逆行者二人による怠惰な使徒防衛戦 (沼田もんざえもん)
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フォース、あるいは・・・

 

 

 

 

 

 

 赤く染まった海。

 その浜辺。

 少年は赤い少女に跨りその胸の上で嗚咽を漏らす。

 一体どれ程の時間、少女の上で涙を流していたのだろうか。

 少女の胸から流れ落ちた涙が、涎が脇腹を通り川となり砂浜に乾くことのない染みを作っていた。

 この世には少年と少女の二人。

 泣き続ける少年を慰める者は居らず、涙に濡れ続ける少女を引き起こす者も居らず。

 だから少女は自分で起き上がる。

 少年を突き飛ばし。

 今度は少女が少年に跨る。

 少女の手には何所で拾ったのか、穂先が二股に分かれた赤い色の細長い槍を握り締めていた。

 少女は理解していた。

 この世に人間は自分と少年の二人だけだと。

 誰も、少年さえも、少女を止める者は誰も居ないのだと。

 少年は理解していた。

 少女が手に持つ槍で自分を貫こうとしていることを。

 誰も、少年さえも、少女を止めてくれる者は誰も居ないことを。

 

「あんたが全部、私のものにならないなら、私、何もいらない」

 

 少年は何所かで聞いた少女の言葉を思い出す。

 誰も、何もかも失った世界。

 残すのは少年と少女。

 少女は少年の全てを手に入れるため両手に構えた槍を大きく振り上げる。

 この世はもう少年以外には何もないから。

 掲げられた槍が形を変える。

 二股の穂先は少女の内心を表すかのように捻じれ、捩れ、姿を変える。

 一つになり短くなった穂先が少年の胸に吸い込まれていく。

 少年は抵抗しない。

 両手は無気力に広げられ砂浜の上に。

 ずぶずぶと、何の抵抗もなく槍は沈んでいく。

 涙はもう止まっていた。

 代わりに血が溢れ、零れ出す。

 少年の口から。

 そして少女の口から。

 

「?」

 

 自分の顔にかかる血に、少年はようやく自分を刺し貫いた少女へと目を向ける。

 少女は笑っていた。

 口から血を溢し、笑っていた。

 少女の胸には槍の穂先が。

 変形した槍に柄はなかった。

 短い穂先をずぶずぶと少女は自分の胸へ沈みこませる。

 

「何もいらない」

 

 今度ははっきりと、少女の口から聞こえた。

 

「あんた以外、何もいらない」

 

 大きく見開かれた右目が近づく。

 少女の両手が少年の頬に触れ、口が近づく。

 あと少し、あと少しと少女は少年に近づく為、更に穂先を沈みこませる。

 だが届かない。

 徐々に徐々に力尽きてゆく少女は少年へ口づけることができなかった。

 あと少し。

 ほんの少し。

 それでも届かない。

 

「・・・何で」

 

 少女が吐いた血で汚れた少年の顔が、少女の流す涙で洗われていく。

 

「何でよ」

 

 全てを懸け。

 全てを捨て。

 それでも埋まらなかった少年とのその距離に少女は涙する。

 

「何でよ!!」

 

 少年の頬を掴んでいた両手にもう力は入らなかった。

 流れる血が再び少年の顔を汚していく。

 

「なん・・・で・・・」

 

 かすんでゆく視界に少女は力なく瞼を閉じる。

 閉じて、永遠に開くことはなくなる。

 筈だった。

 

「歯、磨いてるよね?」

「え? ・・・んっ」

 

 引き寄せられ、唇が触れ合う。

 距離はゼロになり体が触れ合う。

 再び大きく見開かれる少女の右目。

 少女は見る。

 自分を見つめる少年の瞳を。

 少女は感じた。

 重力でもない、自重でもない。

 自分を引き寄せた腕の力を。

 少年の抱擁を。

 

「・・・鼻息がこそばゆいから、息、しないで」

「うん」

 

 それは何時かの焼き直し。

 最悪で終わった日のやり直し。

 

 最悪で、最高なやり直し。

 

 最初に力尽きたのは少年の方だった。

 

 少女の背に回されていた右腕が砂浜の上に落ちる。

 

 力なく、それでも少女は確りとその右手に自分の左手を組ませる。

 

「・・・本当に息、止めなくたっていいじゃない、バカシンジ」

 

 少女にとって四度目となる口付けを贈る。

 

 もう、少年は少女を抱き締めてはくれなかった。

 

 それでも少女は繰り返す。

 

 何度も何度も。

 

 息絶えるまで口付けを繰り返す。

 

( ・・・もう一度 )

 

 何度も何度も。

 

( もう一度 )

 

 何度も願う。

 

 

 何度も。

 

 

 

 何度でも。

 

 

 

 

 少女は願った。

 

 

 

 

 

 息絶えた少年と少女が光に包まれる。

 この世で二人きりの男と女。

 壊れた世界で再び出会った男女。

 最初に出会った二人。

 神の元を、満たされた世界を離れ。

 一つになることを拒んだ二人。

 一人であることを選んだ二人。

 世界で最初の二人。

 始まりで終わりの男女。

 男は最後の最期に世界を。

 他人を。

 女を選んだ。

 女は最後の最期に他人を。

 男を。

 男の居る世界を求めた。

 

 壊れる前の世界では四度目。

 新たな、二人だけの世界では一度目となるそれは少女の願いを



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親子の再会、もしくは・・・

 

 

 

 

 

 

 碇ゲンドウにとって感動的ではなくとも、それなりに感慨深い三年振りの再会となるはずだった。

 

「・・・葛城一尉、説明を」

 

 ゲンドウが見下ろすその先の光景。

 それは妙齢の女性二人と一人の少年。

 少年を、自分の息子シンジを二人がかりで運ぶ部下達の姿だった。

 

「説明を」

『はっ、はい!』

 

 アンビリカルブリッジ上、シンジの両脇に腕を通し運んでいた女性、葛城ミサトは慌てて敬礼しケイジ内上部に設置された、ゲンドウが立つブースへと向き直る。

 当然。

 運ばれていたシンジは放り出されブリッジに頭を打ち付けることに。

 

『ミサトっ!』

『ああっ?! ごめんなさいシンジ君!!』

 

 シンジの両足首を両脇に抱え運んでいた女性、赤木リツコに叱責され狼狽えるミサト。

 ブース内のモニターには腹心である冬月コウゾウの頭を抱える姿が流れている。

 

「・・・赤木博士」

『はい』

 

 埒が明かないと見切りを付けたゲンドウはリツコに水を向ける。

 シンジの両足を抱えたままという、やはり締まらない格好ではあったものの、至極真面目な顔から出てくる説明は理路整然として解り易いものだった。

 

 いわく。

 受け答えに応じようとしない。

 自分で動こうとしない。

 視線を合わせようとしない。

 茫然自失の状態。

 それはミサトと出会った直後から。

 リツコと出会ってからも変わらず。

 ゲンドウを視界の端に捉えてなお。

 

 改めてシンジへ視線を向けるゲンドウは息子に呼びかける。

 しかし息子からは望んだ反応は得られない。

 残念ながら先程打ち付けた頭部の当たり所が悪かったようで目の焦点は合わず、半開きの口からは涎が際限なく流れている。

 ブリッジ上で介抱する二人もすげなく首を振る。

 

「・・・冬月、レイを起こしてくれ」

『・・・仕方あるまい、か』

「ああ、仕方ない。レイ」

『・・・はい』

 

 その後、三人は中央作戦指令室へ。

 一人は本部内の医療用隔離施設へ。

 一人はエヴァ初号機のプラグ内へ。

 ジオフロント直上で暴れまわる使徒の影響でケイジ内の照明器具が落下するも、それに気を回す者は誰一人としていなかった。

 そして第三の使徒の殲滅はエヴァ初号機の暴走でからくも成される。

 ファーストチルドレン、綾波レイの入院期間延長とエヴァ初号機の中破という結果と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広い病室にベッドが一つ。

 ベッドを囲うカーテンはなく、横のキャビネットにはコップと水差しだけ。

 少年、碇シンジにとって馴染み深い病室。

 懐かしい場所。

 そして、今の彼にとっては在り得ない、有る筈の無い空間。

 

( ・・・頭が痛い )

 

 胸を刺される痛みと死への恐怖よりも少女との口付けを選んだシンジだったが、後頭部の痛みには耐えかねたようでベッドの上で身体を横に向ける。

 

( いない )

 

 横になり、腕と胸の間にできた隙間を寂しく感じたシンジはそれを埋めようと枕に手を伸ばす。

 

( 夢・・・じゃないよね? )

 

 それが指すのは、気を失うまでの間ミサトとリツコに運ばれつつ眺めていた見慣れない天井達のことなのか、それともあの赤い海での出来事なのか。

 そのどちらとも以前からについてなのか。

 シンジは無意識の内に唇を指でなぞる。

 思い出すのは最悪な一度目と二度目。

 そのどちらも胸が痛かった。

 三度目以降も酷く胸が痛かった。

 激痛だった。

 穴が空いていた。

 

( 生きてるから・・・やっぱり夢? )

 

 精神的に疲弊し衰弱した今のシンジは夢と現実はおろか、過去と現在と未来の区別も段々とつかなくなっていく。

 

( ・・・エヴァにも乗らなかったし、やっぱり夢なのかな )

 

 とりあえず少女の存在とエヴァへの搭乗の有無を理由に、ここは夢の中なのだろうと納得するシンジ。

 

( 夢なんだから、一緒に寝てくれてもいいのに )

 

 自分の腕の中に居ない少女への不満を愚痴りつつ、抱いた枕に顔を埋め目を閉じる。

 シンジは気付かない。

 頭の痛みに加えその眠ろうとする動作こそが、ここが夢の中ではなく現実足らしめているということに。

 だがそれに気が付くことは万に一つもない。

 何故ならこの場に少女がいないから。

 その指針は揺るがない。

 

( ・・・寒い )

 

 冷房の効いた病室。

 人肌への餓えとともに、生理的な反応を催す。

 

( 夢の中、ですると・・・起きたら実際に・・・してたって、いうけど・・・ )

 

 うつらうつらと、意識を手放し始めるシンジは痛む頭を動かすのはよろしくないと大分投げやりな理由で致す自分を納得させる。

 

( おねしょていど・・・なんか・・・いまさら、だろ・・・・・・あすか )

 

 夢の中。

 からかい、弄り、囃し立てる少女に言い返し、恥ずかしがりながらも文句を付ける少年の寝顔は穏やかなものだった。



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噂の事実、それは・・・

後半結構書き直しました。


 

 

 

 

 

 

 デスクに向かうリツコの表情は優れない。

 

「ネルフはパイロットの子供(チルドレン)達を洗脳しようとしている、か」

 

 彼女が口にしたのは今ネルフの内外において、まことしやかに囁かれ錯綜する、ほぼほぼ事実といっても過言ではない噂の一つだった。

 零号機起動実験失敗時のレイに対する総司令の明らかな特別扱い。

 廃人の様相を呈するシンジの病室隔離という対応についての憶測。

 どこまでが補完計画のため、ゲンドウが意図的に行ってきたものなのかはさておき、噂も含め諸々の対処をするようにと白羽の矢が立ってしまったリツコは頭を悩ませる。

 間が悪いことに第三使徒殲滅直後、つまりはレイとシンジの長期療養が決定してすぐ、ドイツ第三支部でも起きていた弐号機動作実験の失敗とそれに伴いパイロットの心神喪失が本部へとリークされてしまった。

 結果、この世に三人しかいないエヴァパイロット全員がほぼ同じ時期に病床送りへ。

 悪い出来事は重なり易いとはいえ、ここまでくると何か裏があるのではと勘ぐってしまうのが人というもの。

 

( 一体、誰が流し始めたのかしら )

 

 自分のデスクでキーボードを打ち続けるリツコは噂の出所についても思案に暮れる。

 案外ただの噂に留まらず、子供達の惨状とその扱いに対する組織への疑念という、至極真っ当な義憤に駆られたネルフ関係者による内部告発の一端なのでは、と推測してみたり。

 

( 初号機の修復に零号機の再起動。シンジ君のシンクロテストに弐号機とセカンドの受け入れ。更には探偵の真似事まで・・・正に猫の手も借りたい状況ね )

 

 リツコはデスクに置かれた明らかに仕事とは関係のない、私物の猫の置物を指先で優しく突いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本気、なのね」

「ええ。次の使徒が来る前には何としても終わらせるわ」

 

 久しぶりに聞いたミサトとリツコの声に、シンジは何時もの夢の続きが始まったことを知る。

 勿論、シンジがベッドの上でうずくまり続けているこの病室のある場所は夢の中などではなく現実である。

 

「三人の中で間違いなく一番の健康体の持ち主よ。躊躇する理由はありません」

「それは肉体面に限った話でしょう。アスカみたいに精神汚染を受ける可能性、ちゃんと考えてんの」

 

( ・・・あすか? )

 

 シンジが二人の会話に反応したのはここに来て ( 彼にとってはこの夢を見始めて ) 、初めて少女の名前を、惣流・アスカ・ラングレーについての話を聞いたからである。

 まさかここが過去の世界で、未来でアスカが『もう一度』などと願ったばかりに再び訪れる羽目になった同じ世界だとは思いもしないシンジ。

 大勢のネルフスタッフ、医師や看護師が代わる代わる訪れ様々な検査や身の回りの世話を焼こうと彼が何ら関心を示そうとせず寝たきりのままでいたのは、偏にこの夢の中にアスカは出てこないのだろうと諦め、現実に戻ろうと試みて直ぐ寝てしまうからだ。

 シンジにしてみれば何故自分の夢の中にも関わらずアスカが居ないのか、不思議でたまらなかった。

 

( そうか・・・アスカ、いるんだ )

 

 居るのに会いに来てくれないのは何時もみたいに自分が知らず知らずの内に怒らせてしまい拗ねているからだろう。

 夢の中だと信じている割には現実的な、むしろ自身の夢の中であるからこそ実際にあり得そうな理由で都合良く納得するシンジは、ならば会いに行こうと考えミサトに視線を向ける。

 

「・・・・・・反応、示したわね」

「そうね」

 

 もっとも、考えただけで身体を動かしたり声を発することはなかったシンジ。

 視線だけでアスカの所へ連れてってくれとミサトに頼む。

 

「アスカのことが知りたいのかしら?」

「あなたが精神汚染なんて不吉な単語口にしたからでしょう。彼も今からその可能性があるだなんて、怖がらせるような真似を・・・」

「ちょっ、そんなつもりはっ!?」

「・・・彼のこの状態、あなたがブリッジで彼の頭を放り出した所為だと勘違いしている職員も少なからず居るのよ?」

「うそおっ?!」

 

 ミサトの声の五月蠅さに眉をひそめるシンジはやっぱり夢の中なんだなあと、張り詰めた様子のない、懐かしく感じる仲の良い二人の騒がしい姿を見詰める。

 最後に二人のこんなやり取りを見たのは何時だったのか、シンジは終ぞ思い出すことができなかった。

 

「まあ、これはこれで都合が良いわね」

「あんた、まさかアスカを出しにして・・・」

 

 途端に険しくなるミサトの表情。

 そんな顔は見たくないとばかりにシンジは目を瞑る。

 その些細な少年の機微さえリツコは見逃さず、努めて笑顔で振る舞う。

 

「二週間もベッドで寝たきり。たまに動いても寝返りと伸びだけ。排泄物の処理に関しても眉一つ動かさず、食事に至っては口元への接触がなければ自らの意思で行わない」

「・・・まるで赤ん坊ね」

「そうかしら?泣きわめいたり暴れたりしない分、楽なものよ」

 

 リツコの持つ端末には哺乳瓶を使われ看護師の手で水分補給をさせられるシンジの姿が。

 そして微笑みながらその映像を見詰める友人にミサトは半歩後退る。

 

「シンジ君。あなたに頼みたい事があるの」

 

 そうしてリツコの口から語られるのは、かつてこの街に来た日に初号機のケイジで行われたこと。今回、行われることがなかったこと。

 シンジとしてはアスカに会いに行きたいだけなのに、世界の命運やら適格者やら資格やらと以前聞かされた話を再び並べ立てられた所でどうでもよく。

 

「・・・・・・フハァ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 小さなあくび一つ済まし、二人がアスカに会わせる気がないことを理解すると枕を抱え直し再びうずくまる。

 ここでアスカに会わせて欲しいと頼むこともなければ精神汚染を受けたという彼女の容体にも気を向けない辺り、この場を夢だと思い込んでいるにしても自分本意で身勝手な一面 ( 怒っているアスカに会っても余計に怒らせるだけだろうし怒られたくもないから今回は会わないでおこうという考え方 ) が抜けきらないシンジだった。

 できるだけ波風を立てず、心を乱さず平穏でありたい。

 このベッドの上はある意味、かつての彼にとっての理想ともいえた。

 そう。

 かつては、である。

 これから語られることは、もし彼女と出会って間もない頃に同じ言葉を投げ掛けられたとしても、今以上に、彼にとって追い詰められる言葉には成りえなかっただろう。

 

「シンジ君。傷付いている彼女達の・・・アスカ達の代わりにエヴァに乗って。どうか、お願い」

「・・・ミサト」

 

 アスカを出しにする。

 始めこそ、そのことに嫌悪感を示したミサトが率先してそれを口にしシンジへ頭を下げた。

 

「あなたがどうしてこんなにも全てにおいて無関心で、生きる気力を持とうとしないのか。その理由は分からないけれど、私にはなんとなく理解できるの。できてしまうのよ」

 

 シンジにとって、その語り口には覚えがあった。

 

「自分の知らないことを知るのが、知ろうとしなかった事実を知ってしまうのが怖かった」

 

 その痛くなるほど優しい声音に。

 

「嫌っていた筈の、理解できないと思い込んでいた人の心に触れ、知りたいと願った時にはもう会うことさえ叶わないことに絶望した」

 

 

『何のためにここに来たのか、何のためにここにいるのか』

「会えない苦しみを受け入れる事が出来ないから拒絶する」

 

 

 その苦しくなるほど温かな瞳に。

 

 

『必ず戻ってくるのよ』

「愚かな自分を拒んで」

 

 

 

 

『いってらっしゃい』

「辛い現実を拒んで」

 

 

 

 

 

『帰ったら続きをしましょう』

「生きることさえも拒んでた」

 

 

 

 

 

 

 その全てが懐かしく、遠く、辛いものだった。

 だから手を伸ばす。

 果たせなかった約束を謝りたくて。

 

「シンジ君?」

 

 受け止めきれなかった願いに。

 心にもう一度、触れたくて。

 

「・・・いいわ。少しの間だけ、貸してあげる」

 

 その微笑みに、両手で包み込むように握りしめ、小さくうなずいた。

 

「ありがとう。シンジ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この直後、第四の使徒襲来の警報に慌てたミサトとリツコは修復率が六割にも届かない初号機へシンジを放り込むことに。

 結果、プラグ内で膝を抱えうずくまるだけのシンジに操縦などできる筈もなく、初号機は再び暴走。

 やはりぎりぎりで使徒の殲滅を成すも初号機の修復率は二週間前の状態へ戻ることになった。



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求む人材、つきましては・・・

 

 

 

 

 

 

 ネルフ、ドイツ第三支部内。

 支部内の施設でも比較的明るい、外の日差しが多く取り込めれる一室。

 部屋の中の照明器具を無くすためか、嵌め殺しの大きな窓にカーテンはかかっていなかった。

 入居前の、壁紙の貼り付けも済ませていない様な色のない室内。

 そんな殺風景な室内には一台のベッドと一人の少女が。

 少女は血の付いた病院着を纏い、ベッドの上で膝を抱え丸まった姿勢で微動だにせず、窓の反対側奥の壁にある出入口を黙って力なく睨みつけている。

 少女の左目には医療用の白い眼帯がかかり右目には深い隈が。

 包帯が厚く巻かれた右腕は力なくベッドの上に投げ出されその手首には手錠が、鎖はそのままベッドの脚に繋がれている。

 私室というよりは病室。

 病室というよりは監獄に近いその一室で部屋の主は、惣流・アスカ・ラングレーは訪れることのない少年の姿を待ち続けていた。

 

「・・・サードチルドレン、碇シンジを連れてこい、ねえ」

 

 その少女の様子を部屋の外、廊下の壁に掛けられたモニターから眺めている男、加持リョウジが呟く。

 少女が求めてやまない少年の名前を。

 

( 第三の使徒殲滅後、本部と張り合う研究員達の独断専行で急遽始まった、実戦で観測された A T フィールドのデータを用いてのエヴァ動作実験。その結果がこれとは。リっちゃんの鼻で笑う姿が目に浮かぶな )

 

 加持は先日ようやく本部に送れた資料の内容を時系列順に追って思い返す。

 実験前はサードよりも使徒を殲滅したファーストに強い関心を持っていたアスカ。

 研究員達に煽られる様にして意気揚々と弐号機へ乗り込むも実験開始直後に暴走。

 百を超える高シンクロ状態に陥った瞬間に気絶。

 その際、施設内の電力部に接触し弐号機は小破。

 同時にパイロットもフィードバックにより負傷。

 

「左目は完全に失明。右腕も掌から肘辺りまで縦に割け神経もズタボロ・・・」

 

 パイロットが気を失ったままの状態で手術は始まり、その後下された診断結果は惨憺たるもの。

 少なくない研究員達の死傷者と資材の損失を出した事故だったが、その研究員達の独断専行が招いた面からも、支部内の人間は巻き込まれ乗せられただけで大きな傷を負ってしまったアスカに同情的だった。

 

「・・・にも関わらずこの有様、か」

 

 加持は吊られた自分の左腕を摩り苦笑する。

 廊下には物々しい雰囲気が漂っていた。

 モニターを眺める加持を挟むように立つ黒服の屈強な保安諜報部員達に、部屋の出入り口と廊下の両端を完全武装で巡回する固い表情のネルフ職員達。

 

「流石、ネルフの天才エースパイロット。自分で言うだけはあるな」

 

 アスカが同情的に見られたのはほんの数時間。

 彼女の残った目が開くまでの、ほんの短い間だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドイツ第三支部で起きた錯乱した弐号機パイロットによる特殊監査部 加持リョウジを人質に取った立て籠り・・・ようやく方が付いたらしいな」

「・・・ああ」

 

 薄暗い司令官公務室内。

 ネルフ本部の総司令と副司令の囁くような会話。

 

「何でも件の少女はお前の息子を御所望だったとか。何時の間に二人の接触を?」

「記憶にない」

 

 語られるのは本部の職員達へ知らされることなく過ぎ去って行くこと。

 

「第三支部の連中はこの不祥事、委員会からの言及を極力避けるため、セカンドチルドレンは外部からの洗脳の可能性有りと決め付け早々に処分したがっているようだがどうする。この苦しい時にのんびりと新たなパイロットを選出している暇はないぞ」

「処分される前にこちらで回収する手筈は整っている。アダムに関してもだ。これ以上好きにはさせん。問題はない」

 

 その聞き慣れた単語に副司令、冬月は顔をしかめる。

 

「諸々の回収については心配しておらん。彼の随伴もあるしな」

「では何だ」

 

 冬月は深い溜め息をこぼし、何時ものごとく机に肘を付き手を口許で組んで語る男、ゲンドウへ向き直る。

 

「第三使徒上陸以降、エヴァの起動は公式非公式問わず暴走のみ。本部支部共に出る損害は使徒ではなくエヴァによるものの方が甚大」

「・・・・・・」

 

 冬月からゲンドウヘ向けられたのは至極真っ当な不安だった。

 それは計画以前の問題。

 そして。

 

「今やネルフ内外において一番信頼されているエヴァパイロットがレイただ一人なんだぞ?!」

 

 そして計画の全貌を知る者達にとって、これほど不安になる理由もなかった。



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踊る報告・・・

 

 

 

 

 

 

 会議室にて、司令副司令を除いた中央作戦指令室の何時ものメンバーとパイロットに直接関係の有る部署の職員達が集まっていた。

 それぞれが手に持つ冊子には第五次チルドレン報告会の文字が。

 オペレーターの一人、日向マコトの報告が続く。

 

「第三使徒殲滅直後から入院中のレイちゃんですが、先日の手術は成功。重篤な容体からは脱して現在は小康状態と落ち着いています」

「損傷した内臓の方はどうなったの?」

「保管されていたドナー患者のものを使用。特に拒絶反応等は見られず今の所は正常とのこと。ただ・・・」

「無茶させるな、でしょ。わ~ってるわよ。今のところテストだの実験だのさせる気もないっての。リツコもそうでしょう?」

 

 レイの身体に関する不安点をミサトが確認し今後の方針をリツコに尋ねる。

 

「ええ。零号機の再起動実験は今すぐにでも始めたいところだけれど、流石にね」

「サードチルドレンを零号機に乗せての実験は出来ないんですか?」

 

 リツコの決定に書記を務め議事を P C へ打ち込んでいた伊吹マヤが以前から推し進めていた筈の予定を尋ねる。

 

「本部で三度。支部でも非公式に一度。このひと月の間に起きた四度に渡るエヴァの暴走でどれだけの物と人とお金が消し飛んだか、だそうよ」

「だそうよ?」

 

 マヤがリツコの微妙な言い回しに首を傾げ、ミサトが頭を掻きながら苦々し気にその詳細を話す。

 

「この前のシンジ君の出撃で副司令から大目玉食らっちゃってねえ・・・」

 

 その副司令は副司令で国連や日本政府等、方々から大目玉を食らっていた。

 外からは自意識の希薄な訓練経験もない隔離中のパイロットを使いエヴァが暴走したと見られていたらしい。

 

「まあ、事実ですから仕方ありませんよ」

 

 日向の言葉に職員達がうんうんと頷く。

 

「う゛」

「ぐっ」

 

 レイの時とは違い、搭乗直後ケイジ内で始まった暴走も印象悪化の原因だった。

 

「発令所も半壊ですしね」

 

 マヤの言葉に職員達が溜め息を溢す。

 

「いや・・・その」

「まあ・・・ねえ」

 

 そして下された法案が使徒戦以外でのエヴァの完全起動を禁止するもの。

 

「・・・ちょっち間が悪かっただけよ。碇司令が不在中でまともに使えるパイロットはゼロ。弐号機を半強制的に本部へ回収しようと第三支部の司令と交渉中だったのにそれを私とリツコが台無しにした、だなんて」

 

 本来なら国連やら政府やらも間に挟んで行われる交渉等を全部すっ飛ばして戦力確保ができる機会だったらしく、それを二人の独断でみすみす逃すことになってしまったらしい。

 

「事前に報告ぐらいしてくれたっていいと思わない?」

 

 この場に冬月が居れば間違いなくお前が言うなと怒鳴られかねないミサトの発言に、彼女の勢いに呑まれプラグにシンジを放り込む手伝いをしてしまったリツコも顔をしかめる。

 

「副司令も、あの状態のシンジ君をエヴァに乗せるだなんて夢にも思わなかったでしょうね」

 

 もっとも、冬月が行っていた交渉に関しては当日、第三支部内で人質を取って籠城するアスカに掛かり切りという事態で成功する確率はものすごく低かった。

 後日、そのことについて当の人質だった男から知らされ冷や汗をかくことに。

 それら伏せられた情報について知らされることのない二人の完全な怒られ損だった。

 

「セカンドチルドレンについては前回の報告時と変わらず。未だに眼球の移植や腕のリハビリを拒んでいる状態です」

「まいったわねえ・・・精神汚染の方も相変わらず?」

「はい。自身と、何故かサードチルドレン以外の人間は全て死亡しているとの主張を繰り返しています」

 

 再び会議室内に溜め息が響く。

 

「使徒と人類、エヴァの手により世界は滅亡・・・」

「残される少年と少女・・・」

「今、自分が見ている世界は使徒の生き残りか地球外生命体かが作る幻覚、もしくは作られた偽物・・・」

「支部内では未来予知の類いではと一部声も上がっているそうです・・・」

 

 再度響く、深くなる溜め息。

 

「そこらのゴシップ誌が書いた三文記事なら鼻で笑ってやる所なんだけど・・・」

「・・・世界に三人しか居ないエヴァパイロットが言うと妙な説得力がありますよね」

「何でサードチルドレンも生き残ってるんだ?」

「そりゃあ、同じエヴァパイロットだからだろ?」

「案外、深層心理からくる恋心の暗示的なものだったり!」

「残念。セカンドとサード、互いの存在は情報のみで知るだけっすね」

「あれ?でもこの前サードがセカンドの話に興味を示したって報告上がってたぞ」

「マジか!」

 

 一気に騒がしくなる会議室。

 選ばれた世界を守る同い年の男女のパイロットという設定が憶測とも妄想ともつかない想像を膨らませる材料になっているのは間違いなかった。

 異様な熱気に包まれ、もはや報告会のていを成さない室内。

 そんな中、背中にうっすらと冷や汗を流す女性が一人。

 

( ・・・あの人が壊れたパイロットごときの回収で躍起になるだなんて、不思議に思ったものだけれど)

 

 手元の P C に映る極秘の文字。

 中身は二人の身体検査時の写真。

 第三の使徒殲滅以降に出来たと思われる、二人の胸元と背中の白く薄い、丸い痣。

 同じ直径。

 同じ色素。

 まるで、細長い槍のような物で体を貫かれた後、塞がれた傷痕のような痣。

 レイには無い、二人だけのもの。

 ゼーレさえも知ることのない事実。

 

( まさか、ね・・・ )

 

 リツコは手元のファイルを消去する。

 いずれは周知の事実となろう二人の目立つ痣を。

 それでも今は知られるべきではないと。 



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目覚める蕾・・・

 

 

 

 

 

 

 青い少女が目を覚ました時そこが何所なのか、自分が何所で寝ていたのかが直ぐに理解できなかった。

 何時もの心静かにできる打ちっ放しのコンクリート柄の部屋でもない。

 ここ最近でようやく慣れ始めた、昼でも夜でも眩しく感じてしまう白い病室でもない。

 

「?」

 

 だがそれは少女の勘違いだった。

 そこは間違いなく零号機の起動実験失敗以来、長期療養する羽目になった病室である。

 よく見ればそうだと直ぐに気が付くことが出来た筈なのに、少女は気が付かなかったのだ。

 そうだとは思えなかったのだ。

 

「・・・・・・はな」

 

 未だ右目の眼帯と右腕のギブスを外せない少女は明いた左目を大きく開き周囲を見渡す。

 そこにあるのは色の洪水。

 赤、青、黄。

 紫に桃に橙に。

 ベッドを囲むように。

 少女を囲むように。

 色とりどりの花束が。

 山になる程の生花が溢れていた。

 

「そこにあるもの全部、あなたに贈られたものよ」

 

 掠れた小さな少女の声に応えたのは別の声だった。

 その声の方向に少女は首を向け何とか身体を起こそうとするも声の主、ミサトに止められる。

 彼女の手にもまた満開の小さな向日葵が。

 

「まったく格好つけちゃって。普段お見舞いしないような連中ばかり挙って花束なんか選ぶんだから。私の置き場がなくなっちゃうじゃない」

「そう思うんだったら、あなたも活けるの手伝ってちょうだい」

「あら。リツコも来てたの?」

 

 複数の花瓶を台車に乗せ病室に入って来たリツコはまた増えてると頭を振る。

 

「ドアに花束お断りの札でも掛けとこうかしら」

「止めときなさいって。花が縫い包みとかの小物に代わるだけよ」

「だとしても、水替えの面倒が無くなるぶんだけマシだわ」

 

 ミサトの持つ向日葵をさっさと取り上げるリツコは手頃な花瓶に挿していく。

 

「・・・いまいちね。そこのデルフィニウム、取ってちょうだい」

「デル・・・何?」

「青い星型のやつよ」

「ああこれね」

 

 複数の花束を組み合わせ、ああでもないこうでもないと活ける二人の姿に少女、綾波レイは首を傾げ問う。

 

「なんで・・・ですか」

「ん?」

「・・・え?」

 

 それは困惑。

 

「どうして・・・ですか?」

 

 それは疑問だった。

 いままでの病室にはなかったものだった。

 自分の、コンクリート柄の部屋にだってなかったものだった。

 それが何故、自分に送られるのか。

 勿論、知識では知っていた。

 こういった場合どの様にすればいいのか。

 どの様に行動するのが普通なのか。

 それでも少女は理解しきれなかった。

 これ(・・)は何なのかと。

 そんな、心底不思議だと言わんばかりのレイの表情にミサトは微笑む。

 

「良かったわね、レイ」

「・・・なぜ?」

 

 体中が酷く重く、まともに動かすことさえ出来ない現状の自分。

 そんな自分を見てなお、少女の傍に寄り添い動かし難い右手をとって、ミサトは何故か嬉しそうに良かった良かったと頷く。

 

「皆あなたのことを想って、心配してたのよ」

「みんなって・・・だれ?」

 

 少女は知っている。

 その答えを。

 それでも掠れた声で。

 わずかに震える声で尋ねてしまう。

 

「ネルフのみんなからよ」

「・・・ほんとうに?」 

「ええ。本当に」

 

 これ(・・)が何なのか、知りたいから

 

「あたたかい」

「そう。皆の気持ちがあったかくて、嬉しいのね」

 

 自分の頬を伝う熱を持った気持ちに、少女はもう混乱しない。

 そっと指を添え、受け止めてくれる人が確かに居たから。

 

「ありがとう、ございます。葛城一尉」

「水臭いわね~。ミサトでいいわよ、れーい」

 

 とぼけた声から贈られたそれが、偽りでないと信じたくて。

 

「・・・ミサトさん。ありがとう」

「ん。どういたしまして」

 

 一気に満たされるそれが、自分にも意味のあるものだと信じたくて。

 

「・・・・・・リツコ、さん?」

 

 それの存在を確かめたくて。

 

「・・・・・・別に、構わないわよ」

「素直じゃないわねえ~」

 

 少女はその日、一方的ではない繋がりを確かに感じたのだった。



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過ぎた可能性・・・

 

 

 

 

 

 

 何も分かってないくせに、私のそばに来ないで!

 

 あんた私のこと分かってるつもり!

 分かるはずないわ!

 

 じゃあなにもしないで

 あんた私を傷付けるだけだもの

 

 あんた誰でもいいんでしょ

 ホントに他人を好きになったことないのよ!!

 

 ・・・哀れね

 

 

 

 

 

 

「自分だって本当は僕と同じくせに」

 

 

 

 

 

 

 少年、碇シンジは目を覚ます。

 忘れようとしても思い出してしまう辛かった現実から逃げる為、夢の中に飛び込む。

 

( ・・・アスカがいない )

 

 その事実に、安堵とも落胆ともつかない心地になり、シンジは寝転んだままアスカを探すように周囲を見渡す。

 手元には握り締められ折れたクレヨンが、ベタベタとした不快な感触と臭いを漂わせている。

 ベッドの上で広げられた、皺の寄った画用紙には赤黒く塗りつぶされた人のような何かが事切れていた。

 

(・・・何、してたんだっけ?)

 

 夢の連続性を全く疑わないシンジは先程まで見ていた現実へと戻る直前のやり取りを思い出そうとする。

 

( 確か、ミサトさんとリツコさんと・・・あと誰かがやってきて・・・絵を描くように言われて・・・ )

 

 そこでようやくシンジはアスカ以外の存在へ意識を向ける。

 病室内には騒がしい声が響いていた。

 

「だから!何度も言うけど生活能力が全く無いうえアルコール依存症のあなたには無理よ!」

「そういうあんただって無理でしょ!どーせ家でもダース単位でタバコ吹かしてるくせに!」

「禁煙ぐらい何時でも出来るわよ!!」

「私だって禁酒ぐらい訳ないわよ!!」

 

 二人をよく知る男が聞いたら間違いなくどちらも無理だから諦めろと諭すような不毛過ぎる激論をベッドの横で交わしていた。

 その二人の間には車椅子にちょこんと腰かけた、耳に大きなヘッドホンを付け、抱きかかえた大きなテディベアにもたれウトウトと船を漕ぐ青い少女が。

 

「レイは繊細なのよ!?ズボラなあなたが面倒見きれる筈ないでしょ!!」

「そういうあんたはラボに籠り切りでほとんど家に帰らないじゃない!!」

「ズボラが移る可能性よりはましよ!!」

「実害のある受動喫煙よりはましよ!!」

 

 二人のやり取りにシンジは呆れる。

 綾波の無関心であるが故に生活能力がない、意外とズボラな一面を二人が正しく認識していないという事実に。

 

( ・・・四人目、か )

 

 シンジは二人が何故、綾波をどちらが引き取るかで揉めているのかはさっぱり理解できなかったが、目の前の少女が自分のよく知る綾波レイではないことは理解できた。

 

( ・・・やっぱり、綾波はもうどこにも居ないんだ )

 

 シンジは例え夢の中でも、もう綾波には会えないのだろうという確信があった。

 現に、シンジの目の前で車椅子に座っている少女は外見こそ綾波であるものの、彼が感じた母を思わせるような、自分の全てを受け入れてくれるような包容力を感じ取ることができなかったのだ。

 

( リリスと・・・アダムが・・・・・・何だっけ? )

 

 全てが溶けたあの赤い海の中で綾波と色々な話をしていたはずのシンジだったがその全てを完全に理解していた訳ではなかった。

 それよりも今は、リツコの手によって体が崩れていく綾波達の姿の方がより鮮明に思い出させられてしまう。

 綾波の胸。

 綾波の太もも。

 綾波のふくらはぎ。

 

「・・・ぅッ」

 

 綾波達の笑顔。

 綾波達のこぼれる目玉。

 漂う綾波達の腸と肋骨と・・・。

 泣き崩れるリツコを慰めようともせず唖然と見下ろすミサトの後ろ姿。

 

( ・・・ああ )

 

 目の前の綾波に似た少女から感じられるのは幼さやあどけなさ。

 無防備な状態を晒すことで表される大人達への信頼。

 恐らく他者からの贈り物であろう、馴染みの無い物への執着。

 その全てが。

 

( なんて・・・ )

 

「・・・うぇ」

「ちょっ?!シンジ君!!」

「落ち着きなさいミサト!戻してるだけよ。気道確保しておくからスタッフ呼んできてちょうだい」

「わかった!レイはそこでじっとしてて!」

 

 ミサトの声に驚き肩を跳ねさせ、シンジの身体を気道確保のために動かすリツコを不安気に、テディベアを強く抱きしめて様子を窺う少女の姿は確かに、彼が知る二人の綾波レイとはかけ離れたものだった。

 

「あっ」

「警報?・・・まさかっ!?」

 

 気を失うように、辛く苦しくともアスカが居る現実へ逃げ出そうとするシンジへ、再び目を背けたくなるような現実が襲い掛かろうとしていた。



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デストルドーへの予感、ここから・・・

 

 

 

 

 

 

 楽になりたいんでしょう。

 安らぎを得たいんでしょう。

 私と一つになりたいんでしょう。

 心も体も一つに重ねたいんでしょう。

 

「でも、あなたとだけは、絶対に死んでもいや!」

 

 それは結局の所、全てが溶け合い混ざりあった状態で、その他大勢の中の一人として少年と在ることを許容し、良しとすることが出来なかったからだろう。

 

 

 

 

 

 

 上手く動かない右腕にかけられた手錠。

 臭いも羞恥も気にならなくなって久しい部屋の隅の簡易トイレ。

 ヘッドセットのないフケだらけのぼさぼさな頭。

 潰れた左目を医療用眼帯の上から押さえ付け眠気をはらう日々。

 

「ぜーんぶ、あんたなんかとキスしたからよ」

 

 赤い少女、惣流・アスカ・ラングレーはベッドの上で悪態をつく。

 まるでこの状況は自分ではなくキスの相手の少年、碇シンジが作り上げたものだと言わんばかりの口ぶりで。

 

「・・・もう泣かないって決めた筈なのに」

 

 彼女自身、知る由もないことだが本当の原因はそれに尽きるのだった。

 それはあの赤い海での思い出。

 終わった世界よりも重要で、消えた人間達よりも大切な事。 

 二度も首を絞められてもなお、自分を見ようとしないシンジに死の間際、最後の最期に縋ってしまったという慙愧の念。

 

( 全てあたしのものになる筈だった )

 

 何もかも失くしたシンジがあの世界で残すものはその命と他人(アスカ)との繋がりだけ。

 だからアスカは安易な方法に手を出した。

 その繋がりさえ拒絶しようとするシンジが辛く当たる自分を受け入れる筈がないと諦めてしまったから。

 

( 何もかもなくなって、何も持たないあいつから全てを奪って、あたしだけのものにして終わる筈だった・・・ )

 

 なのに。

 

「・・・歯ぁ磨いてるかですってえ?」

 

 細くなった左腕を振り上げベッドのマットレスに叩き付ける。

 安っぽいスプリングが錆び付いた音を響かせ僅かに跳ね軋んだ。

 腕に痛みもなければベッドに損傷も見られない。

 イライラの解消さえ思い通りにいかない現実の全てが癇に障った。

 

「あいつは何も分かっちゃいない」

 

 ひと月近くも前になる、薄れ行く意識の中で最後に見たシンジの顔を思い出す。

 痛みも、苦しみも、恐怖も無いといった安堵に包まれた顔だった。

 アスカは唇を重ねるのに夢中で何時からその表情だったかは覚えていないし、当時はその表情について深く疑問に思うことはなかった。

 なんならアスカ自身、同じ様な顔をしていたかもしれない。

 満たされたと。

 もしあれで最期だったならば、アスカは疑問を持たず今もシンジと共に浜辺で横たわったまま、微笑んだまま朽ちて行けただろう。

 

『あんた、碇司令が死ねと言ったら死ぬんでしょ!』

『そうよ』

 

『・・・だったらお願いよアスカちゃん。一緒に死んでちょうだい』

『うん、いっしょにしぬわママ。だからママをやめないで!』

 

『何もしない!私を助けてくれない!抱きしめてもくれないくせに!!』

 

( 結局、あいつはあたしに言われた事を言われたままに、された事をされたままにしただけ )

 

 アスカは愕然とした。

 本来ならば立ち直れない程のショックであった。

 あれが愛情ではなくただの同情だったと理解してしまったのだから。

 求められたことへの受動的な反応だったと。

 自分のことを好きになれない人間が、自分の全てを奪おうとし奪えないと涙する他人へ向けた感謝の表れにしか過ぎないのだと。

 

「・・・だから何よ」

 

 それでも少女はまだ少年を求める。

 互いに生き延びているのだから。

 あの赤い海でも溶け合えず、あの浜辺でも朽ちることはなく、ここにいるのだから。

 だからこそ、アスカは再び求める。

 赤い海で拒絶し、浜辺で勘違いしたまま永遠に溶け合うところだった彼を。

 

「次は確実に。もう一度、あたしと一つに」

 

 それは互いが互いを押し貫き、互いの隙間を埋めていく行為。

 痛みと共に互いを受け入れる行為。

 ひび割れた唇が歪に吊り上がり、痩けた頬が喜色に染まる。

 

「今度こそあんたの全てを・・・」

 

 アスカにとって何故まだ自分が生きているのか、どうして胸の傷が綺麗に塞がっているのかなどは些細な問題だった。

 アスカにとって偽者が跋扈する薄っぺらな世界など更にどうでも良い問題だった。

 彼女にとって一番の問題はシンジがまだ確かに生きているという事実。

 未だにシンジの全てを手に入れられていないという事実。

 気を失う間際、それが同情だと気が付かず手を緩めた自分に吐き気すら覚えるアスカは夢想する。

 あの時、自分の腕に力が残っていれば今頃、涙も見せずにシンジの全てを手に入れられていたと。

 あの時、涙する姿をあいつに見られてしまうくらいなら、あいつの目玉を刳り貫いて食べてしまえばよかったと。

 やつれてもなお未だ顔に幼さと美しさを残す少女はそんな猟奇的なことをつらつらと考えながら、今日もドアに落ち窪んだ右目を向ける。

 虎視眈々と。

 二度も成されなかった補完を求めて。

 

 

 

 

 

 

 一方、随分と関係性が怪しくなった異性から命以上のものを求められているとは夢にも思わない寝たきりの少年、碇シンジは今、呼吸器を取り付けられていた。

 幸か不幸か、気管にまでチューブを入れるほど重篤なものではなかったが、今すぐ L.C.L の中に沈められる程の容体でもなかった。

 

「初号機パイロットを使え」

 

 第二発令所作戦指令室にて、ゲンドウは司令席からオペレーター席のミサトを見下ろし非情な命令を下す。

 

「・・・承服しかねます」

 

 ミサトはその命令を見上げながらも真っ向から拒否する。

 

 

 

 第五の使徒との戦いが直ぐそこにまで迫っていた。



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交渉、されど・・・

 

 

 

 

 

 

「目標は!?」

「現在、芦ノ湖上空を通過」

「エヴァ初号機はパイロットの搭乗確認次第発進可能な状態です」

「遅いぞ葛城君」

「申し訳ありません!」

 

 司令副司令とメインオペレーターが出揃うなか遅れて第二発令所指令室へと顔を出すミサトに周りは騒ぐことなく何時ものことだと彼女を交えて指揮を再開。

 きっと普段の勢いで半壊した第一発令所の方に向かってしまったのだろう。

 誰ともなく指令室メンバーはそう考えていた。

 

「報告があります!」

「・・・何だ」

 

 しかし今回は違った。

 その切羽詰まったミサトの顔に、普段ならば遅刻した程度で気にする様子も見せず行動でもって遅れをリカバリーしようとする彼女だったが、今回は動揺がありありと窺えた。

 

「サードチルドレンの容体が悪化。現在、処置室に収容中。今はエヴァの搭乗すら不可能な状態です」

「何っ?!」

「・・・・・・」

 

 泡を食う副司令にオペレーター席の三人も動揺を見せる。

 一人、眉一つ動かさない司令が無言で報告の続きを促す。

 

「赤木博士とファーストチルドレンが零号機の再起動に向かっていますが早くとも一時間。ファーストチルドレンの身体もまだ実戦に耐えられるほどの回復は見られません」

「法案さまさまだな。零号機の運用は諦めていい」

「・・・これから弐号機とそのパイロットの回収交渉に入る」

 

 然しものゲンドウも重い腰を浮かし温めていた案の実行に移るべく指示を飛ばす。

 

「国連軍及び戦自との共同戦線で使徒を足止め。初号機にはファーストチルドレンの搭乗を。肉弾戦は避け A T フィールドの中和のみに専念し N 2 兵器を用いて事に当たれ」

「妥当だな」

「ああ。今から席を外す。葛城一尉、弐号機の増援は交渉次第だ。空輸にも時間がかかる。期待はするな」

「はっ!」

 

 指令室から消える司令副司令に敬礼で応えミサトはメインモニターに向き直る。

 

「二人とも、聞こえたわね」

『了解』

『分かっていると思うけど、初号機の復旧率は未だ六割。レイとのシンクロ率は四十以下で・・・』

「無茶させるな、でしょう?ほーんと、素直じゃないんだから」

「戦自、国連軍共に許可が下りました!」

「戦自からの威力偵察機映像、出ます!」

 

 メインモニターのスクリーンが切り替わり青い正八面体形の巨大な飛行物体が映し出される。

 

「あら、随分とお早いことで」

「この状況見越して司令が手を回してたに違いありませんね」

「ここまでお膳立てされて足止めすらダメでした、じゃあ作戦課の名折れね。日向君は指揮系統こちらで纏めれるか交渉を・・・」

「報告!」

 

 ミサトの指示を遮る形で青葉の声が響く。

 

「目標内部で高エネルギー反応!」

「なんですって?」

「円周部を加速、収束していきます!」

「まさかっ?!」

 

 

 

 

 

 

「なあアスカ、そろそろ乗ってくれないか?」

「・・・・・・」

 

 左腕に包帯を巻いた男、加持リョウジが寝転がるアスカの顔を窺うためベッドに近づこうとするも保安諜報部の一人に止められる。

 軽く両手を上げ立ち止まる加持は笑みを崩さぬまま口を動かす。

 

「本部総司令たってのお願いだそうだ。協力してくれるならアスカの要求も幾らかは呑むとか吞まないとか」

 

 やる気のない、交渉とも言えない加持の口振りに脇を固める黒服達はサングラスの奥で視線を交わす。

 ここ第三支部内では、もう既に元エヴァパイロットから要注意人物という肩書にまで堕とされてしまった少女が再び暴れ出すようであれば無条件発砲が許されている状態である。

 中にはさっさと処分してしまえという声も上がるほど。

 それでも拘束監禁状態で生かされているのは、集められたパイロット候補全員が弐号機とのシンクロに失敗しているからだ。支部で手が出せるのは精々パーソナルデータの書き換えまでで、弐号機をセカンドチルドレン専用たらしめるコアの換装をしようにもそのコアは本部生産であるうえに何故か本部は生産を拒否。よしんば手に入ったとしても随分と小汚くなってしまったこの少女より他が使えるという確証もない。

 三人のパイロットの中で正常さという点では比べるのも烏滸がましいとさえ言える今のセカンドだが、パイロットの能力だけで言えばぶっちぎりのトップである。みすみす処分してしまう訳にもいかなかった。

 二度にわたるエヴァの暴走で二ヵ月近く包帯の取れない車椅子に座るファーストと二度にわたる上官二人の過失により寝たきりのサードと、元から子供に優しくない組織であるからして、支部内で起きた最年少職員の反逆行為もまともな大人達からしてみれば妥当の一言。

 頼みの綱だった子供達が目に見えて壊れ始め、最近までまともだった連中も人類存続は不可能と自棄になり出す始末。更にとち狂った連中は言動のおかしくなったセカンドを未来からの使者と言って祀り上げようとしたりファーストを聖女と言って神聖視し出したりと、別の意味で支部内は壊滅状態だった。

 真っ先に匙を投げた支部の司令は家族を連れ長期休暇に出かけ、残された副司令もカロウシ寸前らしい。

 そんな、第三支部解体まで秒読みの状況下、第五の使徒襲来で人類滅亡にもリーチがかかってしまった。

 本部司令、国連、独日政府と交渉するまでもなく弐号機とそのパイロットの本部回収は決定。

 にも関わらずこの有様である。

 

「アスカ、起きてるんだろ?少しは話だけでもだな」

「チッ・・・何度言ったら分かんのよ。その顔と声であたしの名前を呼ぶなって言ってんでしょ、偽者!」

「はあ・・・」

 

 体を起こすことなく舌打ちと共に返ってきた言葉は、アスカの加持に対する以前の反応を知る者からすれば耳を疑うものだろう。

 やれやれと苦笑いで肩を落とす当の加持には緊張感が無かったが、これは非常に不味い事態でもある。

 弐号機は既にエヴァ専用の空輸機に固定され、後はセカンドを乗せるだけ。だが件の少女は頑として弐号機には乗らないと主張。

 セカンド曰く、もう弐号機は存在せず今在る弐号機は上っ面だけ整えた張りぼてだと。

 セカンド信者は未来で弐号機が大破し今もその状態だと彼女が思い込んでいるのではと考察し、まともな者が取り合わない中、ファースト信者がではなぜ過去である今の万全な状態のエヴァに乗らないのかという至極まともな疑問を投げ掛け、まともじゃない勘の良い者がそれこそ未来でコアごと大破してしまって今がその延長線上だと思い込んでいるからだろうと大正解を引き当てるも、少女に向かう黒服達がそんな与太話を信じる訳もなく。

 

「セカンドチルドレン。君が戦わなければ世界は滅ぶぞ」

「もう滅びてるわよ」

「君の家族や友人も死ぬことになる」

「もう全人類消えてるわよ」

「でもシンジ君はアスカと一緒に生き延びた。だろ?」

「・・・加持特殊監査官、我々の邪魔をしないでもらいたい」

「・・・いや本当にマジで邪魔しないで下さいお願いします」

 

 勝手に付いて来たまともじゃない勘の良い男を二人係で取り押さえながら黒服達は双方に懇願する。

 だが二人の願いは無視され話は進む。

 

「あのバカと初号機が居るでしょ」

「残念ながらシンジ君は今、呼吸器を付けて医療用カプセルの中だ。初号機の復旧率も正直言って心許ない」

「あっそ」

 

 だからどうしたと言わんばかりの少女はゴロゴロとベッドの上で転がり、信者が何時の間にか用意した貢ぎ物、黒髪の少年がプリントされた等身大の抱き枕の腹部を裂いて腕をグイグイと突っ込むという遊びに興じる。

 

「どーせっ、あたしがっ、行かなくてもっ、偽者の三十路女か!可愛いお人形さんが泣いて頼めば!エヴァに乗って戦うわよ!あのバカは!!」

 

 遂には開いたワタの中に顔を埋め叫ぶ少女。

 ゾッとする黒服達と何所か思案気な加持は少女がワタの中で頬を膨らませるという幼い拗ね方をしていることに気が付くことはなかった。



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挑む戦い、望まぬ恐怖・・・

 

 

 

 

 

「現在、目標は我々の直上、第三新東京市ゼロエリアに侵攻。直径十七・五メートルの巨大シールドがジオフロント内ネルフ本部に向かい穿孔中です」

「敵はここ、NERV本部へ直接攻撃を仕掛けるつもりですね」

「・・・潮時、か」

「国連、戦自からもエヴァなしでの作戦続行、N 2 兵器使用は止めるべきとの声が上がっています」

「妥当ね。むしろエヴァなしの状況下、よくぞここまで付き合ってくれたもんよ。後で菓子折りでも持って頭下げに回らなきゃだわ」

 

 本部作戦課第二分析室内にて、モニターとテーブル上に並ぶ資料にミサトと日向達職員は顔をしかめる。

 第五使徒が放つ加粒子砲。

 反撃する暇もなく撃墜され誘爆を起こす戦闘機群。

 A T フィールドに阻まれ当たらない砲弾を放ち、遮蔽物ごと吹き飛ばされる戦車隊。

 ケイジに収まったままの動かないエヴァ初号機。

 

「・・・まさか起動すらままならない状態に逆戻りとは、思いもしませんでしたよ」

「暴走するかしないかで一喜一憂してたのが嘘のようですね・・・」

「ほーんと、気まぐれなんだから。決戦兵器として致命的すぎよ、まったく」

「零号機の再起動、何時の間にかパイロット搭乗可能な段階にまで調整してた赤木博士達に感謝ですね」

 

 副司令と作戦部長の命令をちゃっかり無視して作業を続けていた、カメラ目線のしたり顔で親指やピースサインを上げる技術局メンバーと涼しい顔でコーヒーカップを掲げるリツコの画像にミサトは苦笑いで敬礼を返す。

 

「あーあ。リツコにも何奢るか考えなきゃだわ」

「零号機の再起動成功後はレイちゃんと共に初号機の再調整を行っているみたいですが、どうします?」

「そっちはちゃんと止めさせといて。無駄な事に時間掛けてる余裕もないわ。レイにも色々やってもらわなきゃだし」

 

 

 

 

 

 

『エントリースタート』

『 L.C.L 電化』

『 A 10 神経、接続開始』

「・・・お願い、動いて」

 

 オペレーター達の固い声が伝わるプラグ内。

 レイは魂の座にて瞳を閉じエヴァに心を開こうとするも、彼女を拒絶するかのようにアラート音が鳴り響きプラグが初号機から強制的に排出される。

 

「ぅッ」

 

 その衝撃にレイの傷付いた身体は堪えきれず、小さな呻き声が漏れてしまう。それを聞き逃さずリツコがオペレーターのマイクに割り込む。

 

『レイ。これ以上は次の戦闘に響くわ』

「でもっ!・・・ヅぅ」

 

 主戦力のエヴァが動かないという切羽詰まった現状下、リツコから発せられた平坦な声にレイは不安と焦りを覚え、自分はまだやれると、思わず身を乗り出すも痛みで言葉を詰まらせてしまう。

 

『落ち着きなさい。まだ何もかもお手上げってわけでもないわ。零号機は確かに戦闘用としては未調整だけど、初号機の復旧具合と比べれば幾分かはマシよ。ミサトも何か策があるみたいだし』

「・・・分かりました」

 

 それが重症のパイロットを傷が開く前に納得させエヴァから降ろす為の方便だと、オペレーター含めリツコの周りにいた職員達も、レイでさえも理解していた。

 実戦へ投入する予定のなかったエヴァンゲリオンのプロトタイプ、零号機。

 幾ら復旧率が六割とはいえ、実戦の運用データが後続機に反映されることを求められ建造されたテストタイプの初号機と比べれば、その性能は雲泥の差。

 

「車椅子の用意、お願いします」

 

 作戦の有無に関わらず、使徒戦は絶望的だった。

 

( 弐号機は間に合わない )

 

 レイをプラグから引き上げる医療スタッフ。

 付き添い、車椅子にレイを乗せるリツコ。

 廊下を行き交う保安諜報部員。

 自販機前の技術者。

 リツコに車椅子を押され進むレイは首を大きく反らすことなく、その暗い顔を、俯く大人達の顔を見ることができた。

 向けられる、すがる様な双眸を。

 かける言葉が見当たらず、悔しげに結ばれた口元を。

 下を向いたまま、過ぎ去っていく背中を。

 

( 間に合っても、弐号機の人は乗らない・・・ )

 

 口の中で広がる抜けきらない L C L の臭いが、ただただ不快だった。

 

 

 

 

 

 

 リツコと女性看護師の手を借りてプラグスーツから検査着へ着替えたレイはそのまま体調に問題がないか、傷が開いてないかを調べるため検査に回された。

 その後、検査疲れか問題が山積みのまま使徒戦へ向かわなければならない緊張からか、何時の間にか車椅子の上で眠ってしまっていたレイはベッドの中で目を覚ます。

 そこは、もはやレイの私室と言っても過言ではない病室だった。

 窓側の壁に新しく設えた棚には先日贈られた花束たちがまだ瑞々しい花弁を賑わせている。

 来客用にと運び込まれた机の上には数枚の C D 。普段使いしている車椅子の上には縫い包みと、その頭部へかけられた大きなヘッドホンが。コードは腹部のポケットへと繋がっている。

 

( ・・・身体が重い )

 

 検査終了後にパイロットも交えての作戦会議が予定されていた事を思い出すもレイは起き上がることを躊躇ってしまう。

 倦怠感から来るものではなかった。

 傷が痛む訳でもなかった。

 

( 重いのは・・・心? )

 

 それは虚脱感だった。

 少女はこのまま一日が終わり明日からはまた何時もの日常が、病室で暮らす日々が再び始まれば良いと、思わずとも望んでしまっていた。

 ぼんやりと、寝起きの頭で初号機の人もこのような気持ちなのだろうかと、見慣れた天井を見詰め考える。

 現実から逃げ出すように、一日の大半を身体を丸め寝転び眠り続ける少年の気持ちが、今なら分かるような気がして、レイも両脚を片手で手繰り寄せベッドの中で丸くなる。

 こんなことをしたところで何かが変わるわけでもないと知りながら、レイは瞳を閉じる。

 案の定、瞼の裏に浮かぶのは嫌な光景ばかりだった。

 嫌な空想で、絶望的な未来だった。

 それは作戦失敗の四文字。

 続くジオフロントへの使徒侵入。

 そして本部壊滅。

 

( 私の代わりはいる )

 

 レイの頭の中には複数の N 2 ミサイルの弾頭を抱え使徒に接近し自爆するという、作戦ともいえない、しかし確実に使徒へ打撃を与えれる案が描かれる。

 今の彼女にとって、死への恐怖など些細なものだった。

 死よりも身体を、心を震え上がらせる恐怖を知ってしまったから。

 

( あの部屋には、もう帰りたくない )

 

 今の少女にとって恐怖とは、またコンクリート柄の何もない部屋で過ごす日常へ戻ることだった。

 鳴らないドアチャイムの代わりに、強弱様々なドアを叩く音が。

 外から響く鉄を打ち鳴らす音の代わりに、様々な人の話す声が。

 その全てが、確かに綾波レイという少女に向けられていた。

 病室から出ていく職員達の背中と横顔も。

 初対面で何を話せばよいか分からない若干の気まずさも。

 自分に向けられる安堵の笑みと続く感謝の言葉の応酬も。

 誰でもない、綾波レイという一人の少女に向けられていた。

 

( 次の子も、きっとそう )

 

 新しい自分も、あの部屋へ戻ることはきっと拒むだろうという確信があった。

 

( でも・・・ )

 

 レイはもう一度、瞼を上げ縫い包みに視線を向ける。

 一人で居る病室でも寂しくないようにと、手渡されたテディベアを。

 暇を潰せるようにと、贈られた小型の C D プレイヤーとヘッドホンを。

 C D を持たず、無音のヘッドホンを耳に当てていることを驚かれ、何枚も借りることになった C D を。

 

( でも、ここは私だけの部屋 )

 

 レイにとって、そこはもうただの白い病室ではなかった。

 

( 誰にも、私にも渡したくない場所 )

 

 灰色の、打ちっ放しのコンクリート柄の部屋など、もう要らなかった

 

( 私だけの居場所 )

 

 少女は終に、壊れた眼鏡が何所に置かれたままかを思い出すことはなかった。



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決戦準備・・・

 

 

 

 

 

 

 司令官公務室内にて、何時ものように席に着くゲンドウと傍らに立つ冬月の前へミサトが一歩踏み出す。

 ミサトの後ろには堅い面持ちのリツコが。

 

「接近しての A.T.フィールド中和による戦闘が不可能だからこそ、高エネルギー収束体による一点突破の超長距離直接射撃は理解は出来る。撃ち損じた場合を考えて、迅速な第二射の用意と僅かでも A.T.フィールドが張れて砲身その他機器の保護も望めるエヴァでの運用も」

「そうです。これしか方法はありません」

「マギはどういっている」

「賛成一、条件付き賛成が二でした」

「勝算は六・四パーセント、か・・・例え目標のレンジ外からだろうと、射線上にエヴァを晒すことになる」

「はい」

「狙ってくるぞ。確実に」

 

 作戦内容を確認し決行を渋る冬月に対し、余裕を見せるミサト。

 その顔に、声にまだ秘策があることを確信したリツコはミサトの後ろで静かにゲンドウへ頷く。

 

「対応策は?」

 

 ゲンドウの言葉に待ってましたと言わんばかりにミサトの口角が上がる。

 

「第八格納庫で眠ってた S S T O の底部で盾を急造中です。五十秒は確実に耐えられます」

「誰が支える。右腕どころか両脚すら満足に動かせんレイの体で双役は不可能だ」

「初号機は言わずもがな。弐号機の増援も叶わんぞ」

「盾に関してはエヴァでの運用を考えていません」

「なに?」

「どういうことかね」

「通産省と防衛省の連名で打診がありました」

 

 その一言にリツコとゲンドウの顔が一瞬だけ歪んでしまう。

 

「もしや・・・日重が極秘裏に開発建造しているという J A(ジェットアローン) !完成していたのか?!」

「その通りです副司令!」

「しかし、アレの動力源は確か原子炉。幾ら運用可能だからといって・・・」

「そうよ。それに A.T.フィールドをも貫くエネルギー算出量は最低で1億8千万キロワット。ネルフのポジトロンライフルでは不可能」

 

 懸念を口にする冬月に便乗する形でリツコが割り込む。

 だがミサトの余裕が崩れることはない。

 

「ありがたいことに戦自研からもプロトタイプの使用を打診されたわ。必要な電力は日本中から」

「成程・・・リアクターを取り外しライフル砲へ送電される電力の一部をそのまま使用する訳だな」

「はい。既に改修は完了済み。 J A の起動と盾を構えて次射準備から発射を含めた数十秒間の防御姿勢だけならば余剰電力でも十分可能です」

「この場合のマギの回答は!」

「賛成二、条件付き賛成が一の勝算九・五パーセント!」

「碇!!」

「司令!!」

 

 ゲンドウに詰め寄る二人は後ろで両腕をクロスさせ大きくバツを作り勢い良く必死に首を振るリツコの姿に気が付かない。彼女の手には何時の間にかクリップボードの裏に書き殴った『起動 暴走確実 変更不可!!』の文字が。

 本来ならば反対するどころか進んで許可すべき作戦内容だった。

 残り九時間以内で実現可能、おまけに最も確実である作戦だった。

 だからこそゲンドウはままならないエヴァ運用の現状と各組織の善意と半年前に J A 暴走計画の草案をリツコに提出してしまった自分を忌々しく呪った。

 期待と興奮に満ちた目と中止を訴える目に囲まれ、世界の命運の一助を担う総司令官は決断を下す。

 

「・・・・・・この作戦」

 

 しかし、続くゲンドウの言葉を三人が聞くことはなかった。

 

「報告です!」

 

 公務室内へ駆け込んできた青葉が大声で告げる。

 

「市郊外にて身元不明の巨大人型ロボットを確認!使徒へ向け進攻を開始するも想定する二倍以上の威力を有する加粒子砲を受け爆発大破。周辺地域への被害は計り知れず・・・えっと、皆さんスゴい顔ですがもしかしてロボットに心当たりでも?」



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沈む太陽、陰りゆく心・・・

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・何故だ」

 

 防護服を身に着けた男が力なく呟く。

 男が立つのは荒れ果てた大地に突如出現する、丸く落ち窪んだ巨大なクレーターの淵。

 クレーターの表面は悉く焼け焦げ、その中心には巨大な二本の柱が立っていた。

 

「何故なんだ」

 

 クレーターからは冷めることのない熱波が立ち昇り、ただそこに立つだけの柱の表面を静かに溶かしている。

 防護服がなければ一分ともたず皮膚や肺、眼球が焼け爛れ落ちてしまう地獄の様な場所。

 そんな場所に立っていた男は膝から崩れ落ち、分厚いグローブに包まれた拳を灼熱の大地に叩き付け叫ぶ。

 

「お前は・・・お前は何故こんなところで終わってしまったんだぁっ!!」

 

 男の後ろには同じ様な防護服に身を包む人だかりが、やはり呆然と立ち尽くし、あるいは身体を震わせ、身を寄せ合い男と同じ様に力なく崩れ落ちていた。

 

「応えてくれジェットアローン!!」

 

 ついに男は、日本重化学工業共同体代表 J A 開発責任者、時田シロウは防護服の中で涙を流す。

 

「お前は世界を、未来を・・・戦う子供達を守るための盾となる筈だったのに・・・っ!!」

 

 クレーターの中心部に立つ、胴体を無残にも吹き飛ばされ脚部のみの物言わぬ柱と成り果てた戦士に、我が子に向け、時田は尚も泣き叫ぶ。

 何故だと。

 どうしてだと。

 

「何のために私達はお前をっ!!」

 

 防護服から漏れる慟哭は時田のものだけではなかった。

 それはネルフの防護服だった。

 戦自研の防護服だった。

 日重の、更には下請け、電力会社までもが集い、防護服の中で嗚咽を漏らしていた。

 

「子供達の希望となる筈のお前を・・・」

 

 夕暮れに染まる第三新東京市郊外で、時田達の戦いは終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 第二発令所内にて、モニターに映し出されていた時田達の姿にミサト達も項垂れる。

 幸いにも J A の改修はミサトの報告通り既に済んでおり、内部のリアクターは全て取り外され電力のみでの起動だった。

 J A に関わる誰もが、ミサトですら提案した作戦が通るものと考え根回しを行い、連携し、試運転も兼ねてポジトロンライフル設置場所の二子山山頂部を均すための土木作業用ロボットの名目で搬入していたのだがこの有様である。

 日本中から集まりだしていた電力を使用しての暴走。

 加粒子砲が直撃する前に送電線は外され電力供給はされていなかったものの、引き起こした爆発は相当なものだった。

 人的被害はなかったものの、余りにも大きな痛手。

 エヴァの不足を補う起死回生の手段が絶たれてしまったのだ。

 

( ・・・そんな )

 

 それを発令所内で正しく理解し、時田達と同じくして心が折れてしまった者が居た。

 

( そんなつもりじゃ・・・ )

 

 エヴァの運用を任される、現場に一番近いミサト率いる作戦課達よりも心乱し、血の気が失せ一人ふらつく女性が居た。

 

( だって・・・だってこんなことっ?! )

 

 現場から遠い青葉達オペレーターの一人でもなく、ましてや保安諜報部員内の一人でもない。

 

「先輩?!」

「ちょっ、リツコ!?」

 

 ネルフ技術部の長でありその要。

 J A の暴走プログラムを組み上げた張本人である赤木リツコは二人に支えられ、空いたオペレーター席に力なく座らされる。

 

「赤木博士・・・」

「もう、だめなんですね・・・」

 

 マギを用いて、威力が二倍以上に膨れ上がった使徒の加粒子砲に対する盾の使用可能時間を再計算し、それを報告に来ていた二課の技術者達もリツコの表情に悟ってしまう。

 打つ手が無いのだと。

 

「ここまでなの?」

「じゃあ、ここはどうなるんだ?」

「私にわかるはずないじゃない」

「俺達どうなるんだ・・・」

 

 あちらこちらから聞こえ始める小さな囁き声。

 やがてそれは普通の話し声になり、大きな雑談となって止むことなく発令所内に響き渡る。

 様々な憶測が涌き出ては消え、なかなか出ない答えに気持ち悪さだけが残り出す。

 その気持ち悪さは不快感を伴い、更には不安を呼び、ついには恐怖となって職員達の心を蝕み始めた。

 

( ・・・不味いわね )

 

 ミサトは周囲を見渡し焦る。

 日向と青葉はまだ大丈夫だったがマヤはもう駄目だった。

 司令席に一番近いオペレーター席ですらリツコを含めた数人が既に下を向いていた。

 それは戦意の喪失。

 集団で戦う組織において最も恐るべき敵が今、ネルフの心臓部に襲いかかろうとしていた。



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正しい答えを・・・

 

 

 

 

 

 

「黙れ」

 

 低い、良く通る太い声だった。

 怒気や苛立ちは含まれていない。

 焦りや恐怖といった心の乱れも感じられない、落ち着いた静かな一言。

 そのたった一言で、発令所内の空気が一変した。

 

「葛城一尉」

「・・・はっ?!はい!?」

 

 浮足立ち騒がしかった発令所内が一瞬で静寂に包まれてしまい、あまりの変わり様に目を白黒させ呆けてしまったミサトはその呼びかけに、黙れと言い放ったゲンドウの声に遅れて反応してしまう。

 

「再計算した盾の使用可能時間は何秒だ」

 

 尋ねられた質問にミサトは隣に立つ二課の職員へ視線を向け、同じように呆けていた職員は慌てて手持ちの報告資料を捲りミサトへ手渡す。

 既に下を向いている職員はほとんどいなかった。

 

「三十二・・・と出ていますが加粒子砲の威力がまた上がるとも考えれます。三倍に跳ね上がると想定して出た結果は十七秒」

「それ以上は」

「五秒と持ちません。盾として運用する位ならば目眩ましの遮蔽物として使用した方がまだ実用性があります」

 

 資料にざっと目を通し、作戦課として運用する場合を考慮してミサトは答える。

 

「ふむ。目眩ましか・・・視覚があるかも疑わしい使徒相手にどう使う?」

 

 冬月のもっともな疑問にミサトは敢えて、というよりは使徒に生物的な視覚があることに賭け、猫だましそのものな作戦を口にする。

 それはエヴァの射出口もしくは兵装ビルに盾を取り付け加粒子砲発射時、出来るだけ使徒付近にてそれを展開、視界が遮られた数秒間の内にライフルを構えたエヴァをそのまま横へスライド移動させるというもの。

 

「こちらが撃つまでに掛かる誤差修正等の計算に必要な時間はどうする。一時は逃れようとも、これでは元の木阿弥だぞ」

「移動した状態で撃つための計算を先に行います」

「作戦開始時点での射撃は捨て、移動した位置でのみの一撃に賭けるわけか・・・」

「マギはどういってる」

 

 ゲンドウの言葉にミサトの作戦を聞きそのままマギに入力していたマヤが答える。

 

「反対二、条件付き賛成が一。成功率は〇・三二・・・マギは撤退を推奨しています」

「射撃の全自動化はできるか」

 

 ゲンドウの思わぬ質問にミサトが引き継ぐ。

 

「不可能ではありませんが、それは盾を零号機が支えることになるだけで成功率に変わりはありません。いえ、むしろこのエヴァ抜きのオペレーションと考えると低下の恐れも・・・」

「零号機を囮に使う」

「・・・は?」

「ライフルを全自動化。盾の隣に零号機を配置。盾が壊れ次第、囮として射出し使徒本体へ突撃した場合はどうだ」

 

 その言葉に、またもや静寂が発令所内を支配する。

 司令席を除いた、もしくは副司令でさえもが耳を疑い、一点のみを見詰める。

 誰かの唾を呑む音だけが聞こえた。

 

「どうだと聞いている」

「は、い」

 

 直接見下ろされ命令を受けたマヤは手元を震わせながらパネルへ身体を向け入力していく。

 

「反対一、条件付き賛成が二。成功率は〇・三八・・・零号機は使徒の A.T.フィールドに阻まれ突撃失敗。先ずライフルが破壊され次に零号機も・・・」

「では盾の左右にエヴァ二体を配置。盾が破壊され次第、ライフルから遠い順に射出」

 

 耳から入る情報に抗うことも出来ず、マヤの手は動き続けた。

 

「じょ、条件付き賛成が三。成功率は一・七五・・・エヴァ一体は加粒子砲を受け大破。もう一体は・・・」

 

 続きを聞くまでもなかった。

 上がっていた職員達の顔が一人、また一人と下を向いていく。

 

「もう一体はどうなる。答えろ」

「その・・・」

「もう一体はどの位置でもライフルの射線と必ず重なるため、確実にエヴァ本体と共にパイロットも喪失」

 

 言い淀むマヤの肩に手を置き引き継いだのはミサトだった。

 

「囮に使うだけならばパイロットの搭乗は・・・」

「起動すらしていないエヴァに使徒が見向きするとでも」

 

 ミサト自身その提案がなんの意味もなさないことだと理解していた為、それ以上の進言も出来ず、新たな作戦が司令の口から告げられる。

 

「ライフルと反対の位置に初号機を。初号機が使徒に撃たれ次第、零号機を突撃。ライフルの照準が定まり次第、零号機もろとも掃射」

 

 人類存続のための非情な決断が今、無情にも下された。



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大人として・・・

久し振りなので短めです。


 

 

 

 

 

「ライフルと反対の位置に初号機を。初号機が使徒に撃たれ次第、零号機を突撃。ライフルの照準が定まり次第、零号機もろとも掃射」

 

 司令の言葉に、発令所内は再び沈黙に包まれる筈だった。

 

「・・・・・・ぅあっ、ぁあっ・・・」

 

 それは声にもならない訴え。

 予期せぬ理不尽に耐えようとする潰れた悲鳴。

 椅子の上で俯き震え、握りしめた白衣の裾を静かに濡らす嗚咽。

 

「・・・リツコ」

 

 力なく落とされ揺れる細い肩にミサトは手を置くも、それがなんの慰めにもならないことは明らかで。

 今や発令所内を包む空気に不安や恐怖はなかった。

 

 

 

 

 

 

 二人目(・・・)になってから、五年近くも変わらない態度で接し続けてきた。

 真っ当な生物ともいえぬ子供。

 恐らくは母の死に関わる少女。

 自分が愛する男に一番近い女。

 興味深く、疎ましく、そして妬ましい存在。

 終わりが訪れるその瞬間まで、きっとこの密接でいて希薄な関係性は変わることのないものだと、そう信じて疑わなかった。

 おそらくは青い少女ですら。

 

『なんで・・・ですか』

『・・・え?』

 

 たかが見舞いの花束で。

 そう思ってしまうのも確かで。

 

『あたたかい』

 

 たかが見舞いの花束すら母は。

 たかが花束ですら彼は。

 そう考えてしまったのも確かで。

 

『・・・・・・リツコ、さん?』

『・・・・・・別に、構わないわよ』

 

 人の形をした人ならざる存在だとしても。

 何ら変わらないものを持っているのだと。

 そうだと知ってしまったのなら。

 

『向日葵と・・・デルフィニウム』

 

 今までの扱いがなかったことにはならない。

 

『・・・よく、解りません。でも』

 

 これからの扱いが真面であるかも判らない。

 

『でも、ありがとうございます。リツコさん』

 

 たった十日にも満たない間の、限られた時間の中で更に短い見舞い中の僅かな会話。

 互いに特別親しくもなければ、深く理解し合っている訳でもない。

 それでも。

 

「うれしい、です」

 

 与えられる側ではなく、奪う側でもなく。

 誰かに何かを与える。

 そんな立場と年齢の大人になっていたことに気が付いてしまえば。

 こんなにも真っ白で、こんなにも裏表の無い澄んだ言葉を受け取る資格があるのだろうかと。

 それに見合う大人であれただろうかと。

 

『これからよ~。これから』

 

 あんただけじゃなくて、見舞いに来た職員全員が感じている。

 そう言って見舞いのケーキを掲げる彼女もまた。

 

『戦いも、十四歳の彼女の人生も、私達も』

 

 だから。

 

「その資格とやらに見合う大人になっていきましょ」

 

 

 

 

 

 

「この場に戦う意思の無い者は不要だ。連れ出せ」

 

 リツコは俯いたまま、ミサトに腕を引かれふらふらと行く。

 ここ数日で歩き慣れてしまった通路を。

 見舞い以外の目的で。

 見慣れてしまった室内に、見慣れた雑貨。

 座り慣れた椅子。

 一挿しのデルフィニウム。

 

 少女の姿はなかった。




二人の近いようで遠い関係が好きだったり。


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抗うべきは・・・

 

 

 

 

 

 

「・・・怖いの」

 

 殺風景な病室だった。

 ベッドとキャビネット。

 それに水差し。

 ぐるりと部屋を見渡しても、あるのはタオルや替えの病院着等を入れる小さな収納棚が隅に一つだけ。

 ベッドどころか大きな窓にあって然るべき日差し(人工光)を遮るカーテンすらも見当たらない病室。

 

「前は・・・いいえ。今も無へ帰ることはどこかで望んではいるの。でも・・・・・・怖くはなかった」

 

 白いだけで、清潔なだけで、何もない場所。

 ベッドの中には呼吸器を付けた少年が、ベッドの手摺に取り付けられたベンチレーターの機械音に合わせ浅く静かに胸を上下させている。

 

「けれど今は・・・」

 

 先程まで医療用カプセルの中に居た少年、シンジへぽつりぽつりと話し掛けるのは車椅子に乗った少女。

 

「・・・今は皆がいる」

 

 見舞客用の椅子すら置いていない病室内で少女は、レイは数時間前に精神鑑定の一環でシンジに絵を描かせるというリツコにくっ付いてミサトと共に訪れた際には感じなかった、静かな寂寥さを覚えていた。

 きっと、一人で来なければ気付きもしなかった、今の彼女にとってはとても遠い感覚。

 懐かしいとも思いたくない、かつてのレイが居た病室と変わらない風景。

 何もない部屋。

 他者の存在を匂わせるものは何一つなく、一人だけの空間。

 以前のレイはそれが当たり前だと考えていた。

 たった一人だけが自分を見てくれているのだと、そう勘違いしていた。

 エヴァに乗ることでしか得られない、一方的な他者との繋がりを絆と呼んでいた。

 

「リツコさん達だけじゃない・・・」

 

 見舞いに来てくれた、名前も顔も知らなかったネルフ職員達。

 通路を車椅子で行けば、声をかけ、目的地まで押してくれることも。

 早く歩けるようにと気遣う人もいれば、再びエヴァに乗って戦うことに難色を示す人も。

 

「ここにいる皆が・・・だから」

 

 切っ掛けは確かにエヴァだった。

 同情が先だったかもしれない。

 一人で戦わせる少女に負い目が無かったとは言えない。

 それでも。

 

「助けて」

 

 肘を突きベッドの縁に身を乗り上げさせ、レイは力の入らない右手でシンジの肩に恐る恐る触れ懇願する。

 

「起きて、私と一緒に戦って」

 

 置くだけだった右手は次第にシンジの動かない身体を揺すり、細い指は肩に爪を立てる。

 

「私は相打ちで死んでも構わない」

『私が死んでも代りはいるもの』

 

「でも、次も私と同じかは判らないから。だから・・・だからっ!」

『いえ、知らないの。たぶん、私は三人目だと思うから』

 

 シンジを揺らす動きは徐々に激しくなり、呼吸器が外れ、病室に警告音が響く。

 

「・・・・・・みんなのためにたたかって」

 

 生きているだけで何もしない少年に己の願望をぶつける、見返りすら与えれず何の力も無い少女はベッドの縁で体を丸め、ただただ震える事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 震えるその細く小さな背中に、ミサトは声をかけることも触れることも、ましてや抱きしめることすらも出来ず、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

「・・・レ、イ」

 

 ふらふらと、一歩踏み出したリツコの腕を引き止めたミサトは首を振る。

 開け放たれたままの病室のドア。

 倒れた車椅子。

 何の繋がりも無い寝たきりのシンジにみっともなく縋ることも厭わない、皆の為に戦ってほしいという死を覚悟したレイの懇願。

 その全てが、葛城ミサトという女性に戦う理由を押し付けてくる。

 

「誰も、死なさせやしないわ」

 

 彼女の中の復讐の二文字は未だ確かに。

 

「リツコ。作戦変更よ」

 

 それでもそれと同等の、それ以上の何かも確かに生まれつつあった。



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リビドー、その続き・・・




 今更ですが性的な表現が含まれます。
 ご注意を。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『 ─── 久し振りね、アス・・・カ?』

 

 室内の壁へ急遽取り付けられたパネルから流れる音声に少女は意識を向けない。

 右手のジャラジャラと鳴る手錠の音も無視して太股で挟み込んだ抱き枕を下に、ベッドの上で膝立ちになり一定のリズムでスプリングを軋ませることに腐心する。

 

『ってアンタ?!ちょ、なにやってんのよ!?今すぐ止めなさい!!』

 

 少女は理解している。

 此方からは何も映っていない真っ暗なパネルだが、通信先へはリアルタイムで此方の映像が流れているのであろうことを。

 

『 ─── いいから!こっちは大丈夫だからっ!アンタはそのまま外で私以外の部屋からの通信は全部切っといて!!絶対よっ!!』

 

 理解して尚、少女は止めない。

 息も荒く一心に見詰めるのは抱き枕にプリントされた、セキュリティカードにも使われていた冴えない少年の真顔。

 

( ・・・悪くない )

 

 アスカは片目を閉じ思い返す。

 洋上で出会った彼の顔を。

 

( ・・・これも、悪くない )

 

 マグマの中で捕まれた腕。独りチェロを弾く背中。

 

( 悪くなかった・・・あの時までは )

 

 最悪だったキスから後の記憶はおぼろ気で、脳裏に浮かんでは消える少年の表情の数々はどれも絶望に染まっていた。

 不安と恐怖に打ち震え床に情けなく縮こまった時も。

 怒りと悲しみに逆上し歪んだ笑みを見せた時も。

 性欲を剥き出しにし自身の身体を舐め回す様に見詰めていた時でさえ、少年の絶望の表情が消えることはなかったことを何故かアスカは知っていた。

 

( で、もっ! )

 

 抱き枕の裂けて出来た穴へ左手を突っ込み揺れる上半身を支え、あの赤い浜辺で、色白な薄い胸板へと深く槍を突き刺した瞬間の感触を、槍越しに感じた脈動を、徐々に徐々に大きく広がる胸の穴の感触と痛みを脳内で反芻させる。

 

「悪く、ないッ・・・」

 

 二人の血で濡れた少年の顔を。

 安堵に包まれた最期の顔を。

 瞳を、唇を求めアスカは揺れる上半身を折り曲げ噛み付く。

 

「かっ、ふぅッ」

 

 そして ─── 。

 

 

 

 

 

 

 ネルフ本部のとある一室。

 そこでは第三支部で反抗的な態度を取り続けエヴァにも乗ろうとしない、妄言を吐き続けているらしいアスカを説得する為に用意したモニターの前で顔を覆うミサトとリツコの姿があった。

 

「何でエヴァのパイロットってのはこう・・・あぁーもうっ!!」

「・・・レイはまともよ」

 

 二人が目を逸らすモニターの中、見覚えのある少年の顔がプリントされた抱き枕に跨がる件の少女がその顔部分を恍惚とした表情で食い破り、仰け反りながら綿を部屋中に撒き散らせビクンビクンッと痙攣する姿が映し出されていた。

 






 正直、必須タグの R-18 の説明にある「著しく性的感情を刺激する行動描写」の範囲がどの程度までのことを指しているのか分かりません。


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二回目・・・




 せっかくなのでもう一回です。





 

 

 

 

 

 

 

 世界と人類が滅び戦う理由も無くなったと言い張る少女をエヴァに乗せ、尚且つ使徒か宇宙人かが作った偽者模造品と信じ込む周囲や世界を、エヴァでもって攻撃しないという確約を得る為の説得は混迷を極めていた。

 

「そふぇで、あふぁひひふぁんほひょうはのほ」

『・・・取り敢えず口の中のものを出しなさい』

 

 未だサウンドオンリーな画面から響く聞き覚えのある声に、漸く会話出来るまでに落ち着いたアスカはもごもごと咀嚼し続けていた布切れを床にペッと吐き捨てる。

 

「なによ。本部の偽者も揃ってるわけ?・・・もしかしなくても、隣の部屋に居るとかかし、らっ」

 

 やつれていながらも先程まで見せていた生き生きとした表情が嘘の様に、昏く淀んだ瞳を探るようにさ迷わせるアスカは、もはや抱き枕とも呼べないズタボロで湿り気を帯びた布の塊を画面へ向け勢いよく蹴飛ばす。

 

『悪いけどアスカ、冗談に付き合ってる暇はないの』

「はぁ?ジョーダン?そっちこそテキトーなこと言ってんじゃないわよ」

 

 汗ばみ冷たくなった病院着を脱ぎ捨て痒みを覚える頭皮をかきむしる、恥と外聞を彼方へ放り投げた少女にとりつくしまはない。

 本部のリツコは早々と見切りを付け、画面の前から離れてタバコを咥えながらコーヒーを淹れている。

 しかし、ミサトが口を閉じることはなかった。

 

「私達を偽者呼ばわりするのに、サードチルドレンが本物であることは疑わないのね」

『あら、シンちゃんに対して随分と他人行儀じゃない。やっぱり偽者ね』

 

 無視されるかと思われたミサトの反論に、思いの外な食い付きを、普通に会話を続けようとするアスカにリツコは振り返る。

 頷き返すミサトもこれに手応えを感じた。

 

「そういうアスカは、彼とは随分と親しいのかしら?」

『まぁねぇ・・・』

 

 軋むベッドの上でバランス良く片足に、濡れて汚れたパンツを広げ脚を抜き踏み下ろすアスカは下半身を隠すことなく、パンツも足首に引っかけたまま画面を見やる。

 その顔はどこか自慢気で、ベッドの縁に腰掛けると口角も僅かに上げ吐き捨てた布切れを小さな足の爪先で弄りだす。

 

「行き着くところまでイッちゃった感じっていうか・・・」

 

 床にのばした布切れの上へ、足首にかかったパンツを置き踏みつけるアスカは浜辺での光景を、今度は自身が下になり首を絞められていた時を思い返し、再び悦に浸り始める。

 

「全てをさらけ出してなお二人のままだった・・・っていうか」

 

 ベッドに背中から倒れ、頭の中に居る少年の頬を撫でようと虚空に右腕を伸ばし、顔にかかる鎖の冷たさに舌打ちを飛ばす。左手の指は自然と股の割れ目をなぞっていた。

 

『んっ・・・モノホンのあんたと加持さん以上の関係、みたいな?』

 

 アスカにとっては何気ない一言。本物ではなくともその声を聴くたびに、当時の徐々に壊れ行く生活の日々が脳裏に過る彼女にとって無意識からくる当てつけの様な一言だったのかもしれない。

 だが偽者でも何でもない二人にとってその一言(情報)は場を大きく動かすもので。

 ミサトは無言でリツコに目を合わせると首を振り、アスカに加持との過去の関係を教えたことがないことを知るとリツコは音もなく部屋の外へ。

 

「それはつまり、肉体的な・・・」

『失礼、ねぇっ。それはまだ・・・ぁっ・・・それより凄いことはしちゃったけど、あんな行き遅れのだらしないオバさんと一緒にしないでちょうだいッ』

「そっ、そうななんだ~。悪かったわね~、オバさんと一緒にしちゃって~」

『・・・何かさっきまでの偽者と比べてクオリティ低いわね、あんた』

 

 

 

 

 

 

『与太話がいよいよ現実味を帯びてきたな』

「科学者としてはあまり信じたくない話ね」

『全ての不可能を消去し、最後に残るものがどんなに奇妙な事であっても、それが真実である。だろ』

「・・・それが未来視の証明になるとでも?」

『俺と葛城の過去の関係を知るヤツはこっちに居ないし、ここ暫くアスカが外部の人間と接触した記録もない。後は何を疑いどんな可能性が残るっていうんだ?』

「だから頭が痛いのよ」

 

 ミサトが再度、十四才の少女の自慰行為を見せつけられている間、その隣の部屋ではリツコと加持が画面越しに書類や映像データを交換し合い議論を重ねていた。

 

『この胸元の痣。そっちの少年にも出来ていたとはな』

「たかが痣よ。なんの証拠にもなりはしないわ」

『この情報が君に渡った時、それを隠すよう指示された。誰がかは兎も角、何の為にかは君だって知る由もないとくれば、これはもう確定だろう』

「・・・残念ね。いったい何時から質の悪い陰謀論を真に受ける夢想家になったのかしら」

『まあいいさ。これ以上脱線してても始まらない。君達の健闘を祈ってるよ』

 

 今回は加持が折れることで有耶無耶に。

 取り敢えずは説得の材料が一つ増えたということでリツコは通信を終え席を立ち、隣の部屋へ。

 

「アスカ?!ちょっとアスカッ!?リツコ、加持をアスカの救助に向かわせて!!早く!!」

 

 そこには画面の前で慌てふためくミサトと、手錠の鎖を首に巻き付けぐったりとベッドに横たわるアスカの姿が映し出されていた。

 







 首絞めは危険な行為なので止めましょう。


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新たな選択肢・・・



 そろそろマジメな話に入ると思います。





 

 

 

 

 

 

 

「・・・入力ミスだと?」

「は、はいっ!」

「いえ、その・・・正確には設定時点での想定ミスといいますか」

 

 作戦決行まで残り五時間を切りネルフ本部内も俄かに慌ただしくなるなか、司令副司令の下へ新たなる問題が転がり込んでいた。

 

「それで、作戦にはどういった支障が出るのかね」

 

 薄暗い公務室の中、何時も通りの姿勢を崩さないゲンドウに委縮するマヤ(技術課)マコト(作戦課)の二人に早く話を進めたい冬月が先を促す。

 

「ええと、先ず大前提としてこの三ヶ月間の本部第三支部含めエヴァ起動時における失敗、もしくは暴走が五回。先程の零号機再起動成功を含めても成功率は二割を切る状態でして・・・」

「・・・そうだな」

 

 その悲惨過ぎる成功率を改めて数字で直視することになった冬月は職員の間でオーナインシステムと呼ばれているエヴァの蔑称を思い出す。

 事実、初号機に関して言えばゲンドウや冬月でさえ暴走以外でパイロット搭乗時の起動成功例を見たことがないのだ。

 

「・・・碇」

「構わん。続けろ」

 

 報告の続きを聞きたくないという顔の冬月にゲンドウが首を振る。

 ゲンドウとしても、現場は既に問題解決へ向け動いているであろうにも関わらず報告に来た二人の顔色の悪さから更にろくでもないことが起きた事は読み取れるため続きを聞きたくないというのが本心である。

 しかし、曲がりなりにも司令と副司令であり研究者上がりという二人の立場が MAGI(赤木ナオコ) の出した結果から逃げることを許させない。

 

「ええと、必然的にマギの出す演算結果、もとい作戦成功率はそれを踏まえたものとなってしまいまして・・・」

「つまり?」

「つっ、つまりはっ・・・そのっ!」

「何と言いますか」

 

 しどろもどろになる二人に柄にもなくゲンドウは落ち着きなさいと言葉をかける。

 マヤに至っては涙さえ見せてはいないが殆ど泣き顔で、流石に説明は無理だと判断したマコトが意を決して一歩前に。

 口を開き。

 

「つまり ─── 」

「マギは零号機、初号機共に暴走が成功(・・・・・)するという前提で演算を行っていました」

「 ─── あれ?」

 

 

 

 

 

 

「確率でいえば確かに暴走する可能性は高いですが、これが今回の作戦に於いてどれ程の不安要素となり得るか、説明するまでもありません」

「先輩!!」

 

 公務室の中、ヒールを鳴らし颯爽と現れたリツコは二人の前へ、薄っすらと涙を見せる後輩へ笑みを向ける余裕も見せ白衣を翻す。

 

「両機共に、正常に起動した際の作戦成功率は〇・二五以下。やはり撤退を推奨しています」

 

 その怖気づく様な内容とは裏腹に、白衣のポケットに手を突っ込み堂々と告げる姿は先程発令所からミサトに手を引かれ連れてい行かれた弱々しいものではなかった。

 そんな彼女の落ち着いた様子にマヤとマコトは、冬月でさえも期待に目を輝かせる。

 しかし、安易に場の空気に呑まれない男が一人。

 

「初号機は元より使徒の第一射を短時間受け止めるだけの案山子。その場から一歩も動かなくても問題は無い。本命の囮は零号機だ。何故そこまで差が出る」

 

 弛緩した空気は再び重たいものへ。

 ゲンドウからリツコに、視線が移る。

 

「現状、零号機パイロットは歩行はおろか自力での直立姿勢すらままならないからです」

「なにっ?!」

「・・・そこまで酷い状態、何故黙っていた」

「私も先程知りました。恐らく外傷によるものではなく心因性のものでしょう」

 

 これ以上悪くなり様が無いと思われていた事態は終に最低値を叩きだす。

 足がもつれ机の縁に手をつき身体を支える冬月に、レイについては初耳だったマヤとマコトも息を飲む。

 そんな中、リツコとゲンドウだけが表情を変えず互いに視線を交わし続ける。

 

「だとしても、我々はその微かな可能性に賭けなくてはならない」

「いいえ。その必要はありません」

「?」

 

 そう言い切るリツコの次の言葉に、今度こそゲンドウの表情が動く。

 

 

 

 

 

 

「弐号機、来ます」

 

 

 

 

 

 



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胎動する決意・・・

 

 

 

 

 

 

『久し振りのプラグスーツでしょ。着替えて少しは落ち着いたかしら』

「下半身丸出しのままイキっぱなしで悪かったわね」

『・・・く、首の具合はどう?』

「物足りない感じ。シンジの手の方が冷たくて苦しくてもっとドキドキした」

『アンタねぇ・・・いい加減止めなさい!!発令所の皆も聞いてるのよ?!』

「今更じゃない」

 

 薄暗いエントリープラグの中、パイロットシートの背もたれに足を向け逆さまな状態のアスカは顔を膝に埋め丸くなっている。

 スピーカーから届くのはどこか懐かしささえ感じる発令所のざわめきとミサトの怒鳴り声。

 それが更にアスカの羞恥を煽る。

 

「・・・使徒とかどうでもいいからシンジと一緒に死なせてぇ」

『止めなさい。司令も聞いてるのよ』

「あんたのバカ息子、ファーストキスは最悪だったけど二回目以降のクロスキスは中々好かったわよ」

 

 プラグ内で唯一発光し眩しかったモニターが消え、スピーカーもホワイトノイズが流れたのちに停止状態へ。

 期せずして暗闇と静寂に包まれたプラグの中、アスカは残った片目を緩く閉じ生温い液体を薄く開いた口から再び肺の奥深くまで吸い込み入れ替える。

 時折外から響く振動がアスカの堅く強張った肩を揺すり解していく。

 

( ・・・落ち着く )

 

 アスカは自身の母親、惣流・キョウコ・ツェッペリンの胎内にいた頃の記憶など持ち合わせてはいない。

 それでもきっと、ここ(・・)と同じくらい安心できる場所だったに違いないと信じて疑わなかった。

 

( ママがずっと覚えていてくれるから )

 

 赤い少女は考える。

 女性のみが経験する、妊娠から出産に至るまでの過程を。

 体内で生命を創り産み出すという、動物が有史以前から持ちうる普遍的であり壮絶な大仕事を。

 

( ・・・ありがとう )

 

 アスカは疑わない。

 ここがこんなにも心地良いのは自身の母親が、キョウコがそれを覚えているからだと。

 身籠りどんどんと膨らむ腹部に例え不安や恐怖があろうとも、産まれてくる自分を愛おしく想っていてくれたからだと。

 

( 大好きよ、ママ。・・・愛してる )

 

 返事はなくとも、心は触れ合えることを知る少女は語りかける。

 

( これからも一緒にいてくれる? ─── うん。あたしもよ、ママ )

 

 それはつまり、少女の知る弐号機の実存を認めることであり、延いてはこの世界が幻覚や妄想、張りぼてで出来た偽物の類ではないという事実を認めるわけでもあり。

 

( けど、今だけは許して )

 

 手錠の鎖で首を絞め気を失い、弐号機の中で目が覚めた瞬間に全てを悟ってしまったアスカは再び狭いシートの上で足を伸ばし大声で暴れ出す。

 

「何でまだ生かしてんのよっ?!反逆と内乱は一発で銃殺でしょ!?いっそひと思いに殺しなさいよぉッ・・・!!」

 

 再度、羞恥心に苛まれる思春期の少女は母の宥める心の声に身を縮込ませてゆく。

 

「絶対フィフスインパクト起こしてシンジと一緒に死んでやるんだからぁ」

 

 いくら弱々しくとも絶対に見過ごしてはいけないレベルのヤバい決意表明は誰に知られることもなくプラグ内レコーダーのログの中に埋もれて行く。

 沈黙でもって応える弐号機の存在もまた。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・説得は出来たんだな?」

「 ─── はい!!」

 

 その自信に満ちた返事に発令所内の誰もが、味方のはずであるリツコでさえもがミサトを不安と疑念の目で見つめていた。

 

 

 

 

 



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狂いだす旋律・・・



 感想や誤字報告ありがとうございます。
 サブタイ変えました。





 

 

 

 

 

 

 駅のホームで小さな男の子が泣いていた。

 泣きながら小さな手を父親の背に向かって伸ばしていた。

 父親は、男はその小さな手に気が付きながらも振り向くことなく電車に乗り姿を消した。

 ゲンドウはその光景を、泣きながら蹲る小さな息子の背中を改札口の後ろから眺めている。

 

『駆け寄って抱きしめてあげればいいのに』

 

 駅舎の待合室に立つ誰かの呟きをゲンドウは無視する。

 

( ─── らしくない )

 

 

 

 

 

 

 真新しい無人の発令所内、オペレーター席のフロアで小さな女の子が横たわっていた。

 男が周囲を見渡せば見覚えのあるヒールが転がっていた。

 首の骨が折れているのか、軽い女の子の身体を男が抱き上げれば顔があらぬ方向を向いた。

 ゲンドウはその光景を、迫り上るカスパーの機体の上から眺めている。

 

『二人を引き合わせる必要なんてなかったのにね』

 

 迫り上るバルタザールの上に立つ誰かの囁きをゲンドウは無視する。

 

( らしくない )

 

 

 

 

 

 

 父親を引き止めようと手を伸ばすこともなく、自らの意思で背を向け遠ざかる少年に男は声をかけなかった。

 三年後、頭を打ち付け気を失う息子に男は呼びかけることしか出来なかった。

 

『・・・・・・』

( ・・・・・・ )

 

 後日、葛城一尉は副司令と医療スタッフ達から厳重注意を受けていた。

 

 

 

 

 

 

「本部の総司令殿はお優しい。壊れたパイロットを生かしたまま捕えよとは」

「お望み通りあのパイロットは既に君達本部の管轄だ。好きにしたまえ」

「私はもう疲れた。悪いが一足先に盤面から上がらせてもらうよ」

「もう君と会うこともあるまい。・・・なあに、家族と一緒に長い休暇に旅立つだけだ。気にしないでくれたまえ」

 

『羨ましいだなんて思っちゃだめよ』

 

「君にも良い旅路があらんことを」

 

( らしく、ない )

 

 

 

 

 

 

 ケイジで暴れる初号機。

 隔壁を次々と突き破り第一発令所指令室に侵入し通過する初号機。

 使徒の触腕を掴みコアを蹴り飛ばす初号機。

 男はその記録映像を、掃除と機材移殖と人員移動を済ませた第二発令所指令室のモニターで眺めていた。

 

『・・・あの二人に任せて大丈夫?』

( ・・・・・・ )

 

 後日、葛城一尉と赤木博士は副司令と医療スタッフ達から更なる厳重注意を受けていた。

 

 

 

 

 

 

 少女の病室の前にネルフ職員による数人の列が出来ていた。

 廊下を歩いて近付いてくる男の姿に職員達は慌てるが男もそれどころではなかった。

 

「・・・見舞いか」

「はいっ!」

「最初の使徒撃破からの面会謝絶がようやく解けたので・・・司令もですか?」

、ああ ─── 」

 

 見れば見舞品を手に銘々並んでいた職員達が病室への出入り口から離れ、背筋を伸ばし直立不動で廊下の両脇に整列していた。

 

「 ─── いや。別件で通りかかっただけだ。余計な気は回さなくていい」

「そ、そうでしたか・・・」

「あっ!もしかし息子さんのお見舞いに?」

 

 成る程と職員達が顔を見合わせ納得するなか、男は慌ててそれを否定した。

 

「シ・・・サードチルドレンは今、使徒戦後の検査で面会は ─── 」

「えっ?!」

「 ? 」

 

 男の応えに職員の一人が驚いていた。

 その職員は見舞の花を二束、抱えていた。

 

「・・・私が預かっておこう」

 

 勿論、例え父親であろうと本部の総司令官であろうと医師でもない男の勝手が許される筈もなく、さりとて捨てることも持ち帰る気にもなれなかった男は売店でお金が足りず花が買えないと騒いでいた少年に押し付けていった。

 男の背中に頭を下げる、少し萎れてしまった花束を大事そうに抱える少年の横顔をゲンドウは静かに見詰める。

 

『本当、らしくないわね』

「ああ。らしくない」

 

 声は直ぐ隣、ゲンドウの耳元で。

 

 

 

 

 

 

「またぞろ問題か?」

「・・・いや」

 

 ゲンドウの意識は第二発令所内へと戻る。

 

「問題は無い」

 

 通話の切れた受話器を置き、ゲンドウは口元で手を組む。

 作戦決行まで残り三時間を切り、受話器越しに上がる職員の報告の声も緊張で落ち着きのないものだった。

 

「碇司令」

 

 それは発令所内部も同じであり、オペレーター席のフロアから司令席を見上げるミサトの声も硬く。

 

「残りはセカンドチルドレンの到着を待つばかりです。こちらは赤木博士に任せ我々作戦課も現場に赴き指揮を採りたいと思います」

「・・・そうか」

 

 ゲンドウは鷹揚に頷く。

 絶望的な状況からアスカの説得を成功させ弐号機の運用を可能にした結果、新たな作戦の成功率は二割弱となっていた。

 だが二割弱。

 たかが二割弱。

 ゲンドウは司令官という立場からは勿論のこと、一個人としても “ されど ” と続けることは出来なかった。

 

「サードチルドレンの容態はどうだ」

「・・・安定はしています。が、依然として寝たきりの状態です」

「搭乗は可能だな」

「それはっ・・・搭乗し、シンクロさせるだけならば」

 

 段々と目付きが鋭くなるミサトに返される言葉は熱も帯びず、平淡そのものだった。

 

「ならば出し惜しみは不要だ。盾だろうと囮だろうと構わん。好きに使え」

「ですが、今の段階で急には・・・」

「今作戦の状態を維持したまま初号機を投入した際の成功率。一度も考えなかったとは言わせん」

「だとしても、そう大差はあるまいよ」

 

 思いがけない横入りにミサトは深く息を継ぐ。

 だが冬月の言葉に強い主張はなく、これ以上ゲンドウが職員との軋轢や不信感を生み出させない為の、ただ冷静さを求めての発言であり。

 

「大差はなくとも僅かな差が命取りになることもある。成功の可能性は上げるに越したことはない」

「・・・・・・」

 

 そして今の今まで至って冷静なゲンドウが聞く耳を持つ筈もなく、冬月にしても狙われ自爆の選択もありえる本部内よりも初号機共に外の方が安全かもしれないという思惑もあり早々に口を閉じてしまう。

 

「例え次に同じ様な戦いがあろうと、今勝たなければその次に繋ぐことも出来ん。我々に妥協の余地は無い」

 

 心無い正論。

 それはゲンドウにとって都合の良いものだった。

 司令官という皮を被り、これが本来の自分なのだと自身に言い聞かせる様に、周囲の人々を、息子を、耳元でざわつく雑音を己の目論見の為に突き放してみせる。

 

「・・・パイロットが全滅の憂き目に遭ってでも、ですか?」

「パイロット喪失のリスクが低いと話したのは君だ」

「ですが碇司令、彼の心は今 ─── 」

「くどい」

「 ─── っ」

 

 ゲンドウはミサトを見下ろし権力でもって命令を下す。

 

「初号機パイロットを使え」

 

 

 

 

 

 

「・・・承服しかねます」

 

 レイの時と同様、使徒戦とは違う緊張感に包まれた発令所内の人間全てが注目する二人のやり取り。

 絶望的な状況から脱却したとはいえ、多くの職員が不安を抱え見守るなか、話はゲンドウにとって思わない方向へと進む。

 

「・・・ですが、初号機を投入した際の成功率は二割強。三割には届きませんが確かに上昇が見込まれます。碇司令の仰ること自体に間違いもなければ反対する理由もありません」

 

 意味を咀嚼し頭の中を巡る疑問。

 命令への拒否。

 理由。

 動機。

 そしてゲンドウの中で今一番忌避してやまない、可哀そうな存在への単なる “ 同情 ” という安っぽい言葉が導き出された瞬間、それは怒号と共に吹き出した。

 

「ならば議論の余地は無い!今すぐサードチルドレンを初号機に乗せ待機させろッ!」

「出来ません!」

「何が言いたい葛城一尉!!」

 

 

 

 

 

 

 憤りのままに席を立ち、部下を見下ろす男に失望はなかった。

 期待されることを嫌う男は人に期待することなもかった。

 人を信用せず、人を動かすのならば必ず男の意思が介入する余地を作り、手を回し、策を弄して来た。

 だからこそ男は自身が作り出した現状を、今現在、自身が立たされている予想外の状況そのものに対し憤っていた。

 

「碇司令。どうかお願いします」

 

 J A への失策程度、些細なものだった。

 第三支部司令の一家揃っての消息不明など気に悩む必要すらないものだった。

 たった一つの目的の為、利用できるものは全て利用し尽くしてきた男だった。

 

「私が言える立場でないことは重々承知です。それでもどうか」

 

 造りモノの少女が男の与えたモノ以外に執着を見せるようになった。

 贈りモノに囲まれ、それを大事そうに抱える、物欲を見せる少女の姿など想像していなかった。

 

「寝たきりの彼を戦いに出すというのなら」

 

 パイロットという立場に執着し、女として男に求められることを望んでいた少女が立場を捨ててまで自身と同じ子供の少年を求めだした。

 子供らしからぬ、それでいて幼さ故の、歯止めの利かぬ性欲を会ったこともない相手にぶつけるその姿に困惑した。

 

「貴方が」

 

 家族愛に飢え、内向的で傷付きやすい少年が殻の中に籠りだした。

 ただただ幸せそうに眠り続け、食事も排泄も着替えも人任せに、ベッドの上で夢に耽るその姿に男は ─── 。

 

「父親として・・・いいえ、司令という立場でも構いません。どうか」

 

 ゲンドウはその場で声を発することも出来ず立ち尽くす。

 静かに立ち、頭を下げる部下を見下ろす。

 それは責任の放棄ではなかった。

 もし、責任の所在で語るのならばそれは間違いなくゲンドウの方にあった。

 

「どうか息子さんを、貴方の手で送り出してあげてください!!」

 

 部下の隣には。

 

「自らの望みを口にしない彼を、私は自分の手で乗せることはもうできません」

 

 その隣にも。

 更に隣へ。

 下のフロアへ。

 更に更にと下げられる頭が、顔が。

 病室の前で見知った顔が続いた。

 

「司令官という立場も損な役回りばかりだな、碇」

「・・・・・・」

 

 発令所内の誰とも目が会わないゲンドウに、目を逸らすことは許されなかった。

 

 

 







 ゲンドウの内面なんて知るかとか考えながら打ってました。




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