! あの、その、えーっと、是非とも教えて下さいいいぃぃぃ!」

 

一瞬見せた科学者の残念そうな表情に、彼女の心臓は一瞬停止した。そして、すぐさま復活を果たした彼女は顔から湯気を出しながらアグネスタキオンに教えを乞うのであった。

 

「そうだね……まず名前からかな。彼の名はハイゼンベルク。とある工場の長をしている」

 

その薄ら笑いと狂気の目は真っ直ぐと工場長へ向けられる。

 

「学園には主にトレーニング器具を入れてるみたいだね。そのせいか、よく整備しに来ているよ。ただ、結構便利屋の色が強くてね。かく言う私も、ある測定器を特注で作ってもらった。中々良い出来だったよ。まあ、見た目が残念だけれどね」

 

視線に気づくハイゼンベルク。嫌悪溢れる表情を浮かべると、視線を少し泳がせる。

 

すると突然、彼女達の覗いていた入り口のドアが音を立てて閉まった。おまけに鍵まで掛かっている。

 

「見てくれたまえデジタルくん! やはり彼は面白い! 彼に睨まれるだけでこんなにも磁場が乱れる! 一体何を持っているのか気にならないかい?」

 

「ひゃあああぁぁぁ……! 科学者としての表情もしゅばらしすぎる……! 普通のウマ娘ちゃんには出来ないそのオンリーワン! それをこんな至近距離で眺められるなんて……」

 

「ふむ、これではちゃんと聞いているのか分からないな」

 

惚けたその顔に近づけられる科学者の瞳。なんだか、立ったまま気絶していそうである。というか気絶していた。

 

その後、アグネスタキオンが目の前で手を振ろうとも、体を揺すろうとも彼女の意識が戻る事はなかった。

 

結局、彼女の意識が現実世界に戻ってきたのは工場長が整備作業を終えて調子の悪い器具を運び出した後であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失神から回復したアグネスデジタル。ウマ娘ちゃん達の間に割り込む不届き者の情報は手に入れたが、肝心の本人を完全に見失ってしまう。再び探そうとするが、目の前に映った良すぎる光景に心を奪われて、その目的は脳内から消え去った。

 

「ひゃあああぁぁぁ……! ライスさんとウララさん! 歳の差を感じさせない友人関係! ああ……笑顔が! 笑顔が眩しすぎるうううぅぅぅ!」

 

彼女の視線の先には、ハルウララとライスシャワーが並んで談笑する姿。確かに、あの男の事など忘れてしまうのも仕方がないと言えるだろう。

 

二人の楽しそうな姿を惚けた顔で観察するアグネスデジタル。だが、二人の歩みを追っていくと、何故か校舎の裏側に辿り着く。そして、彼女達の進む先に居たのは、色々な器具をブルーシートの上に広げて器具を修理するハイゼンベルクであった。

 

「ああっ……!! ま、また尊きお二人が分かたれてしまう!! かくなる上は……!」

 

もう、行き先を塞いで彼による分断を防ぐしかないと思い、オールラウンダーたるその足に力を込めようとした時、耳に届いたうららかな声がその動きを止めた。

 

「あっ! トレーナー! 何してるの?」

 

「何もしてねえ」

 

「へっ!? と、と、と、トレーナー!?」

 

突然の重要情報に脳内CPUは完全停止。その耳に聞こえるのは近所の草野球の音と、進んでいくやり取りだけ。だが、脳が理解を要するまで、彼女はただただポカンと口を開けることしか出来なかった。

 

「トレーナー! これあげる! さっき見せたシューちゃんのやつと一緒に作ったんだ!」

 

ハイゼンベルクへと差し出されたのは一体の人形。帽子にサングラス、白みがかった髪、くたびれたコート。

 

そう、それは彼自身を模した人形であった。

 

「あー……俺はこんなアホ面じゃねえ気がするんだが?」

 

嬉しいのか嬉しくないのか、微妙な表情を浮かべるハイゼンベルク。確かに、本物にあるはずの厳つさが綺麗さっぱり消えている。

 

なんというか、いつもの不機嫌混じりな声ではなく、朗らかで優しいおじさんの声でいつも通りの凶悪な装置を作ってそうである。

 

「そのお人形さんとおじさま……ら、ライスはとってもそっくりだと思うよ!」

 

「……」

 

ライスシャワーの援護射撃が見事に彼へぶっ刺さる。

 

「そっくりだよね! わたし、これ作る時にたづなさんとか、せいとかいちょーとか、みんなにそっくりだって言われたから、絶対そっくりだよ!」

 

無意識に追い打ちをかけるハルウララ。なお、当の本人は特大のため息を吐いて、人形からは目を逸らしていた。

 

そして、黙って作業に戻るハイゼンベルク。ブルーシートの上に置かれた人形を拾い、似ている点を話し合うハルウララとライスシャワー。

 

やっと、正気に戻るアグネスデジタル。

 

「はっ!? 驚きすぎて正気を失ってました……ううむ、ウララさんにトレーナーが付いたことは知ってましたが、まさか……見るからに危険そうなお人とは……」

 

"危険そう"

 

今しがた自分が発した言葉を彼女は咀嚼する。彼が本当にその言葉に当てはまるのか。残念ながら、第一印象は最悪。だが、振り返って考えてみれば、彼と接した者達のほとんどは不快な顔を浮かべていなかった。そして何より、彼の担当バであるハルウララはわざわざプレゼントを贈るほど親愛している。

 

そうして、脳内検索で出てきたのはこの答え。

 

『もしかして、"良い人"?』

 

ほぼ結果は決まったようなものだが、もう一つ強力な証拠として、あのライスシャワーが自ら話しかけるぐらいの存在という事が挙げられる。

 

そうなれば、疑う余地はあんまり無い。

 

「あ、あ、あ、危ない所でした……もう少し早とちりしていればとんでもない無礼を……いや、切腹コース不可避でしたぞ……!」

 

熱くなりすぎた故の行動だと自己分析した彼女は、一旦離れて頭を冷やそうと踵を返す。

 

しかし、その視界の端にキラリと何かが映りこむ。

 

「あれは……野球ボール? はっ!? あの軌道は!!!?」

 

見事な放物線を描くそれの着弾地点は、先程の尊き二人がいる所。推しの為なら頭脳も覚醒する彼女は一瞬でそれを認識すると、何の躊躇いも無く駆け出した。

 

だが、離れようとしていたのが凶と出る。

 

(間に合わない……!)

 

 

 

 

 

 

「痛っ……」

 

 

 

 

 

速度の乗ったそのボールの行き先は、誰かさんの被った帽子であった。

 

「あれ? トレーナー! いきなり立ち上がってどうしたの?」

 

「……ずっと座ってると腰がやられんだよ」

 

後頭部をさすりながら、落ちた帽子を拾う工場長。

 

「そうなの!? じゃあ後で肩たたきしてあげよっか?」

 

「要らねえよ。そもそも、テメエらのパワーでやられたら肩が消し飛ぶだろうが」

 

「あれ? そうだっけ?」

 

「仕事の邪魔だ。さっさとどっか行ってろ」

 

「はーいっ! ライスちゃん行こう!」

 

彼のぶっきらぼうな言葉を聞いた彼女は、来た道を戻って校舎へと戻っていく。咄嗟に隠れたアグネスデジタルは彼女達にバレずに済んだようで、内心ホッとしながらも再び彼へと視線を向ける。

 

「……へッ」

 

彼は地面に落ちた野球ボールを蹴っ飛ばし、側に置かれた人形を手に取ると、その間抜けな顔を鼻で笑い飛ばして小さく呟いた。

 

「机の上しかねえか」

 

そして、彼は自身の人形を真っ先に車へと積みに行ったのだった。

 

今の流れを見ていたアグネスデジタルは、口を押さえて声無き声を上げていた。

 

「えっ!? えっ? えっ!! まさかのツンデレ属性!? 眩し過ぎるウララさんの好意を適当にあしらってるのかと思いきや、裏では当然かのように受け取っていらっしゃる! しかも、さっきわざと立ちあがって誰にも気付かれないように庇って、しかもバレないように誤魔化して、最後は乱雑を装って安全な場所へ追いやりましたよこの人!?」

 

そうして、彼女は確信した。"この人、見た目が怖いだけの良い人だ"と、第一印象がマイナスに振り切れるレベルで悪いだけなのだと。

 

「ああああっ! ま、まずいです! あろう事かウララさんのトレーナーで尚且つあんなに根は優しい人に、私はなんか色々と良からぬ企みを……!!! 間違いなく不敬罪ですよ!!!」

 

何故か今すぐ謝罪するべきと、彼女の感性は訴えたらしい。だが、顔を上げた時には敷かれていたブルーシートは消え去り、完全にもぬけの殻となっていた。長い思考時間は彼らが帰るのに十分すぎたようだ。

 

そうして、空っぽの空間に何とも言えない小さな叫び声が響き渡ったのだった。

 

 

 

 

 

 

後日、ハイゼンベルクに向かって土下座し、無礼を詫びるアグネスデジタルが発見されたそうだが、当の彼は何のことか分からず困惑していたそうだ。

 

一度も話した事の無い相手に謝罪されるなど、おかしな事もあるものだ。

 

 

 




ハイゼンベルク人形
文字通りハイゼンベルクを模した人形。本人から厳つさを取って丸さを足したような見た目をしている。

なんだか、人形劇で使われていそう。そんな気がする。

シュツルム人形
ウララのお化け友達であるシュツルムを模した人形。ウララマジックによって凶悪な部分が完全に丸くなり、ある意味見る影も無い。

ちゃんと可愛い。


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ファン感謝祭

実は前から書きたかった話です!


 

太陽が眩しく草木を照らす朝、ハイゼンベルクはいつも通り何かしらの器具を弄っては……いなかった。

 

それもそのはず、約一週間後に何かの催しがあるらしく、学園内はそんな催し物の設営が次々と行われており、彼がのんびり作業できる場所など殆ど無いと同義だったのだ。

 

まあ、兎にも角にも無いものは無い。暫くトレーナー室で機械弄りをするしかないとぼんやり考えながら、その足は一服するべく敷地の外へと向く。

 

これから吸う予定の葉巻を手の中でクルクルと器用に遊ばせていた最中、背後から伸びてきた手が無慈悲にもその至福を奪い取った。

 

「敷地内は禁煙だそうだ」

 

「今から出てくとこだったじゃねえか……ったく」

 

あまり聞かない声にチラリと顔を確認する。そこに居たのは、よく文句を言ってくる方でない副会長、ナリタブライアンであった。

 

「なんだ、いつもの堅物の方じゃねえのか」

 

「エアグルーヴは今忙しい。だから代わりに来た」

 

「来なくても良かったんだがな」

 

彼女に取られたままの葉巻を乱雑に奪い返して懐に収めた後、彼は面倒そうな空気をこれでもかと漂わせて何の用か尋ねた。

 

「それで、一体何の用だ?」

 

「理事長が呼んでる。理由は分からないが、困った顔をしていた」

 

「そうか、面倒事じゃなければ良いが」

 

大きな溜息を吐きながら、彼は学園の方へと戻って行く。一応、伝達に対して感謝の気持ちはあるようで、礼代わりに片手を適当に振っていた。

 

 

 

嫌な予感をひしひしと感じながら、彼は辿り着いた理事長室のドアを開ける。窓をバックにして、天然の後光を携えた小さい姿が待ちかねたかのようにそこに立っていた。

 

「歓迎ッ! よく来てくれたなハイゼンベルク!」

 

「御託は良い、さっさと用件を話せ」

 

「うっ……相変わらず手厳しいな」

 

開いた扇子を力無く畳むと、理事長は困り顔で用件を述べる。

 

「単刀直入に言おう、ファン感謝祭の出し物が不足していてな。出来れば、何か案を出して欲しい! いや、やってほしい!」

 

今日の彼は冴えてるようだ。嫌な予感をしっかりと的中させたのだから。だが、冴えてる事がこれっぽっちも嬉しくない事は彼も初めてだった。

 

「どうせ、断われないんだろ?」

 

「否ッ! これは君の義務では無い! それ故ッ! 君が嫌であれば断る権利も……ある! だが、気遣い無用! もしもの時は、私とたづなで何とかする! あまりこちらの事情は気にしなくて良い!」

 

何となく、本当に何となくであるが、彼女のその威勢は不恰好な強がりに見えた。

 

本日何度目か分からない溜息を吐くと、彼は彼女に背を向けてこう言った。

 

「今日だけだ。今日だけ考えてやる。もし何も思い付かなかったら、テメエらにぶん投げるからな」

 

「感謝ッ!!」

 

「それで、空き場所はどこだ? まさか、場所も無えのにやれとは言わねえよな?」

 

「勿論だ! ただ、資料が生徒会室にある。生徒会長である彼女に頼んで見せてもらってくれ!」

 

「分かった、じゃあな」

 

彼は少し乱暴にドアを閉めると、生徒会室へと向かう。

 

到着するまでの僅かな間、何か出せる物があるか適当に考えるが、良い案は浮かばなかった。

 

「邪魔するぜ」

 

厳粛な空気の漂うその部屋に、彼のよく知る二名が硬い表情を浮かべて立っていた。思考に耽っている彼女達を横目に、卓上に置かれた地図を勝手に取る。

 

「あ、すまない。気付かなかった」

 

「珍しくつまんねえ面してんな。お得意のジョークはどこいったんだ?」

 

「お、おい貴様! 会長は私の為に思考を割いて下さってるのだぞ! そのようなことを言うんじゃない!」

 

浮かない顔のシンボリルドルフに、申し訳無さそうな表情のエアグルーヴ。普段なら覇気のある顔をしている二人がこうなっているのは珍しいと言えるだろう。

 

この二人をここまで追い詰める難題が一体何なのか気になった彼は、興味本位で訳を尋ねた。

 

「そんじゃ、その会長の思考を割くほどの問題はなんだってんだ?」

 

「私が説明しよう。端的に話せば、ルールを守らない記者がいてね。ファンへの感謝を込めた催しだから、当然取材は優先出来ない。しかし、それを少し強引にしてくる輩がいるのさ」

 

ハイゼンベルクの脳裏にいつぞやの光景が浮かぶ。鋼鉄に秘められた悪魔を解放させた哀れな奴ら。その末路を。

 

「対策してんのか?」

 

「たわけ、してるに決まっているだろう。一応、ファンへの対応が優先されると記載をしたのだが……奴ら、催し物にわざわざ参加してファンの一人として押し入ってきた。何とかして、痛い目を……いや、止める方法は無いものだろうか……」

 

面倒な記者を対策したい運営。出し物の足りない感謝祭。その二つから彼は酷く、悍ましく、思わず懺悔してしまう、それでいて安全なモノを、まるで工業廃水の混ざったドブの水を浄水して飲ませるかの如き発想を、彼は思い付く。

 

否……思い付いてしまった。

 

「おい、今回の祭りでまだ埋まってない場所どこだ?」

 

「ここだ、入り口横に4区画空いている」

 

シンボリルドルフの指が線で区切られた地図を指し示す。入り口から少し入って右、その場所は彼女の言葉通り正方形を描くように丸々4区画空いている。

 

「そうか、じゃあ使わせてもらう。4区画全部な。それと、さっきの面倒な奴らに関してもついでに対策してやるよ」

 

「それは本当か!? だとしたら有難い! それで聞きたいのだが、この4区画を全て使って何の出し物をするつもりなんだ? 危険な物は避けてほしいのだが……」

 

生徒会長の問いかけに、彼は久々にとてつもなく悪い笑みを浮かべながらこう答えた。

 

 

 

「なに、ただの"お化け屋敷"だ! "体には"一切傷を負わねえのを約束してやるよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボーリング、ボーリング、ボーリング! 遂に正式採用のお時間だ!」

 

学園の廊下を何やら怪しげな器具を持って歩いている一人のウマ娘。よく分からない言葉の羅列を並べながら、あんなに喜ぶ者は恐らく一人しかいない。ゴールドシップである。

 

「お、よお! テイオー! オマエもボーリング行くか?」

 

上機嫌な彼女は横を通り過ぎようとするトウカイテイオーの肩を叩くと、誘いの声を投げ掛けた。だが、相手は間抜けではないようで、彼女の言葉に潜む罠を当然のように看破する。

 

「行かないよ! どうせ、よく分からない穴掘りに連れてかれるんでしょ! 特に何の意味も無いのにさ!」

 

「そう思うだろ? しかーし! 今回は違う! 何せ、今回はあの工場長からの正式依頼だ! ちゃんと意味あるぜ!」

 

「えっ!? ウララのトレーナーもいるの!? じゃあ、なおさら面倒な事起こるじゃん! ボク、絶対行かないからね!」

 

何故、ゴールドシップが普段からボーリング検査を行ったりしているのかは不明だが、今回に限っては彼女の気まぐれでやろうとしている訳では無いらしい。

 

どういうわけか、あの工場長からの直々の依頼だそうだ。わざわざ彼女を呼び付けずとも、自分で全部出来そうな気がするのだが。

 

「なんだ、つまんねえの。じゃあ、ほんとにオマエ抜きで始めるからな〜! 後悔すんなよ!」

 

「後悔なんてしないよ!」

 

トウカイテイオーが誘いを断ると分かった瞬間、黄金船はすぐさま抜錨して目的地へと出港する。廊下を駆けて離れていくその背中を彼女は呆れた表情で眺めていた。

 

 

 

 

 

学園の入り口から大して距離も離れていない場所。そんな目立つ場所にそそり立つ二台の機械と、悪い笑みを浮かべる二人の悪役の姿。当然、話題にならない訳がない。

 

「ご、ゴールドシップさん? 一体、何をしているのですか?」

 

「よう、マックイーン! 今工場長とボーリング対決してんだ! 今んとこアタシがリードしてるけど、アイツの追い込み次第で抜かれるかもしれねえ!」

 

メジロマックイーンも恐らくはその中の一人なのだろう。だが、肝心の質問に対しての答えは、彼女が望んだようなものでは無かった。

 

「何勝手な事ぬかしてんだ。地盤調査はとっくのとうに終わった。テメエもさっさと片付けろ」

 

「マジで!? ってか、その後何すんだ? 地盤調査したって事はなんか建てんだろ?」

 

「ああ、家建てる」

 

きっと、メジロ家の彼女は非常に困惑した事だろう。彼はまるで"飲み物でも買ってくる"と言わんばかりの気軽さで今の言葉を発したのだから。

 

「おおっ!? 遂にアタシの建築士の資格が役に立つ時が来たのか!」

 

「ちょ、ちょっと待って下さいまし! 何平然と納得してるんですの!?」

 

「そいつの言う通りだ。設計はもう終わってんだよ。その資格とやらは財布にでもしまっとけ」

 

「そうじゃないですわ!!」

 

何か根本的にズレた会話が繰り広げられ、まともな彼女がとうとう何も言えなくなった所で、今日の作業は終わった。

 

 

 

そして、次の日の朝。この場所に再び赴いたメジロマックイーン。特に用がある訳でも無いのだが、丁度良く通り過ぎる場所にあるが故に何となく様子を見たくなったらしい。

 

だが、彼女は己の目を疑うような光景を見てしまう。

 

「お、おかしいですわ……! どうして、既に土台が完成しているのですか!?」

 

「工場に予め作っておいたヤツを持ってきてぶち込んだだけだ。安心しろ、ちゃんと地盤は最低限固めた」

 

「3分クッキングみてえだな! あれ、そしたらどうやって持って来たんだ?」

 

「……企業秘密だ」

 

頭に疑問符を浮かべるゴールドシップの目の前で、例の人型ロボット達が三体体制で建材をトラックから運び出している。何故かその中に、背の低さが目立つ桜色が混じっていた。

 

「えっほ、えっほ! 持ってきたよトレーナー!」

 

「ああ、そこにでも置いとけ」

 

身の丈程もある資材をハルウララは指示されたブルーシートの上に置く。重くて大変そうであるが、手伝い好きの彼女からしたら苦でも無いのだろう。そうでなければ、花丸の笑顔など浮かべる訳がない。

 

「よーしっ! あとちょっとだ、がんばるぞー!」

 

彼女は可愛らしく自らを鼓舞すると、トラックの荷台に残った資材を全て担ぎ上げて運び始めた。これもまた重そうだ、良いトレーニングになるだろう。

 

なお、手持ち無沙汰になった機械達は彼女からこぼれ落ちた資材を回収していたという。

 

 

 

工事が始まって3日目。

 

家が建った。

 

一体、何をどうやったら歴史上の偉人もびっくりの速度で立派な家が建てられるのだろう。

 

当然、賢い者ほどその異常性を認知する。色々と用があって訪れたアグネスタキオンもそのうちの一人であろう。

 

「やあ、工場長。約束の品が出来たから持ってきた。それにしても……どうやったら三日で家が建つんだい? もしかして、どこかから家を丸ごと持って来たりしたんじゃ無いのかい? 正直、君ならやりそうだ」

 

「機械の手も借りて夜通しやれば意外と早く終わる。ただそれだけだ。おまけに、最低基準ギリギリだからな」

 

「それでも可笑しいと私は思うんだけどね……ほら、これだ」

 

彼女は透明な液体の入った試験管を三本取り出すと、ハイゼンベルクへと手渡した。一体何の薬なのだろうかと野次ウマ共の視線が集う中、彼女はその使い道について問いかけた。

 

「それで、一体どうやって使うつもりなんだい? 君の要望通り、かなり軽い効力、最低極まりない持続性、その二つは叶えたつもりだが」

 

「霧状にして散布する。室内でな」

 

恐らく、殆ど締め切り状態にして行われるであろう散布。話を聞く限り、狙った効果が出ないという訳ではなさそうだ。

 

「ふむ、確かにそれなら問題はない。ただ、その条件下ならもっと強い効き目の物も作れたんだが……」

 

「分かってねえな。こういうのは、自分がおかしい状態だって気付かせねえ方が一番効くんだよ。自分は正常だって思い込ませんのが、まともな奴らには良く刺さる!」

 

「ほう、それは興味深いね。出来上がる直前ぐらいにまた呼んでくれないか? 君の言うそれが本当なのか試してみたい」

 

「構わねえ。だが……後悔すんなよ?」

 

化学と工学。その二つの専門家がお互いに黒い笑みを浮かべている。だが、彼女らを知る者にとってそれは不思議に映る。

 

何せ、あの二人はお世辞にも仲が良いとは言えない者なのだ。

 

その事実に当然ながら気付いたゴールドシップは、その真意を確かめるべく突撃した。

 

「オマエとフランケンシュタインが仲良くやってんの珍しいな」

 

「まあ、利害の一致というやつさ。私の感情の研究と彼の企み。その二つが見事に噛み合ったんだ」

 

不敵に笑う科学者の視線に射抜かれて、彼女は少し嫌な予感を浮かべた。ヤベー奴とヤベー奴を掛け算した結果がまともになるとは思えない。

 

「じゃあ、さっきのヤバそうな薬も工場長に頼まれて作ったやつか」

 

「ああ、その通りだ。とは言っても、あれはただの幻覚剤。揺れるカーテンの端を少々見間違える程度の軽いやつさ。何故だか知らないが、彼はそれぐらいの方が好みらしい」

 

なんだか、聞けば聞くほどハイゼンベルクが危うい趣味の持ち主のように聞こえてくるのは気のせいだろうか。勿論、薬品の提供者側の言い方にも問題があるのは間違いない。

 

こう表現するのも適切ではないが、感謝祭如きで家を建てるという、今更考えてみれば彼女でさえ首を傾げるかもしれない狂気の行動。それ程までに彼を動かす何かがあると考えると、これがただの家で終わる気がしない。

 

というわけで、彼女は彼に直接聞くことにした。

 

「なあなあ、これって最終的に何作るんだ?」

 

「今更聞くのかよ。まあ、"ただの"お化け屋敷だ。あの小せえ理事長に頼まれたんだよ」

 

「お化け屋敷? マジ言ってんのか!? オッサンの工場の地下使った方がよっぽどお化け屋敷だぜ? 見た目ボロいし、雰囲気最悪だし、お化けよりヤベエ怪物もいるしよ」

 

「よし、テメエはどうやらこの家の基礎になりてえみてえだな!」

 

捕まれば確実のコンクリ漬けにされて、どこかの支柱に使われそうだと確信したのか、彼女は爆速で逃げ出した。その背後を悪い笑みを浮かべながらゆっくりと追いかけるハイゼンベルク。

 

そんな二人の鬼ごっこが始まると同時に、今日の作業は終わったのだった。

 

 

 

 

 

 

目に見えて変化の分かるこの三日間。だが、残りの三日間は変化に富んだこれまでと違って、外部からは大して見えない地味な部分の設営だった。

 

出来たてほやほや過ぎる家の中。テーブルや椅子、生活に最低限必要な家具だけが並ぶリビングにて、二人の影が真面目な雰囲気を漂わせていた。

 

「次は、テメエの出番だ。ある意味、完成に一番関わってくる場所かもな」

 

「うーん? よく分かんないけど大事な部分なんだね! わたし頑張るよ!」

 

重要度が高いと言われ、いつものふわふわした表情を気持ちキリッとさせるハルウララ。しかし、気合が入ってピンッと張った尻尾とは裏腹に、彼が持ってきた物はダンボール箱一杯の装飾品であった。

 

「うわわっ!? なにこれ!」

 

「適当に漁ってきた装飾品だ。テメエのやる事は簡単だ! そいつで好きなだけこの家を飾っちまえ! それだけだ!」

 

なんとも不思議なその依頼。本当にそれが、この設営において真に重要な部分なのだろうか。色々と疑惑の残る仕事であるが、彼女は何も疑うことなくそれに楽しみを見出した。

 

「ほんとっ!? じゃあ、キングちゃん達と一緒にやってもいいかな?」

 

「構わねえ、好きにしな」

 

「やったー! ありがとうトレーナー!」

 

ハルウララが友人達を呼びに行くのを見送った後、ハイゼンベルクは家の扉を幾つか開けた先にある最深部、そこにあるやたらと古臭さの残るエレベーターに乗って地下へと消えていった。

 

そんな事も露知らず、ハルウララは偶々手の空いていたキングヘイローとセイウンスカイを連れて戻ってくると、部屋の飾り付けを始めた。

 

「家って数日で建つんだね〜、セイちゃん初めて知りました!」

 

「そんな訳ないでしょって言いたい所だけど……本当に建ってるのよね」

 

彼の行いは聞いただけでは無理だ、不可能だと絶対に思う。だが、そんなまともな奴らの意見を彼はある意味、実力行使で黙らせた。

 

キングヘイローもその行使を受けた一人であった。

 

「そういえばウララさん、貴方のトレーナーが作ってるこの家だけど……何に使うのかしら?」

 

「えっとね、トレーナーはお化け屋敷作るって言ってたよ! でも、本物のお化けさんはいなくて、代わりにロボットが驚かすんだって!」

 

「へぇ〜、お化け屋敷ねえ……でも、工場をそのままお化け屋敷にした方が良くない? 工場自体から不穏な雰囲気ビンビン感じるし。ほら、あの〜……プロペラのお化けもいる事だしさ」

 

彼の工場に赴いた事がある者ならば、誰しもが口走るであろうその意見をセイウンスカイもポロリと漏らす。何故かその言葉の最後の方はやたらと声が小さかったように思えるが、気のせいだろう。

 

「スカイさん、工場自体怖いのは確かよ。だけど、あそこは怖がらせる事を目的として作られてる訳では無いと思うのよ……」

 

「えっと、つまり?」

 

「要は、意図せずして相手を怖がらせる物を作る人が、怖がらせる事を目的とした物を作るのよ? 絶対にまずい物が出来上がるわ……」

 

彼の工場は確かに怖い。夜中に絶対行きたくない場所でもあるし、色々と化けて出そうだ。何なら、出る。真っ昼間から既に化けたのが出る。

 

だが、それはただの副産物に過ぎない。あの場所は彼専用の秘密基地のような物だ。趣味で埋め尽くされた不恰好な家であり、人に見せることなど考えてはいないだろう。

 

そんな彼がまさに今、全ての意識を以って恐怖を作ろうとしているのだ。間違いなく、彼女達の想像を絶する代物が出来上がる筈だ。

 

当日は行かない方が身の為だ。

 

「……確かに。誘われても絶対入らないようにしよ……まだセイちゃん死にたくないので!」

 

「そうね……とりあえず、ここの飾り付けで可能な限り恐怖を緩和してあげないと本当に死人が出るわね。となれば、さっさとやるわよ!」

 

そう言った後に、彼女達はテキパキとこの部屋を整え始める。幸運にも、この家の部屋はどれもなんとなく不気味ではあるが、誤魔化せる範疇だ。装飾品も特に変なものは混じっていない。

 

そのおかげか、彼女達はこの重馬場な雰囲気を何とか良馬場へと変える事に成功した。生活感が溢れる見た目、怖さとは正反対に位置するであろう可愛らしいぱかプチが置かれた棚、彼女達が施した飾り付けは確かに恐怖を否定するものであった。

 

「わーいっ! セイちゃんもキングちゃんもありがとー! 二人のおかげですっごい可愛い部屋になったよ!」

 

「別に大したことじゃないわよ」

 

「うんうん、お陰で色々と合法的にサボ……楽しい休憩が出来たしね!」

 

全身でありがとうをハルウララが表現していると、部屋の奥の方から足音が聞こえてくる。二、三度ドアの開閉の音が響いた後に少し汚れた見た目のハイゼンベルクが姿を現した。

 

そして、彼が放った言葉は一部の者に疑念を抱かせる。

 

「ほう……上出来だ。ちゃんと、"怖くねえ"」

 

「ちょっと待って、お化け屋敷なのに怖くないのよ? どうして上出来になるのかしら?」

 

「簡単な話だ。入り口でビビって逃げられちゃ面白くねえだろ? それに……安心から恐怖に変わる時が、一番キクんだよ……!」

 

笑みを浮かべながら彼はそう言った。彼にとって恐怖はジェットコースターと同じらしい。常に落下し続けていては慣れてしまう。上げて落とすのが真髄だ。

 

「まさか……エレベーターが付いてたのって……」

 

「ああ、そういうことだ。仕事の礼だ、試してみるか?」

 

「ご遠慮しときます!!!」

 

彼女達の思惑すら彼の手のひらの中。自分達はとんでもないことをしてしまったのではという考えが若干脳裏を掠める。だが、やってしまった事はしょうがない。報酬代わりに貰ったジュースを飲んで、二人は何も考えない事にした。

 

なお、残りの一名は元々なにも考えてなかったようで、単純にジュースを奢って貰った事を喜んでいたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファン感謝祭当日、単純に楽しみに来たファン達が続々と押し寄せる中、エアグルーヴは例の問題の対応に追われていた。

 

「申し訳ないのですが、今回は希望する者以外への取材はお断りさせて頂きます」

 

彼女が面倒な記者達に注意をする度に、野次と撮影のフラッシュが飛ぶ。苦手なその光に思わず目を閉じる彼女。

 

「っ……! フラッシュ撮影はご遠慮願います!」

 

丁寧な言葉で幾ら言葉を並べようと、スクープを求める者達の行動は止まらない。

 

ある時を境に熱を持っていたその空気が一瞬にして冷め切った。

 

「どうした? 撮らねえのか? 写真を撮って有る事無い事書きまくるのがテメエらの仕事だろ?」

 

その静けさに違和感を感じて目を開けると、そこに映ったのはくたびれたコートだった。

 

右手で一人の記者の頭を鷲掴みにし、左肩に鉄槌を乗せ、吸い口を切っただけの火の無い葉巻を咥えた完全装備のハイゼンベルクがニヒルな笑みを携えて、エアグルーヴの眼前に立っていた。

 

「悪い、離すのを忘れてた」

 

含みのある言い方で彼は捕まえていた記者を解放する。こめかみを痛そうに抑えているが、何一つ構わずに彼は言葉を連ねる。

 

「親愛なる記者達諸君。見たところ、例に漏れずこのお堅い副会長に叱られてたようだな! まあ、それも当然だ。今回のパーティーには記者はお呼びじゃねえからな」

 

突然始まった演説に記者達にざわめきが走る。

 

「だが、脳みそカメラに置き換えたテメエらにちょっとした朗報だ! こいつにはな……抜け道がある! 要は、適当な施設を利用して、記者じゃなくファンになっちまえば良い」

 

罵倒混じりのその言葉。良い気分になる訳が無いが、彼の抜け道という言葉に記者達は興味を示した。

 

ルール違反を回避出来るなら、した方が良いだろう。そうすれば、合法的に情報収集が可能なのだから。

 

「ああ、テメエらの言いたい事は分かる。利用すると言っても、普通の施設は今大行列だ。そんな事してたら日が暮れちまうよなあ? 大事な取材をする時間が無くなっちまう」

 

そう言われて、彼らは周囲を見回した。確かにかなりの人混みだ。施設を利用するとしたら、工場長の言う通りかなりの時間が掛かってしまうのは間違いない。

 

「そこでだ、穴場を教えてやる。この先入って右側に普通の家を丸ごと使ったお化け屋敷がある。今なら、待ち時間無しで使える。駆け抜ければ20分も掛からねえ! どうだ? せっかちなテメエらにはうってつけだろ?」

 

今の彼らにとって魅力的な提案だ。だが、当然ながら怪しさ満点。何か裏があると勘繰ってしまう。

 

「そろそろ気づいた奴もいるだろ。そうだ、俺が作った。あんまり人気が無いんでな、こうしてわざわざセールスしに来てんだよ!」

 

彼らが抱いていた疑いはその言葉によって晴らされた。この男、ただ自分が作ったアトラクションの人気が無かったからこうやって不器用な誘い文句で誘導しているだけなのだ。

 

そんな、記者達の沈黙に対し彼は少し違った解釈をした。

 

「安心しな、一般人なら"ああ、クソ!"や"マジかよ!"とか、適当にほざいてれば耐えられる程度の怖さだ! 怖いモンが苦手な奴でも気にしなくて良いぜ?」

 

そうして、演説を終えた彼は右手をお化け屋敷の方向へと向ける。警戒の解けた記者達はぞろぞろとその方角へと進んでいく。そして、学園の正門前は邪魔者が消えて円滑な人の流れが復活した。

 

なんというか、不思議なものだ。交渉も日常の会話も愛想の無い彼が、何故か人を嵌める時だけやたらと口の回る演説者となる。その変わり身は、一番近くで見ていたエアグルーヴを驚愕させた。

 

「信じられん……どうしてあの者達をいとも簡単に誘導出来るのだ……」

 

だが、肝心なのはここから。工場長の言っていた事が正しければ、彼らはすぐに戻ってきてしまうだろう。

 

「お、おい! 本当に今ので大丈夫なのか? 20分程で戻ってくる気がするのだが……」

 

「ああ、気にすんな。今日一日、"帰ってこねえよ"」

 

「……っ! 貴様、まさか屋敷の中に何か危害を加える物を!」

 

「ハッハッハッハ!! 危害? んなモンこれっぽっちも無えな! 俺は言ったはずだぜ? "肉体には一切傷付けねえ"ってな!」

 

「だが……! そうでなければどうして彼らが戻って来ないと言えるのだ!」

 

「そんなに気になるか? だったら、簡単な方法があるぜ。確かめてみりゃ良いのさ! テメエ自身の体でな!」

 

ハイゼンベルクの裸の双眸がエアグルーヴを貫く。自身へと向けられた、ニヒルではない本当の笑み。その瞳の中に、彼女は彼の狂気を見た。

 

「わ、私はまだやる事がある……あ、遊び呆けている暇はない……!」

 

「ほう、残念だ。副会長のお墨付きが貰えると思ったのによ」

 

副会長の青ざめた表情から放たれた断りの言葉を聞き、彼はうわべだけ落胆したように言葉を吐く。そして、これから最高の楽しみが待っているかのように、黒々しい笑みを浮かべるとお化け屋敷の方向へと歩いて行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よお、エルチキ! お化け屋敷行こうぜ!」

 

「チキンじゃなくてコンドルデース!! というか、お化け屋敷ってあのウララのトレーナーが作ったやつデスか?」

 

「おう、そうだぜ! もしかしてビビったか?」

 

「ゴルシ先輩はエルを侮りすぎデス! そもそも、エル達は工場のプロペラに追われ、校舎で巨人に追われた経験がありマス! そんじょそこらの怖さはもう慣れっこデース!」

 

「わかってんじゃねえかエルチキ! アタシ達が一番最初にクリアして、工場長に言ってやろうぜ! 全然怖くなかったってな!」

 

 

 

 

 

「やあ……カフェ」

 

「タキオンさん? 顔色悪いですがどうかしましたか?」

 

「いや、顔色は気にしなくていい。それよりも、君の友人として伝えておかねばならない事がある」

 

「伝えておかねばならない事?」

 

「今回のファン感謝祭に出ているお化け屋敷。あれは行ってはいけない。思い出すことすら悍しく感じてしまうから端的に話すが……あそこにあるのは恐怖という言葉で括って良い物じゃない……! あれは……ハイゼンベルクという男の狂気だ……!」

 

「そんな大袈裟な……いえ、分かりました。行かないようにしておきます」

 

「ああ、その方が賢明だよ。それじゃあ私は少し休んでくるよ……」

 

「あ……行ってしまいましたか。まさか……貴方と同じ事をお友達からも言われるなんて……一体中で何が?」

 

 

 

 

 

 

「あっ! お客さん! お化け屋敷に入りに来たんだよね? あのねあのね! このお化け屋敷、私も作ったんだよ! それで、全然怖くないように頑張って飾りつけしたんだ! だから、全然怖くないお化け屋敷なんだ!」

 

「そうだ! ライトあげるね! えーとね、トレーナーが入るひとに渡してって言ってたんだ! じゃあ行ってらっしゃーい! 頑張ってねー!」

 

 

 

 

 

そうして、彼の作ったお化け屋敷は特別枠で表彰されると共に、学園の禁忌にひっそりと追加されたそうだ。

 

"彼に恐怖要素がある物を作らせてはならない"、そんな一文を添えて。

 

 




お化け屋敷
見た目は二階建ての普通の家。入り口と部屋に施された可愛らしい装飾に加え、ハルウララが看板娘を務めるという事もあり、あまり怖くなさそうだ。






大嘘である。

創造主のハイゼンベルク曰く、"ただの劣化コピー"のようで、参考元と比較すればあんまり怖くないと言う。
だが、その言葉とは裏腹に、悪質な記者は勿論、恐怖耐性があると自称するウマ娘達、出し物の審査員、ましてや視察に来た理事長でさえ例外なくその意識を屠り去った"家の形をした怪物"である。
一応、犠牲者達は中で動く"何か"によって運ばれ、最終的に屋敷の裏側へ放り捨てられている。

また、この施設の生還者はミホノブルボン一人だけ。野次ウマ達が中の詳細を聞こうとしたが、ファンが抱いていた赤ん坊の鳴き声を聞くなり、顔面蒼白となって逃げてしまったそうだ。

一体、中で何があったのだろう?

なお、会場内で配られるパンフレットに書かれた説明文は非常に淡白なものだった。



『一般人に満たない心臓の持ち主はご利用をお控え下さい』




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大嵐

沢山の感想と誤字報告ありがとうございます!


 

今日の天気はお日様が隠れる曇り空。だが、いつもと違うのはその雲が凄まじい速度で彼方の方向へ飛んでいく事と、天気予報がいつもより慌ただしく感じる事だろう。テレビの中の者が言うには、今晩は嵐のようだ。

 

気圧も気温も何もかもが大きく変動するせいか、今日は体調が優れないものが多いようだ。そしてそれは、いつも元気な彼女でさえ例外では無い。

 

「ううっ……なんか頭がガンガンする〜」

 

「だったら、俺のこと追っかけ回してんじゃねえ。寮に戻って寝てろ」

 

「うーん……わかった〜」

 

どこかフラフラな様子のハルウララ。今の彼女の姿には、覇気などこれっぽっちも感じない。そんな違和感にハイゼンベルクも気付いたのか、少しだけやんわりとした言い回しで帰れと言い放つ。

 

普段であれば、そんな事を言われても帰るはずないのだが、今日の彼女は大人しく寮へと戻って行った。

 

その背中を見送った後、彼はいつも通り学園での作業をさっさと終わらせると、正門まで足を運ぶ。そして、おもむろに懐から葉巻を取り出して、流れるように吸い口を切る。

 

「いや待て……まだ早え」

 

何故か最近、至福のそれを吸う前に没収される事が多いと感じた彼は、学園の敷地内から完全に抜け出すまでシャツの胸ポケットの中に入れておこうと考えたようだ。

 

仕舞い終えると同時に、誰かが凄まじい勢いで此方へとやってくる。予想通りとほくそ笑む彼だが、その人物は生徒会の者では無かった。

 

「居ましたわ! 貴方を探していましたの!」

 

「誰だテメエ?」

 

突然やって来たとあるウマ娘。見覚えのある毛色を携えたその者は口調はしっかりしている反面、見た目は少し幼く感じる。

 

「申し遅れましたわ! わたくし、メジロマックイーンと申します! ハイゼンベルクさん、貴方に折り入って頼みたい事があって声を掛けさせて頂きましたわ!」

 

「……あの黄金虫の差金か?」

 

凄いテンションで畳み掛けるような会話。何故か知っているこちらの情報。思わず彼の脳裏に浮かんだその姿はあの問題児であった。

 

「ここに居やがったか!」

 

噂をすればなんとやら、頭の中で思い描いた姿そのままに問題だらけの黄金船は猛ダッシュをしながら現れた。だが、その表情にいつもの余裕は無い。

 

「くっ! またしても貴方ですか!」

 

「工場長! アタシが取り押さえとくからさっさと逃げろ! レース終わったせいで闘牛みてえに暴走してんだ!」

 

「何言ってんだ?」

 

ゴールドシップは勢い良くメジロマックイーンへと飛び付くと、彼女を何とか拘束しようとしている。何も分かっていない彼は、ただただ怪訝な顔を浮かべて見学するしかなかった。

 

そうして取っ組み合ってる内に、黄金船の脇腹に彼女の肘が直撃してしまう。何とも言えない呻き声と共に沈没するその船を確認すると、彼女は彼に向かって真剣な眼差しを向けて話し始めた。

 

「貴方……作れるんですの? あの機械を!」

 

「……どの機械だよ?」

 

「アレに決まってますわ! 走るだけでスイーツが作られるという素晴らしい機械ですわ!」

 

「おい待て、何だそれ?」

 

彼は数々の機械を作ってきたが、そんな物作った覚えも、聞いたことも無かった。今、彼の被る帽子の中はクエスチョンマークで一杯だろう。

 

「あー、アレだオッサン。前ウララに作ったやつ」

 

そんな疑問の回答は地面から返ってきた。

 

「おい、アレはただ凍らせるしか能のねえ箱だ。悪いが、テメエの言ってるようなモンは一度も作って無え。分かったらさっさと帰りやがれ」

 

「では、どうしたら作って頂けますの?」

 

「……」

 

その目も耳も、何もかもが真剣そのもの。何が彼女をそんなに突き動かすのだろう。それよりも、このしぶとさを垣間見るに、彼がそれを作れないという結論にどう足掻いても至らなそうである。

 

とうとう面倒になった彼は、とある場所を指差してこう言った。

 

「あのゲームを攻略出来たら考えてやるよ」

 

個人的に気に入っているのか、未だに解体していない凶悪お化け屋敷。彼の指先は確かにそこへ向いていた。

 

越えるべき目標を指定され、その目に炎を宿す彼女とは対照的に、地面に這いつくばる黄金虫はその顔をこれでもかと蒼白させていた。

 

「分かりましたわ! こんな子供騙し、メジロ家の者に通じない事をお教えして差し上げますわ!」

 

「待て!! 早まるなマックイーン!!」

 

今にもそこへ向かおうとする彼女の足を、ゴールドシップは必死の形相で捕まえる。

 

「ゴールドシップさん! 何故貴方はこうも邪魔ばかりするのですか!?」

 

「いいか、良く聞け。この取引は釣り合ってねえんだ!! 仮にオマエがアレをクリアしてあのぶっ飛んだオッサンに作って貰えたとしても、あそこに飛び込むのは"割りに合わねえ"んだよ!!」

 

「釣り合って無い……? つまり、二つ作ってもらえる可能性もあるという事ですの!? なら、誰かにこの権利を取られないよう急がねばなりません! さあ、行きますわよ! ゴールドシップさん!」

 

「えっ……? 待て待て待て! アタシは行くなんて一言も言ってないぞ!!」

 

首根っこを掴まれ、あの怪物の家へと引き摺られて行くゴールドシップ。まるで、何処かのホラー映画のワンシーンのようだ。

 

「工場長! いや、ハイゼンベルク! 頼む、一生のお願いだ! アタシを助……」

 

精一杯の命乞いは閉じるドアの音に掻き消された。悲しきかな、仮にそうで無かったとしても、彼が行った行為は彼女へ手を差し伸べる訳でも無く、スイーツに目が眩んだ哀れな者を説得する訳でもない。ただただ、目の前の光景を鼻で笑う事だけなのだから。

 

面倒な奴らが二人まとめて片付き、ようやく学園の敷地外へと向かう事が出来る。そんな事実にホッと一息付くと、後ろへと雑に手を振りながら歩みを進める。

 

「じゃあな、俺は先に帰るぜ能天気……」

 

何も考えず口に出した言葉。言い終えるよりも先に彼はハッとして自身の後方へ目を向けた。その視界に映るのはピンク色の影では無く、無機質で凛々しい校舎だけ。

 

そして、返事などある訳もなく、ただただ不思議と虚しさの残る沈黙が立ち込めていた。

 

「……調子狂うぜ」

 

何故だか、吸いたい気分じゃなくなった。

 

そんな、理由も分からぬ気持ちの変化に流されるまま、何もする事なく彼は工場へと帰って行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吹き荒ぶ風、滝のような豪雨。時刻はまだ夕方にも関わらず、窓に映る世界は夜のように暗い。空を覆い尽くす黒々しい雲は傾いた日が僅かに光を見せることすら許容しないようだ。

 

ガタガタと窓とドアを震わせるその様子を見た理事長は、今日中に限り全校生徒へ室内での待機命令を発令した。まだ定められた危険域では無いが、これから更に強くなるとの予報がある故に、そのような判断を下したのだろう。

 

そんな事もあり、学園の校舎は手早く閉められ、それぞれが寮か自宅へと戻る事となった。

 

「ウララさん、体調はもう大丈夫なの?」

 

「うんっ! たぶん大丈夫だよ!」

 

「うーん……なら良いのだけれど」

 

理事長命令で寮へと戻ってきたキングヘイローは、寮の共有スペースにあるフカフカのソファで休むハルウララに心配そうな表情で話しかけた。

 

返ってきた答えは一応の安心を得られるものだった。だが、その笑顔はいつもとは何か違うように感じたのか、彼女の脳裏にかすかな不安がよぎる。

 

「ねえねえキングちゃん! なんか今日の風すっごいよね! もしかしたら、空飛べちゃうかも!」

 

「冗談だと分かってはいるけど一応言っとくわ……ウララさん、絶対外に出ちゃダメよ。"飛ぶ"じゃなくて、"飛ばされる"わ」

 

「うんっ! わかった!」

 

彼女は流れるままにハルウララの隣へと腰掛ける。柔らかな感触が背中や腰を覆い、気が抜けたようにホッと息を吐いた。

 

これから、この天候はどうなるのだろうかと気になった彼女は、卓上に置かれているリモコンを手に取るとテレビのチャンネルをニュースへと変える。

 

「嘘……まだ強くなるみたいね」

 

番組のスタッフがレインコートに身を包んだまま、必死の形相でマイクへと語る。そんな語り口調の後ろでは、見知らぬ店の看板が強風に剥がされて飛ばされていた。

 

テレビはそのまま悲惨な現状を次々と映し出す。根本から折れた木や曲がった標識。そして、ボロい小屋の屋根がなす術なく剥がされる瞬間。

 

思わず、苦い顔を浮かべるキングヘイロー。見ていてあまり気持ちの良いものではない。気分の上がるチャンネルへと変えようとした時、隣から聞いた事もない不安そうな声が彼女の耳に入ってきた。

 

「トレーナーの家……飛ばされちゃう! 助けないと!!」

 

「ウララさんっ!?」

 

唐突にハルウララは立ち上がり、寮のドアから外に飛び出した。彼女は先程交わした約束を破ってまで、行くつもりなのだ。あの場所に。

 

このまま行かせれば、彼女の身に何があるか分からない。室内に入ってきた強風に一瞬怯むが、それを強引に押しのけてキングヘイローはその後を追う。

 

「そんな……! ウララさん! ダメよ! 戻って来なさい!」

 

全力で走った。

 

一流の己が持つ力を全て出し、彼女を捕まえるつもりだった。

 

だが、その背中は異常な程に速かった。グチャグチャになった地面に付けられる足跡は、先程の彼女からは考えられない程に力強かった。

 

桃色の軌跡を追って向かった曲がり角。何も考えずに飛び出し、痕跡を見逃さんとその目を見開く。

 

不安に満ちたその瞳に映ったのは、春の過ぎ去ったいつもの道だけだった。

 

 

 

 

 

 

誰もいない道を猛スピードで駆けていく一人のウマ娘。髪も服も尻尾も豪雨によってずぶ濡れだ。飛んできた物に当たったのか、それとも転けたのか、その足と腕を伝って赤いものが滴り落ちる。

 

靴の全体が浸る水溜りを思い切り踏み抜いて、彼女はようやく辿り着く、工場へ至るその道へ。

 

何度も転けそうになりながら砂利道を走り、倒木で壊されたフェンスゲートを何とか潜り抜け、ハルウララはその視界に工場を収める。

 

外に立ち、飛び回る機械に指示を出す工場長。どうやら嵐はスクラップの山々が消えた腹いせに、工場の屋根を剥がそうと躍起になっている。何度か雑に修繕した箇所がその被害をもろに受けていた。

 

「ぜえっ、ぜえっ、ぜえっ……トレーナー!! 大丈夫!?」

 

「……!? お前、何でここにいやがる!?」

 

今まで見た事もない、ハイゼンベルクのその表情。驚愕の色に染まり切ったその顔を前に、ハルウララは己の目的を言い放つ。

 

「わたし、トレーナーが危ないって思って助けに来たんだ!」

 

「冗談だろ……? ったく、色々言うのは後だ! とりあえず、俺の所は何も問題ねえ! 分かったか!」

 

「トレーナー大丈夫なんだね! ふぅ……よかった……」

 

崩れた体調に怪我、疲労。濡れて冷え切った体に鞭を打ち、ここまで殆ど休憩無しで走って来た彼女の心に、安堵という安らぎがもたらされた。

 

そして、その安らぎは極限状態の彼女の意識を容赦なく奪い去る。

 

「お、おい!?」

 

前に倒れ込むハルウララ。異変を感じ取った彼が咄嗟に受け止めた、その小さな体は厳ついその表情を歪めさせる程に冷え切っていた。

 

「ああ、クソ! 手間が掛かる野郎だ!」

 

焦りを含んだ悪態を吐き捨てて、彼は彼女を担ぎ上げる。半ば走るようにして室内へと運び込むと、適当な椅子に彼女を座らせた。

 

そして、大きなタオルで大雑把に体を拭いた後、ドライヤーか何かで全身を乾かしてやろうと考えていた最中、轟音と共に全ての光が消え去った。

 

「……雷が降るなんて聞いてねえぞ」

 

苦虫を噛み潰したような顔で悪態を吐くハイゼンベルク。そのままじっと何かを待つ素振りを見せるが、世界は一向に暗いままだ。

 

「非常用電源がイカれやがった! この前点検したばかりじゃねえか……! クソッ!」

 

彼の運の悪さは未だ健在。追い打ちとばかりに、天井の補修した部分が嫌な音を立てて飛んで行く。そして、バケツをひっくり返したような水が、空いた箇所から降り注いだ。

 

「……向こうに行くしかねえ」

 

節々に焦りが見えるが、その思考は冷静さを欠いてはいない。穴から暗い空を見上げながら、彼は今の半分壊れかけの工場に居るよりかは、学園の寮か校舎に居た方が全然マシだと判断した。

 

顔色の悪いハルウララへ色々と被せた後に、彼は彼女を背負ってその足を学園へと向ける。車は倒木と冠水で使えない。かと言って、ただでさえ濡れて冷えてしまった彼女を再び雨の中に晒しながら行く気は無い。

 

名案が思い付けば良いのだが。

 

その最中、彼の鋭い目にとある物が映りこむ。傘立てに置かれたただのビニール傘。だが、この嵐の中で傘などさしてみろ。一瞬にしてお天道様の供物となる。

 

しかし、それを見た彼の脳裏に浮かんだのはそんなちっぽけな考えでは無かった。

 

「そうだ……雨の日は傘をさす。だったら、俺もそうすりゃ良い……クソほどでけえ傘をさせば良いだけの話じゃねえか!!」

 

嵐への慟哭と共に、彼の左手が天を仰ぐ。

 

鋼の号令に応じた鉄屑共が次々と渦を巻き、左手の向く空へと浮かび上がる。だが、これではまだ足りない。

 

「いや、傘なんて小せえスケールじゃダメだ! そう……ドームだ!! ドームをさせば風も雨も関係無えよなぁ!!!」

 

歯を食いしばり、充血した目を携えてなお、鉄屑達の踊りは終わらない。工場はおろか、周辺の土地、そして町全体まで、波紋の如く伝搬したそれは文字通り天を覆い尽くす。

 

 

 

 

 

 

そして今日この瞬間だけ、この町と世界が分たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学園の寮のとある一部屋。濡れた髪を乾かすキングヘイロー。ドライヤー片手に浮かべるその表情は一流に相応しいものでは無い。

 

彼女は結局、自身に危険が及ぶギリギリの時間帯までハルウララを探していた。追う相手の行き先は決まっていた筈だが、うろ覚えの道を行くにはこの嵐は危険過ぎたのだ。

 

表情は確かに一流では無いかもしれないが、友人を想う彼女の行動は間違いなく人として一流と言える。

 

「ウララさん……無事で居てくれれば良いのだけれど」

 

ずぶ濡れになった服から着替えた彼女は、そんな心配を胸に抱えながら湿った髪を乾かしていた。

 

そんな、ぼんやりとしていた彼女を叩き起こしたのは、耳をつんざく雷の音と一瞬にして消えた部屋の電気だった。

 

「嘘、停電!?」

 

ライトのスイッチを幾ら押しても、その明かりが灯る事は無い。彼女は仕方なく携帯のライトをオンにした。そのついでに、友人からの慌てた連絡に返信していると、彼女の耳は大きな違和感を感じ取った。

 

さっきまで煩く自己主張していた雨と風がやたらと静かになっている。この部屋に響くのは彼女の呼吸の音のみだ。

 

「どう言う事? 雨も風も止んだのかしら? それにしては……不自然ね」

 

予報を完全に裏切るかのような天候を不自然に感じた彼女は、窓を開けて外へと顔を出す。

 

「完全に停電してるわね……見渡す限り真っ暗だわ」

 

雨も風も無い外。しかし、そこにあるのは地平線まで広がる闇。当然ながら上を見ても星など見えない。まあ、今は大人しくとも嵐は嵐なのだ、きっと星々は雲に隠れているのだろう。

 

そんな事を思いながら上を見ていたら、頬に大粒の雫が当たる。嫌な予感に頭を引っ込めて窓を閉めたところ、強烈な風と雨が窓を叩いた。

 

どうやら、嵐は息を吹き返したようだ。

 

未だ付かぬ照明とまた煩く騒ぎ始めた嵐に、溜息を吐くキングヘイロー。そしてまた、戻って来ない彼女を思い浮かべていると、窓を風でも雨でも無い何かに叩かれた。

 

「っ……!? き、気のせいよね?」

 

精神的にも肉体的にも疲れているのだろうと思い込もうとしたが、再びコンコンと叩かれる窓にその目論見は阻止されてしまう。

 

気味が悪く、無意識に窓から離れる彼女。やたらと煩く感じる心臓を抑えようとするが、手も触れていないのに勝手に開く窓の鍵の音がその緊張を最大限まで高めた。

 

だが、窓が開いて入ってきた影は想像していたものより些かマシな者であった。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……! 邪魔するぜ……!」

 

聞き覚えのある威圧的で低い声。本来ならここでは無く工場に居るはずのその人物。ハイゼンベルクが息を切らして窓の縁に腰掛けていた。帽子もコートも着ていないびしょ濡れの状態故に、一瞬誰なのか判別が付かなかった。

 

「う、ウララのトレーナーさん!? どうしてここに……というか、ここは男性の方は入れない筈よ!」

 

この暗闇の中で不気味に映える真っ赤に充血したその瞳。知っている人物の筈なのに、まるで得体の知れない何かと出会った時と同じ感覚を胸に覚える。

 

「だから忍び込んできたんだろうが……! ったく……ほらよ、ポンコツ野郎のお届けだ」

 

だが、当の本人はそんな彼女の感情など露知らず、背負った何かをこちらに差し出した。

 

「ウララさん!?」

 

背負われていたのは彼女がこれでもかと探していたハルウララ。大きなタオルと彼のくたびれたコートに巻かれ、頭には雨避けの為であろう帽子が被せられている。

 

「にんじん……いっぱいだあ〜……」

 

心地良い温もりを放つ彼女を抱き抱えると、思わず気の抜けるような言葉がその口から放たれる。どうやら、ぐっすり寝ているようだ。そんな彼女の温もりとは裏腹に、彼のコートと帽子は濡れて冷たくなっていた。

 

「その能天気野郎が起きたら言っとけ、コートと帽子は乾かして返せってな」

 

「ええ、分かったわ」

 

ベッドに彼女を寝かせ、上から毛布をかける。幸せそうな夢でも見ているのだろう。その口端から涎が垂れている。

 

そして、適当にティッシュでそれを拭き取ってあげたキングヘイローが再び窓の方へと目を向けた時、そこに彼の姿は無くご丁寧に鍵まで閉められた窓があるだけだった。

 

 

 

「……待って、鍵が閉まってるのもおかしいけれど……あの人、どうやって来たのかしら? だって、ここは一階じゃないわよ!?」

 

 

 

大きすぎる違和感に彼女は窓まで駆け寄ると、風も雨もお構い無しにそれを開け放つ。停電を乗り越えた世界が夜を再び明るく染める中、眼下に広がる遠い大地。

 

しかし、そこに見えたのは、豪雨と暴風で荒れ果てた地面を歩く男の姿と、欠けた歯車などの鉄屑が不自然に転がっている様子だけ。

 

彼女の問いの答えなど、どこを見ても在りはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石に……やりすぎたか……」

 

その表情を不快に歪めたハイゼンベルクは雫に肩を乱暴に叩かれながらそう呟いた。

 

身体中に走る倦怠感。まだ学園の敷地から出ていないのにも関わらず、己の足はその仕事を放棄したがっている。しかし、不思議な事に今の気分は最悪では無い。完全にずぶ濡れになって吹っ切れたからだろうか。

 

「葉巻でもありゃ良かったがな」

 

何故だか葉巻を吸いたい気分になったのか、彼は残念そうに溜息を吐く。今頃、葉巻のケースは工場で良い香りを放っているだろう。

 

無いと分かっていながらも、懐を探ってしまうのは人の性。だが、今回ばかりはその性が功を成す。

 

「……っ! そうだよな? わざわざずぶ濡れになったんだ。少しぐらいツイてなきゃ計算合わねえよな?」

 

胸ポケットから出て来たのは、既に吸い口の切られた葉巻だった。しかし、ずぶ濡れのシャツに入っていたからか、それも同様に濡れている。

 

「まあ、付かなくてもいいか」

 

咥えているだけでも吸っている気分にはなれる。そんな妥協案を思い浮かべながら、彼はオイルライターの灯火を葉巻へと近づけた。

 

「っ!? なるほどな、"葉巻が付いたが運の尽き"って所か? どっかの真面目野郎が喜びそうだ」

 

なんと、一部分はまだ完全に濡れてはいなかったようだ。弱い燻りではあるが、それの先端には確かに愉悦の火が灯っている。今日の運勢はツイているだけでは無く、ツケてもくれるらしい。

 

幸運の女神でも背負ったのだろうか?

 

彼は学園の敷地から一歩外へ出ると葉巻を咥え、その煙を燻らせる。口端の上がったその表情のまま、彼の視線は天を仰ぐ。

 

 

 

何となく、過去を思い起こさせる天候。瞬間的に浮かぶ光景。そして彼は、自身を皮肉るかのように呟いた。

 

 

 

「今の俺だったら、テメエを言いくるめられたかもな……そう思わねえか? イーサン・ウィンターズ」

 

 

 

そんな小さな呟きは誰の耳に入ることも無く、ただただ雨と風に流されて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、ハルウララからコートと帽子はしっかりと返ってきた。乾かすだけで良いと言ったのにちゃんと洗ってきたようで、彼に似合わない花の良い香りがコートと帽子から漂う事となった。

 

なお、ハイゼンベルクはクリーニングの概念を彼女に教えなかった事に後悔したという。

 




濡れた葉巻
先端に火の灯った跡のある葉巻。大雨で大部分が濡れている。

この葉巻と同じように、かつて彼に注がれた愛情の殆どは湿気って使い物にならない偽物だ。
偽物しか知らぬ者が本物のそれを理解するなど出来ようものか。ましてや、親が子に向けるものなど尚更そうであろう。


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暴露

 

あの恐ろしい大嵐から数日後、町は色々と悲惨な状況から大体回復していた。特に商店街では未だ看板が無い店もあるが、どこかのウマ娘が段ボールに書いた可愛らしい文字を看板代わりにして図太くやっている。

 

ハイゼンベルクの工場も色々と被害を受けていた筈なのだが、嵐の次の日にハルウララが出向いた時には、フェンスゲートを潰した大木も、いくつか吹き飛んだ屋根と壁も、被害のあった諸々が綺麗さっぱり片付いていた。

 

あまりに早すぎるその仕事ぶりに驚いたハルウララが、まるで自分の事のように笑顔で色んな人に自慢していたお陰で、一部の復興作業に半ば強制参加させられる事になったのだが、それはまた別の話である。

 

そんな中だからか、トレセン学園から受けた依頼はいつもやっているトレーニング器具のメンテナンスでは無く、捨て所に困る大型の金属廃材の回収であった。

 

グラウンドを使えなくなったせいか、ウマ娘達の作業にも気合が入っており、彼が回収に向かう頃には廃材の山が出来上がっていたそうだ。面倒な事に何度か往復する羽目になり、彼の溜息が尽きる事は無かった。

 

言われていた量の三倍は文句でも言ってやろうかと携帯を開くと、本日二度目の理事長からのメールが届いていた。

 

「またかよ」

 

その堅苦しい文面を見るにとある場所の復興を手伝って欲しいとの事。学園の生徒の手を借りれば一瞬で終わるじゃないかと心の中で悪態を吐くと、彼はトラックを記載されていた住所まで飛ばしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

到着したのは彼の知らぬ競バ場。後から調べた所、どうやら学園お抱えの場所だったようで、普通のトレーナーであれば知っている筈の場所らしい。きっと、メールに競バ場の名前ではなく住所が書かれていたのは、そういう事なのだろう。良い言い方をすれば"理解されている"が、悪い言い方をすれば"見透かされている"。

 

だが、今の彼は何も知らぬただの業者。そんな事実に気付いている筈も無く、ただただいつも通りの葉巻と鉄槌の不審者セットを持ち出して、中へと赴いたのだった。

 

 

 

適当に右往左往しながら彼が辿り着いたのは、ウマ娘達が己の全てを振り絞り競うのであろうグラウンド。緑の芝に溢れ、どこか厳粛な空気が広がる場所。

 

だが、過剰に濡れて使い物にならなくなった土壌と、そこに突き刺さる様々な瓦礫がその空気を一変していた。

 

「ハイゼンさん!」

 

目の前の状況をぼんやりと観察していると、良く聞く誰かの声が彼の耳に届く。その方向に目をやると、理事長の有能な秘書がその手を挙げてこちらに呼びかけていた。

 

「よお」

 

「おはようございます、今回はお早い到着ですね!」

 

彼にとって皮肉にしか聞こえないお言葉をたづなから頂くハイゼンベルク。恐らく、本人は特に何かを意識して言った訳ではないだろう。

 

そして、その言葉に感応するかのように彼女の隣にいた二人も同じように彼に挨拶をした。

 

「感謝ッ! 急にも関わらず来てくれて助かった!」

 

「おはよう、やはり君も呼ばれていたんだな」

 

扇子を広げて意気揚々と礼を述べる理事長。凛々しい立ち姿で朝日を浴びているシンボリルドルフ。生徒の代表と学園の代表である二人もしっかりとここに来ていたようだ。

 

「大体予想は付くが……何の用だ?」

 

「うむ、見て分かる通りここの復興を手伝って欲しい……!」

 

予想通りの返事であったが、ただ一つ違ったのはその声に威勢が無かった事だった。

 

「別料金だが良いのか?」

 

「当然ッ! それで……どれほど掛かるのか教えて欲しい! せめて、一ヶ月程度で終われば良いんだが……」

 

「一ヶ月? なんかあるのか?」

 

「うむっ! 大まかに言えば、URAによるウマ娘達が皆輝ける大会を行う予定だ! いや、予定だった……」

 

いつもの勢いはどこかに消え、落胆に眉尻を下げる理事長。どうしてそうなっているのかは、流石の彼でも察した事だろう。

 

「何とかなるのであればそうしたい! だが、この有様は数日程度で何とかなるものでは無い……!」

 

小さな瓦礫であれば、適当に人を集めてこれば何事もなく撤去出来たことだろう。だが、目の前のグラウンドに無慈悲にも突き刺さっていたのは、レース場の巨大な照明やどこかから剥がされてきたであろう大きな金属の板。そして当然、一つだけでは無くかなりの量が落ちている。

 

素人が手出しをすれば怪我をする事は間違い無いだろう。

 

「まあ、確かにそうだな。最低でも二週間ってとこか」

 

彼女の言葉を肯定するハイゼンベルク。彼の返答に少しばかりの望みでもあったのか、苦い顔を浮かべる三人。

 

だが、それでも具体的な期日は分かったからか、彼女達三人は今後の予定について話し始める。だが、彼はそれに参加せず、己の右手に握られた鉄槌をただじっと見ていた。

 

元々、正しい使い方をしていなかったその得物。初めは理事長にも生徒会の者にも色々と言われたそれは、いつの間にか何一つ口出しされなくなっていた。

 

そんな思考の最中、脳裏に浮かぶ大商人の言葉。

 

『身の振り方を今一度改めてみてはいかがでしょう?』

 

そうして彼は大きく息を吐き、目の前に広がる小さな世界へその意識を傾ける。葛藤のようにただただその視線を右に左に動かした後、数拍置いてその瞼を大きく見開く。

 

 

 

 

 

そうして現れた瞳は、彼らしく無い透き通った色をしていた。

 

 

 

 

 

 

「おい! 一つ聞きてえ、テメエ自身はどうしたいんだ?」

 

会話をぶった斬るように、彼は図々しく理事長に声を掛ける。何故だか少し真剣味のある表情に彼女は思わず気圧される。

 

「ど、どうしたいとはどういう事だ!?」

 

「テメエは何日でここを綺麗にしてえのか聞いてんだ」

 

「理想は……一週間だ!」

 

理事長の言った内容は確かに理想そのもの。先程の彼自身が出した期間の見積もりの約半分だ。到底、実現出来るものではない。

 

しかし、彼はその言葉を聞き、ニヤリと笑みを浮かべると、ジョークかと思う程のイかれた返事を言い放った。

 

「ハッハッハッハ! 大サービスしてやる! 二日だ! 二日でこの瓦礫共を全部始末してやるよ!」

 

彼はそうして"道具取ってくる"と言ってその場から消え去った。信じられないと言った様子で唖然とする理事長が、その意識をぼんやりとさせている合間に、消えた彼がその場所へと帰ってくる。

 

「さっきの話……本当なんですね? ハイゼンさん」

 

「いや、嘘だ」

 

彼の薄ら笑いの籠った嘘という返事に、たづなは珍しくその眉を顰めて怒りを露わにした。しかし、その様子を横目に彼が続けて言ったのは、もはや可笑しさすら通り越した何かだった。

 

「本当は一日で終わる」

 

もはやこれが嘘か本当か分からなくなってくる彼の言い草。ある意味、とても悪質なジョークである。

 

「テメエら口は固いんだろうな?」

 

「と、当然ッ!」

 

「ええ、人並みには」

 

「私もだ」

 

三人がそう答えるや否や、彼は遠く離れると懐から禁じられた一品を取り出した。

 

本来であれば一言二言小言が飛んでくるはずだろう。しかし、今に限ってはそれは黙認され、彼はその紫煙をひたすらに楽しんでいる。

 

そして、鉄槌を握っている右手が静かに離された時、彼女達の目に映る光景は脳の理解を超えた。

 

 

 

地面に落ちるはずのその鉄槌は、大地の放つ重力に逆らい、その頭を空中で天へと向けていた。

 

きっと、それが号令だったのだろう。

 

その鉄の塊に連なる者共が、大小関係無しに己の身体を空へと浮かび上がらせる。そのまま、ハイゼンベルクという星の衛星のように彼の周囲へ集っていく。

 

その歩みを進めるたびに、他の鉄屑達もその円環へと参加する。背後に広がる緑の絨毯には、彼の足跡以外殆ど何も残っていない。どれだけ地面に深く刺さっていようが、どれだけ巨大で重かろうが、それはまるでブラックホールの様に鉄の住人達を吸い込んでいった。

 

まるで、彼の周りだけ宇宙と化したかの様な錯覚に陥るこの光景。その場に居合わせた者が皆、己の目を疑った。そうした最中、彼の鉄共に向けられた凱旋が終わり、彼は最後に葉巻を大きく燻らせると、それを持つ左手をパッと離す。

 

葉巻は浮かず、ただ濡れた地面に突き刺さり、泥塗れのブーツにその灯火を消された。そして、その行為に文句を言える程余裕のある者は誰一人としていなかった。

 

「どうした? 隣人がバケモンでビビったか?」

 

彼のニヒルな笑みの裏側で、回収された瓦礫達がお互いに衝突し始める。誰かに力で押し固められている様にも見えるそれは、いつの間にか大きく不恰好な看板となって彼の背後に腰を下ろす。

 

彼の意を示す様に、置かれたそれには一言分の文字が刻まれていた。

 

 

 

『ビビったか?』

 

 

 

だが、何故だろう。その淡々とした文字には、不思議と不安のような何かを感じた。

 

そんな、威圧と恐ろしさを放つ彼と、何故だかか細く感じる看板を前に、理事長はこう言い放つ。

 

「感謝ッ!!!」

 

「は?」

 

「ハイゼンベルク! 本当に感謝する!!! 君のお陰でウマ娘達の輝ける場所を失わせずに済むッ!」

 

半分涙ぐむ彼女は感激のあまり彼の手を取ってブンブンと上下に振る。思いもよらぬ行動に彼は驚いたのだろう。看板に使われなかった小さな鉄片達が、スッと地面に落ちていった。

 

「お、おい! テメエは分かってんのか? 今、目の前に居るのはな……!」

 

「君が何者だろうと関係無いッ! 本心かどうかはどうであれ、私にとって重要なのは君がウマ娘達の為に動いた事だけだ!」

 

彼の言葉の終わり際を掻き消すかのように、理事長は真剣な眼差しを向けてそう言った。

 

(前の奴と同じ……か)

 

彼の脳裏に浮かび上がる、あるひと時の光景。最期を迎えた筈の己が、工場が、全く知らぬ土地に立っていると気付いた時の事。

 

のこのこと散歩がてら彼のテリトリーに入ってきた一人の女性。警戒心が高まっていた故に、己の能力を使って威嚇した。だが、その者は全く怯まず、むしろ興奮した様子で何かの娘がどうとか、トレーニングの道具がどうとか言い始めたのだ。今思えば、あれは彼が学園に関わるきっかけだった。

 

そして、自身を理事長と言っていたその時の女性と、今目の前に堂々と立つ彼女の目は不思議と同じ物に見えた。

 

「ああ、テメエはそうなのかもな! だったら後ろの奴らはどうだ?」

 

そんな眩し過ぎる目を嫌い、彼は秘書と生徒会長の方へ視線を逃す。だが、彼女達のそれもまた同様であった。

 

「特に何もないですね。ハイゼンさんはハイゼンさんなので」

 

「私も似たような意見だ。恐らく、これも君の突飛な発明の一つなのだろう? とても驚かされたよ」

 

特に何も疑念を抱かない、それが彼女達が返した答えだった。

 

「ったくよ……どいつもこいつも馬鹿ばっかだ。全員あの能天気野郎に毒されてやがる!」

 

悪態を吐きつつ彼は"ブツを取ってくる"と逃げるように踵を返す。左手で帽子を深く頭へ押し込みながら離れて行くその背中は、何故だか動揺と喜びが入り混じったかのように感じた。

 

「ああ、クソッタレだ……クソッタレだぜ……あの馬鹿共」

 

やたらと少ない罵倒の語彙の傍で、帽子の影からはみ出たその口端は、誰にも気付かれぬようにひっそりと笑みに歪んでいたのだった。

 

 

 

 

 

数分経った後、彼はとある機械を引き連れて元の位置に戻ってくる。先程の動揺はどこへ行ったのか、普段通りの威圧感たっぷりの態度で彼は理事長達へ話しかけた。

 

「残りの瓦礫はコイツが掃除する」

 

そう言って指差したのは、彼が引き連れてきた機械。直径三メートル程の円形ロボット掃除機のような何かである。断言しきれない理由としては、何故かその中心部分だけ巨大な紙コップをひっくり返したかのように突出しており、おまけにそこからプロペラが突き出ているからだ。

 

形容するならば、エアホッケーで用いるラケット代わりのスマッシャーと呼ばれる器具を大きくしたものと考えて貰えば問題無いだろう。

 

「驚愕ッ! な、何だあれは!? 本当にあれがここを掃除してくれるのか? というか、何故プロペラが付いている!?」

 

「プロペラ……? 確かに、意味が分からないですね……」

 

まあ、当然の反応と言うべきか、理事長とたづなは明らかに不要に見えるその部分を見て、頭にこれでもかと疑問符を浮かべた。

 

「あー……コイツはまあ……あれだ。カッコいいから付けた」

 

頬を掻き、言葉を選ぶように間を取りながら彼はそう答えた。

 

何故だか、カッコいいと彼が言った瞬間、プロペラの回転数が上がったような気がする。

 

なお、シンボリルドルフはただ一人だけ納得したように笑みを浮かべていた。

 

「プロペラ……フフッ、そういうことか。正に喫驚仰天、相変わらず君の発想は予測出来ないな」

 

クスクスと笑う生徒会長を"何故?"と言った目で見つめる二人。だが、その理由を問いかけるよりも先に、例の機械がけたたましいエンジン音を響かせた。

 

「そんじゃ、しっかり掃除してこい」

 

工場長の指示通り、プロペラ掃除機は動き始める。まるで脚で動いているかのようにその初動は遅かった。だが、みるみるうちに加速していき、あの大きさからは考えられない速度でこの競バ場を縦横無尽に走り始めた。

 

なんだか、壁にぶつかりまくっている様にも感じるが、側面についた緩衝装置が頑張って働いてくれているらしいので、問題は無いだろう。

 

多分。

 

「明日の朝に回収しにくる。それまで、この中に入るのは止めときな。あの巨体に轢かれてえなら別だがな」

 

なんと、この機械に安全装置の類はないようだ。起動した後にとんでもない爆弾発言を投げた彼は、一人そそくさとその場を後にする。当然、理事長達も同様に少しばかり駆け足でグラウンドから脱出した。

 

表へ出た理事長は、去りゆく工場長の背中に報酬はどうするかと一声掛ける。

 

だが、彼がぶっきらぼうに言い放ったのは、今までと違った形の報酬への要望だった。

 

 

 

「俺に礼なんて要らねえ。それよりも、あの能天気野郎を先に走らせてやれ。最近うるせえからな」

 

 

 

愛想の無い返答をすると、彼は葉巻に火を付けてトラックを発進させる。"あばよ"とでも言いたげな彼の横顔は、何故だか不思議と満足そうに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瓦礫も無くなり、芝も張り変わったとある競バ場。新品同様に綺麗になったその場所で、はしゃぐ影と上品に立つ影が入り混じる。

 

「ねえねえキングちゃん! すっごいよ! 芝がとってもふかふかなんだ!」

 

「え、ええ、そうねウララさん。けれど、どうしてかしら? いきなり、試走をお願いしたいだなんて……しかもウララさんに」

 

「あれ、どうしたのキングちゃん?」

 

「いいえ、何でもないわ。折角の機会よ、ウララさんに私と併走する権利をあげるわ!」

 

「ほんとっ! よーしっ! わたし負けないぞー!!」

 

ワイワイと動き回る二つの影。結局、夕方になるまでその楽しげなトレーニングは続いたという。

 




継ぎ接ぎの看板
様々な瓦礫が何かの力で強引にくっ付けられて作られた不恰好な看板。"ビビったか"と書かれたそれは、今は工場のスクラップの山に横たわっている。

ウマ娘という不思議な存在によって、この世界は超常的な者に慣れている。今更それが一人や二人増えた所で、特に何も変わらないだろう。
見た目が人であれば尚更だ。


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ウマ王再び

いつも感想や誤字報告有難うございます!


 

穏やかな風の吹くある日の昼下がり、エルコンドルパサー、グラスワンダー、そしてハルウララの三人は理事長室へ呼び出されていた。

 

だが、そんな彼女達には理事長に直接呼び出される理由など思い当たらない。強いて言えば、この中の誰かが食堂で勢い余ってデスソースをばら撒いた事ぐらいだろう。しかし、もしそうなら呼ばれるのは一人のはずだ。

 

一体何を言われるのか見当もつかない故、自然と身構える二人に対し、うらうらと何も考えず楽しそうにしているハルウララはこれっぽっちの遠慮もなく、その理由を直接尋ねた。

 

「ねえねえ、りじちょー! なんでわたし呼ばれたんだっけ? この前のテストは赤点じゃなかったよ!」

 

「諸君ッ! 説明が遅れてすまない! 今回君達を呼んだのは他でもない、とある頼みがあるからだ!」

 

「頼み……ですか?」

 

理事長は開いた扇子を閉じると、一瞬それを口元に当てて思考を巡らせる。そして、言いたい内容を整理すると、再び扇子を思い切り開きながら話し始めた。

 

「傾聴ッ! 君達は一度、VRウマレーターでの事件を解決した実力者! それを見込んで今回もそれ絡みの事件を解決して貰いたい!」

 

「もしや、今回もゴルシ先輩では?」

 

「正解ッ!」

 

「成程……! つまり、最強パーティーのエル達にまた暴れてる魔王を倒してこいって事デスね!」

 

意気揚々と返事をするエルコンドルパサー。だが、返事を受け取った理事長は少し浮かない表情を浮かべて、今の状況を語る。

 

「無論ッ! そういう事になる! と言いたい所だが……何やら状況が違うらしい。把握している情報では、彼女は朝にVR装置を使い始めたそうだ。だが、今になっても戻ってこないどころか、内部に直接メッセージを送っても返事が一切無い!」

 

どうやら、幻想の世界へ黄金船は出港した後、全く音沙汰が無いらしい。おまけに、何をしているか分かる様に監視のシステムがあるはずだが、作動していないのかずっと真っ暗闇を映し続けているそうだ。

 

「要約ッ! 恐らく、中で何かがあったか、彼女自身が出てくるのを拒否している! それ故、今回は彼女を連れ戻すのを頼みたい!」

 

理事長直々の依頼に真剣な顔持ちで頷く三人。それを見た彼女は心からの礼を言うと、再び勇者となる者達をVRウマレーターの元へと連れて行ったのだった。

 

なお、この事を後から知ったたづなにこっぴどく叱られるのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時計は昼を過ぎ、おやつでも摘みたくなってくる時間帯。そんな中、緑の制服が焦った様にとある人物を探していた。メカ関係に精通していて、尚且つ急な事態でもなんだかんだ対応してくれるあの者を。

 

数十分間探し回り、彼女はようやくその目立つ怪しい背中を発見した。

 

「ハイゼンさん! すみません、今お時間大丈夫ですか?」

 

「問題ねえ、何の用だ?」

 

「あのー……VRウマレーターって覚えてますか?」

 

「VR……? ああ、あのふざけたヤツか」

 

「はい、そうです」

 

ハイゼンベルクの脳裏に浮かぶあの幻想世界。色々あって、二度とやるものかと決めこんだその名前は、彼の気分を少し乱し、ため息を吐かせた。

 

「それで? そのガラクタがどうかしたか?」

 

「少し言いづらいですが、またトラブルが起きまして……プレイした者が音沙汰無しでこちらに戻って来ないんです……それで、ハイゼンさんにお力添えをして頂けたらと思いまして」

 

「電源切っちまえ。それで終わりだ」

 

「それが、そう簡単にいかないみたいなんです」

 

たづなが言うには、何故か電源ボタンを押しても電気が切れないらしい。そして、コンセントを抜いても内部の緊急用バッテリーのお陰で丸一日電気はしっかりと供給されるようだ。

 

おまけに、そのバッテリーの製作及び取り付けをしたのはどこぞのイかれた工場長。性能に関しては言わずとも分かるだろう。

 

つまり、中にいる者はさっさとあの世界から出て来ない限り、水も食事も取れないまま丸一日を過ごす必要がある。死にはしないが、体に相応の負担が掛かることは間違い無い。

 

「それで、何かこちらから打てる手は無いでしょうか?」

 

「無えもんは無え」

 

「そうですか、そうなると心配ですね……ハルウララさん達に何事もなければ良いのですが」

 

「……っ!? おい、聞いてねえぞ? どうしてあの能天気も混じってやがる?」

 

「その文句は理事長へ言って下さい! 今回ばかりは一切止めませんので!」

 

彼はあのお化け屋敷を解体した事を後悔すると同時に、非常にイラついた様子で何かを葛藤する。まるで憤怒の様なそれを拳を握り込む力に変換しつつ、彼は自身の胸ポケットからとてもゆっくりと躊躇うかのように、一つのUSBメモリを取り出した。

 

「ああ、癪だ……本当に癪だ。今すぐにでもコイツをへし折りてえぐらいには癪だ!」

 

今にもどこかにロケットランチャーでもぶっ放しそうなオーラをばら撒く彼は、怒りを無理やり押し殺した様な表情を露わにする。

 

「おい、さっさとそのガラクタまで案内しろ」

 

「良いですけど、それは一体?」

 

「ただのデータだ。とある男一人分のな」

 

彼はその言葉の後に"DNA詐欺してるがな"と付け加えた。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい! それでは、仮に元凶がウマ娘だったら対抗出来ないじゃないですか!」

 

彼は彼女の言葉を鼻で笑うと、様々な感情が入り混じった瞳を向け、大真面目にこう言った。

 

「チッ、ご忠告ありがとよ。代わりに一つだけいい事を教えてやる。どこの馬鹿野郎がしでかしてるのか知らねえが、イかれた野望をぶっ壊す事に関してはこの"脳みそ筋肉野郎"の右に出るヤツは居ねえ! もし居たらそいつに是非とも一言アドバイス願いてえな! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

珍しい事にたづなはその様子に気圧された。いや、今回に限っては誰であろうとその圧に怯む筈だ。何せ、彼の言い振りはまるで、自分自身もその者に苦汁を舐めさせられたかのように、様々な負の感情がこれでもかと込められており、今にも爆発寸前だったからに他ならない。

 

色々と相容れない何かがあったのだと察した彼女は、それ以降データの中身については尋ねない事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実世界と似て非なる幻想世界。物理現象などの大元は同じだが、その上に成り立つ構造が大きく違う。それ故に、普通ならばその世界に翻弄される筈だ。しかし、勇ましく降り立った救世主達にとってはそれは二度目。大きく揺さぶられることなどある訳がない。

 

 

 

 

 

はずだった……

 

 

 

 

 

「ど、どうしようっ!? わたし何したらいいかな!?」

 

「ウララちゃんは右を止めて下さい! 私は正面! エルは左をお願いします!」

 

「了解デス! こんな奴ら、エルにかかれば一瞬で終わりデース! グラス、それまで持ち堪えて下さい!」

 

慌てふためくハルウララ。動揺を最小限に抑え指示を出すグラスワンダー。友の言葉に冷静さを取り戻すエルコンドルパサー。

 

そして、彼女達の降り立った小さな村の前から濁流の如く押し寄せるのは、フィクションの世界ではその名が知れ渡っている、"生きる屍"の姿だった。

 

「くっ! どこからどう見てもゾンビとしか言いようがありませんね! これもまたあの人がやったとしか思えません」

 

「すごいよグラスちゃん! このゾンビさん達、ちょっと前にテレビで見た映画のやつとそっくりだよ!」

 

「映画? なるほど……そういう事ですか」

 

何となくこうなった発端を察しながら彼女は己のローブを翻し、前方へとその杖を掲げた。そして、村の人々をこの怪物から守るべく、彼女は躊躇なく特大の雷を命無き放浪者へと解き放つ。

 

「やはり、この数は……一筋縄ではいかないようです!」

 

前方の集団は文字通り黒焦げと化した。だが、二度目の死を迎えた者達を踏みにじり、二度目の生を得た者共が絶え間なく押し寄せる。

 

いくら魔法を使えても、あっさり倒せる数では無い。それ故に、治癒師の彼女からの援護は期待出来ないだろう。

 

「うわわっ! 入ってきちゃダメだよ!!」

 

当然、ハルウララも同様だ。桃色を基調とした軽鎧を纏い、民家に立て掛けてあった梯子を横にして十人以上の屍と押し合いをしている。他のプレイヤー達もそれに参加し、辛うじて防ぎ止めていると言った状況だ。

 

どうやら、背中に背負った巨大なハンマーは彼女にとっては飾りらしい。

 

「ぎゃああああああっ!」

 

残念ながら、襲撃は後方からもあったようだ。村の中から響き渡る叫び声。思わず後ろへ振り向いた彼女達が見たのは、見境無く噛み付かんとする、さっきまで人だったであろう者達の姿であった。

 

「ま、まずいデスよ! このままじゃ、エル達も囲まれちゃいます!」

 

格闘家の彼女が放つ鉄拳が、群がる腐れの一人へ炸裂する。人智を超えたその力は後方に続く四、五人を纏めて吹き飛ばす。だが、その様子を見る暇もなく次の者達が襲い掛かった。

 

村の中に回す手などありはしない。

 

猫の手も借りたい程に迫り来る化物。各々が苦い顔を浮かべる最中、飢えた犬のような唸り声に混じって聞こえてきたのは、幻想などではない確かな科学の叫び声であった。

 

「うわっ! なんかすっごいバンバンって音がするよ! なんだろう?」

 

「こんな音鳴らす人なんて一人しかいないデース!!」

 

幻想世界に科学を持ち込む不届き者と言えば、思わず浮かび上がるとある男の姿。暫くすれば、帽子、葉巻、鉄槌の不審者三点セットを装備した者がきっと出てくるに違いない。

 

 

 

だが、破裂音と共に民家の角から現れたのは、格闘家も治癒師は勿論、ハルウララでさえ全く知らぬ一人の男だった。

 

 

 

そんな彼の手に握られているのは、科学の結晶でもある小銃。そして、先程から鳴り響いていた刻むような破裂音の正体は、その科学の獣が牙を剥く音に他ならなかった。

 

少々汚れた黒いコートをたなびかせ、彼は村の中に蔓延る化物へその牙を次々と向けていく。

 

みるみるうちに減っていく頭数を見るに、後方は彼に任せて良さそうだ。

 

「エル、今の内に魔法で殲滅します! 援護を!」

 

「了解デス! グラスには指一本触れさせません!」

 

左側の対処を一区切り付けると、エルコンドルパサーは大きく跳躍してグラスワンダーの前に躍り出る。彼女の詠唱を止めんとする者共が群れを成して押し寄せるが、腰を落とした正拳や華麗なる回し蹴りの前に儚く散っていく。

 

そして僅かな間の後、赤く輝く杖の先は真っ直ぐと目の前の群勢に向けられた。

 

「燃え尽きなさい! "フレイム"!!」

 

薙ぎ払うように放たれたそれは、前方を扇状に焼き尽くす。やはり、こういった手合いには火葬が一番のようで、効果の薄かった雷とは違い、今度はしっかりと大半の敵を消し炭に出来た。

 

しかし、右翼側に位置する彼女の方にその浄化の炎は行き渡らなかったようだ。

 

「うわわっ!? ど、どうしよう!? みんなゾンビさんになっちゃった!!」

 

未だ勢力の衰えぬ右翼側。懸命に食い止めていたハルウララだったが、盾代わりにしていた梯子が見事に折れてしまい、彼らの侵入を許してしまう。協力して食い止めていたプレイヤー達は、瞬く間にその仲間入りを果たしていた。

 

背負っていた己の獲物を振り回し、なんとか自身から遠ざける事は出来ているが、それも時間の問題だろう。疲労は誰しも平等に襲いくるものだ。

 

そんな最中、彼女の元へ駆け付けたのは格闘家でも治癒師でもない。科学の武器を持つガタイの良い一人の男だった。

 

「伏せろ!」

 

その一声に彼女がしゃがんだのを確認するや否や、彼は引き金に掛かった人差し指を引き絞る。

 

大きな音と共に放たれる回転を帯びた鉄の塊は、少女を襲う怪物の頭へ否応無く降り注ぐ。先の尖ったそれは一人では飽き足らず、更に後ろの者にまで頭蓋骨への穴空け加工を施した。

 

「無事か?」

 

「うんっ! ありがとう、おじさん!」

 

「いや、礼を言うのはまだ早い」

 

男はそう言うなり、まるで彼女を隠すかのように残党の前に立ちはだかる。彼女の視界が大きな背中で埋め尽くされて慌てている合間に、彼の得物が近づけさせまいと火を噴いた。

 

しかし、その火は有限だったようだ。敵の群れの大半を地へと叩き落とすなり、彼の持つ小銃はガシャンと音を立てて止まってしまう。

 

新たな弾倉が装填されるよりも早く伸ばされる腐った手。銃を持つ太い腕は、なす術なくその手に捕らえられる。そして、美味しそうな獲物を前に凶悪な顎が近づいた。

 

「かんじゃダメっ!」

 

流石にゾンビ映画を観ただけあって、脳内花畑の彼女でもその先がどうなるのか分かっているようだ。良くない結末を止めるべく、焦った表情のままゾンビへと体当たりをかました。

 

体の小ささに対して大きすぎるその力をモロに食らった腐れ人は、壁で跳ね返るボールの如く地面を転がり、後ろに連なる幾人かを盛大に転けさせた。

 

「すまない、助かった! それにしても、凄い力だ……俺も見習わないとな」

 

彼女の勇気に感謝を述べ、彼は軽口と共に前を見据えた。目の前の脅威を退けてホッとしている少女の背後から伸びてきた冷たい手を払い退け、その顔面に体重を乗せた拳を思い切り叩き込む。

 

文字通り彼女の力技を見習ったかのように、吹き飛んでいく腐肉の塊。グシャリという鳴ってはいけない音と共に、人の形をしたその塊は五、六人を巻き込みながら地面と強すぎるハグを交わした。

 

その隙に再装填し終えた彼は素早く流れるような射撃を行い、残りの者共を掃討したのだった。

 

「ありがとう、おじさん! すごいかっこよかったよ!!」

 

「フッ、ありがとな。そっちこそ、勇敢で格好良かったぞ?」

 

「ほんとっ!? えへへ、嬉しいな!」

 

花咲く笑顔で礼を言ったハルウララ。男は彼女の真っ直ぐな言葉に微笑みを浮かべると、己の内を包み隠さずに感謝と称賛の言葉を返す。

 

その中に含まれた格好良いという褒め言葉は彼女にとってかなり嬉しかったのか、可愛らしい笑みと共に尻尾をブンブンと左右へ振っていた。

 

「ほら、仲間が呼んでるぞ? 戻ったらどうだ?」

 

「あっ、ほんとだ! じゃあ、わたし戻るね! ばいばーい!」

 

ぼんやりと嬉しさに浸っていた彼女は、駆け足で自らを呼ぶ友人の元へと戻って行く。うらうらと幸せなオーラを振り撒く彼女とは反対に、後ろに佇む男は地面に広がる犠牲者達に目を向けて悲しげな表情を浮かべていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひとまずは無事のようですね」

 

「うんっ! 大丈夫だよ!」

 

「意外と大したことない相手だったデース!」

 

一応、パーティーメンバーが誰一人欠けることなくこの危機を乗り切った三人。村の者達も殆どが生き残っており、それぞれが彼女達と同様に危機を乗り越えた事に安堵していた。

 

「この後はどうしましょうか?」

 

「そんなの決まってます! あのゴルシ先輩の元まで一直線デス!」

 

「わーいっ! あれ? でもゴルシちゃんってどこに居るんだろ? いる場所分かんないや!」

 

「おう! じゃあアタシが案内してやるよ!」

 

会話に割り込む幻の四人目の声。聞き覚えしかないその声の発信源は、エルコンドルパサーの真後ろだった。

 

「こ、この声は……!?」

 

案の定と言うべきか、彼女の背後からひょっこりと顔を覗かせて、全員を驚愕させたのは主犯格であるはずのゴールドシップ本人であった。

 

だが、何故か服装はウマ王のそれでは無く学校の制服のままである。

 

「遂に現れましたね! 今こそエルの格闘術で終わらせてあげます!」

 

「待て待て待て!? 今回のはアタシじゃねえ!!」

 

蹴りの構えを見るや否や、両手を前に出し弁明を始めるゴールドシップ。どうやら、訳ありのようだ。

 

「どういうことでしょうか? 私はてっきりゴルシ先輩がやったのかと思っていましたが……」

 

「あー……犯人はアタシじゃねえ。いやでも、アレもアタシにカウントされんのか? ちょっと訳わかんなくなってきたぞ!?」

 

「一体どういう事デース……?」

 

何やら、色々な定義に頭を悩ませているようだ。しばらくすると、彼女は考えるのが面倒になったのか分かっている事実だけを話し始めた。

 

「とりあえずだな、アタシはこの世界でゾンビ出して遊んでた! それで、オマエらがまた止めに来るかと思ってよ、挟み撃ち出来る様に分身したんだ!」

 

彼女の放った分身という一言に、耳を傾けていた者達の思考が一瞬停止する。しかし侮るなかれ、なんだかんだで彼女の突飛な行動に巻き込まれてきた者達なのだ。この程度であれば、一呼吸置くだけで理解可能である。

 

「そしたら、あのヤローこのゴルシ様を裏切りやがった! そんで、不意打ち食らってカッコいい衣装と色んな権限取られてお外にポイっとされちまった……お陰で今はただの一般ウマ娘だ……」

 

かつて幻想世界で大暴れした輩のどこが一般なのだろう。どこぞの工場長と同様に、彼女も一般という言葉が示す基準を間違えているのかもしれない。

 

「つまり、もう一人のゴルシ先輩……いえ、ここは便宜上、ウマ王としましょう。そのウマ王に全ての力を取られて追い出されたのが、今のゴルシ先輩という事ですね?」

 

「おう、そういう事!」

 

「なるほど! じゃあ、エル達がそのウマ王を倒せば万事解決という訳デスね!」

 

彼女の説明のお陰で為すべき事が明確になる。後は、その目的へ向けて突っ走るだけだ。

 

そんな、勢い付き始めた彼女達の前で黄金の不沈艦はとある物を取り出した。

 

「ほい、コレやるよ」

 

「わーいっ! ありがとうゴルシちゃん! これってなんだろう? いちごのジュースかな?」

 

フラスコを満たすように詰められた薄い赤色を帯びた怪しげな液体。ハルウララの言う通り、かき氷に使う苺味のシロップを薄めたような見た目だ。どうやら全員分あるようで、他のメンバーにも同様に手渡される。

 

「えーと、確か使ったやつの体を成長させるポーションだ! 一年後ぐらいにはなるんじゃね?」

 

「要は、肉体の時間を進めるという事ですね。切り札になれば良いですけど……」

 

「なんか滅茶苦茶怒ってたから多分大事なもんに違いねえ! いやー、闇堕ちしたとは言え流石もう一人のアタシ! セキュリティ面ガバガバだったぜ! 怪盗ゴルシーヌ5世を止めるんだったら工場長クラスのやつを用意するんだったな!」

 

「ぬ、抜け目無いデース……」

 

一応、ゴールドシップが手土産として持ってきた物は、ウマ王が鍵を掛けて保管するぐらいには貴重な代物のようだ。とりあえず持っておいて損は無いだろう。

 

「では行きましょう! 今回の発端を倒すために!」

 

とりあえず、一通りのやり取りを終えた彼女達は、いざ行かんと片足を一歩前へと踏み出した。先頭を行く黄金船の案内に視線が向く最中、四人の背中側からあまり聞き覚えの無い声が掛けられた。

 

「すまない、少し良いか?」

 

「あっ! おじさん!」

 

「げっ!? 嘘だろ……」

 

声の発信源に居たのは、先程の村で見かけた近代の兵器を持った黒いコートを纏った男だった。

 

その姿に一人は喜び、二人は不思議そうな表情を浮かべ、そして残った者は顔をこれでもかと青ざめさせた。

 

「先程少しだけ会話が聞こえたんだが、君達はこれを引き起こした者を知っているのか?」

 

「はい! エル達は今からその相手を懲らしめに行くんデース!」

 

「そうか! なら、俺も同行させてくれないか? 通りがかった身だが、この行為は許しておけなくてな」

 

「ブエノ! エルも同じく許しておけません! そうなれば、今からアナタもエル達の仲間デース!」

 

エルコンドルパサーの右手が男の前に差し出される。見ず知らずの己に全く抵抗感を抱いていないその様子に驚いたのか、一瞬表情も体も固まった彼。だが、一呼吸置いた後に力強くその右手を彼女と同様に差し出した。

 

「ああ、よろしく頼む!」

 

「えっ! おじさんも一緒に来るの? わーいっ! おじさんも仲間だ! うっらら〜!」

 

「……フッ、そうだな……仲間だ」

 

挨拶代わりの握手を見て喜ぶハルウララ。彼女へ優しい笑みを浮かべる男の裏側で、グラスワンダーは少し怪訝な表情を浮かべていた。

 

「確かに、衆寡敵せずとは言いますが……ウマ娘でない普通のお方を引き入れて大丈夫なのでしょうか?」

 

「多分大丈夫だぞ? ゴルシレーダーによるとアイツ強えから。何なら、アタシの体で証明済みだ!」

 

「……? 以前にも会った事があるんですか?」

 

「あるぞ! 一応、夢の中で……」

 

まるで会ったことがあるような言い振りに疑問符を浮かべる彼女に対し、ゴールドシップは是と断言した。

 

だが、それに続けて発せられた場所の情報を言う内に、説得力が皆無であると自身でも認識したようだ。そのせいもあって、言葉の尻尾は頭のようなハッキリとした喋り方では無く、お茶を濁すかのような弱々しいものであった。

 

そうして、微妙な裏付けのある新たな仲間を引き入れた彼女達。その中で、人見知りという言葉を忘れた桜色が、我先にと自己紹介をし始める。

 

「わたし、ハルウララ! よろしくね! おじさん!」

 

右手を上げて己の存在をアピールする彼女。その姿を皮切りに、他の者達も同様に続く。

 

「エルコンドルパサーです! 最強のエルと四人の力があれば勝利は確定デース!」

 

「私はグラスワンダーです。よろしくお願いします」

 

「ゴールドシップだ! なあなあ、アタシの顔に見覚えとかあったりしないよな? あ、いや……無いなら良いんだけどよ」

 

一人だけ不思議な発言をしているが、彼は平然とそれに"無いな"と返すと、どこかこの光景に眩く感じている様子と共に己の名を言い放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レッドフィールド……いや、クリス・レッドフィールドだ。よろしく頼む」

 

 

 

 

 





「あれ? おじさん、変な顔してどうしたの?」

「いや、何でもない。気にするな」

「本当に大丈夫ですか? もしもの時に心を乱していては大事になると良く言いますが……」

彼は少しの躊躇いの後、ポツリポツリと言葉を選ぶように語り始めた。

「……君達には全く関係ない話だが、ここに迷い込む少し前に、友人が遠い所に行ってしまってな。ただ、あまりスッキリとした別れじゃなかった」

「えっ!? もしかして、友達とケンカしちゃったの!?」

「いや……簡単に言えばそいつの為を思ってやった事があまり良くない結果になってしまった。だからこれは……俺が悪い事をしてしまっただけだ」

「……難しいですね。でも、クリスさんが善意を以って動いた事に変わりは無い筈です」

「グラスの言う通りデス! 一旦、腹を割ってお互いに話し合ってみればきっと解決します! エルも話し合わなかったらゴルシ先輩がこんな事になってるって気付けなかったデス!」

「そうだよっ! だから、その人に次会った時にちゃんと"ごめんなさいっ!"って謝れば絶対仲直りできるよ! だっておじさん、良い人だもん!」



「……っ! ああ……そうだな……!」

彼は深いため息と共に何かを見るようにその瞳を空へと向ける。

その声は、酷く悲しげに震えていた。


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驚天動地

 

意気揚々とウマ王の元へと向かおうとするエルコンドルパサー達。だが、とある問題が発生してしまった。

 

「……足手纏いだな、すまない」

 

「うーん……まあ、しょうがないデース」

 

「そうそう、無理なもんは無理だ! ゆっくり行こうぜ!」

 

この中でクリスのみ人間だ。当然、ウマ娘の走る速度についていける訳がない。最高速度もスタミナも彼女達のそれには遠く及ばない。

 

普通の人間は全力疾走を何分も続けられないのだ。

 

それ故に、勢い付いていた心境とは反対にその行軍はとてもゆっくりとしたものになっていた。しかし、走りでない歩みだからこそ出来る事もあるものだ。

 

両脇を木々に囲まれた道を進む中、グラスワンダーはこの時間を有効活用し始めた。

 

「そういえば、ゴルシ先輩はあのゾンビのような怪物について何か知っていますか?」

 

「あー、アイツらか。あれ、オマエの言う通りゾンビだぞ。ヴァーヴァーうるさいから檻にぶち込んでベジタリアン生活させたかったんだけどな〜」

 

ゴールドシップはひょうきんな口振りでグラスワンダーの質問に答える。その後に続いた言葉から察するに、あの腐り人達を解き放ったのは彼女ではなく、ウマ王のようだ。

 

そんな中、ハルウララは腰に手を当てて胸を張ると、自信満々に対ゾンビ知識をひけらかす。

 

「ふっふっふ! わたし知ってるよ! ガブってされたらダメなんだよね!」

 

「ハッハッハ! 甘いな! アタシ達は百回ぐらいまではセーフだ!」

 

「ええっ!? そうなの!?」

 

一般人なら一回噛まれれば終わりだが、ウマ娘はその限りでは無いらしい。だが、ゴールドシップの言葉のニュアンスが正しいのであれば、全く感染しないという訳では無いようだ。

 

どちらにせよ、噛まれないに越した事はない。

 

「オッサンは一発アウトだな! 噛まれないよう頑張れよ〜!」

 

まるで茶化すようにその事実を彼へと伝える黄金船。言うにしても言い方というものがあるだろうと、常識のある者達が思う中、言われた当の本人は朗らかな笑みと共に返事をした。

 

「ああ、気を付ける」

 

まるで、理不尽な事実がさも当然かのように受け入れるその様に、ゴールドシップは勿論、ウマ耳を向けていた者達全員が唖然とした表情を浮かべていた。

 

だが、彼はそんな視線に意識を向ける事なく、静かに手に持った得物を構えた。

 

「おじさん、どうしたの?」

 

「気を付けろ、何か来るぞ!」

 

注意を促すその一言に、彼女達の気は一瞬にして引き締まる。警戒体制に移行したその耳は、彼の銃口が指し示す離れた林から明確な異物の存在を察知した。

 

ただ、彼女達の優秀な聴覚はこれとは別のもう一つも同時に聞き取った。

 

 

 

 

 

先程とは反対側の林から。

 

 

 

 

 

構えると同時に現れたのは、生ける屍達の群れ。ただ一つ違うのは、その中に尻尾と長い耳を携えた者が混じっている事だった。

 

「数が多い! 走れ!」

 

断続的に放たれる閃光が、奴らが近づくよりも先にその頭数を削る。しかし、どうやって隠れていたか分からない程に膨れ上がったその数に、彼は即座に逃げろと指示を出す。

 

「やべっ!? コイツらのパワー滅茶苦茶強えぞ!?」

 

そんな中、人ではない三人の手に掴まれて、出港出来ない黄金船の姿があった。元より強いウマ娘故、たとえ腐っても常人とは比較にならないのだろう。

 

彼女の置かれている状況をすぐさま理解したクリスは、自身の周囲をある程度片付けると、強く大地を蹴りながら二発の弾丸を放つ。

 

一人目はこめかみ、二人目は後頭部、そして残る三人目には速度の乗った左フックが顎へと炸裂した。

 

顔が曲がってはいけない方向に向いているように見えるが、きっと気のせいだ。そうに違いない。

 

「無事か?」

 

「助かったぜオッサン!」

 

「よし、早く行け。ここから抜け出すぞ」

 

あまりにも早すぎるリロードを終え、周りを牽制しつつ皆と同じ方向へ足を向けるクリス。

 

しかし、この屍達が突然現れた理由の答え合わせが、彼の足首を強く捕らえた。

 

「クソっ! そういうことか!」

 

その手は地面を這いずる者から伸ばされたのではない。それよりもっと下の地面の中から伸ばされたものだった。

 

まるで、地獄で蜘蛛の糸を掴んだかのように地より出たるその者は、黄金船を止めていた者と同様の真っ直ぐ上を向いた耳を持っていた。

 

掴まれた足は硬く握られて動かない。

 

「クリスさん!」

 

「俺に構うな! 早く先に行け! 必ず後で追い掛ける!」

 

「わかった! 絶対後から来てね! 約束だよ!」

 

苦渋の決断を無駄にする訳にはいかない。仕方なく彼女達は彼の指示通り走り出す。数匹こちらに気付いて追ってくる中、顔だけ振り返り見た光景は、屍に掴まれたコートを躊躇なく脱ぎ捨てて、噛まれるのを何とか防ぐ彼の姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと撒けましたね……」

 

「力も強くて走れるなんて反則デース……」

 

「ただ、足自体はそこまで速くなかったのが不幸中の幸いですね」

 

なんと、ウマ娘のゾンビ達は他の者と違って元気に走れるようだ。グラスワンダーの発言通り、走る速度は大した事はなくハルウララでも余裕を持って距離を離せる程度であった。

 

「おじさん、大丈夫かな……」

 

だが、それはウマ娘基準での話。普通の人間が逃げ切れる速度では無い。

 

仕方がないとは言え、囮となった彼の事が心配である。

 

「どっちだ……! どっちなんだ……!? 流石のゴルシ様でもこれは予測がつかねえ! こんなの、猫の背中にジャム塗ったパンを乗せた時以来だ……!」

 

心配を寄せるハルウララ達の傍で、ゴールドシップはただ一人頭を抱えながら、深刻そうな表情で独り言を喋っていた。

 

「……一体何の話デスか?」

 

「いや、"何やっても生きてそうなオッサン"vs"強すぎる死亡フラグ"のどっちが勝つか考えてた」

 

半ば呆れた表情で尋ねたエルコンドルパサーへ返されたのは、よく分からない賭け事の内容であった。

 

どちらに賭けるか迷っているようだが、ここは嘘でも彼が帰ってくる方に賭けて欲しいものだ。

 

そんな彼女がどっちに賭けるか決めた頃、道の両脇に生えていた木々は途切れ、目の前に巨大な建造物が現れた。一部の者達が見覚えがあるかのように声を漏らす中、一人だけ辛辣な感想を言い放つ。

 

「わあっ! 凄いおっきい建物だ!」

 

「なんだこの城、あんまりカッコ良くねえな。誰がデザインしたのか顔が見てみたいぜ」

 

「ゴルシ先輩……これ、前回貴方が作ってた物と同じですよ?」

 

グラスワンダーの手によって、黄金船の辛辣な砲撃はブーメランと化したようだ。その証拠に、彼女はしばらくだんまりとしていた。

 

「……お、おい、さっさと行こうぜ! 闇ゴルシを倒すんだろ?」

 

居た堪れない気持ちを誤魔化すかのように、彼女はこの城に入る事を提案する。苦しげな笑みを浮かべたその表情に少し面白みを感じかながら、彼女達は豪勢な扉を開け放ち、警戒しながら内部へと歩みを進めた。

 

しかし、そんな警戒を嘲笑うかのように、廊下も何もかもが静けさに包まれていた。静寂の中に段々と混じってくる不気味さに思わず冷や汗が落ちる。

 

そうして、緊張をただただ浪費させながら、彼女達はウマ王の鎮座する最上階まで辿り着いた。

 

「やーっと来たな! もうちょっと遅かったらドミノでも並べようかと思ってたところだ!」

 

「ああっ!? もう一人のゴルシちゃんだ!」

 

シャンデリアが映える広く豪勢な部屋。真ん中を突っ切るように広げられた赤いカーペットの終点に、その存在を世界に知らしめんとする玉座。

 

王が座るに相応しいその場所に、ゴールドシップそっくりのウマ王は禍々しい圧と共に笑いながら座っていた。

 

「出やがったな闇ゴルシ! アタシの権限さっさと返せ! ログアウト出来ねえだろうが!」

 

「フッハッハッハ! 残念だなもう一人のアタシ! このウマ王様はもう暫くここで遊ぶ予定だ! てか、こっちの事を闇とか何とか言ってるけどよ、絶対オマエは光じゃないだろ!」

 

「なんだと! どこからどう見ても光のゴルシちゃんだろ!」

 

ゴールドシップは己の服とウマ王の服を指差すと、己は光だと主張する。確かに、明るめの色が基調となっているトレセン学園の制服に対し、ウマ王の着ている服は血の色を連想させる赤を基調とした勝負服。

 

言われてみれば、ほんの少しだけウマ王の方が黒々しく感じるかもしれない。

 

そんな、同じ姿の者が同レベルの言い争いをする滑稽な状況。思わず傍観していたくなる中、二人の間に一つの勇敢な影が割り込んだ。

 

「よく分からないお喋りは終わりデース! 今すぐゴルシ先輩に色々と返さなければ、エルの拳が火を吹きます!」

 

大きく跳躍して美しい着地を見せたエルコンドルパサーは両手の拳をより固く握りしめる。そうして、威圧の意を込められて放たれた言葉はウマ王の余裕を僅かに削った。

 

「フッハッハッハ! このハイパーウマ王様を止められるもんなら止めてみな!」

 

その顔が作り出す笑みと共に、彼女は玉座の後ろへと回り込むと、まるでサッカーボールを蹴るかのように煌びやかなそれを蹴っ飛ばす。

 

回転しながら吹き飛んでくる王の椅子。常人なら直撃してゲームオーバーという所を、エルコンドルパサーは格闘士故の強烈なアッパーで迎撃した。

 

そしてそれは、彼女自身の発言通り火を纏ったものだった。

 

「ふんっ! こんなのエルには通用しないデス!」

 

「あ、あっぶねえ……助かったぜエルチキ……あっ、今はちゃんとコンドルしてるか」

 

ゴールドシップの軽口を聞き流しつつ、彼女は棒立ちのウマ王まで肉薄する。

 

そして、己自身の速度を加えた火花を散らす拳が不気味にニヤついたその顔へと叩きまれた。

 

しかし、みるみるうちに顔を青ざめさせ、大きな悲鳴を上げたのは他ならぬ拳を突き出した張本人であった。

 

「あああぁぁぁっ!!! いっっっったいデエエエェェェス!! ど、どういう事デスか!? 何でこんな鉄みたいに硬いんデス!?」

 

「フッフッフ!! アタシは度重なる戦いの末学んだ! 結局、パワーもガードも強い奴が勝つってな! というわけで、このウマ王様はバフ盛り盛りで最強になったんだ! いやー、ご教授ありがとな! ドーナツ職人!」

 

要は、強化魔法を極限まで掛けた結果、鋼鉄の皮膚と重機の如き力を得たようだ。最大限の感謝を込めて、これを思い付くきっかけとなった人物へと彼女は礼を言った。

 

「ゴルシ先輩! ウマ王の言ってるドーナツ職人って一体誰デスか!?」

 

「人の顔面にパンチでドーナツを作れる奴がいてな……」

 

「そんな事するウマ娘聞いたこと無いデスよ!」

 

「当たり前だ! 誰もウマ娘だなんて一言も言ってねえからな!」

 

人なのかウマ娘なのか分からない回答に、エルコンドルパサーはこれ以上考えるのを止め、目の前の事に集中する事にした。

 

そもそも、そんな恐ろしいパンチなど人が放てる訳がないだろう。きっと、どこかのウマ娘に違いない。

 

「エル! 相手が己を強化するならば、こちらも強化です!」

 

「エルちゃん頑張れー!!」

 

ウマ王と勇者。不敵な笑みを浮かべる相手に対し、彼女の表情は少し緊迫したものとなっている。だが、それは力関係の天秤が偏っているからこそ起きるのだ。

 

「ブエノ! さあ、覚悟して下さい! ウマ王!」

 

グラスワンダーの強化魔法とハルウララの応援が勇者に降り注いだ今、その天秤は釣り合った。

 

 

 

床を砕く踏み込みと共にウマ王へと急接近する彼女の体。

 

 

 

己の力も速度も乗ったその一撃が彼女の胸板へと叩き込まれる。

 

 

 

そして、その一撃は間違いなく傍若無人な人ならぬ魔王へ、確かに届き得た。

 

 

 

「いっっってえええ!? 冗談だろ!? こちとら鉄の皮膚だぞ! 何で貫通出来んだよ!」

 

地面に残る二本の引き摺り跡。その衝撃は彼女を地面に転がすまでは敵わなかったが、代わりにその表情から余裕を完全に消し去った。

 

打たれた所を動揺した様子で抑えながら、ウマ王は内に溜まった不満をぶち撒ける。

 

「今のエルは文字通り最強デス! 鉄なんて余裕で砕けます!」

 

「アタシの野望を砕かせてたまるか! 追い強化してぶっ飛ばしてやる!」

 

己の速度にまで強化を掛けたウマ王は、もはや傍観者には見切れぬ速度で勇者へ迫る。しかし、彼女はそれを辛うじて見切ったようだ。

 

繰り出された異常な勢いのドロップキックは、彼女の肩を掠めて空を切る。反撃の兆しかと誰もが思うが、十八番とも言えるその攻撃は掠ってなお破壊力は健在のようで、彼女の体は後方へ吹き飛ばされた。

 

「あんなのまともに食らったら三カウント取られて終わりデース……!」

 

受け身を取りつつ吐いた呟きは誰にも聞かれる間も無く消える。

 

しかし、漏れた言葉とは裏腹にその頭の中には既に対策方法が浮かび上がっていた。

 

それを実行すべく、彼女は再びウマ王へと接近する。

 

「やっぱまた来るよな! ちゃんと直撃させるんだった!」

 

もはや、ただ距離を詰めるだけで残像が見えそうなエルコンドルパサー。どうやら、彼女が良く口に出す最強という言葉は、今日に限っては笑い事では無いようだ。

 

王に相応しい力を得たウマ王が、その表情を歪めている事実が何よりの証明だろう。

 

「助走を取らせたらさっきの危険なドロップキックが飛んでくる事は分かってます! だったら、どうやっても距離を離せない超絶で最強なインファイトで勝負デス!」

 

お互いの拳と脚が届く位置。相手の主力を潰す為、一瞬でも気を抜けば手痛い一撃を食らうであろう重い勝負を彼女は選んだ。

 

そして、会話の代わりに交わされたのは固く握り込まれた自らの拳であった。

 

元より身軽である己の特性を生かし、彼女は素早いスウェーと足捌きでウマ王の破壊力抜群の拳を次々と躱す。まるで、鳥の飛行のように鮮やかな回避の後、ガラ空きの相手の脇腹に見事な回し蹴りが突き刺さる。

 

だが、極限まで高まったウマ王の防御力の前では、それすらまだまだ浅い一撃だ。

 

そんな硬すぎる相手に重い一撃を入れるべく彼女が取った行動は、手痛い反撃を一度受け入れる事だった。

 

「よっしゃ! 直撃ぃ!」

 

下から掬い上げるかのような蹴り。腕で急所に当たるのは防いだエルコンドルパサーだが、強烈すぎるが故にその体は真上へと吹き飛ばされる。

 

「これを……待ってました!!!」

 

不穏な空気を感じ取ったウマ王が見たのは、天井に足をつく彼女の姿。

 

そして、重力と己の力の両方を以って繰り出された流星の如き飛び蹴り。

 

 

 

それは正しく、空から獲物を仕留める鷹の強襲そのものであった。

 

 

 

「よしっ! 直撃デース!」

 

先程の意趣返しのように放たれる得意気な一言。そんな言葉の先で地面を転がるウマ王。

 

だが、まだだ。まだ、目の前の敵は完全には倒れてはいない。

 

「ニワトリと思ったら……ヒクイドリじゃねーか……! どうりでこんなに強いわけだ……!」

 

悪態混じりに立ち上がるウマ王を見て、彼女は察する。ほんの少しで良い。何か後押しするものが必要だと。

 

何かないのかと思考を巡らせたその時、彼女は思い出した。ある意味賭けに近しい部分はあるが、切り札になり得るその存在を。

 

「今こそコレの使い所デス! これで一年後の体に成長すれば、より最強になれます!」

 

懐から取り出したのは一つのポーション。薄い緋色の液体が入ったそれは、ゴールドシップがもたらした強烈な力の籠った一品である。

 

「良いぞコンドル! そのまま成長して闇のアタシをぶっ飛ばしちまえ!」

 

応援もあり、勢い付いた彼女は躊躇いなくフラスコの中の液体を飲み干した。

 

 

 

否、飲み干してしまった。

 

 

 

「……っ!? あ、あれ……なんか力が抜けて……!?」

 

「エルちゃん!? ど、どうしたの!? 大丈夫?」

 

地面に力無く座り込んだ彼女の様子を見て、ハルウララが心配そうに駆けつける。そんな光景を横目に、ウマ王は高らかに笑い始めた。

 

「フッハッハッハ! 引っかかったな! オマエの持ってたそのポーション、このウマ王様が直々に面白い魔法を掛けてやったんだ! いやー、近づいてきてくれて助かったぜ!」

 

「ウマ王! 一体何をしたんですか!」

 

「性能が逆転する魔法を掛けてやっただけだぞ? 効果を倍以上にしてな! 今頃、そこのヒヨコちゃんの体は小学生と同等レベルじゃねえか? 大体十年ぐらい若返ったぞ、良かったな!」

 

「まだ、そんなのが必要な年齢じゃないデース!!」

 

一部の人にとってはとてつもなく欲しいであろうその効力。しかし、元より若さに溢れた者にとって、それは却って毒となる。

 

そんな想定外の毒に蝕まれた彼女は、基本的な行動は問題無く出来るが、行使可能な力の最大値がとてつもなく低くなっていた。

 

「ま、まさか……今アタシが持ってるのも……!?」

 

「おう! もれなくしっかり呪っといたぞ!」

 

「くそっ! 冗談じゃねえ! デバフアイテムなんているか! その顔面にくれてやる!」

 

ゴールドシップは持っていた例の薬品を遠慮無くウマ王の顔面へと投げつける。相手がある意味自分である為か、一切の容赦も無い。

 

素晴らしいフォームで投げられたそれはかなりの速球であったが、残念ながら平然とキャッチされてしまった。

 

「サンキュー! 丁度欲しかったんだよな〜! お礼に良いもん見せてやるよ!」

 

辛酸を舐めさせられたかのように表情を歪める彼女の前で、ウマ王は魔法で巨大なディスプレイを呼び出した。

 

「丁度、面白い映画が上映するんだ! お客第一号として特等席で見せてやる!」

 

「映画! ほんとっ!?」

 

「おう! 最高に面白いぞ! ネタバレすると最後はバットエンドだけどな!」

 

こんな状況にも関わらず目を輝かせるハルウララ。ある意味いつも通りのその様子に、グラスワンダー、エルコンドルパサーはともかく、あの黄金船でさえ何とも言えない溜息を吐いた。

 

そんな彼女達とは対照的にウマ王は黒々しいほくそ笑みを浮かべると、そのディスプレイに例の"映画"を映し始める。

 

「ああっ!? おじさんが映ってる!」

 

驚愕する桜の瞳が見たものは、この城の中で自身達も確かに通った不気味な廊下を、小銃を構えながら早足で進むクリスの姿だった。彼女との約束を果たすべく、彼はちゃんと生き残り、後から追ってきたのだ。

 

「うおっ! あのヤベー死亡フラグへし折ったのかよ!? このオッサンマジで何者なんだ……!?」

 

生存を果たしたその姿に、彼女の怪訝な視線が向けられる。これまで生きてきて、フィクションの中でさえ、アレを打ち破った者を見た事がなかった。

 

そして、その気持ちはもう一人の彼女も同様だったようだ。

 

「アレを切り抜けたのは褒めてやりたい所だが、アタシはさっさとアイツを仕留めて祝杯を挙げたい気分なんだ! というわけで、出さずに取っておいた精鋭に手早く始末して貰うか〜」

 

エルコンドルパサー達が来る際に、やたらと静かだったのはそういう事らしい。

 

ウマ王が悪い笑みを浮かべ、その指をパチンと鳴らすと、画面の中の彼に異変が起きる。

 

『何っ!?』

 

驚きに歪むその表情。身構えた彼の視線の先に現れたのは、今まさに向かおうとしていた階段から押し寄せる、大勢の腐った者達の姿だった。

 

どの者も頭の上に欠けた耳を携えている事から、彼女らの素体がウマ娘だということが伺える。

 

彼に気付くや否や、彼女達は獲物を見つけた肉食獣の如く走り出す。驚きを噛み殺し、その目を細めた彼が取った行動は、手に持つ得物から閃光を放ちつつ、後方へと下がることであった。

 

撃てども撃てども減らぬ止まらぬその濁流に、彼の立ち位置はどんどん押し流されて行く。これでは埒が開かんと思ったのか、彼は今いる場所から丁度横へ伸びる通路へと駆け込んだ。

 

襲撃者達の視界から逃げるように、曲がり角を幾つも通り、彼が辿り着いた先は丁度この城の入り口であった。

 

豪勢かつ邪悪に聳える重そうな扉を見た瞬間、彼の瞳は希望で輝いた。どうやら、広い場所へ出て迎え撃つ算段らしい。

 

だが、それすらもウマ王の予測範囲内だったようだ。

 

『……っ!? まずいっ!』

 

ひとりでに開くその扉。何故か漂ってくる禍々しい雰囲気は、その期待を裏切らなかった。

 

即座に踵を返す彼が見たのは、扉の前で待ち伏せる屍の群れ。もれなく全員ウマ娘であるその者らは、例外なくその足を彼へと向ける。

 

腐り果ててなお健脚とは、何とも厄介なものだ。

 

「ハッハッハッハ! オマエらも見ろよコレ! 映画のワンシーンそっくりだぜ?」

 

逃げ惑い、T字路に追い込まれたクリス。前方と左右から迫り来る脅威に、苦い表情を浮かべるその様子。

 

それは、夢の中で彼にコテンパンにされたウマ王にとって、これ以上ないほど甘美なワンシーンであった。

 

「さらばだ赤いヤツ! オマエの墓はちゃんと赤く塗っといてやるから、安らかに眠ってくれ! あと、祟って夢に出てくるならアタシじゃなくてウマ王の方にしてくれ!!」

 

「何言ってるんデスかゴルシ先輩!? あの人だったらきっと何とかなります!」

 

「そうだよ! あのおじさんすごく強いもん! みーんなすぐやっつけちゃうはずだよ!」

 

両手を合わせるゴールドシップに、まだ彼を信じ続けている二人。そんな最中、最後の一人が出した結論は当然というべきか、最も現実的というべきか、悪く言えば残酷なものだった。

 

「あのお方が強いのは私も承知です。ですが、あの状況は……流石に……」

 

尻窄まりなその言葉。目を合わせずに伝えられたそれは、エルコンドルパサーの根拠の無い盲信を静かに取り払う。

 

負けじと応援を続ける一人の声が虚しく響く。誰もが半ば諦めを帯びた視線を向ける中、画面に映った彼の瞳はまだその色には染まっていなかった。

 

『よし……やれる!』

 

新たな弾倉を装填し、己の武器全てに一度目を通し終えると、彼はそう呟いた。狂人紛いのその発言に誰もが耳を疑う中、彼は左右の通路に目も暮れずに前方の通路へと駆けていく。

 

 

 

そして、そこから先の光景は、まさしく映画のようなフィクションの光景だった。

 

 

 

前方に立つ者共の頭を恐ろしく正確な射撃で次々と撃ち抜きながら通路を進む。そうして、左右と前の三方向からの襲撃を、前後の二方向へと変える。

 

だが、そうなった所で挟撃を受けている事には変わりない。そんな中、彼は目の前に立つ化物の顔面へと渾身の拳を打ち込んだ。

 

その威力は、哀れにも怪物の顔を少し凹ませ、周囲の者を巻き込んで吹き飛ばす。しかし、うつ伏せに倒れた彼女の肩を強引に持ち上げるその腕が、災難がまだ終わっていない事を示していた。

 

『ふんっ!!』

 

彼は今手に持っているものをライオットシールドか何かと間違えているのではないか。そう感じる程の突進を、彼はその丈夫な盾を持ったまま繰り出した。

 

襲い掛かる者達が小石のように吹き飛んでいくその様は、間違いなく車……いや、ブルドーザーか何かを幻視するだろう。

 

そうして、人口密度が最も高いその場所を越えて用済みとなったその盾は、とある者は青ざめ、また一部の者は目を輝かせる方法で後方へと投げ飛ばされた。

 

「すごいっ!! おじさん頑張れっ!!」

 

「げっ……嫌な記憶が蘇る……!」

 

「同感だな……アタシもだ……!」

 

「す、すごいデスよグラス! あの人、ボディスラムの取り方からかなりの距離を放り投げました!! と、とんでもない力デース! もしかして……正体はプロレスラーだったりするんデスか!?」

 

「エル、多分違うと思いますよ……?」

 

各々が反応を示すその光景に続くのは、投げ飛ばされて地面に横たわる体につまづく、ゾンビ達の姿であった。

 

幸運な事に、彼女達はその脚とは違い知能の方はGランクであるのだろう。つまづいた者達に連なる様に転んでいく。

 

そして、転倒した後方の者達と、残り僅かとなった残党を、銃と拳を駆使して撃破していくうちに、二本の足で立つ者は彼を残して皆地に伏せていた。

 

『よし、クリア! 危ない所だった……』

 

ひとつまみの安堵が乗ったその呟きに、ウマ王は驚愕と疑問が入り混じった表情をうかべ、納得がいかないかのようにモニターの前で叫んだ。

 

「はあああっ!? なんでだ!? どっからどう見てもあの場面はやられる所だろ!! アタシの見込みじゃ、アレを突破できる確率はマックイーンがスイーツ食べない確率と同じなんだぞ!」

 

「ふっふっふ! おじさんとっても強いでしょ! わたしも最初はびっくりしたよ!」

 

「……アレは強いの一言で説明つくもんなのか? ゴルシちゃん的にはその……あれだ。一般的な"強い"となんか大きな差がある気がすんだよなぁ……」

 

何故かハルウララが自慢げに胸を張る。微笑ましいその後ろでは、ウマ王と同様に頭を抱えた黄金船が、ヒビの入り始めた常識を前に困惑していた。

 

「きっと、プロレスで地道に体を鍛えてたからこんなに強いんデース!」

 

「確かに、塵も積もれば山となるとは言いますが……山が富士山レベルのような気が」

 

「何言ってんだ……エベレストの間違いだろ」

 

これは鍛えてどうにかなる範疇なのだろうか。なんだか、色々と規格外な気がしてならない。仮にそうだとしても、この力を身に付けるまでに掛かった時間は途方もないものであるに違いない。

 

常識に囚われた者達はその異次元を前にして、脳裏に同じ者を思い浮かべる。

 

 

 

鉄槌を当然のように持ち歩く工場長……

 

過去にあの凶悪お化け屋敷の本店をクリアしたらしい一般人……

 

ウマ娘のドロップキックを受けても平然としているトレーナー……

 

薬物耐性の高いウマ娘用の薬を飲み干してケロッとしている人型モルモット……

 

 

 

もしかすると、人間は案外強い生き物なのかもしれない。

 

 

 

「やべっ!? アイツがもうすぐ来ちまう! さっさと邪魔者は片付けとかねえと!」

 

先程の一件でウマ王の警戒対象はエルコンドルパサー達からクリスへと移ったようで、彼の到着よりも先に彼女達を無力化するべくこちらへと向かってきた。

 

その表情に浮かび上がる感情は、これまでにない程大きな焦りを孕むものであったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荘厳な空気が漂う重そうな扉をゆっくりと開けた後、クリスはその厳つい体に似合わぬ柔軟さでスッとその王の部屋へと身を入り込ませる。

 

最小限の物音で、最大限の警戒を行う彼は入るなり左右へ小銃を向け、敵が潜んでないか確認をした。

 

一旦己の身の安全を確保した後、彼はようやく部屋をじっくりと見回した。

 

華美な装飾が為されているが、不思議と冷たい雰囲気を感じる。そして、何より不気味なのは、置かれている家具の類が空っぽの玉座だけだという事だ。

 

「俺の趣味じゃないな」

 

己の気持ちを一瞬だけ和らげる軽口を挟みながら、彼は玉座へと歩みを進める。何か仕掛けの類があるかもしれないと思っていたようだが、どうやらそれは杞憂のようだ。

 

「ドーンっ!!!」

 

彼以外の何者かの大声。すぐさま身構えた彼の元に突然飛んできたのは、何かがあると思っていた赤い玉座そのものだった。

 

回転しながら飛来するその物体。受け止めるのは得策ではないと判断したのか、彼は真横へと飛び出すように身を転がした。

 

手慣れた回避行動により、己の体を玉座の着色料に変えられずに済んだ彼だったが、もう一つの赤い影が急接近してきた事により、その安堵は打ち砕かれる。

 

「ぐっ!!?」

 

深紅の残滓しか見えないその速度。回避すら間に合わず、彼の身体に強烈な殴打が襲いかかる。その威力は否応無しに重たいその身体を宙に浮かせ、嫌な音と共に後方の壁へと吹っ飛ばした。

 

「おじさんっ!!」

 

その光景を見ていたとある者が心配そうにその声を上げる。なんと、のこのこと部屋に入ってきた者には見えないであろう、玉座の真後ろだった位置に手を縛られたハルウララ達が隠されていたようだ。

 

捕らわれた各々が不安げな表情を浮かべる中、奇襲を掛けた不届き者の顔にあったのは確信した不敵な笑みではなく、ただただ得体の知れないものへと送る驚愕だった。

 

「な、なんでだよ……? 今、完全に不意打ちだったじゃねーか!」

 

そんなウマ王の驚きが向く先には、壁に叩きつけられて地面に落ちる彼の姿が。普通ならあんなものを食らえば立ち上がる事など出来はしない。

 

だが、真ん中から"く"の字に変形した小銃が、彼がまだ戦闘可能である事を示唆していた。

 

「くそっ! まさか、銃が駄目になるとはな!」

 

叩きつけられた衝撃を、まるで受けていないかのように立ち上がると、己の腰に付いている拳銃を躊躇いなく構える。

 

しかし、その引き金には間違いなく躊躇いが生じた。

 

「ゴールドシップ?」

 

服は違えど、その顔は確かに己の知る者だったのだから。

 

「やべっ!? オッサン! そいつはアタシじゃねえ!」

 

彼の一言で全てを察したゴールドシップは、すぐさま真実を伝えようとするが、それよりも先に襲い掛かったウマ王にその言葉は遮られた。

 

「おい! ゴールドシップ! 俺だ、クリスだ!」

 

「おう! ちゃんと分かってるぜ! 赤いヤツ!!」

 

人など平気で吹き飛ばせる、強烈な膂力による一方的な戦い。それもそうだ、勘違いとは言え、片方の視点からすれば元々味方にしか見えていないのだ。それに加えて、もう片方の脳内には半ば仕返しの意が混じっている。

 

当然、まともな戦いになる筈がないだろう。

 

「あれっ、なんかもっと強かった気がすんだけど? 人違いだったか?」

 

「何を言ってるんだ!」

 

「前にオマエに会った時の話に決まってんじゃん」

 

我流であろうその拳や蹴りは、生半可な防御は貫通する。膂力の違いによるものか、戦闘への意欲の違いによるものなのか。

 

どちらにせよ、起こった事実を述べるならば、ウマ王の攻撃はクリスのガードをものともせず、その体ごと吹っ飛ばしてダメージを与えていた。

 

そして、彼の腕を強引に掴み、振り払われるよりも早く力任せにその体をぶん投げる。何の技術も用いていない乱暴な投げ技であるが、その単純さ故にかなり受けづらいようだ。

 

彼は何とか受け身で地面に色々とぶち撒けるのは回避したのだが、誤魔化しきれなかったその勢いに地面を引き摺り回される。おまけに、まだ動く唯一の武器は彼の手を離れて部屋の隅へと転がってしまう。

 

絶望的な状況の中、彼の体が止まった場所は捕らわれた仲間達の真横であった。

 

「っ!? 無事か!? まさか、捕らえられているとはな……気付けなくてすまない……!」

 

今更になって捕虜と化した彼女達に気付いた彼は、懐から見た事もない形状のナイフを取り出して手前のグラスワンダーを縛る縄を切った。

 

だが、当然ながら彼女から飛んできたのは己の状態に関してではなく、様々な動揺を含んだオウム返しのような質問だった。

 

「それはこっちのセリフです! あんなにも攻撃を受けているのに、クリスさんこそ大丈夫なんですか!?」

 

「ああ、問題無い。慣れてるからな。それよりも、これで全員助けてやってくれ」

 

本当なのか、強がりなのか、全く分からないその返答。そんな安心できない言葉と共に彼女の手に渡されたのは、彼が使っていた特徴的なナイフであった。

 

だが、彼がウマ王へ視線を向けようとした時、ハルウララ達と同じように縛られた存在に驚きを露わにする。

 

「どういう事だ……? ゴールドシップが二人……?」

 

当然、クリスは大きく困惑する。何かの装備による変装、整形による変装、それともただのクローンか。

 

この世界に似合わない物騒な思考が脳裏を流れる中、すぐ横から、気ままな春風が吹いてきた。

 

「えーっとね、今赤い服を着てるゴルシちゃんは偽物なんだって!」

 

「そうなのか!?」

 

己の知らぬその情報に彼の顔は驚愕の一色に染まる。そして、援護射撃と言わんばかりに黄金船の言葉が発射された。

 

「おう、そうだぞ! アタシが本物のゴールドシップだ!」

 

「はあ〜!? 何言ってんだ! こっちが本物のゴールドシップに決まってんだろ!」

 

当然、その言葉にすぐさま反論するウマ王。しかし、次の一言に彼女は沈黙を余儀なくされる。

 

「ほーう? だったら、オッサンの名前をフルネームで言えるよな? キチンと自己紹介してたもんな〜?」

 

たった数個の文字の差が、ここに来て凄まじい信用の差を生み出した。この場に漂う静けさそのものが、自らは偽物だという事の証明だ。

 

もはや、隠す気も無くなったのか、わざとらしく悔しそうな表情を浮かべると、ウマ王は腹いせと言わんばかりに赤い液体の詰まったフラスコを投げつけてきた。

 

彼の太い腕に当たり、砕け散るフラスコ。中身は当然、防御した張本人に降り注ぐ。

 

「よーし、流石アタシ! 命中率100%だ! これでオマエは筋トレ前のへなちょこ野郎だ! まあ、ここまでする必要なかったかもだけど、念には念をってヤツだな!」

 

言葉の意味がよく分かってないクリスと全てを理解して顔を青ざめるその他大勢。

 

「ま、まずいデス! これじゃ、折角のパワーが意味を成さないデース!!」

 

力を無くした張本人であるエルコンドルパサーの言葉はどこか悲痛に溢れていた。だが、その喪失こそがウマ王の狙いである。

 

「そんじゃ、お片づけのお時間だ! オマエをぶっ潰した後、残りのお仲間をどう料理するか、考えるだけで楽しみだぜ!」

 

勝ち誇った笑みと共に、彼女の体は加速する。魔法と薬品によって大幅強化されたその脚力は、文字通り残像が見えるスピードを彼女に与え、数メートル離れた男の元へ一瞬で辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、真っ直ぐ突き出したその拳が殴った物は、誰かの腹部などではなく、ただただ宙を舞うホコリだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強化された知覚はスローモーションのように作用する。勇者達御一行が未だに彼女が元いた場所へ目を向けている事や、窓枠に止まる黒い鳥が今まさに飛び立とうとしている所など、様々な情報を認識する事が可能となるのだ。

 

しかし、皮肉にもその覚醒した感覚器官により、彼女は知ってしまった。

 

 

 

半身となって躱された己の拳を。

 

 

 

確かに彼女を見据えるその瞳を。

 

 

 

そして、額へ今にも突き出されんとする右腕の反撃を。

 

 

 

 

「いっっっっっっ!?」

 

知ったとしても避けられない一撃は、ウマ王の体を地面へと叩きつけ、幾度となく跳ねさせた。

 

そうした後に襲い掛かる額への痛みに、彼女は声無き声を上げ、打ち上げられた魚の如くのたうち回る。

 

「痛ってえ……攻撃の瞬間に防御魔法切れるなんて聞いてねえぞ! さっさと掛け直し……あれ?」

 

それを見た瞬間、彼女の思考も何もかもが一瞬だけ凍りつく。脳が理解を拒否する状況とはこの事を言うのだろう。だが、たとえ理解出来たとしても、恐らく彼女はその理解を疑い始めるはずだ。

 

 

 

何せ、今見ているステータス画面が真実ならば、彼は"ただの黒いグローブだけで鉄の塊を平然と殴った"事になるのだから。

 

 

 

砕け散る頭の中の常識。自身の中の常識は一般的な物と比べ、かなり逸脱している筈だと思っていた。それでもなお、今起こっている出来事は彼女のそれでは受け止めきれない。

 

半ば放心状態となっているウマ王に、真の常識破りが右肩を回しながら眉を顰めて静かにこう言った。

 

「悪いが、そうはさせない……!」

 

何故だか先程よりも大きく見えるその体。

 

顔の見た目よりも若くなったように感じるその瞳。

 

放たれる圧は常人の比ではなく、もはや彼女の向けるその視線は、得体の知れないナニカへと送るものとなっていた。

 

だが、不思議と彼の目に彼女は映っていなかった。いや、正確には瞳孔に反射するその姿は間違いなく彼女であるにも関わらず、その反射像は見知らぬ影を幻視させたのだ。

 

 

 

 

 

それは、金の頭髪と赤い瞳を携えた、不気味で異様な男の姿だった。

 

 

 

 

 

 




ウマ王のフラスコ
中に薄い赤色の液体の入ったフラスコ。その正体は、使用者の肉体年齢を一年分成長させる規格外の薬品である。なお、飲んでも浴びても有効だ。

だが、ウマ王自身が服用する為に生み出したこのポーションには、彼女自身も知らぬただ一つの注意文があった。





"これはウマ娘にしか効果が無い"





きっとそれは、性能を弄られようとも変わらぬ絶対のルールだろう。


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伝説

 

優秀極まりない科学者が。

 

規格外の科学で生み出された化物が。

 

サイコパスな天才メカニックが。

 

過去に幻想世界で暴れた鋼の魔王が。

 

そして、完全たるを目指し、神の領域へ踏み込まんとした存在が。

 

どれだけ策を講じようとも、どれだけ理不尽な力を振るおうとも、止める事が叶わなかった一人の男がいた。

 

 

 

この世界において、それは誰も知らぬただの御伽噺だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝ちを確信した筈のウマ王は、非常に焦っていた。

 

ギリギリの所で勇者を例の薬品で無力化し、その御一行達にもその洗礼を浴びせて、確実に捕らえた。

 

その次に、危険そうなあの厳つい男も同様に、ポーションをぶん投げて無力化した筈なのだ。

 

だが、目に映るその光景は彼女を大いに裏切った。

 

「な、なんでだ……? ウマ王の攻撃だぞ!? ちょっとぐらい怯めよ!」

 

風切り音を鳴らす拳、刃物のような蹴り。己の放てる最高峰の一撃をどれだけ並べようと、立ち塞がるその男は倒れない。

 

ボクシングのジャブのような速度重視の軽い攻撃は何事も無かったかのように防がれ、ストレートのような全力の一撃は拳より前の関節部を抑えられ、その出鼻を挫かれる。

 

だが、仮にフルパワーのそれを放てたとしても、その天秤がひっくり返る訳では無い。

 

「今だ!」

 

伸び切った腕を抱え込まれ、お返しとばかりに放たれる裏拳。地味で映えないその一撃は、それを補って余りある程の威力を有していた。

 

「いっっってえええ!!? 何なんだオマエ!? 鉄殴る趣味でもあんのかよ!」

 

頬を痛そうに抑える彼女。本来ならば戯言と流される今の言葉だが、今回に限っては絶対にあり得ないとは言い切れない。

 

「……そんな趣味は無い」

 

変な間を置いて返される呟き。何故か躊躇いを含むように感じるその言葉からして、趣味でないが似たような経験があるのかもしれない。

 

そんな疑い深い言葉を耳に入れつつ、彼女が次に取った行動は反撃を食らった時とは違う、全身全霊での猛進だった。

 

「こうなったらウマ王流の瞬間移動見せてやるぜ! ぶっ飛ばされて壁貫通して外に落ちても知らねえからな!」

 

床が割れる程の勢いで踏み込んだ後、彼女の姿は文字通り霞となって消える。傍観者全員が一体何が起こったのか理解が追い付かない中、彼は咄嗟に右肩を後方へと反らした。

 

そして、乾いた破裂音と共に彼女は姿を現す。

 

彼の脇腹ギリギリ当たらないその場所へ突き出されたその拳。音すら一バ身差を付けて置いていった筈のそれを見て、彼女は動揺を露わにすると同時に、再度その姿を幻影と変化させる。

 

速過ぎるあまりに視認出来ないそれを前にして、彼はすぐさま身をかがめ、後方へと足払いを掛けた。

 

「うおっ!?」

 

頭上を通り過ぎる剃刀のような蹴りの直後、体を支える唯一の片足へとそれは見事に突き刺さる。

 

当然、彼女はなす術なく地面に転がった。

 

「ちくしょー……おい! なんでアタシの攻撃が避けれて、オマエの攻撃が当たるんだよ!」

 

「悪いが、似たような経験があるんでな」

 

どうやら、彼は彼女のスピードを見切った訳では無いらしい。これまでに己の目で感じ、その身体で切り抜けてきた過去の財産が、彼に力を与えているのだろう。

 

だが、その意を汲み取ってなお彼女の疑問が晴れる事は無い。

 

 

 

一体、何をどう経験すれば今のが捌けるようになるのだろうか?

 

 

 

そんな一文が、雲のようにモヤモヤとその脳裏に浮かぶ。だが、今のウマ王以上に速い存在など、現実と幻想の両方を含めた世界の何処に居るというのだ。

 

結局、何も分からず終いである。

 

そうして、この積もり積もった不満を彼にぶつける事へとその思考は巻き戻った。

 

だが、再び加速した彼女へと予想だにしなかった衝撃が襲い掛かる。

 

「ぐえっ!?」

 

「あ、あの速度に対してラリアット……!? 常人なら首が消し飛びそうデース……」

 

「相手がウマ王で良かったですね」

 

「あれ、アタシがおかしいのか……? どっからどう見てもアレにラリアットかました腕の方を本来心配すべきだろ!」

 

一応、今のウマ王の皮膚は文字通り鉄並みの硬さと質量である。そんなものが高速で移動している所に腕など出せば、普通はどっちがどうなるかなど言うまでもない。

 

……多分、きっと、恐らく、幻想世界だから大丈夫なのだろう。

 

「へっへっへ……! 今のはあんまし効かなかったぞ! やっと、ポーションの効果が出て……」

 

当たりどころが良かったのか、未だピンピンしているウマ王。もはや、口を開く余裕すらある。

 

しかし、彼女は知らなかった。

 

 

 

今の一撃が、悪夢の序章に過ぎない事を。

 

 

 

「ふんっ!」

 

「……っ!?」

 

そう、それは地獄のような連撃の開始を示すゴングであった。

 

彼のフッと息を吐く音と共に繰り出されるは、腰の乗った右フック。その直撃と同時に始まる左フック。

 

そして、それが当たれば次はボディーブロー。その次は……と言うように彼女へ拳の嵐が襲い掛かった。アッパーやフック、ジャブなど多岐にわたるそのパンチが、反撃する間も無く迫る。

 

いや、正確には、左、左、右、と単純ではなくフェイントを織り交ぜている故に、どこで反撃するべきなのか分からないのだ。

 

さらに、衝撃で揺らいだ視線の丁度死角となる場所に突き出される彼の拳が、尚更タイミングを読み辛くしていた。

 

おまけに、彼女に当たるごとにその身が大きく怯む事から、この地味なパンチ全てが見た目にそぐわない威力を秘めているらしい。

 

そんなものを前に、もう既に声など出してる余裕など無い。防げるものを防ごうとするだけで、今の彼女は手一杯である。

 

「おじさん頑張れ〜!!」

 

防戦一方となっているその姿に、直接戦闘したエルコンドルパサーを始め、何故か彼の強さを知っていたゴールドシップまでもが信じ難い光景を前にただただ唖然としていた。

 

唯一、映画感覚で応援を続けているのはハルウララだけだ。

 

「なあ、誰かこの無知で愚かなゴルシちゃんに教えてくれ……幻想世界ウマネストはアップデートが入ったんだよな? ウマ娘側が強すぎるから、人間側と平等になるように修正されたんだよな!?」

 

「そんなもの一切されてない筈ですが……でも、これは流石に目を疑うと言いますか……幻か何か見ているような……」

 

「頬っぺたつねったらちゃんと痛いデス……! これは夢なんかじゃないデース!」

 

「これが夢じゃなかったら、あのオッサン強すぎだろうが!? 今の闇ゴルシちゃんはあのマッスルお化けのライアンでも勝てねえレベルなんだぞ!?」

 

脳は真に理解出来ないものを見ると、現実逃避をし始めるように出来ているのだろうか。だが、悲しきかな、幾ら逃避しようとも目の前で繰り広げられる常軌を逸脱した戦いが、頭の中に"現実"の二文字を叩きつけてくる。

 

 

 

そして、その現実はマグナムの様な右ストレートで締め括られた。

 

 

 

「ぐふっ……オマエ、本当に……人間かよ……!? 中身絶対ゴリラだろ……!」

 

最後の一撃をモロに食らったウマ王は、丸められた紙切れの様に吹っ飛び、地面に体を擦り付ける事となった。満身創痍となって地に這いつくばる彼女が放った悪態は、労るように肩を回す彼にはこれっぽっちも届かない。

 

それに、もし相手がただのゴリラだったとしても、こんな悲惨な事にはなっていないだろう。

 

「クッソー、このゴリラ野郎……! 衰えたんじゃないのかよ!?」

 

「ああ、確かに衰えた! だから戻したんだ!」

 

「はあっ!? 戻したって……そんなのアリかよ……!?」

 

きっと、彼女の言う"衰えた"はあの不意打ちで投げ付けたアレによる効力の話をしているのだろう。

 

だが、彼の言う"衰えた"は違う。生物であれば避けられぬ一つの宿命、その事を指している。

 

そして、その後に続く言葉が真ならば、それは血の滲むような努力が成し得た一つの神秘だろう。

 

だが、忘れてはならない。

 

 

 

老いすら覆すその努力は、ある意味一つの狂気である。

 

 

 

「ワケわかんねえ……! 戻したって言ってもパワーもスピードも確実にアタシの方が上のはず……というか、こっちはウマ娘にバフ掛けてんだぞ!? なんで良い歳こいた赤ゴリラが互角に……?」

 

絶望という名の底無し沼に両足を突っ込んでしまった彼女は、自身の抱える不満をぶちまけた後にようやく気付く。これまでの戦いで感じていた違和感に。

 

 

 

単純な力だけでは反撃出来ないコンビネーションパンチ。

 

全力での攻撃を許さない抑え。

 

常軌を逸する速度への異常な慣れ。

 

 

 

そうして、脳裏に浮かび上がる一つの結論に彼女は頭を抱える事となる。皮肉な事に、ウマ王はあのゴールドシップの分身体。破天荒だが、バカでは無い。それ故に、気付いてしまったのだ。己の出した答えの異常性に。

 

 

 

まるで……まるで、彼の戦い方は"己よりも力も速度も強い者"に抗う事を前提としているではないか。いや、抗ってきたはずなのだ。そうでなくては、不可視の速度に予測で食い付いてきた説明がつかなくなる。

 

だが、今のウマ王に匹敵するスピードとパワーを持つ者など他にいない筈。もし、そうであるならば……

 

 

 

 

 

目の前の男が、今まで戦ってきた相手は一体何なのだ?

 

スピードもパワーもウマ娘、いやウマ王と同等かそれ以上。そうなれば、彼女の頭の中に残った、言葉の候補は二つしかない。

 

 

 

 

 

 

それは……ただの怪物か化物だ。

 

 

 

 

 

 

気付いてしまったウマ王の瞳は、絶望の沼に沈み切る。彼と対峙した者が漏れなく味わうであろうその感情。そんな、深く重々しいそれに押されるようにして、彼女の足は後ろへと動き始める。

 

「……っ!? こ、こっちに来んじゃねえ!」

 

彼女は自身を覆うような球状の膜を張る。ただそれだけで、この場所の空気が冷え切った事から、あまり触れて良い物では無さそうだ。

 

「絶対零度のバリアーだ! 触れたらカチンコチンだぞ!」

 

膜と地面の接点が、その言葉通りに凍り付く。近接戦闘を主とする者にとっては、天敵のような魔法である。

 

だが、鼠が猫を噛むように、天敵が捕食対象に襲われない保証など、何一つ無い。

 

「ふんっ!」

 

「はあっ!? マジか……ぐあっ!?」

 

ガラスが割れるような尖った音と共に、その左拳は彼女の顔へと叩き込まれる。何度目か分からない地面とのハグの後、耳を疑うような一言がその耳へと投げ掛けられる。

 

「経験上、片腕までなら問題無い!」

 

握った状態で凍り付いた左腕を、強引に開きながら彼は確かにそう言った。残念ながら、彼の辞書の中にある"躊躇い"の言葉は、命に関わらなければ適用されないらしい。

 

流石にとち狂ったその行動に対し、ゴールドシップは思わず声を上げる。

 

「待て待て待て、オッサン! 経験上ってどういう事だよ!? 液体窒素に片腕突っ込んだりしたのか!?」

 

「なっ!? どうして知っている!」

 

「……マジかよ」

 

絶対零度とはかなり温度の差がありそうだが、彼にとっては誤差の範囲内なのかもしれない。

 

いつもの突飛な発言が偶然にも正解を引き当ててしまい、黄金船は顔を引き攣らせながらおふざけ一切無しのトーンで魔法の言葉を吐いたのだった。

 

「うっ!? もしかしてエル達のトレーナーも本気になればこうなって……!?」

 

「エ、エル! ほら、深呼吸です! 今はとにかく落ち着きましょう!」

 

「あれ? なんでみんな慌ててるんだろう?」

 

各々が謎の頭痛に苛まれる中、ハルウララはただ一人キョトンとした様子で、仲間の慌てぶりを見ていた。ある意味、目の前の光景をありのままに受け入れているのは彼女だけかもしれない。

 

そんな彼女達の慌ただしい声を聞きながら、ウマ王はゆっくりと立ち上がる。もはや、その目に映る色には闘志などこれっぽっちも無い。むしろ、真正面からの戦闘をどうやって避けるか考えているような目である。

 

「閃いた! 重量差でぶっ潰せば勝ちじゃん! おまけに避けられないようにしたら完璧だ!」

 

彼女の脳裏に浮かぶ、とある一つのプラン。どこぞのプロペラお化けを参考にした、卑劣な戦略。力が通じないならば、策を講じれば良いのだ。

 

「おらおら! コイツを食らえ! 避けたら後ろの奴らがペチャンコだぜ!」

 

彼女がそう言って呼び出したのは、頭から尻尾まで15メートル程もある一匹の巨大な飛竜。ただ一つの特徴として、全身がゾンビと同様に腐り果て、片翼が完全に無くなっている。それ故に、幾ら観察しようともその原型は浮かび上がっては来ない。

 

「うわわっ!? なんかすっごく大きいのが来たよ!?」

 

「クソっ! 新手のBOWか!」

 

「びーおー……だぶりゅー?」

 

聞き慣れない言葉にハテナを浮かべるハルウララ。だが、そんな可愛らしい彼女に意味を説明する間も無く、目の前の腐竜は美味しそうな獲物を前にその手足を動かして、晩餐場へと駆け出した。

 

まるで地を這うように突っ込んでくるその存在を前に、彼は己の背後を一瞥する。

 

そこに居るのは、ウマ王に無力化された"仲間"の姿。その表情は未だ驚きに歪んだままだ。

 

「やるしかない……!」

 

そうして彼が取った行動は、大きく開いたその顎へと向かっていく事だった。

 

正気の沙汰では無いその行動。頭のネジをどれだけ飛ばせば出来るか分からぬそれに応えるように、竜の顎は迫る。

 

「くっ!!」

 

歯噛みの音と共に竜の上顎と下顎を掴む手。まるで、大きな彼の手が子供のそれに錯覚してしまう程のサイズ感の差。だが、その重量と大きさの差を覆そうと、彼は足掻き始める。

 

無慈悲にもジリジリと押し出されていく己の足。段々と後退の速度が上がっていくそれを見て、彼は下顎を掴む右手を離す。

 

解放された顎を嬉しそうにバクバクと開け閉めする腐った竜。だが、その自由と引き換えに襲い掛かったのは、固く固く握り込まれた拳だった。

 

「ふんっ!!」

 

ファンタジーなこの世界。そこに住むお相手もまさか剣や魔法でなく、ただの拳で反撃してくるとは思わなかっただろう。なんの変哲も無い、ただの黒い手袋は防具としても武器としても役には立たない。

 

だが、起きた事だけ挙げるなら、そんな嘲笑など塵と化す。

 

 

 

何せ、歯並びの悪い下顎は上顎へと突き刺さったのだから。

 

 

 

「ふんっ!!!」

 

牙が見事に刺さり開けなくなったその場所へ、追い討ちのように打ち込まれる膝蹴り。

 

有難い事に、彼は歯並びを気にしなくて良くなっただろう。その理由は辺りに飛び散った白い破片を見れば嫌でもわかる。

 

今の衝撃か、それとも抜歯のショックか分からないが、腐竜は明らかに怯みを見せた。そんな隙を彼が見逃す筈もなく、太すぎる両腕がその首へと回される。

 

「くっ……うおおおおっ!!!」

 

絞り出すように吐いた雄叫びと共に、その左足は突進を止めるべく、砕けんばかりの勢いで床に押し付けられる。そして、ブーツがギュッと地面を噛むや否や、その支点を軸にして円を描くように大きすぎる首元を投げ飛ばした。

 

己自身の勢いが仇となって投げ飛ばされたその竜は、グラスワンダー達が居る場所のすぐ真横をレースでクラッシュした車の如き勢いで転がされ、最後には壁をブチ破って城の外へと落ちていった。

 

「はあっ……はあっ……はあっ! 良かった……! 何とか無事か!」

 

盛大に息を切らしながら、仲間の無事を安堵するクリス。

 

確かに、彼女達は肉体的には無事である。

 

だが、脳の理解を司る部分は負荷をかけ過ぎたCPUのように真っ赤に燃え上がっていた。きっと、その頭から上がる湯気は幻覚などでは無いだろう。

 

「ぐ、グラス? 当然、あの人に強化魔法掛けたんデスよね?」

 

「な、なんだ! 驚かせやがって! そうならそうと早く言ってくれれば良いのによ!」

 

「えっ!? でも、グラスちゃん杖振ってなかったよ!」

 

ハルウララの発言に凍り付く場。錆びたブリキ人形のように、彼女達の視線はゆっくりとグラスワンダーへと向けられる。

 

「私は……クリスさんに一切魔法を掛けてません……」

 

己の放つ言葉が信じられないと言った表情で、彼女は真実を語った。力を上昇させる魔法、反射神経を向上させる魔法、氷などの属性に耐性ができる魔法すら彼女は掛けていなかった。

 

そして、己の魔力は強化魔法が唱えられる程残っておらず、最後に魔法を行使したのはエルコンドルパサーがウマ王と戦う時だと言う。

 

そんな情報から導き出した答えを、ハルウララは元気良く言い放った。

 

「わかった! じゃあ、魔法も要らないくらいおじさんが強かったって事だよね! すごいすごいっ!」

 

「確かに、一言で言えばウララちゃんが言う通りなんですが……」

 

確かに彼は強い。間違いなく強いのだが、規格が違うのだ。例えるなら、自転車での"速い"と、新幹線での"速い"を比べるのと同じだろう。

 

「エルチキ……オマエは最強なんだろ? あっちで一緒に戦ってきたらどうだ? ほら……今はオマエのパワーも大人の男ぐらいに収まってるし条件は……い、一緒だぞ!」

 

「ゴルシ先輩、その言い方は卑怯極まりないデース! 今のエルは万全じゃ無いんデスよ! 真の最強を決める勝負は……お互いに万全になってからデース!」

 

なんだか最後の言葉に自信が無さげなエルコンドルパサー。だが、より自信を喪失した存在が居ることを忘れてはならない。

 

「……アタシが召喚したのは、一応腐ってたけど竜だったよな? 重いし、デカいし、強いヤツだったよな……? 嘘だろ……マジもんの化物じゃねえか……!?」

 

ウマ王は思う。

 

彼の名の赤の部分は血なのだと。

 

きっと、彼を敵に回した者達が無残な死を遂げて赤く染まった平原そのものなのだと。

 

「分かったぞ! アタシを消しに来やがったんだなこの死神野郎!」

 

そうして辿り着いた一つの結論を、彼女は容赦無く罵倒のように吐き捨てる。本来だったら気にも留めぬその言葉は、何故か鋭い刃物となって彼の大事な何かに突き刺さった。

 

「……っ!? 死神……か」

 

まるで、永久の別れを前にしたようにその瞳の色は悲哀に染まり、ただただ悔いるように握り込まれた拳と食いしばられた歯。

 

たった一瞬であるが、彼は確かに痛みに溢れたその表情を露わにした。

 

しかし、瞬き一つ。たったそれだけで、彼の纏うその圧は敵対者に恐怖を与えるそれへと戻る。

 

「悪いが、今回はそうなるつもりは無い!」

 

威勢よく放ったその言葉。だが、そんな勢いとは裏腹にその言葉を支えているのは、幾多もの悲しみと強い決意なのかもしれない。

 

何せ、彼の言葉を真とするならば、過去に相応の行いをしてしまった筈なのだ。彼女が脳裏に浮かべたその存在が意味する事と同様の行いを。

 

幸運にも、彼女は彼に気圧されて、その意味をしっかりと理解するに至らなかった。

 

「だったら、これで大人しく地面に這いつくばってろ!」

 

ウマ王が両手を天に掲げた途端、この場所だけでなく、世界そのものに異変が起きる。

 

地面やこの王の部屋を眩く照らしていた太陽が瞬く間に陰り、その代役を務める様に光り輝く幾重もの雷。まるで、この城を中心とする様に渦を巻く、白を捨てた雲たち。そんな黒々しい螺旋を後押しする暴風。

 

何か、非常に不味い事が起きようとしている。

 

勇者達の嫌な予感が現実となるかの様に、城の天井を形成するブロックが次々と空へと逃げていく。役目を放棄した彼らによってポッカリと空いた大穴を通して、彼女達は空を仰いだ。

 

そして同時に、その目は驚愕に見開かれた。

 

 

 

彼女達は見てしまったのだ。その螺旋の中心からこの城目掛けて落ちてくる物体を。

 

 

 

 

 

それは正しく、隕石以外の何物でも無かった。

 

 

 

 

 

「フッハッハッハ! 特大のつけもの石……いや、つけもの岩だ!! 全員まとめてぬか漬けになっちまえ!」

 

あんな物で何かを漬けようものなら、もれなく粉砕されて無残な結果となるか、浸かりすぎて地面の味が染み込んだ一品が出来るだけだろう。

 

漬物の真髄を間違えたウマ王は今の言葉を言い放つと、窓から勢い良く飛び降りる。あの彼女が躊躇いなく逃げるという事実は、アレがそれだけの威力を秘めているという事を暗に示していた。

 

当然、彼女達も同じように避難を試みるが、たった一つ懸念があった。

 

「た、高いデース……今のエル達が飛び降りて大丈夫な高さじゃありません!」 

 

そう、あのとんでもない薬品によって、彼女達の肉体はとてつもない弱体化を受けている。通常の状態ならまだしも、今の彼女達にとってはただの自殺行為だ。

 

どこぞの一般人でも、下に何かクッション代わりの物が無ければ死ぬだろう。

 

「私が魔法で何とかします! 恐らく地面ギリギリで発動すれば……問題ない筈です」

 

「わかった! じゃあ、いっせーのでみんなで一緒にジャンプすれば良いかな?」

 

「発想は何一つ間違ってねえけど、なんかゆるく感じるんだよな……その言い方」

 

だが、ハルウララの名案は早過ぎる隕石の到来によって、床もろとも砕け散った。

 

「うわわっ!?」

 

衝突の揺れと割れゆく足場に体勢を崩され、彼女の体は一足先に宙へと投げ出される。当然それに気付いたエルコンドルパサーとグラスワンダーが、バランスを取ろうと必死になっている手を掴むが、彼女の背負ったトレーナーリスペクトの品が文字通り重荷となった。

 

「「あっ……!」」

 

気の抜けた声と同時に、彼女達の身も桜の花びらの如く宙へと投げ出される事となる。"デエェェェス!?"とよく分からない叫び声を上げる小鳥の横で、大和撫子は可能な限り冷静さを取り戻し、元々予定に入っていたその魔法を唱えた。

 

「ふう……危ない所でした」

 

「み、ミンチにならなくて良かったデース……」

 

「ありがとうグラスちゃん! エルちゃん!」

 

安堵に似た空気が漂っているが、まだ安心には程遠い。次に飛び降りてくる者達を助けなくてはならないと、グラスワンダーは上を見上げた。

 

だが、その視界に映ったのは降下の第二陣ではなく、先程の半分程度の高さになった無残に砕けた城だけだった。

 

「そ、そんな……!? ゴルシ先輩! クリスさん! 居るなら返事をして下さい!」

 

だが、その焦りを含んだ声への応答は上からではなく、彼女達と同じ地面に立つ存在から返された。

 

「よお! 良い感じに分断されたな! 今のオマエらだったら、余裕で魚の餌……いや、ゾンビの餌にしてやれるぜ!」

 

「う、ウマ王……!」

 

何という間の悪さであろうか。主力が不在の今この瞬間に、彼女達は出会ってしまった。間違いなく魔王と呼んでも差し支えない力を持つ存在に。

 

「こ、こうなったら、やるしかないデス! ウマ娘でもないあの人が戦えたなら、今のエル達でもきっと戦えます!」

 

「わたし、頑張って応援するね! フレー! フレー! エルちゃん!」

 

「あの……もしかしてウララは、エルに一人で行かせようとしてません?」

 

「あれ? そうじゃないの?」

 

勘違いとは恐ろしいものだ。可愛らしい応援が、たちまちに鬼のような叱咤へと変わってしまうのだから。

 

ポンコツをかますハルウララ達を前に、ウマ王は好機と思ったようだ。まるで、どこかの工場長のような不敵な笑みを浮かべると、辺りに散らばった瓦礫を己の魔法によって固め、何かを形作っていく。

 

低く鈍い音が連なる中、彼女の手によって生み出されたのは五メートル程もある、人造の巨人であった。

 

「思ったよりこれ作るの大変だったな……もしかして、フランケンシュタインやべー事してたのか? あのサイズ一瞬で作るって……」

 

過去を思い返すかの様に眉を顰めながら、ウマ王は膝をつく巨人の肩へ乗る。その様はまるで、怪物を従える魔王そのものだ。

 

そうして、立ち上がって瓦礫の人形はほくそ笑む魔王の指示に従うように、その両腕を振り上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲホッ! ゲホッ! うわっ!? ゴルシちゃんの服が粉まみれじゃねえか! アタシは揚げ物じゃねえんだぞ!」

 

瓦礫の山から姿を現す一つの影。尻尾も服も顔も粉塵まみれとなったそれは、紛れもなくゴールドシップ本人だ。

 

「ってか、ボケっとしてる場合じゃねえ! アイツ……あのオッサンはどこ行った!? さっきのあれが最後とかアタシは許さねえぞ!」

 

全てが崩れるその瞬間、クリスは襲い来る瓦礫から彼女を庇った。そして、既に屋根が無くなった箇所へ有無を言わさずぶん投げたのだ。その結果、服と体が灰色に着色された黄金船が出来上がった。

 

だが、同じように着色されているであろうもう一人分の人影は未だ見当たらない。

 

「恩ってクーリングオフ出来んのかな? 一方的に売られたからいけるよな?」

 

借りはしっかり返したいのか、色々と呟きながら彼女は彼が最後に立っていた場所を探る。

 

だが、探るまでもなかったようだ。

 

一際大きな瓦礫がガタガタと音を立てる。少しずつ動こうとしているそれに、ゴールドシップは半ば確信を持ちながら己の力を貸した。そして、その場からズレるように動かされた瓦礫の下から、彼女の予想通りの人物がその姿を露わにした。

 

「すまない、助かった!」

 

「……今更言うのもアレだけどさ、オッサン半分人間やめてるよな。とにかく、これで借りは返したぞ!」

 

流石の彼も、建物の崩落に巻き込まれて無傷というわけでは無いようだ。筋肉質な身体を覆うただの黒いインナーは、瓦礫の直撃を受けてボロボロだ。おまけに、顔や手足に軽く血の滲んだ擦り傷が幾つか見受けられた。

 

「君達は無事か?」

 

「アタシは無事だけどアイツらがどうなのかは分かんね」

 

彼の他者を案ずる言葉に、彼女は辺りを見回した。

 

曇り空や景色が一望出来るようになった天井や壁。ぶっ飛んだ解体工事によって背の縮んだ城。床に四分の一ほどめり込んだ例の解体業者。そんな光景を何とも言えない表情で確認していると、肝心の仲間達を発見する。

 

「お、居たぞ! でも、アレやばくね?」

 

「……っ!? どういう事だ?」

 

彼はゴールドシップと同じように、身を乗り出して地面を見渡した。そこに映ったのは、瓦礫で出来た巨人と、それに襲われる仲間の姿だった。

 

「クソっ! 何か手は無いのか……!」

 

しかし、幾ら彼がその目を凝らし、必死に考えようとも、銃も何も役立つような物は見つからないままだ。策など何一つ思い浮かばない。

 

手をこまねいている間にも、下の状況は悪くなっていく。そして、二名の仲間が膝をついた。

 

「て、手強いデース……一体どうやって勝てば良いのかわかりません!!」

 

「くっ! どうすれば良いんでしょうか……?」

 

そこにゆっくりと近づいていく、巨人の前に小さなピンクの影が立ち塞がる。

 

「だ、ダメだよ! もうひとりのゴルシちゃん!」

 

身を挺して二人を守るその英雄的行動。そんな勇気を感じさせる光景は、一人のちっぽけな存在の心を酷く、無残に抉り、その狂気を露わにさせた。

 

「……っ!!! そうだ、この岩をアイツに落とせれば……!」

 

「お、オッサン? 今なんて言った……?」

 

あの彼女が己の耳を疑ってしまう、頭のネジが全て取れたかのような発言。誰もが、彼の思考回路が壊れてしまったと思わざるを得ない程のイカれたその呟きを口にしてなお、彼の目は至って真剣だ。

 

一体、その姿に何を幻視したのだろう。ただ一つだけ確かな事は、それが人を狂わせる程の何かを秘めているという事だ。

 

正気ではないその思考に背中を蹴っ飛ばされるかのように、彼はその直径四メートルを超える大岩に手をかける。

 

「ふんっ!!!」

 

もはや、呆れたようにただただその様子を眺めるゴールドシップ。そんな彼女の目の前で、彼は必死に岩を押す。しかし、当然その岩はびくともせずに鎮座したままだ。

 

 

 

「させるか……! させるものか!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、伝説と呼ぶには余りにも泥臭かった。

 

聖剣を抜いた勇者のような派手さも無く、魔法のような華やかさも無く、美しさとは無縁な血と汗にただただ濡れていた。

 

だが、その行動が為し得た事を見るのであれば、それは正しく伝説だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで何かを悔やむかのように彼は吠える。そして、その意思を込めて出されたのはたった一つの拳。

 

 

 

一発目の強烈なフック。

 

 

 

それは、重く鈍い音を立て、岩へと突き立てられる。

 

岩は一切動かない。

 

 

 

二発目の猛烈なフック。

 

 

 

余りの威力にグローブは裂け、その内に赤いものが垣間見える。

 

そして、微かに岩が動いた。

 

 

 

三発目の激烈なフック。

 

 

 

もはや、人の限界点など優に超えた、己の身すら厭わぬ一撃。

 

それは、確かに岩を動かした。

 

 

 

僅かに浮いたその岩を持ち上げるように、彼は歯を割れるほどに食い縛り、両手に尋常からかけ離れた力を込める。

 

「くっ!!! うおおおおおおっ!!!」

 

それは、誰しもが目を疑う光景だった。

 

たった一人の男が、己の力のみで、身の丈を遥かに超える大岩をゆっくりと持ち上げ始めたのだから。

 

そして、持ち上げた岩を抑えるように肩を当て、全身の筋力を振り絞りながら、彼は再び右手を大きく引き絞る。

 

「ふんっ! ふんっ!! ふんっ!!!」

 

まるで、それしか出来ないと言わんばかりに繰り出されるアッパー。

 

一発目は戻ろうとする岩を止め、二発目は追いやるように岩を押す。

 

そして、三発目はその硬い硬い表皮が拳に負け、浅い亀裂が入り始めた。

 

「ふんっ!!!!」

 

トドメの四発目。それは確かにその表皮を砕き、大岩を重力から解き放つ。

 

そうして、不安定になったその状態へ繰り出されたのは、全身全霊を乗せたタックルだった。

 

 

 

 

 

さながらバスケットボールのような、その大きさからは到底信じられない軌道で飛んでいく大岩。まるで、幻覚にしか見えないそれは、頑丈な床で一度だけ弾むと、下に立つ巨人へと真っ直ぐ落ちていく。

 

雲の切れ目から覗いた太陽光を遮るように飛来するその様は、もはや隕石では無かった。

 

 

 

それは、紛れもなく天から落ちゆく一つの星そのものだった。。

 

 

 

「はあっ、はあっ……間に合ったか……!」

 

息も絶え絶えと言った様子で、下を覗く一つの影。そこに向けられた視線に、もう呆れの意は無く、あるのは極まった愕然だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ! グラス、あの人達が戻って来ました! これで全員無事デース!」

 

喜ぶエルコンドルパサーの視線の先には、疲れた様子のクリスと、壊れた人形のように口をポカンと開けたゴールドシップの姿があった。

 

グラスワンダーはそんな自分達の身を助けてくれた存在に、深い礼と共に感謝を述べる。

 

「ありがとうございますゴルシ先輩。お陰でウマ王にやられずに済みました」

 

だが、言葉の矛先に立つ者はゆっくりと首を横に振った。

 

「アタシは……何もしてねえ……何もしてねえんだ……」

 

「ええっ!? でも、グラスちゃん達はゴルシちゃんが復活して、魔法でおっきな石を落としたはずだって言ってたよ!」

 

半ば自失しているかのような黄金船の手が、崩れた城の最頂部を指し示す。

 

「城に突き刺さってた岩。アレは今どこにあると思う……?」

 

「……? 魔法で新しく隕石を落としたなら、初めのやつはそのままデース! つまり、まだ城の上に刺さってます!」

 

エルコンドルパサーが自信満々にあの隕石は鎮座しているであろう場所へその指を向ける。だが、その指の延長線上にあったのは瓦礫だけ。余りの大きさに見ないほうが難しい筈のそれは、不可解にも彼女の目には映っていなかった。

 

「……あれ? お、おかしいデス! エル達が城から落ちた時は確かに見えてましたよ!」

 

「ま、まさか……!? いや、でも……そんな事、人に……いえ、"生き物"に出来るはずは……!?」

 

何かを察してしまったグラスワンダーが、問いへの答え合わせのようにその視線を城から大地へと動かす。隣の者がその視線を追うと、行き着く先はウマ王が漬けられているあの大岩だった。

 

そして今、盛大にヒビの入った彼女達の常識をぶっ壊すかの如き無慈悲な発言がハルウララから飛び出した。

 

「ああっ! わたし、わかったよ! おじさんがあのおっきな岩を持ち上げて落としたんだ!!」

 

残念ながら、その言葉をゴールドシップは否定しなかった。

 

その事実は、彼女達の理解と常識の範疇を完全に超えており、その思考回路をショートさせ、考えるという行為を放棄させたのだった。

 

そんな中、常識破壊のプロフェッショナル本人がゆっくりと彼女達に歩み寄るとホッとした雰囲気でその無事を喜んだ。

 

「全員無事みたいだな。本当に良かった……!」

 

「ありがとう、おじさん! あのねあのね、テレビとかに出てくるヒーローみたいでカッコ良かったよ!」

 

彼女の言う通り、彼の活躍はそう言っても過言では無い。周りの思考が止まりかけた者達もそれを肯定する。

 

「その通りデス! エル達が今こうやって五体満足なのはクリスさんが頑張ってくれたお陰デース! まあ、色々と信じられない部分が多すぎますが……」

 

言葉の最後の方だけ少し顔を背けてはいるが、それは間違いなく彼を讃えるものである。

 

しかし、彼はゆっくりとその首を横に振った。

 

そして、その行為に疑問を浮かべる彼女達へ、褒め称えるかのような微笑みと、彼しか納得しないであろう答えを返した。

 

「俺は……ヒーローなんかじゃない(Not a hero)。俺はただ、君達の行動に乗っかっただけだ。こちらから言わせて貰えば、あれに臆す事なく立ち向かう判断をした君達こそが本当のヒーローだ!」

 

「わたし、ヒーロー!? で、でもわたし、なんにもしてないよ!」

 

彼は、確かに言った。彼女達こそが真の英雄だと。だが、そんな立派な行動などした記憶のないハルウララは、その言葉に異を唱えた。

 

そして彼は、その異すら否定した。

 

「君は最後に守ったじゃないか。自分の大切な者を自分の身を投げ出してまで。カッコ良かったぞ?」

 

彼女の肩に手をやり、その目を合わせて彼は勇気ある行動を称賛した。

 

「本物の英雄は……俺なんかとは違う。自分の守りたい者を全部守る……! 君みたいにな」

 

その言葉を発した時、彼の微笑みは酷く悲しげに見えた。

 

まるで……幾万を救い、たった一人を失う。悲壮に満ちた後悔の顔。

 

そんな英雄を見つめる彼の双眸は、彼女達と同時に左右で別の影を映し出す。瞳の奥に焼き付いて離れない、深く残った傷跡のようなその影こそが彼にとっての英雄達なのだろう。

 

「クリスさん……貴方も私達の事を守ったじゃないですか。先程のと、一体何が違うんでしょうか?」

 

その言葉通り、グラスワンダー達からすれば彼は全員守った筈なのだ。それなのに、己を卑下し、英雄という言葉を忌避している彼の態度は些か不可解であった。

 

だが、彼の返した言葉は、不可解を不可解のまま煙に巻く。

 

「いや、俺はただ……自分の身を守るのが得意なだけさ。勇敢な英雄じゃなく、ただ臆病に立ち回ってるだけに過ぎない。"彼ら"と違ってな……」

 

辿々しく吐き出されたそれは、己を臆病者だと蔑む自虐に聞こえる。しかし、何故だろうか。捉え方を変えると、英雄は自分の身を守るのが下手かのような言い草に変化した。

 

きっと、彼にしか分からない何かがあるのだろう。

 

そうして、この場が静まり返ってしまった事にようやく気づいた彼は、己を取り戻すかのように目を瞑って頭を振ると、この会話を不器用に断ち切った。

 

「辛気臭い話は終わりにしよう。俺はこの後、少しこの辺りを調べるつもりだ。君達はもう帰るのか?」

 

「おう、そうだな! さっさと帰って、アイツに言ってやらねえと! オマエのマッスル理論は間違って無かったってな!」

 

「エル達もトレーナーが心配しちゃうので、戻ります!」

 

各々が彼の言葉に帰るという返答をする中、桜色の英雄がその身を小さく弾ませながら、彼へと近づいた。

 

「ねえねえ、おじさん!」

 

「ん、どうした?」

 

「わたしもおじさんみたいになれるかな?」

 

力か、技術か、精神力か。

 

ハルウララが放ったその一言がどのような意味合いなのかは分からない。だが、彼の返した言葉はどれにおいても重要な、ある一つのピースを押さえたものだった。

 

「ああ、なれるさ! 諦めなければ……いや、たとえ疲れてよそ見をしても、最後に前を向いてれば、何とでもなる! 俺が出来たんだ、若くて勇敢な君達なら絶対出来る筈だ!」

 

表に浮かべた軽い笑みとは裏腹に、往年の経験と教訓に則ったであろうその言葉は具体的な助言では無いただの応援にも関わらず、ベテラントレーナーのそれのようにズッシリと重みのあるものだった。

 

「わかった! いっぱい頑張れば良いんだよね! じゃあ、帰ったらスペちゃんみたいにいっぱい頑張って食べて、キングちゃんみたいにいっぱい頑張る! そしたら、すぐにおじさんを抜かしちゃうかも!」

 

「フッ……そうだな。俺も負けないように頑張らないとな」

 

うらうらと可愛さを無意識に振り撒くその姿に、彼は朗らかな笑みを浮かべて応じる。

 

そうして彼女的に納得のいく答えを得たハルウララは、この世界から帰るべくその足を仲間の方へと向けた。

 

「じゃあね、おじさん元気でね! ばいばーい!」

 

「ああ、そっちこそ元気でな!」

 

彼は軽く会釈をした後、離れていく彼女達に背を向けてゆっくりと歩き始める。

 

何となく、ただの気まぐれに過ぎない衝動に駆られ、彼女達はそっと後ろを振り返る。各々の瞳に映り込む大きなその背中。

 

傷だらけになってなお、重たい何かを背負い続けるその姿は、紛れもなく歴戦の英雄そのものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

崩壊した城の中、瓦礫の山の麓に転がる拳銃。それを拾い上げてホルスターに収めた男は、息を大きく吐きながら、やるせなさに溢れた呟きを一人小さく溢した。

 

「ふう……後はナイフだけだな。それにしても、筋力は何とかなったが、やはり反射神経と体力は厳しいか……アレを持ち上げた後でも昔は動けたんだがな……」

 

彼は己を振り返るように、瓦礫だらけの地面を見つめる。攻撃は通じていたが、相手の素早い行動は殆ど見えていなかった。それでも戦えていたのは、年季と経験による高度な予測の賜物だ。おまけに、最後の方は動けなくなってしまい、芦毛の彼女の手を借りる事となった。

 

やはり、老いを完全に覆すのは難しい。だが、たとえ力の面だけだとしても、それを強引に叶えた根性は認められるべきである。

 

自虐のように己の言葉を鼻で笑いながら、彼は部屋の隅に転がったナイフを発見する。

 

刃こぼれ無くまだまだ使えるそれを太陽にかざすと、ノスタルジアに浸るような遠い目付きを浮かべて、ポツリと呟いた。

 

 

 

「いつぶりだろうな、誰も欠けずに終わったのは……」

 

 

 

風の音で掻き消えそうなその言葉は、どこか満足気にこの廃墟に響いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ、もう帰ってきたのか。もう少し遊んでても良かったんだがな」

 

廊下を歩くハルウララ達を出迎えた不審者の第一声はそれだった。

 

「あ、相変わらず慈悲の欠片もないデース……」

 

「あっ! そうだトレーナー! りじちょーって今どこにいるか知ってる?」

 

「ああ、あのチビなら今頃ゲームで遊んでる。丁度、どこかのイカれ科学者が良い性能のVR機器を持ってたからそいつを使ってな。まあ、地下室付きのモデルハウスを見学するだけのつまんねえゲームだ。暫くしたら顔出すだろ」

 

珍しく、理事長はゲームで席を外しているようだ。数名は不思議そうに首を傾げ、数名は何故か顔を真っ青にしている。

 

そんな顔色を横目に、彼はハルウララにこう問いかけた。

 

「どうだ? アイツは……あの男は強かったか?」

 

「うんっ! おじさん、すっごい強かったよ! あれっ? ああっ!! なんでトレーナーその事知ってるの!?」

 

本来なら知らない筈のその内容。しかし、彼女の疑問への回答として相応しくない、適当な言葉を彼は吐く。

 

「あー……まあ、ちょっとした知り合いだ」

 

"知り合い"という言葉の前に幾つか装飾語を付けたがっているように感じるが、きっと気のせいだろう。

 

「ウララちゃんのトレーナーはあの人が誰なのか知ってるんですか?」

 

「教えて下さい! あ、あの人は一体何者なんデスか!」

 

「アタシも聞きてえ! あのオッサンの正体!」

 

「わたしも聞きたい!」

 

名前以外、何も分かっていないあの男。色々な意味で規格外のあの者の正体を知ろうと、彼女達はハイゼンベルクへ詰め寄った。

 

だが、彼の口から放たれた言葉は、至って真面目な声調にも関わらず、とても滑稽なものであった。

 

 

 

 

 

「……パンチが趣味のゴリラ野郎。ただそれだけだ」

 

 

 

 

 

こうして、この事件は幕を閉じる。

 

この数奇な出来事は、実はとても貴重な体験である。

 

凄まじい鍛錬と経験、そして強い意志によって辿り着く人間の境地を、極限を、彼女達は垣間見たのだ。それは、全盛期を過ぎて弱まった炎であったが、それでも人はあの領域に立てるのだ。

 

そして、彼の言っていた通り、それは人が辿り着く事の出来る場所。

 

人より秀でるウマ娘に、辿り着けない場所では無い。

 

ただ、気を付ける事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の立つその場所は、それでも遠い。

 

 

 




クリス・レッドフィールド
幻想世界にて彼女達を助けた不思議な男。その正体は最後まで不明のままだったが、戦い慣れているところを見るにきっとどこかの軍人なのだろう。

純粋な力では確実に劣っていたにも関わらず彼の力は、ウマ娘を超えた存在へと確かに届き得た。それは、語るには余りにも大袈裟で、誰も信じないであろう、言わば御伽噺だ。





その力は、勝つ為のものでは無い。

数え切れない後悔が、心の折れた数が、倒れた仲間の数が、託された遺志が、己の信念が、血溜まりの中で叩き上げた、失わない為に抗う力なのだ。

それ故に、平和な世界の者達が、この力を真に理解する事は叶わない。

だが、それで良いのだ。






その力の裏側……源でもあり、発端でもある感情など、年頃の少女達が知るべきではないのだから。





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パワートレーニングレベル100

 

独特の匂いが心地よく感じる朝。高みを目指す者や、友人との交流ついでにトレーニングをする者など、活動している者はそこそこ多い。だが、そんなトレセン学園の生徒達の足はいつもの様に動いていなかった。

 

「でっっっっかあああああい!! 見てよタイシン! あれ、ハヤヒデよりでっかいよ!」

 

「わ、私の頭は比較するほど大きくないぞ!!」

 

「頭じゃなくて身長の話でしょ」

 

「……」

 

皆がよく練習しているグラウンドの中心に置かれていたそれを言い表すなら、表面が布で覆われた歪な球体。だが、説明がそれだけで終わるなら皆が足を止める事は無い筈だ。

 

問題なのは、その球体の大きさであった。

 

「ちょわっ!? 一体何ですかあのボールは! これは、学級委員長として害が無いか確かめなければ!」

 

「っ!? 情報処理機能のエラーを検知……オペレーション、エラー修正の為の物理的情報収集を開始します」

 

「ば、バクシンオーさん!? ブルボンさん!? ど、どうしよう……ライスも行ったほうが良いかな……」

 

野次ウマ達が集まるそれは、その身長を優に超える直径三、四メートル程の巨大なものであった。

 

そして、そんな彼女達が巨大過ぎるオブジェと共に見つけたのは、これが丁度入るであろう特大の穴。

 

世界を跨ぐ大きさの象でなければ作れなさそうな巨大な足跡と、流れ星がそのまま落ちてきたかのような物体を前に、ただただその表情を驚きに歪めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、そんなイかれた物をこんな所に置く輩など、誰がどう考えても一人しか居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グラウンドの中心に鎮座する球体を前にして、大中小の影三つ。そして、その小さい影と大きな影は扇子と鉄槌を携えて、野次ウマ達の目の前でふざけた言い争いをしていた。

 

「きょ、驚愕っ……!? 一体これは何なのだ!? 何故こんな物がここに……!?」

 

「ハイゼンさん? 納得のいく説明が貰えるまで帰しませんよ?」

 

普段の緑色の服を着て青筋を立てるたづなが、理事長と共にハイゼンベルクへと圧を向ける。微笑んでいるように見えるその表情だが、放つ圧には笑みなど無い。

 

悍ましい何かを感じさせるその雰囲気は、ガヤガヤとうるさい外野を一瞬で黙らせる。だが、肝心の目の前の男は涼しい顔を浮かべ、気だるげに彼女の問いに答えた。

 

「は? どうもこうも無えだろ。テメエが依頼してきたヤツだろうが」

 

「否ッ! こんなものを依頼した覚えは無い!」

 

ある意味当然とも言えるその反応。ただただ目立つだけで邪魔なこの物体など、自身が注文する筈が無いとその態度は断言していた。だが、否定の二文字が記された扇子を叩き落としながら彼が放った言葉に、彼女の表情は唖然としたものへと豹変した。

 

「いや、言ってただろうが。一人で追い込めねえヤツらの為に、複数人で協力して出来るブツを寄越せってな! だから、お望み通り作ってやったんだよ! 一人でも、二人でも、十人でも、好きな人数引き連れてやれる器具をな!」

 

「ハイゼンさん。本当にこれ、トレーニング器具なんですか……?」

 

たづなはすぐ横にある例の器具とやらを見上げる。完全な真球などでは無い、歪な形。表面を覆う継ぎ接ぎのゴム製のカバー。そして、見上げなければならない程の異常な大きさ。

 

確かに、トレーニングに使えなくは無いのかもしれない。だが、コレを"器具"と呼ぶ神経を持つ者は恐らくこの学園内に一人しか居ないのは確実である。

 

そして、そんなぶっ飛んだ器具の説明には誰しもが嘘だと分かる一言が含まれていた。

 

「百歩……いや、千歩譲ってコレが君の言う器具だとしても、明らかに依頼内容とは相違しているではないか! 私が依頼したのは一人でも複数でも出来るような器具だ! 断じてッ! 一人じゃ到底使えないような代物では無い!」

 

そう、この器具?には大きなミスがある。それは、どこからどう見ても複数人限定となる部分だ。そもそも、頭のネジを何本外せばこれをトレーニングに使うという発想が出るのだろうか。恐らく、学園に居る優秀なトレーナー達でさえそんな事を思い付きはしないだろう。

 

だが、彼の返した答えは理事長へ、いや学園の生徒達へ挑発するかのような、棘まみれのものだった。

 

「安心しろ、ただ鉄を詰めただけじゃねえ。ちゃんと重さは調整してある。どっかのイかれた人間基準にな! それでも持ち上がんねえって言うなら、テメエらウマ娘用にもう一度調整してやるよ! だが、そん時はテメエらが俺の想定よりもひ弱だったって事になるぜ? ウマ娘は人間よりも強えんだろ? だったら、やれねえ訳が無えよな!」

 

神経を逆撫でする様なその発言は、漏れなく野次ウマ達を含めた者達を少々イラッとさせた事だろう。

 

半ば敵意に近い視線を受け、彼は一人ほくそ笑む。ただの知的好奇心が浮かび上がらせるその笑みが、葉巻片手に歩き出す彼と共に消えた後、残された者達の視線は自ずと例の大きな挑戦状へと向くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セイちゃん! キングちゃん! これやってみようよ! なんか面白そうだよ!」

 

授業も終わり、各々がトレーニングや自由な時間を過ごす時間帯。ハルウララは仲良しの二人を引き連れて、グラウンドの中心に鎮座する巨大な球体のオブジェへとやって来た。

 

現代アートにもならないであろう無骨なその品のすぐ横に、注意書きと思わしき文言が書かれた看板が立っている。

 

だが、一流のお嬢様の目はそんな小さな物へ向く余裕など無かった。

 

「何よ……これ……?」

 

「あれ、知らないの? ウララのトレーナーが学園に叩き付けてきたやつだよ。巷では、ウマ娘への挑戦状って何故か言われてるね」

 

「一体何やってるのよ! 間違いなくふざけてるじゃない!」

 

キングヘイローの視界の半分以上を埋め尽くすのは、歪みのある大きな大きな球体。黒っぽい色味のカバーのせいか、実際に見ているにも関わらず、映った光景はまるで出来の悪い合成写真の様に現実空間を侵食していた。

 

「それで、これってどうすれば良いの? 私、人づてに聞いただけで何すればクリアなのか知らないんだよね」

 

「あれ、どうするんだっけ……あっ! やったやった! この看板にルールみたいなのが書いてあるよ! えーっとね……」

 

ハルウララがゆっくりと書かれた文章を読み上げる。だが、その内容は独特な例えが使われていたせいで、彼女の理解は虫に食われた服の様に穴だらけであった。

 

『このゲームのルールはゴルフと同じだ。今回は初回だからな、大サービスしてやる。すぐ前を見てみな、近いだろ? 下手くそなパターでも一回で入る距離だ。外す方が難しいだろうな。まあ、精々頑張れよ。

 

 

 

p.s.

もし外したら俺に言え。笑ってやるよ!』

 

あまり彼女にとって馴染みの無いスポーツで例えられたそのルール。なんだかパンに塗ったら美味しそうな言葉が出てきたが、取り敢えずこの球体のすぐ前にある穴にこれを落とせば良いみたいだ。

 

お腹が少し減る感覚に思わず脳裏にバターたっぷりの焼きたてパンを思い浮かべるハルウララ。口端に涎が見えるその姿を横目に、説明を受けた二人は呆れた様な表情を浮かべていた。

 

「顔を思い浮かべると、腹が立ってくるわね……! というか、何よこのふざけた説明! 技術は一流の癖にこういう所は何で一流じゃないのよ!」

 

「わお、どっちもいつも通りって感じ」

 

何をやらかすか分からない男に、中途半端な一流に腹を立てるお嬢様。セイウンスカイはある意味普段と何も変わらないその様子を一瞥すると、ただの興味本位で目の前のオブジェへと近づいた。

 

「フッフッフ、名探偵セイちゃんの推理によれば、これはとんでもない見た目で挑戦意欲を削ぐという狙いがありますな。つまり! 見た目だけで本当は大して重くないに違いない!」

 

「うわわっ! セイちゃんカッコいい! 本物の探偵みたい!」

 

空想で出来た帽子に手をやりながら、右手の人差し指を勢いよく嘘をついていると思われる犯人へと差し向ける。なお、大きな体躯を持つその犯人が酷く寡黙である事は言うまでもない。

 

「というわけで、こんな感じにちょっと力を込めれば……」

 

たった一人の聴衆の声援を聞きながら、彼女はゆっくりと片手を球体へと添えた。

 

だが、出力が足りなかったのか目の前のオブジェは未だ鎮座したままである。

 

「……あれ、ちょっと待って……よっと!」

 

その調子付いた顔に曇りが見え始める。表情に青雲を取り戻すべく、今度は両手をしっかりと球体へ押し付ける。

 

「ふっ! ぐっ! あれ、全然……! びくともしないんだけど……!?」

 

かなり全力に近い力を出しているらしい彼女の状態。その証拠に、力んだその表情は青を通り越して赤に近い。

 

そして、両足が数回地面を空回った後、彼女はそっと目の前の障壁から手を離すと全てを悟ったかの様な達観した表情を浮かべ、抑揚の無い声で呟いた。

 

「キング……私、探偵向いてないかもしれないわ」

 

「何おバカな事言ってるのよ。元より、あのウララさんのトレーナーよ? そんな簡単にいくわけ無いわ。ただ、不可能にはされてない筈よ……多分」

 

「あっ! 今日確かトレーナーが"一人でも持ち上げられる人がいるから問題ないはずだ"って言ってた! わたし、何の事か全然わかんなかったんだけど、これの事だったんだね!」

 

耳と尻尾を元気に立てたハルウララの言葉によると、一人でも何とかなるように設計されてはいるようだ。それを聞いた一流お嬢様と呑気な青雲は不思議と全く同じ恐ろしい影を思い浮かべる。

 

そういえば、彼の発明品を真っ先にテストするとんでもないヤツが居たではないか。持ち上げられる"手"があるのかは不明だが、アレなら確かにこれを持ち上げそうである。

 

半ば重機に近いアレを一人とカウントするのは如何なものかと彼女達がぼんやりと思う中、躊躇いを知らぬ桜色のチャレンジャーが誰の手も借りずに頑張っていた。

 

「3、2、1、えーいっ……! ……っ!! ふうっ……これ、すっごく重くて全然持ち上がんない! うーん、どうやったら持ち上がるんだろう?」

 

その一輪の桜が輝く目には曇りなど一切無い。何と、このゲームに全く歯が立たないこの状況を目の前にして彼女は諦めるという言葉をどこかに置いてきたようだ。

 

「ウララさん、流石に一人は無理じゃないかしら? やるならせめて三人よ」

 

「うーん、でもおじさんはこれより大きいの一人で持ち上げてたよ!」

 

複数人を提案したキングヘイローに対して返されたその言葉は、彼女だけでなくセイウンスカイの表情も疑問に歪ませる。

 

「おじさん? トレーナーじゃなくて?」

 

「うんっ! すっごい強いおじさん! あのねあのね、大きいドラゴンもポーイって投げちゃうぐらい強いんだ!」

 

普段からハルウララに接している故、彼女達の思考は多少なりともうららん理論に適応している。だが、そんな良く回る頭脳を持ってしても、二人は彼女のウララ二進法で示された暗号を解くには至らなかった。

 

「スカイさん! これって一体どういう事? 説明して欲しいんだけど」

 

「……あー、あれじゃない? 夢と現実をゴチャゴチャにしてるやつ」

 

解読不可能なそれを前にして、彼女達が出した結論は全てを夢で片付けるというものだった。

 

「ウララさん……多分それ、夢の内容よ。もし疲れてるならあまり無理をしない方が良いわ」

 

「ええっ!? 夢じゃないもん! エルちゃんとグラスちゃん、あとゴルシちゃんも一緒に見てたから本当だもん!」

 

「じゃあ、確認するしか無いわね……」

 

キングヘイローはセイウンスカイに目配せをする。だが、彼女は両手を上げてその首を横に振った。

 

「二人とも今日休みだね。なんでも、グラウンド見てたら頭痛くなったとか。残りの一人は……まあ、勝手にその辺から生えてくるんじゃない?」

 

エルコンドルパサー、グラスワンダーの両名は残念ながら体調不良のようで、学園に顔を出していないらしい。

 

ゴールドシップに至っては今現在何処にいるか不明である。

 

結局、ハルウララのふわふわした発言の証拠はどこにも無かった。

 

「まあ、その件はまた今度聞けば良いわよ。それより、コレまだやるのかしら?」

 

「セイちゃんはもう……」

 

「やるっ! キングちゃんが言ってたみたいにみんなで転がせばクリアできるよね!」

 

妨げられたサボり魔の発言。花咲く笑顔の彼女の事だ、きっと偶然そうなってしまったのだろう。ただ、そんな笑顔を壊すわけにはいかなくなってしまった者達にとって、その言葉は見事に逃走経路を潰したのだった。

 

そうなっては仕方がない。残りの逃げ道はただ一つ。全身全霊の力を注ぎ込み、早急にこの特大サイズのゴルフボールをカップインさせるしかない。

 

 

 

 

という訳で、三人で力を合わせて押してみようとしたのだが……

 

「はあっ、はあっ、ふう……キングちゃんどうしよう、全然動かないよ!」

 

「何よこれ……夏合宿のタイヤよりよっぽど重いじゃないの!! 何が"一人で出来る"よ! あのへっぽこ工場長!」

 

「いや……ほんと……これなら普通にトレーニングしてた方が楽だったりして」

 

汗が地面に滴り落ち、過ぎ去る風が心地よく感じる程にその体が火照っても、なんと目の前の隕石もどきはこれっぽっちも動かなかった。

 

砂浜で巨大なタイヤを引ける膂力を持つ彼女達が三人揃ってなお突破出来ないという事実は、このボールが本当に常軌を逸する重量である事を裏付ける。

 

「えーっと、えーっと……勢いよくやったらできるかな?」

 

まだまだ諦める気のないハルウララ。あの工場長にやられっぱなしでは何だか癪に触るキングヘイロー。もうやめたいセイウンスカイ。

 

各々が色んな感情を胸の内に浮かべる中、遠くから猛ダッシュでこちらに向かってくる黄金の影が現れた。

 

「お、早速やってるじゃねえか! なんか手こずってるオマエらに朗報だ! 強力な助っ人連れてきたぜ!」

 

相変わらず何考えているか分からないゴールドシップは胸を張ってそう言った。どうやら、増援を呼んできてくれたようだ。そうして、彼女の背後からひょっこりと姿を見せたのは、さながら姫のような雰囲気を漂わせるウマ娘と、筋肉にものを言わせるタイプのウマ娘であった。

 

「キングさん! 助太刀に参りましたわ!」

 

「か、カワカミさん!?」

 

「わーいっ! ライアンちゃんだ! 手伝ってくれるの?」

 

「う、うん? 私、取り敢えず付いてこいって言われて来たんだけど……もしかしてコレのお手伝い?」

 

聳えるそのオブジェを見て苦笑いを浮かべるメジロライアン。微妙に表情が青ざめているようにも見えるが、きっと気のせいだ。

 

そして、威風堂々とこの場に立つのはカワカミプリンセス。目の前の物を見て全く動じていないその姿は、姫にしては些か度胸があり過ぎる。どちらかと言えば王子の方がお似合いだ。

 

「あのー……こんなに人数居るのに私必要なの?」

 

「当たり前だ!! 良いかライアン、よーく聞け? 今のアタシ達のままじゃ、この惑星がゴリラで溢れた時に速攻で御陀仏だ! 最低でも、一人でこれを持ち上げられるぐらいの鍛えておかねえと生き残れねえ……! だからこれはそれの練習だ!」

 

「え、ええっ!? どうしよう、全然意味が分からない……! マックイーン呼んだら今からでも来てくれるかな……?」

 

押しに押されて動揺しているメジロライアンの耳に、意味不明な言葉の羅列が強引に押し込まれる。もう一人のメジロに心の中で助けを求めるが、きっと彼女でも今のは解読不能である。

 

 

 

だが、一人の男はその意味がよく分かったようだ。

 

 

 

「あんなバケモンが溢れかえってたまるかよ。もし、そうなるんだったら俺が片っ端からブッ殺してやる……!」

 

何やら物騒な発言と共にその姿を現したのは、イカれたものづくりがお得意のハルウララのトレーナーであった。

 

不思議な事に、彼の額には青筋が見えている。悪夢のような光景でも思い浮かべたのだろうか。

 

「あっ、トレーナー!! トレーナーも手伝ってくれるの?」

 

「んな訳無えだろ! 遂に頭のネジが完全に取れたか?」

 

「取れてんのはオッサンの方じゃね?」

 

「ほう、なんか言ったか?」

 

「ナンニモイッテナイデス」

 

ドスの効いた声と共に向けられた瞳が何だかとても恐ろしく感じたからか、ゴールドシップの返答はまるでロボットのように固まっていた。

 

それを見て、放つ怒気を鞘に収めたハイゼンベルク。ほんのちょっぴりだけ話し掛けやすくなったそのタイミングに合わせて、キングヘイローはハルウララの夢かどうか分からない発言について問いかける。

 

「ウララのトレーナーさん、一つ聞きたいのだけれどこのふざけた代物は、本当に一人で動かせるようになってるのかしら? 私にはそうは見えないわ」

 

「……あのプロペラ馬鹿が全速力で突っ込んでも動かない代物だ。そんなもん、一人で動かせる訳が無えだろ!」

 

帰ってきた答えは何故か煮えたぎったものに溢れていた。まるで癇癪を起こすかのように言葉を荒立たせるその様子は、さながら狂犬である。

 

そして、そんな狂犬の言葉に含まれた意は彼女の疑問に対して"不可能"の三文字を返すものであった。

 

「じゃ、じゃあ貴方は出来ない物を出来るって言ってたわけ!? はあ……流石に呆れるわ」

 

あの嘘を現実にする工場長が、逆に現実を嘘で偽っていた事実は彼女を大きく落胆させる。だが、彼は弁解の様に言葉を付け足した。

 

「ああ、出来ねえ筈だ。理論上はこんなもん持ち上げんのは人間には不可能に決まってる……! だが……持ち上げやがった馬鹿野郎が一人居るんだよ!!!」

 

まるで自身でも言いたくなさそうな躊躇いの混ざった一言に彼女は愕然とする。あの機械仕掛けのテストプレイヤーが敵わないバカげた品を持ち上げたなど、到底信じられる事ではない。

 

だが、彼の表情を波立たせるその苛立ちは、その存在を確かに肯定するものだ。

 

そして、その様子を見た一人が姿無きその者を想像し、勝手にやる気へと変換していた。

 

「そ、そんな凄いマッスルを持つ人がいるなんて……! わ、私も負けないように頑張らないと!」

 

己を鼓舞するメジロライアンの脳裏には今三人の想像上の人物が立っている。

 

過去にハイゼンベルクが言っていた200kgを殴り飛ばした人。

 

夢で出会ったウマ娘顔負けの力を持つ人。

 

そして、たった今追加された巨大なこの球体を動かした人。

 

全員素晴らしいマッスルの持ち主であり、彼女のちょっとした目標の一つである。いつかどこかで会えるなら、その時は是非とも語り合いたいものだ。そして、大きなやる気をくれた事を感謝したいものである。

 

そんな事に思いを馳せるマッスラーの傍らで、一人の姫は初対面の工場長に挨拶と質問を投げかけていた。

 

「貴方がウララさんのトレーナーをしているハイゼンベルクさんですね! 私、カワカミプリンセスですわ! 早速ですが、このボールを動かす方法を知っていたら教えて頂きたいですわ!」

 

そんな至極まともな発言を受けた彼はそれを嘲笑うかのように鼻で笑うと、ふざけた口調でその意に応えてやった。

 

「ほう、なら教えてやるよ。その硬えブツを全力で殴ってみれば良いのさ。威力が足りてれば動くぜ?」

 

確実に相手を陥れる意のある言葉。誰が聞いても嘘だと分かるであろうそれを、ピンと立った耳に入れたカワカミプリンセスは元気良く答えた。

 

想定外の中身を添えて。

 

「わかりましたわ! パンチすれば良いんですわね!」

 

「は? おい待て、馬鹿かテメエ」

 

からかう目的であったその言葉を間に受けて、彼女は右手を引き絞る。そんな背中を呆れ返った視線が見据えた。無理に決まってる、そう思いながら。

 

 

 

 

「せいっ!!」

 

 

 

だが、現実は彼に対して非情らしい。

 

 

 

ドゴッ!と本来であれば鳴るはずの無い音を立て、彼女の拳は球体へと突き刺さる。表面を覆うゴム質のカバーをブチ破り、本来見えぬ灰色の中身へと尋常でないその力が叩き込まれた。

 

口を開き、その驚愕を露わにするハイゼンベルク。

 

そして、同様の表情をした周囲の目が一瞬にして向く中、彼女は振り返って残念そうに呟いた。

 

「駄目でしたわ……」

 

尻尾を垂らし、ガッカリするその背後には依然変わらぬ様子の球体が鎮座する。どうやら、彼の想定外の一撃にも関わらず、灰色の創作物はその立ち位置を守ったようだ。

 

だが、大きいショックから彼を守る事は無かった。

 

脳裏にウマ娘の"ウマ"の部分をカタカナ三文字(ゴリラ)の他の言葉に置き換えながら、彼は段々と痛くなるその頭を押さえる。

 

「クソ、この馬鹿アレを凹ませやがった……中空とは言え鉄だぞ……どうなってやがる!?」

 

そうして、珍しく常識をぶっ壊された彼は一人ブツブツと呟くしか出来なかった。

 

 

 

その後、調子が一気に崩れ落ちたその者の横で彼女達は戻ってきた勇者を迎え、全員で今まさにこの試練を乗り越えんとしていた。メジロライアンとカワカミプリンセスを主軸に、他の者達が左右に回るような陣形で各々が両手をこの球体へと添える。

 

「みんないっくよー! せーのっ!!」

 

いつもと変わらない元気一杯の掛け声と共に、各々は持てる力を全て動員して目の前の代物へと注ぎ込む。

 

 

 

そして、彼女達の意に沿うようにそれはゆっくりと動き出した。

 

 

 

「今がチャンスですわ!!」

 

「うおおおおっ! 今こそ普段の筋トレの成果を見せる時!!!」

 

「か、カワカミさん? ライアンさん? い、今は止すべきよ!」

 

先程動かせなくて少し悔やみがあったのだろうか。転がり始めたそれを後押しするように、カワカミプリンセスはその拳を再び振るう。

 

そして、メジロライアンは練習の時にしか出せない桁違いの全力を以て、それを後押しする。

 

だが、考えてみて欲しい。

 

 

 

力を入れ過ぎたパターがどんな結果をもたらすのかを。

 

 

 

「あっ! オマエらちょっと待て! ストップ! ストップだ!」

 

「あ〜……これはもう手遅れだね」

 

予想外の方向へとその舵を切ってしまった球体は、ゴールである巨大なカップから少し右に逸れるように転がっていく。最早、そうなってしまえばどこかの岩殴り男でも無い限り軌道修正など不可能だ。

 

そうして、皆が全てに気付いた時にはもうゴールは前には無く、彼女達の真左にて空っぽで虚しさ溢れるその姿を見せつけていた。

 

「ああっ!? わ、私、もしかして押しすぎちゃいましたか!? ご、ごめんなさい!!」

 

「私もやり過ぎましたわ……」

 

ちょっとした落胆が彼女達の間に走る。結構頑張った結果がコレとは、ウマ生中々上手くいかないものだ。

 

疲労とミスでテンションの下がった彼女達へ、ある意味約束通りの嘲笑が一人の男から向けられる中、たった一人だけこの空気をぶっ壊すかのように喜んでいた。

 

「やったやったー! ボール動かせたよ! みんなありがとう!! トレーナーも見てたよね?」

 

「動いたのは見てたが、ゴールに入ってねえぞ」

 

「えっ!? ほ、ほんとだ……! がーんっ!」

 

褒めて欲しげなその視線に対し、彼は平然と冷たげな指摘を返す。血も涙も無いそんな一言に、耳も尻尾もダランと垂れるハルウララ。

 

だが、持ち前のオーバー過ぎる前向き思考は、そんなガッカリを一瞬で終わらせる。

 

「よーしっ! 一回できたんだからもう一回できるよね! やっるぞー!」

 

まだまだ元気一杯でやる気溢れる彼女だが、アンコールの一言と同時に鳴り響いたのは皆の賛同でも彼女の腹の音でも無く、学園の重々しいチャイムの音だった。

 

「嘘、もうこんな時間!? 不味いわ……一流に遅刻は厳禁よ! ウララさん、悪いけれどまた今度ね!」

 

「あー……セイちゃんはこれから夕間詰めのお時間ですね。そんな訳でまた今度〜」

 

「あ、やべっ! バミューダトライアングルにトレーナー置きっぱなしだったの忘れてた! 船で回収しに行かねえと!」

 

一人は会議、一人は釣り、一人は人命救助と、これからそれぞれ予定があるようだ。流石のハルウララも予定を崩してまで協力して欲しいとは言えないようで、残念そうな表情を浮かべながら己の我儘を静かに飲み込んだ。

 

「ウララさん! 私はまだ時間がありますわ! 是非ともご一緒にこのゲームを突破しましょう!」

 

「私も今日は予定無いのでまだまだいけますよ! 皆さんのマッスルを再び一つにすれば、人数が減ってもきっと大丈夫です!」

 

「カワカミちゃん、ライアンちゃん? ほんとにいいの? わーいっ! ありがとー!!」

 

不幸中の幸いと言うべきか、黄金船に乗せられてやってきた仲間はまだ戦う時間があるようだ。そんな嬉しい言葉に背中を押され、ハルウララは喜びのあまり二人へ飛び付くのだった。

 

 

 

その後、先程の一回で少しコツを掴んだ彼女達は、なんとたったの三人でこれを動かしてゴールに入れる事に成功し、ハイゼンベルクに珍しい愕然を味わわせる事になったと言う。

 

そんな彼が最後に呟いた言葉は、酷く不可解なものであった。

 

 

 

 

 

 

「クソッ……分かんなくなっちまった。ウマ娘三人でゴリラ一匹分になるのが可笑しいのか? ゴリラ一匹でウマ娘三人分なのが可笑しいのか? どっちだ……どっちなんだ……?」

 

 

 

 




鉄球型トレーニング器具?

世にも奇妙なイかれた発想によって生み出された一品。鉄球をただただゴールに入れれば良いのだが、その重さは想像を絶する。それ故に、これは複数人で使用するものだ。

なお、普段とはベクトルの違うトレーニング器具であるが、見栄えもやる事もバラエティ番組のようであるためか意外と好評だったようだ。



製作者曰く、"一人でも出来る"らしいが、その真相は定かでは無い。そのためか、その一人とは彼の器具に名前だけ出てくる例のテストプレイヤーなのではないかと噂されている。


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ウイニングライブ

 

なんの変哲も無いある日、ハイゼンベルクは一本のうるさい桜と一緒にとある競バ場へ訪れていた。

 

それもそのはず、今日はG3レースの開催日。出走者は勿論ハルウララ。トレーナーとウマ娘の二人三脚という関係上、基本的にレース時は彼も同行するのが当然である。

 

だが、戻って趣味やら何やらに取り組みたい彼としては、それは完全に呪いのようなものである。まあ、今までの経験全てを含めればそんなものの拘束力など大した事は無いのだが、同行しなかったらしなかったで色々とお小言を理事長や秘書、そして彼女のご友人からも頂く事となる為、最終的に見れば大人しく行くのが一番時間が取られない最善の方法だった。

 

そして何より、設計図の前で唸っている自身の周りをあーだこーだ言いながらグルグル回るのはもう勘弁願いたいと言うのが本音である。

 

なお、その回数は十回を優に超えている。

 

「やったー! レースだ! トレーナー連れて来てくれてありがとね!」

 

「礼なんてそこら辺に捨てて、テメエはさっさと行って来やがれ」

 

少々暑く感じる気温の中、ハイゼンベルクはハルウララの顔面にキンキンに冷えたスポーツドリンクを押し当てる。そんな物理的にも心理的にも冷たい渡し方をされた彼女は、"うひゃあっ!"と変な声を上げながら水滴塗れのそれを受け取った。

 

「じゃあ行ってくるね!」

 

「ああ」

 

愛想の無い送り迎えを済ませた彼は適当な木陰にその身を滑り込ませると、懐から例の嗜好品を取り出した。

 

上品な葉っぱの香りが鼻腔に届く。

 

たったそれだけで彼はその仏頂面に笑みを浮かべ、流れるように吸い口を切り火を付けた。

 

彼の立つ場所の真後ろに、タバコマークに斜め斜線が入った看板があるように見えるがきっと気のせいだ。もしそうで無くとも、彼の周囲には誰もいないので害は無いだろう。

 

それに、何か言われたとしても、彼は葉巻だからセーフ理論をかましながら何処か離れた場所へ移動するだけである。

 

そうして、何に向けられたか分からないその笑みを浮かべて彼はいかにも興味無さそうに呟いた。

 

「まあ、期待しないで待つとするか」

 

 

 

 

 

 

彼のそんな戯言は良い意味で裏切られる事となる。

 

 

 

 

 

 

Gの文字が付くだけあって、レベルも観客の数も中々にある今回のレース。席を埋め尽くし熱狂する人々の背後で静かに立つ一人の男は、眼下に広がるレース場と電光掲示板に映る表示を見て、ただただ唖然としていた。

 

「……冗談だろ?」

 

掲示板に映り込む一位の番号。そして、二位との間に表示される七という数字。いくら彼がレースに興味が無かったとしても、何となく理解出来るその意味。

 

「「「うおおおおおおっ!!」」」

 

熱の篭った人々の叫び声と、ひたすらに冷静なハイゼンベルクの視線の先には、一番先頭で周りに手を振るピンク色の影。

 

嬉しさの余りにピョンピョンと可愛らしく飛び跳ねるその姿は、観客席の者達の心の炎をより一層激しく、熱くさせ、この一つの箱庭を盛大に盛り上げたのだった。

 

 

 

 

 

人々の熱が冷めぬ内に始まるのは、ウイニングライブ。レースの勝利を際立たせるそれは、一部のウマ娘にとっての憧れでもある。もはや、競バと言えばこのライブもセットである事は一般常識なのだが、そんな常識にずっと意を唱え続けている捻くれ者がライブ会場の入り口近くに現れる。

 

「毎回思うが……何でライブなんて面倒なもんやるんだ? 理解出来ねえな」

 

ウマ娘達の晴れ姿が見えるステージから最も遠いその場所で、ハイゼンベルクはこの世界の誰にも伝わらぬ呟きを吐く。

 

重低音溢れる音楽に合わせて踊り始める桜色の姿より、その周囲に広がる演出用の仕掛けがどうなっているのか見てみたい彼だが、見てないと後から彼女にうるさく付き纏われること間違いなしである為、仕方なく興味とは真逆に染まったその瞳をステージへと向けた。

 

完璧とは言えない粗が目立つそのダンス。それでも、彼女の健気な元気さと可愛さがそんなダンスを一流のファンサービスへと変身させる。ファンの数が成果に対して多いのも、そんな裏側があるのだろう。

 

だが、そんな元気さがあっても流石にダンスの技量まではカバー出来なかったようだ。

 

『うわわっ!』

 

スピーカー越しに聞こえるそんな声。普段のポンコツぶりが鳴りを潜めていると思ったら、こんな肝心な場所でその姿を現したらしい。

 

きっと、下に落ちても死にはしない。ファンの人達も警備員も居るのだ。間違いなく受け止めて貰えるだろう。だが、演出者としては大きなミスである事は間違いない。

 

そして、毛色は違えど彼も演出を知る者だ。この後、この空間の雰囲気がどうなってしまうのか分からない訳ではないだろう。

 

「……手間掛けさせやがって」

 

この場の空気が居た堪れない状態になるのを嫌ったからか、それともあの桜の花びらが地に落ちるのが気に食わなかったのか。その真意は不明。

 

ただ確かなのは、誰にも読ませる気の無い心に押されるようにして、彼はまるで照準を合わせるように己の人差し指を軽くハルウララへと向けた事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場は盛り上がりを孕んだ響めきに包まれた。

 

本来なら、歓声や音楽で騒がしいウイニングライブ中では特に珍しい事ではない。だが、そんな観客達の熱狂を一瞬だけピタリと止めたその光景は、これまで続いてきた競バの歴史書に一度も載っていないであろう泡沫の夢であった。

 

彼らの瞳が見据えた先にあるそれは、今回一着を取ってこのライブのセンターポジションを獲得した桜色のウマ娘、ハルウララ。

 

健気に躍るその者が、疲れた足を動かしすぎたのか見事にふらつき、床の無いステージ外の暗闇へと無謀にも足を踏み出してしまった。

 

ステージと観客席にある高低差は怪我をするには十分すぎる。だが、彼らがその可憐な花びらを受け止めるには仕切りのフェンスが邪魔であった。それ故に、彼女を止められる者は誰一人として居なかった。

 

だが、彼女の身が無様に地面に落ちる事は無かった。

 

 

 

 

 

その身は、その足は、既に宙へと踏み出されている。

 

 

 

しかし、彼女の体が落ちる事は無く、黒一色のその空間を確かに"踏んでいた"。

 

 

 

 

 

「お、おい……! 見ろよ、浮いてるぜ!?」

 

「うん? 良く見えねえ、見間違いじゃねえのか?」

 

誰もが気付くその現象。近くの観客達だけならまだしも、当の本人でさえその表情を驚きに染めている。

 

『何これ!? わたし浮いてる!』

 

マイク越しの一言で観客全員の視線を奪った彼女。そして、彼らの目の前にも関わらず、彼女はそのまま常軌を逸する行動を始めた。

 

「見間違いじゃねえ……! あの子、空中を……空中を走ってるぜ!?」

 

本来なら、偶然にも落ちずに済んだ片足をステージ上へ引っ込めるのが本能的行動であろう。この魔法が暫く解けない保証などどこにも無いのだから、正常な判断である。

 

だが、先を見ず、恐れを知らず、何よりこの現象に何故か少しばかりの慣れを見せた彼女は、正常なそれをワクワクという名の楽しむ心で捩じ伏せたのか、その足を一歩前へと踏み出したのだ。

 

「ヤベエ! 俺こんなの初めて見た!」

 

「見た事ない演出だ……」

 

「空駆けるウマ娘……? 良い記事が書けそうです!」

 

観客席の上までも、ライブのステージと言わんばかりに駆け巡り、踊り、舞う。童心を忘れぬその行動を見た彼らは己の心の中に浮かび上がった景色を、現実と重ね合わせるかのように幻視した。

 

 

 

春風に飛ばされた大量の桜が空を埋め尽くし、青色のキャンパスを彩る。

 

そして、広場の真ん中で華やかな空を背景に、渦を巻く花びらと遊ぶ彼女。

 

儚さと美しさの裏側で何もかもを楽しむ子供の心が蘇る。

 

そんな、幻想と現実を混ぜ合わせた光景は、目の前に現れた非現実を楽しみとして受け入れる、大きな心を彼らに与える事となった。

 

 

 

もはや、これがただの演出か、それとも魔法か。そんな二択の疑問さえ頭に浮かべるのが億劫となった彼らはハルウララと同じようなワクワクの心を以て、大きな歓声を上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブが終わり、各々が帰路に着くであろうその時間。レースで疲れた体を風に吹かれる木の葉のように伸び伸びとさせたいと思うタイミング。だが、そんな願望虚しくハルウララは記者やファンに囲まれて、身動き取れなくなっていた。

 

Gを冠するレースでの勝利と、ライブでの非現実的な一件が、これまで以上に彼らを強く惹きつけたのだろう。

 

「おめでとうございますハルウララさん! お聞きしたいのですが、先程のウイニングライブでの動きは演出なのですか?」

 

「えーっとね、わかんない! 何かね、前みたいにわーってやったらできたんだ!」

 

「……あ、ありがとうございます」

 

案の定、先程の演出が予め予定されていたものなのか聞く者が現れる。だが悲しきかな、空飛ぶウマ娘本人でさえアレが起こった理由は分からない。

 

それ故に、返された答えはハルウララの可愛さが前面に押し出された擬音だらけの何かであった。

 

しかし、記者達はその中からある一つの情報を読み取ったようだ。

 

「"前みたいに"と言う事は、以前も同じ様な事があったのですか?」

 

何かこのタネが掴めるかと期待するその表情。だが、そんな感情を裏切るかのように彼らの耳に入ったのは先程よりも理解の及ばない不思議な文言だった。

 

「うんっ! あのねあのね、トレーナーがいつも居る場所にね、すっごくおっきいお化けさんが居たんだ! それで、お化けさんに遊んで貰った時にさっきみたいに空飛んだんだよ!」

 

「お、お化け……? あ、ありがとうございます」

 

脳内の思考回路を掻き回された記者達。ショートを起こして頭から火花が散っている者達を押し退け、まだ正常な者達が彼女へと質問を投げ掛ける。

 

「このレースで勝つ為のトレーニングはどんなメニューでしたか?」

 

至って平々凡々な普通の質問。少し説明が下手くそな者でも、何事も無く平然と答えられるであろうその問いは、間違いなくハルウララの耳へ届いた事だろう。

 

「トレーニング……? えーっと、シューちゃんとデュアルちゃんと……あと一人誰だっけ? あっ、思い出した! おっきい用務員さんだ! それで、みんなでボール転がして遊んでた!」

 

これまた残念な事に、その回答はうららん翻訳に五回程掛けられてしまったようで、普段の友人達でさえ解読に時間要する代物となっていた。

 

きっと、即翻訳出来るのは全てを知るトレーナーぐらいだろう。

 

「と、とりあえず……ボールでトレーニングしてたという事ですね! ありがとうございます」

 

中々取材班泣かせなそれをなんとか要約したその者は、その後静かに頭から湯気を立ち上らせる集団の仲間入りを果たしたのだった。

 

その後も、取材やファンサービスが続く中、遥か遠くの木陰で湯気ではない煙をふわふわと登らせる者がポツンと一人。きっと、その正体を知る者はここに殆ど居ないのだろう。

 

 

 

何せ、彼の名は基本的に問題のある記者の間で有名なのだから。

 

 

 

だが、たった一人だけ居たようだ。木陰の暗闇でひっそりと佇む彼が、今まさにスポットライトに照られているウマ娘のトレーナーである事を知る者が。

 

「行ってあげなくて良いんですか?」

 

カメラを持ちながらメモ帳へ色々と器用に書き込む一人の記者が、葉巻の煙が漂うその場所へ躊躇いなく足を踏み入れる。

 

「……どっかで会ったか?」

 

「あっ! すみません、申し遅れました。乙名史です!」

 

「乙名史……? ああ、思い出した。思考回路ぶっ飛んでるあの記者か」

 

「……お褒めの言葉として受け取っておきます」

 

乙名史記者は一度ハルウララのトレーナー、もといハイゼンベルクと会ってはいる。彼女の影は薄いどころか濃い部類に入るはずだが、彼の他者への関心の無さは相当の自己主張が無い限り例外なく発揮されるようだ。

 

一応、名前を言っただけで思い出してくれたのだが、同時に出てきた彼女に対しての正直すぎる発言にメモの手が止まり、思わず苦笑いが浮かぶ。

 

「それで、ハルウララさんの所へは行かなくて良いのですか?」

 

工場長が紫煙を旨そうに吐き出す様子を見ながら、乙名史記者は再度そう問いかけた。

 

「ヘッ、どうせ行っても邪魔なだけだ。特にカメラ持った奴らにはな。そうだろ?」

 

「私はそうは思いませんけど……」

 

帰ってきた答えは、気遣いなのか、ただ面倒なだけなのか、判断の付かない微妙なものであった。

 

まあ、恐らく後者であろう。

 

そんな、反応に困る言葉を受け止めた後、彼女は己の仕事の承諾を得る為に朗らかな笑みを浮かべながら話しかける。

 

「もしお時間があれば、取材させて頂いてもよろしいですか?」

 

「……いつもなら断ってる所だが、アイツが帰ってくるまでの暇つぶしとしてなら構わねえ」

 

「ありがとうございます!」

 

ハイゼンベルクの気怠げな視線は記者やファンの大群に囲まれたハルウララへと向けられる。質問一つ一つに対して表情豊かに言葉を返しているその様子は、彼の言葉通りそこそこの暇を与えてくれそうだ。

 

それ故に、彼は鬱陶しい筈の取材に珍しく肯定の意を返した。

 

きっとそこには、乙名史記者が礼儀正しくあまり不快な印象が無い事も多少はあるだろう。

 

「では、トレーナーさんはこのレースで勝つにあたって何をしたんでしょうか?」

 

そうして、彼女が一発目に聞いたのは彼の指導の内訳であった。そこらの一般トレーナーは勿論の事、新米トレーナーでさえ答えやすい部類の質問だ。特に回答に困る様なものではない。

 

しかし、面白い事に彼の返した言葉は、彼女の経験には一度も出てきていないものだった。

 

「何もしてねえ」

 

「え? それは本当ですか!?」

 

「ああ、あの能天気に何も言ってねえし、何も指示してねえ。アイツが勝手に強くなっただけだ」

 

"何もしていない"

 

トレーナー業を営む者であれば、耳を疑うであろうその言葉。普通の記者なら彼が本当にトレーナーなのか疑いを掛ける所だが、彼女は疑いの目などこれっぽっちも浮かべずにただただ真剣な眼差しでペンを動かしていた。

 

「"何もしていない"……その言葉に偽りは無いんですよね?」

 

「ああ、嘘じゃねえ。どうした? 呆れて帰りたくなったか?」

 

「そ、そんな……これは……」

 

 

 

 

 

 

「素晴らしいっ!!!」

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

乙名史記者の放った熱の籠った一言は、彼の予想を大きく越えたらしい。まるで、何を言っているのか理解出来ないと言わんばかりの唖然とした視線が、それを確かに物語る。

 

「これはつまり、ハルウララさんが甘える事なくご自身で成長できる様に周囲環境を完璧に整えたと言う事!! トレーナーはウマ娘と二人三脚すると言う表現がメジャーとなる中、あえて真逆の突き放す指導をしているとは……いやはや、恐れ入りました!」

 

「お、おい。勝手にふざけた想像してんじゃ……」

 

何故かは知らぬが彼女の記者魂の導火線に火をつけてしまったハイゼンベルク。有無を言わさぬその圧を前にして文句を並べようとするが、虚しくもそれは言葉の機関銃によって彼の口の中へ押し戻された。

 

「ですが、彼女自身がトレーニングを考えて行うと言う事は、トレーナーの本分の一つを失ってしまうという事……! 己の仕事を失ってまで彼女の成長を促すその姿勢は、正しく自己犠牲! こんなにウマ娘への愛に溢れたトレーナーを見たのは本当の久々です!!」

 

「……どう答えりゃこのマシンガン撃たせずに済むんだ? クソッ……分からねえ」

 

彼がどれだけ適当に答えても、どういう訳か彼女の中で凄まじい感動ストーリーに曲解される。恐らく、曲解されない様な言い方をすれば良いのだろうが、残念な事に彼の口はそこまで上手くは回らない。

 

結局、全てを諦めた彼は半分ぐらいになった葉巻を味わう事に専念し、横で鳴り響く機関銃が大人しくなるのをため息の様な紫煙を吐きながら待つ事となった。

 

「素晴らしい回答の方ありがとうございます! それで、次の質問なんですが……」

 

暫くして語る事を思う存分に語った乙名史記者は、先程の暴れっぷりが嘘かの様に落ち着いた声調で次の質問を投げ掛ける。

 

なお、取材を受ける側は既に疲れた様子を浮かべていた。

 

「トレーナーさんが重要視する要素は何ですか?」

 

「何だそれ?」

 

「少し表現を変えますと、貴方にとって強い者にはどんな特徴があるか? 例えば、筋力がある、末脚が切れる、スタミナがある、そんな感じにトレーナーさん自身が考える強さの秘訣を教えて頂きたいのです!」

 

先程と同じく非常に答えやすい質問だが、それ故に新人とベテランの差が出る中々厄介なものである。

 

素直に答えるもよし、少し粋がって難しい事を語るもよし。己の考えを発信できるそんな問いに、悩まされる者も多いだろう。新人の方々など特に。

 

だが、見た目と反して中身がど素人の強面トレーナーは、一切悩む事なく、迷う事なく、往年の余裕を以ってその答えを返した。

 

「決まってる、"諦めが悪い"。ただそれだけだ」

 

吐いた煙を眺める様に空へ目を向ける彼が放ったのは、なんと理論では無くただの精神論だった。

 

精神論を語る者がいない訳では無い。ただ、それを語る際は必ず地盤の理論を語ってからだ。そんな、信憑性が定かでは無いその論のみを語る者など、これまでの記者人生で殆ど無いに等しい。

 

故にその表情は、この稀な考えを持つ者の真意を理解するべく、真剣であった。

 

「諦めない事ですか……」

 

「いや、"諦めが悪い"だ。諦めねえだけなら誰でも出来る」

 

"諦めない"では無く"諦めが悪い"。彼女の中では殆ど同じ意味合いを持つその言葉だが、彼にとってそれは似て非なるらしい。

 

しかし、"諦めが悪い"という言い方はなんだかウマ娘へと向けるものでは無い様な気がする。

 

「今まで色々あったが……強え奴らは決まって諦めが悪すぎる。アリが恐竜に勝てる筈が無えってのに、それを理解してなお挑む馬鹿がこの世には居る」

 

彼女は必死にメモを取る。言葉を並べていけば、彼の言いたい事が見えてくる筈だ。

 

「そして、元々強え奴らは"諦めの悪さ"の意味が分からねえ。何せ、そいつらの前に壁があっても、ちょいと足掻けば越えられるからな。分かる筈が無え」

 

「……つまり、壁に対して抗える力がある者には理解が難しいという事ですか」

 

彼の語るその内容は、酷く難しいものだ。しかし、何となく分かった事は強者には無く弱者にしか味わえない何かがある事だ。

 

まるで、己自身が体験したかの様に深みのある言葉は続く。

 

「元々弱い奴らしか分からねえのさ。圧倒的……いや、絶望的なもんを前にして抗う恐ろしさがな。知ってるか? 元々強え奴らがそういうモンと出会うとな、情けねえ事にビビっちまう。嘘じゃねえ、本当の話だ」

 

一体どういう事なのだろう。この語り口調から察するに彼がそう考えるようになった事件を目の前で見ているかのようである。

 

しかし、調べた限り彼は新人トレーナー。以前に他のウマ娘を担当していた訳でも無い。ましてや、彼の言う強いウマ娘を担当していた事などこれっぽっちもない筈だ。

 

「まあ、俺が言いてえのは"諦めの悪い"奴が一番強え。そんだけだ」

 

一番肝心の"諦めの悪さ"についての詳細をすっ飛ばして、彼は雑に己の言葉を締めた。

 

もっと色々と聞きたい所がある筈だが、乙名史記者はそこをグッと堪えた。それもそのはず、葉巻を完全に灰にした彼の視線を辿るとその先にはこちらに向かってくるピンクの影。

 

取材の時間はもう終わりだ。

 

「ああっ!? トレーナーが取材受けてる! いつもやりたくないって言ってどっか行っちゃうのに!」

 

「どっかの間抜けが遅いから暇つぶししてただけだ。終わったならさっさと帰るぞ」

 

「はーいっ!」

 

ハイゼンベルクは去り際に乙名史記者へと"じゃあな"と適当に手を上げる。そんな、大きく愛想の無い背中に出遅れたハルウララが慌ててついて行く。

 

「ねえねえトレーナー! 今日のライブ見てた? わたし、空飛んだんだよ!!」

 

「ヘッ、どうせたんまりと金掛けたライブの演出だ。その証拠に、今飛べねえだろ?」

 

「ええっ!? そうなの!? ふーんっ! ほ、ほんとだ、全然飛べないや……で、でも、今まであんなのなった事ないよ!?」

 

「さあな、俺の知ったこっちゃ無え」

 

和気藹々とやり取りを交わす両者。夕陽に照らされて影絵のように見えるその光景を、遠くから観客のように見つめる乙名史記者。黒い像があっちこっちに動き回る様に、僅かに驚きの混じった微笑みを浮かべる。

 

そして、小さくなり消えていく影にひっそりとカメラを向けた後、満足そうな表情と共に小さく呟いた。

 

「ふふっ……"何もしていない"、ですか。もしかすると、その部分だけ記事に修正が必要かもしれませんね」

 

カメラの中へと切り取ったその光景。赤い夕陽による逆光で表情はおろか、服の凹凸さえ分からない。きっと、普段の記事に載せるには0点の代物だろう。

 

だが、その写真は黒い影しか写っていないにも関わらず、トレーナーとウマ娘の仲睦まじい様子が不思議と感じられる、興味深い一枚であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、彼女の書く雑誌の記事と、今回の摩訶不思議なライブ。その二つが相まった結果、ハルウララのファン数は爆発的に増加したそうだ。

 

そして今回の一件により、普段良く会話する友人達やクラスメイト達からハルウララが質問攻めに遭うのだが、それはまた別の話である。

 

 




「かいちょー! 今月のこれ見た?」

「ああ、中々面白い事が書かれてたな」

「だよね! エアグルーヴも読んだ? 読んでないなら読んだ方がいいよ! 特にこの部分」

エアグルーヴに手渡される一冊の雑誌。

「これは……取材記事か。あまり珍しくも無いと思うが……っ!?」

「ふふっ! 気付いたかい? なんと、今月のそれはハルウララとそのトレーナーに関しての記事なんだ。流石と言うべきだろうか……普通の者には出せない回答ばかりでつい読み耽ってしまったよ」

微笑むシンボリルドルフ。

「確かに一般的な答えでは無いですが……それよりも、ここに書かれた事は本当の事ですか? 私には……誰かが戯れで書いたものにしか見えないのですが……」

「やっぱそう思うよね! ボクも今回のは色々盛ってると思っちゃうよ! だって、こんなの魔法みたいなものじゃん!」

エアグルーヴの意見に、トウカイテイオーは同意する。



「いや、きっと本当さ」



二人の目が彼女に向けられる。






「よく言うだろう? "発達した科学は魔法と見分けがつかない"と。きっと、それに似たようなものさ」



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鍼治療

 

廊下が明るく照らされて、少しばかりの暑さを感じる昼間の学園。外に出て爽やかな風を受けていれば気持ちの良い昼寝が出来るであろう時間帯に、二つの激しい足音が学園内で響き渡っていた。

 

それを聞く者達は皆、誰かが走っているのだろうと何となく思う事だろう。

 

だが、今にも恐ろしい副会長がすっ飛んで来て叱りそうな行動はいつまで経っても鳴り止まない。それどころか、人数が増えたり減ったりしている気がする。

 

誰もが違和感を感じ始めるこの状況。そんな中、曲がり角を勢い良く通り抜けるとある二人の姿が、窓から差し込む陽光の元で露わとなった。

 

「ど、どうしようテイオーちゃん!」

 

「とりあえず逃げるしかないよ! ボクはぜっっっっっったいにアレ受けたくないもん! あんなの注射とおんなじだ!」

 

「わ、わたしもだよ!! ぜったい、チクッてするし痛いもん!」

 

姿を現したのは、ハルウララとトウカイテイオー。見たところ、何かから逃げているようだ。その発端は何やら針に関連する事象が関わっているように思われる。

 

そして、共通する何かの感情が二人を意気投合させているようにも見える。

 

「まあまあ、ちょっとぐらい良いじゃない! ほーんの先っちょだけだから!」

 

「「うわっ!?」」

 

そして、いつの間にか彼女達の間に割り込んで、首に手を回している謎の不審な人影に、彼女達は盛大に驚きの声を上げて飛び退いた。

 

目元を覆うド派手なサングラスに、医療関係者を連想させる服を着こなすその姿。そんな違和感溢れる服装に何とも言えないオーラ、そして妙に馴れ馴れしい言葉遣いが、彼女達の中にある不審者像のストライクゾーンを見事にぶち抜き、三アウトを叩き出す。

 

「なんでっ!? さっきまで一階に居たのに!?」

 

「そりゃあ……ちょちょいと頑張ったって訳よ!」

 

「えっ……エアグルーヴの追跡から逃げるって相当ヤバい奴じゃん!?」

 

どうやら、学園内に響いていた慌ただしい足音の中には、生徒会の者達もいるようだ。だが、優秀な彼女達でさえ目の前に居るこの不審な女性を捕らえる事は出来ていないらしい。

 

「そんな事より! 一発ぶっ刺してかない? 貴方達、見たところとっても良い素質がある気がするのよ! きっと、普段の倍以上は効果が出るわ!」

 

不敵な笑みを浮かべたその者がジリジリと歩み寄る。タチの悪い押し売りに痺れを切らしたトウカイテイオーは、ハルウララの手を取って一目散に逃げ去った。

 

「こういう時はさっさと逃げるのが良いって、ボク知ってるもんね!」

 

「て、テイオーちゃん!?」

 

かなり速いその走りに引っ張られ、思わず転けそうになるハルウララ。だが、ここで足を止めたらあの針の餌食になる事間違い無し。それ故に、楽しみとは真逆の感情を以て何とか体勢を立て直すのだった。

 

 

 

普段であれば色々と文句を言われるであろう行動を、緊急事態の特権で行使し続けた二人。そして、前にも後ろにもあの医者もどきが居ない事を確認して、ホッとその場にへたり込んだ。

 

「はあっ……はあっ……ここまで来たら……大丈夫だよね!」

 

「そうだと良いけど……」

 

息を切らしながら安堵の声を漏らすハルウララに、未だ不安を拭い切れないトウカイテイオー。もしかすると、過去に受けた注射という傷が彼女をここまで警戒モードにさせているのかも知れない。

 

だが、そんな心構えが今回は功を成した。

 

「よっと! さてさて、あの子達どこに行ったのかしら?」

 

「ぴえっ!?」

 

窓からスッと身を滑り込ませたその存在は、さっき上の階にいた筈の者。階段を経由しない上下移動は、何だか夜の学校に出てきた"アイツ"を思い出させる。

 

今はまだ他のウマ娘達の影に隠れてバレては居ないが、それもきっと時間の問題だろう。今のうちにさっさと逃げ出すべく、彼女はまだホッとしている隣人の肩を叩いた。

 

「アイツまた来たよ!!」

 

「ええっ!? いっぱい走ったのになんで!?」

 

「あっ!? こんな所で大声出したら……」

 

すぐに自身の手で口を塞ぐが、もう手遅れ。先程の言葉は確かに廊下へと響き渡った。

 

そして、まるでどこぞの御伽噺のように人の海が真っ二つに割れ、彼女達の矮小な姿が赤いグラス越しの視線に晒される。

 

「見いつけた」

 

下手なB級ホラー映画よりも恐怖を感じる笑み。二人はリアクションする間も無く、その笑みに背中を向けて走り出す。

 

何だか不運に見舞われている彼女達だが、偏っているそれを釣り合わせるかのように、前方から見慣れた影がやってきた。

 

「あっ!!! トレーナー助けて!!!」

 

ハルウララのトレーナーであるその男。だが、その佇まいは人を寄せ付けさせないオーラに溢れている。それ故に、トウカイテイオーは一瞬だけ固まった。

 

「えっ……!? いやでも……あっちの方が怖いや!」

 

怖いという意味合いでは前も後ろもホラーであるが、後ろから追ってくる方がその後に待ち受ける展開を考えるともっと怖いと思ったのだろう。

 

結局、躊躇いを捨てた彼女はハルウララに倣うようにして、その男へと助けを求めた。

 

「あ? 突然何だよ」

 

木屑だらけのコートをギュッと掴み、大きな背中に身を隠す二人。そんな姿を見て、ハイゼンベルクは普段と同じぶっきらぼうな声調で反応を示す。

 

「えっとえっと、チクッとする人が追いかけて来てるの!! 助けてトレーナー!」

 

「ほう、テメエら健康診断でも抜け出して来たってのか? 悪いが、これから忙しいんだ。テメエらと遊んでる暇なんぞ無え」

 

まるでギターケースのような大きな黒い荷物を背負い直すと、彼はハルウララとトウカイテイオーの首根っこを掴み上げた。

 

どうやら、健康診断の責任者の元へ連行する気のようだ。

 

「健康診断じゃないよ! ほんとに変な人がこっち来てるんだって! というか、なんでボクまでつまみ上げられてるの!?」

 

「この能天気野郎をここに連れてきたテメエも同罪だ。手間増やしやがって」

 

「わーっ!! 待って待って違うって! ボクが連れてきたわけじゃ無いよ!! だから離して!!」

 

そんな、ジタバタするお荷物をどこに連行するべきか彼が考えている最中、彼にとっても予想外の者が眼前に立ち塞がった。

 

「えっ!?」

 

「あ?」

 

側から見ればその様は非常に形容し難いものだっただろう。片方は赤と白の派手な服装を身に纏い、その手には大きめの針。もう片方は木屑やら鉄屑やらの汚れが付いた地味なコートを着て、その両手にはジタバタと暴れるウマ娘。おまけに、怪しげな荷物もセットである。

 

それぞれベクトルの違うオーラを振り撒く二人。そんな二人に共通して言えるのは、どちらもヤバそうな不審者という事だった。

 

「な、なんか凄い不審者っぽい人! 貴方一体何者よ!?」

 

「ああっ!? この人だよトレーナー! さっきから変なのでチクってしようとしてくるんだよ!」

 

「……マジかよ。明らかに不審者みてえな奴だな」

 

「ボクすごい思うんだけど、どっちも鏡見て言った方が良いと思うよ!」

 

誰かさんの余計な一言に、何やら圧のある視線を二人から向けられたトウカイテイオーは、何とも言えない叫び声を一瞬だけ上げ、借りてきた猫のようにその口を一文字に結んで大人しくなった。

 

「あ、貴方トレーナーだったのね! もう、脅かさないでよ。てっきりどこかの誘拐犯かと思ったじゃない」

 

「誰だテメエ? 馴れ馴れしくされる覚えはねえぞ?」

 

相手の見た目に全く物怖じしないハイゼンベルク。そんな彼の威圧的な問いが謎の女性へと荒々しく投げかけられた。

 

「私? 私は……奇跡の腕を持つ伝説的笹針師! その名も安心沢刺々美よ! 分かりやすく言えば、鍼師ってヤツよ! 貴方も一発ブッ刺しとく?」

 

安心沢刺々美と名乗りを上げた謎の女性。彼女もまた一見だけで全てを判別するタイプの人間では無いらしく、棘だらけの態度に対しても馴れ馴れしい装いで言葉を返してきた。

 

「その子達の素質、とっても凄いわよ! きっと、普段の倍以上の効果が出る筈よ!」

 

自信満々のその言葉。最後に小声で"まあ、失敗しなきゃだけど"と聞こえたのは、きっと気のせいに違いない。

 

まさか、失敗する事を危惧している者があんな堂々と物を言えるなど無い筈である。

 

最後の言葉が聞こえたのか、そもそも彼女を信用していないのか、彼の興味は非常に浅かった。

 

「鍼治療? そもそも効果あんのかそれ? 元がゼロなら倍もクソも無えだろうが」

 

「フッフッフ、私にかかれば滅茶苦茶効果出るわよ! とりあえず、どんな効果があるか聞くだけ聞いてみない?」

 

「ほう、なら適当に話してみろ」

 

簡単なお誘いを掛ける彼女と、鼻で笑いつつもそれを受ける彼。何故だろう、その様子は相手を罠に嵌める狐のように見える。

 

しかし、当の本人はそんな違和感などこれっぽっちも抱いていないようで、話はトントン拍子に進んでいく。

 

「まず、よくあるのは筋力増強ね。完璧にツボをつければ、誰でもマッチョ間違いなしよ!」

 

「ほう、便利だな」

 

彼の薄かった興味が少しばかり深くなったのを感じたのか、彼女は説明を続ける。

 

「次によくお願いされるのは、回復のツボよ! これは凄いわよ、上手く決まれば三日三晩走り続けた体でも一瞬で復活よ!」

 

「栄養ドリンクみてえなもんか」

 

「そうそう、そんな感じ!」

 

普段の彼なら乱雑に突き返す筈の場面。彼と付き合いが深い者であれば、何となく予想可能である。

 

だが、今の返答はどうだろうか。

 

まるで真逆だ。

 

そんな違和感に気付き始めたのか、彼の両手に捕らえられた二人の囚人はその額に冷たい汗を浮かび上がらせる。

 

そして、相手を引き摺り込むかのような悪魔のやり取りは続く。

 

「後は……アレよ! 体の不調が全部治っちゃうミラクルなやつ! 寝不足やら太り気味やら、何でもござれって感じの凄いやつよ!」

 

「治る……おい、一つ聞いて良いか?」

 

会話の中に垂らされた釣り針に掛かるようにして、彼は彼女に質問を投げ掛ける。それは、彼女にとって特に珍しくもない、至って平凡な質問だった。

 

 

 

「テメエのそれは、"治癒力"も上がんのか?」

 

 

 

恐らく、軽い怪我のような物に対しての問いかけなのだろう。転倒だけでなく、ちょっとした事でも傷は負ってしまうものである。

 

絆創膏が貼られた膝を何となく脳裏に浮かべつつ、彼女は超自信満々に答えた。

 

「勿論よ! 擦り傷、切り傷、何なら打撲とかだって何とかなっちゃうわ!」

 

「ほう、悪くねえじゃねえか。是非とも見たいもんだな!」

 

何故かこの分野に関してだけ彼の食いつきは凄まじく、彼女の解答に対して軽い笑みを浮かべる程であった。

 

この様子だけ見れば、彼はただの気のいいおじさんである。

 

「是非とも見せてあげるわ! というか、貴方結構ノリ良いのね。人は見た目によらないとはよく言うけど、まさかここまでとは思ってなかったわ」

 

「俺も医療関係を少しだけ齧ってるからな。興味はどっちかというとある方だ」

 

どっからどう見ても工学一筋っぽいこの男は、なんと医療系の知識にも手を出しているらしい。今まで聞いた事のなかったその情報にハルウララは勿論、周囲の者達も驚きと違和感の入り混じった表情を浮かべた。

 

そして、そんな違和感を更に増長させるかのような意味不明な言葉を彼は言い放つ。

 

「おい、テメエの利き手はどっちだ?」

 

「利き手? 右だけど……鍼自体はどっちでもイケるわよ。もしかして、変な拘りでもある感じ?」

 

己の右手を持ち上げて彼に見せつける。何を意図した質問かは全く分からない故に、周りの者達と同じくその頭上にはクエスチョンマークが浮き上がっている事だろう。

 

しかし、彼が次に放った言葉はただただそのマークを増やすだけの代物だった。

 

「そうか、なら"左"にしといてやる」

 

彼の機械仕掛けの脳みそは一体何を考えているのだろう。付き合いが長く、慣れていれば何とかなるハルウララのような思考回路とは違い、彼の思考回路は常識外れの設計故にそう簡単には推測出来ない。そして、喋りはするが肝心な部分を話さないその姿勢が、訳の分からなさに拍車をかける。

 

だが、どう分岐するか分からないこの流れに対し、一番理に叶う予測を立ててしまったのだろう。偶然にも彼の"左手"で首根っこを掴まれているトウカイテイオーはその顔を真っ青に染めた。

 

「ねえねえトレーナー、何が左なの?」

 

ハルウララからしたら当然とも言えるその問いに、彼はニヤリと笑う。なんだか悪意が見え隠れするその表情に周りの者達が気圧される中、どこかの帝王の予測を裏切るかのように彼は両の手で捕らえていた二人を雑に解放する。

 

そして、空いたその手は背負った荷物へとゆっくり向かう。

 

「なに、ただのテストだ!」

 

 

 

彼と相対する伝説的笹針師は知らなかった。

 

彼の乗りが良い時、饒舌な時、その裏側に潜む感情が一体どうなっているのか。

 

しかし、魔の工場長が取り出した"ソレ"を見て、彼女はきっと気がつく筈だ。

 

自身が彼を乗せていたのでは無い。

 

自身が彼に乗せられていたのだと。

 

 

 

 

 

 

何せ、彼が取り出したのは……

 

 

 

まるで二つのチェーンソーを強引にくっ付けて鋏にしたかの様な、常識から何もかもかけ離れた狂気の代物だったからだ。

 

 

 

 

 

目の前の者も、左右に居る者も、そして周囲にいる者達も、あらゆる者の理解を置き去りにした彼は持ち手であろう部分に備わるワイヤーを思い切り引っ張った。

 

「えっ……ちょっと……私が思ってた展開と違う……!? 左のコを施術するって流れじゃないの!?」

 

愕然とする彼女のそんな一言は、残念ながらけたたましく鳴り響くチェーンソーの駆動音によって切り刻まれたようだ。

 

「安心しな! テメエの左手でテストするだけだ! 死にはしねえよ!」

 

「そっか〜! なら、あんし〜ん! ってなる訳ないじゃない!!!!! というか、テストって何よ!!!」

 

野次ウマ達が顔面蒼白とする中、悲鳴にも似たその声は廊下に良く響き渡る。それをサディストな笑みを浮かべながら聞き入れた悪魔は、鎖状の刃で形作られたその鋏を開け閉めすると、正しく狂気としか形容出来ない答えを吐いた。

 

「決まってんだろ! 俺がテメエの手首をぶった斬ってやる! それで、テメエは例の鍼でも何でもブッ刺してから元通りにくっ付ければ良い! これで周りのヤツにも証明できるし、テメエの腕を試すテストにもなる! どうだ、完璧な算段だろ?」

 

イカれきった発言とその内容。どうやら、お互いに不審者と思っていたが片方は不審者ではなく異常者だったようだ。脳みその大事な部分を麻痺させたかのような彼の発言に、伝説的笹針師は思わず己の左手首へ目をやってその表情を真っ青に染め上げた。

 

そして、怯えに溢れたその体へ絶望の詰まった影が迫る。

 

「えっ……ちょっとちょっと!? マジでやる気なの……? 常識的に考えて、切り落とされたらくっ付かないわよ? というか、貴方絶対に私のこと疑ってるでしょ!」

 

「おい、何言ってんだ? 俺はテメエの実力を信じてるからやってるんだぜ? テメエならぶった斬っても綺麗にくっ付けてくれるってな! なに、安心しろ……」

 

 

 

 

 

"ちゃんとくっ付くのは実証済みだ"

 

 

 

 

 

紛れもなく魔王と呼んで良いその圧と笑みを前にして、彼女の汗腺は壊れたかのように冷たい涙を滴らせる。

 

少し調子に乗って色々と誇張してしまった事を素直に言えばこれを止めてくれるだろうか。

 

そんな、弱気な考えを脳裏に浮かべた彼女の耳に少しだけ希望の含んだ言葉が聞こえてきた。

 

「おい、もし今までの発言がただの嘘ならさっさと言え。手をぶった斬るのは止めてやるよ」

 

なんと、この男にも慈悲の欠片は残っていたらしい。

 

地獄に舞い降りた蜘蛛の糸を掴むため、彼女は己の非を吐き出すべく肺へ空気を取り入れる。

 

だが、彼の言葉はまだ終わっていなかった。

 

 

 

「まあ、そうなったらコイツの行き先が首になるだけだがな」

 

 

 

己の内に溜まった空気が一瞬にして吐き出される。幸運にも、それは言葉を成さなかった。

 

垂らされた糸は蜘蛛のものでは無い。酷く冷たく、不可視の死に濡れた高圧電線のワイヤーだったのだ。

 

連なる刃の機構が、ブウゥンッと悪夢の音を立てる。

 

重なる刃の機構が、ガチャンッと希望を切り落とす。

 

当然、そんな絶望の序曲を前に正気を保ち、咄嗟の判断を下せる者などごく少数である。大多数の者は、ただ固まるか、錯乱するかの二択を取り、無惨な結果を遂げるのだ。

 

そして、彼女はその後者であった。

 

「えっ……ま、待って待って! 私まだ死にたくない!!!」

 

パニック混じりの心からの悲痛な叫びは天には届かなかったが、とある存在には届いたようだ。

 

 

 

「そこまでですっ!!! 学級委員長として、これ以上暴れるのは許しません!!」

 

 

 

誰もが恐怖に固まり動けなくなる中、たった一人の優秀な人材が凶悪な魔物の前に立ちはだかる。

 

煌びやかな桜色の目で相手をしっかりと見据えたその姿は、紛れもなく学級委員長のものであった。

 

「あの人が怖がっているではありませんか! もし止まらぬと言うのなら私が相手です!」

 

なんというか、サクラバクシンオーの発言は学級委員長のお仕事からは大きく逸脱した内容にも思える。だが、本人がそう言っているのだ、きっと間違ってないのだろう。

 

「ほう、どっかで見た顔だな。中々根性あるじゃねえか」

 

「はいっ! 学級委員長ですから!」

 

どこぞの天真爛漫ウマ娘のように、彼の振り撒く恐怖をものともしないその姿勢。少し怖いが、行く末の気になる展開に野次ウマ達の目が集まる。

 

だが、彼は顎に手を当てて考えるそぶりを見せると、いかにも悪役のような黒い笑みを浮かべた。

 

「おい、テメエが何を勘違いしてるか知らねえが、コイツはただのテストだぜ?」

 

「テスト? 何のですか?」

 

「そこで腰抜かしてる奴のテストに決まってんじゃねえか! どうやら、鍼治療の専門家みたいでな。俺が直々にその腕をテストしてやろうって考えてんだ!」

 

シザーチェーンソーを肩に担ぎ、片手をオーバリアクション気味に動かしながら彼は言う。

 

怪しげなその発言を、彼女はうんうんと相槌混じりの真面目な様子で聞き入れる。

 

「どこぞのポンコツじゃねえ限り、新しい蹄鉄をいきなりレースで使ったりしねえだろ? これもそれと全く同じだ。"賢い学級委員長"なら分かるだろ?」

 

最後の一言だけやたらと強調されていたように聞こえる言葉。どうやら、その効果は絶大だったようで、嬉しそうに目を輝かせたサクラバクシンオーは元気良く肯定の意を返した。

 

「はいっ!!! 勿論です!」

 

ニッコニコの笑みと共に彼女は廊下の端に寄り、奥で絶望を目に浮かべている鍼師への道を空けた。

 

きっと、追い込まれてる側からすれば、その行動はある意味、刑の執行を許可する領主のように見えた事だろう。

 

「賢い奴で助かるぜ。じゃあ、俺は今から重要な"テスト"をしねえといけねえからな。良い結果が出たらテメエにも教えてやるよ」

 

「はいっ! それでは、テスト頑張って下さい!!」

 

やはり、相手を地獄へと叩き落とすのを目的とした時、彼の言いくるめの技能は飛躍的に上がるようだ。相手が少し抜けているタイプなら、それは尚更効力を発揮するのだろう。

 

障害を切り抜けた彼は、今度こそ"テスト"を開始するべく、得物の咆哮をより一層唸らせた。

 

「ハッハッハ、鍼は構えなくて良いのか? もし落としちまったなら言いな! 代わりのブツを貸してやるからよ!」

 

彼女の返事も待たずに目の前にガチャンと放り出される何か。先程の発言内容と相違しかない代物を前に、彼女は呆然と呟いた。

 

「は、鍼……?」

 

「ああ、鍼だ。ちゃんと先端尖ってんだろ? 腕が良けりゃ使えんだろ」

 

螺旋状の溝があり、回転機構を有することを除けば、それは確かに鍼である。きっと、機械の類に良い感じの施術を行う事が出来るだろう。

 

なお、人体に対して使えるかの保証は無い。

 

「そんじゃ、"テスト"の開始だ!」

 

意気揚々とそう言い放ったハイゼンベルク。しかし、階段から降りて来た緑色の存在が今にも始まろうとしているソレの全てを遮った。

 

「あっ!? 見つけましたよ!」

 

「た、助けて下さいいいぃぃぃ!! お願いしますうううぅぅぅ!!!」

 

「えっ……?」

 

理事長の秘書であるたづなへと伝説的笹針師は情けなく泣きついた。これまで逃げていた存在が、涙と共に助けを求めて来たのだ。当然、その表情は困惑一色に満たされた。

 

そして、その答えを探るかのように彼女の視線は何やら物騒な代物を携えた工場長へと向けられる。

 

「ハイゼンさん……?」

 

「まだ何もやってねえ」

 

「"まだ"?」

 

楽しい時間にお預けを食らったせいか、それとも野次ウマ達が青ざめる程の圧のある視線を食らったせいか。彼はため息混じりにその得物達を仕舞い始める。

 

だが、たづなも不審者への対応で忙しいからか、その後の追及は何一つ無かった。

 

そして、彼が地面に落ちた手持ちの工業用ドリルを拾い上げ、片付けを終えようとした時、ピンクの影が目の前へと現れる。

 

「トレーナー!」

 

「なんだ」

 

「助けてくれてありがとう!!」

 

眩い笑顔と感謝の言葉。真っ白で裏の無いそれが真っ黒で裏だらけの彼へと投げかけられる。だが、返ってきたのは無愛想で暖かみの無い良い加減な言葉だった。

 

「ハッ、何言ってんだ? 俺はあの訳分かんねえイカれ女が気に入らなかっただけだ。テメエらが何されようがどうでも良かったんだぜ? 感謝なら、俺をムカつかせたソイツにでもしてな」

 

背負った荷物をガチャガチャと鳴らしながら、ハイゼンベルクは廊下を進む。先の一件で警戒している野次ウマ達に冷たい視線を浴びせ、強引に人混みを真っ二つに裂くその姿は恐れられる王のようである。

 

そんな彼が通り過ぎた後、見事に裂けていた人混みは再び結合して大きな塊へと戻っていった。

 

「はあ……なんかすごい疲れた……良くウララはあんな怖い人と仲良くやれるよね」

 

「ええっ!? そんな怖くないよ! いっつも変な顔してるだけで、すっごく優しくて面白いよ!」

 

二つの恐怖に板挟みされていたトウカイテイオー。どこかげっそりとした彼女の気怠げな言葉に対し、ハルウララはそんな事は無いと必死に弁明する。

 

だが、悲しきかな、それは彼女と同等の驚異的なメンタルか、長い付き合いの二択が無ければ理解のされようが無いのだ。

 

そうして、何とかしてトレーナーは怖くない人だと認識して貰いたいハルウララの明るく拙い言葉が廊下に響く中、どこかの誰かは一瞬だけ振り返り、その様子を鼻で笑っていたのだった。

 

 

 




鋏型チェーンソー
削り切ると挟むを同時に行えるぶっ飛んだ機械。比較的大きな木であろうとも簡単に切れる便利な代物らしい。
おまけに、頑丈で"木以外"でも難なく切れるそうだ。



製作者曰く、遠いどこかでこれを使った決闘ごっこがあったらしく、それを参考にしたとの事。

危険極まりなさそうに思えるが、実際に行われた結果、特に死人は出なかったようで意外と安全性のある物だそうだ。



なお、それが真実である保証はどこにも無い。



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落し物

 

日差しが暑く世界を照らす今日。誰しもが空調の効いた部屋で閉じこもっていたいと考える程に、不快で湿った空気が学園を覆い尽くしていた。

 

そんな中、汗をダラダラと流しながら、慌てた様子で辺りをキョロキョロと見回す一人のウマ娘がいた。

 

「うぅ……ここにも無い。どこで落としちゃったのかな……キングちゃん達から貰った物なのに……」

 

桜色の尻尾をその先までじっとりと濡らしたその姿は、紛れも無くハルウララである。しかし、今の彼女の様子は元気いっぱいないつもとは少し違っていた。

 

「よしっ! お水飲んだらまた探そう!」

 

流した汗の分を補充するかのように、彼女は水道の水を沢山飲んだ。

 

しかし、飲みすぎてお腹が一杯になってしまい少し苦しくなってしまった。そんなこんなで、その場で立ち往生していると、彼女の目に見知った姿が入り込む。

 

「あっ……トレーナーだ!」

 

暑すぎるからか、コートを鉄槌の先端に引っ掛けて彼女と同じように汗をかく彼女のトレーナー。彼女と同様に存在に気づいた彼から送られたのは悪態混じりの挨拶だった。

 

「よお、こんなクソ暑い中何やってんだ? あのポンコツみたいに熱暴走がお望みなら別に止めはしねえが」

 

「うん? ねつぼーそー? 何かおいしい食べ物のこと!?」

 

「違えよ」

 

良く分からないが取り敢えず食べ物だと認識したのか、彼女の口端に涎が滴る。とうとう脳味噌が熱暴走を起こしたかとハイゼンベルクは頭を抱えた。

 

「あっ! ねえねえトレーナー! これからこーじょーに帰るよね?」

 

「ああ」

 

「そしたら、こーじょーにこれ落ちてないか探して欲しいんだ!」

 

彼女が彼の眼前へ唐突に突き出してきたのはスマホの画面。そこに映っていたのは、人参の形をしたキーホルダーだった。

 

「多分、こーじょーか寮か教室のどこかにあると思うんだ! わたしはこっちの方探すからトレーナーはこーじょー探して!」

 

「あー……気が向いたらな」

 

「ありがとうトレーナー! そしたら、わたし教室の方探してくるね!」

 

返した言葉は肯定の意では無いはずだが、彼女は完全にやってくれると勘違いをして感謝の言葉を述べると、そのままどこかへ走って行ってしまった。

 

彼もどうやらそれを察したようで、何とも言えない表情を浮かべながら特大の溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

ハルウララのお願いをこなすかどうかは置いておいて、とりあえずさっさと帰るためにハイゼンベルクは己のトレーナー室へと足を運ぶ。もはや、約半分がゾルダート置き場となっているその部屋に着くと鍵の掛かったドアの前に二名の望まぬ客人の姿があった。

 

「おい……何してんだ?」

 

「ピッキングの練習。大丈夫だって! アタシは開けるだけで何もしないからよ!」

 

「ふざけんな、テメエの背後でニヤついてるイカれ科学者が何かするだろうが……!」

 

鍵穴に真剣な表情で向かうゴールドシップに、その後ろで不敵な笑みを浮かべるアグネスタキオン。

 

彼の部屋の鍵はセキュリティが高い故に、きっとコレに慣れておけば他のものにも対応出来ると考えたからこその行動だろう。そんな、はた迷惑な練習の副産物を享受しようとしていると思われる白衣の者だが、彼女の発した言葉はその意とは違っていた。

 

「おっと、勘違いしないでほしい。私はただ君に用があって今来ただけなんだ。そもそも、君の部屋に入ろうなんて思わないしね」

 

最後に"どんな恐ろしい罠が仕掛けられているか分からないからね"と付け足すと、アグネスタキオンは怪しく笑った。

 

「ほう、テメエにしては利口な判断じゃねえか。命拾いしたな」

 

ハイゼンベルクの返答と同時に、ドアの方からガチャリと鍵が開いたような音が響く。抑え切れぬ歓喜の声と共にそのドアが開け放たれ、防犯用の中が見えないガラスの先が明らかになる。

 

だが、そうして姿を見せたのは冷たく光る銃口だった。

 

「はあっ!?」

 

中にぶら下げられてご丁寧に頭へと標準の合ったソレを前に、ゴールドシップが驚愕と恐怖を同時に味わう中、想像とは違った軽い破裂音と共に得体の知れないものが彼女へと降り掛かる。

 

「ふうん、成程。強引に開けるとこうなる訳だね」

 

興味深そうに向けられた視線の先には、黒いワイヤーの網に雁字搦めとなった哀れな者の姿。

 

どうやら、あの天井からぶら下がったショットガンのような代物はネットランチャーらしい。

 

「ああそうだ、おまけにワイヤーだからな。電気も流せる! おい、黄金虫。何Aがご希望だ? テメエの無様な姿が見れたからな! 今なら50から200の中で好きな所を選ばせてやる!」

 

「し、知ってるかおっさん……? 人体に0.1A流れたら致命傷なんだぜ?」

 

「ああ、知ってる。だが、0.1だと生き残る奴がいるもんでな、だから最低値は50にした」

 

「成程、確かにそれなら電圧や人体の表皮状態に左右されずに結果が出るね」

 

「やべえ……! コイツら話通じねえ!」

 

拘束されて動けないゴールドシップに対して交わされる恐ろしい会話。というか、選択肢の単位が電流しか無いのが非常にいやらしい所だろう。

 

もし、この単位が電圧ならばまだ希望はあった。

 

まあ、その時はその時で単位の前にKだかMだかのイカれた乗数が付きそうだが……

 

そうして、虫網から抜け出そうとする哀れな存在を横目に、ハイゼンベルクはトレーナー室へ荷物を片付けると、その網を乱雑に掴んでそのまま廊下を歩き始める。

 

引き摺られるゴールドシップに、さも当然かのように引き摺るハイゼンベルク。そして、その様子をマッドな瞳で眺めるアグネスタキオン。

 

何というか、ヘマを犯した部下とそれに見合う仕打ちを与えんとする悪の企業の上司達のようである。

 

金属の紐に体を覆われたまま廊下を体で掃除する羽目となっている彼女は、今の己の現状に異議を唱えた。

 

「なあ、もうそろそろ離してくれね? この後、オホーツク海で蟹狩りに行くからよ」

 

だが、返されたのは無慈悲な言葉だった。

 

「ゴールドシップ君、良いことを言うじゃないか。お陰で面白い事が思い付いたよ」

 

いつもなら己に向けられているであろう"何を言っているんだ"という表情を彼女は科学者へと向ける。

 

「工場長知ってるかい? 実は電気風呂という物がこの世にはあるんだ」

 

「テメエ……偶には面白え事言うじゃねえか。どんなもんなんだ?」

 

その言葉に、一人はニヒルな笑みを、一人は絶望の表情を浮かべる。

 

「フフッ、電気の流れるお湯に体を沈める拷問の一つさ。モルモット君曰く、中々に耐え難いらしくてね」

 

きっと、当人が苦手なだけであろうそのレビューを丸々参考にしたのだろう。それ故に、酷く身勝手に着色された意見が彼女の口から飛び出した。

 

「そうそう、これは特に関係ない話なんだが、海などの塩水は普通の水よりも導電率が良いんだってね」

 

おまけに、想像力をかき立てる一文もセットである。

 

「ほう、そういえばテメエ、海に行くとか言ってたよな? そんなに海水浴したけりゃ俺がさせてやるよ!」

 

「……絶対生き残ってやるかんな!!」

 

半ば諦めた意思の感じられる返答。恐らく、彼女の脳裏に今浮かんでいるのは、目の前に立つ二人の存在を"絶対に"意気投合させてはならないという己への警告だけだろう。

 

「ハッハッハッハ! もし生き残ったらテメエも仮想敵に加えてやるよ!」

 

だが、彼の発した黒い笑みとは裏腹に、彼女のこの後の処遇は漏電だらけの深海探索船に乗せられた訳でも、バチバチ恐ろしい音を立てる沸騰したお湯にぶち込まれる訳でもなく、ただただ学園のロビーに宙吊りにされただけであったという。

 

なお、地獄のような所業を想像しすぎて真っ白となったゴールドシップは、無人島帰りのトレーナーにしっかりと保護されたそうだ。

 

 

 

 

 

 

「おい、それで結局テメエは俺に何の用だ?」

 

一人のミノムシを見事に作ったハイゼンベルクは、目の前を歩く白衣の背中へと尋ねる。

 

「ああ、だいぶ前に作ってもらった装置があるだろう? それの修理をお願いしたくてね」

 

「あ? そんなヤワに作った覚えはねえが……」

 

彼の作る製品の殆どは見た目と引き換えに高耐久、高性能、安価を兼ね備えた代物だ。きっと、同業者からすればその特性は非常に厄介な事この上無いだろう。

 

「君の抱いてる懸念に関しては問題ないよ。どこかの誰かさんに落とされようが、雷で停電しようが何一つ壊れなかったさ」

 

「なら、どうして壊れた?」

 

「いやー……この前機材を移動させる時、数が多くて手間取ってね。他の者達に少し手伝って貰ったのさ! ただ、人選が悪かったね……反省しているよ」

 

「クソッ! またあのマシンクラッシャーがやりやがったのか! アイツ用に対策したブツも長持ちしねえし、あの体の中どうなってやがる!? マイクロ波発生装置でも付いてんじゃねえのか!?」

 

故障の原因を察した彼は内に積もった私怨を晴らすかのように、暴言に似た愚痴を吐き出した。

 

だが、考えてみて欲しい。ありとあらゆる電化製品が彼女の前にひれ伏す中、彼の製作物は多少なりとも壊れぬ可能性が残っているのだ。

 

きっと、分かる者ならそれだけで彼の技術力が如何に化け物かよく理解出来るだろう。

 

しかし、同業者と殆ど関わりの無い彼は、そんな事も露知らずに暫く怒りをオーラとして辺りに振り撒いていたのだった。

 

 

 

そして、近寄り難いオーラをばら撒く者達はその原因となった物の鎮座する部屋まで到着した。

 

「ほら、机の真ん中に置かれている遠心分離機。あれさ」

 

アグネスタキオンがそう言いながら指差すと、コーヒーを片手に驚愕の視線を向ける住人に目もくれる事なく、彼はその代物を豪快に持ち上げた。

 

「おい、コイツは回収してく。あんなワケ分からねえオカルトに壊されてたまるかよ! 絶対に壊せないもんを作ってやる……!」

 

先程の話はハイゼンベルクの何かに盛大に火を付けたらしい。アグネスタキオンの返答など一切聞かず、燃え盛るその衝動に駆られるようにして、彼は早々とこの部屋から出て行った。

 

「おや、もう行ってしまったか。幾つか実験でもしようと思っていたのに残念だ」

 

「タキオンさん……今の人は?」

 

「ああカフェ、驚かせたようですまないね。先程の彼こそが、良く話題に挙がる狂った工場長のハイゼンベルク君さ。中々に珍しいタイプの人間だと思わないかい?」

 

「ええ、確かに……そうですね」

 

眉を顰め、思案に耽るマンハッタンカフェ。そのカップに注がれたコーヒーが進んでいない様子に珍しさを感じながら、アグネスタキオンは丁度空いた机のスペースに適当な資料やら機材やらを詰め込んだ。

 

机不足な訳ではない。ただ単に、片付けが足りていないだけである。

 

「よしよし、これで床に資料を置かなくて良くなったね。まあ、アレが返ってくるまでの間だけなんだが……っと、おや?」

 

少し綺麗になった床を見ていたら、見覚えの無い汚れた紙が目に入る。茶色と黒の混じった指紋が目立つそれは、どうやら裏返しになった写真のようである。

 

聡明な彼女は、汚れの種類からこの写真の持ち主を即座に察した。

 

「おやおや、工場長の落し物じゃないか! 私も学園の生徒の一人だからね、生徒会の言いつけ通り、落し物は拾って本人に渡してあげようじゃないか!」

 

酷く裏のある笑みを前面に押し出した彼女は、その怪しげな写真へと手を伸ばす。ニヤリと歪んだその口端は、きっと親切心から来るものではなく、そこに映る情報への期待の表れなのだろう。

 

そんな心の高揚に背中を押され、彼女はその落し物に写る像を見た。

 

 

 

否、見てしまった。

 

 

 

「……!?」

 

遠くから見れば何が写っているか分からぬそれに、彼女の表情は驚きともう一つの感情に歪む。己の尻尾がピンと立っているのにも気づかぬまま、その狂った瞳でその写真を見据えた彼女はゆっくりと、確実に表情を青く染めていく。

 

「これは、機械じゃない……? だとしたらコレは……いや、そんな事……ある訳が……!」

 

「タキオンさん?」

 

明らかに様子のおかしいアグネスタキオンに、厳しい表情で考え事に耽っていたマンハッタンカフェが思わず思考を中断し、その名を呼びかけた。

 

だが、彼女の目は壊れたかのように写真から離れない。

 

「嘘だ……そんな事あっていい筈がない……! こ、コレは……倫理観の違いで済まされるレベルを超えて……!?」

 

「タキオンさん!?」

 

呼吸が段々と早まり、余裕の無くなった彼女の瞳は恐怖を超えた何かで満たされる。

 

そうして、彼女は糸の切れた人形のようにその場に倒れてしまった。床では無く、ソファの上に転がったのが唯一の救いである。

 

焦りを含んだ表情を浮かべ、マンハッタンカフェは彼女をソファにしっかりと寝かせると、何か異常が無いかどうか素人目で確かめる。

 

「見たところ、タキオンさん自身に異常は無さそうですが……一応トレーナーさんを呼んでおきましょう」

 

半ばモルモットとなっているその者に迅速な一報を入れた後、彼女の視線は床に裏返しになって落ちるその写真へと向けられる。

 

その視線は、危険物に向けるかのように警戒一色に染まっていた。

 

そうして、ゆっくりと伸ばされる手が今にもそれに触れようとした時、まるで誰かに呼びかけられたかの様に彼女は何もない後ろへと振り返る。

 

「"見ない方が良い"……ですか。お友達すら怯えさせるなんて……一体何が写っているのでしょうか?」

 

反対側に潜む真実を見ないように最新の注意を払いながら、彼女はその写真を机の上に置き、決してどこかへ行かぬように適当な機材を重し代わりにその上に置いた。

 

まるで、精密機械でも運ぶかのような緊張感から解放された彼女は、まるで思い出すかのようにこの写真の持ち主に対して、唯ならぬ雰囲気で小さく呟いた。

 

「コレを持っていたあの人……本当に工場長なのでしょうか? 火葬場の関係者であっても、あれ程の数が憎悪一色で纏わりつくなんてこと……」

 

ただ思い出すだけで、彼女の顔色は僅かに青く染まる。

 

賢く、気づいてしまう者。見えないものが見えてしまう者。その両方に等しく恐怖を与えられる人間が、彼女達にとってまともな生き方をしているとは到底思えないのだろう。

 

「あの人が住む土地が良くないのか、あるいは……」

 

彼女の耳に入り込む慌ただしい足音に、今にも発せられようとしていたその言葉は遮られる。

 

どうやら、今ソファに寝ている者のトレーナーのようだ。

 

彼は中に入るなり礼を言うと、すぐさま病人を担いで保健室へと行ってしまった。

 

静かになった部屋の中で、何故だか恐ろしく感じてきた裏向きの写真をぼんやりと見つめながら、彼女は心の中で吐けなかった言葉を呟いた。

 

 

 

"死者を冒涜したとしか思えない"

 

 

 

彼女の険しい表情とは裏腹に、その写真には可愛げのある丸みを帯びた文字で"シューちゃん"と書かれていたのだった。

 

 

 

その後、アグネスタキオンは平然と部屋に戻ってきた。特に体に大事は無かったようで、己が気を失っていた事にただただ首を傾げていた。

 

「カフェ、最後に私が何をしたか知っているかい? 何故かそこだけ全然思い出せなくてね……工場長が帰ったところまでは覚えているんだが……おや、この写真は何だい?」

 

……写真は早急に持ち主へと返却された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソッ、時間食っちまった」

 

何故か理事長経由で突然呼び出され、誰かの手によって厳重に包まれた一枚の写真と学園の機材への要望書を押し付けられた彼は、工場の敷地のど真ん中で悪態を吐いていた。

 

元々今日中にやりたかったあのイカれ科学者からの修理依頼だが、既に時刻は夕方だ。今日中に終える事はどう足掻いても難しい。

 

きっと、その溜息は面倒事を始末出来ずに明日に持っていった事への落胆も混じっているのだろう。

 

「ったく、落し物なんざ放っておけばいいのによ」

 

相手の親切を放り捨てるかのような言葉を吐いたその時、彼はふともう一つの面倒事を思い出す。

 

ピタリとその身を止め、沈黙が辺りを包み込む。緩やかな風がその沈黙を吹き飛ばすと、彼は小さく溜息を吐きながら工場へと向かっていく。

 

 

 

その後、既に暗闇に染まった工場で、地面を光で大きく照らす一つの影がしばらく彷徨っていたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナー!! 見て見て! キーホルダーあったよ!」

 

次の日の朝。大喜びで作業中のハイゼンベルクへと向かっていくハルウララの姿があった。

 

「そうか」

 

至って興味無さそうな抑揚の無い声を返す彼だが、彼女はその言葉に込められた厄介払いの意味を察する事は出来なかった。

 

それ故に、彼女の楽しそうな会話は続く。

 

「どこにあったか知りたい?」

 

「別に」

 

「あのねあのね! トレーナー室に落ちてたんだ!」

 

残念ながら、この会話は言葉のキャッチボールではなく、ドッヂボールのようだ。きっと、球はハルウララ側へ無限に生成されるに違いない。

 

だが、球を受け続けている彼から明確な否定の意は返ってこない事を見るに、特に止める気も無いらしい。

 

「昨日頑張って探したけど、トレーナー室だけ見てなかったんだよね! それで、今日一番最初に行ってみたら部屋の真ん中に落ちてたんだよ!」

 

ハルウララは見つけた大切なキーホルダーを両手で大事そうに持ちながら、頼んでもない詳細を話し始める。

 

そんな目立つ場所にあるなら、どこかの誰かが気付きそうであるが……

 

だが、そんな疑問は嬉しさの前には無粋であるためか、はたまた疑問にすら思っていないのか、彼女の脳裏にその疑問が浮かぶ事はこれっぽっちも無かった。

 

代わりに、ただただ手の中にある思い出が返ってきた事に安堵するばかりである。それを再度思い起こすかのように、彼女は握った両手を開き、にんじん型キーホルダーをチラリと眺めた。

 

 

 

 

 

 

色々と詰まったそれは、なんだか少しだけ重く感じた。

 

 

 

 

 

 




人参型キーホルダー
良くお土産屋や雑貨屋で売っている人参の形をしたキーホルダー。ハルウララが友人達から貰った大切な物である。



何故か市販品と比べて少し重く、ひんやりとしている。材質でも変わったのだろうか?


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ロジカル

プチ復活


 

日が地平線の彼方へと完全に沈みきり、街灯と住宅地から漏れる光が道を照らす夜の時間。車のライトの他に、もう一つだけ動く光があった。

 

「ああクソ、何で上手くいかねェ……!」

 

小さく悪態を吐くその表情は酷く険しい。悔しそうに食いしばられた口元からチラリと覗くギザっ歯がその険しさを一層際立たせる。

 

そして、その視線はもう一つの動く光であるノートパソコンの画面へと向けられていた。

 

「今からどう足掻いたッて……勝てねェッて言うのかよ……!」

 

黒い尻尾は真っ直ぐ下へ垂れ、耳はヘタリと項垂れている。

 

明らかに精神的に参っているその様子は、言わずもがな彼女の手に持つノートパソコンの画面が原因である。

 

エアシャカールという自身の名前と事細かに記載されたステータス。そして、同様にステータスの記載のある幾つものライバルの名。きっとそれは、勘がいい者なら何を表しているか気付くだろう。

 

それは、彼女自身が保有するレース用のシミュレータ。不気味なほど良く当たる精度と、何故か消えない数字の羅列を持ち合わせた、彼女の武器である。

 

しかし、その武器は彼女自身に対して"敗北"の二文字を掲げていた。

 

「……ッ!」

 

己がこれから理想的な成長を遂げると仮定した上でのシミュレーション。言わば、己のみが能力値のかさ増しをした上での計算である。

 

そのかさ増しが己の全ての能力値に施されている事が、これまで一つの能力値を上げただけでは結果が変わらなかった事を示していた。

 

だが、全てをかさ増ししても結果は変わらなかったようだ。

 

きっと、こんな夜に門限を破って外出しているのも、その苛立ちで熱くなった頭を夜風で冷やすためか、何か他に良い方法が思い付かないか思考を巡らすためなのだろう。

 

不運にも、そのどちらも達成出来ていない彼女は、不満げに足元の石ころを蹴飛ばしていた。

 

「いや、まだ何かあるはずだ。見つけるまで今日は寝れねェ……!」

 

パソコンの画面を見ながら曲がり角を曲がる。曲がった先はトレセン学園へと続く門がある道。

 

 

 

普通なら閉じられている筈のその場所を素通りする。

 

 

 

いつもなら気付くそのおかしな点に、画面に集中している今日ばかりは気づかなかった。

 

 

 

当然、その先に偶然にも鎮座していた鉄の塊に気付く訳がなかった。

 

 

 

「うおッ!?」

 

予想だにしていなかった何かにつまづき、素っ頓狂な声を上げる。ただの石ならすぐ体勢を立て直せた筈だが、つまづいた何かは大きく重い物体でなす術なく地面に転がる。

 

「……ッ!?」

 

恐らく、それだけで済めば幸運だっただろう。

 

悲しいかな。両手でしっかりと持っていた筈の大事な代物は、転んだ後の手には無かった。

 

そうなれば、行き先は一つ。

 

焦燥が滲む見開かれた瞳は、その行き先である奥の地面へと向けられる。強引に足を前に踏み出してその場所へ駆け出そうとするが、ウマ娘の力をもってしても足元の何かは簡単には動かなかった。

 

泣きっ面に蜂とはこの事かと、自虐と諦めを含んだ気持ちが浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、いつまで経っても悲しくなるような破壊の音は聞こえて来なかった。

 

代わりに聞こえてきたのは、荒々しくも落ち着いた雰囲気の足音だった。

 

「ほう、驚いた。つまらねえデータをどうこういじくり回すのはトレーナーの特権かと思ってたが、どうやらそうじゃねえ物好きがいるようだ」

 

地面スレスレの視界の右側からスッと現れる二本の足。くたびれて所々汚れや傷が目立つそれは、エアシャカールの目の前でピタリと止まる。

 

そうして聞こえてくる低い男の声に顔を上げると、印象通りの年頃の男がニヒルな笑みを浮かべて葉巻を吸っていた。

 

どっからどう見ても不審者なその男は、彼女が知らない男ではない。だが、彼の不審さと不気味さが彼女の警戒をMAXまで引き上げる。

 

「……ッ!?」

 

咄嗟に飛び起きて距離を取るエアシャカール。昼間に遠くからチラリと見た時とは、感じるものが違い過ぎたのだ。

 

 

 

こちらを射殺すかの様な視線。

 

 

 

厳つい顔付き。

 

 

 

そして、放たれるおどろおどろしい圧力。

 

 

 

普段の余裕ある表情は、吹き抜ける冷たい風と共にどこかへと流されてしまったようだ。

 

代わりに顔に張り付いたのは、警戒心で固まった歪んだ表情だった。

 

「なんだ、要らねえのか?」

 

疑念を孕んだ視線の先。その男、ハイゼンベルクは葉巻を持たぬ左手で開いたままのノートパソコンを見せびらかすように左右へと揺らす。

 

「チッ、返せよ」

 

「ハッ! そんじゃ返すぜ。ほらよ」

 

「ッ!? オイ、バカッ!」

 

なんということか、ハイゼンベルクは何の躊躇いもなく手に持つそれをエアシャカールの方へ放り投げた。そこに、精密機械だからと言った気遣いなどは毛頭ない。

 

飛んできたそれを彼女は慌てて受け止める。その心労を考えれば、一言ぐらい荒い言葉が飛ぶのも仕方ないと言えよう。

 

「馬鹿だって? こんな夜中にほっつき歩いて、勝手に人のモン蹴っ飛ばして、勝手に転けて、おまけに本人は画面に夢中ときた! ハッ! 馬鹿はどっちだ? 理論派さんよ?」

 

「……ッ!」

 

言い方はアレだが、言ってる事は間違ってはいない。色々と考え事をしていて周りを見ていなかったのは確かだ。本来なら、大事な物が壊れないように受け止めてくれて感謝するべきなのだろう。

 

ただ、その相手が神経を逆撫でしてくるタイプだと、そんな気も失せるものだ。

 

「ハッハッハッ! おっと、悪かった。ご傷心のヤツにかける言葉じゃなかったな?」

 

訂正しよう。気が失せるどころではない。

 

絶対に謝りたくなくなった。

 

「チッ、勝手に言ってろ……!」

 

捨て台詞のように悪態を吐くと、彼女は踵を返してこの場から早急に去ろうとする。

 

だが、その足は闇の中から放たれた言葉にピタリと止まった。

 

「ついでに教えてやる、そんな嘘だらけの結果が上手くいったところで意味なんて無え。精々気を付けな」

 

嘘だらけ。

 

それが指すのは何のことだろうか。

 

トレーニングを見越してかさ増しした己のデータの事か。

 

それとも、今手の中にあるシミュレータの事を言っているのだろうか。

 

だが、照らされた先が壊れた吊り橋となっている彼女は、何か期待してしまった。この結果が覆る方法を彼は知っているのではないかと。

 

普段の彼女であればそんな煽りなど、鼻で笑って一蹴したはずだ。しかし、未来を読んでいるのでは無いかと疑う程優秀なシステムに、ことごとく負けを言い渡される焦燥と恐怖はその選択を確かに変えた。

 

「おい、嘘ってどういう事だよ! 確かにオレのデータは今この瞬間の物とはちげェ……だけどな、上昇値はトレーニングで得られる範疇に……」

 

そこまで言った後に彼女は気付く。この性格が捻じ曲がったクソ野郎が今もなおニヤついている事に。

 

「チッ……なんだよ!」

 

まるで、小さな虫が頑張ってるのを憐れむかのような見下した視線に、彼女の言葉には苛立ちが混ざり始める。

 

だが、一介の者なら怯むであろう彼女の眼光を、彼は何事も無いかのように受け続けていた。

 

「おっと、悪かったな。理論派も過ぎるとこうなるのかって思ってよ。思わず笑っちまった」

 

本当の意味での口だけ謝罪を目の当たりにしたエアシャカールの眉間には、先程よりも多くのシワが寄る。

 

だが、肝心の当人は葉巻を咥え、紫煙を夜の空へと浮かべていた。当然、その表情は随分と調子が良さそうだ。

 

「嘘って言ったか? ああ、その通りだ。だがな、嘘つきは二人いる。そのうっすいガラクタの中に入ったヤツと、それをまんまと信じちまうどこかの馬鹿な野郎だ」

 

「シミュレーションが間違ってるとでも言いてェのかよ?」

 

彼の言うガラクタは間違いなく彼女の持つパソコンの事だろう。正確には、その中に入っているソフトウェアの事だ。

 

だが、それが予測を外した事など殆どない。それは紛れもない事実である。故に、間違っていないと言い切れる。

 

「テメエの頭に付いてる耳は飾りか? "間違ってる"なんて一言も言ってねえ。"嘘つき"だと言ったんだ」

 

「ああ゛ッ!? 結局言いてェ事は同じじゃねェか!」

 

この男はただ己を貶したいだけなのだ。そう思わざるを得ないほど、暴言に等しい言葉を受ける。

 

この苛立ちに任せてこの手を振るえればどれだけ楽なのだろうか。

 

しかし、それをしてしまえば目の前の男以下どころか人として失格となる事実が、彼女を淵に踏み止まらせた。

 

そして、反論と言わんばかりに己の中の真理を言い放つ。

 

「機械は嘘をつかねェ! それが常識ってモンだろ!」

 

「いや違えな。"機械は間違わねえ"それが事実だ」

 

「マジで何言ってるか分からねェ……!」

 

理解の出来ぬ彼の発言に歯をギリギリを鳴らすエアシャカール。しかし、彼女はバカではない。この意見の食い違いでハッキリと分かった事だろう

 

ハイゼンベルクにとって、機械が嘘をつくのは常識なのだ。

 

「ハッハッハッハ! だろうな! 分かる訳がねえ! 俺だってまだ完全には分かってねえんだからな! おまけに、根拠なんてどこにもねえ! コイツは、俺のクソッタレな人生ってヤツから学んだ教訓みてえなモンさ!」

 

「はあ゛ッ!?」

 

どうやら、今までの話は彼の経験から導き出した結論だったようだ。当然、そんなもの彼女がすんなり分かる訳もない。というか、そんな前提があった事すら知らないのだ。理論的に考えて同じ所へ行けるはずがない。

 

何かしらの理論に沿って言ってるのかと思ってた彼女は、呆れ半分、その他半分の反応を示した。

 

「何の根拠もねェのかよ! そんなんであそこまでムカつく態度取りやがって!」

 

男の妄言に付き合っていたように思えて来た彼女は、思わずため息を吐いた。当然、何とも言えぬ倦怠感もセットである。

 

 

 

しかし、今にも呆れて帰ろうとする彼女を引き止めたのは、おふざけ無しの凍つくようなトーンで言い放たれた言葉だった。

 

 

 

「機械はな、人を相手にすると嘘をつく」

 

 

 

全身の毛が逆立つ。得体の知れぬ冷たいそれに、暑くもないのに汗が出る。何の変哲もない適当な言葉に乗せるにしては、その感情の重さは異常であった。

 

「シミュレーションなんてその代表みてえなモンだ」

 

何となく、何となくではあるが、その憎しみと言っても過言ではない感情の矛先は、彼女へは向いてはいないと分かった。何せ、彼の視線の先にエアシャカールなど居ない。あるのは特大の鉄槌だけだ。

 

 

 

「そうでなくちゃ、今まで見て来たモンの説明がつかねえんだよ……!」

 

 

 

まるで独白のような語りを終えると同時に、この場の圧がフッと消え去る。まるで敵陣のど真ん中に立っているかのような感覚は、今もなお彼女の心臓を揺らして止まない。

 

気を紛らわせようとして適当な所へ視線を流すと、学園の校章が目に入る。

 

何だか少しだけ、落ち着いた気がした。

 

「……悪かった。ちょいと思い出に耽ってた」

 

きっと、彼女の様子を見て小さな怯えを察知したのだろう。ハイゼンベルクは意外にも素直に謝った。だが、そんな意外性よりも彼女が真っ先に頭の中で思い浮かべた事は

 

『思い出に耽って出てくる感情じゃねェだろ……』

 

の一言だった。

 

「……なあ、その嘘ッてのはどうやって分かるんだ?」

 

動揺を捨て去るように汗を拭った後、平静を装いながら彼女は会話に出て来た一番聞きたい事について尋ねる。

 

この男の話は未だに半信半疑。それでも既に半分ほど信用している理由は、全てにおいて正直で嘘を付かない事と、そんなヤツがあそこまで憎悪を剥き出しにする"シミュレーションの嘘"が全てにおいて偽物だとは思えなかったからである。

 

だからこそ、この質問は己のシミュレータを更なる高みへと持ち上げ、全てを想定内に出来る怪物を生み出すための踏み台であった。

 

しかし、その返答は案外拍子抜けしたものだった。

 

「分かる訳ねえだろ。分かってたらとっくにやってる」

 

「チッ……なら意味ねェじゃねェか」

 

当然と言えば当然である。シミュレーションが間違ってるなど、実際にそれを行ってみなければ分かる訳がない。そこに薄々勘付いてはいたが、この男はそこをどうにかする術を持っているのではないかと期待して思わず聞いてしまった。

 

ため息と共に落胆するエアシャカール。目の前に餌があったと思ったら無くなったような感覚に、どことなくドッと疲れが湧いてくる。

 

しかし、葉巻の煙を吐く音と共にハイゼンベルクは何かに気が付いたかのように呟きを漏らした。

 

「いや……今なら一応分かるか……」

 

ウマ娘の耳は人よりは良い。きっと、今の呟きも問題なく聞こえているだろう。しかし、エアシャカールがその意味を理解するよりも先に、彼の手が彼女のパソコンをその手から奪い取った。

 

「ッ!? オイッ! なに勝手に……!」

 

「ちょっと黙ってろ。今からコイツが嘘つきかどうか確かめてやる」

 

どこからともなく取り出したUSBメモリを勝手にパソコンに接続し、カタカタとキーを操作し始める。当然、許可も無しに自分の物を使われているのを黙って見てるはずもなく、彼女は強引にでも止めに行こうとしていた。

 

ただ、不運にも彼女たちの間に入り込む……いや、元々地面に置かれていた一つの影が彼女の足を躓かせた。

 

なお、エアシャカールがコレに転けるのは二度目である。

 

「ああ! クソッ!」

 

彼女が地面の大きな鉄屑に二回目のハグをしている間に、意地悪な男はデータの入力を終えたようだ。

 

「ハッ……ハッハッハッハ! やっぱりな! よく出来たヤツほど大体こうなる!」

 

「さっさと返せッ!」

 

「そうか、ほらよ」

 

彼はUSBを抜き取ると、今度は投げずに直接手渡した。情報を抜かれたり、ウイルスでも仕込まれたんじゃないかと思い、彼女は慌てた様子で閉じられていたパソコンを開く。

 

しかし、どこにも弄ったような痕跡は見当たらず、あったのはデータの入力されたシミュレータの画面だけだった。

 

画面にはLOSEの文字が表示されている。

 

「良かったな、そいつはちゃんと嘘つきだった」

 

「ああ゛ッ!? ンな証拠どこにあんだよ」

 

「見て分かんねえのか? その結果が何よりの証拠だ」

 

「はあ゛ッ!?」

 

この負けた結果が証拠だという彼の言葉に、彼女は頭を働かせる。シミュレーションの吐く嘘を判別するには、実際にそれを行ってみないと分からない。だが、逆に答えがわかっているのであれば、それ通りになるかどうかで判別が出来ると理解する。

 

きっと、彼は本当の結果を知っていて、わざとシミュレーションを実行したに違いない。

 

まあ、彼の知る"本当の結果"とやらを証明する方法は無いのだが。一応、今回ばかりは多めに見ることにした。

 

そこで、ふと彼女は思い出す。シミュレーションに現れぬ一つの要素を。あの科学者気取りのウマ娘が研究している一つの要素を。

 

「なあ、もしかしてシミュレーションの結果が合わねェのは感情の有無だとか言わねェよな? オレはそう言うロジカルじゃねェもんは省いてる」

 

感情やメンタルを考慮しない彼女の考え方はある意味正しいのだろう。そう言う不確定な物は計算に入れようもないし、入れたところで答えが莫大になるのがオチだ。

 

しかし、彼の答えはそんな考えすら凌駕した。

 

「ハッ、感情? んなモンとっくのとうに考慮してる! 大半の奴らはそれで……いや、そんなモン考慮しなくても十分だったさ! だが、その中の数人……いやがったんだ」

 

「何がだよ?」

 

「テメエの大好きな論理とやらをぶっ壊す奴らがよ!!」

 

一体何の検証でシミュレーションしていたかは定かでは無いが、どうやら余計な雑音すら入る感情という概念を彼はシミュレーションにぶちこんでいたらしい。

 

それだけでも彼女を大いに驚かせたのだが、大袈裟な身振りでその時の不満を露わにした彼は、そんな超高度な予測でさえも裏切ったヤツらがいたそうだ。

 

感情に任せて吐き出されたその答えに彼女は呆然としていた。

 

「ついでに教えてやる。この計算泣かせのクソ野郎共にはある共通点があった。何だと思う?」

 

突然の問いに彼女の視線は下へと向けられた。高度なシミュレーションの予測範囲から外れる事など、どうやれば出来るのだろう?

 

感情という不確定要素が始めに頭へと浮かんだが、彼の持っていた代物はそれすらも考慮の内に入れてしまう。

 

いつもとは違う本来ノイズとなる物を探す作業。しかし、感情を超える不確定要素などそう簡単には思い付かなかった。

 

「……分っかンねェ。普通、一番ノイズになるモンが感情だろ」

 

腰に手を当て、溜め息混じりに彼女はそう返した。

 

そんな様子を見て、彼はニヒルな笑みを浮かべ、狂気的で不気味な目で彼女を突き刺しながら答える。

 

 

 

「ハッ! じゃあ教えてやる」

 

 

 

 

 

「全員、イカれてたんだよ……!」

 

 

 

 

 

「どいつもこいつも頭のネジがブッ飛んでたり、折れたりしてんのさ!」

 

 

 

その答えは、彼女の頭の中へすんなりと入っていかなかった。何度も脳内で反芻し、ようやく飲み込めたものの、それはそれで簡単に理解出来るものではなかった。

 

そもそも、何を基準にしてイカれてると言ってるのだろう。それすらも分かってないままなのだ。

 

「い、イカれてる……? ちょっと待て、イカれてるってどういう事だよ! 時々いるおかしなヤツの事言ってんのか? 意味分かンねェ……!」

 

人が狂気に焼かれた姿など、普通に生活していて見れる訳がない。平和な環境であれば尚更だ。

 

この世界は、人の本性を露わにするほど、追い詰める何かは存在していない。

 

「ハッ、いいか? 元々おかしいヤツは俺からしたらイカれてなんかねえ! ……何があっても意思が変わらねえ、根っこの部分が壊れねえ、おまけに止まらねえバケモンが本当の意味でイカれてるって言うんだよ!」

 

「ンなもん、ただ意思が固いだけ……」

 

「じゃあテメエ、レースにでる度にどっかの臓器ぶっこ抜かれるって言われてもまだ続けんのか?」

 

「……ッ!?」

 

この男は一体何を言っているのだろうか。流石にそう思わざるを得ないネジの外れた質問。

 

ハッキリ言って失って良い臓器などありはしない。出れたとしても数回が限度だろう。

 

というより、この状況での行き着く先は紛れもない死である。勝利と命のどちらに天秤が傾くかなど、もはや比べるまでもない。

 

だが、走れなくなるのは今の己にとっては死と同義。

 

 

 

それ故に、彼女は答えを出せなかった。

 

 

 

「おっと、意地の悪い質問だったな。まあ、本当にイカれてるのは今の質問をされても突き進むような奴の事だ。そんで、ぶっこ抜かれた臓器をどっかで移植してくっ付けて、その繰り返しで死ぬまでアクセル踏み続けるんだろうよ」

 

「まともな考えじゃねェ……」

 

「そりゃどうも」

 

常軌を逸した物事の考え方に、思わず顔を顰めるエアシャカール。それにぶっきらぼうな返事したハイゼンベルクは地面に転がっていた鉄の塊……ゾルダートパンツァーを肩に抱えるように持ち上げると、色々と荷物を纏めて歩き始める。

 

「悪いがお喋りは終わりだ。じゃあな、ロジカル野郎」

 

何とも腹立たしい別れの挨拶と共に、空へ登る一筋の煙は段々と遠ざかる。

 

今更ながら、学園の敷地内でそれにウマ娘の前で堂々とアレを吸っていた事実に気付く彼女だったが、あの意地の悪い性格の持ち主のことだ、きっと"バレなきゃルール違反じゃねえ"とでも言い張るだろう。

 

少し気張っていたせいか、それともこの時間のせいなのか、眠気が主張が少しずつ大きくなり始めた。明日に思いっきり響くであろうこの夜更かしで得たのは、面倒なヤツとの会話と訳の分からぬデータのみ。

 

データの確認また明日にするかと思いつつ彼女は早足で寮へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な……何だよ……コレ……!」

 

あの夜から数日後、授業やら何やらで忙しく、ようやく時間が取れた頃。エアシャカールはパソコンと向き合いながら、その表情を歪めた。それは、驚きというよりかは得体の知れないものへ向ける恐怖に近かった。

 

彼女のパソコンが映す画面は、ステータスの記録画面。さまざまな事象が想定されているこのソフトは、当然入力の履歴が残るようになっている。

 

故に、彼女はあの時あの男がどんなデータを入力して結果を出したのか、調べようとしていた。

 

それ自体は特に苦労せず抜き取れた。

 

だが、問題はそのデータそのものだった。

 

「こんなヤツ……存在するワケねェ……」

 

名前の入力欄に"M"とだけ書かれたそのデータ。性別は女性である為、ウマ娘なのだろうが、明らかにおかしいのだ。あらゆる能力値がウマ娘どころではない、地球上の生物のいいとこ取りをしてもまだ足りないぐらいの異常値だったのだ。

 

更に彼女を驚かせたのは、その対戦相手。二人分のデータが用意されており、そのどちらとも戦っている。だが、その者たちはウマ娘では無かった。

 

 

 

ただの成人男性だったのだ。

 

 

 

"E"と"C"の一文字の名前が付けられたそれらは、ウマ娘ではなくただの男。片方は異様にパワーの値が高いがただそれだけだ。それ以外に特筆すべき点など無い。要するに、ちゃんとした人間だと思われる値が詰まっている。

 

怪物と人。その勝敗はもはやシミュレーションを使うまでもなく明らかだ。

 

案の定、彼らは二戦とも負けていた。

 

「ふざけンな……! こんなバカげた差……何やっても埋まるわけねェだろ……!」

 

きっと、ウマ娘がバイクと競争して勝つ方がまだ可能性がある。それ程までにコレは圧倒的な差だった。

 

ただの嘘。偽装されたデータ。そんな言葉で一蹴出来たら、気分としては楽になっただろう。しかし、彼女の脳裏にはあのいけ好かない男の顔が浮かぶ。

 

わずかな時間ではあるが、彼と接した彼女の頭は囁いた。ドブを掬った方がマシな程、ムカつくヤツではあるが、あれは嘘を付かないタイプだ。

 

自身を全く飾らず、偽らない。

 

良くも悪くも正直者だ。

 

そんな彼への評価が、目の前の情報を嘘だと言い切ることの出来ない理由である。

 

「……仮定の話だ。もし、もし、この結果が嘘だとしたら……ひっくり返せる要因は……何なンだ……?」

 

感情がどうこうという差では無い。例え障害物のハンデがあったとしても、この差は覆らない。

 

人が乗り物に乗ったとしても、きっと負ける。

 

もはや戦いにすらならないだろう。

 

そして、考えはどこぞの工場長と同じものへと帰結する。

 

「結局、あるって事かよ……シミュレーションじゃどうにもならねェ所が……!」

 

あくまでこれは仮定した上での結論。物理的なデータから導き出した理論上での結論とはまた違ったものだ。普段ならノイズの一言で蹴飛ばす筈の不明瞭な点が多すぎる結果である。

 

だが、悔しそうな言葉の裏で、彼女の口角は僅かに上がっていた。

 

「なら、暴いてやる……! 今に見てろよあのクソ野郎!」

 

誰もいない寮の共有スペースでカタカタとキーを打つ音が響く。普段と同様に響く無機質なその音は、今までの焦燥を感じさせぬ、熱意に溢れたものだった。

 

きっとそれは誰かに止められるまで続くだろう。

 

 

 

 

 

なお、止まったきっかけがキーボードの上へと強引に置かれたカップラーメンだったのは言うまでも無い。

 

 

 

 




謎のデータ
M
女性
全てのパラメータが異常値。地球上に存在するのを怪しむレベル。間違いなく人間のデータでは無い。だが、ウマ娘だとしてもおかしい事には変わりない。

C
男性
成人した男性のデータ。殆ど常識内のパラメータなのだが、パワーの項目だけ凄まじく高い。エアシャカールが見た時、一瞬ウマ娘のデータと間違えた。

E
男性
成人した男性のデータ。特筆すべき点のない、The一般人。正直、何故これが入力されているか分からない程には場違い。



どこぞの工場長曰く、M vs Eの戦いではEが勝ったらしい。エアシャカールはその話を聞いて未だに納得出来ずにいるが、それも仕方ない事だ。

互いの言っている"戦い"の意味は同じでは無い。つまりこれは、齟齬だらけの落語のような話である。

だが、もしかすると二つの"戦い"に共通する何かがあるかもしれない。

全てが無関係と決めつけるにはまだ早い。


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