その光の名は (名無なな)
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序章 エイシンフラッシュ
母と子、光を追い求めて


よろしくお願いします。

二次創作は初めてなので色々読みづらいかと思いますが、
感想などでアドバイスいただけると嬉しいです。

平日(ときどき休日も)は働いているのでのんびり投稿していきます。


「――――光の道筋が見えたのよ」

 

 ウマ娘である母は昔を懐かしむような目つきをしてそう言った。

 

 母は決してウマ娘として大成した方ではない。

 当時海外レースを主戦場としていた母は、生涯でたったの6戦しかしておらず、勝利数はその半分の3勝にとどまった。

 

 そして6戦目のレース途中で故障してしまい、そのままターフを去ることとなった。

 だから母は競争バ時代の頃の話は大してしてくれない。困ったように苦笑いして誤魔化すのだ。

 

 そんな母だが、とあるレースの映像だけは自慢げにしていたのを思い出す。

 それは海外G1レースで、競争相手には「アイアンウマ娘」の異名を持つ名ウマ娘がいた。誰もが「アイアンウマ娘」に注目する中、パッとしない母はあまり特別な存在ではなかった。

 

 しかしいざレースが始まると、母は一時先頭に立っていた「アイアンウマ娘」終盤一気に追い抜き、物凄い末脚で大きく差を広げて圧勝してみせたのだ。

 当時の映像を見ていた私は、幼心ながらに鼻息を荒くしてテレビにかじりついていたように記憶している。それほど圧巻のレース内容だった。

 

 映像の中で観客席に手を振ってみせる若き日の自身を見つめながら、母はポツリと先の言葉を漏らした。

 

「光のミチスジって?」

 

 私は無邪気に問いかける。

 母は自分が独りごちていたことに気付いていなかったらしく、若干照れくさそうに尻尾を揺らした。

 

「ええ、その通りよ。このレースは皆が横一線に並んだような状態で、後方に控えていた私の前に道がないのは分かるかしら?」

 

「うん。ママ、地味だからどこにいるのかまったく分からないや」

 

「ほほほ、一言余計よ。おほん、だけどね? このときの私には視えていたのよ。――『光の道筋』が」

 

 母は映像を巻き戻し、バ群を割って姿を見せる瞬間を再生する。

 

「あの場にいた私にだけ、走るべき勝利のルートが視えたの。それは芝の上を明るく照らしているように視えたから『光の道筋』と呼んでいるのだけど。ともかくそのルートを走ると脚が確実に速くなって、壁のようだったバ群が嘘のように開けたのよ!」

 

 当時を鮮明に思い出しているのか、母は握り拳を振って力説してみせた。

 

「そのおかげで私は『アイアンウマ娘』に勝てた。一着を取ったのはあの日が初めてじゃなかったけれど、あの日ほど格別な景色はなかったわ」

 

「だけどママ、このあとすぐに引退しちゃったんだよね」

 

「ええそうね。きっと『光の道筋』を追い求めすぎちゃったんだわ。あのルートを走ったときの全能感をもう一度味わいたくて無茶をして、フォームを乱して取り返しのつかない怪我を負った。アレは神様の贈り物だって分かっていたのに、強欲すぎて愛想をつかれちゃったんだわ、きっと」

 

 自嘲気味に笑った母は私の髪を優しく撫でてくる。

 

「あなたも競走バになるの?」

 

「うん! ママを超えるウマ娘になる!」

 

「言ったわね? 本当になれるのかしら?」

 

「当たり前でしょ? だってママ3勝しかしてないじゃない」

 

「ほほほ、その毒交じりの口調、いったい誰に似たのかしら。それに3勝といってもG1レースを1度勝っているのだから、ママに勝つというのならG1を2勝しないと駄目よ」

 

「できるよ! だってママの娘だもの」

 

 本当にこの子は、と言って少し乱暴に頭を撫でてくる母。

 その表情を見ることはできなかったが、どことなく嬉しそうな声音のように聞こえた。

 

 




第2話は本日12時投稿予定です。

気になった方は続き読んでいただけると幸いです。


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日本ダービーの舞台裏で①

日本ダービーを東京ダービーと間違えて覚えていた頃があります。


 

「――――準備はいいか?」

 

 控え室。ターフから離れた場所にあるここからでも場内の熱気が伝わってくる。

 

 目の前にいる私のトレーナーさんは努めて平静を装ってはいるものの、胸に付けたトレーナーバッチに度々触っている。これは彼が緊張しているときに現れる癖だった。約1年コンビを組んできたのだから、これくらいのことは見抜けるようになっていた。

 

 ……ということは私の緊張もトレーナーさんはきっと見抜いているに違いない。手を握ってもいないのに手の平には汗が滲んでいた。

 

 私はレース場と出走バのデータ、それと皐月賞から今日まで積んできたトレーニング記録を振り返る。

 

「初の東京レース場、初の2400メートル。ですが事前の練習では好タイムが出せていましたし、長い最終直線は私の優位に働くはずです」

 

「その通りだ。この最終直線はキミの末脚を存分に活かすことができる。ただコーナー後の高低差2メートルの坂があることは忘れないように」

 

 やっぱりデータは良い。何物にも左右されない客観的な証拠。その揺ぎなさが私の自信を補ってくれる。

 

 今日までの練習記録を振り返り、何一つ不安材料がないことを再確認する。

 そうして次は共に走るウマ娘たちのデータに目を通す。

 

「前走の皐月賞で一着だったヴィクトリーピザさんやここまで無敗のベルーナさん。他にもフラワープリンセスさんやワープボートさんも要注意です。他にも実績だけなら私以上のウマ娘たちがたくさん――――」

 

「『史上最高メンバーのダービー』」

 

 私の心情を先読みしたかの如く、トレーナーさんは割り込むように言葉を発した。

 私は手帳から目を外し、代わりにトレーナーさんを見つめる。

 

「世間ではそう言われているらしい。キミのことだ、そんなことは承知の上なんだろうけど」

 

「……ええ。テレビでやっていましたし、トレセン内でも話題になっていましたから嫌でも耳に入ってきました。皐月賞で私に勝ったヴィクトリーピザさんを始め、誰が一着を取っても不思議じゃない面々です。……残念なことに、その注目メンバーに私の名前は載っていないようですが」

 

 日本ダービー。

 歴史と伝統、そして栄誉あるレース。一生に一度しか出走が叶わない。だから誰しもが憧れ、一着になることを夢見る。

 

 長い歴史において、今日のレースは最もレベルが高いと言われている。誰が勝っても不思議ではないと。その中で私は7番人気――これが世間の評価だった。勝つことは難しいと思われているのだ。

 

 やれることはやってきた。調整も完璧で、レースプランも練ってきている。やり残したことなどない。

 

 だからこそ、負けたときのことを考えると心が震える。

 

 全力を出し尽くしても勝てなかったという心の重しが、今後私の脚を縛り付けてしまうんじゃないかと不安になる。

 

 

「――――キミらしくないな」

 

 

そう言って、トレーナーさんは私が持っていた手帳を取り上げた。

 

 




思ったより長くなったので次話へと続きます。
次話は本日17時に投稿予定。

1話当たりの文字数ってどの程度が最適なんでしょうか?

そのあたりも教えていただけると嬉しいです。


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日本ダービーの舞台裏で②

①の続きです。


「外野の声に惑わされるキミじゃなかった。自分の中に絶対を持っていて、それをターフで表現できるウマ娘だった。『史上最高メンバーのダービー』? 最高なんて毎年更新されるものだし、日本ダービーに弱いウマ娘なんて一人も出ていない。皐月賞で負けた相手? 過去の敗戦も今は関係ない。今日勝つのはキミだ!」

 

「トレーナーさん……」

 

 熱弁するトレーナーさんの方こそ絶対の自信を持っているようだった。先ほどまで緊張している風に見えたのは、あるいは私の緊張が移ったのかもしれない。

 

 この人は出会ったときから何も変わっていない。どんな不利な状況であろうとも自身のウマ娘を信じ抜こうとするその姿勢。

 

 そんな彼の姿を見て、柄にもなく緊張している自分がおかしく思えてきて、ついクスクスと小さな笑いが込み上げてくる。

 

 

「? どうしたんだ? 俺、また何か変なことを言ったか?」

 

「いいえ、違いますよ。いつも貴方はエビデンスに乏しいことを、大舞台を前にしてなお堂々と言うものですから、少々面食らってしまったんです」

 

「エビデンスて……。そういうキミも相変わらず手厳しいな。だいたいエビデンスなんて必要ないだろう、俺がキミを信じることに証拠なんて」

 

 

 普段通りのやり取りを交わしていると、コンコンと控え室の扉がノックされる。

 

「失礼します。間もなくパドックです。1枠1番ですので速やかにランウェイまで移動をお願いします」

 

 運営スタッフが若干慌てた様子でそう伝えた。

 私は姿見で勝負服に乱れがないかを確認する。G1レースだ、恥ずかしい姿を衆目に晒すことなどできない。

 

「うん大丈夫、後ろも問題ないよ。いつも通り綺麗になってる」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

 これで本当にやり残したことはない。レースに集中できる。

 最後に私はふう、と深く息を吐いて、ドアノブに手をかける。……しまった、一つだけやり残したことがあったんだった。いつもはしないけど、今日のレースだけは言おうと決めていたことが。

 

 くるり、と私は後ろを振り返って、少し意外そうな顔をしたトレーナーさんを見据えて言う。

 

 

「トレーナーさん。今日のレース、絶対に目を離さないでくださいね」

 

「……分かったよ。ちゃんと見てるから行ってこい、エイシンフラッシュ!」

 

「――――はいっ!」

 

 

 その胸の高鳴りは、レース中のそれとは少し異なっていた。

 

 

          *

 

 

 エイシンフラッシュ。

 

 これはドイツからやってきた彼女の軌跡を辿る物語。

 栄光と挫折、それら全てを共に駆けた、生真面目なウマ娘と新人トレーナーが紡ぐ物語だ。

 

 




序章終了です。

次からはエイシンフラッシュとの出会いを遡って書いていく予定です。

書いていて思うのが、想像よりも文章が冗長になりがちだということですね。
あと文章力がなさ過ぎて困ります。その点類語辞典は神。


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第一章 出会い。そしてトゥインクルシリーズへ
新人トレーナー


 ウマ娘で実装されていない競走バの名前を勝手に使うことができないので、安直ながら勝手に名前を付けさせていただいてます。



「はぁ……」

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園――通称トレセン学園の広大な敷地内にあるカフェテリアで、俺は独りため息を吐いていた。

 俺が途方に暮れている理由は、初の担当ウマ娘が一向に見つからないことにある。トレセン学園に就職後1年間は座学やOJTを経て、2年目となる今年からは正式に担当ウマ娘と契約を結びトゥインクルシリーズへと挑戦するのだ。

 

 しかし肝心要のウマ娘とトレーナー契約を結ぶことができずにいる。幾度となくスカウトしてみたのだが、やはり新人トレーナーに自身の命運を預けたがるウマ娘などそうはいない。あの桐生院家ほどの名門であれば話は別だろうが、生憎俺に血統書は付いていない。

 

 今は3月中旬。4月になるとトゥインクルシリーズが開幕してしまうため、それまでに契約できなければ、どこかのチームのサブトレーナー募集を受けるか、あるいは同じくトレーナー契約を結べなかったウマ娘たちと運営側がマッチングさせてくれる機会に賭けるか。

 

 コーヒーを飲みながらタブレット端末で今期にデビュー志願書を提出しているウマ娘たちの情報を眺めていると、不意に対面の席に馴染みのあるトレーナーが座ってきた。

 

「よお新人トレーナーくん。そんなに落ち込んでどうしたのかな?」

 

「園部トレーナー。飛び込み営業がまったく成功しないサラリーマンの気分ですよ、新人には堪えます」

 

 

 園部トレーナーとはOJTのときにお世話になった人で、順調にトレーナーとしての実績を積み重ねてきた、トレセン内では期待の有望株だ。

 

 園部トレーナーはうんうんと共感を示しながら、

 

「あーうんうん。俺も初めてのときはそうだった。俺のときは締切ギリギリでウマ娘と契約できたからよかったけど、そうでないトレーナーも多いからな。皆有名どころに惹かれるものさ」

 

「名もなき花はないですが、超マイナーな草の名前を憶えている人はいませんからね。差し詰め俺は岩の下で押しつぶされた、日の目を見ない雑草に過ぎないということでしょう」

 

「その理屈で言うなら、リギルやスピカは向日葵や薔薇といったところか。ま、そこらの雑草の名前を覚えている賢いウマ娘に出会えることに期待するしかないな」

 

 

 半ば諦め気分の俺に対し、園部トレーナーは一枚の用紙を突き付けてくる。

 

「ほれ。今日の放課後、急遽選抜レースが執り行われることになった。まだ契約の済んでいないウマ娘がわりと多いらしい。これはその出走表。行くだけ行ってみろ」

 

「ありがとうございます! というか、そういう園部トレーナーは契約終わってるんです?」

 

「つい先日な。今年は例年と比べても豊作だぜ。既に世代最強と噂されるヴィクトリーピザや俺と契約したワープボートの他にも実力バが多数いる。その分競争が激しいともいえるが」

 

 

 ワープボートと言えば、母親が名バで娘である彼女もその将来を嘱望されていると聞く。しかもあの『女帝』エアグルーヴに目をかけられ、何かと指導を受けているとか。

 実績あるトレーナーの元には有望なウマ娘が集まる。俺もかくなりたいが……前途多難だな。

 

 

「それにしてもヴィクトリーピザは何でこんな時期まで残っているんですかね? 超有力バなんだから早々に決まってても不思議じゃないのに」

 

「なんでもリギルかスピカに入りたがっていたんだが、両方とも定員オーバーで受け入れできないようでな。だからヴィクトリーピザ自ら一人一人自分に合ったトレーナーを厳選しているらしい。1日限定でトレーナー契約を結んでな」

 

「なるほど……。その1日で彼女に認められなければご破算になると……」

 

「その様子じゃまだ話してもないんだろ? 案外ウマが合うかもしれんぞ」

 

「園部トレーナーはトライしてみなかったんですか?」

 

「俺はワープボートが入学してすぐの頃からスカウトし続けていたからな、今更浮気なんぞできんわ」

 

 入学してすぐにスカウトとは、そのウマ娘に相当惚れ込んでないとできない芸当だ。スタート時点で俺は既に負けていたのか。

 

 せめてその熱意に倣おうと、俺はもらった出走表を握り締めレースコースへと向かった。

 

 




中途半端ですが終わり。

次回エイシンフラッシュが登場する予定です。


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選抜レースとスカウト①

動きのあるシーンを文字だけで描写するのは難しいですね。


 構内にあるレース場にたどり着いて真っ先に目に付いたのは、外ラチに張り付く大勢のトレーナーたちの姿だった。

 

 ある者は俺と同じくウマ娘たちをスカウトするために。

 ある者はスカウト済みだが将来の強敵となり得るウマ娘を見定めるために。

 

 発バ機とは離れた位置に陣取り、常備している双眼鏡で選抜レースに参加するウマ娘たちを眺める。

 どのウマ娘たちもトレーナーたちに良いところを見せようと引き締まった顔付きの娘たちが多い。しかしそんな中、一人だけが余裕綽々といった様子のウマ娘がいた。

 

 若干茶色がかった黒髪に、160半ばの体躯。勝ち気そうな瞳は自信家な一面を窺わせる。

 彼女には見覚えがあった。園部トレーナーも口にしていたヴィクトリーピザ……デビュー前から世代最強と謳われるウマ娘だ。直に見てみると強者特有の風格があるように映る。

 

 そして個人的に気になったのはもう一人いる。艶やかな黒のボブヘアー、ジャージの上からでも分かる豊かな胸元にくびれのある腰部。けれど細いだけの肉体では届かない、鍛えられたが故の美しさも兼ね備えているように見えた。

 

 黒髪のウマ娘(名前はパッと出てこないが)は緊張感に呑まれている周囲とは、ましてや自信に溢れたヴィクトリーピザとも違う。待機時間を無為に過ごすのではなく、教科書通りの深呼吸をしたり股関節のストレッチをしたり、自分のペースをちゃんと持っている姿に感心したのだ。

 

 あんな娘がいたのか、と俺は急いでタブレットを操作して黒髪のウマ娘を調べる。名前順に登録していたため、彼女の名前はすぐに出てきた。

 

「エイシンフラッシュ……」

 

 そうこうしているうちにウマ娘たちが発バ機に収まり、いよいよレースが始まる段階まで来てしまった。一旦タブレットから意識を外し、レースに注目する。

 

 

 ――――ガコッ。ゲートが開き各ウマ娘が一斉にスタートを切った。

 

 経験不足からかスタートダッシュに失敗する娘が数人いたが、さすがと言うべきかヴィクトリーピザは良いスタートを切り、自らの意思で中団へと身を置いた。

 一方のエイシンフラッシュもまずまずのスタートからヴィクトリーピザのすぐ傍で様子を窺っている。

 

 今回の選抜レースは1600メートル。デビュー前の身体が出来上がっていないウマ娘たちにはキツイ距離である。その証拠に先頭を走っていたウマ娘がスタミナ切れか、3コーナーを過ぎた辺りで明確にスピードが落ち始めている。

 それを好機と見たか、ヴィクトリーピザが早くも勝負をかける。7番手の位置からぐんぐんと追い抜いていき、最終コーナーを回り切ったときには既に先頭に立っていた。驚異的な加速力だ。

 

 おおっ! とトレーナーたちが湧く。優れた勝負勘に加え伸びのあるスピード、それにあの体躯からしてパワーもかなりあるだろう。世代最強という触れ込みにも頷ける強さである。

 

 そして300メートル少々の最後の直線に入る。その頃にはヴィクトリーピザが2着以下を引き離しにかかっており、「何バ身差で勝つか」が見もののようにも思えてくる。

 

 ――しかしそんな意識の外側から、大外から抜け出してくる一人のウマ娘の姿が目に入った。エイシンフラッシュだった。

 

 未だ中団にいたはずの彼女は最後の直線に入るや否や、切れのある末脚を使って瞬く間に2着まで順位を伸ばしてくる。さらにはヴィクトリーピザとの距離も僅かずつだが狭めてきている。

 

「まるで閃光だ……!」

 

 あたかもエイシンフラッシュそのものが光と化したかのように、鮮やかな末脚につい見惚れてしまう。

 しかし一時7バ身差以上離れていたヴィクトリーピザとの距離は最後まで詰め切ることができず、結局およそ3バ身差でヴィクトリーピザの勝利に終わった。

 

「ヴィクトリーッ!」

 

 勝った彼女は嬉しそうにⅤサインを天に突きつけ、己が強さをアピールしている。それを観戦していたトレーナーたちもヴィクトリーピザに群がり、熱心にスカウトをおこなっている。

 

 ヴィクトリーピザに注目が集まる中、2着でゴールしたエイシンフラッシュは肩で息をしながら、その人の輪を悔し気な表情で見つめていた。

 

 




②へと続く。

ヴィクトリーピザは原作に出てくるウマをモチーフにしていますが、性格面が分からないので何となく想像で書いています。(原作ファンの人がいたらごめんなさい。)

ちなみに感想受付が一部不可になっていたみたいなので、全受付可能に変更しました。

気まぐれでもいいので感想くれると嬉しいです


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選抜レースとスカウト②

原作のエイシンフラッシュのバ体が美しすぎる。


 俺は柵をくぐり、エイシンフラッシュの元へと歩み寄っていく。

 

「キミッ! レース後すまない!」

 

「……? すみませんが、どちら様でしょうか?」

 

 俺は左胸に付けているトレーナーバッチを引っ張って彼女に示す。

 

 

「俺はトレーナーだ! エイシンフラッシュ、キミは誰かとトレーナー契約を結んだか!?」

 

「いえ……、まだですが」

 

「それなら俺と是非トレーナー契約を結ぼう! キミの走りに見惚れたんだ!」

 

 

 ぴくり、とエイシンフラッシュの耳が揺れた。

 レース直後で頬を紅潮させているが、眼だけは冷静さを保っている。

 

「――何故ですか? 普通であればヴィクトリーピザさんをスカウトしに行くはずでしょう」

 

「ああ。確かにヴィクトリーピザも凄い才能を持っているのは事実だ。けど俺はキミと一緒に戦いたいと思ったんだ」

 

「ですから何故? もしかしてヴィクトリーピザさんの競合率を見て諦めて、2番手だった私で妥協しようと考えているのではないですか?」

 

 

 ネガティブ思考のように聞こえるが、エイシンフラッシュの立場からすればそんな動機で選ばれるのは甚だ不本意に違いない。トゥインクルシリーズは一生に一度しか挑めないのに、そんな半端な気持ちで隣に立たれても良い結果が残せるはずがない。

 

 しかし俺は半ば衝動的に彼女に声をかけてしまったために、具体的な言葉を持ち合わせていない。強さだけで言えば現状はヴィクトリーピザを選ぶはずだ。

 言葉に詰まる。エイシンフラッシュは訝しむように眉を顰める。このまま答えに窮すれば「自分で妥協した」と認識されてしまうだろう。

 

 頭では答えを導き出せない。故に俺は、先ほどのレース内容で思ったことを心の赴くままに答えた。

 

 

「――――光り輝いて見えたから」

 

「……は?」

 

 

 意味不明な言葉に対しエイシンフラッシュは呆気にとられた風な声を上げたが、俺自身にとっては不思議と納得のいく答えだった。

 

 

「最後の直線。キミが蓄えた末脚を解き放った直後、キミの身体が強く光を放っているように見えた。そんなことは今まで見てきたどのウマ娘たちにも、ヴィクトリーピザでさえも見せてはくれなかったものだ」

 

「…………、」

 

 

 何か言いたげに眉間を押さえるエイシンフラッシュ。答え方間違えたか?

 時間にして数秒の沈黙だったが、俺にとっては途方もない時間に感じられた。彼女は真っすぐに俺を見据えて言う。

 

「信じられませんね。トレーナーとはもっと論理的な方が多いと思っていましたが、客観性に欠ける言葉を淀みなく口にできるなんて」

 

「……あれ? ひょっとして怒られてるのか、これ」

 

「それ以外何がありますか。トレーナーさんに必要なのは科学に基づいたトレーニング知識と、膨大なデータを基にした客観的な視座。見たところ新人トレーナーさんみたいですが、それではウマ娘の信頼は得られませんよ」

 

 グサグサと突き刺すような言葉選び。クールな容貌だが思ったことは口にするタイプらしい。侮るわけではないがまだ学生の娘に説教されると心が凄く痛い。

 とほほ、と甘んじてそれらを受け止める。エイシンフラッシュの言っていることは正しい。去年も園部トレーナーに何度か似たような指摘を受けたことがあった。

 

 論理的な彼女には気に入られそうもない、と諦めムードになるが、一度言葉を区切った彼女は短く息を吐いた。

 

 

「――――そんな論理的でない貴方とトレーナー契約を結びたいと思ってしまっただなんて、私も人のことを言えませんね」

 

 

 ……ん? 聞き間違いか? 今彼女、「トレーナー契約を結びたい」と言わなかったか?

 

 再度問い直そうと思ったが、エイシンフラッシュはぷいとそっぽを向いており、尻尾は忙しない様子で左右に揺れていた。

 

 

「さあ、決まったのならさっさと契約書を交わしましょう。私は他の娘たちと比べて契約が遅れているんです。一秒でも早くトレーナーさんの指導の下トレーニングを開始しなければなりません」

 

「……ああ! これからよろしくな、エイシンフラッシュ」

 

「はい。こちらこそよろしくお願いします、トレーナーさん」

 

 

 昇ってきた夕日を背に受けた彼女の微笑は、今までのどのシーンよりも美しく見えた。

 

 




もうちょっと契約シーンを濃密に書きたかったけど、これ以上長くなると冗長すぎると思ったのと単純に文章力が足りなかったです。

小説を書くのってムズカシイですね。

ひとまず書き溜めは出し尽くしたので、今後は不定期更新となります。


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クラシック3冠を目指して

しばらく芝G1レースが見れないのは辛いですね。


 エイシンフラッシュとトレーナー契約を結んだ翌日。

 トレーナー1人1人に与えられるトレーナー室にて、俺とエイシンフラッシュはまず意思統一を図るべくミーティングを行っていた。

 

 意思統一とはつまり、彼女が何を目指してトゥインクルシリーズに挑戦するのか。まずは彼女の目標を聞いて、俺が現実的な戦略を練り具体化する。目標が一致していないとそのコンビはまず上手くいかないからだ。

 

 俺はエイシンフラッシュに当面の目標を尋ねると、彼女はあらかじめ決めていたらしくはきはきとした口調で答える。

 

「私の目標はクラシック3冠です」

 

 クラシック3冠とは『皐月賞』『日本ダービー』『菊花賞』の3競走を指し、デビュー仕立ての頃のウマ娘なら誰もが1度は夢見るレースだ。実力バ揃いの3競走のうち1つ勝つだけでも困難を極めるのに、3冠達成するとなるとよほどの実力と運がなければ叶えられないだろう。

 しかし目標は高い分には問題ない。むしろエイシンフラッシュには目指してほしい冠でもあった。彼女なら達成できる可能性はあると踏んでいる。

 

 俺はホワイトボードに「クラシック3冠」と大きく書く。

 

「目指すのは大賛成だけど、何故この目標にしたのか聞いてもいいか?」

 

「何故、ですか。クラシック級の娘たちなら誰もが目指すものだと思いますが」

 

「憧れだけで叶えられる目標じゃないだろう。トレセン内で達成したことのあるミスターシービーは『前人未踏』を、シンボリルドルフは『絶対』を、ナリタブライアンは『渇望』を。彼女たちは明確な想いを抱いてレースに臨んでいたはずなんだ」

 

 

 特に今年は実力バ揃い。ヴィクトリーピザの他にも例年なら覇権を取れるレベルのウマ娘が何人かいる。半端な覚悟で挑んでも相手にすらならないだろう。

 エイシンフラッシュは瞼を閉じて何かを思い出すかのような様子を見せる。あるいは抽象的な想いを言葉に変換しようとしているのかもしれない。

 

 やがて彼女は目を開けて言う。

 

 

「――――踏み入りたい『領域』があるんです」

 

 

 出会って日は浅いとはいえ、彼女にしては珍しくふんわりとした言葉だった。

 

「領域……?」

 

「はい。私の母が口にしていたのですが、大舞台で勝利した際に『光の道筋』なるものが視えていたらしいんです。何者にも侵されない自分だけの空間。その道筋に入ると得も言われぬ全能感が味わえる……、そんな母と同じ視座に立ってみたいんです」

 

 バカげた話と一蹴するのは簡単だが、今の彼女の話を聞いてふと思い出したことがある。

 

 確か去年園部トレーナーに教えてもらったんだったか、世代を代表するウマ娘の中には時に超人的な力が宿る瞬間があるという。

 例えば日本ダービーのシンボリルドルフや天皇賞秋のタマモクロス、有マ記念のオグリキャップなど、当時のレースを見てみたが確かにどれも底力以上の何かが滲み出ていたように思う。

 

 とあるインタビューでシンボリルドルフ生徒会長は日本ダービーでのレースを振り替えた談話の際、『領域』という言葉を使っていたはずだ。

 だとすればエイシンフラッシュの母が入ったとされる『光の道筋』も、その『領域』と同義なのかもしれない。

 

 つい考え込んでしまっているうちに、エイシンフラッシュは痺れを切らしたか話を再開させる。

 

 

「母の話から推測するに、『光の道筋』に入るには自身と同等以上のウマ娘の存在が必要不可欠のようです。そんな強敵と競うためにはG1レースに出ることが一番の近道……そう思いました。もちろん勝利を掴むことを二の次になんてしません」

 

「……なるほど。よく分かったよ」

 

 不思議な娘だ。

 大抵レースで勝ちたい理由なんて「あいつに勝ちたい」「大勢の観客に祝福されたい」みたいに、理由を外部に求めることが多いのに、彼女は自分自身を挙げている。

 ともあれ目標は定まった。険しい頂に立つためには何をすべきかを考えるのはトレーナーの仕事だ。

 

 

「まずはキミのことを知りたい。スピード、スタミナ、パワー、根性、賢さは当然だけど、どんな強み・弱みを持っているのかまで全て。そのために今日はレース場を予約してある」

 

「まあ当然の流れですね。良いと思います」

 

 

 彼女の値踏みするような発言に思わず苦笑する。契約を結べたとはいえ俺が新人トレーナーであることに変わりはない。だからこそエイシンフラッシュは俺がどの程度のものか測っているのだろう。一日でも早く彼女に認められるよう気を引き締めていかねば。

 

 

 




シンデレラグレイで出てきた「領域」について触れました。
(少し独自の解釈を入れていますが)

シンデレラグレイのオグリが可愛すぎて辛い。タマモクロスも可愛い。実装が待ち遠しいですね。


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トレーナーの責任

 芝コースへと出て、まず入念なストレッチを行う。30分以上の時間をかけて。ウマ娘は時速60キロ以上の速度で走る。それ故に身体への負担が大きく、どうしても怪我のリスクが付きまとうのだ。

 

「――……17、18、19、20」

 

 エイシンフラッシュは教科書通りの姿勢、タイムを守りながらストレッチをこなしていく。極まれに俺の方から矯正が入ることはあるが、ほとんど正しい形で行えていた。しかしトレーナーとしてやるべきことが見当たらないな……。

 僅か1日だが彼女と接してきて分かったことは、超が付くほどの真面目な性格の持ち主であるということだ。分からないことはそのままにはしておけない……そういうタイプなんだろう。

 

 充分な量と質のストレッチをこなし、いよいよ次から能力測定へと移る。

 

「まずは1ハロン(200メートル)走を3本から。後のメニューは追々伝えていくよ」

 

「スピード測定というわけですか。分かりました」

 

 頷いてエイシンフラッシュは②ハロン棒まで向かい、俺はゴール板のところでストップウォッチ片手で待ち受ける。

 

「よーい……どん!」

 

 ストップウォッチを握った右手を振り下ろすと同時に掛け声を飛ばす。エイシンフラッシュは勢いよくスタートを切り、物凄いスピードで疾走してくる。

 

 そしてあっという間に彼女が俺の目の前を通過する。タイマーを止める。タイムは11秒前半。デビュー前としてはかなり良い数字だ。

 

「はあ、はあ……タイム、どうでしたか?」

 

「ほら、他のウマ娘たちと比べてもかなり良いタイムだぞ!」

 

 

 表示タイムを見せてあげると「そうですか」と、エイシンフラッシュはさして嬉しそうな態度は見せないまま、先刻のスタート位置へと戻る。

 うーん……、悪い娘じゃないと思うんだけど、なんというか歳のわりには感情の起伏が少ないタイプだよな。信頼関係を築くのには時間を要しそうだ。

 

 その後クールタイムを挟んで2000メートル走と巨大タイヤ引きを行ってトレーナー契約初日の練習は終了した。

 

 

 

 その日の夜。俺はエイシンフラッシュと別れた後、トレーナー室で今日のデータをまとめていた。

 

「なるほど、なるほど……」

 

 データを数値化させると彼女の特性がよく分かる。何となく察していたことだが、やはり彼女の最大の武器は『末脚』だ。

 

 より具体的に言えば瞬発力。ラスト直線に入ったときの最大速度に辿り着くまでの早さである。

 10かけてマックスに到達するよりも1の時間でマックスに達する方が良いのは一目瞭然だ。両者が同じマックススピードであれば、いち早くマックスに持っていける方が勝つに決まっているのだから。

 

 ラストの直線は勝敗を決める上で重要なピースなのは間違いないが、そこだけが良くても勝てるというわけでもない。今の彼女には中距離を走り切れるだけの体力がまだ備わっていないし、レースとなれば他のウマ娘たちに囲まれて自身の能力を全て発揮できるわけではないのだ。

 

 

「ひとまず明日はフィットネスルームでパワー関係を見てみるか……。どうせなら賢さ面も見てみたいし、身体に負荷をかけながら問題でも出してみるかな」

 

 ――楽しい。

 

 こうして自分が夢見ていたことを形にできるのは何ものにも勝る幸福である。

 トレセン学園に来るまでの、ウマ娘たちの活躍をテレビで見て一喜一憂するのも楽しかったが、自分でそのウマ娘たちに関わることはそれとはまた違った楽しさがある。

 

 だけど肝に銘じておかなければならない。レースとは結果が全て。「楽しかった」というだけで満足できるウマ娘などほとんどいない。自分の担当ウマ娘が後悔を抱えて引退していくような真似は絶対にできない。

 

 楽しさの土台には責任がある。責任感が揺るげばその上の楽しさも崩れていく。園部トレーナーにOJT時代に教えてもらったことの意味を、俺は今になってようやく実感するのだった。

 

 

 




ウマ娘世界でのトレーニングってどんなものがあるんでしょうか?

とりあえず陸上競技を参考にトレーニング内容を掘り下げていきます。


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賢さトレーニング

今日は今からワクチン接種してきます。


 翌日。今日はトレセン内にあるフィットネスルームへと足を運んでいた。

 

 多くの生徒が利用できるよう、器具は最新鋭かつ多数用意されている。加えて50メートルプールも併設されており、受付で簡単な手続きさえ済ませればトレーナーがいなくとも利用できる。

 

 エイシンフラッシュは体操服姿でスタンバイしており、骨盤周りの股関節を中心に手首、足首など入念にストレッチをしている。

 

「昨日も思ったけど、随分とストレッチに詳しいみたいだな? 独学か?」

 

「はい。筋肉トレーニング前にストレッチを行うことで関節可動域が広がり、より効率的に筋肉を鍛えることができます。そして正しい方法でなければ100%の効果を得られることができません。同じ時間をやるなら最大効率で。時間は有限ですから」

 

 教科書通りのやり方。思えば昨日の彼女の走りもお手本になりそうな綺麗なフォームをしていた。背中をピンと張りながら前傾姿勢になって腕を振る。日頃から意識づけしているのか、彼女の姿勢は背筋が伸びていて美しく見える。

 必ずしも教科書が正しいとは言えないが、彼女の独学のおかげで土台がかなり固まっている。今後上積みをしていきやすいということだ。

 

 ストレッチを終えて、まず最初にエイシンフラッシュにトライしてもらうのはランニングマシン。しかしこのマシンにはAIが搭載されており、算数・国語・社会などの基礎学問からクイズを出し、答えることで賢さを鍛えようというマシンなのである。

 

 俺も去年試しにやってみたが、平生なら難なく回答できるレベルの問題でも、有酸素運動をしながらだとまともに答えることもできなかったのを思い出す。

 

 

「算数だと四則演算、国語だと四字熟語とかことわざ、社会だと簡単な歴史や地理とかが出題されるからね。まあどれも小・中学生レベルだからそこまで気にしなくていいよ」

 

「へえ。こういう機械があるんですね。なかなか面白そうです」

 

 

 心なしかエイシンフラッシュはウキウキした様子で、踏み台の上に立ちスタートボタンを押す。すると踏み台がベルトコンベア式に回転を始め、徐々に速度を上げていく。

 

『サンスウ ノ モンダイ デス。11×11ハ?』

 

「121!」

 

『セイカイ。259+34ハ?』

 

「293!」

 

『セイカイ。――――』

 

 このようにAIが出題していく。最初は簡単なように思えるが、速度が上がり息切れしてくると脳に酸素が回り切らず、ケアレスミスや回答に時間がかかっていく。

 走ることに賢さは必要ないと思うかもしれないが、そんなことはまったくない。1人だけならまだしも、レース本番ともなれば10人以上のウマ娘が出走するわけで、どこに身を置くべきか? 仕掛け時は? 他のウマ娘の様子は? など、気を配る箇所は無数にある。それらに適切な対処をするためには、走りながらも考える力を養わなければならない。

 

 走り始めて10分経過すると、目に見えて彼女の回答時間の長さやミスの多さが顕著になっていく。一朝一夕に身に付くものではないが、このメニューは今後も継続して続けるべきだな。

 

 エイシンフラッシュの走りを見守っているなか、ちょんちょんと左肩を軽く突かれた。誰ぞ、とその方向を見やる。そこには既に一汗かいているヴィクトリーピザが立っていた。

 

 

 




短いですが本日はここまで。
次話はヴィクトリーピザとの絡みになります。

今回の賢さトレーニングは宇宙〇弟を参考にしました。


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ヴィクトリーピザの野望①

トレーニング描写は浅い知識で書いてますので、ツッコミどころがあるかもしれません。


 先日の選抜レースでは遠目ではっきりしなかったが、ヴィクトリーピザも素晴らしい身体を持っている。上半身下半身ともにバランスよく鍛え上げられ、特に立ち姿は体幹の強靭さを物語っている。

 

「ねえあんた、今ちょっと手空いてるでしょ? パワーリフティングしたいんだけど、念のために補助してもらいたいのよ」

 

「いやー、悪いんだけど、俺も今担当ウマ娘についてないといけないから……」

 

 ヴィクトリーピザと言えば目下エイシンフラッシュの最大のライバルだ。彼女のトレーナーとして関わるのは憚られた。

 曖昧な感じで断ろうとしたけれど、ヴィクトリーピザは「関係ないし」と手首を掴まれた。

 

 

「フラッシュは今トレッドミルの最中でしょ? 別に補助者が必要ってわけじゃないんだからいいじゃん」

 

「……え? ちょっと、なんで俺がエイシンフラッシュの担当だって知ってるんだ?」

 

「後で教えてあげるから、とりあえず1セットだけでいいから補助者やってよ! 最近筋トレに凝ってて、今の自分の限界知りたくてさぁ」

 

「て聞いてないし……」

 

 

 この強引な感じ、あまり経験がなくて対応に困る。というか俺はどっちかっていうと押しに弱いタイプなので、結局ヴィクトリーピザに押し切られて付き合うことになった。

 彼女は重量を250キロにセットし、ふーっと大きく息を吐いてからベンチの上で仰向けになる。そして両腕に力を込め、いざベンチプレスを開始しようというところで俺は待ったをかけた。

 

「ちょっと待って。ちゃんと肩甲骨を下に付けないと駄目だよ」

 

「あん? ……そうなの?」

 

「うん。それとつま先立ちにならないようにね。常に足裏全体を接地してやらないと」

 

「ふーん、分かった」

 

 ヴィクトリーピザは素直に姿勢を修正してバーベルを持ち上げ始めた。

 

「ふっ!」

 

 そうして一度持ち上げたバーベルを胸元までゆっくりと下ろし、バウンドさせるように勢いよくそれを持ち上げる。

 

「駄目駄目、下ろしたバーベルは一度少しでいいから静止させて持ち上げないと。それにもっと深くまで下ろせるだろう? 楽しちゃ意味ないよ」

 

「あんたっ、人畜無害そうな顔して、厳しいんだな……っ!」

 

 エイシンフラッシュの受け売りじゃないが、正しいやり方でやらないと自分の力にならない。半端な方法でメニューをやり遂げても中身が伴わなければ空虚な自信しか身に付かない。最も避けないといけない結果だ。

 

 苦しげなヴィクトリーピザは両腕を振るわせながらも、歯が砕けんばかりの力を込めて250キロバーベルを上下させていく。パワーもさることながら俺が脅威に思うのはその根性だ。根性論は廃れつつあるが個人的には重要だと思っている。

 

 7回目を終え、そして最後の8回目を上げ終えたところで、限界を迎えたヴィクトリーピザの補佐にすかさず入る。バーベルを上から持ち上げて、ゆっくりとバーベル受けへと戻す。

 ヴィクトリーピザは激しく息を切らしながらも、目標重量を達成できたことに多大な充足感を覚えているようだった。口角が吊り上がっている。

 

 俺は彼女の担当トレーナーではないが、こうしてウマ娘の成長に関われることはどうあれ嬉しい。

 

 ヴィクトリーピザは使い終わった器具を清掃・片付けし、タオルで汗をぬぐいながら近寄ってきた。

 

「ありがと。おかげで目標重量を持ち上げることができた」

 

「いいよ別に。あ、それとちゃんとクールダウンを忘れずにな。やり方が分からないのなら常駐の人に聞いたら教えてくれるはずだ」

 

「分かったよ。……ふむ」

 

 不意に彼女は顎に手を添え、なにやら考え込むポーズを取った。

 

 

「トレーナーとしてある程度知識を持ってるみたいだし、新人っぽいしアリかもね」

 

 

 何か独りごちているが、小声のため内容までは聞き取れない。しかし薄っすらと嫌な予感が背筋を過ぎった。

 

 ヴィクトリーピザはヨシ! と手の平を打って踏ん切りがついた風に切り出した。

 

 

 




②へと続く。
思ったよりヴィクトリーピザとのやり取りが書きやすくて困る。

エイシンフラッシュとの絡みがちゃんと描けてないのに、先にライバルキャラを描写して大丈夫かと思う今日このころです。


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ヴィクトリーピザの野望②

①の続きです。


 

「なああんた、あたしのトレーナーになってくれないか?」

 

「…………はあ?」

 

 

 素で困惑の声が漏れた。あまりに脈絡がなさ過ぎて返答に詰まってしまう。

 その隙にヴィクトリーピザは肩を竦めて続ける。

 

 

「いやなぁ? 本当はリギルやスピカあたりの超一流どころのトレーナーと契約したかったんだが、両方とも定員いっぱいで募集していなくて困っていたんだ」

 

「……チームトレーナーが無理でも実績豊富なトレーナーは他にもいただろう」

 

「まあそういう人らの勧誘はメチャクチャあったよ。『自分なら貴方をG1でいくつも勝たせてあげられる』だの何だの――志が低すぎて全て断ったけどね」

 

 トゥインクルシリーズで数あるレースの中でも一流ウマ娘しか参戦できないG1レース。1つ勝つどころか出バ表に名前が載るだけでも凄いのに、G1レースを複数勝つことができれば間違いなく世代最強ウマ娘と認められる。

 

 それを彼女は『志が低い』と言ってのける。自信家だとは思っていたが、よもやここまでとは思ってもみなかった。

 

 

「世代最強なんて称号に興味はない。日本のG1をいくつ勝ったところで得られるのは日本一の称号であって、それ以上の実力とは認められない。……あたしがなりたいのは世界一のウマ娘なんだ!」

 

 

 彼女は拳を強く握り締め、湧き出る衝動を発露するかの如く震わせていた。

 日本のウマ娘が世界で勝つ。確かにそれができれば誰もが認める偉業に違いない。しかしかつてその道を志した『皇帝』シンボリルドルフも『怪鳥』エルコンドルパサーも、世界最高峰のレースでは勝利を収めることはできなかった。

 

 歴史に名を連ねるウマ娘の中でもほんの一握りしか挑むことができないレースに、ヴィクトワールは既に目標をそこに置いているのか。

 

「なのにどのトレーナーも世界に挑戦すると言えば無理だと諫めてくる。誰も同じ夢を見てくれない! そんな連中と嫌々契約するくらいなら、実績のない新人トレーナー相手に我を通した方が万倍マシだと思ったのよ」

 

 彼女みたいな実力バがどうして今までトレーナー契約を結ばずにいたのか、園部トレーナーに聞いた時から不思議に感じていたがそういう理由があったのか。

 日本で栄光の道を歩ませたいと思う他のトレーナーたちの言うことも分かるし、彼女の語る世界一の夢を叶える瞬間も見てみたいとも思う。少なくとも俺には心躍る内容だった。

 

「……素直に凄いと思ったし応援させてもらうけど、その理屈で言えば新人トレーナーなんて他にいくらでもいるだろ? 何で俺になる?」

 

 そう尋ねるとヴィクトリーピザはビシッと人差し指を突き付けてきて答える。

 

 

「そう、それなのよ。あんた、あたしとフラッシュが出ていた一昨日の選抜レース見ていたでしょ? ほとんどのトレーナーがあたしのスカウトに熱を上げてた中、あんただけはフラッシュに声をかけていた。それが見えて無性に腹立たしくなったのよ! あたしが勝ったんだから普通あたしに注目すべきでしょう!?」

 

「いや嫉妬かよ。壮大な夢を語った後の個人的な感情の告白による落差が凄いな」

 

「あたしは将来世界中の注目を一身に集めるウマ娘なのよ? こんな狭いトレセン内で1人でも注目を逃していいワケないじゃない!」

 

「なんだその謎理屈!」

 

 

 俺もついおかしくなって声を上げてしまう。若干周囲の注目を集めた気がする。

 ごほん、と咳払い一つ入れて気持ちをリセットする。

 

「さっきも言ったけど、俺はもう既にエイシンフラッシュとトレーナー契約を結んだんだ。とてもじゃないけど2人も見る余裕はないよ。悪いけど他を当たってくれ」

 

「ぐぬぬ……! スカウトを断ったことは数あれど断られたのは初めての経験だ……!」

 

「よかったな、何事も経験だ」

 

 

 これで諦めてくれるだろう、と高を括る。けれどヴィクトリーピザは閃いたと言わんばかりに指を鳴らした。そして悪ガキのような不敵な表情を浮かべて言う。

 

「それならさ、フラッシュの担当を降りればいいじゃない。今ならまだシリーズに入る前だし、フラッシュもフラッシュで良いトレーナーと巡り合えるって」

 

「それは……」

 

「――言っておくけど、フラッシュじゃあたしには勝てない。これまでの模擬レースも選抜レースも、あたしはフラッシュより着順を下げたことはない。それはこれからも同じ。新人トレーナーであたしレベルと契約できるなんて、滅多にないことだと思うけど」

 

 

 ヴィクトリーピザは確信を持ってそう告げた。

 確かに先の選抜レースを見た限りでは、エイシンフラッシュとヴィクトリーピザとの実力差は明確だ。より有望な方を、となれば後者を選ぶ方が利口に違いない。

 

 いつもは言葉に詰まる俺だが、その問いかけにはすぐに答えることができた。

 

 

「――――ごめん。俺はあの光に魅せられた。今更目をつむることなんてできないよ」

 

 

 そう言って、ヴィクトリーピザに対し軽く頭を下げる。彼女は少し驚いた表情を見せたが、面白そうに口元を歪ませた。

 

 

「そう。ならこれ以上の逆スカウトは野暮ね。簡単に御することができそうと思ったけど、フラッシュ同様なかなか頑固者らしい。だとすればコンビを組むのは必然だったかー」

 

「悪いな。けど、キミの夢を応援しているのは本当だからな。是非とも世界一になってほしい。そして名実ともに世界一になったキミに勝てば、世界一の称号はエイシンフラッシュのものになるからな」

 

「ははっ! 言ってくれる。そこまで啖呵を切れる奴はトレセン内にはいなかった」

 

 

 ヴィクトリーピザとの会話に夢中になっていたその時、視線が背中に突き刺さっているのをようやく肌で感じ取った。振り返れば、肩で息をしているエイシンフラッシュがジト目でこちらを見つめていた。

 

 

 




ヴィクトリーピザの口調が安定しない……。
基本勝ち気な感じなんだけど女の子らしさも入れてみたんですが、あまりうまくいっていない感ある。

次回はエイシンフラッシュとヴィクトリーピザの会話劇。
あっさり終わらせるつもりだったフィットネスルーム内でのイベントが思ったより長引いて驚いています。


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エイシンフラッシュとヴィクトリーピザ

サブタイトル考えるのムズカシイですね。


 

「エ、エイシンフラッシュ……」

 

「トレーナーさん。今は私のトレーニング中のはずでしたよね? それなのに何で傍を離れて他のウマ娘と語り合っているんですか? ……よりにもよってヴィクトリーピザさんと」

 

 

 普段通り落ち着いた口ぶりだが、そこはかとなく威圧めいたなものを感じるのは気のせいだろうか。

 言葉的にエイシンフラッシュは俺の背後に立つヴィクトリーピザを意識しているようだ。俺はそっと横へと身を引き、二人を対面させる位置取りをする。

 

 ヴィクトリーピザは何がおかしいのか、クックッと押し殺した笑みを浮かべた。

 

 

「トレーナー契約おめでとう、フラッシュ。誰かに執着を見せるなんて、よほど気に入ったらしいね」

 

「執着ではありません。私はただトレーナーとしての責務を果たしてほしいと言っているまでです」

 

「ま、どうあれこれでトゥインクルシリーズへの参加権を得たわけだ。変なところで躓かないでよ? あたしとの勝負をつけたいと思うのは勝手だけど、重賞レースくらいは走ってもらわないとそもそも同じ場所に立てないからね」

 

 

 わざとらしく挑発してくるヴィクトリーピザ。けれどエイシンフラッシュはそれに乗ることはせず、ただただ冷静に言葉を返す。

 

「心配いりません。私はクラシック3冠を目指します。そうであればどこかで競う機会はあるでしょうから」

 

「そうかい……。なら決着は3冠――日本ダービーが相応しいね。どちらが上か、その時に白黒はっきりさせようじゃないか」

 

 

 そう言い残して、ヴィクトリーピザはフィットネスルームを後にした。

 その背中を見送ると、エイシンフラッシュは再度俺の顔に咎めるような視線を投げかけてきた。

 

「さて。そんな私のライバルに塩を送るなんて、それでも貴方は私のトレーナーさんですか?」

 

「非常に申し訳ない!」

 

 ぐうの音も出ないほどの正論なので、取れる行動としては平身低頭。謝るしかない。

 するとエイシンフラッシュは呆れた風にため息を吐いて、

 

 

「ヴィクトリーさんも私のトレーナーさんだと知って、からかい半分で声をかけたのでしょうから今回ばかりは許します。次からは気を付けてくださいね?」

 

「はい。……それにしても、キミがそこまで彼女をライバル視しているとは思わなかったよ」

 

 

 先ほどの2人のやり取りからは同世代の強敵だからという理由だけでなく、もっと個人的な事情が絡んでいるように見受けられた。

 

 エイシンフラッシュは若干話しづらそうにしていたが、悩んだ末に口を開いた。

 

「……ヴィクトリーさんとは私が留学した時からのクラスメイトで、慣れない私に色々とよくしてもらいました。分からない日本語を教えてくれたり、走りのアドバイスをしてくれたり……、一見してそうは見えませんが本当に良い人です」

 

「その割には親しさよりも競争心が勝っているように見えた」

 

「私のせいなんです。授業の一環でやった800メートル走で私が彼女に敗れて、それ以来彼女に勝ちたいと思うようになりました。授業でも選抜レースでも、機会があればいつでも。ですが結局、今までヴィクトリーさんには1度も勝てませんでした。だから今回のトゥインクルシリーズが最後のチャンスなんです」

 

 エイシンフラッシュはどこか昔を懐かしむように頬を緩ませる。かつては良き友人だったが、ウマ娘としての本能がヴィクトリーピザをライバル視させたのだろうか。

 先日の選抜レースが今の2人の実力差。ヴィクトリーピザのあの強さへの貪欲さを鑑みると、そう易々と追い抜かすことはできないはずだ。エイシンフラッシュが成長するようにヴィクトリーピザも成長していくからである。

 

 勝てるのか? とエイシンフラッシュは唇を噛む。俺は改めて反省をする。担当ウマ娘がこれほど不安を抱えているにも関わらず、彼女から目を逸らしてしまった。――俺はエイシンフラッシュのトレーナーなんだ。

 

 俺は自身の胸を右手で強く叩いて、彼女の注目を引く。

 

「大丈夫さ。キミ1人の力では勝てなかったとしても、今回は俺も協力する! 2人の力を合わせればきっと勝てる!」

 

 エイシンフラッシュは目をパチクリさせて、小さく笑みを漏らした。

 

 

「まったくもう。そのようなエビデンスの欠ける発言をして……。それにヴィクトリーさんも担当トレーナーを持つのですから、向こうも2人がかりですよ?」

 

「エビデンスて。キミが彼女に勝ちたいと思うのなら俺はそれをサポートする。それが担当トレーナーとしての務めだからな」

 

 

 えへん、と胸を張って言う。

 

 微笑みをこぼしていたエイシンフラッシュは、途端にスンといつものすまし顔に戻って時計を見やる。

 

「さて、もう小休憩の時間は3分も過ぎてしまっています。さっさと遅れた分を取り戻さないと今後に支障が出ますよ」

 

「切り替えが早い!」

 

 自分のペースを崩さない担当ウマ娘を見て、彼女となら目標を叶えられるという想いを一層強く抱くのであった。

 

 

 




そろそろメイクデビュー戦に入っていきたいところです。

でないとダービーを書けるのがいつになるか分かったものではありません。

アプリのメインストーリーでいつか主人公がエイシンフラッシュになったりしないかなぁ。育成キャラとして実装されたら是が非でも手に入れます(鋼の意思)。


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メイクデビューに向けて

天井まで行ってフジキセキ引けました!

フジキセキの卑しかポイントが高すぎる……。


 エイシンフラッシュに対する能力測定が終わり、いよいよトゥインクルシリーズに向けて本格的なトレーニングを開始していた。

 

 他のウマ娘たちとの兼ね合いもあり、毎日のようにコースを使ってのトレーニングはできない(大手チームとなれば別だが)。だいたい週2、3回ほどだ。それ以外は室内坂路を利用するかフィットネスルームでの筋トレが主となる。

 

 デッドリフトでハムストリングを鍛えたり、ハードルを活用して腿上げをしたり。コースでもペース走やビルドアップなど基礎固めがほとんどだ。最後にタイムトライアルを1本するくらいか。

 

 まだ身体の出来上がっていない状態で負荷の強いトレーニングはさせられない。まずは基礎能力と怪我のしづらい身体作りこそ肝要である。

 

 エイシンフラッシュは新たなメニューが追加されるたびに、トレーニングの効果と意図を尋ねてくる。本人が理解してトレーニングに臨むのとそうでないとでは大きな差がある。それに彼女は疑問に思うことはその場で解消しようとするタイプなので、こちらとしても生半可な受け売り知識を披露することはできず、結果的に俺の勉強にもなっている。

 

 彼女とコンビを組んで早3か月が経過していた。

 陽が傾き始めた頃、俺たちはいつものように最後のタイムトライアル走で練習を締め括ろうとしていた。

 

 

「よーい……どん!」

 

「ふっ!」

 

 

 エイシンフラッシュがスタートを切る。今日は芝2000メートル走。トゥインクルシリーズでは主に中・長距離を走ることを予定している。スタミナもついてきてクラシック3冠に向けての準備は着々と済みつつあった。

 ペース走で自身に合った走り方を学習したエイシンフラッシュは、中盤まで脚を溜める戦略――差しを己の最適解と導き出した。優れた瞬発力を持つ彼女には合っていると俺も思う。

 

 エイシンフラッシュが第3コーナーに入るが、コーナリングの際遠心力で身体が外側へと流れる。彼女はそのまま内ラチをやや離れた位置から最終直線へと入る。ここで溜めに溜め込んだ末脚が炸裂――爆ぜるような加速力でゴールまでの距離をぐんぐん縮めていく。

 

 彼女がゴール板を横切るタイミングでストップウォッチを止める。タイムを見るとほぼ2分ジャスト! デビュー前としてはかなり良いタイムだ。

 俺はエイシンフラッシュがタイムを尋ねてくる前にストップウォッチを見せる。すると彼女はある程度満足したのか、小さく頷いた。

 

 

「私1人では参考記録にしかなりませんが……確かな成長を感じますね」

 

「ああ。キミは間違いなく成長している。外からずっと見ている俺が言うんだから間違いないよ」

 

「いえ、客観的なデータがそう物語っているので成長が実感できているだけです」

 

「相変わらずつれないな、キミは」

 

 思わず苦笑する。こういったやり取りを重ねてきて、彼女の言動の機微が何となく汲み取ることができるようになってきた。たとえば今みたいな客観性を口にするときは、嬉しさや興奮のようなポジティブな感情を隠すときに使う場合がある。今回もそのケースに該当する。

 

 素直じゃない一面を見て微笑ましく思っていると、エイシンフラッシュがむぅと不本意そうな表情を向けてくる。まずい、このままだと小言が飛んでくるパターンだ。

 俺は矛先を変えるために二度手を叩いた。

 

「さあ、今日はこのくらいにしよう。いつものようにジョギング2周の後、ストレッチで締めよう」

 

「あっ、誤魔化しましたね? 何故私の顔を見て笑ったのか、後ほど追及させてもらいますからね」

 

 そう言い残して彼女はゆったりとした速度で外周を回り始めた。

 

 エイシンフラッシュの背中を見送りながら、俺の脳裏には近頃の悩みの種が噴出していた。それは「メイクデビュー戦をどうするのか?」ということである。

 元々の素養の高さもあり、最近の彼女はメキメキと力を付けてきている。実力だけなら既にデビューしてもいい頃合いだ。

 

 けれどいくら強くなったからとはいえ、まだまだ改善すべき事項はいくつもある。それらをデビュー前に解決しておきたい気持ちと、レースを通じて進化する彼女を見てみたい気持ちが相反しているような状態だった。

 

 どうせレースに出るのであれば勝たせてやりたい。ならばもっとトレーニングを積んでからでもいいんじゃないか? 気持ちがそっちに傾く最中、1周目を終えようとしているエイシンフラッシュが目に入った。

 

 夕陽を背に浴びる彼女は俺の前を通過し、そのまま2周目へと突入する。そのときの彼女の真剣な面持ちを見て、俺は伸びてきた髪をボリボリと掻いた。

 

「何を独りよがりなことを言っているんだ、俺は。彼女があそこまで頑張っている理由を忘れたのか」

 

 かつて彼女の母が踏み入れたという『光の道筋』に入ることと、ヴィクトリーピザに勝つこと。特に後者は「2人の力を合わせて勝とう」と誓ったじゃないか。

 

 彼女に負けを味わわせたくない。それ以上にヴィクトリーピザに勝たせてやりたい気持ちの方が強かった。だとすればデビューさせるべきか否かの答えなんて既に決まっている。

 

「メイクデビュー戦か……」

 

 今日はまた、夜遅くまでの作業になりそうだ。

 向こう正面をジョギングするエイシンフラッシュの姿を見て、俺は一層努力する決意を固めたのであった。

 

 

 




一気に3か月飛ばしました。
成長の過程をじっくり書きたいところですが、テンポを重視しました。

そろそろ同部屋のファル子を登場させたいところですね。
ファル子かわいいよファル子。


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トレーナーにできること

「ふぁ~あ……」

 

 俺は欠伸を噛み締めながら1度大きく伸びをした。

 11時を過ぎた頃のカフェテラスにて、俺は手帳片手にサンドイッチを頬張っていた。それと眠気覚ましのコーヒーは既に3杯目に突入している。

 

「まったくお前ってやつは、いっつも食事中に不景気そうな顔をしているよな。飯時くらい職務のことは忘れた方が後々楽だぞ」

 

「あ……園部トレーナー」

 

 やれやれといった感じで俺の対面の席につく園部トレーナー。俺は先輩の手前失礼のないよう手帳を閉じて向き直る。

 園部トレーナーは小食気味の俺とは違い、がっつり定食の載ったトレイをテーブルに置き、「いただきます」と手を合わせてから口を開く。

 

 

「それで? いったい何に悩んでいるんだ? といってもこの時期にトレーナーが悩むことと言えば、担当ウマ娘と上手くいっていないか、あるいはメイクデビュー戦をどうするかって相場で決まっているんだが」

 

「……後者の方ですよ。予想以上に仕上がりがいいので、ちょっと早いですがデビューさせようと思いまして」

 

「エイシンフラッシュは確かクラシック3冠路線に進むんだよな? だったら素直に芝2000メートルか、スタミナに若干不安があるのならマイル戦に出すのがセオリーだな。一夜漬けするようなものでもないと思うが」

 

「いや、デビュー戦はどれでいくかだいたい決まっているんですけど、皐月賞から逆算してのスケジューリングや調整方法なんかを詰めていると、思った以上に時間がかかりましてね……。こういうとき要領悪いなってつくづく思いますよ」

 

 

 そう話すと園部トレーナーは少し驚いた顔をした。

 

「皐月賞から逆算……。今のうちからそこまで考える必要はないんじゃないか? レースの勝敗如何によってその都度修正しなくちゃならんし、調整もその時々で臨機応変にってのが基本だろう」

 

「はい。だから予定通りには進まない可能性が高いと思います。ですけどエイシンフラッシュはこう……綿密な計画を立てたがるタイプでして。例えるなら遠足に行くときは何時何分のバスに乗って、何時何分に目的地到着。その5分後に玄関に集合して……みたいな、準備万端にすることで自信を保つんです。そこまでやることで彼女の自信が少しでも補強できるんであれば、たとえこの予定表が全部無駄になったって構いませんよ」

 

 

 俺はまだまだ未熟なトレーナーだ。レース面もトレーニング面でも劣っている。「新人だから仕方ない」と言われようと、担当ウマ娘にとっては関係ない話である。こんな俺をあえて選んでくれたエイシンフラッシュのためにもやれることは全てやっておきたいのだ。

 

 呆れた風に首を振る園部トレーナー。

 

「まあそれも若い奴の特権てな。外野がとやかく言うことでもないか」

 

「あ、そうだ。メイクデビューに備えて併せやりたいんですけど、園部トレーナーも協力してくれません? ツテがなくて困ってたんですよ」

 

「しゃーねえなぁ。何人か声かけといてやるよ。……それともう1つ、先達としての助言をしてやろう」

 

 急に背筋を伸ばして、若干圧の籠った声音で園部トレーナーは言った。

 

 

「メイクデビュー戦は実力バが勝つとは限らない。どれだけ抜きん出た強さを持っていようとも呑まれる可能性がある。あのヴィクトリーピザでさえ、初戦となれば負ける可能性があると思っている。初戦ってのはそれだけ緊張するものなんだ」

 

「……、」

 

「レースは心技体が問われる。そのうちの心が最も揺さぶられるのがメイクデビューだ。そんななか、俺たちトレーナーにできることと言えば――――」

 

「――ウマ娘の前では気丈に振る舞うこと、ですよね?」

 

 

 OJT時代散々言い聞かされてきたことだった。トレーナーの緊張はウマ娘にも伝播する。たとえ喉から心臓が飛び出そうなほど緊張していてもそれを表に出すな。

 

 分かってるみたいだな、と満足げに頷く園部トレーナー。俺はぬるくなったコーヒーを一気に飲み干して席を立つ。

 

 

「アドバイスありがとうございました。併せの件、よろしくお願いしますね」

 

「おう。お互い頑張ろうや」

 

 一礼して俺はトレーナー室へと向かっていった。

 

 

 




デビュー戦も史実に沿って描写したいのですが、
当時のレースを探しても載っていないため、道中のことは想像で書いていきます。

基本的にアニメキャラは出てこない予定です。(スピカやリギルトレーナーなど)
たづなさんくらいなら今後の展開次第で出てくるかもしれませんが。


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負けて得るもの

最近仕事が残業続きで全然書き溜めできていません……。


 

「――メイクデビュー戦の詳細が決まった」

 

 ある日のこと、練習前にトレーナー室でエイシンフラッシュと週始めのミーティングでそう告げた。

 サプライズ風に告げたのだが、彼女はやはりと言うべきか顔色一つ変えずにいる。しかし僅かに息を呑んだようにも見えた。

 

 俺は彼女の反応を窺った後、メイクデビューの出バ表を手渡した。

 

 

「場所は阪神競バ場。距離は芝1800メートルの外回りコースだ。最後の直線が473メートルもあるから、キミの強みに合ってると思う」

 

「確かにそうかもしれませんね。ゴール前200メートル地点に急坂がありますから、そこは気を付けないといけません」

 

「その通りだ。幸いこのレースに出場する顔ぶれに要注意とされるウマ娘は出ていない。もちろん油断は禁物だけどね」

 

「当然です。……私にあるのはヴィクトリーさんに負け続けてきたという実績だけ。油断できる要素など何もありません」

 

 

 正直言って今回の面々では実力だけ鑑みるとエイシンフラッシュが抜けている。自分の走りができればまず負けることはないだろう。

 しかし先日園部トレーナーが言っていた通り、メイクデビューというのは特別な緊張感が漂っている。それに呑まれれば実力が発揮できずあっさりと負けてしまう可能性もあるのだ。

 

「これがレース当日までのトレーニングメニュー。いつもの基礎作りの他に実践を意識した練習を取り入れていく」

 

「すみません、ちょっと詳しく見せてくれませんか」

 

 そう言ってエイシンフラッシュは俺の作った練習メニューを確認する。顎に指を添えて深く考え込む彼女の横顔を見つめながら、俺はある話を切り出すタイミングを密かに窺っていた。

 

 彼女に慢心はない。今の状態のままレースに臨めば好走が期待できる。余計なことを話すべきではないと思っておきながらも、隠し事が下手な俺のことだ、いつか察せられて後々拗れた方がまずいとも考えている。

 

 見つめ過ぎていたのを感知されたのか、不意にエイシンフラッシュと目が合う。咄嗟に考えていたことが口をついた。

 

「――正直言って、負けるかもしれないと思っている」

 

 言ってしまった。別に言わなくてもいいことを口走ってしまった。

 エイシンフラッシュはぽかんとした表情を浮かべている。今更取り消すことなど彼女相手に不可能だ。思ったことをそのまま言葉にするしかない。

 

 

「もちろん勝つためにトレーナーとして全力を尽くす。だけどキミには隠し事をしたくないから正直に話すけど……、どこかで負けると考えている自分がいるんだ。レースに絶対はない。最強だっていつか負ける」

 

「…………」

 

「けど信じてほしいんだ。これはヴィクトリーピザに勝つために必要なことだって。彼女とキミの一番の差は実戦経験だと思ってる。彼女は昔からレースで叩き上げてきたけど、キミはトレセン学園に入ってから実戦に触れた。それが埋めがたい差となって結果に表れている。そのためにヴィクトリーピザよりも早くデビューして、少しでもその差を埋めたい。クラシック3冠に勝つために」

 

 

 ともすれば言い訳じみたセリフを、エイシンフラッシュはただただ黙って耳を傾けていた。そして聞き終わると、その耳がペタンと力が抜けたように折れた。

 

「……そんなこと、当たり前じゃないですか」

 

 意外な言葉が彼女の口から飛び出した。落ち着いた平生の性格のわりに、彼女は負けず嫌いな一面が見て取れる。そもそもウマ娘として、誰しも最初は常勝を夢見るものとばかり考えていた。

 

 そんな驚いた表情の俺を見かねて、エイシンフラッシュは「まったく」と嘆息する。

 

「どんなことであれこの世に絶対はありません。どんな人でも1度は負けを経験するものです。大事なのはその負けをいかに次の勝利へと繋げることができるか、です」

 

「……だけど最初から負けるつもりで挑むレースに得るものなんてないよ。本気の失敗にこそ意味があるんだ」

 

「分かっています。私も負けるつもりはありませんよ。……おっと、こう言うと先ほどの発言と矛盾しているように聞こえますね」

 

「そうかな? 俺には勝ちたいって気持ちが伝わってきて良いと思うよ」

 

 

 つい嬉しくて笑ってしまう俺に対し、やはりエイシンフラッシュはツンとした表情で言った。

 

 

「そんなことよりも、この練習メニューについて3点ほど確認したいことがあります。まず併せと模擬レースの回数をもっと増やしてほしいことです。私に足りていないのは実戦経験だと先ほど言っていたじゃないですか」

 

「それは言ったが、地力を付けることの方が優先順位が高いと判断したんだ。キミの走りはまだ未完成、何本かに1本は良い走りを見せてくれるがそうじゃないとタイムが落ちる。そこを固めないと実践も中途半端な結果になってしまう」

 

「実戦で自らの力量を測ることも重要だと思いますが……いったん置いておくとして、2点目はオフの日です。少しオフが多いと思うのですが――――」

 

 

 結局この日は陽が落ちるまでミーティングが続き、メイクデビュー戦に向けての始動は明日からということでお開きとなったのであった。

 

 

 




なお1度も負けを経験したことのないウマ娘がいる模様。(マルゼンスキー)

本当は次回メイクデビュー戦に突入する予定だったのですが、
エイシンフラッシュの掘り下げが全然できていないと思ったので予定変更します。


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エイシンフラッシュとスマートファルコン①

 メイクデビュー戦2日前。昨日までで追い切りを終えたので、今日は本番に備えて軽く汗を流すだけに留め、調整が終わったのは午後3時過ぎだった。レースは阪神競バ場にて行われるため、明日は前泊して乗り込むのだ。

 

 エイシンフラッシュは1度寮に戻ってシャワーを浴び、今は俺と一緒にカフェテラスにいる。明日からの流れを再確認するためである。

 

 

「明後日は12時10分開始予定だから、会場には2時間前には着いておこう。レンタカーは向こうで借りてるから、阪神競バ場まで10分とかからないはずだよ」

 

「新幹線は8時の切符を購入済みなんですよね? ……新幹線を乗るのは初めてです」

 

「ああ。向こうには10:30頃に着く予定で、いったんホテルにチェックインし荷物を預けてから現地のトレセンで軽く身体を動かそう」

 

 エイシンフラッシュは自身の手帳に記したスケジュールと照合しながら、1つ1つ漏れなく確認していく。神経質になりすぎている、と捉えることもできるが彼女にとってはこれが平常運転なので問題ない。

 

 いつものようにコーヒーを啜っていると、背後から「あーっ!」という大声が鳴らされて、驚きのあまり吹き出しそうになるのを何とか堪える。首を捻って声の主を見やると、そこには色艶の良い栗毛をツインテールに結った、やや小さめのウマ娘がこちらに手を振っていた。

 

「フラッシュさーん! お疲れさまー☆」

 

 勢いよくこちらに歩み寄ってくる姿を見て、エイシンフラッシュに目配せする。

 

「彼女とは知り合い?」

 

「はい。彼女とは同室で――」

 

 エイシンフラッシュが何者か答える前に、栗毛の彼女は元気いっぱいな様子で俺とエイシンフラッシュの間に立つ。カラフルなリボンが忙しなく揺れている。

 

「フラッシュさん、今度の日曜日レースなんだよね? おめでとう~っ!」

 

「まだレース前なのでおめでとうと言うには先走りすぎではないですか?」

 

「もぉ~。そうやってすぐイジワル言うんだから~。……って、もしかしてフラッシュさんのトレーナーさん!? ごめんなさい、きっと大事なお話してたんだよね?」

 

「いや、もう粗方終わってるから問題ないよ」

 

 そう言うと栗毛の彼女は良かった、と胸を撫で下ろした。エイシンフラッシュと違って喜怒哀楽が表に出やすく、同部屋だと言っていたが対照的な2人のように映る。

 

 栗毛の彼女は咳払い1つして、胸の前で両手を軽く握って可愛らしいポーズを作って言う。

 

 

「ちょっと遅れちゃったけど自己紹介ターイム! 私、スマートファルコン! トップウマドル目指してまーす☆ ファル子って呼んでね♪」

 

「ウマドル?」

 

「そう! ウマドルはアイドルウマ娘のことで、レースに勝ったときのウイニングライブで皆にキラキラと夢を与える存在なの!」

 

 なるほど、分からん。

 ウマドルがどういうものなのかいまいちティンとこないが、スマートファルコンの名前は聞いたことがある。確かダートを主戦場に置いていて、まだG1こそ勝ったことはないが現在重賞6連勝中の期待のウマ娘として特集されていたはずだ。

 

 スマートファルコンはエイシンフラッシュの隣の席に座り、何故だか嬉しそうに笑っている。個人的にエイシンフラッシュが苦手なタイプかも? と思っていたが、彼女もなんだかんだ気を許しているのか、ふっと肩の力を抜いている。

 

「ところでファルコンさん、何か私に用があったのではありませんか?」

 

「う~ん、何か用事があるわけじゃなかったんだけど、フラッシュさんが今度レースに出るから応援したくて!」

 

「ありがとうございます。そういうファルコンさんもレースが近いのでは? 私の心配をしてくれるのはありがたいですが、まずは自分のことをしっかりしてくださいね」

 

「うん、ありがとーっ! えへへ、逆に私が励まされちゃった☆」

 

 若者同士の会話に俺はなかなか入れないが、当人たちは盛り上がっている様子だ。俺とエイシンフラッシュとではなかなか世間話で時間を潰す機会がなく、だいたいがレースやトレーニングに関することばかりでお堅い内容がほとんどである。俺も彼女と話が合うような話題を勉強しなくちゃな。

 

 そうだ、とせっかくの機会なので俺はスマートファルコンに尋ねてみる。

 

「スマートファルコン」

 

「ファル子でいいよ?」

 

「スマートファルコンは既にレースを多く経験していると聞く。よかったら初めてのレースに備えて、何かアドバイスをもらえないかな?」

 

「うぅ、フラッシュさんと一緒でトレーナーさんも譲らないな~」

 

 いきなり馴れ馴れしく女の子を愛称で呼べるほど俺は図太くない。エイシンフラッシュのことだってまだそのまま呼んでいるのに。

 

 俺の問いかけにスマートファルコンはうーん、と指先を両こめかみに当てて唸っている。

 

 

「レース……アドバイスかぁ。確かにちょっぴり緊張はしたけど、特別意識したことはないかな~。ファル子はとにかく逃げることしか考えてなかったから、先行や差しと違って考えることが少なかったからかも」

 

「そうか……」

 

「あ、でもでも! デビュー戦で1番覚えてることがあるよ!」

 

 

 ずい、と俺とエイシンフラッシュは若干前のめりになって答えを待つ。スマートファルコンは僅かに圧を感じたのか、苦笑いを浮かべて言った。

 

 

 




スマートファルコン登場回。
正直アプリで既出キャラはそれぞれで解釈違いが起きそうだからあんまり出したくないのよね……。

長くなりそうなので次話に続きます。


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エイシンフラッシュとスマートファルコン②

①の続きです。


 

「それはね、勝った後のウイニングライブ! いつもは観客席で見てることしかできなかったけど、自分がステージに立って初めてそこからの景色を見て、うわぁ凄いなーって感動したの!」

 

 ウイニングライブ。応援してくれたファンの人たちに感謝を示すライブのこと。特にG1クラスのウイニングライブとなると、観客の数も演出も桁違いとなりそこに立つことを目標に据えるウマ娘もいるくらいだ。

 

 ウマドル? を目指すスマートファルコンともなると感無量だったのだろう。トレーナーが立つことはまずないが、1位だけが見える景色というのは格別なんだろうと何となく思う。

 

 キラキラと輝く破顔っぷりを見せていたスマートファルコンは、ふとしたときに「しまった」と自身の側頭部をコツンと右拳で叩いた。

 

 

「ごめんなさーい! これだと何のアドバイスにもならないよね? えーとえーと、他に何か感じたことはあったかな~?」

 

「はは、いや別にいいんだよ。そんな素敵なウイニングライブを目指すという良い目標ができた。なあエイシンフラッシュ?」

 

「いえ、私はどちらかと言うとレースの勝敗に重きを置いていますので、ウイニングライブはあくまでその副産物という認識ですが」

 

「っておい、ここは素直にありがとうでいいじゃないか。……と、すまない。ちょっと電話がかかってきた」

 

 

 俺は席を立ち、少し離れた位置で通話を始める。

 

「もしもし?」

 

『あ、トレーナーさん? 理事長秘書の駿川たづなです。すみません、明後日のメイクデビュー戦の書類でいくつか確認していただきたい箇所があるのですが、お時間よろしいでしょうか?』

 

「分かりました! 時間は今余裕あるので問題ありませんよ。場所は理事長室でよかったですか?」

 

『はい! ご足労おかけしますが、よろしくお願いします』

 

 何事か、とこちらを注目していたエイシンフラッシュたちに俺は片手を立てて詫びのポーズを示す。

 

「悪い。ちょっとだけ書類チェックがあるみたいだから行ってくるよ。エイシンフラッシュ、何か気になることがあればいつでも電話してくれていいから。それじゃ!」

 

「あっ……」

 

 エイシンフラッシュが珍しく言葉に詰まった様子を見せる。さらにさらに言い淀み、何か言いたげにこちらを見つめている。

 

 見慣れないそんな態度を前に、困った俺はつい首を傾げた。

 

「……どうした? 何か気になることでもあったか?」

 

「……いえ、何もありません。どうぞ行ってらっしゃいませ」

 

 エイシンフラッシュはそう言って俺を見送った。最後の言動は引っ掛かったが、一応スマートファルコンと話せてリラックスできているみたいだし良かった。

 

 その後理事長室で書類の訂正を終え、秋川理事長に激励の言葉を受けて今日を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 トレーナーさんが慌ただしく去った後、ファルコンさんはニコニコと私の顔を見つめてくる。

 

「……どうかしましたか?」

 

「へ? ううん! 何でもないよ☆」

 

「何でもないのに人の顔を見て笑うというのであれば、それは悪癖だと思うので是非矯正した方が良いかと思います」

 

「あーん、拗ねないでよ~っ」

 

 ファルコンさんが私に縋り付いてくる。人の感情は必ずしも表裏が同一になるとは限らないが、こと彼女に限れば表に出ている感情が全てである。つまりファルコンさんが笑っているときは、何か喜ばしいことがあったということなのでしょう。

 

 ファルコンさんは先ほどまでトレーナーさんが座っていた席を見やる。

 

「だってフラッシュさん、担当トレーナーさんととっても仲良しに見えたんだもん! 素敵だなーって思わされちゃった!」

 

「……仲が良さそうに見えましたか?」

 

「もっちろん! ちょっぴりしかお話できなかったけど、お互いが信じ合ってるんだなーって伝わってきたよ! それにフラッシュさん、自分がそう思っていないことはすぐに否定するってこと気付いてる?」

 

 ファルコンさんにしては珍しく言葉に含みを持たせてくる。すぐに否定できなかったから仲良しだとでも言いたげだ。

 

 私は背もたれに身を預けて言う。

 

「……私のことはさておくとしても、仲良しというのは双方向がそう認識して初めて成り立つものでしょう? 彼がそう認識しているとは限りませんよ」

 

「そんなことないと思うけど……あっ、でもフラッシュさんのことまだフルネームで呼んでたし、不安に思っても仕方ない……のかも? 私のことをファル子って呼んでくれなかったし、単純に愛称で呼ぶのに慣れていないのかもしれないよ!」

 

「そこは別段気にしていませんが……」

 

 何をどう考えれば私がトレーナーさんとの関係性に悩んでいると勘違いできるのか。論理性に欠けています。

 

 ウマ娘とトレーナーの関係は互いの利に沿ったもの。心を通じ合わせる必要は必ずしもなく、俗に言うところのビジネスライクでも充分成り立つ間柄なのだ。

 私に踏み入ってほしくない領分があるのと同じく、彼にも踏み入ってほしくない領分があるはず。そもそも人は言語を介してでしか意思疎通ができず、心が通じ合うというのも論理的ではありません。割り切った関係性こそが求められる、とさえ私は当初考えていました。

 

 ……せっかく今日は時間があるのだから、もう少しだけトレーナーさんと話してみたかった、なんて僅かでも残念に感じてしまった私を以前の私が見れば、きっと「論理的ではない」と言うのでしょう。

 

 ふぅ、とファルコンさんに悟られない程度に小さく息を漏らして苦笑した。思わず笑みがこぼれるなんて、ファルコンさんのことを咎められませんね。

 

 

 ――――私と彼にとって、初めてのレースがすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 




終わりです。

次回はようやくメイクデビュー戦の予定。ここまで長かった……。


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メイクデビュー戦、開始

 メイクデビュー当日。

 

 私はパドックでのお披露目を終えて、地下バ道を通りレースコースへと向かっていた。今日の私は7枠13番。ほとんどのウマ娘たちは既にターフを踏みしめているはずだ。……誰もが初めてとなる、実戦のターフを。

 

 顔を上げる。すると15メートル離れた先の突き当たりの壁際に、私のトレーナーさんが立っていた。よっ、と軽い調子で手を振っている。

 

「パドックを見たぞ。観客の前に出ても緊張していなさそうでちょっと安心した」

 

「メインレースまでまだ時間がありますから、そこまで人は多くなかったので問題ありませんよ。それに私はさほど注目されていませんから」

 

「5番人気だったことを気にしてるのか? そんなのはレースの結果で覆してやればいいだけさ」

 

「その通りですね」

 

 トレーナーさんが胸に付けているトレーナーバッジに触れる。先刻までいた控え室でも時折同じ仕草をしていた。別段おかしな動きではないが妙に気になってしまう。

 

 私がじっと観察していると、彼は瞬きして尋ねてくる。

 

「ど、どうかしたか? 変なものでも付いてたか?」

 

「いえ……、何も問題ありません。いつも通り身嗜みは綺麗にできています」

 

「そうか……」

 

 ならいいんだが、とトレーナーさんはほっと息を吐く。

 おそらくトレーナーさんは私の緊張を解しにきたんだろうが、レース前に長々と話す時間的余裕はない。故に私は端的に不安はないことを伝えようと思った。

 

 私はトレーナーさんの前を通り過ぎ、ターフへと繋がる出入口を背に向けて告げる。

 

「トレーナーさん。――私の走り、ちゃんと見ていてください」

 

「……ああ! 頑張ってこい!」

 

 トレーナーさんはそう言って元気よく私の背を押してくれた。

 

 

 

 

 

 地下バ道を抜け、ターフに脚を一歩踏み入れるとそれだけで気持ちがグッと引き締まるのが分かる。トレセン学園のレースコースとは違う、本番特有の空気感がそうさせるのだろうか。

 

 夜更けに降った雨はしつこく芝に水滴を付けている。軽くつま先でそれを蹴飛ばすと、芝からキラキラと眩い滴を散らした。雨を吸った独特の香りがターフに充満している。――五感全てでターフに立っていることを改めて私は実感した。

 

 私はトレセン学園とは違う芝の感覚に慣れようと、発バ機のところまで軽く走る。若干地面がぬかるんでいるかもしれないと危惧していたが、どうやらその心配はせずに済みそうだった。これなら練習通りの戦略で戦える。

 

 発バ機の入り口前に到着し、私は深く息を吸い込み、お腹に力を入れながらフッと息を吐き出す。そして競争相手となるウマ娘たちを見つめる。

 

「…………っ!」

 

 どくん、と心臓が大きく跳ねた。緊張感、という表現すら生易しいと思えるほどの雰囲気。私の人生経験の中でこれほど張り詰めた空気感を味わったことはなかった。

 混じりけのない純粋な真剣勝負の場。そうと認識した途端、少ない観客の声は耳に入らなくなった。そしていつの間にか私はゲートインしていて、今まさに最後のウマ娘がゲートに収まろうとしているのが横目に入った。

 

 まずい、と思ったのと同時にガコン! とゲートが開いた。スタートダッシュの準備が整っていなかった私は、当然他より遅れてスタートを切ることになる。

 

 ……大丈夫、落ち着いて。予定とは違うけどまだ巻き返すことはできる。

 

 私は外側から快足を飛ばして真ん中付近に身体を置きながらレースを進める。少し内側に入りスタミナ消費を抑える。

 

 向こう正面を抜け第3コーナーへ、そして間もなく第4コーナーというところ。私はそろそろ加速していこう、と首を振って抜け道を探る。

 

「道が、ない……!?」

 

 前方はウマ娘たちが壁となって割って入れそうな隙間は見当たらない。それならば大外へと1度抜け出して、と思ったが外からぐんぐんと伸びてきた追い込みウマ娘に塞がれる。――どちらかの道が開くまでこのままの位置にいるしかなかった。

 

 第4コーナーを曲がり終える直前で左サイドの空間が開いた。私は前方ルートを確保できる位置まで身体をスライドさせ、溜めていた末脚を解放した。

 

 1人、2人と競争相手を抜き去っていく。「ムリぃー!」と抜いたウマ娘が声を上げた。

 

 

 ――しかし肝心の先頭集団に追いつけない。スパートをかけるのが遅れてしまったせいだ。トレーナーさんが太鼓判を押してくれた私の末脚でさえ、届かない物理的距離。1つ前にいたウマ娘をギリギリ差し切ることが限界だった。

 

 ゴール板を横切った時には既に1着らしきウマ娘が渾身のガッツポーズを掲げているのが目に入った。その他のウマ娘も悔しさはあれどやり切った風な感情が滲んでいる。

 

 けれど私は違っていた。練習してきたことの半分も実行できず、脚もまだ余力を残している。全てを出し切れなかった消化不良感が体内に蓄積していた。

 ふと掲示板に目をやる。5着までのウマ娘たちを載せるそこに私の番号は載っていなかった。私の1つ前にゴールしたウマ娘が5着……つまり、私は6着だったということ。

 

 まばらな拍手が観客席からターフまで届けられる。その中で1つだけ、力いっぱい手を打ち叩いていると思しきものが聞こえた。――私のトレーナーさんが、ほど近い場所から私だけに向けて懸命に称賛を送ってくれていた。

 

「……っ」

 

 思わず彼に向かって頭を下げる。単なる謝罪ではなく、見ていられなかったのだ。彼の瞳に映った私がどれほど情けない姿を見せていたのか、想像することが怖くて、怖くて。見ててくださいとお願いしたのは私なのに……。

 

 風が吹いた。芝が微かに揺れた。夏を物語るような、熱を帯びた不快な風だった。

 

 

 

 




レース描写はやっぱり難しいですね……。全然思い描いていたものが書けない。

もっと熱い文章が書きたいのですが淡々としたものになってしまいました。
バトル漫画特有の戦いながらの会話は、レース中となるとできないですしなかなか慣れません。物語の山であるダービーに向けて精進していかないと……。


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敗北を糧にして

 メイクデビュー戦の後、俺とエイシンフラッシュは新幹線に乗って地元まで戻ってきていた。駅からトレセン学園内にある寮まで彼女を車で送り届けている最中である。

 

「…………」

 

 エイシンフラッシュは助手席で窓の外に広がる景色をずっと眺めている。新幹線のときも同様だった。会話らしい会話はほとんどないまま今に至っている。こういうときフォロー下手な自分を憎らしく思ったことはない。

 

 ――メイクデビュー戦。結果は6着だった。2人で試行錯誤を続けて調整し、やれるだけのことはやったと思っていたから、この結果は正直キツいものがある。現実は非情である、というが叶えられるのであればもう少しだけ彼女に良い夢を見させてあげたかった。

 

 赤信号になる。ブレーキを踏む。左折のウインカーがチカチカと規則的なリズムを刻んでいる。

 

 

「――すみませんでした」

 

 

 ぽつり、と雨のような小声を漏らしたエイシンフラッシュは、俯いて自身の指先を見つめていた。

 声に釣られてつい彼女に目を向けたくなるが、直後に青信号に変わったため視線を前方へと固定する。

 

 

「……いったい何に謝っているんだ?」

 

「メイクデビューに向けた特訓と研究を無駄にしたこと、情けない姿を見せてしまったこと。――貴方の期待に応えられなかったこと、です」

 

 意外だった。彼女が俺からの評価を気にしているなんて。

 

 そもそもどんな結果であれ俺が彼女に失望するなんてあり得ないし、負けた責はトレーナーにこそ負わされるべきだ。とはいえそんなことを述べたところで、エイシンフラッシュは「自分のせいだ」と言い張るに違いない。彼女は強い芯を持っているからな。

 

 なので俺は別の切り口から考えを話すことにした。

 

「確かにレースには勝ちたかったよ。そんなのはキミとしても当たり前だと思う。だけど俺は前に言ったはずだ、『負けるかもしれないと思ってる』って。これは言わばヴィクトリーピザへの勝ちの途中。クラシック3冠で差し切れば問題ないさ」

 

「けれど今日のレースでは掲示板すら外しました。こんな無様を晒して、本当に世代最強のヴィクトリーさんに勝てると思いますか?」

 

「思うよ。キミは勝つ。キミは今日、確かに一歩を踏み出したんだ。歩みというには拙かったかもしれないけど……、間違いなくヴィクトリーピザとの距離を縮めた」

 

 それは単なる慰めではなく本心の言葉だった。エイシンフラッシュなら今日の悔しい敗戦をきっと糧に変えてくれる。それが勝利への道筋を象ってくれると信じている。

 目をこちらに向けてくれなかった彼女は、やっとと言うべきかこちらに焦点を合わせてくれる。

 

「今日のレースの敗戦、キミはどう分析する?」

 

「……最大の原因は『視野の狭さ』ですね。いつの間にか四方を囲まれつつあることに気付かず、いざ抜け出そうというときに周囲を見回した。本当はそれよりも前の段階で掴んでおかないといけない状況でした」

 

「そうだな。そのせいでキミは自ら抜け出せずに進路が開くのを待つしかなかった。生殺与奪を握られているようなものだ。その間に先頭集団と距離が開いていったわけだからね」

 

 差しは王道の戦法だが、弱点の1つに周りを囲まれてしまうリスクがある。逆に言えばそこさえ回避できれば、最大の武器である末脚を存分に発揮することができ、充分に競争相手と勝負できる状態になるはずである。

 

 しかしエイシンフラッシュは既に自身の敗因をしっかりと整理できている。現実から目を背けないのも立派な強さだ。

 

 

「キミの最大の武器は上がり3ハロンーー突き詰めればラスト400メートルにある。だけどレースが終盤になればなるほど疲労で頭の回転は鈍り、ベストな判断を下すことが難しくなる。すぐには解消できない部分だけど、次からの練習ではそこのリカバリーを重点的にやっていこう」

 

「はい。次こそは勝利を見せてあげます」

 

「その意気だ。これからも2人で頑張っていこう」

 

 

 信号が青になってアクセルを踏む。エイシンフラッシュはもう、俯いてはいなかった。

 

 

 




短いですがここまで。

次回は未勝利戦へと移ります。テンポを上げていきます。


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未勝利戦にて初勝利を目指して

 季節は移り変わり、秋。

 

 私は京都競バ場で行われる未勝利戦にエントリーしていた。コースは芝2000メートル。バ場状況も良好で私にとっては好条件がそろっている。

 

 メイクデビュー戦で敗北して以後、私たちは今までの練習方針を見直した。酸欠状態であっても常に思考状態を維持できるよう、普段のランニングの中で意識的に負荷をかけ続けた。

 肉体的スタミナだけでなく頭脳的スタミナの強化。距離の長いクラシック3冠レースを見据えて必須となる項目だった。

 

 発バ機前に集まった競争相手たちを観察する。私含め未だ勝ったことのないウマ娘たち。それ故に「今回こそは!」と意気込んでいるはず。未勝利とはいえ侮れる相手ではない。

 

 次に私は観客席を見やる。人もまばらな場所のため、トレーナーさんの姿はすぐに見つけられた。彼も私を見ていたらしくふと視線がぶつかる。何を言うのでもなくトレーナーさんはグッと握り拳を掲げてみせ、「大丈夫だ」とでも言いたげだった。

 

 トレーナーさんは「負けてもいい」と言ってくれたけれど、完全にそれに甘えてはいけない。本心も混じっているだろうが、同時に彼は「勝たせてやりたい」という想いでいるはずだから。それを裏切るわけにはいかない。

 

 私は自らの意思でゲート内に入る。レース開始前に既に負けていた前回と違い、今の私は落ち着いている。高揚感を煽るゲート内の窮屈さも今は実感できている。

 

 しん、と一瞬周囲が水を打ったように静まり返った。グッと重心を落とし、スタートダッシュに備える。

 

 

 ガコン、と扉が開かれると同時に私は勢いよく飛び出した。

 

 

 良いスタートダッシュが切れた私は、外側からゆっくりと内へと切り込んでいく。

好スタートの勢いによりそのまま先行策を取るのもありかと一瞬頭をよぎったが、私は最も慣れた中団真ん中――差しの位置まで順位を落とす。前回とそれほど変わらない位置だが、あのときはスタートの失敗を取り返そうと序盤に慌てて順位を上げた。それにより貴重な脚を使ってしまったのだ。

 

 全員が出方を窺っているのか、比較的スローペースでレースが進んでいく。そして第4コーナーを迎える直前、全員が揃ってラストスパートをかけるタイミングを図っている。

 

 ――その時には私は既に外側へと進路変更し、開けたルートを一気に駆け抜ける準備を整え終えていた。

 

 

「――――ふっ!」

 

 

 リミットを外すべく息を強く吐き出し、後ろに伸びた足を目いっぱい力を入れて蹴り出す。ぐん! と物凄い加速力が私の全身を包み込み、瞬く間に前を走っていたウマ娘たちを抜き去っていく。

 

「ムーリーッ!」

 

 あっという間に2番手の位置まで押し上げたものの、ゼッケン1番のウマ娘だけは懸命に力を振り絞っており、あともう一歩及ばない……そんな状況が100メートル以上続く。

 

「負けてたまるかっ……! 今度こそ勝たなきゃ、私は!」

 

「っ……!」

 

 肉薄しているゼッケン1番のウマ娘が歯を食いしばりながら、もはや意地だけの走りで頑としてトップを譲ろうとしない。

 

 届かないのか? と心が弱音を僅かに漏らす。爆発的な加速を得るために力の大半を出し尽くしたのだ、ここからもう一段階振り絞ることのできる余力は――――

 

 

「――エイシンフラッシュ!」

 

 

 ゴール板の向かい側の観客席で、トレーナーさんが声を張り上げている姿が目に入った。

 残された余力はもはやない。論理的に言えば相手に今先着を許している時点で私の負けは覆しようがない。

 

 そんな空となった私のスタミナタンクに、未知なるエネルギーが僅かに注入されたような気がした。

 そしてその力が相手との「あともう一歩」を埋める決定打となった。

 

「なっ……!」

 

 

 再加速した私はゼッケン1番のウマ娘と並び、ゴール寸前でさらに半歩前へと踏み出しゴールを果たした。

 

 ゴール板を通り過ぎ、力を使い果たした私はスピードを落として天を仰ぐ。僅かに息を整えてから掲示板に視線をやる。どうやら写真判定を行っているらしく、順位が反映されるまで時間がかかっているみたいだった。

 

 今度はトレーナーさんの方に目がいく。メイクデビュー戦と同じ風に私に対して拍手を送ってくれていた。しかし異なるのは敗戦を慰めるものではなく、正真正銘祝福によるもののそれで――――

 

 おぉっ! と観客席から声が上がった。釣られて掲示板を確認すると、1番上の枠には10番――私のゼッケン番号が表示されていた。

 

 勝った――そう認識した途端、身体の奥底から熱い何かが込み上げてくるのを感じ取った。言葉では言い表しがたい感情を今すぐ全身で伝えたい衝動に駆られる。

 

 私は観客先に向き直り、右手を胸に当て脚を交差させて優雅な風に頭を下げる。騎士の末裔だという父が教えてくれた、相手への敬意と感謝を表すポーズ。それが無意識のうちに出てしまった。

 

 観客たちから盛大な拍手が浴びせられる。自分の全てが肯定されたようで、私はそれを噛み締めるようにしばらく頭を下げていたのだった。

 

 

 




以上、初勝利でした。
やっぱりレースシーンは難しい……。

次にちゃんと書くとしたら皐月賞かな。

明日は1回お休みします。書き溜めが完全に尽きたのと4連休に回したいので。あしからず。


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休養日とモンブラン①

この4連休は毎日投稿したいですね。


 未勝利戦で勝利を収めた翌日、レース前ということで今日はオフとしていた。

 俺はといえば久しぶりに昼過ぎまで惰眠を貪ろうと当初計画していたのだが、習慣が抜けずに結局7時には起きてしまっていた。これでもいつもよりは睡眠時間が取れているのだから良しとするか。

 

 その代わりにいつもはインスタントで済ませる朝食時のコーヒーも、今日は豆を使ったちょっと本格的なものにして、レタス、ハム、タマゴのサンドイッチを作ったりした。

 

 その後は足りなくなっていた日用品の買い出しを兼ねて街中をぶらぶらと散策し、お昼ご飯を済まし、帰寮する頃には15時近くになっていた。

 

 両手に持った荷物を整理し終え、ふうと一息つく。

 

「…………」

 

 さて、既にやることがなくなってしまった!

 

 トレーニングに役立ちそうな本を何冊か溜め込んでいるが、普段はちょっとした空き時間にコツコツと読み進めることにしているため、休日の中腰を据えて読書に耽るのも何か違う気がする。

 

 かと言って外の友人に声をかけるのも憚られる。トレーナー以外の職に就いた友人たちは平日の今は仕事真っ只中だろうし、同期のトレーナーたちも担当ウマ娘たちとトレーニング中のはずだ。

 こういうとき無趣味なのは地味に困る。園部トレーナーは麻雀だの釣りだのに休日は勤しんでいると聞くが、そのどちらも体験したが肌に合わなかった。映画やドラマも普段まったく見ないせいで1、2時間費やす我慢ができないだろう。

 

 

「うーむむむ……」

 

 

 ソファーで頭を悩ませても仕方ない、と俺は立ち上がり鞄に書類や手帳なんかを詰め込む。そうして準備を整えて部屋を出た。

 

 オフの間に済ませるべきことはやったし、今から夕食までの間だけでも次のレースに向けてプランでも練ろう。本当は明日やる予定だった昨日のレース内容をまとめて、明日からの練習メニューに活かさないと。

 

 トレーナー寮はトレセン学園の敷地外にあるとはいえ、徒歩3分もすれば関係者専門口までたどり着く程度の距離にある。いつものトレーナー室に入りパソコンを立ち上げる。

 

 立ち上げ時間中、手持ち無沙汰な俺はふと昨日の未勝利戦を振り返る。

 

 ――ギリギリの勝利だった。2着とはクビ差だったということもあるが、何よりエイシンフラッシュ本人が土壇場で一段階上に行かなければ勝てないレースだった。

 

 これがトゥインクルシリーズ。誰もが勝ちたいと思い、限界以上の力を発揮してくる。確実に勝てるレースなど存在しないのだと改めて認識する。

 だからこそ1戦1戦がエイシンフラッシュの大きな糧となる。勝てたレースも負けたレースも、次のレースへと繋がる血肉となる。

 

 俺は運営公式で記録されたレース動画を繰り返し視聴する。俯瞰映像で見てみると課題とすべきポイントが見えてくる。たとえば前回の課題だった『視野の狭さ』はそれなりに改善できているものの、返って周囲に気を取られすぎて細かく位置取りを修正し、無駄な脚を使っている。前回の失敗体験を過剰に意識しすぎているのだろう。

 

 レース映像を繰り返し見るたびに改善ポイントが浮上してくる。しかし同時にそれはエイシンフラッシュの伸びしろとも言える。いや……これを伸びしろにすることが俺の役目なんだ。

 時間を忘れて映像に没頭していると、不意にトレーナー室の扉がノックされた。どなたですか? と尋ねると、返答の代わりにドアが開かれた。

 

 

「……トレーナーさん、何をやっているんですか?」

 

「え、エイシンフラッシュ……」

 

 

 扉の先には何やら白い箱を抱えたエイシンフラッシュが立っていた。彼女は俺が仕事に打ち込んでいる姿を見るや否や、途端に険しい表情を浮かべる。え、何? 物凄い圧を感じるんだけども。

 

「今日は完全休養日と言いましたよね? 私はその言いつけ通り授業の体育でさえお休みをいただきました。それなのに発案者の貴方が率先して何をやっているんですか?」

 

「あー、いや、その……これはだな……」

 

「言い訳は結構です。その姿を見れば休養していないことは明白ですから」

 

「違う違う! 俺だってさっきまでは休みを満喫してたんだよ、買い物行ったりご飯食べたり」

 

「では今やっているそれも違うと? そのパソコンでトレーニングメニューか何か練ってらっしゃるのかと思いましたが、私の早とちりでしたか」

 

「いやまあ、これは仕事と関係ないと言えば嘘になるが……スミマセン」

 

 

 駄目だ、ことロジカルな彼女相手に舌戦では分が悪すぎる。俺は降参してノートパソコンを閉じた。

 

 

 開幕追及が入ったので聞きそびれていたが、同じくオフのはずの彼女が何故トレーナー室まで足を運んできたのだろうか? そう尋ねるとエイシンフラッシュはすらすらと説明してくれた。

 

「ケーキを作ってみたので、トレーナーさんにもお裾分けしようと思ったんです。ところがトレーナー寮の方に行ってもいなかったので、もしやと思いこちらに来てみれば案の定働かれていたというわけです」

 

「へえ、ケーキか。料理が趣味なのか?」

 

「趣味と言えば趣味ですが、今日作ったのは――――」

 

 何か言いかけたところで、彼女は喉を鳴らして言葉を濁した。そして「それはいいとして」と強引に話を切り替えてくる。

 

「せっかくなのでトレーナーさんも今召し上がりませんか? 今日は休養日なんですから」

 

「……ん。そうだな。せっかくだしそうするか」

 

 了承して、部屋に一応置いてあるお皿を取り出す。エイシンフラッシュにそれを渡すと、彼女は白い箱からモンブランを取り出しお皿へと載せていく。

 

 

「ほう、モンブランか。また難しそうなものを作ったんだな?」

 

「意外とモンブランは簡単ですよ。それに今の季節を鑑みると和栗を使ったものがいいかと思いまして」

 

「なるほど。あ、そうだ。エイシンフラッシュはケーキには紅茶とコーヒーどっち派だ? そんな高いものじゃないけど」

 

「それでしたら……紅茶でお願いします」

 

 分かった、と電気ケトルで沸かせたお湯をティーパック入りのカップへと注いでいく。俺はコーヒー粉をやはりお湯で溶かしていく。

 

 

 




②へと続く。
前後編にしないと1ページあたりの文字数が多くなるので分割しました。

メインストーリーのナリタブライアンの皐月賞がかっこよすぎる。もはやアニメじゃん。


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休養日とモンブラン②

モンブランは天辺にマロンが乗っていないタイプの方が好きです。


 普段はミーティングの際に使っているテーブルにケーキと飲み物を並べる。

 

「そう言えばケーキは分量を守るのが大切だったな。なるほど、キミの得意分野というわけだ」

 

 合点がいき1人で頷きながら椅子に座る。すると対面で既に座って待っていたエイシンフラッシュは誇るように胸に手を当てた。

 

「その通りです。家庭料理と違ってケーキ作りに求められるのはいかにレシピに沿って作れるか。1gの違いも許されない集中力は私にとって心地良いんですよ」

 

「ああ、それだと俺は駄目だな。いつも自分でご飯を作るときは大抵目分量でやってしまう」

 

「一概にそうとは言えませんよ。家庭料理は多少大雑把になってもまとまるものですから。それでも何事もレシピ通りが一番美味しいことに変わりはありませんが」

 

 彼女が自信を持って言うのであれば余程のものなのだろう。モンブラン特有の糸状のクリームに乱れはなく、彼女の几帳面さそのものが反映されたかのようだ。崩すのも躊躇われるほどだが、食べないとなれば本末転倒である。

 

 俺はフォークをゆっくりと入れ、ちらとエイシンフラッシュを一瞥する。彼女は俺の反応を窺っているらしく、自分のものには手を付けようとせずジッとこちらを凝視している。そんなに見られていると食べづらいんだが……。

 モンブランを口に運ぶ。すると濃厚なマロンクリームが口いっぱいに広がった。くちどけもまろやかでお店で出されているものと同等かあるいは――

 

「今まで食べてきたどのお店のモンブランよりも美味しい!」

 

「それは贔屓目がすぎると思いますが……ありがとうございます」

 

 そういうと彼女はホッとした風に肩の力を抜いた。そしてようやく自分の分のモンブランに口を付けた。納得した風に頷いている。

 

 自分へのご褒美として1人で食べるスイーツよりも、不思議とこうやって誰かと食べるスイーツの方が美味しく思える。純粋に彼女の作るモンブランが美味しいということもあるけれど。

 ご褒美。そのワードが頭に思い浮かんだ途端、ある1つのことを言葉にしたくなった。

 

 

「こうしてケーキを食べていると、あれだな。今更だが初勝利祝いをしているような気分になってくるよ」

 

「……ええ。確かにそうかもしれませんね」

 

 

 何故だか彼女は若干嬉しそうに頬を緩ませたような気がした。ひょっとして彼女が今日ケーキを作って持ってきたのは、俺と初勝利を祝いたかったから……? いやいや、それは自意識過剰か。こんなことを口にしたら「そんなわけないじゃないですか」と言われそうだ。

 

 それはそれとしても、俺は彼女に対し初勝利への対応をほとんどしていないことに気付く。当然昨日のうちに「おめでとう」系の言葉は何度も口にしたが、それを何か形にしてはいない。やはりこういう記念事は手元に残るものを送った方がいいのだろうか?

 

 だけど俺、他人に対し何かプレゼントを贈った経験というのがほとんどないからな……。スマートに渡せればいいのだが俺には絶望的に向いていない。

 ひとまずプレゼントのことは置いておくとして、エイシンフラッシュに話しておくべきことがあったのを思い出す。

 

「言い忘れていたんだが、次の出場レースは『萩ステークス』を検討しているんだ。スケジュールはタイトだけど、昨日のレースの感触を確かなものにしておきたいと思って……」

 

 なるべく端的に内容を伝えていると、エイシンフラッシュから待ったがかかる。珍しい、普段の彼女なら区切りのいいところまで清聴しているのに。

 

「トレーナーさん、先ほど言ったことをもう忘れてしまったんですか? 今日は完全休養日と決めていたはず。今日ぐらい少しはレースから離れてもいいじゃありませんか」

 

「…………、なるほど。言われてみれば確かに。少し焦っていたみたいだ」

 

 エイシンフラッシュはティーカップに唇を当てる。まさか努力家の彼女の口から「レースから離れる」なんて言葉を聞く日が来るとは思わなかった。来る日も来る日も走り続けていた姿をずっと見ていたから意外に思ったのだ。

 

 とはいえ彼女の言うことの方が遥かに正しい。オンオフは明確に分けるべきだ。よし、今日はレースやトレーニング以外の話題で攻めよう!

 

「…………」

「………………」

 

 練習以外の話題か……。エイシンフラッシュと組んで半年を過ぎたが、会話の大半はレース・トレーニングに関することばかりだった。だからそれ以外と言われてしまうと途端に何を話せばいいのか一瞬分からなくなったのである。

 

 ……いや。よくよく考えてみればおかしな話だろう。俺と彼女は契約こそあれ『コンビ』を組んでいるのだ。それなのに俺は彼女が休日何をやっているのか、どんな食べ物が好きなのか、個人的なことをほとんど知らない。まあ聞いたところで教えてくれるかどうかは分からないが、知ろうともしなかったのは問題だ。

 

 エイシンフラッシュを勝たせてやりたい。言い訳くさいがそればかり考えてきて、それ以外のことに目を向ける余裕がなかった。しかし今は初勝利を収め、ある程度余裕も生まれてきた。色々話すには良い機会なのかもしれない。

 

「……キミは休日、どんなことをしているんだ?」

 

 藪から棒な問いかけだが、エイシンフラッシュは相変わらず澄ました表情で相槌を打つ。

 

 

「そうですね……、授業の課題などの必要最低限なものを除けば、先日はファルコンさんのお誘いでアイドルライブの鑑賞に行ってきました。確かに満足いく内容でしたが、予定終了時刻を31分も超過していました」

 

「アイドルライブかぁ。俺は行ったことないからはっきりとは分からないけど、ああいうのってアンコールがあったりするから延びるものだと思ってたよ」

 

「はい。何事も予定通り遂行することが肝要だと思っている私からすれば、若干の不満が生じました。似たような事例ならスポーツのテレビ中継もそうですね。後番組の予定を延長して放送継続することが多々見受けられます。私はその後のニュース番組を見ているので、たまに影響を受けたりします」

 

「はは、それは何というか……災難だったな。かく言う俺は昔野球をやっていたから、テレビ中継が延長されると喜んだ側だけどね」

 

「それは少し意外です。貴方はスポーツとは関わりが薄いと想像していましたから」

 

「そうでもないさ。俺が中学のときには――――」

 

 

 ケーキを食べ終わり、カップが空になっても不思議と話は途切れなかった。

 言葉を交わすたびに彼女を知ることができて……俺は今日、初めて『エイシンフラッシュ』と出会ったのかもしれない。そう、思った。

 

 

 




次回はクリスマスイベをやる予定です。(全然書けていませんが)

毎日投稿はさすがに厳しくなってきましたが、何とか連休中は更新できるよう頑張ります。


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クリスアスと勝負服①

 

 12月24日。いよいよ年の瀬も目前というところで、エイシンフラッシュは変わらず厳しいトレーニングメニューをこなしていた。

 

 ペース走5本、最終直線を意識した400メートル走10本など、身体の負担をケアしながら最大限できるメニューを考案した。エイシンフラッシュはデビュー前から既に下半身の土台ができていた。それが身体の丈夫さにつながっているのだ。

 

 練習の締め括りとする400メートル走の8本目を終え、疲労がピークに達しつつある様子のエイシンフラッシュに檄を飛ばす。

 

「ラスト2本! フォームを意識して最後まで全力でやり切ろう!」

 

「はい……っ!」

 

 最後まで集中を切らさない汗だくな彼女の姿を見てふと考える。

 

 ――初勝利の後は1勝1敗となり、ジュニア級を2勝2敗の戦績で終えた。結果だけ見ると贔屓目でもまずまずといったような成績である。

 それでも当初の目的通り、本番のレースで多くの経験を積むことができた。これはクラシック級に挑む際大きな財産となる。

 

 ひとまず今後の展望としては、1月に行われる京成杯にはエントリーしており、その後は皐月賞トライアルの弥生賞へと挑む。特に弥生賞は俺たちと同じ皐月賞を狙うウマ娘たちが集まる。つまり同期の有力ウマ娘たちが集結する可能性が高いのだ。

 

 

「……ヴィクトリーピザ、か」

 

 

 エイシンフラッシュが最もライバル視する超実力ウマ娘。メイクデビュー戦こそ固さがあったか2着に終わったが、その後のレースでは噂に恥じぬ実力ぶりで連勝している。やはり当初の目論見通りヴィクトリーピザが最大の難敵になるだろう。

 

 それ以外にも油断ならない相手がいる。メイクデビュー戦でそのヴィクトリーピザを破り、ここまで無敗のフラワープリンセスや先月デビューしたベルーナ、他にも園部トレーナーと契約したワープボートなど、今年は一際強豪揃いだ。

 

 しかしそんな相手たちにクラシック3冠で勝つために、今日までの負けを許容してきた。当のエイシンフラッシュは負けるたびに悔しい思いをしてきたはずだが、俺を信じてトレーニングを積み重ねてきてくれた。

 ……これで彼女を勝たせてやれないというなら、嘘だ。

 

「ラスト1本――――!」

 

 歯を食いしばって駆ける彼女を見て、俺は知らず知らずのうち指が白くなるほど握り締めていた拳を解いて、ストップウォッチのボタンを押した。

 

 

 

 

 その日の夕方、普段使っているカフェテラスは多くの人でごった返していた。

 

 今日はクリスマスイブということで、トレセン学園の生徒会が企画・主催したクリスマス会が催されているのだ。立食形式でめいめいが談笑している姿を壁際から眺めていると、園部トレーナーがグラスを片手に近寄ってきた。

 

「よう。お前さんも来てたのか」

 

「どうも。どんな様子なのか気になって顔を出したんですが、生憎ほとんど知り合いがいないもので孤独感を味わってるところでした」

 

「その孤独を酒のツマミにできればお前も大人の仲間入りだな。当然この場でアルコールは出ないが」

 

「大人ですか。シリウスの元トレーナーみたいな感じで歳を重ねることができるのなら、大人になるのも悪くありませんね」

 

「おいおい、大人として見習うならもっと身近な奴にしとけ。たとえば俺とかな?」

 

「ははっ」

 

「鼻で笑うんじゃねーよ」

 

 まったく、と不満げな息を吐いてジュースを飲む園部トレーナー。

 その頃仮設壇上ではビンゴ大会が執り行われようとしていた。園部トレーナーが俺の分のビンゴシートを渡してくれた。

 

 

「今年の戦績は2勝2敗。まあ新米トレーナーからすれば上出来なんじゃないか?」

 

 

 不意に園部トレーナーが口を開いた。会話の対象がエイシンフラッシュであることはすぐに察せられた。

 

「それは俺の戦績ではなくフラッシュのものです。そして彼女ならもっと勝てたと思っています。……俺の力不足のせいです」

 

「誰だってそんなもんだ……と今でこそ言えるが、当事者からすれば収まらないよな。俺たちは今後何人ものウマ娘を担当することになるが、ウマ娘からすればたった1人のトレーナーだ」

 

 話しながら2人してビンゴシートのマスを潰していく。けど見事に虫食い穴のようにまとまりがない形となってしまう。

 

 そうこうしているうちに「ビンゴ~!」という声が上がった。名前の知らないウマ娘が嬉しそうに跳ねている姿が目に付いた。壇上にいるエアグルーヴがそのウマ娘を招いている。

 

 

 




次回へと続く。
一応アプリのイベント関係はやっていくつもりです。



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クリスマスと勝負服②

「風のウワサで聞いたんだが、エイシンフラッシュはクラシック3冠に挑むんだよな?」

 

「はい。フラッシュたっての希望ですし、個人的に決着をつけたいライバルがいるみたいですから」

 

「ヴィクトリーピザのことか」

 

「……それも風のウワサですか?」

 

「いや? 今のは単なるカマかけだ。その様子だと当たりのようだが」

 

 別に隠しておくべき情報でもないが、してやられた感がして僅かに悔しい気持ちになる。

 園部トレーナーは飄々とした口調で続ける。

 

「そっちのエイシンフラッシュも俺んとこのワープボートも、同世代の最大のライバルと言えばヴィクトリーピザだ。彼女の最近のレースは見たか?」

 

「……はい。ヴィクトリーピザのレースは全て追ってますが、レースのたびに強くなっている印象ですね。スピード、パワー、勝負勘……どれを取っても隙が無い」

 

「まったくだ。世界を狙っているというのも笑い話にならんレベルだ。……ああいや、そういえばどこぞの新米トレーナーがそんな彼女の逆スカウトを断ったとかって話を聞いたなー。そんな贅沢なトレーナーがいるなら見てみたいなー」

 

「……いやぁ、ホントですねー。誰なんでしょうねー」

 

「ちなみに今のはカマかけじゃなくて目撃談がある。ウェイトルームみたいな人の多い場所で言い合いしてたらウワサにもなるぞ」

 

 わはは、と園部トレーナーは楽しそうに背中を叩いてくる。やっぱりこの人には敵わないな……。

 からかわれていると、俺たちのいる壁際まで自ら向かってくる茶色がかった短めの黒髪のウマ娘と目が合った。ややつり目がちで気の強そうな娘である。

 

 彼女は俺を一瞥し、すぐに隣の園部トレーナーへと視線を移す。

 

「お話し中失礼します、トレーナー」

 

「どうしたんだワープボート。自ら進んで壁の花になりに来るなんてもったいない」

 

「そういうのはいいので用件だけ。私は先に部屋へと戻ります。エアグルーヴ先輩とも話せましたし」

 

「相変わらず素っ気ないね……。わかった、明日の朝8時にここを出発するから、忘れ物がないようにな」

 

 分かりました、と彼女は軽く頭を下げて踵を返そうとする。しかしそれに園部トレーナーが待ったをかけた。

 

「ちょっと待ってくれ! 一応紹介しとく、この娘はワープボート。俺と専属契約しているウマ娘だ。それで隣の冴えないトレーナーが――――」

 

「エイシンフラッシュさんのトレーナー、ですよね。存じ上げています」

 

 ともすれば冷たいと感じそうなほどクールな対応であしらわれる園部トレーナー。俺の紹介のとき「冴えない」と評したことにツッコミを入れたくなったが、それよりも早く園部トレーナーが申し訳なさそうに片手を立ててきた。

 

 

「悪い。メイクデビューが3日後ってことでピリピリしてるんだ。ちょっとシャイなところがあるけど、まあ仲良くしてやってくれ」

 

「勝手に人を恥ずかしがり屋にしないでくれませんか?」

 

「あはは、そうなんだ。メイクデビュー戦、頑張ってね」

 

 

 何気ないエールのつもりで発した言葉に対し、ワープボートが鋭い眼差しを突き付けてくる。

 

「頑張ってとは、随分と余裕があるようですね。私はエイシンフラッシュさんと同世代……クラシックレースで直接対決する可能性が大いにあるというのに」

 

 なるほど。これは俺の方に配慮が足りていなかったらしい。ワープボートからすればそう取られてもおかしくないのだから。

 園部トレーナーは俺と彼女のやり取りを静観している。俺の言動も試されているというわけか。

 

 俺は少し背筋を伸ばして答える。

 

 

「気に障ったというなら謝るよ。確かにキミはライバルになるかもしれない相手だ。勝敗を付け合うのがライバルだけど……、互いに高め合うというのもライバルって存在なんじゃないかな?」

 

「高め合う……」

 

「そう。それに……楽しくないだろう? ライバルだからって理由だけでギスギスするのは」

 

 ラブアンドピースを謳うつもりはないが、認め合いながら切磋琢磨するというのが正しいライバル関係なんだと俺は考えている。ライバル視することと敵視することは別物なのだ。

 ふん、と園部トレーナーが鼻を鳴らした。対してワープボートはいやいやと首を横に振った。

 

「あまり共感はできません。ライバルというのは目標です。彼女にだけは負けるものか、と心に立てる標。関わり合うことはなくとも一方的な想いで成り立つ――それが私にとってのライバル像です」

 

「それでもいいと思う。走り方に絶対がないように、価値観にも絶対はないんだから。……それに、俺はただ同じことをしたまでだよ。フラッシュのデビュー前にアドバイスをくれた園部トレーナーと、ね」

 

「あ、おいっ! それチクるなよ!」

 

 自分の知らないところでライバルに塩を送っていた担当トレーナーを見据えて、一瞬表情を険しくしたワープボートは今度こそ踵を返した。

 

「分かりました。それでは精々頑張るとしましょう。エイシンフラッシュさんが私に負けたとき、あなたが同じことを言えるかどうか気になりますしね」

 

「そのとき言うセリフは既に決まってるよ。次こそは勝つ――ライバルってそういうものだからな」

 

 ワープボートは振り返ることなく部屋を出ていった。それを確認して、俺はふうと一息吐いた。

 

「なかなか迫力のある娘でしたね。さすが【女帝】に認められたウマ娘だ」

 

「若干気性難な一面があるからなぁ。加えて脚の不調でデビューが遅れたせいでフラストレーションが溜まってるみたいだ」

 

 ぽりぽりと頭を掻く園部トレーナー。

 彼はグラスに残ったジュースを一気飲みする。

 

「んじゃ、俺もそろそろお暇するわ。ワープボートにとってもちょっとした息抜きになったろうし、俺もやるべきことをやらないとな」

 

「そうですか。それじゃあ頑張ってくださいね、園部トレーナー」

 

「お前さんも懲りないね……」

 

 苦笑いを見せて園部トレーナーも部屋を後にした。

 宴もたけなわ。門限が近くなってきたところで、生徒会長であるシンボリルドルフがマイクを手に取った。壇上に立つ――たったそれだけの動作で会場内の意識を一身に集める。【皇帝】と呼ぶに相応しい存在感だった。

 

 

「さて諸君、歓談中申し訳ないが今宵のクリスマスイベントもお開きとする時間が迫ってきた。会者定離――始まりがあれば終わりもあるものだ」

 

 

 凛とした声音は耳にするだけで心が落ち着く作用さえあるのではないか。そう思えるほどのカリスマ性。

 

 前方に意識を引っ張られていると、不意に黒髪のウマ娘が視界に入った。間違うはずもない、エイシンフラッシュの姿だ。参加していることは知っていたが、この人混みに紛れて見つけられていなかったのだ。

 

 まだ会場に残っているというのなら話が早い。俺はスマホを使ってエイシンフラッシュにメッセージを送る。

 

『この後少しでいいからトレーナー室まで来てくれ』

 

 シンボリルドルフのスピーチをもう少し聞きたい気持ちを惜しんで、俺はクリスマス会の会場を後にする。

 

「……クリスマスと言えばトナカイだが、実は私は()()()()と仲良いと昔から言われていてね――――」

 

 扉を閉める直前に、シンボリルドルフの口からダジャレが飛び出したような気がしたが、聡明な彼女がそんなことを言うはずがないと結論付けるのであった。

 

 

 




思ったより長くなったので③へと続きます。

ワープボートの一応元ネタはルー〇ーシップです。エアグルーヴに若干寄せた性格にしています。


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クリスマスと勝負服③

お久しぶりです。
約1週間ぶりになりますが投稿します。


 

 トレーナー室に入ると俺は真っ先にストーブの電源を入れた。そして途中の自販機で購入した缶コーヒーを手の平で転がして暖を取る。

 蓋を開け口を付ける。ともすれば火傷しそうな熱が唇に伝わる。液体が喉を通り、体内に広がっていくのを感じる。

 

「ふぅ……」

 

 今年のレースを消化し終え、気が緩んでいるのか何の気なしに今年を振り返る。

 

 ――トレーナー1年目の今年、俺はとてつもない幸運に恵まれた。もちろんそれはエイシンフラッシュと出会えたことだ。彼女の走りを一目見たとき「この娘しかいない!」と感じた衝動は今なお鮮明に覚えている。

 

 最初は論理派の彼女と上手くやっていけるか心配なところも正直あったが、今ではそれなりに親しくやれていると自負している。……俺だけかもしれんが。

 

 エイシンフラッシュは練習内容にも意味が薄いと思えばすぐに口を挟んでくるし、論理的に意味のあるものしか取り組んでくれない。何もかもその場で有効性を示す必要がある。そのため新しいメニューを取り入れる際は準備万端にして彼女に打ち明けていた。

 

 他にも色々あったな、と思い返していると、扉が2回ノックされた。どうぞ、と訪問者に返す。

 

 

「失礼します。……何を1人で笑っているんですか?」

 

 

 入ってきたエイシンフラッシュは、俺の顔を見るや否や怪訝そうに眉をひそめた。笑っている? 俺は自身の顔をペタペタと触る。

 

「あれ? 自覚なかった、悪い」

 

「いえ別に謝る必要はありませんが……、少し気持ち悪いと思っただけですので」

 

「本当に悪かった!」

 

 たまに飛んでくる毒舌には未だに慣れない。確かに1人でニヤニヤとしている奴を見たら気持ち悪く思われても仕方ないにせよ、気持ち悪いて……。

 

 ともかく笑っていた弁明をしないと、彼女の中で俺の評価が下落されると困る。

 

「違うんだ。これは、その……ちょっと今年のことを振り返ってたんだよ」

 

「今年のことを、ですか。何か面白いことでもありましたか?」

 

「色々あるだろう? キミと出会ってから新鮮なことばかりで、楽しいことも苦しいことも、思い返せば良い思い出だったと思えたんだよ」

 

「ますます理解に苦しみますね」

 

 エイシンフラッシュは軽くため息を吐く。

 

 

「来年は今年以上の思い出ができる予定なんですよ? 今満足してどうするんですか?」

 

「…………!」

 

 そうだ。来年はクラシック級――あくまで今年はそのための準備期間。

 

「まったくもってその通りだな。年の瀬が近くなってちょっと緩んでいたみたいだ。来年からが本番なんだから気を引き締めていかないと」

 

「はい。……それで、今日は何の用件でしょうか?」

 

 メッセージで呼び出した理由を尋ねてくるエイシンフラッシュに対し、俺は自販機で買った280㎖のホットティーを渡す。彼女は手の中にあるそれを少しの間見つめ、キャップを外して一口飲んだ。

 

 その間俺は話すべきことを再確認していた。いつもは会話するたびにセリフまで決めたりしないのに、今日ばかりは普段と勝手が違っていた。

 

「……お、俺は今まで人にプレゼントを贈った経験がない。男友達がばかりで異性の知り合いが少なかったせいでな」

 

 なんて、意味のない前置きをしてしまう。案の定エイシンフラッシュは何のことやら、と首を傾げている。

 

「? はあ、それがどうかしましたか?」

 

「だから……その、あれだ。プレゼントというと少し違うんだけど、キミに渡したいものがあるんだ」

 

 早くも想定しておいた台本の中身を忘れてしまう。こんなのは学生時代、機会があって壇上で一言話したとき以来だ。

 俺は言葉での展開を諦め、机の脇に隠しておいたものをエイシンフラッシュへと差し出す。

 

「ドレスカバー……?」

 

 深紅のそれを受け取り、エイシンフラッシュが目で中身の正体を窺ってくる。

 

 

「――――勝負服だよ、キミの」

 

「……!」

 

 

 そう告げるとエイシンフラッシュは俺とドレスカバーを交互に見やる。

 勝負服とはG1レースに出走する際に身に纏う、唯一無二の衣装のこと。トレセン学園ではデビュー前に全員がそれぞれの着たい勝負服をデザインするのだ。サイズなんかは定期的に行われる身体測定時のデータを使えばいい。

 

 かねてより用意しなければならないと思っていたエイシンフラッシュだけの勝負服。4月までG1レースへの出走は計画していないため、まだスケジュール的に余裕はあるのだが早く渡したいと俺が依頼したのだ。

 

 しかしサプライズのはずが、彼女はさほど驚いた素振りを見せない。あれー? 俺の予定ではここで彼女の年相応なはしゃぎぶりを拝めるはずだったのに……。

 

「……驚かないんだな?」

 

「ええ、まあ。少し前から『勝負服の希望は前と変わりないか?』『生地はどうしよう?』とか、突拍子もなく尋ねてくることが多かったのでもしかしたら、とは思っていました」

 

「お、おお……そうだったのか…………」

 

 サプライズ失敗に俺はがっくりと肩を落とす。くそぅ、こんなことなら学生時代にもっとサプライズイベントを企画しておくんだった……。

 

 落ち込んでいるとエイシンフラッシュが声をかけてくる。

 

 

「すみません。せっかくなので今試着したいのですが……、この部屋をお借りしてもよろしいでしょうか?」

 

「ああ、それもそうだな。もしもサイズ違いとかがあれば再調整してもらわないといけないから……」

 

 了承して俺は部屋を出ていく。

 

 着替え待ちの間、俺はサプライズ計画の欠陥を洗い出すことにした。俺が勝負服に関することを何度も聞けば怪しまれるに決まっているんだから、同部屋のスマートファルコンにお願いするなりすればよかったなー。

 

 ――そして待つこと10分が経過。思ったより時間がかかっているな。袖を通すのにそこまで手間がかかる衣装とは思わなかったが。

 

「――――お待たせしました」

 

 

 扉越しに声をかけられる。いったいどんな着こなし方になるんだろう、と半ばドキドキしながらドアノブに手をかける。

 

 

 




長くなりそうなのと久々の執筆で疲れたのでここまで。
次回④で一区切りです。

そろそろ私の勘ではエイシンフラッシュが実装されると思うのですが、そうなったら天井覚悟で回しますよ!


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クリスマスと勝負服④

 

 恐る恐る扉を開ける。そこには――――

 

「――――っ」

 

 彼女なら何を着こなしても似合うだろう、と漠然とした先入観を抱いていたが故に、どんな服装でもすぐに誉めようと思っていた。しかし勝負服の彼女を目にした途端、そんな予定は吹き飛んでしまった。

 

 パフスリーブの白を基調としたブラウスに紐で締める胴衣を合わせており、その上から白エプロンを巻いている。きつく締められた胴衣により身体のラインが強調され、胸元のカッティングが深めのため、冷静に考えれば何とも目のやり場に困る衣装である。

 

 そんなことはお構いなしに、俺はエイシンフラッシュに釘付けになっていた。煽情的であるとかそんな理由ではなく、とてつもなく勝負服の彼女に見惚れてしまったのだ。

 

「トレーナーさん……?」

 

 扉を開けっぱなしの状態で固まる俺を見て、少し不安げにエイシンフラッシュは覗き込んでくる。いかんいかん、と俺は咳払い1つして言う。

 

「なんというか、うん。似合ってるよ、すごく」

 

「……ありがとうございます」

 

 2人して黙り合う。何ともむず痒い空気が空間を漂っている。

 

 居心地の悪い雰囲気を打破しようと、努めて明るい口調で話を切り出す。

 

 

「ディ、ディアンドルって言うんだってな。その服装」

 

「はい。私の故郷ドイツの民族衣装で、勝負服にするなら是非この服装で走りたいとずっと考えていたんです」

 

「そ、そうか。まあ地元愛が強いのは良いことだよな、うんうん」

 

「……先ほどから話し方が浮ついていませんか?」

 

「気のせい気のせい」

 

 いかん。もしもキミの勝負服姿に見惚れてました、なんてバレたら距離を置かれること間違いなしだ。容姿云々ではなく在り方そのものに魅せられたと言っても信じてもらえないだろう。

 

 俺はもう1度咳払いをして誤魔化す。エイシンフラッシュが「咳が多いですね」と突っ込まれる。

 

「それで? 何か衣装で気になるところとかあるか? 仕立て屋さんに至急直してもらうから遠慮なく言ってくれ」

 

「……いえ、特には。私の思い描いていた通りのものを実現していただいています」

 

「それは良かった。実を言うとこうして改まった感じでプレゼントを贈る行為をしたことが少ないから、大丈夫かとドキドキしていたんだ」

 

「けれど衣服類は実際に着てみないと分からないことがあります。サプライズに心を砕くのは結構ですが、サイズ違いなどがあれば仕立て屋に二度手間をかけるところですよ?」

 

「うっ……。そうだよな、ちょっと独りで突っ走りすぎたかもしれない。ただ俺にはセンスっていうものがないから、何を贈ればキミが喜ぶのか見当もつかなかったんだ。それこそ豪華なドレスや素敵なアクセサリーなんて、とてもとても選べる自信がなかったしね」

 

「贈り物ですか?」

 

「ああ、せっかくのクリスマスなんだ。サンタさんはもう現れてくれないだろうから、せめて俺からと思ったんだけど……」

 

「心外ですね。私はきちんと早寝早起きを守っている良い子なので、サンタクロースさんは来てくれるはずなんですが」

 

「はははっ、そいつは悪かった」

 

 冗談めかして言うエイシンフラッシュ。しかし次に彼女はバツが悪そうに手を右頬に添えた。

 

「しかし困りました……。まさか貴方からもらうとは思っていなかったもので、お返しのプレゼントを用意していません」

 

「え? いやいや、別にそんなの気にしなくていいのに」

 

「そうはいきません。礼には礼をもって返す、というのが日本の文化と聞いています。私だけが従わないわけにはいきませんから」

 

 ふむ、とエイシンフラッシュは考える仕草を取る。物腰が柔らかい所作はとても彼女に似合っていた。

 

 少しして「そうだ」と彼女は呟き、ポケットから何かを取り出す動きを見せた。

 

 手の平に握り締められていたのは、数センチ程度の銀の蹄鉄であった。

 

 

「――これは私が日本へ旅立つ日に母からいただいたお守りです。ドイツでは蹄鉄を魔除けとして扱う風習があるんですよ」

 

 

 彼女はどこか昔を懐かしむように目を細める。

 

「お母さんからそれをもらったって……なおさら駄目だ。そんな大切なものはいただけないよ」

 

「いえ。私はもう充分に守ってもらいました。どちらかと言えば貴方の方が無茶をしそうな気がするので、私の代わりに守ってもらえるようにと」

 

 だがしかし、と受け取りを渋る俺に対し、彼女は半ば強引に俺の手にその蹄鉄を握らせた。平生の彼女らしからぬ強引さだった。

 

 これ以上拒否すると悪い気がする。俺は渋々蹄鉄を受け取った。

 

 

「ありがとう。大切にするよ」

 

「はい。財布などに入れるといいと思います」

 

「分かった。けど、却ってこっちの方が申し訳なく思えるな……。勝負服はいずれ必ず用意しなければならないものだし、それをあえてサプライズ風に渡したところでなぁ」

 

 俺から一方的にプレゼントできればそれで良しと考えていたから、お返しをもらったときの想定をしていなかった。困った。

 

 うーむ、と俺が頭を悩ませていると、エイシンフラッシュは奥ゆかしく胸に手を当て頭を下げて言う。

 

「それでしたら、来年も是非贈り物をしてください。どんなものでも受け取りましょう」

 

 そう言って、彼女は妖艶さを含ませたような笑みを浮かべて告げた。

 

 

「――豪華なドレスや、アクセサリーでも」

 

 

 




クリスマス編終わり。

皆さんの思うエイシンフラッシュ像と違ってるかもしれませんが、私はこんな感じの彼女だと予想しているのでこのままでいきます!



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第二章 クラシック戦線へ
正月とスゴロク


間隔が空いてしまって申し訳ないです。

お盆はいくつか出社しないといけませんが、なるべく投稿頻度を上げていこうと思います。


 元日。

 俺は朝早くから1人で初詣に行き、超混雑に苦戦しながら参拝、おみくじ、お守り購入と当初の予定を遂行した。ちなみにおみくじは小吉だった。

 

 その後、俺はトレーナー室へと赴き大掃除をすることにした。本来なら年末までにやっておくべきことなのだが、親交のあるトレーナーたちとの忘年会が複数回あったため、なかなか時間が取れなかったのだ。

 

「時間が取れなかったか。はは、フラッシュが聞いたら説教されるだろうな」

 

 床に掃除機をかけながら独りごちる。秒単位でスケジュールを組む彼女に知られるわけにはいかないな。

 

「――私を呼びましたか?」

 

「どぅえええっ!?」

 

 自分でもどこから出したか分からないような悲鳴が漏れた。飛び跳ねるようにして背後の声の主から距離を取る。やはりと言うべきか、エイシンフラッシュがそこにはいた。

 

 俺は掃除機のスイッチをオフにして尋ねる。

 

「ど、どうしてここにいるんだ?」

 

「先ほどノックをしたんですが、返事がなかったもので。恐らく掃除機の音で聞こえなかったのでしょう」

 

「そ、そうなの……」

 

「それで? 私の名前を呟いたように聞こえたのですが」

 

「へ? あー、いやー、フラッシュは今頃何をしてるのかなーって! ほら、昨日はスマートファルコンと年末ライブに行ってたんだろう?」

 

 偽る必要はないのだろうが、独り言を聞かれたというのが妙に決まりが悪く、つい話を逸らしてしまった。

 

 それを聞くとエイシンフラッシュは僅かに口元を緩めて言った。

 

「凄く楽しかったですよ。来場者数が51228人とほぼ満席状態で熱気も凄かったです。ほぼ時間通りに終了したのもよかったですね。その後はいったん寮へと戻ってから初日の出をファルコンさんと拝みに行きました」

 

 初日の出かー。俺も学生時代は付き添いで何度か行ったが、通常の日の出とはまた違って映るのがとても印象的だった。去年と今年は行けてないから、来年は久しぶりに行ってみようかな。

 

 そう言えば新年になって大事なことを言うことを忘れていた。俺は彼女に向かって頭を下げる。

 

「明けましておめでとう。今年もよろしく」

 

「……こちらこそ明けましておめでとうございます」

 

 親しき仲にも礼儀あり。こういうのはきちんと済ませないとな。あるいは彼女も新年の挨拶を言いに来たのかもしれない。

 俺にとっての今年の抱負は『エイシンフラッシュをクラシックで勝たせること』。クラシックで勝つということは即ちヴィクトリーピザに勝つことにも繋がる。

 

 すぐにでもクラシック級に向けてすり合わせをしたいところだが、彼女とはオフの日は徹底的に休むと何度も話している。ここでレースに関する話をしても乗ってこないだろう。

 しかしこのまま彼女を帰すというのも素っ気ない。となると何か正月らしいことでもやってみたいものだが……。

 

 1人で考えていても仕方ないので、考えていることをそのままエイシンフラッシュへと打ち明ける。

 

「フラッシュはこの後何か用事があるのか?」

 

「いえ、特にはありません」

 

「そうか。ならせっかくだし、正月っぽいことをやろうかなと思うんだけどフラッシュもどうだろう? ほら、キミはドイツから来て、まだ日本の文化に馴染みも薄いところがあるだろうし」

 

「そうですね……。確かに文化に触れる良い機会かもしれません」

 

「とすると……無難に書初めか、あるいは室内でできる福笑いとかすごろくとかもあるな」

 

 先ほど掃除しているときに、前任者が置いていったらしい正月遊び道具をいくつか発見したのだ。せっかくなので有効活用させてもらおう。

 

 エイシンフラッシュは数ある道具の中から1つを選択した。それは古き良きスゴロクだった。

 

「スゴロクか……。何か理由でも?」

 

「実は父が昔、日本のお土産として買ってきてくれたことがあるんです。それで少し懐かしく思えて……」

 

「そうだったのか。良いお父さんなんだな」

 

 思えば彼女は両親の話をするとき、普段と違う柔らかな表情を見せてくれる。彼女自身も両親を愛しているし、尊敬もしているのだとよく分かる。

 

 早速俺たちはスゴロクシートを準備し、いざゲームをプレイしていく。

 

 ――――だが。

 

 

「おかしい……。こんなこと、確率的にあり得ない……っ!」

 

 

 日本各地を巡るという設定のスゴロクを前に、エイシンフラッシュは「認められない」といった風に歯ぎしりをしている。

 

 北海道から日本海沿いを進んでいき、沖縄でUターンしてゴールの東京を目指すのだが、開始8ターンで俺は順調に沖縄を通過し、今は九州地方手前まで駒を進めている。一方でエイシンフラッシュはと言うと、未だ東北地方あたりでウロウロしていた。

 

 それもそのはず、彼女はここまでさいころの出目をほとんど1しか出していないのだ。たまに大きい数字を出したかと思えば「数マス戻る」を踏んだりと、とてつもないアンラッキーに見舞われているのである。

 

 そして次のサイコロも1を出し、彼女は虚しそうに駒を1つ進める。

 

「ふふ……。こうも1が連続で出ると、少しおかしく思えてきました」

 

「それはほら! 確率って結局収束するって言うし、100回振ったら良い感じの期待値になってるはずだよ、うん」

 

 自嘲気味に笑う彼女を見るに見かねてフォローを入れる。彼女もウマ娘らしく負けず嫌いだからなぁ。わざと負けて接待プレイしようにも運勝負ではそれもできない。

 

 俺はサイコロを握り締め、振る前に改めて言葉を繋ぐ。

 

「それに日本のおみくじ文化独自の話なんだが、年明けに凶を引くと後は運気が上がるだけ、って言われているんだ。だからキミもここが運気の底と考えよう!」

 

「根拠の乏しい仮設だとは思いますが……ちなみに、大吉を引いた場合はどうなるんですか?」

 

「年明け早々ついてるね。今年は良い1年になるよって流れになるだろうな」

 

「ものは言いようですね……」

 

 エイシンフラッシュは僅かに笑いながら、呆れた声を漏らした。

 

 俺はサイコロを振る。出目は6。彼女とは対照的な出目を確認して、少しだけ気まずい思いをしたのだった。

 

 

 




やる気下がりそうなイベントでした。

レオ杯は先行オグリ、差しナリブ、追込デバフ会長で現状行く予定です。
逃げのウンスは会長の独占力がなんとかしてくれるのを祈ります。


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バレンタインは決意とともに

バレンタインってナニ?


 

 バレンタインデー。主に学生がのめり込む一大イベントであり、それはこのトレセン学園でも例外ではない。

 

 けれど普通の学校と違うところは、ウマ娘同士のチョコ交換がメインであり異性へのプレゼントはほとんどない。精々がトレーナーへの日頃のお礼の意を込めた義理チョコくらいだろう。

 

 そういう意味では、果たしてエイシンフラッシュはチョコをくれるのだろうか? という期待は少なからずある。色恋的なものは絶対ないが、日頃のお礼という形でもらえるだけでもかなり嬉しい。

 

 そんなわけで内心ドキドキしながらトレーナー室でデスクワークしていたのだが、授業終わりのタイミングになると扉がノックされた。最近はノックのタイプでエイシンフラッシュかそうでないか判断できるようになってきた。この規則正しいテンポはエイシンフラッシュで間違いない。

 

 扉の先にはやはりエイシンフラッシュが立っており、手には小さめの紙袋を吊り下げていた。

 

「トレーナーさん。少しお時間よろしいでしょうか?」

 

「どうしたんだ? ……ひょっとしてその紙袋、中にはバレンタインチョコが入っているのか?」

 

 袋を持っている姿を見て「チョコに違いない」と思い、ついそれが言葉となって出てしまった。脈絡に乏しいセリフにエイシンフラッシュはきょとんとした顔をする。

 

 そして次に彼女は挑発めいた感情を滲ませて言った。

 

「はい。確かに仰る通りですが……なるほど、そこまでチョコを欲しがっていたとは想定外でした」

 

「いや、がっつくほど欲しがっていたわけじゃあ……」

 

「では、私からのチョコは必要ありませんと?」

 

「いやいやいや! めっちゃ欲しいです!」

 

 くそう。バレンタインのことを意識しすぎて過剰に反応してしまった。おかげで彼女にからかわれてしまったぞ。

 謎の敗北感を味わっていると、エイシンフラッシュは紙袋の中から手の平サイズのラッピング袋を取り出してきた。

 

「ハッピーバレンタインです、トレーナーさん。貴方に日頃の感謝を」

 

「…………!」

 

 袋を受け取る。その中身はクッキーだった。いかにも彼女らしい、丁寧に象られたものだ。

 

 ありがとう、と言葉を返す。淡白なセリフだが、そこには百に迫る思いを込めたつもりだった。それら全てを言葉にするには少々時間がかかりすぎる。

 形式的なものかもしれないけれど、教え子に感謝されるというのはここまで嬉しいものなのか、と実感できて身体の奥底が震えてくる。少し前までは人に教わり、感謝する立場……今の彼女と同じ立場だったのに。今の俺は誰かを導く立場にあるのだと再認識する。

 

 込み上げてくるものを隠そうと鼻をさする。幸い彼女には今の俺の感無量っぷりは悟られていないようである。しかしずっと隠し通せるものでもない。俺は封を開けてクッキーを1つつまむ。

 

「美味しそうだな。自分で作ったのか?」

 

「そうです。今日は家庭科の授業があるのでちょうどいいと思いまして。ついでのようで申し訳ありませんが」

 

「ははは。それでも嬉しいよ。早速1ついただいてもいいか?」

 

「どうぞ。分量も焼き時間も寸分違わず作り味見もしたので、美味しそうではなく美味しいと思いますよ」

 

 確かに彼女のお菓子作りの中で美味しくないものなど出された記憶はない。口元にクッキーを運んだ瞬間、香ばしいバターの香りが鼻孔をくすぐる。

 クッキーを頬張ると、やはりと言うべきか期待を裏切らない味が口いっぱいに広がる。うんうんと何度もつい頷いてしまう。

 

「……美味しい」

 

「そうでしょう?」

 

 と、エイシンフラッシュは少しだけ自慢げに笑った。

 

 残りは帰宅してから食べよう。俺は再びカラータイで袋を閉じる。そして気を引き締めて告げた。

 

 

「――さて。この後はジムでトレーニングの予定だったけど、その前にちょっとだけ今後について確認しておきたい」

 

 

 彼女も俺の態度の変化を感じ取ったのか、背筋を正して耳を傾けてくる。

 

「今から約3週間後に弥生賞――皐月賞トライアルが始まる。既に皐月賞への参加基準を満たしてはいるが、当初の予定通りここを走ってもらう」

 

「はい。皐月賞と同条件……クラシックレースに向けてこの上ない条件です」

 

「そうだ。ここを勝った勢いそのままに皐月賞を取る! と言いたいところなんだけど、当然同じ考えのウマ娘は多い。しかも噂によれば――ヴィクトリーピザも出走予定らしい」

 

「……!」

 

 エイシンフラッシュは僅かに息を呑んだ。正式な出バ表が出るのはまだ先だが、トレーナー間でウワサ話というのは広がるものだ。交友関係の狭い俺でもエイシンフラッシュと同期に関する情報はなるべく集めるようにしている。

 

 敏い彼女のことだ。ヴィクトリーピザを弥生賞で相手にすることの重要な意味をきっと理解していることだろう。だからといって言葉にしないわけにはいかない。きちんと現実を伝える……それがトレーナーとしての務めだからだ。

 

「弥生賞は皐月賞と同条件――つまり、弥生賞のレースの結果が皐月賞と密接に繋がる可能性があるということだ。ここで掲示板を外すとなると、皐月賞を取るのは現実的にかなり厳しいと言わざるを得ない」

 

 もちろんレースとはそこまで単純なものじゃない。その日の条件、競争相手、レース展開などの数多の条件によっていくらでも結果は変わる。しかし弥生賞でヴィクトリーピザに敗れたとき、もしもエイシンフラッシュが彼我の実力差に折れてしまえばクラシックで勝つことは不可能になる。レースは心技体――心が欠ければ勝負には勝てないのだから。

 

 そして、そういう大事なレースで契約ウマ娘を勝たせるために尽くすのが、担当トレーナーとしての務めなのである。

 

 俺は固く握り拳を2つ作って、自らを鼓舞するかのように語る。

 

「弥生賞までの3週間。ここからはいつも以上に追い込んでいくから覚悟しておいてくれ!」

 

「――はいっ! 分かりました。トレーナーさん、宜しくお願いします!」

 

 

 負けられない。その想いを胸に強く抱いて、俺は打倒ヴィクトリーピザを掲げるのだった。

 

 

 




それなりにテンポよくまとめられたかな。

バレンタインデーで浮かれた経験がないので、まったくの想像で書きました。高校まで母親からのチョコをカウントしていたのも、今となっては良い思い出です。


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努力の代償は①

 バレンタイン以降、言葉通りにハードなトレーニングが続いていた。

 

 1年間エイシンフラッシュを鍛えてきて、土台は申し分ないほど仕上がってきている。後はそこから何を積み上げていくか。即ち彼女ならではの武器を磨いていくことに重きを置いていた。

 

 彼女の武器は何か? と考えて、即座に「末脚」であると結論付けた。

 直近2戦では上がり最速の脚を発揮して勝利しているが、逆に発揮できないときは敗れている。ラストスパートでどこまで脚を残せているか、どう使うかが勝利へのカギとなる。

 

 しかし彼女の末脚は現状長く使える代物ではない。一瞬の切れ味――それをどこまで磨き上げることができるか。トレーニングでの最重要課題である。

 ウェイトトレーニングでは遅筋よりも速筋を鍛え、ラダートレーニングを取り入れ脚を最大限上手く使えるようにするなど、思いつく限りのメニューを彼女はこなしていった。

 

 そのかいあってか、エイシンフラッシュのタイムは目に見えて伸びてきている。特にラスト3ハロンのタイムが良くなっている。弥生賞に向けて良い練習ができていると思っているのだが……。

 

 

「さて、どうしたものか……」

 

 

 ある日の夜。俺は誰もいないトレーニングコースに足を運んでいた。春も間近とはいえ未だ肌寒さが残っている。

 

 昼間とは打って変わって静まり返ったコースを走る人影が1つ。彼女のフォームを誰より見続けてきた俺は、その人影がエイシンフラッシュであることに一目で気付いた。

 

「はぁ……はぁ……っ!」

 

 彼女の息切れが少し離れたここまで伝わってくる。今日だけではない。少なくとも1週間前からエイシンフラッシュは今日みたいに自主トレを繰り返している。それも頭に「無茶な」が付くような自主トレを。

 

 最初に俺がおかしいと思ったのは、トレーニング前の時点で疲労が残っているのを感じ取ったからだ。確かに激しいメニューではあるが、翌日に疲れを残さないようギリギリのところで調整していたはずだし、クールダウンも徹底的におこなっていた。エイシンフラッシュに合っていないのか、と思い練習の強度を下げようと思ったが、彼女自身に止められてしまった。

 

 決定的だったのがエイシンフラッシュと同部屋のスマートファルコンからの告白だった。スマートファルコンが言うには夕食後になると1人で出ていき、夜遅くに帰ってきたときには泥だらけになっていると。

 

 もしや、と思い夜間のトレーニングコースを見張っていると、案の定自主トレに取り組んでいるエイシンフラッシュを見つけたというわけだ。

 

 無茶なトレーニングは本来止めるべきだ。メリットよりも怪我のデメリットの方が遥かに大きい。そんなことは聡明な彼女ならば充分理解できているはずだ。

 

「……理解できているけど無茶を押し通す。つまりそれほどの相手ってことか」

 

 俺もヴィクトリーピザに関してはかなり研究を重ねていると自負していたが、エイシンフラッシュはヴィクトリーピザと何度も対決してきた経験があるが故に、その実力を肌で感じ取っているのかもしれない。

 

 彼女の走りを見やる。暗くてシルエットしか見えないが、それでも強い意志を持ち走っているのがひしひしと伝わってくる。

 

 止めるべきか意思を尊重すべきか。俺は彼女の走りを見つめるばかりで決められずにいた。

 

 

 

 

 ――――翌朝。結局俺はあの後エイシンフラッシュに声をかけることすらできずに、彼女が自主トレを切り上げるのを確認して帰宅した。

 

「けど、このままじゃ駄目だよな」

 

 トレーナーの立場からすれば止めるべきだ。だけど俺は彼女の意思の強さを目の当たりにして二の足を踏んでいる。ただ見守るだけならトレーナーじゃなくてもできる。俺にできるのは今の彼女を諫めることだ。

 

 いかに彼女を納得させるか、着替えながら頭を悩ませていると、テーブルに置いているスマホが震えた。表示画面を確認すると「エイシンフラッシュ」となっていた。

 

「もしもし?」

 

『あっ、フラッシュさんのトレーナーさんですか? 私ファル子です!』

 

「ファル子……、ああ、スマートファルコンか。なんでフラッシュの携帯からかけてきてるんだ?」

 

『それがフラッシュさん、今朝から熱を出しちゃってて今日は練習お休みにしてほしいんです』

 

 発熱。それを聞いて、真っ先にこれまでのオーバーワークが頭をよぎった。疲労の蓄積が原因なのではないか。だとすれば早く止めることができなかった俺の責任だ。

 

 いや、そんなことより今は彼女の容態の方が大事だ。知らず知らずのうちにスマホを握る手に力が入る。

 

「それで!? フラッシュはどんな状態なんだ?」

 

『わわっ! びっくりしたぁ。えーと……今はお薬飲んで寝てますけど、さっき計ったときは39.2度出てました。かなり体調悪そうなんですけど、レースが近いから練習を休むわけにはいかないって聞かないんです!』

 

「分かった、ありがとう。スマートファルコンは授業があるだろうからそっちに出て。後は俺が何とか説得するから」

 

 俺は急いで身支度を整えながら、肩と首の間にスマホを挟み込んで通話を続ける。

 そして俺は躊躇することなくスマートファルコンにあるお願いをした。

 

「それで悪いんだけど、できれば1つお願いがあるんだ――――」

 

 その願いに対しスマートファルコンから承諾を得て、俺は部屋を飛び出していった。

 

 

 




次回に続く。
未だにスマートファルコンの言葉遣いがしっくりこない。

たとえばスマートファルコンは「熱が出ちゃって」「お熱が出ちゃって」のどちらを言うのか。後者はあざとすぎるので前者にしましたが、何とも難しいです。


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努力の代償は②

メイショウドトウ引きたい……。
けどタマモクロスとエイシンフラッシュ用の石だから迂闊には回せない……。


 

 ――――頭が重い。

 

 高熱の影響により多量の発汗がパジャマに染みついて不快感に包まれているようだった。起きているはずなのに頭が熱に浮かされていまいち意識が定まらない。

 

 ……練習、しないと。

 

 私もそこまで幼くはない。この状態では走ることはおろか、まともに歩くことができるかどうかさえ怪しい。栄養をきちんと取って良く寝ることが復帰への近道だと分かっている。

 けれどトレーニング再開までどれほど時間を要するか分からない。もう弥生賞まで2週間もないのだ。1日も無駄にできない状況下でゆっくりと休んでいられない。

 

 ……そう言えば昔に1度、かなりの高熱を出して入院したことがあった。私は自宅で気を失い、気付いたときには病院のベッドの上だったはずだ。「はず」と言うのも、あまりの高熱に意識がぼんやりとしていてよく覚えていないのである。

 

 うっすらと覚えているのは、出張中だった母の代わりにつきっきりで献身的な看病をしてくれた父親の心配そうな顔。父親はいつも逞しい姿しか見せていなかったから、夢と勘違いしてしまったほどだ。

 

 不意にひんやりとしたものが額に載せられる。そうだ、確か昔もこうして濡れタオルを頻繁に交換してもらったんだった。

 

 朦朧とした意識の中、微かに瞼を持ち上げる。普段は何てことのない動作が今はたまらなく億劫だった。

 

「お父さん……?」

 

 上手く顔を認識できない視界に浮かんできたのは、どこか父親の持つ雰囲気と似通っていた。

 次第に視界がクリアーになってきて、ようやくその人物の顔をはっきりと視認できた。

 

「……トレーナーさん?」

 

「うん、そうだよ。お父さんじゃなくってごめんな」

 

 ――そこには、よりにもよって私の弱いところを最も見せたくない相手が傍らに立っていた。

 

 

 

 

 スマートファルコンに頼み込み、彼女たちの部屋に入ることを許された俺は、構内にある売店でスポーツドリンクやゼリーなどの差し入れをいくつか購入してから向かった。

 そして栗東寮の長であるフジキセキに事情を説明して、エイシンフラッシュの部屋に入ることができたのだ。

 

 きちんと整理整頓された部屋の左側のベッドに、淡い黒色のパジャマを着たエイシンフラッシュが苦し気な表情をして眠っていた。

 ひとまず濡れタオルを彼女の額にそっと載せると、エイシンフラッシュが小さく吐息を漏らした。長く揃ったまつ毛が微かに動いたような気がした。

 

「お父さん……?」

 

 高熱のせいで意識がはっきりしないのか、あるいは心細さ故に故郷の両親を求めたのか。ここにいるのが俺で申し訳なく思えた。

 

 やがて彼女はゆっくりと目を開き、少し驚いた風に瞬きをした。

 

「……トレーナーさん?」

 

「うん、そうだよ。お父さんじゃなくってごめんな」

 

 そう返すとエイシンフラッシュはぷいっとそっぽを向いてしまった。

 

「屈辱です……。トレーナーさんを父と見間違えるなんて、父に申し訳が立ちません」

 

「からかったわけじゃないんだけど、まあそういう返しができるのなら思いのほか大丈夫そうで安心したよ。体調はどんな感じだ?」

 

「ん……、まだ寒気がしますね」

 

「なるほど、となるとまだ峠は越えていないっぽいな。身体を温めてあげないと」

 

 俺は暖房のスイッチを入れて室温を上昇させる。気を付けないといけないのは、身体を温めると当然汗をかくから、水分補給をきちんとおこなう必要がある。

 買ってきた500㎖のスポーツドリンクの蓋を開けストローを差す。それをエイシンフラッシュへと差し出す。

 

「ほら、飲めるか? ストロー差したから寝た状態でも飲めるぞ」

 

「はい……。ありがとうございます」

 

 彼女は緩慢な動きでペットボトルを受け取り、ストローを咥えて水分を摂取する。

 

 いかにもしんどそうな動きだ。普段弱いところを滅多に見せようとしない彼女が、それを隠し切れないでいることから不調ぶりは推し量れる。

 

 エイシンフラッシュがごほっと数回咳き込んだ。俺が心配するよりも早く彼女はすぐに大丈夫と手で制する。

 

「……それで、どうしてトレーナーさんがここにいるんですか?」

 

「スマートファルコンに頼んで入れてもらったんだ。あ、もちろんフジキセキにも了承は得ているよ」

 

「ああ、なるほど。そういうことでしたか……」

 

「無理に話そうとしなくていい。今はちょっとでも多く寝て体力を取り戻すんだ」

 

「はい……」

 

 承諾して、彼女は布団を深めに被り直した。

 俺は彼女が静養できるよう、なるべく音を立てずに自宅へおかゆを作りに戻ったり、持ってきた加湿器をセットするなど、できる範囲で適切な環境づくりをおこなった。あまり動き回ると彼女たちの私物を見つけてしまいそうになるので、極力いらぬものを見ないよう努めながら。

 

 時計の秒針が一定間隔で音を刻む。時刻を確認すると11時を回っていた。ここに来て既に2時間以上経っているのか。

 

「トレーナーさん……、聞いてくれますか?」

 

 不意にエイシンフラッシュが小さく声を出した。彼女は身体ごと横に倒し、

 

「どうした? 急な話じゃないのなら、別に今じゃなくても……」

 

「本当は大人しく眠っていようと思ったのですが、そのことばかりが頭を巡ってしまって目が覚めてしまうんです。だから聞いてください」

 

 俺は作業を止め、胡坐をかいてエイシンフラッシュに向き直る。

 

 彼女はゆっくりと息を吸い、話すための準備を整える。

 

 

「――ごめんなさい。ここ最近ずっと、私は練習終わりにもかかわらず自主トレーニングをおこなっていました」

 

 

 それは会話というよりも罪の告白といった重苦しさであった。俺はぐっと背筋を伸ばして答える。

 

「そのことなら知ってたよ。キミの体調管理は俺の役目だったのに、止めるのが遅すぎたんだ。こっちこそ悪かった」

 

「そうじゃないんです。私は貴方が遠くで見守っていることに気付いていたのに……止めようとしていることにも気付いていたのに、知らないフリをしていたんです。だから全部私が悪いんです」

 

「……、」

 

 俺が気付いていることに気付かれていたというわけか。ウマ娘の聴覚と嗅覚は人のそれを上回ると聞く。よくよく考えれば気付かれても不思議じゃない。

 

 エイシンフラッシュはなおも続ける。

 

「案の定私はオーバーワークのせいで倒れてしまっています。貴方が懸命に作ってくれたレースまでのスケジュールを全て台無しにしてしまったんです。休むときには休むと最初に言ったのは、私なのに――――」

 

 想像以上に弱っているみたいだ。身体だけでなく心が。今にも泣き出してしまうんじゃないかと思うほど、彼女は体調を崩したことに引け目を感じている。

 彼女の自主トレを止めることができなかったトレーナーである俺の方にこそ非があると思うけれど、この様子だと受け入れたりはしないだろう。

 

 ごめんなさい、とうなされるように呟くエイシンフラッシュ。こんな彼女は見ていられない。そう思った時にはもう言葉が口から飛び出していた。

 

 

 

 

 




次回に続く。
思ったよりも長くなりそうな感じです。

熱を出すと本当に弱気になりますからね。1人暮らしだと特に。


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努力の代償は③

「キミは自分が間違っていると思ったことはやらない娘だ。今回だって悩んだ末の無茶だったはず。それでも自主トレをしたのは弥生賞……より具体的に言えばヴィクトリーピザと対決するからだろう?」

 

「……はい。どんなにトレーニングを積み重ねても、ヴィクトリーさんに追いついている気がしないんです。負け続けた過去の私が冷静な目で『それでは勝てない』と煽ってくるんです……!」

 

 エイシンフラッシュの布団を握る手に力が籠もる。俺の見解ではエイシンフラッシュとヴィクトリーピザの実力差は着実に縮まっている。100回戦えばエイシンフラッシュが負け越すだろうが、1回のレースに絞れば勝利を掴むことは充分に可能である。

 

 しかしそのためにはフィジカルやテクニックではなく、勝負所で実力を発揮できるメンタルこそが最重要となる。エイシンフラッシュはヴィクトリーピザに限って言えば所謂「負け癖」が付いてしまっているのかもしれない。

 

 エイシンフラッシュもそれを薄々感じていた。だからこそその不安を払拭するための自主トレだったというわけか。

 

「…………、」

 

 彼女の様子を確認する。頬は上気して息遣いは荒い。医者の診断を待ってからでないと断言はできないが彼女に伝えておく必要がある。

 俺はエイシンフラッシュを見つめたまま言った。

 

「フラッシュ。俺はキミの担当トレーナーとして現実を伝える義務がある」

 

「……?」

 

 エイシンフラッシュは何を? と尋ねるように口が動いた。

 

 俺はグッとお腹に力を込めて頭を下げた。

 

 

「――――弥生賞は棄権しよう」

 

 

 告げた直後、彼女は布団を跳ねのけるように上体を起こした。

 

「っ……! それは何故ですか? 私が許可を得ず勝手にトレーニングをした罰ですか? それに関しては謝罪します。ですからどうか、どうか! 私をヴィクトリーさんと戦わせてください!」

 

 今まで見たことがないほど声を荒げるエイシンフラッシュの姿。思わず絆されそうになるが、その願いを俺は首を横に振って否定する。

 

「イジワルで言ってるわけじゃない。お昼過ぎに診察に来るお医者さん次第だけど、キミの発熱は明日すぐに治るようなものじゃない。2,3日か、もっと伸びる可能性もある。そうなったらレースまで長くても5日間しかない。何もしないでいると体力ははっきりと落ちるんだ。そんな状態で挑んでもヴィクトリーピザはおろか他の競争相手にも勝てないよ」

 

「諦めろ、と言うのですか?」

 

「そうだ。俺は『勝てない』と思っているレースにキミを出走させたりはしない。今回は勝てないレースだ。トレーナーとして許可することはできない」

 

 ぎり、と彼女の奥歯から音が鳴った気がした。それほど悔しい思いをしているのだろう。だけどもう彼女の事情を最優先にして苦しい思いをさせるのはもうごめんだ。ここは心を鬼にする。

 

 しばらく彼女との間で睨み合いが続く。やがてエイシンフラッシュは俯き、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「……分かりました。ただ、代わりというわけではありませんが、1つだけお願いを聞いてくれませんか?」

 

「何かな?」

 

「弥生賞の日、私を中山競バ場まで連れて行ってほしいんです。……ヴィクトリーさんの走りを見届けるために」

 

 

 

 ――――弥生賞当日。

 

 その日の中山競バ場は生憎の雨模様で、見るからに重バ場のようである。

 

 結局エイシンフラッシュは熱が下がるまでに3日間、完調まで2日間を要した。医者の見立てでも弥生賞への出走は厳しいとの見方で、その日のうちに弥生賞への出走は取り下げることとなった。

 

 観客席の最前列で2人して傘を立てているため、必然的に距離が開いてしまう。本来走るはずだったレースを目前に控え、身長差も相まってどんな表情をしているのか皆目見当もつかない。

 

「ありがとうございます。今日は連れてきていただいて」

 

「今日のレースは直に見ておいた方がキミのためになると思うよ。何より俺も1度はヴィクトリーピザの走りを間近で目に焼き付けておきたくてね」

 

 エイシンフラッシュと話しているとオオッ! と一際大きな歓声が上がった。ターフに目をやると、パドックを終えた弥生賞に出走するウマ娘たちがコースに続々と出てきているところだった。

 

 そして弥生賞の1枠1番はヴィクトリーピザ。ぶっちぎりの1番人気の彼女は揚々と手を振り、歓声に応えている。

 ふとヴィクトリーピザと目が合う。否、正確には俺の隣にいるエイシンフラッシュと視線が交錯したのだ。ヴィクトリーピザがこちらに近寄ってくる。

 

 柵を隔てて2人が向かい合う。ヴィクトリーピザは若干不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「フラッシュ。あんた、この大事な時期に熱出したんだって? もう身体の調子は良いのかい?」

 

「ええ。ごめんなさい、勝負の約束は次回に持ち越しとなってしまいました」

 

「気にすることはないさ。思えばこれも3女神様の思し召しなのかもね。あたしたちの決着はG2よりももっと大きな舞台――クラシックレースでこそ相応しいってね」

 

 言って、ヴィクトリーピザは身を翻した。背中のゼッケン1番がとてつもなく似合っていた。

 

 ヴィクトリーピザの背中を見届け、俺は誰に言うわけでもなく呟く。

 

「こうして直接見るとやっぱり落ち着いているな。余程の自信がないとああも冷静にはいられない」

 

 その言葉にエイシンフラッシュが反応した。

 

「そうですね。何しろこの人混みの中私たちを見つけられるくらい、他に目を向ける余裕があるんですから。ヴィクトリーさんの場合、それが慢心に繋がらないから恐ろしいんです」

 

「1番になって当たり前というレースで1番になり続けることは難しいからな。いつだって自分の実力を出し切れる。それが彼女の強さなんだろう」

 

 2人で分析し合っているうちに各ウマ娘がゲートに収まり、いよいよレーススタートが間近となる。

 

 俺は携帯ラジオを弥生賞の実況チャンネルに合わせ、繋いだイヤホンから音声を拾う。

 

『――凍える寒さのような中山競バ場! 春の温かさ、初夏の眩しさを夢見る13人のトライアル。弥生賞での勝利は名ウマ娘への前奏曲と言えるでしょう!』

 

 いつもの女性実況者の声を聞きながら、出走バ――特にヴィクトリーピザの一挙手一投足から目が離せないでいる。

 

 

『13人のウマ娘の体勢が整いました。……係員が今離れます。そして今――スタートしました!』

 

 

 各ウマ娘が一斉に飛び出し、ヴィクトリーピザは相変わらずの好スタートを切った。ウチ枠を走る彼女はそのまま先行策で行くかと思いきや、どんどんと後ろへと下がっていく。

 

 

 

 




次回に続く。
ヴィクトリーピザが久しぶりに出てきたから話し口調忘れてしまっていますね。

一応史実でもエイシンフラッシュは弥生賞を発熱で回避しているみたいです。
せっかくの病欠イベントなので取り入れてみました。


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努力の代償は④

「下がった? いつもみたいに先行で走っていくんじゃないのか?」

 

「…………」

 

 エイシンフラッシュは押し黙ったままレースに集中している。

 

 この重バ場。ただでさえ最後の伸びが厳しいというのに、あえて下がって差しの位置を取るとは。何か狙いがあるのだろうか?

 

『1番人気ヴィクトリーピザは現在後ろの方にいます! その前にはシンエイポアロが位置しています。そしてその外には――――』

 

 しかしヴィクトリーピザは1コーナーを過ぎた辺りから順位を少し上げ、6番手の位置でレースを組み立てる様子である。内々を走ることができているからスタミナには余裕があるだろうけど、最後に抜け出せるかどうかが少し不安だな。

 

 そしてレースは進んでいき後半戦、俺の読みが当たり内側を走るヴィクトリーピザは前方のウマ娘に進路を阻まれ、その間に外側のウマ娘たちがどんどん前へと飛び出していく。

 

『ヴィクトリーピザは3、4コーナーの中間に差し掛かっております! ここから世代最強と名高いヴィクトリーピザがどういったタイミングで動いてくるのか! じっと我慢の4コーナーをここから迎えるのか!』

 

 4コーナーに差し掛かっても未だ前方が空く気配を見せない。かといってここから大外へと回るのは大きなロスになるし、位置関係的にも難しい。

 

「ちょっとまずいな……。あのままだと道を塞がれ実力を出し切れないまま終わる可能性も――――」

 

「――――いいえ」

 

 エイシンフラッシュの凛とした声に、俺は反射的に彼女の表情を見つめる。エイシンフラッシュの瞳には一切の疑いの曇りもなく、ヴィクトリーピザにのみ注がれていた。

 

 観客席前を走るヴィクトリーピザもまた、まるで動揺を見せずに内側を走り続けている。他のウマ娘たちは道悪である内側の走路を嫌ってか、次々外へと膨らんでいく。そのおかげでヴィクトリーピザは抑えたまま先頭集団まで順位を上げてきた。

 

 しかし結局前・外の2人に囲まれて抜け出せそうにない。強引に割って入れば失格となる可能性が高い。

 

 やはり厳しいか、と思われた矢先、残り200メートルを過ぎた直後にヴィクトリーピザの隣を走っていたゼッケン11番のウマ娘が疲れ果て、後ろへと落ちていく。――その僅かに空いた外側のルートをヴィクトリーピザが見逃すはずもなかった。

 

 ヴィクトリーピザは間隙を縫うようにして一気に前へと飛び出す。そしてゼッケン3番との一騎打ちとなり――――

 

 

『シンエイポアロが抜け出しているぞ! さあそしてここからか! ここからか!? ヴィクトリーピザここからなのか!! 躱した躱したヴィクトリーピザ――――ッ!』

 

 

 ――道が開けたヴィクトリーピザを阻むものはもはや存在しなかった。

 

 道中蓄えに蓄えた彼女の末脚は、シンエイポアロと競り合うことなく一息に抜き去り文句なしの1着でゴールを決めた。

 

 およそ半バ身ほどだろうが、着差以上の強さを見せつける結果となった。2000メートルを問題なく走り切れるスタミナ。一瞬で相手を抜き去るスピード。そして最終盤で見せた一瞬の勝ち筋を掴み取る勝負勘。どれが欠けても勝つことのできなかったレースであった。

 

『弥生の1番ゼッケンは皐月への1番名乗りっ! 見事に4連勝を決めましたヴィクトリーピザ! 最後の最後までじっと我慢のレースでした!』

 

 俺はイヤホンを外して1着でゴールしたヴィクトリーピザの様子を窺う。勝って当然と言わんばかりの表情の彼女は、いつかの選抜レースのときのように勝ち名乗りを上げたりしない。淡々とした様子で観客席に手を振っている。

 

「――――負けました」

 

 え? と思いがけないエイシンフラッシュの言葉に耳を疑った。

 

 

「負けたんですよ。このレースに出ることができたとしても、今の私では勝つことはできなかったでしょう」

 

「……そうか」

 

 きっと彼女は自分の走る姿をこのレースに投影していたんだろう。自分だったらこう走る、ここで仕掛ける。そんな感じでシミュレーションした結果、ヴィクトリーピザには及ばなかったのだ。

 

 想像内での戦いとはいえ負けは負け。けれどエイシンフラッシュはどこか吹っ切れたような顔をしていた。

 

「ヴィクトリーさんらしい走りでしたね。まさか『差し』でレースを進めるなんて、私への当てつけでしょうか」

 

 俺もそこが気になっていた。ヴィクトリーピザはここまで『先行』で走ることが多かった。しかしこのレースでは盤石の先行策はあえて捨て、終盤まで脚を溜めて最後に捲るという『差し』の走りを見せた。

 

 エイシンフラッシュの言葉に俺も合点がいき、「そうだな」と頷いた。

 

「まるでキミを見ているかのような走りだった。『お前ならこのくらい走れるだろう?』ってね。フラッシュと同じように、ヴィクトリーピザもキミを仮想敵として走っていたのかもしれないな」

 

 そして恐らくはエイシンフラッシュが実際に走っていたときは、また別の戦法で勝つ算段をつけていたのだろう。まったくもって恐ろしいウマ娘である。

 

 やっぱり今日は見に来て正解だった。ライバルの強大さを肌で体験することができたのだから。そこに悲壮感はなく、不思議とやる気が満ち満ちていた。

 

 くい、と袖を引っ張られる感覚があった。エイシンフラッシュが指先で俺の袖をつまんでいたのだ。彼女は1つ深呼吸をして口を開く。

 

「私だけで努力を積み重ねてもヴィクトリーさんには勝てないと今日改めて分かりました。なので……虫のいい話かもしれませんが、今一度私に力を貸してください。……駄目、でしょうか?」

 

「ああ、もちろんだとも。明日からまた一緒に頑張ろうな!」

 

 即答した俺に対し、エイシンフラッシュは微かに笑って見せた。

 

「そんなにあっさりと承諾して……。私が言うのはおかしいんでしょうが、少し甘やかしすぎなんじゃないですか?」

 

「そう言われてもなぁ。キミが1人で自主トレをやったのだって、俺にもっと頼りがいがあれば防げたわけで。人のせいにするのは簡単だけど、だいたい自分の方にだって改善点はあるものだよ。それにいつも言ってるだろ? 俺はキミを全力でサポートするってさ」

 

「……そうでしたね。私もちょうどその言葉を思い返していたところです」

 

 俺は傘を閉じて踵を返す。エイシンフラッシュも後ろをついてきている。

 

「さて、帰ろうか。この近くに美味しい焼き菓子のお店があるみたいだから、スマートファルコンにお礼の意味を込めてお土産を買っていきたいんだ」

 

「確かに。ファルコンさんには色々とお世話になりましたし、改まってお礼をした方が良いですね」

 

「それだったら彼女の好みを教えてくれないか? せっかくなら気に入るものを贈りたいしな」

 

「好みですか。ファルコンさんは甘味制限していることが多いので――――」

 

 取り留めのない会話をしながら帰路に就く。

 

 ――――雨はもう、上がっていた。

 

 

 

 




弥生賞編終わり。

重賞ともなると実際のレース映像が探しやすくて助かりますね。実況は基本そのままのものを参考にして使っています。



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皐月賞前夜、眠れない夜①

ついにエイシンフラッシュ実装きました!!

早速天井まで課金して引きました!これからたくさん愛でたいと思います


 ヴィクトリーピザが勝利した弥生賞からおよそ1か月後。先日まで満開だった桜の多くは散り始めを迎えたのとは対照的に、トゥインクルシリーズは急激にボルテージの高まりを見せている。

 

 ――――皐月賞。最も速いウマ娘が勝つレースとされ、クラシックレースの記念すべき1冠目。世代を代表するウマ娘たちが続々と名乗りを上げていた。

 

 ちょうどテレビで今年のクラシック級である主要なウマ娘たちの紹介がされていた。午後にやっている、トゥインクルシリーズ・ドリームトロフィーなどのレース情報を特集する番組である。

 

『――それにしても今年は非常に楽しみなメンバーが揃いましたね!』

 

『いやぁそうですねぇ。例年なら世代の代表となれそうなウマ娘が何人もいますからね! 特になんといっても注目なのがヴィクトリーピザです! デビュー戦こそフラワープリンセスに惜しくも敗れましたが、その後は4連勝と噂に違わぬ強さを見せてくれています。前走の弥生賞は圧巻でしたね』

 

『いやいや田中さん。そのヴィクトリーピザにデビュー戦で勝ったフラワープリンセスを忘れないでくださいよ! 他にも弥生賞2着のシンエイポアロやホープフルを勝ったゼアリオもいます。そう簡単には勝たせてくれないですよ!』

 

 事情通がクラシック級の注目ウマ娘を挙げていくが、その中にエイシンフラッシュの名前はない。「他者の評価に揺さぶられるな」とエイシンフラッシュには釘を差されてしまいそうだが、彼女ほどのウマ娘が注目を浴びていないのは素直に悔しい。

 

 俺はテレビの音量を下げベッドに身を投げ出す。手持ち無沙汰もあって、これまでのことを何となく振り返ってしまう。

 弥生賞を棄権し、皐月賞一本に絞ってトレーニングを重ねてきたおかげで、エイシンフラッシュの2000メートルのタイムはかなり良い。模擬レースでも上手い駆け引きができつつある。

 

 皐月賞は明日。数日前に追い切りを終えて、今日は軽く流して疲労も抜けていることを確認済みである。ベストコンディションで明日のレースに臨むことができる。

 

 ――――そのはずなのだが。

 

「目が冴えて眠れそうにない……!」

 

 いつものように歯を磨いて柔軟体操をして、後は床に就くだけなのだがまるで眠たくならない。これはあれだ、遠足前の小学生が陥るやつだ。ドキドキして眠れない。

 

 実際に俺が走るわけではないにせよ、気持ち的にはエイシンフラッシュと一緒に走っているつもりだ。しかしデビュー戦のときもちゃんと眠れたというのに、何故今回に限って寝つきが悪いのか……。

 

 明日はメインレースのため、時間には比較的余裕があるとはいえ今の状態だと夜更けまで起きている可能性が高い。こういうときは一度リセットして布団に入り直した方が眠りやすいものである。

 

 俺は半袖半ズボンの上から1枚薄手の上着を羽織る。春とはいえ夜中はまだ冷える。外に出ると夜空には雲と空とが半々くらいの空模様だった。もしかすると明日は少し降るかもしれないな。

 夜中の散歩は随分と久しぶりだった。大事な受験を控えた前日も確か寝付けなくて、今のように散歩をした覚えがある。日頃味わえない静寂が心を落ち着けてくれるのかもしれない。

 

 トレーナー寮を出て程近い位置にある公園へと入る。公園にしては遊具が少なく、敷地面積もそれなりに広く自然も多いためもっぱら近隣住民の散歩コースに使われているのだ。

 

「それにしても、エイシンフラッシュを担当してもう1年が過ぎたのか……」

 

 波乱万丈というほどでもなかったが、それでも俺にとってはあっという間の1年間だった。

 

 トレーナー1年目でエイシンフラッシュと出会えたことは俺の最たる幸運なのだろう。担当ウマ娘1人目でクラシックレースに参戦できるトレーナーは多くない、とトレセン学園理事長の秘書を務める駿川たづなさんにも褒めてもらった。

 とはいっても俺の助力なんて微々たるもので、元より彼女自身が持っていた素質によるところがほとんどである。中央のトレーナーなら誰でも彼女を輝かせることはできただろう。

 

 それに大事なのはここから。クラシックレースをどう乗り越えるのか。それによりシニア級での戦い方も決まってくる。ヴィクトリーピザとの決着も重要だが、トレーナーとしてもっと先を見通しておかないと。

 

「だけどそのために立ちはだかってくるのもヴィクトリーピザなんだよな……。シニア級でも最大のライバルとなってくるはずだし、そういう意味でも明日の皐月賞での初対決は重要になる……」

 

 周囲に誰もいないと独り言を発してしまうのは昔からの癖である。万が一聞かれたら変質者と間違われそうだし、改善したいとは思ってるんだけど。

 

 ――突如として、すぐ近くに茂みがガサガサと音を立てた。静寂を打ち破るような物音にみっともなく狼狽えてしまう。

 

「な、なんだなんだ!?」

 

 音がした方を注意深く窺ってみるも、何かが飛び出してきそうな雰囲気はない。公園内で度々見かける猫のせいかな、と結論付けて額の冷や汗を拭う。

 

「――随分と素っ頓狂な声を出しましたね? ……トレーナーさん」

 

 今度は前方の道から声が飛んできた。俺のことを「トレーナーさん」と呼ぶのは1人しかいない。何故彼女が? とは疑問に思ったけれど。

 

 電灯の下に現れたのはエイシンフラッシュだった。彼女は学園指定の体操服を身に纏っている。

 

「フラッシュ……? あれ? 何でこんなところにいるんだ? 栗東寮はもう門限なんじゃなかったか」

 

「きちんとフジキセキ寮長さんには許可を得ていますよ。トレーナーさんの方こそどうしたんですか?」

 

「俺か? 俺はその……、まあ色々あってな」

 

 眠れないので仕方なく近辺をブラブラ散歩していました、って言うと彼女からお叱りを受けることになる。「明日は大切なレースなんですから、眠るための努力をしてください」なんて風に。

 

 彼女は少しの間俺を観察するように覗き込み、ふむと顎に手を添える。

 

 

 




中途半端ですが次回に続く。

皐月賞まで冗長に書きすぎたかもしれない、と今になって思います。


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皐月賞前夜、眠れない夜②

エイシンフラッシュの育成シナリオ読みましたが、トレーナーが一目ぼれというところとかが当たってて嬉しいです。


「明日に備えて早く寝ようと思ったが、つい皐月賞のことを考えてしまって落ち着かず、なかなか寝付けない。外で軽く身体を動かせば思考が晴れて睡魔もやってくる。ここの公園は程よく自然もあってなお良いだろう――といったところでしょうか」

 

「だ、大正解……」

 

 何故そこまで読むことができるのか。彼女相手に半端な隠し事は意味を為さないな。

 やれやれといった風に彼女は肩を竦める。

 

「食べられるときにしっかり食べて、睡眠を取れるときにしっかり寝る。休みが少ないお仕事なんですから、これらをないがしろにしてはいけませんよ?」

 

「はい……仰る通りです…………。帰って頑張って寝ます……」

 

「――とはいえ、」

 

 ごほん、とエイシンフラッシュは咳払いをして頷く。

 

「眠れない夜というのもあるでしょう。私も星の少ない夜空を見上げるのに飽きてきたところでして……、せっかくなのでちょっとだけ話し相手になってくれませんか?」

 

「へ……?」

 

「いえ別に、無理にとは言いませんよ? 眠たくなってきたのなら途中で話を打ち切ってくださって構いませんし。行く当てもなくフラフラするくらいならと思っただけですので」

 

 普段より微かに早口気味の彼女の申し出に、特に断る理由も見当たらなかった俺はそれを承諾して近くのベンチへと2人して腰かけた。

 

 途中に自販機で買ったホットココアをエイシンフラッシュへと手渡す。就寝前に飲むといいって何かの本で読んだ覚えがあったのだ。

 

 俺はペットボトルの蓋を開けて、啜るようにホットココアを一口飲む。夜になると少し冷え込むな……。エイシンフラッシュは両手にペットボトルを持ち暖を取っているところを見ると、やはり寒く感じているのかもしれない。

 

 俺は上着を脱いで彼女へと半ば押し付ける形で受け渡す。

 

「ほら。よかったら使ってくれ。サイズはちょっと大きいと思うけど」

 

「……それでしたらお言葉に甘えて。ありがとうございます」

 

 彼女はおずおずといった様子で上着に袖を通す。やっぱりサイズが合っていないようで、わりと袖余りしている状態だった。

 

 弥生賞前の体調不良があって以降、俺は彼女の体調面の管理に一際気を遣うようになった。どれだけ万全の調整をしたとしても、体調不良になれば積み重ねてきたもの全てが無駄になる。それほど悔しいことはないと感じたからだ。

 

 ベンチに座ってからしばらく沈黙が続く。何か話さないと、という配慮めいたものはなく、この沈黙すらも不思議と楽しめるようになっていた。それは彼女も同じのようで、無理に話を切り出すようなことはもはやなかった。

 

「ふぅ……」

 

 となると案の定、直近の不安要素についつい思考が寄ってしまう。明日の皐月賞に向けてやり残したことはないか。全出走バの脚質を踏まえた上での作戦に穴はないのか。土壇場になっても心が据わらない。

 

 俺が落ち着かない吐息を漏らしていると、エイシンフラッシュはしょうがないといった感じで口を開く。

 

「若干強張った表情と止めどないため息……。察するに不安を抱えているように見受けられます」

 

「ああ、悪い……」

 

 担当ウマ娘に気を遣わせるなんてトレーナー失格ものだな……。なるべく彼女の前では隠そうとしているのだが、普段よりプライベートな時間というのもあって気が緩んでいるみたいだ。

 

 否定したところで誤魔化し切れるとは思えない。悪手かもしれないが、ここはあえて腹の底を打ち明けることにした。

 

「そうだな。情けない話だけど、初のG1レースっていうことで正直不安な気持ちでいっぱいだよ。キミはどうだ?」

 

「今更慌てたところでどうしようもありませんし、後は研鑽してきたことを発揮するだけですので」

 

「キミの言う通りだ。相変わらず冷静みたいでよかったよ」

 

「冷静……そう見えますか?」

 

 彼女は何か言いたげな瞳を俺に向けてくる。そう見えるか、と問われたら彼女は冷静が服を着て歩いているようなウマ娘だと思っているけど、問いかけるということは彼女自身そう思っていないということなのか。

 

 もう少し深く考えてみると、ヴィクトリーピザに対抗心を燃やしたり無茶な自主トレを敢行するような一面も持っている。エイシンフラッシュが訂正したいのもそういうことなんだろう。

 

「なるほど、言われてみればキミは意外と向こう見ずな一面を持っているのかも。まぁだけどキミは自分を律することができるし、憂慮しがちな俺が反面教師になってるんじゃないかって思うくらいだよ、ははは」

 

「…………、」

 

 俺の回答に対し彼女は僅かに落胆したのか、そっとため息を吐いた。なんで?

 どうも答えがお気に召さなかったご様子。うむむ、担当ウマ娘の心情を汲み取れないとは俺もまだまだだなぁ。

 

 俺が首を傾げていると、エイシンフラッシュは一度腰を上げて座り直す仕草を見せた。そして心なしか照れた風に髪先を触った。

 

「そんな反面教師の貴方ですが……、感謝していることの方が遥かに多いんですよ?」

 

「……?」

 

「日頃のトレーニングはもちろんですが、融通の利かない私に合わせてメニューやレース情報をデータ化したり、この間の契約外の看病のような献身を私は決して忘れません。トレーナーさんがここまで尽くしてくれるとは思ってもみませんでしたから」

 

「かなり大仰に捉えてるみたいだけれど、俺なんてまだまだ未熟者だよ。それがトレーナーとしての最低限の役目なんだから」

 

 褒めてもらえるのは光栄だが、本当に特別なことは何一つしていない。トレーナーの存在意義は担当ウマ娘に尽くすこと。凡庸な俺にはそれを徹底するくらいしかできないから、過剰に褒められるとむず痒く感じてしまう。

 

 強めの夜風が吹いた。冷たさを帯びたそれが肌を撫でると身が震えた。スマホを確認すると時刻は午前1時前になっていた。お互いにそろそろ睡眠を取らねば本格的に明日に支障が出かねない。

 

 俺は立ち上がり大きく伸びをする。

 

「そろそろ戻ろうか。フラッシュと話せて気持ちが和らいだよ、ありがとう」

 

「……そうですか。それならよかったです」

 

 その後、エイシンフラッシュを栗東寮の前まで送り届けて、俺も自宅へと引き上げるのであった。

 

 

 

 

 トレーナーさんの姿が見えなくなるのを確認して、私はふっと肩の力を抜いた。

 

「大事なレースを前にし、なかなか寝付けないというのは私も同じだと言うのに……」

 

 彼とまったく同じ理由で、尋ねられることもなかったので打ち明けることはなかったけれど。トレーナーさんは私を過剰評価している節がある。彼は私を冷静と評したが、こうしてレース前夜に昂って眠れないこともあるのに。

 

「眠れずに仕方なく散歩していることを何故言い当てられたか……。その理由が相手も同じ気持ちだったから、なんて簡単なことに気付かないとは確かに未熟者ですね」

 

 私はトレーナーさんから借り受けたままの上着を羽織り直した。ウマ娘の敏感な嗅覚により、微かに彼の匂いが鼻孔をくすぐる。

 

 ファルコンさんが以前ポツリと漏らしていた言葉をふと思い出す。今になってファルコンさんの気持ちに共感できた。

 

 

「もう少しくらいは機微に鋭くなってほしいものですね。……にぶトレーナーさん」

 

 

 




次回は皐月賞当日になります。

ファル子の「にぶトレーナー」は破壊力ありすぎてヤバいです。デジたんみたいに昇天しそうになりました。フラッシュは同室なのでその言葉を借りたという流れです。


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皐月賞当日、数多の始まりを越えて

アプリのフラッシュのちょっと早い口調すき。

というかフラッシュさんデレすぎじゃないですかね……。

※今回から視点変更のときは*マークを入れてみます。


 それは異様な雰囲気だった。

 

 中山競バ場で走るのは初めてではない。この日は皐月賞があるから観客の入りはそのときよりも遥かに多いが、それだって予想の範疇である。

 しかしそれによる熱気がここまで空気を重くするとは思ってもみなかった。もはや重圧と化したそれは地下にある控え室まで伝播していた。

 

「…………」

 

 平生の俺ならいかに動揺を彼女に悟らせないか苦心していたはずだが、不思議と今日は落ち着いていた。昨夜少し彼女と話すことができたおかげかもしれない。

 

 エイシンフラッシュは精神統一のためか、椅子に座って瞼を閉じている。クリスマスの際に贈った勝負服を身に纏う彼女の姿は、一層美しいと再認識する。

 

 壁にかけられた時計を見やる。そろそろパドックの時間である。声をかける前に彼女はゆっくりと目を見開いた。

 

「……もう間もなくですね」

 

「ああ。パドックに出ればあっという間にスタート時間がやってくる。どうだ、調子の方は?」

 

「良好です。良い走りをお見せできると思います」

 

 彼女がここまで言い切るということは、よほど状態が良いのだろう。今日のウォーミングアップでも確かに身体のキレは抜群だった。この大舞台にも呑まれていないみたいだし、トレーナーとしても期待が持てる。

 

 俺はエイシンフラッシュを見据える。彼女も俺を見つめていたのか視線がかち合い、シアンブルーの双眸に吸い込まれそうな錯覚に陥る。

 

 

「なんというか、さ。始まったなって感じがするよ」

 

 

 ぽつり、と独り言のようなそれにエイシンフラッシュは小首を傾げた。

 

「始まったとは? G1デビュー戦という意味であれば分かりますが」

 

 そうじゃない、と俺は彼女の答えに首を振った。

 

「いや、言葉では言い表しにくいんだけど、俺のトレーナー人生ってキミと出会ってから始まったような気がするんだ」

 

 トレーナーになったのは正確には一昨年のことだ。けれどトレーナーとしての自覚はまだ全然なくて、夢の中にいるかのようにフワフワしていた。

 

 エイシンフラッシュと出会い、専属契約を結んだのは去年のこと。そこからは無我夢中だったけど、その道中で多くのことを彼女から教えてもらった。

 トレーナーとしての責任や心構え。担当ウマ娘がレースで勝利することの喜びや敗北したときの悔しさ。どれも彼女と出会えなければ理解できなかったことばかりである。

 

 彼女との歩みを一つ一つ反芻しながら、ふと「そうか」と納得がいった。俺はエイシンフラッシュに『トレーナー』にしてもらったのだと。

 

 それがなんだか誇らしく思えて、つい表情がほころんでしまう。

 

 

「……キミと出会ってからの俺は今日まで、たくさんの『始まり』を体験してきた。そして今日を経てまた、これまでとちょっとだけ違う人生が始まるんだって――そう思ったんだ」

 

 

 清聴していたエイシンフラッシュは、最後まで聞き終えると微かに口角を吊り上げた。次に笑みを押し殺した吐息が漏れた。

 

「ごめんなさい。照れもせずによくそんなことを言えるものだと感心してしまいました」

 

「柄にないことを言っちゃったかな」

 

「いつものことじゃないですか」

 

「そんなにいつも照れくさいこと言ってたかな、俺って?」

 

 なんだか過去に遡って辱しめられている気がする。

 

 よくよく思い返せば恥ずかしいことを言ったような気もするが、言ったことは取り消せないので気にしないでおこう。

 

 コンコン、と扉がノックされる。

 

「失礼します。11番エイシンフラッシュさん。間もなくパドックのお時間となります。所定の位置まで移動願います」

 

 慌ただしい様子の運営スタッフが去り、エイシンフラッシュは椅子から立ち上がり、最後に大きく深呼吸をした。

 

「――――行ってきます。今日は最も速いウマ娘を決めるレース……見逃さないでくださいね、トレーナーさん」

 

「ああ! キミの雄姿をきちんと目に焼き付けてやるさ!」

 

 そう言って、美しいと感じたはずの彼女の後ろ姿は何故だかカッコよく俺の眼には映った。

 

 

  ***

 

 

 

 パドックを終え、芝コースへと足を踏み入れた私は、まず大きく息を吸い込んだ。今でこそ止んでいるものの、今朝降った雨の影響でバ場状態は事前の情報通り稍重である。内側ともなればもっと酷い状態かもしれない。

 

 トレーナーさんと立てたプラン通り、外枠を活かしてレースは外側で組み立てるのが手堅いだろう。

 

 リアルの情報と事前の予測を擦り合わせ、戦法の最終チェックを繰り返す。……うん。これなら当初のプランが使えそうである。

 

 私が自身のことに夢中になっていると、一際大きな歓声が上がった。それは一つの音の爆弾と化して私の身体を物理的に震えさせる。

 

 原因はすぐに想像がつく。私は答え合わせの気持ちで後ろを振り返り――最大のライバルがそこには立っていた。

 

「やあ、フラッシュ。今日は熱を出していないみたいで安心したよ」

 

 ヴィクトリーピザ。この皐月賞でも圧倒的1番人気のウマ娘であり、私が決着を付けなければならない相手。

 

 彼女は観客の声に応えながらも私に歩み寄ってくる。

 

「お待たせしました。ようやく本番の舞台で相まみえることができて嬉しく思います」

 

「待った覚えはないよ。あたしは今日まで全速力で駆け抜けてきた。あんたがついてこれたかどうか、今日のレースではっきりするだろうね」

 

 相変わらずの不敵な物言いに、私は真正面から受け止めて言葉を返す。

 

「奇遇ですね。私も貴方についてきた覚えはありません」

 

「なに?」

 

「――貴方を追い抜くつもりでここまで走ってきました。どちらが後塵を拝するか、今日のレースではっきりするでしょう」

 

 すると彼女は飢えた獣を連想させるギラギラとした笑みを浮かべ、勝負服のマントを翻しながら背を向けた。

 

「上等だ……! ジュニア級を経てつまんない奴になってないか心配したけど、どうやら杞憂だったようね」

 

 少し離れたヴィクトリーさんは、ピタリと脚を止め綺麗に180度身体を回転させて私を指差した。大歓声の中でも奇妙なことに彼女の声はよく通って聞こえた。

 

「勝負だ、エイシンフラッシュ!」

 

 私とヴィクトリーさんとの勝負の時間はもう目前に迫ってきていた。

 

 

 

 




次回、皐月賞へと突入します。
今までは1話でレースを完結させていましたが、色んな視点でレースを描きたいと思います。

なんかトレーナーが最終回みたいなことを言い出していますが、まだまだ続く予定です。
とりあえず目標はダービーまで書き上げることです。


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皐月賞、ラスト100メートル

『――――中山の芝2000メートルを舞台に、世代の頂点を決める皐月賞。様々な路線から集結した18人の精鋭たちがクラシックタイトルを賭けて凌ぎを削ります』

 

 イヤホン越しに皐月賞の実況が耳に入ってくる。俺は観客席の最前列に陣取り、固唾を呑んでスタートの瞬間を今か今かと待ち構えていた。

 そんなふうに入りすぎた力を解そうとしたのか、不意に背後から両肩をぐいぐいと揉まれる。

 

「よお。そんなに力入れすぎてるとレース終盤まで持たねえぞ」

 

 後ろにいたのは園部トレーナーと、気難しい表情をしたワープボートである。2人は俺の右隣へと身体を置く。

 

「園部トレーナー。どうしてここに?」

 

「ここにいるのは同世代としては無視できないウマ娘ばかり。皐月賞には間に合わなかったが、ダービーに向けての敵情視察の場としちゃ欠かせないだろ?」

 

「私は別に来るつもりはありませんでしたけど」

 

「そう言うなって。お前さんにとっても良い勉強になるはずさ」

 

 どうやらワープボートは園部トレーナーに半ば無理やり連れてこられたらしい。道理で不満そうな顔をしていると思った。

 

 ワープボートは嫌々言いながらも真摯な様子でゲート前のウマ娘たちの状態を見定めようとしている。故障でデビューが遅れ、皐月賞に間に合わなかったとはいえ彼女の前評判はかなり高い。次の日本ダービーには出てくる可能性は充分あるのだ。

 

 彼女は視線をターフに固定したまま所感を口にする。

 

「それにしてもさすがG1レースですね。先ほどエアグルーヴ先輩とお会いしましたが、生徒会のシンボリルドルフ会長やナリタブライアン先輩も皐月賞に注目しているとのことでした」

 

「生徒会が……」

 

 トレセン学園生徒会はトゥインクルシリーズで偉業を成し遂げ、学園生から絶大な人気を誇るウマ娘たちで構成されている。シンボリルドルフが熱心に各レースへ脚を運ぶのは有名だが、一匹狼のナリタブライアンまでこのレースを見に来ているとは……。

 

 改めてG1という舞台が特別なものであることを実感する。というよりも、唯一の重賞だった京成杯の雰囲気とはまるで違う。初体験ともなれば冷静に己を保つことさえ難しいだろう。

 

 そんな重圧下において、エイシンフラッシュはまったく動じていなかった。

 

 むしろ初の勝負服で心が引き締まったのか、それでいて静かな闘志を感じさせる表情をしていた。

 

「エイシンフラッシュ、かなり調子が良さそうだな」

 

「ええ……!」

 

 園部トレーナーの言葉に頷く。いつものレースでは敗北の二文字がどうしても頭を離れなかったが今日はまるでない。

 

 だけど、と園部トレーナーは付け加える。

 

「――ヴィクトリーピザもいつになく滾った顔つきをしているぞ」

 

 それに釣られ、俺はヴィクトリーピザを見やる。度々見せる活発な言動は鳴りを潜めているものの、ひりつくほどの緊張感がここ観客席まで響いてくるようだ。

 

 実力バ揃いのクラシックレースの中でも、ヴィクトリーピザは独り際立った存在感を放っていた。

 

 思いがけずヴィクトリーピザに目が離せないでいると、昔から聞き馴染みのあるファンファーレが鳴り響き、各ウマ娘がゲートへと収まっていく。俺が逸ってしまっているせいか、テレビで見るよりもテンポが速い気がした。

 

『さあ18人ゲートに収まりました。願いを力に。クラシック第一冠目皐月賞。今――スタートを切りましたっ!』

 

 ほぼ横一線にスタートを切り、エイシンフラッシュも好スタートを見せる。

 そのまま抜け出して内側から先行策を取ることもできたが、エイシンフラッシュは予定通り速度を緩めて差しの位置からレースを組み立てていく。対するヴィクトリーピザはというと……。

 

『注目のヴィクトリーピザは後ろから4人目辺りを進んでいきます。前の大バ群の一番後ろを進んでいっています!』

 

 実況の言う通り、ヴィクトリーピザはエイシンフラッシュよりもさらに後方を走っていた。差し戦法だった弥生賞よりも後ろ……。スタートは悪くないように見えたが。てっきりエイシンフラッシュとの末脚勝負は避けて先行策で来ると思っていた。

 

 しかしヴィクトリーピザは最内に身を置くと、そこから2コーナーを過ぎた辺りから徐々に着順を上げていく。

 

 どうにも既視感がある。何度も何度も繰り返し見た光景だ。

 隣の園部トレーナーがポツリと独り言ちる。

 

「……まるで弥生賞のときと同じだな」

 

 園部トレーナーの言葉を聞いて合点がいく。そうだ、弥生賞のときも始めは後方を走っていたのに、中盤に差し掛かる頃合いから今みたいに着順を押し上げていくのである。

 

 ワープボートが素直に疑問を口にする。

 

「弥生賞のときは内からレースを進めて最後は一瞬の末脚で差し切りましたね。だとしても何故そんなことを? いつものように先行で走ればいいのに」

 

「さてな……。いくつか理由は考えられるが答えは走っている当人とそのトレーナーにしか分からんだろうよ。単にスタートダッシュが想定より遅れただけかもしれないしな」

 

「……それはないでしょう。あのヴィクトリーピザに限って。何か狙いがあると見るのが妥当です」

 

 向こう正面を駆けるヴィクトリーピザ。その地点で彼女は真ん中やや前を走っている。エイシンフラッシュは10番手辺りをずっとキープしている。それでいい、ヴィクトリーピザに振り回されずに自分のレースができている。

 

 俺たち3人は目の前のレースに釘付けになりながらも、ワープボートは冷静な口ぶりで「それはどうでしょう?」と短く息を吐いた。

 

「ヴィクトリーピザさんに何か狙いがあったとしても、弥生賞のときみたいにあの最内から最後の直線で抜け出せるとは思えません。スタミナの消耗を抑えられますが、少しばかりギャンブル要素が強いと思います」

 

 ワープボートの意見は概ね正しい。ただでさえヴィクトリーピザは他のウマ娘からのマークが厳しいのだ。示し合わせて道を塞ぐようなことはないだろうけど、拮抗したレースになると最内のウマ娘は最後までバ群から抜け出せないケースがままある。

 

 そしてレースは3コーナーから4コーナーへ。ヴィクトリーピザは未だ最内を走っており、少し間隔を置いた隣にはエイシンフラッシュが冷静に勝負の綾を探っている。

 

『冬将軍が去っていった中山競バ場、桜並木は健在です! 可能性に賭けるクラシック級の新星たちがいよいよ最終直線へ差し掛かる! さあ抜け出すのはどのウマ娘だっ!?』

 

 全ウマ娘たちのギアが明確に一段上がる。稍重のバ場状態のなかここまで飛ばしてきたせいで、もはや充分なスタミナを残しているウマ娘はいない。ここからは根性――勝負にかける想いの強さが勝敗を分ける。

 

 エイシンフラッシュはウマ娘間のギャップを上手く突いて外側へと身体をねじ込む。これでラストスパートをかける態勢が整った。後はここから――――

 

「――――えっ?」

 

 ワープボートが呆気に取られたような声を上げた。その理由はすぐに見当がついた。――ヴィクトリーピザである。

 

 内側で苦しんでいるかに思えた彼女は、最終直線に入るや否やスピードを上げて瞬く間に4番手まで順位を上げてくる。それでも結局前の道は開いていない。先頭に立つのは絶望的に思えた。

 

 けれど、ヴィクトリーピザはあたかも踊るかのように軽やかにステップを刻み、内側からさらに内へ――先頭ウマ娘の脇をスレスレのところを通り抜けていった。そして限界を迎えている競争相手をあざ笑うようにして、並ぶ間もなく先頭へと躍り出た。

 

「なんだよ今の!?」と観客席から悲鳴にも似た驚嘆が溢れ出ている。それもそのはず、脱出不可能にさえ見えたあのバ群をいとも容易く攻略してみせたのだから。

 

予想を覆す見事と言うほかない走り。「負け」の2文字が脳裏をかすめる。

 

「いやまだだ……!」

 

 まだエイシンフラッシュが最も輝く一瞬は終わっていない!

 

 200メートル手前でエイシンフラッシュは持てる力の限りを出し尽くしながら末脚を発動させる。ヴィクトリーピザと5バ身以上もあった差をみるみるうちに詰めていき、残り100メートル地点ではおよそ2バ身差まで迫っていた。

 

 加速力なら彼女が誰よりも上を行く! あんなに遠く思えた背中が手を伸ばした先にある。理性的なエイシンフラッシュの瞳が烈火のごとく燃えているように映った。

 

 

「やぁああああああああっ!!」

 

 

 自らを鼓舞するかのように吼えるエイシンフラッシュ。

 

 ラスト100メートル。時間にして数秒の競り合い。『彼女』が1番にゴール板を駆け抜けたとき、観客席からは割れんばかりの大歓声が上がった。

 

 

 

 




次回、皐月賞決着。
園部トレーナーとワープボートは解説要員として出演してもらいました。

アプリのエイシンフラッシュのバレンタインイベ、破壊力高いから是非見てくださいね。


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皐月賞、決着

 今日の私はベストコンディションだ。

 

 弥生賞こそ回避することになったが、京成杯以降の練習メニューでは常にクラシックレースを意識したものに取り組んできた。スピードもスタミナも何もかもが、一年前の私とは比べ物にならないほど向上している。

 

 そしてトレーナーさんは皐月賞にピークを持ってくるようメニューを随時更新してくれた。そのおかげで身体のキレはいつにまして良いと確信できる。

 

 完璧なトレーニングに完璧な調整。負ける要素は何一つない。私は私の走りを完璧に遂行する。それができれば負けるはずがないのだから――――

 

 

 

 スタート直後、私はすぐにちょっとした異変に気付いた。

 

 ヴィクトリーさんが前方にいないのだ。となると必然的に私より後方のスタートとなるが、トレーナーさんと作戦会議をしたときは「おそらく先行でくる」と読んでいたため、意表を突かれたような格好になる。

 

 ……いいえ。ヴィクトリーさんのことだから何か狙いがあるのだろうけれど、あまりそれに振り回され過ぎるのは愚の骨頂だ。まずは私自身の走りを最優先させなければ。

 

 最初のコーナーへと入る。私は11番手の位置で様子を窺う。やはり皐月賞ともなれば各ウマ娘の走りを後ろから眺めるだけで実力バ揃いであることがすぐに分かる。最大のライバルはヴィクトリーさんだけど、他のウマ娘たちも一着を取ることのできる実力を持っている。

 

 2コーナーを回って向こう正面へ。稍重のバ場を鑑みるとやや速いペースで進んでいるように思う。これだと先行しているウマ娘はラストスパートでスタミナ切れを起こす可能性が高い。

 

 ――違和感が芽生える。ひょっとしてヴィクトリーさんが後ろからレースを組み立てるのは……。

 その思考を遮るかのように、ヴィクトリーは私のすぐ内隣を駆け抜けていく。刹那、ヴィクトリーさんと視線が交錯する。

 

 ヴィクトリーさんの口角が挑発的に吊り上がる。

 

「先に往くが――そうチンタラ走っててついてこられるのか?」

 

「……!」

 

 そのまま並び立つことなくヴィクトリーさんは前へと位置を押し上げていった。

 やはりそうだ。ヴィクトリーさんは早めのペースになることを嫌って、あえて中盤まではスタミナ消費を抑える後方からの走りを選んだのである。しかも外枠スタートにもかかわらず内側を走りながら。

 

 ヴィクトリーさんの戦術眼は侮れない。けれど終盤はどう動くつもりなのか? ただでさえ18人と数の多いこのレースで、バ群に呑み込まれるリスクは通常よりもかなり高い。私はそのリスク排除のために外側に抜け出せる準備をしているのだ。

 

 私は彼女の挑発には乗らず、当初決めた通りのプランに沿ってレースを進める。勝敗を分ける分岐点はまだ先――ラストの直線にある。

 

 そしてレースは3コーナーを経て4コーナーへと。残り600メートルへと突入する。私がこの1年間で最も取り組んできた距離である。

 

 ヴィクトリーさんは内側から抜け出そうと思ったのだろうけれど、前方のウマ娘に進路を阻まれ未だ8番手の位置――私の斜め前にいる。最終直線。彼女を視界に収めながら走れば問題ない。

 

 私は逸る気持ちを抑えつけながら、蓄えに蓄えた末脚を発揮するポイントを見定める。

 最終コーナーを終え直線へと入る。それまで私も囲まれてはいたものの、カーブで膨らんだ外側のウマ娘たちの僅かな隙を見逃さず、強引に割って入り進路を確保する。

 

 私含め多くのウマ娘たちが外を突くことを選択したのとは対照的に、ヴィクトリーさんはなおも内側の走路を駆ける。おかげで前目の位置にはつけたようだが、結局のところ躱せなければ一着にはなれない。

 

 今のヴィクトリーさんを見ていると、メイクデビュー戦のときの私を思い出す。未熟だったと言えばそれまでだが、内側を走っていた私はラストスパートの際に進路を塞がれてしまい、伸び切れずに敗れたのだ。今のヴィクトリーさんも同じ状況になりつつあるように思えた。

 

 ――――しかし。

 

 そんな不安を嘲笑するかのように、ヴィクトリーピザは私には視えなかったルートを疾走する。

 

 内側のさらに内側。先頭を往くウマ娘と内ラチの僅かな隙間を勇猛果敢に入り込み、自慢の脚力で一気に先頭へと飛び出したのである。

 

 先ほどまで手が届きそうだった背中が、あっという間に離れていく。3バ身、4バ身……残り200メートル少々では致命的な差が。

 

 

「いいえ、まだです……!」

 

 

 私は強く一歩を踏み出す。それが私にとっての末脚を解放するための動作。全神経をつま先に集約させ、爆ぜんばかりの力を込めて芝を蹴る。

 瞬間、私の身体は爆発的な加速を得る。懸命に両脚を回して最高速を維持する。いち早くスパートをかけたヴィクトリーさんとの距離がじりじりと詰まっていく。

 

 3バ身、2バ身……残り100メートルを切る。私は最後の力を振り絞るべく、自身に喝を入れる。

 

「やぁあああああああああああああっ!!」

 

 

 ――――ここまでいったいどれだけの距離を走ってきたことだろう。

 

 成功したことも失敗したことも、今を走る血肉となっている。全ては今日、ヴィクトリーピザに勝つため! 遠すぎて届かなかった背中にいよいよ手がかかる――――!

 

「――――どう、して」

 

 徐々に追い上げていたはずが途端に距離が縮まらなくなる。どれだけ全力を尽くそうとも届かない。ヴィクトリーさんがさらにもう一段ギアを上げたのだ。

 

 ゴールまで残り50メートルを切った。もう猶予はないという焦りとは裏腹に、一向に差が詰まらない。指をかけたはずの手が強引に振りほどかれたような錯覚に陥る。近づいたはずのヴィクトリーさんの背中が再び遠く離れていく……。

 

 ……そうだ。私に実力があればできたのだ。

 たとえ最内で抜け出すことが至難に見えようとも、実力さえあれば乗り越えられる程度のものでしかなかったのだ。

 

 ――そうして、当たり前のようにヴィクトリーピザは私よりも先にゴール板を駆け抜けていった。

 

  * * *

 

 ――勝てると思っていた。

 

 トレーナーとして今日のエイシンフラッシュの状態は完璧だと太鼓判を押せるほどの出来だった。それは俺だけの過信ではなく彼女自身もそう実感していた。

 これまで積み重ねてきた努力が今日クラシックの舞台で花開く――なんて、根拠の乏しい夢を描いていた。

 

 万全の状態で完璧なレース運びをしたエイシンフラッシュでさえ迫ることがやっとの圧倒的走り。まぐれすら許さない、王者と呼ぶに相応しい勝負強さ。

 

 俺は指が白くなるほどの力を込めて拳を握る。この一戦に全てを賭けていたからこそ、目の前の現実に打ちひしがれるのだ。

 

 エイシンフラッシュの猛追を振り切り、ヴィクトリーピザが先頭のままゴール板を駆け抜ける。園部トレーナーが独り言のように呟いた。

 

 

「これが世代最強。――これがヴィクトリーピザか」

 

 

 誰よりも早くゴールしたヴィクトリーピザは天高くVサインを掲げる。そしていつか聞いたセリフとともに雄叫びを上げた。

 

「ヴィクトリィイイイイイイッッッ!!」

 

 その勇ましい姿に加え、ラジオからは客観的なレース結果が告げられる。そこでようやく一つの結果を痛感することになる。

 

『一着でゴール板を駆け抜けたのはヴィクトリーピザ! 何度も何度も勝利の咆哮を上げています! そして3着はエイシンフラッシュ、僅かに届きませんでした!』

 

 

 ――――俺たちは負けたのだと。

 

 

 

 




というわけで皐月賞編は決着となりました。

このレースのヴィクトリーさんは本当にすごかったので是非見てほしいです。
最後の直線で内側から抜け出す動きが変態すぎて驚きました。


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皐月賞、舞台裏で

ルドルフは見た。


 皐月賞が終わり、中山競バ場は未だ激闘の熱が冷めやらぬ状態にあった。

 

「いやあ、ヴィクトリーピザ強かったなぁ! これはもう3冠確定じゃないか?」

 

「確かに! 他のウマ娘たちも前評判通りの強さだったけど、やっぱりヴィクトリーピザが1つ抜けてるよなぁ」

 

 そんな声が至る所から聞こえてくる。新世代によってトゥインクルシリーズが盛り上がるというのは我々としても歓迎するところだ。それこそがウマ娘たちにとっての幸福へと繋がるからである。

 

 かく言う私もまた、先ほどのレースの余韻に僅かながら浸っている。それほどまでに素晴らしいレースだった。

 

 

「――会長? シンボリルドルフ会長?」

 

 

 そのせいで何度も名前を呼ばれていることに気付くのが遅れてしまった。生徒会副会長のエアグルーヴがやや心配そうに顔色を窺ってくる。

 

「どうかされましたか? 最近は多忙を極めていましたから、少しお疲れなのではないですか?」

 

「いや、大丈夫だよ。心配をかけてすまない。先ほどのレースを振り返っていたんだ」

 

「皐月賞、ですか。確かに最強の世代と呼ばれるに相応しい、まさに原石同士のぶつかり合いでしたね」

 

 ターフ全体を見渡せる屋外席からだとレースの戦況が読みやすい。故に今回のレースがいかにハイレベルかがダイレクトに伝わってきた。

 

 私はエアグルーヴに問いかける。

 

「キミはこのレースをどう分析した? 聞かせてほしい」

 

「はい。勝者のヴィクトリーピザを中心としますが、やはり光ったのは彼女の戦術眼です。今回のバ場は稍重。それにより内側の芝は通常よりも荒れていた。まだ身体の出来上がっていないクラシック級ではまず内を避け、綺麗な外側の走路を選ぶことがセオリーでしょう。ヴィクトリーピザはそのことをレース前時点で既に分析していた。だからこそ外枠スタートにもかかわらず終始内側を走っていたのです」

 

 

 私は肯定と続きを促す意味を込めて静かに頷く。

 エアグルーヴの言う通り、ヴィクトリーピザは誰も走らないであろう内側をあえて走ることでスピード、スタミナ面においてアドバンテージを得た。確かに大外になればなるほど他のウマ娘たちに道を塞がれないが、内側を走ることが最短最速なのは間違いない。その代わり最終的にはバ群を抜けなければならないという難題が付きまとうが。

 

 エアグルーヴはなおも続ける。

 

「しかし他のウマ娘に真似できるかと言われればそうではありません。荒れた芝を走破するだけのパワー。最後の直線を抜け出す思考の正確性と身のこなし。そのいずれかが欠けると敗北するという、言わばハイリスクハイリターンな作戦です。クラシック級で同レベルの走りができるのはそういないでしょう」

 

「なるほど。さすがの観察眼だ、勉強になったよ」

 

 エアグルーヴは「ご冗談を」と笑った。

 

 このレースで光ったのはヴィクトリーピザの総合力の高さ。聞くところによれば彼女は世界を視野に入れているという。私が勝つことのできなかった世界。時代が変わりつつあるのだと実感する。

 

 私は背もたれに身体を預け、少しだけ目を閉じる。

 

 

「トゥインクルシリーズは今、大きな転換期に差し掛かろうとしているのかもしれないな。去年ティアラ路線で活躍した現女王、世界を見据えるヴィクトリーピザ、そしてジュニア級には怪物と評される暴君が現れた。これからはより群雄割拠の時代となるだろう」

 

 

 すると私の独り言に反応したのはやや離れた位置に座っていたナリタブライアンであった。

 

「はっ。強い相手が現れるというなら大歓迎だ。そうだろ、元女王サマ?」

 

 かつて『女帝』と言われたエアグルーヴに対し、挑発気味な発言をぶつけるナリタブライアン。強い相手に飢えているナリタブライアンも、先ほどのレースでうずいているのかもしれない。

 

 エアグルーヴはふん、とあしらうように鼻で笑った。

 

 

「女王は常に一人だけだ。彼女が私と同じ舞台まで登ってきた時、どちらが女王と呼ぶに足るかはっきりするだろう。それに白黒つけるというのなら貴様も同じではないか? 元怪物」

 

「怪物は一人だけとは限らないが、どちらが強いかはっきりさせたいのも怪物の性だ。そいつが本当に私の渇きを満たしてくれるか、今から楽しみで仕方ない」

 

 

 やる気が溢れてしまったのか、ナリタブライアンは手の平を拳で力強く打った。怪物と呼ぶに相応しい獰猛な笑みを浮かべている。

 

 彼女たちがここまで刺激されているというのも珍しい。頼もしい様子を見て、つい微笑がこぼれてしまう。

 

 

Eclipse first,the rest nowhere(唯一抜きん出て並ぶものなし)。彼女たちがトレセン学園のスローガンを体現する者であれば、遅かれ早かれ我々の前に現れるだろう。――ドリームトロフィーという舞台で」

 

 

 それにまだ他にも楽しみなウマ娘が多くいる。たとえば皐月賞3着だったエイシンフラッシュ。ヴィクトリーピザに敗れたとはいえ彼女にも光るものを感じた。彼女たちが切磋琢磨し合えば、トゥインクルシリーズはより盛り上がることだろう。

 

 そう遠くない輝かしい未来に思いを馳せ、私は独り静かに頬を緩めていた。

 

 

 




というわけで生徒会3人の皐月賞所感でした。
ヴィクトリーさんが本当にそんな思惑で走ったのかは知りません。話の流れでそうしたまでです。

ルドルフ会長はギャグマシーンも好きなんだが真面目なのもかっこよくて好きなんだ……。


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皐月賞その後、敗北の苦み

アオハル育成のコツがいまいち掴めない……。


「いつものレースの反省会ですが、ひとまず独りで見つめ直させてください。明日、2人ですり合わせをしましょう」

 

 そう告げたエイシンフラッシュを寮まで送り届けた後、俺は園部トレーナーに誘われてトレセン学園近くのバーへと来ていた。

 

 園部トレーナーがグラスを掲げ乾杯を促してくる。

 

「とりあえず今日はお疲れさん」

 

「……ありがとうございます」

 

 自分のグラスを園部トレーナーのそれと軽くぶつける。キン、と小気味いい音が鳴った。

 

 トレーナーたちの憩いの場としてよく利用されているというバーは、静かなBGMと落ち着いた内装などが相まって居心地が良い。今後も足を運びたくなるお店である。

 園部トレーナーがビールを呷る。俺はあまり酒が得意な方ではないため、基本的に初心者向けのカクテルなどを頼む。一杯目はビールをトマトジュースで割ったレッド・アイを注文している。

 

 トマトの味わいの奥にビールの苦みが潜んでおり、どことなくフルーティで飲みやすい。それが喉を通ると、自然と今日のレースを振り返ってしまう。

 

「――――負けはしたが、良いレースだったんじゃないか」

 

 俺の思考を先読みしたのか、早速グラスを空にした園部トレーナーがそう言った。彼はビールと一緒に出てきたナッツをつまみながら続ける。

 

「お前の悪い癖だ。1位以外が負けかっていうとそうじゃない。確かに戦績では1勝とはならないけど、3位だって立派な結果だ。担当ウマ娘を褒めてやっていいと思うけどな」

 

 園部トレーナーの言うことは正しい。掲示板を外さなければ良い結果と言っていいのだろう。しかも今回はG1レース。元々11番人気だったウマ娘が3着に食い込んだのだ、番狂わせに近い結果である。

 

 けれどエイシンフラッシュの場合、ヴィクトリーピザに勝つことを目標としてきた。そのために辛いトレーニングだってこなしてきた。なのに力の差を見せつけられたとあっては落ち込んでも仕方ないだろう。

 

「……フラッシュはそれで納得しません。ヴィクトリーピザに勝つ――それが彼女の最大目標だったんですから。彼女自身も相当ショックを受けている様子でした」

 

 努めて気丈そうに振る舞ってはいたが、態度とは裏腹にかなり気落ちしていた。

「皐月賞を独りで見つめ直す」と言っていたけれど、さすがにその言葉を前向きに捉えるほど俺も間抜けじゃない。

 

 なのに結局俺は彼女に何も言えなかった。寮へと入っていく彼女を引き留める言葉を持たなかった。何が原因で負けたのか、間違った指導をしてしまったんじゃないかと考えれば考えるほど、彼女に何か言う資格があると思えなくなったのだ。

 

 ――――俺はエイシンフラッシュからの期待を裏切ったと同じなのだから。

 

 園部トレーナーに倣って俺もカクテルを一気に呷る。

 

 

「今日のレース……正直言って今まで見てきた中で1番の出来でした。稍重のバ場が多少不利に働いたかもしれませんが、仕掛けどころは間違っていない。……それでも負けた。足りていない部分があるとしたらそれはきっと、トレーナーの力量不足なんじゃないかって思うんです」

 

 圧倒的な差を付けられての敗北ではない。しかし今日のレースは完敗とせざるを得ない内容だった。

 

 エイシンフラッシュに落ち度はなく己の実力を遺憾なく発揮していた。それでもヴィクトリーピザに届かなかったということは、俺の方にこそ問題があるはずだ。

 

 俺は彼女の末脚に重点を置いたメニューを組んできたが、もっと他に鍛えるべき能力があったんじゃないのか。今日のヴィクトリーピザの戦略を事前に見抜けていたのなら、それに応じた対応策を練ることができたはずである。

 

 酒の席でこんな自責の念を聞かせてしまう園部トレーナーには申し訳ないけど、自虐を尽くした今の俺には批判が必要だ。俺の不甲斐なさを確固たるものにする第三者からの批判が。

 からり、とグラスの氷が控えめに音を立てる。しばらく押し黙っていた園部トレーナーは静かな語り口調で始める。

 

「力量不足、か。確かにお前は足りていないものが多すぎる。トレーニングの知識もウマ娘に対する配慮も何もかも。それなりに結果がついてきているからいいものを、これで未勝利だったら鬱になるぞ」

 

「…………」

 

 何も言い返せない。園部トレーナーの言う通りである。俺はトレーナーとして完全に力不足だ。

 すると園部トレーナーがやや強めにテーブルをグラスで打った。

 

 

「その上で言わせてもらうが――――無礼ているのか? お前」

 

 

 威圧という言葉から最も程遠いと思っていた平生の園部トレーナーからは、およそ似つかわしくないほどドスの利いた声音。

 

「新人トレーナーなんだから色んなもんが足りていないのは当たり前だ。俺のような中堅トレーナーでさえ、これまで完璧と言える仕事をこなしたって自信はない。なのにお前が何もかもできるなんて思い上がりも甚だしい」

 

「……ですけど、それを言い訳にしたくありません。フラッシュには関係ない話ですから」

 

 新人トレーナーという肩書きを無能の免罪符にすることは容易い。しかしそれに頼ることは即ち向上心を捨てることと同義である。

 

 園部トレーナーは強めのカクテルをバーテンダーに注文する。これで4杯目。かなり早いペースだ。

 

 

「――数年前、俺はあるウマ娘と契約した。才能に溢れたウマ娘だった。今回の実績によってはついに俺はチームを持つことが許されるってとこまできていた。そして俺は、この娘となら問題なくクリアできると思っていたんだ」

 

 

 脈絡なく始まった思い出話は、懐かしむようなものではなく悲観的な雰囲気が伝わってきた。

 

「ジュニア級は結構勝てたんだ。だけど同世代にとんでもない怪物がいてな……、初めてそいつを見たときの衝撃は今でも忘れられない。結局クラシックではそいつと5回戦って1度も勝てなかった。……心が折れたんだろうな。結局そのときの担当ウマ娘とは3年間もたずに契約解消になって、その娘は実家に帰っちまった」

 

「それは……」

 

 今のエイシンフラッシュと似たような境遇である。ヴィクトリーピザという絶対的なライバルに敗れて、今まさに自信を失いかけている。

 酔いが回ってきたのか、園部トレーナーの瞳は少し潤んでいるようにも見えた。

 

「ああしておけばよかった、こうしてあげればよかった。……なんてのはこの仕事を続けていたら避けられないことだ。ときにお前は、トレーナーとして最も重要な資質はなんだと思う?」

 

「なんでしょうね……、どれか1つ挙げろと言われたら、やっぱり完璧なトレーニング知識でしょうか。データに基づいた練習は嘘を吐きませんから」

 

「そうだな。俺も以前はそう思っていた」

 

 今は違う、と言いたげな口ぶりをする園部トレーナー。彼はカクテルを一口含んで、喉を潤してから続ける。

 

「俺もその娘のことがあって色々考え直したよ。もっと良い練習方法があれば、怪物に勝つこともできたんじゃないかってさ。完璧なトレーニング……確かにそれも欠かせないが、同時にこうも思ったんだ。怪物に負けたとき、もっと彼女の心に寄り添うことができれば、心が折られることもなかったんじゃないかって」

 

「つまり園部トレーナーはメンタルケアの能力が最重要だと思ってるんですか? 凄く大切なことだと思いますけど、トレーニング知識よりも優先すべきことなのかどうか」

 

「正しい練習方法を作りたいのならAIにでも頼ればいい。だけど俺たちは人間で、ウマ娘だって人間だ。結局のところレースで大切なものは人間にしか分からないんじゃないか」

 

「大切な、もの……」

 

 

 今のエイシンフラッシュの心情は最大限ケアしなければならない。次走の日本ダービーまで1か月半しかないのだ。一刻も早く立ち直らなければ次も負けることになる。そうなれば今後悪循環に陥ることは容易に想像がつく。

 

 だけどどうやって? 今の俺に彼女を立ち直らせる何かを持っているのか?

 

 深いため息を吐く。園部トレーナーはバーテンダーから追加のカクテルを受け取って言う。

 

「色々言ったが、俺から言いたいのは1つだけだ。お前は俺みたいになるな。後悔の苦みはビールで味わうくらいで充分だ」

 

「はぁ……」

 

 するとバーテンダーが「追加で何か飲まれますか?」と尋ねてきた。いつの間にか俺のグラスが空になっていたらしい。

 

 俺はメニュー表を見ずに、今の気分の赴くまま注文をした。

 

「そうですね……。それじゃあビールを」

 

「かしこまりました」

 

 

 バーテンダーが注いでくれたビールは、いつにも増して苦く感じた。

 

 

 

 




園部トレーナーが言っていたのは「怪物」は深い衝撃さんです。
圧倒的な強さの三冠馬誕生の瞬間に立ち会うのもいいけど、BNWみたいに三強がしのぎを削り合うのも好きです。

※この土日は両方とも仕事なので、明日の更新はできないかもしれません。


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皐月賞その後、まだ勝ち目は見えているか

 レースに勝った日も負けた日も、変わらず夜がやってくる。

 

 不平等の多いこの世界において、唯一平等なのが時間だと私は考えている。タイムスケジュールを重んじる私にとってなくてはならない存在だ。

 

 けれど今日は何故だか時の歩みが緩慢に感じられた。平等なものが不平等に感じる。なんとも不快な感覚だった。

 

 トレーナーさんと寮の前で別れた後、私は部屋に鍵をかけ真っ先にベッドに身を投げ出した。制服に皺ができそうだから、普段の私はまず着替えてから羽を伸ばす。そういう意味でも今日の私はどこかおかしい。

 

 

 理由は分かっている。私が今日、ヴィクトリーピザさんに負けたからだ。

 

 敗戦自体には納得がいっている。私の完璧を彼女の完璧が上回っただけのこと。完全な地力負けだ。明日からの練習ではもっと実力を付けて日本ダービーに臨まないと。

 

 今日やれることはレースで疲れた身体をゆっくり休めて明日に備えること。それが正解なんだって頭では理解できている。

 

 けれど肝心の身体が言うことを聞いてくれない。理性と本能のバランスが崩れているみたいだった。気付けば私の本能はパソコンを開き、今日の皐月賞を再生していた。ファルコンさんが長期の遠征でいないことを良いことに、イヤホンを付けずに音声を垂れ流しのまま見入る。

 

 

『さあいよいよ運命の最終直線だっ! おおっとヴィクトリーピザここで仕掛けてきた! 見事な足さばきであっという間に先頭に立つ! これは強い!!』

 

 

 レース中も肌で感じていたが、こうして俯瞰の映像で振り返るとヴィクトリーさんの強さがやはり際立って映る。

 

 スピード、スタミナが頭一つ抜けているのは知っていたし、抜群の勝負勘は常に起死回生の切り札となることも承知していた。

 

 そしてそれらを土台となって支えているのが自身への信頼である。たとえ窮地に陥ろうとも自分の勝負勘を信じる。それが最善の結果に繋がる。今日の最終直線でも少し躊躇えば結果はまるで違っていただろう。

 

 対する私はどうか? 私は私がやってきたことを疑わない。今日まで正しいと思ったトレーニングをこなし、ピークの状態をレース当日に持ってこれた。曇りない自信はそれまでの道程に陰りがないと確信しているから。

 

 私は一からレースを見直す。道中は10番手辺りをキープし続け、最終直線前の進路確保もちゃんとできている。仕掛けどころも当初の予定通りだ。

 

 

 ……それでも負けた。勝てなかった。いつもなら勝利を掴める走りができたと今でも思う。――――相手がヴィクトリーさんでなければ。

 

 

 私とヴィクトリーさんはともに同クオリティの好走ができた。しかし結果は1バ身半差を付けられての敗北である。となれば負けた理由は単純明快……純然たる実力差だ。

 

「ヴィクトリーさんは長いスパートをかけることができます。一瞬の末脚は私が上でも、ラスト200メートルで見れば1秒も縮められないでしょう……。それまでにヴィクトリーさんとの差が挽回不可能なほど開いてしまったことが強いて言えば敗因なんでしょうね」

 

 何度も何度もレースを繰り返し流す。どこかに私の勝ちの目があるはずだと、血眼になって勝機を洗い出す。

 

「だとすれば差しではなくヴィクトリーさんより前の位置でレースを進めれば……いえ、先行はスタミナ消費が差しの比ではありません。最後の脚を残すことができずに結局ヴィクトリーさんに差し切られるでしょう……」

 

 

 勝負の世界において「たら」「れば」は禁句とされているが、今の私はその禁句に縋らずにはいられない。多くの仮説を立てて――その度に棄却される。ヴィクトリーさんに勝てる絵が思い浮かばない。

 

 悉く勝ちの絵を潰された私は、ぽつりとうわ言のように呟いていた。

 

 

「ヴィクトリーさんがミスをすれば、私でも勝てたでしょうか……」

 

 

 相手のミスに期待するしか勝ち目が見えない。記録上は私の勝利になったとしても、きっとそこには満足感は一切なくやるせなさしか残らないのだろう。頭では分かっていても、もはやそれしか勝因は思い浮かばなかったのだ。

 

 パソコンからはヴィクトリーさんの強さを讃える言葉ばかりが流れてくる。マウスを持つ私の手に力が入る。

 

 私の口から押し殺した風な吐息が不規則に漏れる。

 

「これ以上私はいったいどうすれば――――」

 

 レース直後には形のなかった感情が、今頃になって「悔しさ」という形を得て私の中で暴れ回っていた。

 

 

 




皐月賞編、完!

ヴィクトリーピザの強さに焦点を当てた皐月賞編でした。
次はいよいよ日本ダービー編です。



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光は陰り、最強は輝く

ヴァルゴ杯育成難しい……。
逃げウマがいないので、差し3人で行こうかなー。


 

 皐月賞から数日が経ち、日本ダービーまで日数的に余裕がないため、俺とエイシンフラッシュは特訓を開始していた。

 

 日本ダービーは2400メートルのレース。本番で2000メートルまでしか走ってこなかったエイシンフラッシュにとっては体力的にかなりキツいレースになることは間違いない。だからトレーニングメニューはスタミナ中心で組み立てている。

 

 しかし嬉しいことに、彼女は俺と組む以前からスタミナに関しては基準を超えていた。自主トレでひたすら走り込みしてきた成果なんだろう、長距離でも戦える素質は充分に秘めている。これなら2400メートルでも戦える……と思っていたんだが。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 今やっているのは日本ダービーを想定した2400メートル走。2400メートルでの仕掛け時なんかを試行錯誤してもらっている側面もあり、この時期にまだ好タイムは求めていない。

 

 ……そう思ってストップウォッチを握り締めていたのだが。

 

 俺の前を駆け抜ける瞬間ストップウォッチの時計を止める。良バ場基準にはなるけど、前回の勝ち時計が2分26秒。高速レースになると23秒台のときもある。それと比べるとエイシンフラッシュのタイムはかなり悪いと言わざるを得ない。

 

 皐月賞直後のコンディションや試行錯誤などの前提を取っ払っても、自身のタイムを知ったエイシンフラッシュの苦しそうな表情を見れば、理想とするタイムと程遠いということが容易に分かる。

 

 歯車がかみ合わない原因は1つ――皐月賞での敗戦だ。表面上は取り繕っていても時々沈んだ風な顔をすることがある。纏う雰囲気もどことなく重い。

 

 膝に手をつき、肩で息をしながら俯くエイシンフラッシュ。疲労はある、だけどそれ以上に思いつめた表情をしている。

 

 俺は日頃の練習データを記したメモ帳を閉じる。

 

「よし、今日はここまでにしよう。クールダウンはいつも以上に入念にして終わりだ」

 

「えっ……。ですが、予定ではあと2本2400メートル走をするはずでは」

 

「今の状態のまま走り続けたって仕方ないよ。2400メートルに苦手意識を持つ方がマイナスだ。キミも分かっているだろう?」

 

「はい……。申し訳ありません」

 

「謝ることじゃないよ」

 

 そうは言うものの、エイシンフラッシュは力なく頷くだけだった。早急に何とか力になってあげないと日本ダービーでも皐月賞の二の舞になってしまう。

 

『結局クラシックではそいつと5回戦って1度も勝てなかった。……心が折れたんだろうな。結局そのときの担当ウマ娘とは3年間もたずに契約解消になって、その娘は実家に帰っちまった』

 

 園部トレーナーの話をふと思い出す。ヴィクトリーピザとの間で格付けが完全に済んでしまえば、もはや彼女に勝つことができなくなる。そうなればエイシンフラッシュが失意のあまりトゥインクルシリーズをリタイアする可能性だってある。

 

 どうする? 頭を悩ませていると、不意にコースの外が騒がしくなった。何事ぞ、と見やるとそこにはヴィクトリーピザが記者たちに囲まれている光景があった。

 

 

「ヴィクトリーピザさんっ! 皐月賞、素晴らしいレースでしたねっ!」

 

「どうも。ま、ある程度納得のいくレースだったかな」

 

「あのレース内容である程度ですか? それでは次走も期待が持てますねっ! やはり次走は日本ダービーですか?」

 

「当然だとも。日本一を決める戦いに世界を獲ろうってあたしが出ないわけないだろ」

 

「その自信――素晴らしいですっ!」

 

 ヴィクトリーピザは取材慣れした様子で対応している。熱心に答えるでもあしらうでもなく、ただ思ったことを口にするだけといった感じだ。

 

 コースに向かってくるヴィクトリーピザと目が合った。そこへちょうどクールダウンを終えたエイシンフラッシュが戻ってきた。

 

 エイシンフラッシュは考え事をしているみたいで、ヴィクトリーピザが間近に迫ってきても気付かない様子である。

 

「よおフラッシュ。今日はもう上がりか?」

 

「っ……! ヴィクトリーさん、でしたか」

 

 声をかけられたエイシンフラッシュが驚いた風に肩を震えさせる。いつも意識しているヴィクトリーピザが視界に入らないほど、今の彼女は思い詰めているのか。

 

 皐月賞の敗北からまだ日が浅い。ヴィクトリーピザと関わらせるのはメンタル的にまずいかもしれないけど、俺はひとまず静観することにした。つまるところ、これはエイシンフラッシュが乗り越えないことには先に進めないのだから。

 

 ヴィクトリーピザについてきていた記者たちは遠巻きに2人のやり取りを窺っている。切り出したのはヴィクトリーピザだった。

 

「次の日本ダービー、当然フラッシュも出るんだろう? 皐月賞3着だったし条件的には問題ないはずだけど」

 

「……はい。ヴィクトリーさんは……聞くまでもないですね」

 

「もちろん出る。同世代のウマ娘たちを全員直接ぶっちぎらないと最強証明できないし、1度勝った程度で諦めるタマじゃないだろ? フラッシュは」

 

「……っ!」

 

 ビシッとエイシンフラッシュを指差すヴィクトリーピザ。夕陽を浴びたヴィクトリーピザは眩く輝いて見えた。

 

 そうだ。元来エイシンフラッシュは負けず嫌いな性格をしている。1度負けた程度ではへこたれないし、「次は絶対に勝つ」と静かに闘志を燃やすタイプのウマ娘だ。

 

 そんな彼女でさえ、皐月賞での負けは未だに尾を引いている。「どう足掻いてもヴィクトリーピザには勝てない」と思い始めていて、それを懸命に振り払おうとしている。理性と本能のアンバランスさ。それが今の不調に結びついているのだろう。

 

 何も言い返さない――否、言い返せないエイシンフラッシュを見て、ヴィクトリーピザは察した風に大きく呼吸をした。

 

 

「そうかそうか……。だけどあたしはもう誰にも失望したりしないよ。あたしはあたしが最強であることを疑わない。クラシック級はいずれ世界へと飛び立つ助走に過ぎない。だからこんなところで立ち直るまで待ってやることなんてできない」

 

「…………、」

 

「――――それでもあんたに関しては心配していないよ。エイシンフラッシュがどんなウマ娘かだなんて、間近でずっと見てきたんだからさ」

 

 

 そう言い残してヴィクトリーピザは記者たちを連れて離れていった。記者の内何人かは話を掘り下げたいという想いが透けて見えたが、ヴィクトリーピザの方を優先し離れていく。

 

「エイシンフラッシュのことを間近でずっと見てきた」とヴィクトリーピザは言った。エイシンフラッシュの口からはさほど詳しく聞いたことはなく、留学した頃親しくしていた程度しか知らない。ヴィクトリーピザのあの口ぶりだと、俺が思うよりももっと親密な間柄だったのかもしれない。

 

 ヴィクトリーピザの遠ざかっていく背中を目で追いながら、エイシンフラッシュはぎゅっと自身の手を握り締めた。

 

「ヴィクトリーさん……。残念ですが貴方の期待に応えられる保証はありません。だって、私は貴方に遠く及んでいないと気づいてしまったのですから」

 

「フラッシュ……」

 

 俺の位置からではエイシンフラッシュの後ろ姿しか捉えることはできないけれど、彼女が今どんな表情をしているのか想像に難くなかった。

 

 

 




日本ダービー編まで結構間が空くと思います。
ダービーはこの物語の1つの山場なので、じっくりと描写を積み重ねていきたいです。

あと、明日は仕事なので投稿できない可能性があります。
頑張って今日執筆しますが、遅筆なので間に合わない可能性が高いです。


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