アルファルドの花 (キョクアジサシ)
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そのユニットの名は

「ピアノバーのステージで歌う、ですか?」

 

 仕事の概要を記された書類を手に、歌織が少しの動揺を言葉尻に滲ませた。

 窓から差し込む春の陽光は暖かく、レッスンルームを包み込むように満たしている。

 プロデューサーは頷いて答えた。

 

「ええ。社長と音無さんがよく行く、上品な雰囲気のバーですよ。社長を通して、マスターから依頼があったんです」

 

 同じく、プロデューサーから召集をかけられていた琴葉と星梨花も、その書類を左右から覗き込んだ。

 二人も目を丸くして、どう反応すればいいのか掴めず、眉根をしかめる。

 やがて、琴葉がプロデューサーに問う。

 

「依頼……ですか。仕事、とは言わないんですね」

「そうだな。この件に関しては、仕事としての強制力はないんだ。やってみてはどうか? というのがマスターからのオーダーだ」

 

 星梨花が戸惑った様子で、少し俯く。

 

「あの……ここは、大人の方が休まれる場所なんですよね? わたしの様な子供が行くと迷惑なんじゃ……?」

「そこは気にしなくていい。厳しい言い方になるけど、求められているのは実力だ。それがあるなら、年齢は二の次って事だな」

「は、はぁ……」

 

 プロデューサーの言葉に気圧された様子で星梨花は、また俯いた。

 歌織が気を取り直して、言う。

 

「プロデューサーさん、歌う曲は?」

「これです」

 

 プロデューサーはファイリングされた楽譜を三人に渡す。

 琴葉がその曲名を、ぽつりと口にする。

 

「瞳の中のシリウス……」

 

 それは、貴音、海美、まつり、美也が歌った曲で、今も人気の根強いバラードだ。

 歌織が楽譜に目を通しながら、呟く様に言った。

 

「なるほど、この曲ならバーでも浮く事はありませんね……。それで、集められたのが私達三人だと言うことは、つまり……」

 

 ぶつぶつと何かを言う歌織に星梨花は不思議そうな表情を向ける。

 琴葉も同じ様な顔をしており、歌織はプロデューサーへ向き直る。

 

「プロデューサーさん、今回の依頼で求められているのは、合奏……ですか?」

 

 プロデューサーは首肯したが、琴葉と星梨花は意味を拾いきれなかったらしく、ぽかんとしている。

 歌織が琴葉へ視線を投げて答えた。

 

「琴葉ちゃんが、歌い手。そして」

 

 今度は星梨花へ手を向ける。

 

「星梨花ちゃんは、ヴァイオリンで。そして私は」

 

 最後に、歌織は自分の胸に手を当てる。

 

「ピアノを担当し、演奏する。そういう事ですよね?」

 

 プロデューサーはもう一度、頷く。

 

「はい。先方からアイドルの指名こそありませんでしたが、俺が相応しいと思う三人と曲を選んだつもりです。演奏の構成も歌織さんが示してくれた通りです。……後は」

 

 プロデューサーは三人の顔を見渡す。

 

「みんながこの依頼を受けるかどうかを、決めて欲しい」

 

 三人は顔を見合わせる。

 不安はある。

 自信だってそれほどある訳ではない。

 でも、いつもとは違う環境で自分の力を試すことができる。

 この業界に入って身に染みた実感だが、同じチャンスが二度来る事は、奇跡の様な偶然を除いて有り得ない。

 ならば、答えは一つだった。

 三人は視線でそれぞれの意思を確認して、頷いた。

 歌織が代表として、その答えを口にする。

 

「プロデューサーさん、この依頼、お受けします。……いえ、依頼ではなく、仕事として、やらせて下さい」

 

 その言葉に、プロデューサーは大きく頷いた。

 

「分かりました。いつもとは違う雰囲気と舞台でのパフォーマンスです。……気合を入れていきましょう!」

 

 プロデューサーが勝気な表情で拳を握り、三人は口元を引き締めてる事で、固い決意を伝える。

 それを確認し、プロデューサーは、ぴっと右手の人差し指を立てた。

 

「で、ユニット名だけど……『アルファルドの花』、でどうだろう?」

 

 聞き慣れない単語に、三人は首を傾げたが、脳内検索に引っ掛かるものがあった歌織が顎に手を当てる。

 

「アルファルド……。うみへび座で最も明るい恒星ですね。確か意味はアラビア語で、『孤独』……?」

「はい。一般的には、それでいいんですが、意訳として、『極限』という説もあります」

「へぇ……。初耳です……」

 

 感心する歌織の隣で、『極限』という語感が気に入ったのか、星梨花が目を輝かせて、両拳を胸の前で握らせた。

 

「『極限の花』……。なんか、カッコいいですね! 私、言葉の響きも好きです!」

 

 琴葉もまんざらでもない様子で、「私もいいユニット名だと思います」と頷く。

 プロデューサーが、ぱんと手を打って、総括する。

 

「よし、名前はそれで。……じゃあ、このメンバーで企画を動かすから、よろしく頼むぞ、みんな!」

 

 プロデューサーが促し、三人も、「はい!」と胸を張って答えた。

 

 

 

 

 



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足りない時間と指導方針

「……で、心が決まった後に言うのも気が引けるんだが」

 

 その直後、口をもごもごさせながら言葉を選ぶプロデューサーに、三人は首を傾げた。

 歌織が問う。

 

「何でしょう? 珍しいですね、口ごもるなんて」

「あ、いえ、そのですね。渡した譜面の右上の辺りを見て欲しいなあ、なんて……」

「?」

 

 三人はプロデューサーの言葉の通り、右上を見る。

 そこには小さなフォントで日付が入っていた。

 一瞬、その意味を図りかねていた三人だったが、真っ先にその意味に気が付いた琴葉が目を見開く。

 

「プロデューサー、もしかして、この日付って、合奏する日……ですか?」

 

 歌織と星梨花も、事態を飲み込んで、プロデューサーへ目を向けた。

 プロデューサーは視線を背ける。

 歌織が問いただすかの様な口調で言う。

 

「プロデューサーさん、この日付まで二週間しかないんですが」

「……そうですね」

 

 星梨花が追撃する。

 

「他のお仕事と一緒に進めるんですよね?」

「……はい」

 

 琴葉が止めを刺す。

 

「時間が、足りません」

「……ごめんなさい」

 

 ひたすら平身低頭のプロデューサーに、三人はため息を吐く。

 多分、プロデューサーに責任はない。

 依頼を持ってきた社長だって悪気があったワケではないだろう。

 だから、これはただ単に折り合いが悪かっただけだ。

 三人に責める気持ちはない。

 この場合、大切なのは責任の所在を問う事ではなく、事態に対処する事だ。

 三人は弱気の虫を追い払う為に、首を数回振る。

 星梨花が問う。

 

「あの、実際にわたし達が一緒にレッスンできそうな日って、何日くらいあるんですか?」

「二日か三日……かな」

 

 琴葉が顎に手を当てて考える。

 

「厳しいですね。何か手を考えているんですか?」

 

 プロデューサーは、「うん」と頷いて、カバンの中からタブレット端末を取り出した。

 

「楽器の都合もあるだろうから、家に帰った後、このタブレット端末の無料通話アプリを通して、合わせて練習をして欲しい」

 

 歌織が目を瞬かせて唇を絞る。

 

「なるほど、それなら同時通話と言う形でレッスンし合える、と言う事ですね。動画も見られるので、ライブに近い感触は得られそうです」

 

 プロデューサーはタブレット端末を操作しながら、答える。

 

「はい。後、録音した音源はクラウドを通して、全員の端末で聞けるように設定もしておきます。移動時間や仕事の合間を縫って聞いてもらえれば」

 

 星梨花は目を輝かせて、そのタブレット端末を受け取る。

 

「わぁ、すごいですね! こんなレッスン方法、初めてです!」

「文明の利器、だな。こういう技術の進化には、俺も驚かされるばかりだ」

 

 歌織と琴葉も、面白がって色々な部分を触っている。

 歌織が琴葉と星梨花へ視線を投げた。

 

「じゃあ、簡単な確認だけしておこうかな。ファーストは星梨花ちゃん、セカンドは琴葉ちゃん、最後の私はサード、でいい?」

 

 二人は、「はい」と答える。

 プロデューサーは頭に疑問符を浮かべていて、その姿を認めた琴葉が補足した。

 

「ファーストは高音域、セカンドは中音域、サードは低音域、です。この場合、ヴァイオリン、声楽、ピアノの順ですね」

「そ、そうか。構成に関しては、ちゃんと考えたつもりだったけど、完璧な自信はなかったからな……。形になって……いたのか?」

 

 くすり、と歌織が笑う。

 

「楽器と譜面と言うのは、構成が正しければ、一致する様に出来ているものです。プロデューサーの選別は間違っていませんよ?」

「そう……ですか。なら、良かったです。あの、それで、ですね。歌織さんに一つお願いがあるんですが」

 

 胸を撫で下ろしながら、プロデューサーは歌織へ問いを投げ掛ける。

 

「今回のレッスンの指導は、歌織さんにお願いしたいんです」

「え?」

 

 予想外の提案に、ちょっと素っ頓狂な声が出た。

 

「それは、どういう? 専門のトレーナーさんに頼まないんですか?」

「今回の依頼……いえ、仕事は、ピアノバーでステージに立つ、メンバーそれぞれに楽器と役割を持たせる、短い期間でネットとクラウドを使って仕上げる……という要素と流れで構成されています。そのどれもが今までにない実験的な試みです」

 

 プロデューサーはそこまで言って、一度言葉を切る。

 

「だからこそ、色々な可能性にチャレンジしたい。これを成功させれば、仕事の選択肢も大幅に増えるかもしれません」

 

 ふむ、と歌織は頷く。

 

「なるほど、チャレンジですか」

 

 歌織は思案顔になり、その様子を三人は固唾を飲んで見守る。

 やがて、歌織は笑顔で首を縦に振った。

 

「分かりました。それでいきましょう」

 

 プロデューサーが安心した表情を浮かべて、「ありがとうございます」と頭を一度、下げた。

 そして、歌織はどこか神妙な表情で、琴葉と星梨花に身体を向ける。

 

「じゃあ、一つ、確認させてね。これからレッスンをしていく上で、大切になってくる事だから、二人共、ちゃんと考えて答えて」

 

 そう言う歌織の声音は、いつも通りでありながら、低いトーンを含んでいて、言葉にし難い迫力を内包していた。

 自然、琴葉と星梨花は、その『確認』の問いを待つ。

 歌織は言う。

 

「二人はレッスンを、『明るく、楽しい』ものにしたい? それとも、『厳しく、徹底的な』ものにしたい?」

 

 その、アプローチに大きな隔たりを持つ提案を受け、琴葉と星梨花は返答に詰まる。

 だが、それも一瞬のこと。

 二人の性格を鑑みると、自明な答えが導き出された。

 二人は異口同音に言う。

 

「『厳しく、徹底的に』で、お願いします!」

 

 その答えに歌織はいつもの笑顔で、「分かりました」と答えた。

 

 

 

 



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合同レッスン 

 そして、プロデューサーが提案をしてから三日後に迎えた、合同レッスンの一日目。

 昼と夕方の仕事を終えた三人は、申し合わせた時刻に、タブレット端末の無料通話アプリを立ち上げた。

 歌織がプライベートで使っているグランドピアノや、星梨花のヴァイオリンはそれぞれの自宅にしかない為、二人は帰宅している。

 琴葉は担当する楽器が無いので、劇場のレッスンルームで準備を整える。

 今日は初日という事もあって、プロデューサーも琴葉に連れ立って参加しており、端末の画面は四分割されていた。

 歌織は落ち着いた様子で、ピアノの鍵盤に指を添わせ、顔を上げる。

 

「じゃあ、始めましょうか」

 

 琴葉と星梨花は頷く。

 プロデューサーは、レッスンルームの椅子に座り、緊張した面持ちで事の推移を見守っていた。

 

「まず、現状の確認から。琴葉ちゃん、星梨花ちゃん、どの位、でき上がってる?」

「私は……歌詞は頭に入れましたけど、メロディーまでは……」

「わたしも、譜面を読みこんでいる途中、です……」

 

 歌織は、「うん」と頷く。

 

「なら、一度、譜面を見ながら通して演奏してみよっか」

 

 そう言いながら、メトロノームを取り出し、指先で振り子を動かす。

 かち、かち、かち、という正確な音が響き、イントロが始まる。

 出だしは歌織の囁くようなピアノから始まり、琴葉のボーカルが、それをなぞる様に滑り込んだ。

 

『星明り照らす キミの横顔を』

 

 琴葉は、内心で、「よし」と拳を握る。

 悪くない走り出しだ。

 歌織は何かを確かめるかの様に、旋律を奏で続け、琴葉が物語の序章であるAメロを淑やかに歌い上げる。

 やがて差し掛かったBメロで、星梨花がヴァイオリンの弓を走らせた。

 ボーカルを引き立てる様に、前面に出る事はなく、あくまで裏方に徹するイメージで弦を鳴らす。

 以前、プロデューサーに説明した通り、三人はファースト、セカンド、サードの役割を崩さないまま、最後まで演奏を終えた。

 プロデューサーは心の中で感嘆する。

 話を持ってきてから、まだ三日なのに。

 琴葉と星梨花は、まだまだ、という口調だったのに。

 充分、聞く事のできるレベルまで仕上がっている。

 これなら二週間あれば、余裕ではないだろうか。

 歌織は鍵盤から指を離し、タブレット端末へ向いて、変わらない口調で言った。

 

「今度は三回連続で、いきましょう」

 

 琴葉か、星梨花の口から、「え」という声が漏れる。

 意図が掴めない二人を尻目に、歌織は鍵盤へ指を添える。

 そして始まる二回目の演奏。

 同じ曲を連続の演奏。

 琴葉と星梨花は、緩んだ気を結び直す為に、大きく息を吐く。

 流されるな。

 通常のレッスンでだって、この位の事はある。

 焦らなければ、いける。

 事実、二人は手堅く、手堅く譜面を走り、三回の演奏は終わった。

 歌織は、ふむと手を顎に当てて少し考えて、言った。

 

「気になる所はいくつかあるけど、それよりも今は足並みかな……。琴葉ちゃん、星梨花ちゃん」

 

 琴葉と星梨花は真摯な眼差しでその言葉を受ける。

 

「スタンスとしてだけど、演奏は自分のやりたいようにやった? それとも、聞いてくれる人の為?」

 

 二人は少し考えて、琴葉、星梨花の順に答える。

 

「私はお客さんの為に」

「わたしもです」

 

 歌織は、「なるほど」と頷いた後、顎に手を当てて考える。

 その様子に、琴葉が不安そうな口調で問う。

 

「あの……解釈が間違っていましたか?」

 

 歌織は表情を崩して、答えた。

 

「ううん。そんなことはないわ。ただ、今回の仕事はいつもと客層が違うでしょ? だから、『やるべき事をやる』と、『やりたい事をやる』の天秤のバランス調整は必要だと思ったの」

 

 星梨花が首を傾げる。

 

「バランス……ですか?」

「ええ。個人的には、『やりたい事をやる』方へ舵を切った方がいいと思うけど……。どうでしょうか、プロデューサーさん?」

 

 急に話題を振られたプロデューサーは驚いた素振りを見せたが、社長と共に行ったバーの雰囲気と、歌織が自衛隊の基地で歌の仕事をしていた過去を思い出し、頷いた。

 

「歌織さんが、そう言うのなら、俺からは何も。そこを疑ったことはありませんから」

 

 プロデューサーの言葉に、歌織はちょっと視線を逸らして、頬を掻きながら答える。

 

「嬉しい言葉を、どうも。……と、いうワケで、『やりたいようにやる』方で攻めようと思うんだけど、二人はどう?」

 

 琴葉と星梨花は、姿勢を正して頷く。

 歌織は微笑む。

 

「決まりね。……じゃあ、これからの時間は全て技術的な問題の解決と、解釈の修正に当てましょう。一つ一つ潰していくイメージで」

 

 そう言って、歌織は譜面へ修正点を書き込み始め、二人もそれにならう。

 

「まずBメロ。ボーカルとピアノにヴァイオリンが交わる所から。この曲は終盤に向かっていくにつれて、物語が展開されていく構成だから、中盤までの低音はピアノが支える。だからヴァイオリンの主張は控えめに―――」

 

 こうして、普段の歌織からは、想像もできない厳しさを持ったレッスンは始まった。

 プロデューサーは三日前の、歌織の言葉を思い出していた。

 これが彼女の言う、『厳しく、徹底的な』という事なのだと。

 

 



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『やるべきこと』と『やりたいこと』の違いについて

「琴葉?」

 

 それから数日後の午後。

 劇場から少し歩いた場所にある、臨海公園のベンチに座っていた琴葉を見つけたプロデューサーが目を丸くした。

 

「プロデューサー?」

 

 レッスンで使うティーシャツとジャージ姿の琴葉も、意外そうな口調で返答する。

 

「お疲れ様です。……休憩ですか?」

「あ、ああ。そんなところ。琴葉も休みか?」

「はい。歌織さんと星梨花は劇場です。……私は外の空気が吸いたくなったので、ここへ」

「なるほど。俺と似たようなものか」

 

 プロデューサーは答えながら、ちょっと顔を空へ向けて、息を吐く。

 琴葉の隣に座りながら、コンビニで買ったミルクティーのペットボトルを差し出した。

 琴葉は、「ありがとうございます」と言って受け取り、プロデューサーはキリマンジャロの缶コーヒーを口にする。

 

「あー、今は口に甘めなのが心地いいなぁ……」

 

 その言葉に、琴葉が苦笑する。

 

「どうしたんですか?」

 

 プロデューサーはチビチビ飲みながら答える。

 

「次のプレゼンで何を言えばいいのか分からなくなって……。以前、仕事を請けたことのある取引先なんだけど、同じことを喋るのもアレだし……。とは言え、奇をてらってコケるのも怖くて……」

「怖い……ですか?」

「ああ。考えすぎて、空回りしてる状態」

「な、なるほど……」

 

 琴葉はリアクションに困った様子だったが、ペットボトルのキャップを開けることで間を取りながら答えた。

 

「じゃあ、私と一緒ですね」

「?」

 

 首を傾げたプロデューサーに琴葉は言葉を選びながら返答する。

 

「『やりたいようにやる』歌い方に煮詰まったんです。歌織さんや星梨花は素養と下地がありますから、色々選択肢も準備できるみたいですが、私は何とも……」

「……単純な疑問なんだが、『やるべき事をやる』って、譜面の指示通りにやるってことだろ? 『やりたい事をやる』とどっちが大変なんだ?」

「どちらが大変、ということはないと思います。私は『やるべき事をやる』の方が得意ですね。『やりたい事をやる』と言うのなら、美希や翼が向いているかと」

「俺で言う、同じことを喋るか、奇をてらうか……だな。そりゃ、難しい」

「はい。ちょっと、色々足りない自分がイヤになってるところです」

「……そっか」

 

 プロデューサーは神妙な気分になって、曖昧な頷きをする。

 

「それに……迷惑じゃないかな、って思う事もあって」

「迷惑?」

「自覚はあるんですが、私って完璧主義なところがあるじゃないですか?」

「……うん、あるな」

「一つのメロディー、一つのフレーズ……それらにこだわりを持ちすぎて先へ進めなかったり、立ち止まったりすると、『しまった』って感じる時があります。二人が戸惑って、微妙な雰囲気になることもあって……」

「いっそ、気にしない自分になりたい……とか?」

「……いえ、固執できるのならしていたいです。距離を取られるのは辛いですけど、その面倒くささが『田中琴葉』らしさだと思うので……」

「……」

 

 プロデューサーは少し、田中琴葉という少女について考える。

 デビューからそれなりの時間を経て、自己分析は済んでいるのだと思う。

 だからこそ、自身を、『面倒くさい』と評する事ができるのだし、それは収穫と考えていい。

 今後、行動する上でのモノサシとなるだろうし、プロデューサー個人としても、そうしてもらえたら喜ばしい。

 だが、結局のところ、最後にステージに立つのは彼女だ。

 自分にできるのはフォローだけと、分かっているつもりだが、気の利いたアドバイスができないことに不甲斐なさを感じないというワケでもない。

 自然と、コーヒーを口へ運ぶ数が多くなる。 

 だからふと、本音が漏れた。

 

「……『アルファルドの花』なんだけど、実はもう一つ意味があるんだ」

「え? 『孤独』、『極限』以外にですか?」

「ああ。それは……」

 

 琴葉が、ごくりと息を飲む。

 プロデューサーが答える。

 

「『完璧』」

「……」

 

 琴葉は少し黙った後、苦い顔でプロデューサーに突っ込む。

 

「今、自分でも同じ言葉を口にしただけに、引っ込みがつかないんですが……」

「……ん、何か、唐突に思い出して。言ってしまった」

「少しは悪びれて下さい……」

「はは……悪い。つい」

「もう……」

 

 どこまで本気で反省しているのか分からないプロデューサーの反応に、琴葉は返答に困りつつも、何とか言葉をひねり出す。

 

「……焦れてるんです、きっと。努力は足りているのに、目標に届かない時の感覚ですから」

「それはキツイな……。どうするんだ、そういう時?」

「そうですね……。とりあえず、私自身のことは棚に上げて、歌織さんを信じます。目の前の目標を追って走る以外にできることはないと思うので」

「……」

 

 ぽかん、とするプロデューサーに、ちょっと不服そうな口調で琴葉は言う。

 

「私、プロデューサーと同じことを言っただけなんですが」

「同じ? ……ああ」

 

 先日、「疑ったことはない」と言ったことか、と心の中で納得する。

 

「なるほど、なるほど。それなら信頼できる。……そう言えば、社長も、そんなこと言ってたな」

「?」

「『人前で話すのが怖いのなら、キーボードを叩くことから始めればいい。……私は、失敗より成功が多い人間を見たことがない。何、クライアントが怒ったら、私が謝ればいいだけの話じゃないか』って」

「……キーボードを叩くことから、ですか」

「それならできるし」

「そうですね……。ふふっ」

 

 突然、小さく吹き出した琴葉に、プロデューサーは首を傾げる。

 

「ん?」

「いえ、そう言えば、この間、昴にも言われたなあって」

「昴に?」

「とあるメジャーリーガーの話です。彼は19年の現役生活で約7700回、打席に立ちました。三振は1700。フォアボールは1800。年間、500回打席に立つと考えると、どうですか?」

 

 プロデューサーは頭の中で計算する。

 

「ええと、たっぷり7年分……凡退してるんだな……」

「はい。7年間、何をしていたのかという話です。……個人的には、やる気の出るエピソードですね」

 

 琴葉はそう言って、ベンチから腰を上げる。

 

「うん、手始めに外堀を埋めましょう。よくよく考えれば、技術では二人に勝てないワケだし、それなら、勝てるフィールドを作ればいいってことで」

「?」

 

 何かを得たらしい琴葉は、少し吹っ切れた様子だったが、発言の意味の分からないプロデューサーは目を白黒させる他ない。

 一歩、二歩と先を歩いた琴葉が振り返り、悪戯っぽい表情で言った。

 

「というワケで、プロデューサー。今日のレッスンはほどほどに切り上げて、そのバーへ下見に行く事はできませんか?」

「え? ええ?」

 

 臨海の潮風を浴びながら、琴葉は微笑む。

 

「技術の習得より、現場の掃除をしたくなりました。まずはキーボードを叩きましょう」

 

 

 



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彼女は明後日の方向へ、「あー」と言った

「あの……歌織さん、琴葉さんは何をしているんですか?」

 

 その日の夕方。

 琴葉の提案もあって、早めにレッスンを切り上げた歌織と星梨花は、プロデューサーと連れ立って訪れていたピアノバーで首を傾げた。

 二人の視線の先には、フローリングを磨く為のモップを持った琴葉の姿がある。

 彼女は丁寧、丹念に床を磨き、ホコリの溜まりそうな死角をくまなく探し、忙しく動き回っている。

 だが。

 

「ん? ……あー、あー! んん? あぁー!」

 

 不可解なのは、時々立ち止まっては、天井の隅だったり、正面の壁だったり、年季の入った木枠の外窓だったりに、張った声を出す後ろ姿だ。

 この仕事を依頼してきたマスターは、奥の従業員控室でプロデューサーと進捗状況の確認をしており、フロアにいるのは三人だけだ。

 歌織が星梨花の問いに、ちょっと引きつった調子で答える。

 

「さ、さあ……。琴葉ちゃんの事だから、何か思うところがあるんだろうけど……」

「はぁ……。さっきまで落ち込んで……いましたよね?」

「うん……。それが、外でプロデューサーと話して戻ってきたら、『歌織さん、星梨花! レッスンを切り上げて、現場の掃除へ行きませんか!?』って言いだした時は、びっくりしたけど……」

「目が輝いていました……。何と何が、どうなって、掃除になるんでしょう……?」

「プロデューサーさんも面食らってたよね……」

 

 そんなことを言い合いながらも、歌織と星梨花も雑巾とモップを手に、店内の掃除を行う。

 意図が分からないまま、来ては見たものの、実際に現場の環境を見られるのはありがたいと歌織は思う。

 社長と小鳥が来ているというだけあって、上品な雰囲気の店だ。

 まず、扉。

 手に吸い付いて離れも良いノブの金属質。

 人いきれの中、静かに佇む別世界への入り口。

 それを開けた後、視界に広がる薄いオレンジの照明と、カウンターに並ぶグラスが訪問者を出迎える。

 バックバーのウイスキーボトル達には、銘の入ったラベルが貼られており、歌織の知っているものも散見できた。

 値の張るものもあるが、置き方としてはバックバーの隅に、小さな華として据えてある程度で、目につくボトルは気軽に手に入れられる銘柄が多い。

 来るもの拒まず、去る者追わず。

 そういうスタンスのマスターなのかも知れないと、歌織は思う。

 だからこそ。

 

「うん、お掃除のし甲斐がある」

 

 思わず、雑巾を持つ手に力が入る。

 作業を進めていると、元から目立った汚れがほとんど見られないことに気付き、「ここで歌うのだ」という未来がプレッシャーを伴って、現実味を帯びて来る。

 

「ん……しょ!」

 

 見れば、星梨花は星梨花で、モップでの床掃除に余念がない。

 根が真面目だし、色々な世界を知りたくてアイドル業界へ踏み込んだという動機もある。

 目新しいものに触れられるのが、楽しいのだ。

 

「うん……私も頑張らないと!」

 

 気を吐いて、歌織も掃除を進める。

 身体を動かして汗が滲み、熱を持った鼓動が心地よくなってきた頃、星梨花が歌織へ話しかけた。

 

「あの……歌織さん」

「ん? なあに?」

「最近、思うんですけど大人の人達って、みんな琴葉さんみたいに頑張る人ばかりなんですか?」

「え?」

 

 驚いて、首を傾げる星梨花の顔を見る。

 そこにあったのは、純粋な好奇心だ。

 琴葉の頑張りを見て、同じ高みを見たがっている様な子供っぽい冒険心が見て取れる。

 歌織は頬を掻く。

 

「うーん、琴葉ちゃんは特別、頑張り屋だと思うかな」

「でも、レッスンをしていても、わたしにもそうなれと歌織さんは言いません」

「強制することじゃないからね。押し付けになっちゃう」

「押し付け……ですか?」

 

 星梨花は呟きながら、天井へ向かって、「あー、あぁー」と声を張っている琴葉の背中を見る。

 相変わらず、意図が分からない。

 だが、押し付けられてやる行動にも見えなくて、やはり首を傾げるしかなくなる。

 歌織は苦笑した。

 

「……これは、何かされるかなーって感じね」

「そう、ですね……。うぅん……」

 

 予想ができなくて、星梨花は知らず知らずのうちに唇を尖らせる。

 その横顔に、子供っぽい負けず嫌いの性格が見て取れて、歌織は、また苦笑した。

 

「こう見えて、星梨花ちゃんも頑固なのよね……」

 

 そして、「ふふっ」と悪戯っぽく笑う。

 

「私も負けていられない……かな?」

 

 

 



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シリウスが導く光の先に

「うん、よく似合ってる。準備万端って感じだな」

 

 そして迎えた、ステージ当日。

 陽が沈み、夜の帳が降り始めた頃、控室でノースリーブのロングドレスへ着替えた琴葉、歌織、星梨花にプロデューサーは満足げな様子で頷いた。

 色はクリアブルーで統一され、店や『瞳の中のシリウス』の曲調に合わせた雰囲気作りは、ひとまず成功と言った所だろうか。

 ドレスの肩の裾を掴みながら、歌織が問う。

 

「プロデューサーさん、結構、お金かけました?」

 

 プロデューサーは苦笑する。

 

「ええ。折角だから、奮発しました。こういう機会は中々ないでしょうし。……琴葉と星梨花は、どこか気になるところとかないか?」

 

 プロデューサーの問いに、琴葉と星梨花は満足げに頷く。

 琴葉が答えた。

 

「背中を押された気分です。少し、力んでしまいそう」

 

 そう言ったが、程よい緊張感があるらしく、繰り返す呼吸に息苦しさはない。

 歌織と星梨花も同じ様で、発声練習をしたり、背伸びをしたりして、不必要に背負い込んでいる様子もないので、プロデューサーは胸を撫で下ろした。

 

「じゃあ、俺はフロアで見てるから。社長と音無さんはカウンターからだって。……後はお願いします、歌織さん」

 

 控室から出て行くプロデューサーは一度、軽く頭を下げると、歌織は微笑んで会釈し返した。

 プロデューサーが去った後、三人は何度か深呼吸して、出番を待つ。

 やがて、アルバイトのフロアスタッフが、「お願いします」と三人へ声を掛けた。

 琴葉は胸に手を当て、高鳴る鼓動を感じつつ、歌織と星梨花に視線を投げる。

 歌織がいつも通りの口調で言った。

 

「じゃあ、行きましょうか。……出し切って、楽しみましょう!」

 

 三人は、ぱんと右手でハイタッチして、控室を出る。

 薄暗く、狭い従業員通路を通って、淡い照明の照らすフロアへ。

 琴葉はいつもより高めの客層の視線を認めて、身体の強張りを感じるが、努めてそれを押し殺す。

 こういう時こそ、いつも通りに。

 その為に、レッスンをしてきたのだから。

 徐々に強くなる鼓動と、手足の震え。

 呼気が荒くなって、くらりと軽いめまいを感じるが、下唇を噛んで平静を保つ。

 そして、琴葉は持ち場のセンターに立ち、歌織はグランドピアノの前、星梨花はヴァイオリンを手に取った。 

 顔を上げると、いつも以上に近い位置で、壮年、高齢の男性客、女性客の表情が見て取れて、息を飲む。

 淡々と値踏みする様な視線が、痛い。

 プロデューサーが言った通り、求められているのは、年齢ではなく純然たる実力だ。

 琴葉は一度だけ、視線で二人とタイミングを合わせて、姿勢を正す。

 顔を上げて言う。

 

「聞いて下さい。……『瞳の中のシリウス』」

 

 数拍置いて、歌織のピアノによる前奏が入る。

 密やかに、囁くように、静かな導入が奏でられ、観客の興味を誘う。

 歌織の旋律はレッスンの時のそれと変わらない。

 三人で何度も譜面をさらい、作り上げた一つのイメージを再現する演奏が、琴葉の心に流れ出す。

 

『星明り照らす キミの横顔を』

 

 開いた琴葉の口から、言葉が零れ落ちる。

 Aメロはほぼ、琴葉と歌織のみのパートだ。

 アカペラとピアノ。

 シンプル故に、ごまかしの効かない構成だ。

 怯みそうになる自分の心を、琴葉は鼓舞する様に声を出す。

 幸い、歌織のピアノの低音域に迷いはない。

 多少、音を外してしまったとしても、フォローは入ると分かっているので、安心して歌える。

 やがて、差し掛かるBメロに、星梨花のヴァイオリンが走る。

 

『そんなに優しい微笑みの理由が』

 

 徐々にメロディーに厚みが出て来る。

 ピアノの低音とヴァイオリンの高音が、琴葉の声をリードする。

 琴葉の頭には、常に譜面がある。

 二人の演奏が、その指示から外れることはない。

 その音を背に歌えることのかけがえのなさを感じつつ、琴葉は旋律と歌詞に心を込めて歌い上げる。

 歌織はそんな琴葉の歌を聞きながら、考えた。

 ここまではいつも通り。

 そう、いつもなら、この辺りから琴葉の声には陰りが見られる様になってくる。

 多分、音符を拾う技術や、お腹の奥からの発声、譜面の解釈に不足があると自覚しているのだろう。

 高いハードルを据えた故の評価だとも思うが、その面倒くささこそ、『田中琴葉』の個性だから、歌織は口を挟まなかった。

 一朝一夕で何とかなる問題でもないが、あの『掃除』をしてから、足りないながらも、何か他に切るカードを得た様な素振りが見えたのだ。

 一瞬、歌織は星梨花へ視線を投げると、それがぶつかったので、彼女も琴葉の『何か』を待っているのだろう。

 そして、最初のサビへ入る。

 

『溢れる 溢れる 瞳のシリウスが 煌めいて』

 

 突然、密やかだった琴葉の声が、低音と高音を包み込むスケールを持って、フロアを満たした。

 ざわ、と観客に動揺が走る。

 今まで、正面から歌を聞いていたのに、不意に背後を含む、頭部全体を押さえられた様な感触を覚えたからだ。

 イメージとしては、目の前のスピーカーから聞いていた平面の音が、オールアラウンドのヘッドフォンへ変わったかの様な耳触り。

 当然、歌織と星梨花も驚きを隠せない。

 急な、この変化を……どうやって?

 普段のレッスンで実力を隠すタイプではないし、Aメロ、Bメロの声質はいつも通りだった。

 歌織は戸惑いを感じつつ、ヒントを探して、周囲へ視線を走らせる。

 

『天体を駆けていくよ ホラ、見えるでしょう?』

 

 そうこうしている間に、最初のサビは終わり、琴葉の歌声が元へ戻る。

 戻る、ということは、サビの音量、音質の増加が偶然ではないということ。

 音に緩急を付ける為の、トリックがあるということだ。

 星梨花もヴァイオリンの弦を走る弓が、焦れていることを感じつつ、思考を巡らせていた。

 技術的な面で、琴葉が不安を覚えているのは知っていた。

 ステージまで日数もなかったし、もし自分がその立場だったら、どう克服すればいいのだろう、どう現場を乗り切ればいいのだろう……と背筋を寒くした記憶もある。

 だからこそ、今、田中琴葉のしている『何か』が理解できず、戦慄を覚えていた。 

 それは怖れであり、同時に歓喜でもあって、星梨花の子供らしい好奇心が揺さぶられる。

 できるのだ、恐怖の克服は。

 努力でもなく、技術でもない、何かがある。

 星梨花の心を欲求が満たす。

 答えが知りたい。 

 ステージを降りてからではなく、今、オンステージの内に。 

 でないと価値がない。

 その欲求を自覚した星梨花のヴァイオリンの音が、高音の中で幅を持ち始める。

 譜面の指示から外れず、高音の中のピアニッシモとフォルテッシモにメリハリが出始める。

 音に、奥行きが生まれつつある証拠だった。

 それぞれに思考を巡らせながら、二度目のサビを迎える。

 『瞳の中のシリウス』は、AメロBメロCメロ、そしてAメロBメロ、間奏後、アウトロ……つまりエンディングのサビで構成されている曲だ。

 だから次のサビが声量を増やす為に琴葉のしている何か……ギミックを探す、最後のチャンスとなる。

 

『溢れる 溢れる 瞳のシリウスが 煌めいて』

 

 再び、琴葉の歌声が立体感を持つ。

 観客は息を飲み、グラスを傾けることも忘れて、その旋律に身を委ねている。

 格好としては、琴葉に良い所を持って行かれている状況の中、トリックに気付いた歌織は、口元に微笑みが浮かんでいる自覚を持つ。

 なるほど、『反響』か。

 同じ結論にたどり着いたらしい星梨花は、どこかくやしそうに唇を尖らせている。

 実際にやっているところを見れば、仕組みは一目瞭然だ。

 琴葉は、A、B、サビに合わせて反響させる声質と量を変えている。

 具体的に言えば、天井や壁や窓の位置と質を把握して、観客へ返って来る音を計算し、立体感と奥行きを演出しているのだ。

 それ自体は珍しいことでもない。

 世の大物アーティストの多くも、コンサートホールが変われば、アカペラで声出しをして、反響の具合を念入りに確認する。

 客席を歩きながら、やる人もいて、あの『掃除』の様に傍からは不審に見えるだろう。

 だが、規模がどうであれ、年季や季節や動員数で歌い方を変え、よりファンに楽しんでもらうライブ作りをするのは当然のことだ。

 アーティスト側から見れば一年の内に何十と歌う曲であっても、ライブへ足を運ぶファンにとっては、年にたった一度の特別な日かもしれないのだから。

 歌織と星梨花も、同じチャンスが二度巡って来る事は、ほとんどないという自覚はあった。

 それを分かった上で、この案件を受けたつもりだった。

 だが、劇場とは環境が違うということの意味の理解が一歩、及ばなかった。

 努力が足りなくて、技術も拙いのなら、現場の工夫で補えばいい。

 未熟な自分を変えられないなら、魅せ方を変えて、自身を演出すればいい。

 そういう視野の広さと、鉄火場経験の足りなさを自覚した星梨花のヴァイオリンの演奏に感情が乗り、調べの鋭さが増していく。

 琴葉と星梨花のハーモニーが生まれ変わり、観客の背筋に冷たいものが走った。

 そんな二人の演奏の下支えをしながら、歌織は苦笑する。

 何と言うか、これ、トレーナーがいなくても、『やりたいようにやる』になっていたんだろうな、と。

 まだ自覚は薄いだろうが、彼女達が彼女達である限り、最後には、そこへ行きつくんだろうな、とも。

 

『零れる 零れる 瞳の シリウスが揺らめいて』

 

 そして最後のエンディングへ入る。

 琴葉はギミックを隠さない。

 自分の思い描ける最高のスケールを以て、このフロアを歌声で満たすだけだ。

 星梨花はその旋律を、走る弓で追いかけ、歌織のピアノが地盤を固める。

 身体が熱を持ち、心も満ち足りていくのを、琴葉は実感する。

 後は、声を出して走り切ればいいだけだ。

 この二人なら、何をやっても呆れずに、付いて来てくれる。

 プロデューサーに言った通り、自分はどこまでも面倒くさい完璧主義者だ。

 でも今はそれが、こんなに誇らしい。 

 歌織のピアノが心強い。

 星梨花のヴァイオリンが心地いい。

 頬を流れる熱い汗を感じながら、琴葉は思う。

 私は今、幸せだ。

 だから琴葉は安心して、最後のフレーズに身を任せた。

 

『夢も満ちる だからもう大丈夫』

 

 



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アルファルドの花

「お疲れ様、琴葉ちゃん。良かったわよ」

 

 合奏を終え、大きな拍手が満ちるフロアの中、琴葉の右隣に歌織が立つ。

 滝の様に流れる汗と、痛いほどに強く鳴り響く鼓動を自覚した琴葉は、しゃがれた声で、「はい」と答える。

 対して、左隣の星梨花は頬の汗を尻目に、どこか、つんけんした表情だ。

 その理由が、「置いて行かれた」ことだと気付かない琴葉は首を傾げるしかないが、歌織は事情を察したらしく、苦笑している。

 歌織が冗談めかして言う。

 

「汗でメイク、ヒドいね。いつものステージと違って、お客さんが近いから薄めだし」

 

 少し余裕を取り戻した琴葉が返答する。

 

「いいんじゃないですか? ライブのスポットライトだと、もっと真っ白の厚化粧ですから。あっちは崩れると見られたものじゃないです」

 

 星梨花が唇を尖らせながら、琴葉の左手の人差し指を握る。

 顔はそっぽを向いたままだ。

 

「……わたし、ライブの時、何度か皆さんからお雛様って言われました」

「えっ!? そ、そんなことあった……っけ?」

「うーん……?」

 

 星梨花にとっては大いなる不満エピソードなのだが、記憶に残っていなかった琴葉と歌織は目を白黒させる他ない。

 星梨花が、ぷくっと頬を膨らませると、観客から微笑ましい歓声が漏れてくる。

 

「二人共、挨拶を」

 

 歌織に促されて、琴葉と星梨花は背筋を正した。

 三人、息を合わせて、右手を頭上へ掲げ、半月を描く様にゆっくり下ろす。

 同時に腰から身体を折り、深い会釈をした。

 呼吸を整えながら、たっぷり三秒、そのままの姿勢を保つ。

 暖かな拍手が三人を包む。

 その中に社長、小鳥のものも含まれていて、琴葉は瞼の裏が、じんとするのを感じた。

 そのまま、名残を見せず、背を向けて控室へ向かう。

 来た時より広く見える従業員通路を抜ける。

 痛んで、少しガタついたドアを開けると、プロデューサーが待っていた。

 プロデューサーは数回、拍手した後、目を細めて微笑んだ。

 

「お疲れ。よかったよ、みんな」

 

 その言葉で、三人の腰が砕け、膝から崩れ落ちた。

 

「え!? ど、どうした!?」

 

 慌ててプロデューサーは三人に駆け寄る。

 汗だくの三人は、恨みがましい視線をプロデューサーへ向ける。

 プロデューサーは、三人のノースリーブドレスの首筋を流れ落ちる汗の艶めかしさから努めて目を逸らし、改めて問う。

 

「ええっと、なんで?」

 

 まず、琴葉が答える。

 

「大変だったのは、誰のせいだと思っているんですか、誰の?」

 

 次に、星梨花。

 

「すごく……すごく緊張しました」

 

 最後に、歌織。

 

「手応えのある二人を寄越すんだから……。無茶な仕事ですよ……」

 

 プロデューサーは顔を背けながら、曖昧に、「あー、うん。そう……だな」と頷く。

 

「星梨花、プロデューサー……反省してる様に見える?」

「見えません。またやる顔です。キツいライブの後、いつもあんな顔です」

「管理者としてどうなのかしら……ホントに……。いっそ、社長に……」

 

 歌織の最後の言葉に、プロデューサーは泡を食った様子で食いつく。

 

「そ、それは勘弁です、歌織さん! 何だかんだで、今日は社長も楽しんでくれたみたいですし、よしとしましょう? ……ねっ!?」

 

 プロデューサーのリアクションに三人が鼻白む。

 

「まつりさんが言うならオッケーなんですが……」

「プロデューサーさんだと、ちょっと……」

「以下、同文」

「か、カンベンして下さい……。反省しますので……」

 

 肩を竦めて自戒するプロデューサーに、三人は苦笑する。

 やりすぎたか。

 三人が、クスクスとさざめく様に笑い、プロデューサーは苦い顔で頭を掻く。

 やがて、琴葉が表情を優しく緩めて、プロデューサーへ言った。

 

「プロデューサー」

「ん?」

 

 琴葉は目を細める。

 

「ありがとうございます。無事、キーボードを叩けました。こういうやり方も、アリですよね?」

 

 プロデューサーも、にかっと笑う。

 

「ああ……肝を抜かれたよ! 次も楽しみにしてるぞ!」

「はい!」

 

 言い合って、笑い合う二人を、星梨花と歌織は首を傾げながら見守る。

 

「歌織さん、キーボードって何のことですか?」

「……何のことでしょう?」

 

 理解の追い付かない状況に、星梨花は釈然としない様子だ。

 しかし、その横顔の瞳には、今までに見られなかった強い光があることに歌織は気付く。

 このステージを経て、星梨花の中の、『田中琴葉』像が変わったのだろう。

 琴葉の実力を疑ったことはないだろうが、それが予想を大きく凌ぐものへ成長したのだ。

 同じステージに立っていた、自分達を追い越していくほどに。 

 知らない世界を知りたい。

 それを知った喜びをもっと、感じていたい。

 そういう動機を、歌織も自身の中に見出しているので、今の焦らされる様な、もどかしい感情は理解できる。

 新しい世界への入口へ、手を引いてくれる存在が、こんなに近くにいたのだから、それは興奮もするだろう。

 やがて、プロデューサーが、「ふぅ」と一つ息を吐いて、三人へ向き直った。

 

「じゃあ、後は頼みます、歌織さん。俺は劇場へ戻ります」

「え? この後、みんなで打ち上げじゃないんですか?」

 

 その言葉に、プロデューサーは勝気に笑い、拳を握って答えた。

 

「今、無性にキーボードが叩きたくて」

 

 星梨花と歌織は、「?」と首を傾げるが、意味の通じる琴葉だけが、ぷっと吹き出した。

 

「はい、大いにキーボードを叩いて下さい、プロデューサー!」

「ああ!」

 

 プロデューサーは大きく頷いて、控室を出て行く。

 琴葉は、その背中を見送った後、じわじわと湧いて来る達成感を抱きながら、右手を開いて閉じてしていると、不意に星梨花が二の腕にぶら下がって来た。

 

「っと!? え、どうしたの、星梨花?」

 

 星梨花は頬を膨らませて、宣言する。

 

「琴葉さん……わたし、次は負けません!」

「え?」

 

 琴葉には、その意味がよく分からない。

 負ける? 

 何に?

 

「え、ええと? うん、そうだね? 頑張ろう?」

 

 イマイチ自覚のない琴葉に、星梨花はますます不満げな様子で頬を、ぷくーっとする。

 歌織がため息交じりに零す。

 

「うーん、そういうところかな、琴葉ちゃん。自分の目的が明確な分、そこしか見えていないというか。まず、ライバル認定するのって大切だと思うの……。一方通行だと一番切ないやつだから……」

「?」

 

 ぽかん、とする琴葉だったが、歌織は苦笑いする。

 とはいえ、『大人は皆、琴葉のように頑張るのか?』と聞いていた星梨花が、こんな風に食いつくとは……。

 世の中、蓋を開ければ、どう転ぶか分からないと言うことか。

 

「プロデューサーさんのあの様子だと、ホントに次はあるだろうし……。これは大変だ……」

 

 歌織は呟いて、頬を掻く。

 すると、琴葉の腕を引っ張っていた星梨花が、何かに気付いた様子で、バックからスマホを取り出した。

 

「あのっ、着替える前に写真、取りませんか? 記念です!」

 

 琴葉と歌織が微笑んで頷く。

 

「そうだね。せっかくの、高いドレスだし」

「じゃあ、ポジショニングは、ステージと同じで」

 

 言い合って、左に星梨花、真ん中に琴葉、右に歌織の場所取りをする。

 笑顔を作り、自撮り棒にスマホを引っ掛け、敢えてフラッシュを焚く。

 そして、撮影した写真に写ったのは、汗でメイクが崩れ、フラッシュで不自然に真っ白な、それはヒドい三人の笑顔だ。

 二重は崩れ、目元は滲み、頬はかき乱され、とてもではないがアイドルとして見られた写真ではない。

 だが、三人にとってはかけがえのない、無二の到達点。

 揃って指差して、笑う。

 

「うわー、星梨花、潰れた大福みたい!」

「琴葉さんだって、動物園のパンダです!」

 

 そして最後に、「良かった。まだ、化粧で隠せるわ……」と歌織が呟き、琴葉と星梨花の間に、体験したことのない戦慄が走る。

 だが、知らず知らずのうちに、お互いの肩に回していた腕は、強く、そして暖かくて、三人は額をぶつけ合った後、また、笑った。

 その花の名は、『アルファルド』。

 『孤独』、『極限』、そして……『完璧』を意味する、とある夜のピアノバーに咲いた一輪の花である。

 




こんにちは、キョクアジサシです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この作品のテーマは、「完璧主義」でした。
何かとつまづく理由になりがちなファクターですが、その傾向を持つ三人を集めたらどうなるんだろうと思い、書かせていただきました。

ブレーキではなく、アクセルに。
ぐんと踏み込んだ先に何かが見えていたら……と思います。

重ねて、最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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