勇者は従者を追放したい (ちぇんそー娘)
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超高度追放頭脳戦

追放モノです。






「アンタをこのパーティから追放する!」

 

 

 耳が痛くなるほどの甲高い叫び声が響き渡り、俺にとってのギロチンの刃が落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王が現れた、なんて聞いたのは確か10年とちょっと前の話だったか。

 

 御伽噺の勇者に倒される悪役……ではなく、正確には魔獣の中でも特別強力な個体の通称であり、そいつがいるだけで本来はあまり群れない性質の魔獣が強さに従って集団行動を始めるヤベー奴。

 

 だが、人類とてただ滅ぼされるだけではない。古の女神様とやらのお告げに従って各地から才能のある若者を集め『祝福』を授かり、そいつらに魔王を倒してもらおうと考えた。

 そんな訳で今の世の中は色んな国からかつて御伽噺で魔王を倒した『勇者』になる為に魔王を倒すべく祝福を授かった者達が頑張っている訳だが、それはそれ。

 

 

 要は結構危ない世の中。

 昨日あった街が一夜で消えてしまうかもしれないこんな世の中で、一番安全な職業は本末転倒かもしれないが、戦うこと。戦って強くなって身を守る……つまり未来の勇者候補と共に魔王を倒す旅に出ること、という訳は無いかもしれないが、まぁそこはなんだかんだ、男の子なので英雄に憧れて志願した。

 

 ぶっちゃけ腕には自信はない。

 生まれた時から神様に祝福してもらっているやつや、後天的な祝福を貰えた勇者やら、才能のあるやつと比べれば俺は本当に弱い。

 それでも俺なりに頑張ってきた。まぁ努力が足りないと言われればそれまでだが、少なくとも自分ではそこそこ頑張ったと言えるくらいには努力したつもりなのだが……。

 

 

 

「えっと、一応なんでそんなことするか聞いてもいいか?」

 

「はぁ? アンタにそんな権利あると思ってるの?」

 

 

 

 目の前で何故かブチギレている少女はこちらの話に聞く耳も持とうとせず、剣の鞘を指で一定のリズムで叩いていた。

 少女の名前はリスカ。19歳という若さと辺境出身で学もないという欠点をものともせず、祝福を授かり破竹の勢いで次々と魔獣をなます切りにしている期待の『勇者』の一人だ。

 

 やけに詳しく説明できるのはなんてことは無い、単に俺が彼女とは幼い頃からの付き合い……所謂幼馴染という理由だけだ。指で一定のリズムで何かを叩くくせも、彼女が苛立ちを抑えようとしている時の仕草という事も当然知っている。

 

 

 そして、正直言って性格がちょっぴりキツいということも。

 

「まぁ教えてあげるわよ。私優しいから」

 

「うん。リスカが優しいのは知ってるから教えてくれ。ほら、昔も俺が怪我した時とか手当してくれたしホント優しいよなお前」

 

「……じゃあ仕方ないわね。私は優しいから教えてあげるわ! もうめちゃくちゃ教えてあげるわ!」

 

 あと1人にするのが心配なくらいチョロい。

 何はともあれ、突然俺の事を追放とか言い出した理由を話してくれるようで、安物の椅子にふんぞり返りながら鞘を叩いてた指でおもむろに綺麗な赤髪を弄り始めた。

 

「アンタ、はっきり言って役立たずじゃない。だからクビよクビ。私達は魔王を倒す為に頑張ってるのよ? アンタみたいな弱いのがいると邪魔なのよ」

 

「そんな……」

 

 確かに俺はリスカと比べれば弱い。

 祝福を授かってる事を踏まえても、何をしたってリスカに勝てた試しはない。それは幼い頃からの付き合いでよくわかっている。

 でも、それでも俺は俺なりに頑張って来たというのに……。

 

「もうちょっと、具体的にどこら辺が役に立たないか教えてくれ」

 

「は? アンタもしかしてマゾヒストなの?」

 

「断じて違う。ただ、ダメなところは直したいと思うのは当然だろ?」

 

「別にもう追放は決定してるんだから遅いわよ?」

 

「そこをなんとか、強くて優しいリスカのご教示を願いたい」

 

「……しっかたないわね! じゃあ教えてあげるわ!」

 

 ホント俺なしでこれから先誰にも騙されずに生きていけるのか心配になるチョロさを発揮したリスカは鼻歌を歌いながら立ち上がり、荷物の中から分厚い紙の束を取り出した。確か、「いつか私の英雄譚が作られるときのために輝かしい記録を付けておきたい」とか言って買った紙の束だっただろう。

 

 

「じゃあアンタの欠点をあげてくわね。まず弱い。ホントどうしようもなく弱い。一応役割的には斥候だし、偵察は問題なく行えてるけど本当に弱い。見つかったら逃げ足も遅いから毎回人質にされたり殺されかけるし、弓矢使ってるけどクソみたいな狙いのせいでかすりもしない。そして本当に弱い。神官で戒律として刃物の類の装備が出来ないホシより弱いとかもう居てもらわない方がいい気がするのよね。ホシだって魔力に限りがあるし、勝手に怪我されるといつか本当に死ぬかもしれないし。あと、低級の魔獣にタイマンで勝てないくらい弱いのをどうにかして欲しいわね。ここから先になると魔族の数も質も上がるし、魔族に満たない魔獣程度なら確実に1人で倒せるくらいが戦闘の最低スタートラインよ。そしてこれが一番でかいんだけど、斥候ぶっちゃけ要らないのよね。私、祝福で視力強化されてるしホシが魂感知で敵の居場所知れるし、アンタ割と鈍いからギロンの直感の方が頼りになる時すらあるし。そもそも弱いアンタに斥候任せたら野良魔獣に襲われて殺される可能性あるじゃない? 危険すぎるし、何よりそれで怪我されて回復させるのもタダじゃないし、回復節約したらお荷物背負って動くことになるし、そんなんでやってけるほど甘い戦いじゃないと思うのよこの先。あとは……」

 

 

「あ、ハイ。すいませんちょっとストップ」

 

「ん、何よ。まだ1ページも読み終わってないのに。あと16ページあるわよ」

 

 マジかよ。

 この文量をあと16ページは俺のメンタルが持つ気がしない。

 はっきり言って楽観視していました。リスカが性格がキツイのも、キレやすいのも知っていたのでいつもの癇癪かと思っていたが、まさか俺への文句だけで16ページみっちりと、文を書くのが嫌いでだいたい日記も「魔物を倒しました」か「強めの魔族を倒しました」しか書かないこんなものを参考にしても英雄譚なんて生まれないだろという日記しか書かないリスカが、こんなに文字を書いちゃうなんて感動しちゃうレベルだよ。

 

 まぁ実際はメンタルダメージの方で泣きそうだけれど。

 全部事実なだけあって余計辛い。確かに俺は斥候のくせに探知能力がこのパーティで最低だし、斥候のくせに1人で動かしたら死ぬかもしれないからと基本的に単独行動させて貰えないし、後衛でサポート担当の神官のホシに傷一つ付けられないくらい体術も弱いが、事実だからって言っていいことと悪いことがあるだろう。ちなみにこれは言っていいことだ。

 

「いや、もういいよ……これ以上聞いたら追放される前に死ぬから」

 

「じゃあやめるけど……とりあえずちょっと気がついたこと言っていい?」

 

「いいけど、俺が傷つく可能性のある言葉は出来れば言わないで欲しい」

 

「じゃあ言うけど、なんで私達今までアンタを追放しなかったんだろう」

 

「アーッ! やっぱ言うな! 言っちゃダメな事実だよそれは!」

 

 

 冷静に考えたらあまりにも当然の帰結だった。

 俺の存在そのものがどう考えてもこのパーティのお荷物、足でまとい、汚点だと言うのになんで追放されないと思えていたのだろうか? 

 リスカも性格はキツイけどなんだかんだ良い奴だし、ホシも俺がミスしてもフォローしてくれるし、ギロンも俺が失敗したところは鍛錬にいつも付き合ってくれたし、スーイも魔術の使い方とか何度聞いても嫌がらず丁寧に教えてくれたから甘えていたが、冷静に考えれば今まで追放されなかったのが奇跡なくらい俺はダメなやつだった。

 

 もうダメだ。死にたい。

 こんな人材がいては本当にいつかリスカが英雄譚で語られる英雄になった時に汚点となってしまう。彼女の輝かしい英雄譚にこんなクソザコナメクジはいらないだろう。

 

 

「ごめんなリスカ……本当に今まで迷惑をかけた」

 

「分かればいいのよ分かれば。まぁ、自分の弱さがわかったならさっさと荷物を纏めて……」

 

「わかっている。荷物を纏めて今すぐにでも故郷に帰るよ」

 

 

 いつまでも長々と皆に迷惑をかけるわけにはいかない。

 下手すれば俺が皆に与える精神的ストレスで本調子になれず、このパーティから死人を出すことになってしまう。

 

「え、いや、ちょっと待って」

 

「あ、そうだ。リスカ、なんか両親に伝えたいこととかあるか? おばさん達、お前が本当に勇者なんてやれてるのかきっと心配していると思うぞ?」

 

「待ちなさいよ! なんでそんなすぐに出ていくのよ!」

 

 突然何故か引き止めモードに入ってきたリスカは、顔を真っ赤にしながら俺の関節を的確に固めて動きを封じてきやがった。

 残念ながら武術の心得でも純粋なパワーでも勝てない俺はがっちり固められ、動くことが出来ない。

 

「なんでって、追放するとか言い出したのはお前だろ?」

 

「そうだけど……そうだけど! もうちょっと粘りなさいよ! アンタの魔王討伐への意気込みはそんなもんなの!?」

 

 そう言われると思い留まりそうになる。

 確かに、俺は故郷を魔族によって滅ぼされ、同じような被害者を出さないためにも、あともうちょっと色々理由があるがとにかく魔族による被害を食い止めるために志願した。

 しかし、俺の目的はあくまで自分で魔王を倒すことではなく魔族から他の人々を守ることだ。それが最もできるのは俺なんかではなくリスカなのだから、足を引っ張る俺は俺に出来ることをするべき。とりあえずまずはこのパーティのお荷物にならないように抜けるのが一番だろう。

 

「世話になったなリスカ。お前なら絶対魔王を倒せる。応援しているぞ」

 

「え、えへへ……まぁ私強いから当然だけど。……じゃなくて! 諦めんなよそんな簡単に! あっさり追放されていいの!?」

 

「いいよ」

 

「よくないでしょ! 追放よ!? 屈辱でしょ!? もっとお得意のねちっこさを見せなさいよ〜!」

 

 さっさと荷物を纏めたいのだが、リスカにがっちり関節を決められてしまってもはや身動きすることすら出来なくなってしまっていた。

 昔から感情の振れ幅が大きいやつだとは思っていたが、今日は一段と訳が分からない。俺を追放したいのか、追放したくないのかハッキリして欲しい。まぁリスカがなんと言おうと、彼女の足を引っ張らないためにも俺はパーティを出ていくつもりではあるが。

 

 

 

 

「お待ちなさいリスカ。神が言ってるわ。彼を追放してはダメよ」

 

 

 

 

 寝技に持ち込まれいよいよ気道を絞められそうになる直前、鍵をかけていたはずのリスカの個室の扉を何食わぬ顔で開けて乱入してきたのは、我らがパーティの補助の要にして、索敵と回復を担当する、俺の完全上位互換である神官のホシであった。

 

「もう一度言うけれど、彼を追放してはダメよ」

 

「どちらかと言うとリスカは追放を止めようとしてるんだよな。追放言い出したのもリスカだけど」

 

 もう俺は自分が追放されそうになってるのか引き止められているのかいまいち立場が分からなくなってきてる。

 

「何よ! どう考えたってコイツはパーティの足を引っ張ってるでしょ? 追放よ追放!」

 

「あ、じゃあ出て行くんで離してください」

 

「簡単に諦めんじゃないわよ!」

 

 

 錯乱してんなコイツ。

 

 

「リスカ。神が言ってるわ。パーティに必要なのは戦力だけじゃないわ。ぶっちゃけちゃうと彼が居なくなると私達のご飯の彩りが悲惨なことになるわよ」

 

「はぁ? そんなもん私が作ればいいじゃない」

 

「…………」

 

「ちょっと、なんで黙ってんのよ。私の目を見なさいよ、目を」

 

 

 リスカは大抵の事は器用にこなすが、掃除洗濯料理等の日常生活で必要な事は壊滅的、特に料理は味覚がおかしいのか知らないがおおよそ包丁というものを持ったことがないかのような潰された物体に、最悪に近い味付けを行い、味覚がまともな俺達では食べることすら難しい物質を生成しやがる。

 

「私は戒律で刃物が持てないし、ギロンもスーイも料理なんて無理よ。私の日々の癒しは彼が作る料理だけなんだから、彼が居なくなったら死ぬわね」

 

「料理くらいで何言ってんのよ。食えればみんな一緒でしょ?」

 

「うっわ。同じ女とは思えない発言ですよ。アレ勇者っていうか蛮族じゃないんですか?」

 

「あ? 叩き斬るぞ顔面アンデッドが」

 

 仲間に対するモノとは思えない罵倒が飛び出したりもしたが、ホシの包帯で覆われていて見えない目元は何故か少しだけ笑っているようにも見えた。

 なんだろう。ホシって実は罵倒で喜ぶタイプの人間なのだろうか? 

 

「とにかく、リスカがなんと言おうと彼は追放なんてさせませんよ。彼が追放されたら、私が死にます。そして神が言ってるわ。私が死んだらもうこのパーティは私に依存しているのでおしまいです」

 

「あ? なんなら私がここで殺してやろうか? アンタがいなくても私達はやってけるって教えてやるよ」

 

 まずい。非常にまずい。リスカのやつ遂に剣を抜きやがった。

 リスカは神より祝福を授かった『勇者』であり、彼女が持つ『祝福』はとにかくやばい。具体的に言うと、剣を振るっただけでこの宿を使い物にならなくしてしまえるくらいにやばい。

 

「ふーん、やれるもんならやってみてくださいよ。剣なんて野蛮な武器は神への祈り(メイスによる殴打)に通じないことを教えてあげますから」

 

 そしてホシもメイスを構えて臨戦態勢に入る。

 やばいやばい。この2人が本気で殴り合えば、確実にこの宿は消し飛ぶ。勇者パーティどころかどっちかって言うと魔族みてぇなことをやっちまうことになる。

 

 そんなことを考えていると、ホシがこちらに目線を向け、ウィンクをする。それと同時に脳に直接文字が書き込まれるかのような不快感が走り、ホシの声が頭の内側から響いてくる。

 

 

『この人頭悪いので怒るとチョロくなります。なのでいい感じに誘導してね☆』

 

 

 コイツ本当に神に仕えてる身分の人間なのかなぁ、と思ってしまう口の悪さと悪辣さを持つ我らが神官様は、神から祝福を授かった超人を俺程度で誘導してみせろという無茶振りをお渡しになりやがった。

 

 まぁやらないと下手すれば巻き込まれて死ぬのでやるけれど。

 

 

「えっと、リスカさーん……?」

 

「何? ちょっと黙ってて。あの脳ミソアンデッド女を殺すから」

 

 

 ちょっと睨まれただけで喉が引き攣る。

 本当に、剣を抜いたリスカは同い年の女の子とは思えないくらい恐ろしくて、俺なんかでもその強さがわかる。

 でもここで説得しないと世界の前に罪の無い宿屋が滅ぼされることになる。これくらい出来なければ、世界を救うなんて夢のまた夢だ。

 

「リスカ」

 

「だから何? アンタもそこ突っ立ってんならぶった斬るわよ」

 

「リスカは凄いよなぁ」

 

「……は? 急に何? 気持ち悪いんだけど」

 

「だってまだ19歳なのに剣技でも認められ、最も魔王の首に近い勇者だなんて言われてるし、それでも毎日鍛錬を怠らないし、本当にすごいなって」

 

「突然何! 気持ち悪いんだけど!?」

 

「小さい時からお前を見てるけど、どんな時だってずっと努力し続けてきたお前を見てると、俺も負けてられないなって、なにかしなくちゃなって思うんだよ」

 

「……そ、そう? 私ってそんなにすごい?」

 

「ああ。お前が努力してる姿を見ると、どうしてもお前を手伝いたくなっちまう。そういう魅力みたいなのがお前にはあると思うんだ。パーティの他のみんなもそういうところに惹かれたんだと思う。そうだよな、ホシ?」

 

「その通りだと神も言っています」

 

「──────そ、そんなこと言われちゃっても別にな〜? 別に? なんとも思ってないけど? でもちょうど剣抜いちゃったし、外で鍛錬してこようかな〜! あ、アンタは私が帰ってきた時のために美味しい料理でも作ってなさい! それじゃ!」

 

 

 鼻歌を歌いながら、リスカは部屋を出てどこかへと去っていった。

 

 …………うん。

 その、なんだ。

 

 

「いやぁ、見事な嘘ですねぇ。さすが我がパーティの弁論担当」

 

「魔術も殆ど扱えない学のない俺が弁論担当ならとっくの昔にこのパーティは全滅してるだろ」

 

 別に嘘でも無いし、俺がこうして魔王討伐の旅に立候補したのだって、アイツに負けてられないという面が大きいのだが、それはそれとしてだ。

 

 

 

「…………アイツちょろ過ぎない?」

 

「今更ですか? リスカは貴方がいないと盗賊に煽てられて持ち物全てを差し出しかねない超ド級*1のクソバカクソアホクソちょろ女ですよ? 分かります? 貴方がいないと私達は主戦力があのザマになって終わりなんです」

 

 

 

 リスカがチョロいのは知ってたけどここまでだったかぁ……。傍から見てても別に大丈夫そうだったけど、ここまでだと確かに心配だ。ちゃんと俺が傍で見ていないと。

 ……まぁ、この先の戦いでいつか命を落とすだろうけど、せめてそれまであの幼なじみは俺が見てないとダメだ。そう思わせるには十分過ぎるちょろさだった。

 

「ありがとなホシ。あと少しで俺は、()()()()()目的も忘れてアイツの口車に乗せられてこのパーティから抜けるところだったよ」

 

「礼には及びませんよ。私は純粋に自分の胃しか心配してないので。……ところで、もう一つの目的って?」

 

「ああ、それは……」

 

 

 本当に小さい時、もうリスカは覚えてないだろうが約束したんだ。

 もしもリスカが大変な時があったら、絶対に俺が守るって。

 

 当時からリスカの方が強かったし、今では天と地の差が開いてしまったが、それでもあのチョロさのリスカを詐欺師から守ることくらいなら俺でも出来るだろう。

 

 

 

 

「まぁ、秘密だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が乗せられたことに気がついたのは、ちょっと街の外を走り回って軽く剣を振り回して汗だくになったので体を軽く洗ってからアイツの作った美味しいご飯を食べて、夜になって寝る前にこうして日記に向き合ってからだ。

 

「…………ばーか」

 

 誰に向ける訳でもない、自虐の言葉を一つまみ。

 私は昔からそうなのだ。誰かに認められるのが大好きな承認欲求のバケモノ。

 

 

 特に()()()()()()()()()()思考も忘れてしまう。

 アイツに褒められると、()()()()()()()で頭がおかしくなってしまいそうになるんだ。

 

 

 アイツ、アイツだ。

 弱いくせにいつも私に挑んで、私のことを褒め称えて、私の後ろを付いてくる。

 なんであんなに弱いのに、なんであんなに脆いのに、なんであんなに儚いのに。

 

 

 

「なんで、なんで、なんで……?」

 

 

 

 口に出しても意味は決して分からない。

『訓練をしました』だけ綴られた()()()()()を放り投げて、私は本物の日記を開く。

 そこに綴るのは今日のアイツの表情、行動、言葉。どれもが愛おしく、憎らしいその全てを学の無い頭と貧相な語彙で必死に綴る。

 

 アイツは弱い。きっとすぐに死んでしまう。だからその姿を忘れないように、こうして文字に綴るのだ。

 

 

「……嫌だ」

 

 

 死んで欲しくない。じゃあアイツを追放しよう。

 離れたくない。じゃあアイツにそばにいてもらおう。

 

 死んで欲しくない。どこかに行って。

 離れたくない。ずっと傍にいて。

 死んで欲しくない。今すぐ失せろ。

 離れたくない。どこにも行かないで。

 

 

 矛盾ばかりのうるさい思考。

 こんなに醜い私が、世界を救う為に神から祝福を頂いた勇者だなんて笑ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 だって私は世界を救おうだなんてこれっぽっちも思っていないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

*1
語源は超ドラゴン級。存在規模がとてつもなく大きいドラゴンのように物量や状態が大きいことを指す。分類学が進んでいなかった昔は巨大な種のみがドラゴンと呼ばれ、小型の種はオオトカゲと呼ばれていた名残りでもある。




今回の登場人物


・リスカ
勇者。赤髪。会話が出来ない。

・ホシ
神官。金髪と大きな藍色の瞳が特徴。会話が出来ない。

・従者
リスカの幼なじみ。会話が出来る。



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断ち切りたいオモイ 1





2話です。






 

 

 

 

 

 幼い頃から私はずっと『イチバン』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リスカ・カットバーンが生まれたのは小さな村。

 小さいけれど暮らしはそれなりに豊かで、彼女は学びたいことをある程度学べる環境にいた。彼女はやりたいことをある程度やれる環境にいた。そして、彼女は生まれつき多くの才能にも恵まれた。

 

 言われたこと、読んだことは一度で全部覚えられたし、体を動かせばその動きを一度で理解し、二度で昇華し、三度目では他者の理解の追いつかない境地へと至ることが出来る。

 多くの人が『神童』と彼女を持て囃し、彼女はそれを聞いて全くその通りだと思って、調子に乗り、傲慢に育ち、それでもなお許されるだけの力を得ていった。

 

 

 

「お父さん、そいつら誰?」

 

 

 

 ある日、父親が知らない人間3人と話しているところを彼女は見かけた。

 中肉中背の自分の両親と同じくらいの年齢のパッとしない男女。多分自分ならば秒で倒せる弱いヤツ。そしてもう一人、顔立ちからしてその男女の息子であろう自分と同じくらいの年齢の男の子。

 

「ああ、私の古い友人でね。色々あって引っ越してきたんだよ。はい、こちらがうちの娘のリスカです」

 

 父の友人、という単語に少し心がざわついた。

 父にとっての一番は自分なのに、そう語る父親の表情が自分じゃ見た事がないくらい楽しそうだったから。

 

 だから、男女に促されて挨拶するその男の子を見て、歪んだ幼心はこう思った。

 

 

 

 

 コイツ、邪魔だなぁと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝負よ勝負!」

 

「しょうぶ?」

 

 リスカの村の子供達の間での遊びと言ったら『勇者ごっこ』だった。

 要はチャンバラごっこで一番強かった子が勝ち、負けた子は勝った子に服従。

 今にして思えばこれでは勇者ごっこと言うより侵略ごっこだったかもしれないけれど、そのルールだけが幼い彼女達の全てだった。

 

「私が勝ったらアンタは私の従者になるの!」

 

「じゅーしゃ?」

 

「私の命令は何でも聞く絶対服従ってこと!」

 

 当然ながら、リスカ・カットバーンはまだ同い年の子の多くが文字を覚えてすらいない年齢にして本気で戦えば誇張なしに大人であろうと止められないほど強かった。

 木の枝の握り方もよくわからず、へっぴり腰で構えていたその男の子が彼女に勝てる可能性は、万に一つも無かったし、事実として男の子は周りが思わず目を背けたくなるほどボコボコにされた。

 

 

 そして生まれて初めて、リスカは後悔というものをした。

 

 

 今までの『勇者ごっこ』は所詮子供の遊びだ。リスカだって、自分より遥かに弱い相手に本気を出すことなんてなかったし、いくら子供でも本気で叩かれたら痛いし、自分がされたら嫌だからと相手に加減をするのは当然の事だった。

 でも、この日のリスカは生まれて初めて相手を本気で叩いた。

 胸の中にぐちゃぐちゃと、変なものが溜まって堪らずにそれを吐き出すように、男の子を本気で叩いた。痛みに悶え、血を流すその姿を見てようやく自分が何か、とんでもないことをしてしまった事に愚かにも気がついたのだ。

 

「あ、えっと、え?」

 

 言わなければいけないことがあるはず、謝らなければいけないのに、リスカは動揺して言葉を失い、その隙に男の子はこう呟いた。

 

 

 

「すげぇ……なにもみえなかった」

 

 

 

 痛みが引いてきたからか、立ち上がった男の子は先程目の前の相手に過剰な暴力を振るわれたことも忘れたのか、それとも本当にここまでの怪我を負ってもまだ遊びだと思っているのか、目を輝かせながら近づいてきた。

 

「いまおれになにやったの!? え、もしかして……きみほんものの『ゆーしゃ』!?」

 

「はぁ、はぁ!? アンタ何言ってんの!? そんなわけ……」

 

「もっかいやって……うわっ! いてぇ! あたまいてぇ!?」

 

「ちょっと、落ち着けって! 血が凄いから!」

 

 その後血だらけで擦り寄ってくる男の子を引き剥がし、さっさと家に連れてって怪我を治療して、父親に今までにないくらいにすっごく怒られたにも関わらず、リスカは上機嫌だった。

 

 

 勇者、勇者かぁ。

 

 

 

 あんな風に言ってもらえるなら、なってみるのも悪くないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 …………アイツ、別に邪魔じゃないかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからさぁ、そうじゃないんだってば! もう構えから違う! 足に意識向きすぎ! そして振る時は剣に意識向きすぎ! 剣ってのは手で振るもんじゃないの! 心で敵を斬るの!」

 

「いやわかんないよ!? 心で敵をどうやって斬るんだよ!」

 

「は? 心で敵が斬れたら苦労しないでしょ」

 

「よし、一発殴らせろ」

 

 殴りかかってきた少年を返り討ちにしつつ、リスカは木剣を軽く振り回して木の幹を叩く。さすがに御伽噺の勇者みたいに、練習用の木剣で大木を切り倒すなんてことは出来はしないか、と思いそんなバカげたことを思っていた自分に苦笑する。

 

 男の子が越してきて早数年。既に彼は少年と言う雰囲気の年齢になり、リスカも同じように成長していた。

 リスカの神童っぷりはこの歳でも健在であり、彼女が早熟な訳ではなく本物の天才であることを周りの人間は薄々感じとり始めていた。村のみんなは彼女を『未来の勇者』と呼び、リスカは正直満更でもなかった。

 

「それにしてもリスカはすげぇよなぁ。聞いたぜ? この前王国の騎士に手合わせのお願いして、余裕で倒しちゃったんだろ。きっとすぐにスカウトが来るよ」

 

「まぁ私は未来の勇者だからね? 凡才で何やっても中途半端なアンタとは何もかも格が違うの」

 

「マジで言い方もうちょっとない? 事実でも傷つくぞ?」

 

「悔しかったら私に勝ってからものをほざきなさいな」

 

「くっそー! 俺もなー! リスカみたいに強かったら魔王を倒しに行くとか言えるんだけどなー!」

 

 魔王。

 御伽噺のそれではなく、魔獣の一種である魔族の中の特異個体。本来集団を形成する習性のない魔族を、その圧倒的な力で纏めあげてしまう存在。その発生が数年前に確認された。世間は今、魔王を倒すためにあれやこれやと様々な対策をしているが、集団となった魔族の対策で忙しく状況は芳しくない…………と、彼女の父が言っていた。

 何でも魔族の四天王を名乗る4体が集中的に侵攻を開始していて、既に北の地方は魔族との激戦で難民が発生しているとも。

 

「まーでも、魔王も可哀想だよな!」

 

「え、なに急に?」

 

「だってリスカみたいな天才と同じ時代に生まれちまったんだもん! リスカが大人になって、勇者になったら魔族なんてみんな倒して、世界の平和を取り戻しちゃうからな!」

 

 まるで自分の事のように、心の底から嬉しそうに少年は笑っている。

 もしもそうなったら、きっと村のみんなとは比にならない数の賞賛が世界中から自分自身に届く事になる。

 数え切れないほどの人々が、リスカ・カットバーンという個人を褒め讃える。

 

 

「…………ふーん」

 

 

 褒められるのは、讃えられるのは大好き。

 その筈なのに、何故か彼女は全く興味をそそられなかった。

 

 と言うか、勇者になるって事自体あんまりそそられない。

 この数年で、リスカは他の子よりも早く大人に近づいていた。色々なことを学べば学ぶほど、幼い全能感に溢れていた自分が馬鹿らしく、そして少しずつ夢を見なくなっていた。

 あと数年もしたら、自分は王都の魔術学校に通い、そこで魔術の研究をして、別に新発見とかはしなくてもそれなりに成果を出して、研究者として安定した生活を送る。多分それが一番自分にあっている。

 

 

 

 リスカ・カットバーンは大人になっていた。

 無邪気に棒切れを振り回し強さを誇示する事に楽しさを見いだせなくなって。

 自分よりも弱い王国の騎士の人が、子供相手に手加減して振るった剣の一閃でも当たれば痛くて苦しい事を知って。

 

 

 

 正直、勇者とかしんどい。

 魔王とか怖いし、痛いのは嫌だし、生活が安定しなさそうだし。

 

 

「よし、もう動けるぜリスカ。今日こそお前から一本取ってやる」

 

「何度やっても無駄だってわかんないかねぇ。……アンタじゃ一生かけても、私の背中も見えないよ」

 

 

 それなのに今日もまた、勇者に憧れるこの少年との馬鹿げた特訓に付き合っている。

 リスカから見れば、少年は才能はあるが所詮は平凡の域。間違っても英雄になれるような器ではない。それでもリスカは今日も向かってくる少年と、剣を交える。正確に言えば交える前に少年は地面に倒されているが。

 

 

「──────クソー! やっぱリスカには勝てねぇや。ほんと、強いなぁ」

 

 

 少年が心からの賛辞を述べる。

 なんで負けたのに、自分を負かした相手の強さをまるで自分のことのように喜んでいるのか、わけが分からない。

 でもその賛辞は、村中の賛辞の声をかき集めたものよりも心地よい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう思っていたその日。

 その記憶はリスカ・カットバーンの最初の『ズレ』であり、その幼い魂の形を決定的に変えてしまったものだ。

 

 

 

 

 

 

「うちの子が、うちの子がまだ帰ってないんです!」

 

「まさか森の方へ行ったのか!?」

 

「確かあの森……最近魔獣がよく出るようになったって……」

 

 

 

 

 いつもの2人だけの訓練を終え、既に日が落ちた帰り道。大人達のそんな声が聞こえたのだ。

 どんな状況なのかは分からなかったが、断片的な情報でリスカは判断した。

 

 あぁ、もう死んでるだろうなぁと。

 

 悲痛な声を漏らしている女性の娘は確か6歳くらいだったろうか? どんなことがあって夜の森にまで行ってしまったのか分からないが、最近は夜行性の魔獣が活発化していてたまに村まで降りてくることがあった。別に小型の魔獣なら村にだって魔術は使えるものはいるし、そんなモノなくても十分に倒せるが、何も持たないただの子供では一瞬で殺される。

 探しに行くにしても夜に行くのは危険過ぎる。誰もが明日の朝から捜索を始めるだろう。つまり、村のどこかに隠れていただけなんて言う優しい現実でもない限りは見つかるのは無惨な死体だけだろう。

 

 

 

「…………へ?」

 

 

 

 

 ぼーっと、ただそんなことを考えながら。

 先程まで隣にいた少年が走り出すのを見て声を漏らしてしまった。

 

 家に向かって? 

 いや違う。自分と少年の家はすぐ近くなのだから少年が素っ頓狂な方向に走り出したことくらいすぐに分かる。

 リスカは少年がどういう人間なのかを知っている。救いようがない馬鹿で、底抜けの善性を持つ、笑顔が良く似合う男の子。そんな彼がどのような行動をするかなんて、ちょっと考えればわかる事だった。

 

「ちょっと! 待ちなさい!」

 

 森へ向かって走る少年の背中をリスカは追いかける。

 当然ながら、少年はリスカよりも足が遅い。それどころか少年が自分に優っている点なんてリスカは知らなかったし、知りたくもなかった。

 

 剣を振れば自分が勝つ。

 学を競えど自分が勝つ。

 何をしようとも自分の方が優れているのに、何をしようとも自分よりも劣っているはずの彼に。

 

 

 

 リスカ・カットバーンは追いつけなかった。

 

 

 

 1歩進むごとに現世と隔絶された異界のようになっていく夜の森。

 静寂が耳を犯し、暗黒が呼吸を絞るその世界で、リスカの足は前に進むことを恐れた。簡単に言ってしまえば、こんな子供が夜の森に行くのなんて怖くて当然だった。

 

 ああ、そうだ。怖い、怖いに決まっている。こんな暗闇を、瞬きの後に首元に獣が食らいついてもおかしくないこの状況で、なんで。なんでスピードを緩めずに走っていられるんだろう? 

 

 

 

「──────はぁ……はぁ……」

 

 

 

 誰かを追いかけて追いつけないのなんて、生まれて初めてだった。

 それどころか、膝に手を突いて肩で呼吸をするのも、追いかけた相手の背中を見失うのも、暗い夜の森で帰り道を見失う程夢中で走ったのも、何もかも初めてで、理解のできない焦燥感と苛立ちで吐いてしまいそうだった。

 

 

「……あー、クソ、アイツどこ行ったのよ」

 

 

 誰に向けるわけでもなく呟いた独り言。

 返答は獣の遠吠えと自分より小さな女の子の悲鳴、そして血の匂い。

 

 あぁ、間に合わなかったのかという気持ちが一瞬。鼻腔に届いた匂いでかき消された。

 血の匂い。リスカが最初思った通りの結末が起きたのならば当然ながらするであろう匂い。だが、この血の匂いは違う。リスカが想像していなかった匂い、嗅ぎたくない、ずっと嗅いでいたい匂い。

 

 

()()()()()()()()

 

 

 月明かりもない夜の森の景色が一瞬で全て顕になる。

 感覚が研ぎ澄まされて、リスカ・カットバーンは燃えるような血潮を滾らせながら駆ける、跳ぶ。

 

 見つけたのは目に涙を浮かべて震えている女の子。それを庇うようにして立ち、腕から血を流しているアイツ、そしてその2人を獲物と見定めた血に飢えた魔獣。

 初めて見た生きている魔獣は、本当に恐ろしかった。牙も爪も、容易く人の皮膚を割いてしまえるくらい鋭く、隆起した筋肉と堅牢な毛皮が無力なヒトでは何も出来ずに噛み殺されてしまうことを伝えてくる。

 

 だから、リスカ・カットバーンはその場に居合わせた普通の女の子として、当たり前の行動をした。

 

 

「おい、クソ犬」

 

 

 獣が振り返る。

 

 目が合う。

 

 そして、畏れる。

 

 

 

 

 

 

「こっちが相手だ」

 

 

 

 

 

 

 

 気がついた時には、目の前にあったのは魔獣だった肉の塊。

 牙も爪も折れ、ひしゃげた頭部から緑と青の何かを撒き散らして、強靭だった手足をビクビクと震わせている何か。

 

 傷一つない少女は、獣を殴り殺した両の拳を見て、ぼんやりと少し皮が剥けたなぁと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んー……何か忘れているような気が……」

 

 

 一通り剣を振り、走り回ったリスカはお腹が減ったので宿に戻ることにした。

 既に自分が仲間を一人追放しようとした事実は完全に忘れ、夜に日記を綴ろうとする時まで思い出すことは無い。リスカ・カットバーンとはそういう女である。

 

 

「まぁいいや。それより出てきなよ」

 

 

 虚空に彼女が声をかけると、カーテンを開くように景色が歪みその内側から異形の者が現れる。

 全身を鎧で覆っているが、兜より突き出した角やシルエットの骨格だけでそれが人間ではないことは一目瞭然であった。

 

 魔族。

 

 魔獣の中で、人間を模倣することと魔術に長けた個体の総称。

 

 

「さすがは『勇者』の一人。我が擬態に気が付くとは」

 

「アンタ達の獣臭さに気付かない方がおかしいよ。それで? なんでコソコソ私をつけてきたわけ?」

 

「それよりも、自己紹介といきましょう。我は『万解大公ベルティオ』様の遣いにして、部隊長をさせて頂いているロジンです。そちらは?」

 

「はぁ……知っているだろうけど、リスカだよ」

 

 リスカは魔族と話すのが苦手だった。

 あの日から、リスカは魔族が大嫌いだし、何より本当に腐った果実のような最悪の臭いが常にするのだ。

 

 それに、勇者として多くの魔族と戦ってきたからこそ、会話ということの無意味さを知っている。

 

「バンカイタイコー……あぁ、なんだっけ、四天王の一角にそんなのいたね」

 

「魔王様の気まぐれで今は八大将です。……全く、その強さは信頼しますが、本当に困ったお方だ。魔王軍の威光である幹部をあんなにポンポンと増やしてしまうなんて……」

 

 頭を悩ますような仕草をするロジンは、その異形さえなければまるで本当に人間のような、人間臭さがあった。

 

 だからこそ、リスカは本当に心の底から気持ち悪いと感じた。

 

 

「…………人間のフリはおしまい? んじゃ、殺すね」

 

「おっと、人間らしい演技はヒトに効果的だと思いましたが、さすが勇者様」

 

 

 魔族はヒトを模す魔物。

 彼らなりの価値観や倫理を持つものの、基本的に魔王という存在さえ居なければ社会さえ形成しない獣の名前。

 もしも彼らに人間らしさを感じたのならば、その全ては相手を油断させるための演技である。何故ならば、それが最も獲物(ニンゲン)を狩るのに効果的だと知っているからだ。

 

「……私の役目はあくまで小手調べです。かの『視殺のエウレア』を殺した、人界最強と言われる勇者、貴方の実力を」

 

「エウレア……誰だっけ? まぁいいか。とりあえず、やるんでしょ?」

 

 リスカは剣を抜き、片手で持って軽く構える。

 対するロジンも、虚空から大剣を取り出して人間の武術には見られない独特な構えを取った。

 

「…………魔族のくせに剣を主武装にしてるの?」

 

「ええ。強者が技を身につければ、弱者が強者に勝てる要素は万に一つもなくなりますゆえ。この剣技は、私が人より長い命で積み重ねた誇りでもあります」

 

 

 兜の奥でその口端が醜く釣り上がるのを、リスカは肌で感じた。

 それと同時に、ロジンの剣からなんの前触れもなく炎が吐き出され、目の前の勇者を灰にせんと殺到する。

 

 誇りだなんだと言った口ですぐに不意打ちをしてくる生き物。魔族をそう認識していたリスカは、当然のように身を翻して斜線上から飛び出していた。

 

 

「なるほど素早い。ですがこれはどうでしょうか?」

 

 

 飛び退いたことで体勢を崩したリスカを待ち構えていたかのようにロジンは大剣を振り下ろした。

 二倍近い体格差。その上で、全力で振り下ろされる大剣。いくらリスカが『勇者』と持て囃されていようが関係ない。咄嗟に剣で受け止めようが、その努力ごと目の前の人間を叩き切る自身が魔族にはあった。

 

 

 

 金属がぶつかり合う甲高い音は響かなかった。

 ただ滑らかに、なんの障害もなかったかのように魔族の剣は、勇者に向かって振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

「…………何故、だ?」

 

 

 

 

 

 疑問を口にしたのは、魔族だった。

 大剣を振り下ろし、なんの障害もないかのように滑らかに、それは振り下ろされたはずだ。事実として魔族の腕には剣が何かにぶつかったかのような感触はなかった。

 

 

 それもそのはず。

 魔族の剣は、勇者が防御の為に構えた剣と接触し、なんの抵抗もなく()()()()()()()()()

 

 

「何故、我の剣が折れて、いや斬られている!?」

 

 

 理解が出来ない。

 何度見ても勇者が構えた剣は魔剣の類ではない、それどころか勇者と呼ばれる存在が持つのに相応しいとすら言えない、そこらへんに転がっている雑な作りの剣。魔族の刀匠が永い時間をかけ丁寧に作り出された自らの剣が、鍔迫り合いにすらならずに切断されるなんて「有り得ない」

 

 

「ッ!」

 

「有り得ない、そう思ってるんでしょ?」

 

 

 勇者が笑っている。

 楽しそうに、本当に楽しそうに。子供のように笑っている。

 

 ただ人間が口角を釣り上げているだけ。

 ただ人間がこちらを見ているだけ。

 

 

 それだけの事なのに、魔族は気が付けば一歩後ろに下がっていた。

 瞬時に思考を巡らせる。この勇者が『祝福』を授けられているのは間違いない。だが、その効果は不明である。それを解き明かすのが自らの役目。

 だが、このままでは殺されると直感が告げている。最低限の情報を得た今、撤退するのが正しい選択だと。

 

 

「逃がさないよ」

 

 

 氷柱で背中を抉られるかのような不快感が魔族の心臓を満たし、その足をもう一歩後ろへと下げる……ことは無かった。

 

 ガクン、と。

 膝から力が抜けて魔族は地面へと転がった。

 否、膝から力が抜けたのではない。膝から下がもう二度と自らの意思で力を込めることが出来なくなった、有り体に言えば、いつの間にか切断されていたのだ。

 

 

「グ、ォ、グオオォァァァァ!?」

 

 

 なんだ? 何をされた? 

 剣を振ったにしても早すぎて見えない、魔術を使った痕跡はない。足を覆っていた鎧も、自らの足も溢れ出す緑色の血液を除けば、その断面は初めからそうであったかのように綺麗なモノで、それが逆に勇者が何をしたのかの答えを遠ざけていた。

 

 

「どうしたの? ほら、ご自慢の剣を振ってみせてよ? 万に一つも負けなくなるような、ご自慢の技をさ?」

 

「グ、貴様ァ!」

 

 

 魔族の足の傷口に蹴りを入れながら、勇者は剣をそこら辺に放り投げて、地面に転がるその無様な姿を見下ろしていた。

 殺されていないのは慈悲などではない。単なる辱め、命を奪われるよりも辛い、尊厳を奪われる痛み。勇者はそれをよく理解していた。たとえ魔族が表面上でしかそんなものを理解していなかったとしても、勇者はその行為をやめはしない。

 

 

 わかっていた。魔族が激怒している理由は、辱められていることでは無いことに。

 

「──────油断したな?」

 

 魔族の声から苦痛に悶える色も、憤怒に染まる色も消える。

 ただ淡々と、死にかけの獲物の前に油断した敵を愚かだと思いながら、()()()()()()()()浮かび上がり、謀反でも起こしたように勇者の首へと飛んでいった。

 

 

 

「なーにが剣に誇りだよ。これ、『自分が振る威力をそのままに剣を操れる魔術』でしょ?」

 

 

 

 勇者の首に、勇者が口にした通りの魔族の魔術によって操られた勇者の剣が直撃した。

 だと言うのに、何故かその刃は勇者の首の薄皮一枚も切り裂けずに停止していた。

 

「…………?」

 

「ちょ、鬱陶しいからやめ、やめろ!!!」

 

 首を傾げながら、魔族は魔術を使い勇者の全身に剣を叩きつける。

 

 頭、髪の毛すら切れない。

 腕、切れない。

 足、切れない。

 背中、切れない。

 服、切れない。

 

 切れない切れない切れない切れない切れない切れない。

 

 

「物理干渉無効? いや、『祝福』ならばそこまでのモノはありえないはずだ。なんだ? 一体どのような仕掛けだ?」

 

「……はぁ、無理って言ってんじゃんもう諦めてよ」

 

 周囲を飛び回る凶器を虫でも払うかのように扱い、勇者は魔族と視線を合わせる。

 

 

「でもいい線いってるよ。私の『祝福』はそんな大層なものじゃない」

 

「硬質化? いや、それでは辻褄が合わない部分が……ではなんだ、何をしている?」

 

「…………つまんな。死ねよ」

 

 

 勇者が横に腕を薙ぐと、魔族の首が胴体から離れその肉体は屍となった。

 

 かくして魔族の襲撃は終わり、この程度のことは勇者の日記には書かれず、この日の日記の内容は『訓練をしました』とだけ綴られ、殺したことすら明日には忘れる。リスカ・カットバーンはそう言う女だ。

 

 

「……あ、『視殺のエウレア』ってアイツか」

 

 

 今しがた死んだ魔族が口にしていた名前を、なんとなくこのタイミングで思い出した。

 

 

 

 魔王軍幹部『視殺のエウレア』。

 かつてそう名乗っていた魔族を殺した事を思い出すことを引き換えに、勇者は一つの死を完全に忘却した。

 

 

 

 








・祝福
『勇者』に選ばれた人間が後天的に授かる、または生まれつき授かることもある特殊な能力のこと。現代の魔術で解明できないモノは大抵こう呼ばれ、魔族が持つものは『異能』と呼ばれている。
リスカ・カットバーンも例外なく『祝福』を持つ『勇者』である。



・リスカ・カットバーン
祝福され、多くの才能を持って生まれた天才。魔術も使えるがあんまり好きじゃない。



・『視殺のエウレア』
かつて一夜にして街を一つ滅ぼすことを遊びにしていた夜の女王、魔王軍幹部の一人。リスカ・カットバーンに首を撥ねられ殺害された。







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神官と魔術師、あと従者

 

 

 

 

 

 

「なんで私こいつを追放してないのよ!? え、ホントなんで!?」

 

 

 ホントなんでなんだろなぁ、って内心思ったりしてるけど、口には出さないでおこう。朝起きて一番最初にブチ切れたリスカの相手をすることは予想できてたけど、ホントなんでだろうね? 

 

「忘れたのリスカ。昨日自分で話をウヤムヤにして走っていったのよ?」

 

「いや、追放とかそういう大切な話してる時にそんなことし出す奴普通いる? いないでしょ?」

 

 そうだね。

 普通いないね。でも多分お前普通じゃないよちょっとチョロすぎて心配になるもん。

 

 

「……オイどうするんだよホシ。さすがに自分の幼なじみがここまでアレとかちょっともう心配過ぎるんだが?」

 

「目を逸らさないでください。アレが貴方の優しさが生み出した悲しきモンスターです」

 

 生み出したと言われても、さすがにあそこまでチョロくなかったが大半の性格は昔のリスカのままだし俺の責任と言われても……。

 

 あれ、昔のまま? 

 

「もしかしてリスカって、かなり、その、愉快な性格してる感じ?」

 

「はい。あの女はマジで人間性カッスカスですよ!」

 

 今まで見た中で一番なんじゃないかってくらいの笑顔でホシは答えた。

 もしかしてホシってリスカのこと嫌いなんだろうか? なんか急に不安になってきたぞ。ホシもリスカも強さで言えば本当に多くの人に期待されている通りの実力を持つ二人だ。そんな二人が喧嘩でもしてみようものなら、普通に街が滅びるしこのまま喧嘩別れとかしてしまえば人類の戦力面での大きな喪失だ。

 

「…………おい、そこの顔面アンデッド神官、今なんか私の悪口言わなかったか?」

 

「は? 言ってませんよ耳垢づまりクソアマ。ね、私言ってませんよね?」

 

 笑顔で話を振ってくるホシと、魔族みたいな形相でこちらを睨んでくるリスカを見て、改めて俺はこのパーティを追放される訳にはいかないと思った。

 だって多分俺がいなくなったらコイツら2人を仲裁する係がいなくなって、2人の喧嘩で人類が滅ぶもん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なぁ、あれって」

 

「しっ、目を合わせるな。間違いねぇよ」

 

「『切断』の勇者だろ? 近づくなよ、殺されるぜ」

 

 

 

 リスカの後ろを歩くと、基本的にいつもそういう声が聞こえてくる。

 一応、彼女は既に魔王軍の幹部を1人倒している紛れもない実力者であり、平和への貢献という視点からでも『勇者』であるにも関わらずこの扱いなのは、まぁ色々と理由がある。

 

「スーイのやつ、わざわざこの町を集合場所にしたのぜってぇ私への嫌がらせだろ」

 

「自分の行いを省みた方がいいですよ。魔王軍の幹部を1人倒すためとはいえ、結果的に街を一つ、()()()()()()()()()切り裂いて廃墟に変えた『切断』の勇者様?」

 

「手加減してたらこっちが死んでたんだから仕方ない犠牲でしょ。雑魚100人いてもアイツは倒せなかっただろうし」

 

 声を抑えていたホシと違ってリスカは堂々と、一切声の大きさを抑えずに平然とそんなことを口にするものだから、影から彼女を見てヒソヒソと何かを話していた者たちは、震え上がったり、軽蔑の視線を向けたり、刺し殺さんばかりの目を向けたり、とにかく良い感情に好転する者はいなかっただろう。

 

 

 ……リスカの悪評については、実際本当のことなので置いておくとして、とりあえず今はスーイを探さなければ。

 

 

 スーイはこのパーティにおいて『魔術師』を担当する……なんと言ったらいいか分からないが、不思議なやつだ。

 魔術師と言っても魔導院とかで優秀な成績を収めていたとか、親が凄い魔術師だとかそういうのでもないのに、何故か凄い魔術をポンポン撃つし、急にいなくなって急に帰ってきたりする、本当によく分からないけれど、悪い奴ではないということくらいしか分からない。

 

 しかし例外なくリスカとは仲が悪い。

 リスカはいつも「魔術くらい私でも使えるし、私が全部斬ればいいんだから後衛とか必要なくない?」とか言ってるし。実際殆ど俺と同じ生活をしていたはずなのに人並み以上に魔術を使えるようになってるリスカがすごいという話ではあるが。

 

「というかアイツの方がぴょんぴょんそこらじゅう飛びまわれて機動力高いんだから、自分で来ればいいのになんで待ち合わせとかしなきゃいけないわけ?」

 

「ああ、伝書小竜が持ってきた手紙には『ついでにここの街の食事処美味しいからちょっと寄ってこうかな』って書いてありましたよ」

 

「なんだ? この街の人間と一緒にどのタイミングで私が怒るかの賭けでもやってんのかあの変温動物?」

 

「そんな面白そうなことするのに私に連絡をしない人じゃないですよスーイは。あ、私は街に入った時点で怒るに賭けますね」

 

「…………マジで魔王殺したらまず最初にお前達殺すから覚えとけよ」

 

 リスカはその場で踵を返し、街から出ていく方向へと歩みを進め始めてしまった。止めたいけれど、今下手に止めると確実に俺の首が飛ぶ。そんな状態のリスカに話しかけるには、今の俺では少々勇気が足りない。

 

「ホシ……なんでお前すぐにリスカのこと煽っちゃうんだ?」

 

「別に私は嫌いな相手に礼儀正しくしたいとか考えませんし。ほら、神も言っています。我慢は良くないって」

 

「せめて、その、一応仲間だからね? そこは我慢しようよ」

 

「嫌ですよ。だってリスカってば、私の事初対面で『顔面アンデッド』なんて呼んできたんですよ? 神官である私に向かって。これもう不敬罪ですよ! こんなに可愛い私を!」

 

 グイッと、ホシが俺の顔を掴んで自身の顔へと近づける。

 吐息がかかりそうになる距離で見せつけられる彼女の顔は、確かにキメ細やかな肌と大きな藍色の瞳。血色の良い唇に黄金のような髪の毛ととてもでは無いが旅をしているような人間の見た目とは思えないくらいに整えられてるし、純粋に美人だ。これをアンデッドなんて呼んでしまったら俺なんてもうスケルトンがいいところだ。

 

「うん。確かに初対面の相手にアンデッドはちょっとな。でもリスカも悪い奴じゃないんだよ。誰にだってアタリがきついし、基本的に他人の事見下してるし、発言がすぐに矛盾するし、理不尽だし……」

 

「悪い奴にしか聞こえないんですけど?」

 

「いや、ほんとにちょっとはいい所があるはずなんだけどなぁ……」

 

 フォローしてやろうと思ったけれど、正直フォローしてやれる要素がなんもない気がしてきた。

 あれ? もしかしてリスカって強さ以外全く評価できるところの無い人間なのか? いや、まだ諦めるのは早いはずだ。リスカにだってまだいい所が……。

 

「もうやめましょう。ダメな子どもの良いところをひたすら探そうとする親みたいで見てるこっちが辛いので」

 

「いや、ほんとにリスカもいいところがあるんだよ! あ、そうだ! アイツ小さい頃、色々あって俺が魔獣に食われそうになった時とか急に現れて魔獣を素手で撲殺して倒してくれたんだよ! 優しいよな!?」

 

「小さい頃がいつぐらいなのか知りませんけど魔獣を素手で撲殺は普通に優しさよりも先にバケモノ感増すんですよね」

 

 確かに今思えばアレ相当バケモノだな。だってあの頃のリスカは祝福とかのない普通の子どもだったわけだし。

 

「まぁまぁ。あの女の話はいいとして、せっかく久しぶりに前線から下がってきたんですから、息抜きとかしませんか?」

 

「息抜きって、スーイがわざわざリスカを呼び寄せるなんて、そんな事してる暇がある時はしないだろ?」

 

「いや、スーイとの待ち合わせ予定日まで実はまだ余裕あるんですよね。ぶっちゃけ前線が長くてそろそろ息抜きしたかったので。ほら、魔族と戦うのぶっちゃけだるいじゃないですか」

 

 とてつもなくサラッと、世界を救う勇者の仲間として失格な発言が飛び出したような気もしなくもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー! やっぱ酒は万病の薬ですね! 疲労腰痛肩こりその他諸々! だいたい全部酒があればどうにかなります!」

 

「すげぇな嬢ちゃん! 見かけによらずいい飲みっぷりだ!」

 

 

 息抜きするからと俺がホシに連れていかれた先は……酒場だった。

 

 一応繰り返すがホシは神官である。しっかりと神に認められた奇跡を振るい、戦場では味方を癒し駆けるその姿は天使と言われたりもしなくもないくらい素晴らしい子なのだが、普段の正装をそこら辺に脱ぎ捨て薄手の肌着だけになって飲んだくれているその姿は神に仕えるモノには全く見えない。

 

「やっぱ他人の金で飲む酒は美味いですね!」

 

「嬢ちゃんさっきの絶対イカサマだったろ! どんな手を使ったか教えてくれよ!」

 

「はぁ? 私がイカサマした証拠とかありますかぁ? まぁお金積んでくれれば教えてあげなくもないですがね」

 

「クソッタレ! 俺が積めるお金は今は全部アンタの財布の中だろうがよ!」

 

 彼女が何をやったかを簡潔にまとめると、酒場にいる人達とギャンブルしてイカサマして金を巻き上げてその金で飲んだくれている。

 

 

 うん。

 コイツ本当に神官か? 

 

 

 でも不思議な事にイカサマして金を巻き上げた相手と楽しそうに酒を飲み交わすことが出来るのは、単純にこの酒場にいる人達が強面な顔立ちに似合わず良い人達なのか、ホシの不思議な人間性なのか。実際、ホシは他者の警戒を解くのが非常に上手い。

 リスカは高圧的だし、スーイは世間知らずすぎるし、ギロンは……ちょっと俺達とは価値観が違いすぎるしで大抵の交渉事はいつも彼女が担当しているのだ。

 

「そっちの兄ちゃんはなんだ? まさかこの嬢ちゃんの彼氏か?」

 

「あははは! 彼氏! 彼氏ですってよ! ほら、なんとか言ったらどうです彼氏!」

 

「否定してくれよホシ……」

 

 酔っ払ってるのか、ホシはただひたすら箸が転がっただけでも面白いとばかりに笑い続けてるし、周りの人達もそれに釣られて笑っている。正直ついていける気がしない。

 

「そう言えば嬢ちゃん達どっから来たんだ?」

 

「んー、出身地はバラバラですけど、最近は北の方からこっちに下ってきましたぁ」

 

「北……北!? え、まさか魔王軍との最前線からか!? ちっこいのにすげぇな嬢ちゃん……」

 

「もしかして、嬢ちゃんがあの『切断』の勇者の仲間なのか?」

 

 何となく、ホシに向けられていた親愛の感情の中に畏れや尊敬が混じってくるのを感じる。確かに、前線から遠いこの街に最前線で魔王軍と戦っている、それも『勇者』の1人の仲間が来たとなればそうなるだろう。

 

「じゃあそっちの兄ちゃんがもしかしてあの『切断』の……」

 

「あ、違います。俺はアイツの……なんだろう? まぁ本人じゃないですね」

 

「そりゃそうだろう。『切断』の勇者は剣の一振で砦を両断しちまうバケモノだって聞いたぜ! もっとムキムキのバケモンみてぇな見た目をしてるに決まっている!」

 

 幸いにもここの皆さんはリスカの見た目を知らないようだ。まさかこれだけ恐れられている『切断』の勇者が俺よりも背の低い女の子だって知った日にはみんな腰を抜かすことだろう。

 

 

 

 …………アレ? 

 何か、おかしいような気が。

 

 

 

 

「まぁとにかく、魔王軍と戦う誇り高き勇者パーティのお2人に応援の意味も込めて、乾杯だ!」

 

「いぇーい! じゃあ皆様のお財布から飲み代は出してくださいね!」

 

「当たり前よ! あ、そっちの兄ちゃんは明日暇なら稽古つけてくれよ!」

 

「いや、俺ほんと弱いんで……皆さんに稽古できることとかなんもないんで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おえー!!! うぇ、ぇ……きもっちわるっ……」

 

「飲み過ぎだよホシ。ほら、立てるか?」

 

 その後も宴は続き、俺はひたすらに俺よりも強そうなムキムキで傷だらけの強面達に囲まれ、ホシは更にその真ん中で酒を飲み続けて見事に酔い潰れ、もう聖職者とか以前に女の子としてまずい痴態を晒しそうになるギリギリでこうして引きずって帰る羽目になった。

 

「やっぱ酒はいいですねぇ。前線ではこういうわけにもいきませんから」

 

「確かに、こんな南下してくるのなんて久しぶりだな。リスカはひたすら前進しかしなかったし」

 

 北、つまりは魔王の拠点がある場所に近づけばこうともいかない。この街はどうやらかなり強力な結界があるようだが、もう少し北に進めば魔王軍の幹部が彷徨くようなエリアになってくるのでどこもかしこも暗い顔か険しい顔の人しかいない。あんなに笑顔の人を見るのは久しぶりだったかもしれない。

 

「しかし、あんな楽しそうな顔見せられたらますます気を引き締めて戦わなくちゃいけない気がしてきたな」

 

「ええ。あの愛しい神に愛されし金づる……ではなくて人々を守らなければいけないと神も言っています」

 

 …………。

 もしかして、言いづらいがこのパーティって割と人間性が、欠落している奴の集まりなのかもしれない。いや、リスカもちょっとやばいだけだし、スーイとギロンはそこまでじゃないと思うし、ホシだって今は酔っているだけだから何かの間違いだろう。

 

 

 

 コイツらが紛れもない『勇者』であることは、戦場で一番近くでコイツらのことを見てきた俺が知っている。

 

 

 

 

「あー……すいません。先宿戻っててください」

 

「え、どうした? 忘れ物か?」

 

「いえ、あの言い難いんですけど、また吐きそうなので」

 

「別にホシの介抱なんてもう慣れてるぞ」

 

「はぁ……私だって女の子なんですよ? 好きな人に吐いてるところを見られたいと思ってるんですか?」

 

 

 頬を膨らませて、ホシは千鳥足で来た道を引き返しながら路地裏に入っていってしまった。

 …………酔って変なことを口走るくらいまだ酒が抜けていない様子だったが、さすがにこの街に酔っているとはいえホシをどうこうできるような奴は存在しないだろう。なんて言っても、ああ見えてリスカと()()()()()()()()()生き物だ。下手に絡めば絡んだ方の命が危ない。そういう意味では、俺が付いていた方がいいかもしれないけれど、吐いているところを見られたくないというのは多分本心なのでここは言われた通り、先に戻るとしよう。

 

 

 しかし、いくら冗談とわかっているとはいえホシ程の美少女が顔を赤くして真正面から『好きな人』と言ってくると、正直めちゃくちゃ興奮する。

 

 最初の方はマジで気があるのかと思っていたけど、二日酔いで頭を抱えているホシに聞いてみると「そんなこと言いましたっけ?」と流されてしまってるので、恐らくは冗談なのだろう。

 

 うん、でもホシってすごい美人だし、冗談とわかっていてもやっぱり嬉しいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぇぇぇぇぇぇ……うぅ……マジで飲みすぎましたね」

 

 夜の街に吐瀉物が撒き散らされる音が響き渡る。

 端正な顔立ちを吐き気で歪ませ、神に仕える人間が絶対しちゃいけない表情を浮かべながらホシは流石に何十回目かの禁酒の決意をしていた。

 

 

 

「あの、お姉ちゃん大丈夫?」

 

 

 

 突然声をかけられて驚いて振り向くと、そこには10代前半程度と思われる少女が立っていた。

 いくら酔っているとはいえ、背後を簡単に取られたことに不覚を感じるが、こんな歳の少女が殺気を放ちながら背後に立つほうが末の世だと、口の端を拭きつつホシは少女と向き合った。

 

「うん。私は大丈夫ですよ。それより、こんな遅い時間にどうしたのかな?」

 

「いや、人の家の前ですっげぇ汚い声出しながら吐かれてるから正直ちょっと怒ってるんだけど?」

 

「ぎぃー! 正論の暴力!」

 

 正論は時に人を傷つける。

 自分の容姿の良さには自覚的である分、汚い声などと表現されればいくら『切断』の勇者パーティの神官といえども身を刻まれるようなダメージを負う。

 

「ぐふっ、ごめんごめん……掃除はちゃんとしておくから」

 

「うーん、別にいいよ。だって貴方、勇者様のお仲間でしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポタリ。

 汚い声はなしで、液体が地面に垂れ落ちた。

 真っ白な神官服が赤色に犯されていく。体格の割には豊満であるホシの胸元から、黒い触腕のようなものが生えて、否、突き出ている。

 

 

「……なんで、結界は、そもそも、なんで気が付かな……」

 

「そこは教えないけど、やっぱりいくら貴方みたいな強い人でも油断するから、人間の子供、それも女の子の姿はいいよね」

 

「っう、め、あ……」

 

「させないよ?」

 

 ホシの胸元から突き出ていた黒い触腕が暴れ狂う。内側から蹂躙されるその体は最初はしばらく立ったまま目の前の少女を睨みつけていたが、それからしばらくして立っていられなくなり、それでも何かを紡ごうと、残そうと必死であったが最後は白目を向いて痙攣を繰り返し、やがてそれも終わった。

 

 

「うん、呼吸も心臓も止まってる。魔力の流れもね。じゃあそれは処理しておいてね」

 

 

 少女の命令で、黒い触腕のようなものは形を変えて大きな口を顕にし動かなくなったホシの肉体を既に赤色になってしまった神官服ごと貪り喰らう。

 食事が終わったあとには、地面に落ちた血液すら残されず、静かな夜の街だけがそこには在った。

 

 

 









・リスカ
『切断』の勇者。基本的に嫌われている。


・ホシ
神官。人の警戒を解くのが得意だが、我慢が嫌い。あとリスカも嫌い。


・スーイ
魔術師。機動力がえげつない。


・従者
下戸。





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神は何処にいまし?

 

 

 

 

 

 

 

 朝起きて、ホシが帰ってきていないことを知って、街中探し回ったけどその姿は何処にもなかった。

 

 しかもリスカもどうやら宿に来ていないようで、なんとこんな街のど真ん中で仲間2人とはぐれるというとんでもない状況になってしまっていた。

 

 

 もしかして、これって俺は『追放』されたのだろうか? 

 リスカとホシが話を裏で合わせて、俺を嵌めるために? いや、でもわざわざそんな事しなくても2人にかかれば走って俺を振り切ることも、殺してしまうこと、しばらく治療しなければ動けなくすることも出来るだろうし、あの2人がそこまで俺をどこかにやりたいならこんな穏便な手段で済ますはずないし、そもそもホシは前は俺の追放に反対してくれたし、その線は薄いと考えたい。

 

 だが、だとしたらホシはどこに行ってしまったのだろうか? 

 リスカは最悪、街の外ほっつき歩いているだけだろうからしばらくして機嫌が治れば戻ってくるかもしれないが、なんだかんだ約束は守るホシが何処にもいないとなると心配になってくる。

 

「…………っ」

 

 あの時、ちゃんとホシに同行しておくべきだったのかもしれないと後悔が生まれるが、今はとにかくホシの行方を探すしかない。いや、まだ合流できる可能性が高いリスカを優先するべきか? それとも……。

 

 

 

「ふーん、今、困ってるでしょ?」

 

 

 

 聞き慣れた声が聞こえて振り返る。

 その声の主はリスカでも、ホシでもないが、この状況において確実に事態を好転させてくれる声ではあった。

 

 

 

「ところで、リスカとホシは? ギロンはいないの知ってるんだけど」

 

 

 

 深めにフードを被り、その内側から深紅の瞳でこちらを覗く女性。

 我らがパーティの頼れる『魔術師』のスーイの姿がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。リスカがいつもの癇癪、ホシが行方不明か。リスカはともかく、この街は強力な結界もあるし、前線から離れてるのにホシをどうこうできる魔族がいるとも考えづらい」

 

「せめてリスカが来てくれればいいんだけど、アイツどこに行ったのか……」

 

「うん。でもリスカはどうせ無事だろうし、ホシさえ見つければいいなら私が街中駆け回って探してみるよ。……まぁ、彼女の魔力が街の中に感じられないんだけどね」

 

 スーイがそう言うのならば、彼女は既に街の外に連れ出されているか、あるいは……。

 

 

「自分を責めるな。ホシが痕跡もなく殺されるような相手ならば、君がいても結果は変わらなかった。むしろホシもそれがわかっていたから君を遠ざけた可能性すらある」

 

 

 彼女の言うことは完全に正論であるが、それならば自分の弱さが不甲斐ない。後衛である彼女にも、俺がこのパーティに必要だと言ってくれた彼女にですら、足手まといだと思われて、思わせてしまっていることが。

 俺の訓練にいつも一緒に付き合ってくれていたのもホシだ。何としても彼女を救い出さなければ。

 

「魔力が遮断されるような部屋に閉じ込められている可能性は?」

 

「ゼロではない。だからこそ、まだ可能性はある。私と君で分担して街中を改めて探し、怪しいところを見つけたら落ち合う際に報告。単身で突入とかはしない? いいね?」

 

「わかった。日暮れ前にもう一度ここに集まろう」

 

 陽はまだちょうど真上にある。時間的に、街の半分を調べるのならば少し足りないかもしれないが、先程一通り調べたところを省けば十分可能だろう。

 

「それじゃ、サボらないでくれよ」

 

「まさか。私をリスカやホシと一緒にしないでくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真上よりやや西に落ちた陽と睨み合いをしながら、森の中でリスカ・カットバーンは一つため息をついた。

 

 

「暇そうにしてるねリスカ」

 

「誰のせいだと思ってんのよ、スーイ」

 

 

 背後から現れたフードを深めに被った魔術師に対して、リスカは不機嫌を全く隠そうともせずに、なんなら剣を抜きながら対応した。

 

「手紙に暗号仕込んで、私にだけ街を出ろなんていいやがってさ」

 

「でも君ならもう理由には気がついたろう?」

 

 仲間に真意を隠していることを悪びれもせずに話すスーイの態度にはリスカも苛立ちが募りはせども、彼女が悪意を持ってこんなことをしている訳では無いことは理解している。

 そもそも、この魔術師に『悪意』なんてものは存在しない。善悪に行動指針を設定していない以上、存在しない悪意に苛立つことはあまりにも愚か。

 

 それはそれとしてイラつくのがリスカ・カットバーンという人間の性質だが。

 

「まぁいいよ。私は此処で待ってるから。それより、街の方は?」

 

「まだホシが行方不明なだけだね」

 

「なら心配ないね。それより、アイツは?」

 

「彼なら心配いらないよ。()()()()()()

 

 今日一番、明らかに苛立ちと殺意を孕んだ舌打ちが森に響き渡る。

 森中の生物が、たった一つのその空気の振動に意識を傾け、本能的に命の危機を感じ取る中で向けられた張本人である魔術師だけは平然と、薄ら笑いを浮かべていた。

 

「アイツに何かあったらアンタから刻んでやるかね?」

 

「わかっているよ。そもそも、こんな危険な作戦に彼も呼んだのは()()()()()()()()()だとわかっているからだろう? いやぁ、信頼されていて私は嬉しいよ」

 

「失せろ。ただでさえ私は昨日()()()()()()街から距離を取らされてイラついてんだよ」

 

「でも最低でもこれくらい距離を取らないとね、またやらかすでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「次の幹部との戦いでは、街ごと斬り裂くなんて愚行は犯さないようにね? 『切断』の勇者様♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 今度こそ本気で、リスカ・カットバーンは仲間である魔術師に向けて剣を振るった。

 ただの一振、されとて勇者の斬撃は本来剣の間合いの外にある木々を薙ぎ倒し、上空から見た時の森の景色を一変させる。木々が倒れる轟音が響く中、その勇者はまた一つ舌打ちをした。

 

 

「ッチ、クソが。わかっていても、避けられると腹立つな」

 

 

 振り向き、剣を振るうまでの一瞬。

 その間に既に魔術師の姿はリスカが認知できる範囲内には完全に無くなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽がそろそろ本格的に西に傾き始めてきたと言うのに、一向に手がかりは掴めずに焦りがじわじわと蝕んでくる頃合い。

 いくらなんでも、ここまで影も形もなく人が消えれるものなのだろうか? ホシは容姿端麗だから、見かけたらならばそうそう忘れることは無いだろうし、どうしても悪い事ばかりが頭に浮かんでくる。

 

「どう? ホシ、見つかった?」

 

「……スーイ、サボらないんじゃなかったのか? 合流の時間にはまだ早いと思うぞ?」

 

「サボってないよ。もう自分の担当範囲は全部索敵済みさ。そして、多分ホシがいるところも見つけた」

 

「!?」

 

 前々から何をするにも手早いとは思っていたけれど、まさかこの短時間で見つけてしまうとは思ってもいなかった。

 

「何をするにも急いだ方がいい。来てくれるよね?」

 

「あぁ、案内してくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スーイに案内された先にあったのはしばらく使われた形跡のない空き家だった。

 どうやら地下室があるらしく、スーイの見立てではそこにホシが監禁されているらしい。

 

「しかし、誰がなんでホシを監禁なんてしたんだろうな?」

 

「さぁ? 私は監禁した当人じゃないから目的までは分からないよ」

 

 地下に降りるにつれて当然ではあるが暗くなり、段々と明かりがなしでは前も見えないほどに暗くなってくる。

 

「スーイ、なんか明かりつけたりできるか?」

 

「私は魔術師だよ? そんなことは朝飯前さ」

 

 パン、と彼女が手を叩くと一瞬にして部屋が外も変わらないくらい明るくなる。何度見ても原理は理解できないが、とにかくすごいということはわかる鮮やかな技だ。

 

 

 ……が、地下室が明かりに満たされると彼女の魔術に見蕩れている場合では無い光景が広がっていた。

 確かに、地下室には牢屋があり、誰かを閉じこめることに適している部屋ではある。だが、この地下室に誰かが閉じ込められていたりした様子はない。はっきりいってしまえば、ホシの影も形も痕跡も何も無いのだ。

 

「……アテが外れたか? ここにはいなさそうだぞスー……!?」

 

 振り向いてスーイに話しかけようとした直後、天地が逆転し地面に激突する。

 足を払われた、と理解して立ち上がろうとした時にはもう遅い。完全にスーイにマウントを取られて体を抑え込まれてしまっていた。

 

「えっと、スーイさん……?」

 

「…………」

 

 彼女は何も言わず、慣れた手つきで俺の手足を縛って完全に身動きが取れなくしてから丁寧に牢屋に入れ、とても良い笑顔で鍵を閉める。

 

「…………」

 

「あの、スーイ? スーイさん!? ちょっとこれどういうこと!?」

 

「『貴方は今朝私に会った時から今までの記憶を失う』。いいね?」

 

「え……」

 

 その声と共に抗えないほどの眠気に襲われて、為す術もなく俺は瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽が沈み始め、人々の活動が緩やかになり始める時間帯。

 昨日、一人の神官を喰らった影が活動を再開しようとしていた。

 

「まったく……あんなバケモノみたいな魔力量の人間が来るとか聞いてなかったんだけど……。早めに処理出来て良かったって考えておこうかな」

 

 少女が自身の頬に軽く指を触れ、離す。

 ただそれだけの行為でそこにいたはずの少女が消え、側頭部より生えた角と毛皮と鋭い爪を持つ足の異形が顕現する。この場に戦闘に携わるものがいれば、その人間の少女が『魔族』に変貌したということを察するのは容易い事だろう。

 

「ん、お前達偵察ご苦労さま。……問題なしね。じゃあ予定通りあとはベルティオ様の到着までに結界をどうにかすればいいだけ」

 

 足元に擦り寄ってくる何体もの黒い蛇、いや蛞蝓にも触腕にも見える生物を一体一体撫でつつ、魔族はその生き物と情報を共有する。

 

「うん、じゃあそっちはアイツに任せて私は攪乱をしておきましょう」

 

「そうですね。貴方は此処で私と少々お付き合いしていただきましょう」

 

「…………!?」

 

 聞こえるはずのない何者かの声を聞き、魔族は周囲を警戒する。

 だが自身と、その配下の黒い触腕のような魔獣以外の姿は何処にもない。それでも魔族は警戒姿勢を解かない。何故ならば、先程聞こえた声は確かに()()()()()()()のモノだったからだ。

 

「幻聴、死後発動するタイプの呪い? いや、違うな」

 

「はい、私の、というか『祝福』は死後に発動するモノではありませんので」

 

 二度目の声で、魔族はようやく声の発生源を特定した。

 自身の配下の黒い触腕の内一体が、身を捩らせて苦しんでいる。確かこの個体は、昨日あの神官の死体を喰った個体だ。

 

 その個体が体液を漏らし、断末魔の奇声を上げながら、倒れ、屍になる。

 

 屍、そう屍だ。

 体内から生命の反応は無い。あの神官の最後の抵抗だったのだろうか? 

 

 

 

「……よし。これでいいですね」

 

 

 ぐちゃり、と音が鳴る。

 肉が掻き回され、ゆっくりと魔獣の死体が形を変えていく。表面を整え、人の形が出来上がり、最後にどこから取り出したかも分からない()()()を身に纏う。

 

 

「貴様、何をした?」

 

「あ、昨日ぶりですね。改めて自己紹介させていただきます。『切断』の勇者のパーティで神官をさせてもらっています、ホットシート・イェローマムです。長いのでどうぞホシとお呼びください」

 

 

 表面上冷静を装っていたが、魔族は何が起きたのか全く理解が出来なかった。

 確かに殺したはずの女が、何故か自身の配下の魔獣の死体から生き返った。魔術だけではあまりにもありえない事態。ならば当然、この女は()()()()()()生まれつき特殊な力を持つと考えた方が良いだろう。

 

「……それは、『異能』か?」

 

「イノー……? あ、魔族の方は『祝福』をそう呼ぶんでしたね。はい、そうですね。私のこれは『異能』です」

 

 会話の中で魔族は神官の観察を続ける。

 自分が魔獣にかけていた支配は外されている。なのに、肉体的にはあの女は『魔獣』だ。あの女は魔獣の死体を媒介に生き返ったとかではなく、どちらかと言うと『魔獣の死体を自分の形にしている』だけというのが正しい。

 

「昨日殺したお前は、偽物か?」

 

「まぁそう考えますよね。『祝福』も『異能』も呼び方以外はほとんど同じですから、当然として所有者の死後は効果が発揮されません」

 

『異能』は自身の肉体に刻まれるモノ。それ故に、所有者の死後は発動しない。恐らくはこの女は『死体を操る』類の『異能』を持ち、最初からずっと何処かから死体を操っていたのだろう。

 幾ら『異能』でも、街の外から操作しているとは考えにくい。ならば、街の中に本体がいる可能性が高い。そして、こういった『異能』を持つ人間の術者は大抵の場合は本体の戦闘力は低い。

 

 

 

「ちなみにですが、貴方が考えていること、半分外れてますよ」

 

「何を言って……え?」

 

 

 

 時間稼ぎをしているつもりだった。

 だがようやく気がついた。時間を稼がれていた。周囲に待機させていた魔獣が、いつの間にか全員死んでいる。急所を細い何かで貫かれ一撃で殺されている。

 

 

「術者が街の中にいるというのは正しい。何故なら術者は今貴方の目の前にいます」

 

 

 神官の体が変形を始める。

 骨のある生物ではありえない方向に腕が曲がり、液体のように垂れて地面にじわりじわりと広がっていき、転がっていた魔獣の死体を溶かし、飲み込んでその体積をさらに増していく。

 

 

 

「でも、残念ながらですね。──────私は貴方より強いです。だって私は……」

 

 

 

 最初にこの神官を殺した時、確かにその死体は人間のものだった。何度も人間を殺し、改造してきた魔族が間違えるはずはない。

 再び目の前に現れた時、この神官の肉体は魔獣の屍肉を利用したものだった。だからこそ、最初の神官も人間の死体を使ったデコイだと考えた。

 

 

 そして、今。

 目の前で膨れ上がる屍肉の塊は『魔族』の屍肉だった。

 なんだ、この女は、この存在は、一体本当はなんなんだ? いくら考えても答えは出ない。答えが出ないまま、魔族は圧倒的に不利な戦場に立たされる。

 

 

 

 

「──────こんなに大きいんですから、ね?」

 

 

 

 

 月を隠すほどに膨らんだ屍肉の塊が、歌うようにそう呟いて蹂躙が始まった。

 

 

 

 

 

 

 









・『祝福』/『異能』
本質的に同じものであるが、人間が持つものと魔族が持つもので呼ばれ方が違う。魔術とは全く違う原理で動き、継承等は不可能な本人の肉体のみに宿る特殊な力。所有者の死後は消滅する。


・ホットシート・イェローマム
神官。自己申告では人間。


・スーイ
魔術師。やたらと俊敏。


・リスカ
現在信じられないくらい不機嫌。


・従者くん
監禁中。


・魔族
神官を殺したと思ったら神官が魔獣の死体になって現れて魔族の死体になった。




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天の光は全てホシ

 

 

 

 

 

 その魔族は魔族の中でも擬態に特化していた。

 

 生まれた時から、生物の特性としてどのようにすれば人の警戒を解けるのかを知っていた。そして、警戒心のない相手は例え自分より強い相手でも容易く首を落とせることを知っていた。

 

 知能、形状、雰囲気、年齢、性別、所作、話術。全てが人に好かれ、人を綻ばせ、人を弄び、人を堕落させ、人を喰らう為に特化した生き物。

 

 人を愛し、人に愛され、人を喰らう生き物。

 

 

 

 ……なんとも皮肉な話である。

 

 

 気がつけば、彼女はこの世界で最も『人間』になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っぅ──────ッ! どうなってるのよ! クソッ! クソッ!」

 

 通信担当の旗手術師も何も応答しない。魔獣(ペット)は既に全滅。

 絶望的な状況の中で、その魔族はひたすらに街の中を駆け回っていた。

 

「あらあら、どこに逃げるんですか?」

 

「その走り方じゃスピードは出ませんよ?」

 

「まぁ魔族ですから人間と体の作りは違うかもですが」

 

「そろそろ喉とか乾きませんか?」

 

 そこら中からあの神官の声が聞こえる。魔族は本格的に自分がおかしくなってしまったのかと、自分自身を信じることすら出来なくなるほど追い詰められていた。

 肥大化したあの神官に対して本能的に恐怖を感じて逃げ出したは言いものの、気が付けば不可思議な空間に迷い込んでしまっていた。

 

 見た目は先程までの街の外観と何一つ変わらない。だが、どれだけ駆け回ってもずっと裏路地が続くばかりで一向に大通りに出ることが出来ない。どの家に入っても空き家で人がいた形跡すら存在しない。

 

(クソッタレ……。発動条件は満たしている。あとは本体を見つけるか、せめて手頃な駒さえあれば……!)

 

 その魔族は『異能』を持っていた。

 接触発動、自身の掌で触れることにより自身の生態情報を人間のものに偽装、または人間を強制的に魔獣に変化させ隷属させる異能。

 

 月の出ている夜にしか使えないという制約こそあれど、触れただけでどんな相手だろうとものの数秒で知性の無い、自身の命令に従うだけの獣に変えてしまう強力無比な異能。本体を見つけられればそれで終わり、せめて手頃な人間さえいれば戦力増強に繋がると言うのに、それすら許されない。

 

「あ! そこ! 足元危ないですよ!」

 

「ほら前ばっか見てるから。ひゃー、あれは痛い!」

 

 加えて、何処からか聞こえてくる神官の声は魔族を煽りながら的確に攻撃を加えてくる。

 なんの前触れもなく、地面の一部が剣山のように形を変化させ、体の向きを変える間もなく魔族の足は容赦なく地面に足を踏み入れてしまう。

 

「いぎっぃ、っうぁぁぁぁ!!!」

 

 痛みに悶えている暇はない。すぐ背後からヒュンと空気を切る音が聞こえ、建物に亀裂が入る。叫んで痛みを誤魔化しながら走らなければ確実に何をされたのか分からないまま殺される。

 

「ほら頑張れ頑張れ♡あとちょっと♡もう少し♡」

 

「諦めたらそこで終わりですよ♡何事も前に進み続けるのが肝心♡」

 

「屍になっても突き進め♡呼吸が止まっても足を動かせ♡」

 

 地面から、耳元から、空から聞こえる神官の声。

 嘲るようなその声であるが、同時に油断を孕んでいることに気がついた魔族は決して悟らせないように表面上は痛みと絶望の表情を浮かべながら内心ほくそ笑んでいた。

 

 

 自分の異能は隷属状態にした対象を調教するところまで含めて異能だ。

 既にこの街の人間はかなりの数、ゆっくりと時間をかけて強力な魔獣に調教してある。

 そのペット達と合流さえ出来れば、街中に放ち、隠れている神官の本体を見つけることが出来るはず。神官本人は『術者は目の前にいる』と言っていたがどうせハッタリだ。奴の挙動は生命体としてありえないものばかりだった。目下考えるべきはペット達との合流方法と本体の発見だが……。

 

 

「あらあら? また油断しています?」

 

 

 壁から鉤爪が突如として現れて、背中が抉られる。

 咄嗟に転がるように回避して空き家へと突っ込んでいなければ恐らくは肉体が寸断されていたであろう。

 この攻撃のタネも知りたいところだが、それはペット達との合流後にゆっくりと時間をかけて解析するべきだろう。

 

 とにかくあと少し、もう少し逃げることさえ出来れば希望はある。あとはこの不可思議な空間の出口を見つけるだけだ。幸いにも相手は油断している。油断している人間の寝首をかく方法なんて、魔族なら生まれた時から誰でも知っている。

 

 

 

 

 

 

「「「…………ふふ、は、あはははは!!!! もうダメ、もうだめですよこんなん、いや、面白すぎでしょ……ひひ、あはははは!!!!」」」

 

 

 

 

 

 

 どこからともなく、笑い声が木霊する。

 耳が裂けるほどの大音量。塞いだ程度では防げず、走った程度では逃げられない。世界を覆う大合唱。楽しそうなケラケラ笑いが月夜の静寂を蹂躙する。

 

 

「ひー、笑った笑った。いやぁ、『まだ勝てる』だなんて希望的観測ができるの凄いですよ。はい。まぁせいぜい頑張ってください。しばらく手出ししないので」

 

 

 不気味な笑いを終えると神官は声と共に気配すら完全に消えてしまった。

 先程まで周囲の至る所から感じていたその気配が完全に消えたのはそれはそれで不気味であるが、こちらで遊んでいるつもりならば好都合。最後までその油断に乗らせてもらうべく、魔族は傷をかばいながらも可能な限りの最高速度で夜の街を駆ける。

 

 既に完璧に覚えていた街の地形とは異なる道。だが微かに感じる人間の気配を頼りに走り、そして遂に大通りらしき場所に出た。

 

 

「え、うわっ!? アンタ怪我だらけじゃないか! 何があったんだ!?」

 

 

 人間を見つけた。

 月は出ている。条件は整っている。ならば、あとは触れるだけだ。素肌を指先でもいいから掌で触れなければいけないという軽めの制約ですら今は煩わしい。それでも魔族は確かに勝利への第一歩を感じていた。

 

 

 

 

 ぬぷり。

 

 

 

 

「へ?」

 

 

 

 魔族は最初、自分の口からそんな間抜けな声が漏れてしまったことに驚き、次に自分の掌が目の前にいる人間の顔に沈みこんでしまったことに。

 

 

「えっ、うわっ!? うわっ!? う、うわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ………………ふぅ、どうですか? びっくりしましたか?」

 

 

 ゆっくりと、腕が沈み込む人間のような何かの形が、声が変わっていく。

 背が自分より低くなり、髪が金色に染まっていき、愛らしい顔立ちになり、最後に特徴的な藍色の瞳が配置される。

 

 何かの間違いだと絶叫したかった。だって、目の前で勝利への第一歩となるはずだった人間が、瞬きの間に神官(悪夢)へと変わり果ててしまったのだから。

 

「あ、手は貰っちゃいますね〜」

 

「──────ッ!?」

 

 沈みこんでいた手の感覚が消え、同時に手首に酷い痛みが走り、その場に尻餅をつくようにして神官から距離を取る。見れば、まるで鋭利な牙を持つ獣に噛みちぎられたかのように手首から先が完全に失われ、神官は小さな口を可愛らしく動かし、何かを咀嚼していた。

 

「うーん、50点! あんまり美味しくないですね。それじゃもう片手も頂きます」

 

「あ、やめ」

 

 もはや戦意は消え果てた魔族に対して神官は一切容赦せずに腕を触腕のように伸ばし、優しく、ドロドロに溶けた腕でその手を包み込む。一瞬裁断音、一瞬の悲鳴、一瞬の激痛の後に魔族の両腕の手首から先は完全に消え失せ、逆転の可能性は万に一つも消え果てた。

 

「肉体の一部に発動条件が依存している異能は不便ですよね。こういうことされたらもうおしまいですから」

 

「……なんだ、何をした?」

 

「はい?」

 

 魔族にも自らの強さに、異能にそれなりの誇りがあった。だからこそ『切断』の勇者を倒すだなんて無謀な計画に参加した。自分の強さならば、『あの方』の力になれた上で生きて帰れると確信があった。

 

 だがその希望的観測はプライドごと木っ端微塵に砕かれた。それでも、例えその命が1秒後に燃え尽きようとも、まだ彼女には負けた原因を追求し、次に活かそうとする意思が残っていた。

 

 

「……魔族って本当に救えないですね。知らない方がいいことなんて、この世に沢山あるのに」

 

 

 魔族の視界の端で異変が起きた。

 建物が崩れ落ちる。溶けるように崩れ落ちた建物が、形をぐにゃぐにゃと変える。柱が、屋根が、崩れて捏ねられて形を変える。

 

 

「…………え」

 

「ほら、知らない方が良かったって」

 

「今、後悔していますよね? 分かります」

 

「私もこんな力、知りたくありませんでしたから」

 

 

 溶けた家の破片が、神官の形に変化した。

 だが異変は終わらない。他の建物も次々と溶けて形を変えて神官の姿を取る。地面すらも熔けて、何処が上で何処が下か分からなくなっても、全てが形を変えて神官へと変わっていく。

 

 

「嘘、なにこれ、幻覚? 改変?」

 

「いいえ。違います。私の『コレ』はそんな大層な力ではありません」

 

「私の『コレ』は誰も望まない、取るに足らない力です」

 

「名前は生禍燎原(アポスタシ・サテライト)。その力は『死体を操る』ただそれだけです」

 

 

 四方八方、満天の星空に無限に浮かぶ神官の誰かがそう口にするが、魔族はとても信じられない。常にこの神官が自分を出し抜いてきたというのもあるが、純粋に今の光景が『死体を操る』だけで済ませられるものだとは到底思えないからだ。

 

「私は死体を操れるだけ。ですが、『操る』ってなんでしょうね?」

 

「動かすこと、いいえ、いいえ! 違います。違うのです」

 

「神は私に言いました。操ることは、『自由にしていい』のだと!」

 

 天に瞬く星々が形を変えてほくそ笑む。

 悪魔の様な、それでいて愛らしい神官の笑顔が夜空一面に瞬いている。あまりに美しく悪趣味な光景を見て、魔族はようやく彼女の言葉を理解することが出来た。

 

 

 死体を操る能力。

 そう、最初から全部死体だったのだ。自分のペット達に食べさせた神官も、そのペットの死体から現れた神官も、肥大化した神官も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、全て、この神官が死体を使って作り出した虚影でしかなかったのだ。

 

 

「いつから……」

 

「さっき肥大化して見せた時ですね。その時に貴方は私の体内に飲み込まれて、ひたすら死体で構成された空間を現実と誤認していたわけです。あ、言っておきますけど生きて出しませんよ? まぁ出れないでしょうし」

 

 

 天の光は、全て敵。

 自身にとって常に味方であった月ですら、今は敵でしかないのだ。こんな状況で何をどうすればいいのだろうか? 

 

 

 

 

「それではさようなら。貴方の魂が今度は神に祝福されることを、祈っています☆」

 

 

 

 

 空間の全てが一匹の魔族を串刺しにし、一つの命が果てた。

 同時に、一つの死体が偽りの夜空の一欠片として呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、1匹の間抜けな魔族の話に戻りましょう。

 人間に擬態していたら、人間に近づきすぎて人間のような精神を持ち、人間を食べられなくなってしまったおバカな魔族はもう大変。

 

 残念ながら自分がもう生きられないことをすぐに悟り、諦めて眠りにつこうとしました。しかし彼女は自分がとびっきり、人間にとって愛らしい姿をしていることを忘れていたのです。馬鹿だね☆

 

 

 

 

「カミサマ、カミサマ。これを食べて元気になってください」

 

「カミサマ、どうか私達を救ってください」

 

「カミサマ」「カミサマ」「カミサマ」「カミサマ」。

 

 

 痩せ細り、儚さの増したその魔族はなんと人間に拾われて『カミサマ』にされてしまったのです。カミサマは人間が好きでしたが、それは餌として。でも擬態しすぎて本当に好きになってしまっていたのでとてつもない地獄の生活でした。

 

 栄養失調で動かない手足ではろくに抵抗できず、美味しそうで愛らしい人間を毎日毎日見せつけられる。食べたくもない、食べられもしない変なものを口に押し込まれる。目の前にご馳走があるのに、それが愛おしく見える。いえ、もうその頃には逆転して愛らしいもの(人間)がご馳走に見えるとすら思っていました。

 とにかく、それはとてつもない苦痛だったのです。だってそうでしょう? お腹が空いて死にそうなのに、目の前で餌が踊り狂っています。なのにそれを食べることが出来ません。少しでも食べようと思えば、葛藤で胸が引き裂かれそうになってしまいます。

 

 

 何かの罰なのかと本気で考えていましたが、それも命が終わるまで。元々弱っていたカミサマは最後は呆気なく、苦しみながら餓死してしまいました。その死に顔は、苦しみから開放されたとても安らかなモノだったらしいよ☆

 

 

 

 

 

 

 その魔族、後にホットシート・イェローマムと名乗る個体に宿っていた『異能』。

 死体を操る能力、『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』。その能力は、どこまでも残酷な能力だった。

 それは、ほんの些細な偶然。あまりに悪趣味な神の悪戯。『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』による『死体』の認識と、死した肉体から『祝福』や『異能』が消え去るまでの僅かなラグ。

 

 

 

「…………なんで、私は()()()()()?」

 

 

 

 安心して、カミサマ。

 確かにカミサマは死にました。ですが、カミサマは動きました。

 自らの『異能』、その効果で本能的に、反射的に自身の死体を動かし、まるで生き返ったかのようになってしまったのです。

 

 

 死んだはずのカミサマが生き返れば、人間達は大騒ぎ! 信仰は狂信に変貌し、大事に大事に手足を折られ、カミサマは縛り付けられました。

 私達にも奇跡を恵んで、と誰もが光の無い瞳でカミサマを見ていました。カミサマはこんな奴ら殺してしまおう、もう死んだのだから飢えも無いと思いましたが、ダメなのです。

 

 カミサマが最初に擬態を始めた『誰もが警戒を解く存在』は、そんな事しない、できない、血反吐を吐くほどの拒否反応は、カミサマから逃げる手段を奪いました。

 

 

 

 

「…………なにこれ? 死体が動いているだけ?」

 

「酷い。酷い! カミサマは私達を騙していた!」

 

「ニセモノだ! あんなやつ殺してしまおう!」

 

「コイツ死なないぞ? なら生きたまま埋めよう! そうしよう!」

 

 

 

 

 

 カミサマが望まれた奇跡を見せてみればあら不思議。カミサマはあらゆる暴行を受けました。

 もう死んでいるのに痛みを伝える律儀な体で、カミサマは何度も許しを請い、助けを求め、泣き叫び、ただただ叫んで、喉を嗄らして。バラバラにしても、何をしてもカミサマの肉体は本来ならありえない『死者が持つ異能』として暴走を引き起こし、律儀にその体を修復してしまいました。

 

 

 結果として、何度目かのカミサマ解体ショーが観客みんなの欠伸で終わったところで、カミサマは生き埋め、いえ死体なのでようやく埋葬されました。

 まぁ、カミサマは動く死体なので、動けない状態でずっと地面を見させられ続ける新しい拷問が始まっただけなんだけどね☆

 

 

 念入りに深く深くに埋められたカミサマは、ずっと涙を流していました。

 なんで自分がこんな目に遭わなくちゃいけないんだろう。人を食べたから? でもそれって人間基準の悪いことでしょ? 神様は人間の味方しかしないの? どうして私の味方はしてくれないの? 私の味方は何処にいるの? 

 

 考える時間だけは沢山あるものだから、カミサマはずーっと考えていましたけど答えは出ませんでした。

 

 そして、数えるのも億劫になってきた頃のことです。地形が変わり果てて、何か巨大な音が鳴り響いたと思ったら、なんの前触れもなくカミサマは久しぶりに土の重みから解放されました。

 

 

 

「…………え、えぇ!? ミイラ!? いや、生きてる……のか?」

 

 

 

 久方ぶりにカミサマが見たその生き物は、15歳くらいの人間の男の子でした。

 

 

 

 

「…………」

 

「えっと、あ、これ食べる? 干し肉」

 

「…………ぁ、い」

 

 声を出すのが久しぶり過ぎて、カミサマは最初声を出せませんでした。それでも、男の子は何となくカミサマの意図を読み取り、干し肉を引っ込めて自分の口へと運びました。

 

 

「その、なんで埋まってたの?」

 

「……うぇあれた」

 

「埋められた!? 誰に!? いつ!?」

 

「にんえい、にえんえんうあい」

 

 

 2000年から先は数えてすらいないので、カミサマ自身自分がどれくらい前から埋められていたのかは分かりません。

 でも、出れたことは幸福だとは思いませんでした。どこに居たって、カミサマはきっとまた同じようにカミサマとして扱われる。この男の子も、助けてくれた訳ではなく雨宿りに使っていた洞窟が突然崩れて偶然自分を発見しただけだと言っていたし、何か変なことをされる前に逃げてしまおうとも思いましたが、ずっと動かしていなかった手足は動かし方を忘れてしまっていました。

 

 

「…………いや、信じられないなぁ。でも君が嘘をついてるとは思えないし……うーん……」

 

「…………」

 

 

 カミサマは、まさかこの人間は本気にしているのか? と思いました。だって、普通2000年も埋められてたなんて与太話かその時点でバケモノ認定です。でもこの人間、それなりに強いし勘は良さそうなのでそれなら本気で頭がおかしいのかな? と柄にもなく心配してしまうほどです。

 

 

 だから、でしょうか。

 喉の調子が戻ってきたカミサマは、自分の半生について口を開いていました。

 だってこの男の子、いちいち反応が大きくて面白かったんです。聞き上手と言うんでしょうか? とにかく、カミサマは思い出したくもない話なのに、埋められるまでの経緯をざっくりと、自分が『異能』を持つ魔族であることも話してしまいました。

 

「…………ゴメン、軽々しく聞くべき話題じゃなかった」

 

「別に、いい。もう昔のこと」

 

「良くないよ。君が魔族で人間の敵とか、そういうことは関係ない。君はとても長く、長く頑張ってたんだ。だから、もっと報われるべきだと思う」

 

 どんな理論だよそれ、とは口にしませんでした。だって報われるものなら報われたいじゃないですか。別にそこまで悪いことなんてしてないのに、ずっとずーっと苦しい思いをし続けたなんて理不尽です。不公平です。

 

「出来れば俺がどうにかしてあげたいけど、生憎今は俺は修行中でね。伝わるかどうか分からないけど、幼なじみが勇者に選ばれたんだけど……自分の力不足を実感して、誘いを断って身一つで飛び出してきた身だから、君の状況も、異能もどうこうできる力は無いんだ」

 

 まぁこんな木っ端人間にどうにかできる問題だとは最初から思ってないし、期待はしていませんでした。そもそも、期待なんて死体はしません。死体はもう、希望を持つなんて無駄なことはうんざりなのです。

 

 

 

 

「だから、約束しよう。俺は強くなって、必ずまた君に会いに来る。もしかしたら俺だけの力じゃどうにもならないかもしれないけど、その時は頼りになりそうな人も連れてくる。そして、君に『長生きして良かった』って思えるような最期を用意するよ」

 

「なに、いってんの?」

 

「…………あ、コレ殺害宣言じゃん!? 嘘、今のなし、ゴメン!」

 

 

 暴走した『異能』の力。生命の持つ最低限の尊厳を、術者のものすら冒涜する能力。かつてカミサマだった頃に『祝福』を持つものでも終わらせることが出来なかった動く屍(リビングデッド)

 それを、ただの祝福も持たない人間が殺す? しかも『長生きして良かった』なんて思わせる? もう2000年とちょっとで十分『長生きなんてしなけりゃ良かった』としか思えないし、そもそも肉体的にはもう死んでいる。

 

 あまりにバカバカしい。

 反吐が出るほどバカバカしい。

 

 

 

 

 それでもそれは、生まれて初めて誰かから貰った優しさだった。

 こんな土気色のミイラの言うことを純粋に信じ、ただ『そうなればいい』なんて絵空事を願ってくれる生き物なんて、今まで1匹もいやしなかった。

 

 

 

「うん。きたいしないで、まってる」

 

「っ、いや、期待しててくれ。必ず君の人生、魔族生? まぁどっちでもいいか。それが『良かった』で終わるような、そんな方法を探してみせる」

 

 

 

 雨が止み、その男の子は彼女を置いて洞窟から去りました。去る前に、今の世の中の状況をサラッと簡単に、人間と魔族が一緒に歩いていると良くないことが起きるということも含めて教えてくれました。

 

 まぁ、期待しないで待ってみよう。そう思うミイラの口端は生まれて初めて無意識に緩んでいました。

 

 

 

 

 ………………。

 

 ……。

 

 

 

 が! 

 ここでミイラは大変なことに気が付きました! 

 

 数百年くらいかければ、あの男の子でも本当にワンチャンあるかな? とか思っていましたけど、人間の寿命は100年もありません! 

 このままでは絶対に男の子が約束を果たせません! もう既にミイラは男の子に約束を破られることよりも、男の子のついた優しい強がりを嘘にしてしまうのが嫌なくらい、男の子にゾッコンでした。

 

 

 

 

 だって仕方ないでしょう? 

 2000年も冷たく扱われて、冷たくなってて、生まれて初めて優しくされたらコロッと落ちてしまいます。そりゃもう、()()()()を揺らされるくらいに。

 

 

 

 

 まともに動かない体を引きずって、洞窟の外に出ます。

 あの男の子はどういう子が好きなんだろう。昔の自分みたいに愛される見た目ならいいかな? とりあえず分からないからそうしておこう。

 

 何処に行けば会えるのかな? 

 人間の寿命は長くないから、出来るだけ早く合流して鍛えてあげないと、私を死なせる方法を見つけた時には男の子がおじいちゃんになってしまうかもしれない。

 

 

 ミイラはもう魔族ですらありませんでした。

 ミイラの真摯な想いに異能は応え、その力を変質させていきます。干からびていた手足が潤いを取り戻し、くすんでいた髪の色は本物の金のような鮮やかな光を纏い、気が付かなくてもいいけど、気が付いてくれたら嬉しいなとちょっとだけ期待を込めて大きな藍色の瞳だけをそのままに。まぁあの鈍感野郎は気が付かなかったんですけど☆

 

 

 

「……え!? 裸!? ちょっとそこの貴方、どうしたの!?」

 

 

 

 途中立寄った村らしき場所で、神官のような服装をした女性が声をかけてきました。

 

 ですが、可哀想なことにもうその少女の目にはあの男の子しか映っていません。なんとしてでも、彼と自分の夢を現実にする。その為ならばどんなものだって犠牲にしてみせましょう。

 少女は変質した自分の『異能』の力をすぐさま理解し、死体を『ストック』することにしました。

 

 

 

 

 

 

「ホットシート・イェローマム……ふむふむ、なかなか悪くない名前。よし、これで行こう」

 

 

 死体の準備万端と、廃村を見渡しながら少女は今は亡き神官の服に袖を通します。信じるものは、己の神のみ。この世で最も悪辣で、純粋で、信仰心の強い神官、ホットシート・イェローマムはこうして爆誕したのです☆

 

 

 

 

 

 ちなみにこの後再会するのに3年近くかかったりしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







・ホットシート・イェローマム
2000年以上前に自身の異能で自身の死体を操るというあまりに特異すぎる不死性を獲得した、人に擬態することを得意とした魔族。現在は存在意義の変更により『人』として振る舞うのを完全にやめている死体。
男の子との約束は彼女が初めて貰った優しさであり、男の子は彼女にとって世界で唯一の味方でした。なので彼女は、彼が約束を破ることよりも、そんな彼が自分へその優しさから吐いてくれた強がりを嘘にしてしまうことがとても悲しいことだと思いました。どこまでも他人思いで、どこまでも自分勝手な願いを引き連れた死者の軍勢。神官の死体を素体にしてるおかげで一応信仰由来の魔術が使える。


・異能『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)
死体を操る異能。本来ならそれだけであるが、彼女の場合は異能が消滅する寸前のホットシート・イェローマムが死体となりゆくその瞬間の自身に対して発動されている。
死体からは異能が消えるのに、死体でありながら異能を使う世界のバグ。消滅寸前で肉体に繋ぎとめられ発動したその異能は暴走状態にあり、出力、制御の効かない暴威と成り果てた。その『操る』の自由度は形状変化から過剰圧縮、空間構成にまで及んでおり、最低でも10万を超える亡骸で現在の彼女の体は構成されている。遍く全ての命の輝きを冒涜する、理外の神の御業。



・魔族
前話の時点で負けていた。単純にホシが性格が悪いため生きていた。


・男の子
今は多分牢屋で寝てる。


・リスカ・カットバーン
現在めちゃくちゃ不機嫌。ホシとは同族嫌悪。


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嗤う魔術師、キレる勇者

 

 

 

 

 

「ふーむふむふむ。なるほどなー。やっぱり最近の魔族は色々なことを知っていらっしゃる」

 

 平原に転がりながら、ホシは先程食べた魔族の死骸の記憶を読み取っていた。

『死体を操る』能力も万能ではない。記憶を読み取るなんて行為は、要は脳みそという一度壊れたら再現不能の砂の城から欲しい部分だけ壊さないように抜き取る至難の業。故に、軽い口調ながらホシは実は真剣そのものだったりする。

 

「…………ん、あー……これやばいかも」

 

 その中で一つ、少しマズイ情報を手に入れた。

 この魔族が持っていた『異能』、それで魔獣にされた人間は決して元に戻らず、ついでに調教済みの個体は術者が死亡すると暴走を始めるらしい。

 それが街の中に……ちょっと面倒なくらいの数いるらしい。しかも『調教』された個体はリスカ、自分、そして『彼』の顔と匂いを覚え込ませているらしい。優先的に狙えるようにだろう。

 

 

 

 さて、なぜこの魔族は自分達の顔と名前を魔獣に覚えさせておいたのだろう? 

 

 

 

 自分達がこの街に立ち寄ったのは、本当に偶然だ。

 仲間の一人であるスーイがここに来るように指定したから。その時点で答えは出ている。

 

「あんにゃろう……、今度は何企んでいやがる……」

 

 魔族で遊ぶために街からかなり遠くに来てしまっていたが、今すぐ街に戻らなければとホシは肉体の変形を始める。

 自分の周りにいる者は、『彼』以外は自分を含めロクデナシだと知っている。だからこそ、ロクデナシの考えそうなことは分かる。リスカはまだいい。大嫌いで心底クソ野郎だと思うが、アレの考えは基本的に単純だからだ。

 

 だがスーイはダメだ。ギロンも、非常に常識がないボケ野郎であるが、あのクソ魔術師は次元が違う。アイツは行動指針が本当に意味不明すぎる。故に、やらかす時は何をやらかすか予測がつかない。急がなければ、街ごと彼が消し飛ぶなんて結末にだってなるかもしれない。

 

 

 ふと、空を見上げると星が煌めいたような気がした。

 

 そして、それと同時にホシは可憐な声で大地が震えんばかりの怒声を発し、肉体の形を走行から防御に特化させる。

 

 

 

「あの、クソボケ魔術師が──────」

 

 

 

 天彗一閃。

 宙よりの火が、ホシの肉体を大地ごと抉った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めたら牢屋にいた。

 

 なんで? 

 

 状況が分からない。確か昨日は普通に宿に帰って普通に眠ってたはずなのに目が覚めたら手足が縛られて牢屋にいる。訳が分からないよ。だが、俺を閉じ込めた何者かは詰めが甘かったようで拘束はガバガバで1時間くらい奮闘したら何とか解くことが出来た。魔術がかけられていたっぽいけどとりあえず筋肉イズパワーだ。

 

 改めて周囲を確認すると、どこかの地下室のようだ。

 牢の向こうには階段と、何故か俺の装備一式が置いてある。どうやら俺を誘拐した犯人は絶妙に危機感がないらしい。牢屋を1枚ぶち抜けば剣をゲットできるのは、もう牢屋に閉じ込めなくてもいいんじゃないか? 

 それとも、それほどまでに牢屋の方に自信があるのだろうか。一見錆びた鉄なので何度もタックルすればぶち破れそうだが、縄にかかっていた通りにこちらも魔術で補強されていると考えるべきか。

 

「ふん!」

 

 バキンッ! 

 うん、試しにタックルしてみたらちょっとびっくりするくらい簡単に壊れたね。俺を閉じ込めた人はやる気あるの? 縄を解く方が時間がかかるような牢屋なんて用意する方が難しくないのかな? 

 

 ちょっとタックルして痛い肩をさすりながら、一応装備を確認してみる。もしかしたら内側に毒とか棘とか仕込まれてたりするかもしれないし、剣も握った瞬間爆発するかもしれない。

 

 

 …………。

 

 

 …………!? 

 

 

 

「めっちゃいい匂いする……」

 

 幾ら手入れをしているとはいえ、多少臭いはどうしようも無い防具の染み付いた臭さが取れている。しかもこれ、めちゃくちゃピカピカになってるし、剣もご丁寧に研いでもらっちゃってる。

 もしかして俺、歓迎とかされたのだろうか? 確かにちょっと牢屋に監禁されてたっぽいだけでそれ以外のあらゆる要素が俺にプラスの方向だし、もしかして親切な妖精さんが道具のお手入れをしてくれたんだろうか? ありがとう妖精さん、さてそろそろ現実に戻ろう。

 

 あまりに不可解な点が多すぎるが、とにかく外に出てみようと思ったら、階段のところに張り紙が貼ってあった。

 

 

 

『暗いので足元に気をつけてください』

 

 

 

 本当になにこれ? 

 俺は一体何をやらされているんだ? いい加減夢なんじゃないかって思いながら階段を上り地下室を出ると……。

 

「……犬?」

 

 地下室を出た先にあった、恐らく空き家であろう空間に犬が一匹座り込んでいた。凛々しさと可愛らしさの混じった素晴らしい犬だ。あまりの可愛らしさと凛々しさに頬が緩みそうになるくらい。

 

 

 そして、犬は俺の存在を確認すると頭が横に裂けて肉を断ち切る形をした恐ろしい大顎を顕にしながら飛びかかってきた! 

 

「トラップが急!?」

 

 突然の事態に驚きながらも横に飛んで回避し、そのまま遠心力に任せて剣を振るう。飛びかかったせいで空中で回避不能な体勢になっていた犬、いや魔獣は胴を両断されて内臓をぶちまけながら絶命した。

 マジでこのトラップを作ったやつは性格が悪いだろ。ここまで謎の丁寧なおもてなしで油断させておいて、このワンチャン即死トラップはえげつない。

 

 剣に付いた魔獣の血を払いつつ、一息つこうと思ったが外からは悲鳴が聞こえてくればそうは言っていられない。急いで外に出てみれば、自分がまだ街にいることは理解できたが、状況はまったく理解できない。

 

 先程の犬型の魔獣に他にも蛇のようなものからもはや動物とは全く似ていない魔獣まで、選り取りみどりの魔獣が街中で人を襲っていた。

 門の方向を確認するが、破られているような形跡はない。結界にも問題はなさそうなのに、何故街中に魔獣が!? 

 

「そこの兄ちゃん! 何ボーッと突っ立って……って、アンタは確か昨日の神官の嬢ちゃんの彼氏!」

 

「違います!」

 

 そこに現れたのは昨日ホシと一緒に飲んでいた強面だがやたら人が良い人。彼はその巨躯に良く似合う大槌を振り回して、魔物から街の人々を守っていた。

 

「……! ホシ! すいません、昨日俺と一緒にいた神官の子を見てませんか!?」

 

「くっ、すまん。こっちでは見かけてねぇ。こっちも突然現れた魔獣の処理で手一杯なんだ」

 

 彼の話によれば、突然なんの前触れもなく街の内側から魔獣が発生して大混乱。何とか彼を始めとした戦闘可能な人々で魔獣を倒しながら街の人を守っているがそれで手一杯で誰も状況は正確に把握していないという。

 本当ならば仲間の心配をするべきなのだろうが、リスカやホシ、もしも街に到着していたのだとしたらスーイも含めて俺の仲間は魔獣が出た程度で下手に心配するようなら逆にキレてくるような連中ばかりだ。ならば、俺がやるべきことは一つだろう。

 

「俺も協力する。とにかく今は魔獣の処理が優先だ」

 

「……それは心強いが、アンタ、なんか魔獣にめっちゃ狙われてねぇか?」

 

「え?」

 

 そう言われて周囲を確認すると、数十匹の魔獣の人を襲う手が止まって、全員の視線が俺の方に向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くふ、くふふ。良い良い。良いね。人間が虫けらみたいに頑張ってる。頑張ってるけど、死んでいる」

 

 夜空を揺蕩いながら、魔術師スーイは機嫌が良さそうに独特な笑いを漏らす。

 遥か上空を飛ぶ彼女を、地上で逃げ惑ったり戦ったりしている人間が意識を向けるはずも、向ける余裕もない。そんな人間とは対照的に余裕綽々の彼女は驚異的な視力で地上の人々の表情まで観察する。

 恐怖、動揺、驚愕、そして自らを奮い立たせる勇気。実に素晴らしいと、拍手すら送りたくなる。

 

 

「……来た!」

 

 

 そして、()()()()()()()()()()()()()()に食い殺されることも無く1人の青年が舞台に現れる。

 

 メインディッシュの登場に、魔術師は三日月よりも鋭く、狂気的に口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!! 無理! 無理無理無理! この数は無理だァァァァ!!!」

 

 どうやらこの魔獣達はあまり強くないようで、一匹一匹落ち着いて対処すればどうにかなりそうであった。

 でも数十匹同時はさすがに話が違う。何匹集まっても烏合の衆、とはならない。普通に数というものは純粋なる脅威だ。数ではどうとでもならないような圧倒的な『強者』ってのはそうそういるもんじゃないし、もちろん俺はそうじゃない。なのでこうして街を疾走し逃げ回る。

 

「クソ! なんでコイツら俺ばっか狙うんだ!?」

 

「だが相棒がターゲットを引き付けてくれるおかげで市民の救助に手が回せる。安心しろ、相棒は俺が守る!」

 

 大槌を担いだ昨日と強面の人は何故か俺を相棒と呼びながら守ってくれている。本当になんでだろう。

 だが、彼の言う通り俺を優先的に狙うなら好都合。とにかく街中の魔獣に俺を狙わせて、その間に他のみんなで非戦闘員を安全なところに避難。そしてその後魔獣を掃討と訳の分からない状況なりに希望の目が見えてきた。

 

 

 でもさすがに多すぎる! 

 

 走りながら剣を振り回せば何かしらの魔獣に当たるというレベルの数だ。既に強面の人が居なければ俺は魔獣の餌になっていたであろう。俺一人ならばまぁ最悪そうなっても良かったのだが、今はそうもいかない。俺が殺されてしまえばせっかく俺に向かっていた魔獣達がまた他の人を襲い始めてしまう。

 

「……この街の道はよく分からん! 道案内は頼んだぞ!」

 

「任せろ相棒! お前には傷一つつけさせやしねぇ! こんな危険な役割を 押し付けちまったからには、全力でサポートするぜ!」

 

 誰だか知らないけどこの人本当にいい人だな。

 強面の人が大槌を振り回し道を開き、俺が細かに襲い来る獣を斬り捨てる。既にこれを数えるのが面倒になってくるほどに繰り返す。血脂の付いた剣の切れ味が鈍くなり、呼吸と疲労も肉体の限界に少しずつ近づいているのを感じとれる。

 

 だが、それでも止まるわけにはいかない。ここで死ぬわけにはいかないのだ。ここで俺が死ぬと、被害がどうなるか予測がつかないし、何より──────。

 

 

 

アイツ(リスカ)との約束を、破るわけにはいかねぇんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おほ〜♡良! 良ぞ! ほんとに人の子、良!」

 

 宙に揺蕩う魔術師スーイは絶頂していた。

 歯を食いしばりながら、理不尽も逆境も弱音も飲み込んで走る青年の姿を見て、100人が見たら100人が容姿の端麗さと合っていなさすぎる汚さに振り返って目を疑うような笑みを浮かべて絶頂していた。

 

「さてさて、己が両肩に多くの民の命がかかってると理解したか。顔に覚悟が滲み出てる。うん、良い顔だ。近くにあったら舐めてあげたい」

 

 スーイは荒い息を整えようとし、結局整わなくて諦めてを繰り返しながら独り言を呟き続ける。

 

 彼女はリスカ・カットバーンの仲間だ。

 神に選ばれた『勇者』の仲間だ。その『勇者』の仲間である青年は、当然ながら自分の仲間だ。そうでありながら、下に広がる惨状を彼女はただ見ている。見ているだけで、何もしようとはしない。

 

「理不尽な状況でも弱音を飲み込み、幸運と良き出会いに助けられながら、前を向く。うん、本当に良いね。人間の良さの極み」

 

 そもそもの話、この街に魔族を誘い込み、魔獣を内側で発生させ、その上で自分の仲間を呼んだのはこの魔術師、スーイ・コメーテストなのだ。

 人が多く死ぬことを当然のように教唆し、人類の敵に協力し、その場に仲間を引き込んだ。それに関して彼女がどう思っているか、罪悪感を感じているか、それとも上手くいったとほくそ笑むか。

 

 

 

 (No)

 

 

 

 ()()()()()()

 

 

 

 それが彼女の答えだ。そんなことはどうでもいい。人類とか、魔族とか、どうでもいい。ただこの状況が欲しかった。

 

「あ! 腕に噛み付かれた! これでもう先程までのように剣は振るえないよ!」

 

 仲間が魔獣に腕を噛まれ、痛みを堪えきれず声を上げながら無理やりにその顎を振り払う姿を見て狂喜する。

 

「はは、油断したのかな!? 僅かな隙間でもその魔獣は現れる……おっと、横の人間が助けたか」

 

 気分はまさに演劇の観客。繰り広げられる地獄を特等席から物見遊山。

 

「……くく、会って間もないのになんであの二人互いを『相棒』って、意味わかんない……でも、二人ともいい顔だ。諦めが微塵も感じられない」

 

 剣を振るう青年と大槌を振るう男。既に二人ともボロボロで限界が近づいている。対して魔獣はまだまだ元気いっぱいに血肉を求めて二人を追い詰める。

 絶体絶命、絶望必至。

 

 

 

「……()()()()()()!? わかんない! わかんないなぁ! でもそうだよ! 君はここで諦めない。だからこそ、君は面白い!」

 

 

 

 心の底からの疑問が生じる。

 諦めた方が楽だ。生き物は楽な方にと進化していくものだ。この地上で最も繁栄した種族である人間が、なぜ諦めないのか。なぜ試練に向かい、それを乗り越え、必要のない強さを身につけていくのか。

 

 スーイ・コメーテストには分からない。

 ■■■■には理解出来ない。理解できないからこそ、愉快で愛らしい。

 

 

 

「…………ここでもう一つ、試練を追加しよう。乗り越えてみせてよ!」

 

 

 

 この少女は人を理解しない、人はこの少女を理解できない。

 宙に魔法陣が現れ、リスカ・カットバーンですら手放しに賞賛する神威の魔術が地上に落とされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────ッ!?」

 

「なっ、相棒!?」

 

 

 突如、肩に激痛が走る。

 いつの間にか、鋭い矢に穿たれたように肩に穴が空いていた。しかも利き腕だ。反対の手も先程魔獣に噛まれて負傷してしまった以上、もう剣を振ることは出来ない。

 

 一体誰が攻撃してきたのか、そんなことを考える余裕は今はない。とにかく、今この状況、魔獣に追われている状況だけを考えなければ。どうする。どうする。どうする。

 作戦は何も浮かばない。もう諦めて餌になるしかない。脳が引っ張り出す答えはろくなもんじゃない。

 

 このまま逃げ回り少しでも時間を稼ぎたい。最善ならば、援軍が駆けつけて助かるかもしれないが、今は最悪。剣を振れなければろくに逃げ回ることも叶わない。

 

 

「……くそっ、なんだ、簡単じゃねぇか」

 

 

 利き腕を軽く動かす。肩に空いた穴が激しく痛み、涙と声が漏れそうになる。しかも感覚が覚束ず、いつものように動かせない。

 

 

 

 

 

()()()()
 

 

 

 

 

 

 落としそうになった剣を強く握りこみ、さらに強く前へ一歩を踏み出す。

 

「相棒! あとどれ位逃げればいい?」

 

「……! 5分だ、それくらいあれば、俺の頼れる仲間なら駆けつけてくれるはずだぜ!」

 

 どうやら強面の人は仲間まで怖いのは顔と実力だけらしい。本当に俺は出会いというものの一点ならばとても恵まれている。

 

 

 まだそもそもなぜ魔獣が現れたのかという原因はわかっていないが、きっとそっちは世界で最も頼もしい俺の仲間達がどうにかしてくれているはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……待ちわびたよ」

 

「待たせたつもりは無い。そもそも、頼んでもいない」

 

 覚悟を決めた青年がひたすら魔獣から逃げている頃、その街の遠方にて二人の生物が邂逅する。

 

 片方は、神より祝福を授かり魔王を倒すことを宿命とされた『切断』の勇者、リスカ・カットバーン。

 

 そしてもう片方、背後に50体ほどの魔族を引き連れ現れた双角の魔族。

 

「部下が世話になったな。『切断』の勇者」

 

「なんのことだか。それよりも名前くらい名乗れよ。どうせこっちのは知ってんだから私は名乗らなくてもいいだろう?」

 

 自らを見て恐れる様子の欠けらも無い『切断』の勇者を見て、同じく双角の魔族は名を名乗る。

 

 

 

 

「魔王軍幹部、『万解大公』の異名()を賜りし戦士、ベルティオだ。そこを退いてもらおうか、勇者」

 

「通りたいなら通ってけ。──────私の死体を飛び越えて、な」

 

 

 

 

 

 

 








・従者くん
自己評価(リスカと比べて)と他者(リスカ)評価が異常に低いが、比較対象がアレなだけで普通に強い。リスカと比べたら普通にカス。ホシと比べたらゴミ。一般的な魔族とくらいならばタイマンで勝てる。でもリスカが近くにいるだけで彼がタイマンで勝てるレベルの存在は寄ってこないので相対的に自己評価と他者評価がカスになっていく。


・相棒
本名はミッシェルって言うらしい。昔は大槌を振り回し魔王軍ともドンパチやっていたが、友人の死と共に前線から退く。現在は輸送の護衛の仕事をしており、趣味は植物の観察。その人柄から友人が多い。


・スーイ・コメーテスト
やば♡人間弱弱♡それなのに諦めない♡
なんで?理解できない


・ホシ
死なないのでダメージ担当になりつつある。現在挽肉。リスカが嫌い。


・リスカ
ブチ切れ寸前。強さという面であれば人類種の一つの極点。ホシが嫌い。





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断ち切りたいオモイ 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 その噂は村の外まで轟いた。

 

 ただの子供が素手で魔物を殴り殺した、と。

 噂が飛躍し過ぎだと誰かが嘲笑った。恐ろしいと誰かが口にした。未来の勇者だと誰かが盛り上がった。それに対して、本人はひたすらに憂鬱だった。

 

 魔獣を1匹殴り殺して、改めて自分に戦いというものが向いていないと理解したのだ。

 遊びでない本物の殺し合い、肉を殴り付け、自らの強さを以て相手を屍に変える愉悦。

 

 

 そんなものはどこにもなかった。

 

 

 自分が強いことは知っているし、褒められたりすれば嬉しい。でも、相手を打ちのめすことで誇ることに何一つとして喜びは見いだせなかった。相手を殴り付けて、薄皮の剥けた拳の痛みですらリスカは涙が出てくるくらい嫌だった。もう二度とあんなことしたくないと、誰にも気が付かれないように声を押し殺して部屋の中で泣いた。

 

 

 

「リスカ! 怪我はもう大丈夫か!?」

 

 

 

 拳の薄皮が剥けただけの彼女に対して、少年は腕を包帯でぐるぐる巻きにされながら、もう飛びかかってくるくらいの勢いで聞いてきた。

 誰もリスカの心配はしなかった。だってリスカはもう周りの誰よりも強かったから。親ですらリスカを褒めるだけで心配はしなかった。だって、リスカに心配されるような欠点なんてなかったから。

 

 だから、自分の方が大怪我を負ってるくせに拳の薄皮を擦りむいただけの自分を心配してくれたのは、涙が出るほど嬉しかった。

 

 心配してくれてありがとうって。

 すごく怖かったって。

 なんであの状況で私より早く走れたのって。

 

 心の底から、彼に全てを曝け出したかった。

 

 

 

「あんな子犬1匹に私が倒せるわけないでしょ? それより、なにやってんのよアンタ。私より弱いくせに、勝手に飛び出して怪我して。これじゃあ私は誰をサンドバッグにすればいいの?」

 

 

 

 …………何言ってるの、私? 

 

「いやー……面目ない。リスカがいなかったら死んでた以上何も言えん。本当にありがとうなリスカ、お前はすごいよな」

 

 違う、違うの。

 そんなに申し訳なさそうにしないで。私はもう勇者なんてならなくていいの。だから、貴方の隣にずっと居させて欲しいって。

 

 

 私の隣で、私を助けてって。

 

「本当よ。私がいなきゃなんにも出来ないのに勝手に突っ走って」

 

 やめろ。彼が居なきゃ何も出来ないのは、何者にもなれないのはお前(わたし)だろ。

 

「本当は見捨ててやろうと思ったけど、アンタがあんまりにも情けなく助けを求めてたからつい助けちゃっただけ。これに懲りたらあんなマネもう二度としない事ね」

 

 違うでしょ? 情けなく助けを求めていたのは私。

 あんな怖い森の中を走って、あんな怖い魔獣相手に立ち向かえたのは、彼が前にいてくれたから。そんなことわかってる。わかってるに決まってる。じゃあその通りに言いなさいよ。胸に秘めているものを吐き出して、持て囃されたワタシの仮面を剥がして、本当のワタシを、彼に。

 

 

 

『え? リスカ本当は怖かったの? なんだかそれって勇者っぽく、リスカっぽくないね』

 

 

 

 

「──────ひゅ」

 

「…………リスカ?」

 

 肺に穴が開いたかのように空気が漏れた。

 彼はそんな事言わない。そんなことわかってるけど、一瞬でも想像してしまったらもう口は動かない。

 

 いつどんな時でも誰よりも前に立ち、誰よりも強く、誰よりも勇敢な未来の勇者。それがリスカ・カットバーン。

 それ以外の彼女はリスカ・カットバーンでは無い。それ以外の自分なんて、誰一人として見ていない。

 

 だって、みんな『未来の勇者』のリスカを求めていたじゃない。今更本当の自分なんて、もう分からない。

 彼だって、いつも目を輝かせて『未来の勇者』を褒めてくれていた。じゃあ『未来の勇者』じゃないリスカは? 

 

 臆病で、現実的で、悲観的で、消極的で、保守的で、彼の後ろを付いていくただの女の子は? 

 

 きっと、彼の興味は私以外に移ってしまう。

 きっと、彼はそんな『■■■(ワタシ)』は見てくれない。

 

 傲慢で、強欲で、知恵と勇気に溢れ、積極的で、革新的で、いつでも皆の前に立ち道標となる『勇者』じゃないと。

 

 

 リスカ・カットバーンはこの世に存在できないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、早く来なよベルなんとかくん。あ、部下(ザコ)の皆さんはどうぞお先に。アンタらの目的は私達以外ならあの街でしょ? 急がないと、大切なお仲間が趣味の悪い神官と魔術師に玩具にされちゃうよ?」

 

 無礼千万。

 魔族の力の体現者である魔王軍幹部への、そして自分達へのあまりに舐め腐った態度にベルティオの配下の魔族達は武器を、魔術を、或いは『異能』を構える。

 

 

「止めろ」

 

 

 だが、憤怒に駆られそうになった集団もベルティオのたった一声で全員が姿勢を直立させ、何事もなかったかのように次の彼の言葉を待ち侘びる。

 

「怒りがあろう、悔しさがあろう。だが、全て事実だ。あの勇者の前にはお前達は嵐を前にした羽虫と変わらぬ。行け」

 

 主直々に、自ら達の目の前に立ち塞がるモノが『バケモノ』であると伝えられた魔族達は、ほんの少しだけ動揺のようなものが生まれる。しかしそれもすぐに収まり、命令に忠実に従い、なるべく目を合わせないようにリスカの横を通り過ぎていき、リスカもそれをただ見て送る。

 

「ほとんど言ってることは変わらないのに、何この差?」

 

「相手の神経を逆撫でするような言葉ばかりでは誰も付いてこぬぞ?」

 

「心配しなくても私に付いてこれるようなやつはいないし、何より私はお前達(魔族共)と違って耳触りの良い言葉だけ吐くのは苦手なんだよ」

 

「なるほど。我らの事をよくわかっている。さすがはエウレアを討ち果たした勇者だ」

 

 

 双角の魔族と『切断』の勇者。

 しばらく両者の睨み合いが続き、しばらくして雲に隠れていた月がその顔を見せた時、勇者の影に動きがあった。

 

 

 より正確に言えば、リスカの影のさらに後ろ。影のみが奇妙にも動き、立体として浮かび上がりその首目掛けて刃を振るう。

 さらに物陰から二体の魔族が追い打ちをかける。片方は腕を槍へと変えて岩山を抉るような刺突を、片方は氷柱の雨を降らせリスカを串刺しにせんと。

 

「……主様の話は聞いてた? アンタ達は羽虫と変わらないの」

 

 その奇襲は、あまりに無意味だった。

 影より現れた『異能』を持つ魔族の攻撃も、槍手の魔族の武芸も、氷柱の魔族の魔術も、リスカ・カットバーンの鎧や衣服を削るだけで、その肉体には傷一つも付けられなかった。

 

 そして、こちらの番とばかりにリスカは軽く剣を振るう。指揮棒で振るうかのようなその気楽な動きにも、魔族達は対策を行った。

 影に潜り、全力で飛び退き、氷塊を出した。結果として三体とも胴体をあらゆる対策ごと両断され、屍となった。

 

「アンタも酷い主様だね。勝てないとわかっていて、こんなことさせたの?」

 

「否定はせん。だが、彼等の犠牲を無駄と嘲るならば、お前はここで死ぬのみよ」

 

 ベルティオが『異能』を起動させる。

 魔王軍幹部、単一個体で国や都市を攻め落とす厄災が生命の形を持った者。その肉体に宿りし、現世を否定する魔の法が一つ。

 

 

 

 ──────『白手渇裁(イノセンスバグ)』。

 

 

 

 

 刹那、リスカは突如として地面に()()()

 その反応速度を以てしても回避のできないほんの一瞬で、リスカの足元は流砂のようにその体を飲み込まんと顎を開いたのだ。

 

 

「我が異能は『分解』の理。我が触れた物質を全て塵へと分解する」

 

 

 声のした方向へと反射的に剣を振るう。

 さすがは勇者。その剣は確かにベルティオの肉体を寸分違わず捉えていた。ただ、捉えてしまったばかりにリスカの剣はベルティオの『異能』の餌食となり、刀身はその肉体を切り裂く前に塵へと還る。

 

「雑兵を倒した程度で浮かれたか? その油断が、貴様を死に追いやった」

 

 万解大公の名に相応しき万物を解く文字通りの魔の手が、リスカ・カットバーンの肌に触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは二つ目にして致命的な『ズレ』の記憶。

 その日は、いつも早起きなリスカにしては珍しく、昼過ぎまで自室の寝台に引きこもっていた。あの日、魔獣を殴り殺した夜からどんどんリスカの中で何かがズレて、何をしても苦しくなっていた。

 自分がどうすればいいのか、どうなりたいのか、そもそも『ジブン』ってなんなのか。考えれば考えるほどわからなくなる。分からないことの気持ち悪さは、聡明な頭脳には呼吸を阻害するほどに酷いものだった。

 

 

 このまま消えてしまいたい。

 リスカ・カットバーンはとても良い子で、『未来の勇者』だから、その真摯な願いをクソッタレの神様は受け入れてくれました。

 

 

 

 

 

 

「──────カ……おい、リスカ! しっかりしろ!」

 

「へ、なんで……アンタが?」

 

 最初それは夢だと思った。先程まで自室の寝台で毛布にくるまっていたはずなのに、目を開けてみればそばに居て欲しい人が近くにいたのだから、年頃の乙女ならば誰だってそれを夢だと思うだろう。

 

「良かった、意識は戻ったか。とにかく、ここを離れよう」

 

「待って、頭が、すごく痛いの……」

 

 よく分からないまま、変に痛む頭を利き手で抑えようとした時、彼女はこれが夢ではないと気付かざるをえない事態に遭遇した。

 

「あれ…………? 私の、腕……」

 

 いつも剣を振るう、彼女の右手。真っ直ぐで、柔らかなのにその柔らかさの下には筋肉が詰め込まれている強靭な腕。それが()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「ギ────────────ッ!?」

 

 

 夢ならば一撃で確実に目が覚める、人生で感じたことの無いような激痛にリスカは喉が裂けんばかりの絶叫をあげそうになったが、その直前で少年が彼女の口に布を詰め込み声を抑え込む。結果的にそれは彼女が痛みに耐えきれずに舌を噛んでしまうことも防いでいた。

 

「ごめん、ごめんな。痛いよな。でも、()()()()()。アイツに気が付かれる」

 

 よく見れば少年の方も頭から血を流し、ようやく怪我が治ってきた腕に酷い火傷を負っているのに、その痛みを一切顔に出さず痛みに悶えるリスカを宥めていた。

 だから、痛みでどうにかなってしまっていたリスカが何が起きたかを知ったのは全て近くの街の病院で目を覚ました時のこと。

 

 

 リスカの村の近くを魔王軍の『四天王』の一体が通り過ぎて、余波で村は火山が噴火したかのような熱波に襲われたこと。家ごと吹き飛ばされた自分や少年は幸運で、多くの村の人はそのまま瓦礫に押し潰されたか、焼け死んでしまったということ。生存者の中では自分も少年も比較的軽傷で、たまたま家を留守にしていたリスカの両親以外はほとんど皆死にかけていたと言うこと。

 

 

 少年の両親が死んだ、と言うこと。

 

 

 

「なんで、私を助けたの?」

 

「なんでって……リスカは頭を強く打ってたし、たまたま近くにいたから」

 

「なんで、なんで私なの? 自分の両親でいいじゃない。私なんか、見捨てちゃえばよかったんだから」

 

「……父さんは即死だったし、母さんは下半身が瓦礫に埋もれててとても俺の力じゃ助けられなかった。でも、リスカは助けられる。そう思ったんだ」

 

 朧気な記憶の中の自分は、腕がちょっと折れたくらいで泣き喚き、酷い火傷を負っていた少年に抱きかかえてもらってなんとか避難していた。足は怪我してないのだから、その気になれば歩けたのに、なんなら片手は無事だったのだから、頑張れば一緒に少年の母親を助けられたかもしれないのに。

 

「……ごめん」

 

「悪いのは魔王軍だろ。なんでリスカが謝るんだよ」

 

「私、みんなに勇者だなんて言われてたのに、ただ泣いてた。痛いのが辛くて、泣いてるだけだった」

 

 ボロボロと、存在価値が剥がれ落ちていく。リスカ・カットバーンの意味が粉々に砕けて、支柱を失った肉体が形を保てなくなっていく。

 

 嫌われた。

 彼の親を殺した、彼に情けないところを見られた、『勇者』じゃなくなった。もう、彼が笑顔を向けてくれたリスカ・カットバーンではなくなってしまった。

 

 

「腕が折れたら泣くだろ? 何言ってるんだ? 俺も、前に腕を怪我した時大泣きしてただろ?」

 

 

 少年の言葉は、予想外のものだった。

 疑問。相手が何を言っているか分からないとばかりの間抜けな顔で、首を傾げながら一周まわってリスカを心配すらしていた。

 

「だって、私、いつもアンタに偉そうにしてて、私は『勇者』で……」

 

「偉そうにしてるから泣いちゃダメなのか? 『勇者』は泣いちゃダメなのか? 痛いもんは痛いだろ。別に泣いて良くないか?」

 

「だって、だって……」

 

「あー! よく分からん! 別に痛いなら、苦しいなら泣いていいだろ! だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ……そんなことは、なかった。

 リスカ・カットバーンは才能に満ち溢れ、輝かしい未来を持ち、あらゆる分野に貢献できる高級な人間だ。そして、少年はそんなリスカに足元にも及ばない。

 少年はリスカに無いものを全部持っていて、それでいて、目に見えないもの、測れないモノであらゆる面でリスカを追い抜いている。

 

 同じなんかじゃない。

 同じなんて、言ってもらっていい存在じゃないのに。

 

 

「おんなじ、私達、おんなじでいいんだ……」

 

「当たり前だろ。リスカって意外と馬鹿なんだな」

 

「うっさい。アンタの方が、馬鹿でしょ」

 

 

 リスカ・カットバーンを覆っていた『勇者』の呪いは、多くのものを失いながらここで全て剥がれ落ちた。

 ようやく、彼女は一人の人間としての人生を始められる、そのスタート地点に立つことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………でもね、それは許されないの。

 彼が許してくれても、誰も■■■を許しちゃいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知ってるかリスカ。今、『勇者』の選抜試験がやってるんだって! 勇者になれたら、村を焼いたあの魔族を倒せるかもしれない。皆の仇を討てるし、魔王を倒せたらきっとみんな喜んでくれるよな!」

 

 ふーん、とリスカより数周遅れの知識に目を輝かせる青年を横目に見ながらリスカは編み物に集中していた。

 もう剣なんて振るわない。痛いことはしたくない。『勇者』って言うのは、勇気ある者って言うのはどういう人間なのか知っているからだ。それが自分ではないことも。

 だからリスカは従者でよかった。勇気ある者の背中を追い掛け、その背中を守り、共に歩ける存在で。

 

「俺、この選抜受けてみようと思うんだよ。強くて、かっこよくて、誰にも負けない、皆を守れる最強の勇者に!」

 

「アンタなんかが受かるわけないでしょ」

 

 本当はアンタならやれるって言いたかったのに、正直じゃない口は下手くそな照れ隠ししか発してくれない。

 でも、コイツが勇者かぁと考えると自分の事のように嬉しくなった。だって、コイツと私は『おんなじ』なんだって、リスカの心には大きな余裕が生まれていた。

 

「まぁ、その通りなんだけど。だからさ、リスカも一緒に受けないか? 俺一人じゃダメでも、リスカとならどうにかなる気がするんだよ」

 

 ずきり、と古傷が傷んだ。あんな怪我はもう二度としたくない。もう二度と痛い思いなんてしたくない。

 でも、彼が怪我をしたら自分の心も『おんなじ』、それ以上に痛くなる。

 

「……しょうがないな。アンタの背中は私が守ってあげる」

 

「……ッ! こっちこそ、お前の背中も正面も全部俺が守ってやる!」

 

「いや、アンタに守られるほど私弱くないんだけど?」

 

「まぁ……はい。仰る通りで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果として、リスカ・カットバーンは『勇者』に選ばれた。

 

 

 幼なじみの青年は選ばれなかった。

 

 

 

 

 ただそれだけのお話。

 

 

 

 

 








・リスカ・カットバーン
本質は勇者などではなく、傲慢で我儘で、優しいただの少女。ただ勇者の側に立つために、自らを勇者へと鍛造した人類最強の刃。


・幼なじみ
リスカ・カットバーンを尊敬していたが、特別視はしていなかった。その事実が特別な子である彼女にとって救いであり、呪いであった。



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『切断』

 

 

 

 

 

 

 

 後天的に『祝福』を授かることが出来る素質、『勇者』は決して多くはないが、人々が思うほど少なくもない。

 だから、彼女は青年なら選ばれるかもしれないし、選ばれなくとも、残念だったねでいつもの日常に帰れるものだと思っていた。いや、そんなことは思っていない。

 

 

 この世界で彼よりも『勇者』な存在なんているはずがないと信じていた。だって、彼はリスカにとって誰よりも強くて、かっこよくて、誰にも負けない、皆を守れる最高の勇者だったんだから。

 

 

「おめでとう、リスカ。やっぱりお前は凄いよな……それに比べて、俺は……」

 

 

 やめて、なんで貴方がそんなに辛そうな顔をするの? 

 こんなの絶対に間違っている。私が『勇者』なわけが無い。怖がりで、醜くて、ただ人より何でも上手く出来るだけの私が勇者で、貴方が勇者じゃないって言うの? 

 

「はぁ……わかっていたけど。リスカには勝てないな。うん、でもいつまでもへこたれてはいられないな。それじゃ、元気でな」

 

 待ってよ、どこに行くの? 

 私は、『勇者』は魔王を倒す為にしばらくここで訓練をしなきゃいけないの。貴方はどこに行ってしまうの? 

 

「『祝福』が貰えないなら、とにかく他の方法で強くなる。とりあえず、色々旅をしてくるよ。……帰ってきた時はお前に負けないくらい強くなってるからさ、お前は俺に負けない『最強』の勇者になれよ」

 

 やだ、やだやだやだやだやだやだ! 

 貴方がいなくちゃ嫌だ! もう1人は嫌だ、勇者になんかなりたくない、魔王なんてどうでもいい! 私はただ、貴方が人生最後の日まで隣にいてくれるなら、どんな財産も力も才能もいらない。だから、だから側にいてよ! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『リスカは勇者なのに、そんなこと言うのか?』

『最強の勇者は、そんなこと言うのか?』

 

 

 

 

 

 やめろ。

 アイツはこんな事言わない。この世界でただ1人、リスカ・カットバーンを認めてくれる人。

 

 

 

 

 

 

 

 …………でも、もしも。

 もしも、アイツに嫌われちゃったら、私は。

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ? 元から私はアンタに負けてないけど。せいぜいそこらで雑魚魔獣の餌にならないように頑張る事ね」

 

 

 

 砕け散った仮面達が、私を嘲笑いながらまとわりついて来る。それがお前だと、それが■■■・■■■■■■だと、念入りに、もう二度とワタシが表に出てこないように、『勇者』の名前が塗りたくられる。

 

 去っていくアイツの背中を追いかけることも出来ずに、私はリスカ・カットバーンを捨てていく。

 

 だって、アイツの傍に立てる、アイツに嫌われない『最強の勇者』は誰よりも強くて、かっこよくて、誰にも負けない、皆を守れるんだから。

 

 

 

 私は『勇者』に選ばれたんだから。

 

 

 

 なら私はそれになろう。

 リスカ・カットバーンなんてものはいらない。彼の傍に立てないワタシなんていらない。私が知ってる、最高の『勇者』になれれば、きっと私は本物の『勇者』の隣に立てる。そうでなければ、貴方と『おんなじ』

 でなければ、私は貴方の隣に立てない。

 

 

 

 だって、貴方は私と自分が同じだと言ってくれた。貴方の言葉を、嘘にはしたくない。

 

 

 

 そうして、『切断』の勇者が生まれた。

 破られた蛹の殻は、誰にも気づかれずに砕け散る。高いところから落ちた分、二度と元には戻らないくらい粉々に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………これが、『切断』の勇者か」

 

 ベルティオの『異能』はあらゆる物質を分解する。それがなんであろうと、分解してしまう。そう言う『理』を持つからだ。

 強いて『例外』を上げるのだとしたら、分解されないという理を持つ相手だけ。

 

 

「知ってる? 勇者は負けないんだよ」

 

 

 リスカ・カットバーンが手刀を振るう。自らの肌に触れる不届き者の腕に向けて。一瞬の攻防、刹那のうちに交わされた14手の駆け引き、その結果。

 

「我の『分解』すら防ぐその防御。……いや、違う。我が腕を切り落としたその手刀こそ、貴様の祝福の正体か」

 

 ベルティオは自らの切り落とされた腕の傷口を握り潰し豪快に止血を行った。

 二人の攻防の結果は、火を見るよりも明らかであった。リスカは『分解』の腕に触れられたにも関わらず傷一つなく、対するベルティオは腕をただの手刀に切断されていた。

 

「…………防御、なんて力は勇者らしくない。私の『祝福』は違う」

 

 徒手空拳。

 彼女の戦闘の原点であり、『切断』の勇者の真の戦闘スタイル。極めた手足を刀と成し、万物万象を切り裂く傲慢の化身。

 

 

 

「私が授かった『祝福』は『切断』。私が斬れると思ったものは、どんな物でも斬ることが出来る。それだけ」

 

「ほぅ…………何を馬鹿なことを」

 

 

 

 切断する『だけ』? 

 それが嘘であることなんて赤子ですら気がつく事が出来る。あまりにも下手くそな嘘にベルティオは何かのブラフかと勘違いを起こしかけたほどだ。

 

 ただ斬るだけの祝福がどのようにして傷一つなく部下たちの攻撃を受けたのか? 

 どのようにして『白手渇裁(イノセンスバグ)』の分解を防いだというのか? 

 

 

「……いや、まさか!?」

 

 

 最悪の予想、同時にベルティオはもう一度地面に『白手渇裁(イノセンスバグ)』を使用する。最小単位の塵にまで分解された地面は流砂のように相手の足を捉え、ほんの少しだけリスカの動きが鈍る。

 その一瞬の隙に再び距離を詰め、今度はリスカを掴むのではなく、ほんの少しだけ触れる。だが、リスカとて触れられるのを許すような安い乙女では無い。高速の手刀は空気抵抗の一切を無視してベルティオに向けて振るわれる。

 

「……ッ」

 

「やはり、か」

 

 此度の交差を制したのはベルティオだった。僅かにリスカの左腕に触れ、確かにその肌が()()()()()()()()のを確認した。リスカの手刀は空を切り、延長線上にあった木々を薙ぎ倒して見晴らしを良くしただけだった。

 

 何故、自身の分解の防御を貫く相手に対して接近を試みたのか。それは『確認』の為だ。

 あまりにも暴力的なその事実を、認めたくないその現実を認め、抗う覚悟を得るために。

 

 

「斬れると認識したものを斬れる。それが貴様の祝福だな?」

 

「うん、そこは嘘はつかない。私の祝福は『切断』だ」

 

 

 斬れると認識したならばその他一切の要素を無視して切断する、強力ではあるがそれだけの祝福。力としての強さならば、もっと強力なモノを持っていた人間や魔族などベルティオは数え切れないほど見てきた。

 

 

 しかし、この力の問題は『認識』だ。

 仮に彼女がこの世の全てを斬れると認識していても、斬撃を伴う攻撃の全てが防御不可になるだけだ。

 

 

 …………では、こう考えたらどうだろうか? 

 

 斬れると認識したものを斬る能力で、『斬れない』と認識したものはどうなる? 

 

 

 

「切断を司り、()()()()()()()()()()()()()()()()()ことによる概念防御! それが貴様の真の力か!」

 

「さすが魔王軍幹部。エウレアと言い、気が付くのが早い」

 

 

 

『切断』。

 リスカ・カットバーンが切断できると認識した対象に限り、その強度の一切を無視して切断する。この祝福の対象は()()()()()()()()()()と彼女が振るう『刃』。

 

 

 

 ただ斬る。それだけの祝福。

 彼女の祝福は、発現した時も溜息を吐かれた程度のものでしかない。

 

 では何故彼女は勇者足り得るのか? 

 単純な話、この祝福は『認識』が重要であったからだ。

 

 

 だって、勇者はどんなものも斬れるのだから。

 堅牢な鎧も、城塞も、山も、魔術も、形のないモノも、なんであろうと勇者なら斬れる。

 

 

 そして、()()()()()()()()()()

 

 

 彼女がそう思うなら、斬れない。

 殴られて血管が切れることも、焼けて細胞が切れることも、ありえない。勇者は斬れないのだから。

 

 

 故に無敗。

 故に無敵。

 故に、最強。

 

 

 その認識こそが、リスカ・カットバーンを最強の勇者たらしめる呪い。

 

 

 

 

「それで、どうする? 私との相性は最悪だと思うけど、まだやる?」

 

「…………あぁ、やらせてもらうとも」

 

 

 戦意を失わないベルティオに対し、リスカは右の手で手刀を作り左の手で拳を握る独特の構えを取ろうとした。

 

 しかし、妙なことに左の手に力が入らない。だらんとだらしなく垂れ下がり、力を込めようにも指先がピクピクとか弱く動くのみで構えるどころか拳を握ることも出来ない。

 

 最初に思いついたのは毒、神経毒の類はリスカにも効くが、彼女の場合は呼吸の際に意識して生命維持に必要ない物質を『斬る』ことで無効化している故に、気体を吸引した影響とは考えにくい。液体であれば、そもそも経口摂取はありえないし肌を突破って血管に入るなんてことは最もありえない。

 さらに異常は左腕のみでその他の部位に問題は見られない。

 

「分解……いや、()()()?」

 

「肉体の結合を貴様の認識で『斬る』に至らない程度に()()()。ネジの緩んだ道具を振り回すのはさすがの勇者でも難しいか?」

 

「エウレアもだけど、アンタ達って本当に私の祝福の穴を突くのが上手いわよね。アイツでも突くのには二手かかったわよ?」

 

「何分我は古参でな。勇者との戦闘は慣れている」

 

 互いの中で互いの脅威度が一つ引き上げられる。

 

 リスカ・カットバーンは『切断』を伴うあらゆる攻撃を無効化する。さらに、『切断』を伴うあらゆる攻撃を防御不能にする。これに対してベルティオは『分解』ではなく『弛める』ことで対策した。

 肉体を締めるネジを弛めるような感覚だろう。確かにこれならば切断自体はされていないとリスカは認識し、その攻撃を素通ししてしまった。弛んだ体は伝達が上手くいかないのか上手く動かなくなる。全身にこれを喰らえば半永久的に行動不能にされる。しかも、一瞬左腕を触れられただけでこれなのだから、掴まれれば一瞬で全身を弛められるだろう。

 

 だが、ベルティオにとってもリスカ・カットバーンは天敵だ。

 あらゆる物質が干渉してくる前に体表面で分解してしまう彼にとって、分解を行えずに更には防具も魔族特有の硬い皮膚も魔術による防壁も魔力の放出による防御も全て無視して切断してくるその祝福は天敵と呼ぶに相応しい。

 

 

 互いに接触致死。

 故に勝負は一瞬。

 

 思考を巡らせ、策を練り、たった一手の賭けに勝利した方が勝つ。

 

 

 

 

 

 

 最初に動いたのはリスカだった。相手は地面を分解し、流砂を引き起こす故に常に動いて的を絞らせないようにしなければ、ほんの少しだけ足を取られる。

 実力が拮抗する以上、そのほんの少しの間は確実に致命の間となる。実際に左腕が動かないのはその間が原因だ。

 

 そしてそれを見たベルティオも動き出す。

 

 

「我の勝ちだ」

 

 

 ──────勝利を確信し、凱旋の為に動き出す。

 

 

 既に二度流砂による拘束を見せた以上、それに捕らわれないように相手が動くことは読んでいた。だからと言ってこの勇者の洞察力を前には事前に作る罠は確実に見破られる。相手が動いてから作るのは、相手の読み通り異能を発動させてからのタイムラグで捉えきれない。

 

 だからこれは賭けだった。

 相手が動き出す直前、その動きの方向を予測して分解を使い流砂を作り出す。僅かでも予測が外れれば罠として機能せず、更には自らは隙を晒すこととなるが、ベルティオは見事に勝利した。

 

 流砂に足を捉えられたリスカの動きが鈍る。ただでさえ動かない左腕のせいで、体がバランスを崩す。そこを見逃す甘さがあったならば、今日までベルティオは魔王軍幹部の一角として生きてはいない。

 魔の手が、無慈悲にリスカ・カットバーンの左腕を掴む。その瞬間、『白手渇裁(イノセンスバグ)』は速やかにその肉体を『弛める』べく効果を──────。

 

 

「アンタも見事だけど、二手、私が上回った」

 

 

 ベルティオに掴まれたリスカの腕が粉微塵に()()()()()

 何故ならば、それは既に勇者(リスカ)の腕ではない。肩口で切断されたその腕は、既にただの肉塊になったが故に祝福の対象ではなくなった。

 

「腕を、囮に!?」

 

 リスカは掴まれた瞬間に、左腕を切断して『白手渇裁(イノセンスバグ)』の効果から逃れたのだ。

 更にそれだけでは無い。流砂に捉えられていたその体が空を舞う。足首の周りに浮かび上がる紋様は魔術を発動させる時に伴って現れる魔法陣。それと共に空気が火を吹き、噴射の勢いでリスカ・カットバーンは跳ねるように空を駆けた。

 

「貴様、魔術を──────」

 

「隠していた訳じゃない。ただ、使う必要がなかっただけ」

 

 魔術と近接戦闘を併用するものが少ない理由。

 単純に魔術は高等技術であり、修得には非常に限られた才能と長い鍛錬が、発動にはかなりの集中力が要される。故にこと近接戦闘においては殆どの場合は魔力を身に纏い強化した肉体で戦う方が有効であり、魔術は中遠距離からの攻撃手段として用いられる。

 

 例えば、彼女が使用した足元で爆発を起こし自分の体を狙った方向に吹き飛ばす魔術も修得するだけでも普通の人間ならば10年は専門で学ぶ必要があり、実践で使うとなれば10秒程度の時間を要しても思った通りに跳べる人間は100人の中で半分以下。

 

 

 

 だが、リスカ・カットバーンは天才だった。

 

 

 

 腕を自切した激痛に耐えながら、一手のミスで即死する極限状態で、高速戦闘での使用に使える精密な魔術を発動させる。

 

 それを読めなかった時点で、勝敗の天秤は公平ではなくなっていた。加えて、リスカ・カットバーンも『相手が左腕を狙ってくる』という賭けに勝利した。ならば、勝敗は公正に下される。

 

 

「リスカ──────」

 

「じゃあね、万解大公」

 

 

 爆発音と共にリスカ・カットバーンの肉体が急加速する。

 振り下ろされる手刀は『祝福』を伴い、あらゆる物質を一切の容赦なく切断する。例えそれが魔王軍幹部の肉体であろうと、残酷なまでに平等に。左肩から入り込んだ手刀は、ベルティオの右脇腹を抜け、その肉体と命を『切断』した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『うわぁ……もしかして分解って汚れも分解してるの? キミ、すっごく綺麗な手してるね! いいなぁ〜私も欲しい』

 

 ベルティオは信じられなかった。

 自分の手を眺めながらはしゃいでいる、見た目は人間の少女にしか見えない相手に自分が()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『……勝敗は決した。殺すならば殺せ』

 

『え、なんで……? ワタシ、そもそも殺すとか言ってないよね? キミを倒せたら、ワタシの仲間になってって』

 

 仲間というものがどういうものなのか意味としては理解出来るが、魔族にとってそんなものは存在しない。狩りのためにコミュニティを形成することがあっても、人間達が使う『仲間』という関係はせいぜいが相手を利用する為に騙す嘘。

 

『……恐ろしくないのか?』

 

『何が?』

 

『我が腕は全てを解く。先の戦いでも見ただろう? 命の源ですら解くこの腕を、なぜ恐れない?』

 

 ベルティオの『白手渇裁(イノセンスバグ)』は、最初に自分を産み落とした個体を塵にする形で発現した。

 以降、ベルティオは自らの生命の邪魔となるもの全てを塵にして生きてきた。花鳥風月の全てを塵に帰す悪魔の手が、その手だった。

 

『まぁ怖いけど、キミは酷いことはしないだろう? だって、ほら!』

 

 少女が指さした方向には、分解された大地の中でほんの少しだけ分解から逃れた場所、そこに咲く一輪の花。

 

『キミの力はとても優しい力だ。どんなに恐ろしい敵からも、仲間を守る最強の盾だ。わたしはキミのその強さにこそ畏れど、キミのような優しい相手を恐れる理由はない』

 

 ワタシの方が強いしねと憎まれ口を叩きつつ、少女は倒れ伏すベルティオの頭を撫でる。

 長い生で、頭を撫でられた経験なんて一度もない。撫でられている双角を見れば、あらゆるものは自分を恐れるか、刃向かって塵に帰っていった。

 

 

 ……あぁ、存外悪くない。

 

 

 

『ワタシは『魔王』。キミのその力、ワタシの夢の為に貸してくれないか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────ォ、ォォォォオオオオオオオオオ!!!」

 

「なっ、仕留め損なった!?」

 

 

 何度も魔族を斬り殺し、相手を『殺す』感覚を体に馴染ませていたリスカは驚愕した。確かに自分はベルティオの命を断ち切った。その感覚が確かに腕から伝わってきたのに、体が二つに分かれ、もはや生命を維持することは不可能なはずなのに、ベルティオの体は動いた。

 

 ベルティオは自らの首を掴み、速やかに『白手渇裁(イノセンスバグ)』を発動させる。当然、その理に則り彼の首は分解され、双角が特徴的な頭部がその腕に収まった。

 

 

「勇者よ、地獄には、貴様も来てもらう!」

 

 

 崩れ落ちる体が最後の力を振り絞り、その頭部を投げる。完全に相手を殺害し、ほんの僅かに気が緩んでいたリスカ・カットバーン、その右脚へ。

 

 着地の瞬間と重なり避けられないリスカの右脚へとベルティオは噛み付いた。そして、命が消えるまでのほんの僅かな刻、『白手渇裁(イノセンスバグ)』を全力で発動する。

 

 

 

「勇者の、左腕と、右脚、申し訳ありません魔王様、我は、この、戦果を以て、塵に──────」

 

 

 

 咄嗟に右脚も切断することで、リスカ・カットバーンはなんとかその最後の攻撃から生還する。

 今度こそ、確実に魔王軍幹部『万解大公』ベルティオが死んだのを確認してから、リスカ・カットバーンは周囲を見渡し、大きな溜息を吐いてからその場に寝転んだ。

 

「…………あー」

 

 月が見下ろす夜空を見つめ、口を開く。

 

 

 

 

「あー……ああああああああぁぁぁ!!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いもうやだ、もうやだこんなのやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだぁ!」

 

 

 

 戦いが終わったこの一瞬。

 勇者は、リスカ・カットバーンとして涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・祝福『切断』
勇者リスカが授かった祝福。彼女が『切れる』と認識した万物万象を切断する。それだけの能力。
恐るべきは彼女の認識。たとえ実体のない火であろうが、固く堅牢な鎧であろうが、魔術であろうが、彼女は『自分なら斬れる、自分なら斬れなければならない』と認識しており、結果的に本当に『あらゆるものを切断する』能力へと昇華した。
この能力は彼女の肉体、及び彼女が振るう『刃』に付随する。

故に、彼女が切れないと思ったものは切れない。
彼女は自分自身のことを『切れない』と認識しているが故に、その肉体は何があっても『切れない』。殴られれば血管が切れる。なら切られるはずがない。射抜かれれば肉が切れる。なら自分が切られるはずがない。その認識だけで物理的なあらゆる攻撃は彼女に届かない。自らの認識で神の力すら書き換えた、蛮勇の権化たる祝福。


・リスカ・カットバーン
この世で最もリスカ・カットバーンを嫌う人物。故に、信じてくれた相手の言葉ですら自分を信じられず、勇者の仮面を被ることを選択した。
選択するしかなかっただけで、彼女は決して強い人間ではない。何故ベルティオが死したはずの体で動けたのかは、理解出来なかった。





・異能『白手渇裁(イノセンスバグ)
魔王軍幹部、万解大公ベルティオが持つ異能。自身が触れた対象を塵に分解する。その分解速度は彼の肉体に接触してから効果を及ぼすまでの間に分解を行なう程に速く、攻防一体の非常に強力な異能。
リスカ・カットバーンに対して使った『弛める』がどういうものかは彼自身理解していない。即席で彼女の祝福を超える為に編み出した技であり、彼が単純に強力な異能の力で魔王軍幹部の座にいる訳では無いということでもある。

この異能故に、ベルティオはあらゆるモノを近づけず、あらゆるものをその手で解体し生きてきた。その長き生で彼の手を恐れなかった者は唯一敬愛する主と自身の最期を見届けた勇者のみであった。


・ベルティオ
リスカの左腕と右脚を持っていくという快挙を成し遂げた魔族。趣味は森林浴。長い生の中で渇望していたものは、既に貰っていた。故に彼は満足して散った。






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勇者は従者を治療したい

 

 

 

 

 魔王軍幹部『万解大公』ベルティオが死した時点で勝敗は決していた。

 

 

 

 彼が勇者と一騎打ちを引き受ける代わりに先に行かせた部下達は、道の途中で巨大なクレーターと遭遇。その底から溢れだしてきた屍肉の津波(可愛い神官)に飲み込まれ、更に上空からの謎の砲撃により完全消滅。

 

 

 更に突如として街に現れた大量の魔獣は居合わせた者達が協力し、見事殲滅。大量の行方不明者を出しながらも、人類は犠牲の数を考えればとても効率的に魔王軍幹部の一角を堕とすことに成功した。

 

 

 そして、その功績者である『切断』の勇者、リスカ・カットバーンとその仲間達は…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうですかリスカ。左手と右脚の調子は」

 

「まだ馴染まないけど、生活に支障はない」

 

「忘れちゃダメですけど、これでもう()()()()()()()()()()ますからね? 私なしじゃ3ヶ月もすれば拒否反応で地獄の苦しみの開始ですよ〜☆」

 

 ホットシート・イェローマムの異能『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』は死体を操る能力。その応用範囲は凄まじく、失われたリスカの手足を再現出来る程であった。

 本来回復魔術では元に戻せない欠損すら治すその姿はまさに『聖女』とすら呼ぶ人間もいるホシであるが、その実彼女の施しは所詮は死体による模造。常に彼女によるメンテナンスを受けなければ、死体と無理やり接合された肉体が悲鳴を上げ死に至る。

 

 ホットシート・イェローマムは、リスカの生殺与奪の権を完全に握ったということだ。それはそれは素晴らしい笑顔でリスカの頬を軽く往復ビンタをして煽り散らしていた。

 

「……まさか、私の手足を飛ばす為だけにスーイと協力したとか……」

 

()()()()()。断じて、有り得ません。例え貴方を私の操り人形に出来る条件を出されようと、私は彼が危険になる条件を承諾することは、決してありません」

 

 直前までのおちゃらけた雰囲気の一切が削ぎ落ちた、完全な否定。リスカもホシの事は大嫌いで信頼は全く出来ないが、こういう時の、『アイツ』が関わった時のホシの発言のみは信用出来るということは知っている。

 

 幾らリスカやホシが単体でも魔王軍幹部と戦えるような存在であろうとも、戦場で背中を合わせるならばどんな弱者であろうと『信用』がなければそんなことは出来ない。それ程までに背中を合わせる仲間という存在は重要であり、そこに裏切りがあってはいけない。

 

 

「よっすお二人。朝から仲良さげだけど何? 出来てるぶぇ!?」

 

 

 リスカ・カットバーンとホットシート・イェローマムは繰り返すが互いが嫌いだ。嫌いなので、相手がどんな行動をするかは基本的に常に予測している。嫌いなので。

 ホシが両腕を縄のように変形させ、即座に現れたスーイの手足を縛り付けて、リスカが()()()その顔面をぶん殴る。流れるようなコンビネーションで、スーイの肉体は壁に叩きつけられるという次元を超えて壁にめり込んだ。

 

「いった!? え、痛い!? 何すんの二人とも!」

 

 リスカに全力で殴られながらもちょっと頬が赤くなっただけで人間の形をしっかり保っているスーイは抗議の声をあげるが、リスカもホシもちょっとそんな声は耳に入るような余裕はなかった。

 

「どういうつもりだスーイ」

 

「貴方、私達を利用しましたよね? それも、彼を弄ぶ為だけに」

 

「え、うん。そうだけど。それがどうかした?」

 

 ゴキリ、と人であれば誰であろうとも耳を塞ぎたくなるような音が響く。ホシが自らの肉体をほんの少し動かし、スーイの手首を曲がらない方向に折り曲げて、関節をへし折った音だった。

 

「なーんでそんなに怒ってるのか。魔獣に変えられた奴と魔獣に食われた奴が死んだだけで死傷者なんて本当に少ないもんだよ? 少なくとも、ベルティオを本気で殺そうとしていたなら、今回の10倍は死んでた」

 

「数の話はしてないんだよ。残りの人類みんな殺されても別にどうでもいいし。……アンタ、アイツの肩に何したの?」

 

「何って……狙撃魔術をぶち込んだけど?」

 

 床に転ばされたスーイの頭をリスカは有無を言わさず蹴飛ばした。首の骨がイカれる音と、リスカの持つ『祝福』の力によりスーイの顔の肉は抉れ、その端正な顔立ちは見る影もなく鼻から上が削げ落ちたバケモノのような面で彼女はただ笑っていた。

 

「別に殺そうなんて思ってないよ。それなら狙撃なんて狡いことしないで『翼』を使う」

 

「論点はそこじゃないですよ。リスカがキレているのは、何故彼を守ることが出来た状況で貴方は守らなかったか、です。そして、何故彼を守りに行こうとした私を邪魔しましたか? 納得出来る理由を、どうぞ」

 

「いや、死んでないんだからいいじゃんよ〜。多分、彼はまた一つ強くなったと思うよ? ふふ、そうそう、彼はまた一つ試練を乗り越えて成長した。それで全部いいじゃないか」

 

 スーイ・コメーテストは楽しそうに笑っている。この女はいつでもそうだ。

 この女は、彼が『成長』するのを眺める為にどんなこともする。一応、リスカに『魔族を可能な限り効率的に絶滅させる』という条件で協力はしているが、彼女は基本的にその最低条件さえ満たしたならばあとは何も行わない。

 

()()()()()()

 

 どれだけの人が死のうとも、どれだけ自分達が傷つこうとも、どれだけ()()()()()()()()

 

 スーイ・コメーテストは笑いながらそれを見ている。

 だが、事実としてベルティオをあの程度の被害で倒せたのはこの女のおかげだ。この女が内通し、リスカ達を誘き寄せ、餌にすることでベルティオを引きずり出し、おかげで100を超える人間が魔獣にされ、ホシが何回かミンチになり、リスカの左腕と右脚だけでベルティオを倒すことが出来た。もしもスーイがいなければ出来なかったことだ。

 

 

「何がいいんだよ。テメェの脳みそはトカゲ以下か? いい加減こっちも我慢の限界だ」

 

 

 そう言って、リスカ・カットバーンはスーイに手刀を向けた。

 彼女の『祝福』を知るものならば、その意味はすぐに理解が出来る。いや、出来なければ彼女に戦場で並び立つことなんて出来ない。

 

「リスカ、落ち着きなさい」

 

「落ち着いてられるわけないでしょ。私は、これ以上はこのバカ魔術師は勇者(アイツ)の害にしかならないと思うってだけ」

 

 

「……何? 私とやり合う気なの? ──────人間如きが?」

 

 

 魔術師、スーイ・コメーテストの()()()()()()()

 瞳の形が変化し、立っているだけで周囲のものがあまりの濃さに魔力酔いを引き起こしかねない程の魔力を発生させながら、遂にその顔は不機嫌そうに逆しまに歪んだ。

 

「ようやく人間のフリは終わりかクソ魔術師?」

 

「バーカ、お前を殺すのは無理でも、ぶちのめすだけなら私は『アレ』を使うまでもない」

 

 喧嘩。

 それだけ言えば可愛らしいものだが、この二人がぶつかればどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。せっかく魔王軍を倒してくれた皆様にと、街の人達が用意してくれた一番豪華な宿が更地になるどころか街も消し飛ぶ。今のうちに彼を抱えて遠くに逃げておこうかとホシは思案していた。

 だって、この二人と戦うとか命が幾つあっても足りない。まぁ命がない自分は戦えるけれどそれはそれとしてめんどくさい。

 

「はぁ……もう勝手にやってください。ただ、ここでじゃなくてどっか別の場所でお願いします。これでも神官なので、無駄に命が消えるかもしれない事には口出しさせて貰いますよ」

 

「それもそうだね。人間が減っちゃうと愉しみが減るし。じゃ、ホシをぶち焼いた時に作ったクレーターまで……」

 

 背中を見せたスーイの無防備な背に向けてリスカは無言で手刀を振り下ろした。

 それを見て、ホシは速やかに屍肉を展開し、隣の部屋で現在眠っている『彼』を守るためだけに自らの異能を展開し、スーイは三日月のように口端を歪めながら振り向き、その()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

「はーい、二人ともそこまで」

 

 

 

 

 

 

 

 リスカの手刀を、スーイの背中を何者かが軽く抑えた。

 ただそれだけの行為で、一触即発であったリスカもスーイも完全に停止した。

 

「……あ、帰ってきてたんですか」

 

「…………」

 

「…………」

 

「はい。盾兵のギロン、ただいま実家より戻って参りました。それはそうとリスカさん、スーイさん、仲間の内で喧嘩はよろしくありませんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「歯を食いしばりなさいスーイさん!」

 

「おぶぇ!?」

 

 パーティ1の巨躯を持つギロンから繰り出される渾身の拳は、先程めり込んだ壁にもう一度、さらに深くスーイを叩き込んだ。

 

「え、なんで!? なんか許される流れだったじゃん」

 

「それはそれですわ。いいですか? 力を持つものは弱者を守る義務があります。……それを貴方という方は……もう一回歯を食いしばりなさい!」

 

 ゴス、ゴス、ゴスと何度か鎧を身につけたままのギロンがスーイを殴り、部屋が少し鉄臭くなってきたあたりでようやく鉄拳制裁は終わりを告げた。

 

「ところで、彼の状態はどうなんですかホシさん」

 

「魔力による身体強化をフルに回し続けて動いてたせいで純粋に疲れと怪我が溜まってるって感じ。命に別状はないから、数日間寝れば怪我はともかく目を覚ますよ。後遺症になりそうなものも無かった」

 

「良かったです……これでもしもがあったら、妾は大切な仲間を挽肉(ミンチ)にしなければならないところでしたので」

 

「いや、そこに転がってるスーイさんもうミンチですよ?」

 

 ギロンは特にスーイの心配などはしないどころか、地面に転がっている挽肉(スーイ)を蹴り飛ばして、何かの準備を始めていた。ついでにもう一度挽肉(スーイ)を踏んで。

 

「何してるんだギロン。スーイはもういいよ、めんどくさい」

 

「妾も彼女はどうでも良いので、やるべき事をやろうと思いまして。そう、寝たきりの傷病人がいるならば、()()()()()()()()()()()()()()()と思いません?」

 

「「「…………ッ!」」」

 

 

 洗面器と浸されたタオルを持ち隣の部屋に、『彼』が眠っている部屋に行こうとするギロンの前に、先程の一触即発の時よりも殺気を帯びたリスカとスーイ、そしてメイスを構えたホシも立ち塞がる。

 

「あらあら、どうしました皆様?」

 

「いやいや、ここは私がやるよ。ほら、私このパーティの実質的なリーダーじゃん? あんな雑魚でも面倒くらい見てやろうかなーって」

 

「いやここは私がやる。元はと言えば彼が怪我をしたのは私の責任だ。せめて罪滅ぼしの機会を与えてくれ」

 

「は? 筋肉共に人体のお世話なんて繊細な真似できるわけないじゃないですか。神も私を指名していますよ。筋肉達は引っ込んでろ」

 

 

「「「「…………最初はグー!」」」」

 

 

 何かに駆られるように、乙女達は己の全てを賭けても良いという覚悟の元で血を流さない公正な決闘。じゃんけんを始める。

 この場にいる4人全員、相手の手を見てから反射的に手の形を変えるのはあまりに容易。故に、相手に見切られないほどの速度で手を振り下ろす! 

 

 

「「「「じゃんけん……ポン!」」」」

 

 

 

 風圧で部屋の内装が吹き飛び、窓ガラスが叩き割れる。

 ……結果は、リスカがチョキ、それ以外の3人が……グーであった。

 

 まずは一勝。とりあえず一番えげつない動体視力をしているリスカが最初に脱落したのは幸運だ。そう思いながら次の戦いの為の作戦を練ろうとしていたホシのグーを、リスカのチョキが挟んだ。

 

「えい」

 

「は?」

 

 祝福『切断』。

 リスカ・カットバーンは切れると思ったものは何でも切れる。石だろうがなんだろうが、ホシの握り拳も簡単にチョキで切り裂くことが出来る。

 

「よし、私のチョキが最強ね。じゃあ行ってくる」

 

「は? 待てよクソアマ。私の可愛いお手手に何してくれてんの?」

 

「アー、クソマケチャッタナー。お先どうぞリスカ」

 

「公正な決闘の結果に文句は言いません。お先にどうぞ、リスカさん」

 

「待てや! 私のお手手! 切れてる!!! 切れてるんだけど!?」

 

「チョキで切られたら負けだぞ? ホシはじゃんけんのルール知ってるのか?」

 

「テメェ! 手足治してやってる恩を仇で返しやがったなクソアマァ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………入るわよ」

 

 部屋の主は眠っているので、当然返事はない。仮に断られてもリスカは勝手に入るような人間であるため、全く意味の無い言葉ではあるが、それでも彼女はこうやって口にしていた。

 

「…………」

 

 体の至る所が包帯で覆われている青年を見て、リスカはスーイへの殺意、自らの不甲斐なさ、そして彼の弱さへの侮蔑と憧れ。幾つもの複雑な感情が漏れそうになるのを必死に抑え込む。

 

 こんなものは、『勇者』には必要ないものだ。噛み砕いて、切り刻んで、飲み込んで、消す。いつもやってきた事が、彼の前だと途端に難しくなる。

 

 

 ……さっさと済ませてしまおう。別に小さい頃に彼の裸くらい何度か見た事ある。ただ、それが他の誰かに見られるのが気に食わないと言うだけ。身体を拭いてやることなんて、ベルティオとの勝負に比べたら朝飯前、いけるいける。

 

「えっと、失礼します……?」

 

 タオルを軽く絞って、慎重に彼の体に近づける。別になんにもやましいことは無い、断じてないのになんだかイケナイことをしているみたいで、魔王軍幹部を前にしても平常を保っていた心拍が加速している気がする。

 

 落ち着け、落ち着くんだ。お前は勇者だ、この程度の、ただ幼なじみの体を拭くだけでこんなに心拍をはね上げるのは勇者らしくないだろう。

 

 いつもならそれで落ち着く肉体は、何故か今日は全く言うことを聞かない。だが、退けない戦いというものがここにはある。彼をあの触手神官(ホシ)挽肉(スーイ)ヤバい奴(ギロン)にだけは、絶対に任せられな──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!???」

 

 絶叫しながら飛び出してきて、危うく壁を突破って外に出そうになったリスカをギロンが受け止める。

 

「16秒。思ったより持ちましたねこのクソうぶクソアマ。ちなみにですが、何があったんですか?」

 

「か、かたい……思ったより、胸板かたかった……昔はもっと柔らかかったのに、すごく逞しくて……」

 

 顔を真っ赤にして何かをボソボソと呟くリスカに向けて、聞こえるようにホシはしっかり舌打ちをしたが完全に脳みその端から端まで全てが沸騰しているリスカには聞こえていなかった。

 

「リスカがこうなってしまっては仕方がない。ここは私が行く。ギロンには任せられない」

 

「私はお前達の誰にも任せたくねーですけどね。まぁ、とりあえず行ってみてどうです?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に言っておくと、スーイは勝利を確信していた。

 まさか幼なじみの胸板を触った程度で顔を真っ赤にして何も出来なくなる程、リスカがアホだと知った時は吹き出しそうになったが、そこを耐えてリスカの逆鱗に触れるのさえ避けられれば自分の勝ちだ。

 

「さぁて、私が来たからにはもう安心さ。しっかりと、全身くまなく拭いてあげるからねぇ〜」

 

 女の子がしちゃいけない表情を浮かべながら、スーイの魔の手が眠っている青年へと忍び寄る。

 そして、顔とは裏腹に思ったよりもちゃんと、手際よく体を拭いていく。さすがは彼が傷ついていく過程を観察していただけはあり、傷の周りに力を込めてしまい彼を起こさないようにも気を配っている。

 

 

「ふーん、こんな簡単に折れちゃいそうな体であんなに駆け回ってたんだ。やっぱ面白いね。さて、次は下半身……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すっげぇち〇こデケェ」

 

「なんの報告ですか」

 

「いやマジでナメてた。人間ってあれ使って増えるの? え? マジ? アレが? メスに? 無理でしょ死ぬわ。意味わからん……怖っ……人間怖い……」

 

 廊下の端っこで顔を真っ赤にしてなにかブツブツ呟いていたリスカの隣に、顔を真っ青にしてうわ言のように「デケェ……」と呟くスーイが置かれ、赤と青のアホが揃い最強に見える。

 

「えっと、私が行っていいですか?」

 

「いえ、ここは妾にお任せを。皆様が大変な時にいなかったせめてもの償いとして。償いとして」

 

「償いに赴くやつの圧じゃねぇんですよ。……さっさと行ってきてください。ダメそうだったら大人しくスーイの隣に行ってくださいね?」

 

「ご心配なく。妾はそこのお二人と違い、下心無しですので」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三番手に青年のお世話へと赴いたギロンには、勝利の確信があった。

 何故ならば、彼女は他のうぶな者たちと違い、しっかりと知識を蓄えていた。

 昔から興味のあるものにはなんにでもトライ出来る環境があった故に、田舎のおぼこ娘達とは経験値が違う。

 

 

 そう、男性のアレは触ると血液が集まり膨張する──────勃起という現象が起こることを知っている。

 

 

 別にやましい気持ちはないが、下半身のそういうところは汚れが溜まりやすいのでしっかりと拭いてやらなければならない。その際に勃起が起きてもそれは所詮事故でしかない。そう、仕方の無い事故だ。

 

「では……失礼します(いただきます)♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソデケェですわ!? ち〇こデケェですわ!?」

 

 心が一撃で折れた。

 格の違い、というものを知ったギロンはその威容から逃げるように廊下に飛び出し、三角座りをしてうわ言のように何かを呟いているリスカ、スーイの隣に並び、その巨体を可能な限り縮こませた。

 

「かたい……おとこのこかたい……あんなのしらない……私が、知らないうちにあんなに……」

 

「怖い……にんげんこわい……絶対無理、アレは武器だって……」

 

「クソデケェですわ……あれはおチ〇コ様ですわ……」

 

「…………はぁ」

 

 青年の体を拭く、という簡単な作業すら出来ない人類最強格の戦士達を見て、ホシはもう体の中の酸素を全て吐き出す勢いの大きな溜息を付いてから、青年の眠る部屋に入った。

 

 そして、服をはだけさせて念入りに体を拭いてやり、服を戻して怪我の状態を確認して、それから部屋を出る。

 

 

「終わりました」

 

「「「…………?」」」

 

「貴女方が裸ごときでギャーギャー言ってる間に全部終わらせました」

 

 

 この時ホシ以外の3人には、ホシが今まで出会ってきたどんな生き物よりも強大な生き物であるように感じられた。彼女達はそんな圧倒的強者に、無意識のうちに跪き、神を崇めるような姿勢を取っていた。その姿勢は、きっと思考や意思とは関係ない生命の本能だった。

 

「ホシ様……」

 

「マジで崇められるのは嫌いなんでやめてください。……だいたい裸なんて、私はもう彼に1度見られてますからね。今更相手の裸なんて、別になんとも思いませんよ」

 

「「「は?」」」

 

 ホットシート・イェローマムが始めて青年と出会った時、彼女は裸であり、そしてほぼミイラであった。そのせいで青年は全く覚えてないだろうが、ホシにとってかけがえのないその瞬間、自分の裸を見られた瞬間を忘れるはずがない。

 

「…………でも、思ったより逞しく成長してて、ちょっとドキドキはしましたね

 

 小さく呟いたホシのその言葉を聞いているものはこの場には既にいなかった。

 青年が目を覚ますまで、後約6時間。それは同時に青年の命の終わりになりかねないタイムリミットでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・リスカ
実は赤髪。普通に初心。

・スーイ
実は青髪。人間やべぇ……。

・ギロン
ヤバい奴。こんなの妾のデータにありません。

・ホシ
人間じゃないけど比較的常識人なせいで損をすることがある。
異能が異能なのでそういうものは見慣れているし、意外と神官として真面目に働くタイプ。下心はなかったけどちょっとドキドキした。

・青年
従者くん。脱ぐと筋肉が凄いタイプ。ただし4人の誰にも勝てない。






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デート、あと追放

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタ追放ね」

 

「急過ぎない?」

 

 目が覚めて最初にそんな事言われたら流石に俺だって驚くよ。でもリスカは間違いなく、今までにないくらい切れている。既に抜刀しているし何か下手なことを言えばこちらの首が飛ぶ。

 でも、せめてもうちょっと回復するまでは待って欲しい。まだ体が本調子じゃないんだよ。何とか頭おかしくなる数の魔獣から逃げ切って死にかけて目が覚めたら追放はちょっとテンポがよすぎる。

 

「えっと、一応理由を聞いても……」

 

「ホシの裸を見たから」

 

 冤罪!? 

 なんで俺が意識不明の間に俺がホシの裸を見た事になってるんだよ!? 

 

「さすがに仲間の裸をエッチな目で見てる人と同じパーティは妾もちょっと……追放に賛成ですわね」

 

「あ、ギロン久しぶり。あと冤罪だ信じてくれ」

 

「お久しぶりですわね。これお土産ですわ。上手く使ってくださいまし」

 

 そうして手渡されたのは綺麗な装飾の施された短剣だった。武器は使用感だけで選んでいる俺でも、これが相当な高級品であるということはわかる。多分ギロンが実家から持ってきたものだろう。

 

「ありがとな、ちょっと使うのが勿体ないくらいだ」

 

「? いえ、この場で是非使ってください。ほら、首は妾が落としますので腹をこう、ザクっと」

 

「お土産に自害用の短剣とはやっぱギロンの国は俺達とは文化が違うな」

 

 それはパーティどころかこの世から追放されちゃうなぁ。まさか起きて数分で久しぶりにあった仲間から自害を強要されるとは夢にも思わなかった、というかもしかしてこれ夢だったりしないかな? 

 

「……起きましたか」

 

「ホシ! なんか俺、お前の裸見たとか言う冤罪かけられてるんだけど助けて!」

 

「…………」

 

 おかしい。俺はホシの裸なんて見たことあるわけがないのに、何故かホシは黙ったまま、その綺麗な藍色の瞳でじーっと俺を見つめるだけで何も言ってはくれない。なんか、そこはかとなく不機嫌な気もするし。

 

「私の裸、本当に見た事ありませんか?」

 

「いや、ないよ……さすがにそんな、勝手に女の子の裸を見るのは、ダメだろ」

 

「…………」

 

 またホシはじーっと、大きな藍色の瞳で俺を見つめながら、ぷくーっと徐々に頬を膨らませていた。

 あれ、そういえばホシの瞳って、以前もどこかで見たような気が……。

 

「えーっと……ホシ?」

 

「追放!」

 

 こうして俺の追放が決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで追放決定したの? やっぱみんな面白いね」

 

「笑い事じゃないんだよ……前は庇ってくれたホシが今回はかなり怒ってるしマジでどうしようも無いかもしれない」

 

 結局その場を流れるように追い出されてしまった俺は、比較的怒っていなかったスーイの部屋に身を寄せることになってしまった。

 

「それにしてもホシを怒らせるなんて凄いよ。あの子が怒ってるところ、私ですら数回しか見た事ないよ」

 

「そうか? ホシって結構しょっちゅうリスカ相手に怒ってる気がするが」

 

「じゃれ合いじゃなくて本気で怒ってるってことだよ。まぁ、私も君がホシの裸を見たって件については怒ってるんだけどね?」

 

 ほぼ間違いなく冤罪のはずなのに、ホシが否定をしてくれなかったので現在俺はホシの裸をガン見したドスケベ野郎として仲間から扱われるのを甘んじて受け入れるしかないというわけだ。納得いかないが、ホシが言うのだから俺が何かをやったのは間違いないのだろう。でも納得いかない。俺だって一応年頃の男の子なんだから、女の子4人から変態扱いされながら追放されるのは心がとても苦しい。

 

「ホシは3日くらい置いておけば多分機嫌を治してくれるさ。リスカもベルティオとの戦いの後遺症があるからしばらくはここに滞在するだろうし、それまで根気強く粘ることだね。もちろん、諦めたりしないだろう?」

 

「そうだな。とりあえずホシの機嫌が治るのを待つかぁ……」

 

「そうだねぇ、私以外の3人はかなりご機嫌ナナメだし、ただ待つのも楽じゃないだろう」

 

 スーイはニヤニヤと、ろくなことを考えてなさそうな笑顔をこちらに向ける。彼女の笑顔はその端正な顔立ちに似合っていないというか、獰猛な野獣の威嚇のような()()が籠っているように、時折恐ろしいモノに感じてしまう。

 

 

「私とデート、しない?」

 

「…………デート?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら見て! あそこの建物、昨日の段階では魔獣にかなりぶち壊されてボロボロだったのにもう体裁だけは元に戻ってる! いやぁ、素晴らしい建築技術だと思わないかい? 魔術だけではこうも上手くいかない。この街の建物は独特な形状のものが多いし、おそらくは代々建築技術に関しても継承しているんだろう。すごいなぁ」

 

 デートと言われ、いきなり街に連れ出されたと思ったら俺は何故かスーイに延々と復興作業を見せつけられている。まぁそりゃつい先日魔王軍による攻撃を受けたのだからデートなんてできる場所は今この街にはないだろうけど、こんなに予想外の方向だとは。

 

「見てるだけってのもアレだし、手伝ったりしないのか?」

 

「ダメダメ。私が手伝っては意味が無い。この街の問題は可能な限りこの街の人達で解決しなければ、それは私達が彼等から成長の機会を奪ってしまうことになるからね」

 

「そういうものなの、か?」

 

「そういうものなんだよ」

 

 正直俺としては手伝ってあげたいところだが、まだ本調子じゃないし下手に手伝っても邪魔になってしまうかもしれないのでやめておいた方が良いと判断した。

 

 それにしても、スーイは本当に何者なのだろうか? 

 実の所仲間であるはずなのに俺は彼女のことをほとんど知らない。リスカは幼なじみで、ギロンは一人で旅をしてた時に知り合った相手で、ホシはリスカが見つけてきた優秀な神官と聞いていたが、スーイについては何も分からない。

 ある日、なんの前触れもなくリスカが今日からパーティに入れると言ってきて素性は不明、過去も経歴も語ろうとしない、基本的に単独行動ばかりであまり一緒にいることもない。だけど実力は申し分もないし、本当に謎ばかりのやつだ。

 

 

「くふふ、なるほどなるほど……。これは興味深い。よし、覚えたぞ。もう忘れない」

 

 

 本当によくわからないやつだけど、唯一分かっているのは多分常に楽しい方向に乗っかって生きているということだけだ。基本的に、スーイはいつも楽しそうにしている。彼女が不機嫌そうにしているところや、本気で怒っているところは正直想像がつかない。あと申し訳ないけどちょっと笑顔が気持ち悪い。

 

 

 そんなことを考えながら、改めて街並みの方に目を向ける。

 数日経ったとは言え、魔王軍が残した爪痕は非常に大きく街は至る所が破壊されている。しかも、この被害を与えたのは全部魔王軍が調教した魔獣であり、もしもリスカやホシにスーイが今回攻め込んできた魔王軍幹部、ベルティオの本隊を相手してくれていなければ被害はもっと大きくなっていただろう。

 

 

 ……もっと俺に力があれば、と思わずにはいられない。彼女達がそんな相手と戦っている中で、俺は魔獣から逃げるだけで精一杯だったなんて。

 

 

「もしかして、今自分が不甲斐ないとか思ってる?」

 

 

 突然スーイが心を読んだかのような言葉を投げかけてきて驚いてしまう。

 でも、そう思うのは当然のことだろう。自分がリスカと比べたらずっと弱いことは知っている。それでも、何もしないで見ているだけよりは何かをした方がいいと思ったからこうして今でも戦い続けているが……それでも自分の弱さというのは嫌になってくるものだ。

 

「全く、君は本当に強欲な人間だ」

 

「え? 強欲?」

 

「そうとも。人間という矮小な存在が成せる事なんて、せいぜいが自分の身を守ることだけだ。だと言うのに、自分の身を守る強さもないのに他者の事まで気にかけるその在り方を強欲と言わずなんと言う?」

 

 スーイの言うことは全くその通りであるかもしれないが、だからと言ってそう簡単に割り切れるものでもないだろう。

 有り得ないとわかっていても、自分にリスカのような強さがあればと思わずにはいられない。どれだけ努力しても追いつけないとわかっていても、努力をやめる理由にはならない。やめなければ、何かを掴めるかもしれないから。

 

「……うん。強欲だな。でもそれでいいよ。人間、ちょっと欲張りくらいな方がきっと生きていて楽しい。幸福なんて、欲張るくらいがちょうどいいんだ」

 

「奇遇だね、私も人は欲深い方が好きだ。だってね……ん、なんで私の服を引っ張る?」

 

「なんだ? スーイも俺にセクハラの冤罪を押し付ける気か?」

 

「いや実際引っ張られて……いやこれ後ろからか。おっと、どうしたんだいお嬢ちゃん?」

 

 後ろを振り向くと、小さい女の子がスーイのローブを掴んで引っ張っていた。

 彼女の反応から見るに多分知らない相手だろう。女の子はスーイの顔をじっと見つめると、小さな口を僅かに動かしてこう呟いた。

 

 

「……お母さん?」

 

「まだ母性に目覚めた覚えはないんだけどね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダメだこれ。全然放してくれない。お嬢ちゃん、私はまだママになりたくないんだよ。子育てとかできる気がしないからさ」

 

「…………」

 

 女の子はその見た目に似合わぬパワフルさでスーイのローブを掴んで全く放そうとしなかった。さすがにここでスーイにローブを脱げと言うとなんだか飛んできたギロンに自害を強要されそうだし、そもそもこんな訳アリの女の子を放っておくことも出来ない。

 

「大方魔獣騒ぎで母親とはぐれてしまった子だろうね。家も運悪く壊されてしまったとかだろう。可哀想だが、私達にどうこうできる問題でもないし、ローブ1枚くらい捨ててしまおう」

 

「いや待てって。さすがにそれは人の心がないぞ」

 

「そんなもの私にあると思う?」

 

「人の心は分からないけど、この子を見捨てるほど酷いやつじゃないとは信じてるぞ」

 

「信じられちゃあその期待を裏切ることは出来ないなぁ」

 

 しかしどうしたものか。さすがに俺達二人で知らない女の子の親を探すのは骨が折れるというか、ほとんど無理だろう。女の子はずっと下を向いたまま何も答えてくれないし、せめて彼女の親の顔か名前が分かれば話は違うのだが……。

 

 

 

「お、相棒! もう元気になったのか!」

 

 

 

 と、そこに現れたのは魔獣騒ぎの時に俺を助けてくれた強面の大槌使いの相棒だ。なぜ俺達が互いを相棒呼びしているのかは俺自身全くよく分からないが、とにかく彼は相棒だ。

 

「相棒、そっちも元気そうでよかった。怪我は大丈夫か?」

 

「おう。もうこうして元気に歩き回れるくらいにはな。……ところで、そっちのフードの嬢ちゃんは? 相棒、あの神官の嬢ちゃんといいまさか意外とモテるのか?」

 

「生憎生まれてこの方女の子と浮ついた話はないから安心しろ」

 

「まぁ相棒程のやつなら女に困ることなんて有り得ねぇよ! ……っと、そっちの女の子は、リーンちゃんじゃねぇか。相棒、知り合いなのか?」

 

 なんという幸運だろう。どうやら相棒はこの謎の女の子改めてリーンちゃんの事を知っているようだ。この街の数少ない知り合いがこれとは、改めて俺は相当出会いというものに恵まれていると実感する。

 

「相棒、この子について詳しく知ってるのか?」

 

「いや、近所に住んでいる子って事くらいしか知らねぇが……まぁ事情は察した。その子の親を探せばいいんだろう? 仲間にも伝えとくから吉報を待っててくれ!」

 

 顔は怖いが、相棒は本当に良い奴だ。魔獣騒ぎの時も彼がいなければ俺は確実死んでいたし、後で何かお礼の品とか用意しておこう。

 

「……いや、凄いな君。さすがに動かず数秒で事態を好転させるとか、人徳溢れすぎじゃないか?」

 

「人徳と言うか、俺の周りには昔から凄いやつが1人はいるもんなんだよ何故か。とにかく俺達もこの子の親を探してみよう。名前は、リーンちゃんだよな?」

 

 女の子はスーイの後ろに隠れながら小さく頷いた。どうやら本当にリーンちゃんで良いようだ。

 

「なんとなく、これならすぐに見つかりそうな気がするな」

 

「確かに。この調子でいけば10分後には町中の人間が君に協力しててもおかしくないね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く見つからなかったな……」

 

「そうだねぇ……」

 

 既に時刻は夕暮れになってしまっているが、まともな情報は一つもなかった。相棒の方も芳しい情報は得られなかったようで、最初の良い流れはなんだったのかと言いたくなるほどに何も得られなかった。

 

「あれ、そういやリーンちゃんは?」

 

「さすがに歩き疲れたと思ってね。ローブごと私の部屋に置いてきた」

 

 今日は一日ずっとスーイと一緒に歩いていた気がするが、一体いつ部屋に戻ってなんていたのだろうか。しかもローブは予備なのか知らないがちゃんと着ているし。

 

「……さすがに気がついているだろう?」

 

「何にだ?」

 

「今回の魔獣騒ぎ、死者の他に大量の行方不明者が出ている。……魔王軍の者の異能、『人を魔獣に変える』モノがあったそうだよ」

 

 既にそのことはホシから聞いていた。俺が魔獣を何体か殺している事を知ってか、ホシはぼかして伝えてくれたがさすがにそこまで察しが悪い訳ではない。結界も門も破られた形跡はないのに魔獣が街中に現れるとしたら、内側から何らかの要因で発生したと考えるのが普通だろう。

 

「……正直言うと、最初から気が付いてたよ。多分、あの子の親は死んだか魔獣になったかでもういない」

 

「じゃあなんで今日一日無駄な時間を? 君だってまだ目覚めたばかりで疲れているだろうに」

 

 そりゃ無駄だってことはわかっていたけれど、それとこれとは話が別だ。

 

 目の前で悲しそうにしている人がいて、俺に出来ることがあるならやってみる。たとえそれが俺の力だけでは難しいかもしれなくても、とにかくぶつかってみる。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

「諦めるのは、それからでも遅くないだろう?」

 

「……いいや、それでは遅いだろう。でも悪くない答えだ。何事にもぶつかってみる、か。うん頑張れよ」

 

「あぁ。もうちょっと俺は探してみるけど、スーイは?」

 

「先に帰らせてもらうよ。せいぜい頑張りたまえ〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気分が良い

 あぁ、ああ! 気分が良い! 今日は一日の殆どを彼の隣で過ごすことが出来た。改めて見れば、昨日与えた『試練』のおかげか彼はまた成長していたし、彼の努力の結果は目に見える形でこの街に根付いていた。

 

「ぶつかってみる、ぶつかってみる! そう、そうとも! もっとぶつかれ! 肉体が砕ける限界までぶつかり、砕けてもぶつかり、その先にこそ進化はある!」

 

 上機嫌に声を上げながら、スーイは自らの部屋の扉を蹴破った。

 上質なベッドの上で寝ていた女の子、リーンはその突然の轟音に肩を震わせながら飛び起きた。

 

「ああごめん、驚かせたかな? でも目を覚ましてくれたならちょうど良かった。聞きたいことがあったからね」

 

「聞きたいこ……ッ!?」

 

 リーンが言葉を発し終えるよりも早く、その肉体が壁に叩きつけられる。悲鳴をあげようにも首を強く押し付けられ声を出す事どころか呼吸すらままならない。

 

 

「うん。聞きたいこと。なんで私達に()()()()()()()。教えてくれる?」

 

 

 魔術師は三日月のような笑みで、瞳の奥に笑顔とは正反対のモノを讃えながら、女の子の首を掴む手にさらに力を加えた。

 

 

 

 








・リスカ
激おこ。身長はだいたい170cm。引き締まった体。背の成長は13歳くらいで止まった。

・ホシ
激おこぷくーっと丸。身長はだいたい150cm(可変)。厚手の神官服を脱ぐと大人の女性な雰囲気(可変)。

・スーイ・コメーテスト
ちょっと怒。身長はだいたい165cm。非常にスレンダー。ホシより出っ張りが薄い。

・ギロン
激おこぷんぷん丸。身長は193cm。デカい。やばい。

・従者くん
何が起きたかよくわかっていない。身長はだいたい180ちょっと。一人で旅に出てから急に身長が伸びた。





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とある女魔術師のお話

 

 

 

 

 

 スーイ・コメーテストと名乗り始めたのは何年前からだったろうか? 

 100、200、いやそれ以上前か? スーイの方は大切なものだけど、コメーテストはノリで付けたからたまに忘れてしまう。

 

 こういう時は昔から思い出すのがいいだろう。そう、さいしょから、ずーっとむかしから。

 つまらない話だけども、思い出したついでです。折角ですし語ってみましょうか。

 

 本当に、つまらないお話だけれども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火が回り込んでるね。逃げ場は?」

 

「多分全部潰された。強行突破は無理でもないけど、現実的じゃない」

 

「まさかこんなことされるなんてね。いくら私達が怖いからって、村ごと焼くかなぁ?」

 

「ドラゴン様の遺体もこれじゃあ焼けちゃうね。残念だなぁ」

 

 

 危機感を感じられない雰囲気で話している年上の精霊(エルフ)達を眺めながら、スーイは床に熱線で落書きをして遊んでいた。

 スーイは村の中で一番若い精霊(エルフ)だったから、みんなに蝶よ花よと愛でられて育ち、かなり我儘な性格になっていたが、そもそも人格を形成するのに足る情報をまだ得ていない赤子同然の存在であった。

 

 彼女が知っていることは二つ。

 一つは自分達が精霊(エルフ)と呼ばれていること。土地の魔力から生まれるその概念は、生まれつき強大な魔力を持ち、非常に優れた身体能力と魔術への適性を持つのだとか。

 もう一つは、精霊(エルフ)は嫌われ者だということ。力は強いくせに気まぐれで、何をしでかすか分からない。そういう評価を世間からはされている。精霊(エルフ)の立場として言わせてもらうと、ただ何も考えずのほほんと暮らしているだけなのだが、天災が何も考えずのほほんとしていると言えば周りに暮らす者達からしたらそれはそれは恐ろしいことだろう。

 

「うわー、もしかしてと思ったけど魔族と人間が手を組んでる。凄い、私初めて見たかも」

 

「そんなに僕達が嫌だったのかなぁ。嫌なら嫌って言ってくれりゃあ良いのに」

 

「どうします村長? これ、逃げられなさそうですよ。ここにいる私達以外はみんな殺されちゃいましたし、多分今から全力で応戦しても魔力切れで負けます」

 

「うーん……仕方ない。ちょっとおいでスーイ」

 

 長老に呼ばれたので、スーイは落書きをやめて小さな手足を動かして長老の元へと歩いていった。ただそれだけなのに周りの精霊(エルフ)達は可愛いだの愛らしいだの漏らしている辺り、彼らの妹への溺愛っぷりは半端では無いのでしょう。

 

「今からみんなで頑張って君をここから逃がす。心配しなくてもいい。君が、『翼』を授かった君が生きていれば我々はみんな生きているも同然だ」

 

 まぁ、死にたくないし生かすなら自分だろうなとは思っていたのでスーイは納得こそしていたが、一つだけ心配事があった。

 

 自分一人になったら何をしようか。

 暇なのは嫌いなので、遊び相手くらい欲しいのだが、皆の話からそれが叶わないのはなんとなくわかっている。でも暇なのは嫌だ。

 

「心配する必要は無いよスーイ。何が楽しいか、何がしたいかというものは君が今から決めるものだ。どんな形でもいい。どうか、楽しく生きてくれ」

 

 

 

 

 その日、精霊(エルフ)は事実上完全に滅亡した。

 土地から生まれる彼らの発生源である土地は完膚無きまでに壊され、生き残りが居ないように徹底的に殺された。たった一人の生き残りは、とりあえず暇なので逃げ切ったことを確認してから、餌を探すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かっ、……は」

 

「ほーら、早く話さないと死んじゃうよ?」

 

 女の子の首をにぎにぎとしながらスーイは歌うように問いかける。彼女は嘘をつかれる事は別に嫌いではないし、嘘を吐くことも人間の素晴らしい美徳だと考えている。

 

 だが、気に食わない。

 

 彼を騙したのは心底気に食わない。彼を騙していいのは私だけだ。彼を弄んで良いのは、私だけだ。

 考えれば考えるほど、細い首を締め付ける手には力が篭もり、今自分が人間の幼い女の子の首を締めているという事実も忘れかけてしまう程。

 

「っと、これ以上は殺してしまうね。ほら、離してあげるからさっさと話しな。それとも、もう一回絞められたい?」

 

「……けほっ、ぁ……」

 

 ちょっと強く絞めすぎたのかリーンの様子がおかしいと思い、そこでスーイは人間が酸素を吸えないと肉体や脳の動きに影響してくるということを思い出した。軽い痙攣を起こしているし、もしかしなくてもちょっとまずいかもしれない。

 

「ちょっと失礼……ここかなっと、えいっ」

 

「!?」

 

 リーンの体に比喩なしに電流が走る。

 さすがに今度こそ死を覚悟した彼女であったが、一瞬の痺れの後に先程よりも呼吸が楽になっていることに気がつき、首を傾げる。

 

「精度が私の売りだからね。リスカみたいに周りごとぶった切ったり、ホシみたく丸ごと飲み込んだり、ギロンみたく周囲を更地にするなんてことはしないからさ。ほら、恐れないで、恐れていても何も始まらないよ?」

 

 一歩、目の前の怪物との距離が縮まる。

 怪物、そう怪物だ。リーンの10年にも満たない人生経験でも、目の前にいる存在が『怪物』であることには気が付ける。人間という生命に与えられた危機感知能力が、目の前の存在から逃げろと全力で警鐘を鳴らしている。

 

「まぁ怖いよね。でも君の手足はまだ動く。口だって動く。やれることは全部やった? 本当に? まだやれるんじゃないか? 逃げる手段は、勝つ手段は、本当に残されていないかな? まだ投げ出すには早すぎるんじゃないかい? 

 ──────君の持てる全てを出し切ってから。絶望するのは、それからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔ばなしの続きです。

 

 スーイは暇なのでとりあえずそこら辺の魔獣を捕まえて食べたり、寝たり、空を飛んだりしていた。スーイは生まれつき強いから、誰もスーイには勝てなかった。もしかしたら自分が戦っていればあの日、皆を助けられたかもしれないかもとかも考えたけれども、めんどくさいしやらなかっただろうなぁとすぐに記憶から消した。

 

 そんなある日、山の中でぼーっとしていたら人間が通り掛かった。ちょうどお腹も減っていたし、人間っていうのは村のみんなの仇であることも思い出した。

 とりあえずお腹も減ったし、食べよう。

 

 

「ひぃ!? 魔獣!? 魔族!? いやなにこれ! 来ないでください!」

 

 

 その人間のメスは魔術師だった。出会い頭に魔術をぶっぱなしてきたが、スーイの体表は大したことの無い魔術なんて防御しなくても勝手に打ち消す。間合いを詰め、爪で一薙か『翼』を使えば終わりだ。

 

 

「──────解析完了。純粋な魔力防御か。ならこれだね」

 

 

 そう思っていたら、その人間のメスは懐から何枚かの鉄片を取り出して、今度は魔術を使ってそれを射出してきた。だが、その程度のモノが自分の皮膚を貫くことがありえないのはスーイはよく知っている。だから、止まらずに突っ込もうとした。

 

「!?」

 

 そして、生まれて初めての感覚と出会う。

 体の一部が急に熱を帯び、思考が途切れかけるほどの鋭い感覚が発生する。赤色の体液が零れ、零れた箇所が上手く動かない。

 

「…………痛い?」

 

 理屈ではなく本能で、その感覚を理解した。

 

 痛い。痛い? 痛い……? 痛い!? 

 

 意味がわからない。何故人間の、大したことの無いどう見ても弱そうな人間の魔術が自分に『痛い』を味あわせている!? だがその答えが出る前に、立ち止まっていたスーイの腹にまた『痛い』が走る。

 

「魔術師だって最近は結構近接戦するんだよ? まぁ、私以外はあんまりしないかもだけど」

 

「──────ュ」

 

 腹を思いっきり蹴飛ばされてまた『痛い』が走った。

 そのまま吹き飛ばされて木に叩きつけられて、今度は腕と足を何かで貫かれて磔にされる。

 何が起きたかなんて理解する暇もない。ただひたすらに痛い。痛い。そして、分からない。なんでどう見ても自分より弱い、魔力も少ない人間のメスが、自分に『痛い』を与えられる? 

 

「さて、貴方の体表で発せられている魔力防御はもう逆波長の解析は済んだから無効化したも同然だよ? この距離なら頭を潰せる。何か言うことは?」

 

「……ごめんなさい?」

 

「えー、私を殺そうとしておいて、それだけ?」

 

 人間のメスが構えている杖に徐々に魔力が収束していく。あ、やばい。これ言葉を間違えるとろくな目に遭わないやつだ。

 

「こ、殺そうとしてごめんなさい? 助けて、ください……」

 

「はー? 違うでしょ? 私より弱いくせに私の事殺そうとしたんだよ? もっと誠意ってものがない? ねぇ? ねぇ!?」

 

 この後スーイは3時間、磔のままでこの人間のメスにひたすらくどくどとよく分からない説教とダメ出しをされ続けた。何故自分がこんな目にと、スーイは思っていたが、後々考えてみれば殺そうとしたのに問答無用で殺されなかっただけ有情ではあったけど、それはそれとして自分がこんな目にあったことは永遠に納得できそうになかった。

 

 

「えぐ……ごめんなさい……弱いくせに、人間様の足元にも及ばない下等生物の分際でぇ……ひぐっ、楯突こうとしてごめんなさい、視界に入ってごめんなさい……何でもするので、もう許してください。手が、もうちぎれちゃいます……お願いします……お願いします……命だけは……」

 

「よし! 立場ってもんがわかったようね! それじゃあ治療してあげるわ!」

 

 

 ようやく磔から解放されて、まだ自分の掌がちゃんと繋がっていることに安堵したスーイは、無抵抗で人間のメスに担がれて、どこかへと拉致られた。

 その間、完全に油断している人間のメスの首を噛みちぎってやることも出来たかもしれなかったが、完全に理解(わか)らせられていたスーイにそんな事を考えるような生意気さは、もう一片も残されてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 実はこの女魔術師、この時の私は知らなかったが、数年前に『魔王』と呼ばれていた魔族の強力な個体を打ち倒した4人の人間の戦士の内の一人だった。

 

「ねぇ、なんでアンタ私に勝てたの?」

 

「いやスーイが弱いからだけど?」

 

 そんな事を知らなかった当時のスーイはとにかくこの女がなぜ自分に勝てたのかが気になって仕方なかった。生まれて初めて、何かに興味を持ったと言ってもいい。

 

「……スーイは、私みたいに強くなりたい?」

 

「いや。別にアンタみたいになりたいとは欠片も思わないけど、気になる」

 

「ふーん……まぁいいよ。教えてあげる。なんで私がこんなに強いのかを、クソザコな貴方に手取り足取りね」

 

「ヒッ、ご、ごめんなさい……ウジムシ以下の私が貴方様みたいになりたいなんて思ってしまってごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい……」

 

「あ、ごめん! 本当にここまで卑屈になると思って無かったからさ! 真面目に答えて!」

 

 あと、スーイはボコボコにされたのが結構トラウマになっていて時々変なスイッチが入るようになってしまっていた。

 

 

 

 ……そしてその日から厳しい修行が、始まったりはしなかった。

 

 まずは女魔術師はスーイにひたすらに言葉を教えた。別にスーイは相手の言語を勝手に理解できる権能を持っていたのでいらないと言ったが、それでも女魔術師はスーイに言葉を教えた。

 

 スーイは言葉に込められた意味を知った。

 

 そしてその後は歴史を教えられた。意味のわからない争いや、文化や、発展。魔術史についての授業は最初は逃げ出したくなるくらいつまらなかったけど、最後の方は自分から教えを乞うくらいになっていた。

 

「魔術の歴史は願いの歴史なんだよ。人がもうちょっとだけ便利な暮らしをしたい。もうちょっとだけ大切な人を守れる力が欲しい。そういうものを積み重ねて、今の魔術体系が生まれたんだ」

 

 ある程度学んできたスーイは、女魔術師が夢見がちな人間であることを知った。

 そんな美しい真実ばかりがある訳でもない。魔術の進化の歴史、他者を蹴落す為のものも、より多くの敵を殺すためのものも幾つもある。それでも、魔術について楽しそうに、悲しそうに語る女魔術師の横顔を見るとスーイは何も言えなかった。

 

 

 そして、いよいよ魔術について教えて貰えると思ったら今度は女魔術師の身の上話をされた。

 女魔術師は、優秀な魔術師を多く出している家系の三女として生まれた。長女は祝福を授かって生まれ、次女はパッとしない才覚で、彼女は特に期待もされていなかった。何故ならば、祝福を授かって生まれた子が居たからだ。

 祝福は魔術では解明できぬ真理の向こう側の力。魔術だけでは叶わぬ事を簡単に施す魔性の光。

 

 そんなものよりも、一つ上の姉が彼女に見せてくれた、光で蝶を作る魔術の方が、ずっと彼女は好きだった。一つ上の姉には才能と呼べるようなものは何も無かったが、彼女が教えてくれた魔術が、誰にも期待されずに生まれた自分を笑顔にするためだけに彼女が三日三晩寝ずに生み出したその魔術が、彼女は大好きだった。

 

 

「ほら、この光る蝶すごく綺麗でしょう? これはね、私の為だけに作られた、私の為だけの魔術なの」

 

 とある夜に女魔術師が見せてくれたその魔術は、確かに綺麗だった。

 その魔術に破壊する力はない。その魔術に守る力はない。けれども、その魔術はこの世のどんなものよりも、美しかった。

 

 

 女魔術師の半生についての話は、そこからはざっくりとしたものだった。

 魔王と呼ばれるものが現れて、祝福を持つ姉が殺されて実家に呼び戻されて、そして勇者と出会った。

 彼は真っ直ぐで、愚直で、一度決めたら止まれないとにかく直線な人間だったらしい。そして、彼女の一つ上の姉が作った魔術を、心の底から賞賛してくれた。それだけで彼女は彼について行くことにしたらしい。意外とちょろいなこの女と思った。

 

 旅には楽しさがあった。

 旅には苦難があった。

 旅には、終わりがあった。

 

 

 魔王との激戦で、女魔術師以外の仲間の3人は息絶え、彼女だけが生き残った。

 

 

 

 

「なんでそんなこと、私に話したの?」

 

「君に私の魔術を教える前に、どうしても知っておいて欲しかったからだ」

 

 女魔術師はただ笑顔を浮かべていた。

 自分が教える魔術に、自分の全てを費やしたことを覚えて欲しいと語って、女魔術師はスーイの『師匠』になった。

 

 

 

 そして一転、信じられないくらいのスパルタ指導が始まった。

 多分、人間だったら何百回も死んでいた。それだけ師匠が魔術に関しては本気であり、今まで妥協なく生きてきたという事をスーイは知った。

 

「スーイ、なんか好きな食べ物ある?」

 

「人間の肉」

 

「うん、それ以外で」

 

 師匠はスーイが一つ壁を乗り越えると決まって豪華なご飯を用意してくれた。実は食べ物の味の違いなんてよくわからなかったけど、嬉しそうな師匠の顔を見るのが楽しくて、スーイは適当に答えていた。

 その内、味が分からないのに師匠が作る料理が大好きになっていた。

 

「……え!? アンタ人間じゃないの!? ……精霊(エルフ)! え、数百年前に天災で滅んだって、えぇ!? 滅ぼされた!? 嘘ォ!?」

 

 スーイはある日、村の長老たちがスーイにかけてくれた認識阻害の魔術をうっかり解いてしまって、正体がバレてしまった。

 そして、精霊(エルフ)の真実を伝えると一言だけ謝られた。けれど次の日から特に何も変わらず師匠はスーイに接していた。

 

 師匠は、自分に貴方に償えることは何もないと言っていた。

 もしも人間が憎かったならば、私が教える技でいつか私を殺しなさいと言っていた。それだけ言って、師匠はいつも通りスーイを『スーイ』として雑に、それでいて丁寧に魔術を教えてくれた。

 

 釣りも、料理も、狩りも、教えてくれた。

 どうでもいいことを、かけがえのないことを沢山教えてくれた。目を閉じて、目を開けたら経っているような100年にも満たないその時間の中で、師匠はスーイにたくさんの事を教えてくれた。

 

 

 

「……なんで、私に魔術を教えたの?」

 

「強請ってきたのはそっちでしょう?」

 

 

 もう魔術を教えることも出来ないくらい弱った師匠のそばで、スーイはまた一つ疑問を呟いた。

 

「……本音を言うとね、誰かに受け継いで欲しかったの。私が受け継いできたものを、私が知ってきた、大切な人の事を、ずーっと誰かに継いで欲しかったの。でも、名前はいつか忘れられてしまう。だから、魔術に全てを込めたの。私達が、こんなに頑張って生きてたんだよって、誰かにずーっと覚えてもらいたかった」

 

 師匠の人生の喜び、怒り、悲しみ、嘆き、その全てが込められたのが魔術だった。ようやく、自分は師匠という人間の全てを授かったのだとスーイは理解した。

 そして、スーイはまた一つ知らなければよかったかもしれない事を知る。

 

 

「師匠、死なないで」

 

「それは無理だね。人は死ぬ」

 

「嫌だ。私、師匠が好きだよ。離れたくないよ。私、絶対師匠のことも、魔術も忘れないから、もっと良い子にしてるから。料理も手伝うし、掃除もするから」

 

 

 褒められる事を、怒ることを、怒られることを、楽しむことを、共有する事を、伝えることを、自分以外の事を教えてくれた相手。スーイを『スーイ』にしてくれた大切な、自分にとって欠けてはならない何か。スーイはそれを愛だと知った。そして、失うことの恐ろしさも知ってしまった。

 

「師匠がいなくなったら、私はもう生きていけない。責任、取ってよ」

 

 

「責任ならもう取った。スーイには、私の全てを伝えたよ。あと、私もスーイのこと、それなりに……いや、うん。頑張れ。()()()()()()()

 

 それが師匠の最後の言葉だった。

 スーイは、自分が託されたものの重さを知った。スーイは、その重さの苦しさを知った。そして、その温かさを知った。

 

 でもスーイは理解できなかった。

 彼女は人間ではなかったから、それがどれだけ美しいと思っても、どうしても理解だけは出来なかった。飲み込もうとしても、喉の奥に手を突っ込まれたかのように吐き出してしまう、どうしようもなく、スーイはバケモノでしか無かった。

 

 温かで残酷な呪い。

 スーイはその日からひたすらに魔術を磨き続けた。

 これだけが師匠が生きた証であり、これだけが師匠との絆であり、これだけがスーイにとって楽しい記憶の名残だったから。

 

 スーイは人の営みを見続けた。頑張って、精一杯、弱い手足で生きる営みを見続けた。

 

「……わかんないよ」

 

 それを美しいと思えるのに、それが何なのかを理解できない。美しいと思っても、楽しむことが出来ない。

 人生って、なんなんだろう。人じゃない私にそれってあるものなの? いつも答えてくれた人は、もう土に還ってしまった。

 

 スーイの魂は、どうしようもないくらいに囚われてしまっていたのだ。

 このまま生きることへの意味を感じられない。あの時の、楽しかった記憶を再び味わうことは出来ない。それでも、自分が死んでしまえば師匠の事を誰も覚えてくれなくなる。それにまだ()()()()()()()()()()。師匠からの最後のお願いが、果たせない。

 

 最早どこにも辿り着けない。

 種族が滅んだ時点で居場所なんてこの世のどこにもなかった。もう一度見つけた居場所は、呪いになった。

 

 

 

 起きて、魔術を磨いて、人の営みを眺めて、魔術を磨いて、理解しようとして、ダメで、魔術を磨いて、磨いて、また磨いて、笑おうとして、でもダメで、何も楽しくなくて、泣いて、魔術を磨いて、磨いて、磨いて、磨いて、磨いて、磨いて、磨いて、磨く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてまた数えきれない月日が経ったある日、気ままに空を散歩していると一人の人間が目に付いた。

 

 

「うぉ!? マジでやばいやばい! 死ぬぅぅぅ!!!」

 

 

 何故か5人の小さな女の子を抱えて、ついでに何故か頭に牛の被り物を装備して巨大な魔獣から逃げ惑うその人間の意味のわからなさに、久しぶりにスーイは興味を持った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……優しかったから」

 

「え?」

 

「優しく、してもらいたかった」

 

 リーンはゆっくりと語り始める。

 自分の事をあまり優しくしてくれなかった母親のこと、その母親が突然魔獣になって家を飛び出し、帰ってこなかったこと。

 スーイの事を『お母さん』と呼んだのは本当に偶然で、後ろ姿が似ていたから。すぐに訂正しようとしたけれども、出来なかった。

 

 スーイの隣にいた青年の目。

 生まれて初めてあんな目を見た。暖かくて、不思議な瞳。その心地良さを手放したくないと、その瞳を、自分のものだけにしたいと思ってしまった。だからずっと黙っていた。

 もう死んでいるだろう自分の母親を探してくれるその青年の優しさがあまりにも心地よくて、優しくされることを手放したくなくて、女の子は嘘を吐き続けてしまったことを、涙を流しながら吐露した。

 

 

「…………えぇ。こんな小さい子を目だけでここまで拗らせるか普通?」

 

 

 やっぱ人間って分からない、とボヤきながらスーイは悩む。ぶっちゃけこれはこの子よりも『彼』が悪い。元を辿ればこの子の親が悪いだろう。愛は生まれるものではなく継ぐものだと言うのに、それが出来ないのは親として0点だ。

 

 このまま真実を伝えれば、彼が少しだけ傷つくかもしれない。どうしたものかとスーイは3分ほど考えて、ここ100年の記憶を辿る。ちょうど良さそうな相手を、20年ほど前に見つけた。

 

「仕方ない。許してあげるから、ちょっとこっち来て」

 

「……?」

 

 リーンは、とりあえずスーイの言うことを聞いて彼女の近くへと行くとなんの前触れもなく優しく抱きかかえられた。

 そしてそのまま、スーイは部屋の窓を開けると特に躊躇うことも無く()()()()()()()()()

 

「へ?」

 

「舌、噛まないようにね」

 

 死を覚悟したリーンに対して、スーイは笑っていた。笑いながら、彼女の背中が開く。

 質量保存の法則を完全に無視して、その背中から巨大な黒い筒が何本も飛び出して、金属質な音と共に変形を繰り返す。

 

 

「今から君は人が未だ至ったことの無い空の征服をこの世で唯一味わうことになる。──────しっかりと味わいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・スーイ・コメーテスト
頑張っている人間が好き、というか好きな人間が『頑張っていた』からこそそういう人間が好きになった。彼女にとって自らが身に宿す力よりも、自身の記憶に刻まれた師匠との唯一の繋がりである魔術こそが最も誇れる力である。根本的に何かを頑張れる人が好き。
彼女は、出会いというものが美しいだけのものでは無いことを知っている。出会いは時に、清廉なるモノをどうしようもなく歪めてしまうモノであると。


・師匠
その名前は御伽噺としてしか語られず、本当に実在した人である事を信じているものは、この世でもうスーイだけ。
激戦の中で子を成せない体になり、仲間も失い失意の中で彷徨い立ち寄った山の中でスーイと出会った。


・女の子
本名はリーン。生まれて初めて優しさを知った故に、小さな嘘をついてしまった。



・幼女5人抱え牛頭爆走太郎
天然の人たらし。スーイはさすがにこいつはやばいと思い始めてきた。





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魔性の彗星

 

 

 

 

 

「と、飛んでる……」

 

「うん、飛んでるね。それじゃ、加速するよ」

 

 空を飛んでいた。

 人類の飛行魔術は未だ空を飛ぶには至らない。正確には、飛行自体は可能ではあるが空を飛ぶことの燃費が、地面を速く走ることより良くなることがない、空を飛んでも利益が出るほどの燃費で使えないと言った方がいいだろう。

 

 だから、空を駆ける魔術は進歩しなかった。

 

 魔術を極めたスーイでもそれは同じ。彼女ですら、魔術での飛行は難しい。

 だからこれは魔術ではない。彼女の嫌う、努力でどうしようもならない、再現性のない、1代限りの特殊な力。

 

「え、お姉さん……皮膚が……」

 

「本気を出すと擬態が剥がれちゃうんだよね。みんなには内緒だよ? 私は──────」

 

 空を駆ける速度が徐々に上昇する。

 鉄の筒のような翼を羽ばたかせることなく、そこから途方もないエネルギーを放出しながら空を舞うスーイの皮膚が剥がれ、鱗が顕になる。爪が鉤爪に、歯が牙に、その擬態が剥がれ落ちる。

 

 

「龍核励起、翼砲展開。精霊特権・骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)起動」

 

 

 スーイ・コメーテストは魔王と同じく、御伽噺にしか存在しない既に架空の存在として語り継がれたモノ。

 かつてはその名を聞いただけで多くのモノが震え上がり、許しを乞うた生態系の頂点にして、現存する同種の全てはその足元にも及ばない究極の竜種、天上龍。

 

 

 その亡骸より生まれた精霊(エルフ)

 通称、龍骸精霊(ドラコ・エルフ)。この世でただ一人、その『翼』の権能を持って生まれた空の支配者。

 

 魔力を噴射するという形での飛行を可能にする特殊な形状をした黒い筒のような翼。

 そのエネルギー源となる、無制限に魔力を生み出す胸部の魔力炉。

 空気抵抗を減らす為に編まれ自動展開される魔力障壁と、翼と同時に展開された、突撃の際に更に抵抗を減らす為に身に纏う特殊装甲。

 

 その速度は音すら置き去りにして、彼女に抱えられた人間の少女は何が起きてるかも理解できないまま、超速度で切り替わる視界の光景を見て何も考えずこう呟いた。

 

 

 

「……きれい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がんばれー」

 

「はしれー」

 

「いそげー」

 

「りゅうしゃとかげー*1

 

「いけー」

 

「君達状況理解してる!? まぁ応援してくれてるんだろうねありがとう!」

 

 

 なんで牛の被り物をしているのか本当によく分からないし、なんで魔獣に追われてるかも知らないし、なんで小さな女の子を5人も抱えているのか理解できない。

 

 

 理解は出来ないけど、それはめちゃくちゃ見てて楽しかった。

 ひぃこらひぃこら、口の悪い女の子5人に尻を叩かれながらも決して見捨てずにしっかりと森を走る。

 

「て言うかこの被り物なんなんだよ! 脱いでいい!? 暑い!」

 

「「「「「そもそもそれ何?」」」」」

 

 いやそれお前らも知らないのかよ。

 しかしこのままでは全員纏めて喰われそうだ。助けてやるのも良いかもしれないが、あまりにも状況が分からない。まずその牛の被り物は本当になんなんだよ。

 

「あ、転んだ」

 

 そんなこんなしていたら、遂に牛頭が盛大に木の根に足を引っ掛けてずっこけた。抱えていた5人の女の子は見事な着地をしたが、牛頭は顔面から思いっきり倒れていた。他人事なので痛そうだなぁ、と後ろから追いかけてきていた魔獣に追いつかれたのでおしまいか、とスーイはふわふわと浮きながら考えていた。

 

 

 だが、驚くことに牛頭はそこで終わらなかった。

 どうやら後ろの魔獣は5人の女の子だけが完全に狙いだったようで、ほんの一瞬だけ動きが5人のうちの()()()()()で止まる。転んでいた牛頭はその一瞬の隙を逃さなかった。

 

 飛び跳ねるように立ち上がると、回転しながら遠心力で威力を乗せた剣を魔獣の側頭部へ叩き込んだ。

 

「……見事」

 

 手放しに褒めてしまいたくなるような、鮮やかな一撃だった。

 絶体絶命の状況でも諦めず、見事に逆転の瞬間を捉え、その機会を逃さなかった。あと見た目が面白い。結局青年が5人の女の子を無事に家に届けても、その被り物が何なのかは分からずじまいだったし。マジでアレなんなんだろう。

 

 

 しかしほんと、なかなかに面白かった。

 なのでスーイはもう少しだけその牛頭を観察してみせることにした。もう既に夜も遅いので野営地でも探しているのだろうか。女の子達の家に泊めてもらえばいいのに、なにか事情でもあるのだろうか。そう考えていると、さすがに5人の女の子を抱えて走ったのは疲れたのか、牛頭は少しだけふらついて、運悪く崖に……

 

 

 

「崖ェ!?」

 

 

 

 何か考えるよりも早く行動していた。

 急いで翼に魔力を貯め、放つ。かなりの距離は離れていたがこれくらいなら相手に影響を与えない最高速でも1秒かからずに辿り着ける。

 

 

「うお……ってあれ?」

 

 

 自分の能力はよく知っていた。この程度の距離ならば絶対に間に合うことなんて知っていた。だけど、本当に急なこと過ぎて私はとんでもないミスを犯してしまったことに気が付かなかった。

 

 

 翼出しっぱじゃん。

 現存する生物の特徴に一切当てはまらない、生物学の極点にして遺産(オーパーツ)であるスーイの『翼』が、牛頭にガン見されてしまった。

 

「……」

 

「いやぁ、ありがとうございました。本当に死ぬところだったよ。……あれ、聞いてる? おーい?」

 

 どうしよう。

 ずーっと昔に師匠には『精霊(エルフ)ってことは絶対にバレないようにね。多分ろくなことにならない』って言われてたのに、思いっきり翼を見られてしまった。

 もうこれは殺すしかないか、殺すか、でもなぁ、と物騒な方向に思考を傾けながらスーイはもう隠すことを諦めて小さな背中に巨大な翼を格納していた。

 

 あ、でもなんか鈍そうだし気がついてないかも? もしかしたら牛頭の被り物のせいで見えてないかも? 

 

 

「そういえば、その翼……さっきも飛んでたしもしかして……」

 

 

 ダメかぁ〜。なんか触れてこないしいけると思ったけどダメだった。

 

 

「もしかして……アンタ、魔術師か!? なら、命を救って貰った上で図々しいお願いなんだけどさ……」

 

 

 あ、いける。コイツ意外とチョロいわ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 その青年の話によれば、青年はなんかどっかでユーシャの選別なるものを受けたけど弾かれて、仕方ないので修行の旅の途中との事らしい。あと牛頭はなんかえげつない呪いの籠ってる外れないタイプの装備だった。なんであんなもん拾ってきていたのか、スーイはめちゃくちゃ気になったが触れないでおくことにした。

 

 そして、力をつける為に魔術について学びたいがどこに行っても「才能が無い」の門前払い。なのでスーイに頼ってみたとのこと。

 

 全く嘆かわしい。魔術とは力無き者が理不尽に立ち向かうための手段だと言うのに、それを才能がないという理由だけで見捨ててしまうとは。

 

 師匠だったら見捨てない。

 ならば、私も見捨てはしない。

 

「条件がある」

 

「条件?」

 

「色々あって私はあまり顔を表に出したくない。だから、君は私と出会ったこと、私から教わった事を決して他言しないこと。もしも誰に教わったか聞かれたら独学とでも答えてくれ」

 

「なるほど……だからなんかモヤがかかってるみたいにさっきからフードの下が見えなかったのか。わかった。約束する。よろしく……じゃなくて、よろしくお願いします、師匠」

 

「契約成立だね。破ったら大変なことになるから本当に頼むよ」

 

 どうやら認識阻害の魔術はちゃんと発動していたみたいだ。さすがに、精霊(エルフ)の特徴である長耳とかは見られてたら誤魔化しようがなかったかもしれなかったと胸を撫で下ろしつつ、スーイはぼんやりと昔に思いを馳せる。

 

 

 師匠、師匠かぁ。

 私は師匠みたいな師匠になれるんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「才能ないね。諦めた方がいい」

 

「嘘でしょ!?」

 

 正直スーイは舐めてた。

 マジでここまで魔術の才能がないとは思ってもいなかった。日常生活で使う分には問題ないが、戦闘中に予め覚えている魔術陣を展開して使用する使い方も、高速で組上げて使用する使い方も、他にも思い付く方法は色々あるけどこれより簡単な2つはちょっと存在しない。

 

「……使えないわけじゃないけど、前衛として戦う君が身につけても得するようなモノはない。せいぜい毎晩火を起こしやすくするくらい」

 

「マジかぁ……マジで才能ないのかぁ……リスカが小さい頃に本読んだだけで爆発を起こせるようになってた時点で気がついてたけど、俺マジで才能ないのかぁ……」

 

 思ったよりも本気で落ち込んでいる弟子にほんのちょっとだけ罪悪感をスーイは抱いてしまう。

 あと、多分それはリスカという子の方がおかしい。爆発はどんな原理のものであれ複数の魔術の融合術式なので、子供が簡単に読める本に書かれてる知識だけでポンポン使えるようなものでは無い。本当のことだとしたら、それは弟子の言う『リスカ』という相手が天才なだけだ。

 

「それはそれとして君は才能ないよ」

 

「2回も言う必要あります!?」

 

 口が滑って追い打ちをかけてしまい、弟子は完全に不貞腐れてしまっていた。しかし困ったことにスーイは生涯で師匠くらいとしかまともに話したことがないのに、人間の難しい心の機微なんて理解出来るはずがなかった。

 

 だから、スーイは自らが最も信頼しているものに頼る。

 自分が修行の途中で上手くいかなかった時、師匠がいつも見せてくれた魔術を使う。

 

「……これは、蝶?」

 

「うん。魔力を光らせて、蝶の形にする。結構難しいから君には無理だけど、綺麗でしょ? でも君には多分無理だよ」

 

「いちいち無理なこと強調しないでください……でも」

 

 弟子はバカ真面目に何かを読み取ろうと必死に夜闇を舞う光の蝶を目で追って、まるで真理を得たかのようなドヤ顔でこう呟いた。

 

 

「めちゃくちゃ綺麗ですね。今まで見てきたどんな魔術よりも、綺麗です」

 

 

 そりゃ当然だ。

 これは師匠が師匠のお姉さんから教わって、どんな日も決して休まずに綺麗さを追求し続けて、自分も同じように長い刻の中で磨き続けた最強の魔術。

 二人の人間の人生と、一体の精霊(エルフ)の全てがこの魔術には込められている。綺麗だなんてものは褒め言葉じゃなくてただの事実だ。それをまぁ、よくもこんな真理を獲得したみたいな真面目な顔で、純粋な目で、幼子のような瞳で言えるもんだ。

 

 なんて答えてやろうか、しばし逡巡する。だって、この魔術を師匠以外に見せるのは初めてだったのだから、こういう時なんて言えば分からない。

 

 

 

「……ありがとな、弟子」

 

 

 

 その言葉は考えるよりも早く、すっと喉から漏れだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔術の才能がないと知るや否や、「対魔術師の戦闘訓練に付き合って欲しい」と方針を切りかえてきた。昨日あんなに凹んでいたのに、今日でそんなこと言える切り替えの早さに、スーイは少し驚いた。人間はもうちょっと引き摺るものだと思っていたからだ。

 

 しかし困ったことに、スーイは人間の魔術師の戦い方なんて知らないので、とりあえず適当に相手をしてやることにした。

 

 

「は? は? は? 待って待って、多い多い! 魔術師ってみんなこんなことするの?」

 

「師匠はできたよ。がんばれー」

 

 なのでとりあえず死なない程度に全力で叩き潰して力量を図ることにした。

 スーイは龍骸精霊(ドラコ・エルフ)として空気を取り込むだけで魔力に変換する炉心を持っているため魔力切れという概念とは無縁であり、更に彼女には永い年月があった。

 普通の魔術師はあらかじめ用意した魔法陣を展開するか、覚えているモノを高速で組み上げるかをするが、スーイはそれすらしない。

 

 ただ魔術の基礎基盤を全て叩き込んだ。

 ただ魔術の制御方法を全て叩き込んだ。

 

 師匠がスーイに授けたのはそれだけ。それだけでスーイは最高の魔術師に至った。

 

 用意はしない。それは無策ではなく、下手に用意すれば手札が縛られるから。

 相手の特徴を、魔力の動きを、祝福や異能を、細胞の動きを視てからスーイは最適な魔術を組み上げる。

 一般の魔術師が予め大砲を用意しておき、戦闘時に導火線に火をつけるのだとしたらスーイはそれを戦闘が始まってから瞬時に大砲を作り出し、導火線を介さずに直接ぶっぱなす。

 一般の魔術師がせいぜい2か3個の大砲を用意するのが限界の中、スーイは何十個も同時に作り出す。

 一般の魔術師が火薬を暴発させないように扱う中、スーイは火のついた手で当然のようにそれを扱う。

 

 スーイの魔術に特別なところは何も無い。

 ただ誰でも出来ることを誰よりも速く、誰よりも多く、誰よりも精密に行う。

 

 最強の魔術師の唯一の弟子は、人外の身にて人が到れる極点を夢見たのだ。

 

 

 

 まぁ結果として弟子は初日から死にかけたが、スーイは例えこの辺り一帯を更地にしつつ、1匹の虫だけ生き残らせろと言われても余裕でできるのでまず殺すなんてありえないことだった。

 

 半泣きしていた弟子を見てもスーイは特に何も感じなかった。

 その原因は、至極単純なことにスーイの師匠が彼女に課していた修行が、数百の砲門から致死の魔術が数時間延々と自分を狙い続ける訓練で、よりずっと厳しかったと言うだけである。

 

 

 

 

 

 訓練は続いた。

 弟子は魔術の才能はゼロとしか言いようがなかったが、戦闘の才能自体はかなりのものだった。まず何より、自分に出来ることと出来ないことを理解している。そして、その上で自分の限界の一つ先を常に目指している。

 

「はい、はい、はい。このままじゃ100年経っても私との距離は縮まらないよ。ほら、次はどう動く?」

 

 スーイの魔術の精密性があれば、効率的な訓練を行うことは簡単だ。そして弟子の飲み込みの速さも相まってすぐに実戦として教えられることはなくなっていった。そもそもスーイは誰かと戦うなんてことはあまりしてこなかったので専門外なのだ。

 

「はい……今日はここまで。いや、これで全部だね」

 

「はぁ……はぁ……え?」

 

「もう私から教えることは無いよ。お疲れ様。またいつかね」

 

 名残惜しいがこれでこの師弟生活終わり。改めて、人間というものの成長速度の凄さを知ることが出来た。

 そして何より、とても楽しかった。弟子は、スーイが扱う魔術を全て馬鹿みたいにすごいすごいと褒め称えてくれた。そんなことが当たり前でも、スーイにとって自分の全てであるこの魔術を誰かに褒めて貰えることは、何よりも嬉しい事だった。

 

 ……そう、楽しかった。

 きっと私は、これだけ出来れば楽しかったんだ。

 

 もう終わってもいいかもしれない。

 私はこの思い出だけで、()()()()()()()と師匠に胸を張って会いに行けると、心の底から思えた。

 

 

「ま、待ってくれ師匠!」

 

「なんだい? もう教えることは本当にないんだよ」

 

「いや、違くて……その、これを見てくれ!」

 

 

 そう言うと、弟子は何やら目を閉じて集中して魔力を練り出した。

 何か魔術を使おうとしていることは、すぐにスーイにわかった。でもあまりに不器用で、浮かんだ魔法陣も不格好で、逆にそれが何をしようとしているか分からない。理論も方法もめちゃくちゃで、子供が絵画を必死に真似て描いた落書きみたいだったけれど、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「…………蝶」

 

 

 弟子の掌から、小さな光で出来た蝶が現れた。

 

 

「前に師匠に教えて貰った蝶を出す魔術、必死に練習したんですよ。……本当はもっと綺麗なのにしたかったんですけど、俺にはこれが限界で、でも師匠に見てもらいたかったんです」

 

 

 それは、なんとか蝶とわかるギリギリのラインの不格好さで、今にも地面に落ちてしまいそうな羽ばたきで、今にも消えてしまいそうな仄暗さで、それでも確かに舞っていた。

 

 

 

『これはね、私の為だけに作られた、私の為だけの魔術なの』

 

 

 

 スーイは師匠の言葉を思い出した。その時の本当に楽しそうな笑顔と、そう言いながらその魔術について教えてくれた、その意味を。

 

 

 

「師匠にお礼として俺が用意出来るのなんて成果くらいなんで、とりあえずこれで師匠が喜んでくれたら、とか思ったんですけど……全然うまくいきませんでした……」

 

 

 

 全くその通りだ。

 こんな元の魔術と似ても似つかない最悪なくらいに下手くそな魔術、きっと師匠が見たらブチ切れて1発ビンタをかました後に、腹を抱えて笑い転げるだろう。

 

 でも、この魔術は確かに同じものだった。

 

 誰かを笑顔にする為だけに作られた、この世界で最も美しい魔術だった。

 

 

 師匠がお姉さんから受け継いで、師匠が自分に託し、そして自分が弟子へと繋いだその思いは確かにここに在る。

 本当に美しい、血を介さぬ想いの継承が此処に在る。

 

 

「…………」

 

「……師匠? もしかして怒ってます? あまりに下手くそすぎるとか?」

 

「あぁ、もう、もう! こんなに怒ったなんて生まれて初めてだ馬鹿弟子」

 

 

 一歩、歩み寄る。

 自分よりも大きい大馬鹿者の弟子に抱きついて、その大きさに師匠の事を思い出して、胸の内から溢れた何かが瞳から溢れて頬を伝う。

 とても辛くて、とても苦しくて、どうしても理解できないけれども、これは決して、悪くない。

 

 

 

「ありがとう、本当にありがとう」

 

 

 

 不器用な私が、彼に伝えられる精一杯の想いがそれだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、まさか……昨日一日リーンちゃんの親を探し回っていたとかかな?」

 

「さすがスーイ、鋭いな」

 

「くまを作って眠気を堪えてる君の目付きには負けるよ」

 

 今にも倒れてしまいそうなくらいフラフラな大馬鹿者の体を支えるようにして立ち、スーイは耳元で囁く。

 

「実はね、君がそうやって駆け回ってる間に……私は彼女の親を見つけてしまったんだよ」

 

「へ……はぁ!? おま、いつの間に!?」

 

「なんてったって、私は君の師匠だからね!」

 

「いつから俺の師匠になったんだよ……まぁ、あの子が無事ならそれでいいよ」

 

 実際のところ、スーイは一晩で遠方にあるツテのある孤児院に爆速で行ってリーンを置いてから爆速で戻ってきただけなのだが、それを彼が知る術はこの世に何一つとしてない。

 

「とりあえずご苦労さま。君も疲れてるだろうし、ここで寝ちゃえば?」

 

「あー……さすがにいきなり一晩動き回るのは疲れたな。じゃ、ちょっと寝るからいい時間になったら……起こ……」

 

 問答無用で魔術を使い彼を眠らせて、膝枕の形をしながらスーイはその寝顔を楽しげに、頬を歪ませながら眺めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話は彼女と弟子が最後の別れをする場面へと遡る。

 

 

「それじゃ、またどこかで会いましょう。その時はまた訓練お願いします」

 

「言っただろう? 私はもう君に教えることもないし、君のおかげでもう未練も無いよ。せいぜい大人しく隠居生活をするさ」

 

 本当はもう、人生に満足していた。だから、この後は誰にも知られずにひっそりと命を終えてしまおうだなんてそんなことをスーイは考えていた。考えていたのに。

 

 

「俺の魔術なんかで満足してないで、もっと欲張っていきましょうよ。それくらいした方が、()()()()()()()()()ですよ。何をやるにも、今よりちょっと上を目指した方が」

 

 

 それだけ言って、弟子は彼女の弟子ではなくなった。

 そしてようやく、スーイは自分が彼を欲していることに気がついた。

 

 苦難も逆境も、どんな壁に当たろうと諦めず、自身の全てを発揮して昨日よりもほんのちょっとだけ前に進もうとしていた彼を、そして同じような輝きを持っていた自分の師匠を思い出す。

 

 

 人生を楽しめ。

 

 

 もう十分楽しんだ。精霊(エルフ)としての自分はそう言う。

 でも、本当に、()()を楽しむんだとしたら、もうちょっとだけ欲張ってもいいのだろうか? 

 

 もうちょっとだけ、君のそばで、君の師匠として、君が成長する様を見守っていても、強欲は肯定してもらっていいものなのだろうか? 

 

 

 

 

 

 だからスーイ・コメーテストは人を愛する。

 師匠のように、頑張れる人間を愛そう。受け継ぎ、鍛え、収斂し、いつか天にも至らんとするその強欲さを肯定しよう。困難を乗り越え、宙に辿り着かんとするその勇ましさを肯定しよう。

 

 

 けれども、この恋だけは彼に捧げよう。

 師匠の大好きな魔術を褒めてくれた。私の大好きな魔術を笑顔で継いでくれた、どこまでも頑張り屋で、どこまでも純粋で、私に恋を理解させ(おしえ)てくれた君に、私は私の全てを捧げて、かつて私を愛してくれた人がしたように、君を殺す気で鍛えてあげよう。

 君が望むならば、私は他の愛する人間全てを生贄に捧げてでも、君を強くする試練を与えよう。例えそれで君が死んでも、三百年くらい泣き続けた後に後を追うくらいで済ませてあげる。

 

 

 でも、人は必ず天から与えられた困難を乗り越えて進化できる。私は、それを何度も見てきた。だから信じる。君を信じる。教え授ける、私の全てを。

 

 全身全霊の恋の全てを、君に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────だから死なないで、今度の試練も乗り越えてくれよ? 愛しい人間くん。

 

 

 

 

 

*1
竜車トカゲ。主に運搬、運送の為に古来より利用されてきた地竜の一種のこと。小型であるが竜種でありながらトカゲと呼ばれるのは、単純に彼らが人間の移動手段、労働力として過ごしてきた期間が長すぎてドラゴンに分類されるようになっても誰もドラゴンと呼ばなかったから。『竜車トカゲのように働く』とは休みなくや一途に一つの仕事に従事する意味として使われることがある






・スーイ・コメーテスト
龍骸精霊(ドラコ・エルフ)唯一の生き残りにして最高の魔術師。あらゆる魔術を彼女はより細かく、洗練し扱う。長い刻で鍛錬してきた極限の技こそが彼女の強さである。

それはそれとして、精神性は最悪。もしも師匠と出会ってなければ彼女が魔王になっていたであろうほどに自己中心的。ただ、自己中心的でありながらその中心には他者を置くという癖がある。人類は好きだけど、優先順位としては『彼』>=師匠>人類なので割と雑。しかし優先順位の問題なので人間そのものの営みも大好き。厳しめの人間賛歌ガール。人間はもっと頑張るべき(彼と師匠基準)。
彼女は師匠から受け継いだものを決して途切れさせようとしない。本当に師匠が大切だから。
彼女は彼が見せた人の乗り越える強さを肯定し続ける。それが本当に大切だから。
宝物を抱える龍のように、我儘に傲慢に、日記を紡ぐ少女のような愛。



・精霊特権・『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)
普段は背中に格納されている龍骸精霊の本体。彼女は『翼』の死骸から産まれた精霊であるために、この権能が付随した。
通常の竜種は魔力を纏った翼を羽ばたかせるという魔術儀式により飛行を可能にしているが、彼女は翼と似た形状をした背部の機構より魔力を放出することで飛行を可能にする。また、魔力を放出するという飛行を可能にするために彼女は空気中の成分を呼吸と同時に胸部の魔力炉にて大量の魔力に変換することも可能である。故に、彼女には多くのモノが引き起こす『魔力切れ』という状態がほとんどない。
その飛行の速度、自由度は現状確認されている龍種や魔族、人間の可能とする飛行魔術では再現不可能な域のものであり、空を舞いながら気まぐれに翼より彗星の火を落とし、超速度で突撃を行い地を抉る様は正しく人の手には届かぬ宙の御業。

だいたいバル○ァルクエルフ。

しかしこの力は彼女にとって、便利な移動手段に過ぎない。なぜなら、彼女が本当に美しいと思うものは自らの研鑽で窮めた技だけだからである。そういう意味では、口には出さないがスーイは自らの認識で天から与えられたものを変容させたリスカ、ホシ、ギロンのことも大好き。というか人間はだいたい好き。本当に優先順位の問題。




・弟子
かつての自分であり、もう一人の師匠。楽しむことを教えてくれた、大切なヒト。決して謙虚な人間ではなく、とても強欲である。


・5人の女の子
実は土地神様。

・牛頭
やばいタイプの呪具。

・リーン
空を飛ぶ魅力に当てられて、後々人類の飛行魔術の技術を200年押し進めたとか何とか。






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勇者と神官は眠れない

 

 

「それじゃあ、準備はいいですかリスカ?」

 

「ん、多分いける」

 

「多分じゃ困るんですけど……いきますよ」

 

 大きな倒木に腰をかけて足をぷらぷらと遊ばせていたホシの輪郭が僅かにぶれる。

 少女のように可憐で、娼婦のように艶やかな神官の姿は表面上のものでしかない。彼女に宿る異能の力は、死体ですらも表面上はそのような姿にしてみせる。

 

「ウォーミングアップです。ちゃんと避けてくださいね?」

 

 その全身が不定形の刃となって四方八方十六方よりリスカへと殺到する。逃げ場も隙間も一切ない。故に彼女は逃げようとしなかった。

 利き手とは逆、左手で剣を握る感覚を確かめてから、振るう。

 

 振るう。

 十六方が八方に。

 

 振るう。

 八方が四方に。

 

 振るう。

 包囲が完全に解ける。

 

「うん。それなりに動く」

 

「言いましたよね? これ、ウォーミングアップですよ?」

 

「わかってる。さっさと済ませて」

 

 足元の地面、真下から生えてきた刃を1歩後ろに下がり避け、色を保護色にして首元まで迫っていた二本の刃を右手で掴んで引きちぎる。

 剣と手刀の二刀流で迫る刃の全てを弾き、切り落とし少しずつホシとの距離を詰める。

 

「これ、アンタを1回切れば終わりでいいんだよね」

 

「そうですね。本体に一太刀でも入れられたら終わりです」

 

「じゃあさっさと終わりにしよう」

 

 ホシの目の前にまで迫ったリスカが、左手に握られた剣を振り下ろすために構える。

 

 その瞬間、ホシの大きな藍色の瞳が裂けて、内側から刃が射出される。

 

「うわっ」

 

 発射された刃はリスカの左腕を正確に捉え、()()()()()()()()()()()

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………切れましたね」

 

「…………痛い……いっっっっっっっっっ!?」

 

 当然といえば当然であるが、手首を切り落とされた激痛でリスカは号泣した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、面白いですね。人のお手手を切っておいて自分が切られたらこのザマですか。いやぁ……面白」

 

「笑い、事じゃぅ……ぅぇ、いたい……」

 

 あまりの痛みにリスカは少し胃の中身を吐き出してしまっていた。

 ホシとて、リスカが手首を切られることと自分が手を切られることの重さの違いはわかっている。死体である自分に既に痛覚なんてものはなく、切られようが1秒もかからずくっつけることだってできる。それはそれとしてざまぁみろばーかと思うのがホシなのだ。

 

「治して欲しいですかぁ? ならちゃんと謝ったりした方がいいですよ? ほぉら、我慢しないで言っちゃって☆」

 

「…………」

 

「むぅ、強情ですねぇ。それとも痛いのが大好きな豚さんなんですか〜? ……あ、これ普通に喋れないやつですね」

 

 既に止血はしているが、恐らく痛みで頭が回らなくなっているのだろう。

 呼吸が乱れ、顔色は悪くなり額には大粒の汗が浮かんでいる。うわ言のように『彼』の名前を呟いている様子を見るに、本当に痛みに耐えられなくなっている。いくら性格の悪さを自覚していても、これは放っておくと普通に死にかねない。ならばホシは神官としてしっかりと治療は行う。

 

「じゃあ治しますけど……わかってますね? 次はもっと()()()()と強く認識してください。痛いのは我慢です」

 

「……わかってる」

 

 リスカ・カットバーンの祝福『切断』は彼女が切れると思ったものをどんなものでも切断する。そして、彼女の強い信念……或いは激しい思い込みにより切断を伴う一切の攻撃は『彼女』には通用しない。

 あくまで切断が効かないのは『彼女』の肉体のみであり、彼女が振るう剣や、彼女が自分の腕を『自分の腕』と思っていなければ当然ながら発動しないのだ。

 

 彼女の左手は先日の魔王軍幹部ベルティオとの戦いの際に失われている。しかも自分で切ったものなのだから今回はより『失った』という認識が強く、自分から生えている腕を自分の腕と思い込めなくなっているのだ。

 そもそも、しっかりと祝福が発動していたらホシの異能ではリスカの腕を斬るどころか肌に傷をつけることすら出来はしない。

 

 手首を拾い上げて、傷口の表面に押し付ける。

 リスカから小さい元気の無い悲鳴が漏れ、忘れてたとホシは肉体を変形させてその一部をリスカに噛ませる。

 

「それじゃ、やりますよ。──────死ぬほど痛いですけど我慢してくださいね☆」

 

 リスカが震えながら頷いたのを確認してから、ホシは自らの肉体を溶かして彼女の手首の傷口の中に染み込ませる。

 異能『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』。あらゆる死体を自由に操り、失われた手足さえ再現する冥府の神の権能とすら思わせるその技も万能ではない。

 

 いくら『死体を操れる』と言っても、簡単に相手の手足を付けられる訳では無い。

 

「…………──────ッ、ッ!? ッ、ッ!」

 

 一瞬、リスカは激痛で意識を失ったが再び激痛で意識が呼び戻される。

 暴れようとする四肢はホシが肉体を変形せて押さえ込み、声を出すことだけが彼女に出来る精一杯の痛みからの逃亡だった。

 

 ホシの異能による欠損を補う手段は、まず相手の肉体に入り込んで内側から解析を行い、相手の体に合わせて死体を変形させて神経を繋げる。それが終わればまるで失われた体の一部が生えてくる奇跡のように見えるが、実際は違う。

 

 ひたすらに痛い。ホシ自身既に痛覚というものが完全に死んでいる為に分からないが、リスカの反応を見ればわかるし、そもそもこの方法で最初に欠損を補おうとした相手は激痛に耐えられずショック死をしている。

 

 内側から肉体を犯され、神経を鷲掴みにされ、屍肉が細胞に引きついてくる本能的な嫌悪感。その地獄の苦しみに耐えてこそ、ようやく本来は戻ってこないものを取り戻すことが出来る。

 

 

「……終わりました。大丈夫じゃないですよね?」

 

「わかってんなら、聞くなし……」

 

「減らず口を叩く余裕があるなら幸いです。軽く動かしてみてください」

 

 

 そう言われて手を握って開いてをリスカが繰り返したのを見て、ホシは刃に変形させた肉体をリスカの左手に向けて振り下ろす。

 

「はい、ちゃんと『切断』は発動してますね」

 

「……ぅ……つかれた、ねる」

 

「え、ここで寝るんですか……もう寝てるし……」

 

 今度こそちゃんとただの屍肉はリスカ・カットバーンの左手に変化し、それに伴い一応確認したが、右脚の方もちゃんと『切断』が発動していた。

 

 ホットシート・イェローマムはようやく一段落と大きく息を吐いてから、自分の体の一部を変形させて簡単な寝床を作ってやり、そこにリスカを起こさないように慎重に寝かせた。

 小さく寝息を立てて眠るその姿は、とても魔王軍幹部二体を斬殺した、人類最強と噂され、かつて『視殺のエウレア』を街の人間ごと斬り殺した『切断』の勇者には見えない。

 

 ……いや、実際違うのだろう。

 

 さすがにホシにだって、これだけ近くにいればリスカ・カットバーンの人間性がどういうものなのかはわかる。

 この人間は致命的なまでに()()()()()()()()()。自分が傷つくことも、他人が傷つくことも好きではない。

 そもそも痛みというものに弱いのではなく、痛みというものが嫌いなのだ。指を切ったくらいで泣いてしまうような弱い人間なのに、死ぬほどの苦痛を食いしばって耐えられる強さを持って生まれてしまった。

 

 戦士に最も向かない精神性が、最高の戦士の肉体に宿ってしまった最低最悪の天の祝福。

 

 きっと、戦場で刃を振るうことなんかよりも厨房で包丁さばきを料理相手に発揮している方が幸せな少女だったろう。

 

 素質のあるものに、後天的に祝福を与え勇者と成す。

 

 魔王が発生した際のカウンターとして用意されているそのシステムはあまりに欠陥が多すぎる。こんなただの弱虫で泣き虫なくせに、強さだけはあった女の子を勇者にしてしまうなんて、そんな神様は潔く消えてなくなってしまえと思わなくもない。

 

 

 ホシがリスカに出会ったのは、運命の日。

 自分を殺すと約束してくれた『彼』を追って、ようやくその行き先を掴んだというのにホシは焦っていた。

 

 彼がいるはずの街が戦場になっている。

 魔族と人が殺しあっている。血が、肉が弾け飛ぶ。命が次々にホシと同じ無価値なものになっていく。

 

 一刻も早く『彼』を見つけなければとホシが全力で走る中、それは起きた。

 

 

 

 一瞬にして、街そのものが『両断』された。

 

 

 

 そこに生きているモノの全てが、一撃で死体へと変わる斬撃。もしもホシが死体でなければ、確実に死んでいた一閃。

 

 そして、その中心に彼女はいた。

 

 

「しね、しね、しね……ころす、ころすころすころすころすころす……」

 

 

 何かをブツブツと呟きながら、一心不乱に既に首から上の無くなった死体となっている魔王軍幹部であるエウレアの体を、彼女は短剣で串刺しにしていた。

 

「……これで、わたしは、まだゆうしゃで、いられる」

 

 それが人間の目にはホシは見えなかった。

 それはもう死んでいる。決定的に、生命として欠けてはいけない大切な何かを失って、その代わりに動いている。

 顔の半分が溶け落ちて今にも脳が溢れそうで、ちぎれかけている右腕で一心不乱に死体を斬っている。それはとても生物の動きには見えない。

 ホシと同じ死体、リスカ・カットバーンの肉体を動かしているナニカ。それがホシが初めてみるリスカだった。

 

 

「そんな恐ろしいバケモノがまぁ、こんなただの女の子なんて。ほんと、世の中分かりませんね」

 

 

 ホシはリスカと昔からの知り合いなんかではない。

 その時初めて出会って、利害の一致から行動を共にしている仲間とすら呼べない関係だろう。

 

 それでも、ホシは今のリスカ・カットバーンという人間のことを多分本人の次によく理解している。

 別に知りたかったわけじゃない。この女を治療するという役割の関係上、知りたくもないことを知る羽目になったというのが正しい。

 

「ったく、こんな汗でびちょびちょのままで寝たら風邪引きますよ。アンタの能力は風邪には効かないんですから」

 

 こんなこともあろうかと持ってきておいた着替えを取り出して、慣れた手つきで眠っているリスカを着替えさせる。

 手足や顔、表面上見える部分は可能な限り見た目も整えているが、体の方は酷いものだ。最初からリスカの『切断』はこんなに恐ろしいものではなかったのだろう。一枚服を脱いでしまえば傷がないところを見つけるのが難しいくらいに全身に傷跡が残されている。

 

 ホシの能力を使えば見た目を取り繕うことは出来るが、さすがに傷跡を消すためだけに拒絶反応と戦う羽目になるリスクは治療係としてオススメできなかったし、リスカも了承した。

 

 

「似てるんですよね、私達」

 

 

 リスカ・カットバーンはホシが嫌いで、ホットシート・イェローマムはリスカが嫌いなのは間違いない。

 だが、それが同族嫌悪であることをホシは理解している。自分とこの子は、動力源を得ることが出来た死体なのだ。いや、自分の方がまだマシだ。リスカは動力源のおかげで奇跡的に動いてるだけの死体。いつ精神が参って死んでしまうかも分からない。

 

 もしももう一度、エウレアの時のようなことが起きたら多分もうリスカは立ち直れない。あの戦いは彼女にとってショッキング過ぎた。それこそ、スーイに頼んでエウレアに関する記憶を薄くしてもらったほどに。

 

 

 

 頭から血を流し動かなくなった『彼』。

 

 

 

 あんな光景、ホシだってそうそう思い出したいものじゃない。

 

 

「さてと、このバカが起きるまで私は何してましょうかねぇ……ん?」

 

 寝ぼけているのかなんなのか。

 起きている時は絶対にしてこないであろうこと、ホシの手を握ってくるなんて、握り潰そうとでもしない限りリスカならば絶対にやらない。

 

 さすがに気色が悪いと振りほどこうとしたところで、徐々にリスカの呼吸が乱れてくる。

 彼女はかなり精神が参ってるために、定期的に過呼吸を起こす。これのせいで万が一の為にホシはほとんど毎日リスカと一緒に寝ている。非常に面倒くさいことに。

 

「……ごめんなさい」

 

「誰に謝ってるんですか?」

 

「……ごめんなさい、もっとうまくやるから、もっと、ゆうしゃらしくするから、()()()()()()()()()……」

 

 反射的に叫びそうになったが、ぐっと声を抑える。

 本当に、本当にこういうのはガラではないのだ。望まれるままに、愛されるようになんてもうコリゴリなのだけれども。

 

 一応、神官であるし、仲間だし。

 見捨てられないのが、ホットシート・イェローマムなのだ。

 

 声帯を少しだけ形を変えて、それから軽く頭を撫でてやる。これさえやれば、どんなに寝つきが悪い時でもリスカは赤ちゃんのように寝てしまう。

 

 

「心配しなくても、『彼』が貴方のことを嫌いになるなんて、天地がひっくり返っても有り得ませんよ」

 

 

 こうやって、『彼』の声を再現してやればあら不思議。瞬く間に呼吸は落ち着いて残ったのは幸せそうな寝顔の一人の女の子だけ。

 どこからどう見ても、本当にただの女の子。自分や、スーイや、あの頭のおかしいギロンとは違う。戦う必要なんてこれっぽっちも本来なら持ち合わせない女の子。

 

「別に、どうでもいいんですけどねぇ」

 

 ホシにとって大事なのは『彼』だけ。

 本来ならここまで面倒を見てやる必要もないと言うのに、どうしても見捨てることが出来ない。そんな損な役回りばかりして、最終的には1度2000年以上生き埋めにされたと言うのに、どうしても治すことが出来ない悪癖。

 

 

 

 それでも、この勇者がほんの一瞬でもリスカ・カットバーンとして安らげる瞬間があるならば、まぁこんな役回りも悪くないかもしれないと思えてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 





・リスカ・カットバーン
世が世ならば精神病と診断されるような状態。ホシがいなければ精神肉体共に既に末期のモノ。実は料理が苦手で練習していて、ようやくある程度身についてきた時に勇者に選ばれ祝福が身に付いた。痛めつけるのも痛いのも嫌い。

・ホットシート・イェローマム
魔族であるが、誰よりも人間に好かれる人間になってしまった不幸な魔族。それでも悪くないと思えてしまうことが、幸運か不幸かは分からない。リスカのことが嫌い。人が痛いよりは自分が痛い方がいい。





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魔王軍幹部、あと水着

 

 

 

 

 

『うん。ワタシはキミ達が自由に生きられる世界がいいと思う。だから、ワタシの夢の為にキミ達の力を貸して欲しい』

 

 

 それはただ燃やすだけの火に、仲間を護り敵を討つ理由を与えた。

 それは愛すら融かす魔眼に、ただ真っ直ぐと見返すことで応えた。

 それは渇ききった愛を知らぬ手に、慈愛を以て潤いとした。

 それは誰もが望む幻影に対して、自らの作り出す現実を示した。

 それは誰も辿り着けぬ迷宮を、ただひたすらに歩いて破り箱入り娘を引きずり出した。

 それは回り続ける掴みどころのない影を、ただその手で掴んだ。

 それは暖かさを知らぬ火に、灯火としての在り方を教えた。

 

 

 それは、それは、それは。騙し傷付けることしか知らなかった悪魔達の手に、護り、鍛え、共に戦う方法を教えた。

 本来は肩を並べることの有り得なかった7体の凶悪な魔族。それらを束ねた1体の魔族がいた。

 

 ──────その名は『魔王』。

 その時代最強の魔族に授けられる異名()

 

 

 

 

 

 

 

 

『ワタシはキミのその貪欲さを肯定する。ワタシが世界を支配した暁には……そうだね。世界の半分をキミに上げるよ。どうだい?』

 

「あ、なるなる。なります魔王軍幹部」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルティオ達との戦いから早1ヶ月。

 俺の体もだいぶ調子が戻り、リスカも調子が戻りなんやかんやでホシの機嫌が戻ってくれて俺の追放も有耶無耶になって来ていた頃合。

 

 

「皆様、妾の故郷に1度行きませんか?」

 

 

 ギロンが突然、そんな事を口にした。

 彼女の故郷、人間領の最南部に位置する独自の文化を形成するニハオイ国。さすがに俺でも行ったことは無いが知っている程度には有名な国だ。行きたいか行きたくないかで言えば、正直行きたい。

 

「はぁ? 何言ってんの。ベルティオが倒された今、魔王軍も焦って攻めに躍起になるでしょ。ここは前線に戻って防衛戦に力を入れるべきでしょ」

 

 苛立ちを隠さずに鞘を指で一定のリズムで叩きながらリスカがそう唱える。残念ながら今回は100%正論だ。ベルティオは魔王軍の幹部の中でもトップクラスに危険な存在。それが倒されたとなれば、魔王軍とて今までの余裕な態度に陰りが見え始める。何をしてくるか分からない以上は前線に戻りいつでも対処可能なように準備しておくべきだろう。

 

「確かに常に戦いに身を置き気を引き締めるのも良い事ですが、人間の集中力はそうそう常に続くものじゃありませんわ」

 

「いや、続くでしょ」

 

「今は人間の話をしてるので黙っててくださるリスカさん?」

 

 かなり酷い罵倒を聞いた気がしたが、その意味にリスカが特に気がついていないようで胸を撫で下ろす。こういう時、リスカの察しの悪さに助かったと思わなくもない。

 

「確かに。ここ最近ベルティオのとこの残党がいないかで気を張っていましたし、少しくらい休暇を取ってもいいと神も言っていますね」

 

「私も、ここらで一発どデカい休憩が欲しい。賛成」

 

「発案者である妾が賛成でないはずはないので、これでリスカと彼が反対しても3対2で可決ですわね」

 

「えー……いや、別にいいけど、アンタ達本当にそれでいいと思ってんの?」

 

「何もただ遊びに行くだけではありませんわよ。これからの戦いに備えて、我が国の宝物庫から良さそうな武器を物色……元い、借りに行くのですわ。特に、リスカさんはすぐに剣をダメにしますので」

 

「別に私は剣とかなくても戦えるし……まぁ、タダでもらえるなら行かない理由はないけど」

 

 ……なんだか唐突な気もしなくもないが、ギロンの言っていることにも一理ある。それに、戦力的に足でまといの俺がここで口にするようなこともないだろう。特にホシは最近少し疲労が溜まっていたようにも見えたし、息抜きは必要かもしれない。

 

 

「ちなみに我が国の魅力と言ったらやはり海だと思うので、水着を用意しておいて下さいね皆様」

 

「やっぱ私行かない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギロン・アプスブリ・イニャスは生まれついて特別な子どもであった。

 ニハオイ国の第二王女として生まれた彼女は、それはそれは周囲の人間から可愛がられて育った。既に7歳年上の第一王女が『祝福』を授かって生まれ、その幼さで優れた才覚の片鱗を見せ始めていたが、王位の継承への安心感からか逆に皆ギロンを珠のように大切に、可愛がって育てた。

 

 それだけならば、彼女は恵まれている子どもで終わりだった。

 だが、彼女は『特別』だった。生まれた時から、全てを与えられていた。

 

 

 

 彼女は『祝福』を宿していた。

 通常、『祝福』は血筋による遺伝はしないとされて、それを示すように姉と彼女の祝福は全く似ていない効果であったが、まさか姉妹揃って祝福を授かって生まれるなんて自体、人類の歴史から見ても初めての事例かもしれないような奇跡であった。

 

 故に、ギロン・アプスブリ・イニャスは愛された。

 彼女は全てを持っていた。富も、名誉も、力も。それでいて彼女は謙虚だった。どんな時でも研鑽を怠らず、学問、武術、帝王学、全てに勤勉に取り組んだ。自分の事よりも常に他人の事を考えて動き、誰に対しても慈愛を持って接した。

 

 天は彼女に全てを与え、天から与えられた恩恵を彼女は世の為人の為に使う。

 まさに理想、まさに聖人。彼女の事を知る人物で彼女の事を悪くいう人物はいない。

 

 

 

 

 

 

 まぁ、そういう人は現実がよく見えてないと思いますわね。

 

 

 

 

 

 妾が他人の為に動く? 

 はぁ、そうだったんですか。()()()()()()()()。だって、自分から他人の為に動いた記憶が1片もありませんからね。

 

 慈愛? 謙虚? 

 何を馬鹿な。ギロン・アプスブリ・イニャスは自分よりも他人を愛さず、貪欲な生き物を知らない。

 

 誰かに優しくするのは自分を高めるため。そうすることで、社会的な自分の評価が上がる。

 王族としての身分をひけらかさないのは、そんな身分に最初から当てはめられては本当の自分の価値が王族なんて言うくすんだ金色の称号で隠れてしまうから。

 

 天が全てを自分に与えた? 

 

 

 

 ……()()()()()! 

 

 

 

 そんなつまらないこと、認めてたまるものか。

 本当に全てを与えたというのならば、この渇きは一体なんなんだ。

 

 自分ができなかったことができるようになる度に、知らなかったことを知る度に、自らを尊敬する者が増える度に、満たされていくこの気持ちをなんと言う。妾が完璧でないからこそ、与えられる最高の満足。

 与えられるものじゃない、自らの力で勝ち取ったもののみがギロンの心を満たしてくれる。

 

 この感覚こそギロン・アプスブリ・イニャスの全て。成長し、暴食し、相手を征服した時の快感こそ生きている証。

 でもこの国では限界がある。この国は、ギロンの貪欲を収めるには狭すぎる。はしたなく、皿の隅から隅まで舐めとってもまだまだ足りない。こんなものじゃ、ギロンは満足出来ない。こんな自分の力で全てが手に入ってしまう世界なんて、つまらない。

 

 もっと理解のできないモノを。

 もっと強い相手を。

 もっと不可能を。

 

 そして、それを征服したときの快感を。

 

 

 

 

 

『うーん……ワタシはその貪欲に共感は出来ないけど理解は出来るよ。確かに自分の力で何かを手に入れるのは素晴らしい達成感をくれるよね』

 

 だからだろうか。

 国を抜け出して野山で盗賊や魔族を拳一つで殴り殺していた時に話しかけてきた『魔王』とやらの話に耳を傾けたのは、そこに未知が待っているような気がしたのだ。

 

『ワタシは世界を支配しようと思う。世界、そう世界征服。もしもそれが叶ったら世界の半分をキミにあげよう。この広い世界、まだまだキミの知らないことは沢山あると思う。だから、協力してくれないかい?』

 

 ……世界の半分、()()? 

 

『もちろん、ことが全て終わったらもう半分を賭けてワタシに挑めばいい。言っておくけど、ワタシは強いよ?』

 

 思考を読んできたかのような言葉に、自分の心が目の前の少女の姿をした魔族に踊らされていることがすぐにわかった。

 

 その上で、ギロンはその提案に乗ったのだ。

 

 

『うん……よろしくギロン。ワタシは『魔王』。キミのその貪欲が世界の全てを呑み込む時まで、キミを肯定し続けるモノだ』

 

 

 こうして、ギロン・アプスブリ・イニャスは魔王軍幹部になった。

 

 

 

 

 

 

 

 それからの毎日は、そこそこ楽しかった。

 ギロンは人類の裏切り者。大手振って軍を率いて街を潰すなんてことは出来ないため、魔王がリストアップした強い人間を一人一人潰していくのが彼女の仕事になった。

 ちゃんと魔王軍を名乗って、自分が人間だとバレないように全身を鎧で包み、幹部として人類の戦力を削っていった。

 

 強者を潰していくのは楽しかった。

 見た事のない剣技、見た事のない魔術、見た事のない祝福。その全てをギロンは自らの力で真正面から磨り潰し、最後は決まって相手に馬乗りになって命乞いを聞きながらその頭を殴り潰した。

 

 強者を食み、更に強く。

 命乞いは祝祭の音色のように彼女の中に解けていく。拳に残る肉の感触が乾いた心を満たしてくれる。

 

 

「──────いただきます♡」

 

 

 いつしかギロンは、屍肉を食らうようになっていた。

 魔王の言葉、あれはいけない。あれは麻薬だ。心に入り込み、箍を外して心を自由にする。人食というギロンが培ってきた理性の全てが否定する行為を、檻から出された本能の全てが歓喜していた。

 

 強者を自分の一部にする。

 持っていなかったものを手に入れる。満たされなかった喉の乾き、腹の乾きが満たされる。これこそが自分の求めていたものだと心の底から思えてしまう。

 

 こんな最悪最低な自分を周囲の人間は素晴らしい人間として崇めたてる。姉すらもきっと自分を自慢の妹だと思っているのだろう。全くその通りだ。表面上はそうなるように演じてきた。だって誰かに認められるのは気持ちが良いし。

 そうして積み上げてきた信頼すら、既に背徳のコクを深めるスパイスにしかならなかった。

 

 既に聖女は血に堕ちた。

 そこに居たのは全てを与えられた娘などではなく、全てを捨てて底の抜けた欲望の腹を満たそうとする貪欲の獣。

 

 

 

 

 …………そのはずだったん、ですけどね。

 魔王様の言う通り、世の中には、広い世界にはまだまだ妾の知らないことがあったのでした。

 

 

 

 

 

 その日殴り殺した人間の戦士はとても強かったのを覚えていた。

 頭に一撃、脳が飛び散るような一撃を受けてもまだ立っていました。妻だの子だの叫びながら振るってくる剣の気迫は凄まじく、今となってはもう分からないことだが恐らく祝福を持っていたのか、ギロンの本気の防御すら断ち切ってかなりの手傷を負わせてきた。

 

 最後はいつも通り、手足をもいでから馬乗りになって殴り殺したが、その時も命乞い何てものはせずただ誰かの名前を呟いていた。

 

「……妻、子、家族」

 

 ギロンには姉が1人、母は既になくなっていて父が1人いる。

 だが、あの戦士が口にしていた家族とは些か違う。姉も父も、産まれる前から存在していたギロンが手にしたものでは無い。だから、きっとそれは違う。

 

 そういえば、自分は誰かを好きになったことがないことに気がついた。

 

 沢山告白されてきたが、自分より弱い相手なんて興味はないし、父も姉も大好きであるが、きっとそれはあの戦士が持っていた気持ちと違う。

 

 

 愛するモノ。

 それが自分に無くて、あの戦士にあったもの。

 

 

 また自分は一つ強くなれると確信し笑いながら、ギロンはその場に倒れた。

 体が重い。出血自体は自らの『祝福』で止めることが出来たが、ギロンの祝福は傷を治す類のものではない。純粋に傷が深い。なんとか人目がつかない場所まで歩いてきたが、それも限界。果たして次目を覚ますことができるかどうか分からないが、もしも目を覚ますことが出来たならば、番を探してみよう。

 

 

 そう思いながら、ギロン・アプスブリ・イニャスは目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実は、最初にギロンの故郷に行く事を提案したのはギロン本人ではなく、ホシであった。

 

 

「最近、リスカの精神状態がかなり危ういです」

 

「逆にリスカの精神が落ち着いてる時っていつ?」

 

「常に半錯乱状態だと思いますわね」

 

「常に半錯乱状態ですが、このままじゃ錯乱するんですよいいから話聞け」

 

 

 ホシ、スーイ、ギロンは3人とも自分達の強さを理解している。

 その上で、リスカ・カットバーンは決して失ってはならない戦力であることも理解している。彼女の危うい精神状態には、人類の存亡がかかっているのだ。

 

「リスカの精神管理担当として、私は何か彼女の精神を安定させるイベントが必要だと考えました。……その名も、『水辺でイチャコラ大作戦』です」

 

 あとついでにホシ以外の2人はホシのネーミングセンスが割と最悪な部類であることも理解している。なので作戦名について何か口にしたりはしなかったが、スーイは耐えきれずにちょっと吹き出した。

 

「ギロンの故郷、ニハオイ国と言ったら綺麗な海が有名です。なので、その自然パワーでリスカの精神をいい感じにセラピーするというのが今回の作戦です。異議はありますか?」

 

「はーい、具体性が無さすぎだと思う」

 

「そうですわね。せめて具体的な作戦内容が欲しいですわ」

 

「そもそも私、貴方達2人と違って文字すら最近覚えたばかりなんですよ。良い師匠持ち(こうがくれき)王族(こうがくれき)二千年埋葬(ていがくれき)を虐めるのやめてもらえませんか?」

 

 そうは言ってもスーイもギロンもリスカの脆くてか弱い精神の機微に気がつけるほど人の心がある訳では無いので、残念ながらこの役割はホシが担当するしかないのである。

 

「ま、冗談はさておき悪くないと思うよ。リスカの面倒を見るのも私達の仕事だしね」

 

「困った人ですが、彼女が最大戦力なのも事実。ここは一肌脱ぎましょう」

 

「はい。皆さん頼みますよ。……あの子に、少しくらい楽しい思い出を作ってあげてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(((海かぁ……どんな水着着ていこう)))

 

 

 

 

 

 

 3人とも、リスカのことはそれなりに大切に思ってるし、彼女の精神状態にはとてつもなく気をつかっている。

 それはそれとして、だ。3人とも自分の容姿の良さと三者三様な魅力的な肉体についてはかなり自覚的である。

 

 そして今更隠せているつもりがある者はいないが、この3人は全員『彼』を理由にこのパーティに在籍している。ともなれば、意中の異性への最高のアピールチャンスである『水着』チャンスをみすみす見逃すわけが無い。

 

 

 ──────既に戦いは始まっている。

 如何にしてライバルを蹴落とし、相手を楽しませ、自らの魅力を示すか。

 

 

(やはり私の体型ならば可愛らしさを……いや、あえて大人っぽさを出すことでギャップを……この際多少胸を盛るか? いや。それはプライドが許せない)

 

 

(肉付きでは私は誰にも勝てない。飛行に特化した合理的な流線美で別方向からアプローチをするべきか?)

 

 

(まぁ妾が一番可愛いし美しいので何も心配はありませんわね。背も一番高いですし)

 

 

 

 

 渚の勝負は、開幕のゴング無しに問答無用で始まっているのだ。

 

 

 







・ホシ
リスカの精神状態管理係。というか自分以外そういうことが出来ないと仕方なくやっている。
一見幼そうに見えるが、メリハリのある体つきにそれなりに自信がある。サイズ可変であるが、普段の体にプライドがある。

・スーイ
一般的に男性がふくよかな女性に惹かれることを承知の上で、自分の無駄を極限まで削ぎ落とした肉体の美しさに自信がある。

・ギロン
実は王女様にして魔王軍幹部。
鍛え上げた自分の肉体が一番美しいと思っている。欲しいものは全て自分の力で掴み取る貪欲ガール。与えられたモノはそこまで好きじゃない。



・リスカ
観光地に行ったら景色とかよりもずっとだらけてたいタイプ。自分が嫌い。

・従者くん
普通に人並みに性欲があるのでパーティの仲間が全員女性である故に結構悩んでることがある。





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布一枚、無限

 

 

 

 

 

 

 

「なんでみんな荷物がなんか増えてるんだ?」

 

 

 基本的に俺達は一つのところに長期間滞在するなんてことは怪我でもして治療している間くらいで、常に移動している状態だ。なので荷物はあまり持ち歩かずに最低限の装備と身一つ、これに加えて俺以外みんな魔術を使えるので旅の途中で困ったりするようなことはあまりない。

 

 なのに、なんかリスカ以外のみんなの荷物がやたら多い気がする。

 

 特にスーイなんか自分の体より巨大な荷物を背負っている気がする。いつも身一つでどこかに行き、身一つで帰ってくる彼女とは思えない。

 

「女の子には色々秘密があるんですよ☆」

 

 ホシはそう言ってるが、そう言われると男の俺としてはなんか、こう、詮索しにくいというか。なんでそんな大荷物なのかめちゃくちゃ気になるけど、これ以上深く聞くのはやめておこう。

 

「とりあえずさっさと転移用の魔法陣が設置されている場所に行きましょう。この街からならそう遠くない場所にありますから、さっさと行きましょう」

 

「…………え、転移用魔法陣?」

 

 街を去る前に相棒とかにお礼をしておきたかったが、見つからなかったんだよなぁ。まぁ、お互い生きていればまた会うこともあるだろう。

 

 なんて考えてたら、何故か急にスーイの顔が青ざめていた。その青色の髪の毛と同じくらい顔が青くなっている。

 

「そうですわよ? 転移用魔法陣。まさか、魔術師であるスーイさんが知らない訳ありませんわよね? そもそも、普通に歩いてったら大陸南端のニハオイ国まで行くなんてクッソ時間かかりましてよ?」

 

「え、あー……そっか、あの距離って人間的に遠いのかぁ……。飛んだら一瞬なんだけどな、やべ、どうしよ」

 

「……あらあら? あらあらあらあら? 何か問題があるんですかスーイ? 転移用魔法陣だとなにか不都合でも?」

 

 転移用魔法陣……あんまり思い出したくないけど、勇者の選抜の時に王都に行く為に一度使ったことがあったな。

 予め設定されている対になる魔法陣のあるところまで一瞬で移動できるけど、対になる魔法陣側からの了承や、一度に人数は4人までで時間を置かないと再使用不能とか、軍事的なあれこれで転移できるのは()()()()()()だけだったりとか、結構審査もめんどくさかった記憶がある。でもそういう制約がないと魔族に使われたら大変だし、仕方ないのだろう。

 

「まぁ? 人間以外の生き物が転移用魔法陣を使うことなんてないですし、あったら困ることの方が多いから大した問題になりませんよね、スーイ?」

 

 さっきから何故かホシがめちゃくちゃ良い笑顔でスーイに転移用魔法陣の仕様について説明しているのはなんなんだろう。魔術師であるスーイがこの仕様を知らないわけがないと思うのだが。

 

「……ごめん。用事思い出した。ちょっと片付けてからすぐ追いつくから」

 

「え、何かあったなら俺も手伝うぞ。力になれるか分からないけど」

 

「大丈夫。私一人の方がすぐに終わるから。先行ってて」

 

「いいから。先に行け。マジで……クソ死体女、嵌めやがったな

 

「へへーん、私を流星アタックでクレーターにした方が悪いんですよ」

 

 何か小さな声でスーイとホシが会話をした気がしたが、小さ過ぎてよく聞こえなかった。でも、スーイはいつもふらっと居なくなってふらっと姿を現してるし、今回も大丈夫だろうと信じて待つのが良いだろう。

 ……変に詮索したらまた裸を見たとか冤罪にかけられても嫌だし。一応年頃の男子としては、女子相手にああいうことされるのマジで傷つくんだよなぁ……。

 

「まぁスーイが唐突なのはいつもの事。善は急げとも言いますし、早く出発致しましょう」

 

「そうですねー。いやぁ、私もニハオイ国は初めてですからどんなお酒があるのか楽しみですよ」

 

 神官として100%間違っている楽しみを見出しているホシと、なんだかんだで故郷に皆を招待するというイベントにはしゃいでいるように見えるギロン。そんな可愛らしい2人の笑顔に目を取られて、俺は見えていなかった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 このパーティのリーダーであるリスカが、ここまで一言も喋らずにひたすら鋭い目付きで無言の抗議を続けていた事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニハオイ国と言ったら、青い空と光り輝く太陽だろう。

 大陸の南端に位置するこの国は、1年を通して非常に暖かな気候であり、そのせいか何から何まで色々とデカい。

 

 ギロンと初めて出会った時も、真っ先に思ったことは『デカい』だった。いや、初めて会った時ギロンはフルアーマーだったからね? 普通に身長もデカいし、ムキムキ過ぎて自分が情けなくなるくらいにギロンはデカい。

 そんなことを思い出しながら、俺は照りつける太陽によって熱された砂にしりが焼かれないように一枚布を敷き、そこにパラソルを刺して固定してから座り込む。女性陣の皆さんは俺より着替えに当然ながら時間がかかるのでこうして待ちぼうけすることになった。

 

 魔王の居座る『魔王城』から最も遠い位置にある国とはいえ、ここまで雰囲気が違うものかと驚いてもいた。

 

 俺が旅してきたり、リスカ達と共に訪れた場所はどこもかしこも常に戦いといった感じで、こんな穏やかな時が流れている場所はなかった。こんな場所に俺がいていいのかとも思わなくもないが、たまにはこうして息抜きをすることも必要……なのか? 

 

 それはそれとして、ただこうして綺麗な海を眺めているだけでも心が癒される。

 リスカも来ればよかったのに、と思ったが無理に連れてきてもリスカの休息にはならないだろう。

 

『私部屋で寝てるから、ホシとギロンに伝えといて。なんかあの2人さっさと海の方行っちゃったから……私も来ないかって? 行かないわよ。海とか、好きじゃないし』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ホシさん、その水着はどうなんですの? 少し、泳ぎづらくなくて?」

 

「何言ってるんですか。そっちこそ布地が大胸筋で悲鳴をあげてますよ。包帯でも巻いた方がまだ固定できますよ?」

 

 選び抜いた勝負服(水着)を身に纏い、ギロンとホシは完全に戦闘態勢になっていたが、だと言うのに2人は遠くで海を見つめている『彼』に近づけないでいた。

 

 至極単純、水着に着替えて鏡で確認して見たらちょっと恥ずかしくなってきたのだ。

 本当にこれで大丈夫か、変な姿だと思われないか、ちゃんと人間に擬態できてるか、一応2人とも女の子なので気になっているのだ。

 

 ここは先に出て、一番手として大きな印象を植え付けることこそが勝利への近道であることを頭では理解しながらも、怪物な自尊心と乙女な羞恥心が鬩ぎ合い足が動かなくなる。普段ならば一息で詰められる距離に、無限を感じてしまう。

 

「……ほら、早く行ったらどうです? その隠すつもりがあるのかないのか分からない脂肪と筋肉の盛り合わせの肉体を遠慮なく、見せつけに行っては?」

 

「妾は常に最善、最高のタイミングを狙っておりまして。目の前の獲物に夢中で噛み付く駄犬と同じにしないでくださる?」

 

 両者完全に沈黙。

 だが、先に動いたのはホシだった。彼女には既に一度裸を見られたというアドバンテージと、永き時を生きてきたメンタルがあった。その小さな差が、この勝負の勝敗を分けた……かに思えた。

 

 

 

 ……()()()()

 

 

 

 足が地面に縫い付けられたかのように、動かない。辛うじて動くのは口だけであり、それが何を意味するのかホットシート・イェローマムはすぐに気がついた。

 

 

「……ギロン、貴方『祝福』をこんなくだらない事に!?」

 

「くだらなくて結構。他者の足を引っ張るのは流儀ではありませんが、それで妾の敗北が無くなるならば喜んで地の果てまで引っ張って差し上げてよ!」

 

 

 ギロンの祝福は拘束に特化した祝福。

 幾らその実態が屍肉とすら呼べない『ナニカ』に成り果てているホシであろうとも、肩を完全に()()()()()()()()はもう動くことが出来ない。

 だが、ギロンの方も覚悟が全く決まらず動くことは出来ず、両者は完全な膠着状態に陥り、『彼』はいつまで経っても待ち人が来ないまま既に1時間ほど海を眺め続けていた。

 

 

 そんな『彼』を遠目に見つめていた2人は、そこであることに気がついた。

 

 

 

 

「あれ、リスカさんは……?」

 

「は? リスカなら彼と一緒に居るんですから……あ!?」

 

 

 

 

 居ない。

 建前とはいえ、そもそも今回の主目的はリスカの精神安定だ。リスカにとって『彼』がどれほど重要なのかなんて、語るまでもない。だからこそ、リスカが落ち着ける時間を用意するために今回ここまで来たのだ。

 

 そのリスカが居ない。

 ギロンはすぐさまホシの拘束を解除し、ホシは肉体の一部を鳥に変化させて空へと飛ばす。自分達が取っている宿のリスカの部屋に……彼女の姿はない! 

 

 すぐさま最強の機動力を持つスーイに通信を行おうとしたが、何故か彼女の反応が完全に途絶している。まずい、ホシの既に汗腺というものが存在しない肉体でも、生きていたら冷や汗をかいていたであろうくらいまずい。

 

「ギロン、リスカが行きそうなところは?」

 

「皆目見当もつきませんわ。そもそもあの方、人間的な趣味の類が残っていると思えませんし」

 

 全くもってその通りではあるが、言い方は考えてもらいたいとちょっと舌打ち。

 リスカは基本的に起きている時は戦っているか、幻覚に魘されているか、イラついているか、ぼーっとしているかなので彼女がふらっと消えた時にどこに行くかなんてホシですら想像がつかない。

 

「魔力探知は?」

 

「あの子、『切断』で無意識にそういう魔術による干渉をぶった斬るので無理です。足で探す他ありません」

 

「仕方ありませんわね。ここは一時休戦ですわ!」

 

 そうしてホシとギロンは水着のままでリスカを探すために駆け出した。

 

 

 こうして、『彼』は照りつける太陽の中で更に数時間放置されることが決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し、時間を遡り上空。

 スーイ・コメーテストは寝過ごした為に最高速度で飛行していた。

 

 彼女の速度ならばすぐ着くことは出来たが、さすがにすぐに追いついたら変だと思い一眠りしてから行こうと思ったらだいぶ寝過ごしていたのだ。

 

 このままではホシやギロンに先手を取られると思い、全速力で翼に力を込めてニハオイ国へと向かっていた。

 

 

 

「──────狙撃ッ!? 私を!?」

 

 

 

 遠くから放たれた魔術による狙撃が彼女の翼を掠める。

 雲の上を超高速で飛ぶスーイを魔術で狙撃するなぞ、普通の相手ならばまず出来ることでは無い。

 

 そう、普通の相手ならば。

 

 最低でも魔王軍の実力者。あまり考えたくはないが、幹部クラスからの攻撃と考えるのが妥当だろう。

 

 ならば、とスーイは翼に力を込めて飛行を再開。狙われないくらいの速度で、狙えないくらいの曲芸飛行で空を舞う。

 何も速度だけが自らの持ち味ではない。最高速度を維持したまま急旋回、停止が可能な精密性も空の王者たる精霊特権、『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)』の特徴だ。

 

 さっさと狙撃ポイントを特定して、面倒くさいので最高速度で突撃して瞬殺。それが最善策。わざわざ自分の魔術を使ってやるまでもない。

 

 

 

 

 その考えが甘かったことに、彼女は()()()()()()()で翼が貫かれてようやく気がついた。

 

 

 

 

 一撃目で大体の位置はわかっていた。だから、場所を確定させる為にわざと見せた隙。

 

 そんなことを考えてしまうような心の隙を、不可視の狙撃手は遠慮なく貫いてきたのだ。

 もちろん、スーイの翼は狙撃の一発で破壊されるような代物ではない。だが、直撃すれば流石に軌道がぶれる、一瞬であるが制御がぶれる。

 

「っ、やば──────」

 

 全て別の方向から、スーイの喉と胸、両手足と翼の付け根が狙撃される。

 相手は複数人? いや、この精度の狙撃を行える相手が複数人居るとは考えたくない。だが、事実として多方向からの狙撃によりスーイは撃墜された。

 

 

「あー……クソやばい。幹部が出張ってきたかぁ……」

 

 

 自分が狙われたということは、恐らくこちらの動向が何らかの手段で筒抜けになっている。

 そのことをホシに伝えたかったが、残念ながらそんなに余裕はなかった。

 

 

 

 今度もまた、スーイの意識の完全に外からの狙撃が彼女の頭を貫き、力の抜けた体はそのまま地面へと落下していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし、私。空飛ぶ精霊(エルフ)は潰した。……うん、わかった。じゃあ私は魔王様の身辺警護に戻る。……確認? 私の腕を疑うの? それじゃせいぜいアンタが元カノにミンチにされない事を祈ってるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギロン・アプスブリ・イニャスに人生初の敗北を与えたのは、『魔王』と名乗る魔族であった。

 

 

『どうする? まだやるってなら、ワタシはキミに一生消えない傷を刻んで、力の差をわかってもらうけど?』

 

 

 立つことすらできない。

 こんなに強い相手がこの世界にいるなんて。

 

 

 ……こんなに強い相手をこの手でぶち殺して喰い殺したら、どれだけ楽しいんだろうか。

 

 

『……少し、痛い目を見た方が良さそうだね。ギロンは』

 

 

 魔王の手が振り下ろされる。

 小さな少女の手が振り下ろされると同時に、その視線の先にあった地面に巨大なクレーターが出来た。

 

 

『……はぁ、グレイリア。今ワタシはギロンに説教してるのが分からない?』

 

『何言ってんだよ魔王様! こんないい女があんたみたいな貧相な体に説教されても響くわけねぇだろ?』

 

『ぶっ殺すよ?』

 

 気がつけば、先程まで地面に転がっていた自分の体が知らない男型の魔族の手の中にあった。

 何らかの『異能』による位置の入れ替え、瞬間移動の類、或いは引き寄せか。既に朦朧とした意識の中で辛うじてギロンの思考が弾き出した答えはそれだけだった。

 

『自己紹介がまだだったな。俺はアンタの同僚、魔王軍幹部の『回刃』グレイリア様だ。よろしくな、ギロン』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「感動の再会、サプライズに仲間の首は喜んでくれるかな、ギロン?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 









水着・オアズケ




・ホシ
非生物。リスカのママ。

・ギロン
人間。リスカのお母さん

・スーイ
非生物でも人間でもない。リスカの母親。撃墜済み。

・リスカ
人間。どこに行ったか分からない赤ちゃん。帰ってきた時基本的に一文無しになってる。



・従者くん
多分人間。みんなの水着にちょっとドキドキして期待しているが、誰も来なくておかしいなぁと思い始めてる。






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愛、理解

 

 

 

 

 自分に視線が集まってるのをホシは何となく実感していた。

 

 そりゃそうだとそれを甘んじて受け入れる。街中に水着を着ている自分のような美少女が現れれば誰だって視線を奪われてしまうだろう。特に脚。艶やかさと可愛らしさの黄金比で生まれた程よい肉付きのこの脚は並の男ならば一撃で一生脚大好き人間にされてしまう破壊力を自負しながら、知らない男の人生なんて知ったことじゃないとホシは走る。

 

 何となく、直感的に嫌な予感がする。

 リスカが基本的に知らない街で1人にすると、ぼったくられまくって一文無しになってしまうだとか、そういう理由ではない何か、表現出来ない嫌な予感。

 

 

 それを背中に感じ取りながらホシはまた一歩足を前に出して、その足が空を踏む。

 

 

「…………マジか」

 

 

 浮遊感、落下が始まる前に見えた光景は自分の足元に広がる先程まで歩いていた街並み。

 何かに触れられた感覚も、魔術の予兆も感じられなかった。ほぼ間違いなく『祝福』や『異能』による攻撃。それもホシを狙うということはほぼ確実に『異能』、つまり魔族による攻撃だ。

 

(問題は誰が、何処から仕掛けてきたかですね。街中なら結界があるはずなので簡単に魔族が侵入できるはずがないし……)

 

 突如として上空に攫われたにも関わらず、ホシの精神は非常に落ち着いていた。

 正確には落ち着いていると言うよりは焦ってもどうにもならないと判断したというのが正解だ。恐らく、相手の異能は視認発動。視界に捉えられた時点で効果を及ぼす形ならば、まずは相手が何処にいるかを探し当てた方が早い。

 

 再び視界が切り替わり、自身がどんどんと海の沖の上空へと連れていかれていることを理解した。

 

 

 ……いや、おかしくない? 

 

 

 さすがに無条件で相手を移動させる祝福や異能なんて強すぎると思うけれど、現在の状況はまるで無条件に移動させられているとしか思えない。

 既に陸地が見えないほどの海のど真ん中の上空に連れてこられていながらも、ホットシート・イェローマムはあくまで冷静に思考を続ける。死者故に彼女は誰よりも打たれ強く、誰よりも恐れを知らず、そして少々()()

 

 

「あ」

 

 

 気がついた時にはもう遅い。

 自らの真上に小石が現れたと思えばそれが瞬きの間に巨大な岩山に変貌する。

 

 回避、羽根を作り出して羽ばたくか? 

 

 防御、全身を鎧で固めるか? 

 

 

 

 

「うーん、これは無意味(ムリメ)

 

 

 

 何をしてもどうせ妨害されて無駄にリソースを削られるだけ。

 ならば自分はこの程度では死なないからと、下手にリソースを使う事を避けてホットシート・イェローマムは大海の水底でミンチになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはギロン・アプスブリ・イニャスの過去のお話。

 

 傷だらけで森の中で倒れた彼女は、そのまま二度と目を覚まさないものかと思っていたが、なんと再び目を開けることが出来たのだった。

 

「…………ァ」

 

 だが体は上手く動かない。

 鎧は脱がされてはいたが、そんなこと関係なく体が重い。あの鎧を意識のない自分から脱がせるなんて大したものだとも思ったが、重要なのはそこではない。

 

 

 顔を見られた。

 

 魔王軍の幹部を名乗る、フルフェイスの鎧の騎士と言えば最近少しは有名になっている。その正体が自分だと、自分を治療してくれた人間は確実に知ってしまっただろう。

 こうして今も生きていることを考えれば、自分が魔王軍幹部であるとバレたわけではなさそうだが、それでもいつか、何処かで必ず綻びが生まれる。もう自由に食べれなくなる。

 

 ……人を騙すというのは好きでは無い。向こうが勝手に勘違いしてくれるならば良いが、自分から誰かを騙すなんて、騙さなければいけないということは、自分に力がないと認めているようで好まない。

 だが、やらなければならない。魔王様との約束を守るためにも、今はまだ正体がバレてはいけないのだ。

 

 

「…………ん、良かった。気が付いたか?」

 

 

 現れたのは、人間の男。

 中肉中背という印象を受けるが、よくよく見れば中々に鍛えられている。自分には遠く及ばないにしても、人間という枠の中ではかなり限界に近いところまで鍛え上げている。端的に言えば、()()()()()()()()()()()。空腹の腹が下品な音を出しそうになるのを我慢することにも意識を割く必要が出てきた。

 

 それにしても、人を見たら最初に美味しそうかどうかを考えるだなんて、随分と考え方が変わってしまったものだとギロンは自分自身に対して思うが、特にそれを悪い事だとは思わない。むしろ、蓋をしていた欲望が自由に暴れられることに喜びすらあった。

 

「あれ、目覚めたよね? おーい?」

 

「あ、ごめんなさい。少し、まだ意識がぼーっとしてて」

 

「そりゃそうだよな。酷い怪我だったもんな。この近くで魔王軍が出たって聞いたけど、アンタはそこから命からがら逃げてきたってところか?」

 

 まぁ、間違ってはいないだろう。

 訂正するとしたら、その出たという魔王軍幹部が自分自身だってことくらいだろうか。

 

「本当は近くの街にでも運んでやりたかったけど、そういうわけでとりあえずアンタが動けるようになるまではここで治療するしかねぇなって……。ごめんな、こんなところで」

 

「いえ、命を拾って頂いたのに文句なんて言えませんわ。貴方、お名前は?」

 

「ああ。そういや名乗ってなかったな。別に怪しいもの……いや、この時勢に修行の旅してる奴ってもしかして怪しいか? とりあえず俺は──────」

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、妾と『彼』は出会ったのです。

 運命的ではあるけれど、ロマンチックではないそんな出会い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギロンから見た『彼』は変な人物だった。

 

 こんなどこで魔族と鉢合わせるか分からない世の中で、強くなる為に修行の旅をしているというのも分からないし、それで魔術の才能もないと来た。

 どうやって結界もなしに1人で野営地を確保でもしてるのかと聞いたら、優秀な師匠が簡単な結界の描き方を教えてくれたらしくそれで乗りきってるとの事だが、一体それまではどうしていたのか、聞きたいような聞きたくないような感じであった。

 

「強くなりたいって、妾から見れば貴方、相当強いですわよね?」

 

「いや、こんなんじゃまだまだアイツには並べない。俺の幼馴染……リスカって言うんだけどさ、そいつは本当に凄いやつで……」

 

 幼少期に魔獣を殴り殺したなんて、祝福のない普通の人間ならば有り得ない話を聞かされた。そんな化物と比べてしまえば、祝福を持たない限りはどんな人間も比べてしまえばそりゃ弱い扱いになってしまうだろう。

 

 そんな話をしている彼も、決して弱くはない。だがあくまでそれは無才の身の上での話だ。

 

 ギロンは多くの人間を見てきた。

 魔術の才能に秀でたもの、剣術の才能に恵まれたもの、『祝福』され生まれたもの。

 

 そんな人間の多くをギロンはすり潰して喰らってきた。だからこそわかるが、そういう人間と彼には埋められない差がある。スタート地点が違うのだ。

 いくら凡人が研鑽を積もうと、同じく研鑽を積む天才には追いつけない。死ぬ気で努力しても、いつか必ず天才が易々と飛び越える限界にぶち当たる。

 

「その努力、いつか貴方は必ず後悔しますわよ。はっきりいって、無駄ですもの」

 

「……そうかもな。でも、それで今出来ることをやめる理由にはならないだろ? 今、そうするべきだと思ったからそうする。未来で俺がどうなるかはその時決めればいい。その時に出来ることを一つでも増やしておけば何かが変わるかもしれないから」

 

 

 そうやって笑って語る彼を見て、ギロンは特に何か思う訳ではなく、強いていえば憐れんだ。

 

 現実が見えてない、と。

 

 ギロンが強くなりたいのは、自分の限界がまだ見えないからだ。ギロンが全てを望むのは、自分には全てを望めるほどの伸び代があるとわかっているからだ。

 

 自分の限界を知って、その上で努力するなんて虚しいでしょう? 限界は分からないからこそ楽しいものなんじゃない。

 その先に何も無いと知りながら、これ以上上は無いと知りながら、行き止まりにぶつかり続けるなんて滑稽な道化みたいじゃない。

 

 でも、その生き方は好悪でいえば好ましい。

 限界を認めず、ひたすらに高みを目指すその強欲な生き方は、とてもとても好ましい。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然視界が切り替わり、何処かの森の中に飛ばされてもギロンは落ち着いていた。

 

 この視界の切り替わり方を知っていた。

 かつての同胞、現在の敵。その中に全く同じ手段を使う相手がいた。

 

 

 

「……強引な誘いは好まないと、前にも言ったはずですわよ、グレイリア」

 

「つれねぇこと言うなよ。こうでもしないとお前みたいな奔放な女は捕まえられねぇって」

 

 

 目の前に現れた八目の魔族をギロンは知っている。

 魔王軍幹部、『回刃』グレイリア。かつて共に肩を並べた、魔王軍が誇る最高戦力の1人。

 

「……リスカさんをどこかに攫ったのも貴方?」

 

「リスカ……? あぁ、『切断』の勇者か。いや、知らねぇよ。あんな恐ろしいもんに手ぇ出したくねぇわ。エウレアにベルティオの旦那をタイマンで殺すようなバケモンと戦いたくないわ」

 

 嘘を言っているようには感じられない。

 つまりリスカはただ迷子になってるだけだと知って、ギロンは安心した。

 

「じゃあ、ホシさんとスーイさんは?」

 

「ああ、あっちは殺したよ」

 

「そうですか」

 

 一息で距離を詰めて、全力で拳を振るった。

 目の前の敵を粉砕する為だけに鋼よりも硬く鋭い肉体の筋肉を隆起させ、空間を切り裂くようなストレートを八つの目玉を弾けさせるつもりで振るう。

 

 

「おいおい危ねぇよ。いや、俺の話じゃなくてな? そんな格好で派手に動いたら……その……見えちゃいけねぇところまで見えちまうだろ?」

 

「ご心配なく。水着というものは意外とちゃんと見えないように作られているものですわ。その童貞臭(きもちわる)い幻想ごと挽肉にしてさしあげますわ」

 

 

 魔王軍幹部は互いに互いの『祝福』/『異能』を知っている訳では無い。

 彼らは魔王という共通の上司を持つ完全に別の考えで動く集団と言う認識が正しい。一時はその立場であったギロンでさえ、直接会ったことがある幹部は2人だけしかいないのだ。仲間意識が低いという訳では無いが、そもそも魔族とは群れる生き方をしない生き物なのだ。

 

 

(『回刃』グレイリア。転移系の異能なのは間違いありませんが、種が分からないとこの上なく厄介、勝利は難しいでしょうね)

 

 

 ギロンの『祝福』は防御と拘束に特化している。どのような相手でも、一度掴みさえすれば確実に勝てる程度には強力なものであるが、だからこそ掴みどころのない相手というものは相性が悪い。

 

 だが、ただの転移系ならば逆にギロンが負ける道理もない。

 

 

「さて、腕が鈍ってないか確かめるか」

 

 

 グレイリアが懐から数本の針を取り出して、ギロン目掛けて投擲する。

 4本の針が、それぞれ2本ずつ寸分違わずその眼球を貫かんと迫り来る。速さ、精度ともに見事なもの。敵でなければ拍手すらしていたところだろう。

 

 

 だが、避けない。

 人体の柔らかい部位を的確に狙った攻撃だろうと避ける必要なんてものは一切ない。瞬きすら、必要ない。

 

 ギロン・アプスブリ・イニャスはどんなものだろうと受け止める。

 どんなものであろうと、喰らい尽くして自らのものにする。この世で最も貪欲な生き物なのである。

 

 

「……おいおい、避けてくれなきゃ小手調べになんねぇだろ?」

 

「じゃあ避けて貰えるような攻撃をする努力をすることですわね。女にばかり何かを求める男は嫌われると、忠告はしましてよ?」

 

 

 眼球に針が触れた瞬間、針は空中で完全に静止した。

 前に進み、眼球を抉り脳に突き刺さるという主から渡された命令の全てを奪われた針は、金属音を鳴らしながら地面に堕ちる。

 

 

「相変わらず、意味のわかんねぇ『異能』だなおい。今の絶対目に当たっただろ」

 

「妾のは『祝福』ですわ。どうやら、妾の目も貫けないほど貴方の投擲がクソカスだったみたいですわねぇ」

 

「はっはっはっ、筋肉ゴリラは眼球まで硬いってか? 自虐ネタは程々にしろよ? 嫁入り前の体が目も当てられねぇことになるぜ?」

 

 

 仲間が殺され、かつての仲間と殺し合うしかなくなっているこの状況。

 

 それを楽しいと感じる自分に自己嫌悪なんてものはしない。ギロン・アプスブリ・イニャスは自らがこの世界で最も美しいと自負している。

 

 だから獰猛に笑う。新しい獲物に舌舐めずりをしながら、次の牙を選ぶ。

 より確実に、相手をぶちのめして自らの強さを証明する為に、獣の様に暴れ、貴族のように蹂躙してみせましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が恵まれた人間であることは知っていた。

 だから、動けなくなるほどの怪我でも数日あれば動けるようになることはわかっていたけれど、ギロンはそれを隠して『彼』と会話を重ねていた。

 

 自分とは違う、恵まれたとは決して言えない環境の中で生まれたのに、自分と同じように強欲なその青年の話は、聞いていて面白かったからだ。

 

 困難を乗り越えることが好きなんじゃない。むしろ苦しいことは嫌いだと言った口で常に苦しい選択をし続ける。

 出来ること出来ることって、明らかに個人が出来ることの範疇を超えていることにも愚直に挑んだ大馬鹿者。そういう話はとても好ましかったし、美味しそうだった。

 

 もしかしたら、他人の話をこんなに真面目に聞いたのなんて久しぶりだったかもしれない。

 

 自分と同じくらい欲深い人間なんて、この世に居るだなんて思わなかったのだから。

 

 

 

「…………貴方は、どう思いますか?」

 

「何を?」

 

「妾は、この世の全てが欲しいんです。力も、名誉も、富も。全て、全てが欲しいんです」

 

「……なんか急に魔王みたいなこと言い出したな。うん、でもまぁ分からなくもないな。そりゃせっかくこの世界に生まれたんだから、全部が欲しくなるって気持ちも分かる」

 

 

 

 上っ面の言葉とは思えなかった。

 心の底から、魔王様すら理解はせども共感はしなかった底なしの貪欲に、青年は当然のように寄り添ってきたのだ。

 

 

「色々見てきて思ったのはな、やっぱこの世界って綺麗なもんが沢山あるってことだし、なんでも欲しくなるよそりゃ。力だって強くなれば気持ちいいし、名誉や富なんて欲しくないやつがおかしいくらいだ」

 

 

 この世の全てを望んだ妾と、目の前のものを助けることだけを望んだ彼が、まさか同じ強欲を秘めているだなんて誰が予想出来るでしょうか? 

 

 

「だって、なにかに向かってひたすらに走ってる時が一番苦しいけど楽しいし、何より傍から見たら綺麗に見えるからな」

 

 

 生まれて初めて得た理解者。

 ただその存在がギロンは嬉しかった。自分にも、こんな存在がいるのだと、自分はこの世界で一人ぼっちじゃなかったのだと。

 

 だからギロンは、この青年を夫にしようと思った。

 それがギロンの望みだ。欲しいものは、どんなものでも手に入れる。手に入れてみせる。持てる手段を全て行使して、手に入れる。それが彼女のやり方だ。

 

 

 妾の夫になりなさい、と。

 あまりにもあんまりな告白の言葉が口から飛び出してくる、その直前。

 

 

 

 

 どこからともなく魔術による砲撃が飛んできて、青年は血を吐きながら吹っ飛んだ。

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 

 

 ゴギャッ、と人体が鳴らしていいはずのない音を鳴らしながら青年の体が地面に叩きつけられた。

 

 それを見て、ギロンは最初にこう思った、思ってしまった。

 

 

 

 

 ……美味しそうって。

 

 

 

 

「ギロン様、私はグレイリア様の遣いのものです。貴方の行方がわからなくなったと報告があり、捜索していました」

 

 グレイリア、魔王軍の幹部の名前だった。

 遠くから見れば私が捕まってるように見えたのだろう。そりゃぁ当然こうするだろうと、その魔族の行動を理解出来た。

 

 理解出来る。

 理解出来る。

 なんでこうなったのか、理解は出来るのに、納得が出来ない。

 

 

 ようやく、ようやく自分がもう取り返しのつかない場所に来てしまった事に気がついた。

 

 

 

 夫にしようと思った人間が吹き飛んだのに、何も感情が湧いてこない。美味しそうとしか思えない。もうとっくに人間じゃなくなっていた自分から目を逸らしていたんだ。

 

 

 

 

 

 自分が、愛や恋なんて理解の出来ない獣でしか無かったことに、ギロン・アプスブリ・イニャスはようやく気がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






・ホシ
ダメージに対する反応が少々鈍い。

・リスカ
現在迷子。

・ギロン・アプスブリ・イニャス
望んだものがもうどうやっても手に入らなくなっていた事に気がついた。

・従者くん
全肯定に定評がある。理解のある彼くん。






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虚の獣、愛の咆哮

 

 

 

 

 

 

 お互いに決定打のない戦いというものは当然ながら長引く。

 

 例えば、あらゆる物質を切断する『切断』のリスカ・カットバーンとあらゆる物質を分解する『白手渇裁(イノセンスバグ)』のベルティオの戦いであれば、互いの一撃が致命傷になり得る上に、互いの攻撃の基本が接近戦であるが故に、その戦いは一瞬で決着がついた。

 

 

「おいおい! そんなに俺の攻撃(アプローチ)は嫌か? 一つくらいまともに受けてくれてもいいんだぜ?」

 

「贈り物は相手の事を考えて送るものでしてよ? 自分を誇示したいのならば、壁にでもぶつけた方がまだ生産的ですわ」

 

 

 遠距離からの投擲と魔術をメインにして、『異能』による瞬間移動と併せて戦うグレイリアと、投擲物も魔術も肌に触れた瞬間に停止させてしまうが、自由に飛び回る相手を捕まえられないギロンではあまりにもお互いに相性が悪い。

 

 だが、長く戦えばさすがに相手の『祝福』/『異能』の正体が見えてくる。基本的に、そのような戦闘では先に相手の能力の本質を見抜くことが勝利へと繋がる。

 どのような場面でも、『理解』することは必ず次の段階へと繋がるのだ。たとえそれが知ってはいけない、知らない方が幸せなことであったとしても。

 

「貴方の能力、どうやら視界内のある程度同じ大きさの二つの物質を入れ替えることが発動条件かしら? しかも、『視界内』の部分が最重要で、()()()()()()()()()()()()()()

 

 グレイリアの八目の内一つが閉じられ、同時にギロンの視界がぶれる。先程まで自身が立っていた場所にはギロンの背丈よりも巨大な木が置かれていた。

 

「『視界内』で『ある程度同じ大きさ』なら手元の小石と山すら入れ替えられる。魔王軍幹部らしい、強引な能力ですわ」

 

「そういうお前こそある程度わかってきたぞ。火だろうが刃だろうがお前に触れた瞬間静止する。炎は消えずに、お前の肌を焼くことなくその場に残り続ける。……触れた物質を強制的に『静止』させるのがお前の能力ってところか?」

 

 互いに互いの慧眼を褒め称えるが、それを口に出したりはしない。

 互いに互いが魔王と呼ばれる最強の魔族に選ばれた最強の戦士であることは知っている。

 

 だから油断出来ない。まだ何か隠している可能性を、ブラフを仕込んでいる可能性を。

 

 

 

 ギロンは最初から可能な限り相手の視界内に入らないようにしていた。

 最初から、相手の能力にある程度予想をつけて動いていたからだ。グレイリアも同じく、ギロンの能力にある程度予想をつけて動いていた。

 

 お互いに相手の能力に対して確信を得た瞬間に、攻勢に出るための準備をしていた。

 

 そして、先に動いたのは──────。

 

 

 

 

「前に、触れることが条件の『祝福』を持ってたやつと戦ったことがあってな。そいつは、腹ん中にまで『触れる』って認識がなかったのか内側からぶっ壊したら簡単に死んじまったんだよな」

 

 

 そう呟いて、グレイリアは何かをギロンへと投げつけた。

 何度か投げつけられていたそれが、遠隔操作で爆発を引き起こす小型の魔術道具。手先が器用で小手先の技が好きなグレイリアらしい、撹乱用の道具であるが、何が仕込まれているかは分からない。確実に避けるためにギロンはしっかりとそれを『見た』。

 

 

 見てしまった。

 

 

 両の眼を大きく見開いて、投げられたその魔術道具とその先にいるグレイリアを()()()()()()

 

 

「──────相変わらず、嫌になるくらい綺麗な瞳だぜ。さぁ切り替えていけ、空空縛縛(イミ・テンション)

 

 

 左眼に激痛。

 視界が若干狭くなると共に、眼窩に何か異物が入り込んだ。ちょうど、眼球と同じくらいの大きさのその異物が、体内によく響く音でカチリ、と鳴った。

 

 

 熱と光と爆音が、体内で発生する生まれて初めての感覚。

 取るに足らない、小さな炸裂が岩山の如きギロンの肉体を呆気なく地に伏せさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギロン様? どうかいたしましたか? まだ、本調子ではないのですか?」

 

 魔族の言葉が耳に入ってこない。

 

 手に入らない、愛が、恋が、もう手に入るものでは無い。それがなんなのか理解する為に大切な何かを、自分が捨ててしまっていたことに気がついた時、全身からするりと力が抜けてしまった。

 

 この世の全てを手に入れたいのに、それがもうどうやっても叶わないなんて、じゃあどうすればいいのだろうか。

 意義が失われ、理由を見失い、価値を喪失する。ギロン・アプスブリ・イニャスの何かが死ぬ。

 

「──────」

 

 誰かの声が聞こえるけど聞こえない。

 脳が内側から崩れていくように、景色が、音が、何もかもが崩れていく。美味しそうな死体が…………視界にはなかった。

 

 

「……ガッ!?」

 

「がら空きなんだよ。油断しすぎだろ」

 

 

 目の前にいた魔族が、死んだ。

 背後から剣で貫かれて腸を零しながら倒れ、その首に剣を突き立てられて確実に、念入りに殺された。

 

「くっそいてぇ……大丈夫かアンタ……そういや名前聞いてなかったな」

 

「え、え、え?」

 

 さっき確実に死んだみたいな音を鳴らして地面に叩きつけられた青年が、頭から血を流してはいるが何事も無かったかのように立ち上がっていたのだ。

 

「ああ、俺実は魔術使えるんだよ。ちょっと不細工だけど綺麗な蝶を出す魔術と、予め決めた音を体内から発生させる魔術。師匠はこれ使って死んだフリして、魔術師が油断したところを殺せってさ。魔術師ってのは近接になるとどうしても脆くなるからと」

 

 そう言いながらダメ押しにと魔族が確実に息絶えるように頭部に剣をねじ込む青年。彼と死体となった魔族が真正面から戦えば勝っていたのは間違いなく魔族の方であったろうに、卑怯ではあるが鮮やかな手口に、もしも今のような状況でなければ拍手を送っていたことだろう。

 

 

「それで、アンタ何者だ? 魔族となんだか仲良さげに話してたけど」

 

 

 ああ、それを聞かれてしまうか。

 あんまりぱっと思い浮かぶ嘘もなかったので、ギロンは本当に正直に答えた。

 

 

「妾は魔王軍幹部、最近話題の全身鎧の謎の魔族ですわ。あ、魔族を名乗ってるだけで生物としては人間ですわよ?」

 

「……なんで、魔王軍に協力してるんだ?」

 

「魔王様に魅力的な提案をされましてね。世界の半分をくれてやるから協力しないかと」

 

 

 青年は、その答えを聞いてただ呆然としていた。

 あまりに隙だらけ。一息で首をもぎ取ることなんて容易い。先程まで夫にしたいなどと考えていた相手に、自分がこんな簡単に殺す方法を考えてしまっている自分を知り、改めて自分が獣なのだと実感する。

 

 獣に愛は分からない。

 獣に恋は分からない。

 

 どうやっても手に入らないものならば、せめて食べてしまおうか。

 愛や恋やは分からずとも、彼だけは自分のものに出来る。欲しいと思ったものを全て手に入れるのが、自分という獣の在り方だ。

 

 

「──────いただきます♡」

 

 

 獲物に目掛けて突進する。

 そこらの男よりも屈強な体躯での突進は、岩山の崩落のような破壊力を産む。当然ながら、ただの青年にこれを防ぐ術はなく殴り飛ばされた腕からは剣が落ち、簡単に押し倒されてギロンはその上に馬乗りになってから、肩の肉に食らいついた。

 

「──────」

 

 青年は声すら出さない。いや、出せないのだ。ギロンの『祝福』はそういうものだ。触れた相手の全てを自分のものにする虚空の檻。なんとも自分らしいと笑ってしまうような力。

 

 咀嚼する肉は、いつか聞いたファーストキスの味のよう。

 ひと噛みする事に最後の鎖を噛み砕くかのようで、ほろ苦くて背徳的で、とても美味しい。

 肩の肉でこれなのだ、他の部位はきっともっと美味しいに違いない。

 

「……」

 

 戯れに彼の上から退いて祝福を解除する。

 肩の肉を食いちぎられた痛みに悶える青年を見ながら、一つだけ質問してみる。

 

「妾、貴方のことを夫にしたいと思いましたわ」

 

「……っぅ、こんな時に、何言って……?」

 

「ですが、妾に愛は分かりません。妾に恋は分かりません。夫にしたいと思った貴方を、美味しそうな肉としか思えません」

 

 だから、貴方に聞くことにしましたと無理難題を押し付ける。

 

「これに答えられれば、貴方を見逃してあげますわ。──────愛とは、恋とはどんなものだと思います?」

 

 

「……いや、分からんけど。そもそも俺、まだ20にもなってないんだよ。そんなの自分の両親にでも聞いてくれ」

 

 

 即答だった。

 自分の状況がわかってないのかと思った。せめて、嘘でもでまかせでももう少し文章を考えるべきなのではないかとも。

 その愚直さは好ましくもあり、それで死ぬのだと考えると哀れにも思えた。

 

「答えになってないかもしれないけど答えたんだ。こっちの話を聞いてくれないか?」

 

「聞くだけなら聞いてあげますわ。まぁ、そのあと食べますけど」

 

「構わないよ。単刀直入に言うけど、魔王軍を裏切ってくれないか?」

 

 

 

 …………なんて? 

 

 

「魔王軍、裏切って、こっちにこない?」

 

 

 …………なんで? 

 

 

 

「そうすれば愛や恋やがわかるかもしれないぞ。保証は出来ないけど、少なくともアンタはそっちにいる限りは絶対にそれを理解できない」

 

「どうしてそう断言出来るのかしら? 貴方も、愛や恋やなんて分からないでしょう?」

 

 痛みを堪えた荒い呼吸の中で、青年は不敵で素敵な笑みを浮かべた。隠し持っていた切り札を見せびらかすように、ただ一言こう言ってみせた。

 

 

 

 

「だって、俺は魔王軍幹部の子を好きにはならないからな」

 

 

 

 

 ははっ、と。

 乾いた笑いが零れてしまう。

 昔昔の誰かが『惚れた弱み』なんて言葉を残したのを思い出した。なるほど、それがようやく理解できた。

 

 確かにそう言われてしまえば、自分に出来ることはただ一つだけになる。

 

 愛も恋も理解出来ないけれど、確かに胸の内にあるこの鼓動が、『ソレ』の存在を語っている。

 

 

「卑怯なことを言っている自覚はある。でも、俺はここじゃ死ねない。まだやりたいことが山ほどある。やらなくちゃいけないことが死ぬほどある。どんな手を使っても、俺は死ぬわけにはいかない」

 

 

 なんとも欲深い人間だ。だからこそ、自分がこんなに惹かれてしまったのだろうと納得出来てしまうくらいに。

 

 

「……ずるい人ですわね。貴方みたいな男は、いつか女に刺されて死にますわよ?」

 

「少なくとも、惚れた男を刺すような相手とは最初から関わらないようにしているつもりだよ」

 

「……貴方、本当に初心(童貞)? 女誑しの気質を感じましてよ?」

 

「モテないよ。女の子に告白されたのは今日が初めてだ」

 

 

 なんとも信用出来ない言葉である。

 多分、この男は相手が好意を伝えないだけで結構な数の女を堕としていると、ギロンの直感が告げている。この男、想像以上にろくでもないやつだ。

 

「……それで、どう? 見逃してくれるか?」

 

「ダメ、と言ったら?」

 

「やれるだけ足掻く」

 

 立ち上がり、剣を拾い直して構える青年の姿を見てギロンの返答は決まっていた。

 

 

 

 

 

「裏切る裏切る。魔王軍、裏切りますわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おいおい。マジかよ」

 

 ギロンは立ち上がった。

 当然のように、土埃を払いながら、立ち上がった。

 

「……義眼って結構高価なんですのよ? ケチると顔の形が歪みますし、乙女を傷物にした責任、取ってくださる?」

 

 眼窩の中で爆発は確かに起きた。

 ただ、その爆発がギロン・アプスブリ・イニャスの肉を焼き脳を揺らす直前でそれは()()()()()()

 消えることも、広がることも許されずに止まっている。その場から動くことが出来ないように、眼窩中で爆発が『停止』している。

 

「心配すんな。お前はちゃんと俺が貰ってやるよ」

 

「あら、この期に及んで口説き文句? もう少しお人形ちゃんと練習してからするべきでしたわね」

 

 そう言いながら、ギロンはグレイリアの肩に手を置いた。

 

 

「………………!?」

 

 

 肩に、手を置かれた。

 気がついた時にはグレイリアは完全にその場から動くことが出来なくなっていた。

 

「勝負は決しました。ネタバラシをして差し上げますと、妾の『祝福』は触れた物質から『移動』を奪い取ります。端的に言ってしまうと、妾に触れられたものはなんであれその場から動かなくなる。触れるのをやめたら物品ならその場に落ちますし、炎とかなら大抵消えますわね」

 

 そこまでならある程度予想の内ではあった。まさか眼窩で爆発が起きても耐えられるような代物だとは思わなかったが、では今度は新しい疑問が出てくる。

 

「どうやって一瞬で貴方の肩に触れたかですわよね? 答えはもう言ってますわよ? 妾の能力は『移動』を『奪い取る』。……奪ったものは、有効活用するべきでしょう?」

 

 この世の理、移ろい動くことを自らの手に収める神の権能の如き『祝福』。

 奪うだけの獣に与えられたその力は、形あるならば神すらも在るだけのモノに貶める貪欲の化身。

 

 

 ──────愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)

 

 

 虚空の胃袋は誰も逃がさぬ愛の檻。

 

 

「スーイやホシならば別でしょうし、貴方は本来なら国を1人で滅ぼせる実力があるのはわかっています。……だからこそ解せない。貴方ならわかっていたはずです。妾と貴方は、相性最悪だと」

 

 

 グレイリアは何も答えない。

 移動を封じられた彼の喉は決して動かず、声を出すことすら許されない。わかっていて声をかけたのは、何故だったのだろうか。

 

 

「さようなら」

 

 

 空いた片手で全力で首を殴りつける。

 他者から奪い続けた『移動』による加速が乗せられたその拳は、概念的な攻撃でもない限り殆どのものをかすり傷程度に抑えてきたグレイリアの頭部をいとも簡単に挽肉に変化させて見せた。

 

 肉片が飛び散り、八つあった眼球の一つが最期までギロンを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一目惚れだったんだ。

 

 騙し、欺き、裏切ることが魔族としての俺の生存戦略だった。

 他人ってのは利用して、捨てるためだけのもの。魔王様もそれを承知で俺を仲間にした。ただ、あの方のことだけは信頼していた。なんでって言われりゃそりゃぁまぁ、気が合ったてだけのくだらない理由だ。

 

 俺みたいな魔族は、『気が合う』ってだけでも本当は有り得ないんだよ。何しろ、生まれた時から生存の為に他者を信用しないように出来ている、そういう生き物だから。

 

 

 

 だから驚いたんだ。

 ギロンを見た時、俺はコイツの事を『欲しい』って思った。自分の命以外、全てが道具であるはずの俺が、それだけは手元に置いてずっと見ていたいと思ったんだ。

 

 だからアイツが魔王軍を裏切ったって聞いた時はめちゃくちゃにショックだった。いつ告白してやろうか、ウキウキしながら考えていたのにどっか行っちまうなんて全くひでぇ女だよ。

 

 

 

『わかってる? キミとカノジョは相性が悪いよ。多分、1人で行けばキミは死ぬ』

 

 

 それが生存本能に逆らうものだとしても、いや、だからこそ俺は胸を張ってこう言えるんだ。

 

 

『魔王様、人の恋路に何か言うのは野暮ってもんですよ』

 

『……そう。うん、じゃあ止めないよ。行ってらっしゃいグレイリア。存分に、キミの自由に生きてくれ』

 

『ああ! 短い間だったけど、アンタの下にいる間は生まれて初めて楽しかったぜ』

 

 

 

 これは紛れもなく、俺だけの恋だったってな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……愛してるぜ、ギロン」

 

「丁寧に、お断りさせていただきますわ」

 

「──────そう言う、ところも、す」

 

 命が消える瞬間、『異能』の力が瞬く。ギロン・アプスブリ・イニャスの右眼に激痛が走り、全てが暗闇に変化する。

 何をされたのかはわかる。グレイリアの異能は、ギロンが触れている間は完全に無効化される。移動を封じるのだから当然だろう。

 

 だが、飛び散った肉片にまでギロンは触れていなかった。その瞬間に、多分、自らの眼球を入れ替えに使用したのだろう。眼窩には、少し大きさの合わない瞳が収まっている奇妙な感覚がある。

 

「申し訳ありませんわね、貴方の告白は、私には響きませんでしたわ」

 

 さすがに、両方の眼を千切られればギロンでも痛みやら何やらでそれなりに堪える。

 倒れ伏して空を見上げるが、既にその視界は何も映さない。ホシは眼球も治せるのだろうかとぼんやり考えていると、空を引き裂くような轟音が聞こえてきた。多分、スーイが自分を見つけたのだろう。

 

「うっわぁ……顔面えぐい事になってる。生きてる?」

 

「何とか、ですわね。眼窩覗かれて脳を見られてたらやばかったですわ。そちらは遅かったけど何かありまして?」

 

「腕のいい狙撃手に頭ぶち抜かれた。でも良かった。私は人間と違って頭ぶち抜かれたくらいじゃ死なないからね。でも再生に手間取ったし、翼の損傷は治りにくい」

 

「そちらも大変でしたのね……すみません。今何も見えないので運んでくださって?」

 

「ギロン重いから嫌なんだけどな……。まぁいいよ。魔王軍幹部をタイマンで倒すなんて、やっぱ彼以外の人間も面白いね」

 

 

 彼……彼は今の自分を見たらどう思うのだろう。さすがにホシに義眼くらいは作ってもらうつもりだが、両眼が無くなると顔の形が崩れると聞いたので心配だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王軍を裏切ると伝えて、すぐにギロンは改めて伝えた。

 

 

「妾の夫に、なってくれます?」

 

「いや……タイプじゃない」

 

「話が違いますわよ!?」

 

「いや、そんな秒で好きになれるわけないじゃん。そもそも俺、その……言いにくいんだけど、アンタのことあんまり好みじゃないというか」

 

 

 それは生まれて初めての経験だった。

 

 極めてシンプルに、ギロンは振られた。

 告白して、断られた。全てを求め、全てを手に入れ、常に高みを目指して自分を磨いてきた。人に告白されることはあっても、誰かを欲しいだなんて思わなかったから告白はしたことないし、受け入れたこともなかった。

 

「認めません……認めませんわよ! 妾より魅力的な女性がこの世にいるだなんて! 認めませんわ!」

 

「いや、大変魅力的だと思いますが……俺の好みには合わなかったということでここはどうか」

 

「それが認められないと言っているんですの!!!」

 

 信じられない。自分に惚れない異性が存在することが信じられなかった。魔王軍さえやめれば彼が自分のことを好きになってくれると本気で信じていたのに、これでは馬鹿みたいではないか。

 

 認めない。

 認められない。欲しいものは絶対に手に入れるのだ。それがギロン・アプスブリ・イニャスだ。それがなんなのか分からなくても、それが理解出来ないものでも、美しいと思えるから、ただ目指して手を伸ばせる。

 

 

「……絶対に後悔させてあげますわよ。この世界で一番魅力的な女になって、貴方の方から夫にしてくれと言わせてやりますわ」

 

 

 妾に愛は分かりません。

 妾に恋は分かりません。

 

 

 今も妾は、貴方のことを美味しそうと思っています。それ以上に、貴方のことを欲しいと思っています。

 

 だから妾はこの世界で一番魅力的な女になってみせます。貴方が目を離せなくなるような素敵な女性になってみせます。

 貴方が好きと言ってくれるような女の子になりたいのです。とっても綺麗なお姫様になりたいのです。でも、これはきっと恋じゃありません。これを恋とは呼んではいけません。

 

 

 

 

 きっとこれは、妾のような卑しい獣が抱くことも許されない、美しいモノ。

 

 

 

 

 

 世界で一番美しい、貪欲なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・ギロン・アプスブリ・イニャス
世界一貪欲な獣。惚れた一番の理由は、顔。思考は自分が一番なので欲しいものを手に入れるためならどんな手段も使う。自他ともに認める強欲の獣。
実態は人間としての感性や倫理観が抜け落ちて、食欲と蒐集欲で生きている獣。楽しいも嬉しいも悲しいも腹立たしいも既にわからなくなって表面上で演じているが、憧れの星に手を伸ばす無垢さだけを失わなかった。この世の全てが手に入らなくても、欲しいものに手を伸ばせる今が好き。

・祝福『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)
物質の移動を吸収する先天性の祝福。移動とは『移ろい』『動く』こと。彼女が触れた現象、物質は移動が出来なくなりその場に静止する。この場合の移動は、他者に影響を及ぼす何らか干渉を含め、彼女が触れた時点で剣であろうが炎であろうが魔術であろうがただそこに在るだけのモノになる。

後天的に覚醒したもう一つの力は吸収した『移動』を自身または他者に与えること。彼女の優れた身体能力と相手を触れた時点で封殺する本来の効果と併せて非常に強力なものとなっている。



・スーイ
目の色が赤くなったり緑になったりする。
邪悪なドラゴン。研鑽や努力といったものが好きなので、そういうものを軽んじたり、常に全力ではなく油断とかした相手をぶち殺す方法を従者くんに仕込んだ。人間では無いので胸部と翼部にある核を2つとも潰されない限りは死なない。

・従者くん
女誑し。
世界一欲深く、世界一無欲な普通の青年。基本的にリスカの周りに現れる魔族魔獣は最上位のモノなので本人も勘違いしているが、普通に鍛えた人間としては相当な強さはある。邪悪なドラゴン系師匠のおかげで、魔術を使う的ならば格上であろうと普通に斬り殺す。現在待ちぼうけ。

・迷子
リスカ。


・グレイリア
ギロンのことが好き。そういう魔族。好きな女の子にちょっかいかけるタイプ。

・異能『空空縛縛(イミ・テンション)
視界内の同程度の大きさの物体の位置を入れ替える異能。単純かつ、この『同程度』は本人の認識による為に様々な応用が可能な強力な能力。グレイリアは八つの目のどれかを閉じることにより常に自分を視界内に収めていたりする。







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渚の主役

 

 

 

 

 

 

 

 

「……皆どこいったんだろう」

 

 海を眺め続けてどれくらい経ったんだろうか。

 リスカはどっか行って、ホシもギロンもいつまで待っても来なくて、スーイも来ない。ずっと海パン一丁で海を眺め続けるのもなんだか虚しくなってきた。

 

 …………海は綺麗だなぁ。

 

 旅をしている間も南部にはあんまり寄らなかったし、海の方まで見にも行かなかったので実は海を見るのはほとんど初めてだったりする。

 なんというか、語彙力が欠けていて表現出来る気がしないがすごくでかい。もうすごく広い。それでいて、すごい。

 

 いやぁ、海はすごいなぁ。大きいなぁ。

 

「……本当に皆どこ行ったんだ?」

 

 探しに行って入れ違えになっても困るしなぁといまいち踏ん切りがつかないまま、時間だけは過ぎていき陽がどんどんと西の方へと落ちていく。

 まさか、ここでみんなで口裏合わせて俺を置いていくことで追放しようとか考えてるんじゃと思ったが、冷静に考えてみるとリスカ以外みんなはしゃいでた気もするしそれは多分ないと信じたい。無いよね? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせー、先にホシ拾ってきたよ」

 

「ありがとうございます……本当にホシ拾ってきたんですの? なんか、明らかに人体が地面に転がされる音じゃない音しましたわよ?」

 

 現在、ギロンは両目を失っていて何も見えないので正確なことは分からないが、スーイが地面に転がした物体はべちょっ、と潰れてそのままなんだかうごうごと蠢いている気持ちの悪い音を鳴らしていた。

 

「本当にホシ? なんかエグい音してませんこと?」

 

「多分ホシ。ばっちいからあんま触りたくないけど」

 

「お前ら可愛い神官のホシちゃんに好き勝手言い過ぎだろ」

 

 スーイの運んできた物体Xはみるみるうちに形を変えていき、最終的に金髪と大きな藍色の瞳が特徴的な全裸の女の子へと姿を変える。皆からはホシと呼ばれる少女の姿にだ。

 

「……なんで全裸なの?」

 

「え、ホシさん全裸なんですの? はしたなですわ〜」

 

「こちとら岩山の下敷きにされたんですよ。可愛いホシちゃんの水着も残念ながら布切れです。あとギロン、アンタも今ほぼ全裸ですからね? 水着破れてますよ?」

 

「いや、妾の体にはしたない部分とかないし……」

 

「なんだコイツの自己肯定感無敵か?」

 

「おほ〜良きね。そういう努力に裏付けされた自信は良き〜、もっと持ってけ〜」

 

 なんか勝手に絶頂しているスーイは放っておいて、ホシはギロンの傷の具合を見る。彼女の『祝福』の影響で体にほとんど傷はないが、単純に両眼が失われている。無意識か意識的にか出血部位から流れている血液の『移動』を奪って出血は止まっているが、放っておけるような怪我でもない。

 

「えーっと、ホシさんは義眼とか作れます?」

 

「義眼どころかもう一度まともに目を見えるようにできますよ。これが神の奇跡です」

 

 ホシの指先が定まった形を失いギロンの眼窩へと侵入していく。

 異能『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』は死体を操る力。死を以て生を補強するこの世の真理であり冒涜を司る。

 

「……あ、そう言えば魔王軍幹部また倒したんですよね。おめでとうございます。死体はどこにありますか?」

 

「死体?」

 

 死体、とひとくちに言っても実は全ての死体を平等に操れる訳では無い。

 虫や野獣と言った魔力をあまり含まない死体は、変形の自由度も硬度等も大して高くないどころかホットシート・イェローマムの全体の質を下げかねない。

 逆に、魔族や人間など多く魔力を含む生き物の死体は非常に使い勝手が良い。だからと言って絶対数の関係からホシの肉体は半分は魔獣、あとの半分がだいたい人間か魔族の死体で構成されている。

 ここの詳しい人間の割合を答えると、下手すればホシは人間()の味方ではいられなくなってしまうので決して言わないのであるが。

 

「そうです。魔王軍幹部様の死体ともなれば是非とも手に入れておきたいのですが、どこにあるんですか?」

 

 何も言わず、ギロンは目を逸らした。

 逸らす目はないが明らかに目を逸らす素振りをしていた。そして、なんて言おうかしばらく考えた後に無言で自らの腹を指さした。

 

「……いや、まぁはい。なんとなくわかってましたよ。でも、流石に全部は入りませんよね? 普通。せめて一欠片でもいいんで、ね?」

 

「まぁ、はい。……ごちそうさまでした♡」

 

「──────ッ、! ……っ、……はぁ……なんでスーイ(トカゲ頭)より人間の方が扱いづらいんですかね。ほんと、呆れますよ」

 

「なんで私がこの流れでなんか言われなきゃならないの?」

 

 魔族のサイズ差はまちまちであるが、だいたい人間に擬態をする種族なので人間らしい見た目をしていることが多い。ホシ自身がそうであったからだ。

 それを丸々、一欠片も残さず全部食べてしまうだなんて一体どんな消化器官をしているのだろうか。半ば人間から外れた、リスカにも言えることであるがこの2人は完全に『人間』という枠組みから逸脱している。

 

 思い込む力、膂力、身体の再生機能、咬合力、消化器官の性能。なんでもいいがとにかく『枷』というものが外れている。

 

 代償に、枷をかけてまで抑えていたものを解き放てば当然他の部分にガタが来る。リスカならば精神異常、ギロンならば過剰食欲だろう。

 

 

 ホシが今までにギロンを治療した回数は、32回。そのうちの大半がギロン本人による自傷……『自食』だ。

 ギロン・アプスブリ・イニャスは『欲しい』と『食べたい』の境が日に日に曖昧になっていっている。彼女のナルシストな気質と相まって、無意識に彼女は自分を()()()()()()。守りたいと思ったものさえ自らで食べて、その行為に対する矛盾を認識できない、あるいは彼女の中でその二つの行為に矛盾が生じない。

 

 それでも、この世界で彼女が最も欲しいモノに絶対に噛みつかない辺りはギリギリ正常なのかそれとも単純にメンタルの強さもイカれているのか、人間ではないホシには判断はつかない。

 

 

「まぁとりあえず治しますよ〜。眼なんで脳から繋げ直しますから、多分不快感がエグいでしょうが耐えてくださいね☆」

 

「了解ですわ。なにか咀嚼できるものとかあります? 噛んでいると落ち着くので」

 

「食った魔王軍幹部の骨とか噛んでれば」

 

「骨まで残さずいただきました♡」

 

「舌でも噛んでろ」

 

 

 リスカならば拒絶反応で赤子のように泣き叫んでいたであろう眼球の治療ですら、ギロンは何事もないように黙って受ける。こういう強さは治療する方としてはありがたいのだが、普段メンタルよわよわ(リスカ)のお世話をしている身からするとあまりに大人しすぎて違和感の方が強くなる。

 

「……はい、終わりました」

 

「うー……めちゃくちゃ気持ちわりぃですわねこれ。っと、あら、本当にまた見えるようになるとは。相変わらずすごい『異能』ですわね」

 

「私からすればアンタの『祝福』の方が恐ろしいですよ。アンタにそんな祝福渡した神様ってもんが何考えてるかわからなくて怖いこと怖いこと。はい、これ何本に見えますか?」

 

 ホシは細くしなやかな人差し指を一本立てる。

 ギロンは頭を動かしてそれを食いちぎる。

 

「一本、ですわね? よく見えてますわよ」

 

「はい、今ゼロになりましたけどね」

 

 恐ろしいことに、ホシへの感謝と今の行為が彼女の中では矛盾を一切起こしていないのだ。彼がいなければ常にこれなのに、彼の前だけではちょっと頭のネジが外れた女程度に抑え込めている精神力は自分なんかよりよっぽどバケモノじみている。

 

「って、もう日が暮れそうじゃないですの。早く戻らないと! スーイ、フルで飛ばせばここからどれくらいです?」

 

「ギロンだけ運ぶなら秒、ホシを含めると分かかるかな」

 

「この筋肉ダルマより私が重い扱いなの納得いかないんですけど」

 

「ホシは霊的になんか重いし、あと付き合ったら重そう」

 

「重そうなのはお前もだろ頭災害ドラゴン」

 

 軽い言葉の殴り合いはこの辺にして、時間がないのも事実。急いで海で待ちぼうけをくらっている彼のところに戻らねばと思ったところで、ホシが気が付いた。

 

「水着、替えとかありますか?」

 

 ホシは現在全裸、ギロンは全裸の方がマシ、スーイは裸に布が引っ付いていると言うのが正しい状態だった。

 これで彼の前に出たら3人揃って変態か異常なファッションセンスの烙印を押されるどころか、普通にドン引きされる。

 

「スーイ、貴方の荷物は……」

 

「狙撃されて全部燃えたけど?」

 

「…………」

 

 

 まさに万事休す、地獄のような選択しか残されていなかったが、彼女達は仮にも最強の勇者、リスカ・カットバーンと共に旅するパーティの一員。その一人であるギロンがホシを見て閃いた。

 

 

「……ホシさん、貴方ってだいたいどんな形でもなれますのよね?」

 

「そうですね。形状を模す、と言うだけならば大抵のものには……え、マジで? マジでやるんですか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「太陽、沈んじゃうなぁ……」

 

 マジでみんな何時になっても戻ってきてくれない。もしかして、俺本当に追放されちゃったのだろうか? 海パン1枚で海に放り出して追放はちょっと、極めて人の心が欠けているんじゃないだろうか? そんなこと、なんだかんだで心優しいみんながするはずがないと信じたいが、さすがに不安になってくる。

 

「あの、本当に2人はそれでいいんですか?」

 

「なんか問題ある? 完璧じゃん見た目は」

 

「そうですわよ。それとも、自らの体に自信が無いので?」

 

「そういう問題じゃなくてですね? だってこれ、実質全裸ですよ?」

 

 聞き覚えのある声がしたのでそちらの方を向くと、見覚えのある3人の姿が見えて思わず泣きそうになってしまった。ホシ、スーイ、ギロンの3人が何やら遠くで口論をしているのを発見したのだ。話の内容は聞き取れないが、向こうもこちらに気が付いて走ってくる。

 

「すいません、遅くなりましたわ。スーイがクッソ長い間トイレに籠っていて連れてくるのが遅れまして」

 

「……ッチ。うん。水着着るの初めてだったから、勝手がよくわからなくて。このバカお嬢様の言うことは全部嘘だから気にしないで」

 

 一応言っておくと、俺は男の子だ。だからこれは仕方の無いことだと思う。

 こちらへと走ってくるギロンの胸が、すっげぇ揺れてるのに目が奪われてしまった。こればっかりは本当に仕方が無いと思うのだが、ギロンの水着はめちゃくちゃ目のやり場に困る。金色の布地は上も下もぎりぎり大切なところを隠しているだけで防御力という面に関してはゼロに近い。

 だが、その分彼女の鍛えられた肉体美が映えるというもの。各所に付いている傷跡すらもその肉体という芸術を彩る要素になる、彼女にとって最高の水着と言えるだろう。

 

 一方スーイの水着はギロンとは対照的に露出度は抑えられている。だが、それなのに逆に目のやり場に困ってしまう。

 胴体部分を肩を除いてほとんど全て覆い、肉体に張り付くように着られた水着は彼女のスリムな体型をよりはっきりと映し、泳ぐ為の機能性を重視されたかのようなその立ち姿にはギロンとはまた違った美しさがあった。

 

「本当に、本当に2人はそれで恥ずかしくないんですか?」

 

「いつまで妾の後ろに隠れているんですか。敵前逃亡は許しませんよ?」

 

 そして、ギロンの後ろに隠れていたが彼女によって前に立たされてしまったホシ。

 他2人よりもかなり小柄、だがメリハリという面では少女とは呼べない妖艶さを纏ったその体を改めて目にすると、心臓が止まるかのような衝撃を受ける。少しフリルの多いワンピース型の水着が大人っぽさと少女の可愛らしさを両立させていて、なんだか、とても。

 

「…………ロリコン」

 

「待て、ホシはロリじゃない。酒も飲める立派な大人の女性だ。だから俺はロリコンじゃない」

 

「ロリどころか私、ギロンより歳上なんですけど?」

 

「それはそれとしてロリコンですわ」

 

 断じてロリコンじゃない。

 ちょっとホシに見蕩れただけでロリコン扱いは、俺よりもホシに失礼だと思うんだ。だから俺はロリコンじゃない。確かにホシから目を離せないが、違うんだ。なんというか、ホシをこうやって改めて見るとどこかで見た覚えがある気が……。

 

「…………そんなに食いつくように見て、本当にロリコンなんですか?」

 

「違う」

 

 そんなやり取りをしばらく続けていると、スーイが周囲を見渡してぽつりと一言。

 

「そう言えばリスカは?」

 

「リスカなら、海とか好きじゃないから部屋で寝てるって言ってたぞ」

 

 何故かギロンとホシが信じられないものを見る目で俺を見てくる。何か変なことを言っただろうか? 

 

「それ、マジですか?」

 

「え、まぁリスカはそう言ってたな」

 

「リスカ、部屋にいませんでしたよ」

 

 

 ……まぁ、リスカだしな。割と適当な嘘をつく癖があるし。

 

 

「じゃあ迎えに行くか?」

 

「え、どこに行ったか分かるんですか?」

 

「仮にも幼なじみだしな。リスカの考えていることはさすがに全部は分からないけれど、半分くらいなら理解出来てるつもりだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 水着を着た自分が鏡に映る。

 時間をかけて選んだだけあって、かなり自分に似合っているという自覚はある。水着の用意をしていなかったのは本当だけど、海が嫌いって言うのは嘘。正直、アイツと海に来れるなんて昔一度見た夢が叶ったとかそんな気分だ。

 

「……汚いなぁ」

 

 でも、鏡を見て諦める。

 似合ってはいても、私の体はとても汚い。手足はホシが治してくれてるけれど、胴体の傷はどうしても隠せない。胸、腹は特に何度か内蔵が零れそうな怪我をしただけあって酷いものだ。とてもじゃないが他人に見せられるような体ではない。アイツに見せられる体じゃない。

 

 

『汚いなぁ』

 

 

 勝手な思い込み。アイツはそんなこと言わない。

 

 

『勇者の体とは思えない』

 

 

「そんなこと、言わないでしょ」

 

 

 

『──────リスカ(勇者)じゃないみたいだ』

 

 

 

「い、言わない……言わないもん……」

 

 

 

 

 

 蹲って、何も見えないように瞳を閉じる。

 こうしていると嫌いなものを何も見なくて済むから少しだけ落ち着く。鏡ほど私がこの世界で嫌いなものは無い。

 本当のことを言えないこの口も、血の色みたいに真っ赤なこの髪の毛も、なんでも切って殺すことしか出来ないこの手足も、傷だらけの体も、こんなに弱い心も全部嫌いだ。嫌いだから隠す、誰にも見えないように、知られないように、私の全力を以て隠してみせる。

 

 必要なのは私じゃなくて『勇者』なんだって。

 求められているのは『勇者』なんだって。

 

 諦めて、水着から普段の私に着替えようとして。

 

 

 

 

「リスカー。いるか?」

 

 

 

 

 

 聞こえるはずがない声が、聞こえた。

 

 

「本当にこのお店にリスカがいるんですか?」

 

「多分。何となく、この店の雰囲気リスカが選びそうだし」

 

「何となくって、居なかったらどうするの?」

 

「見つかるまで探せば見つかるだろ」

 

「そんな都合よく見つかりますの? 結構この辺り広いですわよ?」

 

 

 聞き間違えだと思ったけれど、皆の声が聞こえてくる。さすがにいつもの幻聴じゃない。本当の本当に、みんなが来てる。

 足音が近づいてくる。なんの迷いもなく、私の方に向かってくる。そして、布一枚隔てたところでそれが止まる。

 

「リスカ、ここにいるよな?」

 

「…………何よ、他人だったらどうするつもりだったの?」

 

「とりあえずごめんなさい人違いでしたってしてたかな。まぁそれは置いておいて出てこいよ。みんな待ってるぞ」

 

 そりゃ私だってさっさとみんなの前に出てみたい。

 でもどうしても、足が前に出ないのだ。手が動いてはくれないのだ。幻聴とわかっていても、声が私を苛むのだ。

 

「大丈夫ですよ。ギロンの方がよっぽど面白い水着してるので、多少ダサくても誰も笑いませんよ」

 

「はぁ? ホシさんの方が可愛らしくて赤ちゃんみたいでとても面白いと思いましてよ?」

 

「ほら、この馬鹿共なら別に何も気にしないから早く出てきなよ」

 

 ギロンとホシが割と馬鹿なのは知っているからどうでもいいとして、問題はそこじゃない。

 こんな体、勇者らしくない傷だらけの体を見られたくない、見て欲しくない、みんなに……アイツに失望されたくない。

 

 

 

「……仕方ねぇですね。強硬手段です。スーイ、カーテンの留め具壊してください」

 

「ハイハイ。了解」

 

 

 

 

 そんな小さな話し声が聞こえた瞬間、私とアイツの間にあったカーテンがいきなり落ちた。

 なんの心の準備もせずにアイツと目が合う。アイツが、私の水着姿を見る、見てしまう。

 

「……あ」

 

 どうすればいいか分からない。頭が真っ白になって、何も出来ない。どうしよう、こういう時、リスカ・カットバーンはどうすればいいんだっけ? 

 八つ当たり? 怒ればいいの? それとも、泣くのだろうか? 分からない、リスカ・カットバーンは、リスカ(勇者)は──────。

 

 

 

「えっと、なんか覗いたみたいで悪いけど、……事故だよなこれ? とりあえず水着、気に入ったの見つかったなら良かったよ。行こうぜ」

 

 

 

 

 私が何を考えているかなんて知りもしないで、アイツは私の手を引いてくる。

 

 

「……待って」

 

「ん、どうかしたか?」

 

「私、変じゃない?」

 

「いや、その水着、()()()によく似合ってると思うぞ」

 

 

 そうやって、いつも私が何考えてるかなんて知らないで、貴方は私まで笑顔になってしまうかのような笑顔を浮かべてくれる。

 

 なら、今日だけは私は勇者じゃなくていいのでしょうか? 

 

 今日だけはリスカ(勇者)では無い、リスカに良く似合う水着を着た女の子として、貴方の隣にいていいんでしょうか? 

 

 

 

 

「──────当たり前でしょ? 私のファッションセンス、舐めてるの?」

 

 

 

 

 日が暮れるまでの短い時間。

 誰そ彼と人が呟く曖昧なこの時間だけ、私は貴方の隣で、誰でもない私になれるのです。

 

 

 

 







・リスカ・カットバーン
シンプルなビキニ。今日だけは勇者ではなくただの女の子に。

・ホシ
ワンピースタイプ。ギロン、スーイと共に水着を紛失したため自身の異能で再現していたので実質全裸。顔から火が出そうなほど恥ずかしいし、他の2人が気にしてないのが信じられない。この後色々あって従者くんに再び全裸を晒した。

・ギロン
マイクロビキニ。ナルシストなので自分も好き。体に恥ずかしいところがないので全裸でも歩ける。この後色々あってホシの異能の制御がぶれて全裸を晒した。

・スーイ
競泳水着。そもそも裸を見られることがなぜ恥ずかしいのかよくわかんない。この後色々あってホシの異能の制御がぶれて全裸を晒し、恥ずかしいという感情を理解した。


・従者くん
リスカが隠している思いまでは見抜けないけど、基本的に幼なじみなのでリスカの考えてる事は半分くらいわかる。
この後色々あってホシ達の裸を見てこの世から追放されかけた。






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Erosion/天の光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……波の音が遠のいていく。

 

 だんだんと波の音が聞こえなくなっていって、代わりに聞こえてくるのは悲鳴、怒声、崩壊、そんな嫌な音ばかり。目を開けたくなくて、それでも目を開けなくちゃと思って、私は目を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……人助けとかしたくねぇですね。もうずっと遊んで暮らして誰かに感謝される生活がしたいです……いや、もう好きなことして褒められたいですね」

 

 神官としてというか、人としてどうなのかって言葉を漏らしながら、ホシは気だるげに下を向きながら歩いていた。

 

 まぁ確かに海で遊ぶなんていう経験は滅多に出来ないからうかれるだろうし、そこから転移を使って一気に戦地の真っ只中まで飛んでくれば気分もつられて落ち込むものだろう。

 

「それはそうと。俺、なんか後半の記憶ないんだけど何があったの?」

 

「派手に転んで頭を岩にぶつけたんですよ」

 

「そっかぁ。それなら仕方ないね」

 

 明らかに何者かに殴打された感じの傷が頭にあったのだが、なんだかこれは触れると今度こそ頭をかち割られる気がするのであんまり触れないでおこう。

 

「さて、やはり北に来ると寒いですね。なので体を温める飲み物を作りました」

 

「お、ありがとうホシ。ハーブティーとか?」

 

「白湯です」

 

「思ったより直球な温まる飲み物だった」

 

 実際寒いのでとりあえず飲んでおくと、冷えた体が芯から温められる優しい味がした。

 

 大陸北方。

 最初に魔王軍がその存在を宣言した場所でもあり、人類にとって苦い経験となった場所。

 周辺諸国は一丸となってこの殲滅にあたり、見事なまでに返り討ち。そもそも、魔王軍は『万解大公』と『灼熱大公』の2体だけで殆どの人類側の兵士を殺害し、優れた祝福を持っていた者達も他の幹部に個別でやられてしまったとのこと。

 

 それからは、人類側は『勇者』として優れた少数精鋭を送り込むことばかりに必死でほぼ防御の一辺倒。ソレでも今この状況は人類にとってかなり良い状況なのだ。

 

「『万解大公』に続いて『回刃』まで。魔王軍の厄介な奴らが2人も消えれば今が攻め時……と思ったらやっぱり全部勇者任せとは。慎重は美徳ですが臆病過ぎる気がしますけどねぇ」

 

「そうは言っても、魔王軍に負けた時は酷かったらしいからな。なんせ数え切れない数の兵士が送られて、生きて帰ってきたのは片手で数えられるだけの数だったんだ。誰だって、そんな相手と戦うのは恐ろしいだろ。特に、最も被害を出した『灼熱大公』はまだ生きてるんだし」

 

 魔王軍幹部は単体で災害に匹敵する恐ろしい存在。幾ら雑兵が集まったって勝ち目は無いに等しく、強い祝福を持った『勇者』を何人か送り出して個別撃破させるのが理に適っていると言えばそうではあるが、思わないことがない訳でもない。

 

 

 ……身近な人間、幼なじみがその『勇者』に選ばれた立場としてはだ。

 

 

「『灼熱大公』……そういえば、あまり思い出したくない話であれば無視して構いませんけど、リスカさんと貴方の故郷を滅ぼしたのも、あの灼熱大公らしいですね」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

「そうなんだって……親の仇なんですよね?」

 

 そう言われても、実は今初めて知った事だしそれ以上の反応は出来なかった。そもそも、故郷を滅ぼした相手が誰だとか今まで考えて暮らすような余裕は一切なかったし。

 何もかも無くなってしばらくの間はリスカの両親が面倒を見てくれたし、その後旅の途中は本当に余裕がなかった。毎日生きるか死ぬかだった気がする。

 

「そう考えたら俺って運がないのかもな。ベルティオは直接会ったことないけど、今まで3体と1人の魔王軍幹部と関わるなんてな」

 

「逆ですよ。普通は魔王軍幹部と会ったら死ぬんですから運が良いんですよ。……普通は、魔王軍幹部と鉢合わせたらまず確実に死にます。『勇者』が複数人で当たれば撃退こそ出来ますが、今までリスカとギロン以外で1対1で魔王軍幹部を倒した人間はいませんからね」

 

「待って、ギロンが魔王軍幹部倒したってどういうこと? 初耳なんだけど」

 

「あー……まぁ、ほら。魔王軍幹部の1席を潰してるんで実質的な?」

 

「何言ってるんですのホシ? グレイリアなら妾がタイマンで挽肉(ミンチ)にしましてよ?」

 

「このアホに気遣いとかした私がバカみたいじゃないですか。アンタの祝福、メンタルまで動かないようにできるんですか?」

 

 ギロンが元魔王軍幹部なのは知ってるし、同格の相手を真正面から倒せても驚きはしないけど、一体ホシは何を気にしていたのだろうか? 

 

「いえいえ。相性が良いだけで妾の祝福はそこまで便利なものではありませんわ。まず、質量が大きすぎるものから移動を奪うのは疲れますし、概念的な攻撃は大抵防げないので基本は相性ですわよ。例えば、精神のような触れることが完全に不可能なもの、あとは空気、地面、といった大質量のものは妾の認識では止めるのは難しいですわ」

 

「へぇ、祝福ってなんでも出来るもんだと思ってたけど、意外と制限もあるんだな」

 

「そういう話してるんじゃねぇんですよ。とりあえず生まれつきその鋼みてぇなメンタルしてるのはわかりましたから」

 

 ホシは沸騰しているお湯を乱暴に口に運んで一息で飲み込む。何かおかしい気がしなくもないが、ホシはきっと熱に強いんだろう。そういう人は今までにも何人か見てきた。

 

「待たせたね、周辺の探索終わったよ」

 

「予想通りっちゃ予想通りだけど、『霧の壁』を避けて北に行くルートはなさそう。あとは、同じこと考えて『霧』に囚われたんだろう死体が幾つかあっただけ」

 

 偵察に行っていたスーイとリスカはそう口にするが、要は進展なしという事だ。

 

 魔王軍が大陸北方広域に展開し、同時に人類が多数での攻勢を諦めて防御に回っている最大の原因。『霧の壁』。正確な範囲は不明であるが、この霧を避けて魔王軍の本拠地へ踏み込むことは不可能。だが同時に、この霧の中に踏み込んで帰ってきた者も誰一人としていない魔王軍の最強の防壁。

 

「成分を調べようとしたけど、ダメ。やっぱりあの霧は()()()()()。視覚的に在るだけで、物質的には存在しないね。間違いなく『異能』のものだ」

 

「じゃあどうしますの? 妾が祝福使ってぶっ飛んで一気に突破してみます?」

 

「どうせ途中で意識が刈り取られておしまいです。わかってることは『霧の中に長時間滞在すると意識を失う』ことと『そうなったら目が覚めない』事です」

 

 この中で一番魔術に関して詳しいスーイと、医学に関して詳しいホシの2人が協力してわかったことはそれだけ。ただ、霧に突っ込んでいかなければ無害であるという点は変わらない。

 そもそも霧は物質的には存在しないらしく、呼吸を止めた程度でどうにかなるものでもない。

 

「妾の異能も存在しないものには効果はありませんし、そもそも大陸を横断する規模の霧とか止められませんし、そもそも止めたら突破できませんわね」

 

「仕方ない。いつも通り、私が最初に進んで元を断ってくる」

 

 そう言ってリスカは立ち上がり、用意していた剣の中から無造作に1本選んで霧の中へと向かっていこうとするが、それはさすがにホシが止めた。

 

「待って待って。普段ならそれでいいんですが、今回は本当に魔王軍が発生してから一度として破られたことの無い『霧の壁』です。もっと慎重に行きましょう」

 

「じゃあ他に方法が思いつくの? 私が進んで、私が斬れば終わり」

 

「認めたくありませんが、リスカは人類全体で見ても最高戦力なんです。まんまと敵の罠にハマって死なれたら困るんですよ」

 

「えーっと、じゃあ最初に俺が行こうか?」

 

「アンタが先に行って何が出来るのよ。ここは魔族の飼育場でもないのになんで餌を上げないといけないわけ?」

 

 相変わらず鋭い言葉が飛んでは来るが、相手の手の内が分からない以上はまずは最小限の浪費でどうにかして相手の異能のルールを知るのが、異能を持つ相手との戦いでの鉄則だろう。

 そして、この中で最もいなくなっても問題がない存在は俺である。

 

「まずは俺が行って、その間にホシとスーイで相手の異能を見極めてもらう。最悪、俺が死んでも問題は無いしホシとスーイならどうにか手がかりくらい掴んでくれると思ったんだが、どうだ?」

 

 自分では結構名案だと思ったのだが、めちゃくちゃ良い笑顔を浮かべてるスーイ以外の3人の反応が薄い。

 リスカは俺を矮小な虫けらでも見るかのような目で見てくるし、ホシは真面目な顔で遠くを見つめて何か考えているし、ギロンはあくびしてる。せめて興味くらい示して欲しかった。

 

「……ギロン、付いていってください。貴方の祝福があれば、万が一があっても戻ってくることだけはできる」

 

「ん、了解ですわ。でもいいんですのホシ。過保護な貴方らしくない選択だと思いますわよ」

 

「悪龍に向かう覚悟なき者に龍の財宝は手に入りません。厄介ですが、誰も内部を観測できたことがない以上は、こちらも手段は選んでいられません。何か異常を察知したならば、すぐさま戻ってくること。いいですね?」

 

「わかってる。さすがに死にに行くわけじゃない。あくまで偵察だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言ってしまえば大失敗だった。

 霧の中を進むこと数分。視覚がまともに機能しない濃霧の中をギロンと手を繋ぎながら歩いていたら、突如として()()()()()()()

 

 なんの前触れもなく、音すらせずにギロンは消えて次の瞬間には視界はブラックアウト。今はこうして何も見えない暗闇を、歩いているかすらわからずに進んでいるという認識で動いている。

 難攻不落の『霧の壁』を舐めすぎていたのだろう。せめてギロンだけでも無事に戻れていればいいのだが……。

 

 

「……光?」

 

 

 どこまでも続いていそうな暗闇の中、突如として今度は目の前の全てが光に包まれて何も見えなくなる。

 目が眩み、視界が正常に戻るまでの間に周囲の変化を他の感覚が感じ取る。

 

 肌を撫でる熱と痛み、パチパチと何かが燃える音、鉄の臭いと焦げ臭さが鼻腔を刺激し、目を開くとそこには。

 

 

 

「なんで、ここに……」

 

 

 

 そこは間違いなく数年前に滅びた俺とリスカの故郷。

 そして、再び炎に包まれて滅びようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……マジですかぁ。発動条件、分かりませんでしたね」

 

 一切光のない暗闇でホシは目を覚ます。

 ギロンと彼が霧の中に踏み込んだのを見届けたと同時に、急に霧がこちらへと迫ってきて対応する暇もなく飲み込まれ、気が付けば意識を失っていた。

 

 だが、こうして意識が戻ったということはまだ何か対抗できるという事。

 

「……体の感覚が少し違いますね。幻覚の類でしょうか」

 

 生命体の脳に干渉するタイプの異能ならばホシは影響下にならない。同じ理由で毒物、薬物も効かない。なのでこれは意識に直接干渉している異能だという所までは判断が付く。

 

 霧の周囲にある死体がどれも外傷がなく、眠るように衰弱死していたこと。そして自分の今の状況を考えて相手の異能を整理していく。

 

「霧に包むことが発動条件、対象は……自我のあるモノとしておきましょう。これ程の広範囲に対して発動できるのは、場所を制限していることと……あとは意識がない間は外部から干渉出来ない等の制限がある?」

 

 ここまで考えたが、対抗手段は思いつきはしない。とにかくいち早く目覚めて他の皆も起こさなければならない。自分とスーイは眠り続けた程度では死なないが、人間は飲まず食わずで眠り続ければ死んでしまうのだ。

 

「さて、いよいよ幻覚が始まりそうですが……具体的に何をすれば解放されるんですかね?」

 

 辺りが光に包まれて、世界が切り替わっていく。

 かつて相手にしたことがある幻覚系の異能はホシには効果を示さないか、幻覚の中に術者の精神の写しのようなものがありそれを破壊する、または自害などが解除条件として多かったと記憶している。

 

 今度は果たしてどうなるのか、そう思いながら再びホシは目を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

「カミサマ」

 

 

 

 

 

 

 

 聞きたくもない、聞き飽きた、聞いてあげたかった言葉が最初に耳に入り()()()()()()

 

 呼吸、そうだ、自分が呼吸をしていることに気が付いたホシは胸に手を当てる。

 柔らかい、暖かい、鼓動が聞こえる。生きている。今まさに私は生きている。

 

 ■■■■■■・■■■■■■は生きている。あらゆる感覚がその事実を告げている。

 

 

「カミサマ、助けてください」

 

「この子、息してないんです」

 

「カミサマ、カミサマ」

 

 

 既に彼女は知っていた。自らの異能の力が、死体を操るだけの力であり自分に誰かを生き返らせる力はない。そんなこの世の理に反した力は自分にはない、知っているはずなのに、同時に彼女は知っていた。

 

 自分は「カミサマ」と呼ばれて頼られていて、自分には皆の願いを叶えられる力がある。自分なら、みんなの期待に応えられる。

 

 

 自分なら、皆を助けられると「カミサマ」は知っていた。だからいつものように祈りを捧げて、いつものように()()()()()()()

 

 

 

「……違う」

 

 

 

 脳が警鐘を鳴らして目の前の全てを否定している。

 彼女の記憶では、彼女はこんなこと出来ずに死体を操って中途半端に見た目だけ甦らせて、偽物の「カミサマ」として埋められて、そしてそれから長い時間苦しんで、彼に……。

 

「彼……?」

 

 

 彼って、誰のことだろう。

 気がついた時にはもう遅かった。それを忘れることが取り返しのつかないことと、忘れた後に気がついてしまったから。

 既に自分が今まで何をしていたのか思い出せなくなっていた。自分が今まで名乗っていた名前も思い出せない。この村の人から与えられた「カミサマ」という言葉でしか自分を表せない。

 

「くそっ、くそっ、クソッ!」

 

 忘れないように爪で自らの腕を引っ掻き、どうにかして文字を残す。久しく感じたことのなかった痛みを伴う記憶ならばと、最後の希望も容易く喰らい尽くされる。

 

 腕に刻んだ文字が次々と意味のわからない単語の羅列に切り替わっていく。わからない、なんで私は自分の腕を引っ掻いていたんだ? それすら思い出せないことがひたすらに気持ち悪くて、悔しくて、本当に本当に大切なものが奪われた空白だけが、その大切なものの存在を伝えていて、それが堪らなく悲しかった。

 

 

 

「カミサマ、大丈夫?」

 

「──────あ」

 

 

 

 けれど、そんな細やかな抵抗もこれでおしまい。

 彼女は自分を不安そうに見つめる小さな女の子を見て、すぐに全てを忘れて「安心させてあげなきゃ」と思った。

 

 

「私は大丈夫だよ。心配しないで」

 

 

 いつものように優しく語りかけると、女の子は安心した笑みを浮かべて何処かに走っていった。

 辺りにはいつもの光景。みんなが笑っていて、みんなが幸せそうで、私はここから動けないけれどそれだけで幸せだった。

 

 私の、「カミサマ」の幸福はみんなが幸せになってくれること。

 

 その幸福がカミサマの脳からいらないものをかき消していく。気が付けば先程自分が付けた腕の傷も消えていたが、それすらもどうでも良かった。

 

 

 カミサマは幸福そうな人々の顔を見て腱を切られて動かない足を軽くさすってから、微睡みの中に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・カミサマ
魔族としての本能は詐称。相手を油断させることに特化した姿形と精神性を突き詰めた進化の最終系。初めて貰った優しさに報いる為に全てを捧げる擬態の聖女。冷静だが、熟考を重ね過ぎて手遅れになることも多い。





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Erosion/彗星、獣、剣

 

 

 

 

 

 

 

 

「スーイ、ちょっとスーイ? 聞いてる?」

 

「へ?」

 

 しばらく聞いていなかった、それでも忘れることの無い聞き慣れた声でスーイの意識は覚醒した。

 その時点で彼女の脳はその現実に対して異常が起きていることを告げていたが、肝心のその『理由』となる部分が全て空白によって埋められてしまっていた。

 

 証拠が存在しないものは証明出来ない。

 人間よりもはるかに優れた思考回路を持つ彼女は、速やかに喉に突っかかる小骨のような違和感を『気のせい』で切り捨てる。

 

「ごめん師匠、なんだか頭がぼーっとしてた」

 

「ふーむ。ここ最近ちょっと修行を厳しくし過ぎてたかもね」

 

「うん。昨日も死にかけたしいい加減死ぬと思う」

 

「あれだけ死の淵に立たされてまだぼーっと出来る腑抜けた精神があったか。今日はもう殺す気でいくよ」

 

「殺す気で殺したら死ぬよ? 師匠馬鹿なの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと、ギロンは目を覚ました。

 記憶が連続していない。何かがあって自分の意識が途切れていたことは理解出来ても、原因が分からない。

 

「…………?」

 

 そして目の前には顔が潰れた死体があった。

 判別は難しいが恐らくは自分と同年代か少し年下の人間の男性の死体だろう。

 魔王軍幹部として、人間を出来るだけ殺しておいてと言われてはいたが、この青年をなぜ自分が殺したのか、そもそも本当に自分が殺したのか。困ったことにギロンの記憶には全くない。しかし、拳に付いている血液と口の中にある人肉の味が誰の犯行かを語っている。

 

 とりあえずもったいないので食べてしまおうと、青年の屍肉を胃に収める。味はまぁまぁ。多分大して強くなかったのだろう。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 それと共にぼんやりしていた意識がはっきりとしてきた。そう言えば前の戦いで深手を負い暫く動けなくなっていたのだ。魔王様も心配していることだろうし、さっさと顔を見せに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……起きてませんよね? 安眠快眠(グッスリ)ですよね?」

 

 霧の奥から1体の魔族が現れる。

 人間の女性のような体格に、真っ黒な仮面を纏ったその魔族は恐る恐る倒れている1人の人間に近づいていく。

 

「こ、この顔!? 裏切り者のギロンさん!? 恐怖(コェ)〜。それはそれとして一発ぶん殴ってやりたいけど……」

 

 仮面の魔族はそこら辺の石を眠っているギロンへと投げつけるが、その石は彼女に当たる直前で()()()()()()()()()()()()()()

 

「うん、私の異能はちゃんと作用してるね。魔王様から言われたもん。『切断』の勇者の仲間、全員案内(ブッコロ)してやりなさいって。だから、普段より初めから霧の領域をほんの少しだけ()()()()()。油断して、至近距離に来たところを全員一息で捕らえる。……私の『異能』、発動すれば無敵(マケナシ)

 

 さらに仮面の魔族は歩みを進める。今度は同じように倒れている1人の人間、1体の認識不可能な生き物、そして1つの死体が転がっていた。

 

「『切断』の勇者、そして前々から空を飛び回って魔王様にちょっかい出してた変なやつ、あと……コレは死体? なんで死体に私の異能が効いてるんだろう?」

 

 それはそれとして敵全員が自身の異能によって眠っていることを確認した仮面の魔族は安堵のため息を漏らした。

 魔王軍幹部の中で、直接戦闘という面においては自分は最弱どころの話ではない。そもそも、そういう強さがないから狩場を定めて、そこに獲物が引っかかるまで待つという進化の方向性を見つけたのが自分の種族なのだ。

 

「でも、どれだけ強くても私の『異能』を喰らえば関係ない。みんな、幸せそうに死ぬ。絶対に変えられない、です。これが魔王軍幹部様の力だ。ふへへ」

 

「異能か。なら良かった。お前を倒せばどうにかなるな」

 

「そうですね。私が死んだら、異能(ユメ)解除(サメ)ちゃうので…………んぉほ!?」

 

 後ろを振り向くと、なんと霧の中で人間の青年が自分に向かって剣を振り下ろそうとしていたので、仮面の魔族は素っ頓狂な声を上げながら無様に地面を転がってなんとかそれを避ける。

 

「お前を殺せば、この霧は無くなるんだな? そっちから出てきてくれて助かるよ」

 

「え、えぇ!? なんで!? 私の霧の中で、はぁ!? まぁいいや。もっかい眠って今度こそ永眠(オヤスミ)してね!」

 

 どう考えても避けられない体勢になった魔族を見て、青年は淡々と剣を振りおろそうとした。

 だがそれよりも先に『眠気』が青年を襲う。意識を一瞬足りとも保つことが出来ない凶悪強烈な眠気。

 

 

 

 

「──────『夢幻抱擁(フォー・ファー)』」

 

 

 

 

 

 それが青年の意識が落ちる直前に聞いた、異能の名であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けばそこにあるのは炎の海。そんなことがあるわけがないのに、何となくこの光景を見るのは3度目だなと思った。

 

 一瞬だけ何が起きたのか分からずに混乱したが、すぐに全てを思い出す。

 自分の全身の火傷、首から上が潰れて死んでいるよく知っている男性、意識を失い下半身が瓦礫に埋もれている女性。それを確認したらあとはやるべき事は一つだ。

 

「……リスカ」

 

 どんなに遠くからでもよく目立つ赤い髪の幼馴染の姿を探す。炎の赤が彼女の赤をかき消してしまう前に。

 瓦礫を掘り返して彼女の姿を探す。指の皮が剥けて、爪も剥けて、指先に力が入らなくなっても無理やり力を込めて探す。ただそれを繰り返し続ける。

 

 

 

 

 

 そして気が付けば、俺は焼け死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………寝たよね? 今度こそ寝たよね?」

 

 

 目を開けると俺の顔を覗き込むように仮面の魔族が突っ立ってたのでとりあえず飛び起きて殴りかかる事にした。

 

 

「寝てないじゃん!? なんで!?」

 

「なんでって言われてもなぁ」

 

 

 感覚として故郷が焼けた時の夢を見せられてなんやかんやで死んだら目が覚めてるのでこっちが何が起きているのか聞きたい立場なのだが。

 それはそれとして、目の前にいる魔族がこの霧の原因であることは発言から見て間違いなさそうなので、倒すのが良いだろう。

 

「いやー! 待って、ほら、私、非戦闘員! 弱い! 多分君にも勝てない! 慈悲をください!」

 

「攻撃してきた時点でされる覚悟くらい決めとけ。戦場に立ったらもうそいつはいつ死ぬかも分からないんだぞ」

 

恐怖(イヤ)ー! 優しそうな顔してるくせに価値観が厳しいよー! 助けて魔王様ぁー!」

 

 なんだか調子が狂う。俺以外みんな眠らされて起きてくる気配がない辺り相当強力な『異能』を持つ魔王軍幹部だということは間違いなさそうであるが、そうなってくるとなぜ俺だけがあまり効いていないのか、そしてなんで魔王軍幹部ともあろうものが腰を抜かして今目の前で震えているのか、分からないことがあまりに多い。

 

 まさか、今こうして目の前に広がる光景も魔王軍幹部によって生み出された幻覚なのだろうか? 

 

 

「ひぐっ、本当に待ってください……なんでも、知ってることはなんでも話しますから、命だけはご容赦を……お願いします」

 

 

 声を震わせながら土下座してくる魔王軍幹部を名乗る仮面の魔族を見るとますます幻覚の可能性が高まってくる。直接魔王軍幹部を見たのはギロンを除けば過去に一度だけだが、その時に感じた威圧感はよく覚えている。見えない手で心臓を鷲掴みされたかのようなあの感覚は忘れられる類のものでは無い。

 

 そしてそれは目の前の仮面の魔族からは全く感じられない。もしも本当に俺が知っている魔王軍幹部、エウレアと同等の実力があるならばこんな小芝居を打たなくても俺なんて一瞬で殺すことが出来るだろうし、どうしたものか。

 やはり、まずは情報だろうか。本当に魔王軍幹部だとしたら俺を油断させるなんて狡い手を使わなくともひとひねりされているだろうし、理由は分からないが相手には俺を殺さないにたる理由があるのかもしれない。

 

 

「……わかった。じゃあ魔王軍について知っていることを話してくれ」

 

「あ、はい。魔王軍は魔王様がえーっと、だいたい15年くらい前ですかね? それくらいに組織しました! 凄いですよね! 偉大(グレイト)!」

 

「…………うん」

 

「…………はい」

 

 

 それだけ? 

 とりあえず剣を構えて脅してみるけど、子うさぎみたいに震えるだけで口を開く様子はない。首元まで近付けてみても、それは変わらない。

 

「えっと、斬っていい?」

 

「まだ足りませんか……? 私、これ以上何も知らないんですよ……真実(マジ)で」

 

「幹部なのに?」

 

「幹部なのに。あ、待って、それ以上刃を近づけないで。いいんですか? それ以上刃近づけたら、貴方は魔王軍幹部が漏らした尿を浴びますよ」

 

 一旦剣を仕舞い、自分の頬を抓ってみると確かな痛みが返ってくる。出来の悪い夢、というわけでもなさそうなので恐らく目の前の魔族が自分を魔王軍幹部だと思い込む精神異常魔族だという可能性の方が高いだろう。それか俺の精神の方がイカれていてそれによって作り出された可哀想な生き物の幻覚だ。

 

「あの、私、殺されるんですか? 殺される前に、海とか見てみたかったなぁって」

 

「そうだな。もう少し情報が欲しかったけど、知らないなら仕方な」

 

 

「隙、発見(アリ)ィ! 喰らえ、我が異能『夢幻抱擁(フォー・ファー)』! 奇跡は3度起きないから奇跡と呼ぶ! 今度こそこの魔王軍幹部が1席、『夢幻』の異名を賜りしノティス様の異能で永遠に醒めぬ幸福の中で眠るが良い!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が遠のいて、また同じ夢を見る。

 さすがに3度目となると何となく記憶もはっきりしていたので、適当な瓦礫に頭を打ち付けて死んでみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして目を開けると何となく勝ち誇った顔をしている気がする魔王軍幹部、ノティスを名乗る仮面の悪魔がいた。

 

「…………現実(マジ)?」

 

「ああ、夢の時間は終わりだよ。さすがに、3度もやられたらもう会話の余地はないよな?」

 

 相手は手ぶら。恐らく魔術くらいは使えるだろうし、発動条件不明の相手から意識を奪う異能がある。下手に距離を詰めて目の前で意識を失うのは避けたいところ。ならば、確実に殺せると判断出来るまで一定の距離を保ちつつ……。

 

 

「…………私の『異能』を過去に3度以上破った知性を持つ生命体は、魔王様だけです」

 

「突然何の話だ」

 

「私の異能を破った時のことを詳しく教えてください。場合によっては、私はこの霧の『異能』を解除して、貴方達の仲間になります。……なので、とりあえずその刃を下ろしてもらえないでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが夢であることはすぐに理解出来ていた。

 リスカ・カットバーンは『勇者』だ。今まで幻覚を見せてくる魔族と戦ったことは何度もある。

 

 実の所、彼女の精神というものはホシが心配するほど弱いものでは無い。

 何故ならば、リスカ・カットバーンにとっての勇者とは折れず、曲がらず、決して切れない最強の刃。肉体も、精神もそのようでなければならないと定義した以上、勇者は何があってもあらゆるものを『切断』し、あらゆるものに『切断』されない。

 

「リスカ、怪我の調子はどうだ?」

 

「……うん、もうだいぶ良くなった」

 

 こんな幻、『切断』してしまえばすぐに消える。彼女に与えられた『祝福』は概念すらも切断が出来る。そんなことわかっている。早くこの夢から抜け出して、みんなを助けに行かなければ、自分が『勇者』でなくなってしまうことなんて頭ではわかっているんだ。

 

「ずっとベットの上ってのも暇じゃないのか? 何か欲しいものとかあったら持ってくるぞ?」

 

「ううん、別にないよ。編み物とかしてたら、意外と時間ってすぐ経っちゃうし」

 

 夢の中のリスカは、あの故郷が無くなった日に足を怪我していた。

 夢の中の彼は、勇者になるとは言わずにずっとリスカの傍にいてくれた。

 

 これが間違いであることも、リスカへの、彼への最大の侮辱であることも聡明な彼女は、理解していた。

 だって彼は勇者なのだから。絶対に、ここで立ち止まったりしない。どんな時も前を向き続ける彼が、私と一緒にずっと後ろを向き続けてくれるなんて有り得ない。

 

 

「っと、もうこんな時間か。そろそろ俺も戻るよ。また明日な、リスカ」

 

 

 そう言って何日目かの夢の中での時間が終わり、彼が背を向けてリスカの部屋から出ていこうとしている。

 あまりに無防備な背中。リスカは軽く手刀を振って、自分の服の端を切断する。『祝福』は夢の中でも有効だ。ならば、こんな幻は早く切り裂いてしまえばいい。

 

 怪我していた足も、ここが夢だとわかってしまえば問題なく動く。

 息も殺して、音も殺して、気配を消して。そうやって近づくリスカを彼が気が付くはずが無い。

 狙うなら首だろう。一撃で確実にこの『夢』を否定するのならばそれが都合が良い。この光景を夢だと否定することこそ、ここから抜け出す唯一の方法だと既にリスカは理解していた。

 

 

 だから、『切断』する。

 まやかしの彼の首目掛けて、万物を切断する刃を振るう。

 

 

 

 

 

「ん、どうしたリスカ。って、足の怪我、もう大丈夫なのか?」

 

 

 

 切れない。

 

 リスカ・カットバーンが得た祝福『切断』。

 彼女が切れると思ったものはどんなものであろうとも切れる。勇者であればどんなものでも切れる以上、彼女が持つことでこの力は神すらも斬り伏せる力へと変質している。

 

 

 ……だが、この祝福には一つだけ大きな欠陥がある。

 切れると思ったものは切れる。そして、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この世で唯一つだけ、リスカが切れないと思っているものは『勇者』だ。

 何故ならば、『勇者』は絶対に切れないから。だから勇者は切れない。それがリスカ・カットバーンを守る最大の認識。

 

 

 例えそれが夢幻であると知っていても。

 例えそれが偽物であると知っていても。

 

 

 少女にはそれを切る事は出来ない。

 だって、信じているから。勇気ある君の背中は、何者であっても切れないものなのだと信じているから。

 

 

「…………ごめんなさい」

 

「え、なんか悪いことしたのか■■■?」

 

 

 だから、もう詰んでいた。もう諦めるしかなかった。こんなことは『勇者』には許されない。こんなことをすれば、自分は『勇者』ではなくなってしまう。

 

 

 ……でも、こうすることが粉々に砕けて消えてしまった、勇者になる前の■■■が望んだ、唯一の幸せだったのです。

 

 

 

「私は、貴方のことが好き。貴方さえいてくれるなら、何も要らない。だから、お願い。どこにも行かないで。ずっと、永遠に私と此処に居て」

 

 

 

 被っていた『勇者』の外殻が砕け散る。ぐちゃぐちゃでドロドロの、汚い中身が飛び散ってしまう。

 もう私は君の傍には立っていられない。その資格を自らの手で捨ててしまったのだと悟った時、自然と涙が溢れて心のど真ん中に大きな空洞が生まれてしまった。大切な支柱を抜かれて、立っていることも出来なくなったその体を『彼』が抱きしめる。

 

 本物の彼がここでどうするのかは分からない。

 ただ、抱きしめてもらうというずっと秘めていた夢が叶って、とても嬉しくて、少女はただ笑っていた。

 

 なにか思い出さなければいけない事を忘れてしまった気がするけれど、なにか思い出したくもないことを忘れてしまった気がするけれど、今はただ、この幸福をかみ締めていたいと。

 

 

 

 

 

 女の子は、現実を否定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・ノティス
魔王軍幹部を名乗る可哀想な子。か弱い。


・従者くん
魔王軍幹部と直接会うのは、ギロンを入れると3回目なのでかなり運がない。でも生きてるので運が良い。弱い。







・スーイ
終わりがあるから美しいとわかっていても、終わりのない輝きの魅力には抗えない。

・ギロン
知らなければ求めることも無い。貪欲な胃袋は在りもしないものを探していられるほど腹持ちはよくない。


■■■
勇者にならなくていいのならそんなものになるはずが無い。けれど勇者でない自分が誰なのかはもう分からない








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Erosion/理想

 

 

「あの。なんで私の手足を縛った上で、地面に転がして剣を構えるなんてことをしているんですか? おはなしするだけなんで、もうちょっと平和(フレンドリー)にいきませんか?」

 

「3回そっちから攻撃しといてよくそういうこと言えるよな? 卑怯な魔族は沢山見てきたけど厚顔無恥を極めた魔族ははじめてかもしれねぇ」

 

「そっちだって攻撃してきたからおあいこ……あ、すいません。剣構えられると反射的に尿が漏れそうになるのでやめてください」

 

 

 

 手足を縛って地面に転がして、ようやく俺はこの魔族が今まで出会った中で()()()()であることに気がついた。

 

 魔族ってのは基本的に根幹に『騙す』がある生き物だ。どんな方法にしろ人を欺き、その肉を食む為に知恵をつけてきた魔獣達の進化の行き着いた先。だからこそ、コイツらは人の心を操ることが大の得意。

 このノティスという仮面の悪魔は今まであってきたどんな魔族よりも『弱い』と()()()()()()

 

 早い話、どれだけ気を引き締めていても心のどこかで『コイツなら大丈夫』と油断してしまう。

 一挙一動、全てが道化。それが根っからの馬鹿から来るものなのか、それとも狙ってやっているのか。判断ができない。だからこそ恐ろしい。

 

 

「それじゃ、話の続きをしようか。あまりに急すぎて笑っちまうくらいの話の続きをな」

 

「え、人間って私の話面白いって感じるんですか? 恐怖(コワ)ッ。感性狂っているひえっ、だから刃見せないでくださいよ! 今の私なら金属光沢でも漏らしますよ!?」

 

 

 狙ってやっているのだとしたら本当にとんでもねぇやつだなこいつ。

 

 

「こほん……とりあえず、私を縛るだけで殺しはしないということは交渉の余地はあるということですね?」

 

「まぁな。こちらとしては魔王を倒すためなら猫の手も借りたい。利用出来るものはなんでも利用するさ」

 

 魔王という存在に関して、俺たちが知っていることはあまりにも少ない。些細な事でもいいから情報が欲しいというのは事実。それをこの魔族が持っている気はしないが。

 

「そういうことならおまかせを。まずは私と魔王様の馴初(ハジメテ)、そして貴方達に協力してもいい理由を簡単にお話しましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 森に潜み、迷い込んだ人間を喰らう魔族。

 それが私達の種族であった。戦闘という必要な要素が増える方向に特化するのではなく、効率的に餌にありつける為だけに特化した進化を選んだのが私達。

 

 結果から言えば、その進化は間違いだった。

 私達は人間との知恵比べ、生存競走に負けて残念ながら私以外全員が殺されてしまった。しかし、私達の種族で唯一幸運だった点は最後の一匹である私にとてつもない『異能』が宿ったということだろう。

 

 

 力の名は『夢幻抱擁(フォー・ファー)』。

 一定範囲内の自らの『根城』だという認識を持つ場所に霧を展開し、霧に包まれた相手を問答無用で眠らせ、幸福な夢の中に閉じ込める異能。

 ただ残念な事に、当時の私はこの異能の力を上手く使いこなせなかったし、この異能は生存の為には役に立たない異能だったのです。

 

 喰らえば誰も目覚めない、絶対に幸せな夢に閉じ込められて衰弱死する。ただし、この異能の対象になった相手は眠っている間は外部からの干渉を()()()()()()()()

 

 ……なので、私は上手くこの異能で餌を確保しても手に入るのは干からびた死体だけと効率が悪い。かと言って、私自身はそこまで強くない。そして入ったら誰も帰ってこない森に人間は近づいてこないし、森の動物とかを下手にこの異能の対象にすると生態系崩壊して森が消えるしで何も出来ない。

 毎日毎日、空腹と戦いながら干からびた死体を啜る夢も希望もないような日々。なんのために生きてるのかなんて考えるのはもうとっくにやめて、ただこの空腹から逃げたいと思っていた。

 

 

 

 

 そんな日々を送る私を掬いあげてくれた方がいた。

 

 

 

 

 私の森に迷い込んだその魔族は、なんと起き上がった。

 私の『異能』を受けて起き上がれる生物なんて今まで1匹もいなかったから訳が分からなくて、とても怖くて、もう一度夢に落としたけれどまた起き上がった。

 もう私は怖くて怖くて泣きながらもう一度異能を使ったけれど、それでも彼女は起き上がった。私はもう怖くて腰を抜かして失禁した。

 

『ごめんごめん。怖がらせるつもりはなかったんだよ。でもこの森には多分『異能』をもつ魔族が潜んでると思ってね。キミとお話をしに来たんだ』

 

 彼女は『魔王』と名乗りました。

 名前を聞いても、自分は『魔王』だとしか答えなかったし、そもそも逆に名前を聞かれると当時の私には名前は無かったのでそこでそれ以上追及できなくなってしまった。

 

『ワタシは今、とある目的の為に優れた異能を持つ仲間が欲しいんだ』

 

『目的、ですか?』

 

『うん。人間を支配して、魔族が自由に暮らせる世界を作ろうと思うんだ』

 

 その方は心の底から楽しそうに自分の目的と、仲間について楽しそうに語っていた。

 

 ベルティオという名前の友人はとても手が綺麗で優しいんだとか、アグネという友人はすごく強いのだとか、エウレアという友人は見た目に気を使っていてすごく可愛いのだとか、ヒルカという友人は物静かだけどいつもそばに居てくれるのだとか、聞いてもいないことを、そんな彼らがどんなことを望んでいるのかをペラペラと語りだした。

 

 みんな、違った望みがあってそれぞれがとても難しい望みだと思った。

 

『そうだね。きっとカレラ1人じゃ、ワタシ1人じゃ、絶対に無理だ。だからワタシ達は『軍』になる。そしてワタシはミンナの願いを叶える為に王になる。ミンナが自由に生きられる世界を作る』

 

『……それは凄いですね。頑張ってください』

 

 

 私はいつも私一人だった。

 仲間が殺されている時も、私が死ななければいいのだからと行動していた。だから、ほんの少しだけそんな風に生きられる彼女を羨ましいと、妬ましいと思った。

 

 同時に私には無理だとも思った。

 私には、彼女の助けになれるような力はないと。諦めて帰ってくださいと。

 

 

『キミの能力は『相手に幸福な夢を見せて、眠らせる』力だ。こんなに優しく、こんなに心強い力はない。むしろワタシの方から仲間になって欲しいと頼みたいところだよ』

 

 

 じゃあ、なんで貴方は目を覚ましたの? 

 私の能力なんてその程度のものでしょう、と? 

 

 

『……キミの能力はワタシと相性が悪い。多分、この世で破れるのはワタシくらいだ。ワタシは、幸福になれないんだよ』

 

『どういうことですか?』

 

『自罰的なのとは違う。どれだけワタシが望んでも、ワタシは『魔王』として役目を終えるその時まで決して幸福になることが()()()()()。それが魔王となる為に生まれた魔族である、ワタシの存在理由だから。……でも、うん』

 

 

 魔王は、ほんの少しだけ下を向いて雫を零した。

 それから、その瞳から零れる雫を拭き取って立ち上がる。

 

 

『ワタシにはやらなきゃいけないことがある。キミが生み出してくれた、とても優しくて幸福な夢の中で立ち止まっていてはいけないんだ』

 

 

 ようやく、私は彼女が背負っているモノの重さを理解した。泣くことも、弱音を吐くことも、立ち止まることも許されずに魔族の長として先頭を走り続けなければいけない、その責務の重さを理解した。

 

『だから力を貸してくれ。共に夢を見る必要も無いくらい、幸福な世界を作り出そう』

 

 

 

 

 

 私は、その輝きの虜になった。

 けれども私は同時にこうも思った。

 

 

 

 そんなに頑張る必要、なくない? 

 

 

 

 別に夢の中で幸せになれるならそれでいいじゃない。みんな幸せなまま死ぬなら、結局同じじゃないか。

 貴方だけそんなに頑張る必要も、貴方だけそんなに苦しむ必要も、貴方だけ夢を見れない必要も無いじゃないか。

 

 そんなに頑張れる貴方だけが、こんなに苦しんで生きていいわけないじゃないか。

 

 

 

『……わかりました。いいですよ』

 

『それじゃあよろしく……名前が無いんだったね。じゃあノティスにしよう。よろしくノティス』

 

 

 

 口ではそう言って、私は自分を定義した。

 私は必ずいつか、魔王様を幸せな夢に閉じこめる。それで全てを終わりにする。私がこの世界で唯一見た光が、自分を燃やしながら輝き続けることに私は到底耐えられない。

 

 貴方の夢を壊し、夢に閉じこめることこそが私が霧の中で見た星の光に出来る唯一の恩返しだから。

 

 

 

 

 

 だから私は、私の夢で貴方の理想(ユメ)を否定する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ、そういうわけです。その後色々訓練して、私の異能はこの大陸の北部を概念的に守護する霧の防壁に進化したわけですが、未だ魔王様に対しては全く効果を及ぼせません。なので、研究の為に貴方に協力してもいいですよという話です。なんなら私はその為に魔王軍を裏切ってもいいですよ」

 

 

 まず第一に、ここまで語られたノティスと魔王の過去についての話は全て嘘の可能性がある。

 人間を騙す為にありもしない話をでっち上げる魔族なんて、これまで腐るほど見てきた。

 

 

「……俺が見た夢は、昔故郷が魔王軍の攻撃で滅んだ時のものだった。3回とも、俺が死ぬ事で目が覚めたんだと思う」

 

「ありがと、自殺ってのは1番わかりやすい否定のトリガーですからね。私の異能は、作り出した夢を本人が一番強い形で否定することで目が覚める。……でも同時に理解できない部分があります。なんで故郷が滅ぼされた時のことを『幸福な夢』の中で見たんですかね?」

 

「それは……」

 

 

 ノティスの話を聞いて、なんでそんな夢を見たのかはすぐにわかった。わかったけれど、言いたくはなかった。

 

 

「…………」

 

「言いづらいことがあるのは分かりますけど、言って貰えると私がすごく助かるな〜と」

 

「……あれが、今までの人生で一番幸せな瞬間だったからだと思う」

 

 

 あの日、俺は多くのものを失った。

 人生の中で、最悪から数えた方が確実に早い日であったはずなのに、なのに俺はあの日のことを思い出すとどうしても嬉しい気持ちが湧いてくる。

 

 だって俺はあの日、リスカを助けることが出来たから。

 弱くて、何をしてもリスカに勝てない俺が、あの日だけは確かに彼女を救うことが出来たのだと。

 

 あの日だけは俺は弱い自分を許すことが出来た。だからきっと、俺にとって最も幸福な夢はあの日になるのだろう。

 そしてリスカが見つからなかったのは、単純にあの日リスカが怪我ひとつせずに避難してくれたらもっと嬉しかったから。

 そして、俺が死ぬのは父さんと母さんが殺されてるのにその日のことを幸福に感じてしまう自分が許せないから。

 

「なるほど。貴方、優しいんですね。魔王様みたい」

 

「それ褒めてるのか?」

 

「私の語彙では最高(テッペン)な褒め言葉です。でも私、貴方みたいな人は嫌いです。私が一番夢に閉じ込めたいのは、貴方達みたいな生き物ですから」

 

「そういうお前も、言ってることが全部本当なら俺もあんまり戦いたくないタイプだよ」

 

 

 

 

 そうして俺は剣を握り直して、ノティスの首に目掛けて振り下ろした。

 

 

 

 

 

「……だからダメだ。お前は、俺達と利害も一致するし、魔王を自分の異能で殺したいとも思ってるだろうけど、絶対に()()()()()()()()。そうだろう?」

 

「流石ですね。明察(スルドイ)。私としては、貴方に魔王軍に入ってもらいたいですけど、貴方は()()()()()()()()。残念ですね」

 

 一瞬で縄を解き、曲芸師のような鮮やかな動きで木の上に登ったノティスがこちらを見下ろしながらそう口にする。

 彼女は魔王軍幹部の中で、直接の戦闘能力は本当に低いのだろう。それでも、俺よりは多分強いし、先程までの情けない言動は全て俺を油断させるための演技であり、交渉の為の演技でもあった。

 

「もっと攻撃する機会はあったはずだよな?」

 

「貴方と交渉したかったのは本当ですので。私、結構貴方のこと共感(スキ)ですよ?」

 

「あぁ、俺もお前の性格は好きだよ。でも、俺は勇者(リスカ)を」

 

「私は魔王様を裏切れない。……それじゃあ始めましょうか」

 

 木から飛び降りたノティスは俺から距離を取り、黒色の仮面の位置を調整してから、見たことのない独特の構えを取る。

 

 

 

「魔王軍幹部、『夢幻』のノティス。魔王様の首を討ち取らんとする貴方達を、ここで打ち倒します」

 

「名乗る程の者でもない、従者だ。勇者が魔王を倒すために、その邪魔となるものは倒させてもらう」

 

「……憂鬱(はぁ)、戦いたくないなぁ。みんな、幸せな夢を見て眠ってくれるみたいな、そんな世界がいい。私が苦しいのも、誰かが苦しいのも楽しくないじゃないですか」

 

「そりゃその方がいいだろうけど、相容れないもの、譲れないものはこの世にはある。だから──────」

 

 

 地面を蹴って距離を詰める。勝てる気はしないけれど、負けていい理由は無い。

 

 

 

 

「夢を見る時間は終わりだ」

 

「夢も見ないのに、寝言を吐くな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……スーイ、どうかした?」

 

「あー、師匠。ちょっといい? お願いがあるんだけど」

 

「ん、最近いい子にしてたから聞いてあげる」

 

 大好きな師匠と星を眺めながら、彼女の顔を見ずにスーイはただ一言、流れる星と共に言葉を漏らした。

 

 

 

 

 

 

「夢から覚める魔術、教えてくれる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・ノティス
星の輝きに憧れ、同時に輝く星を哀れんだ魔族。愛故に、星を撃ち落とすことを選んだ。


・従者くん
リスカに危害を加えそうなら倒すしかないのかなぁって。



にぼしみそ様にリスカ・カットバーンの立ち絵を描いていただきました。今回登場してないけど美麗なので我慢出来ませんでした。


【挿絵表示】


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夢の終わり

 

 

 

 

 戦闘における魔術の使い方は、『中遠距離』かつ『予め設定していつでも繰り出せるようにしておく』が鉄則だ。

 だから魔術は制圧という面には優れるが、柔軟性が低いし何より接近されると弱い。

 

 

 じゃあ魔術って弱いじゃんと師匠に言った時、彼はぶっ飛ばされたのを思い出す。その時珍しく、青い髪色の師匠の顔が真っ赤になっていた。

 

 

 

『多少の状況、実力差をひっくり返して、相手を速やかに『制圧』できるのが魔術の強みだ。だけどさっき言った通り魔術は『想定していない状況』に非常に弱い。私? 私はその場で組むから関係ない』

 

 

 

 ノティスが目の前で魔術を組上げる。

 懐から取り出した針が空中で固定され、針を囲むように現れる魔術陣からどのような魔術なのかあらかた予想をつける。

 相手は魔族。それも魔王軍幹部。異能からして直接戦闘の回数は少ないだろうが、それでも天性の才能からかかなりの魔力を秘めている。

 

 

 だが、彼女は戦闘に関しては多少の訓練をしていても()()()()()

 

 

 

 針を射出すると同時に、ノティスの視界から彼の姿が()()()

 

 

「え……下ッ!?」

 

 

 魔族は基本的に、人間と戦う想定しかしない。

 人間の背丈は戦闘に携わるものならある程度決まっている上に、針のような武器で一撃で仕留めるとなれば狙いも頭部と決まってくる。魔術の発動の為に目標に集中したノティスの意識は、倒れるように姿勢を低くし獣のように突撃してきた彼の姿を一瞬だけ『消えた』と認識してしまっていた。

 

 魔族の技術の多くは対人が前提。獣を狩る技を磨くものはほとんど居ない。

 

 振り上げられた剣が仮面を掠め、命が刈り取られかける感覚に心臓が縮むような思いをしながらノティスは後ろに飛ぶ。

 

 

 今の一瞬でも十分に相手の実力はわかった。

 自分の方が魔力も身体能力も優れている。彼はせいぜい簡単な魔術しか使えないだろうし、この森は自分の家も同然。自分が負ける理由は、戦闘経験の少なさを鑑みても有り得ない。

 

 なのに押されている。

 懐から針を取り出そうとした刹那、狙いすまされた見事な投石が腕に当たり、ノティスの手から針が落ちる。

 彼女自身、自分が魔術が不得手であることは理解しているが、あくまでそれはほかの魔族と比べてであり人間と比べれば平均よりも上の才覚がある。

 

「距離、取らせて貰えませんかね! そっちの方が楽勝(イージー)なんですよ」

 

 相手からの返答はなく、ただ無言で距離を詰めてくる。戦闘になった時点で向こうはこちらと話す気がない。魔族との戦闘に()()()()()とノティスは敵ながら賞賛してやりたくなった。

 魔族の吐く言葉なんて全て耳を腐らせる毒だ。その場しのぎの、相手を一瞬だけ気持ちよくさせる甘い毒。そんなもの、夢も見ない男に効くわけもない。

 

「だからといって負けてやりませんよ。こっちも信念(タマシイ)賭けてますからね」

 

 逃げる足を止め、追ってくる人間と向き合い魔術陣を展開する。

 針を定め、狙いを定め、呼吸を整えて限界まで引き寄せてから──────逃げる。構えた針を発射する魔術陣はブラフであり、本命は足裏に仕込んだ爆発の魔術陣。これで上手く横に飛んで、好きだらけの側頭部に針をお見舞いしてやろう。

 そうして引き付けて、剣の間合いギリギリになった瞬間にノティスは足裏の魔術陣に魔力を流し込んで発動させた。

 

 

 その瞬間、腹部を思いっきり蹴られる。

 

 

「──────ッ」

 

 

 横に飛ぼうとしたノティスの腹に飛び蹴りをぶち込んだ彼の脳裏に浮かんだのは、昔ほんの少しの間だけ自分に魔術師との戦い方を教えてくれた師匠の言葉。

 

 

 

 

『逃げ回ってた魔術師が逃げるのやめたら要注意だ。よっぽど腕の良いやつじゃない限り、逃げに回った時点で自分は近接戦は無理ですって自己紹介してるようなもんだから、止まったってことは『何か策が思いついた』ってこと。一番わかりやすいのは、何らかの移動用魔術で急速に移動して不意を突こうとしてくる。……例えば、射撃魔術で目を逸らして、足元で爆発を起こして飛んだりとか。だからまず足元に注目してみるといいよ』

 

 

 

 

「わかりやすいんだよ。戦闘は始めてか?」

 

「っぅ、そうですよクソ。こちとら戦闘は処女(ハジメテ)ですよッ! 優しくしてね!」

 

「じゃあ動かないでくれ、優しく殺してやるから」

 

「地獄に行くなら女の子の前に立って様子を見てきて欲しいですね!」

 

「母さんに女の子には優しくしろって言われてるからな。レディーファースト(お先にどうぞ)だ」

 

「よくそんな歯の浮くようなセリフ、こんな場面に真面目な顔で言えますね、人間恐怖(コワ)!」

 

 

 

 立ち上がろうとしたノティスの体がふらつく。そしてその隙を彼は見逃してはくれなかった。

 大振りの剣による一撃はガードごと相手の頭を叩き斬る目的で放たれる。彼女の細い腕ごと頭蓋程度なら叩き割られる威力。隙を見せた相手に放つ終戦の一撃。

 

 そこで彼は自らの過ちに気がついた。

 絶対にしないと決めていたのに、魔族相手に戦闘中に『会話』をしてしまった時点で、相手の掌の上に立たされている。

 

 

 ノティスの黒色の仮面の下から一瞬だけ光が漏れ、彼の右目めがけて1本の針が放たれた。

 

 

「隠し針かよッ!」

 

 

 仰け反るようにして回避したがら空きの腹に、ノティスは腰に差していた短剣による一閃を食らわせる。決して深くはない、だが浅くもない傷から僅かに血が零れる。

 

感嘆(ヒュゥ)! さすが魔王様がくれた短刀、よく切れる」

 

 先程までのぎこちない動きが嘘のように、腕の力だけで体を起こしたノティスが滑らかに放った蹴りは彼の右手を正確に捉える。人体をひしゃげさせるような威力はないが、それでも指に蹴りが加われば骨が折れ、衝撃で持っていた剣は手から落ちる。

 

 落ちた剣を拾う余裕はない。左手で短刀を構え、向かってくる魔王軍幹部と対峙する彼の姿を見て、ノティスは最後の隠し玉を使うことを決意する。

 

 

「ありがとうございます。貴方が、普通の優しい人で良かった。私の話を聞いてくれる人でよかった。騙し欺くことを本質とする魔族(わたしたち)と話してくれるような馬鹿(ステキ)な人で、本当に良かった」

 

 

 ノティスは仮面を外した。

 その下にあるのは魔族としての『異形』。顔を横断するように裂けた巨大な口にナメクジのようにブヨブヨとした唇。大きさも対称性も揃わない不揃いの3つの目玉に、大火傷をしたかのように爛れた肌。

 人間が見た瞬間に驚いてしまうように設計された、同族にすら嫌悪されるこの異形こそ、ノティスの最後の切り札。ほら、優しい貴方ならほんの少しでも動揺してくれるって信じてた。

 

「だから私は勝ちます。譲れないモノのために、私は貴方を殺します」

 

 足を引っ掛けて、転んだ彼の体の上に馬乗りになる。魔力による身体強化を含めて身体能力はこちらが上。そこに重力が加わればどちらが勝つかなんて明白であろう。

 

 狙うは首。何となく頭は刺しづらそうだし、首を刺せばきっと死ぬだろう。それくらいの気軽さで、そこに万感を込めてノティスは短刀を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢から覚めるって言っても色々あるよね。意識を覚醒させるだけなら脳に細工すりゃいいけど、多分『異能』によって作られた強制的な昏倒だろう?」

 

「師匠うるさい。口より手を動かして」

 

「どうせ私はスーイの認識によって作り出された仮初の存在だから、スーイの能力以上の結果は出せないと思うよ?」

 

「いいから。師匠とこうやって一緒に研究するの、やってみたかったの」

 

 地面に複雑な魔術式を書いては消して、足りなくなっては場所を移動してを繰り返すスーイを彼女の師匠はぼんやりと見つめていた。

 

「……私が魔王と戦った時は、未来を予知してくる異能とか幻覚を使ってくる異能みたいな搦手が多かったから対策はいっぱい教えた筈なんだけどな?」

 

「全部覚えてる。その上で、今回は全部意味なかった。師匠から教えて貰ったことを、私が忘れてるわけないでしょ?」

 

「そう。私を喜ばせる言葉、随分と学んだみたいだね」

 

「機嫌悪いと私が死ぬかもしれないから、師匠を煽てる言葉の意味は一番最初に覚えた」

 

「……一時期『すごい』とか『綺麗』しか言わなかったのそういうことだったのか」

 

 確信はまだない。できるのならば認めたくないけれど、仮定としてスーイは今見ている現実の全てを『夢』としていた。

 もしそれが正しいのならば、師匠と会話するのは完全に無駄な時間である。そうとはわかっていても、スーイにとっての『師匠』という存在はあまりに大き過ぎる。

 

「でも、本当にここが夢だとして、抜け出すほどの理由がスーイにあるの?」

 

「師匠はそんな事言わない。師匠なら、『それくらい必死になれることが見つかったのなら何も言うことは無い』って言って部屋で寝てる」

 

「よーく私の事を知ってるね。でも仕方ないでしょ、私の役目はスーイをこの現実(ユメ)に引き止めること。この世界が、ほんの少しでもスーイが生きている現実に劣っているって言われたら、どうにかして否定しなくちゃいけないんだよ。スーイにはあるの? そこまでして私を否定する理由」

 

「……ないよ。あるわけないじゃん。夢だとしても、そんな事言わせないでよ」

 

 スーイにとって紛れもなく、嘘偽りなく師匠は全てだ。スーイの全てを作り、スーイの全てを与えてくれた、この世界のどんなものよりも大切な人。

 師匠さえいてくれるなら他には何もいらないと本気で思える。唯一並ぶかもしれなかった誰かのことも、この夢の中ではもうほとんど忘れてしまった。

 

「じゃあ、やめてもいいんだよスーイ。何も自分から進んで傷つく必要は無い。別に誰も怒らないし、誰もアンタを責めないよ」

 

 師匠の言う通り、スーイはとても出会いというものに恵まれてきた。ここで諦めたとしても、きっと誰も責めたりしない。みんなスーイのことを心配してくれる。

 

 

「でもそれは、()()()()()

 

 

 ここで諦めて微睡みに沈んで、胸の中に忘れたくなかったものが存在していることだけを示す()()から目を背けたら、スーイは()()()()()()()()。こんな気持ちの悪い感覚を、ずっと抱えて生きていくなんて真っ平御免だ。

 

「師匠、まだよく思い出せないんだけどね、私にも弟子ができたんだよ」

 

「へぇ、どんな子なの?」

 

「思い出せないって言ってるじゃん。……でも多分、優しくて、師匠みたいな人。あ、師匠みたいだったら優しくないねごめん」

 

「そこを謝る優しさがあるなら訂正しない優しさも身につけて欲しかったな」

 

 あぁ、嫌だなぁ。

 このままずっと、師匠と話していたい。

 

 そうやって思うことは何も間違っていない。きっと、これがスーイ・コメーテストの本音なのだろう。これこそが、自分の本当の望みなのだろうと肯定することが出来る。

 

「師匠はさ、良い師匠だと思うよ」

 

「この流れで言われても全く響かないんだけど?」

 

「それはごめん。でも、本当にいい師匠だと思う」

 

 記憶の中の師匠は、どんな時も弟子の為に頑張ってくれていた。自分みたいなダメダメな弟子に、自分の全てを教えて、託してくれた。

 

 

「だから私も、そんな師匠になりたい。ちゃんと、師匠から貰ったものを弟子に引き継げる師匠に。まだまだ教えてないことは沢山ある。だから、ここで寝てる場合じゃないんだ」

 

「……随分、楽しそうに笑うようになったね」

 

 

 そう言って、師匠は立ち上がって魔法陣を展開して、()()()()()()()()()()()()()()()()。最初は夢から覚める魔術だと思ったけれど、すぐにスーイはその魔術がなんなのか気が付いた。

 

「えっと、師匠?」

 

「夢から出る手っ取り早い手段は『ここを夢だと否定する』。アンタの場合、夢の核である私を殺すこと。──────出来る?」

 

「気持ちの問題なら、出来てるよ」

 

「バーカ。気持ちの問題じゃなくて、私を殺せるほど強くなったのかどうか、ここでバカ弟子の成長を見てやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さてと、それじゃあ少々手荒だけれど助けてあげるから、あとは君の力で頑張ってみてね」

 

 目が覚めて、魔術師は即座に霧の効果範囲内から魔術陣を組む。

 外側からの攻撃はこの『霧』が遮断してしまうため、再び異能で眠らされる可能性があったとしても霧の中で行動をする必要がある。

 

 全く大した『異能』だ。霧の中からしか干渉できないのに、霧の内側に入ればすぐさま夢に閉じ込められる。

 

 魔術師が再び霧の異能、『夢幻抱擁(フォー・ファー)』で眠らされるまでにかかった時間はほんの数秒。

 だが、歴史上最高の魔術師の1番にして唯一の弟子である彼女からすれば、それだけの時間があれば敵を殲滅するだけの魔術を組むのはあまりに容易い。

 

 

 それはそれとして。

 彼女は師匠としては少々厳しい性格をしているので、せいぜい自体が好転する程度、死ぬ気で頑張ればどうにかなるかもしれないくらいの援護しかしてくれないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その爆発は、なんの前触れもなく起きた。

 より正確に言えばノティスと彼では何が起きたのか分からないほどに素早く精密な魔術陣が組まれ、爆発が引き起こされた。

 

 吹き飛ばされながら、ノティスは最初は彼の仲間のうちの誰かが目を覚まして攻撃してきたのかと思ったが、それだと納得いかない点がある。

 

 

「ぐ……くっそ、なんだ? 何が起きた?」

 

 

 ぶっちゃけ自分より彼の方がダメージが大きい。

 そのままにしていたら、自分が勝っていたのだからそれよりはマシかもしれないが、『仲間』ならばそんなことはしないだろうし、組み合ってる自分達に対して遠距離から攻撃出来るほどの腕があるならノティスのみを狙って狙撃することも出来たはずだ。

 

 とにかく立ち上がって形勢を立て直す。まともに真正面から殴り合えば負けるのはこちらだが、搦手は魔族の得意分野。幸にも切り札こそ切らされたが戦う手段は残されている。

 

 

 

 

 

 

「おっはようございます、ですわー! 妾、とっても良い夢を見て気分爽快ですわ!」

 

「…………は?」

 

 

 

 

 

 なんか出た。

 なんか、当然のように起きてきた巨大な女が、魔王軍の裏切り者であるギロンが、こちらに視線を向けた。

 

「どなたか存じませんが、貴方が霧の主ですわね? 魔王から名前は聞いてますね確か……ノティスでしたっけ?」

 

「覚えなくていい! 寝てろ!」

 

 すぐさま再び『夢幻抱擁(フォー・ファー)』を発動させ、喧しい裏切り者を眠らせてからノティスは『彼』と向き合う。

 目の前の彼と違い、ギロンにはまだこの『異能』は有効である。そもそも、魔王軍幹部の中でもかなり武闘派寄りであるギロンとタイマンしても勝てる気がしないという理由から彼女は目標を『彼』に絞り込む。

 

 

「おはようございますですわー! いやぁ、何度見ても良い夢ですわね!」

 

「…………は?」

 

 

 2度、目を覚ましてきた。

 とりあえずもう一度発動させて眠らせてから、ノティスは『彼』と向き合う。

 少し意識を逸らしている間に彼は立ち上がってしまっていたが、先程の爆発の手傷は向こうの方がやはり多い。特に足を負傷した様子で先程までと比べて足運びが覚束なくなっている。

 

 ──────今なら速攻を仕掛ければ勝てる。

 

 さぁ、勝負を決めに行くぞと覚悟を決めて一歩踏み出そうと

 

 

 

 

「おっっっはようございます!!! さすがにそろそろ飽きてきましたわ!」

 

「寝てろお前!!!」

 

 

 もう一度『夢幻抱擁(フォー・ファー)』を発動させて、あることにノティスは気がついた。

 この女は彼と違って『夢幻抱擁(フォー・ファー)』に対して耐性があるわけではない。実の所、3回目に目を覚まされて以降『彼』には全く効かなくなっていたのだ。それは魔王も同じであり、だからこそ彼女は彼に魔王を殺す手がかりを見出した。

 

 対してギロンはバッチリかかって、発言からしてしっかり幸福な夢を見ているはずなのに、何故か目を覚ます。

 

 

 

『新しい幹部に人間の子を入れたんだけどね。ギロンって言う凄く貪欲な子なんだよ。あ、どんな子か見たい? 待ってて今念写するから』

 

 

 

 

 しばらく前に魔王とそんなことを話したのをノティスは思い出した。

 貪欲、それがどう言う意味での言葉はよく分からないが、自身の異能については研究を重ねている彼女は一つの可能性に辿り着いた。

 

 

 ギロンの『夢幻抱擁(フォー・ファー)』の攻略方法。

 

 単純に、夢を終わらせてきている。

 異能で作り出した仮初の幸福が、彼女の貪欲さに追いついていない!? 

 

 

 

「おっっっっはようございますわ!!! まだまだ食い足りねぇですわね!」

 

「くっ、寝てて! お願い!」

 

 

 

 ノティスの読み通り、ギロン・アプスブリ・イニャスは耐性を得ている訳ではなく極めて単純な方法で幸福な夢から抜け出していた。

 

 まず、彼女の夢の分岐点は『愛や恋』について考える機会を奪うことから始まる。

 知らない方が幸せなことがこの世にある通り、無意識に彼女はこれを『知らなければよかった』と思っている。だから彼女はそれに気が付く機会を忘却し、魔王軍幹部として魔王の元で動く未来を夢に見る。

 

 だが、その結果は端的に言えば『暴走』。

 

 幸福な夢の中で満足してしまえば、二度と起きることは無い。だが、この生物に『満足』だなんて言葉は存在しない。この世のありとあらゆるものを自分のモノにして喰らい尽くすまで止まらない。

 

 ノティスの作り出す幸福(りょうり)では、貪欲の胃袋は満足しなかった。夢の中のあらゆるものを『食べ尽くして』その度にギロンは目が覚める。何も無くなった夢の中なんて、彼女にとって全く興味が無いのだから。

 

 

 

 

 

 突然の爆発、何度眠らせても起きてくる貪欲な女、そしてそもそも異能が効かないただの青年。

 

 3つのイレギュラー、ありえないはずの天敵。

 そこまでしてようやく、魔王軍幹部、『夢幻』の名を賜った魔族は自分が追い詰められたと実感する。

 

 爆発が再び起きないことから、下手人はきっと再び夢に閉じ込められた。ギロンも、常に意識さえしていれば耐性自体はないので眠らせておくことは出来る。

 だが、『常に意識』をさせられるだけで厄介。もしも起きて攻撃されれば一撃でミンチにされるだろうし、絶対に意識を割かなければならない。

 

「その状態で、貴方を相手しなくちゃいけないんですよね……」

 

「…………」

 

 彼はもう何も喋らなかった。

 こちらと会話しても、集中を散らされるだけと学んだのだろう。ほんの少しそれを寂しく思いながら、短刀を構え直す。

 

「……言葉は不要とか、そういう感じですか?」

 

「…………」

 

「じゃあ私だけ言いますけど、まぁ、はい。多分貴方と立場さえ違えば仲良くできたと思うんですね」

 

「…………」

 

「あー……はい。いや、うーん……」

 

 バツが悪そうに、片手で頬を掻きながらノティスは最後にこう口にした。

 

 

「全部嘘です。貴方を油断させる為に言いました。さぁ、再開しましょう?」

 

 

 そうして、互いに全力で大地を蹴る。

 皮肉なことにお互い同じことを考えていた。

 

 片手に構えた剣を囮にして、相手の顔をぶん殴ろう、と。

 そうして同じことをすれば、僅かにリーチの長い彼の方が有利であった。

 指の骨と顎の骨が碎ける音と共に倒れたノティスに対して今度は彼が馬乗りになる。

 都合の良い爆発は今度は起こらない。防御の為に出されたノティスの掌ごとその喉に向かって短刀を振り下ろす。

 

 

「……ッケンナよクソがァァァァァ!!!」

 

 

 確実に勝ったと、そう思った刹那。ノティスは最後の力を振り絞って咆哮し、()()()()()()()()()()()()()

 その手には大して力は入っておらず、自分に振り下ろされた一撃と違って直接命を削るには届かない。

 

 でも、致命傷だ。

 首の傷は出血とかなんやかんやで人間は簡単に死ぬと、前に聞かされていた。

 

 こんな大したこともない、ありふれた実力の青年1人しか道連れに出来なかった自分が情けなくて、涙が溢れてくる。

 

 

(ごめんなさい、魔王様。私は、貴方を……)

 

 

 殺したかった。

 心の底から、貴方に死んで欲しかった。

 

 

 でもそれ以上に、貴方が何も背負わずに、心の底から笑えるそんな世界を作りたかった。それが、霧の中の醜い化け物に星の輝きを教えてくれた貴方に出来る、自分の全てだったから。

 

 

 もっと考えることは沢山あった。

 もっと思うことは沢山あった。

 

 

 ただ、小さな体に秘めたその思いを全て消化するのに、今際の際は短過ぎた。

 

 ひっそりと、魔王軍幹部の1人の命が消えて霧が晴れる中で、1人の青年は地面に倒れ込む。

 爆発で食らった傷が痛むし、何より最後に貰った首の傷から血が溢れ出す。自分はここで死ぬのだと察してから、何か考えるより先に出血と疲労で彼の意識は闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

「駄目ですよ。まだ貴方が死ぬ時じゃないって、神も言っているわ」

 

 現れた神官は、その陶器のような指先で首の傷口に触れる。

 欠損しているならまだしも、首の傷を縫い止めるだなんて欠伸の出てしまうような作業。傍から見れば、傷口に触れただけで傷が消えてしまったかのように見えるそれは正しく神の奇跡、神を騙る不遜なる業。

 

 

「何はともあれ、一件落着ですかね。起きるのが遅れた手前、あまり強い事は言えませんが、スーイは1発ぶん殴りましょう」

 

 

 晴れていく霧を確認し、1体の魔族の死体を取り込んでからとりあえず遠くで目を覚ました魔術師をぶん殴ろうと、ホットシート・イェローマムは心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 求められるのは嫌ではなかった。

 

 誰かの笑顔を見るのは好きだった。

 

 

 

「ありがとうカミサマ」

「感謝しますカミサマ」

「カミサマ」

「カミサマ」

 

 

 みんなが笑っているなら、それでいいとは思います。えぇ、確かに思いましたよ? 

 

 

 だって、『カミサマ』は『私』じゃないんですから。

 この夢は、カミサマだった頃の私が望んだ夢だ。自分を含めて誰も不幸にならないで済む、幸福な世界。

 

 

 いやこんなものクソ喰らえですね。

 だって私が、ホットシート・イェローマムが望むものはこんなものでは無い。この世界が嫌いなのかと聞かれたら違うけれど、今の私の自分の『定義』はそうじゃない。

 

 

 信じるものは、己の神のみ。この世で最も悪辣で、純粋で、信仰心の強い神官。

 優しい青年の優しい強がりを、嘘にしない為だけに走る自分勝手で役立たずなカミサマ。

 

 ホットシート・イェローマムはそうやって自分を『再定義』したのだから。

 

 

 

 そうなってしまえば話は早い。

 残念なことに、死体は夢を見ないのです☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霧が晴れて、目が覚めて、ゆっくりと全てを思い出す。

 

 穏やかな時間、勇者なんて知らないで、ただの女の子として彼と共に過ごして、愛を育んだあの現実は、全てが夢でしか無かったと。

 

 

「ぁ……あぁ……」

 

 

 そして、次は自分の罪と向き合う時間。

 勇者であるはずなのに、自分は逃げた。楽な方へと逃げてしまった。

 

「いや、ごめんなさい……ゆるして……ゆるして!」

 

 誰も彼女を責めていない。本来なら幸福な夢から抜け出せる方が『異常』なのである。『普通』は本来、責められるべきものではない。

 

 だが彼女の場合違う。

 勇者に『普通』は許されない。勇者は常に、誰よりも『異常』や強さで前にでなければならない。なのに、それが出来なかった。

 

 

 彼女は何も出来なかった。

 

 

 

『勇者なのに何も出来なかったの?』

 

『勇者が何も出来ないなんて、そんなはずないよね?』

 

『じゃあ貴方はなんなんだろう?』

 

 

 

 

「私は……なんなんだろうね……はは、ははは……」

 

 

 

 霧が晴れて、黄昏の光が少女を照らす。

 

 

 

 

 

 誰でもない少女は、本当に誰でもなくなった。

 

 

 

 

 

 

 







・スーイ
師匠が大好きであり、師匠から受け継いだものが大好き。ちゃんと計算して従者くんの方が重傷を負うように爆発を起こした。それはそれとして夢でも師匠を殺させられたことに対してはかなり苛立っていてあと少しで普通に『翼』を使ってた。

・ギロン
満足できなかったので起きた。夢の中で全部食べたら何も無くなってしまったらしい。
こう見えて、『恋なんて知らなければよかった』なんて思う感性も備えていたりする。それはそれとして知ってよかったこともあるし、現状には満足していないが不満はない。そもそも多分永遠に満足しない。

・ホシ
彼女にとって自分は『彼の約束を嘘にしない』為に動く死体であるので、彼女がホットシート・イェローマムである限りは絶対に目を覚ます。それはそれとしてみんな笑顔の方がいいよねってちょっと思っちゃうので普通に効いたが、ギリギリ異能が解除されるよりも早く目が覚めて、ギリギリ間に合った。



・ノティス
本来は森の中限定のはずの霧の結界の範囲を『魔王城に行くためのルート』全てに拡大したのは彼女の努力。
努力家であり、それでいて必要以上の努力が好きではない。自分では無い誰かのために動ける少女。

・異能『夢幻抱擁(フォー・ファー)
霧の範囲内にいる相手を昏倒させ、幸福な夢に閉じこめる異能。夢を見ている間、対象には何者も干渉できなくなるが、逆に言えば自力で夢から脱出するか、彼女が異能を解除しない限りは衰弱死する。また、霧の外からの攻撃を完全に遮断するなど、自分の領域内ならば無敵に近いが、逆に言えば霧の外ではノティス本人も大して強くないため無力に近い異能。
その力の全ては、彼方の君に安らぎを捧げる為に。憧れた星を撃ち堕とす為に磨かれた愛の刃。


・従者くん
何が起きたか分からないけれど、とりあえず重傷。





・■■■
何も出来なかった。





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ギロっとギロギロ

 

 

 

 

 

 

 

 ギロン・アプスブリ・イニャスは思考する。

 

 美味しい料理とは一体何なのか、と。

 

 

 自慢ではないが、ギロンは自分は好き嫌いはあまりしないという自負がある。とりあえず、どんなものでも口にする。口にできる。それはギロンの自慢の一つでもある。

 だからギロンはあまり『料理』というものにこだわりが無かった。当然ながら、ギロンは自分磨きが好きな為一通り料理について学んだ。だが、料理とは根本的に『食べられないものを食べられるようにする』ことや『美味しくないものを美味しく食べる』ことが起源となる技術体系であり、『美味しいものをより美味しく』という部分もあるにせよどんなものでも食べることが出来る特殊な消化器官を備えている彼女にとって、料理とは『あまり必要のないもの』なのである。

 

「栄養や食感は問題ない……いや、妾基準じゃ岩でも問題ないってなる。でも、うーん……」

 

 考えどもやはり1人では限界というものは訪れる。

 ギロンは自分の限界をよく理解している。何故なら限界はいつでも超えるためにあるのだから、目標のことは常に知っておかなければならない。

 だからこそギロンは限界というものを超える最も手っ取り早い手段を知っている。

 

 それは『頼る』ことだ。

 教えを乞うこと、技術を喰らい、成長する。それがギロンの成長の仕方。そうでもしなければ、全てを手に入れるなぞ寿命がいくらあっても足りない。どうせやるなら効率的に、それでいて暴力的に。それがギロンの獣の美学だ。

 

 

「ホシさーん、妾にお料理を教えていただけませんか?」

 

「は? 何か悪いもの……はいつも食べてますね。何も食べてないんですか? 脳に血液回ってます?」

 

 

 確かにいつも背丈の関係で見下ろしているけれど、ちょっと下手に出てみればこの反応なので幾らギロンでも女の子なのでちょっぴり傷ついたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、ギロンって料理できるんですか?」

 

「ホシは妾を文明から取り残された野獣か何かだと思っていまして?」

 

「自分を客観視する能力が貴方にあったことが驚きですよ」

 

 一瞬取っ組み合いになりかけたが、お互いの『祝福』と『異能』的に完全に意味の無い行為であるため、お互いに一発拳を入れて終わりにした。

 

「なるほど。レパートリーが少ないから私に教えを乞うと? 意外とプライドないんですね」

 

「別に誰かに教えを乞うことは恥ずかしいことではないでしょう? 仮に恥ずべきことだとしても、その一時の恥でより強い自分になれるのならば必要経費ですわ」

 

「あーヤダヤダ。皮肉が効かない相手は嫌いなんです。……それで、私は何をすればいいんですか?」

 

 ホシは普段の神官服の上から、どこから取り出したかも分からないエプロンを纏い、いつの間にか包丁も持って準備万端と言った様子になっていた。

 

「特に決まってはいないので、妾の知らなそうな料理を何か一つ、作り方を教えてくださいます? ほら、ホシって無駄に歳食ってますから物知りでしょう?」

 

「ははは。無駄にタッパと肉つけたガキがよく言いますね」

 

 軽口を言い合いながらも、さすがに包丁を持ったとなればホシの表情は真剣なものにある。野菜を一つ手に取り、鮮やかな手さばきで包丁を振り下ろし、見事自らの小さな手から指を数本切り飛ばして見せた。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………はは」

 

「…………は?」

 

 

 あまりにホシが慣れた手つきで指を切り飛ばすものだから、ギロンは目の前の光景が現実のものと認識するのに時間がかかってしまった。さらに言えば、指を飛ばしたホシ自身も信じられないものを見る目で見ていた。

 

「あはは……。ほら、私戒律で刃物持てないので」

 

「いつも酒飲んでる似非神官の分際で何言ってますの? 前に貴方普通に刃物で魔族を串刺しにしていましたわよね?」

 

「……だって、仕方ないじゃないですか! 正直に言いますけど私に料理とか学ぶ機会なんてなかったんですよ! 実は文字だって最近覚えたばかりですし!」

 

 ホシは包丁を置いて指を治してからその場に蹲って誰に向ける訳でもない怒りをぶちまけ始めた。

 頬を膨らませ、瞳を潤ませて拗ねるその姿は非常に母性を擽られるが、それはそれとして先程までの自信に満ち溢れた顔を思い出すとギロンは思わず吹き出してしまった。

 

 実際、ホシの経歴には料理を学ぶ時間どころか、一般常識を学ぶ時間もほとんど無かったのだから、表面だけでも神官として振舞えているだけでも彼女の努力あってのものなのだが、それはそれとして包丁を持って自信ありげな顔をしている顔を思い出すと笑いを抑えることは、ギロンの異能を以てしても不可能だった。

 

「なんであんなすぐバレる見栄を張ってましたの?」

 

「だって……料理なんて普段扱ってる■■■の手足やギロンの目玉に比べたら絶対簡単だって」

 

「言ってることは何一つ間違ってませんのに結果が悲惨すぎて否定せざるをえませんわ」

 

 失った手足すら再現する、命を粘土細工のように扱う魔女がまさか料理もまともに出来ない不器用っぷりを見せるのは流石に想定外。

 

「私だってぇ、練習したんですよ……。でもなんか料理だけは上手くいかないんですよ……。そもそも私要領良くないんですよ。■■■に毎晩教えてもらってようやく日記を書けるようになった程度ですし」

 

「育ち良さそうなのに意外ですわね」

 

「えぇ。こう見えて学はないんですよ。この前まで土の下にいたので」

 

 しかし困ってしまった。

 以前、ホシから■■■に関しては『料理が出来ない』と聞いていたし、スーイは料理なんて出来なさそうだし、このままでは誰からも教わることが出来ない。

 

「そう言えば、なんで唐突に料理を教わろうと思ったんですか? ギロン、ぶっちゃけなんでも食べれますよね?」

 

「妾はいつでも昨日よりも強い自分を目指しているんですわ」

 

 

 

「なんだか善い向上心の匂いがした!」

 

 

 

 呼んでもいないのに、頼りにならなそうな青色の魔術師は現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほどね。でも私を不器用の極みのホシと一緒にしてもらっちゃ困る」

 

「不器用の極みで悪かったですね」

 

「それじゃあそんなギロンには私が師匠から教わった料理を見せてあげるから、ちゃーんと覚えるんだぞ」

 

「なんか普段よりテンション高いですわねスーイ」

 

「コイツ根本的に教えたがり(さみしがり)なんですよ」

 

 自信だけでは先程のホシと同じ末路になりかねないが、スーイはその自信に違わぬだけの手際の良さで次々と準備をしていき、慣れた手つきでお湯を沸かし始めた。

 

「すごいですわね。お湯を沸かせてますわよ。見ましてホシ?」

 

「バカにしてます? お湯くらい私にも沸かせます」

 

 そうしてスーイはお湯を沸かし……そこに指を入れると沸かした湯を捨てて何故かもう一度湯を沸かし始めた。

 

「アレは……なにか意味がありますの?」

 

「さぁ? まぁ水は全部スーイが用意したものなので好きに使っていいですけど、無駄遣いは感心しませんね」

 

 そうしてスーイはまた湯を沸かし……しばらくしてそこに指を入れるとそれを捨ててまた湯を沸かし直した。

 

「……何やってるんですの、アレ?」

 

「なんかブツブツ言ってますね」

 

 

「……ダメだ。温度が違う。沸騰分の水量の調節が甘かった。加熱時間、加熱温度もブレがある。そもそもこの鍋じゃ沸騰まで加熱したら僅かに成分が水に混ざる。別のものを用意しなくちゃ、いや、師匠が使ってた鍋を再現するか? そうしないと完璧に再現ができない。レシピ通りに作らなきゃ」

 

 

 スーイは、意外と凝り性である。

 正確に言えば魔術を扱う物として、非常に細かい部分まで気にする。小さなズレが手足を吹き飛ばしかねない事故に繋がる魔術師として、スーイが大成したのにはそういう心掛けを叩き込まれたというものがある。

 

 逆に、『料理も魔術も同じもの』として考えると彼女は料理も魔術を使うかのように完璧を求める。

 絶対、一分の間違いも許されない。魔術ならばレシピ通りにやらなければ必ず大惨事になる。強迫観念にも近い集中力でスーイは何度も完璧な状態の『お湯』を作り出すべく湯を沸かし続ける。

 

「うーん、これ料理ってかなんかの研究じゃないんですか?」

 

「そうですわね。とりあえず放置しておきますわ。妾は今料理の気分なので」

 

「そもそも気温、湿度が当時の師匠の家の台所と違いすぎる。そこの条件から整えるべきか? ここまで来るとまず前提条件の整理から始めないと。まずは気温湿度空気中成分……」

 

 完全に自分の世界に入ってしまったスーイを置いておき、ギロンはどうしたものかと頭を抱える。

 別に最悪何も得られなくても良いが、それでは自分が良くても『相手』を満足させられるかが分からない。それを考えると、少々不安になる。決して自分がそういう面にて劣っていると認める訳では無いけれど、それはそれとして、なんというか、不安になる。

 

 

 そういう乙女心くらい、獣にだってあるものだから。

 

 

 そして、人間の気持ちの問題を解決できるのは、最終的にはバケモノではなく人間になってくる。

 

 

 

「さっきからなんなの? うるさくて眠れないんだけど?」

 

 

 

 苛立ちを隠す様子のない赤色の髪の毛の女の子が、最後の救世主として現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼しますわ〜」

 

 相手を起こさないように、音を殺してギロンは部屋に入る。当然ながら、部屋の主はまだ眠っている。

 既に傷は治ったとはいえ、失血量が酷かった彼はすぐに目を覚ましはしたが体調が優れずに眠っている。

 

 無防備な姿で、安らかに寝息を立てている。

 呼吸の度に動く胸と喉。かぶりついてしまいたくなる瑞々しさ。動きの全てが、情婦の誘惑のようにギロンの理性の軛を外す。

 

「……一口だけ」

 

 無意識にそう呟いて、ギロンは彼の喉元へと近づいていく。

 鼻腔をくすぐる雄の香。唾液が滴るのを必死に抑えることに残りカスの理性は必死で他に大切なことを置いてきぼりにしてしまう。

 別に何もおかしいことは無い。ギロン・アプスブリ・イニャスは彼が欲しいのだ。欲しいということは、食べたいことだ。彼に認められるような女性になりたいし、それでいて彼を食べたい。この2つは彼女の中では何も矛盾していない。

 

 自分の異常性に気が付かない。

 それが貪欲な獣に神が与えた罰だった。

 

 朝起きて、昼に活動し、夜に眠る。

 服を着て、呼吸し、生きていく。

 そんな人として当たり前の行為。今から彼の首に食らいついてその肉を食らい鮮血を飲み干すことはそんな当然の行為でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ。主菜に最初に手をつけるだなんて、貴方はいつから礼儀も知らない田舎者に成り果てたの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを口にしたのは、他ならぬギロンであった。

 自らの指を噛み、血を啜る。喉の潤いと指の痛みは熱を伴いながらほんの少しだけ熱を冷ます。融けた理性が形を取り戻す。

 

 何が間違っているかはよく分からない。

 これが自分にとって正しい選択だと思いながら、それを拒否する。

 

 

 だって違うでしょう? 

 妾が欲しいのは彼の体だけだなんて、貴方はそんなに謙虚な獣? 

 いいえ。いいえ! 妾は自分がどれだけ貪欲かを知っている。彼の身も心も、全て自分だけのものにしたい。自分だけを思い、自分だけを愛して、自分だけしか考えられなくなるくらいに、彼にとって素敵になってやろうと。

 

 それが今の妾の目標でしょう? 

 それが妾の、貪欲でしょう? 

 

 

 

 

 

 でも、こんな目の前に無防備な男が居て、据え膳食わぬは獣の恥ではある。

 無防備な唇に獣は狙いを定め直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────ん、おはようギロン。なんで目の前にいるのか、聞いていいか?」

 

「いい朝ですので、ここで腕立て伏せでもしようかと思いまして」

 

「なるほど。時と場所は考えような。起きて最初に見るのが腕立て伏せはそれなりに驚くから」

 

「ええ。ここならやる気が出そうでしたので。起きてすぐですが、お腹は空いていませんか?」

 

「まぁ空いているかって聞かれたらそうだな。寝っぱなしとは言え何も食わないのは腹が減る」

 

「では、少し待っていてくださいまし? 今日は妾の手作りですわよ。期待していて欲しいですわ!」

 

 

 鼻歌を歌いながら、ギロンは部屋を後にする。

 部屋を出てすぐに、自分の頬と額に手を当てて汗や体温を確認する。少なくとも、掌を冷たく感じるくらいには顔が火照っていたのを確認して、さらに顔が熱くなる。

 

「バレてませんわよね……?」

 

 顔を近づけて、唇と唇が触れる寸前といった瞬間。

 ふぅ。と彼の寝息が唇に当たってびっくりしてその場で飛び上がってしまったのだ。

 

 いや、別にキスをしようとしたこと自体が恥ずかしいのではない。いずれ夫婦になった暁には唇同士どころか生殖器同士で触れ合うことになるのだからその程度で恥ずかしがるほどギロンとて温室育ちのおぼこ娘では無い。

 

 ……ただ、息が当たって恥ずかしくなってキスをやめたどころか、飛び上がって自分には似合わない甲高い悲鳴を上げてしまうなんて。

 

 

 

「それこそ、温室育ちのおぼこな生娘みたいじゃありませんの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 料理を最後にしたのはいつだったか。

 確か、彼が旅に出てしまう前にしたのが最後だろう。ずっと練習をしていたけど、いつか上手になってから振る舞いたいなどと考えていたら機会を逃してしまい、悔しくて仕方なかったのをよく覚えている。その程度でしかない自分のアドバイスをしっかりと聞くなんて、ギロンは変なところで傲慢なくせに変なところで謙虚なのだ。

 

 

 

 今では何を食べても味が分からないし、そもそもあらゆるものを『切断』してしまう人間なんて、危なすぎて包丁なんて持つことは出来ない。

 

 勇者が活躍出来るのは戦場で誰かを殺す時だけ。

 自分に宿った力が、誰かを守る力ではなく誰かを傷つける力であることは本人が一番よく知っている。

 

 

「なら、私は私の方法でやるしかない」

 

 

 お前は勇者だ。お前は勇者でなくてはならない。ならば、お前にできることはより多くを殺すことだけだ。

 そう言い聞かせて、また考える。

 

 魔王軍幹部は残り3体。相手の防御の要である『霧』が消え失せた今、いよいよ最終決戦というものは近いだろう。

 背教の神官も、彗星の魔術師も、獣の盾兵も、正直生き残れるかは分からない。むしろ今まで誰ひとりとして欠けていないのが奇跡なのだ。

 

 ここより先に進むことは、失うことに同意したと同じ。

 あの時のように、都合の良い奇跡で助かるなんてことはありえない。

 

 

 

 彼女にとって最初の魔王軍幹部。

 都市を溶かす厄災、『視殺』の異名()を持った魔族との戦い。

 

 

 

 あの時のようなことを繰り返さない為にも覚悟を決めなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・ホシ
人型を解けば神経に干渉できるほど器用だが、人型の時はぶっちゃけ一番不器用。神官服は体内に常にストックがあるが、それ以外の服は基本的に死体から作り出す。つまり神官服の時以外は基本全裸。

・スーイ
師匠直伝の料理があるし、レシピ通りに完璧に作るがレシピ通りを徹底するし、少しでもレシピ通りに作れない状況になると諦める。基本的に家事に関する能力は低い。魔術の飲み込みは早かったのでこれから楽が出来ると思ってた師匠は泣いた。根本的に師匠みたいな料理を作りたいという気持ちがあるので師匠は何も言わなかった。

・ギロン
咬合力と消化器官が人間のものではなくなっているので、自分に合わせた料理を作るととんでもない代物しか出来ない。人並みに合わせるように努力はしてる。魅力的な女を心がけているので、生娘みたいな反応は出来るだけしないようにしている。キスしとけば良かったって後でめちゃくちゃ後悔するタイプ。

■■■
味覚異常と祝福により料理は苦手。


・従者くん
一人旅をしていたので自炊能力は高い。味覚もおかしくないし、消化器官もおかしくないので唯一まともな料理が作れる。






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回想/少女と変態と変態

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、リスカ・カットバーンはすごく変なものを見た。

 

 

 

「お酒! えーっと、寄越せ、買わせろ……体で払いますわよ? どれがいいと思いますか? あ、下着! これ結構高値で売れますよね? ……いらない!? これ、すごく価値あるって教えてもらったですよ!?」

 

 

 

 12歳くらいの女の子がよく分からないことを口走りながら酒を求めているシーン。こんなところに遭遇するだなんて。知っていた事だが自分は運が無いと落胆する。

 なりたくもない勇者なんてものになって、毎日毎日魔族との殺し合いばかり。そんな疲れを癒そうと比較的安全そうな街に立ち寄ってみればこれだ。この街の結界は当然ながら魔族にしか効かないようで、変人は弾いてくれない様子。

 

「ノー! 私、こう見えてもお酒買える! 16……? それ以上! 見えない? 若く見られてる……それ褒め言葉?」

 

 何かを必死に訴える女の子。

 たしかによく見てみると、低い背丈とくりくりとした大きな藍色の瞳で幼く見えるが、体付きは出るところは出ていて引っ込むところは引っ込むといった、決して豊満という訳では無いが大人の体付きであり、全体で見れば子供かどうか悩むところ。

 

 ……だが、問題は服装。

 一見、神官と言った服装なのだが大きく改造が施されている。何故か手足の露出が非常に多くなっており、あれでは神官服と言うより派手なワンピース。神に仕えるというより()に御奉仕するといった感じである。

 脚部もスリットで限界まで露出していて、下着を履いていないようにすら見えるギリギリっぷり。真っ当な神官が見たらビンタするというか、真っ当な大人ならこんな格好で出歩けるはずが無い。お星様すら見える綺麗な瞳と無垢な顔立ち。それなのにここまで神を冒涜出来るだなんて大したものだ。

 

「お酒……飲みたい……。肉体、問題なしだが気分が疲れたです。お酒、お酒! いいから寄越せ!」

 

 落ち着け、リスカ・カットバーン。

 こういう時、勇者ならばどうするか。ここにはいもしない彼ならば、こういう時どうするのかを考える。

 

 

「……面倒くさい」

 

 

 もしも彼ならば、『勇者』ならばそうするだろうと。引き返したい足を止めて変な神官の所へと向かう。ほんと、こういうのは自分の柄ではないとわかっているけれど、勇者は困っている人を見捨てないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助かった! おかげでお酒を買うこと、出来ました。でも、貴方が私の姉は無理め。私の方が、確実に年上」

 

「別に。目の前で押し売りの身売り現場なんて見せられたら、アンタより店の人が可哀想だもん。それより、あんまり派手に呑まないでよ……。周りの目、気にならないの?」

 

「? みんな私を心配してくれている。問題ありますのですか?」

 

 まぁ、確かに心配をしているだろうがそれは頭の中身に対してであり、感情で言うと憐憫だとかそう言った類のものでありあまり受けて気持ちの良い感情ではないだろう。隣にいるだけで、リスカとしてもいたたまれなくなる。

 

 さらに服装もちょっとセクシー過ぎて、言い換えると露出が多すぎて目のやり場に困る。遠目から見る男の中には完全にそういう目で見ている者もいる。まぁ、本気でリスカが睨みつけるとそういう輩は皆散っていくのだが。目つきの悪さだけは本当にいらないのに見事に成長していく。

 

「……アンタ、その格好なんなの?」

 

「可愛いでしょ?」

 

 可愛いか可愛くないかでいえば、自分には似合わないだろうけれど可愛らしい服装ではある。だが、やっぱり露出過多だ。本物の神官さんが見たら絶対キレる。

 

「私、男の視線釘付け! モテモテ! これで気になる彼もイチコロ!」

 

 そう自信満々に胸を張る似非神官。コイツ意外と胸デカイな。流石に体格の関係で自分の方が大きいが、体格比で言うと向こうの方が大きいボリューム。なんとなく、これに負けたと考えると凄まじい敗北感がある。

 

「でも……誰かにモテたいならあんまりそういう格好はやめた方がいいと思うよ」

 

「ワッツ? なぜですカー? 彼も男なら私にクギ付け、違うのかな?」

 

 そうかもしれないけれど、もしも好きな人がすごく異性の目を引くような格好をしていたら、自分ならばあまりいい気はしないかもしれない。

 なんというか、モヤモヤする。だって、好きなものは自分だけのものにしたいと思うのはおかしい事だろうか? 大切なものがどこかに行ってしまうという恐怖というものは、とてもじゃないが形容できるものでは無い。

 

 出来ることなら、あんな思い二度としたくない。

 だから、その為にはこんな気持ちは捨てないと。こんな考えは『勇者』らしくない。こんな弱々しい気持ち忘れなきゃ、忘れなきゃ、忘れなきゃ……。

 

 

「ふーむ、百理ありますね。例えば、貴方の好きな相手はどんな雰囲気?」

 

「ばっ、なんでアンタにそんな話しなきゃいけないのよ!?」

 

「別に。だって貴方、優しそうな人。優しい彼に、とっても似通う。困っている人は放っておかない。違いますかね?」

 

 そう言われるとリスカも弱い。

 だって、リスカの知る『勇者』は間違いなく困っている人を放っておかない。リスカにとっての『勇者』はきっと、こういう子を何も考えずに助けようとする。

 

「だからって私の好きな人は関係ないでしょ。……でも、一般的な男は常にそんな格好して、変な喋り方してる女よりももっと普通の女の子の方が好きなんじゃないの?」

 

「ふーむ。では、普通ってどんなもん?」

 

 

 そりゃあ普通っていうのは。

 

 口にしようとして、言葉に詰まった。

 普通ってどんなのだっけ。この前までの『普通の女の子』だった自分が思い出せない。いや、思い出そうとすると酷い吐き気に襲われる。ゴミ捨て場に捨てた汚物を拾い上げるかのような拒絶感。

 

 とても大切で、私にとって一番楽な姿だったのに自分から捨てた『それ』を見ることはあまりに耐え難い。

 

 

「どしたん? なんか汗、凄いけど大丈夫ですのね?」

 

「気に、しないで。ちょっと気分が悪いだけ。……とりあえず、服装も普通の神官っぽくして、普通に敬語で話せばいいんじゃない。それで悪印象を受ける人は、少ないと思う」

 

「……ちょっと待ってね」

 

 

 少女は大きな藍色の瞳を閉じて、何かを考え込むように意識を集中させている。

 それは瞑想のようでもあるが、どちらかと言うと自己暗示などのそういった類のものであるようにリスカには見えた。数分ほどそうしていて、目を開けた少女の表情を見て思わずリスカは()()で声を漏らしかけた。

 

 

 

 

「……ふぅ。こんな感じですかね。ふふ、どうですか? 私、貴方のこと嫌いじゃないので、貴方みたいな優しい人をイメージしてみました」

 

 

 

 

 服装こそ変わっていないが、目の前の少女は先程までの変な喋り方の少女とは、根本的に違う。

 瞳の動き、唇の滑らかさ、頬の赤らみ。全てが『万物に優しき聖女』のような雰囲気を醸し出している。これで神官服がしっかりとしたもので、片手に酒瓶を持っていなければきっと誰もが女神の降臨かと思い崇めてしまうほど、吸い込まれんばかりの慈愛を持つ聖女がそこにはいた。

 

「うん。やっぱりこういうのの方が『私』としては性に合いますね。油断させるのはともかく、異性として魅力的って言うのはいまいち掴みかねていたので助かりました。ありがとうございます」

 

「え、あ、うん」

 

 あまりに丁寧に喋るものだが、先程までのぎこちないしゃべり方も『言葉に不自由があるか、覚えたばかり』と言った感じで演技だとは思えなかった。一体、この少女はなんなのだろうという胸の内から湧いてくる疑念も、輝くような笑顔を見ただけで薄らいでしまう、麻薬のような女の子。

 

 この子と向かい合ってはいけない。

 この生き物の『在り方』は人間と相容れない。ヒトとして最も重要な部分を溶かし、蝕む共存不可能の寄生生命。警鐘を鳴らす生来の優れた直感を、後天的に獲得した理性と知性が抑え込む。こんなに愛らしく、可愛らしい生き物のどこが危険なのかと問いかける。

 

「ん、やっぱり私はこっちの方が合ってますね。慣れないことはするものじゃないです」

 

「アンタ……何者なの?」

 

「見ての通り、通りすがりの美人神官です☆」

 

 ──────冗談じゃない。

 この世界で神よりも信じたくなってしまう、そんな魅力を持つ神に仕える者(神官)がいてたまるか。

 

「あー……その、そんなに敵意を向けないで貰えますかね? 私としては、貴方に感謝こそすれ、敵対する理由が皆無なんですよね」

 

「ごめんごめん。私、アンタみたいに人を騙すことに特化した生き物と殺し合うのが生業なの」

 

「……貴方が? それこそ冗談でしょう? だって貴方──────ッ」

 

 神官はリスカの目を見つめ、何かを悟ったのか目を見開いてから柔らかな表情をほんの少しだけ顰める。

 

「ったく、これだから『祝福』なんて呼び方は嫌いなんです。ヒトを勝手に異なるモノに仕立て上げてしまう呪いでしかないんですよ」

 

 憐憫、そして目の前の相手ではない何かへの怒り。

 

 

「……ん、どうしました? さっきから警戒したり惚けたり、忙しい人ですね」

 

「いや、アンタにだけは言われたくないけど……」

 

 

 その表情を見て、リスカは目の前の神官に警戒するのをやめた。

 この少女は今、どのような理由かは分からないけれど本気で自分のことを哀れんだ。他人から哀れまれるのは好きではないが、それでもそれは騙すことだけを考える生き物にはありえない仕草。

 

 もしも今のが演技であったのならば、大人しく食われるしかないだろう。

 

「まぁ、私には関係ないですがね。それはそれとして助かりました。私はある人を追っていたんですが、この辺りで見失っちゃったんですよね。なのでさっさと捜索に戻りたいと思います」

 

「あっそ。じゃあもう二度と会わないことを祈ってるわ」

 

「私は貴方のこと好きですけどねぇ。貴方は私好みの匂いがしますし」

 

 すんすんと、犬のように匂いを嗅いでくる神官に対してリスカは反射的に距離をとる。一応、年頃の娘である以上匂いには気を使っているが、何日も体を洗えない日だって時としてある以上正直あまり嗅がれて気持ちが良いものでは無い。

 

「うん。やっぱり貴方は良い匂いです。優しい匂いがします」

 

「優しい匂い……それってどういう……」

 

 神官は何も言わず、リスカに抱きついた。

 身長差と体格差の関係上そうとしか言えない。誰がどう見ても、神官がリスカへと抱き着いている。そのはずなのに、リスカだけは違っていた。

 

 母親の腕に抱かれる以上の安心感。

 揺籃の中で微睡みに沈んでいくような、そういう気持ち。小さな少女から発せられるその癒しに、久方ぶりにリスカはほんの少しだけ肩の力を抜いていた。

 

 

「貴方みたいな強くて優しい人は、何でもかんでも勝手に背負いすぎるんです。もっと肩の力を抜いて、長いにせよ短いにせよ人生は自分のために使った方がいいですよ。せっかく生まれたんですから、人生が終わった時にいい人生だったって思える方が、素晴らしいことだと思いませんか?」

 

 

 それだけ。

 ここまででようやく神官らしいことを呟いて、その少女は酒瓶片手にその場から離れていく。

 リスカ・カットバーンは誰よりも強い人間だった。誰よりも強いからこそ、誰よりも『勇者』でなければいけないと、そうしなければ『リスカ・カットバーン』ではないと思い込むしか無かった。

 

 決めた生き方はもう変えられない。

 こうやっていなければリスカ・カットバーンは存在できない。それでも、そう言ってくれる『誰か』が居た事実だけは消えなかった。

 

 

「……忠告ありがと。私はリスカ。リスカ・カットバーン。またどこかで会いましょう」

 

「はい! 私はホットシート・イェローマム。どうぞホシという名前で覚えてください。それでは、またいつか」

 

 

 もう二度と会わないだろうけれど、もう二度と会いたくない変なやつだったけれど。

 リスカはほんの少しだけ、先程よりも肩の力を抜いて歩き出す。なんとなく、そっちの方がいいような気がしただけで別に神官の、ホシの言うことを真に受けた訳では無い。

 

 

 もしも、素直に自分として話していたのならば彼はどんな風に答えてくれたのだろうか。

 

 

 そんな有り得ない『もしも』を思いながら前を向いて

 

 

 

 

 

 

「あ、すいませんそこの方。ズボンでもスカートでも鎧でもなんでもいいので履くもの持ってませんか? あと、一目惚れしたんで付き合ってください」

 

 

 

 

 

 

 何故か下半身を包帯でギリギリ隠しているだけの絶世の美女に愛の告白を受けて、とりあえず自分は運がある人間では無いのだと悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりの酒を全身に染み渡らせながら、ホットシート・イェローマムは人探しを再開する。

 実際問題、死体である彼女にアルコールは毒にも薬にもならなければ、酔うこともありえない。ただ気分として、これを摂取するとなんとなくいい気分になれるのだ。

 

「それにしても……この辺りに来ていることは間違いないんですけどねぇ?」

 

 彼女にとって人間を見分けることは至難の業。

 人間が虫の相を覚えきれないように魔族には人間を見分ける機能は存在しない。相手が自分を殺す力を持ってでもいない限り、わざわざ識別する理由もない。

 

 反面、彼女は『異能』により魂というカタチの無いものを知覚することが得意になっていた。

 だから、ほんの数刻話しただけの『彼』の魂の匂い、形、色を決して忘れずにずっと歩いて探していた。そしてだいぶ近づいてきたとこの街の近くまで来たあたりで彼の魂の匂いが()()()()

 まるで地面ごとえぐって取り替えてしまったかのように、忽然と彼の気配が消えてしまっていたのだ。もしも死んでしまったのならば、逆に死体を司る自分が見失う理由が無くなる。なので生きてはいるのだろうが見つからないというのも落ち着ける要素ではない。

 

「とりあえず、この街にはいませんね。さっさと先行きましょう」

 

 まぁ悩んでも仕方ないと、ホシは切りかえて捜索を開始する。

 この街に潜む魂をざっと調べて、なにやら魔王軍幹部クラスのすっごい魂があった気はしたがそれはそれ。さすがに顔も知らない相手しかいない街を守る義理も義務もホシには無い。

 

 

 

「……あー、顔見知りできちゃいましたね」

 

 

 

 とても寂しそうな顔をしていた赤髪の少女を思い出す。

 数分思考した後、ホットシート・イェローマムは大きな大きなため息をついて、来た道を引き返し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






・リスカ・カットバーン
運以外の全てを持ち合わせて生まれた祝福されし子。誰よりも強かったゆえに『彼』以外に優しくされることに慣れていない。変な神官の子は変な相手ではあったが、優しくていい子であんな友達が1人くらい欲しかったかもと思ってた。

・変態1
ドスケベ神官服。人を油断させるならまだしも好かれるのは完全に専門外だったので迷走していた。とにかく目線を集める方向に特化していたらこの有様。赤髪の女の子は結構好ましいタイプの人間だと思ってた。

・変態2
リスカは何故か変態と女にモテる。そういうの引き寄せるフェロモンが出てる。








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回想/融遊

 

 

 

 

 

 

 

 たまたま立ち寄った村で最近魔獣の被害が多発していると聞いたのが2週間前。

 お世話になったので魔獣の退治を引き受けたはいいものの、予想外の数に手傷を負わされたのがその次の日。どうしたものかと悩んでいたところに『彼女』が現れたのが1週間前のことで……。

 

 

「よっ、どうだい怪我の調子は?」

 

「かすり傷だからな。もう別になんともないよ」

 

 

 腰に携えた綺麗な装飾の施された剣を擦りながら、彼女は心配しているというよりは揶揄うように俺を見つめている。

 彼女は俺と同じく、こんな時代に旅をしている変わり者。他に知っていることと言えば、多分身分の高い人ということくらいだ。何となく、立ち振る舞いや世間知らずなところが、前に会った自称第二王女様にそっくりだったというだけで、確証はないのだが。

 

「それにしてもあの程度の魔獣に手傷を負わされるなんて、キミって本当に旅をしていたの? 魔王軍なんかとばったりあったら一瞬で食べられちゃいそうだけど」

 

「否定はしないけどさ……。普通は俺は勝てる戦いしかしないし、勝てないと思ったら逃げて勝てるよう対策を組むし、自分じゃ無理なら大人しく逃げるよ」

 

「じゃあなんで今回は怪我してるのかな〜?」

 

「うっ、……見通し不足でした。あんな数いると思わなかったんだよ。それに、魔獣に困ってる人がいるくらいなら、一日でも早く倒してあげたいって思うのが普通だろ」

 

「そういうものかな?」

 

 そう言いながら彼女はまた指先で剣を弄る。

 多分それは癖なのだろうが、その癖と彼女の黒に近い赤色の髪の毛が、ずっと憧れていた幼なじみの姿を想起させて、複雑な気持ちを巻き起こす。

 

 

 自分にとって、幼なじみは憧れだった。

 

 

 この世界のどんなモノよりも眩しくて、いつも自分の前を歩いていたその女の子。自分無いものを、普通の人は持たないものを沢山持ったすごい女の子。

 

 ……考えるのはよそう。

 決して彼女のことが嫌いな訳では無い。むしろ好きか嫌いかでいえば確実に好きな人であるけれど、だからこそ彼女のことを考えると幸せな気持ちになれない。

 苛立ちとか、そんなろくでもない感情が湧いてきてしまうのだ。

 

「おーい。難しい顔をしてどうした? お腹痛い?」

 

「いや、なんでもない。それより怪我は治ったんだろう? なら子ども達の相手を手伝ってくれよ。ワタシ、子どもはあんまり好きじゃないんだよ」

 

「懐かれてるんだろうから俺よりもそっちが相手してくれよ」

 

「うっわ、将来子育てを手伝わない親になりそうな発言。いいから手伝ってよ。キミ、結局魔獣退治なんもしてないじゃん」

 

 それを言われてしまうと少し弱い。

 ふらっとこの村に現れた彼女はどうやら『祝福』を授かっていたらしく、本当に一瞬で魔獣の群れを倒してしまったのだ。

 

 何もしてないのは本当のことなので、仕方ないと彼女について行く。そう言えば、彼女の名前を聞いていなかった。

 

「ワタシの名前? ……いや、実はちょっとね。名前は簡単に言うなって、ワタシの出身地ではそういう習わしがあって……」

 

 まぁ今の世の中珍しい習わしでもないが、そういう地域出身の人は本名とは別に誰かに呼ばれる時用の名前があると聞いていたのだが。だって、名前が無いというのはあまりにも不便だ。

 

「呼び名……。そうだね。ワタシの『祝福』の名前でいいか」

 

 扉の前で、陽の光を浴びる赤黒い髪の少女は俺にその名を告げた。

 

 

「──────『白手渇裁(エオス・ダクリ)』。ワタシの祝福の名前だよ。だから気軽にエオスって呼んでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エオスは不思議な人だった。

 旅をしていく中で出会った相手は、年齢が骨董品モノの魔族であったりとか、魔王軍幹部の王女様とか、超厳しい魔術師の師匠とか、変な人ばっかりであったけれど例に漏れずエオスも中々の変人だった。

 

 

「はい! ワタシの勝ち! キミ達の負け! あ〜、まだ立ち上がるの? ならもう泣かすよ? 手加減しないよ? おら、死ね!」

 

 

 とりあえず子ども達相手のチャンバラごっこに本気を出して子ども達を泣かせる人間であるらしい。さすがに子どもの遊びに死ねとか言いながら参加するのはちょっとどうかと思うな。

 

「そっちの兄ちゃんも見てないで手伝ってよ! この姉ちゃん大人気なさすぎるんだよ!」

 

「はいはい。わかったよっと」

 

「ふははは! ワレに歯向かう愚か者共め! 全員その首叩き落として門前に反逆者の末路として飾ってくれるわ!」

 

 一体こいつはどんな立場なのだろうかと思いながらも、子ども達から棒を受け取って俺も参戦する。子ども相手にも容赦しない極悪非道な女だ。こうなってしまえば多分下手したら俺は殺されるだろう。

 

 そうして構えた瞬間、俺は天を仰いでいた。

 

 

「…………は?」

 

 

 遅れて手首と足に軽い痛みが走り、自分が棒を叩き落とされてついでに足をかけられて転ばされたことに気がついた。エオスが俺を見下し高笑いしていて、子ども達は最後の希望が潰えた絶望の表情を浮かべているのを別の世界の出来事のように見つめながら。

 

「すげぇ……何も見えなかった」

 

 そんな正直な言葉が漏れていた。

 師匠のえげつない特訓のおかげで、体がついていくかは別として大抵の動きなら見るだけならできるようになっていたのに、エオスの動きは本当に何も見えなかった。こんな経験は人生で二度目で、一周まわってなんだか気分が高揚してきた。

 

「すげぇなエオス。アンタ、もしかして名のある剣術家とか?」

 

「は? 別にそんなんじゃないけど……」

 

「じゃあ今の誰かは習ったんだ? 独学か? どっちにしてもあの一瞬でどうやって俺を倒して見せたんだ?」

 

「え、いや、これはワタシの師匠がワタシ用にって作り出した剣術らしいから、他の人が使えるかよくわかんないんだけど……そんなに凄かった?」

 

「すごいなんてものじゃない! 頼む、後学の為にどういった動きをしていたのか教えてくれないか。本当に凄かった!」

 

「ふ、ふーん! そこまで? そこまですごいと思うなら教えてあげちゃおうかなー!」

 

 

 そうしてエオスはその名前の無い剣術について教えてくれた。

 体格から何から何まで、エオスという個人が扱うように完全に調整されたその剣術はとてもでは無いが俺が扱えるようなものではなかったが、動きは参考になったし、何よりエオスという優れた剣士から教えて貰えるということが非常に良い経験になった。

 

「……ワタシの師匠、ワタシが小さい頃に死んじゃったんだけどさ。冷静に考えたら今でも使えるってことはワタシがこの程度の身長で成長が止まる前提でこの剣術を考えたんだよね。なんか腹立ってきたな」

 

「でも、弟子の将来のことまで考えてくれてるならいい師匠なんじゃないか?」

 

「うん。ワタシの師匠はいい師匠だったと思う」

 

 基本的にエオスはその『師匠』という人物の悪口をブツブツと呟いていることが多かったが、話を聞くとすごく良い人そうだったし褒めても別にそれを否定しない。むしろそれを聞くと嬉しそうにする。

 そしてエオス本人のことを褒めるとすぐ調子に乗る。煽てられると弱く、変なところで素直じゃない。エオスという人物はそういう性格だったと思う。

 

 

 他人のはずなのに。

 それはすごく、似ていると思った。

 

 今にも崩れてしまいそうな、柔らかな笑顔がリスカに似ていた。だからだろうか。俺は彼女にそこまで踏み込まずに、すぐにその村を去ることにした。

 

 

 

「キミとの稽古の時間。楽しかったよ。これでワタシも誰かの師匠を名乗れるかな?」

 

 

 そう言って笑顔で胸を張るエオスの顔をまっすぐと見ると、まるで自分の罪と向き合うみたいでまともに顔を見ることが出来なかった。それでも、彼女と過ごした時間は楽しかったし、有意義であったことは間違いでは無い。

 

「でも師匠はダメだな。俺にはもう、とんでもなく厳しいけど優しい師匠が1人いるんだよ」

 

「ありゃ残念。でも、良かったよ。師匠がワタシに教えてくれたことが、ワタシなんか以外の誰かの役に立てるなら、きっとそれは素晴らしいことだから。だからそのお礼に1つ、いいことを教えてあげる」

 

 変に自分を卑下する言葉が少し気になったが、その疑問はすぐに次に出てきた言葉の衝撃によってかき消されてしまった。

 

 

 

「この先にある街。そこにキミが寄るのだとしたら……キミはそこで死ぬことになる。どうかこれだけは覚えておいて」

 

 

 

 それが、俺とエオスの最後の会話。

 暁の光に照らされる中で、その忠告を受けてから俺はまた旅立ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねーねー。聞いていますか? 一目惚れしちゃったんですってば。一目惚れ。お付き合いしませんか? ほら、私結構可愛いと思いますし。あとなんでもいいんで布ありませんほんと? 包帯の巻き方とかよくわかんないので、このままじゃ本当に裸になっちゃうんです」

 

 正直泣きたかった。

 勇者として変態は成敗した方がいいのだろうが、罪もない一般人に手をかけるのは勇者としてどうなのだろうか? そもそもあと数分で罪が生えてきそうな相手だし別にいいんじゃないか? 

 

 そんな思考より先に純粋に怖くて涙が出ていた。リスカの人生において、今まで悪辣で狡猾な相手というのは何体も相手取ってきたが、今にも下半身が露出してしまいそうなのに頬を赤らめながら自分への愛を伝えてくる類の変人とは出会ったことがない。

 

 理解も出来なければ未経験。普通に怖くて泣いた。でも勇者は泣かないから頑張って涙は堪えた。

 

 

「ちょ、待ってよー! ほら、私結構可愛いでしょ? 愛人でもいいから! お願い!」

 

「ごめんなさいごめんなさい多分人違いですからお願いしますもう話しかけないで」

 

「人違いじゃないよ。もうビビッときたんだから。貴方は私の運命の人に間違いなしです」

 

「多分そのビビッとは下半身を露出していることによる寒気だと思うので早急にズボンかスカートか鎧を見つけた方がいいと思いますお願いします付いてこないでください」

 

「え? 着ないでください? やだ、そんな熱烈……」

 

 

 もう誰でもいいので助けてください。

 そう思いながら、リスカは前もろくに見ずに曲がり角を曲がると、何かにぶつかった衝撃が走り、()()()()()()()()()()()

 

 

「む、大丈夫ですか? 前を見て歩かないと危ないですわよ?」

 

 

 誰かにぶつかって、自分の方が負けて尻餅をつくだなんて経験はリスカの人生において1度もなかったため、一瞬何が起きたのか分からずに呆然としてしまい、それから今度は別の事に驚いて立ち上がる気持ちすら失せてしまった。

 

 

 

 ──────それは、ただひたすらに(おお)きかった。

 

 

 

 平均的な女性よりも背の高いリスカですら見上げる必要が出てくるほどの巨躯は、もはや女性どころか人間、生物として最上位の恵体。

 太く強靭ながらも艶やかさを失っていない四肢に巨大な上背を支えるに相応しい筋肉。そして生物として優れているならばこそ、生き物の雌として当然ながら授乳の為の器官すらもあまりに巨大。別にリスカは『彼』がそこまで胸の大きさを気にしないので気にしたことはほとんどなかったし、そもそもこちらも平均より大きいはずなのに敗北感を覚えてしまう圧倒的巨大。

 

 

 

 あと何故かこっちは上半身が裸で胸元に包帯を巻いている変態だった。

 リスカは心中で己のあまりの変態遭遇率を嘆き、静かに泣いた。

 

「……なんでこの人上半身何も着ていないんですかね? そういう趣味の変態の類ですか?」

 

 その言葉をそのままそっくり返してやりたいと、首を傾げている下半身露出魔に出そうになった言葉を飲み込む。

 

「…………もしかして、この後ろの変態に追われて前も見ずに走って逃げていたということですか? 貴方達2人がどのような関係かは存じませんが、人の嫌がることはしてはいけませんわよ?」

 

 じゃあお前はとりあえず服を着てくれと、堂々としている上半身露出魔に出そうになった言葉を飲み込む。

 

「貴方……私のことを変態と言いました!? 私のどこが変態だと!?」

 

 下半身の服を着てないあたりかな。

 

「そちらこそ妾のことを変態と言いましたわね! 妾のどこが変態に見えまして!?」

 

 上半身の服を着てないあたりかな。

 

 

「私の体におかしなところなんてありません! むしろ私はとてつもなく可愛いと思います!」

 

「それを言うなら妾の体にもはしたない部分はありませんわ! 故に全裸でも変態じゃありません!」

 

「…………」

 

「…………」

 

変態(友達)!」

 

友達(変態)!」

 

 どうか惹かれ合うならば自分のいない所で惹かれ合ってくれと、リスカ・カットバーンは何度目かも分からないあまりに大きな溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なるほど。貴方はそちらの女性に一目惚れしてしまったけれど、上手く思いが伝わらないと。そういうことですわね?」

 

「そうなんです。一体どうすればいいと思います?」

 

 寧ろ伝わりすぎて怖くて逃げたのだが、下手にこの2人の会話に首を突っ込むのも嫌なのでリスカは口を噤んだ。逃げようにもこの2人、異常な速度で追跡してくるので、こんな服を着てない姉妹の関係者とも思われたくない故にリスカの取った選択はとりあえず大人しくしていることだった。

 

「なるほど。……妾には貴方に足りないものがわかりましたわ!」

 

「おお……さすがマイフレンド。一体それは?」

 

「自分磨き、ですわ!」

 

 

 布地だよ。

 それ以外にも倫理と常識が足りてないけど、まず布地が足りてないよ。

 

 

「自分磨き……?」

 

「ええ。貴方は確かに可愛らしく、素晴らしい人物だと思いますが。貴方はその魅力を他者に伝える努力をしましたか? 高尚な芸術も、相手に伝わらなければそれはないのと同じ。……どんな思いも、相手に伝えなければそれは存在しないも同じなのですわ」

 

 

 変態の戯言。

 なのにその言葉はほんの少しだけリスカの胸の内の存在しない傷を掘り返す。

 

 

「誰かに好いて貰いたいならば、まずは己の魅力と気持ちを伝える。それでも足りないのならば……もっと自分の魅力を見せつけて、相手が思わず欲しくなってしまうまで見せつける! それだけですわ!」

 

「おぉ……さすがはマイフレンド!」

 

「それでは妾は実は今追われている身なのでここらでさらばですわ! また会いましょう、マイフレンドとその恋人さん!」

 

「誰が恋人だ」

 

 とりあえず1つの変態が去り、残された変態は改めてリスカの方を向いて自己紹介を始めた。

 

「さっきは急に告白してごめんなさい。驚きましたよね。ちょっと貴方が私の好み過ぎて……あ、私はエ……エノレアって言います。改めて言いますと、貴方に一目惚れしまして」

 

 思ったよりも丁寧な自己紹介が飛び出してきて面を喰らいながらも、どうしようかと考える。

 まず告白だが、残念ながらリスカに同性愛の趣味はない。

 

「うん。ごめんなさい。私は同性NGだから」

 

「……そうですか。じゃ、じゃあお茶だけでも!」

 

「…………あのさ、まず言いたいんだけど」

 

 

 何となく、気の迷いだ。

 これだけ迷惑をかけられて、怖い思いをさせられて、本当に嫌なのに。

 

 気持ちが本物であることだけは伝わってくる。そんな自分にはない『勇気』を持っているこの子のその気持ちを無碍にすることは、リスカ・カットバーンには出来ないと思った。

 

 

 

「下、なんでもいいから買ってこない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見繕ってくれてありがとうございますリスカさん。私、もうこの服一生着ます」

 

「そういうのいいから。ほんと、気持ち悪いから……」

 

 とりあえず適当なスカートを買って与えてやったのだが、これがもう腹立つくらいに似合ってしまい、先程までいた変態の姿は消えてなくなりそこに居たのは絶世の美女になっていた。

 

「ところで、なんで街中でスカートと下着を無くしてたの?」

 

「ああ、実は私……えっと、なんて言うんでしたっけ? アレですよ。あの生まれつきの特殊な力」

 

「もしかして『祝福』のこと?」

 

「……はい。それですね。私、『祝福』で好きになったものを溶かしてしまうんです。だから、お気に入りの服とかみんな溶かしてしまって」

 

 生まれつき『祝福』を持つものにとってそれは当たり前の力であり、手足を動かしたり、声を出すのと同じように祝福を自由に扱えるとリスカは聞いていたが、まるで彼女は自分と同じ、あとから祝福を得たような口振りでそう話した。

 

 困ったな。

 さっさと話だけ聞いてどっか行ってしまおうと思っていたのに、ますます離れづらくなってしまった。

 

「実はたまにいるらしいんですよ。生まれつき『祝福』を扱う才能はあったけれど、何らかの理由でそれに気が付かずに生きているヒト。大抵はその才能に気が付かずに生きて死ぬらしいんですけど、私は……運悪く、事故で頭を打った時に発現してしまって。それ以降、まともな生活を送れなくなってしまったんです」

 

「まともな生活、ねぇ……」

 

 もしも自分に『勇者』としての才能がなければ、なんてことを考えた回数なんて、それこそ数え切れない。

 まともに包丁すら握れない、ただ誰かを殺すだけの殺戮人形。それがリスカ・カットバーンに与えられた才能であり、神からの祝福。

 

「……私の祝福は生物に効き目は薄いんですけれど、それが厄介で。一目惚れとかすると、その……先に私の服をそうしたみたいに、相手を……」

 

 それを聞いてゾッとした。もしかしたら、自分もあの変態2人組の仲間入りをさせられていただなんて考えたくもない。特にあのデカい方の変態はなんというか、人間の匂いがしなかった。絶対にアレは狂人かろくでなしの類。同類認定なんて死んでもお断りだ。

 

「でも、貴方にはそれを制御できたんです。だから、それも嬉しくて二重に昂って……改めてすいませんでした。私、普通になれたのかなって嬉しくなっちゃって……」

 

「まぁ、別にそういうことならいいよ。謝らなくて」

 

 縮こまって、まるで自分から世界から消えてしまおうとするエノレアを引き止めるように。

 

「今まで自分の世界になかった、『トクベツ』なモノを見つけたら、そりゃ嬉しくて正気じゃいられないよね。おかしくなるのも仕方ないでしょ」

 

「……えへへ。そうですね。リスカさんはそれくらい、私にとって特別なんです。私が溶かすのを我慢出来たのは初めてなんですから」

 

 

 リスカ・カットバーンに同性の友達なんていなかった。

 いや、リスカ・カットバーンに友達なんてものは一人もいなかった。どんな人間であれ、彼女と同じところに立てると思う人はいなかった。誰もが一歩引いたところから彼女を見る。

 

 恐れたり、敬ったり、誰も彼女を女の子として見なかった。

 

 唯一見てくれた『彼』とは、きっと自分は友達では無いのだとリスカの方が認められない。

 

 

 だから、エノレアという女の子はリスカの初めての女友達だった。

 話していると心が軽くなる。気が合うし、恋バナなんてものもしてしまった。驚くほど楽しい時間が過ぎて、気が付けば日が暮れる寸前になってしまっていた。

 

 

「……もうこんな時間。それじゃあね、エノレア。私は『勇者』だから、また生きて会えるか分からないけれど、またどこかで……エノレア?」

 

「どうしよう。今日だ……今日だった。なんで、私は忘れてたんだろう」

 

 エノレアは空に浮かぶ満月を眺め、震える声で呟いた。

 その顔は青ざめて生気を失い、今にも膝から崩れ落ちてしまうくらいに何かを恐れているのが見て取れる。

 

「エノレア、どうしたの? 体調でも悪いの?」

 

「……リスカさん。この街から逃げてください」

 

「は?」

 

「魔王軍幹部が来ます! この街はきっと、誰も生き残れません! お願いします! 逃げて!」

 

「きゅ、急に何言ってるの? またおかしくなったの?」

 

 仮にもし、彼女の言うことが本当だとしてだ。

 リスカ・カットバーンは魔王を倒すために後天的に祝福を授かった『勇者』だ。ここに魔王軍幹部が現れるのならば、リスカは逃げる理由はない。逃げることは出来ない。それが『勇者』だから。

 

「……勇者。あ、あぁ。なんで、なんで私そんなことも忘れていたんだろう。昔からこうなんです。私、好きな人のことを思うと、全部頭から吹き飛んじゃって……」

 

 

 太陽が沈む。

 誰そ彼と問う曖昧な時間は終わりを告げて、はっきりと闇の時間が訪れる。

 

 

「…………エノレア?」

 

「…………これが私の愛なんです。だから、リスカさん」

 

 

 月のように綺麗な瞳がリスカに向けられる。

 心を融かす夢魔の笑みが向けられる。それは遊戯の始まりの合図。噂に聞いた、地獄の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私の愛を、受け融めて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 理性よりも先に本能で飛び退いたリスカ。

 その背後の建物が文字通り()()()()()

 

 この攻撃は知っている。直接見た訳では無いが、勇者として知らないわけが無い。

 一夜にして街を融かし滅ぼす厄災の名前。

 

 

 

 

 

「魔王軍幹部、『視殺』の異名()を賜りし我が名はエウレア。さぁ、今夜も楽しい時間にしましょう? 勇者様♡」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・従者くん
いつも女口説いてる。

・エオスちゃん
祝福持ち。なんでもバラバラにできるらしい。


・上裸の変態
職場に退職願出しに行った帰りに襲撃されて防具を失った。本人は無傷。

・エノレア
本名、エウレア。魔王軍幹部の1人。

・リスカ・カットバーン
魔王の対の概念、『勇者』の1人。





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回想/花嫁亡き 前

 

 リスカ・カットバーンはすぐに状況を俯瞰する。

 街の至る所で悲鳴が聞こえ始めている。恐らくはエノレア……いや、魔王軍幹部、エウレアの部下が行動を始めたのだろう。どのような手段で街の外にあるはずの結界を通り抜けてきたのかは分からないが、今必要なのはそんなことではない。

 

「……溶けている?」

 

 エウレアの視線の先、そこにあった建物は温められた氷のように原型を保てずに崩れ、液体のようになっていた。

 

「どーこーに、隠れてるんですか勇者さーん。早く出てきてくださいなー」

 

 怒り、悲しみ、そういった感情で混乱していた脳が冷えていくのを感じて取れた。今もこうして戸惑ってる自分がいるのに、それでもなお剣を振るうのに最高のコンディションを生み出す体に嫌気がさす。

 

 魔王軍幹部、視殺のエウレア。確認されている被害規模では最悪の魔族と名高い『灼熱大公』に次ぐとされている魔族。彼と違いその行動範囲、行動基準は予測困難であり厄介さで言えば彼以上とも言われている。

 

「出てこないならこの街の人間みーんな殺しちゃいますよ? まぁ、出てきても殺すんですけどね」

 

 ……エノレアの笑顔が一瞬だけ脳裏を過ぎる。

 魔族が人を騙すのが得意技であることは知っている。ふぅ、と浅く息を吐いて思考を切り替える。

 

 そうだ。お前は勇者だろうリスカ・カットバーン。

 勇気ある者、魔王を討つ者。その名に相応しい人間になるために、彼の隣を胸を張って歩ける自分になる為に。魔王軍幹部は確実に殺さなければならない。

 

 

「……あ〜、やっと出てきてくれた。やっぱ『勇者』はみんな凄いよね。私の前に堂々と出てこれるなんて」

 

「…………」

 

 

 もう言葉は交わさない。相手の口から出る言葉の全ては自分を惑わすためのでまかせだ。一挙一動全てに神経を集中させて出方を伺う。『祝福』/『異能』を持つもの同士の戦いは一撃が致命傷になりうる。特にリスカの『切断』のような力ならば尚更だ。

 

 だからリスカは相手を見つめた。それと同じようにエウレアもリスカを見つめた。月のような瞳で、夜を映すようにリスカを見つめた。

 

 

 

 それで()()()()()()()()()

 

 

 

 肌にほんの少し、焼け付くような()()

 普通に生きている限り、この程度の痛みは気の所為と切り捨ててしまうだろうが、誰よりも痛みに臆病で、誰よりも痛みから遠い祝福を持つ彼女はそれが孕む危険を感じ取った。

 

 

「──────融愁暗恨(マリィクス・マリアージュ)

 

 

 再びリスカが物陰に飛び込むのと、その力の名が呟かれて現実を食い荒らしたのはほぼ同時だった。

 

 今度はリスカの背後にあった建物だけなんてレベルではない。建物は弾け飛び、さらにその先にいた人間も融け落ち、形のない結界も融けて液体に成り果てる。

 建物は建物のまま、人は人のまま、結界は結界のままただの液体に成り下がる。声も出せない体に成り果てた人の体が少しづつ地面に染み込んで消えていく。

 

「……ははっ、何よこれ……。馬鹿なんじゃないの?」

 

 噂には聞いていた。

 そりゃ、これと同格の相手が自分の故郷をただ近くを通っただけで焼け野原に変えてしまったわけだし、情報収集だって人並みにしていた。だから魔王軍幹部は恐ろしいものだと、リスカだって理解していた。

 

 そしていざ戦ってみてわかったことは1つ。魔王軍幹部は恐ろしいとかバケモノとか、そういう次元の存在じゃない。

 

 

 アレは例えるなら()()()

 生命1つが保有することを許される力を超えて内包し、この世の理に真っ向から反する人類種を滅ぼす為の災害そのもの。『祝福』なんて言う神様から与えられた奇跡がなければ到底勝てるはずがないと、あったとしても敵うものでないと、本能が警鐘を鳴らしている。

 

 融け落ちた人間と目が合った。もう人と呼べない液体になったそれは、体のあらゆる物質の色だけを抽出して混ぜたグロテスクな絵の具のような液体であり、それなのに生きている。嘔吐しなかったことが奇跡な程にそれは恐ろしかった。

 

「……あはっ、勇者様ったらひどーい♡貴方が私の攻撃を避けちゃったから、余計な人が融けちゃった。あの人達もう治らないよ?」

 

「自分のやったことでしょ。私に責任押し付けないでよ」

 

 あぁ、本当にその通りだ。

 ここで誰が死のうと、誰が殺そうと本当なら関係ないのだ。そんな知らない命のやり取りなんて、自分が背負えるもののはずがないのに。

 

 

 

 

『でもお前(■■■)は勇者だろう』

 

 

 

 

 そうだ。私は勇者だ。勇者でなければ、いけないんだ。

 だって勇者に選ばれたんだから。

 

 

 

「ッ、勇敢──────」

 

 

 

 決意から須臾。

 既に決断は済ませた勇者の体は魔族の首目掛けて一息で駆ける。

 

 既に二度、相手の『異能』を目にしたリスカは大方の予想はついていた。発動条件は『視認』、効果は『融かす』。

 だがリスカ・カットバーンの『切断』は彼女の肉体が斬れることを許さない。恐ろしい力ではあるが、最初の一撃だけならばほぼ確実に相手の異能は無効化できる。

 だから、相手がこちらの『祝福』に気がつく前に首を叩き落とす。一撃で確実に殺す。見るだけで相手を殺すことが出来るなんて異能、そんなものを持って油断が生まれないわけが無い。

 

 どんな存在であれ、強大な力を持てば僅かに油断が生まれる。

 

「ですが、ざんねーん♡私は魔王軍の幹部なんですよ」

 

 エウレアはどこからとも無く取り出した短刀を構え、リスカと切り結ぶ。

 だが所詮は短刀。そしてリスカ・カットバーンの『切断』がある以上は切り結ぶだなんて現象は起きない。あらゆる物質は彼女が斬れると思えば斬れてしまう。

 

 

 だからこそ『斬れない』と思ったものは斬れない。

 短刀が突いてきたのは剣の側面。刃のない部分では当然ながらモノは斬れない。最低限の衝撃で剣筋を逸らされたリスカは、凶眼の前で僅かな隙を晒してしまう。

 

「すぐにわかったよ。アンタが最近噂の『切断』の勇者で、その『祝福』もね。大層な思い込みですよね。でもね、甘いんですよ」

 

 月の瞳が狙いを定める。肌に焼け付くような痛みが走りソレは発動する。

 

 

「私は既に一度敗北している。だからどんなものでも視てから殺せる。──────貴方に勝ち目はないよ」

 

 

 

 そんな偉そうな説教、私に言われても困ると、悪態を飲み込んでリスカは全力で逃げる。とにかく視界を遮ることだけを考えて筋肉も関節も可動域を無視して飛び退く。

 剣が振られてから反応できる反射神経と、視認発動の異能。下手に飛び込んで勝てるような相手ではない。策を練って一撃で確実に殺さなければ。

 

 剣を確認しようとしたが、当然ではあるが刃の部分が融けて使い物にならなくなっている。そしてそれを握っていた右手もほんの少しであるが液体化していて上手く力が入らない。

 

「……くそっ、本当にバケモノ」

 

 そして、僅かに融けて液体になっている右手。

 まだかろうじて剣は握れるが、最悪なことに『切断』では相手の異能を防げないことが確かになってしまった。

 いや、もしかしたら発動しているからこそ、この程度で済んでいるのかもしれない。建物を一瞬で液体に変える異能をまともに受けたならば、本来なら既に地面の染みに変えられていただろう。

 

 ……氷が溶ける仕組みを知らないほどリスカは無知ではない。だからこそ、相手の能力が融かすことならば防げると思っていたがどうやら読みは外れたらしい。

 間合いの差は圧倒的。斬れる距離に近づかなければ斬れない自分と、目で見えるものならなんでも融かす相手。加えて接近すれば勝てるという訳ではなく、斬り合いならともかく躱すことに関しては向こうが一枚上手だろう。

 

「……一応、試してみるか」

 

 飛ぶ斬撃、というものがある。正確に言えば剣で上手く空気を切って押し出し、それを自分の『刃』だと認識することで形を与えて遠方、大質量のものを切断する技。剣は溶かされてしまったので、溶けかけの右手を構えて、大雑把に相手の位置を考えてから、思いっきり振る。

 

 

 ゾンッ、と。

 空気がすり減るような音が聞こえるからこの音は苦手だ。鎌鼬のように巻き起こる突風が刃となり、視界上の全てを切断しながら的に迫る──────が。

 

 

「ノンノン。見えてるなら光でも遅すぎます。特に、大好きな人の剣筋は見逃しませんよ」

 

 

 目に見えない空気ならまだしも。

 リスカが刃という形を与え、『切断』の概念を付与してしまったそれではエウレアに届かない。液化した風が地面にぶちまけられてそれで終わり。そしてついでにこちらはまた姿を捉えられるという訳だ。

 

「クッ……ソッ!」

 

「ぴょんぴょんぴょんぴょん、兎さんですかァ? いやぁ、兎さんはこんなにぴょんぴょん逃げ回る前に狩られちゃいますね。じゃあ貴方は捕らえても旨味のないカエルさんです! それなら無視されて生き残れるのも納得ですからね!」

 

 何がおかしいのかケラケラと笑うエウレアを無視して身を隠し思考を再開。そして一つの気付きを得る。

 

 融けていない。

 確かに姿を見られたのに、融けていない。間違いなく相手は異能を発動させていた。だって焼け付くような痛みがあったからだ。

 どうやら無駄撃ちかと思われた一撃も意味があったらしい。相手の異能は確かに視認で発動するが、『視認』故の弱点もあるらしい。

 

 距離か、それとも像か。

 視ることが条件ならば距離は関係ないと考えるのが妥当だろう。だって視線に速度はない。目とは光を受け取る器官であり、目が何かを発することで視界というものが生まれる訳では無いのだから。

 となれば相手の能力の鍵は──────像だ。はっきりとした『像』を視ることが効果を発揮する条件。融かす対象を定めなければ上手く力を発揮することが出来ないのだろう。

 

 それでも厄介なことに変わりはない。だいたい、はっきり視ることが条件なら尚更近づけない。夜の闇、遮蔽物、距離の三条件が揃ってようやく回避できるというのに、殺すためにはその内の二つの条件を自ら捨てる事に他ならない。つまり死ねということ。

 

 

「あぁ、やってやる。やってやるわよ!」

 

 

 そもそもの話。

 リスカ・カットバーンなんて女の子はもうとっくに死んでいる。ならば恐れるものは何も無い。勇者でなければ生きられない。ならば選択は死ぬか、死ぬか。一か八か、自分が液体になるのと相手の首を叩き落すかどちらが速いかの勝負。

 

 意識をエウレアの足音にだけ集中させる。相手を限界まで接近させ、懐に飛び込んで斬る。作戦はシンプル。それに全てを賭けることだけが勝機。暴力を相手にするならばこちらもシンプルな暴力で相対するのみだ。

 

 さぁこい災害野郎。華麗に其の首叩き落としてやる。

 

 

 

「んー、やめた! 先に他の子達で遊ぼっと!」

 

 

 

 足音が遠ざかる。

 

「……は?」

 

 演技かと思った。だが違う。あの魔族、急に標的を変えやがった。自分から、勇者1人から当初の目的に切り替えた。都市堕としのエウレア、一晩で都市を消してしまう本物の災害。

 なんて愚かだったんだろう。ヤツの注意を引き付けることこそが勇者の役目だった。逃げる時間を稼ぐことが勇者の役目だった。

 

 

「こっち向けテメェェェェェェェェ!!!」

 

 

 その叫びはあまりに遅かった。既にエウレアは跳ねていた。月夜に舞う花のように、その美しい体は街を見下ろしていた。

 

 先程、リスカはエウレアの異能は相手をはっきりと視ることで効果が上昇すると考えていた。だがそれはあくまで効果が上がるだけ。何も知らず逃げ惑う人々、動くことも出来ず佇む建造物達。

 

 一体彼らのどれだけが空から自分達を見下ろす月の光が致死の毒になると想像できるだろう。

 一体想像出来た者達の中に、そんな状況を覆せる者がいるのだろうか。

 

 

 既に何をしても遅すぎると判断したリスカは滑り込むように屋内に避難して、それから床を切り裂いて地面に潜る。そして、これから起きる自分の判断ミスの末路から目を背けるように感覚を閉ざす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄が生まれた。

 ゆっくりと、だが確実に全てが融け始めた。建物が重さをそのままに融けて蝋の津波みたく人を飲み込んで轢き潰す。運良く、運悪くそれで死ねなかった人達は今度はゆっくりと生きたまま融けていく。至近距離で視られていれば一瞬で融けて思考能力も消えていたかもしれないが、エウレアの瞳は遥か上空。虫みたいに小さく映る人1人を融かすのには、それこそ食虫植物が虫を融かすみたくゆっくりと、生まれたことを後悔させるようにしか融かせない。

 

 

 魔術を併用した跳躍。その時間は数秒、或いは数分だったかもしれない。だが、たったそれだけの時間で何十年何百年とかけて築かれた都市と人間の営みは全てが液体になって融け落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 阿鼻叫喚から離れた場所で、リスカはそれを聞いていた。

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 

 その言葉は悔恨から来るものでは無い。だって、正直言ってしまえばリスカにとって知らない人の生き死になんでどうでもいいのだ。だからこそ、彼女は許しを乞う。

 

 

「助けられなくてごめんなさい、私のせいでこんなことになってごめんなさい、でも、でも、アイツさえ殺せば、私の事をまだ勇者って認めてください。お願いします……」

 

 

 それは誰かに向けたものでは無い自己暗示。魂の抜け落ちた屍肉(にくたい)に動く理由を吹き込む儀式。

 お前は最強の勇者だと。強くてかっこよくて、みんなを守れる勇者だと。

 

 彼の傍に立てないワタシを捨てたように。

 貴方の隣に立てる私を作ったように。

 

 

 今までの自分を捨てて、リスカ・カットバーンはまた一つ勇者になる。

 脳裏に過ったエノレアという女の子との会話、その笑顔を斬り捨てて、魔王討伐機構は完成に近づいた。

 

 

 

 

「さーて、やること終わったし勇者さーん? 街一つ守れないダメダメ勇者さんは何処かなぁ?」

 

 

 あぁ、今出てきてやる。お望み通り、街一つ守れない愚かな勇者が出てきてやろう。そんな大層な役割がこなせるわけが無い村娘が出てきてやるよ。

 なんにもない私が、勇者になる為に出てきてやる。そしてお前を殺してやると。

 

 

 

 

 

「へーい! そこの魔王軍幹部さーん! こっち向いてくださーい!」

 

 

 

 

 

 張り詰めた空気を切り裂く、気の抜けるような大声。

 そうして続くようにエウレアの足元に投げつけられた幾つかの肉塊。ぐちゃぐちゃに折り曲げられ、ひしゃげて潰されているそれがなんなのか、遠方に身を潜めるリスカには認識出来なかったが足元に投げつけられたエウレアは初めてその顔に張り付いていた楽しげな雰囲気を削ぎ落とした。

 

「…………レーマ、エステル、グレーテ」

 

 人名のような響き。魔族がお互いを呼称する為に呼び合う名前を肉塊に呼びかける。そうしてエウレアははるか遠方。街の周囲を取り囲み、以前までは結界の役割もあった外壁の上に立つ人影を睨みつける。

 

 

「プレゼントは気に入っていただけたようで結構! それじゃ……妾からの本命、受け取ってくださいね!」

 

 

 人影は片手で巨大な建築物を持ち上げていた。明らかに人間の筋力を逸脱、魔力による強化を踏まえても信じられないパワーを発揮しつつ、エウレアに向けてそれを投擲──────否、射出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん、何やらとんでもない気配」

 

 意識を休眠状態に切り替えていた魔術師は目を覚ます。

 どうやら近くの街で1体の魔族と2人の人間が戦闘を行っている様子。特に人間の方はどちらも若い個体なのに恐るべき力を秘めている。魔術の才能もかなり感じられる。

 

 魔術師が『彼』を見失ってからしばらく。自分が見失うなんて有り得ないので、探すだけ無駄だし彼のことだからその内ひょっこり反応を取り戻すだろうと眠っていたらこれだから人間は面白い。近くに行って観察をしようと翼を展開しようとした時、魔術師は気が付いた。

 

 

「──────あの馬鹿弟子! 嘘でしょ、あー、もう馬鹿!」

 

 

 災害の中心。台風の目にして生存確率マイナスの極点。只人が近づいてはいけない祝福と異能の混ざり合う地点へと走っていく。

 

 久方振りに感じた彼の反応がそれなのだから、魔術師は嬉しさ7割呆れ3割で飛び出した。そうだ、彼ならば当然こんな状況身を投じるに決まっている。

 

 

 でも今回は駄目だ。

 自称であろうと師匠である以上、それだけは認められない。

 

 彼を死ぬ程追い詰めることはあっても、確実な死に飛び込むことだけは師匠として見過ごす訳にはいかないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 







・リスカ・カットバーン
最初の覚醒。勇者としての関門。勇者とは孤高であり、隣に立つ者は必要ないと気が付けていない蛹の少女。


・変態3
サクッとエウレアの配下をぶち殺してついでに魔王軍幹部に喧嘩売りに来た変態。奪った『移動』を巨大な物質に渡しながら投擲することで超速殺人シュートを可能とする。街は壊れる。







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回想/花嫁亡き 中

 

 

 

 

 

 

 大好きだった。

 貴方の髪の毛も、瞳も、指も、血液も、何もかも。目に入れても痛くないくらい、私は貴方を愛していた。

 

 私が魔物であることも、貴方が人間であることも些細な問題。私達はそういうことを乗り越えて、この愛という感情を噛み締めることが出来るのだと私は本気で信じていた。

 生まれて初めて人間に対する愛情が食欲を勝った。本能が彼を殺して得られるエネルギーよりも、彼と共に過ごすことで得られる心の安らぎを選んだ。

 なんて偶然、なんて奇跡。神様がこの世界にいるのだとしたら感謝しなければならない。

 

 

 それが私の春だった。

 それが私の最後の黄昏。その先にあるのは、夜の暗闇。

 

 

 どんなに眩しい太陽もいつかは沈んでしまうのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫の雨。いや、この質量と速度はもう雨と言うよりは砲弾か。人間の投擲能力の限界に挑むかのようなそれをエウレアは真正面から雑に腕を振るって受け止める。

 

「あのクソアマ……もう少し周囲への被害とか……ッ」

 

 エウレアはギロンという女をよく知らない。人間でありながら魔王軍に協力しているクソ野郎であり、魔王様に気に入られて幹部になった気に入らない奴であり、あろうことか魔王様を裏切ってもう一度人間側についた尻軽女だということしか知らない。

 

 だが、ここに来て質量による攻撃を繰り出してきた理由は何となく察した。

 あの女、どうしようも無くなるまで息を潜めていた。エウレアの異能によって融かされた物質は元には戻らない。氷とかくらいなら固めれば戻るかもしれないが、生き物はどうにもならない。

 

 だからこそ、もうどうにもなくなって見捨てるしかないと、無意識にでも邪魔になる要素が完全に無くなるまでタイミングを図ってやがった。

 

「さすがは裏切り者。最低なご考えですね!」

 

 瓦礫を目視して異能を発動する。瓦礫の雨は本物の雨に切り替わり、エウレアの体を傷つけることなく湿り気と光の反射がその美しさを際立たせるだけ。

 

 

 その光景を見ながらリスカ・カットバーンはさらに戦術を組み立てる。

 なんだか分からないが、この状況で知らない誰かの攻撃はこちらにプラスしかない。エウレアの能力は『視覚』に頼る以上、最も情報量の多い視覚は意識に引っ張られる。自分へ向いていた意識が少しでも他に向けば、その能力の脅威度は下がる。

 

 加えて、『切断』を有する自分にとって瓦礫の雨は意識を向ける必要すらない。ただの石の破片なぞ、勇者を傷つける要素にすらならない。

 

 

『だとか思って、突撃したらダメですわよ? 相手は格上。一手ミスればスライム確定、ですからね』

 

 

 踏み出そうとした足が背後からの声で止まる。振り返るとそこには、先程撒き散らされた瓦礫に紛れて一つの綺麗な水晶玉が転がり込んでいた。恐らく声の主は瓦礫の投擲者。壊れていないところを見るに魔術を用いた頑丈な通信機の類だろうと判断できる。

 

『はじめまして知らない人。時間もありませんから端的に言いますが妾、あのエウレアという女を倒したいんですわ。利害が一致してそうなので貴方に声をかけました。……協力してくれます?』

 

「わかった。何をすればいい」

 

『……もうちょっと疑いとかあると思いましたけれど、話が早いのは助かりますわ。エウレアの異能はこちらも大体把握済み。距離、と言うよりは視認対象の像の鮮明さが発動のキーになっているのでしょう。近接戦は不利ですわ』

 

「だからと言って、近接戦以外で勝ち目はない」

 

 瓦礫の雨を徒手空拳と視線だけでくぐり抜けながら、確実にどこかに潜むこちらを警戒しているその様子に隙というものは存在しない。一歩でも姿を見せて踏み込めば、その瞬間に地面の染みに変えられる可能性だってある。

 

『ええ。だから隙を作らなきゃ届かない。隙を作るだけじゃ一手足りない』

 

「隙を作り、接近する手段か相手の『異能』をやり過ごす手段を考える」

 

『そういうこと。なので、その手段を貴方に依頼しますわ』

 

「はぁ!? アンタが持ってるんじゃないの!?」

 

『思いつくなら一人でやってますわよ。色々あって、妾は夫を惚れさせる為に魔王軍を倒さなければならないので手段は選んでられませんわ』

 

 一体どこの世界に魔王軍幹部なんて言う災害を倒さないと惚れてくれない最低な男が存在するのか気になるが、今はそれどころではない。

 そもそも、彼女が遠方から投擲で注意を引いてくれているからこそこうして考える時間があるのだ。ならば、彼女の言う通り作戦立案は自分が行うべきだろう。だからと言ってポンっと解決策が出てくるほど便利な頭をリスカは持っていない。

 

『早めにお願いしますわよ。全身を黒布で覆い、魔術で輪郭をぼやかして距離を取っても恐らく妾がまともにエウレアに攻撃を出来る時間は長くて3分。それ以上はこちらの肉体が保たないと判断して撤退させていただきますわ』

 

 急かされることに苛立ちを覚えながらも、あのエウレア相手にそれだけの時間を稼いでくれる時点で頭が上がらない。逆に言えばそれだけ対策をしても3分だけしかその前に立つことが出来ないなんて、本当にアレは自然現象とかそういうのに近い敵だ。

 

 

「……ギロン。近づいてこないの? こんな適当な攻撃で私を殺せるとでも? それとも……勇者ちゃんと結託して何か策でも練ってるのかな?」

 

『アイツ勘が良いですわね! 急いでくださる!?』

 

「わかったから! 黙って岩投げてろバリスタ人間……ッ!」

 

 

 何か、今の会話の中でリスカ・カットバーンの脳に何かが降りてきた。

 

 

「アンタ、祝福の詳細は!?」

 

『ちょ、流石にいきなり言えるほど安い情報じゃ……』

 

「私の祝福は『切断』。私が斬れると認識した物質を硬度や状態に関係なく切断する。概念や形のないモノでも私が斬れると思えば斬れる。応用として、自身の肉体を斬れないと仮定した防御があるけどそれはエウレアに無効化された!」

 

『……ああもう! 妾の祝福は物質の『移動』を触れて吸収する祝福。今投擲に使ってるのは応用の吸収した『移動』を他の物質に与える加速ですわ! これは自分にも使えます!』

 

 予想通り過ぎて口角が吊り上がる。パーツは揃っている。あとは一か八か、こちらの知恵が勝つか災害の脅威が勝つかのどちらかだ。

 

「作戦、出来た!」

 

『嘘ォ!? え、マジで!? クッソ早いですわね!』

 

「どうせ失敗したら私は死ぬ。だから、やるなら今しかない」

 

『妾が言うのもあれかもですけど、死んだら終わりですわよ? 命はもっと大切にした方がいいかと』

 

 大切にするべき命ならばあの日故郷と共に燃え尽きた。

 ここに在るのは勇者である自分だけ。ならばここで負けても死んでもどのみち残るのは死した体。選択肢なんて初めから残されていない。

 

『…………はっきり言いますけど、妾は命を粗末にするやつは嫌いですわ。でも、根性のあるやつは好きですわ!』

 

「アンタに好かれても嬉しくないけどね。参考までに私はどっちかな?」

 

『結果で語ってもらいますわよ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降り注ぐ瓦礫に対処しながら、遥か遠方の敵を睨みつける。

 自身の足場である壁を蹴り崩しながら、その瓦礫をぶん投げてくるその影はこちらの異能を知っていたのか、予測をつけたのか。非常に視認性が悪いしついでに恐らく『裏切り者』だ。

 いくら惚れっぽいエウレアでも裏切り者まで好きにはなれない。効果がほんの少しだけ効きづらくなるが、それも時間の問題。

 

 

「……うるさいなぁ。わかってるよ」

 

 

 頭の中でうるさい声に文句を漏らす。

 エウレアは昼と夜で人格の切り替わる二重人格。昼の彼女は肉体的にもほぼ人間に近く、思考回路も善よりの存在。夜の彼女は魔族の中でも指折りの戦闘能力と、昼の彼女が好むものこそを優先的に捕食する大食らい。

 

 つまりそれは彼女の戦闘のタイムリミットを示している。

 夜が開ける前に全てを終わらせなければならない。そんなこと、昼の臆病な女に言われなくたってわかっている。

 

「だからアンタはいつも通り、そこで大好きなものが融けるのを見ていればいいの」

 

 それっきり、頭の中の声は何も言わなくなる。どうせ何も出来ないからと諦めたのだろう。飛んできた一際大きな瓦礫を蹴り砕きながら、周囲の状況を整理する。

 まず、はっきりとした位置は分からないが物陰に隠れているのが近接戦を得意とする勇者、そして遠方から投石で攻撃してくるのが魔王軍幹部の裏切り者ギロン。ギロンの祝福は触れた相手の動きを止めるモノだと聞いていたので、この投石は本人の膂力によるものだろうか。だとしたらこんな速度で巨大な瓦礫を投げてくるとかちょっと人間をやめている気がしなくもない。いや、だいぶやめてるな。魔力による強化を踏まえても質量と速度がなにかおかしい。

 

「で、いつまで続けるのギロン? いい加減音がうるさいからやめて欲しいんだけど」

 

 聞こえてはいないだろうが、そう呟きつつ周辺への警戒にほぼ全力を注ぎ込む。遠方からの投擲では自分の体は傷もつかない。直撃してもせいぜい骨にヒビが入る程度で済むだろう。

 相手もそれをわかっているからこそ、本命はリスカだ。あの子が持つ祝福は恐らく無条件に物質を切断する。改めて接近された時のことを思い返すと吐き出しそうになる。

 

 アレはダメだ。運良く一撃を逸らすことが出来たが、次はない。踏み込まれれば防御ごと首を落とされる。切る瞬間に限ればあの女はこの世界のどんなものよりも()()()()

 

 

 そんなことを考えていると、遠方からの投擲が止んだ。ギロンの姿も見えないが、こちらに接近している気配はない。

 

 

「なるほど。それじゃあ……愛し合いましょう、勇者様!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 物陰から飛び出すと同時にエウレアに向けてガラス片を投げつける。

 十分に尖ったこれくらいの物質ならば何とか『刃』としての認識を乗せられる。当たれば無条件に皮膚を食い破り骨を穿つ凶弾。だがそれはあまりに軌道が単純。エウレアの反射神経ならば来るとわかっていれば避けるのは容易いどころか『反撃』まで来る。

 

「……まさか、こんなつまらない賭けで死ぬなんて。貴方のこと、少しだけ嫌いになっちゃいました」

 

 ガラス片は空を切った。反撃に待ち構えるのは致死の瞳。その両目がこちらを睨みつけた瞬間に手足にジリジリと焼かれるような痛みが走る。

 

 

 

 

 なるほど。

 お前の瞳は私の手足を見ているのか。

 カチリ、と脳が切り替わる。現実から虚空を見るためのチャンネルへ。勇者はこの世のありとあらゆるモノを『切断』する。

 

 勇者リスカ・カットバーンは傲慢にも世界の法則をその目に映す。

 たとえ災害であろうともそれがこの世に生まれたものならばそれには法則がある。あらゆるものを融かそうとも、それを無条件に行うことは許されない。

 

 だからほら、見えてくるのはエウレアの『視線』。黄金の光糸のように表されたそれは手足に絡みついてその形を解こうとしてくる。

 ならばと、一か八かの賭けに踏みでた勇者は手刀を振るう。まずは左手に絡みついた視線、続いて両足。最後に右手の順番で黄金の糸を断ち切る。そうしてるうちに体は再び物陰に転がり込んだ。

 

「──────ッァ! ハァッ、ァッ」

 

 正しく生きた心地のしない瞬間。黄金の糸に絡みつかれることは死を意味している中で、融けずに感覚のある左手と両足に、間に合わずにまた融かされていよいよ感覚のなくなってきた右手を見て、荒い呼吸は一度安堵の溜息に切り替わる。

 

「なんだ……アンタの愛ってのは案外脆いのね! まぁ所詮魔族の尻軽女の愛情なんてこんなものか!」

 

「……ごちゃごちゃうるせぇんですよ。土竜みてぇに出ては隠れて繰り返してる身分で偉そうなこと言いてぇならツラ見せて言ってくださいよ説得力がねぇ」

 

 エウレアからしても手応えがなかったのはわかったらしく声には明らかな苛立ちが籠っている。適当に吐いた挑発のセリフも案外聞いたらしく、1秒前まで隠れていた物陰が湖にされている。

 

「じゃあ、お望み通り出てきてやるからその直ぐに目移りしちゃうお目目で捉えてみろよ」

 

「上等。せいぜい面白く踊ってくださいね勇者様?」

 

 飛び出すと同時に今度は全身に黄金の糸は絡みつく。間違いなく待ち伏せしていたこのタイミングだが、既に目線を『斬る』ことが出来るものと認識したリスカは怯まない。否、怯めば死ぬ以上怯むことは勇者には許されない。

 決して犯せぬ鋼の刃がその肉体。捻り、折り曲げ、関節と筋肉を最大限に活かして()()()()()()()()()()()。斬られた視線は霧散し、リスカの周囲を融かしながらもその肉体を融かしきることは叶わない。

 

「ちょこまかちょこまか、それで事態が好転すると思ってるんですか?」

 

 だが、糸が視線である以上は一瞬斬ろうがすぐに向け直されれば絡み付いてくる。エウレアの言う通りこれを続けても事態は好転しない。それどころか悪化していくだろう。

 ガラス片だって投げても投げてもエウレアに当たる気配はない。どれだけ希望的な見方をしてもこれで力尽きるのは確実にリスカが先であろう。

 

「あとどれくらいかかる?」

 

『ああもう焦らせないでくださいます!? あんな無茶苦茶を言っておいて。出来たらこちらから言いますから気にしないでどうにか注意を引きつつ生き延びてくださいよ!』

 

 エウレアもリスカも、これが勝負を決めることになるなんて思ってはいない。

 本命はもう一人。裏で何かをこそこそと行っているギロン。エウレアの目標はこちらに切り替わり、リスカの目標はエウレアを1秒でも長くこの場に留めること。当たらないとはいえ、もし当たればどれだけの防御も無視される以上リスカの攻撃には常に一定の注意力が削がれる。

 

 

 一つ、問題があるとすればだ。

 

 

 エウレアの異能は多少のタイムラグが存在するとはいえ基本的に『視る』だけで発動する。

 対するリスカはそれを防ぐ為には視線を確認し、斬るという後手に回る2つの作業を強いられる。しかもそれは全身に纏わり付く蜘蛛の巣をはらうかのような作業。

 脳が焼けるように熱い。緊張で首が絞められたかのように苦しい。汗が際限なく溢れてくる。一手でも誤れば身体が融け落ちる。溶岩よりも恐ろしい死の糸が際限なく絡み付いてくるその光景は見ているだけで気が狂ってしまいそうだった。

 

 時間を稼ぐ為に死の領域に飛び出して、死に搦め取られかけながらまた隠れて、飛び出してを繰り返す。既に融けかけていた右手はいつの間にかほとんど力が入らなくなり、胴体は内臓に届いてないことを除けばほとんど死に体のようなもの。下手に動けば融けかけの肉が剥がれて骨が見えてしまいそうだった。

 それでもあと1秒、もう1秒。その1秒後に協力者が準備完了の合図をしてくれることを祈りながら死出の旅を繰り返す。

 

 

 

「…………あ」

 

 

 

 失敗した。

 いや、失敗ではなく相手が上手だった。かくんと、踏み込んだはずの足が取られて膝から力が抜ける。先程まで硬い石畳だったはずの地面は、エウレアの目線を受けて沼のようにリスカの足を飲み込んだ。

 

「ジャックポット。私の勝ちよ」

 

 さすがに地面全体を融かせば気が付く。だからエウレアはほんの少し、リスカの足の大きさ程度の部分だけを融かして、そこにリスカが足を運ぶように予測し、上手く誘導し、そして運に賭けて勝負に勝った。ただそれだけ。

 勇者である彼女に落ち度はなく、敵は彼女の予想より強かった。その結果として勇者が命を落とすのは仕方の無いことだ。向けられる視線を避けるべく足に力を込めるも、ほんの少しのぬかるみ、ほんの少しの遅れがあまりに致命的。どうしようもなく注がれるエウレアの愛を受け、融ける以外の選択は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから、この場に『彼』が駆けつけるのは必然だった。

 

 だって、『彼』はずっと勇者の背中を追っていた。勇者と呼ばれている女の子が、本当は臆病で少し抜けているところがあって、それでも頑張れる普通の強い女の子であることを知っていた。知っていたからこそ、『彼』は彼女に嫉妬していた。知っていたからこそ、追いかけた。

 

 言葉にしない気持ちは一言も伝わらないまま、運命は収束する。

 

 

 

「──────リスカッ!」

 

 

 

 祝福も異能もない『彼』がここまで来れたのは偶然だった。

 たまたま誰かからの忠告を思い出して街を避けて通ろうとしたこと。それでも何か異常を察知して駆け出して、結果的にエウレアの街全体への攻撃が終わってから街に入ったこと。エウレアから見れば取るに足らない、警戒に値しない程度の強さでしか無かったこと。

 

 その程度の人間が何人いようが大局は変わらない。そんな木っ端程度のはずの存在が『勇者』である彼女の名前を叫んだ。その事実にほんの少しだけ、エウレアは驚いた。

 

 この弱そうな人間がリスカの策なのか? 

 いや、どう見てもただの弱い人間だ。

 でも、もしかしたら。

 

 有利な立場であってもエウレアとて余裕がある訳では無い。気を抜けば首を断たれていてもおかしくない。だからこそ素早く的確に判断をした。

 

 

 一瞬だけリスカから意識を外して、こちらに飛び込んできた人間の男の頭部を裏拳で殴り抜いた。

 拳には頭と首の骨を折った感触が伝わり、人間の青年はそれで壁に叩きつけられて頭から血を流し、数度痙攣したあと動かなくなった。

 

 そんな一瞬の隙に、リスカの方には逃げられてしまったけれどエウレアは不確定要素を消せた安心感からそれを仕方ないと割り切って、再び索敵に全神経を集中させ始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんで、あいつなんで、うそ、やだやだやだやだやだやだ。だって、わたし、なんで」

 

 物陰に息を潜めながら、リスカは己の右手にガラス片を突き立てた。何かの見間違い。こんなところに彼が居るはずない、これはなにかの夢だとどうにかしてほんの少し前に目に映った光景を否定しようとして、そうすればするほどそれが現実であると。

 

 

『勇者のくせに誰も守れないと』

 

 

 声が煩いくらいに頭に響いて

 

 

『お前なんか勇者に相応しくないと』

 

 

 

 大切な何かが、断ち切られていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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回想/花嫁亡き 後





本当はここまでの3話は1話で終わると思ってた。
普通に無理だった。己の浅はかさを痛感しました。次回からは最初から無理なことに挑まない努力をします。






 

 

 

 

 

 

 

 この世界には上限がある。『祝福』/『異能』を持って生まれる生命体は必ず欠陥が付いてくる。持てる力の上限を越えないように、力の代わりに幸せを削られる。

 

 ベルティオは抱きしめてくれる誰かが欲しかった。だから彼は抱きしめる者を無に帰す白手を授かった。

 グレイリアは誰かと仲良くしたかった。だから彼の価値観は魔族の中でも特異なモノとして生まれた。

 ノティスは何も望まなかった。だから彼女には本当に何も与えずに、生まれた意味すらも与えられなかった。

 

 でも私から言わせればお前たちは幸運だ。だって、それがお前たちにとって当たり前なのだから。生まれた時からなかったのだから、もうあぁそうかと笑うしかない。不幸を嘆くことしか出来ない。

 

 私は違う。本当なら死ぬまで気が付かなかった異能が目を覚ましたのは冬のある日。この寒さは人間の彼には応えるだろうと、ちょっと民家を襲って人間用の食べ物とか、色々物資を抱えて戻って来る途中で人間に襲われた。

 夜の私はとても強いからどうにかなったけど、本当に死ぬかと思うくらい深い傷を受けて、頭をかち割られかけて殺される一歩手前で、死にたくなくて脳が熱くて今までにない力が目覚めるような感覚がして。

 それでも今は一秒でも早く彼の元へ帰りたくて、何とか辿り着いて。

 

 

 

 私を出迎えてくれた彼を一目見て、液体に変えた。

 

 

 

 生まれた時から見たものを、大好きなモノを融かすとわかっていたなら本当に悔しいし、認めたくないけど血が出るほど唇を噛み締めて納得出来た。

 でもこれはちょっと酷すぎると思う。どうして私はそんな欠陥を抱えて生まれて来れなかったのだろう。

 

 そうすれば、愛を失うことの痛みに慣れて生まれられたのに。

 愛の快楽に慣れた体に、その痛みは少々刺激的過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────今の」

 

 エウレアは一瞬だけ見せたリスカの反応に覚えがあった。

 ずっと昔に見た鏡。大好きな人を自分の愛で殺した滑稽な魔族が浮かべた貌。なるほど、()()()()()()()()()

 

 隠れている勇者はきっと動揺している。していないにしても、次の行動を繰り出すまでに呼吸の間を必要とする。

 

 ならば、と。

 エウレアは視線を倒れて動かなくなった人間に向ける。彼が何者なのかは知らない。だが、この場ではこれが一番効果的であると、エウレアの戦闘経験と人間を捕食するために鍛えられた本能が答えを出した。

 

 

 

 そうして視線を向けた瞬間、エウレアの右腕が肩口から消し飛ばされた。

 

 

「……狙撃?」

 

 

 そうなのであろうが、それにしてはあまりにも気配がない。

 魔術においてメジャーな狙撃術式は、鉄玉や針を射出する形で使われることが多い。それが一番簡単で安定して強いから。炎やエネルギーの塊を弾として打ち出すのはエネルギー的にも術式的にも無駄が多く、狙いが難しく、術者の技量が問われるからだ。

 だが今の狙撃は何らかのエネルギー弾を発動が感知できないほどの遠距離から、エウレアを()()()()()()()狙い澄ました一撃。もしも殺すつもりであったなら、今から攻撃されれば避けられるかもしれないが初撃は避けられなかった。

 

『その人間にこれ以上攻撃するな。そうすれば干渉しない』

 

 そう言うような狙撃。

 ギロン、リスカ・カットバーン、そしてこの狙撃手。3人相手でも勝機はあるが、得策ではない。右腕の恨みとして後で殺すにしても今は。

 

「貴方を殺すのが先よ。リスカ・カットバーン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『聞こえています? 準備完了ですわ。今、むちゃくちゃな作業を全部終わらせてきましたわよ』

 

 耳に響く声が現実に引き戻してくる。

 ああ、そういえば戦闘中だったっけ。

 

「わかった。タイミングはいつでもいいから。作戦通りお願いね」

 

『了解。くれぐれもミスらないでくださいね。一手のミスで私達二人とも苦労ごと水の泡になっちまいますわよ』

 

 通信は終わる。

 よし。じゃあ殺そう。

 

 もう訳の分からないくらいの怒りとかなんだかよく分からない真っ赤な感情で脳が染まっている。

 エウレアという女に抱いていた感情は色々あったはずだけどそれが微塵も思い出せない。

 嫌い嫌い嫌いきらいきらいきらい。

 だから殺す。絶対に逃がさない。ここであの女の生命を断ち切る。

 

 どうして殺したいんだろう。

 

 分からないけど。これを気にしない方が強い。

 これを気にしない方が、自分は強くなれるとわかっていた。でも、なんで強くなりたいのかがわからない。

 

 わからない、わからない。

 わからないけれど。エウレアという魔族は殺さなければならない。そうでないと、自分が自分ではいられない。私という誰かの存在が揺らぐ。

 

 

 理由がわからないことだけが悲しいけれど、それだけわかっていれば戦うには十分だろう。

 それだけわかっていれば、アイツを殺せる。殺して殺して、絶対に殺す。それ以外何も考えられない。

 

 あれだけ嫌だった戦いや痛みを今は肉体が望んでいる。

 あの女を殺せるならば何をしてもいいと、口角が自分のものじゃないみたいに釣り上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リスカが気配を消し、ギロンも姿を表さない。

 エウレアは静寂の中で2人の出方を伺い続ける。狙撃手はこちらを狙ってはいるが、攻撃してくる様子はない。見ればいつの間にか倒れている人間の周りに簡易的な結界ができている。壊そうと思えば壊せるが、巻き込む形で壊せるようなものでもないし、壊そうと意識を向けたら多分狙撃されるからあれはもう無視だ。

 

 さぁ来い勇者。今度こそ自分の愛を以て溶かしてやると瞳に力を込める。

 この異能は実の所効果は『催眠』だ。相手が融けると思い込むから融ける。見ることでその思い込みを強くするのがエウレアの力。だからこそ、愛という感情がトリガーになる。

 今のリスカ・カットバーンならばきっと一目で融かせる。彼女が勝負を決めに現れた時、それを真正面から打ち砕いて融かしてやろう。

 

 

 そうして、集中させていた意識の網に獲物が引っかかる。

 それは地面を高速で滑りながら近づいてくる巨大な建造物で。

 

「は?」

 

 見た目からして教会とかだろうか? 宗教というものはよく分からないので何となくそう思いながら、巨大質量が滑ってくる。誰の仕業かなんて、あのギロン(クソ野郎)以外に誰がいる。

 

「こんなので殺せると思われるとか……舐めるのもいい加減にしろォォォ!!!」

 

 建物は好きだ。寒さから身を守ってくれる。だから一目で融かすことが出来る。

 だが数が多い。何個も何個も、目につく建造物が全部スライドしてくる。自分に当たる前に衝突した建造物同士が音を立てて崩れ、余波で煙が上がり視界がどんどん不鮮明になる。

 

「あのアホ……まさか地下から建物の基盤をぶち壊して回っていたんですか!?」

 

 もうこの街の建物はほとんどが彼女が触れるだけで発射可能な弾丸となっているのだろう。もうどこで何が崩れているのか、聴覚が狂いそうになる崩壊音と土煙だけが知覚情報になる。

 

 ドカンドガンドシャン。

 

 投げる、滑る、そもそも自壊する。景気よく壊れる人の営み。生存者がいるかもだなんて考えてすらいないのか、躊躇いなく建物の全てが射出されてくる。

 

 

 でもこれはあまりに拙い作戦だ。この程度では自分は、魔王軍幹部は殺せない。エウレアはそう確信しているし、相手だってそう思っている。だから、本命はこの大混乱に乗じて迫ってくるであろうリスカだと、笑ってしまうほどにもわかりやすい。

 意識を尖らせ、リスカという人間の気配だけに集中する。土煙が晴れてきて、一人の人間の姿が見える。

 

 

「へーい! ピッチャー振りかぶって──────」

 

「お前、本当になんなんだよクソ!」

 

 

 そこに現れたのはリスカではなくギロンだった。

 足を高く上げ、瓦礫を握りこんだ彼女は想像よりもかなりの至近距離で構えている。

 投擲でこちらを殺すつもりだろうか? だが人間の投擲の能力に、彼女の防御よりの祝福なら充分に……。

 

 

 その冷静な思考に、エウレアの脳が待ったをかけた。

 

 

 ここまで派手に暴れ、遠距離から着実にこちらを削ろうとして、それでいてこちらの異能の対策をしていた抜け目ない女。裏切り者で最低最悪な女だが、魔王様が口にしていた彼女の評価をエウレアは思い出す。

 

 欲深く、決して獲物を逃さない狩人。一度噛み付いた相手からは顎は絶対に外さない。慎重さと貪欲さにかけて、魔王軍の誰も彼女には勝てないだろうと。

 

 今のは身長と慎重をかけたんだけどどう? と聞かれて魔王軍には彼女より大きい魔族が何体もいるだろうと返した、どうでもいい幸せな記憶を思い出す。

 

 

 そうだ、あの女は抜け目なく、それでいて狡猾な持てるもの全てを持ってこちらを殺しにくる獣だと教えてもらった。

 ならばこんなあからさまな愚策を取るか? 取るわけが無い。考えられる可能性は『祝福』の虚偽申告。触れた相手の動きを止めるという内容の祝福と聞いていたが、それは真っ赤な嘘で、投擲によりこちらに致命傷を与えることが可能な距離に近づくことを狙って、ずっと隠していたのかもしれない。

 

 

 なら、正解は投げさせないこと。

 何が仕組まれているか分からない以上行動させない。エウレアの瞳はギロンの肩を融かす。右肩が融けて、その腕から瓦礫の欠片が零れ落ちる。

 

 

「賭けを……外しましたわねぇ! 妾達の『勝ち』ですわ!」

 

 

 そしてギロンは融けた腕に目もくれず、高く上げた足で地面を叩き割った。

 ゴゥンと街全体が揺れる強烈なスタンプ。明らかに人間の筋力に魔力による強化を併せても()()()()振り下ろしは大地を踏み割り、石畳が衝撃で幾つも飛び上がって……

 

「これは……何!?」

 

「言ったでしょう? 妾達の勝ちだって」

 

 これは衝撃なんかでは無い。

 ギロンの祝福、『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)』は触れたものの『移動』を奪い、触れたものにその『移動』を与えることも出来る力。

 なんてことは無い。貯めた移動の全てを地面に叩きつけて、踏み砕いた地盤ごと全部を空に舞いあげたのだ。

 

 

「なんて──────めちゃくちゃな!」

 

 

 瓦礫も液体も何もかも。

 全部が月に吸い込まれるみたいに舞い上がる。地面に立っていた体が地面ごと空に投げ出される。土煙で遮られた視界も相まって方向感覚が消し飛んだ。どこが上でどこが下かわからない。でも、ただ一つだけ言えるのはこの瞬間が敵の狙い。だから、今から地面に落ちるまでの一秒あるかないかの時間に全てを賭ける。

 

 さぁ来い、勝負を決めよう。

 私が勝つか、お前達の作戦が勝つか。

 災害が勝つか、知恵が勝つか。

 

 ……ほら、どこからでも来い。逃げたりしない。お前達みたいにちょこまか逃げてやるものか。真正面から作戦ごとぶち抜いてやる。

 

 

 …………ねぇ、来ないの? 嘘でしょ? だって、この為だけに時間をかけて作戦を練って、時間稼ぎして、腕を犠牲にしてこの状況を作り出したんじゃないの!? 

 

 

 腕から地面に着地して、柔らかく跳ねて立ち上がる。

 瓦礫がパラパラドスドス降り注いで、相手が何も仕掛けなかったことにエウレアはその『何故』を考えこむようにほんの少し視線を下げて。

 

 

 

「──────あ」

 

 

 

 月の光に照らされて、『影』が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瓦礫ごと舞いあげられた直後、ギロンとリスカは何も考えずに上を目指した。

 出来るだけ、可能な限りの上空。一緒に舞い上がった瓦礫を足場に高く、高く。

 

「……貴方、昼間の。まさかこんな形で再会するとは」

 

「ね。それより、頼んだよ」

 

「そちらこそ頼みますわよ? 妾の腕一本分。対価は魔王軍幹部の首でして」

 

 ここまでの全ての行動、この状況すらも全て囮。エウレアに『来る』とわかっている行動は全て対処される。だって相手は『視る』だけで終わるのだ。

 だから集中させる。集中させてさせて、鼻血が出るくらい集中させて、顔を真っ赤にした彼女がほんの少しだけ、もしかして攻撃をしてこないのか、何か別の策があるのかと緊張を緩めたところに、全てを賭ける。

 

「アンタが弩、私が矢。正しく人間バリスタ。生み出した隙と私の速度で足りない差をアンタの異能と落下という偉大なこの星の力で埋め合わせる」

 

「最ッ高にバカですわね! ですがそれでこそバケモノ退治! これだけの奇策を出してもまだ届かないかもと思わせてくれるなんて、やっぱ魔族はおもしれぇですわね!」

 

 知るかバカ。こんな気持ちは生まれて初めてだ。戦うことに楽しさなんてないし、痛いのも苦しいのも大嫌いだ。

 普段のリスカならば、怖くて震えそうな心を必死に奮い立たせてここに来ていたのに、今は何も怖くない。不自然なほど高揚した心でエウレアを見下ろして、狙いを定めてギロンの足裏と自身の掌を合わせた。

 

 

「ではいきますわよ。1、2の……発射!」

 

 

 リスカ・カットバーンの腕力、ギロン・アプスブリ・イニャスの脚力とその異能、そしてこの大地が持つ普遍的で強大な(いんりょく)

 持てるものを全て出した、鉄砲玉の一方通行の勝利への道。

 

 

 発射からリスカの脳内時間で一秒。

 残念なことにエウレアがこちらに気がついてその瞳を輝かせる。だが、彼女の異能は視界に入ったものしか融かせない。足を突き出して空気抵抗を極限まで減らし、同時に体を一直線にすることでどうあっても足からしか融かせない。だからあとは出力勝負。

 

 エウレアの異能が速いか、こちらの速度が上回るか。

 

 

「ああああああああぁぁぁ!!!」

 

 

 叫んでいたのはエウレアだけ。

 だって、叫ぶことすらリスカは捨てていた。確実に、トドメを刺すことだけを考えて弾丸になった。足がどんどん融けてなくなっていくのを冷静に感じながら地面に近づいて、体感時間にして12秒。

 

 

 トッ。

 

 

 エウレアの反応速度が予想を超えていた。

 彼女の肉体はリスカという槍が突き刺さる直前にほんの少しだけ体を後ろに退いて。

 

「あっ」

 

 それでも足りないのだと気がついて声を上げていた。

 リスカ・カットバーンは生きている。なら、ほんの少し後ろに下がられようが腕を伸ばす。

 目が合う。伸ばした右手と顔の半分がどろりと融けて形を無くしたけれど、こちらの方が速い。だって、もうどれだけ融けても軌道に入った。伸ばした手がエウレアの肩に届いた。

 

 

 刃が届いたならあとは当然、振るうだけ。それももう完了している。

 リスカの体はそのまま地面に叩きつけられてゴム毬みたいに数度跳ねて転がって。

 エウレアの体は左肩から右脇腹に抜けるように、ほんの少しだけ触れたリスカの右腕によって『切断』されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「キミが噂のなんでも溶かす魔族かな?」

 

 もう何も見たくなくて。

 暗闇の洞穴の中で蹲っていた私に声をかけたのが彼女だった。

 

「こないで。なにもみたくないの」

 

「悪いけどそれは出来ない。キミの力、素晴らしいモノだ。ワタシはキミを利用しに来た」

 

 あんまりにもあんまりな言葉。どうせ嘘を吐いたらすぐバレるからと開き直っているのか、それでももうちょっと言い方はなかったのか。

 

「ほら、とにかく何か食べようよ。こんな暗いところにいちゃ、気分だってどんなに頑張っても上がらない」

 

 食べようとするものはみんな溶けて飲むことしか出来なくなる。

 何を見ても溶かしてしまう。だってこの世界に嫌いなものがなかった。この世界の全てが、エウレアという個体にとって好ましいものだった。

 そんな奇跡みたいな恋を完膚なきまでに砕いたこの力が怖い。何もしたくない。死にたくない。怖い。嫌だ。私は誰かを愛したいだけなのに。大好きな愛という感情が、どうしてこんなに鋭い刃に変わってしまうんだろう。

 

 

「ちょっと失礼? うわ、思ってたより美人でビックリ。嫉妬しちゃうな」

 

「なっ……!?」

 

 

 あろうことか、来客はこちらの頭を掴んで伏せていた顔を無理やり上げさせてきた。

 そんなことをしたのならば、見てしまう。見たくなくても見てしまう。そして見た瞬間に私の異能は発動する。

 

「い……いづぅ!?」

 

 目と目が合ったらそれは最悪だ。眼球という脆くて水分の多い部位はその異能にとって格好の的。ほんの一瞬の時間だけで、こちらを見てきた来客の両目はどろりと眼窩から融け落ちてしまった。

 

 何をしているのかと問いかける暇もない。来客は痛みを堪えながら何かをブツブツと呟いている。

 

「大丈夫。覚悟はしていた。視覚がなくなっても今まで得てきたもので代用できるし……」

 

「そういう問題じゃないでしょ!?」

 

 急いで治してやろうにももう何もかもが遅い。エウレアの異能は『融かす』だけ。それ以外は何も出来ない血も涙もない最悪な力。

 

「いや、違う。キミのこの力を受けてみてわかった。……この力はキミの愛情だ。だからこそ、最悪であることに変わりはないけれど、これ程に血の通った異能も存在しないだろう」

 

 来客はエウレアの異能をエウレアよりも早く読み解いた。

 愛しているものを融かす、愛を伝える力。内包するそれがあまりにも大きく、あまりにも熱いが故に結果としてモノを融かす。

 彼女に授けられたからこそ最悪の効力を発揮した力。

 

「もう何も見たくない。どうせ愛しても融かしてしまう。それを見て、夜の私はきっと嘲笑うんだから。好きなモノを、もうこれ以上融かしたくない」

 

「──────そこでなんでキミが遠慮するんだい?」

 

 だって、それはこれが私の力だから。

 

「爪があるから触れるのを諦めろと? それこそおかしいだろう。キミ達が生まれた時からどんな力を持っているかなんて関係ない。キミ達は生まれたからには、誰かを騙して、喰らって、それでも幸せになる権利がある。それが生命というものだろう」

 

 その声は明らかに怒りを孕みながら、エウレアにはその感情を一分として向けてはいなかった。その憤りが刺し貫いていたのは、もっと大きな、目に見えない何か。

 

 例えるなら、生まれた時から昼に愛したモノを夜に喰らうことだけを生き甲斐として。

 相反する昼と夜の両方が受け入れたモノですら『愛していた』という理由で融かしてしまって。

 凡そ知性に宿る幸福の全てを奪われた。そんな運命に対しての怒り。

 

「ワタシは魔王。キミ達が幸福になれる未来を作り出す。キミのその力も、愛情に起因するものならば何か変える手段がある。だからワタシは……」

 

 そこで暗い夜は明けた。

 どれだけ永く暗い夜も必ずソレは訪れる。昇る陽の光を背にして、彼女は誰かに語り掛けた。

 

 

 

「ワタシ達のような災害が、ガラス細工のように脆い幸福に触れることができる世界を創る。そのために、邪魔な全てを殺す。力を貸してくれるかい?」

 

 

 

 それは何も映したくなかった瞳が映した光。

 世界で唯一の、もう何も失ったはずの私の中に生まれた最後のトクベツ。

 

 だからね、魔王様。

 私は貴方の事なんか好きになりたくなかった。だって、この世界の全てが好きな私にとって、それって全然特別じゃなかったんだもの。

 勇敢で、いつもみんなの前に立って、なのに怖がりなところもあるし抜けているところもある。本当はそんな貴方の隣に立てる存在になりたかった。

 

 貴方の隣で、貴方と対等に笑い合える。

 そんな、誰でもない、どこにでもいる友達に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だからそこに湧いたのは死ねない理由。

 貴方の手足として命令を遂行するよりも。小さな背中を震わせて、あまりに大き過ぎる玉座で涙を流すあの子を、友達として1人には出来ないと。そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッチ」

 

 舌打ちはエウレアの口から漏れた。

 一歩、二歩と後ろに下がった足で何とか地面に倒れずに踏ん張り、既に神経が断絶されて動かないであろう左手をプラプラとみっともなく揺らしながら()()()()()()()()()()()()()()

 

 信じられない。あれほど災害めいた振る舞いをして、あれほど強気でいた女は、その致命傷(いちげき)を受けて道連れでも、反抗でもなく逃亡を選択したのだ。

 

「てめ、ふざけ……ぅ……」

 

 立ち上がろうと力を込めたリスカの体が崩れる。

 足は既に膝から下は完全に融け落ちて、右手ももう形があやふや。顔も半分くらい融かされた影響か左半身がろくに力も入らない。

 

「逃げ……るな、お前はここで、殺してやる……」

 

 何とか立ち上がって、左手を構える。逃げるだけの憐れな子兎1匹、飛ぶ斬撃でぶち殺してやれる。だいたいなんだ。■を殺しておいて、逃げるのか? 許すわけないだろ、お前はここで死ね、でも逃げてくれるのはありがたい。だって、逃げたい理由があるのだから、それを潰してやればこの頭の熱も少しは冷めそうだ。

 

 

「……角度固定。認識結界、安定。月の光よ、ここに冬の夜の夢を」

 

 

 赤色の泡を吹き出しながら、エウレアの絞り出したその言葉が魔術の簡略化詠唱であることに気がついた。問題ない。防御であるのならば、『切断』はあらゆる事象を無視出来る。こちらを攻撃してこない雑魚なんて一撃で

 

「これを、壊せるかしら、ゆうしゃさま?」

 

 周囲の融けていた建物達が一斉に起立する。恐らく今の魔術は自身の異能で作り出した液体に干渉したのだろう。街の至る所で液体が塊針山のように聳え立つ。だが所詮は材質は大半が石か木材。これならば斬れる。

 

「……助けて。誰か、助けて」

 

 ……手が止まった。

 石の棘に紛れて、赤と肌色の何かが声を上げる。完全に液体になって、再び固められて。もう明らかに取り返しのつかない状態なのに。

 

 どうしてか、それは命乞いの声を上げた。

 なんで、助からないってわかっているでしょ? やめてよ、そんな目で、声で見つめられても私には何も出来ない。

 エウレアの愛を受けて融けた時点で、もうその命は本来終わっているのだ。だから、お願い、やめて、ください。

 

 命乞いは終わらない。

 助けて助けてと大合唱が始まる。ダメだ。ここで刃を振るえば大切なモノを失う。取り返しのつかない選択をして、自分のカタチが保てなくなる。

 だって彼らに罪はない。ただ普通に生きていて、死にたくないと助けてと思うのは当然のこと。エウレアの傷は助かるかも分からない。助かったとしても、簡単には治らない。それはこちらも同じだが、ならば痛み分けでいいのかもしれない。ひとまずは街を守りきれたし、それでいいだろう。

 

 

 

 

「──────ダメでしょ」

 

 

 

 

 

 だって、アイツ彼を殴った。

 首が折れて、頭がひしゃげてた。

 

 そんなの許せないじゃないか。

 だいたいさ、私に助けとか求めないでよ。そう言うの、めんどくさいし弱いくせにみっともなくて癪に障る。

 

 

 

 

 

 

 斬。

 

 

 

 

 

 

 振るわれた手刀は助けを求める声ごと、街に残っていた大合唱ごとその先にあったエウレアの首を斬り裂いた。

 

 

 その瞬間、リスカ・カットバーンは己の勝利と共に最高の快楽を味わった。憎い敵を殺すこと。復讐を成し遂げた最高に軽やかな気分の夜明け。

 

 

 

「……助け、て」

 

「あれ…………なんで?」

 

 

 

 その高揚は誰かの最期の言葉で消えた。

 いや、待ってよ。私はこの街を侵す魔王軍を倒したんだよ? なら、向けられる言葉や眼はそんなものじゃないでしょう? 

 

 動かなくなった液体達が向けている目は、感謝や尊敬じゃない。怨恨なんてものはほとんどないけれど、ただみんなその目は「なんで?」と疑問のままに終わっている。

 

 貴方は私達を助けてくれる勇者じゃなかったのかと。

 

 

 思い返してみろリスカ・カットバーン。

 お前は勇者として、誰かを助ける為にエウレアと戦ったのか? 

 

「違う」

 

 お前は『彼』に誇れる気持ちでその力を振るったのか。

 

「……違う」

 

 私欲に駆られ、怒りと殺意から弱者を切り捨て敵を葬ったのだろう。

 

「ちが……」

 

 

 ならお前はもう『勇者』でいられないと。

 

 彼女自身が自分を終わらせてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斬れた体を繋ぎ合わせて、ホットシート・イェローマムは数時間前まで生きていた、もう完全に滅んだ街を歩く。

 建物は融けているか燃えているか砕けている。転がっているのはかつて人だった液体と、魔王軍幹部の死体を一心不乱に傷付けている死に体の女。

 

「わたしはまだゆうしゃだもん、まだ、ゆうしゃだから……おまえをころせば、まだ、まだ……」

 

 それは既に死んでいる。

 死体の方ではなく、人間の女を見てそう思った。生かしている原動力、心や知性が拠り所としていた何かが完全に砕けてしまっている。

 

「しね、しねしねしね……わたしは、わたしは……」

 

 見ていられない。

 ホシは体を薄く伸ばして、その女の首の後ろに()()()()()脳を弄る。別に何か酷いことをした訳では無い。ただ、そのまま体を動かし続けていたら脳が溢れてしまいそうだったので意識を奪っただけ。とりあえずこれで治療は後回しにできる。

 改めて、ホシがわざわざここに駆けつけた原因を見る。

 

 

「誰ですか、貴方」

 

「…………誰でもいいでしょ。手伝って。私一人じゃ覆せない」

 

 

 フードを深く被った青髪の女は、地面に横たわっている彼の体を魔術で観察している。あまりにも手馴れた動き。繊細な動作。女が何者であるかという疑問がどうでも良くなるくらい、全身全霊でその終わりかけた命を戻そうとしている。

 

「状況は?」

 

「頭蓋が砕けて脳が若干ミンチ。首もイカれて呼吸停止からしばらく」

 

「OK。酒を飲む余裕があるくらいの状況で助かりました」

 

「……マジ? 私の目から見てこれは死に体だよ?」

 

「一度死んだ身が言うんです。間違いありません。手を尽くせば余裕です」

 

 人体を死体で置換するまでもない。内側に体の一部を通して、骨と骨、肉と肉、血管と血管を全部繋ぎ合わせて脳を元の形にセットする。人体の構造への理解という面において、魔族に敵う生物はこの世に居なければ、その上でホットシート・イェローマムに敵う存在はいない。

 

「ただ、呼吸停止から時間がかかりすぎました。後遺症は残るかもしれないですが……」

 

「そこは大丈夫。脳は私がクリーンな状態で保存しといた。神経系は……彼の肉体の強さを祈らせてもらおう」

 

「はぁ? 治さないなら私が治しますよ?」

 

「大丈夫。彼は強いから」

 

「そうですか。どうやら見ない間に随分とタチの悪い悪霊に憑かれていたみたいで、さすがに同情しちゃいますよ

 

 ひとまず彼の状態が安定したのを確認してから、ホシは先程意識を刈り取った少女へと近づいていく。

 

「──────その人間に干渉するのはやめておきなさい」

 

「なんですか? これも自分の玩具だと言いたいんですか?」

 

「人外仲間、先輩としての忠告。その人間、非常に好ましいけどもう()()()()()。出来ないことを無理やり続けて、そこに負荷をかけ続けて、致命的なエラーが発生した。それはまやかしで生きている死体だよ」

 

 なるほど。なら尚更ホシに彼女を見捨てる理由は生まれない。

 まやかしで生きている死体なら知っている。死ぬべき時に死ねず、夢を見て、みっともなく腐乱した体で生きるその魔族を知っている。だからこそ、同じ光を見たものとしてその生き方を否定することは出来ない。

 

 ……脳を弄る。あっさりと、本来はあらゆる切断を否定する肉体に細胞単位のメスが入る。既に彼女の認識で自分を『勇者』だと保てなくなっていたからだ。

 

「なるほど。なら私も、協力しようかな。中々面白い素敵な輝きが見れそうだし。あ、そうそう。向こうにももう1人、魔王軍幹部討伐の功績者がぶっ倒れてるから治療に行ってあげて?」

 

「自分でいけ、カス」

 

「口が悪い女はモテないって、師匠が言ってたよ」

 

 

 そうして人類は初めて魔王軍幹部の一角を潰すという戦果を得た。

 代償は一つの街と一人の女の子のココロ。あまりに少ない犠牲。そんな最小単位の犠牲によって、偶然にも彼女達は出会った。

 

 切断の勇者、星の神官、彗星の魔術師、虚の獣。

 それからしばらくして、この4人がパーティを組んで、ついでにそこに一人のただの人間が加わることとなったのは、神官の提案だった。

 

 

 

 それは、壊れてしまった少女の最期を遅らせる延命装置。

 未来に押し付けていた終わりの刻はもうすぐそこまで近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






・リスカ
この時のことをよく覚えていない。ただ目を覚ましたら知らない女3人が付いてくると言っていたしで混乱していた。彼が付いてくると言ってきた時はちょっと躊躇ったけど、結局断ることが出来なかった。

・ホシ
辿り着いた時には全てが終わっていた。まだリスカのことを好ましく思ってる頃。元々彼を探して旅をしていたので利害の一致からリスカについて行くことに。

・スーイ
本当は弟子が実力に不相応な戦場に行くのを止めることが出来なかったことを死ぬほど悔やんでいる。この一件で彼女は遠くからではなく、近くで彼を見守ることを決意。師匠として誰であろうと弱っている姿を見せたくないのでかなり強がってる。

・ギロン
街を壊したのは80%コイツ。魔王軍幹部をぶっ殺したと嬉々として報告しようとしたが、ホシとスーイによりエウレア戦の詳細を語るのは禁止されたので仕方なく他の成果を見せつけようとリスカについて行くことに。

・従者くん
本来ならここで死ぬはずだったが、偶然にも助かってしまう。
多少の記憶喪失程度で住んでおり、リスカと再会できたこともあって彼女について行くことにした。






・エウレア
惚れっぽい性格の少女。何でもかんでも惚れてしまい、何でもかんでも融かしてしまう厄介な瞳を真っ直ぐ見てくれた1人の友達の隣に立つために自らの根底に抗った魔族。
種族としての特性は詐称を窮めた魔族。日中は自信すら騙す偽の人格を作り、闇夜に紛れて獲物を喰らう簒奪者。昼も夜も記憶は共通であるが、昼と夜の人格は互いに互いを偽物だと思っている。
夜間ならば異能と戦闘能力の両方で間違いなく魔王軍最強の存在であったが、大切なモノを融かしたくない自分と、大切だからこそその気持ちを受けとめて欲しいと願う自分。どちらも本心でありどちらも認めてくれた大切な友人だけは融かすことが出来なかった。


・異能『融愁暗恨(マリィクス・マリアージュ)
魔王軍幹部エウレアの持つ異能。視覚的に認識した物質を、温度や硬度等を無視して強制的に融かす愛の矢。融解の速度や範囲はエウレア本人の好感度により増減する。通常状態ならば、注視して1秒程度で焼け付くような痛みと共に融解が始まる程度。嫌いなものならば数分見つめ続けて表面が微妙に融ける、告白をするほどの相手ならば本来なら一瞥しただけで完全に融解する。
本質的に効果は彼女の『愛』という認識に由来するため物質的な干渉ではなく、精神感応。『愛という融けるような感情』を伝える事で物質を融かす力。正確に言えば、自分が相手に向けた愛という感情で相手に『融けてしまう』という思い込みをさせる異能であるため、『認識』が重要な『祝福』/『異能』使いに対しても効果が高い。また、相手に伝えることが本質である為相手の姿がはっきり視認出来ないと効果を上手く発揮できない。この能力が最大の脅威を発揮するのは真昼の平原のような遮蔽物のない場所であるが、エウレアの主な戦場は夜の街であった。
『融ける』という概念がある限りこの世の物質は決してこの異能から逃れられない月の瞳。






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超高度追放肉体戦

 

 

 

 

 

 

「私、アンタを追放しようと思うのよね」

 

 何かを諦めたように吐き出されたその言葉で、再び俺の首がギロチン台に固定された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王軍幹部は全部で8体いるらしい。それはホシが何処から引っ張ってきたかも分からない話として、スーイが旅人達の噂話として、ギロンが当事者として、そしてリスカが勇者として与えられた公式な情報として聞いていた。

 そしてギロンという裏切り者が出たことでその数は7に。それもエウレア、ベルティオ、グレイリア、ノティスと既に半分を失っていた。

 

 かつて人類は魔王軍、とりわけその幹部達に大敗した。だが、現状は逆転に成功したと言ってもいい。

 魔王の居城を守っていた霧の結界も消滅し、主立って人間側に被害を与えていた幹部は『灼熱大公』を除けば全滅した。確実に良い風が吹き始めている。

 

 なのに、いよいよこれからだと言う時に、リスカは唐突にそんなことを口にした。

 

「一応、理由を聞いても?」

 

「わかってるでしょ。アンタ、役に立たないから」

 

 いや、まぁその通りなんだけど。

 トントントントン、リスカが剣の鞘を指で叩く苛立ちの合図だけが響き渡り、しばらく言葉が出てこなかった。

 確かにここ最近の事だけを考えても、俺はあんまり役に立っていなかった気がする。結局大抵の事は気が付いたらホシがやってたり、スーイが片付けちゃうし、戦闘もギロンかリスカがいれば事足りる。

 

 ……うん。俺いらない子じゃない? 

 だがここで退くわけにもいかない。如何にリスカの言うことが正しくて否定のしようがなくても、俺にはここで退くことが出来ない理由があるのだ。

 

「リスカ……そういえばお前ってすご」

 

「今度は煽てても無駄だからね? だいたいそんな手段に引っかかると思ってるの?」

 

「……俺の考えがお前に通じるわけが無いか。さすがの洞察力だ」

 

「そ、そう……?」

 

「うん、やっぱりリスカは凄いよ」

 

「そうかな…………って、その手には乗らないって言ってるでしょ?」

 

 割とあと少しでいけそうだった気がしなくもないが、残念ながら同じ手は二度は通じないご様子だ。

 

「今のでアンタが私を徹底的に舐め腐ってることはわかったわ。もう追放。さっさと荷物纏めて帰りなさい」

 

「そんな横暴な。だいたい、役に立たないってもっとなんか、具体的な理由を」

 

「え、アンタ前も読んだアンタの役に立たないポイントの列記を読み返して欲しいの? なんで?」

 

 本気で理解できないものを見る目でリスカに見つめられるけどそういうことじゃない。

 

「前はほら、まぁなあなあだったかもしれないけどどうにかなったし、一応俺だって雑用やるぐらいはできる」

 

「だからね。雑用がいらなくなったからアンタはお払い箱なの。分かる?」

 

 リスカは懐から何かの書状のようなものを取り出して、それを俺に見せつけてきた。

 

「それは?」

 

「見て分からない?」

 

「うん。暗号化されていて読めないんだけど」

 

「…………うん。これは普通に私が悪かったわね。ごめん。読む」

 

 ざっくりと内容を纏めれば、それは決戦の合図だった。

 各地で破壊行為を繰り広げていた魔王軍幹部の動きが見られなくなり、4体の討伐も確認された現在、守りに徹するのではなく攻める時が来たのだと。『勇者』を筆頭とする戦力を全て結集させ、魔王城への攻撃を開始するらしい。

 

「魔王軍幹部に半数以上の空席が出来て、霧の壁が無くなった今、戦力を補充されるより早く相手を叩くことが重要って判断されたわけ。もうすぐこの辺りに各地から『勇者』が集まるわ。魔王を確実に殺すためにね」

 

「なら尚更……」

 

 ここを離れる理由にならないと、出かかった言葉はリスカに遮られる。

 

「だからこそでしょ。そりゃ私より強いやつなんて居ないだろうけど、一緒に訓練したやつも居るから分かるけど『勇者』に選ばれた奴はみんな強い。多分、残り3体のやつがベルティオ並に強くて、魔王がいることを考えても人類が勝つと思う。ただ……」

 

 ほんの少し、リスカは言葉を出すのを躊躇った。

 彼女はいつもそうだ。好きなものは先に食べるし、良い知らせと悪い知らせは必ず良い知らせから話したり聞いたりする。だから、これから彼女が話すことは良い知らせではないということだけはわかった。

 

 

 

「それはそれとしてじゃあこれからご飯は誰が作るんですか?」

 

 

 

 いつの間にか、本当に瞬き一回の一瞬の視覚の遮断の間にリスカの隣にこぢんまりとした神官服の女の子、ホシの姿が現れた。一体どのようにしてここに現れたのか想像がつかないほど、幻影なんじゃないかと思うくらいに唐突に現れた。

 

「もうメシの心配する必要も無いわよ。人類の結界魔術と比べて魔族のそれは拙いから、こちらが攻めの姿勢を見せれば相手もこちらを攻めて叩き潰しにくる。どちらにせよ短期決戦で終わる」

 

「そういう話をしてるんじゃないんですよ。彼がいなくなった次の日のご飯は? その次の日は?」

 

「……ちょっとくらい我慢しなさいよ」

 

「えー! ヤダヤダ! 私最近お酒も我慢してるんですよ!? そこに美味しいご飯の楽しみまで奪われたらそんなの死んだも同然じゃないですか!」

 

「いや、ちょっとくらい我慢しなさいよ……ほんとさ」

 

 こういう言い方も変だが、割とホシは外見の幼さに見合わずまとめ役のようなポジションでもある。基本的に物事の交渉担当はホシだし、喧嘩を収めるのもホシだし、このパーティに最もなくてはならない存在だ。

 だからホシがこんな子供みたいに駄々をこねるなんてリスカも想定外なのか、珍しく彼女の顔色に動揺の色が見える。

 

「ご飯は私の数少ない楽しみなんです。それを奪われたらもう死ぬしかないじゃないですか」

 

「じゃあ死んでろ」

 

「そんなこと私に言っていいんですか? ……私は貴方の命を握ってること、忘れてませんよね?」

 

「…………何が言いたいのよ」

 

「アンタが趣味で集めてる綺麗な形の石全部捨てます」

 

「やめて! それ普通にすごく辛いからやめて!」

 

 リスカとホシは取っ組み合いを始めてお互いの髪の毛を引っ張り合い始めた。不思議なことに2人ともお互いの髪の毛を抜けないようだけど、それを良い事に思いっきり引っ張りあってるから、俺の立場からするとすごく頭皮が心配だ。父親が若くして髪の毛が後退していた思い出したくもない現実を思い出してしまった。

 

「だいたい集めるだけ集めて見せるだけ見せて、いつも私に持たせて! あれ本当に必要なんですか!? 眺めてるところ見た事ないんですけど!?」

 

「必要に決まってるでしょ! 綺麗な形の石集めるのが唯一の私の趣味なのよ? それを捨てたら残るのはただ超強い私だけだからね?」

 

「超強いアンタ残ってればいいじゃないですか! どうせ誰もアンタに強さ以外の部分期待してませんよこのへっぽこ勇者!」

 

「アンタこそ……えっと、えーっと……バカ!」

 

「なんですかその可愛い語彙力は。もっと魔族を三枚に下ろしてる時の語彙を見せてくださいよ」

 

 ……それはそれとしてだ。

 なんだかまた俺の追放云々が有耶無耶になりそうだがそれはそれとしてだ。リスカに綺麗な形の石を集める趣味があったことは知らなかった。思えばいい感じの木の枝を拾ったりと、リスカはなんでもいいから形が整ってるモノが好きだったが、その趣味は知らなかった。

 

 俺は知らなかったのにホシは知っていたのか。なんだかそれはちょっと悔しい。リスカのことは俺が一番知ってるって勝手に思い込んでいた。

 

「さっきから煩い。リスカとホシはまたくだらないことで喧嘩してるの?」

 

「喧嘩するほど仲がいいと言いますけど、女の姦しさなんて同じ女からしたら神経が苛立つだけですわよ〜」

 

 そんなことを考えていたらリスカとホシの喧嘩に呼ばれるようにしてスーイとギロンも姿を現して、俺達のパーティの全員が集合することに相成った。

 

「はいはいなんか大事な話らしいからね。一旦落ち着こうねホシもリスカも……あ、ちょ、噛まないでよ。ギロン、この2人止めて」

 

 さすがの2人でもギロンの祝福を使われたら文字通り手も足も出ない。距離を離されて座らせられた2人は睨み合いを尚も続けているが、間にギロンが立つことでそれは睨み合いに留まっている。

 本来なら雪崩すら塞き止める奇跡であるギロンの異能をこんなことに使っていいのかとも思うが、本気のリスカは雪崩なんかよりも数百倍恐ろしい災害みたいなものだしまぁいいだろう。

 

「なるほどなるほど。かくかくしかじかで彼を追放したいと」

 

「しかもリスカったら一方的にそういうこと言っちゃうんですよね。もう少し話し合いとか出来ないんですかね?」

 

「本人が嫌だって言ってるのに勝手に決めるのは確かにちょっといただけませんわね。……スーイ?」

 

「いや、うん。ありじゃないかな? 追放って言い方が悪いけれど、彼はここが引き際だよ」

 

 スーイが言ったその言葉に、ほんの一瞬だけホシとギロンの目付きが鋭くなった気がしたが、改めて2人の顔を見てみるとホシは少し不機嫌そうながらも何も変わらないし、ギロンは特に気にしているようにさえ見えなかった。

 

「正直に言うけど、さすがにここから先はもう私達も余裕持って戦うなんて出来ないだろう。魔王は魔族で一番強いから魔王なんだから、魔王軍幹部全員よりも強いと仮定して戦わないといけない相手だ」

 

「……だからなんですか。油断しているように聞こえるかもしれませんが、人間の強みは数です。むしろ、そんなに強い相手ならどれだけ弱くても戦力として確保しておくべきなんじゃないんですか?」

 

「それが生き物同士の戦いならね。……祝福や異能を持つ生物は何度も言うけれど『災害』なんだよ。最低限の力量がなければ、それとは戦闘という行為すら発生しない。うん、やっぱり私は彼の仲間として、ここで退いてもらうのがいいと思うけど」

 

「スーイは何言ってますの? 本人の命は本人の自由ですわよ? 彼がここから先死ぬとわかっていても向かうならば妾達に止める権利はありませんわ」

 

「本人の意思とか知ったことじゃないの。そんな戦場にコイツみたいな雑魚がうろちょろされたらこっちが迷惑だって言ってんのよ」

 

 

 いや、これは間違いない。

 俺の扱いを巡って険悪な空気が生まれている。

 

 

「……スーイ。アンタよくそんなこと言えますね。アンタが何度彼を死地に送り込んできたかもしかして忘れているんですか? そんなことも忘れるようなら、貴方の方こそここで退いて隠居をおすすめしますよ?」

 

「私は生還可能な死地にしか送らないよ。実力不相応な事を求める程鬼畜じゃない」

 

「だから……アイツのことはどうでもいいんだってば。邪魔なの邪魔? 分かる?」

 

「と言うかこれ妾達が話し合うことじゃないですわよね? 当人はどう思っていますの?」

 

「いや俺は……」

 

 当然何度も言ってる通りここで一人だけ安全なところに逃げるなんてことはしたくない。でも、リスカの言う通り俺は足でまといになるかもしれない。スーイの言う通りただ死にに行くことなんて俺をここまで活かしてくれた沢山の人達への裏切りだろう。

 

「……わかったわよ。そういう迷いとか、全部纏めて私が斬ってあげる」

 

 遂に苛立ちが頂点に達したのか、リスカは指で叩いていた剣をそこらに放り捨て、俺の腕を掴んで外に出ようとする。

 

「ちょ、どうしたんだよ急に!?」

 

「アンタに現実ってもんを教えてあげるって言ってんのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自慢じゃないが俺はリスカに勝ったことは一度もない。

 何をやっても、リスカには勝てなかった。いつも俺よりも前に彼女は進んでいて、どんな苦難も当然のように乗り越えてしまう。

 彼女の前には無理なんて言葉は存在がしないかのようで、天才というものがこういうものなのだと幼心に理解していた。

 

 それでもリスカはリスカだ。怖がりだし、苦手な食べ物も多いし、それでも頑張れるすごい人がリスカだ。

 

 

 ……もしも彼女が非人間的なまでに完璧だったのなら、諦めがついていたのに。

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、昔よくやったでしょう。アンタがその木の枝で私に一撃でも入れられたら認めてあげるから」

 

 そう言って、リスカは構えすらせずにぼーっと虚空を見つめている。これを勝負とすら思っていない。抑えきれなくなったのか、それとも俺を煽っているつもりなのか大きな欠伸すらしている始末だ。

 

 完全に油断している。なのに、勝てるビジョンが一つも浮かばない。木の枝で肌を掠めることさえ出来ればいいはずなのにそれさえできる気がしない。

 

「ビビっていても終わらないわよ。さっさと来なさい」

 

「……俺だって、お前に追いつく為にずっと修行してきたんだ。あんまり舐めてると痛い目みるぞ」

 

「そう言うのいいから。……早く終わりにしましょう」

 

 相手が構えてないなら好都合。リスカ相手に策を弄しても無駄。油断している今のうちに不意を付いて一撃を食らわせるくらいしか勝ち目はないだろう。仕掛けるタイミングが全て。相手の呼吸を見て、ほんの少しの隙を見逃さずに……

 

 

 

「……追いつく追いつくって、そんなに止まったままで追いつけると思ってるの?」

 

「え」

 

 視界がくるりと回って、リスカだけを見ていた視界は彼女を見ずに空を眺めている。

 ああ、くそ。またこれだ。本当に何をされたのかすら分からない。何も分からないまま転がされてしまっている。

 

「ッ、まだ!」

 

「そう、諦め悪いものねアンタ」

 

 即座に起き上がってリスカの居場所を捉える。今まさに俺を転がしたはずなのに距離が相当離れている。今の動きを見て確信したが、こちらから仕掛けても避けられる。なら、相手が近づいてくるところにまぐれでもいいからカウンターを決めるしかない。

 

「……アンタの反撃とか喰らうわけないんだけど」

 

 今に見てろと吠える心が、腹部に叩きつけられた衝撃で消し飛ばされる。痛みはほとんど無いが内臓が圧迫されて空気が全部押し出され、視界から色が消える。

 消えてしまいそうだった意識は近くの木に背中から叩きつけられた痛みで何とか保つ。大丈夫、まだ戦える。

 

「でもアンタ、何も分かってないでしょ」

 

 分かっていることは幾つかある。

 俺は投げられて、蹴飛ばされて、殴られて。手加減されているのかそれ自体は全く痛くないのだが高速で吹き飛ばされる体は受身を上手く取れずにじわじわと動きが鈍くなっていく。

 その間、動きは何一つとして捉えられない。何かされたのは理解出来るけれどそれがどんな手順でされてるのか目で捉えられない。

 

「わかんないの?」

 

 分からない。

 

「いい加減、わかってよ」

 

 分からない。

 

「分かれって、言ってんでしょ!」

 

 もう何度転がったかも分からない。リスカに好き放題殴られたにしては全然体は痛くないが、こんなボールみたいに何度も転がされては立ち上がる気力が湧いてこない。

 

「なんで、お前がキレてんだよ」

 

「ここまでやって何もわかんないバカが目の前にいるからでしょ!」

 

「……いい加減にしろこのバカ! お前は、お前は何か一つでも俺に分かってもらうように言ったことがあるのかよ!」

 

 

 戦いが始まって、初めてリスカの動きが明確に止まった。泣きそうになりながら顔を歪めている彼女の姿がそこにはあった。

 

「は、はぁ?」

 

「お前はいつもそうだろ。言いたいこと言わないで、隠してるくせに分かれって、無茶ぶりばっかしてよ! お前が、お前みたいな天才が隠してるものが今お前にコロコロとボールみたいに転がされてる俺なんかが分かるわけねぇだろ!」

 

「……じゃあはっきりいってやるわよ! アンタは役に立たないし、足手まといだからどっか行けって言ってんのよ!」

 

「……そうかよ」

 

 さすがにここまで打ちのめされてこうもはっきり言われれば納得するしかない。

 俺は足でまといなのだろう。出来る限り頑張ってきたんだろうけど、まだ努力が足りなかったのだろうか。

 

「……才能ないのよアンタ」

 

「んだよ、嫌味か?」

 

「現実よ。どんなに頑張ったって、アンタじゃ私に追いつけない。……アンタなんか──────」

 

 

 

 

「はい、そこまで。思ってもないことを口に出す前に終わりにしておこう」

 

 

 

 

 最後にリスカが口にした言葉、スーイが魔術を使ったのか俺の耳に届くことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これって追放決定な感じなんですの? つまらないですわね」

 

「何よ、文句あんなら付き合うわよ」

 

「ありませんとも。本人の意思があろうと命を捨てるのは勿体ないことですもの。それはそれとして、妾彼の事が好きなので離れたくないと思うのは当然では?」

 

「あんなやつのどこが──────」

 

「忠告しておきますわ。そろそろ殻を被って生きるのはやめなさい。言われたでしょう、貴方、全部自分の内に秘めておくからそうやって手遅れになってくんですわよ」

 

「うっさい。アンタに何がわかんのよ」

 

「……わかんないって言われたでしょう。貴方、本当に何も言わないんですもの」

 

 

 自分が何も言わないのなんてわかっている。

 いつもいつも本当の事を口にせず、どうしても素直になれずに言葉を漏らす。でも仕方ないじゃないか。そうでもしないと、自分を保っていられない。

 もしもその本音を口にしてしまえば自分はもう勇者ではいられないのだと。私だって全部喋って投げ出してしまえたらどれだけ楽かなんて頭が割れるくらい考えてきた。

 

 それでも私は勇者だからと、我慢してきたんだ。あとちょっと我慢すれば、魔王さえ倒せば全部終わりなのだからと後ろ髪を引かれるような思いを断ち切る。

 

 

「アイツ、あんな風に怒れるんだ」

 

 

 自分に向かって怒っているところなんて初めて見たかもしれない。そんなことが嬉しくて、嬉しいと思う自分が情けなくて嫌になる。

 うん、そうだ。全部終わったらちゃんと話そう。全部、全部話してしまおう。あとちょっと頑張ればもう私は勇者じゃなくて良くなるんだから。そうすればきっと、前みたいにただの女の子として、幼馴染として全部話せる。きっと前みたいに。

 

 

 

 

『それで、勇者じゃなくなった私って誰なんだろうね』

 

 

 

 

「……そんなこと、知らないわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、リスカの祝福の穴は彼ですね。あんだけぶん殴られまくってリスカ自体から受けた傷はゼロですからね」

 

「斬れないと思ってるモノは斬ることが出来ない。それだとしても彼女のは特別だね」

 

 そうは言ってもそれは彼女による攻撃だけで好き放題転がされた結果として擦り傷打撲その他諸々は酷いのでさっさと処置をして寝かせたあと、ホシとスーイは何となくそのまま話し込んでいた。

 

「それにしても、貴方が彼を連れていくの反対って意外ですね」

 

「私も、ホシが彼が死ぬかもしれないのに連れていきたいって言ったのも意外だよ」

 

「ええ。自分でも意外ですよ。私、彼に死んで欲しくないですから。そう、死んで欲しくないんです」

 

 ホシにとっての彼は『光』だった。

 土に塗れた全てを遍く照らしてくれた、愚かな彼の優しい言葉。それを嘘にしたくないことだけがホシの願い。そうだったはずなのに。

 

「こうしていると、それ以上を望んじゃうんですよ。リスカにボコボコにされてる彼を見て、私が食べちゃって一つになればずーっと一緒とか、自分でもびっくりするような事考えるようになったり」

 

「私もあるよそれ。もっと頑張って欲しいとも、一緒にいたいとも思うのに何処かでそんなことしなくていいから平穏に暮らしたいとか、あと小さな大して繁盛してない喫茶店でも経営しながら穏やかな時間を過ごしたいとか」

 

 スーイにとっての彼は『彗星』だった。己の身を燃やし、空に尾を残しながら駆けるその姿が好きだったはずなのに。今では美しさからではなく、心配から彼から目を離せない。

 ほんの少し、ほんの少しでも目を離したら塵芥となって暗い空に消えてしまうんじゃないかと。そう思うだけで胸が張り裂けそうになってしまう。

 

「色々置いておいて、シチュエーションがやけに具体的なのが気持ち悪いですね」

 

「でもそういうものなんだろうなぁ。師匠も言ってたけど、心って難しいよホント」

 

「……そうですね。他人でも自分でも、何考えているか分からないって、こんなに怖いことだったんですね」

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 誰も聞いていないのを確認してから、リスカの悪口を呟こうとして、それがどれだけ愚かな行為なのか思い直して口を閉じる。

 少しくらい追いつけているつもりだった。もしかしたら、背中くらい見えるんじゃないかって驕っていた。みんなに助けて貰って、幸運が重なって魔王軍幹部を倒せたのだからと、心のどこかで過信していた。

 

「……遠いな。アイツ」

 

 リスカ・カットバーンという女の子の背中に憧れたのはいつの頃からだろうか。初めてあった時からかもしれない。とにかくその時から、あの見えもしなかった背中が幻となって網膜に焼き付いて離れない。

 ただただ追いつきたくて、付いて行きたくて、他の全部を捨ててでもアイツの隣に立ちたくて。

 

 そうして頑張った果てがこの無様な結果なのだから笑ってしまう。完全に手加減されて遊ばれて、その上で完敗だ。

 仲間だとすら思われていない。アイツから見た俺は庇護の対象であり、足でまといだった。

 

 

「あんなやつ、勇者じゃなくなっちまえばいいのに」

 

 

 不意に口から漏れたその言葉を、嘘だと否定することは今の俺には出来なかった。

 どんなに認めようとしなくても、俺は結局アイツにずっと嫉妬しているんだと、目を逸らしていた醜さが波のように押し寄せて全部塗りつぶしてしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・リスカ
Sに偽装した真正の被虐体質。何事も受け身で自己というものを表に出すのが苦手。

・ホシ
Mに偽装したドS。穏やかに見えて一番苛烈。管理願望があり、相手の全てを知悉したいと思っている。

・スーイ
Sよりに見えて本人はM。スパルタに見えて一番甘い。感情表現に関してはリスカよりも下手くそなオーバー2000。

・ギロン
クソマゾ。被虐体質というかあらゆるものを自分から摂取しに来る。一番優しくて一番ドライ。


・従者くん
多分リスカのことは好きだけど嫌い。







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開戦

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ、私は彼をとりあえず転移用魔術陣のあるところまで連れていくね」

 

「スーイ、寄り道しないで帰ってきてよね」

 

「わかってるって。さすがに、今回はそう時間もなさそうだし」

 

 リスカは俺には特に何も言わず、それだけ言うと見送ることもせずに何処かに行ってしまった。

 

「全くリスカは。あ、私は死ぬつもりとか毛頭ないですが、一応。ここまでの旅は本当に楽しかったです。魔王とか倒し終わって、良かったら私としばらく旅とかしませんか? 今度はこんな危険な旅じゃなくて、色んなところをのんびり見て回る諸国漫遊って感じで」

 

「あ、それいいですわね。妾も付いていきますわ。なのでとりあえず、妾達が無事に魔王を倒せることを祈っていてくださいまし。……歯痒い気持ちは理解出来ますが、妾は貴方が妾の帰りを待っていてくれれば、それだけで共に戦うのと同じくらい助かりますから」

 

 ホシとギロンは今生の別れにするつもりなど毛頭ないと言いながらも、それでもやはり無事に帰れる保証がないことを感じ取っているのかいつもの調子ながら、何処か声色に暗いものを感じてしまう。

 

 

 

 そんな感じで、あっさりと別れは済まされてしまった。

 

 

 

「ごめんね。リスカが早く追い出せってうるさいから」

 

「スーイが謝ることじゃないだろ。悪いのは我を押し通す強さもない俺だ。あそこまで徹底的にボコボコにされちゃあ、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方なくて、すぐにでも立ち去りたかったからむしろ助かった」

 

「嫌味とかじゃないけどさ、結局私達は言ってくれなきゃわかんない事って沢山あると思うよ」

 

「……正直に言いますと、めちゃくちゃ悔しくてつい負け惜しみみたいな事言っちゃいました。恥ずかしくて立ち去りたかったってのはホントだよ」

 

 思い返しただけで情けなくて顔から火が出そうだった。そもそも、リスカと喧嘩なんて結構長い付き合いなのに初めてだったからなんだかよく分からない感情が全部爆発して、自分の体じゃないみたいにとにかく口を動かしていた。

 

「へぇ。同郷とは聞いてたけど、仲良かったんだね」

 

「……違うな。どうせ勝てないってわかってたから、アイツと喧嘩なんて無駄なことをやる前に俺が引いてたんだよ」

 

 それでも追いつきたくて、今まで頑張ってきたけれど多分今の俺でも初めて会った時のリスカの方が強いだろうと、そんな見たくもない現実ばかりが目に付いて他のことが目に付かない。

 

「それ、君っぽくない」

 

「は?」

 

「無駄だってわかってるからやらないって君っぽくない」

 

「俺っぽくないって……」

 

「君はもっと無駄なことばっかりしてるでしょ。と言うかやることなすこと全部無駄。無駄の極み」

 

「あれ、これ俺悪口言われてるの?」

 

 前を歩くスーイの顔色は伺えないし、こっちを向いていたとしても深くフードを被っている彼女の表情は分からないけれど、怒ったりしている訳では無いのはわかる。

 と言うより、なんと言うか諭すような言葉。どこかで聞いたことがあるような気もしなくもない。

 

「私は無駄だとわかっていても、諦めずに努力する君だから応援してたのに。そういうこと言われると、悲しいよ」

 

「そんなこと言われたって、スーイだって俺の事追放するって賛成してたじゃん」

 

「だって……君本当に弱いもん。リスカの言う通り絶対に死ぬ」

 

「もうそれわかったから言わないでくれ。さすがに泣きそうになる」

 

「……おかしいのはわかってるよ。私は君に頑張って欲しい。諦めて欲しくない。でも君に死んで欲しくもない。でも死地に挑んで欲しい。矛盾ばかりで意味の無い思考だ。でも、何故だか今すっごく楽しいから」

 

 

 楽しいって……めちゃくちゃ怖いこと言ってる自覚あるのか? 

 

 

 そんな言葉は後ろ姿なのに本当に楽しそうなスーイを見ていたら自然と喉の奥に戻っていってしまった。

 

「だから態度と言葉と本心って結局どこにも偽物なんてないんだよ。君の考えることは全部本物であって、そこにある奇跡なんだから」

 

「スーイって、時々頭の良さそうなこと言うよな」

 

「なんだいその頭の悪い言い方。私は魔術師。叡智の旅人なのだから頭が良くて当然だよ」

 

 他愛のない会話であるけれど、少しだけ肩の力が抜けた気がする。

 

「全部終わったらリスカとちゃんと話するんだよ。本音を語らずしては幼馴染どころか仲間にもなれない」

 

「ああ、そうだな。……その、スーイももちろん気をつけて欲しいけど、リスカを頼む」

 

「……それ、私を頼りにしてるってこと?」

 

 突然、スーイが足を止めてこちらに振り向いた。

 突然の事で彼女の顔色を伺おうとしたが、残念ながらフードで隠れていて判別できない。ただ、垂れている蒼の髪の毛はわなわなと震えて何となく激情を思わせる。何か気に触るようなことを言ってしまったのだろうか。

 

「いや、もちろん頼りにしてるけど、一番強いのは心配とかそう言う気持ちで……」

 

「つまり頼りにしてる、ってことでいいんだよね?」

 

「そりゃあ、スーイのことはめちゃくちゃ頼りにしてるけど」

 

「──────ッ。うん、うん! 安心してくれ! 私がいれば魔王なんてボコボコだし、リスカもホシもギロンもみんな無事で帰ってくるとも!」

 

 本当に見た事のないくらい喜んでいる、と言うよりははしゃいでいるスーイにちょっと俺はついていけなかったが、何はともあれ喜んでいるのならばそれでいいだろう。

 

「だからね、全部終わってもまたこうやってみんなで冒険したい!」

 

「ホシもそう言ってたな。終わったらしばらくゆっくりとかしたいけど、それも悪くないか」

 

「そうそう! だから、君は安心して私達の帰りを待って、私達みたいなバケモノ達の──────」

 

 ふと、スーイの足が止まった。

 彼女の瞳の色が深紅から翡翠に代わり、視線が俺ではなく俺の背後に移り変わる。

 

「ん、なにか見つけ……」

 

「…………は? 嘘でしょ……伏せてッ!」

 

 疑問よりも先に、体を動かした。意味の無いことでスーイが声を荒らげるわけがないという信頼と、直感で考えるよりも先に体を動かせと脊髄が答えを出した。

 けれど、人間の反応速度では遅すぎる。スーイが捉えた『何か』が俺目掛けて近づいてくるのを肌で感じとり

 

 

「──────うん。伏せる努力はしたことはわかるし、妥協点にしておこう」

 

 

 頭部にぶつかる寸前でスーイが生み出した障壁がそれを打ち消した。

 

 何が起きた。

 今の攻撃は、それよりもスーイが珍しく()()()()()。いつも全部見通しているかのような彼女が、予想外の事態に遭遇している。

 

「スーイ、状況!」

 

「最悪だ……魔王軍幹部、それが私と君だけを狙って攻撃してきている!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう無理……私死ぬ。おがくずみたいに消えてしまいたい……死のう」

 

「誰ですの〜こんなところに全自動ネガティブ言葉生成機捨てたの〜」

 

「全自動ネガティブ言葉生成機じゃないですよそれ。切断の勇者ことリスカ・カットバーンちゃんです。心が弱いので優しくしてあげてください」

 

 そう言われてギロンは蹲ってブツブツうわ言を呟いているリスカを立ち上がらせた後、頬を軽く何度か叩いて反応を伺う。結果はずっとうわ言を呟き続けていた。

 

「もう。貴方がこれでは士気に関わります。しっかりしてくださいまし」

 

「そうですよリスカ。戦うと決めたならうじうじしてないでください。貴方が弱気になったらみんな弱気になるんですから」

 

「でも……」

 

「でもじゃありません! 戦うと決めたのならばそれ以外のことを考えるのは油断の他ありません。それとも貴方はこの期に及んで『自分は大丈夫』とでと思っていらっしゃる?」

 

「そんなことないけど……でもぉー!」

 

 ギロンから見たリスカ・カットバーンという人間は、とにかく選択に迷いがないと言うのが出会ってすぐの時の印象だった。内心がどうあれ、実際に動く時彼女はほとんど迷いなく動く。一手間違えれば自身の首が飛ぶような状況でも肉体を正確に動かす才能。

 

 そんな機構のような女がうじうじと悩んでもじもじしている姿を見れば、何度見ても驚きが口から飛出てきそうになる。本当に魔王軍幹部を何体も葬ってきた勇者とこの女が同一人物だなんて思えない。そう、思えないのだ。欲と懐の深さには自信のある自分ですらそう思えないのだから、リスカの名前と活躍くらいしか知らない者達からしたらこれがあの『切断』の勇者とは絶対に思えないだろう。

 

「はぁ……それじゃあ私は後方支援組なんで、以前会ったことのある方達に挨拶したらそっち行っちゃうんで、リスカのことはギロンに任せますね」

 

「やだぁー! ホシ行っちゃヤダ! 慰めて!」

 

「これ本当にリスカなんですの? ちょっと不安になってきましたわよ」

 

「私もめちゃくちゃ不安ですよ。ここまで幼児退行(ふぐあい)起こすなんて滅多にないですから、先日の彼との喧嘩は相当堪えたのでしょう」

 

「そもそもホシに挨拶するような人なんていないでしょ。だってアンタ根暗の死体(ネクロ)じゃない」

 

「すごいですよねコイツ。精神状態が最悪でも私への罵倒だけは忘れないんですから」

 

「でもホシ、嘘は良くありませんわよ? 貴方そんなに知り合いとかいますの? ここに集められるのは『勇者』とそれに準ずるような力量の持ち主だけですけれど」

 

「それが……自分でも驚くことにちらっと見ただけでも結構顔見知りいたんですよねぇ。というか、むしろ向こうから私がお呼ばれしちゃってると言うか……」

 

 ホシ自身、自分の外面の良さはよく理解しているしそもそも外面が良いというのはホシの生前の種族特性のようなものだ。人間が手足で道具を使うのが当然なようにホシは外面が良い。

 それが影響してなのか、はたまた根底にある聖女気質(おひとよし)が見抜かれていたのか。彼と再会するまでの間にホシは結構な数の人間と出会い、謎の人脈を作っていたりした。

 

「いやぁ、今になって思うとこの時代の右も左もわかんない時に『禁術』の勇者さんとかに出会ってたの怖いですね。でもあの人、私にお酒の味を教えてくれた結構いい人なんですよ」

 

「へぇ〜。アイツ見かけによらずお酒大好きっ子なんですのね。妾も色々終わったら酒を酌み交わしたりしてみましょうかね。人脈も立派な力とお姉ちゃ、姉様も言っていましたし」

 

「あれ、ギロンも彼女と知り合いなんですか?」

 

「妾見ての通り王族なので。まぁ彼女と出会ったのは魔王軍時代に事前調査の過程ですわね。ちょっとやばそうなので後回しにしましたけど」

 

「私の知らない人の話で盛り上がらないでよ〜!」

 

「くっっっっっそめんどくせぇですわねこの勇者様!」

 

「今更ですか? リスカはこの世で一二を争うめんどくさい女ですよ」

 

「めんどくさくないもん! 私いい子だって村でも評判だもん!」

 

 傍から見る分にはかなり面白い絵面であるが、実はかなりまずい状況。

 こうなるとしばらくリスカは完全に使い物にならない。もしも幻聴や妄想、自傷行為ならばどうにかできたものだが幼児退行となるとホシに出来ることも少ない。

 

 ……もしもこんな状況で魔王軍が攻撃に出てきたらと、ホシの脳裏に最悪の予想が過ぎる。

 

「心配ありませんわよ。向こうが籠城の準備を始めてるのは観測されましたし、そもそも探知系の祝福持ち達が周囲は警戒しているでしょう。もちろん、貴方もでしょう?」

 

「それはそうですけど……。私、なんかいっつも対策の上を取られて負けてる気がするので」

 

「そりゃ今どき草食系(じゅどうてき)な女なんて流行りませんわよ。どんな相手にも自分から向かわなければ何も得られませんわ。防御に回るという選択は、それ自体が選択肢を狭める危険な行為ですのよ?」

 

「誰しも貴方みたいな肉食雑食というより鏖食なやつを求めるとは思いませんけど、忠告は受け取っておきますね。では、私はリスカと違って友達が沢山いるのでこれで……」

 

「やーだー! ホシいっちゃや!」

 

「ぐえっ!?」

 

 長く伸ばしていた髪が仇となり、髪の毛を掴まれてホシは素っ頓狂な声を上げながら滑るように後頭部から転倒する。行動こそ赤子みたいであるが、リスカの膂力は魔力による強化を除いても人間離れしたものであり、もしもホシのような死体の塊でなければ最悪首がもぎ取られかねない。

 

「あーもうめんどくさい! ギロン、祝福使って抑えといてください!」

 

「えー……なんか触りたくない。それに下手にリスカに触ると服とか切られるから嫌ですわよ」

 

 ホシは改めてリスカの顔を見る。

 潤んだ瞳と整った顔立ち。いつも眉間に皺を寄せているが、それさえなければただの可愛い村娘だ。誰がどう見たって、これが勇者の顔とは思わない。せいぜいが村で評判の美人さんと言ったところだろう。

 

 英雄とか、物語とか、何かを背負うのはこの子には重すぎる。

 

 

「お願いだから、もう私を置いていかないでよ……」

 

 

 泣かれるとこっちが悪い気がしてきてしまう感情に、あまりに人間くさいと自嘲しながらホシはリスカの手を振りほどき前に進む。

 

「誰も置いていってなんかいませんよ。自分一人で突っ走るのが疲れたならちゃんとそう言ってください」

 

「…………ホシ?」

 

「理解力まで赤子になったんですか? ここまで来たら私達は一蓮托生。本っ当に不本意ですけど、助け合おうって話なんですよ!」

 

 座り込むリスカを立ち上がらせて、涙をハンカチで拭いて乱れた服を整える。そうして改めて顔を見つめる。うん、ムカつくくらいに整っていると、唾でも吐きつけてやりたくなる気持ちをホシは今だけは口に出さないでおくことにした。

 

「……一番素直じゃないのはホシですわよね。さすが、魔族様は騙すことに関しては一級品。自分を騙すのはお手の物ですの?」

 

「脳みその近くで眼球に暴れて欲しいならそうと言ってくださいね雑食の豚」

 

「安心してください。妾、獣は獣でも高貴な獣を目指しているので死体漁りなんてマネはしませんわよ」

 

「話聞いてました?」

 

 これから魔王軍との最後の戦いだと言うのにギロンという女はどこまでも自由で、リスカの方もあまりにも準備不足。ホシは大きな溜め息を吐きながらもなぜだか少しだけ笑っていた。

 別に、コイツらが好きとか大切とかではないけれど、何となくこういうのは良い事だと思える。

 

 

 

 

 

「すいません。貴方達がホットシート・イェローマム、リスカ・カットバーン、ギロン・アプスブリ・イニャスの3人でいいですかね?」

 

「はい……っていや誰──────」

 

 

 

 

 

 空気が切り替わる。

 ホシは常に周囲を索敵していたし、ホシ以外にも索敵を行っていた人間は何人もいただろう。だからこそ、最初の一瞬知らない声に声をかけられてもそれを敵だと思わなかった。

 

 だが、振り向いたところにいた3mはあろうかという巨躯とそれに合わせた長槍を持つ存在がいた。すぐにそれを魔族だと認識しても、あまりに唐突過ぎてホシは反応が間に合わなかった。

 ギロンはすぐに反応した。もとより彼女は常在戦場。ホシと違ってどんな時も油断はしない。相手が何らかの手段でこちらを攻めてくることは予想していた。

 

 そしてリスカは、同じく突然現れた謎の敵に反応していた。肉体に刻まれた習慣か、本能に刻まれた反射か。精神状態はすぐさま戦闘時のものに切り替えられ、臨戦態勢に入り。

 

 

「アンタは、嘘でしょ…………?」

 

 

 見たことの無いくらい、怯えた表情を見せて膝から崩れ落ちた。

 ホシとギロンはすぐにその異変に気がついた。けれど、その異変への対処よりも先に目の前に現れた魔族が手を翳し、一言だけ呟く方があまりにも速かった。

 

 

 

「燃え尽きろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・リスカ
赤ちゃん。同期の『勇者』も何人かいたが、しかめっ面しながら訓練で全員ボコボコにして以降誰も話しかけてくれなかったので友達がいない。強いていえば今のパーティメンバーは多分友達だしぼっちとは思ってない。

・スーイ
核爆弾持った幼稚園児。子供の心を忘れないまま2000年以上生きている。リスカのことは別に友達だと思ってない。

・ホシ
ママ。しょうがないですね、っていつも言っている。一生に一度のお願いは3回くらい聞いてくれる。リスカのことは嫌い。

・ギロン
土佐犬。一応お姫様なので割と顔は広いし、社交性は表面上はそれなりに高い。リスカのことは特に友達だと思ってない。



・「禁術」さん
リスカ以外とは面識のある有名な『勇者』の1人。補充される以前の魔王軍幹部みたいなのを2体ほど討伐している凄腕の人。ホシ曰く『お酒好きのおじさん』、ギロン曰く『見えちゃいけないもの見えてるジジイ』、スーイ曰く『あんまり好きじゃない』。







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神官さん奮闘する

 

 

 

 

 

 

 

「…………2人とも、生きてますか?」

 

「えぇ、お陰様で。さすがに今回は素直にお礼を言いますわ……。ホシがいなかったら妾達多分灰でしたわね」

 

 

 放たれた炎が直撃する瞬間、とにかくホシは2人を守ることだけを考えて2人を体内に取り込み、予め掘っておいた地下への逃げ穴へと入り込んだ。半ば異空間と化しているホシの体内ならばある程度体積を無視してこのような真似が出来るからと用意こそしていたが、本当に使うことになるとは本人も思っていたことであったが。

 

「大丈夫ですわよね? ホシの体内で蒸し焼きとかは勘弁ですわよ?」

 

「距離も相当離しましたし来た道は潰しておきました。……探知出来る限り相手も私達のことは無視して他の方々に攻撃を始めているみたいですし」

 

「大丈夫ですの〜? さっきあれだけ接近されても気が付かなかった」

 

「仕方ないじゃないですか! あれ絶対誰かの『異能』ですよ! マジで急に現れたんですからね!?」

 

「さすがにわかっていますわよ。んで、地上の状況は?」

 

「…………」

 

 ホシの声はただ沈黙を続けるのみで、それでギロンは察したくないことを大体全て察してしまった。言いたくないことは言わない方が精神衛生上良い事もある。悪い知らせなら尚更だ。

 

「敵は?」

 

「三体。全部魔王軍幹部クラス。多分さっき接触したのは灼熱大公さんでしょうから、魔王軍幹部の皆様決死の総攻撃ってところでしょう」

 

「最悪ですわね。強襲は警戒していましたが、まさかこちらの対策を全部すり抜けてくるとは」

 

 索敵に関する祝福使いもいた。

 ギロンもリスカも歴戦と天性の勘を備えていた。

 ホシに至っては、彼女は周囲の生命体の反応を読み取れる為に魔族が近づいてくれば確実に気が付けた。

 

 なのに、不意を突かれたならば素直に相手の上手さを褒めるしかない。ここでグチグチと不備を見つけていても不意を突かれた事実は永遠に変わらないのだから。

 

 

 正直ホシは焦っていた。相手がどのようにしてこちらに襲撃してきたかわからず、仲間を庇うために肉体の3割近くを一撃で消し炭に変えられ、でもそのことを伝えて今の不安定なリスカの精神に打撃を加えてしまわないように、必死に声の震えを抑え込んでいた。

 

 ギロンは昂っていた。決戦に相応しい状況、追い詰められてこそ獣はその牙を最大まで尖らせるというもの。そうは言っても死人は出てるし戦況は最悪。下手に嬉々を知られればホシはよく思わないだろうし吊り上がる口角を純粋な筋力で押さえ込んでいた。

 

「ではどうしますの? 上にいる灼熱大公さんは『強い』ですわよ。かと言ってあの方の異能は見るからに炎系ですし妾ぶっちゃけ死にますわ」

 

「じゃあ私が対処します。ギロンは他二つの反応のうち……そうですね。一つは周囲に結構な数の生き残りもいらっしゃるのでどうにかなるかもしれませんから、もう一つの方を頼みます」

 

「ホシ、ヤケになってません?」

 

「まさか。もう泣いて逃げ出したいくらい最高の気分です」

 

 そう言って、ホシとギロンは地上に出ることにした。

 その間彼女達はすぐ近くにいたリスカには一言も話しかけず、まるで居ないもののように扱い、今度はそれに関してすら触れる者もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「…………なんで、なんでまたアイツが」

 

 

 リスカ・カットバーンの中で、リスカ・カットバーンは自分を客観的に見つめる。

 今の自分の思考力は10年程前の自分程度まで下がっている。精神強度で言えばその頃の方がマシであったが、未成熟な在り方というのは感情への対策ができない。

 

 その点で言えば、自分はそれに優れていたと自覚している。

 どれだけ怖くてもどれだけ痛くてもどれだけ苦しくてもどれだけ嫌でも。自分の想像通りに体を動かすことだけは出来てしまう。

 でも今はそれすら出来ない。最初の挫折、絶対に忘れられない苦い思い出。『あの日』以来一度だけかつての故郷に訪れたことがある。そこで見た光景は忘れることは出来なかった。

 

 

 既に炭となっている知っていたはずの『誰か』。

 燃え尽きることなく燃え続ける不壊の炎。

 彼から全てを奪った暴威の業火。

 

 

「無理、無理無理無理。怖い怖い怖い! 絶対に無理!」

 

 

 折れた腕、焼けた家、燃える人、異形の巨躯。そして、忘れるわけが無い自分を助けてくれたあの日の少年の横顔。

 痛みで狂いそうだったあの時は気が付かなかったけれど、彼は確か泣いていた。私を助ける為だけに、他にあったはずの大切なものを切り捨てる選択をした、させてしまった、させられた。

 

 そんな相手許せるわけがないのに、それ以上に怖すぎて体がまともに動かない。自分と彼から何もかもを奪った、アイツさえいなければこんな怖い戦いに身を投じることもなかったかもしれないのに、腕がへし折られる痛みも恐怖も知らずに過ごせたかもしれないのに。

 

 

「助けてよ、──────」

 

 

 勇者と呼ばれる少女は小さく幼馴染の名前を呟いた。

 もちろんこの場に彼はおらず、それどころか少女は既にひとりぼっち。

 

 残酷なまでに決戦は彼女を待つことなく始まってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして、いやさっきぶりと言った方がいいですかね?」

 

「……ホットシート・イェローマムか。生きていたとは」

 

 逃げれば良かったとホシは思った。

 目の前に立つ自身の2倍はあろうかという巨躯を持つ深くローブを被ったその魔族は手負いであった。

 奇襲を受けたとはいえここに集まった者達は皆一流。そこらの魔族程度ならば傷一つなく鮮やかに殺してみせただろう。

 

 だが、そんな人間達は既に皆燃え尽きていた。

 そこら中に転がる肉体は全て既に魂を失い、宿っていた祝福すら消えうせた炭である。本来ならそんな状態になれば炎も消えるはずだが延々とその体は死してなお焦がされており、死体を取り込もうと下手に触れようとすればあの『異能』の炎に焼かれることを直感させた。

 

「死体を取り込み、自らの肉とする異能だろう。我の炎により焼かれた身を使うのは推奨しない」

 

「忠告どうも。こちらとしてもこんな汚らわしい炎で焼かれた死体使いたくもないですよ」

 

 魔族は言葉を重視する。話すのが好きなのではなく、単純に人間は『会話出来る』相手への攻撃を多くの者が躊躇うことを本能的に理解し、戦闘の手段として使う。

 だからホシはそれを利用する。1秒でも長く話して、1つでも多くの情報を得る。そうでもしなければこちらの異能が知られている上に()()()()()に勝つだなんて不可能だ。

 

 転がっている遺体はどれも一線級の『勇者』の者。単純な能力の出力ならリスカにも優る者もちらほら。それだけあってか目の前の魔族も無事ではなく左腕の前腕部にぽっかりと穴が穿たれ、胴体の裂傷から血を流している。

 逆に言えばそれだけのダメージを受けても戦ってちゃんと敵を殺せる相手だ。ますます戦いたくない。というか帰りたい。どっかに帰って、お酒飲んで寝たい。

 

 あ、あの死体『陥穽』の勇者ちゃんじゃん。いい子だったし良い祝福持ちだから生き残ると思ってたけどなぁ。最後まで槍を握っていて勇敢な子だなぁとか。

 あっちの死体は多分『赤腕』の勇者かな。臆病ではあったけど決して間抜けな人物ではなかったから奇襲をかけられたと気がついた段階で立て直しのために逃げようとしたのだろう。でもまぁ死んでしまったみたいだけど。

 

 

 見たくない光景ばっか目に入る。

 それだって仕方の無いことだ。ホットシート・イェローマムは今、2000年振りにとある感情を思い出していた。

 

 首に纏わりつく蛇のような寒気。肝から絞り出された汁をひっかけられたかのような不快感。

 

 

 

 この魔族は自分を()()()()()()()()

 第六感か経験則か。なんにせよ、そう確信できる緊張が空気に満ちている。

 

 

 

「さて。神官としては亡骸への過剰な攻撃は咎めさせて頂こうと思うんですけれど」

 

 心にもないことを口にしたせいか、ほんの少しだけ声が上擦った。

 

「そうか。こちらも仲間を殺されてそれなりに腹立っているからな。そら、かかってこい」

 

 魔族の言葉は本心からにも、完全なる虚偽にも聞こえる。自分も同じ魔族だったはずなのにどこで間違えてしまったのかと、大きく大きくため息を吐いて、神官は一言。

 

「……ホットシート・イェローマム。(わたし)の名のもとに邪魔者は蹴散らさせて貰います」

 

「魔王軍幹部、『灼熱大公』の異名()を賜りし槍兵、アグネだ。邪魔者は燃やす」

 

 

 生死を賭けた戦い。本当の意味でそんなものと出会うのは生まれてからも死んでからも初めてだ。

 魔王軍幹部と真正面から一対一で勝った者は少なくとも認知されている中ではリスカ・カットバーンとギロン・アプスブリ・イニャスの2人だけ。他にも討伐記録がない訳では無いが、それ以外は『勇者』数人がかりが基本である。

 

 そんな相手に自分だけでとか有り得ない。そもそも戦闘は得意というわけじゃないのになんでこんなことしなくちゃならないんだろう。こんなことならスーイじゃなくて自分があの人を送っておくんだった。

 

 そうやって嫌な理由を並べて並べて。

 なのに感情はどうしても隠せない。自分すら騙して死んだ魔族らしくもなく、自分に嘘をつくことが出来ない。

 

 

「…………あ、そうか」

 

 

 コイツが私を殺せるってことは。

 私はここで死ねるってことじゃないか。

 

 

 間合いを詰めるべく目の前の魔族の脚の筋肉に力が篭もるのを呆然と見つめながら、それでもホシはその場から動くことなく、吸い込まれるように槍の穂先へと近づいて……。

 

 

 

 

 

 

「いや普通に痛そう!?」

 

 

 

 

 

 すんでのところで人体の構造的に捻っちゃいけない部分を捻ってそれを躱した。

 

 よくよく考えてみれば死者を殺せる炎とかめちゃくちゃ痛そうだし普通に嫌だ。痛いのも苦しいのも嫌いだし、2000年もそんな感覚ほとんど忘れて過ごしていたから今更思い出したくもない。

 

「でも、やる気がイマイチ乗ってこないのも事実なんですよねぇ……」

 

「なら悪いが道を譲ってもらおうか。こちらの第一目標はリスカ・カットバーンの首なのでな」

 

「あ、どうぞどうぞ。勝手に探してください。その間に貴方の首を落とさせてもらうので」

 

 とりあえず、ホシは後ろに下がって間合いを詰められないようにする。槍は間合いの内側に入れば脆いとか誰か言ってた気がするが、そもそも相手の間合いに入る前にぶち抜かれるからあまり意味が無い。

 かと言ってホシは魔術は基本的に回復系専門であるし得意分野でもない。

 

 ならばと、体を練り直す。

 ホットシート・イェローマムは戦いとなればリスカのようにあらゆるものを切断して突き進むような理不尽さも、スーイのようにどんな奇跡も掌の明かりに乏しめる輝きも、ギロンのような……なんかよくわかんない底力もない。

 

 けれどホシはそれを誰よりも近くで見てきた。ホシはそれらを補うように立ち回ってきた。

 異能『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』は、死体を操る異能だ。ただそれだけで、ホシは生命を犯す災害へと至った紛れもない極点の一つである。

 

 

星体模写(スピトゥ・セイント)、リスカ・カットバーン」

 

 

 見た目上は質量を無視した肉の塊がホシの体からぬるりと飛び出していく。

 赤色の髪の毛、赤色の瞳。その姿を知らぬ魔族はもはやこの地のどこにもいないと言っても過言ではない。

 

 リスカ・カットバーンが確かにそこに現れていた。

 

「ほらどうぞ。お望みの勇者様の首、好きなだけご用意してあげます。ホシちゃんってば優しい聖女様なので」

 

「ほざけ。そのような人を喰らう獣の笑みを浮かべる聖女なぞいるものか」

 

 屍肉から作られたリスカの肉人形は、当然ながら祝福を持たない。彼女が振るう剣は物理法則に従って切れる物しか切れないし、その肉体も同じく通常の物理法則通りに切断される。

 だが、それを踏まえてその肉人形がアグネにとって無視出来るものであるかと言われれば答えは当然(ノー)

 

 リスカ・カットバーンが祝福にだけ頼った女であったのならば、彼女は魔王軍幹部の首に届く前にそこらの魔族に嬲り殺しにされていたであろう。

 

 アグネが突き出した槍を、ほんの数cm体を傾ける最小限の動きで肉人形は避ける。何も不思議なことは無い。この肉人形の元となった人物であれば、たとえ祝福なんてなかろうともその動きが可能だからと当然のように魔王軍幹部の凶槍の一撃を避けてみせる。

 

「ッ、見た目だけの木偶では無いということか」

 

「いやその女見た目だけで中身デクデクですよ。どうぞ好きに殺してくださいな。()()()()()()()()()()()

 

 その肉人形に祝福はない。ならば、とアグネが払うように放った炎で一瞬にして溶け落ちて動かなくなるが、それはただ1つ人形を壊しただけだ。

 ホットシート・イェローマムは既に個体と言うよりは一つの『世界』であり、彼女を殺すには世界をも滅ぼす出力が必要である。

 

「……何たる悪夢か。魔王様が出来れば周りにいる者達も殺せと仰っていた意味がようやくわかった」

 

 前を向けば3人の『切断』の勇者がこちらへと向かってきている。

 さらに上には羽を生やした同じ人間が、横からは挟撃の為か左右から2人ずつ。更には背後からも1人。

 そのどれもが全く同じ力量、祝福や異能無しでの斬り合いならば魔王軍幹部と同等であるそれはなんのリスクもなく神官が指先を弄ぶついでに量産されていく。これ程の兵士を1人生み出すのにかかる年月、費用を考えればこの異能の所有者を生かしておくという選択は誰にも出来はしない。

 

「優先順位を変更だ。まずは、貴様に対処しよう」

 

「何言ってるんですかぁ? 今、私が上で貴方が下です。早いところ手の内を見せてくださいな」

 

 祝福/異能の用いられる戦いで最も重要なのは相手の手の内を知ること。相手がどのような能力を持ち、どのようにしてこの世の在り方を歪め、こちらの身を滅ぼす災厄を巻き起こすのか。

 それだけを見ればホシは優れた戦闘の才覚を持っていると言えただろう。彼女の異能は手数と多彩さが武器であり、『死体を操る』という概要を知っていても彼女の手数を読み切ることは不可能に近い。だからこそ、彼女はそれを利用して相手の持てる札を全て吐かせる。万が一の逆転をも封じた上で確実に殺す。何も間違っていない、教科書に載せたいくらいに綺麗な戦い方だ。

 

 

 

 

「『千紫蛮紅(カロス・コキノ)』」

 

 

 

 

 忘れてはならない。

 魔王軍幹部は個体ではなく世界を滅ぼす災害であることを。その戦い方は嵐を前にしてようやく戸を立てる様な悠長な行いであることを。

 

 

 

 ホシは一度だけ瞬きした。それは生理的な反応と言うよりは生きていた頃の『クセ』を真似したもので、一応人間として生活するために不自然さを減らす為のものでもあった。

 

 ただ、その一瞬の瞬きを永遠に悔いた。()()()()()()。炎が吹き出して肉人形が一瞬にして全て焼かれて行動不能にされるその瞬間を見ることが出来なかった。

 

「さて、今度はこちらが見定める番だ。次の手は、どう来る?」

 

 フードの奥のアグネの瞳が赤く煌めく。睨みつけられただけで体の重さが数百倍になったかのようで手足に軽い痺れすら生まれてくる。

 

星体模写(スピトゥ・セイント)、ギロン・アプスブリ……ッ!」

 

 生み出した肉人形を盾にして投げつけられた炎の槍を何とか押し止める。

 

「肉人形は飽きた。次」

 

「飽きたって……私は曲芸師じゃないんですよ!」

 

 足を変形させて移動速度に特化させる。アグネはその場から一歩を動きもせず、異能の炎の放射と槍の投擲だけを行っているが、それだけなのに一歩も近づくことが出来ない。

 

「私なんか本気を出すまでもない、ってことですかそうですかそうですか。ならこっちにだって考えがありますからね」

 

 相手の異能による炎は間違いなくただの炎では無い。その性質がわかるまでは接近戦も的を広げる質量攻撃も使うことは出来ない。その為の星体模写(スピトゥ・セイント)であったが、これは生物の肉体を再現する都合上、大抵の生物の弱点である炎とは相性が悪い。てっきりあまり炎は使えないと思っていたが普通に全方位に絶え間なく熱を放てるなら尚更だ。

 

「次の手は思いついたか?」

 

「手加減してくれてるお陰様で、考える時間が出来ましたよ。星体模写(スピトゥ・セイント)、──────ベルティオ」

 

 

 ほんの一瞬、動きの止まったアグネを見てホシは心の底から安堵した。

 コイツらにも仲間意識とか、そういう感情があってくれて助かったと、魔王軍幹部の1体、ベルティオの肉人形をなんの容赦もなくアグネの元に向かわせながらホシは笑った。

 

「貴様、コレは」

 

「ただの肉人形ですよ。あ、もう一体追加します? 今度は……コイツとか」

 

 続いて作りだした肉人形も同じく魔王軍幹部、かつてはエウレアと呼ばれていた個体を再現したものだ。この2体は異能なしの身体能力や戦闘技術も高い。

 ついでに貫くのを躊躇ってくれるなら僥倖。あと数体ほど作っておくことにしよう。

 

「……やめろ」

 

「やめろ? 随分上からですね。頼む時はやめてください、って言うんですよ」

 

「このような行為が許されると思っているのか」

 

「どうですかねぇ。まぁ別に貴方に許されなくても何も問題は無いかなって」

 

 敵の逆鱗に触れ、感情を乱しそこから崩す。真っ当な戦法ではないとは思えどそれはやめる理由にはならない。信念、道徳なんて言葉は生者が机の上で語るもの。死者が戦場で考えるべきものでは無いのだ。今考えるべきなのは誰がどう思うかじゃなくてここをどう切り抜けるかなのに。

 

 体のどこかで、『彼』だったらどう思うんだろうなんて事を考えている。余計な思考だ。そんなことを考えながら勝てる相手じゃない。

 

 もっと手数を用意しろ。卑怯な策を用意しろ。

 後天的に得た人間性は必要ない。残酷なまでに悪辣に敵を削れ。気が付けば顔からは笑顔どころか表情が消えていく。いや、『顔』という部位も保っている必要は無い。

 だから戦うのは好きじゃないんだ。こうなってくると自分が『ホットシート・イェローマム』である必要性が薄れてきてしまう。それを実感するのが嫌だからホシは戦いが好きじゃない。

 

 

「だが助かったぞ。おかげで久方ぶりに何も気にせず怒ることが出来る」

 

 

 既に相手の言葉に対し無礼な返答をして神経を逆撫でする、という思考も放棄していた。何故高熱の放射を連続的に行わないのかは恐らく肉体に負担がかかるからだと判断してホシは近接戦に切り替える。好きではないだけで、肉体に可動域の限界や定形が存在しない彼女はむしろ得意ですらある。

 狙うはまずは負傷している左手。既に機能的には狙う必要性が薄くとも対生物ならば相手の失血を狙うのは非常に有効な攻撃だ。それから深くは踏み込まず、細かい攻撃で持久戦を狙う。下手に大ダメージを与えれば捨て身の一撃もありえなくはないからこそ、相手に最後まで拮抗していると思わせた上で殺す。

 

 

 そこまで考えて近づこうとしたあたりでホシは無様に地面に寝転んでいた。

 

 

「…………? あれ、え?」

 

 

 こんな時に何をしているんだろう。さっさと体を起こそうとするけれど末端に力が入らない。仕方なく胴体から腕を追加で生やして起き上がろうとしても、作り出した腕にさえ力が入らない。見れば視界の端で作り出した肉人形達も同じように倒れて芋虫のように蠢いている。

 

「ようやく効いてきたか。敵ではあるがその魂の総量には敬意を表そう。さて」

 

 足音が一歩ずつ近づいてくる。

 逃げなければいけないことはわかっているから、あらゆる手を尽くして体を動かそうとするがどうにもならない。四肢が動かないと言うよりは体を動かすという機能そのものが弱っている。

 そんなあまりに無意味な分析を終えた頃、長槍を携えた魔族はホシの首にあたる部位にその槍を押し付けながら、口を開いた。

 

 

「交渉を始めようか。口が動く内に返答した方が賢明とだけは言っておこう」

 

 

 最初から、戦闘をしているつもりだったのは自分だけであったと。

 例えようのない絶望の中でホットシート・イェローマムはその事実を思い知ることになった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

「えーっと……いや、嘘ぉ、ですわ」

 

 

 同時刻、ホシに指示されて別の場所で他の魔王軍幹部クラスの反応を追ってきたギロンはそんな声を漏らしてしまった。

 目の前にあったのは、塵の山。かつて人間であったかもしれないその山の上で彼女を見下ろしていた人影をギロンはよく知っていた。出来ればちょっと気まずいしもう会いたくないと思っていた。

 

「『離散』、『極光』、そして『禁術』。めぼしいのはこれで全部か……いてて、さすがにどいつもこいつも一筋縄じゃいかなかった」

 

 腹に深く突き立てられた短剣よりも、頬についた浅い切り傷を抑えながら、人類の最高戦力の『勇者』に与えられた二つ名を首級のように呟くその女の魔族をギロンは知っていた。一度会ったら忘れられない、もしも彼と出会っていなければ自分が彼女に心酔していたかもしれない『もしも』すら想像出来る、そんな相手。

 

 

「お久しぶりですわね、魔王様」

 

「んー……あ、ギロン。うん、久しぶりだね。元気だった?ワタシは今めちゃくちゃお腹とほっぺたが痛い」

 

 

 

まるで買い物帰りの井戸端で出会ったような気軽さで。

魔族の王は戦場に降臨していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・『星体模写(スピトゥ・セイント)
肉体情報からその人物のコピーを作り出すホシの得意技。再現出来るのはホシがどのような形であれ一定量の肉体情報を獲得した相手のみかつ、生物的に再現出来る相手なのでギロンが死体を全部食べちゃったグレイリアやそもそも生物として次元が違うスーイは再現できない。当然、祝福/異能も再現できない。あと他のパーティメンバーから「さすがにどうかと思う」「普通に私達も同じことされたら怒る」と2名から不評なのであんまり使わない。

・ホシ
上記能力を割と躊躇いなく使うタイプ。そもそも体が誰かの死体で構成されているので割と今更。

・アグネ
魔王軍幹部。リスカと従者くんの故郷を近くを通り過ぎただけで滅ぼした。ベルティオとはかなり親しい間柄だったらしい。




・魔王様
部下が心配なので来た。







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魔術師さん走る

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ待って!? これ今どういう状況!?」

 

「魔王軍幹部に狙撃されてるところかな。うん。ちょっとやばいねこれ」

 

「それはさっきも聞いた。俺が聞いてるのは、なんで()()()()()()()()ってことだよ!」

 

「君は狙われてないから安心していいよ!」

 

「わかってるけど! 傷つくから言わないで! わかってるけど!!!」

 

 されど彼の疑問は最もだと、結界を構築する手を止めずにスーイは思考を重ねていく。

 相手は間違いなく、以前にも自分を狙撃してきた魔王軍幹部だろう。一撃目の狙撃魔術のクセでそれは見抜いたがそうなれば恐ろしいのはリスカ達の方。

 

 戦力を結集させるなら向こうにだろう。リスカ達を抜いても今向こうには人類の精鋭達が揃っているのだ。残りの魔王軍幹部は恐らく3体。この状況は魔王がそのうちの1体をたった1人相手に割く余裕がある、と判断したことに他ならない。

 すぐに戻って状況を確認したいところだが、今のところ『彼』がいる。翼を使えばこんな距離一瞬であるけれど、それは彼に全てを見られることと同義である。

 

 そもそも、自分が翼を広げて逃亡すればほぼ間違いなくこの狙撃手は彼を射殺する。それを避ける為に理想は相手の狙撃地点を把握し、こちらも狙撃で相手を倒すことなのだが……。

 

 

「いやぁ、凄い腕前の狙撃魔術だねコレ。魔族にも魔術の体系的な書物があったりするのかな? それとも口伝? 少なくともこれは一代で為せるモノじゃない。異能との合わせ技かな? 一発ごとに射撃位置と思われる場所が大きく変わっていて追うのも予想するのも困難、しかもこれ物質依存系じゃなくてエネルギー系の射撃かぁ。エネルギー系は短距離向けなのに狙撃でコレを使ってるのはもしかして私と同じく繋がりを追う類の術を警戒してるのかな? それとも証拠を可能な限り残さないためか。あとこれ防御系の魔術と生体に対してのみに威力を絞ってるから……」

 

「スーイ、スーイさん! 戻ってきて! 今マジでやばうわぁっ!? 結界破られたぞ!」

 

「ありゃ仕方ない。姿隠しはさっきやって意味なかったから走るよ!」

 

 

 そう簡単にやらせてくれるほど向こうも甘くはない。どうしたものかと脳みそを捻ってみる。果てさて、本当にどうしたものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何アイツら……狙われてる獲物の自覚がまるでない」

 

 羽根のように背中から伸びる長い腕を持つその魔族は、望遠鏡(スコープ)越しに逃げる獲物を眺めながら苛立ちを隠さずに吐き捨てる。そもそも白一色のその部屋に彼女以外の生物はおらず、独り言にしてはあまりに大きく尊大だ。

 

「やっぱ私なんかじゃ力不足ってことかな。きっとそうだ。私がクソエイム晒してるから油断しているんだ。もうダメだおしまいだ。確実にアイツらに逃げられる。私は前もそうだった。あの空飛ぶ精霊(エルフ)は絶対殺したと思ったのに殺せてなかったし魔王様の顔に泥を塗るのが得意技の泥パック職人か? 死ねよ」

 

 尊大かと思えば、今度は勝手に卑屈になる。射撃に特化した形に変化した背腕の内の一本、狙撃銃のような形態のそれをこめかみに押し当てて魔力を込めようとする。

 

「ごめんなさい魔王様。私はこれ以上貴方の覇道を阻む泥沼になってしまう前に潔くこの生に終止符を打ちま──────」

 

 魔力を射出する瞬間、彼女の目に止まったのは紙に視覚情報を写し出す魔術によって作られた、魔王の肖像画だった。白一色のその部屋でそれだけが色を纏って何よりも目立つように配置されていれば、どんな時でも自然と目に入るのは当然のことだろう。

 

「そうだ。私は任されたんだ。魔王様に任された。アグネでもラクスでもなく、私に任されたんだ。この私、魔王軍幹部、『迷宮』のヒルカに任してくれたんだ」

 

 初めて異名()を貰った時のことを思い出す。

 自信満々で名付けてくれた割にはちょっとダサいなとか思ったりもしてしまったけれど。それでもこの『迷宮』の異名は世界で只ひとつ、自分だけが魔王様より賜った大切な大切な繋がり。

 

「何も考えるなヒルカ。お前は決めたんだろう。魔王様の敵になるものを全て穿つ為に、それ以外の全てを捨てると──────決めたんだ」

 

 白い部屋の中心に座り込み、目標の位置を確認する。木々が生い茂る森に逃げ込まれ視界は最悪。観測は困難、ついでに向こうは機動力がかなり高く狙撃されることに慣れている。おまけに一度、こちらの狙撃はあの精霊(エルフ)に対して失敗している。

 

「はぁ……。ちょっとこれはあまりにも……」

 

 狙撃手として完成されたその魔族の体は狙撃に必要な要素を全て計算し、1つの結論を弾き出す。

 

 

 

「イージーモード。一昨日来やがれですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スーイの、と言うより精霊(エルフ)には痛覚が薄い。より正確に言えば『危機感』が薄いのだ。腹に風穴を空けられようとも別に放っておけば治るのだから痛みを感じる理由もない。

 

「……痛い、えぇ!?」

 

 右足に風穴を作られて発生したその痛みに、スーイは本当に心の底から驚いた。

 

「スーイ、足!」

 

「気にしないで。これくらいなら、まだ走れる」

 

 走れることには走れるが、それでも痛みと脱力感で全速力とはいかない。

 そもそも、スーイは常に全身に魔力による防御を纏っている。これを初見でぶち抜くのなんて祝福や異能の力を考えなければ相当な腕の魔術師以外には不可能だし、潜り抜けたとして見た目以外はこの世界のあらゆる生き物と構造の違う精霊(エルフ)の足が動かなくなるように的確に狙撃を行い、しかもそれを当てるとなればそんな魔術師はこの世界に自らの師匠以外存在しないと思っていた。

 正直ちょっと興奮の方が強くなってきていたが、これはどうにかしなければ自分以外、特に今も後ろをついてきている彼も殺されるかもしれない。

 

「ねぇ、狙撃手の姿確認できた?」

 

「こんなこと言いたくないけど、スーイに見えないものが俺に見えるわけがない!」

 

「だよねー……知ってた」

 

 まず最初に狙撃系の異能を持つ相手で、魔術による移動を使っていることを考えた。

 だが、瞬間移動は短距離でもかなり複雑な術式だし、使えば当然痕跡が残る。その痕跡を辿って見つけてやればあとは転移直前に術式に介入して地面にでも埋めてやれば終わるのだが世の中上手くはいかない。

 

 予想される狙撃地点を遠視で確認しても痕跡ひとつないのだ。こうなればスーイの自動防御をぶち抜いてくる狙撃は本人の腕であり、移動の方に異能を使っていると考えるしかない。

 

「その、結構足から血が出てるけど大丈夫なのか……?」

 

「うん。気にしないで。とにかく今は足を止めない方が重要だ」

 

 スーイの視点から、今のところ不可解な点は2つ。

 まず相手がどのようにこちらを視認しているかだ。現在スーイ達は元いた道を離れ、深い森の中に逃げ込んでいる。幾ら高台に陣取って俯瞰してもこれを見つけるのは無理があるだろう。魔術を使わずに本気で隠密したスーイを魔術的に見つけることは不可能に近い。

 そして2つ目は先程から考えている狙撃方法だ。1発1発撃つ事に狙撃地点がありえないほど変わっている。その上痕跡は無い。

 

 この2つのどちらかが異能、または両方異能による力だろう。これだから、とスーイは異能のことを考えて大きくため息を吐いた。

 基本的に祝福や異能は『なんでもあり』。物質強度を無視した切断や運動量の強制奪取、条件を満たした物質の自由操作。論理的な考えは無駄、積み重ねた美しさが無いからあまり好きではない。

 

「でもまぁ、面白くはあるよね」

 

「スーイさんってば、本当にそんなこと言ってる余裕ある!?」

 

「ないよ」

 

 あらゆる物質を切断する能力を転じて自身の肉体に降りかかる切断を伴う現象を全て否定したりする者もいる。与えられた力に驕らず研磨を続けるその姿勢は非常に好ましい。今戦っている相手もその類だろう。そうでもなければ自分がここまで追い詰められることもあるわけが無い。

 

「ないって……じゃあ尚更どうにかする方法を考えなきゃ」

 

「ないんだよ、どうにかする方法が」

 

「……諦めるってことか?」

 

「違う違う。この状況を作った時点で相手の『勝ち』ってこと」

 

 もしもここにいたのが自分とリスカ、ホシ、ギロンの誰かだったら。もしも自分達がこの道を通っていなかったら。もしも、もしも、もしも。様々な可能性が考えられる中で敵はその最善を引き寄せて見せた。

 

「私とて魔術である以上は狙撃に心得はある。けれど、相手は私が魔術に全てを賭けてきたように、()()()()()()()()()()()。そうである以上、この状況の時点で向こうの勝ちだ。……認めたくないけれどね」

 

 だからって負けだ負けだと諦めて脳みそぶちまけるのを大人しく待てるスーイでも無いし、勝てるかもしれない策がだいたい10個くらい思いつく。でもそれはどれも今この場で『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)』を使う必要が出てくる。

 

 それは、なんか嫌だ。

 だって彼に見られるし。正直カッコイイ翼だとは思うけどどっちかって言うと可愛くてクールな自分にはあんまり似合わないと思っているし。男の子はああいう無骨(ゴテゴテ)な兵器はギロンみたいな女が持ってる方が好きそうだし。

 

 あと使ったら前に師匠として一度会ってることも多分バレる。それも嫌だ。ずっとこうしてついてきてたのがバレたら情けないし恥ずかしいし、もしかしたら彼本人が自分の努力をどこかで『彼女(スーイ)のおかげ』と否定してしまうことに繋がるかもしれない。

 

 だから、翼は使いたくない。

 それはスーイにとって、スーイが人生を楽しむことにおいて最も重要なこと。簡単に譲れるような理由では無いのだ。

 

 

「うーん……ほんとどうしようかねぇ」

 

「なんか軽いけど、これもしかしなくても絶体絶命だよな?」

 

「うん。まぁ君はしばらく大丈夫だろうけど私が死んだ後敵としても生かしておく理由ないだろうからね」

 

「頼むからもう少し真面目にやってくれよ……俺はついさっき、スーイのおかげでここで死ねない理由を見つけたばかりなんだから」

 

「失礼な。私はいつだって大真面目だよ。特に魔術が絡んでる時にこの世界で私より真面目なやつなんていないと言っていいくらいにね」

 

 実際スーイは口調こそ軽いが意識の殆どを思考と検証に費やし、どうにかして敵を倒す方法を練っていたがやはり前提条件が悪過ぎる。

 一方的に、相手の得意な戦場で、相手からの不意打ちで始まった戦闘。むしろここまでちゃんと生きてるのが奇跡だろう。

 

「……俺に協力できること、なんかある?」

 

「あるけれど……やったら死ぬ確率がだいたい半分だよ?」

 

「なんもやらなきゃ100%死ぬなら十分すぎるな」

 

 この人間に聞くだけ無駄だったと、にやけそうになる口元を必死に抑えて作戦の内容を話す。彼はいつだって諦めない。どんな時でも君は全力で生きて、全力で壁を乗り越えようとする。短い一生をさらに燃やし尽くして、彗星のように美しく空を駆ける。

 

 

 

 

 気が付けば、口元にあった熱はすっかり冷めてしまっていた。その理由を私は自覚できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘ぉ…………なに、え、頭おかしいんですかぁ?」

 

 白い部屋の中で、敵の姿を捉えていた魔王軍幹部、ヒルカは目の前の光景が信じられずに一応頬を抓って、目を擦って、幻覚が十八番の仲間であったノティスが死んだことを思い出して。とにかくあらゆる方法でこれが夢ではないことを確認した上で改めて突きつけられた現実にため息を漏らした。

 

 

 魔王様には確かに『精霊(エルフ)の魔術師』と『これといって特徴のない人間』の2人組の両方を殺せと言われていたけれど、優先するのは精霊(エルフ)の方と言われていたし、事実精霊(エルフ)の方が明らかに優先するべき敵、むしろ精霊(エルフ)の方は人間の方を庇っているようにすら見えたから人間はまず殺さないようにしとこうさえ思ってたのに。

 

 

 人間の方が

 これといった装備もなしに

 無防備に飛び出してきた。

 

 

 これはもしかして丸腰の人間一人を射殺できない雑魚だと侮られたのだろうか? そうだ、そうに違いないと勝手に思い込みもう一度自殺しかけたところでなんとかヒルカは正気を取り戻す。

 

 張り巡らせた『目』を使っても魔術師の方は捉えられない。比べて人間の方はどの『扉』を使っても射抜けるってくらい格好の位置に飛び出してきた。両手を挙げて、降伏でもしているかの様子。これを撃たなくていつ撃つんだというような絶好の獲物。

 

 

 

 どっからどう見ても()()()()()

 

 

 

 そんなことはわかっているけれど、じゃあどうするかが問題だ。こうしている間に姿の見えない魔術師がなにか企んでいるかもしれない。魔術を使えばすぐにこっちでその反応から座標を読み取って狙撃ができるが、その準備が祝福や異能の準備だったなら時間を作らせるのは危険だ。

 

 まさかこの人間を捨てることにしたのか? 

 でもその割には直前までの行動があまりにこの人間を庇っていた。

 急に思考を変えた? 

 この状況ならそれもありえなくはない。

 

 でも、だけど。

 コイツらはあの『切断』の勇者の仲間だ。そんな甘えた考えを持ったヤツらがエウレアを、ベルティオさんを、グレイリアを、ノティスを倒せるわけが無いし、魔王様が直々に殺すように言ってくるわけがない。

 

 だからコイツらは諦めていない。最後の最後まで、コチラの首元に食らいつく闘志を失わない。ヒルカの遺伝子に刻まれた人間という獲物の恐ろしさがはっきりと、両手を挙げて照準のど真ん中に映るその人間の瞳の炎に警鐘を鳴らしている。

 

 

「こちらとしても逃げ回られるよりはよっぽどいい。一撃で楽にしてやりますよ」

 

 

 敵の作戦として考えられるのは一つ。

 的を出して、ある一点の局所防御でコチラの弾丸を受け止める。恐らく魔王様が名指しで殺害するように言うほどだ。実態のないエネルギー弾だろうがなんだろうが一瞬でも受け止められれば捕まえられるだろう。

 だが、その対策は済ませている。現存する防御系の魔術ならばヒルカの狙撃は全て貫ける。それが魔術によるものの時点でそれは問題ない。だが、本当の本当に狙いを一点に絞って、超局所に術式を集中させて効果を高められれば分からないかもしれない。

 

 

 ではどこを狙えばいいか。

 普通に考えれば頭か心臓だ。当たれば死ぬし安牌だろうけど、多分向こうもここに防御を集中させてくる可能性が高い。半分の確率で殺せるなら悪い賭けではないし……と、安易に撃とうとしたところでヒルカの中の妄想(イマジナリー)魔王様が声をかけてきた。

 

『ヒルカ。無駄弾はよくないよ。相手は確実にその『無駄』からアナタの喉を食いちぎりに来る』

 

「さすが魔王様……的確なアドバイスだぁ……尊敬してしまう」

 

 急いては事を仕損じるとは人間の言葉だったか。それでも今はそれが正しいのだろう。ならば狙うは足、それも大腿が良いだろう。あの魔術師がこの人間を庇っているなら尚更だ。コイツを歩けなくすれば向こうを仕留めるのも楽になるし、大腿ならば出血多量で殺せるかもしれない。治癒なんて悠長な隙を見せれば射殺されることは向こうもわかっているはずだ。よし、大腿だ。利き足を狙いたいところだがそれも読まれていそうだから左脚を……。

 

 

『本当に、それでいいと思うの?』

 

「魔王様ッ!? いやお前は魔王様じゃない! いや魔王様!?」

 

『落ち着いてヒルカ。とりあえず、ここで仕留めにいかないというアナタの考えはとても正しい。けれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

 

「た、たしかに……すごい説得力だ……」

 

 

 妄想(イマジナリー)魔王の発言は全てヒルカが考えたものであり、本物の魔王は全く関係の無い、れっきとしたヒルカの思考なのだが彼女はこうでもしないと自分の考えに自信が持てない。

 ヒルカという魔族は自分が好きではなかった。『迷宮』の異能は狩りに役に立ったし、一族で受け継いできた狙撃の魔術があればきっと生きることには何も困らない。()()()()()()。この世界にいてもいなくても誰も困らない、何も影響しない、誰とも関われない、関わる勇気もない、迷宮に閉じこもった自分に関わってくれる者もいるわけが無い。

 

 

 

『うひゃー、すごい迷宮だった。あ、キミがここの主かな? ワタシは魔王。いきなりだけど、私の──にならない?』

 

 

 

 そんなことを言いながら、このカビ臭くて薄暗い趣味の悪い迷宮を歩いて突破してきてくれたあの方の期待だけは、絶対に裏切りたくない。

 どれだけ自信がなくても、どれだけ自分を矮小な存在だと思っていても。それを理由に卑下することは期待してくれたあの方への裏切りだ。

 

『ヒルカはやれば出来るんだから。いつも余計なことを考えすぎなの。もっと肩の力を抜いて、ね?』

 

「──────了解」

 

 考えすぎと言われたならば考えるのをやめよう。

 ヒルカはその瞬間、本当に何も考えなかった。ただ敵を見て、ただ術式を起動して、弾を放ち、鮮血が舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『限界は三箇所だね。君の体の三箇所に座標固定で防御術式を貼っとく。ただこれをしている間は私は魔力の漏れを誤魔化すのと術式の維持とかその他諸々で他は何も出来ない』

 

『つまり賭けってことだろ。三箇所も貼れるなら十分勝ち目はあると思う』

 

『それで? 場所はどうする?』

 

『両足の大腿と心臓で頼む』

 

『…………頭は?』

 

『狙わない。向こうが狙わないに賭ける』

 

 

 心のどこかで今回も大丈夫だろうと思っていた。

 だって、彼はすごい人間だったから。私は彼のことがすごくすごく大好きで、キラキラ輝くお星様のような人だから、きっと今回も大丈夫だと、根拠もなく思ってしまった。

 

「──────あ」

 

 敵の狙撃が貫いたのは、彼の肩だった。

 腕がちぎれなかったのが奇跡のような重傷。失血、痛みと衝撃で意識のない体。赤色。

 

「なんで……」

 

 当然、覚悟していたはずだ。

 師匠みたいなすごい人でも、死には逆らえなかった。普通の人間である彼ならば尚更であろう。いつかその日が来てもグズってグズって、ずーっと泣き続けて我慢してやろうと、寂しく思いながら覚悟していたのに。

 

 いざ失うかもと、再び目にした時に思った。

 これはダメだ。耐えられない。自己の歪みとかそういうレベルのものでは無い。

 

 倒れた彼を庇うように立って、続け様の狙撃を胸に受ける。一個核が壊されたけどまだ大丈夫。背後で彼は意識を取り戻して、肩の痛みに耐えながら立ち上がろうとしている。

 この状況でも諦めないなんてやっぱり面白い、楽しい、とても綺麗。でももしかしたらそれがここで死んでしまうかもしれない。

 

 

 死ぬ。

 死、死、死。明確にイメージすればするほど今まで感じたことの無い何かが込み上げてくる。

 師匠が死んだ時、エウレアに彼が殺されかけた時、その時も込み上げてきたけど無視していた何か。でももう耐えられない。

 

 

 ずーっと我慢していたけれど、リスカと話している時の少し幼い表情に戻った君もホシと喋っている時の楽しそうな君もギロンと喋っている時のいつもより大人っぽい君も魔族と戦ってる時の真剣な君も地面に花を見つけて何となく踏まないようにしていた君も石ころに特に意識を向けていない君も。

 

 

 

 全部、妬ましかった。

 君の全てを、私だけのモノにしたかった。

 

 

 

 愛が花咲く。

 大切な人に教えて貰った在り方が、本能に侵食されていく。

 

 

 

 

 それは日記を紡ぐ少女のような愛。

 日記の中に綴られていた、夢見がちで恐ろしいその愛の在り方は外に溢れれば宝物を閉じ込める暴龍の如き、あまりに強欲な恋だった。

 

 

 

 

 

 

 

「──────拓け、『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)』」

 

 

 

 

 

 

 

 







・従者くん
この作品で上から数えた方が早い強めのメンタルを持つ。

・スーイ
この作品で下から数えた方が早い弱めのメンタルを持つ。肉体や魂の位が違うので本当の意味でこの生き物の『人生観』を変えることはできない。どれだけ焦がれようと人とは根本的に違う生き物。

・ヒルカ
リスカの次にメンタルが弱い。カスみたいな自信をイマジナリー魔王様で補完することにより生命活動を可能としている。




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星堕ちる、雪降る

 

 

 

 

 

 

 

 

「翼、ようやく本気出したかあの精霊(エルフ)!」

 

 相手が本気を出したということは、それは面倒になったことに他ならない。なのに、視界の先でこの世のものとは思えない不可思議な光沢を纏った翼を広げた魔術師を見てヒルカは笑っていた。

 

 アレは次元が違う生き物だと。

 間違いなく単体で国を滅ぼす災害、本来生命が関わるべきではない自然の具現化。大いなる大地(地龍)が空に在った時の翼。そんな御伽話がほら話では無いのだと遺伝子をぶっ叩かれたかのような衝撃。

 

 

 こんな恐ろしい敵を魔王様に任せて貰えたこと。

 ただその事実だけでヒルカはこれから数千年は生きていけるであろう喜びに満ち溢れていた。同時に、意識を失いそうになるほどの恐怖もあったが。

 

 

 だから油断はなかった。それどころか思考は複雑化し、収斂し、目の前の敵を穿つことだけを考えて槍のように尖り続けていたのに。

 

 

 

 

 既に、視界の中に魔術師の姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

「転移……?」

 

 

 

 

 ならばと、優先順位の変更。まずは既に逃げられるような傷ではない人間の方からトドメを刺さんと狙い見つけた瞬間に、『目』と『扉』が一つ破壊された。

 

「あんにゃろ、気が付いたか!」

 

 ヒルカの異能『甲乱乙駁(コーラー・レフコス)』は大して特別な異能という訳では無い。ただ『迷宮を作り出す』と言うだけの代物。それを周囲に小さな『扉』と呼ばれる出口と覗き穴である『目』を張り巡らせて、一定の範囲をどこであろうと見えて、どこであろうと狙撃できる狩場にしているだけ。タネが割れてしまえばすぐに対策されてしまう程度の異能でしかない。

 

 加えて、迷宮である以上誰であろうと入れる『入口』を用意しなければならない。まぁ当然迷宮なので入られた方が有利……と言いたいのだが、祝福や異能を持つ相手なら入られたら割とどうにもならないし加えて今の相手は正真正銘のバケモノだ。

 

「あんなの入ってきたら絶対勝てないなぁ……」

 

 だからこそ、ここで一方的に叩き落とす。

 幸いにも相手はもはや姿を隠すつもりが一切ないらしく、まるで火山のようなエネルギーの放出を隠そうともせずに空を舞っている。

 

「くっそ、舐めやがって……」

 

 その姿は先程までとは一転、油断ということすら烏滸がましいほどの無関心さ。翼から形質不明の魔力を常時放出しながら、欠伸をして地面を見下ろしていた。

 

『ヒルカ。わかってると思うけど』

 

「無駄弾はなし。わかっています。一撃とて無駄にできる相手じゃない」

 

 妄想(イマジナリー)とはいえさすがは魔王様。とても良い事を言う。

 だが今から撃つのは当たらない前提であるが無駄では無い。相手の今の状態を知る為の貴重な一射。以前の様に翼に一撃当てれば飛行制御をブレさせることが出来るかもしれない。

 

 そうして放たれた一撃。

 狙いは寸分違わず翼の付け根。これをどう対処するか、まずは見させてもらおうと。

 

 

 

 

 龍は、避けようとすらしなかった。

 大きな欠伸をして、ぼーっと空に浮かんでいるだけ。狙撃は確実に当てたはずなのに。まるでそんなものはなかったかのように先程までと何も変わらない。空に輝く星のように、その姿を変えることなく当然のように鎮座している。

 

 

 

「ミ ツ ケ タ」

 

 

 

 唇がそう動いたように見えた瞬間に、大地が脈動する。

 最初はあの魔術師がなにかしたのかとヒルカは考えた。だが揺れが大きすぎてこんなタイミングで地震が起こったのか、とも考えたがすぐに首を横に振る。

 

 目の前の敵は本当に大地を揺るがすような大厄災。この揺れは、奴が何かしようとしているのだと。

 周囲の地面や岩が捲れ上がり、魔術師の周囲に集まっていく。やがてそれらは研磨されるように、精錬されるように滑らかに流れながら形を変えて、指向性を持った巨大な岩石へと変貌する。

 

儀式用具(オブジェ)? いや、あの形……まさか!」

 

 地面に角を向けたその巨大な円錐の正体にすぐに気がついた。だって自分でももし自らの潜伏場所が気が付いたら出来るのなら全く同じ手段を取る。そんなこと普通は出来ないからやらないだけで。

 

「アレは、掘削機(ドリル)か!」

 

 巨大な円錐が回転を始め、同時に隕石のような加速が加わり地面に叩きつけられる。

 

「クソッ、クソクソクソッ! バケモノが!」

 

 あくまで落ち着いて、狙いを定めて狙撃は行う。掘削機の起動と維持、更に山と見間違うようなサイズのそれを押し込む加速。同時に出来るだけでも奇跡だがそれをしている故かの無防備。それとも、向こうも気が付いているのだろうか。

 

「なんで、なんで弾が通んないだよ! ふざけんな!」

 

 柔らかそうな部位、手足の末端から眼球、胸やら骨の隙間に相当しそうな部位、翼のような形状の魔力の噴出口まで。以前なら通ったはずの部位全ての硬度が変わっている。と言うよりは、狙撃弾の術式が肌に触れる寸前で何らかの障壁によって掻き消されている。奴を魔術で傷つけるのはほぼ不可能だ。

 

 どうしよう。流石に冷や汗が全身を覆いそうになる。ヒルカの異能は『迷宮を創り出す』だけだ。それでも魔王様の力になりたくて、自分にある狙撃だけを磨いて磨いて、どうにかしてこの席に並んだのに、やっぱり何も出来ない。

 ベルティオなら触れさえすればアイツがなんであろうと粉にする。グレイリアなら視覚的に捉えられるモノならお手玉するみたいに弄べるだろう。ノティスは自分より弱いけれど、彼女の霧があればそもそも無敵に近い。エウレアでもきっと融かして倒すことが出来る。

 

 でも、自分にはそんな力はない。

 世界を塗り替えるほどの力なんて、自分には無いと知っている。

 

 自分なんてドジで間抜けでひ弱で根暗でどうしようもなくていつもみんなの足を引っ張って助けて貰ってるのにどうしても素直にお礼も言えなくて本当にダメでダメでダメでダメで、あの方の傍になんて本当はいるべきじゃない存在なんだって。

 

 

 

 

「うるさいなぁ! そんなこと知ってるんだよ!!!」

 

 

 

 

 それでも撃つのはやめない。

 幻影に励ましてもらうのも終わりだ。だって、魔王様ならきっとここで諦めたりしない。あの方は私の事を、ただ届かない背中に手を伸ばすことしか出来ない臆病者に素敵な言葉をくれて、その()()()()()を認めてくれた。

 

 だから、あとちょっとだけ頑張ってみる。勇気と無謀を履き違えるな。勝てる見込みがない戦いは時間稼ぎか逃げに徹しろ。絶対に、無駄死にをするな。魔王様がいつもヒルカ達に言っていた言葉だ。

 

 でもごめんなさい魔王様。

 勝てる見込みはないけれど、私はここで逃げることは出来ないのです。

 

 

 

 

 揺れが徐々に強くなり、白一色の部屋の天井にヒビが入り、一気に崩れる。

 迷宮の壁を突き破り侵入してきた巨大な掘削機の先端が砕け、その内側より精霊(エルフ)の魔術師はトカゲのような冷たく鋭い瞳をこちらへと向けた。

 

「よ! さっきからちまちま豆鉄砲ご苦労さま。無駄だと理解してるのが魔術越しに伝わってきたのにやめなかったの面白いよねぇ。あ、せっかくだし」

 

 敵、とすら思われてない。

 道端に転がる石ころか、或いは踏み出した足の先にいることに気がついた虫。蹴り潰すか避けて通るか。そんな思考の暇を作り出したことが苛立たしいとばかりに見下し、嘲笑している。

 

「どうぞ。殺してくださいよ。どうせ逃げられませんし」

 

「それにしても空間生成系の異能かー。いやぁ臭い臭い。匂いですぐにわかっちゃったよ。翼を広げると感覚が戻るから気持ちいいね!」

 

 会話が成立しないというか、そもそも話を聞く気がないのだろう。狙撃相手は狙っているうちにだいたい思考パターンが読めてくるのだが、この魔術師は先程までとは思考パターンが明らかに異なっている。

 二重人格、或いはそう言う祝福、異能。どちらにせよそれを考えるような時間はヒルカという個体の残りの寿命ではもうないだろう。

 

「まぁ別にいいですけどね。元々ゴミみたいなもんですし、そういう扱いは慣れてますよええ」

 

 距離は約15mほど。こちらが有利な間合いではあるが、残念ながら向こうの移動速度を考えるとこちらが不利だろう。加えてそもそも向こうの防御を破る手段が存在しない。

 

「ふーん、手が四本、そのうち1つは射撃系魔術の構築に特化してるのかぁ。面白い進化の仕方した魔族もいるもんだね」

 

「……まぁいいですよ。どうせ私なんて石ころでしょうし。魔王軍幹部なんて称号も、正直あんまり好きじゃないんですよね」

 

 ほんの少しの静寂。

 逃げたい気持ちが漏れたような軽口も、会話の通じない相手には意味がなかった。次の瞬間にはきっと相手がこちらを殺しにくる。どうしようもないくらい恐ろしくて、逃げたくなるからそれを押し殺す為に。

 

 

『ダメだよヒルカ。君じゃ100%勝てない。ここは退くべきだ。今から逃げられるかは分からないけれど、その可能性は存在する』

 

 

 うん、魔王様ならそういうだろうけど本当にごめんなさい。

 私はその命令だけは聞くことは出来ない。だって、貴方がそれを絶対選ばないのに、私が選んだら貴方にかけてもらった言葉を嘘にしてしまう。

 

 

 恐怖を押し殺すために、叫ぶ。

 

 

 

「私は、私は魔王様と共に歩き、同じ夢を見て、共に立つ『従者』だ!」

 

 

 

 6発。

 それがヒルカが叫ぶと同時に放った弾の数。並列起動の負荷で焼け付くような脳の痛みと血液が途切れたような立ちくらみ。もう相手の攻撃を避けることは絶対に叶わない。放たれた6発で敵を仕留めなければ待っているのは確実な死だ。

 

 

 1発目。

 棒立ちの魔術師の頭に当たる直前、打ち消される。

 

 2発目。

 魔術師はようやく動き出して音を置き去りにする最高速度の射撃を退屈そうに観察するようにして避ける。

 

 3発目。

 指で弾かれる。

 

 4発目。

 対処するのが面倒くさくなったのか完全に無視して真正面から当たりながら距離を詰めてくる。

 

 5発目。

 無理。瞬きで消された。どうしようもない。スローになっていく世界でその魔術師だけが正常な速度でこちらに向かってくる。

 

 

 6発目。

 じっくりと観察してこれも避けるまでもないと判断したのか、魔術師はそのまま受けるようにして進む。そして、その肌に触れる直前で残酷にも今までと変わらず打ち消される。

 

 

 

 そして、同時に7()()()が背後から襲いかかる。

 それに気が付いた魔術師がほんの僅かに反応し、ヒルカはほくそ笑んだ。

 正確に言えば避けられた2発目。これは完全に賭けだった。2発目が避けられる保証なんて何も無いのに、2発目だけは『避けられたら跳弾で背後から襲う』ように撃っておいた。そして、2発目と6発目だけは特別な細工をしてある。

 

 これも確証はなかったが、相手の魔術を防ぐプロセスは恐らく魔術の波長を分析して逆波長をぶつけて相殺している仕組みだ。それが皮膚にふれる直前に起動する。

 ならばもし、『仕組みの違いが大きい魔術を全く同時にぶつけたら』と考えてみた。上手くいっても術式を乱されて霧散、という可能性の方が高かった。けれどもヒルカは確かに賭けに勝っていた。

 

 6発目の弾丸を打ち消した魔術師の魔力防御は、背後からの7発目を打ち消すことが出来ずに、その翼にヒルカの渾身の狙撃が叩き込まれた。

 

「うおっ、ビックリした」

 

「え」

 

 次の瞬間、勢いよく炎を噴き出した翼が刃のようにうねりヒルカの胴体を切り裂いた。

 真っ二つになり分かたれた上半身と下半身の断面は焼き切られており出血は殆どない。そのはずなのに、その切り口から零れてはいけないものが零れていく肌寒さだけがヒルカに残された感覚だった。

 

「ち、くしょ、かけ……かったのに」

 

 視界の端に映るヒルカの渾身の狙撃を受けた魔術師の翼は、全くの無傷だった。初めから勝ち目などなかった。ヒルカの持っている攻撃能力では、そもそもあの生物の表皮を貫くことすら出来なかったのだ。

 

「あ、異能持ち殺したからここ崩れるか。さっさと出よ」

 

 魔術師は敗者になんの興味も示さず、入ってきた穴を通って外に出ようとする。ヒルカのことなんてきっとすぐに忘れて、そもそも既に忘れているかもしれない。最初から認識すらしていなかったのかもしれない。

 

 

「…………?」

 

「まお、さま。どうか、あなただけでも、あなたはわたしの……」

 

 

 最期に残された力を全て出し切り、上半身だけになったヒルカは去ろうとする魔術師の足首を掴んだ。果実すら握り潰せないその細腕で、万力のような力を込めて。絶対に離すものかと、絶対にお前を倒すと、消えることの無い意志の炎の宿った瞳で魔術師を睨みつけた。

 

「いや、邪魔」

 

 それに対して魔術師はその頭部を踏み砕いた。

 火元を踏み荒らされた意志の炎は燃え尽き、その肉体は生命から数度の痙攣を経てただの肉塊に成り下がる。

 

 持ち主が消え、崩れる迷宮から脱出するまでの短い時間。

 それが終わった時、魔術師は既に踏み砕いた頭蓋の感触すら忘れ去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がっ、ごふっ」

 

 溢れ出る血液を見てギロンは目を見開いた。

 有り得ないと、現実を疑っていた。滴る血液も、微笑む魔王の表情も、何もかも現実感がない。

 

 だって、こんな、これはあまりにも。

 

 

 

「魔王様、随分と……弱くなりましたわね」

 

「キミがここに来るまで『禁術』、『離散』、『極光』、『臨界』、『災連』、『木金』、『献花』の勇者と戦った。いやぁ、『切断』の勇者だけがワタシ達の障害だと思ってたけど、うん。油断したよ。カレらは強かった」

 

 それを言い終えると魔王の体は力なくギロンの体にもたれかかる。貫手でその体を抉っていたギロンは、『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)』を用いてその心臓から動きを奪う。完全に静止した心臓は二度と動き出すことはなく、その肉体は完全に生命活動を停止していた。

 

「偽物……ではありませんわよね?」

 

 死体を適当にバラし、色々確認してみても間違いなく本物。そもそも、なんだかんだ言ってこの魔王という存在の魅力に一度は惹かれて魔王軍に入った身であるギロンに限って間違えるはずは無い。

 

 自分が殺したこの存在、間違いなく『魔王』だ。疲弊しているとみてとりあえずで襲ってみたが、まさか殺せるだなんて思ってはいなかった。それでも魔王の心臓を己の祝福で止めたという事実だけは確かであった。

 

 

 

「…………っぅ、…………や、やったぁ〜! やりましたわ! 妾が大将首頂いちゃいましたわ〜! ひゃっほい!」

 

 

 

 ならば喜んでおこうと言うのがギロンクオリティ。

 魔王をここまで追い込み亡くなった勇者達に黙祷しつつ、弱ったところのおいしいところ取りであろうと勝負は勝負。遂に魔王へのリベンジを果たしたギロンはテンションをぶち上げてその場ではしゃぎ狂っていた。

 

「いや〜、ホシやリスカにスーイにも見せたかったですわね妾が魔王を倒す歴史的瞬間。彼が見てたらもう妾に抱いて! って勢いで飛びついてたこと間違いなしだったのに、惜しいですわ」

 

 とりあえず証拠とばかりに淡々と魔王の首を切り落とし、生首を掲げて色んな角度から確認する。

 間違いなく本物だ。せっかくなのでちょっと掲げてみたりとかもしてみる。人類の仇敵にしてこの旅の一つの目標、ギロンにとっては超えたい壁の一つだったのだ。それくらいテンションを上げてもバチは当たらないだろう。

 

「よっしゃぁ! 妾最強! 妾最強!」

 

「…………魔王様?」

 

 そんなギロンの背後に1人の少女が現れる。

 雪のような白い肌とそれとは対称的な燃えるような赤い髪。分厚いコートを纏ったその魔族が誰なのか、ギロンは瞬時に判断した。

 

「ごめんあそばせ。大将首、頂きましたわ♡」

 

「ギロン……お前ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 絶叫と共に大地から何本もの氷柱が迫り出してギロンを速贄のようにせんと迫るが彼女が取った選択は避けることでも迎撃することでもない。

 

 

「受けに回るのは、性にあわないんですわよっと!」

 

 

 攻撃。

 手に持っていた()()()()()を敵に向けて祝福も交えて全力で投げつけた。

 

「て、めぇ!」

 

「避けても防いでもいいですわよ。大切な魔王様のお顔がひしゃげてもいいならね?」

 

 コートの魔族は氷柱を消し去り、投げつけられた魔王の首を後ろに飛びながら受け止める。人外じみた筋力と加速効果のある祝福によって投げられたそれの破壊力は凄まじく、全力で受け流そうとした彼女ですら悲鳴をあげながら何十mを吹き飛ばされて景気よく転がされていた。

 

「っぅ……! 魔王様! 魔王様!?」

 

「どう見たって死んでいるでしょう? そんな呼び掛け誰も答えませんわよ」

 

 起き上がって魔王の首を確認するそのコートの魔族に向けて、ギロンは全力で拳を放つ。しっかりと、丁寧に魔王の頭を砕くようにしてそれごと敵を殴り付ける。魔王の首を潰す勢いで叩き込まれたその拳は、魔族の体をまたもポンポンと鞠のように吹き飛ばして行った。

 

「……はぁ? なんで生きていますの?」

 

 だと言うのに、ギロンは不満そうな顔をしていた。

 姿勢もタイミングも完璧。自分の全力の拳に祝福で加速を乗せ、受け流せないタイミングで顔面のど真ん中に突き刺す。これなら本来は吹き飛ぶのではなく顔が炸裂くらいしてもらわないとおかしいのだ。

 

 

「なんでって、あんたのその貧弱な拳じゃ、私の鼻も折れねぇからでしょ?」

 

 

 何となく、ギロンは自分の拳に目を向けた。

 右腕はパキパキと音を立てて凍りつき、その浸食は肘から上にも進んできていてそこを起点になんの比喩もなく全身の血液が冷やされて体温が急激に低下している。

 

「うわっ、キモッ」

 

 特に慌てたり驚いたりする様子はなく、ギロンは自分の右腕を千切り、それをコートの魔族に向けて投げつける。今度は彼女はそれを避けようともせず、額に当たった瞬間に投げつけられた腕の方がガラス細工のように粉々に砕け散ってしまった。

 

「妾の世界一愛らしい右腕が世界一美しい氷像になったあと、世界一綺麗な粉氷になっちまったじゃねぇですの。責任はどう取るおつもりで?」

 

「責任……責任? アンタ、よくそんなこと口にできるよね? アンタが私達にした事、忘れたの?」

 

 コートの魔族の灰色の瞳がギロンを睨みつける。そこに込められた並々ならぬ憎悪と殺意は本当に周囲の気温を低下させる程に冷たいのか、肌寒さを覚えつつギロンは記憶の糸を辿る。

 

 したこと。したことってなんだろう。

 魔王様から受けとった情報全部彼やリスカ達に横流しにしたこととか? グレイリア殺したこととか? 去り際に数人くらい不意打ちでかなり位の高い魔王軍のメンバー生首にしたこととか? 

 

 まぁその辺は別に怒られることでもないだろうし、別のことだろう。

 

「えー……? あ、さっき実は魔王様の死体の味見しちゃったこととか? 一緒に食べたかったなら言ってくれればまだ向こうに残りがありますわよ」

 

「──────ぶっ殺す」

 

 空を曇天が多い、急速な気温の低下とそれに伴い風が強くなり、視界には白色の飛来物、雪が混じってくる。

 偶然、と言えばそうとも取れるし目の前の魔族が天候を変えたと言われればそうも見える。まぁ天候を変えられるからなんだという話。空から水や氷を降らすくらいギロンだって出来てしまう。

 

「口だけ達者な輩は沢山見てきましたわ。特に魔族は口先で生き延びてきた駄獣だけあって──────遠吠えがお上手な方々(負け犬)でしたわよ」

 

「魔王軍幹部、『暴食』のラクス。マトモな脳みそ持ってないお前と話しても無駄だってわかった。裏切り者は、しっかりとぶち殺す」

 

 

 

 とりあえず触れただけで氷漬けにされた右腕のことを思い、相性最悪だからホシのいる所まで逃げてバトンタッチしようかなとギロンは止血をしながら考えていたりした。

 

 

 

 

 

 

 

 






・ヒルカ
魔王軍幹部の仲では総合的に見れば最も見劣りする存在。自分の無力さとそんな自分に価値を見出してくれた存在の気持ちを推し量り、その上で賭ける選択をできる勇者。普段のスーイ・コメーテストが最も好きなタイプの存在。特別な誰かではなく、ただ憧れた人の隣に立ちたかった者。

・異能『甲乱乙駁(コーラー・レフコス)
魔王軍幹部ヒルカの持つ異能。その効果は迷宮を作り出すというもので、空間を自由自在に作り出せるという点では非常に便利ではあるが戦闘には不向きな異能。
ヒルカはこれを狙撃場を作り出す異能として使用し、予め用意した『扉』と『目』から観測と狙撃を一方的に行う戦い方を得意としていた。ちなみに一つの場所を完全に狙撃特化に変えるには結構準備が大変。リスカ達の元になんの前触れもなくアグネを出現させたのも、彼女の異能で予め作っておいた出口から彼を出したという仕掛けで戦闘以外における利便性は非常に高い。


・スーイ
好きな子に自分だけを見ていて欲しいお年頃。

・ギロン
作中最強格のメンタルを持つ。特技は煽り行為とパンチ。自己申告では盾兵。

・従者くん
肩がすごく痛い。




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彗星に魅入られたモノ





SAO見てたので突然二刀流の剣士とか出てきても怒らないでください。






 

 

 

 

 

 

 

「あ、ようやく起きた。おはよ」

 

「……おはよう。状況を聞いていいか?」

 

 さっきまで魔王軍幹部と戦ってた気がしたのに、目が覚めたらスーイに膝枕されていた。驚いて飛び起きてスーイに頭突きをかまさなかっただけでも褒めて欲しいくらいだ。

 

「全部終わったよ。敵は殺した。君の肩も、ちょっと痛むだろうけど治ったよ」

 

「つつ、ほんとだ。しかし、作戦失敗したはずなのによく勝てたな」

 

 肩の傷は完全には治ってはいなかったが大方塞がっている。これなら動いても問題ないだろう。軽く動かしつつ、スーイの方に目を向けると彼女の背中から翼が生えていた。

 

「…………スーイ?」

 

「私の顔を見つめてどうしたんだい? 何か付いてる?」

 

 何故ソレを俺は翼だと思ったのか。

 鳥、飛竜、蝙蝠、虫。どんな飛行を可能とする生物の『翼』とも違うスーイの背中から突き出しているその鋼の塊のような何かを俺は何故か一目で『翼』と認識していた。

 治癒の後遺症か、変な幻覚でも見ているのだろうか。なにか見覚えのあるその鋼の塊から目を背けたい。けれど、その翼から目を背けてはいけないと、逃げ切れるはずがないと脳の奥底で何かが叫んでいる。

 

「スーイ、その、背中のは」

 

「あーこれ? まぁ気にしなくていいよ。んー……やっぱ出してるとしまってる時より楽だなぁ。私の本体はこれだから、しまっているとどうしても窮屈なんだよ」

 

 体を伸ばして大きく息を吸い込むその姿はいつも通り。いつも着ているローブを脱ぎ捨ててマジマジと見るその顔は非生物的な、宝石のような美しさがあった。

 

 同時に、その顔には確かに見覚えがあった。

 

「って、え、あれ!? 師匠!?」

 

 間違えるはずがない。俺に魔術師相手の戦い方を仕込み、沢山のことを教えてくれた人。絶対に見間違えじゃないのに、何かを間違えてしまっているかのような、そんな嫌な予感がする。

 

「風も気持ちいいし、空気も美味しい。星も綺麗で今日はいい日だね。なんでずっと翼を使うのに制限かけてたんだっけ……まぁいっか」

 

「あの、スーイさん? というか師匠でいいの? とりあえず説明とか……」

 

「そろそろ出発しようか? あ、傷が痛むならもう少し待つよ。どうせここにはしばらく誰も来ないだろうし」

 

 なんだかおかしいぞ。スーイは話を聞かない事は結構あったけれどこれは違う。話を聞いていないと言うより、聞こえていない。会話をするという選択肢がまるでなく一方的に語り掛けてきている。

 

「そうだなぁ……。この前行った海も良かったね。波の音を聴きながら2人でずーっと暮らすんだ。素敵だろう? でも、やっぱり私は洞穴も好きだ。暗闇の中で、お互いの体温や鼓動しか聞こえない方がより親密になれると思わないかい?」

 

「なんの話ししてんだよ、今はリスカ達を」

 

 

「なんで他の人間の名前を出すの? 今君と話しているのは私だよ?」

 

 

 明確に、鈍感な俺でも気が付き自分から諦めて呼吸を停めてしまうくらいに。

 スーイは俺に向けて殺意が籠った瞳を向けていた。苛立ちを隠そうともせず、額に青筋を浮かべて瞳を翡翠と赤色に点滅させて、青色の髪を逆立たせて怒っている。

 

「今君の前にいるのは私でしょ? なんで、ずるいよ。なんで君は私を見てくれないの? 君が私を見れる時間はほんの数十年なんだよ? 君が私と語れる時間はほんの数十年なんだよ!? ずるい、ずるいずるいずるい狡い!」

 

 でもね、と。

 殺意も怒りも抑えていつもの調子で笑いながらスーイは一歩俺に近づく。

 

「これからはずーっと一緒にいよう。ね、逃げちゃわない?」

 

「逃げる……?」

 

「うん。魔王とか難しいことは全部忘れて。この世界の端っこで2人だけで暮らすんだ。危険なことも苦しいことも何も無い。楽しいだけの毎日! 素敵だろう?」

 

「こんな時に何言ってんだよ! 俺達が攻撃されたってことはホシやギロン達も──────」

 

「いい加減にして。今は私と君の話をしているんだ。君がどうしたいかを聞いているんだ」

 

 説得は不可能。そもそも本当に会話出来ているのかも怪しいくらいの相手なのだから当然だろう。気絶している間に魔王軍の奴に洗脳や意識の改変の類の異能を受けた、とも考えたがそれなら俺を生かしている理由はないだろう。狙撃をしていた魔王軍幹部が俺を殺して、スーイはリスカ達の方に差し向けるはずだ。

 

 確証はないが、スーイはほぼ間違いなく俺の師匠だ。だから、それをずっと明かさずに旅してきた理由も何か関係しているのだろう。とにかく今はスーイの本心を探り、説得する他ない。

 

「それは……素敵かもな。特に苦しいことも無いってのがいい。俺は苦しいのとか嫌いだしな。正直、痛いのは嫌だ」

 

「だろ? だから──────」

 

「でもそれはここから逃げる理由にならない。苦しんでいる誰かを、仲間を見捨てる理由にならない」

 

「…………」

 

 スーイは笑顔を浮かべてじっと俺の目を見つめている。

 それだけなのに口の中から水分が失われ、額に大粒の汗が浮かぶ。首に刃を押し当てられているかのような緊張した時間が数量続き、スーイは目を開いた。

 

 

 

「は? 何それ」

 

「何それ……って、何かおかしいかよ」

 

「おかしいでしょ。だって、誰かが苦しんでいるのと君に関係ある?」

 

「いや、でも……」

 

「それとも何? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて醜い集団性を信仰しているの? 数を集めても欲望だけが肥大化して大きな集合体にも成れない、蛆の寄せ集めのような肉の塊の一部に喜んで成るのが正しいとでも言いたいの?」

 

 

 

 心の底からの侮蔑。そうとしか思えない口ぶりで彼女は人の世を嘲っていた。

 

 口にしてはいけない言葉が漏れかける。

 絶対に、それだけは彼女に口にしてはいけないとわかっていたけれど、だからこそこの言葉を止めることは出来ない。だって、目の前にいるこの生き物は。

 

 

 

「お前、誰だ…………?」

 

「そういう事、言っちゃうんだぁ」

 

 

 

 人の努力を、愚かさを、醜さを、生き方を。

 見下し弄び笑い、目を輝かせて宝物のように愛でていたあの魔術師と、この生き物はあまりにも違いすぎる。

 確かに人間の集団性には醜かったりする部分もあるとは思うけれど、スーイ・コメーテストという人物はそれを醜いと認めることはあっても決して真っ向から否定だけはしなかった。

 どこを訪れても受け継ぎ、積み重ねてより良い明日を作り出そうとする社会性と継承について目を輝かせて語っていた。

 

「スーイなら、心の底からのそんな言葉を吐くことは無い」

 

「君は私をどのくらい知ってるの? ……いや、言い方を変えよう」

 

 

 

 

 

 

 

「君には私を知る時間が、どのくらい残されていると思ってるの?」

 

 

 

 

 

 

 翼が開かれる。

 台風か噴火か地震か。例えようもないエネルギーがその噴出口から溢れているのを自分のような存在でも理解出来る。戦うとか、相手するとかそういう次元じゃない。

 

 どのようにして五体満足で逃げ切るか、それだけに全てを賭けろ! 

 

 

「なんで、なんでスーイとこんなことしなくちゃならねぇんだよ!」

 

「鬼ごっこかな? じゃあ私は10数えるからほら逃げて逃げて。負けたら言うことを聞いてあげるけど私が勝ったら君は私のものだからね?」

 

 

 会話に既に意味は無い。だからとにかく足を動かした。肺に酸素をいっぱいに取り込んで、少ない魔力と酸素の全てを走行という運動につぎ込んで距離を離す。入り組んだ森の地形を活かして複雑な逃走路を描く。視覚的にも物理的にもとにかく相手が認識できない所へ、あの双眸が捉えられない場所へ、全身を駆け抜ける悪寒だけを頼りに走り続ける。

 

「鬼ごっこかぁ……やだなぁ。君達はそうやってすぐに私の前からいなくなっちゃう。やだよ、怖いよ。うん、怖いから、今度はちゃんと掴まえるよ」

 

 10秒が経った。

 スーイが動く様子はなく、ただ自分の呼吸と鼓動しか聞こえない。振り向いても既に彼女の姿は見えず、それでも安心出来ずに走り続けようと足を前に出そうとした時、少しおかしなことに気がついた。

 

 体の左側が妙に軽い。バランスが取りづらいくらいに軽く感じる左半身を不思議に思い見てみれば、そこに俺の左腕は存在していなかった。

 

「まずは、左腕。芋虫にしちゃえばもう逃げられないもんね」

 

 音が遅れて聞こえてきて、同時に何かが高速で通り過ぎた故の衝撃が俺を襲い周囲の木々ごと吹き飛ばされる。

 

「……改めて、ほんと俺の周りにいるヤツらってデタラメすぎるだろ!」

 

 すぐに起き上がり、走りながら状況を確認する。

 左腕は肘のすぐ上あたりで切り取られている。断面は焼き塞がれていて出血もなく、痛みすらない。だからこそ、突然左腕が無くなったという違和感があまりにも強い。急にバランスが変わった体でどうにか転ばないように走りながらあれやこれやと思考を巡らせる俺の耳にスーイの声が届く。

 

「あんまり逃げても四肢が減るだけだよ? いくら私がいるからって、四肢が無いのは不便だと思うけれどねぇ。まぁ、私からしたら大好きな君の手足を君よりも自由に扱っていいって考えると、正直興奮しちゃうから好きにしていいけれど」

 

 空に浮かぶ彼女はなんとも趣味の悪いことに切り取られた俺の左腕を長い舌で丁寧に舐めながら頬擦りをしている。その一挙一動にはスーイにあった気品とかそういう雰囲気がまるでなく、本当に別人を相手しているようだった。

 

 別人。

 今相手にしているのをスーイだと考えれば、俺はきっと容赦なく手足をもぎ取られるだろう。ならばどうするかなんて、そんなことはかつて師匠に教わるまでもなく知っている。

 剣を取り、知恵を絞り自らより強大なものに立ち向かい、屠る。それこそが俺達の強さなのだと、確かに彼女はそう言っていた。

 

「やってやるよ。どれくらい俺が成長したか、見せてやるからな」

 

「左腕……あ、待っててね。今治してあげるから。君は、傷つく必要なんてないんだよ」

 

「あーもう! せめて会話してくれよ、やりにくい!」

 

 かと言って相手は空を飛べるのにこちらは空を飛べない。唯一の攻撃の機会は向こうが攻撃するために近づいてくる時のみ。その時までは逃げ回ってひたすらに時を待つしかない。

 

 ……と思ったがそれはダメだ。

 

 スーイは魔術師だ。ある程度遠距離からの攻防であればリスカでさえ封殺できると豪語していた彼女相手に距離を保ちつつ戦闘なんて実現するわけが無い。

 かと言って近づく手段もない。逡巡の中で足が止まり、なにか妙案が思いつく可能性に縋るように空を舞うスーイに目を向けた時、また彼女が視界から消えているのに気がついて、それから遅れて彼女が移動した際に発生したであろう風圧で周囲の木々ごと体が吹き飛ばされた。

 

「あはは! ボールみたいにコロコロコロコロ! 可愛いね、痛くない? 大丈夫? あ、腕に私の名前を書いといてあげたけど気に入ってくれた?」

 

 すぐに右腕を確認すると丁寧に皮膚が彼女の名前の形に切込みを入れられていて、その事実に気がついてようやく痛みという感覚がその神速の技に追いついた。

 

 だが、さすがにそろそろ違和感が強くなってくる。

 なぜスーイは魔術を使わないのだろうか。確かにあの『翼』によって生み出される飛行と速度はそれこそ『祝福』や『異能』に匹敵する脅威だ。それでも、たとえ彼女が今俺を弄んでいるのだとしても、スーイ・コメーテストという少女が魔術を使わないなんてことはあるのだろうか? 

 

 

 ……駄目だ。今はそんなことを考えている余裕はない。

 とにかく近づいてきてくれるならカウンター狙いで倒すしかない。まずは少しでもあの速さに対応する時間を稼ぐために距離を稼がないと。

 

 

 

「……行かないで」

 

 

 

 風に乗って、そんな悲しげな声が聞こえた気がした。

 振り向いて確認したスーイの顔は大地の全てを見下ろしながら嗤っているだけで変化は無い。

 

 

 変化は見ることが出来ないけれど、その言葉を聞いてしまった時点でもう全ては決まっていた。

 今の言葉だけは、絶対に聴き逃してはならない言葉であったから聞こえたのだと。本気でそう思えるほどになにかが俺を駆り立てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気持ち良くて、気持ち悪い。

 頭の中で色んなものが巡り巡って戻ってくる。

 

 自分が誰なのか、彼が誰なのか、それすらも曖昧になってはそれが大切なものだと思い出す。私にとって彼は弟子で、大切な人で、それから、それから。

 

 

 沢山鍛えてあげたくて、ボロボロになるくらい頑張ってるところが可愛くて、どんな時でも諦めなくて、その短い命を彗星のように輝かせて生きて、そうして生きた人達の輝きを継いでいて、君は大好きな『人間』で。

 

 

 傷つけたくなくて、独り占めしたくて、どこにも行って欲しくなくて、私だけを見ていて欲しくて、貴方以外何もいらなくて、人間でなくなってもいいから、ずっと一緒にいて欲しい『君』で。

 

 

「……いたい」

 

 

 頭がズキズキと痛む。昔もよくこういう痛みがあったけれど、あれは魔術という仕組みに慣れてなくて神経が痛んでいたんだっけ。呼吸するようにそんなもの使わなくても同じことが出来る私にとっていらない術。それを使えるようにすることはとても大変で、それでも私はそれを何故だか使いたくて、そしてそうやって頭を抱えた私の隣にはいつも『師匠』が。

 

 

 

「……ずっと、一緒に、()()()

 

 

 

 いない。

 右を見ても左を見ても師匠はもうどこにも居ない。消えてしまったことを思い出して、それがどれくらい前だったのかを思い出す。

 長い長い時の中で、ほんの数刻、瞬き程度の時しか一緒に過ごしていなかった誰か。その一瞬の輝きが、私という龍の何もかもを焼き尽くしてしまっていた。

 

 真っ暗な夜を照らしてくれた灯火。

 光を失った私の前に現れた夜の光蝶。

 

 喪失の痛みに耐えられるほど私は強い生物ではなかったらしい。

 

「……『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)』、駆動」

 

 欲しいものは無理矢理でも手に入れろと本能が囁く。君の全てを私の掌に収めて、ずっと、ずーっと、一緒に居たい。それが輝きを消してしまう行為だと知っていても、もう私は私を止められない。

 

「私は、君に恋をしているんだ」

 

 だから受け止めてくれと。

 翼に力を込めて彼に向けて飛ぶ。龍の翼の最高速度は人間が捉えられるようなものではなく、増してや祝福も異能もないただの人間の彼が見えるわけが無い。

 

 私と彼ではあらゆるものの縮尺が違う。

 

 花を愛で、風を愛し、大地と共に生きる人間と、只一つで完結した生き物とでは感受性が違いすぎる。

 流れ星のように消えてしまう君達のココロを私は捉えられず、彗星のように空を駆ける私の姿を君の目では捉えることができない。

 

 見えるはずがない、見てくれるわけがない。

 わかっているのに、それでも確かに私は彼の美しい瞳が私を見てくれているのだと信じていたくなってしまう。

 

 

「あぁ、来いよ。スーイ!」

 

 

 彼は逃げも隠れもしなかった。

 好ましいほどの蛮勇。彼はいつだって退くことを簡単に選ばない。だからその灯火はいつか消えてしまう。それが怖くて怖くて、私の翼には更なる熱が篭もる。次のすれ違い様に確実にその腕をもぎ取って、それで全部終わりだ。両腕が無くなればさすがの彼でも何も出来はしない。

 

 神経を高速移動に合わせて切りかえて、標準を定めて己を射出する。

 鋭敏化した神経は、空気の中を進む事さえ鉛の海を沈んでいくかのような重さ。だがこれくらいの重さがなければ『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)』の速度は幾ら龍骸精霊(ドラコ・エルフ)と言えども完全制御は困難だ。

 

 

 さぁ、どうする人間。

 龍の精霊の全速力の突撃だ。ただ立ち向かうだけでどうにかなる代物ではないぞ。

 

 止まった時を泳ぐ私の瞳には、彼の動きの全てが見える。私と相対して、剣を握りしめ、そして剣から手を離した──────

 

 

 剣から、手を離した? 

 

 

 見間違えじゃない。確かに彼の手が剣から離れた。しかも動きがおかしい。迷いも淀みも何も無いのに私が予測し、真横をすり抜けて腕をちぎり取ろうとした軌道を遮るように彼が動く。けれどあまりに遅い。人間の動き程度ならば見てから軌道修正なんて爪の手入れをしていても間に合うくらいに遅い。

 

 

 だから、もう一手と。

 彼はただ手を広げた。

 

 

 まるで幼子を抱きしめるように。片腕のない不格好な姿でもそうとわかるくらいにあからさまな抱擁の仕草。それともそれはそう見えただけでも降伏の意思表示だったのかもしれない。どんなものだって自分の都合の良いものだと思い込むのは人間の悪い癖だ。

 

「……あぁ」

 

 でも、まぁそれはそれとして。

 

 

「……とても、()()()ね」

 

 

 大好きな男の子の胸の内に飛び込むのを我慢出来るほどロマンのない乙女でもないのだと、全力で速度を弛めながら龍は人の胸に飛び込んだ。

 

 

 龍の唯一の間違いは、彼が手を広げた瞬間に思考停止したせいで減速が間に合わず、二人仲良く勢いのままに転がって行くはめになったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しずつ、師匠の体が衰えていく姿を見ていた。

 毎日毎日、朝起きる度に師匠の肉体は衰えて、死に向かって行っていた。私は一度だけ、師匠を永遠のモノにしてあげると言ったら本気で怒られたのをよく覚えている。後にも先にも、師匠が本気で怒っていたのはあれが……いや、普通にちょくちょくブチ切れていたわ。

 

 とにかく、そうやって師匠がすっごく怒っていたことはよく覚えている。その後、本当に優しく私の頭を撫でてくれたのもよく覚えている。

 

 何一つだって忘れたくない、大切な思い出。

 それでも、時間は残酷にあの人の姿を、声を風化させていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようスーイ。頭は冷えたかこのオオボケ野郎」

 

「…………嘘」

 

 自分が意識を失っていたことがスーイは信じられなかった。

 それ以外にもあの速度で突っ込んで、一応減速したとはいえ人間である彼が無事であり自分より早く目を覚ますなんて、そんなことありえないと思ったところで考えるのをやめた。

 

 ありえない、なんて。

 そんな言葉、彼に適用できるものでは無い。それこそ何か愛の起こした奇跡とでも言った方が納得出来る。例えば、あの寂しがりで独占欲の強い勇者様からの祝福とか。

 

「さすがに説明してもらうぞ。その翼とか、なんでいきなり俺に襲いかかって、俺の腕ちぎったのか。それと……師匠、なんだよな?」

 

「説明しないと、ダメ?」

 

「流石に、今回はそれなりに怒ってる」

 

「いつもギロンに食いちぎられかけてるし……」

 

「ギロンは……なんか違うから。とにかく話してくれよ」

 

 なら説明しないとダメだろう。

 私が実は龍骸精霊(ドラコ・エルフ)という御伽噺の精霊達の、更に向こう側の御伽噺の世界の存在であること。

 色々と理由を自分に言い聞かせていたけれど、結局のところ良い雰囲気で別れたのに普通に再会するのが恥ずかしくて認識阻害をかけて初めてを装ってずっと着いてきていたこと。

 

 そして、彼の事が大好きであるということ。こればっかりは、気恥ずかしくて直接口に出せなかったけれど。

 

「…………その、信じるけどな? さすがにこの状況でそんな冗談言わないだろうし信じるけど……信じられない」

 

「でも全部本当だよ。私は2000年以上の時を生きる、君達人間とは違う、この世界にひとりぼっちの生き物なんだ」

 

 一応驚いてはいるが、それでも驚くだけなあたり彼の胆力と言うか肝の太さは相当なものだ。精霊であることを告げた時は師匠ですらもっと驚いていたのに、そんなこともあるんだなぁくらいで流されるのはさすがにスーイでも想定外だった。

 

「そういえばさ……」

 

「待て、今は俺が質問してる。結局なんで俺の腕ちぎったの?」

 

「後でくっつけるから無しじゃ……」

 

「ダメ」

 

「…………」

 

「……本当にそんなに嫌ならいいよ。別に、そんな大したことじゃないだろ」

 

「流石に……それは甘いと思うよ。状況によっては私は君を殺していたかもしれないし」

 

「たまにギロンに殺されかけたりするし、そんな気にしてもな」

 

「ギロンと同じに扱われるのはちょっと……嫌かな……」

 

 ただ彼が欲しかった。

 

 本当にただそれだけだった。

 スーイ・コメーテストはどうしようもないくらい彼という人間が欲しくなってしまった。抑えきれない、溢れ出す思いのままに自分のものにしてしまいたかった。

 

 これまで積み上げてきた全てを投げ出してしまっていいと、大切な人から教えて貰った誰かを大切にする気持ちすら、その欲望の前に本気で一度捨ててしまおうとさえ思った。

 

「でも本当にあんま気にすることでもないだろ」

 

「そんな簡単に許さないでよ。私は、私が私を許せないのに」

 

「機嫌悪い時のリスカみたいな面倒くささだな……」

 

「あんなに面倒くさくない」

 

「いや、申し訳ないけど全員面倒臭い時は同格の面倒くささだよ」

 

 マイナス思考の渦にハマった時のリスカ、酔っ払ったフリで酔わないくせに気持ちで酔っ払ったホシ、いつものギロン。あれと同じなのか、と考えるとさすがにどうにかしようと思うけれど、あれくらいかぁ。

 

「ふふっ、そんなに私って面倒だった?」

 

「時々な。でもみんなそんなもんだよ。俺だって、本当に一度だけリスカの事を殺してしまいたいと思ったこともあるし」

 

「君が、リスカを? え、えぇ!? なんで!? だって、君はあの子の事が……」

 

「そこは言わないでくれ。まぁ、アイツの背中に俺はずっと憧れてたんだよ。あんな風になりたいってのが、俺の全部の原動力なんだけど、それでもそんな背中を妬ましく思った時はある。あの眩しい輝きが、消えて欲しいと心の底から思うくらい疎ましく思ったことが、確かにある」

 

 彼にとって、リスカという少女がどれだけ大切かはスーイもよく知っている。比喩でもなんでもなく、彼はリスカの為ならば命を賭けられる。だからこそ、その考えはあまりに矛盾している。

 

「実際に行動に移してないから、言わないでくれよ? アイツ、実際に聞いたらめちゃくちゃ気にするだろうし」

 

「言わないよ。あの子そんなこと言われたら死ぬよ?」

 

「さすがにそこまでリスカは弱くはないだろうけど……とりあえずな、それでも同時にリスカは俺にとって憧れで、輝きで、大切な奴で……あー、纏まんねぇ」

 

 彼は頭を掻きながら言葉を選ぼうと脳から語彙を引き出そうとしていたが、結局良い言葉は見つからなかったのか、大きな溜息を吐いてから咳払いをして言葉を続けた。

 

 

「人間って色々なこと考えてるから、態度と言葉と本心って結局どこにも偽物なんてなくて、考えることは全部本物であって、そこにある奇跡ってことだろ。……俺の師匠が、そう言ってたよ」

 

「私は、人間じゃないから」

 

「変わんないだろ。誰かを大切にできるなら、人間とかそれ以外とか大した違いでもない」

 

 

 色々と言いたいことはあった。言葉を引きずり出して、何もかも否定してこのまま消えてしまうことだってできるし、実際そうしたい気分だった。

 

 

 でも……もういいや。

 だって彼が許してくれたなら、どうでもいいなと思えてしまう。どうやら私は自分が思っているよりもずっとこの人に恋をしてしまっていたらしい。

 根本的に何も解決していない。私はきっと、またいつか彼を失うことを恐れて、何かしてしまうかもしれない。

 

 それでも、きっと彼はどこにも行かないのだろう。

 いつか命の灯火が消えてしまうその日まで、消えてしまったあとでさえ私の心に寄り添ってくれる。……といいなと希望的観測をしておこう。

 

 

 

「本当に、ごめんね」

 

「もういいっての」

 

「それとありがとう。私を私でいさせてくれて」

 

「なんかよくわかんないけど、とりあえず受け取っておくよ」

 

 

 

 

 

 

 私には人生なんて、本当の意味で生きられないと思っていた。

 でも、私はずっと人生を生きていたんだ。大好きな人間(君達)と寄り添い生きる、それは紛れもなく私の『人生』なのだから。

 

 

 私はスーイ・コメーテスト。

 世界で唯一の龍骸精霊(ドラコ・エルフ)で、最高の魔術師の一番弟子で、素晴らしい勇者の師匠で、君の隣を歩く一人の魔術師なんだ。

 師匠から貰った愛を、君から貰った光を、君に教えて貰った恋を確かに受け継いだ、人生を生きるモノなんだ。そう思えるだけ、自分が君の隣に近づけたことが嬉しかった。

 

 

 

 

 でも、ほんの少しでいいから。

 もうちょっと私を見て、私と一緒にいて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなセリフは胸の内にしまっておくとしよう。

 あんまり師匠っぽくないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはそれとしてだね。師匠としても、私としても普通に今回の戦いは君、足でまといだと思うから眠らすね」

 

「え、ちょっとまっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







・スーイ・コメーテスト
規格が人間と違うので人間と同じ生活は人間が虫と同じ生活をするのに等しいくら位の行為。すごく真面目な幼子。師匠と従者くんのことが好き。

・従者くん
しょうがないな、っていつも言っている。本当にしょうがないって思ってる。よくわかってないけどスーイが悲しそうだったので頑張った。スーイとホシの態度にいつもアイツ俺のこと好きなんじゃないかってドキドキしてたりした。

・師匠
スーイのことが好き。



・マイナス思考の渦にハマった時のリスカ
この世のありとあらゆる負の状況を自分のせいだと思い込み自尊心が欠片もなくなった時のリスカ。とても面倒臭いが放っておくと自分は勇者だからと自己回復するが、何かきっかけがないとループ継続する事が多い為早めにホシを投入することが推奨される。

・酔っ払ったホシ
アルコールは本来効かないが気分で酔っ払う。最悪の絡み酒でとりあえず服を脱ぐ。誰にでも好きって言う。ボディタッチが増える。シンプルな面倒くささと気分で酔っ払ってるので対処が難しい。無自覚なため反省もしない。厄介。

・いつものギロン
とりあえずで不意打ちとかしてみる。味見しようとしてくる。齧ってくる。自己肯定感が無敵なのであらゆる注意が効かない。どうしようもない。




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世界の中心




すかすか見てたので突然死を刻む極位聖剣とか出てきても怒らないでください。







 

 

 

 

『祝福』や『異能』に序列というものは無い。それに分類される時点でどのようなものであろうと現実を覆す魔の法であるが故に、そんな愚かな真似をしようとする者は現れなかった。

 

 だが、確かにその能力群にも強弱は存在する。

 ギロンが自身の多くの経験と知識から考える中で『強い』とはっきりと言える力は3つ、そしてそのうち1つは戦闘力という訳ではなく厄介さという意味でのノティスの『夢幻抱擁(フォー・ファー)』であるため除外して残り2つ。

 

 エウレアの『融愁暗恨(マリィクス・マリアージュ)』とリスカ・カットバーンの『切断』だ。

 

 前者は視るだけで発動するという簡単な条件ながらほぼ即死に近い攻撃力を持ち、後者は本人の驚異的な思い込みの力を踏まえてであるが概念的な攻撃無効に近い防御力と防御不能の攻撃を兼ね備えている。

 

 多くの祝福や異能は触れる事が条件なものが多い。ホシが触れた死体を操るように、ギロンが触れたものから移動を奪うように。故に、そもそも触ることが出来ないという状態を作り出す力はギロンにとって非常に、厄介とか相性が悪いとかそういう訳では無いけれど、めんどくさい。

 

 

「寒っ、くっそ寒、いや寒いですわ!!!」

 

 

 周囲の気温がどんどんと下がっていくのは恐らくは魔王軍幹部『暴食』のラクスの異能の力だろう。触れただけでギロンの大事な大事な愛らしい右腕を世界一美しい氷像の右腕に変えてしまった力だ。大方、触れたものを凍らせるとか温度を下げるとか辺りだろうがまずいのはその規模だ。

 

「触れたもの、つったって限度がありましょうこれ!?」

 

「触れてんだろ、空気に」

 

 ただそこに居るだけで周囲の気温を際限なく下げ続ける。

 急いで止めなければどの道負けるが、近づけば気温の低下は急激に増して生命の活動に支障をきたす上、触れられればその時点でアウト。

 

「どうしたんだよギロン。アンタ、肉弾戦が得意って魔王様から聞いたけど、私とは殴り合わないの? それとも……もしかして、負けるのが怖いのかしら?」

 

「は? 妾がもやしコート女に負けるわけないが? テメェは絶対にミンチにしてぶっ殺してやるから覚悟してくださいまし?」

 

「やれるもんならやってみろって、言ってんだよ!」

 

「逸ってんじゃねぇ! 今方法考えてやりますから大人しく待ってろですわ!」

 

 飛来する氷柱を拳で叩き落としつつ、お返しに石を投げつけるが残念な事に地面から生えてきた氷柱に絡めとられて止まってしまう。

 動きは遅いが、異能が防御という面においては強すぎる。ギロンの『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)』では突破が難しい。勝つ方法として思いつくのは超遠距離からの投石を延々と続け、相手の防御の失敗を待つことくらいか。実際効果的だろうが現状ではその手法は使いにくいだろう。

 

 ちらりと、ホシのいるであろう方向に目を向ける。依然として炎と煙が立ち上り様子はあまり分からないが、恐らく向こうは向こうでこちらに援軍に来れない状況であるのは間違いない。下手に自分がここで距離を取ろうとすれば、相手に合流を許してホシと自分、それぞれが各個撃破されることになる可能性もある。いくらギロンでも、魔王軍幹部を2体同時に相手すれば間違いなく負ける。それはホシも同様だ。そして、逆にホシかリスカが助けに来てくれるという期待は持久戦が不可能な周囲の気温を考えて無し。

 

 ギロンの祝福は『高温』に関しては防ぐことが出来る。と言うよりも炎なら防げると言うのが正しいだろう。こちらに向かってくる『炎』であれば無意識にそれを『動くもの』と捉えて熱波ごと『移動』を奪って止めることが出来る。

 弱点は幾つかあるが、その一つが『低温』かつ『気温』だ。低温という概念に対して、ギロンは理由は分からないが上手く祝福を発動させることが出来ない。

 

 攻撃であれば1000度の炎であれ、絶対零度の氷柱であれ他の要素を無視して止めることが出来るのに、情けないことにただ寒いだけと言うのは対処が難しいのだ。

 

「はぁ〜……キッツ。さすがにこれはキツイですわね」

 

 ある程度知り合いになった相手はよく勘違いするのだが、ギロンは別に所謂戦闘狂(バトルジャンキー)では無い。むしろ勝てる戦いだけをすると言った方が正しいだろう。至極単純に死んでしまえば元も子もないという部分はしっかり理解しており、その上で行動する。

 だから勝てない戦はしない意外と賢い獣。けれど、退けないとなると事情が違ってくる。やらなければならない時、絶対に譲ることが出来ない戦いになった時、どうするかは既に学んでいる。

 

「命に替えても、なんて柄じゃありませんが、妾はマヌケじゃないので仕方ありませんわね」

 

「さっきからブツブツ1人で気持ち悪いんだけど。地獄でみんなに会った時の謝罪の言葉でも考えてたの?」

 

「まさか。今夜の閨での睦言を考えていましたわ。魔王を倒したともなれば彼だって同衾くらい許してくれそうですし」

 

「ッ、お前……さっさと死ね!」

 

 さてではどうしようかと、思考に集中するため足を止める。

 実のところ投げられてくる氷柱はギロンの祝福の前ではなんの意味もないため、触れたら冷たい以外は避ける理由は無いので今は避けるのを一旦やめて極限まで思考を巡らせる。

 

 ラクスは恐らく、魔王軍幹部の中で最も『若い』。戦闘経験が少なく、ノティスを除けば本人の戦闘力は最弱に近いだろう。相性の関係上絶対的不利なギロンが勝てる部分はそこだけだ。

 

「引っかけ、しかないわね」

 

 凍える異能故かラクスの動きはギロンよりも完全に遅い。加えて経験不足なら一瞬の相手の判断ミスに賭けるのが最善だ。そうなるとここで必要なのは堅実な安全策でもハイリスクハイリターンの大勝負でもない。

 

 とにかく()()()()()()()()()()()()だ。幸いにもこれは得意だ。いつもホシに「なんでこういうことするんですか? 理解できないんですけど」と一切感情のない真顔で怒られたり、スーイに「どういう思考プロセスでこの行動に至ったの?」と見たこともないくらいの真顔で質問されたり、リスカに「信じられない」と心の底から侮蔑されたりしてるので得意だと思ったけど思い返すとさすがに少し辛くなってきた。幾ら元魔王軍幹部で掌が掘削機レベルで回転しているギロンとは言え、一応四捨五入したら20歳の女の子なので同性から本気でそういう目で見られるのは堪えるものがある。

 

 そんなことを思い出して少し悲しくなりつつも、ギロンはいつから持っていたかも分からない酒を取り出して、豪快に瓶を握力で砕き中の液体を頭から被った上で魔術を使い火を起こす。

 

 

「よし、火属性付与(エンチャントファイア)

 

「えんちゃんとふぁいあ……?」

 

「あらあら、まさか魔術すら初めて見ますの? こんなの初歩の初歩の炎を起こす魔術ですわよ」

 

「いや、それエンチャントって言うか……お前なんなの? バカ?」

 

 

 めちゃくちゃ熱いがこれならついでに低温により下がった体温もどうにかなるし何より意表も突ける。問題は祝福を使うと炎が止まっちゃうので普通に燃えててクソ熱い事くらいだ。この状態ならば極低温のラクスの懐にまで近づいてもギリギリどうにかなるだろう。

 

 しかも何より意表を突ける。

 

「なんか変なこと考えてそうだから言っておくけど、奇策と言うか誰も思いつかない戦い方って、大抵先人が思いついたけどやらなかったことだからね」

 

「妾は先人には出来ぬことをいつもやり遂げてるのでセーフですわ」

 

「なら、他の人間みたく普通に凍え死ぬか、馬鹿みたいに燃え尽きるかすれば?」

 

「素敵ですわねぇ、燃えて死にかけるのは実はしたことない経験でして。是非とも妾に味わわせて欲しいですわ」

 

 祝福や異能持ちには人格破綻者が多い。強大な力を身に宿したが故に、人格というものが上手く成長しないか、あるいはその力を宿すために生物が持つ当たり前の最低限の本能を捨てたか。

 ギロンは捨てた側の存在であるが、決して狂人ではないとラクスは気がついてきた。この女は狂ったふりが異常に上手い。魔族の常套手段である心理的要素で相手を油断させるという戦法を魔族より上手く使いこなす。面倒なのがそれはそれとして実際頭もおかしいというところ。

 

 どこまでが本気でどこまでが狂気か判断がつかない。ラクスは自分の経験の薄さを理解している。だからこそ、判断がつかない相手は純粋に捻り潰す。どのようにこちらに向かってきても目の前の憎い敵をぶち殺す準備は出来ていた。

 

「……という訳で逃げますわね」

 

「は?」

 

 別に本気でそう言ったわけじゃないと思った。

 ここで『逃げ』を選択することの意味は、流石に理解しているはずだから、この戦場においてギロンもラクスも2人とも下手に逃げは使えないと。

 

 だと言うのにギロンはラクスに背を向けて、言葉を出すよりも早く全速力で走り始めていた。

 

「ちょ、おま、は!?」

 

 幾つもの思考が絶え間なくラクスの頭の中を駆け巡る。

 フェイク、にしてはあまりに速い。加速も完全に前方にかけて、体勢も急に引き返したり出来るような様子じゃない。

 方向も味方と合流することを考えている方向じゃない。意図が読めないし何より速い。一切迷いがなく振り返ることすらせず逃げている。

 

 相手に迷いがないと思えば、自分の迷いの全てが間違いのように感じてくる。

 迷いが産んだ自己嫌悪が、更に思考を絡まらせていく。

 そうして、ラクスの思考がほんの一瞬だけ止まる。どうすればいいか迷いに迷い、どの選択も間違いに感じて呼吸すら躊躇する。

 

 

 加速のために振られていたギロンの腕が、自身の大腿に触れる。

 彼女の祝福、『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)』は触れた物質から移動を奪い取り、停止させる。その法則に従い走り抜けていたその肉体は一瞬にして停止する。

 

 加えて、彼女の祝福は奪い取ったその移動を別の物質、方向に与えることが出来る。

 

 

「──────なるほど。予想通り幼い顔立ちですわね」

 

 ラクスに背を向けたまま。

 一切の予備動作なくギロンの肉体は弾かれるようにしてその懐へと急接近を果たしていた。あまりに物理的にありえない動き。背を向けたまま逃げていた敵が全速力で接近してくる光景に、若い魔族の思考は追いつかない。

 

 祝福と異能乱れる戦場において、未熟はあまりに隙が多すぎる。

 

「まだっ!」

 

 それでもまだ自分が有利であると、ラクスは信じていた。ギロンの攻撃では触れた傍から氷結させられて致命の一打に至る前に腕を砕かれる。

 

 

 だから一手足りない。

 その思考が鈍色の光と共に砕かれる。

 

「そういえば言ってませんでしたけど、妾ってば王族なんですわよね。それも魔王様みたいに名乗ってるだけじゃなくて本物の」

 

 いつの間にかギロンの左手に握られていたのは本当に小さな、それこそ服の下に隠すのに適したサイズのナイフだった。だが施された装飾を見ればそれが高級品であることはひと目でわかり、刀身を見れば良く手入れされて大切に扱われていることもわかる。少なくとも、武器も防具も常に使い捨てのどこかの勇者様(むらむすめ)とは違って。

 

 相手の異能がどのような形であれ低温と結びついているのならば、急激な温度低下によって破壊されないものをぶつければいい。残念ながら人体ではその条件を満たせず、遠距離からの投擲では当然注意され対処される。

 なら近づいて刺せばいいとなるが今度は下手に近づけば死ぬという問題がある。

 

 第一、低温は自らを燃やして無視する。

 第二、隙は祝福による物理法則を無視した動きと火属性付与(エンチャントファイア)で作る。

 第三、近づいてナイフで急所を一撃で刺す。とにかく速く刺して殺す。心臓の位置を確実に見抜いて、何も考えずそこに向けて刃を振るう。

 

「ギ──────」

 

「ナイフと妾が凍るのと、貴方の心臓が切り裂かれるのは果たしてどちらが早いでしょうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギロン、アンタは私よりも何倍も、何もかも上手い。けれど」

 

 誤算があったとすれば、ラクスが魔王軍幹部であったこと。

 強大な異能を持ち、その上でそれを磨き必殺の技に昇華させた生ける災害。

 見てわかる通りの未熟者がその名を冠する理由を、ギロンは考えていなかった。

 

 

「私の方が、()()

 

 

 熱したバターのようにどろりと、ナイフの切っ先が溶け落ちた。

 何が起きたか理解はできない。だが、失敗したことだけはわかった。すぐさま手の動きを祝福を発動して止め、同時に自身の体を可能な限りラクスから離れるように移動させる。

 

「……これは」

 

 その言葉をギロンはあまり好きではなかった。恵まれて生まれ、求めて生きてきたからこそ、その言葉は誰かへの侮辱になることを知っていたし、自らが浴びてきたその言葉への不快感を思えば口にするべきではないと。

 

 だがこの生き物にはこう言うのが正しいのだと本能でわかる。

 

 

 

「流石にその異能はズルですわよ、天災女」

 

「お褒めいただき恐悦至極、天才女」

 

 

 

 極低温の花園でその女は炎を纏っていた。

 何もかも燃やし尽くす蒼色の炎。それだけの高温がありながら極低温が同時に成り立つありえない光景。

 

 ギロンがすぐにその光景を理解出来たのは、単純に彼女が()()()()()の能力を宿していたからに他ならない。

 彼女の異能は温度を奪う()()()異能ではない。ギロン・アプスブリ・イニャスの異能がそうであったように、奪ったものを有効に使う、氷と炎を操る極地の異能。

 

 

「『落火繽紛(カロス・ヴィレ)』。それがアンタを殺す異能の名前」

 

「聞いてねぇ、んですわよそっちの異能の名前なんて。寂しんぼかぁ、ってんですわ」

 

「舌が回ってないよ。死を実感して疲れた?」

 

 

 すぐさま自身を燃やしていた炎を消すが、それを行えば再び襲ってくるのは極低温。そもそもギロンは一応人間でもあるので何も用意せずに体に火をつければ火傷もする。捨て身の作戦が見事に打ち砕かれれば精神的な疲労がどっと押し寄せてくる。

 

 低温に加えて炎を操れるとなれば万が一に考えていた投擲作戦も厳しいだろうし、これは明確に詰みと言うやつだろう。

 

「アンタが強くなりたいのもわかる。アンタが努力してきたのもわかる。その上で、私は持って生まれた力だけでアンタの全てを否定する。アンタの人生の意味を全部奪い取って殺して、散っていた仲間達の手向けにしてやるッ!」

 

「……これは、ギブアップですわね」

 

 勝てる見込みがない勝負はしない。こうなってくるとギロンが次に組み立てるのは逃亡のプロセスだ。

 ただ逃げるだけならできなくもないだろうが、そうするとホシが詰む。ホシが死亡、もしくは行動不能にされるとこちらの欠損レベルの傷の治癒手段がなくなって遅かれ早かれ詰みだ。

 ならばホシの方に逃げて2VS2に持ち込むか? 相手の異能は広範囲を絶え間なく攻撃してくる。これを破れるのはリスカくらいだろう。下手に合流は纏めて処理される。

 

 

 …………逃亡もできない。こうなってくるといよいよどうしようもない。

 

 

「一つ、聞いておいてもよろしくて?」

 

「何? 今更謝罪?」

 

「えぇ。ごめんなさいですわ。謝るから命だけは勘弁してもらって、今回は手を引いてもらえませんかね?」

 

「本気で言ってんだとしたらテメェだけは絶対に許さねぇよクソアマ」

 

 

 割と本気だったが命乞いチャンスはどうやらないみたいだ。

 こういう時はどうすれば良いのだろうかと、ギロンは考えてみる。とにかく頑張って逃げる、命だけでも助かれば儲けものとして考える。今回は負けても、次に勝てばいい。

 

 

 

 さて、では問題だ。

 もしも『彼』がここにいたらどうしている? 

 

 もしも、『彼』が好きな女の子だったらどうする? 

 

 

 いいえ。

 いいえ、いいえ! そんな思考は自分らしくない。自分らしくないことをするのなんて嫌いだ、ギロン・アプスブリ・イニャスは誰よりもこの世界で自分を愛している。自分の美しさを知っている。

 

 だからこそここで問うのはただ一つ。

 

 

 お前はここでどうすれば、彼に自分がこの世界で一番『イイ女』だと、胸を張って誇れるか。

 

 

 

「仲間も守って敵も倒す。イイ女になるってのは、これは中々大変ですわね」

 

 

 強がりでもなんでもない、ただ自分がそうしたかったからそうしただけだ。片腕で拳を作り、敵を見据える。勝算は無いなら作るまで。全てを与えられた自覚があるのならばその全てを絞り尽くして可能性を生み出せ。

 

「逃げないの? なんか策を練って、私を倒そうとしないの?」

 

 表面上だけの煽りも口撃も今は必要ない。脳のリソースの全てをどのようにして勝つかにだけ捧げる。

 

「そっか、まぁ、仕方ないよね。終わりにしよう」

 

 周囲の気温低下が加速していく。その元凶であるラクスすら顔を歪める。これ本格的にやばいと全身が警鐘を鳴らし、体温が急激に下がっていく。

 血液の温かさを感じ、それが冷えていくのすら感じ、いい加減あの世ってものを理解しなければいけなくなるようなその限界ギリギリ。

 そこまで来てもギロンは世界を眺めていた。塵よりも小さいミクロの世界。そこにあるかもしれない勝利の可能性を探して最期まで目を開き続けた。

 

 

 

「────────────あ」

 

 

 

 瞬間、世界が沸騰する。

 

「え……お前、今何を……」

 

 ラクスの頬を冷や汗が伝う。

 いや、それは冷や汗ではなかった。コートを脱ぎ去ってしまいたくなるような暑さ。

 

()()……? なんで、お前の祝福は、そんな能力じゃ」

 

「……? あー、なるほどね、完全に理解しましたわこれ」

 

 ギロンが手を前に出す。その動作は、虚空に手を伸ばすと言うよりもまるで何かに触れているようだとラクスは思った。

 

 何かに、触れている。

 彼女の祝福は触れたモノを停止させる、または加速させるモノだとラクスは直観的に理解していた。そしてそれが自分と似た能力であるとも理解していた。

 

 似た能力、だ。

 

「なんか()()()()()()()()()()()()()、それが止まってたから動かしたらなんか急に暖かくなって、うっわ、なにこれ、頭痛いし、気持ち悪っ」

 

 いつの間にかギロンは目と鼻から血液を滴らせて、既に周囲の気温は寒さに震える必要も無いくらい暖かくなっているのに自慢の体躯を産まれたての子鹿のよう震わせて支えている。眼球には血が溜まり視界の一部を赤黒く染めあげ、最早最低限の生命活動すらギリギリといった様子。

 

 にも関わらず、両者ともにこの場を支配しているのはギロンだという認識を共有していた。

 

「ふはっ、いやこれすげぇですわね。世界の全部が掌の上みたいな最高の気分ですわ。今ならこの世界の全てをぶち壊せると、本気で思いますわね」

 

 重い足取り。だがその一歩はあまりに巨大。

 空気の流れの中心が変わっている。万物がギロン・アプスブリ・イニャスを中心に流動している。

 人の身には過ぎた力が本人にすら牙を剥いている。それでも笑顔を絶やさないまま、彼女はラクスへと近づいていく。

 

「何、なんなんだよお前。その力はなんだ!」

 

「知りませんわよ。でも、すごく心地いい」

 

 万物を支配下に置いて。

 万象を掌で転がして。

 

 

 その上で、彼女は望んだものを間違えない。

 世界の全ては確かに欲しい。全てを自分の支配下に起きたい。でも、そんなものよりも今は彼が欲しい。彼が思わず抱かれたくなるような、そんな女になる為に。

 

 彼に抱かれる資格があると、自分を認められるようになるために。

 

 

「我慢比べといきましょう? 妾と貴方、どちらが貪欲か」

 

「欲深さでアンタに勝てる気はしない。……でも、それ以外なら私はアンタより強い」

 

 

 それ以上言葉を交わさず、ギロンとラクスはお互いの左手で互いの首を掴む。

 気道を締める訳では無い。そんなことに意識を集中させれば一瞬で()()()()()()()

 

 祝福『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)』と異能『落火繽紛(カロス・ヴィレ)』が真正面から激突する。

 

 片や、あらゆる物質の()()()()からすら移動を奪い。

 片や、あらゆる物質から熱量を奪い。

 

 お互いにその奪った力を自らに還元する力。ならばお互いに全身全霊で相手から奪い、奪った分を全力で奪われた分の補填に回す。

 一秒ごとに全ての血液を抜かれては入れられを繰り返すような虚脱感。正しく命を吸われるような不快感。

 そして、接触部位だけは誤魔化せない低温による細胞の壊死。首が冷えれば流れる血潮を伝い全身が冷えていく。この時点でこの勝負は実力も才能も何も関係の無い、どちらの方が死ぬ直前まで死ぬ気で敵を殺せるかだけの勝負になる。

 

 

 

 

 

 確証はないけれど、ギロンは勝利を確信した。

 だって、いつも自分はこの貪欲(きもち)に全身全霊を捧げているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







・ギロン
戦闘スタイルは素手と投石という原人よりも原始的に見えて1番道具に頼る頭脳派ゴリラ。肌に触れたものから移動を奪うことで磁石みたいにくっ付けて服の下に色々隠せて便利。なんでコイツが盾兵を名乗っているのかはスーイくらいしか知らない。ホシはドMだからだと思ってる。

なんか小さいの見えるようになった。


・ラクス
魔王軍幹部。『暴食』の名を賜ったが食は細い。魔王軍幹部の末っ子ポジション。生まれた時に何もかも完成しきった暴力装置。


・異能『落火繽紛(カロス・ヴィレ)
触れた物質から温度を奪い、その温度を炎という形で放出可能にする異能。その性質から歩き回るだけで戦場を極地に変更し敵陣を壊滅させる。技術も応用もいらない、起動するだけで何もかもを破壊する純粋無垢な暴力装置。その分精密な操作は苦手。


・祝福『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)
貪欲の体現。世界の全てを支配下に置く祝福や異能の枠組みを超えた権能の片鱗。万物から移ろいの権利を奪う神獣の顎。





魔術について

・リスカ
天才なのでだいたいなんでも出来る。そもそも本来そっち方面の研究職志望だったので意外と詳しいし、スーイから教わってる。炎、風系統が適性。

・ホシ
神官の使う魔術は少し仕組みが違うので一概に言えないが苦手。ぶっちゃけ何やるにしても異能が便利過ぎてそっちで代用する方が早いとなる。そうするとかなりスーイが苦い顔をするので一応勉強しているがそもそも勉強が苦手。適性は土系統だがめちゃくちゃに不満。

・スーイ
最高の魔術師の一番弟子(自己申告)。

・ギロン
実はリスカよりも上手く使えるしなんなら知識も豊富。本人の祝福の性質上、高速で相手に触りに行くことが戦法になるので使う機会が少ない。こういうところで育ちの良さ出されても腹立つだけとホシが言ってた。炎、水系統が適性。

・従者くん
そもそも才能無い。帰れ。





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エンをキル





4話も放っておかれた久々のホシ。






 

 

 

 

 

「交渉って……どういうことですか?」

 

「隠さなくても良い。お前が魔族であることは既にわかっている。その上で、交渉だ」

 

「何を交渉したいんですか? お仲間の肉人形なら幾らでも作ってあげ」

 

 言い終える前に炎を纏った足で腹部を蹴飛ばされ、ホシの体は小石みたいに地面を二、三度跳ねて木に叩きつけられる。

 

「ゲホッ……!?」

 

 思わず()()()()()()()、ホシはアグネの顔を睨みつける。

 

「痛みを思い出したか外道。こちらもお前の行いには憤慨している。下手な事を言えば魂ごと灰にする」

 

 呼吸の真似事をして痛みを落ち着かせる。手足は未だに上手く力が入らないどころか段々と感覚は遠のいていく。自分の体を動かすエネルギーが根こそぎ奪われてしまうかのような感覚だ。

 残念ながら打つ手はない。ここは話を聞くのが賢明だろう。リスカでもスーイでもギロンでも、誰かが来るまで時間を稼ぐ。

 

「端的に言おう。魔王軍に来い」

 

「脳細胞燃え尽きてるんですがァッ!? ぐぅ……ぁぁ、いっ、……づぅ……」

 

 思わず出てしまった言葉のせいで炎の槍で掌を貫かれ、久方ぶりの激痛に思わず見た目だけの涙を流し悲鳴を上げる。焼けるようなこの痛みはただの痛みではないが、何なのかはまだ分からない。

 

「お前の異能、最悪な力であるがその力を魔王様は高く評価している」

 

「言っておきますけど……貴方達のお仲間を殺した勇者様の仲間ですよ私。それに、私が居なければ彼らの死にもそれなりに意味があったのに、私はそれを全て塗りつぶしました」

 

「らしいな。正直、我としてはこの場でお前を串刺しにして殺してやりたいが……魔王様の命令だ。どうする?」

 

「さっき魔王は周りの者は殺せって言ってたって言いましたよね?」

 

「より正確に言うとギロン・アプスブリ・イニャスは絶対に殺しておけ、精霊(エルフ)はヒルカが失敗したなら無視だ。特にあの女(ギロン)は生かしておいても誰の得にもならない。我欲が強すぎる。アレを組織や集団に縛ることは不可能だ」

 

「全くもってその通りですけど言い方酷くないです? アイツでもさすがに泣きますよ? それに、ああ見えて意外と誰かに歩幅合わせるのが上手いんですよあの子」

 

 肉体を修復できる祝福や異能持ちというものは意外と少ない。特に欠損レベルの怪我となれば、スーイと同じレベルの魔術師でも難しく、それを成す奇跡は数少ない。

 手足を失うというのは当然ながら戦闘に大きく影響する。ならば、失った手足を戻す手段を持つホシを魔王が欲しがるのも納得出来る。

 

「……まぁ、いいですよ。別に私あの勇者様達にそこまで思い入れがあるわけじゃありませんし?」

 

「呆気なく仲間を裏切る、ということか?」

 

「そんなんじゃないですよ〜。軽い気持ちで手を貸したはいいけど、思ったよりも強くて下手に裏切ったら殺されちゃうなって。ちょうど抜ける機会を探っていたのでこの提案はとても嬉しいです」

 

 心にもないことを言うのはホシの得意技だ。たとえそれが嘘であるとわかっていても、勧誘をしてきたのが向こう側である以上はどうあれこの場では殺されないだろう。殺されたとしても、そうなるなら最初から生き残る手段はない。最善手ではないにしろ安牌だ。自分を助けなければ体の一部を失うことになる以上、リスカとギロンは何がなんでも助けに来るだろうし、とりあえずはそれで時間を稼がせてもらおう。

 

「ほら、抵抗出来ませんしさっさと魔王のところに連れてってくださいよ。そうでなくても勧誘相手をいつまでも地面に寝転がせて置くのは酷くないですか?」

 

「まだ信用は出来ん。しばらくはそのままで居てもらおう。それに、交渉はこれから始まるからな」

 

「はぁ? 手を貸すって言ってるんだからもう終わりでしょう?」

 

 

「魔王様からの言伝だ。お前が協力するならば、お前が望む()()()()()()()()()()()をお前に自由にさせる。決してその者には手を出さないと約束しよう」

 

 

 心の底からホシは恐怖した。ホシは魔王という存在を今の『前代』すら知っているが、直接会ったことはない。だからその人格というものはギロンの口から聞いた内容からしか推測出来ない。

 

 だからこそ恐ろしい。会ったこともない相手がなぜ心の内を読んだかのような、そんな協力しない理由が無くなるような案をホシに突き出せるのか。

 

「は、はは、何言ってるんですか。魔王軍は人間を皆殺しにするんでしょう?」

 

「そのようなつもりは無い。少なくとも抵抗できなくなる程度には数を減らすが、根絶やしになぞするものか。仇敵とは言え我らから見れば餌でもあるのだからな。それに、人の力は数と積み重ねてきた知識だ。個体一つでどうにかできる力はない。祝福もないとなれば余計にな」

 

 怖い。完全に思考を見透かされている。もしも魔王と顔を合わせれば、自分すら自覚していない欲望を指摘されてあっさり与してしまうのではないかと考えてしまうくらいに。

 

「それと、これも魔王様にホットシート・イェローマムに言っておけと言われたことだ。『こちらにはキミを殺す手段がある』とな」

 

「そう、ですか。それは、魅力的な話ですね」

 

 

 どうしよう。

 本気で寝返ろうかなと、ホシは考えていた。

 

 このままでは絶対に殺される。死にたいとは思っていたけどこんな雑な最期は嫌だし、何よりホシとしてもどうせ殺してもらうのなら彼に殺してもらいたい。

 この魔族が嘘を吐いてる可能性も、魔王とやらが口からでまかせを言ってる可能性だってある。その上で、あまりに魅力的な提案であることは間違いなかった。

 

 別にホシは聖人でもなんでもないただの死体だ。ぶっちゃけ彼以外の人間なんてどうでもいいし、彼が一緒にいてくれて、いつか自分を殺してくれるなら世界なんてどうなっても構わない。他の生き物なんて勝手にくたばってくれて結構だ。

 頭の中に浮かぶ仲間と呼んでいた者達の顔が、どんどんと色褪せていく。自分の欲望とその他の命を天秤にかけた時、どちらに傾くかなんて決まっている。

 

 そもそもこの場においてホシに選択の権利はない。ここで頷かなければどの道殺される。なら頷くのが当たり前じゃないか。決してこれは卑しい選択なんかじゃない。

 

 

「では、まずリスカ・カットバーンだ。あの女を無力化して連れてこい。殺せるならばそうしろ」

 

「何言ってるんですか、私が、あの勇者をどうにかできるとでも?」

 

「ベルティオならば手足の一本、いや二本は最低でも持っていく。あの女が五体満足な理由はお前であろう。ホットシート・イェローマム」

 

 

 ふざけんなよ。読心系の異能持ちでもいるのかよと言いたくなる。ここまで面白いくらいにこちらの考えが読まれていると逆に清々しい。

 どうする、どうする? リスカの手足を補填しているのは間違いなく自分だ。その気になれば、激痛で意識を奪った上で無防備なリスカを連れてくることが出来る。そうすれば自分と彼は助かる。彼、そう彼が助かる。考えるまでもない。きっとリスカだって自分と彼を天秤にかけたならあの子は迷うだろうけど最終的に彼を選ぶ。そういう子だ。

 スーイだって、ギロンだってそうする。たった1人、だ。殺した人間の数なんて覚えていない。彼以外の人間なんて、魔族なんて全部道具だ。他の全部を冒涜してでも、ホシは彼と共に生きて、彼と共に死にたい。

 

 たかが人間1人殺すのがなんだ。

 人間なんてみんな滅んでもいい。アイツらのせいで2000年も酷い悪夢を見続けた。魔族だって同族嫌悪で好きじゃないけど、人間は自分に滅ぼされても文句は言えないことをしてきた。

 

 だから、こんな選択をするのは当たり前だ。

 

 

「……わかった。連れてくる。あの子の四肢は私の異能で補填してます。幾ら切断の勇者様でも、四肢がなければアンタには勝てないでしょう?」

 

「では、連れてこい。ほんの少しだけ体が動くようにしてやる。行け」

 

 

 動かなくなっていた体の感覚が少しだけ戻ってくる。酔っ払いみたいに覚束無い足取りで立ち上がったホシは、呼吸を整えてからアグネに背を向けて、リスカの元へと足を進めようと。

 

 

 

「──────お断りですッ!」

 

 

 髪の毛を刃に変えてアグネへと向ける。

 残っているエネルギーの全てを振り絞って、その首を断ち切る為に振る。届け、届けと存在しもしない神にまで祈って、その一撃は放たれた。

 

「そうか。……最期の言葉は、それでいいか?」

 

 向けた刃はアグネが体から出した炎で呆気なく溶かされ、その炎がホシの髪の毛に燃え広がると共に再び体から力が抜け落ちてその場にだらしなく倒れ込む。

 今度はもう遠慮なんてないようで、全身の筋肉が弛緩したみたいに倒れて上手く口も動かせず垂れた舌と唾液が乾いた土を湿らせた。

 

「あ……ぅ、ぁ」

 

「決して賢い選択ではなかった。だが、仲間を売らなかったその姿勢にのみは敬意を表する。このまま魂が燃え尽きるのを待たず、一撃で葬ってやろう」

 

 なんて馬鹿なことをしたんだろうと本気で後悔していた。

 今からでも逃げようと手足に力を込めるけれど、せいぜい舌足らずな言葉が漏れるだけで芋虫程度にも動けやしない。

 

 本当に本当に馬鹿だ。自分さえ良ければそれで良かったのに、他の奴らのことなんてどうでもいいのに、彼以外なんて生き物とすら思わないようにしてたのに。

 

 

 いつの間にか。

 あのパーティのみんながホットシート・イェローマムの人生にとってなくてはならない存在になってしまっていた。

 

 もうホシは彼女達を捨てる選択ができない。その選択をした瞬間、もう『人生』を良かったと言って締めくくることが出来なくなる。だからそれは絶対に選べない。

 

「でも、これもさいあく、ですね……」

 

 こんなところで、道半ばで誰も傍にいないところで寂しく死ぬのは決して良い終わりとは言えないだろう。2000年の旅路の果てがこれなんて、正直文句を言いたくなる。

 

 でも、そこに後悔はなかった。

 ここでこの選択を出来たこと。それ自体が良かったのだと、後悔はあれど胸を張って。ホシは彼に笑って逝く事が出来る。

 

 

 

 ごめんなさい、待ってるって言ったのに、どうやら私の方が先に行ってしまうみたいです。

 

 

 

 

 輝かしい劇に幕を下ろすように、名残惜しくもホシはその瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何となく、このままじゃだめなんだろうなとはわかっていた。

 きっとみんな必死に戦ってるのに自分だけこんな風に縮こまって震えてるのなんてダメだってわかっている。

 

 別に自分は勇敢な人間なんかじゃない。

 リスカ・カットバーンは早熟な子だったから、その事には割と早く気がついた。痛いのも苦しいのも嫌いだし、好きじゃないことには大して努力も出来ない。

 ここまで頑張れたのだって奇跡みたいなものだった。本当はずっともう無理だって叫びたかった、助けてって言いたかった、誰か代わってと投げ出してしまいたかった。

 

 それでも、私は勇者だからと。

 そうじゃないと、彼の隣に立っていられないからと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直、過ぎた望みかなと思ったこともあった。でもそれが私にとって本当に全ての願いだったんだ。

 

 そんなに裕福でなくてもいいから、生活に困らないくらいにしっかりお金を稼いで。贅沢なんてしなくていいから出来るだけ二人一緒の時間を沢山取って。子供は沢山いても、一人もいなくてもいいけれど本音を言うなら男の子と女の子が一人ずつ。どっちも君に似てくれると嬉しいなって。

 

 そんな未来を想像していた。

 そんな未来がどんどん膨らんでいった。

 

 多分ホシはなんだかんだ言いながらよく顔を出してくれるだろうし、スーイなんて明らかに子ども好きそうだし、ギロンは……あんまり子どもに会わせたくないなとも思っちゃったりするけれど、それでもまぁたまにみんなで顔を合わせて、旅の話を思い出として語れる未来が欲しくなってしまっていたんだ。

 

 傷一つない肌を君に見てもらいたくて。

 戦ってる勇姿なんかより、着飾った姿を見てもらいたくて。

 世界で唯一の勇者なんかよりも、どこにでもいる女の子になりたくて。

 

 

 

 

 でも、その願いは全て間違っている。

 私は勇者。魔王を倒す為に祝福を授かった人類の希望。ささやかな願いの全てを捨てて、魔を切り裂く刃となることを誓った者。

 彼の隣に立つために選んだその道は、彼の隣に立つことを諦めることに他ならなかった。そんな矛盾に気がつけないほど、私は愚かな少女だった。

 

 

 

 

 

 

「どうしたんですかリスカ、急に立ち止まるなんて何かありましたか?」

 

 ちょっと怒ったように、ホシが足を止めてこちらを見ている。不機嫌そうに、それでいて心配そうにただじっとこちらを見ている。言いたいことがあるならちゃんと口に出せと言うみたいに。

 

 

「どこか痛いのかな? なら少し休んでいくべきだとは思うけど、休んだらその分走らなきゃね」

 

 心配した様子こそあれど、いつもの調子で薄ら笑いと共に厳しいことを言っているスーイは楽しそうで。

 

 

「どうしましたー? 早く来ないと置いていきますわよ?」

 

 気の抜けた、興味のなさそうな声はギロンのものだ。そんな風なことを言いながら彼女はしっかりと足を止め、振り返るだけではなく体をこちらに向けて私が歩き出すのを待っている。

 

 

 最初はみんな嫌いだった。

 だってどいつもこいつも揃って自己中だし、性格悪いし、うるさいし、デカいし、面倒だし、すぐに嫌なこと言ってくるし。

 でも、ホシと彼以外誰も私を子供みたいに扱って慰めてくれはしなかった。スーイと彼以外誰も私に何かを教えてくれはしなかった。ギロンと彼以外誰も私と同じ目線で物を見ようとはしてくれなかった。

 

 案外、私はこの生活を気に入っていて。そして傍にいてくれるどうしようもない化け物達のことが好きだったらしい。

 大切なものが増えるのは大変だけれど、幸いにも私は勇者だ。

 

 

 

 

「──────リスカ。大丈夫か?」

 

 

 

 だから、泣くのは終わりだ。

 本当に為したいことを定めて、それ以外の全てを捨てろ。幸せな夢を見る余裕なんか残されてはいない。

 

 刃を向けるのは、有り得たかもしれない未来。その全てへの繋がりを、ここまで結んできた縁を断ち切る。それが弱さとの決別であり、勇者としての覚悟。

 

 リスカ・カットバーンの全てを捧げて、ここに一人の『切断の勇者』を生み出すこと。それが、どこにでもいる村娘が背負った使命。

 

 

「ありがとう、私を助けようとしてくれて」

 

 

 大好きな人が差しのべてくれた手に別れを告げる。

 それは彼女にとって、世界(みんな)を守る為に一つの世界を捨てる決断。

 

 どこにでもいる普通の女の子が、大好きなモノを守る為に選んだ、どこにでもある普通の自己犠牲なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リス、カ……なんですか?」

 

 炎を断ち切り現れた少女は、リスカ・カットバーンにそっくりだった。

 顔立ちも、体型も、匂いも何もかもその少女は同じなのに、決定的に何かが違う。

 

「……怪我してる。下がってて」

 

「え、いやからだ、うごか……ぶえっ!?」

 

 腕を掴まれたホシの体が雑に投げ飛ばされる。

 そうしてホシを庇うようにして、勇者はアグネと向かい合っていた。

 

「貴様がリスカ・カットバーンか」

 

「……お前は、……いや、誰でもいいか。どうせここで殺す」

 

「ああ、魔王軍幹部、『灼熱大公』アグネ。仲間の仇、討たせてもらおう」

 

 間合いは槍の有利な間合い。だが両者の身体能力を考えればそれは無いも同然の距離である。

 

 ……だが、この距離における優位性はアグネにある。それをホシは必死に口に出そうとしていた。

 

「行くぞ」

 

「…………」

 

 アグネの炎は所持品に触れた時点で終わりだ。その炎が繋がりから魂を焼き、相手を殺す。幾ら勇者が『切断』で防ごうとも、衣服でも何でも燃やされればその時点で詰みに近づく。

 

「り、すか……ほのおに……」

 

「大丈夫、ありがとう」

 

 ホシの言葉を遮って、勇者はそう口にした。

 にっこりと笑って、血のように濁った赤の瞳の奥に敵だけを捉えて。それでも確かにホシを見て笑って、炎に向き合った。

 

 

「燃え尽きろ、『切断』の勇者!」

 

 

 火山の噴火のように炎が押し寄せる。

 これがアグネの本気、自分との戦いは本当に手加減していたのだとホシは改めて力の差を思い知る。逃げ場はない、間に合わない。勇者も自分もこの熱波で消し飛ばされる、吹き飛ばされる。それだけがこの後に起きる結果なのだと理屈よりも本能が叩き出す。

 

「大丈夫、この炎は届かない」

 

 そうして炎が押し寄せる中で、勇者はただ虚空に刃を振るった。

 なんの意味もないようなその行為で、ホシは現実が切り刻まれるのを目にした。

 

「ぇ……?」

 

 炎が来ない。熱も風も、ホシと勇者に届かない。まるで見えない壁に遮られているかのように、彼女達に到達する前に止まってしまっている。まるで()()()()()()()()()()()()()みたいに、勇者の目の前で炎が行き先を見失って燻っていた。

 

「空間を切ったの。繋がってない場所には、さすがに辿り着けないみたいだね」

 

「は、はぁ!?」

 

 何となく、どういう理屈かは理解が出来た。『切断』の祝福はあらゆるものを文字通りに『切断』する力。その力の応用で空間を切断して物理的に炎が来るのを止めているのだろう。

 理屈で理解出来てもそうそう認められるようなものでは無い。あんまりにもデタラメなその光景を見て、ホシは改めてこの少女が『勇者』に選ばれた逸材であることを思い出した。

 

「どういうことだ……? 我が炎を、無傷で?」

 

 炎の波が消え、視界が晴れた向こうではアグネが驚愕を瞳に浮かべながらも己の手で確実に殺さんと槍を構え直し、それを見て勇者は手にしていた剣を腰に差してホシの方に手を伸ばした。

 

「貴方、多分剣とか作れるよね?」

 

「だから、いまからだ、うごかな……」

 

「出してくれないと、私達2人とも死ぬ」

 

「……わがまま」

 

 何とか体を練り直して、ホシは一振の剣を作る。

 生憎、ホシはその少女の体のことならば本人よりも知っている。重さも形も何もかも、勇者の為の剣を即興で作り出す。

 

「うん、ありがとう。良い剣ね。きっと貴方は……」

 

 何か言おうとして、その言葉を飲み込んで勇者は死地に足を踏み入れた。

 アグネの炎は触れれば終わり。だが触れるだけで終わる相手ならば既に勇者は経験している。それどころか視るだけで終わりにしてくる相手とすら戦っている。

 問題はその槍の突きの鋭さ。触れるよりも、視るよりもこの一閃は鋭く迅いのだと間合いに踏み込んでから気が付いた。回避や防御は間に合わない。貫かれることは無いにしろ炎に触れる事にはなる。

 

 ならばと、勇者は左手を前に出す。そうして、かろうじて捉えることの出来た槍の軌道に合わせて左手を全力で押し当てた。

 

「……ッ」

 

「魂を焼け、『千紫蛮紅(カロス・コキノ)』!」

 

 熱であろうがなんであろうが本来なら『切断』の前では干渉出来ないはずだが左腕に焼け付く痛みが迸る。同時に、全身から体を動かす力そのものが削り取られ、大地を踏みしめることも剣を握ることも出来なくなって倒れそうになる。

 

 この異能の炎が焼いているモノに、勇者は気がついた。

 魂だ。形のないソレは幾ら『切断』でも斬れないと定義することが出来ない。変なところで現実的な彼女は、そんなものの存在を考えていなかったからだ。

 分かりやすく認識し直すならば意識と言ったところだろう。物事を思考する力を焼く。焼いて、灰にしてしまえば思考を失ったそれは死ぬことと何ら変わりは無い。しかも、火力によってはほんの僅かに触れただけでこれとは。

 

 

 けれど、もう何も問題ではない。

 魂というモノがこの世界に『在る』ならば。勇者の魂は何人たりとも切り裂くことは叶わない。

 

 

「貴様、我が炎を受けて何故ッ!」

 

「勇者、だから」

 

 

 腕にも脚にも力が戻ってくる訳では無い。これ以上魂が『切断』されないだけで焼かれた痛みもあるし感覚も戻らない。

 だが進む。力がいつもより入らないのならいつもの数倍力を込めろ。勇者はこの程度では止められない。そう思えば、思っただけの力が湧いてくる。

 

 

 一撃必殺の異能の癖に、アグネの防御行動は速い。このままでは致命傷を与えられない。力が上手く入らないから、逃げられるかもしれない。

 殺せないなら、別のものを断ち切る他ないだろう。意識を集中させて、本来ならば捉えられない何かを視界に映す。

 

 

 

 

 

 それは神すら断ち切らんと願った、泡と消えた少女の祈り。

 魔を打ち倒すために天より与えられた、勇者の為の祝福の名。

 

 

 

神断祈泡(セレネ・へスペリス)

 

 

 

 勇者の刃がアグネの脇腹を貫く。

 相当な傷であるが、致命傷では無い。相手もそれをわかっていて身を引きながらその手から炎を……

 

「……炎が、出な」

 

 一瞬動揺して動きが止まった。その刹那に勇者はアグネに蹴りを叩き込む。

 上手く受け流されて『切断』は出来なかったが、少女とは思えない脚力から放たれた蹴りは自身の倍近い体躯の魔族の肉体を小石のように蹴り飛ばして視界から失せさせた。

 

「ふぅ、何とかなった」

 

「何とかって……アイツ殺せてませんよ! 逃げられたらリスカはともかく私が……ってアレ?」

 

 すぐに追うように促そうと、ホシは立ち上がっていた。

 先程までは喋るために顎と喉に力を込めることすら難しかった体は当たり前のように立ち上がり、指先もしっかり動き、体を変形させて鎌や網を作り出すこともいつも通りできる。

 

「リスカ、何をしたんですか?」

 

「切った。それだけ。あの魔族の異能は、もうこの世に無いよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






・リスカ・カットバーン
ただ誰よりも才能のあったどこにでもいる、少しだけ気弱な普通の女の子。大切なモノの為に全てを賭けられる当たり前で尊い精神を持っていた。

・祝福『神断祈泡(セレネ・へスペリス)
リスカ・カットバーンの祝福『切断』の真の力。あらゆる物質を切断する本来の力に加え、祝福や異能と言った概念そのものを断ち切り、相手から永続的にその力を消滅させる制定の理。この世の原理を乱す魔の法を断ち切り、あるべき世界に戻す勇者に相応しい祝福。


・異能『千紫蛮紅(カロス・コキノ)
魂を焼く業火。燃やした物質、またはその所有者の『魂』を燃やす炎を出す異能。炎が効かない者であろうと、その所有物から魂を辿り、灰にする。相手にもよるが、一度でも炎を受ければ数時間で魂を完全に失い死亡する。槍として出した炎は特にこの性質が強く、かすりでもすれば立っていることすら難しくなる火力。その上、純粋な炎熱としても非常に高い火力を備えている。



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終幕

 

 

 

 

 

 

 体が重い。

 羽根をもぎ取られたかのような感覚だと、羽根なんて生えていたこともないのにアグネはそうとしか言いようのない倦怠感に苦しんでいた。

 致命傷は避けたが、『切断』の勇者から受けた蹴りはかなり効いた。内臓が潰れたのか口からは黒色の血液が零れ落ちる。

 

 なるほど、魔王様が危険視していた理由がわかった。

 あの女こそ、魔王様が日頃から警戒していた魔王の対になる概念、本物の『勇者』だ。『千紫蛮紅(カロス・コキノ)』が通じない以上、今はこのことを魔王様に伝えるのが先決だと、体を引きずりながら、アグネが向かっていたのは魔王の居所ではなかった。

 

 

「ラクス、生きて……いるのか?」

 

 

 もう一つの戦場、予想通り元魔王軍幹部の裏切り者、ギロンと戦闘をしていた魔王軍幹部、ラクスの元へと辿り着いていた。

 戦場の真ん中でお互いの首を掴んだままピクリとも動かない様子に違和感を覚えたが、微弱ながら両者ともに心音がある。

 

「炎は、やはり出ぬか」

 

 どのような術を施されたのか、異能が使えなくなっている。この状態での戦闘は少々どころではなく分が悪い。祝福や異能を持つ相手には、前提として同じく祝福や異能を持つ者でなければどれだけ腕を磨こうとも勝利するのは難しい。その力は本当に神の力の一片と言われても信じられてしまうくらいに、あまりに強大だとアグネは己の力を以て知っている。

 

 アグネの異能は近付くもの全てを焼き尽くした。

 それが何なのかは関係ない。炎はどんなものであれ関係なく灰にする。『千紫蛮紅(カロス・コキノ)』はそういう力だ。誰であろうと容赦なく灰にする。どんなものであろうとも灰にする。灰に、灰に。どこまでも攻撃的な力。

 

 

 

 

『なんでも使いようだと思うよ。キミの力だって、今みたくワタシを守る事に使えるんだから』

 

 

 ボロボロの姿で、そんな炎に手を差し伸べてくれたのがあの方だった。

 

 

義父(とう)さんは、かっこいいと思うよ。私も、義父さんみたいに誰かを守れる炎で在りたい』

 

 

 こんな自分に憧れてくれるような者がいた。ならば、自分は炎で良い。あらゆるものを燃やし尽くして、その果てにそれだけを守れればいいと思えるものがある、幸福な炎だ。

 

 

 

 

 

 

 

「一人で逃げないその意気は大したものだけど、逃げられる算段もなしでやることではないかな」

 

 ぞくりと傷口を抉られるような声。

 無機質な瞳でアグネを追っていた勇者が追いつき、その刃を彼に向ける。落ちていた毀れた槍を拾い上げ、炎を纏おうとするがやはり何をどうしても異能が発動出来ない。

 

「貴様は、我に何をした?」

 

「斬った。それが私に出来る唯一のことだから。何もかも斬り裂いて、平にしてやっただけ」

 

 会話をしている気になれないほど簡素な言葉であったが、アグネは一つだけ理解出来た。

 

 一時的だとか、そんな甘いものでは無い。

 自らの異能はこの世から永久に失われてしまったのだと。

 

「アンタはもう私に勝てないよ」

 

「だろうな」

 

「だから、見逃してあげてもいい」

 

「そうか……助かるな」

 

 一歩、アグネが後ろに下がると一歩だけ勇者も足を進める。その刃はアグネではなく、ラクスへと向けられている。

 このままではラクスは間違いなく殺される。かと言って、既にアグネに出来ることはなく今は逃げて魔王に『勇者』の祝福についての情報を持ち帰るのが正しい行動だ。

 

「待て」

 

「…………見逃してあげてもいいって、言ったよね?」

 

「こちらが貴様を見逃せない理由が出来た」

 

「そう」

 

 勇者はそれ以上特にアグネへ意識を向けることは無かった。彼女にとって、既にアグネという魔族は眼中に無い。その事をわかった上で、アグネは槍を向けた。

 それが愚かな行為であることも、合理的では無い行為であることも、魔王軍幹部として間違った行為であることも理解していた。その上で、アグネは自分が自分であるためにこの行為に間違いはないと、選択をした。

 

「じゃあ、アンタから斬る」

 

 アグネの100年と少しの生の中で、彼は己を鍛え続けた自信があった。得物は槍であったが剣であろうとそこらの人間には決して劣らず、異能の力だけにあぐらをかかずに己を磨き続けた。ここ20年、魔王と出会ってからは特に念入りに磨き、一つの到達点に至ったという感覚もあった。

 

 事実としてアグネの槍による突きは、勇者の反応速度を上回っていた。決して退けない理由、負けられない理由を纏ったその槍の冴えは確かに一つの極点を名乗るに相応しい。

 

 

「……でも、そんなんじゃ勇者(わたし)()()()()

 

 

 もしもその槍に異能の炎が乗っていれば致命の一撃になったかもしれない。だがそんな『もしも』は既に勇者が切り捨てた。

 本来なら頭蓋を貫き脳髄を焼き切る業火の一撃も、勇者にとっては砂塵程度にも意識を割く必要は無い。ただ決して切れることはないと定めた己の体でその一撃を受け止め、自分はいつも通りに剣を振るうと

 

「ガッ……ァ……」

 

 魔王軍幹部の中でも最強と謳われた戦士、『灼熱大公』はそうして胴を輪切りにされ、それでもしばらく立ち上がろうともがいて、まるで虫のように死んだ。

 

「さて、そこのお前はそのまま見てるだけのつもり? それならそれでコイツと同じように、虫みたいに殺してあげるけど」

 

「──────ぶっ殺してやる」

 

 ギロンの首から手を離し、掴まれていた手を振りほどき、激昂したラクスは標的を勇者へと定め直す。ギロンとの我慢比べで最早肉体は限界ギリギリに近かったはずなのに、いつの間にか全身に力が漲っている。

 

 

 

 

 ラクスは生まれた時から完全だった。

 その異能『落火繽紛(カロス・ヴィレ)』はそれだけ強力な異能だったからだ。炎と氷、灼熱と極寒。あらゆる生命を否定するかのようなその暴威は、最強と呼ばれるに相応しい力だと本人も思っていた。

 

 だからなのか分からないが、ラクスは生まれつき何かを『学ぶ』ということが苦手だった。言葉も覚束ず、歩くことすらなかなか上手くいかず、一人では上手く食事も出来ない。強いだけで何も出来ずに死んでいくはずだった自分を拾ってくれたのが魔王様と、義父さん(アグネ)だった。

 どれだけ学んでも辺りを焼き尽くすことしか出来ない。どれだけ教えられても誰かを凍えさせることしか出来ない。

 

『ラクス。お前は物覚えが悪い。剣も槍も何度振るっても型が身にならず、術も使い方を覚えられない。だが、お前は一度だって努力することだけは放棄しなかった。その在り方だけでお前は灯火足り得る』

 

『アグネってラクスにだけ甘くない? ワタシはちょっとでも気抜いたらグチグチネチネチ言ってくるくせに』

 

『我が魔王様に厳しいのは貴方がそうするように言ったからです。そうしないとサボるからと』

 

『最初と比べて随分大きくなったからね魔王軍も。アグネくらい背丈があればこんな頑張らなくても威厳とか出たのになぁ』

 

 何もかも壊すことしか出来ない私の唯一の居場所がここだった。

 だから、私は壊すことしか出来ない災害のままで良い。そのままで、私の家族の敵を全て壊す。

 

 

 

「怒りで動くのは減点、動き自体は満点。妾を無視したのは、零点ですわね」

 

 沸騰した血液を凍らせるような冷たい声だった。

 胸部が急に寒くなり、少し視線を下げるとラクスの薄い胸から誰かの腕が生えて、それが心臓を引きちぎって掴んでいた。

 

「申し訳ありませんわね。隙だらけだったので、つい」

 

「ギッ……ロ、……なんで、だよ……」

 

 瞳に最後まで憎しみと怒りを抱き、口から最後まで怨嗟を吐きながらラクスは地面に倒れ、血を流して動かなくなる。

 

 最後の魔王軍幹部はそうして息絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう……何がなんなんですか本当に!」

 

 急にリスカが飛び出してきたと思ったら、何もかも全部ぶった斬って、自分で蹴っ飛ばした相手を追ってどっかに行ってしまった。状況がよく理解できていないが、心配なのはリスカの精神面だ。

 

 誠に遺憾ながら、リスカという少女に関してホシはべらぼうに詳しくなっている。表情筋の僅かな動きからだいたい全てを察することが出来るくらいには知っている。

 

 そんな自分が、先程の勇者の表情からは何も感じ取れなかった。

 あの意地っ張りでそのくせ泣き虫で頑固な女が、表情一つ動かさず戦うことなんてできるはずがない。怖さも弱さも何もかも我慢して無理やり自分を立たせることが()()()()()()のがあの世界で一番恵まれた、不幸な女の子だ。

 

「リス……んぎゃっ!?」

 

「あ、神官ちゃん。ちょうど良かった」

 

 噂をすればなんとやら。どこからともなく現れたリスカに、ホシは身長差故にそこそこ豊満な胸に顔を埋めることになってしまった。体格比なら自分の方が大きいので嫉妬したりはしない。そもそも可変であるホシにそういう感情はない。

 

「今魔王軍幹部っぽいの2体倒したんだけど、おっきい子人間の子が死にかけちゃってるから、貴方なら多分治せるでしょ? 剣はこのまま借りてくね。じゃ」

 

 それだけ言うと風のような健脚で走り去り、リスカの姿は見えなくなってしまった。なんでこうもまぁ、揃いも揃ってうちの馬鹿達は自分勝手なのか。

 

 どう考えても今のリスカは()()()()()()()

 ぶん殴ってでも引き止めて、泣いても気にせずに治療してやるべきではあると分かってはいたけれど、さすがにおっきい子(ギロン)の心臓が止まってるとなると優先順位を切り替えることは出来ない。いくらあの怪物でも心臓が止まったら死ぬ。死ぬよね? 死ぬかなぁ? 

 

 出来ることなら分体を1人くらい付けて行ってあげたいが、全力で走るリスカに追いつく出力を出せる分体を作り出す余裕は、アグネにボコボコにされたホシには残されていない。

 

 

「全部終わったら泣くまで説教してやりますから、覚えておいてくださいね」

 

 

 それはそれとして。

 炎を斬り裂いて現れたリスカの事を不覚にもかっこいいと思ってしまったことは言わないでおこう。後で色々弄られる未来しか見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの神官の子の名前なんだったかなぁ。

 

 そんなことを考えながら、足はなんの迷いもなく目的地に向けて動いていた。どっちが重要かなんて考えるまでもなく目的地なんだけど、あの神官の子の名前も大切な気がしてしまうのだ。

 

 感覚が変だ。

 背の大きな子が倒れて動かなくなった時も知らない人のはずなのにすごく心配だったし、そのことを神官の子に伝えたら何故か今度はすごく安心できた。もう大丈夫だと確証のない安心だ。

 

「知り合い……なわけないか」

 

 客観的に、自分と仲良くしてくれるような子なんていないだろうし、特にあの神官の子なんてきっと優しい聖女様みたいな子だろうから自分とは性格が合わないだろう。

 それに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その程度のことなのだろう。そう考える『勇者』としての自分と、それでも胸のもやもやを大切にしたいと言っている誰かがいる。

 こういう時はどうすればいいかわかってる。少し集中して、余計な思考を()()()()()

 

 

 ……先程までの悩みが吹っ切れて、思考がクリアになるし足も1秒前より速く動く。いいことづくめだ。

 

「大丈夫……まだ覚えてる。まだ、名前を言える」

 

 もうどうして大切なのか、どうして忘れたくなかったのかも覚えていない、幼なじみの彼の顔と名前を思い浮かべる。

 これだけは忘れない、これだけは忘れたくない。致命的に何かを間違えてしまった自分だけれど、きっとこれさえ手放さなければそれで幸せだと認めることができるから。

 

 

 古い城の門を切り裂き、中を進む。

 誰もいないその城は、外見に反して笑ってしまうくらい警備が薄くなんだか自分みたいだと変な笑いがこぼれてしまう。

 

 階段を昇る。

 近づく度にはっきりと伝わってくる。この先にいるのが自分の宿命。生まれた時から殺し合うことを定められた、ある種の半身。

 

 

「はじめまして、勇者さん」

 

「こちらこそ。早速だけどその首貰うよ、魔王さん?」

 

 

 玉座に座す血のような赤黒い髪をした少女。

 それが、全ての始まりでこの旅の終着点の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・ラクス
魔王軍の末っ子ポジションにして完成された暴力装置。学習能力がないが努力家。目に付くものをひたすら攻撃して敵意を向けているその姿にかつての自分を重ねたアグネに拾われ、野生児から礼儀正しい軍人御令嬢に進化した凄い子。心の中で魔王をママ、アグネをパパと呼んでる。礼儀正しいので人前ではちゃんと義父さんと呼んでる。

・アグネ
魔王軍のお父さんポジションにして最古参。昔は荒れてたタイプ。魔王とは最初に出会った時に殺し合い、なんだかんだで共闘し、忠誠を誓うまでに一悶着あった仲。誰もが恐れる『炎』ではなくアグネという個人を見て手を差し伸べた彼女ならば王に相応しいと思い、彼女の王座の為に奮戦した。
ラクスのことは昔の自分と重ね、一番の部下として育てたがパパと呼ばれた時はどうしてこうなったんだろうなぁと思いながらも特に直させたりはしなかった。

・魔王
いよいよ後が無くなった。




・ギロン
我慢比べの勝者。うっかり心臓が止まっちゃった。






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断ち切れないオモイ






ワートリ読んでたので遠隔斬撃を放つ命と引き換えに作り出す武装とかでても許してください。







 

 

 

 

 

 

 

「いやー死にかけましたわね! お母様が見えましたわ〜」

 

「まさか急いで戻ってきたらギロンが死んでるとは。一生懸命ホシと一緒に治療したのに戻ってこなくてもうダメかと思ったら無意識に自分で祝福使って心臓を動かすとは……もう天晴れとしかいいようがないよね」

 

「………………」

 

 

 普段ならば「醜い化け物自慢とか気持ち悪いんでやめてもらえますか? だいたい自分で蘇生できるなら先に言ってくれれば無駄な労力とか割かないんですけど?」くらいのことを言ってきそうなホシが、瞳を潤ませて、かつ頬を膨らませてただじっとギロンの顔を見ているだけだった。

 

「そ、そういえばスーイ、妾何故か右目が全然見えないんですけど、ちゃんと神経繋げました?」

 

「そういうのホシ担当だから私は分からないな」

 

「ホシさん、その、片方見えないと不便なんですわよね〜うふふ」

 

「…………ぷいっ」

 

 ぷいって、ぷいって口で言った。

 なんだかやりにくくてスーイに視線で助けを求めようとするギロンだったが、スーイもスーイでぽやぽやと何かを思い出すように頬を弛めて虚空を見つめたりいまいち集中力が途切れていて話にならない。

 

「ギロン」

 

「はい」

 

「死んだら終わりってことはわかってますよね?」

 

「そりゃあもちろん。妾、何をするにも死なないようにがモットー。最終的に勝てばいいんですわ」

 

「はい、正座」

 

 ギロンに母の記憶はない。自分を産んですぐに亡くなってしまった母の代わりはほとんど乳母と姉であったが、未だに2人に頭が上がらないくらいにギロンにとってその2人の存在は大きい。特に姉は勝つビジョンの方も浮かばないくらいやばい。

 

 それと同等の圧を今のホシは持っていた。いや、このレベルの圧は姉が大切にしていた観葉植物を欲しくなってうっかり食べてしまった時並み。幼少期のトラウマを掘り起こされ、巨躯を縮こまらせて正座をしていた。

 

「貴方、死んでましたよね?」

 

「生き返ったからセーフということで」

 

「死んでましたよね?」

 

「はい死にましたわね」

 

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜?」

 

「ひえっ、その……ごめんなさい」

 

「……本当に、死んじゃったのかと思ったんですからね? 死んだら終わりってわかってるならもう二度と無茶はしないでください」

 

 

 コツンと、軽くゲンコツをギロンの頭に落としてホシはそっぽを向いて震える声でそう口にした。

 

「…………んん?」

 

「なんですか、その信じられないものを見るような目は。本当に反省してるんですか」

 

「そりゃ妾は常に反省して生きているからしてますけど、怒っていませんの?」

 

「生まれてから、死んでからも一番怒ってますよ?」

 

 普段のホシならば本当に怒っているのだとしたら、軽く神経を捻って激痛をぶち込んできたりするだろうにその気配も一切なくただじーっとギロンの顔を見つめて、たまに大きな溜息をついてはちょっと安心したように微笑むばかり。

 

「…………ホシ、もしかしてめちゃくちゃ心配とかしてました?」

 

「はぁ? アンタみたいな猪よりタチの悪いケダモノを心配するだけ無駄って事くらい私でも知ってますよ。自惚れないでください」

 

「こうは言ってるけどホシ、ギロンが目を覚まさなかった間ずっと泣いてたよ。『やだやだ、なんで、なんで戻ってこないの!? ギロン死んじゃやだ』って」

 

 火がつくんじゃないかってくらいの本気の舌打ちと共にホシがスーイを睨みつけたが、この状況ではどれだけ強く睨んでも照れ隠しにしかならないと、本人も諦めたのか何度目かの大きな溜息を吐いてから、小さな体で覆い被さるようにギロンに抱きついた。

 

「こうして心臓の音が聞こえるのを間近で実感するとやっぱり安心しますね。生きてるって、ちゃんとわかる」

 

「ホシってばそんなに妾のこと……」

 

 

「えぇ。もういいですよ。貴方達みんな大切で死んで欲しくありません。だからもう二度と無茶はしないでください。死にさえしなければ私が何があっても治してあげますから」

 

 

 

 本気で怒って本気で泣いて、本気で笑っている。

 そんなホシの顔をギロンとスーイは初めて見た。

 

「………………あー、もう恥ずかしい! 私ちょっと寝ますね! アグネとの戦いでもうエネルギー残量0なんですよ。ちょっと休ませてもらいますね」

 

 それだけ言うとホシは電池が切れるようにその場に倒れてすぅすぅと寝息を立て始めた。睡眠等の肉体的な疲労回復とは無縁の彼女であるが、魂を燃やされるという前例のない負傷で受けた疲労は全ての機能を停止させて修復に注ぎ込まなければ治るものでは無い。

 

 言いたいことだけ言って寝てしまったホシを傍目に、ギロンとスーイは何となく顔を合わせて、どちらが先にという訳でもなく一緒に笑いだしてしまっていた。

 

「外面だけかと思っていたら、案外可愛いところがありますのねホシったら。昔、お姉ちゃんに慰めてもらったのを思い出しましたわ」

 

「私も、本当にもう二度と立ち上がれないどころか自分の無力さと矮小さで水分が際限なく瞳から溢れて指先すら動かせずにこのまま地面の染みになるんだって本気で思ってた私を回収しに来てくれた師匠を思い出したなぁ」

 

「それ虐待されてません?」

 

「愛じゃない?」

 

「妾に愛は分かりませんわね〜」

 

 改めて地面に寝っ転がって空を見ると、ふと今日はいい天気だなぁと気がついて余計に笑顔になる。

 

「随分と来るのが遅かったですけれど、何かありましたの?」

 

「こっちも1体魔王軍幹部に襲われてた。確かヒルカと名乗っていたかな。彼は私が作れる最高の結界に眠らせて閉じ込めといたから安全は保証する」

 

「そうですか。こちらは2体倒しましたから……これで全部ですわね」

 

『視殺』のエウレア。

『万解大公』ベルティオ。

『回刃』グレイリア。

『夢幻』のノティス。

 

 そして、裏切り者(ギロン)に今回の3体を入れて8。現在確認されている全ての魔王軍幹部はこれにて攻略したことになる。

 

「いやぁ、ここまで大変だったね。特にギロンがあの擬態魔獣(ミミック)に引っかかった時」

 

「あれは普通に死を覚悟しましたわね。まさかあんな明らかに怪しい宝箱が逆に罠とは」

 

「罠だってわかってるのになんで突っ込んだの?」

 

「ワンチャン罠じゃないかもと、根拠の無い自信ですわね。若気の至りですわ」

 

「……ほんと、こんな短い期間なのにびっくりするくらい濃い時間だったね」

 

「スーイもホシも、どうしましたの? なんか急にセンチメンタルなこと言い出して」

 

 ぺたぺたと指にその触り心地と形を覚え込ませ、その形が失われても忘れてしまわぬようにスーイは丁寧にギロンの顔に触れてみる。さすがにこそばゆいのかギロンは軽く抵抗して手を振りほどくが何故かそれすらも面白くてスーイはまた笑っていた。

 

 

「実はね私、彼に抱きしめてもらったの」

 

「おい話が変わってきますわよ抜け駆け女。今すぐ腕を引きちぎってやりますわ」

 

「はぁ〜? 私の信じるギロンは抜け駆けとか言わないで相手の行動力を素直に賞賛してその上で自分の方が上手くやってみせると豪語するんですけど〜」

 

「勝手なイメージ押し付けてるんじゃねぇんですわよ! どんな理由があろうとも好きな相手に抱きつかれたとなれば嫉妬するのは乙女の嗜み! ここで殺してくれるわ!」

 

 

 そんな流れで取っ組み合いになりかけたのもつかの間。

 口では元気であったが2人とも体力面でだいぶ限界が来たのかふと、強烈な眠気に襲われて静かになり、ギロンが小さな寝息を立て始めた辺りでスーイの方も意識を保っているのが難しくなってきた。

 

 状況は悪くない。

 少々無理やり『翼』を使ったせいで体力の消費が大きいがこの程度なら数分眠れば回復する。ホシも、それくらいで回復して周囲の死体を取り込めば最低限の戦闘は行えるだろうしギロンはなんか多分寝たら復活する。

 リスカの姿がどこにも見えないのは少々不安の材料だが、何かあってもリスカは身の危険を感じればしっかりと退くことを選べる賢く臆病な少女だ。()()()()()()()()()()()()ちゃんと仲間を頼るだろう。

 

 なら、自分たちがやるべきなのは彼女を信じて彼女が頼ってきた時に備えて体力を回復させることだ。今の状態だと足を引っ張りかねない。あの子は意外と弱虫だから、しっかりと助けてやらないと。なんてったって彼がとても大切にしている女の子だ。頼ってくるなら助けてやらない理由はない。

 

 

 

 ……何か見落としているような、そんな不安があった。

 けれどもその答えに辿り着くよりも先にスーイの思考はほんの数分だけの休眠状態に陥った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『双死双哀(ダブリトゥリステサ)』」

 

 唄うように紡がれた『異能』の名前。その言葉と共に魔王の姿がぶれる。幻覚か、視覚に干渉されたか。ほんの少し目を細めて勇者は魔王を観察し、狂ったのが自身の視覚ではなく現実そのものであることに気がついた。

 

「分身の異能か」

 

「「うん。ただし両方本物だよ。片方が死んでも時間経過でまた生み出せる。すごく便利で助かってる」」

 

 自身を増やす異能。強力で使い勝手が良いのはわかるが、魔王を名乗る存在の異能としては少々地味、というのが勇者の正直な感想だった。これならば幹部の異能の方がよっぽど厄介。それどころかこの異能でどうやって彼らを力でねじふせたのかが想像つかない。

 

「「それじゃ、始めようか」」

 

「言われなくても、全部ぶった斬って終わらせてやる」

 

 その言葉通りに、勇者は剣を一閃する。

 それだけの行為で城そのものが横一筋に『切断』される。延長線上に居た2体の魔王はすんでのところで回避するが、何もしてなければ今の一撃で全てが終わっていた。

 

「これが『切断』か。直で見ると聞いていたよりずっと怖い!」

 

「しかもこの能力、こっちが『本質』じゃないってんだから狡い!」

 

 魔王が増えるのに合わせて増えた彼女の持つ華美な装飾の施された剣も増え、二方向から息のあった斬撃が勇者を襲う。勇者はそれを避けようともしない。彼女にとって相手が近づいてきてくれるのならば、なんの遠慮もなく叩き切ってやるだけ。

 

 そうして、魔王の片割れが振り下ろした刃に対して勇者は剣を振り上げ、()()()()()()()()()()()()()()

 

「……?」

 

「『金剛不穢(オンリ・ジンギ)』」

 

 魔王の持つ剣は、確かにただの剣ではなく多重に魔術による強化の施された魔剣である。だが、だからといって勇者が切れないと認識するような代物ではない。ならば何故一方的に切断することが出来ないのか。

 

 異能? 

 それはありえない。何故ならば魔王の異能は『自分を増やす』力であるはずだから。祝福や異能は一人に一つ。その理由が今の勇者にはよくわかっていた。

 そもそもの話、この力は生き物には過ぎた力。生き物が本来持つ『何か』を消去して生まれた隙に巣食うこの世界全体のエラーのような力の総称。

 

 だからだろうか。勇者は世界で唯一、この力の出力を無理やり上げる方法を理解していた。

 

「まだ、捨てられる」

 

 己の脳に刃を振るう。力を持った人間ではなく、力を持った人間に己を純化する。腕が軽くなり世界が遅くなり、刃の鋭さが増していくのが確かに感じられた。

 

「速いね。これが『勇者』か。正直、予想以上だよ」

 

「でもワタシは負けないよ。負けるには、ワタシは()()()()()()()()

 

 魔王の片割れが距離を取り、入れ替わるようにもう片割れが距離を詰める。2対1というのは面倒だ、と勇者はそれに対して突っ込むことを選択した。

 だが馬鹿正直に突っ込んでも恐らく避けられてしまう。まだ足りない。まだ魔王という壁を貫くには、もっと鋭い刃になる必要がある。

 

 

 

「げふっ、あれ……ほんっとうに、思ってたよりはや……」

 

「まずは1()()

 

 

 

 返り血を浴びながら、勇者は魔王の胸から剣を引き抜く。

 そういえば父親と母親の顔と名前が思い出せなくなってしまったが、これも仕方ないことだろう。それを寂しいと思う感情は、最初に削ぎ落としていた。

 

「もう分身は使えない。どうする?」

 

「まぁ再使用可能時間まで粘ってそれから……あれ、ちょっと待って。……そっか、それが勇者の力か」

 

 勇者が魔王の片割れの命と共に貫いたのは、『双死双哀(ダブリトゥリステサ)』という力そのもの。切り捨てられたその力は恒久的に失われて二度と蘇ることは無い。

 

 

「作戦変更、物量作戦と行こう。さぁ踊り狂え! 『紅惨流水(ミズミューズ)』!」

 

 

 魔王の号令と共に勇者の視界が急激に歪む。地面を地面として捉えることが出来ず、転びそうになり手を地面に突こうとするもいつまでたっても手が地面を触れることが出来ない。

 本当に突然天地がなくなってしまって何も無い世界に放り出されたかのような、そんな感覚と言うよりは感覚そのものが破壊されてしまったかのような気持ちの悪い浮遊感。

 

 目も鼻も、耳も肌も、味覚ですら狂ってしまって外界をろくに認識することが出来ない。

 

 だが、それだけだ。

 その程度で目的を見失うなど、『勇者』の名が廃る。

 

「うっそ、なんで……受け止められるの!?」

 

「この程度でお前を見失うわけないだろ。巫山戯てるの?」

 

「いやなんで会話出来てるの? 『紅惨流水(ミズミューズ)』まともに食らったよね?」

 

「勘」

 

 返しに放たれた蹴りが魔王の頬を掠め、その『切断』を以てまた1つの異能が切り裂かれ、消滅する。元に戻った視界の中で、勇者は肩で息を繰り返す魔王を視る。

 

 

「この程度?」

 

「腹立つなぁその言い方。こっからが魔王の真骨頂だって魅せてあげる」

 

「そう。じゃあ私も──────本気で殺る」

 

 

 勇者はまた背負っていたものを切り捨てる。

 何か大切なものがあったと言う空白が心の中に出来て、ほんの少しだけ寒くなるがそんな感覚も戦いの高揚が揉み消してくれる。

 

「『麤肢大葉(ブラトベルク)』!」

 

 魔王もまた己の内に秘める、背負った異能(ちから)の名前を解放する。

 叫びと共に地面に足を叩きつけると、堅牢な城の床が紙細工のように陥没し、床が抜けて足場を失った2人の体は重力に従って落下を開始する。そしてその最中で、勇者は下層の構造が先程登ってきた時と変化していることに気がついた。

 

「『甲乱乙駁(コーラー・レフコス)』!」

 

 床が、天井が、壁が。城の全てが生き物のようにうねり狂いながら勇者を挽き潰す為に迫り来る。そのうねりを一息で細かな小石の破片の集合体に変えながら、勇者は魔王の動きだけを目で追い続ける。

 

 さすがに、これだけ多彩な芸を見せられれば嫌でも気がつく。

 魔王は()()()()()()使()()()()()。それも、恐らくは他者の異能。決め手になったのは『麤肢大葉(ブラトベルク)』という異能の名前だ。

 

 勇者は戦いの記憶だけは決して忘れない。相手の名前も顔も覚えていなくとも、戦闘の内容だけはよく覚えている。

 比較的大柄な体格の斧使いの魔族。自身の触れている物と自身の肉体の重量を変化させる異能『麤肢大葉(ブラトベルク)』を所有していた、かつて自身の手で斬り殺した魔族がいた。

 

 

「『空空縛縛(イミ・テンション)』」

 

 

 その名と同時に、魔王の手が勇者の左腕を微かに触れる。

 目で追っていたその姿は先程まで間合いの外に映っていたのに、瞬間移動としか考えられない移動速度で勇者に触れていた。

 

「『白手渇裁(イノセンスバグ)』」

 

「させるか」

 

 魔王がまた別の異能を発動させる、神経伝達の速度と同等の時間よりも速く勇者はその首を叩き落とすために剣を振るった。即座に回避行動に移っても間に合わず、魔王は左耳とまた1つの『異能』を削ぎ落とされ、勇者はかつて『万解大公』に触れられた時のように、片腕が上手く動かなくなる。

 

「くそっ、ミズのに続いて、ベルティオのも斬られた。本当に腹立つ」

 

「さっきからちまちまちまちま。烏合の技を重ねるだけじゃ私には届かない。殺したいなら、死ぬ気で飛び込んでこいよ」

 

「死ぬ気じゃない時なんて、今まで生きてきた中で1度もないよワタシは。だって、ワタシは数え切れないほど多くの想いを背負っている。その全てが、ワタシの力だ」

 

 形のない『祝福』や『異能』という概念すら切り落とす勇者の目には、魔王が背負うモノの姿がはっきりと映る。

 体の中を駆け巡る幾つもの光。数え切れないその全てが『異能』と呼ばれる現実を、そして所持者を歪める恐るべき力。

 

「ワタシの『異能』は、1人では何も出来ない。ワタシを信じて、力を貸してくれる仲間が居てこそ力を発揮する」

 

 

 …………何それ、と。

 理由の分からない怒りが勇者に沸きあがる。

 切り捨てた1人の平凡な村娘が、喉が破れんばかりの怒号を上げている。

 

 

「覚えておけ勇者。魄異粛清(エオス・ダクリ)。それがお前を倒す、この世で最も弱く、この世で最も多くのモノを託された異能の、そして魔王(ワタシ)の名前だ」

 

 

ずるい、と。

 何も無くなってしまった伽藍の少女が叫んでいた。

 

 魔王の内側にはたくさんの光があった。幾つもの想いがあった。きっと、彼女はたくさんの仲間との繋がりを大切にして、それを力にしてこの場に立っている。大切な仲間との大切な時間を、力に変えられる。

 

 

 勇者と魔王。

 想いを力に。

 

 同じはずなのに、決定的に違う。

 全てを捨てることでしか完璧に至れない自分と、全てを背負うことで完成に至る魔王。

 

 私はこんなになったのに。

 

ずるい

 

 勇者になるためにたくさん苦しい思いをしたのに。

 

ずるい

 

 こんなになってまで、がんばったのに。

 

ずるい

 

 

 

 リスカ・カットバーンは。

 

 幼い日の自分を褒めてくれたあの瞳も。

 炎の中で助けてくれたあの手も。

 罪深い自分を赦してくれたあの笑顔も。

 

 体を拭くために順番決めにジャンケンしたりとか、料理を教えてあげたりとか、酔い潰れた神官の介護をさせられたりとか、魔術を教えてもらったりとか、そういうどうでもいいけど忘れたくない思い出も。

 

 

 黄昏の中で、誰でもない少女として彼を見つめられた時間も。

 

 

 

 

 

 何もかも捨てて、泡のように消えてしまったのに。

 

 今や空白だけがその思い出の証拠なのに。

 

 なんでお前は、捨ててないのにそんなに強く在れるんだ。

 

 

 

「ぁ、ああああああああぁぁぁ!!!」

 

 

 勇者の礎になった少女の慟哭が木霊する。

 目の前の敵を全身全霊で殺し、否定する必要ができた。何も残してはいけない。相手に成果を与えてはいけない。その時点で自分の負けだ。何もかも失う、失ったものの意味が失われる。

 

「死ね、死ね死ね死ね! なんでお前だけ! なんで、なんで!」

 

 剣速が上がり、勇者の剣を捌ききれなくなった魔王が少しずつ全身を切り刻まれ始める。その度に、彼女が背負っていたものが切り裂かれ、勇者はそれに暗い快感を覚えていた。

 

「全部失え! 私みたいに、私のようなバケモノになっちまえ! 何もかもなくして、何にも残らなくて、何のために戦ってるかも忘れて!」

 

「……さっきから言わせておけば。なんだそれは? そんな勝利になんの意味がある? そんな強さになんの価値がある? 本来ワタシ達は戦う必要なんてない。それでも、譲れないものがあるから戦うんだろ? 戦う理由もわからないやつに、負けてやれる理由なんてどこにも無い!」

 

「ごちゃごちゃ正論をうるさいんだよ! 黙って死んで! 消えて! 私を、私を見ないでよぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 全ての能力は勇者の方が優れていた。

 幾つもの異能を束ねても、その全てを平等に切り裂き魔王の積み重ねた想いを断ち切るべく迫り来る。

 

「これが、勇者か。強い、強いよ。キミは本当に強い」

 

 それでも、魔王は決して余裕を失わなかった。

 どんな状況でも優雅に振る舞わなければ魔王らしくないという見栄っ張りな理由と。

 

 

 

「でも、()()()()の勝ちだ」

 

 

 

 勝利の布石は整っていた。

 魔王の肉体を突如として霧が包み込み、それと同時に勇者は緩やかに意識を失っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『夢幻抱擁(フォー・ファー)』。ノティスは常時あの大規模に展開できたけど、ワタシではほんの一瞬、近距離の敵に使うことしか出来ないししかも準備に時間もかかれば一日に使える限度は一度。改めて、あの子の凄さを思い知らされるよ」

 

 かつて一度この攻撃を受けたことがあると、勇者はしっかりと記憶していた。そしてこの力が今の自分には大して効力を発揮しないことも。

 

「幸福な夢に閉じこめる異能。きっと、今のキミには直ぐに目覚められてしまうだろう。だから、こうしてワタシはキミの夢に直接乗り込んできた」

 

 目の前にいる魔王は夢の中の仮想の存在ではなく、実際に本物の魔王が勇者の夢の中に侵入してきた姿なのだと、その言葉を勇者は真実として捉えて剣を握る手に力を込める。

 

「つまり、私の間合いに自ら歩いてきてくれたってこと? 随分と殊勝な心がけね。感動して涙が出てきそう」

 

「その通りなんだよね。ノティスも、他人の夢は相手の領域だから絶対に踏み込んじゃダメって言ってた。でも、こうしなきゃ勝てないからね。今、ワタシはキミの精神を直接見ているんだよ」

 

 だからなんなのかと言ってしまえばそれだけの事。

 それでも魔王は決して余裕の笑みを崩さずに、異能の名を口にして起動する。

 

 

「──────『空空(イミ・)……』」

 

 

 企みがあるならそれが効果を発揮する前に潰す。幸いにもここは勇者の夢の中、精神世界。現実よりも速く動くその体が魔王を斬り裂くまでにかかる時間は、異能を発動するよりも絶対に速い。

 

 

「……リスカ」

 

 

 優しい幻覚がそれを遮ろうと、現れる。

 知らない女の子の名前を呼ぶその影が最後の壁。これを斬ってしまえば勇者の勝ち。魔王は死に、世界は平和になって勇者は本当の意味で『勇者』になれる。

 

 だから、こんな影さっさと切り裂いてしまえばそれでいい。それでいいのに。

 

 

 

 

 

『お前の背中も正面も全部俺が守ってやる!』

 

 

 

 

 

 

 顔も名前ももう思い出せない。

 けれど、確かに大切だとわかるその影を、断ち切ることが出来なかった。

 

「あれ、なんで……」

 

 ほんの一瞬の停止。

 ほんの一瞬の迷い。

 だが、それで魔王の異能が発動してしまう。

 

「これが成功するかは、最後まで賭けだった。キミが大事だと思う誰か。その想いが消えず、尚且つその思いの大きさと同じくらいに()()()()()()()()()()()()()()()()()。それで、ようやく全ての条件を満たすことが出来る」

 

 グレイリアと呼ばれた魔族が持っていた異能『空空縛縛(イミ・テンション)』。その効果は、視界内の主観で同程度の大きさの2つの物体の位置を入れ替えること。

 

 夢という精神世界だからこそ、魔王は勇者の中の想いというものを可視化できるモノと認識して、発動条件を満たすことが出来た。

 

「ま、まおう……私は、お前……アンタを……」

 

「ワタシを、どうしたいの? もう何も我慢しなくていい。ワタシは、キミの全てを肯定するよ」

 

 勇者の敗因はただ一つ。

 最後まで、本当に大切なその想い。意味も理由も投げ捨てても、断ち切りたかったその想いだけは斬り捨てることが出来なかったこと。この想いさえ斬り捨てていれば、きっと、この世界で勇者に勝てる存在はいなかったのに。

 

 

「…………全部忘れちゃったけど、これだけは覚えてる」

 

 

 勇者は剣を捨て、目の前の仇敵に抱き着く。

 その行為になにか矛盾を感じつつも、それが正しいことなのだと感情が肯定してしまう。

 もう居なくなってしまった女の子が、最後の最後まで望んでいたこと。ずっとこうしたかったのだと、

 

 

 

 

「私は、貴方のことが、この世界で一番大切なの。自分すら捨ててしまえるくらい、大切だったの」

 

「ありがとう。ワタシもキミにそう思って貰えると知れて、幸せだよ」

 

 

 

 

 最も大切なモノと、最も憎いモノ。その2つの『位置』を入れ替えられる。

 あまりに大きな転換、大きな変更に麻痺した勇者の脳は深く物事を考えずに、大切な誰かの胸に抱きついてただその感触を享受する。

 濁った目で、歓喜の涙をポロポロと零しながら、ようやく本当に欲しかったものを手に入れた。

 

 

「私は、勇者じゃないと、貴方の隣に立てない。これじゃあ私……また前の弱虫な私に戻っちゃう。やっと本物の勇者になれたのに……でも……」

 

「大丈夫。大丈夫だよ。ワタシは、キミの努力を肯定する。キミはもう、ワタシの隣に立つことが出来ている」

 

 

 

 

 ずっと隣に立ちたかった。

 隣に立っていいと認められる自分になりたかった。

 

 

 勇者はずっと、あの人と共に歩ける従者になりたかった。

 少々歪められてしまったが、その夢はようやく此処に叶うこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









・ホシ
ママにして姉。最強の保護者。好きな人には守ってもらいたい。
・スーイ
実は妹属性持ち。エルフの里では死ぬほど甘やかされて育ったが、師匠にボコボコにされて矯正された。根は割と怠惰。

・ギロン
実は妹属性持ち。おねえちゃんこわい。家族は好きだが、母親というものがよく分からないので自分がなれるものなのかに不安はある。



・エオス・ダクリ
『魔王』という宿命を背負った1体の魔族。

・勇者
最後の最後に『勇者』としての自分を貫けなかった。



・『魄異粛清(エオス・ダクリ)
魔王エオスの異能。
発動条件は相手と自分が心から信頼し合える関係を構築し、相手を自分の『従者』にすること。相手の気持ちが少しでも離れたり、自身が相手を信じきれなくなれば発動はしなくなる。
効果は『従者』の持つ祝福、異能を自分のモノとして使用が可能になる。
この世のありとあらゆるものを切り捨て、純化する『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』の究極のカウンター。この世のありとあらゆるものを認め、背負うことで世界を覆う魔なる王の力。

双死双哀(ダブリトゥリステサ)
ランという魔族が持っていた異能。自身を2人に増やす、単純だが恐ろしい異能。ランには双子の妹がいたが、人間との戦いで死亡しておりこの異能の事をあまり好んではいなかった。本人は死亡済み。

紅惨流水(ミズミューズ)
ミズという魔族が持っていた異能。自身の血液に触れた相手の感覚を暴走させる異能。ミズは音楽が好きで相手の聴覚に干渉するのが主な使い方で魔王もそれに倣い聴覚への攻撃を主にしている。本人は死亡済み。

麤肢大葉(ブラトベルク)
アンデスという魔族が持っていた異能。自身と自身の触れたものを重くする。重量限界はよくわかっていないが、アンデスは重くし過ぎると酔い、魔王は重くし過ぎると頭に血が回らなくなるので主に近接戦で一瞬発動させる。本人は死亡済み。

金剛不穢(オンリ・ジンギ)
レニヨンという魔族が持っていた異能。自身の最も大切な武器を一つだけ絶対に破壊不能にする異能。使い勝手が悪く、一つの武器しか対象にできない上に命と同じくらい大切でなければ発動しないのでレニヨンは『役立たず』の異能と言っていた。この異能が魔王が最初に得た、最も信頼している異能。正確には『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』による『切断』を防ぎ切る事は出来ておらず、下手に撃ち合えば剣が折れていたが、それでも数少ない『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』の所有者との剣戟を可能とする異能。本人は死亡済み。






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裏切りもの




英雄転生後世成り上がり読んでたんで1回くらい転生しても怒らないでください。







 

 

 

「どれくらい寝てました妾達?」

 

「3分も経ってないよ。ホシは?」

 

「まだ寝てますわね。おーいホシー。もう朝ですわよー」

 

「うに……あと10秒だけ……ほんと疲れてるんですよ私」

 

 スーイはほぼ全快、ギロンは7割、ホシは5割。これくらいならば最低限戦闘は行えるだろうというくらいには回復したが、これからを考えるとこれではまだホシは不安だった。

 

「これから魔王と戦うんですよ? 魔族の王、いくら準備はしてもし足りないでしょう」

 

「いや倒しましたわよ?」

 

「……まだ寝ぼけてるんですかギロン」

 

「ホシに言われたくありませんわね。殺しましたわよ、魔王」

 

「は?」

 

 一応頭がイカれてないか、以前治してあげた瞳伝いに脳を確認していつも通りイカれていることを確認し、やっぱもう一度壊れてないか確認してからとりあえずホシはギロンの頬を一発はたいてみた。

 

「……嘘ではないみたいですね」

 

「なんで妾の頬叩きました?」

 

「スーイ、フリーフォールをギロンにやってあげてください。かなり悲しい妄想をしちゃってるみたいなので」

 

「はーいっと。じゃあギロンちょっとお星様に近づこうね〜」

 

「もしかしてアンタら妾になら何やってもいいと思ってます?」

 

「何しても常に我が道を行ってるアンタが悪いと思うんですよ」

 

「でもそういうところがギロンの良いところだと私は思うから誇っていいよ。これからもどんどん我が道を進みな」

 

「さすがスーイは話が分かりますわね」

 

「はいはいダメ教師とバカ弟子でダメバカゾーン作らないでくださいね」

 

 そんな冗談はさておき、ギロンは確証のないことを断言……したりは、たまにするがそれはそれとして彼女は卑しくも誇り高いケダモノだ。魔王を『殺した』と言ったならば、それは確実に殺している。何かを乗り越え、上回り、奪うことで生を実感する彼女だからこそ、その辺の直感は誰よりも正しい。

 

「じゃあリスカはどこ行ったんですか……。説明もせず勝手に走って行っちゃったんですよアイツ」

 

「ホシの探知に引っ掛からないんですの?」

 

「そこまで広範囲は私も無理です。スーイが飛び回って索敵かけた方が早いんじゃないですか?」

 

「そだね。ま、大方残党狩りだと思うよ。魔王が死んだとなれば、やけっぱちでとりあえず1人でも多く人間を殺そうとする魔族とかもいるかもみたいな感じで」

 

「リスカはそんな柄じゃないですわよ。残党狩りとかそういうことやれるような子じゃないですし」

 

「とりあえず、残党とリスカの索敵を続けましょう。まだ敵戦力がどれくらい残ってるかいまいち判断がつかないので、慎重に…………ん?」

 

 

 最初にそれに気がついたのはホシだった。

 純粋な視力と言うより、探知に関しては敏感な故に直感的に気がついたという方が正しい。

 

「あれ、リスカですわよね?」

 

「リスカだねぇ。なんでドレス着てるの?」

 

 さすがに見間違えるはずがない。と言うか見間違えられるような『圧』じゃない女が3人の視界に映った。

 普段の動きやすさしか考えてない軽鎧を脱ぎ、髪色と同じ色の真っ赤なドレスに身を包んだその女性は、間違いなくリスカ・カットバーンである。

 

 ある、はずなのだが。

 最初にギロンが一歩後ろに下がり、続いてスーイが信じられないものを見るような目で見て、最後にホシがあまりの衝撃に言葉を漏らしてしまった。

 

 

 

「めっちゃ笑顔じゃん……」

 

「気持ち悪いくらい笑顔ですわね……」

 

「え、なにリスカの表情筋ってあんな表情作れるの?」

 

 

 

 

 リスカ・カットバーンという少女はとにかく笑わない。まず笑いのツボがズレているし、次に死ぬほどマイナス思考な人間である。そして極めつけはそもそも彼女は戦うのが大嫌いな臆病な人間であるために基本的に勇者なんてものをやらなければならない時は常に不機嫌。故に、常に一緒にいるホシですらリスカの笑顔というものは、それこそ本当に一度くらい、海で心底はしゃいでた時くらいしか見たことがない地味なレア物。

 

「ん……貴方達さっきの……」

 

「何やってたんですかリスカ。と言うか、そのドレスと笑顔なんです? ドレスはほんといいとして笑顔。何?」

 

「リスカ……あぁ、私の知り合いなんだ」

 

「はぁ? 知り合いも何もこちとらアンタの命の恩人で……いや、ちょっと待ってください」

 

 さすがに、ここまで積み重なった違和感にホシは気がついた。

 合流してから様子が少しおかしいと思っていたがここまで来れば決定的だ。

 

「もしかして、記憶失くなってますか?」

 

「うん……ごめんね。知り合いなのかもしれないけど、全然覚えてないんだ。そっちのおっきい人と、耳の長い人も知り合いなのかな?」

 

 申し訳なさを誤魔化すように、困った笑顔を浮かべるその表情を見て一瞬で嘘だとわかった。少なくともリスカ・カットバーンと言う人間なら演技でもホシ達にこんな表情を向けられない。というか向けてきたら気持ち悪いので向けてきて欲しくない。

 

「はぁ〜〜〜。もう、何やらかしたんですかこの馬鹿は。スーイ、なんか分かります?」

 

「さすがにまだなんとも。とりあえず検査するから一旦裸になってくれる、ギロン?」

 

「この流れで妾が脱がされるのはマジで意味が分からねぇんですわよね。ひょっとしてギャグか何かでして?」

 

「よくわかったね。ほら、リスカが記憶飛んで可愛い感じになっちゃってるから雰囲気を和ませようとね」

 

「じゃあ本当に脱がせようとするのやめてくれます? スーイは冗談か本気か分かりにくいんですわよあ、ちょ、そこ触られるのは恥ずかしいんでやめて!」

 

「えぇ〜? 体に恥ずかしい場所なんてないんでしょ〜? 良いでは無いか良いでは無いか。前々からその鍛え上げられた体、じ〜っくりと触ってみたかったんだよね」

 

「初めては好きな人に触ってもらいたいんですわようぎ〜っ! 触れるなぁ〜ッ!」

 

「アンタら人を笑わせる才能ないのでそのまま空気にでも死ぬほど面白くない絡み合い見せててくださいね。ほら、リスカの表情見てくださいよ。これ憐れみですよどう見ても」

 

「いや、その、ごめんなさい。いつもこんなのならちょっと可哀想だなって。頭が」

 

 微妙に居た堪れない空気になり、取っ組み合いになってるスーイとギロンを不安そうに眺めているリスカと、ゴミを見るような目で眺めていたホシの目が合う。

 目を逸らすのも失礼だと思ったのか、そのままじーっとリスカはホシの顔を見つめ、先に恥ずかしくなったのかホシの方が目を背けると同時に、リスカがくすりと笑った。

 

「……なんですか。私だってアンタくらい顔の良い人間にずっと見つめられたら少しはこそばゆいんですよ。それとも、本当は記憶があってからかってるのを楽しんでるんですか?」

 

「あ、違うんです。みんな、私のこと心配してくれてるんだなって何となく伝わってきて、本当に私なんかに仲間がいたんだなって思うとなんだか嬉しくて……それに、皆さんとってもいい人そうで安心しました」

 

 屈託のない、心の底からの柔らかな笑顔を見せるリスカ。

 こんなに楽しそうに、何も気にせず笑っている普通の女の子の顔だなんて、ホシもスーイもギロンも久しく見てはいなかった。

 

 

「「「気持ち悪……!」」」

 

「やっぱ貴方達が私の知り合いって嘘じゃない? 全員吐瀉物みたいな性格の悪さが滲み出てきてる気がしてきた」

 

 

 それでも、記憶が無くなるって割と重大な異変のはずなのに、心配しつつも慌てずに、こんな最悪な態度を取ってくる相手なのに、なぜだか不思議と悪い気はしなかった。

 

 正確に言うと腹立つし一発くらい殴りたいと思ったが、それを突き詰めるとなんだか今の綺麗なまま終われそうな雰囲気が壊れそうなのでリスカ、と呼ばれた少女はそれは言わないでおいた。

 

「とりあえずさっさと帰ってリスカ治しません? このままだと本当になんか、胸の奥がムズムズしますし」

 

「ん、いやまだ終わってないでしょ? まだ倒さなきゃいけない相手が残ってる。殺さなくちゃいけない相手が残ってる」

 

 だから心の底から安心した。

 自分にはあの人だけがいればいいと思っていたけれど。念には念を、仲間は多ければ多いほどよい。

 

「あ、そう言えば魔王とか見ました? 一応、ギロンに確認しましたけどリスカにも聞いておこうと」

 

「うん見たよ。それがどうかした」

 

「……………………はぁ? どうかしたも何も──────」

 

 

 

 

 

 少女が言葉を紡ぐ。

 空白の中には、よく聞いた、忘れるわけのない名前が刻まれていた。

 

 

 

「それより早く『‌ ‌ ‌』を殺しにいこう。全部、終わらせないと」

 

 

 

 

 

 

 

 顎。

 獣の顎のように思えたそれは、ギロンの手だった。相手を掴んで離さないと、筋肉の出力の限界を込められた一撃がなんの迷いもなく繰り出された。

 貫手でもなく、拳でもなく、掴むようなその手。

 

 手加減、優しさ、躊躇。そんなものが感じられるかもしれないその挙動。

 

 

「……なんだ、やっぱり嘘だったんだね。そうだよね、私なんか、あの人以外に好きになってくれるわけが無いもんね。こんな私」

 

「何ごちゃごちゃ言ってますの? 嫌われるのは人の逆鱗を逆撫でしたからだって理解も出来ねぇコミュニケーション1年生が分かった口聞いてるんじゃねぇですわよ」

 

 

 逆だ。

 ギロンにとって『掴む』という行為は相手から確実に全てを奪い取り、何もさせずに殺す最大の殺意の表れ。慈悲は一切なく、殺すことだけを考えた行動。それを避けて当然とばかりに躱し距離を取ったリスカを、ホシはスーイに抱えられて距離を離された状態で見ていた。

 

「え、なに、どういうことです……? は?」

 

「ホシ。悪いですけれど、さすがに今は貴方の判断の遅さに呆れますわ。わかるでしょう? あの子は、絶対に口にしてはいけない事を口にした。それで十分」

 

「でも、何かの間違いや、それこそ洗脳……」

 

「間違いでも、リスカがそんなこと口にする?」

 

 それこそありえない。

 天地がひっくり返って、何もかもが狂ってしまったとしても。リスカ・カットバーンのあの想いだけは決して変わるものでは無いと、一番近くで見続けた3人だからこそ。

 

 ホシは困惑するしか無かった。

 スーイは目の前の敵の背後を睨み付けた。

 ギロンは不機嫌そうに拳を握り締めた。

 

 

「……あんまり戦うのは好きじゃないけど、仕方ないか」

 

 

 剣を構え直し紅のドレスを翻す。

 間違いなく最強の敵。道を切り拓く勇者の剣がそのまま襲い来る牙に転ずる。

 

 

 

()()()()()、『切断』のリスカ。魔王様(あのひと)の命令の邪魔をするなら、誰であろうと私が切る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、着替えましたけれど……なんでドレスなんですか?」

 

「それは昔ワタシの部下が私用に異能を使って編んでくれた特殊な衣服だよ。ワタシよりも、キミの方が上手く使えるはずだ」

 

「そういう事じゃなくて……こんな格好、私に似合わないと、変じゃないかなって」

 

「いや、その服、()()()によく似合ってると思うよ」

 

 そうやって、いつも私が何考えてるかなんて知らないで、貴方は私まで笑顔になってしまうかのような笑顔を浮かべてくれる。貴方の想いの確認作業のようなこの行為に、どうしても幸福を感じてしまう愚かな自分がいる。

 

 リスカ、という名前が自分のモノなのかすらわからないけれど。

 貴方にそう呼ばれるだけで鼓動に篭もる力が増していく。だからきっと、私は『リスカ』なのだろう。

 

 魔王軍幹部。『切断』の名を賜った、1人の戦士。

 戦うのは好きじゃない。どこか怖いと思う自分がいるけれど、貴方の為ならばきっと私は頑張れる。

 

 

「リスカ。キミが二度と戦わなくてもいいように、絶対に殺さなくちゃならない相手がいるんだ」

 

「それは、貴方が殺したい相手ですか?」

 

「……そうだね。ワタシは、きっとカレを殺したいんだよ」

 

 ならば私も頑張らなくちゃ。

 魔王様が喜んでくれるなら、魔王様の隣に居られるなら私はどんなことだって出来る。運命も使命も、何もかも捨ててでもそうやって行動出来る。

 

「殺さなければならない相手は、リスカ自身が覚えているはずだ。きっとキミならどこにいるかもわかる。キミだからこそ、絶対にその相手を間違えることは無い」

 

 そう言われて、ほとんど欠けてしまった記憶を探る。

 思い出も何も無いけれど、胸にあるのは魔王様への絶大な信頼と……直視できないほどに渦巻いていた殺意だった。

 

 こんなドロドロとしたものを抱えて呼吸していたことが信じられない。生存の理由の全てを捧げていたんじゃないかという程のその殺意に、一瞬だけ魔王様への気持ちすら全て忘れそうになる。なんだこれなんだこれなんだこれ。

 

 存在を許せない。

 実在を認められない。

 

 その、自分と同じくらいの歳に見える人間の青年。

 それを殺す為に私は生まれてきたのだと確信できる程の殺意に駆られ、私は魔王様の元を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めたらなんか縛られてた。

 この縛り方はすごく身に覚えがある。とりあえず犯人はほぼスーイで間違いないだろう。縄自体は簡単に解くことが出来たが、周囲に結界が張られている。

 

「破るのは、無理そうだな」

 

 幾らなんでも、スーイが本気で張ったであろう結界なんて破れる人間の方が少ない。悔しいが、出し抜かれてしまった自分が悪いだろう。大人しくスーイが結界を解いてくれるのを待つしかない。

 

 待つしか、ないのだが……。

 

 

「リスカにホシ、スーイ。大丈夫かなぁ」

 

 

 待つしかないとわかっていても心配なものは心配だ。ギロンは心配しなくても大丈夫だろうが。

 そうやって考えれば考えるほど、やっぱり待っているだけというのは性にあわないと理解していく。無駄だとわかっていてもやるのが俺の利点であり欠点であるのは、師匠のお墨付きだ。剣の方が折れるかもしれないが、それでもやってみるしかないだろう。

 

「せーのっ」

 

 ダメ元で叩きつけるように剣を振ってみる。

 結界に剣が触れると同時に、結界どころか空間そのものが『切断』される。そんな音が響いた。

 

 結界が切れたとかそんな次元じゃない。空気も地面も何もかも、その剣筋の延長線にあるあらゆる物質が最初からそうであったように分断され、繋がりの全てが解かれていた。

 

「やば……これが『神断祈泡(セレネ・ヘスペリス)』かぁ……。改めて思うけど、敵に回したくないなぁ」

 

 雪のように結界が溶けていく景色の向こうで、そんな声が耳に届いた。

 赤色の髪、夜明け色の瞳。何故だか思い出したのは、黄昏に佇む幼馴染の姿。

 

 

「キミがリスカの従者で間違いなさそうだね。ワタシの事は好きなだけ恨んでくれても構わない。だから、ごめんね」

 

 

 そうして近づいてきたその影を見て、俺は思わず声を漏らしてしまった。

 

 

「…………エオス?」

 

「…………他人の空似だと思ってたけど、本当にキミかぁ」

 

 

 以前、まだ俺が1人で魔族と戦っていた頃に出会った赤髪の凄腕剣士。エオス・ダクリの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






・従者くん
久々の登場。旅の途中で出会った人の顔はだいたい覚えている脅威の記憶力を持つ。ただし女の子の顔は中途半端に忘れる。


・魔王
エオス・ダクリは名前を付けられなかったので色々あって異能の名前をそのまま名前にした。



・リスカ
魔王軍幹部。魔王様のお下がりのドレスはとても大切。ついでになんか色々機能がついてるらしくお気に入り。なんでかはよく覚えてないけど、魔王様のことが好き。誰かを死ぬほど憎んでいるが、なんでその相手を憎んでいるのかもよく覚えていない。




またまたにぼしみそ様にを描いて頂きました。
ホシこと美少女神官ホットシート・イェローマムです。瞳のホシが可愛いくて細部にこだわって描かれてるのでぜひ拡大して見てみよう。

【挿絵表示】







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私はお前を




呪術廻戦の映画見てきたのでホシが怨霊になっても許してください。元から八割怨霊です。





 

 

 

 

 

 

「えーっと、お久しぶりでいいんだよな?」

 

「まぁそうだね。多分キミが思ってるエオスって言う人物が私だね。……うん。久しぶり。お互いまさか五体満足で再会出来るなんてね」

 

 

 なんだかバツが悪そうに目線を逸らしたり、頭の後ろをかいたり、鞘を指で叩いたりしている赤髪の少女は、前に一度あったことがあった。

 リスカと再会する少し前、ほんの短い間であったが一緒に過ごした女の子。剣の腕は確かで、調子に乗りやすく、そして何よりもリスカにそっくりな瞳をしたこのエオスという少女には忘れたくても忘れられない、煌めく宝石のような不思議な魅力があった。

 

 

「なんでここにいるかは分からないけれど、早く逃げた方がいい。お前でもあんまり長居はよくないと思う」

 

「ワタシの身よりも自分の心配をしたら?」

 

「そんなこと言ってる場合じゃない。魔王軍が攻勢に出てきてるらしい。俺の仲間はすっげぇ強いけど、そいつらでもどうなるか分からないって言ってた。そんな戦場に行くなんて命が幾つあっても足りない」

 

「だから、ワタシはキミより強いからそれよりも」

 

「いいから! さっさと逃げろ!」

 

「ちゃんとワタシの質問に答えて」

 

 

 ようやく、エオスと話している時に感じた奇妙な感覚の正体がわかった。

 エオスには何を言っても響かない。言葉が彼女に到達する前に、どこかで途切れさせられてしまうみたいに、こちらの気持ちが伝わっていない。そんな違和感がどうしてもある。

 

「キミは、ここからどうするつもりなの?」

 

「俺は……」

 

 何を言ってもエオスをどうにかすることはできない。なら、質問に答えて会話をせめて一歩でも前に進ませなければならない。方向性は違うが、人の話を聞かないという点ではリスカにそっくりだ。

 

「俺は、リスカ達を助けに行く。アイツらはみんな強いけど、1人でなんでも出来るって訳じゃない」

 

「邪魔って言われても、無駄死にしても? その結果、キミが死ぬせいで彼女達が悲しんでも?」

 

「それでも、だ」

 

「そ。じゃあどうぞ」

 

「あれ?」

 

 どうなるかと意気込んでいたら、なんと呆気なくエオスは俺に道を譲った。とことんこちらが予想していないというか、望んでいない返答を出されて調子が狂う。まぁ、不思議とそれに嫌な気持ちは湧かないのだが。

 

「ワタシはちゃんと逃げるから。もう戦う必要も無いし。キミもちゃんと引き際を間違えないようにね」

 

「…………よくわかんないけど、とにかく気をつけろよ!」

 

「ワタシはこれから逃げるんだけどな。まぁ、うん。そうやっていつも誰かを優先できるのは美徳であるよね」

 

 何はともあれ、そうしてエオスの横を通り過ぎようとした時。

 耳元で彼女の声が囁いた。

 

 

「じゃあ、戦いはここで終わりにしよっか。ワタシ達の勝ちでね」

 

 

 瞬間、体が重力やら慣性やらに逆らった無理矢理な動きをして内臓がミンチにされるような衝撃が体に走る。一瞬意識が飛んで、気がついた時には剣を振り抜いたエオスとの距離が離されていた。

 

「……リスカを倒したわけじゃないか。逃げてきたのかな?」

 

「生憎、早さだけなら自信があるからね。足止めは残り2人に任せてるよ」

 

 背後から聞こえてきた声はスーイのものだった。恐らく、エオスに切られる前に彼女が引っ張ってくれたということだけはわかるがそれ以外が理解できない。何故エオスが俺を攻撃してきたのかも、2人の会話の内容もだ。

 

「スーイ、向こうで何が……」

 

「あ、ちょっとこっち見ないで──────」

 

 そこに居たのは間違いなくスーイのはずだった。

 声は、気配はスーイだって言ってるのに現実の光景がスーイと結びつかない。顔の皮膚がほとんど剥がれていて、青色の髪の毛も殆どが切られるか流れ出た自分の血で赤黒く染まっていて見る影もない。両足と左手は既に根元から失われていて歪な岩で無理やりに代用している。

 片目は潰れ、残った方の瞳は赤と緑に点滅を繰り返して何かの限界を知らせているようで、背中の翼以外どこも無事な箇所がないと言うくらいに満身創痍のスーイがそこにはいた。

 

「なっ、何があったんだ!? それと誰にそんなにやられたんだ!」

 

「説明は後、もうここは逃げるよ。ギロンのお姉ちゃんとか、考えられる限りの戦力をかき集めてから出直すしかない。私達じゃ、アレには勝てな」

 

「よくわかってるじゃん。それじゃ、命乞いでもする?」

 

 

 会話に割り込んできた声は、俺がよく知っている声だった。

 だから、俺はそれを危険だと思わなかった。そして、それに対して何か行動を起こそうと体を動かしたスーイの動きを、呆然と見るしか無かった。

 

 翼から魔力を吐き出して、全力で逃げようとするその姿。瞳の中に明らかな恐れを抱いているスーイの姿なんて、初めて見た。

 

 

「逃がさないよ」

 

 

 よく知った声が何かを切断する。

 同時に、ゴグシャ、と人体がすり潰されるような音。パンッ、と何かが風を切って吹き飛ぶ音。最後に知っている誰かが地面を何回か跳ねて見えないほど遠くに吹き飛ばされた事実が視界に収まった。

 

「お前、何してんだよ」

 

「いいの入った。頭潰したかな。さすがに精霊でもこれなら死んだかな」

 

 その少女は誰かを殴り抜いた拳を軽く動かして感触を確かめながら、片手で掴んでいた何かを投げ捨てる。それが美しい金髪と藍色の瞳を持って、泣きそうな目でこちらを見ていなければホシだと気が付かなかっただろう。

 

「──────逃げ」

 

「喋っていいって、言ってないよね?」

 

 ぐちゃ、とまた水っぽい音が聞こえる。頭が踏み抜かれて、ホシだった何かが飛び散ってから、時間を巻き戻すように元の形に戻っていく。

 けれど、戻ったのは形だけ。それを見られた彼女の顔は、この世の終わりのように悲しく歪んで、何かを伝えようとしていた。

 

「みな、いで」

 

「見られて減るもんじゃないでしょ。黙っててよ。魔王様、ごめんなさい。1人逃げられた」

 

「いいよ。それよりも、まずはそこにいるカレだ」

 

 何が起きてるかとか、そういうことは分からない。

 目の前にいるのが大切な人で、ずっと彼女を守りたくて戦ってきたことだってわかる。そんな簡単なこと、間違えるわけが無い。

 

 だからこそ、今するべきことは分かる。

 そんな彼女が、今していることに対してやってやることは一つだ。

 

 

「何やってんだよ、この馬鹿リスカッ!」

 

 

 拳を握りしめて、全身全霊でこの大バカ野郎を殴ってやること。そう思った時には俺の体は空を舞っていた。

 

 

「汚い声で叫ばないでよ。虫唾が走る」

 

 

 リスカの声は聞こえないくらい高く投げ飛ばされていたけれど、そう唇が動いたのがわかるくらいにその動きを目で追ってしまっていたのが無性に悔しかった。

 

 こんな俯瞰するような視点になって、ようやくリスカが剣を構える瞬間を見ることが出来た。

 この世に二つとない、リスカだけの構え。なんでそれで剣を素早く振れるのか、色々勉強して来た今でも分からないというか、そこに合理性とかそういうものは無い。ただ、リスカ・カットバーンという少女はきっとあの構えが最も適しているんだろう。それだけは、間違いがない。

 

 あの祈るような構えが、神が彼女に与えた贈り物なんだ。

 

 

 

「幕を下ろせ、『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』」

 

 

 

 結局何が起きたのかは分からないまま。

 確かに言えるのは、空中に投げ飛ばされた俺にリスカの斬撃を避ける手段は残っていない。ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って、アレ?」

 

 地面に墜落して数秒。いつになったら死ぬのかとか考えていてようやく異変に気が付いた。

 生きてる。体のどこも切れてないし、なんならあの高さから落ちたのに傷一つない。確かに俺はリスカの斬撃をくらったのに、鎧も服も薄皮も切れてはいなかった。

 

 外した、とも考えたがリスカが狙った相手が避けてもいないのに外すなんてことは絶対にありえない。思考を巡らせていると、答え合わせの為に親切にも来てくれたと言った感じではないが、少なくともヒントになりそうな相手は現れてくれた。

 

「リスカ、お前が怒ってんのはわかったけど、さすがにいきなりの挨拶としてはどうかと思うぞ。それになんでスーイとホシを」

 

「……なんで、切れてないの?」

 

「なんでって、俺が知りたいよ。それよりもだなリスカ」

 

「なんで! なんでお前が私の名前を知ってる!!! 喋るな! 気持ち悪い!!」

 

 会話よりもまず先に破城槌のような蹴りが俺の腹に突き刺さる。空気が全部吐き出されるとかそんな次元じゃなく、魂が飛び出すような衝撃に視界が完全にモノクロになりながら、吹き飛ぶ体が木々を薙ぎ倒していくのを遅れて感じ取った。

 

 間違いなくまともに受けたら死んでいる。死んでなければおかしい。けれど、俺は五体満足でその攻撃を受け切っていた。

 

「けほっ、なんだ? 何が起きてるんだ?」

 

 リスカがスーイとホシを攻撃してたこととか、リスカが俺を狙ってることとか、何故かリスカに攻撃されてるのに死んでいないこととか、訳が分からな過ぎる。誰か説明して欲しいのに、一番説明できなさそうなリスカしか俺の前には現れてはくれない。

 

「……さっきから何も言わず攻撃攻撃。本当にいい加減にしろよ!? 俺はともかく、ホシとスーイになんでそんなことしてんだよお前!」

 

「なんで、なんで切れないの? コイツを切る為に私は、じゃあ私って、私って……」

 

 見なくたって様子がおかしいのはわかる。かと言って俺に出来ることなんて今の状況じゃリスカに対して説教するくらいしかないだろう。こんなことするのはリスカがおばさんの作った野菜料理をずっと食べないと駄々こねていた時に、食わず嫌いは作ってくれた人に失礼だと言った時だ。その時はぶん殴られたのを覚えている。

 

「リスカ、落ち着いて」

 

「魔王、様……」

 

「アイツはリスカの『祝福』の影響を一部使っているんだ。キミがアレを切れないと、どこかで思ってしまっている力を利用している。だから、胸にある憎しみと怒りを思い出して。アイツを許せないって、切り取ってこの世界から消し去りたいって、そんな思いを込めて。そうすればキミは、間違いなく全てを切り裂ける」

 

「はい……アイツを切れば、もう、戦わなくていい、アイツさえ、お前さえ、いなければ……」

 

 いつの間にかリスカの隣に立っていたエオスに何かを言われ、リスカの目の色が変わる。困惑も焦燥も全てが研ぎ澄まされた刃のような殺意に切り替わり、睨まれただけで呼吸が止まって、本能が今のうちに死んだ方が楽に死ねると自死に誘導してくる。

 改めて見たらこんなのバケモノだ。到底人間だと思えない。そもそも、睨まれただけで自分から死を選びたくなるほど恐ろしい生き物が本当に人間なのかって話だ。

 

 

 

「人間に、どこにでもいるちょっとわがままで、泣き虫で、どうしようもない女の子に決まってんだろ」

 

 

 

 いっつも俺は蚊帳の外だ。追放追放とコイツに言われ続け、みっともなくしがみついてボコボコにされて、それでも自分の身の程を認められずに足掻き続けて。

 

「おいエオス……いや、アンタが魔王なのか。リスカに何をした」

 

「キミ達には悪い事をしたと思ってる。でも、ワタシだって勝つ為なら全力で──────」

 

「事情なんか聞いてねぇんだよ。何をしたか、それだけ答えろ!」

 

「……説得とかでどうにかなる話じゃない。彼女はキミのことを強く思っていた。だからこそ、その気持ちを利用した。魔王軍の最後の切り札、それが今のリスカだよ」

 

「なんもわかんねぇけど、わかった。つまり、エオスをぶっ飛ばせばもう終わりでいいんだな?」

 

 何のために戦ってきたか、なんてものはよく分からない。戦う理由なんて幾らでもあったし、退けない理由も沢山あった。

 それでも今ここで、死にたくなるほどの絶望を跳ね除けて、魔王なんて言う御伽噺の向こう側にしかいないような厄災に啖呵切ってまで戦う理由は、一つだけだ。

 

 

「リスカ、悪いけど、さすがにこれはやりすぎだ。幼馴染として、一発キツいのいれるぞ」

 

「アンタを切れば、アンタを切れば全部終わる。私は、私はようやく!」

 

 

 エオスが言うには、リスカは俺の事を強く思っていたらしい。

 どんな風に思っていたんだろう。やっぱり嫌いなのか、それとも本人が言ってるように憎いとかそういうことだろうか。

 

 なんであれ、だ。

 そんなに強く思ってくれてたならば、せめてその想いには応えよう。

 

 

 

 

「ちょうどいいな。さすがに仲間をあれだけ痛ぶって、魔王側に付いたなら尚更だ。ずっと言ってやりたかったんだよ。お前は──────」

 

 

 

 

 

 魔王を殺す為に研ぎ澄まされた勇者の剣。切断の奇跡を携えたその全てが、俺を殺すために向けられた。

 

 

 

 

 






・『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』について
リスカ本人が切断出来ると認識した事象全ての切断が可能。現在確認されているのは通常の物質以外では。

・祝福や異能そのもの:所持者の体の一部に『光』が見え、そこを切ると相手の祝福や異能を恒久的に消滅させられるらしい。見え方は所有者により違い、ホシは不定形に常に動き回っていたり、ギロンは右胸に常に固まっていたり、魔王は全身常に淀んだ光で覆われているらしい。

・祝福や異能の効果:ホシがリスカの手足の代用を解除しようとしたが、その前にリスカは自分の手足とホシの繋がりを切断しておいて一瞬で無力化されるのを防いでいた。ただし、しばらくしたら調整が必要なのは変わらないためホシは殺さずに生け捕りにした。





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勇者は従者を

 

 

 

 

 その想いの強さを見ると、どうしてもむちゃくちゃにしてやりたかった。

 

 ワタシにもそういう相手がいたのをよく覚えている。

 親愛も、友愛も、恋愛も、情愛も。沢山沢山経験した。伊達にだいたい30年も生きてはいないんだ。好きだと思った相手くらい、数え切れないくらいいた。

 

 

「……いけないいけない。余計なことは、考えない」

 

 

 リスカ・カットバーン、勇者はもうこちらのものだ。だからあとは彼女の想いの原点さえ潰してしまえば、万が一にもそれが揺らぐことはなくなる。まさか、それが一度会ったことのある相手だったのは驚いたがこれもまた運命ってやつなのだろう。

 

 でも、様子がおかしい。

 彼女の祝福『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』は彼女が切れると思っているものならどのようなものでも切れるはずだ。認識を入れ替える前の自分に効いたのならば、今の彼が切断されないのはおかしい。

 本当なら彼女の手で切り裂いて後顧の憂いの無いように断ち切りたかったが、ここは自分の手で斬り殺す方が良いかもしれない。そう思って剣を抜こうとした。

 

 

「さすがにそれはちょっと野暮だと思いませんこと?」

 

 

 意識外から拳が襲ってきた。

 掴みかかってくるかのようなその動きにこそ覚えはあったが、それがこの距離まで気がつけなかったことに何より魔王は驚いた。

 顔にまともに拳を受けた。それだけなのに、生涯でこれ以上の衝撃はなかったとばかりに視界がブレて体が飛んだ。

 

「ちょっとギロン、なんで掴まなかったの? それで動き止めた方が良かったでしょ」

 

「前に殴りあった時に一回掴んだけど、そこから脱出されたんですわよ。でも、殴ったのも効いてなさそうですわね。どうしましょうホシ?」

 

「うぅ……見られた。彼に気持ち悪いところ見られたぁ……もうやだぁ……気持ち悪いって思われちゃう、嫌われちゃう」

 

「今はそんなこと言ってる場合じゃないですわよ。立ってくださいまし」

 

 すり潰れた頭が時間を巻き戻すように形を取り戻しながら魔術師が現れ、両手両足を触腕のように伸ばして形を整えて神官が立ち上がる。

 

「やたら必死だと思ってた、ギロンの行動を隠していたのか。リスカ相手によくそんな余裕があるものだね」

 

「無いから全身切り刻まれてるんですが? あのバカ、本当に私の事死なない程度に好きなだけ切り刻んで。……おかげで気持ち悪いところ彼に見せちゃいました……ホンットにどうしましょう!?」

 

「元から顔面に死臭滲み出てるんで気にしなくていいですわよ」

 

「もう死んでるんでそりゃ当然ですよ。鼻の良い狗でもないと嗅ぎ分けられないくらい香りには気を使ってますが」

 

 ギロンの手を借りて、覚束無い足取りで立ち上がったホシは大きく息を吸ったり吐いたりする真似をする。別に酸素は必要ではないが、生きている振りをすると少しだけ思考が落ち着くのだ。

 

「それよりギロン、準備できたんですか?」

 

「スーイに言われた通り周囲走り回ってきましたわよ」

 

「OK。じゃああとは起動するだけだ」

 

 魔王は、すぐになんらかの大規模な魔術に備えて構えた。恐らく、『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』の概念防御を越えられる代物ではないにしろ、無駄なことをするような敵ではないと。意識を研ぎ澄まして相手の殺意に対して敏感になる。

 

 

 

 

 そして魔王は、空を舞っていた。

 

 

 

 

「…………転移ッ!?」

 

 違う、今の瞬間猛烈な重力を感じたのは確かだ。つまり打ち上げられた。地面がせりあがって、転移かと勘違いするほどの速度で空に向かって打ち上げられていたのだ。

 

 だがそれ以外はなんともない。大した術式だが、高所からの落下程度とっくの昔に対抗策を手に入れている。すぐに地上に戻り、彼を殺しておこうと考えたところでまた何かがぶつかってきて魔王の体がさらに上に打ち上がる。

 

「まさか、ギロン達……時間稼ぎだけしか考えてないなこれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホシ! とにかく弾幕張ってくださいます!? 何やっても下手くそなんですから数だけは負けたらもう存在価値ありませんわよ!?」

 

「そっちこそ大岩ぶん投げて確実に当ててくださいね! 逃げ道は私が封鎖しますから。スーイも、アンタが一番の頼りなんですからね!」

 

「任せて。飽和攻撃と計算は得意だ」

 

 

 

 地上から大量の射撃と、岩石の投擲と魔術の掃射が魔王の体を襲う。それらは決して肉体を傷つけることが、切り裂くことが出来ないがそれでも持っている運動エネルギーをぶつかった魔王の体に伝え、ほんの少し落下の妨げになる。

 

 特に魔術の掃射が厄介だ。まともに受ければ、永遠に地上に辿り着けないように魔王の体を景気よくポンポンとお手玉でもするみたいに打ち上げ続けるつもりだ。

 

「さて、それで本気出したところで私を何秒止められるかな?」

 

 剣を構え、切断の準備をする。どんな現象であろうと、その奇跡を得た今の魔王にとって切り裂けないものは存在しないのだ。焦る必要は無い。今は確実に、目の前の敵を殺すことが重要だから。

 なのに胸騒ぎがする。作戦は完璧にハマったのに、嫌な予感が胸から離れない。

 

 

 

 計算に集中するスーイと、一心不乱に射撃を続けるホシの横でギロンは投擲の手を止めずに、ほんの一瞬だけ意識を別の方向へと向けた。

 

 

 

「…………そう言えば、勝利祝いに飲もうと思って持ってきたお酒、もしかしなくても消し飛びましたわよね」

 

「間違いなく祝福製の瓶でも使ってない限りは液体が飲める状態では無いだろうね」

 

「ちょっと2人とも、そんなどうでもいい話してないでもっと真面目にやってくれません?」

 

「えー、じゃあもしも無事でもホシには一滴も分けてあげませんわよ? 王族御用達のお高いやつですのに」

 

「私は安くても量が飲めればそれでいいタイプなので。高いのは気分が良くなるんで好きですよ? でも正直、味とかよく分かりませんし。……そんなに、この行為は無意味だと思うんですか?」

 

 

 リスカと彼から全力で魔王を遠ざけ、2人きりの時間を作る。

 それに意味があるのかと言われれば、全くないというのが正解だろう。リスカに加えられたのが異能による力であるならば、それをどうにかできるのは同じく異能、またはそれに類する力だけだ。

 

 

 ホシの『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』は、死体でもない心を操ることなんて出来はしない。

 スーイの『骸天苅地(エスパシオ・ネゴ)』は、本気でやればリスカごと消し飛ばせるかもしれないがそれこそなんの意味もない。

 ギロンの『愛求虚空(ソリーテル・キャビテ)』は、目に見えない心なんてものを動かすことは出来ない。

 

 だからどうしようもない。現状の手札ではリスカ・カットバーンを取り戻すことは絶対に出来ない。

 

 それでも彼女達は時間を稼ぐことを選んだ。

 別に『彼』が奇跡を起こせると信じている訳では無い。彼が自分達に奇跡を起こしてくれて、その結果として今の自分があることは承知の上だけど、それはそれとして彼の能力的な無力さは完璧に理解している。

 

 

 だからそこにある理由は一つだけ。

 

 

「とりあえず、さっさと仲直りしてくれませんかねあの二人。パーティの雰囲気悪くなるんで」

 

「こういう時は二人っきりで話し合わせるのが一番だからね。それに怒りと殺意は一過性の感情だ。長続きするものじゃあない。ホシ、今回は割り込んじゃダメだよ」

 

「わかってますってば。でも心配でしょう? リスカ、ちゃんと言いたいこと言えればいいんですけれど」

 

 

 リスカ・カットバーンが敵であるならば、もう勝ち目はない。けれど、そうでないならば単純な話だ。

 喧嘩している二人がいるパーティなんて空気が最悪だ。そんな状態じゃ、魔王なんて倒せるわけが無いからさっさと仲直りして欲しいという話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 啖呵は切ったもののこれは無理だと思いながら真っ暗闇を見つめている。

 なんでこんなことになっているかと言うと俺も知らない。リスカに立ち向かったはいいもののぶっ飛ばされて多分地面か岩かに刺さっている。呼吸は何とかできているけどそれよりもプライドとかが折れた。

 

 ここまで派手にぶっ飛ばされて何されたか分からないとか、ほんとすげぇなアイツ。

 そう考えていたら、足が誰かに掴まれて視界が戻る。急な光に少し目が眩みながらも何とか目の前の相手に視線を向ける。

 

「なんなのよアンタ。どれだけぶっ飛ばせば死ぬの?」

 

「逆に俺がそれを聞きた」

 

 有無を言わさず、顔面が思いっきり殴られる。痛みとかはないけどとにかくものすごい衝撃で体が吹き飛びそうになり、腕を掴まれて吹き飛ぶからだが無理やり止められる。

 

「じゃあ死ぬまでぶっ飛ばす」

 

 ぶっ飛ばされて、引き戻されてまた殴られる。都合の良いサンドバッグに成り果てた俺は何か言うことも許されずにひたすら殴られ続けている。

 そもそも口が動かない。不思議なことに殴られた衝撃で頭蓋骨が弾け飛んだり、首が引きちぎれたりはしないがひたすら体が高速で振り回されているせいで血液の循環がおかしくなってるのか、視界がモノクロになって舌が痺れる。口を開こうにも拳で無理やり閉ざされる。

 

「リッ、おま、ちょ」

 

「…………」

 

「何か、言えッ、よホント!」

 

 こうなったら俺も奥の手だ。

 多分この世界で俺だけしか知らないリスカの『弱点』を使わせてもらう。

 振り抜かれた拳が顔面を狙っているものだとわかれば、それを狙うのは容易い。

 

 

「ここだッ!」

 

「ひゃっ!?」

 

 

 素っ頓狂な声を上げて身体を震わせたリスカは、猫のように飛び上がって思わず俺から手を離してしまった。

 

 手の甲をなぞっただけだと言うのに、相変わらず大袈裟なやつだ。昔から何故か手の甲がやたら敏感で触るのはいいが、軽くなぞったりすると変な声を出してしまうほどだった。まだ治っていなかったのかと思いつつもとりあえず殴られ続けるのからは解放された。

 

「昔からそこが弱いの変わってな──────」

 

「死ねッ! 死ね死ね死ね! この変態!」

 

 腹を蹴っ飛ばされてまた上空に打ち上げられる。

 視界の向こうで天と地がぶつかるような爆発が起きているのが見えた。多分ホシ達が向こうで頑張ってくれているんだろう。俺も頑張らなくちゃな、と思いつつもどうしようもなくてもう笑うしかない。本当にリスカってやつは天才だ。

 

 天才だからこそ、誰かが止めてやらなければいけなかったのに。

 

「リスカ、話を」

 

「うるさい」

 

 蹴飛ばされて地面に叩きつけられる。もう何回こうしているんだろうか。少しづつではあるが殴られた部分が痛み始める。俺を守っている何かが解け始めている。このまま殴られ続けるだけでは、俺は多分リスカに殺されてしまう。

 

「もう戦いたくないの。これを最後にしたいの、だからお願い。死んでよ!」

 

 本気なんだろうな。

 リスカの声色を聞けば、本気でそう思っていることくらいわかる。もしも俺がリスカに殺されて、リスカが幸せになれるんだったらそれはそれでいい。元から抵抗できる実力差じゃないし、喜んで殺されてやった。

 

「死んでやるかよ。お前がそんな顔してたら、俺は絶対に死んでやれない」

 

「口だけのくせに邪魔しないでよ!」

 

 本当に口だけで、いつの間にかリスカは俺に馬乗りになっていた。体は抑え込まれて身動き1つ取る事が出来ない。

 

「アンタが誰とか知らない、考えたくもない! 考えたって、辛いことしかない! ……でもようやく、何も考えずに、幸せだって思える場所に辿り着けたの」

 

 顔を殴り付けられる度に、痛みが増していく。

 何度か味わった明確な死のビジョンが迫ってきている。

 

 

 リスカと勝負すると、いつもこんな光景ばっかりだった。俺は絶対こいつに勝てないんだろうなって。夜空に輝く月に手を伸ばしてるみたいで。

 なんであんなにキラキラと楽しそうに笑えるんだろうって心の底から惹かれて、どうして俺はアイツに届かないんだろうと心の底から妬んで、そして同時に──────

 

 

 

 

「大好きなんだよ、俺は」

 

「私は嫌いだよ。お前を、殺したいくらいに」

 

「お前が笑ってくれるなら、それでいいんだよ。お前が幸せなら、全部いいんだ」

 

「なら、アンタが死んでくれれば私は幸せなの」

 

 

 

 ずっと隠していた本音。

 あの日、泣きじゃくるお前を見て抱いたものか。

 食い殺されそうになった俺を助けてくれた時か。

 流れるような剣技で何が起きたのかも分からないまま倒されたあの時か。

 

 違うだろうな。

 多分、出会った時からずっとそうだったんだ。

 

 

 

 ずっと最初からわかっていた。

 俺ではお前の隣に立つ資格はないんだってこと。

 

 俺には何も無い。お前の隣に立つに相応しいだけのモノが何も無いんだ。血統も、特別性も、才能も、何も無い。今の時代に魔族に故郷を滅ぼされた奴なんて珍しくもなんともない。

 

 子供の頃に魔獣を素手で殴り倒したり、大人の剣士に勝ってしまったりなんて話もない。俺は特別ではないんだ。

 

 夜空に輝く星のように、優しく皆を包み込むことは出来ない。

 空を駆ける彗星のように、誰かを照らして導くことも出来ない。

 誇り高き獣のように、決めた道を貫き通すことも出来ない。

 

 弱くて、矛盾ばかりで、頼りなくて、情けなくて、諦めの早い人間なんだ。

 

 それでもここまで戦ってこれたのは、光というものを知っていたからだ。

 

 

 人は頑張れない。

 人は弱い。

 苦しいことがあったら諦めたくなってしまう。リスカ・カットバーンという女の子もそうだった。天才で、なんでも器用にこなしてしまうくせに無理だと思うのは意外と早くて、苦しいことや頑張ることが苦手な面倒くさがりな女の子。

 

 

 でも、諦めなかった。

 リスカは諦めなかった。どんなに苦しくても、どんなに辛くても、アイツは頑張り続けた。何処か届かない空を見て、歩き続けていた。それを見て俺も思ったんだ。

 

 もう少しだけ頑張ってみようって。

 その輝かしく、あまりに痛ましい姿を見て思ったんだ。

 

 

 

「俺は、お前のことが、大好きなんだ」

 

「──────そう。私は、アンタの事が嫌い」

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はお前のことが大好きだから。勇者なんてやめて欲しかった」

 

 

 

 

 ああ、そうだ。

 ずっとずっと、言いたかった。

 

 でも言うのが怖かったんだ。この言葉は、もしかしたらリスカという存在を否定してしまうかもしれないと。俺とリスカの唯一の繋がりを断ち切ってしまうんじゃないかって。

 

 でも口にしなきゃ思いは伝わらないからな。

 

 

 

 

「俺は、お前に戦って欲しくない! 傷ついて欲しくなかった! ずっと、俺の傍で笑っていて欲しかったんだよ!」

 

 

 

 

 それでも、どうしようもなく情けない、独占欲(オモイ)だったとしても。伝えないまま消えてしまうのはあまり勿体ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いらないものは切り捨てた。

 それは別に強いからじゃない。私が弱いからだ。

 

 朧気な記憶の中で、私はいつも周りの人と差を感じていた。自分が特別優れている自覚はあったけれどそれ以上に、どんな人も自分よりなにかに頑張れていることが怖くて仕方がなかった。

 

 なんで痛いことも苦しいこともある『努力』なんてものを進んで自分からできるのだろう。どうしてこんなに頑張れるんだろう。

 

 

『■■■ちゃんはすごいよね、なんでも出来て』

 

『■■■さんは凄いですよね。私なんかじゃもう歯が立ちませんよ』

 

『おのれ……勇者! ■■■! 何故貴様はそれほどの力を……』

 

 

 そう言ってみんな私を特別に仕立て上げる。私じゃない私を見て、私に幻想を重ねて、私が私じゃなくなって。

 

 

 

『リスカはすげぇよな。でも、俺もいつか追いついてやるよ』

 

 

 

 それでも、1人だけいたんだ。

 私を追いかけてくれる人、私を追い越して、空まで駆け上がってしまう太陽みたいな人。

 

 

 

 

 ……あれ、違うよね? 

 私を救ってくれたのは魔王様だよね? 

 でもどれだけ頭を振り絞っても、その答えが出てこない。魔王様のことは嫌いじゃない。私はこの方と仲良くできるんだろうなぁとは漠然と思う。

 

 それでも、理由がない。こんなに臆病な私が、剣を振るうだけの理由が思い出せない。

 

 

「理由とか意味とか、どうだっていいよ。こうすれば幸福になれる。こうすれば、苦しまなくて済む」

 

 

 そうだよ。自分で考えてもずっと苦しいだけだった。でも、魔王様に全てを任せてからは楽だった。笑顔になれた、報われた気がした。想いが結実した、嬉しかった、楽しかった。

 

 こうするのが一番楽なんだ。きっと、この方は私を何処かで切り捨てるそんな予感がするけれど、それでも今は幸せで切り捨てられたとしても私はこの方の役に立てたなら幸せだ。それで人生の全てを喜べるくらいに幸せだ。幸せだ! 

 

 

 

 

 

 

『大好きなんだよ、俺は』

 

 

 

 

 

 

 そんなくだらない言葉に、殺意も憎悪も熔けてしまっていた自分がいた。

 

 一目惚れ、とでも言うのだろうか。でも違う。この気持ちは魔王様に捧げた気持ちだ。だから、こんな気持ちを殺さなければいけない魔王様の敵に抱くのなんて間違いだ。

 

 切り捨てたはずの想いが脳の中で軋んだ音を立てていた。

 自分というものを削ぎ落として得たはずの力が歪んで、吐き出してしまいそうになりながら目の前の敵を殴り続ける。

 

 

 

『俺は、お前のことが、大好きなんだ』

 

 

 

 踊り出しそうになる気持ちを抑えて、もう殆ど抱いていない殺意を込めて殴り続ける。

 嬉しい、心の底からその言葉を嬉しいと思う。それでもこれを認めてはいけない。だってこれは『毒』だ。この感情を求めれば、また私は苦しむことになる。

 

 魔王様は私を最も簡単に楽にしてくれる。私が望む言葉を、展開を与えてくれる。こんな鈍感野郎なんかと違って、全てに応えてくれる。

 もう悩む必要なんてない。私は私のまま、受け入れてもらえる。

 大嫌いな努力も苦しいことも、もうおさらばできる。だから、その言葉はもう遅すぎるんだ。

 

 

 

『俺はお前のことが大好きだから。勇者なんてやめて欲しかった』

 

 

 

 ……なんだ、そう思っていたんだ。

 じゃあもっと早く言ってくれればよかったのに。そう思いながら、殴る手を止めない、止められない。もう遅いんだ。たとえやり直せるとしても、もうあの辛い道に戻ろうと思えない。

 

 勇者であろうとすることは苦しかった。辛かった。それでもそうじゃなければ私に幸せを夢見ることすら許されないと、自分を定義してしまった。弱くて情けない自分の素を見せたくなかった。

 

 ごめんなさい。貴方は優しい人だってわかってたのに、私は自分の弱さ故にその優しさを踏みにじってしまう。受け入れてくれるとわかっているのに、楽な方へと逃げてしまう。

 

 

 

 

『俺は、お前に戦って欲しくない! 傷ついて欲しくなかった! ずっと、俺の傍で笑っていて欲しかったんだよ!』

 

 

 

 

 その言葉を聞いて、手が止まった。

 本当に本当に嬉しくて、本当に本当に悲しくて、本当に本当に悔しくて。私はその言葉を受け入れる資格がないのだろうなと、首を引き裂いてしまいたくなった。

 

 手を伸ばしてしまえば弱くなる。切り捨てることで強くなった自分は、拾ってしまえばまた弱くなる。

 

 

 

 

「お前には向いてないんだよ。勇者なんてやめちまえ」

 

「……簡単に言ってくれるよね」

 

 

 私がどれだけ悩んだと思っているのだろう。

 ここまでの努力を全部否定して、ここまでの苦しみを全部否定されて、最初からこうしておけと、理不尽な正解を叩きつけられる。

 

 これを正解にしてしまったら、私はきっとまた苦しみ続けるだろう。どれだけ認めてもらえても、私は弱いからそれを受け入れられずにどうにかして完璧な自分を作り出そうとする。認められる自分を作り出そうと、またもがき苦しむことになる。

 

 

 それでも、だ。

 リスカ・カットバーンは従者で良かった。

 輝きに向かって歩き続ける貴方の背中を追い続けることは、どれだけ辛い道のりであろうとも不思議と胸が踊っていたから。

 

 リスカ・カットバーンは、勇者で良かった。

 どれだけを遠く見えない道を歩んだとしても、貴方が必ず追いついて、寄り添って、引き摺り堕としてくれるから。

 

 

 

 

 

 だから、リスカ・カットバーンは成りたかった。

 愚かで勇敢で、無謀な君が、誰にも傷つけられず、誰にも汚されず、いつまでも私の隣で笑顔でいてくれるような。そんな自分に。

 

 

 

「両思いじゃぁ、仕方ないよね」

 

 

 

 そんなに思われていたんじゃ仕方ないけど頑張るしかない。

 どんなに苦しくても、どんなに辛くても、私は貴方と一緒にいたい。それだけが私の断ち切れない想いなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬乗りから解放されて、泣きじゃくる女の子をただ抱きしめた。これくらいしかできることが思いつかなかったし、これくらいしかやれることは無かった。でも、これくらいのことが出来たなら、今までの苦難には確かに意味はあったんだと思う。

 

「もう、戦わなくていい。傷つかなくていい。苦しまなくていい」

 

「いいの? それじゃあ私、ただ偉そうで才能だけはある面倒くさい女になっちゃうよ?」

 

「自覚があるなら前よりずっといい。それに、これが俺の願いだったんだよ」

 

 

 一発当ててやったと、はじめての笑顔で。

 それでいて、燃えてなくなった故郷での日々を思い出すかのような笑顔で、俺はリスカにこう言った。

 

 

 

 

「俺はお前を、追放してやりたかったんだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







・勇者
空に輝く太陽のように、激しく焼き付き手の届かないモノ。
空に佇む月のように、儚く光り手の届かないモノ。


・従者
空に浮かぶ貴方にただ隣で当たり前の笑顔を浮かべていて欲しかった傲慢なモノ。








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世界は軽く、貴方は重く





コードギアス見てたのでなんか絶対遵守のギアスっぽい感じの祝福とか異能とか出ても許してください。
あとリリカルなのはも見てたんでホシが魔法少女になっても許してください。





 

 

 

 

 

 

 

 

「その、リスカ? そろそろ離してくれない?」

 

「や」

 

 もう何時間もこうしてる気がするし、数分だけの気もしなくもない。そりゃぁ俺だって健全な男子だからね。リスカ程の美少女に抱きつかれたら拒めない。そもそも筋力勝負に持ち込まれると負けるのはこっちなのである。

 

「いやほら、向こう見てみなよ。すごい爆発してるよ。ホシとかも頑張ってるし、俺は行かなくちゃ」

 

「や!」

 

「俺の背骨がね、いかれちゃうからせめて力を緩めて欲しいと思うんですよね」

 

「……緩めたら、またどこか行っちゃう気がする」

 

「よし。もっと強く抱き締めていいぞ。俺はここにいるからな」

 

 これは仕方ないなうん。

 悪いがホシ達にはもう少し頑張ってもらうとしよう。思えばリスカは今までずっと我慢してたんだろうし、ちょっとくらいな? あと5分、いや10分くらいならホシ達なら耐えてくれるはず。それまでには出来るだけ、可能な限り頑張って戻ることを視野に入れるから頑張って耐えて

 

 

「暖かいなぁ。ずっとこうしていたい」

 

「わかった! ずっとこうしてような! 満足するまでしていていいからな!」

 

 

 これはもう本当に仕方ない! 頑張ってずっと耐えてくれ皆! 多分皆なら出来るはずだ。本当にいけないことしてるとは思ってるんだけど、これはちょっとどうしようもない。リスカの可愛さは俺のような一般人の思考能力で想像できる範疇ではなかったのだ。

 

 

 

「あの、何してるんですか?」

 

 そんな思考に割り込むように、とても聞きなれた声が聞こえてきた。

 どこから聞こえてきたのか。辺りを見回すと遠方での爆発で吹き飛んできたと思われる肉塊のような何かが木に引っかかっていて、そこから声が発生していた。

 

「すまない肉塊さん。俺は今見ての通り絶対に手を離せないんだ。この手だけは、何があっても離さない」

 

「キメ顔でIQを2人だけの世界に置いてきたみたいな脊髄反射でものを言うのやめて貰えます?」

 

 ずるり、と枝が肉塊の重さに耐えきれなくなったのかゆっくりと肉塊は地面に落ちていき、ぐちゃっと潰れた瞬間に急に粘土細工を捏ねるかのように形を変えていく。肉塊が人間の姿に変わっていく現実味のない光景をしばらく眺めさせられ、最後に整った形の上に衣服がまとわりつくとあら不思議。そこに居たのはホシだった。

 

「すまないホシ……俺は……」

 

「深刻そうな顔してますけど問題万事解決してますよね。強いて言うなら予想以上に二人の頭が悪いことが問題ですかね」

 

「俺はともかくリスカは頭悪くないぞ」

 

「私はともかくコイツは頭悪くないでしょ」

 

 興味なさげにジト目で俺達の意見を聞き流したホシは、溜息を吐きながらこちらにゆっくりと近づいてきて、あまりにも当然の動きで反応に遅れるくらい滑らかに、リスカの頬を一発引っぱたいた。

 

「ちょ、ホシ!?」

 

「こっちも目を覚ましてください!」

 

「ひぶっ」

 

 割と本気目なビンタを喰らってようやく目が覚めた。

 くそっ、リスカがあまりにも可愛すぎて前後不覚になっていたな。これも全てリスカが可愛すぎたのが悪い。

 

「もう一発叩いた方がいいですか?」

 

「いや大丈夫。あとその素振りの勢いで叩かれたら多分首が飛ぶ」

 

 リスカはホシにはたかれた部位を抑えて「親にもぶたれたことないのに……」と涙ぐんでいるが多分、恐らく大丈夫だろう。

 

「リスカ、何か私達に言うことありませんか?」

 

「……ごめんなさ」

 

「はいビンタ!」

 

「いだっ!?」

 

 両の頬を赤くしてなんで叩かれたか分からずに目を白黒させているリスカを、ホシは一瞬驚いたような、複雑そうな顔で見つめてから仕方ないかと諦めるように、それでいて晴れやかな顔で、そしてちょっと怒っていた。

 

「別に謝ることじゃないでしょう。魔王が一枚上手だったことが貴方の過失になりますか? それより、他に言うことありません?」

 

「他……? えっと、ホシの再生遅らせるために全身を細かく切り傷だけ入れてその上から魔術で焼いたこととか?」

 

「冷静に考えたらそれ真っ先に謝って欲しかったですけど違いますね。ほら、スーイとギロンも来ましたからヒントを聞いてみます?」

 

 どこに居るのかと思ったら、遠くでとんでもない爆発音がすると同時に2つの物体がこちらへと飛んできた。一つは人間の形を保っているギロンで、もう一つは恐らく人の形であったであろうなんか焦げた黒い塊だ。

 

「何やってるんですのホシ。貴方がぶっ飛ばされたせいで均衡が崩れてスーイがこんなになっちゃいましたわよ」

 

 そう言いながらギロンは焦げた黒い塊を雑に掴んで指差している。もしも仮にそれが本当にスーイならそんなこと言ってる場合じゃないんじゃないかなぁと思わなくもない。

 

「仕方ないでしょ。私、戦闘に関してはそっちみたいに野蛮になりきれないので。どうせ私は弱っちいですからね」

 

「そんなところで拗ねられても可愛くないので現実を認めてくれません? ほら、スーイも何か言ってあげてください」

 

「どうでもいいからホシ治療してくれる? さすがに死ぬ」

 

「それで死んでないの逆にすごいな」

 

「こう見えて中身はスクランブルエッグだよ。見る?」

 

「外見はもう炭になったエッグだから大して変わんねぇんで喋ってないで回復に集中してください」

 

 傍から見たら完全にただの炭なのにどこからかスーイの声が聞こえてくる不思議な炭をホシが弄り始めると、まるで脱皮でもするかのように素っ裸のスーイが生えてきて、瞬きの間にローブを纏いいつものスーイの姿になった。一体どんな構造をしてるんだろうと思わなくもないが、まぁスーイだし気にしても俺じゃ分からないだろう。

 

「そうだ。スーイ直しとくんでそっちのバカにはギロンから色々言ってあげてください」

 

「せめて治すって言ってくれない?」

 

 ホシに言われた通り、ギロンはリスカにズコズコと近づいていく。俺と比べてもかなり大きいギロンが座り込むリスカに近づくと圧がすごい。知り合いだとわかっていても思わずたじろぐ程だ。

 

「リスカ。妾の名前、言えます?」

 

「ギロン……アプスブリ・イニャス」

 

「まぁ、上出来ですわ、ねっ!」

 

「ほぎゅ!?」

 

 突如、鋼鉄が打ち合ったかのような轟音が響いた。

 それはギロンの全力のデコピンがリスカの額に突き刺さる音だった。デコピンであんな音を出すギロンもギロンだが受けた方のリスカもおかしい。痛みに悶えて泣いているが、あんなの食らったら普通首から上が吹き飛ぶ。ちょっと額が赤くなるだけで済んでいるなんて……? 

 

「え、ちょっと待て」

 

「これでいいんですわよ。それより、リスカも貴方も私達に言うことありますわよね?」

 

「っぅ……だから、ごめ……ひっ! デコピンはもうやめて! 正当防衛するよ!?」

 

「貴様、まさか妾達がそんな謝罪が聞きたいから、こんなボコボコになってまで2人で話す時間を作ってやったとでも?」

 

「……え、違うの? 私こんなに可愛いのに?」

 

「もう一発ぶち込んだ方がよろしそうですわね」

 

 リスカは可愛いが確かに今それを言われたムカつくのはわかる。わかるけど、ギロンの普段の言動もそう大差ない……と言ったら本気のデコピンが俺の方にも飛んできそうなので言わないでおこう。流石にここまで来て味方に殺されるのは冗談じゃない。

 

「まったく、妾は自分の欲しいモノは手放したくないんですわよ。こんな居心地のいい場所、貴方達二人の喧嘩程度で無くなられたら困るんですわ。わかります?」

 

「えーっと、つまり?」

 

「物分りが悪いですわね。妾達はあくまで自分の目的の為に、だとしても貴方達の利益になることを身を粉にしてやってやったんです。()()()()()、そして()()()()()()。なら貴方達が言うのは、妾達にくれるのは謝罪なんてつまらないものじゃないでしょう」

 

「……?」

 

 あぁ、そういうことか。さすがにそれ無しと言うのはむしがよすぎるよな。わかってなさそうなリスカに耳打ちしてやると、少し恥ずかしそうに顔を赤くしたが言うのが嫌という訳ではなさそうだ。まぁ、少し気恥しいと言うのはわからなくもない。

 

 それでも、これはちゃんと言っておくべきだろう。

 

 

 

「「ありがとう、みんな」」

 

「そうそう。感謝の言葉はいくら貰っても嬉しいものですわ」

 

「そこばかりは同感ですね。それが欲しくて動いた訳じゃなくても、やってよかったって思えるかは意外と大事なものです」

 

「ギロンは心からそう思ってるんだろうけど、ホシはもっと正直になりな? あとリスカと馬鹿弟子。二人はもっと他人の施しに感謝しつつ、他人を頼ることを覚えなさい」

 

「なんですか正直にって。私は別に何も隠して……うひゃっ!?」

 

「この汗の味は嘘ついてますわね〜」

 

「そんな、私意識しなきゃ汗なんてかかないはずなんですけど!? ……あ!」

 

 引っ掛けに気がついたホシがギロンを殴ろうとするが、体格差からか本気で殴ろうとしてる訳では無いからか、拳は軽く止められていなされる。それを見てリスカはようやく本当に肩の荷が降りたようにへにゃりとした笑顔を浮かべ、スーイはそんなリスカの顔を見て、何か言いたげに俺の方を見て微笑んでいた。

 

「ははっ、……まだなんも解決してないのに、悪いなみんな。俺、今すっごく楽しいや」

 

「あら奇遇ですわね。妾も久々に腹の底から笑えそうですわ。やっぱり気が合いますわね」

 

「私は全く笑えないんですけど。と言うか、まず舐めたこと謝ってください唾臭いんですけど!」

 

「私も、案外静かなのより騒がしい方が好きみたいだ。特に君が楽しいなら尚更ね」

 

 

 

「……ぅ、ごめ、……みんな、本当にありがとう。ありがとう」

 

 

 結局、最後はまた泣き出してしまったリスカを全員で宥めるしかなくなって笑っているどころではなくなったのだがそれでも本当に久しぶりに、心の底から楽しくて笑えたようなそんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景をただ遠くから見ていた者がいた。

 大丈夫、まだ想定内だ。勇者、リスカ・カットバーンをこちら側で利用出来れば最高。最低でも、祝福の力を一段階下げられれば十分だ。

 自らの薄皮を爪で裂いて確認をした。魔王にとって重要なのは『勇者』を消すことだ。自分の対になる存在、この世界で唯一、究極の異能『魄異粛清(エオス・ダクリ)』を破る可能性のある勇者の力は既に残されていない。

 

 有利なのは自分だ。

 頭ではわかっている。そんなこと分かりきってるのに、魔王の呼吸は少しづつ荒くなっていた。

 

 

 有利なのは自分だ。

 元々手札という意味では強みはこちらにある。魔王の異能はその性質上、文字通りに『何でもできる』。

 

 勝っているのは自分だ。

 

 では何故、今自分はこうして1人で敵を睨みつけているのだろうか。

 これは間違いではない。戦力比的には自分一人で十分だ。ここまでで、仲間達は十分な仕事を果たしてくれた。だからあとは1人で頑張ればいい。それが先に逝った皆へ、自分が返せる唯一の事だ。

 

 そうして、自分が勇者に言った言葉を思い出す。

 何のために戦うか。譲れないものがあるから、戦うんだと。

 

 アレは勇者の精神を揺さぶるためのでまかせでもあったが、同時にどこかでそれを本心だとも感じていた。むしろ本心だったからこそ、でまかせの言葉として吐いたんだろう。

 

 

「譲れないものは、沢山あったなぁ」

 

 

 だから少女は魔王になった。

 自分はきっと、この世界で一番欲深い生き物なんだと笑い飛ばして。つられて笑ってくれた者達はもういなくとも。

 

 一人きりの行軍は、もう止まれはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小石が投げ込まれた。

 大きさにして握りこぶしにも満たないような、2本の指で摘めてしまうようなそんな大きさの石だ。

 

「ッ! ホシ、避けた方がいいですわよ」

 

「えっ、ちょっと言うのが遅──────」

 

 その小石がホシの体に触れた瞬間、小石が砕けて同時にホシの体がものすごい速度で射出されるように吹き飛んだ。近くにいてはどの方向にどのように吹き飛んだのかすら目で追えず、消滅してしまったかのように移るほどの勢い。

 

「ホシッ!」

 

「大丈夫ですわよどうせ死にませんし。それより、貴方はリスカにだけ意識を向けていてくださる?」

 

「下手に動かれると、守れるかどうか分からないからね!」

 

 互いに背を合わせ、スーイとギロンは360度周囲の全てを警戒する。もちろん先程まで警戒していなかったという訳では無い。ホシが吹っ飛ばされたのはいつも通りのことなのでそこまで焦ることではないが、スーイとギロンでももし狙われていたのが自分だったら避けられたかわからなかった。だからこそ警戒を強め、次の一撃を確実に捌かなければならない。

 

 敵の狙いがわかりやすいこと。それだけは有利であるのだから。

 

 

「『空空縛縛(イミ・テンション)』」

 

 

 視界が切り替わると同時に、スーイは拳を突き出した。

 

「反応は良いけど、後手じゃこの異能には勝てないよ」

 

 スーイの反応した方向とは真逆の方向。後頭部に衝撃を受けて視界が弾け飛ぶ。首から上が物理的に無くなったその体が地面に倒れ込むよりも早く、魔王はギロンの目の前に立っていた。

 

「あの二人すごいよね。絶対殺した、って思っても生きてるんだもん。特に精霊(エルフ)の方は純粋な生命力なんだからどうしようもないよ」

 

「そうですわねぇ。ところで、お話がしたいならわざわざ二人を挽肉にする必要ありまして?」

 

「力の差を示しておいた方が、人間は素直に言うこと聞いてくれるだろう?」

 

「流石は魔王様。よくわかっていらっしゃる。そしてそう言うのが妾には無駄なことももちろん知ってますわね?」

 

「知ってるとも。だから、ちょっと黙っててね」

 

 魔王がギロンから視線を外すと、彼女の体が真後ろへと()()()()()()。そうとしか表現出来ないような移動の仕方であっという間に何処かへと吹き飛ばされてしまい、魔王の前にはリスカと彼だけが残された。

 

「改めて、久しぶりだね」

 

「なんだよ。まだリスカになにかしたいのか?」

 

「悪いけど、その子だけは殺させてもらおうと思ってね。代わりにキミを含めて他の子は見逃してあげる」

 

「断るって言ったら?」

 

「キミごと殺す」

 

「やれるもんならやってみろ」

 

 強がりでもなんでもなく、自然に彼の口からその言葉が漏れて一番驚いたのは彼自身だった。

 勝ち目がないのもわかってるしこれが最善手ではないのもわかってる。これは絶対に譲れないものであることと、思考を置いていくほどの目の前の相手への怒りを自覚した。

 

「……じゃあ、やるよ」

 

 魔王が剣を抜くと共に、彼もまた剣を抜いた。

 

「待って、ちょっと待ってよ!」

 

 そう叫ぶリスカの声を無視して、両者は向き合う。

 その段階でもう勝負はついているようなものだった。魔王は強い。彼は弱い。それは決して変わりはしない現実。

 

「エオス、正直俺はお前と戦いたくないと思ってた。話し合えばまだ何か変わるんじゃないかって」

 

「……それは素敵な話だね」

 

「でももうダメだ。お前が生きていたら、きっとリスカは安心して笑えない。お前は、リスカの邪魔だ」

 

「ああそうだとも。ワタシも、勇者が生きている限り、安心することが出来ない」

 

 だから、と。

 先に動いたのは彼だった。確かに先に動いたが、最終的に剣を振り抜いたのは魔王が先だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけんじゃないわよ……」

 

 血が地面に滴り落ちた。

 

「そいつは、私が最初に見つけたの。誰よりも早く、私が、そこに居たいと願ったの。お前なんかに渡したくない」

 

 魔王の腕を掠めた剣筋は他の誰のものでもない。リスカ・カットバーンのものだった。

 

「私の勇者は、奪わせない」

 

 

 では、魔王が振り抜いた剣はどうなったか。

 それは彼の脇腹を正確に捉え、その体を両断し、更に横に並びでたリスカも切り裂くはずだった。

 

 だが刃は止まっていた。

 反応された訳ではなく、脇腹を切り裂くことなく止まっている。切り裂くことが出来ない。

 

 だって、()()()()()()()のだから。

 

 

「目標変更だ。二人とも、死んでもらう必要が出来た」

 

「やらせねぇよ。絶対に」

 

「やらせないわよ。絶対に」

 

 

 魔王は一歩後ろに下がり剣と異能を構えた。

 

 それに対して、勇者は一歩前に出た。守るべきものを守る為に、庇うように、庇われるように。

 

「みんな、力を貸して欲しい」

 

「勝ち目は見えませんが、さすがに事情が事情ですからね。彼も殺すとなるとこちらもやる気が違ってきます。ちょっと醜いので、やりたくないんですが特別ですよ?」

 

 地面から湧き出すように現れた神官は、神に唾でも吐きかけるように、明らかに折れた首を、弾けた腹を、捻れた手足を瞬きの間に戻して見せて死を嘲笑った。

 

「そうだね。居場所を奪われるってのは些か、気分が悪い。弟子の為だ。私も頑張るとしよう」

 

 魔術師は翼を広げる。無機質な鋼鉄の翼ではなく、空を駆ける彗星のように眩しく、暖かな。遥か昔の誰かから受け継いだ光の翼を。

 

「ギロン。俺、多分魔王とか倒せる女の子、好きだと思うからさ」

 

「今それ言う必要あります? いや、妾だってさすがにあのリスカが素直に言ってくるなら普通に力くらい貸してやりますわよ!? …………まぁ、男に二言は無いですわよね? 誰が一番美しいか、見せてあげますから!」

 

 獣は獲物を見つけたように鋭い眼光を見せ、同時に柔らかに笑った。誕生日プレゼントを期待する子供のように、何処にでもいる恋する乙女のように。

 

 

 

 世界の命運を懸けた戦いが始まろうしていた。

 けれど、果たしてここにいる者で何人が世界の為に戦っていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








・リスカ
泣くの我慢した。えらい。

・ホシ
しっかたないですねぇ。

・スーイ
まなでしがんばえ。

・ギロン
ある意味特別扱いなのでよいでしょう。




・『空空縛縛(イミ・テンション)
めちゃくちゃ強い異能。魔王様もお気に入り。


・『神断祈泡(セレネ・へスペリス)
リスカ・カットバーンの『切断』が変化した祝福。対象の祝福、異能への切断能力は既に失われ、自己認識による絶対防御も本人が自身の勇者性を否定したことにより消滅した。
残ったのは泡のように儚い祈り。少女の願いが辿り着いた、神をも断ち切る純化された力。







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この鼓動を追い越して






おまたせしました。






 

 

 

 

 

 

 

 既に仲間はもう誰もいない。

 エウレア、ベルティオ、グレイリア、ノティス、アグネ、ヒルカ、ラクス。それからラン、ミズ、アンデス、グリムラ、スマイ、ルルディ、レニヨン……。

 数え切れない数の仲間を失った。それでも、魔王はこうして立っている。

 

 誰の名前も忘れたことは無い。誰の顔も忘れたことは無い。こうして思い返せば、出会った日のことから最後に会った時のことまで全て思い出せる。

 好きだったもの、話し方、匂い、口癖。何もかも忘れない。忘れられない。忘れることは許されない。散っていった彼らの為にも、決して引き返すことは許されない。

 

「追い詰めたのはワタシだ。王手をかけたのは、ワタシだ」

 

 そんなこと口に出すまでもない。

 でも、音にしなければそうは思い込めなかった。

 

 こめかみに苛立ちが浮き出る。なんで、勝っているはずの自分がこんなにも、心を乱されている。

 どれだけ失っても、心はずっと一緒だと信じていた。そう信じて、そう言われてきたからこそ前に進めた。そうでもなければとっくの昔に心が折れてぐちゃぐちゃに泣いて座り込んで自分で首を掻っ切ってる。

 

 

 視線の先、赤い髪の少女の目にはもう魔王の姿は映っていない。

 彼女が見ているのは、傍らに立つ仲間と寄り添う従者だけ。既にその目は勇者のモノではなく、どこにでもいるただの女の子のもの。

 

 だからもう負ける要素はない。

 魔王はその安心感からか、それとも別の何かからか。久方ぶりに思ったことをそのまま口にした。

 

 

 

「……羨ましいなぁ」

 

 

 

 

 そう口にした事実ごと切り裂くように、魔王は万物を『切断』する一閃を放とうとした時、突然地面から煙が巻き上がり敵の姿が視界から消え失せた。

 

「っしゃ! スーイナイスですわよ〜」

 

「声出したら意味無いでしょ。ほら、さっさと作戦通りに散らばって」

 

 ドタドタと、仮にも魔王軍幹部を倒した人間のものとは思えない相手に居場所を知らせるかのような足音。かと言ってこれも陽動の可能性がある以上、魔王は落ち着いて敵の出方を伺う。

 晴れない土煙はほぼ間違いなく視界の撹乱が目的。魔王の持つ異能のうち、視認が発動条件のものは単純に見えなければ封じられる。

 

 もちろん、この間に逃げることだって考えられる。だが魔王は敢えて待つことにした。

 逃げに徹するならば、いつか追いつくにしろ彼女達の能力は非常に強力な代物だ。つまり、仕留めることは容易ではない。

 だがここまで魔王軍の長として、魔王軍幹部のほとんどを倒した彼女達の戦い方を知って、ここで逃げない事はよくわかっている。

 

 だから、待つ。

 

 

「そうだろう? 特にこういう時、キミが切り込んでくるだろうねギロン」

 

「さすが、妾の事をよく知ってますわね」

 

 ギロンが何かを振り下ろし、魔王はそれを剣で受ける。

 既に『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』の力を己のモノとした魔王にとって、剣は最大の武器であり盾となる。ギロンの持つ祝福では、魔王の剣とは鍔迫り合いすら起きはしない。

 

「とか、柄にもなく油断してませんこと?」

 

「っ、!?」

 

 腕に衝撃が走り、魔王の体が僅かに地面に沈み込む。

 ギロンが振るった『何か』は魔王の剣によって切断されることなく、振り下ろした威力をそのまま魔王に叩きつけ鍔迫り合いを起こしている。

 

 ギロンの祝福はあくまで物体の『移動』を操るモノ。それも触れたモノという条件がある以上、『切断』を防げるような代物では無いはず。

 ならば振るったモノに特別性がある。魔王はあくまで冷静に、ギロンが振るった何かを確かめる。

 

 

「…………その、どうも」

 

「…………は?」

 

 

 突然魔王は一人の人間の青年と目が合った。

 武器を確認したはずなのに、なんで彼と目が合うのか。その現実を理解するのにさすがの魔王でも一瞬の時間が必要だった。

 

「……仲間を、武器にしてるの?」

 

「これが妾達の絆の力ですわ!!!」

 

「いや俺いいって一言も言ってないんだけど?」

 

「愛の力ですわ!!!」

 

「サラッと格上げするな」

 

 こんな形になるとは思わなかったが、魔王は一つの確信を得た。

 勇者の持つ『勇者は斬れない』という強固な認識及び、それによる概念的防御。その加護を今持つのは、自らを勇者と定義出来なくなったリスカ・カットバーンではない。

 ならば、今この世で最も盾として有用な存在は間違いなく『勇者()』である。理屈の上ではギロンの行動は理解はできる。

 

 

 それはそれとして先程までいい感じの雰囲気だった仲間を、ノータイムで武器として振るえるのは頭がおかしいし、心底気分が悪かった。

 

「惚れた男を武器にするなんて、ワタシの目に狂いがなかったことが改めて確信できたよ。キミに普通の社会に居場所なんてない」

 

「褒め言葉として受け取っておきましょう。それに、残念ながら妾はもう既に永久就職先を見つけましたので……こんな私を許してくれる人の下で……」

 

「一応言っておくけど俺は許してな」

 

「喰らえ愛の合体攻撃!」

 

 愛の合体攻撃と言うにはあまりに一方的過ぎるぶん回し攻撃から距離を取り、魔王は大きく息を吐く。

 ふざけている訳では無い。ギロンという女はこういう人間と言うだけであり、彼女なりに真面目に考えた結果がこれだとわかっている。

 

 普段はわかっていることにここまで囚われる性格ではない。自分でそれがわかっているのに、魔王は沸き立つ不快感を抑えきれずにこめかみに浮かぶ血管の感覚を感じ取る。

 

「あらあら、もしかして妾達のラブラブっぷりが羨ましいんですの?」

 

「いや、普通にカレが可哀想だなって……」

 

「負け惜しみなんてしてないで、悔しがってもいいんですわよ? ──────仲間のいなくなった貴方には、もう出来ないことなんですから」

 

「愛した男がいるなら守ることをオススメするよ。カレが弱いなら尚更ね」

 

 何も魔王の攻撃は『切断』だけではない。彼女は単身で『魔王軍』になり得る存在。その身に宿した異能の数は、小規模なものから単体で都市を滅ぼせるものまで合わせれば100を超え、その全てが玉石混交ではなく現実の法則を犯す正しく『異能』である。

 

「『空空縛縛(イミテンション)』」

 

「…………あ」

 

 視認した二つの物質の位置を入れ替える異能。その力を使えば、ギロンが武器のように振り回す彼を己の手の内に移動するのは容易いことである。

 いつの間にか足首を魔王に掴まれて地面に転がされていた彼は、また魔王と目が合って気まずそうに目を逸らしながらギロンの方に視線を向ける。

 

「………………」

 

「………………返していただけたりします?」

 

「おいギロン。化けてでるからな」

 

「てへ」

 

「てへじゃねぇよ。ほんと何やってんの? 俺このままじゃ殺されちゃうよ?」

 

「調子狂うなぁ。まぁいいけど」

 

 ギロンが馬鹿なのは知っているが、かと言ってそれが手加減する理由にもならない。幾ら今の彼があらゆる『切断』が効かないからと言っても、魔王の持つ異能はそれこそ100を超える。その中には切断に頼らず相手を殺す手段も当然あり、特に直接手で触れてしまえるならば方法は飛躍的に増加する。

 

「…………なんて、当然そうなった時の対策くらいしてますわよ! スーイ!」

 

 その声と共に、彼の体に発光する紋様が浮かび上がる。

 複雑に刻み込まれた魔術陣。魔王が一目見ただけでは効果が分からない程のものをいつ仕込んだのか、とにかく一応魔王が彼から手を離すと同時に、その現象は起きた。

 

「は?」

 

「え?」

 

 爆発だった。

 体に刻まれた紋様を起点に、激しい熱と風の奔流が魔王と彼を呑み込んだのだ。

 当然、一瞬前まで彼を掴んでいた魔王はその爆発に巻き込まれる。熱と風によって肉体が傷つくのは止められても、純粋なエネルギーによって体が吹き飛ばされるのは止めることは出来ない。

 爆煙で視界が遮られ、自分が何処まで吹き飛ばされたかも判断できない状況で魔王はそれでも冷静に思考を回そうとする。

 

 そして気付く。

 また彼、武器みたいに扱われていなかった? 

 

 いや武器どころか今度は爆弾だ。使い捨てにランクダウンしているまである。

 幾ら今の彼が『勇者』の加護を得てあらゆる切断を無効化する状態にあるからと言って、さすがにあの扱いは敵ながら魔王も同情してしまう。

 

 同情、という単語を頭に浮かべた事を恥じるように魔王は一度深呼吸をした。ギロンもスーイも、彼も今の魔王にとっては気にしなくてもいい存在だ。彼女達では魔王を殺すことが出来ない。だからこんな巫山戯た行動で撹乱し、冷静さを失わせようとしている。

 

 

「そうだろう? 魔王(ワタシ)を殺すとしたら、それは勇者であるキミ以外他にいないんだから」

 

 

 爆煙と砂煙が晴れた先に立っていたのは1人の少女だった。

 一体いつそんな時間があったのか、美しいドレスは脱ぎ捨てられ素朴で飾り気のない簡素な服に最低限の鎧。そもそも肉体が傷つくことの無い祝福を持つ人間に多く見られるような装備。

 

 燃えるような赤髪を風に靡かせながら、リスカ・カットバーンは魔王へと斬り掛かる。

 魔王とリスカの剣はぶつかり合い、拮抗する。あらゆる物質を『切断』する同質の能力がぶつかり合った矛盾。汽笛のような低く重い音が響き渡り、リスカと魔王の腕の皮膚が僅かに裂ける。

 

「『金剛不穢(オンリ・ジンギ)』がある手前、ワタシの方が有利かと思ったんだけどね」

 

 お互いに距離を置き、一呼吸を置く。

 最初からリスカが飛び出してこなかったのに、今になって1人で接近戦を持ちかけてきた理由を、魔王は『準備』が出来たからだと推測した。

 何とかしてリスカ・カットバーンという最強の刃を魔王の首へと届けさせる準備。

 

「いいね、決戦らしくなってきた。魔王と勇者の戦いらしいじゃないか」

 

 目を大きく開き頬を吊り上げ、魔王は威嚇の意味を込めた笑みを浮かべる。対するリスカはそれを見て少し身体を震わせ剣を握る手に力を込め直したものの、表情は決して変えなかった。

 怒りや憎しみ、我慢や恐怖、そう言ったものを顔に出さず、代わりに一つの疑問を投げかけた。

 

「アンタ、寂しくないの?」

 

「………………この期に及んでどういう意味?」

 

「私は勇者だったから、きっとこの世界で唯一と言っていいくらいアンタのことを理解できてたと思う。だからわかるの。アンタ、なんの為にこんなことしてるの?」

 

 リスカが勇者になったのは、平たく言ってしまえば自分のためだった。

 弱くて情けない自分を認めたくなくて、そんな人間だと思われたくなくて、嫌われたくなくてリスカは勇者になった。

 後悔はしているが、それでもその選択をただ間違いだと頭ごなしに否定するのは、この旅路の否定に繋がる。

 だから否定はしない。それでも、その生き方はあまりに辛く苦しいものだと知っている。

 

「だって、アンタは──────従者(仲間)を守りたかったんでしょ?」

 

 同情と共感。魂の宿痾とでも言うべき因縁。

 彼女は自分の為に、彼の為に剣を振るう事を選んだ。根が真面目な彼女はその選択をする上で、どうしても聞いておかなければならないと判断したのだ。

 

 自分達の私利私欲の為に殺す相手が、一体何を想って戦っているのかを。

 

「教えて魔王。アンタは、理由を失ったその先で何を成したいの?」

 

「ワタシからその理由(仲間)を奪ったキミ達がそれを聞く? そんなもの決まっているだろう。ワタシは託された。ワタシは背負った。キミと違い、ワタシは何も捨てない。それだけだ」

 

 魔王の返答を聞いて、リスカはほっと胸をなで下ろした。

 彼女は根が真面目で、背負い込みやすくて、自己中毒を起こしやすい。誰かのために戦えて、誰かのために命を懸けられる、そういう魔族だと知った。

 

 彼女は仲間と見た夢のため、理想の為、そしてもうそこにはいない彼らの笑顔の為に『魔王』であり続け、たった1人になっても魔王軍として戦っている。

 

 

 

 ──────世界の為だなんて言われたらどうしようかと思った。そんな大義名分相手では、私達が悪者になってしまう。

 

 

 

「じゃあ勝負をしよう。アンタの惚れた弱みと私の惚れた弱み。意地と意地の張り合いだ」

 

「それなら尚更私の勝ちだ。一つ、言ってやりたかったことがあるんだよ。──────仲間を軽率に、武器とか爆弾みたいに扱うな!!!」

 

「それは向こうのバカ2人に言って!」

 

 

 音速で剣が衝突し、低い衝撃が音とは違う何かとして空間を走り、周囲を切り裂いていく。

 魔王とリスカ、2人の剣技は魔族と人間、それぞれの一つの極点と呼べるものであった。

 

 腕の関節が3つあることを利用した間合いと動きの不規則な突き、空中で滞空することが前提の足技、関節の構造が違うからこそできる衝撃の流し方。人型でありながら人とは違う構造を持つ魔族の中でも、己の肉体を熟知し相手が『人を殺す剣技』を極めれば極めるほどに引っかかるフェイントを織り交ぜた殺人剣。

 

 対するリスカは、ひたすらに受けに回っていた。

 元々の彼女の戦闘スタイルは、防御を捨てた完全攻撃型。『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』による肉体への切断の否定と、相手の防御を完全に無視する切断攻撃。

 しかし今の彼女は前者による絶対防御を失い、僅かな傷で筋肉が断ち切れ、出血から死ぬ可能性を孕んでいる。

 

 その怯えが戦い方に出ていた。

 死ぬことを恐れ、傷つくことを恐れたその姿はとても勇者とは呼べない。自身が死なないことを前提に組み込まれた動きでは、自身すら燃やして敵を殺さんとする魔王の意思に勝てるわけが無い。

 

「……取った」

 

「ッ!」

 

 魔王はその逡巡を見逃す程甘くはなかった。攻撃か防御か、煮え切らない彼女の剣の鈍りを突き、心臓を一突き。回避も防御も不可能であることは、両者理解していた。

 

 

『ホシ、準備出来た!』

 

「遅いんですよバカ魔術師! いきますよ、リスカ!」

 

 

 だから、剣が()()()()()瞬間はさすがの魔王も驚き、それでもすぐに何が起きたかを冷静に分析した。

 

「転移の魔術陣、いつの間にこんな数を仕込んでいたのか」

 

 リスカの姿は魔王の背後にあった。

 簡易転移魔術陣。魔王の意識が人間バット()やリスカに割かれたりしている間にスーイが仕込んだリスカの補助術式。

 魔王が利用できないように、幾重もの複雑な安全機構が組み込まれたそれが、魔王が認識できる範囲でだけで数百、未だ励起させてないものを含めれば千を超えるであろう数が戦場に仕込まれていた。

 今の今まで存在すら感知させなかった隠匿性と、この数を戦場に仕込んでいた魔術師の腕。魔王の中での魔術の常識に当てはめれば正しく神技と言えるだろう。

 

「待って、心臓バクバクいってる、絶対死んだと思った」

 

「安心してください。死んだらそのまま私が操ってあげますから。憎たらしいその顔も生前より可愛く動かしてあげますよ」

 

「OK、死ねない理由が増えた。それよりさっさと魔王を倒して、アンタを切り刻む」

 

 誰かと会話するリスカであるが、その姿は魔王から見れば1人で喋っているようにしか見えなかった。

 だが魔王には彼女の体内に潜む存在の姿が、はっきりと魂として捉えられていた。

 

 ホットシート・イェローマム。

 不定形で質量すら変化させるその肉体の全性能を、リスカ・カットバーンの内側に潜ませている。

 もう一つの脳として戦場に散りばめられた魔術陣を適時起動させ、脳の神経伝達に頼らない反射神経で動きを補助し、最悪の場合己の身を盾にしてリスカを守る。

 

 なんでこんな便利で凶悪な異能を持っているのに、魔王軍幹部の誰にも勝てなかったのか本人を含め全員が疑問に思っていた。

 

「総力戦、ってことか!」

 

「舐めんじゃないわよ。ギロンに頼ってないからまだ私は本気出してない」

 

 その言葉と共に、リスカの姿が魔王の視界から消える。

 

「後ろッ!」

 

「嘘ォ!?」

 

 完全な死角からの完璧な不意打ち。しかしそれを魔王は防ぐ。

 死角から来るとわかっているならば死角に対処する。極めて単純で、それが出来れば誰も苦労しない事を魔王は極まった反射神経をもって可能にする。

 

 そして、動きが止まった瞬間にリスカの姿を視界に収める。その姿を目ではっきりと捉えることで、宿した『異能』の一つを起動──────

 

「させるかッ!」

 

 しようとした瞬間、魔王の視界からリスカが()()()

 正確に言うならば、魔王が自分からリスカの姿を視線から外してしまった。その間に彼女はまた別の魔術陣を踏んで姿を消し、再び死角から斬りかかってくる。

 

「なるほど、()()()()()()のか。『切断』の解釈ではやはりそちらが一日の長があるか」

 

 相手を視ることが発動条件である異能はこれでは使うことはできない。

 だが、それを防いだところで魔王の手数はリスカを圧倒的に上回る。

 無限の可能性を持つ究極の全。あらゆるモノを削ぎ落とす窮極の一である『勇者』の力であれば対抗できたであろう。

 

「『光災奪目(ヒオニアスピダ)』」

 

 魔王の剣が高熱の光を纏い、剣が交差する瞬間に先にリスカの剣が溶け落ちかける。すぐさまホシが剣を修復し、鎧のようにリスカの体を覆うがそれでも熱は完全に防げない。

 

「『霞山帯礪(イモータルラブ)』」

 

 距離を取った瞬間に追い打ちをかけるように魔王の腕から大岩が放たれる。

 最初、リスカもホシもそれを『大岩』と認識した。だが、魔王の腕から質量も体積も何もかも無視して現れるそれが大岩などではなく『山』そのものであると気付いた時には回避なんて選択肢は消え果てた。

 戦場の全てをすり潰すために放たれたその山を、リスカは愚直に剣を振るい、自分が潰される前に切り刻むしか無かった。

 

「ホシ、もっと私の体速く動かして!」

 

「これ以上速く動かしたらちぎれますよ! アンタ、自分が今まで祝福使って無理やり動いてたの忘れないでくださいね!?」

 

 1秒経つ事に自分達が追い詰められて言ってるのはリスカもホシもわかっていた。魔王は確実に殺せる瞬間を狙っていて、それがもう遠くないことも理解出来ている。

 

 ホシの防御も確実でも無限でもない。少しづつ焼かれ、斬られ、消えていく彼女の体。傷つき、血を流し息が荒くなっていくリスカ。

 

 

「……なんで、笑ってる」

 

「なんで、かな……? なんでこんな状況で笑えてるんだろうね」

 

 

 それでもその顔に浮かんでいたのは笑みだった。

 威圧や威嚇の意味の籠った笑顔ではなく、棒切れを振り回してはしゃぐ子供のような、純粋無垢な喜びの顔。

 

「なんとなく昔を思い出した。アイツも、私が何度ボコボコにしてやっても立ち上がってきて、諦めなくてさ」

 

 

 もうどこにも無い故郷で、まだ幼かった頃の自分達の姿。リスカに取って何よりも大切な時間。

 思い出の中にしかないその時間。もう絶対に手に入らないと思っていたその先を。

 

 

「……私は諦めたくない。こんな私を同じだって、認めてくれたアイツみたいに、当たり前に来る明日を、誰かに奪われたくない!」

 

「それはワタシだって、ミンナだって同じだった!」

 

「だから言ったでしょ。意地と意地の張り合いだって!」

 

 

 魔王が踏み込む。怒りに満ちたその剣は魔王のものではなく少女(エオス)のものであると確信しリスカは地面を強く踏み込んだ。

 

「ちょっとリスカ!?」

 

「ホシ、おねがい。勝負させて」

 

「……わかりましたよ。死んでも私のせいじゃないですからね!」

 

 2人の赤髪の少女の剣が、それぞれの想いを乗せて再度ぶつかり合う。

 汽笛のような音が周囲に響きわたり、雲が割れ地が裂け、何もかもが切り裂かれる中で。

 

 

「ワタシの、勝ちだ」

 

 

 リスカの剣が折れ、その右肩に魔王の剣が食い込んだ。

 大量の血が滴り落ち、リスカの体から力が抜けていく。あとはほんの少し力を込めて袈裟斬りにしてしまえば何もかもが終わる。

 それはリスカもわかっている。自分が負けて、あと数秒後にはその命が掻き消されることもわかっていた。

 

 痛みで顔を歪め、逃れられない死に涙すら流しそうになりながら。

 

 

「…………なんで、まだ足掻く。勝負は付いた」

 

 

 掌が切れて血が流れ落ちるのも厭わず、リスカは魔王の剣を掴んだ。

 リスカだけではない。ホシもまた、リスカの傷口を塞ぎ魔王の手足に絡みつき、ほんの少しでもリスカが切り裂かれるまでの時間を遅らせようとしている。

 

 ほんの僅かに死ぬのが遅くなるだけ。苦しむ時間が増えるだけの無意味な悪足掻き。それでも、リスカ・カットバーンの目から最後まで光は消えなかった。

 

「勝負は、ついたわね。アンタの勝ちで、私の負け」

 

 そして、魔王は思い出した。

 その光輝く瞳がずっと瞳に映していたものを。

 

 

 

「…………勇者(アイツ)の、勝ちよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく時間を稼いでくれた。陣は全て描き終わったから、あとは『弾』を打ち出すだけだ」

 

 スーイ・コメーテストが翼を開き魔力を励起させる。

 それと同時に瓦礫の下、雲の上、地平線の遥か先。幾つもの場所に別々の意味、別々の手法、別々の形で刻まれた魔術陣が共鳴するように光輝く。

 一つ一つ魔力を練り、描くのに1日は要する程精密な魔術陣を、長遠距離かつ連結させる神業。普通の人間がやるならば、一生かかりかねない大魔術。

 

 だがそれでも、『一生さえ』かけてしまえば使えてしまう程度のものに過ぎない。スーイ・コメーテストは魔術とはどこまで行ってもそういうもので、自分とはどこまで行ってもその程度だとわかっている。

 そもそもこの程度、『師匠』ならばここまで大掛かりにしなくてももっと簡単な手段で同じ結果を出せる。

 

 そういうものなのだ。

 人間ならば数の力でスーイを上回ることが出来る。究極の一とも呼べる才が全てを凌駕する。継承し研磨された技術が奇跡をも撃ち落とす。

 

 そういうものだから、スーイは魔術が好きなのだ。

 そういうものだから、これを教えてくれた人が好きなのだ。

 

 

「だから託すよ。さぁ、彗星のように駆け抜けろ大バカ弟子!」

 

「あぁ、行ってくるよ師匠」

 

「初期速度担当は妾なんですから妾にはなにかないんですの〜?」

 

「終わったらキスとかでいい?」

 

「なんか雑ですわね。まぁ、深いの覚悟してくださいまし?」

 

 ギロンが彼の肩に手で触れ、己の持つ全ての『移動』を与える。

 肩を押すその仕草は全幅の信頼と、文字通りの肩を押す意味が込められており、同時に祝福の力が込められたそのひと押しで物理法則を無視した初速をもって彼の肉体が射出される。

 

「スーイ! 加速!」

 

「任せて。全回路及び百二十八分割思考並列完了、星辰への接続、完了! 『万華鏡(パラレルオープン)彗星馳走(エストコメーティア)』!」

 

 そこに更に、スーイの全力とも言える速度強化の術式が載る。

 ギロンの渡した速度にも、スーイの付与した魔術も効果は只一つ。『速度を与える』だけ。

 肉体を守る効果も、筋力を強化する効果も、動体視力や反応速度に付与する効果もない。そんなモノにリソースを費やす余裕は、魔王の反射神経の前には存在しない。

 

 リスカ・カットバーンが、仲間と共に作った一瞬の隙。その隙に全身全霊、己の一撃を込めて魔王を倒す為に必要なのは速さだけ。

 魔王の異能は他者の祝福や異能を使用可能にする力。リスカから聞いたその情報が正しく、リスカの『神断祈泡(セレネ・へスペリス)』による絶対防御が魔王に在るならば、その力の根源がリスカの力であるならば。

 

 黄昏の少女の祈りは、この世界に防げないものが一つだけ存在する。

 

 それを知るのは、リスカという少女があの黄昏の中でどんな風に笑っていたかを知る者たちだけだった。

 

 

 

 

 

 

「ギロン、君の男の好みってどんな感じ?」

 

「顔が良くて……顔が良くて……うーん……そうですわね」

 

 名残惜しくも彼の背中が手から離れる。加速に乗っていくその瞬間まで目を離さず、彼女達は成功するかも分からない最後の賭け、帰り道なしの地獄行きに彼を送り出す。

 本当は掴んで抱きしめてしまいたくても、どうやったって覚悟を決めた男の子の背中を引き止めることなんて、乙女にできることでは無いのだから。

 

「後、背中がかっこいい殿方ってのはどうでしょう?」

 

「それはいい趣味だ。送り出す背中は、輝かしい方が安心出来る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギロンがとにかく時間を稼ぎ、場を整える。

 スーイは魔術を使い必殺の為の仕込みを行う。

 あとはホシとリスカが魔王を一瞬だけでも足止めする。

 

 単純でわかりやすい作戦。けれど魔王は最後までその作戦に気がつけなかった。無意識に切り札が『彼』であるということを選択肢から外していた。

 理由はギロンとスーイの『彼』の雑な扱い……もあるが、それが全てではない。

 

 魔王にとって、敵はリスカだった。

 彼女を倒すことこそが魔王の最大の目標であり、彼女さえ倒せれば勝てると確信していた。

 

 それに、臆病で卑屈でそのくせ尊大で。そういうめんどくさい性質をしたリスカという女がこんなことをできるとは思わなかった。

 勇者としての資格を投げ捨てた少女が、己の命を懸けて相打ちを狙うならばともかく、囮を買ってでるなんて、リスカという少女の内面を知ってしまっていたからこそ想像できなかった。

 

 

「……見事だよ。リスカ・カットバーン」

 

 

 究極の二択。

 既に避けるという選択肢は残されていない中で、魔王は飛んでくる彼に対処するか、まずはリスカを切り殺すかを考える。

 

 まだギリギリ間に合うかもしれない。魔王にとっての勝利条件はリスカを殺すこと()()()()。勝利のための必要条件であれど、彼女を殺しても自分が死んでしまえば意味は無い。

 

 背負ったモノの重さを知り、王として君臨した理由。魔王軍の理念の為に、魔王は絶対に負けられない。

 

 

 ……頭ではそれがわかっていた。

 でも、どうしても我慢できなかった。

 

 夕焼けを眩しそうに眺める少女のように、戦場には似合わない愛らしい表情を浮かべ、敵ではなく大切な人を目に映して戦っていたその少女の存在を、魔王は認めることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 剣が振り抜かれた。

 2つに裂かれた体の傷口から内臓や血液が飛び散り、地面へと落ちていく。傷口は異能の力で焼け、その熱によって幾つもの内臓に修復不可能なダメージを与えながら切り裂いた。

 

 どこかから響く神官の悲痛な叫び声。それを無視して魔王は飛んでくる彼に剣を──────

 

 

 

「言ったでしょ。アイツの、勝ちよ」

 

 

 確実な致命傷。それでもリスカ・カットバーンは魔王の剣を掴み、ほんの僅かな時間を稼いだ。

 

 それが決め手だった。

 音速を超えた超高速の砲弾と化した彼の肉体が、魔王に突き刺さる。衝撃で何もかもが吹き飛ばされ、遠のいていく中でリスカは確かに勝利を確信した。

 

「ははっ、すごいや。見えなかったなぁ……」

 

 最後の最後、あんまりに速く流星のように駆け抜けた彼の姿が視界に収められなかったこと。それが悔しいはずなのに、なんだか無性に嬉しくて。

 

 

 笑いながら、彼女は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 



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暁の魔王

 

 

 

 

 

「……っぅ」

 

 隕石でも落ちたみたいな周囲の惨状と、見たことない景色が目に入ってきて、すぐに何が起きたかは理解が出来た。

 魔王のものと思われる返り血が衣服を濡らし、立ち上がるのに普段よりも体に重さが感じられた。命を懸けた戦いが終わったという安堵が、その重さと共に心地よい疲労となって全身を駆け抜ける。

 

「勝った、のか……?」

 

 こうして目を覚ませたということはその可能性が高い。 まさか上手くいくなんて、俺ですら思いもしなかったが。

 俺が外したならば、リスカと俺は間違いなく魔王に殺されているはずなのだから。

 だが、安心はできない。魔王の死体を確認して、確実にトドメを刺したという確信が得られなければまだ俺達の勝ちではない。

 

『……あー、聞こえますか?』

 

「この声は……ホシ!?」

 

 声が聞こえた方向に目を向けても、そこにホシの姿はない。そこにあるのは、なにかの肉の塊のような蠢く物体だった。

 

「…………ホシー!? し、死んでる!?」

 

『あー……まぁはい。これは私の異の、祝福の応用みたいな感じなので本体は無事です。気にしないでください』

 

 こんがり焼けた肉の匂いがする物体からホシの声が聞こえてきている事実に少しだけ脳がおかしくなりそうだったが、ホシの声色が非戦闘時の穏やかなものになっていることに気付いてとりあえず俺も落ち着きを取り戻せた。

 

「とりあえず、勝った、のか?」

 

『はい。恐らくですけどね。周囲に貴方以外の生命反応もありませんし』

 

 明らかにただの肉塊だが、ホシは俺よりも周囲の状況を把握しているようだった。

 ギロンとスーイの力を借りて超高速の砲弾として魔王に突っ込んだ俺は、そのまま魔王と一緒に吹っ飛んでようやく止まったのがこの辺りな様子。周囲の悲惨な状況が、俺達が如何に高速で突っ込んできたかを如実に告げている。

 

「自分で言うのもなんだけど、よく俺無事だったよな。リスカの祝福って凄」

 

 そこまで言いかけて、表情のない肉塊ではあるが、それを通して俺と会話しているホシの表情が明らかに不機嫌なものになるのを感じ取ってすぐに口を噤んだ。

 

『着弾の瞬間までです』

 

「え?」

 

『リスカは負傷して、貴方が魔王とあつーい接触をしてすぐに意識を失って、同時に祝福の効力が途切れました』

 

「なんか言い方に悪意あるな……。ん、待てそれって」

 

 スーイが俺に施したのはほぼ加速用の術式だけだったし、ギロンに至っては力いっぱい押してきただけ。そして、俺の身を守っていたリスカの祝福が無くなれば、俺の体は当然高速移動になんて耐えられるはずのない普通の生身の体になる。

 

『咄嗟に私が貴方を守るためにそこの肉塊になっちゃってるものを貼り付けてあげなかったら、今頃ミンチですからね?』

 

「……ありがとなホシ。まさか、生きて魔王を倒せるなんて思ってなかった」

 

『何言ってるんですか。貴方を死なせるつもりは私達の誰にもないんです。死ねるわけないでしょう?』

 

「それもそうだな。ホシ達に俺が勝てるわけもない」

 

『そういうことです。わかったならさっさと戻ってきてください。スーイもギロンも、無理して動いてたみたいで今は気を失ってますし、私もリスカも似たようなものなので自分で歩いて』

 

 クレーターの様子からホシ達がいる方を見てみるが、最低でも地平線の向こう。同じく疲労困憊の体で歩く距離を想像してさすがに大きな溜め息が零れてしまう。

 

 だが、ようやく終わったのだ。

 言いたいことも言えた。やりたいこともやりきれた。だから、もう少し頑張ればいいだけ。そう思うと足に力が湧いてくる。

 

 足に力を込めて、その場から立ち去ろうと一歩、前に出す。

 

 

「そうだ、ホシ」

 

『どうしました? 迎えにはいけませんからね? リスカもなんだかんだ、重傷なんで』

 

「この肉塊って、ホシがある程度操れるんだよな? 武器の形とかにできるか?」

 

『……何故、ですか?』

 

 ホシの声に緊張感が戻り、それだけで俺のいるこの空間まで空気が張りつめるような感覚があった。

 

「いや、帰りの結構道のりが長そうだからさ。ここで野生動物に襲われて死んだりしたら嫌だし、何より杖代わりにもなる」

 

『うーん……声色から嘘はついてなさそうですね。分かりました。もうそろそろこの肉塊とは接続が切れそうなので、最後にやっておきますね』

 

 ではお気をつけて、みんな待ってますよ。

 

 そう言ってホシの声は聞こえなくなり、肉塊があった場所には一振の剣が置かれていた。

 重さは見た目に反して軽いが、かなり良く切れそう。軽く撫でた指の腹の皮が薄く切れている。それを確認してから俺は、進むべき方向から()()()()

 

 

 

「女の子を騙す時ばっかり声が優しくなって。あんな声で言われたら惚れてる相手ならそりゃあ信じちゃうだろうね。キミ、そういうところが嫌いだなぁ」

 

「ホシは意外とモテるんだよ。そもそもそういうのじゃねぇから。それに、女の子を安心させる為の嘘は男の勲章だって、アンタらに殺された父親から教わってるんだ」

 

 水が滴る音がした。

 相変わらず俺の目には生物の姿は映らない。ホシの言っていたとおり、この辺りの生き物は俺たちが突っ込んできた影響で逃げてしまっているのだろう。

 

 そして、魔王は死んだ。

 間違いなく、その命を仕留めた。

 

「魔王の次は不死王にでもなろうってのか?」

 

「魔王以外になるつもりもないし、今更なれもしない。それでも、ワタシはここで死ぬわけにはいかないんだよ」

 

 目の前に立っているのは、死体だった。

 片腕がちぎれ、頭部が欠けて脳漿が飛び出している。腹部には岩片や木片が幾つも突き刺さり内臓も零れ引きずっている。

 辛うじて繋がっている左腕に握られた剣を支えにして、立っていると言うよりは寄りかかり倒れるのをふせいでいる。

 何より、それだけの負傷をしているのに血がほとんど流れていない。まるで、もうその流れを作る心臓が止まっているかのように。

 

「リスカ・カットバーンは削ぎ落とすことにより究極の一にたどり着こうとした。なら、魔王であるワタシは何も捨てないことで究極の一になる。数多の異能を集めたこの体は、既に生き物と呼ぶには歪過ぎるものだった、ってことだろうね」

 

 それは間違いなく死体だった。

 それなのに、動いている。確かに魔王という個体の思考と記憶と、意志を持ち合わせている。

 

「殺したと、思ったんだけどなぁ」

 

「死んだって言ったじゃん。実際もう死に体だよ。肉体を維持するので精一杯。異能だって使えない」

 

「それ、俺に言っていいのかよ?」

 

「別にいいでしょ。だってキミ、ワタシよりずーっと弱いから」

 

 いつかの出会いのように、エオス・ダクリは俺を見下して笑っていた。

 その笑い方はリスカにそっくりで、それでいて何処か違っていて、見ていると胸が苦しくなる。

 

 暁の光に照らされたその少女の顔は、生存を許してはいけない宿敵と呼ぶにはあまりにも儚くて、彼女と出会ったあの日のことを思い出させる。

 

「……あの町で、魔王軍が行動するって知ってたんだよな。だから、俺を止めたんだろ」

 

「そんなんじゃないよ。キミには、なにか惹かれるモノがあった。自分で言うのもあれだけど、魔王であるワタシが惹かれる程の何か。そんな不確定要素をエウレアと引き合わせたくはないと思っただけ」

 

 嘘は言っていない。

 少なくとも俺にはそう感じられる。魔王とまで呼ばれた少女の腹の中なんて、俺なんかに読むことは出来ないのだから考えるだけ無駄かもしれない。

 

「はぁ……じゃあ、殺し合うか」

 

 ホシに作ってもらった剣を不格好に構える俺を見て、魔王は何がおかしいのか少しだけ笑っていた。

 

「なんだよ。こんなとこまで来て、そういう殺しづらくなる顔やめてくれよ」

 

「いや、よくそんなに割り切れるものだなって。キミはワタシに同情してる。親近感を覚え、善悪で言えば善の思考を持ち、できることなら殺したくないと思っている」

 

「すげぇな。全部当たってる」

 

「勉強したからね。……そして、その上で殺すことに一切躊躇いがない。はっきり言って普通の人間の精神構造じゃない」

 

「そりゃあそうだろ。真っ当な人生を送ってきたつもりなんてないからな」

 

 そもそも思い返してみれば、割と早くに両親が亡くなってその後はずっと旅をしていたわけで。

 両親が死んで、帰る場所を失って。あの日に俺は一度確かに死んだのだ。生物的な死ではなく、人間として一度そこで終わっていた。

 

 それでも、俺が今日ここまで生きてこれたのは出会いに恵まれたからだ。

 

 

 炎の中で助けなきゃいけないあの子の声を聞いて、ここで死ぬ訳にはいかないと己を奮い立たせられた。何も助けられない、何も出来ない無力な自分にも、価値があるものだと思い込むことが出来た。

 

 あの日、本当に命を救われたのは俺の方だったんだ。

 

 

「……やっぱ、今はそれなりに真っ当な人生を送ってこれたって思うかもな。良い幼馴染がいて、良い仲間がいて、良い師匠がいて、あと変なストーカーみたいなやつがいて」

 

「キミの旅は、楽しかったみたいだね」

 

「そうなのかもな。色んなやつに出会って、色んなやつに教えて貰って。一人前の人間にして貰えたんだ」

 

 だから今では胸を張ってこう言える。

 色んな人が殺されて、色んな悲しいことがあって、色んな辛い出来事があったこの世界が、この世界でした自分の選択が。その全てが大好きだと。

 

「じゃあ、ワタシを殺すのは世界を守る為?」

 

 魔王は俺に対してそう質問した。

 だから、俺はこう答えた。

 

 

()()()()()()()()()。世界なんてどうでもいい。お前が生きてたら、アイツが笑って生きられない」

 

「……そうだ。君はそういう人間だ。優しくて、非情で。でもやっぱり優しいんだ。だからこそ、未練の残らない選択をできる」

 

 

 魔族と人間。

 決して相容れない自分達。それでも言葉が通じて、心を持つ自分達ならもしかしたらって。

 

 

「リスカが、ホシが、スーイが、ギロンが。明日も笑顔で暮らせる世界にお前は───」

 

魔族(みんな)が尊厳を持ち、笑顔で暮らせる世界にお前は───」

 

 

 夢に見たような相互理解に唾を吐く。

 

 邪魔だから、殺す。

 譲れないから、殺す。

 

 己の欲望の為に、世界中全ての敵を殺し尽くしても構わない。

 世界すら滅ぼすその意志を持つものを、昔の誰かがこう名付けた。

 

 

 

 

 

 魔王、と。

 

 

 

 

 暁に照らされながら、二人の魔王が剣を交える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エオス・ダクリはどこにでもいる弱い魔族だった。

 弱いが故に群れから見放され、弱いが故に餌にありつけず、弱いが故に死ぬ。そんな普通の弱い魔族だった。

 

「なんだお前。そこは私の寝床なんだけど。……何、死にかけてんの? やめてくんない? そこで死なれたら寝心地悪くなるじゃん」

 

 レニヨンと出会ったのは、数週間ろくな食事にありつけなかったエオスが弱り果て、偶然にも彼女の寝所に転がり込んだことが始まりだった。

 

 

 レニヨンは卓越した剣技を誇り、人間魔族問わずに『剣鬼』として恐れられている魔族だった。

 近づけば何もしてなくても切り殺されるだの、同族からすらそんな風に恐れられている彼女。しかし、エオスから見たレニヨンと言う魔族はそんな噂とは違っていた。

 

「ほら、人間の肉だよ。……何って、保存してあるんだよ。別にいいから食え。ここで死なれた方が嫌なだけだよ。お前に死なれたら化けて出てきそうで怖いじゃん」

 

 そう言って、弱りきっていたエオスに食事をくれた。

 それどころか怪我の手当もしてくれたし、寝床も提供してくれた。最初こそ、エオスは素直では無いのだと思っていたが、どうやら本気で幽霊や霊魂と言ったものを信じ、恐れているのだと知った時は思わず笑ってしまったが。

 

「何か恩返しがしたい……? いや、そう言われてもお前くっそ弱いし足でまといじゃん。あ、待て泣くな! 悪かったから! あー、じゃあそうだな……まずは稽古だ。稽古つけてやっから、強くなってからな?」

 

 レニヨンは強くて長生きな魔族だったからたくさんのことを知っていた。

 剣術についても詳しく、人間の言葉や知識、法や習性。それからこの世界の色々なことを知っていた。

 

「お前も異能を持ってるんだろ? ならそれでどうにか……使い方がわからない? ……そういうやつもいるんだな」

 

 レニヨンは短気で怒りっぽく、それから短気で、あと短気で。いつもなにかに怒っているような魔族だった。天気にも気温にも空の明るさにも暗さにも、人間にも魔族にも、何よりエオスにも厳しかった。

 でも、優しかったとも思う。エオスはレニヨン以外の他人から優しくしてもらったことは無かったから、価値基準としての優しさは知らなかった。

 

 

 それでも、人間が記した概念としての『優しさ』を、自分がレニヨンに与えてもらっているものだと定義できた。

 

「ワタシ、レニヨンとずっと一緒にいたいな」

 

「何だ急に気持ち悪いな。私はごめんだね。お前とずっと二人っきりとか、寿命より先に子育て疲れでくたばりそうだよ」

 

「じゃあもっとたくさんの友達と一緒に、みんなでずっと一緒に笑いあえたらいい?」

 

「……いいんじゃねぇの。それがお前の夢なのか?」

 

「んー、わかんない。でも、そっちの方が楽しそうじゃない?」

 

 エオスは幸せだった。

 世界の広さも恐ろしさも、知って尚レニヨンと洞穴から見上げる空の色が好きだった。それだけがあれば何もいらないと心からそう思っていた。

 

 大切な人と、大切だと思える時間を許される限りずっと。

 

 それこそがエオスの幸福であり、それだけしかエオスは求めなかった。

 身に余る欲は破滅を招く。本能的にそういうものだと直感していたエオスが望んだのは、ほんの小さな、些細な幸せだけ。

 

 

 

 

 

 

 

「…………エオス。悪い。しくじった。私は、これから死ぬ」

 

 

 

 

 

 そう願った、次の日の事だった。

 それすらもお前には過ぎた願いだと言われたようだった。

 

 片腕を失い、全身の至る所から血を流して。焦点の合わない濁った瞳で帰ってきたレニヨンは、その日の夜に息絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は決して弱い人間ではない。

 それが人にできることならばなんだってしてきた。鍛錬だって怠らなかった。戦術についても学び、魔術に関しては才が無かったが対抗策を学ぶことは忘れなかった。

 彼を弱いと言う人間はそうそういない。だが、祝福や異能を持ち、技を極めた化け物達の戦闘に割り込める程ではない。

 

 

 対する魔王はその化け物そのものだった。

 確かに彼と同じく才能はない。だが彼女には異能があった。託された思いがあった。背負っている重さがあった。

 その重さに負けないように鍛え続けた少女の体は、いつの間にか限界の先の先の先。本来ならばありえないほど強靭に成長していた。

 

「はぁ、ッ、ァ、魔王のくせに、俺なんかと互角でいいのかよ?」

 

「ここまで死にかけの、ワタシ相手に、圧倒できないなんて。キミみたいな弱者がこの戦争を生き抜いたことが、一番の奇跡だろうね」

 

 魔王は既に死に体。

 ちぎれた神経、ひしゃげた骨、潰れた臓器。本来ならば死んでいるはずの体を幾つもの異能の力で無理やり動かして生きている、いや動いている死体そのもの。執念の化身とも呼べるその姿は、可憐な顔立ちを差し置いても悪鬼羅刹の如き圧を放っている。

 

「……もういいだろ。譲ってくれよ」

 

「何が、いいんだよ」

 

「お前の仲間は……みんな俺達が殺したんだ。これ以上、戦う理由はないだろ」

 

 魔王の剣からほんの少しだけ力が失われる。

 その隙を彼は見逃さず、緩んだ剣筋を自らの剣で逸らし、魔王の懐めがけて渾身のタックルを叩き込んだ。

 たかが人間の男一人の突撃。魔王と呼ばれた彼女が本来その程度でどうにかなるわけが無い。

 はずなのに魔王の体は面白いくらいに吹き飛んで、傷口から零してはいけない肉の塊が零れ落ちる。

 

「そう、かもね。もう戦う理由なんて無いかもしれない」

 

「なら大人しく死んでくれ」

 

「キミに殺されるなら悪くないかなって、本当に思ってたんだよ。でもさ」

 

 それでも、魔王は立ち上がった。

 

「やっぱりさ、許せないんだよ。ワタシの仲間達はみんな死んだ。ワタシも、もう既に死んでいる。負けなんだってわかっていても、許せないんだよ」

 

 

「ワタシ達が死んだ後、キミ達が幸せそうに暮らしているところを想像すると、悔しくて苦しくて、少しだけ嬉しくて。吐き気がするんだ」

 

 たった数匹の獣の集まりを文明を滅ぼすに足る軍勢にまで纏めあげ、その頂点に君臨した者。

 魔王と呼ばれた彼女の顔は、雨に濡れた少女のように涙に歪んでいる。とても彼女を魔王だなんて思えない。でも、だからこそ彼女は魔王になることが出来た。

 

「ベルティオは、花が好きだったんだ。本当は戦うことなんかよりも、花を育てて生きていきたいって言ってた」

 

「……リスカだってな、花くらい好きだよ」

 

「アグネは酒が好きだった。色々試して、自分で酒を作ったりもしてたんだけど自分の炎で一度全部ダメにした時はすごく落ち込んでてね、らしく無さすぎて悪いんだけど笑っちゃったんだ」

 

「ホシだって、酒が好きだよ。いっつも吐くほど飲んで後悔してるのに、何度言ったって酒の席ではいつも笑顔でガバガバと飲んで、吐いて、馬鹿だって思うけど、そういう時のホシは周りも笑顔にするからさ。あんまり強く言えないんだよ」

 

 お互いに自分が何を言っているのかも、相手が何を言っているのかもよく分からない。今のこの場で話すべきことでは無いことだけはわかっているが、止める気にもならない。

 体力の限界。剣を握る手が震え、ぶつかり合う剣戟の音すらも疲労が滲み出る中で、彼らは旅路を懐かしむように口を開いていた。

 

「グレイリアは騙すのは得意だけど、実は騙されやすくてすぐに嘘を吐くノティスと顔を合わせる度に喧嘩してたんだ。でも、ノティスは相手をからかうのが確かに好きなところもあったけど、よく相手を見てガス抜き程度に留めていてさ、本当に助かったよ」

 

「スーイもよく俺達のことを見てくれてた。無茶なこと言ったり、変なこと言ったり、本当によくわかんないことが多いけれど、アイツは絶対に俺達が無理なことは言わない……って、思えるような、よくわかんないけど、優しさを感じるんだ」

 

「それを言うならラクスやヒルカだってさ……」

 

「なんならギロンだって……」

 

「あ、ギロンは私も知ってるからいいよ。彼女、この世界で生きるのがとても苦しそうだったろ?」

 

「……ああ。それでも、アイツはすごいやつなんだよ。俺だったら、惚れたなんてただそれだけで全てを賭けられない。アイツは誰よりも純粋で、だからこそ複雑な世界は息苦しいんだ」

 

「そう……。あの子はキミという理解者を見つけたみたいだね。それなら、まぁ良かったかな」

 

 

 殺し合いの場に似つかわしくない思い出話、世間話。その中で魔王と彼はお互いにお互いを理解する。

 

 ああ、コイツは。

 この世界が好きなんだなって思えた。

 

 大切な仲間たちと出会えて、大切な時間を共有できたこの世界が好きなんだ。

 

 

 だからこそ。

 

「俺が」

 

「ワタシが」

 

 愛した世界に。

 仲間を苦しめた世界に。

 

 大好きで、壊れてしまえばいいと思う世界に。

 

 

「「オマエの愛は、邪魔だ!」」

 

 

 相手の世界を、思いを否定する。

 そんな世界滅んでしまえと、叫ぶように剣を振るう。

 

 きっと目の前の敵は優しいやつだ。

 きっと目の前の敵は悲劇を許さないやつだ。

 

 だからこそこんなに心惹かれた。

 だからこそ有り得もしない『もしも』を思い浮かべた。

 

「もしも、キミが魔王軍にいてくれたら」

 

「もしも、お前がリスカの友達になってくれたら」

 

 きっとワタシは君を愛した。

 きっと俺はお前を好きになった。

 

 けれどそんな言葉は必要ない。

 ここにいるのは魔王と魔王。世界を滅ぼす意志を持ったもの達。

 

「死ね、死んで! お願いだから死んでよ! そしてワタシ達に道を譲れ! 世界も、文明も、何もかも! 人類(オマエ達)より上手く使ってやる! 発展させてやる! 幸福にしてやる!」

 

「文明とかなんていくらでもくれてやるって言ってんだよ! リスカを、傷つけんなバカ!」

 

「足元に爆弾が埋まった世界で安心して暮らせるわけないだろ! 勇者が殺されることで、ようやくワタシ達は安寧を得られる、勝利に到れる!」

 

「なら死んじまえバーカ! リスカが死なないと得られないような安寧になんて、クソほどの価値もねぇんだよ」

 

「あんな……あんなワガママでどうしようもない女の命が、命を含む全てを賭けても皆が得られなかったものよりも、価値があるわけないだろォ!」

 

「ワガママでどうしようもなくてもいいところもあるんだよ!」

 

 相手に勝ちたいと、心の底から思えない。

 お願いだから倒れてくれ、死んでくれ、譲ってくれと願いながら戦っていた。殺意と怒りと涙でぐちゃぐちゃの顔で剣を振るっていた。

 

 

 そう言えば、あの日もワタシは泣いていたなぁ。

 エオス・ダクリはいつかの涙を思い出した。

 

 

 

 

 

 

「ごめん、やっぱり負けられないや」

 

「そうかよ」

 

 既に去っていった仲間達の思いを胸に、魔王は未来に向けて剣を振るう。

 今此処にある愛を胸に、彼はその未来を阻む為に剣を振るう。

 

 

 金属が砕ける音が響き、刃が肉を抉る感触が手に広がる。

 地面に血が撒き散らされ、手から刃が滑り落ちる。静寂が広がり、夕日が世界を赤く染めあげていく。

 

「……終わりだ。魔王」

 

 彼は魔王の腹にさらに深く剣を切り込みながらそう告げた。

 数多の異能の力を失い、自らの剣を破壊不能にする『金剛不穢(オンリ・ジンギ)』の力すら無くなった魔王の剣は度重なる戦闘の疲労から摩耗し、ホシの肉体から作られた剣との打ち合いの末に破壊された。

 

 剣を失ったその瞬間の隙。

 叩き込まれた一撃は間違いなく致命傷だった。

 

 

「──────あ」

 

 

 致命傷。

 絶対の勝利の確信。

 

「キミは、祝福も異能もない。だから、仕方ないことだよ。『殺して終わり』なんて、そんな常識的な戦い方するわけないだろう」

 

 魔王と同じように致命傷を負いながらも、リスカ・カットバーンの片足を塵にした魔族が居た。

 頭を完全に粉砕されたにもかかわらず、ギロン・アプスブリ・イニャスの眼球を奪った魔族が居た。

 下半身が消し飛ばされようとも最後の瞬間まで魔王の為に尽くした魔族を、龍骸精霊は知っていた。

 

 彼らのように精神の力だけで肉体の死を瞬間的に克服した存在を知っていたのならば、彼はここで確信を得ることは無かったかもしれない。

 だが、彼は凡庸な人間だった。

 彼が戦えるような敵の中で、殺しても死なないような者がいなかった。ただそれだけの理由。

 

 

「ワタシの勝ちだ。勇者くん」

 

 

 魔王は既に死んだ肉体が『魄異粛清(エオス・ダクリ)』で集めた異能の複合作用により奇跡的に動いている死体。致命傷を与えようが、肉体が致命的に破壊されない限りは動き続ける。

 最後まで魔王の目を見続けて戦った彼だからこそ、魔王が既に死んでいるという事実が戦闘の中で頭から抜け落ちた。

 

 回避や防御を取るよりも早く、魔王の渾身の蹴りが彼の腹に突き刺さる。

 全盛期の全力ならばこの一撃で彼の肉体が柘榴のように弾け飛んでいたが、既にちぎれかけている足から繰り出される蹴りの威力は、その数十分の一もない。

 

 それでも普通の人間一人が受けるものとしては十分過ぎる威力だった。

 彼の体は吹き飛ばされ、背後の木にぶつかって止まる。痙攣する横隔膜で必死に呼吸をしようとしたが、一気に空気を押し出されたことによる酸欠と後頭部の強打。そこに先程までの激戦の疲労。限界を迎えた彼の意識は闇の中に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギロン! 血を止めてって言ってるでしょう!? ちゃんとやってください!」

 

「やってますー! 下手に移動を奪いすぎると全身の血流止めちゃうんですわよ! ……あぁ、傷口の大きさから考えられない量の血が出てますし、組織が壊死を繰り返してるし、なんなんですのこれ?」

 

「魔王のヤツめ、リスカを道連れにするつもりだったんだろう。最後に全身全霊の呪いを刻んでいったみたいだ。リスカじゃなかったら、治療の暇すらなく全身が腐り落ちて死ぬ事も出来ない奇形に変生させられてただろうね」

 

 うるさいなぁ、と思いながらリスカは目を開ける。

 目に映ったのは、黄昏の空。いつかの海辺でみたものとそっくりな、闇と光の狭間の空の色。

 

「……リスカ!? 目を覚ましたんですか!?」

 

「ホシ、なんか、お腹痛いんだけど。私何が……」

 

「喋らなくて、大丈夫ですよ。何も心配しないでください。絶対に死なせてなんかやりませんから」

 

 いつも憎たらしい言葉しか吐かないホシが、妙に自分に優しい。

 ギロンもスーイも見たことない表情で必死になにかしている。それが何故なのか、リスカは考えようとしたが頭が上手く回らない。

 

「えぇ……私死ぬの?」

 

「そうならないように頑張ってるんだからあんまそういうこと言わないでもらえます!?」

 

 ホシの口調は間違えてホシが楽しみにしていた酒瓶を叩き割った時よりも怒りに満ちていて、リスカは大人しく口を閉じることにした。

 

 それに、言葉は今は必要ないだろう。

 みんなの顔を見れば自分が今ここで死んだとしても死なせて貰えないことくらいわかっている。

 

 そもそもせっかく魔王を倒したのだ。こんなところで死ぬわけにはいかない。

 

「まだやりたいことがあるからさ、死なせないでよ」

 

「──────あぁ。君の人生はここからだ。ちょっと痛いかもしれないけど、くたばらないように気をつけてねリスカ?」

 

「まぁ最悪死にそうになったら妾が無理やり心臓動かすんで、五回くらいまでなら死んでもセーフですから気楽に構えててくださいまし?」

 

「リスカ今本当に死にそうなんですからね? わかってますギロン?」

 

「でも妾も一回死んだしリスカなら五回は無理でも一回くらいなら……」

 

 会話を聞いているとちょっと心配になってくるので、リスカはこれから訪れるであろう治療の激痛に備える意味も含めて遠くの空を見つめることにした。

 

「……流れ星」

 

 黄昏から夜に変わりゆく空から、一つの星が流れ落ちた。

 願い事を唱えるにはあまりにも速すぎるその速度。気がついた時には星は消え果ててしまっている。

 

「──────」

 

 気がつけば何故か、リスカは彼の名前を口にしていた。

 空を駆けて燃え尽きるように消えてしまう星にその姿を重ねたのか、或いは別の理由か。

 

 その理由を見つける前に、リスカは抗いがたい眠気に再び襲われて目を閉じる。

 再び目を開けることが出来るという確信はあった。だから、流れ星に願うことはただ一つ。

 

 

 どうか、彼が無事でありますように。

 

 

 泡のように儚いその願いを、神様が聞き入れたかどうかは誰にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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そして彼女は少女に戻る

 

 

 

 

 レニヨンは強くて賢い魔族だ。

 勝てる相手には確実に勝つし、数の力で不利を悟ればすぐに逃げる。そうやって各地を転々として生きてきた。

 

 だからレニヨンだけなら、殺されることどころか怪我だってほとんどするはずがない。

 エオスは無知なりに、彼女がこれから死ぬ原因が自分にあることを察知していた。

 

 

「エオスはさ、私のことを見ても怖がらなかったよな」

 

 レニヨンの傷は深く、何をどうやっても血が止まらなかった。

 それでも何とかしようと必死に足りない知恵を絞ったが、当時のエオスの知識と力では、致命傷を負った仲間を助ける手段はどこにも存在しなかったのだ。

 

「こんな時に、なに言ってるの……?」

 

「こんな時だからだろ。これから先、私はもうお前に言葉を伝えることは出来なくなる。だから、今全部言うんだ」

 

 言葉を一言漏らす度に命が削られていく。誰よりもそれをわかっているはずのレニヨンは、一切躊躇わずにその残された時間の全てをエオスの為に使うことを選択した。

 

「私は、言葉も強いし見た目も傷だらけで恐ろしい。魔族とか人間とか問わず、誰も好んで近づいたりしなかった。別にそれでいいと思ってたのにさ、お前が現れちまったんだよ」

 

 自分のことを怖がらずに近づいてくれたエオスに心の底から救われたと、レニヨンが子供のように語った。

 

 でも、それは違った。

 エオスは当時あまりに幼かった。警戒心も恐怖もなかった。だから目の前の存在が恐ろしいということも、理解できなかっただけだった。

 

「だからなんだよ。お前がどう思ったとか、どうだったとかは関係ない。私を救ってくれたのはお前なんだ。だから、私は……」

 

 泣き腫らしたエオスの涙を指で拭い、それからもう一度笑って。

 

 

「お前の夢の果て、気に入ったよ。私もそこに連れてってくれ。色んなやつと笑顔で手を取り合えるような、そんな、所でさ。──────お前と一緒に笑いたいよ」

 

 

 レニヨンという魔族の命はそこで終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ……?」

 

 半ばで折れた剣を手から落とし、魔王はその場に倒れ込む。

 あと数歩で気絶している彼の元に辿り着き、その命を刈り取ることができるはずなのにその距離を縮めようとすると体が突然言うことを聞かなくなる。

 確かに瀕死の重傷。だが、既に生物学的な要素で体を動かしていない自分にとってそんなものは関係ない。足がちぎれていない限り歩き続けることが可能なはず。

 

 何故、と疑問が浮かんだ魔王の目に映ったのは自身の腹に切り込まれた刃。

 彼が最後に魔王の腹に叩き込み、勝利を確信したが故に敗北した原因そのもの。

 

 

 ──────この刃の素材は何だ? 

 

 鉄では無い。

 そもそも、彼の装備のほとんどは自分と共に吹っ飛んだ際に破壊されているはず。ならばこの剣は、誰が彼に与えた? 

 

 

「ホットシート・イェローマム……!」

 

 

 この剣は恐らく彼女の肉体の一部を使って作られた剣だ。『死体を操る』彼女の異能によって、死体が姿と材質を変えて作られた剣。

 つまりこれはホットシート・イェローマムを構成する一部に他ならない。既に彼女の制御を離れていようと、これは彼女の一部なのだ。

 

「死体を操る……なるほど、まさか、こんなところで詰みになるとは……」

 

 彼女の残留思念のようなものだろう。

 ホットシート・イェローマムが最も守りたいと考える人間の危機に際して、その思念が外敵を排除するために行動を起こした。

 

 異能『生禍燎原(アポスタシ・サテライト)』は死体しか操ることは出来ない。

 

 だが、今の魔王の状態はどうだ? 

 心臓は動いておらず、血液も体を循環せず、致命傷を負っても動き続ける異能によって生かされた動く()()

 

「……剣を抜こうとしても、体の制御が出来ない。そりゃあ、死体の動かし方は向こうに一日の長があるに決まってる。……あの子を残していた時点で、ワタシの負けだったみたいだ」

 

「よく分からねぇけど、そうみたいだな」

 

 地面に倒れ込んだ魔王を、彼は見下ろしていた。

 手には魔王が取り落とした、彼女の剣の残骸を握りしめ呼吸を整えながらその体のどこを刺せば動かなくなるかを探る。

 

「その剣で、ワタシを殺すの?」

 

「腹に刺さったその剣が、いまお前が倒れてる理由だろ? ならそのままにしてこっちで殺した方がいい」

 

「合理的だね。……その剣は、ワタシの大切な、ワタシの勇者の遺品なんだ」

 

「……ッ」

 

「なんだ、さすがに躊躇うくらいの情けはワタシにもあるのか」

 

 この剣で殺されることは、魔王にとってあまりに耐え難いことだろう。

 彼女にとってやるべき事、仇敵と定め殺すことを目標にした勇者(リスカ)という存在。

 それだけの敵に冠せられた『勇者』という称号を、躊躇うことなく口にした。果たして魔王にとってそれがどれだけの意味を持つのか。

 計り知れないからこそ、彼の手は動きが鈍った。

 

「……ごめんな」

 

「何をだよ、今更同情?」

 

「いいや」

 

 涙の浮かぶ瞳を拭い、世界の破壊者に相応しい瞳を露わにして彼は魔王の命に狙いを定める。

 

 

「こんなことで躊躇っても、苦しませるだけだもんな。今楽にしてやる」

 

「敵へのせめてもの情け、ってところ?」

 

「そんなところだ」

 

 

 

 そうして刃が振り下ろされる。

 半ばで折れたその剣から、魔王は目を逸らさなかった。

 

 レニヨンという魔族が振るい、今日まで自分を守り続けてきてくれたその剣を見て、走馬灯のように自分の原点を思い返す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レニヨンを失ってからエオスはとにかくまず強くなることを目標にした。

 なんでそうしたか、と言われたら世界にとって『損失』があったからだろう。レニヨンは強く、賢く、美しい魔族だった。そんな彼女が自分を守って死んでしまったのは、損得で言えば損になってしまう。

 彼女の選択が世界にとってそんな結末になってしまうのが嫌で、それだけがエオスにできる抵抗だったから。

 

 レニヨンの残した手帳を必死に読んだ。

 いつかこうなった時のために、自分の為にレニヨンが考案してくれた剣術のいろはが描かれているそれを見て、エオスは更に自分が嫌いになった。

 

 レニヨンはなんで自分なんかを助けてしまったんだろう。

 だって釣り合わない。エオスがレニヨンにできたことなんて、住処の掃除くらいなのに、レニヨンはエオスにあらゆるものをくれた。

 

 生きる場所をくれた、生きる手段をくれた、生きる楽しさをくれた。

 生きる為の何もかもを与えてもらったのに、エオスは何も返せていない。

 

「なんで、怒ってくれなかったの」

 

 もしも最後の言葉が恨み言だったなら楽だった。

 後悔を抱えて、それでも生きることが出来た。でもなんで、感謝の言葉なんて残したんだろう。なんで夢を語ったんだろう。

 

 あんなこと言われたら死ぬ事も出来ない。悲劇に酔うことも出来ない。覚めた頭でずっとずっと考えなければならない。

 

 

 

 

 

 さらに月日が経ち、エオスの周りには数匹の魔族が集うようになった。

 

 理由はかつてのレニヨンとエオスの関係と似たようなものだ。

 自分では身を守ることが出来ない弱い魔族がエオスに庇護を求め、エオスがそれを拒まなかった。それだけの理由だ。

 

 この頃のエオスはそれなりに強くなっていた。

 あの日からずっと振るっているのに壊れることの無いレニヨンの剣と共に各地を旅してひたすらに強さを求めていた。

 

 

「ありがとう、また助けられちゃったね」

 

 

 そんなふうにお礼を言われる度に複雑な気持ちになっていく。

 かつての自分を思い出して、レニヨンのことを思い出して、泣き出しそうになってしまうのに。

 

「ふ、ふへへ……え、そんなにワタシって頼りになる? かっこいい? リーダー的存在?」

「いやそこまで言ってないけど?」

「そんな謙遜しなくてもいいって。えへへ……」

「……面倒臭いなエオス」

 

 頼られることはやっぱりちょっと嬉しかった。

 いや、正直めちゃくちゃ嬉しかった。褒められたいし尊敬されたい。なんなら崇められたい。自分が思うよりもずっとエオスは承認欲求の塊の生き物だった。

 

 ワタシが笑って、みんなも笑って。

 そういう時間がすごく大切で。

 

 

 

 

「ごめんね、足引っ張ちゃって……でも、エオスならきっと───」

 

 

 

 また一人いなくなって、またひとつ背負った。

 

「エオスのせいじゃねぇだろ。気負うなって。魔族は人間を喰い、人間はそれに抵抗する。当たり前のことだ」

 

 それはそうだ。

 魔族は人間を喰らう種族であり、万物の霊長たる人間はそれに抗い魔族を殺す。自然界の在り方であり、弱肉強食の結果が闇夜に紛れる自分達と文明を発展させた人間。

 

「確かに人間は文明を持つが、俺達にだって継承の仕方や価値観が違うだけで文明はある。魔族とは、人間の思考に寄り添った捕食種だ。人間に近く、それでいて遠い、はるか太古から継承してきたその意思に、正しいもクソもあるものか。俺はこれを継承することを生きることと定義した」

 

 生命活動を続けることだけが生きることではないと教えてくれた者がいた。

 種族として残せたものが優劣を決めるなら、間違いなく人類が最優の種族だ。生きるべき種族だ。

 

 でも、ワタシが言いたいのはそういうことじゃないんだろう。

 

「人間のことって、嫌いにならなきゃいけないのかな? だって僕が助けた人は、僕を助けてくれた人は、きっと優しかったと思うし。そりゃ、捕食種と被食種なんて手を取れないし、向こうが嫌いになるのは分かるけど」

 

 あぁ。やっぱりそうだ。

 人間に傷つけられ、血を流し過ぎて回らない思考でエオスは答えを出した。

 

 ワタシは、人間が嫌いなんじゃない。

 ワタシは、魔族が好きなんじゃない。

 

 

 

「おや、目を覚ましたのかいアンタ」

 

「……ワタシ、魔族ですよ」

 

「だからなんだい。私は私が助けたい命を助けただけだ」

 

「今からアナタを殺して喰いますよ」

 

「構わねぇさ。食って喰われて、文明をちょっと発展させたくらいで人間は自分達がそれから抜けたと思い上がってる。私が好きにしたようにアンタも好きにしな」

 

「……ありがとうございます。答えが出ました」

 

「そうかい。アンタ、名前は?」

 

 

 それはかつて人間がとある魔族に付けた名前。

 魔族を束ね人類の全てを喰らわんとした悪意の王。

 

 ワタシはそんなモノになれないし、なるつもりもない。

 レニヨンほど剣脳でもないし、アルシフォンほど深い見識もない。チノのような優しさも、ディーファのようなカリスマ性もない。

 

 無いものばかりで、欠陥品で。抱えた不具合(異能)ばっか大きくて、本来持っているべきものを取りこぼしている半端もの。

 

 

「エオス・ダクリ。夜明けの涙、新しい世界に君臨する──────魔王だ」

 

 

 人間が嫌いだからじゃない。

 魔族がすきだからじゃない。

 

 ワタシが好きな者が、ワタシが愛した者が、そして何よりワタシが笑顔になれるように。ただそれだけのために世界を変える。

 ただそれだけの為に、この世界の全てを覆す。ワタシの友人達にはそれだけの価値があると、この世界の価値すら定める神に向かってだって叫んでやる。

 

「人間の書物が欲しいって、どれくらい? ……えぇ、全部って。あの町の図書館の本全部!? 何のために?」

 

 敵情視察は魔王として当然だから、知れる知識は全て頭に詰め込んだ。

 

「降参降参! もう俺っちの負けでいいって。何時間打ち込むつもりだよ……は? 俺っちで8体目!? お前何日これ続けてんの!?」

 

 強くなければ多くの魔族は付き従ってくれない。なら一番強くなるのが手っ取り早い。幸いにも、ワタシに剣を教えてくれた者はこと剣術においては最強の魔族だと今でも思っている。

 

「異能に興味があるんですね!? いやぁ、貴方みたいな魔族もいてよかった。異能という力を持つ魔族は精神的に不安定なことが多いんですが、これは生育環境によるものというよりは、異能そのものにそう言う性質があると言った方が良いでしょう。魔族が持つ異能は、必ず所有者を不幸にする。人間のように文明的な保護がない以上、過剰にその力を外部に出力してしまう結果だと言うのが私の見解です。いやぁ、魔族ってみんな狩りにしか異能使わないから研究が捗らなくて……え、えぇ!? 人間が使ってた研究所潰したから譲ってくれるって!? 私何も返せませんよ!?」

 

 色々なことを知っていけば、何が必要なのかもわかってくる。

 人間の判断、動向を察知する頭脳。歴史から判断するための知識、単純な力、背が高い方が威厳が出る。話し方も変えた方が威厳が出る。力。

 

「つまり精神の病気ってこと? 病気なら治るんだよね?」

 

「まぁそうですけど。そんなノウハウ、魔族にないですよ。環境もないですし」

 

「……精神病なら、人間の本で見たな。うん、人間の文明乗っ取るか?」

 

「え?」

 

「手っ取り早いでしょ。魔族を最も殺すのは人間だ。みんなが死ななければ、時間さえあればどんな傷だっていつかは塞がる」

 

 

 時間も力も何も足りない。だから命を削った。

 随分と前に貰った異能で、睡眠も食事も随分と必要な量が減っていた。減らした分だけ全てを利用する。

 それでもまだ足りない。世界を変えることが許される為には、こんなものじゃ足りない。

 

 

「……俺は炎だ。何もかも焼き尽くす。もとより何も無ければ失うものなどない」

 

「意固地だな! 寂しいなら寂しいって言え! ワタシが、ワタシ達が! キミの守りたいものになる! キミを守るものになる! だから言え! キミは何が欲しい!」

 

 好きな相手に我慢して欲しくない。

 もっと望んでいい、我儘でいい。無茶でいい。ワタシがそれが叶う世界を作ってみせる。

 

 キミの炎がいつかその紅蓮を誇りに思えるように。

 キミの手が当たり前のように花を愛でることが出来るように。

 キミの愛がもう一度何も融かさずに純粋に誰かに向けられるように。

 キミの迷いがかけた時間に相応しい素晴らしい出口を見つけられるように。

 キミの空がその分だけよく響く衝撃を見つけられるように。

 キミの火がいつか誰かの孤独を温めてやれるように。

 キミの虚に、全てを破壊してしまうそれを肯定はできなくとも少しでもその空腹を埋めてやれるように。

 

 

「魔王様がそんなに頑張る必要って、本当にあるんですか? 私は今でも幸せだから、だから……」

 

「ごめんねノティス。それはダメなんだ。まだワタシは、ゴールに辿り着けてない」

 

 

 どうして己の身を犠牲にしてまで、そんな夢物語に固執するのか。

 傍から見ればワタシはみんなの為に命を削っているように見えるらしい。実際そうではあるのだけれど、それは違うのだ。

 

 本当ならずっと昔。

 レニヨンに出会う前にワタシは死んでいた。

 

 でもワタシは彼女に助けられた。

 空っぽだった生きる屍が彼女に生き物にして貰えた。愛することを教えて貰った。生きる方法を教えてもらった。愛することと、愛されること。願いと異能(おもい)を受け継いで。

 

 大好きなキミが笑えるようにと。

 優しいみんながワタシに託していったこの願いが、こんな中途半端で終わっていいわけがない。

 

 だってこの世界に、大好きな相手と一緒に笑うこと以上の幸せなんてないのだから。

 

 大好きなみんなと笑い合うことが出来る世界を望んで、そこに辿り着くための覇道こそが魔王の夢だった。

 

 

「世界を全部ひっくり返して、新しい暁で泣くほど笑ってやるんだ!」

 

 

 そうして彼女にこう言いたい。

 ワタシの笑顔に託していったみんなにこう伝えたい。

 

 

 アナタ達の夢は、理想は、それに相応しい最高の笑顔で結実したんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シアおばあちゃん」

 

「は?」

 

「最初に好きになった人間の名前」

 

「……え。おばあちゃん?」

 

「ノーディアラ、カムル、ハナ。みんなワタシが好きになった人間の名前だよ」

 

 まるで年頃の女の子みたいに、魔王は顔を真っ赤にして大真面目そう言っていた。

 

「なんなんだよ。お前、本当に何が言いたいんだよ」

 

「最後の言葉さ。ちゃんと聞いていけよ」

 

 魔王の頭に剣を叩き込んだ。

 折れた剣でもそれは刃だ。生き物の肉を裂き、骨を割り命を蝕むには十分な勢いがあった。

 

「忘れたのか? ワタシは死体だ。徹底的に破壊しなきゃ、そりゃあ喋り続けるさ」

 

 なのに、魔王は消えてくれない。

 手に残った確かな殺害の感覚と現実の食い違いに思わず胃液が漏れそうになるのを彼はなんとか抑え込む。

 

「タチが悪いぞ。大人しく、死んでくれ」

 

「それが出来る体じゃないんだよ。黙らせたいなら口を壊せばい」

 

 すぐに刃を口に振り下ろして、何度も何度もそうやって顔をぐちゃぐちゃにして。

 

『……と言っても、口が潰れても喋れるんだよねワタシ』

 

「ははっ、さすが見た目だけ人間に似てるバケモノだな。なんでもありかよ……クソが」

 

『ごめんね。それでもさ、忘れて欲しくないんだ。どこかの誰かに、ワタシ達がどんなふうに生きて何を思って、何のために生きていたのかを覚えていて欲しい』

 

「なんで俺なんだよ。俺なんか、何もねぇだろ! 弱くて情けなくて、切り捨てないと大事なもんも守れないから、大事なもんをできるだけ少なくして守れた気になってる馬鹿野郎だ! そんな俺を──────」

 

 

 彼の叫びを聞いて、魔王はようやくそれらしい笑顔を作った。

 キミがワタシに似ていたから。キミは諦めて、ワタシは諦めなかったけれど。

 キミとワタシは真逆だったから。キミは切り捨ててでも選べた勇者で、ワタシは捨てることすら出来なかった臆病者だから。

 

 

 多分この言葉が、一番の本音だ。

 絶対に幸せになんかしてやるものか。キミ達にハッピーエンドは渡さない。

 

 

 

『キミのことも、好きだったよ』

 

 

 

 最期にその屍肉は笑った。

 どういう意味だと問いかけた。なんで今言ったと怒りを吐いた。お前なら、それを選べたのかと縋りついた。

 

 始めからわかっていたことだったんだ。

 彼は普通の人間で、彼女は魔王。もう二度と、彼はその名前を忘れることは出来ない。彼女が背負った数多の夢の存在を消すことは叶わない。

 

 その夢の正体が、己の根幹と全く同じ感情であるという事実から目を背けることは許されない。

 

 

 

 勝敗なんて、誰の目から見ても明らかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔、ワタシを助けてくれた人間がいた。

 キミと出会ったのは彼女の息子が住むという村にふと足を運んだ時だ。

 

 魔獣の被害に困っていると言っていたから助けてあげて、ついでに一緒になった人間が彼だった。

 

 凡庸で弱くて、そのくせに頑固で。でも純粋なところもあって、困っている人を見過ごせなくて。好ましい人間だった。

 

 剣術を褒めてくれて、レニヨンが褒められてるみたいで嬉しかった。

 変なところで子供っぽくて、こっちもつい大人気なく子供っぽく張り合ってしまって。

 

 キミとの時間は楽しかった。

 キミという人間を好ましいと思った。

 

 魔族の為には人間という種の文明を最低限滅ぼす必要がある。だからきっとキミもどこかで、魔王軍との戦いで命を散らすことになる。

 

 

『この先にある街。そこにキミが寄るのだとしたら……キミはそこで死ぬことになる。どうかこれだけは覚えておいて』

 

 

 矛盾していることはわかっていた。

 ワタシが魔族だから魔族の友達が多いだけで、人間の全てが嫌いなわけじゃない。

 でも、一番多くの友達を笑顔にするためには人間は邪魔過ぎる。自分で望んだ道だったのに

 

 

『悪い。この先に大切な人がいるかもしれないんだ。だから、俺は行かなきゃならない』

 

 

 忠告を無視した訳ではない。

 ワタシの忠告が真実だと考え、その上で進むことを選択した。

 

 大切な人の為に、恐怖も不安も全てから目を背けて戦う意志を持って一歩前に踏み出した。

 

 ……アグネもそういう奴だ。

 ベルティオもそういうところがあるし、シュライとかデールンも、ジャスもシバリュアもそういう奴だった。

 

 レニヨンも、絶対に認めないだろうけどそんなやつだったのだから。多分これはワタシの大好きな特徴の一つなんだろう。

 

 

 この感情が好きだった。

 粘ついていて、誰かを絡め取り動けなくしてしまうこともある呪いとも言えるこの感情。

 だってワタシはこれのおかげでワタシになれた。どんなに醜くて歪んでいて汚れていても、この感情がきっと世界を回すのだから。

 

 

 あぁ、好きだなぁ。

 誰かのためにそんな純粋な目で走り回れて。

 

 それがワタシに向けられてないのはほんの少し寂しいけれど。どうか敵である彼の行先に良いことがありますようにと祈る。

 敵だから嫌うなんて、そんなことができるほどワタシは器用な魔族じゃない。

 

 好きになったものを諦められず。

 恋が多くて愛が多い。

 惚れっぽくてどうしようもない。

 

 そんな女の子の何度目かの一目惚れで。

 

 

 何度目かの、ありふれた失恋と離別のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく、何もかもが終わったのに俺の心は全く晴れていなかった。

 俺が選んだ道。俺が選択した死。俺が、殺した命、奪った世界。本当にそれだけの選択をする程の価値が俺にあったのか? 

 

「お前は、どんな世界を見ていたんだろうな」

 

 歩く度に道の先が暗くなっていく。

 信じた道のはずなのに、こうも暗いとなると己の正しさを信じきれなくなる。

 

 自分が強い人間だと自惚れていた。

 そうすれば守れると、勝てると思っていた。

 

 でも本当の強さを前にして自分の愚かさと小ささを知った。本当に、俺なんかが壊していい世界だったのだろうかと、思わずにはいられない。

 

 重くて苦しくて、どうにかなってしまいそうだった。

 あんなに沢山のものを何も切り捨てなかったなんて想像もつかない。俺が、4人に絞ってなんとか背負い込めた気になっていた『世界』の重さが、何万倍にもなってのしかかってくる。

 

「あっ」

 

 石に躓き、体勢が傾く。

 もしも今倒れたらもう二度と立ち上がれないような気がして、思わず恐怖で固く目を閉じる。

 

 

「…………っ、あれ?」

 

「はぁ……間に合った」

 

 

 柔らかく、それでいて芯の通った赤い髪の毛が目に映る。

 顔色が青く、今にも倒れてしまいそうな覚束ない足取りで必死に俺が倒れないように、幼なじみの彼女は俺を支えてくれていた。

 

「全部、終わったのよね」

 

「……あぁ、終わったよ。終わらせた。終わらせてしまったんだ。俺が、選んでよかったのかな?」

 

 俺は強くない。

 断ち切ることもできない。

 呑み込み糧とすることもできない。

 紐解くこともできない。

 喰らい尽くすこともできない。

 

「違う。アンタが一人で選んだんじゃないの。私達が、みんなで選んだの。だから、お願い」

 

 夜が明ける。

 暁の光が照らした彼女達の顔は、みんながみんな宝石のように輝いていて、泣き出しそうに笑って。

 

「一緒に背負って、歩いていこう。私が貴方を支えてあげるから」

 

「そうですよ。私一人じゃ、きっとゴールにたどり着けませんし」

 

「君の歩き方はあまりに拙いから、まだまだ私の助けは必要だろう?」

 

「妾はその背負ってるもの含めて、全部欲しいんですもの。一人で持ち逃げなんて許しませんわよ?」

 

 追い従う者としてではなく。

 遠くに輝く星としてでも泣く。

 寄り添い支え合う者として、大切な人達がそこにいた。

 

 

「みんな、生きてるよな……?」

 

「見ての通り、全員元気に死に損ないましたよ。リスカとか、正直私は諦めかけてましたけど貴方の名前だしたらなんかすぐ治りましたし」

 

「ちょっとホシ! それ言わないでって言ったじゃん」

 

「普通に人体の限界超えてたからね。正直気持ち悪かったね」

 

「致命傷負ったならちゃんと死なないと致命傷に失礼だと思いますわね」

 

「アンタも心臓止まってたの私は忘れませんからね? どいつもこいつも、命をなんだと思ってるんですか」

 

「一番命を冒涜してるのはホシじゃありませんこと?」

 

「私は生きとし生けるものは全てに慈悲深い完璧神官ですが?」

 

 いつもと何も変わらないみんなが、いつものようにくだらないやり取りをして怒って、笑って、少しだけ泣いている。

 ただそれがわかっただけでもう十分だった。そりゃあ、山ほどある後悔とかが消えてなくなる訳ではないけれど、今はこれでいい。

 

 

「それじゃあ、帰ろう。勇者の凱旋なんだから、ちゃんと胸を張ってさ」

 

「……あぁ。帰ろう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………それからしばらく歩いて。

 疲れたからひと休憩している時に、なんかみんなが俺をハブってコソコソとお話を始めていた。

 

 みんなの心が繋がった雰囲気があったのに俺だけハブるの酷くない? と思ったけれど、女の子4人に対して男は俺だけなので何も言うことは出来ない。と言うか、俺よく今までこの男女比で旅ができてたよな。

 

「うーん、やっぱりそうなりますねぇ」

「そういえばゴタゴタしてて忘れてたけど、そういう話だったもんね」

「まぁ今は異論はないですわね〜」

「よし、じゃあ決定ね」

 

 普段喧嘩ばかりのくせに、内緒の話はあっさりと意見が一致したようだ。

 リスカが俺の方に戻ってきて、肩を叩いて一言。

 

「その、魔王とか色々あって有耶無耶になってたけど。改めてアンタに言いたいことがあるの」

 

「え、い、いいよ……ああいうのは、一回で十分だし。みんなの前はやっぱり恥ずかしいし」

 

「…………勘違いしてるところ悪いけど、もっと前の話よ」

 

「え?」

 

「アンタ、追放だから」

 

 

 

 ……そう言えば忘れてたけど。

 俺、追放されたんだったわ。

 

 

 

 

 

 

 









次回、エピローグです。





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勇者は従者と一緒にいたい

 

 

 

 

 

 

「今年もまた、この日が来ちまったな……」

 

 憂鬱な気分を隠すことも出来ず、沈みきった声を漏らしながら誰も入っていない墓に花を添えて祈る。死体はスーイが徹底的に燃やした後にホシが分解し、一応ギロンに食わせたのだから残っているはずもない。なんでギロンに食わせたんだっけ。

 

 まぁとにかく、だからこの墓は形だけであり殺した本人である俺が祈るのも何もかも間違っている。

 そもそも、俺なんかに祈られても魔王は毛ほども嬉しくないだろうが。別に魔王にどうこう思われたくてやってる訳でもない。

 

 祈りたいから祈る。

 最初はそれに思うところがあって毎月のように悩みながらも花を添え祈っていたが、もう三年も経てばさすがに気持ちも整理出来てくるというもの。

 

「アンタも飽きないねぇ。三年近く毎月、決まった日にその墓に祈って。結局誰の墓なんだい?」

 

「大っぴらに言えるやつでは無いですよ。でも、アンタも知ってるやつですよ、()()()()

 

「こんな偏屈な老人と知り合いのやつなんかろくな奴じゃないだろうさ。祈られたって嬉しくないだろうからやめちまいな」

 

「かもですね。でも、俺がやりたいからやってんですよ」

 

 シアさんは皺が深く刻まれた顔を少しだけ緩ませて微笑み、俺に四通の手紙を手渡してきた。

 

「これは……?」

 

「アンタ宛にって届いたんだよ。世捨て人の私が言うのもなんだが、アンタ友達いたんだね」

 

「ちょくちょく外出してるじゃないですか! ……て言うか四通か。四通かぁ……」

 

「なんだいそんな頭を抱えて。まさか全員女かい?」

 

「多分そうですね」

 

「…………くたばりな、女の敵。ちょっと近づかないでくれる?」

 

 シアさんは露骨に俺から距離を取り身を守るように己の体を隠す。さすがに俺にだって選ぶ権利はあると思うんだ。

 

 ……まぁ、手紙の相手も理由も何となく分かる。

 だからこそ読むのが怖いわけだけど、内心ちょっと嬉しくもある。

 

 なんてったって三年ぶりだ。

 今でも鮮明に思い出すことの出来る旅路を共にした仲間達との時間が、封を切ると共に溢れ出て…………。

 

 

『座標把握完了。簡易転移陣の強制生成を始めます。領域外に出ると人体が切断される可能性があるため動かないでください』

 

 

 封を切ると同時に、俺の肉体は結界でおおわれ徐々に光り輝き始める。

 うん、なんか嵌められたなこれ。視線をずらすと憐れなものを見る目でこっちを見てくるシアさんと目が合った。

 

「…………まぁ、なんだ。いってらっしゃい」

 

「はい……いってきます」

 

 転移陣が完全に起動し、同時に俺の視界がホワイトアウトした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三年前、人類の生存圏を脅かしていた恐怖の象徴である『魔王』が討たれたという知らせが世界中に轟きました。

 

 人類は参戦可能な最大戦力である『勇者』の大量投入を以て魔王軍との最終決戦に赴き、この知らせが来たものだから皆初めは喜びましたが、すぐにその表情には不信や不安が張りついてしまいました。

 

 

「魔王は私が殺しました。死体は……このバカが食べちゃったのでありません」

 

「いやー申し訳ありませんわね。美味しそうだったのでつい」

 

 

 何せ帰ってきたのはそんなことを嘯くたった四人。

 それも素行不良で有名な『切断』の勇者のみだったのですから。

 

 それから時間が経ち情報が入ってくる度に、人々はますます不安になっていきました。

 決戦の地は激しすぎる戦闘から文字通りの更地になり、魔王どころか他の戦死者の死体すら見つからない始末。

 加えて唯一の生き残りである四人の証言も曖昧。

 

 切断の勇者は「魔王を殺した」以外ほぼ何も語らず。

 魔術師は「私はただ彼らの戦いを一歩引いた場所から見ていただけ」としか言わず。

 唯一まともな戦況を語ってくれた……匿名希望のとあるデカ女はペラペラと自分が魔王軍幹部としてその行動に協力したこととかを明かしたせいで追われる身になってどっかに行っちゃいました。

 

 私もちゃんと答えて報告書を出したんですが、読んだ人が溜息をつきながら首を傾げてばかり。

 読解力が低かったんですねきっと。ええ、そうでしょう。何故か私の言葉がリスカやスーイより信頼がなかった気がしますけど気の所為です。

 

 そういうわけで、各地の魔王軍残党が討伐されるか自然解散していき、あれこれの処理が終わったのは一年後。ようやく正式に魔王が討ち取られたことを確認こそ出来ないが認めざるを得ない状況になり、人類は実感のない曖昧な勝利を手に入れたのです。

 

 曖昧で、不確かで、実感もなく。

 勝利を掲げた英雄ではなく、確かに現実として少しづつ建て直されていく営みを見て、人類は勝利したという現実を知る。なんともまぁ、英雄譚にするには味気のない勝利でしたけれど。

 

 

 さて、それから私達がどうなったという話でもしましょうか。

 

 

 ギロンはまぁ、先も語った通り正直に全部話して追われる身になってしまい連絡もつきません。

 どこかで元気に魔王軍の残党見つけて戦ったり、サバイバルしながら生きてるとは思います。何せ、あれでも王女なので死んだら死んだでそれなりに大事になるはずですし。

 

 スーイは魔王の生死を確かめるためのゴタゴタの中で、いつの間にか姿を消してしまっていました。

 と言っても、無責任と言うよりはこれ以上の混乱を避けるためでしょう。何せ、龍骸精霊(ドラコ・エルフ)の生き残りなんて御伽噺の存在は実在したって混乱の元にしかなりません。

 だからって「あとはよろしく」って書き置きだけ残して痕跡一つ残さずに消えたのは絶対許しませんけど。

 

 リスカは……相変わらずです。

 ギロンとスーイはさっさとどこかに消えちゃったので、やっぱり私はリスカとずっと一緒に居ることになりましたけれど、魔王は私が殺したって言い続けてそれ以上否定も肯定もせず、不器用に意地張って、時間が経つのを待ち続けています。

 

 ちなみに可愛いホシちゃんは神官を続けようと思いましたが、禁酒って言われたのでやめてサクッと医師免許獲得して今は医師名乗っています。

 これで怪我した時は以前のように、以前よりも完璧に治してあげるので期待していてくださいね。

 

 

 ……近況報告が長くなりましたが、それだけ伝えたいことが貴方には沢山あります。

 今更隠すつもりもないですが、私は自分から口に出せるほど素直でも自分が好きでもありません。だから、事実だけを淡々と書きます。

 

 私は貴方のことが大好きです。

 何もかもに絶望して、終わりを求めていた私のその絶望すら覆してくれた貴方。

 貴方と、貴方達との旅で私はこの生がとても美しいものだと思えるようになりました。だから、まだ私はこの生を終わりにしたくありません。

 

 もっともっと愛してください。

 私が、いつか本気で命の終わりを後悔できるように。

 死にたくないと、心の底から思えるような楔をもっと深く、私の心に打ち込んでください。

 

 

 貴方にいつか助けて貰った、ボロボロの魔族より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、ホシに頼んだこの手紙が君に届いているかは可能性としては割と五分五分だと思う。ホシってばガサツなところあるし。

 でも、彼女のお人好しさに賭けて、届いている前提で話をしよう。

 

 端的に言って、私は人の営みの中に入ることは出来ない。

 もとより人は自分とは違うものを排除しようとするし、構造も法則も何もかも違う私なんて最たる例だ。私が、人の営みの中で安らぎを得ることはできっこない。

 

 元々そんな風にして、できるだけ人間の文明とは関わらずに生きてきたんだ。師匠を失った時の悲しみが大きすぎて、関係を持つことに臆病になっていたのもあるだろう。

 

 

 単体で完結して、完璧だった私は理解できない君達の心を知った。

 そして、君がその彗星のように己の身を燃やし輝かしく生きて、尾を引いて空に軌跡を残すようなその在り方に、恋をさせてくれた。

 

 

 君達は龍を地に落としたんだ。

 だから、ちゃんと責任を取って欲しい。

 

 君なら知っているかもしれないが、君を愛している女達はみんなとびっきり性格が悪く、世界を覆せるような厄介な悪女達だ。

 

 だが、断言しよう。

 

 私達なんかよりも君の方がよっぽどタチが悪い。

 リスカみたいなめんどくさい女にずっと優しくし続けたら拗れるに決まっているだろう。執着するのもいいが、前にも言った通りどう思ってるのかは伝えあえ。

 今回の一件でお互いに言いたいことは言わないと伝わらないと痛いほど学んだだろう。

 せっかく不完全なんだ。せっかく、追いついたんだ。肩を並べて、支え合った方が人間らしくて美しい。

 

 ホシみたいなめんどくさい女は絶対に一歩引いた場所に行きがちになるから、ちゃんと手を掴んであげた方がいい。

 器用だが、自分を騙し続けられるほどではない子だ。思わせぶりな態度、なんていつか絶対あの子はボロが出る。なんで出ないかってそんなの好きだからに決まってるだろう。勘違いとかじゃないからちゃんと攻めてあげた方がいい。君、君自身が思ってるより数百倍モテるからね? 

 ホシは愛することには慣れているが、愛されるとなると感覚が鈍くなる。私達の中である意味最も無知で純粋なんだ。私の一番弟子として、しっかり教えてあげるといい。

 

 ギロンは言うまでもないだろう。

 貪欲でどうしようも無い獣だ。彼女の進む道は絶対に破滅しかない。クジラが陸に上がれば自重で潰れるように、彼女は絶対にいつか自滅する。私たちの中で最も狂っているのが彼女なのだ。あの魔王ですら、彼女を救うことは諦めた程に。

 だが、君は彼女に餌を与えた。愛することの強さと、弱み。その中で得られるモノ。彼女という獣が今日まで生きてこれたのも、こんなにおかしな生き物になってしまったのも君のせいだ。しっかり最後まで餌は与え続けたまえ。

 いつか来る破滅すらも、もしかしたら彼女は君となら乗り越えてしまうかもしれない。

 

 

 そして、私は自分で言うのもおかしいが最も人間離れしている。

 しかし一つ言えるのは君のことが大好きだ。私は人を愛することを師匠に教えて貰って、人を愛せることを君に教えて貰った。だから間違いない。私は君のことを愛している。

 だいたい私みたいな強欲で傲慢な龍の前で、そんなに宝石のように煌めくなんて。龍は宝物を溜め込む生き物なんだからね? もう私は絶対に君を失いたくないし、片時も離れたくない。

 

 ……でも、私は師匠だからね。

 かっこよくて美しくて、でも弟子に支えてもらわないと時々ダメになっちゃうような、私の憧れた師匠に似ている、そんな君の師匠なんだ。

 

 だからどうか、もう少しだけ見守らせて欲しい。

 君と、君達と一緒に生きてみたいんだ。

 

 

 君の師匠より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この手紙が届いている頃、きっと妾は……まぁ元気でしょう。妾最強ですし。

 お久しぶりです。色々言いたいことはありますが、そこら辺はホシ辺りが几帳面に書いてくれるでしょう。あの子死ぬほど字が汚いので正確に伝わるかは分かりませんが。

 

 というわけで妾は色々あって現在追われています。

 ぶっちゃけ証拠は残していないんでまぁはぐらかし方はあったんでしょうけど、ちゃんと妾の強さとか認めてもらいたかったから、反省はしてるけど後悔はしていません。

 

 そう言えば、貴方と会った時の妾は魔王軍幹部でしたわよね。

 あの頃と比べて、世界を救った妾はあなたの好みの女性になったでしょうか? 

 

 いえ、こういうのが正しいでしょうね。

 

 貴方の好みは妾のような女性になったでしょうか? 

 

 なったならばそれは結構。貴方はますます妾の好みの男性になりましたし、今すぐにでも籍を入れましょう。

 なっていないならばそれも結構。妾はまだまだ美しくて強い女になるつもりです。覚悟して、楽しみに待っていてください。

 

 さて、元から美しい妾ですがさらにそれに磨きがかかった理由ですが、もちろん知りたいですわよね。

 それは、あの旅がとても楽しいものだったからです。誰かと時間を共有し、思い出を共有し、背中を預け戦う。

 そんなもの手段のひとつでしかないと思っていましたけれど、なんだかんだ楽しくて色々な経験がありました。

 

 くっだらなくて、綺麗じゃなくて、笑ってしまうようなそんな時間。

 生憎、妾はそう簡単に満足する人間ではありません。もっともっと、このくだらない旅を続けたいと思ってしまっています。

 

 だって楽しかったんですもの。

 偏屈で意地っ張りなあの勇者様と、腹黒くて献身的な不器用な神官と、自分勝手なくせに他者中心的なめんどくさい魔術師と。

 それと、覚悟が決まっているくせに調子に乗りやすくて、そのくせ臆病なところもある、顔も背中もかっこいい貴方。

 

 

 ……と、ここまで書きましたが妾文通とか苦手なんですわよね。

 コミュニケーションで大事なのは面ですわよ。特に貴方みたいに顔が良い人間はせっかくなんですから使うべきですから。

 

 

 魔王様は妾が決して満足することがなく、妾のことを他人が理解出来ることは無いと言っていました。多分それは正しかったと思います。

 妾はあの方の言う通り、卑しい獣で今でも愛や恋やを理解していません。大切だという気持ちも、表面上だけで本心では欠けていて空虚なものだと思います。

 でもまぁ、妾が本当にそういうものが手に入らないのか判断するにはまだ早いと思うことにします。魔王様ですら、貴方だってずっと迷って生きてるんですから。

 これから先、ずっと先の未来でいつか自論の答えを二人で話せる時が来たらいいなって思っています。

 

 長くなりましたが言いたいことは一つ。

 

 妾の気持ちは変わっていませんので、後悔する準備でもしておいて下さいませ? 

 

 

 

 ギロン・アプスブリ・イニャスより、想いを込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして貴方に手紙を書くのは、初めてだと思います。

 

 気持ちの話はもう散々したので、まずこうして会うのが遅くなったことの理由について語りたいと思います。

 

 貴方を追放した時言った通り、魔王が倒れたあとは様々な面倒事が待っているでしょう。

 勇者という勝利の証を掲げ、復興の象徴にしたりとか。もしかしたら魔族を根絶やしにするべくまた戦いが始まるかもしれません。魔王軍との戦いでの各国の優秀な兵士や私と同じ『勇者』の死者を考えれば、どこも勇者という戦力は欲しいに違いないでしょう。

 

 私は、そういったモノに貴方を巻き込みたくありませんでした。

 

 私はずっと後悔しています。

 貴方は弱くて、私達と共に戦うべきではない人でした。優しくて、非情になりきれなくて、そんな貴方に魔王を殺させてしまったことを、ずっと後悔していました。

 貴方が私に戦って欲しくなくて戦っていたのも、貴方が私を愛してくれていたのもわかっています。

 

 でも、私だって同じように、それ以上に貴方のことを愛しています。

 ホシもスーイもギロンも同じです。もしかしたらふざけた手紙を送っているかもしれません、とくにギロンが。

 でも、それぞれやるべき事をやって、本当の意味で戦いをしっかり終わらせて、それからもう一度会いたい。みんなその一心で頑張っています。

 

 ホシは医師として各地を飛び回り、傷ついた人々を治療し続けています。

 

 スーイは実は商売を始めて、経済を回しながら各地の復興の支援をしてくれています。

 

 ギロンは……分からないけれど、魔王軍の残党が貴方の所にいかないようにわざと居場所を撒き散らしながら逃げ回っているんだと思います。多分。

 

 私達はパーティですから。

 それぞれ役割を分担して支え合うものでしょう。貴方は弱くて役に立たない雑魚なんですから、どうか私達の帰る場所としてまたいつか笑顔で迎え入れる準備をしていてください。

 

 貴方は確かに世界よりも私達を選んでくれました。

 繰り返しますが、私達だって世界なんかよりもずっと貴方が大切なんです。

 アンタにも分かりやすく言うなら、散々今までカッコつけてきたんだから少しくらい私達にもカッコつけさせてってこと。

 

 

 最後に、言いたいことがあります。

 

 私だってそりゃあ追放してね? こんな本音の文章書いて、あれこれしてたら三年も経っちゃって、大好きだけど気まずいのは分かるけどね? 

 

 全身全霊で隠遁するって何? 確かに私達がアンタは戦後の面倒事に巻き込まれたら大変だからどっかで隠居してろって言ったけどスーイがそこら中駆け回ってホシが聞き込みしまくってようやく居場所が見つかるって、アンタどんな隠れ方してるのよ? 

 アンタの知り合い、誰一人としてアンタの居場所口にしなかったんだけどどんな人望してるの? 馬鹿なの? 勇者なのに人望ない私への当て擦りなの? 

 

 

 ……とにかく、言いたいことは山ほどあります。

 だからもう一度会いましょう。本当はもっとかかると思っていたけれど、準備が整いましたしそろそろ我慢の限界です。

 

 

 というわけで、覚悟しろばーか。

 

 

 

 リスカ・カットバーンより。

 PS.パパとママもアンタのこと心配してるからあとで一緒に挨拶にいくわよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……ぉぉぉぉぉおお!?」

 

 変な声を上げながら、俺は咄嗟に受身をとって勢いよく地面を転がっていく。

 転移したと思ったら猛スピードで中空に放り出されたのだ。勢いを殺しきれずに強打した腰を擦りながら顔を上げる。

 

「あ、転移されてきましたよ! 座標ズレてるじゃないですか!」

 

「座標がズレてるんじゃない。私達がズレたんだ。私がそんな初歩的なミスするわけないだろ」

 

 聞き慣れた懐かしい声がする。

 いつもの神官服ではなく少しサイズの大きな白衣を身に纏っているホシと、フードを外し青空のような長い髪の毛とその中から突き出した長い耳をそのままにしているスーイが何かを言い争っている姿があった。

 

「二人とも。……久しぶ」

 

「そういうのいいですから! とにかくこっち来て! ギローン! こっちです!」

 

 三年ぶりの再会の感慨に浸る間もなく、ホシが俺の手を引いて走り出す。

 そして叫ぶと同時に空から竜車が落下してきて、俺たちの目の前に着地する。

 

「ちょっと、さすがに今のは無理があったでしょ……あー! ほらホシが持ち込んだ酒瓶が割れて私の服が!」

 

「文句があるならリスカがやれば良かっでしょう。貴方なら竜車ぶん投げて飛び乗って移動とか余裕でしょうし」

 

「そもそも今追われてるのアンタが原因なんだからね!? 反省しなさい!」

 

 中からはなんとも間に入りたくない喧嘩の声が聞こえてきて、ちょっと乗るのを躊躇ったがスーイに背中を思いっきり押され、投げ込まれるようにして中へと入れられる。

 

「ギロンも、久しぶりだな……はははっ……」

 

「ええ、お久しぶりですわね。あら、前にも増してイケメンになりました?」

 

 ギロンは整えられていた髪を乱雑に纏めあげポニーテールにし、なんだか随分とワイルドになった気がするがこっちの方が彼女らしくもあり、以前と変わらず不思議と高貴さが滲み出している気がしなくもない。

 

 そして、もう一人竜車の中には先客がいた。

 

 いつものように不機嫌そうに口を尖らせ、眉を曲げて苛立ちを隠そうともせず指先でトントントンと、決まったリズムで自分の二の腕を叩いている。

 以前よりも少しだけ伸ばされた夕焼けのような真っ赤な髪の毛と、紅がさされた唇。戦闘のことを考えられた動きやすさ重視の服ではなく、赤によって際立つ白肌を惜しげも無く晒した、少し大人びた姿。

 

 

「久しぶりね。相変わらずどん臭そうで安心したわ」

 

「リスカ、その、今どんな状況?」

 

「端的に纏めるとみんなで集合したのにギロンが追手引っ掛けてきたせいで揃ってお尋ね者になってます」

 

「なんで!? なんでギロン追われてるの!?」

 

「なんでって、そりゃあ……」

 

 ホシが何かに気づいたような顔をして、少しだけ顔を青くしたように見えた。

 

「貴方、私達の手紙読みました?」

 

「読もうと思ったら急にここに……そういえば手紙、どっか行っちゃったな」

 

「……読み終わったら転移するように仕込めって、言いましたよね私?」

 

 ホシがスーイの襟首を掴み引き寄せ、笑顔のまま問い詰めるがスーイは表情一つ変えず、面倒くさそうに一言。

 

「……だって、いざ書いたら恥ずかしくなって」

 

「だってもクソもないでしょう! おかげで何が起きてるかよくわかってないアホ面が召喚されちゃったじゃないですか!?」

 

「ねぇ、俺ってそんなアホ面?」

 

「時と場合によりますけど今は大分アホ面ですわね」

 

「そっかぁ……」

 

 ホシはいつも通りため息と怒声を繰り返していて、スーイは何を考えているのか分からない微笑を浮かべ、ギロンは何か機構のような物をいじりながら干し肉を摘んでいる。

 背後から怒声が聞こえて、なんとなく主にギロンが追われているのはわかったが、この速度ならほぼ間違いなく逃げ切れるだろう。

 

 

「ねぇ、ちょっと待って」

 

「ん? どうしたリスカ」

 

「なんでアンタ達みんなそんな普通にしてるの? 三年よ? 三年も時間が空いたのよ!?」

 

 他のみんなと顔を見合せて、そういえばそうだということを思い出した。三年って結構長かったな。

 

「確かに、会ってない時は寂しかったですけど。会ってみたらなんて言うんでしょうね……」

 

「しっくりきすぎて、まぁ色々いっかってなっちゃった」

 

「やっぱこの5人ですわよね〜。あ、リスカは馴染めない感じなら抜いてもいいですわよ?」

 

「アンタ達とは違うのよ! 私は……色々考えて、なんて言ったらいいかとか、いっぱい、いっぱい考えたのに!」

 

 顔を真っ赤にしてリスカは腕を振り回している。

 動作だけ見れば可愛らしいが、相変わらず『切断』は健在なので巻き込まれたホシが切り刻まれているのでやめてあげて欲しい。幾ら本人が大丈夫そうでもかなり心が痛むから。

 

 俺も確かに、この三年間は色々ずっと考えていたし、また会った時にどうしようかとかずっと考えていた。

 でも、実際会ってしまったらそんなことを考えている余裕もない。ハチャメチャで、俺なんかとは全然違う価値観や思考を持っている凄いヤツら。

 

 何か言葉で例えようにも何も思いつきやしない。

 結局俺はみんなが大好きで、この時間と空間が心地よい。世界を滅ぼしてでも、これだけは守りたかったのだから。

 

「積もる話もあるでしょうが、今は逃げることを考えましょう」

 

「行先どうする? 私、北の方に行きたいんだ。あとそれからここも見たいし、ここも行きたいし、あとはあとは……」

 

「旅行気分ですねぇ。実際そのつもりで妾も来たわけですけど」

 

 地図を広げてスーイが目を輝かせているのを見るに、やっぱりこのまままた旅に出る感じみたいだ。

 俺、なんも準備とかしてないんだけど。とは言えこの四人がいるなら俺が何か事前準備するよりも100倍マシで、100倍ハプニング塗れの旅になるだろうから何を準備しても意味なんてないだろうが。

 

「……アンタ、随分肝が据わったわね。昔はあんなに弱かったのに」

 

「リスカこそ、丸くなったじゃないか」

 

「言いたいこと、色々あるけれど。……これから私達は旅に出るわ。世界をもっと見に行くの」

 

 全員が前を見て、見たことの無い世界に目を向ける。

 風が竜車の中に入り込み、髪の毛が揺らめき熱を持った頬がほんの少しだけ冷やされた。

 

「あんたが良ければ、またパーティに入れてやってもいいわよ?」

 

「……え? 何俺が言わされる側なの?」

 

 なんとなくリスカが何を言わんとしているかを察して他のみんなに助けを求めるように視線を送るが、全員笑ってそっぽを向くだけ。

 

 だが仕方ないだろう。

 リスカ・カットバーンは勇者なんかじゃないのだから。

 

 どこにでもいる、なんでも器用にこなすくせに正直になれなくて、面倒で自虐的で、どう触れていいのか分からない剣のような───。

 

 

 

 ───俺が恋した女の子だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと、追放してやりたかった。

 

 戦って欲しくないと思ったし、そばにいて欲しいと思った。

 傷ついて欲しくないと思ったし、それでもその勇姿に恋焦がれた。

 

 だから、この追放を巡る物語はようやくここで終わりを迎える。

 

 

「もう一度、俺をパーティに入れてくれ」

 

「せいぜい足引っ張らないように、頑張りなさいよね」

 

 

 今までもこれからも色々なことがあって、 きっとその度に悩んで苦しんで、貴方が居なければと思って、突き放したくもなってしまうかもしれない。

 私達はあまりに歪で歪んでいて、きっとまた間違えて誰かが傷つけたり、自分を信じられなくなるかもしれない。

 

 でも、これからは逃げずに向き合おう。

 突き放すのではなく、ちゃんと傍に立って逃げずに貴方が背負うものを見て、私が背負うものを見てもらって。

 

 

 そういう風に、貴方と共に生きていきたいから。

 

 

 

 

 

 

 

 












これにてこの作品は完結です。
ここまで応援ありがとうございました。
勇者と従者のお話はこれでおしまいですが、彼らの物語はまだきっと続くと思うのでまたいつかどこかで。





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After Story
魔術師は従者と探したい






メリークリスマス更新です。
今日からぼちぼちと週一位のペースで更新出来たらいいなという感じで更新します。色々あったみんなの緩いその後の話なので気軽に見ていってください。





 

 

 

「……と言うわけで、飛行術式を人間の形で安定させるには実は重要なのは出力じゃなくて制御と安定の話であり、如何にして術式を乱れなく長期的出力させることと、外部からの干渉に常に対応出来る即時性であってだね」

 

「さすがスーイは賢いなぁ。ところで俺これ聞いても意味ある?」

 

「そもそも単身飛行ならまだしも、飛行物体を飛ばすとなると必要なのは魔術だけじゃないだろう? 設備も人員もまだまだ足りない。残念ながら人間の資源は無限じゃないんだ。つまりは多くの人間が協力する必要がある。ならば、知識は可能な限り共有しておく方がいいだろう。この世界に無関係なことなんてないんだから」

 

「なるほどなぁ。ところでその話今する必要ある?」

 

「無いよ」

 

「そっかぁ」

 

 翼を広げて空を飛ぶスーイに羽交い締めにされる形で空を飛んでいる俺は、とりあえず地面が遠いなぁと思いながら下を見下ろして現実逃避することにした。

 

「ところで俺、なんでこうして拉致られてるの?」

 

「拉致じゃないよ。ちゃんとリスカには許可を取った」

 

「俺の意思が挟まってないんだよね」

 

「いいじゃないか。どうせ付いてきてくれるんだろ?」

 

 そりゃあそうだが、それはそれとして一言くらい何か言うべきだろう。

 朝起きたらいきなり行くよって言われてとりあえずおう、って答えたらそのままノータイムで今に至るんだもん。さすがに今回は俺にも文句を言う権利があるはずなのだが……。

 

「わかってるだろ。私には『コレ』がある」

 

 そう言って自慢げにスーイが俺に見せつけてきたのは、『何でもする券』とリスカの字で書かれた紙切れだった。

 

 遡ること1年ほど前。

 この券はリスカによって作られ、ホシ、スーイ、ギロンにそれぞれ一枚ずつ渡されている。

 

 ちなみにこの券は発行したのはリスカだが、言うことを聞かされることになるのは俺なのである。よく考えたら何かおかしい気がしなくもないが、現実とはいつだってこんなものだ。

 

「そんで、わざわざそんなモノ使ってまで俺に何を頼みたいんだ?」

 

「これから一ヶ月、私との旅に付き合ってくれ」

 

「……別にいいけど」

 

 正直、何言われるかビクビクしていた。

 腕一本位までなら仕方ない、くらいには思っていたのに、スーイの口から出てきた頼みを聞いて思わず。

 

「そんなことでいいのか?」

 

 そう言ってしまう。

 だって、そんなの頼まれなくたって全然行ってやっていい。わざわざ命令してまで行うにしては、なんと言うか、こう、軽いような気がする。

 

 

 スーイは人間ではない。

 細かいことは知らないが、とにかく人間では無いらしい。

 

 人間よりも強く、人間よりも賢く、人間よりも長生き。人間の作る理に縛られることない、原初の生命の一つ。

 つまり彼女が今こうして俺と並んで会話したり、以前のように一緒に旅をしてくれていたりしたのは全て彼女がそう望んでいるからに他ならない。

 

 現に一度、彼女は『そうしたい』で俺を拉致監禁しようとして来たことがある。

 しかも魔王軍との戦いの最中に。あの時は本気でもうダメかと思ったくらいに怖かったものだ。

 

 

「つまり、君は私がこんな券なんかに頼らず力づくで君を攫えばいいと、そう言いたいのかな?」

 

「あ、いやっそうじゃなくてね? 別に、一ヶ月と言わず旅なんて、命令されなくても付き合ってやるし」

 

「そういうこと言っちゃうかぁ……。うーん……君ほんとさぁ、ほんと……はぁ……」

 

 スーイは最近は外していたフードを被り直して、そっぽを向いて何やらブツブツと呟くだけで何も言ってこない。と言うか今どうやってフード被ったんだ? 俺を羽交い締めにしたままどうやって? 

 

「………………」

 

「………………スーイさん? 師匠? 何か、言いたいことが?」

 

「……はぁ」

 

「……いやほんとごめんなさい! カッコつけました! ホントはさすがに一ヶ月急にとか厳しいです! すいません!」

 

「よし。君ほんとそのカッコつけるくせやめた方がいいよ。もう大人なんだからさ」

 

 せめてパーティメンバーであるみんなの前でくらいカッコつけていたかった。

 

 そうやって昔はむちゃくちゃやってたが、今考えると本当に馬鹿だったと思う。

 それで救えたものが確かにあった以上後悔こそしていないが、今同じような蛮勇ができるかと言えば首を横に振るしかない。

 

 昔はコイツの為なら死んでもいい、みたいなことを簡単に思えた。

 今はそう思えないのは、成長なのか退化なのか。

 

「いや私は昔の君のことも好きだけどね? そういう発言、勘違いとか起こしかねないし。ね?」

 

「わかってるから! ほんとすいません! もうカッコつけたりしないから」

 

「それはそれで寂しいけどねぇ」

 

「もうやだ……たまに自分の発言思い出して泣きたくなるんだよ。特にノティスには謝りたい……マジで寝言吐いてすいませんでした」

 

「……君、めちゃくちゃダサくなったよね」

 

「せめて大人になったって言ってくれ……」

 

「うん……そうだね。大人になったねぇ」

 

 スーイは俺を抱えたまま器用に手を動かして体の各部位をさすってくる。

 

 背が少しだけ伸びた。

 髪は少しだけ短くした。

 体重は増えると思ったけれど、思ったより変わらない。

 顔の彫りは深くなったような気がする。

 

 そんな風に変わった俺。

 相変わらず変わらないスーイ。

 

 彼女が何を考えて、()()()()()一ヶ月も旅をしたいなんて言い出したのか。俺にはその真意は読めなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旅って言ったじゃん! 旅って言った! スーイの嘘つき!」

 

「何を言ってるんだい、嘘ついてないよね私?」

 

「そうですね。今から始まるのは楽しい空の旅ですから!」

 

 じゃあなんで俺は今こうして席に縛りつけられているんだよ。

 ここから始まるのは旅とかじゃなくて拷問とかの類だろ。なんでヘルメット被せられて手足を拘束されてるんだ俺は。説明をしてくれよ。

 

「ていうかそっちの子誰? スーイの知り合い? ドラゴン? エルフ?」

 

「私に人間の知り合いがいるって選択肢ないの?」

 

「いるの?」

 

「リスカとかギロン」

 

 それしか居ないのはいないのと変わらないだろ。

 

「私も入れてくださいよスーイさん! この、天才飛行魔術師リーン・コメーティアを☆」

 

 俺とスーイの間に割り込んできて、やかましいほどにスーイに抱きついて頬を擦り寄せている女の子はまだ成人しているように見えないほど幼く。生糸のような柔らかな髪の毛を雑に二つに纏め、ネジやら何やらをヘアピンのように刺しているその子の顔には、何となく見覚えがあった。

 

「リーン……リーンって、あの時の女の子か!」

 

「忘れてたんですかお兄さん!? リーンちゃん的には、お兄さんが初恋だったんですけど!?」

 

 以前、まだ世界が魔王軍との戦いで荒れていた頃。

 とある街で俺達は魔族との戦闘になった。幸いにも魔王軍の幹部が街に到達する前に、リスカが幹部を討伐。その他にも皆のおかげで被害は最小限に留めることが出来たが、街にはそれなりの被害が出てしまった。

 

 リーンちゃんとはその時に出会った。

 魔王軍幹部の攻撃によるゴタゴタで両親とはぐれ、俺とスーイは彼女の親を探すことに手を貸した。

 

 最終的にはスーイが一人で見つけてしまい俺は何も出来なかったのだが。まぁその時にあった女の子だ。

 

「いやぁ随分と大きくなったな。元気だったか?」

 

「見ての通り元気も元気。今では学院の方で特待生やらせてもらってます」

 

 そう言いながらリーンちゃんは胸をドン、と叩く……が。言葉通りに元気に随分と育った胸の肉に吸収され、不格好な音が小さく弾むだけとなり、胸を叩いた本人が胸を抑えて蹲ることになった。

 

「……それで、スーイ。何をやらせようとしているんだ?」

 

「リーンは学院では既に飛行魔術の分野の権威と言ってもいい。私は昔の縁で彼女の研究を手伝ってるんだ」

 

「そういう事です!!! スーイさんは私に空を教えてくれた方です! そして貴方は、私に光を与えてくれた恩人! 私の見る空を、一番最初に見せたかったんです!」

 

「俺そんなことしたっけ?」

 

 本当に記憶に覚えがないからそう言ったのだが、リーンちゃんは何言っているんだと言わんばかりの顔で俺を見てくる。

 だって、俺がリーンちゃんと過ごした時間ってホント一瞬だったし。そもそもリーンちゃんの親を見つけたのはスーイだから俺なんもやってないからな。そんな風に思われるの理由もないのでちょっと気まずい。

 

「この人はホント……いえ、普通はそんなもんですよね。はい。私の方がおかしゅうございました」

 

「ねぇスーイ、なんでこの子こんな不機嫌なの?」

 

「もしも君がリスカと再会した時、向こうが君のこと覚えてなかったらどう思った?」

 

 それはもう信じられないくらい悲しいだろう。

 俺にとってリスカと過ごした時間は比喩抜きに一番大切な時間だったし、リスカに追いつくことが以前の俺の一つの目標だったのだから。

 

「つまりそういうこと」

 

「…………?」

 

「え、本気でわかんないの?」

 

 マジで何言ってるかわかんないんだけど。

 そもそも俺とこの子、俺とリスカみたいな仲じゃないし。さすがに小さい頃に少しだけあったことのある人、それも今ではおじさんになった俺なんかにまだ若くてピチピチなリーンちゃんがどうこう思ってるとか、まず無いだろうし。

 

「もういいですよスーイさん。ほんとに鈍感なんですねこの人。私、お兄さんのこと好きなんですよ」

 

「そっかぁ」

 

「その親戚の子供を見る目をやめろー! 私! 学院最高峰の魔術師! 収入も地位もありますし、胸も大きい! そして可愛い! 理解してます!?」

 

 そうは言ってもリーンちゃんと俺の年齢差って相当なものだし……。

 

「ちなみに今の俺も好き?」

 

「気持ちが変わってないから告白したんですが!?」

 

「そっかぁ。こんなおじさんも捨てたもんじゃないなぁ」

 

「スーイさん! リーンちゃんもう泣きそうなんですけど!?」

 

「彼は自分に好意を持ってる確信がある相手には途端に強気になるからね。ギロンとかへの対応がそう」

 

「女の敵ー! なんでこんな人好きになっちゃったんだ私ー!」

 

 スーイの空気抵抗のない胸に飛び込んでわんわん大泣きしているリーンちゃん。そしてサラッとスーイが酷いことを言った気がするが、それは大きな勘違いだ。

 

 確かにまだまだ若い子にモテたりするんだってちょっと嬉しくはなったし、心のどこかで自分に自信がもてたがそれはそれとして。

 

「俺これからどうなるの?」

 

「それは心配しないでください。リーンちゃんの完璧計算では死ぬ確率はせいぜい20%です」

 

「全然安心できる数字じゃないんだけど」

 

 俺の質問なんてお構い無しに、リーンちゃんは時々スーイに何か聞きながら壁際の機構を弄ったり、いくつかの魔術陣を刻んだりを繰り返す。

 そういえばそもそも、ここはどこなんだろう。途中で目隠しされて再び目を開けたらここだったので定かでは無いが、薄暗くて狭いし、何かが動いている音がずっと聞こえる。

 

「そんなに心配しなくてもいい。これから始まるのは、リーンなりの君への『お礼』との事だよ」

 

 俺へのお礼って、あの日リーンちゃんを助けてあげたらしいスーイならともかく、俺が彼女にしてあげたことなんて何も無いと思うんだけどなぁ。

 

「……よし、準備出来ました。それじゃあ期待して待っていてくださいね」

 

「とりあえず、期待できる内容なら安心だよ。これから殺されるんじゃないかって思ってたから」

 

「…………」

 

「え、なんで黙るの?」

 

 俺の質問をリーンちゃんは無視し、部屋の前方の魔術陣上に立って声高らかに詠唱、宣言を始める。

 

「さぁ大地よ我らを見上げろ! 空よ恐れ慄け! 伸ばされた手は遂に星を掴む日が来た!」

 

 

「第一から第十二浮遊安定術式……出力規定値クリア。推進術式及び装甲、気圧、風圧、共にクリア! ──────空を拓け、『仰天銅地(エスパシオ・コブレ)』号!」

 

 轟音、振動。

 部屋が壊れるんじゃないかというそんな衝撃の中、部屋の正面の壁紙ゆっくりと競り上がり光が差し込む。

 

 

「貴方が私に光を見せてくれた。先生が私に光を見せてくれた。なら私も、お二人に光を見せてあげたい。これが私の──────私の空です!」

 

 

 目に映った外の景色は、ミニチュアの世界のように全てが小さかった。

 ちいさな箱庭を上から見つめているような錯覚、いや違う。錯覚なんかじゃなくて、俺たちは本当に()()()()()()()

 

「……飛んでるのか、この部屋?」

 

「部屋じゃありません。これは『船』です。この部屋以外にもいくつかの部屋が有り、転移陣のように特定の位置にしか設置できなかったり、陸路のように極端に道に左右されない、空を飛んで人や物を遠方に運ぶ夢の技術!」

 

 差し込む光を背に、少女は夢を語る、夢を見せる。

 胸を張って自信ありげに、それなのに少しだけ恥ずかしそうに。何故かお礼も一緒に。

 

 

 

「これが私の、『飛行船』です!」

 

 

 

 少女の夢は、空を駆けた。

 

 

 

 

 







・従者くん
あれから3年経ち、すっかりアラサーになってしまった。現在はホシの診療所で働いていたが、スーイに拉致られた。


・スーイ
あれから3年経ち、すっかり無職が染み付いてしまった。リーンに少しだけ魔術の手解きはしたが、「教師であって師匠じゃない」という言い訳をしている。


・リーン
『デート、あと追放』で登場。アクティブ系巨乳研究者に進化した一目惚れ系幼女。
あの後真面目に魔術の勉強をして元々才覚があったのか飛び級で学院に入学。魔王を倒した後ぶらぶらしていたスーイを見つけ、魔術を師事。スーイからは弟子とは認めてもらってないが教え子とは認めてもらっている。
好きな異性のタイプは年上で笑った時に目元が優しそうな人。






概要にも追記しましたがカクヨムにもちまちま上げ始めたした。
現在ちょうどスーイのお話をやっていたり、ぼちぼち加筆したり性格悪くしたりしているので良かったらそっちもよろしくお願いします。





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