今日、俺はテイオーになった。 (ダイコンハム・レンコーン)
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夜明け前を待たずして

ほぼ思い付きです。


 運命ってのはクソッタレだ。人様を弄んでいい気になってやがる。

 

 英雄サマの身体にド凡人の魂が入った所で、何か出来るか? いや無理だろう、英雄ってのは心体揃っての英雄なんだ。到底成り立つはずもない。

 

 俺の()()()()()()()()トウカイテイオー。

 

 その歴史は、常に苦難と逆境と共にあった。

 

 無敗の二冠馬。

 

 そして二度の骨折を乗り越え掴み取ったジャパンカップ。

 

 更に、三度目の骨折、一年の休養。

 

 その逆境を跳ね除け、有馬記念にてグランプリホースの座を手に入れた。

 

 それは余りにも遠い道のりだった。

 

 そして余りにも劇的だった。

 

 故に、その名は歴史に残る物となった。

 

 

 

 ──そんな伝説の身体と名前を掠め取った俺は、世界最低のクズだ。

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

 ──ウマ娘。

 

 それは、別の世界で名を遺した優駿達の魂、ウマソウルがこの世界に流れた事で生まれた存在。その存在のきっかけとなっているのは、恐らく俺の前世があったあの世界だろう。

 

 そしてもし、この世界が名駿達にとって死後の世界であるならば、この世界では何が与えられるのだろうか。

 

 信賞必罰、奇跡か絶望か。

 

 この世界に何の因果かウマ娘として生まれた只人の俺からすれば、この世界はきっと天国でも地獄でもない。極楽や煉獄も、どこにも無い。

 

 それに俺はこの世界を()()()()()

 

 "名"を背負う重圧も、"役"を演じる使命も、俺は知っている。

 

 只人とウマ娘。遥かに近くて遥かに遠い二つの人生。

 

 それを俺は持たされた、一人分でも重い重い歯車を。

 

 だから分かってしまった。

 

 

 

 ──"俺"はいつか"彼女"に殺される。

 

 ──()()()()()()()()()()

 

 ──その先が袋小路だと分かった上で。

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

 深く被ったフードに狭まった視界。その中に、誰かの足が見えた。

 

()()()()()()! これ、ハチミツニンジンジュースっス!」

「うっせえ、俺をその名前で呼ぶんじゃねぇ」

「あ、サーセンっした!」

 

 ああ、その名を聞いただけで虫唾が走る。俺は帝王なんて大したもんじゃねえのに。そんでもって本家本元の"テイオー"に泥を掛けてるみたいで余計に苛立ってくる。俺は好きでこの身体に生まれた訳じゃねえのに。なんて、苛立ちを晴らす方法も分からず荒んで喧嘩ばっかりする内に、勝手に舎弟を名乗るウマ娘やヒト娘まで出てくる始末。まあ、貰えるモノは貰っておく、俺は舎弟を名乗るウマ娘からハチミツニンジンジュースをひったくり、喉の渇きを癒した。

 

「んぐ……んぐんぐ……っ、はぁ……」

 

 そして、喉に絡みつく甘味を嚥下した俺は深いため息を吐く。本来のテイオーはこんな所で燻るヤツじゃない、それは分かってる、が選んでもないのにこうなった俺がそうする義理もない。ウマ娘に生まれたからって走る以外の仕事には就けない事はない。走る事にも興味がない。何が楽しいのかもさっぱり分からない。

 

「……そこの君達、こんな時間に外で何してるんだい」

 

 ──ああ、そっか、この公園、ポリ公の巡回コースだったな。

 

「はあ、チャリに乗ったポリ公なんてまた面倒な」

「君達、親御さんが心配して待ってるんじゃないのかい?」

 

 ──何度も聞いたさ、その台詞は。

 

 テイオーの両親は底抜けに良い人だった。更にはトウカイテイオーは偉い旧家の血筋らしく、よく出来たお爺さんの執事まで居ると来たもんだ。通りであんな風に育つ訳だよ。

 

 ……でもこのテイオーは違う。俺が足枷になって、どこまでも卑屈で悲観主義に走るクソッタレテイオーだ。

 

 でもな、親御さんが心配してるのは"テイオー"であって俺じゃない。だからアンタの言葉は的外れなのさ。

 

 俺はフードを下ろし、俺はポリ公に正面からメンチを切る。

 

 フードに収まっていた赤みが強い長髪がフードから花開く様に溢れ出す。

 

 長い……と思っている筈なのに、元男のクセしてこの髪を切るのはどうしても出来なかった。何故かは分からないが、面倒臭かった、気が起こらなかった。……だが今は後悔しかない。

 

「……シンボリルドルフ?」

 

 ポリ公は惚けた顔でこう言った。

 

 伸びた髪をそのまま降ろしていると、他ならぬ"テイオー"の()()とソックリに見えるからだ。

 

 やはり因果か、"テイオー"と"ルドルフ"は此処じゃ直接の血縁でもないのに良く似ている。だからそれを指摘される度に、どうしようもなく"テイオー"を意識してしまって腹がムカムカする。

 

 まるで周りの奴が俺を"テイオー"にさせようとしているみたいで。

 

 なら何故髪型を変えないのかって? 理由は幾つかある。

 

 ポニーテールに結ぶのは()()()()()()()()"テイオー"そのモノに近付いてしまうから気に入らない。ツインテールに結ぶのは元男にはハードルが高過ぎる。他の結び方は小難しくてやってられない。だから面倒臭くて俺はそのまま垂らしている。分かってる……面倒臭いのは俺の方だな。でもどうしようも無いんだよ。……魂の呪縛ってヤツだ。

 

 そんで、どうしようもないから、逃げ続けてる。

 

「──なあポリ公、追いかけっこしようぜ? アンタが鬼でな」

 

 生意気なセリフも、この青々しい少年みたいな声で言えば随分とサマになる。

 

 自称舎弟の背中を押して走らせ、俺もその後に続く。

 

「っ! 待ちなさい君たちッ!!」

 

 俺達は公園の出口──ではなく、公園を囲う金網へと真っ直ぐに向かう。

 

 先に自称舎弟が金網へ飛び付き、ソレを乗り越える。ポリ公は俺の方へ真っ直ぐに向かって来た。だが間に合わないだろう。俺は既に動き出したのだから。

 

 ──助走は数歩で良い、でなきゃ()()()()()

 

 急激な緊縮は怪我の元。身体を地面に投げ出し、倒れてしまう前に脚を踏み出す。

 そうすると人体は無理無く動き、脚への負荷を抑えられる。確か、古武術の技だった筈だ。

 

 身体に火が灯った様にカッと、熱くなる。走り続けるのは嫌いだが、走り出したこの瞬間だけは、まだマシだ。

 

 距離は数歩、緑色の塗装が剥げた金網が目前に迫る。

 

 金網を無駄なく超える為の距離と角度適切な間合いを見切り、最善のポイントを利き足で踏み切り──

 

 

 

 ──()()()!!

 

 

 

 世界を宙を翔ける足元には、街路灯の光で眼を輝かせる自称舎弟の姿。奴は何が面白いのか、笑っていた。

 

 そして、着地。パルクールの要領でごろんと身体を丸めて回りながら立位に戻った俺は、自称舎弟を置いて走る。

 

「何でボーっとしてんだ! 行くぞ!!」

「あ、は、はいっス!!」

 

 チャリを反転させたポリ公も追ってくる。

 

 逃げる俺達の背をチャリのライトが照らし出した。

 

 流しで走ってる内はまだポリ公にも着いていけるだろうが……まだまだ温い。

 

「生憎、俺たちはウマ娘なんでな」

 

 普通に走ろうが人間の何倍もの速度を出せるウマ娘は、本気で走れば軽自動車すら超える速度を出せるのは常識だ。

 

 俺は首を回し背後のポリ公に向いて舌を出す。

 

 

 ──見てみろポリ公、これが"ほんの少しの本気(マジ)"だ。

 

 

 前を行く自称舎弟目掛け、俺の足は"前に跳ねた"。

 

 スキップの様に軽く跳ぶ様に走れば、あっと言う間に自称舎弟を置き去りにした。

 

 そのまま俺たちはギアを上げて一気にポリ公のチャリを振り切る。

 

 少しスパートを掛ければ、ライトの光は遠ざかる景色の中へ飲まれて消えていった。

 

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

「はぁ……はぁ……流石っステイオーさん!!」

「っだからその名前で呼ぶなっつっただろ!」

「あ、サーセンッ!!」

 

 自称舎弟は俺について行くのがやっとで、息を切らしてるのに妙にニヤニヤしていた。全く、走る事の何が楽しいんだか。

 

「はぁ……っ、ふふっ、本当にすごいっスっ憧れっス!」

 

 

 

 ……ああホント、何が楽しいんだか。

 

 

 

 ──俺は今日も、ウマ娘と言う生き方に疑問符を浮かべていた。

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

 ──またワケも無く出てきちまった。

 

 俺はなんとも後ろ向きな気分で人垣を眺めている。

 

 あれから翌日、珍しく自称舎弟が来なかったので、俺は一人で夜の街を歩いていた。

 

 ゲーセンも行き飽きたし、喧嘩をやり過ぎたせいで俺に喧嘩吹っかけてくる奴もいない。ああ……なんとも爽快だよ、うるさい奴が居ないと清々する。いつもアイツが居るせいで俺の平穏は乱されっぱなしだったからな。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………やる事ねえな。

 

 そう思いながら街をブラついていた時。

 

 

 

「退屈そうだね〜……少年?」──突然、背後から声を掛けられた。

 

 

 

 ──誰だ? 

 

 俺はさっさと振り返る。

 

「やあやあ、前途ある若人よ」

 

 すると、そこには俺より二回り程背の高く、スイス国旗の様な赤いレザージャケットを着たウマ娘が立っていた。マスクにサングラスまでしていて顔は見えなかった。

 

「いや誰だよ?!」

 

 俺の記憶に茶髪であんなギラついた目をしたウマ娘は居ない。相手は落ち着いた物言いをしていたが、ヤツの尻尾はそれに反してビタンビタンと腰に叩きつけられていて、若干の興奮が垣間見えていた。

 

 俺は今にも襲われるんじゃないかと気が気ではなかった。ウマ娘と人間ならばマウントを取られようが簡単に返せるが、ウマ娘相手の場合そう簡単に行くものではない。ウマ娘相手のケンカを何度もやって来た俺には分かる。

 

 それに、相手の雰囲気は明らかにカタギのそれとは違っていた。一言で言うならば、それはよく磨かれた剣とでも言えようか。

 

 今まで相手して来たウマ娘の大体は同年代だったが、このウマ娘……いや娘と呼ぶにはあまりにも老獪な風格を醸すこの()()()は、重ねた年季が桁違いである事が息遣いや立ち姿や纏う雰囲気で感じられた。

 

 しかし見た目は俺達と遜色なく若々しい。

 

 ……理由は分かる、最近テレビで聞いた事があった。お偉いウマ娘研究家がワイドショーで語っていた。

 

 

 ──『ウマ娘は、挑戦する事を諦めない限り老いる事がない』

 

 

 恐らく目の前にいるヤツは、挑戦する事を諦めなかったのだろう。

 

 ウマ娘にとっての挑戦、それは言わずもがな『走り』だ。

 

 ならば一体、目の前のヤツは何故そこまで走りに執着する? 

 

 

 

 ……いや、なぜ俺は初対面の相手にここまで思考を割いているんだ?

 

 

 

「どした〜? 聞こえてるか〜少年?」

 

 ──と、考えを打ち切る様にヤツは声を掛けて来た。

 

 少し考え過ぎたな。不審者の話には乗っからないのが基本だ。

 

「ん〜? ん?! あっちょっと待って!?」

 

 だから、俺は逃げさせてもらう事にした。

 

 俺はケンカに巻き込まれる体質なだけでケンカ自体は好きじゃない。逃げられる時はいつも逃げている。

 が、不良のウマ娘相手だと走る事もケンカの一種になるらしく、相手から尻尾巻いて逃げ出しても逃げ切れば勝者扱いされ、いつの間にか自称舎弟が増えていた事もザラにあった。

 

 出来れば……ヤツもその類いでない事を祈っておこう。

 

「待って! 怪しい者じゃないって!!」

 

 流石にウマ女、俺の後を追って来たヤツはこう言っているが、先程の興奮ぶりを見せられた俺からしてみれば胡散臭すぎる。

 

 だが、街中故に上手く距離を離せない。どうしても赤の信号機を避ける為にカーブをしなくてはならないからだ。それでも、ヤツのスタミナが分からない以上、俺のスタミナが尽きる前に早くヤツを振り切りたい。

 

 だから俺は、ここから程近い河川敷に向かう事にした。直線であれば、少なくともそんじょそこらのウマ娘に俺の走りは破られない筈だ。

 

「──てって! ほ──たし──フジ──んぱい! ── しらな─── そっ──な─かな!?」

 

 そしてヤツとの距離を少し離して俺は河川敷までたどり着いた。並のウマ娘なら縮まらない距離にとっとと諦めそうなものだが、さっきから後ろで五月蝿いヤツはどうやらそうじゃないらしい。

 

 だが、煩わしい鬼ごっこもこれでお終いだ。

 

 俺は力強く踏み込み、足首のバネで前に跳ねた。

 

 一気に加速した事で、俺の被っていたフードは外れ、長い髪か中から飛び出し後ろへ流れる。

 

 が、そんな事は気にならない、走っている最中だから。

 

 そして、ヤツとの距離も一気に離れて行くだろう、俺はそう確信した、していた。

 

 しかし──

 

 

「──あ〜あ〜、可愛い顔して随分ヤンチャじゃない……のっ!!」

 

 

 ──俺の()()()から、アスファルトのヒビ割れる音と、聞こえない筈の声が聞こえた。

 

「ッ?!」

 

 俺は振り返らず、反射的に速度を上げる。それはもはや、肉食動物から逃れようとする草食動物の本能に近いものだった。

 

「まだまだ身体の使い方が甘いって!」

 

 しかし、ヤツを振り切る事は出来なかった。それどころか背後に取りつかれた。

 

 ヤツは此方を向いてこちらに話しかける程の余裕もある、しかし俺にはそんな余裕は無く、ただただ前を向いて走る事しか出来ない。

 

 ──なんだ、なんだコイツは!? 

 

 俺の脳裏には次第に走る事よりもこの脚に喰らいつける謎のウマ女への恐怖が刻み込まれていた。

 

 そしてつい、俺は後ろを振り向いてしまった。振り向いた時、奴は息苦しさからかサングラスとマスクを取っ払い、素顔を晒す瞬間だった。

 

 ──俺は、眼を見開いた。

 

 

 

「テイ、オー……?」

 

 

 

 トウカイテイオーとそっくりな顔をしたウマ娘が、俺の背後を捉えていたのだ。

 

 

 ──……怖い。

 

 

 "テイオー"が俺を追ってくる。

 

 追いつかれたらどうなる? 俺はどうなる!?

 

 

 ──……嫌だ。

 

 

 ()()()()()を使って俺が見知らぬヤツに負けてしまったら? 俺はきっと不必要の烙印を押されるだろう。

 

 俺は無我夢中だった。涙すら流していたかもしれない。

 

 がむしゃらに足を前に前に出そうとし、出そうとし──

 

 

「──っ危ないッ!!」

 

 

 聞こえたのは俺の声かヤツの声か──気付いた時には、足がもつれていた。

 

 

 

「──あっ」

 

 

 

 ──サラブレッドの全力疾走は時速60km、軽自動車にも匹敵すると聞いた事がある。もし、その速度で走る人間が転んだのなら、更にそれが芝や砂ではない、硬質の地面だったのなら……無事には済まないだろう。

 

 

 

 ……次の瞬間、俺の視界には真っ黒な道路が一杯に広がり、頭の中に『死』と言う文字がよぎる。

 

 

 

 反射的に目を瞑って衝撃に備えようとした時。

 

 

 一陣の風が、俺の横合いを突き抜ける。

 

 

 そして倒れていく俺は、柔らかい何かに包み込まれていた。

 

 

 『まさか』そう思ったが、恐怖に硬直していた身体は言う事を聞かず、地面に吸い込まれていく──

 

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

 しかし、恐れていた痛みは無く、ドスンという重い音と衝撃に横回転している感覚が身動き出来ない身体に伝わって来た。

 

 時間にして2秒にも満たない間の出来事だったが、死を目前にし、ゆっくりと感じられる時の中で、俺ははっきりと知覚していた。

 

 やがて、回転が止んだ。

 

 

 ──ドクン。

 

 

 それから最初に感知したのは鼓動の音だった。次に、柔らかな感触と暖かさ。妙に落ち着くそれらのお陰で、俺の頭は冷静さを取り戻す。

 

 ──俺は、ヤツに庇われた。

 

 かなりの速度が出ていた筈だ。それにも関わらずヤツは俺の事を身を挺して守った。俺はその考えに至り、慌てて身体を縛るヤツの腕から這い出した。

 

「大丈夫だったか? 少年」

 

 ヤツの胸元から這い出した先には、ニマニマとしたヤツの顔があった。けろっとしている事に安堵してしまった俺に、また腹が立つ。

 

「……礼は言わねえ。元はと言えばアンタの所為で逃げる羽目になったからな」

「ははっ、そりゃそうだ」

 

 ──コイツ、無敵か? 

 

 柳の様に言葉を受け流す姿が様になっているのは積み重ねた年季の賜物か。そんなヤツに反抗するのもバカバカしくなって来た俺は、諦めて話を聞く事に決めた。

 

 ただ、言いたい事があった。

 

「分かった、話は聞く。だから……」

「だから?」

「……早く腕を解いてくれ、胸が当たってスレるんだよ」

「え? まさか下着、着てないって?」

「……悪いかよ」

「はぁ、私も大概ズボラだが、キミも随分とアレだな」

「うっせえ」

 

 ……本当は胸が当たってて恥ずかしいなんて、ガキみたいな事言えるかよ。こっちの理由も一応はあるが。

 まったく、競い負けた上にこんな生き恥まで晒して……ああ、今日は死にたい気分だ。

 

「ま、それは置いとくとして」

 

 ヤツはスッと立ち上がり、脚や腕の可動を確認するとまたスカした顔で話を始めた。こうもあっさり立ち上がられると、俺の走りはそこまで速度が出ていなかったんじゃないのかと思えて来る。

 

「……いや、少年の走りは対したモノだった、感服したよ」

「お前、心が読めるのか?」

「別に? 勘だが?」

 

 もう俺はツッコまない事に決めた。何を言ってもこちらが怪我する未来しか見えなかった。

 

「あ、そうそう。少年よ、きみはトゥインクル・シリーズで走ろうと思っていたりするのかい?」

「……冗談キツイな、俺がそんなタマに見えるか?」

 

 そんでヤツは、物のついでとばかりに訳の分からない事を言う。いや、お前は何様なんだと。ツッコまないと決めて早々に誓いを破りそうになってしまった。

 

「それでアンタは……中央のウマ娘だったのか?」

「そっ、今は船橋の方のローカル・シリーズで走ってるけど」

 

 が、この言葉で決壊してしまう。

 

 

「──あの走りで、か?」

 

 

 その意味は、決して悪いものではない。

 

 ウマ娘達が走るレースには大きく二つのシリーズがあり、それぞれトゥインクル・シリーズとローカル・シリーズと名付けられている。

 

 大きな賞が絡むレースは概ねトゥインクル・シリーズで、それ以外のレースはローカル・シリーズで行われている事が多い。明確な区分としてはウマ娘のレースを管理する団体であるURAが取り仕切るレースはほぼほぼトゥインクル・シリーズで、それ以外の地方団体が仕切るレースはローカル・シリーズとなる。時に中央と地方と言う風に呼び分けされる事もあるが、やはり一番の違いは競技レベルの違いと言う事になってくるだろう。

 とにかく、小難しい事を考えなければ、基本的には強いウマ娘は中央に行くと言う事だ。敢えて中央のトゥインクル・シリーズではなく地方のローカル・シリーズで勝ちまくるウマ娘と言うのも存在するが、それは例外だろう。

 

 だからこそ、未だ未熟とは言え、"テイオー"の脚に喰らい付き追い越してみせたヤツが、本当に地方で収まるウマ娘なのか、俺は疑っていた。

 

 すると、俺の疑問を察してかヤツは勝手に自分語りを始めた。

 

 まず、ヤツは昔、中央で走っていたウマ娘らしい。理由があって暫くレースに出走せず地方に移ったそうだが、理由を聞く気には何故かなれなかった。

 そして今地方で走っている理由は、どうやらここ最近のトゥインクル・シリーズを騒がせる芦毛のウマ娘二人──"タマモクロス"と"オグリキャップ"にあるらしい。

 

「オグリキャップはまだ分かる、あのウマ娘は地方から中央に転入し成果を上げているウマ娘だからな。アンタは恐らく、地方から中央へ復帰する気なんだろう」

「ご名答、私もすっかりあの芦毛の輝きに目を焼かれてしまってね」

「ただ、タマモクロスは分からない。アンタのどこの琴線に触れたんだ?」

 

 ヤツは、俺の質問に笑みを深めてこう言った。

 

 

「それはだね。あの子が"天皇賞春秋連覇"を成し遂げたからさ」

 

 

 ──そうか、タマモクロスは史上初の天皇賞春秋連覇を成し遂げたウマ娘だ。

 3200mと2000m、それぞれ求められる能力が全く違う二つのレースを制覇するのは至難の技。故にクラシック三冠や春三冠や秋三冠に並ぶ存在として天皇賞春秋連覇があった。それを成し遂げたタマモクロスもまた、芦毛の怪物と言えるだろう。

 更に、その称号に拘りを持つウマ娘ともなると──ヤツは春の盾か秋の盾を持っているのだろうか。

 

「聞きたいかい、少年よ。私の獲得した賞の名前を」

「そうドヤ顔されながら言われると腹が立つんだが」

「そう、私の獲得した賞は二つ」

「おい話を聞け……」

 

 

「"東京優駿大競走"、東京大賞典じゃあないぞ。今で言う所の"日本ダービー"だ。それと"秋の帝室御賞典"、これは今の"秋の天皇賞"だね。この二つの賞を手に入れたウマ娘なのさ、私は」

 

 

「──待て、ダービーに秋天? そんなウマ娘なら俺だって一度は見た事がある筈だが?」

「いや、多分少年が産まれるよりも前の話だろうから、知らなくても仕方ないね」

 

 ……そう言えば、ヤツは何故俺にこんな話をするんだ。

 

 認めたくはないが、俺はヤツに()()()()()()を感じていた……だからこそ、名前を聞いていなかった。

 これ以上ヤツに近付けば、"テイオー"の運命に巻き込まれてしまうと直感で理解していたから。

 

 

「……なあ、アンタは何で俺にそんな話をするんだ、アンタ一体誰なんだ」

「ふむ、そうだね。──それは私がキミの"ファン"だからさ」

 

 

 だが──俺は聞いてしまった。ヤツが何をしたいのか、何者であるのかを。

 

 

 ──ウマ娘は、走り出したら止まれない。

 

 

 生まれつきのエンターテイナーとして、彼女達は"ファン"の期待を乗せて走るのだから。

 

 既にスターティングゲートは開かれてしまっていた。

 

 もう、後戻りは出来ない。そう言われた様な気分だった。

 

 

「……だから私は、キミに聞いてもらいたい頼みがある」

 

 

 つまり、俺は分かっていたのに地獄への道を踏み出したワケだ。

 

 

「──私にキミを、鍛えさせてくれないか?」

 

 

 あれだけ忌避していた、ターフの上へと続く道を。

 

 

 

 ああ……ヤツは言った、気持ち悪い位の、輝く笑みで手を差し伸べて。

 

 "テイオー"ってのは、きっとこう言う存在なんだろうと、俺は理解(わか)らされた。

 

 

 

 ──気付けば夜は今、明け方を迎えていた。

 

 

 



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ひねくれ者の友人 前編

調子に乗って2話目です。

既に独自設定がチラつく本作品ですが、より増えます。

2021/07/19よくよく考えたらテイオー家よりトウカイ家の方が意味合いが正しいのに気付いたので修正です。

2021/07/20地の文での古朋あぶみの呼び方を変更


「……やだね」

 

 口ついて飛び出したのは、咄嗟の悪あがき。

 

「え? 今のはいって言う所じゃないかい?」

「そんなに素直に見えたか、俺が」

「ある意味素直だと思うけれど……でも少し怯え過ぎかな」

 

 ヤツは俺が恐怖で萎縮していた事に気付いていた。よりにもよってコイツにだ。恥ずかしくて俺は目を背けてしまった。

 

 頭の中には先の光景がつらつらと浮かぶ。

 

 負けた事、逃げた事、翻弄された事。どれもどうしようもなく情けない。

 

「でもレースをするならポーカーフェイスは必要かな、それじゃあ中身がモロバレだ」

「だからやらねえって!」

「──いんや、やるね。少年は必ずやるさ」

 

 それは確信めいた言い切りだった。

 

 まるで大好きなおもちゃを見つけた子供の様な無邪気さすら感じる瞳は、俺を中心に煌めいている。

 

 期待、なんて言葉ではまだ軽い。

 

 "希望"と呼ぶに値する物が、その中にはあった。

 

「やめてくれ、俺は梃子でも走らない」

「いや走ってたじゃないか」

「アレは走ってた訳じゃない……逃げてただけだ」

「ほうほう、脚質は逃げ、と」

 

 やりにくい、そう思ったのはヤツの飄々とした態度にあるのだろう。悔しいが俺の口先じゃどうしようも無い。人生経験らしい物もない俺には。

 

「まあまあ、そう頑なにならずにさ、走ってみようよターフを」

 

 ヤツは態度を変える事なく、俺との距離を詰めてくる。いっそ威圧感すら感じていた。

 

 だが、落ち着く時間にはなった。そうするとまた、ヤツの"顔"について疑問を飛ばす時間が生まれてくる。

 

 この世界に於いて、特にウマ娘はその元となった馬の魂と魂の関係性がその見た目に反映される場合が多い。

 例えば、馬としてのシンボリルドルフとトウカイテイオーは親子の関係かつ、共にグッドルッキングホースと言う関係にある訳だが、こちらの世界ではそれが容姿が似ていると言う点に繋がっている。

 

 ()()、それを加味した上でも尚、ヤツは()()()()()()のだ、テイオーに。

 

 外連味すら感じる程の風格は、成る程確かにテイオーにすら引けを取らないだろう。だがそれだけじゃない。

 

 髪型はショートで顔付きは丁度テイオーを怜悧にした……どこかの"女帝"を彷彿とさせる見た目をしていた。

 

 しかし、ヤツは一体何の馬の魂を受け継いでいるのか、まるで見当が付かなかった。

 

 いや待て……考えればそうだ。競馬の歴史は日本単体でもそう浅くは無い。俺の知らない馬が居たとしてこの世界に来ない道理はない。あくまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 つまり、()()()()()()()()()からこそヤツと出会った、と言う事だろうか。

 

 ──テイオーから逃げたつもりが別のテイオーに追い詰められる? 冗談にしては出来過ぎている。

 

 やっぱり運命ってのはクソッタレだ。

 

「──そのしなやかな身体、()()()()()()()()()()()()、少年はもっと高いレベルで活躍出来る」

「……っ」

 

 仄暗い考えの中に、不意にヤツから放たれた言葉。

 

 それを言った後、ヤツの顔は感心と驚きに変わっていた。それは恐らく、俺が齎した物である事は分かったが、理解は出来ずにいた。

 

 ……なんだ、俺はどんな顔をしている? 

 

「ん? 何だいその顔? もしかして──()()()()()()()()()のかい?」

「っ、褒められた性格じゃねえからな」

「いやいやいや、その意地の張り様は競技者に必要な素質だ」

「ケッ、調子付きやがって」

「はは、私はいつだって絶好調さ!」

 

 もういい加減に解放してくれ、とっくに朝方になってるんだ。流石に日が変わるまで家を出たら警察沙汰にされかねない。

 

 と、言おうとした時、俺の背後から声がした。

 

「あ〜!! 見つけたッ!」

 

 この少し気怠げな低めのソプラノボイスは、間違いない。"アイツ"だ。

 

 

「"パーマー"……何でこんな時に」

 

 

「何でって、心配して来たに決まってるじゃん!」

「……ああ悪かったな。これで良いか?」

「良いわけないでしょ!」

 

 アイツと俺は昔から幼馴染、いや腐れ縁だった。そして縁を繋いだのは家同士だったか。

 

 この世界には幾つか、ウマ娘の名家がある。

 

 トウカイ家も有力なウマ娘を輩出した事でその地位を上げていたし、テイオーに深く関わる家としてメジロ家も挙げられる。メジロ家は文句なし、名家中の名家で、数々の有力ウマ娘達を輩出している。

 

 そして、メジロ家には同世代のウマ娘がいた事もあり、家ぐるみの付き合いもしょっちゅうの事だった。ただ、トウカイ家は一度凋落してここ最近に復興した家だから()()()ではメジロに軍配が上がる訳だが。

 

「ねえ聞いてる? と言うか怪我とかしてない? "テッちゃん"って昔からどこかおっちょこちょいだし……」

 

 そんな中、落ちこぼれとして孤立していたメジロパーマーと言うウマ娘が居た。今俺の身体を隈なく調べているウマ娘だ。

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

 パーマーとの関係は、珍しく俺から声を掛けたのがきっかけで生まれた。

 

 あれは、メジロ家主催のパーティにお呼ばれした時だった。

 

 パーティの空気と客人達の群れに酔って一人でそこを抜け出し、花畑のある正門へ向かった際、偶々一人黄昏れるパーマーと俺は出会った。

 

 元々テイオーが小柄だったと言う事もあるが、パーティでの顔合わせの時、一歳年上のパーマーはやたら大きく見えた。だと言うのに、その時の蹲って黄色い花を眺めている姿はまるでミジンコみたいに小さかった。存在感が。

 

『こんな所で何してんだ』

 

 俺は、何故パーマーが一人で居たのか見当は付いていた。だからこれは相当に意地の悪い質問だったと今でも思う。

 

『……はは、ちょっと人に酔っちゃって』

 

 振り返れば、互いに小学生低学年位の話になる。なのにこの返し、俺は随分なお嬢様だと思ったし大人びていると感じていた。

 

 ただ、震える声色までは隠せていなかったが。

 

『原因はライアンか? マックイーンか?』

『っ、……違う、よ』

 

 ライアンとマックイーン。彼女達の家名は"メジロ"だ。つまりメジロパーマーと同じくメジロの家に連なる者たちだ。

 

 メジロ家の期待の新星と呼ばれたライアン。

 

 才能を発揮しどんどん活躍の場を増やしていったマックイーン。

 

 この名前を出すと、お嬢様の仮面で内心を隠そうとしたパーマーから年相応の動揺を垣間見る事が出来た。一体名前を出して何がしたかったのか、まだ取り返しがつくかも知れないと言う希望に縋っていた俺の事は今の俺では分からない。

 

『ま、皆次期当主はライアンだマックイーンだって言ってたもんな』

『言ってたの?』

『いいや言ってない。が、予想通りだったらしいな』

『ぐっ、いじわるぅ……』

 

 気付けば俺は、今にも泣き出しそうな彼女の隣に足を運んでいた。

 

 何故そうしたのか、今になっても分からない。

 

 ただ間違いなく言えるのは、そこに憐憫や同情の感情は無かったと言う事だ。

 

 あり得る可能性としては、俺が運命に悩んでいた時に同じくメジロ家と言う運命に悩まされていた彼女に、どこかシンパシーを感じていたからなのかもしれない。

 

 

『──アンタは勝てるさ、運命にだって』

 

 

どこか祈りを籠める様に、俺は言ったと思う。

 

『……え?』

『いつかアンタは自分を知って、揺るがない信念を持つ。その時、アンタはきっと誰よりも輝いてる』

 

 思い出すだけでサブイボが出そうな浮ついた言葉をベラベラと……酔って頭がおかしくなっていたのだろう。

 

 でもあの時の俺にはこんな事を考える余裕は無かった。

 

『ふふ、それってもしかして、慰めてくれてるの?』

『全然違う、マジの本気の話だ。アンタは絶対に一流になる』

『本当の本当に?』

『本当だ!』

『え〜、本当に?』

『本当だって言ってんだろ?!』

 

 思わず声を荒げたが、俺は確かに知っている。

 

 ハナに立って他を振り切る大逃げ、いや爆逃げする彼女の姿を。

 

 未来の事を証拠に引っ張り出すなどナンセンスだが、目の前のパーマーを捨て置く気にはなれなかった。

 

 

『へぇ…… "本気"、なんだね。ありがとう、そこまで言ってくれたのなんて、君が初めてだよ』

 

 

 そんな俺の言葉に何を感じたのか、パーマーはすっかり笑顔になっていた。悪い気はしなかったが……まあいい。

 

 結局は、パーマーを通して自分を慰めたいだけだった様に思えてならないのだから。

 

『……後、一人で溜め込む位なら、俺程度でも良いなら相談に乗るぞ』

『え、良いの?』

『ただ、俺は競技者になるつもりは無い。だから練習とか走り方とかの質問はNGだからな』

 

 この時点で俺も相応に()()()()のだろう。かなり人格が崩壊していた。馬鹿正直なひねくれ者なんてねじれの関係ではないか。

 

 それに、無用に情けを振り撒く立場など、俺が立つには烏滸がましい。

 

『分かった……えと、君の名前は?』

『…………トウカイテイオーだ。ただし、トウカイともテイオーとも呼ぶなよ』

『え? う〜ん、じゃあテッちゃんって呼んでも良いかな?』

『……まあ、トウカイかテイオー以外なら何でも良い』

『じゃあさじゃあさ! テッちゃんはいつもどんな事してるの──』

 

 でも結局メアドの交換はして、その後パーマーとはメル友の様な関係になった。パーティの度に、俺はパーマーと一緒に花壇を見に行く様になりして、いつしか曇っていたパーマーの表情にも光が射す様になっていた。あの頃の俺は何を考えていたんだろうな。

 

 そして何故か、その頃から家に結構な頻度でパーマーがやって来ては朝起こしに来たり弁当を作ってくれる様になった、何故か。料理の腕前は最初ダメダメだったが今はそこらのプロにも負けない和洋中の実力派になっている。ひねくれの自覚がある俺でも素直に美味いと口に出してしまう位だ。

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

「うん、大丈夫だね! ……でもまた家出しちゃうなんて、どんな了見なのかな」

「……俺が全部悪いのは分かってる。それで良いだろ」

「だからよ・く・な・い! 私だってキミの力になりたいんだよ? 少しくらい相談してくれても良いと思うけどなあ」

 

 パーマーは俺を半眼で睨む。美人は怒ると怖いと()()()()()()が言っていたが、実際問題は居心地の悪さの方が際立っている気がする。何故だろうか。

 

 更に、俺の肩を握るパーマーの手がより一層強く締め付けられる。

 

 どうしてパーマーは俺なんかに構うのだろうか。俺の取り柄なんてテイオーである事位なのに。……自分で言ってて悲しくなって来た。

 

「──ってアナタ誰?!」

「いや遅いな?」

「っと、いきなり会話を振られたか。名乗るほどの者じゃないけど、敢えて名乗らせて貰えるなら……私の事は古朋(ふるとも)あぶみ、って呼んで欲しいね」

「ふる、とも……」

「あぶみ……」

 

 そして、パーマーは今やっと目に入った様子でヤツ──古朋に話の流れを向ける。無視されていた古朋がパーマーが気付いていない間露骨にしょげていたのは俺の中にしまっておくか。

 

 ……にしても、ふるとも、古い、朋? ……何か引っかかるな。

 

 妙に残った言葉の形を、俺はどうしても流す事が出来ずにいた。

 

「──テッちゃん、この人に何もされなかった?」

「うぉっ!」

 

 そんな考え事をしていると、気付けば目の前にパーマーの顔があった。

 

 いつもは飄々とした雰囲気を醸すパーマーのタレ目も、この時は確かな熱を帯びていた。睨む様な、心配する様な、そんな目だ。

 

  ──下手な事を言えば、パーマーは恐らくヤツへ殴りかかるだろうな。

 

 そう思ってしまうのも仕方ない事だろう。

 

 勿論、嘘を吐く気も無かったので全部洗いざらい吐いた。

 

 

 ──ヤツとは街中で偶々出会った事。

 

 ──俺が()()()()()()()()()()事。

 

 ──コケそうになった所を助けて貰った事。

 

 

 そしたらそれを聞いたパーマーは即座に古朋に頭を下げた。

 

「疑ってごめんなさいっ! それと……ありがとうございますっ!」

「いやいや、私は偶々少年に出会っただけさ」

「テッちゃんを助けてくれたんですよね。なら感謝して当たり前ですよ!」

 

 やはり、こう言う時のパーマーの素直さは尊敬出来る物がある。

 

 パーマーは基本的に姉御気質だ。実直で面倒見が良く社交的、包容力もある。俺がまともな練習も無しに走れているのも、パーマーが時折無理矢理連れ出して自主練に巻き込んで来るからだ。

 

 ただ、それだけが俺が今走れている理由ではないが──

 

「あ、テッちゃん見つけたって君の家に連絡しないと」

「やっぱり、家から連絡されたんだな?」

「うん、私の家に泊まってないかって。それで話を聞いたら日が変わってもテッちゃんが見つけられてないって聞いて、居ても立っても居られなくてさ、飛び出して来たんだよね」

「……"俺"が居なけりゃ、何も問題なかったんだろうな」

「問題大アリなんだけど!?」

 

 そう怒鳴りながらもパーマーは慣れた手つきでスマホを操作し、メールを送信していく。きっと俺の方にもメールは来ていたのだろう。だが俺はいつもスマホは家に置いて家を出るから意味は無い。かと言って家で使う訳でもない、スマホに慣れないからだ。

 

 家の皆に心配を掛けている自覚はある。あるのだが、あの家に居ると"俺"が削れていく気がして、どうにも落ち着かない。だからって肯定される行いではないだろうが。

 

「…………ふ〜ん」

 

 そして蚊帳の外では一人、古朋が何か納得した様に頷いていた。正直に言うと気味が悪い。

 

 

 

 ──そう感じていると、唐突に踏み出した古朋は俺達の肩を抱き、纏めて抱えて来た。

 

『!?』

 

 いきなりの接近に戸惑う俺達。そして纏めて抱きしめられた所為で頭抜けて背の低い俺は二人の胸元で窒息の危機に陥る事となる。……苦しい、苦しい。

 

 ……それから間もなく解放されたのだが、不覚にも、俺はまだ次の事態に備える態勢を取っていなかった。

 

 この短時間でヤツが──古朋が──突飛な行動を起こすとロクな事にならないと言う体感は得ていた。と言うのに、予想はまるでつかない。

 

 ──何が来る。何が……

 

 

「──なら、二人とも私の所で暮らさないかい?」

 

 

「は?」「え?」──俺とパーマーの素っ頓狂な声は、目覚め始めた街並みの中にかき消えていった。



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ひねくれ者の友人 後編

評価バーに色が付いていたので調子乗って後編です。

また独自設定が生えます。


「『優駿荘』? 優駿賞の駄洒落か?」

「そっ、今日からここが少年達と私が一つ屋根の暮らす場所さ!」

「えっ駄洒落なのか?」

 

 華美とも質素とも言い難い二階建てのアパート──『優駿荘』

 

 ヤツが用意した俺達の()()()()()()

 

 あの時、古朋が言った提案を俺は受け入れる事にした。勿論、鍛えてもらう云々の話は拒否した訳だが。

 

 テイオーの家で暮らすのは精神的にキツいが、まだ小学生の身では金もまともに稼げないし長期間の家出も出来ない。そこにこの提案は渡に船だった。

 

 ただ少し引っかかるのは、最初は渋っていたテイオーの家族がヤツの名前を聞いた瞬間、喜んで送り出そうとなった事だ。

 

 どうにも、と言うよりはあからさまにトウカイ家とヤツには繋がりがある。だが俺は敢えて何も言わなかった。

 テイオーの家族か、古朋とパーマーか、それなら後者の二人と一緒に居た方がまだ精神的な負荷がマシだと思ったからだ。……パーマーは俺に"テイオー"を押し付けて来なかったからと言う理由もある。

 

「わあ……」

 

 で、隣にいる大荷物を背負ったパーマーは優駿荘を見て目を輝かせていた。

 

 コイツも何だかんだ言ってはお嬢様、庶民の暮らしに憧れがあったりするのかもしれないな。見た目はお嬢様と言うよりは王子様だが。

 

 パーマーの方は実家に家を出たいと言った時、どうやらヤツが一緒に頭を下げに行った様で、説得の末、何とか現メジロ家当主を頷かせたらしい。

 

「まずは大家さんに挨拶だ」

「はい、分かりました!」

 

 そう言う訳もあってか、パーマーのヤツに対しての警戒心はすっかり無くなっていた。まあギスギスしてても困るだけだから何も問題は無い、勝手によろしくすれば良い……

 

 ……おいパーマー、なんだその目は? 「構ってあげられなくてごめんね」だと? やめろ! 触るな、撫でるな! クソッ、体格差がッ! 

 

 

 

 

 

 

 …………ヤツは優駿荘の隣にある一軒家へ向かい、ドアベルを押した。

 

 ピンポーン。何年経っても、世界が変わっても変わらないお馴染みの音だ。借金取りが()()()()の金を取り立てに来た時の事を思い出す。

 

「はーい」

 

 そして少しすると、ゆったりとした声と共にドアが開き、中から藤色をした着物姿の嫋やかなウマ娘が現れた。真っ直ぐ伸ばされた長い栗毛の髪は金糸のように輝いている。

 

 しかし、大家と呼ぶにはあまりにも若い。高校生くらいの若さだ。大家の娘なのか? 

 

「大家? ……ああ、()()()()()()

 

 俺は一瞬、疑問符を浮かべ、すぐに自己解決した。

 

 俺達を視界に入れ、古朋に視線を移した瞬間。まるで重力が狂ったかの様な圧が俺達を襲ったからだ。

 

 そうして理解(わか)らされた。

 

 

 ──こいつもまた、"ウマ女"の類だと。

 

 

 有無を言わせない、その存在の"重み"。

 

 同種であるからこそ分かる、その個体の"強さ"。

 

 一歩二歩と歩くだけで魅せる流麗な立ち居振る舞いは、さながら厳かな儀式を彷彿とさせる。

 

 間違いなく、あの時ギアを入れた古朋と同等かそれ以上の実力者。

 

 パーマーも、何が起きているのか分かってはいない様子だが、額に汗を滲ませていた。

 

「あらあら、古朋先輩、こんな幼気な子供を連れて何の御用件ですか? 110番した方が良いかもしれませんね、うふふ」

「違う、誘拐じゃないって! "フジちゃん"!」

「言い訳とは、大和撫子としてあるまじき行いですね?」

「やめて、その目はやめて! 袖口から物騒な物(短刀)出さないで!」

 

 一瞬にして古朋を翻弄する様は、間違いなく歴戦のソレだった。と言うかここまでの覇気を出しながら対応されてるのはヤツの所為らしい。なんと傍迷惑な……いや、俺が言えた義理じゃないな。元を辿れば俺達の願いでそうしているのだから。

 

 後、ヤツの口調が俺を追いかけていた時と同じ物になっていた。恐らくヤツの"素"はあの見た目相応の口調なのだろう。と言う事は、あの着物のウマ娘はヤツの友人なのだろうか。

 

「さて、冗談はここまでにしておいて」

「えっ、今の冗談だったの? 本気で(タマ)取られるって思ったんだけど」

「……私の苗字は影が無いと書いて、"影無(かげなし)"、名前は"くつわ"と言います。気軽にくつわと呼んでくださいね」

「ちょっとー? フジちゃーん?」

 

 ……俺の後ろで涙目になっている古朋の事はとりあえず置いておこう。

 

 彼女の名──影無くつわ。

 

 彼女がウマ娘なのは分かっている。耳も尻尾も隠していないからだ。つまりこれは便宜上の氏名である事は察せる。

 

 だがカゲナシもクツワも……何も俺の中に引っかからない。だが、影無にも古朋の様な古強者(ふるつわもの)の風格を感じる。

 

「なら、さっきコイツが言っていた名前は?」

「ちょっとテッちゃん!? 失礼だよ初めての人に!」

「いえいえ、子供はこれくらい()()()()()()()()元気があって良いと思いますよ? 先程先輩が仰っていた"フジちゃん"は、私の昔のあだ名です。今でも先輩はそう呼ぶんです」

 

 フジ……か。世代を外れた馬の知識は途端に乏しくなっていく。しかし間違いなく俺の知っている1970〜00世代以外の強豪の筈……

 

「んん、コホン! ……フジちゃん、今日から優駿荘二階のぶち抜き部屋、使わせて貰うからその連絡をしようと思って今日来たんだよ」

「良いですよ。元々三つとも先輩に貸している部屋ですから。はい、部屋の鍵です。ちゃんといつ使っても良い様に掃除してありますからね」

「ありがとうフジちゃん。騒音クレームが来たらフジちゃんの方行く様にしとくから……あいたたたたたっ!?」

 

 会話をインターセプトした挙句影無に卍固めを決められる古朋を見て、俺達は顔を見合わせこう思っていた。

 

 ──コイツ大丈夫か? と。

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

「さあ少年達よ! 練習の時間だッ!」

「はい!」

「……俺はやらねえからな」

 

 と言う訳で3部屋ぶち抜きの18畳間で俺達は暮らす事になった。

 

 そんでもって早速ヤツが口を開いた。開いたらこれだ。

 

 どう言う訳かパーマーにも練習を教える約束をしたらしいが、それを受け入れるパーマーもパーマーだ。

 

「う〜ん、ならひとまず君と私だけの練習を……」

「…………待った、俺も行く」

「え?」

 

 ……少なくとも、俺にだって罪悪感はある。

 

 何にって? パーマーをコイツの言動に巻き込んだ事に、だ。

 

 もしこの練習で変な事教え込まれてパーマーが活躍出来なかったら、それはきっと俺の所為だ。まだヤツの練習が少なくともパーマーにとって悪いものにならないかを見極めるまでは、俺は責任を背負うつもりだ。

 

 すると、奇特なものでも見た様な顔をしたパーマーが言う。

 

「テッちゃん……変な物でも食べた?」

「違う、俺がそんなヤツに見えるか?」

 

 パーマーにとって俺はどんな存在なのか、かれこれ三年は経ったが、未だに知ることは出来ていない。もしかしたら本当に拾い食いをするアホに思われているかもしれない。そう言う事だとリアクションに困る。

 

「「見える」」

「おい待て、パーマーはまだしもアンタは何だアンタは?」

 

 ──古朋まで流れに乗り出したら収拾がつかなくなると思った俺は、さっさと二人を追い出して後に続いて行った。

 

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

 東京には陸上競技場付きの公園と言う物がそれなりにある。

 

 中には一般開放されている物もあり、毎年トレセン学園の受験が始まる前にはウマ娘達でごった返す光景もすっかり風物詩と化している。

 

 今日は休日と言う事もあり、そこは家族連れで賑わっていた。

 

 子供達に振り回される父親達。……羨ましいと思える時期はとっくに過ぎている筈なのに、未練がましく目で追っていた俺自身に気付き、唇を噛む。

 

「……俺は見ておくだけだからな」

「本当にテッちゃんは素直じゃないなあ」

 

 いつからだったか、パーマーが俺の悪態を見ても笑ってやり過ごす様になったのは。内心呆れているのだろうか……いや、別に知った事じゃない。おいコラ頭撫でるな。

 

「じゃあ見ててよ。私の走りっ!」

「こっちも準備完了! いつでも大丈夫だぞ!」

 

 どうやら古朋は最初に走りを見て練習の方針を決めるらしい。

 

 呼ばれたパーマーはトラックの1レーンに行き、半身を前に出しスタート体勢を取る。

 

「──普通だな」

 

 思ったよりも模範的な流れに、俺は少し落胆してしまった。

 

 しかし普通や常識的である事が悪いと言う訳ではない。普及していると言う事にはそれ相応の理由があるのだから。寧ろ全てが異常の練習など信じる方が難しいだろう。

 

 それでもやはり、"予想外"を期待してしまうのは人のサガなのだろうか。

 

「位置について、よーい、ドンッ!」

 

 歯切れの良いスタートの合図、同時にヤツはその手に握るストップウォッチのスイッチを押し込む。

 

 ぐるりとカプセル型の楕円を描くトラックは一周400m、ハロンに換算すればたったの2F。平然とこの三倍はある短距離の1200mを全力疾走出来るサラブレッドあるいはウマ娘にとってこの試走は50m走どころか15m走の様な物だろう。

 

 このトラックは赤錆色のポリウレタン樹脂で出来ている。程よい反発力と水捌けの良さを誇る物だ。俺の世界では当然ながら人間だけが使っていたが、この世界は違う。

 ()()()()と言う行為がウマ娘の専売特許となっているのは公然の事実で、このゴムの道もウマ娘に合わせて人間用のものより硬めになっている。でないと反発力で脚を痛めてしまうからだ。

 

「──もうすぐ半周!」

 

 数秒考え事をしている内に、パーマーは既にトラックの向こう正面に居た。200mを僅か12秒程度で走り抜ける走る為に生まれた、いや作られた脚は異様な速度を叩き出す。

 

「あの走り方は……」

 

 目の前に居た古朋はパーマーの走る姿勢に驚きを示していた。それもそうだ。アイツの走り方は、限りなく"人間"に近い。

 

 "馬"は基本的に首を寝かせて地面と平行に近くなっている方が走る際に理想的とされている。しかし中には首を立てて走る馬も居る。

 

 その一例が"メジロパーマー"だ。

 

 恐らくその影響により、ウマ娘となった彼女もまた背骨を立てて走っているのだろう。因みに他のウマ娘は基本的に背骨が地面と平行になる様に前傾姿勢で走っている。

 

 "馬"ならば不恰好と評される。

 

 "ウマ娘"ならば変わっていると評される。

 

 ならば、"人間"としてならば? 

 

 ──答えは一つ、"最高"だ。

 

 人間の走り方は、まさに背骨と地面を垂直に保つパーマーの走りこそが理想とされている。

 

 人間の体を持つウマ娘だからこそ、あの走りは輝きを見せるのだ。

 

 あの走りを手本にしていたから、今の()()走りがそれなりになっていると言えるだろう。

 

 そして、既にパーマーはホームストレッチへと突入していた。

 

 僅か2Fの走りだったが、パーマーはあまり体力が無いのか身体の芯に若干のブレが見える。本来ならば、力を付けるのはもっと後期になる為、仕方ない事ではあるのだが。

 

 最後の最後に加速したパーマーがゴールラインを越える。何事もなく、淡々と見極めの試走は終わった。

 

「──ゴール! 25.07ッ!」

 

 超短距離であった為全力で飛ばした、と言った所だろうか。

 

 しかし最初からの全力疾走で3ハロン37秒代ペースは力が足りていないように思う。

 それでも俺がパーマーにケチを付け出した()()()()()()はマシになってこれだ。ウマ娘を三年間で大成させる様なトレーナーの能力は計り知れないな。

 

「はぁ……っ、どうでした?」

「……走りに力を乗せきれてない感じだ。まずはしっかりとトモを鍛えないと駄目だな。でも大丈夫、トモは友達、鍛えた上で信じれば必ず答えてくれるさ」

 

 あっちも俺と似たような感想を持っていたらしい。少し口をまごつかせていたが、どっち道ヤツが言わなければ俺が言いに行くつもりだった。感覚派特有の言葉足らずと言う訳でもなく、しっかりと口で伝えている。

 

「今、俺は必要無い、か」

 

 ……ヤツが俺の代わりにパーマーを見てくれるなら、それで良いだろう。寧ろ真っ当だ。少なくともウマ娘に対する思いの丈はミミズと龍程に違うのだから。

 

 俺は公園を後にしようとし──

 

「ふべっ!」

 

 ──何かにぶつかった。

 

 それは、柔らかで。にも関わらず重厚で。

 

 まるで鉄板に張り付いたマシュマロ……これでは例えにすらなっていない。

 

 ともかく、そう感じた程の"異質さ"と"存在感"が、急に現れたのだ。

 

 背筋を走るのは、身を強張らせる危険信号。

 

 ヤツも、あの大家も、彼女らに間違いなく匹敵する何か。

 

 ……恐る恐る、俺は一歩二歩と下がり、首を上に傾けた。

 

「……誰だ、アンタ」

「へぇ、アタシにメンチ切れるなら、相当に肝が据わってる。いや、それともただの命知らず、か。その目、ルドルフのヤツにも似てるな」

 

 いいや違う、そのどちらでもない。

 

 身を蝕む恐怖を身に迫る危険で押さえつけただけ。

 

 ……勝てないと思っても逃げられない、なんて思った経験は無かった──この前までは。

 

 ヤツに……古朋あぶみに負けた事。

 

 悔しいが、ソレは俺にとって何かが変わる力になっていた。

 

 ソレを皮切りに、まるで意思を持ったかの様に運命が壁を作る。

 

 そして今もそう。

 

 目の前に()()()()()()と思える相手が居た。

 

 ──理解(わか)ってしまった。

 

「けど、あのおっかないセンパイが連れてきた後輩だ。ちゃんと可愛がってやるよ」

「……アンタは──」

 

 歴史に名を残す馬は、いくつもいる。

 

 しかし、人の心に残り続ける馬と言うのは、その人にとって数える程しか居ない。

 

 目の前の存在は、間違いなく"後者"だろう。

 

「アンタの、名前は──」

 

 どれだけ古い御伽噺になったとしても、"俺"の中にあの名前は刻み込まれていた。

 

「……ん?」

 

 何度、あの映像を見ただろうか。

 

 何度、あの走りに打ち震えただろうか。

 

 何度、その生き様に憧れただろうか。

 

 

 

 俺が競馬を好きになり、競馬を嫌いになったきっかけ(そんざい)

 

 

 

「へぇ……!」

 

 

 

 ()()()()()()()──"シンザン"だ。




書き終えた後の自分「えっ、この子たちがうまぴょいするんですか?」

──✳︎──

今後使いそうにない設定置き場

ウマ娘のひみつ

影無 くつわの推しウマ娘はライスシャワー。
親戚の娘であるライスシャワーの為に、嫁入り道具として自分の勝負服に似せたドレスと刀鍛冶に弟子入りして作ったドレスに似合う西洋風の短刀を用意している。
また、この世界でライスシャワーのトレーナーになると例外なく短刀を持った影無の見極めを受ける事になる。そしてライスシャワーへのブーイングは「頸を斬り落としてくれて構わない」と同義のサインとなる。


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星に憧れて

今回の話はめちゃくちゃ難産でした。
その割に今も納得行かない箇所があったりするので、次話の形が定まり次第修正するかもしれません。

後、今話では主人公の前世関連の話が出て来たりします。


 これは、きっと()()()()()()()()()だろう。

 

 俺は、目の前に立つウマ娘を睨む。

 

 俺の二倍はある身長。

 

 少し日焼けした艶のある肌。

 

 腰にまで伸びる長い鹿毛のポニーテール。

 

 ヤツの名はシンザン。その威風堂々した風格は間違いなく、絶対の王者のソレだった。

 

 恨み骨髄に徹する。晴らすべき怨念の矛先なんてこの世界にはないと思い込んでいた。だから俺はブレーキを掛けるのを忘れてしまった。

 

「シンザン……俺と勝負(レース)しろ」

 

 俺が()()()()()()()()()()()()レースは、怨嗟に塗れたロクでもないレースだった。

 

「へぇ……!」

 

 鹿毛の髪が靡く。

 

 風が強まり出した。

 

 俺達は陰りの中に飲まれていく。

 

 家族連れは雨が降る前に撤収し、人気は見る見るうちに無くなっていく。

 

「久しぶりだな。勝負を挑まれたのは」

「やるかやらないか、どっちだ」

「……普段なら面倒クセーなんて断ってる所だが、良いさ、アンタに付き合ってやるよ」

 

 シンザンは口端を吊り上げた。

 

「おーい、センパイッ!」

「ん? ……"シンちゃん"か! 何でこんな所に?」

「コイツがレースしたいって言うんで、一走りしても良いっすかね?」

「……へ?」

「だから、コイツがアタシとレースしたいって言うんですよ!」

 

 古朋はまるで宇宙の真理を見た様な顔をしていた。そんなに驚く事だろうか。

 

 しかしすぐに気を取り直すと、ヤツは顔を引き締め、こう言った。

 

「……そうか。ならシンちゃん、元生徒会長として命じよう。

 

 ──"全力"を出せ」

 

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

 ──前世ではそこそこに長いと思えた100mも、今ではほんの少しに思えるようになった。

 

「はっ、はっ……」

 

 シンザンとの戦いに選んだ戦法は、とにかく逃げ。

 

 たったの2ハロン、全力で走り回っても問題はない。そしてそれは相手も同じ、ならば差しや先行なんて呑気な事はやっていられない。

 

 第一コーナーに差し掛かかった直後、俺は少し目線を右に向け、後ろを確認する。

 

 シンザンは不気味な程静かに、俺の3馬身程後ろを走っていた。

 

 顔色に変化は無く、淡々と走るその姿は、いっそジョギングでもしているかの様だった。

 

 しかし、それとは裏腹に俺は焦りを覚えていた。

 

 シンザンの強みは鉈の切れ味、硬い鬣すら容易に引き裂くその差し味だからだ。

 

 俺は直感で理解する。この距離では間違いなく差し切られる、と。

 

 

 ──引き剥がすッ! 

 

 

 俺は第二コーナーを抜け向正面に入った瞬間、脚に力を入れ、()()()()

 

 走ると言う行為は前方にジャンプを繰り返す行為だと誰かが言っていた。

 

 こうして走ってみれば、確かにその通りなのだろう。それに加え、"テイオー"が持つバネじみた天性の柔軟性があれば、歩幅もといジャンプの飛距離、つまりはストライドも増大する。

 

 それによって、そもそものシンザンとの体格差によるストライドの差の不利を減らそうという考えだ。

 

 そして狙い通り、直線に入りより一層加速した俺はシンザンを徐々に離していく。

 

 が、その差は2馬身、予想よりも微々たる物となってしまった。

 

 後ろ髪を引っ張られる様な心持ちのまま、第三コーナー、残り200mを切ったレースはいよいよ終盤に差し掛かる。

 

 ──行けるか? 

 

 たった200、あっという間に走り切れる距離。

 

 最終的には4馬身ほど距離は開いていた。

 

 だと言うのに、背筋を這う悪寒を払拭しきれない。

 

 

 

 そして、その懸念は現実のものとなる。

 

 

 

「──そろそろ行くか」

 

 

 

 背後から聞こえた声は、閻魔の怒りか神の慈悲か。

 

 曇天の中でも尚、鉈の鋭利な輝きは強みを増していく。

 

 

 パァンッ! 

 

 

 破裂音が競技場に響く。

 

 

 更に、俺の頬を掠め目の前を()()()()()が通り抜けた。

 

 ──アレは何だ。

 

 そんな疑問は無意識の内に振り向いた事で解決した。

 

 

 パァンッ! 

 

 

 音の先には、やはりシンザン。

 

 背後には、点々と続く小さなへこみ。

 

 そう、シンザンのつま先からの抉るような踏み込み。それに耐え切れなくなった地面が、無残に四散していたのだ。

 

 見れば分かる。力が違い過ぎる。

 

 文字通り、ヤツからすれば俺は赤子の様な物なのだろう。

 

 

 

「捉えたぜ?」

 

 

 

 そして、顔を顰める俺に対し、シンザンは凶悪に笑う。

 

 まるでカメラがズームする様に、ぬるりとその姿を大きくしたシンザンが、内を走る俺の外を突き抜けていく。

 

 動きに一切の澱みが無かった。

 

 迷いを切り捨て、歪みを削り、勝利を掴む。

 

 華奢な少女の見た目に反し、余りにも重厚な走り。

 

 その姿はまさに"王者"の走りだった。

 

 そして、逃げの俺は、差し切られてしまえばどうしようもない。

 

 どうしようもない──そう、諦められる筈だった。

 

 1馬身。

 

 このまま、距離が離れていく。

 

 

 2馬身。

 

 

 離れていく。

 

 

 

 3馬身。

 

 

 

 離れて──

 

 

 

「──()()()()()()()()……!」

 

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

 ──気づけば、俺は暗闇の中に居た。

 

 果てのない暗闇は、まるで宇宙の様だった。

 

 しかし、脚には確かに何かを踏みしめる感触があった。

 

 

 

 ふと、こう言われた気がした──────「走れ」と。

 

 

 

 次の瞬間、暗闇の中に、一点の光が差し込んだ。

 

 眩しくて仕方がない。なのに、俺はその光から目を離せなかった。

 

 やがて、銀光を帯びた流星群がその光に向かって昇っていく。

 

 幻想的で、どこまでも眩しくて、耐えられそうにない。

 

 あの光にどうしようもなく惹かれる自分が居る一方で、この暗闇が居心地良く思えてしまう自分も居た。

 

 

 

「──キミは、どうしたいの」

 

 

 

 ぼうっとしていると、隣から声がした。

 

 かつて聞いた事のある、声だった。

 

「なんで……」

「だ〜か〜ら〜ッ! どうしたいのって聞いてんじゃん! 質問に質問を返さないでよぉ〜!」

「トウカイテイオーがなんでここに居るッ!!」

 

 ウマ娘としてのトウカイテイオーがそこに居た。

 

「ふっふっふ。ボクはムテキのテイオー様ゾヨ! 困ってるヒトを助けるのは当たり前ゾヨ〜!」

「……訳わかんねえよ。何で俺はトウカイテイオーになってんだよ。何で大人しく寝させてくれなかったんだよ」

 

「ふーん……──それで良かったの?」

 

 ──良かっ、た? 

 

 良いわけないだろう。()()()()()()()、簡単に死んで親父を独りぼっちにして──

 

「じゃあ、諦めたらダメだよね」

「この世界に何があるって言うんだよッ!」

「あるよ。三女神様が言ってたもん」

「何を──」

 

 

「キミのお父さんも、この世界に生まれ変わってるって」

 

 

「…………は?」

 

 なん、だよ、それ……そんなのアリかよ……。

 

「誰だ! 誰に生まれ変わった! ウマ娘か!? 人間か!?」

「ウマ娘の近くに居る人間らしいけど、名前までは分かんないかな」

 

 ウマ娘の近くに居る人間……まさか、トレーナーか? 

 

 それに……()()()()()()()って事は……親父の罪は、赦されたのか? 

 

 会える? 親父に? 

 

「うんうん、キミがこのまま頑張って()()()()()()()()()()()()、きっとね!」

 

 いや待て。もしそうなら、俺は"テイオー"として生きるべきじゃないのか。

 

 俺が"俺"として生きていたら、いつか俺の事を知った親父はまた罪を抱える事になる。だったら……

 

「って何でさ! 何でそうマイナスマイナスマ・イ・ナ・スにッ! 考えちゃうのさぁ〜っ!!」

「……俺はやっぱり必要ねえよ」

「会いたいとかさ! 無いの! ホントのホントに! 1ミリも無いの!!」

 

 それは……無くもない。でも、怖いんだよ。俺が親父を苦しめるかもしれないって思うと。

 

「そんなの会ってみなくちゃ分からないよね?」

「だから"もしも"の話を……」

「そうならない"もしも"もあるじゃん!」

 

 ……そう、なのか。

 

 いや、分かんねえよ。そんな"奇跡"ある訳……

 

「……あるよ」

「っ──」

「それに勘違いしてる。奇跡は待つモノじゃない。起こすモノだよ」

 

 そうか……だから"トウカイテイオー"な訳か。

 

 冬の中山に奇跡を起こした、最強不屈の帝王様。

 

 奇跡を起こすに相応しい、ってか。

 

「三女神様が何で申し訳なさそうにしてたのかは分からないけど、色々な事情があるんだと思う」

「……ああ、そうだな」

「でもボクには関係無い。キミがそうしたいのなら、そうするべきだと思ってる。だからこうしてキミは生まれ変わった訳だし」

 

 そう口にするトウカイテイオーの姿は、万民を導き苦悩を晴らす帝王そのものだった。

 

 ずけずけと人の心に踏み込んで、やりたい放題やって、いつの間に無駄に考えるのも馬鹿馬鹿しく思わせてくれる。

 

 それくらい傍若無人な方が、帝王らしいと言えるのだろう。

 

 

「──だから見せてよ。キミが駆ける、キミだけのテイオー伝説を」

 

 

 最後にそう言うと、トウカイテイオーは、背中を向け、銀光の集う先へ走り出した。

 

 

 

「まだ、分かんねえ。

 

 この先がどうなってるか、何が待ってるか。

 

 恐怖は消えない、でも、俺は進みたい」

 

 

 

 ──()()()()()()()()()

 

 

 

 俺は、光に惹かれる様に走り出した──

 

 光の中へ消えて行く"星"が、新たな"星"を紡いで行く。

 

 ──そうか、星だ。

 

 古朋あぶみ……彼女の魂は、"星"の血筋を受け継いだかの名牝だ。

 

 その魂は、牝馬でありながら"日本ダービー"を初めて制覇した伝説の存在。

 

 彼女の本当の名は──

 

 

 

……

 

…………

 

………………

 

 

 

 力を無くした筈の脚が、動き出す。

 

 崩れかけた身体が、立ち直る。

 

 暗く沈んだ視界は、明瞭に。

 

 胸が破れそうな程、痛いくらいに鼓動が高鳴っていた。

 

 脚に伝わる衝撃が、

 

 荒れた風が肌を撫でる感覚が、

 

 降り出した雨が身体を濡らす感覚すらも、新鮮で心地良い。

 

 何もかも生まれ変わった様に、清々しい。

 

 本当は何も変わっていないのかもしれない。でも良い、この一瞬だけは"勘違い"したままで居させてくれ。

 

 俺は、どこまでもクソッタレだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なのに──()()()()()()()()

 

 でも、それで良い。

 

 これから進む中で見つけて行けば良いんだ。

 

 だから"今"は──

 

 

 

()()()()()()()()()!!』

 

 

 

 ──()()()

 

 ──()()()

 

 ──()()()

 

 

 その技の本質は()()()()()()()だと俺は考える。

 

 

 "雲を貫け(究極)虹を越えろ(テイオー)星を掴め(ステップ)

 

 

 三段跳びの選手ともなると渋谷のスクランブル交差点を3歩で横断してしまうらしい。それならば、ウマ娘の脚力を以って三段跳びをすれば、より速くより遠くまで跳べる筈だろう。

 そう考えた俺は、ホッピングにでもなったつもりで強いキックを絶え間なく地面に叩きつけ、その反動で前に跳ぶ。

 

 リズムを間違えれば、後が総崩れになってクラッシュだ。

 

 だが恐怖は無かった。迷い無く脚は前に出てくれる。後は何度も何度もタイミングのシビアな三段跳びを繰り返すだけ。

 

 するとどうだ。最高速度は限界を超えて遥か遥かに上を行く。

 

 

 ──風が、気持ち良い。

 

 

 何故だろうか。今までそんな事を思った記憶は無かったのに。

 

 それが望んで走っているからなのか、それ以外の理由があるのか、俺には分からなかった。

 

 

 ただ言えるのは、俺はこの時"全力"だった。

 

 

 それからは、余計な思考は打ち切った──途切れそうな集中を、鼓舞で奮い立たせるだけで良いと思ったからだ。

 

 

 

 

 ──走れ! 

 

 

 

 

 10馬身

 

 

 

 ──走れ、走れ! 

 

 

 

 8馬身

 

 

 ──走れ、走れ、走れ! 

 

 

 6馬身

 

 

 

 

 ……だが、まだ足りなかった。

 

 

「くそッ──」

 

 

 まるで、届かなかった。

 

 

「こなくそぉぉぉぉっ!!」

 

 

 伸ばした手の中に消えた、あの背中に。

 

 

 

 ──結局、俺が決勝線を踏み越えたのは、シンザンがゴールしてから1秒以上も後の事だった。

 

 

 

………………

 

…………

 

……

 

 

 

「──ん?」

 

 ここは……屋敷、じゃない。居間か……どうして、俺は優駿荘の部屋で寝っ転がってるんだ? 

 

「ああ、起きたか、少年」

 

 そして俺は、古朋の顔を見て全てを思い出した。

 

 届かない背中。

 

 踏めもしない影。

 

 足音すら、彼女には届いていないだろう。

 

「負けたんだな、俺は」

「そうだ。そしてあの後、糸が切れた人形みたいに君は倒れてね。でも仕方ないさ。相手は元プロだ」

 

 シンザンに負けた。完膚なきまでに。

 

 仕方ない、なんて言葉がここまで空虚に思えたのは初めてだった。

 

 どこかで言い訳に甘んじて、安易な自己肯定で安堵したがる自分が居たって良い筈だ。

 

「仕方ない、よな」

 

 なのに、何で握った拳が解けないんだ。

 

 震える足で、立ち上がろうとしているんだ。

 

「悔しいか?」

「思えねえよ。当たり前の結果だからな」

「……やっぱり、君は隠し事が下手な様だ」

 

 やっぱり俺は古朋あぶみが気に食わねえ。分かった様な顔して、暴き立てて。俺のプライバシーは皆無だ。

 

 悔しい? ……そんなの当たり前だろう。真剣勝負に負けてそうならないヤツなんて居ない。男なら、尚更だ。

 

「パーマーは何処に居る?」

「私が指示を出して町内走り込みの真っ最中だ」

 

 ……俺の事、情けないと思ってるんだろうな、パーマーは。

 

「シンザンは?」

「シンちゃんはゴールしたらそのまま何も言わずに何処かへ行ったよ」

 

 アウトオブ眼中、か。そりゃそうだよな。ヤツは神様みたいなモンだ。俺みたいなのは逆立ちしたって敵う訳がない。

 

「……で、君はどうするんだい?」

 

 古朋はしたり顔で俺に問いかける。

 

 もう答えは出ている。

 

 何かは分からないが、俺はあのレースで()()()()()()()()()だ。

 

 そして、その大切な事の為に走らなきゃいけないんだ。

 

 丁度いい。それで雪辱も果たせば一石二鳥だ。

 

 だから、答えは勿論──

 

 

 

「疲れたから寝る」

「へ?」

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 晴天、濃霧の府中を一人のウマ娘が走る。

 

「……はぁっ、あ〜疲れた」

 

 やがて、彼女は立ち止まる。

 

 瞬間、不意に吹き込んだ風により、薄霧に包まれた姿が暴かれる。

 

 短く揃えられた鹿毛に、ナイフの様な白い流星。

 

 彼女の名は──"ウオッカ"。

 

「んぐっ……んぐっ……ぷはぁ〜! 疲れた身体に染み渡るぜ〜!」

 

 腰に下げた麦茶入りのスキットルをひと呷りすると、ウオッカは満足気に口元を袖で拭った。

 

 その姿は、彼女が小学生でなければ十二分に様になったのだろう。

 

 そんな()()()をする彼女は、大きな夢を抱いていた。

 

「後四年で"日本ダービー"かぁ。あぁ〜待ち切れねえぇ〜っ!!」

 

 ウマ娘として、ターフに生きる者なら誰しもが見る生涯たった一度の夢──"日本ダービー"。

 

 ウオッカは、()()()()()()()()の背中を追って今日もまたトレーニングに打ち込んでいた。

 

「見ていて下さい、ヒサトモ先輩! クリフジ先輩! 俺、絶対日本ダービーを獲りますから!!」

 

 確かに、ウオッカにとってそのウマ娘は先輩なのだろう。しかし彼我の繋がりは全くと言って良い程皆無である。

 

 しかしそれでも、ウオッカには関係ない。

 

 何故なら、彼女の中の魂が、二人の魂にどうしようもなく惹かれているからだ。

 

 

 ──答えなど本能(タマシイ)に聞け、その本能が決して消えない道標となる。

 

 

 そんな考え。彼女の生き方は、小学生にして既に完成しつつあった。

 

「──よし! 気合い充填ッ! エンジン全開だぁぁぁっ……あ?」

 

 気炎を漲らせ、いざ発進……となった所で、薄霧の中、浮かび上がる影がまた一人。

 

 その背丈は、ウオッカよりも少し低いくらいか。しかしその髪は、ウオッカとは比べ物にならない程長く、ストンと癖なく落ち着いた髪質は、嫋やかな女性らしさを演出している。

 

 やがて影は、色を帯び、より鮮明に姿を明かす。

 

 ウオッカと同じ鹿毛、ペタリと頭にへばり付くウマ耳に力無く揺れるウマ尻尾、滂沱の様に流れている汗にも気を配る余裕は無いのか、虚ろな目でふらふらと怪しい足取りで歩くウマ娘が、ウオッカの前方に現れた。

 

「オイ、アンタ大丈夫かよ!?」

「川の向こうで親父が手ェ振ってやがる……今行くぞ、親父……」

「どう見てもマトモじゃねえ?!」

 

 ウオッカは練習を切り上げ、急いでそのウマ娘の元へ駆け寄る。

 

「うぅ……喉が、乾いた……」

「! 分かった、水分だな! ならコレ飲めっ!」

 

 スキットルの蓋を開き、そのウマ娘の口に少しずつ麦茶を垂らしていく。

 

 

 

 そうする事しばらく。

 

 

 

 ──そのウマ娘は、穏やかな表情で寝息を立てていた。

 

 ウオッカもそれに釣られ、ふう、と胸を撫で下ろす。

 

「ってこの子、ヒサトモ先輩に似てるような気が……」

 

 そして、落ち着いた頭でもう一度状況を整理していたウオッカは、そのウマ娘がヒサトモに似ている事に気付く。

 

「『他人のそら似』ってヤツか? いやでも、それにしちゃあ……」

 

 

 

──✳︎──

 

 

 

 そうして、運命の歯車は拍車を掛けて回り出す。

 

 

 "逃げる事を選んだテイオー"と"爆逃げのパーマー"。

 

 "未知の今を生きるテイオー"と"歴史に名を刻む古強者(ふるつわもの)たち"

 

 

 そして今ここに、新たな歯車が一枚組み込まれた。

 

 

 "()()()()()()に出会ったテイオー"と"()()()()()()に憧れを抱くウオッカ"

 

 

 ──運命の十字路は、もうすぐそこに。

 

 



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暴君のまつりごと

先に此方が書けたので投稿です。

注意:今回は全く話が進みません。

原作キャラクターの輪郭を捉えるのが難しい……。間違ってたら修正します。


 野良レース。

 

 その存在はウマ娘の存在が確認された時代から存在している。

 

 かつてはウマ娘のレースが男子禁制かつ神事としての側面を強く持っていたと言うのは周知の事実だろう。

 日本に古くから伝わるスポーツであり女子禁制であり神事の側面を持つ相撲との関係性の指摘は古くから学者達の間で口角泡を飛ばして来た事だ。

 

 しかし、それ故にレースに出られるウマ娘とはごく限られた存在だった。

 

 ウマ娘にとって、走りたいと言う欲求はレースをしたいと言う欲求と隣り合わせだ。レース、つまり神事に出られないウマ娘は不満を溜め、思いを同じくする他のウマ娘達と非公式なレースを行った。

 

 それが野良レースの始まりと言われている。

 

 今も尚、レースに出られない事情を持つウマ娘達の間では野良レース、もといストリートレースが行われている。

 

 ──ここ、府中でも。

 

 

 

 ──✳︎──

 

 

 

 ここは府中のある一角、高度経済成長の遺産、再開発の波に取り残された廃工場。

 

 そんな昼夜問わず人気(ひとけ)の無い廃工場の側にやたらと明るい場所がある。

 

 その明かりに惹かれてみれば、廃材で作られた土台を工業用ランプがライトアップする手作りのパドックと、それに群がるウマ娘達の姿。

 

 周りには露天が並び、辺りはさながら祭りの光景だ。中には出張占い屋などと言う怪しげなものも。アンダーグラウンドめいた雰囲気は、ウマ娘でなくとも魅力的に映るのか、人間の姿もチラホラとある。

 

 皆その場に満ちた熱に浮かされ、半狂乱気味に叫んでいた。

 

「……何故私はこんな格好をしている」

「これも会長の指示だ」

「面倒だな」

「副会長の自覚は無いのか?」

 

 深く帽子を被りマスクとサングラスを身につけて、スカジャンを着込んだ2人のウマ娘は、その群衆の外から帽子の(つば)をつまんでステージ兼パドックを垣間見ていた。

 

「第一、ここにはトレセン学園に入学出来なかった者や訳有りでレースに出られない者らが集まる場だろう。私達の目に留まる存在が居るとは思えないが? 居たとしても、こんな低レベルな場所に居るなら高が知れている」

「口を慎め()()()()()。私達トレセン学園生徒会は学園の外であっても生徒会として見られる。品性を疑われる様な言動は私が厳に戒めるぞ」

「まったく、()()()()()()はそう肩肘を張って息苦しくならないのか? ここに居る奴らは私達が居るなんて思っていないだろう」

「それでもだ」

 

 2人の会話の間に、司会者と思われるウマ娘が壇上に立ち、ひと夜の祭りの狼煙を上げる。

 

「お前らッ! 今夜もレースがしたいかッ!!」

 

『したーい!!』

 

「今夜もレースが見たいかッ!!」

 

『見たーい!!』

 

「なら待たせたな野良ウマ娘ども!! ストリートレース、開幕だぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

『おぉぉぉぉぉッ!!』

 

 慣れたコールアンドレスポンスと共に、会場のボルテージは最高潮に達する。

 

「まずはコイツら……」

 

 そして、パドックには続々とウマ娘達が現れる。

 

 中には、ウマ耳ウマ尻尾を取り付けただけの人間も居た。

 

 しかし、観客達はそれに何も言わない。

 

 訳有りでレースに出られないとは、つまりこう言う事だ。

 

 人間の中にはウマ娘のトレーナーを志す者も居れば、時折ウマ娘自体を目指す者も居る。当然ながら、種族の差がある為に叶うべくもない。

 

 それでも、胸の熱を抑え切れない者達は、自ずとここへ辿り着く。

 

 誰もが走れる、誰もがレースに出られるこの場所へ。

 

「……ふん、ただの遊びだな」

「しかし誰もが真にレースに参加出来る・楽しめると言う意味では理想的でもある」

 

 ブライアンと呼ばれたウマ娘はニヒルな笑いを浮かべ、対してエアグルーヴと呼ばれたウマ娘はこの光景に微笑みを浮かべている。

 

 その光景は互いのスタンスを表していた。あくまでもレースとは真剣勝負の中にあるべきだと言う前者と、レースが大衆に親しまれる為にはこうした方法もあると言う後者。

 

「会長は、私達に考えて欲しかったのだろう」

「まだレースは始まっていないが」

「莫迦かブライアン。レースの在り方自体を問う事だ。新理事長と会長の思想には共通する点がある。この様なレースの在り方を考える事は、今後のトゥインクル・シリーズひいてはトレセン学園の為になる」

「……会長の考える事はよく分からん」

「ふっ、精進する事だな」

 

 朗らかな会話の中に、壮大な文言を詰め込んだ2人の会話。

 

 勿論2人は只者ではない。

 

 ブライアン、その正確な名はナリタブライアン。エアグルーヴと呼ばれた彼女共々、トレセン学園生徒会の副会長を務めている。

 

 実力に加え、勤勉さや理路整然とした働きが評価されて副会長となったエアグルーヴに対し、ナリタブライアンはその実力のみで副会長となった強者だ。

 

 2人は今、会長であるシンボリルドルフと言うウマ娘から指令を受け、府中の一角で行われるストリートレースを視察することを命じられ、ここに居た。勿論、非公式なレースの場に生徒会の面々が居るのは問題となる為、不良風の変装もしている。

 

「どうやら、もうすぐ始まる様だな」

「コースはどうなっている、廃工場周りの道路を走るのか?」

「ブライアン、前もって調べておけと言っただろう。……コースは2400mの障害レースだ。見れば分かるが、前半は道なり、後半からはこの一帯にある廃工場二つを線で結ぶ様なコースになっている。後、コースの道中にある廃工場の中では指定の出口に向かって廃工場の中を走り回る事になるそうだ。どうやらパルクールの使用も許可されているらしい」

「……随分と詳しいな」

「会長から事前に指示を頂いてからと言うもの、その夜から此処には通い通していたからな」

「なあエアグルーヴ、私は……ハブられていたのか?」

 

 腑に落ちない様子のブライアンを尻目に、エアグルーヴはいよいよだぞ、と視線をステージ上の大型モニターに向けている。

 

 恙無く進んでいく選手紹介。

 

 しかし、エアグルーヴの顔は驚愕に歪む。

 

 群衆の外に立つエアグルーヴの側を、1人のウマ娘が通り過ぎた。

 

「会長!?」

「何を言っているエアグルーヴ、こんな場所に会長がいる筈……」

 

 そう、ブライアンが言いかけた時だ。

 

「おい! あれ見ろよ!」

「アイツ……レース嫌いで有名な!?」

「府中の不良ウマ娘を一年掛からずに全員叩きのめしたって噂の……」

 

 振り返り、ざわめく観客達。

 

 その観客の波を縫い、そのウマ娘は真っ直ぐにステージへ向かう。

 

 やがて、その体がステージの端に触れた瞬間、彼女は躊躇いなくステージに上がった。

 

「……」

 

 ステージに上がった彼女は、何やら司会と会話をしている様だったが、その内容は聞こえてこない。

 

 しかしながら、勝負事の場に立ったウマ娘(走者)がする事など、きっと一つしかない。ブライアンはしたり顔でその次第を見守る。

 

「なんとここでサプライズ! 乱入者のエントリーだ!」

 

 長いコードを引いたカメラマンが、急いで壇上の乱入者にピントを合わす。そして背景一杯に広がる大型モニターに、乱入者の顔が明かされた。

 

「なるほどな。これは似ている」

「まさか、会長に隠し子が……?」

「おいエアグルーヴ、会長絡みのトラブルになるとどうしてそこまでポンコツになるんだ」

 

 その表情は、カメラマンに睨みを、否、ここに居る観客達に睨みを効かせている様だった。

 

「乱入者の名前は『暴君』トウカイテイオー! 夜の府中にその名を轟かせるウマ娘だ!」

「その名で呼ぶんじゃねぇ! 俺はトウカイでもテイオーでもない!」

 

 司会が叫び、トウカイテイオーは即座に司会のマイクをぶんどりその文言に訂正を加える。暴君と言う文言にツッコミを入れないあたり、その名前に対するコンプレックスは筋金入りだと初対面の者達でも悟る事が出来た。

 

 が、大声で叫んだが故に、ハウリングとノイズによって耳敏いウマ娘以外には、その言葉の意味を正確に読み取る事は不可能だった。

 

 だから観客は……割れんばかりの歓声でこれを返した。

 

「……なんだお前ら! ふざけてんのか!?」

 

 マイク越しに聞こえた困惑の声に、観客は更に歓声を上げる。

 

 気を取り直したエアグルーヴはそれもそうだ、と腕を組んでカラカラと笑った。ブライアンもまた同じく。

 

 レースは観客にとって様々な意義を持つ、ならば選手にとっては? 

 

 その答えは両者変わらない。観客が持つそれと同じに、大なり小なり様々だろう。

 

 その中でも、レースは客商売だと考える者が居る。レースと言う興行を成立させるのは、ひとえに金を落としてくれるファンや観客達やスポンサーだからだ。

 だからこそレースには様々な『ロール』が存在する。役割だ、それがある事で、レースは勝負事の枠を超えた壮大な物語となる。

 

 今、トウカイテイオーがやっているのはある意味での『ヒール(悪役)』だ。

 トウカイテイオーは無意識の内にエンタメ的なヒールの枠に滑り込み、観客もまた、無意識の内に彼女を典型的なヒールと認識した。

 

 レースの在り方や知識に精通している副会長2人は、そう言う構図を理解してしまった為に、思わず笑ってしまったのだ。

 意図した悪ぶれとそれがレースと言う観客が刺激を求める場に奇跡的な噛み合いを見せた事。それが科学反応を引き起こし、一瞬にして『暴君(ヒール)』トウカイテイオーを誕生させてみせた。

 これが可笑しくなくてどうする、そう2人は呆れながら笑っていた。

 

「お前ら! 笑うんじゃねえよ!!」

 

 ステージで道化になりつつあるトウカイテイオーを前に、ブライアンは唐突に予感を覚えた。

 

 ……少しは楽しめそうだな、と。

 

 ブライアンの笑みは人間的な頬を緩めた笑みからいつの間にか、野生的な口端を吊り上げた笑みへと変わっていた。

 

 渇きしか知らぬ獣の前に、僅かながらの水が一杯。

 

 エアグルーヴはこう考える。

 

 暴君の器はどれ程の水を湛えているのか、と。

 

 歴戦の瞳は、今始まろうとするレースに向けられた。

 

 

 

 ──✳︎──

 

 

 

 空撮用ドローンが古びた道路を走る者たちを映し撮る。

 

 工場のパイプラインが作り出した幾重にも連なるアーチの中を、ウマ娘とウマ娘の格好をした人間が走り抜けていく。

 

 人間はウマ娘の後塵を拝さざるを得ないが、流石はレースに名乗りを上げるだけあり、それでも常人と呼ぶには十二分に速すぎた。

 ウマ娘達もまた、エリートコースに乗れなかったとは言えウマ娘、その走りは人間と一線を画すものがある。

 非公式の名ばかりレースとは言え、その走りはアマチュア以上のそれだった。

 

 しかしながら、頭抜けて1人飛び出す影があった。

 

 ──テイオーだ。

 

 後ろを定期的に確認しながらも脚色は衰えない。寧ろ早まっている気すらする。

 

「暴君まさかの大逃げからの逃げ切り態勢か!? 既に二番手以下とは7バ身以上の差があるぞ!!」

 

 モニターを確認しながら司会が語る。

 

 しかしながら、そうではない、と感じていた2人が居た。

 

「アレは……()逃げか?」

「いや、ヤツは前を見ていない、相手を見ていた。()()()()()で様子見をしようとして肩透かし……そんなところだろう」

 

 怪訝な顔をするエアグルーヴに対し、ブライアンは腕を組んでどっしりと構えていた。まるで最初から結果は見えている、とでも言いたげに。

 

「他の相手が遅過ぎた、と言う事か?」

「そうだ。アレでも二番手くらいならトレセン学園の最下層にいる可能性はあるだろうウマ娘だが……一体、誰の走りを比較しているんだろうな」

 

 しかしながらそんなブライアンにも分からない事があった。

 

 ──誰を比較しているのか。

 

 レースでは様々な戦略が立てられる。真っ向勝負はあっても、ゴールを前にした時で、それ以外は基本的に戦略が勝負の鍵となる。

 

 戦略の一つは、ウマ娘達が得意とする走り方『脚質』だ。

 

 先頭に着けてセーフティーリードを築きつつゴールを目指す『逃げ』。

 

 先頭集団に潜り、常に先頭に喰らいつける位置を保ちながら粘り勝ちでゴールを目指す『先行』。

 

 先頭集団から下がって中団以降で脚を溜め、最後の数ハロンで一気に追い上げてゴールを目指す『差し』。

 

 後方集団で力を蓄え、中盤終盤から全力で前に踊り出してゴールを目指す『追い込み』。

 

 また芝やダートと言ったバ場への適正や『距離適正』も忘れてはならない。

 

 短距離に適正を持つスプリンター。

 

 1マイル、約8ハロンに適正を持つマイラー。

 

 中距離に適正を持つミドルディスタンスウマ娘。

 

 長距離に適正を持つステイヤー。

 

 これら『脚質』そして『距離適正』。

 

 これらだけでなく、最後に勝負を左右する決定打。

 

 それこそ『対戦相手』だ。

 

 これら脚質や距離適正諸々を知り、相手がどんな戦略を弄するのか、レースとは勝負事であるが故に、これが必須となる。

 

 また、相手の情報が無ければ、戦うのは己の想像の中にある敵と言う事になる。その相手とどうやり合うか、それは若くして最強となったブライアンにとって、排する事の出来ない大きな課題であった。

 

 だからこそ、ブライアンは知りたかった。

 

「ヤツは何を見て来た。お前の前に走っていた存在は、それ程に疾かったのか?」

 

 気付けば、スクリーンの向こうに問いかけていた。当然、答える者は居ない。

 スクリーンの中に居るテイオーは何か悩ましい表情をしながら、前を睨んで走っていた。

 

 しかしブライアンの目は、テイオーの視線の先に何かが居るように思えてならなかった。

 

 廃工場に深く射した闇の中に、何か、走る影が。

 

 求めるが故の妄想か、はたまた縁を通じて現れた生霊の如き存在か。

 

「問い詰めた方が早いか」

 

 ブライアンは、そんなテイオーを問い詰める事を1人決意した。

 

 走り終えれば、今以上に悩ましい事態になるなど、テイオーは知る由もないだろう。

 

 ──レースはやがて、廃工場へと場を移す。

 

「……何?」

 

 そしてここで驚嘆を見せたのは、エアグルーヴだった。

 

「おっと! まさかまさかの暴君のパルクール!? 使えるのは脚だけじゃあないと言う事か!?」

 

 ウマ娘ならば、走り抜けても構わないだろう廃工場のキャットウォークを、テイオーはアクロバティックなパルクールでするりするりと抜けていく。

 

 H状のキャットウォークは、平行状態の通路を繋ぐ垂直の通路ではなく直接向こう岸へジャンプしてショートカット。

 

 階段は段を飛び越えるのが当たり前、手摺りすらも足場にするその姿は、テイオーの身軽さをこれでもかと表していた。

 

 しなやかな足腰の筋肉に加え腕力、身体全体を使うとされるフランス発祥のスポーツ、パルクール。

 元は軍の訓練の一環と言う事もあり、それを既知としていたテイオーの中に居る()は、骨の強度を高める事に拘泥していた。

()の骨の事は知らない彼だが、人間の骨については彼も知る所。彼は人間の骨は衝撃を加える事で、より強固になると知っていた。

 故に走るのみならず、上下動も取り込みより衝撃を感じられるスポーツ、パルクールに目を付けた。

 

 何故拘泥するのか? それは彼にとって、骨折と言う事故もまたテイオーをテイオーたらしめる()()()()だったからだ。だが皮肉にも、危機を回避する為に始めたパルクールにより、テイオーの危機感は麻痺してしまっていると言うのはなんとも言えないオチである。

 

 骨折すれば、彼はテイオーに近付き、彼は彼でなくなる。

 

 そんな事を考える拗れた性格が災いし、また幸いした。

 

 災いとはブライアンに目を付けられた事、レースが終われば、もれなく一滴残らず搾り取られる危険が忍び寄るだろう。

 

 幸いとはトレセン学園生徒会に顔を知られた事、もしかすれば、これは彼にとって顔繋ぎの良い機会になるかもしれない。

 

 災いと幸いは紙一重。

 

 ならば、勝者と敗者もまた、紙一重。

 

 やがて勝負は決する。

 

「さあ、2つの廃工場を抜けて最終コーナー! 先頭は依然暴君の独擅場! 後ろは見えないッ!!」

 

 この野良レースでも滅多に見られない大差勝ちの予感に、会場のボルテージも上がっていく。

 

 が、事態は風雲急を告げる。

 

「なっ! 第一廃工場エリアで事故ッ!?」

 

 場面を切り替えて二番手集団へドローンのカメラを移した時、事故は起こった。

 

 見れば、廃工場の中に張り巡らされたキャットウォークの一部に老朽化からか穴が空き、1人の人間がその穴の縁にしがみ付いている映像が流れていた。最後尾を走っていたヒト娘だ。

 キャットウォークから地面まで十数m、落ちれば怪我では済まない。

 

「助けに行くぞ」

「ああ」

 

 たった二言、映像を見たエアグルーヴとブライアンはそれで即座に行動を開始した。

 2人が目指すのは、後半からの廃工場エリア、しかし間に合うかどうかは怪しい所だった。だからこそ、彼女達は迷わなかった訳だが。

 

 そして、それとは別に動き出したウマ娘が居た。

 

「なんと、暴君が逆走している!?」

 

 ──またもや、テイオーだ。

 

 

 

 ──✳︎──

 

 

 

「エアグルーヴ! 最短距離を教えてくれ!」

「ここから直進するなら……北北西、左30度だ!」

 

 そう言われて私は、そちらに向けて脚を向ける。エアグルーヴには悪いが、私の方が幾らか早く着けるだろうと思い、エアグルーヴの事は置いていく。

 

 目の前にはまた別の廃工場があり、シャッターで閉じられていたが、緊急時だ、致し方ないと、壊して進んだ。

 

 距離にして1200m程、幾らウマ娘が瞬足であろうともその距離は易々と埋まる事はない。その事実に苛立ちを覚えるが、脚を止めるわけにはいかない。

 

 何故なら私は、最強だからだ。

 

 拒む者も阻む者も、運命だって薙ぎ倒して進まなければならない。

 

 これしきの困難は、越えなければならない。

 

「……っ、どこだ……!」

 

 自然と焦りが口をついて飛び出す。ここまで焦ったのはあの時以来久しぶりだ。幾つかの廃工場を貫くも、モニターに映っていた廃工場はまだ見えない。

 

 ──レース中に怪我人が出る。

 

 それは勝負事には珍しくもない話だが、当たり前であって良いものではない。幾らそれぞれが最高の結果を求めたからと言って、その末に起きるのが悲劇では、悲劇でしかないのだから。

 

 堕落に甘んじず、最善を目指す改革。

 

 それこそ会長が掲げた物で、私達はそれに納得して下に着いた。

 

 それなのに私が、それを成せずしてどうする。

 

 最高だけでなく、最善を。

 

 シンボリルドルフではなく、トレセン学園生徒会長にとってのゴールとは、ウマ娘、ひいてはレースに関わる者皆の幸福だ。

 

 その前に立ちはだかる影は、私が払わなければならない。

 

 ──ガシャンッ! 

 

「あれか……!」

 

 三度目の廃工場を突き抜けた先に、ようやく目的地を捉えた。

 

 しかし、一足遅かった。

 

 目的の廃工場に入った瞬間見えたのは、三階程の高さから落下を始めた人間の姿。

 

「くそっ──」

 

 脚を踏み出そうとするものの、私の中の勘で分かってしまう、彼女には届かないと。

 

 視野が狭窄し、時間の流れは鈍化する。

 

 生物なら誰しもが持つ本能、それに伴い使用される未使用の領域、ゾーン、あるいは超直感とも言えるそれを使っても、私の手に届かないのは明らかだった。

 

 ──だが、来ている。

 

 ──間違いなく、何かが。

 

 ──そしてその感覚が、この場に居ない筈の第三者を捉えた時。

 

「……くははっ!」

 

 ──……私は何故か、笑っていた。

 

 私より疾く彼女の真下に飛び込んだのは、私よりも小柄なウマ娘。

 

 何故か、会長にそっくりな見た目をした、謎のウマ娘。

 

 廃工場の窓から射し込む白い月光に染まったヤツは、まるで御伽噺にでも居そうな白バの様で。

 

 彼女に手を届かせたその瞬間、強張っていたヤツの顔がフッと和らぐのを見て、私はこう思った。

 

 きっとヤツは、とんだお人好しに違いない、と。

 

 私の目には、会長とヤツが重なっている様に見えた。

 

「ぐふっ!」

 

 落下した彼女はヤツの細い腕と身体に抱き止められる。

 

 ヤツは……締まりのないうめき声を吐いていた。ブーブークッションの様だ。だが、平気そうにため息をついている。まずは一安心、だろうか。

 

 ヤツの手から離れ、ごろんと地面に寝かされた彼女の方は……外傷も無く無事そうだ。ウマ娘の膂力があれば、三階程度から落下する人間を受け止める事は、まあ無理ではなかったろう。落下中に気絶してしまったようだが、心配なら後は救急車でも呼んで精密検査でもすれば良い。

 

「……大丈夫か」

 

 遅れて彼女の元へ辿り着いた私は、彼女を助けた暴君……トウカイテイオーに手を伸ばす。

 

「お前は……別に俺は大丈夫だ」

「そうか、随分と汗をかいている様に見えるが」

「そう言う体質なんだよ」

「強情だな、必死だったんじゃないのか?」

「そっちこそ、人命の危機に余裕そうな顔して到着しやがって」

「私はレースに出ていないからな。それに年齢や鍛え方も違うだろう」

「……ふん」

 

 どうやら暴君の名に違わず、随分な捻くれ者らしい。トレセン学園には良くも悪くも真っ直ぐな者が多く、こう言うタイプのウマ娘は珍しい。

 

 そのせいか、私の中に妙な悪戯心が影を出す。

 

「まるで英雄の様だったな、トウカイテイオー」

「ッ! その名で呼ぶんじゃ……」

「何故だ。何故、その名を否定する」

 

 次の瞬間、私はトウカイテイオーの上に覆い被さっていた。

 

「私から、平地で逃げられると思うなよ」

 

 膝をトウカイテイオーの両足の合間に滑り込ませ、逃げられない様にする。私を押し退けようとする細い両手は、私の一回り大きな両手で押さえ付けた。

 

 今のトウカイテイオーは、ただ首と腰と脚をもぞもぞと動かす事しか出来ないただの少女同然だ。

 

「それは、お前が()()()()ものと関係があるのか?」

「ッ! 関係、ねぇだろう……がッ!」

 

 必死になって身体を動かしているが、恐らくトウカイテイオーは小学生。中学生相応の体躯の私には、逆立ちしても勝てはしない。

 それに、トウカイテイオーが会長の顔に似ているせいか、私の中にある闘争心のスイッチが壊れてしまったらしい。トウカイテイオーはこんなにも逃げ出そうとしているのに、まるで離そうという気にならないのだ。

 

「教えてくれ、お前は何を見ていた。いや、誰の走りを見ていた」

 

 勝利より大切なものがあると言う考えを持った会長にも、目の前のトウカイテイオーはよく似ている。

 私が最短距離でコースの半分を抜けても後半の序盤にある第一廃工場には間に合わなかった。なら、私よりは遅い筈のトウカイテイオーがゴールしてからUターンするのは間に合わない可能性が高い。

 つまりトウカイテイオーは目先の勝利を捨てたのだ。今寝転がっている彼女に距離的に違いウマ娘は幾らでも居た筈にも関わらず。結果としては彼女を助けると言う結末だったが、別のウマ娘に助けられて、トウカイテイオーには何も残らない可能性もあった。

 

「お前は、一体何を考えている」

 

 最初は、トウカイテイオーが見ている何かを知りたかっただけだったが、今になってトウカイテイオー自身の事も知りたくなった。昔から姉貴には我儘だと言われていたが、どうにもその性分は曲げられないらしい。

 

「クソッ、離しやがれ……ッ!」

 

 いっそ、このまま私が連れ去って、鍛えるのも悪くない。トウカイテイオーはまだ未熟、私でも十二分に御せる筈だ。姉貴には道端で拾ったと言えば良いだろうか。

 

 ……そうすれば、私の渇きも癒えるかもしれない。

 

 ──そんな風に、思考は影の中へ脚を踏み入れようとした時。

 

「ブライアン、年下相手に何をやっている」

 

 その声は、あまりにも厳かだった。

 

「副会長として品性ある言動を、と言った筈だが?」

 

 その手は、身震いする程冷たかった。

 

「お前があの人間を放置していると言う事は、無事だったのだろうが……それとこれとは話が別だとは思わないか、ナリタブライアン」

 

 その笑顔は、恐ろしい程無感情だった。

 

「な、なあ、エアグルーヴ、落ち着いて話を聞いてくれないか?」

「話とはなんだ? 年上として相応しい振る舞いについてか?」

「このトウカイテイオーが一体何を見て走ったのか! 気にならないか!?」

 

 この瞬間、私はトウカイテイオーから拘束を解いてしまった。

 

 その隙にトウカイテイオーは……

 

「くっ、逃げた!?」

 

 私の身体から這いずり出し、逃げ出してしまったのだ。

 

 私は咄嗟に追いかけた。

 

 別に怒られるのが嫌だとか、トウカイテイオーが欲しいとか、そんなやましい気持ちではない。断じてない。

 

「待てブライアンッ!!」

 

 エアグルーヴは私の名を叫ぶばかりで追ってくる気配が無い。エアグルーヴの性格ならば、倒れている人を置いておく事は出来ないだろうと、私は分かっていた。

 

 そして始まる夜の廃工場にたった2人だけのレース。

 

「簡単に捕まってくれるなよ……トウカイテイオー」

 

 私はいつもより上機嫌に、脚を踏み出した。

 

 

 

 ──✳︎──

 

 

 

 そうして、物語は今朝の一幕に続く。

 

 高低差のある廃工場、地の利を得ていたテイオーはパルクールを利用しパルクールの技能を持たないブライアンを朝まで捌き続け、朝になって深まり出した濃霧に紛れて何とか逃げ切った。

 

「オイ、アンタ大丈夫かよ!?」

「川の向こうで親父が手ェ振ってやがる……今行くぞ、親父……」

「どう見てもマトモじゃねえ?!」

 

 しかし、それ相応の疲労と喉の渇きに朦朧としていたテイオーは、あるウマ娘に助けられる。

 

 日本ダービーを夢見るウマ娘──ウオッカに。

 

 そしてまた、運命の糸に結ばれた者は出会いを果たすのである。




因みに、トウカイテイオーが事故に気付いたのは単に耳が良かっただけだからです(何も考えてない顔)


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