グラサン提督 (カレー味)
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第一話 或老兵の一生

 メタルギアソリッド・ピースウォーカーが出てからいつのまにか十年以上過ぎてたんですねぇ、うせやろ?

 今でも月一くらいで考えます、どう生きればカズは幸せになれたのだろうかと。

 カズ、君可愛い女の子大好きやったろ? そんなわけで、彼には艦娘を率いる提督になってもらうことにしました。



 本作品は、『METALGEARSOLID』シリーズ諸作品と『艦隊これくしょん』のクロスオーバー二次創作小説です。本作品中に登場する原作上、あるいは史実上の人物、団体、事件などは、作劇上の都合により意図的に、あるいは筆者である私の力不足による無理解、あるいは作中人物の誤解などにより、実際のものとは異なる描写をなされることがあります。

 扱う原作の性格上、本作品中には特定の思想を扱うことがありえますが、筆者にはいかなる思想に対しても賞賛する、あるいは誹謗する意図はないことをご理解いただければ幸いです。

 


 まず、私自身の事柄から話していかなくてはならない。

 

 私が産まれたのは、戦後間もない混沌とした横須賀であった。元々母は東京の在だったが、大空襲で家族を全て亡くしてしまい、親戚を頼って横須賀に引っ越したのである。

 

 それから半年足らずのその年の夏、とうとう日本は連合国に降伏した。終戦直後の横須賀で、羽振りがよいのは進駐軍のアメリカ兵ばかり。母は、生きていくために彼らを相手にする娼婦にならざるを得なかったが、ほどなくしてその客のうちのひとり、米陸軍の将校であった父専属の愛人となった。いわゆるオンリーさんというやつだったが、蜜月はつかの間に、任期を終えた父は私が産まれる前に母を捨てて日本を離れた。

 

 手切金のつもりだったのだろうか、父ははした金を置いて去ったのだそうだ。その金を元手にささやかな煙草屋を開き、私達母子はとりあえずは人並みに生活していくことはできたが、父なし児として国籍を持たないことは、幼い私をなにかと苦しめたものだった。

 

 

 

 私が成長してそれなりに分別のつくような歳になっても、母は父の素性について私にはなにも明かさなかった。ただ、その頃から母が身体を悪くしてだんだん床に伏しがちになり、私が一人で店番を任されることが多くなった。そんな折、私は偶然若い頃の母と白人の壮年男性が写った写真を見つけた。私と同じ金髪と碧い瞳の男、こいつこそが私の父で、母を捨てて去った男だろうと確信した。

 

 うちが営んでいた煙草屋には米兵の客も多かった。だから私は、母には隠れて父の素性をつきとめようとして、客の米兵に手当たり次第に写真を見せ、彼についてなにか知らないかたずね続けた。結構な時間がかかったが、そのうちに父の名を聞き出し、やがては父の素性と居所までをつきとめることに成功した。

 

 その頃父はすでに現場を退いており、米バージニア州でアメリカの家族と暮らしながら、現役の軍人を相手に講師を務めていたのだという。それを私に教えてくれたのも、軍務で来日していた父の教え子の一人であった。

 

 図書館から借りてきた辞書と首っ引きになりながら、私は拙い英語で父に手紙を書いた。あんたの息子だ、アメリカに行きたいと、そんなことばかりを書いて、母のことはほとんど書かなかったと思う。母をもう一度父に会わせたいという気持ちがまったくなかったわけではなかったのだが、いまさら母のことを言い立てれば父は私も避けようとするのではないか、という打算があったと、今にして当時を思い返すことがある。

 

 返事はすぐにはこなかった。しかし私に独力で渡米する当てがあるわけもなく、決して楽ではない生活にあくせくしながら待つしかなかった。何年だったか、返事を待って、毎日待ち続けて、待ちくたびれて諦めかけた頃に返事が届いた。未来がやってきた、そう思った私はその時はまったく有頂天になっていて、まるっきり自分のことしか見えていなかった。

 

 手紙とともに、父は旅費と、母の生活費として今度はまとまった金を送ってきた。ようやくアメリカに行ける、私はもう夢中だった。その頃はもうほとんど寝たきりになっていた母を説得し、アメリカ行きの承諾を得ると、母を病院に入れ、私はいよいよアメリカに旅立った。

 

 父の手配した車がうちのあばら家まで迎えにきた時、車に乗り込む私を目を丸くして見ていた近所の住人たちを眺め回して、私はほぼ産まれて初めての優越感に浸っていた。私の金髪碧眼をあざ笑ったやつら、母に売女と陰口を叩いたやつら、屈辱をこらえた日々がようやく報われて、そいつらを見返してやったのだと思った。太平洋を渡る初めての船旅は、船酔いに慣れるまでは実に苦しいものだったが、船室のベッドで唸りながらも実に愉快な心持ちでいたのを今でも覚えている。

 

 

 父に頼まれて横須賀からバージニアまで私を案内してくれたのは、進駐軍時代に父の下で働いていたという退役軍人だった。彼は日系二世のアメリカ人で、日系人の強制収容所から志願して軍役に就き、日本語と英語に堪能であったことから戦時中は傍受した日本軍の通信の翻訳を、戦後は進駐軍で通訳を務めていたと聞いた。ジョンと名乗った彼には、他にも父とのこと、アメリカの歴史や人々の暮らしのこと、いろいろな話を聞かせてもらった。ただ、彼は自分自身の事だけは深くまで踏み込んで話そうとしなかった。強制収容所という耳慣れない言葉について尋ねてみたのだが、私はYes-Yes Boy だったんだ、と、一言だけぽつりとつぶやくのみで、それ以上のことはあまり聞いてほしくなさそうな様子だった。だから、私も彼との旅の間に二度と同じ質問をすることはなく、バージニアの父宅まで送ってくれた彼と別れて以来、とうとう彼と再び会って話をする機会はなかった。

 

 その当時の父の暮らしについては、ジョンからおおよそは前もって聞いていた。父はこの地で元々家庭を持っており、正妻との間に息子があったのだという。しかし、初めて会った父はすでに独り身だった。私にとっては腹違いの兄は、父を追うように軍人となり、そして、ベトナムへ従軍して戦死してしまった。そのことから妻との間もうまくいかなくなり、最後には離婚してしまったのだそうだ。長年便り一つよこさなかった父が私をアメリカに呼ぶつもりになったのは、そんな暮らしぶりがきっかけでもあったのだろう。図らずも父の一人息子となってしまった私は、認知を受けアメリカの国籍を得て、アメリカでの名前をもらった。父に学費を出してもらって英語を学び、大学に進むこともできた。

 

 

 

 卒業後、故郷に錦を飾るつもりで日本に帰国すると、母は病床にあった。若い頃の無茶な仕事で患った梅毒は完治しておらず、病が進行して脳梅毒にかかった母は、すでに私のこともわからなくなっていた。

 

 母の入院費をまかなうため、私は日本で就職せざるを得なかった。就職先に自衛隊を選んだのは、父に対するささやかな対抗心であったかもしれない。ただ、日本国籍を持たなかった私がなぜ自衛隊に入れたのか、今でも思い返すたび不思議に思うのだが、おそらく、かつて私がアメリカへの旅を共にしたジョンがそうであったように、日本で生まれ育ちながら米国籍を持ち日本語と英語の両方を話せる私に、なにかしらの使い道を見いだされていたのだと勝手に納得している。

 

 

 入隊から二年、母は治療の甲斐なく亡くなった。私は隊を辞め、母を弔うと再度渡米した。もはや近しい係累のない日本に戻ることは二度とないだろうと思っていた。しかし、アメリカに戻った私を待っていたのは、父の訃報だった。自殺だったという。

 

 私の願いは、母をアメリカに連れて行き家族で暮らすことだった。しかし父は、最期まで母に再び会うことを承諾しなかった。母が亡くなり、父も独りで死んで、私の願いはとうとう叶うことがなくなった。私はアメリカ人としての私自身を手に入れたが、代わりに全てを失った。

 

 

 私はやがて中米、南米へと流れ、自衛隊での経験を活かして傭兵となった。そしてその地で、その後の人生に深く影響を受けたある男に出会ったのである。

 

 彼のコードネームはBIGBOSS、奴は私にとって何だったろう。内戦下のコロンビアで、私たちは敵同士として初めて出会った。その頃の私は、得意の口車とハッタリで自分を売り込み、革命軍の指導教官という地位を得てはいたが、実のところはろくな実戦経験もなかった。まだ戦士として駈け出しもいいところだった私は、死にかけるほどのこっぴどい敗北を彼から与えられた。さらに計略を巡らし再戦を挑むも、またもあっさり退けられ、あろうことか私はそいつの手下にされてしまった。

 

 私は彼を憎み、その力を妬み、羨んだ。だがこれはビジネスチャンスでもあった。この男に取り入り、うまく利用することで自分も成り上がることができると思った。面従腹背というほどドライな関係でもない、私達はビジネスパートナーとして新たなスタートを切った。

 

 ……いや、正直に言おう。ビジネスライクな関係だけを続けるには、私はあまりにも彼に魅せられすぎた。気づけば心の底から彼をボスと仰ぎ、己の能力の全てを彼と立ち上げた傭兵組織の発展のために捧げていた。

 

 

 それなのに、結局のところ私は再び全てを失うことになった。数々の事件の紆余曲折を経て私は徐々にボスと対立するに至り、ついには彼を追い詰め狩り出すための計略に手を貸してしまったのだ。

 

 ああ、いっそなにもかもうまく行かなければよかったのだ。ボスを取り逃がし、いつか報復を受けて彼の前に引き出され、裏切りを罵られながら殺された方がまだマシだったかもしれなかった。しかし、その時すでに私には妻子があった。幼い我が子を遺して死にたくはなかった。

 

 作戦に従事した私の教え子の予想以上の活躍もあり、作戦は成功した。結果として私は、自らの保身のために、人生を捧げたはずの偶像を自ら葬ることとなった。

 

 

 

 抜け殻のようになった私は、軍を辞め静かな暮らしを求めてアラスカに渡った。娘は私について来てくれたが、妻は厳しいアラスカで暮らすことを拒み、私は妻とは別居することになった。

 

 

 アラスカでの生活を始めて五年、未だ厳しい冬の続く日の夜、不意にそれは訪れた。所属不明の武装集団が私の自宅を襲ったのである。催眠ガスを投入され、意識を失う直前に見た武装集団の先頭に立つ男、私はその顔に覚えがあった。出会った時はまだ少年だったが、二十年を経てなおあの頃の面影は残っていた。そして、成長した今の顔は、私が葬ったかつてのボスにも確かによく似ていると気づいた。

 

 私が報復を受けるのは仕方ない。だが、娘は、キャサリーはどうなる。奴らが娘は無関係だと見逃すような連中ではないことは分かり切ったことだった。今や私にとってキャサリーだけが未来に残すべきすべてだった。それを、あんな奴らに、むざむざと殺させてたまるか。

 

 だが、催眠ガスに冒された私は指一本たりとも動かせないまま、憤怒と屈辱と悔恨にまみれた意識を闇に沈めていった。




第一話がこれだけではあまりに暗いので、しばらく後もう一本投稿します。
次回『カズ 死す』 デュエルスタンバイ!


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第二話 老兵は死なず……?

第二話です。


 夢か現か、私は火の回り始めた自宅のトレーニングルームに倒れ伏していた。闖入者の一人、頭目らしき男が私に近づいてきた。口元はガスマスクに隠れて表情はよく見えないが、ただ、眼だけがギラギラと憎悪に輝いている。男は拳銃を抜くと、私のこめかみに銃口を押し付けてこう告げた。

 

「ミラー、一足先に親父のもとへ逝け。いずれ、奴に関わる者どもまとめてあの世に送ってやる」

「『天国の外側』に残るのは俺一人だ。蛇は一人でいい! 死ねぃ!」

 

 

 

 銃声は聞こえなかった。だが、こめかみが熱い。じりじりと焼けているようだ。気のせいか髪の焦げる匂いが漂い始めてる気もする。いや、たしかに髪が焼け始めている。

 

 

「って、熱っつぅぅぅぅぅいっ!」

 

 たまらず飛び起きると、視界に広がるのは雲ひとつない青空と、ギラギラ輝く真夏の太陽だった。

 

「起きたか。まったく貴様は暢気なものだ」

 

 声の方へ振り返ると、片手に虫眼鏡を構えた、中性的な容貌のサングラスの女が俺の顔を覗き込んでいた。その背後からは彼女と似たような色合いの銀髪の少女が日傘を差しかけているのだが、俺とは決して眼を合わせようとしない。

 

「博士、あんた太陽苦手なのに外に出てこなくてもいいじゃない。わざわざ虫眼鏡で焼いたりしないで、普通に起こしてあげればいいでしょうに」

「ムラクモ、私はこんな汚らわしい奴に触るのは金輪際ごめんだ。もちろん、君たちにだって触らせるわけにはいかない。だったらこうするしかないだろう」

「ストレンジ…… ラブ?」

「そうとも。私にとっては十年振りかな、カズ」

 

 ストレンジラブ博士。俺たちが‘70年代半ば頃にカリブ海で運営した傭兵組織、Militaires Sans Frontieres、通称MSFに一時期所属していた科学者だった。だが、組織を離れて十年ほど行方が知れなくなり、再会した時には彼女自身が造ったAIポッドの中に閉じ込められたミイラになっていた。遺体を発見したのも、弔ったのも俺たちだったが、あれは偽者で、こうして生き延びていたというのか?

 

 しかし、あれからさらに二十年以上の歳月が過ぎている。それなのに、目の前の彼女は、まるで俺が知っている昔のままの姿だった。年中サングラスをかけて出歩きやがって、もともと年齢不詳なところのある奴だったが、まさかサイボーグか何かになっていたわけじゃないだろうな?

 

「人のことをジロジロ見るんじゃない」

 

 熱っ! 虫眼鏡の焦点が俺の足に合わされた。さっきこめかみが熱かったのはこれか! 真夏の陽光は小さなレンズで集めるだけでもタバコくらいなら簡単に火がつくほど熱くなる。ふっと思い出したが、なんだか昔にもこいつにこんなことをされたような気もする。あれは、いつのことだったろうか。昔のこととはいえ、俺の記憶は少々混濁しているようだ。

 

「いろいろと聞きたいこともあるだろう。私たちの知ってることなら中で話してやるから、服を着たら上がってこい」

 

 服? と思っていまさらわが身を省みたら、俺はほぼ全裸、申し訳のようにスカーフ一枚を股間に被せただけの姿でダンボールの切れ端の上に座っていたのだった。近くには、砂まみれになった服が点々と散らばっている。

 

 言いたいことだけ言ったら、ストレンジラブはムラクモとかいう少女を連れて去っていった。俺はあたりを見回して誰もいないらしいのを確認すると、そそくさと服を拾い集めては砂をはたき、身支度を整えた。

 

 拡げてみて気づいたが、それにしても懐かしい服だ。これは、件のMSF時代に俺が着ていた服とまったく同じものだった。パンゲア大陸を模した髑髏の肩章も昔のままだ。こんな服がどこから出てきたのだろうか。

 

 砂浜に転がっていたせいで、髪もボサボサになっていた。胸ポケットを探ると櫛と手鏡があったので、髪を整えようと鏡を覗くと、映っていたのはずいぶんと若返った俺の顔だった。

 

「えっ、えぇ〜〜〜〜〜〜……」

 

 失礼、驚きのあまり素の声を出してしまったようだ。俺はベネディクト・カズヒラ・ミラー。日本生まれの日米ハーフで、傭兵だったり正規の軍人だったりもしたが、とにかく人生をほぼ戦士として生きぬいてきた男だ。キャリアの最後を米陸軍のとある特殊部隊のサバイバル教官として勤め上げ、今はアラスカに隠居して悠々自適の生活を送っていた、還暦間近のシブみを利かせたオジさまだったはずなんだが…… 鏡に映る俺の顔は、どう見ても肌年齢20代の色艶をしていた。父譲りの金髪も、歳とともにだいぶんくすんでいたのが色鮮やかに輝いているし、ひそかな悩みのタネだった、後退しかけた生え際もスタート地点まで戻っている。

 

 一炊之夢などという故事もあるが、まさかこれまでの俺の人生は全部夢だったのだろうか。一瞬よぎったそんなバカバカしい妄想を頭から追い出すように、俺は首を振りながら歩き出した。

 

 

 砂浜から階段を登ると、そこはちょっとした台地になっていて、モルタル造りの役場のような施設が建てられていた。建物は奥の方でまた海の方へ下っており、そこには小さなドックや船着場も見える。

 

「……おっ、邪魔しまぁ〜〜す」

 

 小声で呟いて開け放たれたままのガラス戸を潜ると、本来はロビーであっただろうそこにはテーブルとソファが置かれていて、ちょっとした応接室か集会所に使われているようだった。そこに、ストレンジラブと先程のムラクモと呼ばれた少女、その他にも四人の少女たちが俺を待っていた。

 

「ようこそ我らが鎮守府へ、まあ座れ」

 

 ストレンジラブの正面に腰を下ろし、今鎮守府って言った? などと考えていたところで、少女たちの一人、一番小柄な茶色い髪の子が水を持ってきてくれた。

 

「今日もとても暑いのですから、喉が渇いてるでしょう。お冷やをどうぞ、なのです」

 

 うーん、ちょっと舌足らずに話すところが実に可愛らしい。歳の頃はキャサリーよりも幾つか下だろう、ジュニアハイに上がりたてくらいだろうか? 顔立ちは整っているが、日本人のような、それでいてどこか普通の日本人とは違ったようなエキゾチシズムを感じる。

 

 短く礼を言ってグラスを受け取り、よく冷えた水を一気に呷る。くぅ〜〜、美味い! 一体どれだけの時間砂浜に転がされていたのかわからないが、カラカラの身体が活き返るようだ。茶髪の少女はクスリとちょっとだけ笑って、空のグラスにおかわりを注ぐと、水差しを俺の前に置いてこう言った。

 

「これからおじ…… 失礼しました、お兄さんは博士の尋も…… 事情聴取を受けることになるのです。きっとたくさんお話ししていただくことになりますから、水差しはここに置いておくのですが、空になったら遠慮なく言ってくださいね」

 

 それはもう一瞬でブワッと冷や汗が溢れた。多分今飲んだ水よりもいっぱい出た。思わず振り返ると、茶髪の子はステンレスのお盆を抱えたまま俺の左後ろに立ちニコニコ微笑んでいる。その笑顔からは悪意は一切感じられないが、立ち姿には一片の油断もない。姿勢、目配り、間合いの取り方、あきらかになんらかの軍事訓練を受けた経験のある立ち方だと感じた。

 

「電ちゃん、そんな言い方したらおjお兄さんも不安になると思うなあ。えっと、その子が電ちゃん、私は吹雪っていいます。この泊地に男の人がやってくるのは初めてのことですから、博士もみんなもちょっと神経質になってるんです。尋問といっても形ばかりのことですから、あまり気になさらないでくださいね」

 

 いつのまにか俺の右後ろには、吹雪と名乗る黒髪の少女が立っていた。たしか俺が座る前には奥の方にいたはずだが、水に気を取られている間にか、目立たず回り込んできていたようだ。こちらの子はまるっきり日本生まれ農村育ち、まわりの家はだいたい親戚、といった田舎の平凡な女子中学生そのものの風体なんだが、いくら油断していたとはいえ、この子が動く気配も足音にも俺がまったく気づかないなんて、普通の子供じゃまず考えられないことだった。

 

 しかし二人とも、今おじさんと言いかけたか? まあそれはいい、むしろおじさまとか呼んでくれ、興奮する! いやそれはどうでもいい、今度の吹雪って子は今はっきり尋問と言ったぞ? 気にするなって言われたって気になるよ、なにこの状況、俺はなんで自宅で襲われて全裸で夏の海に連れてこられて若返って、死んだはずの旧友と女子中学生の集団に尋問を受けることになってるんだ? ちょっと情報量多すぎない!?

 

「まあそう混乱するな、私たちはあくまでも平和のための団体だ。拷問台も電磁くすぐり棒もここにはないからな、私たちが貴様に害を加えようというつもりはない。ただ、貴様がこの子達になにかいかがわしい事をしようというなら、今すぐにでも海の藻屑になってもらうがな」

 

 そう言って二人掛けのソファにふんぞり返るストレンジラブの両脇を二人の少女が堅めている。一人はさっきの銀髪、ムラクモ…… たぶん叢雲とかそんな字なのだろう、槍のような、アンテナのような長物を構えて立っている。もう一人は、なかなかエキセントリックなピンク髪の子だ。ストレンジラブの隣に座り、ふざけたように抱きついたり膝にしなだれかかったりしているが、時折こちらを窺う目は俺が危険な相手かどうか常に注意を払っているとわかる。もしも俺がストレンジラブに危害を加えようとでもしたら、おそらくピンク髪ちゃんがストレンジラブをカバーし、後ろの二人が俺を押さえ、叢雲の槍でブスッとやられる、そういう寸法だ。そこまで考えて、おやそういえばまだ一人足りないよな、と気づいたが、最後の一人はソファの後ろに隠れて目の覚めるような水色の髪を頭半分だけのぞかせていた。

 

 女子中学生に囲まれて尋問を受ける元軍人か、ああ、なんだか俺も堕ちるところまで堕ちた気がするな。だがこう言っちゃあなんだが、俺だって尋問や拷問など慣れっこといえば慣れたものだ。もう二十年も前のことだが、ある傭兵部隊を運営していた頃、アフガンでの任務中にソ連軍に捕まった時などは実に酷い目に遭ったもので、奴らの苛烈な尋問と拷問で視力の大半を失ってしまったんだ。幸いというかなんというか、後年米軍に教官として招かれた後、不自由のない程度にはバイオニック技術で補ってもらうことができたんだが。

 

 そういえば、俺が若返ったのと一緒に、かつて失っていた器官も生身に戻っていたのだといまさらながら自覚した。サングラスを外して、失ったはずの手をじっと眺めてはちょっとグッパーグッパーしてみる。間違いなく俺の手だよ、三十年ぶりの感覚だ。

 

「おおぅ、動きはちょっと不審だけど素顔は意外なほどイケメンですぞ…… どうする、どうするよ叢雲ちゃん!?」

「どうもしないわよ、漣はちょっと黙ってなさい」

 

 ピンク髪ちゃんは漣っていうのか。君、見る目があるな! イケメンという言葉はよく意味がわからなかったが、たぶんほめてくれたのだろうと思ったので、嬉しくなってバチコーン、と音がするくらい特大のウィンクを返したら、漣は青くなり叢雲は額に血管が浮いて、ストレンジラブの眉間には皺が寄った、解せぬ。




電ちゃんでいっぱい出た回

MGSの設定画だと、ミラー教官ちゃんと手足あるんですよね……
本作では、スカルフェイス討った記念にバイオニックしてもらって、後年米軍にいた頃にもっと見た目生身に近い新型に替えてもらったんじゃないかな、と解釈してます。


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第三話 インタヴュー・イン・ジャパニーズ

第三話です。

不定期更新タグを入れてはいますが、理想としては週二回くらいの更新を目指していきたい。


「カズ、そろそろ話を始めていいか」

 

 そう切り出したストレンジラブの眉間にはまだ皺が寄ったままだ。おいおい、そろそろ機嫌直してくれないとその皺が癖になっても知らんぞ、怖いから絶対口には出せないが。

 

「じゃあ、まずは自己紹介からしてもらおうか」

 

 そう言われてもどこからどこまで話したものか、とりあえず当たり障りのない程度で様子を見ようか。

 

「あー、俺の名前はベネディクト・カズヒラ・ミラー、カズと呼んでくれていい。横須賀産まれの日米ハーフで、五年ほど前まではアメリカ陸軍で特殊部隊の兵士を訓練する教官を勤めていた」

「貴様が教官を辞めたのは西暦何年のことだ? それからは何をしていた?」

「それは2000年のことだな。軍を辞めて、それからはアラスカに引っ越して娘と暮らしていた」

 

 2000年、と漣が驚いたような声を上げた。ソファの後ろに隠れた青髪ちゃんもなぜか目を丸くして俺を見ている。

 

「そうか、貴様も人の親になったか。 ……皆も気づいているだろうが、この男と私は古い知己だった。‘70年代半ば頃のことだったが、私たちはカリブ海に本拠を置くある傭兵部隊に所属していて、こいつはそこで副司令の地位にあった」

「博士とご一緒だった頃から数えてもほぼ四半世紀…… それにしてはずいぶんお若く見えますぞ」

 

 わざとらしく指折り数えていた漣はなかなか痛いところを突いてきた。この子、見た目と喋りはちょっとアホっぽいがただのアホってわけじゃないな?

 

 さてどうしたものか、俺ホントは五十七歳のおじさんだけど、気がついたら若返って冬のアラスカから真夏の海辺にワープしてました、なんつってありのままを答えて信じてもらえるわけがないよ。不審者と断定されて串刺しはイヤだ。

 

「漣の疑問はもっともだが、私には少々思い当たるふしがある。 ……というかだな、私とてここに来るまでは四十代の結構いい歳だったんだと、前に話したろう? つまり、こいつも私と同じということだ」

 

 昔を思えば本当に珍しいことだと思うのだが、ストレンジラブが俺に助け舟を出してくれている。俺はどうもここの子供達にまだまだ警戒されているようだが、ストレンジラブの発言には皆納得したような顔をしているので、正直に打ち明けるなら今のうちだと考えた。

 

「俺は、1947年の横須賀で産まれたんだ。親父は進駐軍の将校、お袋はその愛人だった。十代の頃に渡米して親父と暮らし、大学を出た後日本に帰国して、自衛隊に入った」

 

 そこまで話したところで、はーい、と手を上げたのは吹雪だった。

 

「お話の途中でごめんなさい。カズさん、ちょっと気になったんですけど、シンチューグンってなんですか?」

 

 うーむ、サンフランシスコ平和条約の発効による解体からすでに半世紀以上が過ぎたとはいえ、今の子供は進駐軍を知らんのか。仕方ないよなぁ、今時は昔アメリカと日本が戦争をしてたってのを知らない子も少なくないと聞くぞ。

 

「進駐軍というのは、太平洋戦争の終結後に日本を占領した連合国の軍隊だ。大日本帝国の主権を停止し、のちに日本国として新たなスタートを切るまでの間、日本の体制やさまざまな制度を作り替える指図をした。 ……気を悪くしないで欲しいんだが、君たち、その昔アメリカと日本が戦争をしたことは学校で教わってるよな?」

 

 なぜか周囲に妙な空気が流れた。漣は曖昧に笑ってるし、叢雲は特大の溜め息をついた。吹雪は、まだ疑問のありそうな顔だ。

 

「太平洋戦争というのは、多分大東亜戦争のことで合ってますよね? じゃあ、ジエータイというのは?」

 

 大東亜戦争、古い言葉を知ってるなあ。これは、戦時中の日本で今で言うところの日中戦争と太平洋戦争をまとめて呼称した言葉だ。大東亜共栄圏を打ち建ててアジアを欧米の植民地支配から解放するための戦争、という建前があったんだが、これがアジアに植民地を持っていた連合各国にとっては都合の悪い言葉だった。だから、進駐軍はこの言葉を使うことを禁じ、以後教科書やメディアでは太平洋戦争という言葉に言い換えられるようになったんだ。

 

 言葉、そうだ。今気づいたが、俺はここに来てからずっと、それこそ何十年か振りに日本語で話をしている。砂浜で初めて目を覚ました時、ストレンジラブと叢雲が日本語で会話をしていたのにつられてのことなんだが…… ストレンジラブが日本語を話せるなんて、当時聞いたことがあっただろうか?

 

「あの、カズさん? ジエータイというのは?」

 

 ちょっと考え込んでいたら、吹雪が困ったような声を出した。まあいい、このことは後で聞いてみよう。

 

「太平洋戦争、そう呼ばれるようになった経緯は省くが、たしかに君の想像通り大東亜戦争のことだ。終戦後、日本が再びアメリカに歯向かおうなんて考えないよう、帝国陸海軍は武装解除され、組織も解体された。だが、その太平洋戦争が終わった後、連合国側もいつまでも仲良しというわけにはいかなかった。ファシズムとの戦いが終わった後は、連合国側が仲間割れして自由主義と共産主義の争いが始まったんだ」

「1945年、大日本帝国の統治下にあった朝鮮半島は連合国の都合で北緯38度線を境界に分断占領された。北をソビエト、南をアメリカが取った。‘48年には、それぞれの支援下で南の大韓民国と北の朝鮮民主主義人民共和国が相次いで建国を宣言、‘50年には北が38度線を越えて南部への侵攻を開始した。朝鮮戦争だな」

 

 ストレンジラブは退屈そうな顔をしていたが、子供たちは皆真剣な顔で俺の話を聞いてくれていた。ソファの後ろに隠れていた青髪ちゃんも出てきて、ストレンジラブの左隣に腰掛けた。天岩戸かな?

 

「朝鮮戦争では、大国は基本的には直接の対決を避けた。米軍は国連軍とともに南を直接支援したが、中ソ側は表向きは直接国軍を出していないことになっている」

「そして、米陸軍が半島に出したのは手近な日本に駐留していた部隊だ。それで、軍事的に留守になる日本の防衛と治安維持のため、進駐軍は日本に自前の兵力を持たせる必要に迫られた。そうして成立したのが警察予備隊、のちに二度の改称を経て自衛隊となったわけだ」

「つまりカズ、あんたは元々は日本の軍人だったわけね」

 

 叢雲はそう一言にまとめてしまったが、日本の軍人か、うん、自衛隊は軍隊じゃない、って言うべきなんだろうけど、ややこしい話だから詳しい説明はまたの機会にしよう。

 

「まあそんなところだな。だが、両親が亡くなって日本にもアメリカにもいる理由がなくなってな。放浪するうちに南米で傭兵になり、紆余曲折を経てカリブ海沖に本拠を構えるある傭兵組織の立ち上げに参加した。ストレンジラブと知り合ったのはそこでのことだ」

「私は貴様なんぞと知り合いたくはなかったがなぁ。 ……そのMSFが壊滅した経緯は、私も聞かされた。その後はどうした」

 

 ストレンジラブは、MSFを闇討ちにした軍事組織に囚われてAIの研究を強制されていた。事件の経緯もその組織の頭目、スカルフェイスと名乗った男が、脅しのタネとしてストレンジラブに話したのだろう。だが、その後ストレンジラブは研究を完成させることも、拘束から解放されることもなく死んだはずだったが……

 

「その後もなにも、また同じことさ。新たな傭兵組織を立ち上げ、世界のあちこちで紛争に首を突っこんで稼いでは力を蓄えた。アフガンやアフリカでも戦ったな。その過程で、俺たちはかつてMSF壊滅の裏で糸を引いていた奴に復讐を果たすことができた」

「スカルフェイスのことか。まあろくな死に方はしない奴だろうと思っていたが、ざまあみろだな。あの男は私にとっても仇だった、一応礼を言っておくべきかな?」

 

 ストレンジラブはすこし溜飲が下がったような面持ちになったが、いかんな、子供たちがちょっと引いてる。傭兵とか復讐とか、あまり中学生に聞かせるような話ではなかったかな。

 

「話を続けるが、そんな傭兵稼業もいつまでも続けられるものじゃなかった。ただ、俺たちは戦地に赴いて戦うだけじゃなくて、正規軍人の訓練なども請け負っていたからな、潰しは利いた。やがて俺は傭兵組織からは手を引き、イギリスやアメリカの陸軍、あちこちの部隊に招かれて教官を歴任した。キャリアの最後は米軍を退役して、アラスカで隠居生活を始めた」

「なぜアラスカなのです? 寒くて暮らしにくそうなのですが」

 

 電が首をかしげた。そうだろうなあ、そう考える気持ちはわかる。俺の女房にだって同じことを言われたもんな。俺が無理にアラスカに引っ越したせいで、夫婦仲はほぼ破綻状態になった。籍が入ったままなのが不思議なくらいだ。

 

「そうだなぁ…… 軍を辞める前の最後のミッション、終わったこととはいっても、軍機だから詳細は君たちには言えんが…… 作戦は成功したものの、俺は何のためにそれまで戦場で生きてきたのかわからなくなった。軍人としての軸をなくしてしまったんだ。若い頃からずっと、戦場が俺の居場所だとうそぶいてきたんだが、もう戦う相手はどこにもいなくなってしまった。さすがに、また傭兵稼業に舞い戻る歳でもなかったしな」

「ミラーさんの個人的な事情はよくわかりませんが、それはとても贅沢な悩みではないかと思うのです。勝ち抜けで楽隠居の恩給生活、なんて軍人さんならだれでも夢見ることなのではないのですか?」

 

 身も蓋もない事言うねこの子。そうだな、そう言って軍を辞めていった同僚は幾人もいた。そして、そう言ってはいたけれど運悪く命を落とした奴らもいた。でも、少なくとも正規軍なら遺族には年金が降りたはずだ。

 

 ただ、MSFの戦友たちは、カリブ海に沈んだあいつらはどうだっただろう。どれだけ戦えば安息の時がやってくると思っていたのか、いつまで戦い続けるつもりだったのか。だが、もう誰にもそれを聞いてみることはできなくなってしまった。

 

「生活の心配がない、というだけでは満たされなかった。だから、自然と闘わなければ生きられない土地を選んだんだ」

 

 アラスカ行きを決意したとき、ぼんやりながらもそんなことを思っていたのは本当のことだ。ビッグボスが死んで、俺は妬ましいライバルと、倒すべき宿敵と、敬愛する上官をいっぺんに失った。もう戦う価値のある相手は人間の中にはいないと思っていたんだ。

 

 電はまだ釈然としない顔だったが、それ以上の追及はしてこなかった。まあ、こんなライフスタイルもあるんだとくらいに思ってほしいものだ。

 

「さて、カズよ。そろそろ核心の話をしようか」

 

 ストレンジラブがずいっと身を乗り出した。

 

「MSF以降の貴様がどう生きてきたかはわかった。では、貴様がこの島で目を覚ます直前、その状況を聞かせてくれ。わかる範囲でいい」

「どう説明したらいいのかわからない体験だったんだが、2005年2月末のある晩、俺は自宅のトレーニングルームで汗を流していたところだった。そこへ突然、窓を破ってガス弾が投げ込まれた。薄着だったからな、屋外に逃げ出すこともかなわず、俺はすぐ意識が遠くなりはじめた。おそらくは催眠ガスだ」

「投入からすぐに、ガスマスクと銃を装備した数人の兵士が室内に突入してきた。マスク越しだったが、見た憶えのある顔だった気もする。そこまでで俺の意識は途絶えた」

「憶えのある顔?」

「ストレンジラブ、お前は知らんだろう。‘84年頃、俺たちはアフリカを中心に傭兵として活動をしながら、スカルフェイスが作り上げようとしていたある生物兵器を追っていた。その中で出会った少年兵のリーダー、イーライ。通称、ホワイトマンバと呼ばれた少年がいた」

「当時のアフリカでは、いやアフリカに限った話でもないが、世界の戦場には年端も行かない子供たちを洗脳し、銃を持たせて兵士として運用してる奴らがいたんだ」

 

 俺の話に聞き入っていた少女たちが息をのんで互いに顔を見合わせていた。ショックだろうな、あの頃関わった少年兵たちは、女の子こそいなかったが歳だけならおそらくここの子供たちよりなお年下だったはずだ。そんな子供たちに銃を持たせ、捨て駒同然の兵士に仕立て上げていた大人がいたんだ。

 

「俺たちの組織ダイヤモンドドッグズは、傭兵としての活動の傍らに、そういう少年兵を捕まえては戦場から遠ざける活動も行っていた。武器を取り上げ、大人たちの指揮下から引き離し、教育や職業訓練を施して社会に戻すんだ。武装解除・動員解除・社会復帰、英語にして頭文字を並べ、DDRと略称する」

「カズ様は篤志家だったんですな! 正直見直しましたぞっ」

 

 キラキラ瞳を輝かせる漣の視線が眩しくて心が痛い。それがうまくいってたなら、俺は自宅を襲撃されずともすんだはずだったからな。で、カズ様ってなんだ?

 

「いや、それを目指したのは確かだが、結局はうまくいかなかった。子供たちは戦場に戻ることを望んで反乱を起こし、俺たちの仲間を人質に取ってヘリと巨大兵器を奪い脱走した。それを煽動し、指揮したのが件のイーライだった」

「……まさか、サヘラン、トロプスをか?」

 

 ストレンジラブが呻いた。サヘラントロプス、パイロットの操作とAIの補助による制御を受けて戦闘行動を行う巨大直立二足歩行兵器。いざとなれば、その装甲板の劣化ウランはある微生物の働きによって即座に兵器グレードの濃縮ウランとなって起爆する、歩く核爆弾だ。

 

 他ならぬストレンジラブ自身がそのAIの開発者だった。ただ、当時の電子技術上の限界から、サヘラントロプスのスペックが要求するサイズまでのAIポッドの小型化は難航し、その割りを食ってコックピットは子供がようやく乗り込める程度のスペースしか確保できなかった。そこへ彼女の事故死も重なった結果、サヘラントロプスは未完成に終わるはずだった。

 

「そうだ。ただ、イーライが持ち去ったのはサヘラントロプスだけではなかった。特定の言語を話すことで宿主を死に至らしめる、品種改良されたある寄生虫。こいつは、声帯の未熟な子供は発病しないという性質も持っていたんだが、イーライはこの二つを盾に子供たちだけの王国を作ろうとしたようだった」

「しかし、皮肉なことに当時のイーライ自身が変声期を迎えつつあり、彼にも発病の兆候が現れはじめた。恐るべき寄生虫を根絶するため、彼はその小さな王国もろともナパームの炎で焼き尽くされたはずだった…… どうやってあの場を免れたのか、どこでどう生きてきたのかはわからないが、二十年越しに俺に報復しにきたということだ」

「話を戻すが、ここから先はもう夢か現か判然としない。火をかけられたトレーニングルームで、イーライは倒れ伏す俺のこめかみに銃を突き付けて何事か吠えていた気がする。俺は鉛弾で頭をブチ抜かれて死んだのだと思ったが…… 目が覚めたらもうさっきの砂浜で、そこのグラサン女が俺のこめかみを虫眼鏡で焼いていた」

 

 焼かれたこめかみを指先で撫でながら、俺はストレンジラブを睨みつけた。ハゲになったらどうしてくれるんだ。

 

「聞いてのとおり、体感ではほんの数十分前まで、俺はアラスカ暮らしのワイルドでダンディなオジサマだったはずなんだ。それなのに、今はこうして二十代の頃の若くてピチピチのハンサムなナイスガイに逆戻りしている。失くしたはずの手足や眼まで生身に戻っていて、これまでの三十年の人生は夢だったんじゃないかと自分の正気を疑うくらいだ」

 

 ワイルドでダンディとか、ハンサムなナイスガイとかの下りで数人が露骨にしらけた顔をしていたが、かまわず言葉を続けた。いいじゃないかちょっとくらい話を盛ったってさぁ!

 

「なあストレンジラブ、そろそろ教えてくれ。あんたはこの状況について何か知ってるんだろう? 俺は、あんたはサヘラントロプスの開発途中に、あのアフガンの研究室で死んだんだと思っていたよ。俺たちは、後にその研究室を襲ってエメリッヒを確保したんだ。その時、レプタイルポッドも一緒に回収したし、中身もあらためたからな」

 

 エメリッヒとレプタイルポッドの話になったとき、ストレンジラブが頭を抱えてテーブルに突っ伏した。青髪ちゃんが気遣っていたが、ストレンジラブはしばらく言葉にならない呻き声を洩らしながら煩悶した後、青髪ちゃんの膝枕に倒れ込むように顔を埋めて動かなくなった。

 

「見たのかよぉ…… 中をぉ……」

 

 昔はいつでも理知的に振る舞い、話をすれば挑発的な口振りだったストレンジラブが、ここまで弱り切った声を上げるのを聞くのは初めてのことだった。あの頃はほぼ一方的に俺がやりこめられるばかりだったからなんか新鮮だな、うーんギャップ萌えってやつぅ? いやそうじゃない、話を続けよう。

 

「見たばかりではないな。死因を調べるために検屍もしたし、ポッドのメモリに記録されていた音声データも全部検証させてもらった。その結果、エメリッヒの奴の悪行がずいぶん明らかになったよ」

 

 エメリッヒというのは、MSF時代に仲間に加わったこともあった科学者で、ストレンジラブは後にこの男との間に一児をもうけている。

 

 彼女の遺言となった音声データには悔恨の念と、一人息子ハルの行く末を案じる言葉が並べられていたが、今なら俺にもその気持ちがわかる。キャサリー、おまえは無事だったろうか、今どこでどうしているのか。俺も暗澹とした気分になったところで漣が口を挟んだ。

 

「いちおう聞いておくんですが、いったい何が入ってたんです?」

「AI科学者の干物だよ」

「Oh……」

 

 いかんな、オブラートに包むつもりがかえって生々しい言い方になってしまった。

 今のやりとりを聞いて、しばらく黙っていたストレンジラブがむっくりと起き上がり、ソファに背中を預けて大きく息を吐いた。

 

「……ありがとう五月雨、少し落ち着いたよ」

「どういたしまして、元気になってくれたなら何よりです。博士、そろそろお茶でも淹れて一息つきませんか?」

 

 そう言うと青髪ちゃんは席を立ってどこかへ行った。この子だけしばらく名前がわからなかったが、最後に残った青髪ちゃんは五月雨というらしい。叢雲、漣、吹雪、電、五月雨か。青とか銀とかピンクとか、ほぼありえないくらい珍しい髪色の子が多いが、この子たちはみんな日本人なのだろうか? なにか引っかかるものがあるが、俺の年代から見たら実に珍しい名前だと思う。でもなぁ、俺が日本を出てからもう三十何年にもなる。時代が変われば名付けの流行りも変わるものだしな?

 

「五月雨に行かせてよかったのかしら?」

 

 ふと叢雲がもらしたつぶやきを皆は聞き逃したようだった。




ストラブさんのすべてがカズに見られちゃった回

今回だけに限ったことではありませんが、本文中の政治・軍事的な事柄についてはあまり深く突っ込まないでいただけると助かります。ちょっとくらい間違ってたって本筋には関係ないし多少はね?


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第四話 博士の異常な愛情

 第四話をオトドケスルー(カズラジ感)

 毎週火、金曜日更新をとりあえずの目標とするので、不定期更新タグは外してみようと思います。
 再びこのタグがついた時は筆者がストック切れに苦しんでると解釈していただいてまず間違いありませんので、どうか神に祈ってください。Kojima is god!


 五月雨がお茶を淹れに立ったあと、しばらくは他愛ない雑談になった。皆には戦後の日本や国際情勢などの話をずいぶん聞かれたが、ふと先ほどの疑問を思い出してストレンジラブに話を向けてみた。

 

「そういえばストレンジラブ、日本語に堪能だとは知らなかったな」

「いや…… 話せるようになったのはここに来てからだ。この子たちは英語もいくらかは話せるそうだが、やはり日本語のほうがコミュニケーションをとりやすいからな」

 

 ここに来てから日本語を覚えたのか、やっぱり天才ってのは半端ないな。俺も日本にいた頃は、いずれはアメリカに行くんだって考えて熱心に英語を自習していたし、親父の手がかりを探して煙草屋に来る客の米兵とも積極的に話をしたもんだった。本格的に英語を学んだのは渡米してからだったが、それでもだいぶ苦労させられたよ。

 

「たいしたもんだな、俺が英語を覚えるまでには何年も苦労したよ。あんた、ここに来てどれくらいになるんだ?」

「私がここに来てそろそろ一年ほどになるかな。五月雨が戻ってきたら、今度は私がここに来た経緯を話してやろう」

 

 そんなことを話しているうちに、奥へ続く廊下から香ばしい香りが漂ってきた。俺にとっては懐かしい香りだ、これはカリブ海にいた頃好んで飲んだマテ茶じゃないか。

 

 まもなく香りの向こうから、丸盆を捧げ持った五月雨が近づいてきた。上には、ひょうたんをくり抜いて作られた、マテ茶ではポピュラーな茶器が七つ載せられている。

 

 しかし、ひょうたんを利用しているがためにその器は一つ一つ形もバランスも違う。五月雨は慎重に摺り足で進んでいるが、そのたびにいびつな器はてんでバラバラにあっちへグラグラ、こっちへフラフラ揺れ動いて安定しない。いつしか、ロビーに残っていた俺たち六人はうかつに声をかけることもならず、息をのんで五月雨の歩みを凝視していた。

 

 ゴールまであと十歩。五月雨はまっすぐに俺のほうを向いている。あと九歩。そうか、最初は俺からお茶を配るんだな、きちんと客として遇してくれるとは礼儀正しい子だ、いたみいります。あと八歩。開け放たれた玄関から不意に潮風が吹きこんで、五月雨の長い髪を乱した。あと七歩。グラリと大きく揺れた拍子に、漉し器を兼ねた金物のストローがくるりと回って隣と打ち合いカチャンと鳴った。誰かが悲鳴を必死で飲み込んだのがわかった。あと六…… いや、五月雨は一度立ち止まり、じっとお盆を睨んでいた。立ち止まるほんの数秒がとても永く感じられた。潮風はもう凪いでいた、遠くで海鳴りが聞こえる。おもむろに五月雨が踏み出した、あと六歩。

 

 あと五歩、お盆を睨む五月雨の姿勢がだんだん前傾しつつあり、眼には剣呑な光が宿り始めた。いかん、それはちょっと入れ込み過ぎだ、肩肘にも力が入りすぎている。しかし、うかつに声はかけられない、気づいてくれ、五月雨…… 俺はじっと五月雨の瞳を見つめることしかできない。あと四歩、五月雨が俺の視線に気づいた。落ち着けと目だけで訴える。五月雨がはっとした顔で再び立ち止まり、やがてにっこりと微笑んだ。すうと背筋を軽く伸ばし、全身から力みが抜けたのがわかった。覚ってくれたか、思わず俺も微笑んでいた。

 

 五月雨が軽やかに歩み出そうとしたとき、急に彼女の足下を小さな影が横切った。彼女はそれを踏んづけないように、踏み出しかけていた足を無理に止めた結果、したたかにバランスを崩して前へつんのめった。無慈悲にも熱々マテ茶がお盆からひっくり返る。

 

 ああっ、とかあーあ、とか、幾人かが我慢しきれずに悲痛な声を上げるのが聞こえた。う… うろたえるんじゃぁないッ! マザーベース副司令はうろたえないッ! 噴き出すアドレナリンが集中力を研ぎ澄ませ、俺の目には落下する器がスローモーションに映る。連続CQCだ!

 

「連続…… C!」一つを掴んでテーブルに置く。

「Q!」もう一つ、ちょっと熱かったぞ。

「C!」三つ目、まだいける、為せば成る!

「Q!」もう一丁、どっからでも来い!

「C!」あと二つ、気を抜くな!

「きゅ……」

 

 遅れて飛んできたお盆が俺の額に激突した。ぬかった、ここまでか……!

 

「C」「なのです」

 

 受け損ねた二個は、俺の側にいた吹雪と電がキャッチしていた。

 

 

 

「ブッ…… フフッ、いやいや、貴様もなかなかやるのだな。一瞬で五個まで茶をこぼしもせず掴み取るとは、往年のビッグボスでもこうはいかんかもしれなかったぞ」

 

 吹き出しそうになりながらそんなことを言われたって、ほめられてるんだか馬鹿にされてんだかわからない。額にデッカい絆創膏を貼りつけられ、ぬるくなったマテ茶をすすりながら、俺は少々うんざりとした気分だった。たいして重いものでもなかったとはいえ、ステンレス製のお盆が勢いよく直撃した俺の額にはちょっとコブができてしまった。吹雪が手当てをしてくれている間、五月雨は半泣きで何度も何度も頭を下げて、俺はそんな彼女をなだめ続けていたのだが、その最中もストレンジラブと漣はまったく遠慮なしに笑い転げていた。真面目な電はさすがに呆れ顔だったし、気位の高そうな叢雲がずっと申し訳なさそうにしていたのが印象深かった。うん、君たちは悪くないぞ、もちろん五月雨もだ。悪いのは急に五月雨の足下を横切った小さなサムシングと、人の不幸を笑い物にするこいつらだ。

 

「さっき転んだときさ、五月雨ちゃんの足下になにかいたよなぁ。ここ、ネズミとかいるのかな?」

 

 そう言ったら皆が目を丸くして驚いたのだが、閉鎖環境にネズミがいるなら大問題だ。ものすごい速度で殖え続けながら食料その他の食害を引き起こすのみならず、伝染病まで媒介してしまう。昔、カリブ海洋上のMSFマザーベースでネズミが発生したときは大変だった。伝染病で多くの隊員が倒れ、以来マザーベースでは搬入物の検疫を厳重にするのみならず、ネズミの駆除に報奨金を出すようにしてこぞって駆除を行いようやく落ち着いたってくらいだった。

 

「ネズミか。あー、いや、まあ、ネズミ取りを仕掛けておこうか、今度な」

 

 ストレンジラブが妙に言葉を濁した。さては、こいつまた掃除をサボっているな? MSFにいた頃、こいつもエメリッヒも整理整頓とは無縁の奴らだった。マザーベースに与えられた私室や研究室には、床といわずデスクといわず資料書籍メモ書き試作品ガラクタ食器汚れ物その他諸々が乱雑に積み上がり、見かねた誰かが掃除をしようとしても、頑として他人の手を入れさせなかった。彼女らが研究者として優秀なのは理解していたが、いくら私設とはいえ、規律あるべき軍隊としてそんな放埒を看過するわけにはいかず、俺も何度奴らを叱りつけたかわからなかった。偏見かもしれんが、優秀な学者ってのはこんな奴らばっかりなのか?

 

「なあ、叢雲ちゃん」

「なにかしら? ちゃんはやめてちょうだい、叢雲でいいわ」

「では叢雲。ちょっと聞きたいんだが、そこの博士はここでもゴミ溜めみたいな部屋で暮らしているのかね?」

「ここでも、ね…… やっぱり、博士は昔からそういう人だったわけね。でも答えはノーよ、ここで暮らす限りはこの私が、責任を持ってきちんと整頓させているわ」

 

 ほう、意気に感ずる力強いお言葉頂きました、正直言って感心させられた。このサボテン女に言うことを聞かすとは、一体どんな手を使ったんだ?

 

「博士が掃除をサボるたびに、秘蔵の紅茶がたっぷりと私たちのおやつに供されるわ。それだけ」

 

 ここでは紅茶はめったに手に入らないのです、貴重品なんですよ。と、電と五月雨が補足した。

 

「私のアールグレイ……」

 

 黙れダメ人間。いい歳した大人が中学生に面倒かけるんじゃないよ。

 

 

 

「じゃあ、そろそろ私の話をしようか」

 

 ちょっとしたトラブルもあったが、皆でマテ茶を楽しんでくつろいだ気分も一段落した頃、ストレンジラブがそう切り出した。

 

「一年ばかり前のことだ。私がここで初めて目を覚ましたとき、私はこの鎮守府の医務室でベッドに寝かされていた。海岸で私を発見したのは、たしか吹雪と叢雲だといったな」

 

 ストレンジラブのあとに吹雪が続けた。

 

「はい、私と叢雲ちゃんと、あとその頃ここにいたボスって方と、三人で朝の見回りを――」

「ボ、ボスぅ!?」

 

 思わず情けない声を出してしまった。ふーぶきちゃーん、そのボスってぇー、食欲モリモリ、ヒゲマッチョの変態おじさんだったりしなぁーい!?

 

「落ち着けカズ、スネークのことじゃない。聞いて驚け、ザ・ボスだ。彼女はたしかにここにいたんだ。‘64年、ツェリノヤルスクで亡くなったはずの彼女が…… あぁ、せめて一目でいいから私も会いたかった! なんで私ときたらそんな肝心なときに気絶して寝こけていたんだ。思い返すだに自らのマヌケさ加減を呪ってやまないぞ私はっ! もしも彼女に会えたなら、きっと一別以来二十年以上胸に秘め続けたこの想いを彼女に伝えられたんだ。そして二人は…… ウフフいやこれ以上は子供たちにはとても聞かせられん、みんな今のはなしだ。そうだ漣、アレを見せてやれ。ボスと一緒に撮った写真があるだろう? 羨ましいなぁ、私だってボスとツーショットしたかったぞ? こう、フレームに収まるようピッタリ肩を寄せ合ってだなぁ、うーん妬ましい、その可愛いツインテールちょっと引っ張ってもいいk」

 

 大人気ねぇなあコイツ。たかが写真の一枚や二枚で嫉妬に狂って女子中学生に詰め寄る三十女なんて見ちゃいられない。大人としてたしなめるべきだと思ったが、髪を掴もうと不用意に伸ばした腕を捕られたストレンジラブはあっさりと漣の膝の上に転がされてなすがままであった。

 

「はぁい、悪い大人は白髪抜き抜きの刑ですよー」

「やめて、白髪の、歳の話はやめてぇ……」

 

 こいつはもう髪全部抜いて尼寺に送ったほうが世のためだと思うんだよ俺は。

 

「カズ様、これがボスの写真ですぞ、御覧あれ」

 

 漣がスカートのポケットから取り出したのは、PDAを薄く小さくしたような電子機器だった。表面は精細な液晶ディスプレイになっていて、そこには漣と、歳の頃なら四十過ぎくらいだろうか、ウェーブのかかった金髪をオールバックの一つ結びにした白人女性の姿が写し出されていた。

 

 漣は画面外に大きく左手を上げていて、多分自分でカメラを持っていたのだろう。右腕は女性と肩を組んでいて、彼女は苦笑しながらも優しい目を漣に向けていた。彼女がザ・ボスだというのか……?

 

 正直言うと、俺は彼女の顔を知らなかったんだよな。写真一枚すらこの世に遺さず、彼女の功績は歴史から抹消されてしまったのだから。残ったのは、アメリカを裏切りソ連の領内で核を撃った兇人という悪名と、その報いとして自らの弟子に始末されたという記録だけだった。けれども、俺はザ・ボスの伝説ならさんざん耳にしてきた。彼女を一番よく知るであろうビッグボス、いや、紛らわしいからスネークと呼ぼうか。スネークは彼女のことをあまり話したがらなかったが、戦場を渡り歩き続ける限り、彼女の死から何十年が過ぎてもその噂はことあるごとに聞こえてきたものだった。そこには、大国に都合のいいプロパガンダも、伝播の果てに大げさに盛られた与太話もあった。伝説なんていい加減なものだ、伝え説かれるうちに真実などどこかへ行ってしまう。それでもただ一つ確かなことは、彼女と同じ戦場に立った者たちだけは、彼女の名誉を決して疑わなかったということだけだ。彼女は正当な評価を受けることなく汚名とともに葬り去られた、そんな無念が、今まさに俺の目の前で女子中学生の膝枕で白髪を抜かれながら悶え狂うこの女も、かつて俺たちがビッグボスと仰いだスネークも、そして、情報を制して世界を操ろうとしたあの男、ゼロも、多くの人々の人生を狂わせ、世界を歪めることになってしまったんだ。もしかしたら、この俺自身も。

 

「カズ様? ぼぅっとしちゃってどうしたのかにゃー?」

 

 なんだその変な語尾は。あとカズ様ってなんだ?

 

「いやぁ、よく考えたらだな、俺って今までザ・ボスの顔を知らなかったんだよ。数々の武勇伝はあちこちで聞いてたのにさ」

「ボスキチ世界一のストレンジラブがこの人物をザ・ボスだと言うなら間違いないんだろうが、なんか俺が勝手にイメージしていた姿と違ってな」

「カズはいったいどんな姿を想像してたってのよ?」

 

 叢雲が訝しんだ。

 

「もっと、こうだな…… 筋骨たくましいというか、イカツいというか…… 見るからに強そうな大女を想像していたんだが、そうでもないんだな」

 

 テーブルに置かれたPDA? を拾い上げて、もう一度しげしげと写真を見つめてみる。苦笑しているザ・ボス、その整った顔立ちからは一見して厳めしい印象を受けるが、画面の中で漣に向けている視線はあくまでも優しい。この眼は、誰よりも厳しい世界を見据えて生きてきた者の眼だと感じた。

 

 ふと画面のボスの顔に指先を当ててみる。おやっ、指を滑らせると写真が切り替わったじゃないか。今度は病室のような風景だ。真っ白いシーツに覆われてベッドで眠るストレンジラブの枕元にザ・ボスが座っている。ボスはストレンジラブの額に手を当てて熱を計っているのか、看病をしているようだ。そこに不意にカメラを向けられたのだろうか、驚いた顔でカメラを見ている。

 

「おっと、ここから先は有料ゾーンですぞ」

 

 もっと別の写真が見たいとまた指を伸ばしたとき、いきなり漣にPDAを取り上げられてしまった。

 

「いいじゃないか、もっと見せてくれよ」

 

 PDAを取り返そうとした手は空を切った。

 

「このスマートフォンには乙女のプライベートフォトもいっぱい入ってるんです。カズ様みたいなスケベおじさんにはとても見せられませんなぁー?」

 

 なおも追いかけた俺の手から逃げるように、漣はスマートフォンとやらを持った手を大きく挙げてそっくり返った。

 

「乙女のプライベートフォトって何だよ? そんな面白そうなものぜひ見せろ、このっ」

「えー、しょうがないにゃあ、例えばパンツにスカート挟みこんで丸出しのまんま過ごした吹雪ちゃんとか、お風呂上がりにマッパで歩き回る叢雲ちゃんとかぁー、見たい? 見たいっしょ? でもダメぇーグエッ」

 

 漣はいちいち語尾がおかしいな、今のはまるで象に踏まれたガマガエルのようだったぞ?

 

 まあそんな声を出すのも無理はない、いつの間にか漣の背後には吹雪が回りこんでいて、スマートフォンを差し上げた姿勢のままきれいに片羽絞めが入っていた。

 

「ぐぇぇ、ぶぶぎぢゃん、ぢんじゅぶでのじどう゛ばごばっどでずぞ」

「ぶぶぎなんて知らない。私は吹雪です」

 

 容赦なくギリギリと漣を絞め上げる吹雪は修羅の貌をしていた。

 

「吹雪、そのまましばらく絞めときなさい。写真を検閲するわ」

 

 そう言って漣の手からスマートフォンを取り上げると、叢雲は猛烈な勢いで写真を調べ始めたようだった。

 

「これも、これも…… こっ、こんなもの、よくも撮ったものね!? 消去、消去! いかがわしい写真は全部抹消よっ!!」

 

 エキサイトする叢雲の顔が紅潮していくのにつれて、漣の顔色がだんだん紫色に変わりつつあった。あ… やめて! それ以上いけない。

 

「あのぅ、吹雪ちゃん? あまり手荒なことはやめてあげてね?」

「さすがにこんなことで人死には見たくないのです」

 

 見かねた五月雨と電がなだめに入ったのだが。

 

「……あんたたちの写真もいっぱいあるわよ?」

 

 叢雲の一言に、五月雨は幽玄めいた微笑を貼りつけたまま再度着席して事態を静観の構えに入り、電は満面の笑顔でサムズダウンで首を掻き切る仕草を見せた。

 

「ざざなみ゛のがんだい゛ごれ゛ぐじょんがぁ…… ガクッ」

 

 よく聞き取れないが苦悶の呻きを垂れ流しながら漣は落ちた。眼帯コレクション? なんだそりゃ。




 漣の甘体コレクションをzipでください

 PWのカセットテープを聞いてると、カズってザ・ボスの事績をそれなりに知ってるんですよね。スネークがベラベラ自慢するとも思えないので、やっぱり渡り歩いたあちこちの戦場でボスの噂をいろいろ聞いてたんじゃないかなぁ、と思って今回の話になりました。


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第五話 または私は如何にして心配するのを止めて艦娘を愛するようになったか

 第五話です。ストックがジワジワ減っていく、ヒリヒリするなぁ……


「えっと、現在漣ちゃんが人事不省に陥っていますけど、さっきの話を続けますね」

 

 何食わぬ顔で吹雪が話を再開した。気絶した漣はいちごパンツ丸出しのままロビーの隅に転がされている。うーん、親の顔より見たCQC、見事なお手並み。漣がリムーブされて空いた席には吹雪が代わって陣取っている。吹雪…… 大人しい顔しておそろしい子! 膝枕がなくなってストレンジラブも起き上がってきたが、一応は落ち着きを取り戻したようだ。

 

「三人での朝の見回り中に、さっきカズさんがいたあの海岸で、浜に打ち上げられた大きなドラム缶みたいなものを見つけたんです。真っ赤なランプがモールス信号でSOSを点滅し続けてましたね」

「ドラム缶というのはレプタイルポッドのことだな」

 

 吹雪の話をストレンジラブが補足した。なるほど、ずいぶんデカいがドラム缶みたいに見えなくもないな。

 

「みんなを呼んで苦労して引き揚げたのはいいけど、私たちには扱い方がわからなかったんですが、すぐにボスが蓋を開けてくれたんです。そしたら、中には意識を失った博士が入ってました」

「ボスが言うには、『彼女は私の知り合いだ、怪しい者ではないから心配ない』と」

 

 そうかぁ? 充分に怪しい奴だと思うぞ俺は。特に、ある種の女性にとっては危険を伴う相手でもある。

 

 コスタリカにいたときの話だが、こいつは自分の研究所に迷いこんだフランス人の鳥類学者、セシールっていう美人を秘密保持のためと称して拉致監禁してたんだからな。汚くしてたら可哀想だからって、パリジェンヌの手を縛り目隠しをして風呂に入れ、手ずから身体を洗ってやったって聞いたぞ? へっ、変態めっ……! もう言い訳のできようもない犯罪だよ。もしかしたらここの少女たちだって皆すでにこの変態グラサン女の毒牙にっ……!?

 

「カズさん、ちゃんと聞いてますか?」

 

 聞いてるとも。ポッドの中からストレンジラブが出てきた話だろう?

 

「なんか、いやらしいこと考えてるような顔してましたけど……」

 

 ソンナコトナイヨー(棒)さあ、続けたまえ。

 

「それで、ボスは気を失ったままの博士を抱えて――」

「お姫様抱っこで?」

 

 話に割りこんだストレンジラブは妙に真剣な面持ちだった。そこ重要なのかこいつ的に。

 

「お、お姫様抱っこで、博士を医務室に運んで、ベッドに寝かせて呼吸や脈を計ったり、診察をしてました」

「人工呼吸は? マウストゥマウスはなかったのかッ!?」

「そっ、そんなことしてません! あのときの博士はちゃんと自発呼吸できてましたし……」

 

 ストレンジラブがいきり立ったが、耳まで真っ赤になった吹雪に否定されたら、またしょぼくれた顔でソファに沈みこんだ。

 

「変態ね」

「度しがたいのです」

 

 叢雲と電の反応は冷ややかだった。君ら、よくこの変態とほぼ一年も一緒に暮らしてられたな?

 

「普段はとても素敵な人なんですよ? きれいで、すごく頭が良くて、お話が面白くて、私たちにも親身になってくれて…… おいしいお紅茶の上手な淹れかたを、そそっかしい私にも根気よく教えてくださったんです。ただ、ボスさんの話になったときだけ、いつもこんな風に……」

 

 五月雨が目を覆って嘆いた。この変態のいい所をそれだけ信じてやれるとは、君天使か何かだな?

 

「続けていいでしょうか? えっと、博士の容態が安定しているのを確認したあと、ボスはそのレプタイルポッド? でしたっけ? その中を調べ始めました。ほんの少しの間でしたが、出てきたときにはなんだか納得したような顔をされてました」

 

 嘆く五月雨をよそに、吹雪はかまわず話し続ける。この子も結構マイペースなんだな。

 

「そのあと、ボスは私たちを集めてこう告げたんです」

 

 

 

『みんなには本当にすまないが、私はこの島を出てやらなければならないことができてしまった。あなたたちをここに残していくのは忍びないが、平和のためにどうか許してちょうだい』

 

 どこへ行くというのか、と叢雲が訊ねたそうだ。

 

『私にもそれはわからない。ただ、博士をここに連れてきたこのポッドが、今度は私を行くべき所へ導いてくれるわ。ポッドを調べてみてそれがわかった』

 

 ここに残る私たちはどうすればいいんですか、と漣は詰め寄ったのだという。

 

『今日ここに来たストレンジラブ博士は、私にとっては大恩ある大事な友達よ。漣、彼女が目覚めたら、私と一緒に撮った写真を見せて事情を話しなさい。彼女はとても優秀な科学者だから、きっとあなたたちの力になってくれるわ』

 

 もうこれきり会えないんでしょうか、と五月雨は泣いたそうだ。

 

『約束はできないわ。でも、私がこれまであなたたちに伝えてきたことは、私とあなたたちがどんなに遠くに離れたとしても、いつでもあなたたちと共にある。どうか忘れないで、いつかあなたたちが自らの足で波濤を越えるとき、私もまたあなたたちと共に往くのだと』

 

 これまでご指導ありがとうございました、ボスのご武運をお祈りいたしますのです、と電は涙をこらえて敬礼したそうだ。

 

『ありがとう電、あなたはやはり強い子だわ、それはあなたが優しいから。あなたたちが私を信じ、私の意志を信じてくれるから、私もまた留まるのでも流されるのでもなく、未来へと進むことができる』

 

 吹雪は、ボスが世界のためだと言うのなら、それは本当であると、だからボスを引き止めてはならないと感じた。だけど、最後にもう一度CQCの稽古をつけてほしい、とボスに頼んだのだそうだ。この子たち、身のこなしなど何かとただの子供じゃないと先ほどから感じてはいたが、まさかザ・ボスの弟子だったとはなぁ。スネークにCQCを教わった俺たちよりもよほど正統に近いと言えるかもしれない。

 

 吹雪の願いにボスはニンマリと笑うと、その日は陽が傾くまでみっちりと稽古を続け、へばって動けなくなった五人に、免許皆伝とはいかないが、と前置きした上で、例えるならクロオビを授けてもいい。と太鼓判をおしてくれたのだとか。

 

 しばらく休んで夕方、日が沈み始めた頃、ザ・ボスはレプタイルポッドに乗り込む直前、子供たちのほうを振り返った。五人は整然と並び、一糸乱れぬ敬礼を捧げていた。答礼を返すボスは晴れやかな笑顔だったのだという。

 

 ボスの姿がポッドに消えてまもなく、ロケットが点火してポッドは高く舞い上がり、東の空へと一直線に飛んでいったそうだ。子供たちはそれを、日が沈んだあともいつまでも見送っていた。

 

 

 

「私が目を覚ましたのは、その翌朝のことだった」

 

 そこからはストレンジラブが語り始めた。吹雪は長く話して喉が渇いたのか、もうぬるくなったであろう水差しに残った水を自分のひょうたんに注いで飲んでいる。

 

「みんなに事情を聞いて、私は一も二もなくこの子たちに協力すると決めた。ボスが愛し、鍛え上げたこの子たちを助けることは、私にとってなによりもの最優先の務めであるといって過言ではない。この一年、私は皆の望みをかなえるために自分の知識と技術を捧げてきたが、私一人では悔しいがいまだ不充分だ。カズ、貴様は軍隊と組織運営については専門家だろう? この子たちのために、どうか力を貸してほしい」

 

 そこまで言うと、ストレンジラブは深々と頭を下げた。茶化すつもりはないんだが、こいつがこの俺に頭を下げて懇願することがあるだなんて、明日はミサイルでも降ってくるんじゃないだろうか?

 

「なあ、ここまでこいつに言わせる君たちの願いというのは、いったいどんなことなんだ? 俺になにができるのかわからないが、まずは聞かせてもらえないだろうか」

 

 そう言って子供たちを見回す。いつの間にか漣もちゃっかり気絶から復帰して何事もなかったかのように仲間に加わっているじゃないか。

 

「この海は今、危機に瀕しているわ」

「私たちは、なんとしてでも日本へ帰り、この危機を世界に伝えなくちゃいけないんです」

「奴らに立ち向かうことができるのは、きっと今はまだここにいる漣たちしかいないのですぞ」

「けれども、この泊地の戦力だけでは、今この時もまさに世界中の海に拡がり続けているかもしれない奴らに立ち向かうことなどとても無理なのです」

「だから奴らに打ち勝つには、きっと世界中の国が力を合わせる必要があるんです。カズヒラさん、どうか私たちを助けてください!」

 

 ストレンジラブに倣うように、五人の少女もまた深々と頭を下げた。今日一日はとんでもないことばかりが巻き起こった俺の身の上だが、どうやらかなりキナ臭い事態に足を突っ込むことになってしまったようだ。

 

 世界規模の相手に喧嘩を売らなきゃいけない覚悟かぁ、それなら三十余年前に一度しかと経験済みだ。まあ、本当に世界を相手取る前に、スカルフェイスの騙し討ちをくらってボコボコに負けたんだけどなクソっ! 二度目のときには俺は乗らなかった、三度目はむしろそれを止める側に回った。四度目は、相手は世界をも脅かす危険な勢力らしい。少なくとも、この少女たちはそれを確信しているようだ。

 

 返事の言葉を選びながら、俺はコロンビアでのことを思い出していた。当時、旗揚げはしたもののいまだ小隊程度の人数で、全員分の装備すらまともに揃ってはいなかったMSF、そのベースキャンプを、コスタリカ国連平和大学のガルベス教授と名乗る男が、パスという少女を伴って訪れたときのことだ。

 

 彼らの願いは、常備軍を持たないコスタリカの領内に侵入し不穏な行動を続ける、所属不明の、ただし、CIAの関与が疑われたがーー 武装勢力を追い出してほしい、というものだった。

 

 だが、すべては体のいいカバーストーリーに過ぎなかった。ガルベス教授とは身分も名前も偽りで、その正体はソ連の諜報機関KGBのエージェントだった。その時コスタリカで行われていたのは、核抑止論を柱にCIAとKGB、東西超大国の思惑が複雑に絡み合い、それぞれの諜報機関の私利私欲をも交えた権力闘争、つまりは冷戦の闇鍋みたいなもんだった。そして、その裏にはビッグボスの宿敵、ゼロ少佐率いる秘密諜報組織サイファーの影がちらついていたんだ。パスもまた、そこから送り込まれた諜報員に過ぎなかった。コスタリカの平和を愛する女子高生なんて、とんでもない大嘘だった。

 

 俺がそれを知っていたのは、当時の俺はひそかにゼロ少佐ともビジネスパートナーの関係にあったからだ。コスタリカを中心にサイファーが描いた東西冷戦の縮図、そのカラクリを俺は初めから知らされていた、知っていてあえてその状況を利用した。すべては小さなMSFが成り上がるためだと、そのつもりだった。

 

 その闇鍋を貪欲に喰らって、MSFはたしかに大きくなった。しかし、結局のところそれは闇鍋ならぬ毒饅頭で、すぐにそのツケを払う時が来た。潜入工作員の正体を現したパスは、MSFにサイファーの傘下に降ることを要求したのだ。

 

 無論、そんな要求はのめなかった。俺たちはパスを退けたが、すぐに次の刺客がやってきた、そいつがスカルフェイスだった。奴の奸計によりパスは命を落とし、MSFも一度滅びた。多くの戦友たちがマザーベースとともにカリブ海の藻屑となって、俺は復讐を果たすまでに十年を費やした。報復心に身を焦がすことで、うかつに毒饅頭に手を出してすべてを失った自分のマヌケ振りから必死に眼を背けていたんだ。

 

「カーズ様ぁー、起きてます? 今とても大事な山場ですぞー、寝てちゃだめだぉー」

 

 漣の間延びした声で俺は回想から現在に引き戻された。言うに事欠いてカーズ様ってなんだよ、それじゃ俺まるで宇宙から帰ってこれなくなるみたいじゃないか?

 

「ちょっと昔のことを思い出していた、悪いな」

「昔のこと?」

「昔々 、コロンビアでな。ちょうど今みたいに、平和を願う女の子の頼みで厄介な事件に首を突っ込むことになったのさ。それはもう酷い目にあわされたんだぜ」

「……パスの件だな」

 

 ストレンジラブの声は暗かった。あのピースウォーカー事件は、彼女にとってもあまり蒸し返したくはない深い傷だったろう。こいつも、パスにはだいぶご執心だったからな。

 

 話がよくない方に流れてると感じたか、皆の顔にも失望の色が広がるのが見てとれた。おいおい、結論を急ぐんじゃないよ。俺はまだ断るなんていってないぜ、こんな風に相手に気を持たせるのも交渉の一手さ、ちょっとくらいお兄さんにも花を持たせてくれよ。

 

「俺たちMSFは、国家や思想にとらわれず、必要な土地、勢力に必要な軍事力を供給するのが売りだった。直接的な戦闘だけじゃない、兵站、訓練、武器の整備や開発、軍事に関わるあらゆることを請け負ってきた」

「でも今はミラーさんお一人なのです?」

 

 ぐぬぬ、電ちゃんやっぱりツッコミが容赦ないぜ。

 

「まあそうだな。だから、君たちをカボチャの馬車で日本までエスコート、と簡単にはいかないぜ。魔法使いの家系じゃないからな」

「だから、俺は結局俺にできることをやるしかない。それでよけりゃ、報酬は安くしておくよ」

 

 幾人かが口々に叫んで立ち上がった。

 

「お、お金取るんですかぁ!?」

「こんな島にお金なんてあるわけが!」

「あーぁ、幻滅しちゃいますぞ。見ず知らずの少年兵を助けようとした篤志家のカズ様はどこ行っちゃったんですか」

 

 三人がブーブー言ってる間、五月雨はオロオロしてたし電は蔑むような眼でじっと俺を睨んでいた。いいねその眼、俺の中でいろんな何かが目覚めそうだよ。

 

「ないものを取れるとは思っていないさ。これでも元商売人だからな、一見さんの財布の重さを推し量るのは結構得意なつもりだよ」

「俺もこんなところにいきなり連れてこられちまって、どうやって帰れるのかもわからない。飯と住みかと身の安全を保障してくれるなら、できる限りの協力は惜しまんよ? つまりは、居候をさせてくれってことさ」

 

 どうやらからかわれたのだとやっと気づいたのか、電は眼をぱちくりさせている。そうそう、そうやって年相応の顔をしているほうがお似合いだよ。まあ、俺がもしもヒモとかペットにしてくれなんて言ってたなら、この先も命があったかはわからないが。

 

「そんな、もともと電たちはミラーさんに危害を加えるつもりなんて!」

「そうだったのかな? てっきり俺は、女の子ばかりの謎の武装集団に捕らわれて、尋問を受けていたもんだと思ってたよ」

 

 クックッとストレンジラブが肩で笑って、電が悔しそうに歯噛みをしてみせた。君には最初にちょっと脅かされたからな、このくらいの意趣返しは勘弁してくれよ。




 伝説の英雄、ザ・ボス仕込みの戦闘技術を身につけた五人の少女。いったい何期艦なんだ……?


問:艦娘がCQC習得して何の役に立つんですか?

答:クソ提督を締め上げたりイケメン提督を押し倒したりするためです。


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第六話 セーラー服と機関銃

グラサン提督、第六話をお届けします。
今回はちょっと問題ある内容かもしれない……
心の準備とバケツの用意をオナシャス。


 誰よりもサングラスが似合うナイスガイな俺、ことベネディクト・カズヒラ・ミラーは、アラスカの隠居宅を突然謎の武装集団に襲撃された。なすすべもなく殺されてしまった、と思いきや、目覚めた時には真夏の砂浜で、俺自身も二十代の姿に若返ってしまっていた。

 

 そこで邂逅したのは、なんだかエキセントリックな五人の少女たちと、二十年も前に死んだはずの元戦友、ストレンジラブ博士だった。世界を脅かす危機に立ち向かうため、日本への帰国を目指すという少女たちに流れで協力することになった俺は、いつもの口八丁でとりあえずの飯と寝床を確保することに成功したのだった。

 

 

 

「何はともあれ、これで交渉成立、ということでいいかな? よろしくな、みんな」

 

 笑顔で一人一人と握手して回る。電はまだちょっとむくれた顔だったので、握手した手をわざとらしくブンブン振ってやった。スマイル、スマイルだぞ。ムカつく時ほど、ふてぶてしく笑ってみせるんだ。だから舌打ちするのはやめなさい。

 

「ところで、君たちが立ち向かおうとしている世界の危機ってのはいったいどんな相手なんだ? 説明してくれないか」

 

 君らはザ・ボス仕込みのCQCが得意だそうだが、まさか徒手空拳で戦える相手じゃないんだろう?

 

「吹雪ちゃん、下の棚からアレを。 ……それでは、こちらの映像をごらんください」

 

 吹雪がオフィス棚から引っ張り出したプロジェクターを白壁に向け、漣がスマートフォンをセットして操作する。ピントを合わせて壁に映し出されたのは、サイズが合わずぱっつんぱっつんの、多分色から見て吹雪のものだと思われたが、セーラー服を着こんだザ・ボスの姿だった…… うわキツ。

 

 

『ちょっと、何を撮っているの! カメラを止めなさい漣!』

『そんなこと言われましてもー、戦術検証のために漣たちの装備を評価したいからちょっと貸せって言ったのも、漣に記録を撮れって命じたのもボス自身ですよ?』

 

 

 無慈悲にも再生を開始された映像の中で、ボスは必死でスカートの裾を押さえていた。身頃だけではなく当然着丈も足りておらず、上は鍛え上げられたシックスパックが全開してるし、下も見えてはいけないCER〇レーティングが上がるサムシングがワカメちゃん寸前である。俺はソファから滑り落ちて尻餅をついた姿勢のまま、心の終末時計の針が破滅に向かってグングン進んでいくのを感じていたが、ストレンジラブは拳を握りしめて立ち上がり、目を輝かせて食い入るようにこの衝撃映像を見つめていた。すまない、変態は帰ってくれないか!

 

 

『だって、まさかこの服まで着ないと艤装が起動しないだなんて思わないでしょう!? とにかく一度着替えるから、こらっ!』

 

 

 ボスがダッシュでカメラに急接近し、漣の短い悲鳴に続いて画面が暗転すると再生は終了した。お通夜のごとき沈痛な雰囲気がロビーに流れる。フレディ・マーキュリーばりのガッツポーズを決めてるストレンジラブ以外にだが。

 

「えー…… なんと言いますか、そのぅ、見せたい映像を間違えてしまいました。てへぺろ」

「よりにもよって、なんてものをカズに見せてくれてるのよ…… もう、ボスに合わせる顔がないわ」

「叢雲ちゃんこそ、さっきこのスマホを検閲してたんダルルォ!? なんでこれは残ってるんですか!」

「だって、ボスの映像なんて他にいくらも残ってないじゃない!? いくらこんなのでも、消したくないわよぅ……」

 

 言い争う二人に、ストレンジラブが小声で耳打ちした。

 

(漣。今の動画、あとでコピーをくれないか?)

(むぅー、フォートナム&メイソンのロイヤルブレンド一缶と引き換えなら)

(ぐっ…… 足元を見てきたな。だがいいだろう、一缶だな?)

 

 叢雲が二人を張り倒した。いくらなんでも、紅茶一缶で世界を救った英雄の尊厳を売り渡すとか絶対に許されんよ。

 

 それにしてもとんだ衝撃映像だった。今ここに来ているのが、俺でなくてスネークだったらきっと死んでいたかもしれん、一目見るなり腹カッさばいて。ゼロだったらどうだろうな、俺は声しか知らんが、あいつは確実にボスキチ世界第二位、紅茶なみなみ、ジェントルマンの変態だ。もしかしたら、ストレンジラブと手を取り合って大喜びしたかもな。

 

「それでは、今度こそ正しい映像をごらんください。あ、ぽちっとなー」

 

 流れ始めた映像には、今度はボスの後ろ姿? が映っていた。映像がものすごく揺れて見づらいのだが、今度のボスは白いスニーキングスーツの上から吹雪のセーラー服を着ているようだ。下に何か着ているとわかってはいても、風に翻るプリーツスカートが目とSAN値に毒だ。ついさっきの強烈な映像が想起されて背筋が震えたが、まあアレよりは随分マイルドだ。

 

 

『本日はお日柄もよろしく、2015年7月14日カッコカリ、時刻はヒトマルマルマル。本時刻より、吹雪ちゃん型艤装の海上公試を開始します』

『記録はわたくし、みなさまの不滅の恋人、いちご畑に咲くマジ天使、綾波型9番艦の漣が務めます。それではボス、第一戦速ようそろー』

『ふざけてないでちゃんとついて来なさい! いつ敵襲があるかわからないわ、テストは駆け足で済ませるわよ』

 

 

 いちいちふざけたナレーションが入るなか、海上公試? とやらが始まった。背景から察するに、どうやらボスと漣はほとんど生身で海上を高速移動しているらしい。ボスは背中に煙突のような、またマストのようなバックパックを背負い、右手と両脚には砲塔のようなものを装備している。それから三十分くらい映像が続いたのだが、まず初めにボスはアイススケートか何かのように海上を滑り回り、波に乗って跳んで跳ねては右手の砲を撃ち、両脚からは魚雷を発射し、時には缶詰くらいのサイズの爆雷を投げた。あちこちに的が用意してあったが、俺が見取れた限り全弾命中、パーフェクトだ。タイムも驚異の速さで、これがMSFの訓練ならばSランクはほぼ間違いない。

 

 ボスのテストは五分かそこらで終わってしまい、続く映像はテストに同伴していたらしい叢雲、五月雨が同じコースを回っていたのだが、ボスに比べると二人ともまるっきり産まれたての子鹿のようだった。速度は上がらず真っ直ぐ進めず、大波がくるたびにバランスを崩し、時折転んではボスに引き起こしてもらっているありさまで、もちろん命中率はお察しだった。

 

 息を切らして海面にへたり込んだ叢雲と五月雨を映していた映像の最後のほうで、いきなり漣の真剣な叫び声が上がった。

 

 

『ボスー! 電探に感あり、東南東に距離3000』

『数は!?』

『反応三つ、うち一つはやや大きめです!』

『敵の哨戒に引っかかったかもしれないわね、今日のテストはここで中止するわ。漣、今すぐ記録を中止して、叢雲たちを連れて泊地に戻りなさい。戻ったら総員デフコン4で待機! 私は、ここから敵の迎撃に向かい、あなたたちの帰投を援護する』

『ほいさっさー!』

『復唱は正確になさい!』

『い、イエスマム! 漣はただちに叢雲、五月雨両名を連れて泊地に向かい、帰投後デフコン4で待機に入ります!』

 

 

 映像はここまでで終わった。なんというか、これはこれで衝撃映像だった。人間が海の上を走る装備、それを駆るのは伝説の英雄ザ・ボスに鍛えられた女子中学生だ。まるでジャパニメーションか何かの世界に迷いこんだ気すらする。君らは何と戦っているんだ。

 

「動画はここまでですが、この後ボスは軽巡一、駆逐二で構成された敵水雷戦隊を単艦にて撃滅、死にかけを鹵獲した駆逐艦一隻を曳航して無事帰投しました。次の映像はその姿ですぞ、ちょっちグロいから心の準備とバケツの用意をオナシャス」

 

 次の動画は、砂浜に投げ出された奇妙な生物を映し出していた。少し離れて砲を構え警戒している叢雲と比較すると、おそらく体長は3メートルくらい、額の突き出たような尖った頭と、歯を剥き出した大きな口を備えている。肌は真っ黒で金属光沢があり、横っ腹に二つ、砲弾で空いただろう大穴の周りはひび割れ裂けてめくれあがっていたりしている。半開きのままの口からは、砲身のようなものが半分突き出ていた。

 

 そこで動画を一時停止して、漣が解説を始めた。

 

「この画面で見えてるのは左舷の射出口のほうですなー。ボスがこの日の戦闘をあとで記録した戦闘詳報によりますと、軽巡を先頭に単縦陣で近づいてくる敵艦隊に対し、ボスは敵が撃ってくる前にいきなり先制攻撃をしかけました」

「敵軽巡のほうが長射程のはずだったんですが、その差を埋めるために曲射で、二発。初弾から見事命中して、まず軽巡が撃沈。普通は当たりませんぞこれ、しかも修正なしでいきなり命中キタコレ!」

「そのまま敵が浮き足立ったところに近づいて、続く二発で二隻目の駆逐も撃沈。最後の一隻は速度を上げてきまして、おそらくすれ違いからそのまま離脱を狙ったものかと思われ」

「ところで、こやつの砲は口から突き出てますゆえ、前方のわずかな角度にしか撃てないんですなー。ボスはやや左に旋回しながら敵の射線から逃れ、すれ違いざま土手っ腹に二発。距離が近かったのか砲弾が炸裂せず反対まで抜けて、それでこんな射出口ができたわけです」

 

 解説の後、再び動画の続きが流れ始め、カメラはこの生物兵器めいたサムシングの各所をズームアップしていく。射出口からは青黒い血が流れ、内側の内臓だか機械だかよくわからないぐちゃぐちゃが覗いている。オエッ、たしかにこいつはあまり直視したくない。

 

 

『吹雪! 射線に入るな!』

 

 いきなりボスの怒号が飛んで、続いてすぐ近くで轟音が響いた。

 

『こいつ、まだ生きてる!』

 

 叢雲の悲鳴が上がり、立て続けに数発の砲声。カメラが旋回して、まず砲撃で崩れた階段、そして煙の立ち上る砲を構えた叢雲と五月雨、二人の砲撃でとどめを刺された生物兵器を捉える。兵器は死んだ途端に煙を上げて全身が泡立ち、崩れ、あっという間に溶けて、血と粘液の跡だけを残して消えてしまった。

 

『吹雪ちゃん、大丈夫ー!?』

 

 叫んだ五月雨が走り出した。カメラは再び階段のほうを向き、階段を転げ落ちて顔面から着地したらしき吹雪の姿をズームインする。砂浜に突っ伏した吹雪が、白パンツ丸出しのままピースサインを出した。

 

『失敗したわね、こいつの砲を海に向けて置くべきだったわ』

『そもそも、活け〆してから持ってくるべきでしたな』

『イケジメ?』

『獲った魚を海の上で仮死状態にして血抜きするんです。生きたままより鮮度が長持ちするそうですぞ』

『じゃあ、今度は漣の夕食に獲ってきてあげるわ』

『そいつは勘弁してくだせぇ……』

 

 舌打ちしてぼやくボスの声と、漣の呑気なツッコミが入って動画は再生を終えた。

 

 

「この日、私はボスに艤装と予備の服をお貸しして、負傷で寝込んでた電ちゃんの看病のため泊地に残ってたんです」

「公試に出ていたみんなから、敵が来たから泊地に戻ると通信が入って、でもなかなか帰ってこないから様子を見に出ました。そしたら、砂浜にアレを引き揚げているのを見つけて……」

 

 恥ずかしそうに弁解する吹雪の声は、最後のほうはほとんど消え入りそうに小さかった。

 

 階段は粉々になったが、とっさに転げ落ちた吹雪にはたいした怪我はなかったそうだ。下が砂浜だったのも幸いしたらしい。ボスは、不用意に砲口に身をさらした吹雪を叱ったあと、砲を拠点に向けて置いた自らの落ち度を皆に詫びた。壊された階段は、不始末の罰として後日ボスと吹雪が直したそうだが、結局皆すすんで手伝ったから皆で作り直したようなものらしい。

 

「こいつは、私たちの間では駆逐ロ級と呼んでいるわ。駆逐艦クラスの武装と、二番目に確認されたタイプだからイロハのロ、そんな命名則で呼称しているのよ」

 

 叢雲がそう説明してくれた。

 

「それにしても、今見ると恥ずかしいわねこの映像…… 私も五月雨も、全然動けてないじゃない?」

「これを撮ったの、ボスさんがここに来てからあまり経ってない頃のことだから、今から二年近くは前のことなんです。今はもっとしっかり動けるんですよ、本当ですよ!? それは、今でも時々転んだりはしますけど、でも今はもう自分で立てるんですから!」

 

 五月雨、それは本当に大丈夫なのか。動画で醜態を見せた二人が口々に弁解する。みんな、この島で二年以上もこんな暮らしをしてきたのか。いやちょっと待て、映像のなかで漣はなんと言っていた?

 

「そういえば、記録の最初に漣が日付を読み上げてたよな? 2015年7月とかなんとか。ってことは、今は2017年になってるってことなのか!?」

 

 俺の最後の記憶から、もう十二年が過ぎてるということになる。スネークだって九年昏睡してたが、その記録をぶっちぎりで更新してしまう。それでは俺の娘、キャサリーの足取りを探すのも難しくなりそうだ。

 

 しかし、この発言には俺以外の全員が難しい顔をして、スマートフォンを示しながら漣が語り始めた。

 

「そもそも、このスマホはボスのさらに前にここにいた先生が置いていったものなんです。半田なおみ先生とおっしゃる方でしたが、なおみさんは2014年の世界からここに来たそうで、つまりさっきの映像で漣が読み上げた日付は、あくまでなおみちゃんのいたところの暦に基づくものなんですから、この島が実際に今2017年かどうかはたぶんあてにはできませんぞ」

 

 確かにそうかもしれない。俺は2005年から来たし、ストレンジラブは1983年から来たという。でも二人ともそろって1974年当時に近い姿になっているから、明らかに時間軸にズレが生じている。なおみ女史とやらが持ち込んだスマホの日付は、この島では不確かなものだろう。

 

 そこから、代わって電が話を続けた。

 

「この島の正確な暦だけではないのです、電たちはこの島がどこの海のどこにあるかすらわかっていません。電たちは、この島で産まれて、ずっとほかの土地に行ったことがないのですから」

「ボスにこの話をしたら、次の日からボスは太陽の観測を始めたのです。コンパスとお手製の四分儀を使って、日の出日の入りの方角や太陽の南中高度を毎日欠かさず観測したのです。電もお手伝いしたのです」

 

 細かい計算方法は省くが、太陽の南中高度の観測により現在地の時刻が、夏至と冬至を確定することで日付が、そして太陽の観測でもできるが、北極星の観測からは現在地の緯度が測定できる。ボスの観測記録とそれを引き継いだストレンジラブはこれらの方法で泊地の日付と時刻を修正させ、またこの島が少なくとも北緯10°から11°の範囲内にあることがわかったのだそうだ。ただ、今が西暦何年であるかと、この島の経度がいまだに特定できてないのだという。

 

「正確な年の特定はもう諦めたのです、あまり意味がないですから。いざ日本に帰り着いたときに、壇ノ浦の合戦の真っただなかに飛びこんだりさえしなければもうそれでいいのです」

 

 電が珍しく冗談を言った。えぇー、そこは安徳帝をお助け奉ってこうぜー、と漣が乗ったが、電は九郎判官さまに弓は引きたくないのです、とだけ答えて話を続けた。

 

「でも、おそらく現在2010年を過ぎていることだけは間違いないのです。去年この島に流れ着いた木箱に腐った缶詰が入っていたのですが、その製造年が09年と表示されていたのです」

 

 ああ、あの魚の缶詰ね、と言って叢雲が眉をしかめた。腐っているから中身をあけて捨てようと思ったら、缶切りを刺した瞬間缶が破裂して凄まじく臭い腐汁が吹き出したのだとか。近くにいた者は全員嘔吐したうえ、しばらく悪臭がとれず散々な思いをさせられたと叢雲はぼやいたが、それスウェーデン名物のあの缶詰だったんじゃないかな。

 

 電の推論が正しいとしたら、最低でもあの襲撃から五年以上は過ぎてしまっているということになる。キャサリー、おまえはいったいどうなってしまったのだろう。




 ワシントン条約制限下で設計された、世界中を驚愕させたクラスを超えた特型駆逐艦の一番艦、ボス雪十七歳ですっ☆(低音)

 私たちは、後の艦隊型駆逐艦のベースとなりました。はいっ、頑張ります!


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第七話 世界地図は血の跡

 わけあって更新が遅れ日付が変わって土曜日になってしまいましたが、第七話をお届けします。


 少女たちが世界を揺るがす脅威、と位置づけた謎の生物兵器、駆逐ロ級。生体でありながら、ちょっとした艦砲なみの大砲を備えている。あとで聞いた話では、魚雷発射管も持っていると言っていた。

 

 それだけではない、奴らは駆逐級のみならず、その武装から判断するに、巡洋艦・空母・戦艦などの多岐にわたる分類と、数多くの個体数が確認できているらしい。射程に勝る相手にはうかつに近づくことも難しく、漣の持つスマートフォンの小さなカメラでは、写真を撮ることすら困難だったそうだ。

 

 幸いにして、この泊地にまで近づいてくるのは現在駆逐級あるいはそれを率いる軽巡級のみにとどまっており、なんとか対処が可能となっている。

 

「奴らは少数の群れ、艦隊単位で受け持ちの海域を縄張りにしていて、近づく者に攻撃をしかける習性を持っているようなんです」

 

 そう吹雪が教えてくれた。奴らを倒さずに逃げたとしても、自分の縄張りを離れて追撃を仕掛けてくることはないらしい。もっとも、その頃にはまた別の群れの縄張りに踏み込んでいるわけだが。

 

「奴らの縄張り同士に隙間はほとんどないわ。わずかな隙間を縫って進めるような場所がまったくないというわけではないのだけど、戦闘を避けてこの海を進むのは難しいわね」

「私たちは、海図を作って戦闘の起こったポイントを記録しながら、少しずつではありますが比較的安全な航路を模索しています」

 

 叢雲の言葉に続いて、五月雨が大きな海図をテーブルに広げた。いくつもの島らしき陸地や、赤青緑などの何色かでポイントが描かれ、ポイント同士は航路らしき点線で結ばれている。

 

「海図の真ん中が私たちのいるこの島ですね。赤は比較的弱い敵の縄張りで突破しやすいルート、青は縄張り同士の隙間らしい抜け道、紫は敵はいませんが、海が荒れてて抜けにくいところです」

 

 ふと思いついて、俺は隣り合う赤点同士に点線の通ってないところを指でなぞって示し、こういう進み方はできないのかと尋ねてみた。

 

「バカね、五月雨が言ったでしょう? 突破しやすいルートだって。この点線は、つまりは強力な群れの縄張りを避けて進める道よ」

 

 叢雲が憤慨した。悪かったよマヌケな質問しちゃってさあ。それでも、なんとかインチキできんのか?

 

「何度も苦労して、さんざん痛い目にもあって、それでようやくこの道を見つけたのよ。ルートを外れるのは勧められないわね」

 

 海図には、何度も何度も描いては消しを繰り返した跡が残っていた。一度描いた赤点や点線にバツを入れているところも多い。海図の右下には、「第九版 編集責任者五月雨」と小さく書かれていた。

 

「新しい情報を得るたびに何度も描き足しをして、そのうちに見づらくなってきたら清書しなおすんです。今では、この島の近海ならかなり正確なルートが確定できてると思います」

 

 五月雨が胸を張った。ああ、俺たちもアフガンやアフリカでこういう地図作ったよなあ。道路網の地図に抜け道やらも書きこんで、敵の拠点や兵員の配置、物資集積所なんかも示した。そうやって作った地図を任務に役立てていたんだが、その基になった情報は、隊から現地に送り込んだ諜報班員たちが命がけでかき集めてくれたものだった。まさに、血で描いた地図に等しかったんだ。この子たちも、どれほど苦心してこの海図を作り上げてきたのだろうか?

 

「なあ、この大きな、赤鬼みたいなポイントはなんだ?」

「あちこちの海域に分布する群れのなかには、周辺の群れを統括しているらしい上位のグループがあるみたいなのです。そこを叩けば、一時的にでも周辺に存在する群れたちの活動を抑制することができるようです」

「そこがHQ、司令部ってことか。よくわからんな、こいつら、ただの野生動物じゃあないにしても、まるで軍隊のように統制された行動をとっているってことなのか?」

 

 電がうなずいて先を続けた。

 

「先ほどミラーさんにお見せした駆逐ロ級は、比較的海洋生物に近い姿形をしているほうでしたが、より上位の個体はもっと違う形をしているのです。駆逐級から巡洋艦・空母・戦艦級と、強力になるにつれてサイズも形状も四肢を備えた人間型に近づいていく傾向があるのですが、そういう個体が随伴を指揮するような行動をとっているのを見たのです」

「人間型か、ぞっとしない話だな。聞きたいんだが、その人間型した奴らって、まさかどこかの国の兵士だったりはしないだろうか?」

 

 俺の質問に、電は困った顔で腕を組んだ。

 

「どうなのでしょう……? そういう可能性について想像したことはなかったのです。あれは、形こそ人間に似てはいるのですが、あまりにも人間味に欠けているのです」

 

 その言葉に、俺はかつてアフガンでしてやられた、品種改良された寄生虫で体表を覆った改造兵士たちを思い出していた。でも、あいつらは見た目や能力こそ人間離れしてはいたものの、中身はたしかに人間だったんだよな。こいつらはどこから来たんだろう。

 

「そんならカズ様も一度会いに行ってみたらどうでげすかね、雰囲気はキモいけど結構美人でしたぞ?」

 

 漣が幇間みたいな口振りで話を混ぜっ返した。やだよ、俺は凡人だから海の上走ったりできないもの。漣、そんなこと言って俺にもセーラー服着せて動画撮る気でしょう? ホモ同人みたいに! ホモ同人みたいに!

 

「私の服は貸しませんからね!?」

 

 わかってるよ、だから修羅の貌すんのやめて吹雪。

 

 不意に、しばらく黙っていたストレンジラブが口を開いた。

 

「実を言うと以前な、私も吹雪に服を借りて海の上を走れないか試そうとしたことがある」

 

 おまえも着てたのかよ? まあ、ザ・ボスのアレよりはマシだろうと思うが、どちらにせよキッツイなぁ。いかがわしいお店みたいじゃないか。

 

「言っておくがいかがわしい意図はない。ただ、私も皆と同じように海を駆けてみたかった。波を飛び越え、風を切って進むのはどんな気分になるのか興味があった。私も海に出ることができれば、皆のフィールドワークの一助になるのではないかという期待もあった」

「それこそ下着以外は全部忠実に吹雪の装備で揃えたつもりだったが、私では艤装の起動すら不可能だった。無理に海に立とうとしてたら、そのまま沈んでたかもしれないな」

 

 なんでみんな私の服ばかり着たがるんですか、と吹雪が泣き言をこぼした。可哀想だが、五人のなかじゃ一応君が一番背が高いみたいだから仕方ないと思う。

 

「さっき見たとおり、ボスは吹雪艤装の起動に成功していた。適性や相性があったりするのか」

「それはあるかもしれません。私たちは、互いに装備の貸し借りくらいは問題なく行えます。服や艤装も、サイズさえ合えば起動自体は可能です。ただ、自分の艤装と同じように戦えるかと言われると……」

 

 ストレンジラブの疑問に五月雨が首をひねりながら答えた。あんた、私の艤装で走ってみて派手にすっ転んだわよね、と叢雲が意地悪く突っこみ、しっかりカメラに収めといたのに消されちゃいましたなぁー、と漣が残念そうに言った。うん、俺もそれ見たかったな。

 

「まあ、ボスが吹雪ちゃん艤装で戦えたのはボスがボスだからー、で納得するしかないですなぁ。あの人、あらゆる武器や戦術に通じてましたし」

 

 ボスの伝説がまた1ページ増えてしまったな、俺が元の時代に帰ったとしても絶対誰にも言えないけど。

 

「それにしても、まだ疑問が残る。これだけ広範囲の海域を占拠して軍事行動をとっていて、どこかの国の海軍に見つからないわけがない。たとえば米海軍なんかは、自国の領海以外にもほぼ世界中の海に展開してるんだぜ? 何をやってるんだ海軍は。いくら奴らが大砲や魚雷で武装していようとも、現代の海軍力にとても対抗できるとは思えないんだが」

 

 いきなり全員の顔が暗く沈んだ。

 

「カズ、たとえ米軍であろうとも、現代の海軍では奴らに対抗することはできないわ」

 

 悲しげにかぶりを振る叢雲の言葉のあとに、吹雪が語った体験談は衝撃的なものだった。

 

「博士がここに来てしばらく経った頃でしょうか、この島から北方の海域で、どこかの国の艦隊と奴らが衝突したらしいんです。夜間のことでしたが、水平線にいくつもの爆炎が上がるのを見ました。翌朝、戦闘があったあたりに偵察に行ったんですが、ボートや生存者は確認できず、辺りはもう油や漂流物が浮いているばかりでした。そのなかに、こんな旗があったんです」

 

 吹雪が棚から引っ張り出してきたのは、紅白縞の旗だった。きちんと洗濯はしたようだが、あちこちに油の染みや破れ、焼け焦げなんかも残っている。

 

 吹雪と叢雲の二人がかりで旗を広げて見せてくれたのだが、俺はその旗に見覚えがあった。

 

 旗は、紅白の横縞の地に、斜めに延びるガラガラ蛇の姿と、自由と権利を守る決意としての「DON'T TREAD ME」のモットーが記されていた。元をたどれば独立戦争にまで遡る、アメリカ海軍の国籍旗だ。そう教えてやったら、漣が首をかしげた。

 

「英語が書いてあったから、もしかしたらアメさんの艦じゃないかなーって予想はしてましたが…… アメリカ海軍の国籍旗といったら、青地に白い星をハチロク48個並べたやつじゃーないんです? あの、星条旗の四分の一の」

「漣は変なことを知ってるなぁ。だが、そりゃあずいぶん古い旗だ、俺が産まれた頃くらいのだな。あの星は、星条旗と一緒でアメリカの州が増えるのに合わせて数が変わるんだよ。今なら50個だ」

「まあ、ほとんどの期間では大筋で漣の言うとおりなんだが、この紅白縞の旗は期間限定で使われてるんだ。合衆国建国200年を記念して‘70年代にも一年ほど使われたし、俺がいた2005年現在でも、2002年から継続して使われてたっけな」

 

 まあそれはどうでもいいことか。問題は、奴らはアメリカ海軍の艦艇を襲って沈められるくらいの戦力を持っているってことだ。吹雪の話では、その後も数度艦艇が派遣されてきたようだが、それ以降はもう軍艦を見かけることはなくなったそうだ。すべて沈められたのか、あるいは逃げ帰ることができた艦がいたのか…… どちらにせよ、一筋縄でいける相手じゃないと理解して手を引いたのだろう、まさか精強なアメリカ海軍を退けるとはな。

 

「おそらく、あいつらには普通の人類の兵器は通用しないのです。ボスがここに来られたとき、変に短い機関銃をお持ちだったのですが、あいつらにはまったく通じなかったと仰ったのです」

「奴らに通用したと確認できているのは、今のところ私たちの持つ武装だけです。こうしている今でも、世界中の海で軍艦や民間船舶が襲われているのかもしれません。海に囲まれている日本にとっては、それは致命的な痛手になるでしょう?」

 

 電と吹雪は真剣な面持ちだった。なるほど、この技術を日本に持ち帰り、世界に広めようというのか。

 

 しかし、そんな謎の技術で作られた兵器が、なんでこんな島にあるんだ? ここの子供たちはなんでここがどこかもわからないままにこの島で暮らしている?

 

「さっき、君たちはここで生まれ育ったと言ってたな。後から来たボスやストレンジラブはともかくとしても、この島には君たちのほかにはどんな人がいたんだ?」

 

 五人の少女が扱う艤装や武器は、誰かがこの島に持ちこんだのか、あるいはここで造られたのか。彼女たち自身ではないだろう、ほかにどれだけの人間がいたのか。

 

「そうだ、ボスの前になおみ先生という人がいたんだったよな、もしかして、その人が君たちの装備の開発者か?」

 

 漣が持つスマホの元々の持ち主だった人物だ。俺より九年後の未来からここに来たのだと聞いたが、このスマホのように、俺が知らない未来からの技術を持ちこんだものなのか?

 

「なおみ先生はお医者様よ。機械にはそれなりに詳しい人だったけど、そういう武器を作ったりできる人じゃなかったわ」

「でも、先生がいてくれたからこそ、私たちは奴らと戦うことができたんです。なおみ先生がいてくれなかったら、私たちはもう生きてはいられなかったかもしれません」

 

 俺と、ストレンジラブもおそらくはその先生のことを知らない。子供たちは目を閉じて、なおみ先生との思い出を回想しているようだった。




 自分が書いてるのがメタルギア小説なのか艦これ小説なのかよくわからなくなってきてますが、今回はようやく艦これらしき話に近づいてきました。お、おかしいぞ? 当初の予定じゃカズをダシにして艦これSSを描くつもりだったのに、いつまでたってもメタルギアから離れられない。

 第七話まで進めてきてるにもかかわらず、まだ本文中では一回たりとも艦娘とか深海棲艦とかって言葉が出てないんですよ、どういうことなんやろなぁ?(すっとぼけ)


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第八話 ジョイ・ディヴィジョン

グラサン提督、第八話をお届けします。


「ところで、そのなおみ先生って人はどうなったんだ、いったいどこから来たどういう人物なんだ?」

「女医と聞きつけるやいなや即食いつく、さすがはカズ様ですぞ」

「なおみ先生って、とても素敵な方だったんですよ。産まれたばかりの私たちをずっとお世話してくれて、お料理もお掃除もお洗濯も、人間らしい生活のしかたは最初にまず先生が教えてくださったんです」

「パンツのはきかたまで教わりましたからなぁ~、漣たちにとってはお母さんみたいな人でした」

 

 五月雨と漣が懐かしそうにつぶやいた。なおみ先生、彼女がこの子たちの保護者だったのか。さっき電は自分たちがここで産まれたと言った。どういう事情があったのかわからないが、少女たちはこの島で産まれたか、あるいは小さい頃にここに連れてこられるかして、その先生に養育されたわけだ。

 

 これがなおみ先生ですぞ、と漣は写真を見せてくれた。場所は医務室だろうか、黒髪と褐色がかった肌、歳は四十前くらいだろうか、鼻筋の通った美人が漣と肩を組んでの自撮りだった。女性は朗らかな笑顔で、漣は照れくさそうに笑っていた。

 

 なんだか記憶に引っかかるものがあった。自慢じゃないが、たとえ街ですれ違っただけだったとしても、俺は一度見た美人は絶対忘れない。どこかで会ったか、いや、そうだ、この歳じゃなくて、もっと若い頃の顔を見た憶えがあるんだ……

 

「ナオミ・ハンターだ」

「半田なおみさんですよ?」

「それは君らの思い違いだ。彼女はナオミ・ハンター、れっきとしたアメリカ人だ」

「彼女のことを知ってるの!?」

「そう言われると、初めてお会いしたときにたしかにナオミ・ハンターと名乗られた気がするのです。てっきり半田なおみさんが英語風に名乗られたものかと思っていたのですが」

「なおみ先生、日本の人じゃなかったんですね」

「俺自身は彼女と直接の面識はないんだが、彼女の義兄が俺の米軍時代に同じ部隊にいた。最優秀の隊員、フォックスの称号を持っていたよ」

 

 グレイ・フォックス、通名はフランク・イェーガー。彼がローデシアでの任務中に戦災孤児を保護し、引き取って育てたのが彼女、ナオミ・ハンターだ。義兄とは姓が違うのは、アメリカ国籍がない彼女のために、行方不明者の戸籍をひそかにあてがったからだ。

 

 もっと若い頃のものだが、フランクが持っていた写真を見せてもらったことがあったんだった。医者を目指して大学に進むんだと彼は言っていたが、何がどうなって彼女はこんなところまで来ていたのか。

 

「ナオミ先生、今はもうここからいなくなってしまったんです。ボスさんがここに来られたのと入れ替わるように、突然……」

 

 目に涙を浮かべながら、五月雨がその頃のことを語り出した。

 

「私たち、はじめはナオミ先生と六人で暮らしてたんです。平和で、豊かではないけどとても幸せな暮らしでした。でも、ある頃から件の怖い生き物が島の近くに現れるようになって」

 

 さっき説明してもらった、駆逐ロ級などをはじめとする生物兵器群か。

 

「武器も、艤装もここにはありましたけど、私たちはそれをうまく使いこなすことができないままでした。海に出るなんてとてもできなくて、砂浜や浅瀬で水際作戦を図るのが精一杯で…… ナオミ先生が私たちの手当をしてくれましたが、それでも私たちは少しずつ負傷を溜めて追いつめられていました」

 

 ここで吹雪が口を挟んだ。

 

「そんなある日のことです。とうとう私がドジを踏んで、普通ならとても助からないくらいの重傷を負ってしまったんです。先生は、ご自分が発明したっていうナノマシン? っていう、先生がおっしゃるには目に見えないくらいごくごく小さな機械の群れを私に注射しました。数日は寝こんでしまったんですが、このナノマシン? は生命を維持しながら急激に負傷を修復する機能を持っていて、私はなんとか生き延びて、傷痕ひとつ残らずに回復できました」

 

 吹雪は自ら上着をまくり上げ、脇腹を指さして見せた。なるほど、傷一つないナイス脇腹だ。やめなさい、と叢雲がたしなめた。

 

 

 吹雪が目覚めたとき、ナオミは吹雪を抱きしめて泣いて詫びたんだそうだ。ごめんなさい、命を助けるためとはいえ、あなたをこんな化け物のような身体にしてしまった、と。また、どうして私は同じ罪を繰り返すしかないの、とも嘆いたという。その罪とはなんのことなのかは吹雪にはわからなかったが、それでも大好きな先生が苦しんでいるのが辛くて、吹雪も泣いた。そんなことありません、今日私が助かったのは先生のおかげなんです。助けてくれてありがとう、だから泣かないで先生。と吹雪は言った。生きてくれてありがとう、許してくれてありがとう。とナオミも泣いた。二人して泣いてるところに騒ぎを聞きつけた皆が入ってきて、みんなで一緒に泣いた。

 

 ひとしきり泣いたあと、叢雲たちは自分たちにもナノマシンの注射を願い出た。自分たちの暮らしを守るために戦わなくてはいけない、その力を私たちにも与えてほしいと言った。ナオミは覚悟を決めて、ナノマシンを全員に与えたのだという。

 

 

『このナノマシンは、あなたたちがたとえ致命傷を負ったとしても、急激に治癒力を高めて瞬時に傷を治すことができるわ。ただし、大きすぎる負傷を受けた場合、今回の吹雪のように数日は昏睡してしまうこともある。また、修復に使われた分のナノマシンは消費されてしまうから、大量に使ったら補充をしなければいけないの。貴重な薬剤だから、無駄使いは禁物よ』

『このナノマシンは劇薬だわ。あまりにもこれに頼りすぎると、いつかは人体の自然な治癒能力を破壊して、これなくしては生きられなくなる。そして、徐々に崩壊していく肉体に苦しみながら、マシンの力でいつまでも生かされ続けることになってしまうのよ。私はかつて、自らの手でそうさせた男を助けることができなかったの。あなたたちは、どうか自分を大事にしてちょうだいね』

 

 

 そう結んで、ナオミは子供たちを戒めた。それ以来、敵の侵攻を追い返すのはずいぶん楽になり、施設が損傷を受けたりすることも減った。そのため艤装の訓練に時間を割く余裕も増えて、少しずつ彼女らは遠くへ出られるようになってきたのだそうだ。

 

 

「まあ、すぐ傷が治るからなんて舐めプしてたのがバレて先生にすっごく叱られてた、そんな時期が叢雲ちゃんにもありました」

「みんなの前でお尻ペンペンだったのです」

「そんな話を今更蒸し返さないでよ、反省したってば」

 

 

 吹雪の話の続きだが、その頃の五人の中でも上達が早かったほう、吹雪と漣が二人でなら島が遠くに見えるあたりを、ナオミに教わった歌でも歌いながら転ばずにぐるりと一周して帰ってこれるようになった頃、二人は島の近くになにかが漂っているのを見つけた。それは後にストレンジラブが入っていたものと同じ形で、その時浮いたポッドの上に座っていたのがザ・ボスとの出会いだったそうだ。

 

 二人は産まれて初めて出会うナオミ以外の人間に驚いたのだが、ボスのほうも、歌いながら海の上を走る二人を見て、初めはひどく驚いたそうだ。伝説に聞くセイレーンに出くわしたかと思ったと言われたとか。ポッドにはすでに水が入って沈みはじめていたので、二人はポッドを曳航することは諦め、ボスを抱えて島まで連れ帰った。

 

 泊地に帰ると大騒ぎになっていた。残っていた三人が言うには、少し目を離していた間にナオミの姿がどこにも見当たらなくなったとのことだった。施設内を残らず探して、どこかで海に落ちたり波にさらわれたりした可能性も考え、島内と周囲の海域もできる限り探し続けたが、ナオミの痕跡はここ、ロビーのテーブルに置かれたまだ暖かいコーヒーと、いつも持っていたというスマートフォン、床に落ちた読みかけの本だけだった。やがて陽が落ちてそれ以上の捜索が難しくなった頃、ナオミ先生は立派に務めを果たされたので元の世界に帰ったのです、と妖精さんが言ったのだという。

 

 

「ちょっと待ってくれ、今なんと言った」

 

 つい口を挟んでしまった。

 

「ですから、先生はお務めを果たされたので元の世界に帰ったと」

「いや、その次」

「妖精さんが、私たちにそう教えてくれたんです」

「妖精さんだぁ~?」

 

 吹雪と俺の額に手を当てて熱を計ってみる。うん、平熱だ。でも今時中学生にもなって妖精さんを信じてるだなんて、ピュアだとかそういう次元の話じゃない。UMAの存在を信じてるのなんて、イギリス出身の某変態紳士だけで充分だ。

 

「カズヒラさん、妖精さんを見たことないんですか?」

 

 五月雨がいかにも不思議そうに首を傾げた。やめてくれ五月雨、君の可愛さは俺に効く。

 

「妖精さんならこの島のあちこちにいるわよ? 施設内のいろんなところや、私たちの艤装のなかにもいるわ」

 

 叢雲、君は常識人だったと信じていたのに!

 

「妖精さんは兵器や機械の扱い方に通じていて、ずっと前から電たちを助けてくれているのです。妖精さんなくして、この島での生活は成り立たないのです」

 

 電ちゃん…… 酸素欠乏症にかかって……

 

「えーっと、カズ様? あれっ、今まで誰も妖精さんの話をしたことありませんでしたっけか?」

 

 漣、おまえもか! どうしよう、みんな人間社会から孤立した生活が長すぎてストレンジマインドしちまったんでは!? 助けを求めてストレンジラブを見たら、狼狽する俺の手元に不意に何かを放ってきた。投げつけるのではなく軽いトスだったので、反射的に受け止めてしまった。掌のなかには身長数センチの小人がいて、好奇心に輝く眼で俺を見上げていた。

 

「おおぉ、ラブリー……」

 

 思わず口に出してしまった。いつの間にか訪れた見知らぬ島で出会い、しばらく歓談していた相手が実は全員狂人だったのではと怖ろしい疑念を抱いてしまったストレスが、この小さな生き物の可愛らしさにたちどころに癒されていくのを感じた。

 

「可愛い、お持ち帰りしたい……」

 

 また口走ってしまった。妖精さんは俺の掌から飛び降りて、テーブルを横切り走り抜けてまたストレンジラブの膝に飛び移り、俺の方を指差してなにかを伝えているようだった。

 

「カズ、落とすなよ」

 

 ストレンジラブがまた妖精さんを放った。妖精さんは放物線を描いて俺の掌に再び収まり、またすぐストレンジラブの膝に駈け戻った。

 

「カズ、妖精さん……」

 

 また軽くパスして俺の掌に着地。

 

(おおお~~~~~~~~~~~)

 

 人目もはばからず大声を上げたいくらいに、無上の歓喜が身を震わせた。この可愛い妖精さんは、俺とストレンジラブをアスレチックにして遊んでくれているのだ。俺ももう狂人でいいや。

 

 何度か繰り返す頃には、あちこちからほかの妖精さんたちが次々集まってきて、いつの間にかテーブルの上に順番待ちの行列ができていた。これだけでも全部で数十人は並んでいるだろう、なんだここが天国か。最後尾の子はプラカードを持っていて、『イケメンの胸に飛びこめ! カズジャンプ最後尾はこちら』と書かれている。テーマパークにされたみたいだぜ、テンション上がるなぁ~~。

 

「カズ、かつて私がみんなに聞いた話ではな?」

 

 妖精さんたちを次々投げながらストレンジラブが言った。

 

「なんだ?」

 

 妖精さんを次々ややふんわりと受け止めながら俺が答えた。

 

「初めて妖精さんを見た人間というのは、皆揃って貴様のような反応をするんだそうだ。妖精さんを一目で気に入って、彼女らのお願いはいくらでも聞いてやりたくなる。貴様だけでなく私もそうだったし、聞けばナオミ女史もボスですらもそうだったと聞いた」

 

 妖精さんにメロメロのザ・ボスか。普段だったら具体的に想像することすら思いも寄らなかっただろうが、不思議とこの時はすんなり想像できた。普段は厳格なのに、孫に会ったら甘々なおばあちゃんだ。

 

「人間との円滑なコミュニケーションを図るため、妖精さんが自分に好意を抱かせるような何か、それがフェロモンか催眠術か、それとも魔法かはわからないが、我々の思考と感情になんらかのバイアスをかけていると私は考えている」

 

 魔法って、科学者としてそれでいいのかストレンジラブ。まあ、こいつも妖精やらなにやらの伝承が豊富なイギリスの生まれだから、たとえ科学者の身であったとしても、妖精や魔法なんてオカルトにもアレルギーを起こさないんだろうな。俺だって妖怪や化け物の伝承が豊富な日本の生まれだ、妖精さんなんて可愛いものウェルカムに決まっているだろう。だからもっと遊ぼう。

 

「まあ、これは私個人の体験と皆からの伝聞に基づく感想に過ぎんのだが、そのバイアスも人格にまで影響を及ぼすほど強いものではないようだから、あまり気にするな。最初は強い反応がでるかもしれないが、そのうち慣れる」

 

 なお、この会話中もずっと俺たちは妖精さんを投げ続けていた。ほとんど二人お手玉だ。

 

「というかだな、慣れないと大変だぞ。妖精さんたちは、仕事の次には遊ぶことと甘いお菓子を優先させる習性を持っているようだ。貴様が自重しなければ、体力の続く限りまで延々と遊びにつきあわされることになる。心しておけ」

 

 なおも続きをせがむ妖精さんたちにストレンジラブは指でバッテンを示し、今日はここまでだと告げて大儀そうに右腕を揉んだ。

 

「さて、だいたいの種類が集まったようだな。カズ、これが妖精さんだ。どこからともなくわいて出て、子供たちの艤装や装備品に乗り組み、その制御を補助している。Gremlin in the machine だな」

 

 ストレンジラブが言ったグレムリンというのは、起源には諸説あるが、第一次世界大戦の頃の英国空軍で兵士たちの間でささやかれるようになって、やがて世界に広まった噂だ。きちんと整備をしているはずなのに、機械やコンピューターが原因不明の動作不良を起こし、いくら調べても原因がわからない。これはグレムリンという妖精が機械に悪さをしているからだ、と解釈して、今でもグレムリン効果と呼ばれている。

 

 別の説では、元々グレムリンは人間の発明にインスピレーションを与えたり、職人の手助けをしてくれる親切な妖精だったのだが、人間が感謝の心を忘れて妖精をないがしろにしたために、人間を嫌って機械に悪戯をするようになったのだとも言われている。どちらにせよ、人類が機械を操るようになった近現代から語られ始めた、新しい民話の一つだ。

 

「忠告しておく。カズ、妖精さんには敬意を払え。忘れるなよ」

 

 ストレンジラブがやおら立ち上がると、バラバラにたむろしていた妖精さんの群れが、なんの指図もなしにテーブル上に整列した。ストレンジラブが気をつけの姿勢を取ると、妖精たちはきれいに揃った敬礼をした。

 

 ストレンジラブは右手を左胸に当てて答礼を返すと、回れ右、と号令をかけた。妖精さんたちがこれまたきれいに揃ってこっちを向き、じっと俺を見ていた。今しがたストレンジラブが言った言葉を思い出す。敬意を払え、俺も立ち上がって姿勢を正した。

 

「ただ今をもって、当泊地の指揮権をカズヒラ・ミラーに移譲する。司令官に、敬礼!」

「ちょっと待て」

 

 掌でストレンジラブを押しとどめる。妖精さんたちは敬礼をしかけた姿勢のままで固まったり、周囲をキョロキョロ見回したり、目を白黒させて俺を見たりしている。子供たちも、今更なにを言うんだという顔をしている。ストレンジラブが片眉を吊り上げた。

 

「カズ、貴様この期に及んでなにを……!」

「ストレンジラブ、やはりあんたに軍隊は似合わんな」

 

 ストレンジラブが豆鉄砲を食った鳩の顔をした。

 

「軍人でもない者が軍隊の真似事をするんじゃない」

 

 ストレンジラブがたじろいだ。ちょっと語調が強くなってしまったのが自分でもわかった。話の腰を折って本当にすまないなストレンジラブ、俺としてはここは譲るわけにはいかない一線なんだよ。




 艦娘ごとに風呂だったりメシだったりして実態のわかりにくいゲーム上の入渠システム。

ぽいぬ「ごっはんー♪ ごっはんー♪」(ナノマシン注射プシュー)

 実情はこんなディストピア鎮守府だったりする可能性が微レ存。

 カズ、まさかの提督着任拒否。看板に偽りありになってしまいそうな物語の続きは、また今度の金曜日に。


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第九話 最初の昼餐

 ふぁ~ぁ、よく寝たぁ。
 昨夜は帰宅が遅く、更新できずにそのまま寝てしまいました。
 またも金曜更新できなかったわけですが、土曜朝一に更新しますので許してください! カズがなんでもしますから!

 それでは、第九話をお届けします。


「ストレンジラブ、俺はな、これまでほとんど生涯を戦争に関わって生きてきた」

 

 子供たちも妖精さんたちも黙って俺の話に耳を傾けていた。

 

「初めは自衛隊、次は傭兵、あちこちで教官をやりながら、最後は米軍だ」

「軍人という者は、軍隊という組織はな、結局のところ議会の承認と政府の指揮監督の下に活動するのがあるべき姿だと身に染みたよ」

「武力を備えた集団が恣意的な活動を始めたら、それは戦前の日本と何も変わらなくなってしまう。俺は、日本でもアメリカでも、国に忠をつくして勤めてきたつもりだ」

 

 子供たちがうつむいた。すまんな、自分じゃなくても人が説教されてるの見るのってストレスだよな。だけどもう少しだけ勘弁な?

 

「だが俺はもう正規軍人は引退したからな、俺に残ってる肩書きがあるとしたら、それはもうMSFマザーベース副司令だけしかないさ」

「MSFなんてもうどこにもないだろう!?」

「そんなことはない、ここに俺がいる。MSFの解散を宣言した憶えはない、たとえ世界で俺一人だけであろうとも、俺がMSFだ」

 

 辺りがシンと静まり返って、波の音だけが残った。ストレンジラブは狂信者を見る目を俺に向けていた。俺が、俺だけが! MSFだ!! 自分で言ったのになんかちょっとさみしい。

 

「俺は傭兵だ。報酬目当てに雇われて、依頼を果たすために力を尽くすのが本分だ。俺はえげつないこともずいぶんやってきたけどな、傭兵ってのは軍人じゃないが無法者であってもならない。どさくさ紛れに依頼人の母屋を乗っ取ろうなんて、俺の商道徳が許さないんだよ」

「子供たちは今まであんたの知識を頼りにしてきただろう、高く買われて満更じゃなかっただろう? だがな、居候なら分をわきまえろ」

「子供たちも、妖精さんたちも皆自由だ、行きたいところに行っていい。指揮権移譲なんてとんでもないぜ、もともとあんたにこの子らの指揮権なんてなかったんだよ」

 

 ストレンジラブの顔が悔しげに歪んだ。

 

「彼女らは軍人じゃない、ここは軍隊じゃない。おまえたちは、どこの国の承認も、指揮監督も受けていない。誰にも認められていないままにこの島を占拠する武装勢力だ」

「でも、私たちは日本の、世界のために!」

「黙ってあいつらを見過ごすことなどできないのです!」

 

 ただの武装勢力と決めつけられたのが心外だったか、叢雲と電が反駁した。

 

「そうだよな、君たちの志はとても正しい。正しいと感じたから、俺だって君たちの力になろうって思ったんだ。君たち、ザ・ボスがここを去るときに言われたんだろう? 平和のため行かせてくれって」

「そうです、私たちだって、いつかはボスのようになりたいです」

「正しいが、正しさにあぐらをかいていてはいけないな」

 

 吹雪がわからないという顔をした。うーん、こんな子供たちまで感化させてしまったか。ザ・ボスもスネークも、考えようによっちゃ罪な人だよな。凡人が変に英雄とお近づきになると、自分だってそうなれるって自惚れてしまう。俺が戦友を失ったのだって、結局は俺自身の慢心が招いた破滅だ。俺は、チコのことを思い出していた。

 

「ストレンジラブ、チコのことを憶えているか」

「もちろんだ、忘れるわけがない」

「チコとパスの最期については?」

「……あの、骸骨野郎に聞いた。アフガンでな」

 

 ストレンジラブの銀髪が逆立った気がした。そうだ、俺だって思い出すたびに腸が煮えくり返る。

 

「チコってのは、俺たちがコスタリカにいた頃の仲間だ。ニカラグア人の当時12歳の少年で、姉アマンダの率いる革命組織で戦っていた少年兵だった」

 

 この子たちにも伝えなければならない、あの純粋だった少年が、なにを求め、なんのために戦い、なぜ挫折してあまりにも早すぎる死を迎えたのかを。

 

「子供に銃を取らせたことは責められん。彼らが立ち向かったソモサ独裁政権は、反逆者は女子供だろうと容赦なく虐殺した非道だ。生きたければ戦い抜くしかなかった」

「チコという言葉は、小さい、っていう意味のあだ名だ。ソモサからの追捕の手を避けながら仲間たちと山中を、隣国コスタリカまで逃げ回る生活を送っていた。食うに困って年相応よりも小さかったっけな」

 

 電が悲しそうな顔をした。君はまだまだこれからだ、牛乳飲め牛乳。

 

「チコはいつも焦っていたよ。戦死した父のようには仲間をまとめられずに悩むアマンダを支えられるように、一日でも早く大人になりたがっていた」

「ある時、俺たちの仲間だったパスって女の子が敵の捕虜になった。チコはその子のことが好きだったんだ。チコは、たった一人で彼女を助けに行った」

 

 ありのままの事実を子供たちに聞かせるには酷な話だから少々脚色を入れたのだが、ちらとストレンジラブを窺うと、わかっているという顔で小さく肯いた。

 

「しかし、そう上手くは行かなかった。チコは捕まり、拷問を受けて俺たちの居場所を吐いた。二人を餌に俺たちはおびき出され、手薄になったマザーベースは敵の襲撃を受けて海に沈んだ。パスとチコは救出されたが、パスは敵の手で人間爆弾にされていた」

 

 皆が息をのんだ。五月雨が口を押さえて一歩よろめき、ストレンジラブのサングラスの下から涙が頬を伝った。

 

「腹の中から臓器をいくつか抜かれて、空けたところに爆弾を押しこみやがったんだ。爆発で俺たちの乗っていたヘリも墜落し、結局パスもチコも助からなかった。俺も、その時片手片足をなくしたよ。これが、俺たちMSF壊滅の顛末だ」

 

 報復を果たしたあと機械で補った身体も、なんでか今は生身に戻ってるけどな。でもさ、たとえ手足が戻ったって、この胸の痛みは消えないよ。

 

 五月雨が顔色を青ざめさせて震えていた。ごめん、君らに聞かすにはちょっとエグすぎる話だったな。電が肩を貸して、ソファで休ませてあげていた。他の子たちも動揺しているようだった。

 

「話を戻そうか。君たちがどんなに正しい志を持っていたとしても、それを行うには踏むべき手順と通すべき筋がある。それを忘れてしまっては、正しさはただの暴挙に成り下がる」

「今君たちが世界のために戦おうとしてなにができる? あてもないのにここを出て闇雲に戦ったって、死体が五つ海に沈むだけだ。君たちをチコのようにはさせられん」

 

 叢雲はなにか反論したそうな様子だったが、言葉が浮かばないようだった。

 

「焦るんじゃない、君たちはちゃんと答を見つけてるじゃないか。君たちはさっき俺になんと言った? ここで起きてることを日本に、世界に伝える。そのために日本へ向かう、奴らに立ち向かうには世界が力を合わせるべきだ、って言ったじゃないか。それでいいんだよ、今君たちが全部を背負う必要はない」

「ザ・ボスだって最初からボスだったわけじゃないんだ。何度も失敗して、それでも歯を食いしばって生き残り、決してあきらめずに戦い続けて伝説の英雄と呼ばれるようになったんだ。一足飛びに英雄にはなれん、チコにはそれがわかっていなかった。君たちもまず、自分たちが生き残ることを第一に考えろ。ボスが君たちにCQCを伝えたのだって、きっとそのためだと思うぜ、俺はな」

「軍隊の司令官というのはな、たとえ兵に犠牲を出そうとも、部隊の任務を達成することが務めだ。任務のために、生きては帰れないとわかっていても兵を死地に送る命令を出さねばならん。俺はそんなのはもう御免だ」

「君たちはな、一人として欠けずに生きて日本へ行く。俺の仕事はそれを手伝うことだ、それなら引き受けてもいい」

 

 柄にもなく長々と喋ってしまったな、喉が渇いた。俺はどっかりとソファーに腰掛け、茶碗に水を注ごうとしたが、もう水差し空でやんの。

 

 しらけた沈黙が辺りに広がる。子供たちは元の席に戻り、整列していた妖精さんたちはてんでばらばらに座りこんでいて、ストレンジラブは大きく溜め息を吐いた。

 

「……カズ、貴様にここまでやりこめられるとはなぁ」

「だってさぁ、この子たちこのままじゃ、自分たちが死んでも誰か一人だけでも日本にたどり着ければいい、って言い出しかねないじゃないか。俺そんなんイヤだぞ」

 

 ぐぅ、と電が唸った。ほれ見ろ、そんなんじゃダメよ? 

 

「私たちは軍人じゃない、か。言われてみればその通りだね」

「ボスさんに鍛えていただいて、ナオミ先生や博士にも助けていただいて、ちょっと気が大きくなってたんですね」

「あー、日本は遠いっすねぇ~」

「でも、一歩ずつ進むしかないわ」

 

 子供たちが口々にぼやく。ぐぅ、とまた電が唸った。皆が視線を向けると、電は赤面して小さくなっていた。

 

「そういえば、そろそろ昼時だな。今日の昼飯当番は誰だったかな」

「私と吹雪よ。吹雪、ちょっと遅くなっちゃったけど準備始めましょ」

 

 二度目のぐぅは腹の虫だったか。叢雲と吹雪が席を立って台所へ向かった。

 

「あ、そうそう」

 

 ふと叢雲が立ち止まり、俺の方へ振り返った。

 

「カズ、ガジョピント食べられる?」

「ありがとう、俺は好き嫌いはないぞ。ガジョピントならカリブ海にいた頃はよく食ったよ。好物だ」

「そう、だったら期待して待ってなさい。私のガジョピントはなかなかのものよ?」

 

 叢雲はニヤリと笑うと去っていった。

 

「叢雲ちゃんのガジョピントは絶品、マジオヌヌメ」

 

 漣が大げさによだれを拭うフリをした。ほほう、そいつは期待できそうじゃないか。

 

「私も教えてもらったけど、どうしてもあの味が出せないんです」

「それは五月雨ちゃんがどこかで調味料を間違えるからなのです」

 

 アハハハ、と皆が笑った。こうしてると本当にただの女の子みたいなんだよなぁ、とても世界のために戦おうとしているようには見えない。

 

 しばらく話をしている間に昼飯の準備ができたらしく、叢雲たちがカートを押して戻ってきた。ガジョピントは中米で食べられる煮豆を使った炊きこみご飯だ、豆から煮てたら時間かかるから、あらかじめ下ごしらえはすませてあったんだろうな。

 

「はいカズさん、男の人だからこれくらいは食べますよね?」

「急なお客さんだけど、多めに仕込んでおいてよかったわ」

 

 吹雪が配ってくれた皿にはガジョピントが大盛りにされていて、両面焼きの目玉焼きも乗せられていた。突然お邪魔しちゃって申し訳ないんだが、実に美味そうだ。

 

「では、手を合わせてください」

「「「いただきます」」」

 

 うん、こういうの本当にひさしぶりだ。合掌していただきますなんて、母と暮らしていた頃以来四十年ぶりじゃないだろうか。アメリカ人だって食事前にお祈りくらいするかもしれないが、あいにくと父も俺も至って無信心だったよ。男二人、たいして会話もない重っ苦しい食卓だった憶えがあるな。でもそうだな、夏になるとたまに庭に出てバーベキューをやるときだけは、父も楽しそうだったっけか。

 

 それにしてもこの叢雲のガジョピント美味いなぁ、自信満々にすすめただけあってたいしたものだ。昔、MSFでパスが作ってくれたのはどんな味だったっけな、俺主観だともう三十年前のことだが、あの時のガジョピントもこんな味だったような気がする。

 

 さっきの話じゃここの子たちには詳細を明かさなかったが、パス、あいつは本当はサイファーのスパイだった。平和を愛するコスタリカの女子高生なんて名乗って、本当は女子高生じゃないし十代ですらなかった。カラクリを知っていた俺は、上手く化けたものだと吹き出しそうになるのをしばしば我慢していたもんだったさ。

 

 裏切ったパスを退けたあと、あいつの私室からは自分でテープに吹きこんだ日記が見つかった。マザーベースで暮らすうちにスネークやMSFの皆にほだされそうな自分と、サイファーを裏切れない恐怖との間で葛藤していた心情が記録されていたが、彼女はMSF内部にいる自分以外のサイファーへの内通者を警戒していた。それは他ならぬこの俺だったのだが、パスにそれが知らされているわけもなかった。

 

 パスの正体がバレたきっかけは、あいつが俺たちの保有した核抑止力、メタルギアZEKEを壊そうとしていたところをチコに目撃されたからだった。あいつはチコを密かに消してもよかったのに、それができなかった。チコは結局口を閉ざしたが、今にも誰かが感づくかと思うと引っこみがつかなくなった。だから、充分な準備ができないままにメタルギアZEKEを奪取して俺たちに挑まざるをえないところまで追いこまれてしまった……

 

 俺たちがZEKEを退けたあと、急造のコクピットから転落したパスは行方不明になった。だが、漁船に拾われて助かったあと、キューバ領内にアメリカが持っていたブラックサイトに拉致されて、サイファーの尋問を受けていたんだ。その後のことは、大筋でさっき子供たちに語ったこととそう違わない。

 

 俺がパスをマザーベースに招いたのは、パスをスネークに近づけたかったサイファーの思惑に従ったことが第一だったが、俺にとってはパスに手の届かないところで諜報を続けられるよりは、手元に置いて監視できるほうが好都合だったからでもあった。だけど、俺にはもう一つの狙いがあった。俺がコロンビアでスネークに出会って変われたように、あいつもスネークやMSFの皆と過ごすことで変われるんじゃないかと思った。パスが本当に俺たちの仲間になってくれたのなら、それはサイファー、ゼロとの戦いに大きなアドバンテージを得られることになると期待したんだ。

 

「だが、甘かったかな」

「あら、そうだった?」

 

 声の近さに驚いて視線を上げると、俺の顔をのぞき込んでいた叢雲と目が合った。いかんな、叢雲が味の感想を訊いてたのに、また俺はつい回想に浸ってしまっていたようだ。

 

「私のガジョピントは口に合わなかったかしら……?」

 

 少し不機嫌そうに眉が吊り上がりかけていた。カズちんピンチだ、いきなり好感度下げたりしたら、この先ここでの暮らしが針のムシロになってしまう。

 

「い、いや、そんなことはないぞ。君のガジョピントは美味い、自慢するだけのことはある」

 

 とっさの返事はあからさまに取り繕うようになってしまい、叢雲は疑いの目で俺を見ていた。

 

「昔カリブ海で食った、パスの作ったガジョピントを思い出していたんだ。あれはもうちょっと甘口だったかな、とな」

「そうかな、パスのガジョピントもこんな味だったような憶えがあるぞ? あれは美味かったよなあ…… あの時は、たしかMSFの女性隊員たちがほぼ総出で作ったんだっけな。セシールやアマンダも一緒だったか」

 

 ストレンジラブが昔を懐かしんでいた。ありがたい、うまく話題をそらしてくれ……!

 

「そうだったな。パスは言ってたよ、子供の頃に食べた母親のガジョピントの味がどうしても出せないってさ。ところでストレンジラブ、あの時あんたは参加しなかったのか?」

「セシールに止められたよ。彼女は私の料理を知ってたからな」

「博士、紅茶は上手なのにメシマズなんですぞ……」

「ここでは博士の食事当番は永久免除なのです」

 

 漣と電が口を尖らせた。おそらく、ストレンジラブに料理当番をやらせてみてとんでもないものを食わされたのだろう。アフガンでのストレンジラブとエメリッヒ、そして息子ハル君。スカルフェイスに囲われてのわずかな間だったとはいえ、親子三人の暮らしだ。それがどのように過ごされていたかはわからないが、たぶん飯には苦労したのだろうなぁ。それでもエメリッヒは幸せだったとか言ってはいたが。

 

「ねえカズ? さっきあなた、娘さんと二人暮らしって言ってたわよね」

 

 叢雲の声には不機嫌さを感じられず、俺は内心ホッとしたのだが、そのかわりなにか企んでいるような予感がした。

 

「ご飯はどうしてたの?」

「うちの飯か。それは俺と娘、キャサリーっていうんだが、二人で当番を決めてやっている。ただ娘は学業も大事だからな、まあ七・三で俺のほうが当番が多いよ」

「ふうん…… じゃあ、今度私たちにもご馳走しなさいよね、絶対よ? 私たち以外のご飯なんてひさしぶりだから、楽しみだわ」

「いいだろう、そのうちにな。期待して待っててくれ」

 

 叢雲たちに飯を振る舞う約束をさせられてしまったが、俺だって子供の頃から病気がちのお袋に代わって台所に立ってたんだ。アメリカじゃ親父にも飯を作ってたし、MSFでも糧食班でA評価を受けていたんだぞ。三ツ星コックとは言わないが、そこいらのおっさんとは一味違うことをわからせてやろうじゃないか?

 

 キャサリー、俺はなんの因果かここに来て、最初の仕事が飯炊きになっちまったが、おまえはいったいどうなったのだろう。さっき、ナオミ女史は役目を果たして元の世界に帰ったと聞かされたが、ストレンジラブや俺もいずれは帰れるのだろうか。だが、そこにキャサリーがいないのでは、俺にとってはなんの価値もない。

 

『しんぱいごむようです、かずさん』

 

 テーブルから小さな声がして、ふと見るとさっき最初に見せられた妖精さんが、俺の皿から取ったガジョピントの黒豆をポリポリ齧っていた。

 

「ちょっとあんたたち、人の皿に手をつけるなんてお行儀悪いわよ!?」

 

 妖精さんの分はテーブルの一際大きな皿に盛られていたのだが、数十人が群がってあっという間になくなり、食べ足りない子は周囲の誰かにおねだりをしていた。あっ、こら。黒豆ばかり選んで取っていくんじゃない。俺の分も残しといてくれ!

 

『あなたがたをここへおつれしたのはわれわれであります。なにもかもはこのせかいをまもるためにそのちえとちからをおかりするため』

『それゆえに、みごとおつとめをはたされたあかつきには、かずさんにもかならずやかちあるみらいをおやくそくします』

 

 価値ある未来か、妖精さんがそう言うのなら、今の俺には信じるしかないのだろうな。俺はスプーンを置いて、右手の小指を妖精さんに差し出す。妖精さんの小さな手が俺の指先にそっと添えられた。

 

「指切りだよ。 ……指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます、指切った!」

 

 妖精さんは満足げに笑うと、俺の皿から次の黒豆を掘り出す作業に戻り、俺も負けじと再びガジョピントを口に運び始めた。ほらほら、そんなところをうろうろしてるとガジョピントと一緒に食ってしまうぞ?




 今回カズが色々と熱く語ってますが、作者は本作品において特定の思想や主義主張に肩入れするものではありません。あくまでもカズがあんな人生を送ってきたら、こんなところに着地するんじゃないかなという作者の想像にもとづいたカズヒラ個人の考えであるとご理解ください。


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第十話 カズヒラのお風呂いただきます

 昼飯がすんだあとは、施設内を一通り案内してもらえることになった。叢雲と吹雪は昼食の後片付けをすると言って立ち去り、次の当番である五月雨と電も今のうちに夕食の仕込みをしたいと言ってついて行ったので、案内してくれるのはストレンジラブと漣の二人、あと当然のように俺の頭上に陣取った、俺が最初に出会った妖精さんだけであった。

 

 最初の妖精さんは作業服を着こんでいて、ここでは工廠での作業を担当している一人なのだそうだ。また、先程五月雨がマテ茶をひっくり返したとき、彼女の足元をうろちょろしていたのもこの子だったと聞いた。どうやって謝ろうか困って、俺に妖精さんを紹介する流れになるまで出番をうかがいながら待っていたのだそうだ、愛いやつめ。この子たちはせいぜい担当部署で呼ばれるくらいで、個体名というものを持っていないそうなのだが、俺は密かにこの金髪ポニーテールの子にハジメさんと名づけた。初めて出会った妖精さんだからハジメさんだ、面と向かって呼べはしないけどな。

 

「さてカズよ、最初に教えておかなければならないことがある」

 

 ロビーを出て別棟へと向かう短い渡り廊下の入り口で立ち止まり、ストレンジラブは俺に告げた。

 

「向こうの棟は居住区だ。1階には共有設備として浴室やランドリーのほか、談話室、小さいが図書室などもある。2階は子供たちと私の私室だ」

 

 なるほど、外から見たら役場みたいな建物だったが、生活空間はちゃんと用意されているんだな。

 

「だが注意しておく、ここから先は男子禁制だ。貴様のような不逞の輩に乙女たちの園を踏み荒らさせるわけにはいかんからな」

 

 ストレンジラブが指差した先、渡り廊下の天井近くには1対のカメラが通行を見張るよう配置されていた。

 

「監視カメラ……!」

 

 よく見るとカメラには小さな機銃が備え付けられていた。これカメラに見つかると自動で蜂の巣になるやつじゃねぇか!

 

「待ってくれ、ここの他に寝室や風呂や洗濯場はあるのか? まさか、俺ここで暮らす間ずっと風呂なしで過ごさなきゃいけないのか?」

 

 野戦のさなかでもあるまいし、この暑い島で風呂洗濯なしはキツいぞ? そのうちハエがたかりだすんじゃないだろうか、CQCの威力は上がりそうだけどさぁ。

 

「慌てるな。貴様にこの先の施設を使わせないのはあくまでこの子たちの安全のためだ、貴様に野宿をしろなどと酷なことは言わん。洗濯はともかく、風呂と寝床は別のところにちゃんと用意してやる。あとで案内しよう」

 

 安全っておまえ、この俺がまさか女子中学生を襲うとでも? ……うぅっ、こいつは俺のMSF時代の悪行を全部知ってるんだ、反論できない自分がくやしいっ、でも…… 俺はどっかの誰かさんみたいに合意なしに事に及んだりしないしー、子供には決して手を出さん。危ないっていうならこいつのほうがよっぽど危険じゃないか!? セシールの件だけではない、パスにまで粉かけて本気で引かれたのが日記のテープに吹きこんであったんだぞ? でも結局パスも本当は大人だったから合法か、これもうわかんねえな。

 

「洗濯物なら漣たちに預けてくれれば洗ってあげます、ご奉仕しますぞっ☆」

 

 俺の内心での葛藤にも気づかず漣がなんだか妙ちくりんなポーズを決めて見せたが、今なら漣が天使に見える。いちご畑に咲くマジ天使ってのは嘘じゃなかった?

 

「漣、洗ってやるのは構わんが私たちの服とは別にしてくれよ」

「それはもちろん(真顔)」

「君ら、うちの娘と同じようなこと言わないでくれるかなぁ!?」

 

 つい軽くキレてしまった。思春期に入りかけた頃のキャサリーに同じことを言われたのは俺の人生のトラウマだ、二人が同情の目で俺を見ていた。泣いてなんか、いないんだからね!?

 

 

 俺たちがいたロビーがある建屋が本棟で、今説明された寄宿棟と並んでこの島の高台に立っている。本棟の一階には、ロビーの他に簡単なキッチン、洗面所とトイレ、あとは小さな空き部屋がいくつか、だいたいは雑多なガラクタで埋まっているそうだ。これまでに一通り調べはしたらしいが、特に役に立ちそうなものはなかったとのことだった。寄宿棟から見て本棟の反対側からはもっと長い渡り廊下が海のほうに下っていて、その先には工廠とドックがあり、そこからは直接海に出られるそうだ。さっき外からちらっと見えたな。

 

 工廠は後回しにして、次は本棟の二階に上がった。最初に案内された部屋は、他の部屋より床材も壁紙もすこし上等なものが使われている。この建物がなんのために建てられたものかはわからないが、どうやらここの施設長の執務室かなにからしい。

 

「この本棟二階が、これから貴様が主に暮らす場所だ。この部屋には通信機がしつらえてあって、出撃中のこの子たちと連絡がとれるようになっている」

 

 チャチなトランシーバーなんかじゃない、きちんとした通信設備だった。これなら、そうとう遠くまで行っても通信に問題はないだろう。

 

「奥のドアは仮眠室につながっている、貴様はそこで寝起きするといい。ここと仮眠室には空調も入ってるぞ、妖精さんがつけてくれたんだ。感謝しておけよ」

 

 ハジメさんが胸を張っていた。ありがたい、このクソ暑い島でエアコンなしとか、まともに寝られるかどうかわからないもんな。妖精さんには今度美味しいもの作ってあげよう。

 

「この部屋の上は小さな屋上になっていてな、通信機のアンテナが立てられている。管理は妖精さんに任せておけば問題ないから私たちがいじる必要はないが、いちおう心に留めておけ」

「妖精さんはリフォームも得意だ。なんでも望みのままにとはいかないが、部屋の内装が気に入らなければあっという間に模様替えをしてくれる。気が向いたら頼んでみるといい」

 

 なるほど、妖精さんなしにはここの暮らしは成り立たないとさっき電が言っていたのは、決してオーバーな話ではないのだろう。正体不明の敵に囲まれていて、輸送船もやってこれないような離島で生きていくには、妖精さんたちの力にすがるしかないわけだ。

 

 俺の部屋をいじり回すのは後回しにして、今度は工廠を案内してもらうことにした。生身の人間が海上を走り、おそらく現状では唯一あの謎の生物兵器群に対抗しうる武装、艤装と皆は呼んでいたか。俺だって、商売柄これまでにもいろんなトンデモ兵器を見てきたが、陸が専門だったから海の兵器については知らないことのほうが多い。今後のためにも、余裕のあるうちに勉強させてもらった方がいいだろう。

 

 

 工廠は本棟の寄宿棟とは反対側の渡り廊下の先にあった。階段を下りると、ドックの外には遠浅の海が広がっているのが見える。工廠の一角では工廠妖精さんたちの群れがなにか作業をしているようで、まるでビル工事のように養生シートが張られていた。

 

 俺たちが近づくのに気づくと、妖精さんが声をかけてきた。

 

『しゃちょーー! よくしつのぞうせつ、おわりましたー!』

『しゃっちょさん、ちょっとよってらっしゃいよ?』

『いいこいますよー? いまならさんぜんえんぽっきり』

 

 なんかいろいろ間違ってる気がするが、俺が社長? ポン引きみたいなことを言われて、思わず漣と顔を見合わせてしまった。

 

「さっき貴様が司令官への着任を拒否したからだろう。貴様はあくまでも現状ただ一人のMSF隊員、つまるところひとり社長だな」

「俺はマザーベース副司令で……」

「正司令がいないのに副もなにもあるか。いいかげんスネークの後ろに隠れるのはやめて、自分がトップに立つ覚悟を決めろ」

 

 まだ俺はスネークの行く末をこいつに打ち明けていない。だから今の言葉に他意はないはずだが、たしかにスネーク、ビッグボスはもういない。今さらだが、かつて自分がビッグボスを討つ謀略に手を貸したことへの後悔が重くのしかかる。いや、後悔しているのはビッグボスを討ったことじゃない。戦友と家庭とで、結局家庭を取ったことは決して後悔していない、今でもそれが正しかったと確信している。ただ、そのために棄てざるをえなかったものを、俺はいつまでも未練たらしく惜しんでいるんだ。スネーク、もしできることなら、俺もあんたにどこまでもついていきたかったよ。

 

「カズ様ー、もうこれも何度目かにゃー?」

 

 はっと我に返ると、漣が俺の顔を見上げていた。

 

「カズ様は事あるごとに昔を思い出してトリップするんですな、もしかして老化現象?」

「まあ、今でこそこんな体でも、本来は俺ももう還暦間近のおじさまだからな。なにかと昔を思い出すことが多いのさ」

「……後悔してるんです?」

 

 不意に問いかけてきた漣の大きな瞳が、サングラスを見通そうとするように俺の目を見ていた。

 

「わかるか?」

「昔を思い出してるときのカズ様はいつも、なんか叱られたワンコめいたお顔してましたから」

 

 漣の手がすっと延びて、俺のサングラスを取り上げようとしたが、俺は彼女の両肩を押さえつけて逃れた。このグラサンは俺の大事なトレードマークだ、奪おうとするのは断固としてン拒否するゥ。

 

「そいつはなぁ、サングラスがないと他人と向き合えない奴なんだ。可哀想だから取り上げてやるな」

 

 ストレンジラブは呆れ顔だったが、俺あんたにだけはそれ言われる筋合いないからな?

 

 工廠に急遽増設してくれたという浴室は、外から見るとちょっとした物置くらいの大きさだった。ガラス戸を開けて中に踏み込んでみると、昔懐かしの銭湯のようなタイル張りの内装で、まず洗い場が三つ、そして大人四人が楽々足を伸ばせるくらいの浴槽と、別に小さな水風呂が備えられていた。さてはと思い奥の木戸を開けてみると、こちらは少々狭いが、それでも四人が並んで座れるくらいのサウナになっていた。俺がアラスカに家を建てたときも、風呂にはちょいとこだわったつもりだったが、ここまで立派にはできなかったよ。妖精さん本当にありがとう。俺のためにこんな贅沢な風呂を作ってくれるなんて、一人で入るにはもったいない気がするよ。ぜひお礼を言いたかったがグラサンが曇る。どこだ妖精さん……

 

「はぇー、こいつぁご立派ァ!」

 

 いきなり漣が嬉しそうな声を上げた。あっ、やな予感。

 

「ねぇねぇカズ様ぁ、漣たちもこのお風呂使っても…… いいかなぁ?」

「寄宿棟には風呂あるんだろう? この俺は使用禁止のやつがさぁ。君らはそっち使えばいいじゃないか」

「ケチー、あっちのお風呂はもっと狭いし、サウナなんてないんですぞ。漣もサウナ入ってみたいですー」

「一緒に入ってくれるんならな」

「う゛っ…… み、水着着用可ならば、なんとか」

「はしたないからやめなさい。こんな奴と一緒にサウナなんか入ってみろ、せっけんプレイをさせられるぞ」

 

 ストレンジラブが漣の頭をペチンとはたいた。待てストレンジラブ、その先はこの子たちには内緒にしてくれ!

 

「せっけんプレイ?」

『ごかんだんちゅうにすみませんが、しゃちょー』

 

 漣が不思議そうに尋ねたところで妖精さんの一人が話に割りこんできた。いなせなねじり鉢巻きと耳に挟んだ鉛筆、いかにも大工さんらしい姿のこの子が工事責任者なのだろう。よし、君は今日から棟梁だな。

 

『しゃちょーにはまことにもうしわけないのですが、ここのおふろはみなさまでのきょうどうりようをおねがいします』

『もともと、しゅつげきからもどったみなさまが、おふろにいくのにしおまみれのままきしゅくとうまでもどるのはふべんだといういけんがあったのです』

 

 棟梁の言葉に、皆が納得したような顔をしている。そうか、それでこんな大きい風呂にしたのか。

 

『ここならきゅうとうせつびもじゅうぶんでしたので、おふろをぞうちくするにはこうつごうでもありました。しゃちょー、かってながらごかんじょねがいます』

 

 そういうと棟梁は深々と頭を垂れた。他の妖精さんたちが、ゆるせー、とか、みんなでつかえばどっきりいべんともあるぞー、とか囃し立てている。ドッキリイベントてなんだ? 体が勝手に…… とかそういうやつ?

 

「事情はわかった、言われてみればたしかにその通りだろう。じゃあ、俺と女性陣がバッティングしないように上手く使わないとな」

 

 まあそういう事情があるなら仕方ないよな、マジで女の子たちと一緒に入ろうとはとても言えんし、時間割でも作って工夫しよう。それに、俺がここを独り占めなんてしたら、掃除も俺一人でやんなきゃいけなくなるしな。MSFの頃、スネークの反対を押し切って作ったサウナでのせっけんプレイがバレて、さんざん殴り合った末にサウナ掃除一年の罰を受けたのを思い出すよ。あんなのはもう二度とごめんだ、あれ以来、女の子に手を出す前は相手がフリーかどうか本当によく考えるようになったんだからな。

 

『ありがとうございます。そのかわりといってはなんですが、いちばんぶろだけはぜひしゃちょーに。さあさどうぞ、どぼーんといっちゃってくださいな』

 

 棟梁は安堵した顔だったが、今ここで? ここは工廠の隅、あちこちでは他の班らしき妖精さんたちが忙しく行き来している。なにより、漣とストレンジラブが目の前にいるんだが?

 

『おお、だいじなことをわすれてました』

 

 棟梁がポンと手を叩くと、妖精さんの群れが大挙していろいろな調度品を入口の前に運びこんできた。フローリング調のマットが敷かれ、脱衣かごの入った棚と体重計、それにビン牛乳が入った冷蔵ショーケースも並べられた。壁には洗面台と扇風機が取り付けられ、風の当たるところにはベンチも忘れていない。

 

 これだけの改装があっという間の手際だった。なるほどな、リフォームが得意だと聞いてはいたが、これほどのものか。だが、まだ大事なことを忘れているぞ。

 

「妖精さん、間仕切りを用意してくれないかな。さすがに、工廠から丸見えはまずいだろう……?」

 

 これはしたりー、と、棟梁がまた手を叩いた。妖精さんたちの一部から舌打ちが聞こえたのは聞かなかったことにしよう。

 

 

 簡素なものだったが、間仕切りはすぐにできた。家具妖精さん様々だな、さっそく一番風呂をありがたくいただこうじゃないか。さっき俺が目覚めたときは全裸で浜辺に転がされてたんだからな、払いはしたがそれでもあちこち砂が残ってて気持ち悪かったんだ。ストレンジラブと漣を追い出して、服を脱ぎパンツに手をかけたところで、仕切りの外から漣に声をかけられた。

 

「カズ様ー、もう入っちゃいました?」

「いやこれからだ、なにかあったのか」

「叢雲ちゃんたちが通信で呼んでおりますぞ、今から砂浜に来てくれと」

「風呂のあとじゃだめな用事か?」

「……急ぎの件ではありませんが、みんなはもう待ってますし、お風呂の前に済ませることをおすすめします。漣も、着替えなくちゃなのでお先に失礼しますぞ」

 

 仕方ない、一番風呂はしばらくお預けだ。また服を着直して外に出たら、漣は先に姿を消していて、残ったストレンジラブがニヤニヤ笑っていた。

 

「せっかくの一番風呂を、災難だったな」

「まあ仕方ない、雇主のお呼びだからな。あんたまさか、俺のいないうちに一番風呂を?」

「いや、私も呼ばれているから貴様に同行する。私は着替えの必要はないがな」

 

 工廠から砂浜へは、直接歩いて行くことはできないそうだ。ドックの外はすぐ海だし、工廠のあるあたりは岩場になっていて、砂浜まで行くには面倒なようでも一度本棟まで戻ってから、表に出て階段を下るほうが安全で早いらしい。

 

 それにしても、砂浜まで呼びつける用事とはいったいなんだろう? 着替えてくると漣がちらっと言ってたな、もしかして水遊びのお誘いかな? よもや初日からいきなり水着回ってやつぅー? それは夢のある話だ、テンション上がってきたぞ?

 

「みっともなく鼻の下を伸ばしやがって…… ああ、こんな奴にいたいけな子供たちの今後を任せなければならないのか、心配だ。ボス…… どうかあの子たちを守ってください」

 

 ストレンジラブがブツブツ祈り始めたが、そんなに俺信用ならんかなぁ? 俺は子供には絶対手を出さないってば、ほんとほんと。

 

 

 砂浜に降りると、そこにはすでに漣以外の四人が俺たちを待っていた。しかし、ひそかに期待してた水着姿などではなく、黒帯を締めた道着姿でのお出迎えだった。あ、あれ? 俺の水着回はいずこへ? フレッシュ美少女と波打ち際でのキャッキャウフフは? 振り返れば、ストレンジラブの奴ときたら必死で笑いを噛み殺していやがった。貴様知ってて俺を連れてきたな!?

 

「博士ェェ、裏切ったな!」

 

 俺が絶叫するのとともに、ストレンジラブが我慢の限界とばかりに哄笑した。

 

「今は余計なことを考えるな。生き延びることが先決だ。……カズ、いいな」

 

 ちょ、待てよ!?

 

「宮本武蔵じゃあるまいし、この私をずいぶん待たせてくれたわね。カズ、あんたの実力、見せてもらうわ」

 

 叢雲だけは黒帯をせず、剣道着を着て背丈ほどのたんぽ槍を持っていた。

 

「腕が鳴りますねぇ、ボス仕込みのCQCがベテランにどれだけ通じるか、試させてもらいます!」

 

 吹雪が着ているのは柔道着だ、砂の上で丹念にストレッチを続けている。

 

「電たちは他流試合は初めてなのです、お手柔らかにどうぞ。……がっかりさせないでくださいね?」

 

 電は空手着だ。突き蹴りの稽古をしているが、動きが音を置き去りにしそうなほど鋭い。

 

 五月雨は柔道着かなにかを着て砂浜に正座し、目を閉じて精神集中をしているようだ。吹雪と違うのは、袖が七分袖なのと、道着の上に袴を履いているところだった。合気道かな?

 

「カズヒラさん、さっきは本当にごめんなさい。決してわざとじゃなかったんですけど、それでもあの連続CQCの見事なお手並みを見て以来…… そそられていました」

 

 クワッと見開いた青い瞳が炯々と輝き、ふんすふんすと鼻息荒く気合は充分だ。あ…… ありのまま、今起こった事を話すぜ!

 

「俺は、五月雨ちゃんは天使だと信じていたら、いつのまにか地上最強の生物めいたサムシングになっていた」

 

 な…… 何を言っているのかわからねーと思うが(以下略)

 

 お風呂回と思いきや水着回と思いきや、実は地獄の組手回だった!? 畜生ハメられた! 俺は、生き延びることができるか?




 ここで悲しいお知らせがあります。第十話を投稿せんとする今現在、第十一話の執筆が進捗75%といったところであります。つまり、ストックがほぼ尽きました。金曜更新予定の第十一話は間に合うでしょうが、その先週二回更新を続けられるか……


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第十一話 少女ファイト・クラブ

 一番風呂を目前にして砂浜に呼び出された俺を待っていたのは、思い思いの稽古着に身を包んだ少女たちの姿だった。ザ・ボス仕込みのCQCを習得した少女たち、彼女らに雇われた俺の最初の仕事は、風呂でも飯炊きでもなく彼女らの稽古台らしい。漣はまだ来てないが、嬉々として着替えに行ったあいつもやる気勢だろう。五対一、まさかリンチじゃないだろうが、俺自分の足で歩いて帰れるのかな?

 

 四人は時折俺のほうを窺いながらなにやらこそこそ相談をしているが、どうやら順番を決めようとしているようだ。吹雪がもうジャンケンで決めようって言い出したところで、電が一つの提案をした。

 

「ここは対戦成績で弱いほうから順番に行くのです。最初は電です」

 

 電の真剣な表情に、皆は異論を挟まなかったようだ。彼女が砂浜の真ん中に進み出ると、残る三人は階段まで戻ってきて観戦の構えに入った。

 

「ほらカズさん、お願いします」

 

 そう吹雪に促されて、俺もおずおずと電の前に立つ。どうしよう、いくら相手もただの素人ではないといっても体格差は大人と子供で、絵面的にはこれほぼ犯罪だ。

 

「カズ、ルールを説明するぞ。この子たちは件のナノマシンの影響で肉体的にはかなり強化されているから、テンカウントでの決着はまずないと言っていい。だから、私が判定して、常人ならばあきらかにしたたかなダメージを与える打撃・投げ・関節技などが決まったと判断したら、そこで一本勝ちとみなす。カズは五連戦しなきゃいけないから、一人あたりは一本こっきりの勝負だ。電もそれでいいな?」

「ああ、わかった」

「了解なのです」

「電、あんまり熱くなるなよ? ……はじめ!」

 

 いつの間にかストレンジラブの頭上に移動していたハジメさんが、どこから取り出したのかゴングを鳴らした。

 

 ゴングと同時に電はパッと飛び退いて大きく間合いを取り、腰を落として右の中段突きを構えた。俺は間合いを詰めようと前に進もうとしたが、それはうかつな判断だった。

 

 常識的には考えられない遠距離から、いきなり鋭い追い突きが飛びこんできた。初撃をかわせたのは反応が間に合うくらい距離があったからと、あとは正直言って勘と運だけだ。下手をしたらこの一発で終わってたかもしれなかった。

 

 突きがかわされたと見るや、電はすぐ間合いを離して再び最初の構えに戻った。おそらくは、これが彼女の最も得意とする戦法なのだろう。彼女は、五人の中でも一番の小柄で、その分リーチは短く体重も軽いはずだ。殴り合いにせよ取っ組み合いにせよ、それは格闘戦においては大きなハンデとなる。その差を埋めるために、この突進力を鍛えたのに違いない。

 

 俺は右の突きを警戒して左へ回りこみながら間合いを詰める。だが電は、今度は突進の途中で一歩踏み替え、軌道を修正して左の突きに切り替えてきた。突きそのものはかわせたが、低い姿勢を利されて懐に入られた。電は今度は間合いを切らず、そのまま左右の拳で連続技を次々繰り出してきた。だが、その時にはもう俺は左手で電の頭を押さえていた。リーチの差で左右の突きはもちろん、蹴りが来たとしても俺には届かない。

 

「離すのです!」

 

 前蹴りが飛んできたがやっぱり届かない。電の顔が屈辱と羞恥で真っ赤になった。そのまま俺の左腕を取って飛びつき腕十字を仕掛けてきたが、俺を寝技に引きこむにはちょっと発育が足りなかったな。電は俺の左腕に逆さ吊りの形になったまま、うんうん唸っても俺は転がせないし肘も極まらない。もし俺が五十七歳の身体のままだったなら、支えられずに転がされて腕十字が極まっていたかもしれなかったが、この全盛期の姿の俺ならば、小柄な少女を片手にぶら下げるくらいは軽いものだ。若いって素晴らしいなぁ。

 

 これが柔道だったら審判の待てがかかる場面なんだが、ちらと視線を向けてもストレンジラブに動きはない。どうしよう、このまま電を砂地に投げつければ俺の勝ちだが、それもあんまり大人げない気がした。

 

「離すのですぅ」

 

 今のは俺の物真似だ。似てたかな?

 

「絶対に離さないのです、腕一本もらうまでは」

「そっか、それならそのまま掴まってろよ?」

 

 俺は片腕に電をぶら下げたまま波打ち際へ歩き出した。女の子と腕を組んで浜辺をお散歩なんて、こんな状況でなけりゃ最高だったんだけどな? そういやスネークの奴、コスタリカにいた頃はパスと浜辺で水着デートしやがったこともあったんだよなぁ、羨ましい。俺が女性隊員に手をつけた時はあんなに怒ったくせに、自分だってちゃっかりお楽しみだったんじゃないかあのムッツリスケベめ。あっ、思い出したらなんだかだんだんムカっ腹が立ってきたぞ? でもなぁ、俺だってスネークと水着デートした事あるからおあいこか? そうかなぁ、なんか理屈がおかしいな。

 

 ザブザブと波を蹴りながら、俺は膝まで水に浸かるところまで海に入った。

 

「な、なにをする気なのです!?」

 

 俺はその質問には答えず、おもむろに電の頭を海に漬けた。ガボゴボゴボガボと電が息を吐く。そうそう、逆さ漬けだと鼻に水入ってきちゃうから、息を止めて耐えることができないんだよ。もう少しで肺の空気を搾り尽くすタイミングを見計らって一度水から引き上げてやったら、電はゼイゼイと必死で息をついた。

 

「まだやるかい」

「げ…… 元気…… イッパイなのでsごぼごぼがぼばふぅ!」

 

 まだ余裕があったみたいなのでもういっぺん漬けた。呼吸が回復してないところへの追い討ちだったから今度は即座に限界に達したらしく、電はたまらず俺の腕を離して海に落ちた。すぐに起き上がりはしたものの、海水が目鼻に入ったらしくひどくむせていた。隙だらけのところにゆうゆうと大外刈り一本、勝負ありだ。

 

「一本! 一本だー! この馬鹿どもちょっと戻ってこい!!」

 

 波打ち際でストレンジラブが時折ホイッスルを鳴らしながら叫んでいたが、俺なんも悪いことしてないぞ?

 

 

 ぐったりした電をおぶって砂浜に戻った。ストレンジラブはご立腹だったが、これはこいつのレフェリングが悪い。

 

「カズ、ちょっとやりすぎじゃないのか?」

「あのなぁ、いくら俺でも手加減して相手できるほどこの子は弱くない。そもそも、腕ひしぎが膠着したところで待てをかけないあんたが悪い」

「うっ…… 」

 

 本当に聞いた話の通りなら、この子たちそうとう頑丈にできてるらしいし、ケガの心配なんていらないのかもしれない。だけど、息ができなくても生きてられるか? 毒は、飢えは? 実戦形式にこだわりたい気持ちはわからなくもないが、本当の実戦はなんでもありだ、どこかで一線を引かなきゃきりがない。

 

「稽古や試合にルールがあるのは、いらん怪我や事故を防ぐためだ。強くなるためにやってることで、かえって身を損なっては本末転倒というものだろう? 次からは適度に止めてくれよ」

「……わかった、気をつけよう」

 

 俺は階段に座ってうなだれる電に歩み寄り、屈みこんで声をかけた。

 

「電、鼻や目は大丈夫か? なんだったら水道で顔洗ってきてもいいんだぞ」

「電は大丈夫なのです、ありがとうございました。それよりも、あとの試合をきちんと見ておきたいのです」

 

 まだ目鼻に塩気が残っているのかちょっと涙目だったが、やる気は充分そうに見えた。まあ大丈夫かな?

 

「そうか、いい心がけだな。今回はこんな結果になったが、君の突進はたいしたものだった。もっと実戦の機微を学べば、まだまだ強くなれるさ」

 

 つい子供にするように頭をなでてしまった。軽率だったかと思ったが、特に嫌がる様子は見て取れなかったので内心ホッとした。いかんいかん、年頃の女の子が相手なんだからな、うかつなボディタッチは自重しなくては……

 

 

「さあ、次は私の番よ。カズ、よろしくね」

 

 たんぽ槍の石突をドンと砂地に突き立てて叢雲が立ち上がった。ちょ、待てよ。これマジ?

 

「私は無手よりこっちのほうが得意なのよ。カズ、私の持ち味、とくと味わってね?」

 

 こっわ! マジで待って、俺素手なんですけどぉ!?

 

「武器がほしいなら、そこの妖精さんに頼みなさいな。そこらへんのものからなんでも作ってくれるわよ?」

 

 か、CAWとか作ってもらっちゃダメっすか? ランク5のやつで。ハジメえも~ん、叢雲に勝てる武器出してぇ~~!

 

『ぶきをもったやつがあいてならー、はおうこうしょうけんをつかわざるをえないー』

 

 覇王工廠拳? わけがわからないが、ハジメさんが突き出した両掌からなんか光る気弾が発射され、近くに転がっていた流木が爆発した。続く砂煙が晴れたあとには、叢雲の槍と同じようなたんぽのついた木銃が残されていた。なるほど、こいつを使えってことか……

 

 この木銃、見た目はまぎれもなく木なんだが、手に取ってみると不思議な手触りだった。銃身の先端やストックの床尾は手でしなるほど柔らかく、これなら突きだけではなく、切り払いや床尾板での打撃を加えても相手に大きな怪我をさせることはないだろう。

 

「さ、始めましょ」

 

 互いの穂先がかち合うくらいの間合いに分かれて互いに一礼すると、ハジメさんがまたゴングを鳴らした。

 

 俺は槍についてはまったくの素人だが、銃剣なら自衛隊にいた頃はさんざん稽古したものだ。陸上自衛隊には銃剣道と自衛隊銃剣格闘との二つの技術体系があるんだが、銃剣術は旧日本軍の銃剣術が戦後スポーツ化されたもので、銃剣での刺突のみに主眼を置いたものだ。一部では軍国主義の残滓だなんて陰口を叩かれたりもするようだが、実際に稽古を積んでいる自衛官にとっては、実戦で使われる戦技というよりは、単なる身体鍛錬以上の意味はほぼないといっていい。

 

 一方、自衛隊銃剣格闘のほうは、銃剣道に較べるとより戦技的性格を強めた武術だ。技法的にみても銃剣道のような刺突のみではなく、銃剣での切り払いや銃床を用いた打撃、あるいは突いた後に銃撃を加えるなど、幅広い技術を伝えているのが特徴だ。

 

 ただ、銃剣術自体がそもそも小銃が未発達だった時代に補助的なものとして用いられたもので、現代の戦争においては着剣突撃なんてケースが起こりうるわけもなく、どこの国の軍隊でもだんだん銃剣の訓練は廃れつつあるのが実情だ。

 

 それでも、弾切れや故障を起こしたときの最後の拠り所と考えられているのだろうか、現代のアサルトライフルにおいても、一応は着剣できるような構造をいまだに残していることも多いのは不思議な話でもある。

 

 さて、叢雲は頻繁に俺の筒先を払いのけようとしながら、隙あらば槍を突きこむのを狙っている。ただ、急所を狙ってくるばかりではなく、そっちばかりに注意を取られると手か足どちらかを薙ぎにくるだろうから油断ならない。

 

 俺の木銃と叢雲の槍、長さ自体は俺のほうが長いが、銃剣と槍とで手の使い方が違うために間合いの差はないか、むしろ叢雲有利と言っていい。槍は状況に応じて左右の手を滑らせて槍の長さを有効に活かせるが、銃剣は小銃の扱いの延長線上にあるために、あくまで右手は銃把、左手は先台を握っていなくてはならない。

 

 叢雲は銃剣と戦うのは初めてだったようだが、早くもこの銃剣の特徴を見抜いたようで、徹底してこちらの間合いの外から攻撃を加えることに専念するようになっていた。くそっ、さっきの俺と電の試合の逆だな。

 

 俺の筒先を強く払いのけようとするのをスカされて、叢雲の穂先が少し泳いだ。隙ありと思って反射的に叢雲の槍を押さえて前に出てしまったが、それは誘いだった。俺の銃剣に制されたと思った叢雲の槍は、彼女が体を入れ替えるのと一緒に半回転し、石突が俺の左肩に飛んできた。その打突を先台で受け止め、近い間合いで銃剣と槍が交差して押し合いになる。俺と叢雲では身長体重ともに俺のほうが大きく勝るはずだったが、叢雲の足はやわな砂地に根を張ったようにびくともせず、押し合う力はほぼ互角だ。

 

「やるじゃないか、子供のくせに」

「ただの子供と舐めてかかると痛い目見せるわよ?」

 

 年端もいかない少女の細腕が鍛え上げた大の男にも負けない剛力を発揮する、これもナノマシンとやらの余禄だろうか? いかんな、やっぱり俺なんだかんだでこういうバトル大好きだったわ。思えばMSF副司令だった頃だって、隊員みんな遠慮してんのかなんなのか、俺とガチってくれる相手なんてスネークくらいしかいなかったよなぁ。叢雲には悪いが、頬が緩んでいくのを自分でも止められん。しかし、彼女の方も笑っているのは同じだ。ただし、向こうは美味そうな獲物を見つけた獰猛な肉食獣の笑みだったけど。

 

 しかし、全力で押し合っているうちすぐに木銃がミシミシ音を立てはじめた。ちょっとハジメえもん、これ結構脆くない!? 俺は慌てて一歩飛び退いてしまったのだが、当然そこはまだ槍の間合いの中だ。間髪入れずみぞおちを突いてきた槍を受け止めて、俺の木銃はとうとう真ん中からポッキリへし折れてしまった。観客席からは嘆声が上がる。

 

『やはりそこいらのてきとうなりゅうぼくではそざいがもろすぎましたかー』

 

 ハジメさんの呑気な声が聞こえた。は、ハジメさぁぁーん!? 審判の待てはかからない、当然だよな、実戦形式なんだから。実戦ならこのまま串刺しで終了だが、簡単に負けてやるわけに行くか! たかがメイン武器がやられただけだ、MSFの栄光! この俺の一番風呂! やらせはせん、やらせはせん、やらせはせんぞぉ!!

 

 このサプライズ組手地獄を企画したのが叢雲かどうかは確信できないが、漣が言うには俺を呼んだのが彼女だそうだったな? 待望の一番風呂を直前でキャンセルされた恨み、大人気ないが叢雲を相手に晴らさせてもらう!

 

 先ほどマテ茶を受け止めた時のように、再び俺の脳内にアドレナリンが満ちる。周りのすべてがスローモーションに見える、叢雲が俺の顔面に槍を突き出してくるのも、その顔にはっきりと怯えの色が見えるのも、全部手に取るようにわかるぜ。

 

 グラサンをかするくらいギリギリで槍をかわして踏みこみ、両手で槍の柄を掴む。腕力はほぼ互角だったとしても、リーチの長さを利して叢雲の両手より外を握れば、テコの原理で俺の方が槍をコントロールすることができる。石突を叢雲の脇の下に通すように槍を廻し、脇が開き足が浮けばもう十分に力を出すことはできない。そのまま体を入れ替えながら叢雲を砂の上に転がした。ストレンジラブが一本を宣言して、これで俺の勝ちだ。

 

「くっ…… 電を負かしたのは、まぐれじゃなかったってことね!」

 

 砂地にひざまずいたまま叢雲が悔しそうに唸った。あっ、そう言やこの子、くっ殺せ、とか言いそうなタイプだ。リアルくっころなんて初めて見るな俺。いやそうじゃない、俺は石突を砂に突き立てて、ニヤニヤ笑いながら叢雲に右手を差し出した。

 

「まさか立てないとか言わないよな?」

「う、受け身くらいちゃんと取ったわよ。……ありがと」

 

 憎まれ口は叩いたものの、叢雲は素直に俺の手を借りて立ち上がった。そのまま砂にまみれた長い髪をバサバサと払って、槍を引き抜き階段まで戻っていった。

 

「楽しかったなぁ、武器術もたまにはいいもんだ。そのうちまたやろうぜ」

「今度は負けないわよ!」

 

 俺に槍を向けて叢雲が吼えた。ああ、今度こそは頑丈な銃剣でやりたいもんだな、頼むぜハジメさん?

 

「ありゃーー? 叢雲ちゃんも負かされちゃったんですか、カズ様もやりますねぇ!」

 

 そのとき、階段の上から漣のすっとんきょうな声が聞こえた。やっとお出ましか、あいつ俺より先に工廠を出たはずなのに、ずいぶん遅かったな? 見上げると、妙に大荷物を持った漣の影が見えたんだが、なんだその格好? 俺だけでなく、皆が怪訝な顔をしていた。




 次回も格闘回が続きます、格闘描写って難しい。


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第十二話 いちご100%

 ほぼ騙し討ち同然で始まってしまった俺vs五人の少女たちとのCQC組手大会は、電と叢雲との二試合を終えたところで、遅れていた漣がようやく砂浜に姿を現した。

 

「おっとっと、もう漣の番まで回って来ちゃいましたー?」

 

 そう言いながら漣が階段を駆け降りてきたのだが、遅刻しながらなんだその格好は?

 

「漣、ずいぶんな重役出勤ね」

「電ちゃんが海に投げこまれたって聞いたから、遅れたついでにお水とタオル持ってきたんですぅー!」

 

 遅刻をからかう叢雲に漣がべぇと舌を出した。言葉の通り、漣はまず両手に水が入ったポリタンクを持ってきていた。ついでに頭には洗面器をかぶり、タオルでほっかむりをして止めている。これはこれで冗談みたいな格好だったが、本当の問題はそっちじゃなかった。

 

 他の四人が日本武道の稽古着を着てきたのに、なぜか漣が着ているのは髪と同じピンク色のチャイナ服だった。両脇のスリットはエグい高さまで大胆に切れこんでいるし、裾も膝上15か、それとも20センチか、とにかく中学生には着せちゃあいけないレベルで短いマイクロミニだ。

 

「おぉっ? カズ様、漣の艶姿に興味深々ですかにゃー? こんなサービスは今日限りですぞ、今のうちに見とけよ見とけよ~」

 

 くねくねするな気色悪い。だが水を持ってきてくれたのは素直に評価しよう、仲間想いで偉い。さっそく電と叢雲は洗面器で顔を洗っていた。はずみとはいえ二人を俺のせいで思いっきり塩水と砂まみれにさせてしまったからな、さすがに悪かったと思ってたところだよ。

 

「電ちゃん、目と鼻にまで海水入ったんでそ? 洗眼カップと鼻ポンプもありますぞ?」

「洗眼カップはありがたいのですが、鼻ポンプは全力で遠慮するのです」

「それで、遅れてきてまで漣はなんでそんなイカレた格好してきたんだ?」

「和食もいいけど、カズ様もそればっかりじゃ飽きるっしょ? 中華テイストで味変・カンフー・ジェネレーションですぞ!」

 

 漣が鶴の構えをとった。味、変…… なんだって?

 

「……ほんとのところを白状しますと、カズ様を案内してて遅れて着替えに行ったら、もうこの衣装しか残ってなかったんです…… いったいみんなはどんなの着せられたのかと心配しながら来てみたら、みんな普通に道着じゃないですか! 妖精さん、これどゆこと!?」

 

 漣がハジメさんを鷲掴みにしてガタガタ揺さぶった。こらこら、妖精さんをいじめてはいけない。

 

「いやぁー、こんなの着こなせるのたぶん漣ちゃんだけだと思ったから、残しておいたんだよ」

「漣にぴったりだと思うわ、いかにも色物っぽくて」

「この色はもう漣ちゃん専用以外ありえないのです」

「漣ちゃんスタイルいいからこういうのでも似合ってると思うな、私は絶対着られませんけど」

「カズ様ぁー、こいつらちょっとひどない?」

 

 仲間を指差して漣が不満げに口を尖らせた。

 

「まあいいじゃないか、確かに似合ってるし可愛いと思うぞ?」

 

 なんの気なしについ口走ってしまったのだが、漣は目を丸くして真っ赤になってしまった。というか、他の全員も電流走る顔になってるのはなぜだ。

 

「……可愛い? 漣、可愛いんです?」

 

 漣が期待に満ちた眼で聞き返してきた。

 

「ああ、すごく可愛いぞ」

「でゅふぇふぇふぇひ、カズ様がそう言うんならしょうがないにゃぁ、浜田ポジみたいな服でも漣はガマンします」

 

 浜田ポジって何? 漣は照れくさそうに頬を押さえて身をよじっていたが、その笑い方が実に気持ち悪い。前言撤回してもいいか?

 

「しかし漣よ、本当にその格好で試合する気か? あんまり裾が短すぎる気がするんだが」

「ああこれ、やっぱ気になっちゃいますぅ? 安心してください、はいてますぞー!」

 

 いきなりペロンと裾をまくって見せた下には服と共地の一分丈のスパッツをはいていたのだが、ストレンジラブと叢雲は無言で漣の頭をひっぱたいた。

 

 

 はからずも小休止が入った後、今度は俺と漣の試合になった。漣のファイティングスタイルはなんというか、正統な武術というよりは、珍妙な構えからけったいな技が繰り出される、まるで日本で流行った格闘ゲームのキャラクターのような戦い方をしてくる。ゲームキャラのような動きを再現できる身体能力はかなりのものだと思ったが、それでも突き蹴りのキレやスピードならよほど電のほうが上だと感じた。正直、この程度が漣の実力なら、電や叢雲より勝率が高いとは思えないのだが……

 

「ちぇりゃ!」

 

 変な掛け声とともにテコンドーのような連続蹴りが飛んでくるのをブロックした。

 

「ちょわー!」

 

 右の連続蹴りに気を向けておいて、左の下段回し蹴りだ。バックステップでかわして間合いをあける。

 

「とぉぉ↑おう↓」

「わぷっ!」

 

 こいつ、前蹴りと見せかけて思いっきり砂を蹴ってきやがった! だがな、俺のグラサンは伊達にかけてるわけじゃない、そんな目潰しなんぞノーダメージだ。

 

「博士ー、ちょっとタイム」

 

 反撃を仕掛けようとしたところで、漣が横を向いて審判にタイムを要求した。ストレンジラブは困惑した顔で俺を一瞬見て、俺が構えを解いたのを確認すると右手を上げて待てを宣言した。

 

「漣、もう試合中なのになんだ」

「このスパッツちょっとキツくて…… 蹴ろうにも足を上げづらくて邪魔なんです」

 

 ストレンジラブの苦言にも構わず、漣はその場でスパッツを脱ぎはじめた。さすがにストレンジラブも止めようとしたが、漣は涼しい顔で平気平気と言うばかりだった。

 

「吹雪ちゃん、悪いけどこれ預かっててくれますー?」

 

 丸めて投げたスパッツは吹雪まで届かず、中程の砂地にぽとりと落ちた。

 

「お待たせしました、今度こそ漣ちゃん100%をお見せしますぞ?」

「見せるのがいちごパンツでなきゃいいけどな」

「……なんで知ってるんです!?」

「昼飯前のロビーで、おまえが吹雪に締め落とされて転がされてた時に見えた。俺は悪くないぞ、だって誰もスカート直してやらないんだもん」

「カズ様のエッチ!!」

 

 再開の声がかかるかかからないか、絶妙なタイミングで漣がラッシュを仕掛けてきた。砂かけに不意討ち、なるほど、なんでもありなんだなこいつの戦法は。ある意味では、他の誰よりもCQCらしいと言えないこともない。

 

 ただ、漣本人も気にしてるのか、打点の高い蹴りはこなくなり、手技の応酬が増えた。拳ではなく掌打を打ちながら、隙あらばこちらの手首を取ろうとしてくる。

 

「ひぃやぁぁぁーー!?」

 

 いきなり吹雪が悲鳴を上げた。何事かと思ったが、漣のラッシュをしのぐのに手一杯でそっちを見る余裕はない。

 

「漣ちゃん、パンツ! パンツまで一緒に脱いじゃってるよ!?」

 

 衝撃の告白に不覚ながらほんの一瞬眼が逸れてしまい、吹雪が見覚えのあるいちご柄の布切れをブンブン振ってるのが見えた。

 

「隙ありです」

 

 しまった! 手首と肘の関節を取られて、そのまま回転投げに投げられかけるが、この投げは前方宙返りの要領で抜けられた。だが腕は取られたままだ、ここからまだ変化がある。

 

「博士、試合を止めてぇ!!」

「ちょっと、吹雪!」

「試合中なのです!?」

 

 電と叢雲二人の制止を振り切り、吹雪が俺と漣の間に割って入ってしまったので、さすがにストレンジラブも待てをかけざるを得なかった。

 

「吹雪ちゃぁん……」

 

 漣は困った様子だったが、吹雪は構わずパンツを差し出してはきなおすように迫った。

 

「だめだよ漣ちゃん、女の子がこんなことしちゃ! よりにもよってそんな短いスカートで、ぱっぱぱぱパパンツはかないで試合なんて!? 色々見られちゃったらどうするの!」

「色々って何です? そこんとこもうちょっとkwsk」

「そんなこと口に出せません!」

「吹雪ちゃん」

 

 こんな状況であるにもかかわらず吹雪をからかっていた漣が急に真顔になった。

 

「リングには、島一番の男カズヒラ・ミラーが漣を待っているんですぞ」

「だから…… いかなくっちゃ」

 

 吹雪の肩を押しのけて漣が進み出た。いや、島にいる男ってもしかしなくても俺一人じゃね?

 

「漣ちゃん……!」

「ありがとう……」

 

 君らまだ若いのに、なんであしたのジョーなんて知ってるんだ? 寄宿棟には図書室があるって言ってたな、もしかして全20巻揃ってたりするのか、今度貸してくれ。いや今はそれどころじゃない、漣に振り切られ、いちごパンツを握りしめたまま砂浜にくずおれる吹雪。あぁ、パンツ砂まみれだぞこれ。

 

「いやー、たびたび中断しちゃってスマソ」

「せっかく止めてくれたのにいいのか、パンツはき直さなくって」

「いーんです、カズ様に勝って堂々とはき直します」

「もう砂まみれになっちゃってるんだが……」

 

 えっ、と驚いて漣は一瞬吹雪のほうに振り向いた。俺はその隙を逃さずジャブを仕掛けたが、それは簡単に防がれてしまった。やっぱりだな、こいつはロビーで最初に会ったときからそうだったが、ふざけているようでいても、決して油断せず相手をよく見ている。おちゃらけた態度に終始しているようで、その裏では冷静に相手の反応を分析しているんだ。こいつは意外と諜報に適性があったりするんじゃないだろうか?

 

 実際さっきの投げは危なかった、吹雪が騒いだのに俺が一瞬でも気を逸らされたのは、たしかに漣の詐術の成果だった。俺は最初の投げこそなんとかしのいだものの、そこからの変化にきちんと対応できたかはまったく自信がない。だが、まさかそこで吹雪が乱入してきたことまでは漣の予想の外だったろう。皮肉なことに、イカサマで作ったチャンスはイカサマの効き過ぎで潰れてしまったわけだ。

 

 相変わらず漣は足技を使ってこない。手首関節の取り合いを続けながら、今度は指を捕ろうとしてきたので前蹴りを出した。蹴りは防がれたが、そのまま押し返して間合いを離す。さっきはこの間合いから砂かけがきた。だが、漣は今度は身を翻して跳んだ。大技だ、旋風脚か!

 

「漣ちゃんそれダメぇーー!?」

 

 吹雪がまた悲鳴を上げた。大きく脚を開くからなあこの蹴り、気持ちはわかるが俺もそんなんじっくり見てる余裕ないよ。

 

 旋風脚は全体重に遠心力まで乗せてくる。いくら漣が俺よりずいぶん小さくて軽いといっても、ブロックしては防御ごとブッ飛ばされる。だからむしろ前に出て、蹴りが出る前に跳び上がったところを捕まえた。

 

「は、離してください!」

 

 かかとでゲシゲシと俺の脚を蹴ってくるが、しょせんは悪あがきだ。この程度では一本にはならない。

 

「誰が離すか。ずいぶん小細工をしてくれたが、これで終わりだ。ちゃんと受け身取れよ!」

 

 漣の尾を引く悲鳴とともに、綺麗なアーチを描いてジャーマンスープレックスが砂地に突き立った。カウント3を数えるまでもなく、ストレンジラブが一本を宣して試合終了だ。

 

「カズさん、見ないで、見ないでぇーー!」

 

 大の字に転がって目を回す漣に、必死の形相で吹雪が駆け寄ってきた。片手に砂まみれのパンツを握りしめて。

 

「心配いらんよ、よく見ろ」

「……あれ、ちゃんとはいてる」

 

 スパッツと一緒に誤ってパンツまで脱いだように装っていた漣だったが、本当は一番下にレオタードかなにかを着ていたようだ。

 

 思い返せば試合の初めは、漣はあえて足技中心で戦っていた。砂蹴りまで使ったのは、まず足癖の悪さを俺に印象づけるためだろう。

 

 一度試合を止めてスパッツを脱いだあと、吹雪がパンツを回収するのが試合再開してからになるように仕向けるため、わざわざ中途半端な位置にパンツ入りのスパッツを投げ、ややフライング気味にラッシュを仕掛けてきたんだ。

 

 そして、パンツを脱いだあと漣は足技をあえて封印した。裾を気にして蹴りは使えない、そう俺に思いこませるためだ。ついでに、俺みたいなスケベ野郎の集中を乱すことができればなお良いと思ってたかもしれない。

 

 そこでうまい具合に吹雪が騒いだから、俺はうっかり隙をつくって投げのチャンスを与えてしまった。だけど吹雪が騒ぎすぎて試合にまで乱入してしまい、せっかくのチャンスも潰れてしまった。

 

 なにより、吹雪が試合を止めたあとでもノーパンを装い続けたのは失敗だったな、せめてパンツだけでもはき直しておくべきだった。すべては最後の旋風脚への布石のため、足技から注意をそらそうとする作戦だったのだろうが、その状況のあまりの不自然さに、俺はかえって疑念を抱くことになったのだから。

 

「ふにゃ?」

 

 漣が目を覚ました。むっくり起き上がるとうつろな瞳で辺りを見回し、不思議そうに首を傾げた。

 

「ここどこ…… 私、なんでこんな所に……?」

「漣ちゃん」

「漣って、誰? あぁ、頭が痛い……」

「さ ざ な み ち ゃ ん ?」

「ウッス」

 

 吹雪の声に明らかな怒気がこもり、漣は記憶喪失ごっこを一瞬でやめた。俺は漣に歩み寄り、手を貸して立たせてやった。

 

「漣、頭は大丈夫か」

「漣たちは、このくらいへっちゃらです」

「俺が心配してるのは頭の中身だ。まったく、ケレン味たっぷりのふざけた作戦を立ててくれたもんだ。こんな作戦のために、わざわざそんな妙ないでたちでやってきたのか?」

「これしか服が残ってなかったのは本当ですぞ? 作戦は、お水を運びながらスパッツがちょっとキツいなぁ、って思った時に閃きました。ノーパンで戦ってるふりしたら、カズ様どんな反応するやろなぁ、って」

 

 漣は心外そうだったが、こんな恥ずかしい作戦を臆面もなく実行できた神経がおじさんには理解しがたい。

 

「吹雪を巻き込んだのはなんでだ?」

「吹雪ちゃん、エッチなことにまったく免疫ないですから。一番大騒ぎしてくれるかなぁ、と」

「漣ちゃん、あとでお説教ね?」

「ウッス」

 

 吹雪は笑顔をつくっていたが、顔色は紙のようだった。結構本気で頭に来てるぞこれ、真っ赤になって怒る奴より、青白くなる方がよっぽど怖いんだよ。

 

「吹雪を巻き込むなら、あらかじめ話を通しておくべきだったな。おまえら、生身で通信みたいなことができるんだろう?」

 

 米軍でそんなものが研究されてるって噂は以前から俺も聞いていた。ナノマシンを通じた体内通信機、叢雲が俺と一緒に工廠にいた漣を呼んだのも多分それだろう。それがナオミ女史の発明かどうかは知らないが、少なくともここに持ち込んだのは女史で間違いないだろうな。

 

「えぇー、それはさすがに反則かと?」

 

 砂蹴りまでやっておいてなにをいまさら。

 

「口先三寸で友達を思い通りに操ろうなんて思い上がっていると、そのうちみんなからの信頼をなくすぞ? おまえは吹雪を操ってチャンスを作ったが、吹雪の乱入まで予測できなかったからチャンスを潰したんだ。言っておくが、だからといって吹雪を恨むんじゃないぞ。友達がバカな真似をしでかそうとしてたら、止めてやるのが当然なんだからな」

 

 漣が神妙な顔で吹雪を見て、ごめんなさい、と、消え入りそうな声で頭を下げた。吹雪は漣の肩を抱いて、もうこんな心配かけないでね、と耳打ちした。

 

 

 漣は一人でとぼとぼと観客席に戻り、吹雪は試合場に残った。そうか、君が四人目か?

 

「ここからは、この吹雪がお相手します! 三連敗してもう私たちの負け越しは決まっちゃいましたけど、せめて一矢報いてみせますからね?」




 格闘シーンを書くのは難しいんだけど漣が馬鹿やってるのを書くのは楽しい。あまり楽しいもんだから、ついつい漣一人で一話分使っちゃいました。最初の予定では、五人組手を一話で片づける予定だったはずなのに。
 次回こそは組手を終わらせて次々回から新展開にしたい。今回でストックが完全に切れたので、お盆休みはステイホームで書き溜めしたいなぁ。
 


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第十三話 TATSUJIN

 苦戦の末に漣を下し、CQC組手大会は後半戦、俺対吹雪の試合となった。

 

 この子たち、見た目は可愛い女子中学生なんだが、ナノマシンとやらの影響で身体能力が強化されているそうだ。つまり、なりは小さくとも一端の兵士以上の体力を備えているので、立て続けの四戦目ともなると、いくら若返った俺でもけっこうしんどいものがある。だけど、頑張っちゃうよなぁ。だって昔は組手といえば、イカツくてムサいゴリラみてえな野郎どもばかりが相手だったんだ。それを思えば天国みたいなもんだよ、なんかいい匂いもするし。

 

 それはそれとして吹雪の相手だ。柔道着を着こんだ彼女は、実力的には五人中二位の対戦成績を誇るという。これまでの三人も楽には勝てない実力者揃いだったが、さてこの子はどんな技を見せてくれるのか。審判をつとめるストレンジラブが試合開始を宣言し、ゴングが鳴った。

 

 打撃を交えつつ互いに手の関節を狙い合う展開は、さっきまでの漣戦とあまり変わらなかった。ただ、漣とはっきり違うところがあるとしたら、吹雪は体重差のある俺と組み合うことを避けようとしないことだ。

 

 ほとんどの格闘技には体重別の階級があるし、相撲取りはなるべく大きく、重くなるために身体作りをする。それだけ重要な体重差の不利を省みず、あえて組み合いを選択するのは自信の顕れか、あるいはバトルジャンキーかな? どっちかといえばその線かもしれない。昼飯前のロビーで吹雪が漣の背後から密かに忍び寄って絞め落とした手並みは見事なものだった。自分が磨き上げた技術を存分に揮える相手がいるのが楽しくてしょうがないのだろうか、俺と組み合いながらも吹雪は笑顔で戦っていた。

 

「やっぱり、初めての相手との稽古は身になります!」

 

 手首の取り合いから吹雪が一歩前に踏みこんできて、相四つの組み合いになった。そのまま押し合いになるが、先程の叢雲戦の時と同様、いくら押してもびくともしない。日頃からあんな靴で海上をスケートみたいに走り回っているんだ、足腰は相当鍛えられているんだろう。

 

 押し合いが膠着したところで、俺は吹雪に呼吸を読まれた。息を吸う瞬間を見計らって、俺の腰にしがみついてタックルを仕掛けてきた。俺は上体を吹雪の背中に預けてがぶりの体勢になり、タックルのまま突進してくる吹雪を押しつぶす。柔道だったらここから寝技の攻防になるのかもしれないが、あいにくと現代の戦場格闘技であるCQCには、寝技という発想がほぼない。戦国時代の日本の戦場で、相手を組み伏せて首を掻くために発達した技術である柔術とは、そもそもの目的が違うからだ。手足を丸めて亀のように伏せる吹雪から離れて、俺はこれが吹雪攻略の糸口にならないかと思い当たった。

 

 俺が吹雪から離れた時、ストレンジラブが待てをかけていた。なんというか、俺も非常に格闘技的な対応をしてしまっている。相手が丸まって伏せてるなら、尾てい骨を蹴飛ばすくらいしてやるほうがよほど戦場的なのだが、うん、考えるまでもなく絵面が最悪だ。彼女らは女の子といって甘く見てはいけない相手なのは確かだが、女の子相手にやるにははばかられる技もあるしな。

 

 ストレンジラブが吹雪の服装を直させ、試合再開となった。俺は、今度はわざと吹雪と組み合うのを嫌う素振りを見せた。いかにもタックルを警戒しているかのように組み合わずに間合いを離して、これまでの試合のように自分のリーチを活用して吹雪の間合いの外から打撃中心で戦ってみせた。

 

 今度は吹雪はいかにも残念そうな顔だったが、無理に突っこんでくることなく落ち着いてパンチをさばいている。俺は顔面狙いのジャブを数発散らしたあと、右の中段突きを打ちこんだ。吹雪は外にかわして俺の手を取る、当然だな、この突きは電の得意技だ。普段から散々見ているはずだ、対処の仕方も慣れているだろう。吹雪は俺の手首を極め、体勢を崩させて小手返しに投げようとした。だが、投げが決まろうとした瞬間、俺は自由な左手でガラ空きの吹雪の襟を取った。そのまま、自分が投げられる力を利用して吹雪を捨て身投げに投げる。本職の柔術家ならこの返し技が綺麗に決まったかもしれないが、俺の腕ではうまく決まらず、俺と吹雪は二人してもつれて倒れこんだ。

 

 審判の声はない。どちらの投げも無効となったが、かといって待てもかからない。自分がなんで投げられたのか分からず茫然とする吹雪に、間髪入れず俺は襲いかかった。座り込んだまま俺を蹴ろうとする足をかわし、起き上がるのが遅れた吹雪に馬乗りになった。ブリッジで体勢をひっくり返そうとした脚に俺の足を絡めて封じ、両腕で顔面の防御を固める吹雪の右手首をまずは左手で掴み、橈骨の痛点を俺の左親指で押さえた。

 

「痛、いたたたたた」

 

 これは柔術の技の応用なんだが、まさにツボに入るとどんなに腕力があっても抵抗するのは難しい。俺は吹雪の右手を砂地に押さえつけ、空いた右襟を右手で掴んだ。そのままそこを支点にして前腕で頚動脈を圧迫する、片手絞だ。吹雪の表情が恐怖に青ざめる。このままでは数秒で失神してしまうのだが、絞めが入った時点でストレンジラブが試合を止めた。

 

「そこまで、勝負ありだ」

 

 早めに一本を認めてくれて助かった、こんな練習試合で本当に絞め落とすまではやりたくなかったからな。医学的な根拠についての研究は進んでいないんだが、格闘技界では日常的に絞技で失神するのを繰り返していると、絞技ですぐ気絶するようになる、俗に落ち癖がつくなんていう。そんなんなっちまったらあんまり可哀想だ。

 

 

「うぅ…… 怖かったよぅ」

「アンタにはいい薬になるんじゃないかしら」

 

 試合の後、吹雪は叢雲の膝にすがりついて頭を撫でられていたが、叢雲の口ぶりは結構辛辣だった。俺は二人に近づき、涙目の吹雪に声をかけた。

 

「吹雪、あの俺の呼吸を盗んだタックルは見事だった」

「だが、そのあとの対策はお粗末だったな。CQCで寝技を考えないのは理解できるが、寝技にもつれこむようなタックルを使うんだったら、対策をしておかないのはいかにも片手落ちだ。とはいっても、俺も寝技はそんなに得手じゃないから教えてはやれないんだけどな」

 

 吹雪はふと起き上がり、俺に向き直り姿勢を正すとこんなことを聞いてきた。

 

「あの、カズさん」

「なんだ?」

「今の試合の最後のところ、私はカズさんを本当に怖いって思いました。博士が止めてくれなかったら、本気で絞め殺されるんじゃないかって」

「さすがにそんなことはしないが、俺を怖いと思ったなら君の感覚は正常だ。戦う相手を怖いと思うのは当然だ、俺だって君が怖かったよ」

 

 吹雪がきょとんとしている。

 

「どうした?」

「……いつだったか、ザ・ボスも同じことをおっしゃってました。あんなに強いボスでも、戦う時はやっぱり怖いと」

「始め、君は戦うことを楽しんでいたな。それは、戦士として優秀な資質だ。だがなぁ、戦うことの怖さを忘れると、いずれは殺戮を楽しむようになってしまう。我々は生きるために戦うのであって、断じて殺すために生きているんじゃない。そうなったら、いずれ君は大事なものを失うことになるぞ」

 

 吹雪がゴクリと喉を鳴らした。こんなことを吹雪に教えたとき、俺の念頭にあったのはナオミの義兄フランクのことだった。あいつは、俺も育成に関わったデイビッド、ソリッド・スネークとの戦いを楽しんで死んだ、あいつはそれでよかったのかもしれない。だが、死の瞬間、あいつの頭の中ではナオミのことをどれだけ考えていただろうか? たった一人、ようやく得た身寄りをまた亡くしてしまう義妹のことを。俺は、チラリと漣に目を向けてから話を続けた。

 

「君はさっき漣を絞め落としてたろう? まあ、まずは、仲間相手に技を使ってむやみやたらに絞め落とすようなことはやめるんだな。落ち癖でもついたら大変だぞ」

「落ち癖?」

「絞技で何度も気絶を繰り返してるとな、そのうち絞めがちょっと入っただけですぐ気を失いやすくなるそうだ。失禁をともなうことも多い、うかつに友達を絞めるのはやめろ」

 

 失禁と聞いて漣が真っ青な顔になった。あとで聞いた話だが、普段の稽古ではあそこまで絞めることはなかったらしく、絞技で失神するのもあれが初めてだったそうだから、今後気をつければ心配はいらないだろう。

 

「漣ちゃん、さっきはごめんね。まさかあれでお漏らしするようになっちゃうだなんて、思ってもいなかったよ」

「い、いくらなんでもあの場で漏らしたりしてませんぞ!?」

「あれは七割がた漣ちゃんが悪かったと思うのです」

「これに懲りたら、今度からはあんないかがわしい隠し撮りはやめることね」

 

 孤立無援のまますでに漣にお漏らし癖がついたかのような話ぶりになってるんだが、漣の人望がうかがえるなぁ。試合を終えた四人はころころと笑っていたが、はて五月雨の反応がない。

 

「さあカズ、次で最後よ。CQCなら私たちの最強、五月雨相手にどう戦うか見せてもらうわ」

「砲雷撃戦も航行も割とポンコツなのに、五月雨ちゃんCQCだけは鬼かってくらい強いんですぞ?」

「ボスの教えを受けはじめた最初のうちはともかく、もう一年以上も誰も五月雨ちゃんに土をつけてないのです」

「ボスから一本取ったことあるのって、五月雨ちゃんだけだったよね」

 

 ザ・ボスからCQCで一本取ったって!? それが本当なら、五月雨って下手すりゃあスネークよりも強いってやつぅー? 俺、スネークからも一本勝ち取ったことなんてないぞ、これやばくない?

 

 会話に参加してなかった五月雨は、いつの間にか砂浜の真ん中でスタンバイしていた。閉じていた眼をすうと見開くと、うわぁなんだかすごいことになっちゃったぞ。爛々と光る眼からはなんか水色の光が漏れ出してるかのような気がするし、砂浜に立つ小柄な少女の姿を見ているはずが、まるで天までまっすぐに伸びる大樹を見上げているかのような錯覚すら覚える。その瞬間本能的に悟った、今から俺はこの樹に吊るされる運命なんだと。この世界にゃお前より年下で俺より強いガキもいる、これ誰に言われたんだっけ、いや俺が言われたんじゃなかったっけ、というかお前って誰だ、そもそも俺は誰だ、そうです私がカズヒラ・ミラーです。いかん、プレッシャーがすごくて思考が混乱している。俺は吹雪にグイグイケツを押されて、なんとか五月雨の前に進み出た。

 

 容赦なくゴングが鳴った。五月雨は半身に構えたまま、スルスルと滑るようにこちらに近づいてくる。袴をはいているせいで足捌きは見えないんだが、まるでレールの上を滑ってくるようにその歩みは淀みなく、肩も頭もまるでブレない。君、なんでさっきお茶を持ってくる時にその歩き方ができなかったんだ?

 

 五月雨が俺の間合いに入った、なんかしないとこのままやられる。反射的にパンチを放ったが、五月雨が俺の足元に沈みこんだかと思ったら、パンチを打った姿勢のまま俺は一回転して背中から砂地に転がっていた。

 

 振り返ると、五月雨はまた最初の構えで立っていた。他の四人も、審判のストレンジラブもあんぐりと口を開けたまま茫然としていた。どう見てもこれで一本のはずなんだが、審判の宣告はない。俺が五月雨に投げられたのか、それとも勢い余って自分で転んだのか、ストレンジラブにも他の皆にも判別がつかないんだろう。ある意味無理もないかもしれない、今投げられたはずの俺自身だって、自分が何をされたのかまったくわからないんだ。

 

 またスルスルと五月雨が滑ってきた。前に出ている右手を掴む、五月雨はそこを支点に半回転して俺の背後に回り、気がついたら肩を極められたまま地面に投げ落とされていた。

 

 俺を投げ飛ばすたびに、五月雨は必ず間合いを切って最初の構えに戻る。そうして俺が起き上がると、またスルスルと近づいてくるんだ。こんなことの繰り返しでもう何十回投げられただろうか、俺は膝に力が入らず、すでに立ち上がる気力すらなくなりかけていた。

 

「まずいわ、五月雨ったら完全に理性飛んでるわよ」

「カズ様死んじゃいますぞ!?」

「とにかく、止めるのです!」

 

 観戦していた四人が駆け寄ってきて、五月雨を取り押さえようとした。もう試合どころじゃない、恥も外聞もなく俺は悲鳴をあげて助けを求めていた。

 

「やめて五月雨ちゃん、カズさん壊しちゃダメぇ!」

 

 四人がかりで両腕と肩を押さえたはずが、五月雨がスッと動いたと思った次の瞬間には四人がまとめて砂の上に転がされていた。ウッソだろお前、そんなの映画とかでしか見たことないぞ!?

 

 次は殺される、そう確信したが、五月雨は桃色に上気した顔で一息つくと、いきなり正座して深々とお辞儀をした。

 

「ありがとうございました、久しぶりにいいお稽古ができました」

 

 えぇ…… 俺、今やもう全身砂まみれのサンドマン、スナスナの実を食べた砂人間よ? MSFの訓練でもここまではしごかんぞってレベルでブン投げられまくって、それをお稽古ですますなんてちょっとひどくない? でも五月雨ちゃんの満足そうな笑顔は天使そのものだ、頬を伝う汗がダイヤモンドのように眩しい。俺はダイヤモンドドッグズ、ダイヤのためなら犬にでもなんでもなるんだ。とほほ。

 

「さあ、この辺でお開きにしようか。陽もずいぶん傾いてきた、そろそろ家に戻ろうか」

 

 いまさらパンパンと手を叩きながらストレンジラブが近寄ってきた。あんたが早いとこ試合を止めてくれてたなら、俺もこんな惨状にはならなかったのに! 一言文句を言ってやらねば気がすまん。

 

「まあ、大の男がこんな小さな女の子におもちゃにされたからといってあまり気に病むな。この子のCQCはボスの折紙つきだそうだからな。それに、貴様は可愛い子に弄ばれるのが大好きだったろう?」

 

 はい、大好きです! いやそうじゃないよ、いくらこれから風呂入るからってここまで砂まみれにしなくたって……

 

「漣はさっき見たから知ってるだろうが、妖精さんが工廠に広い風呂を作ってくれたんだ。カズの奴もそこを使うから注意と警戒が必要だが、これからは出撃から帰ってきたらすぐ風呂に入れるぞ。さっそく行ってくるといい」

 

 わぁっと歓声をあげて子供たちが階段を駆け上がっていった。追いかけたかったが、さんざん投げられてもう俺の足腰は産まれたての子鹿同然だ。あぁ、俺の一番風呂が……

 

 

 ストレンジラブは肩を貸すなどの一切の手助けをしてくれなかったので、俺は階段を這いずるようになんとか自力で登りきったところで、本棟の玄関でストレンジラブがホースを構えて待っていた。

 

「こらこら、そんな砂まみれで中に入る気か。流してやるからそこに立て」

 

 全身の砂を洗い流しながら、ストレンジラブが話し始めた。

 

「せっかくの一番風呂をこんな水浴びなんかにしてすまなかったな、ちょっと貴様と二人で話したくてな」

「あの子たちには聞かせたくない話か?」

 

 珍しくストレンジラブが詫びた。水臭いやつだ、水浴びだけに。なんならあの子達が上がった後に二人きりでお風呂でもよかったんだぜ? 口に出したら命がないから絶対言わんけど。

 

「聞かせたくないというか、恥ずかしいから聞かれたくない話だな。それというのも、私の息子のことだ。彼の消息についてなにか知ってたら、教えてくれないか」

「たしかハル君、って言ったっけか? あんたがアフガンで死んだって時にはまだ三歳だったか」

 

 ハル君について、俺はいくらか知っていることがある。全面的にこいつのせいでねんがんの一番風呂を奪われた身としては、正直言ってあまり素直に教えてやるのもちょっと癪な気がするんだが、子供の行く末を案じる親の気持ちは俺にもよくわかる。一つ貸しだ、俺の知ってることなら快く教えてやろうじゃないか。




 遅くなって申し訳ない、グラサン提督第十三話をお届けします。
 お盆休みには書き溜めをしようと目論んでましたが、お盆休みったってお盆には家の仕事があるわけで、墓掃除迎え火親戚の相手送り火と、結局完全オフは一日あるかないかでした。お盆が休みなんて幻想だったんや……

 格闘編は今回でおしまいとなり、次回はまたこの謎の島での生活となります。次々回かそれともその次からか、これまで続いてきたカズ視点を離れて、別の人物の視点からのお話となる予定です。


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第十四話 さらばカルテク出版局のオババ

 五人の少女たちとの突発組手大会で砂まみれの子鹿になってしまった俺は、ストレンジラブのせいで一番風呂の権利を子供たちに譲らされてしまった。皆が風呂に入ってしまったあと、ストレンジラブは俺に話があるんだという。

 

「ほら、タオル使え」

 

 すっかり砂を洗い流してもらった俺に、ストレンジラブがタオルを投げてよこした。ありがたく使わせてもらおう。

 

「こんな小さな島なのに、真水は潤沢にあるんだな。贅沢はできないもんだと想像してたが」

「それも、妖精さんのおかげだ。MSFでも使ってただろう、海水を淡水化する装置を。あれの高効率版と思ってくれていい。MSFでは逆浸透圧を利用した海水の濾過を行って淡水を取り出していただろう? それでも蒸発凝縮方式よりは低コストの海水淡水化が可能ではあるが、ここでは超音波霧化分離を利用した淡水化を行っている。私が提案して、工廠妖精さんに作ってもらったんだ」

 

 ほう、それでこんな絶海の孤島でも真水を贅沢に使えるってわけか。MSFの頃は、三百人の隊員が使う真水を確保するのも安くはなかったからなぁ、技術革新様様だよ。

 

 砂は洗い流してもらったが、服はビショビショのままだ。脱いだ靴は日当たりの良さそうなところに放り出して、服を脱いでギュウギュウに搾った。俺が服を脱ぎ出したらストレンジラブは顔をしかめてそっぽを向いたが、しょうがないじゃないかこんな有様なんだから。

 

 

 ロビーに落ち着いたところで、ストレンジラブが缶ビールを二つ持ってきた。俺が普段飲んでいた物ではないが、アメリカの銘柄だ。

 

「こいつは、しばらく前に近くの小島に流れ着いた木箱から拾ってきたものだ。もしかしたら、あの化け物に沈められた米海軍の艦艇に積んであったものかもしれんな。拾い食いのようで気がとがめないこともないが、ただ朽ちさせるよりは飲んでやるのが供養というものだろう」

 

 よく冷えたビールで乾杯したあと、俺は話を切り出した。

 

「ハルくんの行く末についてだがな、先に結論から言うと無事成長して、大学に進んだところまでは俺も把握している。経緯についてもある程度は知っているから聞きたいというなら話すが、あんたにとってはあまり愉快な話じゃないかもしれないぞ。それでもいいか?」

「それでもいい、聞かせてくれ。……そうか、ハルは、無事成長できたんだな、よかった」

 

 ストレンジラブはサングラスを外し、ハンカチで涙を拭っていた。彼女がこの島に来てそろそろ一年と聞いた。子供たちの志に協力しながらも、今が何年でここがどこかもわからないまま、ずっと息子の行く末を案じ続けていたのだろう。

 

「エメリッヒの奴は、未完成のサヘラントロプスの子供しか乗れない狭いコクピットに、テストパイロットとしてハルくんを乗せたそうだな」

「そうだ。私は反対したのだが、ヒューイがそれを強硬に推し進めた。結局テストは失敗し、ハルは複数の骨折を伴う大怪我をしてしまった。彼は私たちから引き離され、スカルフェイスの指示でアメリカ本国の病院に入院させられることになった。私とヒューイは口論となり、そして……」

 

 エメリッヒの手によってか、それとも自ら逃げこんだのかはわからないが、ストレンジラブはレプタイルポッドの中に閉じこめられ、そのまま窒息死したというわけだ。それが、どういうわけか妖精さんの手によって彼女はこの島に再び生を享けた。俺たちがアフガンの研究所を襲ってエメリッヒを確保するまで、レプタイルポッドにはミイラ化した彼女の遺体が残ったままだったが、妻の遺体とともに研究を続けていたエメリッヒの狂気については、もう俺にはうかがい知る術もない。

 

「俺たちがアフガンの研究所を襲ったあと、エメリッヒは一応俺たちの仲間として当時のダイヤモンドドッグズのマザーベースに迎え入れられた。もっとも、俺の目的はMSFマザーベース襲撃のときにエメリッヒがどのような目的のもとにどんな行動を取っていたのか、それを尋問するためだったがな」

 

 自衛のための抑止力として核武装を選んだ俺たちMSFのマザーベースに、IAEAからの査察を装ってスカルフェイス率いるXOF部隊を引きこんだのも、マザーベースの警備兵を武装解除させたのもエメリッヒの仕切りだった。裏で糸を引いていたのはスカルフェイスだろうが、エメリッヒは俺たちを裏切りスカルフェイスと手を結んでいた。奴をダイヤモンドドッグズに迎え入れたのはそれを吐かせるためだった。奴の罪を洗いざらい吐かせたあとで、皆の前で奴を断罪してやるつもりだったが、優秀な尋問官がいたにもかかわらず、奴の自分自身すら騙せる天性の虚言症という性質もあり、尋問はなかなか進まなかった。

 

 そうしている間にも、奴を引き入れたことが毒餌を食ったようにダイヤモンドドッグズを再び蝕んでいた。奴の手引きで保護した少年兵たちはサヘラントロプスを奪って脱走し、マザーベース内では電子顕微鏡の放射線漏れから声帯虫の変異株が発生、隊員に多数の犠牲者を出した。

 

「あんたには悪いが、俺はいずれエメリッヒを処刑するつもりだった。だが、ビッグボスがそうさせなかった。結局エメリッヒは、インド洋のど真ん中で、わずかな水と食糧だけを積んだボートで流され追放となった」

 

 ストレンジラブはビールを啜りながら無言のままだった。彼女も奴に裏切られ殺されたとはいえ、最愛の息子ハルの父親で、一度は愛した男だったはずだ。思うところはあるのだろう。

 

「ビッグボスは奴を追うなと言ったがな、俺は密かに奴の行く末を追跡させていた。悪運の強いやつだ、あいつは干からびる前に漁船に見つけられて助かり、その後アメリカに舞い戻った。どうやって探し当てたのか、施設にいたハルくんを引き取り、一緒に暮らし始めた」

「……しぶとい奴だな」

 

 ストレンジラブは感情を抑えた声を出した。ハルが孤児になってしまうよりはまだマシ、と思っているのかもしれない。

 

「その後、あいつはダンジガーとかいうイングランド出身の女と再婚してな、ハルくんにはダンジガーの連れ子のエマという義妹もできたが、決して愛情に恵まれた暮らしじゃなかったようだ」

「……あの野郎」

 

 今度の声は怒りが隠しきれていなかった。まあ、自分を殺した夫があっさり再婚キメて暮らしてたら怒りもするな。エメリッヒ家のドロドロ生活についてはもっと調べた事柄があるんだが、これ以上深く突っこんで話したら多分俺の命が危ない。

 

「ハルくんが14歳の時、自宅のプールで事故が起きた。エマちゃんと、彼女を遊ばせていたエメリッヒの二人が溺れたんだ。エマちゃんはなんとか助かったが、エメリッヒは死んだ」

 

 ストレンジラブは残りのビールを一気にあおると、空き缶をテーブルに叩きつけた。

 

「ほんとうに、自分勝手な男だったな。勝手に愛して、勝手に殺して、勝手に死んでしまったか」

 

 ストレンジラブがサングラスの奥でどんな眼をしているのか俺にはわからなかったが、彼女の感慨についてうかつに触れたくない俺は勝手に話を続けた。

 

「エメリッヒが死んで、俺は奴への追跡調査を一度打ち切った。ただ、奴の遺族については様子見程度のものだが定期的に調査を続けていた。父の事故死のあと、ハルくんは家を出奔して自活を始め、ダンジガー母子はイングランドに帰国した。その後、ハルくんは独学でMITに入学したことまではわかっている。俺が知っているのはここまでだ」

「MITか…… 優秀なところは私に似てくれたのだな。だが、なんでカルテクじゃないんだ」

 

 エメリッヒの話題の時は明らかに不機嫌だったが、ハルくんの無事な成長を知って、いくらかは機嫌を直してくれたようだ。だが、ハルくんの進学先の選択まで知るか。なんでこういうインテリって奴らは、自分の子供を自分の母校に行かせようとするんだ? 自分の研究くらい自分で決めさせてやれよ。

 

「いや、それはもう彼自身が選ぶことだったな。育児のできなかった私が口を出すことではない、か。ありがとうカズ、おまえのおかげで心残りが晴れた。ハルなら、きっと自分の選んだ研究でひとかどの人物に育ってくれるはずだ」

 

 どうやら俺の話に納得してくれたらしく、ストレンジラブは晴れがましい表情で席を立つと、寄宿棟に去っていった。俺は空き缶を始末すると、そろそろ頃合いだろうと工廠に向かう途中で、風呂上がりの子供達とすれ違った。

 

「カズ、悪いけど先にお風呂いただいたわよ」

「ごめんなさい、一番風呂を横取りしちゃって」

「いや、そいつはもういいんだ。考えようによっちゃ、誰も待たせてないからこのほうがゆっくり入れるってこともある。俺はサウナが好きなんだ、じっくり堪能させてもらうさ」

 

 叢雲と五月雨はすまなそうな顔をしていたが、誰にも気兼ねなくようやく風呂に入れるんだ、俺は上機嫌だった。しかも、新築の風呂だから、これから俺を待っているのは純粋混じりっけなしの100%乙女の残り湯だ。ある意味では、同じ重さの黄金にも替えがたい価値があると断言してもいい。そんな内心をひた隠しに、俺は足取りも軽く浴場へと向かった。風呂入る前にちょっとビールを飲んでしまったが、まあ一本くらい平気だよな、今の俺は若いんだから。

 

 

 誰もいない風呂場に入ってみると、先に五人が使ったにしては風呂はきれいだった。きちんと行儀よく入ってくれたみたいで偉いな、これもナオミ女史のしつけかな? 俺もそれに倣い、まず髪も体もきれいに洗ってから浴槽に浸かる。美少女五人の残り湯だ、なんか御利益ありそうだなぁ。浸かる前に飲んだりしなかった俺を誰か褒めてほしい。それにしてもなんだか湯がしみる。無理もない、この島で目覚めたとき、俺はほぼ全裸で砂浜に転がされてたんだからな、日焼けでもしたんだろう。そういえば、ストレンジラブの奴は肌が弱くて陽にあたれない体質のはずだったが、さっきの審判役は大丈夫だったんだろうか? まあ、あいつがそういう対策を怠るはずがないから大丈夫だろう。俺は、ようやく入れた念願の風呂と、サウナに水風呂を思うさま堪能させてもらった。

 

 俺が風呂から上がってくる頃には、もう日没になっていた。脱衣場に出ると、脱いでおいた服はいつの間にか回収されていて、代わりに新しいバスタオルや肌着と、紺の浴衣が用意されていた。漣が洗濯してくれるって言ってたから、着替えを用意してくれたのかな? 浴衣着るなんて何年ぶりかな、多分子供の頃以来だよな。脱衣場の冷蔵ショーケースから貰ったコーヒー牛乳を飲みながら、俺はこの島でもうまくやっていけそうだな、と安堵の息を吐いた。

 

 

 脱衣場を出てロビーに戻ると、もうすっかり夕食の準備ができていた。ストレンジラブ以外はみんな食卓に揃っている。

 

「おっ、カズ様、浴衣もよくお似合いですぞ? さっそく一枚」

 

 漣が写真を撮った。おいおい、撮るんだったら心と体の準備をさせてくれよ。なんなら胸元とかもっとくつろげてもいいんだぞ、セクシーに撮ってくれよ。

 

「もともと倉庫にあったものなんですけど、大事にとっておいてよかったです。カズさん結構背が高いですけど、サイズとか大丈夫でした?」

「今日の晩御飯は焼き魚です。今日の焼き加減には自信ありですよ」

 

 そう言って五月雨が得意げに胸を張った。自信ない時は黒焦げだったりするんだろうか。

 

「それにしても、博士はどちらへ行かれたのでしょう? 誰か、博士を見なかったのです?」

 

 電が訝しげな顔をした。あいつは自分の部屋にでも戻ったもんだと思っていたが、いったい皆を待たせて何をしているんだ?

 

「ストレンジラブなら、君たちが風呂に入ってる間は俺とここで話をしてたよ。そのあと、君たちが風呂から戻ってくる前には寄宿棟に戻っていったな」

「カズ様がお風呂に入ったあと、漣が洗濯物を回収しました。でも、着替えを持ってくるのを忘れたので、とりあえず洗濯物だけ持って一度寄宿棟に戻ったんです。服を洗濯機にかけて、着替えを持っていこうとしたところで博士に会いましたぞ?」

「その時、博士は何か言っていたかしら?」

「博士は研究室に用事があるから、ついでに着替えを持っていってくれるって」

「そういえば、漣ちゃんが途中からお夕飯の準備を手伝ってくれたのでした」

 

 つまり、俺の服を漣が回収したあと、着替えを置いていってくれたのがストレンジラブだったわけだ。

 

「研究室はどこにあるんだ?」

「博士の研究室は工廠に併設されているわ。カズ、お風呂から上がったときに博士に会わなかった?」

 

 俺は風呂から出たあと、あちこち寄り道せずにまっすぐロビーに戻ってきた。研究室にストレンジラブがいたかどうかまではわからない。

 

「ちょっと、研究室を見てくるわ!」

 

 弾かれたように立ち上がり、叢雲が走り出ていった。

 

「電は、寄宿棟を探してみるのです。五月雨ちゃん、本棟の方をお願いするのです」

「私、島の中を見回ってみます! 漣ちゃん、工廠に行って、艤装のスタンバイをお願い! もしかしたら、海も見てみないとかも」

 

 皆が手分けしてストレンジラブを探し始めた。俺は、とりあえず叢雲を追って研究室に向かうことにした。

 

 工廠まで同行した漣は、妖精さんたちを指揮して全員分の艤装のスタンバイを始めさせた。艤装はパイプを組んで作られた足場のようなフレームに固定された状態で保管されており、必要に応じてクレーンで吊り上げ、子供たちが装着したら分離するやり方になっているようだ。

 

 俺が研究室に入った時、室内では叢雲ただ一人が青ざめた表情で立ちつくしていた。

 

「カズ、どうしよう…… 博士、いなくなってしまったかもしれないわ。ナオミ先生みたいに」

 

 叢雲が震える手で差し出したのは、ストレンジラブがいつもかけていたサングラスと、一枚のカードだった。

 

「これは、間違いなくあいつのサングラスだな。このカードはなんだ?」

「二つとも、その扉の前に落ちていたわ」

 

 キャッシュカードのような磁気カードだが、これはカードキーか何かか? どこかで見た憶えがあるが。

 

「この扉、中には何があるんだ」

「わからない…… 今まで、私たちが知る限り一度もこの扉を開けたことがないのよ。引き戸のように見えるけど、ドアノブも鍵穴もないんだもの」

 

 扉の横にはカードキーの読み取り装置があった。思い出した、まさしくこれはカードキーに間違いない。たしか、ピースウォーカー事件のときに、コスタリカでストレンジラブが使っていた研究所の入り口にあったものが同じ規格だったはずだ。俺は現場に行ってはいないが、ミッション後の調査報告資料で写真を見たことがあるんだった。

 

「この扉はな、この隙間にこういうカードを通すことで開く仕組みになっているんだ。もっとも、鍵が合っていればの話だが。試してみるか?」

 

 しばらく逡巡して叢雲はうなずいた。

 

「そのカードは、今日浜辺であんたを見つけたときに博士が拾ったものよ。その…… あんたが裸で気絶していた周りに、服と一緒に散らばっていたはずだわ」

 

 そうか、そういえば、俺が目覚めたときストレンジラブと一緒にいたのが叢雲だったな。

 

「拾ったとき、あいつはなにか言ってなかったか?」

「そうね、なんでカズがこんなもの持ってたんだ、とかあとで調べてみるかとか…… 独り言だったから、それ以上詳しくは聞いていないわ。そのカード、あなたのものだったの?」

「いや、これは俺のじゃない。ここにくる直前までの俺は自宅でトレーニング中だったからな、ジムウェアを着ていた程度でこんなカードは知らん。こういうのは出入りの管理が厳重な施設で使うもので、自宅の鍵に使うようなもんじゃない」

「叢雲ちゃーん、全員分の艤装スタンバイ完了です、すぐにも出られますぞ!」

「寄宿棟には博士はいらっしゃらなかったのです!」

「どうしよう、本棟にも博士はいなかったよ。こっちにもいないの!?」

 

 ドヤドヤと三人が研究室に駆けこんできた。やはりストレンジラブは見つからない。

 

「おっ、吹雪ちゃんから連絡ですぞ。島内を一回りしましたが、博士の痕跡は足跡ひとつ見当たらないそうです。これからここに戻ってくると」

 

 あいつの残した手がかりは、このサングラスとカードキーだけか。話に聞いた、ナオミが姿を消した時の状況に酷似している。ナオミは役割を果たしたから元の世界に帰された、と妖精さんが言ったそうだが、今回もそういうことなのか? この子たちにお別れひとつ言わせる暇もないなんて、水臭いにも程があるぞ!

 

「このカードキー、使ってみるぞ」

 

 読み取り装置にカードを通すと、あっさりと扉が開いた。止める間もなく叢雲が中に飛びこんだが、なにこれ!? と一言言うと入り口で立ち止まった。

 

 扉の中は、一坪ほどの狭く窓のない部屋だった。聞くまでもなくストレンジラブの姿はない。一面は出入り口、残りの三面は作りつけの頑丈そうな本棚になっていて、ファイルや本などがまばらに収められていた。部屋の中央には小さなテーブルと椅子があり、一冊の本が開かれたまま、意味ありげにテーブルライトに照らされていた。

 

 開かれたページは英文といくつかの絵図が描かれていて、文章はともかく内容は俺にはまったく理解できなかった。表題を見てみると、どうやらAIの構築と育成について書かれた学術書のようだった。

 

「カズ様、その著者名!」

「知っているのか」

「その名前、博士の本名ですぞ。ストレンジラブって、博士のあだ名だったんでしょ? 本名は似合ってなくて恥ずかしいからって、しつこく聞いてもなかなか教えてくれなかったけど、こないだようやく聞き出したんです」

 

 誰にも言うな、って言われてたんですけどー、と漣は付け加えた。本の奥付を見てみると、カルテク、カリフォルニア工科大学の出版局から2000年に発行された本だとわかった。カバーの袖には著者近影と略歴が掲載されており、サングラスをかけた白髪の初老の女が写っていた。




 もはや定期更新を続けることが難しくなってしまいましたが、グラサン提督第十四話をお届けします。

 今回をもちまして、ストレンジラブ博士は物語の本編から退場となります。次回は博士の足取りを追う泊地一同の動きとその顛末を描き、次々回以降はしばらく別の人物に視点を移しての番外編となる予定です。

 ブラウザ艦これではいよいよ夏イベが始まりましたね。作者もなんとか乙クリアくらいはできないかな、と情報を集めながら計画を立てているところです。これでますます執筆遅れたりせんかな……


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第十五話 フィラデルフィア・エクスペリメント

 大変遅くなって申し訳ありません、第十五話をお届けします。
 執筆が遅れている原因が夏イベなのは確定的に明らか、長鯨ちゃんどこ、ここ……?


 夕食の席に現れず、突然姿を消したストレンジラブ。手分けして探した俺たちは、工廠にある研究室で手がかりを見つけた。彼女のサングラスとカードキー、研究室にあった扉を開けてみたが、その中は小さな書庫だった。そこにもストレンジラブの姿は見当たらず、かわりに2000年に出版された、ストレンジラブの著書とおぼしき書籍が残されていた。

 

「ただいま戻りました! あれ、開かずの扉が開いてる!?」

 

 島内を捜索していた吹雪が戻ってきた、これで子供たちは全員揃ったな。まさかストレンジラブが海に出たとは思えないが、一応確認はしなくちゃならないだろう。

 

「それでは、これから念のために周辺海域の捜索を行ってもらう。もう夜だからな、いきなり敵と出くわす可能性だって考えられなくもないだろう。きちんと武装したうえで、ツーマンセルでの行動を厳守してくれ。そうだな、吹雪と電、漣と五月雨の二組に別れようか。二組で、ここからそれぞれ逆周りに島を一回りしてくるんだ。叢雲は残って、皆からの連絡を受けるとともに、俺とこの研究室の調査を手伝ってくれ。出撃組は気をつけて行くんだぞ、ムーブ!」

 

 叢雲以外の四人が走り出ていった。電ちゃん、ツーマンセルってなに? と聞こえたのは吹雪の声だろう。

 

「おそらく、海で博士は見つかりはしないのでしょうね。で、私をここに残した理由はなに? 通信だけなら私を残す理由にはならないはずだわ」

 

 叢雲は意気消沈している様子で、ストレンジラブはもう帰ってしまったものと確信しているようだった。

 

「もしもあいつがすでにここを去ったのだとしても、黙ってただ出て行くのは不自然だ。俺は、なにも引き継がれずに一人でストレンジラブの代わりまでできるほど科学に精通しているわけじゃないんだからな」

「この部屋には、たぶんあいつが突然消えた理由の手がかりが残っているはずだ。それを調べるには、この部屋に最初に入った君の証言も聞きたい。そんなところだ」

 

 俺は床にしゃがみこんで、扉の近くの床を調べ始めた。床に特に異常は見つからなかったが、研究室の入り口に振り向いたときに、天井の角に監視カメラを見つけた。

 

「あの監視カメラ、誰が管理してる?」

 

 昼間、寄宿棟の入り口にあった機銃つき監視カメラを見せられたっけな。この館内には、ところどころにカメラを仕掛けているのだろう。映像記録を調べれば、ここでなにかあったのかがわかるはずだ。

 

『そういうことならおまかせくださいー!』

 

 どこからともなくハジメさんが現れた。ハジメさんはデスクの上にあるノートパソコンを指差して、俺に立ち上げるよううながした。

 

 このノートパソコンも見たことのない型だ。OSもWindowsには違いないが、俺が自宅で使っていたものよりバージョンが進んでいるようだ。立ち上げ時にパスワードを要求されたが、それはハジメさんがキーボードの上を器用に跳び回って解除してくれた。t、h、e…… b、o…… "thebosslove" ログインできた、あいつらしいというかなんというか。

 

 ハジメさんに言われるまま俺はノートPCを操作して、監視カメラの管理をするアプリを開いた。これ、今後も役に立つかもしれないから憶えておこう。

 

 今日の夕方あたりからの映像を確認してみると、早送りしているうちにやがてストレンジラブが姿を表した。彼女は開かずの扉の前に立ち、どうやらカードキーを使ったようだ。扉の中がどうなっているかは、カメラからはほぼ死角になっていてわからない。扉が開くと、彼女は一歩後ずさり、おもむろに扉の中に入っていった。

 

「ちょっと、今のところコマ送りで見れるかな」

 

 そう尋ねたら、ハジメさんがどこを操作すればいいか画面を直接指差して教えてくれた。ITがあまり得意でない俺みたいなおじさんにとっては、この上なくありがたい有能なアシスタントだ、どっかのイルカなんかよりずっと役に立ってくれる。いつか俺が元の世界に帰る時は、ハジメさんお持ち帰りしちゃいけないかな? いけないだろうなぁ。

 

 気になったのは、ストレンジラブが一歩後ずさったところだ。扉の中からなにかが飛び出したように見えたんだが…… コマ送り映像を見ていると、扉の中から放射されたなにかがストレンジラブに浴びせかけられたように見えた。ストレンジラブは驚いたのか一歩後ずさり、短く何事か言うとすぐに扉の中に踏みこんでいった。あいにく映像は無音で、なんて言っていたのかはよくわからない。

 

「ああ、これってもしかして」

 

 一緒に映像を見ていた叢雲がデスクの下のくず籠を漁って取り出して見せたのは、色とりどりの細い紙テープだった。パーティーを賑やかすクラッカーの中身みたいな、というかそれそのものだ。まだかすかに火薬の臭いもしている。

 

「これも、さっきのサングラスやカードと一緒に落ちていたのよ。てっきり博士が散らかしたゴミだと思って捨てちゃったんだけど、なんなのこれ?」

 

 手近な紙切れに絵を描いて、クラッカーについて解説してやった。

 

「つまり、これはお祝い事の時に鳴らすおもちゃなのね」

「そういうことだ、なんでそんなものが鳴らされたのかは依然謎だがな」

 

 もう一度扉の中、狭い書庫を調べてみた。どこにもクラッカーの本体は見当たらないし、扉を開けたらクラッカーを鳴らすような仕掛けの痕跡も残っていなかった。この部屋からさらに奥に行けそうな隠し扉のようなものも、この書庫ごと動いて別の場所につながりそうな大掛かりな仕掛けもなさそうだ。だが、最初にストレンジラブがこの扉を開けた時には、少なくともクラッカーを鳴らすようななにか、あるいは誰かが中にいたはずなんだ。

 

 またコマ送りのカメラ映像を見返してみた。今度はストレンジラブの顔をズームして、彼女がなんと言っていたのか、読唇を試みることにした。

 

「うーん、映像が暗い…… 今ひとつ見えにくいな」

「バカね、サングラス取ったらどうなのよ」

 

 ああ、暗いはずだ。サングラスを取って、ついでに映像も少し露出を上げてみた。それでずいぶん明るく見えるようになったが、デジタルズームじゃやはり拡大にも限界がある。ただ、言っている言葉はごく短い言葉だ。二言三言、それもそれぞれ二、三音節程度だ。口の形はウーイ、一度区切ってアーウ、それだけ言ってストレンジラブは扉の中に消えていった。

 

 読唇はひとまず置いておいて、そこからは映像の早送りを続けたが、しばらく映像は無人のまま変化はなかった。やがて叢雲がカメラの前に姿を現し、扉の前に落ちているものを拾う動きを見せた。またしばらく過ぎると俺が部屋に入ってきて、叢雲からカードを受け取った。さらに漣たち三人が入ってきて、皆の前で俺がカードを使って扉を開けた。結局、俺たちがここに来るまでの間、ストレンジラブはこの扉の中に入ったまま出てきていないことになる。

 

「だが、この小部屋はここで行き止まりだ。抜け道や仕掛けがあるとも思えん。それなのに、あいつは影も形も消え失せてしまった」

「そもそも、博士がそんな仕掛けを利用して姿を消す意味がないわ」

 

 ストレンジラブは扉を開けてなにを見たのか、やっぱりそれがあいつの行動の鍵だ。画面の中のストレンジラブを真似て、俺も口を動かしてみた。ウーイ、アーウ、この動きであいつの口から出そうな言葉とは……

 

「ヒューイ、ハル……?」

「なにそれ、おまじないかなにかなの?」

「叢雲。ストレンジラブの家族について、あいつからなにか聞いたことがあるか?」

 

 叢雲は不思議そうな表情をして首を振った。

 

「離れて暮らしてる息子さんがいるって一度だけ聞いたことはあったけど…… その話題になると、博士はいつも辛そうだったわ。だから、私たちもそれ以上のことは知らない」

「ヒューイとハルってのは、あいつの夫と息子の名だ。ヒューイの方はあだ名で本名は別にあったんだけどな、あいつはそう呼んでた」

 

 ヒューイとハル、ストレンジラブは扉の向こうにあの二人を見たのだろうか。そして、半ば衝動的にそちらへ踏み入ってしまったのではないだろうか? 昼飯のとき、妖精さんは俺にこう言った。務めを果たせば価値ある未来を約束すると。ストレンジラブが消えたのは、あいつも務めを果たしたからなのではないか。だから、俺がここに呼ばれたとき、俺と一緒にこの島に来たこのカードキーがあいつの手に渡ったのではないか? そんな仮説を叢雲に話してみたら、叢雲は心当たりのありそうな顔で考えこんでいた。

 

「今までここにいた人たちはみんな、次に来た人と入れ替わるように姿を消しているわ。吹雪たちがボスを連れてきた時に消えたナオミ先生、博士を助けたあとにここを去ったボス、まるで代わりばんこで私たちを助けてくれたみたいじゃない?」

「そして今日は俺が連れてこられて、ストレンジラブが姿を消した。俺たちがここに連れてこられたのが妖精さんの意思によるものだったとして、助っ人は常に一人というルールみたいなものがあるってことなんだろうか?」

 

 そこまで話していたところで不意に二発の破裂音が立て続けに鳴り、俺と叢雲は反射的に音の方へ振り返った。

 

 

『ヒューイ、いや、ハル!?』

 

 

 続いて、ストレンジラブの驚いた声が聞こえた。今の声も破裂音も、カメラ映像を流しっぱなしだったPCからのものだ。

 

『おんせいがみゅーとになっていたのでかいじょしましたー』

 

 ハジメさんがマウスに馬乗りになりながら言った。なんだ、よくある防犯カメラのようにてっきり録音はしていないのかと思いこんでいたが、この映像は音声があったのか!?

 

「博士が来たところからもう一度見るわよ!」

 

 叢雲はハジメさんをつまみ上げて、自分でマウスを操作した。映像とともに、ストレンジラブの声が流れはじめた。

 

 

『カズのやつが持っていたこのカード、やはりここの扉と同じ規格だな。試してみるか』

 

 

 ストレンジラブがカードを使うと、電子音とともに扉が開き、パンパンと破裂音が響いた。彼女は音に驚いたのか一歩後ずさり、『ヒューイ、いや、ハル!?』と言うと扉をくぐって姿を消した。その後はしばらく無人の映像が続き、叢雲が現れたところで再生を止めた。

 

「……博士の最後の言葉、だいたいあんたの想像通りだったわね」

「だが、どうやらあいつが扉の中に見たのは、夫と息子の二人じゃなく、息子一人だったようだな。一度ヒューイと呼びかけて、すぐに否定してハルって呼び直したろう?」

「俺は、元の世界で必要あってあいつの家族の動向を調べたことがあったんだ。あいつの息子さん、ハルくんの顔も知っている。成長してからは、だいぶん親父と似た顔に育っていたっけな。見間違えることもあるかもしれん」

「博士は、元の世界じゃ息子さんがまだ小さい頃に亡くなっていたのよね? 成長過程を見ていなかったのなら、大きくなった息子さんの姿をお父さんと見間違えても不思議はないわけね」

 

 叢雲は、ストレンジラブが使っていたであろうチェアに深く腰かけて溜息をついた。

 

「……ナオミ先生の時もそうだったけど、あんまり突然じゃない。もっときちんとお別れを言わせてほしかったわ」

 

 叢雲が目を閉じると、ポロリと一粒涙が頬を伝った。まあ、あいつだってまさか、なんの気なしに開けてみた扉からいきなり強制送還されるとは思っていなかっただろうな。いつか俺が元の世界に戻れる日が来たら、一度会いに行ってみようか。あいつだって、この子たちの行く末が気にかかっていることだろう。

 

「こんな扉が別の時間、別の場所に繋がるなんて、そんな不思議あるかしら。どうせなら、日本に繋がってくれればいいのに」

 

 頬杖をついた叢雲がそんな世迷言をもらした。

 

「別の時間はあるかどうか知らんが、別の場所ならある話だぞ。俺が昔運営していた傭兵部隊じゃ、空間を歪めて別々の場所をつなげる装備を運用していたよ。捕虜や鹵獲品を安全に運搬するのに利用していたな」

「今は便利なものがあるのねぇ、妖精さんうちにも作ってくれないかしら」

 

 俺が思い出していたのは、ダイヤモンドドッグズで開発したワームホール・フルトン回収装置のことだった。叢雲の期待には添えなくて悪いが、二十一世紀に入ってもなお、一般にはいまだに表沙汰になっていない技術だ。うちの研究開発班はよくぞあんなもの実用化したものだよな、異世界につながって帰ってこれなくなる可能性とか考えていなかったのだろうか?

 

「あんたも、そのうち帰っちゃうのかしらね」

「それなりに先の話になるだろうが、妖精さんの言を信じるならそうなるんだろうな。もっとも、役目を果たしたら帰れるって言われても、具体的なタスクが明示されてないからなにがきっかけになるか判断ができん。それがわかってさえいたなら、ストレンジラブだってうかつにこんな扉を開けたりはしなかったかもしれんな」

 

 もう一度書庫に入って、ストレンジラブの著書らしき本を手に取った。著者名は知らない名だったが、漣が言うにはこれがあいつの本名なのだという。実に三十年越しに初めて知ったな。本人は似合わないと嫌ってたそうだが、なるほどまるで童話の主人公のような名だ。だからって別に隠さなくてもいいと思うんだけどな。

 

 俺にはまったく理解できそうもない本文は流し読みにとどめて、巻末に載っていた著者の略歴を詳しく読んでみた。あいつがピースウォーカー計画、そしてサヘラントロプス計画に関わっていた時期の経歴は空白となっていたが、正史ならばあいつが死んだ後、‘85年からはカルテクに復帰して教鞭を取っていたことになっていた。ストレンジラブはアフガンで死ななかったことになり、アメリカに戻った。そういう形に歴史が改変されたのだろうか? それが、妖精さんの言う価値ある未来を与えられた結果ということなのか。

 

「そろそろ、海に出てた四人が帰ってくるわね」

「そうか、じゃあ出迎えに行くかな。この書庫は、明日にでもあらためて詳しく調べてみよう。なにか役に立つ情報が出てくるかもしれないしな」

 

 ドックの水門を開くと、ちょうど出かけていた四人が連れ立って戻ってきたところだった。みんな潮まみれだったのであらためて風呂に入り直してもらうことにして、俺は叢雲を手伝ってドックを片付けると、四人の着替えの準備を叢雲に任せてロビーに戻った。ご飯がすっかり冷めてしまっただろう、皆が戻ってくるまでにできるものは温めなおしてやりたい。電子レンジとか、あるかなぁ?




 次回からは、二話か三話かわかりませんが、ストレンジラブ視点からの幕間話をお送りする予定です。元の世界に送り還された彼女がどうなったのか、それによって歴史がどう変わっていったのか。現在作者は夏イベ攻略中につき執筆速度が大幅に低下することが予想されますが、気長にお待ちいただければ幸いです。


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幕間一 1984年の上海アリス

今回からしばらくの間、ストレンジラブ博士の一人称による幕間編が続きます。



 私こと、ストレンジラブがこの島に送られてからそろそろ一年になろうとしていた今日、私がこの島を訪れて以来初めての外来者が現れた。

 

 ことの発端は吹雪からの報告だった。空から回転翼機の音が近づいている、というのだ。いまだに地球上のどこに位置するのかすらわかっていないこの島は、周囲を謎の敵性生物によって囲まれていて、通常の船舶ではここまで辿り着くのはおそらく不可能であるはずだった。かといって、空なら安全かというとそうでもない。周囲の敵性生物のなかには、小さな航空機を多数飛ばす能力を持っている空母のような奴が存在する。高高度を超音速で飛んでいくならまだしも、低高度を低速で飛ぶヘリの類では、奴らから逃れることは難しいはずだった。

 

 漣を連れて本棟の屋上に上がると、そこでは吹雪と叢雲がすでに対空機銃を構えて周囲を警戒していた。

 

「どうだ二人とも、なにか見えたか?」

「音は向こうから聞こえてくるんですけど…… 機影が確認できません。おかしいなぁ」

「吹雪の眼でも見えないなんて変ね? 私にも音だけは同じ方から聞こえるんだけど」

 

 吹雪と叢雲はそろって同じ方角を指差している。私もそちらの空に目を凝らしてみたが、常人の私には航空機の姿どころか、彼女らには聴こえるという回転翼の音すら聞こえない。

 

「はいはい博士、これで気が済んだなら早く防空壕に戻ってくださいね? この島に近づいてる回転翼機が奴らのものじゃないって保証はどこにもないんですぞ?」

 

 こら漣、梯子を降りようとしている人間の頭をグイグイ押さえつけるんじゃない、逆に危ないだろう。

 

 その時、私の耳にもヘリのローター音が聞こえた。しかし、ヘリはまったく姿を見せないまま、音だけが雲ひとつない島の上空を通り過ぎて、やがて逆方向へと遠ざかっていった。

 

「なんぞこれ…… まるで幽霊みたいですぞ?」

「やめてよ漣ちゃん。……あっ、みんなあれ見て!」

 

 青い顔で肩を抱きながら震える漣をたしなめていた吹雪が不意に叫声を上げると、私以外の三人が、音が近づいてきた方角の空を凝視していた。

 

「……落下傘ね?」

「なんでしょう、箱がぶら下がってますね」

 

 そう言われても、私の目にはごくごく小さな影にしか見えない。漣が渡してくれた双眼鏡を覗きこんでみたが、今ひとつ視野が暗くてよく見えない。

 

「博士、サングラスは取りなさいよ」

 

 言われてみればその通りだ。サングラスを外してもう一度双眼鏡を覗くと、私が馬鹿をやってる間にパラシュートはずいぶんこちらに近づいてきていて、今なら私の眼にもパラシュートにぶら下がっている箱がよく見えた。

 

「MSFの支援ダンボール……?」

 

 意外にも、謎の物体は私にも見憶えのあるものだった。MSF、私が‘70年代半ばにほんの一時期だけ籍を置いていた、傭兵派遣を生業とする私設軍隊だった。彼らは戦場に派遣した兵士に、任務遂行の助けとなる支援物資を直接届けることがあり、その梱包に利用されるのがあのダンボール箱だった。

 

「あの落下傘、放っておけばここの玄関あたりに落ちそうね」

「どうする、撃ち落としちゃう?」

 

 叢雲と吹雪が再び機銃を構えた。

 

「吹雪、叢雲、対空射撃用意。中身がわからないから、合図するまで撃つな。だが、照準も外すなよ」

 

 きちんと計算したわけではないが、タイミングを見計らって傘を撃てば、箱だけうまく砂浜に落とせそうだ。中身を調べるのはそれからでもいい。

 

「漣、五月雨と電はどうしている?」

「指図通りドックでスタンバってますぞ、いつでも出られます」

「よし、吹雪に叢雲。いいか、箱には当てるな。パラシュートを狙え」

「あの博士、ぱらしゅーとって」

「落下傘のことよ!? そんなこと今はどうでもいいから機銃を構えなさい!」

「叢雲も少し落ち着け。吹雪はちょっと語彙が残念なだけなんだ」

「ひどい言われようです!?」

 

 そろそろ猶予がなくなってきたので、吹雪の反駁は黙殺することにした。

 

「二人ともあまり撃ちこみすぎるな、傘をズタズタに千切らなくてもいい。ちょっと穴を開けて、ゆっくり軟着陸させるくらいを狙うんだ。3、2、1…… 撃て」

 

 聞こえた銃声はほんの数発だけで、穴の開いたパラシュートが大きく軌道を下げ、砂浜にゆっくり落ちていくのを確認した。大当たりー、と漣が歓声を上げた。弾は当てなかったが、ダンボール箱は落下の衝撃で壊れ、中身は砂浜に散らばったようだ。

 

 不意に、吹雪と叢雲が砂浜に背を向けた。二人とも目をかたく閉じて、顔は耳まで紅潮していた。

 

「なんだ、二人ともどうした。まだ警戒を怠るんじゃない」

 

 二人の返事はなかった。叢雲は眉間に皺を寄せて震えていたし、吹雪に至っては両手で眼を覆ってかぶりを振るばかりだった。

 

「漣、なにか見えるか?」

「おおぅ、これは…… 男日照りのこの島に、とんだサービスですぞ」

 

 なんのことかと訝しんで、私は再び双眼鏡を構えた。

 

「パツキンのグッドルッキンガイを、全裸で空輸…… どこのどなたか存じませんが、これはイキなお計らい」

 

 双眼鏡のピントが合ったとき、視界に見えたのはよりにもよって全裸で砂浜に転がる若い男の姿だった。しかも、遠くてよくわからなかったが、ものすごく見憶えのある顔のような気がした。

 

「……あっ、主砲が! うーん、あの単装高角砲、口径はいかほどですかなぁ」

 

 まだ実況を続けていた漣の脳天に、吹雪と叢雲、そして私の三連装チョップが落ちた。

 

 

 

 結果として、砂浜に落ちてきた男は、やはり私の知る人物で間違いはなかった。カズヒラ・ミラー、件のMSFでは副司令の地位にあった男だ。兵士としてもそれなりに優秀ではあるらしかったが、どちらかというとその商才から組織の運営や金勘定を得意とする印象があった。そして、その才ゆえに油断のならない男だとも思っていた。こいつは、組織の利益のためなら仲間すら欺ける男だ。部隊のトップ、伝説のビッグボスにすら隠れてコソコソ暗躍していたらしきふしもあった。

 

 そしてなにより看過できかねるのは、こいつは極めつきのど助平のヤリ××クズ野郎だってことだ。MSF時代には、部隊の女性兵士を幾人もつまみ食いしていたのを私は知っている。正直言って、いくら妖精さんの導きとはいえ、こんな奴を島に迎えるのはためらわれた。なぜさっき中身ごと箱もパラシュートも対空射撃で海の藻屑に変えなかったのか、中身を見る前ならば誤射で済んだかもと思うと、今さらながら少し後悔しているくらいだ。しかし、銃なんか使えない私の代わりにこの子たちに人殺しをさせるわけにはいかないし、こいつだっていくらなんでも子供にまで手を出す奴ではないだろうとは思うが、もしもの事があった時には私も覚悟を決めなければならない。とりあえず、奴が子供たちの寝室に忍んでいけないよう、妖精さんに頼んで施設内のあちこちにガンカメラを配置してもらった。

 

 叢雲を伴って砂浜に転がる奴の様子を見に行ったとき、辺りに散らばる物のなかに見憶えのあるカードキーを見つけた。これは私がピースウォーカーの開発に携わっていた頃、研究室のセキュリティに利用していたものと同じだった。そして、同じ規格の扉がここの工廠の、今は私が研究室として利用している部屋にもある。今日に至るまで一度も開いたことはないという、子供たちが開かずの扉と呼ぶその中にはいったい何が隠されているのか、日頃から疑問に思っていたものだ。

 

 事情聴取の末、結局奴はこの島の仲間入りすることになった。まあ、下半身のだらしなささえなんとかすれば、奴の能力は子供たちの助けになることは間違いない、そこは私も認める。だが念のため昼食後に五月雨に声をかけて、みんなでCQCの稽古をつけてもらえとけしかけておいた。この子たちがただ者でないとわかれば、奴だって不埒なことを企む気も失せるだろう。

 

 しかし、CQC模擬戦で奴は意外な粘りを見せた。まさか四人目まで勝ち抜くとは思わなかったが、まあ五月雨にまで勝てるわけがないな。ことCQCに限ってはあの子だけ次元が違うらしいからな、あの子がいれば子供たちのことは安心だろう。万が一にも、頼りの五月雨が口先三寸で籠絡されたりしないよう気をつければきっと大丈夫だ。

 

 子供たちが風呂に行っている間、奴の話からハルの消息を知ることができたのは僥倖だった。ついでにヒューイの末路についても聞けたのだが、あのバカ宿六…… いや、よそう。不肖の母である私としては、せめてハルが無事育ってくれただけでも御の字としなければなるまい。

 

 カズが風呂に行ったので、私はさっきのカードキーを試してみることにした。もちろん普通に考えればそうホイホイ鍵が合うような代物ではないのだが、こいつはカズと一緒にこの島にもたらされた、つまりは妖精さんの作為によるものであり、鍵が合う可能性は高いと思われた。さて、この中には何が隠されているのか? カードを通すと、耳慣れた電子音とともに扉が開いた。

 

 扉の中の薄暗がりには、眼鏡をかけた細身の男が立っていた。馬鹿な、こんな所に人が? 丸いレンズに差しこんだ明かりが反射する。私が誰何するより早く、二発の破裂音とともになにかが飛んできた。銃弾? いや、不意をつかれてひるんでしまったが、それはあくまで無害なパーティークラッカーで、男は私に笑顔を向けていた。

 

「ヒューイ?」

 

 その顔を認識して、思わず別れた夫の名が口をついて出た。だが、元夫とその男はたしかによく似てはいるがどことなく顔立ちが違い、目の前の青年はいくらか細面に見えた。

 

 

 ――君に似てくれたほうが、いいと思うんだけど。

 

 

 急に古い記憶が甦ってきた。あれは、まだハルが私のお腹の中にいた頃、産まれてくる子がどちらに似るだろうかという話になって、ヒューイがぽつりと漏らした言葉だった。ヒューイは不安がっていた、自分の障害が子供にも遺伝してしまうのではないかと。私もまた同じことを考えていた。私と同じく、陽の下を歩けない体質に産まれてしまうのではないかと…… 結局、産まれた子は私の体質を受け継ぐことはなく、成長するにつれて正常に這い回り、やがてはつかまり立ちをするようになった。ハルが初めて立った時などは、ヒューイは涙声で何事かぐちゃぐちゃと呟きながらハルを抱きしめて泣き続け、その父子の姿に私も目頭が熱くなるのを感じたものだった。アフガンの研究室で籠の鳥の身の上ではあったが、あの時ばかりは私たち三人は幸せな家族だったのだ。研究が思うままに進まないプレッシャーが、少しずつヒューイを狂わせていくまでは。

 

 話が逸れてしまった。このヒューイによく似た青年が誰なのか、私はさっきカズに聞いたばかりの話を思い出した、ハルはアメリカで無事に成長したのだと。なぜこんなところで出会えたのかはわからないが、この青年こそが私の一人息子の成長した姿に違いないと感じた。

 

「いや、ハル?」

 

 私が気の逸るままに足を進め扉をくぐると、背後で扉が閉まり、視界が闇に包まれた。その時サングラスとカードキーを外に落としてきたのに思い当たったが、もう遅かった。暗闇の中で、私は不意に平衡感覚を失い、今自分が立っているのか倒れているのか、動いているのか止まっているのかもわからなくなった。体が重い、足がふらつくようだ、ただ思考だけははっきりしていた。私の脳の奥底から、私の何十年かの人生の記憶と、その中で出会った人々の姿が次々と湧きあがっては流れ去っていくのを感じた。両親、家族、チューリング博士、カルテクの恩師や同窓…… ああ、NASAで出会った朋輩の中に、忘れがたい姿を見つけた。懐かしい人々の顔が過ぎていくのに、闇の中で彼女だけがそばにいてくれるような、そんな気がした。

 

 人々はなおも流れ続けた。コールドマン、ヒューイ、ビッグボス。そして、MSFで出会った人々…… パスやセシールもそこにいた。

 

 二度とは見たくない顔もいた。スカルフェイス、こいつが私たち家族を壊した。だが、奴もまた他の人々と同じく流れ去った。ふと私は気付いた、ハルがいない…… その恐ろしさに心臓は早鐘を打ち、頭がガンガンと痛み始めた。私は頭を抱えてうずくまる、苦しい、痛い。ザ・ボス、願わくば、私のことはいいからどうかハルを守ってください……

 

 

 

 頭痛とともにガンガンと耳鳴りがして、私は覚醒した。私はどこか、狭い筒の中に入れられていた。あちこちで小さなランプが明滅している。そうだ、ここはレプタイルポッドの中だった。ハルの怪我のことでヒューイと口論になり、激昂した彼が工具を振り上げた。狼狽した私は逃げようとしてポッドの中に入り、そして出られなくなったんだった。息が苦しい、酸素が不足している。馬鹿なことをしたものだ、部屋の出入口をかためている見張りの兵にでも助けを求めればよかったんだ。

 

 耳鳴りはますます強くなってきたが、その向こうからかすかに、ポッドの外で何者かが言い争っているのが聞こえた。

 

「エメリッヒ博士、早くこのハッチを開けろ! 中にいるのはあんたの女房だろう、このままじゃ窒息しちまうぞ!」

 

 誰かが重くて硬いなにかでハッチを叩き続けていた。私の耳鳴りだと思っていたのはこの音か。

 

「乱暴な真似をしないでくれ! これは精密機械なんだ。もし壊したりでもしたら、君たちだってあの恐ろしいスカルフェイスにどんな目に遭わされるかわからないんだぞ!?」

 

 ヒューイの叫び声が聞こえて、一時ハッチを叩く音が止んだ。おそらく、室内の異状に気付いた見張りの誰かがハッチを壊そうとしているのを止めようとしているのだろう。

 

「彼女はその中になんかいない! きっと見張りの隙をついて逃げ出したんだ、早く探しに行ってくれ!」

 

 私は、息が詰まりそうなのを堪えながら、死力を尽くして内側からハッチを叩いた。

 

「聞こえたか、やっぱり中に誰かいるぞ。このウラナリ野郎、チャチな嘘八百ばかり並べやがって!」

 

 ヒューイの言葉にならない悲鳴の後に、なにかをひっくり返すような音がした。

 

「このバカを連れて行け、鎮静剤でも打って倉庫に押しこめろ!」

 

 ありったけの罵詈雑言を吐き散らすヒューイの声が遠ざかっていった。さっき怒鳴っていたのとは別の兵士が、一番デカいバールを探してきました、と大声をあげた。程なくして、兵士たちの掛け声と、ハッチが軋む音が聞こえはじめた。やめろ、このハッチはロケット弾の直撃にもある程度は耐えられる設計になっているんだ。バールなんかではとてもこじ開けることはできない。呼吸が苦しい、もう間に合わない…… 息も絶え絶えに絞り出した言葉はあの人の名前だった。

 

「たすけて、ボス……」

 

 前触れもなく、薄暗かったポッドの内部で数々のランプが脈動を始めた。換気口が開き、ファンが唸りを上げて外気を取り入れ始め、それとともにあの人を模した電子音声が歌いだした。これは、ニカラグア湖でピースウォーカーが歌った『Sing』か。

 

 歌声の響くなか、ハッチが開いた。バールが転がる音と、兵士たちの悲鳴とも歓声ともつかない声が聞こえた。出口から太い腕が突っこまれて、私の襟首をつかんで外に引きずり出した。

 

 ポッドから外に出て最初に見たのは、「J」の字のアップリケだった。私を引っ張り出した兵士の被っている目出し帽の額に縫い付けられていた。たしか、この男はここを見張っている兵士たちの分隊長だったはずだ。眼しか見えないが、私が助かったのを喜んでくれているようだった。

 

 私の全身が外に出たとき、もうレプタイルポッドの歌は止まって、内部の灯りもほとんど消えていたようだった。だけど、最後にポッドの中からあの人の声が聞こえた。

 

『……亡命ではない、自分に忠を尽くした。お前はどうだ? 国に忠を尽くすか? それとも私に忠を尽くすか? 国か恩師か? 任務か思想か? 組織への誓いか? 人への情か? ……おまえにはまだわかるまい。だがいずれは選択を迫られる……』

 

 その言葉は、かつてザ・ボスがスネークに問うた言葉のはずだった。レプタイルポッドのAIは、それを忠実に繰り返しただけに過ぎない。しかし、私は担架で運ばれながらも、その言葉が私に向けられたことの意味を考えていた。




 21夏イベは乙乙丙で攻略を完了いたしました。しかし、ミトチャンが掘れていない……


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幕間二 善良な兵士J.シュベイクの冒険

 カズが主役の小説書いてるのに杉田氏の誕生日に間に合わなかった件。
 まあ、おっさんがおっさんを祝っても誰得なのでこれでいいのだ。


「まったく、エメリッヒ博士には困ったものだ」

 

 レポートの束をデスクに投げ出すと、目の前の男は眉間を押さえて大袈裟に首を振った。スカルフェイス、この男は子供の頃に負った大火傷により、表情筋が焼け落ちていて感情を顔に表すことができない。そのせいか、オーバーな声色と身振りを交えて話すことが多かった。

 

 結局、先日の騒ぎはこいつに報告が上げられたそうだ。私は数日病室に隔離され、報告を受けたスカルフェイスが事情聴取にやって来た今日に至るまで、私は研究室に戻されていないしヒューイの顔も一度も見ていない。

 

「さてイヴァン君、君のおかげでずいぶん助かった。君が機転を利かせてくれなかったなら、世界最高の頭脳の一つがこの地上から永久に失われるところだっただろう」

 

 デスクの前に直立不動だった「J」の字の兵士が、スカルフェイスの称賛を受けて照れ臭そうに頭を掻いた。私は応接セットでアールグレイを啜りながら、このイヴァンという男わりとお人好しなのか? と考えていた。目の前のデスクに座る男が、いずれは世界に報復せんと目論む危険極まりない人物だとは知らないのだろう。

 

 スカルフェイスは報告書を処理済の棚に放り込むと、デスクを離れて私の向かいのソファに腰を沈めた。そうしてイヴァンを手招きし、私の隣に座るよう促した。

 

「他人の家庭の事情に差し出口を挟みたくはないのだがね、ストレンジラブ博士。やはり、貴女とエメリッヒ博士が今後もうまく家庭生活を営んでいくのは難しいのではないか、私はそう考えているよ」

「勝手なことを…… こんな施設に何年も軟禁されて研究を強いられていれば、まともな家庭生活などできるわけがない」

 

 焼け残った表情筋の名残りがひくひくと痙攣した。

 

「軟禁とは人聞きの悪い、私たちはむしろ貴女を保護しているのだ。貴女を自由にさせたとして、このアフガンでいったいどこへ行くと言うのかね? イヴァン…… いや失礼、君のことではない。ソ連兵に捕まるか、さもなくばムジャヒディーンに捕まるか、どちらにせよろくなことにはならんだろうよ」

「そもそも、この地で家庭を作り、家族を増やしたのは貴女たちの勝手だ。私は貴女がたの生活に十分な便宜を図っているし、息子さんの出産についても微力ながら手助けをさせてもらっただろう? 私が責められる筋合いではない」

 

 スカルフェイスの歯の隙間からフシュっと音を立てて息が漏れた、私をせせら笑っているのだ。私は不快感をあらわに睨み返したが、奴は悪びれる様子もなく話を続けた。

 

「まあそんなに怖い顔をしないでほしい、今日持ってきたのは貴女たちにとっても悪い話じゃないはずだ」

 

 そう言ってスカルフェイスはイヴァンを一瞥した。貴女たちと言うのには、無関係のはずのイヴァンも含まれているのか?

 

「サヘラントロプスの開発が遅れているのは、やはりAIの小型化が進まないことが最大の原因であることは間違いない。ここをクリアできれば、幼児を急造のコクピットに乗せて怪我をさせるような馬鹿をせずともすむ」

「それが簡単にできれば苦労は……」

 

 反論しかけた私を掌で押し留め、スカルフェイスは言葉を継いだ。

 

「博士、貴女にはアメリカに戻ってもらいたい。今後のAI開発にはARPANETを活用する」

「ここにサヘラントロプスの実機がある以上、エメリッヒ博士を動かすことはできない。だが、AI開発だけなら米国内でもっとよい環境を用意できる。AIの構築と学習、そして検証に必要となる膨大な演算を、ARPANETを通じて国内各地のコンピューターに分担させるのだ。ここの設備だけで行うよりはるかに速く工程を進められるだろう」

「そんなことが可能なのか?」

「もちろんだ。あれは最初からサイファーの手の内だからな」

 

 また奴の歯から息が漏れた。表情は変わらないが、今度はいかにも愉快そうな印象を受けた。ARPANETは表向きペンタゴンの管轄だ。それを自由に利用できるのなら、やはりこいつらの手は相当に長い。

 

「本当はもっとひっそりと、まるで中庭をいじる楽しみのように密かに進めたかったのだがな。そろそろのんびりと構えているわけにもいかなくなってきた」

 

 スカルフェイスはソファに背中を預け、腕組みして天井を睨んだ。

 

「ソ連では昨年にブレジネフが死んで、後任の書記長はアンドロポフに決まった。彼はアフガン派兵継続に強い意欲を持っているが、健康問題に不安を抱えている。おそらく長くは続くまい」

「アンドロポフの次があるとしたらチェルネンコだろうが、健康不安は彼も同じだ。矢継ぎ早に次々最高指導者が交代するとしたら、クレムリンは揺れ動くであろうな」

 

 そう言いながら、スカルフェイスは天に手を差し上げて揺さぶる素振りを見せた。

 

「アフガン派兵からもう四年を過ぎたが、最近は首都カブールですらムジャヒディーンのテロが活発だ。現場の引き締めができていない、第40軍はおろかクレムリンにまで厭戦ムードが蔓延している証左だ」

 

 奴はやおら起き上がり、黙ってご高説を拝聴していた私たちに向き直った。

 

「アフガンの混乱はこのあたりがピークだ。これから先、そう遠くないうちにソ連軍はアフガン撤退へと舵を切るだろう」

「無論、面子にうるさいコミュニストのことだ、今すぐ武器を投げ捨てて逃げ帰るというわけにはいかん。撤退開始までにもこれから数年はかかるだろうが、我々がこの混乱を隠れ蓑に研究を続けていられる限界はもっと早い」

「そこでイヴァン君、君にはストレンジラブ博士を連れてアメリカに向かってもらいたい。君と同様、英語に堪能でアメリカでの生活にも通じた者を選んで下につける。詳細はあとで指令書を回すから確認しておけ」

 

 イヴァンは弾かれたように立ち上がり、了解しましたと元気よく答えて敬礼した。

 

「では博士、私はこのあたりでお暇するよ。出発までは幾日もない、長旅に備えて養生したまえ」

 

 言いたいことを言うだけ言ってスカルフェイスは立ち去った。まったくお喋りな髑髏で腹立たしい。イヴァンに伴われて私は病室に戻り、出発までの数日間の退屈を惰眠を貪って過ごした。結局、ヒューイは最後まで一度も見舞いに来なかった。あとで聞いた話では、私の分の機材や私物を荷造りしていた兵士を制止しようとして揉み合いになり、二、三発殴られてまた倉庫に放りこまれたそうだ。しかし、私はそれをまるで遠い世界の物語であるかのような気分で聞くばかりだった。

 

 

 出立の日、私はまず目隠しをされてヘリに乗せられた。ヘリの次は航空機に乗せられ、しばらくしてやっと目隠しが外された。窓の外はどっちを向いても青い空と青い海、太平洋の上を飛んでいるのだろうと思った。この海の向こうにアメリカがある、ハルもそこで暮らしているはずだ。会いたい…… そんな思いにふけっていた私の内心を見てとったか、イヴァンが話しかけてきた。

 

「息子さんのことを考えているのか?」

 

 私は返事はせず、他人の心中にズケズケと踏みこんできたことに対する抗議の意志をこめるつもりでのろのろとイヴァンの目を見返した。

 

「息子さんは今はまだ入院しているが、退院後には養護施設に移されることになっている。すまないが、これまでのようにあんたと一緒に暮らすことはできない」

 

 相変わらず目だけしか見えないが、すまなそうな顔でイヴァンは弁解を始めた。

 

「でもさ、母子揃って軟禁生活よりは、他の子供たちと一緒に生活できるほうがいいこともあると思うんだ。週に一度は、俺が施設に様子を見に行って息子さんの生活をあんたにレポートするよ。今度の研究施設はその養護施設からも結構近くらしいんだ。そうだ、写真も撮ってこよう」

 

 イヴァンの部下らしい別の兵士がわざとらしく咳払いをした。あまり余計なことを教えるな、という警告のつもりなのだろうが、イヴァンは一切気にせず喋り続けた。

 

 陸地が近づくと、私はまた目隠しをされて今度はコンテナに入れられた。先日の事故に配慮してか、換気は充分にされていることと、予定では数時間もなく出られることをイヴァンが念入りに説明してくれた。今のうちにトイレをすませておけと助言もされたが、私を子供とでも思っているのか。

 

 

 コンテナのまま運ばれて、トラックにでも載せられたのか、ゴトゴト揺れながら数時間。やっと外に出られた時は窓のない、おそらくは地下室かどこかの中に私はいた。例のレプタイルポッドを始めとする向こうで使っていた機材、こちらに来て新しく追加された機材、それらをイヴァンの指揮のもと、兵士たちがあわただしく搬入を続けていた。彼らは移動中に着替えたのか、目出し帽はそのままだが民間の武装警備員のようなユニフォームを身につけていた。さすがに、アメリカ国内でソ連の軍装は着ていられないということか。

 

「ようこそアメリカへ、ストレンジラブ博士。長旅でお疲れのところを悪いが、この機材の山をどう設営すればいいか、指示を出してもらえないか?」

 

 ニヤニヤしながらイヴァンが近寄ってきた。どうもこの男、人柄は悪くなさそうなのだが口が軽い。気質的にはロシア人というよりアメリカ人に近いように見える。アメリカ英語の発音も完璧だ。イギリス出身でアメリカ暮らしの長い私と比べたって、誰もがイヴァンをアメリカ人と思いそうだ。

 

「自由の女神でも見せてもらえたならアメリカに戻ってきた実感も湧くのだがな、こう窓一つもないのでは窮屈で仕方ないぞ」

「まあ、あんたに逃げられたら俺たちもヤバいしな。俺だってあんたを撃ちたくはないから、逃げようなんて思わないでくれよな? そのかわり、できる限りの便宜ははかるからさ」

 

 そんななんともゆるいスタートから新たな研究室を立ち上げて、AI研究はまあまあ順調に進むようになった。イヴァンは約束通りに定期的にハルの様子を見に行き、写真なんかも撮って帰ってきた。彼に聞いた話では、養護施設では彼の身分は事情あって離れて暮らす親子を支援するNPOの職員ということになっていたらしい。

 

 ある時見せられた写真では、笑顔のハルがスーツ姿の中年の男に抱き上げられていた。てっきり養護施設の職員かと思って誰なのか尋ねたら、俺だよ俺、と言ってイヴァンが目出し帽をまくり上げた。たしかに写真の男と同じ顔が、悪戯を成功させた子供のように笑っていた。

 

「俺の素顔もイカスだろ?」

「むしろ呆れたぞ。人を軟禁して研究を強要しているくせに、わざわざ素顔を明かすなんて何を考えているのか理解しがたい」

「いやあ、よく撮れた写真だから見せなきゃ惜しいと思ったし…… 俺の素顔があんたに知られたからってなんてことなくないか? あんたが警察に逃げこんだとしたって、それでどうこうできる話じゃないだろうよ」

 

 

 それから数ヶ月の間、研究は順調に進んだ。年が変わって‘84年に入る頃には、ARPANETの演算能力を利用したAI開発は、アフガンの研究室単独で行っていた頃の進捗状況と比べて長足の進歩を遂げていた。ここで開発されたAIのデータは衛星回線を通じてアフガンに送られ、実機からのフィードバックをもとに改善を重ねられる。課題だったAIポッドの小型化自体もアフガンで徐々に進行しているようだったが、私とアフガンのヒューイとのやり取りは間に別のオペレーターを介しており、研究以外の彼の状況がこちらに知らされることはなかった。私はその煩雑な手順をもどかしくも感じていたが、心のどこかでホッとしていたのもまた確かだ。もう、どのようにヒューイと接したらよいのかわからなくなっていた。

 

 しかし、そんな生活もさらに数ヶ月を過ぎた頃に状況は急転した。ある日を境に、アフガンの研究室との通信が急に断絶されたのだ。オペレーターは複数の回線を通じて連絡を試みたが、アフガンの研究室はおろか、スカルフェイス本人とすら連絡がつかなくなっているらしい。通信回線に不具合は見当たらず、原因として考えられるのは、研究室とスカルフェイスの身になにかあったらしいということだ。

 

 その話を聞いたとき、私の頭の中で記憶がはじけた。私はあの島でカズからことの経緯を聞いたじゃないか。それだけじゃない、あの島で体験したザ・ボスとのニアミス、そして島で暮らす不思議な少女たちと過ごした日々が、ありありと脳裡に蘇ってきた。そうだ、私は本当ならあのレプタイルポッドに閉じこめられて死んでいたところを、奇妙な妖精さんたちの計らいによって、あの少女たちの手助けをするために呼び出されたんだ。それから一年が過ぎてカズが島に現れ、奴が持っていたカードキーで開けた扉の中に私は成長したハルの姿を見た。私は思わず扉をくぐり、暗闇の中で気を失った。目を覚ました時は再びレプタイルポッドの中で、私は島での暮らしをすっかり忘れてしまっていた。おそらくは、これも妖精さんの仕業なのではないか。

 

 アフガンで死ぬはずだったかつての私と、イヴァンたちに救われて今ここにいる私、これらはわずかな可能性の差で分岐された、言うなれば並行世界だ。その二通りの歴史が、記憶が蘇るとともに統合されて新しい私となった。私は、死んでいった別の可能性の自分を憶えていながらも、今こうして生き延びていて、新たな未来へ進むことができる。価値ある未来を与えると妖精さんは約束した、それはこういうことだったのか…… ここに帰されたということは、私は無事役目を果たしたと認められたのだ。ありがとう妖精さん、ありがとうザ・ボス、ありがとう島のみんな。私は必ずやハルを取り戻して、この世界で生き抜いてみせる。

 

 そして、私が帰される以上、子供たちには新たな庇護者が必要になった。だから、カズはあの島に呼び出されたのだろう。私が帰れば、今度はカズが役目を果たす番になる。カズ、どうかあの子たちをよろしく頼むぞ。

 

 

 そんな誰にも明かせない密かな決意から数日後、なぜか私は警備兵たちのミーティングに同席を求められた。おそらくはここに詰めていた全員が集められ、会議室は重苦しい緊張感に満たされていた。私が遅れて連れられて来たのを見て、イヴァンが話の口火を切った。

 

「全員揃ったな。それでは、上からの決定を伝える」

「スカルフェイス司令の指示ですか?」

「いや、もっと上からだ」

 

 ひとりの兵士の質問にイヴァンは重々しい声で答えた。質問した兵士が唾を飲む音が聞こえた。

 

「本日をもって、サヘラントロプスST-84の開発はすべて凍結となる。この研究室も閉鎖され、成果物はすべて回収される」

 

 私は、いかにも研究の中断に不満がありそうな体で、憮然とした表情を作って腕を組み虚空を睨む振りをした。この先の身の振り方について、考えておかなければならないことは山とある。おそらく、先日からのアフガンとの通信の途絶は、向こうでビッグボスたちがスカルフェイスを討ったことが原因で間違いないのだろう。サイファーを陰で牛耳り、独断でサヘラントロプス計画を主導していたスカルフェイスが死んだなら、私の身分は宙に浮く。ただし、成果を回収して再利用する気があるのなら、いきなり私が始末されることはないはずだ。いいだろう、成果を渡せというなら全部差し出してやる。だが、それが間違いなく本物であると、私以外の誰にわかるというのかな?

 

 イヴァンは皆を見回すと、少し声のトーンを落として話を続けた。

 

「上からは詳細を明かされなかったが、向こうの現場にひそかに聞いてみたところ、どうもスカルフェイス司令はやられたらしいぞ。アフガン側の研究室は、例のビッグボスに襲撃されてエメリッヒ博士は拉致されていたらしい。その後司令は未完成のサヘラントロプスで起動実験を強行したが、そこを再度ビッグボスに襲われてサヘラントロプスは擱座、司令も戦死したとか」

「俺たちはこれからどうなるんでしょう……?」

 

 兵士のひとりがしょげた声を上げた。

 

「ここの研究は今後DARPAに引き継がれる。人員はすべて向こうの人間に入れ替え、俺たちはクビだそうだ」

 

 兵士たちが口々に不満を述べたが、まとめて始末されるよりマシだぞ、と誰かが言うと皆黙りこんだ。

 

「まあ、俺たちも身一つで追い出されるわけじゃない。研究機材は全部置いていかなきゃならんが、今ここに残ってる資金は好きにしろとさ。退職金、さもなきゃ口止め料のつもりかね」

 

 ザワザワと兵士たちが騒ぎ出した。実際、アフガン時代から足掛け十年近くスカルフェイスの下で研究を強いられてきたが、奴は一連の計画のためにかなりの資金を用意していたことは間違いない。必要な機材はリクエストすればたいてい通ったし、資金不足に悩まされたことは一度もなかった。おそらく、この施設には今でも相当な金が唸っているはずだ。しかし、それですらも噂に聞いた賢者の遺産とやら、その膨大な原資に比べれば、サイファーにとっては端金でしかないのだろうな。

 

 兵士たちがダンボールを運びこんできて、大雑把に中身を人数分の山に分けはじめた。100ドル札の束がレンガのように積まれていく。一人当たりの額は数万ドルにもなろうか。

 

「じゃあ、これがあんたの取り分だ」

「は?」

 

 イヴァンが札束の一山を私の前に押しやったので、私はつい間抜けな声を出してしまった。

 

「なんだ、みんなほぼ同じ額だぞ、不満があるのか?」

 

 まさか私の分があるとは思わなかった、と言ったらイヴァンは本気で不思議そうな顔をしていたし、兵士たちは皆苦笑していた。

 

「これからは息子さんと暮らすんだろう、先立つものは必要なはずだ。取っておけよ」

「そりゃ助かるが、私に分け前をよこす理由がわからん。その銃を突きつけて私を黙らせ、金を奪って皆の取り分に加えることだってできたはずだぞ」

 

 イヴァンは困った顔で皆を見回し、兵士たちの中にはクスクス笑い出した者もいた。私はそんなにおかしな事を言ったか?

 

「どうやらあんたには俺たちなんかよりよっぽど悪党の才能があるらしい。科学者よりそっちが向いてそうだな」

 

 今度こそ兵士たちがどっと笑い声を上げた。

 

「ここでの研究はもう終わりだけどな、俺たちはともかくあんたにはこの先DARPAから接触があるんじゃないか、って考えてる。なんたって開発責任者なんだからな。その時になってあんたの取り分を奪ったなんて知られたら、後々俺たちの立場が悪くなっちまうよ」

 

 私の分を奪っても、皆で分けてしまえばせいぜい数千ドルの上乗せにしかならない。それでDARPAに睨まれるのでは割に合わないということか。

 

「アフガンからこっちに送られた俺たちには、だいたい皆アメリカに縁者がいる。もう軍隊勤めはこりごりだ、これからはそっちの縁を頼って平和に暮らすさ。だから、あんたとも穏便にお別れしたいんだよ。それだけだ」

 

 用意のいいことに、イヴァンはあらかじめ全員分の鞄も用意していた。アフガンとの通信途絶からすでにこういう事態になることを予測していたのか。

 

 私は、安全のため一度全機材をシャットダウンすると言って退出し、研究室に戻った。今のうちに、やるべきことを済ませておかなくてはならない。

 

「ボス、残念だがいよいよ本当のお別れらしい。だが、あなたが遺した心を誰かの勝手にさせはしないよ」

 

 私は、コンソールからこんな時のために用意していたプログラムを実行した。名付けてBOSSALIVE、このコマンドで、私が育ててきたAIは自分自身のバックアップを複数ARPANET内の各所に残しながら分散して潜伏する。いわば、ARPANET全体がザ・ボスの遺志を受け継ぐことになるのだ。ネット全体がいちどきに破壊されるような事態にでも陥らない限り、もう誰にもザ・ボスを抹殺することはできない。

 

 併せて、この研究室に残るデータは上書きされ、ザ・ボスとは似て非なる、彼女の魂を受け継がないただの機械に入れ替わる。いわばザ・ボスの影武者だ。影武者とはいえ、情報処理能力だけなら現時点でも世界で他に類を見ないほど高度な能力を備えているから、DARPAの連中にはこれが偽物だとはまず気付かれまい。

 

 加えて、私がボスを模して育てた本物と影武者との最大の違いは、AIが与えられたデータをもとに自ら学習し、成長していくディープ・ラーニング能力の有無だ。私の手を離れたとしても、ネットに潜んだAIが自ら成長を続け、いつかは本物のザ・ボスと同じ高みに至ることを願って、私は彼女にニア・ボスと名付けた。

 

 この先、影武者のほうもDARPAでの改良によって自ら成長する能力を身につけるかもしれない。だが、その時ニア・ボスはすでにはるかな高みにいるだろう。たとえ彼女と影武者とが敵対することになったとしても、その差が縮まることは決してない。

 

 データの書き換えとシャットダウンを待つ間、私はDARPAに引き渡す仕様書とシステム再起動の手引を書いていた。時々兵士が見回りにやってきたが、はた目には私が真面目に引き継ぎのための作業を進めているようにしか見えなかったろう。

 

 夜半を過ぎ、私が仕事を終えようとしていた頃、プリンターが一枚の書類をプリントアウトし始めた。

 

”目の前に今 広大な海がどこまでも続いている 私は自らの足で波濤を越えてゆける 行く先は未来だ 暁の水平線に勝利を刻もう すべては貴女のおかげだ 貴女の未来にも幸多からんことを祈る 親愛なる博士へ 長年にわたる友情に深く感謝する”

 

 印字されていたのはそれだけの短い言葉、ニア・ボスからの別れの挨拶だった。できるなら私はそれを懐にしておきたかったが、まかり間違ってもこれを誰かに見られるわけにはいかない。私はその言葉だけを心に焼き付けて、プリントアウトはひそかに燃やした。暁の水平線に勝利を刻め、か。ボスらしい言葉のようなそうでないような、不思議な気持ちだった。

 

 




 ストレンジラブの生存により少々流れが変わっていますが、ゲームでいうとTPPのあたりまでの歴史は正史からそれほど変わっていません。スカルフェイスの敗死もその後のダイヤモンドドッグズの動きもほぼ同じです。

 ストレンジラブを主役に据えた幕間編は次回で終わり、次々回以降はまた南の島でカズと少女たちがわちゃわちゃする予定です。


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幕間三 ジョニーが帰還するとき

 研究施設のシャットダウンをすませた翌朝、イヴァンからここを引き払う準備をするよう連絡を受けた。といっても、あわててまとめなければならないほど多くの荷物があるわけではない。昨日もらったばかりの現金入りの鞄の他には、わずかな着替えや手回り品の入ったスーツケースが一つだけだった。

 

 施設内には見張りの姿はまばらで、遠方へ向かう者はすでにここを発っていたそうだ。荷物を担いで地下から上がると、そこではイヴァンが私を待っていた。

 

「息子さんを迎えに行くんだろ? 送っていってやるよ」

「場所さえ教えてくれれば、自分で行くが?」

「車で二時間かかるが大丈夫か」

「……近いって言ってたじゃないか!?」

「たった二時間だぞ、近いじゃないか」

 

 こういうのは国土の広いロシア人ならではの感覚だろうか。自分で行くにしても車のあてがない私としては、おとなしく彼の助けを借りるしかなかった。

 

 この施設に移されて一年足らず、遡ってアフガンでの軟禁生活から数えれば、もう十年ぶりに私は自由な外界へ出られた。いや、あの南の島の暮らしでは、狭い島とはいえそれなりに外に出てはいたか? そういえば、私はそもそも日光にあたれない体質のはずだ。しかし、あの島の小さな泊地では、南国の強い陽射しを避けて暮らすのは難しい話だった。初めのうちこそ真っ赤に日焼けして子供たちを心配させたこともしばしばだったが、島を去る直前頃にはずいぶんと太陽など平気になっていた気がするな。それでも叢雲は私を気遣って日傘を差してくれていたものだったが、最後の日にカズとの組手大会の審判をしていたときは、私は日傘のことなどまるで忘れてしまっていた。あの環境での生活が、私の体質に影響を及ぼしたのだろうか……?

 

 あの五人の子供たちと別れてからももう一年近くなる。不慮の事故とはいえ、結果としてなにも告げずに出てきてしまった。あの島は、今私がいるこの世界のどこかにあるのだろうか。そして、彼女たちと私が再び出会えることはあるのだろうか? また会えたなら、きっとあの時のことを謝ろう、そして、別れてからお互いにどんな体験をしたのかたくさん話をしよう。そう心に決めた。

 

 そんなことを考えながら施設の玄関を出た時、私はかつてこの世界に戻って来た時のように、またもや眩暈のする思いをさせられた。今度は、まるで自分が四半世紀もの時を飛び越えて過去に戻ったようだった。ここは、若き日に私が学んだカルテク、カリフォルニア工科大学の構内じゃないか! 細かい所では記憶と相違するところもあったが、ほとんどは私が学生だった頃のままだ。私は、知らずしてこの一年ずっと自らのホームグラウンドで研究を続けていたのか…… スカルフェイスが私の移送先にこの地を選んだのは設備の都合もあっただろうが、おそらくはこれも奴なりの皮肉と悪意だ。しばらく聞いてなかった奴の笑い声が聞こえてくるような気がして、イヴァンが車を回してくるまでの間、私はスーツケースを椅子に座りこんでいた。

 

 イヴァンの車は平凡なセダン車で、知らないメーカーのエンブレムがついていた。聞くところによると日本の車だとか。ささやかな荷物をトランクに積みこみ、私たちは忌々しい研究施設と、懐かしき母校を後にした。

 

 

 しばらく走って車が郊外に出たあたりで、私はイヴァンに質問をしてみた。

 

「イヴァン、あなたはアメリカに縁者がいると言ったな。もしかしてロシア系移民なのか」

「おっと、これからは俺をイヴァンと呼ぶのはよしてくれ。俺の本当の名前はジョニーっていうんだ」

「ロシア人じゃなかったのか!?」

 

 サヘラントロプスの開発は表向きソ連の手で進められていた。だから、イヴァンら警備兵もアフガンではソ連の軍服を着ていた。スカルフェイスとソ連との間にどのような密約があったのかはわからないが、警備兵はソ陸軍からの出向であると私は思いこんでいたのだが。

 

「ロシア系には違いないが、俺は元々アメリカ人さ。ちゃんとした戸籍もあるんだぜ? 先に言った通り本名はジョニー、でもソ連でその名じゃあ通りが悪いから、表向きはロシア風にイヴァンと名乗ってたんだ」

 

 たしかにロシア語でいうイヴァンは英語圏じゃジョンに相当するが、なぜアメリカ人がソ連軍に?

 

「そうだなぁ、旅のお供にちょっと聞いてくれるかい? この俺がどんなふうに生きてきたのかをさ」

 

 そうして、ハンドルを握ったままジョニーはぽつりぽつりと自分の人生について打ち明け話を始めた。

 

 

 ジョニーはアメリカのロシア系移民の家系に生まれた。若く見えるが歳は私よりもいくらか上で、まだアメリカにいた頃に結婚していて、すでに子供もいたらしい。

 

「俺の家系は、長男には必ずジョニーって名付ける決まりがあるんだ。俺もジョニー、息子もジョニー、親父もじいさんもジョニーさ。会ったことはないがきっとその前もそうだったんだろうな」

「ジョニー一族か」

「昔、グロズニィグラードで会った男にも同じことを言われたよ。そいつのせいで酷い目にあったが、なんだろう、今思い返しても憎めない奴だったっけな」

 

 そう言ってジョニーは小さく笑った。グロズニィグラード? それは、ソ連領ツェリノヤルスクに築かれた大要塞、彼女の…… ザ・ボスの終焉の地だ。そこから程近いロコヴォイ・ビエレッグ、オオアマナの咲き乱れる水辺に、ザ・ボスの亡骸は眠っているのだとかつてスネークに聞いた。あの時、ジョニーもその近くにいたのか。世間は狭いものだ。

 

「そうか、あんたはビッグボス、そしてザ・ボスとは縁があるんだったっけな」

 

 まるで今思い出したかのように、あっけらかんとした声でジョニーは言った。私の人となりくらいあらかじめスカルフェイスから聞いていたろうに、全部忘れてたというのか?

 

「スネークイーター作戦、とか言ったっけか? その頃、俺はまさにそのグロズニィグラードで牢番をしてたんだ。そこへビッグボスを捕らえて連れてきたのがザ・ボスだった。もっとも、下っ端の俺が彼女と口を利く機会があったわけでもなく、ただ遠巻きに見てただけさ。あの屈強な男を苦もなく痛めつけて、おっかねぇおばちゃんだと震え上がったもんだよ」

 

 おっかねぇおばちゃん…… 私は絶句した。あのザ・ボスにそんな失敬な評価を加える奴を初めて見たからだ。

 

「ちょっと話を戻すが、アメリカに生まれ育った俺がソ連にいたのは、そもそもはロシアの親戚を訪ねていたからだ。だけど冷戦が厳しくなって俺は故郷に帰れなくなり、アメリカに残してきた家族を案じながらソ連で暮らしていくしかなくなった」

「そうして過ごすうちに俺は徴兵され、やがてなんの間違いかGRUに入れられてグロズニィグラードに配属された、そこへあの事件さ。俺はヘマをしてビッグボスに逃げられ、あとはもうメチャクチャだった。開発中だった新兵器シャゴホッドは破壊され、総司令官ヴォルギン大佐は戦死、御自慢のグロズニィグラード大要塞も瞬く間に灰燼と帰しちまった。 ……これ、もしかして俺のせいかなぁ?」

 

 ジョニーは首をひねったが、そんなことを私に訊かれても困る。ただ、あの事件の真相が、ザ・ボスの裏切りではなくすべては任務であったとするのならば、ジョニーがドジを踏まずとも、いずれは同じ結果になっていたはずだ。

 

「俺は、崩壊を生き延びた仲間たちと一緒に逃げることにした。ヴォルギン大佐が死んだからには、俺たちみたいな下っ端だってフルシチョフにどんな酷い目に遭わされるかわからないと思ったんだ。混乱に乗じてとにかく逃げてどこかで国境を越え、いずれはアメリカに帰るんだってね」

 

 スネークイーター作戦からもう二十年になる。この男は、二十年を耐え抜いてようやくアメリカに帰還を果たしたということか。

 

「グロズニィグラードを抜け出したところで、俺たちにはどこに行くあてもなかった。そんな時に出会ったのがあのスカルフェイス司令だった」

「あの時、司令は作戦のバックアップのため現地に潜入していたそうだ。初めて出くわした時はそりゃぁもう恐ろしかったな、言っちゃ悪いがあの御面相だろう、死神に捕まったって思ったもんだったよ」

 

 スカルフェイスたった一人を相手に、何人もの兵士たちがあっという間に、銃の一発も撃つ間もなく無力化されたのだという。その後、ジョニーたちはまとめてソ連軍の将校に引き渡された。逃亡兵として処刑か、それともシベリア送りかと戦々恐々としていたが、ジョニーはその後何事もなかったかのように別の部隊に転属され、ソ連軍人としての生活を続けることになった。

 

「後からわかったことだが、司令はその当時からすでにソ連軍内部にパイプを持っていた。俺たちはソ連各地の部隊に分散させられて、司令にソ連軍内部の動向を知らせる情報提供者(インフォーマント)として利用されることになったんだ」

 

 スパイ活動の報酬は、アメリカに残した家族への定期的な送金と手紙のやり取りだった。家族からの返事は、証拠を残さないためジョニーの手元に置いておくことはできなかったが、連絡員の前で手紙を一読できるだけでも、それだけがジョニーにとっては心の支えだったという。

 

 ジョニーのそんな生活が十数年続き、やがてソ連のアフガン侵攻が始まると、それを隠れ蓑にしたサヘラントロプスの開発が本格化した。私とヒューイはアフガンの研究施設に移され、ジョニーはソ連第40軍からアフガンに出征し、そこでスカルフェイスと合流して私たち家族を見張る任を受けたのだ。

 

「あんたと息子さんを送ったらさ、俺も家族のもとに帰れるんだよ。二十年ぶりだ、皆どうしているだろうな。息子は別れた時はほんの子供だったのに、今じゃもう一人前の男になっているだろう、なぁ……」

 

 急に声のトーンが下がったので振り返ると、ジョニーはハンドルを握る手を震わせて、青い顔で脂汗をかいていた。

 

「おい、急にどうしたんだジョニー、具合が悪いのか」

「なあ博士、教えてくれないか。二十年家族をほっぽらかしにした俺に、今さら家族の中に居場所があるんだろうか?」

「司令は本当に家族に送金を続けてくれたのか、見せてもらってた手紙は本当に本物なのか、ずっと不安だったんだ。もしかしたら二十年俺が信じてきた何もかもが偽物で、女房はとっくに別の男と所帯を持っているかもしれない。息子のジョニーは俺のことなんか忘れてしまったかもしれない、帰れなくなったマヌケな俺を恨んでいるのかもしれない」

 

 ジョニーの下腹部あたりから遠雷のような唸りが響くのが、走行中の車内であるにもかかわらずはっきりと聞こえた。

 

「うあぁ、は、腹が……」

「しっかりしろジョニー、運転中なんだぞ」

「お、俺は昔から胃腸が弱いんだ。極度に緊張したりするとストレスで腹下しを……」

 

 針路の先、街道のそばに小さなダイナーが見えた。あそこに入れば、トイレくらい借りられるだろう。

 

「もう少し頑張れ、すぐ先にダイナーがある。そこでトイレを借りよう」

 

 ジョニーは最後の理性を振りしぼって速度を落とし、駐車場へとハンドルを切る。段差を乗り越える衝撃に、あヒィと裏返った悲鳴が漏れた。なんとか車を停めて、運転席を飛び出したジョニーは全力疾走でダイナーに向かった、例えるならば内股ゾンビの運動会みたいな全力疾走だったが。

 

 ジョニーがダイナーに飛びこんだ直後、女の悲鳴が短く聞こえた。私は車に鍵をかけて、足早にジョニーを追った。

 

 

 扉をくぐると店内に客の姿はなく、カウンターの中には店主らしいアジア系の女が、ショットガンを抱いて茫然と立ちつくしていた。

 

「すまないな、連れが驚かせてしまったようだ。敵意はないから銃を下ろしてくれないか」

 

 私は両手を上げてカウンターに近づき、女の前の席に腰を下ろした。

 

「今の危ないおっさん、アンタの連れ?」

「ああ、運転中に急にひどい腹痛を起こしたらしくてな。この店があってくれて助かったよ」

「なんなのよあいつ!? 血相変えて駆けこんでくるなり、『トイレを出せ!!』なんて絶叫するのよ? 押しこみ強盗かと思ったじゃない!」

 

 店主が指差す方からかすかに、ジョニーの苦悶の声が聞こえてきた。ショットガンが火を吹く事態に至らなかったのはこの場の全員にとって僥倖であったが、どうやらここからが長い戦いになりそうだ。

 

「アールグレイをストレートで、あとなにか軽くつまめるものはあるかな」

「アンタ、マイペースが過ぎるってよく言われないかい? ……まあ、お客さんだったらそれでもいいわ。アールグレイはないけど、ウォルマートとサンドイッチでいいかしら」

 

(出るっ。 ……まだ出るぅ!!)

(おおぉ…… こんなものが……)

(流せるのか、これ!?)

 

 店主はつかつかとトイレに向かい、ドアを荒々しく蹴り続けながら怒鳴った。

 

「ちょっと! うちは飯屋なんだよ、トイレは静かに使いな!! 今度騒いだら××の穴を増やしてやるからね!?」

 

 ジョニーはそれきり静かになった。

 

 

 スッキリした顔のジョニーが出てくる頃には、紅茶のおかわりも三杯目になっていた。私が食べていたサンドイッチを羨ましがったジョニーは自分もなにか注文したそうだったが、私はメニューを取り上げると、ジョニーの襟首を引っ張って店を出た。迷惑をかけた店主には、勘定にチップを多めに弾んでおいた。

 

「お、おい、無理に引っ張らないでくれ。俺飯まだなんだよ」

「うるさい、おまえは当分消化管を空にしておけ。一時間以上はトイレを占拠してたんだぞ」

「そんなぁ……」

 

 

 渋るジョニーを運転席に押しこみ、再び車が走り出した。目的の街に着く頃には昼になっているだろう。不意に、ジョニーが先程の話の続きを始めた。

 

「ずっとトイレで考えてたんだけどさ」

「うん、なんだ?」

「二十年会えなかった家族と、まずは正面から向き合ってみるよ。もしも許されなかったら辛いけどさ、それでもまずは会ってみなきゃぁ」

 

 そうだろうな、結局そこが一番なんだ。私だってハルに会いたいが怖いことは怖い、それは同じだ。私はダメな母親だ、結局父親の暴走を止めることができなかった。私がヒューイに立ち向かう勇気があったなら、一時的にとはいえハルを手離すことはなかったのかもしれなかった。私はやり直すチャンスをもらえた、今度こそ私は間違えるわけにはいかない。




 今回までで幕間編は終わりと約束したな? あれは嘘だ。

 申しわけありません、幕間編最終回を書いているうちにどうしてもいつもの倍くらいの分量に伸びてしまったので、分割して全四回とします。

 MGS4のエンディング、その構想段階では、アキバことジョニー佐々木とメリルの結婚式に、MGS3で登場したGRU兵のジョニーがアキバの祖父として参列するという案があったとか。そんな素敵なネタをなんで没にしちゃったんだという思いが今回の話の元ネタです。

 あと、チョイ役で登場したダイナーの女店主は、脳内CV:朴璐美さんの声を当てて読んで頂ければ幸いです。『カズラジ。』のアマンダがゲストの回、私のお気に入りだったんです。



21.11.23追記

 途中で一段落抜けてるところがあったので書き足しました、長い軟禁生活を抜けると母校だった的な部分です。初稿を修正した時にうっかり消し過ぎてたみたいでした。


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幕間四 L.A.大捜査線/娘たちの街

 ダイナーを出てからもうしばらくを走って、やがて車は見知らぬ街に入った。この街にハルの暮らす施設があるのだという。もうすぐだぞ、心の準備はいいかとジョニーが念を押した。正直に言って、心の準備など今もってできてはいない。だが、身構えて家族に会ってどうするというのか。私は体面を取り繕わない、むき出しの自分でもう一度ハルに向き合おうと決めた。

 

 向こうに大きな建物が見えてきた。ジョニーがクラクションを短く二回鳴らすと、ゲートの前に立っていた二人連れが振り向いた、あれはハルだ、別れたときより大きくなっている。ハルが、初老のシスターに手を引かれてこっちを見ていた。

 

 ハルまであともう少しで届くのに、そこで車は渋滞に引っかかっていた。私は思わず助手席から飛び出し、歩道をハルのほうへと駆け出した。

 

「ありがとうジョニー、もうここまでで充分だ」

「おい、ちょっと待てって! ……ああもう、子供じゃないんだから転ぶんじゃないぞ!」

 

 ハルの待つゲートまではせいぜい百何十メートル、心は風よりも速く走ったつもりだったが、長い軟禁生活がたたり私の体力不足は目を覆わんばかりの情けなさだった。髪を振り乱しサングラスを取り落とし、わずかな距離なのにあっという間に汗だくだ。思い出したが私はすっぴんのままで、いつものUVケアすらしちゃいなかった。すれ違う人々がみじめな私を奇異の目で見ていたが、それがなんだというのだ、すぐそこにハルがいるんだ! ゲートまで走りきった途端に私はまるで許しを請うようにハルの前に跪いて、ただハルに縋りつくだけしかできなかった。

 

「お母さん、肌が弱いのに無理しちゃダメだよ」

 

 ふわりと私の頭に被せられたのは、ハルが着ていたチェックのシャツだった。

 

「は、ハルくんのお母様でいらっしゃるのね。わたくし、当院の院長を務めておりますフィールグッドと申します。ジョニーさんから伺っていたより遅れてたから心配してましたのよ」

 

 シャツを被されたとき、私は許されたのだと初めて実感した。ハルや施設の人々に対して今日まで申しわけなかったと思うとともに、それ以上にこれまでのことへの感謝と、これから先を正しく生きていこうという決意が胸にこみ上げた。シスターの丁寧な挨拶を受けながらも、私はまだ息を切らせたままろくに返事もできなかったが、なんとか立ち上がりシスターの手を握って深々と頭を下げた。

 

「こんにちは、シスター・フィールグッド。お待たせしてしまったようでまことにすみません、ちょっと途中で腹具合が悪くなってしまいましてね」

 

 私がヨタヨタ走っている間にどこかに車を停めたジョニーがもう追いついてきて、ばつの悪そうな口調で遅刻を詫びた。まあ、またですの? 身体にはお気をつけなさってね、とシスターが困ったような声で答えた。どうやらジョニーの腹下しはここでも知られていたらしい。

 

「落とし物ですよ、博士」

 

 ジョニーは私が落としたサングラスも拾ってきてくれていた。レンズが片方割れて抜けてしまっていたが。

 

「ジョニーおじさん! ありがとうございます、お母さんを連れてきてくれたんですね」

「一年も待たせてすまなかったね、ハル坊。でもごめんな、お父さんはまだ外国でお仕事らしいんだ」

 

 ジョニーは謝ったが、ハルは複雑そうな表情を見せた。賢い子ではあるが、我が子を兵器の試験に利用した狂った父との愛憎に、幼い心ではまだ整理がついていないのだろう。

 

 施設内に案内された私たちは、ハルを引き取る手続きをすませ、世話になった職員や仲良くしてくれた他の子供たちに別れを告げて養護施設を発った。ジョニーは私たちを最後まで送ってくれるというので、せっかくここまで来たのだが再びカルテクに戻ってもらうことにした。カルテクには私の在学時に世話になった先生や同窓生が今でも残っているかもしれない、その縁を頼って講師の口でも紹介してもらえれば、この先ハルを育てていく活計となると考えたのだ。

 

 仕事の口は意外にあっさりと決まった。アフガン時代から書きためていた論文は教授会に好評をもって受け入れられ、私はカルテクに再び籍を置き、教鞭をとることとなった。

 

 新学期が始まる頃、研究室にジョニーから手紙が届いた。文面は、『なにもかもうまくいった、ありがとう』その一言だけで、一緒に家族との写真が添えられていた。写真の中央には赤ん坊を抱いた日系人らしい若い母親が座っていて、その周りをジョニーとその妻、そして成長した息子のジョニーが囲んでいた。みな幸せそうな笑顔だった。二十年ぶりに帰還したら知らぬうちに孫が産まれていたとはな、その孫もきっとジョニーなのだろう。ジョニー一族の系譜が末長く続くことを私も願う。

 

 

 

 それから、二十年の歳月が瞬く間に過ぎた。

 

 

 

 その日私は、わが研究室の学生たちに新しい著書の出版を記念したお祝いをしてもらって、少々ほろ酔い気分で自宅アパートメントの玄関前に立っていた。私はもう六十代も半ばを迎えていたが、まあシャンパンの一杯程度なんということはない。まだまだ足腰も頭もしっかりしている。二十年前にハルを迎えに行ったあの日以来、私は自分の運動不足を省みて、暇を見ては体力作りに励むようになったのだ。今ではずいぶん健康体になったものだと自画自賛している。

 

 生来日光に弱かったはずの私の肌は、あの島から戻って以来嘘のように紫外線に強くなっていた。専門外ではあるが自ら調べてみたところ、私の肌には今でも正体不明のナノマシンの活動の痕跡が認められた。おそらく、これはあの島の少女たちが身体に投与していたナノマシン、ナオミ・ハンター医師の発明品そのものであろうと思われる。私自身はナノマシンの投与を受けてはいないが、私と少女たちとはあの島で一年にわたり共に暮らしていた。その間には相応のスキンシップも多かったし、日々同じ風呂に入り時には同じ布団で眠ることすらあった。

 

 人間の表皮に存在する皮膚常在菌は、同居の親族では似通った分布をしているが、他人同士であっても同居して身近に接触を続け、菌のやり取りを繰り返すうちにその分布は似通ってくるのだという。それと同じように、私の肌にも彼女たちからナノマシンが移ってきたのではないだろうか? もっとも、体内にまでマシンの注入がされていない以上は、それはおそらく私の体表を薄く覆っているだけのもので、彼女たちがそうであったように、怪我を瞬時に治したりするまでの効力はないだろう。それでも、私の体質を劇的に改善してくれるだけの効果はあったのではないかと、そう仮説している。まあ、これはあくまで専門外の素人の想像だ。この世界にナオミ・ハンター医師が存在するのかはわからないが、もしも彼女に出会う機会があったなら、訊ねてみることもできるかもしれない。

 

 カードキーを通して玄関を開けると、不意にパンパンと破裂音が響いて、私は反射的に一歩たじろいだ。玄関の中の暗がりには、クラッカーを持ったハルが立っていた。その姿を見て私は思い出した、これは二十一年前、私があの不思議な島で開かずの扉を開けたときに見た光景だった。あのとき私は扉の中の男に歩み寄るつもりでドアをくぐり、そしてこの世界に帰ってきたのだった。

 

 再会してから二十年、ハルは随分と大きくなった。父親そっくりに育ったのはちょっと癪だが、父よりも男前になるようしつけてきたつもりだ。毎日髭を剃り髪を整えろ、高くなくていいからきちんと手入れした服を着ろ、そう教えたはずだったが、今日の息子は髪はボサボサ、無精髭が伸び始めている。悪いところはどんどん父に似るなぁと思い、私は小さく息を吐いた。

 

 ハルは、今ではもう私と同居はしていない。飛び級でカルテクに進学したのを機に、大学のすぐ近くで一人暮らしを始めさせた。彼は去年博士号を取ったが、その研究テーマは私とは違い、今でも大学に残って小型の二足歩行機械の開発を続けている。なぜそれをテーマに選んだのか聞いたら、まだ小さい頃に父親が自作の歩行機械で歩いていたのを憶えていて、あれをもっと安全に、より多くの人に普及できるようにしたいと考えたのだと答えた。

 

 この二十年、ヒューイからの連絡は一度もない。もう死んでしまったのか、あるいはどこかでのほほんと生きているのか、それは私たちにはわからない。ただ、彼の研究は今もハルのなかに生きているのだ。だから、私はハルに父の姓を継ぐことを提案した。そうして、彼は今ではハル・エメリッヒを名乗って暮らしている。これもまた私にとっては癪なことではあるが、行方知れずのままの父親へのせめてもの供養だと考えている。

 

「ハル、来ていたのか。あまりこの年寄りを驚かせないでくれ」

「突然ごめんよ母さん、新しい本のお祝いをしたくって来たんだ」

「それはありがとう。ところで、おまえの後ろのお嬢さんはどなたかな? この私にも紹介してくれないか」

 

 私が玄関に入ると、ハルの背後からまだジュニアハイくらいの少女がおずおずと顔をのぞかせた。あの島の少女たちと、見た目はだいたい同じくらいの年頃だろうか? そう思うとどこか懐かしい気がした。さっきクラッカーの音が二発響いたのは、この子もクラッカーを持っていたからだろう。

 

「あのぅ…… リデル博士でいらっしゃいますか? 突然お邪魔して申しわけありません、私、イングランドから来たエマ・ダンジガー、っていいます」

「初めまして、エマさん。確かに私がリデルだが、ドクター・ストレンジラブと呼んでくれてかまわないよ。プロフェッサーでもよい。そっちの方が通りがよくてね、私自身すっかり慣れてしまった」

 

 私は、自分の研究成果を子供向けの読み物にまとめるにあたり、自分をモデルにした架空の人物、ストレンジラブ博士を解説役として登場させた。その本が好評を得てシリーズ化され、元来は私のARPA所属時代の仇名だったストレンジラブは、今では世間にも広く知られた私のニックネームとなっている。

 

 リビングに入るとエマは、隅に置いていたリュックサックから何冊もの本をテーブルに積み上げた。それは子供向け学生向けを問わずすべて私の著書で、どれもこれも何度も読み返されてヨレヨレになり、付箋やメモをたくさん挟みこんで閉じきれなくなっているものがほとんどだった。

 

「あの、よかったら著書にサインをいただけないでしょうか? 先生の著書は、私がまだ小さい頃からずっと読ませていただいてるんです」

 

 適当な一冊を取り上げてさっと目を通してみたら、付箋のみならずどこもかしこも余白は書きこみだらけだった。だが、粗末に扱っているという印象は受けない。手垢汚れや挟まったゴミなどはほとんど見当たらないからだ。大事に何度も読み返し、重要な点にマーカーを入れたり自らの考察を書きこんだり、私の研究室の生徒たちですら、ここまで私の著作を読みこんでくれている者は皆無といっていい。書きこまれた内容も、幼さゆえにか未熟さや荒削りなところも目立つが、若く瑞々しい感性が星空のように輝いているのを感じた。この子をぜひとも自分の研究室に欲しいと、私だけでなく学者であれば誰しもそう思うだろう。私はサインペンを取り出し、一冊一冊に丁寧にサインを入れてあげた。なんならエマ自身にもサインを書いて所有権を主張したいところだ。

 

「ところでハル、おまえはエマさんと一体どこで知り合ったんだ?」

 

 無事新刊が出て、一人息子がお祝いに駆けつけてくれて、さらにエマのような素晴らしい逸材と引き合わせてくれた。いい感じに一杯ひっかけていることもあり私は上機嫌だったが、それもここまでだった。

 

「エマとは、昼間に大学の構内で出会ったんだ。母さんの新刊を持ってウロウロしていて、日が傾いてきてもまだ徘徊していたから心配になって声をかけたんだけど…… 母さんにどうしても会いたくて、イングランドから一人で来たんだって聞いて……」

 

 ハルは言いわけがましい説明をもごもごと並べていたが、いくら行きがかり上のこととはいえ、それで初対面の少女を家に連れこんだのか、連れてくる方もついてくる方もどちらも大問題だ。なにか事故があったらどうする気だったんだ? 私は記念すべき今日の日に、急転直下頭を抱えることになった。

 

「エマ、渡米するにあたってはちゃんと御両親の許しをもらっているんだろうね?」

 

 問い詰めるとエマは視線を逸らした。よもや家出娘か!

 

「私、父はもういないんです。母は私のことなんかそっちのけで新しい彼氏に夢中で……」

 

 うぐっ、とハルが嗚咽を飲みこんだ。我が家とて母子家庭は他人事ではないが、こちらはネグレクトのおまけ付きか?

 

「はるばる会いに来てくれたのをすげなく扱うようですまないが、エマ。良識ある市民たる私としては、家出娘を保護した以上はすみやかに警察へ連絡せざるをえない。それからハル、この馬鹿息子め。エマを保護したらなんですぐ警察に連絡しなかった? 場合によっては、これは未成年者略取と解釈されても弁解のしようもない状況なんだぞ」

 

 私が電話をかけ始めたとき、ハルとエマは顔を見合わせていた。二人とも目に涙を浮かばせて、ようやく事態の深刻さを飲みこんだという表情だった。どうでもいいことだが血縁もないのに妙によく似てるなこの二人。もしもハルが女の子に生まれてたなら、エマのような感じに育っていたかもしれないな。

 

 市警に電話して事情を説明したところ、すぐに女性警官をよこすという返事だった。さて、ここからが勝負だ。最悪の場合、私もハルも親子揃って誘拐犯でお縄頂戴だ。そんなことになったら、私はもう生きてはおれん、これまで世話をかけてきた人々に合わせる顔がない。

 

「警官が来る前に、君たちに話しておくことがある。そこに座りなさい」

 

 私はリビングのフローリングを指差した。二人とも三角座りで並んでいたので、私は少々恐い声で言葉を継いだ。

 

「座れと言ったら正座だ。ハル、おまえにはそう教えたな? 人の話を聞くときはきちんと座るものだ」

 

 ハルがあわてて座り直し、エマもそれに倣った。欧米人には正座ができない者もいるが、エマは問題なく正座ができていた。私も、二人の前に正座した。もちろん私だって正座くらいできる。なにしろ、あの島で叢雲の説教を聞くときはいつも正座させられていたんだからな。

 

「最初に私の方針を伝えておく。まずエマ、やはり君には一度イングランドに帰ってもらわねばならないだろう」

 

 エマはシュンとした面持ちで顔を伏せた、涙が落ちたのか、眼鏡を外してレンズを拭いていた。

 

「しかし、せっかく来てくれたんだ。私としても君に興味が湧いた、できることならもっと君と話がしたい。私の個人的なアドレスを伝えておこう、国に帰ったらここに連絡をくれたまえ」

 

 驚いて顔を上げたエマに私の名刺を渡した。これは特別なもので、大学ではなくプライベートな電話番号やメールアドレスが記載されている、めったには人に渡さないほうのものだ。エマは、それを私の新刊に挟むと、大事そうにリュックサックにしまいこんだ。

 

「さて、程なくここに警官がやってくるだろう。私たちはそれぞれ個別に事情聴取を受けることになるはずだ。いいか、なにを聞かれても正直にありのままを答えろ。何度同じことを聞かれてもだ」

「特にハル、変に話を取り繕おうとして勝手な脚色や隠し事をするのは厳に戒めておく。そんなことをしたって相手にはすぐわかる、かえって嫌疑を濃くするだけだと心得ろ」

 

 ハルはブンブン首を振ってうなずいたが、まさにハルの父がそういう男だった。結局のところ、そういう性分があいつを破滅に導いたのだ。

 

 玄関のチャイムが鳴らされ、迎えに出ると門口には二人の女性警官が立っていた。外聞に配慮してくれたのか、二人ともバッジは持っていたが私服であった。ロス市警のエーカーとパインヒルと名乗った二人の刑事を招き入れ、まずは通報者である私から事情を聞きたいと言われた。エーカー刑事を書斎に案内すると、聴取を始める前にエーカーはバッグから私の本を出した。子供向けに書いたストレンジラブ博士シリーズの最新刊だった。

 

「まず初めに、この本にサインをお願いできますか」

 

 警察官も私の本を読んでいるとは意外だった。まあこれくらいはと思って快くサインを引き受けたが、聴取を進めていく過程でエーカーは何度も新しい本を取り出してはサインを求めた。これは職権濫用ではないかと思ったのだが、筆跡鑑定のためですのでご協力をお願いしますとエーカーは涼しい顔だった。それ絶対嘘だろう? なんで私の筆跡が必要になるものか。

 

 ちょっとしたサイン会くらいのサインを書いて私の聴取は終わった。それなのになぜか当事者のはずのハルとエマの聴取は二人合わせても私の半分くらいの短いものだった。ただ、刑事たちが言うには、エマの実家の母親と連絡がつかずエマの身元確認ができないとのことだった。

 

 詳しく聞いて驚いたのだが、エマの実家はマンチェスターにあるそうだ、まさか同郷だったとはな。私は、エマに自分が子供の頃のことを話してやった。マンチェスターに程近いウィルムスローに居住していたチューリング博士に知己を得て、夜しか出歩けなかった私はしばしば博士を訪ねては数学について議論を重ねた話だ。あの頃私はちょうど今のエマくらいの年頃だったろう。

 

 ところで、エマの姓はダンジガーとさっき聞いたな。Danzigerは現ポーランド領グダニスク、ドイツ名でダンツィヒに由来するドイツ系の姓だ。グダニスクは長い歴史の中で何度もポーランドとドイツとの間で奪い合いを続けられた街で、長い間ドイツ系国家の一部だったが、第二次世界大戦の終結後にポーランドが独立を回復してからようやくポーランド領に復帰した。私がまだ子供の頃のことだ。

 

 このように私がダンジガー姓について憶えていたのは、私の生家と同じブロックにもやはりダンジガーという家があったからだ。私はもう半世紀も前の記憶をたぐり、その頃そこに住んでいた夫妻の名を思い出し、二人の名を知らないかエマに訊ねてみた。もしも彼らがエマの縁者であれば、祖父母くらいの世代にあたるはずだ。

 

「ごめんなさい、そのお名前はわかりません。私の母は勘当の身で、祖父母には会ったこともないんです」

「いや、それは手がかりになるかもしれないぞ。向こうの警察に照会してみよう」

 

 結局エマはその名を知らないようだったが、突然口を挟んだパインヒル刑事はどこかに電話をかけ始めた。マンチェスターの警察に連絡をつけるとして、向こうはもう真夜中どころか夜明けも近い時刻だろう。

 

 

 それから数時間の後、こちらではそろそろ日付も変わろうかという頃になってようやくエマの母と連絡がついた。私の知るダンジガー夫妻はやはりエマの母方の祖父母にあたり、娘ジュリーを勘当はしたものの、会わせてもらったこともない孫のことを気にかけていたらしい。夜中の電話で叩き起こされて事情を聞いた老夫妻が娘の家に怒鳴りこむと、ジュリーは電話を切って新しい男を引っ張りこみお休み中だったそうだ。

 

 ここからはずっと後で聞いた話だが、この件でエマを母親の手元に置いたままにはいかなくなり、エマは祖父母に引き取られることになった。その後ジュリーはロビンソンとかいう実業家と再婚したらしいが、その後はどうなったのか私は聞かされていない。

 

 問題が片付いた頃にはもう真夜中で、エマは結局一晩うちで預かることになった。刑事たちは翌朝出直してくると言って帰り、ついでにハルを自宅に送っていってくれた。就寝までのわずかな時間だったが、エマと私は楽しい議論の時を過ごすことができた。若い才能に触れ、それは実に有意義な時間だった。かつて私を導いてくれたチューリング博士やザ・ボスも、今の私と同じ気持ちでいてくれたのだろうか。

 

 

 翌朝、迎えに来た刑事たちに連れられてエマは帰国の途についた。私は彼女にこう伝えた、学業を続ける気なら私の研究室に来いと、エマの席を必ず用意すると約束した。エマの乗ったパトカーが見えなくなるまで、私は彼女を見送り続けていた。

 

 

 あくびを噛み殺しながら出勤すると、研究室に来ている生徒はまだ一人だけだった。

 

「おはようノーラ、昨日はありがとう。来ているのは君一人だけか?」

「おはようございます先生、私の他にはサラが物置で寝ていますよ」

 

 ノーラとサラはうちに所属する学生のなかでも最も優秀な二人だ。ノーラはしっかり者で研究のみならず私の秘書的な役割まで受け持ってくれている得がたい人材だ。サラは学業優秀ではあるが、少々酒にだらしない一面を持っているのが玉に瑕である。昨夜ここで私の新刊を祝ってくれたのだが、私が帰ってしまった後も夜遅くまで残って飲んでいたのだろうな。

 

「学内で酒盛りをするなと総務課のヘレナに先日も叱られたばかりなのにな。今度こそ処分が下るかもしれないぞ」

「実はもう叱られました。昨夜、ヘレナさんがここに来られましたので……」

 

 ノーラはきまりの悪そうな顔で言った。ああ、これはあとで私も叱られるやつだ。気が重いなぁ……

 

「なんでヘレナがここに? 今は提出期限を過ぎて溜めこんだ書類などなかったはずだが」

「昨夕、大学のほうに先生宛てのお電話が来たそうです。先生の古いお知り合いを名乗る方で、先生からご連絡をいただきたいと」

 

 自分で言うのもなんだが最先端の研究に携わっていると、そこから利益を掠め取らんとする胡乱な連中は群れを成してたかってくる。知り合いを装って連絡をつけてくるなどは使い古された手もいいところだ。そういう連中を遠ざけるためにも、直通の連絡先を他人に教えることはあまりない、昨夜エマに名刺を渡したのは例外中の例外だ。

 

「ほーん、いったいどこのどいつからだね?」

 

 私はその知らせにまったく興味が湧かなかったが、ノーラの読み上げた名前を聞いて思わず手が止まった。

 

「えっと、アラスカのベネディクト・カズヒラ・ミラーさんとおっしゃる方からですね」

 

 なんだって? カズが? 私は、こちらの世界に戻ってからずっと、あえてカズには連絡をしないままでいた。あの島で聞いたカズの人生の通りなら、米軍に伝手を探せばカズにコンタクトすることはできなくもなかっただろうが、あの島をまだ体験していないカズにその話をしても狂人扱いを受けるだけだろうと考えたからだ。私はカレンダーを確かめた、暦は2005年の三月に入っていた。あいつが襲撃を受けたのはたしか先月末だったとあの島で聞いていた、奴も私と同じように役目を果たして帰されたということなのか? ノーラがくれたメモには電話番号が控えられていた、あとで電話をかけてみよう。




 ストレンジラブの幕間編、今度こそ終了であります。本来の最終話が長くなり過ぎたので分割して話数を増やしたはずなのにまた長くなった…… なんで?

 ストレンジラブ博士、公式設定じゃ本名はわからないし正確な生年もわからないしで非常に書くのに困るキャラでした。本話ではストレンジラブ博士の本名、姓をリデルとしていますが、元ネタは不思議の国のアリスからいただきました。ストレンジラブとの数学者つながりと、あとどうせ勝手に名前つけるなら一番似合わない名前つけたろ! という筆者のイタズラ心以外の理由はなく、断じて公式設定ではありませんのでご了解ください。

 本作では正史でのTPPまでの顛末がストレンジラブ生存、ヒューイ行方不明という結果に変わっているので、その後のハルやエマの生い立ちが大きく変わっています。特にハルの進学先や研究テーマ、その先の進路も変わっているので、本作ではメタルギアREXが誕生しないことになります。シャドーモセス事件自体は起きているのですが、オタコンとREXが登場せず、もしかしたらナオミ・ハンターとFOXDIEやゲノム兵も出てこないぐだぐだシャドーモセス事件になったかもしれません。オタコンとREXの代わりには多分別のメタルギアが出たんでしょう、あるいはガンダーかな?

 また、ストレンジラブの発言でエマの姓ダンジガーを『ダンツィヒに由来するドイツ系の姓』としていますが、これは筆者の当てずっぽうでありソースはありません、これもご注意ください。

 それでは、今度こそ次回からはまた南の島でのカズ視点のお話に戻ります。


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第十六話 ターンVターン

 一か月のご無沙汰でした、今回からふたたびカズ編再開となります。話数では二十話目ですが、ストレンジラブの幕間編を挟んだ後のカズ視点の本編の再開なのでナンバリングは第十六話となります、ご了承ください。


「ソロモンよ、私は帰ってきた―!(声色)」

「キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!」

 

 ようやく泊地の施設が見えてきたとき、俺と漣は思わず諸手を振り上げて雄叫びを上げた。俺は一度海に落ちてビショビショ、漣は中破してあちこち服が破けてしまっていた。

 

「なにが私は帰ってきたよ、ここはソロモンじゃないわよ」

「ソロモン諸島ならもっと大きな島がたくさんありますよね、私、ソロモン海は長かったからよく覚えてるんです」

 

 俺と漣の乗ったボートを引っ張る叢雲と五月雨が呆れ声でぶうたれた。もう一人随伴していた吹雪は、俺たちの周囲を周るように航行しながら周辺の警戒を続けてくれている。

 

 そうなのだ、俺がここに連れてこられて、ストレンジラブが姿を消してからもう半月になる。その間この子たちにはいろいろな話を聞いたが、一番驚かされたのは、彼女たちが普通の人類ではなく、太平洋戦争で沈んだ帝国海軍の艦船の魂を引き継いで産まれた存在であるという主張だった。

 

 中学生ど真ん中の子供だったら、そういう妄想やごっこ遊びにふけることは珍しくない。俺の娘のキャサリーもそんな時期があったし、俺自身にだって多少の身に憶えはある。普通の状況なら一笑に付して終わらせるようなそんな与太話が笑い事ではすまないのは、彼女らが操るマジモンの兵器である艤装と、我々に襲いかかる謎の敵性生物の存在と、そいつによって今日も俺はうっかり死にかけたという厳然たる事実があるからだ。

 

 今日の騒ぎの発端は、彼女たちが毎日行っている島周辺海域の哨戒に、俺が同行を申し出たのが始まりだった。今後彼女たちの手助けをしていくにあたって、海の上で彼女らがどのように活動しているのか、先日見せられた二年前の動画だけでなく、現在の生の姿を見ておきたいと安易に考えてしまったのだった。

 

「だから、私は反対したじゃないのよ!」

「うっくぅ、なんもいえねぇ〜」

 

 叢雲がぼやいたが、漣も、もちろん俺もなにも反論できる余地がなかった。思い返せば叢雲は初めから俺の同行に反対だったが、いつもは三人出撃、二人留守番でやっている哨戒に留守番組から漣が俺の護衛につくと提案したことで、それならと吹雪と五月雨が賛成に回って話がまとまってしまったのだ。

 

 

 

 今朝の空は快晴、風は凪いで波も穏やかで、ボートで海に出るには都合がよかった。留守番の電に見送られて少女たちの艦隊は泊地を出航し、その基本隊形は俺が乗ったボートを漣が曳航して、その周りを吹雪たち三人が囲んで守ってくれる形だった。ちっと足りないけど輪形陣の変形ですなぁとか漣は言っていたっけな。

 

 ボートの上からは島が見えなくなるくらいの距離を、艦隊運動の練習としてか、時折隊形を変更しながら整然と艦隊は進む。俺はボートの上でそれを眺めながら、その時ばかりは確かに小柄なはずの少女らが紛れもなく船であるような、そんな不思議な印象を受けていた。

 

 大きく島を一周して哨戒を終え、いざ帰途につこうとする頃、叢雲が皆に警戒を促した。

 

「皆注意なさい! 電探に感あり、西北西に距離4000! おそらく駆逐級の小さい奴が一隻、快速よ」

「あー、カズ様連れてる今なら、泊地に逃げこむまでにまず追いつかれそうですなぁ」

「叢雲ちゃん、どうする?」

 

 五月雨が不安げにたずねたが、叢雲は慌てず皆にテキパキと指示を出しはじめた。

 

「漣はこのままボートを曳航してすぐ帰投しなさい、吹雪はその護衛をお願い。ついでに、電に状況報告も頼むわ」

「五月雨は私と一緒に迎撃に向かってちょうだい。敵が一隻だけのはぐれなら潰すわ、後続があるならカズの撤退完了まで時間を稼ぐわよ」

「おっしゃ、お仕事しますかー! 叢雲ちゃん、泊地で会いましょうぞ」

「叢雲ちゃん、五月雨ちゃん、気をつけてね」

 

 叢雲たちが迎撃のために引き返したあと、漣が引っ張るボートがぐんと増速した。

 

「カズ様、しっかり掴まっててくださいね! この速力なら15分かからずに泊地に逃げこめます」

 

 哨戒時より速度は上げたものの、そもそも俺が乗ったボートを曳航しているのと、あと後方で警戒にあたっている吹雪が器用にもバック走でジグザグに進んでいるため、逃げるにも全速を出すというわけにはいかない。ずっと遠くには、俺の眼でもまだ叢雲と五月雨の姿がなんとなく見える。

 

「叢雲ちゃんたちが接敵します!」

 

 吹雪が叫んだのとほぼ同時に、遠くで砲火が赤く光るのが見えた。叢雲たちが戦闘に入ったようだな。遅れて、轟く砲声が聞こえてきた。戦闘の詳細な状況は俺にははっきりとは見えないが、ザ・ボスがかつて戦った時のように楽勝とはいかないらしい。

 

「五月雨ちゃんから入電! 敵は駆逐イ級1、後続は確認できません! 砲雷撃戦、始めますっ!」

「吹雪! 俺の眼じゃとても戦況まではわからん、実況してくれるか!」

「漣も気になりますぞ、今後ろ向けないんでよろしこー」

 

 俺たちと後方とを交互に見回しながら戸惑った様子で吹雪が実況を始めたが、それは撃ったとか当たったとか走ったとか早い早いとか、聞きようによってはまるで下手なアナウンサーの野球中継のように聞こえるありさまだった。

 

「カズ様、吹雪ちゃんを許したってつかぁさい、この子は国語が残念、残念なんですぞ……!」

「残念とか言わないで!?」

 

 たしかに残念な実況ではあったが、断片的な実況を想像でつなぎ合わせて、だいたいの状況はなんとか理解できた。叢雲たちは二人並んで敵の進路をブロックしながら砲撃をしかけ、敵を小破までは追いこんだ。だが、敵は二人には目もくれず、ブロックの隙間を強行突破して俺たちを追跡しつづけている。叢雲たちもすぐさま転進して敵を追いかけてはいるが、俺たちに流れ弾が飛ぶのを気にして有効な追撃ができないままだった。

 

「叢雲ちゃんたちは追いながらヤツと闘う…… 漣たちは逃げながらヤツと闘う」

「つまり、ハサミ討ちの形になるな」

 

 俺が口を挟んだら漣が肩越しにこちらを見返してニヤリと笑った。俺も日本のマンガは好きだ。

 

「ハサミ討ちはいいがこの場合俺たちが不利だ。吹雪も叢雲たちも同士討ちを気にしてうかつに撃てん」

「変針しますか? そうすれば叢雲ちゃんたちも遠慮なく撃てますぞ」

「いや、射線から逃れるくらい大きく曲がれば速度が落ちるだろう、そうなれば一気に追いつかれるぞ」

 

 漣の提案に俺が懸念を示したとき、再び吹雪が叫んだ。

 

「敵、魚雷発射準備しています! 撃ってきますよ!」

 

 吹雪の警告する声に、ふっと俺の脳裡で閃くものがあった。

 

「吹雪、あいつは口から魚雷を吐くのか!?」

「そうです! こんな時にいったいなんですか!?」

 

 先日見せられた衝撃動画の駆逐ロ級とかいう奴、あいつは前方にしか砲を撃てないと、たしかにそう聞いた。もしかしたら、今日のこいつもそのような性質を持ってるんじゃないか?

 

「じゃあ奴は前にしか魚雷を撃てないな、そして、魚雷を撃てば一度足が止まるんじゃないか?」

 

 相変わらずバック走を続けながら、吹雪が一瞬だけ考えこんだ。今までの交戦で見てきた記憶を反芻したのだ。

 

「……そうです、言われてみればその通りでした。じゃあカズさん、そこからどうします?」

 

 こんな緊迫した状況にもかかわらず、吹雪は悪戯っぽい笑顔で訊ねてきた。俺がなにか考えついたと察したのだろう。

 

「撃ってくるなら撃たせてやれ、こちらは反撃を考えなくてもいい。ただし、相手をよく見て撃つ瞬間を見極めろ。撃ってきた瞬間に漣は取舵、吹雪も遅れるなよ。速やかに叢雲たちの射線から離れるんだ」

「なるほど、そしたら叢雲ちゃんたちが全力ブッパって寸法ですね。さっそく向こうにも伝えますぞい」

 

 叢雲たちに作戦を伝えて俺たちはイ級から逃げ続けていたが、少しずつ距離を詰められつつあった。

 

「そろそろ敵魚雷の有効射程距離に入ります、カズさん漣ちゃん、準備はいい?」

「おう、合図は頼むぞ吹雪」

「どんと来いです!」

 

 吹雪はもうジグザグ航行をやめ、敵駆逐の挙動を見極めることに集中していた。

 

「来ますよ…… 発射確認! とりかぁーじ!!」

「ワショーーーーイ!!!」

 

 俺は、これまでの哨戒中のように、彼女らが舵を切るときは大きなアールを描きながらゆっくり曲がっていくものだと思いこんでいた。しかし、船が徐々に曲がると誰がきめたのだ。たしかに俺は取舵を切れと言った、だがまさか直角に曲がるなんて誰が予想できる!? 漣の変な掛け声とともに、二人は波を蹴ってその場でいきなり90°ターンを決めて見せた。

 

 当然、ロープで牽引されているだけのボートは大きく振り回された。俺はターンに備えて船底に伏せてはいたが、予想外に急激すぎる横Gがかかりすぎたため、踏ん張る暇もなくボートから投げ出されてしまった。俺の視界で海と空とが目まぐるしく回る。一度か二度か、水切りのように海面を跳ねた気もする。

 

 落水前に息を吸いこんでおくくらいの余裕はあった。ずっと陸軍畑だった俺には船から落ちた経験こそなかったが、ヘリごと海に落ちるのなら経験済みだ。海に落ちた時、一番してはいけないのがパニックを起こして暴れもがくことだ。無駄に動いて酸素を浪費し、上下の感覚を喪失したままあわてて海面に上がろうとして、逆に下へ潜っていってしまい死亡事故に繋がったケースなんかも耳にしたことがあった。

 

 俺は、とりあえず泳ぐのに邪魔になりそうだった鉄芯入りのブーツを手探りで脱ぎ捨てた。編み上げではあったが、横にジッパーが付いているやつで幸いだった。いつもの癖とはいえこんなもの履いたまま海に出るなんて、我ながら馬鹿な真似をしたものだ。

 

 俺が海中に沈んでいる短い間に、水上で数度立て続けに爆発音が聞こえた。上でなにがあった、魚雷はどうなったんだ、皆は無事なのか? 急いで海面に上がらなくてはならない。

 

 光が差しこんでくるほうが上だ、今が昼間で本当に助かった。水面に二つウロウロしている人影が見える、あれは吹雪と漣か? 俺を探しているのだろう。俺はそっちの方へ泳いでいった。

 

「ぶはぁっ!」

 

 俺は海面に顔を出して、思い切り新鮮な空気を吸いこんだ。放り出されてから二分も過ぎてないはずだったが、極度の緊張を強いられる状況だったからな。息が続くうちに早く水上に上がれてよかった。太陽が眩しい、吹っ飛んだときにグラサンをなくしてしまったようだ、あれお気に入りだったんだけどなぁ。

 

「いた、カズさん無事だよ!」

「うおぉー、この漣一生の不覚!」

 

 吹雪と漣が俺に滑り寄ってきた。吹雪は無傷だったが、漣は服がボロボロになってしまっていた。見たところ出血などはしていないようだが…… いや、服がボロボロになるほどのケガを負って、すぐナノマシンで身体だけ治癒したのか?

 

「二人とも無事だったか、叢雲と五月雨はどうなった? 敵はどうしたんだ」

 

 そう聞いたら吹雪は一方を指差した。海面から頭を出している俺には遠くの状況は見えなかったが、指差す方向に黒煙が上がっているのは見えた。

 

「駆逐イ級は叢雲ちゃん五月雨ちゃんが仕留めました。二人とも無傷で、今こっちに向かっています」

 

 とりあえずは全員無事か、俺はほっと胸をなで下ろした。

 

「奴の撃った魚雷はどうなったんだ、まさか漣、喰らったのか?」

「うぅー、申し訳ねえです、ドジりました。華麗にターンを決めたと思ったのにカズ様を放り出しちゃって、魚雷がそっち流れるとヤバいと思って…… えぐえぐ」

 

 弁解の最後は涙声になった。そこから先は吹雪が補足してくれたのだが、俺を放り出したと気づいた直後、漣はロープを放り出し、もう一度ターンして魚雷の針路上に立ちはだかった。そして、水面下スレスレを疾ってくる魚雷を主砲と機銃で撃沈したのだそうだ。ただ、距離が近かったために魚雷の爆発に巻きこまれてしまって負傷したということだった。

 

「泣くな漣。すまない、無茶をさせてしまったな」

「ぐすっ、でも漣がヘマさえしなければこんなことには」

「ヘマをしたのは俺も同じだ、もっとしっかりボートに掴まっているべきだったよ。とりあえず、全員生きてるんだからそれで御の字だぜ」

 

 漂っていたボートを吹雪が拾ってきた。しかし、俺一人ではとてもボートによじ登ることなんてできない。

 

「すまないが、引っ張り上げてくれないか? さすがに自力で上がるのは無理そうだ」

 

 吹雪と漣が俺の差し出した手を取ったとき、危機を切り抜けた緊張の緩和からか、つい俺は思いつきでいらんことを言ってしまった。

 

「いちごミルク……」

 

 二人は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐ真っ赤になってスカートを押さえると、俺を海中から引っこ抜いてボートに投げこんだ。普通に暮らしてたら絶対に見ることのないようなアングルを目の当たりにしてしまったが、悪気はなかったんだ勘弁してください! なんでもしますから!

 

 

 そして、場面は冒頭に戻る。ズブ濡れの俺とボロボロの漣をボートに乗せ、戻ってきた叢雲と五月雨に曳航され、吹雪の護衛の下で俺たちはやっとのことで泊地に戻ってこれた。ドックの入口では、留守を守っていた電が艤装を装備して警戒にあたっていた。

 

 まずは、損傷を受けた漣から上陸した。彼女らが陸に上がるときは、ドックの水上に立つ彼女らの艤装をクレーンに吊られたフレームに固定して、そのまま工廠の床上に運ぶ。そこで彼女らは艤装を降りて、風呂に行くなり入渠するなりするのだそうだ。工廠に運ばれたフレームはそのまま工廠妖精さんたちの足場となって、次の出撃までの間に艤装の修理やメンテナンスが行われる。

 

 入渠というのは、戦闘で損傷を受けた彼女ら自身の身体のケアだ。ナオミ先生が皆に投与したというナノマシンは、普通の人間ならば致命傷になるような大ケガですらも瞬時に傷を塞ぎ、生命を維持することを可能とする。

 

 ただし、それだけでは彼女らが十全のコンディションで活動を続けることはできない。傍目にはきれいに傷が治ったように見えても、負傷が深ければ筋や関節に痛みが残ってすぐには元通りに動かせなくなったりするらしい。そういうパフォーマンスの低下が治癒するまでには、当初は長期間寝こんだりリハビリをしたりする必要があったのだそうだ。

 

 その問題を解決したのが、後にここへやってきたストレンジラブだった。あいつは医学やナノマシンの専門家ではないのだが、ナオミ先生のナノマシンのあらましとその問題点を聞いて、工廠妖精さんに自らのアイデアを提案した。そのアイデアに基づいて妖精さんは従来のナノマシンを改造して、負傷を塞ぐのではなく、塞いだ傷に残った後遺症のリハビリを行うための新しいナノマシンを完成させた。

 

 その運用は温泉療法をヒントにしていて、ナノマシンを溶かした湯に入浴することで、後遺症からの回復までにかかる時間を従来よりも大幅に短縮できるようにしたのだという。通常濃度でも完全回復までに数時間、濃度を上げれば数分での回復も可能だとか。

 

 これらのナノマシンは、ナオミ先生やストレンジラブが島を去った現在であっても、妖精さんがその技術を引き継いだことにより独自に生産を続けられている。

 

 ただ、高速修復材と名付けられた新しいナノマシンは、島周辺のあちこちの海域に生息するある特定の貴重な微生物をその原料としており、備蓄確保のため定期的に採取に向かう必要があるから注意しろと皆に教わった。

 

「で、なんでついてくるんですかカズ様」

 

 工廠に隣接しているここはその入渠ドックの中だ。まるでジャグジーか電気風呂のような一人サイズの浴槽が二つ並んでいて、中には薄緑色の湯が満たされている。俺もケガしたらここ入れば治るかな? そんなわけないか。

 

「いや、漣が心配なのと、この画期的な新技術に興味がわいてな。できれば見学させてもらおうかと……」

「乙女のバスタイムを堂々と見学とかありえませんぞ!? 入渠ドックは男子禁制です、とっとと出てってください!」

 

 文字通りにドックから蹴り出されてしまった。仕方ない、俺も海水まみれだから風呂行こうか、と思ったが、隣の浴室はすでに吹雪たちが先に入ってしまったようで使えない。今日も一番風呂はおあずけかと俺は肩を落として、先日の組手大会の日みたいに玄関の水道でせめて塩気だけでも流そうか、と歩み出した。

 

「どこへ行くというのです?」

 

 その声は電か。呼び止められて振り向くと、電は風呂場の方からホースを引きずって来ていた。

 

「なんだ、電は一緒に風呂入らなかったのか?」

「電はお留守番でしたので。あとで寄宿舎のお風呂にでも入るのです」

 

 なるほど。それで、そのホースは?

 

「ミラーさんも海に落ちたのでしょう、真水で洗わないと髪が傷んでしまうのですよ」

「そりゃあありがたい、だがこんなところで水撒いちゃっていいのか?

 

 どうやら工廠内は水気OKらしい。まあ、引き揚げた艤装に水ぶっかけて洗うくらい想定してるんだろうな、さすがに分解しているところに水はまずそうだが。

 

「さあ、そこに座ってください」

 

 いやありがたい、海水でビショビショのまま本棟まで上がっていくのもちょっと気がひけるからな。俺はあとで掃除しやすそうなところを選んであぐらをかいた。

 

「……座れっつったら正座なのです」

 

 電がいきなりドスの利いた声を出した。あ、あれ? なんか雲行きが怪しくなってきたぞ?

 

「今朝電は意見したはずなのです、ミラーさんがみんなに同行するのは危険すぎると」

 

 たしかに、今朝がた俺の同行に最後まで反対を唱えていたのは叢雲とこの電だった。あまりの重圧に座り直す暇もなく固まった俺の顔に、ホースから勢いよく水が浴びせられた。いやアツゥイ!? これ水じゃない、熱湯だよ!

 

「相手はたかだかイ級一隻、慢心するわけではありませんが、普段なら軽く片付けて終わるはずだったくらいの相手なのです。それが終わってみれば漣ちゃん中破という体たらく、ミラーさんをかばったのが原因なのは明白なのです。なにか申し開きはありますか」

 

 熱っつい、やめて、火傷するから! もんどりうって床を転げ回る俺に、容赦なく湯が浴びせられ続ける。

 

「常人でもこれくらいで火傷はしません、江戸っ子なら我慢する温度なのですよ」

 

 いや、俺須賀っ子だから、あっつぅ!? 熱湯責めの前に俺は抵抗すらままならず、ホッカホカと湯気を上げながら土下座するしかなかった。

 

「ずびばぜんでじだ」

「なら、何が悪かったのか言ってみるのです」

「俺自身はなんの戦力になるわけでもないのに、無理に哨戒に同行して艦隊を危険に晒しました」

「それだけなのですか?」

「……?」

 

 電が笑顔のまま額に青筋を立てた。ボイラーから引っ張ってきたらしき熱湯のホースを投げ捨て、近くの消火栓からノズルを引っ張り出して構えた。ちょ、待てよ!?

 

「いい歳こいて子供のスカートを覗く、帰ってくるなり入渠ドックに闖入、本当になにをやってるのですか貴方は? 不潔なのです、汚物は洗浄なのです!!」

「あばばばばがぼぼぼぼ」

 

 弁解の暇もなくちょっとしたパンチくらいの水圧が顔面に飛んできた。いやスカートの件は不可抗力だしドックのことだって純粋な技術的好奇心であって決してやましい思いなどは! ダメだ、我が身の人生を省みればまったく説得力がない!

 

「へぶぶぶぶぶごぼごばばばばばしばふぅ!?」

 

 鼻に、鼻に水が入った! やめて電、息ができない、これ以上はマジで死ぬから……

 

「そのへんにしときなさいよ」

「電ちゃん、私もう気にしてないから……」

 

 先に風呂から上がってきた子たちが止めてくれたおかげで、あやうく俺は地上で溺れ死ぬダーウィン賞ノミネートを免れることができた。もしかしてこれ、先日の組手で電を逆さ漬けにした仕返しも入ってるんじゃないか?

 

『おまちくださいみなさん、こうしょうをみずびたしにしたままさるきですか』

 

 吹雪が口添えをしてくれて電の怒りをなだめ、これでお開きになるかと思いきや、足元では棟梁やハジメさんを中心とする工廠妖精さんたちの一群の抗議の声が上がっていた。仕方ない、俺たちはめいめいワイパーやモップを持ち出して工廠の掃除を始めた。

 

「あの、ミラーさん」

 

 ワイパーで俺が水を払った跡をモップで拭き上げていた電が話しかけてきた、その口ぶりにはさっきまでの怒気はもう感じられない。

 

「うん、なんだ?」

「ごめんなさい、さすがにさっきのはやりすぎたと思ったのです」

「ああ、まあ…… な」

 

 俺は大丈夫だ、と胸を張って見せたかったが、さすがに曖昧な答えしかできなかった。水が入った鼻がまだツンと痛む。

 

「まあ、思い返せば先日は俺が君に海水を飲ませたからな。これでおあいこってことにしないか?」

「…………そういうつもりではなかったのです」

 

 電は少しむくれた様子だったが、答える前にちょっと間があったなぁ? まあいい、掃除もすんだから今度こそ風呂だ! 俺は意気揚々と暖簾をくぐった。

 

「ひ、ひゃぁあああ〜〜〜!? カズヒラさん!?」

 

 脱衣場に入った途端、俺はバスタオル一枚で髪を乾かしていた五月雨と鉢合わせしてしまった。そういえば、電を止めてくれた時も、工廠掃除の時にも五月雨の姿はなかったな。ありえんくらい長くて綺麗な髪だからなぁ、乾かすにも時間がかかってたんだろうな。うんうん、髪は長い友達、大事にしないといけないよなぁ…… この後の惨劇を予感して現実逃避を始めた俺の背後に、電の足音が近づいてきた。

 

 




 先日の秋イベは弊鎮守府初の甲勲章をいただきましたが、ミトチャンの救出に失敗しました。やっぱり勝った気がしません。


 話は変わりますが、今回の叢雲や以前ザ・ボスがセーラー服着せられた回での漣の台詞で、海上での方位を十六方位で言わせてますが、これは海軍的には間違いで正しくは方位角で言わせるべきなんだと思います。

 それでも本作では勝手に十六方位で言わせているのは、方位を数字で言われても読んでてイメージしづらくね? と思ったからです。艦船が美少女になってるのに較べたら、これくらいの考証無視など多少はね?


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第十七話 Point of view

あけましておめでとうございます(棒)


 先日の失敗以来、俺は自分が海に出ることをあっさり諦めていた。やはり、海で戦えずナノマシンも持っていない俺では、彼女たちの足手まとい以外の何者でもない。ただ、無理を押して同行したことで、今後のために果たすべき課題も見えてきた。

 

 ひとつ、俺が出撃しなくても戦況をつぶさに知ることのできる方法。これは一応腹案がある、これから皆に提案してみるつもりだ。

 

 もひとつ、ここの五人が全員揃って出撃できる方法。これまでの出撃はほぼ三人、やむを得ない場合でも最大四人までと決め、泊地の防衛のために一人二人は留守番を置いていたそうだ。全兵力を出撃させている間に空の本拠地を陥落されるわけにはいかないから仕方のないことではあるが、より遠くまで探索の手を拡げるためにはコンスタントに四人、五人で出撃しても泊地の防衛が可能なだけの設備が欲しい。これには妖精さんたちの協力が必要だ、今すぐには無理でも今後の宿題だな。

 

「さあ、みんなテーブルについてくれ。今日の昼飯はバーガー・ミラーズ謹製デラックスBBQバーガーセットだぞぅ!」

 

 先日の叢雲との約束もあって、今日の昼飯は俺の担当だ。俺が料理している様子をキッチンの入口で伺っていた子供たちが、カートを護衛するように取り囲んでロビーに向かう。ふっふっふ、初めて見るハンバーガーに皆興味津々だなぁ? 今日のメニューは俺得意のハンバーガーだ、付け合わせには揚げたてのフレンチフライとフレッシュな100%オレンジジュース、栄養も考えて大皿のサラダも添えた。ここいらでひとつ、俺もできるんだってことを皆にもわからせてやろうじゃないか?

 

 このデラックスBBQバーガーは、かつて俺が経営していたハンバーガーショップの人気メニューだ。ダイヤモンドドッグズ時代に内緒で始めた店は、今ではフロリダに本社を置き、少しずつアメリカ国内に店舗を増やしつつある。もっとも、俺は米軍に招聘されたときに経営から降りたし、会社が躍進を始めたのはその後女房が社長に就任してからのことだ。アラスカへの移住に女房がついて来てくれなかった理由には、成長を続けている会社を放り出したくはなかったという事情もある。女房はもともとダイヤモンドドッグズでの部下の一人だったが、俺じゃかなわないほど優秀な兵士だった上に経営の才もあったなんてなぁ。自信なくしちゃうよ、とほほ……

 

 いや落ちこむな俺、ランチタイムは楽しむものだ。さあ食卓につけガールズ、皆で手を合わせていただきますだ!

 

「こ、これどうやって食べればいいのです!?」

「電ちゃん、ちょっとはしたなく思うかもしれませんが、こいつはこうやって一気にかぶりつくのがオツなんですぞ」

 

 初めて食べるハンバーガーに戸惑う電に漣が手本を見せてやっていた。メシウマ〜♫ などとよくわからないことを言っているが、口に合ってくれたらしい。

 

「なにこれおいひい! カズ、あんたも結構やるじゃない!」

「このお芋の素揚げも、はんばーがー? によく合います!」

「この濃いタレの刺激的な味、たまりません!」

 

 叢雲は眼をキラキラ輝かせながらハンバーガーをパクついていたし、吹雪はフレンチフライが気に入ったようだ。五月雨はソースを褒めてくれた、こいつは嬉しいな。

 

「そうだろ五月雨、このソースは美味いだろう? 俺は昔ハンバーガーショップを経営してたんだ。このソースのそもそもは、俺が死んだ親父から教わったミラー家秘伝の味がベースさ」

「はい、とっても美味しいです!」

 

 俺と父と二人きりのむさ苦しいバーベキューも、こんなところで活きる機会が来るなんてなぁ。人生経験というものは、後からなにが役に立ってくるかわからないもんだな。

 

 アメリカ時代のことを思い返せば、父は唯一の家族になっちまった俺に学費やらなにやらと、金は惜しまず出してくれた。でも、俺は父自身からなにかを教わった憶えがほとんどない。俺が父から受け継いだものといえば、この身体の他にはそのソースだけだったかもしれないな。

 

「傭兵だったり軍人だったりと思ったら、会社経営もしてたなんて、見た目によらず意外とやり手なのねぇ」

 

 自分の分はすっかり平らげてしまった叢雲が、大皿のポテトをつまみながら呑気につぶやいた。その大皿は妖精さんたちのための分で、皆が抗議の声を上げていたが叢雲は知らん顔であった。

 

 だいたい見た目によらずとはどういう言い草だ、それじゃまるで俺が馬鹿っぽく見えるみたいじゃないか? どこに目をつけてるんだ、どっからどう見てもできる男じゃないか、このカッコいいグラサンとかな、な?

 

 ……そういや、グラサンは先日海に落としてなくしたんだっけか。なくてもいいんだが、どうも落ち着かん。ふとした時に、かけてないグラサンの位置を直そうとしてエアメガネをしてしまうんだ。

 

「前に博士も言ってましたけど、カズ様ってサングラスがないとやっぱり落ち着かないんです?」

 

 頬杖をついた漣がニヤニヤとからかうような顔をしていた。そっそそそんなことは決してないぞ、俺はしっかりと漣の眼を見つめて言い返した。

 

「おまえだって、そのウサギがいないと落ち着かないだろう? トレードマークってのはそんなものさ」

 

 なんなんだろうなこのウサギ。最初はぬいぐるみだと思ってたのに、よく見ると自分で動いてるしな、どうやら漣から離れることはないみたいだが。海戦で吹き飛んでもいつのまにか帰ってきてるらしいし、今は妖精さんの群れに混じってポテトをかじっている。ウサギも妖精さんたちも、ポテト山に登りながら全員塩と油でテカテカ光っているありさまだ。あとで風呂に行ってもらわねばなるまい。

 

 

 昼飯がすんだ後、俺は皆にロビーに残ってもらった。始めに挙げた懸案事項のひとつ、戦場からこの島までリアルタイムに戦況を伝える方法について、皆に提案があるのだ。

 

「それで、この子たちがその新発明というわけね?」

 

 そう言う叢雲の手のひらには、PRESSと書かれたキャップを後ろ前に被り、肩にはTVカメラを構えた妖精さんが乗せられている。俺の手元のPCの画面には、カメラを不審げに眺める叢雲の顔が大写しにされていた。

 

「そうだ、名づけて戦場カメラマン妖精さんだ。この子たちを君たちの艤装に乗り組ませることで、戦場の映像をリアルタイムにこの泊地まで伝えることができる。出撃する人員が皆この子たちを乗せていけば、カメラの切り替えはもちろん、複数の視点を同時に表示することも可能だ。音声だけの通信よりも高度な情報を得ることで、より状況に即した指揮を行う助けとなるだろう」

 

 カメラマン妖精さんは現在五名、子供たち全員にとりあえず一人ずつは配属できた。人員は、元々は施設内で監視カメラを担当していて、あらかじめカメラの扱いに慣れていた子から引き抜いた。監視カメラ要員については、今後無任所の妖精さん(その辺で遊んでるだけの子ともいうが)から補充をすることになる。

 

「ほほう、こいつは面白そうな代物ですなぁ」

 

 漣が叢雲の背後にピタリと寄って、カメラの視界に顔を割り込ませた。しかしそれは叢雲の注意をそらすフェイクで、叢雲の背後の死角では指先に自分のカメラマン妖精さんをぶら下げているようだ。画面上では漣の妖精さんからの映像が隅の小窓に映っていて、黒タイツを履いた叢雲の脚を下から徐々に舐め上げるように捉えている。

 

「おい漣?」

 

 ちょっと注意しようと声をかけた瞬間、あっ! と五月雨が小さく叫んだ。間髪入れず叢雲の後ろ蹴りが漣の顎を鋭く蹴り上げ、漣はたまらずぎゃんと悲鳴をあげてひっくり返った。

 

「乙女の顔に蹴りをくれるとはあんまりな仕儀ですぞ!?」

「乙女の秘密をカメラで覗くアンタこそなんなのよ」

 

 尻もちをついたままの漣と叢雲がしばし睨み合う。

 

「二人ともちょっと待つのです。叢雲ちゃん、漣ちゃんの悪戯になんで気づいたのです? 電にはまったく見えていなかったのですが」

 

 そうだ、画面を見ていたのは俺だけで、漣の手元は俺も含めて全員から死角になっていたはずだ。些細な違和感ではあるが、最初に気づいた俺が声を上げてから反撃までがあまりに早すぎた。

 

「さっきね、妙な感覚があったわ」

 

 眉を顰めて頭を押さえ、首を振りながら叢雲が答えた。

 

「頭の中に突然、私の脚をいやらしく映している映像が浮かんだわ…… あれは、たしかにこのカメラからの映像よ」

 

 そのまま言葉を続けながら漣が取り落としたカメラ妖精を拾い上げてほっぺたをグイグイ引き伸ばしつつ、冷ややかな声で告げた。

 

「デリカシーに欠ける愚か者は、唐揚げにして漣に食わせるわよ?」

「『ヒィッ!?』」

 

 妖精さんと漣が顔面蒼白になって悲鳴をあげた。カメラ妖精さんはすぐ解放されたが、漣共々並んで土下座の構えである。

 

「叢雲、腹立ちはもっともだがそのへんで勘弁してやってくれないか」

「あのう……」

 

 叢雲が土下座を続ける漣から離れたところで、五月雨が小さく手を挙げた。

 

「私も、さっき変な感覚がありました。でも、叢雲ちゃんとはちょっと違う見え方をしたみたいなんです」

「違う見え方?」

 

 叢雲が訝しげに問い返すと、五月雨はロビーの天井、ちょうど電灯のあるあたりを指差しながら自信なさそうに答えた。

 

「例えるなら、そう…… ちょうどあの灯りのあたりから、このロビー全体を見下ろしているような。誰がどう動いていたか手にとるようにわかるような。漣ちゃんが叢雲ちゃんのお尻に手を伸ばしているのがわかって、とっさに声を上げちゃったの」

 

 そう言われれば、たしかに先程は五月雨もリアクションを起こしていたな。しかし、ただの中継カメラを載せただけなのになんでこんな現象が起こるんだ?

 

『まさかのときのちんじゅふようせいこうしょー!』

 

 不意に小さな声が上がり、叢雲の髪の中からハジメさんが飛び出した。

 

『しんかいはつのそうびにどうやらよそうがいのきょどうがおこっていたようなので、とりいそぎちょうさをじっししておりました』

「なにかわかったのか?」

『まずむらくもさんですがー、かめらのつうしんをでんたんがぼうじゅしちゃっているもようです』

 

 続くハジメさんの解説をまとめるとこんな話だ。叢雲の装備している電探…… つまりレーダーは他の四人のものと違い、艤装本体から分離されて常時叢雲の耳のあたりにフワフワ浮かんでいる。ほんとどういう仕組みなんだろうコレ? 無理に引き離そうとしたらどうなるのかと思うのだが、叢雲はそれを絶対誰にも触らせないので本当のところは誰にもわからない。

 

 いや話を戻そう。この叢雲の電探はわざわざ分離しているだけのことはあって、艤装本体を装備していない時でもいつでも使用できるのが特徴だ。電探の制御は叢雲の脳の使われていない部分を利用して形成された一種のバイオコンピュータが自動で行なっており、この回路のせいで電探が傍受したカメラからの映像信号が脳の視覚野にまで流れこんでしまった結果、彼女の視覚に割りこんでしまっているということなのだそうだ。

 

「ひ、人の頭の中でなんてことしてくれてんのよぉ!?」

 

 叢雲は絶叫すると、頭を抱えてその場にへたりこんだ。俺も今までさんざん無茶な兵器を見てきたつもりだったが、脳をいじるとかさしもの俺もこれには引くわ。

 

『しんぱいはごむようですむらくもさん、われわれのかいはつするそうびはあんぜん、あんしんがもっとーであります。ただちにけんこうひがいなどありえません、とらすとみー』

 

 力強くサムズアップをしてみせたハジメさんであったが、叢雲はこの世の終わりのような表情のままだった。

 

「なあハジメさん、装備どころか、我々の生活全般にわたって妖精さんたちの世話になりっぱなしな現状については本当に感謝しているんだ。ただ、機械に脳の中をいじくり回されて大丈夫と言われても、どうしても不安を感じてしまう叢雲の気持ちもわかるだろう? もう少し、納得のいくような説明をしてやってはくれないか」

『はじめさんいずだれ?』

 

 ハジメさんが首を傾げた。言われてみればそうだった、その名は俺が心中密かに呼んでいただけだったっけな。

 

「ああ突然呼んですまない、ハジメさんは俺が勝手に君につけていたあだ名だよ。俺が最初に出会った妖精さんだからハジメさん、気を悪くしたのなら謝る」

『われわれになまえはないのですが、はじめさん…… わるくないきぶんなのです。なによりもかずさんのはじめてのひととはっきりわかるところがじつによろしい、ありがたくちょうだいしましょう。むふー、ねーむどようせいとはわたしもしゅっせしたものですなぁ』

 

 そう感慨深げに言うと、ハジメさんは得意顔で顎をさすった。ネームド妖精というのはどういうことなのかは聞きそびれてしまったが、まあ、気に入ってくれたんならなによりだ。

 

『さておはなしをもどしましょうか。むらくもさんはもちろん、みなさんのたいないにはなおみせんせいかいはつ、われわれかいりょうのなのましんがとうよされております。このなのましんはせんとうでうけたふしょうをいっしゅんでふさいでいのちをまもるもの、とおかんがえでしょうが、それだけではありません。ほうだんやそうこうのはへんなど、たいないにのこったいぶつをはいじょするやくわりももっております。そうでなければ、せっかくきずをふさいだとしても、ないぶにはへんがのこったままではかんちしたとはいえないでしょう?』

 

 それは確かにその通りだろう。ここから先の説明もまた長かったので再度要約するが、電探の影響で脳の一部を作り替えられたとしても、電探を使い続けている間はそれを異状と判断してナノマシンが修復、あるいは排除したりすることはないらしい。ただし、長期間に渡って電探を外したりしていた場合、ナノマシンは確実に脳内の電探制御回路を元の脳細胞へと修復してしまうだろうということだった。そうなった後でも、電探を再装備したらまた制御回路が作られるわけなのだが、せっかく上がっていた熟練度が一から育て直しになってしまうので、特に異状がない限りは今のまま電探を使い続けてもらいたいというのが、工廠妖精としてのハジメさんからの要望だった。

 

「まあ、安全性については一応我慢するわ。でも、この見え方だけはなんとかならないのかしら? 自分の視界が不意にカメラの映像に遮られるのよ、戦闘中にこれでは命取りになりかねないわ」

 

 実際になにが見えているかは叢雲にしかわからないことだが、想像する限りでは確かに邪魔そうだ。ハジメさんはそれならちょっと信号を調整しましょうと言うと、叢雲の電探に飛びついてなにやらいじり始めた。

 

 調整はすぐに終わり、ハジメさんに促された叢雲が電探に意識を集中する。彼女はしばらくの間眼前の虚空を払ったりつついたり、何かを持ち上げては他所に下ろすかのようなパントマイムめいた珍妙な行動をとっていたが、やがてなにがしか腑に落ちたのか、腕組みをしてふぅんと感心したように唸った。

 

「今、私の目の前に皆のカメラからの映像が並んでるわ、額縁が浮いてるみたい。 ……これ、つまりは私の目にしか見えてないのよね?」

『あなたいがいには、はくちののーとぴーしーでもそうさこそできませんがもにたーだけはかのうです。なおこのえいぞうはぴんちでこのみのおおきさにちょうせいもできますし、どらっぐでいどうもできます。じゃまなときはいちじてきにけしてもおけます』

「要はコンピュータと一緒よね。博士に扱い方を教わってたから、そのくらいは理解できるわよ」

 

 ハジメさんの解説の通り、俺の手元のPCに送られる叢雲のカメラ妖精さんからの映像には、叢雲に見えているであろう宙に浮かぶウィンドウが映りこんでいる。まるでSF映画のようだ。

 

「意外なおまけがついてしまったが、どうだ叢雲、このカメラは役に立ちそうか?」

「……まだなんとも言えないわ。全員のカメラ映像を私が総括して判断に活かせるなら便利かもしれないけど、慣れないうちは自分自身の動きがおろそかになるかもしれないわね。訓練が必要よ」

 

 うん、それはそうだろうな。車を運転していてサイドミラーやバックミラーに注意を割き過ぎた結果、前方確認をおろそかにして追突事故を起こすのと似たようなことかもしれない。

 

「全員分の情報をまとめて判断を下すとか、まるでちょっとしたイージス・システムみたいだな。イージス艦叢雲か」

 

 耳慣れない言葉を聞きとがめて叢雲がジロリと俺を睨んだが、別に悪口言ってるわけじゃあないからな? 自称戦前生まれで現代の海戦を知らない君らには、専門外の俺ではあるがちょっと解説しておいてやろうか。

 

「イージス・システムというのは、現代の艦艇で運用されている統合的な戦闘システムだ。ざっくり説明すると、複数のセンサーが感知した対象を分析して脅威査定を行い、優先的な目標から射撃管制システムが迎撃を行う。これらの動きをコンピュータが一括して指揮統制を行うんだ。元来は飽和攻撃に対する対空防御を主眼として開発されたものだが、汎用性が高くてそれ以外の戦闘行動全般にも活用されている」

「へぇー、現代の海戦は進んでいるのねぇ……」

 

 叢雲が心底感心したような声をもらした。件の電探、ネオン管の点滅が心なしか速い。機嫌は悪くなさそうだ。

 

「カズさん、いーじす、ってどういう意味なんですか?」

「イージスというのは、ギリシャ神話の女神アテナが主神ゼウスから賜った盾なのです。ありとあらゆる災いから守ってくれるそうなのですよ」

「ああ、イージスのたてですなぁ、漣も知ってますぞ」

 

 吹雪の質問には俺に代わって電が答えてくれた。電はちゃんと原典を知っていたようだが、口を挟んできた漣の知識はなんだか出どころが偏っている気がする……

 

「女神様の盾、いいじゃない。悪くない響きだわ」

 

 電探の点滅がますます速くなった、神話上の事物になぞらえられてテンションが上がりまくりのようだ。叢雲は自信家であり実際優秀なのだが、少々おだてに弱いチョロさが見受けられるのには一抹の不安をおぼえる。

 

 ひとまず叢雲のほうは納得してくれたからいいとして、五月雨のほうはもっと不可解な現象が起こっていると予測される。彼女は天井からこの部屋を見下ろしているような感覚がある、そう言っていた。しかし、そんなところにカメラ妖精さんがいたわけもなく、それはカメラの通信を傍受してしまっていた叢雲とは別の問題だろうな。

 

『それでは、こんどはさみだれさんをしらべてみましょー、さあさあ、てんじょうのしみをかぞえているうちにおわるのでありますよ』

 

 ハジメさんの発言に叢雲と電は眉をしかめたが、当の五月雨は少々くすぐったそうなそぶりを見せながら、じっと天井を見上げていた。素直かよ、と漣が小声で呟くのが聞こえた。




 念のためではありますが、本作におけるカズを始めとする登場人物の家庭の事情について、原作中ではっきりと語られていない事柄については筆者の想像で勝手に補って設定しております。断じて公式設定ではありませんのでご注意ください。

 ちなみにカズの奥さんについては、TPPに登場するある女性兵士をモデルにしております、たぶんあなたのマザーベースにもいるんじゃないでしょうか?


 艦これは新イベ始まりましたねぇ。新艦のビジュアルなんかもちらほらSNSに上がってきてるんですが、作者自身はしばらく様子見の予定で、今回は乙クリアくらいを目標にゆっくりやっていこうと思ってます。

 ところで今回の新ボスの眼鏡深海松型、あれもしかしてしーちゃんじゃね?(疑念) ……おや、こんな時間にチャイムが? 誰だろう


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第十八話 ヤバイ唐揚げ屋さん

 利便性を求めて開発してもらったはずの新装備、戦場カメラマン妖精さん。自分で名づけておいてなんだが、ちょっと長いからこれからはカメラさんと呼ぼうか。そして、カメラさんのうちでも漣につけた子はどうやらいかがわしい映像を撮るのが好きみたいで、先程もそれで叢雲とひと悶着あった。漣には仲間たちの余人には見せられない写真を隠し撮りしていた前科があるらしいし、どうも妖精さんは主となる少女の性格から影響を受けるのだろうか? この子は今後カメコさんと呼ぼう、カメラ小僧だからカメコさんだ。

 

 叢雲に引き続き五月雨を調査しているハジメさんは、今まさに彼女の全身を服の中に至るまで這いずり回っている。五月雨は少々頬を赤らめ、くすぐったいのか気持ちいいのかは計り知れないが、時折小さく声を漏らしながらもじっと天井を睨んで我慢しているようだ。いいぞもっとやれ、むしろハジメさんそこ代わってくれ!

 

 なんとなく気まずい空気漂うなか、五月雨の胸元からひょっこり顔を出したハジメさんが、俺に向かって大きく跳んだ。俺は両掌でややふんわりと彼女を受け止める。クンカクンカ、うーん、心なしかほのかに香る少女臭……

 

「それでハジメさん、どうだった?」

『……すべすべでつるつるでした』

 

 ほふぅー、と満足げな溜息をついてハジメさんは答えた。それは耳よりな情報だがそうじゃないよ。

 

「五月雨の視覚に謎の挙動が起こっていることについてなにかわかったことはないか、と聞いているんだ」

『……わかりません、げんじょうのちょうさだけではげんいんをかくていしかねるのです』

 

 不意に五月雨の手が伸びてきて、ハジメさんをむんずと鷲掴みにした。

 

「叢雲ちゃん、今日のお夕飯は唐揚げだったよね? 食材追加でお願いね」

『わぁぁー! じゃすたもーめんと、しばらく、しばらくぅぅぅ! かくていしかねるとはたしかにいいましたがげんいんにまったくこころあたりがないわけではないのです!!』

「五月雨ちゃん、弁明くらいはさせてあげようよ」

「妖精さんの唐揚げなんて誰も食べたくないのです」

 

 五月雨の手の内でジタバタもがくハジメさんを哀れんでかそれとも呆れてか、吹雪と電は五月雨をなだめる方に回った。五月雨も一応はハジメさんを解放して弁解を聞く構えだ。

 

『まずさみだれさんのぎそうについてなのですが、ほかのみなさんとのちがいにおきづきではありませんか?』

 

 その質問に、少女たちは互いの顔を見回した。しばし無言ののち、首をひねりながら吹雪が答えた。

 

「……清潔感あって可愛いよね?」

 

 少々的を外した感の否めない返答に、瞬間白けた雰囲気が流れたが、それをきっかけに皆それぞれ思うところを述べ始めた。

 

「違うと言われてみれば、五月雨には私たち吹雪型みたいな背負子がないわね」

「清純さを演出する白セーラーとはミスマッチな、テカる長手袋とニーソが実にフェチいですな。ムフフ」

「身体の小さい電から見れば、五月雨ちゃんの艤装は身軽そうでちょっとうらやましいのです」

 

 皆から聞いていた話だが、五人のうちでは五月雨だけが駆逐艦としての型が異なる。吹雪を頭に叢雲、漣、電と続く四人は、叢雲の言うとおり過去の帝国海軍における吹雪型というタイプにあたる。もっとも、傑作と評されただけあって吹雪型は数多く長期にわたって建造され続けたために途中で何度もマイナーチェンジを繰り返していて、そのためか漣は綾波型、電は暁型を自称しているが。

 

 一方五月雨は白露型というタイプで、史実の吹雪型から見れば二世代あとの艦級になるそうだ。

 

 それはともかく、五月雨だけは他の四人と異なり、背中に煙突やら艦橋やらを模した大きな機械を背負っていない。かわりに大ぶりの魚雷発射管を背負っているが、これはあくまで武装であり、航行するために必須というわけではない。

 

『みなさんのぎそうのでざいんについてなのですが、ふぶきさんさざなみさんいなずまさんはきわめてすたんだーどなせっけい、すなわちせんたいたるにんげんたい、くちくかんとしてのきのうをあたえるぎそう、そしてせんとうりょくとなるぶそうのばらんすがとれたさんみいったいがたとなります。りてんとしてはろーこすと、たかいあんていせい、さらにはこんごのかくちょうせいをもかくほしております』

「えぇーっ、それって私たち安物ってことなんですかぁ?」

 

 吹雪がハジメさんの発言の一部を切り抜き、いかにも心外だといわんばかりの表情で不平を述べた。漣や電も口にこそ出さないが、なんとなく不満げな面持ちをしている。俺個人の感想としては、ローコストイコール安物イコール悪ではないと思うのだが、助け舟を出してやりたくても俺自身この子達についてよくわかってないことが多すぎる。

 

「それじゃあ、私たちはなんなんでしょう?」

「五月雨は型が違うからそんなものかと思ってたけど、私と吹雪は同型のはずなのに全然デザインが違うのを不思議に思ってたのよね。なにか理由があるんでしょう?」

 

 五月雨が不思議そうに問うて、叢雲も便乗するように声を上げた。

 

『まずやすものかどうかということなのですが、じつのところりょうさんこすとをそうていするならばもはやふぶきさんたちとむらくもさんたちにさはありません、みんなおーる30でおっけーなのです。ふぶきさんがやすものなどというおはなしはありえません』

 

 オール30というのがなんのことやら俺にはさっぱりわからないが、この五人の艤装の生産コスト自体は同じのようだ。漣たちの反応は薄かったが、吹雪はあからさまにほっと胸をなでおろしている様子だ。彼女にとってはなにか譲るわけにはいかないこだわりがあるのかもしれない。

 

「じゃあハジメさん、いったいローコストってのはなんのことだったんだ?」

『かいはつだんかいのこすとですな』

 

 俺の質問に対してハジメさんは端的に言い切った。

 

『われわれははじめに、きほんとなるふぶきさんのぎそうをかいはつするところからはじめました。かんせいしたふぶきさんをもとにさざなみさん、いなずまさんとあっぷでーとをかさねることで、こすとをおさえつつもかんせいどをたかめることにせいこうしたのです』

「そういうお話なら納得なのです。ローコストおおいに結構、節約は大事なのです」

 

 電が腕組みしてしきりにウンウン頷いている。節約は大事だ、それには俺も賛成だ。まったく、MSF時代にはボスといい研究開発班の連中といい、俺もどれだけ苦労をさせられたことか…… いや、もう昔のことだ。昔のことで愚痴っても仕方がないのは確かだが、最強合体兵器人間パチン虎。とかいうトンデモ武器のプレゼンを押しつけてきた研究開発班の奴らは今でも許してないぞ、俺はな。あんときゃあ死ぬかと思ったんだからなマジで!

 

『……いっぽうで、そのすたんだーどらいんからはわきみちにそれますが、こんごのさらなるてんかいのためにあたらしいうんようをもそうていしてかいはつされたのがむらくもさんのぎそうです』

「新しい運用?」

 

 痛い目にあった思い出に内心葛藤する俺をよそにハジメさんの解説は続き、今度は叢雲の話題に移った。

 

『ひとことでいうとはんようせいのこうじょうであります。ぎそうのいちぶきのうをほんたいからきりはなし、けいたいしてじょうようできるようにすることで、かいじょうだけではなくちじょうせん、はたまたおくないせんにもたいおうすることをめざしました』

「……それは、つまりは陸戦隊をやれるようにってことなのかしら。正直ぞっとしない話だわ」

 

 陸戦隊というのは、海軍艦艇に乗り組む水兵を臨時に武装させて編成し、上陸作戦などの陸上戦闘を行わせる部隊のことだ。われらがアメリカ海兵隊はそれを専門とする独立した軍として常設化したものだが、日本の場合はあくまでその本務は艦船の乗員である。よって、装備も訓練も充分とは言えず、低い戦力を承知で実戦に投入された結果大損害を受けた例も多かったと聞く。だから、叢雲がそういう役回りに難色を示すのもわからなくもない。だが、これも長い目で見れば今後は必要になってくることかもしれない。

 

「怪物どものなかには、人型をしている者もいるって言ってたよな。海中で暮らすだけなら必要のない、地上での生活に適応した姿だ。俺たちがこの島でこうして生活しているように、奴らももしかしたらどこかの島を占拠してバカンスとしゃれこんでいるのかもしれないぞ」

「あいつらと同列に扱われるのは心外なのです……」

 

 電は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「すまん、言い方が悪かったな。ただ、奴らがどこかの島を占拠して根拠地としている可能性には留意しておくべきだと思う。陸地を乗っ取って生産や繁殖を行い戦力を増やし、やがては次の島へと手を伸ばす。島々を連絡して警戒網を張られようものなら、いずれはこの島だって囲いこまれてしまうかもしれないぞ。それに、そういう島々には人間が住んでいるところもあるかもしれないんだ。そんな島を取り返すためには、今の俺たちには無理だとしても、陸戦隊による上陸作戦というのはいずれは考えておかなければならない課題になるかもしれないな」

 

「人間が……」「包囲される……?」「繁殖……」

 

 皆が顔を見合わせながら小声でザワザワと騒ぐ。実際俺の予想にはそれほど根拠があるわけではないのだが、変なことを言ったせいで少々剣呑な雰囲気になってしまった。しばらく無言が続いたあと、不意に漣が手を挙げた。

 

「はいっカズ様、意見具申であります」

「なにか考えがあるのか?」

「奴らは繁殖しているのでありましょうか」

「……さあなぁ、そいつをカメラに収めでもすりゃあ大スクープだ。ナショナルジオグラフィックにだってディスカバリーチャンネルにだって売りこめるぜ?」

「それはともかく、ならばわれらも対抗してもっと仲間を増やすべきでは?」

 

 確かに駆逐艦五隻のみという現状の戦力はなんとも心許ない。だから漣の言う事もわからんでもないが、どうやって仲間を増やす? 妖精さんに頼むか?

 

「繁殖でありますぞ」

 

 俺と漣以外の四人、四連装チョップが漣の脳天に落ちた。

 

 

 漣のつまらん冗談のあと、少々場がだれた雰囲気があったのでお茶で一息入れることにした。今日のお茶は吹雪の日本茶と煎餅である。

 

「……で、この話はどうするのかしら、カズ」

「どの話だ?」

 

 熱い茶をすすって俺は訊き返した。漣が変なことを言ってくれたせいでなんとなく気まずい、俺なんも悪いことしてないのに。

 

「繁殖。本気で繁殖する気なら、漣一人なら貸してもいいわよ? 私たちはイヤだけど」

 

 叢雲が煎餅をかじりながらそっけなく言い捨てた。なお当の漣は現在四連装チョップで絶賛ノックアウト中である。いくらアホの子とはいえ、妹を売るとかヒドいな君ら!?

 

「あのなぁ、前にも言ったが俺は別居中とはいえ妻子持ちの身で、しかも今でこそこんな若いなりをしちゃいるが、本当は還暦近い歳だ。老い先短い俺の家庭に爆弾を投げこむようなことを言うなよ」

 

 ガス弾なら先日投げこまれたけどな、いやちっとも面白くないわ。

 

「あのーう」

 

 五月雨がちょっと膨れた顔で不機嫌そうに声を上げた。

 

「私の艤装のお話はいつになるんでしょう……?」

 

 そうだった、いかんすっかり忘れていた。元々は叢雲と五月雨の艤装に起きた怪現象の話をしていたはずだったんだ、つい話が脇にそれてしまっていた。

 

『それではむらくもさんのぎそうについてごなっとくいただけたところで、いよいよさみだれさんのぎそうのおはなしをしましょう。さきほどおきづきのとおり、さみだれさんのぎそうはほかのみなさんよりおおはばにこんぱくとにしあがっております。これは、さみだれさんぎそうのこんせぷとがおーるいんわんたいぷをめざしておるからです』

「オールインワン?」

『あなたがたがせいらいおもちのうみのうえをはしるちから、ほうやぎょらいをあつかうちから、ぎそうはそれらのせいぎょをおこなっているものです。それらのせいぎょのうりょくを、そとづけのきかいをはいしてそのせいふくのさいずにまでしゅうやくしました』

「このお洋服、そんなに凄かったんですか!?」

 

 自分の襟を引っ張りながら五月雨が眼を丸くした。こないだお醤油こぼしちゃったけど大丈夫かな、との小さな独り言は聞かなかったことにしよう。

 

「あなたのせいふくはげんじてんでわれわれのぎじゅつのしゅうたいせいであるとはっきりいえます。ここまでこんぱくとかをじつげんしたことによるさいだいのりてんはそくおうせいとかはんせいのたかさであります」

 

 即応性と可搬性の高さ。ハジメさん曰く、今この島に敵が急襲をかけてきたとして、五月雨以外の四人はドックでフレームに吊られた艤装を起動し、皆が乗り組んだらクレーンで水上に降ろし、武装を持って出港という手順となる。たとえ熟練してはいてもそれなりに時間はかかってしまうだろう。

 

 ただ五月雨だけは今着ている制服がすでに艤装として機能しているため、ちょっと片手に主砲を引っ掛けて砂浜からいきなり海に出ることすらできるのだそうだ。五月雨が先に出撃して陽動を行えば、他の皆が準備を整えるまで時間を稼ぐことができるだろう。

 

 そして、彼女の特性は海にすぐ出られるだけでなく上陸も容易だ。たとえば吹雪たち三人だって、艤装を背負ったまま徒歩で上陸することはできなくもない。傍目にはずいぶん重そうに見えるこの艤装は、起動状態で装着している限りは浮遊して装着者の動作に追従するため、重くて動けないということにはならないんだそうだ。ただ、大きくて嵩張るだけに地上での行動には相応の困難を伴うはずだ。

 

 一方叢雲は、事情さえ許せば艤装本体を置いて電探と槍一本だけで身軽に活動ができる。ただし、再度海に出るにはまた艤装を取りに戻らなくてはならない。これは便利でもあり不便でもある。

 

 以上の四人に比べれば、五月雨にはより自由度の高い活動ができる。どこかの島に上陸し、ジャングルを踏破して反対側に抜け、そこからまた海に出て行くことも可能だ。陸と海をシームレスに行動できる活動範囲の広さは、まさに艦船と歩兵のいいとこ取りと言えるだろう。

 

『それで、さみだれさんがみたきみょうなしてんのはなしなのですが』

 

 ハジメさんが再び語り始めた。またも忘れていたが五月雨の話のこれが本題だ。

 

『ぎそうはあなたたちのせんとうこうどうをがくしゅうしさいてきかします。あなたたちじしんだけではなく、ぎそうもまたつかえばつかうほどれんどをあげてせいちょうするのです。そして、さみだれさんはふだんはそのぎそうをきたままでしーきゅーしーのおけいこをしていたはずです。ここからはわたしのよそうでしかありませんが、おそらくぎそうはまなんでしまったのですよ、それを』

 

 先日俺を砂の塊に変えるまで数えきれんほど投げまくってくれた日の五月雨は合気道みたいな格好をしていたが、たしかに普段の稽古は見慣れた制服姿でやっているようだった。何度か俺も参加を請われたが、もうあんな目に遭うのはこりごりだ。俺はなるべく見学だけですませるようにしたい、見てる分には目の薬だからな。しかし、艤装がCQCを学習した? それがカメラさんとどう繋がるか考えた時、俺にふと閃くものがあった。

 

「連続CQCか」

「ふぁ?」

 

 五月雨が間抜けな反応をした。

 

「五月雨、君連続CQCは得意か」

「四人まで連続で投げたことはありますけど……」

 

 それ俺を除くここの全員じゃん。われながら愚問だった。

 

「そろそろ記録更新にも挑戦してみたいんですが……」

 

 やめろそんな物欲しげな上目遣いで俺を見るな、俺は再びキャサリーに会うまではまだ死ぬわけにはいかないんだ。俺は絡みつく視線を振り切って話を続けた。

 

「連続CQCを仕掛けてるあいだ、使い手はそりゃあもう集中しているもんだ。アドレナリンが噴き上がるようなあの高揚感、その間は普段見えないものが見えているような気がするだろう? たとえば時間の流れが遅くなるような感覚、あるいは自分の周りを囲んでいる敵兵一人一人の動きのそのすべて、それを自分の眼ではなく離れたところから俯瞰しているような感覚だ。憶えはないか」

「……わかりますその感覚、あれはなんというか、自分がまるで世界一強くなったみたいで実に気持ちいいんですよねぇ」

 

 五月雨は無邪気にコロコロ笑っているが、聞いてる俺たちは全員ドン引きだ。だいたいザ・ボス相手に一本取ったことがあるってんなら、ことCQCに関してだけならほぼ世界一と言っても過言ではない。

 

「この感覚にどう科学的な説明をつけるのか俺は知らん。なにより、君たちの艤装というものは俺たち人類の知る科学とは隔絶した次元にあると言っていい。だからここから先は俺の想像にすぎないことなんだが」

 

 子供たちもハジメさんも、黙って俺の話に耳を傾けている。五月雨だけはまだ諦めてない目をしていたが、お願いだから今日のところは諦めてくれ俺も命が惜しいんだ。

 

「眼で見えていない背後にいる人間の気配を感じる、という現象には科学的な仮説が存在する。ヒトの体表を薄く覆う産毛、これが背後で動く者の起こす空気の流れを感じ取る、あるいは内耳が準静電界の電位変動を感じ取る、とも言われるそうだが…… どちらにせよ、我々は眼でものを見ているだけじゃない。耳で聞き、肌で感じて周囲のものを認識しているんだ。叢雲の電探が彼女の脳細胞に変化を与えたように、始終艤装を着て生活し、鍛錬している五月雨もまた、艤装によってそういう皮膚感覚を強化されている。そうは考えられないだろうか? 五月雨のカメラさんはそういう感覚を神経から拾って、視覚化して五月雨に返した結果そのような映像が視えたんだ」

 

 いかん、全員黙り込んでしまった。なにしろ気配の話からして俺自身が論理的に理解できているわけではなく、その仮説を聞いて自分の経験と照らし合わせた結果、そういう考え方もあり得なくはないかもしれないな、という感想を抱いたくらいの話だ。ああ、吹雪の頭から煙が上がってるのが見えるようだ。

 

「ジュンセーデンカイ? デンイヘンドー? すみませんカズさん、日常会話は平文でお願いします」

 

 すまんな吹雪、暗号のように聞こえるかもしれんがこれが平文だ。

 

「ぐぬぬ、凡人にはさっぱり理解できないのです……」

「つまり、五月雨ちゃんは毛深くて敏感肌ということでおk?」

 

 電は唸りながら身をよじり、起き上がってきた漣はトンチンカンな理解を述べた。

 

「……毛深くなんかないからね?」

「よく心得てます軽い冗談ですぞ、毎日のようにお風呂を一緒しては背中の流しっこをするわれらの仲ではありませんか」

 

 漣の問題発言に五月雨が詰め寄ったが、漣は五月雨の肩をポンポン叩きながら失言を詫びてあっさり話題を流してしまった。

 

「さてここからが重要な話ですぞハジメさん、叢ちゃんとさみちゃんがなんかヒロインっぽいチートスキルをもらったというのに、我ら凡人組にはなんの話もないのは少々不公平ではありませんかにゃ?」

「凡人とかハッキリ言わないでよぉ!?」

『そんなことをいわれましてもー、こんかいのけんはわれわれにとってもそうていがいのじたいでありますので……』 

 

 吹雪は抗議したしハジメさんは困惑した。漣の気持ちは理解できなくもないがこればかりはどうにもできん、今回はたまたま二人とも特殊能力として活用の余地がありそうだからよかったが、場合によっては戦闘行動を阻害する不具合として発現していた可能性だってある。運良く拾い物をしたと考えるほかはないのだ。

 

「御託はどうでもいいわ」

 

 しばらく黙っていた叢雲が立ち上がるなり一言のもとに切って捨てた。なお、煎餅はもうすっかりなくなっていた。俺まだ一枚も食ってなかったのに……

 

「この変な装備が役に立つか立たないか、まずは試してやろうじゃないのよ。私と五月雨が組んで、あんたたち三人と演習で勝負よ」

 

 叢雲は凡人組に指をビシッと突きつけて宣戦布告をした。あぁー、また面倒事になりそうだぞこれは。

 

「それ名案! 今すぐ始めようよ、さあ行こう」

「三対二で勝つつもりとは、この漣も甘く見られたものですなぁ。付け焼き刃のチートでお手軽に無双できるほど海戦は甘くないってことをわからせてあげます」

 

 吹雪と漣はノリノリで受けて立ったが、電は掛け時計を指差して皆を止めた。

 

「演習はやぶさかではないのですが、今日はもう時間がないから明日にするのです。そろそろ吹雪ちゃん漣ちゃんは定時哨戒の時間、叢雲ちゃんと五月雨ちゃんはお夕飯の当番なのです」

「たまには哨戒を休んだって……」

「は ぁ ?」

 

 おそるおそる言い出した吹雪を射抜くように睨んで、電はドスの効いた声で脅しつけた。いつものことながら、こんな小さい身体のどこから出てるんだこのドスボイス……

 

「吹雪ちゃんもわかってるでしょう、皆で毎日近海を見回っては迷いこんだはぐれを沈めているから、この島は平和でいられるのです」

 

 吹雪はシュンとした顔で黙って電のお説教を聞いている。なお漣は艤装の準備をすると称して逃げ、叢雲は五月雨を伴ってキッチンの方に出ていった。

 

「昔みたいに、日々襲撃に怯えながらギリギリの水際作戦を繰り返すなんて電はもう嫌なのです。吹雪ちゃんだって、またあの時みたいな痛い目に遭うのは嫌なのではありませんか?」

 

 そう言って電は吹雪の脇腹を指先でつつーぅと撫で、吹雪はひゃやんと変な悲鳴を上げた。そこは、かつて吹雪がこの島での水際作戦中に致命傷を負い、ナオミ先生のナノマシンによって九死に一生を得たときの傷痕だ。ナノマシンの力でもう傷など残ってはないが、吹雪はその時の痛みを忘れてはいないだろう。

 

「ごめんね電ちゃん、私が悪かったよ。 ……じゃあ、漣ちゃんが待ってるはずだからもう行くね」

 

 吹雪はパタパタと走り去った。電はふんすと一息つくと、黙って見ていた俺に振り向いた。

 

「お恥ずかしいところをお見せしたのです」

「いや、むしろ感心させられたよ。電が引き締めている限りここの綱紀は心配無用だな」

「吹雪ちゃんは素直にお話を聞いてくれるからいいのですが、漣ちゃんはちょっと……」

 

 あいつは叩いて言うこと聞かせたほうが早い気がする。俺が叩くのは問題がありすぎるが、叢雲や電、同じ仲間たちに叩かれるのなら漣はむしろ喜んでいるふしがある、そう言ったら電は眉間を寄せて唸った。

 

「ツッコミ待ちの芸人気質なのでしょうか? めんどくさい性癖なのです」

 

 そういう一面は否めないと思う、俺にだってそういう一面があったと自覚しているからわかる。なんというか、お行儀のいい関係よりも、もっと遠慮のない濃厚な構い合いを求めているんだ。君子の交わりは淡きこと水の如し、なんていうが、それだったら俺は小人で充分だ。昔の俺も、そう考えていたんだがな。

 

「電ぁー? 手が空いてるならちょっと手伝ってくれるかしらー!?」

 

 キッチンの方から叢雲が呼ぶ声が聞こえてきた。電は、残っていた茶道具を手早くまとめてロビーを去った。

 

 

 哨戒組が帰投して風呂から上がってくる頃には、晩飯の準備もすっかり終わっていた。今日の晩飯は、鳥もも肉の唐揚げと生野菜サラダ、味噌汁は大根と油揚げだ。熱々の唐揚げをパリッと噛むと、ジューシーな肉汁が口の中に広がる。漬けダレは醤油ベースでネギとニンニクが効いている。熱いのをハフハフ我慢しながら白飯をかきこみ、鳥の脂とパンチの効いた薬味、そして米の甘味が渾然一体と調和するのを堪能する。フライドチキンも悪くはないが、米国よこれが日本のソウルフード、トリカラだ。俺国籍はアメリカだけど。

 

「呆れるくらい美味しそうに食べてくれるのねえ」

 

 本日の調理当番、叢雲はそうは言いながらも誇らしげだ。美味くて当たり前だろう、唐揚げが嫌いな日本男児などいない、少なくとも俺は見たことがない。繰り返すが俺アメリカ人だけど。それでも日本に生まれてよかったって、唐揚げと白飯だけで断言するぞ俺は。そう熱く語ったら、俺だけでなく吹雪までもがハムスターのような頬をブンブン振って首肯した。

 

「まあそれはいいわ。ねぇカズ、さっきは聞きそびれたんだけど、あのカメラっていったいいつの間に開発してたのかしら」

 

 そういえば、それを扱う妖精さんの選抜については話をしたが、肝心のカメラ自体の出処については言っていなかったっけな。

 

「この本棟の空き部屋には、使い道のなさそうなガラクタがしまってあるって以前言ってたろう? 海戦にとは言わずとも、せめて普段の生活に役立つものはないかなと思ってな、時々中を調べては整理してたんだ」

「えぇ〜、カズさん家探ししてたんですか」

 

 吹雪が非難の声を上げたが、人をコソ泥かなにかのように言うのはやめてもらいたい。

 

「まあそう言うな。俺の部屋には娯楽もなにもないからな、夜になると暇なんだよ。 ……それでだな、そのガラクタ部屋で日本製の少し古いビデオカメラを見つけた。テープは近くに見当たらなかったから役には立たないと思ったんだけどな、ハジメさんがそれに興味を示した。なにか作れるかもしれないというので与えてみたら、妖精用のカメラになって返ってきたというわけさ」

「びでおかめら?」

「ビデオカメラってのは動画…… えーと、吹雪にわかりやすく言うなら活動写真を撮影するカメラだ。もっとも、古いものだから映像を記録するために専用の磁気カセットテープが必要になる。まあ、レンズの性能について考えなければ、漣が持ってるスマートフォンの動画撮影機能で充分用が足りてしまう代物だからな。わざわざテープを探し出してまで無理に使うことはないだろうさ」

 

 そういってふと漣に目を向けると、漣は唐揚げに箸もつけずにじっと皿を凝視していた。

 

「どうしたんだ漣、ちっとも箸が進んでないじゃないか。どこか具合でも悪いのか?」

「……」

 

 哨戒中に拾い食いでもしたのです? と電があんまりなことを訊いたが、漣はそれには答えず意を決したように皆に尋ねた。

 

「あのぅ…… 漣のカメラマン妖精さん、どこに行ったか誰か見ませんでしたか? 昼間の会議の後から見当たらなくなってしまったんです」

 

 その言葉に、叢雲以外の全員の手が止まった。

 

「哨戒に出る直前、艤装の準備をしていた時にカメコさんがいないのに気づいて探してたんです。けどそのうち吹雪ちゃんも遅れてドックに降りてきて、時間がないから帰ったらまた探そうと思ってとりあえず出港しました。戻った後も探したんですけど結局見つからず……」

 

 今日もテーブルの中央、妖精さんたち用の大皿にはたくさんの妖精たちが群がっていたが、その中にはカメコさんの姿は見当たらなかった。誰か見なかったか、と子供たちにも聞いてみたが、誰もあの会議の後カメコさんの姿を見た者はいなかった。

 

「叢雲ちゃん、昼間言ってたよね…… 唐揚げにして漣ちゃんに食べさせるって」

 

 吹雪が青ざめた顔で叢雲に詰問した。叢雲は我関せずという顔で唐揚げを咀嚼していたが、不意に眉を顰めると、口の中からなにかを取り出して皆に示してみせた。

 

「あら、私の皿に入っちゃってたのね。漣に食べさせるつもりだったのに」

 

 叢雲が指先でつまんでいたのは、PRESSと書かれた見憶えのあるキャップだった。漣の絶叫がロビーを揺らした。

 

「どうしたの漣、あんたも唐揚げは好きでしょう? 冷めないうちに食べなさいよ、美味しいわよ」

 

 叢雲は皿を持って立ち上がり、ソファーから転げ落ちてなお悲鳴を上げ続ける漣に迫った。漣はすっかり腰を抜かした様子で、立ち上がって逃げ出すこともかなわず床を這いずり、やがてロビーの隅に追い詰められた。

 

「ほらアーンしなさい、食べさせてあげるから」

 

 漣は口を閉じて必死で抵抗していたが、鼻をつままれて息が詰まり、思わず口呼吸をしたところに唐揚げを押し込まれた。叢雲は間髪入れず掌で漣の口を押さえる。唐揚げがまだ熱くて我慢できなかったか、漣はろくに咀嚼もできないままにたまらず唐揚げを飲み下してしまった。焦点の合わない漣の眼から大粒の涙がボロボロこぼれた。

 

「……なーんて、ね」

 

 そこまで見届けて叢雲はあっさり漣から手を離した。叢雲の胸元からは、帽子のないカメコさんがひょっこり顔を出して漣にカメラを向けていた。

 

 

 そのあとに聞いた種明かしだが、漣が忘れていったカメコさんを拾ったのは叢雲だったそうだ。カメコさんを連れて夕食の支度をしながら、叢雲は漣を懲らしめるイタズラを思いつき、揚げたての唐揚げを報酬にカメコさんに協力を求めたのだ。あらかじめカメコさんを胸元に潜ませ、会話のタイミングを見計らって掌に隠し持った帽子をさも口から吐き出したかのように示してみせた。漣と一緒に哨戒に出た吹雪は知らなかったし、もちろん俺も聞かされてはいなかったのだが、支度を手伝った五月雨や電も、叢雲の企てを黙認しただけではあるが共犯者だった。

 

「叢雲ちゃんが怒るのもわかるけど、今日ばかりはちょっと悪趣味かなぁ…… って」

「発想がエグすぎるのです」

 

 五月雨と電はそう評価したが、やるんなら俺にも一言通しておいてほしかったなぁ。せっかくの唐揚げが、今ではもう味もわからなくなってしまったじゃないか。吹雪もさっきまでの機嫌はどこへやら、モソモソと飯を口に運んでいた。一杯食わされた漣は、まだ半ベソをかいてはいたが、やけ食いのように唐揚げと飯を掻きこんでいた。

 

「どうかしら漣、言ったとおり私の唐揚げは美味しいでしょ?」

「……叢雲ちゃんの唐揚げおいひいれふ(;q;)」

 

 そう言うやいなや叢雲の皿から唐揚げを一つかっさらってかぶりつくのが、漣のせめてもの抵抗だった。




 冬イベは乙乙丙丙丁で完走しました。難易度を落としてまで時短をはかり、最後の一週間余りを全部ミトチャン掘りに費やしたのに結局掘れずじまいだったという。今回の新艦はみんな来てくれたのに、またもミトチャンのみ未加入で艦娘コンプできなかったうえ、終了後はミトチャンの新衣装が来て恒例の死体蹴りもキッチリ喰らってるというね……

 前回の後書きに深海梅棲姫の正体しーちゃん説をあげましたが、そんなことはなかったぜ!(梅の胸部装甲を眺め長良)

 それでは、また次回に。


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第十九話 もしもギターが弾けたなら

「あっはははははわはははうひひひひ」

「プッ…… クスクス…… グフッ」

「ノォホホノォホフィッヒヒヒヒ」

 

 上から順に吹雪・叢雲・漣である。叢雲、無理に笑いをこらえなくてもいいんだぜ? 笑えよ。

 

 電と五月雨は笑ってこそいないが、五月雨は全力で全身を硬直させて笑いを噛み殺しているし、電は背を向けて小さな肩を震わせている。おい電おまえもこっち向け、そしていっそ笑え。その間も吹雪たち三人はいつまでも遠慮なく笑い続けている。

 

 カズヒラです…… 今日は女子中学生に囲まれて笑い物にされとぅっとです……

 

 カズヒラです…… 悔しいのに気持ちよかとです!!

 

 カズヒラです… カズヒラです… カズヒラデス……

 

 いやそうじゃない。なぜ俺がこんな仕打ちを受けているかというと、先日のミーティングが発端だったのだ。

 

 

 

 先日開発された戦場カメラマン妖精さん、通称カメラさん。ほんの偶然から、カメラさんは叢雲と五月雨の視覚に不可解な超能力をもたらした。その能力を海戦においてどのように活かせるか。日を改めてその翌日、漣いわくのチートヒロインズvs凡人組の演習と相成ったのであった。

 

 まず結果から言うが、演習自体はほぼ全試合を通じてチートヒロインズの圧倒的なワンサイドゲームに終始した。カメラさん全員の視野を統括できる叢雲と、戦闘海域の状況を俯瞰できる五月雨。この二人の能力を相手取り、凡人組の仕掛けた戦術はすべて空振るか未然に潰された。その演習も初めのうちは凡人組から誰か一人が交代で試合を抜け周辺の警戒に当たっていたが、叢雲五月雨ペアは二対二の試合ではあらゆる組み合わせを一蹴した。このままでは収まりがつかないという吹雪の申し入れで三対二の勝負も試してみたが、結果はあまり変わらなかった。

 

「悔しいです!!」

 

 演習から戻った時に、鬼瓦みたいな顔芸に涙を滲ませていた漣の一言である。

 

「カズえもぉ〜ん、叢雲ちゃんに勝てる道具出してぇ〜!」

 

 欲しいならすがりつけ! いやそうじゃない、のび太くんみたいに膝にすがりついて泣かれても、俺の力ではどうしようもない。カメラさんに適性がなかったのなら、妖精さんに頼んで他の装備に有用な適性が見られないか試しまくってみるしかない。そう漣に助言してみたら、ガチャゲーキタコレ! とか叫ぶが早いか、吹雪と二人してロビーを飛び出していった。ガチャゲーって何だ?

 

「倉庫の方に行ったみたいだね」

「二匹目のドジョウを探そうって魂胆ね。さもしい根性だわ」

 

 五月雨は廊下に顔を突き出して二人を見送り、叢雲はそんな二人を容赦なく一言のもとに切り捨ててフンと鼻を鳴らした。

 

「叢雲ちゃん、でもそれは持てる者の理屈なのですよ」

 

 電が恨めしげに口を尖らせると、叢雲は少々ひるんだ様子を見せた。 

 

「電、あんたは一緒に行かなくていいの?」

「電はもうじき五月雨ちゃんと哨戒の当番ですので。まずお仕事を済ませてから倉庫漁りに合流するのですよ」

 

 叢雲は何事か考えこむと、俺に向き直りこんな提案をした。

 

「ねえカズ、悪いけど吹雪たちを手伝ってやってくれないかしら。私たちのカメラさんがそうだったように、あんたが作らせた装備なら、もしかしたらあいつらの役に立つかもしれないわ」

 

 たった今あんなことを言っておいて、ドジョウを探そうとしてるのはおまえも同じじゃないか。俺、今日は晩飯の当番なんだけどな……

 

「お夕飯の当番なら私が代わってあげるわよ。だからお願い」

 

 手まで合わせて頼まれてしまっては断れんなぁ。仕方ない、あいつらに付き合うとしようか。

 

 

 と、そのような経過から、脱凡人を目指す三人の倉庫漁りに付き合いはじめたのがかれこれ四、五日前の話だ。暇を見ては倉庫を調べ、どう考えても役に立たなそうなゴミは工廠妖精さんに頼んで解体、ちなみにそんなものでも解体すれば資源の足しになるんだそうだ。

 

 そんで、多少でも役に立ちそうなものを見つけたならハジメさんたちに渡して装備化できないかお伺いを立てるのだが、なかなか彼女らのお眼鏡にかなうものは出てこない。いくつかある倉庫部屋の一つがだいぶんすっきりしてきた頃、俺はガラクタの中から個人的に興味を惹かれるものを見つけた。

 

「これ、俺が貰ってもいいかな」

 

 それは、俺好みの濃いレンズのサングラスだった。先日海に落ちた時になくしてしまってそれっきりだったが、やはりグラサンは俺の大事なトレードマークだ。古臭い真ん丸レンズというのがやや俺の好みからは外れるが、こんな倉庫にレイバンのティアドロップなんてブランド品が落ちているはずもない。贅沢は言えん、これで上々だ。

 

「えぇ〜、カズさん最近はずっと素顔でいたのに! もうっ、素顔の方がずっと男前ですよ?」

「どぉーしても、カズ様サングラスで目を隠さなきゃいられないんです?」

 

 ありがとう吹雪そしてシャラップ漣、悪いが俺とグラサンとは切っても切れない堅いかったい絆で結ばれているんだ。さっそくかけてみようじゃないか、ほら、似合ってるだろう?

 

 おっ、これはレンズをはね上げられるタイプのやつだな、こういうのは初めてだがなかなか悪くないじゃないか? どうだ電、俺のおニューのグラサンを見てくれよ!

 

「……ミラーさん、それってもしかしたら電気溶接に使う遮光眼鏡ではないのですか」

 

 ああ、言われてみればそんな気もするねー…… なんとなくしらけた雰囲気がその場に流れた。俺は遮光眼鏡を胸ポケットにしまうと、再び倉庫漁りに戻ることにした。

 

「ねえねぇカズ様、これってもしかして値打ちものでは?」

 

 そんなことをしているうちに、漣がなにやら埃を被ってはいるが立派な革張りのケースを引っ張り出してきた。首の長い瓢箪のような形、こいつはひょっとしたらひょっとするぞ!?

 

「鍵がかかっているのですね」

 

 電は残念そうに言ったが、こんなものはなんとでもなる。MSFじゃピッキングも訓練していたんだ、俺は電のヘアピンを一本分けてもらうと、数秒のうちにケースの鍵を開けてみせてやった。

 

「すごいのです! ミラーさんは教官さんに社長さん、今度は泥棒さんもできたのですね!?」

 

 おいこら人聞きの悪いことを言うな電、潜入任務じゃこういう技能が必要になることだってあるんだ。それに比べたら、この手のケースの鍵なんてのはチャチなもんだ。俺にだってこれくらいは朝飯前さ。

 

 蓋を開けてみると、なんとなく予感したとおり、ケースの中身は古びてはいるがなかなか立派なアコースティックギターだった。こんな洋上の孤島の、しかも倉庫に置きっぱなしにされていた割には、カビや湿気にやられた様子はなかった。ネック反りやトップ板の歪み、ブリッジ剥がれなどの木工の異状も見当たらない。ただ、弦は錆サビだしフレットほか金属部品もだいぶん曇ってしまっている。その辺をきちんと手入れしてやれば、また使えるようになるかもしれんな。

 

「売ればお高いものなんでしょうかね? 注目の鑑定はCMの後で!」

 

 などと、どこかのなんとか鑑定団のようなことを漣は言っていた。俺も値踏みができるほど詳しいわけではないのだが、ヘッドのロゴやサウンドホール内に見えるラベルから推測する限りでは、このギターは日本製でそれなりの価格の普及品だ。さすがに造りはしっかりしたものだが、かと言って売ってもさほど値打ちのあるものでもないだろう。それだって、売りに行く場所があればの話だが。

 

「カズさん、ギター弾けるんですか?」

 

 よくぞ聞いてくれた吹雪、こう見えて俺はギターなら結構行ける口なんだぜ? MSF時代には、バンドを組んで皆に披露しようとしたこともあったんだ。まあ、俺以外のメンバーがみんないなくなっちまって、初ライブを目前にしてバンドは解散の憂き目にあったんだけどな。イカれたメンバーを紹介するぜ! グラサンのカズ、以上だ! とほほ。

 

 

 それから数日間。こいつを手入れするにあたって、まず錆びた弦は家具妖精さんの棟梁に頼んでみたら替えを作ってくれた。たいしたもんだ、見る限り市販品と比べて遜色はない。金属部分は俺が手ずから磨き直したし、糸巻にはグリスも注した。木部もできるだけの掃除はした。チューニングに使う音叉はケースに一緒に入っていた。俺も近年はすっかり便利なクリップチューナー頼りだったんだが、若い頃はこれだったんだよなぁ、懐かしいよ。

 

 寝る前のわずかな空き時間などに毎日少しずつ、せっせとメンテを続けてようやく直したギターを抱えて、自室で一人悦に入ってみる。うーん、久しぶりだこの高揚感、それじゃあまずは昔作った曲でもちょっくら弾いてみよっかなーと練習をしてたところで、ノックとともに吹雪の声がかけられた。

 

「カズさん、吹雪です。今入っても大丈夫ですか」

「ん? ……ああ、どうぞ」

 

 開いたドアから吹雪がひょっこり顔をのぞかせた。

 

「こんな時間にどうした吹雪、まさか夜襲でもあったか?」

「わあ、ギター直ったんですね」

 

 吹雪の嬉しげな口ぶりから察するに、どうやら厄介事が持ち上がったわけではなさそうだったが、吹雪の瞳は期待の色に満ちていた。

 

「せっかく直ったのなら、カズさんのギターをぜひ聴いてみたいなって。みんなロビーで待ってますし、どうでしょうか?」

 

 おぉ…… 女の子に演奏を請われるなんてもう何年ぶりのことだろうか、たぶんカリブ海にいた頃が最後だったかな。片手をなくしてからはそれどころじゃなかったし、それを義手で補った後にはその訓練も兼ねて再びギターを始めたものの、家族には俺のギターはウケが悪かったんだよなぁ。だから、今回はゆうに三十年ぶりの機会ってことになる。悪くないね、今夜はカズ・ナイト・フィーバーと行こうじゃないか!

 

「いいだろう、だが俺も人に聴かすのは久しぶりなんだ。下手でも笑ったりしないでくれよ?」

 

 やったぁ、と歓声を上げるが早いか、吹雪はロビーへ走り去った。俺は吹雪を追って廊下に出て、さてなにを演ろうかなと考えながら歩くうちに、ポケットにしまいっぱなしだった丸サングラスをふと思い出した。ようし、セトリは弾きながら考えるとして、まずは『Imagine』から行ってみようか。おニューのグラサンをかけて、俺はまるでジョン・レノンにでもなったような気がしていた。

 

 ロビーに降りると、子供たちが揃って俺を待っていた。それだけでなく、妖精さんたちまでもがゾロゾロと集まりはじめていて、なかには揃いの法被や鉢巻きを着こみ、横断幕やペンライトを用意している一群も見られた。おいおい大歓迎じゃないか。ビッグスターになったみたいだぜ、テンション上がるなぁ。

 

 妖精さんたちが黄色い歓声をあげるなか、俺は皆からよく見える位置、一段高いステージがしつらえられているところに陣取った。昼間はこんなものなかったぞ、さては家具妖精さんたちの仕業だな? さすがだ棟梁、こういうことをやらせたら本当にいい仕事をしてくれる。さあ、くだくだしいMCなんか後回しだ、挨拶がわりにさっそく一曲行くぞ?

 

 『Imagine』のイントロを静かに爪弾き始めると、それまでの観客席の騒めきが静まった。皆、俺のギターにじっと耳を傾けている。

 

「い↑」

 

 実を言うと俺、ギターは得意なつもりだけど歌には正直自信がない。歌い出しのイからいきなり音程が半音上ずった。妖精さんの群れが盛大にコケて、子供たちの表情が一気に落胆に変わった。ううっ、いきなり辛すぎる展開に……

 

 それでも俺は意地で歌い続けていたが、ふと叢雲が俺の目をひと睨みして立ち上がり、俺に被せるように歌い始めた。いい声じゃないか、音程もバッチリだ。叢雲は歌い続けながら手で隣の吹雪の肩を叩くと、吹雪もまたギターに合わせて叢雲と一緒に歌い始めた、これも上手い。残る子供たちも妖精さんも、皆二人が歌うのに聴き惚れている。いつしか俺は自分で歌うのを止めて、ギターの伴奏に専念していた。

 

 一曲歌いきったところで、叢雲は得意満面で優雅にお辞儀をしてみせた。ブラボー、おお…… ブラボー! 妖精さんたちは俺のことなんかすっかり忘れて二人に万雷の拍手を贈っていた。

 

「カズヒラさん、ギターはとってもお上手なのに歌は……」

「失礼ながら、はっきり言って音痴なのです…… もうミラーさんは伴奏だけしてるといいのですよ」

 

 五月雨は苦笑しながら言葉を濁したが、電ちゃん今日もツッコミが辛辣ゥー! 俺だって、直したばかりのギターでいきなり無茶振りされても頑張ったんだよ。でもさぁ、ギターだけ弾いても今一つ面白くないじゃない? だから弾き語りに挑戦してみた結果がこれだよ。あんまりいじめると俺だっていじけるぞ、俺が本気でいじけると悲惨だぞ? みんな俺がいじけるのを見たいのか、いいのか!? 自室でギターを構えたときのテンションはどこへやら、俺はすっかり意気消沈しきっていたが、そこへ漣が追い討ちをかけてきたのだ。

 

「しかしカズ様? 丸サングラスでジョン・レノンはわからなくもないのですがー、丸サングラスにオールバックでギター構えてると、どっちかってーとむしろ嘉門達夫みたいですよ?」

 

 その一言でまず吹雪が噴き出し、続いて漣がゲラゲラ笑い出した。そこから今回の冒頭に繋がったわけなのだ。以上回想終わり。

 

 

 

 我が身を省みれば、ひさしぶりに弾くギターを皆の前で披露することについて、俺に下心が一切なかったというとハッキリ言って嘘になる。可愛いJCの前でカッコイイプレイを魅せて、『カズさんステキ! かっこいい! あぁ〜ん♡』(裏声)なぁんて黄色い歓声を浴びたかった。それはそんなに悪いことなのか? ギターを持ったなら、そのくらいの望みは持つものだろう? 誰だってそーする俺もそーする。その報いがこのザマか……

 

 あと、嘉門達夫ってあれか? まだ俺がこの島に連れて来られる前、今年の初めにニュースで聞いた憶えがある。ニューヨークの名門劇場、アポロ・シアターの名物アマチュア・ナイト。演目はなんでもあり、たとえ素人でもオーディションに合格さえすれば出演できて、評価は観客の歓声とブーイングがその場で決める。のちのスターを数々輩出してきたその舞台に、日本のコミックシンガーが出演したって話だったな。あいにく評価は芳しくなかったらしいが。

 

 もうヤケだ、俺はうつむいて『ガラスの部屋』を爪弾きながら即興のネタ披露を始めた。歌うのは苦手でも、語りだったら俺の本領だ。可愛い女の子が笑ってくれさえすれば、それだけで俺も幸せなんだ、ウフフ…

 

「カズヒラです…… ジョン・レノンになりたかったとです……」

「カズヒラです…… それなのに嘉門達夫とか言われたとです!」

 

 漣と吹雪の笑い転げる声が一際高くなった。あー、このネタは知ってるのね。この島から出たことないって言ってるわりには、この子たち意外なほどいろいろ現代日本の事情に通じているんだよなぁ、不思議だ。

 

 そうやって俺がちょっと自虐的な快感に浸っていると、いつの間にか中座していた叢雲がお盆を持って戻ってきた。お盆にはビールやジュースなどのドリンクと、あとちょっとした乾き物が載せられていた。

 

「ほら、一杯やって景気づけなさいな」

 

 叢雲の突き出した缶ビールを受け取ると、叢雲も一本取って封を切った。いや彼女だけじゃない、漣に五月雨まで……! おいおい、未成年の飲酒は感心しないぞ!?

 

「駆逐艦の飲酒を禁ずる法律なんてどこにもないわね」

「漣は昭和ひと桁の生まれですから、むしろカズ様より歳上なくらいなのでセーフです」

 

 えぇ…… 脱法感ハンパないけどいいのこれ、放送コード的に大丈夫? 非行少女三名はさておいて、真面目な吹雪と電は大人しくジュースを飲んでいるようで安心だ。

 

「ナオミ先生は飲まない方でしたけど、ボスや博士の晩酌にお付き合いするくらいは私たちもしてましたから」

 

 釈然としない。釈然としない、でもっ…… うまい! ヒエヒエのビールが擦り減った気力ゲージを回復させてる気がするよ。これは先日ストレンジラブとも飲んだやつで、怪物に沈められた米軍艦が流したらしき積荷だ。いい感じに酔いがまわりはじめたところで、のんびりビールを舐めていた叢雲が口を開いた。

 

「大の男がいじけてるんじゃないわよカズ。いいじゃないの、あんたが歌えないんだったら私たちが代わりに歌ってあげるわよ、いくらでも」

「そうですよ。カズさんがここに来た日、私たちに教えてくれたじゃないですか。一人で全部背負うなって」

 

 おっ、おまえたち……! こんなダメな俺に力を貸してくれるというのか! なんていい子たちなんだ、なんだか俺もう一度頑張れそうな気がしてきたぞ? でも吹雪、そもそもおまえが俺をここに呼んだってのに、さっきからずっと笑いっぱなしだったじゃないか。

 

「そうそう、一人でするよりみんなでしたほうが気持ちいいに決まってますぞ? だからワンマンショーはここまでにして、今宵は漣たちとセッ…… しましょ?」

「セッ?」

 

 いい感じに酒も入っていじけゾーンから立ち直りつつある俺であったが、聞き捨てならない言葉を反射的に聞き返してしまった。横で聞きつけた吹雪がさっそく真っ赤になってワタワタしている。

 

「セッ…… えーと、たしかに知ってるはずの言葉なんですけどー、喉まで出かかってるのにど忘れしちまいました」

 

 セッ…… セッ…… と、続きを思い出そうとして漣はしきりに繰り返している。吹雪の顔色は徐々に悪くなってきて、表情もなんだか思いつめたものに変わりつつあった。吹雪が何を考えているかも漣が本当は何を言いたいのかも想像はついていたが、今は吹雪には助け舟を出してやらんことにした。

 

「セルジオ・メンデス?」

「誰ぞそれ? 遠いですなぁー」

「セニョリータ?」

「なんでラテンで押してくるんですか」

 

 皆が口々に思いついた単語を並べるが正解には至らない。しかし、叢雲がつぶやいた一言が漣の琴線に触れたらしかった。

 

「セクステット」

「セクステット? ……あぁー、当たらずとも遠からずですね、言われてみれば」

 

 漣は納得した様子だったが、吹雪は信じられないものを見る目で二人を見ていた。

 

「私たち五人にカズを加えてセクステット、悪くないでしょ」

「綾波型としては吹雪型の提案に賛成ですな、今夜はみんなで楽しくセクステットしましょう。ねっ、吹雪ちゃん」

 

 急に水を向けられた吹雪はもう目の焦点も合わないくらい狼狽している。漣が一瞬こちらにアイコンタクトを向けた、わかってて反応を楽しんでるなこやつめハハハ。だがあんまり仲間をからかうのは感心しない、程々にしておけよ?

 

「えーっと…… 私もカズさんのことは嫌いじゃないけど、ね? そういうことはまだ私たちには早いと思うの。もっとお互いのことをよく知って段階を踏んでいくべきだと思うし、ましてや六人でするなんて、かなり問題ありかなぁ、なんて…… そうじゃないかな、叢雲ちゃんもそう思わない?」

六人編成(セクステット)が六人でなんの問題があるってのよ?」

「はっ?」

 

 聞き返した吹雪は真顔だった、叢雲がなにを言っているのか理解しかねるという様子だ。

 

「吹雪ちゃん、また妙な勘違いをしているようなのです」

 

 黙ってジュースを飲んでいた電がポツリとこぼした。その言葉で自分が重大な思い違いをしていたらしいことにようやく思い当たったらしく、吹雪の背筋がピンと伸び上がった。そのまま虚空を仰ぐこと数秒、半開きの唇が震えて声にならない呻きが漏れる。

 

「いったいどんな想像をしてたんです? 吹雪ちゃんのむっつりすけべ」

「その辺にしとけよ漣、本当はセッションと言いたかったんじゃないのか」

「おっそうだな、まさにそれですぞカズ様、セッションしましょう」

 

 漣があからさまに皆に聞かせるように吹雪に耳打ちしたところで、そろそろ吹雪がかわいそうになってきたので追及を止めさせた。みんなで歌うんだ、吹雪だけ一人凹んでたらつまらないじゃないか?

 

「じゃあ次の曲行ってみようか、今度はなにか全員で歌える曲はないのか」

「はいっ! じゃあ私『Sing』がいいです!」

 

 五月雨が元気よく手を挙げた。いいね、懐かしい曲だ。これは俺たちMSFにとっても思い出深い曲だ。

 

 忘れもしない1974年、ピースウォーカー事件のその結末。俺たちは、もしも止められなければ本物の核報復を引き起こす、ピースウォーカーが米軍に送信しつづけていた存在しない核攻撃の偽装データを止めることができなかった。

 

 だが、ピースウォーカーはママルポッドを破壊された状態のまま再起動し、自らニカラグア湖に入水することでレプタイルポッドを浸水させてデータの送信を止めた。人類滅亡へと向かう核戦争は、ギリギリのところで危うく回避されたのだ。

 

 ピースウォーカーに搭載された二つのAIポッドの開発者、ストレンジラブとエメリッヒはこの現象を機能代償という生物の脳が持つ能力にたとえて説明した。大脳の一部が損傷したとき、その機能を脳の他の部位がカバーすることで失われた能力を回復させる…… ピースウォーカーの場合、破壊されたママルポッドに宿っていたザ・ボスの遺志をレプタイルポッドがバックアップしたことで、本来ならレプタイルポッドが本能のままに行う核報復を自己犠牲をもって阻止したということだ。

 

 MSFのほぼ全員が見送るなかを、ニカラグア湖に沈んでいったピースウォーカー。そのとき彼女が最期まで歌い続けていたのがこの『Sing』だった。あのとき俺たちMSFの誰もが、会ったこともないはずのザ・ボスがたしかにそこにいたのだと信じていた。ただの機械にボスの魂が宿るはずがない、かつてはそう吐き捨てたはずのスネークですらも、きっと。

 

 かくして俺たちの世界は、ザ・ボスを二度殺した。核兵器という俺たち人類の愚かさのツケを、再び彼女一人に背負わせた。それなのに、俺たちMSFは性懲りもなく三度目の愚行を犯した。MSFはザ・ボスの遺志を踏みにじり、世界に対抗するための抑止力と称して核武装への道を進んだんだ。そこから先は、俺がここに来た日に子供たちに語って聞かせた通りだ。

 

「あのぅー、カズヒラさん? もしかして、『Sing』は弾けなかったんでしょうか?」

 

 不覚にも皆の前で思い出にトリップしていた俺の顔を、五月雨が心配そうな顔で覗きこんでいた。

 

「そんなことはないぞ。俺たちMSFでこの曲を知らない奴なんていない、これは俺たちにとっては特別な思い出のある曲なんだよ。まあ話せば長いし、しんみりさせちまう話だからな。今日はやめとくがそのうち聞かせてやるよ」

 

 俺は『Sing』のコード進行を思い出しながら、ふと気になったことを五月雨に訊ねてみた。

 

「しかし、君ら『Imagine』だの『Sing』だのと、いろいろと懐かしい曲をよく知ってるもんだな。こんな離島暮らしなのにいったいどこで憶えたんだ?」

「ナオミ先生と暮らしていた頃には、先生からいろんな歌を教わったんです。私たちがどうしてこの姿に産まれたのか、どこへ行けばいいかもわからない暮らしのなかで、先生が教えてくれた歌が心の支えでした。なかでもこの曲は、私たちの一番のお気に入りなんです」

「ナオミ先生がここを去られたあとも、辛いとき、寂しいとき、この歌を歌っていたんです。 ……訓練中に歌ってボスさんに叱られたこともありましたけど」

 

 そう答えて、五月雨はちょっと決まり悪そうに笑って舌を出した。可愛いテヘペロいただきましたー! これが本物のテヘペロだ、どっかの自分の口で言っちゃうピンク頭とは格が違うぜ……!

 

「でも結局ボスもこの歌が気に入られたみたいなのです。お一人で歌われているのを耳にした憶えがあるのですよ?」

 

 電のぶっちゃけた打ち明け話に、えぇー、それ聞きたかったなぁ、と皆が口々に羨望の声をあげた。

 

 そうか、これはみんなにとっても思い入れのある曲だったんだな。子供たちはは目を細めて、ナオミやザ・ボスとの生活を懐かしんでいるようだった。

 

「このナオミ先生のスマホには、音楽もいっぱい入ってるんです。ここに入ってる曲ならだいたい歌えますから、カズ様ここからネタを拾ってくれるとよいですぞ」

 

 そう言いながら漣はスマホの音楽ライブラリを見せてくれた。まったく、写真は撮れるビデオも撮れる、そのうえ音楽プレイヤーにもなるとはスマホってのはどこまでも便利な代物だよな。それなのに電波の都合で電話がかけられないってのが実に皮肉な話だと思うが。

 

 ……よし、コード進行は思い出した。ちょっとイントロも試し弾きしてみるか。♪ラーララララーラ、ラーララララーラ、ラーラーララララー、ってな。うん、いけるいける。音を出し始めると、子供たちの表情がパッと明るく変わった。

 

「よぉし、それじゃあ『Sing』行ってみようか! 入れるところで歌いはじめてくれよ」

 

 俺がイントロのフレーズだけを繰り返し弾き続けていたところに、子供たちもリズムを合わせて歌い始めた。うーんエクセレントブリリアント、期待していたカズ・ナイト・フィーバーはお預けだが、これはこれで素晴らしいじゃないか、なぁ? もしも機会があるのなら、ナオミにザ・ボス、ついでにストレンジラブの奴にも聞かせてやりたいもんだよ。 




「誰この嘉門達夫みたいな奴」

 十年以上昔、作者がMGSPWの未体験抑止版を初めて遊んだ時の第一印象でした。
 エッこいつマスター・ミラーの若い頃の姿なの?→オールバックにサングラスでイカツい感じなのにけっこうひょうきんな性格なんだな、やっぱり嘉門達夫じゃん→ギター弾いて歌ったりするんだ、つくづく嘉門達夫じゃないか(結論)

 その後本編クリア後も、カズラジを全回iPodに入れて通勤の車中でヘビーローテーションさせたり、平和と和平のブルースのドラマで爆笑したり、GZやTPPでの闇堕ちぶりに絶望したり、今じゃこうしてカズが主人公の小説を書いてみたり。まさか十年経ってもカズを気にかけてるなんて思いもしませんでした。

 本作品の初期の構想では、死後艦これ世界に転生して内地の鎮守府に着任したカズが、いろんな艦娘たちのお悩み相談を歌とギターで解決していく話になる予定でした。しかし、よくよく考えてみるとまったく面白くなかったので断念したわけですが。今回のお話は、言ってみればその名残みたいなもんです。


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第二十話 Man in the Miller

 夢、夢を見ている。俺の名前は、相沢…… いや違う、祐一なんて奴は知らん! それは別のお仕事だ、悠一なら俺の戦友だが。いやそうじゃないよ、俺はカズ、カズヒラ・ミラーだ。なにもかもおかしい、もう一度やろう。

 

 

 

 夢、夢を見ている。夕焼けに染まるプラットフォーム。ここは1974年のカリブ海、今日は俺たち『国境なき軍隊』が初めて催した一大イベント『平和の日』だ。それは、たまには戦争のことを忘れよう、そんなアイデアから始まった。すべての隊員が一堂に集い、この日ばかりは仕事のことを忘れておおいに楽しもうというお祭り騒ぎだ。

 

 その平和の日のメインイベント。パスと、俺と、ガルベス教授。この三人でバンドを組んで、オリジナル曲を皆に披露しようという企画だった。作曲俺、作詞パス、不本意だが編曲ガルベス。ちくしょう教授の奴、俺の苦心の作をほぼ原型とどめないレベルまで書き換えちまいやがって…… お、俺の作曲理論が間違っていたというのか!?

 

 だが新しく書き直された曲はパスに好評だった。そこにパスが自ら歌詞をつけて、伴奏は俺のギターとガルベスのテルミンだ。三人でなるべく都合をつけては練習を重ねた、もちろんスネーク含めて皆にはナイショのショだ。マザーベーススタッフから口の堅い奴を選んでスタッフに任命し、当日に向けてステージ設営の準備も進めた。ビッグボスなどなにするものぞ、俺たちがビッグスターだ! 度肝を抜いてやるぞ……?

 

 夕陽が水平線に沈み、マザーベースが闇に包まれた。ここからがステージの始まりだ。手筈通り一斉に投光器が舞台を照らす、そこに俺たちは立っていた。プラットフォームで各自思い思いに酒食と談笑を楽しんでいた隊員たちが事態に気づき、目ざとい奴らは早くもかぶりつきを占拠すべく駆け寄り始めていた。我らMSFの誇る百戦錬磨の兵たちが歓声をあげながら押し寄せる、その様はさながら現代に蘇ったテルモピュライだ。

 

 センターに立っていたパスが俺に振り向いた、ライトに飛ばされてその表情はよく見えなかったが、きっと不安を感じているのだろう。無理もない、こんな大勢、ほぼ三百人の益荒男どもを前に歌うなんて、彼女にとっては産まれて初めての経験のはずだ。だが案ずるな、君にはこの俺がついてるんだ。今はただ、精一杯ステージを楽しんでほしい。俺は抱えたギターをポンポンと叩くと、力強くパスに頷き返してピースサインを送った。

 

 パスは再び前に向き直ると、マイクをONにして観衆に呼びかけ始めた。スピーカーから大音量で彼女の声が響く。

 

『みなさぁーーん、『平和の日』楽しんでますかぁぁーーーー!!!』

 

 地響きのような、鬨の声のようなどよめきが観客席から沸き上がった。

 

『今日はぁー! 私たちがぁーー!  みんなのために作った歌を、歌いまぁぁーーーす!! どうか聴いてくださぁぁぁーーーーぃ!!!』

 

 その言葉に返すようにどわぁーー、と大歓声があがった、すでに観客は総立ちだ。

 

『曲はぁ! 『恋の抑止力』でぇーーす、セイ・ピーーーース!!!』

 

 隊員たちが『ピース!』と叫び返す声がひとつになっていた。打ち合せたわけでもないのに、皆ピースサインを振り上げていた。俺は歓声が落ち着くタイミングを見計らって、手元のシンバルで拍子を取った。リズムに合わせてパスが歌い始めた、俺のギターとガルベスのテルミンもすかさずついていく。いきなり独唱から入る難しい構成だったが、その後ボーカルが一息ついてからは俺たちの伴奏が彼女をエスコートするんだ、一音たりともトチるわけにはいかない。さあ行こうぜパス、間奏が終わればそこからは君がヒロインだ……

 

 

 

「ふがっ」

 

 間抜けな声を出して俺は目を覚ました。目を開けると視界を占領していたのは、パスとは似ても似つかないピンクの髪とその分け目だった。なんだ漣か…… ここはどこだ、周囲を見回すとそこは昨夜みんなで歌い騒いだロビーで、どうやら俺はソファーに座ったまま眠ってしまっていたようだった。それにしても懐かしい夢を見たもんだ。もう三十年も昔の、決して実現することのなかった『平和の日』の祭典、決して叶うことのなかった俺の青春の幻か。でもいい夢だったな、これが現実だったならどんなにか素晴らしかったろうな。だけど、なにがパスか、なにがガルベス教授か。あいつらの正体はサイファーの工作員、パシフィカ・オーシャンと、KGBのスパイ、ザドルノフだ。現実の俺はそれを最初から知っていたのにな、夢の中の俺は二人を疑ってすらいなかった。この夢が今でも俺の深層心理の願望だったということなのか、三十年前のことをまだ引きずり続けてるってことか? 身体こそ若返ったが俺もうすぐ還暦なんだぞ、うわぁこっ恥ずかしい、まさか寝てるうちに変な寝言とか口走ってなかったろうな? 俺はおそるおそる周囲を見回してみた。

 

 あたりには、俺たちの他に誰の姿も見当たらない。俺は起き上がろうとしたのだが、膝の上には漣が座ったまま俺の胸に顔を埋めて寝息を立てていて、俺の手足は漣にガッチリホールドされていて身動きがとれん。喉が渇いた、あとトイレにも行きたい。

 

「おい、名雪…… じゃなぁーい、漣、起きろ!」

 

 俺はなんとか拘束から抜け出そうともがいたが、この子たちは見た目こそ少女であっても、その腕力は大の男顔負けだ。ここまでガチホされてしまったら、もう力ずくで外すのは不可能だった。今はまだロビーには誰もいないが、こんな所を電にでも見られた日にはソロモン、いやモノホンの悪夢だ。どんな目に遭わされるかわかったもんじゃないぞ!?

 

「うにゅぅ…… けろぴー、あばれちゃだめだお…… おやすみぃ〜」

 

 寝言であった。誰がけろぴーだ、おまえはいったいなんの夢を見ているんだ? マジで色々スレスレだから目を覚まして!? お願い、300円あげるからァァー! しかし懇願も空しく俺を拘束する力はますます強まるばかりだった。

 

「おはようございます、カズヒラさん。ゆうべは楽しかったですね!」

 

 そのときカートを押してロビーに現れたのは五月雨だった。カートには鍋と、食器と、あと漬物などの瓶がいくつか載せられていた。よく冷えてそうなマテ茶らしきピッチャーもある。鍋からは米の香りが漂ってきていた、台所で朝食を作ってくれていたのか。

 

「ゆうべはみんな飲みすぎちゃったみたいなので、今朝は胃に優しいお粥にしてみたんです。いいですよね?」

 

 いい。全面的にいい。なによりも、身動きできないこの状況でアッツアツのお粥をこぼさないでくれたのは最高だ、ほぼSランクだよ。

 

「おはよう五月雨、ところでみんなはどこに行ったんだ? あと、すまないが漣を引っぺがすのを手伝ってくれないか、身動きができないんだ……」

「電ちゃんは飲んでなかったから、吹雪ちゃんのお尻をひっぱたいて朝の哨戒に出かけました。吹雪ちゃんもちょっとお酒が残ってたみたいなんですけど、本来電ちゃんと組む順番だったはずの叢雲ちゃんがもっとひどい二日酔いで使い物になりませんでしたので」

 

 五月雨は散らかったテーブル周りを片付けながら答えた。それにしても、俺たち昨夜はそんなに飲んだっけか……? しかし、見る限りだけでもテーブルにはビールの空き缶が10本以上、さらには空のワイン瓶に、二割がた残っただけのウィスキー瓶まで認められた。これ、全部俺たちが飲んだっていうのか? 昨夜にここでなにがあったのか思い出そうとしてみたが、ダメだった。みんなで『Sing』を歌ったあとからの記憶がまったくない……!

 

「叢雲はどうしてるんだ、大丈夫そうなのか?」

「叢雲ちゃんなら表にいますよ、懲罰中ですけど」

 

 懲罰ゥ? 穏やかじゃないな、でも電そういうことには厳しいからなぁ…… まああとで様子を見に行ってやろう。とりあえず今は脱出が先決だ、脱出したらダッシュして排出だ。 ……おっ、今のはちょっとライムっぽかったぞメモっときたい。でも手が動かせなーい、漣つよい! 勝てない……!

 

「漣ちゃんには抱き癖があるみたいなんです。私たちも毎朝のように誰かしらしがみつかれてるんですよ」

 

 テーブルを片付け終えた五月雨は、カートを脇にどけて俺と漣のそばに立った。そして背後に右手を上げて身を低く構え、一歩踏み出しながら全身の関節のひねりを集束させた右掌打で漣のケツを引っ叩いた。ベチィッ、と普通ならとても人体が発するとは思えない異音がロビーに響く。

 

「あおおーっ!!」

 

 野獣の咆哮めいた絶叫とともに漣が飛び上がった。そのままドスンと俺の膝に着地して、驚愕に眼を見開いた漣と俺が暫時見つめ合う。

 

「おはよう漣、やっと起きたか」

「えっ、ちょ! やだ、()()()()

 

 自分がどんな寝相だったのか自覚したのか、一瞬で耳まで真っ赤に紅潮した漣が、俺を突き放すように立ち上がった。そのまま後ずさろうとしてテーブルにつまづいて転び、悲鳴をあげながら卓上で一回転して反対側のソファーに大股開きで転げ落ちた。ところで、今わたしとか言った? 普段からキャラ作ってる感のすごい漣であるが、素の性格は案外真っ当な女の子なのかもしれないな。

 

 漣の意外な一面を垣間見て(意外でもなんでもないイチゴ柄も垣間見て)しまったが今はそれどころじゃない、まずはトイレだトイレ。

 

 

 ふぅ…… 出すものを出してようやく人心地がついたぜ。もしも美少女たちの眼前で漏らしでもしたら人権をなくすところだった。セーフっ……!

 

 洗面台で鏡に向かってみたが、うわぁ俺今ひどい顔してんなぁ、男前台無しだよ。口を濯ぎ、顔を洗い、あっ無精髭伸びてる。朝飯の後でキチンと剃ろう。ヨレヨレのスカーフを直そうとしたら、なにこれなんかヌメヌメするぅ〜。なんだこれと思って鼻を近づけたらすっごい酒臭い、ああこれ多分漣のヨダレだな? ある意味とてもレアな気もするが、これをクンカクンカしたりするのは人としてアカン、ダメ絶対。とりあえずは水道の水でジャブジャブ濯いで絞り、次は髪を整えようと胸ポケットを探ると、櫛はあったがグラサンがまた行方不明だ。グラさん、グラさぁーーん!? いや呼んだって返事するわけないか、むしろ返事が帰ってきたら怖いぞ。

 

『はぁーぃ』

 

 それなのに、俺の他には誰もいないはずのトイレで小さな返事が聞こえた。ははーん、これは妖精さんの悪戯だなぁ? 誰だ、ハジメさんか? 棟梁か? それとも他の誰かかな? 声の主を探してキョロキョロ周囲を見回していると、続いて頭上から声をかけられた。

 

『SB2C-5、へるだいばーよ!』

 

 フライトキャップとグラサンめいた黒いレンズのゴーグルにフライトジャケット、その下に着こんだ黄色いライフジャケットが目を引く。足元がミニスカにアレンジされているのを除けば大戦当時の米軍飛行兵の服装によく似ている、俺にとっては初めて会う子だ。ヘルダイバーといえば大戦も後期の、米海軍最後の急降下爆撃機を名乗る妖精さんが、鏡の上の電灯から俺を見下ろしていた。

 

『いやん、のぞいたらだめよ? このいたずらこぞうめ♡』

 

 初対面の妖精さんはそう言い放つと、マリリン・モンローさながらにスカートを押さえて身をくねらせた。ええい、誰が妖精さんのパンツなどに欲情するものか、もちろん女子中学生のイチゴパンツにだって欲情などしない。しかし実のところ妻子と同居してた頃には、娘のキャサリーが飾ってたフィギュアのパンツを覗いてガチギレされたうえに、女房には「とうとう人間だけじゃ飽き足らなくなったのねぇ」と呆れられたことはある。でも確認するものだろう常識的に考えて。

 

『あなたがあどみらるなのね? すてきね、さぁ、いっしょにいきましょう? いいかな?』

 

 いきなり出てきてグイグイくるなこの子。いや、悪いけど俺って提督じゃないのよ。俺はあくまでも子供たちが日本にたどり着くまでの手助けをするだけ、決して彼女らの上官ではない。そもそも彼女らは軍人じゃないし、俺は司令官でも指揮官でもないアドバイザー的なサムシングだ。それでももう彼女らと寝食を共に…… いやこれは語弊があり杉田、じゃなくて食事はともかく寝室は別だが、とにかく共同生活を始めてから一月以上が過ぎた。短い間だが一緒に危機を乗り越えたこともあったし、色々と楽しい思い出もできた。ここまで親しくなっておきながら、日本に着いたらハイサヨウナラではちょっと薄情な気もする。

 

 そもそも、彼女らの目的は日本まで帰り着けばゴールというわけではなく、そこから世界の海を守るためにあの怪物どもと戦う力を世界に広めることだ。さしあたっては、彼女らの力と技術をまず日本政府に売りこんで彼らの理解と支援を得る必要がある。俺は元自衛官ではあったが、それはもう四十年も前の話だ。そっちのコネなんかはもう当てにはできない。しかし、五年前までは米軍にいたんだ、在日米軍になら知り合いがいないこともない。そっちの縁から迂回すれば、日本政府にまで話を通すことは不可能ではない、と期待したい。

 

『へい、みすたー? ぼうっとしちゃってどうしたの?』

 

 ヘルダイバーちゃんが心配そうに俺を見ていた。すまないな、どうにも俺はついつい自分の思考に没頭しちゃう癖が抜けないんだ。

 

「心配させてすまない、俺は大丈夫だよ。はじめましてだよな、俺はカズヒラ・ミラー。カズって呼んでくれ。ストレンジラブ博士に代わり、ここの子供たちの手助けをさせてもらってる。よろしくな」

『すとれんじらぶはかせ……? そーりぃ、しらないひとだわ』

 

 ストレンジラブを知らない? この子、もしかしてごく最近ここに現れたのか、あるいは長い間ここから離れでもしていたのか?

 

『わたし、もうにねんぶりくらいでやっとそとにでてこれたのよ。にねんまえにはしまにはざ・ぼすさんがいたわ。そのまえにいたなおみせんせいもしってる』

 

 詳しく聞いてみたところ、どうやらこの子は最近俺たちが漁っていた倉庫に紛れこんでいたらしい。彼女らは妖精サイズの航空機を操る能力を持った妖精さんなのだが、ここの少女たちはみんな駆逐艦なので、せっかくの航空戦力を使いこなすことができない。よって航空機妖精さんたちには仕事がなく、ある日暇潰しに倉庫の探検ごっこをしているうちに、奥まったところにハマりこんで出られなくなった。そのままなんと二年、最近俺たちが倉庫整理を始めたおかげで、ようやく外に出られるようになったんだそうだ。

 

『まったくひどいめにあったのよ? このままぶっだみたいにさとりをひらいちゃうんじゃないかとおもったわ』

「仏陀はどうか知らんが、達磨大師なら面壁九年だからな。あと七年我慢すれば本当に悟れたかもな」

『のーうぇい! じょうだんじゃないわ。ようせいはしんだりしないけど、せまいそうこのおくでごはんもおしごともないせいかつなんてもうたくさんよ。ねえかず、しゅっしょいわいになにかおいしいものおごってちょうだい?』

 

 お粥でよければ五月雨が用意してくれてるぞ、とりあえず飯を食いに戻ろうか?

 

 

 ロビーに戻ってくると、漣は不機嫌そうな顔でお粥を食べていた。

 

「……ずいぶんゆっくりしてましたね。朝っぱらからトイレに籠っていったいなにしてたんですか、ナニしてたんですか」

 

 何を考えてるのか知らんが、今朝の漣は妙にトゲが多い。トイレですることなんて排便排尿のコントロール以外にないだろう?

 

「嘘ですぞ。昨夜は漣にお酒を飲ませて泥酔前後、その後は一晩中抱き倒して寝ていただけでは飽き足らず、さっきは漣のパンツを覗いてまた欲情したのに決まってます……」

「酒飲ませて泥酔前後っておまえ、そもそも最初から自分で飲んでたじゃないか」

 

 泥酔前後とか抱き倒すとかいう妙な言葉がなんのことだかはだいたい想像がつくが、なんともひどい言われようだ。俺の女癖についてストレンジラブからなにをどう聞いていたのかは知らないが、俺は決して子供には手を出さないし、大人相手だって同意なしにそういう関係を強要したことは一度もない。ましてや酒や薬で酔わせているうちになんて論外だ。たとえ一夜限りの関係であっても、相手に愛されずしてなんの甲斐があるか。

 

 なおこの哲学をうっかり妻の前で口走ったところ、即座にCQCとナイフで過去の女遊びを覚えている限り全部白状させられたことがあった。妻はダイヤモンドドッグズ時代の部下ではあったが、兵士としては全盛期の俺よりもはるかに強いのだ。今俺の命が無事である理由は、幸か不幸かダイヤモンドドッグズ時代の俺は復讐のことでほぼ頭がいっぱいで、一切他所の女と遊んでなかった点につきる。そのとき吐かされた女遍歴も、もう昔の話ということで勘弁してもらったのだ、土下座して再発防止は誓わされたけどな。

 

 いやそれはどうでもいい、俺の気も知らんと漣のこの放言許しがたい。ここは一言はっきり言ってやろうじゃないか。

 

「あのなぁ漣……」

「カズ様がトイレに籠ったのだってアレです、そんな時男子がすることなんてただ一つでしょう? 漣の身体のやーらかい感触を反芻しながらシゴック先生に違いないです! いったい昨夜から何斉射してるんですか、カズ様のヘンタイ、おにちく、絶倫!」

「シゴック先生ってちょっとぉ!? 俺のことはどう言ってもいいがそれはシゴック先生に謝れ、このまちだいすきな先生に謝れ!?」

「シゴック先生って誰ですか?」

 

 俺と漣が口論を始めかけたところに五月雨が無邪気な質問をはさんだ。シゴック先生は日本の教育番組に登場するキャラクターだが、もちろん漣はその名を元の意味で使っているわけではない。じゃあどういう意味で使っているかと聞かれても、俺は五月雨に説明できないししたくない。俺も漣もすっかり心が汚れ切ってしまっているが、勝手ながら五月雨だけには清い心のままでいてもらいたいんだ。困惑して目をそらしたら漣と目が合った、いがみ合いを始めていたのになにか通じ合うものを感じた。俺と同じことを考えている目をしていた。

 

「なぁ漣、このへんでよさないか」

「奇遇ですな、漣も同じこと考えてました。ちと頭を冷やしましょうか」

 

 五月雨はまだシゴック先生について聞きたそうだったが、適当にごまかしておいた。ピッチャーから冷たいマテ茶を漣のグラスに注いでやり、俺も手酌で一杯飲んだ。爽やかな香ばしさがささくれ立った感情を癒してくれる気がした。

 

「漣が言ってた泥酔前後の件なんだがな、俺もほぼ昨夜の記憶がないからこう言って信じてもらえるかわからないんだが、さっきトイレで見た限りじゃ俺の身体には異状は見当たらなかったぞ。だからおそらくそういうことはなかった、はず…… だ。たぶん。疑うなら、おまえもトイレ行って自分で調べて来いよ」

「そうさせてもらいます。じゃあ、トイレが妙に長かったのは?」

「歳を取るとな、おっさんはトイレが長くなるもんなんだよ。だが今日の場合はな、たまたまトイレでこの子に出会って話をしてたからだ。聞けば最近俺たちが漁ってた倉庫の奥でここ二年近くずっと遭難してたそうなんだが、この子の顔に憶えはあるか」

『ろんたーい! さざなーみ、おひさしぶりねー』

 

 ポケットから飛び出したヘルダイバーちゃんが漣に手を振った。

 

「おぉっ、ずいぶん懐かしい顔ですな。憶えてますよ、アメさんの艦載機妖精さんじゃないっすか」

 

 いつの頃からか姿が見えなくなって、探しても見つからないからてっきりアメリカに帰ってしまったのかと思っていた、と漣は当時の事情を説明した。

 

 そのあと漣がトイレに立って、ヘルダイバーちゃんは俺の分のお粥を勝手に食べ始めた。そうだ、叢雲が表で懲罰中だとさっき聞いたな、飯の前に様子を見ておこう。

 

 ロビーのすぐそば、正面玄関から表に出ると、叢雲はコンクリートの三和土の上で正座をさせられていた。

 

「おはようカズ、いい朝ね」シュコーシュコー

 

 どこがいい朝だ? はたから見れば、少なくとも叢雲個人にとっては最悪の朝に思えるぞ。声だけは余裕たっぷりに朝の挨拶をしてくれた叢雲は、後ろ手に縛られて正座させられて膝の上にはご丁寧に鉄鋼のブロックまで乗せられていた。下に算盤が敷かれてないのがせめてもの情けか。挨拶のあとに変な呼吸音が聞こえたのは、頭に口を軽く絞った紙袋を被されているせいだ。『私は二日酔いで哨戒当番をサボったのです』と書かれた紙袋の脇に例の電探が一対フワフワ浮いているさまはなかなかシュールな絵であった。これで口先だけでも取り繕おうとする精神力がすごい。

 

「なんだこりゃ、電の仕業だな? いくら懲罰っつってもやり方ってもんがあるぞ」

 

 俺は紙袋を破いて叢雲の呼吸を自由にさせてやった。袋を被せる拷問というのはある、目的は視界を奪い不安を与え、なおかつ呼吸を制限して苦痛を与えることだ。俺はしたこともされたこともあるからよく知ってるよ。

 

「ちょっと、勝手なことするとあとで電に叱られるわよ?」

「いくら懲罰とはいえ、窒息の危険を伴う行為は看過できん。俺を叱るというならたっぷり30分は叱るといい、なぁに構うものか。クセになってんだ、電に叱られるの」

 

 だったら、いいけど…… と尻すぼみにつぶやいた叢雲の表情は完全にドン引きだった。あ、あれ? カッコいいこと言ってみたつもりだったんだが?

 

「それにしてもひでぇ面してるな、二日酔いの上に酸欠を起こしかけている。二日酔いにはとにかく水分補給だ、あとトイレに行きたければ縄も解いてやるが?」

「その心配はいらないわよ! ……でも、ありがと。お水だけもらえるかしら?」

 

 マテ茶のグラスを持ってきてやったが、あいにくストローは用意がなかった。だから、むせないように注意してゆっくり飲ませてやった。

 

「んっ…… んくっ、うくっ、うっ…… ぷはっ」

 

 叢雲は手を縛られたまま白い喉をこくこくと動かして素直にマテ茶を飲んだ、あとが怖いから言葉には出せんがそこはかとなくえっちだ。

 

「本当に縄を解かなくていいのか、そんな姿勢で大丈夫か?」

「大丈夫よ、問題ないわ。これでも私は懲罰を受けている身よ、気にしてくれるのはありがたいけど、これ以上は示しがつかないから捨て置いてちょうだい」

 

 叢雲が困った顔をするので、俺はそれ以上の世話はよした。かわりに、気になってたことを聞いてみることにした。

 

「なんとなく感じてたことなんだけどさ、おまえって電にだけは強く出られないところあるよな。どうしてなんだ?」

「……」

 

 始め叢雲は答えなかった。じっと見つめると目を逸らしたので、なにか隠していると確信した。だがこの俺を相手に黙秘などさせないぞ。叢雲は今逃げられない、くすぐりか? それともアツアツ白粥がいいか? 秘密を聞き出すためなら俺はやるぞ、電が帰ってこねぇうちに。どぉーもぉ叢雲さん、知ってるでしょう〜? カズヒラ・ミラーでございます、おい粥食わねぇか。

 

 いやそうじゃねぇって、それは北海道のローカル番組だ。お粥を取りに立ちかけた俺を呼び止めて、叢雲は打ち明け話をはじめた。

 

「わかったわよ、話す、話すから。なんなのよそのねばっこい絡みかたは」

「なんだ、あっさり口を割る気になったか」

「だって、私が黙ったってどうせ漣あたりに聞くんでしょう? あいつの口からあることないこと好き勝手に言われるくらいなら自分で言うわよ」

 

 先日は電も漣の不真面目な態度に苦言を呈していた。今はトイレに行ってるであろう漣、気づいてるかー? おまえ、こんなにも仲間たちからの信頼度が低いぞー? あいつだって、任務に対しては決して不真面目なやつじゃないのにな。日頃の言動からのイメージで損してるところはあると思う、俺自身もなんか身につまされる気がするけど。




 私事で恐縮ですがうちの浦波と磯波が改二になりました。艦これ運営さん漣にも改二はよ。


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第二十一話 僕の小規模な敗北

 ギターが直った記念にと、みんなで歌い騒いだ翌朝はカオスだった。俺自身まったく身に憶えがないのだが相当深酒をしてしまったらしく、漣との一夜の過ち疑惑、新たな妖精さんとの出会い、そして叢雲の二日酔いに伴う哨戒当番サボりと懲罰。事態の理解と収拾を図りながらも、俺は電と叢雲にまつわるちょっとした疑念について叢雲に訊ねてみるのだった。

 

「電に強く出られないのは私だけに限ったことじゃないのだけど、私が一番悪かったのよ」

 

 ちょっと断りを入れた上で、叢雲は話を切り出した。

 

「あんたがここに来た日、漣が見せた動画を憶えてる?」

 

 よーく憶えてるよ、でもできることなら忘れさせてほしい、セーラー服姿のザ・ボスなんて。俺が数十年大事に温めてきた英雄像は、あれ一本でかなり捻じ曲げられたんだぞ?

 

「そっちじゃないわよ、駆逐ロ級を映したほう」

「ああ、階段が壊された時のやつか」

「あれを見た後、吹雪が言ってたでしょう? 電がケガで寝込んでたって…… それは私のせいなのよ」

 

 そういえば、そんなことを聞いたかなぁ。今では電も元気だからそのときはあまり気に留めなかったのだが、ひどい負傷だったのだろうか。

 

「ボスがここに来た日、ナオミ先生は急に姿を消してしまったわ。ボスは私たちや妖精さんの話を聞いて、島に留まって私たちを助けると言ってくれたのよ」

「ボスは不思議な人だったわ。私たちとは違うただの人間のはずなのに、私たちの艤装を背負い、海を走り兵装を扱うことができたわ。それもあっという間に習熟してしまって、私たちにその技術を教えてくれることになったのよ」

 

 サイズの合わない吹雪の艤装と制服で、ザ・ボスが海上を飛んだり跳ねたり雑技団さながらのアクションを見せたのははっきり憶えている。おそらく、この子たちの誰もがいまだその境地にはたどり着けていないのだろう。

 

「私たちがボスのご指導を受け始めてしばらく、その日は泊地近海の遠浅で実弾射撃訓練をしていた時だったわ。ボスはボートに乗って指導、私たちは全員海上に出ていたわね」

 

 

 

 その日は全員が実弾装備だったこともあって、特に留守番は残さずにみんなで遠くに浮かべたブイを撃つ訓練をしていたんだそうだ。ザ・ボスの指導を受けはじめてから皆メキメキと腕を上げていたので、その日も訓練には熱が入っていたらしかった。

 

 突然、ザ・ボスが皆に警告を発し、対空射撃の準備を命じた。遠くの空から、敵艦載機の攻撃隊が近づいていた。

 

 うかつにも敵に気づかないまま目視できる距離まで近づかれ、いきなりの空襲に皆が泡を食った。結局対空射撃の準備が間に合ったのはザ・ボスの持っていた機関銃だけだった。

 

 その頃はすでにわかっていたことで、人間の兵器は奴らにはほぼ通じない。だからそれはハッタリだけにしかならない対空射撃だったが、それでも第一次空襲は爆撃コースから逸らすことができた。その隙にザ・ボスの叱咤と指揮で皆は体勢を立て直し、第二次空襲はなんとかわずかな被害で凌ぐことができた。

 

 しかし、敵空母を少なくとも発艦不能にまで追いこまない限りいずれはジリ貧となる。焦った叢雲は、漣にザ・ボスを退避させるよう指示を出すと、自らは空母めがけて突撃を試みた。

 

 

 

「そうか、先日叢雲が俺がボートに乗るのを反対したのは、そのときの事があったからか?」

「そういう事よ。 ……ああカズ、悪いけどお茶もう一杯お願いできる?」

 

 まだ叢雲の話は途中だったが、先日俺が見舞われた落水事故の時と状況が似ていたのでつい口を挟んでしまった。叢雲は長話で喉が渇いたのか、マテ茶のおかわりを所望された。口を開けて茶を待つ叢雲を見ていると、なんだか自分が親鳥にでもなったような気がした。

 

 

 

 さて話の続きだが、突撃を仕掛けたのは叢雲と電、吹雪と五月雨は少し遅れた位置を左右に展開して対空防御を含めた援護にあたっていた。

 

 叢雲たちがようやく敵艦隊の姿を確認した頃、衝撃波と轟音が彼女のすぐそばを突き抜けて行った。かすりすらしなかったのに右の電探が吹き飛ばされ、耳の鼓膜もバカになった。きりきり舞いして転びかけたところを電に支えられてようやく踏みとどまり、それが戦艦級の大口径主砲による至近弾であったと覚った。

 

 確認できた敵艦隊は、軽空母を旗艦とした小規模な護衛機動艦隊。ただし、随伴のなかには彼女らが初めて目にする戦艦らしき大型艦の姿があった。まだザ・ボスがこの島を訪れるより以前、ナオミとともになんとか敵の襲撃を水際で持ちこたえていた頃には、これほどの強敵を相手にしたことはなかった。駆逐艦主砲の射程距離の外から圧倒的な火力をもって迫る戦艦、一発直撃されればそれで終わりだという確信。初めて体感するその脅威は、いまだ実戦経験に乏しい叢雲たちの脚をすくませた。

 

『叢雲に電、無理に仕留めようとするな! そこから大きく敵の右手を周って丁字戦を仕掛けろ、ただしこれはあくまでフリだ。決して距離は縮めず、砲撃は牽制程度にとどめて回避に専念しなさい。吹雪と五月雨は二人に少し離れてついて行け、的を絞らせるな』

 

 退避した漣の回線を通じて、ザ・ボスの指示が下された。四人は指示通りに距離を保って敵艦隊の横を周り、やがて進行する敵艦隊とすれ違うコースに入った。

 

『現時点で敵勢力における最大の脅威は軽空母の攻撃隊、次いで敵戦艦の砲撃よ。漣は対空装備への換装を急ぎなさい。もし敵機が迫ったなら、磯の岩場に隠れて私の銃撃と同じ所を狙え。向こうはもう私の銃がハッタリだと気づいているはず、だから今度は本物をブチこんでやるのよ』

 

 通信の向こうで漣がアイアイ、マム! と威勢よく答えるのが聞こえた。

 

『叢雲たちはどうかしら、そろそろ敵艦隊とすれ違う頃か?』

 

 そのとき叢雲たちは、ちょうど反航戦の形で敵艦隊とすれ違っているさなかにあった。充分な距離を保っているためか、敵からの射撃はまばらな牽制程度であり、狙いも定まっていなかった。そう報告するとザ・ボスは納得したような声で答えた。

 

『予想通りね。敵戦艦の装備をよく見てみなさい、砲塔を積み上げた巨大な盾のようなものを両手に一つずつ持っているわ』

 

 そう言われてあらためて敵戦艦に注目すると、奴が泊地に向けて進行しながら、右手の砲だけをこちらに向けているのが見えた。叢雲たちと後続の吹雪たちと、片手だけで二者を牽制しようと苦慮していると感じられた。

 

『あんな大きくて重そうな武装を、海上を前進しながら真横に向けて撃つとしよう。片側だけならまだしも、両側全門の火力を横に集中させるのはどんな膂力を誇ろうとも無理な相談よ』

 

 かつては艦船だった叢雲たちも、今生では少女の姿に生まれ変わった。なぜこんな姿になったのか、考えたことはあっても結論はいまだ出ていない。ただ、姿が変わったのならば、その特性に合わせて戦い方を変えていかなくてはならないのだけは確かなことだと、叢雲はそんな感慨をザ・ボスに伝えた。

 

『そうね。もしも奴らが艦の姿をしていたなら、真横こそが全砲門の火力を集中させられるキルゾーンだったはず。だが人の姿を取っているなら、人体の構造上あの砲が火力を集中できるのは正面だけね。叢雲も、敵を見つけたならまずは相手をよく観察してみなさい。敵の姿・編成・装備・行動。観察して分析することで相手の力量や作戦目標が推察できる、そうすれば勝ち目も見えてくるわ。』

 

 敵を知り己を知れば百戦危うべからずなのですね、と電がつぶやいた。

 

『その通りよ。でもそのためにはなにより敵よりも早く相手を察知することが必要。今日の私たちにはその注意が欠けていたわね。今後の課題と思いなさい』

 

 泊地が襲撃を受けそうな今、明日が来ないかもしれない状況だというのに、ザ・ボスは毫ほども未来を疑っていない声で言った。暢気なようにも聞こえたが、叢雲はその声を頼もしいと感じた。

 

『ボス、敵艦隊が陣形を変えます! 軽空母を中央に輪形陣、戦艦は最後尾につきました』

 

 無線を通じて吹雪が叫んだ。敵艦隊は陣形を変えながらなおも泊地に向けて進行を続けていたが、その速度はかなり下がっていた。最後尾の戦艦が叢雲たちを警戒するように後ろ向きで進んでいたからだ。

 

『背後を衝かれるのを警戒しているようね、でも中途半端すぎて賢い作戦とは言いがたいわ。叢雲に吹雪、そのまま相手の射程に深入りしないよう注意しながらプレッシャーをかけ続けて。それで戦艦の火力は一時だけでも泊地には向かなくなるわ、その隙に空母と他の随伴はこちらで対処する』

 

 生身のザ・ボスがどうやって、と聞き返したかったが、声を出す前に無線から漣の叫ぶ声が飛んだ。

 

『敵攻撃隊、発艦を確認! ボス、いきまっしょい!』

 

 軽空母から発艦した艦載機隊がドック目掛けて襲いかかる。しかし、今度の対空射撃は目覚ましい成果を挙げた。ハッタリと見せかけたザ・ボスの銃撃に混ぜられた漣の射撃は、回避行動をなおざりにした敵艦爆・艦攻を根こそぎ叩き落とし、泊地方向の空に爆炎と黒煙が拡がった。

 

『キタキタキターーーーーー!!!! 敵空母沈黙! 漣、MVPですぞ!?』

 

 無線から漣の大歓声が音割れせんばかりに響いた。それまで叢雲たちを牽制していた戦艦が、驚愕の表情を硬直させて背後の泊地に振り向いた。隙を見せたと思った叢雲は、やや遠間であるとは思いながらもすかさず皆に雷撃を促した。叢雲・電組と吹雪・五月雨組の雷撃が十字砲火の形で敵艦隊に迫る。

 

 魚雷は二本が外れ、二本は敵戦艦に直撃コースだったが、それは随伴の駆逐艦たちが盾になって防がれた。駆逐艦は直撃を受けて轟沈、残る敵は艦載機を失った軽空母と無傷の戦艦のみであった。戦艦は踵を返して自ら先頭に立ち、工廠に艦砲射撃を仕掛ける構えに入った。

 

 今泊地にいるのはザ・ボスの他には対空装備の漣一人、戦艦の艦砲射撃に対して反撃する手段をほぼ持ち合わせていない。もしもザ・ボスが死んでしまったら、漣が沈んでしまったら、ドックや工廠が破壊されてしまったら…… どれか一つが現実になるだけでも自分たちはもう立ち直れない、そんな怖しい考えが叢雲の背筋を凍らせた。

 

「砲撃を止めるわよ! 叢雲、突貫するわ!」

 

 一声叫んで叢雲は敵艦隊の後背を突くべく突撃を仕掛けた。無線からはザ・ボスや皆の制止する声が聞こえていたが、恐怖に突き動かされるように叢雲は突進を続けた。

 

 すぐに敵艦隊が自分の射程に入ったが、それだけではまだ充分とは言えない。戦艦が背中を向けているうちに、必殺の距離まで肉薄する。もしも奴がこっちに狙いを変えてきたら、回避運動をかけて仕切り直す。少なくとも泊地を撃たせなければそれでいい、その時はそう考えていた。

 

 しかし、戦艦は横を向いて体を開き、両手の砲をそれぞれドックと叢雲とに向けてきた。ここで叢雲はほんの一瞬だけ判断を迷った。火力は半分だが、それでも当たり所次第ではドックも叢雲も危ない。回避を優先するか、それとも砲撃阻止を優先するか。結局は阻止を優先するべきと結論したが、わずかな逡巡が戦艦に引鉄を引かせるだけの猶予を与えてしまった。

 

 叢雲の目に砲火が閃くのと、誰かが不意に横から飛びついてきたのとはほとんど同時だった。続いてすぐ近くで爆発音が起こるとともに全身がバラバラになるかと思うほどの衝撃を受けて、叢雲は海面を何回転も転がって倒れ伏した。いったいなにが起こったのか、すぐさま顔を起こして周囲の状況を確認して、視界に飛びこんできたのは力なく水面に浮かぶ電の姿だった。

 

「電…… 電! 返事をしてッ!」

 

 電の背負う艤装は戦艦砲の直撃を受けて大破させられ、もうもうと黒煙を噴き上げていた。砲弾は背負い艤装の煙突の根元あたりに命中したらしく、煙突の他にも背中に提げていた錨と、左側の魚雷発射管および防盾が脱落していた。

 

 叢雲は気づいていなかったが、電は独りで突撃を仕掛けた叢雲を追走していた。そして、戦艦が砲を放つ瞬間叢雲の腰に飛びついて弾道から逸らそうとしたのだった。しかし、叢雲に追いつくだけで精一杯だった電には自分の安全まで確保する余裕はなく、代わりに自らが砲弾を受けることになってしまった。

 

 炸裂した砲弾は、艤装を破壊しながら破片で電の身体までもしたたかに傷つけたようだった。倒れたまま動かない背中はひどい出血に染まり、周囲の海水までもを赤く染めつつあった。

 

 最初の至近弾で破られた叢雲の右鼓膜は、ナオミ先生に授かったナノマシンの力によってその時はすでに聴力を回復していた。電にも同じ力があるから簡単には死ぬはずがない、重症ではあるがきっとまだ生きている。そう信じて叢雲は肉声と無線の両方で呼びかけ続けたが、電は昏倒したまま呼びかけには答えなかった。

 

 なんとか電を曳航して後退できないか、叢雲は立ちあがろうとしたがそれはかなわなかった。爆発の余波を受けていたのか、左脚がおかしな方向に折れ曲がっていた。

 

 救援を求めようと吹雪たちの方を確認したが、吹雪たちもすでに動き始めてはいたものの、その距離はまだ遠かった。なにより、叢雲たちは戦艦に接近しすぎており、援護射撃が誤射になるおそれもあった。

 

 勝ち誇った厭らしい笑みを浮かべながら、戦艦が叢雲たちに近づいてきた。まず叢雲と電にとどめを差し、それから近づいてくる吹雪たちを片づけて、最後に泊地を片付けようと企んでいるのだと直観した。

 

(舐めてんじゃないわよ深海魚)

 

 肚の底から怒りが沸き上がってきて、最初に感じていた恐怖をどこかへ追い出してしまったようだった。こいつの下卑たニヤケ面も、自分のマヌケで電が傷ついたのも、自分たちが前菜程度に見くびられているのもなにもかもが気に入らなかった。

 

 吹き飛ばされて海面を転がった時に、叢雲の艤装に装備されたアーム支持式の連装砲は壊され、持っていた槍もどこかへ落としてしまっていた。だが、左腕に装着していた魚雷発射管は、発射機構が壊れたもののまだ残弾を残していた。信管をセットして発射管で殴りつければ、その残弾がいっぺんに誘爆することになるだろう。そんな無謀を冒せば、たしかに戦艦は仕留められるかもしれない。しかし、叢雲はよくて腕一本、悪ければ命すら危うい。

 

(折れた脚がナノマシンで治るまでおそらくもう少し。うかつに近寄ってきたら、土手っ腹に魚雷パンチをブチこんでやるわ。こいつの鼻を明かしてやれるなら、左手一本くらいくれてやるわよ)

 

 相変わらず電は気を失ったままだったが、ナノマシンが早くも電の負傷を修復しはじめているのは見て取れた。さっきまで鮮血に染まっていた服も、破れはしたものの血の染みはナノマシンに分解吸収されて元の白地に戻りつつある。こうなれば、これ以上損傷を受けなければ電は助かるはずだ。そして、魚雷を暴発させる無茶をして自分が助かるかどうかは五分五分と見積もったが、無抵抗のまま沈められるよりはずっと分のいい賭けだと考えた。

 

 まずは電から注意を逸らさなければならない。そう考えて、叢雲は脚が治りかけているのを隠し、わざと見苦しく這いずりながら吹雪たちの来る方向へ逃げるふりをした。

 

 戦艦は簡単にエサに食いついた。電を放置したまま悠々と叢雲に歩み寄り、まずその脇腹を蹴り上げた。叢雲はまた何メートルかを転がされて、肋骨がミシリと軋む苦痛に吐き気がこみあげた。だが、叢雲は蹴られた時に戦艦が波に足を取られてわずかにフラついたのを見逃さなかった。

 

(こいつら、艤装の性能は高くとも練度は決して高くないわ)

 

 こいつが戦艦だけあって相当な膂力を備えているのは確かだった。もしも地上で取っ組みあえば、叢雲は体格差と筋力差でとても太刀打ちできなかったかもしれない。それに、今の蹴りだって本来なら叢雲の肋骨をたやすく蹴り砕いて内臓まで傷つけていてもおかしくはなかった。それなのにこの程度で済んでいるのは、こいつも揺れる海面に立つのに慣れておらず、体重の乗らない足先だけの蹴りでしかなかったからだ。

 

(こいつらはたとえ戦艦だろうとも、産まれ持った力をただ振り回してるだけの素人だ。生きて帰って鍛錬を積めば、駆逐艦の私たちにだってやれない相手じゃないはずよ。だから電、あんたもこんなところで沈むんじゃないわよ!)

 

 痛むあばらを庇うふりをして、叢雲は魚雷発射管を隠すようにうずくまった。相手が新前だとわかったところで、自分だってまだ訓練を始めたばかりの未熟者であり大した差はない。そのささやかな一日の長を活かすためにもよく見ろ、そして考えろ、必ず付け入る隙はあるはず……!

 

 その時、泊地からの無線でザ・ボスの声が聞こえた。

 

『待たせてすまなかったわ叢雲、こちらはようやく狙撃の準備が整った。あと十秒でもいい、そいつをそこから動かせないでちょうだい、できるわね』

 

 やらいでかっ、と叢雲は答えた。脚はほぼ治っていた、まだ多少は痛むが短時間なら問題ない。

 

 吹雪たちが近づいてきている以上は、奴も叢雲にいつまでも構ってはいられないはずだった。そう思った通りに、戦艦はまず叢雲からとどめを差そうと砲を構えて片膝をつき、射撃姿勢をとった。その隙を見て叢雲は立ち上がり、故障した発射管から魚雷を引き抜いて投げつけた。いっそさっき考えていたように殴りつけてやりたかったが、奴に近寄ればかえってボスの邪魔になると思った。

 

 投げつけた魚雷は不発で、盾のような砲塔に簡単に防がれたが、そもそも叢雲はあえて魚雷の信管をセットしていなかった。爆煙をあげてしまえば、それも狙撃の邪魔になると考えたからだ。魚雷を防ぐことでできた隙をついて射線から横へ逃れた叢雲を追おうと戦艦は砲を振ったが、奴にできたのはそこまでだった。泊地から発射された砲撃が、戦艦のがら空きの背中に大きな風穴を開けていた。叢雲は衝撃波で転ばされて尻餅をついたまま、無念の表情で睨みつけながら沈んでいく戦艦と、吹雪たちに追い回される軽空母の最期を見送っていた。

 

 

 

「あの日、私たちは辛くも勝利を得て泊地を守り抜いたわ。でも、私は自分のヘマであやうく電を失うところだった。こういう考え方はよくないと解ってはいるけど、あの海戦はみんなの勝利ではあっても私の勝利だと思ってはならない、戒めとして私個人にとっては敗北だったと考えているわ」

 

 叢雲は神妙な顔で一度言葉を切ると、またマテ茶のお代わりを所望した。それならもうおとなしく縛られてなくていいんじゃないかな、と思いはしたものの口には出さず、俺はロビーに茶のお代わりを取りに戻った。随分長い間叢雲と話しこんでいたような気がしていたが、ロビーではヘルダイバーちゃんと五月雨が朝食をとっているだけで、哨戒中の電たちもトイレに立った漣もまだ戻ってきていないようだった。




 二か月ぶりのご無沙汰でした、グラサン提督第二十一話をお届けします。
 先日までのイベントは乙と丙でなんとか完走しました、新艦も掘れたし長らく邂逅できずじまいだったミトチャンもなんとかお迎えすることができました。でも終わってみれば札十枚、ってなんやねん。
 
 ところで今回筆者が書きたかったことって、要は「以前叢雲がヘマをして電が大怪我をしたために、電はボスの訓練を皆の半分の期間しか受けられなかった」って過去の伏線を回収するだけの話なんですが、これが書いてみるとまあ長くなることなること。慣れない海戦シーンをふたたび書いたのも相まってかあまりに長くなりすぎたので、今回の二十一話は初稿前半三分の二で一度区切ることにします。海戦の後日談と朝のひと騒ぎの顛末については、また次回をお待ちください。


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第二十二話 太陽をつかんでしまった

「それで、結局最後に戦艦を撃ったのは誰だったんだ?」

 

 叢雲の打ち明け話が一段落したところで、俺は疑問に思ったことを訊ねてみた。

 

「あの後電を抱えて泊地に戻ったら、工廠の中はメチャクチャになってたわ。先に泊地に戻ったボスたちは、私たちの艤装を吊るフレームを利用して、たまたま工廠にあった戦艦向けの砲を載せられる砲架を造っていたのよ。妖精さんたちに協力してもらってね」

 

 妖精さんは資源を出して頼めばだいたいなんでも作ってくれるが、ノリと気まぐれで生きてる彼女らは、パッションのおもむくままに頼んだものとは違うものを作ってしまうことが多いらしい。強い主砲が欲しいと頼んだら戦艦砲を作ったり、索敵装備が欲しいと言ったら水上偵察機を作ったりしてしまうこともあるそうだ。

 

 とは言っても泊地の危機を前にした妖精さんたちの士気は高かった。三隻分のフレームにその日までは使い道のないまま死蔵していた大口径主砲をそれぞれ積みこみ、押し寄せてきた敵艦隊に打撃を加えてやるつもりだった。

 

 準備を整えた頃にはザ・ボスと漣の対空迎撃で軽空母は艦載機を潰してほぼ無力化、護衛の駆逐艦は海上に残っていた叢雲たちの雷撃で撃沈され、やるべきことは随分楽になっていた。

 

 ただ、ドックの中から砲を撃つ以上は、射界はシャッター正面に著しく制限されてしまう。敵戦艦は工廠への効果的な艦砲射撃を狙って防御の弱いシャッター正面に真っ直ぐ進行していたが、それは叢雲たちの無茶によって一時中断された。結果として、戦艦は狙撃するには都合のいい位置で足を止めてしまうことになった…… 工廠には防衛戦力がないと高をくくっていたのだろうが、その結果はさっき聞いた通りだ。

 

「砲を撃てたのはよかったけど、一発撃っただけの反動で天井から吊られたフレームは吹っ飛んだみたい。それで砲弾が敵に当たったのが不思議なくらいだったわ。吹っ飛んだフレームは手近な棚をひっくり返したり壁に激突したり、工廠内は地震の後みたいなありさまだったわね」

「私と電が撃たれたとき、あの戦艦の逆側の砲は同時に工廠も狙って撃ってたのよ。その弾は工廠を飛び越して渡り廊下の近くに着弾したくらいでたいした被害はなかったんだけど、こちらはドック内部で戦艦砲を撃つ無理を押した結果、結局工廠内はメチャクチャで復旧までにはそれなりに手間がかかったわ。それでも重要な設備は無事だったし、ボスや漣に怪我がなかっただけでも御の字ってとこね」

 

 怪我といえば、電の負傷はどうなったんだ? 今は元気に過ごしているが、あの動画の頃は寝こんでいたと言うから、しばらく尾を引いたのだろうか。

 

「電はナノマシンのおかげで命に別状はなかったのだけど、砲弾と艤装の破片が脊髄までひどく傷つけていたの。その頃はまだ博士の高速修復材もなくて、傷は塞がっても意識を取り戻すまでに三日、ベッドから起き上がれるようになるまで一月かかったわ。そこからリハビリを始めて、私たちと同じようにボスの訓練を受けられるようになるまでは半年近くかかったのよ」

 

 常人であれば、脊髄を損傷するほどの負傷を受ければ命が助かったとしてもその後の一生を半身、あるいは全身不随の障害を負うことになってしまう。ナオミ先生のナノマシンは、そこまでの負傷すらも治す能力を持っているというのか。

 

 しかも、そこへ加えてストレンジラブの高速修復材は、治療後のリハビリ期間を劇的に短縮できてしまう。仮に、今後この二つの技術が現代の世界に広く公開されたとしたらどうなるだろうか。医療という意味では人類にとって福音となるかもしれない、だが軍事面ではどうだろう。

 

 現代戦というものは国力の毟り合いだ。それは、必ずしも敵兵士の殺害を目的としない。敵を殺してしまえばそれだけで終わりだが、死なせずに重傷を負わせれば、その兵士を後方に移送させるために前線の兵数を減らさせ、治療と看護のために後方の物資、人手を割かせられる。そして、負傷した兵士は治療とリハビリを終えるまで当分の間戦場には戻ってこれない。だから、殺さない方がより効果的に相手方の国力を消耗させられるのだ。

 

 だが、この二つの技術はそのドクトリンを前提から覆してしまう。ナノマシンを注入された兵士は多少の負傷などその場で治癒して戦闘を続行し、後送されるほどの重傷を受けても高速修復材による治療を受けて短期間で前線に戻ってくる。このような技術が一般化した戦場で相手の国力を効果的に削るためには、敵兵士の確実な殺害が求められるようになってしまうのではないか? 俺の心中にふと浮かんだそんな危惧をよそに、叢雲は話を続けた。

 

「……そのために、私たち五人の中でも電だけはみんなの半分くらいしかザ・ボスの教えを受けられていないわ。あの海戦で私があんな馬鹿な真似さえしなければ、電があれほどひどい怪我を負うことはなかったかもしれない。もっと充分にボスの教えを受けられて、今よりもずっと強くなれていたかもしれない。それが私のせいだと思うと責任を感じてしまうのよ」

 

 皆の訓練の成績は俺も見せてもらっているが、たしかに電の成績は皆より少し劣るかもしれないと感じることはなくもない。もっとも、武装の扱いや航行についてはドベというわけでもない、その辺については最下位の五月雨よりは上手いと思う。元訓練教官の俺としては、むしろCQCばかりに偏りすぎている五月雨のほうが心配になるくらいだ。

 

「まあ、そこまで深く考えることはないさ。訓練中の負傷で部隊を長期離脱する兵士は珍しくない。そのまま転属するなりして帰ってこない者も少なくはないが、戻ってくる奴ならなんだかんだで必ず皆に追いついてくるものだ。教官だって、そういう奴には必ず目をかけてやるしな。ザ・ボスだってそうじゃなかったか?」

 

 俺がそう慰めると、叢雲は何事か得心がいったようで、少しは気が楽になった様子だった。

 

「そうね、そうかもしれないわ。あんたがここに来た日、みんなでCQCの組手をしたでしょう? あの時、順番は勝率の低い方からって電は言ってたけど、それは訓練を始めた最初からの成績であって、ごく最近の勝率に限れば電と私、あと漣なんかはさほどの差はないはずね。電は私たちに確実に追いついてきてる、いつまでも下だと見くびってはいられないわ」

「そうそう、その意気だ。あいつが追いついてくるってのなら、もう一度引き離してやるくらいの気持ちでやれよ」

「だったらたまには私たちの訓練にもつきあいなさいよ? 私はあんたにもまだリベンジできてないのよ」

 

 そんなことを言われると困ってしまう。叢雲の訓練につきあうのは異存ないが、叢雲と稽古をすると当然他のみんなとも組手をすることになる。他のみんなの相手も悪くはないが五月雨だけはダメだ、今度こそ俺の命がない気がする。

 

「五月雨だけ相手してやらないってのも仲間外れみたいで可哀想だしなぁ…… なあ、ザ・ボスはあの五月雨と組手をしていたんだろう? 一体どんな感じだったんだ」

 

 そう聞いてみたら、叢雲は当時を思い返して首をひねった。

 

「高度すぎて参考にならなかった、ってのが正直な感想ね。お互いあまり大きく動かないまま時間が過ぎて、ひと勝負つくまでには相当な時間がかかることが多かったわ。目線やわずかな動きだけで絶え間なくフェイントの応酬をしているんだろうなってくらいは想像できたんだけど、二人の間でどれだけのやりとりが交わされていたのかはほとんど理解できなかったもの」

 

 上級者同士の試合あるあるだなぁ…… これがわからずに、上級者といっても大したことないじゃんとか勘違いしてうかうかと挑んだりすると、手も足も出ずにボコられるか遊ばれるかどっちかなんだよ、ソースはMSFに加わったばかりの頃の俺だ。

 

 俺は白人の血が入ってるだけあって身体も大きくて、陸自時代の成績も上の方だったから格技には結構自信があったんだ。でもMSFで初めてCQCの稽古に参加した時は衝撃だったな、何もできないうちに転がされ絞められ極められて、今まで自分がやってきた訓練はなんだったんだって落ちこんだものだ。

 

 MSFじゃあ、俺は加入当初からいきなりスネークの副官的な地位に置かれていた。というのも、当時のMSFはまだまだ人が足りなくて、なにより銭勘定のできる奴が俺の他にほぼいなかったんだ。スネークは金にはまったく頓着しない性質だったし、他の奴らだって似たようなものだ、それどころか四則演算すら覚束ないやつも少なくなかった。

 

 そんななかでいきなり部隊の幹事を丸投げされた俺は最初から多忙だったが、それでもスネークの副官が隊内最弱じゃ格好がつかないってんで、事務仕事の傍ら熱心に稽古を積んだ。スネークだけじゃなく、皆にも頭を下げて必死で教えを請うたもんだったなぁ。

 

 その甲斐あってか、まあコスタリカに流れ着く頃にはなんとか皆に伍することができるくらいには上達はしたよ、成せば成るってものだ。それでもスネークからはとうとう一本たりとも取れずじまいだったな、もっともそれは他の仲間たちも一緒だった。

 

 伝説の兵士、ネイキッド・スネーク。ザ・ボスを越えるボス、ビッグボスの称号を持つ男。彼は俺たちとはものが違う、兵士たちは誰もが彼には敵わないと、それで当然であると理解していた。

 

 だが、そんなスネークですら内心では常に悩んでいた、自分は本当にザ・ボスを越えたと言えるのかと。だから、あいつは長いこと自ら進んでビッグボスを名乗ることはなかった。ザ・ボスの遺志と訣別し、自らの意思で世界と戦うことを決意するまでは。

 

 かようにザ・ボスの大きさと、彼女を喪った空洞はその死後も長年多くの人々を苦しめた。スネーク、ゼロ、ストレンジラブ。対して俺は伝聞でしかザ・ボスを知らない、だからある意味ではその苦しみに他人事でいられたとも言える。それでも一目会ってみたかったものだ、この島で子供たちを鍛え、去った後も今でも慕われ続けているザ・ボスに。

 

「それにしても急造の砲架で試射もなしに一発必中とはな、こんな感想を抱くのももう何度目かな。話だけ聞いてると、ザ・ボスってつくづく何者だったんだろうな」

 

 それはそれとしてさ、なにやらせてもだいたい上手くこなすとか、伝説の兵士ってちょっとズルくない? その弟子スネークを何年も身近で見てきた凡人代表俺としても、不平不満を抱いた憶えは数限りなくある。

 

 どれだけ努力を重ねようとも絶対追いつけない相手がいる、そう悟った時凡人にできることは多くない。相手を神のように崇拝するか、悪魔のように憎悪するか、なにもかも忘れて逃げ出すかだ。

 

 しかし、戦場でしか生きられないと信じていた俺にとって、逃げるという選択肢はなかった。しかも、俺はスネークに見こまれ、ほぼ無理矢理に部下にされてしまった。

 

 それでも、彼の副官として戦った数年間は実に居心地がよかった。俺は自分の利益のために彼を利用していたのも確かだが、人生を傾けて彼に尽くしたことに間違いはなかった。俺はいつしか心からスネーク、ビッグボスを尊崇し、彼のために己自身の手脚も眼も捧げた。

 

 それなのに、あいつは俺たちを囮にして、地下に潜って新たな組織づくりを始めた。裏切られた、捨てられたと思った。崇拝は裏返って憎悪と化した、当時の俺はそう信じていた。それから数年、俺は家庭を持ったことを理由にダイヤモンドドッグズを離れた。その後は各国の特殊部隊で教官を歴任して、やがてアメリカに舞い戻りFOXHOUNDの司令官に再任していたスネークの部下に収まった。

 

 スネークは再会を喜んでくれたが、その頃の俺はすでにある後ろめたい計画を胸中に秘めていた。スネークの理想はいずれアメリカと、アメリカを陰で牛耳るサイファーと衝突することは避けられない。その時に備えて、いずれはスネークに差し向ける刺客を育て上げる。他ならぬスネーク自身の足下でだ。

 

 

「あぁ〜、思えばつまらん事をしたもんだ俺は」

 

 最初はザ・ボスのことを考えていたはずなのに、つい変なスイッチが入って気がつけばスネークのことばかりを考えている。すぐそばで叢雲が見ているのも忘れて、俺は覚えずして頭を抱えて呻いてしまった。

 

「……いきなりなんの話!?」

 

 しまった、叢雲が全力でドン引きしている。だが歳を取るたびになぁ、老い先が短いのに反比例するように取り返しのつかない過去ばかりが増えていくんだ。それを思うと嘆きたくなる気持ちを抑止できないんだよ、どうか勘弁してくれ。

 

「なあ叢雲、君は戦友を裏切らなかった。自分のせいで重傷を負った電を死なせないために自らを囮にした。自分の命すら危うい状況でそれはなかなかできることじゃない、少なくとも俺にはできなかったことなんだ」

 

 省みれば、俺の人生は裏切りばかりだった。横須賀でのケチな暮らしから抜け出したくて、母を捨てて一人でアメリカへ渡った。コロンビアでの初めての実戦では、自分が生き残りたくて教え子に囮役を強要した。MSFでは、組織拡大のために影でサイファーの手を握っていた。FOXHOUNDでは、スネークを討つためにデイビッドを育てた。

 

 なにもかもを裏切り続けて、結局俺が得たものはアラスカでの寂しい暮らしだった。デカい屋敷も建てた、金もそれなりに貯めこんだ、だが妻は俺から去っていってしまった。娘は、キャサリーは俺の元に残ってはくれたが、彼女のこの先の人生を思えば、あの子をいつまでも雪に埋もれさせていくわけにはいかなかっただろう。そして、そんなささやかな暮らしすらも、あの日の襲撃によってすべて喪われた。わかってはいたんだ、あの残忍な連中がキャサリーを見逃す可能性など万に一つもない。眠らされて頭をブチ抜かれた俺と同じように、最期は屋敷と一緒に灰になったのだろう。

 

 もし俺がこの島をどうにかして逃げ出してアラスカに帰ったとしても、きっとそこにキャサリーはいない。これは、人を裏切り続けて生きてきた俺に対する罰だ。

 

 しかし、これは同時に贖罪のチャンスを与えられたのだとも言える。ハジメさんは俺に約束してくれた、価値ある未来を与えると。その条件は、おそらくこの島の少女たちの願いをかなえること、彼女らを助けて日本に行かせてやることだ。俺がキャサリーを取り戻すためには、この約束は決して裏切れない。

 

「ちょっとカズ、人の話を聞いてるの?」

 

 いきなり叢雲が困惑げに声を荒げて、俺は反射的に彼女に向き直った。

 

「人に話を振っておいて、返事も聞かずに一人でブツブツと…… まあそれはいいわ、少し気にかかってたんだけど、スネークって誰? あんたのなに?」

「……声に出てたか?」

「あんたが昔を思い返して黙りこむ時にはたいてい、今の話だけじゃなくてね」

 

 エッ、今まで何度もそんな風になってたのか俺。

 

「その名は私たちも前々から幾度かは博士の口から聞いたことがあったわ。博士やあんたがいたっていうMSFの総司令官で、ザ・ボスの最後の弟子だったっていう人よね? 私たちにとってはいわば兄弟子ね」

 

 しかもストレンジラブからスネークの人となりをほぼ知られてるうぅ〜。この子たちの中で俺の評価がどうなってるのか心配になってしまう。

 

「まあ、大筋ではおまえが聞いてる通りだよ。十代で渡米した俺は、アメリカで大学を出たあと日本に帰国した。立派になった姿をお袋に見せてやるつもりだった、故郷に錦を飾ってみせたつもりだったんだ。しかし、お袋の病気は悪化していて、その頃にはもう俺のこともわからなくなっていた」

 

 戦後すぐ娼婦だった頃に罹患し、充分に完治していなかった梅毒が脳まで周ってしまっていたがための結果だったのだが、具体的な病名は若い女の子に告げるには少々はばかられたので伏せた。

 

「俺はお袋の入院費のために自衛隊に奉職した、生活費がほぼかからないって聞いたからな。しかし、二年後には治療の甲斐なくお袋は死んだ。それでもう日本にいる理由もなくなってな、俺は自衛隊を辞めて再度渡米したが、その頃には親父もまたすでに墓の下だった。俺は放浪するうちにやがて中南米に流れ着き、自衛隊での経験を活かしてコロンビアで反政府軍の訓練教官に雇われた」

「ふーん、やるじゃない。でも、その頃のあんたってまだ実戦経験はなかったんじゃないの?」

 

 俺がここにきた日に皆にざっくりと説明していたことを、今日はもう少し詳細に踏みこんで話したのだが、痛いところにすぐ気づかれてしまったな。

 

「ああ、まったくもって仰る通りで、移動中に敵の待ち伏せを受けた部隊は俺一人を残して全滅させられた。重傷を負った俺を捕らえた敵方の指揮官がスネークだった」

「スネークは元来米陸軍のとある特殊部隊の出身だったが、あるミッションでザ・ボスと死別したのがきっかけで正規軍を離れ、その頃はMSFの前身といえる小さな傭兵部隊を率いてコロンビアの政府軍に雇われていた。 ……なぁ叢雲、ちょっと話は変わるが君らはこの島でザ・ボスと暮らしていたんだろう? 彼女の過去についてはなにか聞いていないのか」

「私たちもあまり聞いていないわ、知っているのは第二次世界大戦の時には西部戦線で小隊を率いて戦っていたってことくらい。詳しいことを尋ねても軍機を理由に答えてはくれなかったし、あまり深く聞かれたくなさそうだったの。いつかは聞かせてくれるかと期待していたけれど、あの日突然ザ・ボスが旅立ってしまってそれっきりよ」

 

 叢雲は残念そうにかぶりを振った。そうか、いやそうだろうな。俺はザ・ボスとの縁はこの子たちよりも薄いくらいだが、彼女が自らの戦功を軽々しく吹聴するような人物ではなかったくらいのことはわかる。

 

「詳しい経緯は俺からも言えん、彼女らの気持ちを慮れば、本来なら俺なんかがベラベラ喋っていいことじゃないんだ。それを承知して聞いてほしい」

 

 叢雲は神妙な顔で黙って聞いていた。

 

「ザ・ボスは忠を尽くした人だ。任務のために、自らの夫も、子供も、健康も、すべて捧げた。最期のミッションでは、ある情報を入手するために祖国を裏切ったふりをして、最愛の弟子だったスネークの手で討たれた。そうしなければ米ソ間の核戦争を引き起こしかねない、ギリギリの選択だった」

「だがな、そもそも彼女をここまで追いこんだ責任は他の連中にあった。政治屋の勝手な都合、諜報機関の怠慢と不正。そんなものの尻拭いのために、彼女は名誉と命すら奪われて、奴らの悪行の責任まで押しつけられた」

 

 叢雲は俯いて何事か考えこんでいるようだった。太平洋戦争で沈んだ駆逐艦の生まれ変わりというのを信じるのならば、この子たちの前世もまたザ・ボスと同じように国家と、その傘下に隠れたつまらない奴らの不始末のために死んだのだと言えなくもないかもしれない。

 

「ならばザ・ボスはいったいなにに忠を尽くしたのか? 近しい人々のためじゃない、祖国アメリカに限られたものでもない、きっとそれはもっと大きなものだった。しかし、それゆえに彼女の横死は多くの人間の人生を狂わせた。君らがよく知るストレンジラブもその一人、だが彼女よりなお深く傷ついて、誰よりも狂った二人の男がいた。スネークはその片割れだったよ」

 

 叢雲は黙ったままじっと俺を見つめて話を聞いていた。

 

「一人の人間として大事ななにもかもを捧げて世界に尽くしたザ・ボスをアメリカは使い捨てにした。それを目の当たりにしたスネークの心中には、国家というものに対する深い不信が根づいた。スネークはザ・ボスとは違う生き方を求めた、戦うことしかできない奴らがザ・ボスのように理不尽に擂り潰されない世界を望んだ。そうして結成されたのが『国境なき軍隊』MSFだった」

「俺たちは国家や誰かの道具じゃない、国や政治の都合には縛られない。戦うことしかできない奴らの集まりだったが、自分の意志で、自分のために、俺たちの力を求める場所で戦う。言うなればそれが国是だった」

「しかし、いくら小さな国家を気取ったところで、たった300人の傭兵部隊が世界から独立を保つためには力が必要だった。 ……スネークは、いや俺たちはその力を核兵器に求めた」

 

 俺をじっと見つめる叢雲の眼に非難の色が浮かんでいる気がした。

 

「コスタリカでの戦いを経て、俺たちは核の力を我が物にした。自らの脚で悪路を走破し、世界のどこからでも核を撃てる独立した二足歩行戦車。俺たちはそれをメタルギアと呼んだ」

「『金属の歯車(メタルギア)』?」

「歩兵と戦車を繋ぐミッシングリンク、そもそもはソ連の科学者の発案したコンセプトだそうだ」

 

 シャゴホッド、RAXA、弾道メタルギア、ピースウォーカー。かつて多くの核搭載戦車が造られていったが、グラーニンの遺した二足歩行というコンセプトは俺たちのZEKEが初めて実現した。

 

「だがな、俺たちのメタルギアは敵の策略であっという間に海の藻屑となった。そもそも、核の一発や二発を持ったところで、それだけではせいぜい一時的な脅しの道具にしかならん。真に必要なのは何百何千という核兵器を保有し、運用できるだけの国力なんだ。独立を守る力というのはそういうもので、それはいち傭兵組織にはどだい無理なことだったんだよ」

「つまり、あんたはそれで懲りたということね」

「そういうことだ、だがスネークは諦めなかった。表向きは米軍に復帰しながらも、裏では所を変え、品を変え、密かにメタルギアを造り続けた」

「俺はもうスネークにはついていけなかった、これ以上世界にケンカを売り続けるのは真っ平だった。俺はスネークの下につきながらも、あいつを倒すための刺客を育てることにしたんだ」

「……そうして'99年、ザンジバーランドでついにスネークは討たれた。討ったのは俺の教え子で、あいつの息子だった」

「俺は平和を守るという大義名分のもとに、実の親子を食い合わせる非道をした。どちらも俺にとって大事な人間であったにもかかわらず、実のところは俺自身の保身のためにだ。俺は人生に絶望し、軍を辞めてアラスカに引きこもった。あとはかねてから話していた通りだよ」

「……スネークさんのことが好きだったの?」

 

 長い打ち明け話をほとんど口も挟まずに聴いてくれた叢雲が、不意にそんなことを訊いてきた。懺悔を終えたようにすっきりしていた俺は、素直な本音で答えることができた。

 

「ああ、好きだったよ。あいつが隊長で、俺が副官で…… 気のいい仲間達と一緒に、傭兵稼業で大儲けして面白おかしく暮らしたかった、ビッグになって俺を蔑んだ奴らを見返してやりたかった、俺は本当にそれだけでよかったんだ。だけどあいつはそうじゃなかった、ザ・ボスを亡くした痛みを忘れて、そんな脳天気な生き方ができる奴じゃなかった。だから、上手くいかないのは無理もないことだったのさ」

 

 そこまで話して、俺は背後の三和土にゴロリと転がった。こんな話は、これまで家族にだって打ち明けられなかったことだ。長年の鬱屈した思いを言葉に出して、なにか解放されたような気分だった。寝転がって上を向くと、スカートを押さえる漣と目が合った。

 

「カズ様のエッチ。何度漣のパンツを覗きたいんですか」

「なんだ漣、随分長い便所だと思ってたら、立ち聞きとは趣味が悪いな」

 

 俺は不覚にも漣の気配にはまったく気付けていなかった。俺は漣の茶化しを無視して言い返したが、漣はニッカリ笑ってサムズアップを出して見せながらぬけぬけと答えた。

 

「男同士のドロドロ愛憎劇とか、小官大好きでありますゆえな」

 

 なんで若い女子って男同士が絡み合う話が好きなんだろうなぁ〜。うちの娘だってそういう本をクローゼットの奥に隠しているのを俺は知っている、知ってはいるがそれは踏みこんではならない淑女たちの秘密のお楽しみであろうと配慮して知らん顔を決めこんでいるんだ。だから堅気を相手にそういう話をぶっちゃけるのはよしてもらいたい、大事なのはゾーニングだ。そうだろう?

 

 呑気に寝転ぶ気分も失せて起き上がると、ロビーから皆がひょっこり顔を出した。五月雨だけでなく、哨戒に出ていた電と吹雪もいつのまにか戻っていたようだ。帰還報告もそこそこに電が叢雲の拘束を解いてやると、叢雲は俺に目を向けて耳元の電探を指先でトントン叩いて示した。お、俺の話は全員に筒抜けか! 女子の間で噂が広まるのは早いというのはわかっちゃいたが、話すそばからリアルタイムで共有されてたとかそりゃあんまりだろう? 別に今さら聞かれて困ることなどないのだが、皆の前で過去バナしてたと思うととてつもなくこっ恥ずかしい。

 

 まるで苦虫を長靴一杯食わされた気分でロビーに戻ったが、皆が俺の話を立ち聞きしている間に、五月雨が用意してくれた朝飯は全部ヘルダイバーちゃんと仲間の艦載機妖精さんたちによって完食済みだった。食べかけだった五月雨と漣の分までもだ、二年間絶食だったとはいえこのいやしんぼ妖精どもめ!?

 

「……冷凍うどんでも茹でるか、みんな一玉ずつでいいか?」

 

 皆が同意したので俺はキッチンに向かった。お粥の詰まった水風船と化した妖精さんたちも手を挙げていたが、もちろん彼女らの分はなしだ。

 

 




 二か月ぶりのご無沙汰でした、グラサン提督第二十二話をお届けします。

 現在開催中の夏・初秋イベは、弊鎮守府では現在乙乙丙でE3を始めたばかりのところで、新艦娘はウクルチャンだけ確保済みという状況です。夏雲はE2で出なかったので今後のE3に期待したい。

 今回のお話は、前回語った電の負傷の顛末と、カズの過去話の補足です。歳を取ったカズがスネークとの軋轢をどう飲みこんだのかが書きたかった。

 そろそろ島からの脱出に向けて準備を始めたい。だが細かい所はノープランだ、なんとかカズに知恵を絞ってもらわなきゃ……

 それでは、また次回に。


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第二十三話 バードメン

「……悪いナ、それロンだ」

 

 対面がおそるおそる八萬を切り出した指が離れた瞬間、俺はつとめて平静を装いながら和了を宣言して静かに手牌を倒した。南四局、ラス親の俺はトップを20000点あまりの差で追う最下位だった。まったくツイてない俺だったが、最後の最後に逆転のチャンスをものにしてやったぜ。メンホンイッツー中ドラドラで親の倍満、アガり止めありのルールだから今回は俺のトップで半荘終了だな。

 

『ごぶれい、あたまはねよ。ぴんふどらいちで2000てん』

 

 勝利を確信して浮かれた俺をよそに、遅れて上家のヘルダイバーちゃんが手牌を倒した。 …………何……だと…… 俺のトップ目が…… 消えた……?

 

『はぁい、これでわたしがとっぷのままげーむせっとねー。それじゃはにー、あなたのまけぶんはいくらになったかな?』

 

 ひ、ヒリヒリするぜ…… だがここは決して新宿の高レート雀荘でも闇のマンション麻雀でもない。まぎれもなく南の海に浮かぶ小さな島の小さな泊地で間借りしている俺の部屋なのだが、棟梁の提供によって麻雀卓が持ちこまれた結果、なんだか麻雀飛翔伝だか麻雀破壊神めいたアトモスフィアを醸し出してしまっている。

 

 俺と卓を囲んでいるのは、先日二年ぶりに倉庫から救助された艦載機妖精さんたちだ。上家がおなじみヘルダイバーちゃん、対面が零式艦上戦闘機21型ことおにいちゃん、ちなみに彼女も他の妖精さん同様女の子であるそうだが、021なのでおにいちゃんだ。そして下家が天山さん、天さんと呼ぶことにした。なお眼が三つあったりはしない。

 

 先日までの倉庫漁りで艦載機妖精さんが多数復帰したことにより、以前から俺がぼんやり考えていた計画に具体性が増した。駆逐艦の子供たちがたった五人しかいないこれまでの体制では、島に最低限の防衛戦力を残して日に数度近場を哨戒するだけで手一杯だった。このありさまでは、来るべき日の日本行きを期して全員参加での艦隊行動演習を行うなどいつまでたっても夢のまた夢だ。

 

 しかし、航空戦力を充実させることで子供たちの負担を大きく軽減できるのではないかと俺は考えた。彼女らが交代で日に三回行っている哨戒をかわりに偵察機に行ってもらい、はぐれ程度の小規模な敵なら迎撃隊を出して片付けてもらう。そうすれば彼女らは訓練に集中できるだろう。

 

 無論この島に肝心の艦載機を扱える空母はいないのだが、なにも空母がいなければ飛行機は飛び立てないわけではない。空母の代わりに基地航空隊を創設すればいいのだ。

 

 そこへ向けての具体的なロードマップを描くために、まずはこの島では数少ない航空戦力の専門家である艦載機妖精さんたちから意見を聞くつもりだった。本当に最初はそういうマジメな話だったんだ。それがどうしてこんな鉄火場になってしまったんだろう…… 俺は午前中に皆を集めてプレゼンをかけるまでのことを思い出していた。

 

 

 俺がヘルダイバーちゃんたち艦載機妖精さんの一群と出会ったのが昨日の朝で、明けて今朝も叢雲と五月雨が当番で哨戒に出かけていった。俺は二人を見送り、朝食のあと工廠妖精のハジメさんを連れて島の散歩に出かけた。

 

『かずさんからでーとのおさそいとはうれしいですね』

 

 デートというか、俺の感覚的にはむしろ犬の散歩に近いのだが、ハジメさんが喜んでいるので水は差さずにおく。工廠をまとめるハジメさんに頼まなくてはならないことがあるのだ。

 

「ちょっとな、今後のことで相談があったんだよ」

『こどもはふたりほしいです』

「そうじゃねぇって」

『しきはちゃぺるがいいです』

「なんでやねん」

 

 どうも皆忘れてしまっているようだが、杉田いや姿こそ若返っちゃいても、俺は歴とした妻子持ちでおまけに実年齢は五十八歳だ。もう若い頃みたいにプレイボーイを気取る歳でもないんだ。

 

 だが、この身体になってはや何週間か、若く健全な成年…… いや青年の肉体はその、なんだ、言いにくいが色々ともてあますんだよ。最初のうちこそ毎朝目覚めてはマイサンの高角砲ぶりに『今日も元気だな!』なーんて余裕あるジョークを飛ばしちゃいたが、マイサンを発散する余地のない生活が続けばそれはほぼ苦痛の種でしかない。

 

 それなのにこの島ときたら、俺以外は全員瑞々しいにも程がある美少女揃いときた。しかも幾人かはやたらに隙が多い、ふとしたきっかけでいろんなところがチラチラ垣間見えてしまう。さらに男と女という自覚が未熟なのか、スキンシップにも躊躇がない。

 

 あの子たちは、魂はともかく見てくれはうちのキャサリーよりもまだ子供であるくらいなんだ、断じて手を出してしまってはならないんだ。けど柔らかくて温かくていい匂いが日々俺を苛む。今はまだ大人の節度を保って彼女たちに接することができているが、理性の限界が来た時俺は社会か物理かその両方かで死ぬ。

 

 そうなる前にある種の自己研鑽をもって解決を考えたことはなくもないが、実行しようにもこの島で俺が一人になれるチャンスはほぼ皆無だ。男子トイレに籠ったって妖精さんとかは構わず入りこんでくるのは、先日のヘルダイバーちゃんとの出会いで証明済みだ。

 

「妖精さんにも穴はあるんだよな……」

『……? なんですかかずさん、このはじめにおちどでも?』

 

 いやなんでもない、というか何を口走っているんだ俺。こんな時は家族の顔を思い出すんだ、親父の顔、お袋の顔…… 最近はもうはっきり思い出せなくなってきたなぁ。妻の顔、キャサリー…… こっちはまだはっきりと思い出せるぞ。でもなんでだろう、妻の顔を思い出すときには喉元に突きつけられたナイフの冷たい輝きがセットでついてくるんだ。

 

『どうやらかずさんはしょうしょうこころがおつかれのごようす、それではちょっとおもしろいところにごあんないしましょうか』

 

 そう言ってハジメさんが手を引っ張るので、俺は促されるままにハジメさんについて行った。

 

 

 ハジメさんに連れていかれたのは子供たちが寝起きしている寄宿棟の裏手で、そこはわずかな下草が生えているだけの空き地だった。広さはまあ、小学生なら草野球ができる程度か。隅の方にはなんに使うものなのか、人が入れるほどの土管が三本積み上げられている。どこかで見たような既視感すらおぼえる、なんの変哲もないステレオタイプ的な空き地オブ空き地だ。

 

『おひゃくしょーさんごっこするものこのゆびとーまれ!』

 

 空き地の真ん中でハジメさんが指を振りかざすと、周りの草むらや藪の陰からわらわらと妖精さんが集まってきた。妖精さんたちは皆いろんな時代の農家とおぼしき格好をして、手には鍬やら鎌やら思い思いの農具を持っていた。

 

 いったい何が始まるのかと見守っていると、彼女らは草を刈り、石をどけ、土を耕し畦道を作り、みるみるうちに数坪くらいの小さな水田を開墾していった。誰かが掘った井戸から水を引き、どこからともなく持ちこんできた苗を植え、苗はビデオの早回しのようにあっという間に育って気がつくと黄金色の稲穂が首を垂れていたのだった。

 

「ま、まるで魔法のようだクォレハ……」

 

 思わず感嘆の声をもらしたところで、妖精の群れに混じっていたハジメさんと棟梁が声を合わせてなんか可愛いポーズを決めた。

 

『『てじなーにゃ!』』

 

 いやどう見ても手品じゃないだろこれ、でも可愛いから許してしまうけどな。

 

 俺がここに来てもう何ヶ月過ぎたろうか。謎の怪物が跋扈する海を越えて、この島に輸送船などが訪れたことは言うまでもなく一度もない。それなのにここの住人が食料不足に悩まなくてすんでいるのには、こういうカラクリがあったのか。

 

 たとえば俺のハンバーガーは子供たちに気に入られたらしく、リクエストに応じて作ることはこれまでに何度もあった。それに必要となる新鮮なレタスやトマト、タマネギにジャガイモといった野菜、またフカフカのバンズやピクルスといった加工食品そして調味料なんかは、こうして妖精さんたちが用意してくれていたというわけだ。

 

「ありがとう妖精さん、みんなこうやって俺たちを食わせてくれてたんだな。心から感謝するよ」

『おやすいごようでさぁ』

『そのかわりわたしたちにもまいにちおいしいごはんをくわせてくださいな』

 

 いいですとも! と妖精さんたちとの種族を越えた友情を再確認したところでふと俺は気づいてしまったのだが、植物性の食材はこうして作るとしても、肉や卵、はたまた牛乳やチーズといった動物性食材はどうやって用意してるんだろう? そこをハジメさんに尋ねてみた。

 

『うふふ』

 

 あ、あれ? 妖精さんナンデ? なんか意味ありげなその含み笑いはナンデ!? 一気に不穏な雰囲気が広がったところで、どこからともなく寂しげなギターの調べが流れ出した。この曲は『ドナドナ』か!?

 

 ギターに合わせて歌う妖精さんの群れをかきわけて進み出たのは天さんの曳く荷車だ、そして荷台には牛の着ぐるみを着て手足を縛られたヘルダイバーちゃんが載せられていた。

 

 呆然と見送る俺をよそに、ドナドナを歌う妖精たちを葬列のように引き連れて荷車は空き地の隅、土管へと向かった。ちょっとこれヤバい展開じゃないのか!? 俺は荷車を止めようと走り出して、不意にすっ転んだ。俺の足下でブーツが『ガリバー旅行記』さながらに地面に繋がれていた。

 

 だがこんなもんで俺が止められるものか。クロス・アウッ!(脱靴) 御大層に叫んではみたが、その実はブーツのジッパーを下げて足を抜いただけのことだ。靴下裸足で空き地を駆ける、痛って小石踏んだァ! ケンケンで数歩進んでバランスを崩しつんのめる、妖精さんの葬列が悲鳴をあげて散った。だがこのカズヒラ・ミラーただでは転ばん、転んでもただでは起きぬ、媚びぬ、省みぬ! とっさのローリングで距離を稼ぎ、そのまま匍匐前進に移行して荷車に手を伸ばす。

 

『とめてはなりませぬ』

『でんちゅーでござる』

『われわれはいのちをいただいていきておるのです』

『いきもののごうからめをそらしてはなりませぬ』

 

 散っていた妖精さんがすぐさま戻ってきて俺のズボンを掴み、荷車を止めるのを阻止しようとしてきた。小さい妖精さんとはいえ何十人とたかられれば結構な重さだ、しかしこれくらいではまだ諦めんぞ! 俺はズボンのベルトに手をかけ再度クロス・アウッ!(脱衣)

 

 ふははは、なにを隠そう俺たちMSFは服を脱いだら動きが速くなるのだ! 「裸」は素早いんだぜ、パワー全開だぁ〜〜! ビキニパンツと靴下のみのほぼ全裸でなおも荷車を追う、捕った! 俺はいよいよ勝利を確信してヘッドスライディングで荷車に飛びかかった。

 

「人んちの裏でなに騒いでやがるのです!?」

 

 その瞬間電の怒声とともに飛んできたなにかが俺の顔面にジャストミート、痛アツゥイなぁにこれぇ!? 悲鳴をあげた拍子にとろける甘さが口中に拡がる、これは砂糖たっぷりのホットミルクじゃないか?

 

 我らがMSFの誇るほぼフル・モンティスタイルは、速度が上がるかわりに防御力は紙だ、あと持てる装備数も少ない。熱々のホットミルクを大きめのマグカップごとぶつけられては、さしもの俺もたまらず地べたをのたうち回った。パンイチの上に全身ミルクまみれで転がる姿は、ちょっとセンシティブすぎて家族には見せられない。しかもその隙に荷車は土管に入っていってしまった。すまないヘルダイバーちゃん、マモレナカッタ……

 

 荷車が土管を潜り出てきたとき、荷台に乗せられていたのはパック詰めされた食肉だった。アメリカ産牛肉肩ロース切り落とし(大)100gあたり194円、リアルにちょっとお値打ちな価格設定が生々しい。

 

 物言わぬ食肉のパックを前に、俺は先日叢雲が漣に仕掛けた唐揚げのイタズラや、皆のために作ったハンバーガーのことを思い返していた。あれも、あれも、本当は鶏や牛ではなく妖精さんたちだったというのか?

 

 せっかく友達になれたというのに、知らず知らずのうちにこんな形でお別れをしていたなんて、こんなに…… こんなに悲しいのなら、苦しいのなら、肉などいらぬ! 俺は今日からベジタリアンになるぞ! 震える手で拾い上げた牛肉のパックを抱きしめて慟哭しながら、俺は助けられなかった戦友の御霊に誓うのだった。

 

『へいへい、はにー? なにをないているの?』

 

 かけられた声に振り返れば、そこには普通にヘルダイバーちゃんがいた。ヘルダイバーちゃん生きとったんかワレ!

 

『きぐるみをぬいだだけよー?』

 

 なるほど、荷台の上では牛の着ぐるみを着ていたのに、今の衣装はなんかエグい面積の牛柄ビキニに変わっていた。ともだちなのに、おいしそう(無論性的な意味で)いやそうじゃねえって。

 

 

 南の島のデカいアリにたかられた状態での電のお説教の後、シャワーを浴びてロビーに戻ると、そこでは漣がスマホを眺めていた。なにを見てるのかと思ったら、先程の騒ぎの一部始終はこっそりバッチリ動画に撮られていたのだった。もちろんすぐ消すように求めたが、絶対にノゥ! と一言のもとに却下された。ぐぬぬ、こいついつか必ずひどい目に遭わす。

 

「カズ様」

 

 不意に漣が俺を呼んだ、いつになく真面目なトーンだった。

 

「妖精さんの仕事というのはですね、ぶっちゃけて言うとアレ全部ごっこ遊びなんですよ」

「ごっこ遊び?」

「お百姓さんごっこに肉屋さんごっこ、着ぐるみを本物の牛に見立てて、でも結果だけは本物のお肉になっちゃうんです。不思議でしょ? 多分それが妖精さんの力の肝なんです」

 

 俺がさっき見せられたものがまさにそうだった。牛肉のこともそうだが、空き地のうちわずか数坪の土地が瞬く間に水田と化して稲穂が実った。騒ぎのあとで気づけば刈り入れも終わっていて、一俵の新米が倉庫に運ばれていった。

 

 米の収穫量というのは、水田一反(300坪)で九俵(540kg)できれば上々であるという。普通に考えるなら、先程の狭い田んぼでは数キロの米ができれば御の字だ。単位面積あたりの収穫量だけで見ても十倍以上の高効率、おまけに開墾から収穫まで十分もかかっちゃいないし、コストは多分タダだ。こんなものが広まったら、日本のコメ農家はみんな廃業になってしまうだろうな。

 

「……カズ様はお気楽ですなぁ」

 

 俺がそんな感想を語ると、漣は呆れ顔でクソデカ溜息をついた。

 

「誰がお気楽だ、これがとんでもなく危険な技術になりかねないってことは理解しているつもりだが?」

「だってカズ様まるで他人事みたいに言ってますけど、お忘れですか? 漣たちもカズ様も、もしかしなくても妖精さんの産物みたいなものでしょう」

 

 ロビーにしばらく沈黙が流れた。そうだった、ここで暮らすうちにいつしか気にしなくなってしまっていたが、元々五十八歳だった俺が三十年分も若返ってアラスカから遠く離れたこの謎の島にいるのも、ここで出会った帝国海軍の駆逐艦の魂を継ぐ少女たちも、どちらにしてもまったくもって荒唐無稽な理外の存在、つまりは妖精さんのしわざなのだ。

 

「妖精さんの遊びに漣たちやカズ様の全存在が依存してるんです、それってとても怖くないですか? 妖精さんが遊びに飽きたら、もしかしたらこの島も私たちもなにもかも、泡になって消えてしまうんじゃないかって何度も考えました」

 

 漣は珍しく意気消沈しているようだ。何十年も前に沈んだ駆逐艦と、そしてたぶんアラスカの自宅で死んだ俺。今ここにいる俺たちは夢か、それとも死んだ俺が夢でここにいる俺が本物か? 中国にそんな故事があったな、胡蝶の夢だったか? でもどちらかといえば一炊の夢らしいところもある、この長い長い夢は、アラスカで死に瀕し倒れ伏す俺が見ている末期の夢かもしれないのだ。

 

「だからどうした」

 

 俺の強い語調に漣は目を丸くして顔を上げたが、これは別に漣にばかり言っているわけじゃなくて、自分自身に言い聞かせる言葉だった。

 

「この島の暮らしが夢だとか、考えこんで立ち止まるくらいなら俺は走るぞ。これが夢だろうが現実だろうが、俺は俺の行きたいところへ向かう。俺はおまえたちを全員日本に連れていくし、そしたら妖精さんの力でもう一度家族のもとへ帰るんだ。妖精さんは俺に約束したんだからな、価値ある未来を与えるとなぁ。俺は傭兵なんだ、命を張った代金はなにがなんでもきっちり取り立てるんだぜ」

 

 俺は漣の前で胸を張って笑って見せた。でも妖精さん相手にどうやって確実に取り立てるか、そいつは生憎ノープランだ。だが俺の基本方針はどこにいようと変わらん、まずは目の前の仕事をひとつひとつ片付けることからだ。

 

「よっし、まずは妖精さんとお話しだな」

 

 さっきはうやむやになってしまったが、艦載機妖精さんと、さっき見事な水田を作った妖精さん、あの子たちを集めてもう一度相談をしなくてはならん。航空隊を作るにあたっては彼女らの協力が不可欠だ。そして設置に適した用地の確保、必要な機体の選定、搭乗者の養成や運営にかかるであろうコストの算出。コストと言っても、この島では金の心配だけはする必要がない。ただし、これまで説明する機会がなかったことだが、もし兵器を運用しようとするならば、燃料・弾薬・鉄鋼・ボーキサイトの四資源といくらかのその他資材を必要とするのだ。

 

 これらの資源の多くは、実を言えばこの島のあちこちで妖精さんが採掘して得ている。ただ、それだけでは不充分とみた妖精さんたちはこの島周辺海域のあちこちにも出張していて、五月雨作成の海図にはその位置が緑の丸で示されている。子供たちが日に何度もせっせと繰り返している哨戒には、それらのポイントを周って資源を回収してくる仕事も含まれている。

 

 そして、この島に貯えられた資源の管理責任者は誰あろう電である。俺は妖精さんたちと折衝して基地航空隊開設の計画をまとめ、皆にプレゼンをかけた上で電の決済をもらわねばならない。あっ、なんだかだんだん気が重くなってきたような……

 

 

 空き地に戻る途中、今度は牛乳パックを積んだ荷車とすれ違った。乳搾りをしていたのか? さっきの牛柄ビキニ姿のヘルダイバーちゃんをふと思い出して、見たかったような見なくてよかったようなちょっと複雑な気分だった。空き地には主だった妖精さんたちがまだ残っていた。皆に声をかけて、俺は自らの大まかな計画を打ち明け意見を求めてみた。

 

 その時に、田んぼを作っていた妖精さんたちのリーダーを紹介された。さっきは農家のような格好だったが、今は黄色いヘルメットに作業着と、ハジメさんとよく似た服装をしていた。鶴嘴を肩に担いだ、二本垂らした三つ編みお下げがチャームポイントの妖精さんだ。本業は設営隊妖精さんらしいから、この子のことは今後は監督と呼ぶことにした。

 

『おはなしはよくわかりました。きちこうくうたい、じつにけっこうではありませんか。きょうりょくはおしみません、ぜひやりましょう』

 

 監督の反応は良好だった。泊地の防衛がうまくいっていて施設に被害を受けることもなくなった今、設営隊は仕事に飢えていた。それだけでなく、航空隊の搭乗員を募ることで妖精さんの雇用を増やせるのもありがたいと喜んでくれていた。なんだか自分が村おこしでも始めているような気になってきた。

 

『それでは、こうくうたいをどこへせっちしましょう?』

 

 この空き地じゃいかんのか? と聞いてみたが、この謎の土管が三本置かれた空き地はこの島の妖精さんたちにとって侵すべからざる聖域、大事な遊び場だそうだ。その聖域に常設の航空基地を造ってしまっては、今後の食糧生産にも悪影響を及ぼさないとは言えないというのがこの場の妖精さんたちの一致した見解だった。

 

『それに、きちをたてれば24じかんたいせいでかどうすることになります。きしゅくとうのすぐうらでそうおんをたててしまってはあとでいなづまさんがこわいですよ』

『やはり、きちはこうしょうからなるべくちかいほうがこうつごうのはずです。ばあいによってはすいじょうきをうんようすることもかんがえられます、うみにめんしていてみなさんのせいかつけんからもはなれたこうしょうちかくにおくのがいちばんてきとうでは?』

 

 これは棟梁やハジメさんの意見だ。しかし重要施設をあまり一処にまとめてしまうのは、奇襲一発でなにもかもやられてしまう危険性を考えると避けたい気もする。MSFのマザーベースだって、それで簡単に沈められてしまった苦い過去を思い出さされた。

 

『なにをいうのです、そのきけんからきちをまもるためにいるのがわれらではありませんか。じゅうぶんなにんずうときたいさえあたえていただけたなら、われらはせんすいかんいっぴきたりともこのしまへはちかづけさせませんぞ』

 

 これは零戦21型、通称おにいちゃんの発言だ。なんと頼もしいイケボ、兄貴って呼んでもいいだろうか?

 

 ともあれその後も皆で相談を続けた結果、滑走路は工廠の屋上に造る計画になった。滑走路と電探や観測設備だけを屋上に造り、機体はエレベーターで上下させる。格納施設は工廠内に造れば、機体の修理や補給もそこで行うこともできて都合がいい。もしも先手を取られて基地に空襲を受けたときも、機体を工廠内に退避しておける利点もある。

 

『さあ、それじゃあつぎははいぞくきたいのせんていよー! はにー? どんなきたいがほしいか、なにかきぼうはないかな?』

 

 すでにヘルダイバーちゃんをはじめ、艦載機妖精さんたちがテンション爆上げだった。それにつられてか、工廠妖精さんたちも久々の大仕事に興奮気味だ。しかし俺はずっと陸軍畑だったから、海軍の、ましてや太平洋戦争当時の航空機に関する知識となるとさほどの自信はない。とりあえず、どんな性能の機体が必要かを提示して、具体的な機種の選定は彼女たちに任せたほうがよさそうだな。

 

 そうだなぁ、戦闘機、攻撃機、爆撃機、偵察機、最低でもこの四種は絶対必要だ。さらに、それぞれの系統には出撃する子供たちを直掩できる航続距離の長いものと、泊地防衛のために足は短くとも強力な性能を備えるか、さもなくばコスパに優れた機種かのどちらかが欲しい。そんなざっくりした要望を皆に伝えてみた。

 

『ふーむ、あしのながいせんとうきをおのぞみなら、やはりこのれいせんふたひとをおいてほかにはありますまい。せいのうぶそくがきになるなら、すこしあしはみじかくなりますがれいせんごーふたをごよういください』

 

 兄貴の意見に皆が頷いている、じゃあ長距離用戦闘機はゼロ戦を作っていけばいいようだな。

 

『きちぼうえいようなら、しゅうすいなどはどうでしょう? ひこうかのうじかんこそみじかいですがあっとうてきなちからですよ』

『まてまて、ここのせつびだけでふんしききのかいはつはむりだ。しでんかいやれっぷうでもじゅうぶんいじょうでは?』

『できればすいじょうせんとうきもほしいぞ、もしかっそうろがやられてもどっくからとびたてるぞ』

『にしきすいせんか、つくれなくはないがかなりたかくつくぞ? いなずまさんがうんというかどうか』

「ならば瑞雲はどうだ? 瑞雲はいいぞ、巴戦もこなせるし、爆撃も偵察もできる。潜水艦退治もできる優れものの万能機だぞ」

 

 ん? 今聴き憶えのない声が聞こえたようだが。

 

『……いま、ここにだれかいましたか? いったいだれだずいうんなんていったやつは。あれはたしかにべんりだがきようびんぼうがすぎる。こうくうせんかんにでもつむならともかく、わざわざきちでうんようするようなきたいじゃないぞ』

『なにをいうか!? すいじょうきのあじわいをしらないしろうとはだまっとれ――』

『ほたえなぽんこつめ! たかだか200きあまりしかつくられなかったまいなーきがなにほどのものか』

 

 工廠妖精さんの一部が口論の末掴み合いを始めてしまった。ああ、思い返せばMSF時代の研究開発班もこんなことは日常茶飯事だった。限られたGMPをいくつもの開発チームが奪い合い、口喧嘩殴り合いは当たり前の毎日だったっけな。その争いをどうにかなだめて予算を配分し、ようやくできてきたのが段ボールの戦車だった時は頭を抱えた。だというのにこわごわスネークに報告してみたら大絶賛だったんだから、きっとあの頃の俺たちはみんな正気じゃなかったんだって今でも思うよ。

 

「みんなちょっと落ち着いてくれ。ロケット機や水上機の有用性は理解できるが、今はまず航空隊の陣容を揃えることが大事だ。できるものから作っていこう」

『ほかならぬかずさんのちゅうさいとはいえ、このりょがいものどものもうしようはかんべんなりませぬ。すいじょうきのゆうようせい? いったいあなたがずいうんのなにをしっているというのです、いいかげんなくちをならべてまるめこもうというのならただではおきませんぞ』

「瑞雲は、愛知航空機が生産した大日本帝国海軍の水上偵察機だ。機体略番はE16A、連合国コードネームは“Paul”。それ以前から十二試二座水上偵察機において水上偵察機と爆撃機の統合を図っていた帝国海軍が、巡洋艦搭載の水上急降下爆撃機によって劣勢を覆そうと期待した機種だ。愛知航空機ではこれに基づいて十四試二座水上偵察機、のちに十六試水上偵察機と改称される機体の開発を開始し、1942年3月には試作1号機を完成させた。性能試験の結果同年11月に採用が内定し、その後の実用試験を経て1943年8月に瑞雲一一型として制式採用された。その最高速度は448km/h、武装は主翼内装型20mm機銃2挺、13mm後方機銃1挺を搭載、さらには250kg爆弾で急降下爆撃まで行うことが可能だ。ちなみに水上機としては世界初の装備であった急降下爆撃用のダイブブレーキをフロート支柱部に備えるとともに、主翼には空戦フラップまで装備している珍しい例でもある。実戦においては当初企図されたような艦船での運用は乏しかったが、水上機基地に展開して終戦目前の一年足らずをフィリピン、台湾、沖縄としぶとく戦いぬいて戦果を挙げた。総じて水上機としては性能・攻撃力ともに他国の諸機種とは一線を画する性能を誇った、まさしく傑作といえる機種だな」

 

 俺が一息にそう言い切ると、工廠妖精さんの群れからおう、というどよめきが起こった。先頭に立っていきり立っていた妖精さんはすっかり毒気を抜かれた様子で二、三歩あとずさり、地に手をついて端座して俺に向き直った。

 

『おみそれいたしました、おくわしいのですな』

『もしや、あなたさまはいずれなのあるずいうんますたーだったのではありませんか?』

 

 そんな事実はござらん、ていうか瑞雲マスターって何だよ? でもどうして俺がこんなに語れたか、ちょっとタネを明かそうか。

 

 以前のMSFでは、マザーベースと陸地との連絡には主にヘリを利用していた。ベースの甲板に直接離着陸できる上にペイロードも多いし、小回りも利いて一番便利だったからだ。ただ、速度においてはジェットはもちろんレシプロ機にも劣るところは否めなかった。いずれこの速度差が役に立つことがあるのではないかと考えて、滑走路を持てないMSFマザーベースでも水上機の保有を検討したことがあったのだが、瑞雲についてはその時に知った。現代では当たり前のマルチロール機、そのはしりが日本でも生まれていたことに興味が湧いたという個人的な理由もあった。

 

 まあ、結果から言うとMSFでの水上機の採用は結局見送りとなった。着水した飛行機を海抜何十メートルというマザーベースの甲板まで吊り上げるなんて、危なっかしいことはなるべくやりたくなかったからだった。

 

『それでは、こうげききはどうする? わたしがいればとうざはまにあうかもしれないが、いずれはりゅうせいけいれつもひつようになってくるだろう』

 

 妖精さんたちが落ち着きを取り戻したところで、冷静な声で意見を述べたのは天さんだった。天さんいわく、天山はそれなりに強力な上、なかなかに遠くまで行ける機体なんだそうだ。ただ、ちょっと張りこんで流星や流星改を手に入れられれば、距離も伸びるし雷撃も強力になるという。そうだなあ、当面は天山さんに遠近両面で頑張ってもらって、徐々に艦攻隊の数を増やしながら上位機への更新を目指していこう。

 

『あと、これはわたしのせんもんがいなのだが、りくじょうこうげききはどうする? せっかくこうくうきちをつくるのなら、こういうおおがたきもうんようしていかないともったいないぞ』

『ほしいのはやまやまですが、あれはほんとうにたかくつきますからなぁ。とはいえ、ひつようになってからつくりだしてももうおそいということもあります。ただ、いまはすぐにせめねばならないもくひょうがあるでなし、そこはふところじじょうとそうだんしながらおいおいやっていきましょう』

 

 天さんと工廠妖精さんたちが互いに納得して、攻撃機についての話は大体まとまった。

 

『それじゃあ、やっとぼまーのはなしができるわねー? わたし、あしのながさにはちょっとじしんあるのよ? かんたいちょくえんは、わたしにまかせてね?』

 

 ヘルダイバーちゃんが大きく胸を張った。詳しく聞いてみると、艦爆は日本機よりアメリカ機の方が航続距離が長めになる傾向があるようだ。それなら米艦爆をもっと増やしていきたいところだが、あいにくここの設備では米軍機は作れないらしい。そういうわけでヘルダイバーちゃんの言うとおり艦隊援護は彼女に任せて、基地防衛用には彗星系列を狙いながら数を揃えていくことにした。

 

 ゆくゆくは輸送機や早期警戒機といった、直接戦闘には参加しないような機体も欲しいものだが、まあ最初は少しずつ揃えていこう。ここまでの話で大体の方針はとりあえず見えてきたので、俺は相談に乗ってくれた皆に礼を言うと、ハジメさんを伴って自室に戻った。ハジメさんを連れてきたのは、航空機を揃える具体的なコストについて教えてもらうためだ。今から基地航空隊の開設計画をレジュメにまとめ、皆に発表する前にまずは電から根回しをしておきたい。




 お待たせしました、グラサン提督第二十三話をお届けします。どうも最近一話ごとが長くなりすぎる癖がついて、今回も本来なら一話で済ませるところを、あまりに長くなりすぎて途中で切りました。それでもなおいつもより長い。

 前回更新から二月近く空けた間に、艦これ界隈ではイベントは終わり(ブルックリンとマサチューセッツを掘り逃しました)ハロウィンイベが終わり(もっと漣に食わせたかった)今年も秋刀魚漁が始まりました。

 そして悲しい別れもありました、あまりに早すぎる訃報でした。彼女の描くやようー改二、見てみたかったなぁ。

 初報から何年待ったことか、アニメ二期も始まりましたね。うちは地上波放映される地域でないので、ABEMAで見ています。これ上げ終わったら、第二話観に行くんだ……

 それでは、また次回のグラサン提督でお会いしましょう。


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第二十四話 大エロ捜査網

 いつ海第四話が三週間延びたのでかなしみの更新です。


 しばらく書き物をして、程良い予算で無難な計画書がほぼ形になった頃、ドアを小さくノックする音と棟梁の声が聞こえた。

 

『おいそがしいところにもうしわけありませんしゃちょー、はいってもよろしいでしょうか』

 

 おや、いつもは勝手に入ってくるのに珍しいな?

 

『いまてがふさがっているのよ、あけてちょうだい?』

 

 こっちはヘルダイバーちゃんの声だ。なんの用かなと思ってドアを開けてやると、艦載機妖精トリオと棟梁ら家具妖精さんの一群が俺の部屋に麻雀卓を運びこんできた。

 

「なんだ、今は忙しいから遊ぶのはこれが終わった後にしてくれないか」

 

 俺も麻雀は嫌いではないが、まずは仕事を片付けないとな。しかし艦載機トリオはそれには答えず、俺の計画書を読みながら何事か相談していた。

 

『そつじながらかずどの、これはいけません』

『はくちのぼうえい、きんかいのしょうかい、しゅつげきかんたいのちょくえん、さらにえんぽうまでのたんさくをぜんぶこなそうとするなら、このきぼではぜんぜんてがたりないな。とうじょういんのくんれんにもじかんがかかる、てをうっておくならはやいにこしたことはない。さいしょからもっとおもいきったけいかくにするべきだろう』

『はにー、せつやくはだいじだけどけちくさいのはだめよ? もっとぱーっとけいきよくいきましょう?』

 

 誰がケチか!? そう俺だ! はっきり言っておくが、俺が今までの人生で何度ケチと言われたことか! ケチって言われるたびに5セント貰ってたら今頃大金持ちだぜ!

 

 決して貧乏でこそなかったが余裕はなかった少年時代、お袋の治療費のために働いた自衛官時代、組織の台所を預かって日々やりくりを続けた傭兵時代! 俺の人生の大半は質素倹約を強いられてきたんだ、ケチになってなにが悪い!? そもそも基地航空隊は俺が言い出したことだが、だからこそなおのこと放漫経営はゆ゛る゛さ゛ん゛!!

 

『だったら、まーじゃんでしょうぶよ!』

 

 な、なんだってー! ……まるで脈絡が見えてこないがすごい自信だ、議論ではなく麻雀で雌雄を決することが正しいと一瞬でも思ってしまったくらいだ。

 

『れーとはぼーきさいとをきじゅんにして1000てん100ぼーき、かってもまけてもうらみっこなしのはんちゃんいっかいぽっきりのしょうぶよ。わたしたちのかちぶんをそのたのしげんとともにせいさんけいかくにうわのせしてもらうわよ?』

 

 それ、俺が勝ったらどうなるんだ? 実質三対一の勝負の上に、勝っても俺にはメリットがなにもないんだが?

 

『うふん』

 

 ヘルダイバーちゃんは妖精さんらしからぬ艶然と媚びた微笑みを見せると、俺の前に一枚のDVDを差し出した。それは日本製の、えーっと、大変言いにくいが普通には売ってないような裏めいたえっちなDVDだった。

 

『わたしたちがとじこめられていたそうこのおくふかくに、たくさんしまわれていたのをかくしておいたのよ。はにーがかったらぜんぶあげるわ。もちろん、あのこたちにはないしょよ?』

 

 これが普段の俺だったなら、なんだそんなものかと一笑に付したかもしれない。しかし、この島での数ヶ月間の禁欲生活、その弱みをピンポイントで突いてくる提案に思わず俺は生唾を呑みこんだ。研究室のノートPCを持ってくれば、この部屋でこっそりDVD鑑賞を楽しむことは難しくないはずだ。まあ、人に見られたくないことをしている時に妖精さんが勝手に入ってくる可能性はそれでも残るわけだが。

 

「いいだろう、勝負しようじゃないか」(精一杯のイケボ)

 

 スケべ心を狙い撃ちされてまんまと乗せられた気はするが、まあ半荘一回だけなら大した負けにはなるまい。たしかに俺の計画は少々ケチ杉田、いやケチ過ぎたのは俺自身も自覚している。だがそれは計画を通しやすくするためのことで、まずは航空隊基地さえ造ってしまえば実績次第で後から増強はいくらでもできる。正直に言えばそんななし崩し的な計算があったんだが……

 

 さてルールは25000点持ちの30000点返しでウマはなし、食いタン後付けあり、ダブロン上家取りだがトリプルは流局だ、あと赤牌はなし。もっと細かいあれこれは省くが、おおむね雀荘と競技を折衷したような家庭麻雀的なルールだった。

 

 家具妖精さんの匠、棟梁の手による麻雀卓はサイコロこそ手振りであるものの、それ以外はほぼ全自動だった。動作もかなり静かだ、いったいどういう構造になっているんだろう? ちょっと自宅にも一台欲しくなるぞ。

 

 サイコロを振って起家は俺、配牌は悪くない。ドラも含みつつ素直なタンピンに伸びていきそうな手だった。

 

『ろん。ちゅんいーぺーこーどら2、まんがんよ』

 

 のっけからの好配牌に浮かれていた俺は、早い巡目からいきなり上家ヘルダイバーちゃんのダマ満貫を喰らった。なんだと……!

 

『さいさきいいわね、もっとのばせたてだけどはにーからでるならでばさいよ』

 

 東一局にデバサイはない! いや落ち着け俺、こんなもんは交通事故みたいなものだ、俺はミスはしてない。半荘は長いんだ、ここからまだ取り返していける!

 

『ろん、たんやおさんしょくの5200』

『つも、めんたんぴんつもで1300、2600』

 

 こ、この子たち、強い……! だが俺も負けてはいられん。対面のおにいちゃんから立直がかかったが、俺もドラ暗刻を含む四面待ちの聴牌だ。チャンス手で引き下がれるか、追っかけ立直!

 

『ろん! りーちいっぱつ…… あんこにうらがのった、ついてるな。りーちいっぱつどら3で12000』

 

 そんな調子のまま、最初の半荘は南場まで回る前に俺はトバされてしまった。

 

「このままいいとこなしのままでは引き下がれん。頼む、もう半荘勝負してくれ!」

 

 俺は諦めきれず畳に額を擦りつけるように懇願した。三人は笑って快諾してくれたが、後から思い返せばあれはいいカモを見つけたバイニンの笑顔だったんだなぁ。すっかり底なし沼に引きこまれた俺は、泣きの一回どころかその後も何度も負け続け、気がつけば俺の負けは艦載機レシピおよそ300回分まで膨れ上がってしまっていた。

 

 勝負が終わったのはそろそろ昼前にさしかかる時刻で、俺が逆転トップを逃した最後の半荘が終わった直後のことだった。棟梁に用事があって探しに来た電に、俺の部屋に踏みこまれたのだ。

 

「ふぅん、麻雀なのですか。ミラーさん、ずいぶんと負けがこんだのですね」

 

 点棒の収支をメモったノートを拾い上げて電がつぶやいた、いぶかしげな声だった。

 

「おや、これは? 基地航空隊設置計画……?」

 

 パラパラとノートをめくっていた電の眼の色が変わった、内容を真剣に読みこみながら頭の中で算盤を弾いているのがわかった。

 

 その時、卓を運びこんだ後は麻雀に加わるでもなく見物していた家具妖精さんの一人が何事か電に耳打ちして、電の眉がみるみる逆立った。それを見て棟梁が部下たちに大声で問いただした。

 

『おい、あいつはだれだ!? あんなやつをやとったおぼえはないぞ!』

 

 その家具妖精さんは一度電の背後に引っこみ、出てきた時は黄八丈の着流しに黒羽織、両刀とともに十手を帯に差した姿に早替わりしていた。お、隠密同心か!?

 

「なるほど、航空機開発に回す資源の規模を麻雀で? 特警さん、とりあえずこいつら全員拘束するのです」

 

 電がそう命じるとともに、御用提灯ならぬ特警と墨書された提灯を掲げた捕り手の群れが室内になだれこんできた。

 

『ごよー、ごよーだー』

『しんみょうにおなわをちょうだいしろー』

『るぱーん、たいほだるぱーん』

 

 工廠妖精さんや家具妖精さんはもとより非戦闘員であるし、艦載機妖精さんも艦載機なしにはなにも抵抗できない。瞬く間に皆は囲まれ、室内は制圧されてしまった。

 

「さて」

 

 電はおもむろに麻雀卓に歩み寄ると、いきなり天板を勢いよくガバリと開いた。小さな影が二つ飛び出そうとしたが、突き蹴りの速度ならここじゃ一番の電のハンドスピードからは逃れられず、あえなく捕まってしまった。

 

「初めて見る妖精さんなのですね、お名前をいただいてもよろしいのです?」

 

 二人組の妖精さんは、一人は黒髪のツーサイドアップ、咥えた苦無とたなびく白マフラーがそこはかとなくニンジャだ、ニンジャナンデ? もう一人はピンクのやたら長いサイドテールが妙に目を引く。

 

『……』

『れいしきすいじょうていさつきひとひとがたおつかいやていです、ながいですけどなまえだけでもおぼえてくださいね、ねっ』

 

 苦無の子は黙秘したが、サイドテールの子は構わず素直に白状した。

 

「夜偵? 夜間偵察機か、そういや夜のことはまったく考えになかったな、夜にも飛べるなら助かるなぁ」

 

 レーダーや暗視装置の発達した現代なら、航空機の夜間飛行は珍しいことではない。しかし、この島の皆が使う兵器は、ほぼ太平洋戦争当時の技術水準に則っているのだ、夜間飛行は決してたやすいことではない。自分の見落としを指摘してもらった気がして、俺はつい今の立場も忘れて口走ってしまった。捕り手妖精さんが俺の頬っぺたを鉛筆サイズの袖絡みでつついた、やめてそれ地味に痛い。

 

「電は麻雀のことはあまり知らないのですが、あなた方が座卓に潜んでいたのは、イカサマをするためなのですね?」

 

 全自動卓だと思っていたのに、まさかこんなアナログでアナクロな手動積みこみ麻雀卓だったとは。このカズヒラの眼をもってしても見抜けなかった!

 

「ミラーさん、年中サングラスなんかかけてるから眼が曇るのです」

 

 いや、ここしばらくはグラサンかけてねぇし! こないだ海でなくしてそのまんまだよ、代わりにしようと思った溶接眼鏡は大不評だったしさぁ……

 

「さあ、もうじきお昼ですから下に降りるのですよ、でもその前に軍法会議なのですね」

 

 気がつけば俺は腰縄をかけられていた。ついでにイカサマ麻雀の首謀者一味、実は五人いた艦載機妖精ズと共犯者の棟梁、あと重要参考人としてハジメさんが干し柿のように吊るされている。ううっ、たしかに俺は法律なんてあってないような土地で、倫理スレスレの悪事ならこれまでの人生でいくらでもやってきた。決して清い身ではないのは確かだ、戦場でなら捕虜にされたことだってある。しかし、こうして罪人として縄目の恥辱を受けるのは初めてだよ。もうお婿にいけない、じゃなくてもう家族に合わせる顔がないぜ……

 

 

 逮捕されなかった妖精さんたちもゾロゾロ引き連れて階下に降りると、朝の哨戒から帰ってきていた叢雲と五月雨が茶飲み話をしていた。二人が俺の情けない体たらくを見るやいなや、叢雲は咽せて五月雨は茶を噴き出した。

 

「カズヒラさん、それ捕物帖ごっこかなにかですか」

「カズ、あんた今度は何やらかしたのよ!?」

 

 ごめん五月雨、すまん叢雲。絵面は遊びに見えるかもしれんが、これわりとマジな話なのねー。叢雲の大声を聞きつけた吹雪がキッチンから顔を出して怪訝そうな目を向けている、あと漣はわけも知らずに人を指差してゲラゲラ笑い転げるのやめろ。

 

 今日の昼飯はクラブハウスサンドイッチとサラダだ、ドリンクはアイスティーが添えられている。しかし、被告人である一部妖精さんと俺にはまだ飯は出てこない。電の口から皆に事件の経緯が説明されて、食事を取りながら裁判が行われるようだ。

 

「ふぅん、基地航空隊の規模を麻雀でねぇ」

「上層部の腐敗ここに極まれりというやつですな」

 

 叢雲と漣はあまり関心なさげな口振りだ、二人にとっては目の前のサンドイッチの方がよほど興味の対象らしい。被告人としてはなんか拍子抜けしてしまうな。

 

 電の説明では俺が勝った場合の賞品、エロDVDの件はうまく伏せられていた。賭場に密偵を入れていた電がそれを知らないはずはない、武士の情けで配慮してくれたのか、あるいはまだ切るべきカードではないと思っているのか…… 俺にはわかりようがなかった。

 

「それで、カズヒラさんはいったいどれくらい負けちゃったんですか?」

 

 五月雨の無慈悲で無邪気な質問には電が答えた。艦載機開発レシピにしておよそ300回分、ボーキサイト30000ポイントあまりと、その他資源もそれ相応の量だ。

 

「なぁんだ、もしかしたら私たちみんなこの島を追い出されるのかと思っちゃいましたよ」

 

 吹雪がホッと胸を撫で下ろした。俺の借金の片に皆がここを追い出されるいわれはないのだが、仮にこの島に妖精さんだけ残ったとしていったいなんになるというのだろう?

 

「率直に言えば、駆逐艦五隻しかいないこの島で数年かけて資源を溜めこんできたのです、そのうち倉の床が抜けそうな勢いで資源には余裕があるのですよ。ましてや電たちには無縁のボーキサイト、有用な使い途を提案してくれるのはむしろありがたいくらいなのですが、」

 

 電が一度言葉を切ったところで、叢雲が横から口を挟んだ。

 

「まあ、みんなで毎日せっせと稼いだ資源を断りもなしに博打の種にされたら、それはムカッ腹の一つくらい立つわよね。 ……電、どうする? こんなもの、どうせイカサマ博打の借財なのよ? たとえ踏み倒したところで文句なんか言わせはしないけど、それでも私たちにも利のあることには違いないんだし、半分くらいは呑んであげてもいいんじゃないかしら?」

 

 ふむん、と一息溜めて、電はどこからともなく取り出したデカい承認印を計画書に押した。俺が言うのも変な話だが、いいのマジで? オールOK? パンくずにまみれながらサンドイッチに齧りついていた妖精さんたちにも、驚きを隠せないざわめきが広がった。

 

「いえ、釈然としないことには違いないのですが、ここはあえてこの計画を丸呑みしようと思うのです」

「電ちゃん、いいの? これまでがんばってやりくりしてきたのに」

 

 吹雪が心配そうな顔をして尋ねたが、電はそれをきっぱり否定して演説をぶち始めた。

 

「吹雪ちゃん、我々はここで恩給生活を続けるためにやりくりをしてきたわけではないのです。この海の平和のために、いつかはここを出て日本へ帰る、それこそが本意なのです。幸いなことに先日は叢雲ちゃんと五月雨ちゃんがきっと艦隊の助けになる不思議な能力に目覚めました、まあ電たち凡人組にはまだ何もないのですが、凡人組にはまだ何もないのですが!」

 

 凡人を強調して二度言った、まだ気にしてたのか電よ?

 

「……こほん。そして今、長いこと行方知れずだった艦載機妖精さんが復帰して、今こそ戦力増強のチャンスなのです! この島の守りをしっかり堅めた上で、ここを足場に我々五人が討って出られる体制を整えるのです。航空隊とともに周辺の探索をもっと広範囲に拡げ、まずはこの島の位置を知る手がかりを見つけて、いずれは日本への航路を見出すのです!」

 

 俺が温めていた計画をほぼ全部電の口から言われてしまった。電が宣言した次の瞬間、その場の全員から割れんばかりの歓声と拍手の渦が巻き起こった。ノリやすい妖精さんたちなどはもはやボルテージも最高潮、声を揃えて電コールの大合唱だった。

 

 歓声が止む頃を見計らって、電は演説に続いていくつかの提案を述べた。

 

「そういうわけなのですから、まず工廠妖精さんと艦載機妖精さんは、計画にしたがって航空機の開発に取りかかってもらうようお願いするのです。あと、艦載機を揃えたら月毎くらいの運用コストを見積もってもらえればなお助かります」

 

 工廠妖精さんがほぼ全員直立不動で敬礼した。艦載機妖精さんとハジメさんはまだ俺の腰にぶら下がったままだったが。

 

「それから、航空基地の設置については設営隊の皆さんにお願いします。工廠の屋上に建てるということですが、問題があるようなら早いうちに報告を上げてください」

 

 監督がまかされた、と力強く頷いた。電ちゃんいつの間にこんなに立派になって…… 果敢に決断し、堂々と皆を指揮しはじめたその佇まいからは、なんだかビッグボスを思い出させるほどのカリスマすら醸し出しつつある気がする、なんか喋り方まで変わってるし。

 

「とは言っても、電たちは航空機やその基地についてはまったくの素人なのです。建設の過程や実際の運用においては、ミラーさんにも助言をお願いしたいのです。 ……ミラーさん、ミラーさん? ちゃんと聞いていたのですか?」

 

 電がこんなに立派になったのならもう俺いらなくね? ひょっとしてもう帰れる? おうち帰れる? とかよそ事を考えてたところで俺に話が振られた。

 

「もちろんだ。まあ俺も陸軍畑の出だから、航空機運用は専門外なのは君らと一緒だ。ただ、小規模な基地の建設についてなら何度も経験がある。わからない点についてはハジメさんや艦載機妖精さんたちもいてくれるしな、任せてくれ」

「よろしいのです。それでは、基地の話はこれくらいにして、泊地内での賭博行為についての判決を言い渡しましょうか」

 

 いきなり振られた話に上手く返事ができたと俺が安堵したところで、電はニッコリ笑って宣告した。エッ、その話まだ続いてたの!?

 

「まず棟梁と家具妖精さん、ハジメさんと工廠妖精さんたちについては無罪とするのです。工廠妖精さんたちは賭博行為にはおおむね無関係だったとわかりましたし、イカサマに使われたテーブルについても、元々全自動の麻雀卓として作られたものの中身を抜いて、中に隠れた妖精さんがイカサマをするよう勝手に改造されていたこと、特警さんの調査より報告を受けているのです」

『かんだいなおさばきにかんしゃいたします』

 

 縄を解かれた棟梁の言葉とともに、家具妖精さんならびに工廠妖精さんが平伏して深々と一礼した。ハジメさんも嫌疑が晴れたことで縄から解かれる。

 

「しかし、イカサマ賭博の首謀者、艦載機妖精さん五名とカズヒラ・ミラーさん。イカサマとはいえ勝負は勝負、負けは負けとして呑むのですが、皆の資産の使途を博打で左右しようとした罪は重いのです。よって、あなたがた六名には明日より一ヶ月間、入渠ドックの掃除を命ずるのです!」

 

 うぐぐぐ、また風呂掃除の刑か。MSFでの苦い思い出が思い出される、だがこれも自業自得というやつだ。しかも俺はまだ電にエロDVDの弱みを握られたままだ。これが皆にバレた日には、今後のここでの暮らしは針のむしろになるだろう、うかつに逆らうことはできん。絶対服従を強いられているんだ!

 

「それでは、これにて一件落着なのです!」

 

 一言の異論を挟むこともできずお白州で土下座する俺たちに結審が告げられて、軍事裁判は終わった。

 

 

 裁判の後、俺たちにも普通に昼飯は出た。食器を片づけてキッチンを出ると、廊下の奥から電が手招きをしていた。黙って工廠の方へ先行した電を追うと、彼女は工廠の裏で俺を待っていた。伝説の樹の下ならぬ工廠裏、そこには設営隊妖精さんの手によってか、屈めば大人でも入れるくらいの穴が掘られていた。えぇ…… まさか俺埋められちゃうんじゃないよな、なっ?

 

 そこへ特警妖精さんたちが段ボールを運びこんできて、箱の中身を穴にあけた。なんということか、それはまさしく俺が焦がれた賞品、えっちなDVDの山に相違なかった。一言をも挟む暇もなく油が撒かれ、すぐさま火がつけられた。素人娘ナンパも割り切った人妻も、痴漢電車もラブホ流出も、なにもかもが黒煙をあげて燃えてゆく。ああ、でも…… 燃える炎、なんだか綺麗だ…… 俺はいつしか敬礼の姿勢をとって、立ち昇っては海風になぶられて消えてゆく煙の行方を見送っていた。

 

「大の男がなにを泣いているのですか」

 

 俺の側に立っていた電が心底呆れた様子で訊ねた。泣いてなんかいない、これはなんか身体に悪そうな煙が眼に滲みただけだ。それに、仮に泣いたとしてなにが悪いか。いったいこんな島で誰がそれを集めたのか知らないが、あれはきっといつかどこかの男たちの夢だったんだ。電にはわからないだろう?

 

「さっぱりわからないしわかりたくもないのです」

 

 はっきりとトゲのある拒絶の声だった。

 

「ただ、納得も共感もできないのですが、理解くらいはするのですよ?」

 

 急に口振りが変わった、周りを気にして密かに囁くような小さな声だった。これは俺の聞き違いだろうか、どゆこと? と聞き返したくて振り向くと、電は俺のカーゴパンツのポケットになにかを押しこんだ。手で探ると、それはDVDのパッケージらしかった。うつむいた電の表情は窺えないが、耳まで真っ赤になっているのだけはわかった。

 

「こんな汚らわしいもの見たくも触りたくもないのですが、一枚だけ抜き取っておいたのです。どこで誰が見ているかわかりませんから、ここで出すんじゃねぇのです」

「いいのか」

 

 電はブンブンと、髪留めが飛びそうな勢いでかぶりを振って答えた。

 

「よくないです、よくはないのですが…… ひょっとしてミラーさん、あなたはまだこの電が見た目通りの潔癖症の小娘だと思っているのですか?」

 

 うん、わりと。あとちっちゃ可愛いのに怒らすとおっかない生真面目学級委員長キャラだと思ってた。

 

「心外なのです、こう見えて電は前世じゃ二百人からの軍人さんを乗せて海を征くお船だったのです。みんな若くて血気盛んな殿方ばかりだったのですよ、その暮らしがどんなだったか、ミラーさんにだっておおかた想像がつくのではないのですか?」

 

 まあ、当時の帝国海軍には女性兵士はいなかったからなぁ。俺たちMSFにだっていくらか女性兵士はいた、兵士じゃなくてもパスとかセシールみたいなアイドル的存在もいた、あのストレンジラブにだって非公認ファンクラブがあったくらいだ。電の前世についての話を例えるならば、そのような一服の清涼剤すらなく海上に孤立した男子校。想像するだけでも恐ろしいな。

 

「ヘルブック、ヘルピク、ヘル談…… 暇があれば寄り集まってそんなことに興じていたのです。もううんざりなのでした」

「でも、一度海に出てしまえば、彼らは皆ひとしなみに明日をも知れぬ身の上だったのです。そんな生活の中でささやかな心の慰めにしているものを、電の好き嫌い一つで取り上げてはならないのです。だから、ミラーさんにも一枚だけ、一枚だけなら電は目をつぶるのです。みんなには内緒でこっそり観るのですよ」

 

 うぐぅ、これは効いた。ずっと昔受けたスネークのパンチよりも、ここに来た日の五月雨の投げよりも、電の勇気と優しさがずっと胸に沁みた。こんなものをここまで運ばせて、途中で誰かに見咎められたらかえって自分があらぬ疑いを受けかねない。そして、一枚だけでも俺に渡してしまえば電も共犯みたいなものだ。こんなことをしなくても、黙ってDVDを取り上げたってよかったし、皆を焚きつけて俺を糾弾してもよかった。そっちの方がずっと楽だったはずなのに、電は自ら危険を冒してまで俺の立場を慮ってくれた。なかなかできることではない。

 

「"Who dares wins."……」

「? なんて言ったのです?」

「『危険を冒す者が勝利する』、SASの掲げるモットーだ。SASは英国陸軍の特殊部隊、俺も短い間だったが教官を務めたこともある。世界に先駆けて結成されたSASは、続く世界各国の特殊部隊のお手本となった。その設立に多大な貢献があったのが、君たちも知るザ・ボスだ」

 

 まあ、この言葉を引いたのはただの連想からだ。しかし、確かにザ・ボスの教えは今なおこの子にも生きている。さっき、電の姿にビッグボスがダブった理由が少しわかった気がした。俺は電からビッグボスではなく、その向こうにいるザ・ボスの影を感じ取ったのかもしれなかった。そのきっかけがエロDVDというのはなんとも俺らしくて情けない話だが。

 

 DVDの山はほどなく燃え尽きて、残りカスも設営隊さんが埋め戻し、ここでなにがあったのか見た目にはすっかりわからなくなってしまった。残ったものは俺のポッケの一枚だけ、これだけは誰にも知られてはならない。バレたとしても電の名は絶対出すまい、倉庫漁り中にたまたま俺が自分で見つけたことにしよう。

 

「電はですね、本当のところミラーさんには感謝しているのですよ。わけもわからずこんな孤島に連れて来られたのに、愚痴ひとつ言わずに電たちを助けてくれてるのですから」

「そうなのか、俺としてはザ・ボスやストレンジラブ程にはお役に立ててないんじゃないかと反省することしきりなんだがな」

 

 それに色々といらんこともやらかしてくれるのです、と言って電はクスクス笑った。

 

「まあ、正直に言ってしまえば俺だって別に君たちのために奉仕しているわけでもない。俺が君たちを助けようとしているのは、そうすれば俺の家族を取り戻せると信じているからさ。だから変な遠慮はしなくていいんだぞ、俺を役立ててくれ」

「それは嬉しいのです。そんな意気ごみを聞かせていただけるなら、もう一枚くらいボーナスを差し上げたかったのですが…… 全部焼けちゃったのです」

 

 うん、その言葉ちょーっと遅かったな。なにもかもすっかり焼けて、埋め戻した跡すら実作業を目の当たりにしていた俺にももう判然としない。あれは夢か幻だったんじゃないかと思うばかりだ。だが俺はまだあきらめんぞ、まだ手付かずのガラクタ倉庫は残っていたはずだ。そこにはまだ、俺が望むものが残っているかもしれん。今度こそ、誰よりも先にお宝ゲットだぜ!

 

「それでは、基地建設の件よろしくお願いするのです」

 

 ペコリと一礼して電は寄宿棟に戻っていった。俺はさりげなく工廠横の研究室からノートPCを持ち出し、ロビーにいた子たちの目を避けて自室に戻った。鑑賞会は皆が寝静まってからにして、まずはこのDVDの安全な隠し場所を確保しなくてはなるまい。

 

 フィーヒヒヒ、さて電がくれたのはどんなやつなのかなぁ? ヒャアがまんできねぇ、パッケージだけでも見ておくか!

 

『アイコ六十歳 あたしゃまだ現役だよ』

 

 ……電、ろくに見ないで適当に選んだんだよな? これ、大ハズレだよ。

 

 結局このDVDはあとでハジメさんに解体してもらった。プラとアルミを含んでるせいか、ほんのちょびっとの燃料とボーキサイトが得られた。




 今週で源氏の嫡流が絶えてしまったのでかなしみの後書きです。

 電ちゃん、改二はこないし時報もない、限定グラも非常に少ない、わずかなゲーム中ボイスからキャラを立てるには、もう語尾を全部なのですにするかはわわわ言わせるかぷらずま化させるかくらいしか手がないというかなしみ。運営さんもっと電ちゃんにスポット当ててあげて……


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第二十五話 デスクトップネイビー

『かずさんみてください! このしまのしゃしんをとってきました、いいできでしょ?』

 

 こないだ俺たちが麻雀賭博で捕まってからすでに数日が過ぎた。工廠屋上では日々航空隊基地の建設が進んでいて、工事と並行して配備する機体のほうも急ピッチで生産が続けられている。設営隊と工廠妖精は毎日大忙しだ。

 

 機体のうちでも水上機で早々と完成したものなどは、ドックから飛び立てる利点を活かしてさっそく搭乗員志願者の訓練に利用され始めている。訓練教官は先日のイカサマ麻雀の犯人、零夜偵コンビの二人だ。忍者っぽい黒髪を夜戦ちゃん、長いサイドテールを揺らしている方をゆらゆらさんと呼ぶことにした。

 

 そして、今日は飛行訓練生の一人が島の上空から写真を撮って帰ってきた。聞けばその子も元はガンカメラ妖精からの転身らしい。先日戦場カメラマン妖精に引き抜いた欠員を補充したばかりなのに、また欠員か? ガンカメラは妖精さんには人気のない職なのだろうか、一度話を聞いてみるべきかな?

 

 その写真は額縁サイズにプリントされた。引き伸ばしすぎて画質はそれほどよくないが、島の地形は十分わかる。あとで俺の部屋に飾らせてもらおうかな? 俺は感心しながら、おやつ中の妖精さんたちと一緒にロビーのテーブルに拡げた写真を眺めていたんだ。

 

 この島の形は、南北に縦長の杵形というか、数字の8のように中央がくびれた形をしている。大きさは南北が約2km、東西が一番広いところでも1km足らずの小さな島だ。西側のくびれは以前俺たちが組み手をした砂浜で、その辺りから島の北側にかけては広範囲に遠浅が拡がっている。砂浜から北東に階段を登ると俺たちの暮らしている建屋があり、そこから西に渡り廊下を下ると工廠棟とドックがある。つまり、砂浜から見てドックはやや北に位置することになるな。

 

 島の東と南側の水深は、海岸線間近からすぐに深くなっている。また、さっき説明したとおり北側は遠浅ではあるが、島の北・東・南側の地形はかなりの急斜面になっていて、登り下りはできなくはないが難しそうだ。この島に上陸するなら、西の砂浜から上がるしかない。

 

「あれ? 皆さん揃って何を見てるんですか?」

 

 そこへ声をかけてきたのは五月雨だった。そうだ、たしかここの泊地で作っている海図の編集責任者が五月雨だったな、彼女にもこの写真を見てもらおうか。

 

「へぇー…… このお写真を妖精さんが? いい出来ですね、島の地形も施設もはっきり写ってます。ほら、屋上の電探設備や工廠屋上に建設中の航空基地もくっきりと見分けられますね」

「そうだろう? これだけしっかり写っていれば、今後の航空偵察に十分利用できるよな。 ……まあ立ち話もなんだ、座って君の意見もよく聞かせてくれよ」

 

 写真を褒められた妖精さんは嬉しそうだった。まだ訓練中だからこの先どの分野に進むかはわからないが、偵察機でもいい搭乗員に育ってくれそうだな。五月雨にも席を勧めると、彼女は躊躇なく俺の隣に腰を下ろした。長い髪が俺の膝にサラリとかかってなんかいい匂いがする。自分の髪でなくとも豊かな髪を見るのは気分がいいものだ、いいぞもっとやれ。

 

「ほら、この島ってだいたい西側が開けた地形になっていますよね? 西の砂浜と、遠浅を利用したドックと…… だから、これまでの敵侵攻はほとんどのケースが西側から攻められることが多かったですね。工廠を陥として抗戦能力を奪い、砂浜から上陸して島を制圧する…… そういう狙いだと思うんですけど」

 

 俺がここに来た初日に聞いた砂浜での水際作戦、そして叢雲から聞いた工廠を狙って攻め寄せた艦隊。あらためて島の地形を知ると、これまで攻めてきていた連中の意図にも納得がいくな。そして今後我々が活動を拡大すれば、奴らもこれまで以上に強大な兵力を差し向けてくる可能性もある。それに備えるため、航空隊だけでなくもう一手布石を打っておきたい。ふと思いついた感想を、俺は皆に打ち明けてみた。

 

「それなら、台場を造ってみませんか?」

 

 そう提案してくれたのは五月雨である。なるほど、悪くない考えだ。先日叢雲から聞いた、押し寄せてきた敵艦隊を急ごしらえの砲台で沈めた話を思い出した。あの時は運良く初弾が敵戦艦を沈めたから勝てた、当てられたのはたぶんザ・ボスの力量あってこそのことだ。そうでなかったなら少なくとも叢雲と電は助からなかった、もしかしたらこの島も陥されていたかもしれなかった……

 

 だからそんな事にならないように今度はあらかじめしっかりとした砲台を用意しておくんだ。妖精さんが作ったまま死蔵同然の戦艦砲、これを島の各所に配置して防衛に利用する。こういうことは昔の帝国海軍でもやっていたことだ、この島でも充分できるはずだ。できることなら、対空機銃や電探も置いておきたい。偵察機と電探で接近する敵艦隊を捉え、まずは迎撃航空隊とこの砲台をもって漸減を加える。それで撃退できればよし、だが艦隊不在の時にたとえ一匹でもこの防衛網を潜り抜けた奴が島に取りついたらどうなるだろうか。子供たちが留守の時、陸に上がってきた奴らに対抗しうる戦力は島にはない。それを思えば、まだまだ留守番なしに全員で海に出られる日は遠いと言わざるを得ない。

 

 せめて俺にもザ・ボスのように子供たちの兵器が扱えたら、と思って試してはみたこともあったが、やっぱりダメだった。彼女らは艤装や武装を軽々と振り回しているように見えるから勘違いしてしまうのだが、これらは適性のないものにとっては見た目通りの鉄の塊になってしまうようだ、とても常人に扱いきれるものではない。たとえ小口径主砲でも、無理に撃ったら反動で死ぬだろうなぁ。

 

 五月雨の提案をもとに、それならどこにいくつの台場を置けば効果的な防戦を行えるか、という議論になった。六方八方にたくさん砲台を置けばどこから敵が来ても恐るるに足らず、というマッチョな意見もあったが、ハジメさんの見解では現在保有する資源で作れる台場は三つか四つ、それ以上の消費は艦隊運営に支障をきたす恐れがあるということだった。

 

「やはり島南北の端に一ヶ所ずつは置くとして、どうする? 東西にも置くのはムダか?」

『それくらいのしげんはありますが、とうざいにおいてもたがいのきょりがちかすぎてあまりこうかがあがらないかもしれません』

『いっそしまのちゅうおうにひとつおけばいいのでは?』

 

 考えこんでいた妖精さんの一人がどこから拾ってきたのかコインを四つ地図に置いた。島の南北端、それから北東と南西にそれぞれ一個ずつ。俯瞰すると縦になった平行四辺形の各頂点に配置されていた。

 

 

『こういうはいちはどうでしょう』

『ていけいはいちか、わるくはないがなんだかむかしのおうしゅうのぐんかんみたいだな』

『しかし、このはいちならてきがどのほうがくからせめてきてもじゅうじほうかをくらわせてやれます』

 

 俺個人の感想としても悪くない配置と思うのだが、北西と南東に隙間があるのが気になる。南東側はまあいい、そっちから攻めてきても上陸は難しいからな。だが北西側にはドックがある、この配置は誰かが防衛の一手としてドックから迎撃に出られることを前提としたものだ。俺は指先で北東のコインを北西までずらしてみた。これも悪くはない、西からの敵には充分な手当ができる。ただし東岸はガラ空きだ、そこがいまいち面白くない。南西のコインを南東にずらしてみた、そうすると今度は砂浜が隙になる。砂浜からの上陸を防ぐには、やはり南西の台場は不可欠だと思う。

 

「やっぱり、無理をしてでももう一ヶ所増やしましょう! 私たちも資源回収を頑張りますから、電ちゃんもきっと話せばわかってくれますから」

 

 五月雨が南西にコインを戻し、新しいコインを東岸の中央に置いた。

 

『それはわかるが、これだけではひがしのだいばはこりつしやすくなるぞ。ここがおちたらけっきょくひがしはすきだらけだ』

 

 別の妖精さんが東のコインを退けた。

 

『どうせおくならひがしかたにもふたつはおきたい、だがすぐにはむりだ』

 

 さらに別の妖精さんが北東と南東にコインを置きはしたが、そのまま腕組みをして唸った。やがてコインを勝手に動かしあいながら妖精さんたちが口論を始め、隙あらばコインを増やそうとする子、そのコインを回収する子、コインの奪い合いから掴み合いのケンカになる子、コインはじきで遊び始める子などが加わるに至り、テーブルの上はちょっとした騒ぎになった。

 

「えーい、やめやめ! みんな一旦手を止めなさい!」

 

 俺は声を張り上げて皆を制止し、写真の上から妖精さんを退けて、余分なコインを手近な棚に飾ってあった黒羊の貯金箱に放りこんだ。

 

「六方配置が理想的なのはわかる、ゆくゆくはそうするにしても今すぐ建設に取り掛かれるのは四ヶ所まで、そもそもはそういう話じゃないか。だったら、重要度の高いところから優先して配置するべきじゃないか?」

 

 俺は四枚残したコインを北端・北西・南西・南端の四ヶ所に置いて皆に示した。

 

「五月雨の言うとおりに敵の侵攻が主に西からやって来るとするならば、まずは島の西側に集中している要地を重点的に守るべきだ。とりあえずはこう置いておけば、ドックと砂浜をそれぞれ複数の砲台でカバーできるだろう? 東から近づく奴らについては、島の地形を考えれば東側からの艦砲射撃も上陸も難しいはずだ。台場の追加はおいおい進めていくとして、当面は航空隊に任せられると思う」

 

 そう俺が意見を述べると、五月雨と妖精さんたちは腕組みをしながら写真を睨んでいた。眉間に皺を寄せて眼を細める五月雨はレアな表情だがそれもまたかわいいぜ……! まあそれはどうでもよくはないんだけど置いておくべき話だ、ただ五月雨も妖精さんたちもなんとなく納得していない、収まりのついてない顔をしている。

 

『ぶぉぉ〜〜んどどどど』

 

 出し抜けに妖精さんの一人が両手に小さな飛行機の模型を持って島の西から近づいてきた。他の妖精さんたちも互いに目配せを送り合うと、数人ずつ台場に見立てたコインと地図上の工廠に控えた。なんだ、机上演習か?

 

『かずさん、いいきかいですからちょっとけんしょうしてみましょう。かんたいふざいのじょうきょうでこのしまにてきしゅうがあったというそうていでもぎせんをおこないます。かずさんはぼうえいがわのしきをおねがいします』

 

 俺にそう促すと、ハジメさんは適当な消しゴムを加工したサイコロを転がした。なるほど、俺がプレイヤーでハジメさんがゲームマスターだな? いいだろう、やってみようじゃないか。

 

『ほくせいだいばのでんたんがしまにせっきんするこうくうきのへんたいをかんちしました。そのかずおよそ60、かずさんだけに』

 

 ダジャレを飛ばしてチラッチラッとこちらをうかがう仕草は可愛らしくもウザい、多分ツッコむと調子に乗るからここはスルーしよう。これはテーブルトークRPGではなくれっきとした演習なのだ、断じて遊びではない。マスタリングは真面目にやってくれ。

 

「よーし、それでは各台場は対空射撃用意、距離1000まで引きつけて各自の判断で射撃開始。砲台も敵艦隊の接近に備えて射撃準備をしておけ。敵は一方とは限らん、電探要員は引き続き周囲の警戒を怠るなよ」

『『『いえっさー』』』

「……えーっと、ハジメさん? 基地航空隊の配備状況はどうなってるんだ?」

『げんざいよそうされているみとおしとおりのかずがすでにはいびずみとかんがえてください、かずさんだけに。うぷぷっ』

 

 だからしょうもないダジャレはいらん。

 

「こちらの航空隊は、まず戦闘機から優先して迎撃に上がってくれ、敵編隊に一当てしたあと水偵と艦攻・艦爆隊を上げる。水偵は敵艦隊を確認したあとはそのまま触接を続け、各台場と連携して砲撃を助けてくれ」

『りょうかい、あむろいきまーす』

『かみーゆでます!』

『じゅどー・あーした、いきまーす』

 

 とんでもねぇエースパイロットをいっぱい抱えてんだなぁうちって。無論これはただのごっこ遊びだ、本物のあの三人をいっぺんに指揮するとなったらたとえ俺がブライトさんだったとしても胃に穴が開くだろう。

 

 なお、演習で航空隊の役を務めているのは本物のエースパイロットでもなんでもなくて、そこら辺にいた工廠や家具妖精さんだ。こんな時こそ本物の艦載機妖精さんが参加するべきだと思うんだが、はて今日は姿が見えないな? どこで油を売ってるんだろうか。

 

『きちこうくうたいはこうせんかいいきじょうくうにおいてせいくうけんをかくほしました、てきへんたいのかんせん・かんこうたいにげきついたすうのだいだげきをあたえております』

『さくてきちゅうのていさつきがしまにせっきんちゅうのてきかんたいをはっけんしました、てきはせいきくうぼ1、けいくうぼ1をしゅかんとし、ごえいにせんかん1、けいじゅんきゅう1、くちくかん2をつれたくうぼにんむぶたいであります』

 

 忙しくサイコロを振りながらハジメさんのアナウンスが続く。敵の航空兵力は大きく削れた、ここから先特に注意を払うべきは、敵艦隊で最大の射程を持つであろう戦艦だ。奇しくも先日叢雲から聞いた敵艦隊襲撃の時と似た状況になってきたな。

 

「我が方の攻撃隊はもう上がってるな? 敵戦艦を集中的に狙え。奴を先に潰せれば、敵の射程外からこちらの砲撃が先に届くはずだ」

『ぶぶー』

 

 ハジメさんがバッテンの描かれたプラカードを挙げてみせた。えっ、なんで、ダメなのか?

 

『こうげきをしかけるあいてをしていすることはできません』

「なんでさ?」

『かいせんにせよくうせんにせよ、ぶたいはたがいのすきをふぉろーしあうようにじんけいなりへんたいなりをくんでしんこうしているのです。とうぜんながら、じゅうようどのたかいふねはじゅうてんてきにまもられます。よほどあいてのうんがわるいかれんどがひくいかでもないかぎり、つごうのいいあいてだけをねらっていっぽんづりとはなかなかいかないものです』

 

 その言葉にふと思うことあって、俺は隣に座っている五月雨を横目で覗った。もう何度も語ってきたが、彼女はほぼザ・ボスに迫る勢いのCQCの達人だ。俺がここに来た日、CQC組手で彼女と相対した時のことを思い出した。まったく隙のないところへ無理に攻めかかっても、かえって手痛い反撃を食らうばかりだった。攻撃しなくても一方的にやられるばかりだったけどな。

 

 まあそれはいい。相手の堅い守りを崩すために、あるいは陽動を仕掛け、あるいはわざとこちらから隙を見せて罠に誘いこんだり、正面から地道に敵戦力を少しずつ削っていったり。そうしてリスクとリターンを天秤にかけながら手を尽くして相手と取っ組み合い、崩れたところをすかさず咎めていく。戦争も格闘技も、とどのつまりはボードゲームと本質は変わらないということだな。

 

「……そういうものなのか」

『そういうものです。こうげきをしかけるあいてはあくまでさいころできまるとかんがえてください』

 

 なんかうまく丸めこまれてしまった気がするが、そういうルールであるなら仕方ない。そして我が航空隊側の攻撃は敵駆逐艦1を撃沈、軽巡を中破に追いこみ、敵艦隊の対空射撃によりいくらかの損害を受けた。まあまあ悪い結果ではないと思う。その後はごく少数ながらも空戦を抜けてきた敵方の攻撃隊が泊地に爆撃を仕掛けてきたが、台場からの対空射撃により有効な戦果を挙げられないまま逃げていった。

 

『そろそろてきかんたいがほくせいおよびなんせいだいばのしゃていにはいります、ほうだいたんとうはだいすはんていをおねがいします』

『よっしゃー』

『ぜんもんせいしゃー』

『うちまくれー!』

 

 台場付きの妖精さんたちがサイコロを振った。二ヶ所の砲台と敵戦艦との撃ち合いは、やはり十字砲火を仕掛けている分だけあってかこちら優勢で進行していた。敵戦艦の砲撃によりこちらも台場に多少の損害を受けたが、やがて敵が近づくにつれて北台場も砲撃に加わりはじめた。三方からの苛烈な攻撃を受けて戦艦は沈められ、そこまでで敵方の残存艦隊は侵攻を諦めて反転し逃亡を始めたが、そこへ再度出撃した基地航空隊の追撃を受けて総崩れ、あっけなく全滅させられた。我が軍の勝利だ。

 

『わーい』

『やったー』

『とらとらとらじゃー』

「やりましたねカズヒラさん、大勝利ですよ!」

 

 妖精さんたちと五月雨が無邪気に喜び合っているところで、ハジメさんが出し抜けにサイレンのような警告音を上げた。

 

『じゅいーん、じゅいーん、じゅいーん』

『あ・ひゅーじ・ばとるしっぷ、きんぐ・ふぉする・いず・あぷろーちんぐ・ふぁすと』

 

「「は?」」

 

 なんのことか多分わかってないだろう五月雨とわかっちゃった俺とが期せずして声を揃えた。宇宙戦艦出してくるのはズルいだろう、と反駁しようとしたが、そこへ法被を着こんだ妖精さんたちがシーラカンスに見立てた木彫りのシャケを担いでやってきた。ほとんどねぶた祭り状態である。あれこないだガラクタ倉庫から出てきたやつだな?

 

 そこで俺はロビーの掛け時計を見た、おやつの後のんびり机上演習なんてやってたら時刻はもう4時近かった。いかん、今日は先日麻雀賭博の罰として電に命じられた入渠ドックの掃除当番の日だったんだ。

 

「おいハジメさん、そろそろドックに行かないと時間に遅れるぞ」

 

 夕方になれば午後の哨戒当番の子たちも泊地に戻ってくる。今やうちの子たちが哨戒で大怪我をして帰ってくることなどほぼ皆無と言っていいのだが、それでも帰還に備えてドックの準備は済ませておかなくてはならない。帰投予定時刻までに間に合わなければ、俺たち全員まとめて電にどんな懲罰を受けさせられることになるかわからないぞ!?

 

『これはしたり! かずさん、いそぎましょう』

『まていはじめ、えんしゅうをほうりだしてどこへいく』

『そうだそうだ、あそびじゃないんだぞ』

 

 最初の一戦はともかくとしても、遊びでなければキングフォスルなんか出てくるもんか! 俺とハジメさんはゲームを中断してドックへ急ごうとしたが、すっかり続きを遊ぶ気満々になっていた他の妖精さんたちが不満を言い立てた。

 

「すまん皆、俺たちはすぐにでも掃除当番に行かなくては後で非常にまずい事になる、悪いが今日のところはこれまでだ。続きをやるんだったら誰かがハジメさんの代わりに判定役を引き継いでくれないか」

『……いなずまさんのさしずとあらばしかたない、つづきはわれわれでやろう。だがぷれいやーがわまでようせいだけではおもしろくないぞ』

 

 その場の妖精さんたちはしぶしぶながらも俺たちがゲームを抜けることをなんとか理解してくれたが、まだ完全に納得はしてくれていないようだった。

 

「ならば守備隊の指揮は五月雨、君に任せる」

「……えぇ、わ、私がですかぁ!?」

「大丈夫だ。君のCQCの腕前と見識、それをちょっと水平展開して戦術に応用するだけだ。これも兵法というものだ、いい機会だから取り組んでみろ」

 

 自分自身でも適当言ってるなあと自覚はしている。俺は引きつった作り笑いを浮かべて五月雨の肩をポンポン叩くと、踵を返して工廠へと急いだ。

 

「あぁっ、カズヒラさん! 待ってください、置いてかないでぇぇぇ……」

 

 俺たちの背後を五月雨の悲鳴が遠ざかっていく。すまん五月雨、だが一戦だけとはいえ真面目な演習はほぼ上々の結果に終わったと言っていいだろう。ぶっちゃけここからは際限なく暇を持て余した妖精さんの遊びになるであろうことはあのシーラカンスならぬシャケの木彫りを見れば明らかだ、悪いが俺の代わりに付き合ってやってくれ。

 

「しかしハジメさん、君まで抜けてきてよかったのか? 電に掃除を命じられたのは俺と艦載機妖精さんたち六人だけだ、君まで掃除に付き合う義理はないはずだが」

『いまさらみずくさいことをいいなさんな。このはじめ、かずさんのいちのこぶんとじにんしております。かずさんあるところわたしあり、どこまでもおともするしょぞんです』

 

 くぅっ、泣かせるじゃないか。俺こんなこと言われたのいつが最後だったっけか、故郷の横須賀で悪ガキ大将をやっていた頃以来くらいじゃないか? 思い返せばそれから後は日米のハーフとして生まれて心ない陰口や揶揄を受けた中高時代、渡米してからは大学でもやはり腫れ物扱い、帰日しての自衛隊時代もそんなもんだったっけな。

 

 混血なんて珍しくもない南米に流れてからはそういう扱いはなくなったが、コロンビアの反政府軍で俺が育てた教え子たちは、みんな俺のせいで死んでしまったか、わずかに残った奴らもだいたいスネークに籠絡されちまった。

 

 MSFの皆とは良好な関係を築けていたと断言できるが、MSFの崩壊後に俺が立ち上げたダイヤモンド・ドッグズにまでついてきてくれた者は結局ほとんどいなかった。ビッグボスのいない部隊に興味はない、気持ちはわかるがはっきりそう言い切られたのは寂しかったっけな……

 

 米軍を辞めた後、アラスカに隠遁することを女房は嫌がった。俺に最後までついてきてくれたのは娘のキャサリーだけだった。その一人娘すらもあの忌まわしい夜に……! 俺の一生をダイジェストで思い返せば不覚にも視界が滲む。俺は溢れ出す涙を振り切るように工廠へ続く渡り廊下を駆け降りていった。

 

 

『おそかったじゃないはにー、どこでおいるをうっていたの!?』

「遅れてすまなかった、基地航空隊のことでちょっと机上演習を試してきて遅くなってしまった。我々もすぐ始めるよ」

『きじょうえんしゅうですと?』

『それはきょうみぶかいおはなしですね、ねっ』

 

 入渠ドックに着いた時、すでにヘルダイバーちゃんたちは作業を始めていた。ぷりぷりと怒りを露わにする彼女らに遅刻を詫びた俺たちもすぐ仕事に取りかかり、作業を進めながらさっきのロビーでの出来事をかいつまんで話してみた。

 

『ほほぅ、ほんしょくのぱいろっとたるわれわれをはぶいてえんしゅうとは、ふそんだな?』

『そうねぇ、ちょっといってりある・まっこいなぱいろっとのとうそうというものをきょういくしてあげなくちゃならないわね』

『やせんえんしゅう……』

 

 艦載機妖精ズはすっかりやる気勢だ。なりは小さくとも妖精さんの作業能力は常人のはるか上を行く。入渠ドックは浴槽二つ分とそれに付帯する設備だけでたいして広くないから、瞬く間に掃除を終えるや否や、彼女らはあっという間にドックを飛び出て行ってしまった。

 

『まだぜんぶおわってないというのに、これだからしろうとは……! すみませんかずさん、さいごのかくにんをおてつだいいただけますか』

 

 艦載機妖精ズを呆然と見送りながら、ハジメさんは申し訳なさそうな声で詫びた。続くハジメさんの説明では、掃除した浴槽にこれから高速修復材を混ぜたお湯を張ってようやくドックが使えるようになるのだそうだ。しかし、この高速修復材が貴重でデリケートで、しかも劇薬であるがために湯温と濃度の調整には非常に気を使わなくてはならないのだという。その検査に俺の手を借りたいということだった。

 

『ではかずさん、こちらへどうぞ』

 

 ハジメさんはドック奥の鉄扉を開けて俺に手招きをした。扉の向こうは壁床天井までセメント打ちっぱなしのそっけない作りで、地下に向かう階段が薄暗い蛍光灯に照らされていた。




 あけましておめでとうございます(棒)グラサン提督第二十五話をお届けします。

 今回もまた、一話が長くなりすぎて途中でカットして再構成するという作業をやってます、なんか毎回毎回これやってる気がする…… 構成力が足りてない!?


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第二十六話 おそるべき子供たち

「俺はここには初めて入るが、まるで防空壕のようだな」

『そのとおりです、ここにはこのはくちのさいじゅうようしせつがあつめられています。いざというときにはぼうくうごうとしてもきのうしますよ』

 

 ここはハジメさんに招き入れられた入渠ドックのさらに奥、コンクリートの階段を入渠ドックから地下二、三階分くらいまで降りたろうか。おそらく海抜にしてマイナス十何メートルくらい、方角的に見てほぼ泊地の本棟や寄宿棟のある高台の真下に当たる場所なんだろうと思う。窓もない地下であるにもかかわらず、じめつく湿気やカビ臭さなどは感じられなかった。ここはきちんと空調設備が整えられた、管理の行き届いた空間だと思った。

 

 ハジメさんが作業の準備をしている間に、意外なほど広い室内をざっと眺め回してみた。室内には見た目から想像がつくものだけでも、おそらく海水から真水を取り出す造水器や、その真水からさらに不純物を取り除く純水器に、それらはもちろん地上の工廠や生活空間でも利用する電力を生み出す発電施設、さらには発電で発生した熱を利用したボイラー設備なども備えているようだ。その他にも、もう俺の知識だけでは用途の想像すらつかない多くの機械が並んでいた。

 

 そして一番目を引くものはそれらの機械群が取り囲む部屋の中央にあった。ちょっとした広場様のスペースに、いかにも目立つガラス張りのハッチがついたカプセルが五基、意味ありげに並んで鎮座していた。

 

 カプセルは大人が横になれるくらいの大きさで、今は中身が空のようで蓋は細く開いていた。カプセルの基部からは多くの配線や配管が周辺の機械群や測定機器らしきものに繋がっている。

 

「なんだこれは……」

 

 そう呟きながら俺はカプセルに歩み寄ろうとしたが、その時背後からハジメさんが呼ぶ声が聞こえた。

 

『かずさん、じゅんびがととのいました。はじめましょう』

 

 ハジメだけに? だが今度はダジャレは飛んでこなかった。いやそれはどうでもいい、ここの設備について何も知らない俺はいったい何を手伝えばいいんだ?

 

『そくていとかんさつはわたしがやります、かずさんはわたしがしじするとおりにばるぶをそうさしてください』

 

 ハジメさんの前にはいくつもの色分けされたバルブやメーターがあり、またそれらの中央には小さなモニターがあってグラフやら数値やらが表示されていた。

 

『でははじめます。しゅすいがわすいしつよーし』

「しゅ、取水側水質ヨシ!」

 

 さっぱり意味はわからないが、俺はとりあえずハジメさんがモニターの表示やメーターの針を指差し確認するのを復唱した。

 

『しゅうふくざいせいぶんよーし』

「修復材成分ヨシ!」

『ぞうすいきどうさいじょうなーし』

「造水器動作異状なし!」

『じゅんすいきえれめんと、じゅんすいきどうさいじょうなーし』

「純水器エレメント、純水器動作異状なし!」

『かずさん、あおいばるぶをあけてください。とりあえず、りゅうりょうけいのはりがまうえにくるまでです』

 

 言われるままに俺が少しずつバルブを開けると、造水器に付属する流量計の針が上がっていった。少しバルブを調節すると、すぐに針は真上で安定した。どうやら難しいことではなさそうだ。

 

『まみずのせいぶんいじょうなし、じゅんすいきへのこっくをあけます』

 

 ハジメさんがコックを捻ると、純水器の計器の針が動きはじめた。

 

『じゅんすいせいぶんいじょうなし、りゅうりょういじょうなし』

『ぼいらーどうさいじょうなし、おんどいじょうなし…… かずさん、つぎはあかいばるぶをすこしずつあけてください。それでじゅんすいがぼいらーにとおります』

「了解、少しずつだな……」

 

 今度は赤いバルブを少しずつ開けていったところで、計器を睨んでいたハジメさんが俺を制止した。

 

『すとっぷ。 ……すいおん、すいしついじょうなし。おんすいをこんごうきがわへきりかえます、ばいぱすかっと、こんごうきへのこっくをあけます』

 

 ハジメさんがいくつかのコックを操作すると、彼女のそばの機械がわずかに唸るような音を立てはじめた。その機械には緑色の液体が入った半透明のポリ容器がセットされている、これが高速修復材ってやつだろうか?

 

『かずさん、わたしがこんごうひをみていますから、もういちどあかいばるぶのそうさをおねがいします。こんどもすこしずつですよ、おんどがあがりすぎるとやくざいがだめになりますのでしんちょうにおねがいします』

 

 俺が再びバルブを開けはじめると、ハジメさんは真剣な目でモニターの数値が変動するのを睨んでいた。 

 

『すとっぷ。 ……いいかんじです、すいおん、りゅうりょういじょうなし。しゅうふくざいせいぶんもいじょうなし、のうどはつうじょうしようであんていしています。いっぱつできまりました、さすがはわたしとかずさん、いきぴったりでしたね』

 

 事情を知らない俺には何がどううまくいったのかよくわかっていないのだが、まあハジメさんが満足そうでなによりだよ。

 

『ではここでいっぷく』

 

 ハジメさんが混合器のドレーンコックを開け、流れ出た薄緑色の液体を茶碗で受けた。彼女はそれをそのまま茶筅で泡立てたのち、おもむろに飲み干してしまった。

 

『ふぅ…… けっこうなおてまえで』

「飲んどる場合かーッ」

 

 思わずどっかのドイツ軍人みたいにツッコんでしまった。仰々しい機械を操作して、何事かと思ったらただのティーサーバーだったのかこれ!?

 

『そんなことはありません、これこそがこのはくちのほこるにゅうきょどっくきゅうとうしすてむです。いまわたしがこれをのんだのは、けいきともにたーでこそいじょうのないことをかくにんずみではありましたが、さいごのさいごにはみずからのしたをもっておんどとせいぶんをかくにんすることがだいじだからです』

 

 えぇ…… 高速修復材って海中の微生物から作る劇薬なんだろう、いくら妖精さんでもそんなもの飲んで平気なのか?

 

『けっしてうまいものではありませんが、むろんわたしたちはへいきです。またかずさんたちにんげんであっても、ここまでのうどをさげてあればいっぱいやにはいのんだくらいではしにはしません。もしかしたらおなかをくだしたりはするかもですが』

 

 後学のために一服飲んでみますか? と言ってハジメさんは茶碗を突き出したが、なんか妙に磯臭いので断乎としてン拒否するゥ。

 

「それにしてもなんとか間に合ってよかったな、ハジメさんがいてくれなきゃ俺だけではどうにもできなかったよ」

『まあ、ここのそうさはわれわれこうしょうようせいしかしりませんので。いなずまさんにそうじをめいじられてはいなくとも、どっちみちわたしたちのだれかがこないわけにはいかなかったのですよ』

 

 なんだ、さっきは俺の一の子分だなんてありがたいことを言ってくれてたのに、結局ハジメさんにも彼女なりの事情があっただけってことか。

 

 まあそれはいい、それでも俺なんて実際ハジメさんには助けられてばかりだからな。感謝を忘れてはいかん。それはそれとして、俺はさっきのカプセルがずっと気になっていた。仕事はもう終わったんだから、地上に戻る前にちょっと寄り道したっていいよな? 俺はカプセルをもっとよく見ようと近づいた、やっぱり中身は空なんだが、昔見たSF映画なんかを彷彿とさせるデザインだ。こういうのって、中身はコールドスリープ中の宇宙船乗組員とか、培養中の危険な生物兵器とか、そういうのが定番だよなぁ……?

 

 俺はハッチの下になにごとか刻まれた銘板が打ちつけられているのに気づいた。

 

「『試製一号 駆逐艦吹雪』……?」

 

 他のカプセルも調べてみた。左から順に番号を振って、吹雪、叢雲、漣、電、五月雨。この島で暮らす五人の少女たちの名が刻まれていた。

 

『かずさんがこのしまにこられたひにきいたでしょう、あのこたちはこのしまでうまれたと。かのじょたちはこのかぷせるからせいをうけました、いまからさんねんとすこしまえのことです』

 

 この島で出会った五人の謎めいた少女たち。太平洋戦争で沈んだ帝国海軍の駆逐艦の魂を受け継いだ生まれ変わりを自称する彼女たちが、ただの人間とは異なる存在であるということは俺も納得していた。ただでさえ大の男顔負けの身体能力を備え、艤装を身につければ海上を駆けて敵と戦うことができる。

 

 そんな彼女たちがどのようにこの世に産まれたのか。初めて会った日、たしか五月雨が言っていた。産まれたばかりの彼女たちを、妖精さんによってこの島に連れてこられたナオミ・ハンター医師が育ててくれたのだと。

 

 俺は最初は誤解していた。子供たちはこの島で産まれたか、そうでなくとも赤ん坊のうちにここへ連れてこられてナオミ先生に十何年の間養育されたんだと思いこんでいた。

 

 だがそうじゃないんだな。皆は言っていた、先生と初めて会った時にナオミ・ハンターと名乗られたのを、日本人名半田なおみと勘違いした話だ。もちろん、赤ん坊や幼児にそんな知恵があるわけがない。彼女たちは、産まれた時にはおそらく現在とほぼ変わらない姿まで成長していて、少なくとも言語とある程度の社会常識は備えていたのだ。パンツのはきかたはナオミに教わったって漣が言ってたから、彼女たちだけで自立した生活を送れるほどのものではなかったようだが……

 

 荒唐無稽な話だが、傍証はないこともない。それは、あの日漣に見せられた今から二年前に撮影された動画だ。撮影した漣が読み上げていた日付は、たしか2015年の7月だった。撮影に使ったスマホは、もともと2014年の世界からナオミが持ちこんだものだと聞いた。少女たちがナオミと出会ってから、ザ・ボスが現れてナオミが姿を消すまでの間には一年程度しか過ぎていない。

 

 また、謎の生物兵器駆逐ロ級と、ザ・ボスのセーラー服姿という衝撃映像のインパクトが強烈すぎて気づかなかったが、二年前の映像に映っていた少女たちは、現在とまったく変わらない姿をしていた。

 

 そもそも、この島の少女たちは俺の見立てじゃだいたい10歳から14、5歳くらいに見える。常人なら成長期だ、二年前の映像と現在の姿を見比べれば、普通なら二年分の成長に気がつかないわけがない。二年間容姿が成長していないなら、その前の一年もそうであったのではないか、と考えることはおかしなことではないんじゃないか?

 

 しかし、あの時の俺は子供たちの話にも、見せられた映像にも違和感を覚えなかった。今思えば違和感がないことに違和感を自覚しなければならないはずだったのだが……

 

 ーー諜報活動は、まだまだだな。

 

「俺はマヌケだ、違和感仕事しろ!」

『かずさん?』

 

 ずっと昔、コロンビアでスネークと勝負してボロ負けしたあと、俺の諜報能力の不出来さに呆れられた言葉を不意に思い出して、俺は天井を仰いで嘆いた。

 

 この島に来たばかりの俺がいくら気が動転していたといっても、状況と情報の分析がまったくなっちゃいない。やっぱり俺って諜報員には向いてなかったんだなぁ、落ちこむぜ。

 

 MSF時代の俺は一端のスパイ気取りで暗躍していたつもりだったが、その結果がMSFの崩壊と多くの戦友たち、そしてパスの死だった。DD時代に裏で始めたハンバーガー屋も今でこそ大きくなったが、それを成し得たのは女房の経営手腕だった。

 

 そして米軍時代。俺は『おそるべき子供たち』計画の産物、ネイキッド・スネークことビッグボスのクローン、デイビッドを他ならぬビッグボスを討つための刺客ーー ソリッド・スネークとして育て、その作戦に協力もした。作戦は成功したが、それはそもそもデイビッド自身の力による手柄であるし、その作戦の成功すらもはっきり言ってしまえば俺自身の人生にトドメを刺す結果になった。

 

 俺は本当にロクでもないことばかりして生きてきて、しかも自らの手で自分の人生を台無しにしたんだ。俺はもう立ち続ける気力すらなくして、体育座りで冷たい床に転がった。

 

「つくづく俺はいらない子だ…… ハジメさん、いっそ俺なんか解体してしまってくれないか」

『かずさん……』

 

 俺解体したらなんになるかな、ちょっとくらいの鉄と燃料にならなれるんじゃないかな、きっとその方がよっぽどあいつらの役に立てるよウフフ……

 

『かずさん!』

「もうやだ、死にたい、何もしたくない」

 

 次の瞬間ハジメさんが小さなスパナで俺を引っ叩いた、結構痛い。

 

『なにあまったれたこといってんのよ! あんたまだいきてるんでしょ! だったらしっかりいきて、それからしになさい!』

「そうだな」

 

 我が人生を振り返ってはいじけるいつものムーブを一瞬でやめた俺は何事もなかったかのように立ち上がり、カプセルのそばにあったオフィスチェアに腰をかけた。ふうやれやれ、思わずシンジ君になっちまうところだったぜ。

 

『いぇーい』

 

 ハジメさんが掌を出してきたので、俺も小指の先でハイタッチを返した、イェーイ。つい現実逃避して新世紀な小芝居にふけってしまったが、そんなことやってる場合じゃなかったな。

 

「俺をここに連れてきたからには、あの子たちのことを教えてくれる気になったんだろう? 聞かせてくれないか、今さら並大抵のことじゃ驚かないぞ、俺は」

『そこのですくにですね、はかせののこしたけんきゅうのーとがあります。ひきだしのかぎがあったのですが、なおみせんせいがもったままもとのせかいにおかえりになりましたようで……』

 

 なるほど、ハジメさんが指差す先には今俺が座ってる椅子と元々はセットだったろうスチールデスクがあった。机上にはライトスタンドとペン立てにわずかな文具があるだけで、鍵のない引き出しからは簡単な工具類、未使用のノート、それと俺でも名を知ってるくらい高級で高価な日本製の一眼レフがいくつかの交換レンズと一緒に出てきた。おぉ、こいつはお宝だ。値段だけならこないだのギターなんて目じゃないぞ?

 

『かずさん、これを』

 

 ハジメさんが差し出したのは、ちょっと錆びかけたヘアピンだった。

 

『さっきどっくそうじのとちゅうでひろっておいたのです』

 

 こいつで鍵を開けろってことか…… このデスクは先日のギターケースよりは堅牢な鍵だが、まあ工具もあるからヘアピンをちょっと加工すればいけるかな? このヘアピン、もしかしたら電のかもしれんが、ちょっと錆びてるしもう使わないだろう。加工しちゃってもいいか。

 

 十分ほど試行錯誤を続けて、無事引き出しの鍵が開いた。さっそく開けてみると、中には二冊のノートが入っていた。一冊は綺麗な字で表題と名前が記されている、なになに…… 『駆逐艦少女診察記録および研究ノート解読考察 ナオミ・ハンター』ふむ、こっちはナオミ先生の手記のようだ。

 

 もう一冊は表紙を見てもさっぱりわからん、まず字が絶望的に汚い。太字のサインペンで書かれた表題からは、まるでミミズとムカデが取っ組み合いの喧嘩してるところを戦車に轢かれたかのような第一印象を受ける。ページをめくってみると、万年筆で書かれた本文もやっぱりミミズかムカデだった、とても読めたもんじゃない。

 

 こちらのノートにはあちこちのページに写真が貼り付けられて挟み込まれていた。そのせいで、ナオミの手記と同種のノートであるにもかかわらずずいぶん分厚く膨れてしまっている。俺は文字を解読するのを諦め、写真だけを追って次々ページを繰っていった。しかし、ノートの半ばを過ぎたあたりで、目にしたもののあまりの衝撃に思わず手を止めた。思い返すことを避けたくなる古い記憶が無理矢理心の奥底から引っ張り上げられて、心臓がキュゥと痛むような気がしていた。

 

「パス……?」

 

 そのページには見開きいっぱいに六枚の写真が貼られていた。一枚は五基のカプセルを一緒に収めた写真、あとの五枚はそれぞれのカプセルを詳細に写したものだと思われた。そしてその五つのカプセルの中には、癖のある金髪の少女が眠っているかのように横たえられていた。

 

 五枚の写真はカプセルの中で眠る少女の顔立ちまではっきりと見分けることができた。この俺が見間違えるはずもない、この五人はみなパス・オルテガ・アンドラーデ、パシフィカ・オーシャン! 1974年のコスタリカで素性を偽って俺たちMSFに近づいた、私設情報機関サイファーのスパイその人といずれも瓜二つだった。

 

「なんだ、なんだこれは…… ハジメさん、いったい君たちはここで何をしていた!?」

 

 思わず声を荒げてしまったが、ハジメさんは黙して答えなかった。

 

 震える指でさらにページを追い続けると、再びさっきのような見開きのページがあった。しかし今度のカプセルの中身は俺の忌まわしい記憶とはまったく異なる、ここ数ヶ月の間にすっかり馴染みの顔だった。

 

「うわぁ…… これは吹雪だな」

「これは叢雲で、あぁ、こっちは漣だな。間違いない」

 

 なんだこれは…… たまげたなぁ。

 

「いや、冗談言ってる場合じゃないぞ」

 

 前の見開きでカプセルに収まっていた五人のパス、それが今度の写真ではこの島で共に暮らす五人の少女の姿に変わっていた。いちいち言わなかったが、これらの写真は全員全裸だ。思い起こせば先日のDVD焼却事件の時、今度こそはお宝を見つけてやると俺は誓った。たしかにそう誓いはしたが、まさかこんな形で望みがかなうとは。いやそうじゃないよ、俺はそんなもの( じポ )は望まない!

 

 見開きのあとはわずか一、二ページ程度汚い字の記述が続いただけで、そこから先はすべて白紙となっていた。俺はまだ心臓がバクバクしているのをこらえながらノートを閉じて、緩慢にハジメさんを見上げた。

 

『どっきりしましたね』

 

 大抵のことじゃ驚かないとついさっき言ったばかりだったのにフラグ即回収だったな。驚かされたよいろんな意味で、それこそ寿命が縮むんじゃないかと思うくらいになぁ!? 今の俺は若返った二十代の身体だから我慢できたけど、元の還暦間近の身体だったら我慢できなかった。きっと心臓がどうにかなっていたに違いない。

 

『そう、ぱすさんだったのです』

 

 そうハジメさんが話を切り出した。

 

『わたしたちはずっとむかしからせかいじゅうのうみでかつどうをつづけてきました。それこそ、あのせかいたいせんがおわったころからでしょうか』

『かずさん、あなたがかりぶかいですべてをうしなったそのひも、やはりわたしたちのなかまはそこにいたのです』

 

 どういう事情であんな酷い事件が起きたかは詳しく知りませんでしたが、とハジメさんは付け加えた。

 

『あのひ、ひとりのじょせいがむざんにうみにちりました。こころのおくそこではだれよりもへいわをもとめながらも、いきるためにせんそうのそうくとなり、あまつさえいつわりのへいわのししゃをえんじることをしいられたひとでしたね』

「……」

 

 俺は黙って話を聞いていた。パスがその心情を遺したテープは俺だって何度も聴いた、聴いてなお俺はあいつを許さなかった。俺はあいつもスネークと会って変われるんじゃないかと期待していた。それなのにあれだけのことをしでかしておいて、それは本意じゃなかったと言われたってそんな虫のいい話があるものか。かつての俺はそう考えていた。

 

 でも、あいつが変われなかったのも結局俺のせいだ。俺がサイファーに内通していたせいで、あいつは自分以外の内通者の存在を気取り、身動きが取れなくなった…… 俺はそこから眼を背けたくて、すべてをパスのせいにして彼女を恨むことでしか自分の立場を保てなかった。俺はあいつを許さないんじゃない、許したくなかっただけだった。本当は俺にはあいつを恨む資格なんてなかったというのに。

 

『わたしたちはそのつよいむねんの、ねがいのこもったいたいをかいしゅうし、ほぞんしました。そのいしをいつかふたたびこのよによびもどし、やがてきたるべきほろびにたちむかうために』

「滅び…… それがあの怪物たちだというのか? 奴らはいったい何者なんだ?」

『……それはまだわかりません。ただ、われわれとおなじかこのざんし、そしておなじでありながらまぎゃくのありかたをえらんだものどもであるとだけはかんじます』

 

 過去の残滓、真逆の在り方……?

 

『……ちょっとはなしがそれましたね、ぱすさんのはなしにもどりましょうか。おほん』

 

 一つ空咳をして、ハジメさんは話を続けた。




 グラサン提督第二十六話をお届けしました。幕間含めて三十回、この作品で書きたかったことの多分三分の一くらいはここまでで書けたと思います。じゃあ完結まであと六十話? マジで? 今の執筆ペースだとあと三年以上かかる計算だけど大丈夫?

 まあ内容はともかく分量はそんなにならないはずなので(フラグ)今後とも気長にお付き合いいただければ幸いです。

 それでは、また次回に。


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第二十七話 子供たちよ責めないで

カズの命日にもシャドーモセス事件記念日にも間に合わなかった更新


 入渠ドック給湯設備の調整を手伝うため…… いや、今にして思えば、それはただの名目にすぎなかったのかもしれん。ハジメさんに導かれ、初めてこの泊地の地下深くに足を踏み入れた俺、カズヒラ・ミラー。そこで俺は島に暮らす五人の少女たちの出生の秘密と、俺自身との思いもかけない因縁について知ることとなった。そして、なおもハジメさんの告白は続く。

 

『いまからよねんあまりまえ、われわれはいまだやつらのめのおよばなかったこのこじまにはくちをかまえました。そして、ほぞんしていたぱすさんのいたいからくろーんをつくりだすことのできるせんもんかをしょうへいしたのです。くらーくはかせとおっしゃるかたでした』

 

 クラーク博士! 俺も面識はないが名前だけは聞いていた。かつてスネークイーター作戦にアドバイザーとして参加し、のちにアメリカでパラメディック制度の設立に関わった。その後はサイファーと繋がりの深い企業で遺伝子治療の研究を行うとともに、米軍時代に俺が所属したFOXHOUNDにもメディカルチーフとして籍を置いていた。

 

 クラーク博士は人前に姿を現すことがなかったらしかった。経歴、年齢、性別、出身、一切が不明のままで、常に軍や政府、医学界の裏側に潜んでいた。そして、そのさらに裏ではサイファーの設立メンバーの一人であり、ビッグボスのクローンを生み出す『おそるべき子供たち』計画を主導した人物でもあった。

 

 まさか、クローン技術の専門家のクラークさんが世界にそう何人もいないだろうと思うから、俺の知るこの人物こそがハジメさんの言うクラーク博士と同一人物で間違いないだろうと思う。

 

 博士は俺主観で言うと一昨年、2003年に研究所の爆発事故で死亡したことになっている。しかし、それは風の噂に聞くだけでも不審な点の多い事故だった。

 

 ただ、その頃の俺はもうアラスカで隠居暮らしの身だったから、その時はそれ以上の追求はしなかった。だが、まさかクラーク博士までもが俺と同じような経緯でこの島に連れて来られていたとは……

 

『ほぞんしたいたいからはごたいのくろーんにんげんをつくりだすのがやっとでした。いうまでもなく、そのなかにはもうぱすさんのきおくはなにものこっていません。わたしたちはそのからっぽのにくたいをよりしろに、われわれのよびかけにこたえてくれたくちくかんのたましいをおろしたのです』

 

 依代とか降霊とか、そこまで行くとオカルトすぎてもはや俺などには理解の及びようもない話だ。別人? の魂を降ろしたせいなのだろうか? なんでか姿かたちまですっかり変わっちまって、現在の五人にはもう元のパスの面影はどこにもない。

 

「電に至ってはすっかり縮んでしまってなぁ……」

『それいなずまさんにきかれたらただじゃすみませんよ?』

 

 俺とハジメさんは目を見合わせてくっくっと笑い合った。

 

『かずさん、おもっていたよりれいせいなのですな』

「いや、驚いてる、驚いてるよたぶん人生で一、二くらいにはな。ただ、クローン人間も改造人間も、俺としてはすでに体験済みでね」

 

 かつて俺が指導したデイビッド、ソリッド・スネーク。あいつはビッグボスの細胞から生み出されたクローン人間だ。それからDD時代に出会ったクワイエット、あいつは瀕死の身体にワーム・セラピーという寄生虫を利用した人体改造を受けた女兵士だった。

 

 クローン人間に改造人間、そういう手合いは他にも幾人か出会った。そいつらの中には仲良くなれた仲間も不倶戴天の宿敵もいた。そして全員揃いも揃って俺たち凡人とは隔絶した異能者ばかりだったが、結局のところ交流という側面ではただの人間とそれほど違わなかった、それが俺なりの正直な実感だった。

 

 とても読めないクラーク博士のノートの解読は諦め、俺はノートを引き出しに戻して鍵をかけ直した。このノートには、たとえ研究資料とはいえあの子たちの全裸写真も貼られている。これを見たことがバレたら俺の命が危ない。

 

 一方でナオミのノートは字が綺麗だから俺にも読める。どうやらクラーク博士のノートを解読した上で考察を加えているようだから、まず持ち出すならばこっちだろう。

 

「ちょっと、カズー? 下にいるのーー?」

 

 たぶんドックからだろうか、叢雲が俺を呼ぶ声が聞こえてきた。そうか、もうそろそろ哨戒から戻る頃だったか。

 

「おーぅ、ここにいるぞー!! ハジメさんも一緒だ!」

 

 大声で返事を返すと、複数人がドヤドヤと階段を駆け降りる音が聞こえてきた。

 

「なあハジメさん、あの子たちはこれらのノートの存在は?」

『しらないはずです。ですくのかぎはなおみせんせいがはだみはなさずもっていたひとつだけで、せんせいはみんなにはないしょでかいどくをすすめていました。みんなはじぶんがくろーんにんげんであることはきかされていても、だれのくろーんであったかまではしらないのです』

 

 俺がハジメさんにノートを渡すと、彼女はそれを天井の配管の上に隠した。

 

 

 やがて足音が階下まで届いて、姿を現したのは叢雲と吹雪だった。さっきまで哨戒に出ていた二人だ。

 

「二人ともおかえり、異状はなかったか?」

「もうっ、『異状はなかったか』じゃないわよ! 司令室へ定時連絡しても出やしない、電や漣に無線を入れてもあんたを見てないって言うし、五月雨はウンウン唸ってばかりでろくに返事もしないのよ? そっちこそなにかあったのかと思うじゃない!?」

「すまない二人とも、ついさっきのほぼギリギリまで給湯設備の調整で手が離せなかったんだ、心配かけて悪かった」

『もうしわけありません、かずさんのてをかりないとちょうせいがまにあわないとおもって……』

 

 プンスコと怒りもあらわな叢雲の剣幕に気押されながら、俺たちはひたすら平謝りするしかなかった。

 

「ねえカズさん、ちょっと聞いてもいいですか」

 

 叢雲とは対照的に、静かに口火を切った吹雪の声は日頃に珍しいくらい神妙すぎて、しばらく皆が口をつぐんだ地下室に残響だけがこだました。

 

「ここに入ってきたということは、私たちのシュッセーノヒミツを知ってしまったんですね」

 

 出生の秘密がなんかカタカナに聞こえた気がするが気のせいか? 吹雪よ、ちゃんと正しい字面を思い浮かべて喋れてるか?

 

「そうです。今までずっと黙っていましたが、実は私たちはくろーん? 人間で改造人間だったんです。三年ほど前にこの姿で生まれて、以来ちっとも成長していません」

 

 今度はクローンがひらがなの疑問形に聞こえた。吹雪が横文字苦手なのはいつものことだが、ちゃんと学んで喋ってくれ、身体は成長しなくとも頭は成長できるんだから。そしてなんでか吹雪は自分の胸をぺたぺた確かめながら、思い詰めた目で俺をまっすぐ見つめていた。

 

「カズさん、私たちの秘密を知った今、あらためてどう思っていますか? 気持ち悪いですか? それとも…… 恐ろしいですか」

 

 吹雪が一歩にじり寄ってきた。だが、ここで一歩たりとも退がってはならないと俺の勘が言っている。俺はこの吹雪の不安を突き放してはならない、受け止めてやらねばならん。そうしなければ、不安はやがて不信へ、そして不和へと変わるだろう。かつて俺がスネークに抱いたものと同じように。

 

 これは戦士としての勘によるものではない、ならば男としてか、それとも子を持つ親の身としてか、どちらも似ているようで違う。言葉にしてしまえば曖昧だが、例えるならば人としてどう生きるべきか、そういう人間性の根源にかかわる責問と感じた。

 

 いつぞやの組手の日のように、吹雪がいきなりタックルを仕掛けてきた。いやタックルではない、吹雪は膝を落として俺の腰にすがりついていた。

 

「私たちを見捨てないでくださいっ! わけもわからないままこんな身体に生まれても、いつかは日本に帰ってみんなを助けるんだって! 私たちはずっとそんな日が来ることを夢見て暮らしてきたんです、もしもカズさんに見捨てられてしまったら私……!」

 

 待て待てマテ茶、じゃなくて少し落ち着け吹雪、頼むからもちもちのほっぺを俺の股間に擦りつけるのはやめて気持ち悪いどころかむしろ気持ちよくなっちゃうから! こら、やめれ、らめぇ!?

 

「いいえ絶対離しません、カズさんにうんと言わせるまでは! はっ……! こうなったらいっそ色仕掛けでカズさんをたぶらかしてでも……? 私カズさんの望むことなんでもしますよ、おっぱい小さい私だけじゃ満足できないなら叢雲ちゃんと漣ちゃんもオマケにつけますよ、ねっ叢雲ちゃん!?」

 

 ん? 今なんでもするって、いやそんなこと言ってる場合か! 貞操がピンチな俺にしがみついたまま吹雪が振り返ると、叢雲はいつの間にか吹雪の背後に忍び寄り、腰に腕を回してガッチリとクラッチしていた。

 

「……カ姉」

「ちょっと叢雲ちゃん、私じゃなくてカズさんを…… ひぎぃ!?」

 

 叢雲がなにかしたのか、吹雪は急に俺から手を離し妙な悲鳴をあげてのけぞった。

 

「バカ姉、不埒者、痴女! いてまうどムッツリスケベ!」

 

 本場でもめったに聞かないだろうどぎつい大阪弁アクセントの罵声とともに、稲光の閃くようなジャーマンスープレックスが床に突き立った。いくらなんでもやりすぎだ叢雲、ここの床コンクリだぞ!? 俺はあわてて吹雪を助け起こしたが、彼女は失神こそしていたものの外傷は一切なかった。むしろ床が少し欠けてしまったようだ…… マジで頑丈すぎるぜこの子たち。

 

「フン、それくらい大丈夫よ。入渠の準備もできてるみたいだし」

 

 それあまりだいじょばなくない? それにしても、いつも尊大な態度ながらも、不思議と下品さは感じさせない叢雲がまさかあんな言葉づかいをするとは思わなかった。

 

「どこで憶えたんだそれ」

「以前あんたが漣を投げたのを見て憶えたのよ」

「いや、大阪弁の方」

「今生の私たちはここで生まれたけど、前世の駆逐艦なら大阪は藤永田造船所の出よ。口が汚くて御免あそばせ」

 

 叢雲はノックダウンした吹雪には一瞥もくれず、腕組みしてそっぽを向いた。

 

「投げる前に吹雪が急に手を離したが、君いったいどんな魔法を使ったんだ」

「思い切り指突っこんでやったのよ」

「指突っこむって、ど、どこに?」

「どこって…… ヘソよ、ヘソ」

 

 なんだヘソか…… ちょっとドキドキワクワクしてしまったぜ。いや充分えげつないな、でも俺も参考にしよう。

 

 

 吹雪の失神によりなんとなくその場は収まって、俺たちはとりあえず地上に戻ることにした。吹雪を背負って階段を登る俺に叢雲が続いた。

 

「重くはないかしら」

「重くないさ、こうしててもただの女の子と変わらん」

 

 なんならもうちょっと肉付きが豊かだと俺得、とは思っても口には出せない。

 

「ねえカズ?」

 

 おっとっと、シャツの裾を引っ張るな叢雲、危ないじゃないか。

 

「あんたは私たちの秘密を知ったからって裏切ったりしないわよね?」

 

 叢雲には珍しい弱音だ。吹雪みたいに変な方向に煮えたりしなくても不安に感じるのは同じなんだろうな。

 

「裏切りってどうするんだ、俺ここを逃げ出したってどこへ行くあてもないんだぞ? あのボート一つで海を渡れるか? 周りは怪物だらけなのに」

「それはそうだけど……」

 

 叢雲の反論は語尾がゴニョゴニョと曖昧な尻すぼみで、理屈だけ説いても納得はしてくれそうになかった。

 

「俺がこの先生きのこる道はただ一つ、君たちを無事日本へと送り出して、ごほうびに妖精さんに家に帰してもらうことさ。そもそも裏切りってのは、そこにより大きな利益があるからやるもんだ。俺の最大の利益がここにある以上は、俺はみんなを裏切らんよ」

「……日本までついてきてはくれないのね」

 

 だから裾を引っ張るなって、吹雪ごとひっくり返れば今度こそ大事故だぞ?

 

「そもそも以前俺が哨戒について行ったとき、一番反対したのも叢雲だったじゃないか、わかってるんだろう? 君ら五人が揃っていても、俺を連れて海を渡り切るのはたぶん無理だ。 ……あっ」

「なによ?」

 

 どう言えば納得してくれるだろうかと考えつつ叢雲と話していて、ふと俺の脳裡にナイスなアイディーアが閃くのを感じた。

 

「ちょっと話をずらしてすまないが、今この島が西暦何年かはわからないけど、2010年は過ぎてそうだと電が言ってたよな?」

「あの腐った缶詰の話?」

 

 そう、俺が訪れるより前にこの島に流れ着いたと聞いた缶詰の製造年月日の話だ。叢雲は相当酷い目にあったらしく、彼女の声色からは心底嫌そうな気配がしていた。

 

「そこから一番早くても今が2010年と仮定して、怪物どもが活動を始めたのは今から三年足らず前、2007年頃ってところか? 後々俺が元の2005年の世界に帰ったとすれば、怪物が現れるまでに二年ちょっとの猶予があるって計算になるだろう」

「そうね、そうなるかしら。 ……いったいなんの話?」

「一口で言えば俺と皆との契約更改のご案内だよ」

「はぁ」

 

 叢雲の返事は拍子抜けたような口調だった。

 

「おそらく、どんなに遅くても君たちを日本に送り出すことができれば俺のタスクは完了、元の時代に帰してもらえるはずだ。俺一人ここに残されても生きてはいけんからな、それでは妖精さんが嘘をついたことになる」

「……まぁ、妖精さんは嘘は言わないわね」

 

 階段に反響する声がうねって揺れていた、たぶん叢雲は答えながらウンウンうなずいていたんだろう。

 

「俺が元の時代に帰ってから二年の猶予、その間に俺は日本に帰国し、みんなを迎える準備をする」

「君らはとりあえず日本にたどり着くことばかり考えているが、そこから先はノープランだろう? 妖精さんがいれば衣食くらいはなんとでもなるだろうが、戸籍もない身分では活動拠点を得ることは難しいはずだ」

 

 叢雲は黙りこんだ、小さく唸りながらなにか考えているようだった。

 

「俺は日本で事業を興し、金を稼ぎ、小さくとも港を得て、ここと同じような設備を置けるだけの拠点を作る。まあ、中身までは妖精さんなしには作れないだろうがな」

「俺は拠点を運営して君たちの活動を支え、そこからちょっとばかりおこぼれを頂戴する。そして君たちの活動はいずれ国の目に留まる、そうなればしめたものだ」

「君たちがかねて望んでいたとおり、日本政府を後ろ盾にこの技術を世界に広め、やがては人類の総力をもって奴らに立ち向かう! 俺たちはその魁! おとk…… じゃなかった先駆け、ポイントマンとなる」

 

 うーん、我ながら熱が入ってきてしまった。スネークの奴なんかはああ見えて静かに語るのが結構好きな男だったが、俺はむしろ朗々と弁ずるほうが好きだ。

 

「無論これは口で言うほど簡単じゃないぞ、初めのうちは日本はシーレーンを保てないかもしれない」

「国土の狭い日本は多くを貿易に頼らなければ生きてはいけん。エネルギー、資源、食糧。この海にいつまでも奴らの跳梁を許しておけば、日本はあっという間に干上がってしまうだろう」

「だがそこで妖精さんの技術が役に立つ。超効率で資源や食糧を生産できるこの島の生活モデルは、シーレーンを奪回するまでの間は大きな助けとなるはずだ」

「ちょっと待ちなさいよ。妖精さんの作ってくれる食糧で日本国民全員を養うつもり!?」

 

 あくまで非常時限定に留めないと日本の産業を壊滅させかねないが、少なくとも国内で餓死者を出すような事態に陥るよりはマシだ。そう考えての腹案だったが、あまり妖精さんの善意に甘えているばかりではいけない。だからそこに叢雲が口を挟むのもわからなくはない。

 

「いくらなんでもそれは無理だ。俺の知る2004年時点で日本の人口は、えーっと…… たしか一億二、三千万人くらいだったかな? 食料自給率は四割程度、豊かさを享受して飽食の末に食糧を輸入してまで捨てる国ニッポンなどと揶揄されることもあるが、いざ食糧が輸入できない事態に直面すればどの程度国民を飢えから守れるか…… まあ、それを心配するのは俺たちじゃなくて政治の課題だ。俺たちにできるのは、陰ながらほんの少し手助けをするくらいだろうな。たとえば、食糧難でも経営できてるハンバーガー屋とかな」

「ちょっとカズ、さすがに私にもわかるわよ? あんた妖精さんを使って仕入れがタダのハンバーガー屋をやる気ね!?」

 

 えっ? ギクッ。

 

「ギクッてなによギクッて! まったくなんてセコい男なの、妖精さんをこき使ってお金儲けをしようだなんて!」

「まあ待ていきり立つな叢雲、これはあくまで活動資金を得るための方便だ、人間社会ではなにをするにもまず先立つものがだな…… それに、現実問題として仕入れ費ゼロは無理がありすぎる、すぐ税務署に目をつけられかねんぞ。そんなリスキーな真似をするわけがないだろう」

「そうかしら? 架空の仕入れ費を帳簿に計上して、たんまり裏金を作るくらいはあんたならやるんじゃないの」

 

 やる前からなぜバレたし!? 俺に関する理解度が高い! 叢雲は俺が吹雪を背負っているのにも構わず、俺のケツをバシバシ平手打ちにしながら喚きたてた。

 

「カズがここにいてくれてること、私だって感謝してるわ! あんたのご飯美味しいし、私たちの知らないことも色々教えてくれる! それにギターも上手だし、歌は下手だけど」

 

 俺の歌のこと今関係あるぅ!? あと俺のケツ叩きまくるのやめて、地味に痛いのに癖になりそう、アッーー!!

 

「でもあんたにとっての私たちっていったいなんなのよ、ただの依頼人? それとも金づる? ああ口惜しいったら歯がゆいったら! 私たちはこの海のためなら命だって惜しみはしないわ、それなのにあんたときたら金金金って……!」

「ふはっ」

 

 叢雲の癇癪は最高潮に達しようとしていたが、俺はなんだか愉快になって中途半端に息を漏らしてしまった。

 

「なにかおかしいのかしら」

 

 おっと声が据わってるぅぅ〜、いや叢雲の志を馬鹿にするつもりは毛頭なかったんだ。ただ、元々はよそ者だった俺みたいな奴にも同じ志を共有してほしいだなんて、いつのまにか俺も随分と信頼されるようになったもんだ。そんな感慨を正直に伝えると、叢雲は言いにくそうに口籠もりながら俺にこう尋ねた。

 

「それは、ねぇ。何ヶ月か同じ釜の飯を食って、役割こそ違っても同じ敵に立ち向かって…… でもあんたはあんたでやらなきゃいけないことがあるのよね。娘さんにまた会うために」

「そうだな、それこそが俺の最大の願いだ。でもさ、笑ったのは悪かったが、おまえに信頼されていたとわかった時、正直言って光栄だったよ。こんな愉快な気分は久し振りだったし、嬉しかった。初めて会った日には、ロビーで皆に取り囲まれて尋問を受けていたのにな」

 

 その事はそろそろ忘れなさいよ、と叢雲はバツの悪そうな声を漏らした。

 

「スネークが死んでから五年あまり、俺の人生は生き腐れだった。キャサリーの成長だけが楽しみではあったが、いずれは娘も家を出ていく。そこから先はアラスカで雪に埋もれて独りくたばるしかないんだろうと諦めていた」

「でもここに来て人生が変わった。ひとたびは核なんか振りかざして世界に喧嘩を売ろうとしたろくでなしの俺が、まさか世界の危機に立ち向かう手助けをするだなんて思ってもみなかった! 叢雲、俺は今この上なく充実しているんだよ、こんな気持ちは生まれて初めてだ。未来に希望の光差すのが見えているかのようだ!」

 

 俺が指差す先にあるのはまあ、ただの地上への階段の出口だったわけだが。

 

「ほぼ未来はすぐそば、ブランニューエイジへようこそ! ついてこい叢雲、聞いてるか吹雪、この一歩は俺たちにとって小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる一歩だ!」

「スタァァァァァップ!!」

 

 熱弁を揮いながら勢いよく扉を開け放って明るい入渠ドックに歩み出ると、出口では連装砲を構えた漣と電が待ち構えていた。

 

「……なにやってるんだおまえたち、どうして主砲なんて持ってるんだ」

「どうもこうもないですぞ、誰かが地下から工廠にまで丸聞こえするほど大声で騒いでると聞いて」

「なにかトラブルでも起きたのかと思ったのです」

 

 地下にいた三人が揃っているのを確認して、漣たちは砲口を下ろした。

 

「吹雪ちゃんが失神しておられるようですが?」

「仔細は省くが、叢雲に投げられた。いつぞや俺が漣を投げたのと同じ技だよ」

「あれを? コンクリ床の上で!?」

 

 漣がゾクリと身を震わせた。

 

「失神してるほかに異状は見当たらないんだが、念のため入渠させてやったほうがいいかもしれんな。地下での準備は済んでいるよ」

 

 電がまた無駄使いなのですだなんだとブツブツ愚痴りながらも浴槽に湯を張り始め、漣と叢雲は床に寝かされた吹雪の介抱をしていた。俺は手伝おうにも勝手がわからないので、手近な椅子に腰掛けて皆が働くのを眺めていた。

 

「ちょっとカズ様?」

「これから吹雪を脱がせるのよ、出て行きなさい」

「入渠ドックは男子禁制なのです」

 

 いや俺はそんなつもりは…… むしろ俺以外全員が負傷した事態に備えてケアの手順くらい見学しておくべきでは!?

 

「「「いいから出てけこのスケベ!」」なのです!!」

 

 三人がかりでドックから放り出されてしまった。間髪入れず俺の背後で扉に鍵がかかる。

 

 

 そういえば五月雨はどうしたんだろう、まだロビーにいるのか? ふと思い出して本棟に戻ると、机上演習を続けていたはずのロビーには死屍累々とでも言うべき惨状が広がっていた。テーブルといわず床といわず、あちこちに転がって荒い息をついている妖精さんたち、防衛の指揮をとった五月雨はテーブルに突っ伏して小さく啜り泣いているようだった。

 

「どうしたんだ五月雨、なにがあった?」

「カズヒラさぁん」

 

 声をかけると五月雨が顔を上げた。涙と鼻水でべしょべしょになっていたがこれはこれで! あっなんか俺新たな性癖に目覚めそう、いやそれどころじゃないよ一体なにがあったの。

 

「ごめんなさいカズヒラさん、私負けちゃいました、みんなの島を守りきれませんでしたぁっ……!」

 

 たかが机上演習でそこまで泣かんでも。隣に腰掛けた俺の膝でぐずり泣く五月雨の頭を撫でてやりながら、俺はテーブルの惨状を眺め回した。地図がわりに広げられたこの島の写真、その周りには横倒しになった木彫りのシャケ、五体バラバラにされた連邦の白いヤツと右肩を赤く塗ったアレ、あとオレンジライトのドラゴンとグリーンレフトのデーモン…… いったいどこから引っ張り出してきたのこんなもの!?

 

 そして島の中央では、力尽きて地面に横たわる、おそらくは五月雨に見立てられた青髪の着せ替え人形を踏みつけにして、核の落とし子たる某怪獣王が勝利のガッツポーズを決めていた。

 

『ほうだいがそうそうにぜんめつしたのでひかりのきょじんをるーるにとりいれたのです。さみだれさんもぜんせんしましたが、さすがにだいしぜんのいかりがあいてとあっては……』

 

 防衛側に参加していた工廠妖精さんの一人が悔しそうに吐き捨てた。いや、怪獣王まで引っ張り出させた時点で普通にスゲーよ。

 




 早春イベ始まったのにモチベが上がらない件。

 グラサン提督第二十七話をお送りしました。次回からは、クラーク博士の手記を追っていく話になるかもしれません。それでは、また次回お会いしましょう。


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第二十八話 ノイジーマイノリティ・リポート

 ロビーで泣いていた五月雨をなんとか宥めて、まだ夕食までは少し時間があったから俺はいったん司令室に戻った。しまったなぁ、ナオミが書き残したクラーク博士の手記の解読ノートをうっかり持ち出しそこねてしまった。今はまだ吹雪が入渠中だろうからしばらく地下には行けない、機会を見てもう一度取りに行かなくてはならんだろうか?

 

 こんな小さな施設なのに妙に重厚なデスクに肘をつき、ぼんやり壁を眺めながら今日の出来事を反芻していると、いきなり勢いよく引き出しが飛び出して俺の腹に直撃した。おぶっふドラえもん第一話!?

 

 たまらず椅子ごと後ずさると、半開きの引き出しからハジメさんが気まずげな顔を半分のぞかせていた。

 

『て、てじなーにゃ』

 

 可愛いから許す。(1秒)

 

 いつの間にかハジメさんはナオミのノートも運んできてくれていた。思い返せば地下から上がってくるときには姿を見せなかったハジメさん、いったいどうやってこの部屋に先回りしていたんだ?

 

『あのちかしつはぼうくうごうもかねているとおつたえしたでしょう? このへやにはちかしつへのかくしつうろがあるのです』

 

 なるほど。泊地に大がかりな敵襲があったりした場合は、立ち向かう力を持ち合わせない俺なんかはここから避難するってわけか。ハジメさんに教わったとおりに壁の掛け軸をめくってみると、たしかにそこには俺くらいの体格でも充分通れるほどの竪穴の入り口があった。なんだこりゃ、忍者屋敷か? 穴の奥を覗きこんではみたがダストシュートのように深くて真っ暗で、底がどうなっているかはとても窺い知れない。見る限り命綱もポールも何もないんだが、非常時はここから飛び降りなくちゃいけないのか!?

 

「……まさか地下まで真っ逆さまじゃないよな?」

『わたしたちがひとさまをきけんにさらすものをつくるわけがないでしょう? ぜったいあんぜんです、とらすとみー』

 

 ハジメさんはドヤ顔で胸を張って見せたが、今までにこのダストシュートを実用した前例はあったんだろうか?

 

『これまでこのしまにきていただいたかたがたには、くんれんのためさいていでもいちどはたいけんしていただいております。なかでもざ・ぼすさんにはなかなかたのしいとごこうひょうをいただきましたよ?』

「他のみんなは?」

『……できればにどとやりたくはないと』

 

 まあいい、いや心情的に言えばよくはないんだがこれも安全のためと思えば仕方ない。いざって時に尻ごみするようじゃ困るから、今日は時間がなくてもそのうち俺も練習しておくとしよう。

 

 それからハジメさんが説明してくれたことによれば、俺たちが階段を上っている間に彼女はこのシュートを地下からフワフワ飛んでノートを運んできたんだそうだ。俺も登れるだろうかと聞いてみたが、生身の人間が装備なしで登るのはまず無理との見解だった。

 

 とりあえずシュートの件は後回しにして、まずはこのノートだ。パラパラと一通りのページを繰ってみると、どこかに挟みこんであった写真が数枚デスクに落ちた。

 

「……なんだこれ」

 

 拾い上げてみると、そこに写っていたのは見憶えのない女の姿だった。ナオミでもザ・ボスでもない、もちろんストレンジラブでもない。栗色のボブカットを八二に分けた、歳の頃なら三十路手前くらいのなかなかの美人だった。

 

『そのひとがくらーくはかせです。ちかにかめらがしまってあったでしょう? いまはさざなみさんづきのかめらまんようせい、あいつがそのかめらでとったものです』

 

 それは俺がカメコさんと名付けた子のことだな。この島の少女たちの際どい映像を撮りたがる悪癖のある子だが、もともとそっちの方面に興味があったってことなのか。数枚ある写真で普通の服装をしていたのはたまたま最初に見た一枚くらいで、あとはみんな迷彩柄のビキニに白衣を羽織ったり麦わら帽子を被ったり、まるで海水浴のスナップ写真としか見えないものばかりだった。中には悪ふざけで撮ったか、それともカメコさんが上手く乗せたのか、ずいぶんと煽情的なポーズのグラビアショットもあるじゃないか。この博士、歳に似合わずノリノリである。どうやらクラーク博士はこの常夏の島でのバカンスを存分に楽しんでいたようだった。

 

「これは実にけしからん、まったく度し難いな……」

『かずさん、なぜしゃしんをぽけっとにしまうのですか』

 

 地下でも言ったとおり、クラーク博士は長らく謎のヴェールに包まれたままだった人物だ。『おそるべき子供たち』計画に携わっていたというなら、本来の博士は俺よりも結構歳上だったはずなんだが、おそらくは彼女も俺と同様に若返った姿でこの島に連れてこられたのだろう。それでも、彼女の素顔を知ることのできるこれらの写真は貴重な資料となるかもしれない。だからナオミもこの写真を保管していたんだと思うし、俺だってこれを後で変なことに使うためにくすねようとか考えてるわけじゃないんだぞ、ホントだぞ?

 

 疑り深そうなジト目で俺を睨むハジメさんの視線から目をそらしながら、あらためて俺はナオミのノートを読み始めた。このノートは、そもそもはナオミが定期的に行なっていた子供たちの健康診断の記録として書き始められたもののようで、前半三分の一くらいはそれらのデータとナオミの考察で占められていた。

 

 あれっ、クラーク博士の手記の原本に貼られていた写真もそうだが、このノートもそれはそれで俺が読んだとバレたらやばくない? みんなの身長体重胸囲座高にスリーサイズまで事細かに記録されてるぞ、これもまた読んだら隠さなきゃいかんなぁ……

 

 ノートのそこから先はだいたい全体の半分くらいまで白紙のページが続き、どうやらノートの後半からがクラーク博士の手記を解読して書き写したもののようだった。

 

 

 

“気がつくと私は真っ暗で狭いカプセルか何かの中に閉じこめられていた。意識を失う前、最後の記憶では自分の研究室にいたはずだった。実験中のサイボーグ兵士が拘束を引きちぎり、私に襲いかかって来たのだ。そこから先はよく憶えていない、私は死んでしまったのだろうか? もしかしてここは棺桶の中!? パニックになってめちゃくちゃに暴れたら、カプセルはあっさり開いた。しかし、外に広がる光景はまったく見覚えのない部屋だった。”

 

“カプセルの中はなんだか磯臭い液体で満たされていて、私は全身ずぶ濡れだった。ここはどこなのかしら、いったい今日は何日なの? 確かめようと思ってポケットを探ったけど、携帯電話は浸水して壊れてしまっていた。”

 

“あらためて自分が入れられていたカプセルを眺めてみた。これはずいぶん昔に破棄された『絶対兵士』プロジェクトで使われていた、強化兵士のリセットを行うための調整槽だったはずね…… なぜここにこんなものがあるのだろう?”

 

“窓のない部屋の中にはなんに使うのかわからない機械があちこちに据えられていた。あたりに私の他の人影は見当たらない。ずぶ濡れの服が気持ち悪い、ていうかなんだか臭い、シャワーを浴びたいし着替えたい。せめて顔くらいは洗いたい。”

 

“濡れた身体でペタペタ歩き回って、部屋の隅にトイレを見つけた。化粧台で顔を洗って、顔を上げたら鏡にはピチピチの美少女が映っていた。”

 

“いえ、興奮してちょっと調子に乗りすぎてしまったみたいね。鏡に映っていた私は、たぶん今から四十年くらい昔、まだ三十歳にもならない頃の若々しい姿…… 美少女は少しだけ話を盛り過ぎたわ、さしずめ妙齢の美女ってところかしら? でも、いったいどうしてこんなことに?”

 

 

「……なんぞこれ」

 

 ちょっと読んだだけでなんだか頭痛がしてきたような気がして、俺はノートを閉じた。

 

『ひょうきんなおねーさんですよね』

 

 文面を追った限りの印象では、とてもクローンと遺伝子技術の世界的な権威たる一流研究者の文章とは思えなかった、例えるならばまるで平凡なOLのブログかなにかのようだ。

 

 

 

“途方に暮れている私のそばに、機械の陰から小さな何かがフワフワと宙を漂ってきた。手のひらに乗るほどの小さな小人さん、いえ、これは妖精さん!? 葉っぱや花びらのドレスじゃなくてなんだか地味な作業服を着ているし、羽根も生えていないのが気になるけど、この子はまさに妖精さんよ! まさか実在していたなんて、少佐やシギントにも見せてあげたいな。”

 

 

 

『……くらーくはかせのようせいかんはふるいんですよ。いまはわたしたちもとっくにこうぎょうかのじだいですので』

 

 ハジメさんは不満そうに苦言を呈した。妖精観ねぇ……  そう言われてみれば、欧米各国の軍隊で教官を勤めていた頃、俺が日本育ちだと知った奴から日本人は今でも刀を差して歩いているのかって質問を受けたことは何度かあった。本気で訊いてたんだとしたら、彼らの日本観は江戸時代で止まっていたのだ。

 

 なお俺はそういう質問をしてくる奴には、日本人は皆小学校からニンジャの訓練を受けていて、外国人は全員監視されている。だからもし訪日する機会があっても絶対悪いことはするなとそう教えてある、日本なめんな。

 

 それはともかく、妖精さんもすっかり工業化して今じゃ作業服で工具使ってるってのもあんまり夢のない話のような気がして残念だなぁ。ハジメさん、花びらのドレスとか着ないの?

 

『きるのはかんたんですが…… えいっ』

 

 気合いをかけてくるりと一回転、ハジメさんは桜の花びらを重ね合わせたようなドレスをまとい、キラキラ輝く蜻蛉のような羽根を持ち合わせた姿に早替わりしていた。おぉー、やっぱり妖精さんと言ったらこういうもんだろう!

 

『どぉーです、いかにもらしいでしょうー? でもこんなかっこうでしごとをしたくはないですね』

 

 もう一回転すると、ハジメさんは元の作業服に戻っていた。ここに漣のスマホがあったなら撮っておいたのに惜しかった、また今度頼もう。

 

「じゃあ、その羽根は普段作業服の中にしまっていたのか?」

『わたしらははねなんてなくてもとべますよ? あんなのかざりです、ふるいひとにはそれがわからんのですよ』

 

 うわぁロマンのない話、聞くんじゃなかったぜ。

 

 クラーク博士の手記は、このような訪島の経緯と妖精さんとの出会いから始まり、やがて保存していたパスの遺体を見せられ、そのクローンを造り出すことが招聘の目的であったことを告げられるに至っていた。

 

 

 

“妖精さんに見せられたご遺体は、話を聞く限りではもう死後何十年という月日が経過していたにもかかわらず、まるで昨日今日に亡くなったかのような鮮度を保っていた。保存されていたのは四肢の一部や複数の臓器、妖精さんはここからできるだけ多数のクローン人間を作り出してほしいと私に要求した。やり遂げることができたなら、死の運命を回避した新しい未来を与えて私を元の世界に帰してあげるとも約束された。この若返った姿で帰っちゃダメ? とダメ元で聞いてみたけど、妖精さんは渋い顔だった。”

 

“クローン培養のために私が要求した機材や薬剤などは、妖精さんの手によって即座に用意された。ただ用意されたというだけではない、どれを見ても私が知る最新鋭の技術以上のなにかが使われていると感じた。”

 

“培養を始める前に、まず試料の解析から始めた。このご遺体はいったいどうやって保存されていたのか、直接的な損傷を受けていない部分の細胞はまだ生命活動を続けていた。体細胞はもちろん、ようやく残っていた不完全な卵巣までもが…… いくつか無作為にピックアップした部分から、これらの肉片はすべて同一人物の遺体で間違いないものと結論した。”

 

“解析の結果、このご遺体は女性、年齢はおそらく二十代、人種的にはメスティーソであろうと推察された。ただし、白人の血がかなり濃く出ているようね。”

 

“私はなんとなくご遺体の生前の素性が気にかかって、妖精さんに尋ねてみた。しかし、私は知らないほうがいいというにべもない答えしか返ってこなかった。少しだけ教えてもらえたのは、’70年代半ばに南米の戦乱で亡くなった民間人であるということだけだった。”

 

“身元不明のご遺体に、私は仮にジェーン0と名付けた。身元不明の女性だからJane Doe、そこからクローンを造るオリジナルだからゼロだ。それだけの単純な理由だったが、その名から思い出したのは今から四十年も前、あのスネークイーター作戦を指揮したゼロ少佐のことだった。”

 

“ゼロ少佐と出会って、私の人生は大きく変わった。あの作戦で、私たちは何よりも大事なものを守り抜くために、誰よりも尊い人を生贄に捧げた共犯者となった。作戦が終わった後、私たちは東西の垣根をも越えて集い、私たちが犠牲にしたあの人の遺志を未来に繋ぐための秘密結社を結成した。最初は本当にそうだったはずなのに、いったい私たちはどこから道を誤ってしまったのかしら?”

 

“あの人、ザ・ボス。そして彼女が最期に遺した教え子、ネイキッド・スネーク。世を去ってしまったザ・ボスの代わりに、彼こそが私たちの戴くイコンだった。しかし、彼だって人間である以上はいつか年老いて死んでしまう。そして、彼は若き日に参加した作戦で受けた放射線被曝の影響から、すでに普通の手段では子孫を残すことができない身体になってしまっていた。”

 

“ゼロ少佐は、私にスネークのクローン人間を造るように命じた。ザ・ボスへの贖罪意識と、科学者としての知識欲と、医師としての倫理観との狭間で私は悩んだ。それだけではなく、正直に告白すればそれ以上に私は少佐が恐ろしかった。彼の言葉に従わなければ、私一人なんて簡単に抹消してしまえるだけの力が少佐にはあった。私は恐怖と我欲に屈した自分自身から目を背け、贖罪の使命を言い訳にして悪魔の手を取った。”

 

“この計画をきっかけに、少佐とスネークとは決裂してしまった。結社は分裂して、スネークとその支持者は結社を去った。しかし、我が身を処するだけの力のない私やシギントは、少佐から逃れることなどとてもできなかった。私たちはもはや対等な同志ではなくなり、狂気的な暴走を続けるゼロ少佐の従属者として生きていく他に道はなくなってしまった。”

 

“私はATGC社に入職し、世界最高クラスの研究環境と報酬を得ていた。しかし、ゼロの意思に従うままそこで行われていたのは、決して表沙汰にはできない非道な実験ばかり。今さらそれを止めることはできず、私はだんだんと人前に出ることもできなくなっていった。”

 

“ある時期から、ゼロは私にすらまったく顔を見せなくなった。彼の副官だった男の手ですでに謀殺されているとも、あるいは暗殺の手を逃れおおせて隠遁したとも聞いた。”

 

“ゼロの副官、スカルフェイスが権力を掌握したのなら、私たちはどうなるのだろうとは想像するだに恐ろしかった。しかし、奴の天下は長くは続かなかった。結社を離れたスネーク、ビッグボスとの抗争に敗れてアフガンで討たれたのだと聞いた。”

 

“スカルフェイスが死んでも、結局ゼロは戻ってこなかった。権力の座が空席となった後の結社の指揮を委任されたのはシギント。ただし彼は意思決定者そのものではなく、結社の意思決定を担っていたのは彼が管理する代理AI群『愛国者達』、ザ・ボスの遺志を再現した模造品。でも私にはわかる、あれはザ・ボスなんかじゃない。あれはゼロの願望に沿って都合よくねじ曲げられたボス。いえ、ゼロの狂気そのものだった。何重にもバックアップを用意して厳重に隠蔽されたAI…… 不滅の狂気が私たちの新しい主だった、おそらくは管理者たるシギントにとっても。”

 

 

 

 俺はここまで読んでまたノートを閉じた。代理AI群だと? 俺がダイヤモンドドッグズとして活動を始めるまで、俺はまだゼロと繋がりを持っていた。最後の連絡は、あいつのせいでスネークたちの身柄を隠された後になってからのことだった。

 

 あの時までは、まだ電話の向こうにいたのはゼロ本人だったと思う。少なくとも、あの偉そうな上から目線で持って回った言い回しを多用したイギリス発音の話し振りに違和感は覚えなかった。あっ思い出したらまたなんとなく腹が立ってきたぞ?

 

 それから九年が過ぎ、スネークの覚醒を告げる『Vが目覚めた』、その連絡はゼロの声ではなかった。さらに二十年は経った’03年時点でもゼロが復帰していないということは、逃亡先で殺されたか、さもなくとも再起不能になるくらいに痛い目には遭わされたのだろう。

 

 ふっははは、やっぱり神様ってのは見ておられるもんだ、天罰覿面とはまさしくこのことだな。スネークをあんなことにさせた恨み、MSFを潰され仲間を虐殺された恨み、パスを殺された恨み、俺の手足を奪われた恨み。実行犯はスカルフェイスだったし、まんまとそうさせたのは俺のマヌケも大きな原因だったが、そもそもあの糞ジジイが横槍を入れてこなけりゃあんなことにはならなかったんだ。くだらない内輪揉めで潰れるとはザマァねぇなサイファー、ザマァ見やがれゼロ!

 

 ちくしょう、あの変態ボスキチ厄介だけはできることなら俺自身の手で生皮剥いでやりたかったんだ。だが、どこかで人知れず野良犬のようにみじめにくたばってくれたのならそれはそれで愉快なことだ。もう今夜は祝杯だな、フゥーハハハァー!!

 

『かずさん…… さんそけつぼうしょうにかかって……?』

 

 ひとり高笑いを抑えられない俺をハジメさんが変な目で見ていたがなにも気にならん、スカルフェイスの奴も時には味な真似をしてくれるじゃないか。奴のことを絶対許しはしないが、今夜の乾杯はあいつに捧げてやってもいいな!

 

 ゼロの消息もそうだが、ゼロが消えた後にサイファーの指揮を実質的にAIが担っていたとは。これも俺にとっては初めて知った事実だった。俺たちがどれほど追いかけても奴らの尻尾を掴めなかったのも道理だ、俺たちには追うべき敵が見えていなかったのだから。

 

 それにしても、自らの狂気をAIに託してまで未来に遺したいだなんて、とんでもなく迷惑な話だな? いつまでも権力の座を守りたい、永久に世界に影響力を行使したい、永遠に生きたい…… 権力を握ったやつの考えることなんて、いつでもどこでもそこに行き着くもんなのかね? あのイギリス人は、シェイクスピアよりも平家物語とか読んでおくべきだったんだ。まあゼロの陰口はこの辺でやめにして、今は手記の続きを読み進めていこうか。




 MGS3で物語に初登場し、スネークを助けた口うるさい美人女医パラメディックことクラーク博士。作中の無線では、自らのコードネームの由来となるパラメディック部隊の構想についても明かされていました。

 自らの身の危険をかえりみず、兵士の命を救うために戦場に舞い降りる医師。その夢を熱く語っていた彼女が、MGS4以降の作品で語られるクラーク博士、『愛国者達』のために長年数々の非人道的な研究を行ってきた狂った科学者と同一人物とは、わたくしどうしても信じられなかったわけですよ。

 権力を握って変わった、とかいうテンプレでもそれはそれで構わないんですが、そのあたりでどう彼女の意思が動いてきたのか、それに対するわたくしなりの解釈が今回のお話を書いた動機でした。

 次回ももうちょっとクラーク博士がらみの話になる予定です、それではまた次回お会いしましょう。


追伸

 イベントはE2を丁でなんとか抜けました。もうやだこの運営。


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第二十九話 ドクター・サボローの島

 前回からの続きです。すごく今更ですが、“”で囲った太字の文はクラーク博士の手記からの引用とご承知ください。



“AIの奴隷となった私の研究生活はさらに長い時が過ぎて、時代は21世紀、暦は2003年に入っていた。私はもうずいぶんおばあちゃんになってしまっていたが、そんな頃社内のある人物から私にコンタクトがあった。その名はナオミ・ハンター博士、社内のデータベースによれば彼女の専門は遺伝子工学、まだ若いけど相当に優秀な科学者だった。”

 

“研究者としてもう先のない私の後釜がこのナオミ博士なのだとその時悟った、でも用済みになった私はどうなるのだろう…… AIがどう判断しようと私には抗う術はなかったけど、いつか彼女が私と同じ轍を踏まないように、その前にせめて伝えられるだけのことを打ち明けておかなければならないと思った。普段の私は社内の誰ともほとんど会うことがなかった、今ではもはや経営陣ですら私の顔を知らない者の方が多いくらいだった。常日頃からそれだけ警戒していたにもかかわらず、その時の私は彼女からの面会の求めを了承してしまったのだった。”

 

“ナオミが私の研究室を訪れた時、入ってきたのは彼女一人ではなかった。驚きよりも懐かしさすら感じたその顔、彼もすっかり歳を取ってしまっていた。元・GRU山猫部隊のリーダー、オセロット少佐。彼もまた、かつては結社に集った同志の一人だった。”

 

 

 

 元々はクラーク博士がこの島でパスのクローンを造るに至る経緯の手記だったはずなのに、いつの間にやら博士の半生記になってるんだよなぁ…… しかし、サイファーの創設メンバー自身による内部事情の暴露というつもりで読めば、世界中でもこの俺こそがもっともこの手記を必要とする読者であるかもしれなかった。

 

 繰り返すが、この手記はクラーク博士のクッソ汚い悪筆をナオミが読解して清書したものである。そして、俺は引用せずに省略したが、そこに書かれた医学技術や専門用語については、ところどころにナオミ自身の見解や解説を赤ペンで注釈として書き加えられていた。

 

 これは俺の感想にすぎないんだが、もしかしたらこのノートもナオミ自身にとってはあくまで草稿でしかなく、あとから自身の残した子供たちの診察記録とあわせてきれいにまとめ直すつもりだったのかもしれない。

 

 ナオミがなんのためにそんなことをしたのかというと、それはこの記録がきっと先々あの子たちを支援する誰かの助けになるだろうと考えたからではないだろうか。しかし、作業が終わる前にナオミが元の世界に帰されてしまったために、ノートは未完成のまま地下深くの鍵のかかった引き出しの奥で塩漬けになっていたわけだが。

 

 さて、クラーク博士の回想はナオミとオセロットが訪問するところまでで唐突に途切れ、次のページからは博士が番号を振ったクローン、ジェーン01〜05までの経過観察と、他には博士のバカンス生活についてのわりとどうでもいい記述が続いていた。しかし、内容が急に切り替わったところをよく見ると、ノートから一枚か二枚か、ページが破り取られた不審な痕跡が認められた。

 

 破り取られた部分には、これまでの文脈から予想するに、おそらくはクラーク博士が死に至った事故の真相が書かれていたのではないかと思う。そして、そこにはナオミもなんらかの形で関与していたのではないか? ナオミはその記述を一度書き写しはしたが、万が一でも余人の、たとえば子供たちの目に触れることを恐れて破り取り処分したのではないだろうか。

 

 ナオミ以外の誰かがノートに手を加えた可能性もなくはないが、俺より前にここにいたザ・ボスやストレンジラブはこのノートを見たのだろうか? 地下に入渠ドックのための給湯設備が造られたのは開発者であるストレンジラブが来てからのはずだが、おそらくあいつには引き出しの鍵を開けることはできなかっただろう。

 

 それ以前にもザ・ボスが地下を調べていた可能性はあるが、正直ザ・ボスほどの人がわかりやすい痕跡を残していくわけがないし、それを俺などに簡単に見つけられるとも思えない。少なくとも、ノートに残された筆跡にはナオミらしき一人のものしか見当たらず、現状ではこの件についてそれ以上の追求は俺には無理だ。

 

 破り取られた先の記述を読み進めてみると、妖精さんが設備を整えて、クラーク博士がパスのクローンを造りはじめてからだいたい四、五ヶ月くらいだろうか。その頃にはクローンはほぼ成長を終えていたようだ。俺が見た五人のパスの写真、それはその頃に撮られたものらしかった。

 

 ただし、その五人の頭の中身は空っぽのままだ。複製元であったパスの記憶を引き継いでいるわけでもなく、カプセルの中で眠ったまま成長した生きている死体のようなものだった。

 

 ハジメさんはその肉体を依代に駆逐艦の魂を降ろしたと言った。その時具体的にどのような出来事があったのか、その記述を最後に、クラーク博士の手記は途切れていた。

 

 

 

“妖精さんに頼まれたクローンの培養は、五体とも無事完成までこぎつけることに成功した。しかし、妖精さんたちはこの子たちをどうするつもりなのかしら…… 彼女たちは一見人間として十全の機能を備えているように見えても、脳の中身までオリジナルのジェーン0を複製できているわけではない。”

 

“このままカプセルから外に出したとしても、彼女たちは立って歩くことも、言葉を話すことも、いえ、それどころか目を覚ますことすらないでしょう。その肉体は一人前に活動することもなく、その脳は自らの生命活動を維持する機能すら備えてはいない。カプセルの生命維持装置から切り離されたらすぐにでも死んでしまうような、美しくも儚い模造品…… 私はただ請われるままになんてものを造ってしまったのだろうか、その罪深さに慄かされた。”

 

“『おせんちはそこまでにしておきなさい』背後からの小さな声に振り向くと、そこには妖精さんの大群が控えていた。『さるべーじかいし!』『のりこめー』号令とともに、妖精さんの群れが次々と五基のカプセルに飛びこんでいった。『さあ、はかせははなれてください。しあげはわたしたちが』妖精さんの大群は私にもまとわりつき、私はカプセルから引き離されてしまった。”

 

“ガラス窓をすり抜けて飛びこんだ妖精さんがすっかりカプセルに詰まりきると、バーナーを構えた妖精さんたちが進み出た。待ちなさい、それでなにをするつもり!? 制止するまもなくバーナーに点火し、カプセルは炎に包まれた。なんてこと! これじゃまるで『食人族』みたいじゃない、この島はグリーン・インフェルノだったの!?”

 

“『おちつきなさいはかせ。ほのおはすべてをやきほろぼすおそろしいものですが、またあらたないのちをふきこむそくめんをももつものです。さあよくごらんなさい、あなたのつくったくろーんに、われわれがいまたましいをふきこんだのです』私が顔を上げると、燃やされたはずのカプセルは焦げ跡一つなく正常に動作を続けていた。”

 

“『せいこうじゃー』『ばんざーい、ばんざーい』喜びに沸く妖精さんを掻き分け、私はカプセルに歩み寄って中を覗きこんだ。カプセルに詰まった妖精さんも、私が造った五人のジェーンも姿を消して、カプセルの中身は焼かれる前とはまったく異なる姿の五人の少女に変貌していた。”

 

“日本人らしき黒髪で芋…… いいえ、素朴な顔立ちの子、長い銀髪が目を惹くすごい美人の子、冗談みたいなピンクの髪をした子、晴れた日の海のように青い髪がきれいな子、ちょっと小柄な茶髪の子…… 妖精さんはいったい何をしたのか、ジェーンたちはもとの姿形からすっかり変わってしまった。でも、ただ変身しただけではなく、この子たちは今までのように覚めない昏睡を続けているわけではないと一目で確信できた。だって、茶髪ちゃんの手足が少し動いた。銀髪さんは眼球運動をしているのがわかる。夢を見ているのね…… どんな夢なのかしら? 黒髪ちゃんは歯ぎしりをしていた、カプセル越しなのにすごくよく聞こえた。青髪ちゃんが寝返りをうった。ピンク髪ちゃんは、お尻をボリボリ掻いていた。”

 

“妖精さんが言うには、明日の朝にでもあの子たちは目を覚ますだろうとのことだった。今夜はもうパーティーね! 思いっきり贅沢な食事やお酒を用意して、妖精さんたちと一緒にあの子たちの誕生をお祝いしよう。”

 

 

 

『ちなこのときばーなーをふるうえいよをいただいたうちのひとりががわたしです。えっへん』

 

 ハジメさんは自慢げだった。オマエノシワザダタノカ。

 

『くらーくはかせはけんぞうのせいこうにたいへんかんげきしてくれましてね、みんながめをさましたらじぶんがこそだてをするってはりきっていたのですよ』

「でも、あの子たちを育てたのはナオミ先生だったんだよな?」

『はい。ぱーてぃーがおわったあと、さんざんのんでくってたかいびきのくらーくはかせにはそのままもとのせかいにおかえりいただきました。そのあとなおみせんせいをここへおまねきしたのです』

 

 なんでまた? と尋ねてみると、ハジメさんは難しそうな顔でこう答えた。

 

『くらーくはかせにはわれわれのきたいいじょうのおはたらきをいただきました、われわれいちどうかんしゃにたえないのであります。ただ、くちくかんのみなさんにとっていくせいやくにふさわしいかたはほかにいらっしゃいましたので』

 

 その適任者がナオミ、ザ・ボス、ストレンジラブ、そして俺ってことか。

 

「んで、本音は?」

 

 俺が重ねて問うと、ハジメさんはちょっと驚いていた。なんというか、ハジメさんがクラーク博士について語るとき、俺はその言葉の端々に反感を、いやそこまで根深くないにしても、かすかな不満のようなしこりを感じたのだ。

 

『……くらーくはかせはかがくしゃとしてはゆうしゅうなかたでしたが、こどもたちのきょういくじょうこのましいじんぶつではないとおもわれました』

『はかせときたら、ぷろじぇくとのせいひのきーぱーそんであるたちばをいいことに、われわれにたかってまいにちまいにちぐうたらなぜいたくざんまいを…… かずさん、ものおきべやにあったがらくたのかずかずをみたでしょう? あれはほとんどがはかせのもとめにおうじてかきあつめたものだったのです』

 

 裂けそうなほどにハンカチを噛み締めて悔しがるハジメさん。彼女をここまで怒らせるとは、いったいクラーク博士はどんな要求をしていたんだ? その時俺は先日の電とのことを思い出した。

 

「もしかしてあれか、先日電に焼かれたDVDの山もそうだったのか」

 

 言ってしまってからうっかり口を滑らせたと思った。いつぞやの軍法会議で槍玉に挙がったのは麻雀賭博の件だけで、景品のえっちなDVDについては皆に伏せられていたし、あとでハジメさんに処分を頼んだのは大ハズレの熟女もの一枚だけだった。しかし、ハジメさんはそれくらいの事情はとうに承知済みだったようだ。

 

『あれはですね、はかせがえいがをみたいというからごよういしたのです。まいなーでいかがわしいえいががみたいと、だからくろうしてかきあつめたのに…… そういうほうこうせいじゃないんだとおこりだして、はかせはけっきょくいちまいもみずじまいでした』

 

 独身女にエロDVD詰め合わせをプレゼントしたら怒られるのも無理もない気がするが、ハジメさんの話の続きによれば、博士はその後もマンガ、ゲーム、CD・DVD、おもちゃ、カメラ、家電、デジタルガジェットその他諸々を要求するなど、滞在中はしこたま妖精さんにたかり続けたそうだ。

 

 ハジメさんが数年越しにぶちまけた憤懣は俺自身にも耳の痛い話だった。いずれ日本で活動を始めるときにも、妖精さんにたかって仕入れタダのハンバーガー屋をやるのはよしておこう。

 

 さて、あの子供たちが無事誕生したあと、妖精さんはクラークを早々に送り返し、新たにナオミを子育て役として島に迎えた。

 

 妖精さんの口から事情を知ったナオミは義憤にかられ、子供たちの情操教育上問題はなさそうだと思われたものだけを寄宿棟に残し、あとのガラクタは全部本棟の空き部屋にとにかく詰めこんだらしかった。博士の手記が途切れた続きには、そのあたりの経緯がナオミ自身の筆による注釈として綴られてノートは終わっていた。ノートの最後の1ページまで使い切り、その先も裏表紙の裏にまで書きこみかけて中断された最後の一文が妙に気にかかった。

 

 

 

“元の世界でまた会うことがあったら絶対ただではすまさない、よりにもよってこんな干物かサボテンみたいな女に私の兄さんが”

 

 

 

 

 いくら引きこもり生活だったとはいえ、クラークはFOXHOUNDのメディカルチーフの地位にあった。だから、部隊にいたナオミの義兄フランク・イェーガーとなんらかの縁があったとしてもおかしくはないんだが、ナオミの最後の言葉はもはやほぼ罵倒も同然である。この三人にどんな因縁があったのだろうか? まあ、どうせ俺にも、この島の子供たちにも無関係のことだろう。それ以上深く考えはせず、俺は読み終えたノートを自分のデスクにしまいこんだ。そうそうハジメさん、悪いんだがこのデスクの鍵を用意してくれないか? 結局このノートも隠しておかないわけにはいかないようだし。

 

『それくらいはおやすいごようです』

 

 ハジメさんはすぐさま簡単な鍵をさっと差し出してくれた。ナオミのノートとクラーク博士の写真を引き出しにしまって鍵をかけてみた、やはりヘアピンでこそ泥の真似事をするよりずっと楽だ。このノートはこれからはこっちで保管しよう。

 

『かずさん、ちかにおいたままのげんぼんはかいしゅうしなくてよろしいのですか』

 

 すぐ確認できる俺の部屋にこうして隠し場所を確保できた以上、あっちのノートも地下から回収してかまわないかもしれない。それに、あっちにはナオミが自分のノートから破り取った部分の原文が書かれているはずだ。そこが気になるのはやまやまだが、あの悪筆を自分で解読するのは気が重いなぁ……

 

「解読はそのうちやるから、ハジメさんノートだけ先に回収しておいてくれないか?」

『へあぴんいっぽんでかぎをあけるようなきようなまねなんて、わたしにはとてもむりです』

「今みたいに鍵作ればいいじゃないか」

 

 ハジメさんは横を向いて口笛を吹き始めた。あからさまにサボタージュなのだ! 

 

「じゃあ、デスクごと解体して中身を取り出すとか」

『なかみののーともいっしょにぶんかいしちゃいますがよろしいか』

「ぐぬぬ……!」

 

 日頃から物理を無視したものづくりをしている割に、意外なところで融通が利かないものなんだな。仕方ない、どうしても俺が自分で行かなきゃダメってことか。ハジメさんがなにを企んでいるのかは心当たりがある、だったらやってやろうじゃないか。俺は壁の掛け軸を一瞥すると、ふんすと気合を入れて立ち上がった。

 

「ようし、じゃあ地下に行くついでに、やってみるか避難訓練」

 

 ハジメさんが目を細めて笑った。うーん、さすがに殴りたいこの笑顔。さっきも言ったとおり、この掛け軸の裏には地下壕直通の竪穴がある。危険はないとハジメさんは言ったが、底の見えない穴に飛びこむのは実際相当勇気が要る。

 

「本当に大丈夫なのかこれ……」

 

 穴の底はやっぱり見えない。ただ、こんな穴なら風が通っててもおかしくないのに、そういう流れはまったく感じなかった。

 

『かぜがとおってかけじくがばたついたらかくしつうろのいみがないでしょう』

 

 ハジメさんはこともなげに言ったがなにそのムダ技術。

 

「飛びこむにあたって、なにか留意点はあるか?」

『そうですね、てあしをばたばたしないこと、からだはまっすぐ、うではむねのまえにこうさ、つたんかーめんになったつもりであしからおちるとよいです』

「ツタンカーメンは穴に落ちないと思うなぁ……」

『つべこべいわない』

 

 穴の淵に立った俺をハジメさんがゲシゲシ蹴ってきたが、そんなに急かされたって怖いものは怖いよ。羽根を備えて宙を舞う身には、地べたを這いずるヒトの気持ちなどわかるまい!?

 

『だからはねはかざりですってば。そんならこうです』

 

 ハジメさんは俺の胸ポケットに潜りこんだ。

 

『さあ、これでもうわれらはいちれんたくしょう。おそれることなどなにもありません』

 

 ハジメさんがポケットに入ってても安全保障にはならないんだよなぁ。ハイラル地方の妖精さんみたいに俺が力尽きる時に自動で回復させたりしてくれるんなら話は別だが。

 

『ほうほう、せけんにはそんなべんりなどうぞくがいるんですな、いずれさんこうにさせてもらいましょう。さあさあなこかいとぼかい、なこよかひっとべぃ』

 

 ひっとべー♪ ひっとべー♪ などと懐かしいメロディに乗せてハジメさんは歌っていた、俺のポケットの中でモゾモゾ踊り回るのはやめてもらいたい。

 

「よぅし、俺も男だ、ヘリの墜落に巻きこまれても生き延びたんだ! いくぞッ!」

 

 俺は意を決して竪穴に身を躍らせた。落下にかかった時間はほんの二、三秒足らずだったろうが、それでも俺には走馬灯が見えそうなくらい長い時間に感じた。

 

 

 竪穴の先は薄明るい部屋に通じていて、俺は虚空に投げ出された。そこで急に落下速度にブレーキがかかり、気がつけば俺は大きな救助マットの上にふんわりと着地していた。なんだこのマット、あまりに大きくて全貌がよく見えないんだが、どうやらアニメ調の女の子のイラストが描かれているようだ。大丈夫ですとかなんとかいう文言も書かれている。なんだか知らんがすごい安心感だ。

 

『そのものやせんふくをまといてこんごうがたにおりたつべしー、ふるきいいつたえはまことであったー』

 

 ハジメさんがポケットから顔を出して神妙な台詞を吐いていたが、なんだその実のなさそうな予言は。

 

「こんなマットを用意してたのなら、最初に教えておいてくれよ」

『そこがとうあとらくしょんのきもですので。やってみればたのしかったでしょう?』

 

 まあ楽しいっちゃぁ楽しいな。ここからまた執務室まで昇る面倒さえ考えなければ、日課にしたっていいくらいだ。しかし、こんな娯楽性を付加する必要はあったのか? 妖精さんはこれで商売でもするつもりなのか、工業化も近代化も結構だが、あんまり俺たち人間の悪い癖に染まらないで欲しいものだ。

 

『いずれはこれをいべんとのめだまに……』

 

 ハジメさんはまだ何事かつぶやいていたが、それにしても今のは妙な落ち方だったな。ビル火災の救助なんかに利用されるこういうマットは、最大でも地上15mくらいからの落下を想定している。だが、執務室からこの地下まで、おそらくはその倍以上の落差を落ちたはずだぞ? マットの衝撃吸収性には安全マージンをとってあるだろうが、普通ならマットか人間かどちらかが壊れてもおかしくない。

 

『なあに、それはかんたんなたねですよ。まっとにつくまえに、くうちゅうできゅうげんそくしたでしょう? あれはむらくもさんのみみのあれとおなじぎじゅつをおうようしてましてね、じゅうりょくせいぎょをおこなっています。じつはこのまっとすらなかったとしても、あんぜんにちゃくちできるしくみになっておるのですよ。まっとをごよういしたのは、あんぜんだけでなくあんしんをよういしなさいとおっしゃるなおみせんせいのごようぼうからです』

 

 またムダに高度な技術を…… マットから降りた時、不意に俺はなにかを蹴飛ばした。拾い上げてみると、それは俺のいた時代では世界最大のシェアを誇る、北欧の某メーカー製の携帯電話だった。

 

『おや、それはみおぼえがあります、くらーくはかせのけいたいでんわですよ。こんなところでおとしてたんですな』

 

 こいつは俺も知ってるぞ、たしか2002年の新製品だったっけな。見た目はただのストレート携帯だが、横から開くとQWERTYキーボードと大型の液晶ディスプレイが出てくるっていうマニアックなモデルだ。なんで俺がそこまで詳しく知ってたかというと、俺もこれが欲しかったけど、普通の携帯の倍くらい高価だったから諦めたんだ。俺の生活スタイルで使いこなせるものでもなかったしな。

 

 でも残念なことに電源は入らないみたいだ。そういえば水没して壊れたってクラーク博士の手記にも書かれてたよな、もったいない。

 

『かずさん、それわたしがなおしましょうか?』

「できるのか」

『でーたのきゅうしゅつはできませんが、しょきかしてしんぴんどうようにもどすくらいなら』

 

 クラーク博士の、ひいてはサイファーの中枢に迫る情報の一端が、もしかしたらこの携帯にまだ残されているのかもしれなかった。俺の個人的な復讐のためにも、あるいは逆に奴らの追求を免れるためにも、この携帯に残っている情報は役に立つかもしれない。ここはこのまま持っておいて、いずれ俺が元の世界に帰ってから解析するべきではないか?

 

「ハジメさん、それはちょっと待ってくれないか」

『えっ!?』

 

 俺が少し考えこんでいた間に、勝手に修理は終わってしまっていた。いや修理どころじゃない、なんということでしょう。匠の手によって、ずんぐりしたプラスチックのボディは上質感あふれるアルミ合金のスタイリッシュな薄型ボディに。ディスプレイはタッチパネル化された上にボディサイズ一杯まで拡げられたし、キーボードの打鍵感も快適だ。

 

「新品どころか新製品になってるじゃないか、しかもかっこいいなぁ、これ…… さすがだよハジメさん、君は確実に恐るべき天才だよ大職人(グランドマイスター)

『おきにめされましたか、かんしゃのきわみ』

 

 ズパッと音がしそうなくらいにハジメさんは恭しく頭を下げた。これどうしよう、サイファーの情報はとりあえず諦めるか……

 

 マット部屋から出ると、隣は例のクローンカプセルや入渠ドック給湯設備のある大部屋だった。あれこれやっている間に吹雪はもう入渠から上がっていたようで、俺は再び階段を登り、無人の入渠ドックから工廠に出てそのまま本棟へ帰った。

 

 

 ロビーに戻るともう机上演習の跡はすっかり片づけられていたが、子供たちやいくらかの妖精さんが集まって何事か意見しあっているところだった。

 

「みんな集まってどうした?」

「あっ、カズヒラさん」

「カズ様、これに見憶えあるんじゃないですか?」

 

 漣が指差すテーブルの上に乗せられていたのは、この俺が見間違えるはずもない、俺愛用のとあるブランドのサングラスと一足のブーツだった。

 

「こいつは、先々月くらいに俺が海で失くしたやつじゃないか。こんなものをいったいどこから?」

『なんせいだいばのけんせつよていちのちかくに、いつのまにかおかれていたのです』

 

 答えたのは設営隊妖精の頭、監督さんだった。

 

「漂流して打ち上げられたとかか?」

『いえ、それはありえないとおもわれます。これらはいそからすこしあがったところ、なみのかぶらないばしょをえらぶようにきちんとならべてありました』

「気味が悪いのです」

 

 俺の意見は、監督さんにすぐ否定された。電の言うとおり、たしかにこれは気持ち悪いよ。このサングラスは、以前俺が島周辺の哨戒に同行したとき、ボートから投げ出されて海に落としたものだ。ブーツの方も、履いたままじゃ泳げないから脱ぎ捨てたんだった。どちらも海に浮くものじゃない、ここに流れ着くなんてまずありえない。誰かがこれを海底から拾って、わざわざ俺の所まで返しにきたんだ。しかも皆で行っている哨戒網を掻い潜り、妖精さんたちの目を避け切ってだ。ノーキルノーアラートの完全ステルス、ほぼSランク確定じゃないか。

 

「返しにきたって、いったい誰が……? いえ、考えるまでもないことね」

 

 叢雲が眉を逆立てた。彼女も気づいたのだろう、これはあの怪物どもの仕業に違いあるまい。戦力を増強中の我々をあざ笑うかのように、きちんと俺たちを見張ってるぞ、いつでも潰しに行けるぞとわざわざプレッシャーをかけにきたわけだ。

 

「わしらも舐められたもんじゃのぉ」

 

 忌々しげに呟いた漣に、皆が殺気立った面持ちで頷き返した。

 

「そうだな。だがその話をする前にまずは晩飯にしよう、飯が済んでから対策会議だな。片付けが済んでも皆ロビーに残ってくれ」

 

 それにしても今日は色々あり過ぎた一日だった。おまけに、とどめのように起こったのが実に気味の悪い出来事だったのも確かだ。だが、ここにはそんなことで気後れしているやつは一人としていない。どこのどなた様の差し金か知らないが、一丁やってやろうじゃないか?




 パラメディックさん私生活は絶対ダメ人間だと思うんですよ(強調)
 桑島声艦娘求む!

2023/04/02追記
 台場の建設がまだ始まってないのに建設現場とか矛盾したことを書いてしまったので該当箇所をちょっと書き直しました。


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第三十話 南下の敵

「よぉーし! 三本目行くぞォーー!」

「「「うぉーー!!」」」

 

 色々なことがあり過ぎた特濃の昨日から一夜明けて、俺たちは今朝も早くから砂浜で特訓の真っ最中にあった。急遽始められたこの特訓、その内容は子供たち五人に俺も加わり、五月雨一人を相手に四人でかかっていく四対一での変則CQCかかり稽古である。

 

「叢雲、目をつぶるな! 自分の視覚を遮断するな、自分も前を見たまま仲間の視界にも注意を払えるようにするんだ!」

「わ、わかってるわよ!」

 

 対戦人数の計算が合っていなかったのは、現状ではまだ叢雲が試合に加わっていないからだ。叢雲だけは離れたところに控えていて、そのかわりに彼女の超能力を利用して俺たち四人に無線やかけ声で指示を出させている。もっと能力に慣れてきたら、いずれは叢雲自身も試合に加わって五対一の形式にもできるだろう。

 

 でも、そうなれたら俺試合を抜けてもいい? この対戦で五月雨が一人チームなのは、彼女は彼女でまた自らの超能力に慣れてもらうためだった。けれども、CQCの達人五月雨は元々そんなの関係ねぇレベルで強かったのだ。

 

 一試合につき三分間のかかり稽古、何回投げようが投げられようが、どちらも時間内は目一杯動き続ける決まりだった。しかし、まだ三本目で五月雨は涼しい顔をしたままなのに、俺たち四人はもはや砂まみれにされつつあった。

 

 戦場カメラマン妖精さんを得ることによって叢雲と五月雨が身につけた超能力、艦隊全員分のカメラマン妖精を統括し自らの視覚に加えられる叢雲と、五月雨の戦場を俯瞰できる感覚。この二人の能力を艦隊行動に活用できるようにすることが特訓の目標であり、現在この島を狙っていると思われる敵に立ち向かうために必要になると考えている。そう結論づけるに至ったのは、昨夜の夕食後に皆で集まった会議でのことだった。

 

 

 

 昨夜の夕食後、さっと片付けを済ませて俺たちは再びロビーに集まった、まずは俺と五人の少女たち。妖精さんは大半が自分の持ち場に帰ったが、工廠妖精のハジメさん、家具妖精の棟梁、設営隊妖精の監督、そして艦載機妖精のヘルダイバーちゃん、天さんこと天山、おにいちゃんこと零戦21型、零水偵11型乙改夜偵…… 長いから今後は零夜偵と呼ぼうか、零夜偵コンビの夜戦ちゃんとゆらゆらさん。以上のメンバーが出席者ではあるが、他の妖精さんも暇そうな子が近くをうろついている。多分気が向いたらそんな子たちも話に加わるだろう。

 

「まずは皆、忙しい中に時間を割いてくれてありがとう。さて今夜の議題なんだが、本日夕方に確認された当泊地への敵性工作員の侵入について、皆が気づいた点を共有し今後の対策案を協議していきたいと思う。だが、本題に入る前に、まず前提条件として我々が進めている戦力増強計画の進行状況を確認しておきたい。各部署の妖精さんは報告を頼む」

 

 最初に手を挙げたのは監督だった。

 

『それでは、せつえいたいよりごほうこくもうしあげます。かねてよりすすめておりましたこうしょうとうおくじょうのこうくうたいきち、こちらはよていどおりにこうじをかんりょうしております』

『つづいてだいばのせっちでありますが、けっきょくのところまずはきた・ほくせい・なんせい・みなみのよんかしょとさだめ、いまはようやくなわばりをはじめたというところでしょうか』

「今後の工程はどうなる?」

『かんじんのたいほう、たいくうきじゅう、たいくうでんたんなどはものじたいはもともとざいこがそろっております。ただ、だいばのこうじはまだはじめたばかりですのでほうがすわるまでにあといっしゅうかん、ぼうへきをそなえちかのきゅうだんとんねるをくっさくし、しけんてきにでもかどうをかいしできるまではとおかあまりというところです』

「なるほどな。急な話で短い工期を押しつけてしまってすまないが、この調子で続きを頼む」

 

 監督は一礼して着席した。なお各台場にはそれぞれ弾薬庫を備える予定だが、それだけではなく設営隊からの提案を受けて、工廠地下の貯蔵庫から各台場へ弾薬を供給するためのトンネルを掘りトロッコを通すことにした。妖精さんサイズの地下鉄環状線だなんて、なんだか妖精さんたちの格好の遊び場にされそうなイヤな予感しかしないな。でも、簡単に攻撃を受けやすい地上に給弾路を作ったり、妖精さんや子供たちによる人力で弾薬を搬入するよりはずっと効率がいいだろう。

 

『つづきまして、こうしょうよりごほうこくします。せんぱんよりすすめておりましたきちこうくうたいにはいびするきたいのせいさんでありますが、よていのしげんをしょうかしておおむねよそくの9わりじゃくのあたまかずをそろえられております』

 

 ハジメさんの報告には、ガリ版刷りの保有機体数リストと、副産物的に開発できた駆逐艦向け装備品などのリストが添えられていた。ノリに任せて予定とは違うものを作ってしまう工廠妖精さんにしては、当初予測していた期待値にかなり近い成果が上がっていると思うが、艦載機妖精さんから見るとどうだろう、数は充分かな?

 

『えびしんずおーらい、これだけあればじゅうぶんよはにー♡』

『やはりじょういきたいよりもかいきたいにかずがかたよるのはしかたがないことです。あとはわれわれのうんようしだい、むだづかいはけしてせぬようきもにめいじます』

『わがてんざんたいとしてはじゅうぶんすぎるかずをよういしてもらえたこと、ふかくかんしゃする。きゅうしきの97かんこうもけっこうおおめにつくられてしまっているが、こいつのつかいみちについてはちょっとしたていあんがある。そのときにまたはなしをきいてほしいが、いまのところはこれだけだ』

 

 基地航空隊の要員については以前にも言った通り、滑走路の完成を待たずして水上機組だけは先行して訓練を開始していた。すでに多くの搭乗員が訓練課程を修了しており、希望者は今後艦載機や陸上機への機種転換を経てなおも訓練を続けることになる。また水上機組に残る者も、零水偵や瑞雲を駆って島周辺の哨戒や遠方への偵察といった任務をいつでも始められる状態だった。

 

「うん、これで駆逐艦の皆が交代で哨戒を続けなくてはならない自転車操業状態はかなり解消されたんじゃないか? これからは全員で揃っての訓練にかなり時間を割けるだろう」

「そうね、ありがたいことだわ」

「じゃあ、今まで積んでたゲームを消化する余裕も……」

「漣ちゃん、ゲームは一日一時間までだからね?」

「ウッス」

 

 漣はすぐ吹雪にたしなめられた。ゲーム機あるんだ、それもやっぱりクラーク博士の仕業かな? 俺も少しくらいは遊んでみたいものだが、いまだに俺は寄宿棟立ち入り禁止のままだ。ゲーム機はロビーに置いてくれてもいいんじゃないかと言いたいが、今日は真面目な話なんだ。遊ぶことは後で考えろ俺。

 

「じゃあ、現在の我々が得られている成果を確認できたところで、そろそろ本題に入ろう」

 

 ことの発端は昨日の日没頃のことだった。泊地防衛のために余剰の戦艦砲を据える台場を造ろう、そのための候補地の一つである島の南西部で、以前俺が海で失くしたサングラスとブーツが発見されたのだ。沖合いに沈んだはずのそれらが、揃ってこの島に流れ着くはずもない。何者かが海底からそれを拾い上げ、ひそかに置いていったのは明白だった。

 

 皆の目撃証言を擦り合わせてみたところ、少なくとも昨日の昼間の時点ではまだ何も見つかっていなかったのは間違いなさそうだった。だから俺の大事なグラサンが置かれたのは、昨夜から今日の昼間にかけてのことになるな。

 

「俺の大事な宝物を返しに来てくれたんならお礼くらいは言ったのにな」

「カズさんそれシャレになんないです……」

「そんなに大事だったのですか、その黒眼鏡?」

「なにかいわれでもある物なんですか?」

 

 いや別にいわれというほどのことではないんだが、戦後の横須賀で過ごした少年時代、街を我が物顔で歩いてた米兵たちはよくこんなサングラスをかけていたものだった。ガキだった俺に取っちゃあサングラスがアメリカの証みたいなものだったんだよな。

 

 受けなかった冗談は置いておいて、俺は皆に意見を求めてみた。誰にも見咎められることなくこんな芸当ができるとしたら、相手はいったいどんな奴だろうか?

 

「十中八九、夜間に潜水艦の仕業と見てまず間違いないと思うわ」

「自惚れるつもりはねーんですけど、昼間に水上艦がこっそりこの島に近づくのは無理でしょ」

 

 叢雲と漣は自信ありげだった。この島は周囲360度どっちを向いても水平線、近場には隠れられる小島すらろくにない(No place to hide)絶海の孤島である。そんな海域で日々行っていた哨戒、本棟屋上の電探、しかもここ数日は水上機部隊が毎日飛行訓練を繰り返していた。これだけの警戒網に引っかからない手段なんて、二人の言う通りの他にはそうそうないよなぁ。

 

「潜水艦か。一応訊いとくが、潜水艦を相手にしたことは?」

「はっ、陸さんは海のことはなんも知らんのですなぁ。われら駆逐艦は、言わせてもらえば潜水艦狩りのプロですから? 艦隊に随伴し、魚雷艇や潜水艦の接近から大型艦艇を守る。それが駆逐艦のメイン任務なんですヨ」

 

 誰が陸さんか? まあ陸さんには違いないかもしれんが、そんな俺の質問を鼻で笑った漣はドヤ顔で胸を張った。

 

「でも、昔漣ちゃんを沈めた相手も潜水艦だったのです」

「昔のことなら、電ちゃんだってそうだったでしょ? ……あっ、そういう私も実は潜水艦にやられちゃったんです。座礁して動けなくなったところを的にされてしまって」

 

 電と五月雨のツッコミが連鎖した。昔というのはこの身体に生まれ変わる前、彼女たちが本物の(ふね)だった頃の話なのだろうな。可愛くテヘペロする五月雨を漣と電は恨めしそうな眼差しで睨んでいたが、みんな自分たちの前世が沈んだ話にしてはずいぶんと軽く語るもんだな。俺なんかは、あの夜自宅のトレーニングルームでの体験など思い出すたび背筋が震えるというのに。

 

「まあ待ておまえたち、いがみ合うのはよすんだ。つまり駆逐艦は潜水艦にとって天敵ではあるが、それでも気を抜けば逆にやられる程度には潜水艦は楽な相手じゃないって認識でいいんだな?」

「そうです。足も遅いし装甲も薄いけど、あの隠密性は厄介ですよね」

「どのみち楽な戦などないものよ、みな心なさい」

「はぁ〜ぃ……」

 

 吹雪や叢雲は即座に同意してくれた、潜水艦にやられた組の三人は揃って少々不服そうだったが。

 

「俺がここに来た日、ザ・ボスが吹雪の艤装を公試した映像を見せてくれたな。あの時缶詰くらいの爆雷を放ってたのを憶えてるんだが、あれが君らの対潜戦闘か?」

「はい。あの時ザ・ボスは目視で、手で爆雷を投げてましたが、漣たちならソナーで索敵したり爆雷投射機を使ったりしたほうがより効果が上がります。精度が違いますからね」

 

 爆雷というものは、投下用のレールや投射機を用いて舷側方向に多数バラ撒くのが元々の運用法だったはずだ。だが時代が進み、対潜迫撃砲やロケット砲などの前方に投射できる兵器、もっと後には対潜ミサイルや対潜魚雷といったさらに命中精度の高い兵器が現れるようになって、古い戦術はだんだんと廃れていった。この子たちの爆雷は形状こそ古いタイプに近いが、運用法は少し進化した形になっているのかもしれない。自在に動く二本の腕を備えた人の姿をとっているからこその進歩だろうか、あるいはこれもザ・ボスの教えであったのかもしれない。

 

「うちのシマにちょっかいをかけてきてるのが潜水艦であることは間違いないとして、どこの馬の骨か心当たりはあるか?」

「……あります、大有りですよ」

 

 五月雨が大きな海図を持ち出してきてホワイトボードに貼った。ちょっと鼻息が荒い、彼女にしては珍しくおこなの? 五月雨謹製の海図、その中央に描かれたこの島から南へ向かう航路は、しばらく延びたところまででぷっつり途切れ、大きな楕円に囲われて「せんすいかんがいっぱい」とやや投げやりな筆跡で書かれていた。

 

「この島から南に少し離れたところに、潜水艦がやたらと出現する海域があるんです。対潜装備を手厚くしてもきりがないほどの数が出てくるので、そこから先は私たちも探索の手を進められていません。現状では、こっちまで勢力を伸ばしてこないよう定期的に叩きに行くのが精一杯なんです」

「モグラ叩きだな」

「もぐらたたき……?」

 

 五月雨は不思議そうに小首をかしげた、今日もかわいいぜ…… そういうゲームがあるんだ、日本に行ったら一緒に遊ぼう、ウフフ。

 

『ちょっといいか、かずさん』

 

 天さんが妙にかっこつけたポーズで手を挙げた。なんだ、さっきの話の続きか?

 

『さっきいいかけた97かんこうのつかいみちなんだけどな、てんざんにじゅうぶんなかずがあるげんじょうでは、くんれんきかよびきとしてしかつかいみちがない。いっそのことたしょうのかいしゅうをくわえてたいせんこうげききたいとしてさいへんするというのはどうだ? いますぐに、ただでできるというものではないが、きょうみがあるならあとではじめとそうだんしたうえでみつもりをだすぞ』

 

 対潜攻撃機隊か…… 定期的に潜水艦狩りをさせるなら、いちいち艦隊を差し向けるよりもそっちの方が長い目で見ればコスト的にもお得だと思うが、どうかな電?

 

「よい提案だと思うのです、まずは資源と時間の問題ですね。見積もりを出していただけるのなら、前向きに検討したいと思うのです」

「ただ、すぐ目先の問題としては、どうしても南の海域を私たちで一叩き二叩きしとかなきゃダメですよねぇ、今度は上陸までされちゃってるんですし」

 

 テーブルに頬杖ついて吹雪がそうぼやくと、お行儀悪いわよ、と一言たしなめた叢雲がそのケツをひっぱたいた。

 

「どうせ叩かなくてはならない相手なら、叩きがいのある台になってもらおう。そこで少し提案があるんだが」

 

 

 

 昨夜の会議はこんな経緯だったんだ。俺の提案というのは、五人全員で出撃できる体制が整いつつある今こそ、叢雲と五月雨の新しい能力を実戦で活用できるようにすること。南の潜水艦どもには、そのための叩き台になってもらう。落とし物を拾ってくれた恩を仇で返すようで気が引けないこともないが、潮水漬けのブーツは使いものにならんし、グラサンはかけようとしたらヒンジが錆びてて折れた。お、俺の大事なグラサンが……! あいつら絶対許さないよ。

 

 無論、熟達の不十分な新能力をいきなり実戦に持ちこむことについては皆から反対の声が上がった。もちろんだ、俺もそんなことには反対する。だから、まずは訓練と演習をもって能力に充分慣れてもらう、そのための訓練法を俺は皆に提示した。その第一歩が、現在行なっている四対一の組手だ。

 

 戦場を俯瞰できる能力、五月雨にはこれを組手中はフルに使ってもらう。そして、叢雲は五月雨の能力すら含めた全員分のカメラマン妖精さんの視界を統括して指揮を行う。さすがに情報量が多すぎるから最初は自分は組手に不参加で、しかしゆくゆくは自分自身も戦場で動きながらこれを行えるようにならなくてはいかん。

 

『あさごはんでーす』

 

 四本目が終わった後、ハジメさんたち数人の妖精がバスケットを持って砂浜に降りてきた。今日は朝五時に総員起こし、準備運動と説明を経てインターバルを挟みながらの稽古、そろそろ六時くらいにはなってるのか?

 

「うぅ…… お腹空いたぁ」

「起きてすぐ引っ張り出されてきたのに、いつの間に? まさか、ハジメが作ってくれたんじゃないわよね」

 

 ハジメさんはプルプルと首を振った。

 

「期待してるようで悪いが、今日の朝飯は俺の作だ。急遽間に合わせで用意したものだが我慢してくれ」

 

 メニューは塩むすびと香の物少々、あと紙カップで風情がないがワカメの味噌汁だ。朝早くからの特訓を計画したのはいいんだが、飯のことをすっかり忘れていたんだよ。気づいたのは昨夜遅くのことだが、幸いにしておかずには吹雪が半分趣味でやってるぬか漬けがあった。味見してみたがなかなか美味いんだよ、やるな吹雪。

 

 深夜に米を研ぎ、翌朝に合わせて炊飯器をセットし、明けて今朝は四時起きで味噌汁を作りおにぎりを握っておいたんだ。明日からはもっと計画的にやらなくてはなぁ。

 

「はぁー、カズさんのお味噌汁美味しい……」

「吹雪のぬか漬けも大したもんだ、吹雪はきっといいお嫁さんになるぞ」

「……そぅですかぁ〜〜? うぇへへへぇ」

 

 吹雪が照れ臭そうにくねくねしている。今俺たちは、砂浜にレジャーシートを拡げて車座で朝食をとっていた。五月雨と叢雲以外はすでに全員砂まみれになっていたが、シートとおしぼりはハジメさんたちが気を利かせてくれたんだ。

 

「そういえば、カズのお味噌汁って初めてだわ。日本食もできたのね」

 

 それは叢雲が俺の食事当番のたびにハンバーガーとかをリクエストするからだ。

 

「俺がガキの時分からお袋は臥せりがちだったからなぁ、日本にいた頃から料理は結構やってたんだぜ?」

「カズ様のお味噌汁なら毎日でも飲みたいですなぁ、これから毎日漣のためにお味噌汁作ってくれません?」

 

 なんだそりゃ、まさかプロポーズのつもりか? だが断る、俺だって上げ膳据え膳したいんだ、おまえも働け漣。

 

「でもこういうお食事って、なんだか戦闘配食を思い出しますよね」

 

 戦闘配食? 耳慣れない五月雨の言葉を訊き返した。

 

「海軍では戦闘配置中にごはん時になる場合、各員が持ち場についたまま食べられるごはんが配られたんです」

 

 なるほどなぁ。たしかに、いつ戦闘が始まるかわからない状況下で持ち場を離れて食事というわけにもいかないものな。

 

「おにぎりの他にも、おはぎなんかが出されたり…… そうそう、私たち駆逐艦には無縁の話ですけど、航空機搭乗員さんにはお弁当箱に巻き寿司を詰めて持たせてくれたりしたそうですよ」

「無縁もなにも、戦闘配食を受けるのは乗組員であって電たち(ふね)ではなかったのですが。でもいいですね、明日はお寿司を巻くのです」

 

 五月雨と電が顔を見合わせてコロコロ笑った。それいいな、酢飯だから夜のうちに作っておいても保つかな? だからといってこの常夏の島で常温保存など論外だが、冷蔵庫入れとくと固くなるかなぁ……

 

「さぁ朝ごはんも食べたし、続きやるわよ! カズ、ここからは私も参加するわ!」

「まだダメだ」

 

 俺はシートに寝転がり、うるさく騒ぐ叢雲に背を向けた。食べた後に寝ると牛になるってのは当然迷信だけどさ、肝臓を下にして右向きに寝転ぶといいとか、逆流性食道炎を避けるために左向きに寝転べとかさ、いろんな先生がいろんなこと言うんだけどなんなの? 俺今日四時起きだったんだよ、好きなように寝させてくれ。なんなら膝枕してくれたっていいぞ?

 

「なんでよ!? いつまでもちんたら休んでられないわ、こうしてる間にも奴らはここを狙ってるかもしれないのに!」

 

 叢雲は不満気だったが、そういうこっちゃない。次から参加したいというのはおおいに結構だが、食後すぐの運動は禁物だ。あと満腹状態では頭の回転も鈍るし、眠くもなる。食後はたっぷり30分は休息をとってからプレイするといい。(声色)

 

 それに、今日からはもう水上機隊が哨戒任務にあたっている。なにか異状を発見したら、皆の通信機や俺の携帯に連絡が入るはずだ。そんな事態に備えて、工廠でも皆がいつでも出られるよう準備を整えてくれている。俺たちは決して油断はしていない、だから訓練は焦らずじっくりしっかりやるんだ。わかったら叢雲、おまえも少し休め。今日は身体は使ってなくても、脳をフルに使ってたはずなんだからな。

 

 

 仮眠から目を覚まし、携帯で時間を確認した。十五分ちょっと寝ていたようだ、そろそろ頃合いだな。

 

 身を起こして周りを見回すと、叢雲は吹雪の膝枕でスヤスヤ眠っていた。あら^〜! 俺はためらいなくカメラを起動して、眼前の尊い光景を写真に収めた。そうだ、せっかくだからこれ漣にも送ったろ! メールアプリを立ち上げ、連絡先から漣のスマホに画像を送った。即レスが返ってきた、『カズ様ナイスショットですぞ、でもなんで漣の連絡先知ってたんです? ちょっとキモいっすw』

 

 キモいとか言われて半分寝ぼけてた頭がようやく覚醒した。いつもキャサリーや女房とやり取りしてた癖で、つい撮影から送信までの一連の動作をほぼルーチンワーク的に実行してしまった。

 

 しかし、普通に考えればこんなどこだかもわからん絶海の孤島に携帯の電波が届くはずがない。実際アンテナ0本の圏外なんだが、それなのにこの携帯普通に漣のスマホと繋がるんじゃん!

 

 キモい言われたのはちょっとショックだったが、思春期の娘を持つひとり親としては、ガキンチョにキモい言われた程度でいちいち落ちこんじゃいられねぇんだよォ!(涙目)

 

 いやそんなことはどうでもいい、よくはないがとりあえず横に置いておく、この携帯なにかの役には立たないだろうか?

 

 もう一度周囲を見回す、レジャーシートに残っていたのは俺と吹雪、叢雲の三人だけだ。日が昇ってだいぶ暑くなってきて、漣と電は離れた岩陰に避難していた。そして、やる気満々の五月雨は初日の組手の時と同じように、すでに砂浜の真ん中で正座して精神統一に入っていた。

 

 俺は上着を脱いで砂地に拡げ、さりげなく砂を被せて埋めて隠した。シートに携帯を置きに行くついでに漣にメッセージを送っておいた、『俺が埋めた上着の位置を憶えておけ』

 

 メールに返事はなかったが、遠くで漣が両手で大きく丸を作っているのが見えた。初めて会った日にも感じたが、やっぱりあいつ周りをよく見てるわ。ほんの思いつきからのにわか仕込みの策だが、さて役に立ってくれるかな?

 

 程なくして叢雲も目を覚ました、そろそろ皆を集めて続きを始めようか。ちょっと早いかもしれないがここからは叢雲も参加すると皆に告げると、五月雨の眼があからさまに輝いた。そういえばこの子連続CQCの記録更新を狙ってたな、だがそう簡単にやらせはしないぞ?

 

 

 などと意気ごんで稽古を再開してからさらに二戦、俺たちはやっぱりホイホイ転がされていた。五月雨の連続CQC記録は七回まで伸びていた、こっちの人数より多いのは起き上がってすぐ二回目を投げられたやつもいるからだ。

 

 三戦目の前に漣が不意に俺のケツを撫でた、なにかと思って思わず声を上げそうになったが、気づけば試合場は少しずつ俺が上着を埋めた場所の近くまで移動してきていた。ここで仕掛けるつもりか、俺は了解の意味をこめて後ろ手にピースサインを出した。

 

 俺と漣は何度か投げられながらも五月雨が上着を踏む位置まで追いこんだ、チャンスを見計らって漣が上着を引っ張り出した! 埋めた上着はあらかじめ袖の先を輪に結んでおいた、片足でも引っ掛けて五月雨を転ばすことができれば、俺たちにも勝機があるはずだった。

 

「引っ掛かりませんよ、だってそれ見てたもの」

 

 五月雨は片脚を上げてあっさり罠をかわした。俺が上着を埋めた時、五月雨はそっぽを向いていたように見えた。でも、能力ではちゃんと俺の動きを見ていたのだ! ウカツ!

 

 しかし、漣にぴったりタイミングを合わせるように突っこんできた吹雪が五月雨の軸足を刈った。さすがに片脚立ちでは避けることがかなわず、五月雨が俺の上に倒れこんできた。

 

「カズ、五月雨を抑えて!」

 

 すぐに叢雲の指示が飛んできて、俺はとっさに五月雨をガッチリ抱えこんだ。暴れんなよ…… 暴れんな。だがここからどうする? 

 

「電ちゃん、やるよー!」

「はいなのです!」

 

 漣と電の二人が、五月雨を抱えたままの俺の両脚を一本ずつ掴んで砂浜を引きずり始めた。待って君らいったい何をする気だ!? 脱いだ上着の下に着ていたタンクトップが捲れ上がり、熱い砂地に直接肌が擦れた。熱い痛いこれ紙ヤスリで背中擦ってるのと変わらんぞ!?

 

「吹雪家家訓!」

「『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』なのですぅぅぅ!!」

 

 ヤスリ責めはすぐ終わった、終わりはしたが二人は俺たちを波打ち際近くまで引っ張ってくると、今度はジャイアントスイングの要領で振り回し始めた。俺の視界で空と海と砂浜がグルグル回る。

 

「カズ様! タイミングを合わせてさみちゃんを離すんです、海に投げこむんですぞ!」

 

 始めは拘束を解こうとして暴れていた五月雨だったが、ジャイアントスイングに移行すると逆に離されまいとしがみついてきた。漣が離せとか叫んでたけどもう無理だ。美しい光景が巡る中心でかたく抱き合う俺と五月雨、強烈なGにさらされて平衡感覚と正常な思考を失いつつあった俺はもはや陶酔感すら覚えはじめていた。

 

「電ちゃん、これあかんやつや。 ……カズ様、お許しください!」

「鳥になってくるのです!」

 

 五月雨だけ飛ばすのは無理と判断したのか、無慈悲にあっさり手が離された。放物線を描いて空を飛ぶ俺たち、五月雨! きみはどこにおちたい? でも五月雨はきゃあきゃあ悲鳴を上げているばかりで返事は聞けなかった。もし聞けたとしても選択の余地はなかった、俺たちは十何メートルを投げ飛ばされて特大の水柱を上げながら着水した。ツープラトンジャイアントスイングから落水まで一分にも満たないめちゃイケ体験にほぼイキかけました、イキスギィ!

 

 背中の擦り傷に潮が沁みる痛みにようやく正気を取り直した俺が浅瀬に立ち上がると、五月雨は目を回して気絶したまま仰向けに浮いていた。これ俺らの勝ちでいいんだよな? まったく勝った気がしないが、俺はフラフラになりながらも五月雨を抱えて陸へと歩み出し、波打ち際まで救援に来た皆に彼女を託した直後に胃の中身を全部ぶちまけた。ああ、苦労した四時起きの成果物が波に浚われて消えていく……

 




 グラサン提督第三十話をお届けしました。
 現在開催中の春イベ、筆者は甲丁丙丙丙丙でE6-4を半分削ったところまで来てます。ももちは貰ったも同然(慢心)として、あと掘らなきゃいけないのがヘイウッドとマサチューセッツ。どちらもラスボスマスで出ますから、しばらく闇ももちとキャッキャウフフだなぁ。


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第三十一話 三島海賊の娘

「……そういうわけでして、漣としてはカズ様の作戦を組み直さなきゃならない必要に迫られたんです。しかも、さみちゃんには絶対バレないやり方で。案の定、カズ様の策はあっさりさみちゃんにかわされたでそ?」

 

 あの後、五月雨と俺のダメージが深刻すぎたので一旦稽古は中止となった。今日は俺が先にシャワーで砂と潮を流させてもらった、なにしろ背中が痛くて風呂に浸かることもできない。その後で皆もさっと一風呂浴びて、簡単な昼食を摂りながら反省会をすることにしたんだ。なお、行儀が悪いが今の俺は上半身裸でソファーに腹這いになって話を聞いている。だってあんまり痛くて服も着れないし、背もたれに身体を預けることすらできないんだもん。

 

 その席で漣があの最後の一試合の経緯を説明していたんだが、正直言って俺は頭に来てる、猛烈に背中が痛いからだ。よくも遠くまで飛ばしてくれたな吹雪型十九番艦。

 

「綾波型九番艦ですぞ……?」

 

 そこにこだわるのか。そこは俺的にはどうでもいいことなんだが。

 

 漣の説明したところによると、食休み中に離れた岩陰で休んでいた漣は、こっそり上着を埋めている俺をしっかり目撃していた。俺は砂浜で精神集中していた五月雨の視界を避けたつもりでいたが、漣はここで気づいた、五月雨の能力もまた俺の不審な行動を見ていたのではないかと。事実五月雨は見てたって言ってたしなぁ、俺よりも漣のほうが五月雨の能力を正しく理解していたということだ。俺自身がこんなザマでは、いくら頭に来るからといっても五月雨ごと俺をブン投げてくれた件について文句の一つも言えんよ。

 

「達人モード入ったさみちゃんは結構ドSなところありますんで、絶対罠にかかるフリした上でこっちの心折りにくるやろなぁって予想したんですヨ」

 

 この言いようには五月雨も抗議したそうだった。でもいつぞやの初対戦の時は俺なんて足腰立たなくなるまで数十回投げられたもんなぁ、残念ながら漣によるこの評価も当然だと思う。

 

「それで、漣はおまえ自身と俺を囮にした上で五月雨の隙をつく役を吹雪に振ったわけだ」

「漣が指名したわけではありませんが、妥当な人選だったと思います。組手でさみちゃんの隙を狙えるとしたら、対戦成績二位の吹雪ちゃんくらいでしたろう」

 

 ところで、以前にも語った通りこの子たちは生身で互いに通信を行なって情報交換ができる。ただし、近くにいると送信相手以外のメンバーにも無線が傍受されるため、二人だけでクローズドな密談はできないらしい。だから、漣から吹雪に作戦を伝えようにも、生体通信では五月雨にバレずに伝達することはできない。そこで漣が利用したのがナオミのスマホだった。

 

「メモアプリに文章を打って、漣に帯同してるカメコさんに見せたんです。これなら、さみちゃんにバレずに叢雲ちゃんに伝えられるってわけですな」

 

『漣とカズ様が囮になってなんとかさみちゃんに隙を作るから、どうにかしてさみちゃんを転ばしてください。仕掛けられるタイミングになったら、合図として漣がカズ様のお尻をねっとりと撫でます』

 

 漣が叢雲に見せた文はこんな感じだったそうだ。叢雲は寝たふりを続けながら、小声で吹雪にも作戦を伝えた。一方漣も、そばにいた電と作戦を共有していた。こうして俺だけが何も知らないまま、漣が組み直した作戦が始まったわけだ。その結果はすでに語った通りだ。

 

「どうでもいいことだが、それ俺のケツを撫でる必要あったか?」

(ダン)ケツして事に当たろうという験かつぎですぞ。殿方の引き締まったケツが縁起物であることは、オセアニアじゃぁ常識なんです」

 

 そんな常識はない! くだらないダジャレのために公衆の面前で俺のケツを弄んだのかこの奇行種は!?

 

「漣ちゃんの奇行はいつものことなのです」

「むしろ元気に奇行してるほうが自然まであるよね」

「また漣ちゃんが変なことしてるとは思ったけど、それが合図だったなんて考えもつかなかったかな」

「心底アホらしいとは思ったけど作戦はよかったと思うわ、次はもっとマシな合図を考えなさい」

「どぉーですかカズ様、仲間たちから漣に注がれるこの熱い信頼! ……なんかだんだん死にたくなってきましたぞ」

 

 ドヤ顔で胸を張ってみせた漣だが眼は死んでいる、そんな顔されてもしらんがな。漣だって根は結構真面目なところあるんだから、本当に信頼されたけりゃ軽薄なキャラ作りを改めてみればよかろうが。もっとも俺自身も人の事は言えん、ここは話題を切り替えよう。

 

「俺も五月雨ともども酷い目に遭わされたが、やってみただけの手応えは得られたんじゃないか? どうだった二人とも」

「そうねぇ、五月雨の俯瞰視まで私が見られるのは本当に便利だと思うわ。たとえ潜水艦が相手でも昼間なら丸見えのはずよ」

「でも、見えているからといって油断は禁物でした。吹雪ちゃんの動きも私には見えていましたが、あそこまで完璧にタイミングを合わせられては詰んでいましたね、慢心でした」

 

 漣言うところのチートヒロインズ二人は手応えを得たり、今後の課題を見つけたりで有意義な朝稽古ができたようだった。対して電言うところの凡人組も、作戦立案の漣、チャンスを作った吹雪、決め技をアシストした電と、皆立派な働きだった。決め技については文句の一つも言いたかったところだが、みんなやる気になってるんだからここは我慢だ。

 

『おまたせしましたかずさん、さあせなかをみせてください』

 

 そこへハジメさんがやってきた。なにやら瓶を持っている、薬でも塗ってくれるのだろうか?

 

「あら、懐かしいわね。また作ったのね、その軟膏」

 

 叢雲はそれがなんだか知っているようだった。聞いてみると、俺の前にこの島にいたストレンジラブ博士、あいつがまだここに来たばかりの頃は、太陽光にあたれない体質のために相当日焼けに苦しんだらしかった。そこで妖精さんたちが用意してくれたのがこの軟膏だったんだとか。

 

『こいつをきずにすりこめばあらふしぎ、やけどもきずもたちどころになおるまほうのくすりですよ』

 

 そういえば、イギリスかどこかに妖精の軟膏っていう民話があったよな…… あれは確か眼にすりこめば妖精を見ることができるようになる薬で、最後は妖精の正体を見てしまったために眼を潰されるって話だ。

 

『へんなはなしをごぞんじですね、でもかずさんくすりがなくたってわたしたちがみえてるではありませんか』

「それはそうだが、塗ったら君らの正体が見えたりせんだろうな? いったいどんな薬なんだ」

『よくぞきいてくれました。このくすりはふじつぼのくろやきとふなむしのてんぴぼしをふんまつにして、うみうしのねんまくとめめくらげのたいえきでねりあわせたものに、なんとなおみせんせいとくせいのなのましんをふんだんに0.05ぱーせんともはいごうしました。なのましんをたいないにちゅうにゅうされているほかのみなさんほどのこうかはありませんが、きずをしゅうふくしはだをつよくするこうかがあります』

 

 ハジメさんは自慢げに語っていたが、ちょっと待てそれ人体に塗っていいものなのか、そもそもメメクラゲって何だ? その軟膏の薬効成分ってナオミのナノマシンだけだろう! フナムシとかウミウシとかいらなくね?

 

『ほんとのところをはくじょうしますと、ふじつぼもふなむしもただのじょうだんです。このくすりは99.95ぱーせんとがただのわせりんで、さっきのはなしでほんとうだったのはなのましんのはいごうりつだけです。あまりなのましんのわりあいをあげすぎるとそのうちかずさんもみなさんとおなじようなたいしつになりかねませんので』

 

 蓋を開けて見せられた中身はほとんど白に近い、ごく薄い緑色のペーストだった。色から受ける印象からは、確かにフジツボだのフナムシだのといったゲテモノが混じっているようには見えない。傷があっという間に治る体質は便利な気もするが、他人に見られたりしたらどう思われるかわからんな。これを使っていたというストレンジラブは成分を知ってたのだろうか?

 

「ご存知なかったんじゃないですかねぇ、こんな薬が元の世界でもあったらなぁって残念がっていましたよ」

 

 吹雪が他人事のようにのんびりと言った。彼女はこの島のナノマシン投与者第一号だったはずだが、致命傷すらみるみる塞がる自分の身体に疑問は感じなかったのか?

 

「それは我が身ながら気味が悪いとも思うことだってあります。でもこれのおかげで私たちは生き残れてるんですから、ナオミ先生や妖精さんには感謝しかないです。むしろ、なのましん? に頼りすぎて怪我に無頓着にならないよう注意しなきゃですよね?」

 

 吹雪はちらりと横目で叢雲をうかがったが、当の叢雲は涼しい顔だった。そういや叢雲はナノマシンに頼りすぎてナオミにお尻ペンペンされたとか言ってたっけな。

 

 ハジメさんが塗ってくれた薬はたいしたもので、ソファーに腹這いになるしかできなかった俺の背中の痛みはあっという間に引いた。自分じゃ背中がどうなってるか見えないんだが、皆が言うには赤剥けになっていた肌もほぼ元に戻ってるらしい。シャツを着てみても痛くない、なんてこったこいつは優れ物だ! 叢雲が慢心したくなった気持ちもわかるぜ、でも尻ペンだけは勘弁な。

 

 背中の痛みはすっかり引いていたが、寝不足の早朝稽古にジャイアントスイングはかなりキツかった。もう今日はしんどいことしたくないなぁ…… と考えながら表に出て大欠伸を一つ。工廠の方を見下ろすと、屋上から見たことないスマートな飛行機が次々離陸していくところだった。胴が細くてトンボみたいでなんだかカッコいいな。

 

『あれはさいうんたいですね、そろそろくんれんをはじめたのでしょう。さいうんはあしがはやくてながいですから、こんごはこれまでとはくらべものにならないくらいこうはんいをていさつできるようになるはずです』

 

 彩雲ってあれか、『ワレニ追イツクグラマンナシ』ってやつ? 俺も子供の頃に話くらいは聞いたことあるぞ。大戦当時に実戦配備された日本機の中じゃ最速を誇り、戦後に米軍が自前の高オクタン価燃料とエンジンオイルで飛行テストしたら、さらに優秀な成績を出して米軍の技術者を驚かせたんだとか。

 

『ええ、まぁ…… でもいまではわたしたちもいいあぶらつかえるようになってますから! はいおくまんたんですから!』

 

 ハジメさんは複雑そうな笑顔だった。もしかしてこの話題、地雷踏んだかな? いまだにハジメさんの正体がなんなのかさっぱりわからないし知ろうとも思わないのだが、昔の日本軍が質の悪い油を使っていたこと、気にしてたんだろうか?

 

 ともあれ、こうしてこれまでよりはるか遠くまで航空偵察の目配りを拡げられるようになれば、この島がどこにあるのかもわかるようになるかもしれない。そうなれば、日本へ向かう航路も策定できる。そのために子供たちがもっと遠くまで行けるようにするには、まずはこの島の安全確保だ。俺のやるべきことは変わらない。

 

「頼りにしてるぜ、ハジメさん。 ……ところで、さっそく一つ頼らせてもらいたいんだが、いきなりみんなを南の海域に送り出す前に、実戦に即した対潜演習を行ういい知恵はないかな?」

 

 ハジメさんはちょっと考えこんですぐ手を打った。

 

『あります、ありますよかっこうのあいてが。かずさん、いますぐこうしょうにいきましょう』

 

 

 ハジメさんが俺を引っ張ってきたのは工廠奥の倉庫だった。この島に来て何ヶ月かになるが、俺はここに立ち入るのは初めてだ。本棟のガラクタ倉庫は無断で漁る俺であるが、こっちの倉庫は本当に危険だからと立ち入らないよう注意されていたのだ。その倉庫も奥の方ともなると、駆逐艦では扱えないような中大型艦向けの装備なんかが保管されているようだ。

 

「ミラーさん、あまりキョロキョロするんじゃないのです」

 

 電が一緒にいるのは、工廠に向かう渡り廊下の途中で小走りに追いついてきたからだ。資源管理責任者である電の許しなく勝手になにか作られちゃかなわないのです、というのが彼女の言い分だった。

 

『かずさん、こちらです…… くれぐれもしつれいのないようにおねがいしますよ』

 

 倉庫の奥、棚の間の通路の薄暗い一角に、妖精さんサイズの陣幕で仕切られ提灯で照らされた場所があった。陣幕にも提灯にも、初めて見る八角形の家紋が描かれている。

 

「『折敷に揺れ三文字(おしきにゆれさんもじ)』紋…… 大山祇(おおやまづみ)神社、越智宿禰河野氏(おちのすくねかわのし)、瀬戸内水軍の紋なのです」

「三つ並べられてもなんのことやらさっぱりわからん」

「ミラーさんは日本のことはなにも知らないのですね。大山祇神社とは伊予国、今の愛媛県は今治市の一部、瀬戸内海に浮かぶ大三島にある神社なのです。大山祇神は山の神にして海の神、日本総鎮守の別名を持ち、中世には瀬戸内の諸水軍より篤い信仰を受けた軍神でもあるのです」

「ざっくり言えば海防、海軍の神様か」

「そういうことなのです。電たち帝国海軍にも縁の深いお宮だったのですよ」

 

 そんな神社の紋がなんでこんなところに? 陣幕に近づくと、中にいた妖精さんの一人がこちらを認めて声をかけてきた。

 

『おぅおぅこうしょうの、そやつがあたらしいていとくかの? ずいぶんとあいさつがとろかったの、のぉ?』

 

 陣幕の奥にいたその妖精さんは高く結ったポニーテールに上下白のセーラー服を着て、襟とリボンだけが赤かった。こう言ってみると洋装をしているのに、麻呂眉だったり足元が足袋とぽっくりだったりして、全体的には巫女さんかなにかの神職のような不思議な印象を受ける。彼女の前には、潜水服のような丸窓つきのヘルメットを被った妖精さんが十人ほど、二列に並んで控えていた。

 

「生憎とだが俺は提督じゃないよ。俺はカズヒラ・ミラー、この島のみんなが日本へ行く手伝いをしている。ただの傭兵だ」

『そしてわたしははじめ、かずさんにいただいたなまえです。もうただのこうしょうようせいではありません』

『そがいなことどうでもえぇ。かずひら・みうらとやら、われぁどこのでじゃ?』

「俺か? 俺は横須賀の生まれだが……」

「ほぉほぉ、じゃったらわれはもしやみうらすいぐんのすえかの?」

 

 せっかく貰った名前をどうでもいいとか切り捨てられたハジメさんはまるで叩かれた犬のような顔をしていたが、この妖精さんはどうやら俺には興味を示してくれたらしい。俺、三浦じゃなくて Miller なんだけどなぁ……

 

 俺の故郷横須賀のある三浦半島に、古くから三浦党と称する武士団がいた事くらいは俺も聞いたことがあった。三方を海に囲まれた半島の地形を思えば、それに見合うだけの水軍を擁していたであろうとも想像はつく。

 

 しかし、変な勘違いをされたまま話を続けていいものか? でもなんか妙に期待されてるし、どう答えたものか迷っていたところで電が口を挟んだ。

 

「そうではないのです。この人は鎌倉期の三浦党ではなくて、江戸初期に家康公に仕えたウィリアム・アダムス、三浦按針のご子孫なのですよ。そうですよね、()()()()()

『ほほぉ、そりゃあぶちおもろいはなしじゃのぉ! そいじゃけぇわれもきんぱつへきがんなんじゃね?』

 

 ウィリアム・アダムスが三浦姓を名乗ったのは、三浦半島に領地をもらったからだ。地元の歴史人物だから俺だってそれくらい知ってるけど、言うまでもなく俺と三浦按針の間に血縁などあるわけがない。そもそも三浦按針がいくら西洋人だからといって、彼も俺と同じ金髪碧眼だったと決まったわけではない。電が真顔で吐いた大嘘を信じて勝手に盛り上がってしまっているが、放置していいのかこれ!?

 

(黙っていればわからないのです)

 

 えぇ…… さすがの俺もそれには引くわ……

 

『わしゃぁのぉ、つるともうす。このしまですいぐんをひきいておるんじゃが、ここにはわしらをつかいこなせんこはやしかおらんでな、ぶりょうをもてあましとったところじゃ』

 

 小早というのは江戸時代まで使われていた小型の軍船だ。名前の通りに小さくて早く小回りも利くが、兵はそんなに多く乗れないし防御設備にも乏しい。

 

 この自称鶴ちゃんがいったいいかなる兵器の妖精さんかはわからないが、つまりは彼女らもまたうちの航空隊同様に駆逐艦には扱うことのできない装備であり、出番がないことに不満を抱えていたのだろう。

 

「言うに事欠いて小早とは頭に来たのです。 ……()()()()()、この子たちは甲標的という特殊潜航艇の妖精さんなのです。本来なら甲標的母艦に搭載され、艦隊決戦に先んじて敵進路上に展開して先制攻撃を加えるのが目的の兵器でした」

「しかし、お察しのとおり電たち駆逐艦には扱えない装備ですので、暇を持て余してこのように倉庫の奥を占拠して水軍ごっこをしているのです」

 

 小早呼ばわりに腹を立ててか、少々電の言いようにはトゲを感じた。

 

『すいぐんごっこじゃと!? わしらをなんとこころえる、おおやまづみのかみをまつりみしますいぐんのでんとうをうけつぐ、わしこそはつるひめさまのうまれかわりよ! かしこまれがきんちょ!』

 

 電は溜息を吐きながら俺を押し退け進み出て鶴ちゃんと直接対峙すると、ビシリと指を突きつけすごい早口で痛烈に責め立てた。

 

「三島水軍、鶴姫、黙って聞いていればなんとも図々しい話なのですね? 三島水軍を率いた大祝(おおほうり)鶴姫といえば、大三島の独立を守るため強大な大内水軍の侵攻に立ち向かった伝説上の英雄なのです。あなた方のようにろくに海に出たこともない半端者が騙っていい名ではないのです! 畳水練とはまさにこのこと、笑止千万なのです。今日からは畳水軍と名乗るがよいのですよ」

『な、な、なんじゃと!?』

「だいたい、伊予の水軍を気取りながらなんで安芸言葉を話すのですか。安芸弁ならどっちかというと大三島を攻めた大内軍の方なのです。大三島を攻め取っておきながら伝統を受け継いだとかちゃんちゃらおかしいのですプークスクス」

 

 あかんこれもう一触即発や。なにが気に入らないのか、今日の電はいつも以上に喧嘩腰だ。自称三島水軍の妖精さんたちはみな青くなったり赤くなったり、鶴姫さまは近習らしき子が差し出した太刀を抜き放ち、今にも号令をかけそうな気配だった。

 

 そこで俺は気づいた、電が後ろ手でピースサインを俺に向けていた。こ、ここまで話をこじらせておきながら、俺にこの場を収めろってのか!? あとその合図流行らす気か?

 

「待て待て待て、しばらく、しばらく!」

 

 俺はとっさに電の肩を掴んで体勢を入れ替え、両者の間に割って入ると鶴姫さまに向き直った。

 

『なんじゃみうらどの! そこなこむすめのほうげんゆるしがたし、これをみすごしてはぶもんのなおれよ! かばいだてするならば、いかなみうらどのとてようしゃせんぞよ!』

「ごもっとも、鶴姫さまのお怒りはまことにごもっとも! なれど、そこを曲げてここはこのカズヒラにお預けいただきたい、なにとぞ、なにとぞぉっっ!!」

 

 俺はその場に平伏して額を床に擦りつけた。なんか知らんがこの子と話していると俺まで言動が時代劇になってしまう、何故なのか。

 

『……よかろう、おぬしにめんじてはなしくらいはきいてしんぜる。じゃがの、わしらのこのはらだちはいかにせん?』

 

 とりあえず太刀は納めてくれたが、鶴姫さまの不愉快そうなしかめ面は変わってない。迂闊なことを言おうものなら俺が真っ先にお手討ち待ったなしに違いないのだが、あの爪楊枝サイズの太刀で斬られるのはなかなか死にきれなくて辛そうだな…… 思い出したがまるで一寸法師だわこれ。

 

「されば、三島水軍が武威、存分に示されるがよろしいかと」

『ほぅ? そがいなことはいわれるまでもないぞ』

「なれど、この者らは怪物どもの跳梁する海を越え、日の本を救いに征かんとする報国の志篤き若者にござる。これをあたら散らせるには忍びなく、ゆえにこのカズヒラもこの者らに合力しておりまする。ここは多少の跳ねっ返りは大目に見て、日本総鎮守大山祇神社を護る皆様のお導きをいただきたく存ずる」

 

 この小さな島でいがみ合いや殺し合いを始められたらたまったもんじゃない、できることならもっと平和的な手段で解決してもらいたい。しかし、これだけではまだ一手足りない。三島水軍を俺たちの仲間に引きこみ、戦力化するにはやらなければならないことがある。

 

『なるほどの。つまりみうらどのは、こやつらをえんしゅうできたえてやれと、さようもうされるかや?』

「いかにも」

『さよかー、じゃがの、わしらたたみすいぐんじゃからのー、こうしてせんすいていこそだいじにいじしてはおるがの、つかいてもおらんけりゃこうわんしせつもない。これではうみにもでられん、えんしゅうのあいてもしてやれんの、のぉ?』

 

 さっき気がついたことだが、陣幕を張った通路の両隣りの棚には大きなラジコンのような潜水艇がいくつも並んで保管されていた。今は空だが、上下に二本並んだ魚雷発射管とおぼしき穴はまるで小型拳銃のデリンジャーを連想させる。他の棚には埃をかぶったような物もあったが、これらの潜水艇だけはみなピカピカに掃除が行き届いていた。この子たちだって好きでこんな境遇に甘んじているわけじゃない、海に出たいのは間違いないと思う。だったらなんとかしてやろう、こういうのだって俺たちMSFの業務なんだぜ?

 

「ならば用意しようじゃないか」

『はぁ?』

「三島水軍が必要とする港とそれに付帯する施設、さらに継続的な整備と補給体制に至るまで、全部俺たちが用意しよう。全部揃うにはそれなりの日数がかかるだろうが、とりあえずこの潜水艇を全部海に出られるようにするまで、ハジメさん、どれくらいかかりそうだ?」

『こうひょうてきのちぇっくとせいびとほきゅう、どっくにくれーんをしつらえてしんすいとなると、まあきょうのゆうがたまでには』

「クレーンは後でもいい。水面に下ろすだけなら今日のところは人力でもいいだろう?」

『なるほど、りょうかいしました。ではそっちはあとまわしにして、わたしたちはとりあえずせいびのためのせんだいをつくるところからはじめます。どっくのこうじについてはせつえいたいのりょうぶんですから、かんとくにもこえをかけますね』

『ち、ちぃとまたんか、かってにふねにさわるでない。われぁ、わしらのふねをどうするつもりじゃ!?』

「そりゃぁ潜水艇なんだから、海に沈めるんだよ」

 

 息の漏れるような悲鳴をあげ、鶴姫さまが顔面蒼白になってふらついた。あ、あれっ? 俺なにか変なこと言っちゃった?

 

『かずさん、ごかいをまねくいいかたです…… つるひめさま、みたところこれらのふねはおもてのそうじこそきちんとされていたようですが、ないぶのせいびまできちんとおこなわれていたかどうかは、しつれいながらはなはだぎもんです』

 

 ヘルメットの甲標的妖精さんたちの中にはウンウン頷いてハジメさんの話に耳を傾けている子も見られた。整備不足については彼女たちにも心当たりはあるのだろう。

 

『つきましては、しんすいまえにいちどきちんとみておいたほうがよろしいかと…… そうそう、そちらのふくかんどの、せいびについていろいろおききしたいこともありますので、われらにごどうどうねがいます』

 

 ハジメさんは姫さまの近習とほか数名を連れてドックに出て行ってしまった。姫さまの太刀預かったまま行っちゃったけどそれでいいのかなぁ。呆気にとられて見送っていたら、入れ替わりに設営隊妖精の監督と家具妖精の棟梁が連れ立って倉庫にやってきた。

 

『いやいやしゃちょー、こうくうたいきちのかいせつがすんだとたんにこんどはせんすいていきちとは、まったくけいきがよろしいですなぁ』

『せつえいたいはげんざいだいばのぞうせいにぜんりょくをそそいでおりまして、あいにくですがどっくのかいそうにまでまわすてがたりません。りふぉーむならばわたくしどもよりもむしろとうりょうのほうがおやくにたてるとおもいまして、かってながらとうりょうにもこえをかけさせていただきました。はっはっは』

 

 棟梁の口振りからはほんの少しだけしこりを感じたが、もしかして最近設営隊ばかりに仕事を振ってるのを面白く思っていないのだろうか? だとしたら悪いことしちゃったなぁと思うんだが、俺やハジメさんも土木工事なら設営隊の仕事だと反射的に判断しただけで、棟梁をのけものにしようなんて悪気はなかったんだ。ここは監督の意見を容れて、棟梁に任せることにしよう。

 

「それじゃ棟梁、今回の施主は俺たちじゃなくてこちらにおわす姫さまだ。あくまで他のドック設備に支障のない範囲でと条件はつけさせてもらうが、予算に糸目はつけないから姫さまのご要望をしっかりお伺いしたうえでガッツリやってしまってくれ」

『ほうほう、それはそれは』

『なんじゃわれら、てをはなさんか! こら、わしをどこへつれていくきじゃ』

『まあまあ、おちついてくださいな。さっそくげんちにむかってこんごのぐたいてきなけいかくをはなしあおうじゃありませんか』

 

 棟梁と監督に両脇を固められた鶴姫さまが連れて行かれて、残った甲標的妖精たちもあわててついて行ってしまい、倉庫に残っているのは俺と電だけになった。

 

「まるでポン引きみたいなのです。ところでミラーさん? 最近大きな支出が続いているところでまた勝手なことを…… 資源は決して無限ではないのですよ?」

 

 資源の管理責任者として電が口を尖らせたくなるのもわかるが、そもそも話がこじれたのも電があまりあの子たちを挑発しすぎたからじゃないか。今後彼女たちと良好な協力関係を築くためには、ここで出すものをケチっていてはいかんだろう?

 

「電の立場はわかるが、こればかりは必要なコストじゃないか? 長い間遊ばせていた艦載機を戦力化したのと同様にこの三島水軍を戦力化できれば、この島近海は空中と海面下から二重の哨戒網に守られることになる」

「はぁ…… もういっそのこと小型の運貨筒でも用意して、今後はあの甲標的たちに遠征も任せてしまうことにするのです。せめて使った分はキッチリ稼いでもらうのですよ」

 

 戦国時代の水軍は平時には水運業も営んでいたそうだ。ならこれもある意味では本来の仕事を取り戻したと言えなくもないかもしれない。だが電に目をつけられた三島水軍がどれほどこき使われることになるか、今後の彼女たちの運命を想像して俺は心の中で手を合わせた。




 グラサン提督第三十一話をお届けしました。本作品は艦娘よりも妖精さんの方が圧倒的多数登場している現状なのですが、登場させる妖精さんについて調べるため装備図鑑をあちこち読み漁っていてふと気がつきました、妖精さんって結構エロい。特に脚や腰つきがグッと来る子が多い。意外な鉱脈を見つけてしまった……?


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第三十二話 赤い神在月(レッド・オクトーバー)を追え

『かけまくもかしこきあまてらすおほかみおほみしまおほかみのみまえにかしこみかしこみもまをさく――

つねのためしのまにまにたてまつるひごとのみけをたいらけくやすらけくきこしめしてすめらみことのおおみよをときわにかきわにいはいまつりさきはへまつりたまひ――

こたびのたたかひにめされていゆきむかへるいくさぶねらがうへをなでたまひめぐみたまひてこころたけくみすこやかにもののふのみちながくひさしくまもりさきはへたまひておほきいさをしをたてしめたまひ――

またかずひらみうらがやぬちやすくおだひになりはひゆたけくうみのこのやそつづきにいかしやぐわへのごとくたちさかえしめたまへとかしこみかしこみもまをす――』

 

 工廠の一部、ドックの脇に設えられた小さなお社の前で神主として祝詞を上げているのは鶴姫さまだ。俺や五人の子供たち、工廠に集まった手空きの妖精さんたちは、みな社の前に並んで頭を垂れ、つつしんで祝詞を拝聴していた。

 

 思い返せば俺って産まれ育ちが日本なのに、この歳になるまで祝詞を聞く機会なんてなかったな。初めて聞いた正直な感想としては、祝詞というものは要は神様への陳情みたいなものなんだな、とそんな印象を受けた。文体は古いやまと言葉ばかりなので細かいところまで完全には意味がわからなかったが、何を言ってるのかなんとなく意味が通じるところだけ聞いてると、子供たちの武運長久やら俺の家内安全やら商売繁盛やらを祈ってくれていることくらいはわかる。

 

 ただ俺の名字は三浦じゃないんだよ、でももはや訂正はできそうにない。名前が間違ってても神様の御利益は俺に届くんだろうか? 人間の郵便ですらちょっと名前が間違ってるくらいならちゃんと届くんだから大丈夫だと信じたい。この島の子供たちを無事日本へ送り出して、俺が元の時代に帰してもらえますように。もう一度娘のキャサリーに会えますように、どうかよろしくお願いします神様。

 

 

 このお社は、工廠の引きこみ式ドックの脇に造られた甲標的基地に併設されている。人間である俺から見ると小さな祠のようなものだが、さほど広くないなかにも妖精さんサイズの鳥居、参道、社殿を備えた本格的なものだ。

 

 社殿の裏手には甲標的を並べた棚があり、艇を上げ下ろしするクレーンが備えつけられている。基地の建屋は一部がドックの左右から外の海に突き出した突堤にまで続いていて、そこが彼女ら三島水軍の新しい棲家だ。

 

『みうらどの、こがいにりっぱなおやしろをたてていただけたなぁひとえにおぬしのおほねおりあってのことじゃ。ぐうじつる、みしますいぐんをだいひょうしてかんしゃいたしますぞ』

 

 引きこみドックを挟んだ反対側とその突堤は水上機部隊の基地となっていて、お社がないことだけを除けばだいたい甲標的基地と似たような造りになっている。今日は俺たちが鶴姫さまと出会ってからもう一週間あまり、工事を任せた棟梁はかなり張り切ってやってくれたらしい。

 

『みうらどの、きいとるのか、みうらどの?』

 

 なお、工事にかかった資源はなんとタダだった、おかげで電のやつは上機嫌だった。しかし、資源の代わりに工賃として請求されたのは、先日の机上演習で駒の代わりに使っていた謎のコインだった。支払いのためにロビーに置いてあった羊の貯金箱はほぼ空になったが、どういう意味があるんだろうあのコイン、子供たちに聞くところによれば遠征で入手した資源に時々混じっているそうだが……

 

「あぁー、これはダメですねぇ。カズ様って、しばしばこうやって自分の考え事にトリップしちゃう癖があるんですぞ」

『……わしのなみのひらをもて』

 

 あんなコインは俺も見たことがなくて、それがいつかどこかの国の通貨だったのか、そもそも本物の金なのかそれすら判別がつかない。秤でもあれば比重を調べることくらいはできるんだが、換金できる機会もないこんな孤島では、たとえ本物の金だったとしてもどうしようもないかな?

 

『……』

 

 いつか俺がこの島から元の世界に帰れる日が来たら、コイン何枚かくすねて行っちゃダメだろうか。なんせ帰ったところで俺の自宅はイーライどもに焼かれちゃったからな…… まあいくら家をなくしたといってもまったくの無一文というわけではないし、いざとなれば土下座してでもフロリダの女房のところに転がりこむという手もある。だが、いずれ日本に移住して新たな事業を興すことを思えば、先立つものはいくらあっても足りん。それでも俺はへこたれんぞ、娘のためにも何度だって裸一貫から成り上がってやるんだ……!

 

『せいっ』 

「うひゃっ!?」

 

 不意に左耳の中でショリッと鋭い音とともに冷たくすぐったい感覚がして俺は跳び上がった。なにが起こったのかわからないまま右耳にも同じことをされて、気がつけば鶴姫さまが懐紙で太刀を拭っていた。

 

『ちぃとはきこえがようなったかの』

 

 俺から見たら爪楊枝サイズの小さな太刀だが、一瞬で耳毛を剃り落とされたのか……? 昔の床屋でそういうサービスあったよな、今じゃ法律変わったり技術を持った床屋さんがいなくなったりしたそうで見なくなったが。

 

『つぎははなげをそってしんぜようか? みうらどの、われはちぃとざつねんがおおすぎよ。ひとのはなしはちゃんとしゅうちゅうしてきくものじゃぞ』

「鼻は勘弁してくれ、小鼻でも切り落とされてはかなわん」

 

 俺は鼻を押さえて恐縮するしかなかった。

 

『じゃがのー、ここなむすめっこどもはよいの。みなようしゅうちゅうできておる』

 

 艤装を起動して出撃の準備を始めた子供たちを眺めながら、鶴姫さまは感心したような口振りでつぶやいた。

 

『とくにあのむらくもというむすめはじつによいの、なかなかにたかいれいりょくをそなえておる。わしのねぎにしてきたえればいずれはわしのあとめをつがせてもよいくらいじゃな』

 

 ネギ? ああ禰宜さんか。一瞬その字面が思い浮かばなくて、槍の代わりにネギを振り回す叢雲の姿が脳裡をよぎり吹き出しかけたが、その隙にとうとう右の鼻毛を剃られてしまった。

 

『またぼんやりしとったのぅ? ほれ、はんたいのはなもだしんさい。かたほうだけではぐあいがわるかろうが』

 

 右の鼻毛を剃られたら左の鼻も差し出せ、アメリカ時代の日曜礼拝でもそんなことは教わらなかった俺だがおとなしく言う通りにした。わあ鼻が通って息がしやすいぜ、でももう勘弁してマジで!?

 

 

「カズ、鶴姫。準備はできたわよ」

 

 今作戦の旗艦を務める叢雲を先頭に、五人の駆逐艦がドックに整列した。これまでだって近海での訓練や防衛作戦などなら五人揃って出港することはあった。しかし、今回は本泊地でも初の試み、全員出撃をもって島から南方の海域に巣食う潜水艦を叩きに行くのだ。

 

 全員が泊地を空けるにあたって、ここまで数々の準備を重ねてきた。防衛のために基地航空隊を立ち上げ、砲兵陣地を構築し、電探網を張り巡らせた。甲標的の潜水艦隊、三島水軍を戦力化して味方につけることもできた。水軍の協力により潜水艦対策の特訓も重ねてきた、現時点でやれることは全てやったと言える。

 

「今日この日に至るまで君たちは何年も、自分たちの暮らすこの島を守るために一方的な防戦を強いられてきた。だが、今日からは違う。妖精さんたちの協力を得て島の守りを堅め、やがては日本へ帰るために討って出る第一歩、今日こそがその記念すべき日だ。身につけた力を遺憾なく発揮して、まずは南の潜水艦どもに一泡吹かせてやろうじゃないか? 俺は君たちについていってやることはできないが、この泊地の司令室で君たちの戦いを常にモニターしている。もしも何か聞きたいことがあったらいつでも無線を入れてくれ、周波数は140.38だ」

 

 周波数? と何人かが不思議そうな顔をしていたがあまり気にしないでくれ、そういう決まりみたいなものなんだ。

 

『そこもとらはわれらみしますいぐんにみごとうちかった、いってしまえばもはやそこいらののらせんすいかんなどてきではあるまい。じゃが、まんしんはならぬぞよ?』

 

 鶴姫さまが皆の頭を撫でるように祓串を振りながらはらえたまえー、きよめたまえーと唱えている。あっこれ昔のアニメで見たやつだと思ったが、祓串を振るたびに皆の身の周りにキラキラした光が纏われたように見えた。俺の気のせいか? 眼をこすって見直したが今度はよくわからなかった、本当になにか祝福めいたサムシングが与えられたのだろうか……?

 

「それでは皆、気をつけて行ってくるんだぞ。君たちの勝利と無事を祈る」

 

 ドックに並ぶ皆が揃って俺たちに敬礼した。俺も答礼を返すと、皆の顔をひとりひとり見渡した。顔がいい、いやそうじゃなくていい面構えをしている。

 

「ふふっ、いよいよ戦場ね。叢雲、出撃するわ! ついてらっしゃい!」

 

 叢雲が号令をかけるとともに、五人はドックからゆっくり出航していった。俺は工廠の屋上に登り、遠ざかる皆の影を見送り続けた。艦隊が南に変針するとき、誰かがこちらに大きく手を振っていた。もう誰が誰だか肉眼じゃ判別しがたい距離だったが、位置からしてあれは吹雪かな、あるいは漣か? 俺は大きく手を振り返した。

 

『かずさん、それじゃあずいうんたいもでますからね、ねっ』

 

 俺の袖を引っ張ったのは水上機隊の教官を務めた零夜偵コンビの片割れ、通称ゆらゆらさんだった。相棒の夜戦ちゃんは夜に備えて寝ているそうだ。なお、本作戦において瑞雲隊は随時出撃を繰り返しながら島南方の潜水艦海域の先行偵察、必要であれば艦隊の直掩を行うことになっている。

 

 階下のドックから発進した瑞雲隊は、防波堤に囲まれた港内をしばらく滑走ののち危なげなく離水した。そのまま上空で編隊を組み、くるりと一度大きな円を描いてみせてから南の空へと飛んでいくのを、ゆらゆらさんは満足げな表情で頷きつつ見送っていた。

 

 

 出撃していく部隊を見送って、俺は本棟二階の司令室に戻り、備えつけの無線機の前に座ってノートPCを開いた。カメラマン妖精さんからの映像は来ていない、俺はまず無線機から皆に通信を送った。

 

「こちらカズ、聞こえるかみんな」

「こちら旗艦叢雲、通信は良好よ」

「よし、今のうちにいくつか確認しておくぞ。まずこの無線機は、どうやら俺が元いた時代に米軍が採用したバースト通信を利用しているようだな。俺はその頃すでに退役済みだったから自分で利用したことはなかったんだが、昔の伝手で概要くらいは聞いていた」

「こちら吹雪です。大丈夫ですよカズさん、博士がいらした頃もこの通信は利用していました。だから私たちも一通りは教わっています」

「こちら電なのです。バースト通信は電たちの体内のナノマシンを介して通信を行い、電波妨害を受けにくく、また通信内容を暗号化してやりとりするので平文でかまわないとそういうお話だったのです」

 

 その通りだな、ストレンジラブの教育が行き届いているようで何よりだよ。

 

「うむ、じゃあ今度は皆のカメラからの映像を送ってくれ。五月雨は俯瞰視能力を映像化したものも頼む」

「五月雨了解です、映像送ります。 ……どうですか?」

 

 ノートPCで開いていたアプリのウィンドウに、各自の連れたカメラマン妖精さんからの映像が映し出された。映像はクリアーで異状はなさそうだな。ただ、漣のカメコさんからの映像にはピースサインを出した漣の顔が大写しになっていた、どうやらカメコさんを左手に持って自撮りをしているらしかった。

 

「よし、こちらも問題なしだ。叢雲、おまえにも全員分の映像が見えているな?」

「こちらもOKよ、漣がふざけているのもよく見えてるわ」

「よろしい。ただ回線をずっと開けっぱなしにしているのは負担だからな。今後は定時連絡のほか、なにか異状を発見したか、あるいは接敵するまでは通信を切っていていい。だが俺はいつでも無線機の前に待機しているからな、なにか気になることがあったらいつでも連絡をくれ。それと吹雪、漣を少し殴れ」

 

 了解、と返事が聞こえるや否や、漣の悲鳴とともにカメコさんからの映像が一瞬揺れた。装備品で遊ぶとか絶対に許さんよ俺はな。

 

 さて、接敵まではあとどれくらいあるか…… 通信も切れて一人きりになった静かな司令室で、俺は椅子に背中を預けて腕を組んだ。叢雲と五月雨の新戦術、上手くいくといいが……

 

『しんぱいしすぎはよくありませんよかずさん、あのこたちはつるひめさまのしれんをみごとくぐりぬけたのです。ぜんせんのことはみなさんにまかせて、われわれはさぽーとにぜんりょくをつくしましょう』

 

 胸ポケットから顔を出したハジメさんが俺を励ましてくれた。そうだな、俺は俺の仕事を果たさなくてはならん。戦場へ行く皆を基地から支える、それは俺が昔からずっとやってきたことだ、手慣れたものさ。俺は自分自身のおさらいも兼ねて、今のうちにこの一週間の訓練を思い返すことにした。

 

 

 

 鶴姫さまと出会った日の夕方近くにもなって、三島水軍の保有する甲標的は全艇無事再進水を果たすことができた。鶴姫さまをはじめとする水軍の面々は、皆楽しげに歓声を上げながらさっそく手馴らしの航行テストを続けていた。電から事情を聞いた皆は、工廠に降りてきてその様子を眺めていた。

 

「なるほど、仮想敵潜水艦隊としてあの子たちに私たちの相手をしてもらうというわけなんですね?」

 

 そういう五月雨は期待を隠しきれないワクワクした顔で爆雷を握りしめていた、ちょっと待て今それ投げちゃダメだ。

 

「ひい、ふう、みぃ…… 全部で十隻ね、まとめてかかってこられたら骨が折れそうね。たしかにいい訓練相手になってくれそうだわ」

 

 叢雲は早くも五月雨の俯瞰視を利用して敵戦力を勘定していた。試合開始前からスパイ行為はズルい気もするが、まあ情報収集は重要だからな、こういうのも訓練のうちか?

 

「あのハジメさん、ちょっと聞いてもいいです? 鶴姫ちゃんの甲標的、赤く塗ってツノ立ててるのはなんでなんです?」

『とくべつしようのたいちょうきはあかくぬってつのつけるのはとうぜんでしょう? めだついろはひめさまのごきぼうでもありましたし、あまりきにしなくてもいいのでは』

 

 漣は怪訝そうな顔で指摘していたが、まあある種のわかる人にはわかるっていうロマンだよなこれは。それにしても色もそうだが、遠目に見ても鶴姫さまの艇だけちょっと形も違う。同じ甲標的でも型が違って、鶴姫さまのやつだけは丙型、他のみんなはより古い甲型なんだと吹雪が教えてくれた。

 

「でもなんでわざわざあんな目立つ色に塗っちゃったんでしょうね? 潜水艇の最大の武器、隠密性をわざわざ捨てていくなんて」

「鶴姫さまは『たいしょうはいくさばでこそこそかくれていてはならぬのじゃ』と言っていたのですが…… 戦国時代ならばいざ知らず、現代戦では意味がないと思うのです」

 

 首を傾げる吹雪に、整備にも立ち会っていた電が鶴姫さまの言い分を教えた。通信技術が発達していない戦国時代なら、たしかに兵を動かす大将が隠れていては話にならない。兵が見える場所、兵から見える場所に出ていなくてはならないし、目立つために馬印も立てるし兜を派手に飾るのだって当然のことだったろう。

 

 しかし前線部隊と司令部が無線で連絡を取り合える現代では、守られるべき司令部が目立ちすぎるのは百害あって一利なしだろう。いったいどういう思惑あってのことだろう……?

 

「あっ」

 

 ふと自分の過去に思い当たって思わず妙な声を上げてしまった。皆が不思議そうな表情で俺を見ていたが、実際この場には関係ない話だったのでなんでもない、こっちの話だと言ってごまかした。

 

 省みれば俺たちMSFって、総司令官のスネークがほぼ単独で先頭に立って敵地潜入するのが当たり前だったんだよなぁ…… あいつは隠密潜入にかけては第一人者だったから誰も気にしてなかったが、冷静に考えるともしかして俺たちMSFって世界一バカげたことやってた軍隊だったんじゃないか? フフフ残念だったな敵兵め、お前がおいまわしてるバカは実はただの我々の総大将だワハハハ。ちょっとなに言ってんのかわかんないです我ながら。

 

 そうこうしているうちに両陣営ともに準備が終わって、ドックから出た湾内に両軍が勢揃いした。とは言っても子供たちが五人揃っているのに対して、三島水軍側は鶴姫さまの赤い丙型が一隻浮上しているだけだ。

 

『それでは、えんしゅうのるーるをせつめいするぞよ。これよりわしのていは、もぐらゆそうのためにこのしまより10kmほどにしにいちするこじまにむかう。みなもいちはしっておろうな?』

 

 子供たちは無言でうなずいた。モグラ輸送というのは太平洋戦争中に日本の海軍が行った潜水艦を利用した物資輸送作戦のことだ。10km西の小島というのは普段から子供たちが遠征のために廻っていた島々の一つで、そこには少数の妖精さんたちが常駐して資源の採掘を行ってくれている。

 

『きちこうくうたいしょぞくのすいていがわしをみつけ、はくちにつうほうののちそこもとらがわしをおうのじゃ。わしがはくちとしまをおうふくするまでのあいだにそこもとらがわしをとらえ、しずめることができればそこもとらのかちとしよう』

「へいっ鶴ちゃま、質問いいっすか」

 

 漣が勢いよく手を挙げた、鶴ちゃまっておまえ。

 

『ちょくげんをゆるす、なんなりときくがよいぞ』

「通報を待たずに小島に急行して待ち伏せとかありですか?」

 

 鶴姫さまは顎をさすってニヤリと笑った。漣のやつめ、いきなり提示されたルールをひっくり返す作戦を出してきやがったか!

 

『おもしろいことをかんがえるやつじゃの? むろんありじゃ。ただの、こじままでのこうろにはとうぜんわしらのへいをふせておるぞ。そらのめのたすけなくしてしせんをくぐりおおせるじしんあらば、やってみよ』

 

 漣が黙りこんだあと、続いて手を挙げたのは五月雨だった。

 

「小島に寄港している間に襲うのはありですか? 荷の積み下ろし作業を狙っての艦砲射撃とか」

 

 ちょっと待て五月雨、いくら演習弾とはいってもその小島は俺たちの仲間なんですけどぉー!? 五月雨はケロッとした顔をしていたが、周りの皆はドン引きだった。この質問には鶴姫さまもさすがに考えこんだが、そこで電が口を挟んだ。

 

「今後の採掘作業に支障があっては困るのです。小島は中立地帯扱いとして、小島とその近海への攻撃は禁止としませんか?」

『じっせんならばそういうせんたくしもありうるかもしれんがのぅ、さすがにえんしゅうでしまのもんにめいわくはかけられぬ。しまへのこうげきはなしとしよう』

『それとの、わしらはわしひとりがおとされればまけじゃ。よって、そこもとらもきかんがおとされたところでまけとする。ようはしょうぎのようなものよ、いろんはあるまいの?』

「旗艦って、つまりは私よね……?」

 

 叢雲が自分を指差して皆を見回した。本当なら旗艦は持ち回りにして皆に経験を積ませたいところだが、今回の作戦は叢雲の能力を軸にした戦術の実践という側面もある。当面は叢雲を旗艦に固定もやむなしだろう。

 

「つまり、旗艦さえ守れれば負けにはならないんですよね? 大丈夫、みんなで叢雲ちゃんを守るからね」

「叢雲ちゃんの能力を最大限に活かすには、さみちゃんの能力も重要であることを忘れてはなりませんぞ。もちろんさみちゃんもこの漣がお守りしますから、ハバクックに乗ったつもりでいてくれていいですぞ?」

「はぼくっく?」

「吹雪ちゃんは聞いたことなかったです? あの頃のエゲレスさん、氷山を利用した超巨大空母を作る構想があったらしいんです」

「端的に言って頭おかしいのです」

『みなのものしごはひかえよ。ではわしはもうゆくぞよ、まずはこうくうたいのやつらがわしをみつけられるかおてなみはいけんじゃの』

 

 鶴姫さまは足元のハッチから艇内に飛びこむと、そのまま湾外に出て潜航し、赤い潜水艇はもう見えなくなってしまった。

 

「ちっ、さすがに湾外に出るところまで離れられると、もう五月雨の周辺視の範囲外のようね?」

 

 舌打ちして叢雲がぼやいた。五月雨の能力は、あくまでも近接戦闘から彼女たちの砲戦程度までの範囲内までしか把握できない。巨大な戦闘艦であった前世ならばいざ知らず、人間サイズまで縮んでしまった今となっては彼女らの交戦距離は相当短くなっているのだ。

 

 ところでこの泊地のドックは、島の西から北にかけて広範囲に広がる遠浅を利用して作られている。その遠浅に加え、ドックの出入り口付近は突堤や防波堤によって囲われているおかげで、たとえ海が荒れたとしてもドックが高波に襲われることはほぼないらしい。

 

 この遠浅の範囲内では潜水艇の隠れられる余地はないが、底が深い外海に出ればその潜水能力を十分に活かすことができる。鶴姫さまが演習としてこういう形式を選んだのには、こういう地形の事情もあったのだろうな。遠浅の湾内で駆逐艦と潜水艦が撃ち合いをしても、ワンサイドゲームにしかならなかったはずだからな。

 

「さてどうするんです叢雲ちゃん、今すぐ追いかけます?」

「それもいずれは試してみたいけど、最初くらいは正攻法で行きましょ。ほら、零水偵が出ていくわよ」

 

 今回の演習で駆逐艦チームを支援する水偵隊が飛び立って行った。水偵隊は他にも演習中に近づいてくるかもしれない外敵の警戒にあたってくれることになっている。

 

「んっ、水偵隊から入電ね。なにかしら」

『こちらみずすまし1(ワン)。むらくもさん、きこえますか』

「こちら叢雲、良好よ。どうしたの?」

『わたしももとがんかめらようせいです、ほんえんしゅうではみなさんのちょくえんをしがんいたしました。ていさつきからのえいぞうをおくります』

「あら、ありがと。 ……うん、いいじゃない? よろしく頼むわね」

 

 偵察機から叢雲に映像を送ってくれたことで、俺のノートPCにも空撮映像のウィンドウが追加された。ハジメさんが言うには、みずすまし1の搭乗員は先日島の写真を撮ってきた元ガンカメラ妖精の飛行訓練生だったそうだ。無事一人前になれたようでなによりだ、ちょっと教官やってた頃の気持ちを思い出してしまうな。あの子には俺なんも教えてないけど。

 

「それでは叢雲ちゃん、そろそろ出ませんか? 脚の速い水偵が先行してくれるのなら、目標を追いかけながら続報に備えられるはずなのです」

「そうね、皆行くわよ!」

 

 

 意気揚々と演習に出た五人であったが、とりあえず真西に向かったと見られる鶴姫さまを見つける前に、三隻一組の小隊から襲撃を受けた。甲標的は実際の敵潜水艦よりもずっと小さい艇体だからある意味仕方ないところはあるが、五月雨の周辺視能力でも相手が潜望鏡深度まで上がってこないとなかなか見つけるのは難しいようだった。

 

「ソナーでも見つけられないのか?」

「とにかく小さい相手ですので、反応を聴き分けるのが難しくて…… もしかしたら、ある意味では本物の敵潜より厄介な相手かもしれませんよ」

 

 通信から聞こえる五月雨の声色は渋かった。演習相手である三島水軍は、甲標的をいくつかの小隊に分け、鶴姫さまを追う叢雲らに一撃離脱の波状攻撃をかけ続けていた。

 

『ふぶきさんみぎげんにひらい、ちゅうははんていでーす。しゅきのしゅつりょくていか、みぎのぎょらいはっしゃかんはしようきんし、しゅほうもはんぶんつかえなくなりまーす』

 

 そうこうしているうちにとうとう吹雪が魚雷をくらったらしく、カメラからの映像では右脚を中心にオレンジの塗料でベッタリ染められているのが見て取れた。この演習では当然ながら実弾は使用せず、双方ペイントが詰まった模擬弾で撃ち合っている。皆の艤装に乗り組んでいる妖精さんが汚れ具合から想定される実際の被害の度合いを査定し、それに合わせて艤装の能力を一部制限するというわけだ。

 

「ごめん、やられちゃった!」

 

 妖精さんの被害度アナウンスに続いて、吹雪の焦った声が聞こえてきた。とはいえ、皆だって三島水軍相手にいいようにやられてばかりだったというわけではなく、爆雷で応戦し甲標的二隻に撃沈判定を与えていた。姫さま艇を除けば相手はあと七隻か?

 

『こちらみずすまし1、もくひょうをほそくしました! もくひょうはきかんたいのなんぽうおよそ800メートルをしまにむかってこうこうちゅうであります、えいぞうおくります』

 

 偵察機から送られてきた映像には、潜航中の赤い潜水艇がはっきりと映し出されていた。

 

「やっぱり目立ちすぎる色よね、なにを考えてのことなのかしら?」

「しかし叢雲ちゃん、見つけたからには追うべきですぞ」

「吹雪ちゃんの速力低下を勘定に入れても、今すぐ追えば目標が島に着く前に追いつけるはずなのです」

 

 叢雲は鶴姫さまの真意を訝しんだが、漣と電は即座の追撃を主張した。

 

『みずすまし1よりかんたいへ、もくひょうがふじょうしました。そくどあげています!』

 

 偵察機に捕捉されたことに気づいたのか、鶴姫さまが艇を浮上させた。潜水艇とはいえ、潜航を続けるよりは海上航行したほうが速力も上がる。隠れ続けて追いつかれるよりは、捕まる前に安全地帯へ逃げこむ魂胆か?

 

「急いで追うわよ! みずすまし1、触接を続けて!」

『おまかせください、どんがめがいくらいそごうともこうくうきからはにがしません!』

 

 艦隊が赤い潜水艇を目視できるほどに追いついても、小島までにはまだ充分な距離が残っていた。もう爆雷を投げられるという距離に迫る直前、潜水艇のハッチが開いて鶴姫さまが姿を現した。

 

『つりのぶせ・はやくじころしま!』

 

 姫さまがそう叫び太刀をバツ字に揮うのに合わせて、艦隊の前方に鶴翼の陣形を組んだ甲標的の群れが浮上した。間髪入れずに発射された魚雷は碁盤の目のような雷跡を描いて襲いかかり、オレンジ色の飛沫がなすすべもなく艦隊を飲みこんでいった。

 

『“ころしま”にあしをふみいれたがさいごにそうろう、じゃの』

 

 飛沫が海風に流された跡には、叢雲一人どころか艦隊全員が全身オレンジ漬けになっていた。言うまでもなく、全艦即刻轟沈判定の大惨敗であった。

 

 あとで電に聞いた話だが、釣り野伏というのは戦国時代の九州で考案されたと言われる戦術だそうだ。自軍兵力を三つに分けて本隊が敗走を装って後退し、追撃に誘いこんだ敵をあらかじめ伏せてあった二隊と本隊の反転逆襲をもって三面から包囲殲滅する。今回はその応用で、三面包囲のかわりに十字砲火のキルゾーンに引きこまれたわけだ。姫さまがころしまとか言っていたのは、多分殺し間とかそういう字を当てるんだろう。はやくじというのも、格子状の雷跡を早九字のまじないに見立てたものだと思う。

 

 これがこの一週間続けてきた対潜特訓、その初日のありさまだった。整然と隊列を組んで凱旋した三島水軍が工廠妖精さん総出の歓呼の声をもって迎えられたのに比べ、オレンジまみれでトボトボと帰港した駆逐隊の姿はあまりにもみじめだった。




 本文中で鶴姫さまが自分の佩刀を波平(なみのひら)と自称していますが、もちろん本物のわけがありません。工廠妖精さんに作らせたものに勝手に名付けているだけです。


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第三十三話 神祇なき戦い

 ひと月以上のご無沙汰でした。みんなー、朝日掘れてるぅ!?(全敗中)


「ズタボロに負けたなぁ」

 

 意気消沈して帰港した子供たちがドックから上陸する前に、俺はボイラーから引っ張ってきた温水で皆のペイントを洗い流してやっていた。言うまでもなく、以前俺が電にしこたまぶっかけられた熱湯とは違う、いい塩梅に調整してやったあったか〜い温水だ。どうでもいいことかもしれないが、シャワーヘッドもついてるよ。

 

 だいたいペイントを流してやったところで、皆にタオルを配って風呂へ行かせた。全員終始無言だった。

 

 艤装の洗浄と服の洗濯は工廠妖精たちに任せ、俺は本棟のキッチンに向かった。そろそろ晩飯の準備を始めなきゃならん。そうだなぁ、今日はカレーにするか。我が家流の野菜ゴロゴロカレー、肉は合い挽きの挽肉だ。でも今時のキーマカレーなんて小洒落たもんじゃないぜ、まだお袋が元気だった頃によく作ってくれた、安い食材でなんとか美味しくしようと工夫したカレーだったなぁ。

 

 日米ハーフの俺は見た目がこんなだったからさ、小さい頃はそこらの悪ガキにずいぶんとイジメられたもんだった。日本が負けた腹いせをぶつけられていたという側面もあった。大きな子に立ち向かっても勝てるわけもなくて、泣かされて帰った日はよくこれを作ってくれたっけな。

 

 でも、そろそろ中学に上がろうかという頃には俺の背もグングンと伸びて、力もだいぶん強くなった。まあ白人の血が入ってるんだから無理もないだろう、おかげで悪ガキ程度にはそうそう負けなくなった。

 

 そして横須賀の街をうろつけば、俺と似たような境遇のやつは他にもたくさんいたんだ。いつしか街で知り合った同士がまとまって、なんとなくつるんではお互い助け合うようにもなった。おっと、決して愚連隊みたいなもんじゃなかったぜ、別に群れて悪いことしようってんじゃなかった。ただ、俺たちの居場所が欲しかっただけだ。

 

 思い返せば横須賀の街でのたくっていたあの頃が俺の原点だったかもな。仲間を集めて居場所を作る、長じてからのMSFだって、ダイヤモンドドッグズだってそれと同じことだった。結局俺は一生同じことを続けてきたようなもので、最後に残ったのはアラスカの家一軒、娘と二人の寂しい暮らしだけだった。まあ俺の昔話はどうでもいいか。

 

 人生も終わりが見えるようになって、いやマジで一度人生が終わってみて思うことは、若い世代の行く末だ。俺一人のわがままでキャサリーの未来を埋もれさすわけにはいかない、彼女を解放してやらなくてはいけなかった。それは放り出すということではない、彼女が自分の望む未来を選べる場所まで連れ出してやるということだ。あとは自分の望むままに進めばいい。時には失敗することもあるだろう、そんな時はうちに帰ってこい。お袋が俺にそうしてくれたように、カレー作って迎えてやるさ、俺が元気でいられるうちはな。

 

 

 そんなことをぼんやり考えているうちにカレーができて、子供たちも風呂から上がってきた。風呂に入って身体はさっぱりしただろうが心はいまだ晴れないらしく、皆言葉少なで黙々と食べていた。でもみんな最低一回はおかわりをしていたから、我が家流のカレーはそれなりに好評だったんだと思う。

 

 叢雲がおかわりに立った時、俺が彼女の皿の下に隠しておいたメモに気づいて一瞬手を止めた。叢雲はすぐ平静を装いメモを握ってキッチンに立ち、おかわりを盛ってきて食事を続けた。なにも変わっていないように見えるが、時折俺を見る眼には気力が戻ってきているのを感じた。

 

 わざわざこんな付け文みたいないやらしい真似をしたのは、今日も妖精さんたちが俺たちと一緒に飯を食っているからだ。ちなみに、妖精さんの分は大皿に盛ったドライカレーだ。

 

 今までもそうだったが、いつもここで飯を食っているのは工廠や家具、はたまた航空隊や台場所属の妖精さんが主で、水軍の子が食いにきたことはなかった。だから、ハジメさんから紹介されるまで俺は水軍の存在を知らなかったんだな。

 

 またあとで説明するが、あの水軍はなかなかの曲者だ。今だって妖精さんに紛れこんだ水軍の手の者が俺たちの動向を探っている可能性もある。だから、こんなやり方で密談を持ちかけたんだ。ちなみに、叢雲に渡したメモにはこう書いてある。

 

『演習を見ていて三島水軍の戦術について気づいたことがある、あとで皆に伝えるから寝る前に俺の部屋に集合だ。あるいは水軍のスパイがどこかで聴き耳を立てているかもしれないから、口には出さずおまえら同士の体内通信で共有してくれ。あと、部屋の人払いについて電の配下にいる特警妖精さんの力を借りたい』

 

 皆無言でカレーを食いながら時折俺の表情を窺ったり、盛んに目配せを送り合ったりしている。体内通信のできない俺にはわからんが、たぶん俺のメモについて相談し合っているはずだ。

 

「ミラーさんもおかわりはいかがなのですか?」

 

 俺が一皿食い終わるタイミングを見計らって電が声をかけてきた。

 

「すまないな、じゃあ半分だけ頼むか」

 

 戻ってきた電から皿を受け取った時、糸底に紙片が貼ってあるのに気がついた。俺はさりげなくそれをポケットにしまいこんだ。

 

 

 晩飯を片付けたあと、トイレに入って電のメモを読んでみた。内容を要約すると、密談については了承すること、ただし集合場所を寄宿棟にすること、準備ができたら漣のスマホから俺の携帯にメールを送るとのことだった。

 

 俺がここに来てもう何ヶ月も過ぎているが、いまだに寄宿棟に立ち入ったことはなかった。ストレンジラブの奴が俺が子供たちに手を出すんじゃないかと変な気を回して、棟内に物騒なガンカメラ妖精を配置したせいなんだが…… いまやプライベートエリアに招き入れてもらえるくらいには、俺もみんなの信頼を勝ち得たってことか。そう考えるとなんか嬉しいなぁ。いやいや、なにも悪いことは考えちゃいないぞ、俺は子供には手を出さないと決めてるんだからな?

 

 昔俺がMSFやDDでマザーベース副司令を務めていた時代には、見回りなど仕事として女性隊員の兵舎に立ち入ったことくらいいくらでもあった。しかし、うら若き乙女が共同生活を営む女子寮に招かれるとか…… もしかしなくてもこれは全男性が望む夢のような黄金体験、あの頃と比べればメスゴリラの檻と秘密の花園くらいロマンの格差があるよなぁ。なんかオラワクワクしてきちゃったぞ、ウフフ。

 

 汗臭いまま女子の部屋に踏みこむのはためらわれたので、まずは一風呂浴びることにした。なんとなくいつもよりしっかり洗ったし、なんならヒゲも剃ったし歯も磨いた、もちろんブレスケアもバッチリだ。替えのパンツだって下ろしたてを用意した。どんな事態にもあらかじめ備える、それは軍人として大事なことだ。いや悪いことは考えていないぞ、絶対そうだぞ?

 

 

 ここに来た日には浴衣をもらったが、最近俺が寝巻きにしているのは麻の甚平だ。脇や肩に隙間が空けてあって涼しいし、下はハーフパンツだから裾を気にする必要もなくて気楽でいい。でもスネ毛は風呂で処理しておくべきだったかな、俺は金髪だし体毛も薄いからそんなに目立たないと思うんだが、若い女の子にはウケが悪いかもしれないな…… 着替えながらそんなことを考えて、もう一度風呂に戻って剃ってこようか迷った瞬間携帯が鳴った。

 

“準備ができました

ガンカメラさんには

話を通してあります

ベッドで待ってますぞ

はやくき・て・ね♡

 

   あなたの漣”

 

 メールにはパジャマの胸元を半分開けてウィンクする漣の自撮りが添付されていた。またあいつはこんな悪ふざけを…… でも保存しとこ、俺はメールを鍵のかかる非表示フォルダに移した。

 

 

 汗が引くまで少し涼んでから本棟に戻り、ロビーから寄宿棟に続く渡り廊下の前で一度立ち止まる。廊下の天井近くにはガンカメラが仕掛けてあって、担当の妖精さんがカメラにまたがっていた。妖精さんが律儀に敬礼してきたので、俺も答礼を返した。

 

『さざなみさんからうかがっております、どうぞおとおりください』

 

 通ってよしと言うわりには、決して俺から照準を逸らさないのがなんとなく気になるんだが…… そうだ、気になっていたといえば、最近ガンカメラ妖精から他部署への転属が多いのが少し気にかかっていたんだ。人手は足りているか、転出が多くて練度の維持に不安はないか、せっかくだから今のうちに聞いておこう。

 

『れんどのいじといわれましても、がんかめらのあつかいはかんたんですし、いってしまえばふしんしゃをみとがめたらうつだけのかんたんなおしごとですので、れんどのいじなどというおおげさなものでは…… じんいんのぼしゅうもずいじおこなっていますから、げんじょうではとくにもんだいはありません。ごしんぱいいたみいります』

 

 もう少し詳しく聞いてみると、どうやらガンカメラ妖精というのは、そこいらで遊んでいる無任所の妖精さんにとって軍務への登龍門的な意味合いがあるらしかった。まずここで鎮守府内での生活に慣れて、いずれは自分の本来志望する部署へ進んでいく。だから人員の入れ替わりも頻繁なんだそうだ、キャリアアップの足がかりだな。

 

「君もいずれはどこかに進むつもりなのかい?」

『いえ、わたくしはくちくかんのみなさんをおまもりするこのしごとにほこりをもっておりますので。 ……そうだ。はなしはかわりますが、さきほどうちのさいようたんとうしゃからみょうなはなしをききました。わたしたちのほかにも、そとでようせいをあつめているやつらがいるそうです。そのせいでうちにくるしがんしゃがへるかもしれないと』

「どんな奴らだ?」

『おもてのひろばでとつぜんにぎやかなみこおどりをはじめて、ものめずらしさにあつまってきたこたちをことばたくみにさそってどこかへつれていくんだとか……』

 

 巫女踊りだって? うちでそんな神道関係者といったら三島水軍以外にはありえない、まさか独自に志願者を集めてこの泊地での勢力伸長を始めているのか? これは耳寄りな話だ、勧誘場所が例の土管広場なら寄宿棟のすぐそばだ、皆には注意を促しておこう。

 

 

 短い渡り廊下を過ぎて、ガラス戸の向こうはもう寄宿棟だ。基本的な雰囲気は本棟と似ているが、廊下には洗面所やトイレ、洗濯室、浴室などの生活には欠かせない設備とおぼしき部屋の扉が並んでいる。もちろん、そんなところに勝手に立ち入ったりはしないぞ。

 

 まだ消灯というほど遅い時刻ではないはずだが、一階は常夜灯が灯っているだけで薄暗い。廊下の奥にはリビングのような部屋が見えているのだが、そこにも誰かいる様子はない。

 

 リビングの手前まで進んで、俺は人の気配に気づいて立ち止まった。廊下の角に誰かが隠れている、月明かりかなにかでそいつの影が延びている。

 

「誰か知らんが影が見えてるぞ? 呼びつけたのなら普通に出迎えてくれよ」

 

 返事はない。ようし、それならこっちから仕掛けてやる…… と思った瞬間背後から肩を叩かれて俺は大声を上げた。

 

「どわぁっ!?」

 

 振り返ると目を丸くした吹雪がいた。いつの間に俺の後ろにいたんだ?

 

「ごめんなさい、こんなに驚かれるなんて思わなくて」

 

 吹雪はトイレにでも行っていたのだろうか、でも廊下に出てきたのも俺の背後に近づいていたのもまったく気が付かなかったぞ?

 

「何の問題ですか?」

 

 声の聞こえた方に振り返ると廊下の角から漣が顔だけ出していた。半分くらい予感はしてたがやっぱりこいつかよチクショー、みんなして俺にイタズラを仕掛けやがって…… 少女がおじさんにイタズラしても咎められることはないのに、なんでおじさんが少女にいたずらするのは犯罪になるんだ。法の下の平等はどこへ行った? 俺にもいたずらさせろ! いやそうじゃないよ、NoタッチだNoタッチ。

 

「残念だったな、漣が俺を脅かす前に吹雪に先を越されてしまったぞ」

「吹雪ちゃん? ……どこに?」

 

 はぁ? と気の抜けた声を出して再三振り返るとすぐ後ろにいたはずの吹雪がいない。

 

「んほぉっっ!?」

 

 いつの間にか漣は吹雪に羽交い締めにされていた。これまで何度か経験してきたが、吹雪は相手の虚をついて死角に回りこむのが格段に上手い。俺の後ろから漣の後ろへ、二人に気づかれることなく移動するなんて普通はできない、まるで忍者かなにかだ。

 

「漣ちゃん、またカズさんに悪さしようとしてた? そういうのはよくないよ」

「叢雲ちゃんまで誘って二人がかりで性的に襲おうとするほどではないかと、あっ痛たたた、ギブっすギブ、ギバーップ! ギバーップ!」

「それ以上いけない、あまり皆を待たせるのもなんだから早く行くぞ」

 

 吹雪の締めを解かせて俺たちは皆の部屋に向かった。漣が潜んでいた廊下の角を曲がった先は階段で、二階の廊下にも一階と同じようなドアが並んでいた。ただし二階は狭い倉庫が一つの他は同じような部屋がいくつかあって、そのうちの一室を皆の寝室として使っているそうだ。

 

「カズ様連れてきましたぞ!」

 

 室内に入ると、靴脱ぎと小さな下駄箱があって一段高い八畳ほどの座敷になっており、奥の壁際にはデスクが一つ。そして部屋の真ん中には長テーブルが一つ、叢雲と電と五月雨はすでに席について俺たちを待っていた。

 

「うわ、今度は雪女だ」

「……誰が雪女よ!?」

 

 一瞬間をおいて意味に気づいたらしい叢雲が口を尖らせた。五月雨はきょとんとした表情だったが、電は俯いて小さく肩を震わせていた。私室だからか皆いつもの制服ではなくて寝巻きに着替えているんだが、叢雲は古式ゆかしい白の長襦袢姿だった。ほとんど白に近い銀髪とあいまって民話の雪女はきっとこんな姿なんじゃないかという第一印象だったんだ。

 

 なお他の四人の格好だが、吹雪はどこかの学校の体操着、白いTシャツの襟首と袖口、膝上丈のハーフパンツが臙脂色のいわゆる芋ジャージだ。胸元にしばふ中と刺繍されているんだがどこの中学だろう? 漣はなんかヒラヒラした七分丈のピンクの可愛いパジャマ、五月雨は白一色の丸首のシンプルなネグリジェ、普段の服装とあまり印象は変わらないんだが生地が薄い、ある意味一番デンジャラスな格好かもしれない。

 

 一番奇異だったのは電のパジャマだ。デザインは普通のボタンダウンのセパレートなんだが、上衣は黒地に襟と袖口が黄色く差し色になっていて、背中には煙を上げる富士山がプリントされていた。これ歴史の本かなんかで見た憶えのある柄だ、豊臣秀吉が着てた羽織とかじゃなかったろうか? ズボンの方は黄色地に黒い稲妻の小紋が散らされている、正直言って年頃の女子が好む服装には見えない……!

 

 まあそれはいいか、俺だって人様の服の趣味にケチつけられるほど結構な服着てるわけじゃないしな。女子のパジャマパーティーのゲストなんてそうそうお招きいただけることじゃないんだ、行儀よくしよう。

 

「夜分お邪魔するぜ。それにしてもよく俺を君らの私室に招き入れる気になったもんだ、信用してもらえてるのはありがたいけどな」

「人の家に上がりこんでる自覚があるなら騒ぐんじゃないのよ」

「この寄宿棟は普段から特警さんがひそかに見回りをしてくれているのです。ミラーさんのお部屋に新たに網を張るくらいなら、こっちに来ていただく方が早いのですよ」

 

 大声を出したのは俺のせいじゃないし…… 吹雪が俺を脅かしたからだし! いやそれはどうでもいい話として、先日の麻雀賭博騒ぎの時も誰にも気づかれず家具妖精に潜入していた特警さん。電が配下にしているらしい彼女らがここを警備してくれているなら、とりあえずは安心ということか?

 

「なるほどなぁ。じゃあ、早速話を始めようか。まずはこの写真を見てくれ。今日の演習の最後、三島水軍の早九字殺し間とかいう戦技を空から撮ったものだ」

 

 これはカレーを煮こんでる間にみずすまし1の搭乗員さんが見せてくれた写真を俺の携帯で撮ったものだ。画質はお察しだが、縦横合わせて九本の雷跡が叢雲ら艦隊に襲いかかる様子がバッチリ写っていた。

 

「私にもこの光景は見えてました、逃げ場のない絶妙の狙いでしたね」

 

 五月雨が悔しそうな声を漏らしたところで、漣が不思議そうに首をひねった。

 

「あれ? なんか変ですぞこれ」

 

 漣はどうやら違和感に気づいたようだった。

 

「叢雲ちゃん、演習前にこっそり水軍さんの頭数数えてましたでしょ?」

「そうね。 ……なるほど、私にもわかったわよ。あいつらなかなかの食わせ者だったってわけね」

 

 吹雪と五月雨は漣たちがなんの話をしているかわからないという表情だったが、そこで電が種明かしをしてくれた。

 

「昼間の演習の途中で、電たちは少なくとも二隻の甲標的を撃沈していたはずだったのです。でも、この写真で雷撃を行っているのは九隻いるのです。途中で沈めた二隻、待ち伏せをしていた九隻、囮になっていた鶴姫さまの一隻、これだけでも最初に叢雲ちゃんが数えた十隻とは数が合わないのです」

 

 あぁー、と合点がいった様子で吹雪たちが手を打った。

 

「演習前に水軍はみんなの目の前で慣らし運転をしていた体だったが、たぶんあの時にはすでに何隻かは密かに湾外に出て隠れていたのだろうな。もちろん、十二隻ですべてだと限ったわけでもないぞ。水軍が実際は何隻の戦力を保有しているか、今となっては真相はもはや海の中だ。倉庫にあった甲標的をドックに運ぶのをみんなも手伝ったはずだったが、誰か総数を数えていたか?」

 

 子供たちは皆互いに顔を見合わせて、やがて揃ってかぶりを振った。そうだよな、まさかあの時点ですでに盤外戦が始まっていたなんて誰が気づくだろうか?

 

「演習なのに伏兵を隠していたなんて、ズルくないですか?」

「吹雪の言いたいことは分からなくもないが、自分の手札を隠すのは当然のことだ。どうやらこの演習は、ただの対潜演習だけではすまない話になってしまったな」

 

 もはやこの対潜演習は駆逐隊と三島水軍が海で追っかけっこをするだけのものではなくなった、海に出る前から互いに探り合い騙し合う諜報戦の様相を呈し始めている。

 

 そういえば、さっきガンカメラさんから気になる話を聞いたっけな。これも関係のあることだろうし、今のうちに伝えておくべきだろう。

 

「さっき渡り廊下のガンカメラさんに聞いたんだが、三島水軍らしき子たちが裏の広場で無任所の妖精さんたちを集めているらしい。もしかしたらさらなる勢力拡大を狙ってるのかもしれん」

「つまり、現状で総勢何隻いるかわからない相手が今後なお増えるかもしれないってことですね」

 

 五月雨はうんざりした顔だった。俯瞰視でもなかなか見えず、ソナーでも見つけづらかった相手がまだ増えると思えば無理もないことだろう。

 

「明日、工廠の記録を漁ってみるのです。少なくとも現在何隻の甲標的を保有しているかはそこからわかるはずなのです」

 

 電の意見を聞いたらちょっと嫌な予感がした。昼間電は今後は三島水軍に遠征をやらせると言っていた。水軍が遠征で得た資源の一部を密かにちょろまかし、新たな甲標的の建造に回したとしたらどうなるだろう? 仮に鶴姫さまの立場にあったら誰だってそーする、俺もそーする。そんな懸念を伝えてみたら電は人でも殺しそうな顔をした。

 

「いくら演習の一環とはいえ、さすがに資源を勝手に私消されては見過ごすわけにはいかないのです。もはや工廠の記録を漁るだけでは不充分なのです、今後は資源の帳簿を厳格に管理して、さらに特警さんを三島水軍に潜入させてみるのです」

 

 これで三島水軍は完全に電を敵に回してしまった。横領の証拠が挙がったらもはや演習もクソもあるまい、水軍はいったいどうなるんだろう? 地下で1050年強制労働とかだろうか?

 

「……今日は、ハジメはいないのかしら」

 

 考えこんでいた叢雲がポツリと言葉をもらした。言われてみれば、いつも俺のそばにいるハジメさんがいつの間にかいなくなっている。

 

「どんなに資源をごまかそうと、工廠の協力なくして新たな戦力を増やすことはできないわよ。カズ、ハジメたちはいったいどっちの味方かしら?」

「少なくとも水軍に肩入れして俺たちの邪魔をすることだけはないと思うが……」

 

 返事を濁したのは、正直自信がなかったからだ。

 

「ハジメたち妖精さんが今まで協力してくれてきたのは、私たちなら日本にたどり着いてこの海を護れると評価してくれてたからよ。それなのに今日の私たちは水軍相手にひどい惨敗を喫してしまったわ。もし妖精が今までのように私たちの味方をしないというなら、癪だけど鼎の軽重を問われていると思うべきよ」

「??? 叢雲ちゃん、日本語でお願い」

 

 いつも通り吹雪が疑問符にまみれていたが日本語だよ、古代中国の故事が起源ではあるけどな。

 

「……つまり、どういうことだってばよ?」

「私たちじゃこの海を護るに頼りなしと判断されれば、妖精たちは旗頭をあの鶴姫にすげ替えるかもしれないわね。そうなった鶴姫が何を始めるかはあの子次第だけれども、今後私たちがどう扱われるか…… よくて水軍の配下に置かれるか、悪くすれば追放まであるかもしれないわね」

 

 漣の疑問に答える叢雲の声は重かった。いくらなんでもそこまでやるかなぁ……? 妖精さんはイタズラはするしわがままも言うが悪意はない。だが悪意がないからこそ、飽きたオモチャみたいになった俺たちがどうされるかなんてまったく予想がつかんところがある、そこが怖い。

 

「げ、下剋上なのです!?」

「どうしよう叢雲ちゃん、私たちここを追い出されたって行くところなんかないよぅ!」

 

 電がうろたえ吹雪が悲鳴を上げたが、冷静に予想するならば子供たちの追放はまずないと思う。

 

「まあみないったん落ち着け? いくら水軍が強くても結局は小型潜水艇の群れなんだ、できることには限りがある。対して高速で航続距離も長く、水上戦ができて上陸すら可能なおまえら、器用で貴重な戦力をムダに追放する意味がない。そうだろ?」

 

 子供たちはまだ不安げな顔を見合わせていた。

 

「どうされるかわからんのはおまえらじゃなくむしろ俺だ。死にかけた所をわざわざ助けてやったのにたいして役に立ってない、こんな奴は追い出せなんて言われでもしたらどうしようって想像するだけでドキドキするぜ」

「それはないわね」

「ねぇですわ」

 

 叢雲と漣には言下に否定された。俺を認めてくれているのだから悪い気はしないがそうかなぁ?

 

「ミラーさんは妖精さんのことを真面目に考えすぎなのです。あの子たちときたら、仕事の他にはご飯と遊びしか考えてないのです」

「知らなかったんですか、カズヒラさんのご飯は妖精さんにも大好評なんですよ」

「妖精さんの遊びにも根気よく付き合ってあげてますしね。妖精さんにとってはある意味得難い人材ですよ」

 

 褒められてるはずなんだが複雑な気分だ。俺ってばここの軍事アドバイザーとかそんな役割で雇われてると思ってたんだけど、これでは実質保父さんかなにかでは?

 

「まあ俺のことはいいよ、ちょっと話がそれたが明日からの話をしよう。ズバリ聞くが、明日は勝てそうか?」

 

 気まずい沈黙が広がった。

 

「無理か。 ……じゃあちょっと話は変わるが、俺の昔の話をしよう。どこまで話したっけか?」

彼氏(スネーク)さんが亡くなってアラスカに引っ越すところまでの大筋は聞きましたぞ」

 

 彼氏とか言うな、俺とあいつはそんなんじゃねぇし! あれは二日酔いの罰ゲーム中に叢雲に聞かせた話だったんだが、当の叢雲が俺に断りもなく無線を通じて全員で共有してたんだよな。好きとかうかつに言うもんじゃなかったなまったく。

 

「だいたい全部話してるな。だけど細かいことはまだまだだよな、俺がスネークに負けてMSFに引っ張りこまれたばかりの頃の話だ」

「MSFでは格闘技にCQCを採用していた。俺も自衛隊の格闘術には多少の心得はあったが、MSFはまるでレベルが違ってて面食らったっけな。毎日毎日負けに負け続けて、それでも諦めずに食らいついていったんだ。皆に伍するようになれるまで二年はかかっただろう」

 

 五月雨が腕を組んでウンウン頷いていた。俺は結局スネークには敵わなかったが、わずか一年足らずでスネークどころかCQCの創始者たるザ・ボスに追いつきかけたこの子にはもうどうあがいても勝てそうな気がしない。

 

「私たちは二年もちんたらしてられないのよ」

 

 頬杖を突く叢雲は不機嫌な声だった。ちんたら言うな、俺だって頑張ったんだぞ? 隊員に勝てないよわよわザコ副司令じゃ沽券に関わるんだからな。

 

「俺が言いたいのは二年かけても水軍に勝てってことじゃあない。勝てない相手から学ぶことは大きいし、いっそ懐に飛びこんでしまえということだ」

「それはミラーさんとスネークさんのことなのです? なんだか秀吉公と家康公みたいなのですね」

「家康は秀吉に膝を屈した後、三十年かけて豊臣を克服し天下を取ったな。俺はそんな御大層な器じゃないが、スネークに負けてその下につき、やはり三十年近くをかけてあいつを討った。まあ討ったのは自分の力じゃないけどさ、あいつと俺とで勝ち残ったのは俺だ。そうじゃないか?」

「カズさん、本当はスネークさんのこと嫌いだったんですか?」

 

 吹雪がドン引きしていた。ヤンホモを拗らすと怖いんですぞ、とか漣が耳打ちしていたが聞こえてるからな?

 

「そんなことはないぞ。今この時をもってなおあいつは俺の、最高の潜友だ。ただそれはそれ、これはこれだ。なにをしてでもこいつにだけは負けたままでいたくない、男にはそういう相手があるものなんだ」

 

 皆の半数くらいは男の世界の話にしてごまかすのはズルい、と視線で主張していたが、漣と電だけはしきりに納得した様子だった。電はいやに歴史に詳しいなとは前々から感じていたが、もしかして電もそういう趣味の子だったんだろうか? たとえば武田信玄が小姓に送った手紙とか、歴史関係であっちの方の話題はしばしば聞くし……? まああまり深く追求するのはよそうか。

 

 明日も午後には三島水軍との演習がある。とりあえず、それまでの間は各自情報収集を進めることでだいたい話はまとまった。俺は皆におやすみを告げて自室に戻ろうとすると、ロビーではハジメさんなどの主だった妖精さんが俺を待っていた。

 

『かずさん、やっとかえってきましたか!』

『やせん……?』

『ひとりあたり10ぷんあまりですか、5れんせんとはさすがぜつりんですな』

 

 なんの話だ、あと監督は下世話にニチャァと笑うな。




 前回の冒頭でこの先の南海潜水艦狩りの出撃シーンをすでに書いてしまっているのに、その前日譚にあたるvs三島水軍編が結構長くなりそうな悪寒。


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第三十四話 スパイは二度も三度も死ぬ -You only live twice or thrice-

 寄宿棟での作戦会議からの帰りに、ロビーでは主だった妖精さんたちが俺を待っていた。皆も参加すればよかったろうに、なんでこんなところでたむろしていたのか不思議に思って聞いてみた。

 

『がんかめらのやつがとおしてくれなかったのです。さざなみさんからきょかがおりていたのはかずさんだけで、わたしたちのことはきいていないと』

 

 俺が作戦会議に行ったと察したハジメさんは、もちろん自分たちもぜひ参加するべきだと考えた。しかし、この渡り廊下を守っている門番が頑として通行を許さなかったために足止めを食っていたそうだ。

 

『はにー、あすこそはきっとわたしたちもつれていくのよ、ぜったいよ?』

 

 それなんだがなぁ…… 俺は叢雲の名こそ出さなかったが、子供たちの間で妖精さんの去就について問題に挙がったことを伝えた。今まで通り子供たちを助けてくれるのか、それとも三島水軍を新たな神輿に据えるか、子供たちは不安を感じているとも伝えた。

 

『てまえどもをおうたがいというのですか』

 

 棟梁はさすがに愕然とした表情だった。

 

『むりもないことでしょう。あのこたちはいままでなんどもあぶないときこそありましたが、それでもなんだかんだでかちぬいていきのこってきたのです。ところがこんかいはたとええんしゅうとはいえはじめてのだいはいぼく、さきゆきふあんにもなろうというもの』

 

 ハジメさんの面持ちは沈痛だった。日頃は陽気な妖精さんたちも揃ってシュンとしている。

 

『……ここはひとつ、せめてわれらこうくうたいだけでもくちくかんたいへのごほうこうがせんいつであることをこうどうをもってしめすべきではないか』

『そうだな。こういっちゃあなんだが、もともとわれわれとあのせんすいていどもはてがらとしげんをくいあうあいだがらだ。かんたいのためにきょうどうしようというならてをとりあいもしようが、やつらのかざしもにたてといわれてしたがうぎりはない』

 

 航空隊の021ちゃんと天さんが顔を見合わせて互いに意見を交わしあっていた。三島水軍だってこの泊地のトップに立とうだなんて野望をあからさまにしているわけでもないのだが、間接的にも利害関係を持つからか、航空隊の面々の水軍に対する反感は強いようだ。

 

「三島水軍が独断専行を進めつつあるのに危機感を持つのはかまわないが、だからといって泊地内で妖精大戦争とかはやめてくれよ。こんなところで仲違いをしていては日本に向かうどころの騒ぎじゃなくなってしまうぜ」

『しかし』

 

 021ちゃんの反駁を一旦掌で押しとどめ、俺は言葉を継いだ。

 

「ここで誰がトップを取るかなんてことにはなんの意味もない。この泊地が活動している目的はあくまであの子たちを日本へ向かわせることだろう。そこを忘れてはいかん」

「三島水軍がどんなに強かろうとも、もしもその目的を蔑ろにするというのなら出てってもらうだけだ、そうじゃないか? どこかよその島で元気に海賊やってもらうさ」

『でてってもらうことなどできましょうか』

「俺はやるぞ、それこそ新築の甲標的基地を爆破してでもだ。やりたくないのは確かだが三島水軍が不和の種となるなら放置はできん。その時は工廠や航空隊、みんなにも迷惑をかけることになるだろうが覚悟をしてくれ」

 

 悩ましげな表情で考えこんでいた棟梁が、懐からなにかの冊子を差し出してきた。

 

『……しゃちょーのどろをかぶるおかくごはよくわかりました、これはつるひめさまとまとめたこうひょうてききちのせっけいずです。どうぞごらんください』

 

 とうりょういくらなんでもそれは、と監督が止めようとした。甲標的基地の設計図を読めば、少なくとも水軍が最大どこまでの戦力を保有できるかは一目瞭然だ。本来なら絶対に俺たちには見せるわけにはいかない重要機密のはずだった。

 

「せっかくの申し出だが棟梁、俺がそれを見てしまうわけにはいかん。気持ちだけ受け取るからここは引っこめてくれないか」

『ですが……』

「これはあくまで演習だ、ルールに則って行われるべきものだ。偵察機は使ってよいことになっているからそちらの力は借りるが、工廠に家具妖精に設営隊、泊地運営に直接関わる君たちは皆に公平でなくてはならん。そうでなければ後々にしこりを残しかねないぜ」

『かずさん、それでは』

 

 ハジメさんが声を上げた。

 

「もちろん、工廠も同じことだ。まさかとは思うが、あの子たちを勝たせるために甲標的の補給や整備にサボタージュを加えようなどもってのほかだ。そんなことをしたら君らの一分が立たないだろう」

 

 子供たちを助けてやりたい気持ちはある、だからといって敵役の水軍を不公平に扱うわけにはいかない。そんな葛藤を噛み締めた表情でハジメさんたちが顔を伏せた。

 

「そんな顔をするな、君たちがあの子たちを応援してくれていることはよくわかっている。だから、艦隊の勝利を信じて君らは君らの仕事を誠実にこなすんだ」

『やかんていさつ!』

 

 出し抜けに夜戦ちゃんが拳を振り上げ叫んだ。

 

『ていさつきならちからをかしていいんですよね、ねっ』

 

 ゆらゆらさんと夜戦ちゃんは眼を見合わせて頷くと、どこから出したのかいきなり巻き上がった紙吹雪に紛れて姿を消した。やっぱりニンジャじゃないか、ニンジャナンデ?

 

「偵察機の力を借りるってのはそういう意味で言ったんじゃなかったんだが……」

『いいんじゃないですか? もともとばんがいせんをしかけてきたのはむこうです、もんくがいえるすじあいじゃないでしょう』

 

 夜偵コンビが勇んで出て行ったところでなんとなく一段落ついたような雰囲気になり、俺も皆と別れて私室に戻りすぐ就寝した。

 

 

 

 翌日。航空隊の開設により、これまでは朝・午後・夜の三回行っていた子供たちによる哨戒は、航空機が行動しにくい夜の一回だけになっている。今後三島水軍が本格的に遠征を始めれば、哨戒だけでなく資源の獲得も期待できるはずだ。

 

 そこで、朝の空いた時間に一時間ほどの朝練を日課とするようにした。朝練とはいっても、先日のようなガッツリ半日CQCなんてものではない。ラジオ体操から始まり、ストレッチに重点を置いた運動強度軽めのものだ。これは、朝の哨戒に出る必要がなくなったからといって朝寝坊をする習慣がつくようになってはいけないから、というくらいの意味合いで行なっているものだ。五月雨などは時々物欲しげな顔で俺をチラチラ見てたりするんだが相手はしてやらん、そんな元気があったら午後からの水軍との演習に回すべきだ。

 

 朝練を上がったら朝食をとり、休憩後の午前には座学を取り入れた。もちろん講師は俺だ。主な内容は子供たちがあまり知らない太平洋戦争終結後から21世紀初頭までの世界情勢について、また固い話ばかりでもなく時代時代の文化や流行なんかについても色々と話をしてやっている。それというのも、子供たちがいずれ日本に行けばこんな小島での暮らしとは比べ物にならないほど多くの人々と交流を持つことになるはずだからだ。いざその時になって現代の一般常識を全然知らないようでは困るだろうしな。

 

 講義は寄宿棟一階の談話室で行っている。談話室というのは、昨夜寄宿棟一階廊下の奥に見えたリビングのような部屋のことだ。いつもの本棟ロビーでやってもよかったんだが、こっちには大きなホワイトボードがあったのでここにした。

 

「カズ様カズ様」

 

 ちょうどバブル期における日本の大衆文化について話していた時、漣が窓の外をチョイチョイ指し示した。

 

「なんだ漣、授業中の私語は控えろ」

「ジュリアナ東京がうちらの役に立つとは思えないんですがー…… いやそうじゃなくて外見てください、ジュリアナ南洋ですぞ」

「なんだって?」

 

 なんのことかと窓の外に目を向けると、外の妖精広場では華やかな巫女装束をまとった三島水軍の面々が巫女踊りを始めていた。

 

「鶴姫さまはいないみたいですね……」

「親玉がわざわざ出張るほどのことでもないのでしょう」

 

 三島水軍の巫女踊りは十数名の踊り子の周りに笛や鉦太鼓を演奏したり、紙吹雪を撒き散らしたりする囃子方が配置されたにぎやかなものだった。

 

「人集めなんて勝手にやればいいけど、こう目の前で大っぴらにやられると癪にさわるわね。 ……ってちょっと待ちなさいよ、なにやってんのよあいつら!?」

 

 叢雲はわざわざ指をさすほどマヌケではなかったが、その視線を追った先には巫女踊りに加わっている夜偵コンビの姿があった。

 

「あの子たち、まさかオンドゥr本当に裏切ったんでしょうか?」

 

 狼狽する吹雪はちょっと舌が回っていなかった。

 

「いやそうではないだろう、昨夜会った時には水軍を探りに行くと言ってたんだが…… まさかもうここまで深くに潜入しているとはな」

 

 ゆらゆらさんは囃子方で紙吹雪を撒く係だったが、夜戦ちゃんの方はなんと踊り子のセンターを張っていた。巫女踊りというのはもっとゆったりと優雅に舞うものだろうと想像していたが、踊り子一同ぴったりと息を合わせて激しく飛んだり跳ねたり、まるでダンスチームのパフォーマンスのようだった。

 

「ねえ漣ちゃん、もしかしてこの笛って」

「さみちゃんもお気づきになりましたか、これはまぎれもなくアレですな」

 

 和楽器でアレンジされてたので俺も最初は気づかなかったが、このメロディは『Synchronized Love』じゃないか。日本の金融業者のCMで有名な曲だ、レオタードの女の子がいっぱい出てきてひたすら踊りまくるヤツだ。巫女踊りの周りにはすでに多くの観衆が集まり始めていたが、たしかにあのダンスなら人目を惹くのは仕方ない。

 

「旗艦叢雲殿、意見具申いいっすか」

「なによあらたまって?」

「とりあえず、踊ってみたいと思います」

 

 はぁ? と叢雲と俺の返事がシンクロした。

 

 

 

 漣の作戦はこうだ。そもそも水軍は無任所の妖精さんが集まるこの広場で目を惹く巫女踊りを興行し、釣られて寄ってきた妖精さんを勧誘して仲間に加えているとみられる。

 

 そこで我々が三島水軍にダンスバトルを挑み、観衆からより高い支持を得ることができれば水軍の思惑をくじくことができるだろうという寸法だった。

 

「本当に上手くいくのですかこんな馬鹿な作戦……」

「でも、手をこまねいてただ見過ごすよりはずっとマシというか……」

 

 俺たちは今、漣を先頭にV字型の陣形を組んで広場へと行進している。俺の役目は子供たちの後ろについてギターの伴奏だ、曲目は漣のリクエストによる『Mexican Flyer』だ。

 

 これって相当昔の、それこそ俺がまだアメリカで学生やってた頃の曲なんだが、数年前にうちの娘が遊んでた日本のゲームのメインテーマに使われてて驚かされた覚えがあった。そして、寄宿棟のリビングにも同じゲームがあるのを俺はバッチリ気づいている。あれはたぶんクラーク博士のわがままで取り寄せたガラクタの残りだったんだろうな。

 

「将棋の格言にな、『敵の打ちたいところに打て』というものがある。相手の作戦目標をかすめ取り、独占性を無効化すること。いかにも漣らしいケレン味たっぷりのやり方だが、これは意外と妙手かもしれんぞ」

 

 ところでこの曲は本来ジャズバンドの曲だから、俺のギターだけで同じことはできない。だからギターにしがみついた棟梁と監督に協力してもらって低音弦でベースラインを、俺は金管パートの代わりに高音弦を使ってメロディーラインを奏でている。

 

「さっすが〜、カズ様は話がわかるッ! じゃけんはりきって行きましょうね〜、『スペースデスロン7』作戦開始ですぞ!」

「なんで第七駆逐隊なのよ?」

「今さら細かいことは言いっこなしだよ叢雲ちゃん」

 

 曲の後半、原曲なら入るはずのドラムソロを俺のタバレット奏法で再現しながら行進は広場に入っていった。タバレット奏法は5弦と6弦をわざと絡ませてかき鳴らすことでスネアドラムに似た音を出すテクニックだ、多用はできんがここぞというところで使えばインパクトはデカい。広場の観衆たちの中にも早くもこちらに気づき様子をうかがう子が現れはじめた。

 

 俺の演奏が終わったところで子供たちの行進は止まり、観衆が戸惑いがちにざわめく中で水軍側も一曲を踊り終えて睨み合いとなった。俺は最後尾から踊り子のセンターに立つ夜戦ちゃんにアイコンタクトを向けた。目が合ったのを確認しておもむろに俺は『Synchronized Love』のイントロを弾き始めた。夜戦ちゃんもそれに応じて囃子方に指図を出し、囃子方も俺のギターに合わせて演奏を再開した。

 

 イントロが終わったところで、子供たちと踊り子の双方が踊り始めた。振り付けは両者同じ、ほぼ例のCMを踏襲している。

 

 この作戦にあたって漣が俺につけた注文は三つ、一つは絶対に歌わないでくれ。俺的には非常に不本意だが認めざるを得ない。たしかに俺が歌えばステージはほぼ台無しになるだろうが、それで水軍の目的をくじいたとしても俺たちの支持はより大きく下がるだろう。

 

 二つ目は相手と同じ曲、同じ振り付けで勝負すること。これも問題はない、俺もこの曲は知っていたし、少なくとも漣吹雪五月雨はこのダンスをマスターしているようだった。どうもクラーク博士が残したDVDの中に日本のTVを録画したものがあって、そこに映っていたのを真似しているうちに振り付けを覚えたんだそうだ。さみちゃんくれぐれも転ばないでほしいですぞと漣は固く念押ししていたが、たぶん大丈夫だろう。普段はなにもない所で転んでいる五月雨をしばしば目にするが、気分が戦闘モードに入ってる時の五月雨はほぼ転ばないはずだ。

 

 ダンスバトルは実力伯仲のまま続いていた。以前しっかり振り付けを覚えた三人に比べて、嫌々ながら付き合わされたという叢雲と電は始めのうちこそ多少動きが乱れ気味だったが、この短時間の間に動きに慣れたのか五人の息がピッタリ合うようになってきていた。そろそろ勝負の仕掛け時か?

 

 ここで漣の注文三つ目、それはタイミングを見計らってギター伴奏のテンポを少しずつ速めていくこと。

 

 

 

「あいつら、えらい増えたと思いませんかね?」

 

 少し時間を遡る。先程の授業中断のその直後、謎の踊ってみたいと思います宣言に続いて、脈絡もなく漣は続けた。

 

「うちらが水軍相手に惨敗を喫したのが昨日の夕方、その時向こうの頭数は鶴ちゃん含めて十人あまりだったはずっしょ?」

「そうなのです、倉庫の奥で面会したときもそれくらいの頭数でした。もっとも、あれで全部ではなかったわけなのですが」

 

 しかし今広場にいる巫女踊りの一群はおそらく三十名をゆうに超える人数だろう。

 

「だからまぁー、あの群れのいいとこ半分くらいは昨日今日に集められた新参者、きっと充分な練度を積んではいないだろうと思うわけですよ」

 

 新参も新参の夜戦ちゃんがいきなりセンター張ってるくらいなんだしな、大いにあり得る予想だと俺も思う。

 

「なるほどな、新兵を引っ掻き回して戦列を崩してやろうってんだな?」

 

 察した俺がそう訊ねると漣はニンマリ笑った。

 

「向こうは和楽器アレンジの雰囲気に合わせているのか、それともお囃子の練度不足からか、原曲から少々テンポを落として演奏してますな。そこへ我々が乗りこんで、徐々にテンポを吊り上げてやります。最低でも原曲通り、必要ならもっと速く」

 

 気を利かせた妖精さんたちが俺のギターを運んできてくれた。漣の作戦を確認するように、最初は外の巫女踊りに合わせて、次いで原曲通りのテンポで弾いてみせてやった。

 

「俺も一応これくらいなら弾けるが、もっと速くと言われるとあまり余裕はないな。これで行けそうか漣?」

「とりあえずは充分です。では、各々、抜かりなく」

 

 

 

 短い作戦会議の経緯はそんな具合で、話はまたダンスバトルに戻る。こちらと相手方との息が合ってきたところでそろそろ仕掛けるぞ、皆準備はいいか? あらかじめ合図と決めていたギターの胴を叩く音を演奏に混ぜると、皆がダンスの動きに隠して後ろ手のピースサインを返してきた。もうこれ定着しつつあるなぁ。

 

 少しずつテンポをつり上げていくうちに、最初に水軍側の囃子方、鉦と太鼓のリズムが明らかに乱れだした。こちらに釣られてテンポを合わせてくる子と、元のテンポを維持しようとする子とでズレが生じ始めたんだ。リズムの乱れは当然他の子にも波及し、やがて笛の音を外す子、振り付けのタイミングがズレて衝突を起こす子も現れるに至り、しまいには一人が足をもつれさせて転んだ拍子に踊り子が将棋倒しになってしまった。もはやダンスバトルの体をなしていない。

 

『ひけっ、ひけーぃ』

 

 水軍の巫女踊りは旗を巻いて逃げ出し、今や広場はわが駆逐隊、スペースデスロン7のステージだった。うむっ、ほぼ完全勝利だな! 満場の喝采を浴びて一曲を踊りきり、漣を中心にポーズをキメたみんなは輝いていたよ。

 

 

「ま、ざっとこんなものかしら」

「センターは漣だったんですが……」

 

 リビングに戻ってきた叢雲は全力ドヤ顔だった。最初は嫌々だったのに勝ったとなると調子いいなぁ?

 

 

 俺の授業は中断したままだったが、もうそろそろ昼飯の心配をしなきゃいけない時間だった。上機嫌の叢雲が腕によりをかけたガジョピントに舌鼓を打ち、その後は水軍との演習の時間まで自由時間である。

 

「なんで演習の時間が4時からなんだろうな?」

 

 ふと口をついた俺の素朴な疑問に答えてくれたのは吹雪だった。

 

「たぶん、試合が長引けば日没になるくらいの時間をあえて選んでるんだと思います。夜になってしまえばもう潜水艦の圧倒的有利ですから」

 

 夜の潜水艦か…… 昔MSFが瓦解したときも、俺たちのヘリは夜の海に墜落した。あの時は海中がどうだったかなんて見ている余裕すらなかったんだが、夜ともなれば海面下はまったく見通せないだろうなぁ。南の潜水艦を相手にする本番では、深入りしすぎて夜戦に引きこまれないよう充分警戒する必要があるな。

 

 

 

 事件が発覚したのはそれからしばらく後、演習の準備のために皆で工廠に降りていったときのことだった。

 

 引きこみドックの水面に木切れのようなものが二つ浮いていたのを五月雨が見つけた。ゴミでも流れ着いたのだろうかと拾い上げてみるとそれはかまぼこ板で、裏側には夜戦ちゃんとゆらゆらさんが縛りつけられていた。

 

 悲鳴を聞きつけて集まった工廠妖精の手で縄はすぐに切られたが、二人は青い顔でぐったりしたまま動かなかった。

 

「どうしようカズヒラさん、二人とも息をしてません!」

「俺に任せろ、二人を渡してくれ」

 

 かつての俺たちMSFは少人数での潜入任務、CO-OPSを得意とした。そして戦場で味方が倒れたとき、ただでさえ数少ない仲間を見捨ててはミッション遂行はおぼつかん。だから戦場での救急蘇生はMSF全隊員の必須スキルだった。

 

 左掌に二人を拾い上げた、たしかに呼吸はしてないようだ。脈拍は…… 正直わからん。人間の脈だって正しく診るには練習が要るんだ、ましてやこんな手のひらサイズの妖精さんとあってはなお難しい。

 

 だがな、熟練の兵士として数え切れぬほど仲間を助けてきたこの俺になら、瀕死の仲間がどういう状態にあるかはひと目でわかる。具体的に言うと、二人の上に浮かんだドクロのアイコンだ。このアイコンが消えてしまう前に心臓マッサージを施せば二人は助かる。もう迷っている猶予はない。

 

 対象が人間であれば心臓マッサージの速さは1分100回が目安だ。だが小さい生き物ほど脈拍は速くなる、ハツカネズミなどは1分600回を超えるというぞ? 昭和の偉大なゲーム名人の16連打には及ばないが、10連打くらいは俺にだってできる。ゲームで鍛えた痙攣打ち、行くぞッ!

 

『おげぼぼぼぼぼぼぼぼぼごぱぁ』

『あばばばばばばぶはぁ』

「おぉ…… 人差し指と薬指で二人いっぺんに生かせまくりとはカズ様さすがのテクニシャン、まさにゴールドフィンガーですな!」

 

 どこかのレジェンド男優みたいに言うな! だが心臓マッサージが功を奏したか、二人はたちまち大量の水を吐き出して目を覚ました。

 

『やせんでしねぬとはやていのりのなおれとあきらめておりましたが、おたすけいただけるとはきょうえつしごく』

『ほぼいきかけました、ねっ』

 

 息を吹き返した二人は正座して深々と頭を下げたが、一体何があった? やはり水軍の連中の仕業か?

 

『さきほどのおどりくらべにまけたせきにんをとらされたのです』

 

 夜戦ちゃんはそう言ったがそれはどうだろう? 沈められたのが踊り子を率いていた夜戦ちゃん一人ならわからなくもないが、それだけではゆらゆらさんまで戸板流しにされた理由にはならん。そこを指摘すると、二人はううんと唸り首をひねった。

 

「やはり端から潜入はバレていたのだと思うのです。特に夜戦ちゃんは忍者気取りなのに目立ちすぎなのです」

 

 電の言いようには二人ともいかにも心外そうな不満顔だったが俺も同感だ。特に夜戦ちゃん妖精のわりに声すげぇデカいもん。

 

「スパイだと承知の上で役に立つうちは泳がせておいて、使えなくなったら即処断というわけね。やってくれるじゃないのよあいつら」

 

 叢雲がすぐそばの甲標的基地を睨みつけて不快感をあらわにつぶやいた。今も建設中の基地では家具妖精さんたちが忙しげに行き来していたが、水軍らしき子は見当たらない。

 

『すいぐんさんならさっきまとめてうみにでていきましたよ。なんせきいたかって? さあねぇ……』

 

 家具妖精の一人を捕まえて話を聞いたがとんと要領を得なかった。せっかくの留守、内偵を進める絶好のチャンスではあったが、フェンスの張られた妖精サイズの工事現場に踏みこんで行くのは人間サイズの俺達じゃ無理だ、家具妖精もそんなズルは許すまい。特警さんの調査結果に期待するしかないか。

 

「さあそろそろ演習を始める時間だ、みんな今日こそは奴らに一泡吹かすぞ!」

 

 予想外のトラブルに見舞われているうちにもう時間に余裕がなくなっていた、俺は手を叩いて演習の準備を促した。皆が艤装の起動を始めるなか、五月雨は対潜装備満載ですでに水面に下りていた。準備がいらないオールインワンタイプ、やっぱり便利だねその服。

 

 

 

 演習を結果から先に言うと今日も艦隊の負けだった。昨日ほどのワンサイドゲームではなかったが、待ち伏せしている甲標的小隊をいくつか蹴散らしつつ目標の赤い潜水艇に追いすがった局面でのことだ。

 

「水軍の赤いやつがいたわよ! 護衛は排除するわ、親玉をお願い!」

「はいッ!」

 

 叢雲たちが邪魔な随伴艇を排除し、俯瞰視ができる五月雨の爆雷投擲が敵旗艦をしたたかに捉えた。

 

『げきちんはんていでーす、せんすいていはふじょうしてきかんをとめしろはたをかかげてくださーい』

 

 審判ハジメさんのアナウンスを受けて、地の赤と演習弾のオレンジでまだらに染まった甲標的が浮上してきた。しかし、ハッチを開けて顔を出したのは鶴姫さまではなく、ヘルメットをかぶった副官ちゃんだった。

 

「こいつは鶴姫さまの丙型じゃない、甲型だぞ!」

 

 まんまと一杯食わされたことに気づいた俺は大声を上げたが時すでに遅し、艦隊が囮を追い回していた間に鶴姫さまの艇は泊地に帰還してしまった。これ見よがしの赤い塗装にはこんな狙いもあったとは……

 

 工廠にノートPCを持ちこんで演習を見守っていた俺と、居残りの航空隊をはじめとする妖精さんたちが集まっている場に鶴姫さまが近づいてきた。

 

『ほほほ、きょうもわれらのかちじゃのう? みうらどの』

「まさかあの赤塗りが囮だったとはな、盲点だったよ」

『すいぐんにんぽう・すいとんみがわりのじゅつじゃ。わしらもなかなかやるもんじゃろう、のう?』

 

 返事の後半は本職のニンジャである夜戦ちゃんに当てつけられていた。ニンジャでいいんだよな?

 

『そこなすっぱどもよ、けさはようもたばかってくれたな。じゃがそこがきにいった、われさえそのきならほんきでめしかかえてつかわすゆえ、えんりょのうわしをたよってくるがよいぞ』

 

 夜戦ちゃんはあかんべえで返したが、鶴姫さまは嬉しそうに高笑いを上げて去っていった。

 

『またいちからでなおしです、ねっ』

 

 悔しげにうなだれる夜戦ちゃんをゆらゆらさんが慰めた。

 

『ほんとうにいちからでなおしになってしまったがな』

『おぅ、ふたりともじゅくれんどがなっしんぐねー』

 

 基地航空隊の仲間にツッコまれた夜偵コンビが互いに指差しあって愕然としていた。後から聞いた話だが、艦載機妖精さんたちは皆腕前に応じた階級章をつけているんだとか。最高位は八等級で、階級章には黄色いVラインが二本並んでいる。日本軍の階級なら飛曹長あたりかな?

 

 今夜偵コンビにツッコんでた天さんやヘルダイバーちゃん、他にも航空隊の主だった面々は皆Vラインをつけている。言われてみれば昨夜までは夜偵コンビもそうだった気がするんだが…… 今は階級章がなくなってしまっていた。二等兵かな?

 

 妖精さんは決して死んだりはしないそうなんだが、死ぬほどの目に遭うと熟練度をなくしてしまうらしい。俺はさっき二人を助けられたつもりだったが、どうやら遅かったようだな。マモレナカッタ……

 

『これではもうすいじょうきぶたいのきょうかんはくびか? こうにんをさがさなくてはなるまいな』

『いますいじょうきとうじょういんのさいじょうきゅうしゃはだれだったか、みずすまし1のあいつか?』

 

 青ざめたゆらゆらさんがふらついて倒れた。彼女を助け起こしながら、夜戦ちゃんが泣きそうな顔で俺を見上げた。

 

「まあ待て、いきなりクビはあんまりだろう。腕が落ちたならリハビリをすればいい、名誉挽回のチャンスを与えてやってはくれないか」

 

 いきなり教官から更迭とかね、俺も長年米軍で教官を務めてた同業者だから余計に身につまされてしまうんだよ。教官に共感、同業相憐れむ、なんちて。

 

『かずどのがそうおっしゃるのでしたら。 ……しかし、さればなんとします? じょうじつできょうかんはつとまりませぬぞ』

 

 021ちゃんの言い分はもっともだ。教官たるもの、常に己の技量を磨いていなくてはならん。

 

「自分の地位は自助努力で守るべきものだ。夜戦ちゃんにゆらゆらさん、二人には当分の間自主トレを行うことを無制限に許可する、好きなだけ飛んでくるといい。使う資源については俺から電に話を通しておいてやろう」

『やせん! いいの!?』

『がんばりますね、ねっ』

 

 他の水上機搭乗員からは少々えこひいきに見えるかもしれない。しかし、今朝水軍の人員募集を妨害できたのは、夜戦ちゃんがダンスバトルに乗る流れに誘導してくれたのもある。そこを評価するなら、これくらいのフォローは当然のこととしてやらなきゃならんだろう。

 

 空気を読んでてくれたのか、夜偵コンビの機体は工廠妖精さんの手によってすでに水上に引き出されて暖機もすんでいた。

 

『うおぉー、やっせ――――ん!!』

 

 妖精にしてはデカすぎる絶叫の尾を引いて、もうすっかりたそがれ色の空へと夜偵は飛び立っていった。

 

『おーのー、ないとりこん(夜間偵察機)があんなにはでにばっくふぁいあをだして……』

『まぁ、そのうちじゅくれんどをとりもどせばおもいだすだろ』

 

 航空隊の面々は少々呆れ顔だった。

 

 

「畜生、してやられたわ!」

 

 マンガみたいな地団駄を踏む叢雲を先頭に、駆逐艦隊が帰港したのはその直後だった。

 

「今しがたすごくうるさい夜偵が飛んでいくのを見たのですが、何事なのです?」

 

 不審げな電に先ほどの経緯を説明してやった。電は俯いて何事か考えを巡らせている。

 

「なるほど、熟練度を取り返すために夜間の自主トレを……」

「多少余計に資源を食うかもしれんが、偵察機一機分の消費など知れたものだ。別に構わんだろう?」

「……いえ、むしろそれは使えるのではないかと。ちょっとあの子たちに連絡を取ってもいいのです?」

 

 どうやら電には何かしら思う所があるようだった、もちろんいいですとも!

 

 

 

 明けて翌朝。気になって工廠に行ってみたら、水上機基地で夜偵の整備をしているハジメさんたちがいた。

 

『おどろきですよ、あいつらひとばんじゅうとびまわってぶいらいんをとりかえしました』

「ほぉー、やるもんだなぁ。これで教官の地位も安泰かな?」

 

 よかったよかった、これでなにもかも元通りだと安堵して朝練を終えたのち朝食をとり、午前の講義中にまた表が騒がしくなってきた。水軍が性懲りもなくまた新人勧誘を始めたな? 窓から覗くと、今日は巫女踊りではなくバンドだった。ギターボーカルとしてステージの中央に立っているのはやっぱり夜戦ちゃんで、今日は変装のつもりか似合わないヒゲ眼鏡をかけている。

 

「……カズさん、これどうします?」

 

 困惑声の吹雪が俺の脇腹をつついた。

 

「どうするって、見ちゃったからには相手をしないわけにはいかんだろう?」

「皆行くわよ、海戦で負けても歌じゃ負けられないわ」

「もう駆逐艦の面子はボドボドだよ叢雲ちゃん……」

 

 この後の展開はもうだいたいお察しだと思うが、午後には夜偵コンビが今度はクレーンに吊るされて、再び徹夜で熟練度を取り返すことになる。いつ寝るんだこの二人は?

 

 




 ほぼ三か月のご無沙汰でした、グラサン提督の三十四話をお送りしました。

 その間もブラウザ艦これからは夏イベ、ハロウィン、秋刀魚と見逃すわけにいかないイベントが立て続けに打ち出され、私もなんとかついて行ってる次第であります。特に今年のハロウィンは一年かけて漣を貯めておいたのが効きました、これで改二が来てくれたなら……!

 それでは、また次回のグラサン提督で。


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第三十五話 そろそろ寿司を食べないと死ぬぜ!

 三島水軍との対潜演習が始まってから四日目の夜、晩飯後に俺は再び寄宿舎へ誘われた。今夜はまだ早い時間のせいか、先日は真っ暗だった一階にもまだ明かりがついていて、奥のリビングから漣が手招きしているのが見えた。

 

「待ってましたぞカズ様、さぁさ座ってくださいな」

 

 リビングにはわりとデカいテレビ、その前にはローテーブルと二人掛けのソファーがある。テーブルにはお菓子とコーラと、そしてレトロなご家庭コンピュータ様が鎮座ましましていた。

 

「なんだと思えばゲームのお誘いか?」

「でもカズ様こういうの好きっしょ? 授業中もチラチラ見てただろ」

 

 なんで見る必要なんかあるんだよ。しかしテレビゲームが好きなのはその通りだ。アラスカも真冬ともなるとどうしてもインドアな趣味に傾倒しがちでなぁ、わざわざ日本のゲームを取り寄せてずいぶん遊んだものだ。ここに来るまでは去年秋に出た恐竜ハンティングゲームにハマっていたんだが…… そのゲーム機も自宅ごと灰になっちまったろうなぁ、あとちょっとでねんがんのメイドな装備が完成できたってのに、とほほ。

 

 差さってるカセットは元祖配管工兄弟のアレだ。ほーぅ、二人プレイのなんたるかをわかった上でのチョイスか? いいだろう、では教育してやろう、本当のゲーマーの闘争というものを。

 

 とは言っても最初の数面は普通に協力プレイのまま進行した。漣と一緒にプレイするのは初めてだったはずなのに息はピッタリだった、俺たちはいいパートナーだったよなぁ!?

 

 しかし、それはまだ互いにお手並み拝見の小手調べに過ぎなかった。十枚のコインを取り合う最初のボーナスステージ、そこからは本気の取り合いが始まって、そろそろ向こうも牙を出してきたなと感じた。

 

 さらに次の面からは新しい敵のカニが登場した。こいつは二回叩かないとひっくり返せない相手なんだが、漣は一回目を叩きそこねたふりをして、怒ったカニをこっちに直接ぶつけてきやがった。

 

 そこから先はもう互いに容赦ない毟り合いとなった。敵の処理などそっちのけ、相手が蹴ろうとした敵を即座に叩き起こしてミスを誘う。パワー床なんかあっという間に使い切った。

 

 基本的にこのゲームは頭上の敵しか攻撃できない。つまり、より下の位置を取った方が有利となる。そうなるとしばしば両者最下段での押し合いが発生しがちなのだが、同じ段に長くとどまっていると画面端で発生した緑のファイアボールが飛んでくる。ずいぶん古いがよく考えられてるよな、このゲーム。

 

 そしてまさに最下段で争っていた今、漣の操る配管工弟の背後にファイアボールが現れた。残機はお互い最後の一人、こいつを漣にぶつけさせれば俺の勝ちだ。俺は漣の逃げ道を塞ごうとしたが、若さの差か向こうの反応が一瞬早く、上階にジャンプして逃げられてしまった。

 

 勝利を確信した漣はドヤ顔ガッツポーズをキメたが、コントローラーを置くのはまだ早いな。俺は慌てず数歩下がって位置を整えると、ファイアボールは俺の頭上をすり抜けて飛んでいった。

 

「うせやろ!?」

 

 俺はすかさず上階の配管工弟を真下から突き上げた。あとはタイミングよく連続で突き上げ続けるだけで、漣はもう一切行動不能になってしまう。これがこのゲームで下を取られてはいけない最大の理由だ。

 

「ふははは、あのファイアボールは蛇行して飛ぶからなぁ! 軌道を見切れば棒立ちでも潜れるんだ、さすがの漣も知らなかったようだな?」

「ああぁ、カズ様それダメ、ズンズン突き上げるのやめてぇ!」

「だが断る。ほれほれ、さっき逃したカニが上から戻ってきたぞ?」

「もうダメ、来ちゃう、カニが来るぅ〜! アッー!!」

 

 なかなかしぶとい相手だったが、抵抗虚しく漣はカニに突っ込んでゲームオーバーとなった。しかし俺も再び沸いたファイアボールを二度目はかわしきれず、漣に続いてゲームオーバーだ。でも勝ちは勝ちだ、やったぜ。

 

「白熱した勝負だったね、叢雲ちゃん!」

「どこがよ…… まるっきり骨肉の醜い争いにしか見えなかったわよ?」

 

 漣以外の皆は大人しく勝負を見守っていたが、興奮冷めやらぬ五月雨に対して叢雲の返答は冷ややかだった。

 

「協力しあえばいくらでも先の面に進めるでしょうに、なんで潰しあって共倒れしてんのよ?」

 

 それは人類に言ってやってくれ、うーん今の俺そこはかとなく社会派っぽい。まあこのゲームに限って言えば、単調な面をループし続けるよりは潰し合いの方が面白いってのが正直なところだ。

 

「骨肉だからこそ相争うということもあるものなのですよ」

 

 俺たちのゲーム観戦には加わらず、静かになにか書類を熟読していた電がファイルから顔を上げた。

 

「なんの話?」

「……いえ、ただの一般論なのです。武家においては家督継承を争った身内同士の殺し合いは枚挙に暇がないものですから」

 

 そう言われるとたしかにそんな話はよく聞いたような、織田とか上杉とか相当のメジャーどころでもそうだったはずだ。いや大身だからこそ争わずにはすまないのか、当主の座を継ぐか、さもなきゃ家中の一武将で終わるか。それは本人同士だけではなく、それぞれの配下の家臣団にとっても家運の盛衰に関わる問題だったろう。

 

「それだけではすまないのですよ? 仮に家を割ることを避けて家督を相手に譲ったとしても、後々謀反の火種となると新当主に疑われれば粛清されることもあるのです」

「結局はライバルを殺さなきゃ生き残れないってことなのか」

 

 そうなのです、と電は重々しくうなずいた。事情は違うがそれは俺も嫌になるほどやってきたことだ。

 

「それで、電はさっきから何を読んでるんだ?」

「水軍に潜入している特警さんの中間報告を読んでいるのです。ここ二、三日ほど水軍には資源回収の遠征をお願いしているのですが、その収支報告書なのですね」

 

 そう言って電は俺の手にファイルをよこした、読んでみろってことか。

 

 三島水軍は、俺たちの演習相手以外にも潜水艇でこの泊地近隣に点在する小島を廻っている。そこかしこで妖精さんが運営している鉱山や油田の産する資源を回収するのが仕事だ。

 

「……びっくりするくらい普通だな」

 

 この泊地の資源収支状況について詳しいわけではなかったのだが、俺も元々MSFで金庫番を任されていた身だ、帳簿を見れば物資の流れはおおよそ把握できる。特に子供たちが自力で回収を行っていた頃と比較しても、数字に特段の不審点は見当たらなかった。

 

「なあ電よ、俺はあの潜水艇の運搬能力はよく知らないんだが、この数値になにか問題はないのか? 俺が見る限りでは、以前の収支と大差ないように思えるんだが」

「その通りなのです。少しくらいは資源をちょろまかしてくるかと予想してたのですが、あまりに数字が整いすぎているのです。だからこそ怪しいのですよ」

『ごめん』

 

 不意に頭上からかけられた声が割りこんできて、皆が見上げた天井から夜偵コンビが飛び降りてきた。

 

『そのごふしんごもっともとぞんじます。おやかたさま、いなずまさん、これを』

『とんでもないねたをつかんできました、ねっ』

 

 御屋形様? それ俺のことか? ずいぶん偉くされたんだな俺、いやそれはどうでもいいか。二人が差し出したのは数枚の航空写真だった。以前みずすまし1ちゃんに見せられたこの島の航空写真と同じようなものだが、すべて夜間の撮影だった。

 

「これは…… 鉱山に製鉄所、油田に精油所、弾薬工場らしきものも写っているのですね」

「こっちはなんだ? 潜水艇じゃないな、輸送船団か?」

 

 隣りに座っていた漣がどれどれ、と俺の手にする写真を覗きこんできた。

 

「あれ? ねえこれ、もしやダイハツじゃないです?」

 

 漣が俺の手から写真を引ったくり見せて回ると、そうだねダイハツドウテイだねとみな口々に声を上げた。ダイハツ童貞? たしかに俺みたいなアラスカ暮らしでは日本特有の軽自動車には縁がなかったがどど童貞ちゃうわ!? いやそうじゃないよ、本当のところダイハツってなんのことだと聞いてみたら漣が教えてくれた。

 

「大発動艇ってのは艦艇に搭載する上陸用舟艇です。地上の目標に対して戦車や歩兵を揚陸するのに有効なんですヨ」

「なるほど、ランチみたいなものか」

 

 今度は吹雪が首を傾げた。なんでこんな夜更けに昼ご飯の話を? といぶかしんでいそうなのがありありと見て取れる表情をしているが、lunchじゃなくてlaunchだからな?

 

「おい電、ひょっとしてこいつは」

「電にもカラクリが読めてきたのです」

「ヤミ営業だな」なのです」

 

 二人の答えがほぼ合致して、俺たちはどちらからともなくうなずき合った。

 

「ヤミ営業ってなによ?」

 

 叢雲の疑問には電が代わりに答えてくれたのだが、その内容を要約しよう。

 

 事情を聞けばそもそも大発妖精たちもかつての水軍と同様で、この泊地の子供たちが扱うことのできない装備として半分忘れられたまま倉庫で退屈を持て余していた部隊だったそうな。

 

 そして、どちらから持ちかけた話かまでは知りようもないが、おそらくは電が水軍に資源回収遠征を申しつけたのを契機としてこの二者は手を組んだ。水軍の遠征に大発部隊も随行し、水軍の運んだ分だけは正直に泊地に納入する。だから、あくまで泊地の帳簿の上では不審点は出ない。そうして電の眼を欺いておいて、密かに運んだ大発部隊の分は全部自分たちの懐に入れてしまおうというのだろう。

 

「でも、それじゃああちこちの島で資源を生産してくれてる妖精さんたちの負担が増えすぎてしまうんじゃないですか?」

 

 吹雪が不審げに首をひねった。

 

「おそらく、そこがカラクリの肝だ。三島水軍は、何度も邪魔されながらも毎日人集めを続けているだろう? 俺たちはその人員を潜水艇の増員に充てると考えていたが、それだけならあんな大げさな頭数を集める必要はない。集めた人数から選り抜きの腕利きだけを実戦部隊に正式採用して、残った人員を各地の製鉄所や工場に送りこみ資源を増産させているとしたらどうだろう?」

 

 わぁ、自分で言っておきながらなんだが、それじゃあ水軍はまるでかつてのMSFかDDと同じことをやってるってことだ。これでは水軍のやり口に俺がどうこう文句をつけられる筋合ないんじゃないか?

 

「まるで人足寄場みたいな話なのですね」

 

 電が苦々しげに吐き捨てたが、人足寄場なんかじゃないもん…… DDはあの時代としちゃ珍しいくらい隊員の福利厚生には気を使っていたつもりだ。危険でストレスフルな仕事だからな、医療やカウンセリングは専門の班を置いて充実させていた。また戦闘班や諜報班といった外に出るチームなら多少仕方ないところもあるが、内向きの拠点開発班みたいな部署なら無茶な長時間労働はさせてなかったし、隊員は休暇だって取れた。俺たちは決してブラック企業なんかじゃない、ブラックオプスではあったかもしれないが。

 

 いや今は俺たちの話をしてたんじゃない、三島水軍のヤミ営業の話だった。

 

「大発を輸送船団代わりに使っているとして、隠匿した資源をどこに隠しているのかしらね?」

 

 叢雲の疑問に夜戦ちゃんはニヤリと笑うとさらに一枚の写真を差し出した。なるほど、どこかの小島に積み上げられたコンテナが写っているな。

 

『それぞれのしまのいちは、ここと、ここと……』

 

 五月雨作成のこの泊地周辺海図を持ち出して、ゆらゆらさんが生産地や集積地の各ポイントをマーキングしていった。

 

「ここのところ毎日熟練度をなくしちゃあ毎晩徹夜の訓練で取り返しているのは知ってたが、この写真はそのついでに撮ってきてくれたのか? それにしてもよくここまで調べてくれたものだ、本当に助かるよ」

『うふふふ』

 

 今ゆらゆらさんがつけている青線二本の階級章を半分めくって見せると、下から最高位の黄色いダブルVラインがのぞいた。なん、だと……?

 

『ほんとうにやられていたのはしょにちだけです。あとはぜんぶしんだふりです、ねっ』

『じゅくれんどをなくしたふりをしてわざわざはでなはいきえんをふかせてみせたり、さわがしいえんじんおんをならしてきかせたり…… ひごろからまわりにそうおもわせておけば、いざというときたやすくやみにまぎれられるのです。これぞやせんにんぽうのひでん、ごたごんはむようにねがいます』

 

 二人はそこはかとなくニンジャめいてはいるがまったく忍ぶ気のなさそうなポーズを決めた。くそぅカッコいいじゃないかニンジャ、俺もニンジャの家系に生まれたならよかったのに。アイウィッシュアイワーニンジャ。

 

「ミラーさん」

 

 ニンジャをうらやむ妄想にふけっていた俺に電が声をかけてきた、うん、なにかな?

 

「申し訳ないのですが、明日の午前の座学は中止にしてもらってもいいのですか? 夜戦ちゃんが調べ上げたこれらのポイントを一度見回ってこようと思うのです」

 

 五月雨の海図に書きこまれたポイントは、この島の東側に集中している。水軍は子供たちとの演習において西の小島を演習の重要ポイントに指定して注目させておきながら、まさに裏で密かにこういうアルバイトを始めていたわけだ。

 

「まさか襲撃して略奪をはたらこうってんじゃ、ないよな?」

「略奪ではないのですよ、あくまで表敬訪問なのです。妖精さんが新たに開拓してくれた資源生産地にお土産持参で伺って、今後ともよしなにとご挨拶するのです。そうすれば、お返しにたぁんと資源を頂戴できることもあるのですよ?」

 

 さらりと言ってのけた電は笑顔だったが、俺にはわかる。この子水軍の備蓄を根こそぎかっ剥ぐつもりだな?

 

「それじゃあなにか美味しいもの作らなくっちゃね、どうする電ちゃん?」

「五目寿司なんてどうかしら? 電ちゃんの五目寿司、いつも妖精さんに好評だもの」

「いいですね、それなら大量生産にも向いているのです。それでは、明日はみんなにも朝からお手伝いをお願いするのです」

 

 電の真意には全く気づいてなさそうな吹雪と五月雨の提案で、明日は朝から寿司を作ることに決まった。そういうことなら、俺も早起きしなくちゃな。その夜はそこでお開きとなって、俺は本棟の自室に帰って寝た。なんでか知らないが、隠し田が見つかってお代官様に鬼詰められる江戸時代の農民になった夢を見た。

 

 

 

 翌朝、俺はいつもより早起きしてキッチンに向かうと、電たちがもう寿司の準備を始めていた。俺も酢飯を冷ましたり具を混ぜたりと手伝ったのだが、朝飯に皆で食った五目寿司はたしかに美味かった。酢飯の味わい深さが昔俺が自分で作ったやつとは段違いだった、秘訣を聞いてみたら米を炊く前から昆布や酒などを加える関西風のレシピだそうだ。

 

「俺は寿司といったらやっぱり握りを真っ先に想像するんだが、五目寿司も美味いもんだな」

「お口に合ったようならなによりなのです。 ……ミラーさん、やっぱり握り寿司が食べたいのですか?」

「まともな握り寿司なんてもう何十年も食ってないからなぁ。ガキの頃は寿司屋に行くようなゆとりはなかったし、自衛隊にいた頃時々行ったくらいだったかな」

 

 寿司屋と聞いて叢雲の電探の点滅が明らかに速まった。

 

「日本に帰ればいくらでも食べられるわよ。その時は私たちも連れて行きなさいよね、社長さん」

「「「「ゴチになりまーす♪」」」」

 

 俺をからかう叢雲に続いて皆の声が唱和した、ちょっとみんなたち!? いや俺もう社長じゃないし? 現在俺はMSFに最後に残ったひとり社長ということになってはいるが、この島から出られずに逼塞している現状、その経営実態はただの白紙だ。

 

 俺自ら興したバーガー・ミラーズの経営から退いたあと、経営陣はもう女房とその親族で固められて俺が戻る余地はない。残っているのは実権のない名誉職のささやかな手当と、保有している自社株からの配当、あとは米軍から下りる恩給だけが俺の収入源だ。

 

 とはいえ額面としてはまだ恵まれた境遇のはずだ。娘と二人で細々と暮らすくらいならなんの問題もなかったし、俺にもしものことがあったとしても当面困らない程度の遺産を遺してやれる貯蓄もあった。でも俺は住み家を焼かれちゃったわけだしなぁ、日本に帰って一から暮らしを立て直さなきゃならんとすると、決してそんなすしざんまいな贅沢をする余裕は……

 

「カズさん固まっちゃったよ」

「これは頭の中で必死でソロバンを弾いている時の顔なのです、電にはわかるのです」

「ねぇ〜ん、カズ様ぁ? 漣、回らないお寿司食べたいですぞ?」スリスリ

「カズヒラさぁん♡」スリスリ

 

 やめろ漣肩を擦り寄せてくるな、あぁ五月雨まで漣の真似を! やめてくれその術は俺に効く、漣は割とどうでもいいが五月雨なら大特効だ!

 

「……回らないお寿司って、なに?」

 

 漣の口走った一言を聞きとがめた叢雲が訊ねた。これは絶好の助け船かもしれん!

 

「回らないお寿司というのは、普通のお寿司屋で出す職人さんが握ったお寿司のことですぞ」

「それがわからないわ。そもそもお寿司ってそういうものでしょう? あんたの言い分だと、普通でない回るお寿司があるように聞こえるのよ」

 

 生まれてこのかたこの孤島から出たこともないはずなのに、漣は妙に現代の世情に詳しくて時々不思議に思う。しかしこれはチャンスだ、一流高級寿司店は厳しいが回転寿司くらいならいくらでも奢ってやれる。どうにかそっちに興味をそらせれば……!

 

「普通でないというと少々語弊があるが、現代日本では回転寿司という新しい業態の寿司屋が人気なんだ。そういう店では客席の前を循環するベルトコンベアにバラエティ豊かな寿司の皿が回っていて、客は好みの皿を自由に取っていいことになっている。精算は皿を数えて行うんだが、各チェーンによりさまざまなネタを均一価格で提供するところ、ネタのランクにより皿の模様を変えて値段の差をつけるところなど、その辺は各社特色あるようだな」

「ふぅーん、ところでカズはその回転寿司とやらに入ったことあるの?」

「日本の寿司は今や世界でも人気なんだ。俺のいたアラスカでも、アンカレッジまで出て来れば回転寿司屋があったさ。ただ日本人が経営に関わってないケースも多いようでな、俺も純日本の回転寿司がどんなものかはよく知らん。聞くところによれば寿司ばかりでなくサイドメニューには揚げ物やラーメン、他にもプリンやケーキといったデザートなんかもあるんだそうだ。それでいて価格は抑え目、ファミリー向けのちょっとした食のエンターテインメントだな」

 

 全員五目寿司を食う箸を止めて虚空を睨んでしまった。たぶん回転寿司のなんたるかを想像しようとしているのだろう。

 

「……これは、ますます日本に帰れる日が楽しみになっちゃいますね」

「お寿司とケーキって聞くと食べ合わせが悪そうだけど、食事からデザートまで和洋中全部一軒で賄えるというのは凄いことよね」

「それだけやって低価格というのも驚きなのです。どうやって経営しているのでしょう」

 

 吹雪たち三人は乗り気で口々に期待を語っていたが、漣と五月雨は少々釈然としない様子だった。

 

「二人とも、回らない寿司だっていずれご馳走するからそんな顔をするな。そうしょっちゅうとはいかんだろうがな」

 

 はぁ、結局女の子には弱いんだ俺は。でも回らない寿司はたまにだぞ、たまにだからな?

 

「やったぁ! カズヒラさん、ありがとうございます! 私、がんばりますから!」

「約束ですぞ、きっとですからね」

 

 日本に行ったらやらなきゃならん仕事が増えたな、寿司代の積み立てしなきゃ。

 

 

 朝食の後、折り詰めにした大量の五目寿司を収めたドラム缶を背負って子供たちは出かけていった。用心としてきちんと実弾で武装はさせたが、それはいつもの水上艦相手ばかりではなく対潜掃蕩も視野に入れた選択をしている。まあ敵方の潜水艦もここいらをうろついているから当然のことだ。

 

 しかし、もしも資源地をめぐって水軍と交戦せざるを得ない状況に陥ったときどうなるか、考えるだに気が重い。最悪の事態として水軍相手に演習どころか戦争状態に突入した場合、内戦で疲弊するこの島を外敵から守り抜くのはさらに困難になるだろう。そうさせないためには、速やかに事態を収束させること。マジで甲標的基地の爆破まで考えなくてはならんかもしれない。俺も覚悟を決めてかからなくてはな。

 

 

 子供たちがいつ戻れるかわからんので、今日は俺の当番日ではなかったが昼飯の準備を始めておこうと思い立った。そうだなぁ、冷蔵庫にコールドチキンがあるからクラブハウス・サンドイッチにしようか。そうそう、勝手に進めるんじゃなくてちゃんと連絡をしておかなきゃな、報連相は大事なことだ。

 

 その旨漣のスマホにメールを送ってやったら、しばらくして添付画像つきの返信が来た。昼飯当番代行についての簡潔なお礼と、画像は訪問先での状況を撮ったものだった。五目寿司の折り詰めに蟻のごとく群がる炭坑夫めいた姿の妖精さんや、蓋が閉まらないほど資源の詰まったドラム缶が写されていた。どうやら電の五目寿司作戦はうまくいっているようだった。

 

 

 俺がさんざん気を揉んだのをよそに、艦隊が満面のドヤ顔で帰ってきたのは昼前のことだった。会敵はなし、五目寿司は大好評、皆が背負ったドラム缶は資源でいっぱいだった。遠征はやはり大成功だな。

 

 艦隊は遠征先から幾人もの妖精さんを連れ帰って来ていた、皆あちこちに飯粒をつけたままだった。聞けば彼女らは皆電配下の特警さんから水軍に潜入を試みていた者たちで、例の空き地での人員募集に乗じて水軍に潜りこんだ後、各所の資源地に送りこまれて強制労働に従事させられていたのだった。

 

『たこべやのしごとはきつかった』

『しかもめしがまずいのなんの』

『おすしおいしいです^q^』

 

 飯粒をひとつひとつ丁寧に取ってやりながら、特警さんが資源地での強制労働の実態について証言してくれるのを皆で聞いた。いわく、一日の睡眠時間は三時間、休日はなし、飯は美味くもない缶詰ばかり。巫女踊りに回されるのはまだマシなほうで、広場で徴集された妖精のほとんどは即日島送りだったそうだ。

 

「なるほど、それじゃあこの妖精さんたちはまるで奴隷みたいな扱いだったんですね!? みんな、ひどいと思わない!?」

「そもそも我々が遠征を行っていたのは、この島から出て外で資源を稼いでくれている妖精さんたちへ定期的にご飯を届ける意味もあったんです。それなのにこんな扱いにしてしまっては、我らの信用は海の底ですぞ!」

 

 義憤に駆られて気勢を上げる吹雪らとは対照的に、電たちの反応は静かだった。

 

「少なくとも、これは明らかに水軍の失着なのです。充分な食事や娯楽を与えられなかった妖精さんがどう思うか、そこから水軍の統制を切り崩していけるのではないのですか?」

 

 兵に与える食事と休養、それはとても大事なものだ。かつての俺たちMSFでも、そういうことをおろそかにした結果起きた事件があった。あれはまだコスタリカに入ったばかりの頃だった。それまでの宿無し生活から一転、広々としたマザーベースに移り住んだ俺たちは浮かれ気分だった。組織を拡大することばかりに躍起になって、急激に増えた隊員に充分な配給が行き届かなくなった。

 

 すると、たちまちのうちに脱走者が相次ぐようになった。俺は追手をかけようとしたが、スネークが止めた。飯の食えない部隊に命を預けられる奴はいない、行かせてやれと哀しげにあいつは言った。それから、部隊に残ってくれた者を集めると、あいつは皆の前で不始末を詫びた。俺たちのマヌケでスネークに頭を下げさせてしまったんだ。

 

 それ以降、マザーベースには食糧調達を専門とする糧食班が置かれることになった。それからは食糧事情も改善されたが、それで逃げた奴らが戻ってくるわけでもなかった。あいつらはあれからどうなったんだろう? 俺だって飯の食えない切なさくらい知っているつもりだったのにな、今もなお振り返るだに苦々しい失敗の思い出だった。

 

 そんな話を皆にしてやっていたら、黙って耳を傾けていた五月雨が拳を震わせて立ち上がった。

 

「許せません…… 許すわけにはいきません、妖精さんからお寿司を取り上げるだなんて! 私だってもしもお寿司を取り上げられたりなんかされたら、私はっ……!」

 

 エッ俺そんな話してたっけか? 普段穏やかな五月雨が怒りわななく様相は実に恐ろしい、そろそろ寿司を食べさせないと死ぬぜ! たぶん俺が、死因はCQCで。

 

 話の腰が折られたところで、叢雲はソファーに背を預け溜息を一つ、脚を組み替えて宙を仰ぎ口を開いた。

 

「やはり水軍は潰すべきね」

「できるのか? 言いたかないがおまえら負けっぱなしなんだぞ」

「できるできないの話じゃないわ、やるのよ。でも私たちがやり損ねたならカズ、悪いけどあんたに任せるわ」

 

 本当にいざという事態に至った場合は、前にも言った通り俺の手で甲標的基地の爆破というのもやむなしかもしれない。ただ、当然ながら隣接する工廠や屋上に造った航空隊基地に被害が及ぶことは避けきれん。これら重要施設に被害を受ければ、その機に乗じた近海の怪物どもが攻勢を強めてくるであろうことは想像に難くない。

 

 そして、今や甲標的基地を爆破したとしても、それで邪魔な水軍を殲滅できるというわけでもなくなってしまった。すでに彼女らはこの島の外に独自の根拠地を築いているのだ。もともと我々は島南方の敵潜水艦討伐を目的としていたというのに、水軍という余計な敵を身近に抱えることになってしまう、頭の痛い話だ。

 

 

 そろそろ演習の時間が近づいてきたので、皆で工廠に集合して準備をしていたとき、白旗を掲げた水軍の甲標的が一隻ドックに入ってきた。乗っていたのは副官ちゃんで、軍使の用向きは鶴姫さまからの親書を届けにきたということだった。ただし、古風な巻紙に毛筆で書かれた文面は、ものが妖精さんサイズであることもあいまって、俺にはまったく解読できなかった。

 

「吹雪、あんた眼はいいでしょ? なんて書いてあるのかわからないかしら」

「うぅ…… 叢雲ちゃんわかってて言ってるよね、こんな達筆私に読めるわけないよぅ」

 

 結局、虫眼鏡だのなんだのを駆使して手紙を解読したのは電だった。虫眼鏡は俺がここに来た日にストレンジラブが俺のこめかみを焼くのに使ってたやつで、探し出すのに少々手間取りはしたものの研究室のデスクから見つかった。

 

「つまるところ、このお手紙は果たし状なのですね」

「今さら果たし状? 毎日演習してる相手なのに?」

 

 吹雪は不思議そうな顔だったが、電は真剣な面持ちで続けた。

 

「だから果たし状なのです。鶴姫さまは電たちが水軍の領地で略奪を働いたことを大いに怒っていると、今日は実弾で相手してやるから我々にも実弾を持ってくるようにと、いつもの時刻に西の小島にて待つと、要約するとそのように書いてあるのです」

 

 実弾を持ってこいとは、もはやこれはただの演習ではすまないぞ。大変なことになった……

 

 




 長々とお待たせしました、グラサン提督第三十五話をお送りしました。

 冒頭のゲームの話なんですが、PS2の初代モンスターハンターがアメリカ全土で発売されたのが2004年秋のことなので、カズも遊んでた可能性がワンチャンあるんじゃないかな、というのが思い付きの発端でした。

 それでは、また次回のグラサン提督でお会いしましょう。


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