トレードマーク〜何の変哲もない眼鏡〜 (みすてー)
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トレードマーク〜何の変哲もない眼鏡〜

 

 運命を変えてくれた魔法の眼鏡。

 これさえあれば新人王だって夢じゃない。

 

 時速140キロで突き進むボールが止まって見える。

 硬球の特徴的な、あの赤い縫い目、いや、縫い目のほころびすらはっきり確認できる。

 

 あとはボールの飛んでくるコースに向かって、タイミングを合わせてバットを練習通り振り抜けばよい。

 そして、理想通りのバッティングをする。手ごたえは充分。

 

 バットの芯に直撃した哽球はカクテルライトに染まるスタジアムの夜空にアーチを描き、歓声のるつぼと化した外野スタンドへ吸い込まれていく。

 

 その様子を目の端に捉え、トレードマークの赤縁の眼鏡を中指で直しつつ、オーバーアクションのガッツポーズで塁間を小走りに駆ける。

 

 ボールが止まって見えるのだから、自分の感覚とカラダの動きがシンクロさえしていれば――いわゆる調子が良いということだが――かなりの高い確率で長打にできるという自負心がある。新人としてこの業界に飛び込んで毎日レギュラーを張れるのも、この長打力ゆえだ。

 

 新人王だって、狙えるかもしれない。

 各球団のエースピッチャーあたりだと、まだ力負けする場合があるが、手先の技術でなんとかしようとするピッチャーの球は大抵打ち返せる。

 

 なにしろ、どんな変化球だろうが、コントロールに優れたピッチャーだろうが、ボールが止まって見えるのだ。変化を付けたところで、クサイところに投げ込んだところでそれほど脅威ではない。むしろそこに比重を置いている分、球威がない場合が多く、逆に打ち返しやすい。

 

 いわゆるカモだ。

 

 そんなわけで、世間からの俺への評価は新人離れしたハイアベレージパワーヒッターを誇る驚異の新人、ということらしいなのである。

 

 コースに飛んでくる球がびっくりするくらい見えれば、弱点のデータが少ない新人だ、周りの驚くような数値が出る。

 

 だが、こんな俺だって、もともとパワーヒッターではなかった。

 

 高校の頃は、本当に野球を続けていいのか悩んでいるような、打てないから、とりあえず守備をがんばったような補欠選手だった。

 それがどうだろう、ある日を境にハイアベレージを文字通り、叩き出せるようになり、プロへの道を考え、大学進学、大学野球で結果を出し、プロ野球チームにスカウトされたわけだ。

 

 言うまでもないが、きっかけというのは一つだ。

 どんな球でも止まったように見えるようになったことだ。

 

 今日も試合後のヒーローインタビューでお立ち台に立ちながら、テレビに向かって当り障りの無いファンサービスをする。そして、俺のトレードマークと評される赤縁の眼鏡の位置を直し、いつもながら感謝する。この眼鏡に。

 

 これがあったからこそ、今の地位があり、今の自分がいる。

 

 あの日、あの時、この眼鏡を手に入れた時、そのとき、本当に俺は変わった。なにをやっても結果が出ず、自分に自信が無くて、自分の力を制御できなかった俺のターニングポイント。

 

 あの時、この手に渡された真っ赤な縁の眼鏡。

 最初は嫌だった。

 

「高かったんだから、ちゃんと使ってね」

 

 脅迫めいた言葉に毎日顔を合わせる立場上、どうしてもその赤い眼鏡に替えざるをえなかった。

 そうでもしないと口を利いてもらえなかった。

 苗字が赤井というのだから、どうやっても自己紹介のときはギャグにしかならない。

 でも、慣れればどうってことはないってあいつは言った。

 

「堂々としていればいい、そうすれば本来の力が出せる」

 

 事実その通りだった。

 それから見えなかったものが見えてくるようになったのだ。

 もちろん、それは透視なんかではなく、今まで自分に無かった世界だ。ボールが止まって見えたのはなぜかはわからない。

だけれども、この眼鏡によるところは大きい。

 

 それからというもの、この眼鏡を外して試合になんて出られない。

 

 とんでもない。

 この眼鏡あっての、俺なのだ。

 

 ちなみにこの眼鏡をしている人間が誰しもこの能力を持っているかというとそうではないようなのだ。

 試しに運動音痴の友人と同期のプロ選手にこの眼鏡を掛けさせて、バッティングセンターへ行った時のことだ。

 結果としては、あまりに普通であたりまえの結果だった。

 運動音痴は当たり前の様に空振りをする、同期のヤツは好きなコースだけ快音を響かせる。

 

 特に変わったことがなかった。

 

 不思議だった。俺専用なのだろうか。

 眼鏡についての疑問は多くある。

 だが、結果が出すぎてしまい、出自、原因なんかどうでもよくなった。

 とにかく、この眼鏡があれば天下を狙えるのだから。

 

 だが、ある日、とんでもないことがおこった。

 

 同期のヤツが外人ピッチャーにデッドボールを食らった。

 明らかに故意であると、監督がケチをつけに行った。

 穏便に済まそうと画策する監督を裏目に、血気盛んなアイツはその外人ピッチャーを挑発した。

 新人に挑発されてはたまったものではない。

 手は出さないと思っていたのか、油断していたところに一発お見舞いされた。

 俺は彼らの側にいたため、慌てて乱闘騒ぎを止めようとした。

 その時は必死に止めようとしてしまった。

 暴れる外人とそれに対抗する同期のヤツ。

 俺はまず同じチームだからこそ、仲間を抑えようとした。

 そこで、彼の無我夢中に振り払った手が顔面にクリーンヒットし、俺の大切な、一番大切な、あの、赤い眼鏡がふっとばされた。

 そこへウエイトのある外人が迫ってくる。

 

 止められなかった。

 

 我を忘れた巨漢の外人が足元のちいさな眼鏡に気がつくことも無く、そのままふみつけたのだ。

 

 無事であるはずがない。

 フレームは折れ曲がり、レンズは割れてしまった。

 

 俺は魂の抜けたような、青白い顔をしていたらしかった。

 

 踏んでいたものに気付いた外人も、俺の顔色を見て、急に熱が冷めたのか、眼鏡であったものを丁寧に拾い、先ほどとは真逆の態度でソーリーと言った。

 

 監督には適当に言い繕って、代わりの選手に出てもらった。だが、監督によるとお前の顔色を見たら使う気にはならないと、早く帰っていいとまで言われてしまった。

 

 世間的にはトレードマークの眼鏡が壊されてしまった、で済むだろうが、事情が違う。

 

 打者として生命線が絶たれてしまったようなものだ。

 

 どれだけ青い顔をしていたのだろう。

 

 とはいっても、代わりの眼鏡をつくりに眼鏡屋にいったことですら、覚えていない。

 

 コンタクトにしろなんて助言は聞こえなかった。

 

 眼鏡屋のアドバイスに頷くまま新調した眼鏡は細いフレームの上品なつくり。

 鏡を覗き込むと、またいつもと違う自分がいる。

 

 それがまた怖い。なにしろ力の源を失ったのだから。

 

 試しに球場にあるバッティングマシーンと対面してみる。ボールも飛んでこないうちから、冷や汗がどっとでる。もしかしたら、とんでもない速さでつきぬけて、まったくプロとして恥ずかしい結果になるかもしれない。

 

 マシーンが動き出す、機械の腕が硬球にスピンをつけ、はじけとばす。

 

 来た!

 ど真ん中のストレート。

 

 まったく、いつもと同じどおりにバットを振り切り、快音が鳴る。

 俺は呆気にとられた。

 いつも通りじゃないか。

 

 そんなはずはない。

 

 試しにもう一球。

 結果は同じ。

 機械相手ならなんとでもなるのかもしれない。

 体が慣れてしまっている可能性もある。

 

 それでは試合の場合は?

 

 その疑問に答えは出ず、自信を持てぬまま、試合の時間になった。

 

 

 今夜は代打だった。

 ありがたいと思いながらも、一時凌ぎにしかならないと自嘲する。

 もう少し、確信が欲しかった。

 出来る事なら今までと変わらない実力を発揮できる保証、それか、今までが魔法の眼鏡があったからこそやってこれたという事実。

 眼鏡がなくなって、タダの人だというのなら、これ以上、グラウンドにいるのは球団にとって迷惑以上のなにものでもない。

 素人がプロの場にいていいわけない。

 考えをめぐらせているうちに、監督が俺に準備しろと言った。

 

 満塁のシーンで呼ばれた。

 

 今までと同じなら自信をもって答えたに違いない。

 だが、まだ半信半疑。

 そこで監督は言う。

 

「おまえは自分の実力に自信をもっていい。自信をもたなければ本来のポテンシャルを発揮できない。おまえにはその力がある」

 

 ふと蘇る過去の言葉。

 同じ言葉をかけられたっけ。

 

 そしてアイツから渡された赤い眼鏡。

 魔法の眼鏡なんかじゃなくて、俺の思い切りのなさを吹っ切らせた、たんなるきっかけ。

 ああ、そんな単純なことだったんだ。

 

 

「2アウト満塁、一発逆転のチャンス。新人としては異例の期待に応えたい赤井。トレードマークの赤縁の眼鏡は今夜はありません、しかし、そのバッティングに変わりはないところをみせたい」

 

 実況の目がかっと開く。

 

「打ったー! コレは大きい! そのままスタンドに吸い込まれていく!」

 

 ――たまにはアイツに挨拶に行くか。

 

 俺は逸る気持ちを抑えながら、小走りにダイヤモンドを駆ける。

 

 

 

 

「のぞみー、赤井くん、眼鏡変えちゃったねえ」

「それで結果が出るんなら、いいんじゃないかな」

 通りがかった電気屋のテレビ画面に映し出された野球中継を覗き見ながら、若い女が二人、知った顔を指差しながらつぶやいていた。

「冷たいね、もうちょっとなんかないの?」

「あえていうなら、あの眼鏡で自信をもてたのは野球のことだけってのが、寂しい、かな」

 

 

 終わり



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