UMA COMBAT ZERO (名無子)
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mission 01

Q.競馬のことは?
A.全然わからない。おれは雰囲気でこれを書いている

Q.競バのことは?
A.美少女が出て走る。


一昔……というには、あまりにも遠いだろうか。

かつて、この国に生きる人々の全てを熱狂させた時代があった。

神話の時代。

神と人が共に生きていたとすら呼ばれるその時代は、しかしその知名度に比してあまりにも記録が少ない。

そのことに気づいたのは、恥ずかしながらつい先日のこと。

あの事件が切っ掛けだった。

 

――第118回、秋の天皇賞。

 

サイレンススズカ。

異次元の逃亡者。

彼女を襲った悲劇に、当時の世間には無数の憶測が入り乱れた。

 

曰く、過剰なトレーニングの弊害だった。

曰く、本人の体調にそぐわない出走ペースだった。

曰く、トレーナーの管理不足だった。

 

周知の通り、現在ではそのどれもが否定されている。

主治医の診断、URAの公式声明、そしてなにより――他ならぬ本人からの言葉によって。

 

『原因はわからないんじゃない。無いんです』

 

事実であるかどうかは、厳密には断定できない。

ただ、少なくともそれは『真実』として受け入れられ、そしてこう囁かれるようになった。

 

その才能が、その精神が、肉体の限界さえも凌駕してしまったのだ――と。

 

一流のアスリートは、しばしば競技中に「ゾーン」と呼ばれる超集中状態を引き起こし、爆発的なパフォーマンスを発揮することがある。

そのような中でも更にひと握り、超一流の者達は、ときに肉体の限界さえも超越する程の深度で「ゾーン」に入るという。

 

誤解を恐れずに言うならば――それは決して称賛されるべきことではないと、私は思う。

限界を超えた、超えてしまった先に待つ代償。

その一つが『沈黙の木曜日』のような悲劇である以上は。

 

だが、私は告白せざるを得ない。

命さえも捧げ尽くすような強烈な煌めきは、否応もなく私の眼に焼き付いて離れなかったのだと。

 

現在の高度に管理され、安全対策に手を尽くされたレースを否定するつもりは全く無い。

それでも、気付いたときには私の手は歴史書を捲っていた。

いまや遠く、記憶の彼方に去っていった古の強者達。

URA以前の、原初のレース。

彼女らが繰り広げた戦いの痕跡。

 

記者という職務の一環とは口が裂けても言えないような、そんな利己的な欲求によって、私はこの取材を始めることにしたのだ。

 

■■■

 

原初のレースを追いかけようとするのなら、URAの歴史に触れないわけにはいかない。

 

URA(Uma-musume Racing Association)。

全てのウマ娘が繰り広げるレースを統括・運営する、言わずと知れた特殊法人。

だが、その設立過程には謎が多い。

正確に言うならば、語られていない――というだけのことだが。

 

尤も、組織の成り立ちなど、それ自体に余程のドラマがなければ注目されることなどない。

注目されなければ、情報など残らない。

そして当のURA自身がその点を特段喧伝するようなことをしていない以上、それは当然の成り行きというものだった。

図書館やネットの表層を漁って時間を無駄にした私が得たのは、そんな毒にも薬にもならない結論だけだった。

 

思ったよりも壁が高いことを実感しつつ、私は本命の情報源に接触を試みた。

と言っても、特別なことは何もない。

単に地元のURA支部に連絡を取り、資料の閲覧許可を申請しただけのことだ。

 

考えてみれば当然というべきか、開示された資料はそっけないものだった。

組織の沿革、概要、或いは近年の事業内容。

ホームページを見ればわかるような内容に落胆する私に、担当者はそんなに詳しいことが知りたいのなら、本部の資料室を当たってみればよい、と教えてくれた。

だが、そこからが遠かった。

幾重にも積み重なる申請と手続きの山は、如何にエンターテイメントを生業とする企業とは言え、URAが紛れもない公共機関であり、官僚組織であることを否応なしに叩きつけてくるような有様だった。

幸いだったのは、提出した申請書がどれも規定の所要時間こそかかれど、滞りなく受理されていったことだろう。

 

決して秘匿しているわけではない。

だが、気軽に触れてほしいわけでもない。

ひたすらに長く曲がりくねった参道が、その石畳に降り積もった土や枯葉の分厚さが、訪れる者を静かに拒絶するように。

それはさながら、寂れゆくままに放置された墓所のようだった。

 

最奥に佇むであろう墓標の下には、何が眠っているのか。

私はますます興味を惹かれていった。

 

URA本部、地下二階。

幽かなカビ臭さを漂わせる廊下を案内板に従って歩くと、やがて『第五資料室』と書かれたプレートが見えてくる。

 

閲覧許可は下りたが、当然ながら資料の持ち出しは禁止されている。

複製についても、これまた申請と許可の応酬を経た果てにようやく確保できる程度のもの。

そして『資料を痛める恐れがある』という分かったようなわからないような理由で、電子機器や筆記用具の持ち込みも禁じられていた。

どれだけの情報を見出し、持ち出すことが出来るか。

閲覧期限が二週間程度しか無いことと合わせれば、結論は単純だった。

私の記憶力に全てがかかっている、というわけだ。

 

学生時代の試験前ですら覚えがないほどの必死さで、私は資料室に通い詰め、資料を漁った。

 

URAの歴史を語る上でしばしば語られる問題の一つとして、戦前と戦後における連続性――というものがある。

戦争と、その敗戦。それを境目として、両者は断絶しているとされる。

GHQの行った統治政策が、日本の再軍事化を阻止すべく様々な「民主化政策」を施したからだ。

戦前、全国の公認競バを一つに統合して運営されていた日本競バ会は、独占禁止法の観点からアンチトラスト・カルテルの対象とされた。

実際、解散団体と指定される直前まで追い込まれた彼らは、遂には自主解散を経て国営競バへと移管された。

その後、国営競バは新設された特殊法人URAに移管されることで、再び半官半民の姿を取り戻して現在に至る。

もちろん、ここまでは教科書にも載っているありふれた内容だ。

 

だが、資料を追っていく中で、奇妙な類似点が目につくようになった。

一人のウマ娘に関する記述。

そしてそこに残された『三本足』という暗号。

情報としては不十分なものが多い。

だが、私はそこに惹かれた。

私はこのウマ娘を通して、原初のレースを追いかけることにした。

その先には何かがある。

この国のレースの歴史――その隠された姿か、ただのおとぎ話か。

そのウマ娘に会うことは出来なかった。

存在自体があやふやだ。

ただ『彼女』と関わりのあった人物数人を突き止めることはできた。

 

半ば以上本業を放り出し、駆けずり回った果てに、私は『彼女ら』とのアポイントメントを取り付けることに成功した。

歴史の彼方に消えた原初のレース。

それを当事者として駆け抜けた彼女らが見たもの、感じたことを知りたい。

衝動のまま予定表に「長期取材」の一言を書き殴った私は、編集長の罵声を背に、飛行機に飛び乗った。

 

■■■

 

マツターホーン(M a t t e r h o r n)

 

URA以前の時代、中央で39戦を走り抜け、11勝を挙げたスプリンター。

 

北海道浦河郡。

古くから名バを産する土地として知られた、『霧深い川』の名を持つ町。

一線を退き故郷に戻った彼女は今、その町で家族と共に静かに暮らしている。

 

――●REC

 

あら、もう撮っているの?

そう……それで、どこから話せばいいかしら。

なんて、決まっているわよね。

 

7月23日。メイクデビュー戦。

彼女と会ったのは、函館の芝の上だった。

あの日のことはまだ鮮明に覚えてる。

 

直前で出走登録の取り消しがあって、三頭立てになってしまったのは不本意だったけど、あの頃じゃ仕方のないことだった。

今ほどスポーツ医学も、トレーニングのノウハウも蓄積していなかったんだもの。

補給も整備もやり方を知らないまま、ただがむしゃらに飛び続ける飛行機みたいなものよ。

オーバーワークで練習中に足を痛めてメイクデビューを走ることすらできない、なんて珍しくもなかった。

そう。どの子も多かれ少なかれ、同じようなものよ。

 

だけど、あのときの私は運良くそういう不調とは無縁だった。

追い切りの調子は悪くなかった。当日の体調も万全。一番人気だって取ってた。

まあ、所詮は三人の中での一番ってだけだったけどね。

 

最初に彼女を見た時?

スタート位置につくのを嫌がって暴れてたわね。冷静さを失ってるように見えた。

多分もう一人の子も、私と同じように思ってたんじゃないかしら。

ああ、これは間違いなく勝てるなって。

 

スタートの直前まで集中できないような、痩せっぽちの非力なウマ娘。

その時はまだ、誰もがそう思っていたのよ。

……私も含めてね。

 

それが大間違いだってことは、レースが始まった瞬間に分かった。

 

上手くスタートを切れたはずだった。

出遅れなんてない。最速で、最高の踏み込みができたはずだった。

でも、気付いたら背後には『彼女』の気配があった。

たった800メートル、流して走ったって50秒もかからない。

私の脚質で言えば、勝って当然の短距離だった。

そんな状況で、スタートした直後から尻尾の先に触れるぐらいぴったりと背後に食いつかれたわ。

こっちは大逃げのつもりで最初から全速力だったのに。

悪い夢でも見ているのかって思った。

どんなに力を振り絞って加速しても、やっと振り切ったと思っても、また直ぐに『彼女』の気配がくっついてくるのよ。

殺気とか、気合とか、そういうのとも違う。

まるで幽霊みたいに透明で、色のない――冷たい気配だった。

飲み込まれてしまえば、底なしに沈んでいってしまいそうな、そんな感覚。

全力で最終コーナーを駆け抜けて、そこからゴール板まではたったの262.1メートル。

それでも、ぴりぴりとした感覚が耳鳴りみたいにまとわりついて、引き剥がせない。

なんとかしようと焦って、力の限りに踏み込んで。

 

――そして、気づけば冗談みたいなバ身差で負けてた。

 

……いまでもまだ、あの時の感覚が耳に残っているわ。

 

■■■

 

トラックオー(T r u c k Ō)

 

通称、『鋼の脚』

 

強烈な踏み込みでダートを蹴散らし、実に75戦ものレースを駆け抜け、28の勝利を奪った古豪。

中央に残ることもなく、ただの競争ウマ娘としての生き方を望んだ女。

現在は盛岡の地方トレセン学園でインストラクターを努めている。

 

――●REC

 

こっちだと教え子たちが自主トレしている間くらいは、好きなように走れるんだ。

中央じゃそうもいかないだろ。人手もなけりゃ、生徒も多い。

自分のために走ってる時間なんてどこにもなくなっちまう。

だからここに居るのさ。

 

ああ、あのときのことかい。

あんたも古い話を聞きたがるもんだね。

 

……まあいいさ。

もらった酒の分くらいは話してやるよ。

 

そうさね。

あれは9月の初め、少し肌寒いくらいの日だった。

 

札幌のダート1200メートル、ゴール前3ハロン。

あたしは顎を引いて思いっきり歯ァ食い縛って、バ群に包まれた中から何とか脱出した。

追い風に煽られながら抜けた先には――遠ざかる『あいつ』の背中があった。

途方もなく遠くて、あいつはまるで、何もないただの荒野を一人で走ってるみたいだった。

どれだけ走れば追いつけるかもわからない。

 

あの頃の札幌は「砂」でね。

今のダートよりもずっと硬いのさ。

踏み込むにも蹴り進むにも、力を込めにくいんだ。

だってのに、あいつは一人だけ、まるで芝の上でも走ってんのかってぐらいの勢いで遠ざかっていきやがる。

途方に暮れたよ。

こちとらその時までは3戦3勝、無敗のウマ娘だ。

それなのに、あの時のあたしと来たら、見事なまでのやられっぷりだった。

もうこのへんが潮時なんじゃないかとさえ感じたね。

だけどその時――前の方から轟音が響いた。

あいつの足音だ。

まあ、今にして思えば錯覚か何かだろうけど、あたしにはそいつが聞こえたのさ。

ハッと顔を上げてみりゃ、悠々と遠ざかるあいつの背中があった。

 

結局、終わってみりゃ言い訳しようもないぐらいの大差負け。

正直、嫉妬したよ。

 

あたしは試合後の案内も待たずに、近くの駅に向かった。

とにかく早くトレセンに戻って、鍛え直したかったんだ。

今度こそはあいつとまともな勝負をしてやろうって、そればっかり考えてた。

結局、最後まで敵わなかったけどね。

 

――おや、よく調べたもんだ。

そうだよ。

あの頃は試合の後にウイニングライブなんてもんはなかった。

走って、競り合って、決着がついたらさようなら、だ。

 

それでよかったのさ。

何しろ、あの頃のレースは今みたいにお上品な見世物じゃない――ご見物達が丁半転がす賭場だったんだからね。

 

あん? 後ろの壁の蹄鉄?

――ああ、こいつか。

あたしが引退した時に履いてたやつさ。

まあ、ちょっとしたゲン担ぎでね。

衒学趣味の語学教師から聞きかじった言葉を刻んでもらったのさ。

 

CAST IN THE NAME OF GOD, YE NOT GUILTY.

 

ご見物達はチップでも点棒でも好きに賭けてりゃいい、あたしはただ走るだけだ――ってね。

まあ、そんだけのことさ。




白状しますが、本作は根本的に以下の名作をパクっています。(大胆な告白
クソ面白いのでみんな読んで♡

エースウィッチ達に「鬼神」について聞いてみた
https://syosetu.org/novel/243425/


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mission 02

Q.政府や競馬の悪者扱いが過ぎひんか?
A.ここはそういう世界線なんだよ、ロック。だから、この話はここでおしまいなんだ。


場数を踏むたび、あいつの速さが目についた。

ひたすらに速い。

やっかみ混じりに三本脚、なんて呼んでる奴もいた。

並んで走るこっちはいい迷惑だったけど、気がつけば色んな奴があいつを見てた。

出走のたび観客が増えてたなぁ。

普段はレースなんて興味ないような連中まで競バ場に詰めかけてた。

みんなあいつの姿を目に焼き付けようとしてた。

私も――もう少し見ていたかった。

 

■■■

 

函館、衝撃のメイクデビューから札幌で2戦。

本州に進出し、初の舞台となる中山での2連戦。

その全てに勝利し、うち4つがレコード勝ち。

 

圧倒的な戦績を見せつけた『彼女』は、この頃から広く民衆にその名を知られるようになる。

だが、その陰で「三本脚」という呼び名もまた、静かに広がり始めていた。

 

俗に「ウマ娘は四本の脚で走る」という。

言わずと知れた、走行中における腕の重要性を説いた言葉だ。

腕の振りによって生まれる遠心力は、推進力を生み出すと同時に、前傾する身体へのカウンターバランスとして働く。

ウマ娘たちにとって、それは比喩ではなく事実だ。

それも、生死に関わるレベルでの。

身体のコントロールを失えば、彼女たちは時速70kmにも達する速度のまま地面に叩きつけられることになるのだから。

 

『彼女』は、右腕に故障を抱えていたらしい。

 

常にその左腕は包帯に覆われ、走る姿も明らかに怪我を庇う形を取っていた。

それでもなお勝ち続けたことこそが『彼女』の力の凄まじさを物語っている。

だが、それは同時に、時代の負の側面そのものでもあった。

 

――賭博競バ。

 

日本競バ会解体から始まる、農林省による全体管理。

伝統ある遊戯の、節度ある振興活動。

公正な運営主体たる農林省がレース場と運営権を独占し、ウマ娘は賭場に押し込まれ、配当金の行方を決めるための労働(レース)に従事していた。

 

そのような時代にあって、多少の故障など顧みられるべきものとは見なされなかったのだ。

もっとも、当時は人間もまた、多くが同じように扱われていたのだが。

 

■■■

 

56戦20勝。

GⅠでの勝利こそ無いが、出走したレース全てにおいて9割以上の入着率を誇る古豪。

 

ヒロホマレ

 

二度『彼女』とターフに見え、そして敗北した女。

引退した現在は、札幌大学で歴史学の教授を勤めている。

 

――●REC

 

まあ、散々だったわね。

メイクデビューは最下位、そこからも底辺をウロウロして、ようやく勝てたのは5戦目になってから。

その後も中々1着にはなれなかった。

物凄く悔しかったわ。胸を掻きむしりたくなるくらいにはね。

それでも気概まで折れたわけじゃなかった。

いつだって私は本気だったし、重賞だって諦めてなかった。

少しずつだけど実力もついてきて、とうとう8戦目でGⅠに手が届いた。

 

朝日杯フューチュリティステークス。

 

あのときの私は誇りに満ちていた。

家族の応援もあったしね。

これまでに積み上げた全てを叩きつけて勝ってやろう。そう思ってた。

温かいところでぬくぬくしてきた連中になんて、絶対に負けない。

私の成すべきことは、優勝杯を家に持ち帰ること。

弟にも妹にも、そう約束してた。

 

中山のパドックに出て、私は怒りを覚えた。

熱狂している観客達。

連中の視線は大半が同じウマ娘に向けられていた。

それもたった3人。

それが人気ってものだ、と言ってしまえばそれまでなんでしょうけどね。

もちろん、人気が着順を決めるわけじゃない。それは間違いのない事実だった。

でも、始まってみれば……

 

『鋼の脚』と『嵐の女王』――あの二人が序盤から仕掛け合った。

レース全体を暴風のように巻き込んだ超高速の展開。

序盤の定位も中盤の遷移も、そんな小細工なんて何の意味もないと断じるかのような。

だけど、『彼女』は更にその遥か先を走ってた。

大逃げでも破滅逃げでもない。

全てを焼き尽くすような速さ。

戦略が間違ってたとか、策に嵌って掛からされた、とかそういうレベルの話じゃない。

ついていけなかった者は振り落とされ、力尽きて沈む――ただそれだけのこと。

 

結果は7着、惨敗だったわ。

 

悔しくない――と言えば、嘘になってしまうけれど。

ええ、勝てるものなら勝ちたかったわ。ウマ娘なんだもの、当然でしょう?

 

けど、無理だった。

あんな化物たちの棲む世界には、一生かけたって追いつけない。

この世界には、絶対に自分の手には届かないものがあるってことを、否応なく理解させられてしまった。

 

だからってレースに出ることを辞めるわけにはいかなかったわ。

家族の生活がかかっていたんだもの。

だから――まあ、そうね。

以降は『より上を』ではなく『確実に獲れそうな』試合を狙うようになったわ。

 

その後は知っての通りよ。

大抵のレースは入着できるぐらいにはなれたし、その中にはいくつかの重賞レースも含めることができた。

結局、最後まで一着は取れなかったけど。

あの頃まで感じていた、胸を焦がすような感覚はもう感じなかった。

悔しいとか次こそはとか、そんな思いは、あの日の中山で焼き尽くされてたから。

そうされたからこそ、最後まで走り続けられたのかもしれないけれど。

結果として家族の食い扶持を稼げたし、趣味に打ち込んで新しい仕事が手に入ったんだと思えば――あの二人には感謝しておくべきかしら?

 

それが正しかったのかは……今でも分からない。

 

まあどうあれ『彼女』のおかげで、ずいぶん違う人生を歩むことになったわね。

 

■■■

 

ミツハタ

 

中山と東京の2つを主戦場とした栗毛のステイヤー。

長距離の覇者として君臨し、4度のGⅡ、1度のGⅠを勝ち取った重賞ウマ娘。

現在は雇われたバーに居着き、用心棒とマスターの兼業生活を送っている。

 

――●REC

 

思えば、あの日は中山に向かう途中から妙な気がしてた。 

そりゃそうだ。

何しろメイクデビュー以来無敗なんて化物が三人も雁首揃えて出走してたんだからな。

 

実際、パドックの時点で既に、出走者の誰もが連中のことを酷く意識してた。

私もその一人ではあったけどな。

まあ混乱も今だけ、レースが始まればどいつもこいつも落ち着くだろうと思った。

なんせ朝日杯フューチュリティステークスだ。

GⅠってのは、少なくともそれ相応に経験を積んだ奴しか居ないはずだったからな。

 

でもあれを見て冗談かと思ったぜ。

自分の目の故障を疑ったくらいだ。

先頭2人がスタート直後からバカみたいなハイペースで競り合い始めたんだ。

だってのに、更にその先で知らん顔して一人旅を決め込んでる阿呆が居やがる。

おまけに3人共、逆噴射どころか垂れもせずに延々そのペースを維持し続けるときた。

周囲を見ても、皆私と同じ間抜け面を晒してた。

それで分かったよ、ああこりゃあ現実だってな。

レースではたまにああいう奴が現れる。

特異体ってやつだ。

もちろん、その程度のことじゃ勝負を諦める理由にはならない。

私は目を凝らして状況を確認した。

バ場状態、天候――奴らの姿、走り方、残りのスタミナ。

いけると踏んだ。

だが……予想を超えてた。

こっちの目に狂いはなかったんだがな。

 

とは言え、私にも意地ってモンがある。

その後は、連中が出るレースにはことごとく噛み付いてやった。

 

特にあのいけ好かない『嵐の女王』とは派手にやりあったよ。

そうだ。

私とあいつ、適正距離は違った。私はステイヤーで、あいつは……まあ2000メールまでってとこだったな。

だけど、そんなモンは関係ない。どんな条件だろうが、とにかくこいつだけには負けたくねぇ。

そういう相手っているだろ。

 

『奴』はどうだったかって?

 

そうだな。

何を考えてるんだか分からん奴だったよ。

どこか遠くをぼけっと眺めてるような目で、いつも包帯巻いた右腕を擦ってた。

右腕、左膝、右足首。

レースを重ねるほど、包帯が増えてた。

いつだって景気の悪そうな顔色で――その癖、いざ走り始めれば誰も彼も突き放していっちまう。

辛うじて食いつけたのはあいつくらいだが、それでさえ2バ身差まで詰められれば上出来だった。

そんなザマだったからな。

世間はあの二人を……いや、あいつが『奴』に追いつけるのかどうか、ただそれだけを見てた。

おかげでこっちは日陰者さ。

曲がりなりにもGⅠだって獲ったし、本職の2400メートル以上じゃ一度しか負けてねぇってのにな。

ほれみろ、アンタも私のことなんざ何も知らなかったろ。

そういうことだよ。

……まあ、仕方ないとは思ってるよ。

あんな奴らが居たら、その他大勢なんざ何やったって霞むしかねぇ。

 

ずっと先頭で、誰もが注目してて。

あいつらこそがまさに世界の中心って感じだったな。

それなのに、少なくとも『奴』は、そんなことを一度でも気にしたような風がなかった。

誇るでもなく、受け流すでもなく、だ。

 

『奴』には――どんな世界が見えてたんだろうな。

 

■■■

 

『三本脚』と呼ばれたウマ娘。

その凄まじい活躍に心が踊った。

仕事を忘れ、インタビューの合間に集めた資料を読みふけった。

 

――彼女が『三本脚』と呼ばれ始めたこの時期、世間には国営競バに対する批判的なムードが漂い出している。

 

彼女の活躍により、競バ界に流れ込む金の流れは明らかに増大した。

運営者達にしてみれば、我が世の春といったところだろう。

だが、それは同時に世間の耳目がレースを取り巻く制度、そしてそこを走るウマ娘たち――彼女らが置かれた境遇へも向けられることを意味していた。

不満すら抱かせないほどに、当たり前の常識としてそこに在り続けた矛盾。

静かに染み込むように、その構造への疑問が世間へ浸透していく。

だが、組み上げられた強固な構造は、その程度のことで揺らぐようなものでもなかった。

 

古い城塞が、その圧倒的な質量を以て、今後も揺るぎなく在り続けるように。

競バとて……いや、国民の一大娯楽としての地歩を固めつつあった競バなればこそ、その例外ではない。

そうなる筈だった――本来ならば。

 

そう、ここからが隠された真実の歴史。

私はその事実に眼を見張った。



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mission 03

Q.時系列の乱れについてどう思う?
A.ウマムスキー粒子は時空を揺らがせる、それが答えだ。

Q.トンチキが過ぎるのでは?
A.ここは「レースで世界征服を企む悪の秘密組織」に近い世界線なんだよ、ロック。だから、この話はここでおしまいなんだ。



朝日杯フューチュリティステークス。

『彼女』にとっては初の重賞。

 

この時、『彼女』と『嵐の女王』は初めて同じレースを走った。

以降、二人は全てのレースで激突し、激闘を繰り広げることになる。

 

この頃から『彼女』の負傷は常態化し、時と共に癒えるどころか、その数を増やしてすらいた。

出走記録だけを見れば、無理な連闘を重ねていたわけではない。

怪我をしやすい、治りにくい体質だったのだ。

そのような説明で片付ける事も出来るだろう。

実際、そのような傾向にあったことは間違いないはずだ。

 

だが、同時期。

この頃から、新たな噂が囁かれるようになる。

何者かの命に従い闇を走る『傭兵』の噂が。

 

■■■

 

史上初めて地方競バ出身のダービーウマ娘となった、生ける伝説。

だがその裏ではハゲタカとも呼ばれ、当時のレースの暗部にも関わっていた女。

 

ゴールドウィーバー(G o l d W e a v e r)

 

国営競バ解体後は司法取引により訴追を回避。

引退後の現在は小さなバーを開き、時折訪れる客を待ちながら日々を過ごしている。

 

――●REC

 

こんなとこで悪いね。

商売上、昼間は活動外なんだ。

 

当時の私の仕事はエスケープキラーってやつだ。

 

仲間だろうが、どんな事情を抱えた奴だろうが、命令とあらば差し切って置き去りにする。

用心棒みたいなもんさ。

跳ねっ返りがあんまり勝ちすぎて、賭場を荒らさないようにするためのね。

 

ああ、そんな顔しなくても分かってるよ。

私が言ってんのは『表』の話じゃあない。

『峠』の方さ。

 

あの日も出走命令が舞い込んできた。

別に特別なことじゃぁない。

でも、あの日に関してはちょっと違っていた。

目標は調子に乗ったそこらの素人なんかじゃなく、中央きってのトップエースが率いるチームだ。

そしてそいつは、わざわざ混戦状態のレースに殴り込んできやがった。

高額で賭ける大口顧客(ハイローラー)共が観るレースだぜ。

転がり込んでくる配当を考えりゃ、実質的にはルール無用の叩き合いさ。

そんな鉄火場にたったの2騎で殴りこもうってんだから、大概イカれた奴らだったよ。

まあ何でもいいさ。問題はそんなことじゃない。

そのリーダーが『三本脚』――例の化物だったってたことだ。

 

まいったね。

たった二人のチームの癖に暴風みたいな勢いで全員を掛からせやがって、巻き込まれたこっちはたまったもんじゃねぇ。

おかげでコース終盤にはガタガタのガス欠にされちまった。

私一人が辛うじて前の二人の後ろに張り付いてるだけ、このままじゃ普通に千切られて負けるのを待つだけってザマだった。

もしそうなったらこいつらの脚だけでも叩け――そいつが私の飼い主からの命令だった。

こっちの世界じゃ斜行も降着も存在しないんでね。

最後に試す手としちゃ、そう悪くない筈だった。

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最終コーナー。

なけなしの足を振り絞って仕掛けてやった。

そいつが私の運の尽きってやつだったわけさ。

 

私がしてやれる与太話はこれくらいだな。

守秘義務ってやつだ。

ああ、こう見えて契約は守るタイプなのさ。

そいつが長生きの秘訣だからな。

 

■■■

 

公道レース。

 

政府の監視を逃れ、非公式に開催されていた賭博競バ。

『峠』と称される曲がりくねった山岳道路を主戦場として繰り広げられたそれは、当時の常識においてすら出走者達の安全を軽視した危険な競技だった。

その代償として、『表』と呼ばれた国営競バ主催のレースとは比較にならない賞金が出走者には支払われていたという。

多くの記事においては、本来は安全確保のために投じられるべき資金が、そこに回されていただけだと指摘する。

だが、本当にそれだけだろうか。

『表』のレースで国営競バ、そして彼らに連なる者達が手数料(ハウスエッジ)と称して持ち去った額が、どれほどあったのか。

もしそれが出走者達に支払われていたとしたら、果たして非合法の賭博レースなど存在する余地はあったのか。

その点に言及した資料は、奇妙なほどに少ない。

 

『走り屋』と呼ばれ、夜を駆けた彼女ら。

最初から『峠』だけを走っていたもの、或いは地方競バで芽が出ず転向したもの――その出自は一様ではない。

日陰のレース、非合法の地下経済。

当時を知る関係者を辿ることには大変な困難が伴った。

必然、出所不明な裏情報にも手を出さざるを得なかった。

 

これ以降の記述には、証言者の名を伏せた情報が少なからず含まれる。

それが取材時の約束だからであり、或いは事実確認の困難な不確定情報であるからだ。

同時に、細部の多くが想像、あるいはバラバラな挿話の継ぎ接ぎとならざるを得なかったこともここに告白しておく。

一貫性のある記事として繋ぎ合わせるには、『彼女』を巡る記憶や記録は余りに断片的だったのだ。

 

ともあれ――当時密かに開催されていた公道レースには、大きく分けて2種類があったらしい。

個人戦とチーム戦だ。

前者については説明するまでもないだろう。

問題は後者だ。

所謂「地元の馴染みの走り屋たち」を起源として各地で自然発生的に形成された「チーム」は、やがて公道レースの最盛期において『首輪付き(カラード)』と呼ばれる枠組みの中で戦績を競うようになったという。

 

ある日を境に『彼女』は公道レースに姿を表し、個人戦とチーム戦の両方を荒らし始めた。

そう、それはまさに蹂躙と呼ぶに相応しい戦い方だった――らしい。

 

■■■

 

元カラード第9位 チーム『ガルム』2番騎 通称『PJ』

 

――●REC

 

え、名前の由来ですか?

大した理由はないですよ。

あの人の小さい頃の愛称と、これからやろうとしてたことを適当に並べたんです。

そう、「パーフェクト」と「障害競走(J u m p r a c e)」の頭文字をくっつけただけ。

 

さて、それはそれとして、ですね。

ええと、私があの人のチームメイトになったのは……そう、今の言い方で言うなら初等部の頃でした。

我ながらそこそこ才能はあったほうかな、とは思ってます。

ちょっと偉そうですかね、えへへ。

 

あの頃はもうホントに貧乏で、なんとかしてお金を稼がなきゃいけなくて。

トレセン学園に入る学費なんて絶対無理でしたし、子供がやれるアルバイトなんてのは、あの頃でさえありませんでした。

だからまあ、公道レースへの参加は必然でした。少なくとも、私の中では。

あの頃は私も結構尖ってた――っていうかただの生意気な子供だったんですけどね。

それでも自分の速さには自信があって、大抵のウマ娘には負けないって、勝てるって思ってました。

 

ちょうどその時にあの人と出会えたのは、ほんとに運が良かったと思います。

知ってます? 公道レースって、本格的に参加するには試験があるんですよ。

最低限、コースを走りきれる程度の実力はあるのかどうか、既に出走資格を持っているウマ娘の誰かと『峠』を並走するんです。

それがあの人との出会いでした。

 

そりゃもう、凄かったですよ。

こっちが全力全開で必死に走ってるのに、まるで散歩でもしてるみたいに私の斜め後ろにぴったりつけて。

どんなにペースを変えても、ライン取りを変えても、あの人との距離と位置が全然動かないんです。

『峠』ってこんな人たちが走ってるのか、と思って絶望しましたね。

まあ、あの人は試験官として私を観察する必要があったってだけで、それ以外の意図なんて何もなかったわけですけど。

で、走りきって力尽きて道路に転がってた私を見下ろして、あの人はチームを組まないかって言ってきたんです。

 

ああ、別に才能を見込まれたとかそういうんじゃないです。

チーム戦に出走するには最低2人が必要だったから――それだけです。

別に実力なんかどうでもよくて、たまたまそこに私が居たっていうだけ。

ふふ、ごめんなさい。

しかもそれを普通にぶっちゃけてくるんだから、今思い返しても酷すぎて笑っちゃいますよね。

 

もちろん、迷う余地なんてありませんでした。

その場で承諾しましたよ。

私はお金が手に入るなら何でも良かったし、あの人は単純に「勝てる」ウマ娘でしたから。

 

■■■

 

私は今、群馬県のとある山道を訪れている。

 

かつて『峠』の一つとして名を馳せた場所の一つだ。

我が愛車、カブの頑張りのお陰で、ウマ娘ならざる身の私でも彼女らが駆けた光景の幾許かは追体験できる。

(もちろん道交法は遵守している。そこはご安心いただきたい)

 

複数のヘアピン、緩く連続したカーブ、そして直線。

制限速度内で走破する分には全く問題はない。

だが、このコースを生身ひとつで――そして制限速度を遥かに超過した速さで駆け抜けるとしたらどうか。

 

古びたアスファルトには不規則なひび割れがあり、よく見れば小石や小枝、枯れ葉が散らばっている。

わずかに判断を誤っただけで――或いは、誤りなど無くとも簡単に足を取られ、クラッシュしてしまうだろう。

 

通常、公道レースは夕暮れから深夜の時間帯に行われた。

薄闇の中、月と街灯だけを頼りに駆け抜ける走り屋達。

その残滓は今もなおこの山道に刻まれている。

 

例えば、このガードレールだ。

大きく3つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()ができている。

これは事故の痕跡ではない。

 

教えてくれたのは、かつてこの場に立っていたギャラリーの一人だ。

 

■■■

 

当時、一つのコースで同日中に開催される公道レースは――由来は不明だが――最大7試合までだった。

そして『表』のメインレースが11Rであるのに対し、「地下(basement)」のレースである『峠』の場合は、当日最後の第七レース――所謂B7Rがそれとされていた。

 

その峠をホームコースとするチームが外部の挑戦者を迎え討つ、その日最後の大一番。

チームの誇りをかけた絶対防衛戦略領域、B7R。

 

通称『円卓』

 

走り屋たちに与えられた最大の舞台。

そこには上座も下座もない。

条件は皆同じ。

所属もランクも関係ない。

最速の座を巡って、莫大な賞金を狙って、各地のエースが火花を散らす戦場。

『生き残れ』

それが唯一の交戦規定となる、過酷なレース。

 

――そして。

その日の『円卓』は、いつもとは違っていた。

 

迎え撃つホーム側はカラードランク第5位、チーム『ソーサラー』。

1番騎「ベディヴィア(B e d i v e r e)」率いる、総勢4名の精鋭部隊。

設立以来無敗を誇ったランク1位、チーム『ウィザード』の分遣隊として結成された彼女らは、本隊同様に各地の『円卓』を斬り伏せてきた実績を持つ強者達だった。

 

対する挑戦者はチーム『ガルム』

カラードランク第31位、誰一人として故も知らぬ無名のチーム。

メンバーは1番騎「サイファー(C i p h e r)」と2番騎「PJ」のわずか2名。

 

調子に乗った新入りの無謀な挑戦か、或いは単なる記念のつもりで挑んだだけの観光客か。

 

レースの開始と同時に、観衆はその答えを目の当たりにすることとなる。

 

■■■

 

――●REC

 

実際のところ、あの人が何を求めて走っていたのかは分からないままだったんですよね。

だって『表』の方でもあれだけ活躍していたのに、お金が足りなかったなんてありえないじゃないですか。

もしあのときに聞いてたら……教えてもらえたりしたのかな?







▶ 0:00●―――――――――――――――――――――――――――1:20

初見となる。
公道レースに参加し、すべての試合に勝利してほしい。
無論、表のレースについても、だ。
この挑戦は、賭博競バの前提を覆す、明確な叛逆行為だ。
それを理解した上で、私の言葉を聞いてくれ。
上層に居座る主催者達は法の目を逃れて膨大な富を蓄える一方、
少なからざるウマ娘たちは脚を失い、荒廃した余生を強いられている。

賭博競バを維持するために、ウマ娘の犠牲は更に深刻化し、
それは、これから生まれくるウマ娘たちの未来をすら侵食しはじめている。
賭博競バは、矛盾を抱えた収奪装置にすぎない。
このままでは、ウマ娘は活力を失い、諦観の内に壊死するだろう。
これは扇動だが、同時に事実だ。
それをよしとしないのであれば、俺の依頼を受けてはみないか?
勿論、報酬は払おう。
期待して待っている。

ああ、一応次回の連絡用に名乗っておこう。
そうだな……”一文字ハヤテ”とでも呼んでくれ。


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mission 04

Q.ACなのかACなのかはっきりしろ。
A.どっちかというと今回はAC成分強めです。これだけははっきりと真実を伝えたかった。

Q.AC以外も混じってるよね?
A.ウマシャルD概念、ワイトも賛同します。


 

[INTERVIEW FILE01]

[Those who witnessed the beginning of the legend]

 

誘導棒が振り下ろされた(レッドアラート)

 

そのとき俺達はスタート地点の両脇、ガードレール沿いに群がってた。

1番騎を先頭に鋒矢の形に並んだチーム『ソーサラー』、その姿を最高の角度からカメラに収めようとしていたんだ。

 

ああ、相手が誰かなんて意識もしてなかった。

何しろ『ソーサラー』と言えば、常勝無敗の代名詞みたいなもんだったからな。

 

周りの連中も皆、連中がどう勝つかを見に来てただけだった。

1番騎はあの「ベディヴィア」だ。

当時最強のチーム『ウィザード』でNo2を張ってたウマ娘が、直々に選り抜いた面子を率いて走ってる。

ぽっと出のチームなんぞに負ける理由なんてどこにもなかった。

だがその筈は、得体の知れない対戦相手の初手で消えたんだ。

 

蹄鉄がアスファルトを削る音。

気づけば、『ガルム』の1番騎がハナを切ってた。

 

嘘だろ、ってのが正直な感想だったな。

何しろ『ソーサラー』はハナを奪って、後は2番騎以下のメンバーが完全に敵チームを塞ぎ、1番騎が最後まで先頭のまま勝ち切るって展開が常套手段だった。

地力の違いで押さえつけ、後は高練度の連携で封殺する。それで終わりだ。

 

だが、あの日はそうならなかった。

 

力んで後先考えずに飛び出した――って風にはとても見えなかったよ。

当たり前みたいに、そよ風みたいな自然さで奴はアタマに出た。

その時点でとんでもねえっちゃとんでもねえんだが、まあ『ガルム』の1番騎はな……例の『三本脚』だ。

多少はそういうこともあるかもってのは、頭の何処かで思ってたよ。

それより驚いたのは、その後ろで影みたいにぴったりつけてた2番騎のほうだな。

どこからどうみても子供にしか見えねぇようなちっこい小娘だってのに、そいつは顔色ひとつ変えずに1番騎の後ろに貼り付いてた。

 

実際、何もかもが予想外だった。

 

あんまり驚いたんで、その時の写真は取り損ねちまってな。

まったく、惜しいことをしたよ。

 

[INTERVIEW FILE02]

[Those who witnessed the beginning of the legend]

 

《目標を確認した。ソーサラー1より全騎、最大推力で当たれ。帰還を考えるな》

 

どうよ、きっちり録れてるだろ?

かなり機材につぎ込んだからな。

あん? なんだアンタ知らねえのか。

『峠』のチーム戦はな、チームメイト同士は無線機で連絡を取り合うんだよ。

なんせ日が落ちて曲がりくねった山道だからな。

それに、俺達ギャラリーもこいつを使って自分達のセクションの状況を共有し合うのさ。

それがレース全体の実況代わりにもなるってわけだ。

 

名前の呼び方?

ああ、そいつはコールサインって奴だ。

何しろ当時の無線だから、暗号化はできてねぇわけよ。

で、そうなると警察(サツ)もそいつを聞きつけたり録音しやがったりするんでな。

通り名だって出来れば控えた方がいい。

だからまあ、とりあえずチーム名と番号で呼びあっときゃいいだろって話になったのさ。

 

そうだな、有名なレースだったら割と音源も残ってるかもな。

当時はギャラリー側にもチームを組んで「実況屋」を名乗ってる連中が居たからな。

コースの各セクション毎に仲間を配置して、ソイツらが交代でレース全体を実況していくのさ。

 

有名なレースだったり、質のいい音源は結構な高値で取引されてたもんだよ。

俺は自分が観に行った試合は自前で録音したもんだが、そいつが結構いい小遣い稼ぎになってなあ。

そう、その金で他の地方のレースのテープを買い集めたんだ。

ま、この書庫が俺の青春の証ってわけさ。

 

好きなもんを聞いてきゃいい――でも、こいつは違法行為の証拠そのものでもあるからな。

時効っちゃ時効かもしれんが、音源のコピーは止めてくれよ。

あんたには済まねえことだけど。

 

一部だけでも?

いや、アンタな――そりゃ俺だってできることなら……ああもう分かったよ。

切り取るのは名前や場所が出ない部分だけ、録音はそのスマホで間接録音するだけ、聞き取れない箇所があっても文句は無し。

それ以上はダメだ。絶対にだ。

いいな、わかったな?

 

■■■

 

複数のヘアピン、緩く連続したカーブ、そして直線。

全ての要素を兼ね備えたこのコースは、全長約4000メートルのダウンヒルとして使われていた。

スタートの短い直線を過ぎると、まずは2連続のL字カーブ、そして最初のヘアピンが待っている。

 

秋名山と呼ばれたこの山道をカブで辿りながら、私は協力者からコピーさせてもらった音声ファイルの断片を再生した。

その体験と、彼らが語ってくれた体験談を元に『彼女』が繰り広げたレース、その一つの再構成を試みたいと思う。

 

■■■

 

《ガルム1突っ込んだ!ガルム2続く!だがソーサラーも遅れてねぇ!》

 

L字程度のカーブなら、走り屋たちに取ってはほとんど直線と変わりない。

アスファルトを蹴りつける蹄鉄から火花を散らしながら、ウマ娘たちはガードレール越しに立つギャラリーの眼前を、ほとんど減速なしに駆け抜ける。

 

だから実質的に、最初のコーナーはその次だ。

第一ヘアピンカーブ。

『表』のコースではありえない異常要素の一つ。

もし通常の芝やダートにそんなものがあれば、誰一人としてまともに走り抜けることなど出来ないだろう。

だが、『峠』においてその常識は通用しない。

アスファルトという、極めて限定された条件下でのみ存在する技術があるからだ。

 

《スライディングドリフト!? 案外やるぜガルムの連中!》

 

シューズの蹄鉄部分のみで接地しつつ身体を倒し、足にかかる体重を瞬間的に抜くことで()()()()()()()()()()()()

薄闇の中、凄まじい擦過音と火花の煌めきが描き出す急激な旋回角は、『峠』のレースにおける最大の見せ場の一つだった。

足面と路面の角度を完全に固定し続ける足首の強靭さ、そしてなにより荷重とベクトルを完璧に制御し切る体幹の強さが要求される。

 

僅かにでもミスがあれば、その瞬間に全身を投げ出されることになるだろう。

山道のコーナーにおいてその先に待ち構えているのは、崖下だ。

 

だが、走り屋達にとってそんなものはただの前提に過ぎない。

大事なことは、如何に素早く無駄のないコーナーリングを決めるか、ということだ。

 

《ソーサラーも追いついた! 魔術師直伝の多重ドリフトだ!》

 

命知らずの高等技術。

中でも、高い技量で統率されたチームだけが繰り出す多重ドリフトは、ギャラリーを熱狂させる大技の一つだ。

峠の路面に、美しい火花の円弧が咲き乱れる。

最小限にロスを抑えた完璧なライン取り。

そして――

 

《ソーサラー2、4、先行しろ。連中を塞げ》

 

重奏する擦過音が、まるで()()()()()()()()()()()変化する。

 

《オイオイこんな序盤から仕掛け始めんのかよ!?》

《そんだけ相手がヤベェってわけか……おい、誰かチーム『ガルム』のこと知ってる奴居ないか!?》

 

コーナーリング中の隊列変更。

ランク上位のチームでさえ数える程しか成し得ない曲芸じみた絶技。

指示を受け、すり抜けるように隊列の前に出た2騎の背中に、残りの2騎が手を添え――思い切り押し出した。

 

《行け!》

 

射出された勢いのままに、2騎は脚を使うことなく、加速さえしながらコーナー明けを立ち上がった。

先行するチーム『ガルム』の背中がみるみる近づき、容易く射程圏内に収まる。

当然の理屈だ。

だが、誰もが順位の交代を確信した瞬間。

 

《えっと、ガルム2交戦します(E n g a g e)……でしたっけ?》

 

無線越しにひび割れ、なおそれと分かるほどに幼い声が割って入った。

 

[INTERVIEW FILE03]

[Those who witnessed the beginning of the legend]

 

新人……ましてやガキの動きじゃなかった。

 

《クソ――なんで!?》

《どういうことだ! まさかあのガキ――ウチらを()()()()()()()()()()()()!?》

 

2騎同時に仕掛けるってもな、どうしたって微妙な前後差は出るもんさ。

ガルム2はな、恐らく先に仕掛けようとしたソーサラー2の進路を一瞬早くブロックしたんだ。

そいつを避けようとしたソーサラー2が、ソーサラー3の進路をブロックするようにな。

ドミノ倒しみたいなもんだと言っちまうのは簡単だが、それができるなら苦労はねぇ。

 

流石に今の時代となっちゃ、中央の一流どころの連中ならそれぐらいはやれちまうかもしれんがな。

だがまあ、逆に言えばだ。

あの時代で、地下のレースで、あのガキはそれをやってのけたのさ。

恐らくまともなトレーナーもついてない、それどころかトレーニングの積み上げすら碌に始まってもないような歳でな。

 

あの頃だと、公道レースでのし上がってくるような奴は大抵『表』の中央でも走ってる場合が多かった。

ガルム1――「サイファー」だってそうだったろ。

申し訳程度に服装は変えてたが、あの走り方であいつが例の『三本脚』だって気付けないようなボンクラはいやしねぇ。

分かったからって、そいつを口に出すのは野暮ってモンだったがな。

だが、あのガキは違った。

結局最後まで一度も『表』じゃ見かけねぇままだったな。

 

まあ、よくある話っちゃよくある話だよ、あの頃は特に。

『峠』で頭角を表して、そのまま消えていくなんてことはな。

だが、強い奴がそうなっちまうのはなんていうか……やっぱ、惜しかったよな。

 

『峠』は『峠』――『表』とは別の世界だ。

そんで、『表』で強ぇ奴らは大抵の場合『峠』でも強ぇのさ。

プロとアマの地力の違いって奴なんだろう。

 

でもな、こっちで育った連中の実力だって、中央で走ってる奴らに負けちゃいねえんだ。

そのことを『表』に叩きつけて欲しい、世の中に見せつけてやって欲しいって気持ちも、やっぱどっかにあるんだよ。

 

まあ、ギャラリーのつまらん未練ってやつさ。

 

■■■

 

――●REC

 

さあ、どうなんでしょう。

私は『峠』しか知らないので、普通のレースと比べたらどう、とかわからないんですよね。

学校は全部公立で済ませてたんで、トレセン学園なんて見学すら行ったこと無いですし。

結局『峠』の方だって、最初から最後まであの人の言うとおりに走ってただけです。

走り方の内容ですか?

事前にいくつかの動き方を教えてもらって、あとはレース中の指示に応じてそれをやるだけでいいって言われてました。

えっと、確か……そうそう。

攻撃(アタック)防御(ブロック)離脱(イジェクト)特殊併走(スペシャル・アブレスト)

この4つだけです。

基本的に防御(ブロック)以外の指示は無かったから、大抵の場合はずっと後ろにくっついて、その指示を待ってるだけでしたけど。

まあ考えることが少なくて、楽といえば楽でした。

体力的にはすっごいキツかったですけどね。

いえ、別に相手チームとの競り合いがどうとかじゃなくて。

単純にあの人のペースについてくのがってことです。

一応あの人としては私が着いていけるギリギリの速度まで落としてたらしいですけどね。

もう、信じられないくらい速いんですよ。さすが中央の一流どころは違いますよね。

着いていくだけで大半のチームは千切れちゃうんですから、やっぱり本物は違うなって思いました。

それに比べたら私がやってた防御(ブロック)なんて、あの人の指示に従ってちょっと左右にライン振って、後続の相手チームにフェイントかけるくらいのことでしたし。

真っ当な競争ウマ娘が見たら鼻で笑っちゃうような代物だったと思いますよ、きっと。

 

だからある意味では、私がもらった賞金は全部あの人のおこぼれみたいなものです。

とは言え非合法な仕事ではあったから、何度か危ない場面もありましたけどね。

いざとなったら自分の判断でレースから離脱していいって、あの人からは言ってもらってました。

それに走り始める前にも、命に関わるような怪我だけはしないってティナとも約束して――

あっ。

ごめんなさい、名前出しちゃダメなんでした。

今の無しで。





「賭博競バによるウマ娘の搾取、その資金が流れ込む先への疑惑。怪文書(ゴシップ)による世論の誘導、か。やりすぎだな、駿川」
「よく言う。誰が手間を掛けさせたのか」
「すまんな、完璧主義者なんだ」
「……まあいい。これでやっと最初に戻ったんだ。時期もある、プランUを開始しよう」
「そのことだが……少しだけ待てないか?」
「例の『三本脚』か」
「ああ。速いだけの阿呆でもないようだ。既に声はかけてある。後は向こうの判断と――結果次第だな」


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mission 05


Q.ウーマード・コア for answer、ウィン・D・ファンションを演じるとしたら?
A.エアグルーヴ一択

Q.セレン・ヘイズを演じるとしたら?
A.エアグルーヴ一択

Q.ジュリアス・エメリーを演じるとしたら?
A.お前は何度同じ質問を繰り返すつもりなんだ

Q.ヴァオーは?
A.チケゾーが何だって?


幾つかのコーナー、ヘアピンを過ぎて、コースは既に半ばを消化している。

だがいまだに『ソーサラー』のメンバーは誰一人としてガルム2を抜くことが出来ずにいた。

 

《くそ……あの2番騎、やる!》

 

原因は単純、ガルム2のブロックが想定外に硬かったからだ。

まるで背中に目でもついているかのように、かわそうとする動き全ての機先を奪われ、進路を塞がれている。

 

《マジかよ……このまま勝っちまうのか? 新参の無名チームが!?》

《いや、だが見ろ! 差は確実に詰まってる!》

 

ギャラリーの指摘は正しかった筈だ。

 

メンバー全員が同時に走るチーム戦には、駅伝のようなリレー戦や通常の個人戦とは決定的に違う要素がある。

チームメンバーに「役割」がある、ということだ。

序盤から中盤にかけて敵チームとの競り合いを担うスプリンター、或いはクライマー。

一般的にはチームの1番騎と2番騎がこれを担う。

彼らが前衛、或いは先鋒として叩き合い、お互いの体力を削る。

勝った方は敵チームのそれを抜き去り、残った体力の全てをつぎ込んで本丸となる2名への競り合いを仕掛ける。

勝負を決めるのは、後ろに控えていた残りの2名だ。

アシスト――主に総合力に優れた3番騎が担当する――が風よけとペースメーカーを兼ね、その背に引くのだ。

チームの要、誰よりも速くゴールラインを踏み越える1番騎――エースを。

 

《頃合いだ。仕掛けるぞ》

 

レースの開始からチーム『ガルム』の後塵を拝し続けたチーム『ソーサラー』は、2番騎、4番騎が常にアタックを仕掛け続けた。

ガルム2の――いかに化け物じみているとは言え年相応の――体力はその分削られ続けていただろう。

そしてその推測は正しかった。

 

《……ここまでかなぁ》

《ごめんなさい。ガルム2、離脱(イジェクト)します》

 

順位が入れ替わる。

いや、ガルム1(サイファー)を守っていた唯一の盾が落ちたのだ。

 

これまで常に先頭を走り続けてきたガルム1(サイファー)は、真正面から風の抵抗に体力を奪われる一方だった筈だ。

3番騎を風よけにして脚を溜め続けたソーサラー1(ベディヴィア)とは違って。

 

《ソーサラー1、上がってきた!》

《すげぇ加速だ……この追い込み、ランク1にだって負けてねぇ!》

 

『ソーサラー』はこれまで先頭を譲り続けてきた。

それは常にハナを取り蓋をかぶせ続けることで敵の心を折る、彼女らのスタイルとは違う展開だったことは間違いない。

だが、それは彼女らの劣勢を意味しない。

単に、王道の戦略に立ち戻った、ということに過ぎないからだ。

ガルム1(サイファー)が慮外のスピードとコーナーリングの技術を持ち合わせていることは事実だ。

だが、このコースにおいて地の利は『ソーサラー』にある。

 

コース終盤に控えた2連続ヘアピンの第一。

ガルム1(サイファー)は僅かに外へラインを膨らませ、ドリフトを開始。

これまでに倍する凄まじい擦過音と共に、火花で()()()()()が描かれた。

 

かつて走り屋達は、グローブを「第二の靴」としてレースに臨んだという。

耐摩耗性に優れた特殊強化繊維の生地で編まれたそれには手袋としての柔軟性など無いに等しく、そして掌の側には多数の頑丈な丸頭鋲が打ち付けられている。

 

スライディングドリフトは極端なまでに身体を内側に倒してバンク角を確保する高等技術だ。

だが序盤とは違い、十分に速度が乗り切った最高速で中盤以降のカーブを曲がり切るには、それだけでは足りない。

ではどうするか。

答えは単純、地面に片手を付けて滑ることで、更に深いバンク角を取るのだ。

一見安定性は高まるようだが、その危険性は単純なスライディングドリフトの比ではない。

速度差も加味すれば、アスファルトの路面は最大出力の回転鑢(ベルトサンダー)に等しいからだ。

だというのに、走者はそこに限界を超えて身体を寄せ、接地した手には体重を預けさえする。

 

そして、ソーサラー1(ベディヴィア)はそこで仕掛けた。

 

《満たしてくれるはずだ、貴様なら……!》

 

ガルム1(サイファー)が僅かに膨らませたラインの更にイン側へと突っ込んでいく。

本来ならば曲がりきれる筈のない速度と進路。

ややオーバースピード気味に進入した次の瞬間、ギャラリーがどっと沸き立った。

 

《出たぁッ! 溝落とし!》

《最ッ高に痺れるぜ! こいつが見たくて秋名に通ってんだ!》

 

コーナー内側に掘られた無蓋の側溝。

ソーサラー1(ベディヴィア)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

コースを知り尽くし、技倆の粋を極めた者だけが成し得る狂気の技。

 

遂に順位が入れ替わる。

その瞬間、2人は視線を交わしただろうか。

 

■■■

 

――●REC

 

私、あの人が笑ったところって一回も見たこと無いんですよ。

怒ったところも泣いてるところも見たこと無いです。

そんなにべったり仲良くってタイプじゃなかったのかなって思います。

と言っても、私は最後まであの人の背中を追いかけることで精一杯だったから、どんな顔してたかなんてわからないですけどね。

 

悔しいとか勝ちたいとか、そういうのってあの人の中にあったのかな。

 

■■■

 

つづら折りの僅かな直線。

両者とも体勢を立て直したときには、既に前後は完全に逆転していた。

 

《さっすがソーサラー隊一番騎! そのままぶちかませッ!》

《次のヘアピンで最後だ! 後は単純なストレート、どう足掻いても差し返す余地はねぇ! こいつは決まった……!》

 

最後のヘアピンに向け、ソーサラー1(ベディヴィア)は僅かに速度を落としつつ、再びインに寄せていった。

当然、2度めの「溝落とし」で更に突き放すつもりだったろう。

勝利を確信してもいたはずだ。

 

コーナーが始まる直前に自分のアウト側をすり抜けていく影の存在など、想像の埒外だったに違いない。

 

譲り受けた録音にも、その瞬間はギャラリーの息を呑む音しか残されていない。

ムキになって掛かりすぎたか、脚の制御を失ったか。

完全なオーバースピード。

谷底への転落。

死の予感。

 

悲鳴のような蹄鉄の擦過音。

だがその直後、銃の3点バーストじみた凄まじい金属音が炸裂する。

 

その結果が、いま私が見下ろしているガードレールだ。

ヘアピンカーブの外周を覆うそれには、()()()()()()()()ひとつずつ、合計3つの凹みが刻まれている。

観戦していた当事者達からその話を聞き、紛れもない痕跡を目の当たりにしてさえ、私にはそれを理解することができない。

いや、頭では分かっているのだ。

 

《バカな……あんなの、もうコーナーリングですらねぇ》

 

ギャラリーの誰かが呟いた言葉は正しい。

 

ガードレールを使った()()()()()()()()()

 

信じがたい事にガルム1(サイファー)は、ガードレールを足場として蹴りつけることで、強引に方向転換を果たしたのだ。

ソーサラー1(ベディヴィア)をオーバーテイクしての進入であったのなら、減速などあって無いような速度だったはずだ。

一歩ごとに発生した反動は、10メートル以上の高さから落下したに等しいものであったろう。

それはもうコーナーリングではなく「自身というボールを、壁に激突させて横向きに弾かせた」と表現する方が近い暴挙だ。

超人的な身体能力を誇るウマ娘としてすら神がかった豪脚と言う他にない。

その結果として齎されるのは、ほとんど加速さえしたのではないかと思うほどの脱出速度。

 

最終直線など、もはや単なる消化試合に過ぎなかった。

 

《嘘だろ……『ソーサラー』が……あの「ベディヴィア」が……》

《お……おい、ゴール前! 状況どうなってる!》

《はは……何バ身差とかそういうレベルじゃねぇ。……大差だよ! 大差でチーム『ガルム』の圧勝だッ!》

 

■■■

 

同時期、中山。

『彼女』は選抜ハンデキャップに出走する。

 

戦術は単調ささえ漂う、相変わらずの大逃げ一択。

だがその結果はと言えば、スタート直後から競り掛けてきたトラックオーを返り討ちに磨り潰し、二度目の激突となる『嵐の女王』にすら3バ身半差を付けてのレコードタイムだった。

 

もはや世間は『彼女』の勝利になど興味はなかったろう。

いや、この言い方では語弊がある。

 

勝利など前提に過ぎなかったのだ。

次にどのレースに出走し、そのレコードを何秒塗り替えるのか。

『彼女』への期待とは、つまりそのようなものだった。

 

それと時を同じくして、時代の潮流は新たなうねりを見せていた。

経済の成長――或いは回復――に伴う、法制度の厳格化である。

良かれ悪しかれこの国を翻弄していた混乱は、一方で急激な発展と成長を遂げる起爆剤の役割も果たしていた。

それらが一段落を迎えつつあった時に起きたこの動きは、一般的には近代国家としてのさらなる発展を遂げるための下準備である、と説明されることが多い。

一方で、少しばかり辛辣な見方として、このような表現もある。

懐と腹が膨れたお陰で、綺麗事を謳う心地よさを思い出しただけの話だろう、と。

 

それが正鵠を射ているのかどうか、私には分からない。

だが、この頃から世間を賑わせるニュースに大企業、或いは政府の不祥事を報じる記事が増加傾向にあったことは間違いない。

 

国営競バもまた、その潮流から逃れることは出来なかった。

 

『彼女』はそれを、どう見ていたのだろうか。

 

■■■

 

『鋼の脚』トラックオー(T r u c k Ō)

 

――●REC

 

競争ウマ娘ってのは、折れたら終わりなんだ。

脚の話を言ってんじゃない。

心が、ってことさ。

ただね、単純に負けてそうなるってことは、実は案外と無いもんだ。

ドンケツになっちまったって、そりゃ単に自分の未熟ってだけだ。

そんなときは尻尾巻いて地元に帰って、ひたすら練習に打ち込むだけのことさ。

 

問題は着順が悪くなかった時だ。

例えば、大差負けの2着になったときとかね。

調子は悪くなかった。

他の面子とは五角以上に戦えてる。

だってのに、そんなモンはガキの遊びだとでも言うみたいに、1着からは果てしなく遠く、突き放されるんだ。

おまけに何度挑んでも結果は同じときたらね。

そういうときは最悪だ。

今まで積み上げてきた自信とかプライドってもんが木っ端微塵に飛び散って、あとかたもなく燃やされちまう。

 

実際、あたしもそうなりかけた。

レースに出るたびに、たとえ『奴』とかち合ってなくても、その影がチラつくんだ。

1着が取れたからなんだ、どうせアイツが出てたら負けてただろってね。

 

そりゃあ怖いさ。

でも、レースから離れることはできなかった。

振り払おうと思って、目に付いたレースは片っ端からひたすら出走し続けた。

最初はそれだけで必死だったけど、途中からはなんとか気持ちの整理もついた。

 

結局、あたしは走ることからは離れられない、離れたくなかったんだって気付いたのさ。

全力で走って競り合って、勝ったり負けたりするのが好きなんだ。

あそこでは生きている証が得られるからね。

 

あたしは退役したが、今もターフを走ってる。

だけど寂しいんだ、広すぎて。

またアイツと走りたいもんだ。

 

――あんなことにならなけりゃ、その機会もあったんだろうがね。

 





「新参の走り屋が、『ソーサラー』を…?」
「はい。間違いありません、議員。カラードは情報の精度を確認しています」
「ふん……仮にも重賞ウマ娘、本来そういうものだろう」
「だといいがな。それで、()()()()()()についてはどうなっている?堂々とランク上位を狙われ、あっさり敗北、打つ手無しなど 『峠』の存在意義が問われるだろう」
「その通りだ。賭場の秩序(ルール)を守れないのであれば、静かに退場してもらう他はない。それが政府の使い走りであれ、競バ倶楽部あたりの亡霊であれ、な……」


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