パーティー追放女に憑依 (もぬ)
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前編

 宿屋の一室で談笑していると、一人でとろとろ荷物整理をしているあいつの姿が視界に入ってしまった。

 あーあ、不愉快ったらないわ。

 

「ねーミゼル。はやくあたしのお茶くらい入れて来なさいよ」

「……え? う、うん。わかった」

 

 要領悪くまだ終わっていない作業を中断し、食堂に向かおうとする雑魚くん。

 あたしのすぐそばを横切ろうとしたので、足をかけてやる。

 盛大に転び、無様に這いつくばる姿は滑稽で、見下ろしていると胸がすく気持ちがした。

 

「あはは! ごめーん。でも、あたしの半径3メルトに入っちゃだめでしょ?」

「………」

「あ? なぁに、その目つき」

「おいおい、やめてやれよアスリカ。ミゼルだって雑用で忙しいんだから」

「んー、カイトがそう言うなら」

 

 カイトの声が耳に入ってくると、役立たずの変なゴミのことは頭から消えた。

 今日の冒険で、あたしたちは最高の活躍ができた。報酬もまとまったものが手に入ったし、名前も売れていくはず。結成以来の大祝勝会だ。

 聖女候補のヒーラー、ソフィア。リーダーでAランクの剣士で、あたしの恋人のカイト。大魔法使いとして才能が開花したこのあたし、アスリカ・フェリアーナ。現時点でも、拠点にしている王都では最高の冒険者パーティーだ。

 カイトのとなりに腰を下ろして、身体を寄せる。彼はあたしの気持ちを察して、頭を撫でてくれた。ソフィアはやれやれといった様子で見ているけれど、別にいいじゃない。

 これからは、もっと輝かしい未来がやってくるんだ。王城から貴人の護衛依頼の話なんてのも来ているし、Sランクの未踏迷宮への調査も許可される。

 冒険者になったときに夢見た、輝かしい成功譚。すてきな恋人、不自由のない生活。ぜんぶぜんぶ、これから現実になるんだ。

 

 あとは――いらないものを処分して、きれいになるだけ。

 

 

「ミゼル。今日でこのパーティーを抜けてもらえるよな?」

 

 あたしからしてみれば当然の通告。それを受けた役立たずは、ずいぶんと打ちひしがれたような顔をしていた。

 そんなに意外なことかな? でも、なんだか気持ちいいな。だってあたし、ミゼルのダメっぷりにはイライラしてたんだから。魔力が全然なくて弱いし、荷物持ちと準備くらいしかろくにできない。やっとこの汚点を正しく追放できるんだから、せいせいするってものね。良い顔だわ。

 これからあたしたちは、王都の冒険者の看板になるんだから、サポーターならもっとふさわしいプロを雇うの。

 

「何か意見でも?」

 

 ソフィアは優しいから、わざわざ相手の言葉を聞こうとする。悪い癖だと思うな。

 ほら、聞きたくもない声が聞こえてきたじゃない。

 

「僕は……その。たしかに、役立たずだと思うけど。みんなが最初に誘ってくれたから、一生懸命、できることを……」

「ああ、助かったよ。君は雑用が得意だ、これからなんだってできるだろ?」

「……強い魔物の囮にだってなった。皆の装備も手入れした。入手品の売買もちゃんと……」

「ベストな采配だと思うがな」

「げ、手入れなんかしてたの? きもーい、勘弁してよ」

 

 これまで溜め込んでいた正直な気持ちを、最後なので素直に言ってあげるようにする。

 やがてミゼルは、ぐっと目を閉じたあと。

 

「……いままでありがとう。さようなら」

 

 踵を返し、部屋を出て行こうとした。

 

「あ、ちょっと待った」

 

 カイトが声をかける。振り返ったミゼルの目には、卑しい期待が残っているように見えた。

 

「その腕輪――魔物の注意を引きつけるマジックアイテム、置いてってくれよ。高く売れるんだ」

 

 ミゼルは腕輪をテーブルに置き、今度こそ宿を出ていった。

 ……風が胸を通り抜けるような気持ちだ。きれいに片が付いた。もうあいつの名前も忘れてきた。

 ソフィアと、カイトと顔を合わせる。これからも一緒に戦う、真の仲間たちだ。

 あたしたちは、結束を新たにした。

 

 テーブルを囲み、笑顔を、杯を打ち付けあう。ここからが本当のスタートなんだ。光る未来のために――。

 やがて酒が回ってきて、熱くなった体で、カイトの腕を抱く。

 ソフィアは一時席を外している。我慢できず、耳元で想いをあふれさせた。

 

「ね、カイト」

「ん?」

「……すき」

「俺もさ」

 

 嬉しくて思わず、腕を抱く力を、もっと強くした。

 

「夜、部屋に行っていいでしょ?」

「え? う、うーん」

「いいでしょ? ね、ね?」

「あ、ああ」

 

 幸せだ。

 人生で一番幸せで――、

 

「――あぇっ?」

 

 強烈な悪寒と頭痛がして。さっきまでのことが全部、思い出せなくなった。

 

「あ、が……っ!? あ、頭、が……」

「アスリカ? アスリカっ!! しっかりしろ!」

 

 頭をおさえる以外に何も出来ず、空気をたくさん吸おうとしてあえぎ、床にうずくまる。

 いたい、いたい、いたい。

 こわい。

 あたまのなかが、胸の奥の大事な何かが、誰かに犯されている。しらないものが、あたしのなかに入ってこようとしている。

 いやだ。

 冒険者だからわかった。わかっちゃった。

 手足から感覚が消えて、意識が朦朧としていく。これは。

 これは、自分が死ぬときの感覚だ。

 

「い……や……たすけ……はいって、こないで……」

 

 消える、消える、消える! 自分が消えていく。なんで? なにもわるいことなんてしてないのに。

 どうして? かみさま。

 

「あ、あたし……あた、あた、あっ、あっ、あっ」

 

 脳みそがぐちゃぐちゃに掻きまわされて、新しいものを詰め込まれていく。

 そうだ、新しいものが頭に焼き付いていく。だからあたしは消えるんだ。涙と鼻水になって、古いあたしが出ていくんだ。

 

「お、お、ご……あた、しは……ぼくは――」

 

 あたしはこれから――“僕”になるんだ。

 

 

「……。ん、あれ……」

 

 頭痛に耐えながら目を覚ます。身体を起こすと、窓から入る月明かりで、自分が宿屋の一室にいることに気が付いた。

 慣れた手つきで、ランプに魔力の灯りを入れる。王都でもそこそこの宿だ。あたしにはこれくらいの部屋じゃないと相応しくない。

 僕にとっては、空調もないし、電灯もないし、テレビも冷蔵庫もないし、そう大した宿であるとは思えなかった。

 

「?」

 

 何か違和感がある。

 立ち上がろうとベッドの縁へ移動すると、上半身のバランスがおかしかった。

 いや、おかしくない。

 いや、おかしい。

 

「!? なん、これ……」

 

 自分の身体を見下ろすと、服の胸元が大きく膨らんでいた。まるで女性のようだ。

 立ち上がり、こけそうになりながら、胸を揉みつつ鏡の前に移動した。

 そうして、その姿を見た途端、脳みそを二つの記憶が走った。

 

こいつ(あたし)は……」

 

 さっきまで読んでた漫画に出てきた、最低のやられ役キャラクター。 / 大魔法使いの卵、才能と器量を生まれ持った、最高の自分。

 アスリカという魔法使いの少女が、鏡には映っていた。

 

 鏡を覗き、そこそこ大きさがある柔らかいそれらを揉みつつ、現状について想像してみる。

 このアスリカという女は、僕がさっきまで流し読みしていた小説原作コミックの登場キャラのひとりだ。

 タイトルは……正直、ちゃんとは覚えてない。やたら長いからだ。でも絵は良かった。女の子キャラは可愛く、男もそつなく描けてる。

 話の内容は……まあ、なんだ。

 「所属していた冒険者パーティーのメンバーから長いこと嫌がらせに遭い、ついに追放されてしまった主人公が、ひとりになったことをきっかけに真の力を目覚めさせ、成功の道を駆けあがっていく。しかしその一方、主人公を追放したパーティーは……」

 という感じだ。よくあるスカッとする感じの成功譚。友人はつまらんと言っていたが、僕は結構好きで読んでいる。とくにこのコミックは作画が大当たりだったから。

 そして。

 今自分のいる、日本のどこにでもある賃貸アパートメントの学生部屋とはかけ離れた、レトロというかオールドな宿屋の一室。さっき手癖でつけた魔力の灯り。頭の中にある、自分ではない誰かの記憶。

 鏡の中の美少女。

 ……推測するに。僕の好きなジャンルのコミックやノベルによくある展開……現実の世界から、ファンタジーのキャラクターに転生してしまった、乗り移ってしまった。そういうことが起きているのだと思う。

 

「っ……」

 

 鏡の中の少女が息を呑んだ。

 どうしよう。

 もう戻れないのか? 家族には、友人には会えないのか? これまでの人生はどうなるんだ。これからどうすればいい?

 

「……は。ハハハ……」

 

 いけない。悲劇にひたる前に、笑いが漏れた。

 正直、わくわくせざるを得ない。これまでの人生より、こんな非現実的な世界の方が楽しいに決まってるさ。多少なりともそう思ってなきゃ、あんなジャンルは読まない。夢である可能性が非常に大きいが、目覚めるまでは精いっぱい楽しみたい。

 ただ、性別が変わってしまったことと……

 よりによって、“これから死ぬやつ”になってしまったことが大きなマイナスだが……。

 

 アスリカ・フェリアーナ。

 生まれは良いところの家柄だったらしいが、魔法の才能と英雄譚へのあこがれから出奔し、冒険者へと身をやつす。出会いに恵まれ、心を許せる仲間とともに成功を積み重ね、いよいよ冒険者として得られる最大級の栄誉が見える位置へと到達した。英雄譚に名を刻んだら、カイトと結ばれて、幸せな家庭を築くんだ――。

 とまあ、そんなやつだったらしい。僕としては、この女の名前も覚えていなかった。今のはアスリカの、夢いっぱいの脳みそから流れ込んできた情報だ。

 ここからは、僕の読んだ漫画の記憶。

 主人公ミゼルの貢献度に気付かず彼を追放したパーティーは、これまでとはうって変わって立て続けに仕事に失敗してしまう。だんだんと落ちぶれていき、一発逆転にと挑んだ困難な依頼では、知能を持った魔物に敗北し、アスリカは巣に連れ去られ、凄絶な蹂躙を受けながら死亡する。

 普通にかわいそう。

 とはいえ、相当性格が悪かったようだから、因果応報だという描き方になっている。

 

 さて。

 彼女の悲惨な晩年は、読む分には作画の綺麗さもあって特殊なシチュエーションだなあと思ったものだが、これが自分の未来の話となればとんでもない。

 断固回避すべきだ。

 このまま今の仲間とパーティーを組んでいれば、いずれその末路に行きつくだろう。さてどう身を振るべきかな……。

 

「それにしても……」

 

 わざと鏡に向かって声を出したが、この声がまたかわいい。アニメ化したらこんな声だったのかも。

 作画が良かったせいか、顔もいい。

 つまりかわいい。

 家柄よし、才能よし、外見よし。性格以外の全部を持っていたわけだ。魔物の楽しいおもちゃにされるには勿体ない人生だ。僕のおもちゃになった方が良い。きっと大事にする。

 記憶をたどったところ、さっきの酒宴では人生で最高級の喜びを感じていたらしい。すごいな。人ひとり罵倒して足蹴にして、路頭に迷わせといて、心から気持ちよく生きられるものかね。ちょっと理解できない人間性だ。まあ原作者の頭から生まれた物語のキャラクターなのだから、この世界にはどんな人間だっているのだろう。怖いね。

 まあ、しかし。そんな人生の絶頂を味わうなかで、僕なんかに人生を奪われるのだから、ともすればのちの死に方より悲惨な末路だったかもしれない。流石に哀れに思うが……

 特に罪悪感はない。こっちだって突然の出来事で、夢かもしれないし神様の悪戯かもしれないんだ。この子には悪いことをしたなとは少し思いつつ、なんとかして身体を返したい! みたいな思いは1ミリだってない。

 むしろ、謝ってほしいね。この世界は僕のいた日本より生活が不便だろう。そんな人生を押し付けることを謝罪してくれよ。

 

「ご、ごめんなさい……えへへ……あたしが、全部悪いです……すみませんでした……」

 

 よし。

 鏡に向かって卑屈に笑うと、なんかぞくぞくした。やっぱり見た目はかわいいな。カメラで録画できたのなら、全裸土下座でもしてみたかったところだ。

 やっぱりこの身体は僕が使うよ。どうせ君は無残に死ぬんだ、僕にこれからの未来を譲ってくれたっていいだろ?

 

「は、はい! 私、アスリカ・フェリアーナは、あなたの手足です。血肉はあなたの血肉です。魔力はあなたの魔力、脳はあなたの脳みそですっ。好きに使って下さい!」

 

 キャラクターとかけ離れた満面の笑みをつくって、恐ろしいセリフを言う。言い切ったとき、顔は火照って赤らんでいた。自分がこんなことで興奮するとは知らなかった。とんでもない性癖に目覚めそうだ。

 ああ、可愛い。やられ役の無能としか認識していなかったが、好きになってしまったかもしれない。これが死ぬなんてもったいない。

 だって、顔も声も、本当はヒロインとしてやっていけるポテンシャルがある。こんな性悪女より、僕の方がこのスペックを活かせるだろう。

 とうにパーティーリーダーの男に手を出されているのも頷ける。娯楽のなさそうな世界だ、自分を求める男とのあれやこれは、さぞ気持ちよく心を満たしたのだろう。

 まあ。

 今日からのアスリカは、もうあれと関わることはない。

 方針は大体決まった。

 

 今夜部屋に行く――そんな約束をしていたようだが、今の僕(あたし)には関係ないことだ。

 真の仲間たちとやらも心配しているだろうが、大丈夫。今のアスリカは、靄が晴れたようなとてもすっきりした気分でいる。

 明日が待ち遠しく、再びベッドにもぐりこむ。目を閉じて、ブランケットの中の自分の肢体を撫でて、かたちを想像しながら、眠りの到来を待った。

 

 

「ごめーん、あたしもパーティー抜けるね」

「え?」

 

 本来のアスリカならば口にするはずのない言葉を耳にし、二人の元お仲間は目を丸くした。

 

「じゃ、そういうことで」

「な……ま、待ってくれよ!」

 

 カイトというやつが、大きい手でこちらの腕をつかんできた。

 ふーむ。アスリカであればこういう触れあいは嬉しいのだろうが、僕としては不快だな。自分よりガタイの良いやつに近寄られて良い気持ちはしない。

 

「なんでだ!? 名が上がってきて、これからが勝負なのに、お前が抜けたら……! それにアスリカ、俺達いままであんなに……」

 

 恋人としてベッドの上でいちゃいちゃしただろ、とでも言いたいのかな。

 僕は腕を振り払う。アスリカの表情は今、とても恋人に向けるものではなくなっているだろう。まあ気にしないでほしい、女心は昨日と今日で180度変わるものだ。

 それにこの男、恋愛感情に訴えているようだが……

 

「ソフィアにも手ぇ出してるでしょ? 聖女とか言うけど無駄に乳デカいもんな。ちょうどいいじゃない、ふたりくっつけば?」

「な……!」

「どうしてそれを……」

 

 おいおい、あっさり認めるか。アスリカの記憶を覗いて、本人が見て見ぬふりをしていたそれっぽい場面から、適当に関係を想像してみただけなんだが。

 まちょうどいい。3人パーティーでこんなことが発覚したなら、抜ける口実としては十分だ。本来のアスリカも、抜けるまではいかなくとも、大きなショックは受けるだろうさ。随分ふたりを信頼していたようだからな。

 僕としては、彼らの顔なんか今日で忘れていいと思っているが。

 

「じゃ、カイト。あんたとは別れるわ、じゃーね。ソフィアもお元気で」

 

 今度は腕を掴まれなかったので、いい気分で宿の出口に向かう。

 扉に手をかけたとき――、

 

「お、おいっ!」

 

 振り返った顔は、たぶん、おそろしく冷たい表情をしていたんじゃないかなと思う。

 

「なに?」

「……指輪、置いていけよ。レアなマジックアイテムなんだ」

 

 おお、ぶれないなこいつは。主人公のミゼルを追放したときと同じやりとりだ。

 左手にした指輪のひとつを眺める。細い指に、精緻な文字細工の刻まれたリングがはめられている。魔力の流れを加速するパワーアップアイテム。

 ……ああ、どうもこれ、彼からアスリカに、とてもいい雰囲気で贈ったものらしい。将来を誓う婚約指輪代わりのような。

 そりゃあ返してほしかろうな。ん~。

 

「ほら。か、返せよ。でも、もし、返せないって言ってくれるなら――」

「うるさいな。ほらよ」

 

 薬指からそれを外し、投げてよこした。

 カイト青年は茫然としている。ちょっと態度が悪かったかな。少し意識すれば僕の身体であるアスリカの言動など容易に再現できるようだが、思わず素が出ることもあるみたいだ。気をつけよう。

 

「ふたりとも。Sランクの仕事とかやめて、今後は手堅く働いた方がいいよ。……じゃ」

 

 最後に、まあ、元仲間のおふたりに、悲惨な死を遂げない道を示す。アスリカが抜けたのだから、すぐに無茶はしないだろう。それなりの仕事をしていく中で、ミゼルがいなくなった影響に気がつけば長生きできるかもしれない。

 これで後腐れはない。荷物を持って、新しい気持ちで宿屋を後にした。

 

 ▼

 

 王都の門に数日張り付いて、ようやく。

 探していたやつが通過しようとしているのを、捕まえることができた。

 

「あ、見~つけた」

「……!? 君は……」

 

 馬なんかを借りる金もないのか、大荷物を一人で背負って、下を向きながら歩いていたそいつ。

 バカだな、商隊の護衛役でも買って馬車に乗せてもらえばいいんだ。いや、それほどの実力が自分にないと思っているのか。

 ま、歩き旅もいいだろう。

 僕は咳払いして、なるべく甘ったるい声を意識して出した。

 

「……あたしもパーティー抜けたんだ。ね、ミゼル」

 

 笑顔をつくり、上目遣いで媚びながらその少年に話しかける。本来のアスリカなら自尊心が悲鳴を上げる行動だろうが、まあ、この身体はもう僕の道具だ。好きに使う。

 

「一緒に連れてって? ね、いいでしょ」

 

 命の危機を回避しつつ、ほどほどに成功し、ほどほどにスリルを楽しむのなら、主人公(ミゼル)に取り入るのが一番いいと思った。

 浅はかな発想かもしれないが。せっかく読んでた漫画の世界に入り込んだのに、主人公の近くに自分がいないんじゃつまらない。

 僕は困惑するミゼルの腕を取り、しがみついた。やわらかい胸を押し当てるのを忘れない。

 

「あのさ……」

 

 耳元に顔を寄せ、ささやく。

 どんなセリフを、嘘を言おうか考えるうちに、体が熱くなってくる。僕の興奮に、このアスリカの身体はしっかり反応してしまうようだ。

 

「あたし……本当は、ミゼルのこと、すきなの。ね、胸がドキドキしてるでしょ……」

 

 実際、動悸がいつもより激しい。自分が美少女の身体を操って、年端もいかない少年を誘惑するような真似をしていることが、どうにも倒錯的な夢のように思えた。そういうのに目覚めてしまったかもしれない。

 そうして、鼓動は速度を増していき――、

 

「きゃっ!」

 

 自分の喉から、思ったより女子っぽい声が出て、おや、と思った。

 突き飛ばされてしまったらしい。ミゼルは、怒りをあらわにした表情でこちらを睨んでいる。

 

「……半径3メルトに入っちゃ、駄目なんだろ。またそうやって、僕を貶める気なんだろう」

「んー。そんなことしないよ、もう」

「近づくなよ! 僕は君が一番嫌いなんだ。せっかく気持ちを切り替えて、なんとか受け入れてたのに……!」

 

 ……ふうん。

 思春期の男なんてエロく言い寄ればそれで終わりだと思っていたが(僕ならこのレベルの美少女に言い寄られたらデレデレする自信がある)、さすがにそうはいかないようだ。今までの積み重ねがあるからなあ。

 ミゼルは踵を返し、王都の正門を抜けるべく、ひとりで歩き出してしまった。

 しかし、これくらいのことで僕が諦めることはない。

 そのうち攻略しきってやるさ。これはゲームだ。最初の目標は、あいつに取り入ること。僕はアスリカという少女の人生を、そう決定した。

 

 門を抜け、街道を、少し距離をあけてついていく。たまに振り返るミゼルの顔からは、困惑と苛立ちの色が見える。

 思わず笑いそうになったので、こらえることはせず、きれいな笑顔を作って手を振ってやった。

 あたしに何も裏なんてないよ? 楽しい冒険にしようじゃない。

 ね、主人公くん。

 



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tyuuhen

 王都を出たミゼルの、あてもない旅路はゆっくりと進む。

 ついでに、その後ろにつかず離れず歩く僕の道程もまた。

 

 王都から周辺の人里へつながるこの街道は、残念ながら特に異世界みのある景色でもない。こういう見どころのない道を歩くのは非常に退屈なもので、いろいろと考え事をしてしまう。

 このあとこいつはどこにたどり着くのだろうか。原作のあらすじは、コミック第1巻の分はある程度把握しているのだが、それでも先のことは明確にはわからない。

 何せ自分というキャラクターはあの漫画にはいなかった。果たしてこのまま、原作通りに行くかどうか。

 本来なら、そうだな。……そろそろ一人目のチョロいヒロインでも出てきて、旅の道連れが増える、ってところだろう。新たな出会いをきっかけに人生の転機が……みたいなのは、追放モノで何度か読んだ。

 そしてそれはいわゆる、ハーレムものにも繋がっていく展開だ。主人公を慕う女の子の数が物語を通して増えていき、いつの間にか希代のモテ男状態に。このミゼルの物語もまた、それに分類されるお話になるだろうと思う。読者としての勘だ。

 しかし、うーん。

 そうなると僕はいずれ、こいつのハーレムの一員にでもなってしまうのか? 女の身体を利用して取り入ることを企んでいるわけだし。

 それは……イラつくなぁ。せっかく男を手玉に取れる美少女になったのに、女同士で男ひとりを取り合うとか、どうにも嫌だね。僕は自分が人より優位でいるのが好きなんだ。トロフィーのように侍らされる側になるのはごめんだ。

 むしろこいつを僕の美少女ハーレムに入れてやる。顔は美少年で可愛らしいし、女装姿で部屋の隅っこの方に置いてあげよう。

 

 ……なんてな。

 僕ってこんな趣味だったかな。もしかすると、異世界での冒険に高揚していることに加えて、僕の内面はアスリカの脳やら魂やらに、多少影響を受けているのかもしれないな。記憶も覗けてしまえるし。

 自分の内面が不自然な変化をする、というのはあまり歓迎したくないことで、対処すべきことなのだろうけど……

 まあしかし、どうでもいいな。アスリカの人間性空っぽの脳みそなんかに、僕の根っこの部分までは変えられやしないだろう。

 

 

 そうして歩き続けるうちに、なんと夜になった。

 

 おいおいおい。向こうが無視するものだからずっと黙っていたが……、こうなる前に野営地でも見繕うのが、冒険者のセオリーってもんだろうに。

 この暗闇を行動していい人間は、いろいろと承知しているベテラン冒険者か、夜盗みたいなやましい連中くらいだ。夜行性の魔物も出て、夜闇の中では非常に厄介だ。日中から歩き続けのミゼルがこのまま夜の街道を行くのは、自殺行為というものだ。

 見失わないように、いや、さすがに声をかけようとして距離を詰めたとき、ミゼルはきょろきょろと辺りの暗闇を見回していた。そして、唐突に通りから外れ、藪と林の中に足を踏み入れていく。

 森の中に自殺スポットでも探しに行く気かと、一瞬思った。

 魔導杖の先に灯りを出して、あとをついていく。やがてミゼルは、木々に囲まれたやや開けた場所に辿り着き、そこで足を止めた。

 ……ああ、ここならキャンプでもできそう。ようやく休憩か。

 ミゼルが大荷物からいろいろと引っ張り出し始めるのを眺め、僕は大きく息を吐いた。

 

 

 しばらく経つと、もう完全に夜。

 でも、明るい炎があたりをぼう、と照らしている。温かいそれを眺めていると、なんだか安心できた。

 

 ミゼルが地面に設置した小さな折り畳みの椅子に、勝手に腰掛け、彼の作業をじっと観察する。

 僕はこういうのは素人なもんで、てきぱきと小テント設営だの火起こしだのをこなす手際の良さには、素直に感心する。

 そして、素人なのは僕のみの話ではない。アスリカも冒険者なんだからこれくらいできるだろ、と野営作業の知識を探るべく頭をうんうんと捻ってみたのだが……どうもこの女、魔法以外のことはてんでダメだ。

 元が魔法の教育を受けられるような家の、箱入り娘であったこともあるのだろう。「こういう雑用は誰かにやらせればいい」、という甘えた意見を脳みそが発信している。まあ、僕はいまそれに乗っかり、こうして適当に休んでいるのだが。

 

 町の外や迷宮内を活動場所とするのがいわゆる冒険者たちである。こういった野営のスキルは絶対に必要で、それができるミゼルは、サポーターとして働ける、ちゃんとした人材であるように思う。

 ……そして、アスリカが元いたパーティーでは、そういった作業のほとんどをミゼル任せにしていたようだ。

 そんなやり方でよく、これを追放しようだなんて短慮に走ったものだ。どうしてそうなってしまったんだろう。

 ………。頭の中の奥深くを探ってみると、アスリカも、最初の頃はちゃんとミゼルに一目置いて、自分にできないことができる彼に感謝していたらしい。本人も忘れていたようだが。

 人に歴史ありだな。コミックや原作小説を読み進めるだけじゃわからなかった事実かもしれない。

 けれどパーティーが名をあげて、自分たちのレベルが上がっていって、ミゼルがついてこられなくなってきて……そんな道のどこかで生じた凹凸が、どんどん大きな溝となって、最終的にこうなった。

 天狗になる、ってやつかね。人間誰でも陥ってしまいがちな間違いだが、アスリカはそれを省みることなく死んだわけだ。

 そういう愚かなところ、とても可愛いと思う。

 

「よっと」

 

 面白い記憶を参照できたので、重い腰を上げる。

 アスリカは少女らしく華奢な体型に見えるが、尻とか割と重い。冒険者の割にいい暮らしをしていたんだろう。バトンを引き継ぐ僕のために、この身体を健康に育ててくれていたわけだ。いい子だ。

 寝起きのときのように、うんと伸びをして調子を整える。

 さて。こういうときのサボりこそ人との遺恨になるものだ。ミゼルからの好感度を稼ぐには、これまでとは逆の行動をしなければ。

 すなわち、

 

「ねえ、手伝おうか?」

「………え……?」

 

 優し気で印象の良い笑みを、アスリカの顔で作ってみせる。

 うまく作れたかな? ミゼルはたぶん、この少女にこんな顔を向けられたことはなかっただろう。

 ……固まってしまっている。手伝いを申し出ることがそんなに意外だったのか、それともこの顔がかわいいことに気付いたか……。両方か? いや、むしろ後者だろうな。いやはや、美少女の身体を手に入れると、愛想を振りまくことが楽しくてしょうがない。

 

 僕はその場をはずれ、長い魔導杖を手に取る。元の僕はこんなものを振り回したことはないが、しかし今はしっくりと手に馴染んだ。“使い慣れたもの”だから。

 さてさて。手伝うといっても、キャンプの心得は僕の記憶にもアスリカの脳みそにもない。しかし、“この世界”の人間が野営を行うのに必要な、あるものについてのスキルが、ミゼルにはなく、アスリカにはあった。

 さっそく、実践してみよう。

 杖の先に魔力の光を灯し、野営地を囲むように、地面に大きな光の図絵を描いていく。魔法を発動する手段のひとつ、いわゆる魔法陣の作成だ。

 刻んだ図や文字に込めた意味は、「守り」。すなわち、魔物や敵対者の襲撃を防ぐ、障壁・結界の魔法である。

 このように魔法による魔物除けを設置するスキルは、ミゼルにはない。パーティーではいつも、光属性の魔法を扱うソフィアという女が担当していた。

 そしてアスリカもまた、大魔法使いの卵を自称するだけあって、この技能はしっかり修めていたらしい。

 きっと僕がこうして使うときのために、寝る間も惜しんで勉強してくれていたんだろうな。ありがとう、アスリカ。これからも大事に使ってあげるからね。

 

 結界を完成させ、なかなかに上等な安全圏が確立できると、いつからか作業を再開していたミゼルは、またその手を止め、こちらに視線を向けた。

 なので、またにっこりと笑って見せる。どうだ、ちゃんと働いてやった。いつまでも僕を無視はできないだろう。おまえひとりじゃ、この夜は結界のないテントで魔物の恐怖に震えて、眠れもしなかったはずだ。

 

「あの」

「んー?」

 

 ついに、向こうから口を開いた。どんな言葉が出てくるのだろうか。

 

「……結界。ありがとう」

 

 ……ふうん。

 このアスリカに、ありがとうなんて言えるのか。

 

「いいよべつに、これくらい」

 

 にっと笑って返す。これは我ながら、含みのない表情だったと思う。いい演技が思いつかなかった。

 少年はそれを受けて、不思議そうな顔をしていた。

 

「……えっと。その代わり、あたしもテントに入れてよね。眠るとき、屋根くらいは欲しいから」

「あ……わ、わかった」

 

 続けたセリフは軽い気持ちで言ったものだったが、割と重く受け止められたらしい。ミゼルは、わかった、と口で言いつつ、しかし一人用の小さなテントを眺めるその表情は渋く、いかにも本意ではなさそうだった。

 パーティーを組んでいた頃のように、アスリカがぐーすか寝ている間、自分は外でつらい見張り仕事……みたいなのを想像しているんだろうか。

 バカだな。もうその必要はない。

 あと、詰めれば二人で寝られる。

 

 

 しばらくして。

 小さなテントの陰、結界の範囲内にて。

 衣服を脱ぎ、水と清浄の魔法を使い、身体を清める。

 これはいい。生まれ変わった先が魔法使いでよかった。本当に便利な身体だ。

 僕はやはりこういうジャンルを読んでいるような奴だから、“主人公”に転生することに憧れがあった。でも今は、ミゼルじゃなくてアスリカになれてよかったなと、心底思う。

 魔法使い最高だ。あと顔もかわいいし、この通り体つきも割といいし。アスリカ自身は、ソフィアという仲間の女より胸が小さいことを不満に思っていたようだが、これは十分巨乳の範疇なのでは。お尻やふとももだって服を脱ぐと大きいし、魅力的な肉体だ。ファンタジー異世界の人間なんてろくなものを食べていないはずだと思っていたが、これはちゃんと栄養を摂れている人間のプロポーション。

 ……そうだ。

 ちょうどいい。このまま、このテントの向こう側にいるあいつを、誘惑でもしようか?

 長くパーティーを組んでいた美少女が、ずっと見られそうで見られなかった服の下をさらけ出して迫ってくるんだ。あの年頃の男子には耐えられない攻撃だと思う。

 ……いや、まだ早いか。ミゼルは僕を追い出そうとはせずとも、警戒はしている。あからさまなことをするとかえって激昂するかもしれない。

 夜這いはもう少し後にとっておくか。

 焦らなくても、ミゼルはすでに、僕にほだされつつあるはずだ。あいつは僕が旅についてくることを、困惑しつつも受け入れてしまっている。

 攻略計画の初日の成果としては、十分すぎる手応え。何が主人公だ、ちょろい、ちょろい。

 じっくり時間をかけて、僕無しでは生きられないようにしてやるのも面白いかもな。

 

 旅人・魔法使いとしての装備から、ラフな夜着に替える。テントの表側、火の前に戻っていくとき、ミゼルがこちらを一瞥して、すぐに視線を逸らしたのがわかった。

 夜にこんな格好の美少女と二人きりになってしまったら、いくら疑わしくて嫌いな相手でも、効くだろう。

 ときおりこちらを見てしまうミゼルの様子が、僕には楽しくて仕方がなかった。

 

 

 ふと、眠りから目が覚める。

 テントの外に顔を出してみると、まだ空は明るくない。肌を撫でる厳しい寒さからして、明け方近くくらいの、一番冷たい時間帯だろうか。

 そんな寒さの中で……ミゼルは、結局寝床を僕に譲ったこともあってか、屋根もない場所にひとり、座ったまま寝ていた。

 結界の出来はそこそこのものだから、見張りや火の番をする必要性はあまりないはずだが。マジメなのか、僕がいるせいなのか、それともこういう、貧乏くじを人に押し付けられる日々がしみついてしまっているのか……。

 別に僕はこの狭いテントに無理やり二人で入っても良かったのだが、まあ、気遣いには素直に感謝しておこう。

 顔色からして寒そうにしているし、火を起こして温めてやるか。

 それに加えて、僕の体温でぬくくなったこのブランケットでもかけてやる、っていうのが、王道の優しさアピールかな。いや、後ろから抱き着いて色仕掛けを兼ねるというやり方も思いついた。

 どっちにしようか。

 ……前者にしておくか。また突き飛ばされでもしたら腹が立つから。

 

 うとうとしながら昇ってくる陽を待ち、魔法で灯した暖かい炎にあたる。火の番は交代というわけだ。

 ミゼルの寝息が深くなってきたように思え、目で様子をうかがう。

 青年というよりは少年、童顔で、この顔ならかっこよく活躍すればモテるだろうなという感じはする。異世界ファンタジーノベルの主人公らしい風貌のひとつだ。

 しかし、こういうハーレム主人公(かもしれない人)のことは、感情移入できれば何とも思わないが、こうして赤の他人として認識するとどうにも妬ましい。こいつが複数の美少女に囲まれている様子を想像すると、面白くはない。

 ……もてあそんでやりたい。このアスリカの身体で。

 ほくそ笑む。やっぱりそういう方向性で関わっていくのが楽しそうだな。

 これからの接し方をいろいろと考えながら、僕は野外で火にあたる気持ち良さを堪能した。

 

 

 ▼

 

 この世界で町の外を歩くというのは過酷なことで、どんなに整備が進んでいる道路でも、命の危険がある。

 "魔物"がいるからだ。

 彼らと我々人間は大昔から天敵同士らしく、基本的には出会えば殺し合いになる。だからこの世界では、キャンプをやるなら魔物除けとなる何かが必要だし、魔物の侵入を防ぐような対策がとられた広大な敷地のことを“町”と呼ぶし、魔物を退治することで生計を立てる職業があるし――、

 そして、ああいうふうに弱い人間は、ひとりで町を出てはいけない。

 

「くっ、くそっ!!」

 

 ミゼルは安物の剣を必死に振り回し、大きな黒い鳥の魔物を相手に苦戦している。

 まあ、でかいカラスだ。アパートの表に出した燃やすゴミの袋をやつらに引き裂かれ、原付に白いクソをべちゃりと落とされた日から、僕はあの害鳥が心底嫌いである。そんなカラスが二倍くらいのでかさになり人間を積極的に襲っているのを見ると、さすがに恐ろしいが……、怒りと、アスリカの魔物退治経験が、恐れをうやむやにしてくれた。

 そしてアスリカの知識によると、あれはこの辺りでは弱い魔物だ。動きは素早いが、厄介な特殊能力などもなく、冒険者・退治屋ならば難なく倒せるはずの相手。

 そんな敵に、ミゼルは相当に手こずっている。

 現代日本人くらいの身体能力しかないように見えるな。たしかにこの体たらくならば、アスリカの性格なら見ていてイラついてしまうんだろう。

 

「………」

 

 助けを求めることもしないミゼルを、やや離れたところからただ眺める。

 僕は知っている。彼があんなに弱いのは、“魔力”に乏しいからだ。

 

 魔力とは、素の身体能力に劣る人間が、強靭な魔物どもに対抗するために有用なもののひとつである。

 この不思議なエネルギーは、例えば武器を振るう兵士の筋力をオリンピック選手以上に引き上げたり、肉体を岩のように頑健にしたり、魔法という特異な現象を引き起こすための燃料になっていたりする。

 つまり、戦うために必要な力だ。

 しかし扱える魔力の量や質には個人差があり、“才能”のない人間はとても魔物とは戦えない。ミゼルの今のありさまは、そのわかりやすい具体例だ。

 肉体を強くするための魔力が少なく、魔物の動きに敵わない。1年以上剣を握っていてこれなら、誰が見ても魔物退治の素養はない。元仲間たちもそう思っていただろう。

 

 だが、コミックをある程度読んだ僕は知っている。

 こいつはひとつ、ある“異能”を持っている。

 自分の魔力を周囲の人間に分け与える、というものだ。

 それを自覚できていないし、コントロールもできていない。実はミゼルはこれまで、パーティーメンバーに魔力の大部分を分け与えていたのだ。だから、こいつが抜けたパーティーはわけもわからず弱体化するし、ミゼル本人も、ひとりになってようやく、自分の身体を流れる魔力の強大さに気付く。

 それが、こいつを主人公とした成功譚の、からくりだ。

 

「っ! 剣が、当たらない……」

 

 とはいえ、自分が“今までの自分”だと思っているうちは、ああいう体たらくになる。

 秘めた力に相応しい思い切った動きができていないし、そもそも魔力の扱い方もよく知らないのだろう。魔力も通っていないあんなちゃちい剣と腕で、ちまちま、ちまちまと……。

 ゲームが下手なやつのプレイを後ろから見ているような感じで、少しいらいらする。だが、ミゼルは一度絶体絶命にまで追い込まれ、死に物狂いになることでようやく覚醒するのだ。

 僕はそのときを待つべきだろう。

 だから、こうして手は出さないのが、正解のはずだ。

 

「!! 魔物の数が……ぐああっ!?」

「………」

 

 気配を消す魔法を使って、新手の加わった魔物たちから、ミゼルが袋叩きにされるのを眺める。獣人の魔物に殴られ、カラスに引っかかれ、岩の人形に蹴とばされ……

 あー、ほんとに弱いんだから。はやく雑魚くんを脱却しないと、死んでしまうよ。

 あちこちにつくった傷から流れた血と、砂埃で、ミゼルは汚れていく。実に惨めだ。今が彼のどん底だろう。だが、跳ね上がるまでもう少し、もう少しのはずだ。

 

「が、ぐ……」

 

 ミゼルは吹き飛ばされ、立ち上がることができず、いよいよ地面に膝をついた。

 魔物たちが、とどめを刺しに迫っていく。意識がもうろうとしているのか、ミゼルは剣を構えもしない。

 僕は――、

 

「……“エクスフレア”」

 

 掲げた杖から巨大な熱光線が飛び出し、魔物たちをいっぺんに薙ぎ払う。

 それだけで、彼らはみな絶命し、消え去った。

 ふう。

 やってしまった。僕にもこう、日本でつちかった道徳心というか、目の前で死にそうになっているやつをつい心配してしまうような人間性はあったわけだ。

 杖を肩にかつぎミゼルに歩み寄る。僕はそのまま膝をつき、治療の魔法をかけてやった。この身体は、治療は攻撃魔法ほど得意ではないようだが、気休めにはなるだろう。

 あちこちケガだらけの身体を目の当たりにし、ややグロッキーな気分になっていると、ミゼルが茫然と僕の顔を見ているのに気が付いた。

 頭からの流血、ボコボコに腫らした顔。たった一回魔物に挑んだだけでこれは悲惨だ。泣けるほど弱い。

 しかしミゼルは、そんな現状を嘆く気持ちより先に、驚きを感じているらしい。表情がそうなっていた。

 

「……どうして、助けたんだ? それに、治療までかけてくれるなんて……」

 

 どうしてって。

 おかしなことをきく。

 

「別に。キミが弱いから」

 

 つい、アスリカのように、嫌われそうなことを言ってしまった。正直すぎたな。

 ……僕は次にこいつが追い詰められても、また同じことをしてしまうだろう。まあ、みじめすぎると見ていられないというか。

 言葉選びには失敗してしまったが、そろそろ、アスリカは純粋に改心したんじゃないか? とか思ってくれないかな。その方がやりやすい。実際、僕が企んでいることなんて、こいつがハーレムを築く前にいろいろと遊んでやろうと思っていることくらいだ。

 そんなことを内心で思いながら、治療をかけ続けていると。

 ミゼルは、声を絞り出して、言った。

 

「……。命を救ってくれて、ありがとう」

 

 素直にそう言われると、多少気恥ずかしかった。

 まあ、ここまでしてもらって礼も言えないようなやつは、主人公なんてやっていけないだろう。

 

「礼はいいから、もっと強くなりなよ」

「うん。ありがとう」

「また言った」

「あ、えっと、ごめん……」

 

 動けるようになったら、またどこかを目指して歩き始める。

 僕はミゼルに、自分に流れる魔力を意識してみるように助言した。これでこいつは変わってくるかもしれない。せいぜい原作みたいに、僕をどんな魔物からも守れるくらいにはなってくれよ。

 ……このときから、たぶん。

 僕たちは一応、“パーティー”になった。

 



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こうへん

 ミゼルの振るった剣は、ついに魔物の首を刎ね飛ばした。

 獣人の姿をした怪物だった。冒険者たちが、見習いを卒業する頃に相手をするレベルの標的だ。

 これまでにない手ごたえを感じたのか、ミゼルは自分の成果に茫然としたのち、興奮した様子を見せた。

 

「や、やった……!? やったんだ! すごいよ、アスリカのアドバイスのおかげだ」

 

 これまでの自分にとって格上だった相手を討った高揚感で、アスリカへの恨みつらみを忘れているのか、ミゼルはこちらに嬉しそうな表情を向ける。

 暗くて陰気な顔しているときよりは、印象が良い。冒険者を始めたての頃はたぶん、ああいう希望に満ちた表情でいたんだろうな。

 さて、喜んでいるようだから、ここは優しく褒めてあげて、心に付け入りたいところだが……、

 

「――“バーンストーム”」

 

 ずっと岩陰に潜み、いまミゼルの隙をついて背後から襲ってきていたもう一体の獣人を、炎のうずで焼き尽くす。

 これであたりの魔物は、すべて殺すことができた。今ならおしゃべりしてもいい。

 

「最後まで気を抜かない。こんなだから雑魚だって言われるの。ね、ミゼル?」

「う……」

 

 冷や汗をかいたところに、さらに屈辱的になじられ、また下を向くミゼル。

 僕は彼に歩み寄り、耳元に顔を寄せてささやいた。

 

「ざ~こ。くすくす」

 

 少年の身体が小さく震えるのがわかった。怒ったかな? ミゼルの妙なプライドの高さには笑ってしまう。

 僕はおもむろに彼の腕を抱き込み、火の魔力で火照っているアスリカの身体を押しつけた。

 今度はアスリカの喉が出したことなんてない、甘くやさしい声を、ミゼルの耳から注ぎ込む。

 

「……でも。昨日よりずっと強くなったね。すごい、って、おもっちゃったな」

「うぁ……あ、ありがとう……」

 

 顔を赤く茹であがらせて妙な表情をする少年。ああおかしい。このように、アスリカの言動を引き継いで相手を貶し、そのあと優しい言葉をかけると、反応がおもしろくて背筋にぞくぞくとくる。

 実際、いま口にしたことは僕の素直な気持ちだ。ミゼルは白兵戦における魔力の扱い方をようやく知ったようで、この数日で急激に実力を上げている。この調子ならそのうち、異世界ファンタジーの主人公にふさわしい強さは手に入るんじゃないだろうか。良いことだ。

 

 旅は順調。ある程度は会話もするようになってきた。

 この道の行先は……ミゼルの言うには、次に立ち寄る村で一泊したら、よその大きな街でまた冒険者をやってみようかと考えているらしい。新しい人生の始まりを感じているのだろう。

 ……もう現時点で、道筋が原作と違う気がするな。マンガの表紙にミゼルと一緒に描いてあるヒロインっぽい美少女も、まだ登場しないし。

 もっとちゃんと読み込んでおくんだったな。パーティー追放ものは他にも読んでいたから、頭の中で他の作品とこんがらがっている。

 それと、友人にはバカにされたことだが、主人公の覚醒シーンとか追放パーティーの末路だけ読んで満足する……、ってことも割とよくあり。僕にとってミゼルの物語もそれだった。いや、後でちゃんと全体を読むつもりだったんだよ。悪いね、ミゼルくん。

 そういうわけで先のことは不透明だ。まあ、それが冒険ってものだろう。

 

 先ほどのように、魔物と遭遇することがあればミゼルが奮起して対応し、宿泊地に辿り着くことがあれば補給して休む。

 そういうなんでもない、コミックのように華々しくもない旅を、僕たちは続けた。

 

 ▼

 

 この国の王都からもだいぶ離れた。そのため、次に僕たちがたどり着いた宿場は、国の恩恵が行き届いていないような、相応に田舎の村だった。

 唯一の宿に部屋を取り、人々から物資を買い取らせてもらい、次の旅の準備をする。それ以外にやるべきことはなく、ヒマだ。

 僕は旅の支度をミゼルに任せ、村の中を散策した。

 けが人や病人がいれば、気休めに治療の魔法を振り撒く。村を囲む結界にほころびがあると相談され、そこを手直ししてやる。

 外の世界に憧れる子どもたちがやかましく集まってくれば、アスリカがしてきた冒険のことや、都会の話、僕の読んだ異世界ファンタジーのストーリーなんかを語り聞かせる。アスリカが一番得意な火の魔法をみせてあげると、みんなから感嘆の声があがった。

 そのうち、日が暮れた。

 穏やかな時間ではあった。ミゼルはそういうことをしている僕を、離れたところから見ていたようだった。

 アスリカにこんな一面が……とでも思っただろうか。断言してもいいが、あれはこういうことはやらない。田舎が嫌いだからだ。僕とて、みんなから尊敬されるのが気持ち良くてこうしたまで。

 しかしそのおかげで、宿の代金がタダになった。やっぱり魔法使いはどこでも活躍できて良いな。アスリカのしてきた努力は、こうしていま実を結んでいる。良い話だ。よかったよかった。

 

 

 その日の夜。

 こんな村の夜は、虫の声が聞こえるほど静かだ。宿がおんぼろなのもあるかもしれない。

 僕は、薄い寝巻姿で、ミゼルの部屋の前にいた。

 ドアには鍵をかけてあるようだが……、僕が宿屋のおばさまに、今夜彼の部屋に侵入したい旨をこっそり伝えると、いい笑顔で鍵を貸してくれた。うまく恋人だと誤解させることができたようだ。

 まあ、鍵がなくとも、この扉を魔法でこじ開けるのは容易だ。

 たとえば王都の一流宿の一室などには、魔法的なセキュリティが施され、客の安心と安全を守るようになっている。

 しかし、ここはそうではない。こういう安宿に泊まるときは、宿泊者自身が魔法でも使って防備を構えるのが、冒険者の間では常識らしい。野営と同じだ。

 が、ミゼルは魔法を修めていない。賊でもやってくれば終わりのこの宿では、震えながら朝の到来を待つしかないのだ。

 さぞ不安であることだろう。仲間として、なぐさめてやろうじゃないか。

 

 金属製の鍵の開く音は、いやに大きく聞こえた。泥棒をしている気分で、そっとドアを開き、中に足を踏み入れる。

 いや、盗みでも襲撃でもないのだから、気配を殺す必要などない。僕は暗い部屋で感覚を澄ませ、布団の中にいるらしいミゼルに声をかけた。

 

「起きてる……?」

 

 想定していたよりも高い声が喉から出た。緊張、なんてしているのかもしれない。

 だってこれは、少女が少年の部屋に夜這いなんていう、人ひとりの人生であるかないかのシチュエーションだ。それを僕が演出しているんだという事実に、どうしても興奮してしまう。

 ミゼルから返事はない。僕は、ミゼルがあちら側を向いた姿勢で寝転んでいるのを確認して。……その背後につくように、自分の身体をブランケットに入り込ませた。

 同衾だ。ミゼルへの好意などなくとも、この自分(アスリカ)の無防備な状態に、鼓動のスピードが上がる。

 いま、ミゼルが振り返って、僕に覆いかぶさってきたら、決して逃げられない。

 それって、すごくいい。

 ……とはいえ、そういった様子はまだ感じられない。僕は、至近距離から、子守唄を歌うような小さな声で、ミゼルの背中に話しかけた。

 

「最近、あたしたち、うまくいってるよね。……ミゼルと冒険するの、楽しいんだ」

 

 これは、本当の言葉だ。魔法や武器をふるって物語の世界を歩くことは、僕のあこがれだった。そして、アスリカからすれば雑用しかできないミゼルも、僕にとっては、戦闘以外の場面では頼りになるやつだった。

 この少年も、徐々に明るい表情を見せるようになってきた。

 そう、すべては、順調だ。

 

「ね。ミゼル。あたしのこと……、まだ、嫌い……?」

 

 問いかけに答えはない。だが、寝息は聞こえてこない。ミゼルは起きていて、こちらの言葉を聞いている。

 僕は手を伸ばし、少年の背中に手で触れた。

 掛け布団、あるいはブランケットは、ふたりで被っていると、あつい。

 

「パーティーから追い出したりして、ごめんね。他のやつの前だと、素直になれなくてさ……。本当はずっと、こうしたかった」

 

 アスリカのやったことを僕が謝罪する必要などこれっぽっちもないのだが、これも戦略だ。

 アスリカという意地の悪い少女は、実は、素直になれないツンデレか何かだった……。そういうふうに、事実を歪める。

 ただの愚かな死人役からヒロインに昇格だ。本人も大喜びしてくれるに違いない。

 

「あなたが良かったら、まだ、一緒にいてね。その……すき、だから……」

 

 言って、自分の顔が紅潮するのを感じた。やはり返答はなく、それに妙にほっとしてしまった。

 どうも本番になると、稚拙な愛の言葉をささやいてしまう。心にもないセリフとはいえ、その気恥ずかしさは顔に血がめぐるのには十分だ。

 まだ少し警戒はされているはずだから、あまりあからさまな嘘は口にしたくないのだが、いざとなると僕は薄っぺらいそれを言ってしまう。仕方ないんだ。男を誑かすための語彙なんて、これまでに身につけようがないからな。

 ……そんな手練手管の不足をごまかすために、熱くなった身体を、少年の背中に押し付ける。こっちに関しては極上だ、効かないってことはないだろう。

 体温と、心臓の音が伝わっている、と思う。心地よさと、スリルのようなものを感じた。

 

 そうして、ミゼルが性欲やら何やらに負けて襲いかかってくるのを、じっとりと待つうちに。夜はただ、深くなっていった。

 

 ▼

 

 目が覚めると、隣には誰もいなかった。

 部屋を見渡す。いなくなって結構経っているような印象を受ける。というか痕跡がない。荷物もない。自分の身体に手を出された感じもしない。

 

「逃げられたか……」

 

 つまらないオチだ。頭の後ろ側がつんと冷えていく気がした。

 どうしようか? やはりもう村を出たのだろうか。今から追えば、捕まえられるだろうか。

 ひとまず自分の部屋に戻り、急ぎで出発の支度をする。

 旅と魔物退治のための、魔法使いらしい衣服を身に着け、杖を手にする。全身鏡の前で凛々しく表情をつくり、構えると、王都では名の通った赤き炎の使い手、アスリカ・フェリアーナの完成だ。出来の良さに鼻を鳴らす。

 けれど、ふとおかしくなり、表情が崩れた。中身が別のものにすり替わっていると思うと、滑稽な姿だったからだ。

 せっかく大きな姿見があるのだから、アスリカが言いそうにないセリフを言ったり、しそうにないポーズをとったりして遊びたかったのだが、残念ながら次の機会に。

 

 おばさまに挨拶をして、宿を出る。彼女はミゼルがいなくなったことを聞くと、驚いていた。かなり早い時間に出ていったようだ。

 とりあえず追ってみよう。進む方向があっていればいいが。

 そうして、村の出入り口に足を向けたところで……、

 人々の異変に気が付いた。

 

「……あ、た、旅人さんっ! そっちに行っちゃダメ! 魔物が、魔物が入ってきたのっ!」

 

 必死な様子で声をかけてきたのは、昨日知り合った村の少女だ。

 息も絶え絶えに早口で語ってくれたことを、整理すると。

 ……村の東側から、魔物が一体、結界を破って進入してきた。退治屋でもないとどうにかできる相手じゃない。これからみんなで西側から出て、隣村へ避難する。誰かを見かけたら逃げるよう言ってほしい。自分は宿屋の人に声をかけに行く。

 という話だった。

 どんな魔物だか知らないが、僕は急いでいて、非常にタイミングが悪い。すぐに殺してしまおう。

 

 逃げる村人たちの流れに逆らった先にいたその魔物は、見た目には、そう強そうな個体には見えなかった。

 岩人形。ゴーレム。目の前のそれはそう呼ばれるものだ。以前も倒した。魔物の多くは、動植物や虫といった自然界の生物の姿をしているが、ゴーレムというものは、魔法使いが作成したものが、魔物化して人を襲うようになったとかなんとか言われている。

 僕は杖を構え、魔力の流れを加速させた。

 生み出されたエネルギーが、杖の先に収束していく。

 

「エクスフレア」

 

 激しい熱光線がゴーレムにぶつかる。これで問題は解決だ。

 

「……!?」

 

 ところが。

 岩の人形は、赤い光の中から、無傷で、五体満足で現れた。

 

「エクスフレア! バーンストーム! ……スピアレイ! なんで……」

 

 魔法が効かない。全く効かない。

 もしやと思って、属性を火から切り替えてみても、ヒビのひとつも入れられず弾かれてしまった。

 後じさる。

 それはもちろん、異世界は広いんだ、魔法が効かないモンスターだっているだろうさ。

 でも、どうしていま、どうしてここに。おかしい。不自然だ。理不尽だ。

 魔力の限り、魔法を吐き出し続ける。アスリカの頭で思いつくものは全部試した。そうしてやがて……、

 ゆっくりと歩いていたゴーレムは。僕の杖が、かん、と身体を叩く距離にまで、もう来ていた。

 

「あぎ……っ!?」

 

 いつの間にか、僕は地面を転がっていた。車にはねられたら、こんな感じだと思った。

 全身が痛くて、とくに腕が、いたい。あの太い、鉱石の腕で殴られたんだ。

 くそ。くそくそくそ……! 屈辱だ。魔法が効かないってだけの、こんなやつ、に――

 

「……がっ……!! あ、あうう……」

 

 また撥ねられた。

 いたい。

 地面を這いずって、落としてしまった杖を拾いに行く。あれがないと、効率よく魔法を使えない。

 そうしたら、目の前に、ゴーレムが立ちふさがった。

 ……なんでこうなる?

 別にみっともなく苦戦するのは良い。アスリカの魔法が使えても、僕はしょせん、何の能もないただの学生だった。そのうちこういうこともあるだろうとは思っていた。

 でも、いま目の前にいるのは、単なる死だ。負けイベントとか、パワーアップするための敗北とか、そういうんじゃない。ただ骨が折れて痛いし、血が出て痛い。どうして都合のいいようになってくれないんだ。

 結局、アスリカは、無様に死ぬ運命なのか? 僕が成り代わっていても、それは変わらないのか。

 ……なんだよ、つまらない。

 本当は――自分が主役に、主人公になれたかもしれないって、思ってたのに。

 

 ゴーレムが腕を振り上げるのを見て、僕はみっともなく泣いた。下からも漏らしたかもしれない。

 そうして、死ぬまでの時間が、これまでにないくらいゆっくりに感じて……

 

 硬い岩の巨体が。上と下で、ズレるのを見た。

 

「おおおおッ!!!」

 

 何かが閃いて、ゴーレムの身体がバラバラになっていく。

 剣だ。魔法の通じなかった硬質な岩が、バターか何かだったみたいに切り裂かれていく。

 ゴーレムの残骸が、細切れになって地面に転がったとき。その向こうにいたのは、肩で息をするミゼルだった。

 ……“主人公だ”、と。

 そういう感想が、頭に浮かんだ。

 

「ぼ、僕……いま、どうやって……」

「…………ミゼル」

「アスリカ!! 大丈夫か!?」

 

 悲痛な表情で少年は駆け寄ってくる。完全に、心配して、助けに来てくれたやつの顔だった。

 僕は、近くにあった杖を拾った。

 支えにして、なんとか立ち上がろうとして……、けれど腰が抜けているみたいで、途中で崩れる。

 それを、ミゼルに受け止められた。気遣い痛み入るが、身体が痛い。

 

「……君、この村を守ろうとしたのか?」

「……うん? ああ、そうなるかな……」

 

 おまえが勝手にいなくなったからイラついて、ちょっとイキってみただけだ。そしてこんな無様なことになった。村は、ミゼルがいなければどうにもならなかった。

 僕は、身体を動かそうとして。でもまだ動けなくて。

 ミゼルに、子どものように縋りついた。

 

「……どうして、早く助けに来ない?」

「え?」

「こわかったよ。死ぬんだって思った」

 

 口は動くので、言いたいことを言っておく。

 

「ありがとう、助けてくれて……」

 

 さすがに、今回は、心からそう思えた。

 ファンタジーの、夢いっぱいの異世界。よく読む小説やコミックみたいな成功譚を想像した。

 それこそアスリカの能天気と同じだ。

 しかし残念ながら、僕も今はただの登場人物のひとり。主人公なのはこいつ。死ぬときは、死ぬんだろうなと、わかった。

 

「アスリカ……僕……君を助けられてよかった。僕からも、ありがとう。村を守ろうとしてくれて」

「……うん」

「ここ、知り合いの故郷なんだ。今朝は墓前に出かけてて……。君には、なにかお礼をしないと」

 

 おや。

 ミゼルは……、どうも、いつもより饒舌になっている気がする。

 災い転じて、といったところか。ミゼルの声色には、僕への信頼が混じっているように思える。

 何かお礼をしないと、ときた。礼をすべきはこっちのはずなのに。

 

 僕は、顔を伏せたまま……

 笑った。

 これは、いいシーンだ。そうだ、こんな目に遭ったのだから、何か実りがないと嘘だ。

 ミゼルは僕の声を待っている。これまでにないことだった。

 

「じゃあ……」

 

 僕は顔を上げ。期待のこもったまなざし……を意識して、ミゼルを見つめた。

 

「抱きしめて、ほしいかな」

「……い、今?」

 

 思わせぶりに、かわいい女の子っぽい報酬を要求してみた。

 死にかけた後に、我ながらたくましい。身体もあちこち痛いっていうのに。健気な女の子だと思わないかい、ミゼル。

 ここまで徹底してアプローチしていれば、ミゼルも前のアスリカのことなんて忘れるだろう。今は体も熱いし、脈拍も早い。心臓を押し付けて、本格的に勘違いさせてやる……。

 人間、自分を好きだと言ってくる顔の良い異性のことは、いつまでも無碍にはできないものだ。

 ミゼルは気恥ずかしそうにしている。いわゆる恋愛に鈍感な主人公というタイプでもなく、この要求がどういうことなのかを、あれこれ想像しているはずだ。

 それでいい。ここまできたら傍目には、ピンチを救って距離の縮まった、ゴール寸前の男女に見えるだろう……。

 

「い、いきます」

 

 ミゼルが、僕を支えていた腕を、背中に回してくる。

 激戦を終えてのハグだなんて、いかにもフィクションっぽいシチュエーションで、少しいい気分になった。

 物語の主人公からの抱擁を、彼より華奢な少女として受け入れていく。僕はミゼルのことは好きでもなんでもないが、しかし今、昂りや充足感があった。

 しばらく身を任せ、次のセリフや表情でも考える。そして――、

 

 びり、と。

 何かが、すごい速さで、背中を駆け抜けて。

 何か、とてもまずいことが起きようとしていると、直感した。

 

「あっ。あ、れ……?」

 

 ミゼルが、僕の肩を抱きしめた途端。

 僕の頭に、何か異物が入ってきた。

 

「あ。これ……あっ。あっ、あっ、うあ……」

 

 それは、甘い電流のようなものだった。

 “しあわせ”。そういう言葉が浮かんでくる。

 脳みそに多幸感がガンガン送られてくる。しあわせで頭がぶっ壊れる。心臓が早鐘を打ち、全身に送られる血流にも、なにかおかしなものが混入していて、僕の全身を侵していく。

 この人に、自分の人生を、全て捧げたい。そんな気持ちが心の底からわいてくる。

 ……なんだこれ!? そんなわけがない。

 僕はミゼルを突き放そうとして――、

 また、脳みそと心臓に何かが送られてきて、全部洗い流された。

 

「あっ? すき……いや、ちが、う」

 

 こんこんと湧いてくるこれは……“恋心”だ。

 さっきからたしかに不快感を持ったりしているはずなのに、感じた瞬間から、それがまったく違うものに置き換えられていく。

 すき。ちがう。すき。ちがう。すき。違う!

 わかった。ぜんぶわかったぞ。

 

「み、ぜる。離れ……」

 

 こいつ、やっぱり、ハーレム主人公なんだ。

 ミゼルには、女を虜にしてしまう何らかの力があったんだ。この世界の誰もそうと認識できないけれど、物語の作者という神様から、女をヒロインに仕立て上げる何かを与えられている。強力な魅了のスキルみたいな。絶対にそうだ。身体で理解した。

 でなければ、こんな、不自然なこと、ありえない。

 とんでもない罠だ。そうだ、僕は看破したんだ。ならば抵抗できる。抵抗するんだ。こいつを今すぐ跳ね除けるんだ。

 

「ん、んんぅ……んえっ?」

 

 あっ。また。

 何かが自分の魂を裏返してくる。こいつのことが好きすぎて、離れられない。

 これまでも密着したことは何度もあったのに、感覚が全く違う。ミゼルの体温、におい、すべてが愛しく感じ、五感は鋭敏に彼の情報をひろってしまう。そしてそれらは僕の頭を殴って、こじあけて、彼への好意をぎゅうぎゅうに詰め込んでくる。

 好きだ。好き、好き好き。

 いや、違う。遊んでいるだけだったはず。自分を保たないと。

 僕は必死で、声を振り絞った。

 

「みっ、ミゼル……あたし、ミゼルのこと………」

 

 待て、今それを言うのはまずい。

 そこから先を喉が言いそうになるのを、口をきゅっと閉めてなんとかこらえる。

 ……けれど、僕の腕はいつのまにか、手にしていた魔法の杖も投げ捨てて、相手の身体をぎゅっと抱き返してしまっていた。

 これでは、ほとんど告白しているようなもの。……いつもの狂言ではなく、心の底からだ。

 僕が途中で言葉を切ったあと。ミゼルの、抱きしめる力が少し、強くなった。

 それで、また甘くて熱い波が、頭に送られてきて……、

 

「あの。僕、アスリカのこと……」

「あ、声……」

「え? あ、ご、ごめん。なんでもない」

 

 耳元でささやかれた彼の声が、脳髄を優しく掴んで、激しく揺らす。

 何を言おうとしたんだろう? いや、聴こえていた。

 じゃあ、両想いだ。やった。

 

「え、えへへ……」

 

 僕の顔は、笑っていた。

 これは、たくらみが成功した不敵な笑いなのだろうか。

 ……抱きしめられる幸福感に、耐えきれなくなって漏れた笑いか。

 鏡がないから、わからない。

 

「も、もういい?」

「………」

 

 ミゼルに抱かれていると、どんどん思考が鈍化していった。

 良いように言えば、癒やされて、落ち着いた。

 それが怖かった。自分の思考が支配されている。それなのに、離れられない。

 

 結局、僕たちは、村のど真ん中でしばらくこうしていた。念願叶って想い人にすがりつく少女のように、他人からは見えていただろう。

 それはちがう。

 こんなのは……認められない。

 

 ▼

 

 馬車の荷台に揺られながら、膝を抱えてじっとする。

 そこそこ広い荷台の対角には、ミゼルがいる。僕たちは運よく、馬持ちの行商人に、荷物のほとんど載っていないタイミングで出会い、次の街までの護衛をやらせてもらっていた。

 あの出来事から一日経って、ぐつぐつのお湯で茹でられた頭も、少しは冷えた。

 チョロイン、っていうスラングがある。ハーレムものとかに出てくるちょろいヒロインみたいに、すぐ落ちる女の子のことだ。

 まさか自分がそうなるのか? とんだ駄作だ。

 

「……っ」

 

 ミゼルと目が合った。それで自分が、さっきから向こうの様子をチラチラとうかがってしまっていたことに、気が付いた。

 何か思うことがあったのか、ミゼルが近寄ってくる。

 

「あ……!」

 

 僕は、思わず後ずさりして、彼から距離を取った。

 悪いけど、これ以上何かされるのはごめんだ。

 脳みそが溶かされる。

 

「……やっぱり」

 

 そう漏らして、ミゼルは傷ついたような表情をした。

 言葉からして、アスリカから自分に好意があることなど、やはり何かの間違いだった……とでも思ったのだろう。

 ……胸が、チクリとした。

 これは自分の良心なのだろうか。それとも、あのとき書き加えられた感情からくるものだろうか。

 それすら判断ができなくなっている。

 

 深呼吸をする。

 どうすることが、正解なんだろう。

 これまで通りの自分でいるために、こいつから離れていくべきか。

 それとも。

 魂を溶かすあの幸福感を受け入れ、この人の虜になるか。

 

 拒んでおきながら、視線が勝手に向こうへいってしまう。

 この男に、恋をしたからだ。いや、させられた。無理やりに。ミゼルが自覚していなくとも、彼は僕におそろしいことをした。

 許しがたい。見損なった。あってはいけない。自分がこんなやつなんかに。

 ……怒りや妬みを腹の中で沸かせ、ミゼルを睨む。

 そうだ。

 僕は――、

 

 僕は自分から、ミゼルのそばによって、彼の手に、自分の手を重ねた。

 

「ミゼル……」

 

 熱い息を吐く。喉が火傷しそうだ。

 

「……本当は、その。いろいろ悪だくみがあって、近づいたんだけど」

 

 今までの嘘とは全く異なる、何かのこもった言葉を、口にする。

 

「本当に、キミのこと――好きになっちゃった、かも」

「……!」

 

 ああ。

 言ってしまった。

 嘘がつけない。自分を統制できない。毒のような恋心のせいだ。

 

「だから……。………だから…………んっ」

 

 口を閉じ、ごくりと空気を飲む。

 ここから先を言うと、もう完全に戻れない。修正が利かなくなる。

 本当にこれでいいのか?

 予定と違うじゃないか。この僕(アスリカ)がこんな、この前まで雑魚だった頼りない子どもなんかに負けて、優位を取られるなんてこと。

 そんなの、あっていいはずが――

 

「アスリカ?」

「あっ。うあっ? あ、あっ、あたし……っ」

 

 少し熱のある声でその名前を呼ばれると、僕の心は、あたしの身体は、あっさりと白旗を上げて屈服した。

 視線がぶつかり合う。もう逸らせない。

 僕は、ふるえる声をなんとか絞り出して、彼に懇願した。

 

「あたしの全部を、あなたのモノにしてほしい……」

 

 そうして、決定的なその言葉を、伝えてしまった。

 魂に植え付けられた衝動を自分のものと認め、自分の喉を通して、自分の口から吐露すると、しびれるような快感が背骨を駆け上がってきた。

 脳みそがびりびりする。お腹と胸の奥が、もどかしく疼く。

 ミゼルは。息を呑んで、僕にはわからない僕の表情を見て、それから顔を赤くして、

 

「いいの……?」

 

 と返してきた。

 求められているのがわかって、体が歓喜に震える。僕はあさましく発情して、こくんと頷いた。

 もはやこの身体はアスリカのものではなく、僕のものでもなく。目の前のオスのものだと、本来の持ち主に無断で決める。それだけで、お腹の奥から生まれた熱量が、全身に広がっていく。

 やった。

 達成感を覚える。なんで? なんの達成感?

 ……自分がこの人のものになれたことへの。そして、ひとりの少女の人生を、取り返しがつかないほど歪めたことへの、だ。

 他人を操る快楽。その逆に、支配され、隷属することの快楽。こんなもの、今日まで知らなかった。

 ああ。ああああ。

 しあわせだ。

 僕は、正解の道を選んだんだ。

 

 互いの手から熱を感じ、僕たちは笑い合う。結ばれたことへの、純粋な喜びだ。

 ここがゴールだった。そしてスタートだ。

 ミゼルの隣に座り、熱く見つめる。たしかな繋がりの心地よさを、心臓に感じた。

 

 

 ……だが、しかし。

 

「でもね。その代わり、お願いがあるの」

 

 ……この身体は、心は、タダではあげない。

 堕落させた代償を支払ってもらう。そうだ。僕の膨れ上がった支配欲は、アスリカひとりの人生を手に入れたくらいじゃ満たされない。支配されることの気持ちよさを知ってもだ。

 だから……、

 

「ミゼル。あなたも、あたしのモノになってくれるよね……?」

 

 等価交換、いや、安いものじゃないか?

 僕(あたし)を全部ミゼルにあげるのだから、ミゼルにもそうしてもらう。当たり前の話ではないだろうか。

 ハーレム主人公。冗談じゃない。

 そんな魅了の力を隠し持っているんだ、もう他の女と口をきくこともさせない。触れることなどもってのほか。キミの声は僕のもので、キミのその手は僕だけが触れられるものだ。

 

 いつからか僕たちは、互いに、甘ったるくてしつこい、どろっとした汗をかいていた。

 やがてミゼルは……、林檎のように紅い顔で、僕のものになることを了承した。

 たぶんきっと、自分の顔も、眼の奥も、同じように。火が燃えるような色に、なっていただろうと思う。

 

 ▼

 

 横並びで馬車に揺られながら、顔は見ずに、互いの温度を感じ合う。

 頭の重さを少年の左肩に預け、投げ出されたその手に、自分の細い指を絡める。ミゼルの手は、アスリカの手より、少しだけ大きかった。

 恋人繋ぎ。汗ばんだ手に力を入れると、これまでのようなこちらからの一方的な誘惑とは違って、向こうからもぎゅっと握りかえしてくれた。レスポンスの有無だけで、こうも高揚感が違うとは思わなかった。

 まるで小学生か中学生の恋愛みたいに、ただただ気分が浮ついて。互いの手が熱くなって、余計に汗が出た。

 

「ミゼル」

「うん?」

「すきだよ」

「……! ありがとう。ぼ、僕も……」

 

「ねえ。他の女の子と仲良くなったらさ……、もろとも、殺しちゃうかも」

「えっ。う、うん…気をつける、よ」

「約束だからね」

 

「ミゼル。あたしをこのパーティーから追放なんて、しないでね」

「ん。さすがにそれは、こっちのセリフなんだけど」

「……あのときはごめんなさい。でも、もうミゼルを追放なんてしない。あんなことは起きないよ。だって……」

 

 内から溢れてしまいそうな熱を視線に込め、ミゼルの目を見た。

 綺麗な碧眼だ。そこにはきっと、アスリカの姿が映っている。それでいい。僕(あたし)だけを見ていれば良い。

 僕は、これまでの自分の人生で一番、愉快で嬉しくて、切なくて愛おしい気持ちで、笑った。

 

「もう一生、ここから逃さないから……」

 

 この二人きりのパーティーから。自分の隣から。一歩も外には行かせない。

 ほんの一瞬、ミゼルの目の奥に、おそれのようなものが垣間みえたのを、ミゼルに夢中になった(あたし)は見逃さなかった。

 バカだなあ。かわいいなあ。

 後悔しても、もう遅いよ。キミが悪いんだ。

 ずっと二人だけで、この世界を冒険しよう。

 あたしの大好きな、主人公くん。

 

(了)

 



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別バージョン①

自分が一番読みたかったお話は書けたのですが、せっかくならできるだけ読み手も楽しませたいので、あと少しリベンジさせてください!
もっと駄作になったらごめんなさい。


 その女の子は、今日も後ろをついてきている。

 

 弱い僕をずっとバカにしてきて、あげくパーティーから追放した女の子が、どうしてかその後も一緒に組もうと言ってきた。

 わけがわからない。

 色仕掛け……ハニートラップととれる行動を繰り返していて、何か企んでいることは間違いないのだが、どうしても意図がわからなかった。僕をこれ以上罠にかける意味があるのだろうか? ずっとあの仲間たちと冒険してきたアスリカが、そこを離れてまでついてくる理由なんてあるのだろうか。

 アスリカにさんざん言われていたように、僕はただの役立たずだ。財産もろくにない。そうされるだけの特別なものに、心当たりはない。

 王都を出たあの日から。僕にとってのアスリカという少女は、「嫌なやつ」から、「わからないやつ」になった。

 

 ▼

 

 アスリカは……最近のアスリカは。

 すごく、その、なんというか。

 無視できない人だった。

 

 この日は街に辿り着いて、宿屋にありつけて、その夜。

 明日の準備も終えて、あとは眠るだけという時間帯。僕のいる部屋には……なぜか、アスリカもいた。

 もちろん、二部屋を取ろうとした。けれどアスリカが宿屋の方に、一部屋でいいと言い切り、結果僕たちは同じ部屋にいる。

 しかも、ベッドはひとつきり。これでは気持ちよく寝られるのはアスリカだけだ。一応、僕はベッドなんてなくたって、我慢できるけど。

 ……お金がないから、宿代が安く済んだのは、ありがたいのだけれど。僕らみたいに同じ年頃の男女が、一緒の部屋に泊まるなんてこと、冒険者の間ではやらないのが常識だ。理由は、考えるまでもないだろう。そうやって引退、あるいは休業する人は多いって聞く。

 

 荷物を検めるふりをしながら、彼女を盗み見る。

 どうしてかこの頃、アスリカに目を引かれてしまう。以前とは雰囲気が違っていて、別人のようだから……だろうか。

 彼女はいま、魔力灯の近くで椅子に身体を預けて、魔法使いが読むような難しい本を読んでいる。

 これまでアスリカがこんなに、僕の前で無防備な格好でいることなんて、なかった。なんというか、隙がある。いや、わざとそう見せている……?

 いずれにせよ、視線が捕まってしまう。

 日中とは違って、薄くて露出のある部屋着を着ていて。たまにすらりと綺麗な足を組み替えるところを見てしまって、まずい、と思わされる。

 鮮やかな赤い髪と赤い瞳は、純度の高い火の魔力を持っている者の証。王都では、彼女ほどの炎を扱う魔法使いはいなかった。

 本の中身に没頭する横顔は、冷ややかだけど怜悧な印象で。長い睫毛に縁取られた眼は、王都の店で見た、紅い宝石をあしらった飾りみたいだ。

 ……長いことパーティーを組んでいたはずなのに。こうも、彼女に見惚れてしまうようになったのは、こうしてふたりで旅をするようになってからだ。

 

「っ!!」

 

 どきり、と心臓が跳ねた。たちまち冷や汗が出る。

 目が合ったのだ。すなわち、彼女が本を開いたまま、流し目でこちらを見た。あの紅い瞳が僕を射抜いている。

 しまった。同じ部屋にいるせいで、今日はじろじろと見すぎた。「こっち見ないで、きもいんだから」――そう言われる。

 

「くす……」

 

 けれどアスリカは、ただ小さく微笑むだけだった。何か言うこともなく、すぐに読書を再開した。

 どきり、とした。さっきとは違う意味で。一連のしぐさが蠱惑的だったからだ。たしか同い年くらいだったはずなのに、いくつか年上に見えた。

 ……やっぱり。

 彼女と同じ部屋になるのは、まずい。

 

 

 少し経って。

 明かりを消してと頼むわけにもいかないので、部屋の隅で壁に背を預け、目を閉じる。

 もう眠れるなら眠ってしまおう、というつもりでいた。

 

「灯り、消していい?」

「ん? あ、うん……」

 

 アスリカの小さな声がして、了解の返事をすると、部屋の中が真っ暗になる。僕はうすく目を開けていた。

 星明かりの見える窓を、華奢な女の子の影が横切った。布の擦れる音がして、宿泊客のためのベッドがもぞもぞと動いているのがわかった。

 ようやく眠れる時間だ。明日に備え、身体を休めよう。

 

「……ねえ、ミゼル」

 

 ささやき声は、小さな部屋の中では、よく聴こえた。

 

「こっちにこない? せっかくの宿屋なのに、そんなとこで座って寝るなんて、バカでしょ」

 

 灯りを消した瞬間はこの場所が暗闇だと思ったのに、なんか、よく見えてしまった。

 アスリカが、自分が被っているブランケットを持ち上げて、中に空間の余裕があることをアピールしている。

 もっとはっきりいえば、言葉の通り、誘っている。暗がりの中で、目を細めて笑っていて、紅い瞳はらんらんとしているような気がして、とても眠そうには見えなかった。

 僕は。

 もちろん、言葉に乗るわけにはいかない。アスリカに心を許してはいけない。

 無言で身じろぎをせず、自分は眠っているのだと主張するように、無視をした。

 

「つまらないな。いくじなしだね」

 

 目を閉じる。衣擦れの音がしたが、無視無視。

 つまらなくて結構だ。何かのたくらみのついでに、人をからかって内心あざ笑っているんだろうけど、いつまでも彼女の笑いものなのは嫌だ。

 ……次は絶対、別々の部屋にしよう。そう思いつつ、呼吸を深くしていった。

 

「よいしょ、っと」

 

 その声は、すぐ耳の傍から聞こえた。

 何かが肩にぶつかってきて、暖かい布をかぶせられる。

 再度目を開け、暗闇を探る。……アスリカが。僕の隣に寄り添ってきて、同じように壁に背中を預けていた。

 

「………!?」

「あたしもここで寝ようかな」

「な、なんで……!?」

 

 頭に熱が駆け上ってきて、一気に目が覚める。

 

「いや、寒そうだし。なんか申し訳ないし。……どした? 興奮したかな? ふふ」

 

 おかげさまで、身体はずいぶんあったまった。ただ、暑すぎるので、眠れなくなると思う。

 同じブランケットの中で密着するアスリカの身体は妙に熱くて、この体温は僕に、流行り病みたいに伝染してくる。

 やりすぎだ。色仕掛けにしたって、なにもここまで。

 彼女を、乱暴に撥ね退けようかとすら思ったとき。アスリカは、僕の耳に直接、熱い吐息をかけてきた。

 

「ねーミゼル。もし、我慢できなくなったら……べつに、いいよ?」

 

 それはとても静かな声なのに、僕には、頭が狂うくらいの熱量だった。

 

「……ッ!」

「くす。……ふわ~あ、ねむっ」

 

 そうして、人の脳みそをぐつぐつと煮込むような真似をしておいて、彼女は、本当に眠そうにあくびをした。

 そのまま静かになる。

 

 ………。

 その後は……、数時間くらいは、それ以上の話は、何もなかった。彼女はあっさり眠ったのだ。

 自分だけぐっすりと。人が変わったのはたしかだけど、やっぱり、ひどい子なんだ。

 そうして悶々としているところに、さらに、女の子の小さな頭の重みが肩に乗ってきたりして。そこから浅い寝息がし始めたときは、動けなくて、つらかった。

 ……けれど、人の眠気は、人にうつるもので。

 うとうとと瞼が重くなる時間は、僕にも、ようやくやってきた。

 

「あの。アスリカ」

 

 回転の止まりかけた頭で、僕はつい、彼女に向かって話しかけた。

 かすれ声が出る。返事は、期待してはいなかった。

 

「なに?」

 

 暗闇の中、すぐそばから声がした。

 人間って、本当に眠いときは、暗い夜の怪異も、明日のことも、怖くはなくなってしまう。だからとは言わないが、僕は、まだ彼女に聞いていなかったことを、聞いてしまった。

 

「どうして君は、僕と一緒にいるの」

 

 当然の疑問。彼女が教えてくれないこと。それを、聞いた。

 いくらか無言の時間が続く。そして、返事が聴こえた。

 

「ミゼルのことが好きだから……って、言ったよ。これじゃだめなの?」

 

 まず間違いなく、嘘だ。

 彼女はこうして僕をからかうことを楽しんでいるし、本当の理由をはぐらかしている。

 

「……そんなはず、ないだろ」

 

 つい、口にしてしまった。眠りの世界に行く前には、思っていたことが、そのままこぼれていく。

 

「……おやすみ」

 

 最後に聞こえたアスリカの声は、どうしてか、とても優しいものに感じられた。

 

 

 ▼

 

 あるときの彼女は、また、違った雰囲気の人に見えた。

 あのとき――僕が魔物を相手に、手も足も出ず、完全に敗北する寸前に。アスリカは手を出してきて、死にかけているのを救ってくれた。

 おまけに、あたたかい治療の魔法までかけてくれた。汚れるのは嫌いだって言っていたのに、地面に膝をついて、埃と血まみれの僕に直接触れてまで……。

 こちらが、旅についてくる彼女を、邪険にしていたのにも関わらずだ。そんなことをしてくれるなんて、思ってもみなかった。それに、王都を拠点にしていたときは、意識を失う前に助けてくれたことなんて、なかったはずだ。

 今はふたりだけで、前衛が他にいないから? 打算的なこと?

 そういう気持ちで、僕は命の恩人に向かって、「どうして助けたんだ?」、なんてことを言った。

 アスリカは。

 よく見せた、あのイラついた表情でもなく。最近の、いたずらっぽい笑みでもなく。

 平静で、ちょっと冷たい感じの眼で僕を見て、言った。

 

「別に。キミが弱いから」

 

 単純な事実だけを伝えてきた、という印象だった。

 そして。弱い僕を助けることに、大層な理由は無いのだと、当然のことなのだと、今の彼女は考えている。そう感じた。

 ………。

 アスリカは、変わった。

 初めにそう感じたのは、このときだ。

 

「……。命を救ってくれて、ありがとう」

 

 僕も、人間として当たり前の感謝を、彼女に伝えた。この借りは忘れないようにしようと思った。

 そうしたら、アスリカは、

 

「礼はいいから、もっと強くなりなよ」

 

 と、そっぽを向いて言った。

 例えるなら……人間っぽい、表情だった。

 彼女は、何を考えているか分からないけれど。このときばかりは、アスリカも、別に何も考えていないのかもしれない、と思った。

 ……こういうことがあると、やっぱり。

 「わからないやつ」が、「気になる人」になってしまうのは、どうしようもない。

 

 

 ▼

 

「や、やった……!?」

 

 どうして、こんなことになっているのか、わからないけれど。

 アスリカに、魔力の使い方を教えてもらうようになってから……、こんな僕が、今まで倒せなかった魔物たちを、あっさりやっつけられるようになった。

 不思議で仕方がないという疑問と、それより大きな達成感、万能感。

 自分が斬り伏せた魔物が、光となって消えていくのを見て。僕は彼女に、成果を褒めてもらおうとする子どものように、興奮気味に話しかけた。

 

「やったんだ! すごいよ、アスリカのアドバイスのおかげだ」

 

 振り返って、駆け寄ろうとまでした。

 でも、アスリカは。

 あの猫のような吊り目で、僕をにらんでいた。

 ……いや、ちがう。紅い瞳は、僕の背後に向けられていた。

 

「バーンストーム」

 

 激しい火柱が立ち昇る。もう一体いて、隙をうかがっていたのか……。

 また、助けられた。彼女がやってくれなかったら、どうなっていたことか。想像して、今になってどっと汗が出る。

 アスリカにお礼を言おうと思った。でも彼女は、いつもよりどこか冷たい眼で、僕を見ている。

 

「最後まで気を抜かない。こんなだから雑魚だって言われるの。ね、ミゼル?」

「う……」

 

 雑魚。

 何度も彼女に言われた言葉だ。もう慣れた……と思っていたけれど。

 ……そうでもないみたいだ。どうしてか、今のアスリカにそれを言われると、心がざわついた。

 地面を向いて、唇をかむ。

 そうしたら、アスリカの靴が、狭い視界に入ってきて、

 

「ざ~こ。くすくす……」

 

 いたずらっぽい声を、耳に直接注いできた。

 ……わかりやすい煽りだ。でも、どうしてか今の彼女の声は、僕の内面の何かをぞっと撫で上げてきた。

 怒り……というか、反抗してやりたい、っていう気持ちが、アスリカに無理やり掻き立てられる。自分がこれくらいの言葉で乱される小さな人間だったなんて、知らなかった。

 何か、何か言い返したい。アスリカに謝らせたい。僕の弱さがどうしようもない事実でも。

 反論を、反論を――、

 

「……でも。昨日より、ずっと強くなったね。すごい、って、おもっちゃったな――」

「う、ぁ……」

 

 また。お得意のささやき声。

 でも、今度のそれは。いったん波立たされてできた心の隙間に、毒液のように染み込んできた。

 口から声が漏れる。頭蓋の中身が、アスリカの綺麗な指で、そっと撫でられているみたいだ……。

 甘ったるい声は、微弱な雷魔法みたいに熱を全身に広げて。僕の耳はもう、彼女のひそひそ声を聞くだけで……、なんか、おかしく、なる。

 気が狂う。毎日のようにこんなことをされていたら、僕は……。あれだけいじめてきた子で、今も本音を隠しているって、わかっているのに……。

 

「あ、ありが、とう」

「ん。じゃあ、いこうか、ミゼル」

 

 なんとか礼を返すと、アスリカは身を引いて、旅の続きに誘った。あたたかい体温と、わけのわからない良いにおいが、遠ざかっていく。

 ……もっと、ああしてほしい。

 みたいなことを思いながら、彼女の背中を目で追う自分に気付き、愕然とする。

 

 だめだ。何か企んでいるのは間違いないんだ。

 正気を見失うな。

 こんな、まともじゃない子を。……好きになっちゃ、だめだ。

 



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別バージョン②

 あの王都からはだいぶ離れ、ふたりきりのおかしな旅路も、それなりの距離と時間になった。

 この日は、ある村にたどりついた。僕がどうしても立ち寄りたかったところだ。

 ……ここには、知人の眠る墓がある。自分の人生を見つめ直すにあたって、どこを目指すにしても、ここに来て彼に近況報告でもしておきたいと思っていた。

 

 村人たちと交渉し、旅のための物資を分けてもらう。特に買い替えたいような道具もなく、主に食料を調達することになった。

 アスリカは、退屈そうな顔でそれを眺めていて、やがてふらふらと村を歩き始めた。そうすると、彼女の格好はいかにもな魔法使いの姿であり、加えて容姿がいいので、村人たちの興味を買っていたようだった。

 田舎と貧乏人は嫌いだ――と、以前に言っていたのを覚えている。だから、態度を悪くしてトラブルにならないか心配だった。それもあって、僕は彼女のことを、また目で追ってしまっていた。

 けれど、驚くことに。彼女は人を見下すときのあの嫌な顔つきではなく、柔和な表情をつくり、愛想よく彼らに接していた。それどころか、一般的な魔法使いよりよほど親切に、彼らの頼みを解決したりしていた。対価も要求しなかったらしい。

 そのあとには。ひとり、ふたり、大勢と彼女の周りに集まってきた子どもたちを相手に、語り部の真似事なんかをやっていた。その内容は聞いていないけれど、子どもたちの表情がコロコロと変わっていく様子からして、決して退屈はさせなかったようだ。

 そんな子どもたちの反応を見て、アスリカは。少しきつい印象のあったあの目を、優しげに細めていた。

 ……あんな顔も、するんだ。

 受ける印象だけの話をするなら、すごく……。…………。良い人そうに見えた。優しい子ども好きの女の子みたいに。

 そういう人って、僕、好きだ。

 …………。

 ああ、だめだだめだ。あの高慢なアスリカが、あんなふうに。これはおかしなことだ。直視しすぎたら、たぶん、魂に悪い。

 もうじき夕暮れ。宿も確保できたことだし、明日の早朝にでも墓前に行くとして、今日は早く休もう。

 

 夜。

 やわらかいベッドで眠っていたはずが、物音で目が覚めた。

 人の気配もする。

 魔法による防備のない宿では、夜討ちの盗人が侵入してくることもある、と教えられた。その対応の仕方も。こうして目を覚ますことができたのもそのおかげだ。すぐに身体を動かして――、

 

「起きてる……?」

 

 背後からの、その声を耳にして、動くのをやめた。

 むしろ、身じろぎのひとつもできなくなった。

 ……アスリカだ。どうして。せっかく部屋を別にしたのに。

 起きているかを聞かれたのだから、正直に答えるべきかとは思った。でも、彼女が、わざわざこの深夜に、部屋の鍵をどうにかしてまでここにきた、という事実が頭を茹でて。彼女の声の雰囲気が、すごく魅惑的なものに感じてしまって、あちらを向けなかった。

 眠ったふりでやり過ごそう、と思っていたわけではないが、結果としてそうなった。僕はただ、横向きの姿勢で、彼女の気配に背を向けて、目を閉じる。

 ……すると、やがて、

 至近距離から、衣擦れの音と、他人の温度がやってきた。アスリカが、同じブランケットの中に侵入してきたんだ。

 これはまずい。この前にも、同じような出来事はあったけれど。ひとつのベッドで一緒に横になっているという点が違う。それだけで、心臓が口から飛び出そうになった。

 いったいどういうつもりなんだ。……アスリカがどんなに強い魔法使いでも。いま僕が、突然振り返ったら……、彼女を組み伏せることは、きっと、できてしまう。それがわからないのか?

 やりすぎだ。王都を出たときからときどき仕掛けてくる、僕を誘惑するようなふるまい。これもそれだろう。でも、何か裏があるにしても……たとえば、僕を魅了して、奴隷にでも仕立て上げたい、みたいなことを考えているとしても。ここまでしなくていいのに。

 そんなこちらの思いも、彼女は掌の上のことなのだろうか。

 アスリカは、消え入りそうな小さな声を、僕の後頭部に浴びせてきた。

 

「最近、あたしたち、うまくいってるよね。……ミゼルと冒険するの、楽しいんだ」

 

 ……そんなこと、ありえるのだろうか。

 僕の方は、正直に言うと。今のアスリカとの旅は、少し前の状態の何倍も心地がいい。完全に、彼女にほだされている。

 何かたくらんでいるのだとしたら、できるだけ早く実行してほしい。

 ゆっくりと持ち上げて、叩き落とすようなことは……、どうか、しないでほしい。

 

「ね。ミゼル。あたしのこと……、まだ、嫌い……?」

 

 嫌なことを聞く。本当に。

 たしか最初の頃、彼女に嫌いだという言葉をぶつけた。あのときは、パーティーから追い出すことだけで終わらないのなら、どんな仕打ちを受けることになるのかと、怖かったからだ。

 でも、今は。

 彼女は、これまでとは別人のように……親身に接してくれる。普通に優しいときと、変にからかってくるとき。

 それを毎日。ふたりだけの道のりの中で。

 ………。

 返答などせず、ただ黙っていると、背中に何かが触れた。

 ……彼女の手だ。やけどしそうなくらいに熱い、って思った。

 

「パーティーから追い出したりして、ごめんね。他のやつの前だと、素直になれなくてさ……。本当はずっと、こうしたかった」

 

 陳腐なことを言う。絶対に嘘だ。まるで以前から僕に関心があったような言葉だけど、アスリカはたしかに、僕を嫌っていた。それは長い間、骨身にしみてわかったことのはずだ。だから、これは絶対に嘘。

 ……でも、今は……?

 アスリカの方こそ、僕をまだ、嫌っているのだろうか。

 ああ。こんなことを思う時点で、僕はきっと彼女の思うがままなんだ。

 

「あなたが良かったら、まだ、一緒にいてね。その……すき、だから……」

 

 すごく、熱っぽい声だった。

 “もしかして、本当に?”

 そう思わせてくる。僕の心はもう、彼女に操られている。それはわかっているけれど、認めて、受け入れてしまったら、大変なことになる気がする。

 

 押し黙ったまま、アスリカがいなくなってくれるのを待つ。

 目を閉じているのに意識がはっきりしているせいで、視覚以外の感覚が強くなってしまう。熱い体温、耳に染み込む息遣い、くらくらする甘い匂い。

 

「……!」

 

 これらに耐えきれば帰ってくれるものだと、勝手に勘違いしていた。

 アスリカは、僕に、長い手足をやさしく絡めてきて、背中に身体を押し当ててきた。それがわかった途端、僕は背中に全神経を集中してしまった。

 柔らかいものがあたっている。それに信じられないくらい、身体があつい。火の魔法使いだから?

 いま、いま振り返ったら、アスリカは、本当に僕を受け入れてくれる……?

 ……ダメだっ!! そんなはずない。残っている理性で、彼女に何のメリットがあるのか考えろ。たくらみを見抜くんだ。そうだ、僕は冷静にならないと、賢くならないと。

 アスリカの、心臓の鼓動が伝わってきた。

 嘘だ嘘だ。心拍数だってコントロールできるんだ、彼女は、たぶん。

 振り返ってどうにかしてしまいたい気持ちと、それを押さえつける苛立ちで叫び出したい気持ち。それを抱えたまま、時間が過ぎるのを待つ。

 目を全開にして、暗闇の中で部屋の壁を見つめ、木目を頭の中でなぞった。その間ずっと、彼女の体温、やわらかさ、におい、吐息の熱と音が襲ってきて、狂いそうだった。

 この夜は僕にとって、人生で一番の拷問だった。

 

 

 一睡もできなかった……わけではない。ちょっとは眠ったはずだ。

 幸い、いつの間にか眠っていたアスリカは、夢の中で僕を手放してくれたらしい。……正直な気持ちとしては、アスリカのやわらかい胸が離れていったときは、かなり虚しさを感じた。けれど、それでやっと眠れたんだ。

 でも、もちろん、あまり深く眠れなかった。

 静かに身体を起こすと、気だるい重さがかかり、睡眠の不足を頭が訴えてきた。

 となりを見る。……やはりあれは、僕の妄想が極まった淫夢のたぐいではなかったようで、そこには本当にアスリカがいた。

 薄い夜着で、まずまっさきに胸のふくらみに目が行った。それと白くてきれいで、なまめかしい手脚。ほんの数時間前に、僕は彼女に……。

 ヤバい! 直視し続けるとたぶん、僕は彼女の身体に自分から触れようとして、ここまで耐えた意味が無くなる。

 ベッドから退散し、ブランケットでアスリカの身体を隠す。そうするとなんだか健全な絵面になって、あれだけ熱く狂おしく聴こえた彼女の寝息も、すうすうとかわいらしいものに思えた。

 ……耐えた。耐え抜いたぞ。

 我ながら根性がある。人間としての自信がついた気さえした。

 

 体感では、日の昇ってくる直前の時間帯だと思う。荷物から古い安物の時計を出して、時間を確認した。

 ……まだ夜中だったら部屋の隅で二度寝しよう、と考えていたけど、良い時間だ。

 予定していた通り、お墓参りに行こう。……あたまも冷やしたいし。

 僕は静かに身体を伸ばし、外へ出る準備を始めた。

 アスリカを起こさないよう、細心の注意を払いながら。

 

 

 まだ未明の時間帯。

 やってきた村の共同墓地は、この暗さではゴーストのたぐいでも出そうで怖い。ほとんどの地域では火葬が当たり前だから、ああいうのはあまり出ないはずだとは、わかっているんだけど。

 眠り足りない頭も、早朝の冷えで覚めてきた。墓地を歩き回り、知っている名前の刻まれた墓石を探す。

 ……あった。

 ここに眠っているのは、幼い頃に数年ほど、一緒に旅をした老人だ。冒険者経験のある旅人で、両親を殺した魔物から僕を助けてくれた。本人は否定するかもしれないが、育ての親だ。病死する前の遺言で、葬ったあとの骨や灰は、彼の故郷であるここに僕が持ってきた。

 では。

 ランプを置いて、まずは墓石の掃除など。それを終えたら、荷物を広げ、墓前に彼が好きだった酒や保存食のたぐいを、食事時のように並べる。

 祈りを捧げ、しばらくしたら、供え物をこちらがいただいていく。とっておきの干し肉をもそもそと食べながら、僕は老人の墓に声をかけた。

 

「ベルナールさん。……女の子って、なんであんなにいい匂いがするんだろうか」

 

 知るか、と言われた気がした。

 すいません。

 でも、最近の悩みとか、報告するべき近況となると、もっぱら彼女の存在なしには語れない。

 アスリカ。正直もう、四六時中あの子のことが気になる。なにか企んでいるのだとしたら、まんまとしてやられているんだろう。とくにさっきは大変だった。

 こうして本人と離れて頭を冷やそうとしても、結局こうなっているくらいに。あの子の存在は今、自分の頭の大半を占めている。

 

「僕、王都では全然だめだったよ。でも、アスリカがついてきてから、なんか変わってきてさ。……もう一回、“冒険者”を目指してみようかな」

 

 そう、彼女に戦い方の助言を貰ってから、どうしてかすべてがうまくいっている。

 色んな人に、魔物退治や迷宮掘りで食べていける見込みはない、と言われたはずの自分なのに……、

 この短い旅のうちに、剣が、魔物たちに届くようになった。今まで自分の身体にあると知らなかった、魔力の存在を感じ取り、使うことができた。

 アスリカのおかげで。ほかでもない、今までずっと僕を蔑んでいた彼女の……。

 それで、ずっと忘れていた、本当の冒険者への憧れが自分の内に戻ってきたんだ。

 

 故人に色んな話をして、墓前での豪勢な朝食を終える頃、村にはようやく朝日がやって来た。村人たちの生活の音、声も聞こえてくる。

 そろそろ宿に戻った方がいいかな。アスリカに何も言わないで出てきてしまったし。

 

「じゃあ、ベルナールさん。……ん……?」

 

 立ち上がって、別れの挨拶でも口にしようかというとき。

 何か違和感を覚えた。……村からする人の声が、騒々しい。どうも普通じゃない。

 剣だけを手にして、騒ぎの元を確かめに行くことにした。

 

 村人たちが、あわてて村の外を目指して走っている。何かから逃げているかのように。

 いや、覚えのある光景だ。そうさ、彼らは逃げている。

 魔物だ。

 僕の生まれた村が滅びたときのように……結界をどうにかできるような魔物が、村に侵入してきたんだ。

 人々の波に逆らいながら、剣を握る。

 自分の境遇からくる義憤で身体が震え、それ以上の恐怖で、足がすくんだ。進みが芋虫みたいな速度になる。

 何してる。剣がこの手にあるのなら、この村を守らないと。だってここは、僕の家族が眠る場所だ。いま挑まないと、言葉通りの意味で、僕は二度とベルナールさんに祈りを捧げられない。

 怖くても、行かなきゃ。もう子どものときとは違う。

 ……一歩分。走り始めの一歩分を踏み出す勇気を、なんとか自分の内側から捻りだす。それでやっと、僕の足は、人並みに動くようになった。

 

 ほどなくして、人がいなくなった広場に辿り着く。

 そこには、大きく頑丈そうな、ゴーレムパターンの魔物がいた。剣じゃ相性が悪いけど、なんとかして追い出さないと。

 あ、こんなことを考えている場合じゃない。あそこにもうひとりいる。

 ゴーレムの足元。人がいる。立てないようだ。今にも殺されてしまう。僕が、あそこから救出しないと――、

 

「え?」

 

 やっと、僕は、それが誰なのか気付いた。

 ……アスリカ。

 アスリカが、ぼろぼろになって、地面に倒れていて――、泣いている。

 それを見た瞬間。自分の内側で、何かが爆ぜた。

 

 ▼

 

 刃が砕けてしまう手応えで、僕は我に返った。

 地面には、さっきまで自分が振るっていた刃の破片と、ばらばらになったゴーレムの残骸が散乱している。

 どうも、本当に、これを自分がやったようだ。

 刃を入れたとき、硬いなとは思ったけど、それでも気にせず振り抜いたら、斬れてしまった。あとは作業みたいなもので、こうなるのに時間はかからなかった。

 ……今の力は、いったい。

 この状況を成した右手を、じっと眺めた。見たって何がわかるはずもない。

 でも、感じることがあった。自分の肉体に、途方もないエネルギーを閉じ込めているような。これまで垂れ流していたものに、栓ができたような。そんな感覚を覚えた。

 これは、僕の魔力なのか……?

 

「……しゅじんこう」

「!! あ、アスリカっ! 大丈夫か!?」

 

 何をしているんだ僕は。こんな力はどうでもいい。左手にあった剣の残りを投げ捨て、少女に駆け寄る。

 杖を支えにして立ち上がろうとしていた彼女は、しかしそれができずにいた。また倒れそうになってしまう。

 僕は、そんなアスリカの身体を受け止めた。

 ……ボロボロだ。どうして、僕なんかでも倒せたやつ相手に、アスリカがこんなに怪我することになるんだ。

 顔にはひどく泣いたあとがあるし、どこもかしこも痛ましい。いつもきれいで、強いアスリカが、こんな……。こんなこと、あっちゃいけない。

 早く、村の癒し手に診てもらわないと。骨が折れているかもしれないし、あるいはもっと、ひどい状態かもしれない。

 

「アスリカ、いま誰か連れてくるよ。ここで動かないでいる方がいい」

「……ああ、だいじょぶ。たぶん。ちょっと、この……まま。このままにして。い、いま、自分で治してる……」

 

 そうは言うけど、姿勢が悪い。僕はアスリカの顔色を見ながら、ゆっくり、ゆっくり、彼女を地面に横たえた。

 アスリカは今、光の魔法で傷を治療しているみたいだ。でもひどい状態だと思うし、やはり医者や癒し手の目は必要だろう。

 ……けれど、新手の魔物がまた襲ってくる可能性も捨てきれないか。アスリカが動けるようになるまで、見守るしかないのか……。

 

「……アスリカ」

 

 そばに座って、横たわる彼女の顔を見る。

 どうして、彼女がこんな目に遭っているのか、と考えた。

 答えとしては、魔物が何かアスリカにだけ相性のいい特性を持っていたとか、彼女が不意を突かれてしまったとか、いろいろあると思うけれど。

 でも、こうなる前に退却したり、最初から無視したり、出来たと思うんだ。

 じゃあ、彼女がこうなった、根本的な理由は。

 

「君は、この村を守ろうとしたのか?」

 

 こんなにボロボロになってまで。人の住むこの場所を、魔物から守ろうとした。

 

「……うん? ああ、そうなるかな……」

 

 そっけない言い方。本人は、そんなつもりはないと思っているのだろうか。けれど彼女のした行動は、僕の思い描く“本物の冒険者”のものだ。

 アスリカの心の内なんてわからないけれど。僕は今……、彼女に、敬意を抱いた。

 

「アスリカ。村を守ろうとしてくれて、ありがとう。ここ、僕の……家族の故郷なんだ」

「ん? そうなの……? ここの出身、だっけ?」

「ううん。育て親になってくれた人が、ここの出身」

「……ふーん」

 

 しばらくして、アスリカは、自ら上体を起こした。

 そして、そのまま立ち上がる。今度は、倒れそうになることはなかった。

 

「だ、大丈夫……!?」

「ああ、うん。悪いけど、今日は一日大人しくしたいな。宿屋に戻る……」

「あ、アスリカ! あの」

 

 踵を返そうとした彼女を呼び止める。

 

「何? あ、そうだ。もう寝てる間にいなくならないでよ?」

「う、うん。それより、君に何かお礼をしたいんだ。何でも言ってよ」

「……へーっ」

 

 少し顔色が戻ってきていたアスリカは、やがて、いつもの調子の、どこか妖しい笑顔をつくった。

 あ。僕をからかうときの顔。こんなときにまで?

 目を細めて、紅い瞳でこちらを見て、あの甘くて熱っぽい声を、口から出した。

 

「じゃあさ。……キスして……って、言ったら?」

「………はっ?」

 

 キス?

 って、あの? あのやつ?

 

「な、な……え!? いやっ、それは」

「何でも言ってって、いった」

 

 アスリカが、ゆっくりと近寄ってくる。そのまますぐに、僕をどうとでもできる距離に、あっさりと入ってきた。

 じっと見上げてくる顔には、まだ戦いの跡がある。でも、それでも、彼女はすごくきれいでかわいくて、紅い瞳は潤んでいるように見えた。

 アスリカの顔が近づいてくる。吐息が僕の顔にかかる。嘘だろ? そんなことまでするはず……

 思わず、目をぐっと閉じた。彼女の髪の匂いが、鼻をくすぐって……

 

「うそだよ。ばーか……」

 

 首の傍でそうささやかれて、背筋がじんじんに痺れた。

 うあ……、まずい。これが癖になっている自分がいる。

 こんなときまで、アスリカは。なんなんだよもう。

 目を開くと、アスリカは一歩後ろに下がっていた。あの艶っぽい笑顔で僕を見て、自身の唇を人差し指で示す。

 

「ミゼルがもっともっと強くなったら、させてあげるよ」

「……っ!」

 

 な、何を言うんだ。

 もういい。はやく宿屋に行ってほしい。変なお願い以外だったらなんでも命じてくれればいいんだ。安静にしてくれ。

 

「あ、言うの忘れてた」

 

 これで話は終わりかと思ったら、彼女は、もうひとつ何かを思い出して。

 からかいはもうないだろうと油断していた隙を、突くようにして。彼女は……正面から、僕に、抱き着いてきた。腕が背中に回ってる。顔を胸にうずめてきて、表情がわからない。

 状況を認識して、心臓が跳ねた。

 アスリカは……、

 

「ありがとう、助けてくれて」

 

 すごく弱い、涙が混じったような声で、彼女はぽつりと言った。

 そして、すぐに僕から離れる。

 アスリカは、その一瞬……、上目遣いの、はにかんだような笑顔をしていた。

 そのまま振り返って、向こうへと行ってしまう。

 僕は、動けなくて、彼女の小さな背中を目で追いかけた。

 ………。

 僕を惑わそうとするときにする顔と、今みたいな顔。

 同じ人間のする顔に見えない。どっちが本当の彼女なんだ?

 わからない、わからない。その顔も僕をどうにかするために作っているんだとしたら、とんでもない。

 

 ふたりきりになってから見せるようになった、彼女の色んな顔が頭に思い浮かぶ。

 僕を助けてくれること。子どもたちに向ける優しい表情。たまに見せるいつもと違う顔……。

 この村を守るために、あんなに傷ついた姿。

 ……ああ、もうダメだ。

 好きになっていい理由を、うまく、見つけてしまった。

 

 ▼

 

 ベッドで上半身を起こし、本を読んでいるアスリカ。さっき切ってあげた、とっておきの果物を食べ終わったのを見計らって、僕は彼女に話しかけた。

 

「アスリカ」

「ん?」

「僕……、君のこと、好きだ」

「……はあ?」

 

 いきなり言ったものだから、何事かと思ったようだった。

 僕はもう、アスリカのことが好きだ。しかしそれは、尊敬とか親愛とか、そういう綺麗に言いつくろえるものではなくて。……異性として。アスリカを自分のものにして、どうにかしてしまいたい……。そんな、欲望に基づく気持ちだと思う。

 それは彼女によって植え付けられ、育てられたものだ。あれだけこちらを誘惑してきたんだ、こうなるのは予定通りじゃないのだろうか。

 ……彼女が何かを企んでいるのだとしたら。

 いま、それがわかるかもしれない。

 さあ。ここから叩き落とすなり、この想いを利用するなり、好きにしてくれ。

 

「……あははは!! このタイミングかよ? なんだそれ、あー、おかし」

 

 彼女は、大笑いした。一緒に旅をするようになってからは、一番愉快そうな笑い。

 やはり、滑稽なんだろうな。思惑通りに、僕は君に恋愛感情を持ったんだから。

 いいよそれで。僕は、君の本当の心を、ほんの少しでも覗きたいんだ。なんなら、好きなだけ笑ってほしい。

 こんな、魂が狂うような悪戯をたくさんされた末に、卑屈な愛の告白をすることが、僕の初恋だなんて。人生がめちゃくちゃになる。

 ……アスリカは。

 ひとしきり笑った後。僕を呼び寄せて、手を引いて、いつもみたいに、心の内側に触る距離に入ってきた。

 

「だったら、今日みたいに。……あたしを、守ってくれるよね……? 一緒にいてくれるよね? 追放なんてしたら、いやだよ?」

 

 傷ついて弱っているせいだろうか。このときのアスリカの目は、なんだか……どろどろとした、昏いものに見えた。

 この恋を受け入れてくれる返答のようでいて、何かが違う。僕に対して、やはり好意があるようには思えない。少なくとも、恋愛感情はないだろうと思った。

 そして。……何か、本音を言っている――とも、直感した。

 どういうことだろう。彼女は王都で1、2を争う腕前の魔法使いだったけど……もしかして、危険な戦いからは遠ざかりたかったのか?

 それで、僕を、自分を守る盾にしたいのか? 誰よりも弱いやつを? 

 ……いや……でも……。

 ………。

 少なくとも。

 彼女はまだしばらく、このおかしな二人旅を、続けたいようだ。

 



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別バージョン③

 徒党を組んでひしめく魔物たちから、一匹が飛び出してきた。無防備に立つ僕に噛みつこうと大口を開け、剣のような牙を光らせる。

 しかし。残念ながら彼は、横入りしてきた強烈な蹴りに吹き飛ばされ、元いた位置に強制送還をくらっていた。

 

「アスリカ、頼む!」

 

 僕を守ったのはミゼルだった。僕が強力な魔法を発動させるまでの間、彼は実に器用に立ち回り、何体もいた魔物たちを追い詰め、一か所に集合させていた。

 これは簡単にできることじゃない。ミゼルは着実に、能力値だけでなく、戦士としての力量をも伸ばしている。今が彼の成長期なんだろう。

 さて。これで討伐依頼にあった魔物たちは一巻の終わり。報酬をどんなことに使うかに思いをはせながら、僕は掲げていた杖を振り下ろし、完成していた魔法を彼らに投げる。

 

「ええと……“メテオレッドサン”」

 

 巨大に膨れ上がった炎の塊は、前衛を張っていたミゼルの頭上を通り過ぎ、魔物たちの中心へ、隕石のように墜落する。それで、怪物たちは哀れにも、圧壊し、炎上し、ことごとくが絶命した。

 

「ふう」

「……さすがだ。おつかれさま、アスリカ」

「ミゼルも」

 

 戦いを終え、僕たちはさわやかな声をかけあった。

 まるで、本当の仲間みたいに。

 

 ▼

 

 冒険者の管理組合へ立ち寄った帰り、この街のメインストリートを通る。そこは、気が滅入ることに、大勢の人々の往来でごった返していた。

 まあ、電車をよく利用する人や、大都市で暮らす人なんかには、大した人混みではないのだろうが。地方の学生だった僕からしてみれば、やや疲れる光景だった。

 ミゼルにとってもそれは同じ事らしく、ふたりして、肩を小さくして歩く。

 あ、そうだ。

 

「ミゼル? はぐれたら困るし……手、つないであげようか」

「えっ。いいよ、子供じゃないんだし」

「よっと」

 

 腕にしがみつき、胸を当ててやる。

 もう飽きてきたかもしれないパターンの悪戯だが、いつまでも良い反応をしてくれるものだから、ついやってしまう。

 

「うわ! ……あ、アスリカ! 人が見てるのに、恥ずかしくないの」

「なんで? 恋人同士でしょ、あたしたち」

「……初耳だよ、そんなの」

「そうだっけ? おかしいな」

 

 今は恥ずかしさは感じないな。すれ違う男どもがミゼルを嫉妬まみれの目で見てくるのは、ただ楽しいとしか思わない。自分がどれだけ上玉の女なのかも確認できて、いい気分だ。

 人の波の中を、ふたり密着して歩く。仕方ない、混んでるんだから。

 

 

 このバルイーマという大都市はいま、4年に一度開催する、“闘技祭”とやらの時期の真っただ中である。

 なんでも、もともとここは、魔物が強いこの地域を腕っぷしで開拓した荒くれたちの街で、“強さ”を競うならわしが昔からあったらしい。それが発展したものが、今日のバルイーマでは闘技祭と呼ばれる、人間の闘争をたたえるこの祭典だ。

 そして、そのメインイベントとなる“武闘大会”が、近々あるとのこと。ここでは今も、“強い”ことは大きなステータスなのだ。

 この武闘大会の存在はとくに有名なものらしく、他国からも参加者や観戦者がやってくるほどなのだという。

 ……とまあ、以上がバルイーマの“設定”である。バトルものにありがちな、対人戦トーナメント編のためにあるような街だ。

 

 数か月前、僕たちが初めてこの街を訪れ、拠点として活動し始めたころは、ここまで人流は多くなかった。

 お祭りが始まり、武闘大会の開催が近づいた今では、この通り。

 ちょっと、ここまで人が集まると、依頼の取り合いになって仕事がしにくい。

 

 やっぱり冒険者稼業は不安定だ。けれど、平和な日本でぬくぬくと暮らしていて、就職もまだで、お勉強もそこそこにファンタジー漫画やライトノベルなんかを読んでいた僕みたいなやつには、異世界での生き方なんて他にわからない。当たり前の話だが、僕みたいな努力もしないバカは、異世界に来たって苦労する。

 将来が不安だ。いつまでも魔物退治なんかで食ってはいけないだろうし。

 ……ミゼルが、養ってくれないかな。

 いい考えかもしれないな。この身体なら、そういうこともできるはずだ。

 

 そうとも、今の僕にはこの恵まれた身体があるんだ。

 アスリカの努力をそっくり盗んだおかげで、彼女が鍛えた魔法をぶっぱなせば飯とベッドにありつける。

 そして何より顔がいい。

 アスリカは自分のことを、賢くて才気のある魔法使いだから成功している、みたいに思っていたようだが、この子は賢くはないね。顔が良いだけだ。

 まあこんなに顔が可愛かったら、ちやほやされて脳みそ空っぽにもなるだろうけどな。脳に行くべき栄養が全部容姿に行ってるよ、アスリカは。

 もちろん褒めている。それはとても素晴らしいことだ。

 

「あの、そろそろ離してくれませんか……?」

 

 腕にくっついたまま、少しだけ自分より背の高い少年を見上げる。

 ……どれ。試しに、いろいろと“お願い”してみようか。

 こいつは僕のことが好きだという。すなわち、僕の財布であると言っていいだろう。

 

「……あたし、おなかすいたな。ねえミゼル、南地区の商店街、通ってから帰ろ」

「あ、うん。わかった」

「冷たい飲み物が出る店があるんだってさ。おごってくれる?」

「えっ! いや、それは……あの辺、お高いお店ばっかりだし、二人分となると……」

「あんな魔法使っちゃったから、身体が熱いの。ほら。冷ましたいなぁ」

 

 身体をもっと押し付けつつ、服の襟をひっぱって換気する。ミゼルの角度からは、胸の下着くらいは見えたかもしれない。視線が一瞬そっちにいったのを感じて、僕は薄く笑った。

 実際、汗かいてるし、あの魔法を使ったのはこいつの指示だ。ねぎらってほしいものだね。

 

「わ、わかったから、離れて……」

「ありがと。好きよ、ミゼル」

 

 ぱっと腕を解放してやる。こんなうすっぺらい言葉でも、ミゼルはきっと喜んでくれることだろう。そうでなければおもしろくない。胸を押し当てるよりも口で言うほうが、意外にも気恥ずかしさは若干上だ。

 ミゼルは、耳をほんのり赤くして、歩くスピードを速くした。わかりやすくていい。

 僕は彼を人波からの盾にして、その後ろをついていく。

 

 ミゼルとの関係は、いい塩梅にうまくいっていると思う。だいたい最初に思い描いた通りだ。

 好きだとまで言われたのだから、ゴールはとうに過ぎている。いちいち色仕掛けみたいな真似をする必要も、もうないのだが。

 いつまで経っても女慣れしないこいつの反応には、意外と飽きない。

 ……僕としては。

 いまの毎日が、けっこう楽しい。

 

 ▼

 

「ごちそうさまでした、ミゼルくん」

「3日分の生活費が1時間で……」

「うん?」

「なんでもないです」

 

 先刻より一回り痩せた革袋の財布を大事そうに抱え、ミゼルはしょげていた。

 ここまできたら、僕に貢ぐことに喜びを感じる人間になってほしいのだが、そこに達するにはまだ遠いか。

 歩き姿にやや力がないミゼルを笑い、僕は気分よく商店街を練り歩く。このあたりは飲食街だ。異世界には漫画もアニメもゲームもないが、うまい食べ物はある。バルイーマみたいな広い商業都市だと、新たな味を求めてぶらりグルメ旅という遊び方もできる。

 あと、武器屋・道具屋巡りとかも楽しいけど、今日は気分じゃない。

 

「おっ、あれは……!?」

 

 ある露店の前で立ち止まる。今そこを出ていった先客が、歩きながら口にしていた物体には、見覚えがあった。

 ワッフルコーンの上に白いふわふわが乗っているあれは……ソフトクリームだ。

 マジか。本物かな。この世界で氷菓とか作れるものなのか? 異世界人もあれに行きつくものなのか……?

 うーん。たしかにさっき、おなかいっぱい食べたはずだが、あれ食べてみたいな。女の身体になったら味覚も変わって甘いものが好きになる……なんて話も、ウェブ小説で読んだことがあるし。ぜひ試したい。

 

「ミゼルー、あれ買って」

「ええええ」

 

 ミゼルが消えてしまいそうな顔で財布から金を捻出しているのを尻目に、店主の男からソフトクリーム? を受け取った。彼の言うには、よその国で流行っている菓子を試しに再現したものらしい。

 ミゼルは、何も買わなかった。満腹だからとのこと。

 

 僕は戦利品を手に少し歩き、周りを見渡して……。通りの途中にあったアパルトメントの入り口の、小さな階段に腰掛けた。ミゼルは、ひとりぶん距離をあけて隣に座った。詰めないと住人に迷惑だぞ。

 手にした白いそれをじっと見る。ごくりとのどを動かし、ついにそれを、舌ですくってみた。

 

「……んんん~……?」

 

 ぺろぺろと舐める。ぱくりとかぶりつく。しかし……、

 冷たいので、アイスクリームなのは間違いないが……あんまり甘くないなあ。がっかり。まだ発展途上か。

 残念だが無駄遣いだった。虚しさを感じながら、僕は虚無クリームを舐め崩していった。

 そして、隣人が、こちらを熱心に見ていることに気付く。

 

「……? 何?」

「あ、ごめん、なんでも」

 

 さっき、ミゼルの視線は、僕の口元を見ていた。たいていの場合、こいつの見ているものは僕につつぬけだ。

 食べたいのかね? ……いや、美少女がアイスクリーム食べる様子に、何か催したか? エロいやつだ。

 

「食べる? あげるよ、あんまりおいしくない」

「え? いいの。ありがとう」

「おごってもらっといてごめんね」

 

 手渡してみると、大きなリアクションもなく、ふつうに受け取った。本当に食べたいだけだったか……。

 おそるおそる口にしていくミゼル。

 

「冷たくて、おいしいけどな」

「そう」

 

 貧乏舌だな。得してる。

 ミゼルはペースよくソフトを減らしていく。お腹がいっぱいだと言うのは財布の状態を考えた嘘だったのか、おやつは別腹なのか……まあ、前者かな。

 

「ところでミゼル。間接キス……って言葉、知ってる?」

「?」

「知らないかあ」

 

 ……おー、貪るなあ。未知のグルメへの食欲が上回って、人の食べかけだという事実を忘れているのだろうか。あんなに可愛く美少女っぽく食べて見せたのになあ。

 なら教えてあげよう。人の食いさしなんぞ不衛生である、というのは横に置いといて、美少女のそれはまた別の意味で口をつけてはいけない。僕に遊ばれるからだ。

 

「説明しよう。間接キスとは、あたしが口をつけたやつにミゼルが口つけたんだから、それは実質キスではないだろうか? という考え方だよ。……意味分かる?」

「………!! んぐっ! んんっ!! ゴホッ」

 

 気管にでもひっかかったのか、ミゼルはむせた。それで、耳を赤くして表情を歪めている。そうでなくては。

 

「ね。早く食べないと、溶けちゃうよ」

 

 至近距離まで寄って、耳元で囁いた。いつものやつだ。

 ミゼルは悶絶して、口元を押さえて背中を丸めてしまった。

 親切な僕は、彼を落ち着かせてあげようと思った。段差を降り、ミゼルの目の前にしゃがんで、下から顔をじっと覗き込んであげた。

 

 ▼

 

 人んちの階段でずっと座っているのはあれなので、もう少し歩いた先にあった休憩広場で、僕たちは腰を落ち着けた。ちゃんと椅子と机が日陰にあるところだ。

 ちなみに、机上には、新たにミゼルに買わせたあれこれが並んでいる。

 なかなか宿に帰れないわ予定外の出費をするわで、彼はしなびたナスのような顔をしていた。

 

「なあにミゼル。せっかくのデートなのに、元気ないのね」

「……えっ。で、デート? これが話に聞くあの……?」

「ふふっ」

 

 なんだそれ。誰から聞いたどんな話なんだろう。

 まあデートなどと言ったが、僕も別に、今日は人の金で贅沢をしたい気分だっただけで、結果としてデートみたいなものだなと気付いたのは、今なのだけど。

 ともかく、そんなふうにしなびていないで、最高に可愛いアスリカと一緒に町をぶらぶらできた幸福を噛みしめてほしいね。

 望むなら、もっといい思い出にしてあげてもいいし。

 

「……今日はたのしかったな。ありがとう、ミゼル」

「う、うん。僕も、楽しかったよ」

「何かお礼ほしい? 添い寝でもしてあげようか」

「はっ? いや! それはもう勘弁して……」

「なんで? あたしのこと嫌いなの?」

「そういうわけじゃ……」

「よかった」

 

 対面のミゼルに、こっそり内緒話を持ちかけるみたいに、口元に片手を添えて小声を出す。

 

「あたしはミゼルのこと、すきだからね」

 

 これを言うと、演じると、頬が熱くなる。血がめぐって紅潮してるんだろう。

 それを受けたミゼルは、僕の紅らんだ顔を直視できないのか、視線をよそに逸らした。

 ……気分のいい日は、1日2回くらい言える。飽きられそうなものだが、ミゼルはまだ初心な反応を返してくれるので、演じる甲斐がある。こいつじゃなかったら、例えば女慣れしていてコミュニケーションの得意な男が相手だったら、毎日つまらないだろうなと思う。

 ミゼル。やっぱり、目をつけて良かったな。

 もっと、もっと骨抜きになれ。

 それに、爆発させてもみたい。自分からもっと直接的な誘いをかけてしまうのは簡単だが、絶対に向こうから襲わせたい。ミゼルは感心するほど頑丈な理性をしているが、そんな我慢もできなくさせたい。

 だんだんとエスカレートしている自覚はあるが……、ミゼルといる限り、楽しみは、まだまだありそうだ。

 

 

 どろどろの内面を隠して、今度はしばらく他愛もない話題を楽しむ。

 次の仕事はどうする、とか、いつまでこの街を拠点にするのか、とか。長くここでやっていくなら、良い借家があったら一緒に住む? なんて聞いたりもした。

 すると。

 

「……なあ。あそこにいるの、テトラゴ王国の“赤熱の魔女”じゃないか?」

「あんなやつまで出るのか。本当にレベルが高い大会なんだな……」

 

 ひそひそ話がへたくそな二人組が、じろじろとこちらを見て、何事か話しながら横を通り過ぎていった。

 ……アスリカが、この街の武闘大会に出場するものだと勘違いしていたようだ。この街に来てから、何回か同じような声と視線を受けたことがある。よその冒険者のことなんてよく知ってるもんだ。

 出るわけないだろ、面倒くさい。自分が楽に勝てそうな戦い以外はやりたくない。

 

「アスリカ、有名人だね」

「ん。そうみたいね」

 

 この愚か美少女の記憶をたどると、たしかにアスリカは同業者間では名の通った使い手だったらしく、大層な二つ名まであるようだ。

 僕からしてみれば、実力の2、3割くらいはミゼルのバフのおかげだし、追放するときとざまあ展開のときくらいしか出番のないキャラだし、買いかぶりすぎだと思うねえ。有名なのは実力じゃなくて、このかわいすぎる顔だろ。

 本人も絶頂期にはずいぶん良い気になっていたみたいだが、今夜は鏡に向かって罵倒でもしてやるかな。それで本人の口から、調子に乗ってごめんなさいと謝ってもらおう。

 

「大会、出ないの? アスリカは強いのに」

「……ふーん。強そうに見える? 出ないよ。出演料がもらえるわけでもないし」

「優勝者には賞金が出るんだってさ。1000万エン」

「へえ! すごい大金」

 

 それは……単純に欲しいな。まともな都市に家買えるくらいあるんじゃないか。

 うーん。でも、純魔法使いのアスリカの性能で、荒くれの剣闘士どもに勝てるかな。

 ……いや、待てよ?

 

「ねえ。ミゼルが出ればいいんじゃない?」

「え? あはは、何言ってるの」

 

 何笑ってんだ。主人公だろおまえ。

 

「よく考えたらキミが参加しない手はないよ。そろそろ試したいでしょ、自分がどれくらい強いか」

「僕が……?」

 

 日々レベルアップしている自覚はあるはずだ。なぜ未だにちょっと卑屈なのか。

 そうだよ、よその強者たちと実力を比較できるんだから、いい機会だ。あと、主人公なんだから、さくっと優勝賞金もとってきてくれ。

 

「うん、決まりね。参加してきなさい。いっぱい応援したげるから、どうせなら優勝してね」

「ゆ、優勝!? 無理だって!」

 

 そうは言うが、既にミゼルの魔力は覚醒しているし、異能のコントロールもある程度できている。経験値も十分のはず。

 大体、パーティー追放ものの主人公が最強じゃないことなんてあるか? 優勝以外あり得ない。

 僕としたことが、一獲千金のイベントをみすみす見逃がすところだったな。

 

「ほらほら、参加申し込みに行こう。もう締め切ってるかもしれないけど」

「あ、アスリカ、本気?」

 

 自信なさげだな。好きな女の前で情けない。

 でも、あんまりにも自信満々で油断してそうなやつよりはいいか。

 とにかく、発破をかけてあげよう。

 

「そうだな。優勝できたら、ご褒美をあげるよ」

「ご褒美?」

「うん」

 

 席を立ち、ミゼルの腕を引いて立たせる。そのまま、内緒話をそっと耳打ち。

 

「……なんでもひとつ、キミのいうこと聞いてあげる……」

 

 ミゼルは、何を想像したのか、いつも以上に顔を赤くしてくれた。この約束は守るので、ぜひ頑張ってほしい。

 そんなこともあり、我らが主人公は、マンガだと無駄に長引きがちなバトルトーナメントに出場する意思を固めてくれた。

 それでいい。

 僕のミゼルが今回、どこまで上がれるのか、楽しみだ。

 



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別バージョン④

 僕はいま、武闘大会の“決勝戦”をコロッセオの観客席から見ている。

 舞台にいるふたりの闘士のうち、ひとりは良く知る顔だ。

 ほんの数月前まで、冒険者パーティーから追い出されるような雑魚だったミゼルは、この闘技場で並み居る強者たちを次々なぎ倒し、ついにここまで来たのだった。

 なかなか見ごたえのある大会だった。ミゼルはやはり主人公体質のようで、試合を重ねるごとに強くなっていった。ありがちだが、経験値100倍みたいなスキルでもついているのかもしれない。今では明らかに、ほんの3日前よりも強い。

 やはり参加させて正解だった。もし優勝賞金をとれなくとも、今回は得難いものを手に入れることができたと言っていいだろう。

 もちろん、ここまで来たなら優勝してほしいのだが。

 

 しかし。

 

「……!」

 

 今、ミゼルは、観客の僕らの見守る前で、何回目かのダウンを喫した。

 相手の男――イミテスとかいう名前の、陰気な雰囲気の魔法使い。そいつがやたらと強い。

 同じ魔法使いだからわかるが、技量が桁外れだ。高威力の爆炎魔法を、発生地点を緻密に設定し、かつ、ろくな“タメの時間”もなく連発している。

 ミゼルはこの決勝戦に至るまで、根性のあるタフさで何度も立ち上がり、勝利と観客人気をつかんできたが……、今回は、相手が悪いようだ。

 近づくことすらできていない。周囲の人々も、歓声より心配する声をあげるようになってきた。

 

「!! あれは……」

 

 男は立ち上がろうとするミゼルに手をかざし、なにごとか呟いている。同時に、大きな魔力の流動、凄まじい加速を感じる。ここで決めるつもりだ。おそらく、ひとたまりもない。

 あのままでは。

 ………。

 

「……うお、あちっ!」

「あつっ! どなたか火でもつけましたか? 危ないので……」

「こ、この嬢ちゃんの周り、熱いぞ! 離れよう」

 

 どうしてか、周りの客たちが距離をあけていたので、僕はマナーを守ることをやめ、席から腰を上げた。

 膝をついたままのミゼルを見やる。

 あれを喰らえば大怪我だ、逃げてほしい、という気持ち。目の前にある賞金を惜しむ気持ち。賭けてる方の選手が負けそうな焦り、苛立ち。いろいろ思うことがあった。

 それと、もうひとつ。

 主人公が――僕にはなれない、主人公という生き物が。あんなぽっと出のやつに負けるな。

 こっちは最強系の作品を読みに来てるんだ。直前まで絶好調で来ておいて、決勝で負ける回なんか、見たくない。キミを見ているのはそういう読者層だ。

 

 ――ずいぶん距離のあるところにいるミゼルと。目が、合った気がした。

 

「ウオオオオオオーーッッ!!」

 

 コロッセオに響く大声で叫んだのは、少年だった。

 そして、特大の爆発。人間相手に使う魔法じゃない。それが思い切り決まってしまった。

 ミゼルが――僕の大事な所有物が、粉々になったかもしれないと思って、心臓を冷たいものが襲った。

 しかし。

 爆炎の中から、男に向かって何かが飛び出した。

 剣だ。投擲された剣。男はそれを躱したものの、今日の試合で初めて、姿勢が崩れた。

 そして。剣のすぐ後に、もっと大きな影が、炎を抜けてきた。

 全身にダメージを負っているように見えるミゼルは、しかしすさまじい速度で男に肉迫し、彼を、蹴り飛ばした。

 さらにそれを追撃。激しく振るわれる拳足に対し、男は魔法による障壁を出現させ、攻撃に耐えようとした。ミゼルは獣のような暴れぶりで、バリアに拳を叩きつけていく。もはや剣士でも何でもない。……どれほどの怪力なのか、目を凝らすと、ついにはそこにひびが生じたのが見えた。

 そして――、

 

『これは……イミテス選手、降伏のサインを示しました! 決着です! 勝者は――!』

 

 拡声の魔法によるナレーションが響く。

 ……なんとまあ。

 ミゼルは、本当に、優勝してしまった。

 

 ▼

 

「……買うか……家……」

「え?」

「ううん、なんでもないよ? ほら、回復回復」

 

 ベッドで横になっているミゼルの口に、見舞いに持ってきたフルーツの切り身を無理やり詰めた。

 大会は終わった。今はこの、闘技場内に設えられた医務室で、ミゼルが起き上がれるようになるのを待っているところだ。

 しかし、本当に優勝するとは。最強主人公なら当然だ……などと淡泊に接することは、今日はしない。正直、えらいと思う。今のところは、泥臭くて地味な戦いしかできない主人公だが、そのひたむきさ・不屈さは僕には光って見える。眩しいくらいだ。

 あと、賞金も眩しい。

 

「……ミゼル。優勝、おめでとう」

「う、うん。ありがとう。でも……」

 

 ミゼルは天井を見つめている。何かを思い返しているようだ。

 

「……多分、相手の男、まだ余力があった。どうして降参したんだろう」

「あいつが……?」

 

 他でもない対戦者の口から言及があり、思わず眉をひそめる。

 実は自分でも、あの男について思うことがあった。あの、ミゼルをボコボコにしてくれた魔法使い――。

 ……見覚えがある、気がする。いつか、どこかで。

 つまりそれは、アスリカの記憶に眠っている人物ということか……あるいは、“僕”が見た事のある人物、ということになる。

 後者はありえないだろう。同じ火の魔法使いだし、アスリカとどこかですれ違ったか? うーん。わからない。記憶を探ってみても、どうもヒットしない。

 ……気のせい、ってことにしたいな。人への既視感というのは稀にあるものだし。

 

「魔法使いだし、殴られるの嫌だったんじゃない」

「そうかな。あんまり手応えなかったけど」

「………。それよりさ!」

 

 ミゼルの枕元で椅子に腰かける僕は、つとめて明るい声を出した。

 しばらくは浮かれた気分のままいたい。他でもないチャンピオンがそんなふうじゃ、勿体ないというものだ。今を楽しもうぜ。

 僕は椅子を降り、ちょうど机で居眠りをするときみたいに、ベッドの上に両腕を組んで頭を乗せた。ミゼルに顔を近づけるためだ。

 笑顔を作ってやると、ここから逃げられないチャンプは、ただ顔を赤らめた。血行も良さそうで何より。

 そうして僕は、あのことを口にした。

 

「それよりさ。優勝したんだから……約束、いいよ」

「……約束って?」

 

 ミゼルは知らないふりで聞いてくる。

 またまた。この生き物は思考が読みやすくてかわいい。

 近くを忙しく動き回る大会スタッフたちに聞かれないよう、僕は、ひそやかな声を、ミゼルの耳を狙ってやさしく投げた。

 

「なんでもひとつ、キミの言うこと、聞いてあげる」

「……!!」

「ねえミゼル、言って?」

 

 あからさまに反応してくれるミゼルを見て、僕は口の端を吊り上げた。

 このご褒美のために、頑張ってくれたんだろ? 頑張りには報酬がなきゃ。僕はこの身体で、キミのお願いをなんでも叶えてあげよう。

 どんな欲望を聞かせてくれるのだろう。それを考えると、ミゼルに負けないくらい、熱い血が全身を巡る気がした。

 今のアスリカの身体は、僕が送ったこの血に支配されている。逆らうことはない。安心して、どんなことでも、口にしてくれていい。

 そう考えながら、じっとミゼルの碧眼を見つめた。

 少年は、ごくりと喉を動かし、ゆっくりと、口を開いた。

 

「ひ……人前じゃ、頼みにくいことだから……。明日の夜、僕の部屋に来てもらっていい? そのとき、言うよ」

「! それって……」

 

 ―――きた。

 夜、部屋。わかりやすい。こんなにも、誘導がうまくいくなんて。やっぱり、ハーレムの真ん中で鈍感な紳士を気取ってる主人公なんて、全部嘘なんだ。

 明日だ。明日からもう、ミゼルはきっと、アスリカ・フェリアーナから一生離れられなくなる。物語の主人公を、僕は自分のモノにしたんだ。

 それに、アスリカの人生も、もうめちゃくちゃだ。明日の夜を越えたら、もう後戻りできないかもしれない。そのとき身体を返してやったら、どんな顔をするだろうか。返す気なんて微塵もないけど。

 何かを成し遂げたような達成感を覚える。自分が求められていることで、承認欲求が満たされる。

 じんわりと、汗が出てきた。

 ああ、会話に間ができてしまった。返事、返事をしないと。

 

「うん、わかった……」

 

 それで、とびきり熱っぽい声が出てしまって。僕たちは、互いに目を逸らした。

 

 ▼

 

 それから一日。

 ミゼルは優秀な癒し手や医師たちの手で身体の治療を終え、いつも通りの日常に復帰した。

 いや、いつも通りじゃないな。どこに行ってもバルイーマの住民に声をかけられるようになっていたし、冒険者の仕事も指名の依頼が入っていた。今が、彼の絶頂期なのかもしれない。

 自分を見る周囲の目が、変わった。それはミゼルという少年にとって、どのような思いを抱く出来事だったのだろう。想像してみるとけっこう、感動的なものかもしれない。

 ……まあ、そんなことは、今はどうでもいい。

 

「………」

 

 お洒落さんであったらしいアスリカの、たくさん所持していた部屋着の中から、なんとなく()()()ものを選んできた。下に着けるやつもだ。

 僕は……、胸を手で押さえ付け、深呼吸をして。

 それから、ミゼルの部屋のドアを、ノックした。

 

 返事を受けて足を踏み入れると、ミゼルが部屋の真ん中に立っていた。

 僕は床に目を落としながら、しずかに、彼の前まで歩く。

 

「……アスリカ。その」

 

 声を受信した耳が、なんとなく熱くなったように感じた。顔を上げて、ミゼルを見る。

 

「あの。本当に、なんでもいいの?」

「う、うん。そういう話だったし」

「あとで怒ったり、とか」

「しないよ。軽蔑もしない、手のひら返しもしない、罵ったりしない。……今日だけ、あたしの全部、あなたが決めていいんだよ」

 

 ミゼルが息を呑む。僕も、いま、言いようのない興奮に襲われていた。自分の口から、こんなセリフがすらすら出てくるなんて。本当のアスリカがミゼルに言うはずのない、甘ったるい言葉。

 

「………。じゃ、じゃあ……」

 

 さあ、どんなことを申し付ける?

 抱擁? 添い寝? デートとか? もしかしてキス?

 ……いや。そんなもんじゃない、と思う。ミゼルの様子からは、何というか、獣欲のようなものを感じる。

 それが自分に向いている。そう思うと、脳みそが熱でとろけそうだ。

 

「んっ……」

 

 肩を、力強くつかまれた。その接触している部分がやけに熱く感じて、温度が甘いしびれに変わって、じんわりと広がっていく。

 ほんとうに、いまこの場で、もしかするのか?

 この僕(アスリカ)が……。

 こんな元弱虫くんに、今から組み伏せられて、求められて、遺伝子を……?

 いいのかな。いずれこうなることを企んでいたとはいえ、まだ、早すぎるんじゃないか? こいつを落としきって、愉しみは全部試して、最後に何もすることを思いつかなくなったら……っていうときに、やっとあり得るかどうかって話だろう?

 ……でも。なんでも聞くって、言ったしな。

 ……なら、しかたない。

 しかたない――。

 自分の口が、期待で笑みを浮かべていることに気付く。

 僕は、ミゼルの口が緩慢な速度で開いていくのを、熱のこもった目で見つめた。

 

「床に両膝と両手をついて、ごめんなさい、って頭を下げてもらっていい?」

「…………へっ?」

 

 えっ。

 ………。

 いま、なんて。

 それって。もしかして、土下座――

 

「……い、今?」

「今。そこの床で」

 

 冷たく言い捨てるミゼル。

 嘘だろ? こ、こいつ。

 いつの間にこんなド変態になったんだ……!?

 

「………」

 

 ゆっくりと、膝をつく。

 ……謝ってほしい、って、何を? これまでアスリカがいじめていたことをか? 僕が彼女のやったことを謝る筋合いなんて、まったくない。実に、実に受け入れがたいことだ。

 僕は自尊心なら人一倍だ。これまで弄んできたミゼルに、頭の裏をみせるなんて。できるはずもない。

 

「……はっ、はっ……」

 

 荒い息遣いは、自分の口から聞こえていた。

 近くなった床の木目模様から、視線を、上へとずらしていく。

 ……僕の、ずっと上から。ミゼルが、じっと見下ろしている。

 ミゼルが。僕を。アスリカを。

 

「…………ご……」

 

 床に、出来る限りきれいに見えるように、両手をついた。

 眼球を必死に上へ持っていって、相手の顔を見上げる。

 

「ごめんなさい……」

 

 そう言いながら頭を深く伏せると、全身が、おかしな痺れに襲われて、ふるえた。

 ……すごい。

 いま、すごく、いい。どうしてだろう?

 床を見つめながら一生懸命考えて、結果、僕は、もっとよくなれるやり方を思いついた。

 

「……す、すみませんでした。今までいじめたり、からかったりして……」

 

 吐き出した息は、床に跳ね返ってくるせいで、すごく熱くなっているのがわかった。

 

「……ミゼル、さま……。つ、追放しないで。なんでもしますから……」

「そこまで言えなんてお願いしてないけど」

「は、はい。ごめんなさい……」

 

 ……あのアスリカが、ミゼル相手に、平身低頭して情けなくへりくだっている。本人なら絶対にありえなかった行動を、やってしまっている。

 ぞくぞく、と、身体の下の方で生まれた気持ちいいものが、頭のてっぺんまで駆け上がってくる。心臓がガンガン血液を送ってくる。音が聴こえるくらい、ドクンドクンって。

 ミゼルを優位からもてあそぶ以外にも、こんなにドキドキする方法があったなんて。知らなかった。知ってしまった。

 

「……はい、ありがとうございました。ごめんアスリカ、もういつも通りでいいよ」

「………」

 

 ゆっくり、立ち上がった。少しふらふらする。

 ミゼルは、顔を赤らめているようだけど、表情は平然としている。見ようによっては、追放された主人公による復讐、いわゆるざまあ展開を成し遂げたのかもしれない。

 

「……変なことさせて、本当にごめん。もうこんなこと言い出さないから。明日から、普段通りに接したいんだけど……む、無理だよね」

 

 どうやら、これで終わりらしい。なんということだ。

 これ以上ここにいたら、僕の方からこいつに、何かをしてしまう。それはダメだ。

 この熱を冷ましたくて、ずんずんと歩き、部屋のドアに手をかけた。

 退室際に、ミゼルと目を合わせる。

 

「……この屈辱は忘れないよ、ミゼル。……い、いじめてやるから……」

 

 震える声でなんとか言い切り、自分の部屋へ逃げ帰った。

 すぐに布団に潜り込んだけれど。身体が火照りきっていて、すぐには、眠れなかった。

 



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別バージョン⑤

「さ、今日も仕事しますか。……あ、ミゼル、ちゃんと準備はできてるの? 雑用係なんだからちゃんとしてよね」

「はいはい」

「雑用係。ちゃんとしろー。えへへ……はぁ、はっ……」

 

 この頃、アスリカは妙に攻撃的な言葉をこちらにかけてくる。なんというか、ケンカを売っているような感じの。

 機嫌は、悪そうっていうか、むしろ良さそうな様子だ。体調が乱れている感じでもない。たまに息遣いが荒いが、そういうときこそ血色は良いのだ。

 こうなった原因は、やはり……。

 少し前に、彼女に、思いつく中でいちばんみじめな姿勢での謝罪を強要したせいだろう……。

 あれでこちらはずいぶんスッキリしてしまって、昔のアスリカのことは、自分の中で思い出にできたのだが。彼女はあの日から、行いを反省するどころか、逆に変に意地悪をしてくるようになった。やっぱり、攻めすぎだったようだ。

 僕も彼女のせいで、いろいろ……溜まっているものがあるのだけど、だからといって、あんなことさせていいわけじゃないよな……。武闘大会での勝利に浮かれて、それに酔いすぎていたんだ。加えてあの日のアスリカが、変になまめかしい雰囲気だったのもあって、本当におかしくなっていた……。

 自分の行動を後悔しても遅い。

 アスリカから僕へのからかいは、やや意地悪なものへと変化していっている。

 具体的には、

 

「今の魔物、意外と苦戦してたけど、苦手? ふーん、そう。チャンピオンでも雑魚に手こずることってあるんだ。ざーこ。あはは」

 

「くそ、暑ちー……。ん? ……いま、すごい目つきで見てたね。目ぇ合っちゃったね。あーあ、ショックだな。ミゼル、変態さんなんだ。ふふ」

 

「……何? ミゼルも魔法の教本読んでみる? ……あー、字が読めないんだ。あたまわるーい。読み聞かせしてあげるね」

 

 といったように、会話の中で雑な煽りを入れてくるようになった。

 子どもみたいなレベルの悪口で、嫌がらせのつもりなら可愛らしいもの、と思いたいところだけど。

 僕はアスリカのそれに、まんまと心をかき乱されている。いらいら、どきどき、いらいら。毎日そんな感じ。どうにかなりそうだ。

 自分の中で、徐々に何かが積み重なっていくのを感じる。やめてほしい、と言ってみるべきだろうか……。

 

 

 仕事の斡旋所である冒険者の管理組合に向かっている道中、そんなことを考えながら歩いていた。

 せめて彼女に揚げ足を取られないように気を張ろう、と思った矢先。

 結局のところ、自分は間が抜けているようで。曲がり角を行く際、あちら側から駆けてきた方と、正面からぶつかってしまった。

 

「す、すみません」

 

 相手は地面に尻もちをついている。フードを被っているが、女性のようだ。

 手を差し伸べると、下から顔をのぞき込んできた。そうして、僕の手を両手で握った。

 フードの下は、思っていたより若い、というか同年代の少女だ。焦っているような表情で、どこか尋常ではない様子。

 

「あ、あの! わたくし、追われているんです……。どうか助けてくださいませんか、冒険者様」

「え?」

 

 どこか気品のある雰囲気のその少女は、僕に助けを求めてきた。え、いきなり?

 どうしたものか反応出来ずにいると。

 

「まあっ! それは大変! ……そちらの屈強なパーティーの皆さん! お助けを! こちらのお嬢様がいま、何者かに追われているのです」

「あ? 俺たち?」

「えっ? あ、あの、わたくしは、この方にお願いを……」

 

 アスリカが割って入り、あっというまにこの話を、通りすがった同業者たちに押し付けてしまった。

 それで、なんか本当にやってきた追っ手っぽい何者か達と、冒険者たちがにらみ合いを始めるころには。僕はアスリカに手を引かれ、次の角を曲がるところだった。

 

「ふん。馬鹿馬鹿しい“てんぷれ”だ。……さ、いこ、ミゼル」

 

 一瞬、彼女は妙に冷たい視線を先ほどの場に向け。こちらを見るときには、平時の表情に戻っていた。

 

「いいの? さっきの人ほっておいて」

 

 移動を再開するアスリカの背中を追いつつ、単純に疑問なので、聞く。

 アスリカは振り返った。

 

「何? 助けたいわけ? 美少女だから?」

 

 目を細めて、キツめの語調。どうしてか、あまり機嫌が良くないらしい。

 美少女か。たしかにさっきの女の子、けっこう美人だったけど、そこは別に気に留めるほどの特徴ではない。

 

「いや……お金持ってそうだったから、謝礼に期待できるかもと思って」

 

 事情は知らないが、物腰や話し方、履いていた靴、首飾り……そういった部分から、儲け話の匂いはした。

 アスリカは、きょとん、としたあと。目つきを若干やわらかくして、口の端を上げた。

 

「あれ? なんだ、意外とたくましいね。男女のアレ的な下心かと思ったら。お近づきになりたいとか、思わなかった?」

「そんなわけないよ、今日会ったばかりの人に」

「へえ……」

 

 というか、僕の下心にはもう、アスリカのこと以外入れる余地がない。そう仕向けた本人が何を言うのか。

 そんな考えが伝わってしまったのかはわからないが、アスリカは突然、にこりと笑った。

 何を思ったかそのまま僕の腕をとって、ぴったりと身を寄せてくる。この距離感にはたぶん、一生慣れない……。

 アスリカは、僕に耳打ちをする。毎度のことながら、ぞくりと背骨に響く声だ。

 

「それがいいね。ミゼルのこと好きになる女の子なんて、ぜ〜んぜんいないから。夢見ないでね。身の程、知ってたほうがいいよ。ふふ」

 

 そんな鋭利な冷たい言葉を、しかし弾んだ声でささやいてきた。

 ……どう解釈したらいいんだろうか。どうも、僕をやんわりバカにするのが、今の彼女の流行りらしい。いろんなからかい方を試すのはやめてほしい。

 頭が今よりもっとバカになる……。

 

 通行人の目が気になるので、離れてもらう。

 歩みを再開してしばらくすると。すぐ目の前の狭い路地から、少し耳に残る種類の声がした。

 

「きゃっ! やめてよ!」

 

 トラブルらしい。歩みを若干遅くして、通りがかりに、ちら、と路地を覗く。

 なんとそこでは、同年代くらいの少女がひとり、屈強な男たちに囲まれていた。

 

「へっへっへ。こりゃ上玉だぜ……。あんたぁ、俺達のパーティーに入らねえか?」

「ブヒヒ……歓迎するぜ!!」

「でも新人歓迎会は強制じゃないから、無理して参加しなくてもいいぜ……!」

「ゲハハッ!! 福利厚生も充実さ。有給休暇も最初からつけるぜェ……労災もある……。あと業務を完遂できなかった期間にも、通勤費と食費、住居費等を保証。……ゲハハ!!!」

「やめてっ! 私は1秒足りとも働きたくないの!」

 

 まあ、他人が立ち入る話ではないようだ。

 ……ん?

 

「あれは? ……大変だ、助けないと!」

「助ける必要あるかぁ……?」

 

 いつの間にか隣に立っていたアスリカが、呆れ声で言う。

 いま、少女の方が、腰にさした剣に手をかけたのを見た。しつこい勧誘を暴力で解決する気のようだ。

 同業者の4人が痛い目に遭わないためにも、仲裁に入りたいが……。

 

「あ、そこの魔法使いさん! みて、若い女の子が路地裏で暴漢に襲われていますよ」

「なにーっ! 助けに行かねば!!」

「はい解決~」

 

 アスリカが通りがかりの男性を焚きつけ、路地に送り込んでしまった。余計こじれそうなんだけど?

 そのまま手をぐいと引っ張られる。弱い力だけど、有無を言わせぬ感じだったので、そのまま身を任せた。

 今日は妙に立ち止まらされる出来事が多い。運勢が悪いんだろうか。

 

 組合のバルイーマ支部に辿り着いた僕らは、併設されている酒場のテーブルで、今回受けることができた依頼について話し合う。

 近頃は、武闘大会で優勝したネームバリューがあるおかげで、危険だが実入りの多い仕事を回してもらえている。請け負った依頼ではアスリカと一緒にしっかり成果をあげ、組合からの評価も上々。稼げるうちに稼ぎたいところだ。

 やがて、話し合いが終わりに差し掛かる。

 そんなとき、僕たちに、声をかけてくる人たちがいた。

 

「こんにちは。剣士のミゼルさん」

「近くで見ると、なるほど、なかなか強そうだ」

「神聖な魔力を感じます。逸材かも……」

 

 僕らと同じ、冒険者パーティーだろう。ただ、全員こちらと同年代の女の子、というのは少し珍しいかもしれない。

 3人に挨拶を返すと、リーダーらしき剣士の少女が、一歩前に出てくる。……武闘大会の本戦で見かけた顔だ。別のブロックだったけど。つまり、実力者。

 少女は力強い眼をこちらに向け、語りかけてきた。

 

「ミゼルさん、私達と組みませんか? Sランク未踏迷宮の調査権が回ってきたのですが、いささか戦力不足で。強力な前衛を雇いたいんです」

「Sランク? それはすごい」

 

 感心する。Sっていうのは、Aランクより上の話だ。足を踏み入れる許可が出るのは、組合の所属者でも一握りの人材だけ。

 同じくらいの歳の女の子たちが、それほど有能だという事実に驚かされる。実際に3人がまとう雰囲気は、己の実力に自信がある人のものだ。バルイーマの冒険者は粒ぞろいだと聞いていたが、その通りらしい。僕が優勝できたのなんか、まぐれだな。

 彼女たちから誘われるなんて、小躍りするほどのおいしい儲け話、かもしれない。迷宮ではいろんな物資や宝物を入手でき、踏破難易度が高いほど報酬はすばらしいものとされる。前のパーティーで資金繰りをしていたから、それは知ってる。

 ……でも、まあ。

 

「魅力的な話ですが、今回は遠慮させてください」

 

 と、誘いは断った。

 それこそ、彼女たちが求めるに値する人材は、僕以外に、この斡旋所にも多くいるだろう。たぶん、大会優勝者の顔を見かけて、声をかけてきただけだ。

 その後も、あれこれ食い下がられたが、なるべく丁寧にお断りした。

 

「気が変わったら、どうぞお声がけしてくださいね」

 

 少女は人当たりの良い笑顔を僕に投げる。話は終わりだ。

 3人が酒場を出ていくのを見届け……、僕は、やや胸を撫で下ろした。

 

「………」

 

 アスリカが、火の魔法使いらしからぬ、氷のような冷たい目で彼女たちの背中を見送っていた。

 怖いなー。あの3人、言葉の上では「もちろんそちらの方も同行してほしい」とは言いつつ、まるでアスリカが眼中にないような態度だった。その時点で僕からも印象が悪いのだけど、アスリカ本人はカンカンに怒っていても不思議じゃない。

 

「ついてかなくてよかったの? 美味しい儲け話だと思うけど。あたしなら行くよ。…………ハーレムだし」

 

 しかしアスリカは、意外にも冷静な声色で、僕に聞いてきた。

 その理由なら、簡単な話だ。

 

「あの人たち、アスリカの実力を見抜けなかったんだ。そんなレベルのパーティーに僕なんかを加えても、痛い目を見るだけだよ」

「………」

 

 なんか驚いた顔をされたけど、間違ってるかな。

 あと、あのパーティーには、もっとベテランの冒険者を足した方がいいと思う。迷宮掘りを多く経験している人が必要だ。

 

「全員美少女なのに?」

「は? ……ああ、まあ、そうだっけ?」

 

 正直、容姿については、いまいち特徴も覚えてない。もう他の女の子に興味持てないし……。

 アスリカは数秒、僕の顔をうかがって。そのあと、小さくため息をついた。

 

「ふぅ。ミゼル、キミさあ……。見かけの良い女の子には、あまり関わらないようにした方がいいよ。そのうち、いいようにされて、人生おかしくなるよ」

「……は…………?」

 

 よく言えたもんだねそんなこと。

 本気で言ってそうな、わりと真面目な表情なのが逆に怖い。大抵の女性はアスリカよりまともだと思うよ……。

 

「よくよく見渡すとみんなミゼルに注目してるし、ここに入り浸るとチャンピオン勧誘がウザいかも。……ミゼルは、嬉しい?」

「嬉しいけど、他のパーティーに入る気ないし………」

「ふうん」

 

 そっけなく相槌を打ってから。

 アスリカは、今度は機嫌が良さそうに、優し気に微笑んだ。

 

「よそ行こう、よそ。東の2番通りでなんか食べよ。ブランチだ」

 

 ▼

 

 と、なんかアスリカの態度が優しくなって、今日は良い日かもしれないと思ったのも、つかの間。

 その後、思い出したかのように、彼女の悪質なイタズラが続いた。

 アスリカが見繕った食堂は、時間帯によるものか、あまり繁盛していないのか、客があまりいない。

 そして、人目が少ないところであるほど、彼女の行動はより挑発的なものになっていく。

 

「大会が終わってから、また過ごしやすくなってきたね」

「う、うん……」

 

 そうやってなんでもない話をしながら……。テーブルの下ではアスリカが、ブーツを脱いだ脚で、行儀悪く僕の脚を触ってくる。

 ひどいときは、両足をすりすりと絡めてきて、その感触を与えてくる。

 それでいて、テーブルの上では、平然とした表情で、こちらの目をじっと覗き込んでくる……。

 

「あっと。失礼」

 

 かしゃん、と何かが地面に落ちる音で、アスリカの脚が離れた。この隙に一息ついて、自分のいろいろを落ち着けようと努める。

 

「フォーク落とした。ごめん、とってくれない? 机の下」

 

 自分で取ればいいと思いつつ、どうにも逆らえないので、仕方なく、身を屈めて下を探る。

 あった。手を伸ばして、それを拾う。

 

「!」

 

 すぐ目の前で、アスリカが足を組みかえた。

 素早く目を逸らす。彼女は、今日は短いスカートをはいていて、これは、よろしくない……。

 僕は椅子に戻り、アスリカの目をなるべく見ないようにして、拾ったフォークを渡す。

 

「ありがとー」

 

 ぱっと無邪気に笑って、彼女はそれを受け取った。

 そして、聞いてきた。

 

「パンツ見えた?」

「みっ、見てない」

「なぁんだ。見られてもいいの穿いてるのにな。根性なし」

「っ……」

 

 理不尽な侮蔑だ。くそっ。なんだよそれ。

 良いように人を弄んでくるのはいつものことだが、そのあと罵ってくる……。これはあまり、続いてほしくないぞ。

 

 ▼

 

 新しい仕事を半ばほど終えることができて、その日は切り上げ、宿屋に戻った。

 あとは明日に向けて休養をとる。それも大事なことだ。

 しかし。

 

「なんで当たり前のように僕の部屋にいるの?」

 

 アスリカは人のベッドに乗り上げ、本のページを見下ろしている。子どもみたいに、たまに足をぱたぱたと振る。でも行動とは不一致なことに、すらりと長くてきれいな脚は、大人のそれだ。つまりは目の毒。

 あと、ここのところ暑い盛りだからか、薄着。

 

「こっちのほうが風通し良くてさ。ああ、あつい」

 

 アスリカは本を読むのをやめて、人のベッドに座り、襟をひっぱって本でぱたぱたと胸元を扇いでいる。

 何か言われると思って視線を逸らそうとしたけど、遅かった。

 

「……見たい? 一緒に水浴びでもする?」

 

 妖しい声色でそう言われると、あれこれ想像してしまって。僕は首を横に振って、それらをなんとかして追い出す。

 

「なーんて。ミゼルには見せてあげないよ。ていうか度胸ないもんね」

 

 彼女は立ち上がり、椅子に座る僕に、悠々と近寄ってきた。いつもみたいに、声がよく通る耳元にまでやってくる気だ。

 そして顔を赤らめたあの笑みは、最近の彼女のブームをやってくるときの表情。

 逃げ場の無い、自分を休ませるべきこの部屋でまで、ああやって煽られたら、僕は……。

 

「ほら、意気地なし、根性なし、度胸なし。……でもへんたい。このどすけべ。恥ずかしくないの? あ、なんか言い返すことある? ない? あははっ」

「ッッ……!」

 

 今日まで蓄積したものに、ついに大人しく座っていられなくなって。がた、と音を鳴らして、椅子から立った。

 アスリカが、びくっ、と身体を緊張させたのがわかった。

 それを見て、正直すぐ冷めたけど。でも、この勢いでなにか言ったほうがいいと思って、なんとか怒り顔をつくって、彼女に詰め寄る。

 そのまま、後じさりするアスリカを、壁際に追い詰めた。わざと乱暴に、彼女の背後の壁に、だん、と手をつく。

 アスリカの肩がぴくりと揺れた。

 ……あ、これ、やりすぎだよな。体格差にものを言わせて、女の子を威圧しようだなんて、ひどい。いつから僕はこんな人間になった?

 でも、アスリカの表情は……、

 

「……なに? 怒った? ……ご……ごめんなさいって、した方が、いい?」

 

 顔を紅潮させて、へらへらと口元を緩ませていた。何かを期待しているような目で、僕を見上げている。

 いつもの演技にしては、少し荒い息遣いがすごくリアルで、こっちも心拍数が上がる……。

 なんだよ、この反応。もしかして、こっちを怒らせようとしていたのか……?

 

「アスリカ」

「はっ、はい……」

 

 なんか、ここまでぜんぶ彼女の思うツボな気がする。

 そうだ。ここはぐっとこらえて……、

 

「君がそういう態度なら、僕にも考えがあるからね」

「っ……」

 

 ぎゅっと目を細めたアスリカを見て、僕は。

 彼女から離れた。

 

「それじゃ、そういうことで」

「……? え?」

 

 僕はつとめて平然とした顔を作り、自分の部屋を出た。

 アスリカが僕を手玉に取ろうとしているなら、たまには抗ってみる。深夜まで宿には帰らないつもりだ。

 それと……。

 明日から。

 ……この二人パーティーを、離れてみよう。

 



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別バージョン⑥(終)

 依頼にあった魔物を発見し、爆破の魔法で粉みじんにして、さっさと街に戻ってきた。

 活気ある街中を無言で通り抜け、いつもの斡旋所へ。事務受付に寄って、討伐が完了した証を見せつつ一言報告すると、それで仕事はひとつ終わり。

 酒場の隅に行き、報酬をテーブルにぶちまけて、指で数える。

 後は、やることがない。喋らなさ過ぎて喉が衰えていくのを感じながら、誰かを待っているかのように、ぼうっと過ごした。

 

 僕はいま、ミゼルに、一か月も放置をくらっている。顔も見てないし、声も聞いていない。

 ミゼルは、以前声をかけてきた女子パーティー共の誘いに乗り、彼女らについて迷宮の冒険に出た。

 そうすることを告げられたときは、さすがに、雷が落ちたかのような気分だったのだが。あいつの前で取り乱すことは自尊心が許さず、色んな言葉を飲み込んで送り出した。

 ……それをいま、わりと後悔している。なぜなら。

 いらいらする。ものすごく。

 想定していたよりずっと、毎日、毎分毎秒、つまらない。今の自分の日常からミゼルを抜いたら、こうなる。それを認めるのも悔しい話だった。

 というかむらむらする。鏡の中のアスリカを罵倒して、深々と謝らせてみても、なにか物足りない。……一人遊びじゃ、もう満足できない。

 ミゼルをからかったり、ミゼルに……何かを、させられたり。そういったことをおあずけにされているこの現状は、酒やらタバコやらギャンブルやらに依存している人が、それを禁止されるようなものだ。

 もし。ミゼルが僕に対して、もろもろへの反撃・復讐のつもりでこんな真似をしているのだとしたら。

 あまりにひどい報復だ。

 ミゼルが僕から離れられなくなるようにと思って、色々と仕掛けてきた。それが、こんなことになるなんて。

 現状はまったくの逆。依存させようと思っていたのに、それはいつからか反転してしまっていたらしい。

 

「ん、ん……っ」

 

 テーブルの下、足をもぞもぞと動かす。あいつのことを考えると、落ち着かない。汗が出てきた。

 ああ、ミゼル、ミゼル。

 僕はいま、キミに――、

 

 死ぬほど腹が立っている。

 次に顔を見たら、めちゃくちゃにしてやる。僕をないがしろにしようだなんて、大きく出たものだ。

 どうしてやろう。このまま向こうのパーティーに入るなんてことは許さない。もしかしたら“原作”のミゼルの仲間なのかもしれないけれど……それがなんだ?

 今さら僕から逃げられると思うのか。

 今までの100倍の嫌がらせをしてやる。元のアスリカの記憶なんていい思い出になるくらいの。

 それで、それで。また、向こうを怒らせて。冷たいあの声で、命令を――、

 ………。

 早く、戻ってこい。

 “向こうから襲わせたい”なんて、今思えば遠回りな話だった。帰ってきたら、ミゼルを。

 

「……ふーっ、ふーっ……」

「あ、あのー。大丈夫ですか、アスリカさん」

「……!? ふぁ、は、はい」

 

 いつの間にか、組合の事務員さんがすぐそこにいた。

 あわてて体裁を整える。

 

「ごめんなさい。体調が悪くて」

「たしかに、顔がお赤いですねー。アスリカさんあてに指名依頼が入ったのですが、後日にしましょうか」

「依頼?」

 

 ……ミゼルに、ではなく?

 体調が悪いというのは勿論嘘なので、ひとまず話を聞く。

 ……単純な、魔物の討伐依頼だった。依頼人が僕(アスリカ)を選んだのは、近頃組合が売り出している冒険者だから……らしい。

 目撃情報などから想定される現場も、このバルイーマからかなり近い。うまくいけば、朝飯を食べて街を出て、午後のおやつの時間までに帰ってこられるような仕事だ。

 

「明日なら受けられます」

「わかりました、ではそのように。よろしくお願いしますね」

 

 事務員さんは、その依頼に関する資料を置いて、他の仕事に戻っていった。

 目を通し、内容をかみ砕きながら、達成に必要なものごとを頭の中で組み立てる。いつもの作業だ。

 

 ……まあ、今はこれくらいしかやることがない。ストレス発散と、日々の生活のためだ。向こうから仕事をくれるのなら、ありがたくもらう。

 単独だとこの仕事の危険さはぐんと上がるが、それにも多少は慣れてきた。

 そもそも、この身体の才能と実力はそれなりに確かなもの。それに以前痛い目に遭ってからは、わりと真面目に魔法使いとしての努力をやっているつもりで、アスリカの身体はそれに応えてくれている。良い子だ。

 標的のレベルが事前情報通りのものかどうかは気がかりだが、きっちり準備していけば、仕事はこなせるだろう。

 ミゼルがいなくとも。

 

 ▼

 

 今日もソロ。

 仕事に集中して、欲求不満を抑えることにする。昨日請け負った依頼をこなそう。

 

 街を出てしばらく歩けば、討伐対象が徘徊しているらしい現場には、すぐに辿りついた。

 石くれがゴロゴロと転がっていて、足の踏み心地が悪い。荒れ野だ。それと、棲みついているやつらも大人しい気質なのか、こちらから攻撃しなければ襲ってこない。

 ……人間は、こんなところに用事はないだろう。依頼者は、なぜこんなところにいる魔物をわざわざ討伐させるのだろう。

 そんなことを考えていたときだった。

 ……索敵の魔法を広げていた範囲に、誰かが侵入してきた。

 “誰か”だ。人間のカタチをしている。

 警戒を強め、体内で魔力を加速させつつ、その来訪者の姿に目を凝らした。

 

「……!? あなたは……」

「おはようございます。ようやくひとりになってくれた。“赤熱の魔女”」

 

 そう声をかけてきた人物は、たしかに知った顔だった。

 彼は。

 今回の武闘大会での準優勝者だ。ミゼルに降参した、あの陰鬱な雰囲気の、魔法使いの男。名前は忘れたが。

 僕は彼を大会で見たとき、見覚えがあるような気がして、気になってはいた。

 ……しかし、何故ここに?

 それにいま、まるで。

 こちらを待っていたかのようなことを、言った。

 

「厄介な“契約術士”は今頃迷宮の奥深く。人間の男は人間の女に弱いというのは本当だ」

「何かご用ですか。仕事があるのですけど」

「それは捨て置いて構いませんよ。あの依頼は嘘なので」

 

 緊張で心拍数が上がっていく。

 ……誘われた、らしい。どうやって組合の人間をあざむいたのかはわからないが、こいつは僕をここに呼び寄せた。そう言っている。

 何を考えているのか、表情からは読めない。平坦なのだ。この状況への、悦びも緊張も感じられない。まるで人でなしのよう。

 

「目的を聞かせてもらっても?」

 

 魔法をいくつも準備しつつ、声を振り絞る。

 男は……、

 

「火の魔力をもっと伸ばしたくて。あなたの心臓をください。大分前から狙っていたんです」

 

 そう言って、隠されていた頭部の“角”と、本来の“青い”肌色をさらした。擬態を解いたのだ、と感じた。

 それを見て、ふたつの記憶が反応する。

 ……あれは、“蛮族”だ!

 知能を持つ魔物……と、定義される存在。人語を操り、人に似た姿をしているが、彼らは人間の敵対者だ。“堕ちた魔人族”とも呼ばれている。

 これは、アスリカの記憶にある知識。でも、実物は初めて見たようだ。

 ならばなぜ、僕はこの男に見覚えを感じていたのか?

 いま、それを思い出した。こいつは……、

 

 原作で、アスリカを殺した魔物だ。

 

「火属性だしステーキがいいかな? 良い酒があるんです。……いや、そうか。女だし、限界まで子供を産ませるのが得か?」

 

 あくまでマンガのページ上で見かけた存在だから、わからなかったんだ。今なら特徴がぜんぶ当てはまる。

 ……アスリカなんて、物語の脇役のはずなのに。それをつけ狙っているやつがいたなんて。ちゃんと、殺されるまでの理由が、あったっていうのか。

 

「しかし、可愛い顔をしておられる。泣き顔が見たいな。ちょっと泣いてくれませんか?」

 

 つまりこれから僕は、コミックのアスリカのように、凄惨な蹂躙を受けて殺される。

 下手人を目の前にして、一気にそれが、現実になって襲い掛かってくる。なるほど、こいつは怪物だ。話が通じる気がしない。

 ……怖い。

 

「え? だめ? そうですか。とにかく。まずは家に持って帰って、遊ぼう……」

 

 ずず、と。蛮族のまとう魔力の気配が、膨れ上がった。

 ミゼルの言う通り、大会では本気じゃなかった。個人で敵う相手じゃない。魔法使いだからわかる。

 身体が震える。

 ……いや。ただで殺されて、なるものか。

 こんなやつのオモチャにされてたまるか。

 アスリカの身体は、僕のオモチャだ――!

 

「“メテオレッドサン”!」

 

 上空にずっと準備していた火球が、敵に向かって降下する。

 それはやつの立っていた場所で、確かに炸裂した。大炎上。常人であれば死ぬ威力だ。

 しかし。

 

「……!! そういうことだったか……」

 

 炎の中から、健在の敵が現れる。

 やつは、いつのまに現れたのか分からない、“ゴーレム”を盾にして、魔法をやり過ごしていた。

 そのまま、同じ岩人形をもう二体、宙に描いた魔法陣から呼び出した。アスリカの知識には無いが、いわゆる召喚魔法ってやつだろう。

 そしてあのゴーレム。……以前、僕をボコボコにしてくれた、あの魔法が効かないゴーレムだ。

 あれも、やつの仕業だったのか。たしかに、ミゼルがいなかったら、あそこで終わってた。

 なんて執拗。王都を出る前から、この身体は、あいつに目をつけられていたんだ……。

 ……だが、そのわずらわしい執念も、やつを殺してしまえば終わりだ。ぜんぶ終わらせて、安心して、アスリカの人生を引き継いでやる。

 

 火の魔法をいくつか放ってみるも、3体のゴーレムに弾かれる。

 ……いい気になっていることだろうが、そうはいかない。一度コテンパンにやられた相手だ。何の対策もしていないと思ったら大間違い。

 杖を強く握る。僕は、アスリカにはならない。ここでは死なない。

 まだまだ、楽しみがたくさんあるんだ。

 勝ってやる。

 

 ▼

 

「が、ふ……っ」

 

 地面に血反吐をこぼす。

 立ち上がろうとしても、あちこちが動かない。

 ……ゴーレムどもは、地面を吹き飛ばして作った落とし穴なんかで、無力化した。だが、それに守られていた主が、人形より弱いわけではない。

 戦闘にかこつけて、ずいぶんとなぶられた。魔法使いだと思っていたがとんでもない。あちこち蹴り飛ばされたり、魔力の刃で斬りつけられたり。

 表情は変わらないが、さぞ愉しんでいただろう。おかげさまで、もう折れそうだ。

 

「さて。そろそろ持ち帰ります」

 

 なんとか上半身を起こしたけど。顔を上げれば、目の前にいるのは、人の姿をした獣。

 怖い、と思った。

 コミックあるいはノベルの世界にはるばるやって来て、こんなつまらない死に方をする。いやだ。

 この想いも二度目だ。物語の主人公なら、二回も負けたりしない。

 ああ、つまらない。

 ……立ち上がろうとする脚から、力を抜いて。僕は、男の顔を見上げた。

 

「あなたはおそらく今代の“火の勇者”候補。優秀な魔力でしたよ。これで私も、魔王の座に――あぼ」

 

 で。

 男の顔に、誰かの足がめりこんだ。

 吹っ飛ばされていく蛮族の男。それをやったやつは、まあよく見知ったヤツだ。

 かっこよく僕の前に立ちはだかる背中は、少年のものだけど、大きく見える。

 ……角度的に。

 

「間に合った?」

 

 ミゼルは肩越しにこちらを見て、言った。

 

「……遅い」

「はい?」

「おそいおそいおそい!! ぜんぜん間に合ってない!!! こっちがケガするの待ってただろ!! このサド野郎――サド太郎だお前なんか!! サド太郎!!!」

「うえ、ご、ご、ごめんアスリカ……! ちゃんと後をつけてきたんだけど、結界に阻まれちゃって……」

 

 知るかそんなの。もうこんな大怪我はこりごりだ。

 ちゃんと守れよ。なに格好良いタイミングで駆けつけようとしてるんだ。しかも二回目。腹が立つ。

 ふつう主人公ってのは、ヒロインが怪我する前に間に合うだろ? それとも、この僕がお前のヒロインじゃないとでも? なんのためにこれまで色々やってあげたと思ってる。このドS太郎が。

 

「……お仲間の美少女たちは?」

 

 自分の傷を治癒しつつ、ミゼルに話しかける。

 舞い上がった砂塵の向こう、あの蛮族の男が、ゆらりと立ち上がっていた。

 

「ん? 知らない。報酬分は働いて、適当に抜けてきたよ」

「……あ、そう」

 

 ついにハーレムに目覚めたかと思ったんだけど。なんか、そうでもなさそうだ。

 それと、あの蛮族相手に、全く臆していない。一か月前とは何かが違う気がする。

 

「ただ君から離れていたんじゃないよ。僕、自分の力のこと、ひとつわかったんだ」

 

 ミゼルは自身のある顔つきで、僕に手を差し伸べた。その手を取って、立ち上がる。

 自然と至近距離になって、瞳の中身まで見える。ミゼルは、僕をじっと見て、言った。

 

「アスリカ。僕と――繋がってくれる?」

「は?」

 

 青空の下、敵の前で何を言っているんだ。僕のせいで、ついに性欲モンスターになってしまったのか。ミゼル。

 

「そういうのは、部屋に帰ってから言ってくれるかな。ちょっと引いた」

「……!! ちょ、違う! アスリカ、前から思ってたけど、君もよっぽど変態でしょ! そういう意味じゃないし」

「はあ? キミに言われたくないよ。へんたい。ざこ。童貞」

「はっ!? く、くそ。もうとにかく、あいつを倒すから、一緒に戦ってよ」

 

 ミゼルが目を閉じて集中すると、彼の背後から、魔力で作られたような、半透明の“管”が出現した。どうやら背中から伸びているらしい。

 それを、ミゼルは……、

 

「こ、これを。アスリカに、接続したいんだけど」

「……いいよ、どうぞ」

 

 管が、僕とミゼルの背中を繋ぐ。

 すると、それを通して、ミゼルの魔力が体内に流れてくるのを感じた。

 

「アスリカ。僕に魔力を“返して”」

「……!? いや、なるほど。わかった」

 

 僕は魔力を“加速”させ、管へと送り出した。

 そうしたら、またミゼルから、魔力が送られてくる。それをさらに加速して返す。

 このサイクルを、何度も繰り返す。

 ……人間の扱う魔力は、体内や魔法の杖によって“加速”させることで、起こす現象の出力を引き上げる。

 ミゼルと繋がった今では、加速器が2つあるようなもの。魔法使いの性能も、剣士の性能も、格段に上がる。

 ……これが、ミゼルのスキルの正体か……。他者と自分とを、つなぐ力。

 ありがち過ぎて笑いが出る。パーティー追放をくらうようなやつが、いかにもな主人公能力の持ち主だとは。

 でも、まあ。

 これなら、もうさっさと勝てるだろう。

 

「ミゼル」

「ん?」

「……一緒にあいつ、倒したらさ。なんでもひとつ、言うこと聞いてあげる」

 

 それを聞いて、ミゼルは、薄く笑った。

 そして、その身体を紅く燃え上がらせた。アスリカの身体が持つ、火の魔力の影響か。

 

「わかった」

 

 互いに、慣れた連携で、敵との距離を詰めていく。

 ……これで、鬱陶しい原作の影とはおさらばだ。

 ミゼルが、敵の身体を斬りつけていく。あれ程強かった蛮族の男は、そのスピードとパワー、熱量に反撃できていない。

 僕が魔法を放つと、アスリカの記憶にあるものより、何倍も強力な炎が放出された。相手が爆炎の使い手でも、関係ないくらいの威力。

 二人がかりのリンチ。卑怯だ。でもこれはゲームやらマンガやらの世界じゃなく、命がかかってるんだから、まあそんなものだろう。

 剣と炎の嵐。

 やがて。致命的なダメージを負った、そいつは。

 身体が崩れていく寸前、やけに呆けた顔をしていた。

 

「私が死ぬ? おかしいな」

 

 ……アスリカを殺す役割を持つものは。こうして、この世界から消えた。

 

 ▼

 

「……あ、あのさ。ミゼル。……どうする?」

「なにを?」

「ほら。さっき……なんでも、聞くって、言っちゃったし」

「ああ」

 

 隣を歩くミゼルに、聞いてみる。

 どさくさに紛れて、僕は、またミゼルに“命令させる”状況に持ち込んだ。

 考えあぐねる様子を見せるミゼル。その時間が長いほど、心臓の跳ね方がギアを上げていく。顔が火照っていく。

 やがて彼は、口を開いた。

 

「明日1日、ミゼル“様”って呼んでよ」

「――は、はあっ!? キモッ」

「何さ。この前、自分からそう呼んできた」

「あれは、ち、違うから」

 

 何ヤバい方向に行こうとしているんだこいつ! いじめ過ぎて目覚めたか?

 ………。

 顔を伏せる。

 自分の口元が、にへらと緩んでいた。

 

「……いっ、いいよ……。明日ね……」

 

 ミゼルがどんな顔をしているかはわからない。足しか見えない。

 

「………ミ……ミゼル、様……」

「だから、明日だってば」

 

 ……うるさい、我慢できるものか。

 一か月だぞ。とんだクソ野郎だ。よくも素知らぬ顔で戻ってきたものだ。

 よくも、そんな平静な声で、話しかけてくるものだ。

 

「アスリカ」

 

 名前を呼ばれると、肩が震える。声を聞くだけで、何かへの期待があふれる。

 僕は、ミゼルの隣を歩きながら、次の言葉に身構える。

 

「これからどうする? ……アスリカを狙うやつって、他にもいるのかな」

 

 なんだ、そんなこと。

 正直どうでもいい。

 

「わからない。もしかしたら、いるかも」

「なら、決まりだ」

 

 ミゼルは唐突に、僕の前に出て、そして片膝をついた。

 きざったらしく僕の手をとり、碧の眼でこちらを見上げる。

 

「これから先、どんな敵と戦うことがあっても……。僕は、あなたの剣になる。だから、アスリカ。僕の、炎になってくれませんか?」

「………」

 

 うわ。

 姫とナイトがやるやつ。僕らがやると、滑稽でしかない。

 ミゼルも、自分でやっておいて、恥ずかしそうにしている。

 

「なにそれ。きもちわる。変なの」

「あ! ひどい。頑張って考えた文句なのに」

「……ま、いいよ。パーティー再結成ね」

 

 手をひっぱって、ミゼルを立たせる。

 そのまま僕たちは、再び歩き始めた。今度は、手を繋いだまま。

 戦った後の互いの手は、やけに体温が高い。

 

「そういえばさ。ミゼルの異能って、仲間が多いほど強くなるよね、たぶん。二人パーティーじゃ宝の持ち腐れなんじゃない」

「アスリカは、仲間増やしたい?」

「ん? んー。ミゼルは?」

「僕は嫌だよ。せっかく、君とふたりきりなのに」

「ふうん。……でも、美少女のパーティーに入ってただろ」

「能力の実験をしたかったのと、あと、アスリカの気を引けるかなと思って」

「小癪な男は嫌いだな」

 

 しばらく歩いていくと、遠くに、街の外壁が見えてきた。

 繋ぎっぱなしの手はいよいよ汗ばんでいて、不快な感触だ。

 でも、なんとなく、離そうとは思わない。

 

「ミゼルって、ほんとにあたしのこと好きだね」

「そうだよ。君がそう仕向けたんだろ」

「人のせいにする気? 普通に接してただけでしょ」

「普通なもんか」

 

 ミゼルは、僕のことが好きらしい。

 本人も、いいようにされていることを自覚していて、それでもこうして手を繋いでいる。最初の目的は、完全にうまくいった。

 ………。

 僕の方は、というと。

 ミゼルのことなんて、別にどうとも。彼が期待するような想いを返してあげることは、ないのだけど。

 でも、せっかくの良い場面なので。この手の温度に、何か意味を持たせたくて。

 それで、適当なことを言う。

 

「ミゼル、あたしね。……キミのこと、好きだよ」

 

 割と言い慣れてしまったセリフ。何度も口にしたそれには、重みはない。

 でもほんの、ほんの少しだけ、意識して、熱を込めて、言ってみた。それくらい簡単だ。

 ………。

 反応が気になって、僕は、隣を歩く少年の顔を見る。

 ……困ったような。少し苦し気で、寂しそうな目の表情。それを、穏やかな笑顔で上塗りして、ミゼルは言った。

 

「嘘ばっかり」

 

 そうつぶやいて。しかし、ミゼルは手を握る力を、少し強くした。

 それが意外と不快ではなくて。

 こっちからも、ほんの軽い力で、握り返した。

 

 ▼

 

「ところで、これどこに向かってるの? 買い物?」

「宿屋」

「えっなんで。まだ昼間だけど、帰るの」

「……何言ってんの? 一か月も人を放置して」

 

 手の繋ぎ方を変える。相手の右手とこっちの左手、指の一本一本を絡めた、離れにくい繋ぎ方。

 俗に恋人繋ぎとか言われるやつだけど、実際にやってみると、相手を逃がさないためのものだとわかる。

 手の感触が、さらにじっとりと、湿っぽいものになる。その不快さは、二人分の脈拍が打ち消す。

 こうして距離が縮まると、激しい戦いの後で、互いの汗のにおいが混じりあっているのがわかった。

 ならもっと、どろどろになったって構いやしないだろう。

 

「少なくとも――」

 

 僕は歩みを止め。いつもみたいに、少し背伸びをして、ミゼルの耳に小さく声を伝える。

 とびきり熱い、これまでの時間分の温度が、吐いた声に乗っていた。

 

「明日の朝まで、ずっと部屋から出さないよ」

 

(了)

 



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おまけ

感想や評価ありがとうございました。すごく頑張れました。


おまけ①

 

 

「うっす、入るよー。……あれ?」

 

 がらんとしたアパートの一室に、青年の声が響く。

 いつものように、友人と無意味で楽しい時間を過ごすはずだった彼は、しかし、いるべき部屋の主がいないことに気付き、眉をひそめた。

 

「鍵かけないでどっかいったのか? 不用心だって」

 

 ちょっとした寂しさを紛らわせるためか、青年は独り言を口にしながら、勝手知ったるそこへ足を踏み入れる。留守番を買うつもりだ。

 学生らしい狭いワンルーム。漫画とラノベが多い。

 遠慮なく、部屋面積の大部分を占めるベッドに腰掛けると、本が一冊、そこに放り出されているのを発見した。

 手に取ると、それが漫画だとわかる。

 

「あー、またパーティー追放ものじゃん。飽きないのかねえ」

 

 そう言いつつ、パラパラとめくっていく。

 青年がさっと目を通した感じ、ストーリーはこうだ。

 パーティーから追放されたはずの少年に、何故か彼をずっといじめていた同パーティーの少女が、そのまま図々しくついてくる。先の見えない二人旅は、これからどうなっていくのか!

 といったもの。

 微妙なテンプレ外しか、と青年は思った。

 

「面白くなさそうだけど女キャラはかわいいね」

 

 青年は手を止め、繊細なタッチで描かれたキャラクターたちを眺める。主人公が追放されるシーン。

 魔法使いの女。性格が悪そうだ。男キャラ。どうでもいい。

 ヒーラーの女。性格は悪いんだろうが、おっとりした雰囲気の美しい顔つきで、胸がデカい。このおっぱいで聖女は無理――……

 

「……? あ、れ……」

 

 急に、眠気が襲ってくる。

 青年はぐらりと揺れ、友人のベッドに受け止められ。

 そのまま目を閉じ、意識を手放した。

 

 ▼

 

「ん?」

 

 目を開き、しばらく考えて。自分がベッドに寝ていることに気付く。

 ()()はどうしたんだ? 記憶が曖昧だ。

 ……それに。ここ、知らない場所だ。

 ぼうっとした頭が回りだし、手足に力が入ってくるのを感じ、オレは上半身を起こそうとした。

 でも、なんだこれ? やたらと身体が重いぞ。

 

「あれ……」

 

 肩に重みがのしかかり、背中が自然と丸くなってしまう。だるい。熱でもあるのか?

 

「ここ、どこ――んん? え!?」

 

 声が。

 喉が振動し、耳に響く自分の声が。異常に高い音になっている。まるで自分の声じゃないみたいだ。

 そして、よくよく自分の身体を見下ろしてみれば。

 

「ええええ!? でっっっか……」

 

 身体の前方にふたつ、ボールがくっついていた。思わずさわると、ぽよぽよと弾み、それでいて自分自身に変な感触が返ってくる。

 いよいよ、ベッドから立ち上がった。

 今の自分の格好を見ようと思ったが、ボールが邪魔で、見下ろしてもいまいちわからない。

 辺りを見渡すと、古そうな意匠の化粧台があった。すぐに駆け寄る。

 

「はああああああ~~~!?」

 

 そこにいたのは、オレではなかった。

 いや、オレと同じ動きをしている。たぶん表情も。

 でも、映っているのは、全く別の人間だった。

 

「なんだこのデカ乳!! あ、顔可愛い……あ、声も……」

 

 その金髪の少女は、おっとりした性格でいそうな顔つきの美人だが、今は眉を吊り上げて顔を赤らめ、自分の胸を揉んでいる。

 

「や、やば。オレ、あいつの家にいなかったっけ? 人んちでエロい夢見てんのか……? んっ」

 

 茹だっていく頭で、夢中になって鏡を覗いていると。

 どんどん!

 

「うわ!」

 

 ノックの音だった。あわてて鏡から離れる。

 すぐに扉が開き、そこから、見知らぬ男が入ってきた。

 だ、誰だ!?

 ――カイト。私の大切な仲間。

 え?

 

「そ、ソフィア!? なにかあったのか!? 大きい声がしたぞ!」

「え? あ、か、カイト? ううん、なんでもないわ?」

 

 咄嗟に出た言葉は、何故かアニメみたいな女言葉。知らないはずのやつの名前まで、勝手に口から出てきた。

 なんだこれ。

 オレは、誰になっているんだ?

 

「ま、まさか……。君まで、俺から離れていく気か……?」

「へ?」

「い、行かないでくれえっ!!」

「うおおい、ちょい、ちょ」

 

 自分よりも大柄な男が、涙を流しながらすがりついてくる。こわ。

 

「俺は、俺はやっとわかったんだよぉ、自分がどれだけダメで、最低のバカ野郎だったのか!! これから少しでもまともになりたいんだ! ……で、でも、君がいないと、俺は、俺は……ソフィアぁ~~~っ!!」

「うえ、えーと。……お、おいで、カイト? 大丈夫、大丈夫よ」

 

 泣きじゃくる男の声は音量が大きくやかましいので、やたらデカい胸に顔を迎え入れ、押し付けて黙らせる。

 

「よしよし~泣かないで~……」

 

 やさしい声で赤ん坊みたいにあやしてやると、なんか疲れていたらしく、割とすぐ大人しくなった。

 

 ……えーっと。

 なんだろうね、これ。

 これから、どうしたらいいんだ……?

 

 

 

 

おまけ②

 

 

 いつもみたいに、おかあさまに、おにわで、あそんでもらっているときのこと。

 あたしは、きにのぼって。すべって、あたまをうっちゃって。

 それで、全部を思い出してしまった。

 

「なによ、これ……」

 

 鏡の中の自分は、まるで子どものときに戻ったような姿をしている。顔つきとか、髪とか、ところどころ違うけど、あたしとよく似ている。

 この子の名前は“アスニア”だ。いつも両親に呼ばれてきた自分の名前なんだから、もちろんわかってる。

 ……だけど。あたしは、

 “アスリカ”だ。アスニアじゃなかった。

 

「……アスニア? ああ、よかった。目が覚めたのね」

 

 部屋に、誰かが入ってきた。

 声でわかってる。あたしのだいすきな、お母様だ。

 …………でも。

 その姿を見て。あたしは、悲鳴をあげて、尻もちをついた。

 

「? どうしたの? ……ごめんね。怖かったね。痛いのはお母さんが治してあげる」

「や、やめて!! 来ないでよっ!!」

「?」

 

 お母様は、綺麗な顔を困らせて、あたしを紅い瞳で見つめている。

 大人になってるけど、間違いない。自分のことだからわかる。あれは……あの身体は……

 

「あ、あなた、誰なの? アスリカは、あたしのはずなのに……」

 

 そうつぶやくと。お母様は、一瞬、大きく目を見開いて。

 ――それから、それをいやらしく細めて。にいぃって、わらった。

 

「……ふーん。こういうことになるんだ。初めましてアスリカ。でも今は、私がアスリカだよ? よく知っているでしょ、かわいい“アスニア”」

 

 あたしの身体を乗っ取った悪魔は、心底楽しそうに、そう言った。

 

「ち、ちがう。あたしは、アスニアじゃない……」

 

 今の自分を否定しようとして、あたまから追い出そうと首を振る。

 お母様が、ゆっくり、近寄ってきた。

 

「こ、こないで! 悪魔!」

「う。普通に傷つく。天使(むすめ)にそんなこと言われたら」

「あたしの身体、返してよ!」

 

 震える脚に力を入れて、なんとか立ち上がって、当然のことを訴える。

 こいつは、いきなりどこかからやってきて、あたしの人生を奪ったんだ。許せない。怒りで恐怖を上塗りして、立ち向かう。かえせ。かえせ!!

 ……悪魔は。

 アスニアの見たことのない、冷たい表情で、あたしを見下ろした。

 

「いまさら戻りたいの? もう経産婦なんですけど」

「っ!! そんな……」

「別に今のままでいいじゃない。前より才能もあるし、顔も可愛いし、髪質もきれい。両親の遺伝子が優秀だからかな?」

 

 しゃがんで、目線を合わせて。小さい子どもの話を聞いてあげよう、って態勢で、悪魔は言う。

 ……両親?

 ……父親。

 お母様は、“アスリカ”で……、お父様は………、

 

「……っ!! う、おえぇっ」

「! もう、かわいそうに」

 

 自分の身体に、あの、あいつの、ミゼルの血が流れている。

 いやだ、いやだ。どうしてこんなことに。きもちわるい。こんな身体。

 

「助けて……カイト、ソフィア……」

 

 最後にすがったのは、ふたりの仲間、友達。

 カイトは恋人だった。ソフィアは、親友だった。ふたりは、どこにいるの?

 

「あのふたりなら、この前遊びに来てくれたじゃない。またご招待したい? あ、イトナちゃんと遊びたいのかな」

「イトナ……?」

「あなたの幼馴染でしょ。カイトおじさんとソフィアおねえさんの、ご令嬢」

「ふぇ……」

 

 ……どうして。

 信じてたのに、なんで。

 

「ふぇええ……ん。うぇ、えぐっ、あぅぅ……なんでぇ、カイト、ソフィア……どうして……」

 

 子どもの身体だから、一度泣き出したら、涙が止まらなくなった。

 もう、誰もいない。あたしの友達も、家族も、いないんだ。ひとりなんだ。周りにいるのは、悪魔だけ。

 

「おいでアスニア。泣かないで? 泣き顔が一番かわいいけど」

「う、あ……! こ、こないで……」

「つ~かまえたっ」

 

 子どもが大人に敵うはずもなく、無理やり捕まえられて、抱っこされる。

 ……あったかくて、やわらかくて、どうしてか落ち着く。嗚咽がひいていく。でもそれがこわい。

 

「は、はなして……」

 

 暴れれば逃げられるのに、そうしようと思えなかった。

 ……目の前にいる“自分”は、よく見ると、全然自分じゃなくなっていた。

 あたしの身体のはずなのに、胸も……体型も、赤ちゃん育てたからか変わってて、顔も大人っぽくて……。こんな、なんで、どうして……。

 

「なに、おっぱいが恋しくなった? もうとっくに卒業したでしょー」

「ち、ちが……」

「甘えたいのかな。ほら、とんとん。とんとん」

 

 背中を優しく、リズムよく叩いてくる。母親が寝かしつけてくれるかのように。

 泣いて、叫んで、疲れ切った身体は、それだけでまぶたが落ちてきそうになった。

 悪魔は、あたしを抱いて部屋の中を歩き、大きな化粧台の前に座った。

 そうして。あたしの耳に、あの落ち着く声で、ささやいてきた。

 

「ね、アスリカ。きみは幸せになったんだよ。あのままだと死ぬ運命だったんだ。……アスニアは、ひとりで惨めに死ぬのと、私に抱っこされるの、どっちが好き?」

 

 その言葉に、信じるに値しない言葉に、どうしてかすごく怖くなって、ぎゅっと抱き着いてしまった。

 

「いい子、いい子。大好きよ。私の娘だもの。大人になるまで、守ってあげる……」

 

 悪魔はあたしを抱きしめて、体温と鼓動を伝えてくる。

 ぽかぽかと、落ち着いてしまう温度、リズム。

 

「ああでも、そろそろ手がかからないくらい大きくなってきたし……もしかしたら、弟か妹ができるかもしれないよ。アスニアなら、いいおねえちゃんになれるよね? アスリカと違って、愛し合える家族がいっぱいできるね」

 

 ……そうだ。

 前の家族は、血が繋がってるだけで、家族じゃなかった。兄も姉も、親も、人でなし。だからあの家を出たんだ。

 

「英雄になりたかったんでしょ? あなたなら、私達の娘のあなたなら、きっとなれる。お母さんは応援するわ。アスリカの両親とは違ってね……」

 

 立派な冒険者になってから一度だけ、あの家に帰ったことがあった。

 そのときのことは……思い出したく、ない。だから、あたしの家族は、友達は、そのときから一緒の、カイトとソフィアだけだった。

 ……でも、今は……。

 

 あたたかい腕から降ろされて、鏡の前に、一緒に座らされる。

 映っているのは、そっくりな母娘。そのどちらかが、あたし。

 

「あなたはアスニアで、アスリカはあなたのお母さんだよ。……ほら。お母様、って呼んで? いつもみたいに」

 

 じっと鏡を見る。

 “自分”の顔を見て、あたしは……思ったことを、口にしてしまった。

 心の内から、わいてきてしまった言葉を。

 

「お母様……」

 

 そうしたら、お母様は。

 あたしのだいすきな、明るくてきれいな笑顔で、誰も見てくれなかったあたしを、見てくれた。

 

「よくできました。えらいわ、私のかわいいアスニア」

 

 後ろから、ぎゅっと抱きしめられる。

 取り返しのつかないことをした、という怖さが、お母様の体温で和らげられる。

 幼い子どものあたしは、それに、身を任せるしかなかった。

 不安で、何かに掴まりたくて。お母様の手を、きゅっと握った。

 

 

「“レッドブレイズ”!」

 

 子ども用の小さい魔法の杖から、しかし子どもらしからぬ大きな炎を、アスニアは出して見せた。

 まだ幼い彼女の弟も、それを近くで見てケラケラと愉快そうにしている。かわいい。

 さすが僕の娘。才能の塊だと言えよう。笑って褒めたたえると、アスニアはこちらを見て花が咲いたように笑う。かわいい。

 

「もう大人顔負けの魔法使いだね、すごいな」

「あなた」

 

 庭に出てきたのは夫だ。これから仕事に出るところだろう。

 しかし娘と息子の姿を見ていたいのか、僕のとなりに腰を下ろす。

 そう、アスニアはもう手がかからない年頃だ。セシルはまだまだ幼いが、アスニアの方は前世の記憶なんかもあるらしいし、良い姉をやってくれている。

 それで僕は、となりに座る彼に、そっと耳打ちする。

 

「……ね。今夜は、早く帰ってきてね。ミゼル」

「! あ、ああ……」

「あ~ッ!! またイチャイチャしてるっ! やめてってば!!」

 

 僕らの様子を目ざとく察知し、アスニアは、ふたりの間に飛び込んできた。

 ぎゅうぎゅうと挟まってきて、最終的に、ミゼルの膝に腰掛け、身体を預ける。セシルは、僕のところに。

 

「お母様、子供向けのじゃなくて、もっと新しい魔法教えてよ。いろいろ試したい」

 

 幼い弟に笑顔で触れながら、アスニアは話しかけてくる。

 その上から、父親が声を出した。

 

「アスニア、剣も習わないかい。僕が教えてあげられるよ」

「いらないわ。あたし、お父様はきらいだもの」

「は、反抗期早ッ……!?」

 

 おかしな関係だ。

 僕は、どこかいびつな自分の家族たちを、順番に見て。

 しかし穏やかな気持ちなので、くすくすと笑った。

 

 

 やがて、子どもたちが庭での遊びを再開し、父親が出かけるときになって。

 最後に、目が合ったので。

 念を押すように。

 背伸びして、ミゼルの耳元で、熱くささやいた。

 

「夜、待ってるからね。……ね? おとーさん?」

「は、はい……」

 

 

 

 パーティー追放女に憑依……おわり

 

 



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