球磨型軽巡洋艦のちょっとした野望 (灯家ぷろふぁち)
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球磨型軽巡洋艦のちょっとした野望
この鎮守府において重要な役割を担う事が多いのは球磨型の五人姉妹である。
個性的な姉妹ではあるが、別に問題児という訳ではない。むしろ、その振る舞いの背後にはきちんとした常識を備えている為か、彼女達の行動には常に安心感が伴う。そしてそんな姉妹達をそれとなく束ねているのが長女の球磨であった。妹達にあれこれと口うるさく言うタイプでもないせいか、彼女達からの信頼も厚い。
そんな球磨がいかにも暑そうな表情をしつつ、報告書を手に執務室に入って来た。
「作戦終了したクマ〜……」
「おー、お疲れ。って結構汗かいてるな。冷蔵庫の中にあるもん適当に飲んでいいぞ」
提督が球磨から報告書を受け取りつつ、執務室内に備え付けられていた冷蔵庫の方角を顎で示した。
「お、暑かったから助かるクマ〜」
早速、球磨はそう言って、麦茶のペットボトルを取り出し、美味しそうに飲み始める。
「まあ、季節的にこれからしばらくはな……。海の上なんて日光遮る物何もねえし、照り返しも強えし」
少々渋い表情を浮かべて提督はそう言う。それに対して球磨は、
「でも、陸に戻ったら戻ったで地面が熱いクマ」
と言い、うんざりしたような表情を浮かべた。
「特に夜中な。それだけは海の上の方がマシかもしれねえなあ」
「川内が夜中元気なのも分かる気がするクマ……」
「いや、アイツは夜なら海とか陸とか関係ねーじゃん」
そう提督が言ったタイミングで、球磨は気が付いたような表情をして、
「にしても、今年も水着に着替える子が増えてきたクマねえ」
と、そう言った。提督も思い出したかのように、
「まあ、いい加減暑い日も増えてきたしな。それに、艤装が使えりゃ問題ないし」
と言う。球磨が、
「やられたときに破けるのが心配だクマ……」
そう不安そうに言うと、提督も、
「まあ、なあ。そこ行くと霞とか大丈夫なのかって聞きたくなるよ俺は」
と、球磨に同意しながら言う。
「あれは大淀と足柄にそそのかされたらしいクマ」
「あいつ等も変なところで理性飛ぶよな。ま、俺としては熱中症で倒れられるくらいなら、常識を逸脱しないレベルで薄着になってもらってた方が気が楽よ。ただでさえ戦闘で怪我されるのだって嫌なのによ」
手元の報告書に目を戻し、それらをめくりながら内容に目を通しつつ提督がそう言うと、球磨がイタズラっぽい表情を浮かべてこう聞いた。
「しかも目の保養にもなる?」
「正解」
再び顔を上げ、同様にイタズラっぽい表情を球磨に向けて即答する提督。球磨は苦笑いしながら、
「……提督ってやっぱ変態クマ」
と言うが、提督は、
「そこはもう男の性ってヤツよ」
こう返答しながら笑っている。そしてここで、
「でも、そんな事言ってると彼女さんに怒られるクマよ?」
と、からかい気味に球磨が言った途端、提督は気まずそうな顔をして黙ってしまう。
「……どうかしたクマか?」
不思議に思った球磨がそう聞くと、提督が、
「……実はさ、もうアイツとは別れちゃってるんだよね、俺……」
と言ってきた為、球磨は思い切り驚いてしまう。
「ええっ!? あんなに仲良かったのに別れたクマか!? なんでクマ!?」
実際、球磨も以前、提督の彼女とは会った事があるが、その時は険悪さとは程遠い雰囲気であった。わざわざ提督と別れる理由が全くと言って良いほど思い当たらず、球磨は内心で首をかしげるしかない。
「……いやな、俺ってこんな仕事してるだろ? で、部下が女の子ばっかだろ? 誰かとデキてるんじゃないかって疑われたみたいでさ。ここに一度見学しに来た時にそうなったみたいでよ」
「でも、提督って別に色んな子に手を出すタイプじゃないクマ……」
顎に指をあてて、難しそうな顔をしながら球磨はそう言った。
「お前がそう思ってくれるのはありがたいけど、向こうはそうじゃなかったみたいだな。結局、俺が信用されてなかったって事なんだろうな……」
「うーん……」
提督の言葉を聞いて、球磨はうめきながらうつむいてしまった。と、ここで提督はこんな事を言った。
「あるいはな、お前がこういう環境にいるからそれが自然なんだって思ってるのかもしれないけど、アイツにしてみりゃ気が気じゃなかったって事なのかもしれねえなあ。ここにいる子ってとにかく綺麗で可愛くてって、そういう子ばっかな訳だろ?」
途端、球磨は顔を上げて不思議そうに聞いた。
「その中には球磨も入るのかクマ?」
「当たり前だろうよ」
提督は即答する。
「そ、そうクマか……」
球磨はぎこちなくそう答える。続けて提督は、
「おかげで話したらちょっとスッキリしたわ。すまんな、こんな辛気臭え話聞かせちまって」
と笑いながら言う。
「……へっ? い、いや、気にする事ないクマ!」
球磨はそう言った後、少しばかり考え込む仕草をしてから、
「それじゃあ、球磨はそろそろ戻るクマ。あんまり深刻に考えちゃ駄目クマよ? 提督ならちゃんと良い人が出来るクマ」
と言って、執務室のドアへと向かいだした。
「おう、なんかありがとな」
と言う提督に向かって片手をヒラヒラと振りながら、球磨はドアを開けて執務室を出ていった。
その数日後、執務室に木曾が入室して来た。
「新しいシフト表が出来たから確認してもらえるか?」
そう言って彼女は艦娘達の勤務予定表を提督に手渡す。
「おお、お疲れ」
提督は早速シフト表のチェックを開始する。そして、作業を進めていくうちに何らかの違和感を覚えたらしく、提督は眉をひそめるような表情になりはじめた。
「んー? 前と比べると微妙に俺の休み多くないか? 俺がここに出て来ないのは不味いような……」
「ああ、実はそれなんだけどさ、こういう季節だろ? あんまり執務だの何だの仕事ばっかりでお前に体を壊されると自分達が困るって意見が結構上がっててさ……」
木曾のこの発言を受けても、その性格のせいなのだろうか、彼女の出してきたシフト表にしっくりと来ないものを感じた提督は渋い顔を浮かべて、
「そうは言ってもなあ……」
と、そう言ってから首をひねって考え込んでしまう。すると、ほんの一瞬だけ遅れて、木曾が少しばかり悲しそうな表情を浮かべながら、
「もしかして、俺達を信用してくれてないのか……?」
と聞いてきた。そんな彼女の様子に内心で少々驚いてしまった提督は、
「いや、そんな事は、無いが……」
と言い、そこで言葉が一旦途切れる。自分は結局、元カノに信用されなかった男だ、ここに来て長らく行動を共にしてきた部下を信用出来なくてどうする。そんな思考が木曾の言葉をきっかけにして提督の脳内を走り始めた。
「うーん、まあ、いいか。今回はこれで行こう」
それを聞いた途端、木曾はホッとした表情を浮かべ、
「じゃあ、早速だが決済印押してくれないか? これって来週からスタートだしな!」
とまるで急かすように言った。そして提督が判を押すと彼女は、
「おっ、ありがたい! じゃあこの内容をすぐ全員に展開するからな!」
と嬉しそうに言い、そそくさと執務室から出て行った。その様子を見ていた提督は、特に急ぐようなもんでもなさそうだが、と思いつつも、シフトの変更については自分の休みが増えている点が引っ掛かった程度で、他は別段悪い内容とも思えなかった事もあり、それ以上深く考えることはなかった。
そして新しいシフトの体制下で鎮守府の運用が始まってすぐの事だ。提督は背後から声をかけられた。振り返るとそこには多摩と、そして普段から彼女と親しいらしい、とある艦娘がいた。
「どうかしたか?」
と提督が聞く。それに対して多摩がこう言った。
「提督って確か明日は非番にゃ?」
「ああ、そうだが……」
提督がそう返事をすると、多摩は申し訳無さそうな顔をして、
「実はこの子も明日が非番らしいんだけど、新しい水着を買いたいらしいにゃ。一緒に選んでくれる人を探しているらしいにゃ」
と言った途端、提督はポカンとしてしまう。
「そういうのって俺じゃなくて鎮守府の他の奴らと行った方が良くないか? ここで着るヤツだろ?」
と提督が言うと、多摩は首を横に振り、
「うんにゃ、彼氏と一緒にデートする時の物らしいにゃ。男性目線で似合うものを探したいとかで……」
そう言って多摩がその艦娘に視線を移すと、彼女もまた、
「お願い、出来ますか?」
と聞いてきた。そういう事情か、と納得した提督は頭を掻きながら、
「まあ、俺で良いってんなら、良いけどよ……」
と返答した。
結局、提督は次の日のオフの大半を、都心部の百貨店にある水着売り場を中心に、その艦娘と共に過ごした。別に女の子と同行していたからと言って、提督には何の感慨も無い。あくまで自分の事は付き人兼荷物持ち程度に捉えていたのである。
しかしながらその翌日、提督を仰天させる出来事があった。青葉が鎮守府内で発行している新聞の一面に、例の新しい水着を探していた艦娘と、そして提督本人が二人揃ってレストランで食事をしている写真がデカデカと載っていたのである。記事名には「提督に新しい彼女か!?」というタイトルさえ記載されている。確かに、その艦娘とは食事はした。しかしそれは二人とも昼食の時間になって空腹を覚えたからであり、別に付き合っているからとかそういった意味合いのものではない。実際、青葉が発行している新聞はスポーツ紙やタブロイド紙顔負けの捏造記事が載る事も多いし、発行人である青葉もまた、どうやって撮影したかが分からない写真を掲載するほどの神出鬼没っぷりから「パパラッチ重巡」なる通称で呼ばれる事さえある。だが、この写真をどうやって撮影したのか、そして何故二人があの時あの場所にいる事を把握していたのか、そのあたりの経緯が全くと言って良いほど分からない。
流石に青葉を呼び出し、事情を聞くと、
「いやあ、司令官があの子と一緒に出て行ったって話を聞きましてえ、これは怪しいなあ、と」
と、何ら悪びれずに言う。
流石に提督は青葉を叱りつけ、可及的速やかに訂正の記事を出すように指示した。更に、向こうにはきちんとした彼氏がいるのにそんな相手と付き合うはずがない、という事も付け加えた。
青葉は最初こそ渋っていたが、提督が凄まじい殺気と共に「体壊すまで重営倉に入ってみたいらしいな?」と言ってきたせいで震えあがってしまい、自分の部屋へと飛ぶように戻ると、すぐに訂正の号外を発行した。
結局のところ、この一件は単に青葉が飛ばし記事を書いただけ、という事で話の決着はつき、提督に同行していた艦娘は何ら良心に反するような事はしていなかった事が鎮守府の一同にも分かってもらえたので一安心ではある。しかしながら、一方の提督は依然フられたままフリーという事で、新しい女でも物色しているのではないかという妙な噂を流される羽目になった。
そんな事がありながらも鎮守府での時間は過ぎていく。この日もまた、提督は翌日に非番を控えているという日だ。ちなみに、秘書艦を務めていたのは大井であった。
「結構早めに片付きそうだな」
提督はホッとしたように言う。
「最近は深海側も大人しいですし、出撃を減らせてるのは大きいのかもしれませんね」
大井はそう分析した。提督もそれにうなずき、
「木曾の組んだシフトもうまく機能してるしな。今のところ戦力に変な穴が開いたりってのも無い」
と言った後、
「だけど訓練だけはサボれないからなあ。今日もう暑かったじゃんかあ」
と続けた後、苦笑いした。提督は汗を拭きながら演習に立ち会っていたのである。彼に同行していた大井もそこは同意見のようだ。
「これからは今日並みの暑さが毎日続くようになるんでしょうね」
そう笑いながら言い、手で自分の顔をあおるようなジェスチャーをした。
もはや明日に休みを控えているせいか提督もかなりリラックスした気分でいるらしい。彼はこんな事を言い出した。
「外が雨でも気が滅入るけどよお、カンカンに暑くても外出る気無くすってのは俺だけかねえ?」
それに対して大井は視線を宙に浮かべながら、
「そこはみんな同じじゃないでしょうか。目玉焼き作れそうな道路の上歩きたいなんて思いませんもの」
と言った後、少し考え込んでから思い出したかのように、
「そういえば提督って明日のご予定はまだ入ってないんですか?」
と聞いてきた。
「ああ、まだだけど。どうかしたか?」
と提督は聞き返す。途端、大井はバツが悪そうな表情を浮かべて、
「よろしかったら球磨姉さんに付き合って頂けませんか? なんか買い物行くつもりみたいで、『荷物持ちが欲しい』なんて言い出してるんですけど、私達予定が合わなくて……」
と言う。提督は、
「あー、あいつも非番だったっけか」
と言いながらシフト表をチェックし始める。すると、彼はある事に気付いた。
「あれ? この日って北上も休みじゃねえか。アイツじゃダメなんか?」
そう提督が言った途端、大井が不満そうな表情を浮かべて、
「それそれ! 提督、聞いてくれます!?」
と言い出した。そうなると、提督としても、
「どうしたんだよ?」
と言うしかない。
「もう北上さんったら『彼氏と遊ぶ約束あるから』って言ってあっさり断っちゃったんですよ! 散々球磨姉さんの世話になってるんだからたまにはそっちに付き合ってあげてもいいのに! まったくもう、ひどいと思いません!?」
憤懣やるかたないといった感じでそう言う大井。提督はまたも苦笑いを浮かべながら、
「お前からは散々『最近、北上が付き合い悪い』って話聞かされてるけどよ、やっぱ好きな人出来るとどうしてもそうなるんじゃねえの? お前だってその辺りの気持ち分かるんじゃないかって思うんだが」
と言った。その途端、大井は照れたような顔つきになり、
「ま、まあ、そうなんですけどお。今の人すっごく優しくてえ……」
などと惚気話を始めようとする。
「だろ? つーことよ。北上だって楽しい訳だ。せっかくの休みなんだからそういう息抜き出来なきゃ損だろ?」
そう言って一旦言葉を区切った後、その視線を天井に向けた提督は、再び視線を大井に戻し、
「……だから俺が行ければそれが一番良いって話なんだよな多分。他に空きのあるヤツいないんだろ?」
と言った。
「お願い出来ますか!?」
と勢い込んだように言ってくる大井に対して、
「ま、どうせいまだに予定も入ってない独り身じゃ大した事も出来ねえしな」
と提督は返した。
「こっち、こっちクマ!」
「おう」
翌日、提督は球磨に連れられて市街地を歩いていた。暑さはやや控えめで、外出する側としては助かった事だろう。提督は仕事時以外に外出しても恥ずかしくない程度の服装であるが、球磨の方はと言えば、夏を意識した軽装ではあるものの、かなりお洒落なものであった。
ちなみに、この時点で買い物はある程度済ませていたが、量が多いどころか、かなり少なく、提督が片手で軽くぶら下げている程度しかない。はたして荷物持ちが必要だったのかと疑問に思ってしまう。そんな事を考えていたところ、
「あ、球磨もそろそろ水着が欲しいから寄っていいクマ?」
と、ある店を指さして球磨が言い出した。それを聞いて、水着を着たまま職務をこなしている艦娘も増えてきている中、今までの球磨は普段通りの服を着続けていた事を思い出した提督は、
「ああ、いいんじゃないか?」
と軽く答えた。
目的が決まっている男性の場合と異なり、女性のファッション選びは様々なデザインのものを見て吟味して、というプロセス一つ一つが楽しみであるという事は提督も理解しているつもりである。だから球磨も水着選びにはかなりの時間を割くことになるだろうと彼は予想した。
「こっちとこっちだとどっちが良いと思うクマ?」
「うーん、俺だったらこっちだな」
質問を投げかけてくる球磨に対して、提督は答える。
「じゃあ、次行くクマね?」
そう言って次の瞬間、球磨はさっと提督のそばを離れて新たな水着を選び始める。こんな感じだよなあ、と思いつつ、しばらくはこのルーチンが繰り返されるんだろうと提督は考えた。
が、意外とあっさりと球磨は水着を決めてしまったようだ。最終的に提督が選んだ水着を店員に見せ、サイズが合うかどうか試着させて欲しいと相談している。
こんなケースもあるのか、と思っていると、球磨はさっさと試着室に入ってしまった。
そして着替え終わったのだろう、試着室の中から提督を呼ぶ球磨の声が聞こえる。
「……どうクマ?」
こう聞かれ、球磨の水着姿を見せられた提督は不本意ながらも少しの間固まってしまった。意外にもスタイルの良い球磨にはピッタリだと思ったからだ。
「……十分良いと思うけど」
提督はこう答えるだけである。
最終的に球磨はその水着を買う事にしたようだ。そしてその値札を覗き見て提督は眉をひそめた。彼の知る限りにおいては、球磨が買おうとしているものは、一般的な水着と比べると大分値が張るような気がしたからだ。
「おい、本当にこれ買うのか?」
と思わず提督は球磨に聞く。
「何か不味かったクマか?」
「いや、値段……」
キョトンとしたような表情の球磨に対して提督はそう言うのが精いっぱいであった。
「別に気にする事ないクマ。たまにしか買わない物をケチっても仕方ないクマ」
と気にも留めない様子で購入の手続きを進めようとする球磨。それを見ているだけで良いのかと思ってしまった提督は、球磨の誕生日が近い事を思い出した。
「それは俺が出すわ」
提督はそう申し出た。それを聞いた球磨は意外そうな表情を浮かべ、
「何でクマ? 出してもらう義理が無いクマ」
と言う。
「いや、お前誕生日近いだろ? たまにはこういうのも払っていいと思ったんだよ」
実際、提督の給与水準を考えれば、それは決して安くはないが、あまりにも高すぎるという事もない値段であった。球磨はほんの少しだけ考えていたが、やがて、
「じゃあ、お言葉に甘えるクマ」
と、微妙に照れたような表情を浮かべて言った。
その後の二人は食事をしてから鎮守府に戻った。その道中での提督は、まあ、たまにはこんな事もあっていいのかもな、などと漠然と考えていただけである。
ところで、提督という男はこういった事を学習出来ないタチなのだろうか。翌日、またしても青葉の新聞の一面に提督と、そして球磨が街で買い物をしている写真が掲載されていたのである。ご丁寧にも、球磨の水着を購入するに際して、提督自らが支払いを申し出たという事まで記事には記載されていた。
「青葉を呼べ!! 青葉を!!」
提督が執務室で怒鳴り声を上げていた。彼にしてみればそんなつもりは無かったのに、今度は球磨とデートをしていた事にされているんである。あり得ない話であった。
「えー? 別にこの記事捏造でも何でもないじゃん」
そう言うのは北上である。そして、
「球磨姉さんとデートしてたんでしょ? 実際」
とも続けた。
「いやいや待て待て、そんな訳ねえだろうがよ! あれはただ単に買い物に付き合ってただけだっつーの!」
提督はそう言うものの、執務室に居合わせていた球磨型姉妹は到底納得出来ていない様子である。
「そんなこと言われてもねー、どう見てもあの様子はデートにしか……あっ」
北上はそう言いかけて自分の口に手を当ててふさいだが、遅かった。その言動の意味合いに気付いた提督が彼女を睨み、
「……北上。お前『予定がある』とか嘘ついておいて俺らの事尾行してやがったな?」
それに対して北上は観念したのか、あるいは最初からネタばらしをするつもりでいたのか、飄々としたノリでこう答えた。
「うん、これでやっと球磨姉さんが提督落とせそうだったからねえ。お手伝いを、ちょっとね」
更に、北上は「これに載ってる写真、青葉じゃなくてアタシが撮ったのもあるんだよねえ」と楽しそうに付け加えた。
「『落とす』っておい……」
提督はそう言って黙ってしまった。要するに、提督と球磨は北上と青葉に尾行されていたらしい。そして、球磨も恐らくその事を知っていた。知らなかったのは、提督一人だけなのである。
「大体なあ、本当にただのお買い物だってんなら、あんな高い水着の支払いお前がやるかって話になるんだよなあ。いくら相手の誕生日が近いからって言ってもさあ」
木曾がニヤニヤとした表情で言う。
「いや、それは、たまにはそういう事もあっていいと思ったってだけでな……」
提督はそう言い訳するものの、
「それだと、ただの部下にもそういったお買い物を普通にしてあげてるって事になりますけど? いくら提督でも鎮守府全員にそんな事をしてあげる程の金銭的余裕があるとは思えないんですが?」
同様にニヤついた表情の大井がそう言う。
「うっ……」
それを言われてしまうと提督も言葉がすぐには出てこない。
「ま、これで晴れて球磨姉えの一回目のデートは成功にゃ。第一段階は無事に突破出来たにゃ」
多摩も楽しげに言う。
「だーかーらあっ! あれはデートなんかとは全然違うんだってっ! 頼まれて買い物に付き合ってただけなんだってっ!!」
なおも提督はそう言うが、そんな彼に背後からこんな声が聞こえてきた。
「そんな物は認識の違いクマ。アレをただのお買い物って思い込んでるのは提督だけだクマ」
驚いて振り返った途端、昨日購入したばかりの水着を着た球磨が提督の腕に抱き着いてきた。
「あー、早速お前も着替えたんか……」
いよいよ状況に対応し切れなくなったらしい提督が、辛うじてそれだけを言ったのに対して、球磨が、
「球磨はあくまで好きな人が『良い』って言ったものを着てるだけクマよ?」
と返してきた為、もはや提督は無反応に陥ってしまった。
「いやあ、良かったなあ、おい! 念願叶ってよお!」
木曾が実に嬉しそうにポンポンと球磨の肩を叩いている。
「いや、だから、違えって……」
どうにか言葉を絞り出す提督。
「……違う? 何が違えんだよ?」
木曾が不審そうな表情で提督に聞いてきた。
「ええっと、それはだな。スケジュールの都合で球磨の買い物に付き合えそうなのが俺しかいなかったから、たまたまこうなったってだけでな? だからデート云々とかそういった話になったりってのは普通に考えれば……」
と提督が言いかけたところで、
「ちょっと提督さあ、ここまで来てそれが通ると思ってんの?」
と、先程とは打って変わって険しい表情になった北上が口を挟んだ。
「青葉の新聞に前も別の子とデートしてたって記事載ったよねえ? あれ、提督は否定してたけど、実際には今でも半信半疑の子、結構いるからね?」
そう北上が言った後、更に大井がそれに続く。
「で、今回の球磨姉さんの話。これ否定したら今度こそ提督の人格疑われますよ?」
これを受けてまたしても固まってしまった提督。やがて自分に抱き着いたままの球磨を見て、次に他の球磨型姉妹全員を見渡して、
「……マジ?」
とだけ言った。そして提督を除いた全員がほぼ同時に、
「マジ」
とだけ返す。
「あ……あー、そう……マジ……マジ、なのか……」
などとぼそぼそ呟いていた提督は、しばらくしてからハッとしたような表情になった。
「まさか前の記事の話、あれリークしたのもお前らってオチじゃねえよな!?」
そう、別の艦娘とデートしていたという青葉の飛ばし記事の件である。これについて提督が聞いた途端、球磨型姉妹は一斉に黙りこんだ。代わりに、彼女達がその顔に浮かべたのは意図の分からないアルカイックスマイルである。
「……お前ら、ちゃんと答えろ?」
と提督は言うものの、ここまで来て正直に答えるはずも無い訳で。
しばらくしてから、提督が大きなため息をついてうつむいてしまうと、
「とにかく、今更提督が何言っても、もう話を巻き戻すのは不可能にゃ。残りの休みも球磨姉えと楽しく過ごすといいにゃ」
と、そう多摩が嬉しそうに言った。それを聞いた提督は顔を上げ、
「お、おい。このシフト組んだのって……」
と言って木曾の方を見るが、当の木曾は提督から目をそらしながら、
「いやあ、偶然じゃねえか? お前と球磨姉えの非番の日がやたら重なってるってのは」
などと言っている。気のせいか、その表情は笑いをこらえているようにも見えた。
もはや提督は唖然とするだけだ。分かっているのは、今回の件が球磨型姉妹によって仕組まれたものであるらしいという事だけである。もしかしたら、彼が前の彼女と別れた事が発覚した時点で、ここに至るシナリオが走り始めていたのではないだろうか。水着を購入した際に、その支払いを自分が行った点だけは明らかに提督の自爆行為であったが、そこは彼女達の事である。そんな行動など起こさなくても、提督が言い逃れ出来なくなるようなトラップを用意していたに違いない。
そこまで考え、唖然としたままの提督を尻目に、
「提督をハメてからハメ……ブフッ!」
などと、そんな自身の発言に吹き出しそうになりつつも、片手で自らの口を押えて震えている北上を、
「北上さん、オッサンじゃないんですからそんな下品な事は言わないで下さいよ……」
と、大井が呆れたような表情でたしなめていた。
提督はどうしたものかと混乱する頭で必死に考えていたが、片腕にかかっていた圧力が更に強まった事に気付く。その方向を向けば、水着姿の球磨が更に寄り添うように抱き着いてきていたのである。
「ふっふっふ〜、もう逃さないクマ」
視線を真っ直ぐこちらに向けながらそう言う球磨は、顔を赤くしながらも実に楽しげだ。その表情はまさに恋する乙女のそれである。
すっかり観念した提督は宙を仰いだ。
(いざって時に手段選ばない奴って怖えなあ……)
などと考えつつ、この先は球磨の尻に敷かれるような生活を送る羽目になるのだろうという予感を、諦めと共に覚えざるを得なかったのである。
なお、提督の思考については一つだけ訂正を入れておく必要がある。
この先、彼が尻に敷かれるのは球磨に対してだけではない。
球磨型姉妹の五人全員に対してなのである。
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