白露型といっしょ (雲色の銀)
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ぽいぬといっしょ

 時刻は11時丁度(ヒトヒトマルマル)

 報告書をまとめ終えた提督が椅子に体重を預け、両腕と背筋を伸ばす。

 今朝は深海棲艦を見かけず、出撃要請もかかってこない。遠征組も今回の任務は長距離の為、まだ暫くは戻ってこないだろう。

 他の提督達からの演習の予定もない。つまりは、暇なのだった。

 唯一残っていた、書類作業も一通り終えてしまい、提督はやることがなくなっていた。新しい資材が届けば、艤装の開発も出来るのだが。

 

「たまにはゆっくりするのもいいか」

 

 呑気に思い返してみれば、着任以降ゆったりとした時間を取ることがなかった。

 続々と追加されてくる艦娘達とコミュニケーションを取りながら、攻め込んでくる深海棲艦を迎え撃ち、開発や資材の管理、書類作業もまだまだ手馴れず、多くの時間を費やしていた。

 ある程度の落ち着きを持った現在だからこそ、暇な時間も生み出せたと言うものだった。

 

「さて、昼飯でも」

 

 食べに行こうか、と彼は上着を取りに行こうとした。

 そこへ、提督室の扉がノックされる。漸く暇になったのに、また仕事が舞い込んできたのだろうか。

 

「どうぞ」

 

 提督は少し残念そうに、ドアの向こうへ返事を返す。するとドアは勢いよく開き、中へ1人の少女が入って来た。

 さらさらと揺れる薄い金色の長髪を持ち、少し跳ねた左右の癖毛は犬の耳を想像させる。

 黒いセーラー服の上から装備された艤装は、彼女が艦娘であることを証明している。

 本来ならば戦場に立つ少女のはずなのだが、とてもそんなイメージを抱かせない程活発な少女は、満面の笑顔で提督の元に駆け寄って行った。

 

「てーとくさん! お仕事終わりましたかっ!?」

 

 彼女は白露型駆逐艦の四番艦、夕立。現在はこの提督の秘書艦として働いている。

 炎のように紅い瞳をキラキラと輝かせ、提督の返答を待つ姿勢は、本当によく懐いている犬のようだった。

 

「あ、ああ。今終わったよ」

「じゃあ、もうお仕事ないっぽい!?」

「うん。今日はもう暇だね」

 

 秘書艦らしく、提督の仕事の有無を認識しているようだ。

 夕立は提督が現在暇であることを再確認すると、耳のような癖毛をぴょこぴょこと揺らしながら、ますますテンションを上げていった。

 

「じゃあじゃあ! 夕立とお散歩しましょ!」

 

 お散歩、と言う辺りもますます犬だな、と彼は思ってしまった。

 夕立は彼が着任した時から共に戦ってきており、当時から懐きっぱなしなのだ。

 元々人懐っこい性格ではあったが、上司である彼の為に強くなろうと積極的に近代化改修を受けたり、演習にも参加した。

 最近では、遂に二段階目の改造が可能な程の実力を身に着け、艤装も強化された。その時に前はなかった癖毛やマフラー、ハンモックのような帆が付いたのだが、瞳の色まで変わっていたのは夕立本人も驚いていたとか。

 

「いいけど、まずはお昼かな」

「はーい!」

 

 散歩に出る前にお昼ご飯を済ます為、2人は食堂に向かった。

 

「ごっはんー♪ ごっはんー♪ てーとくさんとごっはんー♪」

 

 彼とオフを過ごせるのが嬉しいのか、夕立は可愛らしく歌を歌っていた。

 そんな彼女だが、一度戦場へ出ると態度を一変させる。

 敵には容赦なく、「素敵なパーティ」と称して連装高角砲で破壊の限りを尽くしていくのだ。

 昼は重巡洋艦に匹敵する程の火力で暴れ、夜戦では酸素魚雷を用いて戦艦ですら容易く沈めてしまう。その活躍ぶりから、「ソロモンの悪夢」とまで呼ばれる程だ。

 最も、味方といる時は無邪気な犬そのものであるが。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「お腹いっぱいっぽい!」

 

 給糧艦「間宮」の食堂で腹を満たすと、2人はそのまま鎮守府内を散歩することにした。

 今は工房の近くまで来ている。ここで艤装や新たな艦娘を建造・開発するのだ。

 艤装はまだ分かるのだが、夕立のような艦娘をどうやって建造するのかは、この提督もよく分かってはいないらしい。

 

「ぽい?」

 

 艦娘建造の謎について考えている提督に、夕立は首を傾げる。

 こんなに愛嬌のある娘を建造出来るとなると、帝国軍の技術は相当のものだ。

 これ以上考えると引き返せなくなりそうなので、彼は建造について頭から離すことにした。

 次に通りかかったのは、入渠ドックだ。ここで艦娘達は傷付いた船体を癒すのだ。

 中は銭湯のようなもので、当人達にとって風呂に入るような感覚なのだが。

 因みに、何故か男湯もあり、こちらは提督や工房の職人達が使用している。

 そして、近くには出撃ドックがあった。現在は出撃もなく、第二艦隊から第四艦隊までは遠征で出払っているので、機材の整備をしている班以外は誰もいない。

 

「皆、まだ帰って来ないっぽい?」

「今夜には時雨達が帰るそうだ」

 

 首を傾げる夕立の頭を、彼は撫でてやった。

 夕立は提督も好きだが、他の艦娘達も好きである。特に、白露型の姉妹とは部屋が同じなだけあってとても仲がいい。

 仕事の終わった提督の元に駆け寄ってきたのも、姉妹達が不在で寂しかったからかもしれない。

 

「じゃあ、皆が帰ってくるまで、夕立がてーとくさんを独り占めっぽい!」

 

 カチューシャのように付けたリボンが外れないよう優しく撫で回すと、夕立はまた無邪気な笑顔で提督に擦り寄った。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 鎮守府内を練り歩き、提督室に戻ってくる頃には日が沈みかけていた。

 

「提督、第二艦隊戻って来たよ」

 

 提督室の扉が再びノックされ、本日二度目の来客が部屋に入ってくる。

 第二艦隊の旗艦を任されていた、白露型二番艦の時雨が遠征の大成功を報告しに来たのだ。

 今回手に入ったのは大量の燃料だ。これで、何時出撃になっても問題ないだろう。

 だが、入って来た時雨に提督は静かにするよう人差し指を立てた。しかも、普段は椅子に座って何かしているはずだが、今はソファーに座っている。

 

「あ」

 

 提督の様子をよく見て、時雨は納得した。

 本を読む提督の横では、散歩に満足した夕立がソファーの上で眠っていたのだ。艤装を外して提督の膝を枕にし、すやすやと寝ている姿は普通の少女と何の変わりもない。

 ぽいー、と寝息を立てる夕立に微笑みながら、時雨は隣の小さなソファーに座る。

 

「それで、今日は何があったんだい?」

「ただの散歩だよ」

 

 夕立の幸せそうな寝顔の理由を聞く時雨に、提督は軽く返す。

 戦闘も何もない、平和な鎮守府のそんな一日だった。




ウチの夕立を改二にした記念に書きました。
犬みたいな夕立が飼いたいです。

オンヅルボルモアギロメッツァポイポーイ!


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いちばんといっしょ

 鎮守府の朝は早い。

 日が上る少し前、提督は布団の中で未だスヤスヤと眠っていた。勿論時計は置いてあるが、アラームが鳴る気配はない。

 最近、彼は目覚まし時計をセットしないようにしている。何故なら、こんな規則的な音しか鳴らさないものよりも強力な目覚ましがあるからだ。

 

「提督―っ!」

 

 その時、提督室のドアがノックもなしに勢いよく開かれた。

 元気よく中に入ってきたのは、黒いセーラー服の少女だった。ショートカットの茶髪に、チャームポイントの赤いカチューシャが実に女の子らしいが、スカートの裾から見える砲門や背負った大きな煙突等から普通の少女じゃないことが伺える。

 

「白露、一番に起床しました! だから提督も起きてー!」

 

 白露型の一番艦、白露は彼の秘書官を務める艦娘だった。

 白露は人差し指を天高く掲げる一番のポーズを取った後、提督の掛け布団を引き剥がした。

 

「んん……おはよ、白露」

「はい! おはようございます!」

 

 まだ寝ぼけ眼のまま、提督が朝の挨拶をかわすと、白露は高いテンションを維持したまま敬礼した。

 ここまで元気な少女が起こしに来てくれるのだ。目覚まし時計より遥かに目覚めがよかった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 白露は「一番」であることに並々ならぬ拘りを持っている。

 朝起きるのも、ご飯を食べ終わるのも、敵船を発見するのも、攻撃を仕掛けるのも。

 

「まいどありー♪」

 

 改造を受けてから、白露自身の性能も上がり、ますます活躍に磨きがかかっていた。

 左手に装備した連装高角砲で敵軽巡洋艦を轟沈させ、今日もMVPを取って帰って来たのだ。

 

「ただいまー! 提督ー、私が一番だよー!」

「おう、お疲れ様」

 

 海域から帰還した後も、白露は一番活躍したことを自慢してくる。

 一番艦だから、という理由だろうが、とにかく白露は一番になることが好きだった。

 戦果を自慢することは旗艦であっても、他の艦にとって面白くないことである。

 しかし、今回の任務に同伴した艦達も白露の性格は知ってるので、寧ろ微笑ましく眺めていた。

 

「んじゃあ、最初は白露と木曾が入渠してこい。戦艦達はその後な」

「はーい!」

「仕方ねぇな」

 

 ただし、活躍したとはいえ白露は小破状態まで被弾していた。疲れを取る為、軽巡洋艦の木曾と共に入渠ドックへ向かい、他の艦は自室で待機ということになった。

 

「あ、村雨は残ってくれ。少し話がある」

「はい?」

 

 提督は唯一ノーダメージだった駆逐艦、村雨を部屋に残す。

 他の艦が出ていくと、村雨はニヤニヤとしながら提督に近付く。

 

「それで、私に何の相談かしら?」

 

 駆逐艦の中では、体の凹凸の目立つ身体付きである村雨は、艶のある声色で提督に尋ねてくる。

 その色香に提督はやや頬を染めつつ、咳払いをして気を取り直した。

 

「いや、白露のことについてなんだ」

「あぁ、なるほど」

 

 提督が用件を伝えると、村雨はパッと態度を変えて納得した。

 村雨は白露型の三番艦。つまり、白露の姉妹なのだ。但し、性格は圧倒的に姉より大人なのだが。

 提督は、前々から白露の性格について気になっていた。一番を目指す意欲は結構なのだが、あまり誇張しすぎれば、当然誰かから反感を買う。それが出撃の際の戦果ならば尚更だ。

 今は比較的落ち着いた性格の艦達で艦隊を組んでいるが、今後入ってくる艦娘次第では隊に亀裂を生むかもしれない。

 

「俺が一度、ビシッと言ってやるべきなんだろうけど……」

 

 提督としても、部下の不手際は叱るべきだ。しかし、彼は白露が一番を取った時の気持ちのいい笑顔を見ていると、とても叱ってやる気分にはなれなかった。

 悩む提督に、村雨はさっきまでのふざけた態度と別に、落ち着いた女性らしく話し出した。

 

「白露は一番が好きなだけであって、一番だから他人を見下したり、誰かを出し抜こうだなんて考えてはいませんよ?」

 

 村雨の言葉に、提督も大きく頷く。

 白露が一番を取った時に、随伴艦を馬鹿にしたり見下す態度を取ったことは今までなかった。寧ろ、一番を取る以外では白露型の長女らしく他の艦を気にしたりする程だ。

 だから、今まで誰も文句を言わなかったのだろう。

 

「今だって皆と上手くやれてますし、大丈夫ですよ」

「そうか……」

 

 村雨はそう言い残して、自分の部屋に戻って行った。

 姉妹艦のお墨付きを貰いはしたが、提督は少しばかりの不安を残していた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「一番風呂、もらいましたー!」

 

 入渠を終えた白露は肌に艶を戻し、提督室に戻って来た。

 今日はもう出撃もないので、これから秘書艦の仕事を務めるのだ。

 本部から来た書類を眺めていた提督は、風呂も一番かと苦笑しながら秘書を迎え入れる。

 

「よーし、まずは今日の報告書を作んないとね!」

「白露、少しいいか?」

 

 張り切る白露に、提督は何気なく声を掛けた。

 作業しながらでいい、と付け加えたので、2人は仕事をこなしながら話すことになった。

 

「白露は、何で一番に拘るんだ?」

 

 提督は、白露を鎮守府に迎えてからずっと抱いていた疑問を口にした。

 決して文句があるわけではない。この娘はどうして一番になりたがるんだろう、という純粋な疑問だった。

 白露は一瞬だけ報告書を書く手を止め、すぐに満面の笑顔で答え始めた。

 

「だって、一番は格好いいじゃないですか。こんなに多くの優秀な艦がいる中で自分が一番ですよ? それだけで、自分はすごいんだってやる気が出るんですよ」

 

 白露の言う通り、この鎮守府には既に多くの艦娘が所属している。駆逐艦から戦艦まで幅広く、それぞれの特性を任務に活かしている。

 そんな艦娘達の中の一番ならば、確かにすごいだろう。

 

「もしも今が一番じゃなくても、次は一番になろうって目指して、もっとやる気を出せる。一番は明日の活力なんですよ」

 

 常に一番を目指す白露ならではの熱い言葉だった。

 これは戦場に身を置く艦娘だからこそ、明日を行き抜く為の活力を出そうという心の現れも含んでいるのかもしれない。

 純粋に一番を目指すだけの白露が、提督には眩しく見えた。これなら、自分の心配も無用の長物だと思えるくらいに。

 

「そっか。一番はすごいな」

「そうですよ! だから、提督も頑張って一番目指そうよ!」

 

 提督が気付くと、白露は目をキラキラと輝かせて天高くを指差していた。

 今の白露は戦意高揚状態に近いのかもしれない。

 

「提督は皆を指揮する提督なんだから、当然一番だよね!」

「ははっ、そうだな。白露に負けないよう、一番を目指すか」

 

 子供のようにはしゃぐ白露に、提督は同じように天を指差した。

 何の一番を目指すのかはよく分かってはいないが、一番のポーズを取るだけで元気が湧いてくるような気がしていた。

 

「ってな訳で、一番に仕事終わりな」

「あーっ、ズルい!」

 

 白露と話している内に、提督は手を休めなかったので資材確認と新しい航路の確認資料をまとめ終えていた。

 一緒に一番を目指すと言っていた白露は先に仕事を終えた提督に文句を言いつつ、残った報告書を急いで書き上げたのだった。

 

 




白露ちゃんマジ一番


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はいはーいといっしょ

「村雨の、ちょっといいとこ見せたげる♪」

 

 秘書艦かつ第一艦隊の旗艦である村雨は、可愛らしくウインクしながらそう言った。

 薄茶色のツインテールと黒いセーラー服のスカートを可憐に揺らし、仲間達と共に大海原を行く。

 彼女を秘書にして二週間。提督は村雨の八面六臂の活躍ぶりに感心していた。

 白露型駆逐艦の三番艦、村雨。三女である彼女だが、性格は長女の白露よりも大人びており、面倒見がいい。

 戦場に出れば駆逐艦らしく火力に難こそあるものの、敵の潜水艦や駆逐艦などを卒なく撃破してくれる。

 

「やっちゃうからね♪」

 

 現在も、改造を受けて手に入れた連装高角砲を敵の旗艦である軽巡洋艦ホ級flagshipに命中させ、一撃大破に追い込んでいる。

 そして、夜戦に入れば彼女の本領発揮である。スカートの裾から覗く眩しい太股に取り付けた発射管から酸素魚雷を、そして砲撃戦にも使った両手の連装高角砲を一斉に放ち、戦艦や航空母をも一撃で仕留める。

 こちらの強力な艦達に劣らぬ活躍ぶりに、何度もMVPを取ったこともある。

 

「提督、艦隊が勝利しました」

 

 今日は夜戦に入る前に、深海棲艦の艦隊を壊滅させられたようだ。今回も、MVPを取ったのは村雨だった。

 しかし、村雨達がいる海域はまだ先がある。燃料もまだ足りるようで、艦隊全体のダメージも少ない。

 

「そうだな。じゃあ、進軍しようか」

「了解。村雨のいいとこ、もうちょっと見せたげるね♪」

 

 冗談交じりに出撃時と同じくウインクをし、村雨は艦隊を纏めて進軍した。この秘書艦は口も達者である。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 出撃をしていない時でも、村雨の活躍は衰えない。

 本部から送られてくる任務を工廠や遠征担当の艦隊に正確に指示し、鎮守府内の資材管理や他鎮守府への演習の申し込みまでこなしてしまう。

 

「提督、クッキー焼いたのでお茶にしましょ?」

 

 おまけに、料理も出来て気が利く。秘書艦として完璧な立ち回りだった。

 

「あぁ、頂くよ」

 

 提督も仕事がグッとやりやすくなり、女子力の高い村雨に頭が上がらない思いだ。

 口にしたクッキーは程よい固さでサクッと砕け、味も甘さ控えめで美味しい。

 村雨の淹れたお茶とクッキーで頭を休ませると、彼は溜まっていたはずの仕事があと僅かまで終わっていることに気が付いた。これも、村雨が秘書として手伝ってくれたおかげだろう。

 

「村雨」

「はいはーい?」

 

 ソファーで休憩中の村雨に声を掛けると、彼女は象徴的な返事を返してくる。

 

「この後、仕事はあるか?」

「えっと……提督は報告書だけで終わりですね」

「いや、村雨の方なんだけど」

 

 村雨は本日のスケジュールを書いたメモで提督の予定を確認する。

 しかし、提督が知りたかったのは村雨の予定だった。

 

「え? んー、ありませんねぇ」

「じゃあさ、俺と出かけないか?」

 

 村雨の予定がないと分かると、提督は彼女を誘い出した。普段から多方面でお世話になっているので、提督は前々から村雨にお礼がしたかったのだ。

 特に深い意図はなかったのだが、村雨は提督からの誘いに目を点にすると、次にはニヤニヤと笑みを浮かべていた。

 

「へぇ、この村雨をデートに誘ってるんですかー」

「ま、そういうことになるな」

 

 男女が二人で出かけるとなれば、それはもうデートと言えるだろう。しかし、提督は以前秘書艦にしていた夕立や白露とも出かけているので、そこまで気にしてはいなかった。

 普段から女性らしい色気で提督をからかうこともあるので、提督は肯定で返した。

 

「え? ま、マジですか?」

 

 だが、今度は村雨がキョトンとすることになってしまった。頬も若干染まっており、カップを持つ手が少し震えている。

 冗談で返したつもりが、逆に相手を本気にさせてしまったようだ。そこまで動揺するのなら、最初の冗談を言わなきゃよかったのに、と提督は思った。

 それから仕事をパパッと終えた提督は、先に待っていた村雨と鎮守府の外へと出かけて行った。

 提督と出かけることが決まるや否や、村雨は驚異的なスピードで自分の仕事を終え、後は主人の帰りを待つ犬のような表情で提督を待っていたのだった。

 そう待たれてしまっては、提督も早めに終わらせない訳にはいかない。

 

「それで、何処に行くんですか♪」

 

 提督の腕に抱き着いて、終始上機嫌の村雨が訪ねる。

 こうして見ると、お姉さんらしい性格の村雨も白露達と似て犬のようだと、提督は内心思っていた。

 

「そうだな……村雨は行きたいところはないか?」

 

 提督も思い付きで誘っただけで、特に行き場所も決めていなかった。女性とデートらしいことをしたこともない提督は、何処に行けばいいのか分からず、つい村雨に聞いてしまう。

 すると、上機嫌だった村雨を可愛らしく頬を膨らませた。

 

「ダメですよー、こういう時は男性がちゃんとエスコートしないと!」

「ご、ゴメン……」

 

 村雨に怒られ、提督も素直に謝ってしまう。小さい子を叱るように言う辺り、村雨らしい。

 お礼をするはずが叱られてしまい、提督は自分の不甲斐無さに情けなくなる。

 今でこそ、艦娘達と対等に話せるようにはなったが、着任当初はどう接していいかと四苦八苦をしていたのだ。そんな提督が、今更デートプランなど練れるはずもなく。

 

「仕方ないですねぇ。今回だけは、この村雨がしっかり提督をエスコートしてあげます」

「お願いします」

 

 昔から鎮守府にいた村雨もそんな提督の性格を知っているからこそ、抱き着いていた提督の腕を引っ張って行った。

 いくら有能な秘書で戦場に出る艦娘とは言え、村雨も年相応の女の子。提督を引き連れて、キュートなグッズショップや洋服店、果ては高価なアクセサリーショップを転々とした。

 

「提督、どうです? パワーアップしてます?」

「うん、似合ってるよ」

 

 洋服店では気に入った服を試着しては提督に感想を尋ねていた。

 駆逐艦の中でもスタイルのよい体付きをしている村雨は、色んな服を着こなせていた。アクティブな服装やシックなドレス、更にはコスプレまで。

 半ば村雨の着せ替えショーになっていたが、提督は感想以前に来た服を全部買わされるんじゃないかという心配でいっぱいいっぱいになっていた。

 

「それじゃ、行きましょうか」

 

 ところが、元のセーラー服に着替えた村雨は試着した服でパジャマのみを選んで、後は買わなかった。更に、そのパジャマも自分で支払ってしまったのだ。

 ここで漸く、提督は村雨に対して自分が何も出来ていないことに気が付いた。慌てて何か出来ないか考えていると、咄嗟にあるものが視界に入った。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「うーん、たまには提督とデートもいいですねー」

 

 鎮守府に戻り、村雨はソファーに座り込んで背を伸ばす。

 結局、提督は村雨の買い物に付き合わされただけで終わってしまったのだ。せめて荷物持ちはと思っていたのだが、荷物が思った以上に少なくて役に立ったかどうかは微妙である。

 

「喜んでくれたのなら、いいか」

 

 ネガティブに考えるのをやめた提督は、リラックスする村雨に近付くとポケットからあるものを取り出した。

 当初の目的である、村雨へのお礼。それが出来る最後のチャンスだった。

 

「これ、受け取ってくれるか?」

「え……?」

 

 提督から差し出された細長い小箱に、村雨は目を点にする。

 彼女にとって急なプレゼントを恐る恐る開けると、中には黒いリボンが入っていた。

 

「ほら、髪留めのゴムがもうボロボロなんじゃないかってさ。それに、普段のお礼も兼ねて」

 

 戦いが激化する中で、装甲の薄い村雨が中破して戻ってくることも少なくない。

 今日のデート中で髪を結んでいるゴムが少しボロボロになっていることに気付いた提督は、こっそりリボンを買っていたのだ。

 驚いたのと同時に、提督がちゃんと自分のことを見ていてくれたことへの嬉しさで、村雨は言葉を失う。

 

「気に入らなかったか?」

「へっ!? い、いやいやいや! そんなことないですよー!」

 

 反応が薄いことに不安を感じた提督へ、村雨は全力で首を横に振る。

 そして、すぐにゴムを外してリボンで髪を結び始めた。薄茶の髪に黒いリボンはよく映えて、黒いセーラー服と相まって村雨の大人っぽさを引き出している。

 

「……村雨、パワーアーップ!」

 

 提督からのサプライズに村雨はテンションが上がり、元気よく叫ぶ。

 急に叫びだしたことには驚いたが、気に入ってくれたようで提督は安心した。

 

「提督、ありがと♪」

 

 村雨はとびっきりの笑顔で提督の腕に抱き着くと、提督の頬に口付けをしてきた。

 サプライズを仕返され、女心に疎い提督も流石に顔を疲労状態以上に真っ赤にする。

 村雨は舌をペロッと出して、提督に悪戯っぽく笑いかけるのだった。

 

 

 キスの瞬間をドアから除いていた青葉が、あらぬ噂を鎮守府中にバラ撒くのはまた別の話。

 

 




いいタイトルが浮かびませんでした。

村雨ちゃんの女子力は高い(確信)。


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時雨といっしょ

 雨はいつか止むさ。

 

 蒼く澄んだ水平線が果てしなく広がる。普段はゆらゆらと波立つ海面も、今は無数の雫に乱され激しく形を変える。

 何時止むかも分からない雨に打たれながら、水平線の上に立つ黒髪の少女は独り空を見上げて口を開く。その呟きも、雨音に掻き消されていった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 白露型駆逐艦二番艦、時雨。彼女が、現在の提督の秘書艦だ。

 時雨はこの鎮守府内で、最も提督と長い付き合いで何度も秘書を務めたことがあった。

 難易度の高い遠征任務などでは経験の豊富な彼女が旗艦となり、他の艦と秘書艦を変わることもある。だが、過ごした時間が長くて落ち着くからか、提督は度々時雨を秘書へ戻していた。

 

「提督、お茶を淹れてみたよ」

 

 提督のやる仕事がよく分からない時雨はあまり手伝うことが出来ず、自身の報告書や資材の確認、各部に指示を下すこと以外はやることがなかった。

 最も、これは他の艦娘達も同じで提督の仕事そのものの手伝いは誰にもやらせていない。時雨は秘書艦として、十分優秀に働いていた。

 大和撫子という言葉が似合いそうな艶のある黒髪を揺らし、時雨は提督の机にお茶の入った湯呑を静かに置く。

 

「ありがとう」

 

 提督は湯呑を受け取ると、ひょこっと左右に跳ねている犬耳のような癖毛が目に入った。

 数多くいる駆逐艦の中でも白露型の艦達とは仲良くなる機会が特に多かった提督だが、全員がそれぞれ犬のような特徴を持っているなと思い浮かべた。

 時雨は主人に従う賢い忠犬のようなイメージだ。言われたことをワンと吠えずにやり遂げて見せる、クールな犬。しかし、内心ではかなり主人に甘えたがっているのではないか。

 

「どうしたの?」

 

 提督の視線を受け、首を傾げる時雨。その拍子に肩に垂らした三つ編みと癖毛がまた揺れる。まるで黒い子犬の耳と尻尾のようだ。

 提督は可愛らしさに心打たれ、ついつい時雨の頭を撫でてしまった。

 急に頭を撫でられた時雨は恥ずかしがって顔を赤くするが、嫌がる素振りを見せなかった。やはり、何処か心の中では撫でられたいと思っていたのだろうか。

 こうやって、時雨が秘書になると2人は仕事の合間にじゃれ合うのだった。

 

 暫くして、頭を撫でられていた時雨は窓から外を眺めていた。

 今日は朝から雨が降りしきっており、任務のある者以外は好き好んで外に出ようとしない。

 それでも、時雨はずっと物静かに外の雨を眺め続けていた。

 

「雨、好きなのか?」

 

 提督は、そんな時雨に気になっていたことを聞いてみた。思えば、時雨の言葉は雨に関係するものが多い。

 そもそも、白露型の艦の名前は雨に由来している。時雨とは、秋から冬にかけての一時的に降ったり止んだりする雨のことだ。

 

「……どう、なのかな。多分、好きかも」

 

 時雨は曖昧な答えを返し、再び窓へ視線をやる。しかし、好きというには何処か悲しく儚げな表情が、提督は気になった。

 名前の関係だけではない、複雑な心境が時雨にはあるのだろうか。

 

「提督、そろそろ出撃しよう」

「え? あ、ああ」

 

 提督が尋ねる前に、時雨は出撃準備をしにドックへ向かってしまった。

 

「第一艦隊、出撃するね」

 

 旗艦である時雨が率いる第一艦隊は、出撃予定の海域を進んでいた。

 ここで確認された深海棲艦は強力な種類ばかりで、経験を積んだ時雨達でも苦戦は必須である。

 最初のポイントに近付くと、出撃前に飛ばしていた偵察機が僚艦の航空戦艦、扶桑の元に戻って来た。どうやら敵を発見したようだ。

 

「提督、陣形は?」

 

 艦隊戦において、陣形は重要な要素である。陣によってこちらの攻め方が決まり、相手の有利不利が決まるのだ。

 第一艦隊は駆逐艦2隻、航空戦艦2隻、重巡洋艦1隻、軽空母1隻で構成されている。航戦には空戦も出来る水上偵察機「瑞雲」が搭載されている為、軽空母2隻程度の構成ならばこちらが空戦で引けを取ることはない。

 

「単縦陣で」

 

 提督が指示した陣形は、最もシンプルで砲戦に特化した単縦陣だった。敵に潜水艦でもいない限りは、砲戦で本陣まで押し切るのも有効な戦法だ。

 時雨は頷き、各艦を背後に陣を取って敵艦へと進んでいく。

 敵もこちらに気付いたようだが、空母はいないようだ。ただ、戦艦を旗艦としてこちらと同じく単縦陣で構えている。

 

「伊勢、日向には、負けたくないの……!」

 

 扶桑はライバルである伊勢型の航空戦艦への対抗心を闘志に変え、瑞雲を飛ばす。敵には飛ばす航空機はないので制空権を楽に確保し、爆撃を敵艦隊に叩き込んだ。

 結果、後ろに控えていた重雷装巡洋艦を撃沈させることに成功した。だが、敵の旗艦はまだ健在である。

 そこから先の砲撃戦は、普段提督とじゃれ合う時雨しか知らないものにとっては間違いなく目を疑うほど凄惨な光景であった。

 背部から腰に取り付けていた砲台を取り外してトンファーのように構えると、敵に情けを与えない非情な顔付きになり、敵艦に狙いを定める。

 まずは戦艦のすぐ背後にいる軽巡洋艦。この程度の装甲ならば、時雨の砲撃で打ち抜くことが出来る。

 

「行くよ」

 

 時雨が左右の砲口から同時に放った砲撃は、軽巡洋艦の装甲を見事に貫通して撃沈させた。運よく当たり所もよかったようだ。

 しかし、1隻沈めたところで安心してはいけない。時雨は息を吐く間もなく、別の敵艦からの砲撃を軽々と避けながら高速で近付く。その駆逐艦に肉薄したところで、右手に持つトンファーのような砲門を直接艦体に叩き込み大海原へと沈めた。

 

「沈め」

 

 冷徹な表情のまま、時雨は水面に叩き付けた駆逐艦にそのままゼロ距離で砲撃を浴びせ、容易く破壊した。

 爆発の衝撃で海水が勢いよく跳ね上がり、土砂降りの雨に交じって時雨へ降り注ぐ。

 その時、時雨の脳裏にとある光景がフラッシュバックしてきた。

 よく晴れて星の見える黒い夜空に、海水の雨が降り注ぐ。

 ただの海水のはずなのに色は紅く、硝煙と鉄の臭いが潮の香りを掻き消していく。

 

「時雨!」

 

 数瞬だけ意識を飛ばしていた時雨は、自身を呼びかける扶桑の声に気付く。だが、敵戦艦の砲撃を避けるにはもう遅く、防ぐことすら出来ないでいた。

 咄嗟に目を瞑る時雨。駆逐艦の装甲では一発大破は免れない。そのはずなのだが、時雨に砲撃が当たることも、大破どころか傷一つ負うこともなかった。

 恐る恐る目を開くと、前には仲間を象徴する巨大な艤装が影を作っていた。

 たまたま時雨の近くにいた航空戦艦、山城が彼女を庇っていたのだった。

 

「山城っ!?」

 

 時雨は慌てて駆け寄る。砲撃を受けた山城は、巫女のような服装を大事なところをギリギリ隠す危ないラインまで破損し、巨大な艤装の砲台は半分が損傷を追っていた。

 

「あぁ、やっぱり不幸だわ……。けど、時雨が無事なら……」

「ゴメンよ、山城! 僕がボーっとしてたから!」

 

 山城は泣きじゃくる時雨の頭を優しく撫でる。ただ、損傷は大きいものの中破程度で、命に別状はない。

 山城の無事を確認した時雨は態度を一変、獲物を狩る肉食獣のように眼光を光らせ、敵艦隊の旗艦を見据える。

 そして、急速接近を仕掛けつつ、両手に構えたトンファー型の砲台から次々と砲撃を浴びせた。

 駆逐艦の火力は、二段階改造を終えた時雨であっても戦艦の装甲を破るには難しい程度。いくら時雨の砲撃を受けようと、敵戦艦へのダメージは微々たるものだった。そう、砲撃では。

 

「残念だったね」

 

 駆逐艦の武装は主砲だけではない。時雨は接近しながら戦艦目掛けて思い切り跳ぶと、太腿に取り付けていた発射管からありったけの酸素魚雷を発射した。

 駆逐艦は火力よりも雷装が高く、夜戦時の魚雷で戦艦を落とすことも出来る。

 流石に上から直接魚雷を叩き込まれるとは想定しておらず、敵戦艦は巨体を爆発四散させて海に沈んだ。

 

「君には失望したよ」

 

 砲撃を自身に当てることも出来なかった戦艦へ冷たい言葉を吐き捨てた後、時雨は再び山城の元へと駆け寄った。

 

 S勝利を飾った艦隊ではあったが、山城の損傷が激しい為一時帰投することになった。

 

「ご苦労様」

 

 時雨達がドックに戻ると、待っていた提督が慰労の言葉を贈った。

 進軍には失敗したものの、提督は艦隊が無事に帰ってきたことを喜んでいたのだ。

 

「特に時雨はMVPを取ったようだな。無傷だし、流石は幸運艦だ」

 

 時雨は旗艦を落としたこともあって文句なしのMVPに選ばれていた。

 ただ、自身の所為で山城を傷付けたことをまだ悔やんでおり、少しも喜んではいないが。

 タオルを配りながら時雨を褒める提督の言葉に、彼女はピクッと反応した。

 

「提督、少し休憩に入っていい?」

 

 タオルを頭に被った時雨は、低いトーンで提督に告げて逃げるようにドックから立ち去ってしまった。

 

「時雨……」

 

 提督としては、今朝からの時雨の様子をずっと気にしており、少しでも元気付けようと言った言葉だった。

 残された提督は山城と、少しダメージを負った扶桑に入渠するよう指示を下し、一人で提督室に戻った。

 既に空になった湯呑を見つめ報告書の制作を続ける。が、時雨の儚い様子がどうしても気になってしまう。遂には、報告書の字を一つ間違えてしまった。

 仕事に影響する程ならばと、提督は溜息を吐きながら放送用のマイクを取り出した。

 

「提督より連絡。今から名前を呼ぶものは、提督室に来てくれ」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 鎮守府の廊下を歩く時雨は、行く当てもないまま何度目かの溜息を吐いた。

 あのまま提督の傍にいれば、間違いなく提督は自分のことについて聞いてくる。そうすれば、弱い自分を曝け出すことになってしまう。きっと、提督に迷惑をかけてしまう。

 

「あ、時雨ちゃん」

 

 次の角を曲がろうとすると、ばったりと陽炎型駆逐艦の少女、雪風と会った。

 雪風も時雨も帝国軍随一の幸運艦として知られ、「呉の雪風、佐世保の時雨」と呼ばれている。その縁もあってか、見た目も中身も幼い雪風はクールで人当たりの良い時雨に懐いていた。

 

「やぁ、雪風」

 

 しかし、少し微笑んで挨拶をしただけで、時雨はすれ違って行った。

 今の時雨が抱えている憂鬱は、雪風とは関係ないものだからだ。

 雪風も特に時雨に用があった訳ではなく、若干様子が気になりながらもその場は立ち去って行った。

 幸運艦。そう呼ばれることにも慣れたはずだった。だが、時雨はそれがいいことだとは思っていない。

 幸運だから傷付かない。けど、それは他の艦の犠牲があるから。自分の仲間が傷付くぐらいなら、時雨は自分の運なんていらなかった。

 

「雨は……いつか……」

 

 いつか止む。そういう時雨の心の中の雨は現実と同様に未だ止みそうもない。

 

 時雨の奥底に眠る古い古い記憶。それは西村艦隊として出撃した、レイテ沖海戦の惨状。

 共に戦っていた扶桑・山城姉妹、重巡洋艦の最上、駆逐艦の満潮。

 数時間前までは仲良く話をしていたはずなのに、夜戦での砲撃は全てを奪い去って行った。

 優しく撫でてくれた白い腕も、中性的な声と笑顔も、強気ながら何処か達観した姿勢も。砲戦の衝撃で飛び散った、止むことのない海水の雨の中に消えていく。

 ただ一人生き残った時雨はあの惨状を心に刻み、止むことのない雨を降らせ続けている。

 時雨にとって、雨は血の涙の代わりなのかもしれない。けど、血や硝煙の臭いを消し、耳障りな砲撃の音を掻き消してくれるのもまた雨なのだ。

 トラウマの元でありながら、風情のある雨が時雨は好きだった。特に、降ったり止んだりを繰り返し、人生の無常を表す儚い通り雨が。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「時雨にそんなことが……」

 

 提督室では、提督が呼び出した白露型の駆逐艦達に時雨のことを尋ねていた。

 本人に聞いても話したがらないだろうし、もしもトラウマを抉るようなことになれば申し訳が立たない。

 結果、提督の見立ては正しかった。レイテ沖海戦の悲惨な状況は彼も人伝に聞いていたのだ。

 

「時雨は山城に庇われたのがショックだったみたい」

「あの時も、時雨の傍に山城がいたって言うし」

 

 白露と村雨が、時雨の戦果と様子から推測する。勿論、だからといって庇った山城が悪い訳ではない。

 時雨にとってはある意味で、不幸だっただけなのだ。

 

「雨に関してはよく分からないっぽい。けど、砲戦で海水が飛び散ったのを雨みたいだって言ったことはあったよ」

 

 加えて、夕立が時雨と出撃した時のことを思い出していた。敵を撃破した時に降り注いだ海水を、時雨は儚げに見つめていたという。

 姉妹の中でも取り分け影のある印象を持つのも、こういった悲劇と直面しているからであろうか。

 とにかく、時雨のことが大体分かって来た提督は、どうすれば時雨の心を落ち着かせることが出来るのか、考えていた。

 

「しれぇー」

 

 そこへ、雪風がノックもなしに提督室に入って来た。まだまだ子供の彼女にとって、鎮守府は自宅のような感覚なのだろう。

 

「雪風、ノックはするよう言ってるだろ?」

「あ、すみません」

 

 溜息交じりの説教に、雪風は舌足らずな口調で頭を下げた。

 仕草がいちいち小動物のようで、一部の女性提督からはペットのように扱われているのだとか。

 

「まぁいい。それより、時雨のことで相談があるんだが」

「時雨ちゃんですか? そういえば、さっきすれ違いましたよ?」

「何っ!?」

 

 時雨と仲のいい雪風にも話を聞こうと思っていた提督だったが、いなくなった時雨と会っていたことは予想外だった。

 丁度、時雨を探そうとも思っていたので、これは都合がいい。

 

「何処に行ったか分かるか?」

「えっと……多分、入渠ドックの方だったと思います」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 フラフラと歩き続けた時雨は、何時の間にか入渠ドックの前まで来ていた。

 流石に疲れたのか、人通りのない廊下に座り込む。

 

「はぁ……」

 

 尚も消えないトラウマの雨に、時雨は溜息を吐く。

 普段ならばすぐに元に戻るはずなのに、今日に限ってはレイテ沖海戦の光景が頭から離れてくれなかった。

 恐らく、山城が自分を庇って傷付いたからだろう。

 

「何辛気臭い顔してんのよ」

 

 体育座りで塞ぎ込んでいた時雨に、ふと呼びかける強気な声。

 顔を上げると、駆逐艦らしい小さい体ながら、キツイ視線を浴びせる少女が仁王立ちしていた。

 彼女こそ西村艦隊に所属していた駆逐艦、満潮だった。

 

「今日の出撃で何かあったのかな?」

 

 更に、満潮の後ろから小豆色の制服を着たボーイッシュな艦娘が覗き込んでくる。

 元重巡洋艦にして、現在は改造を受けて航空巡洋艦になった最上も、西村艦隊の一員である。

 この2人が今、時雨の前にいるのは果たして偶然なのだろうか。

 

「まさか、今になって「あの時」のことを悲観してるんじゃないでしょうね?」

 

 満潮は呆れ顔で時雨の考えを見事に言い当てる。

 常に他人を突っ撥ねた態度を取る満潮だが、これは時雨と同様に頭に眠るトラウマが原因である。

 その為、元来の優しい性格を表に出すのは姉妹艦か西村艦隊の仲間達の前だけなのだ。

 

「ちょっとね……それより、何でここに?」

「私が呼んだのよ」

 

 満潮と最上は今日は出撃しないはずだ。当然傷も付いていないので、入渠ドックに来る用はない。

 そんな時雨の疑問に答えたのは、丁度入渠ドックから出て来た山城と扶桑だった。

 これで、現在この鎮守府にいる西村艦隊のメンバーは全員揃ったことになる。

 

「今日のことで、アンタがまた思い出しているんじゃないかって」

「時雨、大丈夫?」

 

 前線での時雨の豹変ぶりを見ていた扶桑姉妹は、時雨が心配になって満潮と最上に召集を掛けたのだ。

 彼女等はレイテ沖で全員沈んでしまったが、時雨のみが生き残ったために抱いている思いも別のものなのだ。

 

「ここは私達しかいない。西村艦隊しかね。だから、思いを全部吐いちゃいなさい」

「僕達なら、全部聞いてあげるからさ」

 

 満潮達の後押しもあってか、一人残された少女は瞳から涙を一粒流した。

 

「僕は、皆の迷惑なんじゃないかって。幸運艦とか呼ばれているけど、皆に不幸を押し付けているだけなんじゃないかって思うんだ。どうして僕一人だけが残されてしまったんだろう。皆を救うことが出来なかったんだろう」

 

 時雨は幸運艦と呼ばれる自分への苛立ちを思い切り吐き出した。

 生き残った幸運と引き換えに、時雨はたくさんの仲間が沈んでいく光景を目の当たりしてきた。姉妹艦である白露達も同じ部隊でありながら、時雨を残して沈んでいった。

 姉妹も仲間も失い一人になった時雨だからこそ、今の冷静な性格になってしまったのだ。

 

「僕は皆と一緒にいても良かったのかなって、時々思うんだ。僕にとっての幸運が皆にとっての不幸を呼ぶのなら」

「何言ってんのよ」

 

 時雨の言葉を、満潮が遮る。口調は相変わらずキツイが、その表情は何処か憐れみを抱いているようにも見える。

 

「戦争なんだから、何時沈んでもおかしくなかった。アンタはその中で生き残った。ただそれだけよ」

「そうそう、時雨が生き残ってくれただけでも僕達は幸せだったよ」

「私達の不幸は、今に始まったことじゃないし……」

 

 満潮も、最上も、扶桑も、誰も時雨を疫病神と罵ることはなかった。

 彼女達は戦場で勇敢に戦い、命を散らした。それが彼女達自身の不幸であっても、時雨の所為ではないのだ。

 時雨という言葉に付けられた意味の通り、人生は無常である。現に、生き残っていた時雨も最期は敵の潜水艦によって撃沈されてしまった。

 

「それに、私達はもう沈んだりしないよ!」

 

 更に、元気な声が背後から響き渡る。

 振り向くと、時雨を探し回っていた姉妹艦達と雪風、そして提督がいた。

 ずっと後ろで話を聞いていたようで、特に雪風は目に涙をいっぱい溜めている。

 

「ぐすっ、雪風は、自分の幸運ばっかり、喜んでました……!」

 

 時雨の想いを聞いて、同じ幸運艦の雪風は運の良さを喜ぶだけの自分が恥ずかしくなった。

 だが、雪風は僚艦が沈むことで周囲から死神や疫病神と呼ばれたことがあった。

 

「でも、責めて生き残った自分は、皆さんの分も行きようと思ってました! だから、だから……!」

「雪風……」

 

 例え死神と罵られようと、雪風は沈んだ仲間の分も生きる決意をしていた。

 それが幸運な自分が出来ることだと信じて。

 

「私達、時雨に沈められた訳じゃないしねぇ」

「私は素敵なパーティーしたからっぽい?」

「タンカーなんて予想出来ないし!」

 

 村雨達も、それぞれ沈んだ理由は別にしても、時雨を迷惑だと思ったことは一度もない。

 寧ろ、武勲艦である姉妹を誇りに思うくらいだ。

 この場にいる者は皆、時雨を心配して集まってきたのだから、時雨の言うように迷惑がったりはしなかった。

 

「俺は艦娘達の昔のこと、文面や話ぐらいでしか分からない。けど、今一緒にいる俺達は、お前一人を残して沈むつもりは一切ない」

 

 最後に提督が前に出て、時雨の頭を撫でる。優しく、家出した犬を落ち着かせるように。

 時雨の周囲には、かつて目の前で沈んだ仲間達が笑顔で自分を受け入れてくれている。

 時雨の不安な心は氷解し、最後にもう一押しが欲しくなって、ポツリと尋ねてみた。

 

「僕はまだ、ここにいても大丈夫なのかな?」

「勿論!」

 

 

◇◆◇◆

 

 

 夜の波が静かに揺らぐ。

 雨はすっかり上がり、砲撃の音も今夜は聞こえない。

 鎮守府の窓から優しく吹き抜ける潮風が、時雨の柔らかな頬を撫でる。

 

「提督、静かな夜だね」

 

 話しかけるも、返事はない。

 時刻は午前2時(マルフタマルマル)。疲れ果てた提督が居眠りしてしまうのも仕方がない。

 小さな寝息を立てる提督に、時雨はフッと笑いかけた。

 

「お休み、提督」

 

 時雨はそっと毛布を掛けてやると、無防備な額に唇を当てた。

 大好きな提督や姉妹達には内緒の行為に、ポッと頬が赤く染まる。

 そして、時雨はまた窓から凪いだ海を眺めていた。火照ってしまった所為で、もう少しの間は寝れそうにない。

 

「雨、止んだよ。提督」

 

 あまりにも静かな天気は、時雨の心の中を表しているようだった。

 きっと明日はよく晴れるだろう。雨が好きな時雨も、もう暫くは晴れていて欲しいと願っていた。




時雨といえば、西村艦隊は外せないと思います。
なので、今回は時雨の台詞から色々と想像して書きました。
物静かでクールなんだけど、時報ボイスでも分かるように提督に懐いているいい娘なんです。

そういえば、2番艦ってしっかり者が多いような気がします。
時雨、響、如月、不知火、神通。彼女等の絡みも見てみたいですね。

戦闘シーンも、時雨改二の武器がトンファーっぽいとのことでしたので、格好良くしてみました。実際に昼の砲撃戦でも魚雷が使えたら駆逐艦が最強になりますね(笑)。


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給食係といっしょ

「司令官、おはようございます」

 

 執務室の扉が2回軽く叩かれ、開かれる。と、同時に少女の挨拶が聞こえてきた。

 少女はピンクのサイドポニーを揺らし、柔らかな笑顔で提督の前までやってくる。しかし、白くて細い手には女の子が持つのに似合わないような厳ついバケツを持っていた。

 朝早く起き、朝刊を読んでいた提督は少し寝惚けた頭で彼女の存在を思い出していた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 今夏に行われた大規模作戦にて、提督は無事にAL方面の陽動とMI諸島の攻略を成功させた。その報奨として、鎮守府に新たな艦娘達が配属となったのだ。

 その内の1人こそ、現在提督の目の前にいる少女で、白露型の5番艦である春雨だった。

 

「姉さん達、お久しぶりです!」

「久しぶりね、春雨!」

「元気だった?」

 

 春雨が鎮守府に来た時には、白露型の4人で盛大に歓迎した。遅れて来た妹だっただけに、今回の配属がとても嬉しかったようだ。

 特に3番艦の村雨や4番艦の夕立とは仲が良く、艦だった頃には五月雨を含めた4人で第2駆逐隊として活躍していたという。

 

「あれ、五月雨はまだいないんですか?」

「五月雨は涼風と一緒に長距離遠征中だよ」

 

 現在、鎮守府にいる白露型は7人。残りの2人はこの時は遠征に出ており、生憎姉妹達と春雨を迎えることが出来なかった。

 後に帰ってきた2人を入れて、この日は朝まで歓迎パーティーを開いていたようだった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 こうしてやって来た春雨は、来たばかりの鎮守府に慣れてもらう為、暫く秘書艦に付いてもらうことになったのだ。

 因みに、持っているバケツは補給物資用で、かつて春雨がよく輸送任務を請け負っていたことから持っているとのことである。かなりの強度を持っているので、鈍器として使えるのではと、提督は一瞬思ってしまった。

 

「おはよう、春雨。もう鎮守府には慣れたか?」

「はい、おかげさまで。司令官や姉さん達が優しくしてくれるので、すぐ慣れちゃいました、はい」

 

 春雨が来て1週間。大分慣れてくれたようで、春雨は可愛らしくニコッと微笑んで頷いた。

 そんな春雨に関してまず提督が気付いたのは、彼女だけが自分を「司令官」と呼ぶことだった。駆逐艦は大体が自分を「提督」ではなく「司令」か「司令官」と呼ぶ。しかし、白露型駆逐艦の6人は大型艦達と同じく「提督」と呼ぶのだ。

 呼び方の違いで、提督は春雨が白露型であると最初は気付かなかった。呼び方については些細なことなのですぐに気にしないようにはなったが、白露型一同が会するとどうしても浮いてしまうと思った。

 

「司令官。朝ご飯まだでしたら、春雨が作ってもいいでしょうか?」

「ああ、頼むよ」

 

 春雨の性格は白露型にしては珍しく、大人しい方であった。特に自己主張もなく、真面目な点は同じ白露型では時雨や五月雨に近かった。しかし、提督の面倒をしっかりと見てくれて、優しく棘のない性格は白露型姉妹全員と共通である。

 また、女の子らしく戦闘よりも輸送任務等の平和な任務を好み、家事も好んでやってくれる一面もある。この点は、姉の村雨の影響もありそうだが。

 

「はい、出来ました。春雨特製、麻婆春さ……嘘です」

 

 暫くして、出来上がった朝食を運んできた春雨に、一瞬提督はズッコケそうになった。出会った時にもそうだったが、自身の名前を食べ物の春雨に掛けるのが春雨の持ちネタのようだ。よく見てみると、お盆の上には麻婆春雨ではなく、焼き鮭の定食が乗っていた。

 

「和定食にしてみました」

「そりゃそうだ」

 

 互いに笑い合いながら、長机に移動して2人で朝食を取った。鮭には控えめながら塩味が効いており、朝なのにご飯がよく進んだ。時雨や村雨にも負けないご飯の出来に、提督はすっかり満足していた。

 

「うん、今日も美味いよ」

「ありがとうございます」

 

 提督が褒めると、春雨は慎ましくも嬉しそうに笑った。提督は改めて、幼い雰囲気ながらしっかりとしていると感心した。

 そのまま春雨特製の朝食を味わいながら、提督はふと思った。白露達とはもう半年ほどの付き合いだが、春雨とはまだ一週間程しか経っておらず、彼女のことはよく知らない。そこで、提督は春雨と姉妹達のことについて自分が今知っていることと合わせながら聞いてみた。

 

「春雨は、村雨や夕立と同じ部隊にいたんだよな?」

「はい、第2駆逐隊です。けど、村雨姉さんとは途中で別れてしまって、夕立姉さんは……」

 

 第三次ソロモン海戦。夕立がソロモンの悪夢と呼ばれるようになった戦いだ。そして、夕立もまた自分が倒した艦達と共に海の底へ沈んだ。

 夕立の華々しい戦果も、凄惨な光景を目の当たりにした春雨には姉を亡くしたという辛い思い出である。

 

「けど、五月雨とはずっと一緒だったんです。それで、今度は白露姉さん達第27駆逐隊に編入になったんです、はい」

 

 春雨と五月雨は村雨達だけではなく、白露や時雨とも同じ部隊にいたのだった。姉妹達全員が揃うことはなかったが、姉達と共に戦った春雨の中には頼もしい姉妹の姿が残っていた。

 

「それから、一度は任務の為バラバラになったんですが、最期にはまた4人で集まって……」

 

 最期には。そう語る春雨の姿は、悲しくも少し嬉しそうに映った。春雨は空襲により、再編された第27駆逐隊の最初の犠牲となった。

 村雨の死に目に立ち会えず夕立の戦いを見送った春雨は、姉妹達に看取られながら沈んでいったのだ。

 

「すまないな、嫌なことを思い出させた」

「い、いえ。今は皆一緒ですし、はい」

 

 提督が頭を下げると、春雨は慌てて手を振った。今は姉達全員と共に、任務に当たれるのが春雨にとって嬉しいことだった。

 優しく答える春雨に、提督は元気をもらったような気がした。姉妹思いで優しい彼女が、戦いを好まない理由がよく分かる。

 

「さて、今日は村雨達と共に北方の鼠輸送任務に出てもらいたい。行けるな?」

「はい! 頑張ります!」

 

 朝食を取り終わり、本日の任務を確認する提督へ春雨は明るく敬礼をした。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 余談ではあるが、任務が終わり日も暮れた時間でのこと。

 

「じゃーん! 春雨特製、麻婆春雨! やっちゃいました!」

 

 春雨が夕食に作って来たのは散々ネタにしてきた麻婆春雨だった。

 料理の上手い春雨だけに味は心配していないが、提督は流石に笑みが引きつっていた。

 

「おぉー、春雨グッジョーブ!」

「いい匂いっぽい~!」

「わぁ、美味しそう!」

 

 しかも、任務から帰って来た村雨、夕立、五月雨まで執務室に同席していた。提督も入室を許可してはいるが、段々と執務室が白露型艦娘の憩いの空間になってるような気がしないでもない。

 

「司令官!」

 

 苦笑する提督の元へ、麻婆春雨を皿によそった春雨がやってきた。だが、何故か顔を真っ赤にしている。提督はその理由を次の瞬間に把握することになる。

 

「春雨を、食べてください!」

 

 叫びながら皿を差し出す春雨に、提督は思わず吹きそうになる。そして、村雨へ視線をやると、ニシシと悪戯っぽく笑っている三女の姿が映った。

 この爆弾発言は村雨の入れ知恵で、言わせるためにわざわざ麻婆春雨を作らせたのだと提督は理解した。あぁ、この手の悪戯は村雨の好きそうなことだと。

 

「提督~? 何顔真っ赤にしてるんですか~?」

「てーとくさん、熱っぽい?」

 

 追い打ちを掛けるように村雨がからかい、提督の様子に気付いた夕立も首を傾げて尋ねた。夕立はこの悪戯の意図については分かっていないらしかったが。

 こうして、提督は夕食の間、村雨達の玩具にされてしまうのだった。これも、平和な鎮守府の日常である。




ドジっ子より先に美味しそうな子を書きました。

僕も春雨が食べたいです。


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ドジっ娘といっしょ

 昼下がりの執務室。提督は今日も書類に目を通し、今週中に熟すべき任務の確認や当鎮守府の軍備状況の確認をしている。

 昼食を取ってからは休むことすらも忘れて仕事に取り組んでいた提督も、そろそろ座りっぱなしの体勢に疲れが溜まってきたようである。キリのいいところで、提督は腕を伸ばした。

 

「ん?」

 

 そこで、提督は漸く今日の秘書艦が執務室にいないことに気が付いた。

 よく秘書艦を任され、鎮守府内でも練度の特に高い白露型の一番艦から五番艦までは、現在は第二艦隊や第四艦隊を引き連れて難易度の高い遠征に向かっている。

 では、今日の秘書艦は誰なのか。

 

「失礼します!」

 

 その時、コンコンと扉がノックされ、元気のいい声と共に一人の少女が執務室へ入ってきた。

 白い袖なしの制服と紺色のネクタイ、腰には青い玉飾りを左右2つずつ付けた、駆逐艦の中でも珍しい恰好である。だが、彼女の一番のトレードマークは長く伸びた髪だろう。その透き通るように青い髪は、彼女の清純さをこれでもかという程よく表している。

 彼女は白露型六番艦、五月雨。白露達の妹であり、本日の秘書艦だ。

 

「提督、お茶を淹れました!」

 

 優しい笑顔を浮かべる五月雨は、白露型の面々の例に漏れず優しい性格の女の子だ。その清楚で明るく、可愛らしい彼女の姿に心打たれた人間は数知れず、大本営や各所鎮守府では提督達による「五月雨教」という謎の集団が出来ている程の人気を誇っていた。因みに、ここの提督は入団していない。

 その女神と讃えられる笑顔のした、黒い長手袋をした両手には湯気の立った緑茶入りの椀が乗った御盆が運ばれていた。

 この瞬間、提督の脳裏に非常警報が鳴り響いた。

 

『ここから逃げなければ。いや、逃げても書類が殺られる。しかも、ここの書類は大本営に提出するもの。汚されたら、一から作り直しだ』

 

 咄嗟に脳内会議を済ませ、提督が取るべき行動はたった一つのみであった。

 

「きゃっ!?」

 

 次の瞬間、五月雨は自身の長すぎる髪を踏んでしまい、盛大にすっ転んでしまった。当然、運んでいたお茶も宙を舞う。

 提督は書類が濡れないよう、自身が盾となり熱い茶をその身に浴びた。

 

「ギャーーーーッ!?」

 

 こうして、自分の身と引き換えに書類を守った提督の悲鳴が鎮守府内に響き渡ったのであった。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 暫くして、風呂から上がってきた提督に五月雨はひたすら謝り続けていた。

 五月雨の最大の欠点。それは、所謂ドジっ子であることだった。歩けば転び、茶を淹れれば提督に掛け、建造・開発は頼めばたちまちペンギンのぬいぐるみが出来上がる。

 本人は決して悪気がない上、ドジっ子からの脱却を日々目指している健気な娘なのだが、努力に結果が追い付いていないのだ。

 

「別に気にしてないさ」

 

 提督は笑って五月雨を許す。最初は唖然としていた提督だが、五月雨と過ごしていく内に慣れてしまったのだ。

 ここまでドジっ子である理由は、やはり前世の艦時代にもドジをやり続けたことであるとされる。

 一番艦の白露との衝突事故、ソロモン海戦にて夕立の介錯に発射した魚雷を全弾外す、戦艦「武蔵」の護衛中にスコールに巻き込まれて迷子、無人の貨物艦に気を取られて浅瀬に座礁して一週間後に沈没、と話にネタが尽きないレベルである。

 本人にこの話をすれば間違いなく顔を真っ赤にして恥ずかしがり、白露に謝ろうとして頭をぶつけるドジをまたしてしまう始末。

 

「私、どうしてこんなにもドジなんでしょう……」

 

 毎度のことながら、ドジを繰り返してしまう五月雨はシュンと落ち込んでしまう。

 提督はもう付いて生まれた特性なんだと半分笑っていたが、五月雨自身にとっては重い悩みのようだ。

 

「それに私、夜になると時々思うんです、比叡さんごめんなさいって。でも、よ~く思い出せなくって……」

 

 五月雨の言っていることは、恐らく第三次ソロモン海戦のことだろう。当時は混戦だったとはいえ、金剛型戦艦二番艦「比叡」を敵と勘違いして機銃の弾を浴びせまくったのだ。

 同士打ちはすぐに止んだが、その後で奮闘虚しく激しい損傷を負い自沈という決断を下されてしまった。

 この時の誤射は何の因果関係もなかったのだが、五月雨にとっては混戦で思い出せなくとも比叡に対する罪の意識として残ってしまったようだ。

 

「別に、無理して辛い記憶を思い出さなくていいんじゃないか?」

 

 提督は溜息を吐いて、箪笥から予備の帽子を取り出して被る。

 お茶を被って汚れてしまった帽子と制服は、妖精達の手で洗濯されているところだ。

 

「けど、もし何か取り返しのつかないことを比叡さんにしていたのなら……!」

「取り返しのつかないこと、とは?」

 

 納得のいかない五月雨に、提督は尋ね返す。

 今までドジを温かく見守り、許してきた提督とはまた違う冷たい表情を浮かべていた。

 

「取り返しのつかないことをされて、比叡がそれを忘れていると? なら、今の比叡がお前を見る目はどうだ?」

「そ、それは……」

 

 提督の問い掛けに、五月雨は言葉を詰まらせる。

 比叡もまた、艦娘としてこの鎮守府に配属されている。だが、五月雨とあっても特に恨み言や憎しみをぶつけず、一緒に戦った仲間として優しく接している。

 それを知っているからこそ、提督は比叡の優しさを疑うような五月雨の言葉を認める訳にはいかなかった。

 

「白露はどうだ? ぶつかったことを未だに責めるか? 夕立は介錯を失敗したお前を蔑んでいるか?」

「あう……」

 

 五月雨は、目に涙を浮かべながらも首をブンブンと横に振る。姉妹達が今更五月雨のドジを気にする訳がなかったのだ。

 

「この鎮守府に、お前のドジを責め立てる奴なんかいない。それは、お前が一生懸命ドジを直そうとしているからだ。明るく、真面目に頑張るお前を応援しているからなんだ。だから、自分自身を責めるのはやめろ」

 

 提督は漸く優しい口調に戻り、五月雨の頭を撫でる。

 自分が許され、応援されている。そう気付いた五月雨は、先程までとは違う理由で涙を流していた。次からはもっともっと頑張れるように。

 

「それに、ドジがお前だけの専売特許と思ったら」

「ちわーっ! 五月雨―、提督―! 暇だから様子を見に……」

 

 提督が慰めていると、突然ドアがバンッ!と開き、白露型十番艦の涼風が威勢のいい挨拶と共に入って来た。

 しかし、タイミングが悪かった。涼風の目に飛び込んできたのは、秋だと言うのに制服の上着を脱いだ提督と、大泣きしている五月雨の姿だったからだ。

 傍から見れば、この状況は明らかに提督が五月雨を泣かしているようにしか見えない。

 

「べらぼうめぇ! 何五月雨を泣かせてんだ!」

「ご、誤解だ涼風! これは」

「てやんでぇ! 問答無用だぁーっ!」

 

 提督が事情の説明をしようとするが、江戸っ子気質の涼風は話を聞こうとしない。

 仲のいい姉妹を泣かされたことにすっかり腹を立てた涼風は、提督目掛けてドロップキックを放った。

 1700トン級のドロップキックを食らい、提督の二度目の悲鳴が鎮守府内を駆け巡った。

 因みに、話に上がっていた比叡は試作カレーで姉の金剛を撃沈してしまい、「ヒエー!」と叫び声を上げていたという。

 

 

 ◇◆◇◆

 

 

 夜も更けた頃合。時雨達が漸く遠征から帰ってくると、報酬として持ち帰った資材を倉庫に起き、まずは執務室へ立ち寄った。

 

「提督。艦隊が無事帰投したよ……って」

「あぁ、お帰り……」

 

 ちゃんと扉をノックして、中に入って来た時雨は提督の様子を見て驚きのあまり言葉を失う。

 提督は涼風の攻撃を受けてしまったため、ソファの上で倒れていたのだ。その横では、漸く事情を知った涼風が提督に必死に謝っていた。

 

「なぁ、悪かったって提督! この通りだ!」

「お前は、もう少し話を聞こうな……」

「提督、大丈夫?」

 

 痛みで苦しむ提督に、何があったか推測できた時雨は苦笑しながらも心配する。

 これが普通の対応だな、と提督が考えていると、またしても五月雨の姿がないことに気付いた。

 

「提督! 今度こそ、お茶を淹れました!」

 

 そこへ、五月雨が再びお茶をお盆の上に乗せて執務室に入ってきていた。今度は髪の毛を踏まないよう細心の注意を払って、恐る恐る歩いてくる。

 丁度、提督の傍にいた時雨と涼風は、五月雨が近寄った瞬間すぐにその場を離れた。が、提督はまだ痛みが引かないので動けない。

 それでも、流石に今度は大丈夫だろうと提督は考えていた。

 

「作戦が終わった艦隊が戻って来たよ!」

 

 次の瞬間、遠征を終えた白露が提督に報告しようと執務室へ勢いよく入って来た。

 これはいつものことなのだが、今回は涼風以上にタイミングが悪すぎた。白露が入ってすぐ目の前に、お茶を運んでいた五月雨がいたのだ。

 白露と五月雨はぶつかってしまい、同時に転ぶ。そして、運んでいたお茶はまたも宙を舞い、運悪く提督の寝ていたソファへと飛んで行った。

 こうなってしまえば、もう結果は見えていた。

 

「あっぢゃああああああっ!?」

 

 本日三度目の提督の悲鳴。そして平謝りする秘書官と何が起きたかイマイチ分かっていない一番艦に、時雨と涼風はただ溜息を吐くしかなかった。




全国の五月雨教の皆様、お待たせしました!

ドジっ娘のお茶は被るものである。


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クリスマスも時雨といっしょ

 12月24日。世間一般ではクリスマス・イヴと呼ばれる日だ。

 鎮守府の中でもクリスマスムードが漂っており、工作艦「明石」のやっているアイテム屋ではクリスマス用の家具が大量に入荷されていたり、駆逐艦が飾りつけを手伝っていた。給糧艦「間宮」や「伊良湖」、居酒屋を営んでいる軽空母「鳳翔」はクリスマス用のケーキや七面鳥などのメニュー製作に勤しんでいる。

 元来、クリスマスは外国の祝い事なのであまり親しみのない艦娘も大勢いたが、楽しそうな雰囲気を次第に楽しむようになっていた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 雪のように白い壁紙にクリスマスの飾り、白と青のクリスマスツリーなど、提督のいる執務室も見事にクリスマス一色と化していた。しかし、提督は仕事の手を休めるわけにもいかない。

 今日と明日、つまりクリスマスの間は出撃をなしにした分、書類作業が増してしまったのだ。艦娘達が楽しそうにクリスマスを祝っている裏では、提督の苦労があった。

 

「ふぅ……」

 

 作業をキリのいいところまで終え、一息吐く提督。この分なら日が暮れるまでには終わると思いながら、もう一つの紙束にも目を通す。そこに書かれていたのは、艦娘達がサンタに頼んだプレゼントの希望だった。

 半数以上が幼い駆逐艦が書いたものだが、中には「紅茶セット」と書いた戦艦や「北か……酸素魚雷」と書いた雷巡なども紛れ込んでいた。分かりやすいと微笑む反面、提督は懐具合が少々心配になる。

 大体目を通すと、普段から提督と一番親しい位置にいる艦達の用紙がないことに気付き、提督は首を傾げる。彼女達も駆逐艦なので、てっきり書いたものだと考えていたのだ。

 

「提督っ!」

 

 その時、丁度考えていた艦娘の内の一人が勢いよく執務室の扉を開けて来た。ノックもなしに、と頭を抱えそうになったが、彼女にだけは注意しても聞きそうにない。

 その少女、白露型一番艦の白露は眩しい程の笑顔を提督に向けていた。

 

「てーとくさん、見てみて~!」

「ちょっと、押さないでってば」

「ふっふーん! 提督にもお披露目しないとね!」

 

 ドヤ顔で語る白露の後ろでは、夕立と時雨の声も聞こえて来た。どうやら、夕立が時雨のことを押しているようだ。

 一体何事かと思う提督だったが、次の瞬間には何があったのか把握することになった。

 

「はいはーい! 時雨改二、クリスマスバージョンでーす!」

「時雨姉さん、似合ってます! はい!」

 

 村雨と春雨の紹介と同時に入って来た時雨は、いつもの格好とは少し違っていた。

 まず目に入ったのは赤い帽子だ。三角形の先端には丸い白の毛玉がついており、白い縁からは時雨のアホ毛はぴょこんと飛び出ている。首には夕立とお揃いのマフラーを巻いて、手には大きな白い袋を持っている。

 黒い制服は普段通りだったが、時雨は何処からどう見てもサンタと呼べる服装をしていた。

 

「ほぅ、似合っているじゃないか。どうしたんだ?」

「折角のクリスマスですし、サンタ役が一人いてもいいかなぁって」

 

 素直に褒める提督に、村雨が説明し始めた。

 時間は数時間前まで遡る。白露型の5人はクリスマスムードの鎮守府を盛り上げるべく、サンタの衣装を着る役を決めていた。

 

「那珂さんから衣装貰って来たわよ」

 

 サンタの衣装は四水戦の好で那珂が村雨にくれたものだ。因みに那珂もクリスマスバージョンとなり、艦隊のアイドルとして鎮守府内を盛り上げている最中だった。

 となると、サンタ役は四水戦の誰かということになりそうである。

 

「そのまま村雨が着ればいいんじゃないかな」

「んー、それもいいけど、こういうのは皆で楽しむものじゃない? だから皆で決めましょ」

「賛成っぽい~」

「私も賛成です」

 

 時雨の指摘に、村雨は答えながら炬燵に入った。みかんを差し出している春雨と、それを食べさせて貰っている夕立も姉の意見に賛成のようだ。

 ここで断るのも野暮なので、時雨も頷いておいた。

 

「じゃーん! そうくると思ってくじ引きを作っておきました!」

 

 すると、さっきまで静かだった白露が自作のあみだくじを見せて来た。こういう祝い事でさり気なく気を利かせる辺り、やはり彼女は白露型の長女なのである。

 時雨達はそれぞれ名前を書き、最後に空いた枠に白露が記入したところでくじを開く。下の部分には5つの線の内一つだけサンタと書かれている。その先を辿っていくと、今年のサンタ役の名前が書かれていた。

 

「サンタは……時雨っ!」

「……えっ?」

 

 白露の発表に、時雨は目を丸くした。参加するとは言ったが、まさか本当に自分が当たるとは。

 そして、時雨が当たったと判明した瞬間、村雨と夕立の双子姉妹の目がキラリと光った。

 

「さぁて、時雨ちゃ~ん?」

「お着替えするっぽい!」

「えっ、ちょ、服までは変えないんじゃ!? 春雨、助けて!」

「はぅ!? ご、ごめんなさい、私にはどうにも……」

 

 時雨の疑問も聞き入れられることなく、村雨と夕立に取り押さえられてしまった。暴走した夕立を取り押さえるのは春雨の役割だが、今回は村雨もいるので手が付けられないらしい。助けを求める時雨に、春雨は手を合わせて頭を下げていた。

 この後、村雨プロデュースで時雨の様々なサンタのコスプレが行われたが、結局現在の格好に落ち着いたようだ。

 

「本当はサンタのワンピースとか、着せたかったんですけどね」

「もうその辺にしてやれ」

 

 未だ納得のいかない村雨に、流石に不憫に思った提督からの静止が入った。

 

「マフラーは夕立とお揃いっぽい!」

「ほら、もっと提督に見せてあげなきゃ!」

 

 夕立と白露に押され、時雨は提督の傍に寄る。帽子とマフラー、袋を持っているだけだが、本人は恥ずかしいようだ。祝い事であまり羽目を外さなそうな時雨がサンタ役に当たってしまったのは何の因果だろうか。

 

「提督、どうかな?」

「あぁ、似合ってる。一足早くプレゼントをもらった気分だよ」

 

 頬を染めるサンタ時雨に、提督は頭を撫でてやった。書類仕事で溜まっていた疲れが一気に吹き飛んだような気がしていた。

 

「あぁ、そうだ。お前達、プレゼントは何がいい? お前達の用紙だけが見当たらなくてな」

 

 丁度良かったので、提督は5人のプレゼント要望を聞くことにした。

 余っていた用紙を配ると、白露達は長机でそれぞれプレゼントを考え出した。

 

「ん? 時雨、お前はいいのか?」

 

 しかし、時雨だけは受け取った用紙に手を付けずに提督の傍で白露達を見ていた。

 提督が尋ねると、時雨は帽子のポンポンを揺らしながら頷く。

 

「うん。それより提督。ちょっとした提案があるんだけど」

 

 時雨は可愛らしく微笑み、提督に自身の提案を耳打ちした。

 白露達が要望を書き終わる頃には話し合いも済ませ、双方ともニコニコと微笑んでいた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 クリスマスの夜、ということで食堂では盛大なパーティーが開かれていた。

 明石が用意したツリーには様々な飾りつけが施されており、頑張った駆逐艦達には間宮特製のケーキが振る舞われていた。

 

「初春ちゃん、クリスマスだよ、クリスマス! 子日、クリスマス大好き!」

「これが……「ちきん」? む、ほうほう……」

 

 クリスマスにはしゃぐ娘がいる一方で、やはりまだ慣れない言葉に疑問符を浮かべる娘もいるようだ。

 西洋の祭事に不満を漏らす者もいたが、ケーキや七面鳥を口にするや否やすっかり虜にされていた。

 

「七面鳥……」

「あれ、瑞鶴? 何で怒ってるの?」

 

 翔鶴型の妹、瑞鶴だけは七面鳥に対して思うところがあるようで、常に不機嫌そうにしていた。

 二航戦である飛龍が気付くも、何故怒っているのかは分かっていないようで、首を傾げながら七面鳥に舌鼓を打っている。

 

「シュトーレン、美味しいです♪」

「ハチは本当にシュトーレン好きだよね」

「レーベ、そういう貴方も……」

「レープクーヘンもあるよ! ビスマルク姉様、どうぞ!」

「あら、ありがとう」

 

 ドイツ出身の艦と、ドイツへ遠征に行ったことのある伊8はクリスマスに馴染があるようで、ドイツ製のお菓子を嗜んでいる。

 それぞれがクリスマスを楽しみつつ、イヴの夜は更けていった。

 そして、宴もたけなわ。騒がしかった食堂も静かになり、艦娘達が寝静まった頃合い。

 

「ホゥホゥホゥ、とでも言っておこうか」

「そうだね」

 

 艦娘達の寮の玄関ホール。赤い服に帽子といった、サンタの衣装を着た提督が隣にいる時雨に呟く。2人は大量のプレゼントが入った白い袋を担いでいた。

 本来なら、ここに立っているのはサンタ提督一人だけのはずだった。しかし、数の多い駆逐艦と一部の他の艦に一人でプレゼントを配って回るとなると、終わる頃には夜がすっかり明けているだろう。

 そこで、時雨は折角サンタになったのだからと、提督の手伝いを買って出たのだ。提督は自身の計画が読まれていたことに最初は驚いたが、本心は人手が欲しかったのでありがたく手伝いを頼むことにした。

 

「じゃあ、さっさと済ませようか」

「うん。僕が吹雪型、綾波型、暁型、睦月型、陽炎型、夕雲型、白露型だね」

 

 時雨は改めてプレゼントリストを確認する。彼女が数の多い駆逐艦の部屋を担当し、残りと他の艦種の娘達を提督が配って回ることになっている。

 仕事が終わったら執務室に集合することになっている為、提督と時雨はここで一旦別れた。

 

「さて、最初は朝潮型か」

 

 提督が最初に訪れたのは、朝潮型駆逐艦のいる部屋だった。駆逐艦の寮は人数が多い為、一室が大きく作られている。

 朝潮型も現在の人数は7人と多く、ダブルベッドが4つも設置してある。そして、それぞれに靴下が飾ってあった。

 

「よし、寝ているな」

 

 提督は朝潮達の寝顔を確認する。普段は提督に棘のある態度を取る霞や満潮も、眠っている時は少女らしく大人しい。

 朝潮達のプレゼントを確認すると、それぞれに個性がある艦娘でもやはり同じ艦級で通じるものがある。

 

「朝潮は戦術指南の本、大潮は61cm酸素魚雷、満潮は新しいペンとノートか……真面目だな」

 

 朝潮型姉妹は趣向品ではなく、勉強道具や武装をプレゼントに頼んでいたのだ。根が真面目な姉妹が揃っていることに、提督も感心する。

 しかし、提督は真面目すぎるのもどうだろうかとも考えていた。艦娘とはいえ、彼女達はまだ幼い少女だ。趣味の一つもないと不安になってしまう。

 せめてもと、知徳は要望の品と一緒に可愛らしいぬいぐるみも置いていった。もう少し女の子らしく生きられるようにと願いながら。

 一方で、時雨は暁型の部屋を訪れていた。暁型は第六駆逐隊を組んでいた4人のみであるので、部屋が広く感じてしまう程スペースが余っていた。

 

「うーん、暁達はやっぱり暁達らしいね」

 

 リストを見て、時雨は苦笑する。

 暁が頼んだのは日曜朝にやっている女児向けアニメのグッズ、響は何に使うのかよく分からない雑貨セット、雷は「上手な世話の焼き方」という本、そして電は主に身長を伸ばす為の健康器具だった。

 朝潮型とは対照的に、プレゼントにまで個性が滲み出ている。スヤスヤと眠る姉妹の元へプレゼントを届けたサンタ時雨は、次の部屋へとそっと移動した。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「さてと、最後か」

 

 粗方配り終えた時雨が最後に立ち寄ったのは、本来は自分の居場所である白露型の部屋だった。

 そっと開け、中を確認すると規則正しい寝息だけが聞こえて来た。

 姉妹達が眠っていることを知ると、時雨は物音を立てずに入ってプレゼントを置き始めた。

 

「ウチの姉妹も、暁達のことを言えないかな」

 

 白露型も、暁型姉妹に負けず劣らず個性豊かな少女達が集まっていた。

 一番艦に誇りを持つ白露は「世界の一番大辞典」という謎の本、一番大人びた村雨は新作の化粧品、その村雨の双子の妹である夕立は彼女によく似た謎のぬいぐるみと顔付きの魚雷、その下の妹の春雨はお料理本をリクエストしていた。

 更に、六番艦の五月雨は「ドジを踏まない為に気を付けること」という自己啓発本、五月雨の隣でいびきを搔いて寝ている涼風は独楽や剣玉といった古風な玩具をそれぞれ注文している。

 何が欲しいか、というだけで性格が分かってしまう辺り、姉妹達は濃ゆいなぁと時雨は思ってしまう。

 そして、最後は自分のプレゼント。中に何が入っているのかはリストを見れば分かるので、時雨は開けてしまいそうになった。

 

「……これは、アンフェアかな」

 

 だが、時雨は自分のプレゼントをそっと自分のベッドに置いて部屋を去った。

 これはサンタからのクリスマスプレゼント。クリスマスの朝を迎える前に空けてしまえば、ただの物になってしまうからだ。

 空になった袋を畳み、時雨は執務室へと戻った。

 

「お疲れ、時雨」

「うん、提督もお疲れ様」

「ホットココアを入れておいた。飲むか?」

「ありがとう。頂くよ」

 

 執務室では、通常の白い制服に戻った提督が時雨を迎え入れた。デスクではなくソファーに座り、暖炉で冷えた体を温めているようだ。

 珍しく提督の方からココアを入れたらしく、湯気の立つマグカップを差し出す。時雨は提督の隣に座り、ありがたくココアを頂くことにした。

 

「……美味しい」

「意外か?」

「あ、ううん……ちょっとだけは意外かな」

 

 ホットココアは時雨の冷え切った体に温もりを沁み込ませ、優しい甘さは寮棟を奔走した疲れを癒してくれた。

 美味しいと感じたあまり、時雨は少し緩んで本心を話した。

 

『提督の入れたココアはレアだなぁ』

 

 そんなことを思いながら、時雨は頬を染めてまた一口ココアを飲む。口の中に広がる甘さと温かさが、まるで提督からのプレゼントのようにも感じられた。

 しかし、提督のプレゼントは実は別に用意されていた。

 

「時雨。メリークリスマス」

 

 提督は長机に置いてある、ラッピングされた箱を時雨に渡した。

 一瞬、キョトンとした時雨だが、渡されたものが何なのか把握すると、犬耳のような癖毛とアホ毛をぴょこんと立てて驚いた。

 

「えっ、いいの?」

「ああ。今日手伝ってくれたお礼、という訳ではないが」

 

 時雨は提督から渡された箱をそっと開ける。

 中には薔薇の花と一緒に、黒い毛糸の手袋が入っていた。

 

「これ……」

「女性に何を贈ればいいのか分からなくてな。鎮守府にいる間は寒くないよう、と思ってそれにした」

 

 薔薇の花はおまけだ、と付け足す提督だが、時雨はどちらのプレゼントもこの上なく嬉しかった。

 時雨にとって、提督が自分の為にプレゼントを考えてくれたことが重要なのだ。

 

「提督、ありがとう」

 

 こんなにも大事にしてもらったことに感謝する時雨。手袋をギュッと抱き締め、目から涙を一滴零しながら微笑む。

 もしかして気に入らなかったのでは、と心配していた提督はホッと胸を撫で下ろす。

 可愛らしいサンタと共に過ごす、そんなクリスマスの夜も悪くない。提督は隣に座る時雨の頭を撫でながら、心の中まで温まっていくのを感じていた。

 提督と時雨、2人のココアは何時の間にか甘さが増しているようであった。




今回はXmas時雨が可愛すぎたので、衝動的にクリスマス短編を書きました。
ほっこりして頂ければ幸いです。


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江戸っ娘といっしょ

 執務室では、今日も提督が一人で仕事をこなしていた。

 今は開発資材のやりくりを考えているようだ。秋の大規模作戦も終えて、新任の艦娘も増えてきたため、新しい武装も欲しくなってきたところである。

 工作艦「明石」が新設した工廠にて既存の武装を強化更新するという手もあるが、必要な「改修資材」を集めるのに苦労するので、デイリー任務以外ではあまり頼りにしたくはない。

 

「今日はソナーでも狙うか」

 

 開発で狙う武装を決め、提督は使う資材の量をメモする。独り言を呟いた後、執務室は暖炉の薪が燃える音とペンを動かす音しか聞こえなくなる。

 

「ちわーっ! 提督ー、今日の秘書官はあたいだってー!? がってんだー!」

 

 そんな物静かな空間を派手に打ち壊したのは、勢いよく扉を開ける音と江戸っ娘気風な少女の大声だった。

 透き通った水のように綺麗な青い髪を二つ結びにし、白い袖なし制服を着た少女は白露型の末っ子、涼風だ。清楚な格好は五月雨と同じだが、性格は姉とは正反対で明るくサバサバとしている。

 ノックもせずに入って来た涼風は、提督が書き込んでいたメモを覗き込む。

 

「ん? これ、今日の開発任務の奴かい? だったら、あたいがちょっくら工廠に行って指示してくるよ!」

「ちょっ、待て涼風」

 

 涼風は書き込んでいた途中のメモを奪い取り、提督の制止も聞かずに工廠まで走って行ってしまった。

 涼風の性格からして、きっと資材数を投入できる最大量で指示するだろう。資材数を書き込んであるならまだしも、製作する数量しか書いていなかった提督は後々の結果を予想し、深い溜息を吐いた。

 

「いやぁー、ドンマイドンマイ! 次は何か良いの出るって!」

 

 少し経って、工廠から戻ってきた涼風からの報告はやはりと言うべきか失敗だった。資材数を改めて見れば各900は減っており、最大量で3回は回したことが分かる。

 ダンボール箱に詰まったよく分からない綿やペンギンのようなものを抱え、涼風は苦笑していた。

 悪気がないことは承知しているので、提督も溜息を吐くだけで特に責め立てはしない。それに、デイリー任務は工廠を回せだけで達成出来るので、資材を余分に減らしたこと以外は問題なかったのだ。

 

「それより、資料を纏めるのを手伝ってくれないか? 少し量が多くてな」

「おう! がってんだー!」

 

 提督から仕事を貰うと、涼風は失敗した開発物を放り投げて、衰えぬやる気を見せた。

 資料のファイリングだけでも気合を入れる涼風は、提督の手伝いをすることが好きなようだ。

 

「涼風、か……」

 

 涼風に聞こえないよう、提督は彼女の名前を呟く。

 白露型十番艦、涼風。彼女は現在鎮守府にいる白露型の姉妹達とは少し違っていた。

 実は、白露型は七番艦の海風から船体構造が作り変えられたため、七から十番艦までを「改白露型」とも呼称する。しかし、ここの鎮守府には海風、山風、江風の三人は配属されておらず、涼風ただ一人が改白露型ということになる。名前が雨ではなく風なのも、改白露型を表しているからである。

 ただし、制服については前期白露型の五月雨のみが涼風と同じ制服を着ているので、特別な分け方はないらしい。

 では、史実ではどうなのかと言えば、五月雨や前期白露型達と組んだことは特になかったりする。というのも、改白露型の4隻で第二十四駆逐隊を編成していたからだ。

 

「あれー? うまく入んねーなー?」

 

 資料を強引にファイルにしまおうとする涼風を眺め、提督は思った。

 姉妹としても、駆逐隊としても常に一緒だった3人がいない今、涼風は本当は寂しいのではないか。あの元気っぷりは寂しさの裏返しなのではないか。

 

「へっ、へっくしょんっ!!」

 

 その時、涼風は少女が出すものとは思えない程大きなクシャミを放った。

 あまりに強い勢いだったためか、涼風の前に積んであったファイリング用の資料は吹き飛ばされ、バラバラに宙を舞っていた。

 彼女自身が気付いた時には既に遅く、紙は周囲に散らばってしまっていた。

 

「て、提督~!」

「はぁ……またまとめてやるから泣くな」

 

 何とも言えないやるせなさに涙目になる涼風へ、提督は溜息を吐いて落ち着かせる。

 あぁ、この江戸っ娘気質と性格は間違いなく元来の物だ。そう提督は確信した。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「そういえばさ、提督。さっき伊良湖が秘書艦お疲れって最中の引換券くれたんだ。あとで一緒に行こっ!」

 

 ファイルとの悪戦苦闘を終えた涼風は、ふと思い出してスカートのポケットから券を取り出した。

 提督が懐中時計を確認すると、時刻は午後2時半。もうすぐおやつの時間である。

 

「じゃあ、これが終わったら行こうか」

「うん!」

 

 提督の了承を得られ、涼風は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 それから少しして、2人は甘味処「間宮」を訪れた。甘味処はつい最近、間宮の妹分の給糧艦「伊良湖」が配属となり、人手が増えて助かると間宮が度々口にしていた。

 間宮はアイスが人気だが、伊良湖の自慢は最中である。この最中には艦娘達の戦意高揚に役立っているようで、現在では間宮アイスと併せて看板メニューとなっている。

 

「あ、涼風ちゃんに提督。いらっしゃい」

「うん! 早速使わせてもらうよ!」

「俺も同じのを貰おう」

 

 涼風は貰った券を伊良湖に渡し、提督も最中を注文して代金を置く。伊良湖が配属されてから、実は最中を食べたことがなかった提督は内心楽しみにしていた。

 

「よっ! 涼風、提督!」

 

 伊良湖に席について待つよう言われると、聞き覚えのある声に呼ばれた。

 声の主は薄いブルーのラインの入ったセーラー服に同じく薄いブルーのミニスカートから、陽炎型ということが分かる。そして、黒いショートカットに白のカチューシャを着けていた。

 

「おう、谷風!」

 

 涼風は呼びかけて来た陽炎型駆逐艦、谷風とハイタッチを交わして挨拶をした。

 谷風もまた涼風のように江戸っ娘気風の持ち主で、よく意気投合することが多い。

 

「谷風も最中か?」

「いーや、今日はMVP祝いに浦風がアイス奢ってくれるっていうからね。待ってんのさ」

 

 谷風は浦風、磯風、浜風と第十七駆逐隊を編成しており、数の多い陽炎型でも四人でいることが多かった。今日も十七駆と他の艦で出撃し、見事に谷風がMVPを飾ることとなったのだ。

 因みに浦風達は入渠中で、谷風は先に間宮に来て待っているということである。

 

「そういや、今日は涼風が秘書艦なんだってな。大変だなぁ」

「んなことないよ。あたいがいりゃ百人力さ!」

 

 先程のミスを棚に上げて、自信満々に胸を叩く涼風。江戸っ娘な駆逐艦2人のやり取りに、提督は苦笑を浮かべるのみだった。

 3人の姉がいない涼風は、確かに姉妹の中で置いてけぼりなイメージを抱きやすい。しかし、姉妹以外では史実上で関わりの深い艦がちゃんといるのであった。

 伊良湖は米潜水艦によって中破した際に、涼風が一人で曳航しようとしたことがあった。結果的に、他の多くの艦の手助けによって、伊良湖は沈まずに済んだのだが、もしも涼風がいなければ助けが間に合わなかったかもしれない。その記憶があるからなのか、伊良湖は涼風を特に気にしていた。

 一方、谷風とは米軽巡洋艦「ヘレナ」を魚雷で撃沈させた経歴がある。ヘレナは古鷹や吹雪達が沈んでしまったサボ島沖海戦のきっかけを作った艦であり、広い意味で見れば2人で古鷹達の仇を討ったことにもなる。

 

「ちーっす、最中6つ……お、涼風達もいたのか」

「どうも」

「天龍、磯波! 遠征ご苦労さん!」

 

 おやつ時だからか、提督達以外にも暖簾をくぐる艦がいるようだ。

 遠征から帰ってきた天龍が随伴の駆逐艦に最中を奢ろうとしていた。その中には吹雪型の九番艦、磯波の姿もあった。

 涼風と磯波は、天龍が被雷して沈没した際に生存者を救助。その仇敵「アルバコア」と一戦交えたが互いに仕留めそこなったことがある。なので、駆逐艦達の面倒見がいい天龍も、涼風と磯波には内心頭が上がらないようだ。

 何時の間にか賑やかになっていた甘味処。その中心には涼風がいるように見える。

 涼風の江戸っ娘気風は、多くの知り合いが自然と集まるからなのではないか、と考えながら提督は最中を頬張った。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 暫く他の艦との休憩を楽しんだ後、涼風と提督は再び執務室での仕事に戻る。今は資材消費の計算を行っていた。

 特に涼風は頭を使うことが苦手なようで、書類いっぱいに記された地面を見る度にうーうー、と唸っている。

 

「少し休むか? 百人分」

「い、いやいや! まだやれる!」

 

 先程の百人力発言をしっかりと聞いていた提督は、遂に眠そうになった涼風を煽るように言葉を出した。

 涼風の性格上、言われてしまえば引き下がることは出来ず、また書類に目を向ける。このやり取りが彼是5回ぐらいは繰り返されていた。

 そろそろ限界かと提督が思っていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。

 

「入っていいぞ」

「失礼するわ」

 

 提督が応答すると、満潮がややキツめに言い放ちながら執務室に入って来た。次いで、時雨も何かを持って満潮の後に続く。

 

「どうしたんだ、2人共」

「もうすぐ夕食時だから、満潮と僕でおにぎりを作ってみたんだ」

 

 時雨はおにぎりが多く乗せられた皿を持って、提督の疑問に答えた。

 外は気付かない内に日が暮れていたようで、提督はハッとなって時計を見た。

 

「夕食の時間にも気付かないで働かせるなんて、ダメな司令官ね」

 

 提督を呆れ顔で睨んだ満潮は、頭から煙を出している涼風に顔を向ける。

 

「ほら、疲れたんなら休みなさい」

「あれ、満潮? 時雨も、何時からいたの?」

「今よ。おにぎり、作ってあげたから、食べたきゃ食べれば」

「うん! ありがとー!」

 

 提督への態度とは裏腹に、満潮は口調を穏やかにして涼風を休ませる。涼風も満潮の好意に甘え、差し出されたおにぎりを喜んで食べた。

 満潮といえば、同じ朝潮型や西村艦隊以外の艦に対してもツンとした態度を崩さなかったので、提督は満潮の涼風への対応に驚く。

 そこへ、時雨が皿を机に置いてそっと耳打ちした。

 

「実はね、おにぎり作って持っていこうって言い出したのも満潮なんだよ。涼風が秘書艦をやってるから、かな?」

 

 時雨が教えてくれた事実に、更に驚かされる提督。実は、涼風と満潮には深い関係性があるであった。

 第二十四駆逐隊は山風と江風が沈んだ後、第八駆逐隊の生き残り一隻を新しくメンバーに加えたのだ。それが満潮だった。

 しかし、満潮が加わってから三ヶ月後に海風と涼風も沈んでしまい、満潮は第四駆逐隊、そして西村艦隊所属となる。

 つまり、涼風と満潮は三ヶ月という短い間だったが姉妹に近い関係だったのだ。

 

「司令官も! 食べるなら食べる、食べないなら食べない! はっきりしなさいよ!」

「あ、あぁ。頂くよ、ありがとう」

「ふんっ、行くわよ時雨」

 

 時雨と提督が内緒話をしていることに気付き、満潮が声を荒げる。

 慌てて提督もおにぎりを食べ出すと、満潮は頬を少し赤らめながら執務室を後にした。

 

「ありがとう、時雨」

「うん、どういたしまして。それじゃ、頑張ってね」

 

 重要なことを教えてくれた時雨にも、提督は礼を言う。

 時雨も去った後で涼風の方を見れば、呑気におにぎりをムシャムシャと食べていた。こういう豪快なところも、涼風らしいといえばらしい。

 そう、寂しがる必要なんてなかったのだ。涼風には姉妹と呼べる存在も、仲のいい艦もたくさんいるのだから。

 

「涼風、よかったな」

「うん? あぁ、美味いな! 満潮の握り飯は!」

 

 提督の言葉に、涼風は大きく頷いた。但し、受け取った意味は違ったようだが。




でも涼風は寂しがり屋かもしれない(最期的な意味で)

運営様。海風、山風、江風の早めの実装お願いします


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白露型とバレンタイン

 2月14日。祝日ではないが、その日はバレンタインデーとして世間に親しまれている。

 毎年、この日になると女性が好きな男性にチョコを渡すのが一般的だが、多種多様な文化が混ざり合った現在では友達に渡す義理チョコや友チョコという習慣も流行り出していた。

 いずれにせよ、親しい人間にチョコを渡す日、恋人がクリスマスの次に仲睦まじく過ごす日という認識で間違いないだろう。

 

「はいはーい、ここまではいいわね?」

 

 そして、バレンタインの数日前。亜麻色のツインテールを揺らし、白露型三番艦「村雨」が集まった姉妹達に確認を取った。

 鎮守府内でもバレンタインは常識として知られている。特に艦娘達は戦場では勇猛果敢に戦うが、戦闘のない日は普通の少女と何ら変わらない。そんな彼女達がバレンタインに注目するのは不自然なことではないのだ。

 因みに、村雨が姉である白露や時雨を差し置いて説明役に就いているのは、一番女子力が高いためである。

 

「分かったっぽい!」

「バレンタインについては知ってるけど、どうして僕達を執務室に?」

 

 無邪気に返事をする夕立とは裏腹に、姉妹の中では常識派である時雨は村雨がわざわざ執務室に召集した理由に疑問を持っていた。

 普段なら執務室にいる提督は中央司令部に出張中であり、鎮守府を留守にしている。何でも、トラック泊地への襲撃が行われるという情報が入ったとのことで、その対策会議をしているようだ。

 しかし、プライベートの会話ならば自室でもいいのではないか。

 

「ふふふ。今なら提督は数日帰ってこない。なら、ここを自由に使えるって訳よ!」

 

 不敵に笑う村雨は、何処かから降りて来た紐を引っ張った。

 するとガゴンッと何かが動くような音が響き、執務室が揺れ始めた。地震かと思った時雨達は身構えるが、次に起こったことに目を点にして驚くことになる。

 普通の白い壁はチョコレートが掛かったような壁紙を上から敷かれ、書類が乗っかっていた提督の机は床に吸い込まれて代わりにキッチンが現れた。窓のカーテンも緑から白いレースのものへと変えられ、ついでに壁に貼られていたポスターは某重巡二番艦が書いた掛け軸になっていた。

 振動が止むと、時雨達がいた執務室は一瞬でチョコレートを作る為のキッチンに変貌したのだった。これこそが村雨が自室ではなく執務室に白露達を呼んだ理由である。

 

「すごーい! ね、もう一回やって!」

「……これ、勝手に弄ってもよかったの?」

「いいのいいの。戻ってくる頃に戻しておけば」

 

 謎の技術による模様替えに、白露は目を輝かせる。この機能は家具職人妖精によるもののようで、鉢巻を巻いた妖精が白露にドヤ顔を見せていた。

 執務室を勝手に変えてしまい不安を募らせる時雨を余所に、村雨は部屋から持参したチョコレートの料理本を取り出して調理の準備に取り掛かった。

 

「というわけで、ここで普段お世話になってる提督にチョコを作ろうと思ったんだけど、皆はどう?」

「てーとくさんに!? 夕立も作るー!」

「いいと思います、はい!」

「うん! 私もいっちばん美味しいの作るよ!」

「はぁ……提案としては悪くないけどね」

 

 折角のバレンタインということで、村雨は鎮守府内で数少ない男性である提督にチョコを渡そうとしていたのだ。村雨の提案に、日頃提督に世話になっている白露達も賛成する。

 こうして、白露型姉妹によるバレンタインのチョコ製作が始まった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 チョコレート作りとは結構簡単なようで奥が深い。

 本当に簡単に済ませるならば湯煎して型に流し込んで冷やすだけで終わる。もっと簡単に言えば、市販のチョコレートを買ってきて終わってしまう。

 しかし、特別な想いを抱く相手に渡すチョコとなると手間暇を掛けたくなるものだ。

 

「それで、村雨は何を作るんだい?」

 

 金属製のボウルに入ったチョコを白いヘラで掻き混ぜながら、時雨が企画発案者の村雨に尋ねる。

 言い出しっぺでなくとも、姉妹の中では一番料理が美味いであろう彼女が作るものに、自然と興味が湧いてしまうのだ。

 

「んー、秘密♪ こういうのは他人には話さないの」

 

 しかし、村雨は勿体ぶるようにウインクして誤魔化した。中々に不公平だが、時雨には何となく理解できた。

 義理ではなく、好きな相手にあげる「本命チョコ」の詳細は誰にも話したくないものである。

 

「時雨は?」

「じゃあ、僕も秘密にしとくよ」

 

 かくいう時雨も、提督に密かに思いを寄せている。自分だけ教える必要もないので、村雨と同じように時雨はウインクをし返した。

 因みに、2人が今作っているのは姉妹に渡す用のものである。

 一方、一番艦の白露は混ぜたチョコを型に流し込んでいた。このペースを維持すれば、完成するのが一番になるだろう。

 

「よし!」

 

 しかし、白露が流し込んだチョコは型の三分の一しか埋まっていなかった。一番大きい型を選んだ弊害だろうか。姉妹達も苦笑していたが、「一番」に一番拘りを持つ白露はいつものことなので特に気にしなかった。

 

「夕立、知ってるっぽい!」

「あらあら、何を?」

 

 天真爛漫な夕立は何処から持ってきたのか、夕立自身によく似た謎の生物の方にチョコを流し終えたようで、後は固めてデコレーションを仕上げるのみである。だが、手には何故かまだ包丁が握られている。

 無邪気に知識を話す双子の妹に、村雨は温かい視線を向ける。

 

「自分の血を混ぜたチョコをあげれば、てーとくさんは好きになってくれるっぽい!」

「やめなさい!」

「夕立姉さん、何処で知ったんですか!?」

 

 赤い瞳を輝かせて物騒な知識を語る夕立は、間違いなくソロモンの悪夢の名に相応しかった。

 指先を切ろうとする夕立を村雨と春雨が慌てて止める。この暫くした後で、情報元と思しき重巡パパラッチに村雨のチェーンアンカーと春雨の飯ごうが飛ぶことになるが、それはまた別のお話。

 

「さて、あとは飾って完成かしらね」

 

 流石に冷蔵庫までは召喚出来なかったため、出来上がったチョコレートを食堂の冷蔵庫まで持っていく。鎮守府の食堂にある冷蔵庫は空母達の摘み食いから食材を守る為に強固な金庫のように出来ているため、安心して保管できるのだ。

 それから数日掛けて、遠征担当の五月雨と涼風も加わった白露型姉妹はチョコレートを完成させていった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 そして、バレンタイン当日。

 帰って来た提督は、トラック泊地の空襲を迎撃すべく出撃させる編成に頭を悩ませていた。

 だが、提督は知らない。今座って仕事をしている机はつい先日まで、キッチンに変わってたことに。

 

「提督! おはよう!」

 

 そこへ、数回ノックをしてから白露が執務室へ入って来た。

 村雨達は話し合いの結果、提督には一人ずつチョコを渡すことに決めた。その方が、お互い好きなタイミングで渡すことが出来るからである。

 案の定、白露は一番最初に訪れた。

 

「あぁ、おはよう白露」

「提督、はい。いっちばん美味しいチョコ、あげるね!」

 

 書類から目を離した提督の前に、白露からチョコの入った包みが差し出された。

 長方形のシンプルなラッピングで、箱の中身はこれまたシンプルに人差し指を立てた右手の形をしたチョコが入っていた。上には「ていとくへ!」という文字がチョコペンで書かれていた。実に直球一直線な白露らしいチョコと言える。

 

「ん? これは珍しいな」

「でしょでしょ! 提督のはいっちばん手間掛けたんだから!」

 

 しかし、提督は白露が施した細工に気付いた。実は、白露が作ったチョコは三段重ねになっており、上からミルク、ホワイト、ビターの順になっていた。白露が作っていた時に型の三分の一しか流し込まなかったのは型が大きかっただけでなく、三つの味のチョコを混ざらないように重ねる為であった。

 

「絶対食べてるんだよ?」

「ああ、ありがとう。味わって食べるよ」

 

 提督はチョコの入った箱を置き、白露の頭を撫でる。少し頬を染めた白露は、笑顔のまま執務室を出て行った。

 それから少しして、再び扉をノックする音が聞こえた。

 

「し、失礼します!」

 

 次に入って来たのはピンク色のサイドテールを揺らした少女、春雨だった。

 春雨は鎮守府に来たのが現在いる姉妹の中で一番遅かった。しかし、優しく接してくれた提督には他の姉妹に負けないくらいの想いを抱いていた。

 

「し、司令官! あの、これ……どうぞ!」

 

 恥じらいながらも、春雨はハート形のチョコを提督に渡した。

 女の子らしく赤とピンクの可愛らしい包み紙で、中のチョコもまたハート形である。白露以上にシンプルな出来栄えだが、控えめな性格の春雨ならばこれで十分であった。

 

「ありがとう、春雨。大事に食べるよ」

「ふぇっ!? あ、はい……!」

 

 チョコを受け取った提督は春雨の白い帽子を取り、小さな頭を優しく撫でた。

 一瞬ビクッと反応した春雨だが、すぐに目を細めて緊張を解した。

 その時、ふと提督は春雨の指先に絆創膏が貼られていることに気付いたが、大して気には留めなかった。

 

「てっ、てーとくさん!」

 

 春雨が出てから間もなく、今度はノックをせずに夕立が入って来た。

 夕立がノックをしないことは慣れていた提督だったが、入ってすぐ後の夕立の様子には違和感を覚えていた。

 戦闘では「ソロモンの悪夢」と恐れられ、鎮守府内では無邪気な犬として可愛がられている、あの夕立が何故か緊張している様子だったからだ。

 

「えっと、このチョコレートあげるっぽい。夕立、結構頑張って作ったっぽい」

 

 夕立は頬を赤く染め、耳のようなアホ毛をぴょこぴょこと跳ねさせながら、チョコレートを手渡した。

 珍しく女の子らしい一面を見せる夕立に、提督は思わず口元を緩ませてしまう。知っているはずの女の子の、知らなかった可愛い一面を知った男子のような心境になっていたのだ。

 

「そうか。よく頑張ったな、夕立」

「っ! えへへ~♪」

 

 頭を撫でながら褒める提督に、緊張しっぱなしだった夕立は漸く気が緩んだようで、周囲にハートマークを撒き散らせて喜ぶ。

 チョコを渡すという大役を務めた夕立は提督に褒められたことに満足し、笑顔のまま部屋へと戻って行った。

 

「……そうか、今日はバレンタインだったか」

 

 机の傍に溜まっていくチョコの山とカレンダーを交互に見て、提督はやっと今日が何の日であるか思い出したようである。

 士官学校時代は同性が多く、提督として鎮守府に配属となるまでは異性とあまり話さなかった提督にとって、バレンタインとはかなり縁遠いイベントだったのだ。

 幸い、甘党だった提督は貰ったチョコで糖分補給をしながら仕事を進めていった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 時間が進み、すっかり日が暮れ出した頃。

 気付けば、提督の傍にはチョコが山盛りに積まれていた。

 

「まさかほぼ全員から貰うとは……」

 

 貰っても精々5、6個程度だと思っていた提督は、チョコよりも自分が甘かったことを痛感した。

 だが、同時にここにいる艦娘達にここまで慕われているということでもあるので、内心ではかなり嬉しくもあった。

 

「あらあら、提督モテモテですねー」

「そうだな。人生で一番チョコを貰った日になりそうだ」

 

 その時、執務室に入ってきた村雨がチョコの山を見て冷やかした。

 提督も肩をすくめて笑うが、村雨がここに来た理由が何なのかは既に察している。

 

「提督♪」

 

 村雨は駆逐艦には不似合いな程、色香を含んだ声で提督を呼ぶ。

 机の前から回り込んで提督の目と鼻の先まで近付くと、駆逐艦の中ではかなり育ったスタイルが改めて分かる。

 

「村雨の、ちょっといいチョコ食べてみる?」

 

 村雨は赤いネクタイを緩め、甘い口調で提督に囁く。

 彼女の色香に呆然としていた提督は顔を真っ赤にして止めようとするが、上手く言葉が出てこない。

 

「なっ、む、村雨!?」

「甘くて、少し苦いんです」

 

 襟を引っ張って胸元を肌蹴させる村雨に、提督は慌てて手で目を隠そうとした。

 

「……なーんて、うふふ♪」

 

 しかし、村雨はそれ以上肌を見せることはなかった。胸元から小さな包みを取り出し、提督に渡す。

 村雨に手玉に取られた提督はしばし呆気にとられたが、すぐにからかわれたと思い溜息を吐く。

 

「はぁ……お前なぁ」

「冗談ですよ、冗談。中身は少し苦いビターチョコですよ」

 

 蠱惑的に笑い、ネクタイを結ぶ村雨に呆れながらも提督は箱を開ける。

 中身は確かに普通の板チョコだった。上に村雨の写真がプリントされていること以外は。

 

「……提督」

 

 その時、何時の間にか執務室に入っていた時雨の呼ぶ声が聞こえて来た。

 突然呼ばれた提督は慌てて村雨からのチョコを仕舞うが、村雨とのやり取りを見てた時雨には既に遅かった。

 

「一応これ、僕からも渡しておくね。……邪魔、かな?」

「そ、そんなことない! ありがとう、時雨!」

 

 不安そうに机にチョコを置く時雨に、提督は首を横に振る。

 そのまま今までのことの説明をする提督を差し置き、村雨は執務室を出た。

 

「……村雨をどうぞ、なーんて」

 

 一人、自分の発言に顔を赤くする村雨であった。

 提督を振り向かせるのは何時になるのか、それは誰にも分からない。




白露型で一番女子力が高いのは村雨(確信)

バレンタインの立ち絵は村雨に期待してたんだけどなぁ……。
時雨も可愛かったので大満足ですけど。


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梅雨の日の彼女と

 6月。一般的には梅雨の季節と呼ばれる月である。

 その日も、外は土砂降りの雨が降っている。いや、いたと言うべきか、今は丁度やんでいた。

 提督はそんな移り気な天気を尻目に、今日の書類作業を一通り終えていた。デイリー任務も済ませ、漸く一息吐ける様子だ。

 

「さて、村雨。お茶でも持ってきてくれないか」

 

 提督は今日の秘書官である村雨に、仕事終わりのお茶を頼んだ。しかし、いつもならすぐにはいはーい、と元気の良い返事が返ってくるのだが、村雨からの返事はなかった。

 

「……?」

 

 不思議がって村雨の方を見ると、何やら作業をしているようだった。ソファーに座り、何かを作っている。

 

「あ、提督呼んだ? ごめんなさいね」

「いや、いい。それより何をしているんだ?」

 

 気付いた村雨はすぐに謝るが、それよりも提督は村雨が作っていたものに興味があった。

 手のひらサイズの白いものは、頭らしきヶ所に顔が書いており、何処かで見たことのあるような帽子をかぶっている。

 

「てるてる坊主を作ってたのよ。今朝は丁度雨が降っていたでしょ?」

「なるほど」

 

 村雨が見せて来たものは、確かにてるてる坊主だった。

 最近、雨の多い時期になって来たので艦娘の間ではてるてる坊主を作ることが流行っていた。

 睦月のように姉妹艦に似せたものを作る者もいれば、龍田のようにぐったりとしたてるてる坊主に「潜水艦」と書いて怨念を込める者もいる。

 

「それは春雨か?」

「ええ。よく分かったわね」

「上手く出来てるからな」

 

 村雨は前者だったようで、自身をよく慕ってくれる妹艦、春雨に似せたてるてる坊主を作っていた。

 頬もピンク色に染められていて、とても可愛らしく仕上がっている。

 

「時雨や夕立達のも作ろうと思ってるのよ」

「それは喜ぶだろうな」

 

 姉妹全員のてるてる坊主が並んだ図を思い浮かべ、提督は微笑ましくなる。

 しかし、白露型は雨の名を冠している艦娘なので、雨が降っている今の時期は元気になっているのだ。

 普段から雨を眺めては風情に浸っている時雨、雨に当たって気持ちよさそうにはしゃぐ夕立など、反応は違うものの、それぞれ雨を楽しんでいた。

 出来れば、彼女達は雨がもう少し降っていて欲しいんじゃないかとも考えたが、提督は胸にしまっておいた。

 

「そうだ。村雨、間宮でお茶でもしないか?」

 

 外は雲が厚いが、雨はやんでいる。提督は休憩も兼ねて、村雨を間宮に誘った。

 

「あらあら、提督からデートのお誘いですか? 村雨、ドキドキしちゃうな♪」

「か、からかうな」

「うふふ。ご一緒しますね」

 

 村雨は駆逐艦らしからぬ色気を出して、提督をからかった。

 大人っぽい性格もさることながらスタイルもよく、潮や浜風と並び胸が大きい駆逐艦として某空母達に睨まれているとのことである。

 顔を赤くする提督に、村雨はコロコロ笑いながら提督の後に付いて行った。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「間宮アイス、美味しかったですね」

「ああ。蒸し暑くなってきたし丁度いい時期だ。……ん?」

 

 「甘味処 間宮」を出た2人。すると、提督は外がまたもや土砂降りの雨になっていることに気付いた。

 今度はいつ止むかも分からない。間宮から執務室のある棟までは少し歩くので、濡れるのは避けられないだろう。

 

「あー、降ってきてますね」

「傘を置いてきてしまった……夕立のように濡れて帰るとするか」

「もう、仕方ないですね」

 

 すると、村雨は持っていたピンク色の傘を開いて提督に差し出した。

 

「はい。相合傘、しましょ?」

「いいのか?」

「提督一人を雨の中歩かせるわけにも行きませんからね」

「ありがとう、村雨」

 

 傘を提督が持ち、2人は執務室へ戻った。

 村雨の傘は当然女性物で、男女2人が入るには少し小さい。なので、必然的に提督と村雨はくっついて歩いた。

 

「何だか、ドキドキしますね」

「そうだな……」

 

 村雨は悪戯っぽく言うが、提督は実際に緊張していた。村雨のような美少女と並んで歩くことなど、今までない経験だったからだ。

 しかも、村雨が腕を組んでくるので胸が当たってしまい、余計に気恥ずかしさが込み上げて来ていた。

 

「こうしてると、恋人同士みたいですね♪」

「なっ!?」

「なーんて、冗談ですよ♪」

 

 緊張しっぱなしな提督の様子を知ってか知らずか、村雨はペロッと可愛らしく舌を出して冗談を言う。

 当人たちはケッコンカッコカリすら行っていないのだが、傍から見ればカップルにしか見えないだろう。憲兵が見れば、それこそ取り締まりものである。

 

「提督ってばお堅いんですから」

「お前が翻弄してくるだけだろう……」

「こんな職場なんですし、もっと女性に慣れないと」

「女性に慣れるのと、くっついて歩くのとはまた別だろ」

 

 艦娘を指揮する司令官という立場上、提督は女性と会話することにはとうに慣れていた。しかし、腕を組んで歩くことは今までなかった。

 

「じゃあ、私と一緒に歩くのは嫌ですか?」

「いや、そういう訳じゃ……スマン。気を悪くしたか?」

「いえいえ。提督がそういう方だってことは知ってますから」

「……村雨には敵わないな」

 

 嫌味一つない言い方で提督に接する村雨。大人っぽさと色気に、本当に駆逐艦なのかと内心疑い始める提督だった。

 

 

◇◆◇◆

 

 

「雨、止んだな」

「本当、すぐ止みましたね」

 

 執務室に着くと、外は雨粒一つ落ちていない状態に戻っていた。

 外は変わらず雲で覆われていたので、きっとまた降るのだろう。

 

「降っては止み、降っては止みか」

「ですね。あ、こういう雨を何ていうか知ってますか?」

 

 唐突な村雨の質問に、提督は首を傾げる。

 通り雨じゃないのか? と一瞬口にしそうになったが、それでは捻りがなさすぎると思い留まった。

 では、何というのか。答えは一つしかなかった。

 

「村雨、か?」

「当たりです。知ってたんですか?」

「いや。ただ、バレバレだったぞ」

 

 村雨。目の前にいる彼女の名前の由来だった。

 群れ降る雨、ということで本来の言葉は群雨という言葉だったが、いつしか今の村雨になったようだ。

 

「でも、そんな「村雨」のおかげで村雨と相合傘が出来たから、感謝すべきかな」

「そうですね。「村雨」に感謝してください!」

 

 ドヤ顔で胸を張る村雨に、提督はプッと吹き出して笑う。釣られて、村雨も笑い出した。

 外は相変わらずの曇り空だが、晴れ晴れとした彼女に提督は楽しい午後を過ごすことが出来た。

 

「そういえば、まだ言ってなかったな」

「?」

「進水日、おめでとう。村雨。それと、いつもありがとう」

 

 提督は日ごろの感謝と祝いの言葉を、用意していた花束を一緒に贈った。

 全く予想もしていなかったサプライズに、今度は村雨の方が顔を赤くする番であった。




6/20は村雨の進水日。

なので、5分で考えて1時間で書きました。間に合ってよかった。

おめでとう、村雨。


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