KAN-SENは歳を取らない (ペニーボイス)
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プロローグ

ついカッとなってやってしまった、反省はしない(しろ


 

 

 

 

 

 

『肉は切り取っても良いが、血を流してはならない。』

 

 ---『ヴェニスの商人』より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオン

 首都

 D.C.

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオンという世界有数の超大国の首都ではこの日、いつもと変わらない景色が繰り広げられていた。

 街頭を行き交う様々な人々、忙しなく往来する車、鳴り響くスマートフォンの着信音に、空を舞う鳥の鳴き声まで。

 あまりにありふれた日常の、あまりにありふれた街頭のカフェで、その若い記者は取材相手とのやりとりに苦労していた。

 

 こんな事になるなら、社宅の応接室を予約しておけば良かった。

 街頭のカフェは思ったよりも雑踏が煩くて、相手の話もよく聞き取れない。

 取材相手には何度も同じ内容を繰り返させてしまった。

 自らの先見性の無さを呪いつつも、記者はメモとペンを両手に粘っている。

 幸いな事に、年老いた取材相手は自身の話を聞きたがっている誰かを楽しみに待っていたようで、記者が何度聞き返しても嫌な顔一つしなかった。

 彼は3杯目のエスプレッソを飲み干していたし、時間はタップリとあるとでも言いたげな態度を取ってくれている。

 記者はまだ最初のカプチーノさえ3口ほどしか口をつけていなかったが、相手の機嫌がいい内に聞き出せるだけの事を聞き出すまでカプチーノは冷めたままにしておく事だろう。

 老人はよく話してくれたが、しかし、記者の求める話題にはまだ先っぽすら触れていない。

 

 

 

 

 

 

「アズールレーンとレッドアクシスによる世界大戦は、結局のところアズールレーンの勝利で終わった。NY港では摩天楼から紙吹雪が降り注ぐ中戦勝パレードが行われたが、我々は戦争の勝利を祝っている場合ではなかった。鉄血と重桜が無条件降伏する以前から危機は始まっていた…大統領は気付いてすらいなかったが、北方連合のコミュニスト共は大陸の地図上に衛生国を拵える下準備を済ませていたんだ。」

 

 

 その男はそこまで話し終えると、葉巻を咥えて深く息を吸う。

 コーヒーの向こう側にいる記者を眺めながらタップリと有毒な煙を体内に取り込むと、今度は葉巻を置いて吸う時と同じようにゆっくりと煙を吐き出した。

 記者は煙たそうな顔を隠すことができなかった。

 

 

「あなたは現役時代、大陸方面ではなく南方の担当だった。北方連合による赤化戦略とは直接の関係はないはずでは?」

 

「いいや、そうでもない。北方連合のアカ共は、大陸の赤化には限界があることを始める前から知っていた。鉄血公国は東西に分割されたが、せいぜいその東側までが関の山だと承知していたのだ。だから別の方向からのアプローチを行った。その方向は多岐に渡るが…我々の方面はそういったモノのウチの一つだった。」

 

「つまり…南方大陸方面は北方連合にとって第二前線となったわけですね?」

 

「その通り。そしてその初撃は連中にとって順調なモノだった。南方大陸の王政国家『インビエルノ』では共産主義者が選挙に勝利し、大陸ではじめての共産主義政権を樹立した。隣国の『プラタ』でも共産分子の活動が見受けられた以上、我々もただ黙って見ているわけにはいかなかったんだ。」

 

「だからあなた方は南方大陸の親ユニオン勢力を支援し始めた。」

 

「その通り。…君はその事を私に聞きにきたのかい?」

 

「…ええ。ですが、正確には違います。私が知りたいのは、あなた方が南方大陸諸国の親ユニオン勢力…言ってしまえば"独裁者"を支援するために送り込んだKAN-SENについてです。」

 

「ふはははっ!実に歯に衣着せぬ言い方だね。まあいい、そういう若者は大好きだ。…私にその話を尋ねるのだから、大方、そのKAN-SENとは"彼女"の事だろう。」

 

「はい。世界大戦で重桜の奇襲攻撃を生き延びて艦歴を重ね、戦後は南方大陸最悪の独裁者…『アドリアン・セルバンテス』の下に送り込まれた"幸運艦"………彼女のことは何と呼ぶべきです?」

 

「………我々が彼女を送り込んだ当時、インビエルノ"大統領"の地位にいたのはアドリアンの父親だったが、『アルバロ・セルバンテス』もまたアドリアンとは違った意味での暴君だった。我々は彼らとユニオンの間に関連性がないように見えるよう立ち回ろうと努力していた。アルバロにKAN-SENを与えたとなれば北方連合は黙っていないし、カリブ海の問題もあったから我々は少なくとも形の上ではアルバロに何らの支援もしていないように見せなければならなかった。……だから彼女には新しい名前を与えたんだ。そう…『タマンダーレ』という名前を。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界大戦終結から20年後

 南方大陸

 インビエルノ共和国

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオン陸軍式の制服を着込んだ男が、宮殿の窓から夜景を眺めている。

 肩と胸に盛大な勲章を身につけて、派手な装飾が施された軍服を着る男は、しかしその華麗な軍服が見合うほどの身長ではない。

 悪魔か何かと取引して、身長と引き換えに大量の勲章を手に入れたように見えなくもないだろう。

 

 男は手元に葉巻を持っていたが、手持ちぶたさにそれを弄り回すばかりで一向に吸おうとはしない。

 彼の傍には古めかしい固定電話器があり、彼の眺める夜景の奥では炎によって赤く染まる空が見えた。

 男は空の方を見ながら、ただただ黙って葉巻を弄び続けている。

 

 やがては彼は意を決したように葉巻を咥えると、古びたライターを取り出した。

 それは父親の形見で、いつも肌身離さず持っているモノだ。

 少し錆の目立つ、古いユニオン製オイルライターのフタを開けた時、ついに固定電話器がけたたましい呼び出し音を奏でる。

 

 

 ジリリリリリッ!

 

 

「私だ。」

 

 

 男はすぐさま受話器を片手にとって、短く話し、そして電話をかけてきた相手の声に耳を傾ける。

 そうしながらもライターを懐にしまい込んで、葉巻を咥えるのをやめた。

 受話器から聞こえる相手の声に時折頷いていた彼は、状況を把握したとばかりに口を開く。

 

 

「………ああ、ああ、中尉、よく分かった。それで、ゲリラは何人捕まえた?」

 

 しばらくの沈黙、中尉の…何かを弁明するかのような報告に、男は再び頷いた。

 

「……そうか。少年兵か。…で、何人なんだ?……12人?……そうか、可哀想に。」

 

 

 多分の同情を含んだ声色で、男は中尉に返答する。

 しかし次の瞬間には、声色から同情は消え去っていた。

 

 

射殺しろ。……ああ、全員だ。………中尉、中尉、中尉!…よく聞くんだ。君は自分の幸運に感謝すべきだ。ウゴならこんなに優しくはしない。最初に報告をした相手が私で、君は本当に幸運だった。」

 

 

 今度は説得するような口調に変えて、男は中尉に語り続ける。

 

 

「君が射殺命令の実行を躊躇った瞬間に、ウゴの奴は君を反体制分子と看做したかもしれない。アイツは少しやり過ぎるが、私は違う。君も我が陸軍の同胞として認識している。だからどうかよく考えて欲しい。その少年兵達は君と君の部下に銃を向けた。例え何百年前のオンボロ火打ち銃であったとしても、君らを殺そうとしたんだ。10年後、君が大尉になっている頃にはその少年は何を持っていると思う?それはマウザー銃かもしれないしマシンガンかもしれない。…気持ちは分かるが、慈悲をかけてやる必要はない。それに君には奥さんがいるだろう。…言いたくはないが、幸せな新婚生活を続けたいなら…彼らを犠牲にする他ない。………ああ、ああ、勿論だ。それでは後は任せる。」

 

 

 

 男は深いため息を吐く。

 全てはあのクソッタレ共産主義者共のせい。

 自分は何も悪くはないし、アイツら自身の自業自得だ。

 そう思い込めるようになるまで、かなりの時間がかかった。

 

 

 泣いても悔やんでも仕方がない。

 男はそう思って振り返る。

 そして振り返った先に思ってもみなかった人物を認めた彼は、仰天のあまり普段あまり変えることのない表情を驚きのそれに変えた。

 

 

「……タマンダーレさん!…も、もういらっしゃるとは。」

 

 

 そこには1人の美女がいた。

 男よりもよほど高い身長に、気品ある物腰、それに…所謂"大人の余裕"を漂わせた女性が、プライムリブを盛った皿を両手に持ち、心配そうな顔で彼を見つめている。

 

 男は少し気まずい気持ちになって顔を顰める。

 彼女を見るに、先程の電話はしっかりと聞かれていたに違いない。

 男は彼女が、"この手の問題"に口を出さない事を知っていたし、それを有り難くも思っていた。

 けれど、やはりあんな内容を聞かれれば…それも親しい相手に聞かれるのは気の引けるものがある。

 

 しかし、やがては彼女の方が先に口を開いて、男の心配事を否定した。

 

 

「………食事の時くらい、軍服を脱いで欲しいわ。…あと、その呼び方はもうやめて?」

 

「…た、タマンダーレさん………なんというか…こう、しっくりこなくて。」

 

「ううん、そういう事じゃないの。アドリアン、あなたはもう私の"指揮官くん"になったのよ?…"タマンダーレ"が呼びにくいなら昔のように"ルイーズ"って呼んでも構わないけど…"さん"は付けないで?」

 

「すいません、慣れなくて」

 

「こら、敬語はやめなさい。…うふふ、こういうところはお父さんにそっくりね。」

 

 

 彼女の笑顔を見て、男は少しホッとした気持ちになる。

 ホッとすると腹も空くようで、男は彼女との夕食の時間である事を思い出す。

 彼女がプライムリブの皿をテーブルに置くと、既にテーブルに据え置かれてたサラダやパンと合わさって、見事なディナーが完成した。

 

 

「………母が亡くなってから、私はあなたに育てられた。勿論敬意も持っていま…いる。だからどうしても慣れないんで…慣れないんだ。」

 

「うふふふふふ!もう!…分かったわ。それじゃあ、しばらくは元の通りでいいから、早く新しい環境に慣れて、アドリアン?」

 

 

 彼女の笑顔を見るたびに、男は何か心を温められるような感覚を味わう。

 それは彼が自身が立ち振る舞わなければならない立場を演ずるにあたる上では格別の癒しであった。

 

 

 彼の立場…つまりは彼の敵の言うところの"冷酷非道な独裁者"として振る舞うにあたって、彼自身がそれを愉快に思っているということは、断じてあり得ない。

 彼にとってそれはある悪名高いユダヤ人商人の役回りのように不快で敬遠したい立場であった。

 にも関わらず、彼はその立場を演じなければならなかった。

 それは彼の出自と、歴史と、ユニオンと北方連合のパワー・オブ・バランスに起因する。

 

 恐らくは女性の方もその辺を理解しているのであろう。

 それに彼女には彼女の使命があった。

 ユニオンは彼女に南方大陸でのバカンスを命じたわけではなく、この"冷酷非道な独裁者"の敵にあたる連中が、ユニオン政府にとっても許し難い敵であったと言った方がいいだろう。

 故に彼女はこの冷酷非道な男を助けなければならなかったし、しかし彼女は生涯をかけて支えるつもりであった。

 だからこそこの男がまだ年端のいかない少年兵達の銃殺刑を命令したところで、彼女にそれを非難するつもりはない。

 

 しかし、それでも晩餐の席で男に対してこう言ったのは、彼女の気遣いの成せる技だったのかもしれない。

 

 

 

「………アドリアン。あなた、無理をしてないかしら?」

 

「いいえ、全く。そんなことはありませんよ。夜はよく眠れますし、目覚めもいい。体調は万全。それに…毎晩素敵な女性とディナーを楽しめる。」

 

「…本当に?」

 

 

 少し悲しげな彼女の顔が、男の心に刃物を突き立てる。

 それはせっかく述べた世辞の言葉が通用しなかったからではない。

 彼の知る限り、彼女は昔から人間観察というものを得意としていた。

 だから自分が押し隠している感情を、いつの日にか探り当てられるとは考えていたものの、いざその時となると、何か後めたい隠し事をしているかのような罪悪感に襲われたからだ。

 

 

「アドリアン。あなたがさっき言った通り、私は小さな頃からあなたのお世話をしているわ。だから、あなたの事はよく分かる。」

 

「………」

 

「あなたを非難したいわけじゃないの。さっきの命令だって、真意は理解しているわ。けれど、それで思い詰めてしまってはダメ。そうなる前に、私に話して欲しいの。」

 

「………タマンダーレさん、『ヴェニスの商人』を読んだことは?」

 

「ええ、あるわ。」

 

「シャイロックは誰からも嫌われる役回りでしょう。…でも、私は借金を取り立てなければならないのです。父がもう金を貸してしまったのですから。血を流さずに肉を剥ぎ取るには、私は一体どうすればいいんです?…残念ながら、そんな事はできないんですよ。」

 

「あなただけの責任じゃないわ……ほら、こっちにいらっしゃい。」

 

 

 タマンダーレと呼ばれた女性は、この独裁者のあまりに遠回しな表現さえも理解して、彼を抱擁した。

 豊富な艦歴に裏付けされた彼女の優しさが独裁者を包み込み、冷酷非道な男は溜まっていたものを放出し始める。

 嗚咽混じりの啼泣を受け止めながら、タマンダーレはそれでも男の後頭部を優しく撫でていた。

 

 

 タマンダーレ…少し色の褪せた蒼い毛髪が特徴的な彼女は、南方大陸に派遣される前、違う名前で呼ばれていた。

 セントルイス級軽巡洋艦一番艦。

 その名も『セントルイス』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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内部粛清
最悪の独裁者


またそうやってすぐ一人称で書くぅ〜


 

 

 

 

 

 

 

『選挙を実施してくれ』

 

 

 国際電話越しに聞こえるユニオン中央情報局担当官の声を聞いて、私は白目を剥いた。

 信じられん。

 私が政権を引き継いでまだ2週間と経っていないというのに、そんな無理難題を押し付けてくるというのか。

 

 

ライリーさん、失礼を承知で申し上げますが、とても正気とは思えません。」

 

『私が正気だろうが狂っていようが、やってもらうしかない。…それとも君が強化したがっている陸軍への援助を諦めるのなら話は別だが』

 

「何故こうも急にそんな話になるのです?」

 

『………ユニオンは民主主義国家だ。国民は正当性のない独裁政権に税金を注ぎ込むのを嫌がる。だから選挙で政権の正統性を示してもらわなければならないんだ。』

 

「こちらの国民共はあなた方のそれほど賢明な連中ではありません。また共産政権が樹立されるようなことがあれば、あなた方の不利益では?」

 

『そうならないように、共産勢力以外の候補のみで選挙を実施してくれ。』

 

「なっ…」

 

『気持ちは分かるが、これは試験だと思って欲しい。私だって君の方がまだやりやすいとは思っている。だが下院がそう要求してきた以上、私の権限ではどうにもならないんだ。……それではよろしく頼む。』

 

 

 電話はそこで切られ、私は思わず受話器を電話機に叩きつける。

 

 

「畜生め!そりゃあ、アンタらはどう転ぼうが失うものなんてないからな!クソッ!」

 

「お願いだから落ち着いて、アドリアン。…逆に考えてみて?この選挙で政権の正統性を示せれば、中央情報局は大手を振ってあなたを支援できるわ。」

 

「それは…………」

 

「方法はあるはずよ。一緒に考えましょう。」

 

 

 タマンダーレの言葉のおかげで、私は幾分か落ち着きを取り戻すことができた。

 だが中央情報局の要求に応えられるかは別問題だ。

 私はまだ若過ぎる。

 国民…それも、父を慕っていた国民の目にさえ、私は頼りなく映ることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 18年前の事、私の父アルバロ・セルバンデスは軍事クーデターを実行した。

 世界大戦の僅か2年後、共産主義のペストが南方大陸に侵入してインビエルノの王政に終止符を打ち、挙句ユニオンの裏庭に共産主義国家を立ち上げたからだ。

 

 一介の海軍軍人であった父が民主的に選ばれた政権を打倒するには、勿論独力のみではあまりにも不十分であった。

 にも関わらず父がクーデターを成功させられたのは、ユニオンの後ろ盾あってのことである。

 ちょうどその頃重桜を巡って北方連合と戦火を交えていたユニオンにとって、父のクーデターは渡りに船であり、彼らは父に強力な援護を送り込んだのだ。

 

 

 それが彼女、タマンダーレだった。

 

 

 領土のほとんどを海と接するインビエルノの海軍は、南方大陸でも有数の力を持っていた。

 父は海軍で主導権を握ると、ユニオンから派遣されたKAN-SENと共に共産政権の武装勢力を片っ端から潰して回ったのだ。

 やがては陸軍も海軍に合流し、南方大陸初の共産主義政権は簡単に崩れ去っていった。

 

 

 

 ユニオンは南方大陸で再び共産政権が誕生しないよう、父にKAN-SENを"貸与"し続けることにした。

 父は苛烈な支配者で、国内の共産分子をあまりにも残酷な方法で取り締まり続けた。

 父直轄の秘密警察が創設され、ユニオンの諜報機関で教育を受けた隊員達が猟犬のように共産分子を摘発するようになり、それは今でも続いている。

 それどころか、父は自身にとって都合の悪い人物もことごとく共産分子の汚名を被せて処刑した。

 そうして自身の権力を強化していく傍らで、ユニオンとの関係は密接に強化されていたのだ。

 少なくとも強力な海軍を持つ同盟者がいれば、南方大陸の共産化問題を父に任せ、ユニオン自身は大陸方面での対立に集中できたからだ。

 

 

 さて。

 

 めでたく国の支配者となった父だが、貸与されたKAN-SENについては、当初あくまで純粋な兵器として扱っていた。

 父が愛したのはあくまで母1人であり、他のどんな美女も美しいKAN-SENも、その眼中にはなかったのだ。

 クーデターの半年後、私の母は交通事故で亡くなってしまった。

 それが父を悍ましい恐怖政治へと駆り立てたという見方もある。

 両親の間には私という1人息子がいた。

 事態がある程度片付いて、ユニオンからやってきたKAN-SENに抑止力以外の使い道が無くなってくると、父は彼女に新たな命令を下した。

 私の面倒を見るように、と。

 

 

 KAN-SENはそれ1人で小国の海軍に相当するチカラを持つと言われる。

 そんな人物が日がな一日ついて回れば、大事な1人息子が不埒な共産分子による暗殺や誘拐の危険に晒される事はないと思ったのかもしれない。

 しかし、まだ幼かった私は母の喪失感から立ち直れていなかったし、それほどの"戦士"なら乳母のような扱いに怒りを覚える事だろうと思い詰めた。

 私は父の見ていないところで言うも恐ろしい嫌がらせを受ける事になるのだろうと。

 

 ところがやってきたのは、それが本当に周りの大人達が言う"KAN-SEN"という存在だとは思えないような女性だった。

 

 

 

「ハロー♪私はラッキー・ルーと呼ばれたセントルイ……じゃなかった、タマンダーレ。あなたのお名前を教えてくれるかしら?」

 

「………アドリアン」

 

「うふふふ、よろしくねアドリアン。今日からは私があなたのお世話をするわ。…お母さんの代わりにはなれないけれど…一生懸命頑張るから…どうかよろしくね、アドリアン」

 

 

 

 父が暴力的な政治権力を奮っている間に、私は彼女からとても心温まるようなお世話を受けて、ついでに様々な教育も受けた。

 思えば父は最初から権力を世襲させるつもりだったのだろう。

 

 私はいわゆる親の七光りもあって、簡単に海軍のエリートコースへと進学した。

 父はあまり陸軍を信用していなかったから、まずは権力を世襲させる予定の1人息子に海軍の人脈を作らせたかったのだろう。

 海軍で3年勤務した後、私はユニオンの情報機関に送られる事になった。

 ユニオンは世界中で共産分子の活動を抑圧するために、各国の反共産政権の軍人達を集めて連中の目論見を効果的に阻止する方法を教えて回っていたのだ。

 

 ユニオンでの教育では、タマンダーレに教わった英語が驚くほど役に立った。

 彼女仕込みの英語を使えこなせたおかげで、私は夢見る革命家の理想を打ち砕くのに最も効果的な方法を効率よく体得できたのだ。

 おかげで私は他の反共産主義者達よりもいい成績で卒業できそうだったのだが、結局は残念なことに私の次級者が首席になることになった。

 教官がエコ贔屓をしたわけではない。

 ユニオンの諜報機関は相手が独裁者の息子だろうが王族の皇太子だろうが公平に扱った。

 私が首席を取れなかったのは、父が共産主義者に暗殺され、国に帰らなければならなくなったからだ。

 

 

 

 

 

 父の愛車はパンツァーファウストの直撃を受けて木っ端微塵になった。

 運転手は即死だったが父はまだ生きていて…しかし私が帰国した時には亡くなっていたが…あと寸刻しかない余命を、私への遺言のために使い果たしたのだ。

 曰く、「お前が私の跡を継げ。タマンダーレが秘書を勤める。」と。

 

 

 それがもう2週間前のこと。

 父を爆殺したクソテロリスト共を追いかけ回す為にこの2週間を費やし、相手が少年兵だろうと容赦はしなかった。

 おかげでドップリと疲れたのだが、中央情報局のおかげでまだ休めそうにはない。

 ユニオンから慌ただしく帰ったと思えば独裁者になり、独裁者になったと思えば選挙をやれと言われる。

 しかし中央情報局の要求とあれば飲むしかあるまい。

 それにタマンダーレが言ったように、その苦労に見合う利益もあるはずだ。

 

 

「選挙結果を改竄しよう。それが手っ取り早い。」

 

「アドリアン!」

 

 

 私の安直な考えに、タマンダーレが抗議を含んだ声を上げる。

 

 

「…気持ちは分かるけれど、あなたはお父さんの後継者であると同時に国の正統な指導者であることを国民自身に認めさせるべきよ。」

 

「父はこの15年間、秘密警察を使って真夜中に国民のドアを叩かせていた。連中は気が気でなくて夜も眠れなかったはずだ…その息子に票を入れるとは思えない。」

 

「なら、アドリアン。あなたはお父さんとは違うということを示せばいいだけじゃないかしら?」

 

「違う?…ふふふ、"違う"だって?私が…父とは違う?………タマンダーレさん、お言葉だが私は父と何も変わらないし変われない。私は統治機構をそっくりそのまま受け継いだんだ。何も変わらず、あの統治機構を()()()()()()()()………!」

 

 

 タマンダーレが不意に近いてきて、私を抱き抱える。

 私は突然の暴挙に訳も分からず戸惑うが、1年間のユニオン生活で忘れかけていた事を思い出した。

 何かと自棄を起こす私に、彼女は抱擁という手段で打って出る。

 暖かい、抱擁という手段で。

 

 

「タマンダーレさん…」

 

「いいから、何度でも言うけれど落ち着いて。あなたはお父さんとは違うヒトになれるはず。その努力をしていないだけ。…さっきも言ったように私も手伝ってあげるから、そんなこと言わないで?」

 

「………すいません」

 

「謝る必要はないわ。その為に私はここにいるんだもの。」

 

「分かりました。選挙結果の改竄は…最終手段です。たしかにこれからの事を考えると、あの愚民共自身に私を選んだという意識があった方がいい。」

 

「こら、アドリアン!人の事をそんなふうに言ってはダメ。思わぬ時に、言葉に出てしまうわ。………ねえ、アドリアン。こんな時に言うのも…少しおかしいのだけれど…」

 

「…?」

 

「あなたに贈り物を用意しているの。」

 

 

 タマンダーレはそういうと、私を解放して自らのバッグへと向かう。

 そこへ至ると何かゴソゴソとバッグの中を弄って、小さめの木箱を取り出してきた。

 彼女は笑顔でそれを持ってくると、私の目の前で蓋を開けて見せる。

 そこにあったのはニッケルフィニッシュの自動拳銃で、高級感のあるクラロウォルナットのグリップが眩いばかりのボディとは対照的な落ち着きある気品を加えていた。

 

 

「………これは…45口径ですか?」

 

「ええ…お父さんは残念だったけど……ねえ、アドリアン。」

 

「……?」

 

「私は…タマンダーレはずっとあなたの側にいるわ。もし私の姿が見えなくても、これを持って、どうか私の事を思い出して。そうすれば…きっと自棄を起こさずに冷静でいられるでしょう?」

 

「………」

 

 

 タマンダーレから拳銃を受け取る。

 ずっしりとした拳銃は、手に取ると思ったよりも大きく感じた。

 

 

「……ありがとうございます、タマンダーレさん」

 

「うふふ。どういたしまして、アドリアン。それじゃあ、選挙の準備について話し合いましょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タマンダーレが言った通り、彼女の指揮官にしてこの国の"大統領"は父とは違う方へと変わっていく。

 ただし、それはより陰湿で、冷酷というように。

 

 

 

 

 

 

 



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進路変更

 

 

 

 

 

 インビエルノ共和国

 プラタとの国境

 

 

 

 

 

 

 

「葉巻、残ってねえか?」

 

 

 南方大陸最悪の独裁者がユニオン生まれのKAN-SENに慰められていた時、インビエルノとプラタの国境地帯では追い込まれた共産ゲリラのリーダーが隣にいる女にそう問いかけた。

 

 

「…アンタ、仮にもリーダーなんだったら状況を考えて。今から夜襲を仕掛けんのよ?アンタの葉巻の火で見つかって、せっかくかき集めた武器弾薬が燃えカスになってもいいならご自由に。」

 

「ほらな、アマンダ。そういうところだ。お前の心配は武器弾薬、俺たちやお前自身の心配なんざ微塵もしちゃいねえ。もっと人の心を持とうぜ。」

 

「人の心?そんなもん、とうの昔にアルバロのクソ野郎に燃やされちまったよ。…旦那と一緒にね。」

 

「そう怒るなよ、アマンダ。旦那さんは本当に気の毒だった。だが、お前はその仇を取るためだけにここにいる訳じゃねえはずだ。よく思い出せ、自分がここにいる理由を。」

 

「ああ、そうだね。私がここにいんのは、アルバロが築いたモノを全部ぶっ壊すためさ。アイツにパンツァーファウストをぶち込んだところで、すぐにあのクソ息子がユニオンから戻ってきて跡を引き継いだんじゃ意味がない!」

 

「アマンダ!…北方連合の連中の言う事を鵜呑みにするな。アイツらも俺たちの事を駒としか見ちゃいねえ。俺が言いたいのは、この組織の理念だ。『全ての人々により良い自由を』。お前の旦那だって、それを望んでいたはずだ。」

 

「しっ!…攻撃まであと3分。もう説教はいいから、皆んなに弾を込めさせな。今日の攻撃をキめないと、アタシ達はいよいよ終わりだよ。」

 

 

 アマンダと呼ばれた女はベレー帽を被り直すと、手にするM1921サブマシンガンのコッキングレバーを引いて初弾を装填する。

 ゲリラのリーダーもため息混じりに彼女に倣い、手元のMKMSの弾を込めた。

 彼らの眼前にはインビエルノ陸軍の小規模な野営地があって、10人ほどの歩兵が肩にクラッグ・ヨルゲンセン銃を背負って兵舎の彼方此方を行ったり来たりしている様子が見て取れる。

 彼らはとても共産ゲリラに対する敵愾心に溢れているとは言えないような態度で、野営地の外に対して何らの注意も向けていない様子が見て取れた。

 唯一注意しなければならないのは警備塔の上にある口径6mmの重機関銃くらいで、こちら側に機関銃はないがより軽便な短機関銃がある。

 

 

 アマンダはサブマシンガンの照準を、こちらに背を向けている兵士の身体に合わせた。

 そして攻撃開始の合図でもあるスナイパーの第一射が響き渡ると、彼女も銃の引金をひく。

 複数の45口径弾を浴びた陸軍兵士はその場に倒れ込み、引き続いて他の何人かの兵士も倒れ込む。

 それを見てとったアマンダは立ち上がり、共産ゲリラのメンバー達に声を張り上げる。

 

 

「行くぞ!祖国に自由と平等を!」

 

 

 共産ゲリラは警戒心のない敵の小部隊に対し、人数と装備では劣っていたものの、士気に関してはゲリラの方が旺盛であった。

 それゆえに何人かの犠牲を支払いはしたものの、ついにこの日、インビエルノの独裁体制に対して久々の勝利を得ることができたのだ。

 彼女達を追い詰める為に派遣された独裁者の部隊は逆に彼女達の奇襲攻撃を受ける事になり、何らの警戒体制もとっていなかった彼らに最初から勝ち目なぞなかった。

 

 

 共産ゲリラは陸軍部隊を殲滅した跡、早速野営地を漁り始めた。

 どこの世界でもそうだが、装備に劣るゲリラが正規軍の装備を鹵獲するのは極々自然な成り行きである。

 アマンダはこれまで何度も陸軍から装備を鹵獲してきたが、その日は何か違和感を感じた。

 

 

「………おかしい。コイツら旧式のボルトアクションライフルしか持ってない。これだけ人数がいれば、何人かの士官はサブマシンガンで武装してるはずなのに。」

 

「お前もそう思うか…どうも"臭え"な。そもそも、この襲撃自体が怪しすぎる。こんなにすんなり行くとは………」

 

 

 共産ゲリラのリーダーがアマンダに同調した時、上空から何か響くような轟音が聞こえてきた。

 アマンダはその場に凍りつき、共産ゲリラのリーダーも空を見上げる。

 

 

「おい…おい!アマンダ!今の音聞いたか!?」

 

「まさか…ハメられた!?クソ!皆んな逃げて!戦闘機が来る!空襲だ!」

 

 

 彼女が警告し終わる前に、空から地上に対して夥しい数の機銃弾が振り撒かれる。

 何人ものゲリラがその犠牲になり、アマンダはなりふり構わず警備塔の下へと飛び込んだ。

 視界の端にはこちらへの銃撃を終えて旋回する戦闘機…ユニオン製のP47戦闘機の姿を捉えることができる。

 どうやらあのクソッタレ独裁者の息子も父親に負けず劣らずのクソッタレらしい。

 再進入を行う戦闘機から再び機銃弾掃射を受けながら、彼女は塔の下で蹲り、両手で頭を抱えて力の限り叫び続けた。

「クソッタレ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2日後

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 タマンダーレと共に昼飯のオイスター・ロックフェラーを食べていた時、陸軍の将官が興奮気味にやって来た。

 将官は恐らく私を喜ばせるに十分な報告を持って来たが故に急いだと思われるが、それ故に大切な物事をすっかり忘れていたに違いない。

 独裁者が昼飯を摂っている最中に突撃するのは、あまりに危険な冒険であると言う事を。

 

 

「あっ………お食事中とは…申し訳ありません。」

 

「構わない、要件を言ってくれ。」

 

 

 これが財務省や内務省の官僚なら、良くて更迭、悪くて処刑の可能性さえあり得た。

 処分を命じる私自身が言うのだから違いない。

 それは私が昼食を邪魔されたというあまりにも情けないような理由で怒りを覚えたわけではなく、それほど冷酷な人間であるということを知らしめる為だ。

 しかし、今回私は彼を特別扱いした。

 タマンダーレと共に囲んでいるテーブルの空いている席に将官を促すと、彼の行為を咎めるどころか褒め称えさえする。

 

 

ベラスコ中将、よほどお急ぎだったのでしょうから…私は怒ったりしませんよ」

 

「これは…お気遣いありがとうございます、大統領」

 

「お気になさらず。ところでご昼食はお済みですかな?」

 

「いえ、まだ。今まで司令部におりましたので。」

 

「なるほど、中将ほど仕事熱心な方はこの国に必要だ。…タマンダーレさん、どうか彼にもコレを。」

 

「だ、大統領、そんな…とんでもない!」

 

「構いませんよ。あなたはよく尽くしてくださっている。彼女のユニオン料理は味が良いんです。是非ともご賞味いただきたい。…それとも牡蠣は苦手ですか?」

 

「そ、それではありがたくいただきます。」

 

 

 タマンダーレが私の意図を察して厨房に向かい、アイリスから空輸させた希少な牡蠣を調理している間に、私は陸軍中将に本来の要件を思い出させる事にした。

 

 

「……それで、ご報告とは何の件についてです?」

 

「ああ!これは私としたことが!…2日前の作戦で殲滅した共産ゲリラの部隊ですが、その内の1人が旧インビエルノ共産党のリーダーであるという照合を取ることができました。」

 

「それは素晴らしい。確かですか?」

 

「間違いありません。奴は前大統領に共産党を非合法化させられた後ゲリラ闘争を始めましたが、ついに年貢の納め時が来たわけですな。」

 

「共産主義者にしては勿体ないほどの最期ですね。いやあ、しかしよくやってくれました。やはり()()()()()()()()()()()()。」

 

 

 私は陸軍の将官が内心の警戒を緩め、次に要求を突き出そうとしている様子を容易に見てとった。

 それは将官が感情を顔に出したからではなく…後々で詳しく書く事になるだろうが…タマンダーレから授かったある種の能力によって、である。

 だから私はこの陸軍将官をより喜ばせる為に、独裁者に要求をすると言う危険な冒険の行程を取り除いてやる事にした。

 

 

 

「………あれほど難しい要求を良くもこなしてくれたものです。陸軍内の海軍迎合派をゲリラへの餌に使え、というのですから。」

 

「大統領、その件に関しましては寧ろ私の方こそ感謝しております。連中は陸軍の統率を乱しておりました。しかし陸海軍の統合参謀長が海軍軍人である以上、追い出すわけにもいかなかったのです。大統領の作戦認可があったからこそ、我々は統率を取り戻せました。」

 

「なるほど、あなた方は本当に素晴らしい。…私の要求に応えていただいたのです。あなた方の要求にも応えましょう。」

 

 

 中将はクリスマスを迎えた子供のように、その表情に喜びを浮かべた。

 彼がもう少し用心深い人間なら左右に罠が張り巡らされている事に気づいたかもしれない。

 ただ、彼はこれまでの扱いから、自分はこの独裁者に気に入られていると判断してしまったようだ。

 通常そのような判断は身の危険を招きかねないが、私は中将に危険を加えるつもりはない。

 

 

「では、大統領!是非とも我が陸軍の装備を更新していただきたいのです!…誠に失礼ながら、お父上は陸軍を信用してくださらず、我々は歩兵銃の更新すらままなっておりません!我々の隣にはプラタという強大な陸軍国があります!いくら海軍力の優位があったとしても、海軍のみでは…!」

 

()()()()()()()()()()()。」

 

 

 陸軍中将は感情を思いっきり表情に出してしまう。

 "しまった!"

 私の少し冷たい対応に、中将は自身の失態を疑ったのだろう。

 もちろん、それは杞憂でしかない。

 

 

「………そんな事なら、もう手配済みです。ユニオン陸軍は装備の更新を進めるそうですから、我々に旧式装備を供与してもらえるそうです。」

 

「!…本当ですか!?」

 

「申し訳ない、さすがに新式装備は手に入りませんでした。」

 

「いえいえいえ!とんでもない!大統領のお話を伺うに、我々もようやく自動小銃を手にできる!耐用年数を過ぎたボルトアクションライフルに比べればまさしく天の恵みです!」

 

 

 私にはこの陸軍中将が大変可愛らしく思えてきた。

 可愛げのない海軍連中に比べて、この陸軍司令官は実に"分かりやすい"。

 興奮気味に喜ぶ中将に、私は自身の要求を重ねる事にする。

 まあ、この喜びようなら、要求をするまでもないかもしれないが。

 

 

「…ただ、供与には条件があります。来週実施される選挙で、私が改めて大統領に選ばれる事。」

 

「お任せください!陸軍は全力で大統領をご支援いたします!」

 

「それはありがたい…頼もしい限りです、中将。」

 

「アドリアン、料理ができたわ」

 

「ああ!ありがとうございます、タマンダーレさん。…さあ、中将、お召し上がりになってください。彼女の牡蠣料理は絶品ですよ。いえいえ、お気になさらず、さあさあ。」

 

 

 

 中将にオイスター・ロックフェラーを勧めながら、私は内心一息吐いていた。

 これで最初の問題はクリア。

 共産勢力を除いた各勢力の内、少なくとも陸軍は私のバックについてくれる事だろう。

 

 

 ここまで読んでくださった方は色々と疑問に思っている事だろう。

 "海軍軍人なのに、なぜ陸軍の制服を着てるんだ?"

 "父親も自分も海軍出身なのに、何故陸軍に肩入れをしているんだ?"

 

 答えは単純明快。

 私は実のところ、海軍こそ全く信用していなかったのだ。

 

 

 

 

 



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英雄の裏切り

 

 

 

 

 

 現在

 

 ユニオン

 首都D.C.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライリーさん、あなたはアドリアン・セルバンデスの担当官である以前に、中央情報局における南方大陸方面の責任者だった。」

 

「ああ、そうだとも。」

 

「こうは考えませんでしたか?…アルバロの権力をアドリアンに世襲させるより、海軍のトップに継承させた方が良いのではないか、と。」

 

「………タマンダーレ、いや、セントルイスには特殊な才能があった。彼女には人の本質を見抜くチカラがあったんだよ。私は彼女を信頼していたし、その彼女は海軍のトップよりアドリアン・セルバンデスを推した。」

 

「中央情報局の南方大陸責任者が、いちKAN-SENの言う事を鵜呑みにしたんですか?」

 

「君は何か誤解しているが、セントルイスは勘でそう言ったわけじゃない。彼女の見立てには根拠があったんだ。…アドリアンは自らの意思で大統領になったわけじゃない。ある日突然天から神の声が降ってきて、父の跡を継ぐ事になっただけだ。ところが海軍の司令官、アルマンド・ホセ・ウガルテ提督は話が違った。」

 

 

 ライリー老人はそこまで記者に語ると、手元のエスプレッソを一口含んでひと息をつく。

 記者の頭は疑問符でいっぱいだった。

 あのアドリアン・セルバンデスを選ばなければならないほど、ウガルテ提督は極悪非道な人物だったのだろうか、と。

 

 

「…ウガルテ提督の夢はインビエルノを限りなく"ニュートラル"な状態にする事だった。ユニオンからも北方連合からも距離を取り、なによりもインビエルノ国民の利益を念頭に置いた政治をやるつもりだったのだろう。」

 

「そんな提督よりセルバンデスを選んだのですか!?」

 

「君、我々の立場を忘れてはいかんよ。いくら我がユニオンであっても、一度に対処できるのは北方連合で手いっぱいだ。重桜は取り戻したが、東煌は南北に、鉄血は東西に分断されていた。そんな状況で我々の裏庭に"ニュートラル"な政治的空白地帯だって?冗談じゃない!」

 

「………」

 

「アドリアン・セルバンデスは我々のイエスマンだった。奴の父アルバロと同様にな。奴のおかげで南方大陸の共産勢力を抑え込めていたし、ユニオンの企業はインビエルノの農園や鉱山を好き放題にできた。アルバロ以前のインビエルノで共産党が人気だったのは偶然なんかじゃない。」

 

「………しかし、それなら何故あなた方はセルバンデスに選挙を強いたのです?ウガルテ提督がお話通りの人物なら国民の人気も高かった事でしょう。いつまでもセルバンデスの下にいるとは思えない。」

 

「セルバンデスは独裁者、つまり投票を集計する側だ。共産主義者の言葉を使いたくはないが、"選挙では投票する側ではなく、集計する側が決定する"。つまり彼はいつでも選挙結果を改竄できた。我々は独裁体制の保全についてはあまり心配していなかったよ。」

 

「では尚更です。何故結果の見え透いている選挙を、セルバンデスにやらせたのです?」

 

「………我々の懸念事項はズバリ、ウガルテ提督だった。セントルイスからもたらされた情報を信じるならば、ウガルテはクーデターの機会を伺っているはずだった。セルバンデスに危機感を持たせるには、この選挙が効果的に機能するだろうと踏んでいたんだ。」

 

「………結果は…」

 

「そう、ご存知の通り。ウガルテは選挙に出馬した。前々からウガルテを疑っていたセルバンデスは、これを自分に対する明確な宣戦布告だと捉えた。」

 

「………」

 

「…だが、まあ、あんな事になるとは。我々はまだアドリアンの事をよく把握しない内から、奴が父親譲りの強権的な独裁者となる事を予見していたし、その当て推量は7割正しかった。だから選挙と最初から改竄するつもりだろうと踏んでいたんだ。…奴が大真面目に普通選挙をやると発表した時は驚いたよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大戦終結の20年後

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 タマンダーレには特技がある。

 彼女曰く、『人を見る目』には自信があるらしい。

 ただし、その特技には脚注がつく。

 彼女は単に勘や当て推量に頼って人間を評価するのではなく、寧ろそれはプロファイリングに近い人間観察が成せる技であった。

 

 英語と同じように、私はその特技を彼女から学んでいた。

 対象の仕草、嗜好、反応、癖などを注意深く観察し、それが発する言葉に耳を傾ける事で、相手がどういう人間であり、そしてこちらに対してどういう感情を抱いているか分かるようになる。

 

 この特技をタマンダーレから学んだおかげで、私は海軍連中に対して早い段階から警戒心を抱くことができた。

 無論、私の秘書を務めるタマンダーレの警告もあったが、例えそれがなくとも私は脅威に気づくことができたであろう。

 海軍のウガルテ提督は間違いなく、私を正統な後継者とは見ていなかった。

 良く言えば叔父のような、悪く言えば少々圧するかのような物言いの中には、私への侮蔑と自身の欲望が垣間見える。

 

 ウガルテは恐らく父の事も良く思ってはいなかった。

 盲目的なユニオン従属への批判を、口には出さないが態度で示していたのだ。

 おまけに最近は市井に顔を出すようになり、笑顔で住民達と対話しているとの報告も上がっている。

 いつの日にか、ウガルテは私にとって代わる気なのではないだろうか?

 

 

 その疑念が確信に変わったのはこの日の午後。

 タマンダーレのオイスター・ロックフェラーを平らげて上機嫌で帰っていく陸軍中将と入れ違いに入ってきた、秘密警察長官の言葉を聞いた時だった。

 

 

 

「ウガルテは『13家族』の内5家族と面会しています。恐らくは選挙活動への下準備かと。」

 

 

 秘密警察の長官、『ウゴ・オンディビエラ』は私がタマンダーレのお世話を受けていた頃からの友人だ。

 父と私がユニオンのイエスマンなら、ウゴは我々のイエスマンだった。

 この偏執的なまでの反共産主義者は、元々はいち工場の長として腕を振るっていた。

 しかし、南方大陸初の共産政権が誕生したその日、工場は国有化され、彼は絶望を味わう事になる。

 労働者達は共産政権に靡き、彼と彼の妻を囲んでリンチを始めた。

 彼らは非労働階級への私刑が共産党への忠誠心を示すと思い込んでいたのだ。

 

 リンチの結果ウゴの妻は亡くなり、ウゴは共産主義への底なしの憎悪から、共産主義者たちの言うところの"反動的な"テロ活動へと走り始める。

 私の父が彼をスカウトしたのは、ちょうどその頃で、父はクーデターの準備を進める傍らウゴと連携して共産政権に効果的に打撃を与えていった。

 やがて革命家を銃殺すると、父は秘密警察を創設してウゴをそのトップに据えた。

 革命家を自らの手にかけてなおウゴの復讐心が燃え尽きることはなく、彼は秘密警察のトップに就いてからも共産主義者をまるで猟犬のように駆り立ててきたのだ。

 

 

 タマンダーレから授かった能力を持ってしても、ウゴは私にとって信頼できる人物に変わりがなかった。

 私が気づいたようにウゴもウガルテの真意に気づいており、共産主義者に対して"歩み寄り"の姿勢を見せようとする提督を忌み嫌っていた。

 だからこそ私は寝返る可能性を否定できたし、信頼している。

 

 

 

「それは……誠に好ましくない。13家族は体制への有力な支持者です。失いたくはありません。」

 

「大統領、もしご認可いただければ、あの英雄気取りのクソを私の部下達に始末させます。明日の朝には魚の餌ですよ。」

 

「魅力的な選択肢ですが、目立ち過ぎです。あの国民共でさえ、我々の所業である事を見抜くでしょう。提督にはクーデターの際の功績があります。国民からの人気もある。それをあからさまなやり方で排除したとなれば、国内の政情不安は大きく加速する…我々では抑えが効かなくなるかもしれません。」

 

「奴が共産勢力と手を握っていた証拠を作れば…」

 

「話があまりにも不自然ですし、海軍のトップに共産主義者の汚名を被せれば、ユニオンは我々の監督責任を問わざるを得ません。」

 

「………クソッ…」

 

「提督は選挙に出馬するつもりでしょう。()()()()()()()()()()()()()()に出馬するのです。何か担保があるはずだ…でなければこんな冒険はしてこない。」

 

「…分かりました、探りを入れてみます。」

 

 

 

 ウゴが帰った後、私は自身の執務室に戻って椅子に座り、大きく息を吐く。

 顔を両手で覆うと、まるで表情をマッサージするように揉んでみた。

 13家族とはインビエルノの農地の80%を所有する富裕地主達のこと。

 当然選挙には大きな力を持つし、提督はもう手を打っている。

 自身の状況が益々不利になっているのを感じて、私は精神的な疲れを感じた。

 

 いつの間にかすぐ傍に控えていたタマンダーレが、机の上に淹れたてのコーヒーを置いてくれた。

 

 

「アドリアン、大丈夫?」

 

「……提督は我々の敵に回りました。今回の選挙で最有力候補です。これで票の改竄は難しくなる。」

 

「…今からでも遅くはないから、13家族を訪ねましょう。」

 

「先を越されています。」

 

「それでも、あなたは彼らの下へ行くべきよ。何もしないよりかは、できることを一つでもいいからやっておくべき。…後悔なら後からいくらでもできるわ。」

 

 

 そう言われて、私は初めてタマンダーレの方を見る。

 彼女は青を基調とした私服に身を包み、もう既に訪問への準備を済ませていた。

 スラリとしたモデルのような体型にも関わらず大きく主張する胸を、前面に押し出すかのような衣装。

 されど決して下品なわけではなく、大人の女性としての気品に満ち溢れたその姿は、きっと見る者全てを魅了する事だろう。

 自身の魅力を十分に理解し、その魅力を押し出すかのような服装には、私も自身の立場を忘れずにはいられない。

 あまりの衝撃にポカンとしている私に、タマンダーレが笑みを向ける。

 

 

「さぁ行きましょう、()()()()()?あなたは私をファーストレディとして扱ってくれるかしら?」

 

「………よ、喜んで………もしあなたさえ良ければ」

 

「うふふふふ♪…もう、ムードが台無しよ?あなたは大丈夫。もっと自信を持って、私のアドリアン♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蛙の子は蛙

 

 

 

 

 

 

 

「ええ勿論、ユニオンと我々はあなた方の利益を保証できますよ。共産主義者のシンパを押さえつける事なら、私の右に出るものはいないでしょう。」

 

「それは分かるんだが、提督の話では農作物の売却価格を引き上げれるかもしれないという事だった。ユニオン以外の選択肢も、あながち悪くないかもしれない。」

 

「ははは、お言葉ですがトルタハーダさん。あなた方の生産なされる膨大な数のバナナを消費できる国がいくつあります?ユニオンの市場には"安定"という他にはない魅力があります。ここ10年間で農作物が値崩れを起こしたことがありましたか?」

 

「加えて、ユニオンとの独占的取引はユニオン企業の利権をこの国に留めておくという事にもなります。もし外的な共産勢力が浸透したとして最悪の事態が生じても、ユニオンは企業の権益保護のために軍を動員するでしょう。…そちらにとっては大きな利益と言えるはずです。」

 

「………」

 

 

 私の言葉にタマンダーレが補足を加えてくれたおかげで、眼前のデップリと肥えた農場主は考えを改めたようだ。

 特に、インビエルノにおけるユニオンの象徴とも言えるタマンダーレが、軍事介入の可能性を示唆したのは大きい。

 彼女がユニオンのKAN-SENである事は、特に富裕層に対しては公然の秘密であり、そのKAN-SENがユニオンの軍事動員を示唆するという事は、それを頼りにしていいという事なのだから。

 世界一の超大国の後ろ盾は、どんな歴戦の提督の言葉でも容易に打ちまかしてしまう事だろう。

 

 私はこのあまりに短絡的な思考に走りかけた農場主が二度と心変わりをしないよう、念を押す。

 

 

「トルタハーダさん、目先の利益だけ見ても仕方ありません。聡明なあなたなら、提督が出まかせを言っているに過ぎない事をご理解いただけるはずだ。長期的に見れば、ユニオンこそ我が国のパートナーに相応しいのです。」

 

「………なるほど。しかし、一つ伺ってもいいかね?」

 

「なんでしょう?」

 

「君は提督と上手くいってはいないのかな?…提督がこんな話をしたのは私だけじゃない。我々13家族は互いに密に連携を取っているが、少なくとも提督はその内のいくつかに既にこういった話をしているそうだ。」

 

「………」

 

「もし君と提督の間にこれほどの認識の誤差があるのなら、その関係は良いとは言えないようだが…」

 

「父もよく提督とは衝突していました。お互い国の事を想う者同士、すれ違う事もあったのでしょう。今回も同じような事だろうとは思います。…まぁ、季節の挨拶のようなものですよ。」

 

「がははっ!なら良いんだがね。人間老いてくると自分の考えを美化したがるが、提督もその口かもしれん。危うく騙されるところだったがね。」

 

「ははは、提督も本気でおっしゃっているわけではないでしょう。…それでは我々はこの辺で失礼します。」

 

「投票の件は任せておいてくれ。我々はあなたを支持する。」

 

 

 

 農場主との会談を済ませて、私は大統領専用車両の後部座席に乗り込んだ。

 すぐ隣にタマンダーレが座ると、私は彼女の優美な香りに安堵感を感じる。

 幼い頃から隣にいてくれたこの国最強の戦力は、私にとってはファーストレディというよりは母親代わりと言える存在だ。

 

 

 KAN-SENは歳を取らないらしい。

 

 彼女は南方大陸特有の強い日差しのせいで毛髪の色素に若干の影響を受けこそはしたものの、その白い柔肌は初めて出会った時と同じ張りを保っている。

 幼い私にとっては大きな存在だった彼女は、やがて私と同じくらいの年頃になり、その背丈を越える事はついにできなかったものの、今では見た目で言えば私の方が老けて見えるはずだ。

 それでも、彼女の中身は外観以上に成熟していると言えるだろう。

 

 初めて会った日の彼女は、"大人びた女性"だった。

 余裕ある物腰に魅惑的な言動、物静かな雰囲気の中にユーモアと明るい笑顔を持ち合わせていた。

 それが今ではより成熟し、"大人びた"ではなく、"大人の"…それも頼れるオトナの女性のそれへと変化している。

 選挙に多大な影響力を持つ有力者と会談する時に、彼女のような女性が隣にいてくれると

 本当に安心できるものがあるのだ。

 彼女がいなければ、私はあの農場主に冗談の一つさえ言えなかった事だろう。

 

 

 そんな事を考えながらタマンダーレを方を見ていると、彼女は少し頬を緩ませてこちらに微笑みかけてくる。

 

 

「どうしたの、アドリアン?私の私服がそんなに珍しい?」

 

「…ああ、いや…ありがとうございます、タマンダーレさん。あなたが居てくださるだけで、私にとっては本当に大きな助けなんです。」

 

「あら。いつのまにそんなお世辞を身につけるようになったのかしら?…ついこの前まで一緒にお風呂に入っていたと思ったのだけれど。」

 

 

 私が目のやり場に困るようなナイスバディの女性と入浴していたのもかなり昔の話だ。

 彼女のおかげで1人で入浴するようになるのも早かった覚えがある。

 いくら幼いとはいえ、あのダイナマイトボディは刺激が強すぎたのだ。

 何か気恥ずかしくなって目線を逸らすと、前方のバックミラーが目に入る。

 運転手と助手席の護衛はウゴの秘密警察が派遣した精鋭だが、2人とも下唇を噛み締めている様子が見てとれた。

 まあ、そりゃあこんなモデル級美女とご入浴なんて、人生で一度でもあればそれこそ"ラッキー・ルー"かもしれない。

 

 

「…お世辞などではありません。あなたがそばにいるだけで、ユニオンの後ろ盾を感じられるんですから。」

 

「気にしないで、アドリアン。それも私が国から授かった任務なんだから。…さて、今日はあと何件訪問する予定だったかしら?」

 

「あと3件です。13家族の面々が現実的な連中で良かった。」

 

「ええ、そうね。…でも、少し引っかかるとは思わない?」

 

「………私もそう感じていたところです。いくらウガルテ提督が夢想家だとしても、あの程度の説得では13家族に会う意味もない。私が後からやってきて一枚一枚剥ぐことが分かっているタイルを、何故敷き詰めたのか…時間稼ぎでしょうか?」

 

「だとしたら何のための時間稼ぎかしら?そもそも提督が選挙に勝ちたいのなら、あの13家族の過半数はなんとしても取りたいところでしょう。…それなのに、まるで本腰を入れているようには見えないわ。」

 

「中央情報局の言う通り、共産勢力の代表達は選挙から締め出しています。ウゴによるとまだ揮発されていない隠れ共産主義者も大勢いるそうですが、彼らは投票をボイコットするでしょう。連中は頭数にすら入れてませんから、著名な有権者として数を期待するなら…やはり海軍でしょう。」

 

「それでも票が足りない事は提督もわかっているはず。陸軍は既にあなたが抑えているし、13家族をアテにしないのなら提督の勝機はほとんどないわ。」

 

「………どうにも不気味ですね。ウゴには探りを入れさせていますが、どうにも気にかかる。彼が何か掴んでいると良いのですが…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残りの訪問を済ませて大統領宮殿に戻ったときには、もうすっかりと日は暮れていた。

 タマンダーレがエプロンを着て夕食を作ってくれている間に、私は残りのちょっとした職務を片付けてコーヒー休憩を取る。

 2人で夕食を済ませたら、まずは彼女からご入浴いただき、その後私はようやく軍服を脱ぐことができるだろう。

 年季の入ったこの軍服は父親のお下がりで、さすがは親子というべきか制服は殆ど私の身体によくフィットしている。

 

 

 お下がりの軍服にお下がりの権力、か。

 

 私は自分自身で人生を切り開くことなんてことを、一度も考えた事はない。

 全ては敷かれたレールの上をきちんと走り切るためだけに訓練されてきたのだ。

 ところがレールを敷いていた父は突然亡くなり、今では中央情報局のレールの上を走っている。

 仮に私からマリオネットの手繰り糸が伸びていても、誰も不思議には思うまい。

 

 だがその地位を投げ出したり、変えたいと思う事もなかった。

 これも幼い頃から受けた訓練のせいかもしれないが、こうなった以上はその役を演じきるつもりでいる。

 仮に全てを投げ出して自由になったとして、何になる?

 国民の何割かは喜ぶだろうし、提督はこの国を好き放題にできるだろう。

 でも私にとっては何にもならない。

 せいぜい共産ゲリラに囚われて、革命の名の下に断罪されるのがオチなのは目に見えている。

 

 だから私は投げ出すつもりもないし、変わろうとも思わない。

 

 

 

 さて。

 それはそうとして、提督の頭の内はどうなっているのだろう。

 まさか提督も全てを投げ出したくなったのだろうか?

 或いは彼の間接からもマリオネットの糸が伸びているとか?

 だとしたら傀儡師は一体どこのどいつだというのだろう?

 

 中央情報局?

 私を追い出してあの共産ファシストを据えるメリットはないだろう。

 北方連合?

 ウゴはいい加減な仕事はしない。

 連中が浸透してきたら1時間以内に分かるはずだ。

 まさかとは思うが、その昔我々人類を脅かしたセイレーンのような存在が提督の脳みそを乗っ取っているとか?

 …いいSF小説が書けそうだ。

 

 

 ともかく、私としては順当に打てる手を打っていたし、今のところ綻びもない。

 それがとんでもない勘違いであった事を思い知らされたのは1時間後のこと。

 

 

 真っ青な顔のウゴが、タマンダーレと2人きりの夕食会に突撃してきた時だった。

 

 



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白の革命家

 

 

 

 

 

 

 

 ウゴが持ってきた書類に、私は言葉を失った。

 あの提督は本気で私と敵対する気に違いない。

 私に誠実な秘密警察長官の持ってきた証拠は、提督がついに超えてはならない一線を超えた事を意味していた。

 

 

「………提督は大統領が13家族を訪ねている間に、医師団と会っていました。」

 

「医師団!?…あの共産主義の連中と!?」

 

 

 18年前、父がクーデターで倒した共産主義政権のトップにいた男は、元は医者であった。

 どうにも医者というのは左寄りになりがちなのか、彼は同業者達から絶大な指示を受け、支援もされていた。

 インビエルノ医師団による多額の献金がなければ、彼は選挙に勝ち抜くこともできなかっただろう。

 

 父は共産主義体制を打倒した後、医師団を解体する気でいた。

 それを止めたのは他でもないタマンダーレだ。

 あの日の、父と彼女の口論が今でも耳に残っている。

 "医師団を解体すればこの国の医療は間違いなく崩壊する!国民の支えを失うのよ!?"

 "兵器ごときが知った口を聞くな!どんな人間だろうとこの国に共産主義を持ち込むのは許されん!"

 "あなたがどうしても医師団を虐殺するというのなら…私、ユニオンに帰るわ!"

 

 今思えば彼女も命懸けの駆け引きをしていたのだろう。

 だが、そのおかげでインビエルノは医療崩壊という最悪の事態を免れた。

 父は医師団への監視を怠らなかったが、しかし共産党のように浄化することもなかったのだ。

 

 タマンダーレは医師団にとって救世主だったはずだが、恩知らずな事に連中は提督に肩入れするつもりらしい。

 別に連中が提督に献金をしても大した障害にはならないが、連中が提督とコンタクトを取った事自体が、私にとっては問題だった。

 

 

 

「マズ過ぎる…提督が医師団を味方につけたとなれば、隠れ共産主義者共の票は提督に回るはずです。私の見通しはあくまで連中の票を勘定に入れない前提のもの…こんなことは想定外だ。」

 

「共産票と海軍の票があれば、提督は我々と拮抗できる…或いは上回るかもしれません。」

 

「…海軍連中が共産主義者と手を組むとはっ!…気でも狂ったのでしょうか。」

 

「大統領、ご提案できることがあるとすれば…これを機に医師団を解体しましょう。そうすれば提督の目論見は」

 

「待って。医療が崩壊すれば国民はあどりを永久に敵視するわ。目先の事だけを考えてはダメよ。他に方法はあるはず。」

 

 

 ウゴの提案に、タマンダーレが反論する。

 確かにウゴの提案は魅力的だが、現実的にはタマンダーレの反論に分があるように思えた。

 医師は高度な専門職であり、一度刈り取るとなれば再生までに何年もの月日を要する事だろう。

 しかし、提督の目論見も打破するのであれば医師団をどうにかするしかない。

 とはいえ18年前に彼らの希望を叩き潰した男の息子に耳を貸してくれるとも思えなかった。

 

 

「………ウゴ、父は海軍に対しての調査を渋っていましたね?」

 

「まさか大統領!…海軍はお父上の支持基盤でした!あれは聖域ですよ!?」

 

「もう違います。提督はこちらとの対決を選択する前に、海軍内部の人員を整理しているはずです。内部に敵がいては戦えませんから、父に誠実だった海軍軍人たちは左遷ないし更迭されている事でしょう。…軍の人事変更には大統領の署名が必要ですが、私は署名した覚えはありません。」

 

「!…提督は選挙に備えるために秘密裏に人事を変えた公算が高いから、そこを狙うのね?」

 

「そうです、タマンダーレさん。それを証明できれば、今度の選挙から提督を公式に排除できる。」

 

「分かりました、大統領。海軍にも探りを入れてみます。」

 

 

 

 立ち去るウゴの背中を見送りながらも、私は自身の判断の正しさを疑わざるにはいられない。

 どうにもこうにも何もかもが"チグハグすぎやしないだろうか"?

 浮かない顔をしていたのを見られたのか、タマンダーレは私の顔を覗き込んでくる。

 

 

「………どうしたの、アドリアン?…あなたもやっぱり、何かおかしいと思ってるのね?」

 

「はい、タマンダーレさん。提督のこれまでの行動を鑑みるに、やはり気にかかる部分が多いんですよ。」

 

「………」

 

「13家族へのおざなりな説得、医師団へのアプローチ…海軍内部の人事異動にしたって、もう少しやり方があるでしょう。…とても、提督の立場にいる人間の手腕には思えない。」

 

「…そうね。提督の狙いはきっと他にある。もしかすると、この選挙への出馬自体がブラフかもしれないわ。」

 

「独裁者を敵に回すほどのブラフを貼るなら…提督の本当の狙いは一体何なんです?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ海軍総司令部

 

 

 

 

 

 

 

「………やはり、さすがに気付かれたようだな。」

 

 

 海軍総司令官にして、統合幕僚長でもあるウガルテ提督は、執務室の窓から海を眺めてそう言った。

 彼の背後にはソファに腰掛ける海軍大佐がいて、物憂げな提督に呆れたような口調を投げかける。

 

 

「だから言わんこっちゃない。やり方が不味過ぎるんすよ。黙って本腰入れた選挙でもしてれば、アンタは大統領になれんのに。」

 

「大佐、私が選挙に勝ったところで国民を二分してしまうに過ぎんよ。彼らは"羊"だ。一度"犬"に追い立てられたら中々それを忘れられない。私が目指すのは、彼らが恐れている"犬"の排除だ。」

 

「だったら話は簡単でしょ。何人かの若いのにマシンガンでも持たせて大統領宮殿に突っ込ませれば良い。何なら俺が行きますか?」

 

「…スアレス大佐、君は優秀だが敵を見くびりすぎだ。奴はアルバロほど残忍ではないが愚かでもない。ユニオン中央情報局は奴に諜報活動のハウツーを叩き込んだ。現に、我々の動きは逐次知られているだろう?」

 

「野郎が頭デッカチなだけに思えますがね。あのユニオンのデカチチ女が操ってるだけなんじゃ?」

 

「ユニオンの後ろ盾があるのは確かだが、それだけではこんなにも機敏には動けんさ。秘密警察の動かし方では、アルバロより奴の方に分があるよ。」

 

 

 提督は軽くため息を吐くと、回れ右して大佐のほうに向き直る。

 大佐は姿勢こそ直しはしなかったが、加えていたタバコを灰皿に押しつけて、提督の方を覗き込んだ。

 

 

「ま、何にせよウチらの総大将はアンタだ。指示にゃ従いますよ。」

 

「…負けると分かっている選挙に出馬するのは気が引けるな。だがこれも重要なステップだ。…祖国解放への、我々の第一歩。」

 

「アルバロはユニオンの駒に成り下がりやがった。この国の銅はクソみてえな価格で買い取られ、農場はプランテーションになり、工業は壊滅してる。もう黙ってはいられねえ。」

 

「…18年前、私はアルバロを止められなかった。本心では分かっていたんだ。"軍は政治に介入すべきじゃない"と。だがアルバロはクラウゼヴィッツを持ち出した。」

 

「"戦争は政治手段のひと形態である"」

 

「その通り。奴は"戦争"と"軍隊"をすり替えて解釈した。結果はこのザマだ。18年前のミスを取り返すには少々遅いが、始めた以上はやり遂げるさ。」

 

 

 提督の目線は、大佐から彼の目の前にある机の上へと移っていく。

 そこには現時点での海軍の戦力と、インビエルノの主要な港湾と陸地が書き込まれた地図が広げられていた。

 模型化されたインビエルノ海軍の艦艇を眺めると、提督はようやく完全に指揮権を手に入れた戦力を実感する。

 

 もはや海軍内に彼の敵はいない。

 

 アルバロ・セルバンデスが共産主義者のパンツァーファウストで吹き飛ばされたという第一報を聞いた時、ウガルテ提督は18年前から温めていた計画を実行に移すことにした。

 抜け目のないアルバロは隙を見せなかったが、奴が暗殺されて息子が跡を引き継ぐとなれば否が応でも隙は生まれる。

 その間に提督は海軍の人事を速やかに整理して、セルバンデス政権派の海軍軍人達を艦長職から一掃したのだ。

 長年の根回しと彼の人柄が、この2週間の大変革を可能にしたと言っても過言ではない。

 今、彼の手元には何もなく、ギャンブルで言えばまさしく"オールイン"の状態だ。

 それほどにまで、提督はこの計画に賭けていた。

 

 

「大佐、君には我が艦隊最大の戦力である戦艦『コクレーン』を任せたい。」

 

「分かりました、提督。そっちは任せてもらって結構ですよ。ですが…本当に大丈夫なんすか?計画通りなら、アンタはまもなく逮捕される。奴がアルバロの息子なら、ワイヤーでアンタの首根っこを締め上げて、死体に硫酸をかけて山にでも埋めやしませんかね?」

 

「はははははっ!見てみぬふりをしてきた私には相応しい罰かもしれんな!」

 

「笑い事じゃねえっすよ。アンタが死んだら全てがご破産だ。ウチらは全員硫酸をかけられて山に埋められる。」

 

「安心したまえ、大佐。そのための選挙だ。奴は我々の真意に気づいてはいるだろうが、あのユニオン女が理知的なら私を処刑しようとは思わないはずだ。まあ、仮に私が死ねばその時は国民自身が立ち上がる。」

 

「18年間アルバロにビビってた連中ですよ?本当にそうなりますかね?」

 

「ああ、なるとも。今までアルバロに踏みつけられていただけで、本来彼らには充分なポテンシャルがある。軽んじてはならんよ。」

 

「へいへい」

 

「ともかく、私が不在の間はよろしく頼む。…インビエルノのために!」

 

「了解ですよ、"教官"。インビエルノのために!」

 

 

 大佐はそう言って、これから秘密警察に逮捕されるであろう提督に、初めて姿勢を正して敬礼を送った。

 彼らは選挙によって政権を覆えせるとは思っていないし、それどころか望んでもいない。

 しかし、それは重要な一手であった。

 

 提督は海軍士官学校で教鞭を取っていたときの教え子に微笑みかける。

 

 

「…私が望むのは変革ではなく、革命なのだよ。」



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20年来の仇敵

今回スペシャル胸糞回なのでご注意ください


 

 

 

 

 

 ユニオン

 バージニア州

 ラングレー

 

 

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ海軍の提督が教え子に一時の別れを告げていた時、ユニオンの中央情報局本部施設では1人の少女が目を覚ました。

 

 例によって、気分は最悪。

 "あの時"死ねていたら、今よりも格段にマシな気分だったに違いない。

 しかし彼女は生き残ってしまい、それ故にこんな朝を迎えなければならなかった。

 

 こんな事になるのなら、さっさと自害でもしておけばよかったのに。

 過去の自分を呪うのは簡単だが、同じ状況で同じ立場にいたとしても違う結末を選べるとは思えなかった。

 彼女はまさか自分自身がフリーズしてしまう事なんて考えもつかなかったし、あの時は本当にしてやられたと思ったのだ。

 だからきっと今の彼女があの時あの立場にいても、結果は変わらなかったろう。

 

 

「………今日の()()は誰かしら…」

 

 

 コンクリートの無機質な天井を見上げて、彼女はそう漏らす。

 昨日投与された薬剤は彼女に苦痛以外の何物ももたらさなかった。

 腕や背中には大きなアザがあり、筋肉は未だ痙攣している。

 手の指の先は全て包帯に覆われているし、その巻き方は雑そのものだ。

 まるで"誰もお前のことなんか構やしねえ"と言うかのようだし、実際にもそう言われた。

 ここの連中は彼女の事をモノとして扱っていたのだ。

 

 

 そんな彼女の予想では、今日もそんな1日がまもなく始まろうとしている。

 安物のベーグルとコーヒーを持った当直士官がやってきて、何も言わずに置いていくのだろう。

 何人かの当直士官は哀れみの目で彼女を見たし、その他の者たちはベーグルやコーヒーに唾を吐きかけて彼女に渡した。

 …もうどうだっていい。

 彼女は早く楽になりたかった。

 こんな無機質なコンクリートに囲まれて惨めな最期を迎えるとしても。

 その期間はできるだけ短い方が良いし、だからこそ歳というものを取らない自分の身体を呪い続けている。

 

 今では、彼女の希望はただの一つしかなかったのだ。

 

 

 "KAN-SENは歳を取らない、でも死なないわけじゃない"

 

 

 

 やがては無機質なコンクリートに囲まれた部屋の無機質なドアが開いて、本日の来客が姿を現した。

 しかし彼女は今日やってきたのがいつもやってくる迷彩服の当直士官とは違う、スーツ姿の男である事を見て目を丸くする。

 どこからどう見ても政府機関の人間にしか見えないし、もう政府の人間と直に話すことはないだろうと思っていたからだ。

 

 政府機関の人間の背後には、見慣れた迷彩服の当直士官がいた。

 正直、彼女は政府の男が同伴している事に感謝している。

 彼女の覚えている限りでは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。

 

 

 

 30分後、彼女は尋問室にいて、久々に温かなベーグルとインスタントではないコーヒーを楽しんでいた。

 政府機関の男は彼女がベーグルとコーヒーの朝食を食べ終わるまでの間彼女に一言も話しかけはしなかったし、急かすような仕草も見せなかった。

 KAN-SENのチカラを封じ込めるという特別な拘束着に身を包む彼女には目もくれずに、目の前の書類に集中しているようだった。

 本日の当直士官のクソ野郎相手にはたった一言だけ話してはいたが。

 

「くれぐれも丁重に扱え」

 

 あのクソ野郎が気に食わないような顔をしつつもこの男に従わざるを得ない様子を見るのは久々の愉悦だったが、しかし、それだけで彼女は気を許す気にはなれない。

 ユニオン政府の人間など、誰も信用するものか。

 彼女はユニオン政府から受けた長年の扱いで、その想いを心に刻みつけていた。

 

 

「…………気は済んだかね?」

 

 

 男がようやく口を開いたのは、彼女がコーヒーの最後の一滴を飲み下した時だった。

 彼女にとって時間はいくらでもある。

 これが最期になるかもしれない温かな食事を楽しみながら男を待たせたところで、彼女の良心が呵責を感じるはずもない。

 

 

「………ふふふふっ。…それで、政府の人間が今更私になんの用?」

 

「提案がある。君が"乗る"なら、私は君をここから解放できる。」

 

「………ぷッ!あははははッ!!あはははははははッ!!私もバカにされたものね!そんな戯言、信じるわけないじゃない!!」

 

「なら君の勝手だ。また元の生活に戻ると良い。」

 

「脅したって騙されないわ、このクソ野郎!これも実験の一環だってわけ?長年憎悪を燃やしたKAN-SENに、温かいもてなしと希望を持ち掛ければどのくらいでオトせるか、とか?馬鹿馬鹿しい!…本当にアンタ達は救いようのない馬鹿ね!」

 

「………」

 

「何とか言ったらどうなの?」

 

 

 彼女の言葉に男は何も言い返さず、代わりに黙々と先ほどまで目を通していた書類を彼女に見せ始める。

 白黒写真とはいえ、それらは被写体が何であり、どうなっているかを鮮明に映し出していた。

 その写真をまともに見てしまった彼女は顔を硬らせる。

 次いで写真から目を背け、冷たい床に温かな朝食を撒き散らしてしまった。

 男はその様子を見てさえ、冷静に話を続ける。

 

 

「………空軍が新型兵器を試したがっている。実験場まで手配済みだ。それは破壊をもたらさずに、敵の施設を奪取するための兵器だそうだ。…参謀本部はその兵器が本当に有効かどうか試したがっている。特にKAN-SENに対して有効かどうかデータが欲しいらしい。」

 

「クソ野郎ッ!!アンタ達は本物のクソ野郎よ!!」

 

「問題は世論だ。15年前太平洋で行われた実験で、空軍は世論からとてつもないバッシングを受けた。KAN-SENを実験に使うとは何事か、とね。だから現役艦はもちろん予備役艦を使うわけにもいかない。ところが君はどうだろう…君は船籍を抹消された存在だ。いなくなっても誰にもわからない。」

 

「アンタ達のやったことは許されないッ!!…アンタ全員ッ…おぶえええええッ!!」

 

「そうだな、許されない。だが、今のままでは君もいずれこうなる。……"彼女達"はかなり苦しんだ。どんな治療も効果はなかったそうだ。…私が君なら、話だけでも聞こうと思うがね。」

 

 

 彼女は相変わらず吐瀉物を撒き散らしていたが、やがて吐瀉物として吐き出せるものも無くなってしまった。

 彼女は息を荒げながら、しかし男の言う通り話だけでも聞くしかないと言う事を悟らざるを得ない。

 

 

「………いったい、どんな提案だっていうのよ…」

 

ハンス・ルートヴィヒ少佐を覚えているかね?」

 

 

 男が口にした名前を聞いて、彼女は自身の瞳孔が開くのを感じた。

 覚えていないわけがない。

 あの、戦時昇進を重ねた、まだ顔立ちにあどけなさの残る青年の事を。

 彼女は彼と共に戦い、過ごし、あと少しで指輪にまで手が届くはずだった。

 それが終わりを告げたのは、まさに"あの時"。

 それも最悪の結末を迎えたのだ。

 

 

「……覚えてないわけないじゃない。アイツは私を売ったのよ?」

 

「そうか、なら話は早い。」

 

「アイツがどうしたの?…戦後、アンタ達が戦犯として処刑したはずじゃなかったかしら?」

 

「ルートヴィヒ少佐はまだ生きている。」

 

「………は?」

 

 

 彼女の声には怒りとも憎しみとも取れない、それらの感情を足して何倍にもしたかのような黒々しさを含んでいた。

 

 

「戦犯として処刑したという話は公式発表用のカバーストーリーに過ぎない。ルートヴィヒ少佐は君を売った後、サディア経由で南方大陸へと渡った。手引きしたのは我々だ。」

 

「…………そこまで腐ってるとは思わなかったわ。あなた達狂ってるの?…もし狂っていないのなら………」

 

「私達が狂っているのかいないのかなど、どうだって良い。我々は君が北方連合の手に渡る事を危惧していただけだ。勿論君の身を案じて、ではないがね。」

 

「………」

 

「20年前君を裏切った男は南方大陸で伸び伸びとやっていた。ところが中東某国の情報機関"猟兵グループ"が奴の居場所を突き止めてしまった。猟兵グループは戦犯を探し回って殺してる。あの戦争での復讐と言わんばかりに、な。」

 

「ざまぁないわね。」

 

「少佐は今頃亡命先のプラタを飛び出して、インビエルノとの国境線で転げ回っていることだろう。」

 

「それがどうしたの?…まさか私にアイツを助けろって言うわけじゃないでしょうね?」

 

「ああ、勿論だ。インビエルノには我々の駒がいる。共産主義者どもに対抗するために必要な人間だ。彼は今少々厄介な問題を抱えていてね。君のようなKAN-SENがいると非常に助かるそうだ。」

 

「あら?私を再武装させるつもりなら、アンタ達に砲口を向けるかもしれないわよ?」

 

「君の現役時代からこの20年でユニオン海軍の戦力は更に大きく拡充した。君は南方大陸の海軍と張り合うことはできても、もうすでに我々の敵じゃあない。」

 

「………」

 

「それに…もし君がこの提案に乗るなら、インビエルノの駒には少佐を確保させる。…我々が言える立場ではないが、彼は君をここに連れてきたような存在だ。20年の鬱憤をぶつけたくはないかね?」

 

 

 できることなら、目の前のアンタの首からへし折ってやりたい。

 そうは思いつつも彼女はもうすでに提案に乗ろうかとしているところだった。

 それは猛烈な復讐心がなせる技であり、彼女はこの20年間の苦境をもたらした原因を許すつもりはなかったのだ。

 

 

「………わかった。アンタの提案に乗るわ。」

 

「賢い選択だ。」

 

「でも条件がある。私が南方大陸に向かうのは、アンタらの飼犬がアイツを確保してからの話。…あの裏切り者は存分にいたぶってやるわ。」

 

「分かった、すぐに手配させよう。…おめでとう、これで君も晴れてここを出られる。君には新しい船籍と名前が与えられるが、それはもう用意してあるから安心したまえ。今日から君の名は………………」



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牧場主

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

「ええ、ええ、ライリーさん。感謝します。本当に助かります。………ええ、勿論です、何なりと…………その男は何者です?…失礼しました、そうですね………分かりました、必ずや引きずり出します。では。」

 

 

 私が電話を置いて顔を上げると、そこにはまたもや心配そうな表情をこちらに向けたタマンダーレがいる。

 

 

「…どうしました、タマンダーレさん?」

 

「中央情報局はまたあなたに無茶を押し付けたのね?」

 

「いいえ、寧ろその逆です。私はベラスコ中将にある男の捜索を命じるだけで良い。それだけで大きな戦力が手に入るのですから、アウトレットセールのようなものですよ。」

 

 

 心配するタマンダーレを他所に、私は比較的良い気分だった。

 ユニオンは約束を守り、その上こちらの要求まで…条件付きとはいえ…応えてくれるのだから。

 

 

 

 

 

 

 提督は迂闊な事に、私の予想通り海軍人事を無許可で変更していた。

 その証拠をウゴに掴まれた彼は不正人事の疑いで検挙され、選挙は我々の勝利に終わったのだ。

 勝ったは良いのだが、しかし、問題がないわけではない。

 それどころかこの選挙によって表面化した問題の方が大きいのだ。

 

 

 選挙での私の得票率は、有権者の総数から見て30%に過ぎない。

 これはこの国の経済を牛耳る富裕層や新たに味方に引き入れた陸軍の勢力を除くと、他に数%しか残らない計算になる。

 有力な候補であった提督が検挙された後、そもそも投票数自体が落ち込んだと言っても過言ではない。

 棄権された票は全体の50%に上り、つまるところこの国の有権者の半数は提督に同情したか、或いは投票所行きのバスに乗り遅れたと見ていいわけだ。

 

 さすがに50%の全てが敵に回ったと考えるべきではないかもしれないが、提督の人気ぶりの証左と取ったとしても順当な考えではないだろうか。

 提督は今、軍法会議にかけられているが、市民からの抗議の電話や手紙が跡を絶たないらしい。

 おまけにインビエルノ弁護士会の面々までもが提督の側に回っていた。

 提督が味方につけたのは医師団だけではなかったのだ。

 

 

 自然と考えが顔に出ていたのか、タマンダーレがこちらに寄ってきて、私に後ろからハグをする。

 私は彼女の柔らかな香りと暖かさに包まれて、ホッと息を吐く。

 提督の不気味な動きには心配させられるが、彼女が近くにいると色々な悩みが立ち消えてしまうのではないかというほどの安心感があった。

 

 

「…アドリアン、あなたの大統領就任に対して一番最初に祝電を送ったのは?」

 

「…ユニオンの大統領………」

 

「どういうことか分かる?あなたはユニオンに認められた。彼らは約束通り武器と兵器をこちらに運んでくれているわ。陸軍がそれを装備すれば、心配事は減らないかしら?」

 

「………ええ。」

 

「……ねえ、あなた根気を詰めすぎよ。少し休みましょう?」

 

 

 タマンダーレはそう言って私を抱き抱えて立ち上がらせると、今度は手を取ってソファへと誘った。

 彼女が先にソファへと座ると、私を寝かせ、後頭部を彼女自身の魅惑的な太ももの上に置かせる。

 ああ…そうだ。

 小さな頃から、彼女は度々こうやって私を癒やしてくれたものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 16年前

 

 

 

 

 

 

「殺せと言っとるのが分からんのかッ!女子供だろうと関係はない!共産主義者は共産主義者だ!全員殺せ!慈悲を示せば連中は虫のように湧いてくる!」

 

 

 電話に怒鳴る父の背中は、とても寂しそうに見えた。

 当の本人は怒り狂っているはずなのに、その心のうちは悲しんでいるようにも見えたのだ。

 きっと、父も疲れていたに違いない。

 

 独裁者というのは気の抜けない職業だ。

 誰かが自分を裏切ったりしないか、殺そうとしないか、或いは取って代わろうとしないか不安で不安で仕方ない。

 私も2週間前からそれを体験する事になったのだが、この時はまだほんの子供だった。

 

 

「父さん、どうしたの?」

 

「クソ………ん?ああ、アドリアン。」

 

「最近怒鳴る事が多いけど、何かあった?」

 

「いや、お前が心配する事じゃない。…不安にさせてすまないな。だがまあ、こんなことはすぐに片付く。だからお前は勉学に励みなさい。」

 

「なら良いんだけど…」

 

「本当に大丈夫さ。………ルイーズ!そろそろアドリアンを寝かせろ!」

 

「ちょっ、やめてよ父さん!僕ももう子供じゃないんだ!1人で寝れるよ!」

 

「そうかもしれないが、銃を持った男達から身を守れるほど一人前でもない。…いいか?前にも話した通り、お前に彼女を付けるのは…」

 

「はぁぁ…"お前自身を守るためだ"……心配しすぎじゃないの?」

 

「念には念を入れておくもんだ。それに…」

 

「私のことは嫌いになっちゃったの、アドリアン?」

 

 

 気づかぬ内に背後にいた長身の"お世話係"の声に、私は驚いて振り返る。

 そこにいたのは当時12歳の私にとってあまりにも刺激的なプロポーションを持った美女だったが、彼女は野暮ったいパジャマを着て三角帽子を被り、クッションか何かを抱えていた。

 彼女自身の魅惑的な身体つきとは正反対の服装に、私はため息をつく。

 

 

「いや、あの、ルイーズおばさん、そういうわけではムグッ」

 

 

 彼女がムッとしたような顔つきになり、人差し指を私の唇に押し当てた。

 

 

お・ね・え・さ・んっ!もう!"おばさん"はやめてって言っているのに…」

 

「ははは、苦労が多いなルイーズ。…まだほんの子供だ、大目に見てやってくれ。」

 

「もうっ、仕方ないわね。」

 

「すいません、ルイーズさん。」

 

「そんなに改まらないで、アドリアン。私達は家族のようなものなんだから。さて、もう時間も時間だし…今日は寝ましょう。」

 

 

 ルイーズ"おねえさん"…つまりはタマンダーレと共に寝室に行くと、私は滑稽なほど豪華な天蓋付きのキングサイズベッドに寝かしつけられた。

 いつものとおり私がベッドに入ると、彼女は私の隣にきて、その包容力ある身体で私を抱え込む。

 母を失ってまだ1、2年だったが、彼女の暖かさは母の代わりとまではいかなくとも、幼い私を安心させるには充分だった。

 

 

「………父さんは何をあんなに怒っているの?」

 

 

 私は父が答えてくれなかった質問を、タマンダーレに尋ねてみる。

 彼女は少し物思いげな顔をして、心なしかもう少しだけ強く私の事を抱きしめた気がした。

 

 

「…お父さんの心配はしなくても大丈夫よ。ちょっとお仕事が大変なだけ。」

 

「外に出ると、父さんのことを良く言う人もいるけど悪く言う人もいる。僕の事を暴君の息子だって言う人も。」

 

「お父さんが何者でも、あなたはあなたよ?私はあなたの良いところをたくさん知ってるわ…だからそんな顔しないで?」

 

「………」

 

「そうね…何か別の話をしましょう。アドリアンは、将来何になりたいの?」

 

「………」

 

 

 タマンダーレの問いかけは、率直なところ父や私がどう思われているかと言う事よりも解答に困るものであった。

 仮にも一国を治める独裁者の息子。

 当時私の抱いていた夢は、その立場にはあまりにも不似合いなものだった。

 父が私に、そういったものとはまるで異なる夢を持つ事を期待しているのを、私は子供ながらに察していたのかもしれない。

 しばらく躊躇する私に、タマンダーレは優しく話しかける。

 

 

「……うっふふふ♪大丈夫よ、アドリアン。コレは私とあなただけの秘密。お父さんには言わないから、安心してちょうだい?」

 

「………なら…」

 

「教えてくれるかしら?あなたは将来何になりたいの?」

 

「…………牧場主になりたい。13家族が待ってるような大きな牧場じゃなくて良いから、僕だけの牧場が欲しい。毎日牛や馬を飼育して、いつか自分で家を建てるんだ。」

 

「……そう………とっても素敵な夢ね、アドリアン!」

 

 

 タマンダーレはそう言って笑顔を見せてくれたが、その背景には何故か悲しみが含まれているような気がした。

 今思えば、それは決して私の夢に対する失望ではなく、その夢が永遠に叶わない事を見越しているかのような、そんな哀しみだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アドリアン!アドリアン!起きて!」

 

「大統領!お休みのところ申し訳ありませんが…」

 

 

 タマンダーレとウゴの声で目を覚ます。

 頭がぼんやりとしているあたり、どうもタマンダーレの膝枕で少々眠ってしまったに違いない。

 左腕を持ち上げて、タマンダーレが海軍士官学校入学祝いにプレゼントしてくれた腕時計で時間を見る。

 腕時計は、もうあと10分後には閣僚会議が始まる事を指し示していた。

 

 

「………すいません、少し寝込んでしまったようですね。」

 

「いえ、大丈夫です大統領。就任なされてからロクに休みもないのですから当然ですよ。」

 

「ありがとう、ウゴ。閣僚は揃っていますか?」

 

「はい。あとは大統領だけです。」

 

 

 危ないところだった。

 大統領が寝坊するなんて、間違ってもあっていい出来事ではない。

 

 ……しかしまあ、大統領…か。

 

 

 さっきまで見ていた夢をふと思い出す。

 牧場主なんて将来はとうの昔に忘れてしまった。

 あの夜から3年後には、私は父の真意を察しつつあったのだ。

 きっと父は私が牧場主になることを許さなかっただろう。

 なんと言っても、恐らくは自分の跡を継がせるつもりだったのだから。

 海軍士官学校への入学を前提とした話を父からされた時、私の推測は確信に変わった。

 私は抗おうにも抗えない運命という大きな重しと不毛な消耗戦を繰り広げるよりかは父の敷いたレールを走り続ける事にしたのだ。

 

 

 

 しかし、まあ、牧場主とはえらく遠い職業に就いてしまった。

 そしてその職を維持することは、もはや私の命を維持することと同義になりつつある。

 だからこそ私は起き上がって、服装を正し、会議室へと向かい始めた。

 



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やらねばならぬ事

 

 

 

 

 

 

 

 海軍はもう古巣でもなんでもなく、ただの敵に過ぎない。

 閣僚会議で海軍の戦艦『コクレーン』との連絡が取れないと知らされた時、私は改めてそう確信した。

 会議が終わった後、私は個人的にウゴと陸軍のベラスコ中将を呼び出す。

 現時点で私の数少ない味方である2人は、私と同様の懸念を感じているようだった。

 

 

 

「中将、ユニオンからの武器はまもなく届きます。完熟訓練に必要な期間は?」

 

「小火器であればすぐに完熟するでしょう。ユニオンの銃器は性能が良い上に操作も簡単で故障も少ない。しかし大型兵器となれば話は別です。それなりの期間は必要でしょう。しかし現有の旧式砲を用いて訓練は継続しております。少々勝手は違うかもしれませんが、砲兵に関してはそこまで時間は必要ないかと。」

 

「積荷にはカノン砲も含まれています。そちらは最優先で訓練させてもらいたい。」

 

「分かりました。」

 

「それから…これはウゴにも関係する話なのですが…中将にはウゴと連携して、ある男を探し出していただきたいのです。」

 

「…はぁ。どういった男でしょう?」

 

「名前はハンス・ルートヴィヒ。元鉄血公国海軍指揮官の1人で、前大戦の戦犯です。ユニオンの情報機関が彼を探しているそうで。」

 

「り、了解しました。我々はまとまった数の人員を動員できますが、諜報能力はありません。オンディビエラ長官にはご協力をお願いしたい。」

 

「ご心配なく、我々もそのつもりです。」

 

「それなら安心ですね。では、大統領。私は軍に動員をかけますので、この辺で。」

 

 

 ベラスコ中将が見事なまでの回れ右をして出ていくと、私は改めてウゴの方に向き直る。

 彼にはまだやってもらわなければならない仕事があるからだ。

 ウゴに仕事の話をする前に、私はタマンダーレの方を盗み見る。

 彼女はまだ会議の書類に目を通していた。

 私がタマンダーレを気にしたのは、彼女には聞かれたくない話だったからだ。

 

 

「………提督の弁護士会は厄介ですか?」

 

「正直なところ、かなり苦戦しています。このままでは名誉毀損で逆訴訟もありえる。」

 

「陸軍の訓練が終わるまで、提督は拘束しておく必要があります。さすがの『コクレーン』も総大将を人質に取られていては動けないでしょう。」

 

「弁護士会の連中をどうにかしなければ…」

 

「ウゴ、あなたの機関には実働部隊がありましたね?」

 

「ええ、ですがルートヴィヒ狩りに動員予定です。」

 

「ルートヴィヒの方は陸軍に任せて、あなたは別の目標を"狩って"いただきたい。」

 

「別の目標、ですか?」

 

「………弁護士会の連中を何人か、家族とまとめて葬ってください。それも、できる限り残忍な方法で。」

 

 

 ある独裁者はこう言った。

「愛とか友情とかいうものはすぐ壊れるが、恐怖は長続きする。」

 弁護士会はすぐに私と秘密警察の仕業だと気づくことだろう。

 だが、それをマトモに取り上げればどうなるか…彼らは目の当たりにする事になる。

 ウゴの実働部隊には重犯罪刑務所から選抜されたような人間もいた。

 そんな連中の手にかかった一家を見たら、連中がどれだけ弁の立つ人間であっても慎重にならざるを得ないはずだ。

 

 

「あなた方なら造作もないはずです。…どうしました?ウゴ?」

 

「………」

 

 ウゴは私に何らの返答もせず、ただただ目線を左右させて私に何らかの警告を発しているようだった。

 何だろう…後ろ?

 

 ウゴのメッセージに気づいて振り返ると、そこには先ほどまで書類を見ていたはずのタマンダーレが、顔を真っ赤に紅潮させていた。

 あまりの衝撃に何も言い出せないでいると、恐らくは怒り心頭な彼女の右手が私の右頬をフルスイングでビンタした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうつもりなの、アドリアン!?あなたらしくもない!あんな命令っ、まるでシカゴのマフィアだわ!」

 

 

 タマンダーレの一撃は中々の威力のもので、私は右頬に氷を当てていなければならないほどだった。

 しかしながらKAN-SENのチカラを考えれば彼女はかなり手加減した方だろう。

 それでも怒りのあまり手元が少しだけ狂ったのかもしれないが。

 

 しかしながら今までこういう類の判断を理解してくれていただけ、私も軽くショックを受けた。

 或いは彼女はずっと我慢してくれていたのかもしれない。

 それでも私が弁護士達の家族にまで手にかけろ…それも残虐な方法で…と命じた今日、その我慢が限界にきたのだろう。

 ………そういえば…彼女の"家族"は…

 

 いや、もしそうだとしても、私は私の意見を通さねばならない。

 それは私のためであり、彼女のためでもあった。

 

 

「もう手段は選べません。海軍は『コクレーン』を勝手に出港させ、提督が戻り次第我々の政権を転覆させる気だ。…タマンダーレさん、あなたならお分かりでしょう?」

 

「ええ、それはわかるけれど…やって良いことと悪いことがあるわ!…あんな…あなたがあんな命令を出すなんてッ…」

 

「出したくて出したように見えますか!?私だってこんな命令なんぞしたくはない!ですが仕方ないんです!弁護士会を妨害しなければ提督が自由の身になってしまう!」

 

「………」

 

「提督が自由になれば海軍はこちらへの攻撃を躊躇する理由がない。再武装もままなっていない陸軍は一方的に撃破されるでしょう。そうなれば我々は終わりだ。」

 

「もしそうなっても、ユニオンが介入してくれるわ!」

 

「提督は愚か者じゃない。例え彼が共産主義者の手を借りていたとしても、表向きにはユニオン相手の友好を装うはずです。それに、ユニオン海軍が介入するにしても、彼らがインビエルノに辿り着く前に我々は処刑されていますよ!」

 

「アドリアン、よく考えて。そんなの、ただの推測でしかないわ!」

 

「よく考えた上での発言ですし、身を守るにはこうするしかありません!傷つくのだって最小限の人間だ!」

 

「それは違うわ、アドリアン!もう気づかないフリはやめて!あなたは自分自身を傷つけているじゃない!」

 

 

 タマンダーレが目に涙を浮かべて訴えかけてくる。

 彼女は目元をハンカチで拭うと、いつものように私を抱擁した。

 今日はいつもよりも心なしか少し強く抱えられた気がする。

 その温かな胸に私を向かい入れた彼女は、私の後頭部をさすりながら…そっと話しかけた。

 

 

「………手を挙げてしまって、ごめんなさい。あなたの言う事は…本当はよく分かっているの。でも、私は幼い頃からお世話をしていたあなたが…心に負荷を負い続けるのを黙って見ていられなかった。………そうよね、あなただって、こんな事はしたくないはず。」

 

「………」

 

「でもね、アドリアン。もう少し私を頼ってくれても良いんじゃないかしら?…私なら、海軍が相手でも…」

 

「いや、タマンダーレさん。それはできません。…父はあなたを兵器として扱った。でも私にはそんな真似はできませんよ。…あなたには生きていてもらわないと、それこそ私は耐えられない。インビエルノ海軍は南方大陸で一番強大な海軍です。KAN-SENとはいえ、あなた1人では荷が重い。」

 

 

 インビエルノ海軍の持つ戦力はあの戦艦『コクレーン』だけではない。

 全て通常型の戦力とはいえ、軽巡洋艦を4隻、駆逐艦5隻、魚雷艇や掃海艇に至ってはその2倍はいる。

 空母こそ保有していないが海軍航空隊もいて、タマンダーレの艦歴…"セントルイス"時代の戦績を鑑みたとしても少々荷が重く思えるし、私にとっても大切な女性をそんな賭けに出すつもりはない。

 彼女を犠牲にするくらいなら、あの厄介な弁護士連中を葬り去った方が幾分かマシに思えた。

 

 

「タマンダーレさん、心配してくれてありがとうございます。でも、私ももう昔のように子供のままじゃないんです。こういった判断を迫られる場面は、今避けても次から次へとやってくる。その度にベソをかいてあなたに抱きつくわけにはいかない。」

 

「アドリアン…!……」

 

「この前あなたが言った通り、私は"大丈夫"です。ご協力が必要になる時はあるかもしれませんが、今はその時じゃない。…身勝手なのは分かりますが、今は私を信じてください。」

 

 

 私は生まれて初めて、自分のほうからタマンダーレと離れた。

 彼女の、少しばかり理解が追いつかないかのような…そんな悲しげな顔が私の良心に刃を突き立てる。

 だがそうする他ない、いや、そうしなければならない。

 

 

「……待って!…待って、アドリアン!まだ話してる途中でしょう!?」

 

「すいません、タマンダーレさん。私にはやらねばならないことがあるんです。」

 

 

 愕然とするタマンダーレをその場に残し、私は歩き出す。

 良心は号泣していたが、しかし、もう良心に耳を傾けておくわけにもいかなかった。

 

 私の地位を守るため。

 私の命を守るため。

 そしてそらは彼女の身を守る事にさえ繋がるのだから。

 

 

 

 あの科学者は何と言ったかな。

 あの新型爆弾を開発したユニオン科学者だ。

 ああ、そうだ。

 確か彼はこう言った。

 

「私は平和主義者だが、やらなければならないことがある。」



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後悔と懺悔と決心と

 

 

 

 

 

 現在

 ユニオン

 首都D.C

 

 

 

 

 

 

 

 

「選挙後に発生した弁護士やその家族の惨殺事件は、最初からオンディビエラと秘密警察の仕業だと暴露しているようなものだった。だが、弁護士会を止めるには充分だったし、提督もアドリアンがそこまで残忍な男だとは思っていなかったのだろう。」

 

「アルバロが暴君だったのなら、何故そんな希望的な観測に至ったのでしょう?」

 

「アルバロが残忍さを示したのは"共産主義者"だけさ。奴は白昼堂々連中の家に押し入って皆殺しにするような方法を好んだ。"正々堂々と"ね。その点アドリアンのやり方は対照的だった。アドリアンは父とは違い、相手が気付かぬ内に後ろから刃物を突き刺す…極めて陰湿な方法を取る傾向にあったんだ。」

 

「………」

 

「特に少数の人間に的を絞ったのはアルバロと決定的に異なる部分だ。アドリアンはただ単に殺すだけでは飽き足らずにある種のメッセージまで添えていたのだ。"アンタらの頼みの綱は役立たずだ。こんな風になりたくなければもう少し考えろ"と。」

 

 

 若い記者はこの老人の前に辿り着くまでに見てきた数々の記録写真を思い返す。

 アルバロの命令によって殺された共産主義者の死体というのはどれも似たり寄ったりで、すなわち小銃や拳銃で撃ち殺されたと一目で分かるような死体だ。

 しかし、アドリアン時代になってからというもの、殺害される人数は少なくなっているのにその方法の残忍さは際立って高まっている。

 誰がどう見ても長時間の苦痛を与えられた事がわかる死体や、生きたまま溶剤に沈められたような死体、あまりに損壊が激しすぎて元は人間なのかどうかすら判別不能のものすらあった。

 

 

「………タマンダーレが耐えられなくなるのも当然では?彼女は確かにユニオンの為に働いていたが…やがて罪悪感に耐えられなくなった。」

 

「セントルイスはあの件に深入りし過ぎていた。彼女は長年アドリアン・セルバンデスと接する内に、思い入れを深めてしまったのだろう。」

 

「それで、担当を変えるために"例の彼女"をインビエルノに送ったのですか?」

 

「いいや、それはまた別の話さ。あの要求はセルバンデス本人からなされたものだった。奴はある準備のために強力な戦力を欲していたからね。我々は…まだセルバンデスの手綱をしっかりと握っていたから、隣国との戦力差を鑑みて彼女を送る事にした。」

 

「待ってください、インビエルノ海軍は南方大陸いちの海軍だったはずですよね?隣国ラプタとの戦力差を鑑みたなら、海軍力に溝が開くとしか…」

 

「…君の言う海軍は、()()()()()()()()海軍かね?()()()海軍か、それとも()()()()()()()海軍か。」

 

 

 老人の言葉にハッとする若手記者。

 そうだ、提督はセルバンデスに反旗を翻した。

 海軍自体は提督に忠実なように作り替えられていたし、もはやセルバンデスを無視して勝手に行動を起こし始めていたのだ。

 セルバンデスの手元にある海軍戦力はセントルイス…タマンダーレだけ。

 それは海軍で最も強力だが、最も数少ない戦力でもあった。

 

 

「………セルバンデスは手持ちの札を増やそうとしていた。」

 

「その通り。奴は海軍をもう2度と取り戻せないと考えていた…少なくとも、元の状態ではね。」

 

「…彼は海軍をどうするつもりだったんですか?」

 

「………。君だって知ってるはずだ。奴は提督の海軍を海の藻屑にしてしまうつもりだったのさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 選挙から5日後

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 確か、マキャベリは民衆を支配するには恐怖を上手く用いなければならないと説いている。

 彼が崇拝するチェザーレ・ボルジアは、ある部下を大衆の目の前に引き摺り出して極めて残虐な方法で処刑した。

 それを見た民衆はチェザーレを恐れ、同時に逆らおうとはしなくなったのだ。

 チェザーレは残虐さの対象を特定の人物にのみ向けたから、関係のないアカの他人が酷い目にあったところで民衆がチェザーレに恨みを抱くこともなかった。

 マキャベリはこの手法を高く評価していたし、私はユニオンの諜報機関でこの手法の有効性を学んだ。

 学んだことを活かした結果、弁護士会は提督の弁護を差し控え始めた。

 このまま上手くいけば、陸軍の訓練が完了するまで提督を拘束しておける。

 

 

 

 既に戦艦『コクレーン』はこちらとの連絡を再開し、白々しくも"無線機の故障"だったと言い訳をし始めたところだった。

 このまま艦長を極刑に処したい気持ちもなくもないが、今は海軍と対決するべきではない。

 今、私の最大の懸念は海軍連中ではなく、ウゴとベラスコ中将に追わせている鉄血の残党の方だった。

 

 

 

 ひとまずの危機は去り、私は就任以来初めて"ひと安心"という気持ちを抱いている。

 ホッとしたせいか腹が鳴ったこの日の昼のこと、タマンダーレが笑顔を浮かべて昼食を持ってきてくれた。

 ルーベンサンドウィッチに温かなチキンスープ。

 香りだけでも楽しめるような食事を持ってきてくれた彼女は、まず初めにこの前のことについて謝意を述べてきた。

 

 

「………あの時はごめんなさい、アドリアン。つい感情的になってしまって…」

 

「私の方こそすいません。タマンダーレさんは私を心配してくれたのに…あんな無下にするような態度を取ってしまって」

 

「いいえ、あなたは自分の立場に忠実であろうとしただけ。…でも、やっぱり一人で抱え込んで欲しくないの。あなたとユニオンの為になるなら、私はいつでも戦える用意がある。どうかそのことを忘れないで?」

 

「…………」

 

「心配してくれるのは分かるけれど、私はこう見えて世界大戦の功労艦なのよ?」

 

「………率直に言います、タマンダーレさん。もし…もし、あなたの手に負えないと判断できる場合は、必ず嘘を吐かずに言ってください。私がそれを咎める事はありませんし、責句を言うつもりもない。ただ…」

 

「私があなたを心配するように、あなたも私のことを心配してくれている…そうでしょう、アドリアン?…うっふふふ、とっても嬉しいわ♪…もちろん、あなた相手に嘘を吐くつもりはないから、どうか安心してちょうだい?」

 

「分かりました。…近々、あなたには出撃を命じなければならないかもしれない。その時は今の言葉をどうかお忘れにならないよう、お願いします。」

 

「もちろんよ、アドリアン。…さぁ、冷めない内に食べましょう。」

 

 

 やはり海軍が敵に回るとなれば、いくら陸軍を増強したところで最後の頼みの綱は彼女と言う事になる。

 この美しく、優しく、柔らかさに富んだ女性を南方大陸で最も強大な戦艦の眼前に繰り出さなければならない。

 そしてその時は刻一刻と迫りつつあったのだ。

 

 

 私は温かなチキンスープに一口掬い上げ、口へと運ぶ。

 きっと膨大な時間をかけて煮込まれたであろうそのスープは本当に美味で、私自身の彼女への思いをより確固なものにした。

 決して、彼女を失いたくないという思いを。

 

 

 正直なところ、私は今の地位を好んではいなかった。

 だが、それを父やユニオンや彼女のせいにして投げ出すことは望まない。

 これは歴史が私に与えた使命なのだから…そう考えるのは、少し思い詰めすぎだろうか?

 

 

「アドリアン、怖い顔してるけれど…」

 

「…!ああ、すいません、少し考え事を。何でもありませんから、どうかご心配なく。」

 

「そう…なら良いけれど…」

 

 

 タマンダーレに顔には未だ後悔の念が混じっているように見えた。

 私という男はどこまで未熟者なのか。

 良い歳して、もう大統領なんてモノにまでなっているのに…育ての親ともいえる女性にこんな顔をさせてしまうとは。

 

 

「本当に心配はいりませんよ。…少なくとも私自身に関しては。まあ、心配事がないわけじゃありませんが…」

 

「…やっぱり、あなたは海軍を解体してしまうつもりなのね?」

 

「残念ながら。提督は海軍を共産主義の手先に作り替えてしまった。思想というものは一度染み付くと中々取れません。……私はある大昔の鉄血の政治家を尊敬しています。」

 

「鉄血の政治家…?」

 

「ええ。バラバラだった鉄血を統一したあの"宰相"ですよ。彼は決して多正面に敵を作ることのないように立ち回った。鉄血が大戦で負けたのはその原則を自分から破ってしまったからです。私は同じ轍を踏むつもりはない。海軍と国内の共産分子を同時に相手にするつもりはありませんよ…連中同士が手を組んでいるなら尚更。」

 

「だから、まずは海軍から叩くのね。…ごめんなさい、心配のしすぎだったわ。あなたはきっと大丈夫。でももし何かあったら、先も言ったように私を頼りにして?…昔みたいに、泣きついてくれても良いのよ?」

 

「はははっ!タマンダーレさん、私はもうそんな歳じゃありませんよ。でも、ありがとうございます。………さて、ご馳走様でした。あなたの手料理は本当に素晴らしい。」

 

「うっふふふ、褒めてもらえて嬉しいわ♪夕ご飯も楽しみにしておいて?…それじゃあ、私は食器を片付けるわね?」

 

「すいません、よろしくお願いします。私は執務に戻らねば。海軍が待ちぼうけしている間に準備を進めなければなりませんからね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 サンドウィッチとスープの昼食が終わると、アドリアン・セルバンデスは再び執務へと戻っていった。

 彼が陸軍の訓練状況を確認し、秘密警察長官に戦犯の行方を尋ねている間、タマンダーレは使用済みの食器を持ってシンクに向かう。

 しかしすぐに食器を洗うわけではなく、彼女は食器を置くとそのスラリとした長い脚を自室の方へと向けた。

 

 自室に至った彼女はそのまま椅子に腰掛けて机に突っ伏す。

 そして何かを悔いているように独り言を呟いた。

 

 

「………何が"大丈夫"なの?…アドリアン、あなたは大丈夫なんかじゃない…大丈夫なわけないじゃない…!」

 

 

 タマンダーレの声色に、少しだけ甲高さが含まれていく。

 口調はまるで誰かを責めるようなモノに変わっていったが、しかし、その矛先は彼女自身に向けられているようだった。

 

 

「あなたをそんな風にしてしまったのは私。…あんなに優しくて、純粋だったあのこを…私はっ……!」

 

 

 悔いるような口調とともに、彼女の強く握られた拳から鮮血が溢れ出る。

 まるで自分自身に罰を与え、傷つけるかのように。

 そうして彼女は、決心をしたようにこう言った。

 

 

「………アドリアン…私があなたを"自由"にするわ…何があっても、絶対に……!」

 



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回帰不能点

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 ラプタとの国境地帯

 

 

 

 

 

 

 

 

 男は考えられる中でも最も最悪な状況にいた。

 何せ20年に渡って自分を追ってきた男たち…"猟兵グループ"…に捕らえられ、手足を縛られた状態で逃げ場のない小屋の中にいる。

 男たちは彼自身への憎悪を隠そうともしていなかったし、既に彼にさまざまな形で暴力を振るっていた。

 顔や身体に多くのアザを浮かべる彼に、男たちを率いているリーダーが問いかける。

 

 

「……ハンス・ルートヴィヒ少佐だな?」

 

「な、何の話だ!私は何もっ」

 

「ふん!」

 

 

 とぼけてみせたところで、やはりリーダーは彼に暴力を振るい続けるだけだった。

 古臭いMP28サブマシンガンの銃床で顔を殴られた彼は、ついに観念して自身こそが彼らの追う男であることを認める。

 

 

「…クソっ!そうだ!私はハンス・ルートヴィヒ!鉄血公国海軍少佐!認識番号N405792…」

 

「…08。少佐、お会いできて光栄だ。我々の同胞を殺戮した男がどんなツラをしているか、一度見てみたかった。」

 

「殺戮だと!?…ふざけるな!私は何も知らない!」

 

「また殴られたいか、少佐。大戦末期のキール港で、お前とその艦隊は我々の同胞をあろう事かコンテナに詰め込んで輸送した!」

 

「コンテナ…まさか、あのコンテナか!?知らなかった!本当だ!アレは国家保安部から依頼されただけで…!」

 

「白々しい!…俺のお袋はあのコンテナに詰められてそれきり帰ってこなかった。代償を払わせてやる!」

 

 

 リーダーが鉄血公国海軍少佐の額に、鉄血公国製のP38の銃口を押し当てる。

 まさか、こんな終わり方になるとは。

 歴戦の海軍軍人であるルートヴィヒ少佐も、今度ばかりは死を覚悟する。

 彼は目を瞑り、最後の祈りとばかりにある人物への想いを馳せた。

 

 "オイゲン、どうか無事でいてくれ…!"

 

 

 

 やがては銃声が少佐の耳をつんざいたが、それは目の前の男が持つ拳銃のそれではなかった。

 彼が恐る恐る目を開けると、リーダーの右胸は赤く染まっていて、リーダー自身は驚きの表情を浮かべている。

 一拍置いてリーダーが崩れ去ると、少佐から見てその背後に現れた男達が、ほかの"猟兵グループ"の隊員たちにサブマシンガンの射撃をくらわせた。

 いくら悪名高い"猟兵グループ"の隊員も突然の急襲にはなす術もなく、次々と銃弾に倒れていく。

 新たな小屋の支配者となった男達は、少佐の姿を認めるとすぐに拘束を解いて肩を貸し、そして彼を立たせた。

 

 

 つい先程まで受けていた扱いとはまるで正反対の扱いに、少佐は困惑する。

 男達は少佐をあくまで丁重に扱っているように見えるし、ユニオン式の装備に身を固める彼らは恐らくインビエルノ陸軍の連中であろう。

 男達が小屋を出て道路まで進むと、そこには1両の高級車が止まっていた。

 恰幅の良い将官がその傍に立っていて、少佐の姿を認めるとドアマンよろしく彼を後部座席へと誘った。

 

 

「はじめまして、ルートヴィヒ少佐。私はインビエルノ陸軍中将のベラスコです。…いやあ、良かった。間一髪であなたを失うところだった。」

 

「……ええ、どうも…私は…救出されたと見るべきですか?」

 

「…少佐、それはあなたの態度次第です。くれぐれも逃げ出そうなどと考えて我々を失望させないでいただきたい。」

 

 

 "その点は心配ありませんよ、中将"

 ハンス・ルートヴィヒ少佐はそう思った。

 先ほどまで縛られていたし、殴られていたし、おまけに底無しに疲れている。

 走って逃げても100mが良いところだろう。

 それ故、少佐はインビエルノ陸軍の連中に従うつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、それは良かった。僥倖だ。素晴らしい働きです、中将。………ええ、ええ、くれぐれもよろしくお願いします。」

 

「少佐を捕らえたのね、アドリアン?」

 

 

 電話を終えた私に、背後からタマンダーレが話しかける。

 私は気が気でなかった作戦が遂に成功した喜びのあまり、回れ右をして彼女に飛びついてしまった。

 

 

「ああ!よかった!よかった!これでユニオンから例の支援を受け取れます!ああ!本当に…素晴らしい!」

 

「うふふふふ、アドリアンは相変わらず甘えん坊ね…いつでも私の胸に戻ってきてくれても良いのよ?」

 

「おおっと、これはすいません…つい…」

 

「謝ることないわ。ほら、疲れてるでしょう?」

 

 

 彼女の大きな胸の柔らかさと良い香り、それに温かな柔肌が後頭部をさする心地良さ。

 こんな場面を誰かに見られたら目も当てられないが、しかしこの誘惑に私はもうしばらく打ち勝てそうにない。

 こうして彼女の存在を実感すると、今回の成功は格別に嬉しくも思える。

 しばらく彼女の温かさに癒されていると、タマンダーレはこちらに問いかけてきた。

 

 

「……ねえ、アドリアン?あなたがあの戦犯を捕らえた事で、中央情報局は何をしてくれるの?」

 

「中央情報局はあるKAN-SENを永年監禁していました。本来は15年前の核実験で標的艦として使用される予定だったそうですが、同時期に中央情報局はKAN-SENに対する尋問法を模索していました。そのKAN-SENが生き残ったのは、中央情報局の実験に適していたからに他なりません。」

 

「酷い話………」

 

「ええ。しかし、これで彼女も監禁施設から出てこれる。そうすれば…そうすれば私は………」

 

「…アドリアン、もしかしてあなた…私のために……」

 

「………タマンダーレさん、あなたを信頼していないわけじゃない。これは本当です。でも…私はあなたを失うかもしれない状況に投入したくはない。それに、この前言った通り、残念ながらあなた1人では荷が重すぎる。」

 

「………」

 

「すいません…あなたの実力を疑っていると思われても仕方ないですね…」

 

「…あなたは本当に優しい子なのね、アドリアン。私の事をちゃんと考えてくれていた…本当の本当に嬉しいわ。」

 

「………」

 

「でもね、アドリアン。そのKAN-SENがどんな子かは分からないけれど…きっと、彼女1人でも荷が重いのは事実。やっぱり私も頼らないといけない…そうでしょう?」

 

「………はい…」

 

「私なら大丈夫だから、せめてその子の援護を命じてちょうだい。…あなたは長い間監禁されてた可哀想なKAN-SENに過酷な命令を強いるような、酷い子ではないでしょう?」

 

「………」

 

 

 タマンダーレの言う通りなだけ、私には気が重くなるような事実だった。

 本心を言うと新任のKAN-SEN1人でやってもらいたい、タマンダーレには何があろうと私の側にいて欲しいのだが…しかし、海軍を無力化するとなると、タマンダーレ1人で相手にするのと同じくらい無理のある話になってしまう。

 こちらの手札はタマンダーレと新しいKAN-SENの2枚だけ。

 1枚ずつ出し惜しみすれば、たちまち両方の手札を失うことになるだろう。

 

 

「…すいません、タマンダーレさん。よろしくお願いします。」

 

「ええ、任せてアドリアン。」

 

 

 世界大戦で彼女達を率いた指揮官達はどんな想いで彼女達を送り出したのだろう?

 こんなに暖かくて素敵な女性を危険地帯…それもレッドアクシズの指揮官達は殊更に絶望的な状況にあった…に送り出す事をどう思ったのだろうか?

 

 もし父が生きていたら、私はきっと2時間くらいの説教を食らっていた事だろう。

 父にとってはタマンダーレも『コクレーン』と変わらない兵器でしかなかった。

 だから彼女への命令に何の躊躇もなかったはずだ。

 でも私はそうはいかない。

 何故なら彼女は私にとって格別の存在だからだ。

 

 

「………必ず…必ず、何があっても生きて帰ってきてください。最も優先度の高い目標は、あなたが生存して帰ってくる事です。海軍ならまた潰せる。だから…」

 

「!…………うっふふふ、ええ、ええ、分かっているわ、アドリアン………あなたはまだ"戻れそう"ね…よかった…

 

 

 彼女が一瞬驚きの表情を浮かべ、次いで頬を緩ませて小声で何かを言った。

 私にはよく聞き取れなかったが、彼女の安堵の表情を見るに、私が父よりも彼女を丁重に扱ったことが嬉しかったのかもしれない。

 

 

「さて、アドリアン。今日の夕ご飯はあなたの大好きなプライム・リブよ?」

 

「………!」

 

「…あら?オイスター・ロックフェラーの方が良かった?」

 

「いえ、いえ!ありがとうございます、タマンダーレさん!」

 

「もぅ!よそよそしいわ!いい加減、タマンダーレって呼んでくれてもいいじゃない。」

 

「あははは………ありがとう、タマンダーレ」

 

「うん、Good。それじゃ、私は夕ご飯の準備をしてくるわ。」

 

 

 タマンダーレが私から離れて回れ右をしてキッチンへと向かっていく。

 彼女が優美に歩んでいく後ろ姿を見送りながら、私は彼女を投入する上で万全の体制を構築するための準備に取り掛かる。

 

 私が敬愛してやまない鉄血の"ある宰相"には有能な軍人がいた。

 まだ新興国だった鉄血が当時の覇権国家と争うことになった際、さすがの宰相も不安に苛まれていたらしい。

 開戦の当日、作戦が気が気でなかった宰相はいつもの癖で葉巻を吸い始めた。

 傍には作戦の立案者たるその軍人が控えていて、宰相は軍人も同様の気分に違いないと葉巻を差し出したのだ。

 

 軍人は宰相から差し出されたケースを見て、葉巻の選り好みを始めた。

 その時宰相は初めて、この戦争で落ち着きを取り戻したという。

 曰く、「作戦を立てた人間が葉巻の選り好みをするほど冷静ならば、きっと大丈夫だ」と。

 

 結果として、宰相の考えは安直ではなかった。

 鉄血は覇権国家を撃ち破ったのだ。

 ここから分かることがあるとすれば、その作戦は実際に始める前にすでにカタがついていたということだろう。

 柔軟な思考や奇を衒うような発想で打ち勝つような手はあくまで2番手であり、最上の軍事作戦とは始める前から結果が分かっているほど、周到な準備の上に着実に組み上げられたものではなかろうか。

 

 

 顧みて、私が海軍に立ち向かうならどのような準備を進めなければならないか。

 新しいKAN-SENは強力な戦闘力を保障しているし、ユニオンの支援によって陸軍は急速に戦力を整えている。

 単純に考えるならば、軍事的勝利を得られるだけの条件は揃いつつあった。

 だが注意深く周囲を見渡すならば、どうにも気にかかる点がある。

 

 

 前回の選挙において、私の得票数は3割に過ぎないものだった。

 国民の多くは提督に同情したし、恐らく提督の狙いはそこであろう。

 クーデターとその体制維持にはどのような形であれ国民の支持が不可欠であり、だからこそ提督は選挙でわざと負けるような真似をしたのだ。

『国を憂うあまり冷酷な独裁者に貶された提督』

 単純思考の国民共はコロりと騙される。

 

 私は執務室のデスクに向かい、電話機の受話器を手に取った。

 そしてそのままある番号に電話を繋げる。

 幸いな事に、電話の相手はすぐに出た。

 

 

「………ああ、ウゴ。ルートヴィヒ少佐の件はご苦労様でした。よくやってくれましたよ、本当にありがとう。……ところで、あなたにはもう一つやってもらいたい事があります。我々は提督と戦う前に国民共を締め上げねばならない………ええ、はい。特に貧困層から何家族か抽出してください。連中にとって提督は迎合しやすい存在でしょうから。……ええ、ええ、そうです。…ああ、そうですね。例のスタジアムを使うのはどうでしょう?」

 

 



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同じ穴の狢

 

 

 

 

 インビエルノ首都

 市場

 

 

 

 

 

 

 

 

 木を隠すなら何処がいい?

 それなら勿論森の中。

 

 陸軍航空隊のP47戦闘機は丁寧な仕事をしたが、あの野営地にいた危険分子を全員排除できたわけではなかった。

 現に共産ゲリラの一員であるアマンダは首都に身を潜めて、未だに息を吸ったり吐いたりしている。

 警備塔の下でどうにか空襲をやり過ごしたアマンダは、そのあとほうほうの体でそこから這いずり出て、この国で最も人口の多い首都へとやってきた。

 先の格言に沿って、独裁体制下のインビエルノでは隠れ共産主義者達の本部はあくまで首都に設けられていたからだ。

 人が多ければ隠れ場所は尚更多いのだから。

 

 それに、元はといえばインビエルノの共産主義が発祥したのも首都であった。

 短命に終わった共産政権を打ち立てた男は、元々は首都で富裕層達の主治医をしていたのだから。

 高血糖値に悩まされた富裕層が彼の病院を尋ねる間、通りの一本向こう側では乳幼児が栄養失調に苦しんでいた。

 彼はその現実に耐えられなかったのだろう。

 残念なことに、こういった光景はアルバロ時代を経た今も尚変わっていない。

 

 

 インビエルノ共産党の残党達はアルバロの死後、農村部の貧しい農民達を味方につけようとした。

 彼らの生産する農作物はユニオンの大企業に安く買い叩かれ、収益は13家族などの大地主や大統領の政府に吸い上げられていたからだ。

 だが存外農民達は保守的…いや、アマンダに言わせれば"立ち上がる気のない腰抜け共"だったのである。

 P47に殺されたリーダーは、「今までアルバロの恐怖政治体制に縛られていただけで、いずれ彼らも我々に加わる」なんて言っていた。

 "アンタのアテは大外れだったな"……彼女はそう思いながら、今日の密会のために市場を通り抜けているところだ。

 

 

 密会相手は隣国プラタの共産党員だ。

 プラタでは未だに古臭い封建主義体制が幅を利かせていて、国王は国民の不満をどこか外側へ向けられないかと腐心している。

 彼はインビエルノの独裁体制にそれを求めて体制への批判を繰り返しているが、アルバロやその息子は何らの反応もしていない。

 

 恐らくは、セルバンデス父子は国内の共産主義者狩りに夢中だからだろう。

 アルバロは陸軍をあまり信用していなかったから、大規模な山狩りというものをしたことがなかった。

 彼の関心は、専ら都市部だったのだ。

 アマンダ達が活動の中心を農村部に移した一因でもあるが、アドリアンが跡をついでからは陸軍の大規模掃討作戦が相次いでいる。

 指導者層を含む多くの犠牲を強いられた結果、インビエルノ共産党の残党達は再び活動の中心を都市部へと移そうとしていた。

 そして掃討作戦で失ったもの…その多くは武器や弾薬であった…を取り戻すためにも、隣国の同志達の手を借りようというのである。

 プラタ国王の宣伝工作は限界を迎えつつあり、プラタ共産党は勢いづいていた。

 国王の背後から戦力を送り込めば、古臭い体制は崩れ去るかもしれない。

 隣国で共産主義政権を獲得できれば、次はインビエルノの解放というわけだ。

 

 

 それにしても。

 アドリアンが政権を掌握してから、街の警官の数は目に見えて増えている。

 特にあの馬鹿馬鹿しい"普通選挙"が終わってからは特に。

 海軍連中はしくじったようで、アドリアンは連中の目的に感づいたに違いない。

 先ほどもM24軽戦車1両とM41軽戦車2両が市場の近くにあるナショナルスタジアムへと向かっていた。

 

 物々しい雰囲気の中、彼女はこの南方大陸に照りつける紫外線から素肌を守るために周囲の女性がそうしているのと同じように、ベールで頭の大半を隠している。

 あの共産党リーダーの側にいたのだから、オンディビエラの秘密警察に顔が割れていてもおかしくはない。

 だからこの習慣はありがたいし、しかしそれでも彼女は下を向いて歩いている。

 無用なリスクは犯すものじゃない。

 だが、それでも警官の警笛が耳をつんざいた時、彼女は一瞬固まってしまった。

 

 

「そこから動くな!止まれ!」

 

 

 まさか、バレた?

 そう思った彼女は警笛の鳴った方を見る。

 すると、スタジアムの方から1人の青年が市場の方へと逃げてくるのが見えた。

 3人の巡査と1人の巡査部長がクラッグ・ヨルゲンセン銃を手に彼を追いかけている。

 

 

「止まれ!止まるんだ!止まらなければ撃つ!」

 

「いやだ!やめてくれ!俺が何をしたってんだ!」

 

 

 やがて巡査の1人が立ち止まって膝をつき、ライフル銃を構えて1発発砲する。

 銃弾は青年の肩を捉え、彼は路上に雑巾のように転がった。

 4人の警官は彼の側まで駆け寄ってくると、"よくも走らせやがって"とばかりに足蹴をくらわせた。

 

 アマンダは青年をよく注視する。

 穴だらけのシャツ、擦り切れたズボン。

 そして靴を履いていない両足。

 恐らくはスラム街にいる貧困層の出身者だろう。

 

 巡査部長は一通りの暴行を終えると、彼の傍に立って文章を取り出した。

 

 

「被告人チュチョ・ビジャルレアル!貴様には共産主義活動に関与した疑いが掛けられている!」

 

「や、やめろ!俺は共産主義者じゃない!」

 

「長官の命令により、共産主義活動を行う者は厳罰に処せられる!よって!」

 

 

 巡査の1人がライフル銃を青年の後頭部に突きつけた。

 青年はもはやなりふり構っていられない。

 

 

「何故なんだ!俺は共産主義者じゃない、信じて___」

 

「撃てッ!」

 

 

 ライフル銃の凄まじい銃声が、市場全体にこだました。

 7.62ミリの銃弾に頭を砕かれた青年は"青年だったもの"になり、巡査部長がその死体を踏みつけて、周囲にいた野次馬達に宣言する。

 

 

「見ての通りだ!この国を蝕む共産主義者は1人残らず処刑する!もしこの中に共産主義者がいるのであれば、そう遠くない日に我々が手を下すだろう!覚悟しておけ!」

 

 

 アマンダは警官達に悟られないように、静かにその場から立ち去った。

 だが足取りは怒りのあまり早足になっていく。

 

 彼女の知る限り、インビエルノ共産党の残党はまだ都市部での再活動を開始していない。

 "何が共産主義者だ"

 "何が疑いだ"

 あの青年は共産主義者どころか政治思想さえ知りもしない。

 単に濡れ衣を着せられたに過ぎないし、そして恐らくはそれを承知の上で殺された。

 

 アドリアン・セルバンデス、アルバロ以上のクソ野郎!

 いつか絶対に代償を払わせてやる!

 

 彼女はそう思いながら、さらに足取りを早めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

「貴国は国内に共産主義者の活動拠点をいくつも抱えており、その上我が王の神聖なる土地への侵入を許している!」

 

「はぁ」

 

「貴国の体制による摘発は不十分であり、我が国の損失は計り知れない!」

 

「はぁ」

 

「賠償は要求しないが、今後も貴国の対応に何らの変化も見られず共産主義者の薄汚れた手が貴国から我が王室に及ぶような事があれば相応しい措置を取る用意がある!」

 

「はぁ」

 

「………以上が、国王陛下からのメッセージになります。」

 

「大使殿」

 

「はい」

 

()()()()()

 

「ああ、これは。お気遣いありがとうございます。」

 

 

 対面のプラタの駐インビエルノ大使はそういってこちらに感謝の意を表した。

 私といえば席に座り、この日の少し遅めな朝食を食べているところ。

 例によってタマンダーレが焼き上げてくれたユニオン産バターたっぷりのマフィンに、カリフォルニアから空輸したイチゴとブラウンシュガーを使った彼女お手製のジャムを塗って食べていた。

 対面の席に座る大使殿の目の前にも白いプレートがあり、まもなくタマンダーレが追加のマフィンを焼き上げて持ってきてくれる事だろう。

 

 

「……申し訳ありません、大統領。このような内容をお伝えするというのに…このようなお気遣いまでいただいて…」

 

「いえいえ、大使殿。先ほどの文章は"定型文"だ。そうですね?」

 

「ええ、まったくその通りです。我々はあなた方を本当に非難したいわけでも、ましてや攻撃したいわけでもない。ただ…情けないことに、国内情勢はもう限界です。国民には捌け口を与えませんと。」

 

「心中お察し致します。父からも伺っていましたので、私も気にしておりません。ユニオンの中央情報局からも指示がありましたから。」

 

「お父上はお気の毒でした。…しかし、良い御子息を持たれましたな。あなたのような話の分かる指導者は中々いない。…まあ、それにしても"このこと"が市井にでも知られればお笑い草ですな。」

 

 

 大使の言葉に、私はつい吹き出しそうになる。

 彼の言う通り本当にお笑い草だ。

 

 プラタ国王は国内の不満を外側に向けさせるために我々を非難しているが、この行為は国王の独断ではなくユニオン中央情報局の許可の下行われている施策である。

 この時代にあっても絶対王政を掲げる国王にとって共産主義は不倶戴天の敵であり、とても存在を許せるものではない。

 敵の敵は味方、つまりそういうことで中央情報局と私と国王は表向きは関係ないフリをしているものの、裏では密接な協力関係にある

 だから先ほど大使が述べた長口上もある種の宣伝に過ぎないことも知っているし、私がこれから大使にしようとしている"お願い事"も承諾されると見込んでいた。

 

 

「アドリアン、お客様の分が出来たわ」

 

「ありがとう、タマンダーレ。」

 

「あら!ようやくその呼び方に慣れてきたのね?うっふふふ!嬉しいわ!…さて、大使様。どうぞお召し上がりになってください。」

 

「ああ!これはこれは!…いやぁ、しかしなんともお美しい…KAN-SENが海の女神と呼ばれる理由も分かりますな。」

 

「KAN-SENといえば、プラタ海軍も軽巡級KAN-SENの導入を進めるようですね?」

 

「はい。既にユニオンからの承諾は得ております。最近は共産主義者の活動が活発化しておりますが、良い抑止力になるかと。」

 

「だと良いのですが、噂によると国王陛下は例の諸島を巡ってロイヤルと事を構える予定だとか…」

 

「……実を言うと、残念ながらその噂話は否定できません。あなた方に不満の矛先を向け続けるのにも限界があります。国民は国王に行動を求めている。特に新領土の獲得となれば、国民の離反を防げますからな。」

 

「あまりそちらの内政に口出しはしたくはありませんが、もう少し熟慮を重ねるべきでしょう。いくらロイヤルの海軍力が低下の傾向にあるといっても、彼らは旧列強…それもその筆頭です。」

 

「その点に関しては私も同意見ですが…陛下は最近そこまで追い詰められているのです。」

 

「………もし貴国とロイヤルが事を構えても、我々は中立を保持します。あなた方を攻撃しないが、支援もできない。恐らくユニオンもその立場でしょう。申し訳ない。」

 

「いえ、背後からの攻撃の心配がないだけありがたい限りですよ。」

 

「その代わり、今後我が国でどのような内乱が起きても…プラタ海軍には不介入を貫いていただきたい。」

 

「!………例の話は本当でしたか!…たしかに中央情報局から情報は寄せられておりましたが…」

 

「不介入の指示もあった、そうですね?」

 

「ええ、はい。」

 

()()()()()、よろしくお願いします。」

 

 

 威圧を込めたつもりはなかったが、大使は少し身を後ろに逸らしたように見えた。

 恐らくはタマンダーレが私の肩に両手を乗せて、意味ありげな笑みを大使に向けたからだろう。

 

 私は今回自分の海軍を潰すことにした。

 新任のKAN-SENが来るにしろ、戦力は多少なりとも低下するし隙は生まれてくる。

 プラタ海軍が行動を起こせば簡単に戦果を挙げられるだろう。

 だがユニオンは南方大陸で無用な国際紛争が起きて、共産勢力が増長する隙が生まれる事を歓迎しない。

 ベラスコ中将は陸軍強化のためにラプタの脅威を述べていたが、そもそも現体制でインビエルノとプラタの間に戦争などありえないのだ。

 だからこそラプタ政府に不介入の指示を出したし、ユニオンの指示に背けばどうなるか…それはタマンダーレの笑顔が指し示している。

 "私達(ユニオン)この子(アドリアン)の側に着くわよ?"…と。

 

 

 やがて朝食を終えて、大使を宮殿から送り出す。

 私は改めてタマンダーレにお礼を言って、早速執務室に入って仕事を始めた。

 さて、と。

 新戦力を手配し、陸軍を強化し、背後を固めてユニオンの許可を得た。

 残る仕事は………

 

 

 その時、遠くから…正確には、建造中止となった市内のナショナル・スタジアムの方から…機関銃の連射音がかすかに聞こえた気がした。

 

 

 ……ああ、良かった。

 最後の問題も片付いたに違いない。

 

 

 

 

 



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パラノイアの先触れ

あれこの共産政権どこかで見たような…
チリ?そんな国ちやないちやない


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラッキー・ルーことセントルイス…即ちタマンダーレがどこでこんな料理技術の数々を身につけてきたかは分からない。

 彼女は華美なチャイナドレスに身を包み、私の目の前で北京鍋を使ってユニオン風東煌料理を調理している。

 その腕前はもはや見惚れるものすらあり、作り出される料理の味を保証していた。

 

 

「…世界大戦が終わってこの国へ来る前に、私は復員作戦に従事していたの。東煌や重桜から、祖国の兵士たちを帰国させるための船団を護送していたわ。当然東煌の港に停泊する時もあって、このチャイナドレスや調理法はその時に得たものよ。」

 

 

 世界大戦後の復員作戦か。

 私の父親、アルバロ・セルバンデスがユニオン中央情報局と接触したのはだいたいそのくらいの時期になる。

 

 

 

 

 共産政権が試みたのは、インビエルノ経済の大転換だった。

 当時のインビエルノも今と変わらず農作物や地下資源をユニオン企業に安く買い叩かれ、まるで植民地の体を成していた。

 政治にまるで無関心だった国王は国民から怒りを招いて失脚、その後の普通選挙で選出されたあの医師は国内産業の育成に主眼を置いたのだ。

 

 

 それは植民地時代からの脱却とも取れる政策であった。

 農地や鉱山は国有化され、ユニオン企業は不当な価格でインビエルノの資源を買い漁ることができなくなり、同時に海外からの輸入品に対する関税は引き上げられた。

 共産政権は次いで国家備蓄を国内の工業へと注ぎ込み始める。

 国有化した鉱山や農地から得られる資源を活用し、自国内の需要を自国で満たせるよう計画的な開発に着手した。

 

 彼の目標は国内を現在の惨状から救い出すことであった。

 高血糖値に悩まされ続ける13家族のような"特権階級"と、路地裏で飢餓に苦しむ人々の差を出来るだけ埋めようとしていた。

 当然この国の国民の多くは彼に期待していたし、馴染みのない政治思想に政権を握らせさえしたのだ。

 彼もその期待に応えんと必死だったに違いない。

 

 

 そして、だからこそ、その失敗に対する失望は大きかった。

 

 

 

 結果的には国有化した鉱山や農地は思うような生産性を維持できず、よってせっかく国家備蓄を注ぎ込んだ工業施設は遅々として稼働しなかった。

 更には輸入品に高い関税をかけた事から、やがて国中が物資不足に喘ぐようになる。

 これらの結果あの医師は国民から失望され、遂には見放されるようになるわけだが………

 

 これには当然、私の父や中央情報局が一枚噛んでいた。

 

 

 中央情報局にはあの医師が何を目的にしているにせよ、共産政権自体がアレルゲンのようなものだった。

 彼らは野心旺盛でユニオン海軍士官学校への留学経験もあるアルバロ・セルバンデスに白羽の矢を立てて、クーデターに向けた準備を始めさせる。

 ユニオン企業は"義援金"を出し合って父に与え、父はそれを海軍連中と分け合う事で海軍の実権を掌握していった。

 

 インビエルノ海軍は、共産主義政権が輸入品に高関税をかけた事を逆手に取り、自国の商船への臨検を頻発させるようになった。

 勿論、海軍は国内の物資不足の惨状を知っていたし、知った上で過剰なまでの取り締まりを行なったのだ。

 海軍、いや父の狙いは国民をあの医師から離反させる事で、やがては父の目論見通り国内の共産政権への反発は加速していった。

 

 更に、中央情報局は資源調達の生産効率の低下にも関与している。

 13家族は特権を手放す事を嫌い、中央情報局の助言を元にサボタージュを始めた。

 これまで農地運用のノウハウがあったのは13家族くらいなものだったから、彼らが消極的な姿勢になるだけで生産効率が落ちるのは当たり前だったのだ。

 勿論、13家族の収入は落ち込んだが、ユニオン企業が"義援金"によってバックアップを提供していた。

 例え農地が荒地になったところで、彼らがしばらく困る事もなかったのだ。

 

 また鉱山にしてもそれまで開発をしていたのはユニオン企業である。

 共産政権が鉱山の国有化を決めた時、ユニオン企業はネジの一本さえ置いては行かなかった。

 ただでさえ開発ノウハウもないのに機材までないとならばお手上げだろう。

 中央情報局からも要請を受けていた彼らは、共産政権がどれだけの報酬を提示して機材の借用や技術者の雇用を要請したところで返答すらしなかったのだ。

 

 

 追い詰められた共産政権は仕方なく北方連合への接近を試みざるを得なくなっていった。

 ユニオンからの助けが得られない以上、もう一つの超大国を頼らざるを得ないからだ。

 しかし、その行為は彼が共産主義思想の本質を把握しているかしていないかといった問題以前に、父のような野心ある軍人によるクーデターの格好の口実になるというところまで……きっと想像できなかったのだろう。

 

 中央情報局、更にはユニオン政府からお墨付きを貰った父はクーデターを敢行した。

 あとは知っての通り。

 共産主義者の拠点は海軍に潰され、タマンダーレもその一員として沿岸部の砲撃に従事した。

 その後は陸軍が大統領宮殿に雪崩れ込んであの医師を連れ出し、全国生中継ラジオ放送の中処刑したのだった。

 

 

 こうして南方大陸初の共産政権は短期間でその命を終え、インビエルノはまた植民地時代へと逆戻りして今に至る。

 

 

 確かに、私はその手に国家の命運さえ握っているのかもしれない。

 だが、それをどうにかしようとは思わなかった。

 率直に言ってしまえば、この国の国民共がどうなっていようと私には他人事にしか思えないのだ。

 

 本当なら大統領なんて職につくべきではないし、良心があるなら今すぐ辞表を書いてどこかへ亡命すべきだろう。

 ではそれは決して現実的な事ではない。

 少なくとも私は、父と中央情報局があの共産政権と国民共に対して何をしてきたか知り過ぎているほど知っている。

 中央情報局がそんな人物をただただ見送るとは思えない。

 それにタマンダーレ………私は彼女を失いたくないのだ。

 

 私が彼女を引き止められる理由は、この国の大統領であり、ユニオンの前哨として働いている事だろう。

 その地位を失えば彼女はすぐにユニオンに帰るか、或いは彼女の意思がどうであろうが中央情報局は彼女の任を解く。

 私は失意のどん底で、惨めに死んでいくことになる。

 

 

 実際のところ、彼女自身はどうなのだろう?

 彼女は私を慕ってくれてるのだろうか?

 それとも任務に忠実なだけなのだろうか?

 あの笑顔は本物の笑顔なのだろうか?

 それとも私に任務を遂行させるための演技だろうか?

 料理を作ってくれるのは私があくまで駒として働いてるから?

 そもそも彼女を信じていいのか?

 中央情報局は?

 ユニオンは?

 身内だって信じられる連中か?

 ウゴは共産主義者を狩終えたらどうする?

 ベラスコがクーデターを起こさないと誰が保証する?

 私は罠にハマっているのか?周囲の皆は私を陥れようとしてるんじゃないか?もしかして味方はいないんじゃないか?提督の叛逆を間近に見ながら楽観が過ぎやしないか?誰が裏切り者なんだ?信じていい人間なんて1人もいないんじゃないか?誰が私を殺そうとしているんだ?父のようにパンツァーファウトで爆殺しようとしてるのか?それとも背後から刺殺される?或いはスナイパーライフルで狙撃?タマンダーレの料理に誰かが毒を盛る?殺すされる?殺されるのか?こんなところで?嫌だ嫌だいやだイヤダイヤダこんなところで死ねるか先に殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺してころしてコロシテ殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺…

 

 

「アドリアン!」

 

 

 ハッとして前を向くと、タマンダーレがもう調理を終えていて、席に座る私の前の机には美味しそうなフライドライスやオレンジチキン、モンゴリアンビーフが並んでいる。

 それらの料理を眺めていると、額から脂汗が流れ落ちてきて目に入った。

 痛みに顔を顰めつつハンカチを取り出すと、例によってタマンダーレがこちらへと近寄ってくる。

 

 

「………アドリアン?…あなた………」

 

「な、ななななんでもない、なんでもないんだ、タマンダーレ…」

 

「顔が青いわ…それに凄い汗…何でもないわけないじゃない!」

 

「ほ、本当に大丈夫ですから!」

 

 

 彼女が何かを取り出して手を掲げたので、私の体は咄嗟の防御姿勢を取ると同時に、右手は勝手にタマンダーレから贈られた45口径の握把を握っていた。

 タマンダーレはそんな私を見て、いよいよ心配そうな顔をしている。

 

 

「いいえ、大丈夫じゃない。アドリアン、今日はもう休みましょう。」

 

「ダメだ、ダメです、タマンダーレ、私にはまだやる事が…やらないといけない事が…」

 

「あなたが今やらなければならないのは、一息つく事よ?…きっと、就任から休みもなしに働いて、提督の裏切りにもあったから精神が不安定になっているの。」

 

「大丈夫です、わわわ私が、コレをやり遂げないと………あなたや中央情報局に…………私は見捨てられる」

 

「バカ言わないでッ!!!」

 

 

 タマンダーレが私を強く抱擁する。

 もう何度目かも分からないその行動が、何を私に伝えようとしているかは嫌でもよくわかった。

 "落ち着いて"

 彼女は行動を持って、どんな言語よりも雄弁に私にそう伝えたのだ。

 

 

「私があなたを見捨てるなんて!どうしてそんな事を言うの!?」

 

「………」

 

「そんな事するわけないじゃない!…いい?ひとつだけハッキリと言っておくわね、アドリアン。私があなたと一緒にいるのは、"あなたが大統領"だから、じゃない。"あなたがあなた"だからこそ、私はあなたの側にいるのよ?」

 

「………うっ…ぐすっ…すいません、タマンダーレさん……」

 

「……辛かったわね。どうか私にだけは、ありのままのあなたを曝け出して。そうしないと、あなたは本当に手遅れになってしまう。」

 

「………」

 

「今日はもうお休み。あなたはあまりに疲れてる。お料理を食べて、ゆっくりお風呂に入って…そうだ。今日は私と一緒に寝ましょう…昔みたいに。」

 

 

 彼女の魅惑的なプロポーションなら、如何わしい想像に至っても無理はないものの、正直私はそれどころではなかった。

 何かと何かの歪みが一気に出たような……自分が自分でなくなるような……何というか……上手くは言い表せないが、心の支えの最後の部分を失ってしまいそうな気分になっている。

 おかげで大切な大切な人を傷つけてしまったし、もう彼女の言うように今日は休みを取った方が良いのだろう。

 

 どちらにせよ、私は彼女の胸に顔を埋めて泣きながら頷く事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

「アドリアンはこのまま行けば冷酷極まりない人間になってしまう…いえ、もう既になりつつある。彼の心はもう限界よ。彼が猜疑心の塊になってしまえば、この国の国民にどう接するかは分かるでしょう!?」

 

『だからどうしたんだ、セントルイス。我々の方針に変更はない。君は彼に深入りし過ぎている。』

 

 

 アドリアン・セルバンデスが入浴している間に、タマンダーレことセントルイスは知人に国際電話をかけていた。

 彼女は懇願に近い声色で訴えるが、相手はまるで気に留めていない。

 

 

『アドリアンは我々の手駒でさえあれば良い。奴が精神に異常をきたして使えなくなるなら、切り捨てて次の候補者を擁立するまでだ。』

 

「そんなっ…」

 

『それが嫌なら君が彼をしっかりとコントロールしろ。南方大陸の防衛は君にかかっているんだぞ?』

 

「………ねえ、ライリー…きっとルルだって、こんな事望んでいないわ…彼女なら」

 

『ッ!………ルルの話はもう2度とするなッ!通信は以上だ、オーバーッ!』

 

 

 電話は一方的に切られ、受話器からはツー、ツーという無情な電子音が響く。

 タマンダーレは静かに受話器を置いた。

 



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幕間

 

 

 

 

 

 現在

 ユニオン

 首都

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その老人、ジャック・ライリーはもう4杯目のエスプレッソを楽しんでいたが、彼の表情に何らの悔いも見て取れない事は、若手の新聞記者でも容易に見てとれる。

 記者の見る限り、ライリーは自身の行いを恥じているどころか誇っているようにすら見えた。

 その心は揺らぐことのない山のようで、かのアドリアン・セルバンデスを背後から操って大勢を死に至らしめた事も、どうやら彼にとっては"良き思い出"に過ぎないらしい。

 そんな彼を見て、記者はこの冷血漢に少しだけ意地悪をしたくなっていた。

 余裕のある態度でエスプレッソを楽しみ続けるこの男の表情が崩れるのを見たいという願望を、"切り口を変える"という薄っぺらい理由で包んで突き出したのだ。

 

 

「……ライリーさん、あなたは世界大戦中に海軍に所属し、太平洋方面で重桜と戦っていた。」

 

 

 エスプレッソのカップを持った手がピタリと止まった。

 老人は初めて表情を硬らせて冷たい瞳を記者の方へと向ける。

 記者は少々気圧されたが、それも長くはなく、老人の顔はすぐに元の柔らかな微笑みに戻った。

 

 

「…その通り。どうやら私の事はよく調べたようだね?」

 

「ええ、"仕事柄"」

 

「なら、私が何をしたかも知っているはずだ。何をやらかして、何を失ったかも。」

 

「………あなたの艦隊は太平洋における重桜の輸送艦隊を阻害する任務を受けた。結果的に発生したのがクラ湾とコロンバンガラの戦いです。」

 

「………」

 

「あなたは新任の指揮官だったが、部下の1人とは既に結ばれていた。相手はブルックリン級軽巡洋艦のホノルル、セントルイスの姉妹だ。」

 

「………」

 

「ところがあなたはクラ湾でセントルイスの妹であるヘレナを、コロンバンガラではあなたの妻でもあるホノルルを立て続けに失った。…教えてください、あなたが冷酷になったのは彼女の喪失が原因ですか?」

 

「………」

 

 

 ライリーは記者の質問に答えもせずにただただ表情を崩していくだけだった。

 それが記者の加虐精神を煽り立てる。

 この冷酷な諜報員の厚い仮面を引き剥がしてやろう。

 その想いに駆られた記者の言葉は熱を帯び始めた。

 まるで、ライリーの"被害者達"を代弁するかのように。

 

 

「どうなんです?あなたがセントルイスをアドリアン・セルバンデスの元に送り込んだのは、間近にいながら妻を守れなかった彼女への当てつけでは?」

 

「………」

 

「それどころかあなたは妻を喪った失意からくる怒りを職務に向けた。情報局に籍を移したあなたは敵への憎しみを糧にして出世を進めていったんだ。」

 

「………」

 

「やがて南方大陸方面の責任者に上り詰めたあなたは、引き続き癒えることのない悲しみをエネルギーに変換し続けた。どんな気分でした?気は晴れましたか?あなたの、ねじ曲がってしまった精神が生み出した大勢の犠牲者に対して…今はどう思ってます?」

 

 

 ライリーは引き続き黙っていたが、やがて突如として顔に笑みを浮かべる。

 記者は度肝を抜かれてたじろいた。

 "この男、狂ってるのか?"

 

 

「………どうだ、楽しいだろう?相手を調べ上げ、心理を弄び、自分の思ったとおりに操る。私や君のような人間には数少ない"職務上の"娯楽さ。」

 

「な、なにを」

 

O()B()()()()、君に幾つかアドバイスがある。1つ目、目標達成を目の前にしたからといって熱中しない事。君の目的が達成される時…特に容易に達成される時には、敵は必ず罠を仕掛けている。どんな時も冷静に、これは鉄則だ。」

 

「………」

 

「2つ目、"若手記者"などという偽装身分を使うならもう少し慎重にやりたまえ。特に、アンダーソンなんていうありきたりな名前は使うな。名前は君の偽装身分に経歴を与える。私が君の立場ならヒスパニック系の名前を使っただろうな。それから、セットでも何でも良いから"社宅の応接室"を用意しておくべきだった…こんな所で機密に纏わる話をしたがる情報局の人間はいない。」

 

「………」

 

 

 今度は記者が押し黙る番だった。

 彼は口を開いたまま微動だにできずにいる。

 しかしながら、彼は今ハッキリと理解していた。

 自分からとんでもない沼にはまり込んでしまったことを。

 知らず知らずのうちに、この狡猾な老人の罠に肩まで浸かっていたことを。

 

 

「そして最後に3つ目。相手のことをよく調べているのが自分だけだとは思わないことだ。"こちらが深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている"。勿論、聞き覚えはあるだろう?」

 

 

 老人はゆっくりと片手を挙げてパチンと指を鳴らした。

 先ほどまでの雑踏が嘘のように立ち消え、老人と"記者"の周りにいた全ての人々が彼らの方を向く。

 そうして、"記者"はようやっと初めて悟った。

 この老人は彼の正体を知っていて、それがどんな人物で、もしかすると自身に危険が迫るかもしれないということも知った上で彼の質問に答えていたのだ。

 

 

「…彼らには必要ないと言ったんだが、私は中々の人気者なようでね。心配してこんな事までしてくれた。…なぁ、君。いい加減私の方からも質問させてもらえないかな?」

 

 

 "記者"の額を、一筋の汗が走る。

 彼は今自分が逃げようのない罠の中に閉じ込められたことを知った。

 だからこそ、この対話を続ける他に道はない。

 

 

「…何でしょう、ライリーさん。」

 

「何故今更になって、私の話を聞きたくなったんだ?…()()()()()()は何も教えてくれなかったのか?」

 

「………」

 

「まぁ、そもそも…言っちゃ悪いが、君の経歴は正気とは思えない。お母さんは猛反対しただろう。何せ、我々は彼女にあまりに酷い扱いをした。」

 

 

 "記者"と名乗った若者は、その場でそっと目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのはある日の母親の言葉。

 普段、母親は決して感情を表に出そうとはしないタイプの人物だったし、だからこそあのポーカーフェイスで皮肉たっぷりの非難を浴びせられた時は決心が揺らいだものだ。

 "ああ、なんて親不孝な子なのかしら"

 "アンタ、そんな趣味があったの?母親が監禁されてる姿に興奮するとか?"

 "あの人が生きていたらどう言うでしょうね?1人息子が自分を嵌めた組織に加わるなんて知ったら…もしかしたら今日はあの人に会えるかもしれないわね。きっと化けて出てくるでしょうから。"

 

 それでも彼は母親の発言の背景に悲しみを捉えることができた。

 それは自身を虐げた組織への反発でも、その組織に加入しようとする息子への失望でもない。

 彼女が内心に秘めていたのは間違いなく憂慮であった。

 自身の息子が目指すところ、そこへ至るまでに遭遇するであろう障害が息子にどんな影響を及ぼしかねないか…それを知っているからこその憂慮。

 

 現に老人は、その影響をモロに受けているようだ。

 

 

 

「………母はあまりあの時代のことを語ってはくれませんでした…きっと避けていたんでしょう。でも周囲の人間が悪魔のように語るアドリアン・セルバンデスという男については、母は幼い私にこう言ったことがあるんです。…"あの人はアンタの恩人よ"…と。」

 

「なるほど………」

 

 

 老人はそれで全てを悟ったようだった。

 納得のいく回答が出たからか、軽く頷きを返して、再び口を開く。

 

 

「こちらの番だな。最初の質問に答えよう。私がホノルル(ルル)と共に戦っていた時期、重桜海軍は我々よりも優勢だった。私の手元には満足な情報もなく、手探りのような状態で作戦を遂行していた。………もしあの時敵の勢力についてもっと正確な情報があったのなら、ルルが沈むこともなかったかもしれない。」

 

「あなたが海軍から情報局に移ったのはそれが理由ですか?」

 

「………なんてな!こんなもの、ただの言い訳でしかないっ!」

 

 

 突然声を荒げる老人。

 ジャック・ライリーはもう引退してかなりの年月を経ているし、その頭は白髪に染まっている。

 勿論、そんな老人が声を荒げるのは健康上よろしくないし、褒められる行動でもない。

 それでも彼はこの行為をやめられそうになかった。

 

 

「いいかい、私は、私はっ、君が思っている以上に卑劣な男だ!でもそれはセルバンデスを背後から操ったからじゃないっ!」

 

「………」

 

「…ルルを喪った後、私は情報局に軍籍を移した。情報戦で敵に勝てれば、ルルのような犠牲を出すこともないだろうと…そう思ったからだ。敵に先んずれば味方を救い、逆に遅れれば味方を失う。ルルがそうだったように…」

 

「………」

 

「あの時ルルを喪ったのは、敵に関する情報が手元になさすぎて私の判断が遅れたからだ!だからもう、私は躊躇しないと心に決めていた!使える手段は何でも使う!それが卑劣だろうとなんだろうと!ルルの犠牲を無駄にしないためにも!」

 

「………」

 

「だがね、どう言い訳をしてもあの時判断を誤ったのは他ならぬこの私だ!ルルやヘレナは私が殺したに等しい!…私はセントルイスから彼女の家族を奪ってしまったんだ……」

 

「…それは違います」

 

「ああ、ああ、セントルイスもそう言って庇ってくれた。だが…私は彼女に庇われている自分が許せなかった。だから………なんてこった…私は………」

 

 

 ライリーの鋼鉄の仮面はもはや見る影もない。

 ハンカチで涙を拭き取る老人の姿をみながらも、"記者"は先ほどまで抱いていた自身の考えの浅はかさに罪悪感を覚える。

 この男は冷血漢などではなかったのかもしれない。

 言うなれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ように、()()()()()()()()()()()()()()()

 かつてKAN-SENを率いる若い指揮官だった男は、先ほどまでの興奮を収めて静かな口調へと変えていく。

 その声音に深い深い悲しみを込めて。

 

 

「………だからこそ、私はセントルイスを自分から遠ざけてしまった。南方大陸に派遣されるKAN-SENのポストができた時、彼女を推薦したのも私なんだ。…本当に腐り切った男だよ。」

 

「………」

 

「…しかし、彼女を通じてセルバンデスに行わせた作戦については後悔していない。冷戦は戦争のひと形態に過ぎないのだ。そこにルールなんてモノはない。ルルが生き残れなかった戦争を生き延びた者の責任として、私はどんな手を使っても北方連合の脅威から祖国を守るつもりだった。」

 

「だからあなたには、冷酷である必要があった。」

 

「その通り。罪悪感を感じなかったわけじゃないが、やり遂げるしかなかったんだ。今じゃ誰も理解はしてくれないがね。………もしかすると、こんな日を待ってたのかもしれないな。」

 

「あなたの内心を、私に聞かせる日を?」

 

「ああ、そうだな。私はとんでもないド変態に見えるだろう。だが公式文書にも残っていない記録を誰かに伝えたかったのかもしれない。それに携わった人間がどういう想いを抱いていたかを。」

 

「…………」

 

「最初、君は私を殺すつもりなんだろうと思っていた。接触に応じたのは"それもいいかもしれない"と思ったからさ。私のような男には相応しい最後だ。でもその気が君にないのなら…話を続けても構わないかね?」

 

 

 "記者"は改めて居住まいを正すと、老人の目を見据える。

 母やインビエルノの人々を虐げた人物も、結局は1人の人間でしかなかった。

 彼は彼で守るべきものを抱えていた。

 そして表面では平静を装いながら、自らの極悪非道な行いに内心では多少なりとも罪悪感を感じている。

 

 なら母親が"恩人"と言っていたアドリアン・セルバンデスの内心はどうだったのだろう。

 自らの国民に何の関心も持てなかった男が、母親をどう扱ったのか。

 そして彼を支えたセントルイス…タマンダーレは何をしたのか。

 

 答えを持つ老人は、再び静かに語り始める。

 

 

「………アドリアン・セルバンデスは提督を排除する用意を整えた。我々は君のお母さんを送り出し、セントルイスは我々とは別の思惑を持っていた。」

 

「………」

 

「なぁ、実を言うとだな。君のお母さんは間違っている。君が感謝すべきなのは、アドリアンではなくセントルイスの方なんだよ、『ヨアヒム・ルートヴィヒ』君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ビスケットとホットサンド

 

 

 

 

 

 真っ暗な暗闇の中、突如として派手な火の手が上がる。

 次いで、まだあどけない少女の悲鳴が響き渡ると、セントルイス達は初めて敵の詳細な位置を悟ることができた。

 彼女と妹のヘレナ、そしてホノルルは格好の標的となった炎上艦の姿を認めたのだ。

 ヘレナが一歩前に出ると、火だるまになりながらも沈んではいない敵KAN-SENに対して射撃を継続する。

 セントルイスはそんな彼女に警告を発した。

 

 

「ヘレナ!周囲によく注意して!まだ他に敵がいるはずよ!」

 

「でも、姉さん!あの子を早く"楽"にしてあげないと!」

 

 

 ヘレナの優しさか、それとも敵への憎悪か。

 彼女はセントルイスの警告に耳を貸さず、引き続き砲撃を続行する。

 ところが、しばらくすると今度は彼女自身から派手な水柱が上がった。

 

 

「ヘ…ヘレナ!?ヘレナアアアッ!!!」

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 …………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ヘレナッ!」

 

「タマンダーレッ、頼むから離して!死ぬ!窒息して死ぬ!」

 

「……!、あっ!」

 

 私は瀬戸際に立っていた。

 彼女が起き上がるのがあと10分でも遅かったら、歴史は変わっていただろう。

 ガバッと起き上がった彼女は、そこで初めてインビエルノ現大統領を殺害しかけていることに気がついた。

 彼女はあまりに強く抱きしめていた私を慌てて解放して、背中をさすり私の呼吸を手伝う。

 

 

「本当にごめんなさい、アドリアン!こんなつもりじゃなかったの!」

 

「ゲホッ、ゲホッ、いや、大丈夫。大丈夫なんだけど…やはり次からは寝る場所を別々にしませんか?…その…何というか…」

 

「そうね…ごめんなさい…あなたにとっては迷惑かもしれないわね…」

 

 

 シュンとするタマンダーレを見て、私の心は罪悪感で溢れかえりそうになる。

 彼女はただ自らの疑心で潰れそうになった男をどうにか支えようとしてくれたに過ぎない。

 子供っぽくて仕方のない話だが、彼女と睡眠を共にしたこの数日間は、私に精神的な安定を与えてくれていた。

 おかげで彼女に対してあまりにも酷い疑心を抱くことはもうなさそうだし、気分は晴々としている。

 そもそも彼女がうなされたのも戦争の後遺症であって、彼女自身の責任ではない。

 

 

「いいえ!やっぱりこれからも一緒に寝てください!」

 

「…!………うっふふふ!アドリアン!一国の大統領が言うセリフじゃないわよ?…でも、そう言ってくれると嬉しいわ。気分はどう?ちゃんと休めた?」

 

「うん、おかげさまで。」

 

「なら良かったわ…ところで今日の朝ごはんは」

 

 

 タマンダーレがそこまで言ったところで、ベッド横のサイドテーブルから電話のベルがけたたましくなり始める。 

 私はため息を吐きながら、ベッドから起き上がって受話器を手に取った。

 

 もしこの電話がなければ、私はタマンダーレにバターたっぷりのブリオッシュとクロワッサンの朝食を頼むつもりだった。

 言うまでもないが、原材料は全てユニオンから取り寄せられている。

 それに彼女の技術が加われば、美味しくないはずはない。

 そして毎日の朝食は私にとって格別な楽しみだったし、大切なスタートでもあった。

 

 "クソみたいな要件で私に電話したなら、タダではおかんぞ"

 そう思いながら受話器を耳に当てた私は、今日はタマンダーレの朝食を味わえないことを悟ってしまう。

 

 

「私だ………ウゴ、それは本当ですか?…すぐに戒厳令を。1時間以内に首都を閉鎖し、宮殿の警戒レベルを最大にしてください。それからベラスコ中将に連絡を取って…」

 

 

 私は受話器を肩にかけ、着ていたパジャマを脱ぎ始める。

 タマンダーレの目の前でやるべきことではないかもしれないが、私は早急に着替える必要があったのだ。

 彼女もそれを察してくれたようで、いつのまにか私の軍服を手に着替えを手伝ってくれている。

 大戦の功労者が成せる技なのか、彼女の方は早くも着替え終わっていた。

 

 

「ええ、ええ。よろしくお願いします。…クソ、連中がこうも早く痺れを切らすとは。」

 

 

 私が受話器を置いたときには、既にネクタイを締めるだけになっていた。

 その最後の作業を行なっていると、タマンダーレが私の腰にホルスターを取り付けながら問いかけてくる。

 

 

「海軍が動いたのね?」

 

「ええ。提督はまだ拘禁中でしたが、海軍隷下の海兵隊が施設を強襲して彼を連れ去った。連中はもう後戻りできない…これは我々への宣戦布告だ。」

 

「そう…安心して、アドリアン。あなたには私が付いている。必ず勝利を掴み取ってくるわ。」

 

「………」

 

「そんな顔しないで。…はい、ギュ〜ッ♪」

 

 

 タマンダーレが私を彼女自身に向き合わせ、例によって抱き抱える。

 幼い頃より馴染みのある、彼女の優美な香りは私に安心感を与えた。

 ここから先はもう迷えない。

 彼女を失いたくないのなら、私がしっかりと状況を把握しないと。

 

 自然と肩に力が入っていたのか、彼女は私を離した後、その両手を私の両肩に手を置いてこう言った。

 

 

「緊張しないで?いつも通りのあなたなら大丈夫よ?…私の"ラッキー"もあなたにお裾分けできたはずだから。」

 

「…ありがとう、タマンダーレ」

 

「どういたしまして。…こんな時のためにビスケットを焼いてあるの。本当は焼き立てを食べさせてあげたかったけれど……日持ちはするし、たくさん作ってあるから数日間は朝食に困らないわ。」

 

 

 そういうと、タマンダーレは寝室から執務室を抜けてキッチンに私を連れて行き、その冷蔵庫の中身を見せる。

 その中にはトレイに入ったユニオン式ビスケットが詰め込まれていた。

 こんな時に朝食の心配なんてしてる場合じゃないが、それでも彼女の気遣いに私は泣きそうになってしまう。

 

 

「ありがとう…本当に、ありがとう」

 

「うふふふふ♪…それじゃあ、私は行ってくるわね?寂しくても、そのビスケットや45口径で私を思い出して。…私はいつでもあなたの側にいるわ、それを忘れないで?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海軍司令部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから言ったんだ、黙って選挙に本腰を入れてくれってな!アンタが捕らえられてるせいでこっちは攻撃に移れなかった!」

 

「私のことは構うなと伝えたはずだ、大佐!千載一遇のチャンスを失った!あの程度の妨害工作で!………すまない…君らが私の事を思ってくれたのは嬉しく思う。だが…たった1人の為に国を左右する決断を誤るとは」

 

「アンタ、ボケてんのか?海軍の人事を弄ったのはアンタ自身だ。それでなくともアンタは上から下まで海軍中に慕われてる。恨んでるのは左遷した将校ぐらいだ。その総大将が不在で戦を始められっかってんだ!」

 

 

 

 海軍司令部の執務室では、海兵隊によって救助されたばかりの提督と、強襲を直接指揮した大佐が言い争いを繰り広げている。

 提督は大佐を責めているが、その責句には無理があると自分でも認めざるを得ない。

 大佐などという一流の高級将校が作戦に直接参加する時点で、提督はあまりにも人望を集め過ぎていた。

 

 

「…分かった、分かった…すまない、大佐…私の誤算が原因だ。アドリアン・セルバンデス…奴がここまでやるとは」

 

「アンタの期待してた民衆の蜂起は先手を打たれて潰された。奴は何家族もの人間をスタジアムに集めて処刑したんだ…とんだ濡れ衣を着せてな。あれじゃ民衆が立ち上がれるわけもねえ。」

 

「いや、まだ間に合うかもしれん。我々が蜂起をすれば、まだ勝機はある。」

 

「どうだか…」

 

「とにかくやるしかないんだ。国民が奴に完全に制圧されないうちに行動をするしかない。君もそれを感じ取って、こんな行動に出たんじゃないか?」

 

「……んああ、国民がアドリアンの恐怖に怯え切る前に手を打たねえとな。」

 

「君が拘禁施設を襲撃した事で、奴は我々と事を構える理由を手に入れた。奴に勝ち目があるとすれば、こちらの船が出港する前に陸軍に撃沈させること。」

 

「ハッ!そんなに上手くやらせるかよ!」

 

「その通り。計画に従い、全艦隊を出港させろ。君は今度こそ『コクレーン』に戻り、連絡があるまで外洋で待機するのだ。」

 

「アイアイサー!…アンタはどうすんだ?」

 

「………大佐、これは最後の機会だ。インビエルノの国民達が本物の自由を手に入れて、永きにわたるユニオンの呪縛から解き放たれる最後の機会。それを念頭に、考えて欲しい。」

 

「おい!まさかアンタここに残るつもりか!?陸軍連中は間違いなくここを目指してくるぞ!?」

 

「だから最後と言ったんだ。今ははっきりと分かるが、アドリアンは"甘ちゃん"じゃない。我々が負けた場合、恐らく奴は海軍を完全に解体してしまうだろう。国民達が自由になる機会は永遠に失われる。」

 

「アンタなぁ!」

 

「大佐!私がここで死んでも、それは犬死などではない!残りの将校達にも私の意思を伝えるつもりだ!…なぁに、海兵隊一個大隊を手元に残しておく。簡単にやられはせんよ。」

 

「俺の話を聞いてなかったのか?総大将抜きでどうやって」

 

「君が率いるんだ、大佐。今度こそ選択を誤るな。海軍航空隊、海兵隊の各指揮官には予め命令を下してある。私はここから全般の指揮を取るが、連絡が途絶した場合、陸軍の手の届かない場所にいる君が引き継ぐのが理想的なんだ。……すまないが…分かってくれ。」

 

「………」

 

 

 

 高潔な海軍軍人であるスアレス大佐は少し俯いて、制帽を深く被り直す。

 そして姿勢を正してから提督に再び向き合った時には、その瞳から迷いは消えていた。

 彼は持ち得る中で最大の敬意を払いながら、提督の目を見据えた。

 

 

「…アンタみたいな男の下で働けて良かった。」

 

「いや、私こそ君のような部下を持てて幸せ者だ。」

 

「どうか簡単にはくだばらねえでくれよ?…この国には、アンタのような国民の痛みの分かる人間が必要だってのに…」

 

「………」

 

「アンタはいつも贅沢を嫌った。アドリアンのクソ野郎はデカチチ女の焼き立てブリオッシュを毎朝頬張ってるのに、海軍の総司令官のアンタが毎朝食べてんのは安物のマラケッタと来たもんだ。最後くらい、なんか良いモンでも食ってくれ。」

 

「ああ、これは…ありがとう、スアレス。」

 

 

 スアレスが提督に渡した紙袋の中に入っていたのはホットサンド。

 そういえば朝食もまだ食べていなかった。

 提督は妻を亡くして久しく、朝から温かな物を食べる事自体何年振りかわからない。

 

 

「…過ぎた贅沢は身を滅ぼす。アドリアンには存分に()()()()もらおう。」

 

 

 提督はそういって、大佐の好意にかぶりついた。



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カウンターアタック

 

 

 

 

 

 インビエルノ陸軍航空隊は主要な航空基地を国内に2つ抱えているが、その装備は片方に偏重して配置されている。

 その片方とは海岸沿いにある飛行場で、陸軍航空隊はその殆どの戦力をそこに配置していた。

 理由は単純で、前大統領に信頼されていなかった陸軍の航空隊は生き残りのためにその存在意義を航空戦力による沿岸防備という形でアピールしたからだ。

 

 これは海軍航空隊の爆撃隊がその方向へ進路を取っている今も依然として変わっておらず、海軍航空隊の爆撃隊を率いる隊長は陸軍航空基地のエプロンに並ぶB-10爆撃機を容易に見つける事ができた。

 しかし、彼らが陸軍の爆撃機に向かって近づいていくに連れ、連中の方からいくつもの閃光が彼らの方へと点滅する。

 続いて爆発音と衝撃に襲われると、彼らは陸軍の高射砲の射程範囲に入った事を知った。

 陸軍連中の戦力強化は本当のようで、海軍航空隊のB-25に搭乗する隊長は激しい振動を感じる。

 顔中を脂汗で満たした副機長も、心配そうな顔つきで彼の方を見ていた。

 

 

「畜生っ、たぶん…90ミリだ。陸軍の高射砲は強力だぞ!」

 

「引き返しますか?」

 

「バカ言え!コレを逃したらもう2度と陸軍の航空隊は叩けん。全機、私に続け!あの独裁者に目に物見せてやろう!」

 

 

 90ミリ高射砲の砲撃に加え、今度は28ミリ対空砲や重機関銃の射撃まで加わってくる。

 だがそれでも海軍爆撃隊は進路を変更せずにそのままの陸軍航空基地へと迫っていった。

 不意急襲的な出撃が功を奏したのか、陸軍連中は格納庫から迎撃機を出すこともままなっていない。

 連中のP47戦闘機は2機のみが搬出中の状態で、恐らく爆撃隊の到着までに飛び上がることはないだろう。

 

 対空部隊以外は提督の言った通りだ。

 彼はこちらが迅速に動きさえすれば、今まで共産ゲリラの掃討戦以外に実戦経験のない連中に勝ち目などないことを知っていた。

 ここで陸軍の航空隊の、それも爆撃機を破壊できれば海軍艦艇に対する脅威は大幅に減り、海軍の心配事はあのデカチチ女だけになる。

 いくらKAN-SENとはいえ、それよりも遥かに多くの艦艇や戦艦『コクレーン』、それに比較的健在な状態で残るであろう海軍航空隊で同時に相手すれば撃破は可能と見積もられる。

 KAN-SENさえ沈めてることができれば。

 後は陸軍の補給線を艦艇の砲撃や航空隊の爆撃で潰してしまえば、連中は少数とはいえ高い練度を誇る海兵隊の餌食になるはずだ。

 

 

 高射砲部隊の抵抗の激しさは飛行場に近づくに連れて増して行き、機体への至近弾も多くなっていく。

 そして遂には、爆撃隊を構成するB-25の内の1機から火の手が上がった。

 

 

『こちら6番機!対空機関砲の命中弾を複数受けた!右エンジンから出火!繰り返す、右エンジンから』

 

 

 6番機機長の悲痛な報告の最中、隊長から見て右手にいた6番機の右エンジンが空中で爆発を起こす。

 エンジンの派手な爆発は、あろう事かパイロットと乗員のいるコックピットごと巻き込んでしまった。

 6番機からの通信は糸が切れた様にプツリと途絶え、彼らはコックピットから黒鉛を上げたまま墜落していく。

 

 

「おい!おい!6番機!生存者は!?おい!脱出しろ!」

 

「隊長、彼らはもう無理です!それより前方を!」

 

 

 副機長の警告に前方を向くと、敵の格納庫から何両かの車両が飛び出してくるのが見える。

 陸軍航空隊は戦意を喪失していても対空部隊は戦意旺盛なようで、連中はM16対空自走砲や大型トラックに載せた王政時代の旧式対空砲まで使うつもりらしい。

 対空砲火はいよいよ勢いを増していき、機長は目標の方向を直視することすら難しくなっていた。

 更には、その間にも編隊を構成する各機から報告が飛び込んでくる。

 

 

『クソ!こちら2番機!胴体に被弾!』

 

『7番機!機長がやられました!』

 

『メーデー!メーデー!11番機!90ミリの至近弾を食らった!墜落する!』

 

 

「隊長、これ以上の接近は危険です!高度を取りましょう!」

 

「ダメだ、陸軍のB-10を逃せば連中に『コクレーン』への攻撃手段を持たせ続けることになる!なんとしてもここでケリをつけろ!」

 

 

 尚も激しさを増す対空砲火の中、隊長は自らの機体をより危険な方向へと向かわせ続ける。

 少しでも爆撃効果を高めるために高度を下げていくと、砲弾の破片が機長のすぐ目の前の風防に突き刺さった。

 幸いにも貫通こそしなかったものの、副機長は顔から血の気が引いていくのを感じる。

 そして同時に、こんな状況でも目標の達成に執念を燃やす機長に大きな敬意を抱いた。

 

 

「もうすぐ投下ポイントだ、爆撃手に指示を出せ!」

 

「は、はい!」

 

 

 隊長の命令で、副機長は爆撃手に投下の準備をさせる。

 爆撃手は額から夥しい量の脂汗を滴らせながらも、早くも爆撃照準器を覗き込んでいた。

 数の減った爆撃隊は隊長機を先頭に、陸軍の格納庫を眼科に捉えている。

 

 高精度なノルデン照準器で狙いをつけた爆撃手は、レティクルの中に陸軍のB-10と格納庫を捉えると迷うことなく投下ボタンを押す。

 B-25の爆弾槽からは高性能爆薬が充填された航空爆弾が次々に投下され、彼らの狙い通り陸軍の格納庫を破壊していった。

 

 

「うおっしゃあああ!ざまぁみやがれ陸軍連中め!」

 

「独裁者の腰巾着してたツケが回ったなぁ!」

 

「おい、落ち着け、帰投までが任務だ!」

 

 

 興奮するクルーを嗜めつつ、隊長は自身のB-25を急加速させる。

 目標である爆撃機と格納庫の機能を損傷させこそしたものの、陸軍対空部隊の攻撃は止んでいないし、自隊の損害も予想よりかなり大きい。

 しかし爆撃を終えて軽くなった機体は容易に安全な高度まで上昇できたし、離脱に関しては進入ほどの苦労はなかった。

 

 

 敵の対空砲の射程外に逃れ、尚且つ追撃がないことを確認すると、隊長はそこでやっと胸を撫で下ろした。

 

 

「………皆、よくやってくれた。損害は大きなものだったが、それを上回る戦果だ。これで艦艇部隊は上空の心配をせずに任務を遂行できる。」

 

「まだ我々も戦えますよ。機体を修理して、燃料と弾薬さえ再補給できればね。基地にいる護衛戦闘機部隊は無傷ですし、陸軍航空隊に対しては完全に優位です。」

 

「ああ、それは間違いない。制空権は我々の手中にあると見ていい。少なくとも陸軍はこれで切り札を失った。…さて、それでは基地に帰投しよう。」

 

 

 

 海軍爆撃隊の生き残り達は自身の所属する基地へと踵を返していった。

 確かに手痛い損害は受けたが、副機長の言う通りまだ戦えなくなったわけではない。

 あのユニオンの傀儡を引き摺り下ろすまで、隊長自身も何度だって出撃するつもりだった………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………自身の基地が燃えていることを知るまでは。

 

 

 やっとの思いで基地に近づいた時、爆撃隊の隊長は自分の目が信じられなくなった。

 出撃前まで美しいまでに整備されていた海軍航空隊基地の面影はそこにはなく、そこにあるのは瓦礫の山と化した格納庫、エプロンに散らばる戦闘機の残骸、穴だらけの滑走路、それに近辺の洋上に浮かぶ…撃破された軽巡洋艦1隻と駆逐艦3隻の残骸だけだ。

 目の前の光景がまるで信じられない隊長は、震える手で無線機を操作して海軍航空隊基地に呼びかける。

 

 

「ネスト、ネスト、こちらボマー2-5、誰か生きているか?応答せよ。」

 

『……………』

 

「た、隊長、これは一体…」

 

「わ、分からん…」

 

「陸軍の航空隊でしょうか?」

 

「バカいえ!我々が今粉微塵にしてきたばかりだぞ!それに連中の航空機の残骸は一機たりとも見当たらん…ウチの対空部隊が機能しないわけもない!」

 

 

 海軍艦艇部隊はこの航空基地の為に軍艦を4隻派遣して防衛に当たらせていた。

 しかし隊長の見る限り砲を上空に向けている艦艇は一隻もなく、全て水平線上にいる何かを攻撃していた様に見える。

 ただ一方的に海軍艦艇部隊を蹂躙し、飛行場を瓦礫の山に変えるだけの能力のある戦力………

 そんな戦力があの独裁者の手元にあるとすれば、それは…………

 

 

 その時、隊長は眼下に広がる大海原から閃光が瞬くのを捉える。

 しかしそれは一瞬のことで、すぐに直径127ミリの砲弾が隊長の砲へと真っ直ぐ飛んでいき、隊長機のコックピットを吹き飛ばした。

 爆撃隊の生き残り達がそれに気づく頃には、既に2機目が餌食になっていたし、彼らは絶望の縁に立たされたことを理解する。

 

 陸軍航空基地への爆撃で、彼らは消耗し、弾薬も数少ない。

 KANSENに対抗する手段など、とうの昔に失われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

「アドリアン、任務完了よ」

 

『ああっ!ありがとう、タマンダーレ!怪我は!?何か体調不良は!?おかしなところはない!?』

 

「うっふふふ!もう!アドリアンったら!」

 

 

 タマンダーレはボロボロの状態で基地に帰投してきた爆撃隊をはたき落とした後、次の目標地点に向かいながら"指揮官くん"への報告を行う。

 彼女にとっては自らの司令官というよりは息子に近い感覚を持っている相手が、あまりに感情を表に出していた事に、タマンダーレは少しだけ嬉しく思った。

 ただ、それでも、アドリアンのやり方に疑問を呈せずにはいられなかったが。

 

 

「………ねえ、アドリアン。陸軍の格納庫を犠牲にしなくても、私に任せてくれれば海軍航空隊基地を制圧することはできたはずよ?」

 

『艦艇に対する航空機の脅威を教えてくれたのはあなただ、タマンダーレ。私はあなたを不必要に危険な状況に晒したくない。正直、あの数の艦艇と衝突させるという事自体ハラハラしていた…でももう大丈夫。これで海軍機を心配しなくていい。』

 

「………」

 

『それに、あの陸軍航空隊基地にあったのは全て旧式機です。我々の陸軍はユニオンから新たに航空機を受領した。次はあなたの手を借りずに攻撃させる。』

 

「うまくいけばいいけど…」

 

『私の手腕が頼りないのは分かるが』

 

「いいえ、そうじゃないわ。ねえ、アドリアン。少し心配しすぎよ。私はそう簡単に沈むつもりもないわ。」

 

『………それは分かるが、やはりこちらの指示には従ってほしい。今のところは上手くいっているし、損害と言えるものも微々たるものだ。…どうか作戦通りに動いて欲しい。』

 

「…ええ、分かったわ。あなたを信じましょう。」

 

 

 口ではそんなやり取りをしつつも、タマンダーレは頭の中で、ある仮説について考えていた。

 アドリアン・セルバンデスをユニオンの傀儡という呪縛から解き放つ方法。

 その条件の一つが、疑念から確証に変わりつつあった。



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依存症

 

 

 

 

 

 

 大統領宮殿

 執務室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、私の目の前にいるベラスコ中将はこの内紛が片付いた後、大将という偉大なる階級を通り越して元帥杖を持つことを約束されている。

 彼はこの国で随一の軍人になるわけだし、そのポストは統合参謀長という階級に恥じないものになるだろう。

 …"だろう"というのには理由がある。

 まだ内紛は片付いていないし、私はベラスコを信頼しているが信用はしていない。

 それはウゴも同様だ。

 もし心を許せるヒトがいるとすれば、幼い頃から私によくしてくれたタマンダーレだけ。

 

 

 タマンダーレ、タマンダーレ。

 私の大切なタマンダーレ。

 彼女が隣にいないだけで、こんなにも心寂しく思う事になるなんて思わなかった。

 だがそれももう少し、もう少しで終わる。

 彼女は今、最後の任務を終えてこちらに帰ってきていた。

 後のことはベラスコの軍隊と、顔も知らない新任KANSENだけでカタがつく。

 

 

 私の頭の中はタマンダーレの事で一杯だ。

 彼女が帰り道襲撃を受けないか、或いは不意の事故に遭わないか心配でたまらない。

 今すぐ彼女に会いたい。

 会いたくてしょうがない。

 彼女に抱きついて、あの香りに安堵して、今夜はオイスター・ロックフェラーを作ってもらおう。

 いや、いけない。

 彼女は戦闘で疲れてる。

 今日は早めに休んでもらうべきなんだ。

 だから…ああ、どうしよう。

 ()()()()()()()()()

 できることなら任務を終えた彼女にとびきりのご馳走を用意して待っていたいが、一体どの料理人なら信用できる?

 この国の国民は1人残らず私を恨んでる、恨んでるに決まってる。

 私も私でそれだからこそ恐怖で敵も身内も縛り上げてきた。

 今更タマンダーレ以外に信用できる人間なんかいない!

 

 

 

 

「大統領、大丈夫ですか?顔色が悪いようですが…」

 

 

 ベラスコが私の顔を覗き込みながらそんなことを言う。

 私は進行中の作戦について彼から説明を受けていることだった。

 タマンダーレは海軍航空隊を叩き落とした後、敵の艦隊が集結を試みているのを発見した。

 攻撃許可を要請されたが、答えはNo。

 奴らはタマンダーレを罠に嵌める為にわざと発見されたのかもしれない。

 連中の艦隊決戦の場に乗れば、それこそ向こうの思う壺だ。

 

 

「い、いえ、大丈夫です。A-26攻撃機部隊の準備が整い次第、敵艦隊を叩きましょう。」

 

「お言葉ですが、大統領」

 

 

 私の発言に、隣からウゴが口を挟む。

 ウゴ?

 まさかな。

 私の発言を遮って、いったい何を言い出すのだろう?

 もしかしてこの場でクーデターでも宣言する気なのだろうか?

 仮にも秘密警察長官ならそんな安易な策にはでないか?

 いや、もしくは愚策を丹念に言葉に塗り込んでタマンダーレを失わせようとしているのかもしれない。

 タマンダーレがいなければ、現時点で私を守るものは何もない。

 彼は容易に私を殺せる。

 

 

「大統領…大統領?」

 

 

 不思議そうな顔をしてもダメだ、お前の魂胆なんか見え透いている。

 私にとって変わる気だろう、殺してしまう気だろう。

 くそったれ、ただで死ぬと思うなよ。

 タマンダーレがいなくても、お前らの何人かを巻き添えにしてくたばる事ならできるかもしれない。

 

 手が自然に腰まで伸びていく。

 指先に触れるのは45口径。

 彼女の守護がきっとついている。

 やるなら、こいつらが油断しきっている今しかない。

 

 

 だが私の右手が45口径のグリップを握った時、誰かの温かな両手が私の右手を包み込む。

 そして温もりは私を"正常な"思考から現実へと呼び戻した。

 

 

「お待たせ、アドリアン。遅れてしまってごめんなさい。」

 

「…タマン…ダーレ……」

 

「ああ…心配してくれていたのね?とても嬉しいわ♪」

 

 

 彼女はいつも通り…そう、閣僚達の前でもいつも通り私にハグをする。

 そうしながらも、彼女は私の耳元で小さく…本当に小さく呟いた。

 

 

「安心して、アドリアン。私はあなたの側にいる。何があっても裏切らないし、そもそも裏切れないわ。」

 

「………」

 

「そして、それはここにいる人達も同じ。…分かってくれるわね?」

 

 

 彼女の囁きが私を正気へと引き戻す。

 疑心暗鬼の滅茶苦茶は思考回路はどこかへ消え、私は平静を取り戻すことができた。

 タマンダーレの言う通り、まず第一にウゴもベラスコも私を裏切る理由がない。

 私はタマンダーレの大きな双丘の谷間で深呼吸をしてから、再び閣僚達に向き合った。

 ベラスコは呆然としていたが、ウゴの方は怪訝な顔をしている。

 それは恐らく私のような大の大人がこんな子供じみた真似をしているからではなく、私が抱える"症状"をどことなく察したからだろう。

 その証拠に、まず口を開いたのはウゴの方だった。

 

 

「………タマンダーレさん、大統領にはあなたの支えが必要です。どこで寄り道をなされていたのか。」

 

「本当にごめんなさい。追跡に手間取ってしまったわ。それに、艤装の着脱は久しぶりだったから、錆び付いてしまった箇所があって…」

 

「どうか彼女を責めないでください。私なら大丈夫です。」

 

「失礼ながら、本当に大丈夫ですか、大統領?」

 

「ええ、勿論。それで…どこまで話しましたっけ?」

 

 

 そう言いながら腕時計を見る。

 時刻は午後1時を回っているが、昼飯を食っていないのに空腹感を感じないのはきっと午前中取りつかれたようにタマンダーレのビスケットに齧り付いていたからだろう。

 冷蔵庫のビスケットの半分は平らげてしまった…タマンダーレに後で怒られそうだ。

 

 

「…大統領、A-26による艦隊への攻撃と同時に、首都内の掃討作戦を実施させてください。」

 

「首都内?…ウゴ、説明してください。」

 

「我々が掴んだ情報によると、海軍は隷下の海兵隊を首都内部に潜伏している共産ゲリラ組織と合流させています。」

 

「なんだと…」

 

「恐らく海軍の計画はこうでした。主力艦艇と海軍航空隊を用いてタマンダーレさんを撃破し、大統領が後ろ盾にして最大の切り札である彼女を失ったタイミングに合わせて首都で決起する。その後艦隊は海路を封鎖、航空隊は首都への主要経路を爆撃して陸軍の増援を遮断する…恐らくは国民の大部分が同調すると踏んでの計画でしょう。」

 

「なるほど。しかし海軍航空隊は戦力を失い提督も艦艇を失った。決起を早めるとは思えません。主力艦隊を叩いてからでも遅くはないのでは?」

 

「大統領、二正面作戦を避けたいのは分かりますが、今回は避けられません。ゲリラと海兵隊の掃討を後回しにしたとして、連中は遅かれ早かれ決起しますよ。主力艦隊への攻撃の成否が掛かる場面で二正面作戦が始まれば、それこそ最悪の事態です。」

 

「…………"避けることのできない戦争ならば先手を打つべし"…分かりました、ではこうしましょう。ウゴは秘密警察実働部隊と陸軍機甲師団を率いて首都内の制圧を行ってください。一般人への被害は考慮しなくても結構、全責任を海兵隊に押し付けられる。」

 

「了解致しました。」

 

「それから、中将。準備が整ったら報告をお願いします。タマンダーレには攻撃許可こそ出しませんでしたが、敵艦隊の追跡をしてもらいました。おおむねの位置は特定できています…今度こそ敵の主力艦隊を叩きますよ。」

 

「大統領、その事なのですが…」

 

 

 ここに来てベラスコ中将が初めて意見する。

 私としては何を言われるか概ね予想がついていたし、まさにその通りだった。

 

 

「海軍の主力艦隊にただ攻撃機をあてがったところでこちらの損害が増えるだけです。戦果は保証できかねます。」

 

「その点はご心配なく。………もう少しで連絡が来ると思うのですが。」

 

 

 私は今回、提督の海軍を海の底に沈める為に様々な準備を行った。

 先ほどウゴが言ったように、私も提督の立場ならタマンダーレを沈めることを最優先事項とする。

 そうすれば提督の作戦が成功した可能性も大いにあった。

 だから提督とその海軍のために、私は出来得る限りの罠を用意させていただいた。

 まず一つ目は先の海軍航空隊への攻撃。

 2つ目はユニオンから供給された新鋭のA-26攻撃機による攻撃。

 そして3つ目は…

 

 

 しばらくすると電話のベルが鳴り響いて、私は即座にその受話器を取る。

 このタイミングで連絡を取ってくる相手は1人しか浮かばないし、そしてその人物は期待通りの相手だった。

 いくつかの中継を挟んだ後、扇情的な女性の声音が鼓膜を舐めた時、私は望んでいたものをようやく手にしたことを悟った。

 

 

『もしもし?聞こえてるかしら?…アンタが私の新しい指揮官?』

 

「…まずはそちらの所属と名前を教えてもらえるかね?」

 

『はぁ〜あ、連れないわねぇ。独裁者ってのはどうしていつも()()なのかしら。……………………私はCNS プリンツ・オイゲン(プリンツ・ユージーン)。これよりアンタの指揮下に入るわ。』

 

「我が国へようこそ、ユージーン。私はアドリアン・セルバンデス、これより君の指揮を取る。」

 

『へぇ。アンタがあのクソ野郎が言ってたド変態ね?…自分の戦艦を沈めて欲しいだなんて、いいシュミしてるじゃない。』

 

「誤解があるようだ、ユージーン。一つ、私はれっきとした紳士だし、君のようなKANSENにそういった口をきかれるのを許さない。二つ、君は()()()()()()()()()()()()。それに『コクレーン』は強力だ、くれぐれも油断しないように。」

 

『……まぁ、どうだって良いわ。…ふふっ、戦艦?鎧袖一触よ?』

 

  

 

 

 何故かは知らないが、電話越しに聞こえる彼女の余裕ある口調には、確かな説得力を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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テロリストの逃避行

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 首都市内

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元々、アマンダは秘密警察に夫を焼き殺された復讐のために共産主義ゲリラの活動に合流した。

 彼女は今でも胸を張って言えるが、夫は社会主義の理想を持ってはいてもその理想のためにアルバロを殺そうとはしていない。

 だが秘密警察は共産主義者を無条件に殺す事を念頭に置いて任務を遂行していた。

 アルバロにとっては、共産主義者であること自体が犯罪だったのだ。

 

 復讐に燃えた彼女は明確に奴とその息子に敵対心を示すためのゲリラ活動に参加したのだが、今のところめぼしい戦果を挙げられていないどころかやられっ放しの状態である。

 国境沿いでは陸軍のP47に追い回され、都市部での計画も秘密警察のせいで何らの進展は見られなかった。

 しかし、それでも彼女にとって、この首都での活動は実りあるものだった。

 

 

 一つはプラタ共産党の連中と連絡を取ることができたこと。

 南方大陸に人民のための政府を作り上げるという共通の目的が、この結束を可能にした。

 インビエルノ共産党の残党とプラタの共産武闘組織はあらゆる面で綿密な協力関係を築くことに合意したのだ。

 

 そしてもう一つ、これは彼女自身の価値観に関して、だった。

 前述の通り、彼女は夫の復讐のために武力闘争に加わった。

 だがしかし、首都での滞在はその目的意識に多少の変化を与えたのだ。

 それは独裁者への更なる憎悪でも、その背後にいるユニオンへの憎悪でもない。

 

 

 彼女は新しい潜伏先であるスラム街で、その陰惨な実態を目の当たりにした。

 夫は元々高等学校の教師をしていたから、彼女は中産階級の生活しか実感していなかったのだ。

 だから夫が熱を上げていた共産主義活動に関しては、特に理解を示したわけではない。

 しかしスラム街にいる痩せこけた栄養失調の赤子を見た彼女は、その光景に衝撃を受けた。

 亡き夫ととは子供を作る事ができなかったが、それでも新婚生活を始める前に将来的な話をしたことは何度かある。

 当然赤子の話も出てきたし、彼女はいつの日にか夫と子供の3人で幸せな家庭を築くことを夢見ていた。

 ただ、その夢というのも、中産階級出身者としての彼女の価値観に沿った"夢"だった。

 目の前にあるこの国の"現実"というものを見てしまった時、彼女はそこで初めて、夫が熱中していたあのよく分からない政治思想の主張を理解したのだ。

 

 

 

 アルバロ時代にも勿論スラム街はあった。

 原因は明白であろう。

 この国の主力産業たる地下資源の採掘や広大な農地はユニオンの企業に押さえられ、海軍と独裁者がユニオンの利益を保証していたのだから。

 しかしながらアルバロは、スラムの住人をまだ『人間』として扱っていた。

 彼は最貧層の人間が自暴自棄になって破滅的な破壊活動に走ることを予防するために、最低限の"施し"をする事を怠らなかったのだ。

 定期的に、ごくわずかではあるものの食料の配給が行われ、海軍には満足な教育を受けていない最貧層出身者のための採用制度が設けられていた。

 

 ところがアドリアンが政権を引き継いだ今ではこれすらも見られない。

 奴は最貧層の人間だけでなく、この国の国民全てを人間として見ていなかった。

 配給は遮断され、海軍の採用制度は書き換えられた。

 それどころか今では海軍を全力で潰そうと頑張っている最中である。

 そして、そんな彼はこのような仕打ちをすればこそスラム街の人間からは深い恨みを買っていると自覚しているし、それ故に弾圧を強める一方であった。

 スラム街は定期的な"臨検"に晒されて、秘密警察は夜毎家族単位でスタジアムに連れ去っていき、その後スタジアムからは銃声が聞こえるのだ。

 

 

 彼女にとって、もはや革命は復讐の手段の枠を超えて救済の手段へと昇華しつつあった。

 この国の国民の惨状を思えばこそ、夫が成し遂げられなかったものを引き継ぐ事に大きな意義を見出せたのだ。

 しかしながら、だからこそ、国民のためとは言いながら国民の現状を理解できていない提督隷下の軍人が合流してきた時には言いようのない歯痒さを感じた。

 この日、海兵隊の曹長が彼女のいる共産ゲリラの潜伏先で無謀な蜂起の計画を得意げに話した時、アマンダはその歯痒さを言葉に変えた。

 

 

 

 

「違う!アンタ達は何も分かっちゃいない!この国の国民はアドリアンの苛烈な抑圧に疲弊してる!今蜂起したって誰も着いてこないよ!」

 

「いや、お前こそ間違っている!ユニオンの傀儡政府を倒すには提督が反旗を翻した今しかないんだ!国民だってそれを理解しているはずだ!彼らは愚か者ではない!」

 

「アドリアンの秘密警察は毎晩夜中に国民の家のドアを叩いて引き摺り出して、スタジアムに連れ去ってから重機関銃で処刑するんだ!愚か者じゃなくても二の足を踏むさ!」

 

「国民を愚弄するのも大概にしろ、日和見主義者め!国民は必ず立ち上がる!私達にはそれを支えるという崇高な使命がある!」

 

 

 曹長の思い込みを聞けばこそ、アマンダの歯痒さは度を増していく。

 数週間前まで彼女は曹長と同じ期待を国民に対して抱いていた。

 あの農村地帯で陸軍の戦闘機から隠れていた時、農民達が共産主義者に同調しなかった事は彼女にとってはその期待に対する裏切りだったのだ。

 しかしスラム街の住人と共に生活した今だからこそ彼女は理解できる。

 あの農民達は"腰抜け"だったわけではない。

 13家族はアドリアンや秘密警察と親しい関係にあるのだ。

 どれだけ生活が悲惨でも、生きたまま溶剤に沈められるよりはマシだと思う他なかったのだろう。

 

 

「アドリアン・セルバンデスがこの国のトップにいる限り、国民に開かれた道は2つしかない!自由か、死か!」

 

「彼らにとっては自分自身で終わる問題ではないの!秘密警察は共産主義活動に携った者の家族まで纏めて処刑する!…個人的に参加したくても家族を人質に取られてはッ…」

 

 

 

 彼女にとってはもっと悪い事に、共産主義ゲリラの他のメンツの多くも海兵隊員達に同調していた。

 ある若手のゲリラなど、彼女を日和見主義と断定して銃を向けさえしたのだ。

 彼らは言う。

「チャンスは今しかない」と。

 それでも彼女は自分の主張を曲げるわけにはいかなかった。

「これはチャンスなどではない」と。

 

 

 

「………わかった、わかった、アマンダだったか?…この日和見主義者め。もういい、お前は参加しなくても良い。我々と共に蜂起に参加する者は共に来い。」

 

「俺はいくぞ!」

 

「俺だって!」

 

「私も参加するわ!」

 

 

 捨て台詞を吐いて彼女に背を向ける曹長の後には、ゲリラのメンバーの多くが続いていく。

 彼女はその光景を恨めしげに見ながらも、彼女と共に残ったメンバー達と次にすべき行動について考えをまとめていた。

 "日和見主義者"はインビエルノ共産党の残党の残党と化したメンバー達に向き直って、まとめ終わった考えを述べる。

 

 

「………この国の共産主義活動はもう終わりだ。あいつらは皆んな熱に浮かれちまってる。…アタシはプラタに行く。」

 

「プラタに行って、どうするんだ?」

 

「プラタ共産党の活動に合流するのさ。あそこはこの国よりかは革命の見込みがあるからね。」

 

「インビエルノを捨てるのか!?」

 

「それは違う。プラタで革命を成功させれば、アタシ達は海軍よりも大きなバックアップを得られるハズだよ。…内側からやってダメなら、外側からやるしかない。着いてきたくないなら着いてこなくて良い。今からあの曹長の背中を追っても間に合うさ。ここで小市民の生活に戻っても良い。…でももし来るんなら、アタシはアンタ達を犬死させない。」

 

 

 

 残党の残党はあと数人しか残っていなかった。

 しかし、それでもその数人の残党は全てアマンダについていくことを選んだのだ。

 彼らはアマンダの方へ寄り、そのうちの1人がこう言った。

 

 

「分かった、アマンダ。アンタを信じよう。…海兵隊連中のやり方よりは現実味がありそうだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市内は静まり返って、通りには人っ子1人いない。

 曹長は優良装備の海兵隊員達とありったけの武器をかき集めた多くの共産主義ゲリラを率いて、彼らのアジトから外に出る。

 M1928サブマシンガンを手に通りへと進んでいくが、やはり戒厳令のせいか市民達と出会うこともなかった。

 

 しかしもうまもなく、市民達も我々に加わる事になるだろう。

 長い抑圧を終わらせて、国民が真の自由を得るという目標に、曹長はこれ以上なく胸を熱くしている。

 だからこそ拡声器で呼びかけたにも関わらず誰の反応も得られなかった事に多少なりとも動揺した。

 

 

「我々はインビエルノ海兵隊だ!インビエルノの市民達!暴君を倒す時がきた!共に立ち上がり、あの憎きアドリアン・セルバンデスとユニオン女を引きずり下ろそう!」

 

 

 通りには電子音を纏った曹長の声が虚しく響くばかりで、そこからは誰も反応を返さない。

 あの日和見主義者(アマンダ)が言うように、国民は独裁者の抑圧に萎縮してしまっているのかもしれない…だが曹長の信じる限りでは、国民はその恐怖を克服できるはずだった。

 

 

「諸君!インビエルノの親愛なる国民諸君!アドリアン・セルバンデスの圧政に怯えるのはよく分かる!だが、臆するな!武器を取れ!今この瞬間にも我が海軍の最新鋭戦艦がかの独裁者の艦隊を…」

 

 

 海兵隊の曹長は、インビエルノ首都にいる民衆を焚き付けるための台詞をよく考えてからこの蜂起計画に臨んでいた。

 しかしながらその長台詞を全て読まない内に、曹長は呼びかけをやめてしまう。

 理由は明白であろう、直径7.62ミリの銃弾が彼の喉に突き刺さり、気管や声帯を破壊して首筋の側から飛び出ていったからだ。

 

 曹長はその場に崩れ落ち、その亡骸が地に転がる頃には、彼を狙撃した陸軍部隊が通りの物陰から姿を現し、呆然とする海兵隊員や共産ゲリラを機関銃や自動小銃で掃射し始めた。

 海兵隊も共産ゲリラ達も慌てて応戦を始めると共に、次級者が曹長の拡声器を拾って市民への呼びかけを続ける。

 海軍が思い描く理想も、あの独裁者が招いている現状も、そして提督がこの反乱に込めた想いも。

 

 しかしそのいずれも、誰もいない通りの無機質な岩壁に虚しく響くだけだった。

 最後には陸軍のM47パットン戦車が通りにやってきて、数の少なくなった海兵隊や共産ゲリラに最後の引導を渡すために主砲を向け始める。

 90ミリ戦車砲M36の強力な榴弾が目標以外にまで被害を及ぼしても一切の免責を約束されている戦車長は、散り散りになりつつある反乱者達に照準が向くと迷う事なく射撃号令を出す。

 

 

 海兵隊が期待した民衆の蜂起は一向に始まることはなく、それはM47戦車の砲弾によって何人かの市民が巻き添えになって尚、変わることもなかった。

 



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手を汚す者達

 

 

 

 

 ウゴ・オンディビエラ秘密警察長官は首都内の海兵隊と共産ゲリラによる反体制分子の武装勢力を叩き潰したと報告するために、大統領執務室へと向かって歩いている。

 手元には一冊のファイルがあり、その中には今回の作戦で仕留めた人間の名前が載っていた。

 海兵隊と共産ゲリラの混成軍は壊滅、僅かに生き残った捕虜も、スタジアムで処刑されている。

 このことが提督の耳に入るまでに、そう時間はかからないと思われた。

 だからこそ、ウゴは短節な報告で済むように要領をまとめておいたのだ。

 

 ところが大統領執務室のドアを引いたところで、彼は蒼い髪の長身美女に出会した。

 

 

 

「ああ、タマンダーレさん。大統領にご報告を」

 

「ごめんなさい、長官。アドリアンは今、ベラスコ中将と共に陸軍機による海軍艦隊への攻撃を指揮している最中なの。…ファイルは私の方から渡しておくわ。」

 

「助かります。…それと、大統領に御助言がありまして…」

 

「ええ、それも私から伝えましょう」

 

「どうも。……海軍との衝突が片付いたら、スラム街への締め付けを緩めるように御助言すると伝えてもらえますか?」

 

「………どうして?」

 

「連中はあんな体裁でも"安価な労働力"として必要性があります。お父上はその辺りをよくご存知でした。"奴隷"は消耗品ではなく財産です。鞭ばかりでは持たない。」

 

 

 タマンダーレはウゴの言い分を良く理解しているようだった。

 確かに、ユニオンがこの国を植民地として経営したいのであれば、彼の言い分は誠に正しい。

 しかしながら、()()()()()()()()()からすると、それは間違いであった。

 

 

「ライリー氏も、ここまでの締め付けは望んでいないはずで」

 

「いいえ、ライリーならやり残しを許さないわ。教育を受けていない貧困層は共産主義思想の影響を受けやすい。だからどんな場合であれ、国内にその影響が残る事を許さないでしょう。」

 

「…そういえば、あなたはライリー氏と共に戦っていたとか…分かりました。あなたがそう言うのであれば、そうしましょう。」

 

「それと…長官、アドリアンは提督の裏切りのせいで精神に深刻な影響を受けているわ。…あなたも感じているはず。」

 

「…………」

 

 

 確かに、ウゴから見ても最近のセルバンデス大統領はどこかおかしな様子が度々見て取れた。

 あの選挙を終えてからその猜疑心には拍車がかかり、今ではもう暴走する特急のようになっている。

 現時点で大統領の"暴走特急"を制御できる唯一の人物は育ての親とも言えるタマンダーレのみのようだ。

 

 

「大丈夫よ、あの子自身も自分の症状には気づいている。けれど、あなたが彼と方針を違えるような助言をしたとなれば…それがいくら正論でも、あの子はきっとあなたを疑ってしまう。」

 

「…しかし助言を控えるわけにもいきませんよ。私の職務ですから。」

 

「ありがとう、長官。あなたが誠実な人だって、あの子も心の内ではちゃんと理解しているわ。けれど、今のあの子は不安定。…私から提案があるのだけれど…」

 

「………提案?」

 

「ええ。あなたの助言は、全て私を通してあの子に伝えるようにしておきましょう。」

 

「………」

 

「気持ちは分かるけれど、あの子が疑心暗鬼になってあなたを撃ってしまうよりは……あの子が回復するまで、こうするしかないと思うの。」

 

「………はぁ。仕方ありません。そうしましょう。…先程の件はくれぐれもよろしくお願いします。」

 

「分かったわ」

 

 

 ウゴはタマンダーレの提案に乗って、彼女にファイルを手渡すと、そのまま回れ右をして自身のオフィスの方へ向かっていく。

 ファイルを受け取ったタマンダーレは、その背中を見送りながらも、そっと小さく呟いて、ウゴ自身には聞こえないように詫びを入れた。

 

 

「……ごめんなさい、長官。ライリーなら、あなたの助言をアドリアンに実行させるでしょう。…でも、させるわけにはいかない。あの子を解放するためには、私が手を汚さないと。」

 

 

 タマンダーレは秘密警察長官の背中を見送った後、急足で執務室へと戻る。

 何を急いでいるのかと言うと、彼女にとっても大切な人物が"持病"を再発させていないか心配だったからだ。

 果たして執務室へと戻ると、タマンダーレの心配は杞憂ではないことが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に攻撃は上手くいくのか?この情報は信頼性があるのか?誰が提出した?」

 

「だ、大統領、落ち着いてください。その予想被害は陸軍参謀本部で作成しています。まず間違いありません。」

 

「間違いない?間違いない、だと?不確定要素がいくつも連なる戦闘行動において、間違いのない情報なんて…」

 

「アドリアン!」

 

「!?………タマンダーレ…ああ、すいません、中将。悪い思考の循環に入ってしまっていたようです。…本当にすいません。」

 

 

 タマンダーレがファイルを片手に戻ってきてくれたおかげで、私は自身のパラノイアを傍に置くことができた。

 ああ、本当にいけない。

 中将の困惑した顔も無理はないし、こんな事を繰り返していたらそれこそ中将に造反されてもおかしくないのだから。

 

 

「それで、えっと、あの…A-26は任務を遂行できそうですか?」

 

「ええ、はい、大統領。計画の通り、既に離陸して海軍艦隊の方へ進路を取っています。」

 

「よろしい、本当によくやってくれています、ありがとう。」

 

「ねぇアドリアン、長官からコレを預かっているわ。」

 

「コレは?」

 

「秘密警察と陸軍部隊は首都内の不穏分子を掃討した…こちらの作戦は成功よ。」

 

「おおっ!…となると後は本当に海軍だけですね。」

 

「その通りです、大統領。…差し出がましいかもしれませんが、提督は無謀にも海軍本部から動いていない様子です。首都を制圧した部隊をそちらに派遣するというのは…」

 

「魅力的ですが、今はやめましょう。私が提督の立場なら、『コクレーン』の指揮官に艦隊の指揮権を移譲しています。…提督の方ならあの戦艦を沈めてからでもどうにかなる。」

 

「分かりました」

 

「ユージーンは配置に着きましたか?」

 

「もうまもなくです。…連絡を繋げます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて鉄血公国海軍の新鋭重巡洋艦としてアズールレーンのKANSEN達から恐れられた彼女は、あの独裁者がまるで彼女をアマチュアのように扱ったことが気に食わなくて仕方ない。

 何が"沈めるわけではない"、だ。

 手っ取り早く終わるならそっちのほうがいいだろうに。

 元は海軍の軍人だったというあの独裁者は、彼女からするとあまりに慎重が過ぎるように思えるし、そこに好意を感じることもありえない。

 あのキールの軍港で心の底から信じていた指揮官に売られた事を知った時から、彼女はヒトというものを信じなくなっていた。

 

 

 

「………ま、注文があるなら従うわ…好きなようにやったら?」

 

 

 ユージーンは独り言を呟きながら大きく伸びをする。

 艤装の幾つかはユニオン製のそれに入れ替わっているし、使い慣れた鉄血製のものと比べるとイマイチ馴染まない部分も多い。

 それでも長年の経験が彼女に任務遂行の自信を与えていた。

 ちゃんとした裏付けのある自信に満ち溢れる彼女は、久々の日光を楽しむかのように海上のひと時を過ごしている。

 しかしそれもしばらくの事で、じきにあの独裁者からうざったい雑音混じりの通信が入ってきた。

 

 

『ユージーン、ユージーン、聞こえているかね?』

 

「ええ、バッチリよぉ。もしこの通信を海軍に傍受されてたら、私の名前もバッチリ筒抜けているくらいバッチリ。」

 

『この回線は秘密警察のものだ。海軍には傍受のしようがない。…余計な心配はしなくてもいいから、ちゃんと作戦通りの行動を取れるか心配して欲しい。』

 

「…アンタ、私を何だと思ってるの?」

 

『20年ぶりに実戦に参加する"大ベテラン"、つまり最も厄介な類の相手だと認識してる。他人からの助言には耳を貸さない割に、大事なところでヘマをしかねない。』

 

「…………」

 

『…まぁ、そう怒るな。私を殺したくなったかもしれないが、そうすれば君は復讐を果たせなくなる。』

 

「要件は何?とっとと言ったら?」

 

『なら短刀直入に言おう。陸軍機は既に離陸した。艦隊はじきに対空戦闘で手一杯になる。…そろそろ出発されたい。』

 

「…ふぁ〜あ、なら仕方ないわね。それにしても、アンタどこまで甘ちゃんなの?たかがユニオンから"貰った"KAN-SENのためにここまでするなんて。」

 

『君の使命はここで終わりではない。…薄々感じているだろう?…それに、重ねて言うが、君が警戒すべきは戦艦ではなくて、戦艦を囲んでる駆逐艦の方だ。』

 

「えっと…何?対艦ミサイル…だったかしら?」

 

『その通り。だからこそ艦隊に混乱をもたらす必要がある。何度も言うが決して油断するな。対艦ミサイルならKAN-SENも沈められる。』

 

「ああ、もう、分かった分かった。…それじゃあ…プリンツ・ユージーン、前進するわ。」

 

 

 ユージーンは呆れ気味にそう言いながら海上を新たな目標に向けて進み始める。

 どちらにせよ、あの独裁者が生き残らなければ彼女の目的は果たせない。

 だからこそ、彼女は彼に従うつもりだった。

 

 

 

 



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戦艦『コクレーン』

 

 

 

 

 

 艦隊の中心にいる戦艦のブリッジでは、艦長たる海軍のスアレス大佐が見事なまでの顰めっ面を披露している。

 理由は明白で、海軍は今のところ主要な3つの攻撃の内の2つを退けられていた。

 まぁ、航空隊の件に関しては陸軍の飛行場を叩けただけ良いにせよ。

 しかしあの"デカチチ女"の事を勘案に入れると、どうにもこちらの劣勢は否定できそうにない。

 

 彼は無線の受話器を手に取ると、沿岸の海軍基地で総指揮を取っている提督に連絡を行う。

 それは定時連絡で、彼は提督の指示通り待機して、これまでの間に一切の攻撃を受けていない事を報告しなければならなかった。

 提督はすぐに連絡に応じ、大佐に話しかけてくる。

 

 

『…なるほど。で、君の意見を聞こうか、大佐。』

 

「こんなところで油を売っていても埒があかない。首都の沿岸まで出向いていって、大統領宮殿さえ脅かせば、あのクソッタレも切り札を出さずにはいられないと思うぜ?」

 

『それで?何か行動は起こしたのかね?』

 

「………現在、駆逐艦1隻に偵察を行わせている。あのクソッタレなら、首都沿岸部に機雷を敷設したに違いないと思ったからな。」

 

『なら…現在は掃海中か?』

 

「いや………機雷は敷設されていなかった。」

 

『何?』

 

「どうにも臭うんだよ、提督。あの独裁者は俺たちに向かって懐を開け広げにしてやがる。俺にはどうにも理解できない。』

 

『待ってくれ、偵察に出した駆逐艦からその後連絡は?』

 

「何だって?」

 

『駆逐艦からの連絡だ!連絡は取れているのか!?』

 

「ああ、つい先程まで連絡はついていた。」

 

『ならもう一度確認すべきだ!』

 

「急に慌てて一体どうしたってんだ、アンタらしくもない」

 

『アドリアンが首都沿岸部をガラ空きにしてたのは恐らく罠だ!だがお前たち艦隊主力は現れなかった…警戒しろ!奴は既に次の手を打ってきている!』

 

 

 提督がそう告げた時、ブリッジに伝令兵が駆け込んでくる。

 顔中を汗だらけにした伝令兵は切羽詰まったような様子で、艦長が誰と話していようが構わないつもりのようだ。

 やがて伝令兵が口を開くと、大佐はその理由を知る。

 

 

「艦長!対空レーダーに複数の機影です!」

 

「機影!?バカな!敵の航空部隊は叩いたはずだぞ!」

 

「レーダーは全て正常、間違いありません!」

 

「クソッ!これが奴の"次の手"か!…総員戦闘配置!所属不明の航空機は恐らく敵の部隊だ!叩き落とせ!」

 

 

 大佐は無線を切るとヘルメットを被り、艦内放送装置を使って乗組員に戦闘態勢を取る。

 その後はレーダー室に通信を繋げて、敵航空部隊の情報を問いただした。

 

 

「敵航空部隊の勢力は?」

 

『現時点で20機以上、B-25より高速です。』

 

「火器管制、こちらブリッジ!敵機が射程内に入り次第弾幕を張れ!…畜生!陸軍の奴ら、いつのまにこんな航空部隊を揃えてやがった!?」

 

 

 大佐がブリッジで怒鳴っている間にも、彼の搭乗する戦艦を主体とした軽巡2、駆逐艦2の艦隊は敵方へ向けて対空射撃を始めている。

 しかし敵機の内、最初の4機ほどが、それを掻い潜るように急降下して、眼下の艦隊に向けて航空爆弾を投下した。

 4機が放った爆弾はいずれの艦も捉えることはなかったが、戦艦コクレーンの周囲には至近弾が着弾し、艦体は大きく揺れて舞い上がった水飛沫がブリッジの内部にまで飛んでくる。

 

 

「クソッ!畜生!全艦全力射撃!敵機を撃ち落とさないと、持たないぞ!」

 

「第二波来ます!艦長、伏せてください!」

 

 

 副官の叫び声が大佐の耳をつん裂くと同時に、艦隊の内の一隻の軽巡から火の手が上がるのが見えた。

 どうやら航空爆弾の直撃を受けたようで、艦の後部から火の手が上がっている。

 またしても戦艦コクレーンには命中弾はなかったが、いつまで持つことやら…

 炎上する軽巡を見ながらそんな事を考えていると、水平方向から砲弾が飛んできて、炎上する軽巡の船体後部に直撃した。

 大口径の艦砲をマトモに食らった軽巡は即座に沈下し始め、最終的には轟音と共に海に沈んでいく。

 大佐が顔を青くして双眼鏡を砲弾の飛来方向に向けると、そこには今一番出会いたくない類の人物がいた。

 

 

 

「………か、KAN-SEN…!……それも、重巡級の…KAN-SENだと…?」

 

 

 そこにいたのはあくまで彼らの警戒していた、あの軽巡級KAN-SENではなく、それより遥かに強大な存在で、当然のことながら大佐は困惑する。

 しかし彼が唖然としている間にも陸軍機の攻撃は依然として続いていたし、今度は駆逐艦1隻が複数の航空ばくだを食らって轟沈した。

 その衝撃音と副官の悲痛な叫びが、大佐を現実へと引き戻す。

 

 

「駆逐艦轟沈!大佐!どうかご指示を!対空戦闘は残りの軽巡と駆逐に任せ、我々はあのKAN-SENと一騎討ちを」

 

「ダメだ、一対一ではあのKAN-SENに分がある!むしろ、この戦艦で航空部隊を引きつけよう。駆逐艦と軽巡には搭載した対艦ミサイルでKAN-SENを狙わせる。…操舵手、あのKAN-SENから距離を取れ!対艦ミサイルにしろこちらの砲にしろ、遠距離で有利なのはこちらだ!」

 

 

 大佐の指示の下、戦艦コクレーンは敵の航空攻撃を引きつけつつ後退を始める。

 生き残った軽巡と駆逐艦もコクレーンに続いて距離をとり始めた。

 しかしながら敵の重巡級KAN-SENは対艦ミサイルの情報を知らされているのか、その射程内に入らないよう用心しているように見える。

 手堅い手ではあるが、その場合、今度は戦艦の主砲によって苛まれるという事実は想像できていないらしい。

 

 艦隊の総力を挙げた対空戦闘のおかげで、陸軍機も複数撃墜し、敵の攻撃の勢いは弱まりつつある。

 反撃の態勢を整えるため、大佐は改めて操舵手に指示を下す。

 

 

「操舵手、あの小島が見えるか?本艦をあの島の影まで交代させろ。あそこなら安全な距離から一方的にKAN-SENを砲撃できる。…もしも近づいてくるなら、対艦ミサイルの餌食にしてやればいい。」

 

 

 陸軍の空襲にしろ未知のKAN-SENにしろ、予想外の事は多かったが、結局は優勢な戦いに持ち込めそうな事に大佐は内心歓喜した。

 敵は少なくとも切り札のうちの一枚をむざむざ大佐の手中に転がし込んでしまったのだ。

 こちらも少なくない打撃を受けたが、KAN-SENを沈めれば勝機はまだ見込める。

 しかし、そんな大佐の期待は、操舵手に向かうよう指示した小島の方からいくつもの閃光が瞬いた瞬間に、脆くも崩れ去ってしまった。

 

 

 

「た、大佐!島から砲撃です!」

 

「なんだと!?」

 

「陸軍連中です!…奴ら!島にカノン砲を運び込んでます!」

 

 

 大佐の頭の中で、やっと何かしらが繋がりつつあった。

 陸軍機の空襲も、重巡級KAN-SENも、アドリアン・セルバンデスにとっては"材料"に過ぎなかったのだ。

 奴は恐らく最初から、大佐自身が自分の艦の盾に利用しようとした島に配置しておいた重砲部隊で仕留めるつもりだったのだろう。

 この攻撃は最初から三段構えの罠であり、大佐は敵を罠に嵌めたつもりが、実は自分が罠に掛かっていた事に気付かされた。

 

 

「た、大佐!命中弾多数!このままでは沈みます!」

 

「………」

 

 

 陸軍連中は相当数の重砲を島に運び込んでいたらしく、戦艦コクレーンは無数の榴弾の直撃を受けてその船体の至る所から出火を生じさせていた。

 しかし指揮官たる大佐はもはやただただ呆然とするばかりで、やがて副官は諦めたようにこう叫んだ。

 

 

「もうダメだ!艦を捨てろ!艦を!捨てろおおおお!」

 

 

 その直後には、戦艦コクレーンのブリッジにM107自走砲の175ミリ榴弾が命中した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………随分と呆気なかったわね。…まぁ、反乱軍なんて所詮はこんなモノかしら?」

 

 

 沈みゆく戦艦の姿を見ながら、ユージーンは軽く伸びをする。

 久々の実戦には正直少しばかり心躍るモノを感じていたのだが、まさかこうも簡単に終わるとは。

 あの独裁者の入念な準備には感心しないでもないが、もたらされたモノは彼女から言わせると"クソほどの価値もないモノ"なのだから、本音を言うとあの愛国的な戦艦の搭乗員達が不憫に思えてくる。

 もし彼女が純粋な第三者としていられるなら、彼女は大統領宮殿の方を砲撃していただろう。

 

 そんな彼女の想いなど知りもしない独裁者は、無線機越しに陽気な声を彼女に浴びせた。

 

 

 

『ご苦労、ユージーン。』

 

「戦艦は轟沈したけど、軽巡と駆逐艦はまだ浮いてるわよ?どうして砲撃をやめさせたわけ?」

 

『白旗をあげてるのでは?』

 

「…アンタがどういう人間かは中央情報局のクソ野郎から聞いてるけど、反乱を起こした兵士を生かしておくとは思えない。」

 

『ああ、それはそうだが…回収できる装備は回収したいからね。悪いがユージーン、彼らを拿捕してくれ。』

 

「仕方ないわねぇ…それと、ちゃんと"面会の準備は済ませてるんでしょうね?」

 

『その点は心配いらない。君が大統領宮殿に帰ったら、あの男は好きなようにして構わないよ。』

 

 

 戦いに敗れ、白旗を挙げた惨めな船舶の拿捕など願い下げだったが、今の彼女はそれに耐える自信に満ち溢れている。

 何のことはない、20年来の復讐までほんのもう少しなのだから。

 

 

 

 

 

 



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総統命令666号

 

 

 

 

 

 

 

 

 海軍の誇る戦艦『コクレーン』は簡単に沈んだ。

 正直呆気なさ過ぎるほど呆気ない最期だったし、提督は持てる手段を殆ど機能できずに追い込まれた。

 今や陸軍の主力部隊は海軍本部を制圧する準備を進めている最中であり、私は海軍連中への最後通牒を練り終えようとしている。

 

 原稿の推敲を進めていた時、不意に両肩に重量物が乗せられた。

 両頬と後頭部に感じる温かみ、香り、柔肌、更には吐息が私により一層の安心感を与えている。

 続いて本当に優しさの塊のような声音が鼓膜をくすぐると、私はつい我慢できずに後頭部を彼女の胸に任せてしまう。

 それでも彼女は私を受け入れ、癒してくれるのだ。

 

 

「やっと、やっと終わるよ、タマンダーレ。」

 

「そうね。お疲れ様、アドリアン。…提督への最後通牒を書き終えたの?」

 

「うん。"艦艇を無事に引き渡すのであれば、そちらの投降を認め、提督の亡命を約束する"。既に軽巡と駆逐艦を1隻ずつ回収した。あとは海軍本部の沿岸にいる軽巡だけだ。提督の身の安全を餌にすれば、奴らは必ず食いつくよ。」

 

「乗員はどうするの?…その…こんなこと言いたくはないけれど、彼らは一度あなたに対して反乱を起こしているのよ?」

 

「………提督は私に反旗を翻す前に海軍内部の人事を弄った。左遷された海軍将校達は提督に深い恨みを抱いてる…私に、ではなくね。」

 

「………」

 

「実を言うと彼らへのコンタクトも既に終えている。彼らは海軍の代わりに新しく新編される"沿岸防備隊"の艦長職に就くわけだ。」

 

「…ねえ、アドリアン。どうか正直に言って欲しいのだけれど…」

 

「うん、どうした?」

 

「あなたはきっと、提督を無事に亡命させるわけじゃ」

 

「大統領!ユージーンが戻りました。」

 

 

 心配そうな表情のタマンダーレがそこまで言った時、タイミングよく伝令がそう報告しにきてくれたので、その問題はしばらく棚上げできそうだ。

 私は伝令の報告を受けるとタマンダーレと共に執務室を出て、大統領宮殿の地下にある取調室へと向かっていく。

 元々は大統領宮殿に立ち入ろうとした不審人物を尋問するための部屋なのだが、今日はその部屋の前に1人の女性が腕を組んで待っていた。

 

 

 

「………はじめまして、と言うべきかしらね。アンタがセルバンデス?」

 

「ああ、その通り。顔を合わせるのは初めてだな、ユージーン。こちらはタマンダーレ。お互い顔を合わせる機会も多いだろうから、くれぐれも仲良くしてもらいたい。」

 

「別にそんなのどうだっていいわ。…それより、本当にこの部屋にあいつはいるんでしょうね?」

 

「不審に思うなら開けてみるといい。」

 

 

 ユージーンは軽く肩を鳴らしてから取調室のドアを開ける。

 そこには椅子に縛られた元鉄血公国海軍少佐がいて、私を見るなり抗議の声を上げた。

 

 

「おい!これは一体何のつもり………オイゲン?」

 

 

 椅子に縛られた少佐は、目の前に仁王立ちするKAN-SENを見て言葉を失う。

 対してユージーン…プリンツ・オイゲンは無表情。

 ただその瞳を見るに、決して愉快な気分ではないのだろう。

 しかし悲しいかな、少佐はそんな彼女の様子を理解しているとは言い難かった。

 

 

「………お、オイゲン!オイゲンなのか!?よかった!無事でいてくれ」

 

 

 バキッ。

 顔一面に笑みを浮かべた少佐に、容赦のない鉄拳が繰り出される。

 ユージーンは無表情のまま、ただ憎悪の感情を持って少佐を殴り続けていた。

 取調室には酷たらしい鈍い音が響き渡り、そう広くはない部屋に血液の臭いが充満する。

 私は取調室の外に控えていた衛兵を呼び出すと、彼が腰のホルスターにしまっていた拳銃を取り出した。

 今私が少佐に"してやれること"といえばコレくらいしかない。

 

 少佐をひとしきり殴り終え、肩で息をしているユージーンに、私は銃弾を装填したリボルバーを渡す。

 彼女は感情のない表情でそれを受け取ると、銃口を迷うことなく少佐の方へ向けた。

 しかし少佐の方は相変わらず彼女に訴えかけている。

 

 

「………ぐはっ……お、オイゲン、一体、何が…」

 

「2度とその名前で呼ばないでもらえる?本当に虫唾が走るから。」

 

「いったい……なんで……」

 

「なんで?…今更惚けようっていうの?アンタが一番よく分かっているはず。20年前のキール軍港で、アンタは自分の保身のために私たちをアズールレーンに売った!」

 

「ち、ちがう!」

 

「違う!?…何が違うって言うのよ!?アンタに売られた私たちが今までどんな扱いをされたのか、想像もつかない!?」

 

「ちがう、ちがうんだ!私は…いや、知らなかった…!」

 

「…!………この期に及んで…!もういいわ!泣き言なら、あの世で、自分が見捨てたあの娘達にしなさい!」

 

「待って!」

 

 

 ユージーンがリボルバーの引き金を引かんとした時、思わぬ人物が彼女と少佐の間に立った。

 あろうことか、それは私の大切なタマンダーレで、私は彼女の気でも狂ったのかと度肝を抜かれる。

 

 

 

「タマンダーレ!?」

 

「アンタ、邪魔よ。そこのクズごと撃たれて死にたいわけ?」

 

「ユージーン、あなたの気持ちはよく分かるわ。」

 

「分かる!?分かるって!?あっはははは!ふざけるなッ!アンタなんかに分かるモノか!独裁者の玩具の分際で!アンタなんかに!アンタなんかに!私の復讐を止められるなんて」

 

「ええ!分かるわ!ユージーン!私もかつては復讐を欲していたから!」

 

 

 タマンダーレの瞳は、真っ直ぐユージーンのそれを捉えている。

 背後の少佐を庇うようにリボルバーの銃口と対峙する彼女からは、言いようのない雰囲気が醸し出されていて、やがてはユージーンも何かしらを感じ取ったようだった。

 彼女がやがてリボルバーの銃口を下げると、タマンダーレは言葉を継ぐ。

 

 

「復讐は虚しいものよ、ユージーン。それでもあなたがそれを欲するなら、私はそれを止めない。…でも、復讐に手をかけるなら、少佐の言い分を聞いてからでも遅くはないんじゃないかしら?」

 

「………」

 

「タ、タマンダーレ、もういい、君は別室で待機を」

 

「アドリアン、お願い。このチャンスを逃したら…彼女、きっと生涯に渡って後悔してしまう。」

 

 

 私としてはユージーンなど駒の一つに過ぎない。

 だから、出来ることなら彼女が少佐の言い分を聞く前に銃弾でカタをつけてくれることを祈っていたのだが。

 しかしユージーンがリボルバーの安全装置をかけた事で、私の望みは絶たれたことを知る。

 

 

 

「………分かったわ。……ほら、アンタ。アンタの言い分を言ってみなさいよ。どうせくだらない戯言でしょうけど。」

 

 

 タマンダーレが少佐を起き上がらせ、ユージーンの正面に座らせる。

 顔の腫れ上がった鉄血公国海軍少佐は、それでも尚彼女の事を安堵の表情で見据えながら言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 

 

「…私は君を売った訳じゃない。たしかに指揮官としてあるまじき事をしたかもしれないが……無理かもしれないが、分かって欲しい。ああするしかなかったんだ。」

 

「………」

 

「…20年前、鉄血の敗戦の直前のことだ。私の手元にあの忌々しい文書が届いた。…『総統命令666号』。敗戦が目に見えた状態で、陸海空軍にその戦力に関する命令が下されたんだ。」

 

「………」

 

「第1項は陸軍について。彼らは有らん限りの手段を持って最後まで抵抗せよと命じられた。第3項は空軍について。燃料や部品のない航空機は全機破壊の後、陸軍に合流せよ。…そして、第2項は海軍、特にKAN-SENに関する内容だった。」

 

「………その命令書にはなんてあったわけ?」

 

「………"現時点で鉄血海軍に所属するKAN-SENは全てキール軍港に集結の後、『新型爆弾』を持って自沈させよ"

 

「!!………」

 

 

 ユージーンの瞳孔が大きく開いた。

 きっと、少佐の取った行動…この20年間ずっと裏切られていたと思っていた行動の真意を知ったに違いない。

 しかし、それでも彼女は今までの思い込みを擁護するかのように少佐の言葉を否定する。

 

 

「なっ、何を言い出すかと思えば!突拍子もない!」

 

「突拍子もない?本当にそう思うか?…重水をキールまで運んだ北欧での任務を覚えているだろう?『新型爆弾』は完成間近だったんだ。だが敗戦が濃厚になった時、総統はそれを自軍のKAN-SENに使うよう命じたんだ!接収に来たアズールレーンの軍隊が巻き添えを喰らうように!」

 

「………そんな…じゃあ、アンタは…」

 

「………君が…君がっ…あの悍ましい爆弾の犠牲者になるのが耐えられなかったんだ!!君を失いたくなかった!!だから私は総統命令が効力を持つ前にアズールレーン側と接触した!彼らに『新型爆弾』の研究施設の情報を売る代わりに、…くそっ……、君たちを保護してもらえるように、と。」

 

「…………」

 

「…ああ、そうだ、私は裏切り者だ。でも、どうか分かって欲しい。私は君たちに生きていて欲しかった。例え裏切り者だと思われようと、罵られようと…こうやって殴られようと、君が1日でも長く生き抜いてくれればと、ただその一心で…」

 

「…………」

 

「…だが、その様子だとアズールレーン側は約束を十分に守らなかったようだ。…すまない。もし、気が済むのなら、どうか私を撃って欲しい。"裏切り者"には相応しい最期だろう。」

 

「嘘よ……アンタ、そんな戯言、信じる訳ないでしょう?」

 

「よく考えて、ユージーン?私もあなたも、中央情報局のやり方は知っているはずよ?」

 

「アンタもアンタで信じられないわ!あのクソ野郎の部下だった女なんか、信じられるわけないじゃない!」

 

「なら()()()()"クソ野郎"()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、よく考えて?…普通に考えれば、あなたに真相を知らせかねない存在は猿轡を嵌めておくとは思わない?」

 

「…それは………」

 

「"ごめんなさい"なんて、そんな言葉で埋め合わせなんかできないのは分かってる。あなたが新しい復讐心に駆られて、私やアドリアンに危害を加える可能性も考えた。…それでも、あなたには少佐と話して欲しかったの。」

 

「…アンタ、とんでもない変態よ」

 

「ええ、そうかもしれない。けれど、先も言ったように復讐は虚しいだけ。私も大戦で姉妹を失った時はあなたと同じ気持ちを抱いたけれど…どれだけ敵を殺しても、心に空いた穴は埋め合わせる事はできなかった。」

 

「………」

 

「今、あなた達は必要とされる場所があって、もう一度やり直すことができる。それでもやっぱり復讐を果たしたいのなら、まずは私から撃ってちょうだい。」

 

「おい、タマンダーレ!」

 

「大丈夫よ、アドリアン。彼女なら選択を誤らないわ。」

 

「………」

 

「…本当にすまない……オイゲン。」

 

 

 そこまで言った少佐の頬に、強烈な平手打ちが見舞われた。

 しかしそれは彼を痛めつけようとする悪意によるものではなく、むしろ愛情に立脚した暴挙のように見える。

 その証拠にユージーンはリボルバーを投げ捨てて、涙ながらに少佐のことを抱き抱えた。

 まるで全ての呪縛から解き放たれたと言わんばかりに。

 

 

「ハンスッ!アンタ!…このバカッ!本当にッ、ひぐっ!救いようのないバカよ!…キールで捕まった子達は奴らの実験台にされたのよ!」

 

「ああ!ああ!わかってる!本当に、本当の本当の本当にすまなかった!!」

 

「すまなかったじゃ済まないわよ!…でも………ごめんなさい……………」

 

 

 

 ユージーンも少佐も、今では涙しながら抱き合っている。

 ややもすると感動的な場面に見えるだろうが、私からすると当然戦慄ものだった。

 私は取調室を出ると、別室に移動してホルスターから45口径を取り出した。

 そしてそのまま初弾を装填し、安全装置を解除する。

 

 悪いが、彼らには死んでもらわねばならない。

 だから取調室へ向かおうとしたのだが、そのタイミングでタマンダーレが入ってきてドアに鍵を閉める。

 彼女の瞳を見る限り、彼女は私をとめようとしているようだった。

 



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心理的依拠の変更届

 

 

 

 

 

 私は45口径を片手に、タマンダーレと対峙している。

 彼女と出会って十数年になるが、普段は感謝と愛情を感じている彼女にここまで苦々しい感情を覚えたのはコレが初めてだった。

 

 

「なんて事を!畜生!なんて事をしてくれたんだ、タマンダーレ!」

 

「落ち着いて、アドリアン!」

 

「あなただけは私を裏切らないと信じていたのに!クソッ!台無しだ!」

 

「私はあなたを裏切っていないし、裏切りもしない。お願いだから話を聞いて!」

 

「自分が何をしたか分かってるのか!?…クソ!もう終わりだ、お終いだ!ライリーの部下に殺される!中央情報局の暗殺部隊が相手なら、陸軍なんて何の役にも立たない!畜生!」

 

「落ち着きなさい!」

 

 

 結局のところ、タマンダーレはパニックを起こす私をいつも通りの方法で落ち着かせた。

 あの温かな抱擁は錯乱に近い状態でも効果があるようで、私は自然と呼吸を整える事ができる。

 鼻腔から入る彼女の匂いが、私の心に安息を齎すと、私はようやっと落ち着きを取り戻すことができた。

 

 

「………何故なんだ、タマンダーレ。何であんな事…」

 

「大丈夫、心配いらないわ。」

 

「大丈夫なものか!ライリーさんの指示に逆行する行いだ!我々は彼の不信感を買ってしまった!あの少佐とKAN-SENは知らなくて良いことまで知ってしまったんだ、何であんなこと!」

 

「ライリーは私の方から説得するわ!彼も同意せざるを得ないハズ!」

 

「バカな!中央情報局の秘密情報を握ってるような存在を生かしておくと言うとでも!?ライリーさんは」

 

「いい加減に気づいて、アドリアン!ライリーはあなたのことなんか考えてないのよ!?」

 

「!?」

 

 

 もはや半泣きに近い私を抱えながら、タマンダーレはそう言った。

 しかし私としては予想外の言葉だったから、驚きのあまり彼女の顔を覗き込む。

 こちらの瞳には若干の不信感が含まれていたに違いない。

 だから彼女は私の瞳をじっと見下げて、何かを諭すようにゆっくりと話し始める。

 

 

「………()()()()()()()よ、アドリアン。ライリーが何と言おうと、この国の大統領はあなた。彼女達の処遇にしても、ライリーではなくあなたが決めるべき案件よ?」

 

「彼は私のスポンサーです。それも絶対的なスポンサーだ。逆らうわけには」

 

「いいえ、()()()スポンサーよ?なんでも彼の言う通りにする必要はない。…アドリアン、どうか私を信じて。ライリーは納得させるし、こうした方が私達のためにも、彼女達の為にもなる。」

 

「………」

 

 

 彼女は私を抱えたまま、近くの椅子を引き出し、その上に座る。

 私といえば12歳くらいに何かヤケを起こした時よくそうやられたように、彼女の柔らかな太ももの上に座らされた。

 青春時代は勉強机とタマンダーレの間を行ったり来たりして過ごしたっけ。

 おかげで背丈はまるで伸びていない。

 今でも彼女は私を背後から包み込めるし、そして落ち着かせる事もできる。

 気づけばタマンダーレは私の45口径をホルスターに戻していたし、先ほどまでの恐慌状態に近い感情は消え失せていた。

 そして幼き頃からの習慣は、私の口調をその時代の口調に合わせて変えてしまう。

 

 まるで何か催眠術にかかったようだった。

 何故か知らないが、もういい歳こいた成人男性だというのに…いや、だからこそかもしれない…彼女の腿の上に乗ると紐で縛っていたものが解けていくように、不思議と内心を吐露してしまう。

 頭はぼうっとして、どこか心地よい。

 まるで焼きついた機銃の銃身を、氷水に突っ込んだかのよう。

 彼女との会話は、あの"当時"と同じように、穏やかなモノになっていく。

 

 

「…どうして、そこまで拘るんですか?彼女達を殺してしまえば、それで全て解決するのに…」

 

「アドリアン、KAN-SENの替えは効かないわ。…ライリーはね、あなたが思っているほど完璧な人間ではない。結局、あの人も色んな良いところはあるけれど、悪いところもあるの。」

 

「………」

 

「…ライリーはきっと、あなたがこの内紛で失う海軍戦力の代わりとして、彼女を"派遣"ではなく"配属"したの。でもライリーは愚かにも、その為に彼女の復讐心を利用した。」

 

「………」

 

「復讐を果たした後の人間がどうなるか、知っているかしら?呆然として、何もやる気が起きなくて、この世の全てが嫌になってしまう。」

 

「…どうして分かるの?」

 

「…私もかつて大戦で姉妹を失った時、復讐に溺れてしまったから。コロンバンガラの後、暴言を吐きながら敵のKAN-SENや艦艇を探し回っては自分から戦いを仕掛けるようになっていた………けれど、殺しても殺しても、気持ちは全く晴れなかったの。」

 

「………」

 

「"間違い"にやっと気づいたのは、戦争が終わって、占領軍として重桜に入った時。遂に重桜海軍を倒したのに、達成感や喜びは現れなかった。…感じたのは虚しさだけ。」

 

「虚しさ?」

 

「ええ。私が重桜に入った時、そこはかつて東洋一と呼ばれた国家ではなくなっていたわ。多くの人々が家を、家族を、子供達まで失って………そして、それをやったのは私なんだって、思い知らされた。」

 

()()()()()()、それはあなたのせいじゃ」

 

「分かってる。けれど、戦争を理由に復讐に没頭していたのは事実だもの。重桜にはその後、復員作戦が始まるまで何度か寄港して、そのたびにできる限りの復興を手伝ったわ。…あの戦争で初めて達成感を得たのは、本当を言うとその時よ。」

 

「………それじゃあ、ユージーンに復讐を思いとどまらせたのは…」

 

「戦争が終わった後、私には新しい目標ができた。だから精神を病むこともなかった。…けれど、オイゲンは?彼女が少佐を殺してしまったら、次はどんな目標を与えれば良いの?」

 

「………」

 

「ライリーはあなたが思っているよりずぅっと杜撰なヒトよ?彼は自分の配下のことを手駒としか見ていない。…だから、こんなことは言いたくないけれど…」

 

 

 タマンダーレが私を立ち上がらせて、自身も立ち上がる。

 彼女は私を向かい合わせると、先ほどよりもずっと強く抱擁した。

 そして何かを訴え出るように、何か強固な意思を含めて、口を開く。

 

 

「……ライリーより私を頼って、アドリアン。あなたは私にとって大切な"家族"…それも、もうあなた一人しかいないの。私はあなたを失いたくないけれど、ライリーはあなたを駒としか見ていない。」

 

「………でも」

 

「ええ、分かってる。逆らえと言ってるわけじゃないの。でもどうか…選択に迷う場面があるのなら、私を信じてくれないかしら?」

 

「………………分かりました、でもこのことはどうか…」

 

「うっふふふ♪私がライリーに話すわけないでしょう?…嬉しいわ、アドリアン。これであなたは強力な戦力を失わずに済むし、その戦力はあなたに忠義を感じるはずよ?…それじゃあ、行きましょう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大統領執務室

 

 

 

 

 

 

 

「ハンス・ルートヴィヒ少佐?」

 

「…はい。」

 

「改めて確認したいのですが、あなたは新設されるインビエルノ沿岸警備隊の初代長官になる…よろしいでしょうか?」

 

「…本当にいいんですか?」

 

「本当にいいか聞いてるのはこちらなのですが?」

 

「それは分かりますが…私は一介のいち指揮官です。そんな組織を指揮する…それも外国の軍事組織を任せてもらうなど…身に余るかと」

 

「いい加減覚悟を決めたら、ハンス?…言うまでもないけれど、ハンスさえよければ私はこの国に留まるわ。"プリンツ・ユージーン"として、ね。」

 

「ユージーンはご覧の通り同意しています。後はあなた次第だ、少佐。それに脅すわけじゃないが、ウゴの組織が国内で"猟兵グループ"の活動を確認した。…今また密林に隠れるのは得策とは言えません。」

 

「………うっ………」

 

「ハンスッ!」

 

「…ッ、分かった、分かった、待ってくれ、オイゲン………コホン、分かりました、大統領閣下。私、ハンス・ルートヴィヒは大統領閣下に忠誠を誓います。」

 

「ようこそ、ハンス・ルートヴィヒ"大佐"。陸軍部隊が海軍基地を制圧したら、あなたはいよいよ将官になる。…もうしばらくお待ちください。なんたって、海軍基地を制圧しないと、海軍将官用の制服が手に入りませんのでね。」

 

「あは、あはは」

 

 

 

 苦笑いを浮かべるルートヴィヒに、ユージーンが抱きついた。

 ほんの数時間前まで片方が片方を殺そうとしていたとは到底思えない仲睦まじさには脱帽するほかない。

 しかしながら、これでタマンダーレの言う通り、ユージーンは否が応でも私に忠誠を示さなければならなくなるだろう。

 夫と共に良い暮らしをしたいのなら、私を裏切るわけにはいかないからだ。

 そう考えると改めてタマンダーレはよくやってくれたとみるべきだろう。

 彼女には感謝しても感謝しきれない。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、ユージーンはハンスを一通りハグすると、今度は私の方にやってきてこちらにもハグをした。

 

 

「アンタ、あのクソ野郎なんかより全然信頼できそうね。」

 

「ご注意を、そう見せてるだけかもしれない」

 

「本当に注意すべき人間は"自分に気をつけろ"なんて言わないもの。正直、真実を知った時、私はアンタに殺されるのかと思ってた。…あまりに知りすぎたから。」

 

「………まぁね、でも彼女がアドバイスをくれたんです。」

 

 

 私が笑顔でこちらを見るタマンダーレの方を指さす。

 一瞬、節度のない恋人に絡まれる息子を見ている怒り心頭な過保護な母親の笑みに見えなくもなかったが、きっと気のせいだろう。

 ユージーンはそれでも私に抱きつきながら言葉を続ける。

 

 

「まっ、それでもアンタには感謝ね。本当にありがとう。…私達は忠義を尽くすわ。アンタが裏切らない限りは。」

 

「それは頼もしい。…ほら、もうそろそろルートヴィヒ大佐の下へ戻ってください。挙式の事でも話し合えばよろしい。それではまた。」

 

 

 

 大佐とユージーンの背中を見送っていると、今度はいつも通りに私の両肩に重量物が乗っかった。

 背後から温かさと良い香りを感じて、私は深呼吸をする。

 

 …ともあれ問題は片付いた…それもベストな方向で。

 あとはハンス・ルートヴィヒ大佐の昇進のために必要な制服を、確保するだけだった。

 

 

 



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20年来の鬱憤

唐突にギャグ分が入りますご注意下さい


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 首都から北に200km

 "北端砂漠"の南端

 国境まで230km

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 抵抗こそしたものの、結局海軍および海兵隊は最後通牒に従った。

 海軍基地正面を守っていた海兵隊が81ミリ迫撃砲や75ミリ榴弾砲の火力に晒されて、おまけにM24軽戦車の群れと対峙することになると、これ以上の抵抗は無意味と考えて白旗を掲げたのだった。

 提督自身は最後の最期まで抵抗を試みるつもりだったのだが、海軍の生き残り将校達が無理やり彼から武器を取り上げて投降という道を選んでしまった。

 彼ら曰く、「生きていれば次がある」。

 しかし提督の知る限り、次などもう、どこにもない。

 

 

 

 提督は今、広大な砂漠の広がる国境付近へと移送されている。

 北の隣国との境目は何十年も前からこの砂漠であるわけだが、しかしあまりに漠然とした砂の地表に国境線を見出すのは不可能だろう。

 政権側は約束通り提督に亡命の許可を出した。

 純粋無垢な海軍将校達はセルバンデスが外務省に制作させたビザとパスポートを手渡されると、提督は助かったと喜んで、こちらも約束通り軽巡洋艦を無傷で引き渡した。

 

 海軍将校達は自分を犠牲にして提督を守ったつもりに違いない。

 提督自身、教鞭を取っていたときは自己の利益より他者の命を優先するように教え込んでいた。

 彼らは提督の教えを忠実に守ったが、提督自身にとってそれはあまりにも苦々しい事実だ。

 海軍将校達はウゴの秘密警察のトラックに乗せられて、そのトラックはスタジアムへと向かっていく。

 提督はただ1人だけ陸軍のトラックに乗せられて、そこにはすでに見知った顔の先客達がいたのだ。

 それは提督が左遷した将校達で、彼らは提督に危害こそ加えなかったものの、気味の悪い薄笑いを浮かべるだけで敬意を示すはずもなかった。

 

 

 

 やがて北に向かっていたトラックはその足を止める。

 ブレーキの音が響いて甲板が開けられると、左遷組の将校達は次々にトラックから降りて行き、そして最後に提督自身もそこから降ろされた。

 目の前はだだっ広い大砂漠。

 だというのに、左遷組の内の1人がニヤニヤと笑いながら提督にビザとパスポートを手渡した。

 

 

「提督閣下、ここから僅か200km歩けば北の隣国です。大統領はあなたに亡命を許すと言う寛大さを示しました。…どうぞ?」

 

「…ふざけているのか?…この砂漠をどうやって」

 

「ご自身の足があるでしょう?ここで止まるのも自由ですが、我々には亡命予定の政治犯に食料を供給する義務はない。勿論、軍の貴重なガソリンを使って送り届ける理由も。」

 

「…………」

 

「とはいえ、水もなしに歩かせるのは非人道的と言うものです。どうぞこちらを。」

 

 

 将校はそう言って、大佐に一本のボトルを手渡した。

 それは濁った液体の入ったボトルで、提督がその口を開くと、中からは言いようのない臭いがする。

 それはかつて提督が誇りとしていた臭いだった。

 

 

「………海水、か?」

 

「もしできるならご自害なさっても構いませんし、我々は何があっても亡命予定の丸腰の人間を撃ち殺したりはしません。ただ、監視はしております。…それでは良い旅を。」

 

 

 左遷組将校達はそう言って笑い声を上げながら軍用トラックに乗って走り去っていく。

 日中は最高40度、夜は氷点下を記録する何もない砂漠のど真ん中に、提督を置いて。

 彼の手元には隣国のビザとパスポート、それに一本の塩分濃度の高すぎる水だけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タマンダーレはオイスター・ロックフェラーをいつもより多く焼き上げた。

 それは私の他にそれを食する人間が増えたからで、それは我々の新しい切り札として加わったハンスとオイゲンのルートヴィヒ夫妻だ。

 ハンス・ルートヴィヒはあの後、おめでたいことに改めてオイゲンに求婚、オイゲンはそれを承諾した。

 そして指揮官職の伝統に則り、彼はオイゲンをユニオンが与えた仮名称から解放したのだった。

 彼女は今やプリンツ・オイゲンという名前を取り戻し、"ユージーン"は対外的に必要がある場合やコールサインとして使われることになる。

 

 それにしても、私がルートヴィヒ夫妻と共に夕食を取るのはお祝いの意味だけではない。

 これはタマンダーレの勧めでもあり、彼らとの関係を深めることが私に取って有利に働くという理由からだった。

 

 私が最も信頼を置く女性によると、どうやら私やライリー氏のような人間は手元の人間を"駒"として扱う傾向にある。

 しかしながら、彼女に言わせるとこの場合は最終的に途方もない代償を償うことになりかねない。

 そもそも人のことを駒だのどうだの言う時点で、その感想は言葉にせずとも態度に現れるのだ。

 やがてそれは反感を買い、最後には本当に裏切られるようになる。

 彼女の言うにはそれを防ぐためにも私達は顔のある人間として互いをよく知っておく方が良い。

 だからこそこうやって机を囲んで食事をするのだ。

 

 

 

 タマンダーレは調理のために席を外していたが、それでもこの夫妻を疑っていないことに私は自分で驚いた。

 彼女は最初心配して頻繁に戻ってきてくれたが、私はこの前まで彼女不在の間抱くようになっていた疑心暗鬼の念は浮かず、私は晴れやかな気持ちで夫妻を眺めることができる。

 それはきっと提督の件が片付いていたからであろう。

 左遷組の将校達からの報告では、提督は"亡命を始めて"3日後の今日、ようやく砂漠のど真ん中でくたばった。

 最後にはなりふりも構わず海水に口をつけていたというが、それはやぶれかぶれの行動であろうか?

 それとも自身の死期を早めるためか?

 どちらにせよ、国内の脅威は片付いた。

 投降した海軍将校達は全員処刑したし、水兵達は全員処刑するわけにはいかないので抽出処刑によって引き締めを行っている。

 正に万事順調。

 

 しかしながらこの夕食会が始まると、そこでの会話はそこまで順調ではなかった。

 

 

 

「ねぇ〜ハンスぅ〜、そろそろベッドに行きましょうよ〜♡」

 

「オイゲン!オイゲン!しっかりしろ!…申し訳ありません大統領!」

 

「………」

 

「…アドリアン、彼女は数十年囚われの身だったのよ?大目に見てあげて?」

 

 

 酔っ払ったオイゲンと、それに苦慮するルートヴィヒ大佐。

 どことなくコミカルだが、大佐からするとこんな会話を独裁者の前でやりたいわけもなく。

 私といえば羽目を外すのは大目に見ても、もう少し別の場所でやってほしかった。

 

 

「ハンスぅ〜ハンスぅ〜…あっちに丁度いいベッドがあったわぁ♡…こんなおっきな天蓋が」

 

 

 オイゲン、頼む、やめてくれ。

 それはきっと私のベッドだし、こう言ってはなんだが、幼い頃から愛用してるベッドでもある。

 君たちには寝床を用意してるし、一流品を当てがっているつもりだ。

 天蓋付いてた方が"雰囲気"が出ることは否定しないが、頼むから私のベッドではやらないでくれ。

 

 

「大統領、冗談です。彼女飲みすぎてまして…」

 

「やだぁ♡やだぁ♡あのベッドがいい〜♡」

 

 

 オイゲンの手元には、インビエルノ・ワインの空瓶がもう既に何本も転がっている。

 今の今まで仇としてきた人物相手によくもここまで"手のひら返し"できるものだ。

 まぁ、彼女の気持ちも分からんでもない。

 彼女達はようやくお互いの誤解を20年越しに解いたのだ。

 なんらかの反動があっても理解はするが私のベッドを使おうものなら理解はしない。

 絶対にやめろ。

 

 

「もぉ♡ハンスったら心配しすぎよぉ♡いざとなったら、たまんだれー(タマンダーレ)に任せれば良いじゃない♡」

 

「あー…えーと…そろそろデザートを用意しようかしら?…オイゲンも飲み過ぎてるみたいだし…」

 

「申し訳ありません、タマンダーレさん。ほら、オイゲン頼むよ。節度を保ってくれ。」

 

「せっかくの牡蠣料理なのよぉ♡ヤることヤらないでどーするのぉ♡」

 

「オイゲンッ!」

 

 

 ヤることヤりたいなら本当に頼むから自分達の部屋に帰ってからにしてくれ。

 ここでそんな用途の部屋を見つけようとはしないことだ。

 私は君たちを"雇用"したばかりだが、だからといってやって良いことと悪いことがある。

 そもそも私は独裁者なんだぞ?

 もしかしてご存じない?

 

 

 

 酔っ払ったオイゲンに困らされていると、夕食会の部屋に伝令がやってきた。

 新しく手に入れた戦力に早速疲れさせられたところだったから、私はこの場から一時的とはいえ抜けられることを嬉しく思う。

 私はルートヴィヒに"くれぐれも"よろしく頼んでから、タマンダーレを連れて執務室の方へと戻ってきた。

 そこには電話機があり、電話の相手はユニオンにいる。

 

 

 スピーカー通話のボタンを押して、会話の内容をタマンダーレにも確認できるようにすると、私は交換手を呼び出してこの時間帯に電話をかけてきた不埒な人物との通話を繋げる。

 声はバージニア州ラングレーから届いていたし、それが初めてでもなかった。

 

 

『新しい戦力をうまく手込めにできたようだな、アドリアン』

 

「ええ、お陰様です、ライリーさん。ご支援いただけたおかげで共産勢力と反体制派の両方を潰すことができた…本当にありがとうございます。」

 

『礼には及ばない。…ところで、こちらの長官が君にある要求をしたがっている。』

 

「中央情報局の長官から?」

 

『いや、正確には外務省からだ。もう少しそちらのゴタゴタが収まったら、こちらへの外遊に来てもらいたい。』

 

「外遊?」

 

『ああ、そうだ。政府は君の戦力をもっと強化しようとしているが、そのためにも君が我々の誠実な友人だと国民にアピールしたいそうだ。』

 

「………なるほど、分かりました。」

 

『交通手段その他諸々はこちらで手配する。なぁに、そう緊張することはない。タマンダーレと軽い家族旅行のつもりでくれば良い。…そういえばタマンダーレ、君は"機転を効かせてくれた"な?』

 

「ええ、ライリー。あなたの計画の不備を修正しただけよ?」

 

『…ああ、そうだろうな。…それでは、詳しい日程は後から送る。会うのが楽しみだ、オーバー』

 

 

 

 

 電話が終わった後、私はタマンダーレの近くに行ってこの通話の意図を話し合う。

 たしかに政権がようやく安定したこの時期なら、外遊と聞いても不自然ではないだろう。

 だが直感的にはある種の疑惑が頭をよぎっていた。

 "どうにもクサい"と。

 

 

「…ライリーさんの意図はなんだろうか?」

 

「恐らくだけど、()()()()()のかもしれない。」

 

「気づかれたって?…何に?」

 

「!?…あっ…何でもないのよ、アドリアン。ともかく外遊の要請があったからには行かないわけにはいかないわ。」

 

「…不謹慎かもしれないが、正直少し楽しみだ。タマンダーレとユニオンに行けるなんて。」

 

「うっふふふふ、私も楽しみよ。…さて、そろそろお食事に戻りましょう。」

 

 

 

 タマンダーレと共に夕食会の部屋に戻ると、オイゲンもルートヴィヒも姿を消していた。

 何か悪い予感を感じた私は自分の部屋へと走って向かう。

 まさかとは思いつつ自分の寝室のドアを開けようとすると、それは既にロックされていて、中からはギシギシというベッドの揺れる音が漏れ出していた。

 

 

「うそ………だろ………」

 

「あっ…えっと…アドリアン、今日は私と一緒に、ソファで寝ましょう?」

 

「………私の…私のベッドが…」

 

「あっ!あっ!私の部屋!ねぇアドリアン!私の部屋は初めてでしょう?ねぇ!?今日は私の部屋でラッキー・ルーしてあげるから!ね!?」

 

 

 部屋の前で呆然とする私がタマンダーレに宥められてその場を立ち去ったのはその30分後。

 翌朝にはユニオン系の清掃業者が私の部屋を隅々まで綺麗にして、ベッドを置き換え、ルートヴィヒが何度も繰り返し謝罪をしてきた。

 後に分かる話だが、この時ルートヴィヒはオイゲンとの間に一人息子を授かっている。

 

 

 

 その子は『ヨアヒム』と名付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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平和への備え
マザーコンプレックス


 

 

 

 

 現在

 ユニオン

 バージニア州

 ラングレー

 

 

 

 

 

 

 

 

 首都からこちらに帰ってきたのは、結局のところ夜中になってしまった。

 とはいえ、やらなければいけないことは多い。

 今日の帰宅は随分と遅い時間になりそうだが、しかし国家全体の安全がかかる仕事を放置できるほどの胆力は彼になかった。

 

 

 尋問室では顎髭を盛大に伸ばした中東系の男がこちらを待っているハズだ。

 名前は"アリー・ハルマーン"。

 三ヶ月前、中東某国のユニオン大使館に自爆車両で突っ込んだ"敬虔な男達"に、プラスチック爆弾タップリのベストを供給した疑いをかけられている。

 

 ヨアヒム・ルートヴィヒは洗面所に立ち寄って、眠気を覚ますためにも顔を一度洗う。

 自分が子供の頃、母親のアザを見て自分はそんな事をする人間になりたくはないと思っていた。

 だからこそ"やり方"には拘ってきたし…そのせいで理解されない部分も多いが…成果は一つずつ積み上がっている。

 

 首都で初めて顔を見た、あの得意げな老人のようなやり方は絶大な効果をもたらすかもしれない。

 実際のところ、冷戦後に再編成された北方連()の工作員達をはじめ多くの機関は未だに彼と似た方法で諜報資産を動かしている。

 だからこそ旧時代の遺物として一蹴するわけにもいかないが、しかし、彼にとってそれは禁忌でもあった。

 …それにしても、自分からこんな道を選ぶなんて。

 

 

 鏡越しに自分の顔を嘲笑い、彼は資料を手に尋問室へ向かう。

 尋問対象は少しでも自分を"固い"人物だと思わせるために胸を張っているようだったが、その顔は不安で彩られている。

 無理もない。

 自分が何故ここにいるのか理解していれば、誰でもそういう顔をする。

 中央情報局中東方面担当官であるヨアヒム・ルートヴィヒは、ラップトップ2つと書類一式を持って尋問室に入った。

 

 

 

「…やあ、待たせてすまないね。自己紹介から始めておこう。私はヨアヒム・ルートヴィヒ。君の名前は?」

 

「…………」

 

「なるほど、賢い手だ。君はアリー・ハルマーン。相手が誰であろうと金さえあれば武器を売る…そういうタイプの武器商人だ。アイリスあたりの人権団体が君を見つければ人気者になれそうだ。」

 

「………」

 

 

 アリー・ハルマーンは口を閉ざしたまま。

 尋問はまるで進みそうにもないが、だからといってやめるわけにもいかない。

 この場合、効果があるのは切り口を変えること。

 そしてもちろんのこと、それはヨアヒムにとっても想定内だった。

 

 

「………ハルマーン家は6人兄弟だったね。正直少し羨ましい。私の母は若い頃に受けた実験のせいで私1人の他に子供を産めなかった。兄弟のいる幼少期に憧れがある。」

 

「………」

 

「まぁ、ともかく。君があのテロリストどもに武器を売ったのは、そのご兄弟のうちの1人が"猟兵グループ"に殺されたからだろう。…連中は冷戦が終わった今もやり方を変えていない。私の父も"よく世話になった"そうだが。」

 

「………」

 

「君の上2人の兄は早世した。つまり君は一家の実質的な長男だった。当然ご両親の面倒は君が見たし、君は我々に捕まる直前まで母親の健康状態を気にして電話をしていた。まぁ、逆にいえば我々はその電話から君の位置を割り出したわけだが。」

 

「………」

 

「…この2つのラップトップには、今現在中東の上空を飛んでいる2機の無人機の映像がそれぞれに映っている。どうかよく見て欲しい。」

 

 

 ヨアヒムはそう言って、持ち寄った2つのラップトップを開いて中身をアリー・ハルマーンに見せた。

 その時初めてハルマーンは表情を硬化させる。

 次いで何かヨアヒムには分からない言葉で怒鳴り散らしたが、彼にとってはそれだけで十分だった。

 

 

「…そう。武器商人の君なら分かるだろうが、こっちは攻撃型無人機の映像だ。こっちは偵察型無人機。両方とも同じ対象を映してるな…君のご両親の家だ。」

 

「クソ野郎!くたばりやがれ!」

 

「知っての通りユニオンの攻撃型無人機なら、こんな家すぐに吹き飛ばせる。」

 

「それで脅したつもりか!ふざけるな、この!クソッタレ!」

 

「………君の怒りはよく分かる。私の両親もこの手の脅しにはウンザリしていたらしい。…君が怒りを抱いてる理由は、きっと弟さんの復讐だけが原因じゃないはずだ。」

 

「はぁ?……」

 

「君が爆弾を売った組織…そのテロ組織は裏切り者を許さない。君が何か喋ったと知れば、君のご両親は酷い殺され方をする。…それも、攻撃型無人機で吹き飛ばされた方がマシと思えるくらいに酷いやり方で。」

 

「………」

 

「だから君はご両親を助けたくても助けられない。…でもまだチャンスはある。こっちの偵察型無人機の映像を見てくれ。」

 

 

 ヨアヒムはそういうと、偵察型無人機のラップトップを操作して、この武器商人の家をフェードアウトさせる。

 そのあと無人機が撮影対象を変えてある特定の位置をズームすると、そこには砂漠の上で待機する存在がいた。

 ユニオンが誇るUH60ヘリコプターがローターを回転させながら接地していて、その周囲ではフル装備の男達が無線機からの指示を待っている。

 ハルマーンは決して頭の悪い人間ではなく、男達が両親の家を襲撃するためにそこにいるわけではないと直ぐに分かった。

 それなら無人機のミサイルでカタがつく。

 

 

「君が我々を協力するなら、ご両親をテロ組織の手の届かない所に移送する用意がある。」

 

「…信じられるか…そもそもアンタらは、俺の家族を助けて何になる?」

 

「もしそれが好みだと言うのなら、我々は君をうんと痛めつけるし自白剤も投与する。でも我々が欲しいのは、痛みから逃れようと必死な人間の言葉や、ヤク中が話す言葉よりも確度の高い情報だ。我々が君の家族を保護するということは、言い方は悪いが嘘をつけないように人質に取っているようなものだ。…ただ、これだけは信じて欲しい。君が嘘さえつかなければ、我々は人質に手出ししない…無用に人質を痛ぶっても何にもならないからな。」

 

「………」

 

「どちらにせよ、ご両親の運命は君次第だ。…かつて、母の知人は彼女にこう言ったらしい。『復讐は虚しいだけ』と。弟さんは残念だったが、このままでは遅かれ早かれご両親まで失うだろう。…どうか私にこのボタンを押させないでくれ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリー・ハルマーンから必要な情報を取ったあと、ヨアヒムはその情報を整理して、精査させるために解析部に引き渡すとようやく帰途についた。

 自ら車を運転して、いつも通りの道を通り、そして家に着いたのは日付が変わる少し前のこと。

 最近はこんな生活が多いな、そう思いながら自宅の玄関を開ける。

 

 

「ただいま」

 

「あら、遅かったじゃない。もしかしてデートでもしてたの?」

 

「まだ起きてたの、母さん。」

 

「あなたが心配なのよ。ハムでも焼こうかしら?」

 

「いや、夕飯はもう済ませたよ。」

 

「そう………今日はあの"クソ野郎"から話を聞いてたんでしょう?」

 

「ああ。おかげで帰るのがこの時間になってしまったけどね。…あれくらいの話なら、母さんから教えてくれても良かったじゃないか。」

 

「ふふふっ、私があの"クソ野郎"にあなたを会わせて話を聞かせたのには理由があるのよ。でもその様子なら、まだ教えない方が良いわね。…今日は疲れたでしょう?こっちにいらっしゃい、子熊ちゃん?」

 

 

 ヨアヒムは盛大にため息を吐いて、暗い部屋の中ソファに寝そべってテレビを見ている母親の下へ向かう。

 オイゲン"母さん"はTシャツにパンティというあまりにも無防備な格好で、故にヨアヒムは視線の向け先に困ってしまった。

 彼のために座り直してソファのスペースを空けた彼女の瑞々しい柔肌は、本当に自分の母親が疑わしくなるほどに若さを保っている。

 しかし、いつも通りに彼女の腿に後頭部を任せてソファに寝転がると、外面は若々しくても内面は成熟しているのだと改めて認識させられた。

 

 

「………ところでヨアヒム?あなたの書斎でこんな写真を見つけたのだけれど…」

 

「あっ!それはっ!」

 

「何これ?私があそこで拘束されてた時の写真じゃない。…ふっはあああぁぁぁ………母さん悲しいわ。よりによって我が子が本当にこんな変態だったなんて。」

 

「ちちちち、違うんだ!それは資料として!」

 

「ふふふふふ♪…私が魅力的なのは分かるけど、動揺しすぎよ子熊ちゃん。そういうところはハンスそっくり。…だからあなたに諜報の仕事なんて向いてないって言ったのに。」

 

「…それとこれとは別だよ。」

 

「そうよね。母親の拘束着写真目当てに入ったのよね?」

 

「違うってばあ!」

 

「あっははは!…あまり揶揄うのもかわいそうだし………"クソ野郎"からはどこまで聞き出したの?」

 

「母さんが父さんと大統領宮殿に迎えられたところまで。彼は母さんが誤解してるって言ってた。母さんが感謝すべきはセルバンデスではなくタマンダーレ…セントルイスの方なんだって。」

 

「あら、彼女の口添えがあったことは知っているわ。それでも()()()()感謝すべきはアドリアンの方よ?」

 

「………どういうこと?」

 

「彼の天蓋付きのベッドがなければ、あなたきっと産まれてない」

 

「生々しいからやめて!?」

 

「うふふふふっ!…まぁ、それでもやっぱりアドリアンにも感謝しないとね。彼もまたあの"クソ野郎"の手駒にされた、ただの1人の人間に過ぎなかった。」

 

「母さんと父さんが結婚した直後に、セルバンデスはセントルイスと一緒にユニオンへ向かったと言ってた。そこから先は母さんでも話してくれるだろうって言ってたけど。」

 

「…ええ、良いわよ。まぁ、最後まで話す前にまたあの"クソ野郎"のところへ行ってもらうでしょうけど。」

 

「彼が外遊に誘われたのは、もしかして」

 

「はい、ストップ。今日はもう遅いから、さっさとお風呂に入ってきなさい。…明日は休みなんでしょうから、ゆっくりと話してあげるわ。」

 

「………分かった」

 

「それじゃ、今日も"ママ"が添い寝してあげるわね、私の子熊ちゃん♪」



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ユニオンへの旅路

 

 

 

 

 

 

 

 朝目を覚ますと、ヨアヒム・ルートヴィヒの鼓膜を規則正しい音が刺激していた。

 それが何を表すのか子供の頃から知る事実と照らし合わせると、それはきっと下の階でオイゲン"母さん"がキャベツか何かを刻んでいるのだろうということに思い当たる。

 その音を追うように香ばしいコーヒーの良い香りがやってきて、ヨアヒムは寝床から身体を起こした。

 そのまま身なりを軽く整えると、まだパジャマからは着替えずに下の階へと降りていく。

 

 キッチンでは案の定、髪をポニーテールに纏めた母親が息子のために朝食を拵えていた。

 彼女が調理してプレートに盛っているものを見て、ヨアヒムはヒトというのは何と環境に影響を受けやすいモノかと思い知る。

 鉄血出身の彼女が作るのは、スクランブルエッグに茹でたソーセージ、それにコールスローサラダ。

 ユニオンではありふれたメニューだし、鉄血色が垣間見えるのはソーセージが茹でられていることくらいだろうか?

 

 コーヒーマシンが任務を果たし終えた音声を上げると、ヨアヒムは調理で手が離せない母親の代わりにその音を止める。

 

 

「おはよう、母さん。」

 

「今日は休日なのに早いのね。後で起こしに行くつもりだったのに。」

 

「ええっと…その…いつも通りに………頬とか首とかベロベロ舐めるやり方で?」

 

「あら?ハンスは喜んでくれたわよ?」

 

「父さんはどうかしてるよ。僕にそんな趣味はない。」

 

「母親の拘束着写真のために」

 

「分かったよ!アレは悪かったって!」

 

「あっははははっ!やっぱりあのヒトの息子ね。ほら、コーヒーポットを持ってきてくれない?…朝ご飯にしましょう。」

 

 

 言われた通りコーヒーポットを手に持ち、テーブルに並んだマグカップに中身を注ぐ。

 オイゲンは作った料理をテーブルに並べて、最後にオーブンからクロワッサンを取り出して傍に添えた。

 そうして初めて完成した朝食を2人で挟むと、2人はこの日の朝食に手をつける前にお祈りをする。

 ヨアヒムの記憶にある限り、この習慣はまだ彼自身が幼かった頃から変わらない。

 まだ健在だった父や、今と変わらない母と共に、3人で食卓を囲んだ日々は幸せだった。

 

 クロワッサンに齧り付き、スクランブルエッグとソーセージを半分食べたところで、ヨアヒムは昨日の続きを切り出す。

 

 

「…外遊は誰のアイデアだったんだろう?たしかに政権が安定したタイミングで、傀儡政権の首魁に訪米させるのは何らおかしくはないと思うけど…どうにも引っかかる。」

 

「ほら、ちゃんとサラダも食べなさい。…アンタも藪から棒ね。まぁいいわ。アドリアンを外遊させるアイデアを出したのは、私の思うにライリーよ。だから彼もそこから先の話を私に投げたんじゃないかしら…歳を取っても相変わらず"クソ野郎"ね。」

 

「ライリーの目的は?」

 

「…タマンダーレ…セントルイスの諫言があって、アドリアンは私達を生かすことにした。ライリーとしてはそんな不安定要素は許容できなかったはず。もちろん、周到に手懐けておいたアドリアンがそんな選択を自発的にするとは思えない。」

 

「じゃあ…ライリーはセントルイスを疑った?彼女がライリーの思惑に関係なく物事を進めていることに感づいたわけだ。」

 

「きっとその時点では確信が持てなかったんでしょうね。セントルイスは周到にも私達を生かすための理由まで用意していたわ。ライリーもそれには納得せざるを得なかった。だから外遊という理由を使って、彼女と直に会う事で確信を得ようとしたんだと思う。」

 

「アドリアンはユニオンでライリーに会ったの?」

 

「ええ。"セルバンデス大統領の日程"にはちゃぁ〜んと、ラングレーの訪問も含まれていたわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 海軍消滅から7日後

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンス・ルートヴィヒがやつれて見えるのはきっと気のせいではなかろう。

 "連夜連戦"な日々の中、海軍の代わりたる沿岸警備隊の再編成業務までこなさねばならないとなればこうなるのは必然とも言える。

 彼が目の下に濃いクマをこさえながらも私の前で直立不動の姿勢を見せている事にすら、私は賛辞を送らねばならるまい。

 彼がスーパーマンやフランケンシュタインの類ではなく、ただの1人の人間であることを考えるならば。

 

 

「………おはようございます…大統領」

 

「おはようございます、ルートヴィヒさん。お譲りしたベッドはいかがですか?…よく眠れてます?」

 

「ええ………はい………ありがとう………ございます………」

 

 

 オイゲンとルートヴィヒが一体どんな"楽しみ方"をしたのかは分からないが、ユニオン系資本の清掃業者はあの一晩でタップリとマットレスに染み付いてしまった2人の淫臭を排除しきることができなかった。

 よって幼少期から私を癒してくれたあのマットレスは、天蓋付きのフレームごとルートヴィヒ夫妻譲らざるを得なかったのだ。

 

 他方私はタマンダーレの私室にて休むことになっている。

 彼女の部屋で寝るようになってから、私の人間不信の発作的症状が幾分軽減されたように思えるからだ。

 現実性に欠けるし科学的根拠など見る影もないが、しかしそれでも私はタマンダーレを頼らざるを得ない。

 特にルートヴィヒ夫妻殺害を諌められたあの日からは、私は彼女から離れると生じる人間不信の方は若干治せたものの、未だに彼女のいない不安の方は変わらず居座っていた。

 だからこそ彼女が寝る時側にいてくれれば、それだけで私は安心して休むことができる。

 一国の国家元首としてはあるまじき光景であろうが、私に取って彼女は必要不可欠な、代わりの利かない大切な存在であった。

 

 

 その大切な存在は、いつか13家族の下を訪ねた時とは違う私服を身にまとっている。

 それは上下に分かれた蒼い服で、左肩と胸の上半分を露出する大胆な衣装だった。

 大きなスリットの入ったスカートは彼女が歩くたびにその美脚を周囲に仄めかし、胸元下部と腰骨付近で分割された布地が、彼女の美しい柔肌を外気に触れさせている。

 まさにオトナの女性の優美な姿に、私は唖然とせざる得ない。

 

 そんな優美さの塊のような彼女は、既にサディア製のスーツを着込んだ私の下までやってくる。

 いつか彼女がくれた腕時計を不安げに弄っていた私を見ると、彼女はクスリと微笑んだ。

 

 

「うっふふ、アドリアンは本当にその時計がお気に入りね。プレゼントした甲斐があったわ。」

 

「とても…上品な時計だからね。それに、持ってるだけで安心する。」

 

 

 その時計はユニオンの鉄道事情を改善したと言われるメーカーによって製造されたものだった。

 世界大戦では軍に何百万という腕時計を納入したらしい。

 彼女が私にくれたのは、そのメーカーがかつて鉄道事業に関係した時のモデルをイメージしてデザインした物で、恐らくきっと彼女は幼い頃鉄道が好きだった私のために選んでくれたのだろう。

 そう思うと、余計にこの時計が嬉しく思えた。

 

 

「…さて、準備はいいかしらアドリアン?」

 

「ええ。あとはウゴとベラスコ元帥が到着すれば…」

 

「申し訳ありません、大統領。遅れました」

 

「ああ、ウゴ、元帥。よく来てくれました。謝る必要はありません、ちょうど今支度ができたところです。」

 

 

 これで役者が揃ったことになり、私は若干の満足感を得た。

 私がユニオンに行っている間は留守を彼らに頼ることになる。

 だから改めて挨拶をして、何かあっても抜かりがないようにしておきたかったのだ。

 

 

「ウゴ、例の件は引き続きよろしくお願いします。抽出者の数は一任しますが、どうか数を減らしすぎないように。」

 

「承知致しました。」

 

「元帥はこちらから要求する陸軍装備のリストをまとめておいてくださいましたか?」

 

「ええ、こちらがそのリストです。…正直コレ全てを手にできるとは思っていませんが、ご覧のように優先順位をつけておりますので。」

 

「ありがとう、ご期待に添えるように努力します。…最後にルートヴィヒ長官。沿岸警備隊の再編成に必要な装備類は要求しますが、あまり期待はしないでください。」

 

「ええ、分かっています。オイゲンがいればかなり大きな戦力になる…ユニオンもこの地域のバランス・オブ・パワーが偏ることを歓迎はしないでしょうから。」

 

「その通り。ただし、やれる事はやってみます。………それでは皆さん、後を頼みます。…ルートヴィヒ長官は奥様と楽しみすぎないように。」

 

 

 閣僚たちは声をあげて笑い、ルートヴィヒは顔を真っ赤にした。

 "鉄血の戦犯"がいきなり大抜擢されたという事実にも関わらず、彼らの中で諍いの類が見られないのは誠に安心できる材料だ。

 まぁ、ルートヴィヒが沿岸警備隊の長官であろうとウゴには関係ないし、ベラスコは彼よりよほど上位の階級と役職を与えられている。

 争う理由からしてそもそもないのだろう。

 

 

 

 閣僚たちに後を任せて、私はタマンダーレと共に陸軍の航空基地に向かい、そこで我々を待っていたユニオン側のプライベート機に乗り込んだ。

 先の"粛清紛争"ではこの航空基地から飛び立ったA-26攻撃機が大活躍した。

 陸軍航空隊はたしかに信用できる組織だが、それでも私はユニオンの航空機を選ぶしかない。

 わざわざプライベート機をインビエルノに寄越してくれたライリーさんのご好意に申し訳ないし、それに航空機は"空飛ぶ密室"だ。

 一度でもパイロットや乗務員が裏切ったら、我々に逃げ場はない。

 

 

 高級な内装のプライベート機に乗り込んだ時、隣に座るタマンダーレの顔色が少し暗い様子を見て取った。

 

 

「…タマンダーレ?」

 

「!…ああ、アドリアン。実を言うと…私、飛行機は少し苦手なの。」

 

「なんてこった、なら今からでも船便を」

 

「いいえ!…大丈夫、あなたと一緒なら耐えられるわ。」

 

「………」

 

 

 ユニオンでの滞在はせいぜい1週間。

 ライリーさんに言われた通り、タマンダーレと家族旅行でもしてるつもりで楽しめば良いだろうか。

 恐らく、この考えはあまりに楽観的だな。

 それにタマンダーレの暗い顔は、きっと飛行機が苦手だとか、そんな理由ではない気がする。

 果たして私の感想は、間違いではなかった。

 

 

 



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海の男は嘘を吐けない

 

 

 

 

 

 

 ユニオン

 首都D.C

 ホワイトハウス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は陸軍の制服に身を固め、ユニオンの儀仗隊の列の間を通ったところだった。

 見事なまでに整えられた服装に、一糸乱れぬ統率、そして大国の名に相応しい軍楽隊。

 それら全てに感銘を受けていると、彼らの奥からスーツを着込んだ1人の男と1人の淑女が現れる。

 私はもちろん、その両名をよく知っていた。

 

 

「…ああ、これは。お会いできて光栄です、大統領閣下。」

 

「こちらこそお会いできて光栄だ、大統領。」

 

 

 現職のスプルース大統領は大戦中にユニオンの主力KAN-SEN部隊を率いた海軍軍人としても名高い。

 彼は太平洋方面で、今彼の隣にいるKAN-SENと共に重桜の海軍と戦ったのだ。

 そのKAN-SENとは、かのエンタープライズである。

 彼女は今、凛々しさを体現したような立派な軍服に身を包んで我々を出迎えてくれている。

 それが意味するところは、我々は正式な来客として扱われているという事だろう。

 

 エンタープライズと同じように現役時代の服装に身を包んだタマンダーレは彼女とも旧知の仲のようだったが、この場でその関係を表に出すような真似をする女性ではない。

 彼女たちが視線を合わせて頷き合うという芸当をこなしている間に、私は大戦の英雄にして超大国の大統領の大きな手と握手する。

 途端に周囲にいた報道関係者のけたたましさを伴う写真撮影が始まり、きっとそのうちの一枚は幾つかの新聞の紙面に載る事だろう。

 そうこうしていると、スプルース大統領は私を記者たちのひしめく一室へと案内して下さった。

 予め決められていた手筈の通り、私はここでユニオン国民へのメッセージを読み上げるのだ。

 …そう、"ユニオンに支援された健全な資本主義国家の元首"として。

 

 

「………我が国とユニオンの協力関係は、何があろうと断たれる事があってはなりません!共産主義者はかつてインビエルノにその強力な毒牙を突き立てました!私の父、アルバロ・セルバンデスは祖国を共産主義の脅威から守るために最善を尽くし、私も父の考えから逸脱するつもりはありません!…インビエルノ国民は先の普通選挙で私を選んでくれました。それはきっと、国民自身が共産主義の脅威を感じていることの証左でもあるのです。そして我が祖国を共産主義者から守るためには、あなた方ユニオンの皆様の協力が不可欠です。我が国にはあなた方の望む物を提供する用意があります。それは我々の友好関係を鑑みれば当然の共有利益であると見做しているからです。…ユニオン国民の皆様、どうか我が祖国の防衛にご助力いただきたい!共に共産主義者を敵とする者として!どうかよろしくお願いしたい!」

 

 

 記者たちの大多数は拍手で持ってこの陳腐な演説を受け入れてくれた。

 もっとも、この文書自体ライリーさんに事前に提出して添削を受けたものだったのだが。

 彼曰く、私の原案は"謙虚が過ぎた"らしい。

 ユニオンは北方連合と違って、友好国を単なる衛星国のようには扱わない。

 あくまで対等な立場として、ヒトの心を持って接する。

 普通に考えればこれほど滑稽な話はないのだが、民主主義国家ではこのような文句が非常によくウケるらしい。

 であるならば、この決まりきったテンプレートを使わない手はないだろう。

 

 

 本心のことを言えば、インビエルノがどうなろうが私にはどうでもよかった。

 スプルース大統領が私への武器輸出許可証へサインする代わりに、大統領の政府に税金を払うユニオンの大企業はそれらを上回る利益をインビエルノの鉱山や農園から得ている。

 私なぞはパペットに過ぎない。

 パペットが巨大な岩を動かすことなんてできはしないんだ。

 だからパペットとして相応しい役割を演じよう。

 それがきっと、私とタマンダーレの"今"を守るにベストな選択なのだから。

 

 

 

 

 

 記者たちの前で声明を出し、一通りの質問に答え、次いで大手新聞各社のインタビューに対応し終わった頃にはすっかりと日は暮れていた。

 これぞ身に余る光栄というべきか、予めユニオン大統領との晩餐に参加させてもらうことになっていた私は大統領の応接室に通される。

 スプルース大統領はまさに模範的な海軍将校といえる人物で、わざわざ傀儡に過ぎない人物のためにその好みを前もって調べまでしてくれたらしい。

 応接室のテーブルの上には豪勢なプライム・リブを初めとして、私が愛してやまないメニューが広がっていた。

 

 少し奇妙に思ったのは、その晩餐に参加するのがスプルース大統領にエンタープライズ、それに私とタマンダーレという形式であったことだ。

 こういった晩餐は通常政権の閣僚を伴って行うものだと思っていたのだが。

 こんな状態で大統領と何者かを面会させたままにするなんて、シークレットサービスが知ったら卒倒しそうなものだが…しかし大統領のすぐ傍にはあのエンタープライズが控えているともなれば彼らも納得せざるを得ないか。

 

 少し変わった形式ではあったが、我々は他愛もない会話をしながら晩餐会を楽しんでいた。

 

 

「…失礼、少し変わった形式なのは許して欲しい。海軍軍人から大統領に上り詰めた者同士、"差し"で話がしたくてね。」

 

「は…はぁ……」

 

 

 タマンダーレが作るものに勝るとも劣らない味付けのプライム・リプを食べていた時、スプルース大統領がそう切り出した。

 私は咄嗟にナイフとフォークを置いたのだが、大統領が軽く首を振る。

 "そんなに緊張しなくていい"

 それは無理というものだろう。

 大統領は先程"海軍軍人から上り詰めた者同士"などと仰ってくださったが、私の方は上り詰めた覚えなどない。

 昔の職人のように、父親の跡を継いだだけ。

 対してスプルース大統領は大戦でユニオンを勝利に導いた"本物中の本物"だ。

 同列に扱われる方が恥ずかしい。

 

 大統領は既に高齢だったが、その覇気というものは未だに衰えていなかった。

 傍に控えるエンタープライズは、まさに彼にとって相応しい伴侶と言えるかもしれない。

 ただそう考えると、私自身はタマンダーレに対して気負う部分がある。

 彼女もまた、先の大戦での功労者に違いない。

 ユニオン海軍から送られた数々の勲章がそれを顕著に示している。

 だというのに、彼女が立つのは取るに足らない傀儡大統領の傍なのだ。

 

 

 こんな考えを大統領の前で顔に出すほど軽率な真似はしていないはずだが、タマンダーレはテーブルの下からそっと手を私の手に重ねてくれた。

 まるで"自信を持って"と言わんばかりに。

 自己嫌悪に駆られていた私は、それが彼女への嫌味になりかねない事に思い当たって幾分自分が恥ずかしくなる。

 ああ本当に、私はなんて最低な男なんだ。

 

 

「おっと、シャンパンが切れてしまった。…セントルイス、追加のシャンパンを持って来るのを手伝ってくれないか?」

 

「うっふふふ、エンタープライズ?今の私は"タマンダーレ"よ?」

 

「ああそうだった、すまない。指揮官、少し席を外させてもらう。」

 

「今の私は"レイ"だったはずだぞ?」

 

「あはははっ!…ああ、そうだったなレイ。少し待っていてくれ。」

 

 

 エンタープライズがタマンダーレと共にシャンパンを取りに行くと、応接室には大統領と私だけが残される。

 ドアが閉まる音が部屋に響くと、スプルース大統領はそれを待ち構えていたように口を開いた。

 

 

「……大戦の時から彼女はとても気が利く。」

 

「…シャンパン、ですか?」

 

「いいや、そうじゃない。…ちょうど君と話をしたかったんだ。今度こそ"差し"でね。」

 

「………」

 

 

 大統領はそう言って私にウインクする。

 私としては未だに"何が何やら"の状態だったが、この異色な晩餐会からして大統領が嘘をついているわけではなさそうだ。

 私と"差し"だって?

 こんな…取るに足らない存在と、世界一の超大国の大統領が?

 彼の真意のほどはまるでわからない。

 

 

「私がこんな形の晩餐会にした本当の理由は、君に警告するためだ。」

 

「警告?」

 

「ああ。…一つ聞いておきたい。君は現段階で何か…問題に思っていることはあるかな?」

 

 

 おお、なるほど。

 これでこの異様な晩餐会の真意が少し見えてきた。

 私は試されているに違いない。

 南方大陸に置いた傀儡政権を担う人間が、ちゃんと使い物になるかどうか。

 流石に私も、これに関して"問題なし"と手放しに言えるほど冒険的でも自信家でもない。

 

 

「…お力添えをいただけたお陰で、国内の共産分子は衰退傾向にあります。父が暗殺されてから苦労させられましたが、ようやく連中は黙らせられそうです。…本当にありがとうございます。」

 

「いや、気にするな。…では国内の安定は手に入れたとして、どこに問題があると思う?」

 

「我々の隣国、プラタの王政です。彼らは向こう見ずな戦争に向かおうとしています。例の諸島を巡ってロイヤルと事を構える気です。」

 

「その情報は我々も知っているが…君に関係ある話とは思えないな」

 

「先程述べました通り、国内の共産分子は衰退傾向にあります。彼らは数を減らしている。何割かはこちらの軍事作戦によって。でも残念ながら、それが全てではない。」

 

「…というと?」

 

「恐らく連中の何割かはプラタに逃げ込んでいるのでしょう。奴らは国境沿いでの活動経験もありますから、プラタへの密入国は可能です。そしてプラタの共産分子共は国王がロイヤルとの戦争に踏み切るのを今か今かと待っている。」

 

「なぜ?」

 

「プラタの国軍がロイヤル相手に勝てるわけがないからです!国王は財政難に苦しむロイヤルが、遠く離れた諸島の問題に強行対処してくることはないだろうとタカを括っていますが、とんでもない間違いだ!…国王は国内の反発を逸らすためにロイヤルとの諸島問題を槍玉に上げ過ぎた。もはや彼は暴走する民意に答えなければならない立場に自分を追い込んでいる。その戦争に負けたなら、行き着く先は」

 

「革命か。なるほど、よく分かった。」

 

「…ご期待に添えましたでしょうか?」

 

「ああ。君にこの警告をするだけの資格がある人間だと言う事を、確信できてよかったよ。」

 

 

 大統領の態度はどうにも腑に落ちないものがある。

 警告とはこの話ではなかったのだろうか?

 先程私が述べた問題は、そう遠くない内に待ち受ける危機になるだろう。

 私がそう感じているのだから、大戦の英雄が感じていないわけがない。

 それでもそれよりも重大な警告とは、いったい何なんだ?

 

 彼はグラスに残っていたシャンパンを飲み干すと、真剣そうな顔をしてこちらの瞳を覗き込んだ。

 そしてその顔から放たれた言葉は、私の予想を全く裏切っていた。

 

 

「………こんな事を言うのは、"スプルース大統領"として好ましくない行為だろう。だが私は海の男だ。()()()()()()()は自分に嘘をつけん。…だから、これはあくまで"レイ・スプルース"からの警告だと思って欲しい。」

 

「はい………」

 

「…ジャック・ライリーをあまり信用するな。

 

「!?」

 

 

 あまりに唐突な、予想外の言葉に私は驚きを隠せない。

 大統領は私の困惑具合を見て取るのに難くなかったはずだ。

 だから彼は言葉を続ける。

 

 

「奴は大戦中に私の部下だった。最初は優秀な奴だと思ったよ。でもある時失敗して、大切な存在を沈めてしまった。」

 

「それって…」

 

「私は奴に言ったんだ。"自分をあまり追い詰めるな、こんなことは誰にだって起こり得る"と。だが奴は自分自身を許せず、怒りが奴の人格を歪めてしまった。」

 

「………」

 

「以来、奴は情報局に入ってから何かに取り憑かれたように仕事をするようになった。"大戦で死んだ大切な存在のため"…そんな事を言ってたが、本音は恐らく違う。奴はイカれてるし、配下の者を駒か何かとしか思っちゃいない。」

 

 

 つい最近の、タマンダーレの言葉が頭をよぎる。

 あの時はあまり気に留めていなかったが、改めて、それもユニオンの大統領から言われたとなれば気に留めない方に無理があろう。

 私は唖然としたが、大統領は言葉を止めなかった。

 

 

「…奴がいなくても、君は1人でも十分にやっていける。さっきの話で確信を持てた。勿論、私は"スプルース大統領"としても君を支援する。…ライリーは南方大陸方面を統括している立場だから、私ですら手を出しにくい。だがら君には自分で自分を守ってもらうしかない。」

 

「……ええ、ええ、すいません」

 

「謝らなければならないのはこちらかもしれない。…ともかく、君は明日ラングレーに向かうだろう。奴は恐らく"楔"を打ち込んでくる。だが私の言葉をどうか忘れないで欲しい。」

 

 

 何がどうなっているのかまるでわからないが、それでも私は頷いた。

 なんとなく、それがタマンダーレと私にとって最も重要であるような気がしたからだ。

 そんな私に、大統領は微笑みかける。

 

 

「セントルイス…タマンダーレは良いKAN-SENだ。彼女が君を支え続けてくれる。だから君も彼女も守れ。手が足りない時は私ができる限り手を貸そう。……ラングレーでは、くれぐれも気を付けるんだぞ?」

 



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首輪の付け方

 

 

 

 ユニオン

 バージニア州

 ラングレー 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反ユニオン的な思想の持ち主たちと、()()()()()()()()はこの施設のことを"陰謀の集う家"だとか呼んでいる。

 だが私の目で見る限りは、何らの変哲もないオフィスビルでしかない。

 ウゴ・オンディビエラが重刑務所の死刑囚とタッグを組んで運営している秘密警察の本部に比べれば、床に血の痕がついていないだけまだ清潔とすら呼べた。

 呻き声は聞こえないし、拷問のための音は鳴りを潜めている。

 電話の呼び出し音が少々耳障りではあったものの、総じて言うなれば秘密警察本部よりよほど快適で文明の力が及んでいた。

 

 

 だがしかし、当たり前だが、この組織の実態を考えるに恐らくオフィスと要注意人物の監禁施設は分けられているはずだ。

 オイゲンのアザを私も見た。

 彼女がこのオフィスビルにいたとは考え辛いが、中央情報局が彼女のような存在に言葉で綴れないような真似をしているのは明らかだろう。

 まあ、今はそんなものどうだって良い。

 

 大統領の警告を受けた以上、私が今注力すべきは目の前を歩く中央情報局南方大陸担当官が何を仕掛けてくるか、である。

 私が今どうにか平静を保っていられるのはすぐ傍をタマンダーレが歩いてくれているからだ。

 彼女がいなければ今頃私はその場に立ち尽くして震えていることだろう。

 

 

「…首都ではいったいどんなマジックを使ったんだ?大統領は君の希望する戦車の供与許可証にサインした。来月にはM48戦車と旧式のM46戦車が君の陸軍に配備されるだろう。」

 

「有難い限りです。隣国の政情不安定は危機的で、我々はその対処に追われることになるでしょうから。」

 

「…なるほどな。やはり君は()()だ。」

 

 

 彼はそんな事を言いながら私とタマンダーレを自らのオフィスに招き入れる。

 そこには机の上の書類の束に向かい合うプラチナブロンドの女性秘書がいて、その容姿は淡麗ではあったものの、インビエルノ大統領のために敬意を示すつもりはないようだった。

 プラチナブロンドは我々がライリーさんのオフィスに入るや否や、そのドアを閉めて、それ以降はまた彼女自身のデスクワークに戻っていく。

 そして私がライリーさんに指し示された通りにタマンダーレと共にソファに座ると、彼はため息をついて話し始めた。

 

 

 

「…ルートヴィヒはキチンと始末してくれと言ったはずだが?」

 

「そ、それは」

 

「この子じゃないわ。私が言ったのよ、ライリー。」

 

「ほう。…私の指示が雑だと言ったが、アレはどういうことかね?」

 

「この子はあなたの指示通りルートヴィヒを殺そうとした。でも、あなたは茫然自失となるオイゲンの替えを用意はできないでしょう?…あのままでは、きっとあの娘は使い物にならなくなっていたわ。」

 

「………なるほど。()()()()()の精神的不能を未然に防ぐための処置だったと言いたいんだな?」

 

「ええ、そうよ」

 

 

 ライリーさんがペンを取り出して、それを見事なまでの手捌きで弄り始める。

 ペンは彼の中指と人差し指の間で華麗にクルクルと回っていき、最期には手に握られた。

 ピタッと止まったペンの動きは、まるで彼の決断が決まった事を意味している。

 さあ、吉と出るか凶とでるか。

 

 

「………まあ、いい。良い状況判断だった。これで余計なコストを支払わずに済む。だがアイツらは"カゴの中の鳥"にしておけ。下手に外で囀かれたら困る。」

 

「ええ、分かっています、ライリーさん。」

 

「よし。さて、君の直近の課題はプラタで予想される共産主義革命だ。だが大統領や我々は別方面での戦いを強いられるかもしれない。」

 

「別方面?」

 

「ああ。君は知らなくて当然だが、一昨日情報局の別の部署がある情報をキャッチした。東煌人民政府が内部粛清を始めたらしい。…留学で習っただろう?連中が内部の粛清を始める時は…」

 

「戦争を始める予兆…」

 

「よくできました、その通りだ。」

 

 

 彼はそう言いながら断りなく煙草を取り出して火をつけた。

 タマンダーレが少し顔を顰めるも、ライリーさんはまるで気にも留めていない。

 私は彼の喫煙を止めたかったが、しかしここは彼のオフィスだし、タマンダーレは大統領との会食の時と同じように私の手に自らの手を重ねてその意思を伝えてくれた。

 情けない話だが、彼の喫煙なんぞに口を挟むべきではない。

 

 

「ここに来る前、君は大統領から警告を受けた事だろう。…あまり私を信用するな、とね。」

 

 

 言葉が喉で詰まり、私は目線を自然に右往左往させてしまう。

 長年情報局で務めているような人物でそんな真似をした以上、私の考えなど読まれて当然だった。

 彼は軽く笑うと、私の考えていた事を目の前で言ってみせる。

 

 

「こう思ってるな?…イエスというべきか、ノーというべきか。まあ、信じたくないなら信じないで構わない。だが、私から言える事があるとすれば、君は我々と安全保障省のいざこざに巻き込まれているに過ぎない。」

 

「安全保障省が?」

 

「そうだ。連中はサイロに入っている大陸弾道弾の"お守り"をするだけでは飽き足らなくなって、我々の庭にまで足を踏み入れようとしている。残念なことに奴らは大統領をも取り込もうとしている。」

 

「…あー…それは……何と言いますか…」

 

「もし奴らが私の分限に口出しできるようになったら、タマンダーレは更迭される。」

 

「なんだって!?」

 

 

 私は衝撃のあまりその場で立ち上がってしまう。

 すぐにタマンダーレが私の肩に両手を置き、落ち着かせるとともにソファに座るよう促してくれた。

 おかげで幾分落ち着けたが、心臓はまだバクバクとなっている。

 私にとって今のライリーさんの発言は、それほどまでに衝撃的だった。

 

 

「今言った通りだ。連中はタマンダーレを君の担当から外したがっているし、私自身もそう要求された。」

 

「…何故です?」

 

「どこを通ったか知らないが、安全保障省は君が不安定材料(ルートヴィヒ)を生かしたことを知って、それを根拠にしてきたんだ。」

 

「クソ!…今からでも遅くない、やはりルートヴィヒ夫妻は」

 

「アドリアン!しっかりして!」

 

「………た、タマンダーレ」

 

「ライリー、今の話は本当?もしそうなら、大統領は何故アドリアンにあんな警告をしたの?…安全保障省が私を更迭するつもりなら、あなたではなく私を攻撃したはずよ?」

 

「良い着眼だ。安全保障省はKAN-SENを信用していない。連中の言うには兵器として存在するものが自我を持つこと自体が危険らしい。だからアドリアンの担当を自分達の都合の良いように変えたがっている。先も言ったが、信じたくなければ信じなくても良い。ただ、証拠の文章はここにある。」

 

「………何てこった」

 

 

 信じたくはなかったが、証拠はライリーさんの言う事が真実である事を指し示していた。

 安全保障省は本当に大統領に対してタマンダーレの更迭を具申していた。

 大統領は具申を却下していたが、もしかすると考えを変える可能性も否定はできない。

 

「………タマンダーレの更迭を防ぐ方法は?」

 

 

 私はまだ落ち着かない心臓の鼓動を感じながら、絞り出すようにライリーさんに問いかける。

 我はペンをしまい、組んだ両手の上に顎を乗せながら口を開く。

 

 

「………今はとにかくルートヴィヒ夫妻の監視を徹底しろ。気を抜くな。我々が協力し合えば、安全保障省の介入を防げるはずだ。」

 

「………」

 

「そのうちに連中は東煌の問題で南方大陸の独裁者どころじゃなくなる。そしたら君とタマンダーレの関係も維持できるだろう。…我々は"一心同体"だ。くれぐれもそれを忘れないでほしい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライリーは傀儡とそのコントローラー(タマンダーレ)を自分のオフィスから送り出すと、その後ろ姿を見送る。

 あのバカどもが何を考えようとライリー自身の手の内で踊っているに過ぎないというのに、なんとまあ悠長なことか。

 そんな軽蔑の眼差しを存分に向けていると、プラチナブロンドの秘書が彼の傍に立つ。

 

 

「追って始末させますか?」

 

「バカいえ。アレでも20年近くかけて育て上げた諜報資産だ。まだ役に立ってもらわないと困る。」

 

「ですがあの様子を見るに、もう限界では?」

 

 

 ライリーはゆっくりとプラチナブロンドの方に顔を向けた。

 この秘書は本当に優秀で、使い勝手も良い。

 セントルイスも同じくらい勝手の良い存在なら良かったのだが。

 まあ、今更高望みをしても無駄というものだろう。

 

 

「限界などというものはない。必要ならガルバー二電流でも何でも使って動かすさ。…それに、あのバカどもは限界どころか良い兆候を示してる。」

 

「と言うと?」

 

アドリアンもタマンダーレも、おそらく共依存の状態に陥っている。互いがいなければ正気すら保てない。…タマンダーレの更迭について触れた時の奴の反応を見ただろう。」

 

「はい。ですから、心配しています。アドリアンはタマンダーレに何かあれば簡単に"壊れます"。」

 

「そのために"オクロジャック"を潜伏させているのだよ、マーガレット。」

 

 

 ライリーはそう言って、もはや視界から消えつつある2人組を眺めながら物思いに耽る。

 大統領は本当に余計なマネをしてくれた。

 今回の話をあの2人が完全に鵜呑みにするとはライリー自身も思っていないし、セントルイスは深入りし過ぎて任務よりもアドリアンを優先する兆候が見られている。

 だがそのセントルイスも、流石にライリーが仕込んでいた"楔"には気づいていないようだった。

 

 大統領も、アドリアンも、セントルイスもまるで分かっちゃいない。

 私が本当にセントルイス1人だけをあの"純粋培養"の独裁者の監視にあたらせているとでも?

 今回は首輪をつけなかったわけじゃない、つける必要がなかったのだ。

 なんたって、首輪はもうすでに…かなり昔につけられていたのだから。



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独裁者の休日

 

 

 

 

 

 世界大戦から7年後

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポッポ〜♪列車が到着しました♪」

 

 

 ルイーズ"おねえさん"が鉄道模型を両手にそう言った時、私は口をあんぐりと開けて瞬きをするのさえ忘れた。

 当時高校生の私といえば、ようやく数学の課題を終わらせてこれから英語の課題に取り組もうかというところ。

 私にとっては難解な英文法について彼女の助言を得にきただけに、この行動は衝撃だった。

 

 

「うっふふふ♪どうしたの、アドリアン?顔が固まってるわよ?」

 

「………」

 

 

 そりゃあ、私があと10年くらい若ければキャッキャキャッキャと喜んだかもしれない。

 だが、私はこの時学業成績が思うようにいかずそれどころではなかった。

 大統領の息子としてそれなりの期待をされているなら尚更で、私はルイーズの衝撃的な行動に何も反応できない。

 

 

「………ルイーズさん、これはいったい…」

 

「私の国では昔から、移動や輸送において列車は重要な手段だったの。」

 

「はぁ…」

 

「国土が広大で、それに道路事情も良くはなかったから…鉄道が発達するまでは、水路が流通の主力を担っていたのよ?」

 

「…それで、この鉄道模型とは、いったいどんな関係が…」

 

「アドリアン、少し根気を詰めすぎじゃないかしら?」

 

 

 

 タマンダーレはそう言うと、鉄道模型を机の上に置いて、私との距離を一気に詰める。

 そしてそのまま、いつもよくやるように私を抱擁してくれた。

 彼女の温かさと香りに癒されると、彼女は笑顔を浮かべ、私の後頭部を撫でてくれる。

 "いつも通り"の習慣に、私は本当に安堵した。

 

 

「…まだ小さかったころ、あなたは私にあの鉄道模型を使ってジオラマを見せてくれたわね?」

 

「ええ…懐かしい」

 

「あなたのジオラマには必ず牧場があって、その傍には鉄道の線路があった。ユニオンの酪農地帯ではよくある光景よ。…一緒にユニオンに行くことがあったら、連れて行ってあげるわ。」

 

「そんな機会はないかもしれませんよ。」

 

「え?」

 

 

 私は彼女の柔らかさを感じながらもため息を吐く。

 現状、私の成績は父の期待に応えられているとは言い難い。

 そしてこの年頃にもなると、父の期待に答えられないと言うことが何を意味するのかくらい理解できるようになっていた。

 ユニオンからすれば、能力のない独裁者にルイーズをあてがう必要はない。

 私は切り捨てられ、彼女はユニオンに帰るだろう。

 

 そんな私の心情を察したのか、彼女はしばらく黙った後、私を抱えたままこういった。

 

 

「……もう、アドリアンったら。…何度でも言うけれど、あなたは私にとって大切な家族なのよ?…私はあなたから離れたりしない。」

 

「本当に?」

 

「ええ、本当よ。…それに、根気を詰めてばかりでは上達するものも上達しないわ?」

 

「………」

 

「良い仕事や学習をしたいなら、ちゃんと休憩を取りなさい。あなたは数学の課題を終わらせて、そのままここに来たんでしょう?」

 

「なんで」

 

「うっふふふ!手元を見て、アドリアン。私に数学の事を聞いても答えてあげられる部分は限られてるわよ?」

 

 

 指摘された手元を見ると、何てこった。

 英語の参考書を持ってきたはずが、私が握っていたのは数学のそれである。

 自然とバツの悪い顔をしていたのか、彼女は微笑みながら再び鉄道模型を手に取った。

 

 

「…コレを使ってジオラマを作っていた頃、あなたは私の膝枕でよく寝ていたじゃない?」

 

「!?…ルイーズさん、まさか!」

 

「…嫌なの?」

 

「いえ、そう言うわけでは…ただ、私ももうそんな…あなたにいつまでも甘えているわけには」

 

「あらあら。それなら心配しなくても大丈夫。私達KAN-SENは歳を取らないわ。…ずぅっとずぅっと、甘えさせてあげるから、どうか安心して?」

 

 

 そう言って笑顔を浮かべる彼女に、私は反論することが出来なかった。

 もしできるなら彼女に癒してもらい続けたいという我儘な願望は、ついぞ理性に勝つことがなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオン大統領との面会の2日後

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオン屈指の寝具メーカーの製品は、抜群の寝心地を保証していた。

 その上、タマンダーレが傍で共に寝ているともなればその心地良さは倍増する。

 目を覚ました時、私は彼女の軽い抱擁を受けていた。

 おかげで起き上がる前に彼女の温かみと柔らかさと香りを楽しむことができる…最近は彼女と寝ることになっているから、1日の中で最も幸せな時間かもしれない。

 

 しかしながら時間とは残酷なもので、誰がどう祈っても一定間隔で進んでいく。

 しばらくすると目覚ましがなり、私を抱えながら寝ているタマンダーレを目を覚ますと、私自身は軽くため息を吐いた。

 何てこった、"1日が始まる"。

 

 

 ラングレーを後にした我々はユニオン側が用意してくれた一流ホテルの一室に向かった。

 我々はユニオンにいる間、そこで寝泊まりをすることになっているからだ。

 豪華なスイートルームは大統領宮殿よりも快適で、私は情勢と立場と財布が許せばここに永住したいとすら思わされる。

 そんな素敵なスイートルームで、私は…恐らくはかなりダルそうに…起き上がり、サイドテーブルの上に置いていたスケジュール表に手を伸ばす。

 確か、今日の予定は…

 

 

「あらぁ?今日はお休みのはずよね、アドリアン?」

 

 

 タマンダーレに指摘され、私は今日と明日の2日間が休日として割り当てられていることに改めて気がついた。

 私はまだユニオン陸海空軍の司令官達と会って新規供与予定の装備の視察を行わなければならないが、土曜日と日曜日に仮にも国家元首と会いたがる将官はいない。

 そういうわけで、この2日間は大統領就任以来稀に見る週休ということになる。

 

 

 私は盛大にため息を吐いて、ベッドに舞い戻る。

 すぐにタマンダーレが半身でこちらに向き直り、再び私を抱擁した。

 彼女の大きくて柔らかな双丘が顔に当たり、すぐに良い香りが鼻腔を満たす。

 

 

「アドリアンは本当に甘えん坊ね。」

 

「…悪い」

 

「ううん、謝らなくていいの。好きなだけ甘えてくれても良いのよ?」

 

 

 彼女にはいつも支えられてばかりだった。

 だからここに来る前大統領宮殿でユニオン外遊中のスケジュールに週休が組み込まれているのを認めた時、私は彼女に何かお礼がしたいと考えていた。

 そのための準備は終わっていたが…しかし、それが始まるのは明日の日が沈んでからになる。

 それまで何をするのかは外遊中に思いつくだろうと楽観していたのだが、遂に思いつくことがなかったのだ。

 

 正直に言えば日がな一日中こうやってタマンダーレに甘えていたいのだが、それでは彼女も迷惑というものだろう。

 彼女にお礼がしたいなら、何か彼女の望むものを提示するべきだ。

 もし、私があまりに不器用なせいで彼女が何を求めるか察することができない場合は…

 

 

「タマンダーレ、どこか行きたいところはない?」

 

「…ふふふっ、急にどうしたの、アドリアン?」

 

「せっかくの休日だし…このホテルは快適だけど、ユニオンまで来たんだから出かけないと…」

 

「そうね。もう少しこうしたら、2人で出かけましょう。…実はね、アドリアン。もう出かける先は決めてあるの。」

 

「うぇっ!?」

 

「うっふふふ!アドリアンは本当にサプライズを仕掛ける甲斐があるわね!…私はね、アドリアン。あなたと一緒に、ペンシルバニアに行ってみたかったの。だからもう、航空機も取ってあるわ。」

 

「ペンシルバニアに?」

 

「ええ。そこには私の知り合いがいるわ。…皆私達を歓迎してくれるそうよ?」

 

「へぇ…」

 

「それじゃあ、少しベッドが名残惜しいけれど、出かける準備をしましょう?あなたもきっと喜んでくれると思うわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2時間後

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオン

 ペンシルバニア州上空

 

 

 

 

 

 

 

 私とタマンダーレを乗せた飛行機は、眼下に長閑な牧草地帯を見ながら降下の態勢に入っている。

 白と黒の独特な模様の生物が草原を駆け巡り、緑の大地を背景によく映えていた。

 思わず食い入るように眼下の光景に魅入る私に、タマンダーレはまたしても魅力的な笑みを浮かべる。

 

 

「うっふふふ!もう!アドリアンったら!まるで子供のときに戻ったみたい!」

 

「あっ!…申し訳ない、タマンダーレ。少し魅入ってしまって…」

 

「いいのよ、アドリアン。そんなあなたをまた見れて嬉しいわ。さてと。シートベルトはしっかりと装着した?…まもなく着陸するみたいよ?」

 

 

 私服姿の私とタマンダーレは着陸した飛行機から降り立った。

 そこは簡素な飛行場で、国家元首の外遊によく見られるような身辺警護の要員たちは1人もいない。

 タマンダーレがすぐそばについているのだからそれは当然のことなのだが、代わりとばかりに、飛行場では1人の人物が私達を待ち受けていた。

 

 

「ようこそ、ペンシルバニアへ。あなたがアドリアン・セルバンデス様ですね?」

 

「………ええ。あなたは?」

 

「申し遅れました。私は旧ブルックリン級軽巡洋艦、ブルックリンです。セントルイスがいつもお世話になっているとか。」

 

「いいえ、とんでもない。お世話になっているのは私の方です。」

 

「ご謙遜を。あなたのことはセントルイスから聞いています。とても優れた手腕の持ち主だとか…セントルイスも久しぶり。」

 

「ええ、久しぶりね、()()()()。」

 

 

 

 挨拶を済ませると、私達はブルックリンが運転するセダンに乗り込んで、長閑な酪農地帯を走り始める。

 周囲にはやはり飛行機から見た牛達が大勢いるし、遠くにはサイロや農家の家が見えた。

 セダンはやがて、そういった数々の農家の内の一件に向けて進路を取り始める。

 幅の大きな真っ直ぐの道路から脇道に逸れたセダンは、やがてある農家の前に至るとそこでタイヤを止めた。

 

 大きな赤い屋根のレンガの家があって、その前には2人の少女がいる。

 1人は炎のように真っ赤な髪の毛をした少女で、大きな藁束をモノともせずに運んでいる。

 玄関のドアの前には明るめの緑色の髪の毛をした少女がいて、そこでロッキングチェアに座りながら編み物をしていた。

 2人とも家の前までやってきたセダンを認めると、こちらを覗き込み、そして声を張り上げた。

 

 

 

「おおっ!?誰かと思えばセントルイスじゃないか!久しぶりだなぁ!」

 

 

 赤毛の少女は藁束を放り投げてこちらに手を振り始めた。

 後に分かる話だが、彼女もまたKAN-SENであり、そして悲しい最期を迎えることになる。

 

 

 



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パペットの夢

 

 

 

 

 

 

 

「あんたがセルバンデス?…あたしはフェニックス、そう、鳳凰のフェニックスだ。よろしくな!」

 

「………うぅ…ブルックリン級…ボイシ……よろしく…」

 

「私はアドリアン・セルバンデス、インビエルノの大統領です。どうぞよろしくお願いします。」

 

 

 挨拶を交わした事で、赤毛の方がフェニックス、変わった緑色の方がボイシというKAN-SENである事がわかった。

 ペンシルバニアの片田舎で酪農に従事する3人ともがブルックリン級で、つまりはタマンダーレの義理の姉妹というわけだ。

 私は3人それぞれと握手をする。

 タマンダーレが私をここに連れてきた理由も分かったし、だからこそ少し嬉しくも思った。

 彼女は昔のこともしっかりと覚えてくれていて、そして私を思ってここに連れてきてくれたのだろう。

 きっと笑みが溢れていた私に、タマンダーレが話しかける。

 

 

「さぁ。憧れの牧場にやってきたわね、アドリアン!あっちには線路も…」

 

「本当にありがとう、タマンダーレ!このサイズが最も理想的だ…あぁ…こんな牧場に来てみたかったんだ!」

 

「…!?…アドリアン!?」

 

 

 私は普段こんな事はしないのだが、この時ばかりは喜びのあまりタマンダーレに自分から抱きついた。

 突然の行動に彼女は少しだけ困惑していたが、やがて彼女の方も私を抱きしめてくれる。

 

 

「うふふ、あなたがこんなに喜んでくれるなんて…とても嬉しいわ。…フェニックス、アドリアンに牧場を案内してあげてくれない?」

 

「任せな!」

 

 

 タマンダーレがブルックリンやボイシと共に積もる話をしている間に、私はフェニックスの案内で牧場観光を楽しんだ。

 そればかりか、自分の手で牛乳を絞ったり、藁束を運んだり、臭いのキツい牛糞を掃除したり…着替えを持ってきておいて良かった…時々通りかかる列車を眺めながら牛の世話をした。

 前もって泊まりがけになるとは聞いていたから準備はしていたが、しかし、それでもここまで汗をかくとは思っていなかった。

 それでも決して不愉快な気分ではない。

 私は国家元首としては眉を顰められるほど牧場での作業に没頭し、気づいた時には日が暮れかけていた。

 

 思えば、就任以来大統領としての自分を忘れたのはいつぶりであろうか?

 こんなに素の自分を曝け出して楽しんだのは?

 いつもいつも私は自分からパペットに成り果てて、笑うべき時に笑い、怒るべき時に怒り、泣くべき時に泣くよう徹してきた。

 本当の"アドリアン・セルバンデス"として、パペットの手繰り糸を断ち切って楽しめたのは………ああ、本当にいつぶりなんだろう。

 

 

 

「アドリア〜ン!夕ご飯の時間よ、戻ってきて!」

 

 

 地平線の向こうに消え行かんとする太陽を眺めながら牛を引いていると、家の方からタマンダーレがそう言って私を呼ぶ。

 私は牛を引いていない方の腕をあげて返事をし、フェニックスと共に牛を牛舎に戻して家へと戻る。

 

 家に戻って風呂を浴び…もちろん、紳士たる私は一番最後に浴びた…着替えてからリビングに戻ると、そこには具沢山のシチューや焼き立てのパン、鮮やかなサラダに七面鳥料理が並んでいる。

 そしてテーブルの中央には大きなアップルパイまであった。

 タマンダーレとボイシがエプロンをしているところから見て、彼女達が作ってくれたに違いない。

 

 やがてフェニックスとブルックリンもリビングにやってきて、テーブルを囲む椅子に座った。

 私も促されたとおりに席に座ると、タマンダーレが祈りの言葉を捧げて、それから夕食会が始まる。

 目の前の豪勢な夕食にありがたみを感じながら口にすると、その暖かくて美味しい味に目が潤んできた。

 

 

「…あれ!…ご、ごめんなさい!ボイシ…胡椒を入れすぎちゃった?」

 

「いや、いえ、いいえ、違うんです、すいません」

 

「安心して、ボイシ。アドリアンはあなたの料理が美味しすぎて感動してるだけよ?」

 

「えっ?………美味しい?」

 

「はい、とても。こんなに暖かな味は………タマンダーレ…セントルイスも料理を作ってくれますが、彼女のそれともまた違って…なんというか…暖かくて…」

 

 

 タマンダーレの手料理は私を支え続けてくれた。

 でもボイシの料理もまた、彼女と同じ特有の"暖かさ"を感じられる代物だ。

 なんというか、言葉では伝えづらい。

 あの牧場で得られた牛乳の濃厚な味わいか、それとも暖かで素朴な環境か、或いは一日中汗を流して働いたおかげなのかはわからないが、どうにも私にとってこのシチューは特別なように感じたのだ。

 本当に暖かくて、それも懐かしい…

 

 

 

 

 ……………………………………

 

 …………………………

 

 …………………

 

 

 

 

「アドリアン、こっちにいらっしゃい?」

 

「はい、母さん。今日のご飯は何?」

 

「今日はシチューを作ったわ…ママの得意料理よ」

 

「よかった、あのシチューは大好きなんだ。」

 

「うふふふ!そんなに喜んでくれるなんて、ママも嬉しいわ。…あなた!もうそろそろ仕事を切り上げたら?」

 

「んん、ああ、ちょっと待ってくれ。今、大事な連絡をしてるところなんだ。」

 

「…()()"あの人"と話しているの?」

 

「なぁに、その内もっと忙しくなる。ただ…よし。今日はもうこれで終わりにしよう。待たせたな。」

 

 

 

 …………………

 

 ……………………………

 

 ……………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 シチューを口へ運ぶスプーンをぴたりと止めて、私はその場で動きを止める。

 頭の中のどこか片隅に置いていた記憶…それも封印した箱のフタが、何かの拍子に開いてしまったかのような、そんな感覚。

 それがシチューのせいなのか、それとも今日一日の経験のせいなのか、私自身にも到底わからない。

 けれども何故か忘れ去ろうとしていた記憶のフタが、たしかに一瞬だけ開いたのだ。

 

 どうして忘れ去ろうとしていたんだ?

 あんなに美しい記憶だというのに。

 何故私はあんなに大切なものを火に焚べようとしていたのか。

 

 

 

「どうしたの、アドリアン?」

 

 

 タマンダーレの声に、私は我に帰る。

 口の数センチ前で止めていたスプーンを口の中に運び、シチューをゆっくりと味わいながら"何でもない"という仕草をやってみせた。

 彼女は少し不思議そうな顔をしたが、結局は表情をまた微笑みに戻して食事に戻る。

 私も私で、とりあえずあの記憶は元の位置に戻すことにした。

 ただし間違っても火に焚べないよう、注意書きをして。

 

 そんな事を考えているうちに、突如としてフェニックスがスプーンを置いた。

 今度は何事かと彼女の方を見ると、彼女自身は目を瞑り、とても残念そうな顔をしている。

 何がそんなに残念なのか尋ねようとした矢先に、彼女自らがその理由を話し始めた。

 

 

「…あと数日でこのシチューも食い納めかぁ…」

 

「だ、大丈夫だよ、フェニックス!ボイシ、向こうでもシチューを作るから!」

 

「いや…やっぱり、この家で食べるシチューが一番だ。替えなんてないよ。」

 

「いったい…どうしたんです?」

 

 

 私にとっては話がまるで見えてこない。

 "食い納め"とはどういう事だろう?

 口調からすると、彼女達はあと数日でどこか遠くに行く様子だった。

 恥ずかしながら、私は"当事者"でありながらフェニックスが再び口を開いて初めて、彼女達の行き先に思い当たったのだった。

 

 

「海軍から再招集がかかった。あたしとボイシは来週出頭する。」

 

「なんだって?いったいどこに……」

 

「南方大陸のプラタっていう国らしい…向こうじゃお隣さんだな。」

 

 

 寂しさを含んだフェニックスのウィンクに、私は自分のスプーン落としそうになる。

 たしかに、プラタがユニオンからKAN-SENを得ようとする兆候は認められていた。

 海軍を潰す前にプラタの大使と会った時にもその話は出ている。

 しかし、このタイミングで…プラタでの共産主義革命すら見えてきているこのタイミングで彼女達をわざわざプラタに引き渡す意義が分からない。

 愕然とする私の態度に気がついたのか、横からブルックリンが割って入る。

 

 

「…ユニオンはあなたの国やプラタ以外にも多くの"同盟国"を抱えています。一度約束した以上は、履行しなければ2度と信用されなくなる。」

 

「まさか!そんなもの、どうにでもなりますよ!…分かりません、何故大統領は」

 

「あっははは!アンタ、本当に"良い人"なんだな!今日出会ったばかりのKAN-SENをこんなに心配してくれるなんて!」

 

 

 "良い人"?

 ふざけるな、私は善人なんかじゃない!

 私が君たちを案ずるのは自身のためだ!

 君らがそう遠くない将来に起きるロイヤルとの衝突で沈んでしまったり、或いはその後の革命の最中に共産主義者共の手に渡ってしまったら。

 タマンダーレはあと何回、"大切な家族"を失うことになる?

 

 

 

 そうは言いつつも、自分では自身がこの出会ったばかりの2人の少女を案じている事に気づいていた。

 人のことを…タマンダーレ以外の人物の事を案じるなんて、何年ぶりになる?

 人のために涙を流すのは?

 気づけば私は両の目から涙を流している。

 久々に"本来の自分"として振る舞ったからだろうか?

 本当に今日は…何かがおかしい。

 

 

 そんな私を見つめながら、フェニックスは再びスプーンを手に取りシチューを食べ続ける。

 

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、招集がかかった以上は行かないとな。」

 

「はぁ…この家も少し寂しくなりますね。」

 

「だ、大丈夫だよ、向こうに行って落ち着いたら、また帰ってくるから!」

 

「2人ともどうか無事でいて?」

 

 

 4人のKAN-SEN達が互いにそんな事を言い合っている間、私はこれは自分のせいなのではないかという思いに取り憑かれ始める。

 根拠は特にないが、なんとなく、そんな気がした。

 しかし、きっと俯いていたであろう私に、またしても彼女が抱擁をしてくれたのはその時だった。

 タマンダーレはいつも通り私を抱き寄せて、耳元でこう言う。

 

 

「自分を責めないで、アドリアン。あなたはこのけんに無関係なんだから。」

 

 

 タマンダーレには悪いと思うのだが、今度ばかりは彼女の発言をもってしても、この考えを拭い去ることはできなかった。

 

 

 



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糸の途切れたパペット達

 

 

 

 

 ボイシの焼いたパンケーキは厚みのある生地が噛むほどに溶けていくような…そして優しさの滲み出るような甘味が心を癒してくれるような、素敵なパンケーキだった。

 しかしながら私は渋い顔をしているに違いない。

 タマンダーレと共に起きた後この家の住人達と取ることになった、優しい甘さの朝食が私の後髪を引いてならない。

 できる事ならこのままこの家にいたい。

 できる事ならずっとここで牛の世話をしていたい。

 もしできるのなら、もし許されるのなら。

 でも残念なことに運命は私にそんな事を許しはしないだろう。

 私はこの休日を終えたのなら、直ちに"アドリアン・セルバンデス"から"インビエルノ大統領"に戻らなければならない。

 それが私の意思に沿っていようがいまいが。

 私はまるで夏休み明けを鬱陶しく思う児童のような想いを抱きながら、パンケーキを食べている。

 

 

「もう、アドリアン。そんな顔しないで?…これが最後の外遊ってわけじゃないはずよ?また連れてきてあげるから、どうか元気を出して?」

 

「思いの外楽しんでいただけたようで何よりです。私達はいつでもあなたを歓迎しますよ?」

 

「ありがとう…タマンダーレ、ブルックリン…はぁ…そうだ、こんな美味しい朝食だと言うのに私は…」

 

 

 止まりかけていた食指を再び動かして、私はパンケーキを平らげた。

 タマンダーレの言う通り、私はきっとまたここに来ることができるだろう。

 その時この家の住人達と再び再会できるように、できる限りのことはするつもりだった。

 ライリーさんは歓迎しないだろうが、パペットならパペットなりに、隣国に派遣される彼女達のためにできることはあるはずだ。

 

 

「………これから言う話は、どうか聞かなかったことにしてください。」

 

「アドリアン!?」

 

 

 パンケーキを平らげて、口の周りを拭いた後、私はそう切り出した。

 フェニックスはまだ口の端にクリームをつけていたし、ボイシは唇の上下にジャムが付いていて、ブルックリンはコーヒー片手にキョトンとしている。

 止めに入ったタマンダーレを右手で制しながらも、私はフェニックスとボイシの方にむかって言葉を続ける。

 

 

「…あなた方はプラタに派遣される。言っておきますが……はぁ……あなた方はきっと"歴史の変わる瞬間"に遭遇するハズです。」

 

「それって、一体…」

 

「申し訳ない、これ以上は言えません。でもどうか私を信じて欲しい。私の知り得る限りの、そして伝え得る限りの情報は残念ながらこれだけだ。でも…それでも、あなた方には生きていてもらいたい。」

 

「………」

 

「………」

 

「…"何か"は必ず起こります。スパゲティが有刺鉄線じゃないのと同じくらい確実にね。…もし…もしもその時に誰かの助けが必要になったら、私に連絡してください。」

 

「アドリアン、あなた…」

 

「…すまない、タマンダーレ。私ができることはこの程度なんだが…やっておかないと気が済まないんだ。」

 

 

 重大な"ルール違反"を犯しているのは分かっている。

 お世辞にも褒められたもんじゃない。

 ライリーさんが聞いたら、きっと顰めっ面をする…もしかすると、私の頭を吹き飛ばすために誰かを送るかも。

 

 それでも、私は彼女達のためにできる事をしたかった。

 彼女達には見えていないが、私には"ソレ"がハッキリと見えている。

 世界大戦でセイレーンや重桜海軍と戦い、数々の任務で活躍して生き延びた彼女達が辿るであろう運命を、私は知ってしまっていた。

 

 パペットは自分で喋ることができない。

 それは自分でも重々承知している。

 だからこれは"ルール違反"だし、求められている役割なんかじゃない。

 でもそれで彼女達を見殺しにするくらいなら、喜んで傀儡師に引きちぎられよう。

 

 

 手元のメモに私直通の秘密回線…それもユニオン側にさえ知られていない回線…の番号を書き留めて、手近にいるボイシに手渡す。

 彼女は少し戸惑ったが、やがては私のメモ書きを受け取ってくれた。

 書き留められた番号に目を通したボイシは、そのままそっと目を閉じて両手を胸に当てる。

 

 

「………ごめんなさい…ボイシ、悪い人が来るんだって、思ってた。」

 

「え?」

 

「だって、あなたはライリーと仲良しで…その…()()()()()()()()()()()()()()()()()()から…」

 

「ボイシ!…すいません、大統領。どうか忘れてください。」

 

 

 慌てた様子で割って入るブルックリン。

 タマンダーレの発言や、彼との直での対面から、冷たい感じの男だとは思っていた。

 だがしかし、ここまでよく思われているとなると、その認識自体正しくないのではないかと思ってくる。

 彼は一体何を隠している?

 何故ブルックリンは割って入った?

 彼女は今、何を隠したのだろうか?

 

 いつもの私…即ち"セルバンデス大統領"なら腰元の45口径に手が伸びていてもおかしくなかった。

 但し、今の私は"アドリアン・セルバンデス"だ。

 傀儡師の糸が切れているおかげか、冷静に状況を判断できる。

 ブルックリンの止め方は悪意を含んだそれではなかった。

 きっと彼女は私が知ると不味い事になると思ったに違いない。

 彼女は保身というよりは、私の身を案じたのだ。

 

 

「…あっ……ごめんなさい、ブルックリン」

 

「ボイシ、ライリーは確かに冷たい人になってしまいましたが………ああ……大統領、あなたは私の家族を思ってリスクを背負って下さった。ですから、私も………そうですね。…大統領、私がこれから言うことも、どうか聞かなかった事にしてください。」

 

「はい」

 

「………ライリーを信じすぎないこと。いいですね?」

 

 

 ユニオン大統領から全く同じ警告を受けただけあって、私にとっては衝撃だった。

 きっと詮索しても彼女はこれ以上語らない。

 それは鈍感な私にだって分かる。

 私が精一杯の警告を彼女達にしたように、彼女達もまた精一杯の警告をしてくれたのだろう。

 ただ、その中身はいったいなんなのだろうか?

 ユニオン大統領や、配下だったKANSEN達でさえ語らないその事実とは…

 

 

「…はぁ…ごめんなさい、アドリアン。名残惜しいけれど、そろそろここを出発しないといけないわ。」

 

「もうそんな時間か………皿洗いを済ませたら、すぐに行きます。」

 

「いいえ、大丈夫!お皿洗いはボイシ達に任せて!……あなたに会えてよかった…」

 

「私もお会いできて光栄でした、大統領。」

 

「"向こう"じゃよろしく頼むぜ!」

 

 

 時間とは本当に残酷なものだが、誰もそれに刃向かうことはできない。

 諦観と共に悲しみを乗り越えて、私は自ら傀儡師の系をその身に巻きつける。

 ただもう一時だけ…今日この日が終わり、全ての糸を巻きつけ終わるまでは、私は"アドリアン・セルバンデス"だ。

 

 牧場の住人達とハグをして、お礼を言い、私とタマンダーレは来た時と同じようにブルックリンのセダンに乗り込んだ。

 牛舎からは牛の鳴き声が聞こえて、殊の外私を引き止めているようにさえ思える。

 熱くなった目頭を堪えていると、もう走り出そうとしていたセダンに向けてボイシが走ってくるのが見えた。

 彼女は息を切らしながらセダンの後部座席の横までやってくると、抱えていた袋を私に手渡す。

 その袋の中にはいくつかの瓶が入っている。

 

 

 

「あのっ……これ、手作りのジャム…」

 

「ああ、これはこれは」

 

「セントルイスはよくビスケットを作ってくれるでしょう?…だから………」

 

「ありがとう、本当にありがとう!」

 

 

 ジャムを受け取り、ボイシにお礼を言うと、セダンは今度こそ空港に向けて走り出した。

 バックウィンドからは小さくなっていく牧場と、こちらに手を振り続けているボイシとフェニックスの姿が見えた。

 やがてそれが視認できなくなるまで、彼女達は手を振って送り出してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空港に到着して、ここでブルックリンとも別れる事になる。

 私は彼女に再びお礼を言い、いつかまたお願いしますとか何とか言ってから別れ、タマンダーレと2人で旅客機のファーストクラスに乗り込んだ。

 飛行機はやがて重力に反して飛び上がり、私に独特の圧力を与える。

 そうして与えられた圧力は、私の中で溜め込んでいたモノを外に押し出してしまった。

 

 

「あらあら、泣かないの、アドリアン。さっきも言った通り、またここに戻ってこれるわ?」

 

「………ええ……ええ……ぐすっ…」

 

「あの牧場をそんなに気に入ってくれたのね。…ほら、もう泣き止んで?今夜は私をエスコートしてくれるんでしょう?」

 

「……ぐすっ…なんでそれを……ひぐっ…」

 

「うっふふふ!あなたポケットから予約券を落としてたわよ?…本当に嬉しいわ、アドリアン。私にとっては最高のサプライズよ。」

 

「………ひぐっ」

 

「仕方ないわね…はい、ギュ〜♪飛行機乗っている間、ずっとこうしてあげるから…どうか落ち着いてちょうだい?」

 

 

 

 タマンダーレに抱擁される私は、いつか戻って来れると信じることで自分を落ち着かせた。

 だが残念なことに、これは淡い期待だった。

 

 



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"こうして接吻をして死のう"

 

 

 

 

 

 

 その料理店には人目を引くような派手さは見られない。

 規模も大きいわけではなく、毎晩パーティーが行われる類の店でもない。

 しかしながら全く待って質素というわけではなく、敢えて派手さを控えた上品な内装と手入れの行き届いた服装の従業員、それにミシュラン五つ星のシェフが厨房に立っているとなれば、私がタマンダーレとの晩餐にここを選ぶのは必然であった。

 

 

 言うまでもないが、私は金に困っちゃいない。

 インビエルノ国内の価値あるものは全て私とユニオン資本のモノだし、必要となれば国全体を売り払えるのだから。

 この料理店の予約を取るためには目の飛び出るような金額を払わなければならないが、それはこの店を訪れるのを躊躇う理由にはならない。

 どちらかというと…私が今この店に向かっているのを躊躇っている理由は、タマンダーレのドレスのせいだ。

 

 

 通常、女性が公式な場で公式の服装をするとなれば、西欧圏では露出の多い服装になる。

 かと言って、タマンダーレの服装は流石に"やり過ぎ"だと言わざるを得ない。

 私は今見事なスポーツカーの助手席に座って窓の外を眺めているが、それは夜景を楽しんでいるからではなく彼女のドレスはあまりに目のやり場に困るものだからだ。

 

 

「…大戦の前、ホノルルやヘレナと一緒にライリーと食事に行った時も、彼ったらあなたと同じ反応をしていたわ。顔を真っ赤にして、ずっと外を見てた。」

 

「無理もないよ…その…あの…」

 

「うっふふふ!…どうしたの、アドリアン?私に惚れ直しちゃった?」

 

 

 車が信号で止まったので、私が窓の外を見るのをやめて彼女の方へ視線を向け直すと、彼女は微笑みながら私の目を真っ直ぐに捉えている。

 それが尚更気恥ずかしくて視線を動かそうとしたが、私の目は完全に豊満な身体をシルバーのドレスに包むタマンダーレに魅力に引き込まれてしまっていた。

 彼女も彼女で少し気恥ずかしそうにしながらも、微笑みを浮かべたまま思い出を語り始めた。

 

 

「私もヘレナもホノルルも、本土時代から彼の指揮下にいたの。私達は仲良しだったけれど、ライリーの眼中にあったのはホノルルだけだったわ。…あの夜だって、ライリーはホノルルに見惚れてた。」

 

「あなたに見惚れてる…私と同じように?」

 

「ええ。うっふふ!認めてしまったわね、アドリアン!」

 

「あっ…」

 

「意外と積極的なのね。そう恥ずかしがらないで。私も…その…うふふ、やっぱり嬉しいの。あなたも私を特別な存在として見てくれているってことだから。」

 

「それは勿論」

 

「…ねえ、アドリアン………あなたにとって、私はどんな女性?…ただの補佐官?あなたの育て親?それとも………」

 

 

 タマンダーレの白い顔色が段々と紅潮していくのを見てとった私は、なんだかこちらまで恥ずかしくなってきてしまう。

 どうしてだろう。

 普段はこんな事考えもしなかったのに。

 あの牧場に行ったから?

 それとも彼女の"女性"としての側面を改めて見つめてしまったから?

 

 彼女は確かに私の優秀な補佐官で、育ての親でもある。

 ただ、今の彼女は私にとって十分にそれ以上だ。

 願わくば……そう、願わくば、補佐官や親代わりといった意味以外での好意を伝えたい。

 もし…それが許されるのであれば。

 彼女は私の…

 

 

「……あっ、信号が青になった!ここを左に行って、しばらく進むと目的地です。」

 

「あ、あら!いけない!ありがとう、アドリアン。」

 

 

 気恥ずかしさを打ち負かすことができず、私は逃げ出してしまった。

 彼女への想いを仕舞い込むと、信号機に全ての罪をなすりつけて"インビエルノ大統領"の地位に甘んじる。

 その一線を超えないように、と自分自身に嘘をつく自分に嫌悪感を抱いたが、同時に今夜中に彼女への想いを伝えなければならないという義務感に取り憑かれた。

 次こそは逃げてはならない。

 そんな事をしていては、彼女の気持ちは本当にどこか遠くへ行ってしまう事だろう。

 

 

 

 スポーツカーは例の店の前に止まり、私達は車から降りた。

 すぐにボーイがやってきて、タマンダーレのスポーツカーを預かっていく。

 私はできるだけ自然を装って彼女の下へと忍び寄り、どうにか今夜定めていた目標の第一弾を達成せんと努力をする。

 それは女性をリードするという、私には至難の技であった。

 そんな私を察してか、暗殺者のごとく近づいた私にタマンダーレは自ら手を差し出してくれた。

 ああ、まったく!

 どこまで彼女に気を使わせるのか!

 

 

「さて、アドリアン。今夜はあなたがリードをしてくれるんでしょう?」

 

「も、もも勿論。それではこちらへ。」

 

 

 どうにか彼女の手を取って、私は店に入り、予約券を出して、指定された席へと向かう。

 受付の案内通りエレベーターで3階に上がると、私を待ち構えていたウェイターが窓際の席に私達を案内した。

 そこからは通りの様子をよく眺めることができ、眼下の華麗な景色を一望できる。

 

 

「お飲み物はいかがいたしますか?」

 

「あ〜…私は運転しているから、アルコールは」

 

「タマンダーレ、帰りは私が運転するよ。何か好きなモノを頼んで。」

 

「あら!あなたにあの車が乗りこなせるかしら?…なんて、冗談よ。ありがとう、アドリアン。…それじゃあ、私はこのシャンパンを。」

 

 

 こんな事ならインビエルノから運転手を連れてくるんだった。

 そんな事を考えても後の祭りだし、私はそもそも酒を飲まない人間なのでここでの主役たる彼女には好きなモノを頼んでもらった方がいい。

 ウェイターがシャンパンを持ってきて彼女の手元のグラスに注ぐと、私は水の入ったグラスを掲げた。

 

 

「…それじゃあ、タマンダーレ。"君の瞳に乾杯!"」

 

「うふふふふ!一緒に見たあの映画、まだ覚えてくれていたのね?」

 

「忘れるわけないよ。特に、あなたと過ごした思い出は。」

 

「そう…嬉しいわ。」

 

 

 やがては前菜が運ばれてきて、私達はそれを食べ始める。

 私がまだ少年と呼ばれるような年齢だった頃から、彼女の支援の下勉学に励み、そしてユニオンの諜報機関で訓練を受けた時まで。

 私達は昔懐かしい思い出話に花を咲かせながら、目の前の料理の数々を楽しんだ。

 あまりに楽しみすぎて、本当に大切な要件を忘れかけてしまうくらいには。

 

 

「………タマンダーレ、ちょっと…その…大切な話がある…」

 

「あら?なぁに、アドリアン?」

 

 

 メインディッシュの舌ヒラメを食べ終わった後、デザートが来るまでの間に、ちょっとした沈黙の間ができた。

 彼女に"あの話"をするには今しかない。

 …もしかすると、彼女は嫌がるかもしれないし、その公算は大いにある。

 しかしもしそれで今後もモヤモヤとした気持ちを持ち続けるならば、今ここでハッキリとさせてしまいたいのだ。

 

 これは大きな賭けでもあった。

 彼女にとっての私はいったい何者なのか、ここで明確に分かるはず。

 意を決した私は、懐に手を入れると小さな小箱を探り当てた。

 これはもうかなり前に準備していたものだが、彼女に渡すならこの夜にしようと決めていた。

 タイミングは良くないかもしれないし、もしかすると日を改める必要もあるかもしれない。

 でも私はもう、デザートを食べ終わるまでこの緊張に耐えられそうになかった。

 

 

「実は…」

 

「お待たせしました、本日のデザートになります。」

 

 

 ザッハートルテを持ってきたウェイトレスはウェイターほど気の回る人間では無さそうだった。

 彼女は事務的な声音と事務的な動作によって、意を決しかけていた私の行為を遮ってしまったのだから。

 ウェイトレスがそそくさとその場を去り、豪華なケーキを置いて行った頃には、私の決意は再び萎んでしまっていた。

 ああ、まったく!

 そうは思いつつもウェイトレスを責めるわけにもいかない。

 彼女を責めるには、私はあまりにもたつきが過ぎた。

 

 

 そんな事を思いながら、見事なザッハートルテを食べていると、不意にタマンダーレが切り出した。

 

 

YES

 

「………え?」

 

「YES、よ。これが私の答え。」

 

「い、いったい何の話…」

 

「もう。しらばっくれるには遅すぎるわ、アドリアン。こんな素敵なお店を予約して、素敵なお料理に素敵な飲み物…それに懐を弄るあなた。…私はそんなに鈍く見えるかしら?」

 

「…え………え……じゃあ…本当に?」

 

「もちろん。でも、勘違いしてはダメよ?これは私の職務とは何の関係もない話。私はあなたの好意に答えたいし、私もあなたに好意を向けたい…だから、返事はYES。」

 

「そ、そんな…」

 

「もしかして…違った?」

 

「いや、いやいやいや、で、でも…その、私は…あなたに好意を向けて許されるものかと…」

 

 

 

 あまりに突然の大きな喜びに浮かれてしまったのか、身体が震え、汗が噴き出してくる。

 まさかこんなにも…こんなにも私の好意に答えてくれるなんて思いもしていなかった。

 あまりの衝撃に次に何と言うべきかまるで検討も付かず、噴き出る汗をハンカチで拭き取りながら再び懐の小箱に手を伸ばす。

 そうして取り出した小箱の中身をタマンダーレに見せて、私はもう一度確認した。

 間違いのないように…そして、私自身を落ち着かせるために。

 

 

「ほ、本当に、本当にいいんだね?」

 

「うっふふ!アドリアン、もっと自信を持って!…ええ、本当にYESよ。私もあなたと一緒にいたい。」

 

「私もだ、タマンダーレ。ありがとう、本当に、本当にありがとう!」

 

「ううん、お礼を言うのは私の方よ?こんな素敵なサプライズ…いつのまにか、あなたもオトナになっていたのね。」

 

「…ああ、良かった…本当に……そうだ、どうかコレをつけて欲しい。」

 

「慌てないで、アドリアン?…うふふ、そうね。あなたの方から私に付けてくれないかしら?」

 

 

 そう言って、開いた左手を差し出すタマンダーレ。

 私はいまだ興奮が覚めていないのか、震える手で小箱の中身……つまりは指輪を取り出した。

 噴き出し続ける汗をもう一度ハンカチで拭ってから、その指輪を恐る恐るタマンダーレの左薬指に付けていく。

 彼女は素敵な微笑みでそれを見つめていてくれた。

 

 

「……ありがとう、アドリアン。これで私は、正式に新しい"家族"を持てたわ。…私はもう1人じゃない。」

 

「それは私も同じだ…あなたと家族になれるなんて…夢を見てるみたいで…」

 

「うふふふふ!………あら?アドリアン?どうしたの?」

 

 

 それまで顔いっぱいの笑みを浮かべていたタマンダーレが、急に顔色を曇らせる。

 私は未だに止むことのない大量の汗をハンカチで拭き取り続けながらも、どうにか平静を保とうとした。

 

 

「なんでもない、なんでもない。恥ずかしいんだが、ちょっと興奮しちゃって…」

 

「待って、アドリアン。"ちょっと興奮した"っていう感じじゃないわ。本当に大丈夫?」

 

「うん。本当になんでもっ………」

 

 

 

 

 その時になってやっと、私は自分自身の違和感に気がついた。

 何故かは知らないが、呼吸が苦しくて、汗は尚も止まらない。

 目の前にいるタマンダーレの心配そうな顔色が、さらに深刻になっていく。

 おまけにそのタマンダーレを捉える視界さえも徐々に霞んだり焦点がズレたりし始めた。

 

 

「アドリアン?…アドリアン!?誰か!誰か救急車を!ウェイターはどこ!?

 

 

 タマンダーレはついに席を立って、店内にいる人々に向かってそう叫びながら私の下へと向かってくる。

 私自身といえばあまりの呼吸の苦しさゆえに息をぜぇぜぇと言わせながら、ついには耐えられなくなって椅子から転げ落ちてしまった。

 随分とド派手な音が鳴ったので、例のウェイターがようやく駆けつけてくる。

 今では視界が完全にぼやけてしまって何が何やら分からないが、呼吸の苦しさとタマンダーレの声だけはハッキリと感知できた。

 

 

「アドリアン!?アドリアン!?…きっと毒物を盛られたのね!救急車は!?救急車はまだ!?早く呼んで!…大丈夫よ、アドリアン、私がついてるわ…だからお願い、私を置いていかないで………」

 



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ネズミの為に

 

 

 

 

 

 

現在 

 ユニオン

 バージニア州

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…それで?彼女はいつ連れてくるの?」

 

「彼女?…一体何の話」

 

「エミリーちゃん、だったかしら?」

 

「ぶふぉっ!?」

 

 

 リビングで読んでいた新聞にコーヒーを吹き出してしまった息子の姿を見て、オイゲンはクスクスと笑う。

 率直に言って、彼が本当にユニオンの諜報機関に勤めているのかどうかさえ疑わしくなってくる。 

 相手に図星されたからと言ってこんな反応を示していては、それは相手の確信に裏付けを与えることにしかならない。

 オイゲンが知っているのだから当然この1人息子もそれくらいは知っているハズである。

 

 

「いきなり何を言い出すかと思えばっ…!エミリーはただの友達だ、恋人なんかじゃない」

 

「その割にはあなたへの電話が多いわね。昨日の夕方なんて何十回も掛かってきたわ。」

 

「………それは……」

 

「エミリーって、あの娘でしょう?私たちと同じ鉄血系の、綺麗なブロンドの娘。あんな娘と付き合えるなんて、あなた幸せ者なのよ?」

 

「…まさかとは思うけど、嫉妬してるの、母さん?」

 

「あははっ!…でもまあ、正直に言うとソレもあるかもしれないわね。」

 

「おいおい…」

 

「……でも本当を言うとね、アンタには後悔して欲しくないの。」

 

「後悔?」

 

「ええ。私は終戦までハンスに自分の気持ちを伝えなかった事を今でも後悔してる。もしキール時代に結ばれてたら、私達はお互いにもっと違う運命を辿っていたかもしれないから…」

 

 

 急にしおらしくなったオイゲンの様子をみて、彼女の息子はその横顔に一種の寂しさを見出した。

 勿論、終戦時に彼らが結ばれていたらもっとマシな運命が待っていたとは断言できまい。

 それはもっと残忍な最期をもたらしたかもしれないし、今こうやって皿を洗いながら息子の前で過去を語るような現在に至れなかった可能性もある。

 それでもオイゲンがそんな事を口走ったのは、ハンス・ルートヴィヒともう少し長く一緒にいる時間が欲しかったからだろう。

 

 旧鉄血公国重巡洋艦プリンツ・オイゲンがKANSENとしても長生きをしている割には、ハンス・ルートヴィヒは亡くなるには若すぎた。

 ヨアヒム自身、成人してまもなく父親を亡くしてしまったことには衝撃と深い悲しみを受けたのを覚えている。

 葬儀の日、いつもは気丈な母親が、まるで飼い主を亡くした猫のように墓標の前にしゃがみ込んでいた姿を…彼は恐らく棺桶に入るまで忘れることはできないだろう。

 

 

「…はぁ………ハンス…愚かな人。あんな約束を鵜呑みにしちゃうなんて。アンタもそういうところがあるから、気をつけなさい。」

 

「父さんとあんな取引をしたのは、やっぱりライリーだったの?」

 

「ええ、そうよ。あのクズが今のアンタの職場で最初に手がけた"功績"がソレ。でもその内欧州課の連中から気味悪がられて二軍落ちしたのよ。…ざまあないわね。」

 

「………それで…もしかして、なんだけど…外遊中のセルバンデスに毒を盛ったのは…」

 

「アンタがハンスと似てなくて安心するのはそこよ。勘がいいこと。ハンスったら何でもかんでも鵜呑みにしちゃう人だったから。でもアンタは違う。…そうね、少なくとも私はライリーだと思ってる。」

 

「なら、どうして?…共産主義者は当時もユニオン国内に人員を持っていたし、インビエルノから秘密裏に亡命した人々も少数ながらいたはずじゃ?…もしやったのがライリーなら、自ら"純粋培養"した手駒にどうしてあんなことを?」

 

 

 オイゲンは皿を洗い終えて、息子の座るソファの隣に座った。

 息子が少し顔を背けたのは、未だに彼女がTシャツにパンティという自堕落極まりないライフスタイルを崩していないからだろう。

 それを知ってか知らずか、オイゲンはその美しい脚を大胆にクロスさせるという芸当をやらかしてくれたので、ヨアヒムとしては勘弁して欲しかった。

 母親に欲情した事を認めてしまえば、彼はきっと自分自身を許せなくなる。

 

 

「…ふはぁ……ライリーはアドリアン達をユニオンに呼んで、直接会う事で傀儡装置の"点検"をした。結果はこうだったんじゃないかしら…"異常あり"。」

 

「セントルイスは上手くやったんだろう?それに、ライリーはアドリアンに支援の約束をしてた。尚更不自然に思える。」

 

「逆に考えてみたら?共産主義者や亡命者がアドリアンの食事に毒を盛るとしたら、致死性の毒物を山盛りにしないかしら?」

 

「少量で致死性のある毒物を入手できなかった、とか?」

 

「勘弁して。共産主義者は暗殺のためにポロニウムを食事に仕込むような連中よ?あんな中途半端なマネするわけないじゃない。アドリアンに盛られた毒は解毒剤で簡単に対処できる程度のものだった。連中が手がけた仕事だとしたら、手抜きが過ぎるわ。」

 

「なるほど…なら、なんでライリーはあんな真似を?」

 

「さっきも言った通り、ライリーはアドリアンとセントルイスが自分のレールから逸脱しかけてることに感づいた。でもアドリアンは代替の効かない"純粋培養"だったし、彼やセントルイスを消したとなれば情報局の縄張りに大統領や安全保障省が付け入る隙を与えてしまう。」

 

「………」

 

「私の思うにライリーの目的は…時間稼ぎよ」

 

「時間稼ぎ?なんのための?」

 

「セントルイスはもはやアドリアンを制御するための機構として機能を期待できなかった。だから予め潜り込ませておいた駒を使うことにした。」

 

「"オクロジャック"、か」

 

「その通り。アドリアンが外遊中に倒れたとなれば、彼は当分ユニオンで拘束されることになる。だから"オクロジャック"はその間自由に動けたはずよ。」

 

「それじゃあ、ライリーは"オクロジャック"を動かすためにアドリアンに毒を盛らせた…そしてそれはせっかくセントルイスが切り落としかけていた傀儡の糸をもう一度繋ぎ直すため…」

 

「本当のほんっとうにクズ野郎よ、あの男は。セントルイスは気づいていたかもしれないけど、アドリアンは共産主義者か亡命者のせいにしてしまった…或いはもし気づいていたとしても、そうするしかなかった。」

 

「アドリアンがもしライリーの意図に気付いていたとしても、彼なら刃向かえばライリーが彼からセントルイスを取り上げてしまうと思ったことだろう。せっかく想いが届いたのに…」

 

「だからこそライリーはあのタイミングを狙ったんでしょうね。セントルイスはアドリアンをライリーから引き離すために自分に依存させたつもりだったけど、ライリーがその関係を逆手に取って利用してしまった。」

 

「………」

 

 

 どうやらユニオンの首都でエスプレッソ片手に悠々とした口調で話していた男は、とんでもない冷血漢のようだった。

 あの男が正直に自分を曝け出すわけはないとは感じていたものの、実際は素顔に近づくに連れて冷血漢なんて言葉が生優しくさえ思えてくる。

 恐らくライリーにとって、彼の任務は単なる理由に過ぎない。

 彼は誰も共感できないような発想をもって、極めて残忍なゲームを楽しんでいたに違いないのだ。

 ホノルルについて語ったあの言葉さえ、きっと未だに本心を隠している。

 奴は自分にとって大切な人をもヨアヒム・ルートヴィヒを弄ぶための道具に使ったのだろう。

 

 

「…なんて奴だ」

 

「本当にね。あの男の本性が、段々と分かってきたでしょう?あいつは自分の悦楽のために私達も含めてとことん利用し尽くした。」

 

「…もしかして………"オクロジャック"の正体って……」

 

 

 オイゲンの発言に、ヨアヒムは恐る恐るといった感じで母親の方を見る。

 だが今度は彼の勘も外れたようで、彼の意図を読み取った母親はケタケタと笑い転げた。

 

 

「あははははっ!私達が"オクロジャック"ならそれこそ傑作ね!ライリーはもっと早く失脚していたでしょうから!」

 

「そ、ソレもそうか…あいつが母さんにした事を思えば、真実を知った後に言う事を聞かなくなることくらい想像するよね…」

 

「それに、あの時期私達も忙しかったのよ?」

 

「アドリアンが毒殺されかけたとなれば、次は自分達かもしれないと思ったから?」

 

「ううん、違う違う。私とハンスでアンタの弟か妹でも作ろうかと一生懸命」

 

「マジで生々しいからやめてっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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元の木阿弥

 

 

 

 

 料理店で倒れてから1週間後

 

 ユニオン

 海軍病院内

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ました時、私の視界には見覚えのない天井が広がっていて、最初私は少しパニックを起こした。

 だがそれも束の間で、すぐに私は嗅ぎ慣れた柔らかな香りが鼻腔をくすぐっていることに気がつく。

 見るとタマンダーレが椅子に座った状態で、仰向けの私のすぐ左手のベッドに向かって突っ伏すようにして眠っている。

 すぅすぅ、と寝息を立てる彼女はきっとこの施設で借りたであろうカッターシャツにスカートという服装で、恐らくは私はきっと短くない間眠っていたであろうと言うことに気づかされた。

 

 

 眠りにつく前…いや、気を失う前何が起きたかを思い出す。

 料理店で毒を盛られた私は倒れ込み、タマンダーレの必死の介抱を受けて救急車に運び込まれた。

 その後搬送された病院で、何らかの注射を打たれた私は、呼吸の回復を感じたもののそのまま睡魔に引き込まれたのだ。

 

 どうにかして体を動かそうとはしたものの、両腕を始め私の体は未だに私の言う事を聞いてくれそうにはない。

 それは石のように重く感じられ、脳からの指令に全力で抗っているようだ。

 私はついに諦めたのだが、そのタイミングで、隣で寝ていたタマンダーレが目を覚ました。

 

 

「………んっ…んんっ………!…アドリアン!ああ!良かった!」

 

 

 彼女は目を覚ますと、意識を取り戻した私を見ていつも通りの温かな抱擁をしてくれた。

 彼女の柔らかな双丘が私の顔面を包んだが、そこで違和感に気がつく。

 口をすっぽりと覆う人工呼吸器を装着されていたのだ。

 マスク越しに彼女に意思を伝えようとする私を、彼女自身が引き止める。

 

 

「ああ、ダメよ、アドリアン!どうか無理をしないで。あなたは死んでいてもおかしくはなかった…病院に解毒剤があったのは、不幸中の幸いね」

 

「……………あ…り…がと……」

 

「もう、アドリアン!無理をしちゃダメって言ったばかりなのに。………でも、本当に良かった。あなたを失ってたら、私はきっと耐えられなかった…」

 

 

 タマンダーレがそう言いつつ俯いて、左薬指に輝く指輪を見つめる。

 ああ、そうか…やっぱり、アレは夢なんかじゃなかったんだ。

 私は彼女にきちんと伝えるべき事を伝えれたに違いない。

 あまりよくは覚えていないが、彼女が私にYESと言ってくれたことだけは覚えている。

 本当に喜ばしきことではあるものの、だからと言って現状は安心できるものではない。

 

 何者かが私の食事に毒を持ったのだ。

 タマンダーレのおかげでどうにか助かったのは良いが、次の攻撃を防ぐために、私は何としても攻撃者を割り出さなければならないだろう。

 それは今までになく過酷な戦いになりかねない。

 精神的にも、肉体的にも…

 

 

 

「失礼!セルバンデス大統領はこちらの病室かね!?」

 

「……ッ!大統領!」

 

 

 あろうことか、ユニオンの大統領がわざわざ私の病室に駆け込んできたのはその時だった。

 彼は大汗をかいていて、こんな傀儡の1人のために急を要してくれたのは目に見えて明らかである。

 すぐ後からはエンタープライズも入ってきたし、恐らく無理矢理入ってきたのであろう、看護婦まで一緒にいた。

 

 

「ああ!すまない、すまない、セルバンデス大統領!なんてことだ、私の責任だ!」

 

「大統領、アドリアンは今お話しできる状態にありません。お心遣いには感謝しますが…」

 

「セントルイス、君にもすまない事をした!こうなるのは目に見えていたのに!」

 

「レイ、それ以上はダメだ!…残念な事件だが、幸いにもセルバンデス大統領は無事だった。だから帰ろう!」

 

「ダメだ、エンタープライズ!私は…私はこうなるのを防ぐことができたはずなんだ!」

 

 

 スプルース大統領を必死に引き止めるエンタープライズ。

 私の中では彼らの様子から、ある疑念が浮かび始めていた。

 それはこの2人の会話が進むにつれて、どんどんと増していく。

 

 

「ジャック!ジャック・ライリー!あいつのせいだ!奴を野放しにしたばかりに…」

 

「レイ!本当にそれ以上はやめてくれ!自分の立場を思い出すんだ!あなたらしくもない!」

 

 

 ジャック・ライリー………

 その名前を耳にした時、私の中で何かが繋がってしまう。

 それはあの夕餉で毒を盛られる数日前から薄れていたある感情を、私の中に満たすには充分なものであった。

 

 

「大統領、どうかお引き取りください。アドリアンは安静にしておかないと…」

 

「しかし…」

 

「レイ!レイ!もう行こう!…すまない、セントルイス…」

 

「すまない、本当に…すまない…」

 

 

 大統領とそのファーストレディは、ここへきた時と同じように慌ただしく帰っていく。

 それを見送っていたタマンダーレは、彼らの姿が見えなくなると、物悲しげな顔をこちらに向けた。

 その両目には涙さえ拵えて。

 

 

「……大統領は…動転しているだけよ?あなたほど重要な人物を…こんなふうにしてしまったから…………だから、だからどうか、あんな事を信じないで?」

 

 

 タマンダーレには悪いが、もう既に後の祭りだった。

 まるであの2日間で綺麗に掃除されたかのような私の心は、疑念という黒い染みに覆われつつある。

 そうだ、そうだ、ライリーだ。

 この毒殺未遂は私を殺すためのものじゃない、きっと警告を与えるためのものなのだろう。

 奴が私に毒を盛ったのなら全ての説明がついてしまうのだから。

 

 

 私はインビエルノを経つ前に、事前の行動予定をライリーに提出した。

 犯人は私を確実に殺せる毒を盛れたはずなのに、そうはしなかった。

 そして私達の泊まっていたホテルは、ライリーが手配したものだ。

 

 

 急にまた呼吸が苦しくなってきた気がして、私は呼吸器の空気をより盛んに吸い込み始める。

 その様子を見たタマンダーレが再び私を抱擁した。

 彼女の香りは通常私に安堵感という物を与えてくれるのだが…今回はもう、その効果を期待できない。

 

 

「アドリアンッ!…アドリアンッ…!……お願い、お願いだから"あなたのままでいて"ッ!私はいつでも側にいる!何にも心配なんていらないわ!」

 

 

 ライリーが私に毒を盛ったのは何のためか?

 私は…私はきっとライリーの線路から脱線しかけた。

 彼はきっとそんな事を許す男じゃない。

 だから彼は私に罰を与えた。

 だから私に警告をした。

 なら…私はいったいどうすべきだろう?

 

 

「あなたはあなたよ、アドリアン!お願い、それを忘れないで!あなたはアドリアン・セルバンデス、私の大切な夫!牧場と列車が大好きな、1人の人間でしょう!?」

 

 

 私はライリーに逆らえない。

 それはもう決まりきっている。

 何故逆らえない?他に手はないのか?

 分からない、けれど、私自身とタマンダーレの安全を守る為にはこれ以上の手立てはない。

 大統領はどこまで"ケツ"を持ってくれるのか分からないし、安全保障省に至ってはタマンダーレを排除する気でいる。

 

 私はあまりに長い間役割を怠け過ぎたのだ。

 良い加減に元の役割に戻らなければ……

 

 

「アドリアンッ!」

 

 

 彼女が私を強く揺さぶって、私はハッとする。

 もはや声をあげて泣きださんとする彼女は、両目から涙を流しながら私の顔に彼女の顔を近づけていた。

 彼女の吐息が鼻先をくすぐるほど近くまで…

 なんて美しい女性なんだ、なんて素敵な伴侶なんだ。

 私は何にも代えて彼女を守らねばならん。

 

 

「ねえ………アドリアン?」

 

「………ないと……」

 

「………え?」

 

「国に…………戻らないと………」

 

 

 ライリーは私を監視する上でタマンダーレ以外の何者かを配置したはずである。

 私が真に彼女との生活を守るのであれば、いずれはその者は排除されなければならない。

 しかしいきなり事を急いでしまってはライリーに再び毒を盛られることだろう。

 ライリーに改めて従順さを示す為には…少なくとも表向きにも強化する為には…スタジアムでの殺戮を強化するのが手っ取り早いように思える。

 少なくとも表向きは従順にしなければ…何事も慎重に、慎重に。

 

 

 国に帰ってどうするか考えていた時、彼女が私の枕元に突っ伏して、ついに声をあげて泣き始めたのに気がついた。

 ああ、彼女には心配をかけてばかりだ。

 インビエルノに帰ったら、もう彼女に心配をかけずに済むようにしなければ。

 その為には不安材料を払拭しなければならないな。

 しかし、処刑対象を増やしたら…ウゴの秘密警察は対応できるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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燔祭

 

 

 

 

 

 

 2週間後

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 首都郊外

 ナショナル・スタジアム

 

 

 

 

 

 軍用トラックはその荷台から、ボロ切れのような服を見に纏った男から中産階級の御婦人までのおおよそ20名の人間を吐き出した。

 彼らをここまで監視していた秘密警察官はM1ライフル銃で持って彼らを追い立てて、スタジアムの壁際に並べ始める。

 それがスラム街の端で靴磨きをしている男でも、週末に流行りのカフェに出かけるような夫人でも、警察官は同列に扱った。

 彼は8発の30-06弾を速射できる強力な兵器の銃口を押し付けながら、あるいはその硬い銃床で殴りつけながら、連行されてきた人々を暴力的に誘導する。

 散々口汚い罵言雑踏を浴びせられてきた可哀想な人々は、今では全員が両手を後ろで拘束されて壁に頭を押し付けられていた。

 

 

 彼らの背後ではユニオン製のM1917重機関銃に250連発のベルトが装填されている。

 機関銃手は最初の1発をチャンバーに装填すると、胸ポケットからタバコを取り出し、それを咥えて火をつけた。

 本来火気厳禁の弾薬の側でタバコを吸い始める機関銃手に装填手は"信じられない"といった顔をしたが、すぐに肩をすくめて目の前の光景に集中する。

 ここから1人でも逃してしまえば、今度は彼が壁に向かって立たされることになる。

 

 機関銃手の方はといえば、タバコをふかしながら過去の回想に耽っていた。

 まだ世界大戦が始まる前、この国を治めていた国王は国威発揚を目的とするサディアのワールドカップに刺激されて、この国立競技場の設立を命じた。

 初心こそ立派な物だったが、統治という観点からすると不合格点以外何物も与えられない。

 目的が高尚な割には、その財源を獲得するための方策は杜撰そのもので、最終的には国内の経済を疲弊させて共産政権の樹立を見るにまで至ってしまったのだ。

 

 

 結局、建設は途中で放棄され、今では集団処刑場として使われている。

 サッカーボールや野球ボールを受け止めるはずだった壁は今では人体を貫いた血塗れの銃弾を受け止める為に使われ、人々が競技を楽しむ為に設けられたベンチの数々はずっと下を見て一向に顔を上げようとしない"容疑者"達によって埋められていた。

 

 

 

 アドリアン・セルバンデス現大統領がユニオンで毒に倒れてから、秘密警察の仕事は更に増えた。

 単純に処刑する人数が増えたばかりか、大統領は従来貧困層に絞っていた粛清の範囲を上流階級の人々にまで拡大したのだ。

 ユニオンから帰ってきたと思ったら、この冷徹な独裁者は更なる人間不信に苛まれてしまったようだった。

 まあ、無理もないか。

 聞くところによれば、大統領は例のユニオン女にプロポーズをした直後毒に倒れたという。

 そんな経験をすれば誰だって人間不信になる。

 

 "リリアン"…機関銃手の脳裏を、ふと愛しの妻の名がよぎる。

 彼の最愛の人にして、可愛い2人の娘の母親。

 彼女達は今、インビエルノ中産階級の最たる存在としての生涯を謳歌していることだろう。

 理由は単純明快、夫は秘密警察の職員なのだ。

 大勢の国民が毎晩ドアを叩くノックの音に怯える中、彼女達は夫のおかげで少しばかり肩の力を抜いた生活ができる。

 

 あの大統領が人間不信にしろ何にしろ、現状は彼にとって甚だ優位であった。

 人間誰しも一度優位を手にしたら、2度と手放しはしないだろう。

 だから彼も現状を変えようなんてこれっぽっちも思わない。

 今彼がやるべきことは大統領の指令に従うことで、一々彼の判断に疑問符を付けたり、ましてはそれを口にすることなど考えられないことだった。

 分別ある人間なら誰しも分かることだが、あの冷酷無比な独裁者に余計な意見を発するだけでどれだけのリスク…それも一切のリターンも望めない癖に極めて重大な損失を意味するリスク…がその背にのしかかることか。

 

 

 "共産主義者"は既に壁に並べられ、秘密警察の士官が"罪状"を読み上げる。

 一体この中の何人がその罪状の内容に沿うかなど、機関銃手にとっては余計な心配でしかない。

 だから彼は黙って照準をつけて、士官の号令に合わせて引き金を引いた。

 ただ、唯一心配に思ったのはこの死体の山を埋めるのにはいったいどれだけの労力がかかるのかということだったが、やがてはブルドーザーがやってきて、この死体の山も彼の心配事も無造作に埋めてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕食後

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忌々しい毒物のせいで、私の身体には後遺症が残った。

 左半身が引き攣るようになり、私は杖なしには立っていられなくなってしまったのだ。

 医師の診断では、この障害は時間とともに克服できるものらしい。

 しかしながら、その間感じる苦痛もまたライリーが私に差し向けた罰として考えると何かと癪に触る。

 

 

 ただ、この障害が私に齎したものは苦痛だけではなかった。

 私を介抱するために、タマンダーレが常にそばに居てくれる。

 周りの人間にとり、かつては「ユニオンの具現」でしかなかった彼女は、今では本物のファーストレディとしてそこにいてくれるのだ。

 この日も私は彼女の助けを受けながら自らのタスクと向き合った。

 

 

 

「トルタハーダ家の処刑はお待ちいただいた方がいいでしょう。彼は海軍支持の姿勢を真っ先に改めた人物です…他の13家族にどう見られるか」

 

「あの時提督の側に回ったのは4家だけです。何のことはない、13家族が9家族になるだけだ。何なら1家族以外全員殺してもいい。」

 

「農地を1家族だけに集中しては、その人間に特権を与えるだけです。増長しかねません。」

 

「ならそいつも殺せばいい。…ユニオン企業に農地を買い取らせれば良いのでは?」

 

「……大統領…」

 

 

 もう誰も信用できない。

 信用するわけにもいかない。

 ライリーは私に毒を盛る以前から、きっと私のことを見張っていた。

 つまりこの国にはネズミがいる。

 ライリーが飼い慣らした、愛用のネズミが。

 それは13家族かもしれないし、ベラスコかもしれないし、今目の前にいるウゴかもしれない。

 ただ絶対の自信を持って言えることは、タマンダーレは私を裏切らないということか。

 ああ、いや、それも分からない。

 もしかするとあの返事も偽装なのかもしれない。

 私を油断させて、懐に入り込む為の…

 よくよく考えれば、あの場で一番毒を盛りやすいのはタマンダーレじゃないのか?

 彼女は現場にいた。

 私は解毒剤のある病院に運び込まれた。

 なら…彼女は最初から私を裏切っていたのか?

 そんな、耐えられない。

 彼女に、彼女に裏切られるなんて

 

 

アドリアンッ!

 

 

 怒りを込めたタマンダーレの表情が、私の視界に入ってきて、そしてそれは私の根拠のない疑念を払拭して、同時に深い後悔と罪の意識を植え付けた。

 なんで…いったいどうして私は彼女を疑ってしまったんだろう?

 あんなに、いつもあんなに私の事を想ってくれている彼女に対して。

 それは非礼を通り越してまさに裏切りである。

 

 私はしばらく何も言うことができない。

 

 頭でそれを理解しているつもりだったが、それでも尚私の脳裏に住み着いた悪い虫が神経を圧迫し続けていた。

 

 

「………アドリアン、今日もう遅いわ。お休みしましょう。ウゴ、13家族の処遇についてはまだ少し待っていてくれない?この子はまだ執務に耐える状態じゃないわ。」

 

「そんな、ダメだっ、タマンダーレッ!それはッ!私はッ!失いたくないッ!」

 

「こんな時くらい私の意見を聞いて、アドリアン!あなた本当に手遅れになっちゃうわ!」

 

「ダメだ、ダメなんだ、タマンダーレ」

 

「いい?何度も言うけれどあなたは何も失わない!…でも、やっぱり言葉だけでは無理なのかもしれないわね…ウゴ、やっぱりこの子は明後日まで休ませるわ。…ごめんなさい」

 

「いえ。私も結論を急ぎ過ぎました。ユニオンでの大統領の経験を踏まえるに、タマンダーレさんの判断は妥当です。」

 

「………」

 

「大統領、あなたはユニオンから帰国してすぐに執務に戻られた。…お志は立派ですし、お気持ちもわかりますが、連中は私の方でしっかりと締め上げておきますので…どうかご安心ください」

 

「………すいません、ウゴ」

 

「はぁ…アドリアン、私についてきて。」

 

 

 

 タマンダーレに立たされて、私は肩を落としながら彼女についていく。

 部下の目の前で取り乱すという、とんでもない失態を晒してしまった。

 きっとタマンダーレからは真摯な説教を受けることだろう。

 もう誰を疑うべきかも完全に分からなくなって、不安定な自分を隠すこともできない私に呆れてしまったかもしれない。

 

 

 そんな事を考えていたから、彼女が私を自身の部屋まで招き入れ、ドアの鍵をしてから笑顔を向けた事には多少なりとも驚いた。

 

 

「…もう、アドリアンったら。」

 

「………ごめんなさい」

 

「そんな謝り方しないで。私とあなたの関係を忘れたの?」

 

「…………」

 

「私はもう"ルイーズ"じゃないわ。私はあなたのタマンダーレ。…とは言っても、あなたの考えも分からなくもない。」

 

「!………」

 

「食事に毒を盛られて、死にかけたのだもの。それに、たしかに私ならあなたの食事に簡単に毒を盛れたでしょうから…」

 

「そ、そんな!タマンダーレ、私は」

 

「ううん、それが良いと言ってるわけじゃないけれど、そう考えてしまうのも無理はないと言いたいだけ。だから…」

 

 

 彼女はそこで言葉を切って、私を彼女のベッドに座らせる。

 次いで彼女もまた私の傍に座ると、顔を赤らめて…少しばかりの恥じらいを伴う赤らめ方だった…目を瞑って私の顔へ彼女の顔を近付けた。

 そしてそのまま、彼女の柔らかな唇が私のそれに当たる。

 ちゅっ、という独特の音がして、次いで彼女の吐息が私の鼻先をくすぐった。

 

 

「…タマン、ダーレ?」

 

「あなたはきっとこう思っている。…私を頼ってばっかりで、私はあなたを頼る必要なんてないんだって…。でもそれは違う。私もまた、あなたを頼ってる。」

 

「………」

 

「でも、言葉を信じきれていないのは、きっとあなた自身に自信がないから。…だから、今日こそそれを分からせてあげるわ。」

 

 

 彼女はそう言って、あろうことか服を脱ぎ始める。

 白い柔肌に映える黒い下着を見て、私は恥ずかしくなりながらも、目を逸らすことは出来なかった。

 

 

「…うっふふふ!その様子だと、あの夜にあんな事がなかったら、あなたも()()()()()と思ってたんじゃないかしら?」

 

「い、いや、そんな…」

 

「そう?私はこうするつもりだったけれど?」

 

 

 全くもって想像もしていなかった事態だったから、私は何の行動も取れなかった。

 だから左半身に罪をなすりつけて、その夜は殆どを彼女に任せてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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革命家キラー
純粋培養


 

 

 

 

 

 現在

 ユニオン

 バージニア州

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「女スパイモノに良くありそうな話じゃないか?…相手をベッドに誘い込むなんて。」

 

「ええ、確かにそうね。でもセントルイスがアドリアンに捧げたのは彼女の"初めて"だった。…エミリーちゃんと付き合ってるなら、この意味は分かるでしょ?」

 

 

 時刻はもう夕暮れ。

 ヨアヒム・ルートヴィヒの今日は結局母親と一緒に家で過ごすという、とてつもなく"有意義な"一日となった。

 悪戯っぽく笑う母親の作ったアイスバインに舌鼓を打ちながらも、父もきっとこんな母に惹かれていたのだろうと思わされる。

 掴みどころのない、されど一度好意を向けた相手にはとことん付き合う猫のような女性。

 戦後の事があってすら、彼女はこんな笑みを浮かべるのだ。

 ジャック・ライリーはそれこそ"しくじった"に違いない。

 

 

「…それで?アドリアンは彼女と寝た。でもそれだけだ。そんな事で彼の重篤なパラノイアが治るとは思えない。色仕掛けだと思い込む方が普通だろう?」

 

「アンタ、エミリーちゃんにそんなこと言ったら平手打ちされるわよ?」

 

「え?」

 

「アドリアンにいくら女性経験がなかったとしても、セントルイスが本当にライリーの駒になりきっていない限り、彼の誤解を解くには十分な効果はあったはず。…そうね、彼のパラノイアは治らなかった。でも、セントルイスは彼の精神の中に確かな地歩を手に入れたわ…アドリアンは今度こそ、セントルイスを疑うような真似をしなくなった。」

 

「………セントルイスは何故そこまでして…」

 

「………」

 

 

 オイゲンが言葉を切って、食器を持つ方とは反対の手で頬杖をつく。

 テーブルマナーとしては"なってない"どころか眉唾ものだが、彼は母親がそんな態度を取る理由を良く知っている。

 彼女がこんなポーズを取る時は、大抵の場合「クソ胸糞悪い事」を思い出した時くらいだ。

 

 

「…ジャック・ライリー、ライリー、ライリー、本物のクソ野郎。…アイツは悪魔よ。」

 

「母さん…ライリーは一体何をしたんだ?」

 

「何だと思う?ここまで調べた事で、アンタなりの答えを言ってみなさい。」

 

「………ずっと気になっている言葉がある。ライリーはアドリアンを『純粋培養』だと言っていた。"友人"でもなく、"下僕"でも"奴隷"でもない。」

 

「………」

 

「思うに、それはアルバロの妻が死んだ後、タマンダーレに乳母としての任務を与えたからじゃない。」

 

「………」

 

「…………あのクソ野郎がアルバロの妻を殺したんだ。」

 

「あら。大正解よ。」

 

 

 オイゲンが顔の前で小さく拍手をして見せる。

 けれどその瞳の中にはこの世のものとは思えない嫌悪感が見て取れた。

 きっと彼女は浮浪者やゴキブリや寄生虫の群を見たところで、こんな目をすることはないだろう。

 軽蔑と嫌悪の複合体が、彼女の瞳に宿っていた。

 

 

「世界大戦の直後、既に南方大陸方面に左遷されていたライリーはアルバロに目をつけた。それはアルバロが有能な海軍軍人で、反共主義者だったからじゃない。そんな奴なら他にもいた。アルバロが選ばれたのはね、彼に幼い息子がいたからよ。」

 

「…最低だ……」

 

「ええ、本当にね。それはきっと脅迫の意味も込めた行為だった。アルバロは悟ったのよ。もしも息子を守りたいのであれば、ライリーの操り人形になるしかないってね。だからセントルイスに息子を預ける事に同意せざるを得なかった。息子が…この先冷酷な独裁者として育てられると知っていても。」

 

「………セントルイスはどこまで知っていたんだろう?」

 

「私がライリーなら彼女には何も知らせないわ。ただ幼いアドリアンの乳母をやれって言うだけ。…それに、あのクソ野郎がセントルイスを選んだのにも、恐らく理由があるの。」

 

「…?」

 

「世界大戦で姉妹を失っていたセントルイスは傷心していた。重桜での復興任務を終えた彼女は自沈処分の嘆願書をスプルース少将に提出したそうよ。…彼女は精神的に深刻なダメージを負っていた。」

 

「…!あの悪魔!まさかそれを利用してッ!」

 

「"代替化"…典型的な精神防御機能ね。あの悪魔はセントルイスに"守るべきもの"を与えた。彼女はヘレナとアドリアンを重ね合わせて、その全てを"どこまでも従順な独裁者候補生"につぎ込むようになった。」

 

「ッ!…なんて人でなしなんだ!」

 

「でも、悪魔だって間違いは犯すわ。特に、ライリーはとんだヘマをやらかした。」

 

「…本人が思うより、セントルイスはアドリアンにのめり込んだ。元より共依存を望んでいたとはいえ、それで離反されては元も子もない。」

 

「そうね。………アドリアンが毒殺未遂に倒れた頃、プラタでは革命の気配があった。ライリーが南方大陸の手綱をしっかりと握っておくには、アドリアンの締め付けを強化する必要があったのよ。セントルイスはもう当てにならなかったしね。」

 

「ライリーならアドリアンにプラタの王政を攻撃するようにしたがった事だろう。でも、それは出来なかった。プラタ国王の背後にいたのもまたライリーだったからだ。ユニオン配下の国家が同じ配下の国家を攻撃したとなればユニオンのメンツは丸潰れだ、大統領は許可しない。」

 

「あの悪魔はさぞ歯痒かったでしょうね。でもアイツはどれだけ卑劣でも、最低限の分別は弁えていた。だから大統領も手を出せなかったの。…でもそれが崩れたのは、結局プラタの革命が発端よ。」

 

 

 アイスバインを食べ終えて、2人は食後のコーヒーを淹れる。

 ヨアヒムが物心ついた時から、この家族の習慣は変わっていない。

 テーブルの向かい側で微笑みながらコーヒーを啜るオイゲンを見て、ヨアヒムは彼女がここに辿り着く前に味わう事になった苦難の数々に想いを馳せた。

 大切な人と大切な時間を失った後でも、母親はちゃんと女手一つでヨアヒムを育てあげたのだ。

 オイゲンは孤独な戦いを制し、守るべき最後の大切な存在をここまで守り抜いた。

 そのためにはどんな苦労も、後悔も、彼のために代償として支払ってきたに違いない。

 

 なら。

 セントルイスが新たに見出した"大切な"存在のために支払ったのは何であろう?

 それはきっと彼女の"初めて"だけじゃない。

 完全な新天地を手にする事になったルートヴィヒ夫妻と違って、彼女のそれは所詮あの悪魔の庭の中の話だった。

 彼女はそのちっぽけな庭の中で、番犬に監視されながら、悪魔を欺き、その上汚れ仕事に手を染める自分自身をも相手取り、アドリアンを守るために戦ったのだ。

 どれだけの苦戦であったか、想像に難くない。

 

 

「…セントルイスは状況を上手く利用したわ。ライリーがプロポーズの夜を狙ったのは、実はアドリアンに距離を取らせるためでもあった。ライリーにとってセントルイスがプロポーズに応えたのは、少しばかり予想外だったようね。…アイツの筋書きではセントルイスはアドリアンの"保護者"に徹するはずだった。ちょうど、彼女がヘレナに向けた感情と同じように。」

 

「でも、セントルイスにとってはアドリアンは既にそれ以上の存在だった。」

 

「ええ。彼女はライリーの仕掛けた罠を逆手に取って利用した。アドリアンの方はますますセントルイスに依存するようになったわ。あの頃の彼女達ったら…うふふふふ!まるで高校生みたいな純愛をしちゃってたんだから!」

 

「………母さんの方はどちらかというとソドムとゴド」

 

「明日の晩御飯は抜きにしましょうか?」

 

「ひぃ!?」

 

「…ま、冗談はともかく。そうこうしてるうちに、プラタの国王は自分の運命に終止符を打ってしまったわけ。ある諸島を巡って、あろうことかロイヤルネイビー相手に戦争を仕掛けちゃったわけ。」

 

「それで…セントルイスはどう動いたんだ?」

 

「…今日はここでおしまいにしましょう。…ここから先はアンタの職場に残っている資料の方が詳しいでしょうから。明日はエミリーちゃんとのデートでしょ?…しっかり楽しんできなさい。…ああ、何なら今からでも私が手解きを」

 

結構ですッ!

 

 

 

 

 



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ジャック・ライリーが得られなかったもの

 

 

 

 

 大戦終結直後

 重桜

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫の山の中を、ユニオン海軍女性士官の制服に身を包んだ1人の女性が歩んでいる。

 手には大きなカバンを持ち、その中に大量の缶詰や菓子を入れて。

 この国に初めてやってきた時、彼女は義理の姉に向けてこう言った。

 

「ざまあない、ようやく連中に相応しい土地になったわね。」

 

 でも彼女は今、かつて自身がそう評した"連中"のために食糧を運んでいて、その表情には嫌悪も憎悪も見られない。

 今彼女の顔から読み取れるものがあるとすれば、それは後悔と懺悔であろう。

 自身がこの国の人々に対して行なってきたあらゆる行為において、彼女はその感情を持っていた。

 

 しかし、無論それは謝罪を伴う表現を許されるものではない。

 彼女が彼らの家族を殺したように、彼らもまた、彼女の家族をその手にかけた。

 それが戦争であり、ユニオンが彼女達に与えた使命なのだから。

 戦場から遠く離れた銃後の人々の家に焼夷弾を投下する爆撃機の支援をしたからといって、それは罪と呼べるものではない。

 総力戦とは国家の全てを戦争の炎に注ぎ込んでしまうものなのだ。

 そこには善人も悪人もなく、最後に残るのは勝者と敗者のみ。

 そして勝者が歴史の筆を手に取って自らを善人として描写し、敗者に悪人の汚名を被せて葬り去るのだ。

 

 大抵の場合、敗者の国民は勝者の隷属に囚われるのが常である。

 ユニオンと重桜の戦争もその例に違わなかったが、しかし勝者たるユニオンは戦争の規模から考えれば余程の猶予を示した。

 それはもちろん、重桜と海を隔てた向こう側にある強大な敵を見越しての計算が手伝ったこともある。

 しかしながらユニオンの対重桜統治政策は、重桜から多くを奪いながらも同時に多くを与えたことは否定できないだろう。

 

 瓦礫の山の中を歩くKANSEN、セントルイスにユニオン海軍司令部が与えた指令もそういった政策のうちの一つだった。

 海の向こう側で北方連合の恐るべき共産主義者たちが南進の機会を伺うべく東煌に傀儡政権を打ち立てている間に、ユニオンは東側の防壁として重桜を機能させなければならなかったのだ。

 それも可能な限り早急に、そして"協力的な重桜国民"を育て上げながら。

 

 それに、例え注意深い人々がユニオンの本心を見透かしていたとしても、彼らが日々の暮らしを凌いでいくためにもユニオンから差し伸べられる手を拒むことはできなかったことだろう。

 壮麗な見た目のKANSENなら、戦闘服に身を包んだ歩兵よりかは威圧的には見えないし近寄りやすい。

 兵器たる彼女達は1人で歩兵数十人分のパワーを期待できる上、まだ反重桜感情の多い兵士たちをその国民のために働かせるという"屈辱的な"経験から回避させることができた。

 現にこのスプルース少将の提案により、ユニオン進駐軍の兵士が派遣先で犯罪を起こすことも完全にとは言えないものの減少し、軍の規律を維持する事にも効果を挙げている。

 KANSENはまさしく都合よく扱われたわけだが、少なくとも、セントルイスが反発したのは最初の内だけだった。

 

 

 そう、最初こそセントルイスはクラ湾での事もありこの命令に反発した。

「どうして私たちが」

「いったい何のために」

「あいつらなんて、この瓦礫の山に住まわせておけば良いのに」

 でも、そんな彼女を復讐心という呪いから解放したのはこの国の惨状と、ある重桜KANSENとの出会いだった。

 そして彼女は今、そのKANSENの下へと向かっている。

 

 

 彼女の宿営地からそこまでは、大した距離もない。

 しかし彼女が徒歩を選ぶのは単純に距離のみの問題ではなかった。

 穴だらけの道路を進む彼女に、やがてはどこからかあどけない声がかけられる。

 

 

「ぎ、ぎぶみーちょこれーと!」

 

 

 突然の声にセントルイスが振り向くと、何人かの子供達が彼女の下へと駆け寄ってきた。

 その表情からするに、戦時中重桜軍部が振り撒いていた『ユニオンの鬼畜KANSEN』なる宣伝が正しいかどうか半信半疑に違いない。

 彼女はその疑いをできるだけ払拭できるように明るい笑みを取り繕った。

 

 

「あら…可愛い子供達ね。ほら、こちらにいらっしゃい?」

 

 

 まだ練習中の重桜語が十分に機能するとは思っていなかったが、しかし意図は伝わったようだ。

 彼女がその場にしゃがみ込んでバッグを開けると、子供達は恐怖混じりの表情を歓喜のそれに変えてセントルイスに駆け寄ってくる。

 セントルイスはそんな子供達に持ち得るだけの菓子を配り始めた。

 

 

 

 目的地に着く頃には、バッグの中身は半分まで減っていた。

 そこは半壊した民家で、その前には1組の老夫婦と1人の重桜KANSENがいる。

 セントルイスが到着した時、彼らは重々しいコンクリートの残骸をネコ車に運び込んでいるところだった。

 

 

「三笠さんっ!あんまり無理しなさんなっ!アンタもお歳でしょう!?」

 

「何のこれしき!これでも我は元重桜艦隊の旗艦、軽んじられてはこま」

 グギリッ

「いっだああああああッ!!!」

 

「ああっ、ミカサッ!」

 

 

 あまりに大きな残骸を持ち上げようとしていたばかりにその負荷に耐えられなくなった三笠の腰が、派手な悲鳴を上げたようだった。

 三笠はコンクリートを放り出して、両手を腰に当ててのたうち回っている。

 そんな彼女の様子を見て取ったセントルイスは大慌てで彼女の下へ駆け寄って行った。

 

 

「ぐあああっ!」

 

「もうっ!どうしてこんな無茶するの!…ほら、肩を貸してあげるから…」

 

「ぐぬぬ、セントルイスか。すまぬ。」

 

 

 どうにか三笠を抱え上げると、セントルイスは彼女を半壊の民家の縁側まで運び、この高名なKANSENを座らせる。

 三笠は申し訳なさと苦悶を足して2で割ったような顔をしながら、彼女に謝意を表した。

 民家の半壊から逃れた大時計が音を鳴らし、時刻が正午になったことを伝える。

 老夫婦も作業の手を止めて、彼女達の下へとやってきた。

 

 

「来てくだすってありがとうございます、ユニオンのKANSENさん。大したモノは出せませんが、時間も時間ですしどうか休んでください。」

 

「いいえ、どうかお気になさらず。大したお力にはなれませんが…そうだ、どうかコレを受け取ってください。軍の余剰品で申し訳ありませんが…」

 

「いえいえいえ、こうも毎度こんなものをいただくなんて申し訳ない!ただでさえお手伝いいただいているんですから!」

 

「お願いします、どうか受け取ってください。私にできるのは…コレくらいしか…」

 

「……ああ…本当に申し訳ない…町内の皆さんとでいただきます。本当にありがとう。」

 

 

 老夫婦はセントルイスの持ってきた食糧を受け取って、大時計と同じく難を逃れた台所へと向かっていく。

 その間にもセントルイスは三笠の腰をさすっていた。

 

 

「もう!…あんな無理をしなくたって………はぁ…私が遅れたからね…ごめんなさい。」

 

「ふふっ、お主が何をしていたかは知っておる。…本当にありがとう、お主は…私がやるよりもずっと多くの人々を救っているのだから。」

 

「………そんな事ないわ。私は…」

 

 

 セントルイスはそう言って俯いてしまった。

 復讐に焦がれ、怒りに任せて敵を狩り立てた。

 それが何を相手にしていても、目的が何であろうと、憎しみをぶつけられれば何でもよかった。

 ところがどうだろう。

 いざ敵を倒してみると、心の内には虚しさしか残らない。

 それが余計に腹立たしく、彼女の怒りと悲しみを増幅させていた。

 どれだけ敵を倒しても、そして重桜海軍という強大な組織を潰しても、彼女のヘレナは永久に帰ってこないのだから。

 そしてその過程で、妹を喪った自分と同じ境遇の人間を自身の手で作り続けてきたという事実が、彼女の精神に暗い影を落としていたのだ。

 

 

「前にも言ったであろう。お主が気に病む必要はない…いや、気に病むべきではない。」

 

「…ええ、分かってる…分かってるわ。」

 

 

 俯くセントルイスの肩に、今度は三笠が手をかけた。

 

 

「…お主の()()、きっとそちらの指揮官(スプルース少将)は許可せぬであろうな。」

 

「!?…どうしてそれをッ」

 

「お主の目を見ていれば、何を考えているかは分かる。…まったく、これではお主の妹も浮かばれまい。」

 

「…私はもう役目を果たしたわ。ヘレナもホノルルも、きっと"向こう"で待っていてくれる。だから…」

 

「……………少し昔の話をしよう。私が帝政時代の北方連合との戦いに身を投じていた時の話だ。」

 

 

 三笠はようやく腰の痛みが引いたのか、軽く伸びをしてみせる。

 そしてかつての栄光を思い出すかのように、少し目を瞑って語り始めた。

 重桜が東洋に輝ける大国として名を挙げた、"あの時代"の事を。

 

 

「ロイヤルもユニオンも、あの戦争では我々に勝ち目はないと見ていた。当然だ、相手はあの北方連合。だが我が重桜艦隊と陸軍は勝利を手にした…いや、手にしてしまった。」

 

「………」

 

「国民はついに大国に打ち勝って、自身も列強の一員に名を連ねたと躍起になったんだ。…と、同時に少々傲慢にもなった。あの戦争、ユニオンとロイヤルの支援がなければ到底勝ち得ることはできなかった。だが、国民はそれを忘れた。」

 

「………」

 

「時代が進むにつれて、国民はやがて自信過剰になり始めた。"生存圏"を求める民族の切望は日増しに膨れ上がっていって………」

 

「でも、あなたが私に言ったように…それはあなたが気に病むべきことではないと思うわ。」

 

「いいや、もうちと上手くはできたかもしれん。」

 

「どうして?…今回の開戦は重桜軍部の暴走が原因でしょう?」

 

「ふふっ……いいや、暴走したのは軍部などではない。()()()()が、暴走したのだ。」

 

「国民が…?」

 

「うむ。たしかに軍部は政党政治を終わらせたし、新聞ラジオは全体主義を煽り立てた。…が、いずれにしても国民の支持がなければ戦争を始めるに至らなかったであろう。」

 

「………」

 

「国民は熱に浮かれてしまったのだ。我らKANSENはその熱を冷ましてやらねばならなかったのに、赤城や加賀達…私の後輩達は寧ろその熱を加速させてしまった。だから私も再び重桜艦隊の旗艦として復帰したが…ちと遅すぎたな。」

 

「………」

 

「分かるか?…戦争の責任、特に総力戦の責任は特定の個人や団体に求められるものではない。だから私やお主が気負う必要は…いや、気負うべきではないのだ。」

 

「…でも」

 

「気持ちは分かる。時として感情は理性を蝕んでしまう。先の話がまさにそれであろう。だからといって、自ら命を絶ってしまうのは…愚か者のする事だ。」

 

「……なら、どうすればいいの?この虚しさを晴らすには…」

 

「今のままで良い、セントルイス。お主は本当に良くやっている。そのうちに心は快方に向かうだろう。そうしたら国に帰って、気が向いた時にでもこの年寄りとのお茶にでも付き合いに来てくれ。」

 

「………」

 

「…理性がそれを許さずとも、感情が贖罪を訴えるなら…なすべきことは自害ではない。()()()()()()()()()()のだ。」

 

「向き合う?」

 

「ああ…辛いかもしれぬが、耐えねばならぬ。だから私もこうして瓦礫を片付けている。…これは私が本分を果たせなかった償いとしてやっているのではない…自分のために、やっているんだ。」

 

 

 そう言って目の前の瓦礫の山に顔を向けた三笠の表情に、セントルイスは彼女なりの決意を見出した。

 たしかにそれは険しく辛い道のりかもしれない。

 この手の罪の意識は理性に何らの作用もできないが、感情にはその代わりと言わんばかりにありとあらゆる攻撃を行えるのだから。

 感情における贖罪を行いたいのなら、この攻撃に耐え続けなければならない。

 しかしいずれかはその痛みからも解放される日が、必ずやってくるはずなのだ。

 

 

「三笠さん、ユニオンのKANSENさん、お昼ご飯が出来ました。どうか召し上がってください。」

 

 

 やがて老婦人が握り飯と味噌汁と漬物を持ってきた。

 三笠は早くもいつもの気丈な表情に戻って老婦人の方を振り返っている。

 セントルイスもそれに倣って、明るい笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオンの爆撃から生き残ったこの老夫婦の1人息子が戦死した重桜海軍の指揮官であったことを、セントルイスはジャック・ライリーの辞令でユニオンに戻った後に知る。

 

 

 

 



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暴かれたイアーゴー

 

 

 暗殺未遂の3週間後

 

 

 インビエルノ

 首都

 大統領宮殿前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 M48戦車は、厳密にはもう最新鋭の戦車とは呼べなかった。

 ユニオン陸軍はすでにM60戦車という次世代型の配備を進めていたし、主砲の90ミリ砲の火力は北方連合の新式戦車・T-62のそれには遠く及ばない。

 それでもライリーがこの戦車を最新鋭と呼んだのは、その主砲が特別な大統領令によって105ミリ砲に換装されているからだろう。

 換装されたのは主砲のみではなく、エンジンを含むパワーパックも同様だった。

 彼らは議会が承認するギリギリの限度内で、まさに"最新鋭"の戦車を送ってくれたことになる。

 これが何を意味するか、私は重々承知しているつもりだった。

 我々が今まで装備してきたM4中戦車を全て更新するのに充分な数の新規取得戦車は、つまりは南方大陸で伝統的に強力な陸軍を保有してきたプラタへの対抗を指示されているに等しい。

 そしてまもなく私は、その指示を実行しなければならなくなるだろう。

 

 

 ここ数年間、プラタ国王は分別をなくしてしまったようだった。

 彼は国民の不満を国境の外側へと押し出すために、無謀な"株式"を増刷したに等しい行為に走ってきた。

 攻撃は我々インビエルノに対してのみならずユニオンやロイヤルにまで及び、その内ロイヤルとは戦争状態に陥っている。

 つい3日前…ユニオンから新たに派遣された2人のKANSENが到着するやいなや、プラタ国王は彼女達にロイヤルと係争中の諸島に上陸する船団の護衛を命じた。

 

 KANSEN達、つまりはフェニックスとボイシはこれで私の発言の意図を理解したことだろう。

 彼女達はプラタの現状を知り、大統領がユニオンのメンツのために彼女達を犠牲にした事実に打ちのめされるかもしれない。

 …いや、少なくともフェニックスはその意図を汲んですら任務を遂行する。

 あの誇り高い戦士は、大統領の命令をユニオンに奉じる最後の機会だとすら捉えるかもしれなかった。

 事実、2人のKANSENは船団の護衛を果たして、現在は諸島の周辺海域を警戒していた。

 

 

 

 さて、対するロイヤルの反応だが、目立った動きは報じられていない。

 ルートヴィヒもベラスコも同様の意見を示していたが、場合によってはロイヤルが戦争に踏み切らない可能性もある。

 20年前ならともかく、現在この世界で戦争を始めるのは更に難しいことらしい。

 特に、ロイヤルのように長年不況に悩まされている場合には。

 

 かつて栄光を誇ったロイヤルネイビーはどこへやら。

 あの大戦の後、ロイヤルは深刻なダメージを負って植民地の多くと強力な海軍を手放さなければならなくなった。

 

『冷戦は脅威だが、どうせ旧植民地は"こちら側"だしユニオンが常についている。

 それならあんな金食い虫の海軍を縮小して何が悪い。

 こっちはただでさえ財政難なんだぞ!』

 

 我が国では銃殺刑で済む主張を、ロイヤルでは真剣に語り合わねばならない。

 健全な民主主義社会のなんと難儀なことだろうか。

 ルートヴィヒもベラスコも、ロイヤルの現首相を務める女性政治家がこの問題に強硬手段を持って臨むとは考えていなかった。

 例え彼女が強硬手段を取ろうにも、議会と対立してまで押し通すとは思えないというのが彼らの見解だ。

 あの女性政治家には、あんなちっぽけな諸島のためにそれまでの政治人生を投げ出したりはしないと。

 

 私としても内心は彼らの考えに甘んじたかった。

 そうすればフェニックスとボイシの安全は担保される。

 ユニオンもユニオンで私に供与した以上は戦車を引き上げたりしないだろう。

 全て平和裏に終わってくれればそれでよしだが、そうはならないと私は見ている。

 

 ロイヤルがここで屈服するということは、ロイヤルネイビーの栄光の終焉を自ら宣言するようなものだ。

 そんな事は、それこそロイヤル国民が許さないだろう。

 プラタとの妥協は短期的に見れば議会との協調をもたらすだろうが、長期的に見ればそれこそ彼女の政治生命さえ終わらせてしまいかねない。

 そして彼女はそんな類の過ちを犯すような指導者ではなかった。

 今現在ロイヤルの動きが何も分かっていないのは彼らが手をこまねいているからではない。

 恐らく、もう手は打ってある。

 それをメディアがつかみ取れないということは、彼らも彼らで民主主義社会の顔をして徹底した情報統制を行なっているからだろう。

 

 

 ユニオンとの関係が多少なりとも悪化したプラタ国王は装備の調達先をユニオンから別の国に切り替えた。

 プラタ陸軍は旧式化したM26戦車の代わりに、分裂した鉄血公国の西側…つまりは鉄血連邦からレオパルド戦車を導入し、M1小銃をG3小銃に切り替えている。

 戦闘機はアイリスから購入し、最新鋭の対艦ミサイルを配備しているとの情報もあった。

 ユニオンは気まぐれで私に戦車や戦闘機をくれたわけではなく、私はもうまもなく、これらの装備でプラタ陸軍と戦わねばならなくなる。

 内心ではロイヤルとプラタの衝突の回避を願っていたが、私は統治者として冷静に見た場合確実に起こり得る事態への対処を優先しなければならなかった。

 だからこの日、ユニオンから送られたM48戦車の隊列行進を見ても心ここに在らずだったし、空を飛んでいくF5戦闘機も自分とは何らの関係がない存在に思えている。

 

 

「ほら、アドリアン。しっかりして?あなたの兵士たちが、あなたに対して敬礼しているのよ?」

 

 

 どこかぼうっとしていた私を、傍にいるタマンダーレが現実に引き戻してくれた。

 見ればM48戦車の車長ハッチから身を乗り出す戦車長達が私に向かって敬礼をしている。

 私は少し慌てて敬礼を返し、戦車長達に満面の笑みを向けた。

 "諸君らの忠国に感謝する、インビエルノと君らの未来に栄光あれ!"

 そんな笑顔を彼らに向けて見せたが、腹の底ではそんなものクソ喰らえと思っていた…バレてないといいが。

 

 

「大統領、まだご気分が優れませんか?」

 

 

 タマンダーレの反対側から、我々と同じくバルコニーから軍事パレードを眺めているウゴがこっそりと聞いてくる。

 恐らくはボケっとしていた私の様子に不安を覚えたに違いない。

 きっと恐らくは彼も、私の人間不信には気がついているはずだった。

 だからこそ私がこの持病を再発させていないか心配に違いないし、あまり下手な返事をすれば返って彼の疑念を補強してしまう。

 必死に何か上手い言葉を考えていると、隣からタマンダーレが助け舟を出してくれる。

 

 

「うふふふ!もう、アドリアンったら。まだ"あの夜"の事が忘れられないのね?」

 

「なっ!た、タマンダーレ!?」

 

「ああ…すいません、大統領。余計な心配をしてしまったようですね。私もあの忌々しい共産主義者共が台頭するまでは妻と本当に愛し合っていました。…何も不思議なことではありません。若い夫婦にはよくあることです。」

 

 

 ウゴがそう言ってクスクスと笑う。

 おお、何ということか。

 彼のこんな笑顔は、初めて見たような気がする。

 私もつい照れ恥ずかしくなって本心からの笑みをこぼしそうになったが、しかしすぐ眼下では陸軍の兵士たちが隊列を組んで行進していたので表情を引き締めなければならなかった。

 

 王政時代のインビエルノ陸軍は鉄血公国の軍事顧問から教練を受けた。

 その伝統は今でも残り、兵士達はM14小銃を背負ってユニオン式の装備に身を固めているまのの、行進形式はまさに旧鉄血公国を彷彿とさせる。

 私はその隊列にも作り物の感謝の笑みを向けながら敬礼をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軍事パレードはプラタ国王に圧をかけるという目的があった。

 国王はこれで背後の我々を気にしながら戦争をしなければならなくなる。

 それはつまり国王は潜在的な2正面作戦に陥る事を意味していた。

 彼は世界に冠たるロイヤルネイビーと戦いながらも背後の我々に対抗する戦力を手元に置いておかなければならない。

 国王のただでさえ薄い勝算は、更に薄くなる。

 

 どうしてプラタの勝算をすり減らす必要があるのか?

 プラタに勝ってもらっちゃ困るからだ。

 国王には亡命するなり処刑されるなりしてもらわなくちゃならない。

 私がイメージしている中で、2人のKANSENを除外した計算で最も最悪な結末はプラタの軍事的勝利である。

 

 国王は調子に乗る。

 それだけならまだいい。

 問題は調子に乗った国民が国王を祭り上げ、国王は更に調子に乗って更に武器兵器を買い漁り、ユニオンの鎖を完全に断ち切ってその軍事力をこちらに向けることだ。

 

 大統領はユニオンのメンツがあるのでまだ表沙汰にはしていなかったが、ライリーの方はすでにプラタの国王を切り捨てていた。

 曰く、『あの国王はもうどうにもならん』らしい。

 つまりはそれに対する対策は、あの国王にはどういう形であれご退位いただいて、こちらの準備が整っている間に、国王の次に権力を握るであろう共産主義勢力をまだ混乱の収束のつかぬ内に叩き潰す、というものであった。

 まあ、あれだ。

 国王には負けてもらわぬと私にとってもユニオンにとっても困るのだ。

 

 

 

 軍事パレードが終わって諸々の業務を終わらせると、私はタマンダーレとの夕食に臨む事にした。

 今日はルートヴィヒ夫妻はテーブルにおらず、彼らは今日首都で一等いい店に出かけている。

 あんな信用のならない店でよくもまあとは思うものの、ルートヴィヒ夫妻の命を狙うものなどそれこそいないだろう。

 正式な役職として、彼らは"沿岸警備隊"の幹部でしかないのだ。

 ユニオンはタマンダーレの提案に乗ったし、共産主義者は国内から出て行ったか或いは死滅した。

 その上念のために秘密警察の護衛班が付き添っているのだから、もう彼らの心配はよそう。

 

 

 

 それよりも。

 私が今集中すべきは愛するタマンダーレとの食事の方だ。

 私の提案で、私達は普段使うものより余程小さなテーブルで食事を取る事にした。

 

 あの夜のことがあってから、私にとってタマンダーレはもう疑うことのない、確固たる信用を持てる相手だった。

 それは彼女が"初めて"を捧げてくれたからだけではない。

 彼女は………彼女は………

 

 

 

「………ねえ、アドリアン。私の事…恨んではいないの?」

 

「…なぜ?」

 

「あの夜に話したでしょう?…こんな事、いうのも嫌だけれど…私はあなたのお母さんの死の真相を…少なくとも、感づいていた。その上で、あなたにその事をずぅっと黙ってきたのよ?」

 

「…………」

 

 

 そう。

 最初にあの話を聞いた時は衝撃だったばかりか、怒りも湧いた。

 でもその怒りは、タマンダーレに向けられたものではない。

 彼女がその事を黙っていたのは私にとっては理解できる理由であったし、行動とも付合する。

 

 

「………君にはどうしようもなかった事だろう。」

 

「いいえ、止められたかもしれない。もし私が注意深くしていれば…」

 

「…もし、君が信用に足りない存在なら、私にはその事を一生話さなかったはずだ。それでも君は話してくれた。この…()()()()()()()()()()に。」

 

「…………」

 

「…ありがとう、タマンダーレ。これで敵が誰なのかハッキリした。」

 

「アドリアンッ」

 

「まあまあ。私も決して愚か者ではないよ。すぐに行動に移るわけにはいかないというのも分かってる。だけど、信じるべき相手を知らずに物事を決めるのと、敵を識別した上で決めるのとではわけが違う。…それに、君がずっと私の側にいてくれることもよく分かった。」

 

「そう…………ずっと…ずっと、この事を話すか悩んでいたの。あなたに嫌われちゃうんじゃないかって…私はずっとそれを恐れていたから。」

 

「そんなことはあり得ない、約束するよ。…さて、食事にしよう。」

 

 

 彼女は席を立って私の前に来ると、いつもの通りその大きな胸で私の頭を包み込んだ。

 彼女の暖かさ、鼓動、香り。

 柔らかさと心地よい重さは、今は亡き母親を思い出させる。

 きっと、母は彼女に私を託したのだ。

 …自身の運命を、知っていたから。

 

 しばらくの抱擁の後、タマンダーレは夕食を持ってくるべくキッチンへと向かっていく。

 残された私はというと、そんな彼女の背中を見送りながらこんなことを考えていた。

 

 

 

 ライリーのせいで、タマンダーレは人生を利用された。

 彼女が私に好意を向けてくれるのは嬉しいし、いつまでも彼女と共にいたい。

 でもKANSENは歳を取らないものだ。

 反対に私はドンドン歳を取る。

 自分自身にとってはどれだけ愛しい人でも…いや、愛しい人だからこそ…私は彼女自身にも自らの人生を取り戻してほしいと望む。

 私はプラタを平らげて、粛清と虐殺の血の海で不動な権力の宮殿を拵えるつもりだが…そこは決してタマンダーレに相応しくない。

 

 

 

 いつの日にか、私が君をライリーから"自由"にする。

 何があっても、絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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女王陛下に栄光あれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……あなたのお母さん、亡くなったのはきっと交通事故なんかじゃない。』

 

『え?』

 

『……………たぶん、ライリーよ。あの人はあなたのお父さんを脅迫するために、お母さんを手にかけたの。』

 

 

 

 タマンダーレと初めて寝た日の会話が、何度も頭の中をループする。

 今回の外遊で私は確信を持つに至ったが、ジャック・ライリーは私が想定していたよりもよほど警戒を要する相手だった。

 しかしながら即座に反旗を翻すわけにもいかない。

 私のこの権力はライリーから与えられたもの。

 神に与えられた武器で神を倒そうとした愚か者の御伽噺なんていくらでもある。

 私はその先例に倣おうとは思わない。

 

 だから私が私の目的を果たすためには。

 つまりはタマンダーレをライリーの設計したプランから解放するためには。

 もうしばらくは屈辱に耐えなければならない。

 それも苦痛を相手に悟られる事なく、今通りに…それこそ、相手のやった事に気づいてもいないかのように振る舞いながら。

 

 プラタを平らげれば、南方大陸の大部分は私の掌握下に入る。

 粛清を繰り返して中央集権化を進めれば、それなりの実力を持てるはずだ。

 ライリーにはそれまで油断させておこう。

 従順な犬のフリをして、後はスプルース大統領に任せれば良い。

 そしてその後…タマンダーレには自らの人生を取り戻してもらう。

 

 

 

 そのためにも私はやはりプラタ方面に関心を持たなければならなかった。

 新しい目標ができたからか、私はかつてよりもよほど積極的に業務に当たれている。

 そこにはかつてのような疑念もなければ発作もない。

 もはや、そんな事を考えている暇もないからだ。

 

 

「アドリアン、コーヒーを淹れてきたわ♪…あら?そんなに頑張って、どうしたの?」

 

「君の夫らしい働き方をしないとね」

 

「うっふふふ!あなたの気持ちに応えれる機会があって、本当に良かったわ。…ええ、それなら私もあなたの妻として相応しい女性でいないと。…それじゃあ、さっそく…」

 

 

 そこまで言うと、タマンダーレはコーヒーカップを載せてきたマグカップを置いて、私の側までやってくる。

 机に齧り付いている私に向けてしゃがみ込むと、静かに顔を近づけて、あの夜のように軽い接吻をしてくれた。

 

 

「………!?」

 

「うっふふふ!もう!そんなに驚いた顔しないで!….あなたが回復してくれて、とても嬉しいの。でも、無理は禁物よ?」

 

「ああ、分かった。それじゃあ…休憩しよう。」

 

 

 ペンを手から離して、顔を書類から背ける。

 どうせあと少しでマストの部分は終わりそうだった。

 こう言うのもなんだが、私は判断の速さには定評がある。

「殺せ」「殺せ」「殺せ」「そいつも殺せ」

 だがまあしかし、ウゴという素晴らしい人材がそこまでの判断に至る過程を省いてくれるから、ということも大いにあるが。

 何はともあれ、私が今休憩を取ったところで書類に名前の載っている人間の運命は変わらない。

 

 

 国内最後の大整理という事業に一応の目処をつけて、私は愛するタマンダーレの元へ向かう。

 彼女は微笑みを浮かべて、目の疲れを患う私を迎え入れてくれた。

 

 

「うふふ、アドリアンはやっぱり甘えん坊ね。」

 

「…もう否定しないよ。私は甘えん坊だ…それも、とびっきりの。」

 

「ようやく…本当にようやく本来のあなたが戻ってきてくれたような気がするわ。口調も態度も、今までのあなたとは違う。"おかえりなさい"、アドリアン。」

 

 

 彼女の柔らかな抱擁を受けながら、私は少し懐かしいような気分を覚えた。

 "おかえりなさい"………"おかえりなさい"………

 別に特筆すべきことは何もないはずなのに、私はその言葉がどうにも気にかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 ……………

 ………………………

 …………………………………

 

 

「おかえりなさい、私のアルバロ。」

 

「ああ、ただいま。」

 

「夕食は…」

 

「すまない、すぐに出かけなくちゃならないんだ。まだ仕事が残ってる。」

 

「そんな…働きすぎよ!」

 

「分かってくれ、君を守るためでもあるんだ。」

 

「………アルバロ…きっと私はもう手遅れよ」

 

「!?…そんなこと言うな!私に任せろ、誰にも君を傷つけさせはしない!」

 

「あなただって分かっているでしょう!?これは悪魔との契約なの!私たちも何かを代償にしなければならない!もし私がそうじゃないなら、あの子にまで何かあるかもしれない!」

 

「そんな…そんなことはない!考えすぎだ、マリア!」

 

「権力なんてなくても良かったのに!あなたどうしちゃったの!?」

 

「ライリーは傀儡を欲しているだけなんだ。…いずれ誰かが奴の傀儡になる。それなら…私は自らの手で愛する祖国を動かしたい。それが奴の傀儡に過ぎなかったとしても、できる限りの方法でこの国に尽くしたいんだ。…だが、それでも君を犠牲にするつもりはない!だからそんな事言わないでくれ。」

 

 

 

 

 

 …………………………………

 ………………………

 ………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………リアン?…アドリアン?」

 

 

 ハッと我に帰ると、心配そうな顔をしたタマンダーレがいる。

 何故また記憶がフラッシュバックしたのかは知らないが、ともかく彼女には要らぬ心配をしてほしくない。

 私はちょっと戯けたふりをしてから、彼女の大きな胸に顔を埋めた。

 

 

「…はぁ、やっぱりここが1番落ち着く。」

 

「あっははは!こういうの、外でするものじゃないわよ、アドリアン?」

 

「外じゃないだろう?」

 

「うふふ、そうじゃなくて。また愛し合いたいなら、部屋に戻るまで我慢して。」

 

「愛し合いたくないわけじゃないけど、そういう意味じゃないんだ。君の温もりを感じられる幸せを噛み締めたくて…ただそれだけ。」

 

「ふぅん…本当に?それにしては少し方法が大胆じゃないかしら?」

 

「この習慣を始めたのは君の方だろう?」

 

「うっふふふ!OK、分かった。私の負けよ。それじゃあ思う存分、私に温められて?」

 

 

 再び彼女の温もりを感じながら、私は子供の時の記憶をどうにか探り出そうとする。

 アレが何を意味しているのか、思い出すために。

 しかし温もりは眠気を誘い出して、私の思考はじきに回らなくなりはじめた。

 最後には彼女の香りが加わって、私は睡魔の奴隷になり、眠りの底へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラタ

 

 某諸島周辺海域

 

 

 

 

 

 

 ロイヤルネイビーが未だにこの海域に現れない事は、フェニックスとボイシにとっては不思議な事だった。

 彼女達と共に戦ったロイヤルネイビーは、こんなマネをされて黙っているような淑女達ではない。

 例え懐が氷河期に入っていたとしても、それなら彼女達は家財の一才をかなぐり捨てて王家の栄光を守りに来るはずなのだ。

 マスメディアが何も報じず、プラタ海軍が何らの情報を得ていないだけ、フェニックスには余計に不気味に思えた。

 

 

 

「このまま、何もないといいね。」

 

 

 驚くべきことに現役時代そのままの艤装で駆り出されたボイシが、そう言って軽く伸びをする。

 フェニックスもフェニックスで、艤装は当時そのままのものから大して変わってはいなかった。

 人見知りな彼女のマスク姿にはどこか懐かしいものを覚えたが、だからといってそれに見惚れてもいられない。

 彼女の見立てでは、ロイヤルネイビーは必ず反撃に出るからだ。

 ただ、現状ロイヤルの船が一隻も見えない時点では、多少肩の力を抜いても許される気がする。

 

 

「気持ちは分かるし、できればアタシももう戦争なんてごめんだけど…ロイヤルの連中のことは知ってるだろう?」

 

「…うん。でも、ロイヤルが本気で来たら、私達は絶対に勝てないよ。」

 

「だからこそ生き延びるんだ。プラタの敗北はユニオンの敗北じゃない。アタシ達はできる事をやって、この戦争を生き延びて国に帰る。…そんなに難しい事じゃないはずさ。」

 

「そうだね…牧場に帰らないと……」

 

「そんなに肩の力を入れなくてもいいさ。アタシ達は太平洋の激戦を生き延びた。今度だってきっと生き延びる。………ふああっ!それにしても、やっぱり海は良いなぁ!あの牧場はいいところだけど、海からは遠いし。」

 

「うん、久しぶりの海は懐かしい…」

 

「ボイシ、ちょっと潜ってみたらどうだ?」

 

「え?…そんなに長くは」

 

「違う違う、あの頃はよく気分転換に潜ってたろ?こうやってロイヤルの連中をただ待つってのもアレだからさ。」

 

「ああ、それなら…久しぶりに潜ってみようかな…」

 

 

 ボイシは息を整えると、装着したマスクを状態を確認してから南方大陸の海へ潜り込んだ。

 太平洋のそれとは違う…少しばかり冷ややかな海水が彼女の身体にまとわりつき、えもいえないような心地よさをもたらした。

 海中は太平洋のそれよりもクリアではなかったが、しかしまったく先を見通せないわけではない。

 そんなボイシの視界の中に、小さな影が見えたのはその時だった。

 影はどんどん大きくなってきて、彼女の方へと向かってくる。

 やがてその影の正体を認識したボイシは、大慌てで浮上した。

 

 

「おっ、どうしたボイシ?もう」

 

「逃げてフェニックス!魚雷が来るッ!」



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アプリコットの思い出

 

 

 

 ロイヤル海軍原子力潜水艦は、無誘導魚雷を用いてプラタ海軍の軽巡級KANSEN・"ベルグラノ"、つまりは旧ユニオン海軍軽巡洋艦フェニックスを撃沈した。

 

 これで戦争は私の想定した通りになった。

 プラタ国王は賭けに負けて、ロイヤルは機動空母群を諸島に差し向けている事だろう。

 プラタの共産勢力は決起に向けた本格的な準備を始めるし、我が陸軍はこれらを速やかに鎮圧しつつプラタの首都を陥落させなければならない。

 

 

 正直なところ、私はプラタの共産勢力をそんなには心配していなかった。

 連中は革命を成功させたとしてもそのあと国内の混乱を収拾するノウハウを持っていないはずだ。

 プラタの国軍はどちらに着くのかまだはっきりとはしないが、スプルース大統領と私はそのために彼らを撃破し得るに十分な戦力をこの国に置いている。

 

 しかしながら当然のことながら私の大統領宮殿は電話と書類でごった返したし、特にウゴは息つく暇もなくあちらへこちらへと電話を受けたり流したりしなければならなかった。

 勿論、私もタマンダーレと2人で執務室に引きこもりながら逐一飛び込んでくる情報の処理に追われている。

 こんなに忙しい日は初めてだが、しかし私の脳裏にはそれ以上の事柄が影を落としていた。

 だからタマンダーレがウゴの挙げた報告文を読み上げているのも、話半分になってしまっている。

 

 

「どうしたの?具合が悪いの?」

 

「…………いいや、大したことじゃない。続けてくれ。」

 

「本当に?…どうか正直に話して、アドリアン。」

 

「…フェニックス………」

 

「アドリアン、あなたのせいじゃない。」

 

「うん…わかってる…けれど」

 

「今はプラタの方が先決よ」

 

 

 私などよりも、タマンダーレの方がよほど辛いに決まっていた。

 にも関わらず彼女がこんな態度を取るのは、きっと私の心境をよく理解しての事だろう。

 

 

「フェニックスのことはどうにもならなかった…けれど、それに囚われてプラタの事に支障が出てはいけない。」

 

「…たしかに、君の言う通りだ。フェニックスはもう…戻ってこない。」

 

「………」

 

「でも、ボイシは助かるかもしれない。」

 

「ボイシは既にあの海域から離脱しているわ。当分は大丈夫なはず。」

 

「そうとも限らない!ロイヤルの原潜はまだ彼女を捕捉してるかもしれない!それにッ…」

 

「…それに?」

 

「それに、国王は賭けに負けたんだ!このままいけばシナリオ通り、政権は転覆して共産主義政権が樹立する!」

 

「ええ!だからこそ今はプラタに」

 

()()()()()()()()()()()()()!?」

 

「ッ!…………」

 

 

 理性はこれから巻き起こる共産主義革命の嵐に備えなければならないと言ってはいるものの、現実、私の頭の中はボイシのことで一杯だった。

 それは彼女が可哀想とか、そんな単純な理由ではない。

 タマンダーレと結ばれたからか、あるいはあの牧場での出来事が未だ私の後ろ髪を引っ張っているからかは分からない。

 けれど、私の頭はもうすでに、ボイシの事をかけがえのない家族として認識していた。

 

 白状しよう。

 私は国民相手にならいくらでも非情になれるクソ野郎だ。

 所詮はアカの他人、連中ならいくらでもスタジアムに並べてブルドーザーで埋めてやる。

 でも、そんな冷酷なクソ野郎でも家族相手にその感情を向けようとは思わない。

 だから彼女が窮地に陥るのが明白なら、何とかそこから助け出したかった。

 

 フェニックスは間に合わなかった。

 でもボイシの方はまだ間に合うかもしれない。

 そしてそれはきっと、共産主義政権が樹立してからでは遅いように思えるのだ。

 

 

「ボイシが敵の手に渡ったら、ライリーはきっと彼女の撃沈命令を出す。…それも私に向けて。いや、もしかすると…もう間も無くかもしれない。」

 

「…ええ、ライリーならそうするかもしれないわ……けれど、表立って彼に背けば…あなたきっと無事じゃ済まされない」

 

「何か適当な理由を見つければいい。」

 

「どんな理由を?…オイゲンの時は説明がついたけれど、今回はどんな理由を使うっていうの?」

 

「………その…プラタ海軍から譲り受けた、とか」

 

「アドリアン!」

 

「中途半端な理由が取れないのも分かってる!ライリーの影響力も!だけど…」

 

「…ねえ、アドリアン。私を想ってくれるのは嬉しいけれど」

 

「ふはは、違う。そんなんじゃない。今の私にとって、彼女はもうすでに家族なんだ。君と同じ存在さ。…私は君が敵の手に落ちそうな時でも最後まで諦めないと誓う。勿論、ボイシにだってそうする。…君は私が敵の手に落ちたら、そうしてくれるかい?」

 

「………ええ、もちろん…そんなの、当然じゃない!…けど……ああ、分かったわ。…それなら、まず手始めに。」

 

 

 タマンダーレが手元の書類を投げ出して、私に向かって突進し、そして最後には抱擁というよりかは飛びつくような勢いで抱きついた。

 

 

「うっ……ううっ…フェニックス…ぐすっ……ごめんなさい、アドリアン。やっぱり、耐えられなかった…」

 

「………」

 

 

 彼女はそのまま泣き出してしまう。

 私だって泣きたいのは山々だったが、いつもタマンダーレが私にしてくれるような事を、今度は私が求められているに違いない。

 そう思ったから、私は彼女に吊られて泣き出すのではなく、歯を食いしばりながら彼女の後頭部をできる限り優しくさする。

 しばらくの間彼女は泣いていたが、やがては落ち着いて、真っ赤に頬を染めた顔で私の目を捉えた。

 

 

「…ごめんなさい、そしてありがとう、アドリアン。あんなに小さかった男の子が、こんな事をできるようになったのね。」

 

「こんなの、今まで君がやってくれたことに比べたら…それに、私にとっても彼女の喪失は悲しいことだ。」

 

「………ええ、そうね。…あなたの言う通りボイシはまだ間に合うかもしれない。けど、慎重にやらないと。こんな事は言いたくないけれど、ライリーはあなたにひどい事をするかもしれない。…あなたを亡くしたら…私…」

 

「大丈夫だ、大丈夫だよ、タマンダーレ。そうならないように上手くやろう。」

 

 

 彼女には酷な話である。

 考えてみればフェニックスの喪失を悲しんでいないわけがないはずの彼女に対して、私は自身かボイシかの選択を迫るかのような話を強いているようなものだ。

 己の浅はかさには嫌気を覚えつつも、しかし現実的にボイシを助け出す方法を考えるとなるとこれまた難しいものがある。

 少なくとも、タマンダーレに対して簡単に"大丈夫だ"なんて、言えないくらいには。

 

 ライリーにバレないようにボイシを助け出すのはほぼほぼ不可能に近い。

 私はライリーの"ネズミ"が誰なのか特定できていないし、ボイシの行方を調べればあっという間に足がつく。

 だから彼女を助けるとすれば、私は最悪でもライリーに一応の納得を強いることのできる材料が必要だ。

 

 ふと執務机の上に置かれた、ひと瓶のジャムが目に入る。

 ボイシから貰ったジャムは残り一つとなっていた。

 彼女のアプリコットジャムは甘すぎない適度な甘さの逸品で、一口食べただけで心まで癒されるような…そんな優しい味のするジャムだ。

 その優しいジャムを見つめた時、私はある事を思いつく。

 

 

「……なあ、タマンダーレ。ルートヴィヒ夫妻を呼んできてくれないか?」

 

「ハンスとオイゲンを?…どうして?」

 

「彼らなら、この件に関しては信頼できる。」

 

 

 タマンダーレはハンカチで涙を拭うと、洗面台で顔を洗ってからルートヴィヒ夫妻を呼びに行く。

 しばらくすると彼女はハンスとオイゲンを連れてこの部屋に戻ってきて、最後に執務室に内側から鍵を閉めてくれた。

 私は自身の服装を正して、ルートヴィヒ夫妻に向き合う。

 

 

 

「ルートヴィヒ長官。あなたとオイゲンには特別な任務を与えたい。」

 

「特別な任務…ですか?」

 

「ええ。あるKANSENを救助していただきたいのです。」

 

「………はぁ…」

 

「ああ、なるほど。プラタのあの子達ね。…アンタが思ったよりかは人間的な男で良かったわ。」

 

 

 ハンス・ルートヴィヒは釈然としない様子だったが、反対にオイゲンはもうすでに私の意図を察してしまったようだった。

 彼女はこの慌ただしい大統領宮殿内においてTシャツ1枚にパンティというあまりにも風紀を乱しかねない服装をしていたのだが、まさかそのまま独裁者の執務室の中にまで入ってくるとは思わなかった。

 とはいえ、オイゲン無しでは本格的にボイシの救出を諦めなければならないので、少なくとも今は言うべきタイミングではないだろう。

 

 

「でも、アンタどうする気なの?…"聡明な"ライリーなら、きっとボイシちゃんの救出なんて許さないわよ?」

 

「だから表向きには君に『海上封鎖』の任を与えようと思う。あくまで戦火がこちらにまで飛び火しないための予防的措置として。」

 

「なるほど、その裏でボイシちゃんを助けなさいってわけね。…でも、質問して良いかしら?ボイシちゃんの現在位置もよく分かっていないのに、私を派遣しても意味はないと思わない?」

 

「現在位置はまだ分からないが、その内彼女から連絡があるはずだ。君にはそれに備えて洋上で待機してもらう。」

 

「ちょっと待って、どうしてボイシちゃんがアンタに連絡できるわけ?」

 

 

 オイゲンから当然の疑問を受けて、私は少しばかりため息を吐き出した。

 たしかに"喋りすぎた"かもしれない。

 だが、こうなった以上、私は大切な家族の1人を助けるためならなんだってするつもりだった。

 

 

「……彼女には秘密回線の番号を渡してある。彼女なら最悪の事態が迫る前に、きっとその番号を頼ってくれるだろう。」



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裁判官ダニエル

 

 

 

 

 

 

ボイシはどうにかロイヤル海軍原子力潜水艦の狩場から逃げ出すことに成功したが、そのあとプラタ国内の海軍拠点に戻る事は拒絶された。

 目の前で家族を沈められた彼女はすでに恐慌状態で、その様子は無線機でもはっきりと分かったはずではあるものの、プラタ海軍司令部が出した指令は「海域に戻ってロイヤル原潜を発見・撃破せよ」という無茶苦茶なものだ。

 現在、ボイシの艤装に搭載されている対潜装備といえば爆雷ぐらいなもので、彼女の現役時代より格段に進化したロイヤル原潜のレーダー/ソナーに掛かれば投擲前に魚雷を喰らうのがオチだろう。

 

 

 いくばくかして、落ち着きを取り戻したボイシは自分自身に対するプラタ海軍の思惑を想像するという試みに打って出た。

 何故プラタが勝ち目のないこの戦争のために彼女達の派遣を要請したか。

 自らの価値を否定したくはないが、しかし冷静に考えればプラタ国王が彼女達に何らの軍事的な期待をしていない事は明らかだった。

 彼女はプラタ到着早々に、国王から冷たい態度を向けられていた。

 

 

『フェニックス及びボイシ、2名は只今より国王陛下の指揮下に入ります。』

 

『うん、ご苦労様。以降は大臣の指示に従うように。』

 

 

 しまった。

 もう少しよく考えておけば良かったのに!

 あの国王の態度から言えることは、彼が決して2人の到着を待ってはいなかったこと、そして、2人に期待するどころかうざったく思っていたことが伺えたはずだ。

 

 ボイシは決して愚か者ではない。

 だからユニオンと国王の間で何があったのかも想像できる。

 国王にとってユニオンの干渉は、彼の王冠に対する侮辱だった。

 最近の国王の自滅的な攻撃は、それまでの鬱憤の裏返しであったのかもしれない。

 中央情報局…つまりはライリーはそんな国王を切り捨てたのだろうが、きっと安全保障省はまだ国王に固執していたのだろう。

 "国王にとって、私達はお目付役だったんだ!"

 

 

 国王はボイシとフェニックスを国内の戦意を高揚させるために利用するだけ利用して、後は最初から沈めてしまうつもりだったに違いない。

 だから最初からユニオン側の艤装更新の申し出を断ったのだ。

 アレは予算不足だけが理由なんかじゃなかった。

 

 もちろんボイシが思い当たるのだから、大統領はその可能性を考慮したはずである。

 大統領…つまりは、あの太平洋の戦いで彼女達を率いた総指揮官は彼女達の事を見捨てたのだろうか?

 勿論、大統領としての役職が彼の判断の基準になったのはあるだろう。

 しかしながらその弁護は、彼女の疑念を払拭するに十分な役割を果たし得ない。

 せめて大統領から何か警告があれば…或いはエンタープライズから…でもその何もなかったからこそ、ボイシとフェニックスはただ国王の赴くままに従った。

 

 

 ボイシはもう、誰を信じて良いのかも分からない。

 プラタ海軍は勿論の事、ユニオンすら彼女の生存に手を貸すとは思えないのだから。

 彼女は既に"切り捨てられた"。

 大統領が苦痛を感じたのか、或いはまったくもってその手の感情を持たなかったのかは知らないが、とにかく彼女は見捨てられたのだ。

 そうでなければそもそもこの国に派遣していない。

 

 いっそのこと、ロイヤル海軍に投降しようか?

 それもリスクが高すぎる。

 あの原子力潜水艦はロイヤル海軍機動空母艦隊のための露払いに来たに違いなかった。

 原潜も機動艦隊の構成艦も、ボイシの最大射距離の遥か向こうから彼女を攻撃できる事だろう。

 それこそ、彼女の姿を視認する遥か前から。

 だから彼女がロイヤルに投降の意を伝えるには目視以外の方法を取らねばならないが、投降の意思を無線でロイヤル海軍に向けたところで信じてくれるかはかなり怪しいものがある。

 

 …無線………そうだ、その手があった。

 ボイシはあることに思い当たって、必死に防水ポケットの中にある紙切れを探し始める。

 それはこの国に派遣される前、大統領やエンタープライズでさえくれなかった警告をくれた人物への、唯一の連絡手段だ。

 彼女にとっては、現時点で唯一信頼できる人物とのホットラインである。

 

 目当ての紙切れはすぐに見つかった。

 ユニオンから持ってきた衛生電話機を取り出すと彼女は急いでそれに番号を叩き込み、インビエルノの独裁者に向けて電話をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻

 

 ユニオン

 中央情報局本部

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミスター・ライリー、"オクロジャック"から連絡がありました。セルバンデスの秘密回線に発信があったそうです。」

 

「発信元の特定は?」

 

「"オクロジャック"は発信元の特定まではできない、と。しかし代わりに傍受には成功したようです。会話の内容はリアルタイムで録音中、内容をお聞きになられますか?」

 

「ああ、是非頼むよマーガレット」

 

 

 ジャック・ライリーは執務室で、秘書のマーガレットからヘッドホンを受け取った。

 発信元を特定できないというのはけしからん話だが、きっと技術的な問題というより正体が露見することを恐れたのだろう。

 それならライリーは無理強いをするつもりはなかったし、寧ろ秘密回線の内容をこちらにもたらしただけ及第点をくれてやれる。

 

 ライリーはアドリアンが独裁者によくありがちな秘密回線を持っているだろうと推測していたし、いずれそれを使うだろうとも見ていた。

 そしてそれを使ったことで、きっと致命的なボロを出すに違いないとも考えている。

 あの駒がちゃんと手綱の通りになっているか観察するために…毒物というとびきりキツいお灸が効いているかどうか確かめるという意味でも、"オクロジャック"の手柄はそう過小評価できるものではない。

 

 

 

 ライリーはヘッドホンを装着して、耳を澄ませる。

 ノイズが酷く声色までは聞き取れないが、アドリアン・セルバンデスが女性と思わしき人物と会話していることは聞き取れた。

 

 

 

『………君からの電話を待っていたんだ。最近は色々と忙しくてね。それに私の立場もあるから、今まで会えなかった事を許して欲しい…君のアプリコットのジャムの味がどれだけ恋しかったことか。』

 

『…………』

 

 

 アドリアンがそう言うと、相手の方はしばらく返事をしなかった。

 少しの沈黙の後、ようやく切り出す。

 

 

『…私も寂しかった。今から会いたいのだけど、どうかな?』

 

『そっちはどこにいるんだい?』

 

『道に迷ってしまって………南の港から東に8分のところよ?』

 

『何てこった、待ち合わせ場所と全然違うじゃないか!迎えの者を寄越すから、そのまま港に向かってくれ…会うのが楽しみだ、お嬢さん』

 

『ええ、私も』

 

 

「もういい、この忌々しい通信を切ってくれ!」

 

 

 ジャック・ライリーは人を胸糞悪い気分にさせるのが得意だったが、自分が胸糞悪い気分になるとは思ってもいなかった。

 アドリアン・セルバンデスはライリー自身が思うよりよほどのクソ野郎に違いない。

 セントルイスがライリー自身悩まされるほどアイツにのめり込んでいるのと言うのに、あのクソッタレは求婚を済ませたと思ったらすぐに不貞を働いていやがるのだ。

 彼自身、妻と仲睦まじく過ごせた期間が短かかったことも相まってか、このやり取りはあまりにも胸糞悪かった。

 

 

 彼はヘッドホンを投げ捨てたが、しかししばらくすると冷静を取り戻し、この通信内容が自身にとっては有利である事を認めざるを得なかった。

 独裁者の愛人遊びなど、それこそ耳が腐るほどよく聞かれる話である。

 アドリアンがそれにうつつを抜かしているということは、あの駒は思ったよりもこちらのコントロールから外れてはいないのかもしれない。

 

 

 考えに耽るライリーをよそに、マーガレットが彼に尋ねる。

 

 

「録音は削除しますか?」

 

「ああ、構わん。…まったく、お灸が少し効き過ぎたかな。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 受話器を置いた時、目の前にいるタマンダーレがジト目で私を見つめていることに気がついた。

 少しばかり後ろめたいような気持ちにはなったものの、本心を言うと普段はそんな顔をしないタマンダーレの新たな表情が見えて、またいつもとは違う魅力を感じざるを得ない。

 しかしながら私はまったくもってマゾヒストなどという悪趣味はないので、彼女を見据えながらも軽く肩をそびやかして見せる。

 

 

「アドリアン、随分と小慣れたような話し方をするのね?」

 

「勘違いしないでくれ、タマンダーレ。私はいつでも君一途だよ。」

 

「………本当に?…もしかして、私の知らないところで…」

 

「誓ってもいい。…それとも、私をスタジアムに連れて行くかい?」

 

「…ふふっ、冗談よ。でも少しだけ心に刺さってしまったわ。例え演技だとしても、あんな話をするのはもうやめてちょうだいね?」

 

「勿論、君が望むならそうしよう。…ただ、おかげでボイシの位置が掴めた。彼女はこの国の南端の沿岸警備隊基地から東に80マイルの距離にいる。オイゲンを派遣すれば間に合うはずだ。…それにしても彼女の対応力も中々のものだな。さすがは君のお義姉(ねえ)さんだ。」

 

「ボイシはちょっと内気なだけで、本当は勇敢なのよ?」

 

「そのようだ。さて、タマンダーレ。ルートヴィヒを呼んできてくれ。彼ならオイゲンに暗号を送れる。」

 

「ええ、勿論。」

 

 

 彼女はそう言いつつ、部屋の外に出るとすぐに戻って私の下へと突進してきた。

 一体何事かと思ったら、緊張した様子のルートヴィヒの目の前で私に抱きつくという行為に打って出る。

 その力加減は普段の数倍に感じられた。

 

 

「ふごっ!?た、タマンダーレ、いったい何を」

 

「何でもないわ♪いつも通りじゃない♪」

 

「あれやっぱりなんか怒ってふごふご」

 

「怒ってないわ♪」

 

「ブハッ!…すいません、ルートヴィヒ長官少し待ってふごふご」

 

「………あ〜………………えっと…大統領、ご心配せずともお気持ちはよくわかります。私もオイゲンには悩まされてますから。」



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バンクォーがそこにいた

 

 プラタ南方

 インビエルノ領海まであと少し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「発射しますか、艦長?」

 

「ダメだ。相手の武装もよく分かっていない。確実に仕留めれる距離に入るまで、攻撃はするな。」

 

 

 ロイヤル海軍原子力潜水艦は展開する2人のKANSENの内1人を沈めてから今の今まで不思議な色の髪の毛をしたKANSENを尾行するように命令されていた。

 先の大戦で、ロイヤルネイビーはKANSENのチカラを借りて鉄血公国に打ち勝った。

 それだけにKANSENへの警戒は強いものがあり、プラタ国王がユニオンから提供されたKANSENについて情報がない限りは特別の警戒が必要と考えたのだ。

 故にロイヤルネイビーは大きな戦力である原子力潜水艦をたった1人のKANSENのために割いている。

 

 

「なあ、聞いたか?…今回の艦隊に志願していたメイド隊のシェフィールドが、やられたらしい。」

 

「何だって!?あのシェフィーが!?」

 

「ああ。自分と同じ名前の42型駆逐艦を庇って対艦ミサイルの餌食になったそうだ。…だが肝心の駆逐艦も、そのあとミサイルで沈められた。」

 

「やりきれないな、あいつらには代償を払わせてやる。」

 

「諸君!ただ今本艦は敵艦を追跡中だ。静粛にしたまえ!」

 

 

 雑談を交わす兵士達を艦長が怒鳴りつける。

 艦長も艦長でこれまでの訓練でKANSENとの戦いを想定したものなど受けた事はなく、彼なりに緊張していた。

 たしかに1人は沈めたが、今追っている相手は何らの武器弾薬も使用していない。

 敵の探知能力は不明ながら、こちらを探知していて、罠に誘き入れている可能性も決してゼロではなかった。

 

 

「敵KANSENの減速を確認、あと少しでこちらの魚雷の射程内に入ります。」

 

「了解。…1番管、2番管注水開始!」

 

 

 敵のKANSENが何を考えているのかは分からないが、とにかく、インビエルノ領海の手前で速度を落としたのは事実だった。

 まさかあのKANSENもこれで原潜から逃げきれたとは思っていまい…そう思っているのなら僥倖だが。

 ただ単に逃げ出しただけか、或いは反転して戦うつもりかは艦長には分からなかったが、どちらにせよこのKANSENを仕留めるなら今がまさに好機である。

 

 魚雷は早くも発射準備を整えて、後は艦長の命令を待つのみだった。

 ところが艦長が命令を下す直前に、通信手が声を張り上げる。

 

 

「艦長!何者からか通信が入っています!」

 

「何だと?…繋げてくれ。」

 

『アロー、アロー?こちらはインビエルノ沿岸警備隊よ?聞こえてるかしら、ロイヤル海軍(ライミー)共?』

 

 

 妖艶な声音はまさにこの世の男達の心をくすぐるに違いなかったが、しかし用いられた言葉が全てを台無しにしている。

 インビエルノ海軍を名乗るこの不埒な女は、栄光あるロイヤルネイビーを蔑称で呼びやがった。

 しかしながら、艦長に与えられた任務はあくまで敵KANSENの追跡であり新たな交戦国を増やすことではない。

 応答すれば敵に位置を知らせることになる可能性はあっても、その領海に迫りつつある隣国からの呼びかけを無視するわけにはいかなかった。

 彼は苛立ちを覚えつつも無線機を手に取る。

 

 

 

「こちらはロイヤル海軍原子力潜水艦、現在プラタ海軍所属の敵KANSENを追跡中。」

 

『あら!応答するなんてライミーらしいわね。…あなた達は我が国の領海に接近中よ?こちらに航行の要請は通達されていないけど?』

 

「………我々はプラタ海軍の敵KANSENを撃沈する使命を追っている。その…明るい緑色の髪をしたKANSENだ。身柄を引き渡すなら、我々はここで引き返す。」

 

『あなた達とんでもない誤解をしているみたいね。このKANSENはもうすでにこちらの領海に足を踏み入れた。撃沈するか、適性分子として拿捕するかはこちら次第のはずよ?』

 

「!?」

 

 

 艦長は驚いて航海士の方を振り返る。

 すると航海士は額に汗を浮かべながらも黙って頷いた。

 あのKANSENは確かに、もうすでにインビエルノの領海に達している。

 そして勿論、"たまたま巡航していた艦艇が領海侵犯を犯した瞬間に対象を捉える"なんて事態は滅多に起きないことも、艦長は知っていた。

 

 

「貴艦の行動にはなんらかの意図が垣間見える。そのKANSENが再びプラタに与しない確約がない限り、我々は現地点から攻撃を行う。」

 

『あらあら我儘ねぇ、そんなところがまさにライミーって感じだわ。…いい事を教えてあげましょう。潜望鏡を覗いてみたら?』

 

 

 無線の指示に従い、艦長は潜望鏡を覗き込む。

 そして文字通り、その場で凍り尽くしてしまった。

 

 

「まっ…まさかっ!お前はっ!?」

 

「艦長、どうされたのですか?」

 

「悪魔だ!…畜生!悪魔がいやがるっ!」

 

 

 艦長が潜望鏡越しにみたもの。

 それはユニオンの核兵器実験標的になったはずのプリンツ・オイゲンそのものだった。

 彼女の禍々しい艤装はもう白黒写真の中でしか見ることはないと思っていたのに、実際は彼の覗く潜望鏡の中にいる。

 そのオーラに圧倒されていると、無線機からは再び彼女の声が聞こえた。

 

 

『約束してあげましょう。アンタ達がこのまま引き返せば"沈めない"と約束してあげる。でもそこから指一本でも動かせば、後は分かるわね?』

 

「艦長、どうされましたか?…撃ちますか?」

 

「ひ、引き返せ…」

 

「は?」

 

「引き返すんだ、馬鹿野郎!」

 

 

 艦長は顔を青くして、副長を怒鳴りつけるとその場に倒れ込んでしまう。

 彼が何を見たのか知りもしない副長は、直前まで艦長が覗き込んでいた潜望鏡を覗いた。

 すると、そこにいたはずの敵KANSENは既に消え去っている。

 

 

「…はぁ、こんなに長期間の演習はなかったからな。艦長も参ってしまわれたか。」

 

「無理もありませんよ。」

 

「そうだな。…しかし、目標は喪失、艦長は発狂…司令部にはなんて言えばいい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボイシは重巡級KANSENのパワーという物を身をもって知った。

 彼女は今オイゲンに曳航され、高速で戦域から離脱している。

 オイゲンの艤装に大幅なアップデートが施されているにしても、それはボイシの想像の及ぶ範囲を軽く超えていた。

 

 

「あっはははッ!あのライミー共の反応聞いた?ロイヤルの原潜なんか相手にしてたら私だって敵わなかったのに!」

 

「ええぇ…」

 

「あら?ハッタリってのは強く貼っとくものよ?…まぁ、私もアンタほどの演技力はないけれど。」

 

「そ、そんな…ボイシは何も…」

 

「アドリアンはあなたに何の事前相談もなしに急に演技を始めたのよ?アンタはそれに難なく対応して、それどころか必要な情報も伝えた。…あんな酷い場所から逃げ出してそれだけの機転が効くんだから、才能はあるわ。」

 

「…………」

 

 

 ボイシは少し俯いて、それきり黙ってしまう。

 緊張状態から解放された今、ボイシの胸の内にあったのは安堵とも言えない複雑な感情だった。

 

 

「…ボイシ達は…ユニオンから見捨てられたのかな?」

 

「………」

 

「大統領もプラタの王様も、誰もボイシ達のことを助けてくれなかった。フェニックスはそのせいで…せっかく戦争を生き延びたのに…」

 

「はぁ…なんだ、そんなこと。」

 

「そんなことって!」

 

「アンタ、自分がどれだけ幸せ者か分からない?」

 

「…え?」

 

 

 オイゲンはボイシを曳航しながらも、その衣装の左肩を大きく露出させる。

 突然の暴挙にボイシは少し慌てたが、しかしその目に大きなアザの後を認めると、表情は急に深刻になった。

 もう一生涯取れることのないであろうアザは痛々しくオイゲンの白い柔肌に痕を残している。

 

 

「…その傷、どこで?」

 

アンタの国(ユニオン)。私は大戦の後中央情報局に捉えられて色んな実験に付き合わされた。」

 

「……うぅ…」

 

「…どうしたの?」

 

「その…怒ってないの?」

 

「勿論、怒っているわ♪…あ〜、いや、怒ってるなんてもんじゃ済まされない。…けど、アンタに怒ってるわけじゃないわ。」

 

「………」

 

「アンタもまた、あいつらに騙された大勢の内の1人でしかなかった。中央情報局も安全保障省も大差なく、あの手の輩はクソッタレよ。でも連中の手が下った中では、幸運な方だと思うべきよ。アドリアン・セルバンデスは確かに冷血非道なクソ野郎だけど、少なくとも()()()()()()()()()()クソ野郎。彼はライリーに手を下されるリスクを背負ってまで、アンタを助けたの。」

 

「…………アドリアン…あの子が…」

 

「ええ、そうよ。後でちゃんとお礼を言っておきなさいね。」

 

 

 オイゲンとボイシは、やがてインビエルノ沿岸警備隊の軽巡洋艦2隻と合流する。

 そのうちの一隻には1人の男が載っていて、ボイシに向かって笑顔を向けた。

 

 

「インビエルノへようこそ、ボイシ。私はハンス・ルートヴィヒだ。もう安心していい。」

 

「ハンス!ちゃんと報告書は書いたの?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って!」

 

「勿論だ、その点は抜かりない!その子はとりあえず安心だ。セルバンデスがロイヤル海軍との交戦を命じない限りはな。」

 

「…ルートヴィヒ、さん?…無線機を…貸して欲しいの。アドリアンにお礼を言いたくて…」

 

「気持ちは分かるが今は遠慮してくれ、ボイシ。どこにライリーのスパイが潜り込んでるか分からないし、セルバンデスは盗聴を恐れてる。」

 

「……うん…分かった…………ライリー、昔はあんな人じゃなかったのに…」

 

 

 ボイシはそう呟いて俯いた。

 少し興味の湧いたオイゲンは、彼女に発言の続きを促してみる。

 勿論、冷笑と皮肉を添えて。

 

 

「あのクソ野郎にはそんな時期があったの?…到底信じられないけれど。」

 

「うん、ライリーは元々こんな人じゃなかった。」

 

「ふぅん。いつからあの悪魔みたいになったわけ?」

 

「ホノルルが沈んでから…でも、その後すぐじゃない。あの女の人と会ってから…」

 

「女の人?…それって…」

 

「オイゲン、急いでくれ!カバーストーリーとの整合を取らなきゃならない!」

 

 

 ハンスがそう呼びかけて、オイゲンは仕方なくボイシを"連行"する準備をする。

 彼女はボイシに「ちょっとの間だから我慢して」と言いつつ、その頭に麻袋を被せた。

 どこか懐かしい干し草のような香りの中で、ボイシはライリーが変わってしまったあの頃のことを思い出す。

 

 

 そう、ライリーを変えてしまったのは、きっとあの女の人だ。

 ……………マーガレット

 

 

 

 

 

 

 



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"あなたは王になられる!"

 

 

 

 

 現在

 ユニオン

 バージニア州

 ラングレー

 中央情報局

 記録保管庫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャック・ライリーがいかにクソ野郎かは、この記録保管庫に遺されている資料でも良く分かる。

 奴の立場なら過去の記録の抹消など造作もないはずだが、あの悪魔はまるで仕留めた鹿の剥製のように、それを隠すどころか飾ってすらいるように見えた。

 

 ライリーが当時重桜にいたセントルイス相手に辞令を出した時期は、スプルース少将がセントルイスから自沈嘆願書を受け取り頭を悩ませていた時期と重なる。

 つまりライリーは…恐らくはまだライリーの本性を知らずにいた…スプルースからセントルイスの情報を得て、計画を実行に移したに違いない。

 それはライリーがセントルイスの傷心を何の躊躇いもなく利用した事を意味する。

 

 

「まったく!…しかし、セントルイスは幸運だったな。ライリーの辞令が届くまでに三笠とあっていなければ…一体どうなっていたか。」

 

 

 ラッキー・ルーと呼ばれた彼女の幸運ぶりは確かなようだ。

 別の記録が、彼女が重桜でライリーにとって予想もつかない経験をしていた事を指し示していた。

 あの体験があったからこそセントルイスはライリーの籠の中から逃げ出すことができたに違いない。

 そしてそれは、同じ籠の中にいたアドリアン・セルバンデスをも外へ逃したのだ。

 

 アドリアンはライリーの束縛から抜け出しながらも、賢明なことにすぐには自由気ままな振る舞いには移らなかった…少なくとも表向きには。

 ボイシの救出はまさにライリーの筋書きを掻き乱しはしたが、しかしアドリアンはあくまで従順な姿勢を貫いているかのように見せているのだ。

 例の『不倫電話』はライリーが傍受していると踏んでの上の行動だったに違いないし、アドリアンの目論見通り、ライリーは外遊中の毒殺未遂でセントルイスとアドリアンの間に大きな溝を作らせることに成功したと思い込んでいたことだろう…それが事実とは真逆とは知りもせず。

 そんなアドリアンはボイシを保護する際に『領海侵犯』を理由に挙げて、『共産化待ったなしのプラタ』に『強力な戦力となりかねない』ボイシは追い返せないという主張で持って『抑留』したのである。

 

 

 ここまではセントルイスとアドリアンのやり方は非常に上手くいっていた。

 ところが途中で横槍を刺した女がいる。

 それはプラチナブロンドのクールビューティ、ライリーの秘書・マーガレットだ。

 

 

 

 ヨアヒムの調べる限り、この秘書が一体どういう経歴の持ち主か全く分からない。

 こんな情報組織において採用する人間の身辺を調べないということはあり得ないだろう。

 少なくとも、ヨアヒムの調べる限りでは何らかの介入があった形跡を探し出せた。

 恐らくはライリーは自身の冷酷非道な行いを飾り立てる一方で、この秘書の過去はひた隠しにしていたようだ。

 

 アドリアン・セルバンデス関連の資料には頻繁にマーガレットの名が登場する。

『………マーガレットが証拠を発見…』

『…マーガレットにより取得……』

『……マーガレットに伝達を求む……』

 彼女がどんな女性にしろ、ジャック・ライリーにとってもキーパーソンであった事は間違いない。

 まずはこの秘書の人柄について調べを進めることにしたヨアヒムだったが、今現在早くも壁にぶち当たっている。

 他の中央情報局職員の彼女への評判は、まるでハンコを押したかのように一定のものだったのだ。

 

 

「どこにでもいる普通の秘書」

「美人どころだが、本人は仕事以外関心がない」

「いつの間にかそこにいて、いつの間にかいなくなっている。」

 勤務成績は平凡だったが、ライリーは常に高い評価をマーガレットに与えている。

 あの男がただ従順だという理由でそんな高い評価をあの秘書に与えるとは思えない。

 

 随分と粘った結果、ヨアヒムはやっとの思いでマーガレットに関連すると思われる資料を掘り出した。

 それはあの『不倫電話』の録音を彼女は削除せず、ライリーに再考を促すために保存していたという記録だ。

 先のことを考えると彼女が"ライリーの"秘書として優秀なのは分かるが、ただの秘書がそこまで込み入った事をするとは考えにくい。

 マーガレットはライリーの個人的な秘書で、中央情報局の諜報員じゃない。

 なら余計なことは考えず、ただただライリーの指示に従うのが自然だろう。

 

 

「マーガレット…アンタは一体誰なんだ?」

 

 

 ヨアヒムが更に資料を漁ると、面白いものが見つかった。

 普通ならライリーだってただの秘書にこの件の深入りをさせるはずはないのだが、しかし、その資料には『M』という事務員が現地入りすべく南方大陸に飛び立ったことが記されている。

 

 "ただの事務員が現地入りだって?"

 ライリーが現地に飛んでいるなら分かる。

 だが記録に残っている限り、ライリーはマーガレットを単身南方大陸に向かわせた。

 時期的には王政プラタがロイヤルに対しての停戦に合意…実質的には敗北した時期になる。

 中央情報局が予測した通り、プラタではその後革命が起きたし、それに備えていたアドリアンはライリーの"指示通り"西進を開始した。

 

 セントルイスとアドリアンは慎重に立ち回っていたし、少なくともライリーから見れば従順に立ち回っているように見えたはずだ。

 それなのにライリーは突如としてただの事務員を南方大陸へ派遣した。

 ライリーはインビエルノに既に"オクロジャック"というスパイを潜り込ませていたから、マーガレットの任務は内偵や監視以外のものということになる。

 こうなってくると流石のヨアヒムも謎が深まるばかりで、彼はつい頭を抱えた。

 

 

「…ふはぁ…とにかく、マーガレットは只者じゃない。それは分かった。」

 

 

 考えの煮詰まったヨアヒムは椅子に腰掛けてコーヒー休憩を取ることにする。

 濃いめのエスプレッソが彼の目を覚ますと、思考は再び冴え始めた。

 

 少し前の記憶を思い出す。

 首都郊外の喫茶店で、あのジャック・ライリーと対談した時の記憶を。

 今考えると、不自然なことがいくつもあることに気付かされる。

 

 まずライリーは、こちらの正体を知っていた。

 そうしながらも、悠然とした態度で彼を煽っていたのだ。

 勿論護衛がいたこともあるのかもしれないが、ヨアヒムはその気になれば彼を殺すくらいのことはできたはずである。

 もっとも、ヨアヒムには最初からその気はないのだが…もしライリーが中央情報局の局員であったのなら、その可能性は頭の片隅に置いていたはずだ。

 彼はヨアヒムに殺害される事を望んだのだろうか?

 護衛のことを"断った"とも言っていたのは、過去の所業を悔いたから?

 …傑作だ。

 あの男は自身の過去など悔いてはいない。

 それどころか誇りにすら感じているだろう。

 だからこそ、あの日の態度は矛盾するものがある。

 

 次に、彼に対する中央情報局員達の態度だ。

 新聞記者なんてややこしい偽装身分を使ったはずだが、実をいうとライリーの"護衛"は殆どヨアヒムの見知った人物達だった。

 その大半は彼の倍くらいの年頃だったが、彼らの内の1人はあの後情報局に出勤したライリーの肩を叩いた。

 まるで、「あんな馬鹿げたことはやめておけ」と言わんばかりに。

 その時はあまり気に留めなかったが、こうも調べてから考えると…あの"護衛"が心配したのはライリーではなく寧ろヨアヒムの方であった気がしてくる。

 もしヨアヒムの思い違いでないのなら、あの"護衛"は、ライリーがリスクを犯してまで復讐するような相手ではないと教えたかったのだろうか?

 

 

 そして最後に。

 これが一番気がかりだが、あの日の会話にマーガレットの名は一度も出てこなかった。

 彼は今でも…そう、現役をとうに退いた今でさえマーガレットのことをひた隠しにしている。

 彼女がライリーにとってどういう人物であったのかはまるで分からないが、詳しく調べる必要があるのは明確だろう。

 

 

 とはいえ、マーガレットに関しては手詰まりなように思えた。

 だからヨアヒムは一旦その問題を傍に置いて、別の方向からアプローチを試みる。

 それはジャック・ライリーの計算を本当の意味でぶち壊した人物について調べることだった。

 

 

 

 その人物はそれまで、誰にも注目はされていなかった。

 後に歴史に名を残すことになるとは、きっと当人も思っていなかったに違いない。

 まさにダークホースといったところで、もしかするとマーガレットの派遣と関係があるのかもしれなかった。

 

 

 

 ライリーとマーガレットが『不倫電話』の録音を聞き直し、アドリアン・セルバンデスがボイシを保護して、ベラスコ元帥が陸軍の戦車に燃料を詰めている時、その人物はプラタの北部にある密林に潜んでいた。

 

 

 



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やあ、ゲバラ

 

 

 

 

 

 

 ボイシの"抑留"から3日後

 プラタ北部

 山林地帯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あいにくの雨は彼女達の衣服を濡らしたが、アマンダにとっては寧ろ好都合だった。

 南方大陸特有の激しい雨は足音を消してしまうし、敵の視界をも奪う。

 しかしながら視界を奪われるのはこちらも同じなので完全に優位とは言えないが。

 それでもアマンダにとってはまさに天の恵みだった。

 

 プラタ国王は例の諸島を巡る戦いに夢中で、内陸の方にはまるで注意を向けていない。

 それなら彼女達共産ゲリラがやるべきことはひとつだけ………来るべき革命に向けてできる限りの"準備"を進めることだろう。

 アマンダの予想した通り、プラタはアドリアンが強圧的な体制を敷くインビエルノに比べれば遥かに革命の土壌として成熟していた。

 

 

 

 どう言ったって、プラタ国王は国民を愛していることを否定できはしない。

 もし彼がアドリアン・セルバンデスのように国全体を丸々ユニオンに差し出していれば、国内にここまで共産主義者の活動の場を提供できなかったはずだ。

 国王がそんなことはせず、寧ろユニオンとの間に緩やかながら確かな対立を招いているのは、彼が専制君主のあるべき姿としてあくまでも国民を善導するという姿を追求しているからに他ならない。

 

 ただ悲しいかな、国王には手腕がなかった。

 いや、国王だけではない。

 ロイヤルのような立憲君主制ならともかく、旧態然とした専制君主制では国内に蔓延った政治機関の腐食を止めることは何者にもできなかったであろう。

 インビエルノのような生き地獄にいる人間ならともかく、"まともな"国家の住人達が国王の政治に不満を抱くのも致し方ない面もある。

 ユニオンが盤石な基礎を固めるインビエルノには共産勢力の増長を見込めないと判断したコミンテルンが、「それなら隣の古臭い体制を」と言わんばかりに工作員を送り込んで体制批判を煽るならそれは尚更であろう。

 

 少なくとも、アマンダの見る限りプラタ国王の政治は大目に見れるものだった。

 しかしながらこの国もやはりユニオン政財界の影響が垣間見え、そしてそれを阻止するための方策は腐った体制そのものに阻まれているのもまた事実。

 現にインビエルノほどではないものの、貧富の差は着実に現れているのだ。

 国民は変革を…それも今までにない変革を求めている。

 ならば共産主義武装勢力が勢いづくのは当然の帰結であろう。

 

 

 アマンダ達、インビエルノ共産党の残党グループはプラタ共産党から格別の条件に寄る取引に成功した。

 プラタ共産党は革命の成功した暁には、インビエルノにおける軍事独裁政権への革命に全面的な支援を約束したのだ。

 無論、それはただの約束でしかない。

 しかしウゴ・オンディビエラの秘密警察に大きく戦力を削がれたアマンダ達にとって、他に選択肢はなかった。

 それに、プラタ共産党が革命に成功したのなら、インビエルノにおける革命に消極的な態度を取るはずもない。

 プラタ共産党の後ろ盾たるコミンテルンの工作員達も、アマンダの考えに前向きな姿勢を示した。

 つまりこれの意味するところはプラタでの革命は祖国での革命であるということ。

 アマンダ達はその崇高な使命の下、今日の行動に臨んでいる。

 

 

 

 プラタ陸軍はその精強なことで高名だが、少なくとも北部の密林ではそれは例外らしい。

 そこに展開していたのは規律的な問題を起こした兵士が主体となって構成される士気の低い部隊で、月給の安さゆえに共産主義勢力に情報を売る人間が後を絶たなかった。

 彼らは自身が普段吸っているタバコの為に仲間を売ることに何らの躊躇もなく、その情報は対価に比して極めて正確だ。

 アマンダは念のために一応の警戒はしていたが、しかし恐らくは杞憂になることだろう。

 

 

 アマンダ率いるゲリラの一個分隊は雨の降り頻る密林を抜けて、まもなく幅の広い国道へ至ろうとしていた。

 情報によればここをプラタ陸軍の輸送部隊が通るらしい。

 コミンテルンの工作員がプラタの共産主義活動を支援する為に運んできたスチェッキンAPS拳銃を手にするアマンダは、それを前に構えて周囲を警戒しながらも敵影がないことを確認する。

 今度の情報も陸軍側の罠ではないようだ。

 プラタのゲリラ達はアマンダのことを"心配しすぎ"と言っていたものの、アマンダ本人からすると連中の方が"あまりに呑気"なように思える。

 それもこれもインビエルノでのあの経験…陸軍のP47から執拗な攻撃に晒された時の事が未だに尾を引いているのだろう。

 インビエルノ陸軍や秘密警察との戦いを積んできた彼女達は、プラタの共産主義武装勢力の中でも少数ではあれ練度の高い組織として見られていた。

 

 

 

「よし…ここで止まって。タマラとパトリシオは左右の側面に展開、他の皆を率いて挟撃の態勢を取って。"爺さん"は正面、車列が現れたら先頭トラックの運転手を狙うこと。私はタマラの援護に。それでは、配置について。」

 

 

 何年もの間、秘密警察と死闘を繰り広げていれば嫌でもゲリラ戦の基礎が身につく。

 アマンダは慣れた手つきでゲリラ達を配置して、典型的な待ち伏せの態勢を取った。

 しばらくすると鉄血連邦製の大型トラックのエンジン音がアマンダの鼓膜を轟かせる。

 まったく、インビエルノもここまで簡単だったら彼女はプラタまで逃げてくる必要はなかっただろう。

 

 彼女は数人のゲリラと共に、道路から向かって左側の側溝に身を潜める。

 "爺さん"はそのあだ名の通り白髪の生えた老人だったが、長年付き添った妻がアルバロ・セルバンデス配下の爆撃機の攻撃の巻き添えになるまでは猟師をしていて、その腕前は今でも衰えてはいない。

 彼はインビエルノから持ってきた旧式のクラッグ・ヨルゲンセン銃を構えると、道路の方へ集中力を向けた。

 

 

 輸送部隊の大型トラックは全部で4台。

 トラックの前を小型のジープが先行し、ポールマウントの上にM2重機関銃を乗せてはいるが機銃手は持ち場から離れて助手席の同僚と雑談を楽しんでいる。

 最後尾のトラックは40ミリ機関砲を牽引していて、あれでは引き返すのもままならないだろう。

 おまけに40ミリの砲口にはカバーがついたままである。

 精強な陸軍の輸送部隊(コンボイ)というよりは愉快なキャラバンといった方がしっくりきた。

 

 

 "爺さん"が狙いを済ましている様子を見て、アマンダはあくまで車列から見えないように小さく手を挙げながら、反対の手でAPS拳銃の狙いを車列の方に向ける。

 そうして彼女は今までの経験から導き出された最適の位置において、一気に手を振り下ろした。

 

 

 

「撃てッ!」

 

 

 老人の小銃がいの一番に銃声を挙げる。

 7.62ミリの銃弾は大型トラックの運転手の胸を捉え、4台のうちの先頭が急停止した。

 続いてアマンダ率いる左翼のゲリラ達が一斉に身を起こし、現時点で最も重大な脅威である小型車両に向けてありったけの拳銃弾や小銃弾を叩き込む。

 ジープの乗組員達はそれらの直撃を受けて即死して、車両は横転を起こして大破した。

 前から2番目のトラックは前方のトラックが急停止したのを見て多くの徒歩兵を吐き出し始めたが、彼らは右翼からの銃撃に晒されてすぐに身動きを取れない状況に追い込まれる。

 そうしてアマンダが攻撃を命じてから10分後には、プラタ陸軍の輸送部隊はこの少数のゲリラに投降することとなった。  

 

 

「撃つな!撃つな!降伏する!」

 

「手を挙げて出てきな!妙なマネしたら撃つからね!」

 

「妙なマネなんてするものか!あんな国王の為に死ぬ気なんざさらさらないね!」

 

 

 陸軍兵士の殆どは旧式のM1小銃で武装していたが、3両目の4両目の車両には荷台いっぱいに新式ライフルのG3やHK21軽機関銃、MG3機関銃にUZIサブマシンガンが載っていた。

 40ミリ機関砲は状態も良く、4台目のトラックはその砲弾も積んでいる。

 彼女達のような共産ゲリラにとっては、まさに宝の山と言えるだろう。

 膨大な数の武器と4台のトラックをその場に放棄しなければならない法はなく、そうなれば問題は投降した陸軍兵士たちだった。

 

 

「なぁ!アンタらに加わらせてくれ!こんな体制はもうたくさんだ!」

 

「そう思うならなぜ自分たちで立ち上がらなかったんだい?」

 

「………それは…」

 

「…まぁ、気持ちは分かる。人間どんなに現状に不満があったとしても、実際に立ち上がる事のできる人間なんてそうそういない。だから…アンタらはここから立ち去りな。」

 

「!?」

 

「一度兵舎に逃げ帰って、温かい食事でも食べて、それでも参加したくなったら私たちを探すといい。」

 

「……逃がすってのか?俺たちはアンタらの顔を見てるんだぞ?」

 

「だから何だい?警察の指名手配を恐れるには遅すぎるとは思わないのかい?…そんなのどうだっていい。ただし、アンタらが逃げ帰ったとして、私にその背中を撃つ気はないよ。…ああ、ただ武器は置いていってもらうけどね。」

 

 

 不審な顔を隠そうともしない陸軍兵士達に、アマンダは手で"しっし"とジェスチャーする。

 兵士達はM1小銃をその場に投げ捨てて、最初は後退りし、そしてその後背中を見せて一目散に逃げ出した。

 アマンダがその背中を見送っていると、仲間の1人が彼女に問いかける。

 

 

「本当に行かせて良かったのか?」

 

「ああ。あんな連中は陸軍にいても戦力になりはしない。まぁこっちとしちゃ、軍の兵站に負荷をかけるだけありがたいけどね。」

 

 

 彼女はそれだけ言って、兵士たちが置いていった小銃を集め始める。

 他のゲリラ達もそれに倣い、30分後にはその場に横転したジープを残すのみとなっていた。

 

 

 

 



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マーガレット

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んん………んんっ」

 

 

 ボイシはこの朝、怒りに満ちた様子の男の声に起こされる。

 それは決して彼女に向けられたものではなかったが、一見冷静さを保っているように感じられるその声音の内に確かな冷酷さを秘めていた。

 目を覚ました時、見慣れぬ天井には若干混乱したものの、やがて何があったのかを思い出したボイシは廊下から聞こえて来る声に誘われてドアへ向かう。

 そぉっとドアを開いてその向こうを見ると、1人の男の足元で1人の給仕が慈悲を請うていた。

 

 

 

「お許しを、どうかお許しを、大統領!」

 

「…ではご説明いただけますか?…私は、あなたに、彼女への給仕を命じた。ところがあなたは卑しくも彼女の食べ物に手をつけた。」

 

「それはっ…」

 

「あなたが持っていたプレートに載っている物は…全て私のものだ。彼女から盗むのは私から盗むに等しい。何故そんな真似をしたのです?」

 

「それはっ!…どうかお慈悲を大統領!わたしには育ち盛りの子供達が」

 

「理由になってない。」

 

 

 アドリアン・セルバンデスが給仕の言い分をシャットアウトした時、この哀れな給仕は口を半開きにして凍りついてしまった。

 大統領は側に控える衛兵の持つカービン銃を手に持って、初弾を薬室に送り込む。

 

 

「あなたのお子さんが…何ですか?それが……私や彼女にどう関係するのか…教えていただけますか?」

 

「………それは……その……」

 

「あなたのお子さんはあなた自身に"殺される"。ああ、可哀想に。実に…実に軽率な行いをしましたね。」

 

「…………どうか………ご慈悲を…」

 

「"ドウカゴジヒヲ!ドウカゴジヒヲ!"…裏切り者はいつもコレだ。私が慈悲を与えたところで、所詮は何とも思っちゃいない。それが国民という生き物だ。」

 

 

 アドリアンがカービン銃の銃口を給仕の頭に向ける。

 それを見たボイシは握っているドアノブにチカラを込めていく。

 ややもすると、もう間も無くアドリアンは給仕の頭を7.62ミリ弾で弾き飛ばしかねない。

 ボイシが勇気を振り絞ってドアを開けようとした時、聞き慣れた懐かしい声がアドリアンを止める。

 

 

「アドリアンッ!…もう!私がいないといつもそうなんだから!」

 

 

 セントルイス…タマンダーレがアドリアンに駆け寄って、彼の手からカービン銃を取り上げる。

 それを衛兵に手渡しながらも、泣き崩れる給仕に手を貸してどうにか立ち上がらせていた。

 ボイシはその際にタマンダーレが給仕のポケットに何かしらの缶詰を入れるのをしっかりと見て取る。

 

 

「た、タマンダーレ?」

 

「一体何があったの?」

 

「この盗っ人がボイシの朝食をくすねようとしたんだ。」

 

「そんなこと…なら、彼女には外回りの仕事を命じるわ。それで充分。あなたが手を汚す必要もない。」

 

「でも」

 

「お願い、アドリアン。私を信じて。」

 

「…………クソ、分かった。…ほら、芝刈りにでも行っちまえ!」

 

 

 

 アドリアンが衛兵に合図して、彼は給仕を手荒に連れて行く。

 残されたアドリアンは、タマンダーレの思わぬ介入に抗議の意を示した。

 

 

「何故止めたんだ、処刑すれば良かったのに。」

 

「あなたが人のことを信じられないのは分かるわ、アドリアン。けれど、私は信じられる…そうでしょう?」

 

「そうじゃない。奴は…あの女はボイシの食事に手をつけたんだ。…その、あの、えっと」

 

「ええ、そうね。ごめんなさい。あの夜のことがあったから不安だったのね。あなたの言う通り、最初からボイシも私達と生活させるべきだった。でも、医師の診察が終わるまでは難しかったわ。」

 

「だとしても…給仕なんて使うんじゃ無かった。秘密警察の衛兵を使うべきだったよ。」

 

 

 そんな会話をしながらもアドリアンとタマンダーレはボイシのいる部屋へと向かいはじめていた。

 彼女は何か悪いことをしている気分になって、急いでドアを閉める。

 そしてケージの中に入れられているハムスターのように、元いたベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 私はドアをノックして、声をかけてから部屋に立ち入った。

 ボイシはもうすでに起きていて、ベッドから半身を起こしている。

 彼女を"抑留"した後、私は格別の報酬を払って鉄血連邦の医師に検査をさせたのだが、彼女の体調には特に問題はなさそうだった。

 一般に名医と呼ばれている人の診察結果に文句をつけようというわけではないが、しかしこんな時は挨拶の定型文を用いるのが適切に思われる。

 

 

「………調子はどうかな、ボイシ?医師の診断では問題なかったそうだが…」

 

「うん、ボイシは大丈夫………本当にありがとう…」

 

「それは良かった。………申し訳ない、もっと具体的な事を伝えていたら、フェニックスもここにいたかもしれないのに。」

 

「…ううん、あなたは出来る限りの事をしてくれた。ライリーの監視があるなら、仕方ないよ。」

 

 

 彼女の言葉に、思わずハッとする。

 それはボイシも感じ取ったようで、彼女はあの男について語り始めた。

 

 

「牧場で話した通り、あなたはライリーの仲間だと思ってた。でも実際は違って…そもそも、ライリーだってあんな人じゃ…」

 

「たぶん、なんだが…ライリーはユニオンで私に毒を盛った。」

 

「!?」

 

「今ここで君とおしゃべりできているのは、彼が加減をしてたのと、タマンダーレがいてくれたおかげなんだ。」

 

「そんなことまで……セントルイスは、覚えてるよね?ライリーはこんな人じゃなかったって。」

 

「ええ、そうね。あの人はホノルルが沈んでから変わってしまった。」

 

「…マーガレットのことは覚えてる?」

 

「マーガ…レット…?」

 

 

 ボイシの発言に、タマンダーレは幾分しっくりとこないと言った反応をする。

 私も中央情報局でマーガレットという女性を見はしたが、それこそ詳しい話をタマンダーレから聞いたわけでもない。

 我々の様子を見てとったボイシは、我々がそんな反応をした理由に思い当たった。

 

 

「あっ、そっか!ごめん…あの頃セントルイスはスプルースの指揮下に入って重桜に行ってたんだった………」

 

「マーガレットって…今ライリーの秘書をしてる人?」

 

「うん…ホノルルが沈んだ後、ライリーはセントルイスを重桜に遠ざけた。すっかり落ち込んで、私たちも何かしてあげられないかと思ったんだけど…何をやってもダメで…」

 

「………」

 

「そんな時、あの女の人が来たの。当時の大統領からの特別人事で…スプルースはライリーのために大統領の指令が飛んだ事を不思議がってたけど、私たちは大統領がライリーの功績を認めて心配してくれてるんだって、喜んでた。」

 

 

 きっと私の見知ったライリーと、ボイシの記憶の中にあるライリーは全く違う。

 この中で両方のライリーを知り尽くしているのはきっとタマンダーレだけ。

 それでも、そのタマンダーレが初めてその話を聞いたような顔をしているあたり、彼女にとっても全く存じ得ない事だったのだろう。

 

 

「ライリーは急に元気を出して、またお仕事を頑張りはじめた。私達は勿論喜んだけど…その……ライリーは……」

 

「変わっていたのね?」

 

「うん、セントルイス。…ライリーは…なんだか冷たくなってて…最初は少しずつ、"おかしいな"って思ってたんだけど………最後には、ボイシと口もきいてくれなくなった。」

 

「そんなっ」

 

「スプルースが後からやってきて、"きっとライリーは君達を見るたびにホノルルの事を思い出して心を痛めてるから、君たちには悲しいかもしれないが、彼は他の部署に移転する。"って言ったの。ブルックリンもフェニックスも、勿論ボイシも悲しかったけど、ライリーのためならって………ライリーとはそれきりあってない。」

 

 

 ボイシの話を聞くに、少し気にかかる部分がある。

 マーガレットが何者かは知らないが、彼女はライリーの下へやってきて、彼を"復活させて"、そのあとライリーは情報局に移籍した。

 彼女は突然に、それも当時の大統領の指令でやってきたのだ。

 

 大戦でユニオンを率いた当時の大統領は、終戦間も無く心臓発作で亡くなっている。

 死人に過去の話を聞いても答えは返ってこないし、私が中央情報局で色々調べものをするわけにはいかない。

 ただボイシの情報から私自身に言えることがあるとすれば、マーガレットは決してただの秘書ではなく、それも注意を要する相手であるといったことぐらいか。

 

 私がそんな事を考えていると、背後のドアが勢いよく開かれる。

 

 

「だ、大統領!失礼します!」

 

「どうしました、ベラスコ元帥?慌てるのは分かりますがノックくらいは…」

 

「プラタ国王がロイヤルとの停戦に合意しました!」

 

「いつ!?」

 

「たった今です!」

 

 

 何てこった、こうしちゃいられない。

 私はM48戦車の車列を動かすために執務室へと足を進める。

 作戦図と向き合う頃には、マーガレットのことは頭のどこかに仕舞い込んでいた。

 



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老兵は死なず

 

 

 

 

 

 現在

 ユニオン

 バージニア州

 とある町

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…何度言ったら分かるの?ここは子供の来るような店じゃないの!」

 

「お話だけ!せめてお話だけでも聞かせてよ!」

 

「あのねぇ、アンタの勝手な勘違いだって何度言ったら分かるわけ?」

 

「だって!あなたはプリンツ・オイゲンでしょう!?…元鉄血海軍重巡KANSENの!」

 

「だ〜か〜ら〜!違うって言ってるでしょ!人違いよ!」

 

「人違いなんかじゃないよ!ほら見て、この写真!あなたそっくり!」

 

 

 

 ヨアヒム・ルートヴィヒがラングレーの資料保管庫に詰めている時、その母親たるオイゲンは自ら経営する酒店のレジカウンターで、まだ7歳の子供相手に苦戦を強いられていた。

 近所で"海軍大将"とあだ名されるこの少年は、ひと月前にこの店を"発見"した時から町中のアルコール中毒者の誰よりも多くこの店に訪れている。

 まぁ正直なところオイゲンも驚いた。

 地元警察の署長も市のお歴々も誰もがルートヴィヒ夫妻の正体には気がつかなかったのに、たった7歳の子供にそのことが露見したのだから。

 

 

「だいたい、そのKANSENは鉄血の娘でしょう?どうしてユニオンのこんな店にいるわけ?」

 

「………ほら。」

 

「え?」

 

「普通の人はKANSENの事を『鉄血の娘』なんて言わないよ!KANSENはKANSENだもん!」

 

「ッ!?」

 

「ねえ、お願い!少しだけ!少しだけでいいから!」

 

 

 KANSENは歳を取らないが、長年戦いから身を遠ざけると勘の方は鈍るらしい。

 オイゲンはとんだ地雷を踏んでしまい、とうとうこの少年の疑念を確信に変えてしまう。

 少年はあの大戦における鉄血海軍の行動をまとめた分厚い本を持って、その中の1ページをオイゲンに見せていた。

 オイゲン自身もその写真は記憶に残っている。

 アレは…そうだ、アレだ、まだハンスと一緒にキール港でロイヤルネイビー相手に暴れまわっていた時の写真だ。

 "ああもう!まったく!どうしてカメラ目線でドヤ顔なんてキメちゃったのかしら!"

 ただでさえそう思ったオイゲンに更なる訃報。

 酒店の入り口の方からタイヤの擦れる音がして、見ると黒いバンがそこに止まっていた。

 

 

「……ああ、もう…"最高"ね。」

 

 

 黒いバンからはスーツを着こなす長い金髪の白人女性が降りてきて、彼女の店に入って来るとレジカウンターまで直進、オイゲンの前に一本のビールを置く。

 

 

「アンタねぇ………"悪いけど、このビールはこの店で取り扱ってないわ"」

 

「"いいえ、商談に来たの。どうか取り扱ってもらえないかしら?"」

 

「"それなら、奥で話しましょう。"」

 

 

 オイゲンはそう言って、金髪女性をレジカウンターの奥に案内する。

 しかしながら諦めるという言葉を知らない7歳の男の子が金髪女性の後に続こうとしたので、オイゲンは慌てて彼を引き止めた。

 

 

「ちょっと!どこに行く気!?」

 

「え、だってまだお話聞いてないし…ひょっとしてあの人もKANSEN?」

 

「だからっ…はぁ。あの人は違うわ、ただの取引先よ。」

 

「!…ってことはお姉さんはやっぱり」

 

「はいはい、分かった分かった。お話なら後でたっぷりしてあげるから、3つだけ約束を守ってくれる?」

 

「うん!」

 

「一つ目、私のことは誰にも話さないこと。」

 

「うん!もちろん!」

 

「二つ目。今日のところはひとまず帰って、明日出直してくること。」

 

「…うぅん…そうだね、お仕事の邪魔をしちゃいけないから…」

 

「ふふっ、聞き分けの良い子は好きよ。…そして三つ目、今度来る時は裏口から入って来ること。…このどれか一つでも破ったら、もう口もきいてあげないから、覚悟することね。」

 

「うん、もちろん破らない!約束する!それじゃあ、ありがとう!」

 

「………ああ、そうだ、アンタの名前は?」

 

「マーティン!マーティン・スミス!」

 

「それじゃ、また明日来なさい、マーティン!」

 

 

 

 マーティンに手を振りながら、オイゲンは長いため息を吐く。

 この何十年も正体の露見しないように注意してきたというのに、崩れ去るのはあっという間だ。

 まあ、7歳の男の子の言うことなんて誰も信じないし、過ぎ去りし大戦の記憶なんて誰も思い出そうとしていない。

 周辺住民から何か問い詰められそうなら"ごっこ遊び"と言えばいいし、ヨアヒムは通勤が長くなるかもしれないが、引っ越しをするのも悪くなかった。

 …もしヨアヒムとエミリーが結ばれるのなら、そちらもあまり問題にはならないだろう。

 

 

 さてはて。

 オイゲンは"取引先"を待たせている奥の部屋へと足を向ける。

 客は既にウィッグを外し、その艶やかな銀髪を振るっていた。

 オイゲンが2人分のコーヒーカップを持って来ると、銀髪の客はさっそく口を開く。

 

 

「…ありがとう、オイゲン。」

 

「はぁぁ…アンタのせいでマーティン君に正体がバレたわ、どうしてくれるの?」

 

「ふふふっ、苦労が多いわね。」

 

『戦友会』の会長が白昼堂々あんな車で乗りつけて来るなんて…無用心にも程があるんじゃない?アンタはフィヨルドで沈んだことになってるのよ?」

 

「それを言うなら、オイゲン。あなたこそ。町の大通りで酒店を経営するなんて、肝が据わっている。」

 

「どうして酒場にしなかったか分かる?世の中にはね、酒を飲んで頭の冴える人もいるのよ?」

 

 

 来客が理解できないといった顔をしたが、オイゲンは軽く肩をそびやかす。

 

 

「…おかげで私は商品を楽しめない」

 

「ふふっ、酒場だって楽しめないだろう?」

 

「そうかしら?私なら客と一緒に楽しむわ……さて、今日は何の"商談"なの、ティルピッツ?」

 

 

 来客…ティルピッツは居住まいを正して、オイゲンは彼女の向かい側に座る。

 こうして顔を合わせて話をするのは、一度や二度ではなかった。

 

 

「他ならぬ"アイツ"の件よ。戦友会のネットワークでも、"アイツ"の現在位置を割り出せていない。ヨアヒム君が何か掴んでいないかと」

 

「アンタ、ウチの息子を過労死させる気?…とは言ってもアンタには恩もあるし…あの子には"アイツ"の過去を調べてもらってるわ。ある情報局員(ライリー)について調べる、っていう体で。」

 

「本当のことを話しても良かったんじゃないかしら?」

 

「冗談じゃない。確かに、アンタ達とヴェネトの助けがなかったら、あの子は情報局員どころか海兵隊員にもなれなかった。けれど、あの子が"アイツ"のことを知る必要はないはずよ?…アンタ達も、それを強制できる立場にはない。」

 

「………悪かったとは思っている。だけど、私もあなたとハンスがあんな事になっているなんて知らなかった」

 

「アンタを責めてるわけじゃないの。でも、どうかヨアヒムを巻き込むなら最小限度に留めてほしいってだけ。ヴェネトが生きていても、私の要求は通ったはずよ?」

 

「…確かに。なら、無理強いはしないわ。」

 

 

 ティルピッツはそう言って遠い目をする。

 きっと今は亡き同志、ヴィットリオ・ヴェネトの事を思い出しているのだろう。

 

 

 

 大戦の終盤、ティルピッツはフィヨルドでロイヤル海軍の爆撃を受けた。

 公式にはその際彼女は沈んだ事になっているのだが、実際はそれまでの爆撃と同じように彼女を沈めるまでには至っていなかったのだ。

 

 同時期に鉄血公国本土爆撃を始めていたロイヤルとしては、これ以上ティルピッツ単艦に割ける戦力の余裕などなかった。

 そこで、ロイヤルはティルピッツ相手に取引を持ちかける。

 当時サディア帝国のヴィットリオ・ヴェネトが敗戦に向け、旧レッドアクシズ所属艦達を第三国に逃すための準備を行なっていた。

 ロイヤルとしてはティルピッツがフィヨルドからいなくなるだけでも目標は達成されるので、彼女に任務を放棄してヴェネトと合流するように説得を始めたのだ。

 

 

 無論、最初ティルピッツは拒絶した。

 だがフィヨルドの港湾施設は度重なる爆撃で大きなダメージを負い、ティルピッツは沈んでこそいないものの、大西洋に出撃することはもうすでに叶わない状況にいたのだ。

 ティルピッツ自身も心の内では敗戦を予感していたし、東からは北方連合の陸軍が迫りつつある。

 祖国から遠く離れたフィヨルドに配置されている兵士たちを守るためにも、ティルピッツはヴィクトリアスが説得にやってきた時、それに応じたのだった。

 

 

 クイーン・エリザベスの念押しがあったことも手伝ってか、ロイヤルの首相はちゃんとティルピッツとの約束を果たした。

 彼女は武装解除の後フィヨルドからサディアに移送され、フィヨルドの鉄血公国兵達は赤軍がやって来る前に捕虜としてそこから連れ出されたのだ。

 結果として捕虜の多くは多少の時間こそかかったもののロイヤル経由で祖国に戻ることができた…東部前線で赤軍に捕らえられた兵士たちとは対照的に。

 今ではそういった元捕虜の何人かがエウロパ大陸のあらゆる国で重要な職に就いていて、恩義からヴェネトとティルピッツの戦友会に水面下の協力を行なっていた。

 

 オイゲンが酒店を開けたのも、ヨアヒム・ルートヴィヒが海兵隊に入れたのも、この後援者達の尽力により入念な偽装身分を手に入れたからに他ならない。

 そもそもインビエルノを出国した後、ティルピッツのコンタクトがなければユニオンへの入国すら難しいかっただろう。

 だからオイゲンとしてもその恩に応えようとはしているが、かと言ってヨアヒムを犠牲にするつもりもなかった。

 

 

 

「……本当はあなたとハンスも助けたかった。」

 

「仕方ないわ…私もあなたと同じ立場なら、どうにもできなかったでしょうから。結局、ハンスは最悪のタイミングで情報局に名簿を渡してしまった。」

 

「もっと早くハンスと連絡していれば…」

 

「それだとアンタ達の存在が露見しかねなかった、それはハンスも分かっていたわ。ロイヤルとユニオンは決して一枚岩では無かったし…もう忘れて。過去はどうにもできないけど、未来は違うでしょう?…それに、アンタはできる限りのことをしてくれたじゃない。インビエルノの件の後私たちを助けてくれたのはあなたよ、ティルピッツ。名簿に名前の無かったローン達や、サディアの何人かも助かったんだし。」

 

「ああ、そうだ。…ローンがスエズにいるマインツとの連絡を取ってくれたわ。エミリーって娘の両親は鉄血の出身じゃなかった…それどころかエウロパ大陸でもない。」

 

「………ふぅん…やっぱりね。」

 

「?…知っていたのか?」

 

「いいえ、そうじゃないわ。なんとなくそんな気がしてただけ。…あの娘にはなんとなく()()があったから…」

 

「面影?…誰の?」

 

「………なんでもない。アンタ達にそこまで苦労させといて、こちらから何も出せないのはやっぱり心苦しいわね。…分かった、とりあえず現時点で分かっている事を話すわ。」

 

「ええ、ありがとう。」

 

 

 オイゲンがヨアヒムを通じて手に入れた情報と、それを擦り合わせた上での自身の考えをティルピッツに述べると、彼女は目の色を変えた。

 

 

「……よく調べてくれたわ、本当にありがとう。」

 

「でも、これじゃあ"アイツ"への手がかりにはならないでしょうね。…ヨアヒムには悪いけど、あの子にもまだ色々と調べてもらうわ。…私が情報局の資料室に入るわけにはいかないし。」

 

「ふふっ、それもそうね。また何かわかったら教えてちょうだい?」

 

「任せて。…でも、今度はマーティン君が店の中に見えたら、ちょっと待っていてもらえる?あなたも7歳の男の子を殺したくはないでしょう?」

 

「私達はあの政党とは無関係よ。やり方も考えるわ。」

 

「本当に?…ならいいけど。」

 

 

 再びウィッグをつけてバンに乗り込むティルピッツを見送って、オイゲンは少しため息をついた。

 

 "老兵は死なずただ消え去るのみ"

 ただし、戻ってこないとも限らない。



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ヴァチカン・チャンネル

 

 

 

 

 共和制サディア

 ヴァチカン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 24時間前までユニオンにいた彼女は、今ではサディアにいる。

 彼女がフィヨルドで助けた後援者達の支援がなければ、ティルピッツはここまでしっかりしていられなかっただろう。

 パンユニオン航空欧州路線のファーストクラス席が、戦友会幹事として多忙な日々を送るティルピッツに極上の癒しを与えた。

 ヴェネトが生きていた頃はまだここまで多忙ではなかった分、あの頃が懐かしく思えてくる。

 今ではかの大戦を生き延びた仲間も随分と少なくなってしまった。

 まだ今より人数の多かった時は電話一本で多くの情報が集まったし、或いは彼女達を訪ねることが楽しみでもあったのだ。

 

 

 KANSENは歳を取らない。

 だか死なないわけじゃない。

 彼女達は若いまま、衰弱して死に至る。

 或いは事故で、或いは病気で。

 ティルピッツは長生きし過ぎて、正直もう葬式に参加するのにもウンザリとしている。

 "今度葬式に参加する時は、どうか私が埋葬される側でありますように"

 そんな願いを何度も浮かべてはみたものの、結局運命は今の今まで彼女を送る側に立たせてきた。

 

 

「…ふん………でもまぁ…もう、そろそろ頃合いじゃないかしら。」

 

 

 彼女はそんな独り言を呟きながらも金髪のウィッグを撫でてみる。

 ヴェネトがこの仮装を初めて見た時、あの笑い上戸は腹を抱えて笑っていた。

 

 

『ティルピッツ、あなた!"フィヨルドの亡霊"呼ばわりが気に食わないからって、ビスマルクになってどうするのです!?』

 

 

 "そこまで私は姉さんに似ているだろうか?"

 ヴェネトの様子にそう思わされたのは何年前のことだろう。

 ふと思い立った彼女は、街角で足を止め、ショーウィンドウに映る自身の姿を眺めてみた。

 そこにいたのは到底ビスマルクとは似ても似つかない女性だった。

 

 写っているのは、かの大戦で中央政権と戦いながらもロイヤルとの戦いを率いていた知的で冷徹なKANSENではなかった。

 ティルピッツから見るに、それは海軍を率いるにはあまりに意志と自己肯定感の弱い、物憂げな感じの女である。

 ビスマルクには堂々たる威厳の中に仲間への想いやりを抱えていたが、ティルピッツの方はどちらかと言うと、仲間への想いの方が先走っているように見えた。

 

 

「ふっ…私は姉さんとは違うわ…今更何を……」

 

 

 ヴェネトとの仕事の初期段階で、生き残っていたサディア艦の多くの経歴を偽装して脱出させることができた。

 アズールレーンは鉄血公国の最期にご執心であり、サディアなぞには目を向けていなかったことと、何よりサディア自身がファシスト政権崩壊に伴う内戦に陥っていたことが原因だった。

 

 やがて赤軍がベルリンに迫り、ついにはオーデルナイセを超えた辺りで、ティルピッツはルール違反と知りながら…つまりはせっかく立ち上げたばかりの戦友会が重大なリスクを負うと知りながらもビスマルクへの連絡を行った。

 姉はせっかくアークロイヤルの魔の手から生き延びた。

 その恩人たるU-556は既に亡くなっていたものの、ティルピッツは姉の"訃報"を二度と耳にしたくはなかったのだ。

 

 

 ところが、ビスマルクはティルピッツの内心を知ってか知らずかいつも通り…そう、赤軍の魔の手が直ぐ近くに迫り、総統地下壕で人間不信に陥った指導者のすぐ側にいて尚、()()()()()()ビスマルクとしてティルピッツを叱責したのだった。

 

 "あなたの勝手な行動でヴェネトの苦労が水の泡になる"

 "組織の高官としての自覚を持ちなさい"

 "いい?組織をまとめ上げる者であるなら、常に心しなさい。あなたの行動に人生を左右される人間が大勢いる事を"

 

 

 それは叱責であると同時に遺言でもあった。

 あれ以降、ティルピッツはビスマルクの声を聞くこともできず、会うことさえ叶わなかったのだ。

 とはいえ、キールの件はあまりに慎重になり過ぎたと言わざるを得ない。

 あと数日手が早ければ………

 

 

 

 

 オイゲンの言う通り、過去を嘆いても仕方ない。

 姉の言葉を思い出し、若干目頭に熱を覚えつつもティルピッツは目的地である教会へと向かう。

 失敗ならここに来るまでに目一杯やってきた。

 後悔に使う時間があるのなら、今は未来のために使おう。

 

 

 教会は古い作りのもので、しかしながら流石はヴァチカンというべきか厳かな雰囲気は見事と言う他ない。

 すれ違う修道士達と軽い会釈を交わしながらも、彼女は教会の中へと進み入り、懺悔室へと向かう。

 しかしそれは罪を告白するためでも、ましてやカトリックに改宗するためでもない。

 

 

 会合相手は懺悔室の前で待っていた。

 伝統的なシスターの衣装を着て、ティルピッツを認めるなり彼女に問いかける。

 

 

「…"罪の告白をお望みですか?"」

 

「"ええ。どうかお導きを"」

 

「"分かりました。今日はどちらからいらっしゃったのです?"」

 

「"グラーツから"」

 

「"遠いところをようこそおいでくださいました。それでは中へ"」

 

 

 

 懺悔室に入ると、ティルピッツはウィッグを脱いで汗を拭う。

 こうも暑いと蒸れてしまって仕方ない。

 凍えるフィヨルドでの記憶は、未だに彼女を支配していた。

 

 

「……それで?ユニオンから電話を受けた時は驚いたわ。まさか"会長様"が直々にいらっしゃるなんて。」

 

「あなたもまだまだ元気そうね、ザラ。」

 

 

 戦友会が最初に国外に逃亡させたKANSEN、それがザラだった。

 彼女達がロイヤルのウォースパイトと砲火を交えた時点で、ヴェネトは祖国の敗戦を予感していた。

 重傷を負ったものの夜戦の闇に紛れて辛くも脱出したザラは"パトリシア"という偽名を与えられ、怪我が完治しアズールレーンがシチリアに上陸した後に、当時エウロパ大陸で唯一の中立ファシスト国家へと脱出させられたのだった。

 

 やがて冷戦が始まると、西と東の二つに分かれたアズールレーンは急速に戦犯狩りへの意欲を失い、ことサディアの沈没艦の真偽などどうでも良くなったらしい。

 "パトリシア"は何らの妨害もなくサディアに帰国し、その後は念の為にこの教会に匿われた。

 彼女は自身は生き延びたあの戦いで犠牲になった妹への祈りを捧げるうちにこの教会が気に入ったらしく、以降もこうやってここにいる。

 

 

 

「ええ、お陰様で。」

 

「対応が早くて助かったわ。」

 

「当然じゃない。ヴェネトの身の潔白を証明しなきゃいけないんだから。」

 

「いや、ヴェネトを疑ったわけでは…」

 

「本当に?…まぁ、でも、疑われてもおかしくはないわ。ハンス・ルートヴィヒの脱出に手を貸したのはサディア教会、その教会とヴェネトの関係を考えれば…情報がヴェネトから抜けていたと考えてもおかしくはない。」

 

「…ヴェネトは潔白だったのね?」

 

「ええ。タシュケントからの情報を洗い直してみたの。」

 

 

 タシュケントはセバストポリでの活躍以降、北方連合としての"同志"として認められた。

 しかし、そんな彼女でも元同胞達がアズールレーンの理不尽な追及の憂き目に遭うのを見ていられなかったらしい。

 大戦後海軍を退役した後も、かの英雄勲章をぶら下げるタシュケントはどこにでも立ち入ることができた。

 戦友会は大戦後にタシュケントから鉄のカーテンの向こう側の情報を得られたお陰で、救うKANSENの数を大幅に増やすことに成功している。

 もっとも、タシュケントの立場を危うくさせないと言う意味でも、アズールレーン側への情報共有は行われなかったが。

 

 

「北方連合の情報資料がヴェネトの裏切りを否定しているわ。例の悪名高い"猟兵グループ"にルートヴィヒの情報を売ったのは別の勢力よ?」

 

「それって…」

 

プラタ国王。…少なくとも、大戦後に教会と取引した国王じゃなく、ロイヤルとの戦争を引き起こした方の国王ね。」

 

「何故彼はそんなことを?」

 

「…プラタの王政が代替わりしたのは大戦終結から10年後の話。若い新国王はユニオンの干渉がどうしても我慢ならなかった。だからある計画を立てたの。あのロイヤルとの無謀な戦争も、全てはその計画のために準備されていたわ。」

 

「………」

 

「一つは国内のナショナリズムを育成すること。これは単純ね。この国王がインビエルノに対する"口撃"を加えてたのもこれが原因。…そしてもう一つの計画はある兵器を製造することだった。」

 

「ある…兵器?」

 

「新国王が即位した頃、中東某国はようやく独立を安定させたけれど、その周囲には複数の敵対国がいた。彼らは焦るあまり、アイリスに大金を払ってある物を建設させた。…このニュースはあなたも知っているでしょう?」

 

「まさか…まさか、原子炉か?」

 

「ご名答。新国王は某国にルートヴィヒを売った。いえ、ルートヴィヒだけじゃない。彼は前任の国王がプラタに受け入れた旧鉄血軍人達を1人残らず"猟兵グループ"に売っていたのよ。…原子炉の技術を見返りにね。」

 

「全ては…ユニオンに対抗するために…」

 

「そう。通常戦力での戦いではKANSENを多数保有するユニオンに敵わないことぐらい、あの国王も把握していたのね。ところが研究がかなり進んだ段階で、国王はナショナリズムを抑えられなくなってしまった。…北方連合は支援していた共産ゲリラからこの情報を得ていたわ。」

 

「北方連合がどうするつもりだったにしろ、その後の共産革命のせいで兵器化を前提とした原子炉が宙ぶらりんになったわけね?」

 

「その通りよ。あの時ユニオンの大統領がインビエルノに大量の戦車を送ったのは地域覇権なんかのためじゃないのではないかしら?」

 

 

 ここまで話を聞いたティルピッツの頭の中で、何かが繋がりつつあった。

 オイゲンによれば、かのライリーという情報局員がインビエルノ大統領を操っていた。

 そうすると、その男がプラタ国王の野望を知っていないとは思えない。

 どうやって情報を掴んだかは調べる必要があるだろうが………もしや?

 

 

「ありがとう、ザラ!全てが繋がったかもしれない!」

 

「急にどうしたの?…ま、まあ、お役に立てたのなら光栄だけど…」

 

「また今度連絡をくれ。食事でもしよう。」

 

 

 ティルピッツはそう言い残して教会を後にする。

 彼女は再びユニオンに向かうつもりだった。



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トリカブト

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユニオン

 バージニア州

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ…最小限にしてって、言ったはずよね?」

 

 

 オイゲンは何か面白くないことが現在進行形で起きていると言わんばかりの態度を取る。

 理由は簡単、面白くないことが現在進行形で起きているからだ。

 一昨日釘を刺したばかりなのに、この戦友会会長様と来たら三日後にはそれを破ってやがる。

 夕暮れ時を狙いすまし、オイゲンの下にヨアヒムが帰った頃合いを見計らったのだから尚更タチが悪かった。

 

 

「ごめんなさい、オイゲン。けれど、どうしてもヨアヒム君の協力が必要なの。」

 

「あ、あの、はじめまして。ヨアヒムと申します。母がお世話になっているようで…」

 

「私がお世話してるのよ、私がっ!」

 

「でも、この人のおかげで僕らはここにいるんだろう?」

 

「ッ!…ああもう!アンタがそれで良いなら好きになさい!…知らないんだから!」

 

 

 母親の内心を汲み取れぬほど、この若者は愚鈍ではなかった。

 しかしそれでも自身の"夢"に手を貸し…或いはそれどころか両親の命を助けた相手に恩返しをしたいと思うほどには道徳を弁えているようだ。

 彼の態度にはティルピッツも感激せざるを得ない。

 オイゲンも口ではああ言っているものの、ティルピッツへの恩義から、致し方なしと感じているに違いなかった。

 もしそうでないなら、そもそも家から追い出されていただろう。

 

 たしかにこの2人は戦友会の助けがあってこその今があるのだが、それを差し引いたとしても、この2人…特に無関係に留め置くつもりだったヨアヒムには大きな負荷とリスクを負わせてしまっている。

 しかしそれを請け負ってくれた彼に感謝の念を感じながら、ティルピッツは口を開いた。

 

 

 

「………ヨアヒム君、ご協力どうもありがとう。あなたには感謝してもしきれないわ。…実を言うとね、私達は何年も前からある人物を追っている。オイゲンがあなたにライリーの事を調べさせたのは、2つの理由があるのだけれど…これがその内の一つよ。」

 

「もう一つは?」

 

「調べろって言っておいてアレだけれど、ティルピッツの要件に比べれば大した事ないわ。今は彼女に集中して、ヨアヒム。」

 

「わかったよ、母さん……それで、その人物っていうのは…もしかしてマーガレットのことかい?」

 

「……()()()()()()()

 

 

 ティルピッツの返答に、ヨアヒムは少し不思議な顔をする。

 その反応はティルピッツにとっても自然なものだと認めざるを得ないが、彼女はこの答えの理由をゆっくりと語り始めた。

 

 

「まだ確信が持てないの、ヨアヒム。とにかく、今はソイツの過去を洗う必要がある。行動パターンが読めれば」

 

「次にどこへ向かうかもわかる。」

 

「ええ、さすがは情報局員ね。まだ仮説にしか過ぎないけれど、私はソイツとマーガレットが同一人物だと仮説を立ててる。あなたの集めてくれた情報の結論次第では…少なくともその行動目的の一致は立証されるかもしれない」

 

「なるほど」

 

「サディアの協力者に過去の情報を洗い直してもらった。…こんな話を聞くのは辛いかもしれないけれど、あなたのお父さんを"猟兵グループ"に売ったのはライリーではなくプラタの国王だった。」

 

「…なんだって?」

 

「国王は大戦の復讐に燃える中東某国から、あなたのお父さんやその仲間たちを売る見返りに原子炉の開発協力を得ていたの。」

 

「待ってくれ、プラタが某国から核開発技術の提供を受けていたなら…時系列的に、ロイヤルとの戦争までに一定の成果を上げていてもおかしくない。」

 

「ええ、そうね。でも国王にとってあの戦争は始まるのが早過ぎた。北方連合は核開発情報を得つつも、とりあえずは南方大陸に足掛かりを作ろうと躍起になってそれどころじゃなかったの。つまりは…」

 

「ロイヤルとの戦争の後、プラタの核は宙吊りになってしまった。」

 

「その通り。私はライリーがその情報を握っていたと思ってる。だから…」

 

「…なるほど、そういうことか!」

 

 

 ヨアヒムは何かに打たれたかのように突如として立ち上がって、中央情報局の資料室で調べ上げた情報のメモ書きを手に戻ってくる。

 彼はその中の1ページをティルピッツに示して、少々興奮気味に話し始めた。

 

 

「見てくれ!…マーガレットはあの戦争の終結直後にプラタに飛んでる。だが、ライリーはそこに同伴していなかった。ただの事務員には、混乱を極める国家の只中は荷が重すぎる。」

 

「たしかに不自然ね。」

 

「それに、記録によればマーガレットはライリーに自らの派遣を志願したそうだ。……僕の思うに、プラタの核開発情報を握ってたのはライリーじゃない。」

 

「………()()()()()()()()ね。でも…どうしてマーガレットはプラタの核なんか…」

 

「アンタ達、馬鹿じゃないの?」

 

 

 

 突然として、真剣な様子のティルピッツとヨアヒムに冷やかしの声が浴びせられた。

 見ればオイゲンがいつのまにかビールを片手に顔を赤く染めている。

 どうやらティルピッツと息子が話し込んでいる間に抜け駆けで"乾杯"してしまったらしい。

 

 

「オイゲン!あなたには悪かったと思っているけれど、今は…」

 

「まだ気づかないの、ティルピッツ?…よく考えてみなさいよ。」

 

 

 恐らくオイゲンが既に飲み干したビール瓶の数は一本や二本ではないだろう。

 彼女は着ているTシャツを大きくはだけさせて、その豊かな白い胸に大きな存在感を示す小さなホクロが見えるほどだった。

 ヨアヒムは思わずそんな母親から目を逸らしたし、ティルピッツは困惑したが、当のオイゲン自身は殊更に真剣な様子である。

 

 

「これでようやく分かったわ、ティルピッツ。マーガレットは戦友会が追ってる奴と同一人物よ、間違いないわ。」

 

「どうしてそう思う?」

 

「…この前話したばかりじゃない!世の中にはね、お酒を飲むと頭が冴える人もいるの。」

 

 

 現役時代よろしくサングラスを掛けて決めポーズを取るオイゲン。

 ティルピッツは頭を抱えてため息をついたが、オイゲンは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

 

「…冗談よ。…恐らくマーガレットはライリーを唆して、ハンスにあの取引を持ちかけた。ライリーはあの件で大きな評価を得たわ。」

 

「母さん達を全員確保したから?」

 

「はぁ。分かってないわね、ヨアヒム。違う違う、私達はオマケみたいなモンよ。…ライリー、いやマーガレットが本当に欲しかったのは私達じゃない。………それはきっと、鉄血が開発したばかりの新兵器の方だった。」

 

「「!?」」

 

「…その通り。滅びゆく鉄血の核兵器のプロトタイプ、戦争と革命で宙に浮いてしまったプラタの原子炉。マーガレットが絡んでいるのは、いずれも核技術…それも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()よ。

 

「マーガレットはライリーを操って、それを回収していた?…一体何のために?」

 

「はぁ…まだ分からないの、ティルピッツ!だから言ったでしょう?マーガレットが"アイツ"で間違いないって!」

 

 

 ティルピッツはハッとして、思わず立ち上がる。

 ヨアヒムは何が何やらだったが、それは彼の年齢では致し方のないことだった。

 寧ろそれは、あの時代、大海原を舞台に戦った戦士達でなければ、きっと知ることのない事実であるゆえに。

 

 

「もしマーガレットが"アイツ"なら、人類の進化は求めていても滅亡自体は望んでいなかったはず…或いは今も望んでいない。」

 

「不安定な核はガスの満ちた火薬庫同然。だからそれが人類自身を滅ぼす前に取り除く必要があった…なるほど、辻褄は合う。」

 

「要するに、まんまと利用されたのよ。ハンスもライリーもセルバンデスも…そして、KANSEN(わたしたち)も。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 中東のどこか

 

 

 

 

 

 

 

 

 女は腰の衛星電話に着信が入っている事を確認すると、それを手に取って耳に近づける。

 会話の相手は迂闊にも確認を取らずにいきなり内容を話し始めたが、彼女には相手が単純なミスをするはずもないと分かっていた。

 そう"育て上げたのだから"。

 

 

 

『君を嗅ぎ回ってる連中がいる。』

 

「ええ、そうでしょうね。報告ご苦労様。…それだけのためにわざわざ電話をくれたの?」

 

『……なあ、一体…いつになったら解放してくれるんだ?……もう十分だろう?』

 

「あら?おかしな事を言うのね。あなたはとっくの昔に解放したはずよ?」

 

『なら………何故まだ私は彼女の下に行けないんだ!?』

 

「それも伝えたはず。あなたには2つもの方法を与えたのよ?…その気になればいつでもできるでしょうに、そうはしないのは未だに罪悪感なんて感じているから………はははッ、もう手遅れなのにね。」

 

『…………』

 

「それに、あなただって楽しんでたじゃない。それは否定できないはずよ?」

 

 

 

 

 

 

 



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ジュネーヴの決まり事

 

 

 

 

 

 

 何はともあれ、相手の目的が分かったのは大きな前進と言える。

 再び中央情報局の資料保管庫に戻ったヨアヒムは、24時間ぶりに資料の束や数々のファイルと向かい合っていた。

 

 マーガレットが何者であるにせよ、彼女は単身でプラタに向かい、そして不安定な状態にあった原子炉を歴史の闇の中に消してしまった。

 到底1人では…それもただの事務員でこなせる所業ではない。

 だからこの事務員がどうやって原子炉などという厄介な物体を消し去ったのか、それを調べる必要がある。

 もしマーガレットがティルピッツの追う人物と同じ人物で、今も活動しているとすれば、その目的と手段は変わっていない公算が高い。

 

 

 

 ライリーは革命勃発直後のプラタにアドリアン・セルバンデスの侵攻軍を向かわせた。

 恐らくはこれもマーガレットの援護だろう。

 マーガレットもライリーも、原子炉を共産主義者の手中に収めさせるようなマネだけは避けたかったに違いない。

 

 だからこそ、タイミングにこだわったのだ。

 アドリアンはマキャベリの格言に従って、早めの侵攻を行いたがっていた。

 "どうせ避けられぬ戦争ならば先手を打つべし"

 ライリーは「ユニオンのメンツ」なるものを持ってアドリアンの案を退けたが、それは恐らく攻撃が早すぎれば国王は原子炉を破壊するか隠匿し、遅過ぎれば共産主義者の手に渡る事を警戒してのことだろう。

 

 他方コミンテルンは勿論のこと、手駒のゲリラ達に自身と同等の強大なチカラを与えようとはしなかったはずだ。

 だからゲリラ達の注意をあくまで革命に向けさせ続ける事に注力したのだろう。

 実際、ゲリラは効率的に首都を制圧して原子炉に対する国王の判断を行わせる時間さえ与えなかった。

 軍の内、あくまで国王に忠誠を誓った部隊はその後も共産勢力と戦い続けたものの次第に劣勢となっていく。

 そんな折に介入してきた侵攻軍は彼らにとっては今や歓迎されるべき存在だった。

 

 ゲリラの方はといえば、彼らの戦力はインビエルノからやってきた"熟達している"戦闘員達に頼る事の大きかったのも事実だろう。

 ただし、プラタ共産ゲリラのリーダーは次第に彼らを鬱陶しく思うようになっていったようだ。

 当然だろう。

 首都さえ落として国王を排除できれば、その時点で彼らは用済みなのだから。

 

 

 

 

 さてはて。

 兎にも角にもこの膨大な資料に手をつけなければ始まるまい。

 彼はコーヒーを一口飲んでから、仕事に手をつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラタとロイヤルの講話の2日後

 インビエルノ国境地帯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 プラタ国境警備隊の兵士たちは物々しい戦車隊がこちらに向かってくる間に何度も中央との連絡を試みたものの、どうやら完全に通信を遮断されているらしく遂に連絡を取ることは叶わなかった。

 何人かの士気旺盛な兵士たちは古い鉄血製の対戦車砲や野砲での抵抗を試みたが、彼らが105ミリ榴弾で吹き飛ばされた後はそれに続こうとする人員もいない。

 よって残された彼らは今両手を頭の後ろで組んで、インビエルノのM36駆逐戦車の前に並んでいた。

 M48戦車と、その補助を行うM47戦車は既に国境を食い破って国内に雪崩れ込んでいる。

 後衛の戦車は幾分旧式ではあったものの、軽装の兵士たちの士気を頓挫させるには十分だった。

 

 

「落ち着きたまえ、緊張しなくていい。君らは首都の情報をどのくらい知っとるかね?」

 

 

 インビエルノの情報将校は…恐らく自軍の損害が皆無であったことも手伝って…上機嫌に見える。

 捕虜となったプラタ国境警備隊員達も国王に忠実な奴らは吹っ飛ばされていた以上、むざむざそれに歯向かうような態度を取ることもない。

 彼らは腕を組んだままではあるものの、実に率直に将校の質問に答えた。

 

 

「わかりません、実のところ俺たちも何が何やらなんです。」

 

「知ってる限りでいい。君らはどこまで知ってる?」

 

「ロイヤルとの戦争に負けたこと、それから、その直後に国中で蜂起があったとか何とかって…」

 

「戦車隊がいないのはそのせいか?」

 

「ええ、そうです。…たぶん、俺たちだけじゃないと思いますが、他の警備隊も同じようなもんでしょう。」

 

「なるほどな。」

 

「あのぅ…こんな事聞くのもアレなんですが、俺たちどうなるんでしょう?」

 

「…どういう意味かね?」

 

「その…もしかして…このまま殺されたりとか…強制収容所に送られたりとか…」

 

「はははっ、まさか。大統領夫人から命令が下されておる。曰く、"不必要な捕虜の殺害、抑留は避けること"」

 

「ああ、そりゃあ良かった。」

 

「まったく、我ながらお互いに戦争とは思えんほど呑気なもんだ。…こっちとしちゃ君らを連行したり処刑して穴に埋めたり…手間が減るだけありがたいが。ただし、君達を野放しにできるわけじゃない。変な事を考えない限りは勾留されるだけさ。」

 

「なるほど。ところで、ちょっとお願いがあるんですが…」

 

「はははっ!早速か!…どうしたかね?」

 

「身体チェックが終わったんです、もう手を下ろしてもいいですか?…痺れてきちまって」

 

「あっはははははは!構わん、構わん!…この戦争もそう長くは続かんだろう。勾留先でゆっくりとしていたまえ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………

 

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

「機甲部隊は殆ど損害もなくプラタへ侵入いたしました。」

 

「………"殆ど"?」

 

「ええ。強いて言えば…何両か戦車の塗装が剥がれたとか。」

 

「ははははっ!了解した、それは確かに"損害"だな!…どうやら攻勢は順調のようですね、ベラスコ元帥。本当によくやってくれています。」

 

「大統領に可能な限り早い侵攻をご決断いただけたからです。」

 

「やるべき事をしたまでですよ。共産主義者共は既に首都に侵入した。連中が混乱を収拾する前に叩いてしまうのがベストなはずです。ライリーさんが何故あそこまで拘ったのかは分かりませんが…とにかくGoサインは出ましたから。」

 

「大統領のご婦人にも感謝を。今は一々捕虜の処刑をしている場合ではありませんから……」

 

 

 

 私は笑顔のまま凍りついてしまい、その様子を見て取った元帥も同じように凍りついた。

 捕虜だって?

 そんなものに関する命令なんて、私は発したわけじゃないしタマンダーレから相談を受けたわけでもない。

 無論、迅速な進撃が求められる現在、捕虜なんていない方がいい。

 元帥は手間が省けると思っているようだがとんだ大間違いだ。

 その手間は後になってから数倍にも傘増しされてやってくる。

 なら、今すぐにズドンとやって解決してしまった方がいい。

 

 

 その場の空気が凍りついたからか、タマンダーレが背後から私の手を握り、笑顔を向ける。

 

 

「ごめんなさい、アドリアン。でも、共産主義者達はきっと国王を処刑するわ。少なくとも、進んで投降したプラタの兵士達が私達に反感を持つとは思えない。」

 

「………だが」

 

「不安は分かるけれど…でも最初から極端な方法を取るのは良くないわ?」

 

 

 タマンダーレはそっと私の耳に顔を近づける。

 彼女の甘い香りが鼻を突いて、"私"をこの場に引き留めてくれた。

 それがなければ、きっと私はすぐに"ダメ"になる。

 彼女の香りはいつも私を落ち着かせるし、タマンダーレはきっと私の"扱い方"も熟知していた。

 

 

「……それに…それじゃあライリーと同じよ?ボイシも辛い思いをしてしまう。」

 

 

 ボイシと国家、統治者としてならどちらを取るべきかは明らかだ。

 ところが私は通常の統治者とは違う。

 独裁者という、あまりにも"変則的な"統治者であり、それゆえに私は統治者としてのあるべき姿をいつでもかなぐり捨てる事ができる。

 ただし、少々タマンダーレのやり方がズルくも思ってはいるが。

 

 

「……分かった。……元帥、捕虜が特に反抗しない限りは容易に殺害しないよう、私からも命じます。ただし抵抗するようなら容赦はしないように。」

 

「おおっ、これはありがたい。どうやらプラタの連絡網は寸断されているようですから、捕虜からの情報は極めて重要です。…この旨はしっかりと将兵に伝えます。」

 

「そうしてください。」

 

 

 ライリーが何を求めているにせよ、タマンダーレを彼の呪縛から解き放つには今しばらく従うつもりだった。

 残念だが、そうなった以上は徹底的にやらねばならない。

 混乱を極めるプラタを平らげたら、私は彼の国をこの国と同じやり方で統治するつもりなのだ。

 

 まぁ、どうせ赤の他人。

 タマンダーレの自由の為なら、何万人だって殺してやろう。

 



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原産国表記

 

 

 

 

 

 

 タマンダーレの柔肌がうねりを伴って動き、私の目を覚まさせる。

 次いで彼女の吐息が頭上から降ってきて、鼻腔を彼女の香りが包んだ。

 そっと、優しく。

 温かな双丘が…私の頭を包み込む大きな彼女の"優しさ"は、しばらくの間まだ起き上がる気になれない私のために幾ばくかの時を与える。

 最後に軽い接吻を額に感じると、私はこの朝の幸福感を諦めた。

 

 

「………おはよう、タマンダーレ。」

 

「ええ。おはよう、アドリアン。…よく休めた?」

 

「うん、君のおかげで。」

 

 

 タマンダーレは下着姿で、私は彼女と共にベッドの中にいる。

 彼女の温かさを直に感じることができるなんて、私は本当に幸せ者だ。

 許されるのなら永遠にこうしていたいが、時間は私に制約を強いていた。

 

 

「…さて、今日も1日を始めましょう、アドリアン。朝は何がいい?」

 

「ビスケットかな。…君の作るビスケットは格別だ。」

 

「うっふふふ!分かったわ、それじゃ…起き上がりましょう。」

 

 

 

 

 タマンダーレと私は軽く着替えてから食事室に向かう。

 すでにエプロン姿のオイゲンとボイシがいて、更にはキッチリと制服を着込んだルートヴィヒもいる。

 まだこの時間はウゴもベラスコも出仕していないので、大抵の場合報告を持ってくるのは彼の仕事だった。

 

 

「おはようございます、大統領!」

 

「………」

 

 

 ルートヴィヒは未だに現役時代の癖が抜けないらしい。

 私を見るなりバチっと音を立てて気をつけ、そのまま右腕を真っ直ぐ掲げてそう言った。

 ボイシとタマンダーレは苦笑い、オイゲンが呆れたようにため息をつく。

 

 

「はぁ…ハ〜ン〜ス〜?」

 

「あっ!こ、これは申し訳ありません、大統領。」

 

「…お気になさらず…ただ……色々と大変でしょうが、どうか新しい環境に慣れてください。」

 

「はい、気をつけます。」

 

 

 オイゲンがハンスに2、3小言を言った後、彼女とボイシとタマンダーレは朝食の準備をしにキッチンへと向かっていった。

 後に残された我々は早速、朝の日課に移る。

 

 

「それで…今朝の報告は?」

 

「大統領、ベラスコ元帥の陸軍の侵攻は順調に推移しております。問題のプラタ軍部ですが、残念ながら内部分裂を起こしてしまったようです。」

 

「やはり、そうでしたか。共産ゲリラが易々と首都入りするはずです。」

 

「ゲリラは既に国王を処刑した公算が大きいでしょう。情報によると陸軍の王党派部隊が戦車と共に首都に向かったそうです。」

 

「なら、連中の"虎の子"がいない間に周囲から潰していくのが良さそうですね。…まあ、昼のオレンジチキンを食べ終わる頃には詳細が分かっているでしょう。」

 

「………オレンジ…チキン?」

 

「…ご存じありませんか?」

 

「はい」

 

「ユニオン風東煌料理は?」

 

「知りません」

 

「………何てこった!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アドリアン・セルバンデスがルートヴィヒの報告を受けている間に、タマンダーレ…セントルイスとオイゲンとボイシはキッチンへと向かう。

 セントルイスは冷蔵庫から予め作っておいたビスケットの生地を取り出してオーブンへと入れる。

 オイゲンはコンロに火を入れて、ボイシはそのすぐ隣でレタスを切り始めた。

 

 

「さあて。今日は何を作るの?スクランブルエッグ?」

 

「ううん…スクランブルエッグは昨日作ったから…今日はスコッチエッグにしよう?」

 

「卵好きのハンスには有難いけど、連続した卵料理にあの大統領は納得するわけ?」

 

「アドリアンは"ボイシの料理なら何でも美味しい"って食べてくれるから………大丈夫だと思うよ?」

 

「ふぅん………」

 

 

 完全に納得できたわけではないが、オイゲン自身がスコッチエッグを作れるわけではないのでどちらにせよ同意せざるを得ないだろう。

 何せオイゲンは20年も中央情報局に拘束されていた。

 無論料理など許されず、元々キール時代もそんなに料理はしていなかったこともあって、彼女の料理のレパートリーは極々限られた物だ。

 ハンスが大統領夫妻と共に食事を許されてからというもの、オイゲンはセントルイスの料理のレパートリーの多さに驚かされている。

 故に最近、オイゲンはボイシやセントルイスから料理を教わっていた。

 アドリアンは妻やボイシの料理に文句をつけることがないことも手伝ってか、どうやらボイシ達は卵好きのハンスが喜ぶような料理をオイゲンに教えるように留意しているようだ。

 オイゲンにはそれが、嬉しくも少々気恥ずかしい。

 

 ボイシが簡単なサラダを作っている間に、オイゲンは恐らくスコッチエッグの材料になるであろう食材の数々を冷蔵庫から取り出しておくことにした。

 

 

「………ワーオ、何度見ても驚かされるわ…ここの冷蔵庫には。」

 

 

 巨大な冷蔵庫の中は殆ど満杯の状態であった。

 セントルイスが作り置きしているビスケットの生地に、ボイシお手製のジャム、菓子類もあるが、その他食品の内訳にも驚かされる。

 ターキーや牛肉からバターやチーズ、それに調味料に至るまで、居並ぶ一流品の全てはユニオンからの空輸で賄われていた。

 どうしても時間の制約を克服できない食品…例えば、野菜や果物、卵や牛乳といった者は大統領専用の農場から調達されている。

 アドリアン・セルバンデスはユニオンで毒殺未遂の憂き目にあってから更に神経質になっていき、これらの生鮮食品を調達するために巨額の国費を投じたのだ。

 

 農場はまず、その土から取り替えられている。

 現地の土壌は全て除去されて、代わりにユニオンから運ばれて来た土が深さ3メートルに渡って敷き詰められていた。

 その上に立つ鶏舎や牛舎、更には囲いから周囲に植えられた木々に至るまで、全てユニオンから運ばれている。

 鶏卵を産むブロイラーも牛乳を出すホルスタインも、はるばる海を渡ってやってきた。

 野菜や果実も言わずもがな。

 それを飼育し、或いは育てて収穫しているのはフロリダやテキサスから雇われて来たユニオン出身のスタッフ達で、秘密警察の入念な身分調査の下、農業従事者にしてはあまりに高額な報酬で業務に従事している。

 農場には彼らの為の宿舎は勿論、緊急時脱出用のM113装甲車、それにアサルトライフルを持った秘密警察官達が常に警備を行なっていた。

 そうして念入りに調達された食材も、この冷蔵庫にやってくるまでに強制収容所の囚人による何回かの無作為な"試食"を済ませてからやってくるのだ。

 

 オイゲンが現役の頃の鉄血の独裁者だって、ここまでイカれた真似はしていない。

 それに大統領閣下はこの莫大な出費を国民への重税で補っている。

 その上戦争までやろうというのだから…庶民層の生活は考えたくもない。

 

 

 とにかく、オイゲンは冷蔵庫から卵と挽肉、それに幾つかの調味料を取り出す。

 そうしてボイシの近くに持ってきて初めて、サラダを作り終えた彼女がぼうっとしてることに気がついた。

 

 

「ボイシ?アンタどうしたの?」

 

「!?………な、なんでも…ない…」

 

 

 しかし悲しげなボイシの表情を見るに、なんでもないわけがないことは明らかだ。

 オイゲンもつい、いつもの"悪い癖"が出てしまう。

 

 

「…言ってみなさいよ。それとも"ナチの亡霊"相手じゃ喋る気になれない?」

 

「そ!そんなわけじゃ!…あなたはもう仲間なんだし……そうじゃなくて………」

 

「………?」

 

「…あの子は……アドリアンは…きっと自分に嘘を吐いてる。本当はこんなやり方で食べ物を調達したいんじゃない………自分で育てたいんじゃないかな?」

 

「え?」

 

「牧場に来た時、あの子は本当に楽しそうだった…とても素敵な笑顔で………それに安心してた。…………でも…今はきっと、不安を感じてる。」

 

「…はぁ、無理もないわ。大統領はユニオンで毒殺未遂に遭った。誰だって疑心暗鬼になると思わない?」

 

「ううん、きっとそれだけじゃない。」

 

 

 ボイシがここまで言った時、セントルイスが両手に焼きたてのビスケットを持って戻ってきた。

 

 

「うん、ビスケットはこれでOK。…ボイシ?どうしたの?」

 

「……な!なんでもないよ!」

 

「………」

 

 

 慌てて体裁を取り繕うボイシを見て、セントルイスは少しだけ訝しむような顔をしたが、すぐにビスケットの乗ったプレートを置いてボイシにハグをする。

 

 

「ありがとう、ボイシ。あなたもあの子を心配してくれているのね?」

 

「………うん……ねえ、セントルイス?…あの子を…"自由に"してあげられないかな?」

 

 

 いくらなんでもこの発言は不味すぎる、そう直感したオイゲンは本能的に流し台の蛇口を捻ってしまう。

 流れ出る水の音にセントルイスが不思議そうな顔を向けると、オイゲンは"どうかしてる"とでも言いたげな態度を取った。

 

 

「秘密警察が盗聴してたらアンタ終わってるわよ!?」

 

「え?……あの人たちは味方じゃないの?」

 

「アドリアンにとってはそうかもしれないけど、"私達"にとってもそうとは限らない。用心することね。」

 

「…ボイシ、オイゲンの言う通り、軽率な発言をするわけにはいかないわ。…()()()は、私達だけの秘密にしないと。」

 

「うん、分かった、セントルイス…」

 

「ちょ、秘密?一体何の話?」

 

 

 困惑するオイゲンに、セントルイスが向き合った。

 どうやらボイシとセントルイスは前々から何かとんでもない計画を話し合っていたらしい。

 そこへ何の脈絡もなく巻き込まれそうなら、オイゲンの反応は当然と言えるだろう。

 

 

「あなたには初めて話すけれど、実を言うと私とボイシはある計画を話し合っているの。」

 

「け、計画?…やめて、もうハンスを危険に晒したくはない。」

 

「今のままではいずれあなた達にもライリーの手が回るわ。」

 

「なっ…アンタ、言ってたことが違うじゃない!」

 

「ごめんなさい、騙すつもりはなかったのだけど…でも、あなたならきっと分かっているはずよ。アドリアンに毒を盛ったのが誰で、その目的は何なのか。」

 

「………くっ!」

 

 

 セントルイスはきっと嘘を吐いているわけじゃないし、オイゲンは前々から薄々感じていたことを改めて突きつけられた事を苦々しく思う。

 たしかに、ライリーがアドリアンの"異常"に気づいて事に及んだのだとしたら…ハンスもオイゲンも、将来的に無事でいられる保証はない。

 

 

「こうなった以上、私たちも覚悟を決めないといけない。………私はアドリアンを"自由に"するわ。どうかあなたにも協力してほしいの、オイゲン。」

 

 

 

 

 

 



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革命が成る時

 

 

 

 

 

 アドリアン・セルバンデスがタマンダーレの焼きたてビスケットにボイシのジャムを塗っている頃、大統領宮殿から追い出された給仕は自宅でようやく受話器を手に取った。

 今、彼女は宮殿を追い出される前にあのユニオン女からポケットに捩じ込まれた缶詰の内の一つを手に取って最後の躊躇を行っている。

 その缶詰にはある電話番号が記されていて、つまるところ、あのユニオン女はそこへ連絡を取り継いでほしいと考えているに違いない。

 

 ユニオン女が給仕に頼んだのは、電話先にある番号を伝えてほしいということだけ。

 それだけのことだったが、毎晩回って来る秘密警察のことを考えるとそれだけでも躊躇する理由にはなった。

 

 

 

 もしかすると、大それた内容でもないのかもしれない。

 ユニオン女が昔の友人を頼りたくなったとか…或いはあの冷酷な男に嫌気が差したとか…そんな単純な話である可能性は大いにある。

 ただ、理由はいかんであれ、秘密警察が盗聴しているという可能性を鑑みれば躊躇の余地は充分にあるだろう。

 給仕には3人の息子がいるが、その父親はもういない。

 アルバロはそんな彼女に宮殿での仕事を与えたが、その息子は彼女を容赦なく追い出したのだ。

 

 市井では…少なくとも、秘密警察の目の及ばぬところでは、あの女は不人気であった。

 彼女は国民の目には冷酷な独裁者のファーストレディであると同時に、ユニオン傀儡政権の尖兵にして象徴として捉えられている。

 給仕も良い印象は持っていなかったが、しかしあの場で彼女を助命し、外回りのキツい仕事になったとはいえ給与の変わらない職をあてがったのは彼女だ。

 今の時代、インビエルノでは一部を除いて職があるだけでも幸運な方だろう…それが大統領宮殿での仕事なら尚更に。

 

 

 給仕はようやっと躊躇を断ち切って、電話のダイヤルを回し始める。

 あのユニオン女が秘密警察と協力しているとはどうしても思えないし、それに一応の恩義もあった。

 だから一度だけ電話をかけるし、その後は忘れてしまおう。

 それがきっと、あのユニオン女のためにも、息子達のためにもなるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 プラタ

 首都

 王宮近郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 アマンダのいる建物は、大通りと向き合っている。

 その大通りではプラタ陸軍王党派のレオパルド戦車が大勢の随伴歩兵を引き連れて彼女達のいる建物に向かいつつあった。

 先行していた徒歩兵部隊と装甲車は大方撃破できたが、残余の歩兵部隊とM59装甲車改造の自走砲はまだしっかり息をしていて、後続の戦車を援護している。

 

 装甲車の天板上にFK16野砲を搭載した自走砲が75ミリ砲弾を放ち、建物の2階にいたアマンダは榴弾の衝撃で吹き飛ばされた。

 幸いな事に重傷を負うことはなかったが、キーンという耳鳴りが決して無害とも思えない。

 耳鳴りはしばらくアマンダの耳を支配していたが、しばらくするとそれは若い男の声に取って代わられる。

 

 

「……アマンダ!……おい、アマンダ!」

 

「ピエール…?」

 

「大丈夫か!?」

 

「…あ、ああ、何とかね。…くそったれ、あの自走砲と戦車をどうにかしないと。アンタの部下は?」

 

 

 ピエールはラプタ共産党のリーダーでもあり、そして統一反政府ゲリラの首領でもある。

 丸眼鏡を掛けた知的な青年ではあったものの、もとは裕福な弁護士の家庭に生まれ育ったゆえに暴力の振るい方というものをイマイチ理解できていない。

 彼らはインビエルノからの合流組を得て初めて暴力の有効な使い方を知ったと言えよう。

 

 その青年はアマンダに「大丈夫か?」と尋ねた。

 "まったく、これだからボンボンは"

 榴弾の衝撃で頭から血を流しているアマンダは苦痛に顔を歪めつつそう思う。

 大丈夫なわけあるか!と怒鳴りたいところだが、今は敵の装甲兵力を排除しなければじきに「大丈夫か?」と聞いてくれる人間すら居なくなる。

 

 ピエールの部下達は今、火炎瓶を両手に正面のアマンダ達に気を取られている自走砲の側面から攻撃を仕掛けんとしているところだ。

 

 

「あの自走砲はもうすぐ片付くし、陸軍の合流組には対戦車ロケットを持ってきてもらってる!後少しだ!」

 

「………どうだか」

 

 

 アマンダはこちらに手を差し伸べるピエールの向こう側に、あろう事か他の建物の屋上から自走砲に攻撃を仕掛けんとしている彼の部下達の姿を認めた。

 あんなところにいては後続の戦車から丸見えだろう。

 そう思った矢先に、レオパルド戦車の強力な主砲がピエールの部下達を建物ごと吹き飛ばす。

 

 

「くそ!」

 

「だから言わんこっちゃない、最初から私を行かせてくれりゃ良かったんだ!」

 

 

 アマンダはそう言うと、火炎瓶を何本か腰のベルトに挟み込む。

 陸軍連中が対戦車火器を持ってくるまで待つのが定石かもしれないが、それでは間に合わないかも知れなかった。

 意を決した彼女は手近のUZIサブマシンガンを手に取ると、初段を薬室に叩き込んで周囲のゲリラ達に向かって声を張り上げる。

 

 

「私が側面に回る!他の皆はここから援護を!」

 

「おい、無茶だ、アマンダ!」

 

 

 ピエールの制止を聞かず、アマンダは直近の窓からUZIを一連射してから走り出す。

 ゲリラ達も呆気には取られながらも、建物の2階や3階から大通りに向けて小火器の射撃を始めた。

 王党派の徒歩兵部隊が何人か躓いたり倒れ込んだりしている間に、アマンダは急いで階段を駆け降りていく。

 ついに通りまで降りた彼女は、手前の自走砲とその周辺の歩兵が建物からの制圧射に気を取られていることを見てとった。

 

 そうして彼女は、姿勢をできる限り低くする。

 最初物陰から物陰へとゆっくりと…そしてもう

 間違うことのない距離に至ってから、初めて腰の火炎瓶を取り出して火をつけた。

 敵の歩兵が未だに建物の方を向いているのを確認した彼女は一気に身を起こして火炎瓶を自走砲に投げつける。

 簡易な自走砲の戦闘室に転がり込んだ火炎瓶はそこを火達磨にして、火炎が75ミリ榴弾に引火して派手な爆発を起こした。

 爆発は自走砲の周囲にいた歩兵を巻き込んで、ゲリラ達が占拠する建物からは歓声が湧く。

 

 

「よし、これであと1両!」

 

 

 彼女がそう呟いた時、レオパルド戦車の機関銃弾がその頭越しに飛んでいく。

 どうやら連中の砲手はしっかりと火炎瓶を投げつけるアマンダの事を捉えていたらしい。

 戦車の同軸機関銃は容赦なく弾丸を吐き出し続け、撃破された自走砲の陰に隠れるアマンダに制圧射を行ってきた。

 もう間も無くすれば、連中は105ミリ榴弾をぶち込んでくるはずだ。

 だからそこから動かねばならないが、同軸機関銃がそれを許さない。

 

 八方塞がりの彼女の耳に、ついに爆発音が轟いた。

 彼女は戦車の主砲が発射されたと思い、咄嗟に身を屈める。

 ところがいつまで経っても彼女は吹き飛ばされないので、恐る恐る自走砲の影から通りを伺うと、背後から火炎を立ち上らせるレオパルド戦車と、その側面から射撃を受けて倒れていく王党派兵士たちの姿が目に入った。

 やがて戦車を失った王党派兵士たちが両手を挙げると、弾頭を失ったパンツァーファウスト44やG3小銃を持つ反体制派兵士達が姿を表して、投降者の武装解除を始める。

 

 

「ふぅぅぅ……何てこったい、"無駄骨"だったね。」

 

 

 勝敗が決したことは誰の目にも明らかだった。

 彼女はUZIを投げ捨てると、胸元のポケットからタバコを取り出してそれを咥える。

 火をつけようとライターを取り出したが、それには彼女の肌の身代わりとなって何かの破片が突き刺さっていた。

 

 ライターは亡き夫の形見だった。

 彼女は悲しみとも嬉しさとも取れない表情をして、諦めたように立ち上がる。

 そして未だに轟々と燃える自走砲の残骸から火を取って、"勝利"の一口を味わった。

 そんな彼女に例のピエールが笑顔で駆け寄ってきたのはその時だ。

 

 

「やった!やったぞ、アマンダ!」

 

「落ち着きな。連中の戦車をたった1両黙らせただけさ。」

 

「そうじゃない!別働隊が王宮を制圧した!俺たちは勝ったんだ!」

 



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宝の地図を追って

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ええ、ええ、しかしながらライリーさん。共産主義者が守りを固めてしまう前に首都を陥落させるべきではありませんか?…プラタ陸軍にはゲリラの側に立った連中もいる。時間が経てば経つほどコチラの不利です」

 

『君にはそれを差し引いても十分な戦力を引き渡したはずだ。現に陸軍は順調にプラタ守備隊を分断しているんだろう?』

 

「まだ戦局はご報告していないはずですが…?」

 

『……タマンダーレから報告を受けている。君の報告を待たずとも、常に最新の情報は得ているから安心したまえ。』

 

「なるほど、お気遣いありがとうございます。…しかし、お伺いしたいのですが何故そこまでして首都の奪取を後回しにする必要があるのですか?」

 

『共産主義者は既に首都に入ったが、国王の死亡は確認できていない。分からないか?国王が生きていれば、君への権力移譲の邪魔になる。…私は君を買っているんだ、アドリアン。君は南方大陸を共産主義の魔の手から守るに最適な人間だ。だからあの頑固で旧時代的な国王は排除されなければならん。そして、それは』

 

「共産主義者の手によって、でなければユニオンの威信に関わる…よくわかりました。重ね重ねありがとうございます。」

 

『理解してもらえたようで何よりだ。それではよろしく頼む。』

 

 

 受話器を置いて、電話機の向こうで傍受用のスピーカーを切っているタマンダーレの方を見る。

 私は呆れ顔になり、少し肩をそびやかして見せた。

 

 

「君が傍受していることを知ったら、彼はどんな顔をするかな?」

 

「アドリアン…私はライリーに何の報告も上げていないわ。」

 

「だろうと思ったよ。つまるところ、こちら側には彼の内偵がいる。それも上層部の中に。」

 

「…………私が言いたい事は分かってくれていると思うけれど…」

 

「ああ。スパイ狩りはこのゴタゴタが片付いてからにする。今はプラタが最優先。」

 

「内偵が潜り込んでいるにしろ、現時点ではあなたの障害にはなり得ない。」

 

「だから、そんなことより作戦を進めないと。元帥はもう待っていてくれてるかな?」

 

 

 私とタマンダーレは執務室を出て我らが食卓へと向かう。

 正直内偵をそのままにするのはどうにも癪に触る事項ではあるものの、そちらに構ってプラタの進捗に粗相があれば元も子もない。

 何事も順序というものがあるし、今はライリーへの恭順を示さねばならぬ時だ。

 だから内偵の件はひとまず傍に置いて、私はベラスコ元帥の待つ食卓へと向かう。

 

 

 

「ああ!これは大統領!お招きいただき…」

 

「そのままで結構です。どうぞお召し上がりください。」

 

 

 立ち上がろうとする元帥を止めながら、私は自分の席へと座る。

 この恰幅の良い元帥は以前食したオイスターロックフェラーにどハマりしたようで、やがてはボイシが彼の目の前に出来立てのそれを置くと喜色の笑みを浮かべた。

 同じくテーブルを囲むルートヴィヒはオイゲンに、私はタマンダーレにそれぞれの食事を運ばれると、この日の昼食が始まった。

 

 

「残念ですが、ウゴは来れないそうです。ですが、まぁ…今日共有すべき情報は、どちらかというと元帥へ向けられるものでして。」

 

「と、仰いますと?」

 

「現在首都に向けている機甲部隊を北部に転進させてください。」

 

「御言葉ですが、大統領」

 

「分かりますが、しかし…これはユニオン側からの要請です。私だってこのまま首都を攻め落としたいのは山々ですが…"シュリーフェンプランの焼き直し"だけはご勘弁願いたい。」

 

「………仕方ありません。確かに、政治を軍事的側面に追随させるのは愚か者のやることです。ユニオンの要請なら致し方ないでしょう。」

 

「大統領、専門外の私が言うのもなんですが…プラタ国王を保護したとなれば大統領は共産主義勢力の制圧という理由の上に王政の保護という大義名分をかけることができます。この際、ユニオン側の意向は無視しても良いのでは?」

 

 

 私はタマンダーレの炒麺を突いている銀のフォークをピタリと止める。

 ああ、ああ、ハンス・ルートヴィヒ君。

 アンタはこの件に関してはまさしく"専門外"だな。

 自覚があるなら口を閉じていてほしいのだが。

 そうは思いつつも、彼の隣で同じく食事をしているオイゲンの機嫌を損ねたくないし、何かを察したタマンダーレは私の隣からこちらを見ている。

 ボイシは………ああ、凄く美味しそうにシチューを食べてる本当に可愛なぁボイシはぁどうか永遠にそのままでいてくれボイシ。

 

 

「ルートヴィヒ長官の具申には感謝しますが、ユニオンのメンツに泥を塗るわけにはいきませんよ。国王から我々に救援要請を出したわけじゃないのだから、こちらが"共産革命に怯えて勝手に出兵した"という建前を守るべきです。」

 

「ハンス、アンタは何も知らないんだから口をつぐんで頂戴。」

 

 

 オイゲンが私の言いたいことを代弁してくれたので、私は再び炒麺を口にする。

 元帥がオイスターの虜になったように、最近は私もユニオン風東煌料理にどハマりしてしまった。

 とはいえコレが銀の食器を使って食べるようなものでもない事は承知しているが。

 元帥からすれば、私はさぞ滑稽に見えるに違いない。

 私はその滑稽な食事を続けながらも、キチンとモノを飲み込んで食器を置くという大陸式テーブルマナーを努めて守りながら元帥に話しかける。

 

 

「問題は我々の陸軍の状態です。現時点では目立った損耗もありませんが、ユニオン側の意向に従うなら北部に転進した後、防備を固めてプラタ陸軍反体制派と合流した反乱軍と対峙する事になる。元帥、あなたの陸軍は耐えられますか?」

 

「まず失敗はあり得ません。首都には"お誂え向き"のプランを用意してあります。ゲリラと敗残兵の混合隊では太刀打ちできませんよ。しかし問題となるのは王党派です。彼らのうちのいくつかの部隊は我々に合流していますが、残りの連中の中には我々さえ敵視している部隊もいる。」

 

「彼らの装備は?」

 

「細部は分かりませんが、少なくとも3個師団が我々を外敵と見做しているようです。」

 

 

 共産主義革命が起これば、プラタ陸軍王党派の連中は1人残らず我々と共に首都奪回を目指すだろうと思っていただけに、私は少しばかり衝撃を受けた。

 首都を掌握するほど強力なゲリラと、この日に備えて準備を整えてやってきた外国軍の両方を相手にしようとしている馬鹿どもが3個師団もいるらしい。

 

 

「連中は今どこに?」

 

「首都に向かっていたようですが、陥落してからの動向は分かっていません。国王が処刑されたと思って戦意を喪失したのかもしれませんな。」

 

「だといいんですがね。」

 

「お食事中失礼します!」

 

 

 

 食事室のドアをノックしてから若い伝令兵がやってきて、ベラスコ元帥の耳元で何やら囁いて、書類を手渡してから退出した。

 元帥は最初笑いながらその書類を見ていたが、しかしよく読み込んでいるうちに、段々とその表情は険しくなる。

 

 

「どうされました、元帥?」

 

「………プラタ陸軍の王党派3個師団は北部への転進を行っているようです。」

 

「何だって!?」

 

「だ、大統領、これは偶然ですか?」

 

 

 元帥の受け取った報告の内容を聞き、私も気味が悪くなる。

 北部に部隊を向けろというユニオンからの要請が入った同時期に、プラタの王党派が回れ右をして北部に向かいやがったのだ。

 炒麺が急に喉を通らなくなったので、私は元帥に次の指示をだす。

 

 

「申し訳ありませんが、元帥。急いで首都行きの部隊を北部に向かわせてください。ユニオン側が何を考えているにしろ、彼らの望みはその3個師団を撃滅させる事でしょう。」

 

「かしこまりました。では、私はこれで。」

 

 

 既にしっかりとオイスターロックフェラーを食べ終わっていた元帥は席を立って少々急足で退出していく。

 私は言いようのない気味の悪さを覚えながらも炒麺をフォークの先でこねくり回していた。

 

 我々との同盟を拒むような王党派なら、首都を諦めろなどという命令に従うのは恐らく国王自身の命令によるものだろう。

 つまるところ、国王は北部に何かを隠している公算が高い。

 ユニオン、いやライリーはその3個師団を止めろと命じたに等しいのだから、そこに何があるのか当然知っているはずだ。

 それを隠しているというところが、どうにも引っかかって仕方がない。

 

 

 兎にも角にも、今は言われた通りにやるしかないだろう。

 首都の防備を固めたところで、どうせ共産主義者に勝ち目はない。

 我々はそのために、アイリスの企業から"農薬"を仕入れていたのだから。

 



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東のマリオネット

 

 

 

 プラタ

 首都

 王宮前の広場

 

 

 

 

 

 

 

 ピエールと呼ばれる青年は、大戦が終わって20年経った現在でもなお口髭を蓄えるという習慣を生きながらえさせてきた国王に向き合っている。

 青年の背後にはG3小銃を持った銃殺隊がいて、タバコを吸ったり雑談したりしながら命令が下されるのを待っていた。

 彼は国王がこの期に及んでも毅然たる態度をとっていた事に尊敬の念を抱く事はない。

 そんな事はあり得ないし、ただ単に腹立たしいと思っている。

 

 ピエールは国王を立たせて、目隠しをした。

 そうして彼から離れていき、銃殺隊に喫煙や雑談をやめさせる。

 どこか余裕さえ感じられる国王に、ゲリラの面々がライフルの銃口を向けるとピエールは声を張り上げた。

 

 

「撃てッ!」

 

 

 カチャンッ!

 

 

 ライフルは全部で10挺、その全てが国王の心臓を捉えてていたのだが、肝心の弾丸は1発も出てこない。

 普通の捕虜なら緊張のあまり失禁していてもおかしくないところ、この腹の立つ国王陛下はニヤリと笑みを浮かべやがった。

 ピエールは尚のこと腹が立って、縛られている国王の目隠しを取る。

 

 

「クソッ!このジジイめっ!何を隠してやがる、言ってみろ!」

 

「何も隠しちゃおらんよ、若造。」

 

「嘘つけ!お前のためにここに向かってきていた近衛3個師団の精鋭が踵を返して北部に向かったんだ!お前の命令でな!お前は北部に何かを隠してる!」

 

「その通り。そしてそれが貴様の想像の及ばないようなものだからこそ、コミンテルンは私の処刑を禁じている。」

 

「ッ!?」

 

「さぞかし歯痒かろう?…ふふっ…ふははははっ、あはははははははッ!!!」

 

 

 声高らかに笑い声を上げる国王を、ピエールはホルスターに差すP5拳銃の台尻で殴りつける。

 国王は少し呻き声を上げたが、しばらくするとあの腹の立つ歪んだ笑みを浮かべてまた笑い始めた。

 こうなったら笑うこともできなくしてやろうと拳銃を振り上げた時、今ではもう聞きなれた女の声に止められる。

 見れば、UZIを携えるアマンダが彼の下へ向かってきていた。

 

 

「ピエール!何をしたって無駄だ、そいつは諦めな。」

 

「諦める?何を言ってるんだアマンダ!コイツは旧時代の象徴なんだぞ?処刑しなけりゃ、革命の成功を内外にアピールできない!」

 

「そりゃそうだけど、今は時期が悪すぎる。ただでさえ戦争に負けたっていうのに、内乱に外国軍まで雪崩れ込んできて民衆は大混乱!こんな時こそ首都を制圧した私達が事態を収拾しなきゃ」

 

「だから、なんなんだ?」

 

 

 そこまで会話して、アマンダは初めてこの青年の素顔を垣間見た気がした。

 それは彼女のこの青年に対する第一印象を覆すにはあまりに十分で、そして文字通りひっくり返してしまう。

 今までアマンダは、この革命はプラタ国王の失政から民衆を救い出すために行われている事業だと思っていた。

 しかしピエールの"素顔"を垣間見た限り、少なくとも彼がそう思っているとは感じられない。

 

 

「なんなんだって…アンタ、民衆をなんだと思って」

 

「あんな奴らほっとけばいい。連中は我々の考えなんてまるで分かってないんだよ、アマンダ。国を救うためにはこの国に後ろ盾が必要だ。幸運な事に、我々はもうまもなくコミンテルンの協力を得られそうなんだぞ。」

 

「………」

 

「この中年国王を吐かせればコミンテルンからの我々の評価も上がる。そうすればコミンテルンは更に協力してくれるようになるだろう。国家の立て直しはそれからでも良い、まずは"名乗りを挙げろ"だ!」

 

「アンタが名乗ってる間にも大勢の民衆が苦しむ事になる!それに、まずはセルバンデスの陸軍に対処しないと…」

 

「国王を処刑すれば奴らも目標を喪失する。ユニオンの後押しを受けられないだろ」

 

「ふふふっ、全っ然分かってない!セルバンデスの狙いはこの革命を潰してプラタさえも管理下に置いてしまう事!国王を殺したって止まりはしない!…止まるわけがない!」

 

「それは…」

 

「それにアンタはコミンテルンを信じ過ぎてる!アイツらだって所詮自分の利益が最優先さ!この国の国民のことなんて歯牙にも掛けないよ!」

 

「ならどうやってユニオンとセルバンデスに対抗する!?コミンテルンが必要なのは、北方連合がユニオンに対抗できる唯一の勢力だからだ!」

 

「首都を手放せばいい!国内に散って、ユニオンの傀儡どもに消耗戦を仕掛ければ勝機はある!」

 

「バカな!」

 

「ユニオンも北方連合も東煌にかかりきりでこの大陸なんかに構ってられない!ユニオンが国王を救助せずにセルバンデスの陸軍を使ったのがいい証拠さ!アイツらはこの大陸を都合の良い傀儡に任せておきたい、ユニオンにとってそれはセルバンデス、北方連合にとってはアンタなんだよ!」

 

「………ふざけるな…ふざけるな!祖国から逃げ出した分際で!」

 

 

 ピエールがなりふり構わず声を荒げたことで、アマンダは絶対に踏んではいけない地雷を踏み抜いたことに気付かされる。

 これまでの行いの中で、自身がコミンテルンの操り人形と成りかけている事を否応なく自覚させられてきたに違いない。

 それを覆い隠してきたからこそ、アマンダの発言はまさに"図星"であり、決して触れられたくは無かったのだ。

 しかし、だからこそアマンダもここで引き下がるわけにはいかなかった。

 彼の苦悩を知っているからこそ、行き着く先も知っている。

 …このままでは、正にアドリアン・セルバンデスと変わらない。

 彼女の言葉は真心から繰り出されてはいたものの、しかし地雷を踏んだ後とあっては後の祭りだった。

 

 

「どうか思い出して、ピエール!アンタは何のために革命に身を投じたの!?」

 

「お前のような女には分からないような崇高な使命のためだよ、このクソ女!」

 

「ふははっ!ははははははっ!」

 

 

 いがみ合う2人のゲリラを見て、国王が再び笑い声を挙げる。

 ピエールは今度はもっと強く殴りつけたが、驚くべき事にこの中年男性はうめきもしなかった。

 代わりに血の混じった痰を吐き捨てながらピエールを真っ直ぐ捉えてこう言った。

 

 

「……お前らは皆死ぬ。せいぜい今のうちに革命の成果とやらを味わっておれば良い。」

 

「アンタが何を企んでるか知らないけど、楽観はしない方がいいんじゃない?…セルバンデスはきっとアンタを殺す気でしょうから。」

 

「あはははっ!あんなユニオンの傀儡など!…今に見ておれ。ユニオンは引き下がり、今度はあのパペット人形君が頭を垂れる事になる。…ふむ。さすればあのユニオン女をいただくかな。あの女は本当に良い尻をしておる!がはははははっ!」

 

 

 アマンダは心の底からこの国王に気味の悪さを覚えた。

 この中年はただ単に何かしらの担保があるという以上に、もはや根拠の許す範囲を超えた自信を持っているように見える。

 それは狂気と呼んでも差し支えのないものであり、彼のいうユニオン女に支えられたセルバンデスとその軍隊が次々にプラタ国内を制圧しつつある現状に照らし合わせれば滑稽ですらあった。

 

 

「もういい!このジジイは地下牢にでも放り込んでおけ!」

 

 

 ピエールが我慢の限界と言わんばかりに喚いて、プラタ・ゲリラの1人が国王を引っ立てていく。

 狂った国王が連行されていくのを見送ったピエールは、苛立ちを隠そうともせずに再びアマンダと対峙した。

 

 

「………もうしばらくしたら、君らはこの国を出てくれ。」

 

「は?……何を言ってるんだい?」

 

「出ていってくれ!勿論約束は守る!アンタらのインビエルノでの活動は後援しよう!だから!この国から!出ていってくれ!」

 

「…………」

 

「利用するだけ利用して、国を追い出すなんて思われても仕方ない。…でも、これもコミンテルンの指示なんだ。どうか従ってくれ。」

 

「イカれてるの、ピエール?…あの国王と何も変わらない!しっかり現実を見て!」

 

「ちゃんと見てる」

 

「見てない!現実を見てないどころか、アンタは自分を見失ってる!私たちをインビエルノに帰す以前に、未だに国内の収拾さえついていないのに」

 

「国内のことはこちらで対処できる!()()()に指図される覚えはないッ!!!」

 

 

 "外国人"。

 アマンダの心を折るには、この言葉だけで十分だった。

 彼女は明らかに肩を落として俯いてしまう。

 今まで仲間だと思っていたのに、彼らはそうでは無かったらしい。

 

 バババーンッ!

 

 突如銃声が響いて、アマンダは咄嗟に身構える。

 何事かとその方向を見ると、プラタ・ゲリラの銃殺隊が国王のスタッフ達………それも王に仕えた政治家や軍人などではなく、給仕や理髪師といった人間を銃殺していた。

 アマンダは呆気に取られ、本音が口から出ていく。

 

 

「………あれが、アンタやコミンテルンが唱える理想だってわけだね?」

 

「…そういうことだな。納得いかないのは承知した。だが、こちらもこちらでやるべきことがある。………今までの功績があるから、せっつきはしないけど、できるだけ早く立ち退いてくれ…頼む。」

 

 

 ピエールはそれだけ言ってアマンダの下を去っていく。

 残されたアマンダは失意のあまりその場にしゃがみ込んでしまった。

 

 

 亡き夫の理想を理解したつもりだった。

 共産主義は万民を救い、圧政からの解放をもたらすのだと。

 ところがどうだろう。

 突きつけられた現実はあまりに非情なものだった。

 共産主義の総本山を司る連中は、銃殺隊が何の罪もない一般人にまで銃口を向ける事を良しとしたのだ。

 アマンダには、それとあのセルバンデス政権との違いが微塵も見いだせない。

 

 

 彼女はまるで騙されたような気分になってはいたが、しかしやがては立ち上がり、プラタの王党派との戦いで幾分が人数が減ってしまった仲間たちの下へと向かい始める。

 こんな体験でさえ、彼女の意思を完全に阻むことはできなかったらしい。

 

 セルバンデスが盲信する独裁政治も、コミンテルンが理想と掲げる共産主義革命も、南方大陸の民衆には何らの安定をもたらさない物だと、アマンダは身を持ってしまった。

 それならやる事は一つしかない。

 自らの手で、理想を産み出すのだ。

 



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秘密回線

 

 

 

 

 プラタ

 首都

 王宮内

 

 

 

 

 

 

 

 国王は気味の悪い男だったが、家具のセンスについては褒めてやらねばならまい。

 遥々アイリスから取り寄せられたマットレスは、独裁体制下の中産階級層が使っているそれに比べれば言葉を絶するほどの快適性をもたらした。

 しかしながら、それでもアマンダがよく休めたと感じられないのには理由がある。

 ピエールからの"絶縁宣言"を受けた後、彼女を待ち受けたのはプラタ・ゲリラのメンバーたちからの冷たい視線と態度だった。

 

 インビエルノから彼女に着いてきた者たちの中には、プラタ・ゲリラの態度に憤る者もいた。

 それが当然の反応だということをアマンダは理解しているし、寧ろ他のメンバーから見るとアマンダはあまりに冷静が過ぎるように見えるだろう。

 実際、アマンダは憤ってなどいなかったし、ピエールの要請には従うつもりだった。

 だから彼女は王室のマットレスに何の未練も感じずに、しかしどこか心在らずな目をテレビに向けている。

 …かなり履き古した軍用ブーツの紐を締めながら。

 

 

 テレビの中では、アイリス国営放送の特派員が先日プラタの北部で起きた戦闘について報じている。

 燃え上がる多数のレオパルド戦車を背景に、意気揚々と行進するインビエルノ陸軍の戦車隊。

 華美な階級章をつけた戦車隊指揮官がインタビューに応えていて、それによると彼らは"国王を裏切って暴徒化したプラタ陸軍戦車部隊を、地域の治安維持のために捕捉・撃破した"らしい。

 アイリス人でさえ質問の声音に疑問符を含むようなプロガバンダにはアマンダもつい鼻先で笑ってしまう。

 

 戦車隊指揮官は特派員の質問には大して答えずに、ひたすらにインビエルノがプラタに介入したことの正当性……曰く、混乱した地域秩序の回復……を繰り返し、挙句の果てには"首都で共産主義を隠れ蓑に好き放題している連中"を抑えねばならないとまで語った。

 アマンダはあと少しで拍手をするところだった。

 流石セルバンデス、ユニオンの飼い犬。

 末端の将校にまでキッチリと"教育"を行き届かせているのは見事としか言いようがない。

 あの将校は共産主義陣営との対決を匂わせるような発言すらしなかった。

 セルバンデスは国内で"共産主義者"相手にあれだけの殺戮を行なっているのに、現に革命が唱えられるプラタで共産陣営との正面切った対決を避ける理由は、ユニオンの意向以外に説明がつかない。

 

 今のところ、ユニオンの大統領は南方大陸での政情不安について「早急に安定を望む」とコメントするに留めている。

 つまるところ、大統領閣下はこの地域の問題をセルバンデス政権に委託した。

 だから連中は最新鋭の戦車隊を持っているし、それのおかげでプラタ陸軍のレオパルド戦車を粉砕できたのだ。

 

 

 

「……まあ…でも、最新の戦車にだって弱点はある…」

 

 

 画面の中に映る、統率の取れたインビエルノ陸軍戦車隊の脅威を自覚させないための自己暗示をかけているかのように、アマンダはポツリとそう呟いた。

 本来ならあんな正規の戦車隊相手に戦争をしたがるほど、アマンダは無鉄砲でも戦闘狂でもない。

 きっと無自覚の内に顔に浮かんでいるであろう恐怖と焦燥の表情は誰にも見せたくなかったが、"爺さん"相手には少々遅かった。

 

 

「………リーダーがそんな顔するもんじゃない。部下に臆病が憑っちまう。」

 

「"爺さん"、アンタの伴侶は教えなかったのかい?…女性の着替え中に、勝手に部屋に入るもんじゃないって。」

 

「ほほほっ!教わったとも教わったとも…今じゃあのビンタさえ恋しいが。」

 

「私も部屋に入るなり顔を真っ赤にして出て行く夫が恋しいよ…でも、彼は戻って来ない。私達にできることは………」

 

「より良い未来を築くことだけ…そうじゃな。」

 

「…で、何のようなんだい?まさか覗きに来ただけじゃないだろう?」

 

「………インビエルノに残った少数の仲間たちから連絡があった。昔組織が使っていた回線に連絡があったと。」

 

「つまり、提督のクーデター未遂の後に放棄した回線から?」

 

「いいや。もっと昔のアルバロ時代の回線じゃ。」

 

 

 アマンダは靴紐を縛る手をピタリと止める。

 アルバロ時代に遺棄された回線に着信があった?

 

 現時点で彼女達に連絡を取ろうとしそうな相手をいくつか思い浮かべてみる。

 だがどう考えてみても、思い浮かぶのはあの"クソ野郎共"…つまりはウゴ・オンディビエラの秘密警察くらいしかいない。

 コミンテルンが首都を抑えたピエールの代わりを探すはずはないし、セルバンデスの強烈な弾圧の下で新しい反政府組織ができることも考えづらい。

 それにわざわざ古い回線を使ってくるあたり、やはり罠と考えるのは順当だろう。

 つまるところ、電話の先で待っているのはサディア製の仕立ての良いスーツに身を包んだ秘密警察長官である可能性が高い。

 

 

「…返事はしないで。無視しよう。」

 

「いや、電話の相手は返答を要求していない。別の回線に連絡を入れてほしいらしい。」

 

「別の回線に?」

 

「ああ…しかし……やはりこれも罠じゃないかね?」

 

 

 爺さんの懸念をよそに、アマンダはマットレスに腰掛けて現状をよく整理することにした。

 

 秘密警察側の罠である可能性はどこまでも捨てることはできないにしろ、しかしその可能性の隙間から光が溢れ出ているようにも見える。

 いくら連中でも、インビエルノの残党派がプラタ・ゲリラから冷遇を受けていることまで把握しているとは思えない。

 そこまで詳細に情報を掴んでいたなら、ピエールは首都を掌握できなかったはずだ。

 いくら強力な戦車師団を潰すためとはいえ…更にはそれがユニオンからのなんらかの政治的意図を含んだ命令であったとしても…奴らがゲリラの内部分裂を知っていれば首都への進軍を強行したはずである。

 

 更に言えば、秘密警察のキャパシティはインビエルノでの取り締まりに加えてプラタの新たな占領地での活動を加味すれば、その限界に近づいていることは火を見るより明らかだろう。

 そんな連中が、わざわざアルバロ時代の古い回線を引っ張り出してきて、遠い首都にいることが分かっているアマンダ達の現在位置を割り出すことだけの為にこれだけの手間をかけるとは思えない。

 罠を仕掛けるなら仕掛けるで、その効果も考慮したはずである。

 遠い昔にすでに暴露している事が分かっている回線に、ゲリラが応答する期待を抱くほどあの冷徹なウゴ・オンディビエラが純情なはずもない。

 

 

「分からない。…電話の相手は誰?」

 

「なんでも、大統領宮殿の給仕らしい。あのユニオン女に命を助けられて、その代わりに言伝を頼まれたそうだが…」

 

「待って。ユニオン女?…あの大統領のファーストレディの?」

 

「ああ、恐らくな。」

 

 

 インビエルノの一般国民がそうであるなら、インビエルノのゲリラ達はタマンダーレの事を嫌うのも当然であろう。

 あの女はユニオン傀儡政権の象徴。

 言うなれば斃すべき"敵"である。

 しかし、それだけにアマンダにはどうにも気にかかった。

 

 

「気に留める必要はないと思うぞ、アマンダ。給仕のことも、どうせあの女が気紛れにやった事だろう。」

 

「…………彼女はアドリアン・セルバンデスのファーストレディ…つまりは、あの男の病的な偏執具合も熟知してるはず。…気紛れでやったにしては背負うリスクが多すぎないかしら?」

 

「待て、アマンダ。あの女を信じるのか?」

 

「落ち着いて、まだ信じるとは言ってない。けど…相手から応答用の連絡先は?」

 

「まさかアマンダ」

 

「いいから教えて。」

 

 

 "爺さん"はいかにも渋々と言った感じでアマンダに紙切れを渡した。

 アマンダはそこに書かれている番号を見て、疑念を確信に変える。

 そこにあったのは衛星電話の番号で、アマンダの知る限り有名なアイリス企業の回線だった。

 

 アイリスは世界が2つに分かれて尚、資本主義陣営と共産主義陣営のどちらにも属さない独自の態度を取っていた。

 安全保障上はユニオンと歩調を合わせているものの、それ以外は全くもって協力関係にすらないように思える。

 先の大戦でアズールレーンがヴィシアのKANSENに対してやった事を忘れてはいないのだろう。

 されどユニオンはエウロパ大陸において共産陣営に対抗するために拵えた安全保障上の枠組みにアイリスを留まらせるためにも、その独自路線を黙認しているのが現状だ。

 

 相手が何者にしろ、送られたのはそのアイリスの衛星電話の番号である。

 当然、後進国の秘密警察…つまりはウゴ・オンディビエラの手の届く範囲の外側にある番号だし、ユニオンの諜報機関でさえ傍受には細心の注意を払わなければならない代物だ。

 通話の傍受が原因で政治的事件が起ころうものならアイリスは猛反発するだろうし、ユニオンは緊張高まる東煌でのゴタゴタに手一杯…余計な問題を起こしたがるはずもない。

 ………勿論、ユニオンから派遣されたあのファーストレディならそれくらい知っているはずだ。

 

 

 アマンダは立ち上がり、部屋の外へと向かう。

 彼女達は今日首都を出る予定だが、衛星電話の一本借用したところで文句を言われる筋合いもない。

 "爺さん"はアマンダを止めるべくあらゆる語句を試したが、決心した彼女を止めることはできそうもなく、最後には彼の方が折れた。

 

 "期待はせず、あくまで慎重に"

 そう自分に言い聞かせると、アマンダは衛星電話を手に取った。



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深淵より愛を込めて

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

「空港と港湾は確保できましたか?」

 

「はい、大統領。プラタの出入国は我々の手の内にあります。」

 

「首都に残った外国人は?」

 

「詳細は分かりませんが、企業や報道は全て首都から出払ったという確実な情報があります。…ゲリラが首都入りする前に逃げ出したようですな。まあ、あのアイリス人特派員みたいな連中がいるかもしれませんが。」

 

「大変結構です、元帥。しかしあのインタビューに応えたのはいただけませんね。」

 

「戦車隊長を処刑しますか?」

 

「………いや、進軍中の部隊の指揮官を銃殺するには罪状が軽すぎる。士気が下がりかねません。口頭注意にとどめても効果は見込めるかと。」

 

「分かりました、全部隊に通達します。」

 

「大統領、ご準備はよろしいですか?」

 

「ええ、ウゴ。外国の報道陣は待ってますか?」

 

「はい。ユニオンから3社、ロイヤルとアイリスの国営放送、鉄血に重桜の報道もいます。」

 

「なるほど目白押しだ。」

 

「緊張しなくても、あなたなら大丈夫よ。私が側にいることを忘れないで?」

 

「…ありがとう、タマンダーレ。」

 

 

 私は記者会見室に向かいながら、制服の襟元を正した。

 正直緊張していないでもないが、私のすぐ後ろにタマンダーレがいてくれるのでどうにか落ち着いていられる。

 報道の前に立つなんて、一体いつぶりだろうか?

 ああ、あの時だ。

 タマンダーレと共にユニオンに向かったあの時以来。

 

 インビエルノでは国民に向けてメッセージを話す必要は殆どなかった。

 稀にあったとしても、カメラの前に立つなんて真似はせず、専ら音声のみを使用した。

 インビエルノ国旗を画面一杯に映しながら、ただひたすらに文章を読み上げる私の声という構図はなんとも味気ないが…そもそも味気をつける必要がないのだ。

 私が彼らに送りたいのはメッセージなどではない。

 私が送りたいのは命令。

 ただの、命令文だ。

 国民にお願いをしたり、ユニオンの大統領のように談話をしたりしたいわけじゃない。

 連中は秘密警察のノックを受けたくなかったら、口を閉じて私の指示に従えばそれで良いのだ。

 

 だから…私はきっと本能的に、こういった会見を嫌っているのだろう。

 ウゴが会見を行う記者達とあらかじめ行われるやりとりを調整して、すぐ側にタマンダーレがいてでさえ、私の気は重かった。

 ただ、私はあくまでユニオン国民が支持できる独裁者でなければならない。

 ユニオン国民がもし私が隣国に攻め入ってなんの説明もしないような男だと知ったら、その途端にスプルース大統領は火の粉をかぶることになる。

 故に私はこの会見を避けることはできなかった。

 

 

 会見室は中小国家の国家元首に見合うよう小じんまりとしている。

 だから会見を行える人間を最小限にする事ができた。

 私としては今や世界の関心はユニオンと北方連合が睨み合う東煌に向けられているだろうとタカを括っていただけに、ウゴから会見の要請が殺到しているという知らせを受けた時は驚いた。

 ウゴが取り決めた7社ほどの報道はすでに部屋で待っているようで、私はため息をつきながらドアに手をかける。

 その瞬間、背後からタマンダーレが私の両肩を掴んで自身と向き合わせた。

 何のことはない、"いつもの"ハグだ。

 

 

「ギュ〜♪…ほら、少しは緊張が解けたんじゃないかしら?」

 

「ありがとう、タマンダーレ。…私は君がいてくれるだけで幸せだ。心配事なんてありはしない。」

 

「それなら良いけど…無理はしないで。会見で返答に困ったら、いつでも頼ってちょうだい?」

 

「…なら、お言葉に甘えよう」

 

 

 彼女に頷いて見せてから、会見室のドアを開ける。

 

 

 幾つかの記者に挨拶を済ませてから、私は本題に入った。

 今日のこの会見における私の任務は、東煌におけるユニオン大統領の側面をしっかりと支えること。

 彼らの"裏庭"をしっかりと管理する能力がある人物だと認めさせる事ができれば。

 きっと私の"ささやかな願い事"を断るはずもない。

 

 

 

「…………我々の陸軍が国境を越えたのは、隣国での情勢不安が国内に波及する恐れがあったからです。少なくとも現時点で我々が掴んでいる情報によると、プラタ国王は首都を占拠する暴徒に殺害された模様です。正当な政権が機能していない以上、軍事力による介入が最も妥当であると判断しました。…何かご質問は?」

 

「すみません、ユニオンC社のキャメロンです!」

 

「どうぞ。」

 

「北部で大規模な戦闘があったとの報道がなされていますが、それについてのご説明をお願いします。」

 

「プラタ陸軍の部隊の一部が統制を失くして暴徒化したとの情報がありました。プラタ国民の安全並びに秩序回復の観点から、首都の奪回よりもそちらへの対処を優先する必要がありました。」

 

「なるほど、ありがとうございます。」

 

「すみません、ユニオンA社のジェームズです。首都を占拠する暴徒についてですが、今後はどのようなご対応をなされるおつもりですか?」

 

「既に彼らには勧告を出しております。こちらとしても実力行使はなるべく避けたいと考えていますが…残念ながら彼らの返答はあまりに不躾なものでした。機甲師団が北部から戻り次第、彼らを排除して秩序の回復に当たらせるつもりです。」

 

「ありがとうございます」

 

「………他に、何かご質問のある方はいらっしゃいますか?」

 

「「「……………」」」

 

「…それでは」

 

「すみません、大統領。一つよろしいですか?」

 

 

 事前の打ち合わせ通りなら、記者会見はここで終わるはずだった。

 ここまで万事順調、すべて取り決めてあった通り。

 ところがきっちり事前の取り決めを守ったユニオン2社に対して、残りの1社の年配女記者が最後の幕引きに泥を塗りやがった。

 私は勿論心底不快な思いをしたが、しかしそれを顔に出すわけにもいかない。

 だから会見なんて嫌だったんだ。

 

 

「何でしょう?」

 

「大統領、プラタで首都を占拠しているのは共産主義勢力だという噂が流れています。…北部であなたの機甲師団と戦ったのは王党派の部隊だった、とも。」

 

「ただの噂話に過ぎない。とんだ中傷ですな。」

 

「そうでしょうか?…大統領、ご存知ないのかもしれませんが、ある人権団体がこの国での人権侵害を問題視しています。」

 

「人権侵害?」

 

「あなたは共産主義者だけでなく、無実の国民までもスタジアムで処刑している。」

 

「根も葉もない噂話だ。…それに私に対する中傷とも取れます。」

 

「噂話などではなく事実では?」

 

 

 流石の私も良い加減に腹が立ってきた。

 この年配の女記者はよほど死にたいらしい。

 私が秘密警察を送り込むことすら想像できないのだろうか?

 どうせ"真実の探究"とやらに取り憑かれたせいで会社でも煙たがられているに違いない。

 そんな女を会見によこしたのだから、彼女の上司の元には立派な便箋に入った長々しい抗議文が飛ぶことだろう。

 

 

「アドリアン、落ち着いて?あの記者の言うことを真に受ける必要はないはずよ?」

 

「…あら?また彼女に頼るんですか?…タマンダーレ、ユニオンから派遣されたあなたの秘書艦にしてファーストレディ。…ユニオン政府はとても賢い方法を知っていますね。」

 

 

 限界だ。

 私1人ならともかく、タマンダーレにまでそんな口をきかれるなど我慢ならなかった。

 この記者は今日中に始末させる。

 だがその前に何としても、言っておかなければ気が済まない。

 

 私はタマンダーレの制止を振り切って女記者へと向かっていく。

 そして極めて至近距離に近づいてから、私を迎えるが如く立ち上がったこの年配女に囁き声でこう言った。

 

 

「…アンタはただのジャーナリストだ。」

 

「ええ、そうね。」

 

「私は軍人であり国家元首。つまり、この国と大陸において共産主義の脅威から国家を守る責任を負う。…分からんかね?…"目的は手段を正当化する"のだよ。」

 

「……そんなの、あなたにとってはただの建前でしょう?」

 

「なんだと?」

 

「あなたの望みは国家を守ることなんかじゃない。本当の望みを叶えるためにそう言っているだけ。でも、どんなに言い訳を重ねたところで背負う死は増えていくわ。ご協力には感謝するけれど…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…!?」

 

「会見はここまでにします!皆様ありがとうございました!」

 

 

 まるで私の脳内を見透かすような女記者の言葉に驚いた時、タマンダーレがやってきて無理やり会見を切り上げた。

 廊下に出て、報道陣の誰もがいないことを確認すると、タマンダーレは部屋に入る時と同様に私を抱擁する。

 

 

「もう!あんな記者は放っておかないとダメじゃない、アドリアン!反応すればするだけ相手の思う壺よ!」

 

「………あ…ああ、ごめんよ、タマンダーレ。」

 

「…私の事を想ってくれたのね…とても嬉しいけれど、あなた自身を犠牲にするような真似はしないで。…お願いだから。」

 

「………ああ…」

 

 

 そうは言いつつも、頭の中はあの女記者の事で一杯だった。

 あの女は一体何者だ?

 頭の中身を綺麗に見透かされただけ、その存在自体が気味の悪い物に感じる。

 しばらくタマンダーレの胸で考え事をしているとウゴがやってきたので、私はタマンダーレが抱擁を解くのを待ってからウゴに指示を下す。

 

 

「あの女記者の身元を調べてください。それから、何人か人を送って今夜中に始末を。」

 

「それなのですが、大統領。」

 

「…どうしました?」

 

「先程ユニオンP社から連絡が来まして、今日来る予定だった記者はユニオン国内の空港で足止めを食らっているそうです。」

 

「なんだって!?」

 

 

 P社の連絡の遅さにも驚くが、それよりももっと驚くべき事がある。

 あの女は本当に…一体何者なんだろう?

 



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黒いベールの内側

 

 

 

 

 

 

 プラタ

 首都から50km

 旧国営幹線道路

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パスカル・デュノアは今年で47歳になる。

 元はアイリス海軍の将校で、アイリスが2つに分かれた時、彼はジャン・パールの側についた。

 ヴィシア海軍軍人としての彼のキャリアは決して華々しいものではない。

 今でも彼はあの時の決断を時折後悔しているが、しかし救いもまったくないわけではなかった。

 重桜製ピックアップトラックを駆る彼の隣では、美しい妻が煤や埃に塗れてしまった顔をタオルで拭っている。

 彼は横目でそんな彼女を見ながら、大きなため息を吐いた。

 

 

「………教えてくれ、アルジェリー。『戦友会』の連中はこの期に及んでまだ何か仕事を頼んできたのか?おそらくこの国にいた亡命者達は既に出国したか亡くなってる。それに…たしかに彼女達には大きな借りがあるが…」

 

「いいえ、パスカル。ティルピッツは確実な文章や証言を期待できない以上もう手を引いて良いと言っていたわ。それどころか国外退去を勧めてきた。」

 

「ならなんで俺たちは首都に戻ってる?」

 

「『戦友会』の件は副業よ。これは"私達"の仕事。」

 

「それなら、もう十分に稼いだはずだろう?進軍中の戦車部隊にインタビュー、封鎖されたこの国での映像を手に入れたのは世界でもアイリス国営放送だけ。…莫大なギャラが入ってくるはずだ。」

 

「はぁ…呆れた。私が添い遂げたのは守銭奴などではなかったはずよ?」

 

「呆れた?呆れただって?君はどうかしてる!あの戦車部隊は間違いなく首都に向かうんだぞ!首都は首都で反乱軍に占拠され、連中は対戦車陣地を構築して戦車隊を待ち構えてる!今からでも遅くない、家に帰ろう!」

 

「…セルバンデス政権はこの国の空港と港湾を掌握して封鎖してるのよ?海外メディアには退去命令。つまり、政権が隠している情報を発信できるのは世界中で私達だけ。」

 

「何も俺たちがやらなくてもいいだろう?」

 

「いいえ、私たちがやるべきなの。世界中が戦っていた時、私たちのことを認識していてくれた人達がいたからこそ、私たちはここにいる。………トゥーロンでのこと、覚えてるでしょう?」

 

 

 パスカルは嫌な過去を思い出してしまい、トラックを運転しながら顔を手で拭う。

 忘れもしない大戦中の話。

 トゥーロンにいたヴィシア艦隊に対し、艦隊司令部は鉄血の戦車隊が接収に向かった事実を知った上で抵抗ではなく自沈を命じた。

 既にアルジェリーと結ばれていたパスカルは最後の最後まで自沈命令への抵抗をしていたが、戦車隊が彼の想像を遥かに大きく上回るものだと知ると、自沈命令を実行せざるを得なくなかった。

 

 泣きながらアルジェリーと抱き合って、爆弾を巻きつけた彼女を港に送った直後。

 誰からも見捨てられていたと思っていた彼らに救いの手が差し伸べられた。

 

 実はこの時、鉄血陸軍と共にサディア海軍もまたトゥーロン港に向かっていたのである。

 サディア海軍はすでに『戦友会』を創設していたヴェネトの掌握下にあり、組織の規模拡大と将来使うことになるであろう亡命ルートの多角化を睨んでヴィシア海軍を説得していたのだ。

 間一髪のところでサディア側からの接触が間に合い、サディア海軍の用意した模型に実際の艤装を括りつけて自沈を装うことになった。

 鉄血の戦車隊が到着したことろには燃え上がる艤装だけが残っていて、アルジェリーと多くのKANSEN、そして書類上はアルジェリーと運命を共にした事になったパスカル達は既にサディアへと向かっていたのだった。

 

 

「ヴェネトから受けた恩を返すのは当然だけれど、それを傍に置いたとして、私達が出来ることもやるべきじゃないかしら?」

 

「リスクが高すぎる。」

 

「ええ、そうね。それならダンケルクみたいにサディアでカフェでも開けばよかったかしら?…最も、私に彼女ほどの腕はないけれど。」

 

「………」

 

「………ねえ、あなた。この仕事を選んだ理由をどうか思い出して。私達がカメラを回すのは、もう2度とトゥーロンの時のような事が起こらないようにするためだったはずでしょう?」

 

「………分かった…分かった、そうだな、そうしよう。…君のいう通りだ。」

 

「ふふふっ、それでこそ私の夫よ。」

 

 

 パスカルの態度は納得とは程遠いものだったが、アルジェリーは助手席から身を乗り出して彼の髭面にキスをする。

 それが嬉しくもあり、しかし悲しくもあり。

 少々もやもやするような気持ちを抱えるパスカルは、今年自身が迎えた年齢を忘れるところだった。

 まさかこんな歳になって初恋中の高校生みたいな気分になるなんて。

 20代半ばに出会ったアルジェリーは彼がパリのレストランで告白をした時から何も変わっていないように見える。

 …"KANSENは歳を取らない"、だからこそアルジェリーはパスカルをいつでも"あの時"へと連れ戻してくれるのだ。

 

 

「でも、無茶はなしだ。危険だと思ったら俺の判断で手を引くぞ?」

 

「もちろん構わないわ。…先を急ぎましょう。あの戦車隊長は決まりきったプロガバンダしか言わなかったけど、北部への転進を快く思っていなかったのは間違いないわ。」

 

「ああ、あの男はM48戦車を早く首都に向けたがっていた…そいつが苛立っているんなら、セルバンデスはきっと待機命令を出したんだろうな。」

 

「でも何故かしら?時間が経てば経つほど不利になるのはセルバンデスの方なのに…戦車部隊を首都から遠ざけて、その上待機まで命じるなんて。セルバンデスはきっと何かを待っている…」

 

「優秀な指揮官は常に腹案を持っている。国境沿いの要塞がいつまでも機能すると思い込んでた俺たちの上官とは違ってな。…セルバンデスはユニオンに留学していたはずだ。成績は優秀、なら首都を攻略するための腹案を持っている。」

 

「その腹案はきっと戦車部隊が迅速に首都入りできなかった時のためのもの。」

 

「おそらくは、な。…しかし、仮にそうだとしてセルバンデスは何を待っている?」

 

「彼はプラタにいる海外メディア関係者に退去命令を出しているわ。」

 

「ああ、俺たちはインタビューの後こっそり抜け出したわけだが…それが奴の作戦と関係するのか?」

 

「わからない。けど、何か嫌な予感がするの。セルバンデスはきっと首都の攻略戦を海外の人間に見せたくない。鍵をかけた密室の中で、何か悍ましいことをやろうとしている気がする。」

 

「大戦の時のように大量虐殺でも………掴まれッ!

 

 

 アルジェリーがそこまで言ったところで、彼らの直上を一機の戦闘機が轟音をたてて飛んでいく。

 パスカルが条件反射的に車を道路脇に突っ込ませ、そして急停止させた。

 つんのめるような形となったアルジェリーは若干の抗議を含んだ表情を夫に向けたが、夫の方は飛んでいくF4戦闘機に夢中のようだ。

 

 

「パスカル!もう大戦は終わったのよ!」

 

「違う、アルジェリー。あの戦闘機、爆装してる。それに飛んでいったのは首都の方向だ。」

 

 

 夫の言葉にハッとして、アルジェリーは戦闘機の飛んでいった方向を見る。

 平原の真ん中に佇むプラタの首都は50km離れたアルジェリー達の位置からでさえ、その全景を朧げながら見ることができた。

 戦闘機はそちらに向かって飛んでいたし、すぐ後に何機ものF4と F5が編隊を成して後に続いていく。

 

 

「F4戦闘機……プラタの空軍じゃないわ。パスカル、すぐにカメラを…」

 

「ダメだ、クソッ!こんな時に!…ビデオカメラが故障してる!」

 

「なら一眼レフを取って!」

 

 

 パスカルがまるで車上荒らしか何かのような手つきで急いでカメラを渡し、アルジェリーはそれを受け取ってから首都の方へレンズを向ける。

 戦闘機の編隊は既に首都上空に迫りつつあり、恐らくはそこにいるゲリラ達が打ち上げた、貧弱な対空火器の砲弾が炸裂している様子も見えた。

 

 

「あんな対空砲じゃF4戦闘機は撃墜できない。…それにしても、首都を絨毯爆撃するには少な過ぎないか?」

 

「さぁ…絨毯爆撃なんて、セルバンデス政権には高嶺の花よ。どこかの重要施設を狙っているか…あるいは…」

 

 

 その時、戦闘機隊が何かを首都に向けて投下した。

 航空爆弾の威力を知っているこの夫婦は一瞬身構えたが、インビエルノの戦闘機が落とした爆弾は彼らの知っているような威力までは備えていないようだ。

 パスカルとアルジェリーは互いに顔を見合わせる。

 しかしその直後、アルジェリーは信じられない光景に目を疑ってしまった。

 

 首都の上空…それも比較的低層の上空に、黄色がかった靄のようなものが覆いかぶさった。

 その靄は徐々に横に広がっていき、ついには首都全体を包み込まんとしている。

 戦闘機隊は2派、3派と次々に飛来して、サイズの割には爆発力の低い爆弾を首都に落とし続けていく。

 そうして首都から溢れ出んとするようになった黄色い靄をみて、パスカルとアルジェリーは初めて事態を理解した。

 

 

「ウソ…だろ……アイツら…アイツら、ガスを使いやがった!!

 

「…ッ!」

 

 

 アルジェリーは衝動を抑えられず、ついトラックの外へと飛び出してしまった。

 首都を包み込む黄色い靄は段々と濃度を増していき、それはセルバンデスの空軍が何の配慮もせずに化学兵器を、それも、民間人の避難どころか警告すらしていない人口密集地帯にばら撒いたことを意味している。

 あまりの光景に唖然とするアルジェリーに、いつのまにか彼女を追ってきていた夫が覆いかぶさった。

 

 

「パ、パスカル!?」

 

「じっとしてろ!」

 

 

 すぐに別のF4戦闘機が彼らの頭上を通過する。

 今度の戦闘機は爆装をしておらず、それは化学攻撃の評価・偵察のために飛来したらしかった。

 

 

「……偵察型の戦闘機だ…見られたと思うか?」

 

「分からない…けど…」

 

「すぐに移動しよう!アイツら俺たちを追ってくるぞ!」

 

「でも…まだ首都には大勢の民間人が」

 

「俺たちは彼らに何もできないんだ、アルジェリー!」

 

「そんな!せめて何人かだけでも!」

 

「あのガスの濃度を見ろ!セルバンデスが投下したのは兵器級のマスタードガスだ!俺たちが救出に向かったところで、もう助かる見込みのいる民間人なんていやしない!」

 

「………」

 

「…俺だって残念だが………写真は撮ったんだろう?」

 

「…!?」

 

 

 無力感に苛まれかけていたアルジェリーは、夫の言葉にハッとする。

 

 

「セルバンデスの所業を知ってるのは俺たちしかいない。今彼らのためにできるのは、そのフィルムをアイリスに持ち帰ることだ。」

 

 

 パスカルはそう言って、早々とトラックに乗り込んだ。

 何の罪もない民間人諸とも化学兵器の犠牲者にした独裁者に憤りを覚えつつ、アルジェリーもトラックの助手席に滑り込む。

 この所業の対価は、必ず支払わせよう。

 そのためにはまず無事に祖国へと帰らねばならない。

 



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ライジング
残党達の夜


 

 

 

 

 

現在

 

 

 

 ユニオン

 バージニア州

 ノーフォーク近郊

 民間軍事会社・OX社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………まったく、我ながら母親失格ね。息子の扱いがなってないわ。」

 

「気にしないで、母さん。今度のことは仕方がないよ。」

 

「そうはいかないわ。私はアンタに無理をさせてる…ただでさえ調べ物を頼んでるのに、その上こんな事にまで付き合わせるんだから。」

 

「僕の心配はしなくていいよ。…それより母さんは1人で大丈夫なの?」

 

「アンタねぇ、私を誰だと思ってるの?自分の心配でもしてなさい。」

 

『オイゲン、こちらは位置についたわ。』

 

「はぁぁぁぁ…無線通信で名前を呼び合うなんて、あなたもボケてきたんじゃない?」

 

『その点は安心していいわ。この無線機は軍事グレードの暗号付加装置が取り付けられている。』

 

「それならそれで先に言ってちょうだい、ティルピッツ。…んん〜っ!それじゃ、一仕事といきましょう。」

 

 

 

 ヨアヒムはバンの運転席から降りながら、黒いライダースーツに身を包む母親の姿に見惚れている自分に気がついた。

 メリハリのある引き締まった身体を包むライダースーツは、もう何十年も生き永らえてきたとは思えないほどのスタイルを明確に際立たせている。

 するとオイゲンは息子の視線に気づいたのか、わざとらしく悩ましいポージングを取ってみせた。

 

 

「あらぁ?お望みならいつでも相手してあげるわよ、ヨアヒム?」

 

「…なっ、やめて母さん!」

 

「冗談よ、ごめんなさいね。…背中は預けたわ。どうか守ってくれる?」

 

「うん、安心して。何が起きても、スナイパーコースを履修した元海兵隊員と30口径ライフルが母さんの背中を守ってるから。」

 

「うふふっ。本当に逞しくなっちゃって。今のアンタ、ハンスより頼もしいわよ?」

 

 

 オイゲンはバラクラバを被ると、バンの後部座席からMP5サブマシンガンを取り出した。

 慣れた手つきで銃口にサプレッサを取り付けると、軽く動作を確認してから28発弾丸を込めた弾倉を給弾口に押し込んだ。

 そうして、いよいよ作戦を実行する前になると、彼女はバンのボンネットに両手をついて軽く目を瞑る。

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は2日前のこと。

 マーティン・スミスの母親が錯乱に近い状態でオイゲンの酒屋に押し入ってきた。

 ふくよかで人当たりの良いこの母親は、普段からは想像もつかない金切り声で「アンタが唆した」だの「人でなし」だのとオイゲンを非難したのだ。

 後からこの母親を追ってきた主人と数人の警察官が彼女をどうにか落ち着かせ、あまりの衝撃に何事かとキョトンとするばかりだったオイゲンに事情を説明する。

 

 曰く、マーティン・スミスは一昨日から帰ってきていないらしい。

 マーティンの父親は息子が下校途中や休みの日の昼にこの酒屋の裏口から入っていき、そこの美人な女店主から"鉄血語を教えてもらっている"ということを知っていた。

 母親もそれを知っていたが、一般的な母親の認識では子供が酒屋なんかに入り浸るもんじゃない。

 

 

「…だから先ほどの非礼に気を悪くするのも当然だ。妻が取り乱して本当に申し訳ない。あなたのところには息子がお世話になっていたようだから…何かご存じないだろうか?」

 

 

 母親も母親なら父親も父親で、取り乱す一歩寸前のように見える。

 でも自分まで取り乱しては本当に息子を失うことになるかもしれないから、ギリギリのところで踏みとどまっていた。

 そんな彼の様子は亡き夫のハンスを思い出させる。

 

 どうにか協力したいと、彼女は思った。

 だが残念なことに事実として彼女は何も知らない。

 "鉄血語を教えていた"という小さなウソは添えたものの、結局彼女はマーティン・スミスの動行に関して正直にそう告白するしかなかったのだ。

 

 

 その日の夜、ヨアヒムの帰りを待つオイゲンの頭からはあの少年のことが離れなかった。

 "ヨアヒムをまた巻き込む気?"

 "警察が解決してくれるはず"

 "私の出る幕じゃない"

 自分自身にそう言い聞かせてはいたものの、しかし彼女の脳裏を支配したのはあの少年とのやり取りだ。

 あの子は毎週オイゲンの店に裏口から入ってきて、オイゲンの体験を聞くのを楽しみにしていたようだった。

 進水からロイヤルネイビーとの戦い、ハンスと共に行った作戦の数々。

 父親が言う通りあの子がオイゲンを訪ねたのは一度や二度とではなかったのに、約束を破ったことは一度だってない。

 母親が凄い形相でやってきた時、彼女は最初マーティンが口を滑らせたのだと疑ったが、実際は両親は"鉄血語を教えてもらっている"と思っていた。

 

 何か……何かチカラになってあげたい、オイゲンは久しぶりにそんな事を思う。

 無論、元KANSENとはいえできることには限りがある。

 しかし、彼女は地元警察より優れた情報網にアクセスするための方法を持っていた。

 でもそれを使えば、最終的に正体が露見してこの街にいられなくなるかもしれない。

 ヨアヒムにはまた迷惑がかかるし、ティルピッツには再び借りができる。

 

 頭を悩ませるオイゲンの背中を押したのは、やがて帰ってきたヨアヒムだった。

 彼はセルバンデス政権がプラタの首都に毒ガスを放ったこと、そしてその原料がアイリスから農薬名義で調達されたものだと語ったが、まるで関心のないかのように話を聞くオイゲンに気がついたのだ。

 

 

「どうしたんだい、母さん?」

 

「……ん!…んん、何でもないわ。少し考え事してただけ。」

 

「……母さん、僕のことなら心配しなくていい。」

 

「!?…い、いったい何のことかしら?」

 

「こんなに"正直な"母さんの顔なんて初めて見たよ。…何かとんでもないことを抱えてるね?」

 

「…アンタには関係のないことなの。」

 

「そんな言い方はやめてくれ、母さん。今まで、母さんは僕の悩みならどんな事でも聞いてくれたじゃないか。なら今度は僕の番だ。」

 

「アンタのしょうもない悩み事とは桁が違うのよ。」

 

 

 オイゲンは思わずハッとして我に帰る。

 息子は彼女を心配して食い下がったのに、なんて冷たい突き放し方をしてしまったのだろう。

 罪悪感に駆られた彼女は思わず自らの口を覆う。

 だがヨアヒムはそんな彼女の発言にも関わらず、ほほ笑みを浮かべた。

 

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、僕だってもう中央情報局の局員だ。…少なくとも、あの組織の人間に手が出せないような案件を、母さん一人で抱え込む方が危険だよ。」

 

「…ッ!………そうね、ごめんなさい。アンタもいつまでも子供じゃないのに。…なら…これから言うことは、絶対に他言無用よ?」

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨアヒムに自分がどうしたいのか打ち明けた時点で、オイゲンはもうどうするべきか分かっていたのだ。

 あとは踏ん切りをつけるだけ。

 だからヨアヒムが彼女の案に若干の修正を加えて背中を押した。

 母親のことをよく理解しているあの息子は、一旦自分の仕事と調べ物を傍に置いて、ティルピッツとの共同でマーティン・スミスの行方について調べ上げたのだ。

 

 結果分かった事は、スミス君が行方不明になる少し前に同じくバージニア州にある民間軍事会社の構成員達が彼女達の住む地域を彷徨いていたことと、その会社が中東でユニオン陸軍から施設警備の依頼を受けていたにも関わらず契約を途中破棄され、その理由が現地で麻薬取引と人身売買に携わったことという、とんでもない事実であった。

 結局OX社は訴訟こそ免れていたが、それは恐らくこの件を担当していた検察官と軍司法官が行方不明になったからだろう。

 そんな連中に少年が捉われたとなれば、警察の対応を待ってはいられない。

 人身売買目的にしろ臓器売買にしろ、もはや猶予は残されていなかった。

 

 

『母さん、そこで止まって。武装車両が巡回してる。』

 

「了解」

 

 

 会社の敷地全体を見渡せる高所にいる息子の報告を受けて、オイゲンは物陰に身を潜める。

 エンジン音の大きなピックアップトラックに塗装の剥げたM60機関銃を搭載したテクニカルがオイゲンの十数メートル前を通過した。

 サプレッサ付きのM700ライフルを構えるヨアヒムが後続の人員がいない旨を知らせると、彼女は再び立ち上がって敷地の内部へと入っていく。

 

 

「建物内に侵入。…ここの連中、まったく警戒してないわね。」

 

『情報局のデータベースによれば、ここの連中に国内での軍歴はない。こいつらは北方連邦系マフィアの戦闘員さ。』

 

「信じられない。ユニオン陸軍はなんだってそんな連中に仕事をさせたわけ?」

 

『選択肢がなかったんだ。大統領が段階的な撤兵を決めてから、警備の人数が足りなくなった。だが予算の都合上、"キチンとした"会社を雇えなかったんだろう。OX社は驚くべき安値で仕事を受注した。ただしそれは…』

 

「本国の組織にブツを流す副業も見込んでの額だったわけね?」

 

『正確には本国経由で世界中に売り捌いていた。北方連邦から銃を持ち込んで現地の武装勢力に売り、代金をマリファナで受け取ってたのさ。その他戦争の混乱につけ込んで誘拐、脅迫、臓器売買…なんでもやってる。』

 

「…マーティンが危ないわ。先を急がないと。」

 

『あくまで冷静にね、母さん。連中は不用心で間抜けでも銃の撃ち方は知っている。』

 

 

 ヨアヒムの助言通り、オイゲンは慎重にクリアニングをしながら進んでいく。

 とはいえ建物の中にいた連中といえば大抵の場合ウォッカを手に寝込んでいたので、オイゲンは何らの苦労もなくマーティンの捜索を続けることができた。

 やがて、オイゲンは建物の中でもひと回り大きな部屋へと至る。

 内部からは酔っぱらった男達の笑い声が響いていた。

 

 

「…この部屋以外は全てクリアよ。ヨアヒム、部屋の内部は見えるかしら?」

 

『いや、こっちからじゃ見えない。位置を変えればどうにかなるかも…』

 

「分かった。アンタは現在位置を保持して。私の方でケリをつけるわ。」

 

 

 オイゲンはMP5のセレクターを切り替えて、そうしながらもドアを少しずつゆっくりと開けていく。

 部屋の中にはドアにケツを向けてウォッカを飲むバカが2人ばかしいて、ドアが開いたことにも気づいていない様子だった。

 やがてドアが完全に開かれると、オイゲンは2人組に声をかける。

 

 

「アンタ達?」

 

 

 二人組は我に帰ったように振り返る。

 その内1人は手元のAKに手を伸ばしたがもう遅い。

 オイゲンの放った4発の9mm弾は、それぞれの喉元を正確に打ち抜いた。

 悪党どもは気管と声帯をやられ、うめくこともできずに失血死する。

 脅威が排除されたことを確認すると、オイゲンはやっと部屋の中の捜索を始め、そして簡単に探していたものを見つけた。

 

 

「…マーティン?……マーティン!」

 

 

 マーティン・スミスは手足と口をダクトテープで縛られている。

 眠っているのか、目を閉じて微動だにしていなかった。

 オイゲンが慌てて首元を確認すると彼はしっかりと息をしていて、恐らくは睡眠薬か何かで眠らされているようだ。

 

 

「ヨアヒム、ティルピッツ、ターゲットを確保。これより離脱するわ。」

 

『ティルピッツ、了解。』

 

『ヨアヒム、了解。今のところ周辺に敵影はない。離脱………な……の………ザッ…ザザッ……』

 

「…?…ヨアヒム?…くそ、こんな時に。」

 

 

 眠ってるマーティンを抱え上げた時、ヨアヒムとの連絡が途絶えて彼女は悪態をつく。

 その時、部屋の内側にオイゲンとマーティン以外、それに二人組の死体の他は誰もいないにも関わらずドアが閉まった。

 心霊現象のような事象にオイゲンが振り返ると、どこかから彼女に声がかけられる。

 その声音には聞き覚えがあったし、彼女は珍しくも敵意をその顔にみなぎらせた。

 

 

「……うっふふふ…あなたなら来ると信じていたわ…」

 

「その声!……あぁ、なるほど。()()()()()()ね。」

 

 

 何かを察したオイゲンは、マーティンを抱える腕とは反対の手でMP5を声の方向に向ける。

 口径9ミリの銃口の先は暗闇だったが、やがてはその暗闇の中から1人の女が現れた。

 

 

「随分と遠回りなやり方をするのね。」

 

「こうでもしないとあなたは会ってくれないでしょう?」

 

「私と会いたいならこの子を巻き込んだりしなくても…私の店に来るだけでよかったのよ、()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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百戦危うからずや

 

 

 

 

 

 

 

 

 毒ガス散布から2日後

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 記者会見室

 

 

 

 

 

 

 

「………我々としても誠に遺憾です。首都を占拠した暴徒は我々の戦車隊を止めるために、あのような人口密集地帯に毒ガスを運び込んでいました。威力は粗製の域を出ないようですが、相当量のガスを運び込んだものと推定されます。ガスは不運にも我々が狙った敵の防空施設の付近に集積されており、航空爆弾の至近弾により中身が溢れ出たものと考えられ、えー、今現在我が陸軍の化学部隊が懸命な救助作業を……」

 

 

 我ながら、とんでもないクソ野郎だ。

 私は敵の首都に毒ガスを投下した。

 勿論人道上許されるものではないし、戦争犯罪ですらある。

 これが真っ当な国なら私は縛り首。

 だがインビエルノは"マトモじゃない"。

 事実の上からペンキで嘘を塗りたくったとして、誰もそれを看破できないのがこの国だ。

 …インビエルノへようこそ。

 

 

「大統領、ユニオンA社のマケインです!救助部隊は暴徒側と交戦中ですか?」

 

「いいえ、現在のところ交戦の報告はありません。暴徒側の主犯格と思われるピエールと呼ばれる男も死亡が確認されました。どうやら投下された航空爆弾の付近にいたようです。」

 

 

 実際は顔が分からなくなるほどガスに晒されていただけだが。

 

 

「大統領、ロイヤル国営放送です!首都の除染にはどの程度かかりますか?」

 

「正直なところ、分かりません。粗製とはいえガスは充分な殺傷能力を持っていたようです。救助部隊からの報告では今のところ生存者の情報もありません。…最悪の場合、首都は放棄せざるを得ないでしょう。」

 

 

 生存者はいない。

 誰一人として生存させない。

 "救助部隊"は担架ではなく自動小銃を持って街に入った。

 つまりはそういうことだ。

 

 

「大統領!ユニオンC社です!今後の展望についてお伺いしても?」

 

「首都が重度の汚染に晒され、且つ政府機能が働いていない以上、我々はプラタ国民に対して秩序回復の責任を持つものと解釈しております。…重ねて、誠に遺憾ではありますが、我々はプラタ国民の人権と安寧のために必要なあらゆる手段を講じる用意があります。」

 

「具体的には、どのようになさるおつもりでしょうか?」

 

「食糧・医療支援を行うために、プラタ国内第二の都市に暫定政府機能を構築します。既に大規模な人道支援を専門とする軍の人材を派遣しており、必要資材もユニオンから届く予定であります。」

 

 

 ここでいう"人道支援"とは、プラタ国内にいる共産主義者を炙り出して特定の箇所に集めることを言う。

 つまりはインビエルノでいうところのスタジアムだ。

 その後彼らがどうなるかは…説明するまでもあるまい。

 

 

「………以上で記者会見を終わります。皆さんありがとうございました。」

 

 

 

 この前とは違い、会見は予定通りに終わった。

 あの女記者の正体は結局分からずじまいだったが、今はもうそんな事に構っていられない。

 毒ガス散布は私の独断だったし、本当の意味で秘密裏に終わらせるべき案件だった。

 

 そんな私の内心を知ってか知らずか、タマンダーレが私に寄ってくる。

 

 

「お疲れ様、アドリアン。」

 

「ありがとうタマンダーレ。こうも忙しいと疲れてしまうよ。」

 

「ええ………今回のことは、本当に残念だったわね。」

 

「………ああ、毒ガスのことかい?…確かに残念だ。連中は恥知らずにも化学兵器を使おうとしてたんだから。」

 

「ねえ…アドリアン?疑っているわけじゃないけれど…毒ガスの事はいつ知ったの?」

 

「陸軍航空隊の戦闘機が爆撃をしてからさ。私だって連中があんなマネをしたことを知っていたら作戦を中止させていたよ。」

 

「そう…」

 

「北部に転戦させていたせいで、機甲部隊と共に行動していた化学部隊の投入も遅れてしまった…あんな状況じゃあ生存者は絶望的だろう。」

 

「………自分を責めないで、アドリアン。」

 

「大丈夫だよ、そこはちゃんと分かっているから。…さてと。軍部との会議に出ないとならない。すぐに戻るよ。」

 

「ええ、いってらっしゃい。」

 

 

 タマンダーレがどこか不安げな様子を見せたような気がしたが、きっと気のせいだろうと思うことにした。

 彼女に勘付かれてないといいが…

 どちらにせよ、この作戦を知っている者は私とベラスコとウゴ、それにルートヴィヒしかいない。

 タマンダーレは私を疑う事はあっても確信までは持てないはずだ。

 

 とにかく、今は一刻を争う。

 順調にプラタを制圧できれば、スプルース大統領はライリーを介さずともこの大陸をコントロールできるようになる。

 タマンダーレはその時初めて任務から解放されて、ユニオンで新しい人生を始めることができるだろう。

 

 彼女は魅力的で、私にとってかけがえのない存在…それに間違いはない。

 けれど私は最愛の女性がいつまでも傀儡の鎖に縛られている姿を見たくはなかった。

 おまけにその傀儡は口に出すのも悍ましい方法でこの大陸を制圧しようとしている。

 タマンダーレ…いや、セントルイス級のネームシップたる彼女に、血塗られた独裁者のファーストレディなんて地位は決して相応しくない。

 私には彼女と共に暮らす事より、彼女が自由に暮らしていくことの方が大切に思えた。

 

 

 こうなった以上、早急にケリをつける必要がある。

 だから会議室に入ってウゴの報告を聞いた時、私はあまりに落胆してしまった。

 

 

「…ガス攻撃の評価・偵察を行った戦闘機からの写真です。」

 

「…………これは?」

 

「…大統領、残念ですが………」

 

「ベラスコ元帥。私は確かに命じたはずですね?プラタ国内の海外メディアの一切を追い出せと。」

 

「…………大統領………全力で」

 

()()などでは足りん!

 

 

 私は怒りのあまり手近にあったサイドテーブルをひっくり返す。

 普段は決してこんな事はしないし、こんなに声を荒げることもない。

 それほどにまで、私は理性を保つので精一杯だった。

 

 

「元帥!必ずこの2人組を始末しろ!どんな手段を用いても構わん!必ず殺せ!」

 

「は、はい、大統領閣下!」

 

 

 偵察機が捉えていたのは、重桜製と思わしきピックアップトラックと、カメラか何かを構える女性と思わしき人物、それにその女性に覆い被さろうとしている男性と思わしき人物だった。

 それが何を意味するか。

 私が周到に進めてきた作戦に大きな穴が空いたこと、更には、覆い被さろうとする男性の行動は偵察機の存在に気づいていることを意味している。

 つまりこの2人組が少しでもマトモな人間であるならば、今頃はもう逃げ出し始めているに違いない。

 そしてそれは、私の作戦に大きな穴を穿つどころか瓦解させかねない不安定因子だった。

 

 

 正直なところ、全てを放り投げタマンダーレに真実を打ち上げて泣きつきたい気分にもなる。

 だが私は"やり通す"と決めたのだ。

 もう後に引くには遅すぎる。

 彼女が真相に気づく前に、この2人組を殺すしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 アドリアンと別れた後、タマンダーレは夕食の下拵えをするためにキッチンへと向かう。

 しかし考え事をしていた彼女は、その場に誰かが待ち受けていたことに気づけていなかった。

 故にその"誰か"から話しかけられて初めて、ハッと我に帰る。

 

 

「…まさか、流石のアンタも大統領閣下(アドリアン)の言葉を鵜呑みにはしてないでしょう?」

 

 

 振り返ると、そこには腕を組んで壁にもたれかかるオイゲンと椅子に座って項垂れているボイシがいた。

 

 

「………どうして…」

 

「さあ、どうしてかしらね。ハンスから聞いたけど、今回の件はライリーから命令されたわけでもない。あの子が自分の意思でやったことよ。もし真実が公の目に触れたら、彼は後世の歴史家からの批判に晒されるわね。」

 

「………」

 

「…アドリアンも………ライリーみたいになっちゃうのかな?…ボイシは……ぐすっ…そんなの嫌。あの子にはあの子のままでいて欲しい。」

 

「………ええ…そうね。……私が…私がもう少ししっかりとしてればっ」

 

「いい加減に思い込みはやめたら、セントルイス?」

 

「思い込みなんかじゃないわ!私があの子を変えてしまった!少なくともライリーを手伝ってあの子を怪物にしてしまったのは私なの!」

 

「それじゃ、どうしたいわけ?…あの子と心中でもする?」

 

 

 オイゲンは冷たい目をタマンダーレに投げかけていたが、その言葉からは主張が充分に汲み取れる。

 例えライリーの"純粋培養"にどれだけタマンダーレが手を貸していたとして、それはもう過ぎ去った過去の話であり今更取り返す事はできない。

 今タマンダーレにできる事は、過去を嘆くのではなく、現状ででき得ることを考慮する事だろう。

 

 

「悲劇のヒロインをやりたいのなら、私たちが居なくなってからにしてくれる?…ボイシはどう思ってるかは知らないけれど、私はハンスをまだ死なせたくない。」

 

「…ごめんなさい、オイゲン。あなたの言う通りね。…………"例の"人物からの返答はまだきてないわ。もうそろそろ返信があっても良い頃だと思うけど…」

 

「少し焦り過ぎじゃないかしら。向こうの立場からすれば、あなたの事を信じるだけでも奇跡が必要よ。」

 

「そうかもしれないけど…時間はないわ。このままでは本当に、アドリアンは自分自身を"殺して"しまう。」

 

「…ねえ、セントルイス。アンタは本気でアドリアンを()()()()()と思ってるの?」

 

 

 オイゲンの問いに、タマンダーレ…セントルイスは少し言葉を詰まらせる。

 彼女の懸念も分からなくもない。

 彼女が心配して止まないアドリアンは、もうかつて牧場主を夢見ていた少年からは想像もつかないほど変わり果ててしまっていた。

 それでも…

 

 

「…私は…"やり通す"って決めたの。あの子がユニオンから押し付けられた役に縛られているのを見るのは…もう耐えられない!」

 

「………鉄血にはこんな言葉があるわ、セントルイス。"敵を破りたいのなら、まず敵を知れ"」

 

「…?」

 

「気づいてないのかも知れないけれど、私から見る限り…案外アドリアンも()()()()()()()()()と思うわよ?」

 

「?………それって………」

 

 

 オイゲンが意味ありげにそう言って、タマンダーレがその意図を汲み取りかけた時、タマンダーレのポケットに収まっていた衛星電話の着信音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 



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ドッペルゲンガー

 

 

 

 

 

 

 大戦の前

 ユニオン

 

 

 

 

 

 

 

 

 その女性士官は、同僚からさえも憧れを向けられるほどの美しさと凛々しさを兼ね備えていた。

 指揮は明瞭で判断は早く、語学にも精通…正に頭脳明晰・才色兼備といったところ。

 ユニオン海軍においても屈指の有能な指揮官として認められていた彼女は、この日もいつもと同じように上官のオフィスへ向かって歩いている。

 中世の騎士を思わせるその凛々しさにはすれ違う誰もが振り向いたが、しかし今日、その女性士官はあまり機嫌が良くなかった。

 

 彼女は上官を嫌っていた。

 彼もまた有能な将校であることに変わりはないものの、やり方がどうにも気に食わない。

 彼女が中世の騎士であるとするならば、彼はまさしくチェザーレ・ボルジアを彷彿とさせる陰険さがあった。

 面と向かって話す度に、何か一段上から見下ろしたような物言いをされる。

 多大な努力の上に現在を掴み取った彼女にとっては、上官に呼び出されるのが何よりも苦痛だった。

 

 

 

 彼女は慣例に従って上官のドアをノックする。

「開いている、入りたまえ」

 同じように慣例的な返答があると、彼女はドアの内側へと入っていった。

 

 

 彼女の上官、ジャック・ライリーは入室して気をつけをする彼女に対して何らの敬意も…それどころか注意さえ向けずに、机の上の書類と向かい合ったまま軽く頷いて見せる。

 彼女がこれを「座りたまえ」の意だと理解するのにどれだけの苦労を要したかは想像に難くない。

 しかし彼女は顔に笑顔を貼り付けたまま、この陰気な上官の対面の椅子に座った。

 

 

「………ジェーン、最近は上手くいってるかね?」

 

「はい、おかげさまで。艦隊の訓練は着実に成果を上げています。」

 

「…成果……成果………成果ねえ…」

 

 

 ライリーはようやくペンを置いて、代わりにとでも言うようにポケットからタバコを取り出した。

 そして何の遠慮もせずにそれを口に咥えると先端に火をつける。

 そうして深く息を吸い込むと、ゆっくりとそれを吐き出す。

 副流煙にジェーンは一瞬顔を顰めたが、その後はどうにか笑顔を貼り付けたままでやり過ごした。

 

 

「…君は海軍に入隊する前に、名門大学に通っていたね?…専攻はなんだったか…」

 

「語学です。重桜語を専攻していました。」

 

「そうか、そうだったな。」

 

「………」

 

 

 用件はいったい何だというのだろう?

 ジェーンは素朴な疑問を頭に浮かべた。

 今現在、太平洋におけるユニオンと重桜の緊張は高まりつつある。

 連中の陸軍は既に東煌での戦争を始めていた。

 しかし、だからといって重桜語を専攻しただけで逮捕されるようなことはないはずだ。

 

 言うまでもなく、この時間はジェーンにとって不快なものだったが…しかしライリーはこの面会を早く切り上げようとはしていないようだった。

 

 

「寛容と……奔放は似て非なるものだ。寛容はあくまで規律の上に成り立つが、奔放に規律を重んじる風潮はない。軍隊には規律というものがあり、それが軍隊を規定する。」

 

「ええ、仰る通りです。」

 

「…では、私のような立場の人間が規律を乱すようなモノを取り締まらねばならないのも…分かってくれるかね?」

 

 

 ジェーンは思わず俯いて、目頭を抑える。

 この上官のことは嫌いでも、彼女の部下たるサンディエゴのことに関しては上官に対してただただ頭を下げるほかない。

 

 

「ああ、申し訳ありません。サンディエゴが繰り返しご迷惑をおかけしていることは承知しています。きつく指導しますので」

 

「誰がサンディエゴの話をしたかね?」

 

「………?」

 

「今、私は君に対して話をしているんだ。少し前に私の上官が面白い写真を寄越してね。」

 

 

 そう言ってライリーが机の上が取り出した写真を見て、ジェーンの身体は凍りつく。

 それは彼女が秘書官のボルチモアと接吻をしている様子を映し出したもので、明らかに誰かの意図を受けて撮影されていた。

 

 

「寛容と、奔放は異なる。私はこの写真を"寛容"の精神で見つめよう。だが…海軍という組織は、決して私と同意見ではないはずだ。」

 

「し、しかし、規律には抵触していないはずです!」

 

「勿論!指揮官とKANSENの婚姻は認められている。君がボルチモアと接吻したからといって、規則上何ら問題はない。…問題は、私のオフィスにこの写真を持ってきたのが軍の上層部だということだ。」

 

「…!?」

 

「……君に、嫉妬している人間も随分と多いらしい。少なくとも快く思っていない連中は1人や2人ではないのだろうね。」

 

「そ…そんな!……」

 

「ユニオンは確かに"寛容"な国家だ。だからこそ世界中の人々の羨望を集める。しかしながら、君のこの行為は…この"寛容な"社会にあっても…あるべき規律から逸脱していると見られてしまう。」

 

 

 ライリーがそこまで言ったところで、ドアが開いて大勢の憲兵が部屋に入ってきた。

 今や事態を理解したジェーンはなりふり構っていられない。

 このままでは全てを失ってしまうだろう。

 

 

「お願いします!見逃してください!」

 

「おいおい、私まで共犯者にしようというのかね?悪いがそうはいかん。軍曹、連れて行ってくれ。」

 

「承知しました。」

 

「………いや!…私は…!いや!やめて!お願いだから離して!ボルチモアッ!いやあああッ!」

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 泣きじゃくる女性士官が連行された後、ライリーは盛大なため息をつきながらデスクへと戻る。

 再びポケットに手を伸ばしてタバコを取ろうとしたが、しかし、なにかを感じ取ったライリーはその手を納めた。

 

 

「…………私は"最悪な上官"に見えたかな?」

 

「……ええ、最低のゲス野郎ね。」

 

 

 いつのまにか部屋に入っていたホノルルが、ライリーの質問にそう答えた。

 見るとセントルイスとヘレナもいて、ライリーはやれやれといった態度を取る。

 

 

「本当にアレしか方法がなかったの?」

 

「ああそうだ、ルル。私が泥を被らなければならなかった…誠に残念だが。」

 

「ふぅん…あんな事しなくても良かったのに…」

 

「いいや、しなきゃならなかった。彼女のファイルを読んだが、かなり苦労してる。大学時代に語学を専攻したのは指揮官職に有利だと踏んだからだ。当時は情報機関なんてものなかったし、それに、前線指揮官が仮想敵国の言語を扱えるのは望ましい。」

 

「…努力の果てに手に入れた地位をあの子が手放すはずもない。きっと、あらゆる手を使って地位を守ろうとするわね…」

 

「そうだ。だからこうするしかなかった。重桜は東煌での戦争を続けるために資源を狙っている。我々との衝突は目前だ。来るべき日の為に、最優先されるべきは情報機関。…彼女の大学時代の成績は優秀だった。」

 

「…………かわいそうな子…」

 

「ああ。…だが、ボルチモアもあちらに異動できたのは不幸中の幸いだ。努力の甲斐があったな。手伝ってくれてありがとう、ルル。」

 

「べっ、別に!指揮官があの子にあんな仕打ちをしたら、寝首を掻かれてもおかしくないじゃない!」

 

「ははは!私を心配してくれるのか!」

 

「なっ!…ち、ちがうわよ!どうしてそうなるの!アンタのことなんか心配してないしっ…でも………」

 

「………あの写真は上層部から送られたものだった。彼らはそうする事で私に無言の命令を送ったのさ。"こいつを排除しろ"とね。彼らからすると、ジェーンのような人材は疎ましくて仕方なかったんだろう。彼女は少しばかり正直が過ぎる。」

 

「守ってあげてもよかったんじゃない?」

 

「ルル、出来る事なら私だってそうしたかったよ。だが彼らに歯向かえば私達も無事ではいられない。ユニオン社会は女性指揮官の存在は許せても、その指揮官とKANSENが恋愛することまでは許さないよ。…少なくとも、今のところはね。」

 

「………」

 

 

 ホノルルは少しばかり不機嫌そうな顔をしながらも、ライリーの下へと向かっていく。

 何事かという表情を浮かべた彼の下まで来た彼女は、やがてその長身を曲げてライリーの顔を覗き込んだ。

 

 

「…やっぱり、ジャックには監視が必要ね。」

 

「そこは"指揮官"じゃないのかい?」

 

「う、うるさいわね!もぅ………いい?あなたはやり方が少し歪になる時があるわ。」

 

「性格も歪だからね。」

 

「茶化さないで!真剣に話してるんだから!」

 

「…あ………ああ、ごめん。」

 

「…やり方に拘りが過ぎるのも良くないけど、あまりに無神経なのが良いって訳じゃないの。そんなことをするたびに、傷ついていっちゃうんだから…」

 

「ジェーンには悪かったと…」

 

「ううん、ちがう。()()()()()よ、ジャック。あなたのやり方は、あなた自身を傷つけている。いつかその傷に限界が来て、あなたはきっと自分を見失ってしまう。あなたは仕事にじぶんのドッペルゲンガーを使ってるけど…このままだと、いつかそのドッペルゲンガーに乗っ取られてしまうわよ?」

 

「………」

 

「…さっき心配なんかしてないって言ったけど、アレは嘘。本当はジャックが心配で仕方ない」

 

「ルル………」

 

「だから……その…………この前のプロポーズ、答えはYESよ…

 

「…!?」

 

「あなたには監視がいるわ…だ、だから、私が見張ってるから!せいぜいやり方には気をつけなさい!」

 

「………ああ…ああ…ありがとう、ルル!本当に!」

 

 

 ジャック・ライリーは興奮していた。

 故に反射神経で立ち上がってしまい、そのせいでバランスが崩れる。

 そうして彼は意図する事なく、ホノルルの巨大な胸に両の手をついてしまった。

 

 

「…ジャック………?」

 

「あっ!…ごめん!」

 

「ごめんじゃすまないわよ、このバカァ!!!」

 

 パッチィィィンッ!!!

 

 

 

 

 

 

 女性士官は新設された情報機関に転属後、ボルチモアと共に大戦終結まで対重桜方面で活躍した。

 戦争が終結すると、彼女はボルチモアと共に軍を辞して故郷へと戻った。

 彼女がジャック・ライリーの意図を知ったのは、それから数年後の話だった。

 

 

 

 



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デウス・エクス・マキナ

 

 

 

 

 

毒ガス散布から5日後

 

 

 ユニオン

 中央情報局

 

 

 

 

 

 

 

 

 基本的にアポイントメントのない面会には対応しないよう、こういった公的施設では徹底される。

 にも関わらず受付の人間が彼を施設の中に通したのは、それがこの国家の公的機関において最も高位にいる人物だったからだ。

 スプルース大統領は妻のエンタープライズを伴って、情報局本館最上階の廊下を突撃砲よろしく突き進む。

 向かう先は無論、あの冷血漢のオフィスだった。

 

 

「だ、大統領、お待ちください、然るべき対応をさせますので」

 

「長官、君に用はない。君は君の職務を続けたまえ。」

 

「しかし」

 

「いいから行けッ!」

 

 

 大戦中、この海軍軍人を止められた人間は殆どいなかった。

 エンタープライズは軍の司令官として政治家たちと渡り合ったり、部下達や兵士達のためにこういったやり方を重ねていたスプルースのことを昔から知っている。

 しかしながら、こんなスプルースを見るのは本当に"久しぶり"だったし、怒りに任せて長官に怒鳴り声を張り上げるあたり黙って見ておけるものでもない。

 だからエンタープライズは長官がすごすごと引き下がっていくのを見てとると、改めて夫の背中越しに声をかけた。

 

 

「レイ、少し落ち着くんだ。何もライリーの指示と決まったわけじゃない。」

 

「ライリーの?…あいつの指示だと思うか?」

 

「………」

 

「…エンタープライズ、君も分かってるはずだ。あのガス攻撃は間違いなくアドリアンの独断だろう。」

 

「彼は…あんな事をするような子じゃなかったはずだ…。ブルックリンから聞いたが、あの子は牧場で牛の世話を楽しんでたらしい。…自分の意思で、首都にガスを撒くような子じゃなかった!」

 

「もう違う!ライリーがアドリアンを捻じ曲げてしまった。だが、これでようやく奴とアドリアンを分離できる。…"手遅れ"じゃないといいんだが。」

 

 

 ライリーの計画は、スプルースが大統領職に就く以前から既に進行中だった。

 大戦が終わる前からユニオン政府は次の敵を見定めていたのだ。

 強大な北方連合とはエウロパ大陸で対峙する事になるだろうが、しかし連中も馬鹿ではない。

 ユニオンの裏庭たる南方大陸の守りが脆弱なようでは、北方連合の連中にエウロパ大陸とは別方向からのアプローチを許可するに等しい状態だった。

 南方大陸はかつての帝国主義時代の名残から、ユニオンの実質的な植民地として機能していた側面を無視できない。

 今まで散々ユニオン企業に搾取されていた当地の人間にとって、資本家の打倒と富の再分配を唱える共産主義ほど受け入れやすいイデオロギーはないだろう。

 実際、インビエルノの封建体制は共産主義を掲げる勢力によって打倒されたのだ。

 

 西側社会の盟主たるユニオンがこの脅威に対処するのは容易だったが、問題はいくらユニオンに強力な軍隊がいたとしても多正面作戦を完璧に遂行できるほどの国力は確保できないという事だろう。

 北方連合の工作員達が大戦の時よりも更に多くの方向からユニオンを揺さぶってくることは想像に難くない。

 だから当時の大統領は、その正面の内の幾つかを"番犬"に委託するという中央情報局の作戦にサインしたのだった。

 

 

 "番犬"はそれぞれの東西対立の最前線に配置された。

 南北に分かれた東煌の南側、東西に分かれた鉄血の西側。

 しかし東煌では政治不安が続いたし、鉄血では常に東側の脅威が西側全体を揺さぶった。

 その点ジャック・ライリーの担当した南方大陸は安定した効果をもたらしてきたのだ。

 

 スプルースでさえ、奴の計画は周到だったと認めざるを得ない。

 セントルイスに息子を預ける事になったアルバロ・セルバンデスは、あの大陸に共産主義が入り込むことさえ許さなかったのだから。

 プラタの国王には苦労していたようだが、ライリーはアルバロを保険にして、国王がユニオンへ忠誠を向けざるを得ない状況を強いたのだ。

 

 息子を"人質"に取られたアルバロは、スプルースの目から見ても涙ぐましく思えるほど忠実にユニオンに仕えていたが、ライリーはやがてそれすらも気に入らなくなったらしい。

 あの冷血漢はアルバロに圧政を行わせておきながら、"人質"に取った息子にはその後継者としての進路を歩ませた。

 スプルースの前任者はアルバロだけでなく、その息子をも計画に組み込んだ点でライリーを高く評価していたが…その結果がコレである。

 

 

 アドリアンは最早見境のない暴力を振るう暴君と成り果てつつあった。

 今までは暴君であったとして、その行動には規範というものが見出せたのだが。

 それはきっとセントルイスがライリーの意図に反して、アドリアンを冷血漢として育てないよう最大限の配慮を込めていたからだろう。

 クソッたれのライリーが邪魔さえしなければ…少なくともアドリアンはきっとアレ以上悪化する事はなかったはずだ。

 ライリーがセントルイスの邪魔をしたせいで、アドリアン・セルバンデスという指導者は悪逆非道な人物としての道を進む事になった。

 元々歪みかけていたモノが、ライリーの悪意ある計画によって完全に歪んでしまったのだ。

 

 

 しかしながら、ライリーの計画は、最後には自分の首を絞めることとなった。

 スプルースは今日こそ奴に引導を渡すべく廊下を突き進んでいく。

 

 

 

「…レイ、自分を責めるな。あなたはできる限りのことをした。」

 

「ライリーの所業に手をこまねいていたのは事実だ、認めなければならない。奴はアルバロを利用するだけ利用して、成長したアドリアンに傀儡としての素質を認めると彼を殺したんだ…例の、"オクロジャック"に命じてな。その時まで、私は奴の本性を見抜けなかった。」

 

「ライリーも元々あんな人間じゃなかった。誰が原因なのか…本当は分かってるんだろう、レイ!?」

 

 

 エンタープライズの言葉に、スプルースはピタリと足を止める。

 そう、彼はこの悲劇の中心にいる人物を知っていた。

 しかし知った上で…それこそ、その人物の正体すら看破した上で、その"功績"を認めざるを得なかったのだ。

 

 

「…エンタープライズ、皆は許してくれるだろうか?」

 

「……母港の皆か?」

 

「ああ。あの戦いで散っていった彼女達は…私の判断を、許してくれるだろうか。」

 

「………」

 

「アドリアンのした事も、ライリーのした事も、そして私自身がした事も…1人の人間として、許される事じゃない。だからこそ私は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「今のあなたは大統領という職にある。海軍のどんな軍人よりも責任を負わされる立場だ。…姉さんだって、きっとあなたの判断を理解する。あなたは自分自身を"殺して"、大統領として正しい判断をした。」

 

「…エンタープライズ……」

 

「それに、半分は前任者が手をつけていたんだ。あなたがその路線を放棄していたら、今の繁栄すらあり得なかったかもしれない。」

 

「ありがとう…」

 

「礼を言うのはこちらの方だ。あなたが全てを背負ってくれたからこそ、今がある。なら私は、少しでもあなたの支えになりたい。」

 

 

 エンタープライズがそこまでいったところで、中央情報局の廊下に銃声が響き渡る。

 それは38口径リボルバーのもので、銃声事態はライリーのオフィスからやってきた。

 スプルースとエンタープライズは大急ぎでオフィスへと向かい、そのドアを蹴破る。

 不安的中。

 そこには頭を血まみれにしたライリーが転がっていて、その近くには未だ青白い煙を登らせている38口径が転がっていた。

 

 スプルースはライリーに駆け寄ると首筋に手を当てて、未だ息の根を止めていないのを確認すると血に塗れたライリーの顔を自身の方へと向けた。

 

 

「………ははは、大統領…これは……どうも…」

 

「ライリーッ!貴様ッ!!」

 

「私は………きっと…自由になれる………彼女の下へ行ける………やっと…やっと……」

 

「クッ!………ふざけるなッ!この後に及んでッ!」

 

「レイ!自分を抑えろ!私は医療班を呼んでくる!」

 

「ああ頼む、エンタープライズッ!このクソッタレを死なせるわけにはいかんッ!」

 

「………私は……私は役目を果たしたんだ…」

 

「ああ、そうかもしれんな!だが貴様は何一つ償っていない!ここで死ぬことなど、到底許されない!」

 

「…はは……それは、彼女が………ルルが決めてくれますよ……」

 

 

 ライリーはそこまで言ってピタリと動かなくなった。

 スプルースは不承不承ではあったものの、エンタープライズが医療班を呼んでくるまでの間に応急手当てを施す事にする。

 このクソッタレには、まだ死など早すぎる!

 

 

 

 



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ソレントの男達

 

 

 

 

 

 海魔(セイレーン)の歌声を聞いた時、船乗りはどんな気分だったのだろう?

 彼は広い広い海の上を、たった1人で行かなければならなかった。

 共に進むべき伴侶には先立たれ、周囲の人々は彼自身が遠ざけたのだから。

 ただただ自責の念に駆られ、後悔に苛まれていた船乗りはきっと孤独だった。

 孤独な彼は果てしなく続いて見える海の上に一筋の光を欲したに違いない。

 …それがどんなに歪な光であっても、海魔(セイレーン)の歌声は船乗りの求めていたモノに合致してしまった。

 

 船乗りは海魔(セイレーン)の歌声に誘われ、船先をそちらへと向けてしまったんだ。

 過去がどれだけ警告したとしても孤独に蝕まれた彼が耳を貸すわけもない。

 だから船乗りは、その先に待ち受けるのが途方もなく高額な代償を伴うものだと承知の上で進んで行った。

 もう耐えられなかった、もうやめたかった。

 そうして船乗りは、2度と帰って来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在

 

 

 

 

 ユニオン

 OX社近辺

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタ…いや、アンタ達はジャック・ライリーを利用した。ホノルルを喪って失意の底にいた彼を惑わして、あの男のドッペルゲンガーを表面化させたわけ。」

 

「酷い言いようだけれど、アレがあの男の本性よ。私はちょっと入れ知恵をしただけ。…現に楽しんでたわ、彼。」

 

 

 目の前の女に弾丸を叩き込みたい気分でいっぱいだったが、何故か9mm弾を叩き込んでも無駄な事だと直感できた。

 オイゲンはそれでもMP5の銃口を"マーガレット"に向け続ける。

 

 

「私にやった事もアイツの本性だってわけ?」

 

「うふふふ!…ねえ、感謝してほしいくらいよ?私たちのお陰で、あなたは息子を未だに見守れるんだし。」

 

「…ッ………言わせておけば…」

 

「まあ、そうカッカしないでちょうだい。…その様子だと、私たちの正体には気づいているようね。」

 

「……ええ。だけど、アンタらの目的がわからないの。一体何が目的なの?」

 

「焦らないの、まだ時間はあるわ。…そうねぇ、どこから話すべきかしら?」

 

「アンタ達はアズールレーンとレッドアクシズが戦争状態に入ってから、出現頻度を減らし始めた。大戦の決着がつく頃には、アンタらの脅威なんて表面化してしまったわけだけど…その時にはもう、大国の中枢に入り組んでいたわけね。」

 

 

 "マーガレット"は少々驚いた顔をして、両手でわざとらしく口元を覆って見せる。

 その様はまるで教師が教え子に「よくできました」とでも言っているかのよう。

 オイゲンは余計に苛立ったが、傍に抱えるマーティンの為にも無駄な戦闘は避けねばならない。

 精一杯の自制心を働かせるオイゲンに対して、"マーガレット"は尚も挑発的な態度をとり続けていた。

 

 

「あらぁ!よくそこまで辿り着けたわね!…その通り。私達は"やり方"を変える必要があった。」

 

「アンタ達でも手に負えないこともあるのね。」

 

「いいえ、それは違う。あのまま直接的な介入を行うのは、私達の本来の目的を阻害しかねないと判断したからよ。」

 

「結局アンタらは何を考えてたわけ?何を目的に、何を成そうとしていたの?」

 

「…人類やあなた達は思っていたより面白い結果をもたらしてくれたわ。でもその反面、彼らは自分自身すら滅ぼしかねないチカラを手にしてしまった。」

 

「………核兵器、ね?」

 

「ええ、そう。あなた達の"活躍"で、私達も無視できない損害を受けた。だから、あの存在は少々厄介だったの。私達が本来の目的を達成するためには、最小限のチカラでバランス・オブ・パワーに介入する必要が生まれた。」

 

「…アンタ達の望む目的は、人類自身の滅亡なんかじゃなかった。」

 

「ええ、その通り。私たちの介入がなければ、きっと人類は核戦争を始めていたでしょう。…そんな事をしたら…ふふふ!()()()()()()()()()じゃない!」

 

 

 腑が煮えくりかえるほど胸糞が悪いのは確かだが、オイゲンはこの女の"功績"を認めざるを得なかった。

 確かに、"こいつら"は人類の指導者達や彼女自身のようなKANSENが成し得ないことを、歴史の裏側で繰り返していたに違いない。

 

 大戦末期の鉄血公国、内乱が勃発したプラタ、更には東西陣営をほぼ全員巻き込みかねなかった東煌での軍事的緊張。

 冷静に考えてみれば、これらの不安定な条件下で核兵器が作動しなかったことは…まさしく奇跡としか言いようがない。

 "こいつら"は誰にも存在を悟られる事なく介入をこなして、人類が直面する最悪の事態を先んじて排除していたのだ。

 

 

「あなた達だって薄々感づいてはいたでしょうに。ティルピッツやヴェネトも私たちの存在を…確信まではいかないにしろ、感知すらできないほど無能なわけじゃない。」

 

「………」

 

「それでも、彼女達は冷戦が終結するまで私たちを追おうとはしなかった。勿論、同胞達の救助に全力を傾けていたのも事実でしょうけれど。」

 

「…確かに、ここ数日で調べ上げたにしては情報があまりに詳細だったわね。ティルピッツはあなた達の存在に感づいていながら、今の今まで行動を起こさなかった。それはアンタ達がティルピッツやヴェネトでさえ手に負えない物事を扱っていたから…冷戦という特殊な状況下の中、国境やイデオロギーの壁を無視できるアンタ達ほど貴重な存在はない。」

 

「私達は"透明人間"、だからここまで最小限のチカラで人類の破滅を防いできた。あなた達がどう思うと、私達にはその自負があるわ。」

 

「………」

 

「気に入らないというような顔をしてるけど、事実としてあなた達に何ができたのかしら?」

 

「アンタ達は大勢を手にかけたも同然よ!」

 

「ええ。けれど、核戦争が起きればより多くの人間が死んだでしょう。人類は文明を保てなくなり、この世界は闇に包まれる。何度も言うけれど、私達はそれを防いであげたの。犠牲になった彼らは可哀想だけど、あなたはこの意味を理解できるでしょう?」

 

 

 ハンスの前では常に飄々とした態度を崩さなかったオイゲンも、この女を前にしては表情を崩さずにはいられなかった。

 理性はその正しさを理解している。

 大戦末期に、或いはハンスと再会したあの頃に核兵器が使用されていれば、きっと彼女は今頃酒店なんて開けていない。

 けれどもオイゲンは、その為に犠牲を払った人々を知ってしまっている。

 牧場主を夢見ていたのに虐殺者になってしまった男や、妹を喪った喪失感を利用されたKANSEN。

 彼女の夫はまんまと騙されて20年も逃げ回る羽目になり、彼女自身も長年監禁されて拷問を受けた。

 プラタでは毒ガス爆弾に大勢が殺されて、インビエルノのスタジアム跡からは未だに多くの人骨が発見されている。

 

 彼女は目の前の仇敵に怒りを覚えると同時に、自分自身へのやるせなさにも気付かざるを得なかった。

 この女を手にかけたいが、その資格がないことは自覚せざるを得ない。

 人類は結局冷戦が終結した後も互いにいがみあって争う事をやめようとはしなかった…それは寧ろ激しさを増している。

 

 超大国の睨み合いが終わり、不安定要素はなくなるどころか増え続けている。

 いわゆる多極化は幾ばくかに自由をもたらしはしたが、その倍の諍いを産んでしまった。

 今や世界の至る所が戦争の火種に塗れて、拡散した大量破壊兵器はより一層の懸念事項と成り果てているのに、指導者達にはそれは食い止める術がない。

 

 

 オイゲンは項垂れるように、徐々にMP5の銃口を下ろしていく。

 "マーガレット"はその様子を見て、さぞ満足そうな笑みを浮かべた。

 

 

「…そう、その通りよ。世界はまだまだ私達の介入を必要としている。あなたや彼ら自身が背負うには重すぎるもの。」

 

「………」

 

「わざわざあなたに会ったのはこのためよ?…警告をするため。私達の邪魔だてをするのなら、人類は自滅を覚悟する事になるでしょう。…分かったのならティルピッツにも」

 

 

 

 バスッというくぐもった銃声が響いて、"マーガレット"は言葉を断つ。

 突然の出来事に訳もわからずオイゲンが顔を上げると、そこにはあろうことかM700ライフルを高く構えるヨアヒムがいた。

 ライフルの銃口からは青い煙が立ち上り、倒れ込んだ"マーガレット"の額からは赤い液体がこぼれ落ちている。

 

 

「…マーティン君が寝てて良かった。行こう、母さん。」

 

「なっ、ちょっ、よ、ヨアヒム!?」

 

 

 オイゲンは驚きのあまり動揺を隠す事もできなかった。

 だが彼女の息子は断固とした態度を示す。

 

 

「…人類は確かに愚かだ。いつの日にか自分自身を滅ぼすかもしれない。けど、だからといっていつまでも"誰かの監視下"にあって良いわけじゃない。」

 

「ヨアヒム…」

 

「そうならないように舵取りをしなければならない、それがこれからの世代を担う者の義務さ。こいつらの世話になるわけにはいかない。」

 

「アンタも…こいつらの正体を知ってたわけ?」

 

「ティルピッツは案外隠し事が下手だな。向こうが情報局をどれだけ調べてたかは分からないけど、情報局には戦友会の資料が山ほどあった。…だから、僕にも分かったんだ。こいつらがかつて母さんと戦っていた、『セイレーン』だってね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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マトリョーシカ

 

 

 

 

 

 ガス散布から一週間後

 

 

 

 

 

 

 インビエルノ

 大統領宮殿

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日の夕食は、いつもと違って大広間で摂ることになっていた。

 残念ながらベラスコ元帥は未だあの2人組を殺せてはいないものの、プラタの領土が広大である割には手早く捜索範囲を絞りつつある。

 海上ではルートヴィヒの沿岸警備隊が哨戒艇や駆逐艦、軽巡洋艦の全てをプラタ沿岸に配置して目を光らせていた。

 どのみち奴らに逃げ場などないだろう。

 

 

 そういうわけで、私は自身の仕事を進めなければならない。

 我がインビエルノの陸軍は無事に首都を掃討して、ほんの少数のゲリラ組織を残してプラタを平らげた。

 見事な"食いっぷり"だったし、2人組の始末さえ終わればベラスコ元帥の胸にはまた一つ勲章を増やしてやるつもりだ。

 こうなると、次の問題は占領地域の統治である。

 私は今度こそプラタから共産主義勢力を一掃するために、行政機関を立ち直らせることこそが急務であると考えていた。

 本日の晩餐会にご招待させていただいたのは、"不幸な"戦火を生き延びた旧プラタ政府のお偉方で、私は陸軍部隊に彼らを可能な限り救助させて保護していた。

 私達は今夜ここで、プラタの今後について話し合うというわけだ。

 

 

 タマンダーレには悪いが、この晩餐会には理由あって私1人で出席しなければならなかった。

 パラノイアの症状はかなり緩和していたし、何よりここでの話し合いには彼女の耳に入れたくないものもある。

 だから私は軍の制服を丹念に着込んで、意気揚々と1人でこの大広間へとやってきたのだ。

 …正確にはウゴを伴っていたが。

 

 

 

「…ああ、皆さん。遅れてしまって申し訳ありません。」

 

 

 大広間の扉を開けて、私とウゴはその中へと入っていく。

 プラタの"旧"お偉方は既にご自身の席に座られていたが、この会の主催者が入室すると一斉に起立して敬意を示してくれた。

 プラタの副首相、国防大臣、外務大臣に国務次官。

 長方形の机の奥の方には、顔馴染みの大使殿まで見える。

 この他の方々は戦火の中で命を落とすか、或いは首都に留まって最終的に"行方不明"になってしまった。

 席に向かう私を見送りながら扉のすぐ横に立ったウゴが、ここにいない旧プラタ政府閣僚の死亡確認写真を全員分用意してくれたから、私は頗る上機嫌だ。

 生き残った閣僚のメンツが私の掌握している人数と合致しているのを確認すると、私はわざとらしく感嘆詞を口にする。

 

 

「ああ、なんとも痛ましい出来事が続きましたが…あなた方がいらっしゃったのは不幸中の幸いです。我が国にとっても、プラタにとっても。」

 

「大統領、この度はご招待いただき誠にありがとうございます。閣下の忠実な陸軍がいなければ…我々はどうなっていたか。」

 

「いいえ、とんでもない。当然のことをしたまでです。プラタの国民には新たな政府機能が必要だ。あなた方のような人材がいらっしゃれば、プラタは早急にこの混乱から立ち直ることができるでしょう。この地域の安定は西側社会全体の利益となります。」

 

「ご配慮にお礼を申し上げます。」

 

「何もお礼を言われるためにこの会を開いたんじゃありません。…皆さん、どうか御着席ください。」

 

 

 我々が席に着くと、陸軍制服を着込んだ給仕係達が早速前菜を持ってやってきた。

 この日のために、私は首都で1番の料理人…ルートヴィヒ夫妻の行きつけの店のシェフ…にタマンダーレの手料理と同一のものを作らせるよう、彼の家族を人質にとって訓練していた。

 望みがなければあの夫妻は行きつけの店を失っていたかもしれないが、幸いにも彼らはまだ週末の楽しみを奪われずに済んだのだ。

 ここにいるメンツの内、2人はタマンダーレの作った料理を食べ、残りはそのシェフが作ったものを食べる事になっている。

 私の手元にきちんとタマンダーレのそれが届くよう念を押しただけあってか、普段陸軍の将官相手に料理を運んでいる給仕係はキチンとその任務を果たしてくれた。

 彼女の料理は毎日食べているおかげか、匂いだけでもそれと分かる。

 

 途方もなく細かいことに思えるかもしれないが、これは私にとって最も重要な事なのだ。

 タマンダーレやボイシの作ったもの以外を口に入れるなんて考えたくないし、それに…

 

 

「それでは、皆様。お手元のグラスをお取りください。…プラタの未来に!」

 

「「「プラタの未来に!」」」

 

 

 私が音頭を取り、シャンパンの入ったグラスを掲げるとプラタの閣僚達もそれに続いた。

 そうして再び席に着いた後、前菜を楽しみながら会話を弾ませる。

 

 

「しかし、副首相殿も苦労なされましたな。国王陛下は勝ち目のない賭けをしてしまわれた。」

 

「ええ、全くです、大統領。我々は皆あの戦争に反対でした。陛下はロイヤルをあまりに甘く見ておられた。」

 

「残念な事に陛下をお救いすることは間に合いませんでした。首都に入った部隊から、陛下のご遺体を見つけたと報告を受けています。」

 

「ああ…それはなんとも、痛ましい。共産主義者共は国内の混乱に乗じて政権を転覆したのです。…我々もあなた方を見習うべきでした。」

 

「あはははっ!共産主義者の扱いについては、父からよく教わりましたからね!曰く、"奴らは壁に並べて撃ってしまうに限る"!」

 

「お父上は誠に正しい御方でしたね。…あのような最期を迎えられるとは…私共としても残念でなりません。実に惜しい方を亡くした。」

 

「そう言っていただければ主の御許にいる父も報われるでしょう。」

 

「彼にあなたのようなご子息がいらっしゃったのは、この国の国民にとっても我々にとっても幸いであります。プラタ国民は隣人の好意を永劫に忘れませんでしょう。」

 

 

 シャンパンを吹き出しそうになったのを必死で堪えた。

 何が"好意"だ。

 この